かくも日常的な物語 (満足な愚者)
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第一話

始めまして、満足な愚か者と言います。

この作品はアイドルマスターの二次創作であり、オリジナル主人公、オリジナル展開となります。

こういったものが苦手な方は回れ右でお願いします。

また、本編はアニメ基準で進んで行きますが、ところところで改変があるかもしれないのでご了承ください。感想の方は厳しい意見を募集しておりますので、厳しい意見でも感想でも応援でも何か書いてくれると嬉しいです。


今から帰る。-----------------

 

バイト先から出たと同時にメールを打つ。絵文字も顔文字もない味気ないメールと言われそうだが、男のメールは総じてこういうものだ。

 

この動作が癖になって2回目の春を迎えた。

 

月夜にぼんやりと浮かぶ桜並木を見ながらそんなことを考える。

 

ブゥブゥブゥゥ

 

手元の携帯が震える。返事はすぐに返ってきた。

 

りょーかい(≧∇≦)b  待ってるよー(‐^▽^‐)

 

彼女らしい顔文字の入ったメールだった。

 

こういう風に女の子っぽくなったのは2年前ケータイを持ち始めてからの話だ。

 

それまでは彼女のお父さんが男の子っぽくなるように育てた影響か、それとも男の俺と5年も一緒にいたせいかは分からないが男の子っぽく育ってしまっていた。

 

小さいころからやっている空手の影響もあるだろうけど、それでも兄心? いや、俺の場合はもはや親心といってもいいかも知れない。

 

とにかく、彼女の成長を見守る身としてはもう少し、女の子っぽく育って欲しかったため嬉しい変化だった。

 

サーと一つ穏やかな風がふく。4月特有の始まりの色を含んだ風。

 

彼女にもう一つ願いがあるとすれば、もう少し早く寝て欲しいところか。

 

携帯の画面開く23:12。

 

今から帰ればどんなに早く家についたって23:30を回る。

 

 

高校2年生といえば俺だって夜更かしして寝るのは2ー3時が当たり前だったとはいえ、彼女の兄としてはもう少し早く寝て健康的な生活を送って欲しいものだ。

 

もう一度、今度は先ほどよりも強く春風が吹く。

 

桜並木がざわめく。街灯に照らされた並木から花びらが中に舞い上がる。

 

その光景は幻想的と言ってもいいものだった。

 

……うん。悪くない。

 

満開の桜が揺れる風景はなんだか郷愁感がある。

 

そんな、桜並木の下を家に向かってあるく。

 

彼女との5年目の春はこうして始まった。

 

 

 

 

 

バイト先からバスで20分のところにあるマンションが我が家だ。

 

立てられて大分たつため所々にボロがでてるが、駅までも歩いてすぐだし、バス停も近くにあるため気に入っている。

 

そんな6階だてのこじんまりしたマンションの4階の一番奥、角部屋が我が城だ。

 

ガチャリとドアの鍵を開ける。

 

するとドタドタと騒がしい足音とともに彼女が出迎えにきた。

 

「おかえり! 兄さん!」

 

黒がメインのジャージを上下に着た黒い髪のショートヘア。

 

それに特徴的なくせ毛がヒコヒコと揺れている。

 

美少女というより美少年といった方が似合うかもしれない。

 

まぁ、本人には言ったら最近まで習っていた空手で殴られるため言わないが……。

 

 

「あぁ。ただいま、真」

 

 

それが俺の妹、菊地 真だ。

 

尻尾がついてれば、ブンブンと元気に揺れていそうだ。

 

前に一度犬みたいだな、とボソっと言ったことがあったがその時は、「兄さんが帰ってくると嬉しいですから!」と元気良く言われて思わず頭を撫でてしまった。

 

いま、シスコンって言ったやつ今すぐ出て来い!

 

あの可愛さを知ってしまったらもうシスコンでもいいやと思えるからな!

 

それに俺の場合、兄妹というより親子と言った方が心情的には合ってるような気がするので、親バカと言った方がいいかもしれない。

 

「兄さん! ご飯できてるから一緒に食べよう!」

 

真と暮らし始めて5年。最近はもっぱら夜ご飯を作るのは彼女の役目となっていた。

 

高校に入るまでは、俺が全て作っていたのだが彼女が高校入学と同時に何か俺の力になりたいと言い出し、俺もバイトの関係で夜も遅くなるために料理を教えた。

 

料理にも運動神経が関係があるのかないのかは分からないけど、彼女の料理の腕はどんどん上がって行った。

 

今では5年間自炊をしてきた俺と変わらなくなってきてる。

 

まぁ、まだ俺の方が上手いと思いたいけど……。

 

「いつもありがとうな。助かるよ」

 

「いいよ、いいよ。気にしなくて! 兄さんもバイト頑張ってるんだから!」

 

なんていい子だろ。

 

おじさん少し涙が出てきたよ。

 

高校に入ってから彼女は変わった。

 

それまでも良く俺を手伝ってくれたり、家事もよくやってくれたけど、高校に入ってからは更に積極的にやってるれるようになった。

 

それに携帯を持ち始めてからは、女の子っぽいメールを打つようになったりして嬉しい変化となった。

 

服装だけは男の服、主に俺のお古なのだが……。

 

いくらウチが貧乏だからって服くらいは買えるが何故か真は「ボクは、この服が気に入っいるから気にしなくていいよ!」と言って買おうとしない。

 

小遣いでも、服を買ったとこを見たことないため本気で服は男物が好きなのかと思い、勝手とは思いつつ男物の服をプレゼントしたら、無言で殴られたため服に関しては干渉しないようにいている。

 

ちなみに殴られた時は本気で泣きかけたということを記しておこう。痛いってものじゃなくて呼吸が一瞬、止まった。

 

「いやいや。真も頑張ってるじゃないか。高校に家事、そしてアイドルまでこなしてるんだから」

 

そうそう彼女の変化といえばこれを欠かすことは出来ない。

 

ある日の夕飯時、彼女から打ち明けられた。

 

アイドルになりたいと……。

 

なんでも高校の帰り、友達と帰ってる時にスカウトされたとか。

 

スカウトね……。あやしい。あやしすぎる。

 

とりあえず、そのスカウトを連れてきてきくれ、そう言ってその場は終わった。

 

そして次の日さっそく真は、プロデューサーを連れてきた。

 

赤羽根さんいう20代前半の若いプロデューサーだった。

 

メガネとスーツで真面目そうな彼は始め、死を決意したような顔で話し始めたので何事かと思ったら、どうやら真の保護者ということでむちゃくちゃ強そうな人だと思ったとか。

 

確かに真は、空手を10年近くやってその辺の男よりかは遥かに強いが俺はその辺の一般人である。

 

比べられても困るってものだ。

 

話始めると年が近いこともありすぐに打ち解けることが出来た。

 

真が所属するプロダクションは765(ナムコ)プロダクションという新生のプロダクションらしい。

 

所属アイドルは真を含め13人。

駆け出しのアイドルプロダクションだそうだ。

 

赤羽根さんの話は時間がたつごとに熱を帯びていった。

 

うん。いい人そうだ。

 

そうと分かれば、アイドルをやりたいという彼女の意思を邪魔することは出来ない。

 

すぐに契約書にサインする。

 

赤羽根さんなら真を悪いようにはしないだろう。

 

それにアイドルになれば真も少しは女の子っぽい格好をするだろう。

 

そんな打算もあったのだが……。

 

そんなことがあったのが、今年の2月。

 

たまに雑誌の隅の方に写真がのっている程度だけど身内心としては嬉しいものがある。

 

見本として真がもらってきた雑誌を保存したりしちゃっている。

 

完璧にシスコン、親バカである。

 

給料の方は真の方で管理してもらってる。自分でお金を稼ぐことの大切さも理解してもらいたいし、真が自分の労働の対価に得た賃金だ。自分で管理、消費するのが妥当ってものだろう。

 

まぁ、今の給料はまだ高校生の小遣いレベルなので、小遣い変わりにっていう面も強かったりするのだが……。

 

流石に桁が高校生が持つべき金額を超えたら考えるが、今のままならその金額に給料が達するにはまだまだ時間がかかりそうなので当面の間は傍観してもいいだろう。

 

真がプロダクションに所属して早、2ヶ月と少し、最近ではプロダクションの友達も出来たのか、よく我が家にも遊びにアイドルたちが来てくれる。

 

仕事が云々ということよりも、こういう風に仲間ができて仲良くやっていけてる点でアイドルをやらせてみて良かったなと思う。

 

アイドルにせよ部活にせよ、同じ目標に向かう仲間、ライバルは一生涯の宝になるからな。

 

 

 

 

 

「それじゃあ。食べるか」

 

リビングのテーブルにはすでに理料が並んでいた。

 

ハンバーグにポテトフライ、サラダにほうれん草のおひたし。

 

そこに真がついできたご飯と味噌汁が並べられる。

 

なかなかに家庭的な光景だ。

 

「「いただきます!」」

 

まずはハンバーグを一口。

 

「うん。美味しい!」

 

「でしょ!? そのハンバーグは自信作なんだ!」

 

えへへ。

そう照れ臭そうに笑う真をみてつられて笑顔になる。

 

「しかし、真も料理上手くなったよな」

 

「そう? 兄さんに言われると嬉しいなぁ」

 

「でも、これだけの物を作るのは大変じゃないか?」

 

「全然、大丈夫だよ! 兄さんだって僕と同じ歳の時はバイトに学校に家事も色々やったじゃん」

 

確かに高校2年の時はバイトに学校、そして家事と色々やってきたけど……。

 

「でも、真もアイドルのレッスンとか大変じゃないか」

 

「大丈夫! 大丈夫! だってダンスレッスンぐらいじゃ僕はへばらないよ!」

 

「うーん。でも……」

 

「もう! 兄さんは心配症なんだから! ご飯冷めちゃうから食べようよ」

 

うーん。

心配症と言われとも彼女の成長を見守る身としてはやっぱり心配だけど……。

 

まぁ、ちゃんと学校に行ってるみたいだし気にすることでもないのかな。

 

味噌汁をすする。

 

コンブが効いてて俺好みの塩梅になってる。

 

うん。美味しい。

 

とりあえず今はこの料理に舌鼓を打つこととしよう。

 

 

 

 

 

「兄さん! 明日ってバイト休みだよね?」

 

しばらくして真が聞いてきた。

 

「うん。休みだよ」

 

「じゃあ、もし良かったら事務所の友達呼んでもいい?」

 

こんな風に事前の了解を取る時は誰かを泊めたいという合図だ。

 

「いいけど、泊まるならちゃんと向こうの親御さんに了承を取らなきゃだめだぞ」

 

いくら職場の友人の家とはいえ若い男がいる部屋に娘を泊めるのに反対の親御さんもいるはずだ。

 

「分かってるよ! じゃあ、いいんだね!?」

 

「あぁ。もちろん」

 

「へへっ、やっりぃ!」

 

毎回のやり取りなため、真も俺が断らないことを知ってるはずだが、とても嬉しそうな顔をする。

 

うん。悪くない……。

 

 

 

 

 

 

 

「「ごちそうさまでした」」

 

「真。後片付けやっておくから先に風呂はいってきな」

 

作ってもらった身だ。後片付けくらいやるのが普通だ。

 

「うん。わかった。じゃあ、後はお願いするよ」

 

晩ご飯を作ってもらった方が後片付けをする。これが俺と真で決めたルールだった。

 

真が風呂場に入って行くのを確認して、ゆっくりと片付けることとした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ。おやすみ。兄さん」

 

風呂を上がってリビングで取り留めのない話をしたあと真はそう言って自分の部屋に戻っていった。

 

時刻は1時を少し回った程度。

 

いくら真が体力があるとはいえ、この時間まで起きているのはどうだろうか。

 

アイドルになるために最近ではダンスレッスンやボーカルレッスンなどをやっていると聞く。

 

真が俺といる時間を大切にしているのは分かる。一緒に朝食、夕食をとっていることからも分かる。

 

でも、真は成長期だ。睡眠は大事だろう。

この時間に寝て、起きる時間は7:30。

 

 

6時間睡眠。大人の睡眠時間なら十分と言えるが、成長期の女の子。

 

せめて、8時間は寝て欲しい。

 

そのためには真に悪いけど、夕食は一人で食べてもらうか……。

 

でも、真は絶対に嫌と言うだろうし。

 

こういうのを親心とでも言うんだろうな…………。

 

少し、眠い。

 

少し寝るか。とりあえず、いい案が浮かぶまでは現状維持で行こうと思う。

 

部屋に戻りながらそんな事を考えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第一話 その2

久しぶりに夢をみた。

 

真がまだ小学生で俺の両親がまだ生きていた時の夢だ。

 

一緒に遊園地にいき、ジェットコースターやゴーカートなど男の子が好みそうなものばかり乗っている夢だ。

 

真はあまり絶叫系の乗り物が好きではない俺を色々と連れ回した。

 

満面の笑みで「兄さん! 次はあれに乗ろうよ!」なんて言われると断れるはずはない。

 

内心では嫌々だが、嫌とも言えずについて行く。

 

確かに、そんなことは昔はあった。

 

でも、これは夢だ。夢に違いがない。

 

ジェットコースターにも乗った。ゴーカートにものった。

 

しかし、乗ろうと言ったのは俺で、嫌々ながら乗ったのは真だった。

 

その家族旅行は真の深い傷を癒すためのもので、当時の真は満面の笑みどころか笑みすら少しぎこちないものがあったのだ。

 

そんな真を気遣って行ったのが遊園地だったのだ。

 

だから満面の笑みの真も、乗り物に連れまわす真も全部、フィクション(幻想)なのだ。

 

夢の中の俺は確かに真に連れまわされっぱなしだったが、それでも幸せであった。

 

 

 

 

 

 

「--------おきろ--おい」

 

 

誰かに揺さぶられる。

 

 

夢というものは総じて覚めるものである。

 

仮想な幸せは長くは続かない。

 

目を冷ますとそこにはボサボサ髮のメガネ男がいた。

 

身長は俺より少し下、175cmほどと日本人の平均身長より少し大きい程度の男だ。

 

「講義中に爆睡とは、相変わらず学生の本分を分かってないようなやつだな」

 

痩せ型で天パーがかった彼は苦笑い気味でそう言う。

 

彼とは悲しいこと、と言ったらあれだけど中高大と同じ学校である。

 

いわゆる腐れ縁と言うべき関係だ。

 

 

もっとも彼の場合は俺のように努力して大学、高校にいったのと違い、ただ家が学校から近いという理由だけで高校、大学を決めた変人である。

 

その変人ぶりは高校の模試で全国平均で常に一桁をキープし、あの赤門がある大学の医学部すら余裕だろうと言われたのに家が近いからとこの大学を受験し通っていることからも伺える。

 

とにかく、このひょろ長いオタクを体現したような彼は、変人だと理解してもらえればいい。

 

まぁ彼は、見た目と考えは変人だが、友人として付き合った時はまともな人間である。

 

だからこそ今まで付き合えたと言える。

 

「あぁ。もう二限目終わったのか……」

 

くわぁ。と伸びを一つ。

 

その後にゴキゴキと首の骨を鳴らす。

 

教室内の人もまばら、どうやら二限目が寝ている間に終わっていたようだ。

 

「あぁ、つい終わってついさっき昼休みに入ったところだ。そうと、これが授業のノートだ」

 

そう言ってルーズリーフをカバンから取り出す彼。

 

「いつもすまないな。SSK」

 

中のいいやつは彼の事をSSKと呼ぶ。

 

まぁ、あだ名みたいなものだ。

 

本名もこれでわかる人もいるかも知れないが、誰もが本名ではなくSSK呼ぶ。

 

これは仲良いい奴の印なのであり、彼にお世話になった、彼と深いつながりがある人はこう呼ぶのが決まりである。

 

彼ほど普段の行動が謎につつまれている人間はいない。

 

10年近く一緒の学校に通っていた俺でさえも、機械に異常につよい、とんでもない情報量を持っている。

 

とんでもなく人材のコネがある。

 

そして、地元のそこそこ大きな病院の息子。

 

その程度しか知らないのだ。

 

「気にするな。お前の事情は知っている。これくらいでお前と姫の負担が軽くなるなら軽いもんだ」

 

見た目と普段の言動は変人だが、彼ほど友人として心強い人はいない。

 

ある意味珍しい人材であることは間違えない。

 

そして、肉親を除き一番深く、いやこの場合肉親を含めても、我が家の現状を知っているのかもしれない。

 

少なくとも彼が居なければ無事に三年生まで大学は進めなかったのは間違いない。

 

 

「いつも、すまないな……」

 

色々助けてもらっている身としては、彼に頭が上がらない。

 

「まぁ、意地も生きて行く上では大切だが、そればかりに気を取られれば後後取り返しのつかないことになるぞ」

 

全くもって正論だ。

 

しかし、こればかりはどうしようもない。

 

「あぁ。分かってるよ……」

 

とりあえず次の講義は起きていることとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま」

 

家のドアの鍵を開けると例にも漏れずドタドタと騒がしい足音ともに彼女が出迎えにきた。

 

「兄さん! お帰り!」

 

例にも漏れず嬉しそうな彼女の声。

 

そして、玄関には見慣れぬ女性用の靴が三足。

 

隅の方に揃えて並べてあった。

 

どうやら昨日言ったように友人がきているようだ。

 

すると、彼女に釣られるようにして3人の女の子が玄関に顔を出してきた。

 

「お兄さん。お邪魔してます」

 

最初に声をかけてきたのは、二つの赤いリボンが特徴の女の子、春香ちゃんだ。

 

彼女とは2、3回真が家に呼んでいるため、あったことがる。

 

というより顔見知りである。

 

お菓子作りが好きな彼女は、遊びにくる時にクッキーなどを手作りで作ってくれる。

 

性格も良く、気もきく。

 

是非とも、お嫁さんに貰うなら彼女みたいなタイプがいい。

 

ドジな面もあるらしいが彼女の容姿と性格からすれば誤差の範囲内。

 

プラスマイナス0どころか、ドジっこ属性として大きなプラスだ。

 

「久しぶりだね。春香ちゃん。元気にしてた?」

 

「はい。おかげさまで」

 

うむ、いい子だ。

 

「お兄さん。またまた、お邪魔してますぅ」

 

次に声をかけたのは、ボブヘアーの大人しそうな女の子、雪歩ちゃんだった。

 

彼女のは真が始めて家に遊びに連れていた女の子だ。

 

今でも真の親友で一番家にきたのもおそらく彼女で間違いはないだろう。

 

彼女は重度の男嫌いで最初の2、3回は目を合わすどころか会話すらままならなかった。

 

俺の事を見るたびに部屋のすみに逃げて行くのだ。

 

真いわく、事務所だと事務所の床に穴を掘るレベルだと聞かされたので、我が家はまだマシだった方だが……。

 

しかし、回数を重ねるごとに慣れて行き今では、目を見て会話出来るようになった。

 

これは人類がアポロ11号で月面着陸した程度に大きな前進だったと思う。

 

少なくともはじめの頃よりも100倍マシになった。

 

「雪歩ちゃんもいらっしゃい」

 

「はいぃ。いつもお世話になってますぅ」

 

「いやいや。気にしなくてもいいよ。真がいつもお世話になってるからね」

 

「真ちゃんのお世話なんて。私の方がお世話になってますぅ。お兄さんにも真ちゃんにも」

 

彼女が真の親友で本当に良かったと思う。それと同時に彼女のような心優しい子ばかりをプロダクションに引き入れた赤羽根さんの手腕も相当なものだと伺える。

 

とりあえずいい子だと理解してもらえればいい。

 

「あなたが噂の真のお兄さんでしたか……。私は如月 千早と言います。今日は急にお邪魔して申し訳ございません」

 

噂とはなんだろうか?

 

まさか、真と一緒に住んでいるよく分からない男がいるらしい。

 

そんな噂かもしれない。

 

それは非常に困る。例えば今はまだいいが、もし真がトップアイドルになった時に熱狂的なファンに刺されそうな噂だ。

 

あとで、どんな噂か真に聞いたほうがいいかもな……。

 

それはともかく、如月 千早と名乗った女の子は青みがかった長い髪が特徴の少女だった。

 

顔はやはり春香ちゃんや雪歩ちゃんと同じようにとても整っている。

 

それを見るとやっぱりアイドルなんだなーと実感する。

 

そこらの街の子は一線を画したものがある。

 

でも、とりあえず言えることはいい子そうなのは間違えない。

 

何か、さっきから良い子しか言ってないような気がするが、我が妹? 娘? が連れてきた子達だ。

 

いい子じゃないはずがない。

 

「よろしく、如月さん」

 

「千早で構いません」

 

淡々とした物言いだが、自分の主張をしっかり通す点は共感できる。

 

「じゃあ、よろしく千早ちゃん」

 

「はい。よろしくお願いします」

 

やはり、千早ちゃんはいい子で間違いようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

女の子が三人集まると姦(かしま)しいとはよく言ったものだ。

 

現状は四人の少女がいるために姦しいに一人足す形になるが、我が家のリビングは久しぶりに騒がしかった。

 

なにしろ、話たがりな花の女子高生が4人もいるのだ。

 

それは少しくらい騒がしくなるってものだ。

 

我が家の狭いリビングは完全に花の女子高生に占拠されていた。

 

彼女たちにとってはおっさんと言ってもいいような年齢の俺は無論女子高生達の会話に入れるわけもなく何をしようか考えていた。

 

部屋に戻るか?

 

いやしかし、部屋に戻ったところで何もない。

 

我が家のTVは真の部屋とリビングの二台だけ。

 

俺の部屋にはない。

 

携帯を開き時間を確認する。

 

17:37。

 

無機質な時計はその時刻を示していた。

 

少し早いが、夕食でも振る舞うか。

 

そう思い、部屋に入りエプロンを手に取りリビングへと向かう。

 

「春香ちゃん。雪歩ちゃん。千早ちゃん。今日は泊まっていくの?」

 

三つの着替えが入る程度のカバンがあったため泊まることはほぼ分かっていたが形式上聞いておく。

 

「あっ。言ってなかったね! ごめん兄さん。三人とも今日は泊まることになってるんだ……。大丈夫かな?」

 

少し、こちらの顔色を伺うように聞いてくる真。

 

うちはリビングを含めても真の部屋と俺の部屋、そしてリビングという狭い作りだ。

 

真の部屋も俺の部屋も広くなく、布団があと一枚広げられたらいい方だ。

 

風呂場で寝かせるわけには行かないし……。

 

だが、可愛い妹? 娘?の頼みだ。

 

具体的な解決案は出ていないが、どうにかなるはずだ。

 

雪歩ちゃんも春香ちゃんも千早ちゃんも少し心配どうにこちらを見てくる。

 

「大丈夫だよ。どうにかなるさ」

 

「すみません。ご迷惑をおかけします」

 

春香ちゃんがそう言って頭を下げる。

 

「気にしなくていいよ! むしろ、真の友達なら大歓迎さ」

 

この言葉は本心である。

 

見ず知らずの人ならまだしも、真の友人だ。

 

歓迎する道理はあっても邪険にするなどありえない。

 

「お兄さん。すみません」雪歩ちゃんと千早ちゃんが各自そういいながらぺこりと頭を下げる。

 

それに対して「いいよ。いいよ。気にしなくて」と返す。

 

本当にいい子ばかりだ。

 

こんな子ばかりなら世界は平和になるのにな……。

 

「泊まっていくことは歓迎だけど、ちゃんと親御さんの許可はもらった?」

 

重要なことはこれだ。親御さんの許可がないと家出とか誘拐とか心配されかも知れないし、何かの間違えで俺が部屋に連れ込んだとかいう噂が流れたらファンの子や親御さんに闇に消されそうだ。

 

そんな俺の問いに、彼女たちは「はい」と答える。

 

うむ。

 

じゃあ何も心配することはない。

 

 

部屋から持ってきたエプロンを腰にまく。

 

「え!? 兄さん。ご飯作るの?」

 

真がそんなことを聞いてくる。

 

「うん。まぁね」

 

「手伝おうか?」

 

「お兄さん。手伝いましょうか?」

 

「あっ。私も手伝いますぅ」

 

「私も手伝います。そこまで料理は得意じゃないですけど」

 

真、春香ちゃん、雪歩ちゃん、千早ちゃんが次々に手伝いを申しでてくれる。

 

春香ちゃんや雪歩ちゃんは、よく遊びや泊まりに我が家にきてくれるので、その度に俺がバイトがある日は、真と一緒に。俺が休みの日もたまに手伝ってもらっている。

 

やっぱり、女の子だ。料理はうまい。

 

春香ちゃんにいたっては、いつも俺がいない時は夕食を作っている真と同じくらいか、もしかすると真以上に料理がうまいかもしれない。

 

デザートに関しては完全に俺よりか上である。

 

雪歩ちゃんも料理はできるため、手伝いをしてもらえると助かる。

 

 

「いやいや、今日は良いよ。うちのキッチンそんなに広くないし。お客さんはソファーに座ってゆっくりしててよ」

 

うちのキッチンは入っても3人が限度だ。5人は流石に入れない。かといって二人だけにお願いするのもあれだ。

 

久々に一人で夕飯を作るのも悪くないだろう。

 

それに今日は雪歩ちゃんたち、真の友人がいる。

 

下手な料理は出せない。

 

シャツの袖をまくりエプロンをしっかりと結ぶ。

 

 

さて、それじゃあ腕によりをかけて夕飯作りますか。



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第一話 その3

「「「「「ごちそうさまでした!」」」」」

 

狭いリビングに5人の声が響く。

 

「本当に美味しかったです。お兄さん!」

 

春香ちゃんが微笑みがら言ってくれる。彼女自身が相当な料理の腕前なのでそんな彼女に褒められると、たとえそれが社交礼状でもうれしい。

 

「いやいや。春香ちゃんから言われると、お世辞でも嬉しいよ。春香ちゃんは料理上手だしね」

 

 

「いやいや、お兄さんには負けますよ。でも、お兄さんに褒められると嬉しいです」

 

照れてるのか、えへへ……と頭の後ろをかいている。

 

なにこのかわいい生物? アイドルみたいな子だな。本当……。

 

うん? そういえばアイドルだったか。

 

「お兄さん。ご馳走さまですぅ。今日もおいしかったですぅ」

 

「いえいえ、お粗末さまです。雪歩ちゃんの口にあってなによりだよ」

 

「ご馳走様でした。美味しかったです」

 

「お粗末さまでした。千早ちゃんもお口にあったようで良かったよ」

 

「でも、本当に料理上手なんですね。噂どおりです」

 

千早ちゃん……。

 

その噂っていったいどんなの?

 

非常に気になるところだけど……。

 

初対面だし、しかも俺、あんまり女の子と話したことないし。

 

まぁ、ぶっちゃけると俺はあまり対人関係が得意な方ではない。

 

人見知り。そう言った方が正しいか。

 

いや、話しかければ返すことはできるんだけど自分から話すってことをあまり出来ない。

 

気のしれた相手ならどんどんいけるんだけど……。

 

それに、高校時代も女子の友達少なかったし、業務的なことしか話したことがない。

 

そんな俺が千早ちゃんみたいな可愛い子に話しかけるなんて無謀だ。

 

ってか、男の子でも初対面なら自分から話しかけるのもはばかるのに……。

 

「さてと……。食器片付けるか」

 

とりあえず、噂云々は真に聞こう。気が知れた相手に聞くのが一番だ。

 

「あ! いいよ。兄さん後片付けくらい僕たちがやるから!」

 

食器を台所へ運ぼうと立ち上がった時、真が俺の肩をつかんで押さえる。

 

「いいよ。いいよ。今日は友達も来てるんだし、それにいつも夕飯作ってもらってるから今日くらいゆっくりしててよ」

 

「でも、ご飯の準備もしてもらったですしぃ。片付けくらいはやらせてください」

 

「そうですよ。お兄さん、片付けくらいはやらせてください!」

 

「そうね。片付けくらいはするべきね。泊まらせてもらう身だし。というわけで片付けくらいはやらせてください」

 

真を皮切りにして次々と片付けを申し出てくれる。

 

「気持ちは嬉しいけど……」

 

 

「兄さん! いいから座ってて!」

 

真に座らされる。

 

彼女はよいしょっ、と一声出して立ち上がると食器をもって台所のシンクへと運んでいく。

 

それに習い雪歩ちゃん、春香ちゃん、千早ちゃんがあとに続いて台所へと向かって行った。

 

うちのシンクというか台所は広くない。むしろ狭い。

 

そんな中に4人も入ったらやりにくいだろうけど、彼女たちは上手くやっているようだった。

 

何か話している声が聞こえるが何て言っているかまでは分からない。

 

「料理美味しかったね〜」とか「私、料理習いたいですぅ〜」とか「あっ。私も!」

 

などなど、断片的な声がたまに聞こえてる。

 

良かった……。悪いようには思われてないみたいだ。

 

これで真ちゃんのお兄さん、少し気持ち悪いね。とか、真ちゃんのお兄ちゃんはちょっと……。何て声が聞こえてきた日には引きこもる自信がある。

 

そりゃもう部屋にこもって布団をかぶってテコでも動かないくらいに引きこもる。

 

それで真も実は僕も心の中では気持ち悪いと思ってたんだ……。とかいう返しを聞こうものなら……。

 

ショックで3日は寝込むな。間違いなく。

 

まぁ、そんな会話聞かなくて良かった。

 

俺が聞いている可能性もあるから言わなくて、俺がいない場所、例えば事務所とかで悪口言われてる可能性もあるけど。

 

俺が聞く機会がなければいい。直接聞かなければどうとでもなる。

 

とりあえず、嫌われてはないみたいで良かった。

 

ふぅ。と胸をなで下す。

 

「どうかしたんですか。お兄さん?」

 

ふと声がした方に顔をあげると、ピンクの台拭きをもった雪歩ちゃんがいた。

 

どうやら見られてしまったみたいだ。

 

……少し、恥ずかしい。

 

「いや、少し安心してね」

 

雪歩ちゃんはどういうことか分からなくて首をかしげている。

 

頭の上にはハテナマークがついていそうだ。

 

「まぁ。気にしないで」

 

「あ、はい」

 

そういうと机を台拭きで拭き始める雪歩ちゃん。

 

家庭的だなー。本当に。

 

似合ってるというか絵になるというか。

 

今の季節特有の始まりの色を含んだ風と同じく優しい雰囲気の彼女。

 

ぜひお嫁さんには彼女のようなが欲しい。

 

いや、春香ちゃんみたいな料理ができる子でもいいな。

 

まぁ、真と同い年なら俺にとっては娘みたいな感じだし、決してそういう対象ではない。

 

可愛いとか美人とかは思うけど、どうしても子供としてとしか見れない。

 

娘をもつ親御さんならこの気持ちを分かってもらえると思う。

 

でも、雪歩ちゃんも変わったな。

 

最初の2、3回は俺が家に帰ってくるなり部屋の端に逃げていくし、ビクビクと震えていた。

 

俺がリビングのドアを開けるとまるで殺される! そんな勢いで隅の方へピューと逃げて行った。

 

それはもうショックだった。初対面の美少女にあんな怯えられた目で、というか涙目で逃げられてみろ。

 

何故かこっちまで泣きたくなる。

 

さっきも言ったように俺は真と違い社交性がないし、春香ちゃんたちと違い見た目も惹かれる物もない。更に運動神経もいい方ではない。つまるところ、話しかけられることも少ないのだ。目立たないしな。

 

そんなのだから友達も少ない。あまり認めたくないが、事実であるから仕方がない。女友達など皆無と言っても過言ではないあたり、俺の社交性のなさが分かるだろう。

 

そんな俺でも女子に泣かれたことはない。そもそも女子と話さないので泣かれる心配もないのだが。

 

後から聞いた話だが、雪歩ちゃんは男の人が苦手で、男の人が要るとすぐに逃げてしまうとか。

 

それを聞いた時は、心からホッとした。

 

顔が怖いとか雰囲気が気持ち悪いとかそんなのじゃなくて、本当に良かった。

 

もしもそんな理由だったら、長年女の子から話しかけられなかった原因が分かると同時に、死ぬ羽目になる。おもにショックで。

 

俺のハートはもろいのだ。ガラス? いやガラスのように心が綺麗とも思えない。卵くらいが妥当かな……。

 

おっと、少し話がそれた。

 

閑話休題。

 

雪歩ちゃんとの初対面はこのような感じだった。

 

まぁ、あと2、3回はこんな風に逃げられたんだけど。

 

そんな彼女と今のように雑談出来るようになったのは、彼女が泊まりにきたことがきっかけだったと思う。

 

その日の夜、真と雪歩ちゃんの二人でリビングで雑談した。

 

まぁ、たわいの無い日常的な会話だ。特筆することはないもない。友人と話すような会話だった。

 

結果、雪歩ちゃんとは普通に話せるようになった。まぁ、彼女も俺と同じく、人見知りだっただけというわけだ。同じ、人見知り同士、何かシンパシーがあったのかもしれない。

 

今では、一対一でも話せるようになった。これは俺にとっても雪歩ちゃんにとっても大きな一歩。

 

俺は女の子に話しかけることに慣れる。事務的じゃないこと、つまり雑談として。

 

雪歩ちゃんは男の人と話すことに慣れる。雪歩ちゃんの場合は雑談も事務的なことも含めてとりあえず、男の人になれる。

 

お互いにいいことだらけだ。

 

まぁ俺の場合、大学では未だに女の子と話せないけどな……。

 

雪歩ちゃんは最近では「雑誌の撮影で、スタッフさんやカメラマンさんに挨拶出来るようになったんですぅ」とかいう話をしてくれる。

 

ってか、それって今までどうしてたんだろう?

 

まぁ、雪歩ちゃんの人見知りが少しよくなったみたいで良かった。

 

この調子で是非とも頑張って欲しい。

 

雪歩ちゃんを見る。

 

台拭きでしっかりと台を拭いていた。狭いリビングだが、机は大きい。

 

前の家のリビングから持ってきたやつだしな。長方形の長細い木の折りたたみ式のやつだ。

 

畳めば、そのへんの壁に掛けられるし、テーブルは大きい方がいい。

 

そう思い持ってきた。真と二人だと、大きすぎるが今日のような大人数が遊びに来てくれていると、ちょうどいい大きさになる。

 

「そうやって、見られると緊張しますぅ」

 

「ごめんごめん。でも、変わったなーと思ってね。雪歩ちゃん」

 

そういうと意外そうな顔をする。

 

「変わった? どういうことですか」

 

「うーん。前まではさ、こんな風に会話できなかったよね。それが今では俺と一対一で会話できるようになったし」

 

「……そう言われればそうですね。お兄さんは男の人でも優しいですしぃ、ポカポカしてますしぃ……。」

 

そういってはにかむ。

可愛いなー。癒されるよ。

彼女はそれに……と続ける。

 

「それを言うならお兄さんだって、最初の方は私と話した時、硬かったじゃないですか」

 

「いや、あれは言ったじゃないか俺は女の子と話す機会とかなくてさ。そんな俺が雪歩ちゃんみたいな可愛い子と話すと緊張もするって」

 

硬いどころかガッチガチだったかもしれない。

 

「そんな……。可愛いだなんて……。私なんて私なんてチンチクリンですぅ〜」

 

雪歩ちゃんは顔を真っ赤にさせると、台所へ戻って行った。

 

そんな雪歩ちゃんと入れ違いに真達が出てくる。

 

「兄さん。雪歩がなんか顔真っ赤にしてたけど何か言った?」

 

いつもの黒いジャージを肘のところまで巻くし上げた真が聞いてくる。

 

「いや、特になにか言ったつもりはないんだけど」

 

うん。変なことは言ってない。

 

「そう。それならいいけど。まぁ兄さんだし変なことは言わないのは分かってるけど」

 

信用されているようでなによりだ。

 

「でも、お兄さんってすごいですよね。雪歩と喋れるんですから」

 

春香ちゃんが驚いたように言う。

 

「そうね。彼女、男の人苦手だし、プロデューサーでも一対一では話せないみたいだし」

 

その言葉に千早ちゃんが同意する。

 

 

プロデューサーと一対一で話せないってのはいろいろマズいんじゃ?

 

「でも、最近はカメラマンさんやディレクターさんに自分から挨拶出来るようになってきてるし。雪歩も頑張ってるんですよ! それもお兄さんのおかげですね!」

 

そういいながらニコッと微笑みかけてくる春香ちゃん。

 

「いやいや、俺なんて何もしてないし、出来ないよ。多分真の兄貴なんで安心してるだけだって」

 

雪歩ちゃんが俺と話せる要因のもっとも大きな部分はここだろう。

 

親友の兄貴だけで全く知らない他人と話すよりもマシだったはずだ。

だから初対面の時も真がいつもいうように床を掘る(俺は見たことないので知らないが)こともなく怯えるだけで済んだはずだ。

 

まぁ詳しいことは分からんが。

 

「いえいえ。きっとお兄さんの雰囲気とかそんなのも関係してますって! 」

 

「ありがとう。春香ちゃん」

 

思ったけど雰囲気ってなんだろ?

俺も雪歩ちゃんみたいに優しそうな雰囲気が出てるとか?

ないない。つい先日もメガネのボサボサ髮の友人に目つきがヤンキーヅラはやめろと言われたばかりだ。

 

「でも、目つき悪いし……」

 

「確かに兄さんは目つき悪いよね」

 

俺の言葉に真はうんうんと頷きながら返す。

 

「え!? そうなの真ちゃん。全然そうは見えないけど……」

 

春香ちゃんが少しビックリしながら返す。

 

「今はコンタクトしてるからね。どうも取ると目を細めてしまうんだ」

 

目が悪い人なら分かるかもしれないが、コンタクトをとると急に目を細めてしまう。

 

「へぇー。そうだったんですか」

 

「真ちゃん。お湯沸かしてもいいかな」

 

そんな時、雪歩ちゃんの声が聞こえた。

 

振り返ると、台所から顔を少しだけ覗かしている。顔はまだ真っ赤だった。

 

「良いけど、どうかしたの?」

 

「うん。お茶を入れようと思って……」

 

「え……。でも、うちにそんないいお茶っぱないよ」

 

「一応セット持ってきてるから……」

 

そういえば前に泊まりにきた時にお茶が趣味とかいってたな。

 

その時はぜひ今度飲みたいと返したのだが、まさか覚えてくれてたのだろうか?

 

いや、それはないな。

 

すこし、浮かれすぎだ。

 

「うちので良いならどんどん使ってよ! あっ。何か手伝おうか?」

 

「いや、大丈夫だよ、真ちゃん。いつも一人でやってるし」

 

そういうと台所へ雪歩ちゃんは戻っていった。

 

「あ! そう言えば、クッキー持ってきてるんだった」

 

春香ちゃんが立ち上がりカバンがおいてある部屋すみに行く。

 

そしてピンクの可愛らしいカバンをゴソゴソと探ると、綺麗にラッピングされた袋を取り出した。

 

いつも彼女は遊びにくる時にお菓子を持ってきてくれる。とても美味しいやつを。それが手作りというのだからビックリだ。

 

そこらの店のやつより全然美味しい。

 

「みんなで雪歩のお茶と一緒に食べようよ!」

 

そう彼女は提案する。

 

「いいね!」

 

真が笑顔で頷く。

 

「いい提案ね」

 

千早ちゃんも嬉しそうだ。

 

やっぱり女の子だ。甘いものは好きらしい。

 

さてと、俺みたいなおっさんは部屋に戻るか。

 

そう思い立ち上がる。

 

「兄さん。どうしたの?」

 

真が聞いてくる。

 

「いや、部屋に戻ろうと思ってな」

 

「え!? クッキー食べないんですか?」

 

春香ちゃんがショックを受けたように聞いてくる。

 

「え!? 俺なんかが貰っていいの?」

 

「いいですよっ! …………むしろ、お兄さんのために作ったようなもんですし……」

 

「ん? 何か言った?」

 

後半の方はごにょごにょと言ってて聞こえなかった。

 

というのは無論そんなわけない。

 

そんな難聴は主人公と相場が決まってる。俺のようなやつは良くて主人公のクラスメイト。

 

RPGでいう勇者が始めて訪れる村の村長の息子的なポジションだ。

 

そんなキャラに難聴属性はない。

 

これはただの照れ隠しだ。あんなのこと言われてまともに返せるほど俺のコミュニケーション能力は高くない。

 

むしろコミュニケーション能力は低いのだ。そんな俺にあのセリフに返すほどの言葉はない。

 

春香ちゃん……俺みたいな女の子無縁のやつは今の言葉で勘違いしちゃうよ。

 

そう伝えたいけど、そんなこと言ったら気持ち悪い。この人。

 

そうなるに決まってる。

 

だから、これで間違いのだ。

 

「雪歩も兄さんの分まで必ず入れるくるから座って座って」

 

俺の肩を掴むと力を少しいれ、俺を座らせる真。

 

「そ、そう……。ならそうするか」

 

それにしても、雪歩ちゃんのお茶も春香ちゃんのクッキーも楽しみである。

 

真たちはオヤツとお茶が楽しみなのかキャッキャ言って話してる。

 

うん。平和だ。

 

日常ってこうあるべきだよな……。

 

雪歩ちゃんがお盆にお茶を載せて持ってくるまで俺はそんなことを考えていた。

 

 

 

 

 



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第一話 その4

「ごちそうさま。雪歩ちゃん、春香ちゃん。お茶もクッキーも美味しかったよ」

 

うん。とても美味しかった。

お茶の悪し良しは分からないけど、苦味も程よく、温度も熱すぎず、いい塩梅だった。

 

俺の数少ないボキャブラリーじゃ、クッキーもお茶も美味しいくらいしか言えない。

 

逆にお茶の味やクッキーの味なんかを正確に分析して、ここがこう良かったよとか言える大学生を見てみたい。いるのかな。いや、多分いるんだろうな。

 

そういうのがソムリエだったり、料理人だったりになるんだろうな。少なくとも料理を少しかじった程度の俺では美味しいかマズイくらいしか分からん。

 

美味しい。

 

このセリフは本心だ。本心ならこれでいい。そう、ボキャブラリーのなさを言い訳してみる。

 

気の利いたことがここで言えるのだったら学校では今頃、友達だらけだろう。

 

長年、人見知り、受け身の体系で過ごしたのは伊達じゃない。

 

「お粗末様でした。お兄さんの料理に比べたら、まだまだですけど……」

 

春香ちゃんが照れたようにえへへと笑いながら後ろ髪をかく。

 

雪歩ちゃんが桜なら春香ちゃんは菜の花。

 

ふと、そんなことを思った。

 

勝手なイメージだ。

 

花のことは全く知らないけど、春香ちゃん雰囲気は黄色の菜の花。

 

川沿いに咲いている菜の花の雰囲気だ。春の陽気に包まれて、春風に揺れる。

 

道ゆく人々に元気をくれる。

 

そんなイメージだ。

 

あっ。菜の花で思い出したけど、昔、ある県のとある島に行ったことを思い出した。

 

地元の人間でさえ、名前くらい知ってる、そんな存在感しかない島だ。その島に何と無くいったことがあった。気まぐれ、思いつき、行き当たりばったり、ようは偶然に左右されての出来事。

 

県庁所在地がある市から船で10分弱。その島は黄色だった。一面の黄色。春風にさーっと揺れる花たちは、とても元気があって、輝いていた。

 

ボキャブラリーのなさがここでも発揮される。百聞は一見に如かず。どんだけいい事を聞こうが、どれだけ素晴らしいことを聞こうとも、一回見ることには勝てない。つまりここで俺が何を言おうとも、一回見れば分かるのだ! じゃあ俺が説明する意味なくね。

 

とりあえず、素晴らしく綺麗だったと心の片隅にでもおいといてもらえたらありがたい。

 

 

 

 

「いやいや。俺は、長年やってきているだけだし、春香ちゃんが同じ年数料理をすれば俺なんて足元にも及ばないくらい上手になると思うよ。それにデザートなんて全く作れないからね。春香ちゃんは凄いと思うよ。その年でこれだけできるんだから」

 

料理なんてやっぱり経験がものを言う。5年も色々とやっていればそりゃ上手くはなるってものだ。

 

亀の甲より年の功とはよく言ったものだ。

 

「お兄さんに言われると嬉しいです!」

 

元気に答える春香ちゃん。

 

やっぱり菜の花のイメージで間違いようだ。

 

「私もお兄さんのお口にあって嬉しいですぅ」

 

雪歩ちゃんは桜だ。

 

それも夜桜。昨日の夜、バイト帰りにみた桜並木。

 

月光に当てられ春風に揺れる優しい雰囲気。誰にでも優しい彼女にはピッタリだ。

 

それに桜は儚い。春風に揺れて花びらを散らすし、雨に打たれても同様に散らす。彼女は淡い。それが彼女の長所でもある。

 

「雪歩ちゃんもこんなに美味しいお茶を入れれるなんて凄いよ!」

 

「でしょ! 雪歩のお茶は凄く美味しいんだ!」

 

真が力強く頷く。

 

「いや……でも、私、料理なんて真ちゃんみたいに上手くないし…………。お茶くらいしか自慢できることないよぅ。みんなみたいに可愛くもないし………………チンチクリンですしぃ」

 

どんどんモジモジして声が小さくなって行く雪歩ちゃん。

 

そんな縮こまっている彼女を見兼ねてか我が妹が声をあげる。

 

「そんなことないよ! 雪歩はとっても可愛いじゃないか!」

 

それはもう完璧だった。声にかけ方から声のトーン。左手を胸にかるく当てて右手はかるく雪歩ちゃんにむけて伸ばしてる。

 

まるで宝塚の男役。なまじ男っぽいためによくに合う。たまにこういうことあるだよな。多分、無意識にこういった動きをすることがある。なんか、どっかの美少女ばかり出てくる流行りのゲームの主人公みたいだ。

 

我が妹は…………。

 

 

「そうね。萩原さんは可愛らしいと思うわ。それに雪歩ちゃんと比べたら料理もお茶も全くだわ。それに胸も………………くっ!」

 

どうして女性というのは胸の大きさを気にする人が多いのだろうか……。別にそれだけではないが気にしてる人が多いような気がする。

 

歳と胸の話は女性にするのは禁止。漫画やアニメではよく言われてることだ。

 

今までは話半分の都市伝説だと流していたが、歳はともかく胸の話は本当だったみたいだ。

 

だって、女友達とか皆無に等しいし。それに親しい女性筆頭の真は胸のことは気にしない。

 

ボーイッシュ、男らしい。見た目も性格そう言って間違いない。

 

だから今まで確かめようがなかったがどうやら事実だったらしい。

 

漫画やアニメもたまには役に立つのな。まぁここ5年見てないけど。

 

真はちょくちょく買ってきてるな。どういう漫画かは見せてもらえないけど。

 

それにもう、漫画やアニメをみる歳ではない。

 

漫画の知識なんて友達と話すネタくらいにか使えないと思ってたが、どうやら使える知識もあったみたいだ。そもそも今後、女性とそういう話を話す機会が何回あるか分からないが。

 

事務的なことや職場でなら話せるんだよ。これ本当に。必要最低限のことや話しかけられて返すくらいはできる。

 

自分から話しかけるのは今でも、男女ともに少し厳しいが。

 

ごめん。嘘ついた。少しじゃないや、だいぶ厳しい。

 

 

漫画やアニメなんかは全く見なくなったけど、ゲームはそこそこ暇つぶしに高校時代やっていたことがあった。

 

ジャンルは格ゲー。暇な時にポチポチやったてたら、いつの間にか相当上手くなった。

 

コンピュータのLevelをMAXにしてもノーダメクリアできるようになった時には嬉しさよりも何でこんなことやってるんだろう……。

 

そうやって鬱になった。マジでなにやってたんだろうな……。

 

そんなゲーマーだが、惜しむべきは一緒にやる相手がいなかったこと。過去形で書いたが、今でもいない。

 

いや、高校時代は一年に一回披露する場があったのだが、まぁ多くを語ることはない。

 

どうやらこの特技を人に披露できる日は金輪際ないようだ。

 

別に披露したところで虚しさが残るだけだし。

 

高校時代も何でこんな上手いの? という質問には苦笑いでしか返せなかった。

 

「そうだよ! 雪歩はかわいいよ!」

 

春香ちゃんも力強く頷く。

 

そんな彼女たちの励ましで雪歩ちゃんも少しは元気になったようだ。

 

「お、お兄さんはどう思いますかぁ?」

 

 

真っ赤な顔して上目遣いで聞いてくる。

 

「う、う、うん。さっきも言ったように可愛いと思うよ雪歩ちゃんは」

 

反則だ。あんな目をするとか草野球でプロ野球選手が出てくるくらい反則だ。しかも現役バリバリの。

 

たとえが分かりにくい? うるさい。少しテンぱってんだよ。ろくに女の子と話したことがないと、こうなる。ってか女の子耐性があるやつでもさっきのはヤバイと思う。

 

可愛すぎだ。

 

肝心の雪歩ちゃんはふわぁぁぁぁ。良かったですぅー なんて言ってる。さっきも可愛いと言ったばっかなんだけど、やっぱり褒められるとうれしいらしい。

 

そんな雪歩ちゃんの様子を見ていた真が横目で俺を見る。

 

俺が何したって言うんだよ。なんか悪いことしたかな。

 

確かに妹の友達に可愛いといったことは問題かもしれない。真も兄がこんなことを友達に言ったら恥ずかしいだろう。下手したらセクハラで訴えられるかもしれない。

 

それは、ヤバイ。どうにかして避けたい。

 

もし、それで逮捕されようなものなら不憫でならない。主に真が。

 

セクハラで逮捕起訴された兄がいるとなったら真の未来は真っ暗だろう。

 

それは兄として全力で全身全霊をかけて阻止しなければ。

 

そのためにはどうしたらいい?

 

今さら、さっきのはなし! とでも言えば良いのか? いやその場合だと雪歩ちゃんが可愛くないみたいなる。それはない。雪歩ちゃんが可愛くないなら、そこらの女性は皆等しく可愛くなくなることになる。

 

真が俺を横目で見てたのは何秒くらいだっただろうか? それは1秒だったか、10秒だったか?はたまた1分だったか。

 

俺にとっては、何秒にも何十秒にも感じた。

 

ゆっくりと間を取り、視線を俺の正面に向けると口を開く。

 

そのセリフは俺の予想の斜め上を行くものだった。

 

てっきり、兄さん。仲良くない女の子に可愛いはないよ! セクハラで訴えられるよ! とか。

 

さすがに今のはボクも引くかなー、とか言われるとばかり思ったけど。

 

「兄さん。雪歩みたいな子がタイプだったの?」

 

 

その言葉に場にいた全員が視線をあつめる。もちろん俺に。

 

真は特徴的なくせ毛をピクピクと動かしながら興味津津といった感じだ。

 

他の二人も同じく興味があるのかこちらに視線を向ける。

 

雪歩ちゃんもチラチラと赤くなった顔でこっちを見てるし。

 

美少女四人から注目される。

 

顔には出さないが緊張する。それはもうむちゃくちゃ。

 

俺みたいな人見知りは、人から注目されることが日常生活ではない。

 

業務的なことや、職場なら注目されても割り切れるんだが、こういう私的な場所で注目されると緊張する。

 

しかも注目してるのが美少女ときた。

 

俺みたいな女子と普段会話することがないヤツにとっては緊張するなという方が無理だ。

 

女子に耐性あるやつでもこの状況で緊張しないのは無理じゃなかろうか? だって美少女だぞ。美少女!

 

ここで緊張しないとかいうやつは総じてゲームか漫画、アニメの主人公っていうのが相場だ。

 

この世はゲームではないことは、明白だ。セーブデータもないし、必殺技もビームも昇竜拳も出ない。

 

選択肢なんていうのも無ければ、好感度をグラフや数値で見るも出来ない。

 

魔王が魔物を引き連れて攻めくることも、UFOから宇宙人が降りてきて地球侵略もない。

 

最後はよくあるSF映画だな。

 

まぁいいや。要はさ、勇者なんて者もいないし、鈍感主人公もいない。美少女なのにイケメンよりも普通の人間やブサイクを選ぶヒロインもいないんだ。

 

美女は完璧だから不完全なブサイクを選ぶとかいう話をTVで見たことがあったが、高校でも大学でも美女はイケメンと付き合っているヤツばっかりだ。だから、これもTVの胡散臭い話に違いない。

 

この世はゲームでも漫画でもアニメでもない。そんなことは誰でも分かっているはずだ。

 

そんなことが認められないやつが俗にいう中二病になったりして痛い行動をとったりするんだろう。

 

俺はもう20年生きている。中二病なんてとっくの昔に卒業した。

 

だからさ、この場面で緊張してなんて言えば良いのかなんて分からなくて当然だ。この世がゲーム、物語じゃないのなら主人公はいないのは必然。

 

よって俺の状況は至極当然。少なくとも俺の周りにはこの場面で緊張しないやつは皆無だ。

 

ここまでいって気づいた。

 

俺の周りには変人ばかりだと。

 

メガネで天パーの友人を思い浮かべる。中学、高校時代からやつが緊張したことを見たことない。美少女だろうとイケメンだろうとブスだろうとブサイクだろうと根暗だろうと明るかろうと関係ない。彼は皆等しく接する。誰にでも同んなじ様に自分を変えない。

 

見た目とか言動とか行動などで変人認定されているが、こう言った面は見習うものがある。少なくとも悪いやつじゃないのだが、変人なのは否めない。

 

そして、もう一人の友人を思い浮かべる。俺が今まで付き合って来た中で一番のイケメン。我らのビジュアル担当。茶髪短髪で整った顔。

 

メガネで天パーの友人が誰にでも平等に現実や酷い事を言うのなら彼は誰でも誰にでも優しく手を差し伸べる。

 

まさしく王道の日常系ゲームや物語の主人公だ。

 

あれ? さっきこの世はゲームや物語じゃないと否定したばかりなのに。まぁいいや、もしゲームや物語だったら俺はモブキャラであいつらは主人公だと思えば万事解決だ。いや、解決してないけど。

 

人見知りな俺が彼みたいな人と友人になれるとは思っていなかった。社交性がある彼と社交性がない俺。

 

油と水の関係。言い過ぎかもしれないけど、そう思って貰って間違いない。

 

それでも今まで深い友好関係は築けたことは彼の人徳があったからだ。俺みたいなヤツに話しかけてくれるヤツだ人徳も計り知れない。

 

一応ここでも言っておくが俺は話しかけてくれる分には返す事はできる。あとは、事務的なことや仕事なら話すことは出来るんだぞ。

 

ただ日常の雑談を自分から話しかけることが出来ないだけで。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーさて、現実逃避はやめて、そろそろ目を向けるか。

 

俺が現実逃避という名の無駄な考えをしていた時間はどの位だっただろうか。

 

この視線に耐えられない。俺のハートは卵のハートである。

 

すでにヒビが入ってる。

 

ついでにこのままじゃハートどころか胃にまで穴があきそうだ。

 

「うーん。雪歩ちゃんや、春香ちゃん、それに千早ちゃんみたいに可愛い子とは是非ともお付き合いしたいけど、まぁそんな子達にはそれ相応の人が似合ってるからね」

 

我が友人のビジュアル担当がいい例えだろう。雪歩ちゃんみたいな子はアイツみたいなヤツが似合っている。

 

俺にとっては高嶺の花。届かない花だ。

 

その俺のセリフを受けた各自の反応は様々だった。

 

雪歩ちゃんは顔を真っ赤にするとソファーに座ったままの体制でこてんと横になる。

 

春香ちゃんと千早ちゃんは少し顔を赤らめるとしたを向きなにかボソボソと呟いている。

 

みんなアイドルやる位可愛いから、可愛いなんて言葉聞き飽きていると思うんだけどな。

 

もしかしてそう言う反応をして女の子に耐性がない男を勘違いさせて楽しんでいるのか?

 

いやいや、こんないい子に限ってそれはない。少しメガネで天パーの友人の根暗さが写ったようだ。

 

「兄さん。ボクは? ボクは?」

 

真がせがむように聞いてくる。

 

「真も可愛いよ。ただ、付き合う男は考えていい奴にするんだよ」

 

兄さん。付き合っている人を紹介したいんだけど。

 

そんな事を言って会ったヤツが赤羽根さんやビジュアル担当だったらイイけど、天パーメガネなら兄としてどう反応すればいいか分からない。

 

いいやつはいいやつは何だけどたまにあれなんだよな………………。

 

「えへへ。可愛いかー」

 

肝心の真はこんなのだ。

 

ふぅ。とりあえず、注目していた視線はなくなったためひと段落。

 

世界はやっぱり平和な方がいい。

 



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第一話 その5

オレンジ色の電灯の光がアスファルトの黒を照らす。

 

都会の夜は明るい。それが日本一の都会にもなると更に明るくなる。

 

それは今日みたいな満月が輝く夜も例外ではない。人工灯がなくても明るい日。そんな日でもビルの看板、コンビニの明かり、そして街灯、それらが存在感を発揮する。

 

不躾な照明が穏やかな月あかりを遮断しているようだった。

 

そんな明かりの中を5人でテクテクと歩く。

 

家で雑談している時に気づいた。

 

我が家の風呂は狭い。

 

家賃が安いボロマンションにとっては嬉しくユニットバスではないのだが、大きはイマイチ心もとない。

 

いつもは泊まりに来るのは一人だけなので、良かったが今日は4人。

 

女の子だ。ゆっくり湯船には浸かりたいだろうし。

 

一人一人入って貰うのもいいけど、この際だ近くの銭湯に行こう。

 

そう提案した。

 

みんな快く了解してくれた。

 

春香ちゃんなんかは、銭湯なんて久しぶりにいきます! 楽しみだな〜。 なんて事を言っていた。

 

雪歩ちゃんの人見知りも気にしたけど同じ女性同士なら大丈夫みたい。

 

無機質な光の下に4人の賑やかな声が響く。

 

まだ19時なこともあり人通りもそこそこある。

 

仕事帰りのサラリーマンや高校のネーム入りのエナメルをもった学生、少し遅い買い物帰りのエコバッグを担いだ主婦らしき人。

 

そんな人々が行き交う中、4人の少女達は目立っていた。

 

存在感が違う。そう表現するのが正しいかも知れない。

 

輝いているのだ。彼女達は…………。

 

俺は彼女達が放つ輝きから少し後ろから歩く。

 

距離にして2、3mほど。

 

人には才能と呼ばれるものがある。これに対して異を唱える人は居ないだろう。

 

才能がなければ人間みな平等などという味気ない世界になってしまう。

 

努力してもどうしようもない、必死になっても届かない。その領域を才能と呼ぶ。

 

人間みな平等などという大前提を掲げているキリスト教は才能を持ってる人を差別した持たざる者の宗教だ!

 

そう痛烈に批判したのはかのニーチェだったか。よくニーチェのことは知らないが恐らく彼の言いたかったことはこれだ。

 

ニーチェが言いたかったことは分かる。頭が悪い俺だけど、キリスト教を強者へのルサンチマンや怨恨などと言う言葉で表しているのだから彼は相当持っている者だったということ位は分かる。

 

でも、持たざる者代表の俺からしてみれば才能があると決めてしまえば言い訳ができる。特に俺のような人間は努力しても無駄なのは無駄だ。どうしようもないのなら何もしない方がまだまし。何て端的な意見になってしまう。

 

数歩前を歩く彼女達を見る。

 

明らかに周りの雑踏とは違う。

 

輝いている…………。

 

アイドルになるための一種の才能。カリスマとも呼べるものを持っているのだ。

 

 

純粋に凄いと思う。

 

純粋に羨ましい。

 

こう言う考えは普段の学校生活でも頭をよぎる。

 

この感情は持たざる者のだけの感情だろうか? それとも彼女達も感じるのだろうか?

 

たった数歩。たった2、3m。

 

でも、俺にはこの距離がとても長く感じた。

 

 

 

 

家から4、5分の近所にその銭湯はある。昔はこの地域にも銭湯がたくさんあったらしいのだが、今ではここ一軒しか残っていない。

 

時代の流れと国道沿いの大きなスーパー銭湯の出現でどんどんなくなっていった。

 

少なくとも俺の親父が小さい時はここいらにも銭湯が腐る程あったとか。

 

唯一残った銭湯が一番近くの場所で良かった。

 

曲がり角を一個曲がると銭湯の看板がすぐに見える。

 

曲がり角を曲がると、ひょろ長い身長の男が銭湯の暖簾をくぐるところだった。

 

男と目が合う。

 

「ふむ。姫とお前か……」

 

SSKは顔色も変えずにいった。

 

「エスさん! お久しぶりです!」

 

真が嬉しそうに挨拶する。SSKと真は不思議なことに仲がいい。相性が良いというべきか。

 

とりあえず何故かしら馬が合うみたいだ。

 

仲のいいのはいいことだ。まぁ、SSKに真はやらないけど。

 

「姫。元気だったか?」

 

「はい! おかげさまで! この前は相談に乗ってくれてありがとうございました!」

 

相談? 相談だと……。俺は真に最近、相談とかされてないぞ!

 

確かにSSKと真は仲が良かったけどここまでとは……。

 

真が男の人に相談なんてするとは思わなかった。

 

うーん。真が女の子っぽくなったと喜ぶべきか……。

 

「真ちゃん。そ、そ、その人は?」

 

そんな俺を横目に会話が始める。

いつの間にか真の背中に隠れてた雪歩ちゃんが声をだす。

 

「あぁ。すまない。自己紹介がまだだったね。俺は、そこにいる男と同じ大学に通う者だ。名前は適当にSSKなり姫みたいにエスでも何でも呼んでくれ。ちなみにそいつとは中学時代からの腐れ縁だ。悲しいことに」

 

悲しいのはこっちの方だ。とは言わない。

 

大人だから。

 

「あっ。始めまして。私は真の友達で天海……」

 

ここまで言いかけたところでSSKが口を挟む。

 

「名前は知ってるよ。天海 春香だね。それで姫の後ろに隠れてるのが萩原 雪歩。そこの髪が青みがかった子が如月 千早。そうだろ?」

 

「え……。なんでご存知なんですか」

 

千早ちゃんは恐る恐る聞いてくる。

 

そりゃそうだ何でお前知ってるんだよ。

 

「あぁ。すまないね。姫がアイドルやるって聞いたものだから姫の所属プロダクションのアイドルは全てチェックしていたのだよ。無論、応援しているぞ」

 

「ありがとうございます! まだまだマイナーな私たちを応援していただいて」

 

 

春香ちゃんが満面の笑みで言う。

 

「ちなみに、765プロダクションの所属アイドルについてはプロフィールに書いてあることなら空(そら)でいえるレベルだ」

 

「さすがエスさん!」

 

真が彼を褒める。

 

他のアイドルは少し引いている見たいだ。初対面の男に応援していると言われたとはいえ、プロフィールを全部暗記していると言われればそうなるのも無理はないかもしれない。

 

「いやいや。姫の所属プロダクションだ。応援しない訳にはいくまい。ところで、お前らも銭湯に来たのか?」

 

SSKが俺に視線を変える。

 

「あぁ、久しぶりに銭湯にこようと思ってな。ところで、お前って銭湯通いだったか?」

 

SSKが銭湯に通っていた記憶はほとんどない。それどころか家も大学に近く、ここからは少し離れていたはずだ。

 

「あぁ、ミズキに呼ばれてな。少し機材を持って行ったんだよ。それで帰りに久しぶりにここにきてみたわけだ」

 

高校時代に何回かここの銭湯に仲のいいメンバーでいったことがある。体育祭の練習のあとや文化祭の準備のあと。帰りが遅くなる時にいった。いわば青春の思い出である。

 

「ミズキさんの家に行ったんですか!?」

 

真がミズキという単語に反応する。仲良いもんな真とミズキ。

 

「あぁ、何かまた企んでいるようだ」

 

少し疲れた顔をして言うSSK。

 

「げっ……マジかよ」

 

つい俺も引いた顔をしてしまう。

 

「ヒロトもなにか頼まれているみたいだ。ほぼ何かやるつもりだろう」

 

最近大人しかったのに、一体何を企んでいるいるんだ……。

 

「真、ミズキさんって?」

 

春香ちゃんが尋ねる。

 

「ミズキさんは、僕の空手の先生で兄さんと同級生だよ!」

 

「真の先生っていうことは相当強いのね……」

 

千早ちゃんが感心したようにふむふむと頷きながら言う。

 

「とっても強いし、それにとんでもなく美人なんだ!」

 

確かに容姿も格闘技の強さもずば抜けてる。

 

でも……。

 

「しかし、考えや行動までぶっ飛んでるのはどうだと、俺は思うがな……」

 

SSKが真に続く。

 

そう。ミズキは行動までぶっ飛んでるんだよな。

 

ミズキの伝説は数多くある。例えば、高校に深夜プールに忍び込んで、泳いだとか。深夜に学校の鍵をピッキングして肝試しをやったとか。文化祭で閉会式をやってる時にマイクジャックしてバンドをやったとか本当に様々だ。中でも体育祭の夜行祭と銘打って学校側の許可を取らずに校庭でキャンプファイアーと打ち上げ花火をやった時は、本当に退学になるかも知れないと内心ドキドキしすぎてぶっ倒れそうになった。

 

ちなみにそれら全ては本当の話だ。大抵の場合、SSKも俺もミズキに巻き込まれて一緒に大目玉をくらった。今では母校で伝説の生徒とか言われて語り継がれているらしい。

 

何故か、そこにSSKと俺も入っているから納得できない。

 

「へぇー。なんか凄そうな人だね」

 

春香ちゃんが興味深そうに頷く。

 

「一体今度は何をする気なんだ?」

 

SSKに尋ねる。

 

「まぁ、機材からしておおよその予想はつくが……。とりあえず、まだ今回はマシな方だと思うぞ」

 

少しウンザリした表情だ。

 

「四月とは言え、少し夜は寒い。こんなところで立ち話して姫たちに風邪を惹かせるわけにはいかん。とりあえず、中に入らないか?」

 

確かに、SSKのいう通りだ。こんなところで立ち話して真や春香ちゃん達に風邪をひかせるわけにはいかない。それにミズキのことは俺とSSKと真の三人しか知らないのだ。春香ちゃんや雪歩ちゃんは会話に入れない。

 

SSKに続いて、真、雪歩ちゃん、春香ちゃん、千早ちゃんの順番に暖簾をくぐる。

 

暖簾をくぐる前に空を見上げる。

 

大きな黄色い光を放つ満月が宙に浮かんでいる。人工の光に負けないと懸命に。

 

うん。いい風景だ。悪くない……。

 

少し冷たい風が吹く。

 

このままじゃ俺が風邪をひきそうだ。

 

銭湯の濃い紺色の暖簾を掻き分けてくぐる。

 

そんな俺の後姿を人工の光は優しく照らしていた。



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第一話 その6

ポチャン。ポチャン。

 

天井の結露が湯船の中に落ちる。

 

時間帯がちょうどお客さんが多い時間帯だったのか、男風呂の方はだいぶ混んでいた。

 

年の層も年配の方が多く、俺たちのような若い人はほとんどいない。そんな中、俺とSSKは一番大きい湯船の壁に背中をもたれさせ、並んで浸かっていた。

 

「それにしても久しぶりだな。こうやってお前と銭湯にくるのは」

 

「ふむ。確かに……。最後にきた時は高校時代だったか」

 

白いタオルをたたんで頭の上においている彼は、右手を顎において頷く。そして呟く。

 

「もう、3年前か……。早いな」

 

3年。もう、3年もたった。この3年間はあっという間に過ぎたと言えばそうだったし、長かったと言えば長かった。

 

「そうだな。もう3年……。懐かしいな。高校時代から俺たちは変われたのか」

 

高校時代この銭湯にきた時は大抵の場合、学校に遅くまで残っていた時のことだった。俺とSSKとミズキ、そしてたまに我らがビジュアル担当のヒロト。この4人でこの銭湯にちょくちょく来ていた。

 

家族連れに人気なスーパー銭湯とは違い、湯船の数も3つしかない。それにサウナ何かも5、6人も入れば一杯一杯になる狭いものだ。

 

何もあの時と変わらなかった。 ペンキの剥げた、壁の絵。普段の家の風呂とは違い、熱い銭湯特有のお湯。俺の身長もSSKの身長も恐らく、あの時と変わらないはずだ。

 

俺たち……。いや、俺はあの時から変われたのか。

 

それともこの湯船にはられている肌に刺激を感じる位のお湯と同じように何も変われてないのか。

 

「さぁな、俺には分からん」

 

「ただ……。ただ、少なくともあの時と比べると3年も生きていた分、成長していると思うがな」

 

確かに3年、3年という歳月生きてきた分だけ成長してきたと思いたい。

 

「うわぁ。やっぱり春香、スタイルいいね!」

 

「本当ですぅ。春香ちゃん、スタイルいいなー」

 

「っく! 確かに春香はいいわね。それに雪歩だって」

 

「いやいや、そんなことないって! みんなも良いじゃない」

 

黄色い声が壁の向こうから聞こえてくる。銭湯独特の大きい声で話すと壁の向こうに聞こえる現象だ。

 

向こうは向こうで楽しくやったいるみたいだ。

 

「それはそうと、いつもすまないな。SSK」

 

いつもは言えない言葉もこういう場なら言いやすくなる。

 

「まぁ、気にすることはない。俺も共犯みたいなものだ」

 

いつも掛けているメガネをしてないせいか雰囲気というかどこか違う空気をまとっている様に感じる。

 

「しかし、毎度のことだが、本当にお前はこれでいいのか? 金の心配ならどうにでもなるのぞ」

 

「……どうなんだろな? 最近、そう思うようになってきた。あの時は少なくとも、こんなこと思わなかったのにな……。でも、俺はこれでいいと思う。あの時の俺がこの道を選んだんだから、後悔はない。それに、もう後には引けない」

 

「そうか……。お前がそれで良いなら構わんが……。姫を悲しませる可能性もあるのに、それでも良いのか?」

 

少しばかり声に真剣味を帯びてきた。

 

「こればっかりは引けない、俺の意地だ。引けない……。引けないんだよ」

 

「そうか……」

 

「智に働けば角が立つ、情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」

 

「漱石か。確かに、その通りだ。人の世は住みにくい。しかし、だからと言って人でなしの世に行ったところでもっと住みにくいと思うぞ」

 

夏目漱石の小説。草枕の冒頭の文だ。智に働けば角が立つ、情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

 

何ともこの世の心理を的に得たような言葉だ。

 

「まぁ、お前がいいのならいいけどな」

 

彼は諦めたように少し唇の端をあげる。そして続けて口を開く。

 

「こんな陰気臭い話は終わりにしよう」

 

「そうだな。せっかく何かの縁で一緒の湯船に浸かってるんだ。何か別の話をしようぜ」

 

壁の向こうでキャッキャと黄色い声が聞こえてくる。何て言ってるのかまでは聞き取れないが楽しそうな笑い声が交じっているので少なくとも楽しそうな会話なんだろう。

 

それから、あがるまで俺とSSKは他愛のない会話を続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、どうしようか?」

 

「うーん。どうしうようか、兄さん?」

 

「うーん……」

 

銭湯でSSKと別れて帰ってきた。

俺もSSKも銭湯に行くと長風呂するタイプなので、上がった時間は真達とほぼ同じ時間帯。

 

それから、リビングでしばらく雑談をみんなでやっていたみたいだった。俺も話の中に聞き役だけでもいいから入りたかったが、そんな根性もないし、妹の友達と話すのもおかしいかと思い部屋でゆっくりとしていた。

 

それにしても風呂上りの女の子は何であんなに色っぽいんだろうな。真は一緒に暮らしている手前、風呂上りの姿も見慣れているけど、他の子の風呂上りになんかはどうしても少し色っぽいな、と感じてしまう。

 

まぁ、真は娘同然だし、他の子も娘みたいなものだ。色っぽいなと思う気持ちよりも、微笑ましいとか思ってしまうあたり俺も色々とおかしいのかもしれない。

 

それから二時間ほど課題レポートを書き、さぁそろそろ寝ようかと真達がいるリビングに顔を出した。

 

さすがは華の女子高生。話すネタは尽きないらしく、ずっと喋り続けたみたいだ。

 

まだまだ話足りないかもしれないけど、みんなアイドルだ。日頃の疲れが溜まってるかもしれないし、早く寝た方がいいだろう。

 

ここで寝不足で体調不良とかになったら申し訳ない。

 

みんなは快く、「はーい」と返事してくれた。

 

うん。みんないい子だな……。

 

で、ここで気づいた。

 

我が家は狭い。真の部屋も布団をもう一枚引けば一杯一杯だし、俺の部屋も同様だ。

 

それに……。

 

「布団が俺と真の分も含めて4枚しかないのはいたいな……」

 

布団が我が家には4枚しかない。真の布団と俺の布団、それに来客用が二枚。

 

「どうしようか兄さん?」

 

今日いるのは、俺、真、千早ちゃん、春香ちゃん、雪歩ちゃんの計5人。

 

誰かが余る。それは俺がソファーなり床なりで寝ればいい。俺の部屋も真の部屋も布団が引けるのは二枚が限界。せっかく泊まりに来てくれたんだしみんな同じ部屋に寝たいだろう。リビングの机を俺の部屋に持って行けば4枚は布団を引けるな。

 

なら、こうするか。

 

「とりあえず、机を俺の部屋に持って行けば、4枚布団は引けるだろ。それで真達はリビングで寝ればいい」

 

ただこれの問題は誰かが俺の使ってる布団で寝ないといけない。真には悪いけど俺の布団を使ってもらうか。

 

「真、悪いけど今日は俺の布団で寝てくれ」

 

「えっ。それは、いいけど兄さんはどうするの?」

 

「俺はリビングのソファーを部屋に持って行って寝るよ」

 

「ダメだって! 兄さん! ただでさえ、バイトなんかで忙しいのにソファーで寝たんじゃ疲れなんかとれないよ!」

 

「お兄さんそうですよ。私がソファーで寝ますから、布団を使ってください」

 

真につづいて春香ちゃんが言う。

 

「いやいや、真たちもアイドルで色々大変だろう? それに、俺は大丈夫だって、床で寝るとか結構あったし、ソファーで寝ても全然平気だって。春香ちゃんはお客さんだし、気にしないで。雪歩ちゃんも千早ちゃんも気にしないでいいから!」

 

「でも、だめだって!」

 

「そうですぅ。お兄さん。布団で寝てください」

 

真はどうしても俺が寝ることが嫌らしい。雪歩ちゃんも春香ちゃんも真も俺に気を使っているみたいだ。でも、布団は4枚。小学生でも分かる算数。

5−4=1。

 

一人余る。

 

うぅ……。と顔を落として唸っていた真が急に顔を上げる。

 

「じゃあ、兄さん。僕と一緒の布団で寝ればいいじゃないか!」

 

難しいテストの問題が解けたような顔だった。

 

「いやいやいや! 真、それはダメだろ!」

 

何を言っているんだ。我が妹は……。

 

「そうだよ! 真、そんなのはダメだよ!」

 

「真ちゃん! それはダメだと思うよ!」

 

俺の言葉に春香ちゃん、雪歩ちゃんと続く。二人とも常識人で良かった。

 

「別にいいじゃん! 僕も兄さんも細い方だし、一個の布団で十分寝れるよ!」

 

両手をぐっと握って真が言う。

 

「いや、物理的な問題じゃなくてだな。……そう、色々とマズイだろ? いくら兄妹とは言え一緒の布団で寝るのは。真も嫌だろ?」

 

「僕は全然平気だよ! だから僕と兄さんが一緒の布団で寝て、雪歩が僕の布団。春香と千早が来客用の布団でいいじゃないか!」

 

何がどうなったらそれでいいのか。その辺を少し問い詰めて行きたいところだ。

 

「年頃の女の子何だから少しは貞操概念とか持ってくれよ。何か間違いがあるかもしれないだろ?」

 

「兄さんはそんなことしない!」

 

これは信用されていると取るべきか、しっかりと貞操概念を教えれなかったと嘆くべきか。

 

「それに、兄さんになら……。うんうん、何でもない! とにかくこれでいいでしょ?」

 

だから、よくない。

 

「ま、真ちゃん。やっぱり良くないよぅ」

 

「雪歩は少し黙ってて!」

 

真は何をそこまで向きになってるんだろうか?

 

親としては、人のことを思いやることができる優しい子に育ったと喜ぶべきなのかな。

 

「もう、春だし風邪もひかないから大丈夫だって!」

 

「うぅ……。でも……」

 

そんな不毛な会話をしていると、今まで静かだった千早ちゃんが口を開いた。

 

「あの、こうしたらどうですか…………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何か同じ布団で誰かと一緒に寝るのは久しぶりですぅ」

 

「そうだね、僕も久しぶりだね」

 

千早ちゃんの提案はこういうものだった。私たちの誰か二人が一つの布団で寝れば、お兄さんは布団で寝れますよね。

 

それに、雪歩ちゃんと春香ちゃんが賛成してジャンケンの結果、真と雪歩ちゃんが一緒の布団に寝ることとなった。

 

真が少し不機嫌そうに見えたけど気のせいだろうか。多分気のせいだろうな。

 

寝る場所はみんなリビング。俺は部屋にもどって寝ようと思ったが、真のいいじゃん! 兄さんもリビングで寝ようよ! と言う言葉に春香ちゃんと雪歩ちゃん、そして千早ちゃんまでもが賛成してリビングで寝ることとなった。

 

何もやましいことはないとはいえ、年頃の女の子と同じ部屋で寝るのはどうだろうか。それが、ましてやアイドル。ファンの人達にばれたら消されるんじゃないだろうか……。

 

玄関に近い方から俺、真、雪歩ちゃん、春香ちゃん、千早ちゃんの順番で布団をひく。

 

「なんだか、修学旅行みたいだね」

 

春香ちゃんの声が聞こえる。

 

電気はすでに消してある。あたりは暗闇に包まれていた。

 

「そうね。たしかに、そんな感じがするわ」

 

「何だかワクワクしますぅ」

 

「修学旅行かー。そういえば、雪歩と僕は今年だね! 雪歩はどこに行くの?」

 

「えーっと、確か、アメリカだったよ。真ちゃん」

 

「えぇー! 雪歩、アメリカなの!?」

 

真がすびっくりしたような声をだす。

 

「うん。確か……」

 

「いいなー。海外」

 

「羨ましいなー。私と千早ちゃんは来年かー」

 

「そうね。今から楽しみだわ」

 

「真ちゃんはどこに行くの? 修学旅行」

 

「確か、北海道と沖縄に分かれるんだよ。僕の学校」

 

「へぇー。修学旅行で行く場所が分かれる学校もあるんだ」

 

「真はどっちに行くのかしら?」

 

「僕は北海道に行くよ! 北海道でスノボーするんだ!」

 

「なーんか、真にあってるね」

 

ふふふと春香ちゃんの笑い声。

 

「確かに真ちゃんらしいですぅ」

 

女の子って本当に話すのが好きなんだな。会話もドロドロしたものじゃないし、微笑ましい。

 

「そういえば、お兄さんはどこにいったんですか? 修学旅行」

 

会話の矛先が俺に飛んできた。

 

修学旅行か……。懐かしいな。

 

あんまり、いい思い出とは言えないけどインパクトはもの凄くあった。

 

「北海道だったな。確か」

 

「えぇー! 兄さんも北海道だったの!?」

 

「まぁ、北海道だったな」

 

色々と本当に色々とあったけど。

 

「へぇー。なんか修学旅行って楽しそうだね! 来年だけど今から楽しみだよ!」

 

春香ちゃんがウキウキした感じの声で言う。

 

「雪歩、羨ましいなー。僕も行きたいよ。アメリカ」

 

「私は真ちゃんの方が羨ましいですぅ」

 

 

 

 

 

結局、この日は夜遅くまで彼女たちの談笑が終わることはなかった。真っ暗な闇の中、笑い声が途絶えない光景は、何とも日常の平和な風景を表しているようで、穏やかな時間が流れていた。

 

日常はやっぱりこうでないといけないような気がする。



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第二話

雲一つない真っ青な空だった。いい天気だと何だか調子が良くなったように感じる。

 

そんなある日の昼下がり。

 

キュッキュッっとホワイトボードにマーカーで文字を書く音が聞こえる。大学の一室。普段は語学なんかの少人数授業が行われる教室だ。

 

収容人数も30程度。高校までの教室と同じくらいか少し狭いくらいの大きさだろう。机は長机で三列で並んでいた。

 

そんな教室の最前列の中央の長机。その右端の椅子に座っていた。

 

右を見る。いつもの様に天パがかった髪に細いフレームのメガネ。

そんな彼が少し面白そうな目をしながらホワイトボードを眺めていた。

 

「これでよし!」

 

教壇の上でホワイトボードに書いていた人物がカチッとマーカーのキャップを閉める。

赤みがかった、セミロングの髪はツヤをもち、癖なんか微塵も見えない綺麗さだ。ちなみにその赤毛は地毛らしく。出会った当初のままだ。

 

クルッとこちらを向く。

 

うーん。こいつを表すにはどういう言葉が似合うだろうか……。

 

美女、美少女とかいう言葉がしっくりくる。整った顔と言うより整い過ぎていると言った方が似合う。

 

俺の少ないボキャブラリーじゃ何て表現すれば良いのか悩むところだ。とりあえず美女を想像してもらったら間違いない。

 

春香ちゃんとか雪歩ちゃんと並んでも遜色ないか寧ろまだ美人と言っても間違いじゃないあたり、彼女の美人差がわかってくれるだろう。

 

「よく来てくれたな!」

 

そんな彼女は女性にしては少し低めの声でいう。

 

彼女がかの有名な橘ミズキその人である。彼女の伝説は数しれず。暴走族を一夜にして、三つ壊滅させたとか、空手の日本チャンプに勝ったとか、全国模試で1位をとったことがあるとか音速で走るとか、円周率を空で100桁言えるとか。

 

とにかく、色々な噂があるのだ。

 

彼女とは高校時代からの仲間であり、真の空手の先生だ。めちゃくちゃ強い。あの真が絶対に勝てないっていうほどだ。

 

それにこの容姿。ゲームでいうチートキャラとかバグキャラとかいう感じだ。

 

「この前持って行った機材からして、そんな事だとは思ったが……。やっぱりか」

 

SSKがやはりといった感じで呟く。この前とは恐らく春香ちゃん達が泊まりに来た日のことかな。あの時銭湯の前で器材を運んだとか何とか言ってたし。

 

あれからもう3週間か。早いな。時がたつのは。あれから真達も頑張ってるみたいで雑誌でチラッと見る機会も増えた。

それに一昨日の土曜日はどこかの村でライブを行ってきたそうだ。

 

インターネットでも本の少しだけだけど話題になってるとSSKが言っていた。これはいい進歩だと思う。

 

「あぁ、そうだよ! 今度はこれだ!」

 

バンバンとホワイトボードをマーカーの先で叩く。

 

『文化祭でライブ!!!』

 

ホワイトボードにはデカデカと整った字でこう書かれていた。

 

文化祭でライブ? うちの学校の文化祭は11月だ。どこかの文化祭に乗り込んでステージジャックするとか言うんじゃないだろうな。

 

成人して最近大人しくしていたと思ってたんだけどな。

 

とりあえず聞いてみるか。

 

----ガラ。

 

そんな時、教室の前のドアが開く。

 

「すまん! みんな遅れた!」

 

茶髪の短髪。身長は俺より少し大きい182cm。爽やかな笑顔が見える。イケメン。こういうしかない。イケメン。大切なので二回いう。

 

彼が我がグループのビジュアル担当のヒロトだ。

誰にでも優しく、誰も見捨てない。顔だけでなく心までイケメンである。

 

彼に助けたれた女の子は数しれず。告白された回数も数しれず。

 

性格も容姿も完璧な超人的な存在だ。

 

「すまん! 駅前で女の子が不良に絡まれてたから助けてきた!」

 

いやいや何でそんな場面に鉢合うんだよ……。でも、実際にもし、鉢合わせになったら、ヒロトみたいに助けることができるだろうか?

 

どうなんだろう。助けることが正しいことはわかるけど、実際に行動できるだろうか?

 

分からない……。もしかしたら殴られるかもしれない。それでも何の迷いもなく、助けることが出来るヒロトはとてもいい見本になる。

 

容姿は無理でもせめて、心情くらいはかくありたいものである。

 

「またか……」

 

そんな、ヒロトに向かってSSKがつぶやく。

 

「はははははは……」

 

そんなSSKに苦笑いでヒロトは返す。

 

「さすが、プレイボーイ。 まぁとりあえず、座われ」

 

「プレイボーイじゃないっていっつも言ってるだろ、ミズキ」

 

そういいながらも笑顔は崩さず、ヒロトは俺と同じ長机の逆側に座る。

 

「うるせぇよ。イケメン。告白されまくってるのに、彼女がいないからそんな噂がたつんだよ!」

 

ミズキが含み笑いながら言う。

 

ヒロトに彼女がいないのは有名だ。これだけのイケメンで、しかも心優しい。大学内という大きいくくりからしても知っている人は多いんじゃないだろうか。

 

告白されるのなんて日常茶飯事のはずだが、彼女と呼べる人はいないらしい。

 

これだけのイケメンだ。少しは噂になる。本命がいるのか? とか、橘と付き合ってるとか。挙げ句の果てにはホモではないのかと噂がたつくらいだ。

 

ちなみにミズキも相当もてるが、口がこのように男っぽく、告白してきた男をボロボロにするようなことを平気で言い放つ。それに、真の師匠を務めるほど強いのだ。

 

あまりしつこく付きまとうと文字通りにボコボコにされる。実際に何人かバカなやつがそうなった。

 

そんなことがあり、最近はミズキに告白する人は減ってるそうだ。

 

それでも、まだ少しはいるらしいからミズキの美人度はすごい。

 

「これで全員そろったな。じゃあ、もう一回仕切り直すか。まぁ、言うまでもないんだが、この通り学園祭でライブする」

 

バンバンとマーカーでホワイトボードを叩く。

 

右手で赤い髪をさらっとかきあげ、続ける。

 

「まぁ、そこのSとヒロトは、機材運んでもらったから何するか知っていたと思うけどな」

 

「ライブをやることは分かっていたが、場所はどこだ? うちの大学は11月だぞ」

 

SSKが少しメガネを上げながら言う。

 

「そんなことは知ってる。何年、この大学にいると思ってんだ。場所は、南女子高だ」

 

南女子? 南女子といったら都内有数のお嬢様学校だ。南女子ブランド。そこの女子高出身と言えばそんなブランドまでつくようなお嬢様学校。

 

俺とSSK、ミズキが通っていた高校から駅で言うと二駅のところ。近いと言えば近いが、なんでそんなことで……。まさか……。

 

「もしかして南女子の文化祭でステージジャックするとか言うんじゃないよな?」

 

「ステージジャックか……。それもそれで面白そうだな。最近やってなかったし、今度やってもいいな」

 

いやいや、よくない。よくない。

 

「まぁ、でも今回は違う。南女子のなんて言ったか、文化祭実行委員長とかなんとかから電話があってな。是非ライブをやって欲しいんだと」

 

「へぇー。向こうからの依頼か……。何でだろうな?」

 

俺のそんなつぶやきに右側に座っていたヒロトが答える。

 

「あれじゃないかな。ミズキって高校時代なかなかヤバイことやってたし、都内の中じゃ有名だろ? 県外に住んでた友人もミズキこと噂で知ってるくらいだし。それで向こうも知ってたんじゃないかな。ところで南女子ってどんなところ?」

 

確かにミズキの伝説は有名だ。容姿も目立つし、行動も目立つ。そうなると有名になるのは当たり前だ。中央のミズキは今でも語り継がれてるらしい。それなら南女子が知ってるのも納得だけど。

 

「あぁ、そうか。ヒロトは県外から来たんだったか。南女子とは都内有数のお嬢様学校だ」

 

SSKがヒロトの方に向き直る。

このグループで高校が違うのはヒロトだけだ。そのヒロトとも高校こそ遠いが知り合ったのは高校時代だった。

 

「何でも、その文化祭実行委員長とかなんとかが、俺たちのバンドを一年の時に聞いたらしくてな。それでファンになったんだと。伝説のバンドをもう一回復活させて欲しいそうだ」

 

高校時代、このメンバーで演奏する機会が結構あった。ミズキはギターの演奏も歌もものすごく上手い。ヒロトも大抵の楽器は演奏できる。そしてSSKも楽器の演奏はピカイチだ。

 

俺もミズキに無理やりギターを教えられたが、はっきり言ってお荷物以外の何物でもない。

 

ビジュアル面でも、楽器の演奏もダメだが毎回毎回ライブには必ず呼ばれる。ある日、理由を聞くと、このメンバー全員でやるから意味があるんだよ。だれか一人でも欠けたらこのグループはないんだ。 そうミズキに言われた覚えがある。

 

まぁヒロトは県外に住んでた手前3人で演奏する機会があったといえ基本的には4人でやってた。

 

今の高校三年生ならちょうど被ってるのか……。いったいどこで見たんだろうな。

 

まぁいろんなところで演奏したりステージジャックもしてたから、どっかで聞く機会があったのかも知れない。

 

「お嬢様学校か……。ところでいつがライブの日なの?」

 

「あぁ、それか。ライブは明日だ!」

 

「「「は!?」」」

 

見事に三人の声がかぶる。

 

いくらなんでも急すぎる。楽器も最近触ってないし。こんなんじゃ演奏できない。SSKやヒロト何かはしばらく演奏してなくても完璧にできるんだろうけど、俺は無理だ。

 

「いや、いきなり言われても無理だって。練習もしてないのに」

 

「大丈夫だ。明日は全員一日バイトも予定もないはずだ。午前中に音合わせをやってからいく」

 

「確かに明日は暇だが……」

 

ヒロトが言う。

 

俺も明日は一日オフだけど。

 

なんでミズキはみんなの予定を知っているだろう?

 

ちらっと横をみる。天パの友人が少し済まなそうに頭を下げてきた。

 

SSKからの情報か……。それなら納得だ。彼がなんで俺とヒロトの予定まで知っているのか。それはSSKだからだ。それ以上でもそれ以下でもない。

 

しかし、午前中だけの音合わせで大丈夫だろうか?

 

感を取り戻せる気がしない。まぁ、どうせ感を取り戻したところでたいして腕は変わらないが……。

 

「まぁ、ミズキの無茶振りはいつものことだな」

 

ヒロトはどうやら諦めたようだ。

 

まぁ俺もミズキの無茶振りには慣れてる。

 

「心配しなくても報酬もしっかりもらった」

 

報酬?

一体なんのことだろうか?

 

まともなものならいいけど……。

 

「それじゃ、会議はこれで終わる! 何か聞きたいやつはメールなりここで聞くなりしてくれ! 以上!」

 

ミズキはそういいながら口の端をあげて微笑むのだった。

 

窓の外を見る。

 

相変わらず、窓の外の空は真っ青で雲一つない綺麗なものだった。



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第二話 その2

人生というものは中々良くできていると思う。

 

南女子でライブをすると聞いた会議の帰り道。

 

俺はバイトのためにバイト先へと足を進めていた。ヒロトとSSKは明日のライブの機材などの準備のためにミズキに駆り出されたため、一人だ。

 

明日からGW。街中もいつもより活気があるように見える。空は相変わらず、青が広がり、どこまでも開放的だ。

 

 

 

ここまで、開放的だと何かしたくなるってやつが人間の心情なのかな。

 

目の前にはいわゆるナンパと言うものがおこなわれていた。

 

バイト先に向かうまでの繁華街。人は夕方に差し掛かっておることもあり、学生も買い物にきた主婦も多い。

 

そんな人ごみの中、二人の明らかにチャラそうな男が、一人の女の子をナンパしていた。

 

しかし、方法が強引すぎる。女の子は付き合う気はないようだけど、男達がどうにか気を引こうと目の前に立って通せんぼしていた。

 

女の子の髪は綺麗な金髪。その金が腰あたりまで伸びており、ところところウェーブを描いていた。

 

スタイルもとてもいいし、顔も小顔で整っている。

 

美人だな。街中ですれ違えば思わず二度見してしまいそうな美人さである。

 

女の子は本当に嫌そうにしており、先に進もうとするが、男の一人が前に立って進ませない。

 

周りの人はこんな光景を見て見ぬ振り。いや、もしかしたら本当に見えてないのかもしれない。

 

こんな光景は日常にありふれている。いちいち構っていたらキリがない……。

 

きっとヒロトみたいな正義感溢れるやつが助けるんだ。

 

バイト先に向かうか……。

 

そう思い足を進める。

 

少女の横を通り過ぎようとした時、足が止まる。

 

本当にこのままでいいのか?

 

友人の顔が思い浮かぶ。ヒロトなら……? ミズキなら……? どうするだろうか?

 

間違いない。あいつらなら何の躊躇いもなく、助けに行くだろうな……。

 

SSKもなんだかんだ言って自分が手を下さなくても少女を助ける手段をこうじるはずだ。

 

俺はあいつらじゃない。

 

あいつらみたいに、才能があるわけでも正義感が強いわけでも何でもない。

 

この繁華街にいる。才能もないただの人と同じだ……。

 

俺が助けなくても持ってるやつが助けるはず。

 

足を一歩踏み出そうとする。

 

真の顔が思い浮かぶ。真も間違いなく、躊躇なく助けに行くはずだ。

 

妹が助けに行くのに成長を見守る俺が助けなくてもどうする?

 

そんなので真に顔向けできるか……?

 

ここで見知らぬ顔しても真やミズキ達には分からない。でも、そういう問題じゃない。

 

きっと、そんなのは心の持ちようだ。

 

上をみる。青と太陽が見える。

 

まるで、俺に頑張れと励ましてくれているみたいだ。

 

よし!

 

気合を入れ直す。バイト先ではなく女の子の方に足を踏み出す。

 

 

「お、おい!」

 

少しどもったが、これくらいはご愛嬌だろ。

 

女の子と目が合う。気づかなかったが少し緑がかった、綺麗な色だった。

 

なんかチャラ男達がナンパするのもわかる気がする。

 

チャラ男達がこっちを見る。

 

すると女の子はその隙をついて、チャラ男の間を小走りで走り抜け、その勢いで俺の腕に抱きつく。

 

えええええええええ!

 

この子なにやってるの!?

 

いきなり女の子抱きつかれてみろ。テンパる。そりゃむちゃくちゃ。

 

そんなテンパりとは関係なく、彼女は口を開く。

 

「ハニー、遅いの! ミキ待ちくたびれちゃった! ささ、行こっ!」

 

そう言って俺の腕を引っ張る。

 

後にはポツンとただ漠然と棒立ちしているチャラ男二人が残った。

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとうなの!」

 

腕を掴まれてだいぶ引っ張られたあと、金髪の彼女は俺を言ってきた。

 

「あの二人組しつこくて困ってたの」

 

近頃の子供はお礼が言えないとかなんとか聞くけど、中々しっかりしてる子だ。

 

「だいぶしつこかったみたいだけど、何もされてない?」

 

「うん! 大丈夫。心配してくれてありがとう!」

 

明るい返事が帰ってきた。

しかし、それにしても綺麗な子だな。顔も美人だし。スタイルもいい。それに服もブランドとかファッションとか全く詳しくない俺でもわかるくらいセンスがあるものだった。

 

もしかしたらどっかの雑誌のモデルかもしれない。

 

「あっ。お兄さん、この店しらない?」

 

彼女は肩かけのグリーンのカバンから一枚のプリントを出す。

 

見ると、インターネットでダウンロードした地図が乗っていた。

 

この店は……。

 

都内でも有名なおにぎり専門店だった。俺は食べたことないが、SSKやヒロトなどは食べたことがあるらしく、美味しい美味しいと言っていた覚えがある。

 

それに中々人が並んでて買うに時間がかかるらしい。

 

「ミキね。ここに行きたかったんだけど、迷子になっちゃって……。そこであの変なのに絡まれたの」

 

なるほど。

確かにこの店は分かりづらい位置にある。

 

バイトまでは少し時間はあるし。

 

「うん。分かるよ。送って行くよ」

 

またチャラ男達に絡まれる心配もあるし、俺なんかでもいないよりましだろう。

 

「いいの? ミキ、嬉しいな!」

 

「うん。まぁ少し時間もあるしね」

 

パァっと笑顔になる。

 

うん。いい笑顔だ。女の子は笑顔でいるべきだ。

 

彼女は、たんたんと軽い足取りで二三歩進むとくるっと振り向く。

 

「あ、ミキの名前は、星井美希。よろしくなの!」

 

金髪の彼女の名前は星井美希ちゃんと言うらしい。

 

空は少し赤みがかっていた。

 

「よろしく。星井さん。俺の名前は……」

 

 

 

 

「お兄さん! ありがとうなの!」

 

おにぎり専門店はそこから歩いて5分の位置にあった。5分間とはいえ美人と並んで歩けたのは嬉しい。

 

美希ちゃんはおにぎりが楽しみだったのかずっとワクワクしながら歩いていた。

 

何でもおにぎりが大好きらしい。笑顔でそう言っていた。

 

「お兄さんも一緒にたべよっ!」

 

美希ちゃんは笑顔で店を指差す。ちょうど時間帯がよかったのか、並んでいる人はまばらで2、3人んほどだ。

 

これならすぐに買えそうだ。

 

携帯を見る。あと30分くらいは余裕がある。

 

それにこんな笑顔で言われると断れない。

 

このおにぎりって冷めてもいけるのかな?

 

真にお土産として買ってあげたいけどな……。

 

やっぱり出来たての方がおにぎりは美味しいに決まってる。

 

真とは今度一緒に行けばいいか……。

 

それにドリンクも一本あったはず。

 

「そうだね。少し時間があるし、一緒に食べようか!」

 

「さすが、お兄さんなの!」

 

美希ちゃんと一緒に列に並ぶ。

 

「お兄さんって大学生?」

 

「うん、そうだよ」

 

「へぇー。大人なの。ミキも早く大人になりたいの!」

 

壁に寄りかかりながらミキちゃんが言う。

 

「でも、美希ちゃんも高校生だろ? 大人なんてもうすぐだよ!」

 

自己紹介が終わったと美希ちゃんは名前で呼んでほしいなと俺に言ったために名前で呼ぶことになった。

 

「高校生に見られるなんて嬉しいなー。でも、ミキは14歳なの」

 

「えええええ!? うそでしょ?」

 

このスタイルで中学生はないだろ。高校生でも危ういくらいなのに……。

 

「本当だよ。お兄さん」

 

彼女はいたずらっぽく微笑む。

 

最近の中学生はすごいんだな。

 

「えーとじゃ、これとこれとこれをお願いなの!」

 

「じゃあ、俺はこれを」

 

順番が回ってきた。心なしか美希ちゃんの声も嬉しそうだ。

 

「お兄さん、一個でいいの?」

 

美希ちゃんが顔をのぞかせる。

 

少しドキッとする。なんせ美人だし。

 

「うん。大丈夫だよ。ご飯食べたばっかりだし」

 

「お待たせいたしました」

 

商品はすぐに出てきた。それと同時に美希ちゃんが財布をだす。

 

「いいよ、美希ちゃん。ここは俺が出すよ」

 

ポケットから財布を取り出し、お金を払う。

 

「え、いいよお兄さん! 自分の分くらい払うの」

 

「気にしないでいいって。中学生にお金出させるわけにはいかないし、それに……」

 

それに、あの時美希ちゃんを見捨てて先に進もうとしたことへの少しの罪滅ぼしだ。

 

「ミキもこう見えて働いてるの! まだ給料は安いけど」

 

美希ちゃんのような可愛い子だ。もしかしたら、モデルとか何かやっててもおかしくない。

 

でも、それでも中学生にお金をださせるのはどうだろうか?

 

やっぱりなしだ。

 

「いいって。いいって。ここは出すよ」

 

「むうー。それじゃ、次はミキが払うの!」

 

美希ちゃんは少し納得できなみたいだ。

 

次はないと思うけどもし次があっても中学生に出させるわけにはいかない。

 

「わかった。もし次があればよろしくね!」

 

「分かったの!」

 

「それじゃあ食べようか」

 

おにぎりを受け取り、テーブルにつく。二人がけのテーブルに座る。

 

「ごめん。少しトイレにいってくる」

 

そう言ってカバンを持ちトイレに向かう。

 

 

 

 

「ミキもお兄さんがみたいな兄弟がほしかったなー」

 

おにぎりを頬張りながら美希ちゃんが言う。おにぎりの味は美希ちゃん曰く、グッドなの! らしい。

 

うん、確かに美味しい。

 

味も40種類近くあり豊富だし。真とも今度行きたい。

 

「美希ちゃんには兄妹いないの?」

 

「ううん。お姉ちゃんがいるの! でも、お兄さんもいた方がミキはいいの!」

 

へぇー。そうだったんだ。

 

美希ちゃんのお姉さんか……。

 

きっと美希ちゃんと同じように飛んでもなく美人なんだろうな……。

 

一度みてみたいな。

 

「お兄さんは優しいし、きっとこんな人が家族だったら、もっと人生面白くなると思うな!」

 

美人にそこまでいってもらえるとは何よりだ。

 

まぁどうせお世辞だろうけど。

 

言われて悪い気はしない。

 

「はははは。ありがとう、美希ちゃん」

 

「ミキね、今日はなんだか話したい気分なの!」

 

さすがは女の子、話したがりやみたいだ。俺も話すよりかは聞く専門の方が好きだ。

 

こんな美人と話すネタなんてない。

 

ここは聞く専門に徹するとしよう。

 

ブーブーブー。

 

それから20分ほど話してると携帯のバイブレーションがなった。

 

どうやら美希ちゃんのカバンから聞こえるみたいだ。

 

美希ちゃんがカバンから取り出す。緑の彼女らしい携帯だった。

 

メールみたいだ。

 

「あっ! もうこんな時間なの! ミキ行かなくちゃ!」

 

そう言って立ち上がる。

 

俺もそろそろバイトに向かわなくちゃいけないのでいい塩梅だ。

 

「そうだお兄さん! アドレス交換しよっ!」

 

ミキちゃんは微笑む。

 

「うん。いいけど……」

 

そして赤外線通信でアドレスを交換する。

 

こんな俺のアドレスをもらってどうするんだろうな。

 

俺の方は美少女のアドレスゲットできて嬉しいけど。

 

「はい。これで完了っと」

 

「お兄さん! 今日はありがとうなの! 帰ったらメールするね!」

 

そういうと今度こそ美希ちゃんは立ち去った。

 

 

西の空は赤く染められていた。

 

 

 

 

 

 

バイトが終わり、家に帰るとミキちゃんからメールが来ていた。彼女らしい可愛いメールだった。

 

普段メールしない俺に真が疑問を思ったのか誰からか聞いてきた。

 

街中で出会った女の子だと返すと何故か兄さんってナンパするような人だったんだ。と白い目で見られたのでしっかりとナンパから助けた方だと説明した。

 

さっすが、兄さん! 真の喜ぶ顔も見れたし、今日の俺の判断は間違えじゃなかったと再認識する。

 

真は明日は雪歩ちゃんたちと用事があるらしい。

 

仕事仲間とうまく行っているようで何よりだ。

 

俺も明日はライブ。それまでしっかりと疲れを癒しておかないとな……。

 

今日は早く寝るか。

 

そう思いながら真との雑談に興じるのであった。

 

窓の外はすっかり星空と三日月が覗いていた。

 

 

 



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第二話 その3

次の日の朝。

 

GWの幕開けの日。空は相変わらずの晴天だった。

 

太陽がほのぼのと照ってる。

 

昨日の夜言ってたように雪歩ちゃんたちと用事があるらしく、休日にしては朝早くに起きていた。

 

俺も普段なら休日はゆっくりと寝ているのだが、今日は音合わせだ。

 

寝坊でもしようものなら、ミズキに殺される。

 

いつもより気合をいれて起きた。

 

音合わせの場所はいつも通りミズキの家。昨日の夜にメールが入った。

 

ミズキのメールは淡々としている文章が多い。やっぱりメールと言うのは性格がでるのかな。

 

目の前の家を見上げる。

 

普通の一軒家。二階建ての赤い屋根。それがミズキの家である。

 

しかし驚いたことにミズキはこの家に一人で住んでいる。

 

それも俺たちが知り合った高校時代から。

 

何でも両親は海外にいるみたいだ。

 

俺もSSKも会ったことがない。

 

娘をおいて海外にいくとは少し放任し過ぎじゃないかとも思うが、人の家庭だ。口を挟むべきじゃないだろう。

 

呼び鈴を鳴らす。

 

返事はすぐにきた。

 

「おっと、きたみたいだな! 上がれ」

 

インターホン越しに篭った声が聞こえる。

 

門をあけ中に入る。

 

俺が玄関にたどり着くと同時くらいにガチャりと扉の鍵を開ける音がした。

 

コンコン。

 

一応ノックをして、開ける。

 

「おう! よく来たな! 待ってたぜ」

 

ミズキが玄関に立っていた。

 

しかし、いつもより気合入ってるな。

 

ミズキは普段からファッションには気を使っているのかピシッとした服を着こなしているが、今日はいつにも増してオシャレだ。

 

やっぱりライブだし気合入ってるのかな。

 

「朝飯は食べたか?」

 

「うん。一応、食べてきたよ」

 

ミズキはまだ食べてないのかな?

 

「そうか……。よし、それじゃあ早速音合わせをしようか!」

 

腕まくりしながら奥へ行こうとする。

 

「ちょっと待って! SSKやヒロトは?」

 

いつもなら俺よりも早くきているはずのSSKがいないし、ヒロトだってまだだ。

 

「あぁ、あいつらか。あいつらは昨日の準備でこき使ったから今日は現地で集合だ。それにまだ準備もあるし、向こうでやってもらわないと困るんだ」

 

準備って機材そろえて終わりじゃなかったのか……。

まぁミズキのことだし、これだけで終わるとは思っていなかったけど、学園祭のライブで一体なにする気なんだ……。

 

まぁ、SSKにしてもヒロトにしても、音合わせとか不要だし。

 

俺だけでも問題はないと思うけど。

 

普通はみんなで合わせるもんじゃ……?

 

とりあえず、靴を脱ぎ下駄箱に入れる。

 

 

 

一階の玄関から一番遠くに部屋がいつも音合わせに使っている部屋だ。

 

完全防音でどんだけ、うるさくしようとも外には漏れないらしい。

 

一人暮らしの家庭にこんなものがあるとはビックリだ。

 

ミズキの親ってやっぱり何かの社長や会長だったりするんだろうか?

 

床張りのタイルに白い壁と天井。

 

ドラムからエレキギターさらにアコギにキーボード。この部屋にはそれだけのものがあった。

 

こんだけ集めるのにどれだけの費用がかかったのか考えるだけで怖い。確かここにある楽器とか機具はSSKがどこからか持ってきたものって言ってたし、そこまでかかってないのかも。触らぬ神に祟りなし。つまりそういうことだ。

 

 

ミズキは独特の赤い髪をかきあげ、腕まくりをする。

 

部屋の中はただ雑談や談笑をするにはちょうど良い温度だった。

 

ミズキは白い歯を見せるとにやりと微笑む。

 

そして、近くにあった茶色のギターを掴むと一弾き。

 

ギターの音色が空間に響く。

 

「よし! 久しぶりにセッションでもするか!」

 

「えっ…………」

 

思わずそんな声が漏れる。いくらなんでも久しぶりにもつ楽器でいきなりセッションは厳しい。

 

そんな俺の内心を知ってか知らずか、ミズキはおいてある楽器の内の一本。空色のギターをとる。

 

「ほい!」

 

そしてそれを俺に向かって軽く投げる。

 

「おっと」

 

両手でどうにか受け止める。

 

俺がギターを教えてもらった時から使っている空色のギター。

 

いわば一種の相棒的な存在。持った手の感覚、感触は同じだ。

 

思い出が詰まったそんなギター。文化祭の時やライブハウスでの演奏3人で演奏した時も4人で演奏した時も全部このぎたーだった。

 

あの時と何も変わらない。

 

「じゃあ、始めるか」

 

ミズキが赤色のギターを手に取り一弾き。

 

それから流れる様な演奏が始まる。音楽を少しかじった程度の俺だけど分かる。ミズキの演奏はプロ並だということを。ミズキだけじゃない、SSKやヒロトも素人の域を軽く超えている。勉強だけじゃない、スポーツも三人とも得意不得意があるとしても一般人と一線を画している。

 

それに比べて俺は……………。

 

ダメだ。無心になれ。何も考えるな。

 

ただひたすら演奏に集中しろ。

 

手に持つギターの感覚は変わらない。

 

いける!

 

 

 

 

 

 

 

「よし! 終わろうか!」

 

ミズキがそういい、演奏を止める。

 

どっと疲れが押し寄せる。時計を見るとセッションを始めてから一時間半の時間が経っていた。

 

「シャワーでも浴びるか」

 

ミズキの方を見る。しっとりと汗をかいて濡れていた。何だか色っぽい。

 

「ん? どうした。一緒に浴びたいのか?」

 

ミズキが笑いながらいう。

 

「いや、いいよ。遠慮しとく」

 

ここで、うんとか言う気力はない。セッションをする前でも度胸がない。

 

ミズキに変なことをいうと、文字通り張り倒されるか、半殺しの目に会うか、それとも明日の朝日を拝めないか。

 

とりあえず、ろくなことにはならない。

 

ミズキは、それは残念だ、と笑みを浮かべながら部屋のドアを開ける。

 

「お前もシャワー浴びたいと思うが少しリビングで待っててくれ。こういうのはレディファーストって奴だろ?」

 

性格と発言はレディではないよな。とは、絶対に言わない。というか言えない。

 

言われてから気づいた。結構な汗をかいていることに。

 

Tシャツが汗を吸い込み気持ちが悪い。どうやら相当熱中していたみたいだ。

 

ミズキが帰ってくるまでの間、俺はただ静かに濡れた服の気持ち悪さを感じてた。

 

 

 

 

 

 

 

「それにしても、久しぶりにしては結構演奏できてたじゃねーか」

 

ミズキの後にシャワーを浴びたあと、リビングにてミズキと向かい合って座る。

 

「そうかな」

 

着替えを何枚かもってこい! と昨日のメールであったけどこう言う事態を予測していたのかな。

 

「おう。最初はずれてるとこもあったが、後半になるにつれ良くなっていったぜ」

 

赤い髪を白いタオルで吹きながら彼女は言う。

 

「そう言われると嬉しいよ」

 

「そうだな。俺に合格点もらったんだ。胸を貼っていいぜ」

 

二ヒヒ、と彼女は本当に嬉しそうに笑う。

 

そうだ! と立ち上がり続ける。

 

「そろそろ、昼飯にはちょうどいい時間だ。何か適当に作るから座って待ってろ」

 

そういってタオルを首元にかけながら、キッチンに消える。

 

ミズキの料理か。

 

この手の完璧な人間にはおなじみの料理が壊滅的に出来ないとかいうことはミズキにはない。

 

普通に美味しい。腕としては真と同じくらいかな。

 

一応料理の腕は俺の方がまだいい。

 

それ以外では壊滅的にミズキより低いけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし、そろそろ行くか!」

 

昼飯を食べてリビングで雑談をしている時、彼女が急に立ち上がり言う。

 

掛け時計をみると丁度14:00を指していた。結構な時間話していたみたいだ。

 

立ち上がった彼女は、おもむろにリビングの棚に二つ掛けてあるフルフェイスのヘルメットの一つを取る。

 

「バイクで行くの?」

 

「あぁ、バイクの方が早いし駐車場のスペースも取らないからな」

 

「でも、普通文化祭って車やバイクで行っても駐車場ないだろ?」

 

「なにいってんだ。その辺はしっかり交渉してるに決まってんだろ」

 

その辺はぬかりがないみたいだ。

ミズキはよくバイクでツーリングに行く。免許を持ってない俺も何回か後ろに乗っけてもらってツーリングにいったことがある。真なんかは頻繁に後ろに乗せてもらってどっかに行っていた時期があった。

 

意外なことにミズキのバイクの運転はとても丁寧だ。普段はどうか分からないが少なとも俺とか真が後ろに乗っている時はとても丁寧に運転している。

 

 

「ほらよ! それじゃ行くぞ」

 

そういいながらもう一個のヘルメットを投げる。

 

 

 

 

400ccで一番有名であろう車体。それがミズキの愛車だ。

 

ガレージに入っているそれは、彼女の赤髪ととても似合っている。

 

彼女はさきにまたがると、後ろをポンポンと叩く。

 

どうやら乗れということらしい。

 

しかし、ギターケースを担いでバイクって乗っていいものだろうか?

 

俺の背中には着替えが入ったバックと黒のギターケースが一つ。ミズキのギターは向こうに先に運んであるみたいだ。

 

ギターケースとか担いでバイクに乗っても大丈夫なのか? そういう疑問もあるが、彼女が大丈夫と言えば大丈夫なんだろう。

 

とりあえず待たせても悪いので後ろにまたがる。

 

「喜べ青年! 俺が後ろに乗せる野郎はなかなかいないぜ!」

 

バイクのエンジン音があたりに響く中、彼女はそう言う。フルフェイスから少し見えるたその顔はとてもいい笑顔だった。

 

「よっしゃ! 走らすからしっかり捕まっとけよ!」

 

その言葉と共にポンポンと自分の腰を叩く。

流石にそれは恥ずかしい。

 

彼女は何も思っていないかもしれないが俺が気にする。

 

その動作を無視してシート後方にある持ち手を持とうとする。

 

ん……?

 

ギターケースが邪魔で持ち手に手が届かない。

 

「なーにやってんだよ。何だ美女の腰に手を回すのに緊張してるのか?」

 

そう言ってハハハと笑う。

 

「そうだよ。何か悪いか?」

 

何度も言うが彼女が気にしないでも俺が気にするんだよ。SSKやヒロトならまだしもミズキに対して意識するなという方が無理だ。

 

「…………っ。なに言ってんだよ」

 

「え、何か言った?」

 

エンジン音にかき消された彼女の呟きを聞き返す。

 

「な、何にもねーよ! それよりさっさと掴め!馬鹿野郎!」

 

そう言って声のボリュームも上げる。顔はよく見えないがその首筋は少し赤くなっているような気がした。

 

その言葉通り、腰に手を回す。

 

ドクンドクンと鼓動が聞こえる。

彼女みたいな美人と触れ合う機会とかない。これが真だと何も気にする必要もないのに。

 

あー。絶対に今の俺の顔は真っ赤だ。

 

これだけは断言できる。

 

早く出発して早く到着して欲しい気持ちといつまでもこのままでいたい気持ちとが入り混じる。

 

彼女や春香ちゃん達のような持ってる人間とは住む場所、住む世界が違うと知っていながらそう願ってしまうのは待たざる人間が持つ人間をひがんでいるからなのか? それともそうではないのか。それはわからない。

 

俺のそうした内心を知ってか知らずか赤い彼女はゆっくりアクセルを回す。それと同時に動き出す機体。

 

雲一つない青空。空にはただ太陽がほのぼのとあるだけ。

 

そんな空の元、ゆっくりと俺たちは走り始めた。

 

向かうは南女子校。

 

文化祭のステージだ。



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第二話 その4

ミズキの家から南女子校までは電車で25分といったところだ。

 

南女子校の裏門からバイクで入り、バイクを止めたのは、太陽が真上から少し西に傾いた時間だった。

 

裏門前で一回止められたが、ミズキが何かの紙を出すとすんなりとガードマンがどいたあたりちゃんと許可をとっていたことが分かる。

 

どうでもいいが、バイクに乗っている間はずっと心臓がバクバク言いっ放しだった。

 

そりゃ美女と密着して緊張しないやつはいないだろう。

 

胸の鼓動がミズキに知られてないかだけが心配だ。ミズキがからかってこないあたり、その辺は大丈夫だろう。

 

「よし、時間通りだ」

 

バイクから降りた彼女は左手につけた腕時計で時間を確認する。

 

「ん? その時計まだ持ってたんだ?」

 

その動作で気づいた。ミズキがいましている時計は高校一年生か二年生の時に俺が誕生日プレゼントで送ったものだった。

 

バイト代で買った安物の時計。その状態は新品のようにとても綺麗だった。

 

「あぁ、当たり前だろ? 仲間からもらったもんだ。壊れるまで大事に使うさ」

 

フルフェイスを被ったままのくもった声で表情も見えないがきっといつも通りの笑顔で言っているはずだ。何と無くそれは分かる。

 

「「-----------」」

 

裏門から入ってすぐから黄色い声が絶え間無く聞こえてくる。やっぱりここは女子校なんだと実感する。

 

彼女はゆったりとした動作でヘルメットをとる。

 

「それにしてもラッキーだよな。ここの文化祭はここに通っている嬢ちゃん達の家族以外は野郎は入れねーんだぜ」

 

「へぇー。それは知らなかった」

 

女子校に友達もいないし、文化祭にも行こうとも思っていなかったためその情報は初耳だった。

 

黄色いの間から演奏が聞こえる。どうやらどこかのグループがライブをやっているみたいだ。

 

「やはり、時間通りにきたか」

 

そういいながら校舎裏から天パーの友人が出てきた。黒のワイシャツに真っ白のパンツ。上下共にシワ一つなく、いつも適当な彼の印象とは大きく違った印象を与える。普段からこんな格好していれば少しはまともな印象を与えると思うが、彼的には人の印象などどうでもいいのだろう。

 

そしてそんな彼の手には少し大きめの布袋があった。

 

「あったりまえだろ。俺を誰だと思ってるんだ」

 

「いやはやこっちは少しでも遅れたら間に合わないから少しビクビクしたもんだ」

 

間に合わない? どういうこと?

 

「間に合わないってどういうこと?」

 

俺の素朴な疑問に彼女はそっけなく答える。

 

「どういうことって、そりゃ演奏時間に間に合わないに決まってんだろ」

 

「そんなに時間ギリギリを狙ってのか?」

 

「時間ギリギリってまだ10分もあるだろ?」

 

10分!? それって準備云々とか考えたらヤバイんじゃ?

 

そう焦るのと同時に安心もする。

 

やっぱりミズキはミズキ。何も変わってないと。

 

「正確には10分しかない、が正解だがな。まぁ、間に合ったのならいい。とりあえず着替えて来い」

 

SSKがやれやれという感じで言うと、手に持ってた布袋を俺に手渡す。

重さからしてもこの中に衣装が入っているらしい。

 

「更衣室はステージの裏な。それと背負ってるギターをかせ、チューニングやセットはやっておこう」

 

「すまない。ありがとう、SSK」

 

「なに、気にすることはないさ」

 

やっぱりSSKは悪いやつじゃない。

 

「時間がないぜ! さっさと着替えて最高のライブにしようぜ!」

 

時間がないのはミズキせいだろ、とは言わない。ミズキのこういった正解はSSKもヒロトも同意済みだし、なにより彼女がとてもいい笑顔だったから。

 

その言葉とともに彼女は楽器と歌が聞こえる方向へと足を進める。

 

SSKもそれに習い足を進める。

 

俺は少し出遅れて彼らの後を追う。

 

俺たちの前のグループだろうか?

 

近づくたびに感じる。上手い演奏だと。そうとう練習を積んだグループだろう。演奏に迷いがない。息もあってる。

 

ロックのような激しい演奏だがお互いのフォローを忘れてない。

 

観客のテンションも上がっている。黄色い声援の声がステージに向かう度に大きくなっていく。

 

それと同時にプレッシャーも増える。俺はこのレベルの演奏できるだろうか?

 

ミズキ、SSK、ヒロト。この三人はできる。これは間違いない。三人で演奏するならどこぞのプロミュージシャンにも負けないだろう。

そのくらいの技量とパフォーマンス力がある。

 

でも、そこに俺が入ると?

 

邪魔にならないか?

 

完璧な調和の中に違和感が生じないだろうか?

 

生じないはずはない。前から分かっていたことだ。

 

ライブの前は毎回思う。俺がこのグループ唯一無二の欠点であり、クオリティを下げているということ。それはどうしようもない事実。

 

赤髪の彼女やメガネの友人、それにイケメンの友人。その誰もが俺の間違いや技量を責めない。

 

逆にそれが俺は辛いのかもしれない。

 

俺とミズキ、SSKの距離はたった歩幅で言うとニ、三歩分。

 

確かこの感覚はつい最近も春香ちゃんといた時に感じた感覚だ。

 

たった歩幅ニ、三歩。距離にすると2-3m 。少し早歩きでもすれば追いつける距離。でも、俺にはその立ったニ、三歩がとても長く、そしてとても遠く、一生かけても永遠に届かない、とてつもなく長い距離に感じる。

 

「なーに陰気臭い顔してんだよ」

 

赤が振り向きながらいう。

 

「どうせまたロクでもないこと考えてたんだろう?」

 

そして笑いながら、続ける。

 

「そうだな、お前は少し考えすぎる節がある」

 

黒もそれに続く。

 

「なーに、心配するようなことはねぇぜ。なんたって俺が仲間と認めたんだ。誰に何を言われようと堂々と胸張っとけ。そういう考えるのはお前“らしく”ねーぜ」

 

そうだな。確かにらしくない。

 

どんな時でも俺らしく。ミズキやSSK、ヒロトあたりはいつも“らしく”生きている。

 

どんなにあいつらが遠い存在だろうと、らしくあることだけは真似できると思うし、真似していきたいところだ。

 

考えてもどうしようもないもの、無い物ねだりは俺らしくない。

 

「そうだな。確かにらしくない」

 

そう言って笑って見せる。しかし、自分でもその笑顔は引きつった奇妙な笑みになっていると分かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「おっ! 似合ってるじゃねーか」

 

更衣をすませてステージの裏にいくとすでに着替えを済ませたミズキとSSKがいた。

 

南女子校のステージは高校の文化祭では珍しく鉄製のしっかりした野外ステージだった。

 

裏門のすぐ前の大きな校舎(後から聞いた話だと別館)からすぐ横がそのステージの裏だった。

 

どうりで入った瞬間からあんなに演奏の音が聞こえるわけだ。

 

ミズキは黒のパンツに髪と同じような赤いワイシャツ。

 

俺は黒のパンツに白いワイシャツ。

 

なんだか、今日はラフな格好で演奏するみたいだな。

 

「おっ。きたきた。さすがミズキ、時間通りだな」

 

ミズキの声を聞いたのかカーテンの向こうからヒロトが出てきた。

 

どうやらステージと俺とミズキがいた場所にはカーテンが二枚あったみたいだ。

 

うーん。やっぱりヒロトもミズキもなに

 

ヒロトの向こうには俺たちの楽器がある。それに二人の制服をきた女の子。どうやらヒロトと何か作業をやっていたみたいだ。

 

女の子のウケは確実にヒロトはいいからな。ミズキがヒロトに準備頼んだ意味はここにもあるのだろう。

 

「え! ミズキってあの中央のミズキさんですか!?」

 

黒に近い紺色のセーラー服。髪はツインテールで暗くてよく分からないが多分髪の色は黒だと思う。

 

目は大きくて可愛らしい子だ。

 

「中央のミズキ。懐かしい呼び名だね」

 

ヒロトがミズキに笑いかける。

 

中央のミズキ。確かに懐かしい。

 

色々なことやってたミズキはいつの間にか中央のミズキと呼ばれるようになった。あっ、この中央っていうのは中央高校という俺たちの母校からきている。これ豆知識な。

 

ミズキには、前にも言ったと思うが沢山の伝説がある。暴走族を一夜にして壊滅させたり、アメリカの軍人と喧嘩して勝ったとか、西高の文化祭に乗り込んでステージジャックしたとか、様々だ。

 

「でも、珍しいね。もう3年も前に高校を卒業したのに、その名前を知ってるなんて」

 

俺のふとした疑問。

 

「そんなの伝説級に有名だからに決まってるじゃないですか!」

 

俺の疑問にツインテールの女の子が興奮気味に答える。

 

「ハハハハハ。確かミズキは無駄に変な噂が多いもんな」

 

「無駄に変な噂って何だよ」

 

ドコッ。

 

その鈍い音と共に笑ってたヒロトのよこっぱらにミズキの右拳がめり込む。

 

変なこというからだ。口は災いの元とはよく言ったものだ。

 

「ハハハハハ……」

 

そうとう痛いはずだ。笑顔から苦笑いにジョブチェンジしたヒロトを見て思う。それと同時に苦笑いでも笑みを絶やさない彼に賞賛する。

 

「お前は何度殴られれば学習するのか……」

 

SSKもほとんど同じ思いのようだ。

 

「え!? それじゃあ、本物のミズキさん!? ということはあなた方って……」

 

「はいはい。興奮しない。この人たちは私が無理言って来てもらったスペシャルゲストよ」

 

興奮して声が大きくなった二つ結びの子をもう一人の女の子が諌める。

 

ショートヘアーで前髪をピンで一つ止めている子だ。

 

「しかし、この生徒会長が直々に俺にお願いしてきた時はビックリしたぜ」

 

へぇー、この子生徒会長だったんだ。妙に大人びた感じもあるけど、人の前に立つと大人びた人になるんだろうか?

 

「えぇ、私もまさか了承してくださるとは思いませんでした」

 

生徒会長がそう言ったとき、歓声があがる。

 

「「「---------------」」」

 

悲鳴にも、賞賛にも、アンコールにも聞こえる。色々な感情が混じったようなそんな歓声だった。

 

『以上がこの南女子高等学校、野外ステージ一日目の最後、軽音部の演奏でした』

 

「「「うわあああああああああああああ」」」

 

司会の子のアナウンス後にまた大きい歓声。それと同時に沢山の拍手。

 

ん? あれ、最後?

 

俺たちは?

 

「さーて、皆さん。準備お願いします」

 

俺がそんな疑問を抱いていた時生徒会長の声が聞こえる。

 

「よっしゃ、さっさとやるぜ」

 

「さて、やるとするか」

 

「楽しんでいこーぜ」

 

その言葉へのそれぞれ返し。みんなカーテンの裏に消える。足取りはとても軽い。

 

「ささ、あなたもお願いします」

 

生徒会長に急がされてふと我に帰り後をってカーテンの裏にいく。

 

一歩一歩。踏み出すたびに足が重くなっていく。それは緊張からなのか。なにか別の要因があるのか。

 

そんなことは、分からない。

 

考えすぎ、俺らしくない。そんな言葉がよぎる。でも、さっきの演奏を聞いて思う。

 

俺なんかより確実に遥かに上手い。

 

そりゃそうだ、ちょっとかじった奴が高校時代を軽音に費やした子に勝てる道理はない。

 

それは分かってる。勝てないのはいいが、ミズキ達の足を引っ張ること、それだけが俺を考えさせる。

 

そんな悩みを抱えた足は思うとおりに進まなかった。

 

 



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第二話 その5

ドクン。ドクン。

 

鼓動が聞こえる。二枚目のカーテン裏はすぐにステージだった。

 

準備はすぐに終わった。それが、10分だったのか、1分だったのか、はたまた5分なのか。

 

ボーッとしていた俺にはただ早く準備が終わったことしか分からない。

 

「皆さん、準備の方はよろしいですか?」

 

生徒会長の声が後ろから聞こえる。

 

どうやらカーテンを隔てたところにいるみたいだ。

 

「いつでもいいぞ」

 

「俺も同じだ」

 

SSKもヒロトも準備は万端なようだ。

 

「大丈夫か、お前?」

 

さすがだ。俺みたいなもんだろうな。この中で緊張してるやつなんて。

 

ドクン。ドクン。

 

また鼓動が大きくなる。

 

「おいっ! 聞いてるのか?」

 

もうすぐ演奏だ。あと少し。

 

あと少し。

 

あれ?

 

ギターってどうやって演奏するんだっけ?

 

この持ち方でいいんだっけ?

 

何で演奏とかしてるんだっけ?

 

ん?

 

そもそも、俺は何でここにいるんだ?

 

「いい加減にしろ!!」

 

ドコッ。

 

鈍い音。鈍い痛み。脇腹が痛い。

 

「うっ……」

 

口から息が漏れる。

 

「お前、大丈夫か?」

 

気づくとミズキ顔がすぐ横にあった。

 

ここまで近くにいたのに気づかないとは。

 

顔は真剣だった。どうやら知らない内に心配をかけていたみたいだ。

 

「あぁ、何もない。大丈夫だ」

 

「つまらない嘘はつくな! どうせお前のことだ、足手まといになるとか、迷惑をかけるとか、演奏のレベルを下げるとか、そんなことを思ってるんだろうよ」

 

ミズキが確信をついてくる。確かにその通りだが、顔に出やすいのだろうか。

 

彼女は語りかけるように続ける。

 

「そりゃ、確かにお前の演奏はお世辞にもうまいとは言えない代物だ。だけどな、お前がこのグループにいることでこのグループは音楽になるんだよ! 分かるか。俺と色男とそこの天パーで演奏すれば確かに演奏のレベルはプロ並みだろうな。だけど、それは音楽じゃないんだよ! その演奏には何も協調性のない、ただ淡々とした演奏なんだよ! 俺はそんな演奏がしたいんじゃない! そんなものは音楽とは言わねぇんだよ! いいか、誰が何と言おうとお前は俺たちの仲間だ! 天パも色男もそれは同じ気持ちだ。高校時代に俺とSSK、それにヒロトが入った時から今までお前は誰が何を言おうと俺たちのリーダーだ。それに、あれこれ考えるのはお前には向いていない。お前はただ何も考えずに演奏すればいいんだよ。音楽とは文字通り音を楽しんだもの勝ちだぜ。朝のセッションの感覚を思い出せよ」

 

熱く俺に語りかける。しかし、決してカーテンの向こうに聞こえない絶妙な声の大きさで。

 

音を楽しむか。

 

朝のセッションを思い出す。あの時は無心でただ引いていた。でも、それは全く辛くなく、むしろ楽しかった。

 

考えるのは俺らしくない。愚直にただひたすらに目の前のことに集中する。

 

「皆さん!! たったいま、生徒会と文化祭実行委員会の方からビッグな情報が入りました!」

 

失敗しようがしまいが、下手だろうとうまく行こうとそんなことはどうでもいい。

 

「帰ろうとしている皆様少しお待ちください! 南女子高等学校文化祭野外ステージ一日目はまだ終わっていません。な、ななな、ナント、特別ゲストが急遽来てくださいました!!!」

 

過去も未来もない。あるのはただこの瞬間のみ。

 

考えるのは今ではない。後でいくらでも考えられる。でも、演奏できるのは今だけだ。

 

「今の二三年生は、去年の卒業生から聞いた人も多いのではないでしょうか?」

 

「おっ。吹っ切れたみたいだな。それでこそ、お前だ。楽しもうぜ、リーダー!」

 

彼女はそう言って俺に微笑む。

 

「ありがとう。ミズキ、助かったよ」

 

「あぁ、貸し一つだぜ」

 

そう言って右手の拳を差し出す。

 

「必ず返すよ」

 

右手を軽く握りミズキ拳に合わせる。

 

「楽しんでいこーぜ。リーダー」

 

ドラムのヒロト。

 

「ようやくらしくなったな。リーダー」

 

キーボードのSSK。

 

「中央高校の伝説の学生バンド、いや伝説のグループと言えばこのグループ!」

 

「まぁ、俺らのやることは、遊びでも音楽でも根本は同じ、楽しくやるってことだ。そうだろ、リーダー?」

 

「この地域の学生で知らない人はいない。今日お越しのOBの方々の中にはこの人たちの伝説や演奏を直に見たこと、聞いたことがあるひといるのではないでしょうか?」

 

 

確かに、俺たちの根本にあるもの。

 

それはただ“楽しく”ということだけ。

 

「あぁ、ミズキのいう通りだ。楽しく行こう!」

 

俺がそういうと同時にカーテンが徐々に徐々に開いて行く。

 

「それじゃ、俺がしきるか。楽しんで気合いれていくぞ!」

 

ミズキの気合の入った言葉。

 

「「「おう!」」」

 

野郎三人の声がそろう。

 

みんな笑っていた。きっと俺も何の引っ掛かりのない笑顔でわらえている。

 

鏡も何もないけど、それだけは分かった。

 

「「「「---------------」」」」

 

黄色い声援が聞こえる。

 

あちらこちらから、中央のミズキ!? とか、本物なの!? やら、え? あの伝説の!? そういった声が聞こえてくる。

 

ドクン。

 

ドクン。

 

心臓の鼓動が聞こえる。

 

でも、さっきとは違う。これは楽しみでウズウズしている心臓の高鳴りだ。

 

「さぁあ! 行くぜ、野郎ども! しっかりついて来いよ!」

 

ミズキが観客に一言。

 

ピュー、バンバンバン。

 

それと同時に後ろで眩い光と大きな爆発音。

 

後ろをみると、光の花が咲いていた。

 

他の三人はいたずらが成功したような顔をしている。準備に時間がかかりすぎてると思ったらそういうことか。

 

青がと光の花のコラボレーション。普段は黒とのコラボレーションが多いために中々に新鮮だ。

 

昼に見る花火も悪くないな。

 

「「「「「----------------」」」」」

 

観客のボルテージも最高潮まで上がる。

 

人がひしめくようにいる。

 

人が何人でも関係はない、俺はただ楽しむだけ。

 

さぁ最高の笑顔で、最高のステージを!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れ!」

 

ライブが終わり、ステージ裏で水を飲んでいると、ミズキから声がかかった。

 

「あぁおつかれ」

 

「おつかれさま」

 

「お疲れ、楽しかったな」

 

SSK、俺、ヒロトの順番で返す。

 

そしてもう一度水を一口。

 

何かを全力でやった後ってただの水でもとても美味しく感じるよな。何かしら科学的な根拠でもあるのだろうか? 空腹は最高の調味料とかいう感じで疲労は全てのものを旨くする、的な感じなんだろう。

 

ライブはどうだったかって?

 

まぁ、精一杯やった。はっきりいうと、記憶が朧げであまり覚えてないというのが本音である。

 

いつの間にか終わっていた。

 

そんなライブだった。でも、観客もとてもとても盛り上がっていたし、成功したと言っていいと思う。

 

「皆さん! とてもとてもすごかったです! 私、感動しました!」

 

ライブの前にあった二つ結びの子が興奮気味に言う。

 

こんか風に言ってくれる人もいるんだ。今回のライブは間違いなく成功と言っていいと思う。

 

いや、そうじゃないな。

 

観客がどう思ったか、ではなく俺たちが楽しかったら全ては成功したといっていいんだ。

 

「当たり前だろ。何たって俺たちなんだぜ」

 

ミズキが得意げに答える。

 

「まぁ、なんにしても無事に終わって良かったよ」

 

ヒロトが汗をタオルで吹きながら答える。

 

「4人での練習もなしでいきなりだったがどうにかなるものだな」

 

「そりゃそうさ、何たって俺たちは最高のチームだからな。それにリーダーが優秀だからな」

 

その言葉に皆が笑う。

 

それぞれ、今日の最高の笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

ステージ裏でライブの余韻に浸っていた時、聞き慣れた声がした。

 

「兄さん!」

 

聞き間違えるはずのない。この声は我が妹だ。

 

そして、勢いよく開かれるカーテン。

 

その向こうには息をきらした短髪の彼女がいた。

 

あれ? 何でここにいるんだろうか?

 

「どうした真? というか何でここにいるんだ?」

 

「どうしたもこうしたも、聞きたいのはこっちだよ!」

 

息を整えるとまくしたてるように聞いてくる。

 

「どうしたもこうしたもライブだけど……」

 

「何でそんな重要なこと言ってくれなかったの!? それに兄さんがギター出来るとか始めて知ったよ! それにミズキさんもあの中央のミズキだったなんて!?」

 

別に隠しているつもりも隠していたつもりもない。てっきり知っているものとばかり思っていた。

 

と言うか知らないこと自体が今、始めてしった。

 

「知らないも何も俺の演奏なんて遊びの範疇だし、そんなに自慢出来るもんじゃないよ」

 

「そんなことは関係ないよ! それに兄さんとてもカッコ良かったよ!」

 

何か我が妹は時々とても恥ずかしいく嬉しいことを言ってくれる。

 

それもとても、まっすぐな言葉で。

 

それがたまに嬉しくて、羨ましくてなんとも表現できない。

 

「よう! 久しぶりだな、真! そして、相変わらず兄弟仲のいいこった!」

 

「ミズキさんも言ってくれたらいいじゃないですか!」

 

「いやー、隠していたつもりもなかったし、まさか真がしらなかっただなんてな。アハハハハ」

 

「もう笑い事じゃないですよ!」

 

「いやいや、俺が誰だろうとお前の兄貴がどうであろうと、そんなことはどーでもいいだろ?」

 

「まぁ、そうですけど……。でも、僕に教えてくれてもよかったじゃないですか」

 

「まぁまぁ、気にするな。今度、ツーリング連れてやるから許せ!」

 

「本当ですか!? じゃあ、許します」

 

そんなことでいいのか。我が妹よ。

 

「久しぶりだね。真ちゃん」

 

「ヒロトさん! お久しぶりです」

 

「元気だった?」

 

「はい! 元気でした!」

 

「やっぱり可愛いね。兄貴にはもったいない妹だよ」

 

そんなセリフが普通に出てくるあたり、ヒロトはプレイボーイなんだな。

 

ヒロトと真か。

 

悪くない。ヒロトは考えるまもないほどいいやつだし。顔もいい。

 

「いやいや、ヒロトさんに言われると照れますよ。それに僕なんて可愛くないですし……」

 

真が照れるとは珍しい。このままひっつかないかな。

 

あ、でもアイドルだから恋愛はタブーなんだろうか?

 

もし、事務所的にOKだった美男美女カップルとして話題にでもなるのだろうか。ヒロトは雑誌のモデルや俳優のスカウトもくるようなイケメンだしイメージダウンになることもないだろうな。

 

いいね。この案。

 

「それに、兄さんは僕にはもったないくらい良い兄さんですよ!」

 

何で俺みたいな奴と一緒にいた真がこんな良い子に育ったのか、世界七不思議といってももはや過言ではないような気がする。

 

「久しぶりだな、姫」

 

「Sさん! 今日はかっこ良かったですよ!」

 

ん? なんかSSKの方が好感触なのは、気のせいか?

 

まぁ、彼も悪いやつではないし、信用はできるけど、兄としてはもう少しまともな人間を選んで欲しい。

 

どこぞの馬の骨よりか彼の方が信用はできるが、変人なのは紛れもないしな。

 

「はぁはぁはぁ……。真ちゃん、早いよ……」

 

そんな時息をきらした、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

いつものボブヘアーにいつもとは違う服装。黒に近い紺色のセーラー服。二つ結びの子とそして、観客にいた多数の子と同じ制服。

 

これで分かった。雪歩ちゃんはこの学校の生徒だったんだ。

 

「ごめん、ごめん。雪歩」

 

「演奏が終わったあといきなり、走って行くなんて、びっくりだよぉ」

 

「本当にごめん。雪歩、少しビックリして……」

 

どうやら真は雪歩ちゃんをおいて行くくらいに焦っていたみたいだ。

 

「私もビックリしたよ。真ちゃんのお兄さんがステージに立ってるんだもん」

 

俺をみると雪歩ちゃんは十分に呼吸をおきつかせると続ける。

 

「あっ、お兄さん。お久しぶりです。今日はビックリしましたよ。特別ゲストだったなんて!」

 

いや、それは俺じゃなくミズキであって、俺はどちらかと言うとおまけ。というかおまけ以外の何物でもない。

 

「お久しぶり。雪歩ちゃん、別に俺の演奏なんてお遊びレベルだし、ここにいる他のメンバーの足手まといだよ」

 

「そんなことはないです! えーっと、お兄さんはとてもかっこよかったです!」

 

力強く断言してくる。いい子だな。俺の演奏がうまいとかかっこいいとかあり得ないけど、雪歩ちゃんがお世辞でも言ってくれると心が救われたような感じがする。

 

「なんだお前、妹の友達に手を出したのか」

 

ミズキがニヤニヤ顏でからかってくる。

 

「そんなわけないだろ。俺がモテないのはミズキの知っての通りだ」

 

ミズキは俺の言葉にアハハハハと声を出して笑う。

 

「もしも、誰も貰い手がいない時は俺が貰ってやるから心配するな」

 

「お互いそうならないように祈ろう」

 

ミズキは顔もイイし、スタイルもいい。貰いてとか一杯いそうだけど、性格があれだからな。

 

俺もミズキみたいな美女を彼女とかお嫁さんにしたいけど、まぁ釣り合わない。

 

豚に真珠。馬の耳に念仏。猫に小判。

 

この言葉も遊びの一貫、冗談だ。

 

「あなたが真ちゃんの師匠さんですか?」

 

「真の師匠? ……あぁ、空手のことか。そうだぜ、俺がミズキだ。よろしくな」

 

「真ちゃんから聞いた通りですぅ! とっても綺麗ですぅ!」

 

「アハハハハ。ありがとうな。嬢ちゃん! 嬢ちゃんもすっげー美人だぜ!」

 

確かにミズキも美人だけど、雪歩ちゃんも美人だよなー。

 

やっぱりミズキは同性からみても惹かれる存在らしい。

 

「そんな、私なんてちんちくりんですぅ」

 

薄暗い中でもわかるくらい顔の色がかわる。

 

「ミズキのいう通りだよ。君は可愛いと思うよ」

 

初対面でこんなセリフがでるとは、ヒロトは何か口説きの神か何かついているんじゃないのかと疑われても仕方ないと思うし、そんなことを普通に言うから、プレイ ボーイとか言われるんだ。

 

まぁ、雪歩ちゃんが可愛いのはそれは同意だが、初対面で言うことなど俺には4回生まれ変わっても無理だ。

 

「うああああああああ!! 男の人ですぅ!?」

 

 

薄暗くてヒロトに気づいていなかったのか、ビックリした声を出す雪歩ちゃん。そして、そのまま俺の背中に隠れ、ギュッとシャツをつかむ。

 

「あれ? もしかして嫌われちゃった?」

 

ヒロトが気まずそうに言う。少し声が動揺してるのが面白い。

 

「アハハハハ。色男が振られるの始めてみた」

 

「萩原雪歩は確か、重度の男嫌いだ。気にするなヒロト」

 

SSKがいつもと同じ声色で淡々と言う。

 

「そうは言ってもリーダーには懐いてるじゃん。何か悔しいよね」

 

俺とは最近普通に話していたから、てっきり大丈夫なものと思っていたけど、やっぱり男は苦手みたいだ。

 

「うぅぅぅぅ……」

 

肝心の雪歩ちゃんは、顔を赤らめながら俺の背中から少し顔を出してSSKとヒロトを覗いている。

 

少しの間再起不能のようだ。

 

「こいつは男っぽさが足りないからじゃないの?」

 

ミズキの言葉に皆が笑う。確かに男っぽさが足りないとは言われるけど。

 

そんな時、少し視界がボヤける。

 

そういえば、今日は頑張ったからな……。

 

少しふらつく。雪歩ちゃんは再起不能なため気づいていないみたいだ。

 

ミズキ達は真を含めて座って円を組みながら、談笑を始める。

 

「雪歩、兄さん、座って話そうよ!」

 

真が俺たちを呼ぶ。

 

その声で雪歩ちゃんがこっちの世界に戻ってきた。

 

「で、でも、わ、私に男の人と雑談とかむりだよぉ」

 

「兄さんと出来るんだから大丈夫だって! ほら兄さんも! 何かミズキさんが今回のライブの報酬くれるらしいよ!」

 

真が手招きしながら立ち上がる。

 

いい機会だ。

 

「ごめん。すこしトイレ行ってくるよ!」

 

「えーっ。兄さん空気読めない!」

 

「悪い悪い。すぐ戻るよ」

 

そう言って外に出る。

 

ステージ裏から出るとき、SSKと目が合う。

 

全てを知っていて何も言わない。

 

彼の瞳はそんな感じだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第二話 その6

もうそろそろストックが切れますのできれたら週一更新になりそうです。すみません。


全てのものには其れ相応にふさわしい場所があると思う。例えば文房具なら机の上や引き出しの中だったりとか筆箱の中だったりとか相場というものが決まっている。

 

それは生き物にも当てはまる。例えば、魚なら水の中。クマだったら山の中、ってな風な感じだ。その生き物が本来生きていくべき場所である。それと同時にそれ以外の場所にいるといわゆる場違いと言われるものになる。

 

つまるところ、何が言いたいのかと言うと、俺がここに今こうしているのは場違いな感じがして甚だ心が落ち着かないということだ。

 

俺が今いるのは、昨日に引き続き南女子高校。これまた昨日に引き続き本当に青い雲ひとつない空だった。これだけ気持ちがいい晴れが続くと色々な意味で嬉しい。基本的に雨よりも晴れがすきなのだ俺は。でも天気はいいけど気分はいまいちだ。

 

周りを見渡すと、花の女子高生達のきゃっきゃと黄色い声が聞こえる。

 

「ん? どうしたの、兄さん? そんなキョロキョロして。もしかして可愛い子でも探してるの? 兄さん、それはダメだよ! 女の子と一緒に回ってるのに他の子のこと気にするなんて!」

 

「いや、ただ俺がここにいるのが場違いなような気がして……」

 

南女子高校文化祭二日目。昨日ミズキが言っていたように男の人はほとんどと言っていいほど皆無だ。

 

「そんなこと気にしなくていいよ。だって許可証持ってるんだし」

 

そういって、俺の首にぶら下がった許可証を指差す。

 

昨日のライブの報酬はこの許可証だった。

 

ミズキ曰く、この南女子高校文化祭には男性はほとんど行くことができないらしい。入れるのは、親族もしくは工事や作業の従業員のみだとか何とか。

 

確かに周りを見渡しても男性はちらほらしか見えない。しかも、全員年齢が俺よりも上の方々が多い。きっと親御さんなんだろう。

 

首から紐で胸元までブラされげている通行許可書をもう一度見る。

 

「ほら、兄さん! 行こっ! 雪歩も待ってるよ!」

 

そう言って俺の二の腕あたりを掴み駆け出す真。

 

その勢いに転びそうになるも、何とか持ちこたえて彼女と一緒に駆ける。

 

特徴的なくせ毛がヒコヒコと揺れる。相当機嫌がいいみたいだ。

 

「真、そんなに走るなよ」

 

ただただ俺はそんな真に引っ張られるだけだった。

 

 

 

 

 

 

待ち合わせ場所の校舎の前に向かうとすでに雪歩ちゃんが待っていた。服装は紺に近いセーラー服。よく似合っている。

 

俺みたいに馬子にも衣装じゃないところが流石だ。と言うか制服が似合うっていいよね。

俺なんて高校の制服とか着られていた節があったからな……。

 

制服が似合って顔とスタイルがと雰囲気が重要なんだよな。

 

俺は3年間着た制服でさえどこか着慣れないような節があったし……。

 

ミズキやヒロトは言うまでもなく、どんな服を着ても似合う。

 

二人とも着崩す形で着てたな。美形って得だよね……。本当に。

 

SSKですらそれなりに似合っていたよな、そういえば。

 

まぁこればっかりはどうしようもないし、どうする気もない。そもそももう、制服着る機会もないしね。

 

「真ちゃん、お兄さん、おはようございます」

 

そういってぺこりと頭を下げる雪歩ちゃん。礼儀正しい子だ。

 

「雪歩ちゃん、おはよう」

 

「雪歩、おっはよー!」

 

「真ちゃん、今日も元気いいね」

 

「そりゃ、そうさ、僕は元気がとりえだからね!」

 

そういってにっこりと微笑む真。こうして見ると本当に雪歩ちゃんと仲がいいみたいだ。

 

本当に赤羽根さんに任せて良かった。たとえアイドルとして大成しなくても、この仲間とこの経験はきっと未来の、人生のためになるはずだ。

 

「とりあえず、雪歩。今日はどこ回るの?」

 

「えーとね。今日も一通り回ろうと思うけど大丈夫?」

 

「うん!全然平気だよ! 兄さんもそれでいいよね?」

 

「うん、それで大丈夫だよ」

 

それで大丈夫というよりも、俺はこの学校の生徒でもなんでもないし、こういうのは一番ここに詳しい雪歩ちゃ

んに任せるしかない。

 

「あっ、雪歩ちゃんは何かこの文化祭でやることはないの? クラスの手伝いとかさ」

 

文化祭といえば何か出し物をクラスや部活でだすのが一般的だろう。この南女子の文化祭はそれなりに本格的であり、出店も沢山ある。ちなみに雪歩ちゃんと待ち合わせしているこの校舎の向こう側が運動場となっており、そこに多数の出店がある。昨日演奏したライブ会場も運動場だ。

 

やっぱり、この学校って大きいんだよな。南女子とはお嬢様学校で有名で俺でも名前くらいは知ったけど学校がここまで大きいとは知らなかった。

 

まず校舎だけでも6つあるとこが凄い。我が中央高校の倍だ。

 

それにうちの高校よりも綺麗だ。そりゃうちは公立でこっちは私立でお嬢様学校だ。それでも比べてしまいたくなる。

 

「えーっと、クラスの手伝いは昨日やったから大丈夫ですよ。お兄さん!」

 

ぐっと、拳を握り締めながら言う。

 

「そうか、それは俺としても嬉しいけど、俺たちと回って大丈夫なの?」

 

クラスの子とかと一緒に回ったりしなくて大丈夫だろうか? 俺と真は部外者もいいとこ。と言うか俺に限ってはこの首からかかっているこの証明書がなければ文字通りつまみ出されるレベルなのだ。

 

「はい、大丈夫です。私も真ちゃんとお兄さんと回りたいですしぃ。真ちゃんも私が誘ったんですから!」

 

雪歩ちゃんがそこまで言うのなら俺からはいうことはない。

 

「そう、それじゃあ案内よろしくね」

 

「よし! それじゃあ早速行こう!」

 

そういって校舎に入っていく真。

 

おいおい……。お前が一番に入っても何も分からないだろ。まぁ昨日回ってるみたいだったけど、大丈夫なのか

な。

 

「兄さん! 雪歩! 早く早く!」

 

真のせかす声が校舎の中から聞こえてくる。

 

「くすっ、真ちゃん本当に今日機嫌いいですね」

 

雪歩ちゃんが笑いながら言う。

 

「そうだね、本当に機嫌がいいよ」

 

俺もつられて笑う。

 

「あっ、お兄さん。昨日は本当にお疲れ様でした。ライブかっこよかったですよ!」

 

雪歩ちゃんは笑顔のまま俺の目をみていう。照れる……。これだけかわいい子にかっこいいといわれたら誰でも照れると思う。

 

まぁでも昨日のライブは明らかにミズキが目立ってたし、かっこいいと言えばヒロトの方が数百倍もかっこいい

し。

 

俺は完全にオマケ扱いである。まぁ、なんにせよ。

 

「ありがとう。そういわれると嬉しいよ」

 

それが本心だろうとお世辞だろうと、嬉しいものはやっぱり嬉しいのである。それにやっぱり雪歩ちゃんみたいな美少女から言われると嬉しさも何倍にも増す。真からも昨日帰ったあと、散々今日の兄さんはかっこよかったよ!って言われて嬉しかったけどやっぱり身内以外から言われても嬉しいものだ。

 

「雪歩! 兄さん!二人でなにしてるのさ! 早く行こうよ!」

 

真が校舎の入り口から顔だけだして、俺たち二人を呼ぶ。だいぶ楽しみにしているみたいだ。

 

俺も楽しみだ。他校の文化祭なんてステージジャックとかでしか行ったことないし。何よりジャックが終わったら問答無用で知らん高校の先生から怒られるのだ。当たり前といえば当たり前すぎるけど。ミズキとヒロトが盛り上げ上手でライブは上手くいくのだが上手くいこうが、どれだけ盛り上がろうが学校側からすれば迷惑極まりないのである。それでも警察に突き出されたりされなかったのはライブが盛り上がったこととミズキ達のカリスマ性があったからであろう。

 

とにかく俺もこんな風に違う学校の文化祭を楽しむことができることが嬉しいのだ。まぁ先ほどから周りの女子高生の奇妙な視線が痛いけども……。

 

やっぱり若い男がこの文化祭にいるのが珍しいみたいだ。それに雪歩ちゃんがアイドルやっていると知っている子も何人もいるだろうしね。

 

これ以上、真をまたせるのは色々とまずそうだ。

 

雪歩ちゃんを見ると向こうも同じことを考えていたのか目があう。お互いに笑う。

 

そして、真のあとを追って校舎に入る。

 

校舎に入る前に上を見上げる。太陽の光に反射した綺麗なレンガ茶色の校舎だった。



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第二話 その7

「美味しいね。この焼きそば!」

 

昼下がり、俺と真と雪歩ちゃんは青空の下校庭の出店で買った焼きそばを片手にベンチで昼食を食べていた。校庭の端っこにあるベンチはちょうど校舎の影になっており少し涼むには格好の場所となっている。五月とはいえここまで綺麗な晴れ間だと少し暑い。それにお祭り騒ぎも相まっているのだ。日陰のほうがすごしやすい。

 

「うん、本当に美味しいね」

 

割り箸で焼きそばを一口つまみ口に運んだ雪歩ちゃんが真の意見に賛同する。

 

「確かにうまいな」

 

俺も一口食べる。うん、確かに美味い。いい感じにソースが効いているし、それに学園祭という雰囲気もあって美味しく感じた。

 

「あっ、そういえば雪歩、このあとはどこを回るの?」

 

午前中は6つある校舎のうちの半分の3つを回った。いわいる一般棟とよばれる校舎だったらしくて、普通の教室や職員室それと事務室なんかが入っている校舎だった。そこを回って改めて思う。

 

この学校でかすぎだと。だって考えてみろ。校舎3つが丸々ほぼ全部教室だぞ。三学年ごとに一つの校舎が割り振られているとか。どこの漫画だよ……。と突っ込んだ俺は決して悪くはないはず。

 

色々雪歩ちゃんから聞いていくうちに分かったけどこの学校単位制をとってるらしい。要は大学とほぼ同じ制度だ。必修というものも確かに多いらしいけどそれ以外は比較的自由に時間割を組めるのだとか。すげーよなマジで。ちなみにうちの中央高校は時間割がしっかりと学校側で組まれてた。どこの高校も大抵というかほぼそうだと思う。一応クラスという枠組みはあるのだが時間割が合わないとかざらにあるとか。まぁ単位制だと普通はそうなるよね。

 

まぁそんなこんなで午前は一般棟を回ったわけだ。ちなみに一般棟では格クラスごとに喫茶店や展示、お化け屋敷なんかやってた。これは普通の高校と同じらしい。雪歩ちゃんのクラスは喫茶店をやってた。コスプレでもウェイトレスさんがやってるのかなーと期待したけど、制服だった。そりゃそうか男の人は滅多にこれないとか言ってたもんな。女子同士でコスプレしても誰も得はしないのだろう。少しだけ雪歩ちゃんのウェイトレス姿を見たかったのだが、見れないものは仕方がない。

 

制服姿の雪歩ちゃんを見れただけでも満足である。

 

「えーとね、午後は実習棟と部活棟を回ろうと思うんだ」

 

なんと言ってもこの学校広い。午前中の3時間とか4時間を使っても軽く一般棟とグランドを見て回ることしかできなかった。

 

「そう言えば、昨日は一般棟しか回ってなかったよね! 楽しみだ!」

 

「うん、昨日は私もクラスのお手伝いとかあって時間もあまりなかったし、ライブもあったから回れなかったけど、今日は大丈夫だよ!」

 

どうやら一通り回ったと言っていたけど回ってない棟もあるみたいだ。広いししょうがないだろう。

 

昼の日光を浴びた運動場では昨日と同じように野外ライブをやっていた。端っこのここまで音が聞こえてくる。有志のバンドなのかな……。

 

昨日の軽音部の演奏に比べて少しだけ音が荒いような気がする。俺よりは遥かにうまいけど……。

 

でも、楽しそうな音だな。とても楽しそうな音だ。演奏を楽しんでいる。いいね、こういうの。何だか青春を感じる。

 

俺たちの演奏もこんな感じで周りに聞こえていたのだろうか? それなら非常に嬉しい。

 

「どうしたの、兄さん? 遠い目をして、何か考え事?」

 

いつの間にか真が雪歩ちゃんの方から俺の方を見ていた。

 

「いや、特に何でもないよ」

 

「そう、ならいいけど。あまり無理はしないでね。昨日も調子悪そうだったし」

 

「そうですよ、お兄さん。無理しないでくださいね」

 

心配されるとは情けない。昨日は確かに少しだけ体調が悪かったが、この程度で心配されるとは、俺もまだまだだ。それにもう、体調も戻った。いくら昨日、疲れてたって一番の心配をかけてはいけない相手に心配をかける真似をするなんて……。

 

「ごめんな、昨日は心配させて、もう大丈夫だから心配しないで」

 

「うん……。でも、体調が悪かったらすぐに言ってよ」

 

「あぁ、分かったからそんなに心配するな」

 

そう言って残りの焼きそばを胃の中に掻き込んだ。食事も時間が勝負なのである。

 

 

 

 

「それじゃあ、真ちゃん、お兄さん、行きましょう!」

 

昼食のゴミを処分したあと、雪歩ちゃんが言う。ゴミ箱は運動場の中央付近にしかないため、俺たちがいる場所は人口密度も高くザワザワと喧騒に包まれていた。お祭りとはかくあるべきだよね。うん。

 

「うん、行こう!」

 

真がノリノリで答える。とてもいい笑顔だ。

 

すると周りから「きゃー」とか「凄いカッコいいよ!」とか「わ、私、目があった!」とか「あんなイケメン始めて見たよ!」とかとか、そんな黄色い声が当たり中から聞こえる。

 

うん、誰であろう、そのイケメンとは我が妹、菊地 真、彼女のことを指す他ない。彼女の格好はいつもと同じように俺のお下がりである。言うまでもなく男物だ。

 

もともと体型的にも女っぽくない真が着てるのだ。それに髪も長くはないし、顔立ちも中性的、そりゃあもう完璧な美少年だ。イケメンだ。俺よりもよっぽど男っぽい。本人には言わないけど、殴られるし。

 

思えば、今日最初にここにきた時に感じた注目されたような感じもほとんどは真に向けられた視線なのかもしれない。というか多分そうだろう。

 

SSKが言っていたけど、真には女性のファンが多いらしい。真はまだ有名じゃないため無論その数は少ないけど、その少ないファンの中でも圧倒的に女性が占めてるとか。この光景を見るとそれも頷ける。

 

俺としては、ファンがいることだけでも嬉しいものである。

 

雪歩ちゃんも俺の横で「うわー。流石、真ちゃん。既に人気者だね……」なんて呟いていた。

 

真本人はそんなことは気にも止めてないのかそれとも気づいてないのかは知らないけど、早く行こうよ! 兄さん、雪歩! なんて歩き出している。

 

何だか鈍感系主人公みたいだな……。ふと、そう思った。主人公か……。

 

俺には決してなれないもの。どんだけ望もうと努力しようと主人公というもにはなれない。でも、俺の周りには主人公みたいなやつばかりだ。真にしろ、雪歩ちゃんにしろ、春香ちゃんにしろ……。それにミズキやヒロトなんかもそうだな。むしろヒロトなんて性格的にも顔的にも主人公にピッタリだ。

 

SSKは……。あいつは主人公ってキャラじゃないな。それに本人も否定するだろうし。

 

俺にできることは、願うことだけかな。

 

願わくば、この主人公の物語がハッピーエンドで終わりますように……。バッドエンドなんか誰も望んでいない。そう誰も望んでバッドエンドになんかしないんだよ……。

 

「真ちゃん、ま、待ってよぉ〜」

 

雪歩ちゃんは歩き出した真の後を追う。そう言えば、真は次の目的地である実習棟と部活棟の場所を知っているのだろうか……?

そう言うのも彼女っぽいな。

 

思わず笑みがこぼれる。

 

これだけ広い学校だ。一度離れ離れになると苦労するだろうな……。こんな女子が多いところで離れ離れだとある意味ストレスで胃に穴が空きそうだ。

 

雪歩ちゃんを追うために歩き始める。五月晴れが当たりを明るく照らす。いつの間にか別のバンドに変わったのかボーカルの声が先ほど違う、そんなバンドの音楽、それと雑踏が運動場を包む。屋台からフランクフルトを焼いた香ばしい香りやかき氷のシロップの甘い香り、そんな多くの香りが漂う。

 

あぁ、祭りにきたんだな。

 

そんな当たり前のことを改めて感じた。




後書き
梅雨にまつわる話を書きたいんですけどなにかいい話題を探してます。書きやすい季節のはずなんだけどな……。


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第二話 その8

特別棟はそんな喧騒とは少し離れたところにあった。雪歩ちゃん曰く、一番古くぼろいと言われた校舎は、公立高校の貧乏高の俺からすると十分に綺麗であった。少なくとも中央高校の一番綺麗な校舎よりも綺麗といったあたり流石はお嬢様学校といったあたりか。公立高校に通う真も一緒の感性だったらしく、これが一番古いの? なんてつぶやいていた。

 

ところで特別棟とはどのようなところか。雪歩ちゃん曰く、技術室や調理実習室や被服室、はたまた美術室や書道教室などが集まっている校舎だとか。ちなみに一般的な高校で言う体育館と呼ばれる室内運動施設もこの特別棟にあるらしい。なるほど、この学校で体育館らしき建物を見ていないのはそのせいか。

 

しかし、これだけ一般棟(いわゆる教室)と離れているといくらなんでも不便ではないだろうか。一般棟とこの特別棟は校庭挟んで対にある。この南女子は校舎の割合が3対3の割合で校庭を挟んで建っている。一般棟が3つと特別棟と部活棟が2つ。一般棟同士は渡り廊下などでつながっており、非常に出入りしやすいのだが、校庭を挟んで向こう側に建っている特別棟に対してそんな渡り廊下なんてものがあるはずなく、わざわざ一回靴を履き替えていかなければいけない。それは非常に不便である。そんな疑問を投げかけてみると、何でも特別棟を使う授業は2コマ連続で入っていて最初の10分と最後の10分は移動時間に当てられているとか。それにほとんどの生徒は4コマ連続になるうように特別棟である授業をとっていることがほとんどなためにそこまで問題にならないらしい。

 

板張りの廊下は塵一つなく、ワックスがツヤツヤと蛍光灯の光と日光を受けて光っている。教室のドアの上にはどこの学校と同じように技術室なり理科室なりとプレートが掲げられている。どうやら一回には理科室、調理室、技術室があるようだ。一般棟や運動場に比べると少しだけ賑やかさに欠ける廊下にはそれでも多くの生徒があふれていた。

 

「とりあえず、どこに行きましょうか?」

 

雪歩ちゃんが手持ちのパンフレットを見ながら聞いてくる。

 

「うーん、僕はどこでもいいけど……」

 

真も手持ちのパンフレットを見ながらつぶやき、そして目ぼしい場所があったのかいきなり顔をあげる。

 

「雪歩! 兄さん! 僕ここにいきたい」

 

パンフレットの一点を指差しながら彼女は言った。

 

「真ちゃんどこどこ?」

 

雪歩ちゃんが真が持っているパンフレットを覗き見る。

オレもそれに習って真のパンフレットをみる。

 

「体育館か。真らしい」

 

指差された場所に書かれてあったのは体育館。なんでも室内系の運動部が色々と何かやっているみたいだ。真のような運動好きにはもってこいの場所だろう。運動場はなんだかんだ言って屋台や野外ライブ場で埋まっており運動と言うか体を動かすものはなかったもんな。

「体育館かぁ、お兄さんもいいですか?」

 

「うん、何も問題ないよ」

 

「兄さんも一緒に何かやろうよ!」

 

「何かやるのはいいけど俺は運動は苦手なんだよな……」

 

「えぇ! お兄さん運動苦手なんですか?」

 

雪歩ちゃんが少し驚き気味で言う。そこまで驚かれることかな……。真の兄でしかもスタイルもそこまで悪くないほうだから運動できると思われても仕方がないけど。ところがどっこい。オレは運動が苦手である。嫌いかと聞かれるとそこまで嫌いではないのだが、いかんせん運動神経がない。実際運動ができないことはないはずだ。高校二年までは、少なくとも運動する機会が、赤髪の彼女のおかげで人よりも遥かに多かったおかげか人よりもできたが……。ちなみにこの場合の人とは運動を全くしない人だけをさすことに注意。運動部の奴には遥かに及ばない。運動量的には同じでも運動神経に月とすっぽん並の差が存在する。しかも、それも過去の話、最近はバイト以外に運動と言うか体を動かすことすら稀だ。そのバイトですら、体をそこまで動かすものではないと言うのに……。大学生とかサークルとか部活で体を動かす機会がなければこんなもんだ。体育も必修じゃないしね。つまり、今の俺は運動駄目駄目だといっていい。

 

「兄さん、嘘は良くないよ。運動結構できるくせに……」

 

 

真がじと目で見てくる。そんな目で見られてもどうしようもない。真はきっと高校時代の活発?な頃の俺でも見て言ってるんだと思う。というか、俺って真の前で運動したことあったっけな?

 

「運動神経がにぶいんだよ。真は運動神経いいだろうけど。それよりも、真の前で運動する機会とかあったっけ?」

 

「ほら、兄さん。兄さんが高校一年と二年のときの運動会とかリレーとかで走ってたじゃん!」

 

「あぁ、そんな事もあったな。でも何年前だと思ってんだよ。5年も近く前のことじゃないか。あれから運動も特にしてないし、無理だよ」

 

運動会か……。確かにそんなものもあったな。いつも通り我らがミズキの思いつきで俺も一年二年時はリレーで走ったことがある。そこそこ足は速かったしな。ん? ミズキ? あいつは運動でも化け物だよ。平気で陸上部の奴抜いていく。ちなみに男子な。意味がわからんだろ。俺にもわからん。陸上やれば全国取れたのではないかというのは女子陸上部の顧問談。俺も取れたと思う。だってミズキだしね。真の師匠が運動神経が悪いはずがない。ちなみにヒロトも運動がむちゃくちゃできる。バスケで中学時代に全国大会に言ったとか言ってたし。

 

天は二物を与えず、とは誰の言葉だよ。イケメン、スポーツ万能、性格良し三拍子じゃないか。こんな高物件はない。ぜひ真にはこんな奴を選んでほしいものである。ってか引っ付かないかな……。真とヒロト。

 

そうすれば親心としても非常に安心できる。

 

「えぇー、兄さん、そんなことはないよー。ミズキさんが言ってたよ。アイツは意外と何でもできるって」

 

なにその大雑把としか言えない情報。意外と何でもできるってどういう意味だよ。ミズキは俺のどこをみて言っているんだろうか……。どうせ適当に言ったに違いない。

 

「その何でもなかに残念ながら運動は入っていないみたいだ。それにゲームのほうが得意だし」

 

「つれないなー」

 

そうは言いつつ口元は笑顔だ。

 

「私もお兄さんは運動が得意と思ってました」

 

「うーん、まぁ人並みにはできると思うけど、真に比べればだいぶ落ちるよ」

 

「そんなことないですよ。真ちゃんに比べれば私も駄目駄目ですぅ。それに私も運動が苦手なんですぅ。おそろいですね、お兄さん!」

 

屈託のない笑顔で微笑む。とてもかわいい。芸能人よりも可愛いんじゃないだろうか? ん、そもそも芸能人だったか。

 

「とりあえず行ってみて適当にやってるもんに参加しようか!」

 

「うん。そうしよう!」

 

「はい、それがいいですぅ!」

 

俺の提案に二人が頷く。

 

それにしても体育館かー。何か高校時代を思い出す。体育館にいい思い出は特にないけど。

 

大抵ミズキの提案で何か悪さやって、ばれたときは掃除などの奉仕活動と反省文が多かった。その掃除区域に体育館もしばし組み込まれていただけの話。掃除だけなら全校でも上位レベルに回数をこなしたはずだ。誰にも自慢できないし、する気もない。それなのになんとなく懐かしいと思うのはそれが楽しかったからなのかな。

 

そんなことを考えながら体育館に向かう。そこにはある人物がいた。



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第二話 その9

体育館は特別棟の中でもとりわけにぎわっていた。やはりと言うべきかこの学校の体育館は大きかった。特別棟の4,5階部分の大半をぶち抜いて作ってあるそこは、そんじゃそこらの体育館よりも綺麗で横に長かった。端から端までで50m走のタイムでも計れるかもしれない。ようはそういう風に思うくらい広かった。二階というか校舎の5階部分には観客席までついているし。なんだよ本当この学校。

 

そんな体育館に入ると最初に人口密度の多さに驚いた。特別棟に入ったときは運動場や一般棟に比べるとましだと思っていたが、ここ体育館に限りは運動場に引けをとらないくらいの人口密度があった。そのほとんどが体育館の一点、中央付近に集中している。何かあるのかな。

 

目が悪くてよく見えない。最近視力落ちてきたんだよね。元々もむちゃくちゃ悪いのにこれ以上落ちるのは勘弁してほしい。コンタクトの度を変えるのもメガネの度を変えるのもただじゃないんだ。

 

真はそんな仲何かを見つけたようだった。

 

「あっ! ヒロトさん!」

 

そういうと中央の人だかりまで走っていく。

 

ヒロト? 確かに女の子が集まっている場所の中心にぼんやりと背が高い茶色髪が見える。

 

なるほど、これで納得が言った。あいつがいるのか。

 

つまりこの女子高生の人だかりはヒロト目当ての女子高生というわけだ。

 

「あっ、真ちゃんいっちゃった……。お兄さん、ヒロトさんって昨日の方ですよね?」

 

「うん。昨日話したていたと思うけど、俺と一緒に演奏してたヒロトだよ」

 

俺にはぼんやりとしか見えないけど目がいい真が言うんだ。間違えないだろう。

 

そんなことを話している内に真は人並みを掻き分けて中央へと進んでいった。

 

ヒロトらしい人がこちらを見ると手を挙げながら近づいてくる。どうやらヒロトで間違いないみたいだ。

 

それと同時に周りを囲んでいた女子高生たちも一斉にこちらに注目、近づく。格好もバスケットのユニフォームやバレーボールのユニフォームに制服姿などバリエーションも豊富である。やめてほしい本当に……。注目されるのは苦手なんだ。

 

「やぁ、来ているのは知っていたけど、こんなところで会うとはね。それと昨日会ったね。雪歩ちゃん。こんにちわ」

 

軽く手を挙げて笑顔で言う。キャーかっこいい! とか回りから聞こえてくる。恨めしい。首には俺と同じように通行証明書をぶら下げている。格好は白のシャッツに黒のチノパン。ラフな格好なのにそれがおしゃれに見えるのはイケメン補正というものだろうか? 少しでいいから分けてほしい。

 

「あぁ、まさかヒロトが来ているとは思わなかったよ」

 

「あっ、はい。こんにちわ。ヒロトさん」

 

雪歩ちゃんが少しぎこちない笑顔で挨拶を返す。羨ましい。俺なんて挨拶を雪歩ちゃんとちゃんとできるようになるまで3,4回かかったというのにこのイケメンは二回でそれをするか。というか昨日も雪歩ちゃんと話していたみたいだし。凄いよな……。

 

「そういえば、ヒロトが来ているってことは他の二人も来ているのか?」

 

他の二人とは言うまでもなく、SSKとミズキである。

 

「あぁ、実は一緒に二人とも来てたんだがいつの間にかはぐれてね。連絡を取ろうにも携帯は充電切れてて……。まぁ充電があっても連絡とらないと思うけど」

 

苦笑いで携帯を真っ黒の画面になったスマートフォンを取り出す。

 

「ということはミズキもSSKも来ているのか……。俺たちは見てないけど……」

 

「えぇー! ミズキさんもSさんも来ているんですか!」

 

見てないなら入れ違いになった可能性が高いな。何よりもこれだけ広い学校だし会わなくても何ら不思議じゃない。

 

「ところで君たちは体育館に何をしに来たんだい?」

 

「真の要望でね。体育館なら真がすきそうなものが多そうだろ?」

 

「確かに真ちゃんには似合ってるね」

 

「そうだそうだ! ヒロトさんも何か一緒にしませんか?」

 

「それは全然かまわないけど、雪歩ちゃんは大丈夫?」

 

「え!? 私ですか」

 

いきなり話題を振られた雪歩ちゃんが少しあわてて返す。

 

「うん、Sから男の人が苦手だと聞いてね」

 

「はい、大丈夫ですぅ。昨日も話せましたしぃ」

 

俺が努力して会話まで辿りついたというのに、こいつは初対面で会話出来るまでになっただと……。やはりイケメンは敵だ。モテない男子の敵で間違いない。

 

「そう、それは良かった。じゃあ何をやるの真ちゃん?」

 

「うーん。何をしようか……」

 

そういってパンフレットをみる真。確かにこれだけ広い体育館がやれることも色々とありそうだ。

 

「そういえばヒロトは何か体育館でやったの?」

 

「いやー、やろうと思ったんだけどすぐに囲まれちゃって……」

 

苦笑いで言う。自慢かよ、自慢なんだな! 羨ましい。女子高生に囲まれたいとは思わないけど、緊張してぶっ倒れそうだし。でもモテタイとは思う。俺だってそれくらいの願望はある。

 

「うーん。これもあれも捨てがたいなぁ」

 

真はパンフレットとにらめっこしている。

 

「じゃあ真ちゃん、決めかねているなら最初は俺がやりたかったことでいい?」

 

「そうですね! どれも捨てがたいんで最初はヒロトさんがやりたい種目でいいですよ」

 

「雪歩ちゃんはそれでいい?」

 

「はい、でも……。私運動苦手ですし、見ているだけでもいいですか?」

 

雪歩ちゃんは観戦か。運動は苦手らしいし、そういう選択肢もありだと思う。

 

「それは全然構わないよ。誰にだって苦手なことや嫌いなことはあるさ」

 

優しいというか思いやりがあるというか……。だからヒロトはもてるんだろうな。

 

顔がいいだけじゃなくて気配りもできるから。

 

「じゃあ、俺も見ているだけでいいか?」

 

いくらなんでも一人だけで見ているのはかわいそうだろう。

 

「えー、兄さん釣れないよ! 一緒にしようよ!」

 

「そういえば君と何かスポーツするのは久しぶりだったし是非やりたいね」

 

「お兄さん、私のことは気にせずにやってください。その、私もお兄さんの運動するところ見たいです!」

 

三者ともにこのリアクションである。どうやらやらないといけない流れらしい。やっぱり参加しないといけないみたいだ。これは断れない。雪歩ちゃんの期待を裏切るわけにはいかないしね。少しばかり無様でもやろうか。

 

「そこまで言われたらやるけど……。一体なにをやるんだ、ヒロト?」

 

「さすが兄さん!」

 

この笑顔のためにやっているといっても過言ではない。

 

「あぁ、それはこれさ」

 

そう言いながらヒロトは微笑む。

 

 

 

 

ピカピカにワックスが聞いた体育館は廊下とよろしく高い天井にぶら下がった大きな蛍光灯の光を反射して輝いてる。高体連やインターハイの県予選にでも使えそうなくらい綺麗な体育館だった。

 

そんな体育館で今俺の目の前にあるのは、地面から290cmの高さで天井からぶら下がっている一枚の透明な板。その板には赤い枠のカゴが一つ。下を見れば白い丸い円やら直線やらが幾何学模様を描いていた。

 

ヒロトがやりたかったことは日本で言うところの籠の球と書いて籠球。英語でバスケットボールと呼ばれる競技だった。何ともヒロトらしいことだ。まぁバスケットボールといってもフリースローだけど。流石にバスケの試合まではやってない。文化祭だしね。色々な文化祭の部活が共同でやってるスタンプラリーみたいなやつの一種目だ。全部スタンプを集めるとなにか景品をもらえるらしい。ちなみにこの女子バスケ部のフリースローでは全部取ると景品としてジュース4本貰えるとか。

 

真はやる気満々にバスケットボールでドリブルしているし、ヒロトはヒロトで人差し指の上でバスケットボールをクルクルと回している。元バスケ部ってよくあれやるよな。俺も中学高校の時は体育のバスケそっちのけで練習したもんだ。上手くは出来なかったけど。

 

「なぁ、普通にフリースローやったんじゃ面白くないだろ。ここは一つ賭けをしないか?」

 

「は? 何を言ってんだ。勝てるはずないだろ。俺が」

 

やつは何を言ってんだろ。中学時代に全国大会にいった人間と勝負して勝てるはずがない。それに真にしたって運動神経が異常なくらいいい。どう考えたって勝てない。

 

「そうだね。じゃあハンデをつけよう。君と真ちゃんは兄妹でチームでいいよ。そして、フリースローラインから投げる。それで僕は一人で3ポイントラインから投げることにしよう。つまり君たちは僕の倍の球を投げれるわけだ」

 

「おっ! ヒロトさん言ったねー! 僕と兄さんのコンビは強いよー!」

 

俺が何かいう前に真が話す。確かにこれなら妥当なハンデだろ。フリースローという妨害もない競技だし真だけで下手すると勝負が決まってしまうかもしれない。

 

「で、何を賭けるんだ?」

 

彼は俺の問いかけに対して、そうだね……、と少し考える。そして何かを思いついたのか顔を上げた。

 

「じゃあ、負けたほうは勝ったほうのいうことを一つ聞くって言うことでどうだい。二人が勝ったら僕に一つずつお願いをできる。逆に俺が勝ったら二人に一つずつお願いをできる。どうだろう?」

 

「にひひ。言ったね! ヒロトさん! よし、兄さん! 僕たちの力をヒロトさんに見せてつけようよ!」

またもや何か言う前に真が口だす。まぁ別に真の機嫌がよければどんな賭けでもいいんだけど……。

 

「あぁ、そうだな……」

 

機嫌が良い真に押されて俺はそんなことしか言えなかった。

 

「おっと、これは怖い。ハンデをつけすぎたかな?」

 

そんな俺と真の様子をみてヒロトは人の良い笑みを浮かべるのだった。

 

世界はとくもかくにも平和である。

 



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第二話 その10

突然始まったフリースロー対決はヒロトからスタートとなった。投げる回数は5球。勝負は単純明快、入った方が多い方の勝ちだ。

 

いつの間にか右手に真っ黒のリストバンドをはめた茶髪の優男は女子生徒の視線のほとんどの視線を集めながら、白い半円の外でドリブルをする。ドリブルの音は一定のリズムを刻み当たりに響く。

 

やっぱり、様になってるな……。そう思わずにはいられない。

 

周りの女子生徒の誰かが頑張ってー! と声をかける。ヒロトはそんな声にニコリと微笑む。すると周りで黄色い声があがる。

 

「うわー。流石だね、ヒロトさん。モテモテだね」

 

ポツリとつぶやく真。

 

ヒロトは黄色い声援を背中にゆっくりと肩幅に足を上下に開き少し膝を曲げる。

 

バスケのことは体育と遊びで少しやった程度だから初心者同然の俺だから何て言うべきなのかは分からない。

 

でも、ただ一つ言えるのはそんな素人の俺から見てもそのフォームは綺麗だったということだ。

流れるようなフォームで手から離れたボールは寸分の狂いもなく綺麗に、まるでそこに入るのが当たり前のような形でスパッという音を立てて入った。

 

その瞬間、ギャラリーからざわめきが起こった。同性の俺から見ても格好良かったんだ。女子高生が騒ぐのも分かる。

 

「すごいなー! 流石、ヒロトさん」

 

「うぁ……。すごいですぅ」

 

隣で見ていた真と雪歩ちゃんが同じような意見を言う。確かにすごい。よくわからんが、バスケで3Pシュートってのはそこそこ難しいはずだ。それをこうも簡単にやってくれるのは流石の二文字だ。

 

本人はそんな周りの状況を気にも止めずにいつもよりも少し真剣な表情でたんたんと残りの球を投げていった。

 

 

 

 

「よしっ、それじゃあ次は僕だね! 兄さん、雪歩、いってくるよ!」

 

「あぁ、頑張れ」

 

「頑張ってね、真ちゃん!」

 

俺たちの応援を受け、今度は真がコートに入る。周りからはあの子もカッコ良くないとか私はあの子の方がタイプかなーとかいう声がちらほら。この場合のあの子とはもちろん、我が妹 真のことだ。

 

ヒロトが投げた半円の線よりも二三歩前、フリースローラインに立ち、これまたリズミカルなドリブル音を鳴らす真。

 

ヒロトそんな真と一言二言目言葉を交わすと笑顔でこちらへ帰ってくる。おそらくお互いに労いの言葉でも掛け合ったのだろう。

 

「さすだな、ヒロト」

 

「ヒロトさん、カッコ良かったですぅ」

 

「ありがとう。二人とも、たまたまうまくいったよ」

 

そう言って彼は笑う。結局彼は綺麗なフォームで一回もリングや板にボールを当てることもなく淡々とすべてのボールを籠に入れた。たまたまで3Pシュートを5本連続で入れられるはずはないのだけど、そこには彼なりの謙虚さがあるのだろう。

 

「真ちゃーん! 頑張って!」

 

ヒロトが少し大きな声で真に声をかける。

 

そんな声かけに真は笑顔で手を大きく振るとフォームに入った。

 

 

 

 

 

 

「ちぇっ、なんだか残念だ」

 

球を全て投げ終えて帰ってきた真は口ではそんなことを言いながらも顔では笑みを浮かべていた。

 

「真ちゃん! すごくカッコ良かったよ!」

 

雪歩ちゃんが少し興奮したように褒める。

 

「ありがとう雪歩。でも、本当はヒロトさん見たいにこう、ズバーっと全部決めたかったんだけどね」

 

そう言ってにひひと笑う。

 

「お疲れ様、真。うまかったじゃないか」

 

「ありがとう兄さん。でも、パーフェクト達成したかったなー」

 

「十分すぎると思うけどな。5本中4本は」

 

なんと言おうとも真はきっちりと5本中4本を決めている。さすがというほかない。

 

ヒロトのように綺麗な入り方はしてはいないが、それでも素人で5本中4本はすごいと思う。さすが、我が妹である。運動神経は本当にいい。

 

「流石だね、真ちゃん。ここまで決めれるなんて驚いたよ」

 

「ありがとうございます。ヒロトさん! でも、ヒロトさんみたいに綺麗に決めれなかったですけど」

 

「いやいや、ここまで出来れば上出来だよ。フォームも綺麗だったし、もしも本格に始めれば俺なんかよりもすぐに上手くなるよ」

 

「えへへへ。お世辞でもうれしいです」

 

さて、これで勝負はヒロトが5本、真が4本決めたから、5対4。

 

俺は2本以上決めたら勝ちだ。おっ、これなら勝てるかもしれない。いくら、運動神経が悪い俺でも5本中2本なら決めれそうな気がしてきた。

 

「次は兄さんだね! 頑張って!」

 

「お兄さん、頑張ってください!」

 

「頑張れよ」

 

真、雪歩ちゃん、ヒロトから労いの言葉がかけられる。

 

「まぁ、とりあえず頑張ってみるよ」

 

「兄さん、勝とうね!」

 

笑顔で言ってくる真。うん、やれるだけのことはやりたいと思う。勝負事において手は抜きたくはないしね。

 

フリースローエリア内に立ってみると、意外と遠い距離にリングがあることが分かった。普段バスケとかしないし、久しぶりにやったから少し遠く感じるだけなのかもしれないが。手には空気がパンパンに入ったこげ茶色のバスケットボール。これも意外と重い。これは俺の筋力が低いだけかもしれないけど。とあえず、右手で軽くトントンとドリブルをする。

 

これだけで真とヒロトとの差が分かって少し苦笑いが漏れる。なんかドリブルだけとってもうまいやつはうまいってわかるよね。俺はどうにも初心者同然のドリブルになってしまう。

 

周りで見ていた女子高生のギャラリーはほとんどいない。ヒロトと真の番が終わったらどこかに行ってしまった。注目される視線が減ってうれしいのはうれしいが、何ともいえない。注目されるのは好きじゃないけど、こうも興味がないですよアピールをされるのはどうなんだろうか。

 

トントンとドリブルの音が響く。5本中2本でいい。半分以下。べつにこの勝負に負けたところでどうっていうことではないけど、勝ちたい。何事も勝負は勝たないと。勝ちにいかないといけない。

 

ゆっくりとフォームに入る。高校の授業レベルではシュートの形とか習わないから独学というか見よう見まねのフォーム。ボールを額の上に掲げ、ひざを軽く曲げる。そして膝を伸ばす動きと連動して腕を振る。手から離れたボールはゆっくりと弧を描きながら空中を移動する。そして、そのままボールはリングに届くことなく、床に落ちた。

 

「あれ……?」

 

思わず声が漏れる。結構いい線いってたのに力が足りなかったのかな。

 

女子バスケ部の子から新しいボールをもらう。さっきのようにドリブルをする。

大丈夫、次はいけるはずだ。

 

フォームに入る。先ほどと同じ、だけど、今度は少し力を込めて。

 

手から離れたボールは先ほどよりも断然力強く飛ぶ。そしてそのままリングよりも遥かに右上にそれて、バンとリングが付いているボードの端ギリギリに少し大きめ音を立てて見当違いな場所に飛んで行った。

 

力をすこし入れると見当違いな場所にいくとは……。今更ながら自分の運動神経の無さが伺える。うーん、本当は綺麗に2本連続できめるはずだったのだけどな。空想上だけど。

 

三球目のボールを受け取る。2球なげて大体の力加減は分かった。思い出せ、さっき投げた、真のフォームとヒロトのフォームを。あいつらは俺よりも格段に上手い。俺のフォームとの違いはなんだ? 思い出せ、ヒロトのフォームを。手の動き、足の開く大きさ、位置。その通りに真似すれば少しはシュートの成功率もあがるはず。

 

ゆっくりと深呼吸をしてボールを構える。別に綺麗じゃなくてもいい。ヒロトみたいに板にも当てずに入れるなんて言うのは高望みしすぎだ。俺は俺らしく、やるだけ。

 

手から離れたボールゆっくりと大きな弧を描き、バンと板にあたるとリング中に何とか納まってくれた。

 

「兄さん! やるじゃん!」

 

真がすこしだけ大きな声でいう。

 

「ありがとう。真」

 

「うん、勝とうね。にひひ」

 

「あぁ、そうだな」

 

5対5。ただいま同点。あと俺が投げるのは2球。半分でいい。それを決めれば俺たちの勝ちだ。これで負けはないわけだし、あとは気軽なもんだ。

 

4球目をうけとり、ドリブルをする。バスケットボールの重さにもリングとの距離にも慣れてきた。1球目2球目のように見当違いの方向に飛んでいくことはもうない……はず。

 

さきほどと同じフォームを意識しながら、残りの2球を投げた。

 

 

 

 

 



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第二話 その11

文章を書くとは難しいことですね。大変ですけど面白いです


「あぁー、楽しかった」

 

体育館を出て開口一言目の真の言葉である。

あの後、真とヒロトは体育館にあった運動部の種目をすべてやっていった。俺と雪歩ちゃんはやったりやらなかったり。俺は真とヒロトみたいな体力はもうないのだ。昨日の演奏だけで死にそうだったのに。時というものは怖いものだ。

 

「でも、流石真ちゃんだね、どの競技でもすごく上手だったよ」

 

「そうかなぁ、そういわれると照れるね。でも、僕よりもヒロトさんのほうが凄かったし」

 

体育館でやったどの種目でも真はうまく万遍なくこなしていった。運動は得意なのは百も承知だけど、あそこまで出来るとはね……。真の運動神経もずば抜けていたが、ヒロトのはそれの少し上を行っていた。本人曰く、運動神経も才能も真の方が上らしい。ただ、亀の甲より年の功、年齢が上の分経験の差が出ているとか何とか。俺には二人とも運動神経がいいって言うことしか分からないけど。

 

「いや、真ちゃんの方が凄いよ。空手以外のスポーツを部活もやってないのにあそこまで出来るなんてね」

 

「えへへ、ありがとうございます、ヒロトさん!」

 

「しかし、ヒロトも流石だよな。あんだけ綺麗なシュートを打てるだなんてな」

 

「まぁ、中学と高校の時に少しだけかじっていたからね。やっていれば誰でもできるさ。それに君もしっかり決めたじゃないか」

 

全国大会にいったのをかじった程度と言うのかは甚だ問題だけど。

それに俺のシュートはたまたま入ったに過ぎないけど、ヒロトのは完全に実力だ。

 

「そうだよ、兄さん! 勝負にも勝ったし、カッコ良かったよ!」

 

結局勝負は俺と真の勝ちとなった。あのあと4球目を失敗し、残りの1球となったが、最後の5球目にどうにか決めることが出来た。その結果、5-6で俺と真がヒロトよりも1本多く勝利となったのだ。

 

俺が最後の一球を決めた時、真は凄く喜んでいた。雪歩ちゃんもそれなりに褒めてくれた。別に大したことはやってないのだけど、二人の様子を見ていたら、決めれて良かったと思った。

 

「さて、次はどこに行くの?」

 

真は手に持っているジュースを開けながら、言う。真がヒロトにお願いしたのは、フリースローのパーフェクト達成した景品であるジュースを俺たちに一本ずつ配るというものだった。もともと配るつもりだったであろうヒロトは喜んで了承、俺たちに一本ずつジュースを配った。兄としては真がこんな風に人のことを思いやれる子になって嬉しいことこの上ない。兄貴に似ずに本当に良かった。色々な意味で。

 

貰ったのはお茶が二本と炭酸飲料が二本。俺と雪歩ちゃんがお茶を選び、ヒロトと真が炭酸飲料を選んだ。

 

俺もペットボトルの風を切って一口飲む。体育館の熱気で少しだけ汗ばんだ身体に冷たいお茶は美味しい。さっきまで女子バスケ部の女の子たちにお願いしてクーラーボックスで冷やしてもらっていたためにキンキンに冷たくなっていた。

 

「うんとね、次は部活棟に行こうと思うんだ」

 

真の言葉にお茶を一口飲んだ雪歩ちゃんが答える。

 

部活棟か。言葉の響き的に部活動の部室が集まっているんだろうな。これだけ大きい学校だし、色々な部活があるんだろうな。少し楽しみだ。中央高校にも部活動はたくさんあった。全校生徒が強制で部活に入部しなきゃいけないのが校則で決まっていた。何しろ全校生徒が何処かの部活へ必ず入っているのだ。それでは部活生は多くなる。結果的に部活動の数も同窓会の数もやたらめったら多い混沌とした学校になった。色々な意味で中央の部活は有名だった。数が多いという意味やらゲテモノの部活が多いやらで。俺たちもそんなゲテモノの部活動に名を連ねていた。部活と同窓会が多すぎてどんな部活があるのか全部を言える人間は少ないんじゃないかな。同好会は部室を持っていなかったし、部室の数がそのまま部活の数じゃなかった。

 

その中央高校も部活棟は一個だった。でもここは二棟もある。部活の数もそれだけ多いのだろう。

 

「そうだ! ヒロトさんも一緒に行かないですか?」

 

「うーん。俺もちょうど行こうと思っていたけど……。雪歩ちゃんは大丈夫?」

 

「あっ、はい。ヒロトさんにはどうにか慣れましたしぃ」

 

雪歩ちゃんは昨日と今日でヒロトとは普通に話せるようになったみたいだ。本人はそう言っているが少しだけぎこちない。でも、ほぼ初対面の男の人相手にここまで喋れるようになったのは大きな進歩だと言える。

 

「それは、良かった。それじゃあ、俺も一緒に回ろうかな」

 

「うん! それがいいです!」

 

真とヒロトのコンビか……。悪くないな。相性もお互いにスポーツ好きだし、人もいい。顔も美形だし、お似合いだ。このまま引っ付け。以外とマジで。ひっついて欲しい。

 

「それじゃあ、行きましょうか」

 

キャップをキュッと閉めた雪歩ちゃんはが言う。立ち止まっていると視線が痛い。俺じゃなくて真、ヒロトに当てられている視線だけど、小市民の俺には注目は毒である。注目されてるのは俺じゃないけど。

 

「よし、行こう!」

 

「そうだね、そろそろ行こうか」

 

真、ヒロトの順に答える。

 

「それじゃあ、雪歩ちゃん、案内よろしくね」

 

雪歩ちゃんが歩き始める。そのすぐ後ろに真、少し離れて俺とヒロトが続く。体育館の雑踏に背を向けて部活棟へ向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「へぇー、いっぱい部活あるね」

 

部活棟は一般的な校舎と同じ部屋が横並びになっていた。それぞれの扉にはプレートが掲げられている。俺たちが始めに訪れたのは部活棟1と呼ばれるところだった。雪歩ちゃんも詳しいことは知らないらしいけど部活棟1は文科系が中心で部活棟2は運動系が中心らしい。ちなみに部活棟2は運動系がほとんどなので文化祭では一般公開されてないとか。つまりこの部活棟1ですべて回ったということになるわけだ。

 

「たしかに多いな」

 

真の言葉にヒロトが続く。

 

パッと見ただけでここ一階だけでも中々の数の部活があるみたいだ。プレートの数がたくさんある。有名なところで言えば、文化部、文芸部、園芸部、天文学部、書道部、美術部などなど。

 

ところで文化部と文芸部ってどう違うんだろう? 誰か俺に教えてくれないかな。だいたいの文化部の部活は展示をやっているみたいだった。天文学部なら星の動きを観察した結果とか美術部なら作品の展示など。

 

真には少しに合わないかなと思ったりもしたが、本人は至って楽しそうだ。俺はさっきの体育館よりこっちの方が好きだ。人も少ないし、落ち着いている雰囲気だし。高校時代まではザワザワガヤガヤした雰囲気の方が好きだったのにな。これも大人になったということだろうか。

 

雪歩ちゃんはやはりというべきかこっちの雰囲気が好きらしい。落ち着いている雰囲気だしね。雪歩ちゃんは。

 

美術部の作品を見ている様とか本当に絵になった。

 

二回に上がると見たことがあるような部活に紛れてちょいちょいとマニアックな部活が目にはいる。オカルト研究部、UMA研究会、未確認飛行物体報告所などなど。というか上の三つってすべて同じじゃない? どう違うのだろう。

 

ちなみにオカルト研究部は黒魔術の発動条件とかいう中二病フル全開の展示を行っていた。中学の時にこんな部活があったら迷わず入部するだろうな……。誰だって男の子なら魔術に興味がある時があるのさ。今は流石にないけど。

 

真も雪歩ちゃんもうーん、と苦笑いだった。ヒロトはヒロトでなかなか面白いね、とニコニコだったけど。

 

そんな少しおかしな二階を見て回り三階に上がる。部活棟は四階建てだ。残すところはこの三階と四階のみ。

 

時刻はもうそろそろ東の空が赤くなる時間帯。少し早く回れば一般公開の時間内には回れそうだ。これだけの部室のすべてを回るのは無理そうだし、面白そうなもの、興味があるものだけを回ることにしよう、という雪歩ちゃんの意見をみんなが了承し面白そうな部活だけ回ることとした。

 

にしても三階はマニアックな部活が立ち並んでいる。幾何学研究会、畑部、焼き魚研究会、杉の木の子。なんだよこの学校。上の二個はまぁ分からんこともないこともない。でも、焼き魚研究会とか杉の木の子って何だよ。焼き魚研究会とかむちゃくちゃ気になる。

 

他の三人の了解をとって中を覗く。焼き魚研究会は白身魚と赤身魚の焼き方の違いや、焼き方あう食べ物とか展示していた。味のデータがグラフ数値かされてたり、栄養が云々とか難しい言葉で書かれていた。まともに研究しててなんとも言えない気分となった。

 

そんな三階の廊下を歩いているとある部室の前で声が聞こえてこた。ヒロトと体育館であった時点でこの展開も薄々予想はしていたが、当たったら当たったで微妙な気分である。兎にも角にも俺たちの文化祭巡りは退屈しそうにないことは間違えない。



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第二話 その12

スットクがとうとう切れました。これからは定期更新できません。さしずめ気分更新といったところでしょうか。

本当に皆様にはご迷惑おかけします。

この場をお借りしてシキ様には感謝申し上げます。毎度毎度、本当にお早い誤字脱字訂正ありがとうございます。


「悪いな、それロンだ」

 

「うわあああああああ! まただよ! また一発で振り込んだ!」

 

「リーチ 一発 ダブトン ホンイツ 一気通貫 赤一 ドラ2……すまない、裏がのった。13ハン数え役満だ」

 

「嘘だああああああ!」

 

「二枚場に出ているから安パイと考えるとは、愚の骨頂だ。地獄単騎を頭に入れておけ」

 

「こ、これで4連勝。お強いですね……」

 

「むっか〜! ちょっとあんたも褒めてないで何か言いなさいよ!」

 

「で、でも部長、彼強いですし……」

 

「なんてことはない。どっかの誰かが勝手に振り込んでくれるから楽だ」

 

「むっきー! 天パーでボサボサのくせにー!」

 

「その天パーでボサボサの男にボコボコにやられているのは誰だ……」

 

ドアの厚さがそこまでないのか、扉の前に立つと中の会話がほぼすべて聞こえてきた。上を見れば麻雀部の文字。そして聞き慣れた声。

 

「あれ……? この声って……?」

 

横に立つ真がつぶやく。どうやら真も気づいたみたいだ。

 

「あいつはぐれたと思ったらこんな所にいたのか……」

 

「とりあえず、入ってみようよ」

 

「うん、そうだね」

 

真の言葉にヒロトが同意する。

 

ガチャリと麻雀部の部室のドアノブを回す。

 

「あれ、またお客さん? 今年は多いわね。去年とか全くこなかったのに」

 

部屋の中央に一つの自動卓。その周りには4つの椅子と机。その中の一つ、扉から真正面に座っていた女の子が反応する。

 

茶色いショートヘア。短めの前髪の右側にはピンクのヘアピン。真よりも少しだけ長い髪だ。目も大きく、まつげも長くぱっちりとしている。短めな髪といい活発そうな声といい真と相性は良さそうだ。声からして彼女だろう。さっきの悔しそうな言葉の主は。

 

「ん? おっとお前たちだったか……」

 

今度は彼女の対面。扉に背を向けたいた人物が振り返る。後ろ髪からして誰だかわかるボサボサ感。我がグループの情報屋であり変人の彼がいた。

 

「Sさん! こんにちわ!」

 

「あぁ、姫。今日も元気が良さそうで何よりだよ」

 

「はい! 僕は元気が一番ですから!」

 

「よう、S。お前、ここにいたのか」

 

「久方ぶりだな。ヒロト。やはりお前とミズキと一緒に女子高なんか回れるはずなかったな。すぐに女子高生の波に飲まれて離れ離れになったな」

 

「いや、俺よりもミズキの方が人気だっただろ」

 

「ふむ、お前は五十歩百歩ということわざを知らんのか。まぁ俺にはどうでもいいが」

 

「ちょっと、また人が来たと思ったらあんたの知り合いなわけ? それにカッコいい子が二人もいるじゃない! 紹介しなさいよ!」

 

真とヒロトの顔を見ながら、茶髪の子が会話に入る。

 

「紹介も何もただの同じ大学の奴らとその妹とその友達だ」

 

SSKは紹介する気があるのだろうか。確かに俺もヒロトも同じ大学の奴らといえばそうだし、雪歩ちゃんも真もその妹と友達となるのはなるけど、人に紹介するとは少しだけ違うような気がしないこともない。

 

「へぇー。あっ、私はこの南女子麻雀部部長、桐島 茜 (きりしま あかね) よろしく! で、横に座っている子が部員たちね!」

 

元気な声で桐島さんが自己紹介する。活発そうな笑顔だ。

 

それに習い俺たちも一通り挨拶をする。その途中で真が女だということに少しだけ驚く場面があった。確かに男物の服を着てるし、ボーイッシュというよりも男っぽいかもしれない。真は少しだけ複雑そうな顔をしていた。男に間違われるのが嫌なら髪を伸ばしたり、女物の服を着ればいいのに……。まぁそこは真の考えがあるんだろう。女心と秋の空。俺にはよく分からん。

 

「ところでSSK、ここで何してたんだ? 聞いたところ結構打ってたみたいだけど」

 

少しだけ気になっていたことを聞いてみた。

 

「あぁ、最初はヒロトとミズキとはぐれて、人がいない方いない方へと来たらこの校舎へとついたものだからな、試しに覗いてみて暇つぶしに麻雀を打っていたわけだ」

 

SSKも人ごみが好きな方ではないし、人ごみを避けてここに来たということは納得だ。

 

「適当に打って別のところに行こうと思ったのだがな、中々こいつら……、いや、そこの部長が解放してくれなくてなズルズルとこの時間まで打っていたというわけだ」

 

「さっさとアンタが負ければすぐに解放してやったわよ!」

 

「悪いな、勝負ごとでは手を抜かないのが俺たちの決まりなんでな」

 

SSKは悪びれた様子もなく言う。SSKは麻雀を始めテーブルゲームでは内のチーム内でもミズキとトップを争うほど強い。俺もヒロトも別に麻雀にしても将棋にしても弱いわけではないのだが、SSKとミズキと比べると文字通り格が違う。麻雀に関してだけいえばミズキは持ち前の運で引きまくり、SSKは観察力とデジタル的な思考からほぼ振り込まない。結果的にほとんどの確率で俺かヒロトのどちらかが下位となる。そういえばSSKってプロよりも強いって昔、自分で言ってたな。麻雀部っていうのがどのレベルなのかは知らないが少なくともプロよりは弱いだろう。その時点でSSK以下は確定的なのである。

 

「うわああああ! 思い出したら腹が立ってきた! もう一回勝負しなさいよ」

 

「悪いな、これ以上やってもお前らじゃ俺には勝てん。それに俺もここばかりにいるのもあれだから、もう行くことする」

 

相変わらず、ズバッという男である。それがいいのか悪いのか分からないけど、SSK“らしい”と言えばらしい。

 

「むっかー! ちょっと、アンタ! 今回はこれで見逃すけど、いつか必ず再戦してもらうわよ! その時はコテンパンにしてあげるから!」

 

ビシッとSSKに人差し指を伸ばして桐島さんが言う。

 

SSKは少しだけ口元を上げると、それは楽しみだと呟いた。

 

「あっ。Sさん、良かったらあと少しだけど一緒に回りませんか?」

 

「ふむ、姫の提案は何とも魅力的だが、萩原雪歩は大丈夫なのか。俺はそこのプレイボーイや姫の兄貴のように優しさに溢れて人付き会いがうまい方じゃないぞ」

 

人付き合いなら俺も苦手だ。大学でも頼れるやつなんていつもの3人くらいしかいない。あれ? やっぱりこう考えると俺って友達が少ないんではないだろうか?

 

雪歩ちゃんは小さく、男の人に慣れるんだ、男の人に慣れるんだと俺の横でつぶやいていた。彼女も彼女なりに頑張ろうとしているみたいだ。頑張れ! 俺には応援することしかできない。でも、彼女には頑張って欲しい。アイドルをこれかも続けるためには越えなきゃいけない壁だ。

 

「雪歩、大丈夫?」

 

「うん! 大丈夫だよ、真ちゃん!」

 

力強く真の問いに答える。

 

「それは良かった。それじゃ言葉に甘えさせていただくこととするか。残り少ない時間だがよろしく頼む、萩原雪歩」

 

「あっ、はいぃ……。こちらこそ……ぉねがしますぅ」

 

SSKと言葉を交わすのはどうやらまだ厳しいらしく、横にいた俺の服の袖をギュッとつかんで消えいるような声で話す雪歩ちゃん。

信頼されているみたいだけど、本当に可愛いな。

 

是非とも雪歩ちゃんみたいな彼女が欲しいと切実に思う。

 

兎にも角にもSSKという仲間を加えた俺たちは残すところ四階のみになった部活棟を回ることとした。

 

麻雀部の部室を出るとき、SSKが桐島さんから再戦するなら、連絡先知らなきゃならないでしょ! と言って連絡先をもらっていた。納得できない。普通は友人に春が来たと喜ぶ場面だろうけど、素直に喜べない俺がいる。SSK、お前はこっち側だと思っていたのに……。そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、彼はいつものように淡々と連絡先が書かれた紙を受け取っていた。世界は不条理だ! と思わず内心叫んだ俺は悪くないはず。

 

 

 

 



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第二話 その13

他サイト様の方で投稿している方にてこの作品は二次創作ではないという意見をいただきました。アイドルマスターという二次創作にすることで読者を釣るためのエサではないかということでした。

確かにオリジナル要素が強すぎるのは分かっていますので、ハーメルン様においても、オリジナル小説にしていてタグとしてアイマス微クロスとしようか考えております。

二次創作の範囲がどこまでなのか不明なために誰か意見をくれるとありがたいです。


三階以下と打って変わり、四階には部屋数こそ多いものの使われている部室は少ないようだった。プレートの見える数がぼちぼちといったところだ。数こそ少ないが三階と同じくインパクトはとても強い部活がちらほら。白魔法実行会、天使を捕獲しようの団など。もはや何をやっているのか名前だけでは決して分からない部活だ。

にしても、よく学校側もこんな部活を承認したものだ。俺たちの部活もどちらかと言えばそちら側だったが、少なくとも俺たちは部室を得るために一応それらしいことを外面上はやっていた。

 

まぁ、よくある頭がいい学校ほど校則が緩い法則があるのかもしれない。とりあえずは四階にある部室を全て確認してから行く場所を決めることとなった。俺的には白魔法実行会に是非とも行ってみたい気持ちがあるが、さっきわがままを言ったしもう一度言うのも気が引ける。全て見て回って行く場所が決め切れていないようなら提案してみようと思う。

 

四階の端から端まで廊下を歩く。ちょうど向かい側の端まであと4、5mといったところ、一番端の部室から2個ほど隣の部室を通り過ぎようとした時、何のデジャブか中から声が聞こえてきた。

 

「くっそー! 何で勝てねーんだよ!」

 

その声ともに何かを投げたような鈍い音。

 

「ちょっと、負けたからっていちいちコントローラー投げないでよ。みっともないでしょ」

 

「だあああああああ! うるせー、ここまで勝てないなんて、お前、何かチート使ってんじゃねぇだろうな?」

 

「はぁ……。そんな筈はないでしょ……。貴方が弱いだけよ。認めないよ」

 

「くっそー! ムカつく!もう一回勝負しろ!」

 

「たっく……。いい加減諦めなさいよ……」

 

「うるせぇよ。勝負は諦めたら終わりなんだぜ」

 

人生において流れというものがあるのかないのか、それは分からないが、少なくとも今日に限っていえば、ヒロトと出会ってから今までの出来事は流れそのものと言っていいのかもしれない。

 

「あれ? 兄さんこの声って……」

 

「あいつ、ここにいたのか……」

 

「ふむ、ヤツの性格からして運動場か体育館あたりにいるものと思っていたが」

 

「あれ、この声って……?」

 

真、ヒロト、SSKは勿論のこと雪歩ちゃんも気づいたみたいだ。上を向けばゲーム研究会の文字プレート。ゲーム研究会ではないが、中央高校にもゲーム部という部活はあった。表向きは、日本の古き遊びから新しい遊びまでをする部活という名目だったが、実際にはTVゲームをするだけの部活となっていた。このゲーム部と俺たちの部活は因縁というか縁が強く、何かとぶつかったり、協力したりしたもんだ。特に文化祭の時には毎年のようにゲーム部に4人で乗り込みに行ったっけな。

 

四人の視線を受け、扉に一番近い位置にいる俺が代表してドアノブを捻る。少し冷んやりとしたドアノブはガチャリと一つ金属音を鳴らす。そして扉が開かれる。

 

扉の向こう、部屋の中はゴチャゴチャしているというほどではないが、片付いているとも言えなかった。中央には長机が一つ。その周りには無造作におかれたパイプ椅子が6つ。そして何故か机の上には黒い布と同じように黒いトンガリ帽子。扉から対になるよう部屋の隅には机が一つ。その上には今時珍しい大きめの銀縁のブラウン管テレビが目に入る。

 

そしてその前に置かれている二つのパイプ椅子の右側には予想と同じく紅の艶のある髪が見えた。赤の彼女は扉から背を向けるような形でダラリと座ってテレビ画面を見つめる。テレビ画面には有名な野球ゲームのスコア。5-3。しっかりと勝者と敗者を示していた。さっきの会話から察するに彼女は負けたようだ。そんな赤のよこには、彼女と同じように一人の少女がこちらに背を向けて座っていた。真っ黒の髪はセミロングに伸びミズキ同様にクセのない艶のある綺麗なものだった。背中はは、ピンと張っており、赤の彼女が横でだらしなく座っている分、その姿勢の良さが目立った。部屋の中には、その二人しかいなかった。

 

二人とも、物音に気づいたのか同時にこちらを向く。

 

「ん。よう、お前ら久しぶりだな」

 

「ミズキさん! こんにちわ」

 

「よう、真。今日も元気だな」

 

「えへへ、元気だけが取り柄ですから!」

 

くせ毛をピコピコさせながら言う真。

 

「ミズキ、ここにいたのか……」

 

「よう、色男、そしてSSK。お前らどうしてこいつと一緒にいるんだ?」

 

そう言って俺を見るミズキ。

 

「あぁ、ミズキ達と離れた後に体育館に行ってね。その時に出会って、それで一緒に回ってるよ」

 

「俺も似たようなものだ。人混みを避けて、ここの三階で麻雀を打っている時に会ってな、ついさっきから一緒に回っているといったところだ」

 

ヒロトは笑顔を絶やさず。SSKは淡々と、お互いにいつも通り答える。

 

「おっと、そこにいるのは雪歩だったよな」

 

「あ、はい、昨日お会いした萩原雪歩と言います……」

 

少しオドオドした感じで答える雪歩ちゃん。ミズキの雰囲気とか態度がヤンキーとか不良とか言われるそれに近いから雪歩ちゃんが緊張する気持ちも分かる。

 

「はははは、そんなに緊張するなって、別にとって食ったりしねぇから」

 

「はい……」

 

余計に困らせているようにしか見えないが、大丈夫だろうか?

 

「今年は珍しく、人がたくさん来るなと思ったら、貴方の知り合いだったのね」

 

その時始めて黒色の彼女が口を開いた。ミズキとは真逆の凛とした鈴のような音色だった。目はパッチリと大きく、整った容姿だ。彼女は一呼吸おいた後に続ける。

 

「まぁいいわ、ゲーム研究会の会長としてあなた達を歓迎するわ」

 

どうやら一応は歓迎されているようだ。

 

「それでミズキは何でここにいるんだ?」

 

気になることを聞いてみる。

 

「あぁ、女子高生の波というか人ごみが何処に行っても襲ってくるもんでな。はぐれて最初は良かったんだが段々とイライラし始めてな。サインは頼まれるわ、写真はお願いされるわでまともに回れねぇしな。それで鬱陶しくなってここまで着たってわけだ」

 

どこの有名人だよ、と言うのは無粋だろうか。ミズキだから、その一言で終わるのは俺たちが一番知っている。

 

「でも、お前の赤髪は目立つだろうに」

 

ミズキ髪はそこらの街中にあるような色では決してない。

 

「あぁ、ちょうど運動場でコスプレ大会が昨日のステージであってな。そこから少しだけ衣装を拝借してきたって訳だ」

 

「いきなり魔女コスした女が入ってきた時には何事かと思ったわね」

 

なるほど、長机の上に置かれている黒い布とトンガリ帽子の訳はそういうことだったか。黒い布はさしずめマントといったところだろう。

 

「ん、どうした? もしかして俺のコスプレを見たかったのか?」

 

そういいながらニヤニヤと笑うミズキ。

 

ミズキのコスプレか……。正直に言えば見たかった。だって美人だもんな。でも、マントとトンガリ帽子だけでコスプレと言えるのだろうか。まぁ、それは人の考え次第ということだろう。

 

「まぁ、見たかっと言えば見たかったよ。美人だしねミズキ」

 

ここは正直に言う。

 

「そ、そうか、もしお前がどうしてもっていうのなら見せてやらんこともないぞ、うん」

 

少しだけ顔が赤い。照れるなら言わなきゃいいのに。

 

「へぇ、じゃあ俺も是非とも見せて欲しいね」

 

ヒロトが続く。

 

「はぁ? 何言ってんだプレイボーイ。お前にゃ、頼めばコスプレの100回や1000回苦もなくやってくれる女の子が五万といるだろう」

 

まぁ、ヒロトなら本気でいそうな気がする。この女子高での人気も凄かったし、大学での人気も言うまでもないくらい凄いしな。

 

「……ははははは……はは……」

 

苦笑いで返すヒロト。

 

「兄さん、コスプレが見たいの? なら僕がしてあげるよ?」

 

真が首を少しだけ傾げながらこちらを見る。何か勘違いをしているみたいだ。真のコスプレも見たいと言えば見たいが、妹にコスプレを見せてと頼むのは嫌だ。それに妹にコスプレを強要した兄などというレッテルを貼られようものなら色々な意味で死ねる自信がある。

 

「いや……コスプレが見たいと言うよりもだな……」

 

「じゃあ、ミズキさんは美人だからコスプレが見たいの?」

 

「いや、真も美人だよ」

 

「えへへ。美人かー」

 

ニコニコ笑顔で言う。コロコロと顔色の変化が激しい妹だ。

 

「それで、ミズキは何をしていたんだ?」

 

「見ての通りゲームだよ」

 

「一回も私に勝てないけどね」

 

ゲーム研究会の会長さんがうふふ、と微笑む。

 

「うるせぇよ。俺が得意なゲームなら負けねぇんだよ!」

 

「パズルゲーム、サッカーゲーム、テトリス、テニスゲーム、スマブラ、FPS、野球ゲーム……。これだけのゲームで負けてきたのに、まだそんなことを言うのかしら?」

 

ミズキそこまで負けてたのか……。そういえば高校時代からゲームは人並みだったな。それで文化祭の時とかはゲーム部の奴らに負けてイライラしてたな。高校の時と違って威圧的な雰囲気が軽減している分、丸くなったというか穏やかになったと言えるだろう。

 

「くっ……」

 

ミズキもどうやら言い返せないみたいだ。

 

「ミズキさんは何でここまでこだわっているの?」

 

真の問いに答えのはミズキではなくゲーム研究会の会長さんだった。

 

「どうにも、ゲームで勝った時の景品が欲しいみたいなのよ。ほら、そこの棚の上にある」

 

そう指差す先には三つの人形があった。アザラシの人形、パンダの人形、それと少し前に流行ったキャラクターの人形だった。ん? あのキャラクターって……。

 

「いや、何言ってんだお前、別に人形が欲しいんじゃなくてなお前に勝ちたいんだよ」

 

焦った声で話すミズキ。

 

「ふーん、そう……」

 

会長さんが面白そうに目を細める。久しぶりにこんなミズキを見たな。

 

「よっしゃ、もう一戦やろうぜ、会長さんよ」

 

「うーん、それはいいけど……」

 

そう言って腕時計で時間を確認した後に続ける。

 

「時間的にあと一回が限界かしら……」

 

窓からは赤い光が差してきている。確かにもうそろそろ一般公開は終了する時間だ。

 

「最後か……」

 

ミズキは腕を組み。二、三秒目を閉じ、開ける。

 

「よし、じゃあお前が一番得意なゲームでやろうか!」

 

何ともミズキらしい提案である。これだけ負けて来たのに関わらず一番得意なゲームで勝負するとは流石だ。俺には真似できない。

 

「あなた……ここまで負け続けたのに本当にいいの?」

 

「あぁ、構わないさ」

 

「そう……。少しマニアックなゲームになるけどいいかしら?」

 

マニアックなゲームって何だろうな。最近のゲームはあまりやっていないし、詳しくない。

 

「あぁ、構わねぇよ」

 

ミズキは笑いながら答える。

 

「そう、なら……。何を選んでも文句言わないでよ」

 

会長さんはイスから立つと、ピンとした姿勢を崩すことなく、立ち上がると、人形が置いてある棚へと向かう。棚には多くの本やゲームが所狭しと並べられている。

 

その中から一つのパッケージを取り出す。緑色の最新のゲーム機から二つほど前のゲームディスクだった。

 

 

 

「……ん? あのゲームって」

 

とミズキ。

 

「まさか、ここで見ることになるとは……」

 

とSSK。

 

「へぇ……、懐かしいね」

 

とヒロト。

 

どうやらみんなも覚えていたようだ。俺が唯一このメンバーの中で一番上手いゲームを。

少しだけ話が変わるが、俺が高校時代にやり混んでいた格闘ゲームの話を覚えているだろうか。 暇つぶしに始めたものだが、やり混んでいくうちにレベルMAXのコンピュータにノーダメージで勝てるようになったというやつだ。そのゲームというのが不人気と操作の複雑性からマニアックゲーム認定されてやっている人も少なかった。何とも不思議な話であるが今ではもう世代遅れで見なくなったそのゲームこそが、今ゲーム研究会の会長がもっている緑色のパッケージなのだ。正直に言ってもう見る機会があるとは思わなかった。やっている人間少ないし無名だしね。俺も高校時代の文化祭以来だ。だからこそ俺も年に一度ゲーム部の奴らに披露する機会しかなかったわけだけど。なんとも奇妙な縁である。

 

「ねぇ、会長さん。景品って会長さんに勝てば誰でももらえるの?」

 

とりあえず、これだけは聞いておかないといけない。

 

「えぇ、誰でもいいわよ。もちろん」

 

「そうか、じゃあミズキ、そこにいる赤髪の彼女の変わりに俺がやってもいいかな?」

 

「おい、なに言ってんだ。この勝負は俺のもんだぞ」

 

ミズキが横から言ってくる。

 

「まぁ、たまにはいいじゃないか。ミズキはさっきまでゲームしていたんだろ? 俺もしたい気分でさ。頼むよ、ミズキ」

 

「うーん、確かにそういわれるとさっきまで散々やっていたしな。OK、代わりにやってもいいぜ。ただし、負けるなよ」

 

しぶしぶといった様子で立ち上がるミズキ。

 

「それじゃあ、会長さん。代打で俺が変わりにそのゲームをやるよ」

 

「あなたこのゲーム知ってるの? 結構難しいわよ」

 

「まぁ、少しかじった程度にはやったから大丈夫だよ」

 

「そう、じゃあ私も本気でやるわね」

 

凛とした声で話す会長さん。全力で勝負は臨むところである。

 

今ではほとんど見なくなった三世代まえほどのゲーム機にディスクを入れて原電をつける。懐かしく見慣れた映像が流れ始める。今日と昨日といい場面がなかったし、ここで一つ見せておきたいところだ。男はいつだって意地っ張りで格好をつけたがる生き物なのだ。それにミズキを失望させたくはない。期待にこたえられる程度には頑張ろうか……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日は、楽しかったー!ありがとう雪歩!」

 

夕暮れに包まれる校門前、真は右手にアザラシのぬいぐるみを持ちながら、うーんと一つ伸びをすると雪歩ちゃんに向かっていう。何でも生徒は今から文化祭の軽い片付けがあるそうだ。一般公開を終える時間になったために帰る俺たちを雪歩ちゃんは校門まで見送りに着てくれていた。

 

「ありがとう、真ちゃん。私も今日はいっぱいの人と回れて楽しかったよ」

 

赤い光の中ニコリと笑って話す雪歩ちゃん。

 

「俺からも礼を言うよ。ありがとう雪歩ちゃん、案内助かったよ」

 

「いえいえ、お兄さんと回れて私も楽しかったですぅ。それに人形もありがとうございます。大切にしますね」

 

そう言いながらぎゅっと胸にデフォルトされたパンダの人形を抱える雪歩ちゃん。とても可愛らしい。妹が一人増えたような感覚だ。

その時、校舎のほうからチャイムの甲高い音が聞こえてきた。チャイムはどこの学校にもあるよな普通の音だった。

 

「あっ、もうすぐホームルーム始まっちゃう。ごめんね、真ちゃん、お兄さん、そして皆さん、教室にもどります」

 

「うん。ばいばい雪歩、また明日ー」

 

「それじゃあ、また家にでもあぞびに来てよ」

 

「ありがとう。今日は楽しかったよ」

 

「ふむ、少しの間だったが一緒に回ってくれたこと感謝する」

 

「じゃあな。雪歩、また会えたらよろしく」

 

各自おのおの雪歩ちゃんに声をかける。雪歩ちゃんは、それではまたと少し小走りで校舎へと消えていった。

 

「よし! じゃあ俺らも帰りますか!」

 

雪歩ちゃんが見えなくなったあと、ミズキが口を開く。

 

「そうだな。ヒロトと俺はバスだが、姫たちはどうやって来たんだ?」

 

「僕と兄さんは電車で来たよ」

 

ヒロトとSSKはバスなのか。たしかバス停は駅から逆のはず。

 

「じゃあ、ここで解散とするか」

 

「そうだな、そうしようか」

 

「それで問題ねぇよ」

 

俺の提案にヒロトとミズキが答える。

 

「ミズキさんはどうやってここまで来たんですか?」

 

「あぁ、バイクで来たよ。駅前の駐輪場に止めてるけどな。流石に今日はバイク置き場を確保できなったしな」

 

「じゃあ、僕たちと同じ方面ですね!」

 

「そうだな、よしそれじゃあ行くか……。ここにいてもしょうがないしな」

 

「あぁ、また学校で会おう」

 

「じゃあな、ミズキに真ちゃんにリーダー。また」

 

SSKとヒロトが言う。SSKは淡々とヒロトは笑顔で。

 

「おう、また学校でな」

 

「Sさんもヒロトさんも今日は楽しかったです!」

 

「ヒロトもSSKも学校でまた」

 

校門の前で手を振って分かれる。なんだか高校時代に戻ったみたいだった。だけどあの時とは色々と決定的に違ったのは、四人とも分かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「兄さん、僕さきに上に行ってるよ! それじゃミズキさん、今日はありがとうございました。あと、昨日言ったツーリング忘れないでくださいね!」

 

「おう、お疲れ。ツーリングの件は忘れないから安心しろ」

 

南女子の校門から駅までは歩いて5分といったところだった。その間ミズキと真は楽しそうに雑談に花を咲かせていた。ミズキのとこに真が空手を教えてもらいに行くのをやめてから会う機会がすくなっていたけど、中のよさは昔と同じようだった。仲がいいことはいいことである。俺はそんな二人の会話に相槌を打っていた。女子の会話に混ざる勇気はない。二人とも男っぽいけど。駅についてすぐ真はそんなことを行って階段を上って先に行ってしまった。大方トイレか何かだと思う。

 

ミズキは駅前の駐輪場に止めてあったバイクにまたがる。昨日二人乗りしたバイクだ。

 

「ミズキ……」

 

 

彼女の名前を呼ぶ。

 

「ん、どうした?」

 

ヘルメットを抱えて答えるミズキ。

 

「これやるよ」

 

そういって手に持っていた人形を投げる。

 

「だから俺は人形がほしかったんじゃないって言っただろ?」

 

「まぁ、貰っといてくれないか。俺が持っていてもどうしようもないしな」

 

「そうか……。お前がそこまで言うのなら貰っておいてやるよ」

 

赤い逆行の中で彼女は微笑む。少し顔が赤くなっているのは夕日のせいだろう。

 

「覚えているか? この人形は……」

 

「もちろん覚えているよ。高校のときにゲーセンのUFOキャッチャーでとってミズキにあげたキャラクターと同じものだね」

 

「そうか、覚えていたか。お前にしてはいい記憶力だ」

 

ははははは、と笑ったあと、彼女は背中にからっているカバンにぬいぐるみを入れる。

 

そしてフルフェイスの黒いヘルメットをかぶり、エンジンを入れる。重低音があたりに響く。

 

「それじゃあ、また学校で会おう」

 

くぐもった声が言う。

 

「あぁ、また会おう」

 

重低音に負けないように少し大きな声で言う。バイクは俺に背を向けるとゆっくりと加速する。

 

さて、真を待たせるとどやされるかもしれないな。少しばかり急いで上にあがろう。俺は赤い赤い夕日の中、低いエンジン音を背に駅の階段を上るのだった。

 

明日もいい天気になりそうだ。

 



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閑話 赤と雨とカタツムリと

昨日の投稿後、感想にて意見をくださった皆様ありがとうございます。皆様の意見通りこのままアイドルマスターの二次創作として投稿させていただこうと思います。
意見をくださった皆様にはこの場で感謝を申し上げます。






雨が降っていた。空は分厚い雲に覆われていた。

 

6月に入り梅雨入りと共に雨の日が多くなった。5月の晴れ続きが嘘のようである。この時期だけは北海道が羨ましいと思う。寒いのは苦手だが、梅雨がないのは魅力的だ。この暑さとこの雨でむあっとした梅雨独特の空気が辺りを覆っている。ボタボタと大粒の雨粒は少しだけ風情がない。俺が風情云々を分かるのかと聞かれたら困るけど。

 

そんな雨の中、大学一階のエントランスにて雨止みを待っていた。学舎横の花壇には赤や紫の紫陽花が雨に打たれて、屋根の水を流すための強化プラスチック製の樋には一匹の大きなカタツムリ。何とも梅雨らしい光景だ。

 

寝坊して天気予報を見てこなかったのには失敗したという感覚を隠せない。真は起きた時にはすでに家におらず、食卓には焼いたトーストが一枚とジャム、マーガリンがおいてあった、どうやら俺のために焼いてくれていたみたいだ。何とも俺には持ったないない優しい妹だ。

 

時間的に遅刻ギリギリだったために何も塗らずにトーストだけをかじって大学に向かったのはいいが、授業の途中に大雨が降ってきたのは予想外だった。朝は雲が少し見える程度だったのに。今年の秋雨前線は働きすぎではないか……。この国のワーキングプア精神でも伝染したのではないか。そう思ってしまうほどの連日の雨模様だ。是非とも水害に発展する前には秋雨前線さんには自重して欲しいところだ。

 

授業が終わって半時程度、すでにほとんどの学生は帰ってしまったのかこの一階に人は見えない。もともとこの学舎はそこまで使われない学舎でもあるしな。

 

流石にこのザザ降りの雨の中を傘もささずに歩く趣味はない。今日のバイトまで時間が結構あることだけは幸運だ。

 

真はもう家に帰っているだろうか。最近、仕事が少しだけ、本当に少しだけだが増えたようで事務所にいる時間も増えた。まだまだ雑誌の小さな写真でしか見ないけど、兄貴としては嬉しい。

 

さて、この雨。止みそうにない。

 

空を仰ぐと薄暗い雲があたりを覆っている。私立に比べるとボロボロと言っていい学舎は天気も合間って肝試しでも使えそうだ。夏場当たりになると深夜に地元の高校生達が肝試しをやっているとか云々を前に誰かから聞いた記憶がある。

 

チンと後ろでエレベーターが到着したことを伝える音がする。

 

「ん? こんなところで何やっているんだ?」

 

聞き慣れたハスキーな声。それと同時に見慣れた赤い髪が横に見える。

 

「雨宿りだよ。見ての通り大雨でさ。傘を忘れたもんだからここで雨が止むのを待ってる」

 

彼女は上を一瞥すると視線を戻す。

 

「確かに止みそうにないな」

 

ポタポタと水滴が水溜りに落ちていく。

 

「ミズキはどうしたんだ?」

 

「さっきの授業の後に少し教授に用があってな……」

 

「そうか……」

 

会話はピタリと止む。ただただ、ザーッいう雨の音だけがあたりを包む。悪い静寂じゃない。中途半端に仲が良いと沈黙は居心地が悪いものだが、気がおける相手だとそれはなくなる。変に話題を探さなくてもいい分楽だ。

 

こうしてみると、昔と比べ雨も嫌いではなくなった。高校時代までは、雨の日はジメジメして気持ち悪いし、外に出かけるのも億劫になるしで嫌いだったのだが、今では雨の日もそこまで悪くはないと言えるようになった。

 

「なぁ……」

 

ガラス張りの扉に体重を預けながら横に立つ彼女が口を開く。

 

「ん、どうかした?」

 

「いや……やっぱりなんでもないよ」

 

再び沈黙が訪れる。ザーッ。ザーッ。大粒の雨は相変わらずだ。彼女と俺と一匹のカタツムリ。この空間にいるのはこれだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

静寂が訪れてから一体どれほど時間がたっただろう。10分か20分か、それともまだ多くの時間がたったのか、辺りが薄暗くなった時、雨音が少し軽くなった。ザーザーと降っていた雨がサーサーと言った感じに。

 

「雨、止んできたな……」

 

体重をガラス張りの扉に預けながらぼんやりと空を見ていた彼女が呟く。

 

「あぁ、そうだね」

 

「止むといいな……」

 

「そうだな……」

 

しとしとした雨音を聞きながら、考える。この程度の雨なら濡れて帰ってもいいかもしれない。多分このまま待てば止むとは思うがいつかは分からないし、万が一また強くなっても困る。それにバイトまで時間もある。家で寝ておきたい。濡れ鼠のまま電車に乗るのは迷惑をかけるかもしれないが、どうせ大学から家までの路線はガラガラに空いている路線なため、端っこで立っていれば誰にも迷惑はかけないはず。

 

上を見る。相変わらずの鉛空だが、先ほどより厚みが減ったように感じる。雨も弱くなったし気のせいではないだろう。

 

俺がもう行くことを伝えようと声を出そうとした時、彼女が先に音を発した。

 

「なぁ、良かったらさ……」

 

そこで少し間をおく。

 

「良かったら一緒に帰らないか? 駅までだけど」

 

一緒に帰るのは良いのだけど彼女も濡れながら家に帰るつもりだろうか? てっきり止むまで待っているものかと思ったが。

 

「いいけど、俺は今から濡れて帰るつもりだよ。ミズキはそれでもいいのか?」

 

「いや、そうじゃなくてだな……」

 

彼女は壁から体重を戻すと、肩にかけていた革製の茶色のトートバッグに手を入れる。トートバッグから取り出したのはポリエステル素材の30cm程度の棒状のもの。

 

「なんだ、折りたたみ傘持っているんなら俺に構わずに先に帰ってくれて良かったのに」

 

ここでのんびりと時間を浪費するよりかは家に帰っていた方がよっぽど有意義な時間の使い方が出来るはずだ。

 

「いや、だからそうじゃねぇって」

 

彼女は折りたたみ傘の留め具を外し、柄を伸ばす。そして地面と垂直に右手で持つとこっち向かって腕を差し出す。

 

「仕方ないから駅まで傘に入れてやるよ」

 

空を見ながらこっちを見ずに言う。そして傘を開く。

 

「別にいいよ。こんくらいの雨なら、構わないし、俺が傘に入ったらミズキが濡れちゃうかもしれないだろ」

 

「俺は少しくらい濡れてもかまわぇよ」

 

「俺が構うんだ。それで、風邪でも引かれると困るしね」

 

「お前も風邪を引くかもしれないだろ。引いたら真にどやされるぞ」

 

「悲しいことに何とかは風邪を引かないと言うしね」

 

「そう言われればそうだが……」

 

そこでその反応は普通にショックだ。バカであることを否定できない俺も俺だけど。

 

「あぁあああ、もう、いじったい! お前の意見とかどうでもいいからさっさと行くぞ!」

 

いきなり大きな声を出した彼女は俺の袖をガシッと掴むと傘の下へと引っ張る。そしてそのまま歩き出そうとした時、雨が止んだ。

 

「あっ、雨やんだね」

 

「…………」

 

横の彼女は無言で傘を折りたたむ。はぁー、と大きく息を吐くと何で止むかなと小さく呟いた。

 

「雨も止んだし帰るか……」

 

「そうだな……」

 

何と無く元気がないように見える。二人で同時に歩き出す。その歩む後ろ姿を一匹カタツムリが見送った。

 

空を仰げば東の空に上限の月が雲の間から顔を覗かせていた。

 

梅雨が明ければ暑い暑い夏が始まる。




やっぱりというか書くのが遅いなと思います。作者自身が追い詰められないと何もしないタイプでして、受験勉強も三日前とかに始めた人です。コツコツ努力が出来ないんですよね。

なので皆様には悪いですが暇でお手数をお掛けしない範囲でよろしいので、感想または評価にてプレッシャーをかけてください。

少しは早くなると思います。このままじゃ週一どころか月一更新にでもなりそうなペースかも


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第三話

更新が遅れたこと本当にすみません。一つ言い訳させてもらえばぶっ壊れたPCとバックアップとってなかった私が悪いんですけど。新しく書いてみましたが明らかに前に書いたやつと違う(笑)。
この方向性がいいように行けばいいんですけど……。

感想返しは近日中(多分、明日)に必ず。

本当に更新が遅れたことすみせんでした。


ミーンミンミンミーン。ガラス窓越しに蝉時雨が聞こえてくる。時は7月、季節はジメジメした梅雨が終わり夏真っ盛り。

 

梅雨前線さんの方も後半は前半頑張りすぎたのかばててしまい、水害を引き起こす事はなかった。何とも朗報である。雨が終われば太陽の季節だ。梅雨が明けて一週間と少し、太陽がギラギラと照りつけ気温も上がり、ついに今週からは蝉まで鳴き始めてきた。本格的な夏の訪れ。

 

高校時代までは夏は大好きな季節だった。だけど、今では少しだけ夏の暑さが体に堪える。年をとったと言うべきか大人になったと言うべきか……。

 

今年は孟夏になりそうだと、今朝のニュースで言っていた。ただえさえ、地球温暖化云々と言っているのに、それに加えて孟夏とはやめて欲しい。

 

そんな暑さの中でも、もちろん学校が休みになるわけもなく俺はいつも通り大学に来ていた。数年前の誕生日に真からもらった腕時計を見る。時刻はてっぺんを少し回った程度、昼休みだ。数日に一回、俺たちはいつものメンバーで集まることがある。場所はゴールデンウイーク前に会議をした、語学なので良く使われる小教室。何をするというわけでもないが、駄弁ったり飯を食べたりとやってたりする。高校時代と違い皆で授業を受けたり集まったりする時間が減ったためにミズキが大学一年の時から呼びかけて、今や恒例となったことだ。

 

「あっちぃー。勘弁して欲しいぜ。本当に……」

 

隣の長机に半身で腰掛けていたミズキがぐったりと机に体を預ける。格好も夏物に変わりスタイルの良さがよく分かる服装になった。目に良いのか悪いのか。変な妄想してると鉄拳が飛んできそうだし。

 

「一応クーラー効いているはずなんだけどね……。暑いねこれは……」

 

ヒロトが苦笑いで答える。この暑さの中でも少しだけ爽やかなところがイケメンっぽい。暑いと言いつつ顔は涼やかだ。

 

クーラーは一応ついては居るのだが、本当に気休め程度、貧乏国立大学のそれもあまり使われない教室だし、仕方がないといえばないのかも知れない。特にミズキは今入ってきたばかりだしな。外の暑さをひきずっているのだろう。

 

「まぁ昨日より三度、最高気温が高いからな暑く感じるのも致し方あるまい」

 

俺から見て後ろ斜めの席で昼食のおにぎりを頬張っていたSSKが何時ものように淡々と答える。淡々しながらも額には汗が浮いていた。そういえば彼も暑さは苦手だったな……。

 

「にしても、お前は本当に平気そうだよな」

 

ミズキがくだりと顔を俺の方に上げる。

 

「まぁ、暑さには強いからね」

 

夏は好きだ。暑さも前に比べれば弱くなったとはいえ、未だに冷房なしで扇風機だけで寝れるし、ミズキやSSKに比べると強いと言ってもまだまだ全然問題ない。

 

「この時期だけは本当にお前が羨ましいぜ……」

 

そう言いながら顔をまた下げるミズキ。

 

「ところでご飯は食べたの? ミズキと君は?」

 

ヒロトが購買で買ってきたビニール袋の中からパンを取り出す。

 

「あぁ、今日は喰う気がおこらねぇから抜くわ」

 

「俺は2限が空き時間だったからその時に食べたよ。ミズキ、ご飯抜くのは良くないよ。いくら暑いからって」

 

「うるせぇよ。こんなクソ暑い中で飯とか食ってられるかよ」

 

机に突っ伏せながら言うミズキ。どうやら顔をあげることすら億劫みたいだ。

 

「そう言えば、今月は試験だけどみんな大丈夫?」

 

水の入ったペットボトルのキャップを回しながらヒロトが言う。

 

試験か……。はっきり言って思い出したくなかった。今学期は授業中寝てばっかりだったような気

がする。やばいな……。

 

「俺は言うまでもなく問題ない」

 

二個目のおにぎりの封を開けると淡々と答えるSSK。

 

そりゃそうだ。彼が受からないなら誰も受からない。

 

「さすがSSK。ミズキも聞くまでもなさそうだね」

 

「当たり前だ。俺を誰だと思ってんだよ」

 

顔を下げたままミズキは言う。ミズキもSSKも高校時代は全国模試で上位の方に名前があった、学力の方は本物だ。俺と同じ大学にいること自体がおかしいのだ二人とも。

 

「君はどうだい?」

 

「はっきり言っていつも通りだけど、少し危ないよ。寝てばっかりだったしね。今学期」

 

「ったく、授業中に寝るくらいなら家で寝た方がいいだろ。俺みたいにな」

 

「ミズキと違って授業に出ないと単位取れないんだよ」

 

「でも、寝てたら意味ねーじゃねぇか」

 

むくりと顔をあげてジト目で辛辣な言葉を投げかけてくるミズキ。いやはや、正論すぎて返す言葉もない。

 

「うん、そうか、もうすぐテストか……。よし、お前ら久しぶりに勉強会でもしようか! ヒロトもやばいんだろ?」

 

ミズキが体を上げながら言う。勉強会、そう言えば大学一年生の時にもやったな、確かミズキの家で。

 

「ははははは。ばれたか、今学期は少し厳しいんだ。出来れば助けて欲しい」

 

「ふむ、俺は問題ない」

 

頭の後ろを掻きながら苦笑いで答えるヒロト。珍しいな、いつもなら何やかんやで試験はパスするのに。

 

「よし、SSK。皆の予定が空いてるのはいつだ?」

 

「ふむ、来週の月曜日なんかどうだ。確か全員空いてたはずだ」

 

彼の言葉に全員が頷く。

 

何故、彼が俺たち全員のプライベートを知っているのか。

それはSSKだから。つまり、そういうことなのだ。

 

「よし、それじゃあ来週の月曜日、勉強会な! 場所は……。そうだ、お前の家で!」

 

急に元気に動きになったミズキは俺に向かって指をさす。うちのリビングなら冷房もあるし、全員入るだろう。それにいつもミズキの家を使わせてもらっているし、今回くらいはいいだろう。

 

「うん、構わないよ」

 

とりあえずはそう言って頷くこととする。俺の了承を皮切りに全員一致で月曜日の勉強会が決定となった。本日の昼休みの会話の主な話はこれで終わり。

後はいつも通りの生産性のない取り止めのない話、例えばヒロトが最近よく迷子になってるグラマーな美人とよく出会うとか、ミズキが先日ラーメン屋でやたらめったらな量をペロリと完食して帰った細身の銀髪女性を見たとかそんな話だ。そしてチャイムと同時に各自授業に向かった。

 

廊下に出ると真夏を体現したような蝉の声とむあっとした暑さが体を覆った。それだけで少し嬉しくなる。やっぱり夏は好きだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなことがあった日の帰り道。空はまだまだ明るい。冬ならすでに暗くなってもおかしくない時間だが夏になって日が落ちるのが遅くなった。気温も昼間よりは幾分か涼しくなってはいるはずだが、まだまだ暑く、ただ歩いているだけでもうっすらと汗ばむ陽気だ。耳触りなセミの合唱も止む気配はなく体感温度の上昇に拍車をかけている。

 

そんな中俺は大学帰り道にあるスーパーに立ち寄っていた。目的は言うまでもなく買い物。このスーパーは値段も安いし、時たまセールもやっている。今日はセールの日、食費だってただじゃないのだ。抑えられることはキチンと抑えて行きたい。

 

「えーと、鳥肉鳥肉と。あとは、おっ! 牛肉も安いじゃんかっていこ」

 

チラシに乗っていたセール品をカゴに入れる。授業が終わり、夕方からだったが、どうにか目的の品は手に入れることが出来た。それに思いもよらず牛肉も安く買うことが出来た。今日は肉づくしでもいいかな。

 

夕方でさらにセールがある日、スーパーの中はいつもよりか少しだけ人が多く、混雑している。夕飯の買い物をしている主婦やその連れの子供何かがよく目に付く。この時間はそんな客層が多い。

 

買い物カゴを覗き買い忘れがないかチェックする。あまり買いすぎて重くなるのも嫌だが、買い忘れがある方がもっと嫌だ。安いうちに必要な量だけを買うのが主婦の基本。まぁ主婦ではないけど。

買い忘れは……おっと、牛乳を忘れていた。

牛乳置いてあるのは確か逆の端だったな。そう思い出し体の向きを変えた時、ポンっという衝撃がお腹の当たりを襲った。

 

「はわっ、すっすみません。よそみしてました!」

 

ふと前をみると一生懸命に頭を下げる少女が目に映る。どうやら彼女とぶつかったみたいだ。

 

「いやいや、こちらこそごめん。っと言うか俺がいきなり方向転換したから悪いんだし、君は悪くないよ」

 

「いえいえ、私がよそ見さえしなければぶつかりませんでした!」

 

オレンジがかった髪を頭の上の方でツインテールに結んだ少女は一回顔をあげた後もう一度頭を下げる。

 

これはやめて欲しい。周りからみたら俺が少女を虐めている他見えないだろう。

 

「いやいや、君は悪くないよ。悪いのは俺だしね。だから、顔をあげてよ」

 

「うっうー、ですけど……」

 

しぶしぶと言った様子で顔をあげる少女。優しい子だな。

 

「大丈夫大丈夫、気にしないで。それよりも君の方は大丈夫?」

 

「はい、私は大丈夫です!」

 

ホットパンツに髪と同じくオレンジ色がメインの薄い長袖。声も元気があって明るい子だ。

 

「それは良かった。あと商品も大丈夫? ぶつかった時に卵とか入ってたら割れっちゃてるかもしれないし」

 

そこまで強くぶつかったわけではないけど、卵ならあたりどころさえ悪ければ変な衝撃でヒビでも入っているかもしれない。

 

「あっ、それは大丈夫です! 割れるようなもの入っていませんし!」

 

少女の持っていたカゴをみれば数多くの同じく袋が目にはいる。

 

もやし……?

 

確かにもやしもセール品に入っていて安かった。俺も二つほどカゴに入れてるし。それでもあそこまで買いためるかな。

 

……余計な探索はよそう。人は人なのだ。もしかしたら、もやしが異常に好きな子なのかもしれない。もやしは安いし、俺もよく買う。炒めてもよし、味噌汁に入れても良しで以外に万能だしね。

 

「そう、それは良かった。それじゃあ、俺はいくね」

 

「あっ、はい」

 

そういいながら彼女と別れる。

 

「ありがとうございましたー」

 

スーパーを出ると空は少しだけ赤みがかかっていた。それでも暑さは相変わらず、自動ドア出た瞬間中の冷房が効いた店内との違いに少し驚く。どうやら今日は熱帯夜になりそうだ。

ふと帰り道を見ればヨタヨタと大きなビニール袋を掲げてあるく小さな影。オレンジ色のツインテールが目にはいる。そりゃそうだ、いくら何でももやしとはいえ、あれだけの量を買えばビニール袋いっぱいにはなるし、当然重くなる。そんな彼女を見てくすりと笑みがこぼれる。少女の困っているところを見て笑うような与太者じゃない。真の小さい時を思い出したからだ。一緒に買い物に言った時は「ボクが持ってあげるよ!」と袋を持ちたがっていたな。米なんか買った日はまだ重いからと断ったりしたんだが、どうしてもと言って聞かずに持たすとあんな風にヨロヨロの動きになったっけ。本当に懐かしい。今じゃもう戻らないあの日々が。

 

「手伝うよ」

 

気づけば、少女の横に立ち袋を持っていた。少女は横を見ると「えっ……!?」と驚いか顔をする。

 

「ごめんごめん。荷物を取ろうってわけじゃないし、女の子が持つにしては大変だろう。途中まで手伝うよ」

 

「いえいえ、そそそんなの悪いですよ!」

 

少女はブンブンと効果音がつくくらい首を振る。

 

「さっきスーパーでぶつかった謝罪ってことで。それに昔の妹に似てて何だか放っておけなくて」

 

「妹さんですか……」

 

「うん、今はもう大きくなって高校に通ってるけどね」

 

「へぇー、そうなんですかー。あと荷物を持ってもらうのは悪いですよ、やっぱり。それにおにーさんも荷物あるじゃないですか」

 

「うんうん、気にしないでよ。こう見えても力はあった方なんだ」

 

結局最終的に彼女が折れた形で彼女の荷物を半分ずつ持つことなった。これが俺と少女のファーストコンタクト、オレンジ色の彼女との再会は少し後の葉月のことなる。

 

結局少女を家まで荷物を一緒に運んだあとの帰り道、一歩間違えたら変質者として警察に突き出されてもおかしくなったことに気づきおかしくなりそうになったのは本人以外知る由もない。

 



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第三話 その2

ドクンドクン、心臓の音がやけに大きく聞こえる。緊張というより、恐怖といった方が似合う。やっぱり見栄なんか張らずに辞めとけば良かった、と遅すぎる後悔を今更ながら思う。額から垂れている汗は、この連日連夜の暑さのせいなのか冷や汗なのか。

 

こんな俺の内心を知らずに、ゆっくりと俺たちを載せた車両はゴトゴトと低い音をたてながらゆっくりゆっくりとほぼ垂直に近い形でレールを登って行く。空は真っ青。遠くに大きな入道雲が見える。普段なら夏の風情があるなー、とか柄にもなく心傷にも浸っているのだろうが、あいにく今はそれどころではない。車両の高度と一緒に俺の心拍数も上昇する。

 

きっと俺の顔は引きつっていることに違いない。横をみれば俺がこれに乗ることとなった要因である真がニコニコ、ウキウキといった感じでレールのてっぺんに着くのを今や今やと待ち望んでいる様子が目にはいる。俺が見ているのに気づいたのか真と目が合う。

 

「兄さんっ、楽しみだね!」

 

ーー満面のスマイル。

羨ましい。その余裕を兄さんにも分けて欲しいよ。いや、本当に。あぁ、そうだね、って相打ちしか打てないほど俺は弱ってた。

 

もうすでに分かったと思うが、俺たちが乗っているのはジェットコースター。それも、ここら辺では一番大きいやつ。

 

ことの発端は、今から4日ほど前、テストが終わった日のことだった。その日も今日と同じく夏らしい晴れだった。空には大きな入道雲が浮かび、殺人的な日差しが襲う、そんな日。

 

ミズキが開いてくれた勉強会のおかげで、どうにかこうにかテスト(単位を取れたかどうかは置いておき)を終えた俺は、その足でいつの日かオレンジ色のもやし少女と出会ったスーパーの近くの商店街に来ていた。ん、勉強会の内容? 気が向いたら話そうと思う。

 

まぁ、とりあえずは商店街に来ていたんだよ。理由は買い物とついでにSSKから貰った福引権で福引するため。SSK曰く、ある依頼の報酬で貰ったのだが、商店街に行く用事もなく、景品も要らないのでやるということらしい。貰えるものは、病気以外貰うというのが貧乏人が生きていくすべである。福引券は全部で10枚。多いのか少ないのか、分からないけど、どうせ貰ったんなら買い物ついでに引いて行こうと思った次第だった。いつものスーパーで買い物を済ませ、商店街を歩く。福引所はすぐに見つかった。

 

一等は大型テレビにハズレはポケットティッシュ。どこにでもある本当に普通の地域の福引だった。並んでいるのは2、3人、どうにも買い物帰りの主婦の方だろう。後ろに並ぶ。

 

5、6分後順番が回ってきた。俺の前に並んでいた主婦たちはほとんど6等のポケットティッシュや5等のジュースばかり、二つ前に並んでいた主婦が4等のビール一ケースを当てた以外はすべてこれだった。まぁ、地域の福引だしこんなものだろう。ちなみに見たところ6等と5等の割合というか比率は6:4程度、なかなかに5等も入っているみたいだ。俺は福引券10枚あるし、4,5本ジュースもって帰れたら十分だろう。

 

赤いはっぴを着た元気あふれる、商店街のおっちゃんを体言したような人に福引券を渡す。

 

「おう、兄ちゃん頑張って良い景品当ててくれよ!」

 

そういって笑うおじさんに笑顔を返すと福引器を回す。

 

ガラガラと音を立てて回り、ポトンと一つの玉が出てくる。玉の色は白。6等のだ。おっちゃんは、まだまだこれからだぜ兄ちゃんと笑いながらポケットティッシュを差し出す。苦笑いで受け取ると俺は

また福引器を回し始めるのだった。それから福引器を回すこと7回。俺の横にはポケットティッシュが4つとジュースが4つ並んでいた。

 

うん、俺としては悪くない。ビール貰っても真は飲めないし、ジュースのほうがありがたい。

 

残る抽選券は二枚。ガラガラと独特の音を立てながら玉の入った福引器は回る。そして穴が下に向くか向かないかというとき一つの玉がコロンと勢いよく出てきた。ジュースだったらいいなー、とか思って見てみると玉の色はそれまで散々出てきた、白や青ではなく、真っ赤な玉。

 

――チリンチリン。おめでとう、兄ちゃん。二等だよ。

 

おじさんが手で持ったベルを鳴らして、言う。少しだけ商店街にいた人の視線が集まる。

少し恥ずかしいかも。

 

「兄ちゃん、運いいな。ほい、これ二等の景品。彼女さんとでも一緒にいきな」

 

そういいながら、封筒を差し出すおじさん。二等の景品が気になり、ふと景品が書かれているボードを見ると、二等のところにはこのあたりで一番大きい遊園地のペアのフリーパス券だった。

 

おっちゃんは笑って言っていたが、俺に彼女なんていない。誰と行こうか……。ミズキ? ないない、向こうも嫌だろうし。真かな、あ、でも兄と遊園地なんて行きたくないか普通。

 

別に俺もそこまで行きたいわけでもないし、帰ったら真にあげるか。高校生だし、遊びたい年頃だろう。出来れば、彼氏何かとデートがてら行ってくれると兄貴としても嬉しい。真ならどこぞの馬の骨を選ぶこともないだろうし。

 

あっでも一応アイドルだから恋愛っていうのは禁止なのかな。まぁ、真なら友達もたくさんいるだろうし、適当に誘ってうまくやるだろう。俺が持ってても使わないし、宝の持ち腐れだ。

 

よし、このフリーパス券は真にあげよう。そう決めて家に帰り、真にフリーパス券が当たったことを告げると、何故か俺が一緒に遊園地にいくはめとなった。

 

真は全く俺の話を聞いておらず、兄さんから誘ってくれるだなんて嬉しいです! やら、ちょうど僕も遊園地行きたかったんです! とか、あっ、いつ行きますか? 兄さん、今日で試験終わりだったよね? 僕も夏休みだし、いつだっていいですよ! あっ、でも色々と準備しなくちゃいけないし、そうだ4日後はどう? 兄さんもバイト休みだったよね! よし、じゃあ4日後しよう!

 

という感じで遊園地行きが決まった。ちなみに、真が喋ってる間俺は、いや、だからこれは真にあげるから誰か友達とでも……うん、はい、と誤解を解くことも許されずに相槌を打つことしかできなかった。真のことだから俺に気を使ってくれたのかも知れない。兄さんが当てたのに僕と友達とで行くのは悪い、みたいな感じで。真は優しい子に育ってくれたからきっとそうだろう。

 

結局、俺が説得するのを諦め、二人でランチパックでも持っていこうということで落ち着いた。そしてそれから四日後、俺たちはここに来たってわけだ。

 

ゴトゴト。先ほどに比べて車両の音が大きくなっているように感じる。空も近くなって来ているし……。

 

不幸中の幸いと言うべきかは分からないが一番前の列じゃなくて本当に良かった。それだけが救いである。

 

ジェットコースターはついに、レールの頂上に辿りつく、ゆっくりと向きが逆になったと思った刹那、一気に落下する。

 

落下する感覚が俺は嫌いだ。ジェットコースターで悲鳴を上げる人は多い。しかし、それは余裕がある人だと思う。俺レベルになると、悲鳴を上げるどころかただただじっと耐えることしかできない。

 

「きゃああああああああああああああああ」

 

そこら中から声が上がる。真もどうやら楽しんでいるみたいだ。

それから4分間、ジェットコースターが止まるまでの時間、俺はずっと耐え続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「兄さんっ! 午前中は楽しかったね!」

 

時刻はお昼を少しすぎた頃。俺と真は日陰になっているベンチにて昼食を取ることとした。真は非常に機嫌がいい。くせ毛がヒコヒコと動いていると錯覚するくらいだ。

 

遊園地を楽しんでくれるのは兄としても願ったり叶ったりなのだが、こう兄としてはもう少し静かなやつも乗りたいわけよ。メリーゴーランドとかコーヒーカップとかあるじゃない。子供っぽいとか言うのは置いといてこういうゆっくりした遊具にも乗るべきだと思うんだよ。

 

真と俺が午前中に乗ったのはいわゆる絶叫系と呼ばれるものばかりだった。ジェットコースターにしろ、バイキング船みたいな振り子運動するやつにしろ、ウォータースライダー的な奴にしろ、とにかく絶叫系だった。絶叫系は苦手だが、乗れないわけではないし、真が笑顔で誘ってくるのだ、断れるはずもない。結果真と一緒に乗り尽くさんばかりの勢いで乗り物に乗って行った。今でも落ちる感覚がしてるし、しばらくは乗らなくてもいいんだけど、この様子だと午後も絶叫系ばっかりだろうな……。

 

ニコニコと笑う真を見てると、まぁそれも悪くないと思うあたり、親バカとかシスコンとか言われそうだ。それにいつにも無く気合入ってるし。今日の真の服装は普段の俺のお下がりやジャージではなく女の子らしい服だった。それも、真らしさがでるボーイッシュでなおかつ、女の子らしさもでてるやつ。本当に雑誌に出てくるモデルのような感じだ。ファッションに詳しくない俺だとこんなことくらしか感想として言えない。何でも雪歩ちゃんと春香ちゃんと相談して買ったみたいだった。朝、服を褒めると顔を真っ赤にして照れてた。こういうところが子供っぽい。まぁ、いくつになろうと俺からみたら子供には変わりないんだけど。

 

真の言っていた準備って服を買ったりしたことなんだろうか?

兄としては女の子らしい服装をしてくれて嬉しい限りだ。あとは恋愛とかして欲しいけど事務所的には無理なのかなー。俺と違ってモテると思うし、高校時代に恋愛に仕事にと色々と頑張って欲しい。

 

「どうしたの、兄さん? ご飯食べようよ」

 

そういってバスケットを取り出す真。今日の昼食はサンドイッチだ。朝、真と一緒に作ったやつ、具はポピュラー玉子やレタス、それにハムなど本当にオートドックスなやつだ。弁当を作る際、遊園地といえばサンドイッチだよね! と訳もわからない理論でサンドイッチとなった訳である。サンドイッチだと作るのも簡単だしね。

 

「いやいや、何でもないよ。よし、食べるか」

 

「「いただきます」」

 

二人で手を合わせ合掌。

バスケットから一つ取り出し、一口食べる。うん、美味しい。

 

 

サンドイッチを粗方食べ終わった後に飲み物をもってきていないことに気がついた。そう考えればこんな真夏の炎天下の下、何も飲まずに乗り物に乗っていたわけか。真も俺も夏にも暑さに強いとはいえ熱中症にならなかったのは凄い。

 

「うん? 兄さん、どうかしたの?」

 

「飲み物買ってこようと思ってさ。朝から何も飲んでないだろう?」

 

「そういえば、そうだったね、楽しいからつい忘れたよ」

 

そういいながら後ろ髪をかきつつえへへと笑う真。何時ものなら男の子っぽい仕草に見えるんだけど、今日は服装もいつものと違い可愛げのあるものになってボーイッシュの可愛らしい女の子の仕草となっている。普段から一緒にいる俺でさえ見違えるほどだ。

 

「それで、真は何がいい?」

 

「いいよ、兄さん。僕も一緒にいくよ!」

 

「いやいや、気にしないでくれ。ちょうどトイレにも行きたかったしね。真はここでのんびりしててよ」

 

「うーん、分かったよ。それじゃ、コーラをお願い!」

 

「はいよ」

 

そう言って真と別れトイレと自動販売機を探しに行く。

自動販売機の料金を見て水筒持ってくるべきだったかも、と後悔するのは貧乏人ならいた仕方が無いと思う。

 

兎にも角にも真との遊園地はまだ前半戦が終わったばかりだった。




なぜだ、なぜ真とデートしてるんだ……。
まぁ、いいか。
次話は近いうちに投稿できると思います。短いですが。

あんまりにも短い場合はこの話と統合させるかもしれません。


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第三話 その3

ちょうど10万文字付近なので次の話をエピローグにして第二章というか下巻に移りたいと思うのですが、このままこの作品で二章という形で続けるのか、新しく「かくも日常的な物語 下」という作品を作るのか迷っています。

どっちがいいんでしょうかね?


幸いなことにトイレも自動販売機もすぐに見つかった。別に暑さは嫌いじゃないがこの炎天下の下ダラダラと動くことはあまりしたくはない。それに休日ということあり人も多い。人に酔うのも勘弁だ。

 

しかし、何でこういうところの自動販売機って高いんだろうな。まぁ高いと言っても50円くらいのものだが、何か負けた気がする。

 

真のコーラと自分用に買った水を持ち、真が待っているベンチへと向かう。

 

ん、誰かいるのか?

 

俺たちが昼食を食べていた木陰になっているベンチの近くに真と四人の人影が見える。人影は男女二人づつ、声は周りの雑踏に遮られこちらには届かない。

 

しかし、見た目的に何やら穏やかではない様子。

 

「やめなよ君たち、彼女ら嫌がってるだろ!」

 

「何だよ嬢ちゃん、あんたには関係ないだろ」

 

「そうだそうだ、ひっこんでろよ」

 

真の強めの口調を意に介さない様子で二人の男が声を出す。男の方は金髪と茶髪。両方ともチャラチャラしている。今時の若者と表現するべきだろうか、都会に行けばどこかで目にしそうな男達だった。

 

真が後ろの女の子たちを庇うように前に立つ。

 

会話の断片から察するにどうやら無理やり遊びに誘っているのを真が止めたみたいだ。

 

「ん、姉ちゃんも可愛いじゃねぇか、どうだ姉ちゃんも一緒遊ぼーぜ」

 

金髪ピアスの男が真に声をかける。

 

「ボクは君たちよりも遥かにカッコいい人と回ってるから遠慮しとくよ」

 

キッパリと顔色も変えずに言い切る真。真はチャラ男と話すのに夢中なのか後ろから近づいている俺には気づいていない。

 

「そんな連れないこと言うなよ、姉ちゃん。俺たちと回ろうぜ、後ろの二人も一緒にな」

 

ヘラヘラと薄ら笑いを浮かべた茶髪の男が真へ一歩近づく。真の後ろにいる女の子だちが一歩後ろに下がる。真の体が一瞬強張る。

 

ヤバい……。とっさに近づくスピードを上げ、真とチャラ男の間に割って入る。

 

「え……」

 

真は徒然目の前に現れた人影に思わず声を漏らす。

 

「何だよ、お前は!?」

 

それは、相手の男も同じだったようで、少しだけ上擦った大きめの声を出す。

 

「この子の連れだよ」

 

そう言って真を一瞥。肩幅より少し大きめに開いて、左足を斜め前に出し腰を落とした格好。もう少し割り込むのが遅かったら危なかった。

 

きっと真は実力行使をしてでもこいつらを止めていただろう。

 

拳だろうと蹴りだろうと真の実力行使は危ない。何と言ってもミズキの弟子であり、その実力はミズキも認める折り紙付きなのだ。俺自身もその実力は十分よく分かっている。

 

いくら相手が若い男であろうと、何年もミズキに武術を教わっていた真の一撃をもらえば、ただでは済まない。運が悪いと、いや運が良くても怪我をさせてしまう。

 

真にいくら分があろうとも怪我をさせてしまうと真も悪くなってしまうし、せっかく習った武をこんな奴らに使って欲しくない。

 

それに俺自身が真が誰かを傷つける現場を見たくはなかった。

 

そして何よりも真が怪我をする可能性があるのが嫌だった。

 

保護者として、兄として例え真の方が俺よりも強いと分かっていても真を前に出すわけにはいかない。

 

「え……。兄さんいつからいたの?」

 

その呟きとともに力が少しだけ抜ける真。

 

「ついさっきだよ。何やら揉め事みたいだね」

 

「なんだ。姉ちゃんの連れってこんな優男かよ……。そんな奴より俺たちと遊ぼうぜ」

 

ぐへへ、と気味が悪い笑い声が聞こえそうな笑顔で近づいてくる茶髪の男。

 

「残念だけど、この人と一緒にいる方が君たちといるよる何十倍もましなんだよね」

 

 

はっきりとした否定。否定するのはいいんだけど、もう少し穏やかに断れなかったのかね。俺としても真がそう思ってくれているのは非常に嬉しいけどさ、完全に怒ってるよ向こうさん。

 

こんなところはミズキに似て欲しくはなかった……。

 

「そうかい、そうかい……。おい、兄ちゃんそこどいてくれないか? 野郎に興味はないんだ」

 

二人の男がそれぞれ、一歩俺に近づく。

 

その時、茶髪の男があっ、と口を開いた。

 

「どこかで、こいつの顔を見かけたと思ったら、あの時ナンパを邪魔してきた野郎じゃねーか!」

 

あの時ってどの時だよ……。

 

二人の男の顔を見て思い出した。と、言うか後にも先にもナンパを止めたのなんて一回しかない。

 

いつかの学校帰りミキちゃんをナンパしていた奴らだ、こいつら。

 

「あぁ、あん時のクソ野郎かよ。よくもあの時は邪魔してくれたな……」

 

更に一歩、金髪の男が踏み出し俺との距離を縮める。どうやら、どう頑張ってもここから穏便にすますのは無理そうだ……。

 

真に視線を向け手を出すなと訴える。長年一緒に暮らしてきた真なら言葉に出さなくても真意は分かってくれる。

 

「で、でも……」と真は不安そうだ。

 

不安なのは俺も同じだが、ここをどくわけにはいかない。

 

「あの時の奴らかよ。悪いが無理やり誘っているようにしか見えなくてね」

 

「何だ、正義のヒーロー気取りか? 正直言って吐き気がするぜ」

 

それには同意だね。俺が正義のヒーローだなんて、笑い話にもならない。そういうのはヒロトに言って欲しい。

 

「それにお前みたいな優男に何ができるっていうんだ?」

 

出来ることの方が圧倒的に少ない。何も出来ないかも知れない。だけど、だからと言ってここをどいていいことにはならないんだ。

 

ヒーローじゃなかろうが、主人公じゃなかろうが、意地はあるんだ。

 

「少し痛い目みてもらおうか」

 

金髪の男が大きく振り、殴りかかってくる。

 

その動きを見ながら半身でかわす。高校時代からミズキにど突かれ続けてきたのだ。文字通り目にも留まらぬミズキの拳を見てきた。素人の拳くらいなら何とかかわせる。

 

今にも飛び出して来そうな真にもう一度目線で釘をさす。

 

「まぁ、落ち着きなよ」

 

「てめぇ……」

 

今度は右足で中段蹴りを放ってくる男。ギリギリのところで後ろに下がりかわす。熱くなっている男の攻撃は単純だった。

 

どうにかなる。ミズキや真に比べれば速くはない。

 

この時の俺は忘れていたのかもしれない。

 

俺は正義のヒーローでも何でもないってことを……。

 

 

 

------兄さん、後ろっ!

 

真がそう叫んだ直後、後頭部に強く鈍い痛みが走る。

 

キャー、と真の後ろにいる女の子二人組が悲鳴を上げる。

 

「ぐっ……」と堪えて目線だけを向けるとニタニタと笑っている茶髪の男が目にはいる。後ろから殴られたようだ。

 

熱くなっていたのは俺の方だったかも……。視界に入っていなかった茶髪の男を完全に頭から消していた。

 

「優男、今度は前がお留守だぜ! おらっ!」

 

今度はアゴに衝撃……。

一瞬平衡感覚を失いぐらつく。今度はアゴを撃ち抜かれたみたいだ。

 

意識を保てたのは俺にしては上出来だ。

 

「真っ!!」

 

茶髪の男の前に飛び出した真の手を握り止める。

 

「兄さん、手をはなして。僕は今、怒ってるんだ!」

 

まるで、射抜かんばかりの鋭い視線を男達に向ける真。

 

「なんだい、姉ちゃん。優男の敵討ちかい? やめときな、可愛い顔に傷がつくぜ」

 

ニタニタと表情を崩さず茶髪の男はいう。きっと、真が普通の女の子だと思って舐めているんだろう。

 

「……っ!」

 

真が俺の腕をほどこうと力を入れて腕を降る。

 

真がでてしまうと、俺が今まで頑張ってきたことが台無しになってしまう。

 

------悪い、真。

 

 

内心、そう謝りつつ、半ば後ろから抱きつくようにして真の動きを止める。平衡感覚もまだ上手く働かないし、こうでもしないと本当に真は飛び出しかねない。

 

「え、え!?」

 

一瞬で顔色が赤く染まる真。癖毛がピクピク動く。

止めるためといえ後ろから抱きつかれるのは恥ずかしいみたいだ。

 

こういうウブな反応は中々に面白い。是非とももっと余裕がある時に堪能したかったものである。

 

次したら、確実に貼った押されそうだしやめておくけど。

と言うか今回もあとあと殴られそうで怖い。

 

それにもう、真がでていくこともしなくていいはずだ。

 

休日の遊園地。子供連れからカップル、それに若者まで多数の人が来ているのだ。

 

そんな中でこれだけの騒ぎを起こせば----。

 

「こらー! 君たち何をしてるんだ!?」

 

遠くから警備服をきた男性二人が走ってくるのが見える。

 

これだけの騒ぎを起こせば警備員がくるのも時間の問題だ。俺はただ警備員が来るまでのちょっとの間、時間を稼いでおけばよかった。

 

「--チッ」

 

茶髪の男が舌打をすると金髪の男に目配せする。

 

「おい、バックレるぞ」

 

金髪の男も一つ舌打をする。

 

「おい、兄ちゃん。今度、邪魔したらただじゃおかないからな」

 

俺も願わくば金輪際お前たちには会いたくない。

 

男達は何処かの悪役が言いそうなセリフを吐くと踵を返して走り去って行った。

 

その間真は顔を真っ赤にしながら機能を停止していた。

暴れられるよりは大人しくしてくれていた方が嬉しいが後あとが怖そうだ。……殴られたり、口を聞いて貰えなかったりしないことを祈ろう。

 

 

 

 

 

 

その後、警備員に事情を話し、医務室で簡単な診察を受け、一息つけるころには既に昼食を食べ終わって分針が一周するほどの時間が立っていた。

女性二人組にはやたらと感謝された。それに何やら真のことを知っていたらしく真はサインをお願いされてテンパっていた。

それなりに真も有名になったんだなぁ、と思う反面アイドルと俺のような何処の馬の骨かも分からん大人が一緒にいるのを目撃されたのはマズイんじゃないのか、と思いこのことは黙ってくれるようにお願いした。気分は保護者なのだが、世間的に見るとどういう風に見られるか分からないしな。

 

真も普段着ないような服装だし、キャップも被っているため、女の子二人組以外に正体がばれているって可能性はないだろう。

 

「兄さんっ! 何であんなことしたんですか!」

 

そして、今真の説教を受けていた。

 

「いやなあの場面じゃああするしかなっただろ」

 

「僕に任せてくれれば良かったんんですよ! 兄さんは弱いんですよ。理解してください!」

 

「弱いのは重々承知だけどさ、そういう問題じゃないだろ」

 

「そういう問題ですっ! 僕だったらあいつらなんかに負けてないですっ!」

 

確かに真だったら俺みたいに殴られて怪我をすることもなかったはすだ。

 

「相手が丸腰とは限らないんだ。もし、武器を持っていたらどうするんだ!? 確かに真は俺よりも腕は立つ。でも相手がナイフを持ってたら? もしも、真よりも強かったら? どうするんだ! 俺は大切な真が怪我をするのは見たくないんだ!」

 

そう、今回はたまたまなのだ。相手が武器をもっている可能性だってあった。

 

「俺は力はない……。だけど、大切な人を守りたいんだ!」

 

真は俺にとって唯一の家族だ。そんな存在を守りたいと思うのは男して当たり前のこと。

 

この言葉は嘘偽りない本心だ。

 

 

真っ直ぐに喋れば光線のように心に届く。きっと真も分かってくれる。

 

「で、でも、兄さんが怪我をしたら元も子もないと思います」

 

真は何故か顔を赤くしながらボソボソと呟く程度のボリュームで話す。

 

何か恥ずかしいことでもあったのか?

 

「で、でも、今回だけは許してあげます。次したら許さないですからね! 少しは僕を頼ってください!」

 

顔を真っ赤にしながら話す真。次がないのが一番いい。

 

「とりあえず、無駄に時間取られたし、早く乗り物に乗りにいくか!」

 

「え!? でも、兄さん怪我は大丈夫なの?」

 

「大丈夫、大丈夫! 医務の人も大丈夫だっていってただろ」

 

ミズキからど突かれ続けたため、波の人よりか打たれ強い自身はある。医務の人も大丈夫だと言ってたし。

 

「それにせっかく来たんだから、楽しまないと損だろ?」

 

遊園地に行く機会なんてほとんどないのだから、たまにきた時くらい楽しみたい。

 

絶叫系はもう遠慮したいけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日はとっても楽しかったよ! 兄さんっ!」

 

空は赤と黒が混じった色をしていた。夕日ももう沈みきる手前。

 

空には星も見え始めた時間だ。

 

夏ど真ん中、日が落ちても気温は十分に高く、軽く汗ばむくらいだった。

 

遊園地から駅へ向かう途中、真はそういいながらはにかむ。

 

俺としても、俺なんかと行って楽しんでもらえたのら幸いという気持ちだ。

 

「俺も楽しかったよ」

 

乗り物にもたくさん乗れたしね。絶叫系が多かったけど。

 

「最後の観覧車凄い高かったねー!」

 

特に最後に乗った観覧車はこの遊園地の目玉といっただけあって凄く大きかった。何でも県内一番だそうだ。

 

乗る前にかかりの人にカップルと間違われて顔を真っ赤にして、観覧車に乗っていた。

 

観覧車の頂上からの風景は格別に良かった。また機会があれば来たいものだ。

 

まぁ、その時は真は彼氏と俺は……彼女が出来れば彼女と。

 

お互い違う人とくることになりそうだ。俺の方は実現はほぼ不可能っぽいのが悲しいとこだけど。

 

「ねぇ、兄さん」

 

4、5歩前を歩く真が振り向きながら笑顔でいう。

 

「また、行こうねっ!」

 

その笑顔は今日一番の笑顔だった。

 

蝉時雨が遠くで聞こえる。

 

今年の夏はまだ始まったばかりだ。

 



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彼女のエピローグ

ランキング見てたら20位に入ってた。コーヒー吹きそうになりました。はい。


蝉時雨が辺りを包む中、少し古びたビルの階段を少女は軽い足取りで駆け上がる。体も気分も羽のように軽かった。トレードマークのくせ毛がヒコヒコと少女の動きに合わせて上下に揺れる。

 

今年は例年に比べて、猛暑だと朝のニュースでは言っていたが、そんなことは気にならなかった。

 

まだまだヒヨコだが、アイドルと呼ばれる職業についてるだけあり、少女は元気のあるボーイッシュな容姿に可愛らしも加わった少女だった。

 

一段飛ばしでコンクリートの階段を駆け上がると勢いよく事務所の扉を開ける。

 

バタン!、と少し大きな音をたて扉が開かれた。

 

「おっはよーございまーす!」

 

日頃から元気がいいと評判な少女だが、今日はいつにもまして元気がよかった。

 

「あら、真おはよう。今日も元気ね」

 

そんな少女を見て、この事務所、ナムコプロダクションの事務員兼プロデューサーの秋月 律子はやや疲れた笑顔で挨拶を返す。額には大量の汗。

 

ボロボロだったエアコンが連日の酷使に耐えきれず、とうとう壊れてしまったために事務所の中は夏の熱気と換気の悪さで蒸し風呂のように暑かった。

 

窓際では白いカーテンがユラユラと揺れているが風は事務所の奥には届かない。デスクが比較的、扉付近の窓から遠くにある律子はまるでサウナに入っている気分だった。

 

へへっ、と律子の挨拶に笑顔を返すと事務所の奥へと向かう少女。

 

プロデューサーと事務員である音無 小鳥がいないのは、プロデューサーである赤羽根は外回りの営業に小鳥は備品の買い出しに行っているためだった。

 

まだまだ有名ではないため、仕事は少ない。それはこの事務所に所属するほとんど全員のアイドルが当てはまっていた。

 

 

もちろん、歌やダンスのレッスンはあるが、それ以外はこの事務所であまり使われることのない待合室や会議室に集まり話をしたりするのが、ナムコプロのアイドルの今の日常だった。仕事もレッスンもない日に遊びに事務所にくるアイドルだって少なくはない。

 

この少女も今日のレッスンは午後からで午前中の今から来たのは純粋に皆と話すためだったりする。

 

今日はもう誰か来てるかな?

 

少女はワクワクしながら待合室のドアを開く。

 

「あっ、真ちゃん。おはよう」

 

白いワンピースを着たボブカットの少女 萩原 雪歩が最初に少女に気づく。

 

「真、おはよう」

 

次に扉に背を向けて座っていた天海 春香が少女に挨拶をする。

 

雪歩と春香の二人は少女の一番の親友だった。

 

雪歩と春香は待合室のソファーに向かい合うように座りお茶を飲んでいた。テーブルの上にはクッキーも見える。お菓子作りが大好きな春香が焼いてきたものだ。

 

「おはようっ! 雪歩! 春香!」

 

「真ちゃん、今日は元気いいね。昨日は楽しんだみたいだね」

 

「真、今日は気合はいってるねー。昨日はどうだった?」

 

二人とも額に汗をかきながらも笑顔で話す。待合室はこの事務所の中でも風通しは一番にいいのだが

、それでも十分に汗ばむ程度の気温はあった。この事務所ないで快適に過ごそうと思うならエアコンの買い替えは必要不可欠のようだ。

 

少女は昨日のことを思い出して、えへへ、と笑う。

 

少女がいつにもまして機嫌がいいのは昨日のことが原因であった。

 

昨日、少女は少女の兄と一緒に遊園地へ遊びにいった。兄の方は何とも思っていないかもしれないが、周りから見ると年頃の男女が二人きりで遊園地にいくことなどデート以外の何事でもない。

 

少女は兄と二人きりで遊園地にいって遊べただけで満足だった。服装も可愛いと言ってもらえた。

 

「うん、昨日はとっても楽しかったよ! それと、雪歩、春香、服選び手伝ってくれてありがとう!」

 

服装と言えばこの二人がいなければ、可愛いと褒められることもなかったはずだ。少女は女の子らしいファッションが疎いところがあったため、遊園地にいく二日前に親友二人にお願いして服選びを手伝ってもらった。

 

二人の親友は快く返事をして三人で服選びにいった。

 

雪歩と春香の二人は親友であると同時に少女のこともよく見ており、少女のボーイッシュさを生かしながら可愛らしさも加えた服装をコーディネートをした。

 

「どういたしまして、真ちゃん」

 

「いやいや、気にしなくていいよ」

 

二人は笑いながらお礼を受け取る。

 

昨日は楽しかったな、と少女は昨日のことを思い浮かべる。

 

トラブルがないわけではなかった。

 

兄が男達に殴られて怪我をした時は我を忘れたが、それも自分を大切に思っているからだということも分かったし、大切な人だと言ってもらえた。

 

少女はそれがたまらなく嬉しかった。

 

最後に乗った観覧車では、乗る前にはバイトの人にカップルと間違われたりもした。少女にとってはそれだけでも嬉しかった。

 

恋人になるのが無理なのは分かっている。

 

でも、ずっと一緒にいたい。少なくとも少女か兄か、どちらかが結婚するまでは一緒にいたい、そう心から思っている。

 

頭では分かっている。理解も納得もしている。

 

だけど、だけどその先を--------。

 

うんうん、と頭を横に振る少女。

 

今はこのままでいいのだ。兄も今度また機会があれば一緒に行こうと言ってくれた。

 

それだけで十分。

 

「それでどうだったの、真?」

 

春香がウキウキといった感じで聞いてくる。

 

「うん、とっても楽しかったよ! まずね--------」

 

少女はその声に反応すると、元気な楽しそうな声で話す。その話につられて雪歩と春香も話す。いつの間にか笑い声が待合室に溢れていた。

 

蝉時雨が窓から響く。窓は開けているため、よく聞こえた。でも、そんな蝉時雨にも負けないほどに三人の談笑はよく続くのだった。

 

時計の分針が二周するころ少女の携帯のアラームがなる。ダンスのレッスン時間を伝えるアラームだった。

 

「あっ、もうこんな時間だ」

 

雪歩が腕時計を見ながら呟く。

 

「ごめん、そろそろレッスンに行かなきゃ!」

 

少女はソファーから立ち上がる。

 

「真、頑張ってね!」

 

「頑張ってね、真ちゃん!」

 

「うん、それじゃあ行って来るよ!」

 

笑顔で返事をする。

 

そして、勢いよく待合室をでる少女。

 

空は清々しいくらいに青かった。

 

夏真っ盛り、遠くには綿菓子のような入道雲。太陽は熱く照っている。

 

今日もいい日になりそうだ。

 

窓から空を見てそう少女は思った。

 

手を大きく振って元気良く進む。

 

友人と談笑して、レッスンをして家に帰り兄とご飯を食べて寝る。

 

そんな当たり前の日常がこれから先も続く。

 

少女はそう確信していた。

 

「いってきまーす!」

 

真夏の空の下、少女の声が事務所に響いた。

 

心に残る夏が始まる。

 

 

 

 

 

 

第一章 完。

 

 

 




とりあえず、第一章はこれにて終わりです。
次の話は長くなりそう。
夏はイベントが多いから書きがいがありそうです。

閑話の題材を募集しています。夏にありそうな話でお願います。海は書くのでそれ以外で何か意見があるひとがいたらお願いします。


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第二章
第二章 彼と彼女のプロローグ


閑話は次に挟みたいと思います。閑話は夏祭りということで。


ふぅ、と息を一息吐く。

 

季節は八月。むあっと湿気が辺りを包んでいる。日本の夏らしい蒸し暑い熱帯夜に今夜はなりそうだ。

 

空をみればビルに明かりを遮られている星の光が少しだけ見えた。

 

どうやら明日も晴れそうだ。

 

 

 

携帯で時間を確認する。

 

23:52。無機質な時計はそう示していた。

 

今から、帰る。

 

そういつものバイト終わりに送る味気ないメールを送る。

 

 

いつの間にか買い換える時期を見逃して、高校時代からずっと同じ機種を使っている。

 

真みたいにスマートフォンの最新の機種にでも変えようか、と思ったこともあったが機能を使いこなせそうにもないし、お金ももったいないのでやめておいた。俺にはガラケーが似合っているのだ。

 

それにボロボロだけど、今の携帯には愛着も湧いてきた。壊れて使えなくなるまでは使ってみたいと思う。

 

靴紐がほどけていることに気づき、結び直す。

 

背負っている鞄からカランとビンとビンがぶつかる音がする。

 

帰る前にコンビニか何処かに寄って捨てるとするか。詰め替えとか出来ないのかな、これって。

 

まぁ、でも詰め替えならビンを返す俺の負担も増えるし、このままでいいか。

 

ブーブーブー。

 

靴紐を結び終わり立ち上がった瞬間、携帯のバイブレーションがなる。

 

メールの返信がきたようだ。

 

送ったメールもいつも通りの定型文なら返信も定型文。

 

いつも通り、夕食を作って待ってるという旨だった。

 

その定型文に対して、嬉しいと思う反面、心配する気持ちも強くある。

 

夏休み、彼女は学校は休みだが、レッスンや仕事はある。なるべく早く寝て欲しい。最近は雑誌で見かけることもバックダンサーとして見かけることも増えてきている。

 

まだまだ、無名とは言えしっかりと休んで仕事やレッスンに備えて欲しい。

 

俺なんかのために寝不足になっているなんてことはあってはいけない。

 

何回か先にご飯を食べて寝ておいていいよ、と言ったことがあったが、彼女は頑として首を縦に振ることはなかった。

 

無理やりにでも寝て欲しいと思う反面、もう高校生なので彼女の意思決定を尊重させてやりたいという気持ちが混じり、結局今までの間ずっとこの関係が続いていた。何とも親というものは難しいものである。この歳になってようやく親の大変さを理解できるようになった。

 

湿気のこもった生温い風が吹く。

 

長袖のシャツの下が少し汗ばんでいるのが分かった。

 

夏はやっぱり嫌いじゃない。この湿気もうだる暑さも嫌いじゃなかった。

 

昼間あれほどうるさかった蝉時雨は聞こえず、代わりに車のエンジン音が辺りに響いていた。

 

色々なことが起こる夏はこうして始まった。

 

 

 

 

 

 

バイト先からバスで20分、見慣れた我が家へとたどり着く。

 

ガチャリと鍵を開け、ドアを開けると、直ぐにドタドタと奥から足音が聞こえてきた。

 

「おかえり! 兄さんっ!」

 

何時ものジャージ姿の彼女。特徴のくせ毛が嬉しそうに揺れていた。

 

「ただいま、真」

 

「バイトお疲れ様。ご飯できてるよ!」

 

「あぁ、ありがとうな、いつも」

 

すでに我が家の夕食担当は彼女になっていた。俺も帰りが遅くなることが多く、彼女が作ることが続き、いつの間にか彼女が夕食を作るのが当たり前になっていた。

 

料理の腕前も上達して行き、多分もうすでに6年近く自炊している俺と遜色ない程度の腕はある。

 

料理以外の家事もよく手伝ってくれるし、もうどこに出しても恥ずかしくない娘である。

 

俺ももし結婚できるのなら彼女みたいな人を奥さんに貰えたら嬉しい限りだ。まぁ、まずは奥さん以前に彼女を作ることから始めないといけないわけだけど。

 

「うんうん、気にしないで!」

 

彼女は笑顔でそう言うとリビングの扉を開ける。

 

リビングの中も外と同じような気温だった。

 

俺も彼女も暑さには強い。二人とも冷房をつけなくても大丈夫だ。

 

そのため我が家の冷房はお客さんが来た時しか使わない普段はただのオブジェとかしていた。リビングと彼女の部屋にはエアコンは付いているが、俺の部屋にはエアコンどころか扇風機すらない。

 

そういえば、彼女の事務所も最近エアコンが壊れたって言っていたけど、大丈夫なのだろうか……。

 

彼女は俺と同じく、暑さに強いから平気だろうが、他の女の子にはしんどいはずだ。熱中症には注意してもらいたい。

 

「今日はサッパリしたメニューにしたんだ!」

 

テーブルの上には今日の夕食が並んでいた。冷やし中華にサラダ、それに麦茶。

 

うん、夏らしいメニューだ。彩りも綺麗だし、このまま何処かの料理屋にでも出せそうな勢いだ。

 

春に比べても彼女の料理の腕前は数段上がっていた。このままのぺースだと後3、4ヶ月、今年の冬には俺のよりも上手くなっているかもしれない……。

 

うーん、兄としてはせめて料理くらいは勝っておきたいところである。

運動では遥かに彼女に劣っているため、せめてそれ以外では兄の威厳を見せたいところである。

 

「本当に料理上手くなったな、真」

 

「へっへ、やりぃー! 兄さんに褒められちゃったっ!」

 

ニコッと無垢な笑顔で笑う彼女。今の俺にはとてもではないが出来そうにもない笑顔だ。

 

「うん、このままだと、俺より上手くなるのも、もうすぐかもな」

 

「まだまだ、兄さんには勝てないよー。でも、いつかは勝ってみせるよ!」

 

「そうかそうか、それは楽しみだな」

 

「うん、いつか兄さんよりも料理上手くなって飛び切り美味しいものを兄さんに食べさせてあげるんだ!」

 

何とも嬉しいことを言ってくれる。

 

でも、出来れば彼氏や旦那さんにその料理を食べさせてあげて欲しい。俺は二の次三の次でいいのだ。

 

「あぁ、ありがとう真」

 

「うん、今年の兄さんの誕生日は期待しててね!飛び切り美味しいものを作るから!」

 

俺の誕生日って、まだまだ4ヶ月以上先、年末の話なんだけどな。今から張り切ってどうするのやら。

 

そんな子供っぽいところも、彼女らしいところである。是非ともこのまま純粋無垢に育って行って欲しい。

 

「去年みたいな失敗はしないんだっ!」

 

そう言ってグッと拳を握る彼女。まぁ、去年の俺の誕生日は真がケーキを焼いてくれるはずだったのだが、分量を間違えてケーキが爆発したため急遽ホールケーキをヒロトが買ってきてくれたのだった。俺もお菓子作りは得意ではないため、兄妹揃ってお菓子作りの才能はないのかもしれない。

 

誕生日といえば、今月末には彼女の誕生日がくる。

 

今年は、どうしようかーー

 

SSK辺りに真が今欲しいものでも聞いて、雪歩ちゃんたちも呼んでささやか誕生日パーティーでも開こうかな。例年通りと言えば例年通りだし、何か別のことをやってもいいかもしれない。

 

それは後後考えるか。

 

「それは本当に楽しみだ」

 

「うん、絶対に美味しく作るからっ!」

 

今から今年の冬がもう、楽しみである。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、兄さん明日はどうするの?」

 

夕食を食べ終わり、片付けも済ませた後、リビングのソファーに座っていると彼女が横に座って聞いてきた。

 

「うん、とりあえず、ミズキ達と夏祭り行くよ」

 

明日はこの地域で一番大きい花火大会と夏祭りがある。出店も数多く立ち並び人も大勢訪れる夏の風物詩だ。去年までは真とミズキ、SSK、それにヒロトとお馴染みのメンバーで訪れていた。

 

「やっぱりそうなんだ。もし、向こうであったら、よろしくね」

 

しかし、今年は彼女はナムコプロダクションの友人である雪歩ちゃんや春香ちゃん達と一緒に回る約束をしているみたいだった。

 

何故か俺も誘われたが、俺なんかがいてもきっと雰囲気を気まずくするだけなので断っておいた。

 

「夏祭りは人が多いからな、はぐらないように注意しろよ」

 

「あれだけ人が多いと、一度はぐれたら大変だよね。いくら携帯があるといっても」

 

人の数も生半端ではない人数が訪れる。一度でもはぐれると合流するのは至難の技だ。

 

「うん、だからはぐれないようにな」

 

そういう俺も自分自身がはぐれてしまわないようにしなきゃな……。

 

はぐれると合流はまず絶望的だし、次にミズキにあった時に何を言われるか分からない。それにこの歳で迷子は嫌だしね。

 

「うん、大丈夫だよ兄さん」

 

彼女ならしっかりしてるし、心配はしなくてよさそうだ。だけど、保護者というものはどうしても心配してしまうもの。心配するものきっと仕事なんだろう。この気持ちは全国の子供を持つ親御さんは理解してくれるはず。

 

携帯で時間を確認する。

 

1:39。

 

時計はそう時刻を示していた。

 

「真は明日の午前中は何かあるの?」

 

「ううん、雪歩達と夏祭りに行く以外は何もないよ。だから、明日は久しぶりにゆっくり寝れるなーって」

 

「そうだね、最近はレッスンも多くあったみたいだし、明日の午前中はしっかりと休養をとったほうがいいよ」

 

最近は毎日この時間まで起きている日々が続いている。どんなに早くても寝るのは1:00。学校がある日は7:00には彼女は起きている。いくら若いからといって5、6時間の睡眠時間で学業と仕事を両立させるのはキツイはずだ。

 

今はまだ夏休みに入っている分、睡眠も少しは多く取れるが、学校が始まるといつ限界がくるかも分からない。彼女の意思を尊重させたい気持ちもあるが、やっぱり夕食は一人でとってもらうことも考えておこう。

 

「ふぁあぁ」

 

横に座っていると彼女が眠たそうな欠伸を一つ。

 

「真、眠いなら寝た方がいいよ?」

 

「うん、でも明日は昼間までゆっくり寝れるからたまには兄さんと話がしたくて……」

 

家族団欒の時間を大切にしてくれるには純粋に嬉しい。

 

「そうか、じゃあたまには夜更かしするのもいいか」

 

たった二人の家族なのだ。明日は俺も昼間まで寝れることだし、少々夜更かしして話をしてもいいだろう。

 

「最近、事務所の皆とは仲良くやれてる?」

 

「うん、皆仲がいいんだっ! それに、最近ね--------」

 

その日、我が家のリビングは夜遅くまで話し声が絶えなかった。

 

網戸の向こうには満月が一つ宙に浮いている。

 

蒸し暑い熱帯夜の中、俺と彼女は話し続けた。

 

本格的な夏が始まった。

 




ネタバレ?になるにかわかりませんが、閑話の夏祭りせすが、主人公は大学生組とはぐれます。誰と一緒に夏祭りを回るか……。

それは次回の更新をお楽しみに。



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第一話

閑話ではなく本編にします。2部構成にしようと思いましたが、3部構成になりそうです。

一時間に2500文字。これがどうやら私の限界みたいです。どうやったら早くかけるんだろ……。


「参ったな……」

 

ポツリとそうつぶやく。

 

その声は雑踏に混じり誰にも届かない。辺りを見れば見渡す限りの人、人、人。

 

親子連れから、夫婦、カップルまで、多くの人が波を作っていた。

 

年齢層もお年寄りから子供まで老若男女色々な人がいる。

 

毎年行ってるが、やっぱり人は多い。人々の波の横では色鮮やかな、出店が列を作り並んでいる。

 

昨日に引き続き、今日も天気がいい。気温も高いし、この人混みだ、何もしなくても少々汗ばむ程度には暑かった。

 

手に持っているビンを開け、中身を一飲み。

 

いやはやまさか、はぐれるとは困ったな……。いつの間にか目の前から消えていた三人。

 

違うな、多分俺が三人の前からいつの間にか消えたのか。

 

次、ミズキ達にあったらミズキにどやされるだろうな……。迷子になるとか、子供か、って感じで。

 

まぁ、そんなことは今はどうでもいい。今度、ミズキにあった時に適当に言い訳をするとして、当面の問題はこれからどうするか、だ。

 

携帯の画面を見れば真っ黒。

 

肝心な時に充電が切れていた。

 

これだけの人混み、それに加えて携帯も使えない。

 

合流はまず不可能か……。

 

真に昨日の夜、はぐれないように、と注意したのに俺がはぐれてどうする……。

 

うーん、保護者失格だな。

 

腕時計で時間を確認すると花火の打ち上がりまであと一時間半以上もある。

 

一人で花火を見るのも虚しいものがあるが、このまま帰ったら何のためにこの会場にいるか分からない。

 

虚しくても何でも花火は見たいと思う。

 

花火を見るのはいいが、それまでどうやって時間を潰すかだな。

 

中身のなくなったビンを革製のショルダーバックへと入れ、手に下げていたビニールからりんご飴を取り出す。

 

やっぱり、夏祭りと言えばりんご飴、これは欠かせない。ミズキ達とはぐれる前にイカ焼きとりんご飴は買っておいた。

 

りんご飴をくるんでいるビニールをとり、一つ舐める。

 

程よい甘さが口の中に広がった。夏の味だった。

 

流れの中の人はみんな笑顔だった。お父さんの腕を引く小さな女の子、中学生くらいの初々しいカップル、孫を肩車している祖父。

 

祭りの雑踏は笑顔が溢れていた。日頃の暗いニュースが嘘のようだった。そんな風景を見てると考えてしまう。

 

----いつからだっただろうか?

 

祭りの雑踏を聞くと、この祭りの主役は自分じゃないと思いはじめたのは……。

 

----いつからだっただろうか?

 

子供みたいに無邪気に笑えなくなって、祭りを楽しめなくなったのは……。

 

いや、祭りじゃなくても日頃のあらゆることで感じていた。

 

俺は決して“主役”じゃないということに……。

 

そう気付いたのは決して最近の話でもなかった。

 

ずっと前から分かっていた、気づいていた。

 

でも、主役じゃなくてもせめて舞台には立ちたいと思うのは我がままなのだろうか。

 

きっと、俺はこの祭りの舞台にも立てていない。舞台にも立つことが出来なくなったのは“あのこと”を強く意識するようになった時からだ。

 

そんな負の考えを振り払うように首をブンブンと振る。

 

とりあえず、歩くか。

 

ここにとどまっていても、どうしようもない。出店も全部まだ見れてないし、のんびりと見て回るか。

 

せっかくの夏の風物詩、味わないと損だ。それに暗い考えは“らしく”ない。

 

止まっていた足を一歩踏み出す。

 

頭上には上弦の月が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

------人混みの中を流されるように歩く。

 

金魚すくい、イカ焼き、たこ焼き、はしまき、かき氷、射的、型抜きなど夏祭りにはこと欠かすことのできない出店が立ち並ぶ。

 

それらので店を手にもったりんご飴を食べながら冷やかす。

 

たまに周りを見渡してみるがミズキ達は見つからない。ミズキの髪みたいな特徴的な色だと目立つかと思ったけど、夜の暗さと出店の黄色がかった明かりとで目立たなくなっているのかもしれない。

 

「あの、もしかして、お兄さんですか?」

 

そんな風に辺りを少しキョロキョロと見渡していると、不意に後方から声をかけられた。

 

振り返れば淡い赤い色の浴衣を着た少女。ツヤのある黒のミディアムヘアーに浴衣と同じ赤いリボン、真の仕事仲間であり、親友の少女が立っていた。

 

「春香ちゃん……?」

 

「はい、こんばんは。お兄さん。先週ぶりです」

 

春香ちゃんはぺこりと微笑みながら頭を下げる。

 

彼女と最後にあったのは先週我が家に遊びに来た時だったので意外と早い再開となった。

 

屋台の自家発電装置や人々の話し声が混じり合う雑踏の中、彼女の声はよく聞こえた。

 

「こんばんは、浴衣よく似合ってるよ」

 

赤い浴衣は彼女のトレードマークであるリボンと同じ色でとても彼女に似合っていた。そもそもアイドルなのだ何を着ても映える。祭りの雑踏の中で注目されにくいはずなのだが、今でも通行人の視線を集めていてる。

 

「うわぁ、ありがとうございます。お兄さん、嬉しいですっ!」

 

無難な褒め言葉しか出ない口下手な俺だが春香ちゃんは嬉しそうに微笑む。

 

やっぱり、綺麗な子だな。外見もそうだけど、中身も。

 

改めてそう思う。

 

 

「どうしたのこんなところで?」

 

確か、真が昨日一緒に祭りに行くと言っていたメンバーの中に春香ちゃんの名前もあったはずだ。

 

「えへへ、実ははぐれちゃって。私ドジですから……」

 

そう言いながら春香ちゃんは後ろ髪をかく。

 

「お兄さんはどうしてお一人でいるんですか? 真からは友達と一緒に回っているって聞きましたけど」

 

「俺も実ははぐれちゃってね……。携帯で連絡取ろうにも充電切れでね。どうしようかと思ってたんだ」

 

そう言いながら真っ黒な携帯の画面を見せる。

 

「そうなんですか。実は私もケータイ充電切れてて……」

 

えへへ、と笑う春香ちゃん。

 

「そうなんだ。それはお互いに困ったね」

 

連絡を取れないならもはや合流は諦めた方がいい。俺はとっくの昔に諦めた。

 

そうですね、春香ちゃんはそう相槌を打ったあと、あっ! と顔を上げた。

 

「お兄さんも今は一人なんですよね?」

 

「うん、大学の友達との合流も絶望的だしね」

 

「お兄さんは花火見られて行きますか?」

 

この夏祭りのメインは花火である。この地域、いや地区でみてもトップレベルにはいる大きな花火大会だ。年に一度だし、見ないと損。

それにもう花火なんて見る機会今後ないかも知れないしね。小さい花火ならいつでも見る機会はあるけど、本格的な花火を見る機会なんて中々ない。

 

「うん、一応花火は見て行くよ」

 

それじゃあ、と春香ちゃんは続ける。

 

「一緒に回りませんか? 夏祭りっ!」

 

「……」

 

非常に嬉しい申し出である。美少女アイドルが一緒に祭りを回ろう、なんて言ってくれるチャンス何て恐らくこれが最初で最後だろう。俺としてもノンタイムで首を縦に振りたいのだが、そうはいかなかった。

 

「もしかして、私とじゃダメですか?」

 

「嬉しいんだけどね、色々と大丈夫なの? ほら、春香ちゃんアイドルだし。二人っきりって言うのは……」

 

そう、俺の心配はそこだった。別に真や他の誰かが一緒にいるのなら大丈夫だ。でも、今いるのは俺と春香ちゃんの二人だけ。

春香ちゃんと俺の関係は友達の兄と妹の友達というただの顔見知りといっていいほどの関係だ。でも、知らない人から見ると恋人同士に見えなくもない。俺としてはこんな美少女と恋人に見られることはあ嬉しいだけで済むのだが、春香ちゃんはアイドルだ。恋人と見間違えられるのは色々と危ないし、春香ちゃん本人も俺なんかの恋人に間違われるのは嫌なはずだ。

 

当事者にその気はなく周りから疑われるようなことはだめだ、きっと。

 

「その辺りは大丈夫ですよ! 私たちアイドルですけど、まだまだ仕事も少ないしそんなに有名じゃないですからゴシップを撮りたがる記者の人なんていませんよ。それにこの人混みです!私なんか目立たないですよ。悲しいですけど」

 

さきほどから行き交う人々がチラリと視線を送っているのに気づいていないのか気づいていない振りをしているのか、それは分からないけど春香ちゃんはそう言った。恐らく前者なんだろうな。

アイドルという職業だから見られるというのはきっとこんなチラチラじゃなくてマジマジと見られることだけだと思っていそうだ。

 

それとも……、と彼女は続ける。

 

「それとも、お兄さんはやっぱり私と回るのが嫌なんですか……」

 

さきほどの笑顔から一転シュンとしか表情になる春香ちゃん。

 

「いやいやいや、そうじゃないからね! 春香ちゃんが大丈夫なら俺からお願いしたいくらいだよ!」

 

「私は大丈夫です、むしろ----。うんうん、お兄さん、一緒に回ってくれますか?」

 

中間は声が小さくて聞こえなかったが、春香ちゃん自身は俺と回ることは大丈夫なようだ。

 

「じゃあ、お願いするよ」

 

「はいっ! 私こそ、よろしくお願いしますっ! お祭りを一緒に楽しみましょう!」

 

 

シュンとした表情からパァと明るい表情に変わり無邪気な少女のように彼女は微笑む。

 

周りの雑踏も人々の流れも止まったような気がした。そう思うくらいに彼女の笑顔に引き込まれた。

 

彼女は間違いなく、この祭りの主役だった。

 

 

 

下駄を履いた彼女に合わせるようにゆっくりとした歩幅で歩く。

 

まさか、この年になって女の子と二人きりで夏祭りを回れる日が来るとは思わなかった。一つ残念なのは春香ちゃんは真よりも一つ年下なので彼女というよりかは子供と言った方が心境的には合ってるというところだ。

 

「やっぱ、出店と言えばりんご飴ですねっ!」

 

彼女は俺と出会う前に買っていたというりんご飴をペロリと舐めながら言う。

 

「うん、俺もそう思うよ。りんご飴美味しいしね」

 

しかし、不思議なものだよな。砂糖と水とリンゴでつくったものがこれほど美味しいと感じるのも。

 

出店補正か何かついているようにしか思えない。

 

「はいっ! とても美味しいです!

あっ、お兄さん向こうにたこ焼き屋がありますよ! たこ焼き屋!」

 

春香ちゃんが指差す先にはたこ焼きの文字。

匂いは色々なものに混じって届かない。

 

「まだまだ、花火には時間があるし、買って行く?」

 

「はいっ!」

 

たこ焼きの屋台前に来るとソースの匂いがムアっと襲ってきた。

 

「たこ焼き6個入りを一パックください」

 

俺の言葉に白いTシャツに白いタオルを頭に巻いた屋台のおじさんが元気良く反応する。

 

「あっ、私も6個入りを1パック……」

 

「いいよ春香ちゃん。頼まなくても俺のあげるから」

 

春香ちゃんの言葉を横から遮るように止める。

 

「えっ、でもそれじゃあお兄さんの分がなくなっちゃいますよ?」

 

「いいんだいいんだ。実は春香ちゃんと会う前から結構、買い食いしてて1パックは多いと思ってたんだ」

 

「それじゃあ、お金くらいは出しますよ」

 

「それも気にしなくていいよ。年下の女の子に出させるわけにいかないからね」

 

財布を出そうとする彼女の手を持って止める。年下の女の子にお金を出させるわけにはいかない。ましてやそれが真と同い年ならなおさらだ。

 

「はいよ!兄ちゃん、今日はデートかい? えらい彼女さんベッピンさんじゃねぇーか」

 

ガハハハと豪快に笑いながらおじさんはピックでたこ焼きを一回転させて行く。

 

「え、えええいや私たちカップルじゃないですよ」

 

春香ちゃんが顔を少し赤くしながら手をわたわたと横に振る。

うーん、そもそもから期待なんかしていなかったとはいえここまで嫌がられると少し傷つくかも……。

 

「そうかそうか、てっきりお似合いのカップルかと思ったんだけどな。まぁいいや、ほい兄ちゃん、たこ焼きだぜ。二つおまけしておいたからゆっくり食べな」

 

ピックで慣れた手つきで白いパックにたこ焼きを詰め込んだおじさんは輪ゴムで蓋を止めるとその間に二本の竹串をさしてビニールに入れる。

 

「500円ちょうどな! 毎度あり!」

 

おじさんの元気な声を聞きながら俺たちはまた人の流れに戻った。

 

「はい、春香ちゃん、たこ焼き」

 

人の波に乗りながら春香ちゃんにたこ焼きが入ったビニール差し出す。休憩場も何もないため座るところはない。悪いけど立ちながら食べてもらうことになる。

 

「本当にいいんですか? お兄さん」

 

「いいっていいって、むしろ真といつも仲良くしてもらってるからそのお礼ってことで気にしないで!」

 

「ありがとうございます。今度クッキー焼いて持って行きますね」

 

そこまで気にしてもらわなくても大丈夫なんだけどな。ここで大丈夫っていっても春香ちゃんは納得しそうにないし。

 

「うん、それじゃあ機会があったらよろしく頼むよ」

 

ここは無難な返しをしておこう。

 

「はいっ! とびきり美味しいのを作りますねっ!」

 

彼女は笑顔で頷く。

 

上弦の月はハッキリとまだ見えていた。

 

 

 

 

「うわー、美味しそうですよ! とても!」

 

たこ焼きのパックを開けた開口一言目の彼女の言葉だった。

白い湯気が出て鰹節が上で揺れていた。

 

「いただきまーす」

 

彼女はそう言うと竹串で8個あるうちの一つを半分に切り口に入れる。

 

「うーん、おひしいです!」

 

どうやら、味は満足だったようだ。そういえば屋台とかで食べたもので不味かったものって思い浮かばないな。思い出補正とか呼ばれるものもきっとあるのだろうけど、不味い記憶がないって何気にすごい気がする。

 

「それは良かった」

 

「お兄さん、別にお腹いっぱいってわけじゃないんですよね? 一つどうですか? 美味しいですよっ! たこ焼きっ!」

 

そういいながら彼女はたこ焼きを手に持っていたクシでさすと俺の方へ差し出してくる。

 

これはいわゆる、あーんってやつじゃないだろうか。こんなことして、春香ちゃんは恥ずかしくないの。

 

そんな俺を横目に彼女は、何考えてるんだろー、と不思議な表情をする。

意識しているには俺だけなんだろうか? 普通意識するよな? 今時の高校生は平気でこんなことするのか?

 

「どうしたんです、お兄さん?」

 

ええい! と勢い良くたこ焼きを頬張る。

 

「あっ、美味しい」

 

例にももれず、そのたこ焼きも美味しかった。

 

「でしょー! とっても美味しいです!」

 

笑顔で彼女は言う。人混みと夏の熱気が混じった中、その笑顔はとても輝いていた。

 

 

 

 

 

 

「もうすぐ、打ち上げですね。お兄さん」

 

春香ちゃんが腕時計で時間を確認しながら呟く。

 

俺も時計で時間を確認してみれば打ち上げの3分前を指していた。

 

春香ちゃんと合流してから一時間以上もうたったのか。なんだか、あっと言う間だったな。

 

「そうだね、もうすぐだね」

 

「お兄さん、どこか花火を見るためのオススメスポット知ってますか? 私たちこの花火大会来るの今年で二回目なんで詳しくないんですよ」

 

その春香ちゃんの言葉を聞いてはっと思い出した。

 

花火の打ち上げは毎年この屋台がそって並んである川の河原で行われる。河原に出ても人が多すぎてゴミゴミとしてユックリ花火が見れない。

 

なので俺たちは毎年穴場であるこの会場から5分から10分ほど離れた場所にある寂れた神社の境内で花火を見ていた。

 

ミズキたちはもちろん真もきっと友達を連れてそこに行っているはずだ。

 

というか何で俺はこんな簡単な合流方法に気づかなかったんだろうか。まぁ気づいていたとしても花火の打ち上げまでは合流は不可能だけど。

 

「うん、穴場スポットって言うかは微妙なところだけど、いつも毎年俺たちはこの会場から少し歩いた所にある神社で花火を見てるよ。真達も多分そこに今年もいるはずだから行ってみようか。多分花火の第一発目にはもう間に合わないけど」

 

「地元の人たちだけが知るっていうスポットですねっ! 行きましょう!」

 

「うん、それじゃあこっちに……」

 

俺が神社へと行くために歩き始めようとした時春香ちゃんが声をかけて止めてきた。

 

「お兄さん、お願いがあります」

 

「うん?」

 

なんだろう。難しくないことなら全然問題ないんだけどな。

 

「こっちの方向は人が多いですし流れと逆です。人とぶつかりやすいですし、またはぐれちゃうかもしれません。だから、手を繋いで行きませんか? 神社まででいいので」

 

そういいながら手を差し出してくる彼女。その顔は恥ずかしそうに少し赤らんでいた。

 

はぐれるのが恥ずかしいね。確かにそれはそうだ。でも、別の意味じゃ恥ずかしくないのかな……。

 

きっと彼女は俺のことをただの友達の兄貴としか見てないようだ。俺自身も何でかわからないけど、そのことがほんの少しだけ、ほんの少しだけだけど何だか悲しかった。

 

差し出された手を掴む。女の子らしい柔らかい手だった。

 

「さぁ、行きましょう。お兄さんっ!」

 

俺たちは人々の流れに逆らうように歩いた。

 

その時だった、ドーンと一つ後方で爆発音。オーッと周りからどよめきが聞こえる。後ろを振り返れば春香ちゃんの笑顔とバックにはパラパラと消える赤い光。

 

花火が始まったみたいだ。

 

彼女がギュッと握っていた手に力を入れる。

 

「楽しいですね。お兄さんっ。私は今日、夏祭りに来て本当によかったと思います」

 

そう言って彼女は微笑んだ。

 

それは俺が見てきた今日一番の笑顔だった。

 

その笑顔を見ると数年振りに俺もこの夏祭りの舞台に立つことができた。そんな気がした。

 




雪歩で書いてたんですが、何故か春香に……。

何でだ……?

第二章は八月で全て使うつもりですので追い追い書く機会もあるでしょう。……多分


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第二話

いつも通りの暑い日だった。太陽は赤く照りつけ気温は高い、そして俺の部屋の窓ガラスの向こうでは騒がしい蝉しぐれ。今日と明日はバイト先が新装工事と定休日で休みだ。久々に丸一日という休みを手に入れた。

 

今日は昼過ぎまでゆっくり寝れる。無駄な過ごし方だと言われそうだが、グタグタと過ごす日々も必要なのだ。特に最近はイベント多かったしね。息抜きしないと疲れてしまう、俺はもう若くはないのだ。

 

真は今日の早朝に海へと出かけて行った。何でも一泊二日でナムコプロダクションのメンバーで海へと遊びに行くみたいだ。

 

仲間と一緒に海に行くなんて青春してるな。楽しく仕事仲間と遊べているみたいで俺としては非常に嬉しい。

 

真が海へと出かけるのを見送ってから部屋に戻り、ゆっくりと二度寝をしていた時だった。

 

ピリリピリリ。

 

耳元で携帯が着信を告げる。

 

時間を見れば7:32。真を見送ってからまだ一時間しかたっていない。

 

寝ぼけてボーっとしている頭で電話を取る。あとあとになるがこの時俺はせめて誰からかかってきたのかくらいは確認しておくべきだったと思い悔やむことになる。

 

「よう、起きてっか?」

 

スピーカー越しに聞こえたのは女性にしてはハスキーな声。その声に反射的に顔を少ししかめる。

 

高校時代から嫌という程聞いたこの声を聞き間違えるはずもない、今日は平凡に寝て無駄に一日を消費したかった俺には決して聞きたくない声だった。

 

「今の電話で起きたよ、ミズキ」

 

彼女、橘ミズキは電話越しで笑っていた。

 

「そうかそうか、起こしてしまったか。それはすまないなぁ」

 

「全くすまないと思っていないだろ」

 

「はははは。まぁそんなことはどうでもいいじゃねーか」

 

彼女からの電話ということはほぼ何か起こること確定的だ。むしろ、起こらなかったことの方が少ない。

俺の安息日は電話をとった瞬間から跡形もなくなくなった。

 

「いや、よくないんだけど……」

 

「何だよ、そんな小さなことにこだわるから夏祭りの時に迷子になったりするんだよ」

 

「うっ……」

 

四日前ほどの夏祭りのことを突っ込まれると返す言葉がない。はぐれた俺が悪いんだし。

結局合流できたのもメインである花火の打ち上げが始まった後だった。

ぐちぐちとしばらく言われるのは仕方がないことかもしれない。

 

 

「まぁ、お前が子供みたいなのは今に始まったことじゃねぇしな。とりあえず、そんなどうでもいいことは置いといてだな。今から海に行くぞ!」

 

彼女はいつにもなく唐突に切り出した。

 

「は?」

 

突然すぎる言葉に思わず口から漏れた言葉だ。

 

「今度オープンするホテルのモニターを頼まれてな。それでちょうどそのホテルが海の前のあるんだよ。だから一泊二日で海に行くぜ」

 

「ちょっと、まっ」

 

俺の言葉を遮るように話すミズキ。人の話を聞かないのはいつになっても変わっていなかった。それにどこが“だから”なのか。

 

「それで今から迎えに行くから泊まる準備と水着の準備しておけよ。ちなみに天パーと色男はすでに一緒にいるから」

 

「だから、ちょっとまて」

 

ツーツー。

 

説明を求めようとしたところ通話が切れる。本当に言いたいことだけ言って切ることも相変わらずのことだった。せめて人の予定くらい聞けよ、もし何か予定でも入っていたらどうするのだろうか……。

 

そう思ったがどうせSSKに全員の予定を聞いたのだろう。天パーで細い銀ぶちメガネの友人が頭に浮かんだ。

 

布団から起き上がり、うーんと一つ大きく伸びをする。

 

今日くらいゆっくりとしたかったけどな。どうもそれは無理そうである。最近はおとなしかったとはいえ、ミズキがやると言えばやるのだ。俺たちの意見なんか関係ない。全ては彼女の思うがまま。

 

俺たちに出来ることと言えばミズキの機嫌が悪くならないように接待することくらいだ。

 

朝食は食べる時間はなさそうだな。

 

タンスに無造作に投げ込まれていたボストンバックを取り出す。

 

このバックもタンスから取り出すのは数年ぶりだ。最近泊り込みの旅行なんてしてないからな。チャックとかちゃんと動けばいいけど……。

 

ファスナーを動かしてみるとスルスルと動いてくれた。うん、壊れてはないみたいだな。

 

バックの中に着替えや必要なものを詰め込んでいく。

 

後は水着か……。海に行くのって高校以来じゃないだろうか。

大学になってから海どころか泳ぐ機会すらなかったしな……。

 

体型は変わってないと思いたい。水着は入ると思うけど……。

 

しかし、ミズキも急だよな。せめて泊り込みの用事くらいは前々から言って欲しかった。ぐちぐとと文句を言いながらも準備を整えている自分に気づく。

 

夏は嫌いじゃないし、まして夏の風物詩である海だ。どうやら俺は自分が考えている以上に楽しみにしているみたいだった。

 

 

 

「やぁ、おはよう。意外に早かったね」

 

マンションの前には一台のオープンカーが止まっていた。むちゃくちゃ高そうなやつ。持ち主いわく何でも高校から貯めていたバイト代で買ったとか。

 

そんな赤色のオープンカーの運転席に座っていた茶髪のイケメン、ヒロトはマンションから降りてきた俺に声をかける。夏らしくラフな格好に頭上にはサングラス。男の俺からみてもいい男だ。

それに加えて性格もいいときた。容姿端麗、スポーツ万能。中学までやっていたらしいバスケでは全国優勝したとか何とか。後は勉強さえ出来れば完璧な超人である。

 

神はどうやら二物三物を与える人間には与えているみたいだ。俺は一物も与えてもらっていないので若干の不公平を感じる。

会う機会があれば文句の一つでも言いたいところである。

 

「おはよう、ヒロト。ミズキに急かされてね、慌てて準備してきたよ」

 

ミズキが予想外に早く来たためにろくに準備できなった。電話があった後の5分後にはチャイムが鳴らされ、出てみればドアの前にミズキが立っていた。いくらなんでも急すぎるってものである。

少なくとも最低限度の物は入っているはずだから大丈夫だと思いたい。

 

頼りない重さのボストンバックを少し上下させてみる。まぁ一泊だしどうにでもなるか。

 

「ふむ、おはよう。早朝からご苦労だな」

 

そんなヒロトの横、助手席に座っていたSSKが軽くてを上げる。いつも通りのボサボサ頭にやる気の抜け切った目。細いフレームのメガネが早朝の日光を反射している。

 

この地域一番の大病院の医院長の息子である彼は少し変わったヤツである。頭脳明晰であり、情報屋。情報もとりあえず色々と持っていたりする。何故か俺たちのスケジュールも知っていたり、警察のお偉いさんと知り合いだったりと、とりあえず凄いヤツだと思ってもらえたらいい。物事をズバズバというタイプであり、口調も少し角ばったものが多い。変わったやつではあるが決して悪いやつではない。誤解されがちだがこれだけは間違えないことである。

 

本名はもちろんSSKではないのだが、彼と親しい人や彼にお世話になっている人は必ずと言っていいほどSSKと呼ぶために本名を聞く機会はほとんどなかったりするのも彼の特徴だ。

 

「おはよう、SSK」

 

とりあえず、俺も片手を上げて挨拶しておくことにする。

 

「時間は有限なんだ。急ぐことは何も悪いことじゃあねぇぜ」

 

後ろを見れば俺を急かした張本人が笑っていた。ミズキのことを表すには何といえばいいのか。見た目は飛んでもない美人。そこらのアイドルや女優にだって負けないくらい。

十人いれば九人は美人だと言うだろう。それにスタイルだっていい。今だってショートパンツと夏らしいスタイルが良く分かる薄いTシャツ。

 

外見だけで点数をつけれるのなら文句無しで100点満点だ。ヒロトと同じく恋人は作らないみたいで二人揃って撃墜王と撃墜女王の名前をほしいままにしている。SSK調べではヒロトに告白してきた人もミズキに告白してきた人も大学に入ってから今まで三桁に登るらしい。

 

どこの昭和の漫画だよ!と、思わすツッコミを入れたくなるが、ところがどうしたことかこれは現実だった。

 

容姿端麗であり文武両道。

高校時代の模試では全国ランキングで名前を見なかったことはなく、運動も何をやらせても出来る。我が自慢の妹、真に教えていた空手では比喩ではなく全国トップをも狙える実力の持ち主だ。

 

性格さえ良ければ完璧だった。

やはり、神は完全な人間は作らないようだ。

 

ミズキの難はその性格にあった。男よりも男らしい性格、言葉使いもあらければ手を出すのも早い。それに思いついたら即行動するタイプだ。その思いつきも飛んでもない奴が多いし。

彼女の伝説は数多くある。暴走族を一夜にして壊滅させたとか、文化祭のステージをジャックしてライブを開いたとか、しつこつナンパしてきた男を一撃でのしたとか、リンゴを片手で潰せるとか何とか……。しかも、その伝説のほとんどが実際にやったことだから笑えない。

 

まだ、一人でやることなら勝手にやってもらえばいいが何かとミズキは俺たちを巻き込む、教師には目をつけられるし、たまには警官の人たちに注意されることもあった。今となってはいい思い出なのかな? これも。

 

「出来れば当日じゃなくて前もって言って欲しかったよ」

 

「サプライズってやつも人生を楽しむ上で大切だろ?」

 

ミズキの提案にはサプライズ要素が多すぎる気がする。

 

「それにSSKとヒロトには二週間ほど前には言っていたぜ」

 

おい、それなら俺にも教えてくれたって良かっただろ。ヒロトを見ると苦笑いをしていた。

 

「まさかミズキが君には言ってないと知らなくてね。てっきり一番に言ったものとばかりね……」

 

「こいつに早めに言うとバイトとか言って逃げるからな。当日拉致ることにしたんだよ」

 

当日拉致るって色々とダメだろ。バイトいけなくなってクビになったらどうやって生きていけば……。

 

本当に今日休みで良かった。そう言えば新装工事も急だったな。店長が二週間くらい前に決めたんだっけ、確か。

 

SSKと目が合う。彼もヒロト同じように苦笑いを作っていた。

 

 

「まぁ色々とお疲れ。とりあえず、トランクに荷物入れるから預かるよ」

 

運転席から降りてきたヒロトは車の後方、トランクへと向かう。

 

トランクには二つのボストンバックとキャリーバックか一つ、それにクーラーボックスがすでに入っていた。

 

見た目によらず、この車のトランクは大きい。俺のボストンバックも入れることができた。

 

 

 

 

「よし、じゃあ出発とするか!」

 

全員が車に乗り込んだ後ミズキが言う。

 

席順は運転席にヒロト、その横の助手席にSSK、運転席の後ろに俺、その横にミズキという席順。

 

今日はヒロトの運転だが、俺以外の三人は免許も車も持っている。だから、車で移動する時は車の運転手も時によって違う。

 

運転手が違うと席順も変わるのが俺たちだった。

 

具体的に言うと、SSKが運転する時はヒロトが助手席へ座り、俺とミズキは後部座席に座る。

 

ミズキが運転する時は俺が助手席へと座り、SSKとヒロトが後部座席に座るという風な具合に席順が変わるのだ。

 

いや別に理由という理由はないと言えばないのだが、ミズキが車で移動する時はこうすると決めたのでそれに従っている。

 

恐らくミズキも何と無くでこの席順を決めたことに違いない。

 

 

 

 

「そう言えば何処の海に行くんだ?」

 

車が走り出してしばらくして聞いてみる。

 

「白濱市の海だよ」

 

運転席のヒロトが答える。

 

白濱市かまた遠いところだな。具体的に言えば県外。隣の県だけど、その県の一番端っこ。行ったことはないが大分かかるはずだ。

 

「白濱市か。確か海が綺麗で有名なところだよな。何かリゾート地みたいになってるとか聞いたことがあるような」

 

何処かのテレビの特番でそんな話をしていたような気がする。

 

「まぁリゾート地と言えばそうだな」

 

「何かモニターとか何とか言っていたけど」

 

「まぁ正確に言えばモニターじゃねぇが、モニターみたいなもんとでも思ってくれたらいい。白濱に今度オープンする新しいホテルのな。オレだけで行っても楽しくないからお前たちも呼んだのさ」

 

「え、でもミズキが呼ばれたんでしょ。俺たちも行っていいの?」

 

「良いに決まってるだろ。向こうにも了解は得てある。それにオレもお前たちもただ部屋に泊まって寝るだけで良い。他にも何人か泊まっている奴もいるだろうし。感想なんかはそいつらにでも任せとけ」

 

それで本当に良いのだろうか。良くないような気もしないこともないけど。

 

「せっかくの泊まり旅行だし、楽しんでいこーぜ」

 

ミズキがそう言って笑う。

 

「うん、そうだね。楽しもうか」

 

「この4人で何処かへ泊りに行くのも久方ぶりだしな。楽しくやるのは同意する」

 

「確かに楽しまなきゃ損だな」

 

ヒロト、SSK、俺も笑って頷いた。

 

 

 

 

「ふぁあ」

 

あくびが出る。車が動き出して15分程度がたった。まだまだ白濱市までか、県境にすら程遠い。

 

二度寝もろくにしていなったために眠たい。みんなと話していると楽しいし気はまぎれるのだが眠気だけは話しているだけではどうしようもない。

 

運動すれば覚めると思うけど。

 

「うん、眠たいのか? そう言えば電話でも寝起きって言ってたな」

 

あくびしているのを見られたみたいだ。

 

「うん、まぁ昨日遅くてね」

 

「白濱市までまだまだかかるから寝てるといいよ」

 

「うむ、高速を使うとは言えあと2時間50分、つまり3時間弱はかかる。十分に寝れるはずだ」

 

「なんだ、だらしねぇな。海に着いたら思いっきり遊ぶんだから今のうちに休んでおけよ」

 

今日のミズキは機嫌がいいな。

 

「ははは。ありがとう、みんな。それじゃあお言葉に甘えて少し寝るよ」

 

ドアに寄りかかり目を瞑る。車のエンジン音とみんなの話し声がどんどん遠くなっていく。

意識がなくなるにはすぐだった。

 

 

 

 

「おい、着いたぜ。起きろよ」

 

ゆさゆさと揺さぶられる。

 

頭が覚醒していく。潮の香りがする。

 

「……うん?」

 

目を開けるとミズキの顔が見えた。

 

別にそれは問題ない。ミズキは俺の横に座っていたのだし見えるのは当然だ。

 

だけど、そのアングルがなぜか下から見るようなアングルだった。

 

頭の下には柔らかい感触。

 

「何やってんだ、お前。寝ぼけてんのか?」

 

ミズキが笑う。距離が近い。

 

やっぱり、何処からどう見ても非のつけどころがないくらいの美人だ。

 

って、そうじゃない。

 

この状況ってまさか膝枕って奴をされているのか、俺。

 

慌てて体を起こす。

 

太陽が高く登っているのが見えた。どうやら駐車場に止まっているみたいだ。白いボロボロのワゴン車とか数多くの車が目に入った。

 

「どうした。そんなに慌てて起きて。オレの膝枕なんてそうそう味わえないぜ」

 

少し顔を赤くしながらミズキがいう。機嫌はどうやら良いみたいだ。

 

「どうして俺がミズキに膝枕されてるんだ?」

 

「何でも何もお前がこっちに倒れてきたんだろ?」

 

「ごめんごめん、それなら起こしてくれれば良かったのに」

 

「夜遅かったって言ったしな。寝不足で海で倒れられたりしたらせっかくの旅行が台無しだろ?」

 

「でも、ごめんな。お礼に何か買ってくるよ。重かっただろうし。それにしてもおかしいな。ドアに寄りかかって寝たつもりだったけど、寝相も結構いいほうだしさ」

 

「ま、まぁそんなことはどうでもいいだろ!」

 

目をそらしながら言うミズキ。やっぱ怒ってるのかな。

 

運転席のヒロトを見る。一瞬、悔しそうな顔をしていたような気がする。

 

「やぁ、おはよう。目的地に着いたよ」

 

笑顔で話すヒロト。

 

さっき顔は気のせいだろうか。

 

「おはよう、大分寝れたみたいだな」

 

SSKはいつも通りのやる気のない顔だった。

 

「二人ともおはよう。おかげでゆっくり寝れたよ」

 

「ようやく寝坊助も起きたところでーー。お前ら海だぜ!!」

 

ミズキがそう言って俺の後方を指差す。

 

振り返れば大きな水色。

 

太陽の光をキラキラと反射していた。

 

ここからでも砂浜には多くの人がいるのが見える。さすがリゾート地。

 

「久々のこのメンバーでの海だ。今日は楽しむぜ!!」

 

ミズキが拳を空に向ける。

 

俺たちもそれにならい拳を上へと挙げた。

 

空も海も気持ちがいいくらいに青かった。

 

 

 

 

 




海行きたいです。最後に泳ぎに行ったのいつだったかな……。

遠い昔のことだった気が……


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第二話 その2

最近文字数が普段より少しだけ多いです(当社比)


青い空に青い海。地平線まで青が広がっていた。太陽の光を受け水面がキラキラと揺れる。そんな海を横目に白い砂浜を歩く。

 

砂浜には多くの人が溢れていた。

多くの学生が夏休みを迎える葉月のそれも休日となると人も必然と多くなる。それに白濱はこの地域でも有名な場所だしね、ここまで人が多いのも理解できる。

 

ずうっと奥の方まで見える範囲で人がいた。海の家や更衣施設と思われる建物も4、5件ポツポツと見えている。

 

 

時間は10時まで後5分もないといったところ。約2時間は寝れたみたいだ。

おかげで少し体が楽になった気がする。

 

「それじゃあ着替えて10分後にここに集合な!」

 

 

ミズキは二つある更衣施設の真ん中で立ち止まり集合時間と集合場所で言う。

 

さすが観光地と言うべきか更衣施設が二つもあるなんてな。

 

その言葉に野郎三人は頷く。

 

ミズキはヒラヒラと手を振ると特徴的な赤い髪をなびかせながら正面から左側の建物へと消えていった。

 

本当にマイペースなやつである。そういうところがとてもミズキ“らしい”。

 

すれ違う男のほとんどが視線を向けている。やっぱりここでもミズキは注目を集めるみたいだ。

 

 

「さて俺たちも着替えようか。と、いってもズボンの下に水着はいているから直ぐに着替え終わるんだけどね」

 

そういってサングラスをかけているヒロトは笑う。足元にはクーラーボックス。ジャンケンで負けたヒロトが持っていくことになったやつだ。

 

中には何が入ってるんだろうな。多分飲み物とかだと思うんだけど、やけに大きいんだよなこのクーラーボックス。ヒロトは涼しい顔して持ってるけど、俺ならどうだろうか。

 

それにしても、サングラスが似合うっていいよな。顔が整っていると何をしても似合う。俺なんてサングラスをかけたら不審者に間違われる自信があるね。

 

心なしか周りにみる水着の女子の視線がチラチラとヒロトに向けられているような気がする。多分、気のせいではない、ヒロトが注目されているんだ。

 

「ヒロトは下に履いているのか。俺もそうしておけばよかった……」

 

更衣施設が二つあるとは言えでもこれだけの人がいるんだ。きっと中は凄い混雑してるんだろうな。下に水着を来ていれば外でも着替えれたのに……。

 

 

「まぁどうせ男の着替えなんて直ぐに終わるだろう。別にどちらでも大差ないと思うぞ」

 

SSKが額に汗を浮かべながらも淡々と言葉を発する。

 

男の着替えなんて確かにすぐだ。身に気を使うほどの外見でもないし。

 

「それもそうだな。じゃあ俺たちもさっさと着替えようか。ヒロトはどうするの?」

 

「俺もとりあえず更衣室にいくよ。日焼け止めも塗りたいしね」

 

 

あ……。ヒロトのこの発言で思いした。パーカーを車に積みっぱなしだ。寝起きで少し頭が呆けていたかも。

 

「ごめん。ヒロト、車の中に忘れ物した!」

 

「忘れ物?」

 

「うん。車のトランクに積んでるバックにパーカー入れっぱなしだ」

 

「あぁ、なら俺も一緒に行こうか。あの車のトランクって結構特殊だし」

 

 

「すまんな。ヒロト」

 

「いやいや、気にすることはないよ」

 

ヒロトは嫌な顔見せずに涼しげな笑顔を見せる。こんな時にこういった笑顔が出来るのは流石ヒロトだ。人格者というべきか、このメンバーの良心である彼“らしい”。出来ることなら俺もヒロトのようにいつも爽やかな笑みで笑っていたいものだ。

 

「うむ、それじゃあこのクーラーボックスは俺が持っていくとしよう。お前ら忘れ物とりにいってこい」

 

俺たちのやりとりを聞いていたSSKがヒロトの足もとに置いてあったクーラーボックスをひょいと持ち上げ少しぐらつく。

 

「悪いな、SSK」

 

「すまない」

 

「なに、気にすることはない。それに集合は10分後だ。さっさと行ってこい。間に合わんでも知らんぞ」

 

淡々と彼は言うと、俺たちに背を向けミズキとは逆の右側の建物の中に消えて行った。

 

 

 

 

 

ヒロト二人で駐車場へと向かう途中の砂浜、色々な人がいる中にえらいグラマーな美人がいた。スタイルがよく分かる黒いビキニを身につけ、白い肌は日光を反射している。普段なら暑苦しいと思う太陽がまるでスポットライトのように感じた。髪はミズキと同じく黒髪ロングヘアー、長さも同じくらい。違うのは色とくせ毛くらいかな。あいつの髪は真っ赤でくせ毛とかないし。

 

歳は俺たちと同じくらいだろうか? 女性の年齢は見た目通りとは限らないしそこは分からないけど、おそらくそれくらい。

 

スタイルいいなー、と思い思わず二度見してしまった。男なら分かってくれるはずだ。海とか街中とかで綺麗な人を見てしまうなんて誰しもあるはず。現にその美人さんをチラチラと見る周りの人、流石にジッと見る人はいないけど。視線の中には女の人もいた。やっぱり女の人もスタイルがいい人は気になるみたいだ。

 

是非ともあんな美人さんと仲良くなってみたいものだが、声をかける勇気もなければ、かけても相手にされる容姿でもない。それにミズキにばれたら何て言われるものか分かったものでもない。

 

俺が視線を向けていたことに気づいたのか、それとも周りの奴らが視線を向けているのに気づいたのかヒロトもその美人さんを見る。

 

そしておもむろに近づいて行くと気軽に声をかけた。

 

「あずささん、お久しぶりです」

 

「あらあら、ヒロト君じゃない」

 

向こうもヒロトのことを知っていたのか笑顔で返す。この二人知り合いなのか。イケメンだとこんな美人さんと知り合う機会があるのか。羨ましいことこの上ない。是非とも紹介して欲しいところである。紹介されても話すネタなんてないので困るだけだけど。

 

「こんなところで会うなんて偶然ですね。今日は遊びに来られたんですか?」

 

「うん、そうなのよー。遊びに来たんだけどいつの間にかみんなとはぐれちゃってー」

 

これだけの人がいるんだから周りに気をつけないとハグれてしまいそうだ。砂浜もこれだけ広いしね。

 

「また迷子になったんですか、あずささん」

 

「恥ずかしいけど、どうやらそうみたいね」

 

ふふふ……と笑う美人さん。

 

談笑しているイケメンと美人にそれを見ている男。もしかして俺はお邪魔だろうか。いや、もしかしなくてもお邪魔なんだろうな。

 

「もしかして俺って邪魔な感じ?」

 

ヒロトに耳打ち。

 

「なにいっているんだ、君は?」

 

はははと笑うヒロト。さすがヒロトだ、冷やかしにも慣れている。

 

「ヒロト君、そちらの人は?」

 

「こいつは大学の俺の友達です。今日は大学の友達で遊びに来ているんですよ」

 

「あらあら、それは楽しそうね」

 

手の甲で口を隠しながらうふふと笑う。ゆったりした話し方と言い優しそうな雰囲気な人だ。

 

「こちらは三浦あずささん。前に話したと思うけどよく迷子になっている女の人って言うのが彼女だよ」

 

あぁ、そう言えばいつかの昼休みにそんな話を聞いたような気がする。何でも迷子になっているグラマー美人によく会うとか何とか。美人だとは聞いていたけど、まさかここまでの美人さんだったとはね。さすがヒロト。女運もいい。

 

「三浦あずさです。よろしくね」

 

ニコリと笑顔を向けてくる、あずささん。スタイルもいいし、モデルか何かやっている人なんだろうか。もしやっているなら人気出るだろうなー。これだけスタイルもいいし、雰囲気だって柔らかい。雑誌の表紙なんかに乗っていたら思わずその雑誌を買ってしまいそうだ。

 

「よろしくお願いします。ヒロトの友人でーー」「あずささーん!」

 

少しだけ緊張しながらも挨拶をしている途中だった。背中から声がした。後ろを振り向くと少女が一人走ってくるのが目に入った。

 

「あずささん、ここにいたんですか! 皆さん向こうで待ってますよ!」

 

オレンジ色の髪をツインテールに結んだ少女。可愛らしい顔をしている少女である、きっと成長したら美人になること間違いなし。

水着は髪と同じ橙色のワンピースタイプ。スカート部分にはフリルがあしらわれていた。活発そうなイメージが感じられる。

 

レベル高いな、今日海に来ている人って……。

 

と、言うかあの子って……。

 

「あらあら、やよい。わざわざ探しに来てくれたの?」

 

「もう、あずささんは目を離すとすぐに何処か行っちゃうんですから!」

 

「ふふふ……。それはごめんなさい」

 

「皆さん、待っていますから行きましょう!」

 

あずささんを迎えに来た少女と目が合う。

 

「あ、お兄さんです!」

 

 

少しだけ驚いた顔をした後に笑顔で言う。やっぱりだった。

 

「久し振りだね」

 

それが俺とオレンジ色の彼女との再会だった。

 

「お久しぶりでーす! あの時はありがとうございました!」

 

オレンジ色の彼女は雰囲気通りの明るい元気な声で言う。真夏の日光なんかにも負けない元気さだ。見ているだけで俺も元気になれそうだ。

 

「あらあら、やよいちゃん、このお兄さんと知り合いなの?」

 

「はい! この間近所のスーパーで知り合ったんです!」

 

「あらあら、前に話していた噂のお兄さんね」

 

噂ってなんだろうか。

怪しい男に付きまとわれたとかそんな感じの噂だろうか? 確かにあの時は今思い返してみるとよく不審者に間違われなかったなと思う。お互い初対面だったし、困ってたとはいえいきなり荷物を家までもっていくよ、とか言われたら誰でも怪しむと思う。俺だって怪しいと思うし。

 

「うっうー!あずささん、その話はナイショですっ!」

 

少女は顔を真っ赤にしながら言う。

 

「あらあら、ついやよいちゃんが嬉しそうに話していたの思い出してね」

 

どうやらあずささんと少女の反応的に悪い噂ではなさそうだ。良かった良かった。

 

そう言えば噂で思い出したが、数ヶ月前我が家にお泊まりに来ていた千早ちゃんが言っていた噂については分からずじまいだった。

真に聞いては見たのだが、真は少しばかり考えたのち、何か思い出したのか顔を真っ赤にして、に、に、兄さんには関係ないよっ!! と首をブンブンと振って教えてくれなかった。

そんな反応をされると余計に知りたくなるのだが、あのまましつこく聞くと真が拗ねそうだったのでやめておいた。それにもしかしたら、悪い噂かも知れないしね。藪を突ついて棒がでるならまだしも、蛇が出ることだってあるのだ。

噂についてはあまり気にしない方が良いのかもしれない。

 

「いやいや、あの時のことは気にしないでいいよ。それよりも君の名前はやよいちゃんでいいのかな?」

 

特にすごくいいことをしたわけでもないしね。むしろ通報しなかった彼女に俺の方がお礼を言いたいレベルだ。

 

「はわっ! そう言えば自己紹介がまだでした! 高槻やよいです! よろしくお願いします!」

 

ペコりとオレンジ色の彼女ーーやよいちゃんは頭を下げる。

 

「こちらこそ、よろしく。高槻さんって呼んだ方がいいかな?」

 

初対面に近いし苗字でさん付けが無難かな。

 

「いやいや、やよいって名前で呼んでくださいっ!」

 

「うーん。じゃあ、やよいちゃんで」

 

本人が名前で呼んでほしいと言うのなら名前で呼ぶまでだ。

 

「はい! それでお願いしますっ!」

 

少し舌足らずな口調で彼女は微笑む。本当によく笑う子だ。

 

「なかなか元気のある可愛らしい子だね」

 

ヒロトがやよいちゃんのを見ながら言う。

 

「はわっ! カッコイイ男の人です!」

 

やよいちゃんはヒロトを見ると驚いたように言う。

 

「カッコイイなんて嬉しいこと言ってくれるね。俺はヒロト。このお兄さんの友達で一緒に海に遊びに来ているんだ。よろしくね」

 

いつも通りの爽やかな笑みである。少しはその爽やかを分けてほしいところだ。

 

「よろしくお願いします!」

 

そんなヒロトにやよいちゃんは礼儀正しく頭を下げるのだった。

 

それから少しだけ会話をした後やよいちゃんとあずささんは、皆が待っているという場所へと向かって行った。

 

そういえばあの二人の関係ってなんだろうか。見ていると姉妹みたいに見えないこともなかった。近所のお姉さんと女の子みたいな関係なのかな。

 

まぁ、もう話す機会もないだろうけど、もしもあったら聞いてみたい。

 

そんなオレンジ色の彼女との再会の後、次は金髪の彼女との再会がすぐに迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとう、ヒロト。 おかげで助かったよ」

砂浜を更衣施設に向かいながら歩く。

 

「どういたしまして」

 

全国の砂浜の中には鳴き砂というものもあるらしいが、どうやらこの砂浜は違うみたいだ。

 

所々でいい匂いがする。見てみればバーベキューをやっている俺たちと同じ歳ほどの若者の姿。夏の海でバーベキュー。夏の王道だ。そんな風景に夏を感じていた時だった。

 

「おにーさん!」

 

後ろから声がして、肩を叩かれた。

 

立ち止まり後ろを振り向けばウェーブを描いた綺麗な金髪と整った顔。それに出るところは出ているスタイル抜群な体型。確か中学生とか言っていたっけ? それが本当なら今時の中学生って凄過ぎるだろ。うちの妹は高校生だけど、スタイルは……。

まぁ真の良さはスタイルなんかでは全くないんだけど。

 

「やっぱり、おにーさんなの!」

 

彼女はニッコリと笑う。

再会の後にはすぐに再会。オレンジ色の次は金色だった。

 

「美希ちゃん?」

 

「うんっ! 美希なの! 顔覚えててくれて嬉しいの!」

 

髪の色に似た黄色の水着を来た彼女ーー星井美希ちゃんは嬉しそうに笑う。

 

「もちろん、忘れるわけないよ。美人だしね」

 

ここまでインパクトが強い少女は中々いない。それに今でもたまにメールをくれるしね、彼女。

俺なんかとメールをしても何も楽しくなんかないと思うんだけど、なぜかこまめにメールのやりとりをしてくれている。

 

「美人だなんて嬉しいの! お兄さんも遊びにきたの?」

 

「うん、今日は大学の友人とね。こいつはヒロト。いつもつるんでいるメンバーの一人だよ」

 

「ヒロトです、よろしく」

 

「うわー、凄いイケメンさんなの」

 

さすがヒロト。数分前のやよいちゃんといい初対面の美少女二人からイケメンと言われるなんて。

 

「こちらは、星井美希ちゃん」

 

ヒロトに美希ちゃんを紹介する。

 

「はははは。ありがとう、君も可愛いよ」

 

「ありがとうなの」

 

お互い言われ慣れた言葉なのか綺麗に流す。俺もいつか言われ慣れて見たい言葉だ。そんな日は永久にこなさそうなのが残念だが。

 

「そう言えば美希ちゃんも今日は遊びにきたの?」

 

「うん、今日はみんなで海に遊びに来たの! 今日は旅館に泊まるんだ! 」

 

「へぇ、それは楽しそうだね」

 

ヒロトが言う。

 

皆って友達か誰かだろうか。俺たちみたいな感じかな。

 

「うん! とっても楽しいの!」

 

「でも、よく俺って気がついたね」

 

「うん、皆と話してる時に遠くに後ろ姿見えたから思わず来ちゃったの! 美希って記憶力良いんだ!」

 

自分で話すのも悲しいが俺は特に特徴と言ったものはない。身長が平均よりも高いくらいだが、それも4cmほどだけだ。美希ちゃんと会ったのはあのナンパの一件の一回だけ。そんな俺を見つけられると言うことは美希ちゃん記憶力は相当いいらしい。

 

「いきなり来ちゃって大丈夫?」

 

「うーん、少ししたら戻らないとダメなの……」

 

シュンと顔を落としたあと、何か閃いたのか直ぐに顔を上げる。

 

「あのね! 美希、気づいちゃった! おにーさんも皆と一緒に遊べばいいの!」

 

いやいやいや、待ってほしい。それは色々と問題ありだ。

 

「何か問題でもあるの?」

 

首を傾げながらつぶやく美希ちゃん。その仕草も可愛らしい……。

じゃなくて。

 

ヒロトに視線を向けるとニヤニヤとこちらを見ていた。そして俺にだけ聞こえる声で言う。

 

「もしかして、俺ってお邪魔か?」

 

なるほど、どうやらさっきの意趣返しらしい。釣れない奴だ。

 

「いや俺自身としては非常に嬉しいんだけどさ。色々と美希ちゃんのお友達も迷惑だろう? 俺だって友達と来てるしね」

 

きっと美希ちゃんの友達なんだモデルみたいな美少女、美男子の集まりに違いない。もしかしたら本当のモデルやアイドルなのかもしれない。美希ちゃんもなんか仕事しているって聞いたし。とにかく、そんな中に俺が混じったら死んでしまう自信がある。

 

「そっかー、それは残念なの」

 

俺の言葉に残念そうに肩を落とす。

 

「じゃあ、おにーさん! 今度またおにぎり食べに行こうよ!」

 

「うん、機会があれば是非」

 

「約束なの! 今度は美希がお金出すの! 最近お仕事も少しづつ増えて来たし、この前のお礼なの!」

 

いやいや、中学生にお金を出させるわけにはいかない。とは言っても今ここでいったところでしょう聞かないだろうからその時に俺が払えばいいか。

 

このお誘いが社交辞令で無ければの話だけど。多分、社交辞令かな。

 

「うん、分かったよ」

 

「それじゃあ、美希はみんなのところに帰るの。またメールするからね、おにーさん!」

 

そう言うと美希ちゃんはヒラヒラと手を振ると走って行ってしまった。

 

「なんだ君も隅にはおけないね」

 

ヒロトが笑う。

 

「社交辞令だろ。それに美希ちゃんとやよいちゃんに初対面でイケメンって言われたやつに言われたくないよ。あずささんみたいな美人とも知り合いだいさ」

 

そう言って俺も笑った。

 

そんな俺たちだが、集合時間に間に合わず、ミズキから罰としてジュースを買いにいかされることになるとはこの時はまだ知らなかった。

 

多くの出会いと発見があった海への旅行はまだまだ始まったばかりだ。

 

 



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第二話 その3

三人称書くのが難しい。
主人公の一人称が一番簡単ですね。

今回も文字量多いです。(当社比)




砂浜で普通の青年とオレンジ色の少女と金色の少女の再会があった時、また別の場所でも別の再会の物語があった。

 

 

 

 

更衣用の建物の中も砂浜同様に塩の香りがした。細い銀ブチをかけた青年は肩に下げていたクーラーボックスを掛け直す。外よりも日光が当たらない日陰な分、気温は低いがそれでも暑さはあまり得意ではない。その上クーラーボックスはズッシリと重く肩にのしかかっていた。

青年は少しだけ内心イライラとしていた。

更衣用の建物の中は銭湯のように女性と男性の更衣場所が分かれているタイプ。雰囲気的には小中学校のプールの更衣室の様な形だ。青年は左、右と交互に視線だけを向け、どちらの更衣室か確認すると、男性用と札の書かれた右側へと足を踏み出そうとする。

 

その時だった左側の通路から声が聞こえた。

 

「真美ー!皆いってるから早くいくぞー!」

 

「ちょーっと、待ってよ! 亜美! そもそも着替えるのが遅かったのは亜美でしょー!」

 

元気な少しだけ高めの声。青年はその声を聞いたことがあった。記憶力には自信がある、最後に会ったのは去年の1月14日のことだったはず。

 

目線だけを左側の通路へと向ける。

そこには青年の予想通りの人物が二人。双子である彼女らは文字通り、瓜二つ。まだ幼い顔つきにお揃いの白いビキニ型の真っ白な水着。見る人が見れば背伸びをしているマセた子供のように見えるかもしれない。しかし、二人とも間違いなく美少女というジャンルに入り、将来も間違いなく美女へと成長するのは容易に見て取れる。瓜二つの少女らは水着も同じなら髪型もサイドポニーで同じだった。唯一の違いと言えばサイドポニーが左側に結ってあるのか、右側に結ってあるのかの違いと髪の長さだけ。ゴムをとって髪の長さを同じにしてしまえば、どちらがどちらなのか普通の人じゃ見分けがつかないほどそっくりな双子の少女達だった。

 

ただし、この青年にとっては、どんなに成長して美人になろうともタダの悪ガキであり、ませガキだという評価は変わることがないだろう。

腐れ縁と言うべきか、どうかはわからないが、この少女たちが小さい時から知っている。親同士が同じ職場仲間で上司部下の関係とはいえ仲が良かった。そういうこともあり、たまにだが会う機会も子守をする機会もあった。少女達の父親は若いながらも腕の立つ医師である。特に手術、それも胃や肝臓などの内臓の移植手術をならば青年の親が医院長を務める病院はもとより全国でもTOPといっていいほどの腕前を持っていた。それに加えて人当たりもよく、不愛想な青年に対しても気さくに話しかけてくれる存在で患者の信頼も人気も高かった。

 

手術の腕がいいのも尊敬に値するし、なじみやすい性格で患者にも人気なのはすごい。

しかし親ばかなのはどうだろうか。

確かに世間一般的に可愛らしい容姿をしているし、親が溺愛するのも頷ける。 だが、青年が病院を訪れるたびに自慢をするのは辞めてほしい。やれ娘が世界で一番かわいいだの、小学校高学年になってますます可愛さが増しただの、他に色々と聞きたいことがあるのだが話が全く進まず無駄話で終わることが多々あった。親バカと言えば青年の友人の一人が自称保護者と語っているが、あれは周りがどう贔屓目に見ても親子と言うには無理がある。見れば見るほどただのシスコンだ。

 

本当によくやるもんだ、と青年は友人を思い出す。

 

そんなことを考えていた青年と少女達の目が合う。

 

「「げっ」」

 

そっくりな双子の姉妹は、これまたそっくりな声で同じタイミングで言う。

 

「久方ぶりだな、双海真美、双海亜美」

 

人の顔を見るなり、げっとは失礼なのだが、そんなことは全くと言っていいほど気にしない青年はいつも通りの淡々と高揚のない声で言う。

 

「ひ、ひさしぶり」

 

「お、おひさー」

 

真美と亜美は引きつった笑みを作る。いつも笑顔の二人には珍しいことであった。真美と亜美はイタズラ好きだ。もちろん、小さな時から知っている青年にもイタズラをしたことは何度もあった。しかし、この青年にはどんなイタズラも通用しなかった。ジュースにタバスコを入れればいつの間にか真美と亜美のジュースにもタバスコが入っていてむせるはめとなったし、扉を開けると水の入ったバケツがひっくり返るイタズラを仕掛けて青年が部屋に入るのを待っていれば青年は決して部屋に入ることはなく、双子の父が扉を開けて怒られるハメとなった。その後もいく度となくイタズラを仕掛けたが一度として青年がハマることはなかった。その上いつもしっぺ返しを食らっていたため、いつの間にか青年に対してだけはイタズラをするのをやめた双子だった。

 

それに青年は双子と違い感情を表に出すことが少なく淡々話すし小硬い言い回しをする。昔はよくゲームも一緒にやっていたし、別に嫌いではないのだが苦手なタイプなのがこの青年だった。

 

「海なんか来てるなんてめずらしーね」

 

「ふむ、今日は友人に呼ばれてな。海に来るのは3年ぶりだ。お前達はどうなんだ?」

 

「真美達は事務所の皆と一緒に来てるんだよー」

 

真美のその言葉に青年は考える。

 

「そう言えば、アイドルになって頑張っているみたいだな」

 

「えっ、何で知ってるの?」

 

「いつの間にそんな情報を!?」

 

青年が真美と亜美がアイドルをやっていることを知っていたことに心底驚いた顔をする二人。

 

「あぁ、五ヶ月ほど前にな、双海医師に聞いた」

 

病院にある自分の部屋に向かっている途中に双子の父に捕まった青年は双子の父が緊急外来の患者を診察するまでの3時間ひたすらにアイドルになるという、ほぼ自慢話を延々と聞かされた。いつも無表情な彼が話が終わった時には疲れた顔をするほどのマシンガントークだった。

 

そのことを思い出して少しだけ苦い顔をする。

 

「あぁー、パパかー。納得だねー」

 

「パパと仲良いしねー。それに何かいつかの晩ごはんで亜美達にS君に話をしたと言ってたよーな」

 

S君とは双子の父が彼を呼ぶ時の愛称だ。

 

「まぁアイドルやっているって言っても、まだまだビンボーなプロダクションだけどねー。今なんてエアコン壊れてるんだよ」

 

真美がやれやれと肩をすくめる。文字だけ見ればただの愚痴だが、顔は笑っており、今の状況に満足しているのが容易に分かった。

 

「うんうん、でもセンザイ写真バシャバシャ撮り直してから仕事も増えたよねー!」

 

「きっと今年の終わりには知らない人がいないようなアイドルになってるんだよー!」

 

少女達のプロダクションがマイナーなプロダクションでありまだまだ仕事が少ないことも知っていたし、それに双子がアイドルになったと言うことは双子の父に言われる前から知っていた。元々は彼の友人の妹が所属するプロダクションを調べたところ双子の名前を見つけたのだった。

 

「あぁ、精進しろよ」

 

知り合いならば人並み以上には応援するまでだ。

 

「あらら、もしかして亜美達のファンってやつー?」

 

「もしかして、惚れちゃったー?」

 

ニヤニヤと同じような笑みで双子が笑う。

 

「別に惚れてはいないが、お前達のことは昔から知っている。言わば兄妹みたいなものだ。そんなお前らが好きなことをやっているのだから、無論応援はする。頑張れ、もうすぐナムコプロダクション主催で初ライブもするんだろ? 亜美の方は確か龍宮小町とかいうユニットだったか」

 

何の恥ずかしげもなく青年は少女達の目を見て言う。思っていることを恥ずかしげもなく淡々と言う、これこそが青年が周りから変人と言われる理由の一つであるのと同時に青年の良さでもあった。

 

思ってもいなかった言葉に真美と亜美たちは少しだけで言葉に詰まった。

 

応援してくれるのは本当みたいだ。でなければ、マイナーなプロダクションのライブなど知っているはずはない。

 

「ライブのことも知ってたんだー」

 

「もちろん見に来てくれるんだよねー?」

 

「あぁ、無論だ。応援すると言っただろう」

 

青年がライブに行く理由は双子だけではないのだが、これをここで言うほど野暮ではない。

 

「パパとママ以外から応援してるって、真美初めて言われたよー!」

 

「亜美もだよ!」

 

最近ようやく雑誌に載るような彼女達だ。可愛いと言われることはあってもアイドルだと気づいてもらえることはなかった。アイドルとしての活動を応援されたことは、例え苦手にしている青年からとはいえとても嬉しいものがあった。

 

「それよりもお前ら、いかなくて良いのか?」

 

青年のその言葉に、あっと声を漏らす二人。

 

「そうだ! みんな待ってるんだよ!

亜美急ぐよー」

 

「亜美達がいかないと何も始まらないからね! 行くよ! 真美!」

 

二人はそっくりなお互いの顔を見て頷く。

 

「それじゃー、真美たちは行くよ! 今度またゲームしようよ! 次は負けないよ!」

 

右側でサイドポニーを結んで少し長めの髪の真美が笑う。ゲームは同級生でもうまい方なのだが、一回も勝ったことはなかった。

 

「亜美も行くよ! ライブ楽しみにしててねー! いつになるかまだ決まってないけど!」

 

左側でサイドポニーを結んでいる亜美が笑う。

 

「「じゃ!」」

 

二人は息もピッタリなタイミングで青年に言うと、真夏に空の下へ駆け出していった。

 

騒がしいやつだと、その光景を見ながら青年は思う。二人は何も昔から変わってなかった。

 

双子が言うには今日はプロダクションのメンバーで来ているようだ。

となれば、青年の友人である彼の妹も来ていることは必須。

砂浜がいくら広いとはいえそのうち必ず出会うことになるはずだ。むしろ、もう出会っていてもおかしくはない。

 

出会ったらとても騒がしいことになりそうだ。騒がしいことは嫌いではない。むしろ好きな部類だ。

 

もう既に出会っているならそれもそれでよし、後あと出会ってもよし。

 

どちらにせよ今年の海は忘れられない出来事になりそうだ。青年は少しだけ口端を上へと挙げた。

 

クーラーボックスを持ち直し、男性とかかれた更衣室へと足を進める。

 

肩の重さはもうあまり気にならなくなっていた。

 

 

 

 

 

同じ時、左側の更衣をする建物の中でも再会の物語は描かれていた。

 

彼女が入った更衣施設は、銀縁メガネの青年が入った更衣施設と同じつくりをしていた。正面から向かって左側に女子更衣室、右側に男子更衣室の作りとなっていた。

 

赤の彼女は機嫌良く更衣室へと足を進める。いつもなら鬱陶しく感じる人々の目も今は全く気にならなかった。

 

3年ぶりの仲間との海、あのメンバーで何かをするだけで彼女は満足だった。来年からは大学四年生。もう今のように集まる機会も減るだろう。それなら今年は思いっきり遊ぶまで。彼女はそう考えている。

 

今年の夏は、今日の海の他に色々と行事も既に考えてある。今からそれが楽しみだ。

 

軽く鼻歌交じりに左側の更衣室へ入ろうとしたその時だった。

 

ポンっと柔らかい物にぶつかった感覚がした。どうやら人とぶつかったみたいだ。

 

「わ、わりぃ」

 

そう謝りぶつかった相手を見る。

 

「こちらこそ、申し訳ございません」

 

ゆったりとした丁寧語で話す女性だった。長い髪はところどころでウェーブを描いており、薄暗い室内でも綺麗な銀色をしていることが分かる。双子と同じく白いビキニ形の水着を着ているが、双子と違い成長しきったグラマーな体は大人の魅力を兼ね備える。スタイルは女性である赤の彼女から見てもいいものだった。

 

「あっ、あんた確か先月ラーメン屋であったよな」

 

銀髪の長い髪に整った顔、赤の彼女はその女性を見覚えがあった。

ある日の昼間過ぎ、昼食に美味しいと噂のラーメン屋に足を運んだ時のこと、ピークは過ぎたとはいえ美味しいと噂のラーメン屋だけあり、席は全て埋まっていて相席となった。その時に席に座っていたのが目の前にいる銀の女性だったのだ。あの時の目の前の女性の食べっぷりは凄まじかった。見ていただけでも軽く6、7回は替え玉をしていた。それも赤の彼女が来る前から食べているのである。合計何杯食べたのか非常に気になる出来事だった。きっと胃の中にブラックホールか何かがあるに違い。でなければあれだけ食べてこのスタイルはおかしすぎる。

 

「あら、こんなところで再会するとは面妖な話ですね。お綺麗な方なので、ハッキリと覚えていますわ」

 

「はははは、アンタも十分綺麗だよ。それに、まさか海で会うことのなるとは不思議な話だ。そうだ、これも何かの記念だ! オレの名前は橘 ミズキ。良かったら覚えておいてくれよ。何かアンタとはまた会えそうな気がするし」

 

赤の彼女 橘 ミズキはそう言いながら右手を差し出す。

 

「橘 ミズキ様ですね。ハッキリと覚えました。わたくしは、四条 貴音(しじょう たかね)と申します。よろしくお願いします」

 

銀の女性 四条 貴音はその手を握り返す。

 

「あら、貴音。先に行ってなかったの?」

 

握手を交わしている二人の後ろから少し高めの声がした。

 

貴音が声のするほうを見てみれば少女が一人。まだ幼い顔つきに茶色がかった黒の長髪。前髪は緑色のリボンで上に上げられおり、おでこがはっきりと出ていた。水着は紫のスカート型、小柄な彼女の可愛らしさを押し出していた。

 

「あら、誰か知り合いでもいたの?」

 

貴音が誰かと話していたことに気づいた少女は貴音の話し相手を確かめる。

 

「おっ、伊織じぇねーか」

 

貴音の体で隠れていた少女を見たミズキが反応する。

 

「ミズキお姉さま!? どうして、ここに!?」

 

思いもしなかった人がいたために思わず驚きの声が漏れる少女。

 

「どーしたもこーしたも海にくる理由なんて遊びに来たに決まってるだろ」

 

笑いながらいうミズキ。

 

「お二人はお知り合いでしたか」

 

「知り合いというか、昔からちょくちょく色々なパーティーで合う機会があったのよ」

 

貴音の疑問に少女は答える。

 

「まぁ、最近はオレがパーティーなんかに行く機会が減ったし、しばらくは会ってないな。最後にあったのは確か山田のおっさん主催のパーティーだっけ?」

 

「ええ、そうね。でも、世界広しと言うけど現役の総理大臣をおっさん呼ばわりする人はミズキお姉さまだけね。相変わらず元気そうね」

 

現役総理大臣が開いたホームパーティーがミズキと伊織が最後に会った時だ。あの時も大きなパーティーで各界の著名人、有名人が多く参加していた。

 

「ははははは。別にあんな奴、おっさんで問題ないだろ。それに伊織も元気そうでなによりだ」

 

「ありがとう。最近は妹さんがパーティー出席しているけど、ミズキお姉さまは出ないのかしら?」

 

「オレはあの堅苦しい感じが大嫌いなんだよ。そういうのは社交的なアイツに任せてある。どーせ家を継ぐのもアイツにやってもらうしな、気軽にやるさ」

 

それなりのレベルのパーティーでは体裁を保つために猫をかぶらなければならない。ミズキはそれがたまらなく嫌だった。そのためミズキは自分の代わりに海外に住んでいる妹にパーティーに出てもらうことが最近は多くなっていた。もともと社交的な妹のことだ、きっと自分より上手くやるだろう、ミズキはそう考えていた。

 

「そういえば、貴音はどこでミズキお姉さまと知り合ったのかしら?」

 

「ある日らぁめん屋で知り合ったのです」

 

ゆっくりとした口調で貴音は答える。

 

「ら、ラーメン屋って……」

 

その答えに思わず苦笑いがこぼれる伊織。

 

「何だよ、オレがラーメン食ってたら駄目か?」

 

「いや、そうじゃないけど、ただ似合わないと思ったの。いつものパーティーでのイメージが強かったら高級レストランでフランス料理を食べているイメージがあったわ」

 

伊織のイメージの中ではミズキはラーメン屋に行くよりもフランス料理を食べているイメージが強かった。日常はこのような荒い口調だが、正式な場では完璧な理想の女性であるミズキ、伊織はまだそのイメージが頭の中に残っていた。猫をかぶったミズキは伊織の理想とする女性像そのままである。

 

「何だよ、そのイメージ。オレにはフランス料理なんて似合ねーよ。それより、親父さん元気か?」

 

「ええ元気よ、ミズキお姉さまに会いたがっていたわ」

 

「そうか、まぁ大きなパーティーにはアイツと一緒にでなきゃいけないし今後また会う機会はありそうだな。よろしく言っておいてくれ」

 

「分かったわ、おじ様は元気かしら?」

 

「あぁ、もう元気元気。たまーに電話で実家に顔見せに来いって言われるぜ。実家まで行くのが遠いってんの」

 

実家が隣の県にあるとかならまだしも、隣国ですらない。それに実家も好きではないため高校入学後は一回もいったことがなかった。それにあれを実家というのかミズキは微妙だった。どちらかといえば、いや確実に今ミズキが住んでいる家が実家だ。

 

「それは良かったわ。おじ様によろしく伝えておいてくれるかしら」

 

「あぁ、今度電話が会ったら言っておくよ」

 

「そういえば、貴音と伊織はどういう知り合いなんだ?」

 

「伊織とわたくしは同じぷろだくしょんの仲間なのです」

 

貴音のその言葉に一瞬考える素振りを見せるミズキ。

 

「プロダクション?」

 

「そう、私今アイドルやってるの。まだまだ出来たてだけど竜宮小町っていうグループもやってるのよ!」

 

「アイドルか……」

 

アイドル。この単語を聞いてはじめに思いついたのは彼女の弟子である短髪の少女だ。少女の兄曰くまだまだ無名だが仕事は少しずつ増えているとのこと。彼女が頑張り屋なことは師匠である自らも良く知っている。きっと彼女ならトップアイドルになるだろう。

 

「似合わないかしら……?」

 

「いやいや、そんなことねぇよ。頑張っている奴はいつだって輝いて見えるものさ。応援してるぜ、伊織、貴音」

 

頑張っている人はそれが不器用な人でさえ輝いて見える。彼がそうだ……。不器用ながら、文句を言いながらも毎回色々な無茶振りに付き合ってくれる。そんな彼だからこそミズキはリーダーと認めていた。

 

「ありがとう、お姉さま!」

 

「応援感謝いたします。この声援に答えられるよう日々精進していきます」

 

伊織も貴音もきっとトップアイドルに上り詰める。上に立ってきた人間を良く見てきたミズキにはそんな確信があった。

 

「おう! 期待してるぜ!」

 

そういってミズキは笑う。それに釣られて伊織と貴音も笑顔となる。

 

「あっ、こうしてる場合じゃないわ! 貴音、早く行かないとみんな待ってるわよ」

 

話すぎたことに気づいた伊織があっと声をだす。

 

「そうですね。伊織行きましょう」

 

「お姉さま、また今度!」

 

そういうと外へと駆け出す伊織。

 

「橘 ミズキ様またお会いしましょう。わたくしの予想だと近いうちに会えそうな気がします」

 

ぺこりとお辞儀をすると伊織の後ろを追う貴音。その後ろ姿を見送りながらミズキは思う。

今日は精一杯楽しむぜ、と。

 

 

ある真夏の日の物語はまだまだ終わらない。

 

 

 

 

 

 

 




なかなかに取り返しのつかないミスをしてしまった感じです。

まぁどうにかなるかな……。


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第二話 その4

更新おくれてすみません。

何時の間にかお気に入りが750件を突破していました。

本当に嬉しい限りです。これかもよろしくお願いします。


「よし、ここら辺んでいいか」

 

そう言ってミズキが立ち止まる。手にはお茶のペットボトル。俺とヒロトが集合時間に間に合わなかった罰として買いに行かされたものだ。黒色の深く被っていたキャップを肩から下げていた何処かのメーカー品であろう高級そうなトートバックへと入れるミズキ。サラリと腰まで伸びている赤い髪が揺れる。

 

場所は更衣室からだいぶ歩いたところ。砂浜の端っこといってもいい位の場所だった。人は流石にここまで来るとあまりいない。残念ながら美希ちゃんが去って行った方向とは真逆なので、もう今日は会うこともないかも知れない。今度会える機会があることに期待したい。

歩いた理由は至極単純ミズキが人が多いところは鬱陶しいと言ったから。俺もヒロトもSSKもその意見に賛成し、ここまで歩くこととなった。ミズキもヒロトもその容姿だけで注目を集めるからな。SSKはただ人が多いのが嫌いなのだろう。俺も似たようなものだし、黙って賛成票を投じておいた。

 

それにしても流石ヒロトである。延々と人が少ないところまであの重そうなクーラーボックスを文句の一つも言わずに運ぶなんて人がいいにもほどがある。

俺なら文句の一つも言いたくなるところだ。容姿に加えてこの性格だからこそモテるんだろうなー。もしも、俺が女性だったら惚れている自信がある。それかヒロトが女の子なら告白して振られている自身まであるね。

 

ヒロトは涼しげな笑顔のままクーラーボックスを白い砂浜の上にドンっと下ろす。白濱は観光地だけあり、砂浜の美化に力を入れているのか、来る人のマナーがいいのか分からないが、多くの人が来ている割に砂浜にゴミは少なかった。俺たちもゴミの扱いには十分に注意したい。

 

「流石にここまで来ると人も少ないね」

 

パンパンと手を叩きながらヒロトが言う。サングラスを上にあげ、青色の水着を履いている茶髪のイケメンは爽やかな笑みで言う。キラリと効果音がつきそうだ。

 

「あぁ、人が多いと視線がウザくて仕方がねぇからな」

 

ミズキがやれやれといった様子で肩をすくめる。口調は穏やかだ。今日はいつにもましてご機嫌みたい。

 

確かにここに来るまでは凄かった。俺とSSKの大股4歩前ほど前を歩いていた二人はすれ違う人や近くにいた人の視線をチラチラと集めていた。あずささんや美希ちゃんと同じように流石にジッと見つめている人はいなかったが、それでも視線を集めるだけでも凄い。

 

ーー理想のカップル。

 

ミズキとヒロトが一緒に歩いている場面を見るとこの言葉がすぐに頭の中に思い浮かぶ。高校時代、出会った当初からそれは変わらなかった。いい男を体現したヒロトと美女を体現したミズキ。二人が並んで歩いていると絵になる。とてもお似合いだ。だから、俺は二人が並んで歩いていると必ず少し後ろに下がるようにしていた。SSKがいるならいいけど、三人で並んで歩くとどうしても完成された絵の邪魔をしている気がしてならなかった。自分が場違いな様な気がした。主人公の中にモブがいるような、そんな感じ。だから俺はミズキとヒロトと三人で歩くのを極力避けた。

 

ヒロトとミズキには似ているところもある。二人とも告白されても必ず断っているし、恋人がいると言った噂を聞いたこともない。ミズキとヒロトが付き合っているのではないかという話もあったのだが、本人はあっさりと否定している。

 

多分だけど、これからもそれはずっと変わらないような気がする。ミズキとヒロトは、このまな発展することもなく、ずっとこの関係が続く。

ヒロトとミズキだけではない、俺とSSKを含めたこの四人の関係はずっとこのまま。そう思ってしまうのはきっと俺がそう願っているから。この四人だけではない。真も含めてもこの関係は永遠と変わって欲しくなった。

 

「にしても、暑くねぇのか?」

 

ミズキがこちらを見ながら言う。薄い半袖をきているミズキと半袖を着ているヒロト、上には何も着ずに不健康的に白い肌を晒しているSSK、それに対して俺は真っ黒のパーカーを着ている。いくら暑さに強いと自信がある俺でもうっすらと汗をかいていた。

 

「まぁ、暑いけど日焼けするの嫌だし」

 

「日焼け止め塗っとけば大丈夫だろ。見てみろオレの白い肌」

 

そう言いながら近づき腕を俺の方へバッと出すミズキ。白い肌が日光を反射している。

 

目のやりどころに困るとはこのことだ。完璧と言っていいまでのプロポーションを持った彼女が目の前にいるのだ。いくらまだ上にシャツを羽織っているとはいえ男なら思わずジッと見て見たくなる。シャツも薄いのだし。しかし、それをやってしまうと最後グーが飛んで来ること間違いなし。わざわざ県外まで来て殴られるのは御免蒙りたい。

 

それに長年付き合っている友人だ。水着姿も何度も見ている。そんな友人が気になるほど子供ではない。ごめん、やっぱり嘘。気になるのは気になります。

 

「ははははははは……」

 

とりあえず、目線をそらして笑って誤魔化す。

 

「この暑さでパーカーを着る奴の気は知れんが本人が大丈夫なら別にいいだろ」

 

SSKが抑揚の少ない声で言う。顔は完全に暑さでやられていた。暑さが大の苦手と公言している彼らしい。

 

「うーん、まぁいいか……。熱中症にだけはならない様に気をつけろよ。プレイボーイと違って何だかお前は最近すぐにぶっ倒れそうな顔してるしな」

 

「心配してくれてありがとう。熱中症には気をつけるよ」

 

口は悪いがミズキは仲間を思いやる優しさは持っている。長年彼女と付き合わないと見えてこないが彼女は仲間を非常に大切にするのだ。その優しさで突発的な行動は是非とも控えて欲しいのだが、これから先もそれが叶うことはなさそうだ。

 

「べ、別にお前のことを心配してるんじゃねぇよ。お、オレはただ熱中症で倒れられたらせっかく来た海が台無しだと思っただけで!」

 

顔を赤らめながらミズキはワタワタと言う。機嫌そこねちゃったかな……。

 

「まぁ、彼が暑さに強いことはみんな知ってるし、厚着もいつも通りじゃないか。そんなことより遊ぼうよ、ミズキ」

 

サーっと一つ海風が吹く。暑く火照った体には気持ちがいい。ヒロトが茶髪の髪を風にゆだねながらミズキに促す。

 

暑く高く照った太陽の日差しを浴びながらミズキは羽織っていた薄いシャツを脱ぐ。髪と同じ赤いビキニ。それはもう、完璧なプロポーションとだった。本人が完璧だと言うだけのことはある。俺の数少ない語彙力だとそれしか言えないことが悔やまれる。10人いれば9人は心を惹かれる容姿、それがミズキという人間だ。

 

「それもそうだな! よっしゃ、お前ら今日は遊ぶぜ!」

 

今日一番の笑顔で彼女はそう言った。

 

カラン。肩から下げていたバックから音がする。

青い地平線の向こうには白い大きなわたあめみたいな入道雲。夏が加速していく……浜風に吹かれながら俺はそう思った。

 

 

 

 

 

「よっしゃ! 行くぜ!」

 

青い空に緑のボールがふわりと上がる。スイカ柄をしたボールはやがて上へと向かう力を失いゆっくりと落下していく。そのボールの動きに合わせるようにトンと飛び上がった赤の彼女はしなやかな腕の動きでそのボールを打つ。まるでそのスポーツをやっているような洗練された動きだった。

 

スパンッ! と音を立てて飛んでもないスピードで砂浜に書いたラインの内側に落ちるボール。

 

どこをどうやればビニールで出来たボールであそこまでスピードが出せるのか……。聞く機会があれば聞いてみたいものである。

 

俺たちが今、やっているのは見てもらったとおりビーチバレー。クーラーボックスからミズキが取り出した何故かキンキンに冷えたスイカ色のビニール製のビーチボールと簡易的に作成したコートで俺たちは遊んでいた。チームはジャンケンのグーとパーで決めた結果、ミズキとSSK、俺とヒロトといった結果。ゲーム形式は10点先取の5セット。先に3セット先取した方の勝ちというもの。

 

「やれやれ、さすがミズキ。いきなり飛ばしてくるね……」

 

始まって一発のサーブから俺の反射神経の外をいく玉である。一歩も動けなかった俺を横目にいつも通りの笑みを浮かべるヒロト。

 

「どうした、お前ら、一歩も動けてねぇじゃねぇか?」

 

ニヤニヤと笑みを浮かべる赤の彼女。余裕たっぷりとはこのことである。

 

「最初だから、様子見だよ」

 

表情こそは笑顔だが目が笑っていない。集中している証拠だ。ミズキとヒロトはともに負けず嫌いだ。どんな小さな勝負でさえ、勝負と名のつくものは全力で勝ちにいく。ミズキとヒロトほどじゃないが、俺もSSKも負けるのは嫌いだ。勝負はいつだって勝ちたい。

 

「そうかそうか、じゃあ次行くぜ!」

 

ボールを頭上へフワリとあげ、助走の勢いそのまま上に飛んだミズキは先ほどと同じように洗練された動きで腕を振り下ろす。

 

またもや豪速球。でも、先ほどと同じように地面に着くことはなかった。

 

「トス頼むよ」

 

ボールの軌道を目で追うだけで手一杯な俺に声をかけたヒロトがヘッドスライディングの要領で砂浜に飛び込みボールを上げる。やはり中学時代にバスケで全国大会に出場した運動神経はだてじゃない。

 

「あぁ、任せてくれ」

 

上がったボールの下へと潜り込みオーバーハンドパスの要領でトスを上げる。バレーなんて高校時代の体育でやっただけだが、トスを上げることくらいはどうにか出来る。

 

「ナイスパス」

 

いつの間にか体制を整え終えていたヒロトがボール合わせてジャンプをして、そのまま相手のコートに叩き込んだ。芯を叩かれたボールはミズキのサーブと同じく、ビニールで出来たボールとは思えない速度で線の内側に落ちる。

 

「さすがヒロト」

 

「君もいいトスだったよ」

 

そう言って拳をコツンとぶつける。頼もしい味方である。

 

「どうした、ミズキ? 一歩も動けてないけど?」

 

ニヤリとミズキに向かって笑いかけるヒロト。してやったりと言った表情。

 

「やってくれるじゃねぇか、色男……」

 

顔も口調も笑っているだが、ヒロトと同じく目が笑っていない。向こうも本気だ。

 

「たまにはミズキにも負けてもらわないとね……」

 

「言うじゃねぇか……。だが残念、今回もオレたちの勝ちだぜ」

 

ジリジリと目線で火花が見えそうだ。何にせよビーチバレーは始まったばかり、でもやるからには全力で勝ちに行きたいと思う。それと俺が心配なのは、この戦いでボールが持つかどうかがである……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よっしゃ、次は野球しようぜ!」

 

バレーが終わり砂浜や海で各自しばらく色々と涼んだり、泳いだりした後、ミズキがクーラーボックスのからカラーバッドと白いカラーボールを取り出して言う。あのクーラーボックス本当に何が入っているんだろ。キンキンに冷えたビーチボールとこれまたキンキンに冷えたカラーバッドにカラーボール、間違いなくまともな用法で使われてはいない。今のままだとクーラーボックスというよりオモチャ箱と言った方がしっくりくる。

 

「おっ、いいね」

 

海に入って濡れた髪をタオルで拭きながらヒロトが言う。海で泳いでいたのはミズキとヒロト。二人ともスイスイと魚のように泳いでいた。泳ぐのがあまり得意ではない俺にとっては羨ましいことこの上ない。SSKは肩まで海に浸かり涼をとっていた。ジーっと海に浸かっている姿はまるで温泉にでも入っているかの様にも見えた。ちなみに俺は下半身までしか海に浸かってなかったりする。理由は簡単、パーカーを濡らしたくなかったから。パーカー濡らすと重いし、洗濯も大変だしね。

 

「よし、今回はちょうど昼時だし、負けたチームが勝ったチームに昼飯を奢るってことでどうだ?」

 

腕時計で確認すれば12時を5分程度過ぎた時間帯。昼食にはちょうどいい時間だ。ミズキの意見に残りの三人が同意を示す。

 

「よし、お前ら異論はないようだな。それとチームか……。そうだな、さっきと同じでどうだ?」

 

挑発するような笑みを浮かべて俺とヒロトに視線を向ける赤い彼女。先ほどのビーチバレーは2-2の同セットのまま5セット目にもつれ込む接戦となった。5セットは9-9のままデュースになり、その結果12-14で俺とヒロトは惜敗した。何とも惜しい試合であった。

 

「よし、それでいこう! ヒロトもそれでいいよな?」

 

「あぁ、大丈夫だよ。さっきの借りはしっかり返させてもらうよ、ミズキ」

 

そんな挑発をされて降りるほど男を捨ててはない。勝負に乗るだけだ。

 

こうしてバレーのチームそのままに第二回戦の野球が始まった。

 

本来野球とは18人でやるスポーツである。今いるメンバーは4人。一チーム分のメンバーもいない。つまりルールも勿論変則的なものとなる。4人でルールを決めた結果このようなものとなった。

一試合5回。延長はなし。(同点の場合は各自自腹で昼飯)

2アウト交代。

守備はピッチャーと外野。

ノーバウンドでとれば勿論アウト。

ピッチャーが自分より前でボールに触ったら例えゴロでもアウト(取れなくても体の一部に触れさえすればアウト)。

ランナーは透明ランナー。

外野の後ろにラインを引きそこをノーバウンドで越えればホームランとする。

以上のルールのもと試合の火花は切って落とされた。

 

試合が始まって早くも四半刻が過ぎていた。日は暑く照っており気温も相変わらず高い。砂浜も日光で焼けていて素足の裏から熱が伝わってくる。

 

イニングは最終回の5回裏1アウト満塁。ミズキとSSKチームの攻撃。点数は9-8で俺たちが一点リードをしていた。しかし、一本出れば同点、ホームランなら逆転というピンチだった。

 

赤い彼女は不敵な笑みを浮かべながら左のバッターボックスに入る。ピッチャーの茶色髪の青年はさっさとマウンドのプレートを払うような動きで足元の砂を払う。その動きはさながら大投手のようだった。

 

「悪いけどミズキ。今度の勝負は俺たちがもらうよ」

 

「はっ、抜かせ色男。オレに敗北という言葉はない」

 

クルクルとバットを体の前で二回転させた後に腕とバットを一直線に伸ばし俺のほうへピンと向ける赤い彼女。ホームラン宣言である。

 

茶色の彼はその動きを涼しい笑みで見送りながらゆっくりとフォームに入る。ワインドアップでゆっくりと腕を上へと上げ、半身を向きながら太ももを直角に曲げる。そのまま足を前へと踏み出したと同時に腕を思いっきり振りぬく。勝負は一瞬で終わった。結構なスピードで投げられたボール。そのボールの芯の少し下をお手本のように綺麗なレベルスイングで叩きぬいた赤の彼女。

 

ボールは綺麗なスピンを描きグングンと伸びいく。俺の頭上を遥かに越える一撃。明らかにホームランだ。この瞬間、俺とヒロトチームの二連敗と昼飯の奢りが決定した。

 

 

 

 

「ボールどこだろ?」

 

見渡す限りの白い砂浜に人。ミズキが打ったボールは俺の頭上を遥かに越えていたため、探すのも大変だ。どこまで飛ばしたんだよアイツ……。カラーボールでやわらかく、当たったとしても怪我する心配はない、とは言え人に当たっていたら謝らないといけないし、なるべく早く見つけ出したいところだが、白い砂浜で白いボールを探すのは中々に困難な作業だった。視界の右端でヒロトもボールを探してるようだが向こうも見つけ出せていないようだ。SSKとミズキは道具の片付けをやっている。昼食はどうやら海の家で食べるらしく一回遊び道具を片付けるようにした。

 

何度見渡しても白い砂浜が広がっている。人も結構増えてしたし、もしかしたら誰かが持っていったのかも知れないな……。誰にも当たっていなければボールの一つや二つ全然もっていってもらって構わないんだけどな。

 

そんな感じで半ば諦めかけながらキョロキョロと砂浜を見ていたとき視界に丸い物体が見えた。

 

あっ、ボールかな……。そう思って近づいてみると何やら違う様子。カラーボールしては茶色いしなにやらモゾモゾと動いている。

 

「キュゥ?」

 

愛らしい目に特徴的な前歯。可愛い顔をしてこちらに首をかしげている。

 

――――――ハムスター?

 

何でこんなところに……?

 

再会だけではなく、新しい出会いもどうやら今日はありそうな気がした……。



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第二話 その5

毎回のことながら遅くなってすみません。
次回は少し頑張って早く更新したいと思います。


「ーーキュゥ」

 

少し焦茶かかった茶色の体毛に可愛らしいクリクリとした目。どこからどう見てもハムスターだ。あいにく動物を生まれてこの方飼ったためしがないためジャンガリアンかゴールデンなのかは分からないがハムスターということだけは間違いない。

 

ーーどうしてここに?

 

ハムスターの生態には全くと言っていいほどに疎いが少なくとも浜辺に生息していたとは聞いたことはない。大昔に何処かの図鑑か雑誌で見た記事では確かハムスターは夜行性だったはずだ。

 

ーー誰かのペットかな。野生のハムスターがこんな浜辺にいると考えられない。なら、そう考えるのが妥当なところだろう。

 

クリクリとした可愛い目と俺の視線が交差する。

 

「ーーキュゥ?」

 

そして愛らしく首を傾げるハムスター。首を傾げたいのは俺も同じこと。なので俺もハムスターに習い首を傾げることとする。ーー夏の雑踏に包まれた浜辺でしゃがみ込みながらハムスターと目を合わせ共に首を傾げるいい年をした青年。周りから見たらどう映るのか、非常に気になる。俺は特にこの炎天下の中、黒色のパーカーなんか装備しているしね。とりあえず、周りに知り合いがいなくて本当に良かった。ヒロトはまだボール探しているだろうし、SSKとミズキはきっとまだ道具の片付けが終わってないはず。

 

人慣れもしているみたいだし、ペットのハムスターで間違いないだろう。野生のハムスターならすぐに逃げるだろうしね。

 

とりあえず、ここに放っておくのは色々とまずいような気がする。なんせこれだけの人がいるのだ、小さなハムスターがいつ踏まれてもおかしくない。むしろ、ここまで踏まれなかったことが幸運だったと言える。手を伸ばして見てばキュゥ、と言った鳴き声と共にまたも首を傾げるハムスター。警戒しているのかそうでないのかは分からないが、逃げずに10秒か15秒ほど出された手を見て首を傾げながら何か考えた後、ピョンと手に飛び乗ってきた。そしてトコトコと黒色のパーカーの袖を登り肩の上に落ち着く。まるでそこが自分のポジションだと主張しているようで微笑ましい。

 

「ーーおーい、ボール見つかったよ」

 

肩の上にハムスターを乗せたまま立ち上がった俺の後ろから声が聞こえる。振り返ってみればいつの通りの温和な笑みを浮かべた青年がこちらに軽く走りながら近づいてくるのが目に留まる。手には白いカラーボール。どうやら見つかったみたいだ。

 

「まさか、こんなところまでボールが飛んでいるとはね。さすが、ミズキだよ」

 

茶髪の青年は、額に浮かんだ汗を首か下げていたタオルで拭うと爽やかに近づいてくる。ただのカラーボールがここまで飛ぶのは色々と凄い。空気抵抗とかボールの重さとか何をどう考えてもここまで飛ぶことはあり得ない。ーーいや、現実的にここまで飛んできているんだから飛んだのだろう。本当に色々とぶっ飛んでいる、規格外と言った言葉がピッタリだ。

 

「でも、誰にも当たってないみたいで良かったよ」

 

「確かにね。誰も怪我してないようで良かったよ。まぁカラーボールだし当たっても痛くはないとは思うけどね」

 

右手で持っていたカラーボールをプニプニと親指と人差し指で抑えるヒロト。やはり、こんな柔らかいボールがここまで飛ぶなんて色々と信じられない。

 

「ーーん? ハムスターかい」

 

ヒロトが俺の右肩を見て目を少しだけ細める。キュッ! と同じような鳴き声を上げて、右手をピッと伸ばすハムスター。挨拶でもしているかのようなその動きはなんだか人間味がある。

 

「さっきここで見つけたんだ。多分誰かのペットだと思うけど……」

 

「へぇー、そうだったんだ。可愛らしいね」

 

そう言って俺の肩に指を伸ばすヒロト。ハムスターはその指をよけるように俺の肩から首の後ろに回るとパーカーのフード部分に潜り込み顔だけをだした状態でヒロトを見る。

 

「あらら、嫌われちゃったかな」

 

そう言って照れ臭そうに後ろ髪をガシガシと掻くヒロト。

ーー珍しいことだな。

ヒロトは人だけでなく動物からも基本的に好かれるからね。

 

キュッ! とヒロトをもう一度見た後、安心したのかフードからモソモソと出てきて肩に居座るハムスター。

 

「君は気に入られたみたいだね」

 

その様子を見ていたヒロトが笑顔を崩さずに言う。まぁ、昔から動物にはよく懐かれたからなぁ。動物といっても近所の野良猫とか飼われている犬なんかだけどね。基本的に動物から逃げられることはなかった。トロそうだから害がないとか思われているだけかも知れないけど。それにどうせなら動物に好かれるよりか女の子に好かれたかった。こんな卑俗な願いなんか持ってるからきっと俺はモテないのだろうなぁ。そう思いながら苦笑いを浮かべているとヒロトから、どうかした? との声がかかる。それに対して、なんでもないと首を振る。

 

「さてと、この子をどうするかだね」

 

ハムスターを指差しながら言うヒロト。

 

「とりあえず、飼い主探さないといけないよな。こんなところに放置しとくわけにもいかないしね」

 

でもなぁ、そう続けて周りを見渡す。ーー人人人。多くの人がいた。この中から飼い主を見つけ出すのか……。ボールの次は人を見つける。

 

「この中から飼い主を見つけるのは骨が折れそうだね」

 

向こうも気づいていればいいのだが、気づいてすらいない場合は大変だ。それこそ、虱潰しで探していく他なくなる。

 

なんとも遠くなるような話だ。さしものヒロトも笑みが苦笑いへと変わっていた。

 

とりあえず、手当たり次第に聞いてみるか。

そう思い適当に声をかけようとした時、耳を引っ張られた。見てみれば肩に乗ったハムスターが俺の耳にしがみついている。

 

「キュゥキュッ!」

 

何かを伝えようとする意志は伝わるが肝心の内容がさっぱりである。母国語の日本語すら怪しいと言うのにハムスターの言語なんか分かるはずもない。少しだけ困った笑みを浮かべていると、今度はキュッ! と腕を必死に伸ばす。

 

「向こうに飼い主がいるのか?」

 

ハムスターに話しかけるとは、我ながら色々と疲れているのかもしれない。久々の海ではしゃぎすぎたかな……。

そんな俺の内心をよそにウンウンと首を上下に振るハムスター。もしかして、話が通じてるのかな。

 

「この子の指差す方へ行ってみようか」

 

馬鹿らしいとは思うが、何と無くこのハムスターは言葉が通じている気がする。なんか動きも人間味帯びてるしね。

 

そんな俺の少し馬鹿げた提案に対してヒロトは、そうだね。とりあえず行ってみようか、と頷いた。

少しだけ驚いた。まさかこんな提案にヒロトが賛成を示すなんて意外だった。

 

「何を意外そうな顔をしてるんだい? とりあえず言ってみようよ。これ以上ミズキを待たせるとなんて言われるか、わかったもんじゃないしね」

 

そういえば、朝の集合時間に間に合わなくてミズキに怒られたばかりだったな。流石にこれ以上気分を害するのは勘弁願いたい。せっかくミズキの機嫌がいいのだ、明日の朝までこのままの機嫌で是非ともいて欲しい。肩の上ではハムスターがキュッ! とまるで俺に任せろと言うようにハムスターが頷いた。何だか本当に人間味が帯びていて思わずクスりと笑みがこぼれた。

 

 

「ーーーーーー! おーーーーう!」

 

太陽の光で灼かれた陶器のように白い砂浜を肩に乗せていたハムスターの案内で歩く俺。その横には女の子の視線を集めるヒロト。何とも不思議な光景なこと間違えなし。そんな不思議な感じでただ歩いていると周りの雑踏の中から一際は目立つ声が聞こえた。

 

「おーい! ハム蔵、聞こえるかー! どこにいるんだー!? 返事してくれ、ハム蔵!」

 

声のする方を見てみればコバルトブルーに白色のストライプが入ったビキニ型の水着を着ている少女が一人。小麦色の肌に黒くロングに伸ばした髪を後ろでポニーテールに結っている。見た目からも声からも活発そうな少女だ。何と無くだけど我が妹に似ている。活発そうな外見からしても。まぁ、真は肌の色は白いけどね。顔までは遠くてよく分からないがきっと美人なんだろうな……。

何と無くだけどそんな気がする。

 

そんなことをボンヤリと考えているとお馴染みのキュゥ! としか鳴き声とともに耳を引っ張られる。目線を向けてみれば腕を必死に伸ばして方向を伝える姿が映る。そちらを見てみれば先ほどの少女。

 

「もしかすると、もしかするかもね」

 

ヒロトが面白いものを見たかのように言う。もしかしたらこのハムスターは本当に賢いハムスターなのかもしれないな。犬なんかでも盲導犬とかものすごく賢いし。きっとこの子もそう言う部類なのかもしれないな。ぼんやりと頭の中でそう思った。炎天下の極熱の太陽にさらされ続けたからなのか思考がいつもよりぼんやりとしていた。

 

 

 

 

 

「ハム蔵ー! どこ行ったんだー! 自分、謝るからさ、出てきて欲しいぞ!」

 

少女に近づけば近づくたびにその整ったプロポーションと顔立ちがよく分かった。さすが観光地! は関係ないと思うけど、今日はやけに美女、美少女に遭遇する率が高いような気がする。あずささんから始まり、やよいちゃん、美希ちゃんに目の前の少女、それに言わずもがなミズキ。これだけの美人が集まると芸能プロダクションの一個でも設立出来そうだ。

 

少女が近づいてくる俺とヒロトに視線を向ける。日本人独特の真っ黒な瞳が俺とヒロトをじっと見つめる。いや、正確には俺の肩を一点集中して見ていた。

 

「ーーキュゥ!」

 

肩の上のハムスターはヒロトあった時と同じように腕をビシッと伸ばしている。少女はパチパチと瞼を動かし、しばらくの間動きを止めるとパッと俊敏な動きで肩の上ハムスターを掴み取る。

 

「ハム蔵! 心配したんだぞ! どこいってたんだー!」

 

なるほど、ハムスターだからハム蔵か。探していたのは人じゃなくてハムスターだったみたいだ。ハムスター改めハム蔵君に頬ずりをする少女。

 

「キュゥ! キュッキュゥ!キュゥ!」

 

バタバタと手足を動かして逃げようとしているハム蔵君。苦しそうに見えるのは気のせいかな……。横を見るとヒロトと目が合う。とりあえず、飼い主見つかってよかったな、お互いに笑顔でそう頷く。

 

「あの、本当にありがとなっ! 兄ちゃんたち!」

 

ニカッと特徴的な八重歯を見せながら太陽のように微笑む少女。その笑顔がまぶし過ぎて思わず目を背ける。

 

「俺はなにもしてないよ。そこの彼がハム蔵君を見つけたんだ。だからお礼なら彼に言うといいよ」

 

さすがヒロト、初対面の美少女相手でも何の戸惑いもなく話かれるのは純粋に凄い。俺がヒロトから見習いたいことの一つだ。

 

「そうなのか! ありがとっ! 兄ちゃん!」

 

「ううん、別に気にする必要ないよ。それよりも、今度は逃がさないように注意すればいいよ」

 

何か真っ直ぐにお礼を言われるのってこんなにもむずかゆいものだっけ……。それ思うのと同時に真っ直ぐにお礼を言えるこの少女は凄いなと純粋に感心する。

 

「うん、分かったぞ! ハム蔵も優しい人に拾ってもらって良かったな!」

 

「ーーキュッ!」

 

会話? をしている少女とハム蔵君の和やかな再会を見ていると少女の後方から声が一つ。

 

「響ー。ハム蔵見つかったの?」

 

黄色の水着に金髪のウェーブがかかった髪。コバルトブルーの瞳。中学生のとは思えないスタイルの彼女は見間違えるはずもない。数時間前にあったばかりだ。

 

「うん! 見つかったぞ! こっちの兄ちゃんが見つけてくれたみたいなんだ!」

 

パチリと目が合う。

 

「お兄さんなのっ!」

 

パッと笑顔になって俺の手を取る金髪の彼女。手、柔らかいなー……。じゃなくて、色々と恥ずかしい。女の子の手を握る経験なんてほとんどないのだ。そういえば、夏祭りで春香ちゃんと手を繋いだっけ……。もう、アイドルと手をつなぐ体験なんて二度とないと思う。

 

「久しぶりだね、美希ちゃん」

 

「うんっ! 久しぶりなの! また会えるなんて思わなかったなー、美希」

 

ニコニコと笑いながら話す美希ちゃん。本当に芸能人みたいな笑顔だ。

 

「美希、この兄ちゃんと知り合いなのか?」

 

「うんっ! おにーさんは美希を助けてくれたの」

 

助けたって言うと何だか大げさなような気がする。俺はただあの時声をかけたにすぎない。

 

「何だやっぱり君もすみに置けないじゃないか」

 

ヒロトが笑いながら俺だけに聞こえる声で言う。からかう暇があるのならこの状況でなにを喋ればいいのか助言の一つでもくれるとありがたいのだが。

 

「なるほど美希が言ってたおにーさんってこの兄ちゃんのことだったんだな!」

 

美希ちゃんとこの少女は知り合いだったのか。やっぱり美人の知り合いは美人な子が多いんだね。ヒロトもミズキも美形なのに俺とSSKが普通なのはきっとあれだ。そうあれなんんだ。

 

「よう、お前ら……。やけにボール探すの遅いと思ったら、こんなところでナンパしてるとはなぁ」

 

そんな時だった。俺とヒロトの後ろから低い声が一つ。ヤバい……。完全にまだ大丈夫だとおもっていたけど、結構な時間が立っていたみたいだ。額から零れる汗はきっと暑さだけのせいじゃない。未だに俺の手を握っている美希ちゃんは頭にハテナマークを浮かべている。

 

ギギギ……。と首だけを後ろに向ければ笑顔のミズキがいた。その遥か向こうに大きなクーラーボックスを持っている人影。きっとSSKだろうな。

 

「いや、違うんだよ、ミズキ。彼がたまたま、この少女のペットを見つけてね。飼い主を探していたんだよ」

 

ヒロトが俺と同じように額に汗を浮かべながらも笑顔を絶やさずに言う。

 

「ふーん、ペットを届けたら手を繋いで楽しくお喋りできるのか……」

 

笑顔だけど、目が笑っていない。これってやっぱり機嫌悪いよな、絶対。

後ろでは美希ちゃんと黒髪少女が凄い美人なの、とか、スタイルいいぞー、なんて呑気な会話をしていた。

 

「いや、それは違うくてだね。ミズキ」

 

「うん? 何が違うんだ?」

 

怒ってるよな、これ。誰か助けてくれないかな。冷や汗かきながらどう説明したら納得してもらえるか考える。内心はさながら、浮気が妻にばれた夫のような心境だ。口に出すと殴られるから言わないが。

 

「美希ー! 響ー! ハム蔵見つかった?」

 

助け舟は意外な方向からやってきた。美希ちゃんと黒髪の少女を呼ぶ声がする。ミズキよりも少しだけ高いが少女にしては低めの声。もはや聞き間違えるはずもない。振り向けば、真っ黒のビキニを来た少女が一人。水着と同じく真っ黒なショートヘアにチョンと飛び出たくせ毛が二つ。どこぞのアスリートに負けないくらいの引き締まった体つき。彼これ一緒に暮らした時間は長い。海に行くとは聞いていたがまさかここに来てるなんてな……。向こうも俺たちに気づいたのか目を見開いて驚いた顔をしている。驚いたのは俺も同じだ。色々と頭がパンクしそうだ。

 

「-------ー兄さんっ!?」

 

こうして俺と我が妹は約六時間ぶりの再会を果たしたのだった。



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第二話 その6

感想返しと誤字訂正、メッセージ返信は近日中に必ず行います。少しばかり忙しいのと、書くべき文章が思い浮かばないのとで更新が遅れました。

とりあえず、書いていきます。それしかありません。



「兄さんっ! この焼きそば美味しいですよっ!」

 

木製のカウンター。その一番隅に座る俺の横には焼きそばをすすっている我が妹。口の端にソースを付けている姿はとても幸せそうで何よりである。海の家「シラハマ」は直射日光の当たらない屋内にもかかわらず熱気が溢れていた。人がいなかったという理由でこの海の家を選んだため、入ってしばらくは日陰になる分、外よりも幾分かまともだった。まぁでも、大勢で入ったためカウンターと少しのテーブルしかない店内は満席、俺たちの半ば貸切状態となって、そこに人数分のアツアツの料理が並べられれば人口密度と相極まって店内は蒸し風呂のような暑さとなる。

 

暑い……。いっそこのパーカー脱いでしまおうかな。絶対にそれはしないけど、そんなことを考えてしまう位には熱気がこもっていた。

 

「兄さん、これ食べないの?」

 

真が示すのは俺の目の前に置いてある紙皿、その上には串に刺さったイカ焼きが一本と半分。始めは焼きそばでも頼もうかなと思った矢先で見つけたイカ焼きの文字。それにつられて思わず注文してしまった。こういう特殊な環境で食べるイカ焼きは何とも言えない魔力がある。例えば、祭りの屋台にしろ、こういう海の家にしろ、とても美味しいのだ。

 

「いや、どうにもあれを見てると食欲がね……」

 

後ろを親指で指差す。

 

「おっさん、ラーメンおかわりで!」

 

「あら、わたくしもお代わりをお願いします」

 

「やるじゃねぇか。貴音」

 

「ミズキもいい食べっぷりですよ」

 

カウンターの背向かいの座敷では赤の彼女と銀の彼女、四条さんが大食いラーメンをまるで大食いバトルのように食べていた。会話を聞いている限りじゃ負けず嫌いなミズキが意地を張って張り合っているらしい。なんともミズキ“らしい”。全くそんなことで競い合ってどうするのか……。聞いてみたい気もするが、勝負事は何事にも勝ちにいかないと意味がないとか言われるのが目に見えてので黙っておこう。

 

「凄いですね。四条さんもミズキさんも凄いですよね。あんなにいっぱい食べれるなんて……。私、見ているだけでお腹いっぱいですぅ」

 

真の横に座っている雪歩ちゃんが感嘆するように声を漏らした。俺もあの食いっぷりを見るだけで満腹だ。後ろを振り返ればすでに両者の横には空になったラーメン鉢が5、6個積み上がっていた。二人とも細いのにどこにあんなに入る場所があるんだろうか。

 

「どんどん、私の中のミズキお姉様のイメージが崩壊していくわ……」

 

そうカウンターに両手を置いて嘆くのはよく見える額がチャームポイントの伊織ちゃん。確か、ミズキの古い知り合いとか何とか……。SSK曰く相当のお金持ちらしい。どうやら、そんな伊織ちゃんはミズキにあらぬ幻想を抱いていたようだ。俺たちからすれば今、ラーメンを意地で大食いしている姿こそミズキそのものである。どこで知り合ったかは知らないけど、上品にフランス料理何か食べているミズキ何て想像もつかない。

 

「ボクにとっては今のミズキさんがイメージ通りだなー。大人しくしているミズキさんなんてミズキさん“らしく”ないよ」

 

真もどうやら俺と同じ意見なようだ。焼きそばを食べる箸を止めてそう話す。口元には今だにソースを着けている。女の子なんだからもう少し、見た目には気を使って欲しい。

 

「真、ちょっとこっち向いてくれ」

 

「ん? どうしたの、兄さん?」

 

「ちょっと、じっとしててな」

 

オシボリで真の口を拭いてやる。最近はしっかりしてきたなぁと思っていたが、やっぱり真は真だ。

 

「んっ……! ん、ん……! っぷはー! に、に、に、兄さん! い、いきなり何するのっ!?」

 

顔を真っ赤にしてブンブンと箸を振り回す、真。いらないお世話だったかな……。

 

「くすすす……。真も可愛いところあるのね」

 

含み笑いをしながら、伊織ちゃんが言う。確かにワタワタとしている真は可愛らしいと思う。あっ、もちろんこの可愛いって言うのは親が娘に対して言う可愛さって言うことで。

 

「伊織ー! これは兄さんが変なことするからっ……!」

 

ギャーギャーと言い争いをする伊織ちゃんと我が妹。その様子を見ながら思う。

どうやら真と伊織ちゃんは仲が良いようだ。こんな冗談を言い合える友達が出来るなんて素晴らしいことだと思う。きっと、真の成長に役立つ。こんな仲間をこれからも、この先も見つけていって大事にして欲しいものだ。

 

「おにーさんっ!」

 

真と伊織ちゃんのやりとりを微笑ましく眺めていた時だった。少し甘い声とともに背中にトンと何かが寄りかかる重みが一つ。どうやら俺の肩に誰かが両肘を乗せて寄りかかってきたみたいだ。横を見ればすぐ近くに整った顔とエメラルドグリーンの双眸と視線があう。あははあ、と笑う彼女は星井美希ちゃん。ニコニコと彼女もまたとても楽しそうだ。

 

「ちょ、ちょっと美希! 何やってるのさ! 早く兄さんから離れてよっ! それと兄さんもデレデレしないっ!」

 

真がアタフタと焦ったように口にする。デレデレしてたかな……。顔には出さないようにしていたつもりだけど。それに背中に当たっている感覚は間違いなくアレだよな……。平生と出来ているのはパーカーのおかげだ。装備してて良かった本当に。これがなかった本当に顔面赤顔でアタフタなってたこと間違いなし。

 

「あははは、真君必死だね! 別に減るもんじゃないし、すこしくらいスキンシップとってもいいかなーって美希思うなぁ……。ね、おにーさん!」

 

同意を求められても非常に困る。男としてはこのままでも全然構わない、いやむしろこのままが良いんだけど、皆がいる手前そんなことは血迷っても言えない。それに女友達が少ない俺である。背中の感触を堪能したいと思う反面、ガチガチに緊張していたりする。ヘタレと言われようがなんと言われようが慣れていないものは慣れていないのだ。変わって欲しい奴がいたら今すぐ変わってほしい。美希ちゃんは全く意に返していないらしい。恥ずかしくないのかな……。

あ、あれかな、美希ちゃんは海外出身なのかな。金髪だし、海外って挨拶がわりに抱きついたりするしさ。

 

「ほら兄さんも何か言ってよ!」

 

「そうですぅ! 美希ちゃん、お兄さん困ってるじゃない!」

 

真に続いて雪歩ちゃんまで……。きっと雪歩ちゃんは俺が女の子とあまり話した事が無いのを知っているから助け舟を出してくれたんだろう。優しい子だしなぁ。

しかし、何かと言われても何を言えば良いのか……。下手なことを口にできないし黙っていたほうが吉なような気がするんだけど、そう言うわけにもいかないよな。

 

「ほら、美希ちゃん、周りの目もあるから少しだけ離れてくれると助かるよ」

 

「うーん、お兄さんもつれないの……。でも、雪歩かー、中々大変そうなの……」

 

そう言うと渋々と言った様子で体を起こす美希ちゃん。俺の内心としては助かったと思う反面、少し残念だと思う気持ちもあった。

 

「もう、兄さんは直ぐにデレデレするんだから……」

 

全くと言った様子で真はため息交じりに呟く。そんなにデレデレしてたか。中学生にデレデレする大学生……。ヤバイな、犯罪臭しかしない。気をつけよう本当に。

 

「それにしても美希は凄いなーと思うの。だっておにーさんが真君のおにーさんで、プロダクションにもいっぱい知り合いがいたなんて」

 

そう、そうのことについてだけ言えば、俺は普段信じない、運命やら奇跡やらの超自然的現象すらも少しだけ信用してもいいかな、と思う。何を隠そうここ数カ月で出会った女の子がナムコプロダクションのアイドルだったとはね。本当にビックリだ。それに俺以外の奴らも何故かナムコプロダクションの誰かと知り合いと来た。それを知った時は本当に何かの運命じゃないのかと思った。

 

これはもはや何か外部的な原因が働いているとか考えたくなっても仕方が無いことだと思う。

 

ーーーーーー周りを見渡す。

 

先ほど同じく猛スピードでラーメンを平らげるミズキと四条さん。その横の小さなテーブルにはSSKと双子のアイドルの双海亜美ちゃんと双海真美ちゃん。確か真美ちゃんと亜美ちゃんのお父さんがSSKの実家の病院で働いているとか何とかで小さい時から家族ぐるみの知り合いだったそうだ。俺と反対で扉際のカウンターの箸には我がグループの色男とあずささん、それにオレンジ色の髪をしたやよいちゃんがいる。そして一番大きなテーブルには、赤羽根さんに元アイドルで現在はプロデューサーをしている律子さんと先ほど浜辺でであった我那覇さん、それにいつも我が家に遊びに来てくれている春香ちゃんと千早ちゃんが座っている。

 

「うんうん、そのことは本当に凄いと思うよ。だって兄さんだけじゃなくてヒロトさんもミズキさんもSさんまでも誰かと知り合いなわけだもんなー」

 

「やっぱり、真君もそう思うでしょ! おにーさん、やっぱり美希とおにーさんの出会いは運命だったんだよ」

 

今度は腕を俺の首に回して抱きついてくる美希ちゃん。向こうにその気はなくても勘違いしてしまいそうなのでやめてほしい。

 

「あっ! こら、美希! 兄さんから離れてよ!」

 

「やーん、お兄さん。真君が怖いの……」

 

そう言ってますます抱きつく力を込める美希ちゃん。女子独特の柔らかい感触が……。

 

「美希ちゃん、お兄さん困ってるから離れないと……」

 

「えー、雪歩はそう言ってるけど、おにーさん迷惑?」

 

そんな可愛い顔で首を傾げられると頷き難い。あー、とかえー、とか戸惑っている俺に真が白い視線を向ける。一体俺はどうすれば良いのか……。力任せに振りほどくと美希ちゃん傷つきそうだし、かと言ってこのままだと胃に穴があく、ほぼ百%に近い確率でそうなる。すでにガラスのハートは色々とヒビが入っている。

 

そんな時だった、助け舟は意外なところからやって来た。

 

「こらこら、美希。お兄さんが困ってるでしょ」

 

「美希。離れたほうがいいと思うわ」

 

よく我が家にも遊びに来てくれる千早ちゃんと春香ちゃんだ。

 

「ちぇっ、つまんないの」

 

渋々と言った様子で美希ちゃんが俺から離れる。本当に助かった。色々な意味で。

 

「でも、雪歩に加えて春香と千早もかぁ……。手強い相手がいっぱいなの」

 

美希ちゃんの小声は雑踏に呑まれて俺の耳に入ることはなかった。悪口ではないことだけ祈ろう。

 

「お久しぶりです! お兄さん!」

 

「お兄さん、お久しぶりです」

 

「久しぶりだね。春香ちゃんに千早ちゃん」

 

確か二週間ぶりだっけな。

 

「また、機会があったら料理教えてください!」

 

「私も……。よろしければ是非……」

 

春香ちゃんと千早ちゃんが微笑みながら言う。

そうそう、その時は確か千早ちゃんと春香ちゃん、そして雪歩ちゃんと言うお馴染みのメンバーで皆に料理教えたっけな……。千早ちゃんは料理を余りしないとか言ってたけど雪歩ちゃんも春香ちゃんも普段から料理をやっているため、普通に出来る。年数を積んでいる俺の方がまだ亀の甲より歳の甲で一応は出来るがそれもすぐに抜かれるんだろうな……。千早ちゃんも手先器用だし、すぐに料理うまくなりそうだ。

それにデザートに関しては完全に春香ちゃんの方ができる。文字通り教わる立場なのだ。

 

「俺なんかでよかったらいつでも料理教えてあげるよ」

 

長年やってきたおかげで数少ない取り柄なのだ。教えてあげるくらいわけはない。それで喜んで貰えるのなら俺も嬉しい。

 

「ありがとうございます! 楽しみにしてますね!」

 

笑顔の春香ちゃん。祭りの夜のことが脳裏に蘇る。花火の炸裂音を劇伴に微笑みながら俺の手を引く春香ちゃん。

ーーその様子はとてもーー

 

「みんさーん! 楽しそうになに話してるんですかー?」

 

そんな時だった。元気のいい明るい声とともにオレンジの少女が現れた。あの日と同じ元気を分けてもらえる笑み。

 

「うん、お兄さんに料理教えてもらう約束をしてたんだ」

 

春香ちゃんが笑顔で答える。

 

「あっ真さんが言ってましたけど、お兄さんって料理もお上手なんですよねー!? なんでも出来てすごいです! 私もこんなお兄さんが欲しかったです!」

 

憧れのものを見たかのように目をキラキラと輝かせるオレンジの少女。何でも出来ると言うと完璧な人間だ。俺はもちろん、そんなことはない。完璧と言えば俺の友人たちこそが当てはまる。

 

「でしょー! 僕の自慢の兄さんだよっ!」

 

真は何を自慢してるんだろうか。

えっへんと胸を張っている我が妹。その表情はとても誇らしげだ。

 

しかしながら俺は自慢できるほど優れていない。真にそう言ってもらえるのは嬉しいが、過剰評価な気がしてならない。まぁ、ここで訂正できる勇気もないため、大人しくその評価を受けておこうと思う。

 

真の言葉に春香ちゃんと雪歩ちゃん、そしてミキちゃんが反応する。会話が広がっていった。俺はその光景をぼんやりと眺めていた。女子の会話にはいっていけるほどコミュニケーション能力は高くないし、頭も少し霞がかかったように感じた。

 

少しまだ寝足りなかったのかな……。

 

誰も彼もが笑顔で話すその光景は眺めているだけでも満足出来た。

 

「お前ら、あまり真のお兄さんに迷惑かけるんじゃないぞ」

 

春香ちゃんの後ろから赤羽根さんがやって来た。どうやら、俺に迷惑がかかっていないか心配してくれたみたいだ。

 

「大丈夫ですよ、迷惑なんて思っていないですよ」

 

迷惑なんて思うはずもない。真の友達であり、仲間だ。拒む理由もなにもない。

 

「そうですか。それは良かったです」

 

赤羽根さんはそう言うと真たちにはしゃぎすぎて迷惑かけないようにともう一度釘を差すと、席へと戻っていった。

 

もう一度、少女たちの話が始まる。その話と笑顔をただただ俺は聞いていた。たまにはこんな夏休みがあっても悪くない。俺もいつの間にか笑っていた。

 



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第二話 その7

大変お待たせしました。決してオンラインゲームとかにはまって更新をサボったりしてないんだからね! 白猫とかやってないんだから!

はい、すみません。煮るなり焼くなりしてください。きのすむままに……。

これからはボチボチと更新して行きたいです。はい。


赤と黒が交わる黄昏時、海の向こうに沈む赤い夕日を見る。赤く染まる砂浜に夜の帳がおりかけている空。

 

今日は本当に楽しかったな。不意にそう思った。

 

途中から真達も合流して遊んだ。ミズキ達も元々知り合いだったのが良かったのかナムコプロダクションの皆ともすぐに打ち解けていた。特にミズキとヒロトはアイドルと混じったとしてもすぐに中心的な存在へとなっていた。そこは二人の人間性やカリスマとか人望とかがそうさせるのであろう。俺には生まれ変わっても出来そうにないことである。

 

それと懸念だったミズキの機嫌もいつの間にか治っていた。本当に喜ばしい限りだ。

 

機嫌のわるいままのミズキと一緒に過ごすのは平穏が好きな俺にとってはいささか刺激が強すぎるように感じてならない。それに高校時代からミズキの機嫌が悪いとろくなことがおきないのだ。

 

 

「ふぅー、疲れたなー」

 

海から上がった真が濡れた髪をハンドタオルで拭きながらこちらへと歩いてくる。逆光からでもその表情が柔らかい笑みを浮かべていることは分かった。

 

「お疲れ様、真」

 

先ほどまで、ものすごい勢いで泳いでいた妹へ労いの言葉と共に水の入ったペットボトルを渡す。

 

「ありがとっ! 兄さん」

 

ペットボトルを受け取ると真はごくごくと美味しそうに水を飲む。

 

「ぷっはー! やっぱりミズキさんは

早いね。勝てなかったよ」

 

先ほどまで競泳選手顔負けのスピード競争していた。メンバーはナムコプロダクション スポーツ担当の真に我那覇さん、そして俺たち大学生組からはミズキ。

 

美女3人の水泳大会。そう言うと、どこかの深夜番組でもありそうな感じでキャッキャとゆるーい感じでやってそうな感じだが、こと負けず嫌いの三人(我那覇さんも負けず嫌いだった)が揃ったのだ。そんな生易しいものではなく日本レコードも狙えるのではないかと言うほどの猛スピードのレースを展開していたのだった。その様子は観客が手に汗を握るという言葉がピッタリなくらい白熱していた。

 

「まだまだだったな。マコト」

 

勝者の余裕なのか艶のある赤髪を白いタオルで拭きながらミズキが笑う。昼間にあれだけラーメンを食べたていたのにスタイルも動きもいつもと変わらなかった。あのラーメンはどこに消えたのだろうか……。非常に気になる限りである。

 

「やっぱり、ミズキさんは凄いや」

 

「まぁ、教え子に負けるわけにはいかないしな」

 

「くっそー! もうそろそろ勝てると思ったんだけどなー」

 

「マコトもいい線いってたと思うぜ。相手が俺じゃなければそこらのやつには負けないだろうよ」

 

ニヤリといつもどおりの笑みのミズキは髪を拭きながらこちらへと近づいて来た。真とミズキの差は半身程度、秒数にすれば1秒も差が開いていなかった。特に運動もしないおれからすればその差は無いに等しいように感じたが真やミズキはその1秒未満の差にとてつもなく大きな違いを見出していたようだった。

 

「お疲れ様、ミズキ。流石だねやっぱり」

 

「おうよ。まだまだ若いやつには負けらねぇよ」

 

なんだか年寄りみたいだな。そう言ってお互いに笑い合う。確かに真やナムコプロの子達に比べたら俺たちは少しばかり歳上だけどな。

 

「来年も来れたらいいなー」

 

真がつぶやく。ほとんど無意識に近いような呟きだった。そしてそれゆえに真の本心ともいえるものだろう。

 

「あぁ、また来年も来ようぜ!」

 

その言葉にミズキが頷く。

 

「うんうん、きっと来年も来ようよ!」

 

「わ、私もきたいですぅ!」

 

「ぜひ、皆さんで来ましょうね!」

 

「そうね、また来ましょう!」

 

「ミキね。お兄さんが来てくれるならいつでも行くよ!」

 

「はるるん達がどーしてもって言うなら真美達もいくよー! ね、亜美!」

 

「もっちろーん! 亜美達がいかないと始まらないっしょ!」

 

「にひひひ……。この伊織ちゃんがいないとつまらないでしょ!」

 

「また、来年もらぁめんが食べたいものです」

 

「あらあら、みんな今から楽しそうね」

 

「ハム蔵! 今日は泳ぎで負けちゃったけど、来年はリベンジするぞ!」

 

「キュー!」

 

「SSK、来年も是非来ようか」

 

「ふむ、まぁ忙しくなければな」

 

そしていつの間にか集まって来た皆が思い思いに言葉を発する。誰しもが来年もまた来ようと口々に話す。誰もが皆、笑顔だった。

 

「みんな楽しそうですね。本当に連れて来て良かった」

 

横に立っている赤羽根さんが夕日を見ながら言う。その横顔もまた満足そうに微笑んでいる。

みんなのその笑顔を見ながら俺はただ空を眺めていた。薄く染まった空には星が少しだけ見えたような気がした。

 

「ねっ! 兄さんも来年また来ようね!」

 

視線を下げれば今日一番の妹の笑顔。裏なんてとてもない純粋無垢の向日葵のような笑顔だった。

 

「…………」

 

そんな眩しすぎる笑顔の前に俺はただただ何も言えず笑みを浮かべることしかできなかった。

 

黄昏時はもうすぐ終わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よっしゃー! 肉だぜ! 肉!」

 

ミズキがトングを片手に上がりきったテンションで牛肉を焼いている。何とも肉を焼いている光景が似合う美人である。

 

場所は夜の帳が完全に降りきった砂浜。都会では見ることの出来ない星空の下、浜辺にはバーベキューセットが三つほど並んでいた。なんでもナムコプロダクションの夜ご飯はバーベキューにするらしく、赤羽根さんのご好意により俺たちも参加できるようになった。俺たちは一応新しいホテルのモニターで来ているわけで夕食は向こうで食べなくていいのだろうか、そう思いミズキに聞いてみたところ何十人もモニターで泊まっているんだから俺たちが行く必要もないということらしい。それならばと満場一致でバーベキューの方に参加させてもらうことにした。

 

「あっ、このお肉焼けてますよ。あずささん」

 

「あらあら、ありがとうヒロト君」

 

俺たち大学生組は三つあるセットに適当に分かれてそれぞれで焼き番をしている。アイドルの人たちも皆な思い思いに適当に分かれて火を囲んでいた。

 

「はい、雪歩ちゃん。これ食べれるよ」

 

「ありがとうございます。お兄さん」

 

網の上でいい焼き加減で焼かれていた肉をトングで掴み雪歩ちゃんの皿に入れる。

 

「ねぇねぇ、兄さん。これも食べていい?」

 

「うん、大丈夫だよ。真」

 

「お兄さん、これはどうですかね?」

 

「春香ちゃん、多分それはまだ早いんじゃないかな」

 

「あぁ、千早ちゃん。それ大丈夫だよ」

 

今俺が焼いているバーベキューセットの周りには真、雪歩ちゃん、春香ちゃん、千早ちゃんの4人がいた。いつもうちに遊びにも来てくれているメンバーであり、俺も一番親しみやすい子達である。みんな美味しいそうに食べている。そこまで美味しそうに食べてもらえるのなら焼き甲斐があるというものだ。タラタラと額から垂れてくる汗を袖で拭う。

 

「兄さん、全然食べてないけど大丈夫?」

 

微笑ましい真達を見ていると真が心配そうにこちらを見返してきた。

 

「あぁ、今から食べようかなーと思ってたところさ」

 

そう言って適当に肉をとって皿へい入れる。

 

「少し焼き番を変わろうか」

 

そんな時だった。ヒロトと同じところへいたSSKがこちらへとやって来た。折りたたみテーブルに皿と箸をおいてこちらに手を差し出す。その表情はいつも通りの無表情だ。

 

「あぁ、少し頼むよ」

 

やっぱりこいつは欲しいタイミングで欲しいことをしてくれる。SSKは変人だが、ことこのタイミングの良さだけは誰にも負けないものがあった。こいつは人の心が見えているのではないかという馬鹿馬鹿しい疑問が浮かんでくるくらいだ。それくらいSSKの人の心情を察する能力は優れていた。

 

「あぁ、それと悪いがクーラーボックスから飲み物をとってきてくれないか?」

 

SSKは淡々と言う。抑揚のない、聞く人が聞けば機嫌でも悪いのではと勘違いされそうな声で。

 

「分かったよ」

 

その言葉に頷くとトングと軍手を渡し、クーラーボックスまで歩く。

 

「兄さん、手伝おうか?」

 

「いいよ、真。気にしないで食べてな」

 

手伝いを申し出る真にやんわりと断りをいれる。本当にいい子に育って嬉しい限りだ。これからも優しいままでいて欲しい。

 

そしてそれぞれの思いを胸に夜は更けて行った。久しぶりに食べた肉は非常に美味しかったと記しておこう。

 

 

 

 

 

 

 

「あっ、お兄さん。少しよろしいですか?」

 

次の日の朝、これから帰ると言う時だった。駐車場にて笑顔の赤羽根さんに呼び止められた。少しばかり寝不足気味の頭を振って向き直る。天気は昨日に引き続き快晴。ここまで快晴が続くと水不足やら干ばつやらが非常に心配になってくる。雲ひとつない青空。そして連日に続くセミ達の大合唱。体感気温がグンと高くなって行く。はた迷惑な話だ。

 

昨日モニターで泊まったホテルは豪華過ぎて緊張のあまりよく眠ることが出来なかった。俺的には真達が泊まったホテルの横の少し古ぼけた旅館の方がよく眠れそうな気がしてならない。結局のところ俺は小市民なのだ。部屋も豪華だったしベッドだって大きくてフカフカだった。とてもじゃないが心落ち着かない場所だった。こんなホテルのモニターをやるなんて役不足にもほどがある。あれ、役不足の本来の意味とは違うんだっけな、この使い方。まぁそんなことは置いといて、ミズキはどうしてこんな高級ホテルのモニターをやることになったのか気になるところである。

 

「はい、なんでしょうか? 赤羽根さん」

 

「実はお兄さんに少しお願いがありまして……」

 

申し訳なさそうにぺこりと一つ頭を下げる赤羽根さん。お願いか、真もいつも赤羽根さんにはお世話になっているし出来る範囲のことなら手伝いたい。

 

「お願いですか……? 時間が空いている時でしたらいつでも手伝いたいますよ。こんな僕で良かったら」

 

「ありがとうございます! 来週の日曜日なんですがお時間空いていますか?」

 

胸ポケットに入っている手帳を取り出して予定を確認する。

 

「夜遅くまでならなければ大丈夫ですよ」

 

「良かった。実はお兄さんにしかお願いできないことがありまして。もちろん、断って貰っても全然大丈夫ですので」

 

俺にしか出来ないことってなんだろうか。自慢じゃないが俺に出来ることなて料理くらいしか思いつかない。本当に自慢じゃないな……。まぁ他でもない赤羽根さんの頼みだ。精一杯出来ることはやって行きたい。

 

「それでお願いというのがですね……」

 

その内容を聞いて二つ返事で了解する。セミ達の合唱は止まない。飛行機雲が一本青いキャンパスに線を描くその下で俺たちの夏旅行は終わった。それでもまだ夏は続く。



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第三話

少しだけ長くなったので二つに分けます。

久しぶりに連続更新できそうですね。

感想返しは今日中におこないますので。


次の週の日曜日は久しぶりの快晴となった。海に行った夏旅行の次の日からそれまでの晴天とは打って変わり雨が続いた。夏の雨は春の雨と違い重い大粒の雨粒。日本の風情なんてものは今だによく分からないが、風情がないといっていい雨だったと思う。俺自身、雨は好きなのだが、どうも夏のあのボタボタとしか雨はどうにも憂鬱な気持ちになるの抑えきれない。春雨のようなサラッとした雨ならいつでも歓迎なのだが……。雨の振り方一つで人の気持ちというのが変わるものなのだ。まぁ、これまで心配だった水不足もすっかり解消されそうである。日照りが続くのもいいが水不足になっては元も子もない。

 

そんな訳で久しぶりの青空が頭上に広がっていた。そんな青空の下周りを見渡す。そこは一面の黄色だった。背丈のほど120から130cmの緑の茎。その上には黄色の大輪の花が咲いていた。その花は夏を代表する花、向日葵。俺が今立っている場所は向日葵畑だったりする。しかし、少し郊外に行ったところにこんな場所があるとは知らなかった。今度、真一緒に来たいものだ。こんな風景を一度は見せてやりたい。

 

一面を黄色い色が覆うこの風景は圧巻であり、幻想的だった。

 

「代理の兄ちゃん、撮影の準備終わったから、撮影はじめようか」

 

全身を黒い服装で固めた男性が声をかけてくる。白髪混じりの少し年配の男性。手には一眼レフ、そしてその横には脚立や色々な道具が散乱していた。その後ろではアシスタントであろう少し若い青年が色々と道具の整理をしていた。

 

俺がここに来たのは先週の夏旅行の帰りに赤羽根さんにお願いされたからであった。赤羽根さんからお願いされたのは雑誌の撮影の付き添いにいって欲しいということだった。もともとは赤羽根さんがつきそう予定であったのだが、急遽別の仕事が入ったために無理になってしまったとか、もう1人のプロデューサーである秋月さんという方も新プロジェクトである竜宮小町というユニットで色々と忙しくて来れない、ということで白羽の矢が立ったのが俺。どういうわけか分からないが撮影の立会いをお願いされた次第だった。本当は慣れてくれば雑誌の撮影くらい付き添いなんかいらないらしいのだが、アイドルの性格やまだまだ仕事になれていないことを考慮に入れた結果、誰かが付き添いに着いた方がいいという結論に至ったとかなんとか。アイドルがアイドルの付き添いに行くのはおかしいし、付き添いとはいえ大人の方がいいだろう、そうしてアイドルと仲が良く、しかも成人している人間として俺が選ばれたようだった。それに一応はアイドルの身内でもあるしね。全くの無関係者じゃないのも選ばれた理由かもしれない。ちなみに小さな撮影なので、スタッフというスタッフはおらず、いるのは向こうのカメラマンさんとアシストさんの二人だけ。雑誌の撮影とはいえ、非常に小規模なものだった。

 

一応、俺の扱いはバイトみたいなもので日当が出る。特に何かやることもなく、挨拶程度やればいいとのことだったので俺としては楽な副業が出来たなー、といった感想だった。

先ほど呼ばれたように俺はプロデューサー代理といった肩書き。カメラマンの人たちは俺のことをいつの間にか代理の兄ちゃんとか代理さん、とか呼ぶことにしたようだった。格好は一応スーツ。押入れの奥にしまってあった親父のお下がりだ。捨てなくてよかった、本当に。普段スーツなんか着ないため、慣れないネクタイ結びに相当苦労した。最終的に真にネットで調べてもらって結んでもらった次第だ。真は「夫婦になったみたいだね、兄さん!」という風に笑っていたが、兄としては情けなくて申し訳ない気持ちでいっぱいだった。まぁ兄の威厳なんぞ始めからないんだどね。

 

「あ、あの……。お兄さん、私もいつでも大丈夫です」

 

そして今日俺が付き添っているアイドルというのが我が妹の一番の親友である彼女、萩原雪歩ちゃんである。純白のワンピースに麦わら帽子。先週海に行ったはずなのに白い肌にはシミ一つなくワンピースと同じく白く太陽に反射していた。真夏らしい格好をした彼女はこの向日葵畑にとても似合っていて、この風景に調和していた。向日葵畑に舞い降りた妖精……なんて言葉も思い浮かんだくらいだ。きっと、他の誰でもここまで調和できる人間はいないだろう。真や春香ちゃんでも向日葵畑にここまで溶け込むことは出来ないはず。こと言えばミズキなんてここに居れば浮いてるに違いない。ただ美女、美少女であればいいのではない、きっと雰囲気や性格も全て合わせて風景と調和しているのだ。

 

赤羽根さんの車の中とは違い少し緊張した面持ちの彼女は呟くようなか細い声で言う。雑誌で雪歩ちゃんを見る機会は最近、多くなって来たとはいえ、撮影はまだまだ緊張するようだった。

 

……こういう時どう言う言葉をかければいいのだろうか。気の利いた言葉を投げかけることが出来ない。きっとヒロトなら優しい笑みを浮かべながら緊張でもほぐす言葉を言うだろう。きっとミズキならいつも通りの傍若無人さで居るはずだ。そしてその態度で相手も心強さを感じて緊張もほぐれることだろう。

 

SSKは……。あいつは、そもそもそんなことで悩みはしないはずだ。いつも通りの態度でいつも通り過ごすだろうな。

 

俺には、ヒロトやミズキのようのに相手を救うことも出来なければ、SSKのように割り切ることも出来ない。どこにいっても何をしても、俺は中途半端なのだ。

 

「うん。それじゃあ、頑張ってね。雪歩ちゃん」

 

結局のところ、あれだけ考えてこれだけの事しか言えない自分自身に嫌気がさす。しかし、それ以上に何も言えない。そのことはどうしようもない事実だった。

 

「カメラマンさん、よろしくお願いしますね」

 

カメラマンさんに挨拶をする。雪歩ちゃんも緊張を隠せない面持ちでぺこりと一つ頭を下げる。

 

「まぁまぁ、そんな緊張せんで気軽にいきましょ」

 

カメラマンさんは笑顔で言う。この場で本当の意味で心から笑っていたのはこの人だけだった。こうして、頭上の青空とは裏腹に俺の内心は晴れないまま撮影は始まるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「うーん、いまいちやなぁ……」

 

カメラマンがファインダーから視線をずらし首を捻る。撮影が始まってしばらくした時だった。太陽は大分、高く上がり、風が緩く吹いていた。軽く汗が滲んでいた額に風が当たり体を冷やす。草の匂いと太陽の匂いが当たり一面に広がっていた。

 

「笑顔がなぁ……」

 

「そうですか? 普通の笑顔に見えますけど……」

 

カメラマンさんの言葉にアシスタントさんが反応する。その顔にも汗が見えた。

 

「そうだ。普通の笑みだ……」

 

俺も横で見ていたが雪歩ちゃんの笑顔は少しぎこちないとはいえ笑えていた。少しぎこちないとはいえ、それでも雪歩ちゃんは美少女だ。雑誌に乗っても十分なレベルだと思う。

 

「なら、いいじゃないですか?」

 

「ダメだ。これじゃあ、雑誌に上げられない。こんな笑顔じゃダメなんだな……。よし、休憩入るか。雪歩ちゃん、代理の兄ちゃん、昼休憩しようか!」

 

しかし、カメラマンさんは納得していないようだった。片膝立ちから立ち上がると手をパンパンと叩き、休憩をとろうと促す。撮影前のあの笑顔とは裏腹に少しだけ厳しい表情をしていた。そして、その言葉はアシスタントはもちろんのこと俺にもさらに雪歩ちゃんにも投げかけられた言葉だった。厳しい言葉だと思うけど、俺も少し分かる部分がある。雪歩ちゃんは何時もの笑みの方が何倍、何十倍も魅力がある。それを知っているだけにカメラマンさんの言葉に反論が言えなかった。それは、俺がいつも雑誌で雪歩ちゃんを見かける度に思っていたことでもあったから……。

 

「萩原雪歩は笑っていない。こんなのは笑顔じゃねぇんだよ」

 

去り際にボソリと呟いた言葉は風に乗って、アブラゼミの大合唱を掻き分け俺だけによく聞こえた。

 

「…………」

 

「雪歩ちゃん、気にすること無いよ。ご飯行こうか!」

 

向日葵に囲まれて俯く彼女に俺はまたしても、何も言う言葉が思い浮かばなかった……。

 

向日葵がそんな俺を嗤っているように感じた。

 



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第三話 その2

本当に久しぶりの連続更新です。


向日葵畑の前にある喫茶店“ひまわり”。店内は全て木製でモダンな作りとなっていた。あまり広くない店内は日曜日と言うこともあり、ほとんど埋まっていた。お客の多くは子ども連れだった。そんな店内の一番のBOX席に俺と雪歩ちゃんは向かい合わせで並んで座っていた。テーブルの上にはそれぞれの昼食と飲み物。雪歩ちゃんの前には紅茶とサンドイッチ。俺の前にはブラックコーヒーとパスタ。店内にはラジオからは今、世界で大人気の歌姫と呼ばれているアーティストの曲が流れている。

 

「……お兄さん、ごめんさい」

 

出てきたサンドイッチにも紅茶にも手をつけずに俯く雪歩ちゃん。膝の上で手はギュッと握られていた。紅茶から白い湯気が立っている。

 

「何も気にすることないよ、雪歩ちゃん。俺の方こそ……こう気の利いた言葉の一つや二つ言えずにごめん」

 

「そ、そんな頭を下げないでください! 私が悪いんですから……」

 

手を顔の前でわたわたと降ると雪歩ちゃんはポツリポツリと何かを吐き出すかのように話し始める。

 

「……私、気弱で臆病な自分を変えるためにアイドルになったんです。何かきっかけがあれば変われる気がして、アイドルになることを決意したんです。……男の人が怖くて最初はプロデューサーも怖がってました。けれど、真ちゃんと仲良くなって、お兄さんと出会って……。……お兄さんも最初は怖くて会話するのも無理でしたよね。それでも、真ちゃんの家に遊びに行くにつれてお兄さんとも段々と話せるようになって……」

 

本の半年前のことが懐かしく感じる。初対面から数回は顔を合わせたら顔を真っ赤にしてピューっと飛ぶように逃げて行ったからな、雪歩ちゃんは。

 

「それからは、男の人でも怖くないって少し思えるようになって、プロデューサーや仕事先の人とも少しずつだけど話せるようになったんです。一番初めにライブにいった村でも、小さいステージですけど大勢の人の前で歌うこともできたんです……。小さいステージでもお客さんに笑顔になってもらってそれが嬉しくて楽しくて……。雑誌にも最近ださせてもらう機会が増えてきて……。私変われたんだ……そう思ったんです」

 

雪歩ちゃんはまるで罪を懺悔する人のように消え入りそうな話す。周囲には親子連れの楽しそうな家族団欒の笑い声が溢れていて、まるでこのボックス席だけが店から切り取られたみたいだった。『米国で超絶な人気を誇る若き歌姫のアルバムが18週連続で一位を獲得……』 ラジオの音が先ほどと比べて大きく聞こえる。

 

「でも、やっぱり変われてはなかったみたいです。今までのカメラマンさん達には言われたことなかったんです。……今日のカメラマンさんの言うとおり……私は笑ってないんです。それは私自身分かってました。笑顔を作っても内心ではびくびくしてて、ちんちくりんな私が雑誌に載って良いんだろうか……とか、カメラマンさんやディレクターさんの視線が怖くて内心じゃ泣きそうになりながら、笑っていました。でも、それじゃあダメですね。……あのカメラマンさんの言う通りです。私は何も変わってなかった。……今日もお兄さんにご迷惑をかけて……私、結局はダメダメなんです」

 

「そんなことないよ。雪歩ちゃんは凄いと思うよ」

 

「そんなことないです! 私はダメダメなんです。……お兄さんは凄いですよね。私、海でミズキさんとお話しする機会がありました。ミズキさん言ってましたよ。『あいつ以外のオレたち3人って言うのは、基本的に人の言うことは聞かねぇ。全て自分が楽しめればそれでいいって言う奴だ。あの色男すら内心そうだ。あんな顔して基本的に自分が好きなように動く。あのクソメガネとオレに限っては言うまでもねぇ。だけどな、そんな俺たちでも意見を聞いてやろうって思える人間がいる。それがあいつさ。あいつの言うことなら全員が満場一致で是とするのさ。だってオレたちは……』って。 ミズキさんにそこまで信用されるってお兄さんは本当にすごいです。私の高校でライブした時もあんなに楽しそうに一生懸命やってて……とても、それがカッコよくて。それに比べて私は……男の人が前にいる時や撮影の時は上手く笑えないなんて……。私、アイドル失格です」

 

シュンと下を向く雪歩ちゃん。カップの紅茶はもう湯気が登ってなかった。

 

頭の中に言葉浮かんでは消える。俺はなんて言えばいい?

「心配ないよ。ゆっくりとゆっくりと変わって行けばいいよ」 という気休め?

それとも、「頑張ろう。頑張ればきっと誰かが認めてくれるよ!」 という無責任な言葉?

もしくは「雪歩ちゃんもそのうちきっと、カメラマンの前でも心からの笑顔になれるよ」 という何の根拠もない希望的観測?

 

ー色々な言葉が頭の中を渦巻く。けれどきっと雪歩ちゃんが欲しい言葉はここにはない。いや、雪歩ちゃんが欲しい言葉じゃない。俺が言いたい言葉だ。こんな言葉じゃ雪歩ちゃんには届かない。

 

巧くなくてもいい、拙くてもいい。

 

俺が言うべき言葉を言うだけだ。きっと雪歩ちゃんは今、あの時の俺と同じ状況だ。俺なんかとは悩みの範囲も社会的な影響も比べものにはならない。そんなことは重々承知だ。

 

だけど、だけど俺が言うべき言葉はきっと順序もバラバラな支離滅裂な相手に残る言葉だ。

 

「雪歩ちゃん」

 

俺の呼びかけにうつむいていた純白の彼女は少しだけ顔を上げる。そして目と目を合わせる。

 

そしてゆっくりと吸った息をゆっくりと吐き出しながら言葉を紡ぐ。

 

「雪歩ちゃん……。少し話を聞いて欲しいんだ。あまり、喋るのも上手くないから拙い話になると思うんだけど聞いて欲しい。雪歩ちゃんには話したけど俺は人が苦手でさ、今でこそ初対面の人でも話すことができるけどさ、昔は全くダメだった。まぁ今と変わらないと言えばそんなに変わらないんだけどね。そんな俺でもさ大勢の人に何かを言わないといけない時がある。大勢の人の前で演奏しなくちゃいけない時もある。どれだけ人見知りでも、人付き合いを完全に辞めることはできない。ある小説にあるように人の世は住みにくい。だけど、人の世を作ったのは神でもなければ人でもない、ただの人だ。そんな人の世が住みにくいって言っても越すことができるのは人でなしの国ばかりだ。人でなしの国はきっと人の世より住みにくい。だから人の世で生きて行くしかないし、人付き合いは避けられない。俺と雪歩ちゃんの悩み大きさが同じだなんて思ってはいないけど、同じ人付き合いが苦手な者として何かアドバイス出来るかも知れない。生きている年数だけは無駄に長いからその分色々と経験しているんだ。そんな人付き合いが苦手な俺が大勢の人の前で話すときや、大切なことを人に伝えるときなんかに大切にしている言葉があるんだ」

 

俺がいつも何かを伝える時や何かをする時に思い浮かべている言葉。俺たちが始まった時も全てが終わったあの日も伝えたいことがある時や、大事な場面で心に刻んでいる言葉。

 

「------真っ直ぐに喋れば光線のように心に届く。古代 インディアンのアパッチ族の名言なんだけどね。言葉のままの意味だよ。真っ直ぐな言葉は光線のように心に響くんだ。それは、相手の心であり、自分の心だと思う。真っ直ぐに出た言葉は自分でも気づいていない本心に気づかせてくれる。そして、俺はこの格言は言葉だけじゃないと思うんだ。真っ直ぐな行為は、光線のように心に届く。例えばそれは、演奏だったり。例えばそれは、歌だったり。例えばそれは、笑顔だったり……。真っ直ぐな行動はそれだけで相手の心に届く。雪歩ちゃんが真っ直ぐに笑顔や歌を歌えばそれは間違いなくみんなの心に届いてみんなを笑顔にしたり勇気付けたりするんだ。雪歩ちゃんさっき、言ってたよね。村でライブをしてお客さんに笑顔になってもらうのが嬉しいってさ。その気持ちを写真で真っ直ぐな笑顔で何処かの誰かを笑顔に出来るはずさ。お客さんに笑顔になってもらって嬉しい……。そんな気持ちを持てるなんて雪歩ちゃん。間違いないよ」

 

そこで一呼吸をおき、ゆっくりと真っ直ぐに喋る。

 

「------萩原雪歩はアイドルだ!」

 

「私がアイドル……」

 

「そう、俺が保証するよ。萩原雪歩はアイドルだ! ってね。人の笑顔が嬉しいと感じるのならそれはもうアイドルさ。それに人のためじゃなくても自分が楽しいと思えたらそれはそれでいいのかも知れない。雪歩ちゃんは可愛いんだ。そんな雪歩ちゃんの笑顔はきっとみんなを幸せにするよ」

 

「わ、私が可愛いなんて、そ、そんなことないですぅ」

 

シュンとした表情から急に顔を真っ赤にしてブルブルと顔を振る雪歩ちゃん。

 

「で、でもなんだか気持ちが楽になったような気がします。真っ直ぐに喋れば光線のように心に届く……。分かりました! 午後から頑張ってみます!」

 

そして急にグッと右手を握る。元の雪歩ちゃんに戻ってくれたようだった。もうラジオの音がBGMに聞こえることはなく、遠くに聞こえた。

 

「うん、それじゃあ頑張ろうか!」

 

すっかり冷めたコーヒーはそれでも美味しかった。初めてのプロデュースは何とか上手くいきそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おぉ! いいね! いいよ! 雪歩ちゃん!」

 

カメラマンが午前中の険しい表情とは一変して笑顔でシャッターを押している。

その先には笑顔の雪歩ちゃん。午前中とは違い、雪歩ちゃんらしい、可愛い笑顔だった。その違いはほんの少しだけかも知れないが、その少しの変化が大きく違うのだ。

 

「うん、これはいいよ! 今度から雑誌関係はナムコさんにお願いしようかな」

 

太陽の花が咲き乱れ風に触れてる中、カメラのシャッター音が鳴り響いた。

 

 

 

「いやー、良かったよ! 萩原雪歩! これだけのシャッター笑顔が出来るとは思わなかった。代理の兄ちゃんがなんかしたんだろ?」

 

撮影終わりに挨拶に行くと笑顔のカメラマンさんが近づきながらこう言ってきた。

 

「いえいえ、特に何も言ってませんよ。彼女の実力です」

 

俺が話したことなんてほとんど何の役には立っていないと思う。全ては雪歩ちゃんの実力だ。

 

「そうかい、そうかい。代理の兄ちゃんがそういうならそういうことにしておこう。それにしても良かったぜ。こんなにいい写真が取れるなんてな、この写真なら雑誌の端に載せるなんてもったいねぇ、堂々と表紙で使ってやるよ。それにしても、兄ちゃんが代理かー。兄ちゃんなら立派なプロデューサーになれるぜ。どうだい、うちでプロデューサーやらないか? こう見えても上には融通聞くんだぜ、一応」

 

ほれ名刺な! そう言って名刺を渡してくるカメラマンさん。

 

「一応学生ですのでプロデューサーになるのは少し……」

 

「兄ちゃん学生か! そうかそうか、なら就職にあぶれたらうちに来な、兄ちゃんみたいな人材がほしいんだよ」

 

そう言ってカメラマンを片手にガハガハと笑う。このカメラマンさんが大手の芸能事務所やテレビ曲とも強いコネクションをもった有名カメラマンであることを俺はまだ知ることはなかった。

 

この時取られた写真はカメラマンさんの言ったとおり雑誌の表紙に使われることなり、萩原雪歩が大ブレイクするきっかけとなることになるのだった。

 

そしてこの日を境に雪歩ちゃんが積極的に話しかけてくれるようになってくれた。妹みたいな存在とは言え美少女に話しかけられると嬉しいのであった。



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閑話

高校二年生と言えば早い人で受験を意識する季節らしいです。受験勉強したことない俺には関係なかった話ですが。


真夏のある日の午後。いつも通りの日だった。クーラーも何もない炎天下の部屋は数年前に買った扇風機が申し訳ない程度に回っていた。家具なんかは最低限しかなく、シンプルな部屋というよりかは殺風景な部屋と言った方がしっくりとくる。

 

そんな部屋で俺はベットに腰掛け本を読んでいた。何度も読み返したせいでひどくヨレヨレの本はすっかりくたびれていた。

 

 

 『山路を登りながら、こう考えた。

 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通とおせば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。

 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう』

 

何度も何度も読み返したお陰か空でもすっかり言えるようになってしなった冒頭。昔から本を読み返すのが好きだった。それは漫画にしろ、小説にしろ、評論にしろ、とりあえず本は何度も読むことが多かった。

 

物語は何度読んでもその流れもその結末も変わらない。今読んでいる本もそうだ。頭のあまりよくない俺でもこれだけ読み返せばすっかり話の流れも結末も覚えている。

 

物語を読み返す度に画家は同じ行動を繰り返す。そして結末はいつだって同じだ。そこには一つも違う行動も結末もない。当たり前の話だ。

 

もしかしたら、俺はその繰り返しの中に例外を求めているのかもしれない。あり得ないとは頭の中で重々に理解はしているのと同時に少しでも例外を求めている、そんな矛盾した気持ちがあるのかもしれない。

 

------コンコン。

 

控えめなノックが一つ部屋に響く。

あれ、珍しいな……。そう思った。

 

今日は誰も我が家を訪れた人はいない。となると二人暮らしの我が家にいるのは俺とあと一人ということになる。そうなれば必然的にノックの相手も分かる。

 

「はーい」

 

ベッドに腰掛けたまま木製の扉の向こうに声をかける。

 

「兄さん、いま大丈夫?」

 

「うん、大丈夫だよ」

 

その声に返事をしながらベットから腰を上げ、扉を開ける。

 

「兄さん、少しお願いがあるんだ」

 

扉の先には黒髪のショートヘアにピコピコと揺れる特徴的なてっぺんの癖毛。いつも通りの服装で下は俺のお下がりの黒色のジャージに上は少し大ききめの薄いTシャツ。

 

「あっ、本読んでたんだ。兄さん好きだよね、本読むの」

 

いつも通りの笑顔で俺の持っていた本を見ながら言う。

 

「まぁね。暇な時は本を読むのが一番かなと思ってね。それで何かあった?」

 

「あ、うん。でも、本読んでた見たいだけど少し時間取れる?」

 

「あぁ、全然大丈夫だよ。どうせ何度も読み直したものだしね」

 

どうせ何度読んだところで何も変わらないのだ。なら別のことをした方が気晴らしにはなるだろう。

 

「良かったー。実は少しお願いがあったんだ」

 

「うん、俺に出来ることなら何でも言って」

 

お願いかー。最近は少なくなってきているけど誰か友達を泊めたいとかかな。別にそれなら全然OKである。夏休みで基本的に学校は休みだろうし、真の友人なら大歓迎である。

 

「うん、実は……」

 

しかし、そんな俺の予想とは裏腹に真のお願いと言うのは全く異なるものだった。

 

 

 

 

 

 

 

俺の部屋と間取りも大きさも同じ部屋は若干家具屋やぬいぐみが増えたが若干女子の部屋にしては質素すぎると言った方がいい部屋。質素なのはきっと俺の影響受けたんだと思う

俺に部屋とは違いエアコンが付いているため室温は快適であり、先ほどまで若干汗ばんでたがすっかり汗も引いていった。

 

そんな快適な部屋の中、俺は綺麗に整頓がなされている勉強机に座っている真に並ぶように並べてある椅子に腰をかけていた。

 

まさか、この机に真が座っているところを見れるとはな……少し失礼だけどそんなことを思ってしまった。新品のように綺麗なそれは普段からあまり使われていない証拠だ。俺自身、この机を使っている姿を見かけたのはこれが初めてかもしれない。

 

誰に似たのか真はどうにも勉強と言うものが苦手で嫌いなみたいだった。まぁ、学生のほとんどが勉強何か嫌いな学生が多いだろうし、俺自身も嫌いだった。それに勉強が出来ること以上に真は大切なものを持っている。勉強なんか少しくらい苦手でも問題ない。そう思っていままで俺も勉強については何もいってこなかった。

 

そんな真からまさかこんなお願いをされるとはな……。

 

真のお願いは簡潔に勉強を教えてほしいというものだった。真からそんなお願いをされるなんて欠片も思っていなかったため、よく考えることを忘れて首を縦に振ってしまった。それに兄として勉強が出来ないという失態を晒すのは恥ずかしい。

 

しかし、真は高校二年生。高校時代は理系にいたが、大学は文系の学部に入った俺にとって理系科目は少し厳しいかもしれない。しかし、一度見栄を張った手前そうそう出来ませんとは言えない。

 

兄はいつだって見栄っ張りなのだ。

 

「ねぇ、兄さん。高校時の得意科目ってなんだったの?」

 

机の上に並べたプリントを整理しつつ真が聞いてくる。机の上にはプリントとコーヒーの入った色違いのマグカップが二つ。赤いマグカップには砂糖とミルクが両方入ってるコーヒー、青いマグカップにはブラックコーヒー。真も初めはブラックコーヒーしか飲まない俺の真似をして飲もうとしてたが、どうにも苦過ぎて飲めず、ついに諦めて砂糖とミルクをいれるコーヒーを飲むようになった。

 

「得意科目ね。得意科目というより好きな科目になるのかな。一回だってSSKやミズキに点数で勝ったこともないし……」

 

「それは比べる相手が悪いよ。Sさんもミズキさんも全国模試でも毎回トップ10に入る人たちだよ」

 

まぁ確かに比べる相手が悪かったかもしれない。SSKとミズキの解答用紙を見たことあるのだが、模範解答と遜色なかった。本当に漫画みたいな連中だ。それにミズキとSSKと比べて俺が勝ってることなどないんだしね。比べるまでもなかった。

 

「それもそうだね。まぁ、点数が取れた取れなかったは置いといて好きだった高校時代に好きだった科目は倫理、国語、物理だったかな。まぁ物理なんて大学に入学したら全くもって使ってない科目なんだけどね」

 

そう言って笑う。大学に入ってからと言うもの物理どころか計算する科目すらないからな……。寂しいと思う反面苦手な微分積分がなくて良かったと思う気持ちもある。

 

「倫理かー。今年から公民の授業で倫理とってるけど、僕にはイマイチ理解出来ないよ。何か意味不明な言葉多くて……」

 

「うーん、確かに倫理は哲学も少し齧るからね。難しい表現なんかが増えてわかり辛いかもね」

 

哲学者の言葉はいつだって回りくどく難解だ。それが哲学の面白みでもあるし、難しい面でもある。本を昔から読む俺にとってはその言葉遊び的な言い回しが好きなのだ。

 

「それに何か昔の人の考えも理解出来ないし……。ソクラテス……? だっけ? あの人何にも悪くないのにインキチな裁判で負けて毒を飲んで死んじゃったし。……僕には理解出来ないなよ。お弟子さんと逃げることも出来たんでしょ?」

 

ソクラテスか。社会系統の科目でお馴染みの古代ギリシャの哲学者である。プラトンの師匠とも言われる哲学者であるが、彼が本当に存在したのか確証が取れず、もしかしたら存在しなかったかもしれないと言われる人物だ。

 

「まぁ倫理は色々な話と複雑に絡まったりしているからね。色々な雑学というか話を聞けば面白いかもしれないね。例えば、ソクラテスが毒杯を仰いだ問題は悪法論とも取れるんだ」

 

倫理だけじゃない。社会系統の科目全般に言えることだが、ただそれを暗記するのではなくて裏の話とか雑学と絡めて覚えると覚えやすい。

 

「あくほうろん……?」

 

「そう悪法論さ。真、例えば法律を守ることはいいことだとおもう?」

 

その問いに真は間髪もなく答える。

 

「うん、いいことだと思うよ!」

 

日本だとそう言う意見が多いのかもしれない。基本的に日本の教育では法律を正義と教えるのが多い。俺はその考えを否定はしない。

 

「うん、そうだね。でも例えば真、悪い法……他に悪法で有名なナチスの例を出せば、ナチスドイツがWW2の時に引いていたユダヤ人を迫害する法律を守ることは正しいことかな……?」

 

「そんなことは間違っているに決まってるじゃん!」

 

「うん、そうか。でも、真はさっき法律を守ることは正しいって言ってただろ?」

 

そう言うと真はむむと一つ唸った後ではっきりとした口調で話し始める。

 

「法律を守るのはいいことだと思うけど……。でも、ダメな法律もあると思う」

 

「うん、ならそのダメな法律は法たり得ると思う?」

 

「うんうん、ダメな法律は法律じゃないと思う」

 

「うん、真のその考えはソクラテスとは違う立場なんだ。ソクラテスは悪法も法であると考えたんだ。悪法でも法は法。なら、その法で決まった刑罰は受けなければいけない。そうソクラテスは考えて毒杯を仰いだんだ」

 

そう言うと真は顎に手をおいてむーっと唸りながら何かを考えると首を傾げながら口を開く。

 

「やっぱり、よく分からないや。僕にはソクラテスの考えを理解出来そうにないよ……」

 

「まぁ倫理だし、理解出来ないことが多いのはしょうがないよ。他人の思想の勉強だしね。その考えに納得するんじゃなくてそう言う考えもあるんだ、って思うのが倫理や哲学さ」

 

倫理や哲学は数学のように答えがない。それがもし、あるとするならば人それぞれ自分自身の生き方なんだろう。そして、その答えが出るのはそしてきっと、舞台の幕引きをする瞬間。

 

「分かったような、分からないような……」

 

そうやって言葉につまる真。まぁきっと分かってないんだろうな。もっとも真は倫理なんて勉強しなくてもきっと豊かな人生を送れるはずだ。

 

「まぁ、社会科目は納得しなくても暗記すればいいしね。ひたすらに読むことだね」

 

「うぇー、やっぱりそうなるのか……。そう言えば、兄さんはどちらの立場なの? 悪い法は法としてどうなの?」

 

机に突っ伏した真がこちらに顔を向けながら話す。

 

「俺は……。悪法も法たり得ると思う」

 

「えー、何で?」

 

「運命だからかな……」

 

きっと俺が悪法で裁かれる立場だったらそれを受け入れるだろう。法律はその時、その場所によって決まる。そして、その悪法で裁かれるというのはある意味でそこに産まれた俺の運命ではないかと考える。それに法が悪となれば俺たちは何を信じればいいのかの指針がなくなる。法律はいつだっけ正義の指針になるべきなのだ。俺個人が悪だと思っても、それが法律という正義なら黙って受け入れる。

 

「運命って、どういうことなの?」

 

「まぁ、ソクラテスと同じ考えと思ってもらったらいいよ」

 

「えー、兄さんもかー。僕にはやっぱりよく分からないや」

 

「まぁ、ただ俺の意見だし何も気にする必要はないよ。それはそうと、何の科目が分からないの?」

 

「あっ! うん、結構バラバラにあるんだけどいいかな?」

 

「うん、もちろん。俺がわかる範囲ならいくらでも大丈夫だよ」

 

全部と言えないところが恥ずかしいが、可愛い妹の頼みだ出来る限りの力にはなりたい。

 

「えーと、じゃあ最初は英語からお願いしていいかな?」

 

そう言ってプリントを取り出す真。A4サイズの大きさのそれは7割程度が埋まっていた。英語なら大学の授業でもあるし、有る程度は出来そうな気がする。まぁ出来るといっても簡単な読解と書くことが出来る程度で会話なんて全く出来ないけどね。まぁ、会話なんて出来なくても外国人の人と話す機会もこれまでなかったし別に話せなくても大丈夫なような気がする。

 

「読解はどうにかなったんだけど、英作文がどうしても苦手で……」

 

確かに空白のところは英作文の問題ばかりだ。あれ、意外と難しいかも。それになんだか、埋まっている問題もなかなか難しい読解の問題のような気がする。

 

「えーと、じゃあこれから行こうか。まずこの問題はin spite ofというイディオムを使って……」

 

こんな感じで真との初めての勉強会は始まった。机の上のコーヒーは未だに減っていなかった。

 

 

 

 

 

勉強会が始まって長針が二周ほどした時、ようやく物理のプリントの最後の問題が埋まった。今までやった科目は英語、社会、物理と三科目を迎えていた。机の上のコーヒーは3杯目になっていた。

 

「うぅー、やっと物理終わったー! ありがとう兄さんっ! おかげでケプラーやニュートンの万有引力も理解出来たよ!」

 

教えていて思ったのは真の理解力はすごいということだった。言葉を簡単なものに変えて説明するだけでスルスルと吸収していく。勉強嫌いさえ直せばすぐに成績も良くなりそうな気がする。……と、言うか今更思ったけどプリントの問題が結構難しかったような気がする。真の高校のレベルからいってここまで難しい問題が出ることはないと思うんだけどな。

 

「いやいや、真の理解力がいいだけだよ。ところで真、何か問題が難しくない?」

 

「う、うん。実は少し目標があって……」

 

真は少し恥ずかしそうに下を向きながらはにかむ。

 

「実は、兄さんと同じ大学に行きたいんだよね……。今のままじゃ無理だけどさ今から勉強すればいけるかもしれないし、アイドルも大変だけど兄さんもバイトと勉強を両立させたんだ! 僕はバカだけど、今から勉強すればもしかしたらいけるかもしれない。僕は兄さんやミズキさんと同じ大学で勉強したいんだ」

 

照れ臭そうに時々頬を掻きながら彼女は微笑む。その笑みは柔らかいものだった。

 

なるほど、そういうことだったか。それにしても真が俺と同じ大学に行きたいか……。俺の大学は一応、地方国公立大学。そこそこの難易度はあると思う。

でも、真ならきっと合格してくれるはずだ。俺でも出来たんだ。真に出来ないはずはない。

 

「うん、そうだね。頑張れ、真。真ならきっと大丈夫さ。もちろん、俺が力になれることがあったら言ってくれよ」

 

「うん、ありがとう兄さん。頑張るよ! それと最後に数学の証明問題を一つだけいいかな……」

 

証明問題か……。数学的帰納法とかΣとかでてきたら解ける気しないな。さっき協力すると言ったのにすぐに解けないというのは避けたいんだけどなぁ。

 

「数学と言っても定義も公式も何も使わないまるで国語のような問題らしいんだけど……。中学生までの知識でできるんだって」

 

そう言って真はファイルからまたプリントを取り出しその問題に丸の印をつける。

 

「えーっと、nとn+2がともに素数でn>3のとき、n+1が6の倍数で有ることを証明しろか……」

 

「うん、国語が得意な兄さんなら出来るかなって思ってさ」

 

数学的帰納法もその他の定理も使わないか……。国語のような問題か……。

 

エアコンにより程よい室温の中俺は考える。

 

「あぁ、なるほどこう言うことか……」

 

結局その答えが出たのは5分後、三杯目のコーヒーを飲み終わるのと同じだった。

 

こうして、ある真夏の午後は静かに過ぎていった。

 




最後の問題は私自身が教えて欲しいと聞かれた問題です。

私自身、皆さんは何分で解けますか?


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第四話

新年明けましておめでとうございます。

気づけばこの作品も一年が経ちますね。早いものです。ここまで長く続けてこれたのもひとえに皆さんのおかげです。今年もまたお願いします。



夜。それは季節によって異なる。

例えば春なら静かに穏やかな始まりの香りのする新しい夜。夏なら雑踏に包まれた熱帯夜。秋ならば虫の音色と満月が照らし、夏の疲れを癒してくれる夜。そして、冬なら……冬ならきっと夜は全てを終わらせるような静寂の夜。

 

そして、今夜もそんな夏の夜のイメージにピッタリな熱帯夜だった。時刻は日が落ち切って一時間ほど、一般の家庭では夕飯時を少し過ぎた頃だった。俺たちはファミレスに来ていた。俺たちと言うのはいつも通りのミズキ、ヒロト、SSKに俺を含めての4人組。普段俺達で集まる時は大学にある小教室を使うのが通例でファミレスに来ることなどないのだが、今日は俺たち以外にもお客さんも来るためここに集まることとなった。

 

「しっかし、ファミレスなんか久しぶりに来たぜ」

 

店内一番奥にある窓側のBOX席の窓枠とシートのヘリに腕を預けながら横にドンと座るミズキ。夏らしい薄手の服を着ている彼女は惜しげも無く白い肌を出している。もはや見慣れたミズキの格好なので特に意識もしない、と言いたい所なのだが何を言ってもその男以上に男っぽい性格と男勝りの口調さえなくせば完璧ななのがミズキだ。つまり、容姿だけとってみれば非の付け所がない。そんな彼女を少しでも意識するなと言う方が無理なのだ。

 

「そうだね。こうして皆でファミレスに集まるのは高校以来かな」

 

ヒロトが柔和な笑みを浮かべながら答える。夏の暑さなんかどこ吹く風の爽やかさである。

 

「正確には高校三年生の11月9日以降だな」

 

淡々と話すSSKは始めて会った人なら機嫌でも悪いように感じるだろう。ただこの変人に限ってはこれデフォルトな話し方なのだ。

 

「そういえば、最近は集まるって言ってもいつもの教室かミズキの家か俺の家だからね」

 

高校時代も集まると言ったら部室かミズキの家が多かった。完全下校までは部室で駄弁ったりして、それ以降や休みの日はミズキの家や俺の家に集まるのことが多かった。それにヒロトは他校の生徒でしかも家も遠かったし、SSKの部屋は基本的に機械やらよく分からない物が多すぎるため人が集まるにはむかない。だからこそ俺の家やミズキの家が多かった。

 

「あぁ、そうだな。なんだか懐かしいな」

 

ミズキが懐かしむようにつぶやく。

 

「そうだね。なんか大分、昔のような感じがあるよね」

 

ヒロトが頷きながらそれに返す。

 

「あの時からもう既に5年以上の時間が経った。俺たちの歳から言って、大分前といっていいだろう」

 

確かに俺たちが生きてきた約20年に比べると5年という歳月は長いのかもしれない。あの時から5年か……。歳をとったな……俺たち。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前ら将来はどうするんだ? 大学生活も残り一年と少しだが……」

 

唐突にミズキが切り出した。

 

「うーん、俺は普通に就職しようかなって思ってるよ。商社か外資系で働ければ働きたいね。海外で働ければ凄く楽しそうじゃない?」

 

ヒロトが言う。確かにヒロトの性格ならビジネスマンに向いてるな。まぁ何をやっても持ち前の正義感と性格で成功しそうなやつだ。将来、正義の味方になると言われても不思議となれるかもと思うのはヒロトの人間性がなせる技だ。

 

「でも、お前英語出来ないだろ」

 

ケラケラとミズキは笑う。

 

「まぁ、今は勉強中さ。そりゃミズキやSに比べたらまだまだだけど、俺もそれなりに勉強しているんだ」

 

「ほう、それは楽しみだな。まぁ、お前みたいな色男はどこにいっても成功しそうだけどな」

 

「確かにヒロトほどの人格ならどこに行っても通用する」

 

「あぁ、ミズキもSもありがとう」

 

ミズキもSSKも笑みを浮かべながら言う。冗談を言うことがあっても仲間を大切に思う気持ちは強い。ミズキはもちろん、あのSSKですらそうなのだ。

 

「確かにヒロトなら海外でも十分成功しそうだね」

 

もちろん、俺だってその気持ちなら誰にでも負けていない。

 

「ありがとう。君に言われたら間違いなく成功できるような気がするよ」

 

「おいおい、そりゃあどう言うことだぁ? オレ様の言葉は信用出来ないってことか?」

 

ニヤニヤとミズキはテーブル上にあったおしぼりを袋のまま弄びながら言う。もちろん本心ではなく遊びで言っている。

 

「そういうことじゃないさ。ミズキだって分かってるだろ。彼のこういう時の言葉は信頼できるってね」

 

「まぁな。こいつの言うことは間違えねぇよ」

 

無駄に厚い信頼を寄せられているようでむず痒い感じがする。そもそも、ここにいるメンバーが失敗する未来が見えないだけなのだが。

 

「天パーはどうするんだ?」

 

「俺か……」

 

SSKはそこで机に置いてあった水を飲み、一呼吸おく。

 

「俺はとりあえず海外に留学かな……」

 

意外といえば意外だが、納得すると言われれば納得するものだった。実家を継ぐのかな、やっぱり。

 

「へぇー、医学かい?」

 

ヒロトのその言葉にSSKは少しだけ考えるとふと言葉を発する。

 

「医学もそうだが、哲学と心理学も学ぼうとな……」

 

「へぇー、ついに後を継ぐって決めたか……。それと哲学ってなんだ、お前には一番似合わない学問だろ」

 

確かにミズキの言うとおりSSKに哲学とか心理学とかは似合わない。常に我関せずの態度のSSKが他人の心理なんか勉強するとは一体なんの心変わりがあったのだろうか。

 

「別になんでもない。ただ……優れた医術や専門的な医学の知識だけじゃ人の命を救うことは出来ないと悟ったまでだ」

 

「なんだそりゃ?」

 

「まぁ、なんてことない。気にするな。それよりお前はどうなんだ?」

 

「オレかぁ……」

 

ミズキは腕を組み一瞬だけ俺を横目で見ると目を瞑る。

 

「……うーん、未定だなぁ」

 

ミズキこそ意外中の意外だ。ミズキのことだからずっと前から自分の向かうべき道を決めていると思ったんだけどな。

 

「ミズキのことだから高校の時から進路決まっていると思ったんだけど」

 

俺と同じ思いだったのか、ヒロトが意外そうに言う。

 

「いやさ、オレって何でも出来るだろ。だからこそ何しようか悩むんだよ」

 

そう言うことをおくびも出さずに言うのは何ともミズキらしい。確かにミズキは何でも出来る。俺なんかと違い頭脳明晰、容姿端麗なミズキだからこそ、そういった悩みがでてくるのだろう。俺なんかは一生でてこない悩みに違いない。

 

「ははははは。ミズキらしいじゃないか」

 

「ふむ……」

 

納得したように笑うヒロトに顎に手をおき考える仕草をするSSK。SSKのその真意を俺が知ることになるのはこれから少し先のことになる。

 

「なんだぁ。天パー、何か言いたいことあるか?」

 

「いや別に何にもない」

 

「なんだよ、それ? それよりお前はどうなんだ?」

 

SSKから顔を俺の方へ向けるミズキ。

 

「俺か……。俺は……」

 

俺はどうすればいいんだろう。SSKの様に勉強ができるわけでもヒロトの様にスポーツができるわけでもない。それにミズキのように生きにくい世の中で意地を通す自信もない。それに俺にはもう……。

 

「………………」

 

何かを言おうとそう思った時、ヒロトが窓の外を見ながら言った。

 

「雑談はここまでだね。来たよ、お客さんが」

 

ヒロトが指差す窓の外を見れば横断歩道の向こう側に3人のお客さんの姿が見えたのだった。

 

 

 

 

 

「久しぶりだな、春香に雪歩に千早。元気だったか?」

 

今日のお客さんとは真の仕事仲間でありライバル、そして友人でもある春香ちゃんに雪歩ちゃんに千早ちゃんだ。レッスン終わりに来てもらうため765プロから近いこのファミレスを利用させてもらった。しかし、三人ともレッスン帰りとは思えないくらいに元気な顔をしている。若いっていいなぁ、と改めて思う瞬間であり歳をとったなと実感する瞬間でもあった。

 

「お久しぶりです。ミズキさんにヒロトさんにSさん。お兄さんはこの前あったばかりですね」

 

そう言いながら春香ちゃんは微笑む。

 

「なんだぁ? お前いくら相手がいないからって妹の友達に手を出したのかぁ?」

 

いくらなんでも全くもって酷い言いようだ。いくら彼女が出来ないからと言って妹の友達にまで手をだすほど餓えていないのだ。まぁそれはミズキも分かってからっている。

 

「そんなわけないだろ。俺が春香ちゃんみたいな可愛い女の子にモテるとおもってるのか? もし、モテるのならとっくの昔に彼女を作ってるよ。春香ちゃんたちとはあれだ、この前、真と一緒に料理を教えただけだよ」

 

まぁ、教えたといっても春香ちゃんと真はもう俺が教えるレベルじゃないほど料理の腕はある。結局、教えるというか一緒に料理をしたような形になった。

 

 

「あはははははは。確かにそうだよなぁ。お前がモテるわけなかったよな。まぁ心配しなくてもいき遅れたら俺がもらってやるからよ」

 

「ミズキがその時までいき遅れているとは思えないけどね」

 

相手がいない俺とは違い、ミズキの場合は相手が多すぎて相手を選べないのだ。いき遅れることなんてよっぽどのことがない限りないだろう。まぁミズキの場合は性格がもんだいなのだがそれも慣れればどうってことない。いっそ、ヒロトとできればいいのに。ミズキとヒロトで美男美女カップルの誕生である。

 

「痴話喧嘩はその辺りにしておけ、姫の友人の前だぞ。久方ぶりだな、天海春香、萩原 雪歩、如月 千早」

 

我関せずといつも通りSSKは言う。

 

「な、な、な、何が痴話喧嘩だ!」

 

珍しいことに顔を真っ赤にして否定するミズキ。珍しいものが見れた反面、そこまであからさまに否定しなくても、とすこし寂しい気持ちがある。釣り合っていないのは分かっているが冗談でもそう言われると男は嬉しいのだ。

 

「お久しぶりです、Sさん、ミズキさん、ヒロトさん。お兄さんはあの撮影以来ですね」

 

そう微笑みを浮かべながら雪歩ちゃんは言う。その笑みはとても柔らかいものだった。苦手な男の人、おれやSSKやヒロトがいるにもかかわらずその笑顔が出来る様になったのを見ると自分のことみたいに嬉しくなる。

 

「おぉ、雪歩! 良い笑顔で笑えてるじゃねぇーか! これは可愛いな! なぁ、お前らもそう思うよな」

 

「うん、確かにミズキの言う通り素敵な笑顔だと思うよ。君もそう思うだろ?」

 

ヒロトが頷きながら言う。

 

「確かにね、雪歩ちゃんのその笑顔は可愛いと思うよ」

 

言ってから思ったけど本当のことでも可愛いと言う言葉を本人の前で言うのは恥ずかしいものだった。思春期の中学生じゃあるまいし。自分で自分を苦笑いする。ヒロトのように涼しい顔してそんなセリフを言えたのならいいのになぁ。

 

「えっ! え……えっ! わ、わ、私はちんちくりんでダメダメなんですぅ!」

 

言われた本人の雪歩ちゃんはというと顔を真っ赤にしてわたわたと手を振ると最終的には下を向いてうつむいてしまった。どうやら本人はまだ言われ慣れていないみたいだ。

 

「雪歩ったらまだ慣れないみたいね。皆さん、お久しぶりです」

 

そんな友人の姿をみて少し笑いながら千早ちゃんが言った。

 

「如月さんも久しぶりだね。元気だった?」

 

「はい、おかげさまで。お兄さんも毎回料理教えていただいてありがとうございます。お兄さんの教えが上手なおかげで少しずつ料理のデパートリーが増えてきました。家でも少しずつですけど自炊やってみて料理が面白いと思えてきました」

 

ヒロトから俺へと顔を向けると千早ちゃんは言う。千早ちゃんは手先が器用で教えたことをスポンジが水を吸収するようにすらすらと飲み込み覚える。全くの初心者だったのにいまでは簡単な料理くらいは一人でできるようになるまでになった。

 

「いやいや俺の教えがうまいんじゃなくて千早ちゃんが手先が器用なんだよ。それに料理が楽しくできているならなりよりだよ」

 

美味しい料理をつくるのも大事なことだが、それよりもなにより自分が楽しめないと意味はない。料理が美味しいことより、楽しく料理をすることや、心を込めて料理をする方が何倍も何十倍も大事なことなのだ。

 

「まぁ挨拶で友好を深めるのも悪くはないが、とりあえず座ってもらって料理を注文したほうがいいのではないか?」

 

「確かにその通りだな。春香達はそっちのボックス席に適当に座ってくれ」

 

横並びに並んでいるボックス席を指差すミズキ。そしてアイドルの皆が座り終わったのを確認するともう一度口を開く。

 

「まぁ、とりあえず食べたいものを何でも注文してくれ。もちろんお金はオレたち持ちだから気にしないでいいぞ」

 

「あぁ予算も今年度の分は余裕がある。遠慮せずに頼むといい」

 

SSKもミズキに続き言う。

 

「あの、予算ってなんですか?」

 

それぞれの注文が終わった後、春香ちゃんは言う。その疑問に俺は答える。

 

「予算っていうのは俺たちのグループも一応会費を集めててね、それの話だよ。SSKが一番初めの会費で株やって予算は潤っているんだけど、極力それは使わないようにやっていっているんだ」

 

SSKのおかげで予算は多くあるが、それをなるべく使いたくはない。いくら儲けたのかは知らないが極力自分たちが払った会費で活動するのが俺たちの方針である。それは大学生になった今でも相変わらずだった。むしろ、高校時代よりも活動が落ち着いて予算も余っている状況だった。ミズキもイベントは好きだが極力お金は使わないイベントを選ぶからな。高校時代は路上ライブとかで活動資金を稼いだり、皆で共通のバイトをしたりとよくやってたもんだ。

 

「へぇー、そうだったんですか。そういえば皆さんって高校の部活動で知り合ったんですよね? 何か役割とか決まているんですか?」

 

春香ちゃんの向かいに座る千早ちゃんが言う。横に座っている雪歩ちゃんは未だに顔が少し赤い。復活するにはもう少し時間がかかりそうだ。

 

「役割か……。うーん、決まっているといえば決まってるし決まってないと言えば決まってないかな。まぁ確実に確かなことなのは副リーダーはミズキでリーダーは彼だよ。高校の時はミズキが副部長で部長が彼」

 

そう答えながらヒロトは俺に手を向ける。

 

「それと……。俺とSSKは肩書きみたいなのはもってないね。まぁ、やることは皆同じなんだけどね」

 

「まぁな、肩書きなんてあってないもんだな」

 

「へぇー、お兄さんがリーダーって言うのは何か訳でもあるんですか?」

 

「春香ちゃん。それはただ俺がその部活を作ったからだよ」

 

そう何で俺なんかがこのメンバーでリーダーや部長をやっているのか言うと高校時代、部活を俺が作ったからという理由だけだったりする。うちの高校は全員部活動を導入しており、絶対に生徒は部活動に所属することが決まっていた。そして、その代わりといえばあれだが部活動の申請が通りやすかった。おかげで部活動の数はとてつもない数となり、新しい部活動が出来ては消え出来ては消えという感じだった。

 

「そういうことだったんですか! それと、学校の先輩からお兄さん達の話を聞いたんですけど、凄いですね!」

 

「あっ、私も先輩に聞いたんですけど凄かったですぅ。文化祭でも一番盛り上がっていましたし」

 

いつの間にか復活した雪歩ちゃんが言う。顔はまだ少し赤い。

 

ウチのグループは色々とやってきているからなぁ。何と言っても橘 ミズキその人がいるのだ。話題性には事欠かせない。そのミズキに加え容姿端麗なヒロトと変人オブ変人のSSKまでいるのだ。目立つなと言う方が無理な注文だった。

 

「まぁ色々とやってきたからね。特にミズキは」

 

そう言ってヒロトはクスリと微笑んだ。

 

「何いってんだ。それはお前らも一緒だろ。本のすこーしだけ、俺の方が目立つだけであってな。お前ら各自も十分色々やってんだろ」

 

ミズキはあまるでそれが心外かというように話す。しかし、そう言われると俺まで目立つことをやっていたみたいな言いがかりだ。

 

「ちょっと待て、SSKはあれだしヒロトも十分目立ってたけど俺は違うだろ」

 

中肉中背、黒目黒髪と何も目立つところのない俺は自分で言うのも悲しいが特徴ない人と言っても問題ないだろう。特にこんな濃いメンバーに囲まれたらそうだ。

 

「ははははは、何行ってんだよ」

 

「ははははは、何言ってるさ」

 

ミズキとヒロトは笑いながら共に言う。

 

「「こんなグループのリーダーやっている時点でお前(君)は、十分に目立っているんだぜ(よ)」」

 

その言葉に皆が笑う。そう笑顔で言われればその様な気がしないこともなかった。が、やっぱり違う。ミズキたちほど目立つことなんか俺はしていないのだ。

 

「例えばどんなことしていたのですか?」

 

「うーん、いっぱいあるよ。例えば体育祭の時とかね…………」

 

そうやって料理が来るまでの間、短いながらも談笑が始まった。ふと、窓の外を見上げると、大きな満月が一つ黒の海に浮かんでいた。

 

 

 

 

「さて談笑に花を咲かせるのもいいが、もうそろそろ本題に入った方が良いだろう。時間も時間だ。いくら夏休みと言っても高校生をあまり遅い時間まで拘束することはまずい」

 

テーブルに注文した料理が並びしばらくたった時だった。SSKがドリンクバーでついできたブラックコーヒーを飲む手をとめ淡々と言う。

 

「確かにそうだな。それじゃあ本題に入るぞ。まぁ、今日来てもらったのは春香たちもすでに知っているとは思うが来週の真の誕生日を祝うためのパーティについてだ」

 

ミズキは机中央に置いてあった皿からポテトを一つつまんで口の中に放り込むと続ける。今日、春香ちゃんたちに集まってもらったのはミズキの言ったとおり真の誕生日パーティについてだった。今年は真がアイドルデビューしたからか、ミズキがやけに張り切っている。予め、春香ちゃんたちには参加できると言う返事はもらっているのだが、パーティで何をするのとか、何をしたいのかやらプレゼントの話し合いとかをしたいと言うことでこう言う場を設けさせてもらった。

 

「いつもなら俺の家でやるんだが、今年は普段より派手にいきたいと思う。まぁそんな気ぃ詰めた話でもなんでもないから食べながら気軽に聞いてくれ、意見とかあったらどんどん言ってな。とりあえず、SSK詳細を」

 

「ふむ、まず日時だが8/28日に行う。姫の誕生日より一日早いが、これは---------」

 

 

SSKとミズキの司会の下、話し合いというよりも談笑に近い会議が始まった。

 

 

 

 

 

 

ファミレスから出た後、もう時間も時間だと言うことで春香ちゃんたちを家まで送って行くことにした。家の場所的にSSKとヒロトが春香ちゃんと千早ちゃんを送り、俺とミズキで雪歩ちゃんを送ることにした。そして、雪歩ちゃんを送った後の帰り道。夜の道をミズキと俺で二人で並んで歩いていた。

 

雪歩ちゃんの家が都心から少し離れた閑静な住宅街にあったためか周りに人はおらず街灯が申し訳ない程度に並んでいるだけ。セミもすでに鳴きやんでおり、代わりによく分からない虫の声が辺りに響く。

 

「……………………」

 

「……………………」

 

そんな中俺たちはただ何も言わずに同じペースでゆっくりと歩く。お互いにもう短い付き合いではない。バツの悪い沈黙ではなく、心地よい静寂だった。

 

何分そうして歩いただろうか。ミズキが唐突に口を開いた。

 

「あ、あのさお前ってさ本当に彼女とかいないのか?」

 

その顔は熱帯夜の影響で少し赤く、額には薄っすらと汗が浮かんでいた。

 

「うん、いないよ。そもそも、俺に彼女なんて出来るわけ無いじゃないか」

 

言ってて悲しくはなるが、それが本当のことだがらたちが悪い。

 

「そ、そうか。ならさ、気になるヤツとかいるのか?」

 

気になるヤツね……。さて、どう答えるべきか。少し考える。俺自身について、そしてこれからについて。

 

「うーん、ヒミツだ。ミズキは?」

 

考えた結果がこれだ。まぁただ分からなかったということだけだが。

 

「お、オレか!? オレはそのあれだ! あれだよ!」

 

何があれかは分からないがとりあえず少し戸惑っていることだけは分かった。もしかして、あれか。とうとうミズキにも彼氏でも出来たか?

高校時代から告白を玉砕しまくって早6年。そんなミズキの彼氏ならさぞかし、カッコいいこと間違いないだろうな。少し相手の男性を羨ましく思う。もしかしてヒロトか? それならお似合いだし、納得もできる。むしろ早くくっつけと思っているくらいだ。

 

「……………………………」

 

それからまた静寂が訪れる。乾いた熱い風が吹き少し汗ばむ。夏の暑さは八月後半も容赦なしだ。

結局ミズキの言わんとしていたことは何なのか分からない。まぁ、本人が話さない以上無理に聞こうとも思わない。ミズキとは長い付き合いとはいえ特別な付き合いでもなんでもないのだ。

 

それから何分たっただろうか?

電灯に切れかけた一本の街灯のしたでミズキはふと立ち止まった。そこだけ少し薄暗い。疑問に思いミズキを振り返れば彼女は少し深く息を吸い込み、そして吐き出すとまるで意を決したかの様に話し始める。

 

「あ、あのさ今日は月が----」

 

と、ここまで言って彼女は止まる。そして、彼女は首を二回ほど振ると斜め下を向き小さく何か呟いた。

 

「どうかした?」

 

「いや、なんでもねぇ。今日は月が満月だなぁと思ってな……」

 

空を見上げればファミレスの窓から見た光景と同じく、満月がポツンとまるで俺たちを見守るように浮かんでいた。

 

「そっか……」

 

「おう、それよりも来週の真の誕生日パーティ、全力で成功させような!」

 

「あぁ。ミズキたちがいれば間違いなく成功できるよ。頑張ろうな」

 

「照れること言ってくれるじゃねぇか!」

 

それから先はお互いに分かれるまで会話がとぎげることはなかった。

八月ももう半分が終わっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




この作品が始まって一年と言うことで番外編や間話に使える話を募集します。多くは書けませんが出てくるキャラとシュチュエーションさえ書いてもらえば何でもOKです(季節や時期は問わない)。R15やR18でもかける範囲でOKです。R作品は本編とは分けますが。


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第四話 その2

番外編は希望が多かったミズキとの絡みを書きたいと思います。R15かR18にするかはまだ未定です。どっちがいいんだろ? どちらにしろ、この作品とは別に投稿しますので書きあがり次第、前書きか活動報告で報告したいと思います。なお、番外編は本編とはなにも関係のないIFの世界であることをご理解していただきたいです。

それとは関係ないですが、最近書くのが早くなった気がします。いや、今までが遅かっただけか……。


夜の帳が下り、空に星々が宝石を散らばしたように光る。そんな時間帯、街灯に照らされビルに照らされすっかりと夜の闇を取り払った光の下、菊池真は歩いていた。

街にはどこからか洋楽が聞こえる。アメリカで爆発的な人気を誇る歌手の曲だった。なんでもアメリカのアルバム売上数を更新したとか何とか、そんな話を最近のニュースで言っていた。歌手ではないがアイドルとして曲を出す以上、目標にしている歌手である。年齢も20歳と彼女に近い歳であることは余計に真のライバル心に火をつけていた。

 

もうすでに夜の21:30を回ろうとしているのだが、全く人通りは減りそうにない。都心の中心部となると夜はこれから始まるのだ。すれ違う人たちはこれから飲みに行こうか、などと話している。

頭にかぶったハンティング帽を深くかぶり直すと少しだけ周りの目を意識しながら目的地を目指す。アイドル活動をしてきて早いもので、もう5ヶ月近くが経とうとしていた。最近では声をかけられる機会もそれなりに増えており、普段出かける時は一応の注意として帽子を被ることしていた。帽子自体も兄のお下がりであり、男性用のものだが真はそれを好んで使っている。ファンが増えたのかどうかは余り実感がなかったのだが、この間行った初ライブでは小さいながらもライブ会場を一杯に出来たのは真にとっても765プロダクションのアイドルたちにとってもいい自信になった。

それに真と同じプロダクションに所属するユニット、竜宮小町は音楽番組にも何回か出ている。他のアイドル達も竜宮小町には負けてられないと頑張った成果か、八月初めには真っ白だったスケジュールが今では半分近くが埋まっていると言った結果だった。この調子で仕事が増えて行けばもしかしたら、Aランクアイドルも目標ではない、そう真は意気込んでいた。Aランクアイドルになれれば今年一番活躍したアイドルに送られるアイドルマスターの称号も夢じゃない。真の夢はアイドルマスターを受賞することだった。それに仕事が増えれば兄の苦労も少しは軽くなるかもしれない。両親が死んで以来一人で育ててきてくれた兄に感謝しつつもずっと甘えてきた。せめて、仕事が増えたのなら恩返しをしたいと思っていた。

 

歩くペースを早めながらポケットから一枚のチケットを取り出す。長方形をしているそれは黒い紙に白色でHappy Angelという筆記体と今日の日付が書いてあるシンプルなものだった。真はその場所を知っていた。ライブハウスが多くある都心の中でも上位にランクインするほど人気のあるライブハウスだ。広さは狭い方に入るがステージの作りや建物のオシャレさにより若者に人気のあるライブハウスだ。

 

ワクワクする鼓動を抑えながHappy Angelを目指す真。チケットを兄からもらった時、兄はただ8月28日の午後10時にここに来て欲しいと言っただけだった。全ては言わないまでも少女は分かっていた。毎年この時期は兄とその周りのグループで真の誕生日パーティを開いてくれているのだ。皆で過ごすパーティは真にとって一年でも指折りの楽しいひと時と言ってよかった。チケットをもう一度見てえへへ、と笑うとポケットに大事にしまいこむ。兄からもらったものをなくす訳にはいかなかった。

 

ウキウキ気分を抑えきれず、少しだけ早足でHappy Angelに向かったのだが、Happy Angelのあるビルにたどり着いた時には真の携帯は21:55を示していた。どうやらちょうどいいみたいだ。

 

上を見上げればこの辺りでも有数な高層ビルが見える。ビルの屋上はライトアップされているとはいえ闇に包まれて真の目には見えなかった。そんなビルの正面玄関横にある木製の階段を降りる。作りからして765プロダクションのようなオンボロな階段ではなく、高級感溢れる杉の階段だった。階段をおり切ると木製のこれまた高級感溢れる両開きのドアが見える。そしてその横には黒いスーツに黒いサングラスをかけた大柄の黒人。どうやらガードマンのようだ。

 

「チケットはお持ちですか? お嬢さん」

 

たじろく真に黒人は流暢な日本語で話しかける。威圧感のある外見とは違い優しい声色だった。

 

「あ、はい。これでいいんですかね?」

 

少しだけ緊張しながらチケットをガードマンに差し出す真。ガードマンはそれを受け取るとサングラス越しに裏表をじっくりと眺める。

 

「はい。菊地真様ですね、どうぞお待ちになられているお客様がいらっしゃいます」

 

ガードマンは優しく微笑むと体を一歩横にずらし扉を開ける。

 

「あ、ありがとうございます」

 

「はい、それでは貴女の良き夜を願っております」

 

横を通る真に対して深く頭を下げるガードマン。真は慣れない行為をされたおかげで顔が少し朱に染まっている顔を隠すように少しうつむきながら扉に手をかけ、開けた。

 

「やぁ、真。今日は来てくれてありがとう」

 

扉の向こう。明るい廊下に立っていたのは、真が一番会いたかった人だった。

 

「兄さんっ! その格好どうしたの?」

 

いつもと違う兄の格好に戸惑いつつ言葉を返す。いつもの私服ではなくスーツをしっかりと着、髪もワックスで整えている。

 

「ははは、少し格好を整えてみたけどどうかな?」

 

照れ臭そうに頬をかきながら少しうつむく。兄妹そろって照れ臭さを隠す仕草は似たようなものだった。

 

「うん! とっても似合っているよっ! カッコいいよっ!」

 

それは真の本心からの言葉だった。例え、兄がどんな格好をしても真はそれをカッコいいと言える位には兄のことが好きだった。

 

「ありがとう。馬子にも衣装と言うしね、カッコいいと言ってもらえて俺も嬉しいよ」

 

そう言って真に優しく微笑みを投げかけると、兄は頭を下げた。

 

「改めて、今晩はこちらにお越しいただきありがとうございます、お嬢様。いきなりで申し訳ありませんが、衣装の用意をしておりますのでお召しになられてもらってもよろしいですか?」

 

「は、はい」

 

いつもと感じも違う兄にどきまぎしながらも兄の後を真は追うのだった。その顔には自然と笑顔が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

似合わない言葉を言ったなぁと思いながら後ろを歩く真にバレない様に苦笑いを一つ。言葉も似合わなければ格好だって似合わない。この格好を真に見せるのは初めてなのだが、馬子にも衣装と言う様にどうにかそれなりの格好にはなっている様だ。まぁ、それでも似合わないことには間違いない。長年着ている本人でさえ違和感があるのだ。似合うと言うには幾分か無理がある様に感じる。

本当ならヒロトがこういうエスコートをするべきだと思うのだが、何故か満場一致で俺に決まった。向こうも向こうで準備が色々とあるため力のあるヒロトが準備に回った方がいいと言うことだろう。それにしても俺とヒロトじゃ月とスッポン以上の差があるんだよなぁ。真もきっとヒロトの方が良かったはずだ。今度ヒロトとデートの取り付けでもしてやろうかな。いらないお節介とは思いつつもヒロトなら俺も色々と安心できるのだ。親心としてもヒロトみたいな青年と一緒になってもらいたい。

 

「こちらの部屋へどうそ、お嬢様」

 

Happy Angelはライブハウスの他にバーもある。俺としてはバーの方が馴染み深い。ミズキからここの名前がでた時には軽く驚いた。

Happy Angelの扉をあけ廊下を左行けばライブハウス、右に行けばバーと言う様な形になっている。

まずは、ライブハウスにあるリハーサル会場にに真を案内する。

 

「うん」

 

少しいつもより大人しい真は少し赤い頬をハンティング帽で隠すように深く被ると扉を開ける。

 

「よう、真。よく来たな」

 

扉の向こうにいたのはドレスを着たミズキだ。いつもの印象とは違い落ち着いた髪と同じ色の紅のドレスを着た彼女は長く付き合った俺でさえ新鮮な印象を受けた。本当に絵本に出てくるお嬢様と言っても間違いないくらいそのドレスは似合っていた。まぁ、その格好はともかく言葉遣いはミズキのままだった。それがとてもミズキらしい。

 

「うわー! ミズキさん、凄く綺麗ですよ! ね、兄さんっ!」

 

「あぁ、そうだな」

 

「おう、ありがとな。真」

 

さっき俺が似合ってると言った時は顔を真っ赤にしていた癖に今ではすっかり涼しい顔をして答えるミズキ。ドレスと髪とお揃いに顔を朱に染めるミズキは俺が贔屓目に見てもとても可愛かったと言うことをここに記しておこう。

 

「さて、真。着替えるから早く入りな。オレの妹のお下がりで悪いが物は最高級品のドレスだ許せ。そこら辺のレンタルドレスとは桁が文字通り違うから期待してていいぞ」

 

そう言って真の手をとるミズキ。口調こそ男そのものだが、動きは何故かいつもより洗練された女の人のような気がした。

 

「えっ? 僕もドレス着るの?」

 

「何を当たり前のこと言ってんだよ? 大丈夫ドレスはお前にやるから破いても、汚しても文句言わねぇよ」

 

ミズキはそう言って笑うが本当にドレスなんてもらっていいのだろうか。ミズキが言うにはミズキの妹が着なくなったドレスらしいが、なかなかの高級品らしいし。俺はミズキの誕生日に何を送ればいいのか、お返しに非常に悩むことになる。

 

「い、いや、そう言うことじゃなくて……。僕なんかがドレス着て、本当に似合うのかなって思って……。恥ずかしいよ……」

 

「なぁに言ってんだ! オレが保証してやるよ。真なら間違いなく似合うってな! 俺の言葉が信用できないか?」

 

「そんなわけじゃないけど……」

 

「おう、なら心配するなよ。お前も真ならドレス似合うと思うよな?」

 

ミズキがそう俺に問いかける。

 

「あぁ、当たり前だろ。なんて言ったってアイドルだぞ、ミズキ」

 

俺とは似ても似つかない妹だ。容姿端麗、性格良し、料理もできる、どこにお嫁に出しても恥ずかしくない。それに容姿だけならアイドルをしているのだ。そんな彼女が似合わないはずがなかった。

 

「なぁ言った通りだろ」

 

「う、うん、それじゃあ着替えてくるね」

 

「それじゃあ、ミズキ頼んだよ」

 

「あぁ、任せとけ」

 

ミズキはそう言うと真の手をとる。

 

「ささ、野郎は出て行った。コーディネートはオレがバッチリと決めるからお前は妄想でもしながらも待っとけよ」

 

そう言ってニヤリと口端を上げると真と一緒に部屋には入って扉を閉めた。真の生まれ変わった姿を見れたのはそれから40分が経った後だった。

 

 

 

 

 

 

 

「よし、まずはメイクからやるか。真、そこに座ってくれ」

 

部屋に入った真にミズキは鏡の前に置かれている椅子を指差し言う。

 

「うん。お願いします」

 

「おう、任せとけ! オレがしっかりバッチリ決めてやるぜ」

 

いつもとは違う格好でいつもと同じ笑みを浮かべるミズキは同じ性別の真から見てもとても魅力のある女性であり、目標でもある女性だった。

それに兄に今、最も近い女性でもあることは間違いなかった。

 

メイクを初めてしばらくしてミズキが真に声をかけた。

 

「なぁこうやって、二人で一緒の部屋で話すのって久しぶりだよな」

 

確かに、と真は思う。元々師弟関係であった二人は今でも会う機会は多くあるのだが、こうやって二人で会う機会は今ではほとんどないと言ってもよかった。

 

「うん、そうだね」

 

「思えば、真に空手を教えて以来かもな。腕は落ちてないか?」

 

少しだけ昔を思い出す。スパルタと言ってもいいほどのミズキの特訓は体力や運動神経に自信があった真ですら肉体的にも精神的にも辛い物があった。それでもその特訓のおかげでそこらの男性にも負けない強さを手に入れることが出来た。練習は辛かったが憧れのミズキとの会話は真にとってとてもいい経験となったし、そして何よりも楽しかった。あの時の経験は今ではとても楽しかった思い出として少女の中にしっかりと刻まれている。

 

「うん、有る程度は運動もしてるし落ちてないと思うよ。ミズキさんは?」

 

「うーん、まぁいつも通りだな」

 

「まぁいつかはミズキさんにも勝ってみせるよ」

 

「おう、楽しみにしてるぜ」

 

少女が一回も勝ったことのない女性は余裕たっぷりな顔でそう言う。まだまだ真のことは眼中にすらないらしい。

 

「むぅ」

 

「そう、怒るなって。オレは期待してるんだよ、真に」

 

そう言って真の黒髪をわしゃわしゃと撫でるミズキ。完全に真のことを子供と思っているようだった。

 

「あっ、そういえばライブよかったぜ。お疲れ様。言うの遅れたけどな」

 

「ありがとう、ミズキさん」

 

「そこそこ人間も入ってたし、ダンスも歌も上手かったしな。これかも頑張れよ」

 

「うん!」

 

憧れの女性に褒められて嬉しく思う反面、あることを思い出し少しだけ落ち込む。

 

「でも、兄さんは来てないんだよね……」

 

「まぁ、あいつにも色々と用事があるんだよ。来たがっていたぜ、あいつも、すごくな」

 

急にライブの日程が決まったこともあり、一番来て欲しい人に来てもらえなかったのが真の中では残念だった。次にライブをやるときには最前列のチケットを用意するの必ず見に来て欲しい、それが真の最近の願いだった。

 

「うん、それはわかっているよ。兄さんも忙しいってね」

 

毎日一緒に暮らしている真だからこそ分かる。兄がどれだけ忙しいのかということやどれだけ大変な思いをしているのかなど。

それでも自分の晴れ舞台を目の前で見て欲しいと思うのは自分のエゴだろうか……?

兄には休んでもらいたいと頭では考えつつも、心の中ではずっと自分を見てて欲しいという感情の葛藤に真は悩んでいた。

 

「ねぇ、ミズキさん……」

 

兄さんのことを……そう続くはずだった言葉を少女は心の中に押しとどめた。

憧れだった彼女には何をやっても勝てなかった。教えてもらっていた空手はもちろんのこと、水泳でもテニスでも足の速さでも少女が勝つことは出来なかった。運動だけじゃない、勉強でもスタイルでもそうだ。彼女は常に少女の何歩先も歩いていた。

そんな彼女がもしも自分と同じ方を向いていた時、それでも少女は諦めないが絶望に近いものを叩きつけられることは間違いなかった。

 

「ううん、ごめん。なんでもない」

 

「ん? 何だ。変な奴だな」

 

そう言って彼女は笑う。それはとても魅力的だった。こんな考えじゃいけないと首を大きく二三回振って気持ちを切り替える。持ち前の明るさで先ほどの考えは遥か彼方へと消えていた。別に他人がどうあろうと自分の考えは変わらないのだ。それなら前向きに楽しく生きていた方がいい、真の考え方は常にそれだった。

 

「うんうん、気にしないで」

 

「そうかそうか、それよりも真、学校やアイドル活動はどうだ?」

 

「うん、順調だよ! あっ、この前学校でねーーーー」

 

それからドレスアップが終わるまでの間、師弟の明るい話は尽きなかった。

 

 

 

 

 

「よし、完璧だ。オレから見ても今の真は可愛いぜ」

 

そうミズキはうんうんと首を縦に二回振る。

 

「うぁ、これが本当に僕?」

 

黒い鏡に身を包んだ少女は自らを鏡で見てもそれが自分だと分からないほどに生まれ変わっていた。ミズキが施した少女の良さがより引き立つ薄目のメイクに少女の髪と同じ色の黒色のドレス。大人っぽいシンプルなデザインのそれは少女の良さを最大限に引き出していた。

 

「うんうん、やっぱり真は元がいいからなぁ」

 

「ありがとう。ミズキさん!」

 

「おう、気にするな気にするな。それじゃあ、兄貴に会いに行ってやれ」

 

そう言ってミズキは扉の方を指でさす。

 

「うん!」

 

真は元気良くその言葉に頷くと扉を一気に開けた。

 

「真、とてもドレス似合ってるよ」

 

扉の向こうでは一番褒めて欲しい人物が一番言って欲しい言葉を言ってくれた。

 

「兄さんっ! ありがとうっ!」

 

その言葉だけで少女はまた笑顔になる。その笑顔はここ一年で一番いい笑顔だった。八月はまだ終わらない。

 

 

 

 

 

 




友人から最近言われたこと「お前の作品って全部、主人公に名前ないよな」

まぁ、確かに。こうして趣味で物語を書き始めて未だに俺の作品には主人公の名前がありません。それがデフォです。


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第四話 その3

この前のリクエストにあった話を番外編として別作品にして投稿しました。ミズキと主人公の話です。気になる方はご覧ください。題名は かくも日常的な番外編 になります。


番外編と閑話の違いですが、番外編は完全にパラレルワールドの世界です。もしかしたらこうあったであろう話を書かせてもらっています。閑話は本編の世界での話ですのでここまま本編に書いていく所存です。

それとお知らせがもう一つ。
この作品ですが、間も無く第二章が終わり、第三章と第四章に入ってきます。第三章と第四章ではタグを変えようと思っています。そこでこの本編第一章と第二章と作品を分けるか考え中です。この作品も20万字と切りもいいことですので。
よろしければ皆さんの意見をお聞かせください。


「真、ドレスとても似合っているよ」

 

ドレスアップして出てきた真を見て出てきた言葉がそれだった。言葉を発してからもっと別の言葉があっただろうと少し後悔する。黒のドレスに身に包み、ミズキのメイクを施された真はまるで生まれ変わったかのように、変わっていた。今までの真も十分に可愛かったが、控えめなメイクとシンプルなドレスのおかげで真の素材の良さが十二分に引き出され、今の真は可愛いというよりも綺麗という言葉がよく似合った。

 

そんな真を見て初めて言った言葉がそれとは……。相変わらずの自分のボキャブラリーの無さに表面におくびに出さないが、内心で少しだけイラつく。

 

「兄さんっ! ありがとうっ!」

 

大人っぽくなった彼女が見せるいつも通りの子供っぽい笑みに思わず心臓がドクンと一つ高鳴る。兄の贔屓目から見ても彼女のその笑みは十二分に魅力的で大抵の男なら落とせる自信があった。

 

「本当によく似合っているよ。綺麗になったな」

 

「ありがとうっ!」

 

思わず出た照れ隠しの言葉に嬉しそうに頬を少しだけ赤く染める真。そんな彼女を見て、口下手は相変わらずだが喜んでもらえたならそれはそれでいいのかもしれないと思った。

 

「それじゃあ、真。次の場所に行こうか」

 

「うんっ! 次はどこにいくの?」

 

「せっかく大人っぽい格好になっただし、大人っぽいことをしにね」

 

いつもと違う格好をして気分が高揚したのを抑えきれないのか、声がおつもより元気のある真。そんな元気溢れる真に一つ笑みを浮かべながらそう言うと俺はまた先行して歩き出した。振り返った瞬間に少し立ちくらみに似た何かを感じながら……。

 

 

 

 

 

 

Happy Angelは前に話したとおり、ライブハウスとバーが廊下で繋がっているつくりとなっている。ドレスアップをした真を連れて少し長い廊下を歩く。今度はライブハウスからバーへ向けて。

 

「さぁ、どうぞ」

 

大きめな扉を開ければそこには落ち着いた雰囲気の空間が広がっていた。店内はほぼ木製で落ち着いた色の照明が店内を照らしている。Happy Angel自体、若者がよく行くライブハウスとは違い高級感のあるワンランクかツーランクレベルの高い店であり、来る人たちも年齢層が高めで落ち着いている人が多い。だからこそ、そのHappy Angelと併設しているこの店も若者が集まるクラブの様な店ではなく、落ち着きあるバーと言う形になっていた。

 

店内はあまり広くなく、カウンター席が6つと丸テーブルが4つ。そして、カウンターの向かい奥にはクラッシクピアノが一つ置かれていた。

 

「うぁ! 始めてきたよ、こんなところ!」

 

店内を一周見渡した黒の彼女は感嘆の声を上げる。

 

「さぁ、こちらへどうぞ」

 

カウンターの中央の木製のイスを引いて真を誘導する。

 

「ありがとうっ!」

 

格好と違い子供のような笑顔で無邪気に笑うとイスに腰を掛ける真。格好と行動とのギャップを微笑ましく思う。真がイスに座ったことを確認すると俺自身はカウンターの裏へと回る。

 

「えっ? 兄さん、何やってるのさ」

 

そんな俺の行動に驚きを示す。

 

「さぁ、お客さん。ご注文は如何ですか? まぁ、とは言ってもお酒は出せないけどね」

 

そう似合わない営業スマイルを浮かべると、真は少し考える素振りをすると笑顔でこう言うのだった。

 

「それじゃあ、兄さんのオススメで!」

 

「はいよ、任せといて」

 

何て言っても真に出すのだ。下手なものは出せない。と、言っても作るのはカクテルでもなんでもなく、ジュースのブレンドなんだけどね。とりあえず、棚の二段目からドリンクを取り出すとシェーカーの準備に取り掛かるのだった。

 

 

 

 

「うぉあ、これ美味しいよ!」

 

ドリンクを出すと真は嬉しそうにそれを飲む。ハーブを少し効かせたさっぱりとした夏に良く合うドリンクだ。もちろん、アルコールは入っていない。カクテルで言えばモヒートを意識して作ったため、それに近い出来になっているはずだ。

 

「そう言ってもらえると助かるよ」

 

「兄さんって凄いね。料理もカクテルも作れるなんて!」

 

真は目をキラキラとさせながら言う。

 

「いやいや、真も最近料理うまくなったし、運動もできるし、俺よりも全然すごいよ」

 

俺が唯一出来るのは料理だけだ。それを除けば俺が出来ることなんて無いに等しくなる。その料理も最近は真や春香ちゃんとあまり変わらなくなってきているのだが。

 

「ううん、兄さんも凄いよっ! だって僕の自慢の兄さんだから!」

 

そう言って褒められるとお世辞だとわかっていても嬉しい。他人を思いやることができる子のままここまで育ってきてくれて、親心としてとてもとても嬉しい限りだ。もう、どこに出しても恥ずかしくない。

 

ドリンクホルダーから軟水を取り出すし、自分のグラスに入れる。普段はチェイサーなどに使われる水なのだが、いまの俺にはこれで十分だった。

 

「そう言ってもらえると嬉しいよ。それじゃあ、真。今日はこの店に誰も来ないからゆっくりと話そうか。少し時間もあるしね。それに最近お互いに話す機会もすくなったしね」

 

そうゆっくりと真に提案する。真も最近は人気が少しづつだけど出てきて仕事やレッスンがほぼ毎日のように入っており、俺も俺でバイトで忙しかった。だから、こうして落ち着いて話が出来るのは結構久しぶりなことだった。真がもっと人気が出ればこれから先もゆっくりと二人で話す機会もぐっと減って行くだろう。それがいいことだと分っていながらも、どこか寂しい気持ちを隠せられずにいた。

 

 

「うんっ!」

 

「そう言えば、ライブ行けなくてごめんな。ミズキから聞いたけど、成功だったそうじゃないか」

 

「うんっ! ライブはね------」

 

そうしてカウンター越しに兄弟水入らずの談笑が始まった。壁にかかっている時計は静かに23:00を示していた。

 

 

 

 

 

 

 

30分ほど談笑をしていただろうか。二人の笑い声が絶えずに静かに響ていたその時だった。ガチャリとドアノブが回され扉が開けられる。

入ってきたのは黒いドレスを着た一人の女性。真と同じくらいか少し長いくらいのショートヘアに赤い花飾りがついたリボン。落ち着いた表情の彼女はゆっくりと俺たちを見ると一礼し、店の奥へと足を進める。

 

「小鳥さん!?」

 

真が思わず声を上げる。俺も初めて知ったが、彼女音無 小鳥は765プロダクションの事務員をやっている。打ち合わせの時にあった時は思わず二人して顔を見合わせてしまった。いや、つくづく765プロダクションには縁があるなぁと柄にはなくその時はそう思った。

 

ゆっくりとクラシックピアノまで辿り着くともう一度、今度は深く一礼をすると、ピアノの前に置かれたイスに座り楽譜を広げる。

 

「え、え? 何で小鳥さんがここに?」

 

いまいち状況を飲み込めていない真をよそに音無さんはピアノを弾き始める。ゆっくりとしたテンポのそれは、誰でも聞いたことのあるクラシックの王道だ。

 

「ねぇ兄さん、どう言うこと?」

 

「真のために今日は来てもらったんだ」

 

最初はピアノを引くなんて予定はなかったのだが、打ち合わせの時に音無さんがいたためにお願いしたのだった。急なお願いにも関わらず、音無さんは二つ返事で了解してくれたどころか、私も真ちゃんに何かお送りしたいのでむしろお願いしたいくらいです、と笑顔で言ってくれた。さすが765プロダクション。いい人ばかりが集まっている。本当に真は周りの人たちに恵まれている。そんな真を少し羨ましく思いながら俺たちはまた談笑を続けるのだった。今度はBGMを添えて……。

 

約15分程度のクラシックメドレーを弾き終えると音無さんは静かにその指を止めた。その演奏に思わず拍手が出る。いつ聴いても音無さんの演奏は惚れ惚れする。演奏の上手さは言うまでもないが音無さんの演奏は気持ちが伝わる。とても楽しいそうにとても嬉しそうに弾くその音色を聞くと気持ちがよく伝わるのだ。少しだけ音楽をかじっている俺だからこそ、その凄さはよく分かるし、そうなりたいと心から思う。住みにくい世の中を束の間でも住みよくするために詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る、と昔のある文豪は書いたが、今の世の中にはそこに音楽も入ると思う。ただ、この世の煩いを捨て一心に音楽を楽しむからこそ、音楽や歌は人を引きつけてやまない。

 

音無さんは一つ頭を下げるとイスから立ち上がり、真の横のイスに腰を掛けた。

 

「小鳥さん、演奏上手ですね! 僕、ビックリしました!」

 

「ありがとう、真ちゃん。そして、少し早いけど誕生日おめでとうね」

 

大人らしい落ち着いた笑みで真に話す音無さん。

 

「ありがとう!」

 

その笑顔に真も笑顔でお礼を言う。

 

「やっぱりいつ聞いてもお上手ですね、音無さん」

 

「え、兄さんと小鳥さんって前から知り合いだったの?」

 

俺の言葉に驚いたように突っ込みを入れる真。俺と音無さんの付き合いは多分真と音無さんの付き合いより長い。

 

「あぁ、バイト先の常連さんでね。よく飲みに来てくれるんだ。音無さんは何か飲まれますか?」

 

俺がバイトを初めて2、3ヶ月の時に来てくれて少し話して以降、よく顔を出してくれる。少なくとも春香ちゃん達よりもあっている回数は多かった。緊張せずに話せる数少ないお客だ。

 

「へぇー、そうだったんだ。小鳥さん、お酒好きそうだしね」

 

「うっ……真ちゃん、私はお酒が好きなんじゃなくて、大人になるとどうしても飲みたい日だってあるのよ! それと、この前のアレを頂戴。意外に飲みやすかったわ」

 

純粋な真の言葉が少し胸に響いたのか、胸を抑えるふりをする音無さん。

 

「はい、ダイキリですね。今作りますね。音無さんはどうやら飲みたい日が多いみたいですね」

 

少なくとも週に1回は店に来るし、多い時だと2、3回くる週もある。店にとっては嬉しいお客さんだが、あまり飲みすぎるのも良くないような気がする。

 

「ちょっと、それは内緒って言ったじゃないですか」

 

そう言って口元に人差し指を当て苦笑いを浮かべる音無さん。やっぱり普段と違う格好はしていても人間の中身はそうそう変わらないみたいだ。

 

「むぅ、兄さんと小鳥さんって仲良いの?」

 

グラスを片手に半目で俺を睨む真。一体俺が何をしたというのだろうか。

 

音無さんの目の前にコースターとグラスを置くと真の疑問に答える。

 

「いや、ただの店員とお客さんの関係だよ。よく飲みに行こうって誘われるし、気に入ってもらえていると思うけどね」

 

「ちょっ! その話も内緒です!」

 

先ほどとは違い少し慌て気味で音無さんは言う。いつもの大人っぽさが嘘のようだった。別にやましいことをしているわけじゃないし何も問題ないと思うのだが。

 

「むぅ! 小鳥さん、兄さんどう言うこと?」

 

「い、いや、あれね真ちゃんのお兄さんって知らなくて……。それにお兄さんとは何にもないから」

 

目を泳がせながら困ったように答える音無さん。

 

「いや、そう言われても困るよ。別に飲みに誘われてるって言っても愚痴とかを聞いて欲しいだけだと思うし、そもそも誘われたけど一回も飲みに行ったことないんだ。俺も最近お酒が弱くなってね」

 

いつも一人で来る音無さんだからこそ、たまには誰かと一緒に飲みたい日があるのだろう。酔うといつもカウンターでブツブツ愚痴を言っているし。

 

「それ、本当に?」

 

「本当本当! それより、真ちゃん、別の話をしない! 私聞きたいなー、真ちゃんの話! 最近そう言えば春香ちゃんと買い物に行ったんだっけ!」

 

少し強引に話をそらす音無さん。そんな音無さんを怪しく思いながらも真は話を始める。数分後そこには女の子同士の会話をする二人がいた。笑顔で話す二人の会話を俺はただいつも通り黙って聞いていた。

 

 

 

 



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第四話 その4

あかん、眠たすぎる。感想返しは今日中にします。

最近、文章について色々と考えます。少しは上手く書ける様になったかなぁ、と思えばまだまだ読み返すと上手いと言うには程遠い気がします。上手くなるためには書くしかないのなかぁ


「盛り上がっているところ悪いけど、そろそろ次に行こうか」

 

真と小鳥の談笑を黙って微笑みを浮かべながら聞いていた真の兄は、いつもの笑みを浮かべて言う。

 

「あっ、そうですね。そろそろ時間ですね」

 

その言葉をうけ小鳥は時計を確認する。女性ものの腕時計は静かに24時の五分ほど前を刺していた。

 

「はい、それじゃあ行きましょうか」

 

兄はコースターに置かれていたグラスをカウンターの中に回収する。中身はすでに入ってなかった。

 

「ご馳走様でした。美味しかったですよ」

 

「ご粗末様でした。また是非飲み来てくださいね」

 

「はい、今度はプロデューサーと一緒に」

 

「ありがとう兄さん。美味しかったよ」

 

「喜んでもらえて何よりだよ」

 

真、小鳥のお礼の言葉を受け取ると青年はにこりと笑みを浮かべると扉を開ける。その笑顔はまるで店員がお客に浮かべる様な営業スマイルなのだがその笑みに二人は気づくことができなかった。

 

Happy Angelの少し長い廊下を歩きながら真は思った。目の前を歩く兄のことを自分はまだ全くと言っていいほど知らないのではないかと。その気持ちは焦りにも心配にもそして恐怖にもとれる感情であった。しかし、幼く純粋な彼女はそんな自分の気持ちをしっかりと見つめることは出来ない。やがてそんな思いも楽しい思い出の中に消されていった。

 

おそらく、誰よりも話す機会があるのだが、先ほどのバーでの一件と言い。兄にそんな一面があることすら知らなかった。そもそも……と少し考えてみれば、真は兄のバイト先すら知らなかったのだ。話す機会は多いがそれも全て真本人に関係する話や聞き手に回るばかりで自らの話をすることなんてほとんどない。先ほどの会話でもそうだ。青年と一緒に話しているつもりでも、話の内容は真のことばかり、そして演奏を終えた小鳥が加わってからは青年は一言も喋らずただ聞き手に専念していた。青年は少女に対しては決して自分の話を自らしない。その違和感に少女が気付くことはこれから先もなかった。

 

「さぁ、真。扉を開けて」

 

ライブハウスの扉前に立つと真に微笑みを向ける青年。

 

「う、うん」

 

何が起こるのだろうとワクワクとドキドキを抑えきれず、少し緊張をした趣きでゆっくりと扉を開ける。

 

扉の向こうは闇に包まれていた。電気は一つもついてなく、ただ奥の方に非常口の緑の誘導光が見えるだけ。作り上廊下の光も入りにくくなっているのか入口部分が少し薄暗くなっているだけで他は全くの闇。

 

真に引き続き、小鳥と青年も中に入るとゆっくりと扉が閉まった。どうやら青年が閉めたようだ。

扉の閉まった部屋の中は何も見えなかった。見渡す限りの黒、何もかも自分の体でさえ闇に溶け込んでいるような感覚すら真は覚えた。バーよりも少しだけ冷房の効きがいいのか、ヒンヤリとした冷気が肌を撫でる。

先ほどまで明るい場所にいたせいか、辺りは全く見えない。小鳥と青年が後ろにいる気配はするが、目が闇になれるまでは少し時間がかかりそうだ。

 

「ねぇ、今から何があるの?」

 

目が慣れて来て少女は後ろの二人に聞く。表情までは見えないがどこに立っているかくらいは分かった。

 

「もうちょっと待っててね、真ちゃん」

 

小鳥がそう言って数秒後、カチッとスイッチを入れる音が暗闇に響きそれと同時に光の直線が真を照らす。スポットライトが真を照らしたのだ。暗闇に目が慣れ始めた真は、いきなりの光に思わず目を背ける。

 

「真、よく来たな!」

 

その時声が聞こえた。目を開けてみればステージの上にもスポットライトが一つ。赤いきめ細やかなセミロングの髪がライトを反射していた。先ほどと同じ赤いドレスを着ていた。

 

女性にしては少し低い声で橘 ミズキは続ける。

 

「誕生日おめでとう! 今日は真の誕生日プレゼントとして歌を贈らせてもらおう! その前に少し言いたいことがある。まぁ、オレ個人の言葉でもあり、俺たちグループの総意でもある。真との付き合いは長い。だから、真がどんな性格をしているのかも知っているし、分かっているつもりでもある。正直、お前がアイドルやるとあいつから聞かされた時はビックリした。オレと同じでそういうものには無頓着だと思っていたからな。だけど、そんなことはどうでもいい! ただ、始めたからには全力で頑張れ! 例え、テッペンに行けなくてもな、頑張るって言う行程は必ずお前を成長させる!」

 

その言葉は真の胸によく響いた。師匠であったミズキの言葉だからでもあるし、純粋に嬉しかったからでもある。

そこまで一気に言い切るとミズキは一つ深く息を吸い込んだ。そして、先ほどよりも大きな声でマイクに向かって叫ぶ。

 

「お前ら! 練習の成果を見せるぞ! さぁ、行くぜっ!」

 

そう言い終えた時、ステージの上の明かりが全て付く。

 

「え、みんな……?」

 

ステージの後方にはそれぞれの楽器を抱えた真もよく知っている兄のグループのメンバーでもあるヒロト、SSKの姿。二人とも髪を整え、スーツをしっかりと着こなしていた。何故か、右後ろに置かれたキーボードの前には小鳥の姿もある。

ステージ前方中央にはマイクスタンドが二つ。その一方は先ほど話をしたミズキが立ち。もう一方には先ほどまで後ろにいた兄の姿があった。二人ともギターを持っている。

 

そして、その二人の横に並ぶように真もよく知るメンバーが立っていた。何と言っても自分と同じ道を歩む仲間であり最大のライバルでもあるのだ。

 

「晴香、雪歩、千早、響、あずささん、律子さん……」

 

この前のライブで使ったお揃いのステージ衣装に身を包んだメンバーが立っていた。中にはプロデューサーである秋月 律子の姿まであった。

 

「本当はみんな来たがっていたんだけど時間が時間だからね。だから、来れたのは高校生以上のメンバーだけだけど、みんなの分もしっかり頑張るから!」

 

天海春香が765プロを代表してヘッドマイク越しに言う。

 

「それじゃあ、真聞いてくれ!」

 

青年が一つギターをかき鳴らすと前奏が始まる。真は一瞬で分かった。アップテンポでノリのいいその曲は765プロで始めてできた曲であり、この前の初ライブでトリを飾った曲でもあった。真にとっても今、ステージの上に立っているアイドル達にとっても思い出深い曲だった。

 

「765プロダクション、アイドルそして俺たちのグループが送る曲。--------READY!!」

 

その言葉とともに歌が始まり、ダンスが始まる。たった、4分弱しかない曲だが、真の心の中には深く深く残るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ふぅ、と曲が終わりステージを下りながら誰にもばれないように小さくため息を一つ。たった、三分と少しの演奏にここまで全神経を注いだのは初めてだ。もう、すでに疲労困憊と言う四文字が体を覆っていた。それにしても本当に上手く行って良かった。誰もミスすることなく、みんな笑顔で演奏したり歌ったりできていた。やっぱり凄いなぁ、と感心する。ミズキ達は言うまでもないが、晴香ちゃん達765プロダクション組には驚かされるばかりだ。踊りも歌もあんなに上手いなんて……。このまま成長を続けられたのなら、きっとアイドルの頂点にたどり着けるだろう。

 

みんなに囲まれれ祝福の言葉を浴びていた真がこちらに小走りでやって来る。ドレスを着ていると言うのに全くいつも通りだ。それが真っぽくて思わず笑ってしまった。

 

「もー、何笑ってるさ!」

 

「ごめんごめん。ついな」

 

頬を膨らませる彼女に謝れば、失礼だよ、女の子の顔みて笑っちゃ! と笑顔が返ってきた。

 

「演奏ありがとう!兄さんっ、かっこ良かったよっ! 」

 

「ありがとう、真。そして、少し遅くなったけど誕生日おめでとう」

 

「うん、ありがとっ!」

 

 

まぁ、どんな疲れでも真のその笑顔を見たら疲れも吹っ飛ぶてものである。

 

「真ー! 早く来ないと料理なくなるぞー!」

 

向こうで響ちゃんの声がする。その声に反応すると真はこちらを向き、兄さんも一緒に行こう、笑う。真がそう言うのなら一緒に行くまでだ。なんて言っても今日の主役は真だ。彼女が喜ぶなら俺はなんだってするさ。

 

 

ステージの下には丸テーブルが並べられその上には料理が並んでいる。俺たち全員で調理して来た手作りのものだった。料理は手料理がいいだろうというSSKの判断のもと手料理を出すことになった。オードブル形式になっているため、好きな分を好きなだけ取れる形式だ。演奏が終わり次第、会食をして解散という流れを今日はとっていた。本当は765プロダクションの全員を呼びたかったのだが、どうしても深夜になってしまうために高校生以上のメンバーしか呼べなかった。それに高校生以上のメンバー全員が来てくれたのはやっぱり真の人力があったからこそだ。性格も容姿も運動神経もいい三拍子揃った我が妹はどこに出しても恥ずかしくない完璧な妹である。どこぞの馬の骨にやるつもりはないが早くいい人を見つけて欲しい気持ちもある。まぁ、彼女がいない俺に心配されるのは真も嫌だと思うので言わないが。

 

会食が始まってしばらく経って、少し人の輪を離れ、端に置いてある椅子に腰をかける。そして、少し上を向き深呼吸を一つ。真を中心に集まっている人たちの談笑が少し遠くに聞こえる。目を閉じれば、とくんとくんと心臓が動く音がする。それが今生きているという感覚と実感を猛烈に俺に与える。

 

その音を聞きながら少しだけ考える。今日ここに来ているメンバーは改めて凄いと。ミズキやSSK、ヒロトは言うまでもないが、春香ちゃん達はアイドルなのだ。まるで住む世界が違う。他のメンバーは皆、この世界の主役なのだ。ミズキやヒロトのステージに彼女達はいる。いや、職業的に考えればそれ以上のステージにいるのだ。目を開けて人の輪を見ればそれが何故か光って見える。それはきっと照明だけじゃない。何かがあるのだ、俺にはない何かが……。

 

今更になって思えば、俺はどうにも主人公への憧れがあったのかもしれない。……いや、あったんだ。でも高校に入り、ミズキやヒロトと知り合いその憧れや希望は打ち砕かれた。もはや、俺とは次元の違うスペックにただただ圧倒された。一緒に過ごす日々は楽しかったし、凄くいい仲間達だ。それは間違いない。でも、俺は心の奥のどこかで……。いや、こんな考えはやめよう。村人であることを認めた俺には何も関係がない話である。俺にできることは、主人公達のサポートと彼らがたどり着く先を見守ることだけ。それでもう十分である。

 

誰かの声がする。どうやら、俺を探しているようだった。返事をして立ち上がる。立ちくらみがした。俺は少しだけ重く感じる足取りでみんなの輪の中に帰るのだった。いつも通りの笑みは忘れずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

マンションの下車を下りた真が言う。空はまだ隙間なく黒に覆われていた。東の空をみてもまだ白じむまでには程遠いようだった。西の空には上弦の月が綺麗に見える。

 

ここまで送ってくれたヒロトに真と二人でお礼を言う。ヒロトは車の中でニッコリと微笑むと車を発進させて曲がり角へと消えて行った。時間も時間なため、アイドルのみんなは赤羽根さんとヒロトの車で送ってもらい、最後に降ろされたのが、俺と真だった。別に歩いて帰っても良かったのだが、ヒロトの行為に甘えておいた。

 

「兄さん、今日は本当にありがとうね」

 

真はいつも通りの普段着に着替えようやく動きやすくなったのか少し伸びをしながら言う。右手には各自から貰ったプレゼントの入った大きな紙袋を持っている。持つの変わろうかと言っても兄さんに苦労かけるわけには行きませんっとキッパリと断られてしまった。

 

「どういたしまして、真。それと俺からも一つプレゼントがあるんだ。着いて来て」

 

そう真に言って来たのがマンションの駐輪場だった。ここの住民はあまり自転車を使わないのか、入っている人の割りに自転車の数は少ない。駐車スペースは多くあるのだが、マンションを一回でてここに入らなければならないのが一つだけ残念なところだ。そんな駐輪場の隅に一つの灰色のカバーをかけられた自転車がある。その前に立ち、真の方を向く。

 

「さぁ、これが俺からのプレゼントだ」

 

「え、開けてみてもいい?」

 

「あぁ、もちろん」

 

真がカバーを取ると青いフォルムが目に入る。いや、正確に言うと俺のギターの色と同じく空色だ。

 

「うあぁ、こんなの貰ってもいいの!?」

 

真の顔が驚きに変わる。それは空色の色をしたクロスバイクだった。真が何が欲しそうか考えた結果、この

クロスバイクが思い浮かんだ。

 

「うん、改めて17歳の誕生日おめでとう!」

 

そう言って鍵を手渡す。真は鍵を受け取ると頬を赤らめながらありがとうっ! と元気よく言うのだった。後に、このクロスバイクをモチーフにした菊地真の曲ができそれがオリコン一位を獲得するとはこの時の俺は微塵も予想していなかった。

 

「兄さん、今年の兄さんの誕生日は期待しててね!」

 

マンションの前に帰って来たところで真はいう。俺の誕生日は冬。これからまだ4ヶ月近くある。しかし、真が期待しててと言うからには今から楽しみにしている他ない。まぁ、気持ちだけもらえれば十分なのだが、そうはいっても真は聞かないだろうしね。

 

「うん、期待しているよ」

 

俺がそう言えば、真はうんっ、と返事をして足を止める。足音が止まったことを不審に思い振り向けば、西の空を見上げる真。夏の夜風に短い髪がサラサラと揺れていた。今日は随分と涼しい夜だ。

 

そして真はこちら視線を落とすと目を合わせてこう言った。

 

「兄さん、今日は月が綺麗だね」

 

その言葉に俺は何も言えずただただ上弦の月の月を見上げるだけだった。この時東の空を流れ星が通ったことを俺はついに知らなかった。長かった八月ももう終わる。

 

 



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夏の終わりのエピローグ

これにて第二章がおわりとなります。
第三章、第四章は作者の勝手ですが新しく別に投稿しようと思います。題名はまだ決めてませんがかくも日常的な物語 下か二巻が有力です。分ける理由は、タグの変更とシリアス度合いやオリジナル度合いが増えることが挙げられます。本当に作者のわがままで申し訳ないです。

出来上がり次第皆様にお伝えしようと思うのですが、どうの様な手段がいいでしょうか?
活動報告と閑話を一話書きその話あげる時に一緒に新しく方もあげる、新しく方が書き終わったらこの話を一回消してもう一度あげなおす。どれが一番いいですかね?

何はともあれこの作品が一応の区切りをつけられたのは応援してくださった皆様のおかげです。改めてお礼申し上げます。それではまた、会いましょう。


八月ももう最後という日、少女は少し早い時間に目を覚ました。部屋のカーテンを開けると朝のまだ白い光が部屋の中に入る。綺麗に片付いた部屋は一昨日からは少しだけ物が増えて、シンプルな部屋を色付けていた。

うーん、と日差しを伸びを一つすると少女はリビングへと向かう。

リビングには誰もいなかった。昨日も遅くまでバイトに出ていた兄はまだ寝ている。いつもいつも夜遅くまでありがとうと兄の部屋を向き、お礼の言葉を一つ。少女はいつも自分のことよりも他人を優先する兄のことを尊敬していた。だけど、もう少女も高校生である自分をもう少し頼って欲しかった。他人は助けるが、自分自身では絶対に助けを求めない。それが少女の兄だった。

 

仕事も順調に増えてきている。今はまだ助けてもらっているがいつかは……。少女と同い歳の時にはすでに兄はアルバイトをして生活をやりくりしていたのだ。同じ歳になったからこそ、当時の兄の苦労が身に染みて分かってきた。

 

台所に立ち、フライパンに火をかける。常に綺麗清潔、整理整頓している台所はどこに何があるのか分かりやすく、今使っているフライパンも使い込まれた様子はあるが綺麗な状態を保っていた。材料や調理器具を綺麗にしていないと美味しい料理は作れないよ、とは少女の料理の師でもある兄の言葉だ。少女はその言葉通りに台所を整理し、材料を丁寧に使う様にしていた。

 

さて、今日は何を作ろうかな。

少女は一瞬考える。まだまだ気温も高いし、サッパリしたメニューがいいだろう。冷蔵庫を開けてみると材料は豊富にある。とりあえず目玉焼きとトースト、それにサラダでいいかな、と卵を二つ手に取り、油を引いたフライパンの上に片手で割って入れる。何回もやってきた動きだ。慣れたものがある。

 

簡単な朝食を食べ、机に行ってきます! サラダを作って冷蔵庫に入れてあるよ! と置き手紙を置くと少女は出かける準備をする。本当は兄の分の朝食も作っておきたかったが、まだ夏真っ盛りな猛暑だ。食べる時に食材が悪くなっている可能性も十分にある。だから、少女はサラダだけを作りお皿に盛るとラップをして冷蔵庫に入れた。

 

時計を見ると普段家を出る時間よりか少しばかり早かった。だが、今日はそれでいい。いつもはバスで事務所まで行く少女だが、昨日からは自転車で通勤している。兄から誕生日プレゼントでもらった、スカイブルーのフォルムの自転車。真はそれがあればどこまでも遠くへ、どこにでも行ける様な気がした。洗面所で髪のセットをして、自転車の鍵をとる。黒いキャップは忘れずに被る。最近は声を掛けられる機会も圧倒的に増えてきた。今では数か月前は想像もしていなかった帽子をかぶって変装するという行為が欠かせないものになりつつある。

 

いってきまーす、と少し小さな声で出発を告げ、玄関を開ける。

夏の日光に思わず目を細める。8月も終わるというのにその力は衰えを知らない様だった。夏が大好きな彼女はその日光が大好きだった。日の光の下、自転車を漕ぐ。新品の自転車は白い光を照り返し風を切る。どこまでも早く、というスピードを出したい気持ちを抑えて安全運転を心がける。バスでいくよりも15分ほど時間をかけて事務所に到着する。腕時計で確認すればだいたい丁度良い時間になっていた。すでに誰か来ているのか、二階の事務所からは笑い声と話し声が聞こえてきた。自転車を駐輪場に止め、事務所の階段を一段飛ばしでスキップする様に登る。体は羽が生えたかの様に軽かった。

 

「おっはようございまーす!」

 

元気よく扉をあける。

 

「あら、おはよう。真」

 

「おはようございます。真ちゃん」

 

「あぁ、おはよう。真、今日も元気いいな!」

 

事務所で事務仕事をしていたのか、デスクに座っていたプロデューサーである律子 、事務員の小鳥、そして律子と同じくプロデューサーである赤羽根がそれぞれ少女に返事を返す。事務所は夏の初めと違い涼しかった。冷房はもう壊れていない。

 

「誰かもう来てる人いるの?」

 

「えぇ、雪歩ちゃんと春香ちゃん、それに千早ちゃんは来ていますよ。確か、今日は真ちゃんもその三人も仕事ですね」

 

真の言葉に笑顔で応える小鳥。八月の初めよりも確実に増えたホワイトボードを確認すると春香、雪歩、千早の欄には仕事の予定が書いてある。もちろん少女の名前の欄にも。

 

「へぇー、今日は雪歩と春香は雑誌の撮影で千早はローカルの音楽番組かー」

 

「あぁ、みんな確実に仕事が増えてきているからな。これから忙しくなるぞ。真は今日はラジオ番組のゲスト出演だ。竜宮小町を早く追い抜かないとな」

 

パソコンの画面と書類を見比べながら赤羽根は言う。どうやら朝から仕事が立て込んでいるらしい。最近は急に仕事が増えたこともあり、仕事に追われることもボチボチと出てきた。765プロのいい意味での変化だった。竜宮小町とは同じ765プロダクションのアイドルで構成されているアイドルユニットだ。メンバーは3人。その竜宮小町が765プロで一番有名なアイドルであり、765プロで一番早くCDデビューしたグループだ。CDの売れ行きはとても順調で先週のオリコンでは3位に入っていた。

 

「うん、精一杯頑張るよっ!」

 

真はそういってみんなが溜まっているであろう応接室へと足を進める。同じプロダクションの仲間だからといって負けるつもりはさらさらない。何よりも先日、憧れの師匠から頂点はとれなくても全力で頑張れと金言をもらったばかりだ。少女のやる気はいつにもまして高かった。

 

「ちょっと、真。待ってくれ!」

 

そんな少女を呼び止めたのはプロデューサーである赤羽根であった。

何かあったんですか? と振り向く彼女に赤羽根は続ける。

 

「ちょっと、今日の帰りに話があるから会議室に来てくれ」

 

「わかりました、プロデューサー」

 

そう彼女は元気良く言うと今度こそ応接室へ向かった。

応接室も夏の初めと比べると涼しかった。扉を開けたその先には見知った三人の顔。765プロで真が一番仲の良い三人だ。

 

「おはよう、みんな!」

 

そう挨拶をすれば、それぞれ笑顔であいさつが帰ってくる。少女は空いていた雪歩の隣に腰を下ろす。

 

「真、今日は仕事?」

 

「うん、ラジオ番組のゲスト。雪歩と春香は雑誌の撮影だっけ?」

 

「うん、そうだよ。真ちゃん。そして千早ちゃんはローカルテレビの音楽番組」

 

「私たち仕事増えたわね。本当に……」

 

千早が昔を懐かしむようにシミジミと言う。その言葉にそれぞれが頷く。

 

「そう言えば、今日の撮影って真ちゃんのお兄さんが付き添いだよね」

 

「うん、そうそう。何か兄さんが初めて雑誌の撮影に行った時に向こうのお偉いさんから気に入られたらしくて、向こうからオファーが来るみたいだよ」

 

その初めての撮影で少女の兄はただのカメラマンと思っていたのだが、実を言うとそのカメラマンこそが色々なところに顔の聞く芸能界の大物であったことを少女の兄はまだ知らなかった。

 

「凄いねー。さすが、お兄さん。この前の演奏も凄くかっこよかったし」

 

「えへへ、自慢の兄さんだよ!」

 

少女も大好きな兄が褒められて悪い気はしないのか笑顔で応える。

それから先も多くのアイドルが入れ替わり立ち替わり応接室に入ってきて談笑を続ける。応接室で談笑が途絶えることはしばらくの間なかった。アイドルの少女たちの数少ない休息のひと時をゆっくりとリフレッシュに当てるのだった。

 

仕事が終わり、夕方事務所に帰る。

おかえりなさい、と挨拶をする小鳥に少女はただいま! と元気に言うと、今日の仕事の成果を報告する。今日のラジオ番組は少女の中でも良く出来た方だと思う。向こうのディレクターさんにも気に入ってもらえたようで今度は765プロさんの番組を作るよ、と冗談なのかそうではないのかよく分からない言葉も貰えた。その事を小鳥に伝える。

 

「さすが真ちゃんですね」

 

小鳥は笑顔でそう言い続ける。

 

「会議室に皆さん集まっているから行ってみてください。とっても驚くような話がありますよ!」

 

どうやら呼ばれたのは少女だけじゃないようだ。それに驚くような話ってなんだろう、と少女は疑問に思う。まぁ、行ってみればいい、そう思い応接室の扉を開ける。

 

「あっ、真来た来た!」

 

「あれ、皆いる」

 

会議室を開けると765プロダクションのアイドル全員が集合していた。少女に一番最初に気づいた春香が声をかける。空いていた春香の隣に座る。

 

「ねぇ、春香。これって何の集合?」

 

「うーん、私にも分からないなー」

 

春香は少し困ったように首を捻る。

 

「多分、悪い話じゃないと思うけど……」

 

「そっか……」

 

「あっ、そう言えば真。お兄さんが今日は夕飯は俺が作るからゆっくり帰って来ていいぞって伝えといてって」

 

「ありがとう。春香」

 

そう言えば、兄が一人で夕飯を作るなんて久しぶりだ。たまに一緒に作る機会はあるが、普段はいつも少女が作っている。忙しい兄の代わりに少女が出来る精一杯の恩返しだった。

 

「お兄さんの料理羨ましいなぁ」

 

春香のその言葉は本心で言っている様だった。

 

しばらく春香と話をしていた時だった。ドアが開きプロデューサーである赤羽根が急いで入ってきた。息を切らし肩で呼吸をしている。

 

「すまない、皆。少し遅くなった」

 

その言葉に雑談や談笑をしていたアイドルたちは話をやめる。

何回か深く呼吸をした後、赤羽根は続けた。

 

「実は皆に集まってもらったのには重大なお知らせがある。聞いてくれ……」

 

そこで赤羽根は言葉を止め、ゆっくりと深く息を吸い込むと先ほどよりも大きな声で言う。

 

「お前たち全員が出演する全国ネットのレギュラーの生放送番組が決まった!名前は『生っすか!? サンデー』だ!」

 

そこまで言い切ると赤羽根は一枚のポスターを広げる。そこには765プロダクションのアイドル全員が写った写真と『765プロダクションのアイドル達がお送りする、毎週日曜午後の新発見タイム! ブーブーエスTVにて、毎週日曜ひる3:00から生放送中!!』の文字が書かれていた。

 

「「「「えぇぇぇぇええええええ!?」」」」

 

数秒の間が空いた後、765プロに驚きの声が響き渡った。765プロダクションの快進撃はここから始まる。

少女達の八月はこうして終わっていった。

 

 

 

 

ーーto be continued?



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閑話 大人たちの夏の終わり

宣伝をひとつ。
続編に当たる、かくも日常的な物語 2を上おりますのでご報告させていただきます。

よろしければ続編の方の応援もよろしくお願い申し上げます。


木で出来たモダンな造りの店内は閑散とした様子だった。BGMとして店内ではクラッシクのメドレーが流れる。今はG戦上のアリアが流れていた。マスターが一番好きな曲だ。

時間がいつもより大分早い時間帯のせいと今日の天気のせいか客は少なく丸テーブルに二人組が座っているだけ。傘立てには傘が二本。午前中はあんなに天気が良かったと言うのに午後には雨が降るそうだ。来るまでに降られなくて本当に良かった。

壁にかかっている時計を確認すれば、夕方六時を指している。今日は珍しく隣接しているライブハウスが改装工事のため休みだ。お客のほとんどがライブハウスから流れてくるこの店ももしかしたら、このまま暇かもなしれない。こう言う時は黙々とグラスを拭くに限る。何も考えずにただただ無心で。たまにはこう言う日があっても悪くないだろう。クラシックと小さな話し声をBGMに穏やかな時間をただただ謳歌していた。

 

今日、唯一のお客さんであった二人組が帰ってどれくらいの時間が経ったのだろうか。時計を確認すれば、夜の八時を指していた。普段ならここからお客さんも増えるのだが、今日はどうだろうか。完全防音の壁に包まれ、空調の効いた店内ではそとの様子は分からない。予報では夜から雨の予報だが、もうすでに降っているのだろうか。それも、テレビもラジオもないこの店内では知ることも叶わない。真は濡れずに帰れただろうか。唯一の心配はそこだった。まぁ、俺よりしっかりしている彼女のことだ。きっと朝の予報を見て傘の準備もバッチリだろう。

 

店内のBGMであるクラッシクメドレーが一通り終わろうとしていた時だった。木製の扉がガチャりと少し勢い良く開けられた。

 

「いらっしゃいませ」

 

そう静かに顔を向ければそこによく知る顔があった。

 

「よう、飲み来たぜ」

 

二日前に会った際のドレス姿とは違い、ジーンズに半袖のトップスと言うラフな格好。特徴的な赤く腰まで伸びたストレートの髪をなびかせながら彼女はいつも通りの笑みを浮かべていた。手には一本の傘。髪と同じ赤い傘には雫がついていた。どうやら外はもう雨が降り始めたらしい。

 

「なんだ、ミズキか」

 

そういえば、ミズキがここに来るのは初めてだ。それどころかミズキだけじゃない。SSKもヒロトもここに来たことはないはずだ。まぁ、SSKはともかくヒロトやミズキにはここで働いていると伝えたことはなかったから来ていないだけだろうけど。

 

「なんだとはなんだよ、連れねぇな。こんな美女が飲み来てやったと言うのに」

 

「美女なのは認めるところだけど自分で言うかな、それを」

 

「あはははは。オレくらいの美女になると自分で言っても罰は当たらないのさ」

 

そう豪快に笑う彼女はいつも通りの平常運転みたいだ。機嫌が良くて俺自身も喜ばしい限りである。

 

「まぁ、ミズキだけじゃなく今日は俺たちもいるんだけどね。お邪魔するよ」

 

「ふむ、やはり今日は誰もいなかったか」

 

ミズキの後ろから店内に入って来たのは茶髪のイケメンであり我らがビジュアル担当のヒロトと銀縁にメガネに細く睨みつけたような目つきのSSK。二人ともミズキと同じく傘を持っていた。

 

「いらっしゃい。ヒロトにSSK」

 

そう何時もの笑みで言えば、二人ともいつもの通りに返してくれる。結局、俺たちはどこでもいつでも俺たちのまま変わらないようだ。

 

「一昨日振りですね。言われたとおり飲み来ましたよ」

 

「あはははは。急に来てすみません」

 

いつも通りのメンバーか、と思ったがヒロトの後ろからさらに二人の人影。温和な柔らかい笑みを浮かべる765プロの音無さんと頭の後ろをかき、少し照れ臭そうに笑う765プロの赤羽根プロデューサーが店内へ入ってきた。二人とも真がお世話になっている人たちであり、俺の頭も上がらない。

 

「一昨日はありがとうございます。音無さん、赤羽根さん」

 

そう礼を言い。頭を一つ下げる。

 

「いえいえ、私こそ招待してもらってありがとうございました」

 

「そんなお礼を言うのはこちらですよ。真の誕生日パーティーにも呼んで貰えて。それに真のお兄さんには日頃からお世話になっていますし」

 

音無さんや赤羽根さんは忙しい中にもかかわらず、一昨日のパーティーの話をすると二つ返事で了承してくれた。本当にいい人ばかりだ。そんな人たちに囲まれて働ける真は本当にいい環境で成長していけるんだろうな。これなら、俺自身何も心配はいらない。

 

「さて、お客様方。こちらのカウンター席へどうぞ」

 

一つ息を吸い直して、雰囲気を切り替える。気の知れた相手とは言え、今はお客様だ。まぁ、すぐにダレるのは目に見えているが最初くらいはキチンと接客をしてみようと思う。普段ならカウンターは開けておくのだが、今日はもうお客さんも恐らくこないだろう。

ミズキたちが来るまで黙々と磨き続けたためグラスはまるで新品のように綺麗になっていた。

 

「ご注文はいかがなさいますか?」

 

店内に六席あるカウンターが一つを残して埋まる。全員が座わり、メニューに目を通したのを確認すると注文を取るために口を開いた。席順は入った順に置くからミズキ、ヒロト、SSK、音無さん、赤羽根さんの順番になっている。まぁ、ミズキたちは何を頼むのか知っているため、注文を取る前から既にグラスにお酒をついである程度準備をしていたりする。長年の付き合いだ、それぞれが何を好きなんてとっくの昔に知っている。

 

「ワインのいい奴を頼む」

 

「うーん、とりあえず最初はジントニックかな」

 

「いつも通りシングルモルトウイスキーを頼む。無論ニートでな」

 

上からミズキ、ヒロト、SSKだ。まぁ、概ね予想通りだった。ミズキはワインやリキュールしか飲まないし、ヒロトはジンばかりを好む、SSKはウイスキーやスコッチなどを飲むことが多かった。あらかじめ、分かっているので出すのもはやい。それぞれにチェイサーとドリンクを出す。

 

「音無さんたちは如何なさいますか?」

 

「うーん、一昨日ここで演奏終わりに飲んだカクテルを貰えます?」

 

「はい、ダイキリですね。赤羽根さんはいかがなさいますか?」

 

シェイカーにラム酒を注ぎながら赤羽根さんに問いかける。すると赤羽根さんは少し困ったような顔でメニューを見ていた。

 

「いやー、実はこんな場所に来るのは初めてでどんな酒を頼めば良いのか分からなくて……」

 

なるほど、バーに来るのは初めてと言うわけか。俺も初めて来た時は何を飲むか悩んだなぁ。カッコつけてカクテルなんかを飲もうとしても、カクテルの名前だけじゃさっぱり何が入っているのか分からないものしかなくて、メニュー見ながら三十分ほど悩んだっけな……。BARなんて来ない人は本当に来ないだろうし、赤羽根さんの気持ちはよく分かる。

 

「赤羽根さんはどんなお酒が好きなんですか?」

 

「うーん、専らビールばかり飲むことが多いですね。でも、せっかくここに来たからには何か変わったものが飲みたくて……」

 

なるほど、確かに赤羽根さんみたいな社会人の男性となるとビールが好きな男性が多いだろう。

 

「なら、スペインのビールでもどうでしょう? ドイツやチェコ何の有名な国々比べると名前を聞く機会は少ないですが、スペインのビールはまろやかで飲みやすいですよ」

 

ビールが好きで珍しいものが飲みたいのなら海外のビールをお勧めするに限る。その国々によって舌触りや喉越しも大きくことなる。この機会に日本のビールと海外のビールの違いを味わって貰うのも悪くないかもしれない。

 

「へぇー、スペインのビールですか。なんだか飲んで見るのも面白そうですね。それでお願いします」

 

その注文を聞き、俺は綺麗に磨いたグラスにビールを注ぐのだった。どうやら先ほどの静けさは嵐の前の静けさだったようだ。八月最終日は騒がしくなりそうだ。

 

 

 

「おっ、G線上のアリアか。いい曲じゃねぇーか」

 

メドレーのG線上のアリアの順番がもう一度回って来た時だった、赤髪の彼女はそうグラスを傾けながら言った。ワインは残り四分の一程度入っている。

 

「あれミズキ、クラシック詳しいかったっけ?」

 

確かにミズキはギターの演奏や歌は上手いがクラシックなどの音楽を好むとはあまり思えなかった。ゆったりよりも激しい曲を好みそうなのがミズキだ。

 

「詳しいも何もこいつはバイオリンも弾けるぞ」

 

俺の疑問に答えたのはそのミズキではなく二つ隣のSSK。チェイサーである硬水が入ったグラスを片手に彼はいつも通りの声色で答えた。

 

「まぁ弾けると言っても大昔に習わさせられただけだけどな」

 

そう彼女はぶっきらぼうに言う。あまりバイオリンにいい思い出はないようだ。

 

「へぇー、ミズキさんって何でも出来るんですね」

 

音無さんが関心そうに呟く。

 

「確かにミズキはなんでもできるね。もしかして、このG線上のアリアも弾けたりするのかい?」

 

ヒロトがジントニックを一口飲むとミズキを見る。グラスはほとんど空だった。

 

「まぁ、一応弾けると言えば弾けるな。勿論G線一本で」

 

「……G線ってなんです?」

 

ミズキの言葉に赤羽根さんは聞き返す。

 

「G線とはバイオリンの弦の四本の内、一番低い音が出る線をさす。G線上のアリア、英語名はAir on G String。この曲は名が表すようにG線一本だけで弾ける曲だ。ただG線だけで弾くには相当の腕がいるがな」

 

流石と言う感じの解説をするSSK。こいつが知らないことを探す方が難しいのではないかと最近思う今日この頃だ。

 

「へぇー、そうだったんだ。さすがS、詳しいね」

 

ヒロトも同じ気持ちなのか感心した顔をしていた。グラスが空になりつつあったので、何か飲むか? と聞いてみれば彼は笑顔でコスモポリタンをと返す。

 

「へぇー、皆さんって本当にすごい方なんですね」

 

「凄いのは俺以外の三人ですよ。それに俺にとっては赤羽根さんや音無さんも十分に凄いです」

 

赤羽根さんや音無さんなんかは少ないスタッフでよく765プロを回していると思う。俺にはとても無理な芸当だ。

 

「いやいや、俺なんてまだまだですよ。真のお兄さんにもお世話になっていますし」

 

赤羽根さんは謙遜したように笑う。こうして談笑しながらゆっくりと時間は過ぎていった。すでに曲はG線上のアリアから変わっていた。

 

 

 

「で、今日はどう言う集まりなんだ?」

 

目の前でチェダーチーズをつまんでいた赤髪の彼女に問いかける。このような集まりは十中八九、彼女の呼びかけで集まったに違いだろうしな。すでにグラスは四杯目のワインが注がれている。これだけ飲んでも顔色が全く変わらないのは流石といっていいだろう。

 

「あぁ、今日はお前に知らせたいことがあってな」

 

知らせたいこと。この赤羽根さんや音無さんがいることを考えると真に関係する何かだろうか。

 

「何かあったのか?」

 

「あぁ、それもいい知らせだぜ」

 

彼女はそう言い笑ながら横を向く。俺もそれを受け、視界を横にスライドさせれば、そこに座る全員が笑っていた。

 

「うんうん、この前は真ちゃんの誕生日だったし。今日の話も君にもいい報告だと思うよ」

 

少し顔の赤いヒロトはギムレットを片手に呟く。やっぱ色男にカクテルはよく似合う。

 

「で、結局なんだんだ? その報告なら」

 

悪い報告じゃなく、いい報告なら聞くに限る。ミズキとヒロトが言うのなら間違いないだろう。

 

「それは赤羽根さんから伝えてもらわないとね」

 

ヒロトの言葉につられ一番端に座る赤羽根さんを見る。その視線を受け赤羽根さんは実は……、と話し始めた。

 

「実は765プロ全員が出演する生放送のレギュラー番組が決まったんです!」

 

「え、レギュラー番組?」

 

思わずそういい返す。

 

「はい、しかも全国放送です!」

 

少しお酒が入っている成果紅潮した面持ちで少し大きな声で話す赤羽根さん。

 

「そっか、全国ネットか……。おめでとうございます、赤羽根さん」

 

いきなりの話でイマイチ俺自身も状況うまく把握できていないみたいだ。全国ネットのレギュラー番組。その言葉だけで真も成長したもんだ、と少しだけ実感が湧いて来た。

 

「ありがとうございます。これも貴方のおかげです。あのカメラマンの方が強く押してくれたらしいです」

 

あのカメラマンとは雪歩ちゃんの写真をとってくれたカメラマンだろう。やけに俺のことも気に入ってくれていたみたいだし。こんな俺でも役に立てたのか。

そのことがやけに嬉しかった。

 

「さて、今日は祝いだ。思いっきり飲むぞ!」

 

ミズキがグラスを掲げながら言う。顔には出ないだけで結構酔っているのかもしれない。帰りが心配だ。

 

「そうですね、こんなめでたい日は飲まないと!」

 

その言葉に音無さんがまず反応する。音無さんは何と無くだけどただ飲みたいだけのような気がする。

 

「うん、そうだね」

 

「こんな上物を味合わずに飲むのはもったいないが、たまにはいいだろう」

 

「よし、今日は飲みますか!」

 

そして、ヒロト、SSK、赤羽根さんまでもが続く。

 

「おい、お前も飲めよ。金はオレが出すから奢りだ!」

 

ミズキのその言葉に仕事中だから飲めないとか言う釣れない言葉は返さない。バーテンは飲むのも仕事のうちなのだ。ロックグラスに氷とホワイトラムをつぐ。甘い匂いが漂ってくる。

それを右手に持てば、もう既に全員がグラスを掲げていた。

 

「それじゃあ、765プロダクションの益々の活躍を祈って……」

 

「「乾杯」」

 

グラスを合わせなんて無粋な真似はしない。ただただ目線を合わせるだけの乾杯。

久しぶりに飲んだラム酒は喉を焼けるように通りすぎる。まるで今から始まる憂鬱な季節の憂いを取り除くように……。

こうして、俺の八月は終わった。

 

BGMとして、パッヘルベルのカノンと確かな笑い声を添えて……。

 

 

そして、大嫌いな秋が始まる。




酒はやっぱりウイスキーかラム酒に限りますね。
どっちもストレートでちびちびやるのが一番です。


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