人は恋をすると思考力が著しく低下するらしい。あらゆる物質が脳内で分泌し、酔っぱらいと同じくらいまで判断能力が落ちてしまうのだ。つまり、騙されてはならないのだ。
キャバクラで男が女性の手のひらの上で踊らされて大金をつぎ込むのも、ちょっとかわいいお姉ちゃんからボディタッチをされ、高いボトルを開ける羽目になってしまうのもそのせいだ。
だからこそ、恋をするというのはとてもリスキーなことなのである。常に危険が伴うからこそ、自らが身の安全に徹底して注意をしなくては、いつか必ず自己破産をしてしまう。
だから、恋をしてはならないのだ。恋をした方が敗者、相手を好きになってしまった方が負けなのである。今宵俺の高校生活最大の頭脳バトルが始まる。
あれ?これパクりじゃね?
俺が誰かを好きになるなんてあり得ないはずだった。中学時代のあの黒歴史以来、二度と誰かに好意を抱くなどということがあるはずもなかったのだ。
けれど今、俺はある女の子に恋をしているのだ。
「せんぱーーい」
来た!!聞き慣れた彼女の声を聞くたびに心が踊ってしまう。しかし、ここでデレては負けなのだ。何事も無いかのように振る舞ってこそ、比企谷八幡なのである。
「げっ!」
本当は今すぐにでも一色に想いを伝えたい。好きって言いたい。
けれど、彼女には好きな人がいるのだ。
「むうっ、げっ!って何ですかひどいです。早く行きますよ。今日は葉山先輩とのデートの作戦についての実践練習を行う日なんですよ!」
俺が想いを伝えられない理由。
それは一色にはすでに葉山隼人という好きな人がいるのだ。だからこそ、俺の気持ちは意地でも心の奥にしまったままでいなければならない。俺は、奉仕部の部員。そして、これは俺に対する彼女からの依頼。彼女を俺の私情で困らせるわけにはいかないのだ。
たとえ、どんなに彼女のことが好きであったとしても、彼女を苦しめるわけにはいかない。
「けど、、、結構きついな、やっぱり、、、」
「どうかしましたか?せんぱい?」
「なんでもねーよ」
本当は辛いけれど、これも彼女の為だ。一色が幸せになるなら。俺は自らが不幸になる道を選ぶ。
「じゃあ。行くか」
ばれないように左手に力を込め、気合いを入れ直す。
「せんぱい、今日なんか機嫌いいですね。何か良いことありました?」
「なんもねーよ」
空元気に決まってるだろ。
「そうですか。それは良かったです。」
あと少し、あと少しの辛抱なのだ。一色と葉山が上手く付き合えばきっと彼女のことも忘れられるはずだ。だから、もう少しだけ頑張ってみよう。
本当に好きなった方が負けなんだな。
放課後になり、一色が葉山とのデートの実践ということで模擬試験を行う事となった。所詮は葉山の代替物ということもあり、多少は複雑な気持ちではあるが、反面一色とデートできるということでいつもより、テンションが上がっている。
「せんぱい、お腹空きませんか?どこ行きます?」
モテる男性は総じて一回目のデートでは、女性をスイーツに連れて行くらしい。心理学でも甘くて、かわいいスイーツは女性の共感を得やすいという研究結果もあるくらいだ。
しかし、俺がスイーツとか言おうものなら、多分こいつは怪しむだろう。ならば、ここは俺らしく ひねくれてみるのが吉だ。
「家」
「やりなおし」
まあ、そうだよな、普通はそうなるよな。
ていうか、俺だって一色とご飯食べたり、普通に買い物したりしてみたい。
でも、これ以上こいつのことを好きになったら、今のままではいられない気がするのだ。
だから、今まで我慢をしてきたのだ。
「じゃあ、あのカフェなんかどうだ?なんかオシャレだし、ああいうの好きだろ、お前」
「 」
えっ?何この沈黙?俺なんかまずいこと言った?
まさか、俺の気持ちがばれたとか?それだけは、避けておきたいことだ。
「何?嫌なの?」
「いえ、そういう訳ではなくて、、、その、なんかちょっと意外だったので、、、先輩もちゃんと女の子のこと考えてあげることができるんですね」
失礼すぎるだろ。それに、お前にことなら毎日考えてる。今だって理性を保つのに必死なくらいだ。
「まあな、小町のことなら毎日考えてるからな」
「せんぱい、本当にシスコンなんですね」
千葉県の兄は総じてシスコンである。ほら証拠に川なんとかさんもシスコンだしな。そういえばあれは姉だな。
「ところで、せんぱいって、好きな女の子とかっているんですか?」
「ふぇっ?」
突然の質問に思わず声が裏返る。『あべしっ!!』とか、絶対出ないだろと思っていたが意外と分からなくないな。
「なんですか、それ。私の真似ですか普通にキモいです」
最近の女の子は息を吐くようにキモいキモい言
いすぎだ。
それに自覚あったのかよ。
「そんなのいるわけねーだろ」
本当はいるけど
「そうですか、、、せんぱいも好きな人くらい作った方がいいですよ。恋をすると世界が違って見えるっていいますし」
「まあ、そのうちな」
一色の側にいるといつもの町並みも帰り道も確かに違った風に見えてくる。何気ないモノクロの世界に色が灯るように華やかな日常へと変化を遂げる。平凡な俺の日常も一色がいて初めて美しく輝きを放つ。
あと少し手を伸ばせば届きそうな距離なのにその道のりは途方もない程に険しくいばらの道であった。
一色は俺をどういう風に見てくれているだろうか。少しは楽しいと思ってくれているだろうか。無理をしてはいないだろうか。こいつが楽しいと思ってくれているなら俺も楽しい。
一色が俺に誰かを好きになるという気持ちを教えてくれたんだ。
苦しいけど嬉しい、悲しいけど楽しい、そんな日常。
「ありがとうな、一色。」
「えっ?はい。」
そう彼女に言い放ちオシャレなカフェへと足を運ぶ。
ありがとうございました。感想などがあれば、よろしくお願いします。
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二話
人はなぜ恋人に理想を求めるのか。
人はなぜ自らよりも市場価値の高い相手を恋人にしたがるのか。
それは、夢を追いかけているからだろうか?現実が見えていないからだろうか?
まあ、いずれにせよ、人が理想を求める理由は人それぞれである。しかし、アドラーはこの命題に一つのある解を出した。それは、『人間は他人からの承認欲求の強い生き物だからである』と。
ある一例を挙げよう。
Aさんは1000万円のポルシェを手に入れたとしよう。そこで満足すればAさんは幸せなままである。しかし、仮に近所のBさんが3000万円のポルシェを買ったとしたら、Aさんは何を思うだろうか。
自分は自分、他人は他人と思うタイプの人間であればBさんに対して恨みの感情などなかろう。けれど、もし、Aさんの承認欲求が強い場合はどうなるだろうか?AさんはBさんに嫉妬し、憤慨してしまうだろう。
この一例からも分かる通りに他人と自らを比較し過ぎるとデメリットになる場合も多いということだ。
もちろん、自分と他人を比較しそれを糧に成長へと繋げる場合なら大いに結構だが、基本はそうはならないことの方が多いらしい。だからこそ、自分というものを見つめ直し、本当に自らの欲しているものを掴みとれた者のみが真の幸せを手にすることができるというものだ。
まあ、ざっくりまとめると
『そんな人と比べなくてよくね?』byアドラー
葉山先輩は裏表のない素敵な人です。
頭脳明晰で、運動もできます。何よりかっこいいからモテるのです。私がなぜ葉山先輩を好きになるかなんて簡単な話です。自分のステータスが上がるからです。あんなに市場価値の高い人間を私以外の人が選ぶなんて許されません。
けれど、先ほども言った通り競争倍率はもの凄く高く、まるで宝くじの一等に当選するようなものです。それにライバルのレベルが凄く高いのです。まあ、私もレベルが高いので十分対抗することは可能ですが。
ところで、知らない方もいると思いますが、私はこんな性格なので同性のお友達はあまりいません。嫉妬や妬み、様々な感情をぶつけられることも多々あります。だからこそ、葉山先輩でなくてはいけないのです。彼ならきっと私を救ってくれるはずです。そうして私は告白することを決意しました。
私の作戦は完璧でした。非の打ち所はありません。私はその計画を実行すべく学校の皆さんとディスティニーランドに行きました。
日没になりました。時は満ちたのです。私は勇気を振り絞り、胸の中にある感情を吐露してしまったのです。そして結局、葉山先輩にはフラれてしまいました。
落ち込みました。悲しみという感情が雫となって流れ落ちていきました。そんな時にせんぱいは帰りの電車で私にこう言いました。
『凄いなお前』
なぜか温かい気持ちになりました。心の芯まで癒されるようなそんな感覚だったと思います。その時にようやく気付きました。『本物』と言う物の存在に。
他人からの承認欲求が人一倍強いことも自覚しています。でも、本当に私が望んでいた物は何かを問い正しました。そして、一つの答えにたどり着いたのです。
『せんぱいと居たい』
それからもせんぱいは私を何度も助けてくれました。
せんぱいは私のヒーローです。困った時はいつも私を支えてくれます。本当に感謝しています。感謝をしても仕切れないほどにたくさんのものをせんぱいからはいただきました。
ついつい、楽しくなり、私は葉山先輩とのデートの実践練習と題しまして、模擬試験という形でデートをするのことになりました。
模擬試験といってもせんぱいを試すようなことはしません。デートできるだけで満足なのです。
いよいよデートの時がやって来ました。かなり緊張しています。胸の高鳴りが抑えきれません。私のドキドキがばれないかがとても不安です。けれど、頑張ります。
「せんぱーい」
何とか声をかけることができました。最近は一緒にお話をするだけでも心臓の鼓動が速くなります。なぜなのでしょう。原因が不明です。ですが、今日はそんなことを言ってはいられません。今日こそせんぱいから好意を勝ち取って見せたいと思います。
「げっ!」
出だしから絶望的です。せんぱいは私のことをどういう風に見てくれているのでしょうか。それにしてもその反応はひどすぎます。私はこれでも乙女なのです。
「むうっ、げっ!って何ですかひどいです。早く行きますよ。今日は葉山先輩とのデートの作戦についての実践練習を行う日なんですよ!」
まあ、いつものことなので気にはしていません。本当です。それにデートはまだまだこれからです。必ずせんぱいからの好意は私が頂きます。これは決定事項なのです。
「けど、、、結構きついな、やっぱり、、、」
そして気づいたことがあるのですが、今日のせんぱいはあまり元気がありません。私はせんぱいの観察をしています。だから分かることがあります。今日のせんぱいは、いつもの輝かしさがありません。どうしたのでしょうか。
「どうかしましたか?せんぱい?」
「なんでもねーよ」
今の言葉は真実と捉えてしまっていいのでしょうか。まあ、でも、せんぱいが大丈夫と言った時は大丈夫なことが多いです。この言葉に私は何度も救われています。
「じゃあ、行くか」
とりあえず、せんぱいの言う通りにしてみましょう。私の思い違いかも知れません。
「せんぱい、今日なんか機嫌いいですね。何か良いことありました?」
「なんもねーよ」
実は今、鎌をかけてみました。浮気相手に良く使えるテクニックの一つなのですが、『あなた浮気したんでしょう』とストレートに聞くのではなく、『何か昨日良いことあった?』と、それとなく聞いてみると浮気をしている場合は素人でも分かるほどの反応が返ってきます。ちなみに浮気している場合は『何が?』とか『どうしたの?』という風に自分の浮気をどこまで相手が把握しているかを探るという態度に出ることが多いです。
でも、今の感じだと多分何も無さそうです。まあ、そもそも浮気など起こりようもありませんが。
「そうですか。それは良かったです」
せんぱい、私はお腹が空きました。実は、今日のデートが楽しみで朝から何も食べていません。今日はせんぱいに『あーん』をしてもらうのが目標です。
「せんぱい、お腹空きませんか?どこ行きます?」
「家」
「やりなおし」
乙女心と秋の空は変わりやすいと言いますが、今のは正直引くレベルです。せんぱいは私に関心が無さすぎます。ひどいです。
「じゃあ、あのカフェなんかどうだ?なんかオシャレだし、ああいうの好きだろ、お前」
えっ?なんですか?まじですか?
せんぱいがあろうことかカフェを提案してきました。今日は槍が降りそうです。せんぱいにも少しだけ乙女心が分かるようになってきたようです。成長です。いつもならラーメンなどを提案してくるはずです。これは何か裏がありそうな気がします。早速聞き込みです。
「何?嫌なの?」
「いえ、そういう訳ではなくて、、、その、なんかちょっと意外だったので、、、先輩もちゃんと女の子のこと考えてあげることができるんですね」
「まあな、小町のことなら毎日考えてるからな」
「せんぱい、本当にシスコンなんですね」
言葉を失いそうです。期待した私が馬鹿でした。少しでも私に好意があるのかと思いましたがそんなものは幻想にすぎません。ところで、せんぱいは誰に対して好意を抱いているのでしょうか。
「ところで、せんぱいって、好きな女の子とかっているんですか?」
「ふぇっ?」
人間は普通そんな声はでません。私の真似ですか?少しだけ似ているのが更に癪です。
「なんですか、それ。私の真似ですか、キモいです」
私はいつも素で生きています。あざとさなど微塵もありません。本当ですよ!
「そんなのいるわけねーだろ」
本当ですか!そうなんですか!
皆さん聞いてください。せんぱいには今好きな人はいないそうです。これは言い換えると、いつか私のことを好きになるということですね!良かったです。本当にそれだけで私は満足です。
「そうですか、、、せんぱいも好きな人くらい作った方がいいですよ。恋をすると世界が違って見えるっていいますし」
私はせんぱいといると世界が変わって見えます。私は今の気持ちを恋と呼ぶのかは自分でも良く分かりませんが、せんぱいと出会えてすべてが変わりました。いつも通る町並みも帰り道もあなたといるだけで素敵な一日に変わります。せんぱいともっと居たいです。たくさんの日々をあなたとの時間でいっぱいにしたいです。
あなたとの時間がこれからもずっと続くように。せんぱい、私から離れちゃダメですよ!
「ありがとうな、一色」
せんぱいは優しい声音で私にそう囁きました。
見てくれている人が楽しめるようにそして、このSSに皆さんが時間を割いて良かったなと思えるような作品を作っていきたいと思います。
よろしくお願いします。
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三話
近くのカフェは思ったより静かで一色と過ごすデートには最適な場所選びではあった。
しかし、デートで重要なのは場所選びではない。それよりも遥かに重大なことはそこでどんな雰囲気になるかなのだ。
よく男性がやりがちなのが『高いお店に連れて行けばいんでしょ』『美味しいもの食べさせればいいんだろ』と思っている人がいるが実はそうではない。確かにそれも大切なことではあるが、そこでどのような話題をし、どんな雰囲気になるかの方が遥かに最重視すべき点である。
隣から『お姉ちゃん!』とか話しかけられるような居酒屋であれば、高くても美味しくても基本はNGである。
それに、あまり背伸びをしすぎると、『この店凄くいい感じなのに楽しくないとか、この人よほどつまらない人なんだわ。』と思わせてしまうことにもなりかねない。だからこそ、難しいことなのだ。
こんな俺の苦悩も知らず、一色はメニューとにらめっこをしている。
「せんぱいはどれがいいと思いますか?」
女性は基本的に責任を取りたくない生き物だ。なので、選択はすべて男性がしてあげる必要がある。よくリードしてくれる男性がいいというのも女性自身が決めたプランにミスが生じた場合に女性は責任を感じる為、それを防ぐ策として男性に判断を委ねたがることが多い。あと『彼がどういう場所に連れて行くかで、私をどういう風に見ているかを決める』というのも判断材料としているらしい。
でも、俺が、そんなことをすると自分のアイデンティティーがなくなるのでいつも通り他力本願でいくのだ。
「一色が食べたいものでいい」
まあ、仕方ないか
「それって、、、私が好きなものをせんぱいが共有したいってことですか?」
「はっ?」
何言っちゃってんのこの子。
確かに女性は男性と比べ、自分の感情や思いを誰かと共有したいという欲求が多いのは事実だ。誰かに自分の気持ちをぶつけることでストレスを発散したり、コミュニケーションを取る生き物なのである。
「べ、別に、そんなんじゃ、ねーし」
「なんですか、そのキャラ普通にキモいです。」
まさか相手に選択をさせたことが逆さに出るとは思ってもいなかった。
なんで?リードする男性がモテるんやないの?
こいつが何を考えているかがイマイチ良く分からなくなってきた。俺の壊滅的なデートプランに嫌気が差し、自らがデートプランを練ることを選択したのか?
それに、私が好きなものを共有したい!?
まあ、一色の好きなものなら何でも知りたいし、こいつの好きなことを一緒にできたら楽しいだろうなと思ったことはたくさんある。
けれど、それは叶わぬ夢である。
これは、デートである前に模擬試験である。所詮俺は葉山の代替物に過ぎない。本来この位置にいるのは俺ではなく葉山でなくてはならないのだ。でも逆に言えば、これは模擬試験だから少しだけ葉山になりきってみるのも悪くない。
「じゃあ、ここのパンケーキ結構おすすめって入り口に書いてたから、パンケーキ頼むのはどーだ。嫌なら、別にいーけど」
パンケーキ食べたい、パンケーキ食べたい。
これが俺にできる唯一のことだった。
「せんぱいはどうしてこれにしようと思ったんですか?」
それ聞くの?どうしよう。ここのパンケーキ食べたことないから一色と同じものが食べたいとか言えないし。てか俺、弄ばれてね?
まあ、でも、今は俺、葉山だもんね?ちょっとくらいかっこいいこと言ってもいいよね?
「一色と同じ体験を共有したいから、、、」
何言っての俺?気持ち悪。ていうか、まず葉山の真似というのが気にくわない。やっぱり、慣れてないことをするのは結構無理があるな。
「せんぱい、、、、ほんと、あざといですよ、、、」
えっ?まじで?何その表情、超かわいいんだけど。
「いや、まあ、なんだ。葉山なら多分こういうことをいうんじゃないかと思ってな。あいつならこういうキザなこと、サラッと言えたりするんじゃねぇの。知らんけど、たぶん」
悪いが俺にはこういう役柄はどうしても不向きである。そもそも葉山になりきること自体が土台無理な話だ。
「じゃあ、これって、せんぱいの意志じゃないんですね、、、、」
突然一色の表情が硬くなる。まるで何かに取り付かれたように。
「当たり前だろ。俺がそんなこと思いつくわけがない。」
「じゃあ、せんぱいは、何で、私をここに連れて来ようと思ったんですか」
決まってる。一色と同じ気持ちになりたいからだ。同じ時間、同じ体験を分かち合って少しでもお前のことを多く知りたい、お前とずっと一緒にいたい。自分自身の気持ち悪さもおこがましさも理解はしている。でも、それでも、お前のことが好きなんだ。
「葉山なら無難にこういうとこ選ぶんじゃないかと思ってな。だから、別に、俺の意志はない」
今日なら行ける気がする。いつも、逃げてばかりいた。自分の気持ちを押し殺して、嘘をついて、ただ怖くて逃避していただけなんだ。でも、今は違う。すまんな一色、今日だけだ。今日は俺の思いも少しだけ言葉にして。
「けど、別に適当にかんがえ「せんぱいは私のことなんて何一つ考えてなかったんですね!!」」
思わず思考が停止した。
一色は顔に涙を浮かべ、こちらを睨み付けている。それが、嫌悪からなのか、憎悪からなのかどうかは分からないが、それが喜びや感謝などとは到底かけ離れたものだということだけは俺にも判断することはできた。
静かな空間に一人の少女の怒りとも思える俺に対する叫び声が店内にこだまする。こんなはずではなかった。俺の今日の予定にこんなマイナスな感情が入り込む余地などないはずだった。
「わたし、もう帰ります。お金はここに置いておきます。」
彼女はそう一言だけ告げると足早にその場をあとにする。『引き止めろよ!!』心の中で誰かが俺にそう囁いた気がした。けれど、あまりにも唐突な出来事に為す術もなく、ただただ彼女の後ろ姿を見つめる事しかできなかった。
恋とはいつも苦しみと喜びの狭間に存在する。
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四話
柄にもなく感情を露にしてしまいました。
いつもの私はこれほどまでに自己管理能力が無い女の子ではありません。怒鳴るつもりなんて毛頭ありませんでした。あざとくてかわいいそんな女の子を演じるつもりでした。
けれど、せんぱいが自らの意思で選ばずしたデートコースというレールの上を歩くのが気持ち悪く、思わず逃げてしまいました。せんぱいはあんな私を見て何を思ったのでしょうか?
ワガママだと感じたでしょうか?嫌悪を感じたでしょうか?
いずれにせよ、気持ちがいいものではなかったことは確かです。
本当に取り返しのつかないことをしてしまいました。
秋の酷しい風が疲弊した心に追い討ちをかけるように吹き付け、私を戒め、罰を与えるかのように心と体の体温を奪っていく。
依頼をしたのは私なのに。せんぱいはそれにただ従っただけ。悪いのはもちろん私で、せんぱいのミスなんて何一つない。
今までだって、どんな時でも私を助け、困った時は王子様のように駆けつけるそんなせんぱいに、私はいつもすがっていた。欲しいものは何でも手のひらの上に届けてくれる。私はそれを黙って握りしめるだけ。まるでサンタクロースのような存在。願ったものを何でも届けてくれるせんぱいはもう私の心の中にはいない。
日が傾き、風の強さが増し、寒さがより一層際立つ。こんな日に限って私を家まで送ってくれるせんぱいはいない。温かくて優しい大きな背中。寒いからと嘘をつき、離さないようにと必死にしがみついた、いつかのせんぱいとの帰り道を思い出した。
「さむい、、、、、」
思わず出た言葉は秋風と共にかきけされ、私のぽっかり空いた心を容赦なく締め付けていく。長くあてられた、か弱い私の体は芯まで冷えきり、せんぱいがいない一人きりの帰り道がこれほどまでに苦しいものであったことに驚きを隠せずにいる。当たり前の日常が消えてしまう日々を私の幼い心は想像することさえできずにいた。悲しみと悲嘆が入り交じるこの感情をどう表現すればいいのかさえも分からず、独り寂しく怯え、耐えることしかできませんでした。
お願い誰か助けて、、、、、
「やあ、いろは、こんなところでどうしたんだい」
弱った私に優しく声をかけてくれたのはいつものせんぱいではありません。
葉山先輩は、そう一言告げると私の首にマフラーを巻いてくれました。私の心と体を締め付けていた痛みが少しずつ紐解かれていき、妙な心地よさが体中を駆け巡っていきました。
「ありがとう、、ございます、、、、」
せんぱいではないかと刹那期待をしてしまいましたが、今の私にはそんな事を言う資格などありません。本当にワガママな女の子ですね。
「どうか、したのかい?顔色が悪いね」
きっとこの人は悪意というものを知らないのかもしれません。それほどまでに美しく清らかな心を持っています。だからこそ、誰もがこの温かさを求めて、依存してしまう。けれど、それでは私の存在意義は?
優しさなしでは生きてはいけない、私はいつから脆弱で未熟な女の子になってしまったのでしょう。
私がせんぱいに求めたぬくもりは私が作り出したただの幻想、決してせんぱいが求めたぬくもりとは似ても似つかないおぞましい何か。
「実は、、、、」
私は心中の想いをすべて彼に打ち明けてしまいました。
「なるほど、君は自分の願いに嘘をついているんだね。」
願いに嘘?
「彼と共に歩むべきレールからはずれ、自らの望まないイバラの道を歩こうとしている。それはいろはが本当に欲しいと思った本物とは違う気がしないかい?」
本物。それはせんぱいが欲しがったもの。たとえ努力を積み重ねても、存在するかどうかさえも分からない虚構の願望。せんぱいですら手にいれることができないものを私なんかが求めていいはずがない。
「けれど、せんぱいのレールの上を歩くのは、、、、私じゃ、、、」
「じゃあ、いろはが変えてしまえばいいんだ。自身が望んだレールではないのはいろはがそれを望んでいないからだよ。」
私が?そんなはずはありません。この人は明らかに間違っています。
「正直に生きていくことは恐ろしい。その恐怖は誰にだってあるものだよ。けれど、恐れて行動しないことは、同時に自らの希望を投げ捨てしまうことになる。」
理屈ではわかります。しかし、私じゃ勝ち目がありません。本物が分からない私は、彼にそれを与えることはできません。勇敢と無謀は全く別のものです。
「いろはならきっと、彼の本物になることができるはずだ。彼が望んだレールの先にはきっと君が立っているはずだよ。」
なぜ彼はこれほどまでに全てを理解したように諭すのでしょうか。
「欲しいものがあれば願ってもいいんだ。たとえ道を踏み外したしても、また一からやり直せばいい。もがき苦しみあがいて悩むんだ。そうでなくては本物じゃない。」
彼には私が本物を手にすることができると分かっているのでしょうか。
私の願いはせんぱいと共に道を歩むこと。
それにはせんぱいともっと深く関わらなければいけない。あなたの本物になるために私はあなたと一緒に居たい。そんな儚い想いを心に秘め、また一歩ずつ歩みを進める。
「いろは!!!」
葉山先輩が叫び声を上げたのは、私が赤信号で交差点に飛び込もうとした為です。不注意とはいえ一歩間違えれば、命の危険さえありました。
「願いを叶えるんじゃなかったのか!」
「ごめんなさい」
突然のことではありましたが、結果として葉山先輩と抱きあう形になってしまいました。けれど、不思議なことに以前のような妙な胸の高鳴りはありません。
「す、すまない!!」
葉山先輩も事情を察したようで、すぐに私から後ずさりをしました。
「いえ、、、、ありがとうございました」
「事故には気を付けて、それじゃ、俺は帰るよ」
ほんの少しの間とはいえ、葉山先輩が私を抱きしめるなんて昔の私であれば喜びできっと夜も眠れなかったことでしょう。
もし、こんなところをせんぱいにでも見られたらと思うと少し怖くなってしまいました。早くお家に帰るとしましょう。そうして私が交差点の向かいに目をやった時、
「えっ?何で、、、、」
その向かいには独り悲しげな表情をしたせんぱいが立っていました。
「っ!」
せんぱいは私と目が合うと我を忘れたかのように走り去っていきました。
まさか、見られた?
「せんぱい!待って!!」
私は必死になってせんぱいを追いかけました。しかし、乙女の私が叶う相手では当然なく、どこかへと姿を消してしまいました。
私の行く先にはいつもせんぱいがいます。柔らかな表情で私に手を差し伸べてくれる。けれど、今はもう、、、、
私の願いは、もう届かない、、、、、
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五話
寝ていました。起きました!!!
何で、、、俺じゃ、、、ダメなんだ、、、
いつもの帰り道
いつもと違う帰り道
景色は普段と何一つ変わりはしない。
変わったのは俺の中の心模様だけ。キラキラと光が差すそんな温かな、鮮やかな日常がとたんに灰色へと変化を遂げる。
木々の色、風景、風の音、すべての今見えるモノトーンの景色は姿、形は同じでも全く別世界であることを俺はこの時はじめて知ったのであった。
「俺と、、、代わってくれよ、、、、」
力強く握り込めた拳は血が滲みそうなほどに赤ばんでいた。
鼓動は次第に速さを増していき、俺には感情が存在していたことに気づかされる。
俺は間違えたのだ。間違え続けたのだ。
正しいと思い込んでいた解もいとも簡単にかき消されてしまった。絶対的な強者には立ち向かうこと事態が無謀なのかもしれない。
『押してダメなら諦めろ』
俺の座右の銘だ。
けれど、諦め切れなかったのだ。体が、鼓動が、指先が。全身が俺に訴え続けてきたのだ。
俺が望む本物が何なのかを。
何度答えを出し続けたところで彼はすべてを否定する。努力も今まで必死に積み上げてきた僅かな希望も彼の前では無力みたいだ。
大したものは望んでいないはずだ。別に世界征服がしたいとか世界中の財貨を我が物にしたいとか、そんな大それたことは何一つ望んじゃいなかった。
いつだってそうだったはずなんだ。
俺はただ普通の幸せが欲しかったんだ。学校で友達がいなくとも、人々が俺を蔑んでいたとしても、、、
ただ、、彼女の笑顔を、、俺が、、、
「なんで、、、、くそっ、、、」
脳が理解をする前に、感情というなの雨が自らの足元に降り注ぐ。
その雨粒が次第に地面を濡らし、この雨粒が俺の思いのすべてを言い表していた。
ただ隣にさえ居てくれれば何てものはきっと嘘だ。それならばなぜこんなにも俺は感情的になるのか。
彼女が笑ってくれさえすれば、、、そんなものは自分を騙す為の建前に過ぎない。きっとそれは欺瞞なのだ。必死に取り繕って、隠して、無いものにして、今の今まで自分すら裏切っていたのだ。
一番の裏切り者はきっと俺だ。
自分の儚い願いすら叶えられないような未熟者だ。嘘つきだ。
嘘つき、嘘つき、嘘つき。
誰かがそうささやく。お前は嘘つきだ。自らを否定し、騙し、本当の気持ちを捨てきれなかった臆病者だと。
悴んだ指先が震えている。俺の心も震えている。
「やっぱり、、、、俺、好きなんだ、、一色のこと、、」
俺は彼女の心の中には居てはいけないんだ。
二人で歩いた帰り道も、共に過ごした日々もすべては俺の中だけの思い出。
一色に好きと言えたらだなんて、そんなことを思い出した。
心のなかで何度も練習した告白の言葉達が頭の中をぐるぐると回る。なんだか懐かしい気がする。
みじめで、恥ずかしくて、こんな俺に笑いかける彼女の笑顔が幾度となくよみがえる。
いたずらな笑顔、あざとい笑顔、かわいい笑顔、、。
本当の気持ちを伝えたいけれど、俺は弱虫だから。
君を目の前にすると足元がすくんでしまうんだ。
ごめんね、一色、、、
こんな俺でごめんなさい、、、、
終わりが見えていると分かっているから、かなわない恋だと知っているから、、、
だけど、俺は君に恋をしたんだ。
俺がもしも君を忘れてしまえたなら、俺はもう二度と恋をすることはないのかもしれない。
俺には君しかいなかったんだ。
君が俺のすべてだったんだ。
このままで俺は本当に心から幸せだと言えるのかな。
それでも俺には一歩を踏み出す勇気がないんだ。
俺を押さないで、このままでいいから。
無理をさせないで、もう悲しい想いをさせないで。
必死に我慢してきたのにもう耐えられなくなってしまう。また泣きそうだ、崩れ落ちそうだ。
俺はどうすればよかったの、、、、もう、、無理だよ、、、、、。
だって、、、、、
俺の目の前には抱き合っているお似合いの二人がいたんだから。
「えっ?何で、、、、」
あなたの側に居れたらいいな、、、、
好きだよ、、、一色、、、。
ありがとう、言えたよ、俺、ちゃんと伝えられたよ、、、。
でもね、ごめん、、、俺、もう頑張れないや、、、、、
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