Fate/Zero:IF (フリーズ)
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始まりの問答

 

第四次聖杯戦争。

異物が入り込んだ、曰く万能の願望器とも言い難い杯を求めて争った、七人の魔術師の闘争。

 

アインツベルンが雇った、理想を遂げるにはあまりにも優しすぎたフリーランスの元魔術師殺し。

 

時計塔より、己の集大成たる成果を挙げんと果敢にも身を踊らせた稀代の講師。

 

愛する者のためにこそその命を費やした一度は魔道の道を外れた落伍者。

 

師をも騙し討ち、長らく不明瞭であった己の本質を理解せんとした聖職者。

 

その秘めたる才能を誰にも理解されず、自らも知らぬ内に理解者を求めていた青年。

 

常に余裕を持って優雅たれと振る舞い、遂にはその教訓に身を滅ぼされた生粋の魔術師。

 

度の外れた芸術を求め、己の美学を語らい合う師をも得た現代の悪魔さながらの豹。

 

 

彼らは万能の願望器たる聖杯を求めて相争った。

聖杯を求めていない者ですらも、その戦争の本当の意図を理解していなかった者ですらも、己の理想に従うがままに肉体を費やした。

 

 

だが何も、第四次聖杯戦争の着眼点は彼らのみではない。彼らが召喚した超常の現象体たる英霊、即してサーヴァントも、極めて列強揃いであった。

旧ブリテン……イギリスを納めたとされる彼のアーサー王伝説の王たる、ユーサー・ペンドラゴンの嫡子たるアルトリア・ペンドラゴン。

 

北欧にて名を轟かせた、フィオナ騎士団が一番槍、黒黒子と魔貌を持ち合わせてしまった悲劇の勇士、ディルムッド・オディナ。

 

彼のアーサー王に仕え、あまつさえその妻を寝取った裏切りの騎士、湖の騎士……その逸話が故に、狂化の可能性を秘めていたランスロット。

 

名も知れぬ暗殺教団、ハサン・サッバーハのいつかの頭首、百の人格を持つとされた間諜の英霊たる百の貌のハサン。

 

マケドニアの覇王の名を轟かせ、バビロンに於いて帝国を三つに再編成させた、トロイア戦争の英雄に憧れた征服者たるイスカンダル。

 

人類最古の王とされ、天上の財宝を収集した王の中の王、神が差し向けた兵器を唯一の朋友としたバビロニアの英雄王、ギルガメッシュ。

 

フランスの英雄ジャンヌダルクを慕い、その悲惨たる顛末を見届けたが故に狂気に堕ちた元騎士たるジル・ド・レェ。

 

彼ら七人のサーヴァントは、生前に満たせなかった未練を叶えるために、一時的に己の召喚者たるマスターに協力した。

相互理解がどうあっても不可能であった者も、マスターの罵詈雑言を一身に受けながらもなお騎士道を貫こうとした者も、新たな臣下に己が覇道をしかと刻み付けた者も……皆が、敢然にも矛を交えた。

 

一つの選択が命取りとなった佳境。

これは、その選択を違えた話である。

 

 

■■■■

 

 

「君の右腕に宿ったその刻印。それは、サーヴァントを統べるべく与えられた令呪に他ならない」

 

 

サレルノの地に呼び出された聖堂教会の聖職者たる言峰綺礼の眼前で、赤一色の礼服に身を包んだ男が、片手にグラスを携えて断言する。

 

「……まだ信じられんかね。自分がサーヴァントを統べるべく選ばれた七人のマスターの内の、一人であると」

「えぇ、俄には。七人のサーヴァントが、この世に再来するなどとは、到底思えません」

 

心此処に在らずといった風体で佇立する綺礼に、西洋染みた風格の遠坂時臣は問う。

綺礼は歯切れ悪く応える訳でもなく、時臣の問いに即答した。

 

「それも当然だろう。……だが、聖杯の奇跡とやらは本当に存在する。

現に、サーヴァントの召喚に於ける魔力リソースや霊脈、令呪の発生もすべて、聖杯の奇跡によるものだ」

「では、遥か遠方の地で発生する、聖杯戦争についても同様と?」

 

ワイングラスを振り、時臣は聖杯の奇跡について淡々と語り連ねる。

だが綺礼は納得がいかず、折り返し聖杯の奇跡とやらについて訊ねる。

 

それも当然であろう。

……本来、言峰綺礼が所属する聖堂教会は、魔術協会と対立関係にある。

それに、魔術師も教会の聖職者……特に代行者を警戒している以上、此方も魔術師を警戒して然るべきなのだ。

故にこそ、魔術師との面談……それも、父親からの要請とあっては、殊更に異例だった。

 

「勿論だとも。アインツベルン家と間桐家……そして、遠坂家の始まりの御三家が選んだ場所こそがそこなのだからね。

だが、アインツベルンと間桐の両家は既に、本来の魔道の心理の追求と言う目的を忘れてしまっている」

 

時臣は珍しくも感情を表に露見させた。

自慢のワイングラスを割りかねんばかりの力を籠め、憤慨と落胆の念を全面に押し出す。

その時臣の横顔を、老衰でしゃがれた重低音が咎める。

 

「時臣君。そろそろ頃合いだ」

「……そうですね。綺礼君、ここに君とお父様を呼んだ理由は他でもない」

「綺礼、ここまでの話はすべて、聖杯戦争を巡る表向きの事情に過ぎん。今日、こうして儂がお前と時臣氏を引き合わせた理由は他にある」

 

そう嘯いた父、璃正の表情は、堅物の父にしては珍しいほどの微笑であった。

 

「実のところ、冬木に顕現する聖杯が神の御子の聖遺物でないという確証は、当の昔に判明している。

……だが、冬木の聖杯は聖遺物ではないにしろ、力が強大すぎる。どんな輩の手に渡って、邪な願望を叶えられるかも知れない」

「……成る程。ならば、私は時臣氏を勝利させる目的で、第四次聖杯戦争に参加すればよいのですね?」

「そういうことになる。……しかしながら、我々は表向きには敵同士。だが敵同士に立ち振る舞えど、水面下で共闘し、残る五人のマスターを駆逐し、殲滅する」

 

 

時臣は事務的な口調で、璃正に代わって話を進めていく。傍らで侍りながらも厳かに頷く璃正にも、厳粛とした風格の奥に、満足の色がありありと窺える。

 

「要するに……綺礼君。君には転身という形で、聖堂教会から魔術協会へと転属し、私の従弟となってもらう」

 

時臣の言葉に困惑する綺礼に先んじて、璃正は手元にあった書簡を差し出す。

手際の良さに感嘆を通り越して呆れを覚えるものの、綺礼は大方の筋を理解した。

 

「教会から協会への転属が故に疑われると思っているかもしれないが、それは魔術師の世界では日常茶飯事だ。然して気掛かりにする者はいまいさ」

「ああ、成る程」

 

言葉を継いで足した時臣は、したり顔で綺礼を見据えるや、締め括りとして尋ねる。

 

「ひとつだけ。ーーーーマスターの選抜をする聖杯の意思というのは、一体どういうものなのですか?」

「聖杯はより真摯にそれを必要とする者から優先的にマスターにするが……ああ、成る程。

過去に聖杯を求めない者がイレギュラーとして令呪を宿した例がある。

綺礼君、君はまだ自分が何故選ばれたのか不可解なんだね?」

 

 

時臣が見え透いたかのように尋ねる。

綺礼も無言の首肯で応じる。が、その直後に時臣から発せられた考察は、果たして生粋の魔術師さながらの言葉であった。

 

「聖杯は既に私を選んでいて、遠坂に令呪を二つ与えるべくして、君というマスターを選んだ。……これで説明にはならないかね?」

「……」

 

この数分の問答に於いて、綺礼は遠坂時臣という人間の人格を理解した。

時臣には、持ち前の尊大な自信を何ら疑わせることがないほどの貫禄を持ち合わせている。

……故にこそ、彼は自らの発言や行動に何ら疑念を持つことはない。

 

綺礼はこの問答で求められる回答以上が出ないと結論付け、質問の内容を変えた。

無論、内心で出た落胆の念は包み隠している。

 

「日本への出立はいつに?」

「私は一旦イギリスへ寄っていく。ロンドン時計塔に用事があるのでね。君は一足先に日本へ向かってくれ。家の者には伝えおく」

 

 

そう言った時臣は、璃正に一瞥をやった。

 

「……綺礼、先に戻っていなさい。儂は時臣氏と少し話がある」

 

父の言葉に恭しく頷き、綺礼は黙礼するや、一人で部屋を辞していった。

 

 

 

 

「サーヴァント……聖杯、万能の願望器。それならば、或いはーーーー」

 

九十九折りの道中で綺礼は、先程の問答を思い返していた。

身をやつすことのなかった魔道の世界。その中であれば、或いは自分が真に求めているものの答えが見つかるものではないかと。

 

中腹に差し掛かった綺礼の足取りは、まったく乱れることのない整調かつ淀みのない歩方。

だが果たして、当の綺礼ですらも気付かぬ内に、邪な笑みが口許を歪めていた。

 

 




初の投稿ですので、色々と抜けているところがあるかもしれませんが、原作の色々な選択肢の場面を違った選択にしようと考えております。
例えば、某おじさんの救済問答や某英雄王の問答など……ガバガバ設定になること間違いなしですが、何卒よしなに。


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2話

 

代々純血を誇ってきたアインツベルンが新たなる婿養子として一人の魔術師を迎え入れたという話は、既に広まりつつあった。

その者の名を……衛宮切嗣。

かつて魔術師殺しの衛宮という悪名が広まったのも偏に、その暗殺方法によるものだろう。

 

公衆の面前での爆殺、標的が乗り合わせただけで旅客機ごと墜落。

だが果たして、衛宮切嗣を深く知らない者たちには知る由もない。

それが、如何に苦渋の選択であったのかを。

 

■■■■

 

「……」

 

アインツベルンの当主たるアハト翁の呼び出しを受け、切嗣とその妻、アイリスフィール・フォン・アインツベルンは、古城のなかで最も壮麗かつ暗鬱な祭儀の間に膝を付いていた。

 

恭しく頭を垂れながらも、切嗣は頭上のステンドグラスに一瞥をやる。

だがそのステンドグラスは聖者やら神やらの絵姿を模しているのではなく、聖杯を求めて彷徨し続けたアインツベルンの歴史であった。

始まりの御三家に於いても、アインツベルンの聖杯への歳月は最古だ。

故にこそ、交わりを頑なに絶っていた外交を、この第四次聖杯戦争の時を経て開いたのだろう。

 

そして、此度の秘密兵器として迎え入れられたのがーーーー今はなき硝煙と煙草の匂いを懐かしむ、黒コートの衛宮切嗣だった。

切嗣は知っている。この古めかしき生粋の魔術師たるアインツベルンが、限界まで妥協して自分を迎えたことを。

 

「かねてよりイギリスのコーンウォールで捜索させていた聖遺物が、今朝ようやく届いた」

 

氷結しきった氷を連想させる白髭と白髪を蓄えながらも、衰えをまったくに窺わせない強烈な眼光を持ち合わせるアハト翁が、眼下の切嗣を睥睨しながらも言った。

切嗣は以前から、この妄執の塊たるアハト翁を辟易している。

さながら、地獄に入り浸る悪鬼のような妄執は、およそこの世界に受け入れられるものではあるまい。

 

「この品を触媒とすれば"剣の英霊"としておよそ考えうる限りの最強のサーヴァントが降臨する。

切嗣よ、これはそなたに対するアインツベルンの最大の援助と思うがよい」

「……痛み入ります、当主殿」

 

固く無表情を保ったままに、切嗣は礼辞を述べる。

 

「今度ばかりはただの一人たりとも残すな。六のサーヴァント総てを殲滅し、必ずや第三魔法、ヘブンズフィールを成就せよ」

「「御意に」」

 

アハト翁の至上命令に、切嗣とアイリスフィールは端的に了承の意を伝える。

だが切嗣は、内心でほくそ笑んでいた。

それだけでは終わらせないと。

必ずや、己の悲願を成就させると。

 

 

 

斯くして鬱劫な面談を終わらせるや、切嗣は援助たる聖遺物を検め始めた。

 

「傷一つない。これが、何千年も前の遺産だって?」

「これ自体が一種の概念武装ですもの。物質として当たり前に風化することはないでしょうね」

 

傍らに侍るアイリスフィールが、僅かながらの疑念を懐いた切嗣に答える。

しかしながら、切嗣が着眼しているところは他にある。剣の英霊……アハト翁は、この伝説の鞘を触媒とし、最優の英霊たるセイバーのクラスを召喚せんと目論んでいる。

 

「……」

「もしかして、まだアーサー王との関係に思い悩んでいるの?」

 

黙したままの切嗣の考えを察したのか、アイリスフィールは微笑を浮かべながらにそう尋ねる。

確かに、アイリスフィールからすれば、英霊とマスターの関係は些事と思えるかもしれない。

だが、衛宮切嗣からしてみれば、これ程までに厄介なことはなかった。

 

「当然さ。僕以上に、騎士道精神とやらに遠ざかった奴はいないぜ?

きっと僕は、彼のアーサー王とは相容れない関係になる筈だ」

「初めから諦観していても仕方がないじゃない。貴方の理想を知れば、きっと彼も理解してくれる筈だわ」

「……どうだか」

 

アイリスフィールの助言も空しく、切嗣は既に、これより来るセイバーとの関係を諦観しきっていた。

騎士道精神……そんなものが当時の戦争で通っていたのならば、切嗣はきっと生き残れていまい。

 

ーーーーと、そんな益体もない感慨に耽っていた最中で、切嗣は召喚の呪文の一節を思い返した。

 

「……されど汝はその眼を混沌に曇らせ侍るべし。汝、狂乱の檻に囚われし者。我はその鎖を手繰る者――」

 

切嗣が口を衝いて呟いたその詠唱は、来る英雄を無理矢理に狂化の属性を付与させる、禁忌の呪詛であった。

アインツベルンは代々に渡って、狂気の英雄たるバーサーカーを従えていたらしいが……何故、ここにきてセイバーを選ばせたのか。

いずれにせよ、アインツベルンが過去に何らかの失敗をしたが故に、此度は最優のセイバーを選んだ。

 

「切嗣……それは、サーヴァントに狂化の属性を付与させる詠唱よね?今さらになって何でーーーー」

 

切嗣の独り言を耳敏く聞き咎めていたアイリスフィールが、怪訝そうに尋ねる。

だが切嗣は、そこで確信を持った。

 

「アイリ、策が閃いたよ。……今回の聖杯戦争で、確実に勝利をもぎ取る策が」

「まさか……狂化を?」

「……君がこの詠唱を眼中にも入れていなかったということは、アハト翁もまた同様だろう。

だが遠坂や間桐の連中は思う筈だ。また性懲りもなくバーサーカーか、と」

 

能面な彼にしては珍しい微笑を浮かべつつも、切嗣は淡々と策を語り連ねる。

 

「だが僕らが召喚するサーヴァントは、およそ考えうる最強のサーヴァント……それにバーサーカーともなれば、その力量は果てしなく強化され狂化されるだろうさ。

それこそ、どのサーヴァントも応じられない程にね。ランサーやセイバー、アーチャーの三大騎士クラスなんて目じゃないさ」

「でも、それが大お爺様に知られたら、どうなるの?」

「大丈夫さ。僕たちはサーヴァントを召喚次第、直ぐに日本へ旅立つ。城に居るイリヤは、どんな魔境になっていようが僕が助け出す」

 

胸ポケットに仕舞ってあった携帯電話を取り出し、切嗣は何者かと通話を始める。

アイリスフィールは知っている。あの眼をした切嗣は、例え自分であろうとも、止められるものではないと。

故にこそ、一抹の不安を抱きつつも、祭壇に置かれた至宝の鞘を憐れみの眼で見据えた。

 

彼はきっと、望まざる狂化に晒されてしまうのだろう。その怒りも、その悲しみも……全て、マスターたる切嗣が背負わねばならない。

切嗣はアイリスフィールが知っている以上に弱い人間だ。

アイリスフィールはその苦しみをせめて癒さんと、常に傍らで肯定せねばならない。

 

「手配は済んだ。……後は荷造りだね。アイリ、早速にでも取り掛かろう。

無論、アハト翁には悟られない程度にね」

「切嗣、私は貴方を信じてるわ。絶対に、世界の救済をその手で掴み取って」

「ーーーーあぁ」

 

虚ろな双眸を一瞬、揺らめかせながらも、切嗣は祭儀の間から退室していく。

その後続を歩みつつも、アイリスフィールは、愛する夫の奇策に信頼を寄せていた。

 

 



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3話

 

長らく留守にしていた落伍者が、忌避していた実家の門前に足を止める。

その理由はただ一つ……愛していた人の、愛娘を救出するため。

人並みの幸福を求めるなんて間違いだ。その言葉のどこが、本心から言ったものだと言うのか。

だがそれを考えるより先んじて、落伍者の怒りの矛先が向けられた。

 

陰湿なことこと上ない古屋敷に、二度も訪れまいと……そう決意していた間桐雁夜は、今一度、門前を叩いた。

 

 

 

■■■■

 

 

 

時は遡り、冬木市の公園。

 

「葵さん」

「……あぁ、雁夜くん」

 

雨避けの屋根の下に位置する連接ベンチに腰掛ける遠坂葵に、出張から帰ってきた間桐雁夜が辿々しく声を掛ける。

……恐らく雁夜は、如何なる人混みであろうとも、遠坂葵を見間違うことはないだろう。

 

だが雁夜は、あの日、遠坂葵と結ばれなかった……否、結ばれることへ懐疑していた。

そして、雁夜ではない葵の夫。遠坂時臣に対して、雁夜は嫉妬しながらも、その事実を認めざるを得なかった。

愛していた者の幸せを願うならば、彼以上の見合う男はいまいと。

 

そう結論付けたあの日から、雁夜は葵との会話が続かなかった。

だからこそ、話しやすい相手を見つけ出す。

戯れる子供たちの中にーーーー居た。

 

「凜ちゃん」

「あ、雁夜おじさん!またオミヤゲ持ってきてくれたの!?」

「これ凜、行儀の悪い……!」

 

黒髪を二つに結った少女、遠坂凜は、年相応の遊戯にはそぐわず、少しませた趣味をしていると雁夜は熟知している。

故にこそ、雁夜が選び抜いた大人びたブレスレットに、凜は双眸を煌めかせる。

 

「わぁあ……雁夜おじさん、ありがとう!」

「凜ちゃんが気に入ってくれたのなら、おじさんも何よりだ。

……桜ちゃんは?」

 

途端、凜の綻びの破顔は虚ろな能面に切り替わった。

雁夜が懐から取り出した、凜と御揃いのブレスレット。それを渡すべく少女の居所を聞くや、凜は冷徹な声音で事情を知らぬ雁夜へ言った。

 

「桜はね、もういないの」

 

そういって、戯れる子供たちの中に舞い戻っていった凜の矮躯な背を、懐疑の眼で見据えて……雁夜は傍らに座る葵へと訊ねた。

 

「……葵さん、一体どういうことだ?」

「桜はもう、私の子ではないの。……あの子は、間桐の家に行ったわ」

 

 

"間桐"。

その名を聞くや、雁夜は声を荒げて質した。

 

「なんで……なんでその名前が!?」

「間桐が正式な素質を持った魔術師の子を欲しがる理由、貴方なら分かるでしょう?

それに、これは遠坂の当主が決定したことよ。私が口出しできることじゃない。魔術師の妻が普通の幸せを求めるなんて、間違いよ」

 

葵は事務的な口調でそう告げるや、瞬時、まるで雁夜を卑下するかのような眼を向ける。

だが雁夜はそれに気付く由もなく、葵を叱咤した。

 

「嘘だ!君は、君は本当の幸せを求めていた筈だ!だからアイツと……」

「これは、間桐と遠坂の問題よ。魔道の道を諦めた貴方には、関わりのない話」

 

雁夜にはもう、反論の余地がなかった。

……それも、これは二度目だ。

何故、ここでその言葉が言えないのか。

『それでいいのか』と。

 

それきりに黙りこくった雁夜へ、葵は元の微笑を取り戻す。

 

「もし桜に会ったら、仲良くしてあげて。……あの子、雁夜くんには懐いていたから」

 

尊き日々が音を立てて崩れてしまったのは……その日からであった。

 

 

 

「落伍者が……もう二度とその面を儂に見せるでないと、確かに言っておった筈じゃがな」

「遠坂の二女を迎え入れたそうだな」

 

実家の広間に入るや、眼前には、殺意以外の何物も持たなかった父親が佇立していた。

目は窪み、禿頭になり果ててなお、その妄執に歪んだ眼光は衰えを見せない。

 

「ホォ、情報が早いの。じゃが、魔道の道を外れたお主にはもう、関わりのない話じゃ。そもそも元はと言えば、お主が正式に間桐の魔術を受け継いでいれば、このようなことにはならなかったというのに、お前という奴は……」

「御託はやめろよ、吸血鬼。アンタはアンタ自身の不老不死のために聖杯を求めているだけだろう」

「呵呵ッ」

 

間桐臓硯は、雁夜の指摘を一笑に伏し、淡々と事情を説明していく。

 

「確かに間桐からは第四次聖杯戦争に出せる駒がいない。お主ならまだしも、弟の鶴夜めは素質がない。

ついちは、鶴夜めの子には素質が持たずに生まれてしまった。……ならば、今回の聖杯は諦め、次回の聖杯戦争に賭けるか……そういう結論に至った儂にとって、遠坂の二女は正に天恵じゃった」

「……取引だ、間桐臓硯」

 

しゃがれた声音で語る臓硯の言葉を遮り、雁夜は冷ややかに言い放つ。

 

「俺が今回の聖杯戦争で聖杯を持ち帰ってやる。それと遠坂桜の身柄を引き換えにしろ」

「呵呵ッ。今の今まで何の鍛練も積まなかった落伍者に、一体なにを期待しろと……」

「それが出来る術が、アンタにはあるだろ」

 

雁夜の背後に回った臓硯が眉をひそめる。

 

「ーーーーヌゥ?」

「俺に刻印虫を植え付けろ」

「雁夜……死ぬ気か?」

 

臓硯の秘伝の魔術……即して間桐の魔術は、題材的に虫を使い魔として扱う。

その異端さや恐ろしさに関しては、雁夜がもっとも理解している筈だ。

 

「まさか、心配だとは言わないよな。お父さん。間桐の問題は間桐で解決する……部外者を巻き込んでたまるか」

「……呵呵ッ。良い心掛けじゃ。が、部外者を巻き込まないのだったら、些か遅すぎたようじゃな、雁夜」

「ーーーーッ!爺、まさか!?」

 

 

雁夜は臓硯に連れられるがままに、二度と目にしまいと決意した蟲蔵へと踏み込んだ。

果たして、暗闇に支配された蟲床の中央に、雁夜は見慣れた少女を見咎めた。

 

「桜ーーーーっ!」

 

眼下に夥しいほどに群れる蟲が、少女の体を蝕む。雁夜は堪らず防護フェンスを乗り越えて飛び込もうとするが、その背を、臓硯が呼び止めた。

 

「さて、どうする。頭から爪の先まで蟲どもに犯され抜いた壊れかけの小娘一匹……それでも助けたいというのならば、考えてやらんでもない」

「異存はない」

 

先程の提言に臓硯が釘を刺すが、雁夜は意に介すこともなく、即答する。

その無様さと滑稽さに憫笑しながらも、臓硯は陰鬱に言った。

 

「あぁ、じゃがな。儂の期待はあくまでも次次回の聖杯戦争よ。お主が聖杯を持ち帰るまでは、桜の調教は続けさせてもらう。

……じゃが、万が一にもお主が聖杯を持ち帰った場合。応とも、それならば小娘は用済みじゃ。アレの教育は一年限りで切り上げてやる」

「異存はないな」

 

返答の代わりに木霊した憫笑が雁夜の耳を聾する。

だが雁夜はそれを気にかけることなく……眼下で数百万を越える蟲に身を投げ出した虚ろな少女へと、決意と慈愛の眼差しを向けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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4話

 

ロンドン時計塔。

その降霊科の講師たるケイネス・アーチボルト……またの名をケイネス・エルメロイが、初歩的かつ大前提となる理論を、大衆の前で論じる。

 

「魔術の世界では、血筋によってその才能が大方決定してしまう。魔術の秘蹟は一代でなせるモノではなく、何代も時間を掛けてその秘蹟たる魔術回路を形成していく。

――――何故このような初歩的なことを説明するかというと、先日、一人の生徒が私の元に論文を届けに来た」

 

ケイネスは半ば苛立ち紛れにそう論じるや、懐から一つの紙束を取り出し、その表紙を甲で叩く。

 

「タイトルは新世紀に問う魔道の道だ。……この論文は今私が言った理論に一叱を投じるものだった。

これを読んで、私は正直思い知らされたよ」

 

それは、ウェイバーが構想三年、執筆一年に亘って手掛けた、最高傑作であった。故にこそ、それは理解されて当然の書類であり、断じて一蹴などされていい筈のない成果であった。

生徒のどよめきをさながら自らの成果のごとく酔いしれるウェイバーを、だがケイネスは尊敬の眼差しを送る訳でもなく、淡々と冷徹に見据えていた。

 

「静かに。――――はっきり言おう。ここに書かれている事は全て、ただの妄想に過ぎない。魔術の優劣は血統によって決まる。これは覆すことのできない事実である」

「――――先生!僕は、今の旧態依然とする時計塔に事実を述べただけで……」

 

動揺し思わず立ち上がったウェイバーを、ケイネスは侮蔑も露わに咎める。

 

「ウェイバー君。君の家はまだ、魔術の家系が三代までしか続いていなかったね。協会の長く続く歴史から見れば、君はまだ生まれたばかりの赤ん坊に過ぎない。

……親に抗議する前に、先ずは言葉を覚えるのが先じゃないかな?」

 

途端に感嘆を侮蔑に変えた生徒たちの憫笑と、その講師たるケイネスの双眸に堪え切れなくなったウェイバーは、怒りに身を任せたままに教室を辞していった。

 

 

大股に通路を歩み、ウェイバーは先のケイネスの言葉を思い出す。

 

「馬鹿にしやがって馬鹿にしやがって馬鹿にしやがってーーーー!あれが講師のやることか……アイツ、僕の論文を読んで嫉妬したんだ!だから皆の前であんなこと――――うわぁ!」

 

怒りのあまりに前方を見ていなかったウェイバーは、時計塔を巡っていた郵便物を届ける役を負った者の滑車と衝突した。

鈍痛とともに込み上げる焦燥に、ウェイバーは汗を流す。

 

「おぉ、ごめんね……あれ?君は降霊科の生徒じゃないか。何でここに?」

「あぁ……アーチボルト先生に頼み事をされて」

 

忌避していた質問に、思い浮かんだ答えを我武者羅に繋ぎ出す。

届け役は然して警戒も疑念も懐くことなく、ウェイバーの身の上の理由に納得する。それと同時に、届け役は思い出したかのように滑車を探るや、一つの小包を取り出す。

 

「なら丁度良かった。これをアーチボルト先生に届けてくれないか?」

「は、ぁ……?」

 

時計塔の掟に則って、届け役はケイネスの教え子たるウェイバーに、郵便物を手渡す。

だがウェイバーはそんな事も気に掛けず、郵便物の宛先に注視していた。

 

「頼んだよ。大事なものらしいから」

 

確認次第、滑車を進めさせた届け役に目もくれず、ウェイバーは宛先を呟いた。

 

「マケドニア……一体、なんでこんな場所から届け物が?」

 

最初に懐いたのは、懐疑。

だがその数舜後には、ウェイバーの疑念は晴れていた。

 

ケイネスが遥か極東の地にて、己の成果の集大成たるものを並べんと、ある催しに参加するという噂はかねてより時計塔内に広まりつつあった。

その名も――――聖杯戦争。

ウェイバーはその存在を確かめるべくして、書物を取り扱う時計塔の一角に踏み込んだ。

 

そして実に数時間の時を経て、ウェイバーは聖杯戦争の大方の事情を掴んだ。

聖杯戦争にはサーヴァントが必要不可欠で、更に才能も関係ない、完全な実力勝負であるものであると。だが、ウェイバーが如何にして聖杯戦争に参加したいと望もうが、サーヴァントを呼び出すための触媒がない。

……触媒がない状態で呼び出せば、己に最も近い性質の英霊が呼び出されると聞くが……自分と似たり寄ったりの英霊と戦いを共にするなど、あまり考えたくはない話だ。

 

そこでウェイバーは、先程の郵便物を思い出す。

ケイネス宛に送られた小包……この時期に届くものと言えば、確実にそれとしか考えられまい。ウェイバーはケイネスのことなど顧みずに、ただ欲望のままに包装を開けた。

――――その中には想像通り、サーヴァントを呼び出すべくして用意された〝触媒〟があった。

真紅の布切れ……だが、必勝を期すタイプであるケイネスが用意したサーヴァントともあれば、弱い筈がない。

ウェイバーの予想で思い当たる英霊は、たった一人。

その力量に期待し、胸を弾ませた。

 

 

嘶くして、ウェイバーは触媒と資金を揃えるや、直ぐに日本――――それも、冬木行きの旅客機に乗り込んだ。

だがウェイバーは何も恥じていなかった。如何にケイネスのモノを持ち出していようが、それはウェイバーにとって、良い仕返しにしかならない。

今頃ケイネスは大慌てでいることであろうと……内心でほくそ笑みながら、ウェイバーは冬木の街に降り立ったのだった。

 



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5話

 

冬木市遠坂邸にて、言峰綺礼は師たる時臣から急な召集がかけられた。

そして時臣の部屋に足を運ぶや、遠坂は歓迎の意を表すより先んじて、ある物を綺礼に披露した。

 

「今朝、漸く頼んでいた品が届いたよ」

「これは……?」

 

したり顔で言った時臣の横顔に、綺礼は問いを投げる。

 

「これは、この世で初めて脱皮した蛇の皮だ。……これがあれば、十中八九、期待する通りのサーヴァントが召喚できるだろう」

 

綺礼も、父たる璃正より聞き及んではいた。

時臣が召喚せんと目論んでいるサーヴァントは、間違いなく何れの英霊よりも格上の霊気であると。

原初の王ーーーー英雄王、ギルガメッシュ。

 

「ところで、この屋敷に入るところは誰にも見られていないだろうね、綺礼?」

「……はい、可視不可視を問わずして、この屋敷を監視している魔道具、使い魔の反応はありません。それはーーーー」

「ーーーーそれはこの私めが保証いたします」

 

時臣に訊ねられ、答える綺礼の言葉を、不意に傍らで揺らいだ空間より出でる影が継いだ。

 

「如何なる小細工を労そうとも……間諜の英雄たるこのハサンめの目を誤魔化すことは叶いませぬが故。どうか御安心下さりますよう」

 

そう宣誓して恭しく頭を垂れた、痩躯の髑髏面で貌を覆い隠した英雄。それは、綺礼が召喚したサーヴァントたる"ハサン"であった。

彼は綺礼を主として認めており、その師たる時臣にも、適切な礼節を取る。

 

「御安心下さい。英雄が召喚されれば、それは全て父の耳に伝わります。

現在、これほどまで早期にサーヴァントを召喚したのは、私一人かと」

「なるほど」

「……この場はもう良い。戻れ、アサシン」

「御意」

 

綺礼の命を受け、アサシンは退散していく。

 

「ーーーー兎に角、召喚の儀は今夜行う。……綺礼、君のお父様もご一緒して、またこの屋敷に来てくれ」

「父も、ですか?」

「あぁ。最強の英雄が君臨する瞬間。共に分かち合いたいからな」

 

綺礼は無言の首肯で応じながらも、取り立てて部屋を後にする。

 

……遠坂時臣の慢心癖は、今に始まったことではない。だが、聖堂教会に在籍する聖職者と、その父を呼び込むなどと……そのような愚行は、魔術師である者は到底しまい。

如何に協力関係を築いたところで、所詮はその場の関係でしかないのだから。

 

ーーーーと、部屋を辞し螺旋階段を下りる綺礼の眼下に映ったのは、矮躯にも拘わらず身の丈以上の旅行鞄を引き摺る少女の姿であった。

綺礼は微笑を浮かべながらも、その少女に歩み寄る。

 

「こんにちは、凜」

「……こんにちは、綺礼」

 

綺礼が歩み寄ると、不服そうな顔で少女は辞礼を述べる。……その態度は、明からさまな嫌悪であった。

だが綺礼は別段気にすることもなくーーーー否、むしろこの少女には、些かの好感すらある。

 

身の丈に合わぬ気品を持ち合わせんと直向きに努力する様は、綺礼と見ていて……心の内に沸き上がる未知の感慨に耽られる。

その感慨が如何なるモノかは知れないが、どのみち、ソレは綺礼が求むる感慨ではあるまい。

 

「お出掛けかな?」

「えぇこれから禅定の家にお世話になりますから」

「なるほど」

 

明らかな敵意を向けながらも。だが凜は毛嫌いすることはなく、綺礼と取り立てて平常で接する。

 

「綺礼、あなたを信じていいですか?」

「ーーーー?」

「お父様を最後まで守り抜くと……誓ってくれますか?」

「それは出来ない相談だ。そんな穏便な戦いであれば、なにも君や御母上を離す必要もあるまい」

 

凜からの唐突の問いに、綺礼は本心のままに答える。

その返答に凜は、ますますに機嫌を損ねていく。

 

「……私、やっぱりあなたのこと好きになれない」

「凜、そういう本心は人前で言ってはいけないよ。でなければ、君の父親の品格が疑われるからね」

「ーーーー!お父様は関係ないでしょ!?

いい綺礼、お父様に何かあったら、ただじゃおかないんだからーーーー」

 

凜の怒る最上をわざと言って、綺礼は少女の怒り様を内心で笑いながらも眺める。

だが直後、凜はその口をつむぐ事となった。

 

「凜、どうしたのそんな大声を立てて」

「あっ……これは、その……」

「お出掛けの前に、私を激励してくれたのですよ、奥様」

 

慌てふためく凜を、綺礼は先程の詫びとでも言わんばかりに助する。

だが凜はそれすらも悪意によるものだと理解し、母親の影に潜んで悪態をつく。

 

「言峰さん。どうか夫を頼みます」

「ーーーー最善を尽くします」

 

深々と頭を下げた葵に、綺礼は心にもない言葉で応じる。

そうして、唯一として面白味のあった数舜が終わり、綺礼は落胆の念を懐きながらも、冬木教会に舞い戻っていった。

 

 

ーーーーと、そうして踵を返したところで、綺礼は止まった。

時臣が同盟を結んでから、綺礼には聖杯戦争に関する情報……サーヴァントや他のマスターと思わしき人物の情報を教えていた。

その中で、綺礼は妙に突っかかりを感じる事柄があった。

 

アインツベルン。

氷に閉ざされたその一族に、何年か前に婿養子として、とある魔術師が迎え入れられたと。

だが、その名を何故か思い出せない。

当時、聖堂教会に中々に敵対視されていた人物。魔術協会は巧く利用していた節があった人物。

 

名前は忘れたにしろ、その人物には何故かしらに、途方もない興味が湧いた。

綺礼は彼の者の名を思い出さんと墳力しながらも、心のどこかでは、今夜にでも時臣に訊ねようと冷めていた。

 

その者が、生涯で唯一に自分を愉しませる男だと露知らずに。

 



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6話

 

冬木市深山町。

ウェイバーは、冬木に来てからの拠点に苦悩していた。そして、宅地開発の波に流されずに生き残るこの古風な町、深山に踏み入れて直ぐに、最高の物件を探し当てた。

 

カナダからの移住者で、孫が長らくに留守。それどころか、未だに連絡は付かないという絶好の物件は、正しくウェイバーが求めた通りのものだった。

その現状を聞き出したウェイバーは、直ぐ様に即興の睡眠魔術をマッケンジー夫妻にかけ、暗示魔術で、ウェイバーが長らく留守にしていた孫だと暗示をかけた。

 

我ながら、なんとも機転の効かせた発想だと自惚れながらも、ウェイバーはホテル暮らしという危機を免れていた。

そうして迎えた翌朝ーーーーウェイバーは手に宿った令呪を気持ち悪い笑みで眺めた後、マッケンジー夫妻の待つ居間に降りていった。

 

だが、ウェイバーには悩みの種がある。

それは、一斤百八十円のパンの食感やら、マッケンジー夫妻からの他愛もない会話に愛想よく返答することではなく……明け方から近隣の事など気にもせずに騒ぎ立てる鶏だった。

何を隠そうとも、その鶏を運んできた者はウェイバーである。

 

サーヴァントの召喚に使用する贄として、ウェイバーが選んだ鶏。

この現代であれ、鶏卵場はどこにでもあるだろうと……そう腹を括っていたにも拘わらず、見つけるのに小一時間。

そして、逃げる鶏を三羽ほど捕まえるのに小一時間。

更に、往復で二時間弱も時間をとられ、ウェイバーは鶏糞と羽毛にまみれ疲弊しきった状態で帰宅していた。

 

だが、ウェイバーの左手に宿った令呪。その美しき形状は、ウェイバーの疲労を消し飛ばすに値するものであった。

 

マアサ・マッケンジーが淹れ、グレン・マッケンジーが寄越した珈琲を啜りながら、ウェイバーは微睡む眼を擦る。

そんなウェイバーの様子を微笑みながら見ていた老妻が、左手に何の脈絡もなしに刻まれてた痣に気が付く。

 

「あらウェイバーちゃん、どうしたのその痣?」

「痣だって?」

 

老妻に咎められたウェイバーは反射的に手甲を隠すも、老妻は驚く老夫に見せんばかりと近寄る。

 

「……あー……余計なこと気付きやがって」

「どうしたんだウェイバー!?」

「どうもしてないよ。それより珈琲飲みなよ。砂糖をたっぷり入れてね。

……二人とも好きでしょ?珈琲」

 

悪態をつくウェイバーの異変ぶりに、グレンが驚愕するや、ウェイバーは手元にあった角砂糖を溶かしつつ、珈琲の水面に催眠魔術を手掛けた。

途端、老夫妻は糸の途切れた人形さながらに崩れ落ち、意識を失う。

 

「はぁ……これで、僕がイギリスから帰宅した孫だってところから、また暗示を掛けなきゃいけないのか」

 

暗鬱に項垂れたウェイバーの耳を、だが構いなしに、庭に放った三羽の鶏がろうするのだった。

 

 

■■■■

 

 

間桐家の大広間にて、雁夜は四肢をなげだして横たわる。蔵硯の提示たる一週間の虫たちの苗床となることは、偏に地獄であった。

そも、雁夜が未だにこうして生きていられることですら、奇跡とも言えよう。

 

「無様に成り果てたのぅ雁夜」

「……!」

 

失われつつある体力を回復に努めていた雁夜に、その姿を見咎めた蔵硯がしたり顔で近寄る。

雁夜が如何に敵愾心を露にしようとも、今の雁夜と蔵硯とでは、明らかに力量の差がある。

 

「ほぅらまだ左脚は動くのかぁ、えぇ?」

 

そう言うや、蔵硯は携えていた木杖で、感覚の途絶え始めていた雁夜の左脚を力の限りに痛め付ける。

全身を苛む激痛に加わる鈍痛に、雁夜は呻く。だがそれより先んじて、雁夜は蔵硯を睨み据えていた。

 

「ぐあぁぁあぁ!……!」

「おぉ恐い恐い。じゃが、そう感情を昂らせるな。体内の蟲どもに喰い殺されるぞ?

じゃが儂の見立てでは……お主の余命は精々1ヶ月といったところじゃな」

 

雁夜を嘲笑いながらも、蔵硯は冷徹な判断を下す。

だが雁夜は、その余命に絶望し慟哭することなく……自らに言い聞かせるように嘯いた。

 

「それで十分だ……」

「ぬぅ?」

「それで十分だと言ったんだ」

 

蟲に侵された肉体でも、例え魔術から一度は逃れた身でも。雁夜を突き動かす動力は、まだ雁夜を見捨ててはいない。

その事実だけで、雁夜にとっては十二分であった。

 

「ともかく、聖杯はお主を正式なマスターとして選んだようじゃ。

儂もお主に似合った触媒を用意しておいた……父親からの温情、使い果てるでないぞ雁夜よ」

 

召喚の儀は今夜に行うと蔵硯は雁夜に伝えるや、早々に部屋を辞していく。

雁夜もその後続を続かんとばかりに、痛む総身に鞭打ち、壁に寄りかかりながらも歩を進めた。

 

その道中で、雁夜は変わり果てた少女を見付けてしまった。

茶色の髪は深く昏い紫水に、その眼差しに当時の爛々とした眼光はなく、虚ろに此方を見据えるだけ。

 

「……やぁ、桜ちゃん。驚いたかい?」

「うん。……お顔。

雁夜おじさん、どんどん違う人みたいになっていくね」

 

そう小さく言った桜に、雁夜は曰く言い難い感慨を懐く。

 

"君もだよ、桜"

 

心の内でそう思えど、口には出せない。

桜はこれを日常と思い、土俵際を優に越えたところで耐えている。それを崩す言葉を掛ければ最後、桜は生きる意味すらも忘れてしまう。

 

「今日はね、ムシグラにいかなくていいの。もっと大事な事があるって、お爺様がいってた」

「うん、だから今日は代わりに、おじさんが蟲蔵にいくんだ」

 

同じ、蔵硯に"いじめられる"者として、雁夜は桜に接する。

 

「雁夜おじさん、どこか遠くにいっちゃうの?」

「そうだね……おじさんはこれから大事な仕事をしにいかなくちゃいけない。

こうやって桜ちゃんと話せるのも、あまり出来なくなると思う」

 

雁夜の言葉に、桜は見てわかるほどに気落させる。

 

「なぁ桜ちゃん。仕事が終わったら、遊びに行かないか? また皆で……お母さんとお姉ちゃんと、どこか遠くへ」

「お母さんとお姉ちゃんはいないの。……そう思いなさいって、お爺様が……」

 

誰に言うまでもなく俯きがちに言った桜を、雁夜は有無を言わさずに抱き止めた。

 

「じゃあ、遠坂さん家のお母さんと、凛ちゃんと、どこか遠くにいこう」

「……あの人たちに、また会えるの?」

「会える。それは、おじさんが約束してあげる」

 

僅かに見せた喜色を失わせんと、雁夜は即答する。

そして雁夜は、召喚の儀の準備をするために、桜を離した。

 

「それじゃあ、おじさんはもう行くね」

「うん……ばいばい、雁夜おじさん」

 

終始において、感情の出さなかった少女に暇を告げ、雁夜は左足を引き摺り、壁に身を預けて歩く。

その痛ましい背を見て、少女が何を思ったのかは、雁夜が知る由もない。

雁夜はまた一つ、成し遂げねばならぬ約束事を、積み重ねてしまった。

 

 



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7話

今回は一日に二本となります。
どうしても召喚をあげたかった…!


 

「召喚の儀を行うのに、こんな術式で良いの?」

「意外に思うかもだけどね、実際に英霊を呼び出すのは聖杯だ。マスターたる僕は、ただ魔力のパスを回すだけでいい」

 

水銀を指先でなぞり、術式に文句がないことを確認した切嗣は、祭壇上に触媒となる伝説の聖剣の鞘を置いた。

 

「それじゃあ、始めよう」

 

■■■

 

 

「召喚のための呪文は、きっちり憶えてきたじゃろうな?」

 

暗鬱な蟲蔵で、禿頭の老人たる間桐蔵硯が、生気の失せた雁夜に問う。

雁夜の無言の首肯に、だが蔵硯はしたり顔で言う。

 

「じゃが、その間に二節、別の呪詛を付け加えてもらうぞ」

「どういうことだ?」

「なに、お主は他のマスターとは違い、急拵えで仕立てたマスター……普通のサーヴァントを召喚したところで、勝ち目は薄い」

 

蔵硯の思惑を図りあぐねる雁夜は、懐疑の眼を向ける。

 

「雁夜、今回お主のサーヴァントには、狂化の属性を付与してもらう」

 

狂化……即して、それはサーヴァントに有無を言わさずに理性を破壊させること。

つまるところ、蔵硯の用意したこの触媒には、狂化の素質がある英霊の聖遺物であるということだ。

つくづく用意周到かつ悪趣味な老害だと内心舌打ちながらも、雁夜は首肯で応じた。

 

■■■

 

深山の森にて、ウェイバーは長らく喧しかった鶏を漸くに殺し、その生き血で魔法陣を描いていた。

魔力の回りはいつもより格段によく、確実に最強の英霊を呼び出す準備が整っていた。

 

持ち運んだ巨石の上に、触媒たる彼の王の羽織り布地を乗せ、赤黒く発光を始めた魔法陣をみやる。

 

■■■

 

遠坂邸の地下。

言峰璃正神父と、その息子たる言峰綺礼の見守る下、遠坂時臣は、この世で初めて脱皮した蛇の脱け殻を壇上に置き、召喚の詠唱を紡ぎ始めた。

 

「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。 祖には我が大師シュバインオーグ。

  降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 

 

裏山でウェイバーが、総身の魔術回路から魔力が吸われていく感覚を味わいながらも、詠唱を続ける。

 

「閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。

  繰り返すつどに五度。

  ただ、満たされる刻を破却する!」

 

時臣の後方で、英霊召喚という奇跡を目の当たりにした璃正神父が眼を見開く。

 

「――――告げる。

  汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に」

 

巻き起こる逆向きの突風が、ウェイバーの髪を煽る。

 

「 聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ!」

 

 

蟲蔵の陰鬱な空気に毒され、体内の疑似魔術回路……刻印蟲が蠢き出したおかげで、雁夜は全身の毛細血管を破裂させていた。

 

「誓いを……此処にぃ!

  我は、常世総ての善と成る者、

  我は……常世総ての悪を敷く者ォ!」

 

 

アイリスフィールが見守る中で、切嗣は雁夜とほぼ同じ時刻に、同じ狂化の詠唱を紡ぐ。

 

「「されど汝はその眼を混沌に曇らせ侍るべし。汝、狂乱の檻に囚われし者。我はその鎖を手繰る者――」」

 

 

 

汝三大の言霊を纏う七天、

  抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!

 

 

聖杯を求め、一時的な協力関係をもたらすサーヴァント四騎が、今夜の内にほぼ同時に召喚された。

 

 

眼前に顕現した黄金の鎧のサーヴァントに、時臣は興奮で破顔する。

それはまさしく、時臣が望んでいた通りの、最強の英霊。

 

「勝った……勝ったぞ綺礼。この戦い、我々の勝利だ!」

 

 

極光と白煙の中から悠然と飛び出した英霊に、だがウェイバーは唖然とするより他になかった。

召喚は明らかに成功した。

しかし、その結果として顕現したサーヴァントは……想像する巨躯ではなく、むしろウェイバーよりも小さき、矮躯であった。

 

「……嘘、だろ?」

 

 

召喚の際に無理矢理にもっていかれた魔力を補わんと、刻印蟲が雁夜の肉体を苛む。

その鈍痛に膝をつく雁夜の眼前に顕現したサーヴァントは……およそ狂気には見えない、真っ当な短髪の白騎士。

その風貌に、他ならぬ蔵硯が驚愕に打ち震える。

 

「……?」

「馬鹿な……有り得ん、有り得ん!」

 

 

氷に閉ざされたアインツベルン城の祭儀の間で、黒鎧に身を包んだ、叡知の結晶たる眼鏡を掛けた狂化の英霊が、切嗣とアイリスフィールの眼前に躍り出る。

だが果たして、その容姿は二人の想像するそれとは、遥かに異なったものであった。

 

「コイツは……」

「質問です。あなたが私のマスターでしょうか?」

 

開口一番にそう訊ねるや、バーサーカーは向けられる視線に首を傾げるのであった。

 

 



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8話

 

「召喚される、という感覚はこのようはものなのか……一先ず、自己紹介を。

初めましてマスター。セイバー"ランスロット"ここに罷り越しました。あなたが、私のマスターですね?」

「……セイバーだと?」

 

爽風と自らの真名を明かしたセイバー、ランスロットは、眼前に膝をつく雁夜へ深々と頭を下げる。

だが雁夜は状況への理解が追い付かず、呆然と口を開けるより他にない。

 

「……俺は、狂化の詠唱を加えた筈だ。何故、お前のように真っ当な騎士が?」

「狂化ですか……見たところによれば、私には一切の邪気が感じられませぬ。

もしや、誰かが先に狂戦士を召喚していたのでは?」

 

そう訊ねられ、雁夜は現段階で判明しているマスターを思い返す。

蔵硯の言葉に偽りがなければ、アインツベルンより魔術師殺しの衛宮。

遠坂より忌まわしき時臣。時臣との師弟関係を破棄した神父。時計塔より二人の輩出者……残り一人は空席だと聞かされた。

 

しかし、雁夜がバーサーカーの居所を考えるより先んじて、セイバーの冷徹な声音がその思考を遮った。

 

「ですがそれを論ずるより先に……我がマスターに、私の力量を示しましょう」

「……何?」

 

セイバーは嘯くや、雁夜と反対方向に視線を遣る。

そこには、己の想像だにしないサーヴァントの召喚に戸惑う、間桐蔵硯の姿があった。

 

「貴様……何故、貴様が!?」

「私はお前が誰かは知らない。……だが、なまじ強力な邪悪さと、我がマスターの表情から、お前の素性には大方予想がつくぞ、ご老体」

 

算段を完全に狂わされた蔵硯は、摺り足で間合いを詰めるセイバーへと、群れを成した蟲を手向ける。

だが、ただの使い魔ごときがサーヴァントに勝てる道理など、どこに有り得ようか。

 

「ぬぅあぁぁあ!」

 

蟲蔵の蟲が総出でセイバーを殺さんと詰め寄るも、セイバーは腰に携えていた聖剣を振り抜き、数舜の内にして灰塵と変えた。

己が死を悟った蔵硯は、体内に寄生させた蟲を足下に束ね、この場を離脱せんと急ぐも……既に振りかぶられた聖は、過たず蔵硯の首を刎ねる。

 

「なるほど……そうやって生き永らえていたらしい。

マスター。ここで一度、私の宝具を御見せしましょう」

 

唖然とする雁夜の眼前で、セイバーは聖剣に極光を束ねる。

美しく繊細に刎ねられた蔵硯の首の断面より、小粒の蟲が這い出る。

ーーーーそれこそが紛うことなき、間桐蔵硯の本体であった。

 

「逃がさんぞ、ご老体

……最果てに至れ。限界を越えよ。彼方の王よ……この光を御覧あれ!」

 

遮蔽物の合間をすり抜けて逃げ行く蔵硯を、セイバーは跳躍一度と三歩で詰め寄った。

そして、その光輝く聖剣は、矮躯に変わり果てた蔵硯を塵同然と切り捨てる。

 

縛鎖全断(アロンダイト )過重湖光(オーバーロード)!」

 

雁夜のみならず、間桐の人間並びに桜を苦しめていた元凶は、たかだか数舜の刻にして姿を消した。

それがサーヴァントの力であり、サーヴァントの前に立ち塞がった者の道理。

他のサーヴァントの実力がどうであれ、雁夜も敵前に躍り出れば、蔵硯と同じ道を辿ることは明白だ。

 

その恐怖と、恩讐の敵が消えた喜びに板挟みされた雁夜に、セイバーは再度問う。

 

「そういえば、先程の返答を聞いておりませんでした。……あなたが、私のマスターでしょうか?」

「ーーーーそうだ。俺は間桐雁夜……訳あって、この聖杯戦争に参加している」

「えぇ、今後とも宜しくお願いしましょう。カリヤ」

 

差し出された籠手越しに、雁夜はセイバーの体温を感じとる。

それは間違いなく、根っからの善人が持ち合わせる、人の温もりであった。

 

「……では先ず、カリヤの事情とやらを教えていただきたい。それから、戦略を立てるとしましょう」

「あぁ。どうか俺を勝たせてくれ、セイバー」

 

雁夜は間桐邸の右も左も分からぬセイバーを、寝静まった虚ろな少女の下へと案内していった。

 



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9話

 

「質問です。あなたが私のマスターでしょうか?」

 

そう問われた切嗣は、現れた英霊の容姿に唖然としながらも、首肯で応じた。

アイリスフィールも、完全に信じきっていた静粛なアーサー王とは似ても似つかない文系サーヴァントの端麗な姿に、言葉を失っていた。

 

先ず第一として、彼は……否、彼女が女だという点にある。

男装の麗人、ともすれば多少は納得のいくものの……こうも信じ難き美貌を兼ね備えているとは、到底信じえまい。

だが二人は、たちどころに二度目の驚愕を味わわされる羽目となった。

 

「召喚に応じ参上しました。バーサーカー改め"謎のヒロインXオルタ"です」

「……アイリ。僕が呼び出したサーヴァントは、記憶が曖昧になっているのか?

それとも何だ、これがバーサーカー特有の、狂化だとでも?」

「えぇと……狂化は理性を破壊してしまうも同然のことだから、こんな面白可笑しい属性は持たない筈だけど……」

 

半ば袂を別つことを考えてしまうほどの侮辱と、マスターからの懐疑の視線。

だがバーサーカーは、いかんともすることなく、然もありなんとした様子で口許を歪める。

 

「私の素性に心当たりがないのは当然です。私の変装と扮装には自信がありますので。

実力に関しては……まぁ、敵のサーヴァントと戦ったときに分かります」

「バーサーカー。僕が訊きたいのはそういうことじゃあない。その聖剣……とも呼びがたいその剣はなんだ?」

 

切嗣はまるで要領を得ないバーサーカーに、予てより気掛かりになっていた剣について訊ねる。

黒光りする赤黒い紋様のそれは、明らかに切嗣の知る聖剣、エクスカリバーとは訳が違う。

 

「邪聖剣ネクロカリバーです。怪しいつうはーーーー湖の乙女から授かりました」

「今、怪しい通販といいかけたな?……僕の記憶には、お前の生きた時代はインターネットもない時代であったとされていた筈だが?」

「ーーーーチッ」

「き、切嗣!?この娘舌打ちしたわよ!?」

 

的確に意表を付かれたバーサーカーは、切嗣から目線を逸らし、露骨にも舌を打つ。

そんな悪態を切嗣は別段気にすることもなくーーーー一瞥した瞬間に疑念として残る事柄を質す。

 

「バーサーカー……お前は、何故"女"だ?

僕の時代に伝えられたアーサー王伝説は、明らかに男として伝えられた。男として性別を偽ることに、何かしらの理由があったのか?」

 

切嗣が向ける冷徹な敵意は、明らかにバーサーカーには向けられていなかった。

もしも、バーサーカーを男として扱い、王として奉った者が大多数であれば……切嗣は、それを毛嫌いするより他にない。

 

「知らないです。過去に訓練で男装した思いではなくもないですけど、性別を偽った記憶はないです。

回りが勘違いしただけじゃないですか?」

 

予想だにしない返答に、切嗣は困惑する。

 

「ーーーーは?……なら何だ、要約するに、お前は本来の聖剣も持ってないし、現代に伝えられたアーサー王としての逸話には何の記憶もないと?」

「そうですね」

 

切嗣は、狂化の属性を付与せんとしていた以前の自分に、悔恨の念を懐く。

そんな切嗣を他所に、アイリスフィールは能面のままのバーサーカーへと訊ねる。

 

「えぇと……バーサーカー。とにもかくにも、私たちは直ぐに日本に発たないといけないのよ。

だから、旅立つ前に何かしたいこととかはないかしら?」

 

その問いを黙殺せんとばかりに、バーサーカーは無表情を貫く……そう感じた直後に、祭儀の間を轟かせる轟音が、バーサーカーの腹より五秒程、鳴り響く。

 

「……もしかして、お腹が減ったの?」

「適切な魔力供給が必要です。特に糖分補給が欲しいです」

 

そう嘯いたバーサーカーを、アイリスフィールは少しの間の後に微笑で受け入れ、食事の間へと導く。

その後続を淀みない足取りで追いながらも、切嗣は常識の通じないバーサーカーへ、様々な考察を巡らせる。

 

如何に狂化の属性を付与したと言えども、たかだか理性を失う程度。或いは、僅かな意思疎通への弊害程度の筈だ。

しかしながら、記憶に障害を出し、あまつさえ所有する宝具の変質すらも引き起こした。

……その重要性を噛み締めつつも、切嗣は無駄に長い食事机の前に座る。

 

「切嗣……あの娘、本当にアーサー王なの?」

 

アイリスフィールの問いに向かいに視線をやった切嗣は、瞬くの内に消えていく料理を見た。

取り分け、糖分を含む甘味に関しては、瞬きの一瞬よりなお速く消えていた。

 

「美味ですね。おかわりを」

「は、はい!」

 

給仕を既に従えさせたバーサーカーは、空になった皿を食事の片手間に預けていく。

その都度にアインツベルン城の給仕の半数が、バーサーカー一人の為に動員する。

 

「もしかして……ブリテンが食糧難に陥ったのってアーサー王のせいなのかしら?」

「これを見せられたら一理あるとしか思えないな。……まぁ、よほど抑制されていたのだろう」

 

恍惚とした表情で食事を頬張るバーサーカーを、二人は漠然と見据える。

 

「そういえば、バーサーカーが聖杯で叶えたい願いは何なんでしょうね?」

「……聖杯戦争に呼びされるということは、何かしらの願望が有るわけだからね。だけど、それは僕たちには関係ない話だ。

サーヴァントとの関係はあくまでもただの協力関係であり、道具でしかない。それを僕と君が忘れなければ、この戦いに負ける道理はないだろうさ」

 

虚ろな眼差しでバーサーカーを見据えながらも、切嗣はそう語る。

その傍らで寄り添うアイリスフィールも、無言の首肯で理解していた。

 

 



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10話

 

「……」

 

サーヴァントを召喚してより小一時間後。ウェイバー・ベルベットは、冬木市の大図書館前で、防護フェンス越しにシャッターに閉ざされた入り口を注視していた。

直後、鉄筋コンクリートも同然のシャッターに、殴り付けられた痕跡が五度に亘って付けられる。

 

打ち破られたシャッターを越えて、燃え盛る赤髪の巨躯サーヴァントが 現れる。

その膨大さに漠然とする中で……ウェイバーは己がサーヴァントが公共施設を破壊した事実に切歯するや、怒号を飛ばした。

 

「お、お前!なにシャッター蹴破って出てきてんだよ!!」

「何を怖じけておる、見苦しい。まるで盗人のようではないか」

「盗人じゃなくて、何なんだよお前!?」

 

だが巨躯のサーヴァントは憮然した様子で拳を頭に当て付け、慌てるウェイバーに言い放つ。

 

「断じて違う。闇に紛れて逃げ去るのならば匹夫の夜盗。凱歌とともに立ち去るのならば、それは征服王の略奪だ」

 

まるで釈然としないライダーを退散させるべく、ウェイバーはライダーの手元の『イリアス』と『世界地図資料集』の二冊を奪い取る。

元より、ここへは本を手に入れるという名目で来ただけであって、器物破損をしに来たわけでない。

ウェイバーが荷物運びを率先して申し出たと思ったライダーは、凄烈な笑みで応じる。

 

「さぁこれで良いだろ!?さぁ消えろ、今すぐ消えろ!!」

「うむ。では、荷運びは任せたぞ」

 

そうして霊体化したライダーから視線を外し、ウェイバーは眉間に皺を刻み付けて吼える。

 

「どうしてこうなるんだよッーーーー!!」

 

 

■■■

 

 

召喚された直後に、ウェイバーは落胆の念を隠しきれずにいた。

何せ召喚されたサーヴァントが、伝承そのままの矮躯で現れたからだ。

征服王イスカンダルーーーーまたの名をアレキサンドロス大王。数多の偉業を成し遂げた王として讃歌される彼を、ウェイバーは過大評価していたのかもしれない。

 

それほどの偉業を成し遂げたのならば、伝承の言い伝えは何かの間違いであるとーーーーそう信じて疑わなかったばかりに、想像だにしない矮躯が眼前の極光より躍り出た際には、当惑するより他になかった。

 

「お前……なんでそんなにちっこいんだ?」

「召喚された瞬間に言う言葉がそれかい、マスター?……まぁ、現代に伝えられた僕の伝承って、この通りの姿なんだろう?」

 

口を衝いて出た疑念に対し、全く威厳も糞もない飄々とした少年の様子で答える。

 

「そうだけど……必ずしもそういう訳じゃないだろ!?言葉の違いとかで語弊が生じることが少なくともあるだろうし……!」

「まぁ、そんなに落胆する必要はないよ、マスター。それに、僕は一時的に成長した姿に戻れるからさ」

 

そう言って内側から魔力を放出したライダーは、まるで姿の違う大男へと変貌した。

そのむくつけき体臭も、盛り上がった筋肉も……ウェイバーが最も毛嫌いする種の人間と酷似していた。

 

「……とまぁこんなところだ。欠点として、この状態の余はかなりの魔力を持っていくし、また一度なってしまっては、何時間か経たなければ戻れん」

「それって……諸刃の剣のようなものか?」

「そりゃあまぁ……そうだわな。余はサーヴァントとして生粋の魂喰いだ。こういった欠点が備え付けられるのも頷ける話ではある」

 

顎に手を添えて考えるライダーが、不意にウェイバーへと訊ねる。

 

「そういえば、貴様は聖杯に何を望む?」

「なにを……?」

「そうだ。貴様がこの世界を征服せんとするのならば、余と貴様はライバルということになる。

……覇王は二人と要らんからな」

 

途端に気迫を増した表情に、ウェイバーは気圧される。

だが、自分はこのライダーのマスター。力量の差がどうであれ、現界に要する魔力を供給しているのは他でもないウェイバーである。立場上の関係は、明らかにウェイバーが勝る。

 

「僕はそんな低俗なことに興味はない。ーーーー僕は、偏に評価だけだ。

僕をまるで空気とした時計塔の連中に、考えを改めるさせることだーーーー」

「小さいわ!」

 

そう理想を述べたウェイバーの頬を、ライダーは加減して叩き付ける。

だが如何に加減せよ、サーヴァントたるライダーの平手は圧巻の威力であった。数メートル先の草影まで飛ばされたウェイバーは、鈍痛が走る右頬を押さえつつもライダーを見やる。

 

「小さい、狭い!聖杯に託す願いが己の沽券を示すためだけなどと……全くもって阿保らしい!

……そうまでして己の存在を知らしめたいのであれば、貴様はあと二十センチ背を伸ばすよう聖杯に願え」

 

そうしてウェイバーを持ち上げたライダーは、ウェイバーの服に着いた埃を払い退け、ウェイバーを傍らに立たせる。

 

「余の実力は開戦すれば直ぐに分かる。それまでに、貴様は他のサーヴァントの居場所でも突き止めてみせろ。それまでは……うむ、本でも読んで武陵の慰めとするが、良いな?」

「……あぁ」

 

この数舜で触れた征服王の威厳に圧倒され、ウェイバーはその提言を首肯する。

ともあれ、征服王イスカンダルと自分のではまったくの真逆であるとーーーーウェイバーは先を思いやっていた。

 

 

 



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11話

 

ウェイバーとライダーが図書館から立ち退いてから小一時間。

ライダーは本に耽るようでいて、誘いを掛けるサーヴァントの反応をありありと窺っていた。

そして、サーヴァントの反応が倉庫街で色濃くなった瞬間、ライダーはイリアスを閉じ、徐に腰を上げた。

 

「坊主。どうやら……初っ端から誘いを掛けるサーヴァントが居るようだ。場所は南西方向だな」

「……連れていけライダー。お前の力、今すぐにでも証明して貰わないとな!」

 

傍らに侍っていたウェイバーが、依然として態度を変えぬ傲岸なライダーへと言い放つ。

ライダーは凄烈な笑みを浮かべるや、ウェイバーの襟首を掴み、いつの間にやら出現させていた戦車に放る。

 

「坊主、この街にサーヴァントは何騎おる?」

「そんなこと知るかっての。でもまぁ……アインツベルンは北東だから、まだ来ていないだろうな。

でも、遠坂と間桐はこの冬木に拠点を張ってるんだ。おそらく、そのどちらかだと思う」

「ーーーー坊主、お前も中々に頭の切れる奴ではないか。聖杯への願望を訊いたときはこりゃ厄介なマスターに当たったと思ったが……フフン、存外に愉しめそうだわい」

 

冷静に判じたウェイバーへ、褒めているのか貶しているのか窺い知れぬ言葉を掛ける。

だがふと、ウェイバーは戦車の軌道に眉根を寄せた。

 

「おいライダー。南西方向じゃなかったのか?」

「安心しろ坊主。余と貴様は特等席からそのサーヴァントを監視するだけだ。

……本題は、その挑発にどれだけのサーヴァントが集うかよ」

 

不満しか持たぬウェイバーなど露知らずに、ライダーは遠慮のない胴間声で笑う。

ライダーはこの聖杯戦争をただの遊戯としか感じていないのではないかと……ウェイバーは考え、そして論外と切り捨てた。

ウェイバーには、このライダー……征服王イスカンダルが望む願望に、思い当たるものがあった。

 

生前のイスカンダルが亡くなった歳。それは、あまりにも若すぎる。

英雄に憧れて西へ遠征したが故に、誘引された病。イスカンダルが死後の魂を置いてまで、聖杯を望む理由こそが、恐らくはそれに繋がることなのだろう。

ウェイバーは内側から涌き出る文句を寸でのところで噛み殺し、ライダーの暴れ狂う戦車に怯えた。

 

 

 

■■■■

 

 

 

「ここが日本ですか」

 

食事を早々に切り上げて乗り込んだ夜行便から、バーサーカーとアイリスフィール、そして衛宮切嗣は降り立った。

空港から眺望できる光景に胸を踊らせるアイリスフィールと、感慨深げに眼下を見下ろすバーサーカー。

対して切嗣は、電話で助手たる者と作戦を再確認するや、すぐに荷物をまとめ始めた。

 

「僕は一足先にホテルへ向かうが……僕と君たちが一緒にいた場合、警戒されることとなる。

面倒ではあるが、この街を散策でもしていてくれ。地形を憶えれば、或いは地の利を確保できるかもしれないしね」

「ーーーー待ってください、マスター」

 

足早に空港を後にせんとした切嗣の背を、バーサーカーが引き留める。

 

「……サーヴァントが居ます。遠くではありますが、どうしますか?」

「……何?」

 

切嗣は瞬時、歩みを止める。

聖杯戦争に参加するマスターの内、すでに決まっている者は六人。だが、切嗣が召喚の儀を行った今夜には、サーヴァントの顕現は五騎捉えられた。

召喚がほぼ一致することは珍しいものの……まさか、召喚した直後に、誘い出しを行うマスターがいるとは。

 

「予定変更だ。バーサーカー、君はアイリと共にサーヴァントの元へ向かってくれ。

……僕は戦線の監視を行う」

「了解しました。……では、失礼しますアイリスフィールさん」

 

理由は窺い知れぬが、切嗣の判断に従うままのバーサーカーは、アイリスフィールを抱きかかえるや、誰に見咎められることもなく立ち去った。

その背を見遣りながら、切嗣は再度、助手に連絡を取る。

 

「冬木市市民会館前で落ち合おう。君は僕のワルサー狙撃銃とAUG突撃銃を用意しておいてくれ」

 

そう言って通話を切った切嗣は、珍しくも口元を歪める。

 

「お手並み拝見だ。……眼鏡の騎士王さん」

 

 

■■■■

 

 

 

ランサーの座に据えられて召喚されたサーヴァント、デイルムッド・オディナは、召喚されて開口一番に告げられた作戦に、耳を疑った。

 

"サーヴァントとしての存在を出しつつも、障りない戦地へと導き出せ"

 

召喚された英霊が自分以外にいることは解るものの……訊けば、聖杯戦争に関する勝負はまだ行われていないという。

にも拘わらず、ランサーのマスターは無謀といっても差し支えのない策を講じた。

 

そうして街路を霊体として練り歩いた末に行き着いた戦地がーーーーこの沿岸部に位置する、冬木市倉庫街だった。

夜気が頬を撫ぜる中、デイルムッドは止めどない不安を噛み殺さんとしていた。

三大騎士クラスなら未だしも、四大騎士クラスの英霊が来るとは到底思えない。

 

しかしながら、今回の聖杯戦争に参加する三大騎士クラスの内、アーチャーとセイバーが真っ当な英霊かも知れない。

故に……誰一人として来ない可能性もあるのだ。

マスターは何らかの術を行使して姿を眩ましているものの、万が一にも奇襲された場合は、守り通す自信は宣誓できるほどにない。

 

ーーーーと、感慨無しにそう考えるランサーの頬を、軌道の変わった風が通り過ぎる。

明らかに自然現象で変化したものではない風。

つまるところ、何者かが近付いている。それも、この充填される魔力と迸る清澄な闘気。

紛うことなき、サーヴァントの気配である。

 

ランサーは目をすがめて眼前へと視線をやる。

その大地を踏み鳴らした者はーーーー黒鎧に身を包み、異形の邪剣を携えた者であった。

 

「……姿形は真っ当な騎士とは違うにしろ、この清澄な闘気。そしてその剣ということは、お前はセイバーだな?」

「……そういうあなたは判りやすいですね」

「フン。真っ当に名乗り合うことも許されないこの戦いに、名誉も糞もあるまいさ。

ならば、わざわざ武器を隠すこともあるまい」

 

二挺の槍を右往左往させながら、ランサーは雄弁に語る。一方のバーサーカーは、然したる感慨を見せることもなく、右手の邪剣を構える。

 

「……では、お手並み拝見といこうか!」

「精々、宝具を隠しつつ戦って下さい。……厳しいとは思いますが」

 

背面にアイリスフィールを庇いながらも、バーサーカーは剣柄を執った。

 

 



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12話

 

夜気を切って疾駆したバーサーカーの眼前で、紅槍が踊る。何の飾りもない紅槍の刺突は、然したる弊害になりうるものではない。

バーサーカーは紅槍の切っ先を、邪剣の刀身中腹で払い返すや、その返し刃の振り下ろしでランサーの頭上を攻める。

 

だがランサーは、もう一方の黄槍でそれを払い退け、間断なく紅槍を振り払う。

横一線の凪ぎを後方背転で飛び退いたバーサーカーは、立て続けに空を斬った風切音に目をすがめた。

振り払うと同時に、バーサーカーの眼前にまで突き出された先程の黄槍が、バーサーカーの首元を貫抜く。

 

しかしながら、バーサーカーは剣柄で槍の刺突を相殺し、直ちにランサーの間合いより外れる。

 

(なるほど……あの短槍と長槍、射程の違いが面倒ですね)

 

闘争本能が真っ先に、ランサーの評価を上げる。たかだか数舜の間とは言えど……間隙を突く目敏さに加え、所見の武器にも拘わらずに間合いを完全に把握しきっている。

ランサーの座がこれほどの者だと、他の五騎にも不安が募る。

 

だが果たして、驚愕と感嘆はランサーも同様であった。

バーサーカーの剣筋は単調ではあった。

が、その何れもが重すぎる。打ち所が悪ければ致命傷、そも、先程のランサーの三撃は確実に、必中かつ必滅を期したものであった。

 

「フッ……女だてらに中々手応えのある奴よ」

「それは此方の台詞です。……まったく面倒な」

 

揶揄の言葉を投げ合いながら、両者は摺り足で間合いを図る。

ランサーは中近ともに対応した柔軟でありながら、バーサーカーの確実な一手を殺していた。

バーサーカーは遠距離にこそ弱いものの、近距離に於いては敗北を知らない。

 

つまるところ、近距離かつ間断のない多段の隙を作れば、バーサーカーの勝利は確定する。

ーーーーと、不意にランサーが、何の脈絡もなしに体勢を崩した。

よもや、足場に何らかの極些細な支障があることを見逃していたのだろうか。

 

バーサーカーはその一瞬を見咎めるや、コンクリートを砂利同然に踏み鳴らし、ランサーの眼前に躍り出る。

袈裟懸けの振り下ろしが、ランサーの胴体を確実に切り開く……その手応えを確信していたバーサーカーは、たちどころに驚愕を味わわされた。

 

「ーーーー!?」

 

ランサーは先ず右手の短槍を捨て去るや、空いた右手と左手を載せた長槍で、バーサーカーの剣筋を僅かに逸らす。

それだけに留まらず、必滅の手を防がれたと判じて退いたバーサーカーの足元。先程転がした短槍を蹴り上げた。

 

当惑する隙もあらば、バーサーカーはランサーの意図を直感で察し取る。

何らかの呪詛札が剥がれた短槍は、ランサーの右手に納められるやーーーー退いたバーサーカーの手元を掠める。

 

「ーーーーっ」

「……そう易々と取らせてはくれないか」

 

槍が掠め去った傷痕を鑑みながら、バーサーカーは跳びずさる。

アイリスフィールの治癒によって癒されてはいるものの……と、バーサーカーはここで異変に気付く。

 

「アイリスフィール、この傷は癒せませんか?」

「……治癒をかけても、全然だめなのよ!その状態でバーサーカーは最善になっていることにされているわ!」

 

バーサーカーは切歯しながらも、邪剣を構える。幸いにも然したる支障はないが、あと数ミリでも切っ先を外させなければ、腱を切り開かれていた。

 

「厄介な宝具ですね。……その様子だと、そちらの紅いのも厄介そうですけど」

「フッ。俺の必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)からは逃れられんさ」

 

攻めの好機を掴んだランサーは、悠然とした足取りでバーサーカーとの距離を詰める。

近距離戦はバーサーカーの方が有利ではあるが、あの黄槍にこれ以上の傷を付けられることは避けなければならない。

故にーーーーと起動しかけた宝具を、バーサーカーは余儀なく停滞される。

 

「「っ!?」」

 

衝撃は皆等しく同じであった。

耳を聾する轟音の正体は頭上。位置は南東方向の冬木大橋から。

轟く雷鳴と、空気を踏み鳴らす蹄の怪音。その直中に在る戦車に乗り込む二人組……それは正しく、監視を決め込んだライダー陣営であった。

 

「双方、武器を収めよ。王の御前であるぞ!」

 

威勢よく地に車輪を着いたライダーは、両腕をあらん限りに広げ、自分を除く集う英霊四騎に呼び掛けた。

 

「うぬらとは聖杯を求めて相争う巡り合わせな訳だが……一つ、余の軍門に下る気はないか!?」

「……ライダーアァアァーー!」

 

そう場の厳粛さを考えぬ胴間声が、一同の反感を受けるのだった。

 

 

 



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13話

 

「……どうだ、そこな剣使いよ!?」

 

開口一番に厳粛さも糞もないことを嘯いたライダーは、傍らにいたバーサーカーへと訊く。

 

「お断りします。あなたはむさ苦しいです」

「ぬぅ?……ならば、貴様はどうだランサー?」

 

首を振って拒否したバーサーカーから惜しくも視線を外し、ライダーはランサーを誘いにかける。

 

「俺が聖杯を持ち帰る者は新たなる主唯一人。断じて貴様などではないぞ征服王」

 

当のランサーも拒絶を色濃く示し、遊興を講じにバーサーカーとの勝負を邪魔立てしたライダーを、深く睨み据える。

 

「ーーーー物は相談だが」

「くどいです。新手のセールスマンですか」

「そも、俺はそこの剣使いと決戦中なのだ。邪魔立てをしてもらっては困る」

 

二挺の槍を構え直し、ランサーはバーサーカーへとその切っ先を向ける。だがライダーはその切っ先の前に手を出し、ランサーを制する。

 

「……何のつもりだ?」

「まぁ待て。先程の見事な戦闘に釣られたサーヴァントが、まさか余一人というわけではあるまい。

ーーーー聖杯に招かれた者は今、ここに集うがいい!が、なおも顔見せを惜しむような連中は……征服王の侮蔑を免れぬものと知れ!」

 

 

遥か虚空……電信の頂と、沿岸部のデリッククレーン、倉庫街へと通ずる直線道路の反対斜線へと、ライダーは挑発を飛ばす。

たかだか安い挑発とは言えどーーーーこと侮辱には過敏に反応する英霊が、運悪くも居合わせていた。

 

距離を遠くして、遠坂邸に侍る遠坂時臣と、その時臣へ現場の状況を知らせる言峰綺礼が、同時刻に難儀に顔をしかめていた。

 

「これは……拙いな」

「ええ……拙いですね」

 

 

瞬間、電柱の頂に、金色の粒子が写し身を形作る。

豪奢な金鎧を違和感なく着こなし、この世の宝物さながらの"美"を顕現する英霊が、傲岸不遜にも聳え立つ電柱に佇立していた。

不愉快げに顔を歪め、そのサーヴァント……アーチャーは、挑発を働いたライダーを睥睨する。

 

「……まさか、俺の居ぬ内に王を名乗る痴れ者が沸くとはな。天上天下に於いて、王たる者はこの我一人よ」

「フン、そう難癖つけられたところでな……で?その王たる貴様は名乗らんのか?」

 

誰もが唖然とする中で、ライダーは飄々と訊ねる。

 

「この顔を拝謁させてなおも我を知らぬとは……そのような不届き者は、生かしておく価値すらない!」

 

ライダーの問いへ答えず、アーチャーは怒りに顔を歪めながらも、自らの宝具を起動する。

アーチャーの背面に出現した二挺の宝刀と宝挺。その実態がいかなモノにせよ……揺らめく黄金より出でたその武具は、明らかに天上の宝具であった。

 

「な、何だってんだよ!?」

「坊主、余の後ろに居れ。中々に面倒な相手だ」

 

 

 

皆等しく警戒するアーチャーを、使い魔たる蟲で見咎めた雁夜は、不敵に笑う。

セイバーに指示された通りに下水路に潜んでから約三十分を越えた刻。セイバーの直感通り、狙いの獲物が姿を表した。

ならば、マスターたる雁夜が命じる事は一つ。

 

「ーーーー殺せ」

 

雁夜の命じたままに、セイバーは遂行する。

拮抗した状況の倉庫街に、逆巻きの突風が吹き抜ける。一同がその元凶……一本道より悠然と歩み寄る一騎の英霊へと、視線をあてた。

堅固な白鎧で防護し、淡く深い紫水の短髪たる騎士が、この状況下で現れたのだ。

 

「また新手のサーヴァント!?」

「アイリスフィールさん。私の後ろから動かないでください」

「うむ、大量大量、僥倖僥倖、だな」

「そんなこと言ってる場合かよ馬鹿野郎!あのサーヴァント……パラメータも何もまったく見えないぞライダー!」

 

驚愕するアイリスフィールへ、バーサーカーは身の保全のための必要最低限の事項を伝える。

まるで釈然としないライダーに、ウェイバーは違和感を伝える。

だがセイバーは四者にも、ランサーにも、況してや二つの監視者にも目を繰れることなくーーーーアーチャーを見据えていた。

 



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14話

 

「舞弥、新手のサーヴァント……恐らくはセイバーだが、そこからマスターは見えるか?」

「いえ、こちらは依然として、ランサーのマスターしか」

「了解だ。僕の方でセイバーのマスターを探す」

 

二脚架を閉じ、切嗣はワルサー狙撃銃を巡らせる。

だが、眼下には五騎のサーヴァント、そして十二時方向のデリッククレーンの上部に一騎が居座るだけで、肝心のマスターは見当たらない。

 

アーチャーは単独行動スキルを有するとなる以上、マスターが居ないのも頷ける。

ライダーのマスターは、あの戦車に乗り込んだままにサーヴァントから離れる素振りを見せない。

ランサーのマスターは……熱探知スコープのみに捉えられる隠蔽を行って佇立。

ならば、突如として上空から降り立ったあのセイバーのマスターは?

 

(最優のクラスかつ騎士道精神に則る以上、マスターも戦線に連れ出すものと踏んでいたが……まさか、単独で現れたというのか?)

 

切嗣は困惑しつつも、抜かりなくセイバーと……鉄柱の上に君臨したアーチャーを警戒する。

三大騎士クラスが揃った以上、バーサーカーたる此方は不利と思いがちだが、此方が召喚した英霊がアルトリアだという事を思い出し、切嗣はアイリスフィールの護衛を一任していた。

 

特に、飛行宝具で戦線に加わったあのライダー。

名をイスカンダルと嘯いていたが……それが本当であれば、この場の誰にも、あの漢を止めることは敵わないかもしれない。

だがそれは、他でもないバーサーカーが最もよく理解している。

 

張り詰めた闘気の中ーーーー果たして、最初に動きを見せたのは意外にもアーチャーだった。

尤も、あまり誉められた動機ではないが。

 

「……誰の許可を得てこの我を見る?」

 

アーチャーが、たった五秒間の注視をしたセイバーに、傲岸に嘯く。

だがセイバーは動じることなく、明らかな敵意を感じ取るや、聖剣の切っ先をアーチャーに向けた。

 

「せめて散り様で我を興じさせよ……雑種」

 

アーチャーの首が傾ぐと同時に、その端整にすぎる顔の両側面より宝剣と宝挺が一挺ずつ射出される。

その様相に、誰もが驚愕となる。

だが果たして、一同はたちどころに二度目の驚愕を味わわされた。

 

「ーーーー奴め。なんと達者な武芸を……!」

「あれでセイバークラスか……略奪クラスの間違いではないか?」

 

慄然とするランサーと、軽口を叩きながらも舞い上がった粉塵の中を見据えるライダー。

バーサーカーは変わらずの能面ではあるものの、その籠手には僅かながらの驚嘆がありありと窺える。

 

「な、なんだ……やられたのか?」

「なんだ坊主。解らんかったのか?」

 

憮然とするウェイバーへ、ライダーは凄烈な笑みを浮かべつつ先の数舜を、己がマスターに語る。

 

「奴は両手で携えていた聖剣を右手に持ち変え、第一投の宝挺を身を捻って躱すや、それを掴み取る。

そして、右手の聖剣で第二投の宝挺を打ち落としたのだ」

 

ライダーの語ったそれに、何の語弊もない。

そして、その事実を歯痒く睥睨するアーチャーは、言わずもがな。

 

「その穢らわしい手で我が宝物に触れるとは……そこまで死に急ぐか、狗ッ!」

 

憤怒も露に怒号するアーチャーは、誰彼の見境もなしに背面に更なる"王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)"を展開し、その流動する黄金からそれぞれ状のまるで違う宝具を解錠する。

その夥しき数の宝具の切っ先を見据え、セイバーは不適に笑う。

 

「その手癖の悪さで以てどこまで凌ぎきれるか……さぁ、見せてみよ!」

 

それぞれが異なる速度で射出される至上の宝具は、だがどう軌道を変更して襲い掛かるわけでもなく、単調に正面から肉薄していく。

……その無作為さこそが、或いは敗因となったのかもしれない。

 

セイバーは第一撃を袈裟懸けに打ち落とし、第二撃を返し刃の振り上げで、先程の宝剣ともどもに粉砕。

第三撃の宝刀は動きを縫って柄を掴み、続く六度の射出をすべて凌ぎきった。

にも留まらず、セイバーは九撃目の宝挺の軌道を僅かに逸らし、左手に携えていた宝刀ごと、電灯の上に立つアーチャーに振り投げた。

 

電灯の上を退きざるを得なくなったアーチャーは、憤怒の形相でセイバーを見据えながらも、三分割された電灯の前方に飛び降りた。

 

「天に仰ぎ見るべきこの我を、同じ大地に立たせるか!その不敬は万死に値する!

そこな雑種よ、最早肉片一つも残さんぞ!」

 

アーチャーはなおも憤慨を高め、倍以上の"王の財宝"を展開する。

総数にして三十六は下らない宝具の群れに、だがセイバーは怖じることはなかった。

 

「アーチャー。お前の敗因は三つある」

 

無数の金循環が瞬いた直後、セイバーは凄烈な笑みとともに語りかける。

そしてセイバーは、彼我の距離約十メートルを、悠然とした足取りで歩む。

 

その歩みを阻まんと軍を成して接近する宝具を、セイバーはさながら演舞を舞うかのように身を捻らせ、悉く相殺していく。

痺れを切らしたアーチャーが、セイバーを取り囲む円環を、二十の王の財宝で組み上げた。

 

間断なく放たれたが故に、直下型地震が訪れたかのような轟音と破壊の爪痕。

その中心部にセイバーはいなく……淀みない足取りで、アーチャーの眼前に詰め寄っていた。

 

「なっーーーー!?」

「一つ、お前はそこらの英霊と格が違うと言ったな。……だが、お前にとっての天敵が私だったようだ。生憎と、生前の逸話で偽装が得意手でね。御自慢の宝具の持ち主を一時的に私に偽装させて、主導権を握らせて貰った」

 

距離の差はほぼゼロ。セイバーが聖剣を振り抜くより先んじて"王の財宝"を射出することは、不可能に近い。

 

「二つ、お前はあまりにも慢心しすぎた。みたところ……お前はまだ宝具を隠し持っているのだろう?それを解き放たないのは、真名を隠すためではなく、ただ使うに値しないと……傲岸不遜な考えだからだ」

 

セイバーの聖剣が極光を放つ中で、アーチャーの背面及びセイバーの頭上、側面にも、爛々と"王の財宝"が展開される。

 

「三つ……お前は、今この瞬間でさえも、私を侮っている」

 

ーーーーそう、アーチャーは未だに、自らの敗北を考えていなかった。

アーチャーが身を防護せんと着衣している鎧は、たかだか英霊の宝具ごときで貫けるほどの業物ではない

。真名解放した宝具であれば可能性はあるが……よもや、アーチャーを含めた取り巻き五騎の前で、徒らに宝具を解放する筈があるまい。

 

確固たる予測が故に慢心するアーチャーは、だがその予測が外れることに気が付かなかった。ーーーー否、気付く由もなかったのだ。

何せ、早々に論外と切り捨てていたのだから。

 

「何!?」

「私が、真名を予測されまいと宝具を隠すと思ったか?

……残念だったな」

 

セイバーの宝具が放つ輝きの真価が、先の間桐邸での魔力反応を彷彿とさせる。

誰もが気付き、誰もがそうではあるまいと切り捨てた可能性たる、早期の真名解放。

セイバーは、その愚行を一夜の内に、二度も行使した。

 

「最果てに至れ。限界を越えよ……彼方の王よ。この光を御覧あれーーーーー!」

 

慢心の色が失せたアーチャーの瞳に、焦燥と驚愕が色濃く写る。

しかしながら、セイバーの切っ先が届くより先に、何の脈絡もなしに慄然とするアーチャーの随意を奪う者がいた。

 

 

「英雄王!どうか我が元に!」

「ーーーー!」

 

遠方の遠坂邸にて、アサシンの眼と同調して監視していた綺礼の助言を受けた時臣が、宝具発動の紙一重で令呪による強制瞬間転移を果たしていた。

驚愕のままに退場したアーチャーを見咎めるや、セイバーは宝具を中断する。

 

「……なるほど、令呪とやらの強制転移の魔術か。つくづく、この聖杯戦争には騎士道がないらしい」

 

冷静かつ当然の判断を下したアーチャーのマスターに、だが侮蔑も露に吐き捨てる。

雁夜からの頼み事……アーチャーの消滅は果たせなかったものの、初戦にしてはまずまずだろうとーーーーそう安堵しかけたセイバーに、邪剣の切っ先が肉薄した。

 

「なっーーーー」

 

寸でのところで刀身を引き戻し、セイバーは危うく難を逃れる。

 

「……何故でしょう、あなたを見ると腹が立ちますね」

「ーーーー当然の摂理でしょう。私は……貴方の」

 

そう言い掛けたセイバーに、再度、バーサーカーは逆袈裟に切り上げる。

 

「私は……貴方への謝罪をーーーー!」

「知らないです。早く死んでください」

 

弁明を述べ上げるセイバーなど意に介さず、バーサーカーは間断なく斬り迫る。

その不可解な様を熱探知スコープ越しに見据えながら、切嗣は口元を歪めていた。

 

 



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15話

 

唐突に現れ、唐突に消え去ったアーチャーの桁違いさにも驚かされたが……ランサーのマスターたるケイネスにとっての番狂わせは、セイバーと思わしき剣使いが二人現れたことだった。

当初は、黒騎士がセイバーたる者と確信していたがーーーー後手に姿を見せたあの白騎士。身なりといい振る舞いといい、完璧な騎士そのものであった。

 

……が、相手の武具を無理矢理に自らの宝具にするともなれば、それはセイバーの座に見合う英霊か。

ともすれば、黒騎士の正統派な剣筋こそが、セイバーたる者の証なのではないか。

ーーーーと、真象に悩まされるケイネスを我に返らせたのは、先程から傍観を決め込んでいるライダー……その傍らで怖じ気ながらも三騎のサーヴァントを見据えるマスターであった。

 

「……そうか、君か。一体なんの意図があって私の聖遺物を盗み出したのかと思えばーーーーまさか、君自らが聖杯戦争に出る腹だったとはね」

 

こと内側への怒りならば抑えの効かなくなるケイネスではあるが、こと外側への怒りともあらば、時間を掛けてゆっくりと済ます。

その性格が表立ってしまったのか、ケイネスは侮蔑も露に眼下のウェイバーへと語りかける。

 

「ウェイバー・ベルベット君。

君には特別に課外授業をしてあげようじゃないか。魔術師同士が殺し合う、真の恐怖をね」

「ーーーー!?」

 

声の主たるケイネスの姿は見えないものの、ウェイバーはその声質を憶えている。

もう二度と聞くまいと、聖遺物すらも盗んでやった者の声。だが、これは好機でもあった。

ウェイバーは、次にケイネスを見た時に、挑発をしてやろうとも躍起立っていた筈だ。

……しかしながら、それが土壇場で言い出せない。

 

何を怖じる必要があるのかと自らに問うても、その答はまるで見当たらない。

そんなウェイバーを見かねたのか、はたまたケイネスの侮蔑に気を悪くしたのか、ライダーはウェイバーの肩に手を乗せ、不敵に笑う。

 

「おう魔術師よ!……聞けば貴様が余の主となる者だったらしいが、そうだとしたら片腹痛いのぉ。余のマスターたる者は、余と共に戦場へ赴く者でなければならぬ!

さらに言えばーーーー余は顕現してまだ短い付き合いでしかないが、この坊主はこと略奪に関しては、まるで恥じぬことをせんと見える。ならば!貴様から聖遺物を盗み取ったのは見当違いだ。それはこの坊主の、紛れもない"略奪"である!」

 

鍔迫り合いの剣戟音が響き、冷たい夜気が頬をなぜる倉庫街にて、ライダーの遠慮のない胴間声がケイネスへと挑発を飛ばす。

その傍らのウェイバーは……喧嘩を売る相手への畏怖とライダーからの評価による感激で、板挟みされている。

 

「そこまでにして貰おうか、ライダー。それより先は我が主への侮辱だ」

「ーーーー何を言うか。貴様のマスターが先に余のマスターを侮辱したのだ。

それとも何だ?貴様は、先の戦いに昂らされた余の闘争心を沈めると?」

 

なおも挑発を続けるライダーを、冷徹にランサーが言い咎める。が、ライダーは依然として凄烈なる闘気を充填させて、ランサーへと訊ねる。

 

「望むところだ。……あの黒騎士の宣誓より先にお前を倒すことになるのは些か癪ではあるがーーーー我が主を侮辱した罪、存分に償うがいいさ」

「フフン。では……存分に殺し合おうぞ!」

 

ウェイバーの意など汲み取らず、ライダーは自らの意思に従って、ランサーとの闘争に心踊らせる。

片やランサーは……脳内に介入したマスターの指示通り、ライダーの意識を自分に持っていく。

周到に間合いを図る素振りをしつつも、摺り足で主の着地地点よりライダーを離す。

 

そして、沿岸部にほと近き防護フェンスに背を阻まれたときーーーーランサーは、意を決して踏み込んだ。

 

 

■■■■

 

 

ランサーが現段階の最脅威たるライダーを引き離すことにより、ケイネスは易々と戦線に加わった。

そして、眼前に驚愕の表情でケイネスを見据える者ーーーーアイリスフィールへ、凛然かつ静かに一礼する。

 

「先ずはお初にお目にかかる。アインツベルンの魔術師よ。私の名はーーーー」

「ケイネス・アーチボルト……私が、何も聖杯戦争の情報を知らないとでも?」

「ほぅ。話のわかる者は嫌いではないよ。……尤も、君は今から死ぬことになるのだけどね」

 

飄々と死の宣告をするケイネスへと、だがアイリスフィールは余裕の笑みを取り戻す。

 

「残念ね。生憎と……私は強いわよ?」

「見え透いた嘘だーーーー魔術兵装も持たぬ魔術師など、恐れるに足らぬ月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)

 

アイリスフィールの言葉を一蹴し、ケイネスは胸ポケットより一つの試験管を取り出す。その内部に納められていた銀色の流動体は、銀の筋となってケイネスの傍らに降り落ちるや、弾性の強い球体に変貌する。

 

「魔術師同士の戦いというもの……その身に刻み込んでやろう」

「返り討ちにならないことね。……シャープ・イスト・レイブン!」

 

ケイネスの球体を視認するや、アイリスフィールは呪詛により急仕立ての、即席錬金体を生成する。

美しき銀鳥と、凶悪無比の水銀球を注視しながらも、マスター同士の聖杯戦争の幕が、斬って落とされた。

 

 



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16話

 

 

 

 

 

 水銀の大雫。——に食らいかかろうとアイリの即席錬金術(シャープ・イスト・レイヴン)

 

 勝手知ったる様相のまま、殺意マシマシに邪剣で斬りかかる凶戦士。相手方は苦衷(くちゅう)そうに顔を歪めるばかりか、剣の勢いは秒刻みに衰えていく。

 

 さて、バーサーカー陣営は切った張ったの大勝負に持ちかけたワケだ。肝心のマスターすら()っぽって私情に暮れるのは考えものだが……

 

「この状況を、どう見ますか」

「……援助をしたいものだ。が、デリッククレーンの上。あの勝手者が物見遊山(ものみゆさん)を決めているのかどうか、判断がつかない以上は下手に動けない」

苛烈(かれつ)に攻め続けるバーサーカー。勢いを失ったセイバー。豪胆さを売りにするようなライダー。そして、真名をうかがわせぬランサーと、退散したアーチャー。

 残るサーヴァントはアサシンとキャスター。……どちらか、ですね」

 

 ——切嗣はいまだ、状況把握から脱せずにいた。

 戦いの場として仕立てられたこの沿岸部、なるほどコンテナやら展望台、クレーン車などの(かく)(みの)は多い。ランサーのマスターは、よほど慎重家だと窺えよう。

 

 なればこそ、絶好の俯瞰(ふかん)スポットかつ隠れ場たるデリッククレーンを明け渡し、逆にこちらはクレーンからは死角になる場所を選び取ったワケだ。

 

「あくまでも戦いに参戦しないことを(かんが)みても、キャスターとアサシンのどちらにも性質は該当しうる……クソっ、ここにきて不明なクラスが七面倒だ」

「事前諜報の成果——に該当するマスターも、のこり一人」

「だからこそ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 歯痒(はがゆ)さに切歯する。その間にも、(しのぎ)を削る激闘は進んでいく。

 ただ、より突き詰めた解釈としては——存外にも簡単なもので、大別して二つ。

 

 ひとつ、闖入者(ちんにゅうしゃ)の膝下で発砲し、ランサーのマスターを殺害する。

 ふたつ、令呪による強制権でバーサーカーの意識をアイリの元へ引き戻す。

 

 一貫して付き(まと)うのは……セイバーの陣営に第三者が関わっているという情報を、さらしてしまうことだ。

 

「……。舞弥、きみはあの謎めいたサーヴァントを射撃しろ。僕の方で、ランサーのマスターを射殺する。タイミングは五つ数えた(あと)

「——! わかりました」

 

 一つ返事の折、すかさずダークスーツは暗闇を疾走。コンパクトな身の(さば)きは、あくまでもクレーンからの死角を保ちながら、これまた上々な強襲の場へと移動を整える。

 切嗣の(がわ)もまた、ワルサー狙撃銃のスコープを凝視。魔術回路をぞんぶんに使う手前、体温を上げているランサーのマスター目掛(めが)け、

 

「五」

 

 ランサーとライダーの戦い。ほとんど視野の片隅(かたすみ)にしか捉えていないが、なかなかにヒートアップしているらしい。こちらに気付くこともなければ、マスター同士の争いにも目を向けることはない。

 

「四」

 

 件のサーヴァントに動きはなし。潮風に黒塗りの襤褸(ぼろ)マントをなびかせ、白髑髏の仮面に(かんばせ)をおおったまま佇立。

 

「三」

 

 セイバーとバーサーカーの剣戟は、切嗣の予想しうる剣術という(くく)りが生半可に思えるほど凄まじい。稲妻じみた残像が尾を引いている風にしか、常人の目には見えないものだ。

 

「二」

 

 アイリスフィールが手繰る糸編みのような鳥。敢然と水銀玉に(くちばし)を立てるものの、芳しくない。それどころか、返礼とばかりに逆棘(さかとげ)が魔力の翼を串刺しにする。——なるほどあれが、あの男の魔術礼装。

 

「一、」

 

 そんな戦局下、あらたに銃撃がくわわれば主客転倒も間違いなしである。延長戦を危惧(きぐ)するマスターが、もしやサーヴァントともども引き際を見極めるやもしれまい。

 いや。……これはあくまでも、願望の域を出ないもの。ひとまずは目下(もっか)、ランサーのマスターを速やかに射殺せねば。

 

「ゼ、————っ」

「な、」

 

 銃爪に指を引っかけて、引き絞る簡素な作業。それを停滞せざるを得ないことが、切嗣らの、否、この場の誰しもの目に()れる。

 

「とぉウ! 緊急召喚に応じたセイバー狩りの達人! 我こそはぁッ!」

「名乗りは省略で。さっさと……アイリスフィールさんを護衛、ゴー」

「ぬぅおあっ⁉︎」

 

 もう一騎、英霊が場に臨んだ。

 顔はバーサーカーに瓜二(うりふた)つであり、だが濡羽色(ぬればいろ)の鎧とは毛ほども似ないジャージ姿。着の身着のまま、とはまさしく彼女を示すよう。——それでいて、()る剣は、

 

「ややっ、何奴(なにやつ)! 胡散臭いにプラスして、自意識過剰かつ嫌味ったらしい!」

「な、んだ貴様は……⁉︎」

「語る名などあるまいよ……私はただ、そう。〝セイバーを狩る者〟……ですが、こと聖杯戦争だというならばハイ、空気を読みましょう!

 いくぞ愛剣《ひみつかりばー》っっっ!」

「ぬぅっ⁉︎ 《月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)》ゥッ‼︎」

 

 黄金の剣が(ひるがえ)る。一足にて三歩分、ワケの分からぬ怪人は間合いをぐいっと詰める。

 たまらず身退(みさ)がり、男は水銀を我が(たもと)にと喝破。……果たして、一介の魔術礼装がサーヴァントの法外なパラメータを上回るはずもない。

 

 身を縮め硬質な螺旋壁を築き上げるよりもなお(はや)く、不可解なサーヴァントは男の懐中(かいちゅう)に滑り入り……

 

「づぅっ⁉︎ 今度こそ何奴!」

「こちらのセリフだ剣士! 剣を扱うなればこそ、騎士の道に(じゅん)ずる——その尊き精神に従うべきではっ?」

「はっはっは、闇討ちが売りのアサシンに騎士道精神とか言語道断! その綺麗な鼻っ面を捻り切ってやりますよ!」

 

 (いちじる)しく要領を得ない言語——いや待て。彼女は今、我が身をアサシンと。

 ランサーがそう息を詰めた折り合い、双方の合間をたぷんと水銀が擦過(さっか)。金の刃が液体を斬り伏せた時にはもう、綺麗さっぱりとランサーの影も形もない。マスターもまた同様である。

 

「あちゃー。逃しましたえっちゃん!」

「そうですか。なら手短に退去を、」

「あっ、戦ってるのセイバーですね⁉︎ なにナイショで剣狩りしてるんですかそこを退きなさい、私以外のセイバーはっ、」

 

 図々(ずうずう)しい新手と、獲物の独占を狙うバーサーカー。お互いに()んず(ほぐ)れつ足を引っ張り合い、卦体(けたい)な二人三脚を披露。

 

 ともすれば、聖騎士はひとりでに独白をする。

 

「あ、あぁあ……なんという、地獄——、! 我が、我が王が分身、いや分裂……っ、この場はもう耐えきれまい! カリヤ、令呪を!」

 

 (こく)するように美丈夫は叫び、すると淡い光が彼を包む。たちまち存在の()びれも残らず、聖剣使いは消え去った。……令呪による強制転移。

 

 それがイザコザの皮切りである。

 

「ぬぅあああ! またも、(のが)した! えっちゃん出しゃばりちゃんですか⁉︎」

「斯くいうXさんも自信満々でターゲットロストですが。なんですか()()()()()()()()()()()()()()はもう帰ってください」

「くあぁあぁあ! サーヴァントユニヴァースでの千本剣ノックの恩義(おんぎ)を忘れたか眼鏡っ子ォ!」

「ありもしない思い出がすっと過るほど記憶曖昧模糊(あいまいもこ)ですか。さっさと星に帰るといいでしょう」

 

 論旨はどうやら、あのセイバーを取り逃した責任転嫁(てんか)。脈絡不明、意味不透明な論争は終わる毛色を見せることはない。

 

 ——なので、さも居ない者あつかいをされる分厚い胸板が水をさす。

 

「あー、もう止めんか! 同じ顔同士で相争うなどと見るに耐えん」

「……なんですかムサ男さん。名詮自性(みょうせんじしょう)を出てきて早々にした貴方には、さっぱり縁遠い争いごとに嫉妬が?」

「いやそうじゃなくなぁ……。誰が倒しただとか誰が悪いだとか、そういう理非を突き詰める姿、なかなかに見応えがないんだよぉ」

「なにをゥ大男! セイバーじゃない相手に興味はない! 去れ!」

「ロクすっぽ話の通じん相手か——しょうことなし。おい坊主(ぼうず)、ずらかるぞ。今宵の戦い、どうにも締まらんオチだが……決着、はついたらしい」

 

 意思通話もおざなりに、ライダーは耳の穴をかっぽじる。そのままウェイバーをひょいと御車台に乗せれば、呑気(のんき)にあくびだ。

 ただし、ウェイバーとても異論反論はない。若魔術師でありながら、いやだからこそ、今夜は衝撃が連綿(れんめん)しすぎていると思う。とりわけロンドン時計塔から見知り越しがいるなどと……

 

「はぁー……行けよライダー。ムカつくこともどうにかしてやりたいことも! ……大量に積んだままだが、寝覚めが悪いのはごめんだ」

「そうか。……フフン、若人(わこうど)の成長はたいへん早い! ではさらばだっ、バーサーカーとそのマスター、妙な小娘らよ!」

 

 ひとつ手綱(たづな)で檄すれば、雄牛の蹄は雷を帯びる。ややもせず地表を離れ、紫電を散らし、訪れ(どき)どうよう嵐のように場を後にしていく。遠雷じみた呵々大笑は、けっこうな時間、耳朶(じだ)に触れた。

 

 これで、残ったのはバーサーカー陣営のみ。

 

「……えぇと。バーサーカー——と、……?」

「おっと。名乗っておりませんでしたね。私は、————ぬ」

「あ」

 

 おずおずとアイリスフィールが切り出す。が、路床についた脚は二人分のみ。目深(まぶか)に帽子をかぶった彼女は、ふわりと茫洋な光に包まれつつあった。

 

「んー、よっぽど魔力供給がないと、二人分の持続は厳しいですか。むしろ普通のマスターには、私たち二人を常に(はべ)らせておくのは無茶、ってものですしね」

「……消えるの?」

「ご安心ください! 私は英霊召喚の(あぶ)れ者みたいなものですからねぇ……えっちゃんがいるところに私あり、という有耶無耶(うやむや)なものです」

「————。ごめんなさい、やっぱり難しいわ、貴女の言葉」

 

 一所懸命に言葉を反芻(はんすう)し、だが整った美貌は笑い崩れる。

 

 尤も、この英霊とて(やぶさ)かではない様子。にへらと笑い次第、ピースサインを出す。

 

「ピンチヒッターとして私を覚えていてくれればそれで! 細かいところは……えぇ! これでも文系なえっちゃんが親切に教えてくれるはずですよ」

「……! あ、待って! せめて貴女の名前、教えてくれるかしら?」

 

 胴体(なか)ばまで(ほぐ)れたサーヴァント。そこに、名を尋ねる。

 ……さても名前を紡ぐだけのために魔力を貰っていいものかと甚だ疑問を懐き。だが誰何(すいか)に答えるのも悪くはないと、帽子を取っ払う。

 

「謎のヒロインXと。——ははは最高の名前でしょう!」

 

 何屈託(くったく)のない笑顔、それを見え隠れさせる金の前髪。あぁユーモアを徹底した英霊であったものだと、アイリスフィールはクスリと笑い、

 

「…………何、謎のヒロイン、それもX————って」

 

 

 















 三年越しの更新となります!!!!!
  原因→(ログインパスワードをようやく思い出す) 

 しかしながらッ
 この三年間、小説家になろう様にて猛修行をしておりました。いやはや、オリジナル作品に熱と愛を注ぎ込むのは楽しい反面、下地となる出来事を自分でつくり上げる大変さもあるのだと……
 その甲斐あってか、言葉の覚えと自分のペースは鷲掴みできております。

 もはや刷新する勢いで、ハイペースとスロウペースの間切りをひた走ろうと思います!
 古い書物を紐解くようなお気持ちで、今一度、掘り起こしていただけると幸いです。



 モチベーションから逃げるな(自分用)

   



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17話

 

 

 

 

 遠坂邸。開いた窓枠からはいささか魔力の毛先(けさき)を感じられ、とうとう聖杯戦争の始まりを(あん)に告げてくる。が、そこに負けじと、亭主(ていしゅ)は気乗りしない嘆息を吹き返す。

 

 ——なんと予想の埒外(らちがい)にあることか。先の一戦、とりわけ(おの)がサーヴァントたる英雄王が矛先をむけた時。言い()えれば、神経を逆撫(さかな)でされ不興を露わにした時。

 遠坂時臣は自らのサーヴァントへ、崇拝にほど近い感想を(いだ)いている。遠坂たるもの優雅たれ、と高貴さならではの訓戒(くんかい)美学を持っているのだから、原初の王とあらば最上級のもてなしを()って然るべきだ。

 

 しかしさっきの一幕は目に余るものがあった。《王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)》を凌がれた挙句(あげく)、あわや宝具の直撃すら許しかける……(そば)に綺礼がおらなければ、その場での退場もあるいはあり得たかもしれない。

 

「……っ。初めから出鼻を(くじ)かれた心地だ」

 

 そう独りごちるや、時臣はかたわらのグラスを(あお)る。自棄酒などではないが——あぁなにせ、アーチャーは綺礼のもとにぶらり歓談だ。急遽(きゅうきょ)、袖を翻すこともない。

 

 召喚して以来、マトモな交流がないというのに令呪での強権を(ふる)った此度。やれやれ目先、キャスターのクラスすら目撃できていないというのに、令呪一画を失った手痛(ていた)いミスリード。それでいて、アーチャーとの意思疎通もおざなり。

 

「————聖杯戦争は、始まったばかりだというのに……!」

 

 焦燥に駆られるよう、瀟洒(しょうしゃ)さを歪める鼻梁。それを誤魔化すよう、はたまた妙案でも求めるよう、時臣はグラスの中身を一挙(いっきょ)に呷った。

 

 

 

 

        ×          ×

 

 

 

 

 まだ日が落ちていない時のことだ。

 冬木市を(さわ)がせる連続殺人事件、その犯人が、一つ屋根の下に侵入し——

 

「♪閉じよ閉じよ閉じよ閉じよ。繰り返すつどに四度——あれ、五度? えーと、ただ()たされるトキをー、破却する……だよなぁ? うん」

 

 剽軽(ひょうきん)な鼻歌を交え、うろ覚えの文を(そら)んずる青年。その手が(たずさ)えし刷毛には、べっとりと血糊が。奇妙なステップを刻むリビングルームのフローリングには、なにやら物々しい紋様が。

 

 何を(まが)うか、彼こそが猟奇的な殺人の張本人——雨生(うりゅう)龍之介(りゅうのすけ)である。見ての通りな軽衣装は遊び人をこれでもかと演出しており、そのくせ読めぬ心のアリヨウが余裕をかもす。夜の街に出れば、龍之介は獲物に(こま)りやしない男だ。……あぁもちろん、()()。肉食動物などが鮮やかに手に入れる、獲物である。

 

「♪閉じよ閉じよ閉じよ閉じよ閉じよっと。はい今度こそ五度ね。オーケイ?」

 

 儀式というのは本来、荘厳(そうごん)にやるべきなのだろう。が、龍之介からしてみれば、辛気臭いものはナンセンス。雰囲気を取り(つくろ)うのは結構、重視すべきはフィーリングだ。

 

 それにしても、今回の魔法陣はイイ出来(でき)である。両親と長女を殺して血を抜いていたものの、失敗もなくすんなりと済んだものだから荷厄介になってしまった。折角(せっかく)、抜本塞源とでも洒落込(しゃれこ)んで準備めかしたというのに。

 ——そう。()()()

 

 ただいま雨生龍之介は〝モチベーションの低下〟とやらに頑迷(がんめい)していた。三○人あまりを食い物にしてきた彼であったのだが、どうも拷問や処刑の手口(てぐち)に新鮮味を失ってしまっている。化粧のノリが悪いと気分が上がらない、ようなものかもしれまい。

 簡素な話、思いつく限りのエンタテインメントを試してしまった龍之介は、もはや獲物を(なぶ)り、断末魔を見届けることにも感動の(たけ)が薄れていっているワケだ。

 

 だから、原点回帰という言葉にあやかろうと実家に帰省(きせい)。五年ぶりの再会たる姉——()()()()()()()()()()()()()()()()を前に、だがインスピレーションは浮かばず。

 

 それでも。

 土蔵にガラクタともども埋もれていた和綴(わと)じの古本。虫食いだらけで読み落とす面もあったものだが……幸い、学生時代に漢書を(かじ)った龍之介には、さほど読み解くことに(ろう)はなかった。

 

 しかし内容は、奇天烈なものであり理解に苦しんだものだ。

 

「ねー坊や、この世界に不可思議ってあると思うかい?」

 

 あまった血を其処彼処(そこかしこ)に塗りたくり、ファインアートとでも気取った折り合い。……部屋の片隅に、猿轡(さるぐつわ)を噛ませて縛り上げた男の子めがけ、そう問うてみる。

 むろん、返答など望むべくもない。ただふいごのように呼吸を浅く漏らし、人だった親族の(むくろ)をじっと凝視するだけ。すっかり怯えてしまった。

 

「よく新聞とか雑誌に取り上げられるじゃん。ナナフシギとかさ? あーいうの、ちょっと興味持っても調べるまではご足労でさぁ……うんうん、オレぁその前に、新鮮(しんせん)な死を眺めてみて感想をいだきたいんだよね」

 

 子どもの怯懦(きょうだ)ぶりにはさまで気も留めず、芝居がかった様子で龍之介は続ける。

 

「でもよく考えりゃ、何事にも先達(せんだつ)っているワケよ。アートの悪魔だったり、ファンキーの死神だったり、……とにかくも前を歩いていた人たちっているの。

 そうやって古さに新しさを考えてたらさぁ! こんなの見つけちゃって」

 

 襤褸切(ぼろき)れのような古書をひらひらと誇示。

 

「なんかオレの先祖(せんぞ)、陰陽師ぃ? っての齧ってたみたいでさ。ふるぅいカミサマとか信じてたんだって。——そしたらさ、同じ血流れてるんだから気にもなるってハナシ!

 カミサマ? アクマ? どっちがいるのかなぁこの世界! どっちがでてくるのかなぁここに!」

 

 調子っ外れな音調で龍之介は言い(つの)る。普段は喋ることさえ億劫なものの、こと死に向き合う場ではべらぼうに饒舌(じょうぜつ)になってしまうのは龍之介の癖だ。

 

 ——さて、こうやって興味をそそられるお話をしていもなお、男の子は呻吟(しんぎん)するばかり。うっかり縄を外せば、尻に()をかけることだろう。

 なので、龍之介は満面の笑みを張り付かせ、

 

「でもさ? もしそうやって普通じゃない人が出てきたとして——ただ呑気(のんき)に茶飲み話ってのも気が引けるじゃん? 準備もなしなんてよりマヌケでしょ?

 だからね、(ぼう)や……もし悪魔サンがお出ましになったら、ひとつ殺されてみてくんない?」

「……っ!」

 

 (わか)るワードを組み繋げ、果たして子どもは狂乱の(うず)へ。秒刻(びょうきざ)みで自分が死ぬ運命にあるのだと、理解の色を示してしまったのだ。

 

 ああカワイイ、愛おしい。ケタケタと笑い転げ、龍之介は興奮を覗かせる。

 

「悪魔に殺されるってどんな気分だろうね! 痛いのかなァ、苦しいのかなァ、ははっ、とにかく貴重(きちょう)だってことに間違いないと思うよ? 滅多にあることじゃあないし、はははははは————ぁ痛っ⁉︎」

 

 その笑殺に横槍(よこやり)を刺す激痛。……右手。あたかも王水を浴びせられたような——なにせ(そう)状態にあった彼を引き戻すほど——痛みの(すえ)、右手の甲に刻まれたモチーフ。

 三匹の蛇が(から)み合うような紋様だった。紅色で、見たこともないモノ。

 

「な、んだぁ————コレ」

 

 (しび)れるような痛みが張り付いたまま、だがそれすらも恍惚(こうこつ)の余韻とばかりにうっとりと。……龍之介のセンスに符号するアーティスティックに、魅入ってしまう。

 

「へぇ……」

 

 遠近を通じて手を離しては近づけて、そのシルシを眺める。まったくなんという怪異(かいい)。これだけでも随分なオカルトの証であり、収穫にもなり得たものだ、と——

 そう吊り上げた口角に、風が颯々(さっさつ)と触れる。

 

 風。臭気を漏らさぬよう密封した窓から隙間風(すきまかぜ)……とは思いがたく、しかし物が動いて生じた微風(そよかぜ)とも思えず。

 なにせ次第に部屋を荒らす狂飆(きょうひょう)へと遂げるソレは、どうにもペイントした魔法陣から吹き荒ぶものに違いなく。

 

「…………っ」

 

 クル。なにかが来る。(きざ)しだ。それも、龍之介にとっては祥瑞(しょうずい)そのもの。

 

 かつて雨生という一族に(つた)っていた異形の力。子孫にすら忘れ去られたものの、ただし連綿(れんめん)と受け継がれてきた血筋は今、この時のこの場面で。

 龍之介の(うち)に眠り続けていた〝魔術回路〟は臨界(りんかい)に達していた。魔法陣から発せられる稲妻とスプレー状の霧も、色めき立つ龍之介がようやく開いたソレによるものであり……

 

 津波に()み流されるように開通した神秘の遺産(いさん)。それは龍之介に入り込んだ〝外なる力〟を循環させ、ひいては異界より招かれたモノへと(さず)ける。

 やがて立っていられなくなる風量に転じ、逆巻きの暴風は(うな)りを上げ——

 

「————————は?」

 

 さても異例な英霊召喚。たとい稚拙(ちせつ)な召喚陣でも、完璧に詠唱が()されずとも、聖杯が素質ある七人を選別するというものなのだから。

 ……雨生龍之介は七人目のマスターとして選ばれたのだ。

 

「……()?」

 

 陣の中央にぽとりと()え置かれた一冊。——拍子抜けだ。

 楽しみをすっぽ抜かれた心地(ここち)で歩み寄り、龍之介はそれを拾い上げ、

 

「うわっ、スゲェ……これ本物の人の皮ぁ……⁉︎」

 

 よぉく目を()らし、肌に触れ、真偽を検める。

 本物だ。往時(おうじ)にはチャレンジし、諦めた理想の産物。……なるほどこんなにも素晴らしい。

 

 おっと。外装も大事だが、中身も大事。ためしに先触(さきぶ)れだけでもお目にかかろうと、表紙をめくり……

 

「うおわッ」

 

 ()頓狂(とんきょう)な声をあげた。

 仕方ない。何と言っても本を開いただけが、ページは燐光を()び、光の粒がカタチを作ったのだ。

 

「……? ……?」

「うわぁおこれが英霊(サーヴァント)召喚の気分か。複雑だなァ、自分なのに自分じゃないみたいだ。いんや、そうかそうか————へェ、おもしろい召喚の仕方(しかた)したんだね我がマスターってば!」

 

 トスリと鳴ったブーツ。軍服のようなインナーに短パンを合わせた不思議な格好に、さらに羽織(はお)った術師じみたジャケット。そこに銀の髪と死んだような目つきが、常人離れを演出する(かれ)——

 

 すると、そこに列立する()()()姿()()()()()()

 

「オォオオォオ、プレラーティ! 我が盟友! 印許(しるしばか)り先に行くなどと水臭いですねェ」

「ごめんよジル。だって窮屈だもの、()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 マスターたる龍之介を差し置いて披露(ひろう)される()()()()()()()。まったく予備知識ゼロの龍之介からすれば、どんな手品よりも手品めいたトリックだ。

 

 そこで、口をあんぐりと茫然自失(ぼうぜんじしつ)な我が契約者へと、いわく面妖なコンビは笑いかける。

 

「自己紹介してあげるさ、僕、フランソワ・プレラーティ。オッケー?」

「いきなり真名を⁉︎ うぅんそうですねェ、私の方は——この時代で通りのよい名——そう、青髭、とでも」

 

 (おぞ)ましい笑顔がかがやき、その場をさらに混濁(こんだく)させる呼び名ふたつが響いた。

 

 

 


















がんばれプレラーティ君!


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