艦隊これくしょん書き殴り短編集 (村虎九理乃)
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鹿島さん、負ける(0勝72敗)

 提督になんてなりたくなかった。

実際に口に出したら軋轢を生むので言わないけれど、それは偽りなき想いである。

白の軍服に身を包んだ青年――提督は、全身に纏わりつく倦怠感を振り切って今日も机に向かう。

ああ、本当に働きたくない。一体どうしてなんで、と。気を緩ませたら愚痴が溢れそうだ。

そもそもの話、提督なんてなりたいものだけがなればいい。

 

 ――まあ、それができたら苦労はしない。

 

 提督と言っても、所詮は麗しきお嬢様方のご機嫌取りだ。

艤装を身に着け、海を征く。深海棲艦と互角に渡り合う“化物”だ。

当然、一般的な人間では足元にも及ばない遥か彼方にいる存在である。

艤装を展開していなければ一般的な少女と心身共に変わらないが、そんなこと些細なものだ。

外見は美少女、中身も人間と変わらない。だから、安心してくださいなんて思える訳ないだろう。

舐めた態度なんて取ってみろ、すぐに更迭――もしくは銃殺刑か。

まあ、ろくなことにはならないことは確定している。

そんなブラックな環境の鎮守府もあるらしいが、此処や自分の知っている鎮守府は比較的ホワイトだ。

というよりも、普通にホワイトにせざるを得ない。

幾ら、彼女達が化物と言っても疲労は存在するし、ちょっとのミスで轟沈なんて戦場ではよくある話である。

貧乏性でもある提督はそれを良しとは思わなかった。

艦娘の数だって限りがある。資材だっていつでも潤沢とは限らない。

鉄砲玉のように使うなんて効率が悪い、ある程度育てて質を高める方が長期的には運用がしやすい。

兵士が武器の手入れを怠らないように、提督も艦娘の調子を整えるのには余念がない。

中にはそのご機嫌取りが本物になってしまったのか、艦娘とケッコンなんてことをする提督も存在するらしいが、自分はゴメンだ。

要するに、穏便に接していれば問題は起こらないのだ、それだけの話である。

そんな中途半端な優しさしか持ち合わせていない自分が何故提督になのか、と。

毎晩、自室の備え付けの鏡に問いかけたくなるが、無機物がパーフェクトな返答をくれるはずもなく。

 

(ああ、本当に)

 

 どうして、俺が提督なんだろう。

たまたま艦娘の能力を十全に引き出せる資質があったばかりにこんな所にいる。

特段に有能でもないにも関わらず、だ。

過小評価をする訳ではないが、過大に自己を見つめて悦に浸る趣味はない。

本当にただの偶然。運の良さだけでこの地位に就いている塵芥。

性根が腐っている以上、何をしようが変わらない。屑は屑で最後まで決まりきっている。

自分が一番大事でそれ以外を切り捨てられる冷酷なクソ野郎。それが、“俺”だった。

 

だから――――。

 

「おぼっ、ごっ、ぅっ、げほっげほっ、うぅぅっ」

 

 ――――脳内常時クソッタレ状態で酒に逃げるという訳だ。

 

 提督、絶賛二日酔いである。トイレには既に二回往復済だ。三回目も嘔吐物は健在なり。

吐き気で目覚め、とりあえず近くにあったゴミ箱に嘔吐する最悪な朝から二時間が経過した。

吐き出される胃液の酸っぱさにもう耐えられない止まらない。

何が提督だ、バカバカしい。お願いなので二日酔い早く消えてくれ。

明日からは真人間に生まれ変わるので神様!

 

「もう、飲まねえ、酒、飲まねえ」

 

 譫言を呟きながら便座を掴む提督に威厳は欠片もなかった。なおこの譫言は日中になったら撤回される。

こんな姿、艦娘達には絶対見せられない。見せた瞬間、舐められまくること間違いないので、頭が痛い。

そういう訳でなんとか業務開始前にはある程度調子を戻さなくてはならないのだが、この調子だと厳しい。

かくなる上は最終手段の体調が優れないので出勤ずらし。そもそも最悪な体調で命を預かる指揮なんて無理だ。

 

「うげぇ、がっ、ぉぅ、ごへっげひゅっ」

 

 お酒、だめ、絶対。もう二度と飲まない。

この気持ち悪さが続いている時は決して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで午前は演習、出撃を全部取りやめて、雑務で何とかやり過ごす。

しかし、午後となるとそうはいかない。

提督として、ある程度の実績を上げなければならない為、秘書艦の鹿島と一緒に演習の陣形考案だったり海域解放の作戦練りである。

それにしても、提督は思うのだ。この鹿島という艦娘、非常にあざとい。

可愛さ的な意味でわざとやっているのではと感じてしまうぐらい、男心をくすぐるのだ。

所作に言動、表情の作り方に至るまで天才としか言いようがない。

もしも、何のしがらみがなかったとしたら、自分もころっと落ちていたかもしれない。

 

(怖い怖い怖い怖い、普通に怖い。絶対あれ罠だよな、知ってる知ってる。

 食虫植物も真っ青なやつだろ。ちょっとでも不用意なタッチでセクハラで訴えますって。

 あ~~~~もったいねぇ。これで艦娘……部下と上司って間柄じゃなかったらなー。

 仕事だからまだ最低ラインギリギリなだけで、これがプライベートになると見向きもされなくなるんだろうな、鬱だ死ぬ)

 

 にこにこと表情を崩さず事務をしている彼女を見て、怖いなぁと再確認。

提督のように鍛えられた人間は逆に自分へとつっけんどんな態度を取る艦娘の方がある意味信用できるのである。

嫌悪的な意味で真っ直ぐ。嗚呼、わかりやすい、嫌われているならば事務的な対応で全部事足りる。

予め、悪口が言われるとなったら心の準備をしておけばいいのだから

相手も自分なんかと長く接したくないだろうからなるべく遠ざけたりとか。

大井とか霞とか作戦概要の時だけ意見を聞けたらいいだろうとか。

 

(嫌悪って言葉でわかりやすく括れるなら楽だし、何考えてるかわからん奴もまあ放置していればいいし。

 加賀とか何考えてるんだろうな、いや赤城のこととか五航戦のことでいっぱいなんだろうけど)

 

 逆に怖いのが好意的な艦娘である。

その態度を素直に受け止めることができたらいいのだが、色々と拗らせている提督はそんなことはできない。

もしも、好意的な態度が罠であったら。陰湿な悪口を裏で言い合っていたら。

何せ、自分はイケメンでもない、仕事もそんなにできないという凡庸な提督だ。

そんな奴に艦娘がすり寄って来る訳ないだろう、はははウケるといった次第である。

 

(怖えなあ、美少女って外見がまず怖いよ。お金払った方がいいかな、いや給金払ってるか。

 

うわぁもうダメだ、と。頭を抱えて逃げ出す他ない。

他の提督や艦娘がこの内情を知ったらどうしてここまで放っておいたんだという憐れみと優しさの混ざりあった目で見てくるだろう。

 

(鹿島、怖い。絶対裏で嘲笑っている。俺を罠にはめて独房送りにするつもりだ。

 提督を辞めるだけなら全然いいし、大歓迎だ。でも、罪に問われて色々とリスクを背負わされるのは辛い。

 その後のキャリアに響く。そんな真綿で首を絞められたような人生は嫌だ)

 

 この提督を勘違いさせる態度にころっと騙された提督はきっと数多い。

そして、無理矢理に襲って憲兵の御用となったに違いないはずだ。

自分はそんなことにはならないし、そもそも鹿島もそういった好意を抱いてないと推測しているので、このままでいく。

 

「提督さん、そろそろ切りの良いところですし、休憩しませんか?」

「あぁ。急ぎの作戦立案もなし、ひとまずは現状維持で全然通用する。

 陣形も作戦も今は艦娘達への定着を優先したいからな。ただ――」

「――万が一の時を備えて、ですよね」

「何が起こるかわからないからな。トップである俺が備えをしておかないでどうするんだって話だ」

 

 天才的な才覚がない以上、作戦も陣形も色々と準備をしておかなければならない。

急造のモノでどうにかできる程、自らを過信はできず。慎重に慎重を重ね、その上で熟考した末に形になるのがやっとなのだから。

 

「それじゃあ、鹿島。休憩に行っていいぞ。調子が戻るまで帰ってこなくていいから」

 

 そうして、少し卑屈気味な笑みを浮かべ、提督は鹿島へと視線を向ける。

一人の方が気が楽だ。艦娘がいたら無駄に神経を使わなければならない。

 

「いえ、今日は此方で休ませていただきます。美味しいコーヒー、淹れますね」

 

 さよなら、楽園。これより先、この執務室は地獄である。

本当に鹿島、いい娘なのだ。裏表がないのではと勘違いしそうなくらいにだ。

このあざとさはもしかしなくても天然、いやいやそんなことはない。

まあ、外部か内部かは知らないけれど、お付き合いをしている誰かさんはいるのだろう。

時々、通信機器の画面を見て薄っすらと頬を朱色に染めて口元を緩ませていることから確定である。

 

(やっぱ、何の憂いもなくエロいことできる娘に限る。あ~風俗だよ風俗、やめられないとまらないこわくない。

 そういう意味では艦娘なんてタブー中のタブーだもんな。幾ら見た目が最高で中身もよくても、重いもんな。

 ずっと水底に堕ちるまで一緒とか重い重い。信頼も愛も全部重いわ、間違いなく)

 

 こんな内面、バレたら速攻で憲兵だ。

軍人としても男としてもあまりにも俗な思考、艦娘から見たら軽蔑されてしまう。

だからこそ、外面はそれなりに良くしているが、取り繕うことにも限界はある。

 

「はい、どうぞ。今日のコーヒーは自信作なんです」

「自信作というと、淹れ方を勉強でもしたのか?」

「提督さんの口にも合うように頑張っちゃいました」

「媚びを売っても返せるものは何もないぞ?」

「いえ、私は十分に返してもらっていますので」

 

 提督は曖昧に笑みを浮かべ言葉を返す。

コーヒーの味なんてわかったものじゃない、全ては彼女の言動を聞き、地雷を踏まないようにする一心である。

性根の腐敗とよくわからない拗らせ方を併発していなければよかったのに。

表面では健気な態度で尽くしてくれるが、その内面では――。

 

(……ほんと、ろくでもない)

 

 どう考えても結論はネガティブになる自分が恨めしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鹿島は提督が好きだ。それはもう、彼の写真(隠し撮り)を通信機器の待受にするくらい大好きだ。

毎晩その待受を見て気分をキラキラさせてから寝るのが日課になっているぐらい好きである。

鹿島自身、ここまで惚れ込むとは思っていなかったぐらい、だ。

良く言えば社交的、悪く言えば八方美人。特定の誰かを好きになるなんて、と。

意識している訳ではないのだが、鹿島は異性の男性から好かれやすい。

それ自体は嫌なことではないが、告白までいくと話は別である。

告白を断るというのは非常に神経を使うし、できることならしたくない。

男女問わず末永く程よい距離で仲良くしていきたい。

深い間柄になる必要なんてないじゃないか、別に今まで通りの関係で問題ないのだから。

この鎮守府に配属されるまで、鹿島はそんな宙ぶらりんな関係しか築いてこなかった。

 

(最初は好奇心だけだったのに、いつしか好きに変わっていた)

 

 どう贔屓目をしても、うだつの上がらない平々凡々の青年である彼。

天才的な閃きを常に導き出す護国の鬼将でもなく、艦娘を魅了してやまない絶世のイケメンでもない。

ただ、艦娘のことはよく見ていた。それは無論、鹿島のこともだ。

提督にとっては特別でもない、ありふれたある日。

鹿島にとっては特別であり、一生残り続けるであろう日。

 

 ――鹿島はいつも笑顔で、疲れないのか。

 

 後輩の艦娘達への指導も終わり、業務報告をしている最中、ふと問われたのだ。

その時の自分の表情はきっときょとんとしたものだっただろう。

何せ、笑顔でいることは鹿島にとって当たり前のことである。

苦に思ったことなどないし、相手も笑顔になってくれるならそれでいい。

提督に返した言葉もそのようなニュアンスを多分に含んだものだった。

 

 ――すごいな、俺には真似できないことだよ。

 

 そう言って、提督は困ったように笑った。

異性同性問わず好かれるように努力するのは当然だ。

周りに気を使って、円滑に関係を築けるように、振る舞いには力を入れていた。

自分を含め、すごいなんて言葉を投げかけてくる人は今までいなかった。

だから、不思議で仕方なかったのだ。

何故、そのような言葉をかけてきたのだろう、と。彼の内側にあるモノを鹿島は知りたくなった。

その一件から、鹿島は何となく彼を目で追うように心がけた。

秘書艦にも立候補し、彼の傍で観察を続けて数ヶ月。

彼もまた、非常に周りに気を使い、好かれるように努力をしていることだ。

 

(提督さんも私と同じなんだって気づいて、そこからはあっというまだったなあ)

 

 そんな訳はなく、提督の場合、変にフレンドリーな艦娘怖い、後腐れのない美少女とエッチしたいという雑念をひた隠しにしているだけである。

しかし、美化100%の目で見ている鹿島は欠片も彼の雑念は察知できていない、悲しい乙女の瞳だ。

 

「今日のコーヒーは好みの味だな」

「……っ、よかったぁ」

「そんなに安堵することでもないだろう。俺は出されたものならしっかりと飲む」

 

 この言葉の裏にある『だって下手なこと喋って機嫌損ねたらめんどくさいし……』という副音声は聞こえていない。

ニコニコ度合いがアップ、今快速で海上をかっ飛ばせそうな満面の笑みである。

今の鹿島は提督に好みの味と言ってもらえてウキウキルンルントリップ状態だ、普段の後輩指導で見せる頼りになる鹿島先輩は何処にもいない。

姉である香取が見たら目を逸らして手遅れですねと言いかねない乙女、鹿島、ちょっと落ち着いて欲しい。

それにしても、この二人、意思疎通が下手くそだ。

 

「私は提督さんに少しでも美味しいコーヒーを飲んでもらいたいんですっ」

「物好きな奴だな。そういう気遣いは後輩にしてあげたらいいだろ?

 普段厳しく指導しているんだ、日常的な所で労ったら好感度が上がるぞ?」

 

 だから、お願いです好意的な態度で俺を困惑させないでくれ――!

この男、本当に手遅れである。もうカウンセリング受けた方がいいよ。

 

「それじゃあ、提督さん。私に対して好感度は上がっているんですか?」

 

 鹿島、攻める。これまで培ってきた対人技術の全てを込めた上目遣い、ちょっと気弱にトーンを下げた声、不安なんですと強張らせた頬。

これに落ちない人間などいない。これには大井っちもすごいわねと大絶賛だ。

事実、提督は結構ぐらついている。いや、これ俺のこと好きでしょ的な思い上がりがぐんぐん膨らんでいた。

けれど、そう――――けれど。鋼の精神で提督は耐えきった。

ここで乗ったらどうせうわっ、本気にするとかキモとか容赦のない侮蔑が来る。

流石に好意的な態度から一変、そういうきつい言葉を受けたら、提督も落ち込む。

せめて、心の防波堤を完成させてからにしてほしい。

 

「そういった言葉は俺のようなただの上司ではなく、もっと他にかけてやれ」

「……そうですねー」

 

 鹿島、ぼっきぼきに折れる。提督の拗らせたヘタレ心は百戦錬磨、そう簡単には崩れない。

恋愛敗北者、まっしぐらである。表情は心なしか煤けて目尻には涙、正直諦めた方がいい。

いっその事、押し倒して好き好き大好き愛してるってやってしまうべきか、いやそれでドン引きされて距離を置かれたら轟沈してしまう。

なんだかんだで強メンタルではない鹿島はそういった葛藤から遠回りの告白、ずっとお側にいますね宣言を続けているのだが、まるで効果はない。

今日の夜も提督の待受を見ながら一人で提督攻略ノートを書き記すことになりそうだ、哀れだね。



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鈴谷さん、負ける(0勝95敗)

 重ねて言うが、提督は艦娘が怖い。

それはもう、雨の降りしきる日にバイクでマンホールの上をかっ飛ばしちゃった時くらいに怖い。

だって、めっちゃ滑るし、そのまま滑ってスピンして放り出されたら大怪我確実だし。

艦娘というより女の子が怖いのではないか、と。表情を渋くして提督は眉を顰めている。

手に持ったボールペンをくるくると回して、忙しなく。さて、どうしようかと考えている次第であった。

 

「ねーねー休もうよーっ、もう疲れたってばー」

 

 先程からひっきりなしに声を掛けてくる艦娘をどう退けるか。

口を尖らせてくいくいと服の袖を引っ張ってくる厄介者。じっとりと刺さる視線を視界に入れないように仕事を進める。

それが今の提督に課された至上命題である。机の上にある書類とかはとりあえずぽいだ。

このまま膠着状態を続けていては終わる仕事も終わらない。

だから、いい加減向き合うべきなのだとわかっているけれど。

 

「まだ切りの良いところまで終わってないぞ。とりあえず、お前が秘書艦業務をやりたくないのはよくわかった、もうちょっと頑張れ」

「でもでも、ちょーっと疲れたから休憩したいっ。別にやる気がない訳じゃないしさー」

 

 このイマドキのジョシコーコーセー的な艦娘、鈴谷に対しては尻込みしてしまうのは無理はないだろう。

鹿島も怖いが鈴谷も怖い。何せ、如何にも陽キャである容姿に明け透けな性格。

提督の苦手ゾーンを直球ストレートでストライクだ。つまり、苦手である。

 

「もー、私が不真面目って勘違いされたら困るなぁ。鹿島が群を抜いてヤバいだけだから」

「確かに、あいつが秘書艦の時は仕事で苦戦はほぼないし、それでいて気遣いの鬼って本当にすごいよな。

 別にそこまでしなくてもいいのに、好きでやっていることっていつも流されてしまう」

 

 鹿島の心、提督知らず。単純に大好きな提督さんの横で仕事ができるのと彼にできる艦娘と思われたい一心でこなしているだけだ。

これが他の艦娘達だったり一人でやったりの時はもっと手を抜いているし、気合のゲージも幾分か低い。

 

「そういうこと、ね、ね?」

「わかったわかった、休憩行ってこい。ある程度リフレッシュしたら戻ってこい」

 

 確かに、鈴谷は容姿や言動に反して仕事に対しては割かし真面目である。

ただサボりたいだけで要求してる訳ではないことは提督にもわかった。

これ以上の押問答は無駄な時間ではあるし、早々に彼女には休憩に入ってもらうことに決める。

加えて、提督も艦娘と執務室で二人きりという状況から開放されて一石二鳥であった。

 

「鈴谷さー、休むって言ったけど、ここから出ていかないよ?」

「えっ」

「一緒に休もっ、提督」

 

 地獄、再び。書類に向けていた目が、固まる。

鹿島の時といい何故この執務室で休むのか。

別に食堂に行ったり、自部屋に戻ったり、他の艦娘と雑談をしに行ったりしてもいいじゃないか。

いくら上司だからといってそんなに構わなくてもいい。

それとなく艦娘達には伝えているが、はたして理解しているのかどうか。

この調子だと全く理解していないのだろうな、と。提督はこんな事もあろうかと飲んでおいた胃薬に感謝して、鈴谷に向き直る。

 

「俺は仕事あるんだが」

「別にそれ、急ぎじゃないじゃん。明日に回しても平気なやつでしょ。

 確かに、さっさと終わらせて返送するのはいいけれど、さ」

 

 駄目だ、逃れられない。彼女は居座る気満々だし、お茶菓子と通信機器を取り出している。

超絶ヘタレの提督がこんな調子で横にいられてまともに仕事ができるはずもなく。

 

「そうそう、最初から観念したらいいのに」

「観念も何も上司が仕事しているのに部下が休憩ってのは居心地が悪いだろ、お前も」

「……そーいうつもりでここにいる訳じゃないし」

 

 これ以上突っ込んでも藪蛇しか出てこない。

大人しく提督は軽く伸びをして、ポットに入れてあるお湯をマグカップに入れる。

鹿島はものすごく拘っているらしいが、提督はそこまで。

適当にインスタントコーヒーを入れて完成である。

 

「鈴谷のはー?」

「自分で入れた方が美味いぞ?」

「ちーがーうーのーっ! 提督が作ってくれたやつが飲みたいのっ」

「作るって言っても、インスタントにお湯入れただけなんだがな」

「乙女心っ! そこは乙女心なのっ!」

 

 何が乙女心だ、察することなんてできるか。

脳内で吐き出した言葉を何とか飲み込んで、提督は紙コップにお湯を入れてコーヒーを作る。

 

(マグカップは俺の私物だから使わないように注意しなきゃな。

 一応洗っているとはいえ、上司の提督が使ったやつは嫌だーって言われたら鬱で死にたくなるし。

 そういうとこ、鈴谷は敏感に反応しそうなんだよな。まあ、流石に紙コップなら汚いとか言われないだろ)

 

ここにあるマグカップは提督が口をつけているものしかない。

来客対応時は茶器セットを厨房から持ってきているのだが、普段は置いていなかった。

艦娘達には急場しのぎの紙コップ、紙皿で対応している。

気にしすぎなのかもしれないが、自分が使った食器は嫌だとか言われたら辛い。

まあ、そんなことはないのだけれど。

鹿島辺りは『全然平気です、むしろ率先してそちらを使いたいです』と力説するだろう。

恋する乙女はときにブレーキを踏まないで爆走しちゃうのだ、怖いね。

 

「そういえば、提督ってスマホ持ってないの?」

「スマホ……通信機器のことか。仕事用しかないな」

 

 嘘である。本当はプライベートのスマホは持っている。

街の風俗情報盛り沢山、風俗嬢の個人写真など、艦娘達には見せられないものばかりだ。

 

「ちぇーっ、私物のスマホ持ってたら連絡先交換したかったのに」

「一応仕事用の連絡先は教えてるだろ」

「ちーがーいーまーすー! そーんなビジネスライクだけじゃつまんないじゃーん」

 

 上司と部下なのだからそれぐらいでいいと思うのだけれど、ここで口に出したら面倒になる。

提督得意の曖昧な笑みでごまかし切る。マグカップを手に取ってコーヒーでお茶を濁そうと――。

 

「それじゃあ、提督のスマホを買いに今度の週末にでも街に行こうよ、提督休みだったよね?」

 

 うわぁ、ムンクの叫び。提督、思わずマグカップを落としかける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鈴谷、思わず口元を三日月に歪ませ、勝利を確信する。

提督を狙っている艦娘達に先んずる一手に違いない。

改めて、自らの手際に惚れ惚れしてしまうくらい、これは会心の一撃、もといデートの誘い方だと自画自賛――!

 

(あわわわわわ、ついに誘っちゃったよぉ、デート! 長かったよ、長かった!)

 

 なお内心ではドキドキで心臓の鼓動が破裂しそうである。

顔の赤面を隠せているのが奇跡的と言ってもいいぐらい、今の鈴谷は平常心を失っていた。

そもそも好きな人の前で平常心を保てる程、鈴谷は強くないのだ。

もっとも、鹿島のように完璧すぎて逆に気づかれないよりはましなのかもしれない。

鹿島さん、デートにすら誘えないクソ雑魚の乙女だから仕方ないね。

 

(私、やるよ……絶対デートに誘って提督に告白する。熊野も大丈夫って言ってくれたし、これはいけるよ!!!!!!!!!!)

 

 鹿島のクソ雑魚具合はともかくとして、鈴谷はああはならない。

何せこう見えても、鈴谷は妄想内では百戦錬磨の恋愛歴を誇る艦娘。

ちょっとやそっとのことでは崩れないし、妄想は常に怠らない。

そう、鈴谷は最強の乙女なのである。

 

「いや、普通に週末予定あるし」

「えっ、あっ、えっ」

「お誘い自体は嬉しいが、基本的に休日は予定あるしまとまった時間って結構取り辛いんだよ。

 何せ、提督って休みが少ないからな、その分色々とやるべきことも溜まっているし」

「えっ、えっ」

 

 最強の乙女、めっちゃ打たれ弱い。何かもう既に涙目になってる。

もうちょっと恋愛装甲厚くした方がいいのではないか。

鈴谷の打たれ弱さには、提督もそんなに(俺で)遊びたかったのかと困惑気味だ。

 

「そういうことだから、遊びに行きたいなら熊野や三隈を誘っていけ」

 

 鈴谷、完全に脈ナシである。

というか、めっちゃ男をとっかえひっかえしてるんだろうなぁ、そういうのに困ったことなんてないでしょと提督には思われている。

なので、鈴谷がまさか自分を本当に好き好き大好きとは思っていない。

実際、恋愛経験欠片もないのに不憫だ。

 

「まあ、鈴谷は遊びに行ってもハメを外し過ぎないと思ってるけれど、一応は注意しておけよ。

 お前に何かがあってからでは遅いしな」

 

 ああ、卑怯だ。そういった言葉を直球で投げてくるのはやめてほしい。

思えば出会った時からそうだ、この提督は性欲抜きの心から鈴谷を思いやった言葉を常に投げかけてくる。

容姿や言動からそういった下衆な誘いも多くて辟易していた鈴谷であったが、この提督は一切そういった誘いをかけてこない。

鈴谷の内面を知ろうと努力してくれるその姿に、鈴谷は見惚れていった。

内面が乙女である鈴谷が提督に好意を抱くまであまり時間はかからなかった。

 

(もう、そういうことを言うの、ほんと卑怯。そんな信頼受けたら、応えるしかないじゃん)

 

ちなみに、その言葉が艦娘を刺激させないように細心の注意を払った提督の努力と常飲している胃薬による賜物だとは彼女は知らない。

鹿島と同様に何が地雷なのかわかったものではないので、びくびくしながら会話しているということも。

いや、本当に性欲とか向ける余裕ないんですよ、いくら美少女でも危険と隣り合わせなのはもう無理だ、と。

鈴谷が乙女フェイスできゅんきゅんしてる間も提督は内心、踏み込みすぎたかな、過保護で嫌悪を抱かれないかなとか頭をぐるぐる回して考えている。

 

「……絶対、今度付き合ってよね」

 

 その今度が通算数十回は重なっていることに鈴谷は気づいていない。

盲目な恋心は時に頭の回転を鈍らせるのだ、乙女だからね。

そして、今日の夜に結局デートに誘えなかったことに気づいてから、涙目で熊野辺りに泣きつくまでが一連の流れである。

熊野もこれにはげっそり顔、いい加減早く告白してくださいな、と溜息混じりで吐き捨てるのであった。



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あきつ丸さん、負ける(0勝235敗)

 辟易した顔と破顔した顔。

とある大きな鎮守府の廊下でかち合った二人の表情は対照的だ。

辟易の方は提督だ。いつも見せる営業スマイルを欠片も出さずそっぽを向いている。

破顔の方は艦娘だ。くるくると提督の周囲を周り、普段は見せないであろう艶やかな笑みを見せている。

 

「やあ、これは珍しい顔がおりますなあ」

「…………」

「無視はいけませんよ、挨拶はどこの業界でも基本、それができない奴は愚図であります」

「お前にしてやる必要性がないからな」

 

 すごく嫌な奴に遭遇してしまった。

ちょうどいいことに付き添いで来ている鹿島は昔の弟子だったり、他の提督に囲まれて歓談中だ。

しばらくは戻ってこない。いつもの取り繕いも眼前の相手には必要ない為、表情も口調も普段より荒くできる。

何せ、相手は自分のことについては大体は知っているのだから。

にまにまと底意地の悪い笑みを浮かべる艦娘――あきつ丸に対して吐き捨てるように言葉を放つ。

 

「自分も一応艦娘……正式には違いますが、大まかな枠組みでは同じでありましょう。

 となれば、提督として自分にも丁寧な対応を求めるであります」

「例外だ、例外。万人にお優しい提督様が欲しいなら他を当たれ。それに俺の手足でない奴にかけてやる情はねぇよ」

「辛辣ですねぇ」

「んな奴たくさんいるだろうからな。甘ったるい言葉がお望みならそっちに行けよ、わざわざこっちに来るな」

 

 いつもより数倍増しで陰気臭い溜息をついて、提督は踵を返す。

これ以上、あきつ丸と話していても碌な事が起きないだろう。

 

「自分はこんなにも提督殿を好いているというのに」

「おもちゃとしてだろう? 言葉足らずはよくないな。戦のことだけしか頭にない戦闘狂が。

 会話の勉強でもしたらどうだ?」

「なんと失礼な。これでも、自分は話好きなのですが」

「人を逆なでする言葉を選ぶセンスだけは一流だよ、お前は」

 

 ちょっと地方で会合があるからと出向いたらこれだ、全く笑えない。

このあきつ丸とは謂わば腐れ縁だ。提督に就く前からの仲であり、鎮守府での擬態も当然通用しない。

そもそも、彼女は所属が陸軍であるので、そんなに遭遇することもないのだけれど。

 

「陸海の会合にわざわざ来るなよ」

「そんなことを言われても、命令とあらば行くのが軍人でありましょう。

 特に自分は架け橋として期待されているのですから」

「いつ壊れるかもわからない橋に、皆さんご期待が重いようで」

 

 今回のように、陸との接点を持つ為の会合では必ずと言っていいほどいるのだ。

故に、提督もあまり行きたくないのだが、縁というものはできる限り多方面に作っておかなければ損である。

今の自分の地位が必ずしも安定とは言えず、いつ何が起こるかわからない。

 

「重くとも、期待されていないよりはましでありますな」

「俺は全く期待していないがな」

「知っていますよ、それぐらい。むしろ、そうでなくては面白くない。大抵は友好的な態度の提督ばかりで困ったものであります」

 

 とはいえ、見え透いた地雷娘とは縁を持ちたくない。

逆に切りたいくらいなのに、だ。

 

「どんな外見であっても、自分は兵器であるというのに」

「艤装を纏わなければ、兵器でも壊せるんだがな」

 

 両者がぶら下げた武器に手をかけるのはほぼ同時であった。

提督は短刀を、あきつ丸は拳銃を。一秒あれば即座に抜ける態勢を取る。

 

「艤装なしとはいえ、日々海上にて戦う自分相手に無謀では?」

「生憎と俺は他の提督と違って艦娘を信じていない。如何せん、臆病なものでさ」

「だから、常に備えている、と」

 

 心底嫌そうな顔を作り、提督はくるりと短刀を鞘に戻す。

嗚呼、阿呆らしい。何が壊せるだ、我が口は随分と自信過剰なようだ。

想定ではどれだけシミュレートしようが、実際に戦ってみてできるかどうか。

結局は口だけなのだ、下らない話である。

 

「護国の戦乙女と持て囃されようが、所詮は兵器。友好的な態度もこの戦が終わるまで」

「それまで俺達が生きているかどうか、甚だ疑問だけどな。最前線で戦うお前は特に」

「そうでありますな。自分はもう、戦の過程で犠牲になることを覚悟していますから」

「そうかよ、俺は全然覚悟してねぇわ」

「軍人なのに」

「軍人であろうが死ぬのは怖いんだよ。俺は護国の為に命を捨てれる程、ヒロイズムに浸れない。

 現状、提督って職業が一番安全圏でいざという時に動けるって思ったからなっただけだ」

 

 楽をしたい、死にたくない、そんな俗物じみた思考が充満している人間。

それが、提督だ。何が悲しくて艦娘と正面からドンパチしなくてはならないのだ。

こんな短刀を掲げてフリをするなんてキャラじゃない。

 

「たまたま適正があっただけで志は何もない。いやはや、部下の艦娘達が聞けば失望いたしますな」

「本性を隠すのは得意なんだよ」

「自分にはバレているではありませんか」

「昔馴染みじゃなかったら隠し通せている」

「ふふっ、なら提督殿の真実を知っているのは自分だけ、という訳でありますか。いやはや、これは役得。

 好いている人の唯一、なんともこそばゆい」

「……きっしょ」

 

 いつも思わせぶりな態度で人を惑わす奴。

それが、あきつ丸という艦娘だ。

今までも、そしてこれからも。自分達の間柄は変わらない。

いいや、変わる時はきっとどちらかが死ぬ時だろう。

此処は戦場の最前線。特にあきつ丸はいつ朽ち果てるかも知らない艦娘なのだから。

 

 

 

 

 

 

 語るべきことなど、何もない。

あきつ丸は、何も語らない。内に秘めた想いも、何もかも。

語ってしまえば終わってしまう、このぬるま湯の関係も、全ては泡沫となって水底だ。

世の中には語らなくていいことがある。下手に取り扱って壊れるぐらいなら、ガラスのショーケースに飾っていた方がマシだろう。

それを踏まえた上で、ただ一つ言えること。それは、彼女は嘘をつかないという事実だけ。

口から放つ言の葉に偽りはない。

饒舌に語り、人を煽るような口調に隠されてはいるけれど。

 

真でありたい、と。

 

 彼を好いているという言葉は間違いではないのだから。

もっとも、その言葉を提督が信じるということはきっと、ない。

 

 ――報われぬ物語はいつだってこの世界のお家芸だろう。

 

 自嘲するように吐き捨てて、空を見上げた艦娘が一人、其処/底にいる。



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鹿島さん、また負ける(0勝88敗)

 夢を見た。提督は、不思議と今見ている光景が夢だと認識できている。

明晰夢、というやつだろう。特段に不思議なことでもないし、まあこういうこともある。

切り替えの早い提督は眼前で繰り広げられている夢をぼんやりと見続けた。

それは、自分ではない自分の物語。

自分とは大きく違う、王道を歩む誰かの物語。

最初は不慣れで呆れられることも多かった提督が艦娘達に支えられ、立派に成長する物語。

綺麗で、暖かで、優しい、少年少女が応援したくなるような物語。

あくまでもこれは夢だけど。もしかすると、現実のどこかでも起こり得るものかもしれない。

そう考えると、提督の口からは自然と声が漏れ出した。

眩しいな、と。提督は嘘偽りなく思った。そして、自分には到底至らない世界なんだと自嘲した。

ああ、やっぱり――――。

 

「ほんと、クソッタレな世界に生きてるもんだ」

 

 そこにいてはいけない人間の物語を、見続ける。

そんな幸せは望んでいないのにも関わらず、記憶に刻まれることに対して提督は心底恐怖した。

夢は終わる。否、終わらせる。目を閉じて、耳を塞いで、踵を返す。

覚束ない夢の世界を歩いて、歩いて、走って、歩いて、走って。

そうして、今日もまた目覚める。最悪な気分で最高な朝を迎えるのだ。

照った太陽光は窓から差し込み、仄かな暖かさを感じさせてくれる。

数秒間、提督はぼんやりと視界の端から端までを見渡してからゆっくりと息を吸って吐く。

掌を握り締めては力を抜く。それらを何度か繰り返して、ようやく思考が定まるのだ。

 

 ――またいつもの悪夢か。

 

 目が覚めたら忘れている悪夢、本当にどうしようもない。

日々の仕事の疲れが色濃く出ているのだろう。

職業柄、精神の安定とは程遠いものだとはわかっているけれど。

とはいえ、このご時世を顧みると、『提督』という職業は他の業種と比べると安定している。

何せ、自分達は得体の知れない化物と戦争をしているのだから。

それならいざという時に力を振るえる側に立っていた方がいい。

少なくとも選択肢の多さでいったら絶対にこちら側だ。

胃の平常と精神の安寧がゴリゴリと削られているが、仕方がない。

人生にリスクはつきものだ、甘んじて受け入れる。

無力で泣いて、何もかも失うのはもう嫌だろう?

 

ああ、今日も最悪な一日だ。

 

 

 

 

「こんなにもいい天気だと、仕事を投げ出してしまいたいな」

「御冗談を。提督さんがそんなことをする訳ないって知ってますよ?」

「買い被りすぎだ。俺はそこまでできた人間ではないよ」

 

 マジである。提督はそもそもの話、働きたくないのだ。

勤労に身を委ねなければ生きていけないこの世界が憎い。

民間よりはまし、と呪文のように唱えて、今日も一日提督業だ。

窓から見える青空は、綺麗だというのに、自らの心の内はどんよりと曇りどころか土砂降りの雨模様だ。

心の中でついたため息は今日も余裕で三桁は突破している。

 

「それにしても、艦隊運営の幾分かはPCで処理できるとはいえ、一部の書類作業というのはどうしても残るものだな」

「大丈夫です、鹿島がバッチリサポートしますから」

「鹿島のサポートはバッチリ過ぎるから程々にしてくれないと、俺が駄目になる」

 

 マジである。提督の本心としては鹿島に甘やかされるまま駄目になりたいが、そんな甘い話があるはずもなく。

どこかで切り捨てられる可能性を考えるとある程度は自立していないといけない。

 

「そんな、言い過ぎですよ。提督さんのお手伝いを少しでもできればと思ってやっているだけなんですから」

 

 マジである。鹿島自身、大層なことをやっているつもりは欠片もない。

提督美化ポイントもあってか、彼女は心底、提督は自分のサポートがなくてもパーフェクトに仕事ができると思っている。

 

「馬鹿を言え。俺はやれることをやっているだけだ。自らが有能であると称せる程、うぬぼれてない。

 だから、頼りにしているんだ、これでも」

 

 マジである。大抵は自分でできるように、と。自助努力こそすれど、人間限界はある。

本来ならば秘書艦なんてつけたくもないが、つけなくては仕事が楽にならない。

完璧超人ならばともかく、至って普通の一般人である提督は一人で全てをこなすことは無理だ。

できても、毎日睡眠時間を削ってやるしかないが、そんな仕事に魂を捧げる行為は絶対に嫌である。

 

「では、これからもずっとお傍で提督さんをサポートしますね。末永く、ずっと……」

「そういう言葉を投げかける対象はもっと選んだ方がいい。世辞として受け取っておくが、使い所を間違えるなよ」

「ふふふ、これでも私、そういう言葉を出す相手はきちんと選んでいるつもりなんですよ。今の所、私がここまで言うのは提督さんだけなんですからね?」

 

 マジである。この鹿島、提督が老衰で死ぬまでずっと傍にいるつもり満々である。

隙あらばケッコン(仮)も狙っているこの艦娘、押せ押せのノリノリだ。

というか、ケッコン(マジ)も射程圏内である、愛が重い。

もし提督が、軍属から離れてもヒモとして養う気も満々なので、実は提督、優良物件を既にゲットしているのだ。

 

「また、そういう言葉を言って。俺以外には使うなよ、勘違いしてめんどくさいことになるぞ」

 

 マジである。鹿島は色々と相手を勘違いさせやすい言動、態度を取るので、その結果、提督に厄介事が舞い込んでくるのだ。

まあ、魅力的な艦娘であるし、好きになるという行為自体を否定する気はないのだが、それが仕事になると話は別である。

鹿島の恋愛関連の厄介事は非常に精神を使う重労働だ。仲裁に入るだけでも胃痛が止まない。

なればこそ、勘違いしない自分が彼女の言動を引き受けるしかない。

幸い、鹿島が自分のことが好きだとかいう自惚れは今の所、生まれていないので、この調子で厄介事を抑えていきたい。

 

 

「…………はい」

 

 マジである。鹿島、提督のことを好きになってから、実は思わせぶりな態度を見せているのは提督だけなのである。

余計な有象無象との恋愛に力を注ぐくらいなら全力全開、フルスロットルで提督だけを狙うべきなのだ。

そんな乙女鹿島は、提督の思いがけぬ言葉に轟沈である。

自分以外に使うな、ひとえにこれは提督の独占宣言では、と。

考えてしまったらもう止まらない。口元が緩み、頬が釣り上がってしまう。

提督は知る由もないが、乙女の妄想は大抵は都合が良いのである。

 

「今日はすごくいい気分で仕事ができそうです」

「そうか、鹿島がいいならそれでいい」

「何なら、記念日にしちゃいたいくらいなんですよ」

 

 マジである。本日の業務終了後、鹿島日記には非常に甘ったるい惚気話が記されることは既に確定している。

同室の香取が見なかったことにするレベルでにっこにこのげっろげろ状態だろう。

大抵のことをあらあらうふふ的なふんわりとした態度で乗り切ってきた鹿島であったが、もうその面影はない。

何処に出しても恥ずかしいポンコツどろどろ乙女である。

 

 

 

 

 

 

 ――嘘である。嘘だ、嘘で嘘を塗り固めて、嘘しかない。

 

 鎮守府の殺風景な屋上で、提督は嘲りを内心で吐き捨てた。

嗚呼、本当によくもまあここまで好青年を貫けているものだ。

艦娘達のことを大切に思って、仕事ができる人間を演じるのは楽じゃない。

本性はもっと打算的で自分を第一に考えているというのに。

自らの浅ましさを顧みると、くつくつと、低い笑い声が口元から勝手に漏れ出してくる。

生暖かい潮風の匂いが嫌でも自覚させてくれるのだ。

自分はただ、少しでも“勝ち”が取れそうな立場が欲しくて、提督になったのだ、と。

一般市民では駄目だ、情報統制で真実を知ることができない。

市民に伝わるのはきらびやかな結果だけ。

現状は逼迫してはいないが、いつ何が起こるかわからないのが戦争というものだ。

市民はその内情は知る由もなく、もしも深海の化物達が一気呵成に襲いかかってきたら間違いなく為す術もなく殺されてしまうだろう。

だから、比較的に真実が隠されない軍人を、選んだ。いざという時に力を振るえる立場を、望んだ。

 

(望んだ結果が、この有様だ)

 

 何も変わっちゃいない。艦娘のご機嫌取りに勤しんで、生存確率を少しでもあげようと必死な自分。

情けなさは軍人失格モノだ。表情を昼の自分に戻し、提督は優しげな笑顔を作り上げる。

 

「あら、提督さん……?」

「ん、鹿島か」

 

 このように、誰かの気配が近づいたらすぐに偽りの自分を作り上げてしまう。

ドアを開け、少し困惑した表情でこちらへと歩み寄ってくる鹿島に対して、提督はいつもの表情で出迎えた。

護身だけは一級品だ。バレない為に築いた自らの嘘はそう簡単には崩れない。

 

「どうしたんです、こんな夜遅くに」

「鹿島こそ、仕事が終わって帰ったと思っていたんだが」

「私はちょっと忘れ物で。そうしたら、執務室の明かりがついていたので、まだ提督さんがいるのかなと思って

 夜間巡回の艦娘さん達に聞いても、知らぬ存ぜぬ。結構、探したんですよ?」

「そこまでする程の価値がある人間ではないと思うけどな。物好きなのは程々にしとけ」

 

 笑え、慈しめ。それがお前の仕事だろう。この先、生きていく為の最善であろう。

強く、強く。信頼を勝ち取り、それを使いこなせ。

だから、これでいい。こうでしかないのだ。

気づかない、気づけない。鹿島の恋心を提督は認識しない。

好意を寄せてくる艦娘の裏をどうしても考えてしまう提督は、信じない。

 

「もうっ、いつもそうやって自分を卑下して。よくないですよ、そういうのは」

「如何せん、癖みたいなものなんだ。鹿島もあまり気にしないでくれると助かる」

「そういう訳にはいきません、だって……」

 

 見上げた夜空は綺麗で、星が輝いて、月が上っている。

自らの内にある醜さを糾弾するかのように、煌々と。

その光に照らされた提督の横顔は、真実を覆い隠すように、薄く笑っていた。

 



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鈴谷さん、勝つ(1勝177敗)

 運が悪い。ただそれだけの話なのだろう。

偶々の休日、珍しく仕事の厄介事もなし。更には外は快晴で、透き通るような青空が広がっている。

せっかくだし、喫茶店でゆったりとコーヒーでも傾けながら読書でもするかと考えたのが間違えだった。

コーヒーの渋い匂いと、物静かな喫茶店の空気。ただ、それを楽しみたかっただけなのに。

鎮守府の外に出た瞬間、ばったり遭遇――鈴谷である。まずい、と。瞬間的に悟ったが、手遅れであった。

見上げるとブルーハワイのような青空が広がっているが、きっと自分の顔色もそれと同じくらい青ざめているだろう。

否、こういった間の悪いことも提督は慣れている、何も悲観することなんてない。

いつも通り、提督というキャラクターを演じるだけなのだから。

そのままなし崩し的に二人でデートみたいになってしまった。

幸いなことに、横にいる鈴谷は上機嫌であるが、気まぐれな彼女のことだ、いつ何が起こるかわからない。

 

(こういった事態に備えて、完璧なエスコートを予習しておいてよかった)

 

 もちろん、提督はこの偶然をいつか起こり得ることとして考えていた。

まだ、予測の範疇で留まっている今、提督の内心は凪のように不動では――――ない。

それで安心していては二流、もしも戦場にいたとしたら生き残れないタイプである。

物事というのは大抵、予測通りにはいかない。

どれだけ入念に計画を立てようが、二転三転するのが物事だ。

そう考えると、安心などできない。頭の中ではぐるぐると鈴谷の行動パターンを幾通りもシミュレートしている。

失敗は許されない、ここで下手を打つとめんどくさいことになる。

 

(交友関係が広い鈴谷だ、変な噂はすぐ広がる)

 

 提督の恐れとは裏腹に、鈴谷は提督とデートで舞い上がっているので何の心配もいらない。

こんな千載一遇のチャンス、逃してはならないと鈴谷の頭の中は如何にして提督とイチャイチャするかという至上命題しか頭にないのだから。

鹿島と同じく、彼女もポンコツ乙女である。熊野も草葉の陰でため息をつくくらい、ポンコツ乙女なのだ。

 

「鈴谷、無理して俺に付き合うことはないぞ」

「べ、別に、無理なんかしてないし。偶々、一人はつまんないなーって時に提督がいて大助かりなんだから。

 それとも、提督は鈴谷と一緒は嫌?」

「そんなことはないが、俺は如何せん鈴谷の望むエスコートができているか不安なんだ。

 同世代でも同性でもない以上、齟齬はどうしても生まれるからな」

「そういうの気にしないって。鈴谷は言いたいことははっきり言うし」

 

 いつまで経っても、告白できていない事実を棚上げして、鈴谷はふふんと胸を張りドヤッと顔を提督へと向ける。

普通の提督ならイチコロの可愛さであるが、生憎と鈴谷が相対してる提督は色々と拗らせているのでそういった効果は全くない。

逆にあざとさから、何か裏で良からぬ企みでもしているのかもしれないと疑われる始末である。

なお、鈴谷はそんな打算を考える程の余裕はなく、提督と二人きりというシチュエーションだけで自然と笑みが溢れ出す状態だ。

表面上はいつも通りを装っているが、内面では常にファンファーレが鳴っている。提督と初デート(鈴谷だけがそう思っている)祝である。

 

(さり気なく、別行動オールオッケーだよって言ったのに、畜生っ!)

 

 そんな乙女な思いを一欠片も予測していない提督は何とかしてこの状況を抜け出したいと必死である。

せっかくの休日なのに艦娘と一緒にいることで潰れてたまるものか。提督は業務上で見せる営業スマイルで、鈴谷をのらりくらりと躱す。

いや、ほんと勘弁して下さいという心の声は口には出さないけれど。

 

「それなら構わないが、完璧なエスコートは期待しないでくれよ?」

 

 提督、折れる。これ以上の問答は時間の無駄だと悟ってしまう。

こういうパターンになった時は潔く折衷案を出して、煙に巻くのが一番である。

結局、鈴谷の乙女パワーに押し切られ、そのままなし崩し的にデートとなったが、軌道修正はまだできる。

 

 ――演じるのは得意だろう。

 

 自問自答の嘲りを、提督は繰り返す。

提督はそうやって生きてきたし、これからもそうだ。

あきつ丸のような例外は一部いるものの、自らの中身にまで辿り着いた者は少ない。

だから、今回も同じように乗り切ってみせる。

 

「ひとまず、喉が渇いているから喫茶店にでも入ろうかと思っているが、いいだろうか?」

「いいよー、それでー。鈴谷、異論なぁーしっ」

「なら、まずは一服ということだな。しかし、珍しいこともあるもんだ。普段のお前なら軽口混じりに自分のペースに引っ張っていくかと」

「たまには提督のエスコートもいいかもーって思っただけだし? 別に、他意はないもん。

 それに、こういうの…………ちょっと憧れだし」

 

 最後の小声で呟いた言葉については聞かなかったふりをすることにした。

よくラブコメである難聴系主人公のように、サラリと笑顔で留めておく。

藪蛇を突いてめんどくさいことになっては敵わない。

そうして、喫茶店までの道中、提督はひたすらに鈴谷に対して聞き役に徹した。

彼女の話はどれを取っても軽快で、相槌も打ちやすい。

最近流行りの飲み物の話であったり、鎮守府内の購買のラインナップの話であったり。

こういった話題も艦娘達とのコミュニケーションで便利だ、覚えておいて損はない。

特に鈴谷のような多方面で付き合いがある艦娘は後々に繋がるかもしれない。

 

「鈴谷の器量なら、もっといけるさ。それはお前の提督である俺が知っているし、信じているからな」

 

 欺瞞だ。信用はしていても信頼はしていない。

もしも、何らかの要因で彼女が自らに砲口を向ける可能性だってある。

信じるというだけの行為が酷く、重い。

 

「もう、そういうこと誰にでも言っちゃだめだよ」

「誰にでもって訳じゃない。これまで鈴谷を見てきた経験から、俺は事実を言ってるだけだし」

「…………デート序盤なのに、もうやばいんですけど」

「デートって間柄じゃないだろ、それ以前に上司と部下なんだから」

「そーですねー、はー鈴谷ポイント急降下なんですけどー」

 

これはデートではない、自意識過剰が甚だしい人間というのは嫌われるものだ。

傍から見たらデートであろうが、本人の意識がそれを否定するならば、その概念は尽く覆される。

天真爛漫な笑みもきっと裏がある。

物事は、人間は、いつだってそういうものなのだから。

 

「事実だろ、事実。そういう言葉はお前が幸せになる時に取っておいた方がいい」

「…………ぅぅ」

「そんな唸り声を出されるようなことは言ってないぞ」

「乙女は時々唸り声を出したくなる時があるの」

「嫌すぎるぞ、乙女。というか、普通に怖いからな、いきなり唸り声出されたら」

 

 こびりついた恐怖をまるごと引き剥がすように捻り出した言葉は控え目に言っても、赤点ギリギリのものだ。

自分のような塵芥と共に歩くだけで何をそんなに楽しんでいるのだ。

打算と外面を良くすることしか考えていない自分が酷く、惨めになる。

見えない聞こえない知りたくない。

嘲笑ってくれよ、頼むから。ゲラゲラと品のない笑い声を上げて、切り捨てて振り返りもしないでくれ。

そんな自分本位な願いを噛み潰し、ひとまずは穏やかな笑みを作り出す。

それは、彼女が見せるものとは程遠い打算が多分に混じった泥のような笑みだ。

やはり自分とは違うのだ、と。改めて再確認してしまった自意識の醜さをそっと押し止める。

 

「ひとまず、だ。いつか、お前が好きになる相手じゃなくて申し訳ないが、予行練習としてそれなりに相手をするよ」

 

 だから、こうして裏で育まれた醜さを隠すように笑うのだ。

言葉を尽くして、表情で誘導する。自分は、狂気的なまでに上手い。

軍略とか優しさとかカリスマ性とか、そういったものがない自身に与えられたのは嘘という武器だけだ。

生まれながら、人に好かれるものを持っていない自分にはそれ以外に術はないから。

所詮、自分は一人だ。今までも、これからも。最後に頼れるのは自分なのだ。

 

「今はそれで満足してくれないか?」

 

 目的を果たすまで、己は『いい』提督でなければならない。

気づかないし、気づかせない。この仮面が本物であると証明しろ。

強迫観念染みたその覚悟を、提督は改めて刻み込む。

決意は鋼、と。脳内に折れぬ鋼をイメージする。

彼女の笑顔から逃げるように、提督は目的地である喫茶店の看板に視線を逃した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 うちの提督は優しい。

それは鎮守府にいる艦娘達全員が口を揃えて言う事実だろう。

こうして言葉通り、喫茶店のお代は全部出してくれるらしいので、それはもう。

ただでケーキセットが頼めるという事実

霞や大井のように辛辣な言葉をぶつける艦娘相手にも穏やかな笑顔を崩さず、真摯に受け止める。

会議でも自分達の意見をよく聞くし、正当性があるものに関してはしっかりとこれからの展望に組み入れてくれる。

噂に聞くワンマンな鎮守府ではそんなことは考えられないとのことであるが、この鎮守府は違う。

一人ではなく皆で組み上げていく鎮守府なのだ。

そこが、鈴谷は好きだった。仲間意識も高まるし、気軽な感覚で物事を話せる。

 

(まあ、一番好きなのは提督なんだけど)

 

 そんな居場所を作ってくれた提督のことが鈴谷は好きだった。

彼は、カリスマで引っ張るような物語の主人公でないけれど。

巧みな軍略で次々と海域を攻略していく軍人ではないけれど。

 

「ねー、提督ぅ」

「猫撫で声を出しても、財布の紐は緩まないぞ。喫茶店の会計ぐらいは持ってやれるが」

「違うってば! もう、鈴谷といえばおねだりって認識やめてくれないかなぁ」

「安心しろ。鈴谷に限らず、そういった猫撫で声を出し始めたら警戒してるから」

「それはそれでひどくない!?」

 

 等身大で自分達のことを考えてくれる提督を好きになったのだ。

彼といる時だけ、自分は艦娘ではなく普通の女の子になれた気分で、嬉しかった。

いつ死ぬかもわからない戦場に身を置いている以上、その一時が鈴谷にとって宝物なのだ。

自分達が護っている日常の尊さをよく知るからこそ、鈴谷はそれを愛おしいと感じる。

 

(提督がいるから、戦える。怖くても、辛くても)

 

 こうして馬鹿みたいな話をする今が幸せだ、と。

口にこそ出さないが、鈴谷は強く思う。

鈴谷の突拍子もない我儘を苦笑しつつも付き合ってくれる所とか、疲弊している時何気なく気遣ってくれる所とか。

 

「冗談だ。鈴谷に関しては数割本気だが」

「泣くよ?」

「公共の場ではやめてくれ」

「泣いてほしくないならもっと優しく」

「具体的には」

「鈴谷のこと、いっぱい褒めて」

「いつも褒めてるじゃないか」

「もっと、もーーーーっと褒めて。そしたら、鈴谷色々と捗っちゃうんだぁ」

「褒めるぐらい、無料だしいいが……そういきなり要求されると困るな」

「そういう言葉を頭につけないでよ、ロマンがないじゃん」

「自発的じゃない褒めにロマンはない気がしてならない」

 

 困った声色が好きだ。というか、提督のことは大概好きだ。

 

「じゃあ、いつも頑張ってて偉いな」

「もっと」

「周りが円滑に過ごせるように気を配ってる。正直、助かってる」

「もっと、もっと」

「あー……戦場では冷静に状況を判断して動いてくれる」

「もう一声」

「まあ、その……可愛い」

 

 仕方ないなあと笑う顔が好きだ。帰港しても彼が待っているというだけで気分が弾む。

 

「にへへっどーもっ」

 

 自然と頬が緩み、顔が笑みの表情になる。

こめかみを抑えて深い溜息をついている提督とは裏腹に、鈴谷の表情は晴れやかだ。

頼んだケーキセットがまだ来ないことも今は許せる。

むしろ、提督と一緒にいれる時間が増えることがアドなのではと思ってしまうぐらいである。

 

 

 

 ――今という瞬間が永遠に続けばいいのに。

 

 

 

 叶わない願いだ。けれど、どうしても浮かんでしまうのだ。

 



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鈴谷さん、やっぱり負ける(1勝178敗)

 他者から見れば、この状況はデートなのかもしれない。

休日に、私服の提督と艦娘が二人一緒に行動する。

それも仕事を抜きにして、だ。

実際はなし崩し的に行動を共にしているだけであるが、そんな内面的な事情など他者は知る由もない。

 

(まあ鈴谷のご機嫌をとるという意味ではアドはあるか)

 

 貴重な一人の時間が減ったのは残念であるが、その分艦娘からの信頼を得れるなら悪くはない。

少なくとも、鈴谷からはこうして休日に行動を一緒にする程度には興味を持たれている。

もっとも、それなりに面白い玩具程度の関心だとは思うけれど。

 

「ゲーセン?」

「ああゲーセンだ。不服か?」

「いやいやいや、そんなんじゃないしっ!

 てゆーか、提督と一緒なら別にどこでもいいんだけど……。

 あー、その、さ! 提督がゲーセンに行くのが意外だなって思っただけでね?」

「元々こういった娯楽は好きだからな。鎮守府ではあまり出さないようにしているが」

 

 提督は鎮守府内でプライベートの話をあまりしない。

しないというよりはするつもりがない。

そもそも年代であったり、性別であったり、人と艦娘であったり。

そういった差異がある以上、趣味や好みは艦娘達と剥離してしまう。

 

「もしかして、私達に気を使ってる?

 そうやって勝手に遠慮されて壁作られるの、マジ嫌なんですけど」

「興味のない話を勝手にされても嫌だって思ってな。それに立場では俺と鈴谷は上司と部下だ。

 鈴谷達からすると上司の話に面と向かってつまらないと言いにくいだろう」

「じゃあ、鈴谷はいいよ、オールオッケーだよ!

 はい、少なくとも、鈴谷に限っては解決だねっ!」

 

 こうやって強引に距離を縮めてくる鈴谷であるが、一体何が目的なのだろうか。

誰にでも人懐っこいだけだ、変な気を持つな、と。

自戒をしている提督だからこそ勘違いしないものを。

普通なら自分に好意を抱いていると考え、色々と玉砕してしまうだろう。

 

「今後は気が向いたらな」

「絶対気が向かないやつじゃん、それ」

 

 やっぱり、鈴谷はスペック高いなぁ。

提督は薄い苦笑いの中でそう思うのである。

明るくノリが良くて、仕事もやる気になればできる。

容貌はいうまでもなく、可愛い。

まあここまで長所があるのだ、自分の預かり知らぬ所で器量の優れた相手を見つけていることだろう。

普段の口ぶりからして経験も豊富で遊んでいるらしいので、益々自分とは縁遠い世界にいる艦娘である。

 

「……もっと、提督と色々と話したいのに」

「鈴谷は面白い話題を俺に期待しているが、俺の話のレパートリーは少ないぞ」

「聞こえてたの!?」

「難聴でもあるまいし、普通に聞こえるよ」

「そこは聞こえてないってお約束でしょ!」

 

 鈴谷はあわわと口を開いて、照れ隠しなのか提督の肩をばんばんと叩く。

顔の赤面は提督から見ても明らかであり、それを隠そうと鈴谷は必死だ。

時々こういった初な部分を見せるのも親しみやすさを感じさせる術なのだろう。

まさか、日頃の恋愛トークでドヤ顔をしている彼女が、本当に初心であるはずがない。

実際の所は、百戦錬磨の遍歴からなる落ち着きある振る舞いができるのだ。

ただ、自分がそれに見合ったふるまいができていないから、提督のレベルに鈴谷が合わせている。

だから、この純情乙女モドキに心を奪われてはならない。

 

 

 

 

 

 

 デート(鈴谷談)は極めて順調だった。ゲーセンに入って色々と遊び回るのは楽しい。

それはもう提督もとい好きな人と一緒にという枕詞がついているからだ。

いつもは業務以外の付き合いを極力しない彼とプライベートで行動が一緒というのは貴重である。

上司だから、と。提督はよくその言葉を使って交流を最小限に留めていた。

艦娘達は艦娘達で和気藹々としてほしいという気遣いらしいが、鈴谷は全く嬉しいと感じなかった。

もちろん、他の艦娘達も提督ともっと交流を深めたいと口にしている。

これでセクハラやパワハラが横行する鎮守府であるなら話は別だ。

しかし、うちの提督は他所に自慢できるくらい艦娘の事を考えてくれているのだから。

恋する乙女視点なので美化が混じってこそいるが、概ね評価は正しいのだ。

 

(やばい、やばい、やばばば、やばいや、ばっばばばば)

 

 そんな訳で、このひとときを心から楽しみまくっていた鈴谷であるが、今の表情はぷるぷると震えて真顔である。

やばい、まじやばい。

端的に言って今の鈴谷の状況はこの言葉に尽きる。

提督がトイレに行ってる間、鈴谷はこれから先の予定について考えていた。

緊張と歓喜が入り混じっていつもより表情は百面相であり、言動の空回りっぷりも数割増しだ。

当初の予定だったら告白からのイチャラブホテル待ったなしというアホにアホを重ねたものである。

しかし、今の鈴谷は更にアホなのでこの予定を実現可能であると考えている。

 

(できすぎている、できすぎてるんですけど、この状況!!

 や、やっぱり早すぎかな!? もっと段階踏んだ方がいいよね!!

 でもでも提督から告白とかされちゃったら!?

 そういうお誘いも受けて、頷いちゃったら!?

 勝負下着は一応着けてるけど、好みじゃないって提督が萎えちゃったらどうしよう……っ)

 

 脳内妄想では既に両思い設定が付与されている。

暴走したポンコツ乙女心とは都合のいいもので。

提督との幸せケッコン生活を瞬時に導き出してくれる。

そもそも告白が失敗するとは欠片も思っていないあたり、変な部分で自信を持っている。

妄想では、告白さえしたら勝利。

しかし、実情は告白した瞬間、玉砕なので無情である。

 

(やばいよ、経験ないんだよ、鈴谷はぁ!!!

 提督にそういうのめんどくさいとか言われたら普通に死ねるし!

 まあ、提督はそんな事言わない優しい人なのは鈴谷、知ってるけどさ~~~~!)

 

 色々と拗らせた乙女脳は留まることは知らない。

そうして、えろくでもない妄想と笑みが表面上に溢れそうな時だった。

 

「おねーさん、さっきから変な顔してるけど何かあったん?」

 

声も顔も知らない男が鈴谷を見て、ニコニコと人の好さそうな笑みを作って声をかけてくる。

まあ、軽いナンパだ。鈴谷もこれまで何度かされたことがある。

いつもなら適当に愛想を振りまいて断っているが、今は頭がオーバーヒートしておりそれどころじゃない。

表情は困ったような笑みしか作れず、口からは歯切れの悪い返事しか出ない。

どうしよう、と。思うように断れない。

助けを呼びたくても、頼りになる熊野もいないし、この場面を提督にはあまり見られたくなかった。

自分で解決するしかない。何とか落ち着いて、丁重にナンパを断らなくてはならなかった。

 

「すいません、お兄さん。ちょっといいですか」

「ん、もしかしてこの娘の連れか?」

「ええ、そんなとこです。この娘、俺のなんで」

 

 瞬間、鈴谷はぐいっと強めの力で手を引かれた。

きょとんとした表情のまま飛び込んだ胸は固く、慣れ親しんだ匂いがする。

ふと目線を上に上げると、にこやかに営業スマイルをしている提督の顔が映る。

 

「………………あっ」

 

 鈴谷、止まる。

数秒前の提督の発言を頭の中で何度も反芻する。

そして、その意味に気づいた瞬間、嬉しさのあまり顔が勝手ににやけてしまう。

不格好でかわいらしくないとわかっていながらも、止まらない。

熊野が見たらはしたないと称するであろうにやけ顔が溢れ出す。

 

「なるほどね。オッケーオッケー、その娘の顔を見た感じまんざらでもねーみてーだし。

 まあ、縁がなかったってことか」

「すまないね。狙うなら別の娘にしてほしい」

 

 そして、ひらひらと手のひらを振りながら、男はおとなしく退散していった。

提督は小さくため息をついて、鈴谷へと顔を向ける。

絶賛トリップ状態である今の鈴谷は周りが全く見えていない。

提督による鈴谷は俺のもの宣言(鈴谷拡大解釈)がよっぽど効いたのか、赤面とニヤケ面はまだ続いている。

これはもはや告白なのでは?

つまるところ、そういうお付き合いの間柄では?

熊野がドン引きするポンコツ乙女っぷりを披露する鈴谷であったが、

相手が好意に対して鈍感を通り越えて無感触の提督であるので意味をなさない。

提督の中では、鈴谷は未だに経験豊富なギャル系艦娘の立場キープである。

 

「悪い。困っているようだったから助け舟を出した。

 迷惑だったならすまない、勝手に俺のって言うのはよくなかったよな。

 ただあの時は、ああ言った方が相手も退いてくれると思ったんだ」

 

 申し訳無さそうに頭を下げる提督に対しても、鈴谷の反応はおざなりだ。

真っ赤に顔を染めて、笑みを見せているのは、自分とそういう間柄は恥ずかしくて失笑ものなのだろうな、と提督は解釈する。

 

「ひとまず、ここを出てどこか落ち着ける所でも――」

 

 どこか落ち着ける所。

そのワードが出た瞬間、鈴谷のポンコツ乙女脳は先程の妄想をリバイバル上映である。

 

 “そういうこと”をするつもりなんだ――!

 

 熊野が頭痛薬を一瓶飲み干しそうなくらい頭痛がやまない乙女モードである。

やばいとまずいとやったぁがごちゃまぜになったよくわからない表情、誕生だ。

そうして、鈴谷は考えて考えて考え抜いて。

 

「むむ、む、むりぃ――――っ!! 幸せで無理だよぉ!!!!」

 

 このできすぎた状況に耐えられず逃げ出した。

これは夢だ、夢なんだ。

こんなにも理想の展開はありえない。

キャパシティオーバーした頭はそう結論づけて、無理矢理に納得させた。

置き去りにされた提督は状況についていけず、ポカン顔だ。

そして、正気に戻った時には鈴谷は走り去って、どうしようもなかった。

 

(……なんなんだ、これ)

 

 なお、後々に頭を抱えてやらかしてしまった、と。

悶え苦しむ鈴谷の姿が熊野から提督へと報告されている。



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霞さん、勝負すらできない(0勝0敗)

 眠い。果てしなく眠い。

執務室の空気が適温だからか、それとも、いつもより業務が多いからなのか。はたまた、疲労が積み重なったからなのか。

ともかく、今の提督は睡魔に屈しそうなのである。

まぶたは二割くらいしか開かず、数秒意識が突然消えたりと重症である。

 

「不調ね。司令官。そんな状態で仕事に臨んで意味があると思ってる?」

「全くもってその通りだ。

 こんな状態で出てきても、周りを心配させるだけだと猛省してるよ。

 自己管理ができていない証拠だ、恥ずべきことだ」

 

 今日の秘書艦である霞が不機嫌そうな顔でこちらを見つめてくる。

確かに彼女の前ではあまり隙を見せず、仕事もきっちり完遂していた。

そんな自身が隙だらけなのだから、気にもなる。

これが鹿島あたりだったらドロドロに甘やかしていたのだろう。

 

「わかってるなら今後に活かしなさい。

 今日の朝も執務開始時刻にギリギリだったわ。

 体調が優れないなら出てこないで、迷惑よ。

 それもわからないぐらい耄碌しているなら重症ね」

「ああ……」

 

 いつにもなく落ち込んだ様子を見せる提督であるが、体調不良の原因は二日酔いである。

たまたまいい酒が手に入って、調子に乗って飲みまくっただけだ。

その結果、夜遅くまで深酒をしてしまって二日酔いの状態で出勤するはめになった。

とりあえず、身支度だけはばれないようにしっかり整えたが、体調はどうにもならない。

毎回涼しい顔でトイレへと行ってるが、個室に入った瞬間嘔吐である。

今日だけでブレスケアを何度したことか。

霞の言う通り、体調が優れないことを理由に欠勤の連絡をした方がよかったのかもしれない。

 

(でも、休んだら休んだで面倒なんだよな……)

 

 しかし、そうなると鹿島は間違いなく見舞いに来る。

あのお世話大好き艦娘が自分の不健康を放置するとは思えない。

 

「自己管理は基本中の基本よ。

 軍人ならなおさら当然できてなきゃいけないわ。

 まさか、それができない程にクズだった訳?」

「いい返す言葉もないよ。

 霞の言う通りだ、不出来な提督で申し訳ない」

 

 霞の侮蔑の冷たい視線が刺さり、提督は神妙な表情で言葉を返す他ない。

 

「変な所で無理するなんて、ほんとクズよ……」

 

 とはいえ、これは提督の自業自得だ。

そもそも霞は間違ったことを言っていない。

深酒の結果、二日酔いで仕事が全く身に入らないなんて侮蔑されても仕方がないのだから。

 

(まあ変に崇拝だったり恋愛感情だったり、持たれるよりはありがたいけど。

 変に好感触を持たれる方が不安で仕方がないし。

 嫌われているってわかっているからこそ、裏を考えずに済む)

 

 霞は口調こそ厳しいが、基本的には正論しか言葉にしない。

容姿こそ可愛らしい少女であるが、中身は執務に真面目で自他共に厳しい立派な艦娘だ。

きっと、今もどうしたら執務がもっとうまく回るか。

彼女の頭の中は艦娘としての責務で溢れているだろう。

 

 

 

 

 

 

 どうしよう。またやってしまった。

提督の予測とは裏腹に、霞の頭の中からは執務はすっぽり抜け落ちている。

今、彼女の頭に占めているのは提督のことだけ。

厳しい言葉を投げつけてしまった彼に対しての深い後悔だった。

 

(あ~~~~っ! なんでこうなっちゃうのよ!)

 

 霞は頭を抱え、悶たい気持ちを必死に抑えながら、真顔を貫いている。

いつも、こうだ。本当はもっと優しい言葉を言いたいはずなのに。

 

(体調が悪いなら休みなさいって言うだけなのに!

 なんでいつのまにきつい言葉になってるの!?)

 

 ただ一言。提督をねぎらう言葉を言うだけなのに。

 

(頑張って夜遅くまで執務している司令官を甘やかすべきなのに!

 いつもだらけているならともかく? 司令官はきっちりしてるし?

 たまには私が甘やかさないといけないっていうか……)

 

 提督が日夜自分達の為に執務を夜遅くまでしていることは皆知っている。

この秘書艦の仕事も自分達に様々な経験をつけさせることが目的だろう。

もしも、提督がいなくなった場合に備えて、万全を期す。

 

(甘やかしすぎはよくないけど、司令官はその程度では駄目にならないし)

 

 なお、霞は提督の作っている外面の良さに完全に騙されている。

大抵の提督の行動は勝手に美化されるのだ。

提督がその真実を知ると、嘔吐をして倒れそうである。

実情は提督のぐだぐだな自己本位的な行動からなるものなので、悲しい現実だ。

 

「……改めて、すまないな、霞」

「なによ。謝罪をする余裕があるなら気を改めて行動してちょうだい」

「霞にはいつも感謝している。

 君の厳しさが俺の背筋をいつも正してくれてありがたい。

 霞の忌憚ない言葉には本当に助かっている」

 

 ちなみに、この提督の言葉は本当である。

霞のように厳しい罵声を浴びせるくらいが逆に信用できて、助かる。

相手が嫌っているとわかっていたら、提督も行動しやすいし裏を読み取る必要もない。

提督の拗らせた自意識は、割と手遅れな方向へと進んでいた。

 

(ほんっっっとにもう! すぐそういう事を言うのは卑怯でしょ!!

 あ、だめ、まずい、気が抜けない、にやけちゃう、にやけちゃう~!)

 

 そして、霞は顔がにんまりと崩れないように必死に真顔を保ち続けていた。

提督は霞に対して、しっかりと褒める。

言葉が厳しいとはいえ、霞の発言は大抵は的を得ており、正しい。

口先だけの艦娘ではないと理解しているから、提督は彼女の言葉を素直に聞く。

それが、霞にとっては非常に嬉しくきゅんきゅんさせてしまうのだ。

自分の厳しさを正面から受け止めてくれる。

そりゃあ、デレデレ(霞の心中だけ)だ。

 

「これからも俺の背筋を支えてほしい、頼む」

「……嫌よ。いい加減私抜きでもしっかりできるようになってよね。

 (当たり前じゃない、ずっと私が支えるし、いつでも頼りなさい!))

 

 しかし、悲しいかな。霞の心の声は提督には全く届いていない。

艦娘の中でも実は世話焼きで支えたがりの霞であるが、その本質を知る者は極僅かだ。

そうして、お互いのすれ違いは未だに解消されないまま、執務を終えたのであった。

霞はこの後、自室にて反省会である。

朝潮型一同、いつまで続くんだろう、と。ため息しか出ないわびしいものなのだ。



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あきつ丸さん、普通に負ける(0勝256敗)

「陸と海は仲が悪い、と。

 市井の噂話ではよく言われるものだが、実際の所はそこまで険悪ではない。

 ある程度の派閥争い――小競り合いは頻繁だが、軍を揺るがす程の大きさとなると数える程だ。

 深海棲艦という共通の敵がいる以上、身内で争っていては、こちらが滅ぼされる。

 今の戦況こそ落ち着いているが、酷い時は地獄と形容するしかないものであった。

 戦争というより、虐殺と蹂躙だ。

 誰もが生き延びるのに必死で、命がゴミのように消えていく。

 鎮守府近海にまで深海棲艦が進出し、港にて迎撃したことは思い出したくない。

 

 

 

 ――とまあ、提督殿の内面を赤裸々に話している訳でありますが」

「人の内面を勝手に推測してぺら回すな。

 お前のよく回る口は人を不快にすることに特化しているのか?」

 

 昼時、鎮守府外。

提督の少ない憩いの時間が、眼前の艦娘に台無しにされている。

鎮守府を出て、適当に落ち着ける食事処を探していた時のことであった。

提督に向けてひらひらと手をふる軍服の少女が視界に入ってくる。

目を細め、口元を三日月のように釣り上がらせて、ごきげんな表情であった。

瞬間、提督は即座に踵を返し、見なかったことにしようと思ったが、もう遅い。

 

 ――大声で名前を呼んでくれやがって、クソッタレ。

 

 提督限定で嫌がらせスキルが高水準であろうあきつ丸に捕まり、昼食を共に取ることになった。

 

「それで、本題をさっさと言え」

「はて、本題とは?」

「惚けるなよ。まさか、俺をからかう為だけにこっちに来たのか?」

「そうでありますが、なにか?

 せつなくて、恋しくて、提督殿に会いに来たいじらしい艦娘でありますよ」

「冗談でもやめてくれ、気持ち悪い。

 それに嫌がらせだったとしてもだ、お前ならもっとえげつない手段を取る。

 少なくとも、鎮守府にまで来て、艦娘達にみせびらかすようにやるはずだ。

 あいつらの前では猫を被ってる俺を面白がってよ」

「本音でありますのに。提督殿は自分のことを鬼か悪魔だと思っているのですか……」

「今までの振る舞いを顧みろ」

 

 蕎麦を啜りながら、提督は顰めた表情を隠さずに言葉を返す。

たいてい、あきつ丸と一緒にいるときにろくなことが起こった試しがない。

砲声轟く戦場では絶対に肩を並べたくない奴上位である。

 

「悲しいであります。自分はただ提督が陸に転属しないか誘いに来ているだけでこの仕打。

 もっと愛を与えても罰は当たらないのでは?」

「罰ならこの時代に生まれた時点でとっくに受けてるよ。

 それに、陸に俺を誘うって時点で胡散臭いな。

 お前さ、粘ついた笑み、隠し切れてねえぞ。

 馬車馬のようにこき使われる未来しか見えない以上、誘いに乗るかよ」

 

 陸に転属ということは間違いなく彼女が教育係になるだろう。

あきつ丸が教育係だなんて命が何個会っても足りない。

そもそも精神的な意味でも使い潰されるのがオチだ。

 

「俺に執着する理由なんざ軽いもんだろ、どうせ。

 さっさと他を探すことが賢明だぞ」

「自分は、有象無象の提督が欲しい訳ではありませんので。

 貴方が欲しい。それは一片の不純なき真でありますよ。

 ねぇ、艦娘嫌いの提督殿。誠なる対応を希望するであります」

「……その前に、訂正しろ。

 俺は艦娘が嫌いじゃねぇんだよ、ただ怖いだけだ。

 いざという時に束になってクーデター起こされたら、終わりだ。

 こっちに勝ち目なんざ皆無に近いんだぜ?」

「そんな状況、ないと思いますが」

「お前の言葉が保証になったら苦労しないんだがな。生憎と俺は不信拗らせてるんだよ。

 深海棲艦との戦争が終わった後、砲口を向けられるのが俺達かもしれない。

 ああ全く、口にしているだけで怖気がはしるな」

 

 自分はまだ平穏な立ち位置でいたい。

激戦区に飛ばされて遠回りな殺人を食らうのはごめんだ。

そういった意味であきつ丸は最高で最悪の厄ネタである。

 

「羨ましいよ、艦娘は。艤装さえ身につければ、妖精の加護で死ににくくなる。

 か弱い人間様は耐久力が紙装甲だから、戦場じゃ常に綱渡りだ」

「過去に戦場に出ていた提督殿が言うと説得力がありますなぁ」

 

 また、思い出したくない過去を掘り出してくれる。

選択肢が戦場に出る以外なかったから出ていただけなのだ。

血反吐を撒き散らしながら必死に戦うなんて二度とごめんである。

 

「もう絶対出ねぇよ、絶対だ。俺はそれなりに安全な指揮官ポジションが一番なんだよ。

 そもそも提督ってのは前線で戦う兵士じゃねぇんだぞ?

「確かに、提督もとい人間が前線で戦うなんて海上では無茶無謀でありますねぇ。

 昔ならともかく、今は尚更。自分の横で必死になっていた顔、好きだったのに」

「はっ倒すぞ、この野郎。何、相棒面してるんだよ。

 そもそも、すぐ死ぬ紙装甲の兵士なんて盾にすらならねぇぞ」

「それは確かに。本当に提督殿は取り柄がありませんなあ。

 カリスマとか軍略とかコミュ力とか。

 そういった資質と艦娘の力を引き出せる才能。

 前者はともかくとして後者は非常に重視されるのに。

 何故艦娘が苦手な提督殿がその試験をクリアできたか疑問であります」

「カリスマは皆無。軍略は所詮付け焼き刃。コミュ力はツギハギで何とか保ってるだけ。

 資質については俺に聞くな。

 辛うじて戦えるってだけかよ、秀でてるの」

 

 提督の資質――艦娘の力を引き出せる人材は希少だ。

実際、資質ありきの立場である為、年齢も性別も関係なく、老若男女がこの立場に就いている。

 

「それもまた、才覚でありましょう。

 艦娘に襲撃されてもどうにかやり過ごせるように、常日頃鍛えている提督殿。

 そんな奇特な人間、自分の知る限りでは提督殿だけでありますよ?」

「意思持ち兵器に全部委ねられる図太さが、俺も欲しかったよ。

 ったく、艦娘は害意を抱いたら砲口の向く先が変わるっていうのに。

 その可能性を考慮したら自然とこういったスタンスになるさ」

 

 もしも突然カリスマ溢れる提督がやってきて、その才覚に惚れた艦娘達を根こそぎ引き抜いていったら?

もしも、待遇の改善を要求し、艦娘全員が一致団結してストライキをしたら?

もしも、深海棲艦側に正義と理があり、艦娘達が人間に愛想を尽かして裏切ったら?

 

「意思がある以上、あいつらは護国の女神にはなり得ない。ただの一兵器だ。

 俺達を……俺を絶対に信頼してくれる保証はないんだから」

 

 他の提督達のように、自分は艦娘を信用できない。

人間とは違い、もたらされた加護により海上で戦える彼女達を怖いと感じてしまう。

瑣末事でさえ、胸に突っかかる凡人故に、いつだって胃痛とお友達だ。

 

「それで、そんな生存欲求だけは最高値を振り切っているピーキーな提督様を陸に誘うのか?」

「当然。だからこそ、無償の信頼なんて持ち合わせていない提督だからこそ誘うんですよ。

 いやあ、牙が抜け落ちてないようでなにより。

 自分が大好きでたまらない、心底惚れ込んだ人でありますよ」

「その言葉も胡散臭いな」

「接吻の一つでもしないと信用できません?」

「やめてくれ。お前は目的の為なら嫌でもやりそうだ」

「……嫌じゃないのに、捻くれてますなぁ」

 

 そして、それを知った上で誘いをかけてくる奇特な艦娘がいるのもまた、腹立たしい。

あくまでも自分は自衛の為に力をつけているのであって、戦場に立つべく鍛えているのではない。

 

「提督殿には後ろより横にいてほしいんですよ、自分は。

 海のように後方でぬるま湯に浸からせているなんてもったいない」

「お断りだ。俺は後方でぬくぬくしていたいんだ」

「市井に下らないのに何を言うのやら」

「程々がいいんだよ。鉄火場にも出ないし、命の危機もない。

 かといって市井という敵に蹂躙されるだけの弱い立場でもない」

 

 何事もアベレージが一番いい。

変に目立つのもあまりにも目立たないというのもめんどくさい。

その聖域をこの腐れ縁の艦娘は全部ぶち壊しにしようと企んでいる。

 

「分かち合えないでありますなあ。

 自分が好感を抱いている人間にはもっと活躍してもらいたい。

 他者から正当な評価を貰ってほしいんですよ」

「結構だ。んな評価、溝に捨ててしまえ」

 

 好感を抱いている人間というのはオブラートに包んだ言葉だ。

その実、あきつ丸が自分に対して抱いている感情など、ちょっと面白い玩具程度だろう。

心中で吐き捨てた暴言を噛み砕きつつ、提督は席を立つ。

 

「おや、お早いお戻りで」

「お前が絡んでくるからだよ」

「では、自分も。元々、鎮守府には用があったので」

 

 最悪だ。帰り道もあきつ丸のしつこい勧誘を受けなければならないのか。

実際、帰り道にはしつこい勧誘はあったし、鎮守府に帰ってもべたべたとひっついてきた。

おかげで、艦娘達から冷たい視線を受けたので、本当にろくでもない。

距離感が付き合いたてのカップルみたいで、大変辛かった。




短編集ではなく普通の連載になっているのでは、と最近気づきました。


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間宮さん、完全に負ける(0勝120敗)

 間宮は怒っていた。

頬を膨らませて、いかにも私は不機嫌ですと言わんばかりにぷんすこと怒っていた。

そもそも、毎日間宮は怒っている。

食堂で不機嫌な表情でご飯を作っている間宮はもはや名物と言ってもいいだろう。

周りの艦娘達がいつものことだなと軽く受け流す程度には間宮の怒りは日常になりつつあるのだから。

最初は怖がっていた駆逐艦達も、今では間宮の怒りを尻目に和気藹々と会話できるくらいだ。

間宮を手伝う艦娘達も間宮の不機嫌な表情を見ても動揺しない。

その憤怒が料理にまで影響しないことは皆知っているから落ち着いたものだ。

とはいえ、ここまでぷんすこ期間が長いと、いい加減気の毒になってくるのが人情である。

 

「間宮さん、ちーっす……ってあちゃー、今日も怒ってるか」

「…………っ」

「いや無言で睨まないでってば。歯をギリギリ噛み締めるのもやめてね」

 

 昼食を食べに来た鈴谷が挨拶ついでに声をかけてくるが、間宮の表情は変わらず険しいものだ。

これには鈴谷も哀れみの目で見てしまう。

ここまで追い詰められちゃったか、と。

 

「鈴谷さん、今日は秘書艦でしたよね?」

「うん、そだけどー」

「提督は来ないんですか?」

「あー、その、ね……一応誘ったけど、行かないって」

 

 鈴谷、言いよどむ。

それでも、聞かれた以上は答えなくてはならない。

間宮の表情は一段階重いものとなるし、目のハイライトは消えてしまう。

傍から見ると、やはり怖い。

今の間宮ならば、素手で深海棲艦を倒してしまってもおかしくはない。

 

「どうしてですか」

「それを鈴谷に聞かれても困るなぁ」

「どうしてですか」

「提督も忙しいだろうしなぁ」

「どうしてですか」

「こっちが聞きたいくらいだよ」

「どうしてですか」

「壊れたロボットみたいな返答はもうやめてよぉ」

 

 間宮がこの鎮守府に着任し、食堂の仕事を受け持ってから提督は一回も来ない。

その事実は間宮の心を酷く傷つけていた。

本来、間宮は各鎮守府を回って効率的な提供を教授したり、新メニューの好感に勤しんだりと多忙である。

少なくとも、一つの鎮守府には長期的にとどまらない。

 

「提督は私の食事処に一度も来てくれません」

「あー、うん……」

「色々っ!!!! 新メニューを考案しているのにですよ!!?!?!??!

 ちゃんと掲示板にもチラシを貼っているんですよ!?!?!

 何ならメールでも宣伝していますよ、私!!!!」

「必死過ぎて逆に怖いんじゃ……」

 

 それが何故、この鎮守府では長期的に滞在しているのか。

その理由は偏に提督である。

提督が一度も間宮のご飯を食べてくれない。

晴れの日も曇りの日も雨の日も。

朝も昼も夜も深夜も。

提督は間宮のご飯を食べに来ないのだ。

 

「メールでも、チラシでも、提督専用でサービスしますって書いたのに!!」

「来なかったのかぁ」

「どうして、です……? 私の何が悪いんです?」

「なにか気づかない所で提督に対して失礼なことでもやったんじゃないの?」

「鈴谷さんじゃあるまいしやりませんよ!」

「ちょっとやめてよ! 鈴谷と提督は仲良しだし!!!!」

 

 間宮が提督の顔を見たのなんて最初の赴任時の顔合わせぐらいだ。

その時を振り返っても、対応に不手際はなかったはずである。

簡素な挨拶を交わし合って、それから――。

 

(何もない訳ですけど、ほんっっっっっとうに!!! なにも、ないんですけど!!!!)

 

 間宮が食堂を仕切ってから、待てども待てども提督は来ない。

しびれを切らした間宮は直接執務室へと配膳したこともある。

しかし、偶然が重なっているのか、提督は毎回不在なのだ。

 

「作りたての美味しさ満点間宮ランチを味わってほしいのに、毎回いないのはおかしくないですか!?」

「提督専用ご飯、美味しいもんねぇ。

 余らせているのはもったいないから、毎回秘書艦が食べているけど。

 たぶん、全員が美味しいって感想だと思うよ」

「その感想を提督から聞きたいんですよぉ……」

「まあ、提督にご飯を食べさせたいが為に、ここに残り続けているって頑固だよね」

「給糧艦としての意地ですよ、意地。

 それに個人的にここまで私のご飯を食べない人は初めてなので、興味も生まれましたね」

 

 本来であるならば、間宮はとっくに他の鎮守府に異動している。

しかし、本人の熱烈な要望により、まだこの鎮守府に残っているのだ。

全ては提督に美味しいご飯を食べてもらいたいが為。

提督の美味しいという一言がどうしてもほしい。

給糧艦として、間宮個人として。

絶対に譲れないプライドが、ここにある――!

 

(……とはいえ、どうしたらいいのか)

 

 苦笑いの鈴谷を見送った昼下がりの後。

繁忙が過ぎ、一時的に閉じた食堂で間宮は頭を悩ませていた。

提督が食堂に来る方法、急務。

チラシ、メール音沙汰なし。

そもそも、提督はちゃんと確認しているのかどうかさえわからない。

 

(やるしか、ありませんね)

 

 こうなってしまっては、間宮も覚悟を決めるしかなかった。

眉を顰め、口を一文字に閉じ、服を脱ぎ始める。

 

(背に腹は代えられません。絶対に来てもらいますよ、提督!)

 

 割烹着を脱ぎ、下着姿になる。

黒のレースという明らかに誘惑する気満々の下着である。

もしかしたら提督とのラブなコメディがあるかもしれないと色気づいて買ったものだ。

もちろん、この鎮守府ではそんな機会はないし、提督は一回しか顔合わせをしていない。

そして、間宮はその下着を勢いよく脱ぎ捨てる。

すっぽんぽん――生まれたての姿である。

よもや、この裸で提督を追い詰めに行くのかと思いきや、間宮はテーブルに置いておいた紙袋を手に取った。

この中には秘策がある。提督のことをよく知る練習巡洋艦から教えてもらった秘策だ。

これで、提督にご飯を食べてもらう。絶対にだ。

その焦りが後々の悲劇へと繋がることを間宮はまだ知らない。

 

 

 

 

 

 

「食堂に行かない理由? ちゃんとあるぞ」

「えっ、そうなの!」

 

 所変わって、執務室。

鈴谷は間宮との顛末を包み隠さず提督に話した。

間宮には口止めをされたが、ここで黙っていても関係が拗れるだけだ。

このまま間宮がプンスコ状態なのはよろしくないし、何より提督にも食堂に来てほしい。

そうしたら、一緒にご飯を食べれて、親密にもなる。

ゆくゆくはケッコンカッコカリ、いいやガチにするんだ。

一緒にご飯を食べる口実のこともちゃっかり考えている鈴谷の攻めの姿勢が光る。

 

「俺の認識では、食堂は艦娘達の憩いの場だ。

 そこに上司である俺が行くと萎縮してしまう艦娘も出てくるだろう」

「気にしすぎじゃない? 鈴谷はオッケーだよ?」

「誰もが鈴谷みたいな図太い艦娘ばかりではないからな。

 彼女達には戦場以外で疲弊を感じてほしくないんだ」

 

 実際は、艦娘と顔を合わせるのを避けているだけだ。

色々なしがらみを忘れたい、鎮守府外の新鮮な空気を吸いたい。

そもそも艦娘に囲まれて食事とかプレッシャー半端ないので勘弁してほしい。

当然、それは言葉に出しては言えない。

変に軋轢を生むのは良くないし、艦娘達とは穏当に距離を取りたい。

 

「色々と考えてるんだね、提督も」

「提督として当たり前だ。

 鈴谷達が憂いなく戦えるように、環境を整えるのが役目なんだから。

 まあ、間宮の提督専用サービスとやらは気になるが、まあ小鉢が一個追加とかそういった類のものだろう」

「じゃあ、間宮さんにはそう伝えておくね。

 ちょうど、昼休憩で間宮さん暇してるだろうし、鈴谷行ってくるよ」

「……いや、俺が直接報告しにいく。こういった事柄は対面で言うべきだ」

「りっちぎー。それじゃあ、一緒に」

「鈴谷は執務室で待機。そもそもお前に割り振った業務がまだ残っているだろう」

 

 鈴谷の不満げな顔を軽くスルーして、提督は執務室を出る。

大方、ついていくついでにサボる口実にするのだろうが、そうはいかない。

秘書艦に志望した以上、鹿島までとはいわないが、仕事をしてもらわなくてはならないのだ。

 

(それに鈴谷が付いてきたら、食堂を使うように誘導させられる可能性がある)

 

 最近はなくなりがちだが、昼食は提督にとって貴重な憩いの時間なのである。

気を使える優しい提督。その仮面を外せるひとときを潰す訳にはいかない。

あれこれと気を回している間宮には申し訳ないが、食堂で昼食は断固として遠慮する。

提督は自らの決意が揺らがぬよう固く誓い、食堂への扉を開けた。

 

 

 

 

 

 

「スク水間宮の特別サービスでーすぅ」

 

 

 

 

 

 

 見てはならないものを見てしまった。

まばたきをすることも忘れて、凝視である。

開いた口は数秒塞がらない。

視界に映る光景は一体何なのだろう。

間宮が小さめのスクール水着を着ている。

そして、長い髪を可愛らしいリボンでまとめてツインテール。

更には可愛らしい声を出してポージングしているのだ。

これは、やばい。色々な意味でやばい。自然と提督は後ずさりをしてしまう。

 

(あ、危ない――っ! 思わず悲鳴が出そうになった!

 というか、出してたら死んでるわ、これ! なんだ、あれ!?

 えっ、マジでなんだよ、あれ!! 訳がわからないし、怖いぞ!)

 

 これは知らず知らずの内に溜まっていた疲弊が見せている幻覚だと断じたかった。

だが、そんな現実逃避は視界に映るツインテスク水の間宮が許さない。

まさか、自分が食堂を利用しないことで彼女がここまで精神的に追い詰められていたとは。

思わずして遭遇した厄介事にきりきりと胃が痛む。

幸いなことに間宮は提督に背を向けてポージングしている。

ここは黙って去るべきだ。

 

(まさか、これが提督専用サービスか……そうか、こういうことか……)

 

 提督は踵を返して、見なかったことにした。

後々何か聞かれても知らぬ存ぜぬの態度を貫き通しておこう。

 

(まずいよなぁ、間宮がここまで発狂していたなんて)

 

 これから間宮とどう接したらいいだろう。

提督は沈痛な表情で間宮へのケアを考える。

やはり、食堂を利用するべきか。否、あの特別サービスはやばい。

一度利用してしまったらそのままずるずると沼に引きずり込まれることは確実だ。

 

「……心折れるなぁ」

 

 ひとまず、胃薬を取りに執務室に戻ろう。

提督は新たに降り掛かった問題を解決するべくしばらく頭を悩ませることになった。

 

 

 

 

 

 

 ちなみに、扉は開けっ放しだったので数分後、間宮は誰かに見られた事に気づいてしまう。

ツインテスク水で提督をにっこにこ大作戦はトップシークレットなのだ。

そもそもこんな恥ずかしい姿、いざやってみたはいいが、かなり恥ずかしい。

やはり封印しよう、そう決意した時、開いていた扉を見て間宮は気を失いそうになった。

この姿を誰かに見られた。

崩れ落ちる間宮はしばらく食堂で意気消沈してしまったので、誰も救われない結末である。



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榛名さん、敗北を知りたい(23勝0敗)

 鹿島、だらける。

それはもうとことんにだらける。

本日彼女は非番なり、故にだらけてだらけまくる。

いつもなら秘書艦業務で執務室にいる時間であるが、今日はまだ布団の中だ。

太陽の光は燦々と照っているのにまだ起き上がってすらいない。

 

「ふへぇ」

 

 口から漏れ出したうめき声は、いつもの可愛らしい声とは別物の低いうめき声であった。

基本的に鹿島は、しっかりと身の回りを整えるタイプだ。

提督がいる前では決してだらしない自分を見せない。

恋する乙女なので、好きな人の前では一番可愛らしい自分を見せたいのだ。

しかし、提督と会わない休暇となれば話は別である。

緩める時はとことんゆるめるのが乙女を維持するコツなのだ。

という訳で、鹿島が布団から起き上がる時間は昼過ぎになったのである。

ようやく意識が多少は明瞭になった鹿島はふらふらと立ち上がるも、また布団へと崩れ落ちる。

寝起きだから、立ち上がる力がスカスカなのだろう。

 

(……おなかすいた)

 

 ぎゅるると鳴ったお腹の音色は起き抜け一番に空腹を告げている。

できることならばもっと布団にこもっていたいが、動かなくては空腹はもっとひどくなる。

睡魔に負けてこのまま惰眠を貪るのも悪くない選択肢だが、いい加減起きないと明日に響く。

ぼさぼさの頭は整えることもせず、下ろしたままであるし、着ているのは芋臭い紺色のジャージだ。

ずり下がったジャージからはパンツが絶妙に見えている。

ちなみにパンツは色気の欠片もない無地の白――着心地重視のものだ。

普段の鹿島とは程遠い姿ではあるが、寮内だし別にいいや、と。

何一つ整えることなく、鹿島は再び起き上がった。

こんな鹿島が見れるのは艦娘寮だけである。

とはいえ、艦娘達は寮内では大なり小なりだらけているので、特段に気にする者はいない。

だから、セーフなのだ。誰が言おうとセーフである。

 

(カップ麺でいいや、もう)

 

 そうして、鹿島は遅めの昼食を取りに自室の外に出た。

お昼はお湯でも沸かしてカップ麺で済ましてしまおう。

共有の備蓄棚にまだ在庫が残っていたはず。

だらしなさ全開で共有スペースへと向かい、ノックもなしにドアノブを回す。

執務室でもないのだから、ここではそのような気遣いは無用だ。

そもそもこんなラフな姿は提督には見せられない。

 

「……ああ、鹿島か。その様子だとしっかり休めているようで何よりだ」

「あぇっ」

 

 鼻歌交じりでドアを引いた鹿島、眠気が一瞬で吹き飛んだ。

おかしいことに、視界には提督がいる。

何度目を擦っても提督がいるのだ。

 

「どうした鹿島。ああ、俺がこの場にいることについてか」

「ぇ、あ。えっ」

 

 ああ、これは夢だ。夢に違いない。

提督が艦娘寮に来ることなんて今までなかった。

現実ではないから何故かここにいるだけなのだ、安心である。

しかし、明晰夢を見るなんて珍しい、できることならこんなシチュエーションではなく、デートだったり結婚式だったり、もっとロマンあふれるものが良かった。

鹿島は現実逃避からか、ソファにぐったりと横になる。

悪夢はさっさと記憶から消すべきだ。

もしもこの遭遇が現実だったと思うと、肝が冷える。

一刻も早く寝なおそう。鹿島は目を閉じて寝息を立てるまで、提督の怪訝な視線には気づかなかった。

否、気づかないふりをした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然鹿島がやってきて、ソファで寝始めた。

声をかけても明瞭な返事がこないし、寝惚けていたのだろうか。

 

「よくわからないが、鹿島はあのまま寝かせておいた方がいいな」

「ええ。鹿島さんは榛名が後で運んでおきますので。

 提督がお気になさることではありません」

「そうか、なら安心だな。しかし、非番の艦娘に寮で会うとは、誤解されてもおかしくはないな」

「大丈夫ですよ。あの様子であると、鹿島さんはかなり寝惚けていた様子。

 きっと、提督のことも夢の類と解釈するでしょう。

 そのような遠慮は無用です、提督は自分の部屋のようにリラックスしていただければ、と」

 

 無理が何重にも重なった要求だよ、それ。早く帰りたい、空気が辛い、きらきらの視線が痛い。

提督の胃腸は平常通りに痛みを訴えている。

今、提督がいる場所は執務室ではなく艦娘寮。

艦娘達が私生活で思いのまま過ごす場所に、提督は何故かいる。

この何故という疑問をこの数十分で何度反芻しただろうか。

表情は自然と強張り、喉が渇く。

本来なら門前で用件を済まして帰るはずだったのに、どうして。

 

「もし、鹿島さんが何か言ってくるようであれば、榛名が御守り致します。

 この榛名、魂に懸けて提督の潔白を主張しますので。

 尊敬すべき提督が謂れなき中傷を受けるなど、あってはならないのですから」

「う、うむ。榛名、そこまで固くならなくとも、な?

 ここはあくまでも艦娘達の生活スペースであるし、土足で踏み入った俺も配慮が足りないからな?」

「そんな! どうかそのような戯言を仰らないで下さい!

 榛名の忘れ物をわざわざ届けていただいたというのに……っ」

「ただ通信機器を届けただけなんだがな……」

 

 提督が艦娘寮を訪れた理由。

ただ単純に、昨日の秘書艦であった榛名が執務室に忘れた通信機器を届けにきただけだ。

運が悪いことに榛名が非番だった為、艦娘寮まで行かなくてはならなかった。

もっとも、すぐに渡して仕事に戻ればいいと思っていた自分の予測の甘さが悪いのだ。

榛名を責めるのはお門違いである。

 

(やっぱり後回しにしておけばよかったか?

 榛名だもんなぁ……こうなる可能性は高かったんだよなぁ)

 

 律儀な榛名のことだ、お礼がしたいと自分を引き止めるのは容易に想像できたはずなのに。

 

「提督もお忙しいですので、あまり榛名が拘束するのはよろしくないとは思いますが。

 それでも、紅茶程度でしたらそう長い時間でもありませんので。

 申し訳ありません、本来ならばもっと礼を尽くしたいのですが……っ!」

「大袈裟だな。この程度、礼を尽くすには到底至らない。

 それに榛名は今日は非番だろう。

 休みの日にまで上司に気を使わなくてもいいんだぞ」

「提督の思いは大変ありがたいとは思っていますが、そのようなお言葉は榛名には不要です。

 榛名が提督に礼儀を尽くすのは当然の理ですよ?」

 

 榛名は感極まった表情で目をうるうるとさせている。

今のちょっとしたやり取りだけで感極まるとか、正直怖い。

提督は表面上は落ち着いた笑みを作っているが、内心は冷や汗が止まらなかった。

榛名は見ての通り、過剰な尊敬を提督に向けている。

何故ここまで尊敬を受けるのか。提督にはそれが理解できない。

確かに、無遠慮な対応はしていないが、それはあくまでも普通のことだ。

無茶な進撃はさせない。大破したらしっかりと休息をとらせ、叱咤はしない。

MVPを取ったら褒賞を与えて評価する。過剰なコミュニケーションは取らない。

改めて考えても、これらは普通の鎮守府ならばどれも普通の行いである。

もっとも、自分に限っては艦娘達のご機嫌を取るべく、幾分かは丁寧にやっているといった差異はあるけれど。

 

(無償の尊敬なんて必要ないし、厄介なだけだ)

 

 今はまだ、彼女の目がキラキラと尊敬で輝いてるからいいけれど。

もしも、榛名の尊敬を塗り潰すような失態を自分がした時、彼女はまだ尊敬を抱いているのだろうか。

尊敬が深い程、裏切られた時の失望も深い。

仮定の話ではあるが、榛名の意にそぐわぬことを自分がしでかしたらどうなるのか。

砲口でも向けてくるのでは、艦娘達と一致団結して自らを陥れるのでは、と。

不安というものは膨らみ始めたら止まらない。提督の猜疑心は絶好調にフル稼働していた。

 

「俺は艦娘達のサポートをする立場だ。

 榛名達が十全に戦える環境を作るのはやって当然なんだよ。

 だから、榛名が何に恩を感じているか知らないが、そこまで礼儀を尽くす程では」

「謙遜がすぎるのも考えものですよ、提督。

 榛名がこうして英気を養い、戦場で勇猛に戦えるのは全て、提督がいてこそ。

 礼儀を尽くす理由など、それだけで十分です」

 

 こっわ。榛名からの高評価が怖すぎる。

やって当然のことをそこまで言われても困る。

提督は艦娘という兵器を最善で最良の使い方をしたいからしているだけなのに。

 

「提督の道を切り拓く為に、榛名をどうぞご随意にお使い下さい。

 榛名は貴方の志に総てを捧げます。その過程で何があろうとも榛名だけは貴方のお側におりますので」

 

 重い。尊敬が重くてドン引きだ。

真面目な彼女のことだ、今放った言葉に嘘偽りはないのだろう。

ここまで重い尊敬を前に、提督は無言を貫くしかなかった。

実際は打算で動いており、榛名が考えているような崇高な志なんて持っていないのに。

 

(楽をして有利な立ち位置をキープするのが志だなんて、絶対に言えない)

 

 今度こそ、本当に冷や汗が出始めた。

提督は震える手を抑えるので必死である。

これで自らの本性がバレてしまったら、榛名に殺されてもおかしくはない。

尊敬が反転して失望に変わった瞬間が提督の死ぬ時である。

 

「なら、俺も榛名の信頼に応えないといけないな。

 でも、榛名も別の鎮守府に移籍ってこともあるかもしれないし」

「ありえません」

「えっ」

「ありえません」

「ん?」

「仮定でもありえませんよ。榛名はこの鎮守府――提督の下で朽ち果てますので。

 他の提督にこの身を委ねる気は毛頭ありません」

 

 危うく、恐怖によるうめき声が出る所だった。

喉元寸前で止まってくれて本当に良かった。

しかし、この言葉――――榛名からはもう逃げられない宣告でないか、これ。

 

「末永く貴方のお側に置かせて下さい、提督」

 

 今日の胃薬の量が、また増えた。



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大和さん、ガチで勝ちにいく(0勝20敗)

 ない、ない、ない。

ないものばかりで嫌になる。特にないのは安息だ。

こんな世の中じゃ掴める訳ないとは思うが、それでも、欲しいと願ってしまうのは性分なのか。

指先で転がしたボールペンを強く握りしめ、提督は何度目かもわからぬ溜息を吐き捨てた。

業務用連絡端末に入ったメッセージが一通。

それが提督の表情を曇らせている原因だ。

差出人の名前を見ただけで表情が自然と渋くなる。

上司。正確に言うと元がつくけれど。

その上司様が、暇を作って嘗ての古巣に来いという簡素なメッセージを送りつけてきた。

 

(行きたくない、本当に行きたくない)

 

 無視できるものなら無視したい。しかし、無視すると後々に響く。

にこにこ笑顔でアイアンクローをしてくる怪力な“彼女”をどうしたものか。

数秒考えるも、導き出される解答は一つだけだ。

胃痛が凄惨極まる状態になりたくなければ、赴くしかない。

覚悟を決めて、提督はボールペンをくるりと回しながらペン立てに入れて再び溜息一つ。

現在の時刻は正午になった頃。仕事の切り上げ時にはちょうどいい。

今日の秘書艦である鹿島に終日戻らないと告げ、提督は足早に執務室をあとにする。

それにしても、鹿島は大きな重箱の弁当を持っていたから今日は盛大に誰かと食べるのだろうか。

ぐすんといじけていたが、まあ鹿島にも色々と事情があるのだろう。

深くは詮索しない。それがこの鎮守府でうまくやっていく秘訣である。

 

(面倒なことはさっさと片付けるに限る)

 

 ああ、窓から差し込む陽の光はあんなにも煌々としているのに。

今の自分は台風さながらの荒れ模様だ。

もう胃薬を飲んだ所でどうしようもない。

今日のトイレはいつもより長くなるだろう。

 

(どうにかして行かない理由を作って回避したいが、結局はジリ貧。

 そんな小手先で考えた手段なんて、あいつはお見通しなんだろうし)

 

 とはいっても、これは仕方がないことだ。

職場が変わっても、つながりは絶たれない。定期的に向こうへと行かなくてはならない事情があるのだから。

頭に思い浮かべるだけでも嫌なのに、考えなくてはいけないジレンマ。

やはり、自分は勤労という概念に向いていないのだろう。

提督は鎮守府を出て、通りを走っていたタクシーを捕まえる。

運転手に告げた目的地と自らの服装から、何かしでかしたのかと訝しがられたが、知ったことか。

 

 

(戦場で武器持って戦うよりはマシなんだろうが、まあ嫌なものは嫌なもの。

 ランク付けなんてする方がナンセンスか)

 

 走り出したタクシーに揺られ、提督はぼんやりと首を横に傾けて外を見る。

タクシーの窓から見える風景は平和そのものだ。

親子連れが仲良く手を繋いで歩いている。

会社員が御飯処のメニューを吟味している。

老夫婦がベンチに座り、和やかに歓談している。

十数年前には考えられなかった景色だ。

深海棲艦が産まれ落ちてから、世界は一変した。

艦娘という存在がいなければ、この世界はとっくに滅んでいる。

蹂躙と略奪が闊歩する世界へと様変わりだ。

 

(どう転がろうが現世は地獄だ)

 

 あくまでも艦娘の抑止力は一時的である。

深海棲艦はどれだけ滅しても、何処からともなく湧き出てくる。

末端の有象無象は何の知能もない木偶だが、それらを統率する立場にもなると、知能と力に秀でている。

 

(勝っても、負けても。未来が灰色だってことぐらいわかってるさ)

 

 仮に深海棲艦との戦争を人類側の勝利で終わらせたとしてもだ。

今度は人類同士の戦争が待っている。

残された資源、土地を各国が艦娘を用いて奪い合う。

結局、どう足掻こうが、戦争が根絶されることはないだろう。

艦娘も命を懸けて戦い、勝ち取った未来がこれじゃあ、あまりにも報われない。

そもそも、報いを期待して戦うのが間違っている。

戦い抜いて朽ち果てるまで。

今の幸せは薄氷の上にあることを提督は再認識した。

 

 ――ああ、着いちまった。

 

 鎮守府と似た外観の建物前で止まったタクシーは提督を下ろして、無情にも走り去った。

ここに来ると表情はいつだって苦いものになる。

誰が好き好んで元職場に顔を出して、上司に会いたいのか。

内心で渦巻く不快感を何とか抑え込み、提督は建物内へと入っていく。

その歩みは遅々としており、鎮守府から出る時の逃げ足が嘘のようだ。

 

(やっぱり来るんじゃなかった。色々と取り繕うのがめんどくさい)

 

 どいつもこいつも下から見上げやがって、と。

暗鬱とした表情は益々深みを増していく。

出会う面々の輝いた表情と見たらもう!

深々と頭を下げられたり、丁寧すぎる挨拶、奇麗すぎる敬礼だったり。

そういった態度で接されると、こちらもそれに応じた態度を取らなくてならないのだ。

正直いって、すごく面倒である。

とはいえ、立場的には仕方がないのかもしれない。

自分が相手の立場であったら、同じような行動を取るだろう。

軍属である以上、立場をわきまえた行動を取るのは当然なのだから。

にこやかな営業スマイルを顔に貼り付けつつ、適当なあしらいで受け流す。

これだけで相手が勝手に良い方向へと解釈してくれるものだから単純だ。

こっちは重い足取りで上司が待つ応接室へと歩を進めているというのに。

 

(それを踏まえても、こんな態度を取られる程聖人君子ではないんだがな)

 

 そんな心にもない笑顔を貼り付けて挨拶を受け流している内に、応接室へと辿り着いてしまった。

数秒間。笑顔の仮面を取り外した提督の表情は既に疲れ切っている。

正直、ドアを叩く勇気がない。

ドアの前で数秒間固まったままの自身の滑稽さが全く笑えなかった。

ただノックをするだけなのに、どうして全身がこんなにも重いのだろうか。

 

「――――いつまでも、ドアの前で立っているのはどうかと思いますよ?」

「…………ッ」

 

 そうして、提督が解決不可能な懊悩を何重にも重ねている時、鈴の音のように軽やかな声がドア越しに聞こえてきた。

ああ、本当に敵わない。“彼女”には自分の懊悩などとっくに見通されている。

麾下の艦娘達とは違い、彼女は長い付き合いであるからごまかしも効かない。

ましてや、人を束ねる立場である彼女は下の者をよく把握している。

適材適所、最良の使い潰しができるように、彼女の明晰な頭脳はいつだって解答を早期に打ち出してくるのだから。

 

「はぁ、失礼します」

「はい、失礼されちゃいます」

 

 最も、そういった有能な部分はあくまでも側面に過ぎない。

本来の彼女は茶目っ気があり、親しみやすい。

それでいて、戦場では最強の武勇を誇る“艦娘”なのである。

ドアノブをゆっくりと回し、気怠げに応接室へと入る。

広々としたソファに座り、ひらひらと手を振る一人の艦娘が待っていた。

 

「お久しぶりです、提督」

「ああ久しぶりだ、“大和”」

「どうです? お仕事は順調ですか」

「順調な訳あるか、ギリギリのラインだよ。ったく、本業は“憲兵”なんだぞ、俺は。

 軍略のド素人を隠すにしたって、限界がある」

 

 これから普段の業務と比べても、数倍は神経を使うのだ、表情も益々渋くなる。

そんな提督とは裏腹に、相対する彼女は満面の笑みだ。

心底楽しみにしていましたといわんばかりに、うきうきである。

 

「軍にとっての不穏分子――内部からしか見えない膿を炙り出す為とはいえ、スパイじみたことは疲れる」

「そうなると、益々労わないといけませんね。これからはもっと定期的に呼び寄せることにしましょう」

 

 勘弁してくれ、と。

首を横に振る提督は改めて艦娘――大和へと向き合った。

ここにいる時、自分は“提督”ではなく、“憲兵”である。

いつも演じている役割と性格をここでは取り払ってもいい。

それだけが、彼にとって唯一の救いであった。

 

「よく戻ってきました・憲兵隊所属副隊長――」

「そういう長い口上はいらない。時間の無駄でしかない。

 さっさと用件を済まして、俺を帰らせろ。定時じゃないと泣き喚くぞ」

「それは興奮しますね。とはいえ、その機会は今度にとっておきましょう」

「うっわ」

「……つれないですね。私は今日のこの一時をずっと待ち望んでいたというのに」

「できれば適当な予定を入れて、戻らないつもりだったんだがな」

「駄目ですよ。そんなことをしたら、私……悲しみのあまり轟沈してしまうかもしれません」

 

 憲兵隊の長である大和とそれを支える副隊長。

もとい提督と艦娘。かつて築いた関係が垣間見える軽快な会話を二人は続けていく。

 

「冗談ですよ、冗談。そんな怖い顔をしないで下さい。

 蒼き穏やかなる海の自由を取り戻すまでは朽ち果てるつもりはありません」

「いざとなれば躊躇なく鉄火場に飛び込める奴がよく言う。

 いいか、勝手に死んでくれるなよ。俺の仕事がもっと増える」

「ご安心下さい。戦場が変われど、在り方は欠片も違わず。

 轟沈する運命を変える為に、無駄死になんて、ね?」

「ね、じゃないっての。過去には負けない、殉死なんてしない。口でなんとでも言える。

 でも、いざとなれば命なんざ平然と投げ捨てられるのがお前だろ」

「お言葉ですが、そこまで自分を軽くしてませんからね?

 完全無欠の勝利こそ、艦娘として再臨した私の今生の願いなので」

 

 儚げながらも意志が垣間見える笑み。

こうしてみると、椅子に座っているだけなのに、貫禄がある。

 

「まあ、燃費が悪いから……。運用コストがかかりすぎることもあって、こうした後方業務に飛ばされちゃったんですけどね」

「いざという時の決戦兵器をほいほい抜錨させたくないんだろうよ。

 憲兵側にでも回してモチベ上げる要因として使っておけば腐らないって感じだ」

「過保護なんですよ、上層部は。

 こうした秩序を司る仕事をするのも嫌いではありませんが。

 それはそれとして、私は艦娘です。戦う為に生み出された存在です。

 なのに、ずっとこの部屋で書類作業。

 たまには海に出ないと色々と鈍っちゃうので困ります」

 

 貫禄、一気に消える。

ほにゃっとしたゆるゆるの顔に一瞬で切り替わる。

ちょっと抜けた部分があるから周りから慕われるのだろう。

全てにおいて完璧である、と近寄りがたいイメージがついてしまう。

以前に大和と話した時、そういったつぶやきがあったことを提督は覚えている。

 

「四方山話はいったんは区切りとして。書類の方をお願いします。

 今後に必要なものでして、貴方に書いてもらわないと困ってしまって。

 経費申請書とか貴方が憲兵経験のないまっさらな提督であるとか。

 ごまかしに使う書類とか色々溜まっているんですよ」

「大和が代筆して提出とか」

「連名で提出なので署名がほとんどですから」

 

 机に置かれた書類の束は分厚く、しばらくは提督をここに拘束する気満々である。

大和はニコニコと表情をほころばせて、くるくるとペン回しをしている始末だ。

早く帰りたい提督は観念して、ボールペンと印鑑を取り出した。

 

「提督でない時ぐらい、書類関連から離れたいんだがな」

「そう言わずに。私の部分は全て書き終えていますので」

 

 書類。ペーパードキュメント。

ごまかしに使うものや、業務の遂行の再確認に用いるなど、様々だ。

そもそも働いている以上、書類というのは切っても切れないものである。

提督のように少しでも楽をしたいと思って、PCを使っている者もいるが、それでも、書類は業務から消えてくれない。

 

「全部PCで終わらせたい」

「まあまあ。先程も申した通り、名前を書くだけですのでさらっと流す感覚でいきましょう。

 書き漏らしにつきましては、私も確認いたしますので」

「ダブルチェックがあるなら安心か。書き損じの修正の為に、またここに来るとか嫌だからな」

 

 さらっと見て、さらっと書いて。

結構な枚数の書類を処理し、大和へと渡していく。

経費申請書であったり、契約書であったり。

読んでおかないと後々痛い目をみそうなものだけは熟読する。

しかし、今手に取った婚姻届なんて業務に関係がなくて、妻になる人の部分には、しっかりと大和の名前が書かれているのは何故だと――。

 

 ――婚姻届っておかしくないか?

 

 提督の表情が凍り、大和の笑みが深みを増した。



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大和さん、負けても諦めない(0勝21敗)

 今回の冗談はいつもより、凝っている。

いやあ、普通の提督ならば騙されてしまう。

自分だから気づいた。ちゃんと自己評価ができる自分で良かった。

提督として自分は好意を受けて当然だという自惚れがあったならば、有頂天になっていたはずだ。

一方の大和は澄ました顔で何のことでしょう、と。

やましいことなど何もないと書類の提出を急かす。

 

「…………大和」

「はい」

「手違いの書類が交じっていたから捨てておいてくれ」

「あら、申し訳ございません。捨てておきますね」

 

 ご丁寧に大和の名前が入った婚姻届を乱雑にぶん投げる。

大和はしゅんとした表情をしているが、騙されない。

こんなドッキリを仕掛ける艦娘なのだ、意図が読めるまでは隙を作ってはいけない。

冗談にしても笑えない、結婚だなんて。

そもそも、システムとしてケッコンカッコカリがあることがいけないのだ。

提督は眉間の皺三割増しで次の書類に手を伸ばす。

大和のお茶目なドッキリ――艦娘ジョークなのだ、これは。

真に受けてはこちらの胃が保たない。

 

「誰にだって間違いはある。仕方ないことだ。

それにしても、次の書類もさっきと同じ――――ってこれも婚姻届じゃねぇか!!!!!」

「偶然が続きますね」

「二度も続くか、こんな偶然ッ! しかもどっちもお前の名前が記入済なんだが、これは何の嫌がらせだ!」

「事前準備はしっかりと行うのが淑女の務めかと」

「婚姻届を書類に交ぜる淑女がいてたまるか」

「本来であるならば、二人一緒に名前を書きたかったんですが」

 

 随分と手間のかかった艦娘ジョークだ、笑えない。

さっきから胃の痛みが強さを増していくのも含めて、早く帰りたい。

 

「こういうのは意中の相手に仕掛けるものなんだってわからないか?

 俺だから勘違いせずにすんだが、他の奴等ならば笑い事にならんぞ」

「いえ、意中の相手は貴方ですので、大丈夫ですね。安心してご記入いただければと」

「全く大丈夫じゃないし、安心できない言葉が聞こえた気がするが、まあ幻聴だな。

 いやいやいやいや、騙されないからな、俺は」

 

 正直、もう何が何だかわからない。

いや、大和が自分に対して好意を抱いているという事実が既に摩訶不思議である。

 

「もうっ、そうやっていつまで目をそらしているんですか!

 貴方は未だに冗談の類だと認識していますが、私は本気ですよ!!」

「本気で嫌がらせしたいのか? それなら、もうかなり効いてるから作戦としては成功だぞ」

「本気で貴方と結婚予定ですけどね。私は既に貴方と添い遂げる覚悟がありますから、よろしくお願いしますね」

「よろしくねーよ。見えない聞かない知らない」

「ですが、もう見てしまったし、聞いてしまって、知ってしまった。

 外堀はとっくに埋まってるんですよ」

「全然埋まってないから。俺の城塞は外堀がすごく深いから」

 

 やばい、この艦娘、想像よりもとち狂っている。

嫋やかな笑みの裏にあるものが言葉の節々で牙をむいている。

肉食獣の臭いがする。もし、ここでオーケーサインを出したらすぐに食われる気がしてならない。

 

「とりあえず、ケッコンから始めます?」

「ファストフードを注文する感覚でケッコンを申し込むな」

「それじゃあ、仮から始めましょう! お試しだと思って、ね? てーいとーくっ」

「提督って呼ぶな、はっ倒すぞ」

「そんな……! 立場ではなく名前で呼べと? 大胆ですね、それならそうと言ってくれたら」

「いや、提督でいいわ。提督でお願い、それ以外NGな」

 

 解せぬ。心中に湧いた三文字が溢れ出して止まらない。

これが鈴谷ならいつものからかいなんだと察して、流せるけれど。

しかし、相手は大和だ。

長い付き合いである自分に対して、虚飾で謀りごとをするだろうか。

改めて、よくよく考えてみる。

あの大和が好きでもない相手に、こんな冗談を言う訳がない。

質実剛健、大和撫子。容姿は同性も羨む美貌。

引く手は数多な彼女が、特段に優れている所もない自分に好意を抱くなんてご都合主義がすぎる。

 

「そこまで驚かなくてもいいのでは? お互いの中身を曝け出して見ている仲ですよ?」

「物理的にな。グロ画像大好きな奴が涎と涙を垂らして喜べるやつだったよ」

「では提督も私の中身を見て喜びになられたのですか」

「喜ぶ訳ないだろ。俺にそんな趣味はない。二度とあんな痛い思いはごめんだ」

 

 過去の苦い記憶を引き合いに出されるのは流石に、表情が渋くなる。

臓物と血反吐を撒き散らして戦った過去など、覚えていても損だ。

生き残る為に仕方がなかったものとはいえ、である。

 

「思えば、その時でしたね。初めて、恋い焦がれるという感情を強く抱いたのは。

 私が諸々の事情で後方送りになった時。

 こうして憲兵を束ねる立場へとなった時。

 貴方は私についてきてくれて十全に動いてくれた」

「激戦地から逃げたかっただけだ、勘違いするな。

 それに、あの時のお前を放っておく程、俺は……いや、ただの気の迷いだ」

 

 結局、逃れられる術はなかったのだ。

どうあがいても、この腐れ縁は継続し、訳のわからぬ方向へと伸びていったのだろう。

 

「ともかく! お前のおかげで、比較的安全な鎮守府で提督ができるのは感謝してる。

 それだけだ、勘違いするなよ」

「感謝をしているなら、私とケッコンしてくれませんか?」

「それとこれとは別問題だ。この際はっきり言うが、俺は誰ともケッコンをする予定はない。

 絶対、曲げないからな、いいか、絶対だぞ。

 見込みがないものにいつまでも縛られる必要なんてないんだ、さっさと切り替えて次を探すんだな」

 

 恋心など冷水をかけて鎮火だ。

大和の器量なら自分よりもふさわしい相手が見つかるはずなのだ。

 

「これはまた前途多難な恋路ですね。逆に燃えてきましたよ」

 

 もっとも、大和の表情には陰りはない。

それどころか、意気揚々とガッツポーズまでする始末だ。

 

「俺、断ったよな? もう一回しっかりと言うか? 録音してもいいぞ、後で証拠になるしな」

「いえ。そこまでせずとも、提督が私の告白を断った。ちゃんとその意図は伝わってますよ」

 

 なら、どうして。

心底わからないといった表情で提督が問いかける。

 

「一度断られた程度で諦める恋だと思っているんですか。

 この大和、そのような軽々しい恋を抱く艦娘ではありません。

 乙女の恋というのは、提督が思っているよりも強固ですからね」

「見込みがないものに重みをかけるのは馬鹿のやることだと思ってるんだが」

「馬鹿で結構。それぐらいでないと、貴方を手に入れられませんから」

 

 まさか、ここまでの阿呆だと思わなかった。

一言二言断れば、諦める。

周りにはもっと器量のいい人間がたくさんいる。

稀有な才能を持つでもなし、神がかりな軍略で海域を攻略する訳でもなし。

ましてや、見るもの全てを魅了する容姿でもなし。

生き汚い――自己を第一に考える提督に対して抱くものではない。

 

「とりあえず、俺は一度ちゃんと断ったからな」

「ええ、はっきりと見込みはないとまで言ってくれましたね」

「下手に可能性を見せて希望を抱かせるよりはマシだ」

「誠実ですね。まあそういう所も好きになった理由の一つですけど。

 まあ、これからは隙あらば告白していくので。

 お受けする気になられたらいつでも言ってくださいね」

 

 いつか、大和の恋心が冷めるまで。

彼女も口では諦めないと言ってるが、徐々に他の相手を探すようになってくれるはずだ。

艦娘と提督。兵器と人間。隔てている堀は彼女が想像しているものよりずっと深い。

 

「物好きな艦娘だな」

「その物好きな艦娘にいつか振り向かせますから」

 

 愛は移ろいやすい。

このやり取りもいつまでも続くまい。

自分より彼女のことを大切に想って、愛してくれる人はきっといるはずだ。

そういった運命の相手が早期に現れてくれることを願う。

信じて失うより、信じずに失う方が傷口は浅くすむ。

深く抉れた傷は痕となって残る。

そうやって痕を増やして生きていける程、自身が強くないことを、知っているから。

 

「逃しませんから。何があろうとも、私は貴方を想い続けますし、掴まえます」

 

 痕というより、そのまま致命傷になり得るな、これ。

提督は眼前の艦娘が想像以上に重いということを改めて認識せざるを得なかった。

 

 



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鹿島さん、取り返しのつかないフラグを立てて負ける(0勝99敗)

「提督さん、よろしいでしょうか」

「一応、聞いておく」

「私には個性が足りないと思うんです」

「藪から棒になんだ鹿島」

 

 執務室にて、突然鹿島が訳のわからないことを口走り始めた。

書類に向けていた視線を上げると、鹿島の顔がよく見える。

私、悩んでますといわんばかりの顔だ。

ぷっくりと膨らませている頬があざとい。

とりあえず、めんどくさくなったら可愛いとか褒め称えて於けば、

勝手に機嫌がよくなりノッてくれるのだが、今回の鹿島は微妙である。

よく観察してみると、眉間のシワがいつもの二倍くらい増えていた。

これは長期戦になると提督の直感が予測している。

 

「私には個性が足りないと思うんです」

「二度も言わなくても聞こえてるよ」

「でしたら、一緒に考えましょう!」

「何を?」

「私の個性についてです」

 

 この艦娘、マジで言ってるのだろうか。

 

「鹿島は十分に個性的だろう」

「例えば、どこがですか」

「気立てが良くて、俺は見落としているところにもよく気がつく」

「そんなの秘書艦として当たり前なんですっ」

「当たり前じゃないんだがな……鈴谷とか鈴谷とか鈴谷とかな……」

 

 この鎮守府の秘書艦は持ち回り制で稼働しているが、鹿島は本当によく働いている。

鈴谷や川内のように隙あらばサボろうと画策する奴等が悪い。

何でもないかのように提督もサボりに誘うので、手遅れである。

かといって、秘書艦業務からはずそうが、普通に執務室に遊びに来るので、あんまり関係ない。

入り浸るなら談話室なり自部屋なり場所があるにもかかわらずだ。

 

「何故、俺の執務室をたまり場にするのか、それが理解できない」

「皆に好かれているからですよ。提督優しいですし」

「厳しくする理由がないだけですよ。それに、艦娘達は戦場で命を懸けているんだ。ちと、言い回しに違和感が。鹿島の口調と提督の口調が混ざってるのでは?

 多少の息抜きは必要だと思っているし、ある程度のワガママくらいは見過ごす方が円滑に物事が進む」

「そういった所です。提督さんは頭ごなしに怒りませんし。

 注意する時は必ず理屈をつけているので、聞く方も納得するんですよ」

 

 理屈をわかった上で、艦娘達はこの執務室をたまり場にするというのが質が悪い。

加えて、艦娘達は提督に対して距離が近いのだ。

その距離の近さをからかい――何か裏で企んでいるのではないかと看破しているからいいものを。

努々、善良な提督を演じている以上、そういった下賤な感情を表に出すはずもなく。

しれっと大本営に出張するなど用事を作ったり、休みの日に悠々と過ごすことで、発散する訳である。

 

 ――揉め事を避けたいだけなんだよなあ。

 

提督と艦娘が恋愛感情を燃え上がらせて、どっちが痛い目にあうかなんて一目瞭然である。

疎い人間でも流石にわかる問題だ。

艤装を身に着けて戦闘態勢になった艦娘など、提督からすると恐怖でしかない。

一発一発が致命傷の砲撃を繰り出してくる奴と乳繰り合う程、肝っ玉は据わっていない。

 

「全員が鹿島みたいに聞き分けがよかったら、いいんだがな。

 世話をするにしても限度がある。上司と部下である以上、厳しい部分だってな」

「提督さんは私のお世話はしてくれないんですか?」

「する必要がないだろう、秘書艦で近い立場にいるのもあって、大抵のことは任せられる。

 鈴谷達とはちがって、いい意味で放任できるよ」

「そうですか、じゃあ私も鈴谷さん達みたいに素行不良の艦娘になります」

「冗談にしては直球すぎるな」

「私に足りないのは素行不良な所だったんですよ!」

「そんなドヤ顔で言われてもな……。

 それに素行不良って意識してできるものじゃないからな」

 

 提督は穏やかに窘めているが、内心はヒヤヒヤである。

少しでも気を抜けば、冷や汗が滝のように出てくるのは間違いない。

大変めんどくさい、非常にやばい。

この鎮守府の良心である鹿島が鈴谷達のようになってしまったら、と。

手のかかる艦娘が増えるということは提督の心労ももちろん増える。

 

 ――意地でも阻止しなければならない。

 

 これ以上の面倒事を増やさない為にも、提督は鹿島の妙な決意を砕かなくてはならない。

 

「素行不良とは一概に言うが、具体的にはどうするんだ?」

「提督さんのご飯を横取りしちゃうとか?」

「そもそも昼食を一緒に摂ってないんだけどな」

「これからです。これから毎日一緒に摂れば良いんですよ」

「普通に仕事の関係上、時間がめったに合わないけどな。

 鹿島は、新人の教導の関係上、現場に行ったり忙しいだろう」

「そうでした!? これじゃあ、提督さんと一緒にご飯を食べられません!?」

 

 ここで教導の仕事をサボると言わない辺り、心底真面目というか。

ほわほわとゆるい艦娘と見られがちな鹿島であるが、その実、生真面目かつ色々と背負いがちな娘だ。

そういった側面から追い詰められ、オーバーワークに陥る可能性がある為、姉の香取にそれとなく誘導してもらうなど、対策は入念にしてある。

というよりも、聞き捨てならない台詞を鹿島はサラッと口にしている。

鹿島とご飯。秘書艦とご飯。つまるところ、仕事だ。

 

「そもそも、俺、鎮守府で食事を摂ってないからな」

 

 休憩時間にまで部下と上司と部下のやり取りをしたくない。

上司の鑑とまで評価を上げた提督の外面をある程度崩せる貴重な時間なのだ。

この憩いの一時だけは奪われたくない。

 

「そうです、そうなんです、それですよ! 提督さん!」

「う、うん?」

「提督さんは一回も鎮守府内で食事を摂らないんです!」

「それはまあ、鹿島達とは休憩時間は合わないし、市井を巡回する役割もあるし、当然だと思うが」

「当然じゃないですよぉ……一回も食べに来てくれないって間宮さん達が血涙を流して落ち込んでいるんですよ?」

「いや、それは言いすぎじゃ」

「他にも! 艦娘一同、提督さんはあまり顔を見せに来てくれないと嘆いています、これは由々しき事態です!」

「えぇ……」

 

 どうやら自分は墓穴を掘ってしまったらしい。

よくわからない方向へとめんどくさくなってしまった鹿島は、ぷんすことした表情を崩さずに抗議の言葉を並べ立てる。

もっと艦娘達との交流を深めるべきだとか。

もっと私の秘書艦頻度を上げるべきだとか。

出張の際はいつも自分をつけていくべきだとか。

ケッコンカッコカリいつでも待ってますだとか。

後半部分の戯言はめんどくさくなって聞き流したが、いつもの鹿島よりもポンコツ具合が上がっている。

 

「ということで、一緒にご飯に行きましょう」

「全然文脈が繋がってないし、行かないからな」

「どうしてですか!!」

「仕事があるから」

「仕事と私との食事、どちらが大事なんですか!」

「仕事。仕事しないとお前達を護れないからな?

 そもそも、鹿島は教導の仕事があるだろう」

「素行不良ですもん、そんなのは知りません」

「その設定、今持ってくるかぁ」

 

 もう色々とめちゃくちゃである。

とはいえ、このまま鹿島のペースに乗せられる訳にはいかない。

一回屈したら、今後もなし崩し的に食事は鎮守府内で摂らされる可能性がある。

そもそも、食堂を使ったら間宮達が放してくれそうにない。

彼女達の策謀に押し切られて、食事は鎮守府内がほぼ確定だ。

 

(さてと、どうしたものか。個人的な事情もあるが、仕事的にも鎮守府内で食事を摂ることは避けたい)

 

 今の鹿島を落ち着かせるのは至難の業だ。

完全に感情的になっている以上、筋道を立てて反論しても火に油を注ぐだけである。

ならば、彼女の言う通り、鎮守府内で食事を摂ることにするべきか。

否、ここで曲げては後々めんどくさい。

自然に外食を選べる環境はプライスレス。

鎮守府内の食事が普通になってしまったら外食をする時、訝しがられる。

 

(幸い、ここにいるのは鹿島だけ。鈴谷とか間宮とか話をややこしくする艦娘達はいない)

 

 なればこそ、決着は短期かつここでつける。

鹿島を言いくるめさえすれば、安息は約束されたものだから。

 

「鹿島」

「……私は曲げませんよ、これからの将来の為にも!」

 

 鹿島が提督たらしの艦娘であることを知っていなければ危なかった。

なんかもう別の意味で危ない気もするが、それはそれ、これはこれである。

このままズブズブと沼に引きずり込まれる前に、ケリをつける。

 

「仕方ない、そこまで素行不良の決意が固いなら、俺も考えなくてはならない。

 他の鎮守府に左遷するという案だってある、大変心苦しいが、な」

「えっ、ちょっ、えっ」

「仕事を放り投げて私情を優先する艦娘を見て見ぬ振りをするのは提督としてできないからな。

 本当に心苦しいが致し方ない」

 

 鹿島、止まる。

表情は真顔のまま動かず、漏れ出る声も断続的でとぎれとぎれだ。

 

「素行不良を貫くというなら、俺も大本営に報告しなくてはならない」

 

 正攻法、常識に則った手段で攻略する。

そりゃあ、提督の前で堂々とサボり宣言をするのだ。

立場的には、処罰を下すしかない。

なにせ『真っ当』な提督なのだから当然の帰結である。

 

「今までの功績もあるから、悪いようにはしないが、こういう結末になってしまって残念だ」

 

 とはいえ、これはあくまでもふりだ。

当然、提督は鹿島を他の鎮守府に左遷するつもりはない。

事務であったり、教導であったり、鹿島に助けられている部分は多い。

評価は戦場だけに非ず。

裏方の仕事に対しても評価はされてしかるべきである。

少なくとも、提督はそう思っているし、艦娘達にもその考えを理解してもらうよう努めている。

 

「そういう訳で――」

 

ひとまず、これぐらい言っておけば鹿島も落ち着くだろう。

鎮守府で食事という話題も流れるし、鹿島も元に戻ってウインウインである。

 

「…………」

「えっ」

「………………」

「気絶、してる……!?」

 

 もっとも、その予測は提督だけであったけれど。

鹿島、色々とキャパシティがオーバーして混乱する。

この数秒間、どうしたら左遷されないか、提督と離れ離れになりたくない。

左遷されたら遠距離恋愛かなぁとか、そもそも付き合ってすらいないでしょとか。

提督との思い出が一気に頭の中で流れ出し、気絶した。

器用にも立ったまま気絶している鹿島を見て、悲鳴を上げて提督も後ずさる。

 

(気絶する程、嫌だったのか……これからの将来――自分のキャリアに影響が出るのか。

 いや、もう、どうなんだ? 何だかわからなくなってきたぞ、鹿島のことが)

 

 とりあえず、出世意欲が強い艦娘なんだな、と。

一旦はそういうことにしておこう。

提督はこれからの鹿島のことも考え、上層部にはそれとなく有能さをプレゼンしておこう。

彼女を手放すのは惜しいが、本人の意向もある。

この鎮守府から栄転するとなれば、提督は評価が上がるし、鹿島はここよりもいい職場で活躍できる。

何が正解の対応かわからないが、鹿島の評価を改めることはきっと間違いではないはずだ。

 

(今後はそれとなく栄転の話を出して、気を利かせるか)

 

 鹿島を抱き抱え、備え付けのソファーに横にさせる。

気絶から立ち直ったら、アフターケアを怠らないようにしておこう。

ちなみに、気絶から復活した鹿島はここ数分の提督とのやり取りを覚えておらず、

記憶が飛ぶ程、嬉しいことがあったのかもしれないと胸を高鳴らせたのであった。

それを見て、知らぬが仏だと提督は感じ、沈痛な表情を浮かべ沈黙を貫いたのは言うまでもない。



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鈴谷さん、自殺点を決める(1勝185敗)

 緊迫した空気でないのに緊迫しているとはこれ如何に。

普段なら秘書艦は鹿島がやっているのだが、先日気絶したことも踏まえ、体調をしっかり戻すという意味で本日はお休みである。

それを告げた瞬間、この世の終わりみたいな顔をされたが、解せぬ。

鹿島に万が一の事があったら困る。鹿島にとっても、提督にとっても。

ということで、本日の秘書艦は榛名である。

そう、無自覚崇拝色々と重い系艦娘の榛名が、一日つきっきりなのだ。

正直、ヤバイ。仕事の頼り甲斐はあるし、気配りもできる。

ただ、重いのだ。その視線が、キラキラと輝いている双眸が、尊敬という二文字が――!

 

「なあ、榛名。頼みたいことがあるんだが、聞いてくれないか」

「はい、なんでしょう。夜伽ですか? 榛名は大丈夫ですよ!」

「全然違う。真っ先に浮かぶお願いがあまりにもひどすぎる。それで、誰に吹き込まれた?」

「瑞鶴さんです。提督さん、ああ見えて女好きなんだよって言ってました」

「うん、わかった。まずその認識は違うし、瑞鶴は後で呼び出ししておく」

 

 もうだめだ、胃も痛い。午前の仕事開幕から頭が痛くなった。

瑞鶴の今日の昼夜は七面鳥にしておくことを、提督は決め込んだ。

もっとも、最近は反省の色を全く見せなくなってきたので心配である。

 

「御手柔らかにお願いしますね。ただ提督にかまってもらいたいだけなんですよ、きっと」

「そういうものなのか。てっきり嫌われてるものかと」

「まさか。それに、提督を嫌うなんて恐れ多い。他の皆様が許しても、榛名が許しませんから」

 

 だから、その無償の尊敬はどこから湧き出てるんだ、と。

もう本当に怖いからやめてほしい。

提督という立場にいる以上、艦娘に気を使う仕事をしているようなものだ。

業務を円滑に遂行する為の行い――利己的な打算があるのだから、そこまで感激するのはやはり居心地が悪い。

 

「コミュニケーション、って言われても困る」

「といいますと?」

「鹿島や鈴谷みたいな秘書艦を結構やってる艦娘達は知ってるんだが、上司と部下という立場上、

 交流は控えめにしているんだ。無遠慮に付き合っていい間柄っていうのは違うしな」

「榛名は大丈夫ですよ? いつでも、夜伽、いけます!」

「ははは、冗談にしてはキツイぞ?」

「冗談ではありませんけど」

 

 怖い。真顔で夜伽とか言わないでほしい。

いざとなれば力で押し倒しかねない。一応、尊敬の二文字が常に顔に貼り付いている榛名だからないとは思うけれど。

もしも、刺激を与えて方向性が曲がってしまったら――。

貞操の危機、そのままケッコンカッコカリ。胃薬、胃薬が必要である。

 

「榛名が提督に総てを捧げるなど、当然ですので」

 

 尊敬ガンギマリのオリジナル笑顔、もう嫌だ、直視したくない。

普通ならでろでろに溶けるであろう笑顔も、提督からすると嘔吐確定である。

しかし、それを正直に口に出してしまうと榛名が轟沈しかねないので口にはしない。

地雷を設置して自分で踏むなんて誰がするものか。

 

「話は聞かせてもらいました、夜伽の話ですね!?」

「全然聞いていないかつ盗み聞きをする艦娘を呼んだ覚えはないな、榛名……仕事だ」

「はい、かしこまりました!」

「えっ、えっ! ちょっと待って下さい、ほんの出来心、おちゃめな冗談ですよ!」

 

 突然ドアを開けてドヤ顔で乱入してきた間宮を追い出して、提督は溜息をつく。

本当に何なんだ、この鎮守府。コミュを取りたがる艦娘が多くないか。

適切な距離を保て、ソーシャルディスタンスという単語を知らないのか。

 

「只今戻りました」

「ご苦労。暫く寄りつけないように榛名からは言ったと思うが」

「当然です。夜伽の役目は榛名ですのに」

「そんな役目はない。これまでも今後もない」

「提督がそう仰るなら……ご要望がある時はいつでも言ってくだされば、榛名がいたしますので」

「部下に夜伽を強いる上司になった覚えはない」

 

 一応、憲兵としての身分もあるのだ。規範になるべき自分が欲をコントロールできなくてどうするのか。

 

「さすが榛名の提督。誇り高き御心……!」

 

 もうやだ、何をしても褒めにかかる。

けなしてくれとは言わないが、フラットな態度を心がけてほしい。

 

「それ以前に、艦娘なら引く手数多なんだ。上司に媚びるより好きな奴に媚びた方がいい」

「榛名は提督が好きですよ?」

「うん、わかるわかる。わかったから、突然心臓に来る言葉を投げつけるのはやめような」

 

 怖い、本当に怖い。

裏表のない真っ直ぐキラキラ眼、本当に直視できない。

自分の浅ましさをこれでもかと映しているようで胃薬はいつもより多量だ。

そろそろ、薬の摂り過ぎで中毒になってもおかしくないのではないか。

 

「ともかく、安易に好きって言葉を投げかけるのはよくない。

 俺はともかく、他の奴等は勘違いするから注意するべきだ」

「鹿島さんとかですか?」

「鹿島は……うん、色々とあるよな」

 

 見目麗しい榛名が犬のようにしっぽを振って、好意を寄せているような言葉を出したら、大抵は勘違いする。

無垢で真っ直ぐな心にあてられたら、衝動的な行動を取られてしまう可能性だってある。

現に、鹿島は大変だった。歴戦の女王と称せられるであろう彼女を取り巻く混沌具合は入院したくなるぐらいに疲れる。

容姿や態度といったことが話題に上がりやすいが、その実、教導であったり、事務であったり、仕事面でも有能なのだ。

 

「提督も鹿島さんが好きなのですか?」

「好感を抱かない理由はないと思うが? 彼女は業務に対して真摯だからな」

 

 嘘は言ってない。

男慣れめっちゃしてるとか、裏で陰口叩かれてるんじゃないかとか。

提督が怯えに怯えまくってることを出してないだけで。

 

「なるほど。榛名も鹿島さんのように頑張らなければ……! 提督に相応しい艦娘になる為にも!」

「話は聞かせてもらったよ!!」

「……一応、俺は鈴谷達の上官だ。上官の部屋にはノックをしてから入るべきだと思わないか。

 もしも、大事な会合だったりしたらどうするんだ」

 

 うわ、出た。声にも表情にも出さないが、提督はニマニマ笑顔の鈴谷を前に、平静を保つ。

ここで相手に乗ったら終わりだ。百戦錬磨、男の扱いもお手の物であろう鈴谷に隙を見せるということは即敗北である。

 

「それは大丈夫だよー、瑞鶴が偵察機飛ばして確認した後だったから」

「瑞鶴、俺の生活脅かし過ぎじゃないか……?」

 

 迂闊な行動、言動をしているつもりはないが、今後はもっと注意深く行動した方がよさそうだ。

流石に鎮守府外では好き勝手できないが、内部ならやりたい放題だ。

 

「だって、提督がかまってくれないのが悪いし」

「仕事が忙しいからな」

「じゃあ、鈴谷も手伝う。手伝った時間分、かまってもらう」

「遠慮する。手広く手伝ってもらっても、仕事の効率が上がる訳でもなし。

 幸い、榛名は優秀で助かっているし」

「提督……!」

 

 榛名が真横で感涙のあまり目を押さえているが、見ないようにする。

突っ込んでもろくなことにならない。

 

「という訳だ、大人しく熊野にかまってもらえ」

「熊野はやだ」

「熊野が泣くぞ、そんな事言うと」

「だって、最近の提督は仕事ばっかりじゃん。コミュ、全くないじゃん」

「普通に多忙だからな。外回りもあるし」

 

 外回りもとい大和の呼び出しが何故か増えてしまったのである。

あの告白の一件から、普通に職権乱用ではと思っているが、所詮は提督も歯車、何も言えないのである。

 

「デート一回」

「瑞鶴にしてもらえ。あいつ、年中暇だろ」

「瑞鶴はアホだからやだ」

「だよなぁ」

「でしょー」

「お二人共、瑞鶴さんに聞かれたら怒られますよ」

「だってほんとのことだし」

「艦載機飛ばすわ、変な噂流すわ、ろくでもないし」

「否定はできませんけど……」

 

 それにしても困った。

毎度のことながら、鈴谷は拗ねるとめんどくさい。

ちょっとかまったら機嫌は治るから良いけれど、今回に限ってはまあまあ忙しい。

この後はまた大和に呼び出されているし、どうしたものか。

ぷっくりと頬を膨らませて拗ねかけている鈴谷だが、まだ挽回はできる。

なんだかんだでちょろい彼女は、こちらが譲歩するところころと表情を変えて機嫌が良くなるのだ。

そうすると提督が取るべき手法はもう限られていた。

 

 ――致し方ないか。

 

 あまり気は進まないが、彼女の機嫌が一時でも満たされてかつ自分に責がないように丸く収める冴えたやり方。

 

「じゃあ、外回りについてくるか?」

 

 あの大和との会合に連れて行く。

自分の正体だったり色々と隠すべき事はあるが、予め大和に連絡しておけばどうってことはない。

やりようは幾らでもある。

しかし、懸念点はどうしても拭いきれない。

ああ見えて、独占欲が強く、嫉妬深い彼女の前で鈴谷と至近距離でいたら――。

 

「…………はぁ」

 

 たぶん、鈴谷は死ぬ。

間違いなく、大和に潰される。




何だかんだで14話になってましたね、短編集とは一体……。


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大和さん、鈴谷さんに負ける(0勝22敗)

 胃薬最高永久不滅。

最近の胃薬は市販のものでもよく効く。

決して裕福ではない身としては、大変助かっている。

医学の進歩、バンザイ。今なら医学様の靴をベロベロ舐めても良い。

というか、いつでも舐めれる。それはもう、恥も外聞もなく。

いつだって自分を救ってくれる胃薬様は提督にとって、英雄だ。

 

「…………なるほど」

「むぅ」

 

 だが、そんな英雄様でもこの状況を取りまとめることはできないらしい。

というか、全く胃痛が緩和されないのは本当になんで? だから、連れて行きたくなかったのに。

したり顔でしきりに目をパチクリと瞬きしている大和に、ぷっくりと頬を膨らませている鈴谷。

女難の解決方法なんて明確に存在しないんだぞ、クソッタレ。

開始数分で、もうこの会合ツンドラ地帯でやってるのかな? と錯覚するくらいの冷えっぷりである。

 

「貴方の話をまとめると、彼女は提督の艦隊に所属する艦娘で、今後の何かあった時の為に顔合わせをしておきたいと」

「そうだ。加えて、俺がしている外回りが気になるといってな。

 普段なら断る所だが、不測の事態が起こった時、連携が取れるようにしておくのは基本だ」

「それについては予めいただいた連絡で、委細承知しています。“いつも”なら人気のない静かな場所で二人きりなのですが、今回は鈴谷さんもいることですしね」

「……!!!!」

 

 早速、マウント取ってきやがったこの女。

本来であるならば、彼女の私室もとい執務室的な場所で色々と会談をするのだが、今回は人気の少ない喫茶店である。

まあ、流石に軍事機密もあるので、話せることも少ない。もうここまできたら、ほとんどプライベートな雑談みたいなものだ。

思いの外、大和が話がわかり、スムーズに物事を進めてきたので安心しかけたのが間違いだった。

こいつ、事あるごとにマウントを取って私の方が彼を理解してますし、付き合い長いですよムーブをしてくるのだ。

鈴谷のプルプル具合がちょっと見ていられなくなってくる。

 

 ――確かに付き合いも理解度も大和の方が上ではあるが。

 

 思わず納得仕掛けたが、それはそれとして大人気ない。

今日に限ってはいつも以上に、キレキレの攻め立てるスタイルである。

鈴谷をここまで言葉のフルボッコを決めるのはよっぽどである。

 

「大和、不用意な言葉は慎め」

「この程度の軽口、いつものことではありませんか。提督と大和にとっては日常茶飯事、お互い恥ずかしい所も全て曝け出した間柄に遠慮は必要ありませんよね」

「日常茶飯事って言える程、会ってないだろう」

「鈴谷はいつも会ってるもんね~」

「それはまあ、うちに所属してるんだから当然……大和、ステイ。ここは戦場じゃないから」

 

 無表情で青筋をピキピキさせる大和を宥めつつ、提督はため息をつく。

本当に、どうしてこうなった。

というか大和についてはもうその間柄ではないだろうに。

お互い臓物だったり、血反吐だったり、骨だったり、色々と見せあったね、もう絶対見せねえからな、と。

無言の圧力をかますが、全く効果がない。

 

「やっぱり、距離も近くて、会う頻度も高い鈴谷の方が提督も好きだよねーっ」

「…………」

 

 うわぁ、地雷。地雷原でダンス、ダンス、ダンス!

大和の表情がにこやかになりつつあるのが逆に怖い。

というか、なんでそんなに煽り合ってるのだろう、初対面でいきなりのご挨拶にしては激しすぎる。

 

「よし、積もる話をする空気でもないし、もう帰っていいか? 仕事が逼迫していてな」

「あら、まだ数分しか経っていませんよ。それに、提督のことです、仕事なんていくらでも調整できるでしょう?

 面白い冗談を仰りますね、ふふふ」

「欠片も面白いとは思ってない顔だな、笑顔なのに笑顔じゃない。

 帰ったら即座に殺すって副音声が俺には聞こえてくるんだけど、気の所為と受け取っていいか?」

「うふふふふふ」

「わざとらしすぎてしらけるな。誤魔化さないでくれ、俺の胃がもうそろそろ臨界点を超えるから」

 

 おしとやかに笑みを浮かべているのに、全く安心できない。

彼女の内面に渦巻く激情を想起すると、そろそろ落ち着かせなければ、爆発する。

 

「俺の知ってる大和は感情で動かないはずだが? 寒々しい笑みだな」

「うっわー、大和さんってば感情丸出しじゃーん。もうちょっとスマートにいこーよ、スマートに。

 ねー、提督っ」

 

 横の鈴谷がメスガキスマイルで大和を指差して煽ってるが、こいつも大概である。

深窓の令嬢といった佇まいを普段は保っている大和だが、完全にブチギレモードに入っている。

ああもうやだ、これ自室だったらカップは粉砕、獣のような雄叫びを上げて机を蹴り砕いているはずだ。

この二人の相手だけで一週間分の胃薬を使うことは確定なので、提督はもう諦めた。

状況は刻一刻と悪化し、たぶん修復は不可能だ。

 

「…………鈴谷は先に帰ってくれ」

 

 これ以上は限界だった。

一ヶ月分くらいの精神力を使った気がするが、きっとそれは気の所為ではないはずだ。

翌日は急で申し訳ないが休暇を取らせてもらう。無理かな? 無理だろうなあ。

 

「頼む。いや、お願いします、すみません、ちょっともう無理です。俺はまだ辞世の句をまだ詠みたくない」

「うわ、提督のキャラが崩れかかってる。そんなに怖いんだったら、提督も一緒に帰ろうよー」

「あの大和の表情を見てそれだけ口が回る胆力だけは凄いが、今は黙っていてくれ。

 それ以前に、俺が帰ったら大和の怒りでこの喫茶店は爆散するだろ。市井の治安維持は軍人の役目だ。

 すなわち、俺が残るのは仕事の一環だ、至って健全であって職務を全うするだけで不健全な意味合いは断じてない」

「キモいくらい口が回るなぁ」

「そうなんですか、大和との関係も所詮は仕事だから、と割り切っているんですね。悲しい、泣いてしまいそうです……」

「提督と艦娘なんだから仕事抜きにはならないだろう……」

 

 早口でまくし立てた言い訳も大和にはバッサリと切り捨てられる。

もうこれ以上進みようがない間柄で、何をどうしたらいいというのだ。

 

「鈴谷」

「んー、なに?」

「間宮一回」

「…………もう一声」

「言い値は……厳しいから要相談で」

「仕方ないなぁ」

 

 とりあえず、鈴谷だけでも取り除くことにした。

お代は間宮の奢り複数回。贔屓と見られるかもしれないので、それなりの調整が必須だが、背に腹は代えられない。

簡素なやり取りの中に、熾烈な交渉戦があったが、鈴谷は物分りがいい。

遊び慣れているからか、引くべき所を心得ている。

 

「間宮には一緒に付き合ってよね」

「生きて帰れたら、の枕詞が付くな、その要求は」

 

 鈴谷は超絶ご機嫌マックスな顔をして鼻歌交じりに帰ってくれた。 

空気を読んでくれて本当に助かる。瑞鶴だったら間違いなく冗談とわかった上で、彼女面をして大和を煽っていた。

赤城だったらわざと煽って殺し合いになっていた。提督や大和と本気で戦えるなんて最高ですとか抜かしていそう、いいや間違いなく言う。

 

「それじゃあ、大和」

「はい」

「土下座したら色々と綺麗サッパリ元通りってならないか?」

「なりませんね」

 

 二人きりになったからか、多少は表情も軟化しているけれど。

機嫌の悪さは最底辺で選択肢を間違えたら即バッドエンド。

乙女心は複雑怪奇、いや艦娘を乙女と呼んでいいのかは疑問が残るが、それはそれ。

油の海に松明を投げ込む程、提督は馬鹿ではないのだから。

 

「大和の方が付き合いが長いのに」

「はい」

「あの子と違って、ちゃんと好きですって告白しているのに」

「婚姻届を書類に忍ばせるのを告白と呼ばないと思うが」

「黙って聞いて下さい」

「はい」

「大和はいつでも提督と式を挙げれるのに」

「いや、そもそも付き合ってないんだからそんな準備必要ないし無理だと」

「いいから、黙って聞いて下さい」

「はい……」

 

 はっきりと断っているのに、まだ諦めない恋心、怖すぎる。

日が暮れるまで大和と自分のラブラブ妄想を聞かされてしまうなんて。

帰りに薬局で胃薬を買おう。

 

 もう大和の前に鈴谷は連れて行かないぞ、と。

 

 死んだ表情筋と胃腸に提督は誓った。



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鹿島さん、初めて負ける(0勝1敗)

 「引いた境界線を、超えることはきっとできない。

空と海が交わる戦乙女達の晴れ舞台。希望も絶望も全ては其処にある。

青が弾けて、飛沫を上げる。揺らがない唯一を胸に、暁へと。

本当に、本当に、そんなものが、欲しかった。

たぶん、否、絶対――踏み越えられないこの世界。

鹿島という艦娘が見ることはできないであろう、楽園の果て。

 

 練習巡洋艦。

戦場に立つにはあまりにもひ弱過ぎる出来損ないの戦乙女。

専ら教導や裏方の仕事をするしか道はない。

それでも、鹿島はその道を誇りに思っていた。

この道は誰かの役に立ち、蒼き正常なる海を取り戻す一助を担っているのだ、と。

 

 嗚呼、綺麗事は夢のまた夢。

 

 諦観は、もう世界の隅々まで満たされ切っていた。

鹿島という、艦娘は――人を魅了する。

別にそんな気持ちはないのに好意を抱かれ、そういった“経験”も豊富と見られる。

戦場での戦果よりも、教導による微々たる成果よりも。

可愛らしい愛玩的な意味で求められた方が多かった。

 

 それは、鹿島を鈍らせるには十分だった。

君が必要だ、君がいてくれてよかった、君が、君が、君が――――。

 

“君”は“鹿島”とは繋がらない。

可愛らしく、愛想が良い艦娘が欲しいのだ、と。

思わせぶりな態度と言われるが、わからない。

特段に意識したこともなく、相手が読み取ったものからそのような評価に繋がるだけだ。

自分が笑顔でいたら、相手も笑顔になる。それだけでよかったはずなのに。

いつしか自然と諦観の笑みを苦にもなく浮かべられる自分が、嫌になった。

物事が円滑に進むなら問題ない。それでも、心の片隅に消しされないしこりがあったのだろう。

もっとも、姉である香取相手では流石にごまかせず、すごく心配させてしまったけれど。

みっともなく、艦娘としては落第点である合理的でない感情理論。

最初は抱いていたはずの綺麗事はいつしか薄汚れたものに成り代わっていた。

 

 自らを、真っ直ぐに誇れない。

 

 恥も外聞もかなぐり捨てて吐露した言葉に、香取は即座に否定することができなかった。

それは事実だ。同じく練習巡洋艦である以上、鹿島の気持ちは香取にだってわかる。

ただ折り合いをつけているか、いないか。背負い過ぎとも言える思いが、二人を大きく引き離している。

兎にも角にも、このままではいけない。

そう、確信した香取は、鹿島を適当な鎮守府へと異動させることにした。

環境を変えて彼女の曇った想いが少しでも晴れてくれれば、それでよかった。

その思いは鹿島に届くには少し鈍すぎたけれど。

それでも、姉が自分のことを気遣ってくれる。その善意はすごく嬉しかった。

 

「君が鹿島か。着任ご苦労」

 

 そうして、彼と出会った。

第一声は何だっただろう、たぶん当たり障りのない挨拶をしたはずだ。

変わらない、変えられない、浮かび上がる人好きの笑み。

嘘ではないけれど本当でもない宙ぶらりんの表情だった。

これまでも出会う者を魅了してきた可愛らしさが勝手に浮かび上がる。

染み付いてしまった行動は、もう剥がれ落ちないくらいに鹿島へと癒着している。

きっとまた彼にも、勘違いが重なるのだろう。

でもまあ、そんなものだ。諦めが頭を掠めて、ため息が出るのを堪える。

世界か、自分か。

変わらないといけないのは――自分の方なのに。

どれだけ諦めても、否定しても。この世界で生きていかなくちゃいけないのは鹿島自身なのだから。

 

 しかし、気負いがある鹿島の気負いを無視するかのように、日常は至って穏やかだ。

ここの鎮守府に配属されて数ヶ月、鹿島も慣れが出てきたが、どうもいつもとは違う。

一番の違和感は長でもある提督だ。

他の鎮守府では、艦娘とコミュニケーションを取ったり、艦娘寮にも来たりと、割かし積極的な干渉がある。

その影響か、鹿島も勘違いされてしまうケースが多々有ったのだが、それはともかく。

提督があまり表に出てこない。これまでとは違ったケースで、首を傾げてしまう。

配属されている艦娘に聞いても、素直になれなくて困ってるとかなんで食堂に来てくれないのとか私のご飯で絶対落とすとか一部不満を除いて燻りは少ない。

 

 ――間宮さんが大分壊れているのは置いといて、本当によくできてますよね。

 

 もっとも、必要なコミュニケーションは取っているし、無理な進撃も行われない。

中破大破といったダメージを受けた艦娘には休息が入れられるし、遠征もローテションがしっかり組まれている。

演習で負けることがあっても責められることはなく、次に活かすよう建設的な反省会も行われる。

職場環境として、最上級と言ってもいいのではないか、何の文句もないですよ、これ。

鹿島は知る由もないが、提督は艦娘が怖いので、マジの良質職場環境を作っているのである。

そもそも、職場環境が悪いと戦場で能力を活かしきれないし、徒党を組まれて提督へのリコールでも行われたら困る。

そんな打算と消極的な理由とは想定していない鹿島が疑問を解消できるはずもなく。

馬鹿正直に提督に聞くことも当然却下。新参者の自分がやってもいい顔をしないはずだ。

けれど、このまま、もやもやが続くのも何とも気分が良くない。ある程度の大まかな理由の枠組みだけでも感じ取りたい。

決心を固めた鹿島の行動は早かった。秘書艦立候補である。

元々裏方の仕事をしていたのに加え、鎮守府の事をよく知る為にも、と。

それっぽい理由をスラスラと並べ立てるのは得意である。

提督も怪訝な顔をしていたが、特段に否定できる根拠もないので、折れてくれた。

 

(何か裏があるなら立ち振舞を考えないといけませんし。何もないようでしたら、まあよかったということで)

 

 奇しくも、提督と同じく打算的な理由が、彼女の秘書艦の始まりだった。

しかし、その打算は全く採算が取れない。

秘書艦をやってはみたものの、何の変哲もない日常が続くだけだ。

柔らかな笑顔も、相手をくすぐるような言動も、提督にはどうやら効果がないらしい。

何事もなく、業務が終わる。それは、鹿島が望んでいた日常である。

 

「――以上になります。駆逐の子達もそろそろ戦場の空気を味わうべきかと。

 いつまでも近海の演習ばかりでは、過保護でしょう」

「近海とはいえ、海の上だ。近海だからといって安全、とは限らない。

 かつては、主力艦隊が陽動され、目と鼻の先まで攻め立てられたこともある。

 海の上にいるなら、常在戦場の心構えをしておくのが、自分の身を守ることに繋がるからな。

 近海の演習も立派な戦場だ」

「仰る通りです。教え、導く自分が油断してはいけませんね、猛省します」

 

 夕暮れの執務室で穏やかな時間が流れていく。

きっと大丈夫。平穏は終わらないし、砕けない。

 

「いや、求める水準が厳しすぎるというのは自分でもわかっている。

 気を張り詰めすぎて自壊したら元も子もない。そうならないよう、駆逐達のことは注意して見てほしい」

「承知いたしました」

 

 望んでいたものは酷くあっさり手に入った。

それでも、笑顔は絶やさない。作ってみせる、維持してみせる。

人好きの、蠱惑的とも言えるだろう笑みは崩れない。

何が起こるかわからない。杞憂と断じるには、自分は今まで笑顔を作りすぎた。

 

「……いい機会だから、聞いておきたい」

「はい?」

 

 特に苦にもせずに作れる人好きの笑顔。

その笑顔が崩れるならよっぽどだ。

 

「――鹿島はいつも笑顔で、疲れないのか」

 

 よっぽど、核心を突いた言葉でない限りは、崩れない。

目を見開き、表情が消える。数秒間、沈黙が続いた。

窓から差し込む橙色の光は、鹿島のブリキのような表情を煌々と照らしていた。

うまい返答を考える余裕は一瞬で消え去ってしまった。

提督が何気なく放った言葉は、鹿島の根源へと吸い込まれていく。

 

「…………いえ、特には。私の笑顔で、相手も笑顔になるなら、それで」

「すごいな、俺には真似できないことだよ」

 

 咄嗟に出てきた言葉は落第点。普段の自分ならば絶対にしないであろうものだ。

人に好かれるには、嫌われない為には、笑みを作る。そんなの、当然のことだ。

けれど、彼は違った。

どこか羨むように。その目は鹿島ではなく、遠くを見ているかのようで。

鹿島が、周りが当然だと思っていたことを“すごい”と褒めてくれたのだ。

 

「笑顔というのは存外疲れる。仕事が忙しい時、新しい鎮守府に配属された時、よくもわからない提督と二人きりな時、とか」

「いや、その」

「自覚がなくとも、無理は勝手に積み上がっていくものだ。

 それを感じさせないのはすごいと思うし、周りとうまくやっていける鹿島は強いなと思う」

 

 そんなことはない。強かったら、劣等感なんて抱いていない。

戦場で思うように戦果を上げれず、教導という裏方でしか道を切り開けない出来損ない。

華々しく、勇猛果敢に戦い抜く事ができない自身に、芯を持てない。

強く、在りたかった。誰にも負けない特別になりたかった。

だから、口が滑ってしまったのだ。

 

「……私は弱いですよ」

 

 鹿島は唇を噛んで、感情を堪えるようにして呟いた。

気づけば眉を顰ませ、弱気な表情で、口から漏れ出したのは劣等感に塗れた愚痴だ。

彼が言う、うまくやっていける艦娘からかけ離れた子供の癇癪だった。

感情のままに吐き捨て、並べ立てた要素はとぎれとぎれ。脈絡のない言葉は理解を求めるものではない。

自分でも何を口走ってるのかもうわからなかった。

 

「そんなことはない、と言い切るには付き合いが短い立場からすると無遠慮だけど。

 それでも、あえて言うならば、さ。やっぱり鹿島は強いよ」

 

 そんな嗚咽以上戯言未満の語りに、提督は困りながらも、自分の言葉で返してくる。

一笑に付すことなく、彼は真っ直ぐと目を逸らさない。曇りなき真剣な双眸が、鹿島を捉えている。

 

「こうやって弱音を吐き出せるのも強さだ。さっきも言っただろう?

 気を張り詰め過ぎたら自壊する、って。今の鹿島はその寸前に見えるな。

 本来なら、こういった愚痴を聞いて解決に導くのは俺よりも香取の方が適任だと思うが、ないものねだりをしても仕方がない。

 接点が少ない俺だから言えることもあるし、親しい立場には逆に口ごもってしまう心境もあると思うから」

 

 自分が本当に欲しかったものは何だったのだろう。

曖昧に誤魔化し続けた報いが、自身に返ってきている。

きっと、完璧を求めすぎてしまったのだ。

何でもそつなくこなせてきたからこそ、周りの期待を受け止めてきたからこそ。

常人ならできる物事への妥協を見いだせなかった。

 

「適材適所と割り切れたら一番いいんだけど、そういうことじゃないんだよな。

 とはいっても、卑下も過ぎると呪いになってしまう。

 教導や事務が優れている艦娘だっている。戦闘でしか活躍できない艦娘もいる。

 両方のいいとこ取りってのは、難しくて当然だ。

 もっとも、艦娘から見ると、陸で座ってるだけの俺が一番足手まといなんだけどな」

「いえ、そんなことは……!」

「だが、事実だ。俺は君等から見ると間違いなく足手まといだ。人類皆、海上を自由自在に動ければいいんだが、現実はどうにもし難い」

 

 何かを悔やむように、提督が吐き捨てた言葉には実感が籠もっていた。

生きている以上、誰もがせおっているものがある。

それは安いプライドだったり、置き去りにしてしまった思いだったり。

彼も内に秘めたモノを抱えながら、妥協を重ねて生きているのだろうか。

 

「妥協を重ねて割り切るって考えで胸のしこりを取り除くのは難しいかもしれないけれど。

 少なくとも、俺の前で笑顔を重ねる必要はないし、ある程度の許容はできるつもりだ」

 

 そうして、数秒間の沈黙の後、提督の口から出た提案は至極真っ当なものだった。

全部に対して完璧を叩きつけるのは不可能だと自覚している。

かといって、諦め切れないジレンマもあったからこそ、鹿島は複合的に気が滅入ってしまったのだから。

 

「最初は香取や俺の前だけでいい。それでも、いつか……期限なんて設けないけど。

 香取や俺以外の前でも背負い過ぎることがなくなるまではこの鎮守府で色々と学んで欲しい。

 月並みな言葉で申し訳ないけれど、俺にはこんなことぐらいしか言えないんだ。

 肌触りのいい慰めができなくて、申し訳ないな」

 

 目の前の彼は都合のいいヒーローではない。

突然、最強の力を与えてくれる訳でもなく、神憑り的な戦略で自分を戦場で押し上げる訳でもない。

ただ淡々と現実的な解決案を述べてくる普通の人間だった。

ああ、でも。そんな普通を、ずっと求めていたのかもしれない。

夢想から覚めて、現実へと一歩ずつ歩く時が来たのだ。

提督の言う通り、いつか背負いすぎないように。

もしも、外れた道に入ったら、きっと彼が止めてくれるだろう。

 

「そこまで言うなら、私がちゃんと折り合いがつくまで見ていてくださいね」

「確約はできないが、善処する。うまく気が抜けるようになるまでは、練習あるのみだな」

 

 そして、個人的――鹿島という一人の少女として、提督には興味が湧いた。

何を想って提督になったか、何を芯にして生きているか。

よくよく考えると、最初か提督の立ち振舞が気になって秘書艦に立候補したのだから、当初の目的とも合致している。

もしかすると、これが恋愛的な好意に成長したりとか。

 

 ――ないですね。好意を受けすぎたからか、そういう感情に鈍くなってますし。

 

 心中に湧いた気の迷いを秒で切り捨てて。この鎮守府でなら、適度に息抜きを学べそうだ。

まあ、恋愛に発展しないはずだから気楽にいこう。うん、きっと、メイビー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――と言ってた鹿島も、今ではまあこんなポンコツになってしまって」

「だって、だって仕方ないじゃないですか! 初恋ですよ、初恋!! そんなすぐにわかる訳ないでしょう!

 香取姉にからかわれる程、私はポンコツではないですから!」

 




過去編です。
書くかどうかはともかくとして、
初敗北は出てきた艦娘分、一通り考えています。


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