世界はマイクラに侵食された (毒蛇)
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「第一話  始まりの十二時」

息抜き。


 ――平和とは失ってから気付く、と誰かが言っていた。 

 

 そんな事を、ついでに日常とは一体何だろうかと、ある少年は思った。

 例えば、学生ならば学校で勉強し、より良い点数を取る為に勉強をするだろう。

 部活動やボランティア活動、読書やインターネット、家に帰れば家族と食を共にする。

 

 日々疎ましく思う親の小言。

 勉強しなさいだの、掃除しなさいだの、友達作りなさいだの。

 普段は喧しく、『今しようとしていたの!』という常套句を使うのは記憶に新しい。

 

「割り箸どこだったっけ……?」

 

 そう一人で呟く黒髪の少年。

 紫色の瞳が珍しいと言われ、物珍し気に揶揄されるのは、毎年の事ではあった。

 日曜日の昼前、台所にてカップ焼きそばの湯切りに成功した少年はリビングへと向かう。

 

 親は仕事で外出しており、邪魔する者はいない。

 己の身体をソファに沈みこませ、リモコンでテレビの電源を点ける。

 

「あと、三分でニュースか……」

 

 壁に掛けたアナログ時計の長針と短針が両方とも上を向いている。

 天気予報を快活なお姉さんが和やかに告げる姿をぼんやりと見ながら麺を啜る。

 

『以上、――からでした』

 

 ペコリと茶髪のお姉さんが頭を下げる。

 同時に映像が切り替わり、壁掛けの時計と同時にテレビが昼十二時を告げた。

 

「あん? ……故障か?」

 

 異変が起きたのはこの時からだった。

 少年の紫色の瞳、その視線は焼きそばとテレビを交互に入れ替わる。

 放送開始時のBGMが流れ出し、本来はアナウンサーとニューステロップが流れ出す場面。

 

 しかしカメラが映すのは、青色の背景だけで、肝心のアナウンサーがいなかった。

 しん、と音が響くような状況に対し、しかし少年が出来る事は食事を進める事だけだ。

 

「――んむ、ん、これって、放送事故って奴か……」

 

 飢えた胃袋に麺類とお茶を注いでいく。

 そうして空腹を満たし、視界から得る情報を元に脳が答えを導く。

『放送事故』という物を実際に見るのは初めてではあったが、こういう事なのだろうと。

 

「……」

 

 ニュース番組では一番信用しているチャンネル。

 一瞬、番組を変えるか悩み、その数秒後にリモコンよりも箸を少年は優先した。

 どういう謝罪を放送局はするのだろうかと、そんな事を思いながら食欲を満たす。

 

「いや、流石に駄目でしょ、これは……」

 

 それから、五分が過ぎた。

 既に食べ終えた少年は、流石に不安を感じてチャンネルを切り替える。

 いくつかの番組は事前に撮影された物が流れていたが、リアルタイムの物が全滅していた。

 

「なんだ……?」

 

 何となく気持ち悪いと思い、テレビの電源を消した。

 リビング内に響く静寂に己の鼓動と息の音を聞きながらしばし考える。

 

 パソコンか何かを開けば、情報が得られるだろう。

 きっとインターネット上では騒ぎが起きているかもしれない。

 しかし、生来の真面目さ故か、先に宿題を済ませてしまおうと自室へと向かった。

 

 

 

 ---

 

 

 

 宿題を終わらせ、適度な筋トレを行い、寝台に寝転ぶ。

 それから漸く少年は自身のスマートフォンを手に取り電源を点けた。

 

「うわ、こんなに着信が……!」

 

 学校の友人からメールや電話の履歴が幾つも残っていた。

 もしかして自分は何か、約束事があったのではないかと思い、慌てて電話を入れた。

 

「……あ、健司か?」

 

『お掛けになった電話番号は現在……』

 

「……」

 

 夕方になりつつある中、窓からわずかに水平に広がる藍色の空が覗く。

 電気は点けず、今更になり昼間の違和感を追及しようと少年は机の前に座る。

 眼鏡を掛け、先月父親が誕生日だからと買ってくれたノートパソコンを起動する。

 

 しばらくまとめサイトや、アンダーグラウンドの掲示板、SNSといった物を見ていく。

 それなりに好きなネットサーフィンを行い、何が起きていたのかを、無言で調べていく。

 

「は……?」

 

 得られる情報は突拍子の無い物ばかりであった。

 世界各地で、親や親戚、会社の同僚といった大人が消えたらしい。

 昼頃に突然ぱったりと周囲にスーツや衣服を残して塵も残さず消滅してしまったという。

 

 女性、男性を問わずに服だけが消滅したらしい。

 十代はそんな事はなく、恐らくは二十代以上の人達が一斉に行方を眩ませたらしい。

 ネット上では、消えたスーツや下着を漁る人物が上げた町の画像や動画が溢れている。

 

「……、そんな訳が」

 

 あるはずがない。

 手元にある己のスマートフォンには、しっかりと両親の電話番号が記載している。

 即座に電話を掛けようと指が動きそうになったが、数秒の葛藤の後に少年は止めた。

 

 両親は日帰りで温泉旅行に行っているはずだ。

 帰ってくるのは、まだ少し時間があるからと優先事項を下げる。

 そのまま、無心でスクロールを続け、あるサイトで様々な『モンスター』の画像を見た。

 

「何これ?」

 

 海外の草原で撮影された緑色の物体である。

 推定一メートル程のぶよぶよとした四角の物体が空中を浮いている。

 一瞬、浮いているのかと思ったが、動画サイトでも人気なソレは跳躍しているらしい。

 

 興味本位で近づいた人が跳ね飛ばされたらしく重症を負ったらしい。

 ネット上でスライムと名付けられた、四角の存在の他にも様々な物が撮影されている。

 黒く身長が高く、長い手足でスレンダーな生物や、全身緑色の姿をした生物等である。

 

 何かの映画の予告であるという声。

 高性能なCGで作られているという声。

 

 様々な憶測、賛否両論等がネット上で広がっている。

 どれが嘘かどうか、今一つ不明な点が多い中で、有用な情報を探る。

 そうしている内に夜になった事に少年は気付き部屋の照明を点けようと立ち上がった。

 

 ――カラコロという音が聞こえた。

 

「……?」

 

 中途半端に開いたカーテン。

 既に外は薄暗く、秋の風に冷たさが混じる夜の帳が下りる中で、窓越しに外を見る。

 一瞬、人影のようにも思えたが、それなりに良い視力で、路上を歩く白い何かを確認する。

 

「骸骨……? なんで弓?」

 

 街灯がわずかな明かりを生む中で、見える姿。

 茶色の弓矢を片手に持ち、人の骨が意思を持っているかのように歩く。

 コツコツと骨の脚、地面のアスファルトに触れる度に間抜けな音が響く。

 

 学校の理科室にある人体模型を、ふと想像した。

 窓越しに見た人骨が歩いていき角に消えるのを見届けながらカーテンを閉める。

 疑問は溢れるばかりであった。まるで夢でも見ているような気分に少年は思った。

 

 まるで世界がゲームのようになったかのようだった。

 RPGのような、魔物が蔓延る世界に生きる村人の気分であった。

 不思議と自分が幻や夢でもない、本物の骸骨を見てしまったという確信があった。

 

「……、今日は寝よう」

 

 災害に備えて家には食料が備蓄してある。

 籠城にしても、避難先である学校に行くか、それとも第三の選択か。

 いずれにせよインターネットで情報を集めるべく、寝台の上で毛布を被るのだった。

 

 

 

 ---

 

 

 

「さて、これから僕はどうするか」

 

 家に引き篭もり二日が経過した。

 黒髪の少年――堀井龍介は、何度目かの独り言を呟いた。

 静寂な部屋で龍介の声に答える物はなく、パソコンの光が少年の顔を照らす。

 

 今はまだガスと水道、電気といったインフラは使用できる。

 しかし、いつ消えるのかも分からない状況であるのも確かであろう。

 既に家の中にある非常食の缶詰や水、電池、懐中時計等はリュックサックにしまっている。

 

「……、母さんも父さんからも連絡はない」

 

 一応、来た時の為に手紙とある程度の食料だけは机に置いておく。

 既に家を出る為の準備を整えながらも、この二日で得た情報を整理していく。

 ノートパソコンにて、有用であると、自宅でも裏が取れた情報を書き込みながら反復していく。

 

「まず、二日前の昼に何かが起きた。……それを境に世界中から二十歳以上の大人が男女問わずに衣服を残して消えた……死亡……した。スライムや緑色の破壊者、黒色の変質者が出現し始めて、夜にはスケルトンやゾンビが人に襲い掛かる、か」

 

 改めて口にしても信じられなかった。

 それは未だ、家に閉じ籠り、ひたすらに情報を得ているからだろう。

 二十歳未満の人間、学生は既に各地の学校を拠点として活動しているらしい。

 

「それにしても、……ブロックって何?」

 

 これらの情報を集めながら、生存者スレという板でゾンビと戦ったという勇者の話を見た。

 彼、もしくは彼女だが、外で活動していた際にゾンビと遭遇したらしく素手で戦ったらしい。

 運良く勝てたらしいがその日から周囲の物を何度か叩くと小さなブロック状になったという。

 

 勇者はそこから木刀を作り戦っているらしい。

 流石に嘘だと思いながらも、何故か酷く気になり思考の隅に置いておいた。

 他にも、ゾンビに対しては洗剤が有効であるとか、明かりがある所が寧ろ安全といった、様々な情報続く中で、少年は静かにノートパソコンをリュックサックに仕舞った。

 

「まあ、ゾンビがいる世界だし……。ファンタジーは存在する……のか?」

 

 玄関の入り口は厳重に塞ぎ、ゾンビ達を侵入させないようにバリケードを設置した。

 自然と出入口は窓からになるが、仕方ないと割り切りつつ、包丁とスコップを手に取る。

 両親という未練はあったが、このまま行動せず救助を待つという選択肢は最初から無かった。

 

「学校は駄目だ」

 

 小学校、中学校、高校。

 それぞれ高学年が指揮を執り、ある程度機能する組織を作っている。

 一応の秩序は保たれているだろうが、それは一応の食糧の備蓄が残っているからだろう。

 

 しかし、いずれ、数週間、数か月が経過したら。

 コンビニ、スーパー、周囲の民家から食糧、衣服等のリソースが尽きたら。

 人間は生き残る為に他の人間を襲い、犯し、殺し、倫理と道徳は消えてなくなるだろう。

 

「――――」

 

 そしてそれを止める大人はどこにもいないのだろう。

 リソースは有限であり、明らかに人類に敵対する生物がいる中で生き残る。

 

「僕は、……死にたくなんかない」

 

 そんな世界で他者を気に掛けるつもりはない。

 悪い事をしたら止めてくれる者はいない。徐々に力が全ての世界になりかねない。

 非情に、合理的に動かなければ、人間にも、謎の生物にも勝てず、捕食されるだろう。

 

「自衛隊も……、警察も頼りになるとは思えない」

 

 インターネットによる情報が確かならば、子供しかいない組織など底が見えている。

 明確な銃やナイフなど暴力が形をした物を所持している以上、分裂の可能性がある。

 パンデミックとも、人類圏への侵略かも判らない状況では、どこも頼りには出来ない。

 

「新しい食糧と……、適当な拠点を確保して、情報を集める」

 

 どこかでゲームのようだなと思う自分がいる事に龍介は気付いていた。

 実況動画で見たことのある、ゾンビが蔓延するパンデミック物のゲームを知っていた。

 しかし、ここは現実である。回復薬などなく、銃もなく、敵は未知数であるのは変わらない。

 

「……よし」

 

 朝方四時二十五分。

 闇を切り裂く、水平の輝かしい太陽の光を確認しながら室内で厚底のブーツを履く。

 スコップと、ガムテープで作った包丁を収納する鞘をベルトに巻き付け、ふと棚に近づく。

 

 ネットで書いていた方法。

 無心になり数回、素手で木材を叩くとブロック化する。

 そんな出まかせのような書き込みが何故だか無視できず、本棚を拳で殴りつける。

 

「……まあ、そんな都合良くいかないか」

 

 わずかに痛めた拳を撫で付ける。

 木製の本棚はわずかに傷を作るが、変形する事などは無かった。

 忘れ物が無いか周囲を見渡し、静かにカーテンを開き、窓を開けて屋根に降りる。

 

「よし、まずはスーパーに行くか」

 

 自宅の屋根で腰を屈ませ、スケルトンを警戒しながら堀に近づく。

 この二日で理解出来たのは、朝から昼の間は、人を襲う生物が随分と減るという事だった。

 屋根からジャンプし、膝を押し曲げて衝撃を吸収しながら自宅の庭を伝い、家の敷地を出る。

 

「……」

 

 ここまではシミュレーション通りだと笑みを浮かべる。

 調子に乗り始めているなと、思いながらも、やや小走りで道を進み曲がり角で―――

 

 緑が、

 

「ふぁ!?」

 

 シュー、とガスが漏れるような音が空気を伝い龍介の鼓膜に届く。

 そしてそれ以上にインターネット上で得た様々な情報が、咄嗟の行動に繋がった。

 パンを加えた女子生徒ではなく、近づくと爆発するらしい謎生物を押し退け地面に転がる。

 

 ――直後、爆発が起きた。

 

 背中を叩く衝撃に背骨が軋むのを感じる。

 このままへし折れるのではないかと、そんな思いが過る中で、爆発音が響く。

 背中のリュックサックとスコップがある程度の衝撃を抑えたのだろうと思い、振り返る。

 

「ぅぁ……、ぁ、……危なかっ……ぇ、これ本当に、はぇ?」

 

 アスファルトが抉れ、地面が露呈していた。

 周囲の民家の塀、それらが大きなスプーンですくわれたように消し飛んでいた。

 爆心地となったであろう、龍介の足元から一歩離れた所まで衝撃による大きな穴が出来てた。

 

「…………」

 

 走った。

 脳内から分泌される液と、軋む身体に鞭を打ち、現場から離れようと走った。

 徐々に高鳴る心臓の鼓動を余所に、今の音で敵対生物を呼び寄せたと冷静な頭脳が囁く。

 

 そしてスーパーの近くの道で、初めてゾンビを龍介は見つけた。

 雪寄せ用のスコップの柄を痛い程に握りしめ、やや日の差し込まない一本道に二体。

 近くに一体、少し離れた道に一体のゾンビが龍介を見つけ、呻き声を上げて近寄ってくる。

 

「……ぁー」

 

「お、ああアぁあ……ッ!!」

 

 躊躇いは無かった。

 ただがむしゃらに、片手に持ったスコップを叩きつける。

 一瞬、見えた人の肌は緑色に近い肌色で、首筋から逸れた斬撃は肩へと吸い込まれる。

 

 欠けた。

 刃先が容易く欠けた。

 

「……ッ!!」

 

 ある程度の覚悟は決めていたはずだった。

 スケルトンや、緑色の破壊者はともかく、人の形をしたゾンビを殺すという行為。

 無様な悲鳴のような声と共に放たれたスコップの一撃は、しかしゾンビをよろめかせるだけだ。

 

「ぇ、……かたっ……」

 

 震えそうになる腰、力尽きそうになる脚、それらを奥歯を噛み締めて堪える。

 龍介の脚の速さは一般人の平均速度ではあるが、それは落ち着いて走ればの話である。

 転ぶという可能性が高く、なおかつ目の前の腐臭がする肉の塊に追いつかれる可能性があった。

 

「ぁー」

 

「……!」

 

 勢いに乗った一撃は、まるで無かったように目の前のゾンビが呻く。

 徐々に近づいてくるゾンビは、スコップの先端、それが間違いなく人肉に当たったはずだ。

 しかし、傷はなくまるで石か何かに触れたような感覚が手のひらに感じられ、思わず息を呑む。

 

「いや、大丈夫……」

 

 自分でも何を言っているのか判らない。

 最低限よろめかせる事だけはこのスコップでも出来る事が理解出来た。

 自身を落ち着かせる為、ゾンビに語り掛けるような独り言をする龍介に光が差し込む。

 

 ――朝日が差し込む。

 

 それが龍介の作戦であった。

 ネットの掲示板で得た不確かな情報とある種の賭け。

 夕方から夜の間、活発になるゾンビやスケルトンは太陽の日差しに弱いという書き込み。

 

「ぁ、ぁ……」

 

「オ、おおお―――!!」

 

 刃先の欠けたスコップを投げつけ、リュックを盾にゾンビに龍介はタックルする。

 ズシンとした重い感触ながら、なんとか日の当たる場所に押し出すと変化は劇的であった。

 日差しが当たった皮膚から赤々とした炎が全身に奔り、呻くだけのゾンビを腐肉へと戻した。

 

 その瞬間、小さな金色の光が腐肉から湧き出すのが見えたが、今はそれどころではない。

 ゾンビはまだいる。走る事もなく、呻き声を上げながら暗闇から日差しのある場所に近づく。

 

「……頭、悪いのか?」

 

「……ぁ、」 

 

 先ほどの現象と同じく、腐肉に炎が奔る。

 呻き声を上げるゾンビだが、しぶとく近づいてくるのをスコップを拾い上げ再度投げ付ける。

 カツン! とやはり硬い感触ながらも、それが腐肉を死体に戻す最後の一押しをしたらしい。

 

「消えた……?」

 

 不思議な事に二体のゾンビはその場から消えた。

 存在していなかったように、何一つ欠片も残さず、龍介の目の前から――

 

「うん?」

 

 だが、消えた死体に代わり、小さな金色の光が浮かび上がる。

 蛍のような、そんな刹那さを感じる光は、素早く龍介の身体に吸い込まれる。

 避ける暇すらなく、その瞬間、思わず小さく息を呑むような現象が視界に発生した。

 

【クラフター適性:レベル1】 

【作業台の解放】

 

 それらが視界に映り込む。

 瞬きをしても、目を擦っても映り込んだ。

 だから、少年は、堀井龍介は、完全に朝日が差し込む中で眩しさを感じながら言った。

 

「クラフターって何ですか……?」

 

 

 

 



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「第二話 湧き上がる好奇心」

 視界に浮き出た謎の文字。

 思わず手で触れようとし、空を切る事で、呆然とした意識が元に戻るのを感じる。

 

「……ぁ」

 

 文字を見つめる事、およそ数秒後。

 まるで空気に溶けるように、一部の文字が消えていくのを、龍介は見ていた。

 

「どういう事だ……?」

 

 ぼそりと呟く声に、答える者は誰もいない。

 朝日が昇るのを背中で感じながら、自分の手のひらで視界を覆う。

 途端に薄暗くなるが、しかし一部の文字だけは依然と己の視界に映り続ける。

 

「1……」

 

 手の甲で一度目の埃を取るように拭うがやはり見える。

 視界の下部分、顔を動かしても固定されたような文字に、思わず眉を寄せる。

 ジッと睨みつけても、瞬きをしても、まるで壁を相手にするように一切の反応がない。

 

「……と、今はそれどころじゃないか」

 

 視界に映り込む謎の文字から意識を逸らす。

 いつの間にか、眼球に手術か何かを施された可能性を頭を振って無視する。

 物事には優先順位という物があり、龍介は地面に屈みながら深呼吸をした。

 

 本来はスーパーへと脚を進め、物資等を回収するつもりであった。

 しかし、武器であるスコップが壊れてしまい、武装は包丁のみと難がある状況だ。

 故に目的を変更し、近くの民家で、代わりの武器になる物を補給するべきであろう。

 

「……」

 

 腕時計を見ると、朝七時を示している。

 ネット上での情報では、攻撃的な生物は朝日に弱いと書いていた。

 しかし、過度に信じ過ぎるというのも危険である。どこに穴があるかも判らないからだ。

 

「……、お邪魔します」

 

 数秒悩んだ末に、龍介は近くの民家に入り込んだ。

『佐藤』と扉前に書いてあった表札を無視し、扉を開け、玄関に侵入する。

 確かここの家の住民は二人の老夫婦であったと記憶しているが、やはり返事はない。

 

 一瞬、何気なく靴を脱ごうとして止める。

 染み付いた習性に苦笑しながらも、わずかな躊躇の末に土足で進む。

 逃げる事を考えれば合理的でありながらも、微かに良心が痛みながらも静かに進む。

 

「……」

 

 人の気配は感じられない。

 静けさが骨身に染みる程に、しん、とした世界に、靴音のみが響く。

 世界が狂い始めて、まだ二日目でありながら、龍介はまだ人の姿を見ていなかった。

 

 ぎし、ぎしっと床を軋ませ、包丁を片手に進む。

 先ほどのゾンビ、それに付随する正体不明の生物に攻撃されたら逃げるしかない。

 既に良心の呵責は消え去り、先ほどの経験に基づいた最大級の警戒で廊下を進む。

 

「……!」

 

 リビングに入り込み、キッチンに目を向け、その下の衣服に気付く。

 無言のままに、リビングのテーブル、わずかに引かれた椅子にも衣服が散らばる。

 その後、寝室や風呂場、トイレなどを散策し、漸く龍介は警戒を解き、小さく息を吐いた。

 

 大人が消えた、少なくとも五十歳以上の男女が消えた衣服は見たが確定とは言い切れない。

 既に片づけたこの家の住人の衣服を一つにまとめ、寝室に丁寧に置きながら、そう思った。

 

 しかし、それはまだこの周辺を見た龍介の主観に基づく物でしかない。

 これが駅前など、人がある程度栄えている場所に行けば、大量にあるのかもしれない。

 

「いや、今はそこ、じゃない」

 

 まだガスや電気等のインフラは生きている。

 蛇口の水は不安だが、冷蔵庫には麦茶もあった。

 だが、本当に大人が消えたのならば、供給されるリソースは明確に途絶える可能性が高い。

 

 だからこそ、この最初の数日間の行動がその後に直結するだろう。

 では具体的にはどうするか、改めて龍介は今後の最適解を模索しつつ、朝食の準備を始める。

 

「卵……、ギリギリセーフ。食パンも……これ俺が毎朝食ってる奴だ、安くて美味いからね」

 

 コンロに火を点け、フライパンをセットする。

 中火程度に保ちながら、バターを一切れ入れながら、加熱する。

 じゅわぁ、という音が聞こえながら、卵を一つ、ベーコンを二切れ、フライパンに入れる。

 

「地味にサラダ油が切れているときたもんだ……」

 

 こうしていると、人様の台所ではあるが、自炊している時と変わらない空気を感じる。

 それはこのキッチン兼リビングだけであろうと思いながら、手早く準備を進める。

 ベーコンがカリカリになり焦げめが付いたのを確認し、同時にトースターから音が鳴る。

 

 ヤカンに入れた水が沸騰し、コンロの火を消」し、コーヒー粉を入れたカップに注ぐ。

 嗅ぎなれた日常の匂いが、先ほど強く感じた恐怖を薄れさせながら、小さく頬を緩める。

 

「いただきます」

 

 トーストにベーコンと目玉焼きを乗せた物と、サラダを食べる。

 小さい頃に映画で見た、やけに美味しそうな物を再現し、十分程で食べ終える。

 空腹を満たし、ひとまずの拠点を得た龍介ではあったが、やはり気になる事があった。

 

「……、それで、そろそろ、コレなんだよな……」

 

 椅子に座りながら、自分の視界に、眼球にこびりついたような文字。

 『1』と書かれた小さな文字と、料理をしている際に気付いた右下のボタンのような物。

 食欲に意識を集中し、余裕を得る事が出来て改めて、龍介はそれらに対し思考を巡らせた。

 

「さっき、クラフター適性、レベル1って書いて……、映ってたよな」

 

 この一連の騒動と、龍介の視界に映る物。 

 先ほどのゾンビを撃退した結果、龍介が得てしまった正体不明の何か。

 クラフターとは、職人や創造者といった意味合いであったと龍介は記憶しているが、

 

「じゃあ、作業台とは……?」

 

 文字通りの物だろう。

 何かを作成、改良する為の台のような物、それが解禁されたのだろう。

 食卓を指先でトントンと叩きながら、龍介は右下にある白い円のようなソレを注視する。

 

「お、……なんかでた」

 

 触れる事は出来ず、見る事しか出来ない。

 やや睨みつけるように、見ていた結果、視界の中央に見慣れぬ画面が表示された。

 灰色の画面の四つのマス目が正方形に並び、右隣の矢印と一マスのマス目が表示されている。

 

 見ている限りで判るのは、左の四マスが右の一マスに集約されるという事か。

 その下には九×三マス分のマス目と、更に下に九×一マス分のマス目が画面上に表示されてる。

 それらに眉を寄せ指先でトントンとテーブルに一定の音を作りながら、龍介はしばらく考える。

 

「クラフター……、クラフト……、ゲームか何かか?」

 

 自分の眼球の隠された機能に、もはや驚きは少なく、龍介は静かに考える。

 龍介もそれなりにゲームはするが、あくまで携帯用のゲーム機でボタンを押して遊ぶ程度。

 テレビゲームでゾンビを殺し生きるサバイバル物はプレイした事があるが、それだけだ。

 

「そもそも、外で見たゾンビ以外、見たことも聞いたこともない」

 

 特にあの緑色の破壊者である。

 ネット上では、『這う者』や『忍び寄る者』という意味合いでクリーパーと名付けられた。

 実際に一切の気配すら感じられなかった、あの生物の名称としてはすんなりと受け入れられた。

 

「ゲームの世界から、やってきた? ……これは無いな」

 

 創造の世界ではなく、龍介が生きている現代社会でのサバイバル。

 ゾンビ以前に謎の生物が栄え始めている中で、人間の大半は抵抗もなく消えた。

 もはや人類の文明は衰退どころか、滅びの道を辿る事になるのは想像に難くはない。

 

 さらに言えば、趣味で読む創作物でよく見るVRMMOのような技術は現代にはない。

 最低限、ヘルメットのような物を装着してようやく視界がそれらしい物のなるだけだ。

 だから龍介の目の前に表示されているゲームのような画面にただ困惑していると、

 

「マニュアルとか……、お?」

 

 ヒントが他にないかと探していた矢先、変化があった。

 指先に触れていた食卓の感覚が消え、同時に目の前の画面に何かが出現する。

 一番下のマスの一つを埋めるそれに視線を向けると、【木の板】と表示されている。

 

 恐る恐る指先で、触れてみると、無音で薄目の白い板が手のひらに出現する。

 その板には見覚えがあり、視界を動かして、己が使用していた食卓のテーブルを見る。

 

「ない、というか欠けてる?」

 

 龍介が手を置いていた場所、一定のリズムで叩いていた場所が消失している。

 そっと重ねてみると、ピッタリと合わさる事に、何となく龍介は閃きを得た。

 画面のマス目、何もない所を指で押すと、所持していた板は一瞬で消え去る。

 

「指先で叩く……、振動……、叩くという行為で出来たのか……」

 

 再度右下のボタンを叩くと画面を消すことが出来た。

 そうして一部板が消えた食卓、テーブル板を注視しながら指で叩く。

 

「塵? ……ノイズのような皹が……」

 

 トントンと指先で先ほどと同じように叩くと皹が広がる。

 一度、叩くことを止めると、皹は消え去り、再び元の状態に戻る。

 その行為を繰り返し、拳でテーブルをしばらく叩くのが効率的だと理解した。

 

「これなら、木材には困らない……、いや待て、木材だけか?」

 

 グルリと周囲を龍介は見渡す。

 絨毯、床の板など、コンクリートや煉瓦等の硬い物以外は壊す事が出来た。

 再度画面を開き、それらの行為を証明するように、マス目には様々な物が入り込んでいる。

 

「……これは入るか?」

 

 しばらく考えて龍介はリュックサックから水を入れたペットボトルを取り出す。

 今度は画面に触れてもマス目には入らず、指先で皹を入れてもただ壊れるだけであった。

 何か法則性が存在しているのだろうが、一連の行為で龍介は何となく作業台の作り方を悟る。

 

「作業台って、木材あれば出来るんじゃないか?」

 

 そうして家の中にある目ぼしい物を殴って壊す。壊す。壊す。

 いくつかの物は壊してもやはり右下の画面に表示されず消えてしまう。

 ペットボトルや、ガムテープ、薬や、段ボール等は対象外である事が判明した。

 

「さて、どうやって作るのか?」

 

 三十分後。

 ある程度の木材を家の中で集める事に成功した。

 再びリビングへと戻った龍介は、画面右上のマス目に注目した。

 

「多分、ここに……」

 

 恐る恐るといった感じで、木材を四角のマス目に置く。

 どこかパズルをしているような感覚で、右隣にあるマスに何かが出現した事に笑みを浮かべる。

 表示されているのは木箱のようなアイコンで、注視すると【作業台】と簡素に書かれている。

 

 タップして出現させて注目する。

 正方形ながらも、よく分からない模様が蔓のように描かれている。

 辛うじて理解できるのは、上部分にのみ唯一ある九マスの正方形のマス目である。

 

「ん~、この部分で作業をすると。本当にゲームか何かに迷い込んだみたいだな」

 

 不確かな何かが、間違いなく龍介に根付き始めている。

 それは視界だけではなく、物を持ち上げる膂力であり、精神的な物であった。

 何者かに与えられた力ではあるが、しかし龍介にとっては使える物はなんでも使いたかった。

 

 その代償が何かは判らない。それでも良かった。

 ただこの現状を打破できる代物であるかもしれないとわずかな願望を抱く。

 

「……、さっきと同じ要領だな」

 

 トン、と指先で再度タップすると、右下のボタンと似た画面が表示される。

 ただし、此方は九のマスと矢印、一のマス目だけと簡潔な構造であるのが見て取れる。

 パズルのような感覚で、木材やガラス等をマス目に設置するが、木の棒が完成するばかりだ。

 

「武器とは作れないかな?」

 

 木材から木の棒、木の棒から何かを作れないかとしばらく龍介は考える。

 台所にあった漬物石を破壊し、出現した丸石と木材を使い、幾つか試行錯誤を重ねる。

 そして――

 

「できた……!」

 

 ――【石のシャベル】を少年は作り出す事に成功した。

 

「なんか、楽しくなってきたな……」

 

 出来上がったシャベルは、ずっしりと重い。

 間違いなく重いはずなのに、龍介は軽々と持ち上げ振り回すことが出来た。

 以前の身体では出来なかったような行動が出来る身体に対して、何も考える事はしなかった。

 

 龍介の心は既にそこにはない。

 あるのは、大きく見開いた紫紺の瞳が向けるのは、ただの木の箱である。

 だが、そこには無限の可能性があるのではないかと、子供のような探求心が湧き上がるのだ。

 

「他に何が作れるのだろう……?」

 

 与えられた餌に縋りつく犬のように。

 新しい玩具を手に入れた幼子のように。

 龍介は、目を輝かせて、更に試行錯誤を重ねるのだった。

 

 

 



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