茨木童子の腕を見たとき……勃起……しちゃいましてね (トマトルテ)
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1話:渡辺綱

「それがお前ら人間のやり方か!? この卑怯者の臆病者共めがッ!!」

「……卑怯と言いたければ好きなだけ言えばいい、茨木(いばらき)童子(どうじ)よ」

 

 漂う酒気と血臭。

 その中で立っているのは、刀を構える自分と一匹の鬼のみ。

 鬼の名前は茨木童子。桃色の髪に瞳、同系色の中華風の衣服が特徴的な少女だ。

 平時であれば美しい少女の姿なのだろう。

 しかし、今はその瞳は怒りで縦に裂け、長い爪と牙が虎のように光っている。

 

「武士でありながら山伏に扮し、その上で毒酒を盛る。天下に名高い源頼光とその四天王やらも随分と落ちたものだな。戦う前から我ら鬼に勝てぬと思い、奸計を練るなど貴様らには誇りがないのかッ!」

「耳が痛いな。だが、これが最も確実な策なのはそちらも分かるだろう?」

 

 細い腕に巻き付けた鎖を、鬼の膂力(りょりょく)をもって叩きつけてくる茨木童子。

 当たれば木も岩も、下手をすれば鉄すら砕けるような一撃。

 それを刀を添えるようにして、受け流すことで回避する。

 

「鬼にッ! ―――横道はないッ!!」

 

 だが、怒れる鬼の攻撃が一度や二度で終わるはずがない。

 鬼は何度も何度も、数えるのも億劫(おっくう)になるほどに鎖が打ち付けてくる。

 

 まるで鉄の蛇が牙を剥き出しにして襲ってくるようだ。

 そう、愚痴を吐いてしまいたくなりながらも、私はそれを丁寧に1つずつ叩き落していく。

 彼女の腕をジッと見つめ、技の出所を慎重に探りながら。

 ……まったく、こんな状態でよくも戦えているものだ。

 

「どうした! どうした!! 策を練るばかりで武勇の方はまるでダメか?」

「好き勝手に言われているな……」

 

 牙を打ち鳴らしながら罵ってくるが、まともに反論する余裕はない。

 まさに防戦一方。傍から見れば、私が一方的に鬼に屠られているように見えるだろう。

 しかし、見るものが見れば分かる。戦いは互角であり、茨木童子は攻めあぐねていると。

 

「少しは勇猛果敢な所を見せて欲しいな。そうでなければ、殺された仲間も浮かばれん」

「だというのなら、そちらから近づいてくればいい。もっとも、それが出来ればの話だがね」

「貴様…ッ」

 

 攻めに出ることはなくとも、一歩も動かない私に、鬼はギリリと長い指を握り締める。

 実は鬼は私を攻め立てているようで、決定的な打撃を入れられる距離に入れていないのだ。

 

 理由は簡単。うかつに近づけば私の必殺の間合いに入ることを理解しているからだ。

 故に、私を挑発して逆に自分の間合いに入れようとしているのだが、分かっていて飛び込んでやるほど私はお人好しではない。

 まあ、下半身が動かしづらいという個人的な理由もあるのだが。

 

「貴様らには戦士として、正面から戦うという誇りはないのか!?」

「そんなものがあるのなら、人肉と血酒を食らった時点で吐き出しているよ」

「与えられたものであれば、それが同族の肉であれ食らうか。人とは獣畜生にも劣るな」

「罪のない人々から奪った利潤を貪る鬼には敵わないさ」

 

 埒が明かぬとばかりに、女性らしい華奢な腕で投げられてきた大岩を、名刀『髭切』で断ち切りながら軽口を返す。

 

 人の血肉を貪った者は妖となると聞く。

 しかし、我らは戸惑う事すらなく笑顔で食してみせた。

 全てはここ大江山に巣くう鬼を討つために。

 

「より確実な勝利のために。それが我らが主の方針なんでね? もし、君達が敵でない証拠に私の首を撥ねろと言っていれば、主は迷うことなくそうしただろうよ」

「……反吐の出るッ」

 

 心底軽蔑したといった表情で、茨木童子が唾を吐き捨てる。

 それを見て、本当に珍しいことに私は笑ってしまう。

 

「何を笑っている?」

「いや、なに。仲間を殺され激怒する君と、目的のために同族を平気で食らう私。一体、どちらの方が……鬼と呼ばれるに相応しいかと思ってね」

「貴様らのような下衆と鬼を一緒にするかッ!!」

 

 怒りの咆哮が、爆音となり私の全身を震わせる。

 しかし、それだけ脅されても、私の心はどうしようもなく(たかぶ)っていた。

 もっと、その姿を目に映していたいと思ってしまった。

 

「ああ…本当に……これではどちらが鬼か分からないな」

 

 自覚してしまった想いに、欲望に、罪深さに。

 どれだけ取り繕っても、所詮は生まれもった性に逆らえぬのかと。

 私は呆れたように笑うことしかできなかった。

 

「いつまでもヘラヘラと笑いおって――」

「―――無事か、(つな)! 今加勢に入る!」

「ちぃっ! 他の四天王が来たか…! ……流石に多勢に無勢か…ッ」

 

 そんなところに、後ろの方から加勢の声が聞こえてくる。

 恐らくは酒吞童子や他の鬼を討ち取った同僚だろう。

 願ってもない応援だ。苦々し気に歪められた鬼の表情が、その効果を如実に示してくれる。

 普段の戦いであれば、喜びこそすれ、邪険に思うことはなかっただろう。

 だが、しかし。今だけは、彼女と向かい合う今だけは。

 

 ―――殺したいと思う程に目障りだった。

 

「口惜しや…口惜しや…ッ! この恨み地獄に落ちても必ずや晴らしてくれる!」

「逃げるかい?」

「戦略的撤退だ! この度の戦いは一度預けておくぞ……名を答えろ、人間」

 

 今から逃げる立場だというのに、どこまでも上から目線で指差してくる茨木童子。

 他の敵からであれば、不快になっていただろうそれにも何故か、私は何も感じなかった。

 むしろ、突きつけられた指に喜びを覚えていた。だからこそ、口にした。

 本来は自分のものではない名前を。

 

渡辺(わたなべの)(つな)

 

 それが今生(・・)における私の名前だ。

 察しの良い人間なら、ここまで言えば分かるだろう。

 

 私は転生者だ。いや、前世の知識から言えば過去になるので、予知者かもしれない。

 まあ、重要な部分はそこではない。大切なことは私が渡辺綱であるということだ。

 

 源頼光の四天王の筆頭。

 大江山の鬼退治。羅生門の鬼との決闘。

 勇猛果敢な逸話に欠くことのない日本の英雄。

 

 私は二度目の人生を、その名を辱しめないように生きてきた。

 

「渡辺綱……しかと覚えたぞ、その名前!」

「茨木童子。こちらもその姿を目に焼き付けた」

 

 故に二度目の人生に熱というものはなかった。

 英雄を演じ、ただ、情熱もなく仕事をそつなくこなすだけの人生。

 そんな人生だ。魂を震わせるような願いなど抱けるはずがなかった。

 

 今、この瞬間までは。

 

「次は逃がさん! それまでにせいぜい腕を磨いておくことだなッ!!」

「そちらこそ、腕を落とすことのないように頼むよ」

 

 捨て台詞を残し、茨木童子は夜の闇へと姿を消す。

 残されたものは、戦いの余波で壊れた大地と他の鬼の死骸。

 酒吞童子の一味を討ち滅ぼしたという功績。

 そして何より――

 

 

「ああ…なんて―――美しい」

 

 

 魂全てを揺さぶるような昂ぶりだけだった。

 

 

 

 

 

『今夜、羅生門にてお前を待つ』

 

 血文字でしたためられた手紙を月明かりに照らし、今一度場所を確認する。

 今私が向かっている先は羅生門。夜な夜な鬼が出ると噂の場所だ。

 

 送り主の確認はするまでもない。茨木童子その人以外にあるまい。

 故に、私がするべきことは場所と武具の確認だけ。

 それだけで十分だ。後はこの胸の昂ぶりに任せて動けばいい。

 

「ほぉ…1人で来たか。てっきり、いつぞやのように騙し討ちでもするかと思ったぞ」

 

 羅生門をその真下。中央部には、あの日以来変わった様子も見えない茨木童子がいた。

 二本の角を誇らしげに月に照らし、腕を組んだ状態で蛇のように私を睨んでくる。

 

「まさか。女からの逢瀬の誘いに他人を連れてきたりはしないさ」

「ぬかせ、笑えぬ冗談程つまらんものもない」

 

 本心からの言葉を言ってみるのだが、唾を吐き捨てられてしまう。

 これは困った。自分は本当に逢瀬に来たつもりだというのに、相手がこれではつまらない。

 どれ、少し正直に語ってみるとしようか。

 

「冗談ではない。私はあの日一目惚れをしたのだ」

「……は?」

 

 思わず組んでいた腕を解き、目を点にして呆けた顔をする茨木童子。

 しかし、私は話を止めて待つようなことはしない。

 こういうのは一気に言ってしまった方が良いのだ。

 

 さあ、打ち明けよう。この焦がれるような想いの丈を。

 

「美しいと思った。今までに見た何よりも、宝石ですら道に転がる石と同じに見える程に、美しいと心を奪われた」

 

 何を言われているのか、段々と理解してきたのか顔を朱に染めていく茨木童子。

 言っていることは愛の告白なので、その姿は何一つとしておかしくはない。

 非常に愛らしいとすら言える。しかし、私が見たいの()()ではないし。

 

 何より、私はその表情が再び変わることを誰よりも理解している。

 

「そう、美しいと思った―――()()()()()()

「………は?」

 

 茨木童子は真顔で、何を言っているのか理解できないといった表情になる。

 しかし、これは悲しい事実だ。私は女性の手が好きなのだ。もっと言えば腕が。

 

「恥ずかしいことに、あなたの腕を見て戦闘中にも関わらず……勃起……しちゃいましてね」

 

 完全にドン引きした表情で茨木童子が後退っているが、逃がす気はない。

 彼女こそが理想の()だ。理想の女性(うで)だ。理想の(ヒト)だ。

 だから、欲望をぶちまけるように口説き文句を吐く。

 

「すらりと伸びた美しい並びの指。握ればそのまま吸い付いてきそうなきめ細かい肌。色気を醸し出す延ばされた刃物のような爪。適度に脂肪がついた柔らかそうな二の腕。曲線美を極めたかのような関節。肌が白い故に透け出る色っぽい血管……全てが美しい」

 

 未だかつてこれ程までに口が回っただろうか。

 そう、思ってしまう程に今の自分の口は軽い。

 渡辺綱の名を汚さぬように保ってきた矜持も、どこかに行ってしまっている。

 もう、彼女(うで)しか目に入らない。

 

「―――欲しい。欲しいのだよ。その腕が」

「な、なにを考えている!? 頭がおかしいのか!」

 

 拒絶の声すら耳に入らない。

 熱にうなされたように、ただ己の欲望をさらけ出していく。

 

「ああ……その美しい手の甲に唇を這わせたい。柔らかな手の平に頬ずりをしたい。少し脂肪のついた二の腕を揉んで感触を堪能したい。華奢な指を余すことなく舐め上げたい。白い肌に痕が残る程に唇で吸い上げたい……フフフ、昂ってきた」

「へ、変態ッ! 変態ッ!! 私に近づくなぁッ!?」

 

 下半身に熱が帯びてきた感触が広がるが、もはや隠す必要もない。

 むしろ、見せつけるように後退っていく茨木童子をゆっくりと追う。

 

「君が鬼で良かった。相手が鬼ならば腕を切りとっても何も言われない」

 

 刀を抜き、どの部分から切り離そうかと舌なめずりをする。

 手だけは勿体ない。肘から先も、二の腕に触れあえないので却下。

 やはり、肩口から切り落として全身の彼女(うで)を愛すべきだろう。

 そんな思考を巡らせているにも彼女は、近づくなとばかりに攻撃してくるが、全ていなす。

 

「あまり暴れないでくれ。私の綺麗な腕を傷つけてしまう」

 

 大事な、大事なヒトを万が一にも傷つけるわけにはいかないのだから。

 

「誰がお前の腕だ! ええい、こうなったら食い殺してやるッ!!」

「心配しなくていい。欲しいのは君の腕だけだ。命までは取りはしないさ。私はただ」

 

 そうだとも、殺す気はない。

 今の私の望みは1つ。

 

「君の手に接吻をしたいだけなのだから」

 

 美しい手を手に入れることだけだ。

 

 




転生要素は渡辺綱さんの尊厳を傷つけないため。
腕しかない相手を愛す純愛ストーリーを目指します(棒)
この作品は手抜き(意味深)作品です。

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2話:切り落とされた右腕

情報が全然ないけど、開き直って書きます。
答えが出るまでは正解も不正解もないからね。


「渡辺様……これから歌会があるのですが、ご一緒にいかがですか?」

 

 十二単を着込んだ美女達が、ある一人の男に声をかける。

 彼女達の身分は男と比べれば、高くもなく低すぎるということも無い。

 要は、気軽に接することのできる立場である。

 加えて美女となれば、男性ならば二つ返事で了承を返したくなるところだ。

 だが、男は困ったように愛想笑いを浮かべる。

 

「すまないね。頼光様に羅生門の鬼の件で呼ばれていてね。またの機会にしてくれないかな?」

 

 言葉だけ見れば、温和に。

 しかし、声色は一方的に話を打ち切る強さをもって。

 男は、女達の誘いを断り、そそくさと歩き去っていった。

 当然、女達は残念そうな顔をするが、そこに別の声が割り込んでくる。

 

「やめとけ! やめとけ! あいつは付き合いが悪いんだ。『蹴鞠をしようぜ』って誘っても楽しいんだか楽しくないんだか……『渡辺綱』23歳、独身。仕事はまじめで、そつなくこなすが、今ひとつ情熱のない男……。元皇族の血を引く上流貴族っぽい、気品ただよう顔と物腰をしているため、女中には()()()が、頼光様からは戦働きとか、護衛ばかりさせられているんだぜ。悪いやつじゃあないんだが これといって特徴のない……影のうすい男さ」

 

 と、怒涛の渡辺綱トークを披露したのは、彼の同僚だ。

 散々な言い方ではあるが、長い時を共に過ごした同僚の言葉なので、真実を射ている。

 

 綱は光源氏のモデルとなったとされる、(みなもとの)(とおる)の子孫であるため、当然イケメンだ。しかし、二回目の人生という惰性にも似た無気力さ故か、周りからの評価が高いとは言えず、それが血筋では、そう変わらない頼光の下につく原因ともなっている。もっとも、本人は未来での頼光の評価を知っているため、全く不満に思っていないのだが。

 

 そんな綱であるが、今回ばかりは正当な理由で美女達の誘いを断っている。

 

「それにしても、羅生門の鬼の件とは一体何なのでしょうか?」

「何でも、大江山の鬼で逃げ延びた鬼が羅生門に巣くっていたらしいんだが、1人でそいつの腕をぶった切ったらしいぜ」

「まあ、それは凄い!」

 

 同僚の説明のように、綱は羅生門にて見事、茨木童子の右腕を切り落とすことに成功している。

 今回は、その件の報告と腕の処遇を話すために、頼光から呼ばれているのだ。

 

「と言っても、無傷とはいかなかったみたいだがな。あの()()を見たか?」

「ええ、指まで包帯で覆って……それだけで鬼との闘いがどれだけ激しかったか、察せますわ」

「たく、鬼退治をするなら、俺達も呼べって言ってるのによ。本当に……付き合いの悪い男だぜ」

 

 そう言って、心配そうに目を細める同僚達を尻目に綱は歩き去っていくのだった。

 

 どこか、慈しむように右腕を撫でながら。

 

 

 

「私に物忌み(ものいみ)をしろと?」

 

 源頼光の屋敷にて、綱は確認の意味を込めて問いかける。

 それに対して、御前の頼光は威厳たっぷりに頷く。

 

「ああ、安倍(あべの)晴明(せいめい)殿に聞いてみたところ、鬼は必ず腕を取り返しに来るらしい」

「安倍晴明殿が……」

 

 未来でも名前の知られるビッグネームに、綱の耳がピクリと動く。

 実は、頼光の屋敷から出て橋を渡ると、すぐに晴明の屋敷につくという立地なのだ。

 つまり、2人はご近所同士なのである。

 

 ついでに言うと、茨木童子はその橋に出現するという伝承もあるのだが、流石に前門の虎、後門の狼どころではない場所で戦う気にはならなかったらしい。

 

「7日間の物忌み中は家に籠り、穢れのつく食事も控えろ。もちろん、その間は誰を入れてもならん」

「それは頼光様であってもですか?」

「無論だ。仮に私が訪ねてきたとすれば、それは十中八九で鬼だ。切り捨てて構わん」

「……承知いたしました」

 

 色々と考えながらも、条件反射的に頭を下げて、頼光からの命を受ける綱。

 七日の間、家から一歩も出てはいけないというのは普通に考えればつらい。

 特に、現代とは違いテレビもネットもない平安時代だ。退屈で気が病んでもおかしくはない。

 

 しかしながら、綱からすれば休暇を貰ったようなもの。

 否、茨木童子の腕と二人っきりで過ごせるのだ。

 彼にとっては、ぶっちゃけハネムーンみたいなものである。

 もし、この場に居るのが自分だけだったのなら、彼は間違いなくニヤけていただろう。

 

「さて…話は変わるが、切り落とした腕はどうしてある?」

「酒吞童子の首のように飛ばれては困るので、既に箱に厳重に封印しております」

「そうか、ならば良い。……して、鬼にやられたという右腕の調子はどうだ?」

 

 一度言葉を切り、綱の右腕に心配そうな、訝しむような視線を送る頼光。

 それに対して、綱は何を思ってか若干表情を崩して答える。

 

「御心配には及びません。今は違和感がありますが、直に()()()でしょう」

「……それを聞いて安心した。では、家に戻り次第物忌みを始めよ」

「は!」

 

 こうして、渡辺綱の物忌みが始まるのだった。

 

 

 

 

 

「さて、どうしたものか……」

 

 女中すら居ない広い屋敷の中で、私はポツリと独り言を零す。

 いや、正確には1人ではないか。私の傍には常に鬼の腕(かのじょ)が居る。

 と言っても、話し相手にはならないので結局は独り言になるのだが。

 

「物忌みの7日間。茨木童子が腕を取り戻しに来るのは()()()()()

 

 私は伝承を知っている。

 鬼の腕を切り取った渡辺綱は、今の私のように家に閉じこもる。

 そして、茨木童子はそこに腕を取り返しに来る。

 

「物語の最後は、鬼が腕を取り戻すという悲劇」

 

 6日間の間は、何とか耐える渡辺綱だったが最後の日に、伯母(おば)に化けた鬼に騙されてしまう。

 そこで、鬼の腕は失われてしまい、人間の歴史からは消える。

 物語としてはそれでも構わないだろう。

 単なる武勇伝よりも、失敗談も混ぜた方が教訓性と面白みが増す。

 だが、しかし。これは私の人生だ。

 

「君を渡すつもりなど毛頭ない。奪われるぐらいなら共に死ぬことを選ぶさ」

 

 鬼の腕(かのじょ)を取り戻されるなどもってのほか。

 何より、失敗の原因が分かっているのに同じ失敗をするなど愚の骨頂。

 

「単純な話だ。7日の間、誰も入れなければ物語の結末は変わる。ならば、私のすることは晴明殿の言いつけを決して破らないこと。……しかし」

 

 それでも不安は残る。

 私がただ単に、鬼の復讐を乗り切るのを目的としているのならそれでもいい。

 

「それだけで、永遠に鬼の腕(かのじょ)と共に居られるだろうか?」

 

 私の願いは彼女と共にこれからも平穏に過ごしていくこと。

 誰にも邪魔をさせるわけにはいかない。それが、彼女の本体であったとしてもだ。

 故に、7日間を乗り切るだけではダメなのだ。

 

 あの、安倍晴明が7日間で大丈夫だと言っているのだから、7日が過ぎれば、鬼はどう足掻いても手を出せなくなるのかもしれない。もしくは、7日で腕が腐って取り戻しても意味がなくなるのかもしれない。しかし、確証はない。

 

 それどころか、後者の方であれば私自身も不利益を被ることになる。

 だから、私は一計を案じることにしたのだ。

 

「7日を過ぎても取り戻しに来るのなら、取り戻したいと思わさなければ良い。

 7日が過ぎると腐るのならば、腕を生き続けさせれば良い。

 そうだ。離別の運命など捻じ曲げてしまえば良いのだ」

 

 腕を取り戻す気を無くさせる策は、最後の一日に行う。

 早すぎれば罠を疑われるので、相手が時間が無いと焦っている所を狙う。

 さらに言えば、やっと取り返したと思った所から落とすことで、精神的ダメージを与える。

 茨木童子には悪いとは思うが、これも彼女との輝かしい未来のためだ。

 小さな犠牲は仕方がない。

 

「そして後者の策は既に……フフフ」

 

 思わず笑いが零れ、無意識のうちに右腕を撫でてしまう。

 これならば、腐ることも無く、いつも、いつまでも彼女と共に居られる。

 思いついた時は、思わず自分が天才ではないかと思ったものだ。

 

「いつでも、待っているよ……茨木童子」

 

 罠は張った。後は獲物がかかるのを蜘蛛のように……待つだけだ。

 

 

 

 

 

「綱よ! 何故、この年老いた伯母を中に入れてくれんのだ!?」

「ですから、物忌みの最中で人を入れることが出来ぬのです。ご理解ください、伯母上様」

「ああ…! 幼い頃にあれだけ大切に育てた報いがこの仕打ちか……綱よ、私は失望したぞ」

 

 門を挟み、喧嘩のように叫び合う2人。

 外に居るのは年老いた老婆であり、中に居るのは綱だ。

 

「もう先は長くないと、遠路はるばる可愛い子の顔を拝みに来たというのに……これでは死んでも死に切れん。綱よ、このような恩を仇で返す行為を地獄の閻魔は見逃さんぞ」

「………分かりました。伯母上だけは特別です」

「おお! やはり、お前は優しい子だのぉ!」

 

 遂には涙を流して嘆き始めた伯母に折れたのか、渋々と言った様子で綱は門を開け彼女を迎え入れる。

 

「物忌みの際ですので、大したもてなしもできないことをお許しください」

「よいよい。お前の武勇伝の1つでも聞かせてもらえれば、これ以上ない土産話になる」

「武勇伝ですか……」

「そうとも。都の噂で聞いたがお主……鬼を切ったらしいではないか」

 

 鬼を切った。その言葉に、ピクリと綱が体を固くする。

 

「ああ、いや。話せぬというのであれば、話さんでいいぞ。……是非とも聞いてみたかったが」

 

 綱の反応に、伯母は慌てたように笑ってみせる。

 しかし、本音は隠しきれずにボソリと小さく、綱には聞き取れる程度の音で声を零す。

 そんな伯母の様子をジッと見つめていた綱であったが、やがて包帯を巻いた右手で頭を押さえ、ため息を吐く。

 

「はぁ……分かりました。他ならぬ伯母上の頼みです。()()()()()()()もお見せしましょう」

「おおっ! 流石は私の可愛い綱じゃ!」

「では、こちらへどうぞ」

 

 心底嬉しそうに笑い、伯母は軽い足取りで綱の後ろに続いて行く。

 故に、彼女は気づくことが出来なかった。

 彼の顔が酷く歪んだ笑みを浮かべていることに。

 

「……この箱の中に腕があります。どうぞ、お開けください」

「この中に腕が……」

 

 厳重に封をされた箱に手をかけ、伯母はどこか無機質な表情になる。

 さて、もう分かっていると思うが、この伯母は茨木童子が化けた偽物だ。

 本来の物語であれば、この後、老婆は鬼へと姿を変え、腕を持って逃げる。

 しかし、ここではそうはならない。

 

「これが……鬼の腕?」

 

 蓋を開けて、すぐに茨木童子は違和感に気付く。

 それもそうだろう。入っていた腕は女性の腕ではなく、男性の腕だったのだから。

 

 ―――偽物を見せられた。

 

 そのことに気付いた茨木童子は、すぐに次の策を練ろうとして。

 

「いや…まて……この腕は―――お前の腕だろう…?」

 

 箱の中の腕が、綱の物であることに気付く。

 気づいた理由は簡単。自身が傷つけた傷に見覚えがあったからだ。

 

「流石は、伯母上……分かりますか」

 

 自分の腕はどこにあるのか?

 何故、綱の腕が入っているのか?

 ここにあるのが綱の腕だとすれば、本人の右腕は一体何なのか?

 

 一瞬で様々な疑問が湧き上がるが、その全てを押し殺し、今を誤魔化そうと振り返る。

 だが。

 

「と、当然であろう。何年、お前の腕を見てきたと思って――」

「だというのに、先程から私の右腕を見ても何も言いませんね。伯母上……いや、茨木童子」

 

 今更そんな誤魔化しが効くはずもない。

 隠し持っていた短刀を左手で抜いた綱が、一切の情けも持たぬ表情で佇んでいた。

 

「な、なにを言っている…?」

「白々しい真似はよせ。私の知る伯母上ならば、甥が手を包帯で覆っていれば何があったか聞いてくる。いや、別に私の伯母でなくとも、家族であれば誰であれ心配するだろう。しかし、あなたは1つも聞かなかった。まるで、()()でも知っているように」

 

 ここに来て、茨木童子は自分が罠にはめられたことに気付く。

 思わず、怒りで顔が歪んでしまうが、もう取り繕っても遅い。

 鬼らしく正面から奪い返せばいい。

 

「ク…ククク…! そこまで分かっていながら私を中に入れるとはな! その勇気は買ってやるが、判断は間違いだぞッ! ここまでくればこっちのもの、貴様を殺した後にゆっくりと腕を探せばいいだけだ!」

 

 厄介な結界も何もない、内側なら十全に力を使える。

 腕を切り取られたリベンジもかねて、綱を殺してしまおう。

 そう考えていた。

 

「別に探す必要はない。君の腕(かのじょ)なら―――ここに居るよ」

 

 彼が右腕の包帯を解くまでは。

 

「お…まえ……」

 

 解かれた包帯の中身を見て、茨木童子は絶句する。

 それもそうだろう。

 本来、綱の右腕がある場所には。

 

「自分の腕を切り落として、私の腕をつけたのかッ!?」

「フフフ……なじむ。君の腕は、実に()()()()!」

 

 茨木童子の右腕がついていたのだから。

 

「君の腕を自分の腕として一体化する。これは私も良い案だと思っていてね。腕を取り返される恐れもないし、持ち運びに苦労することもない。何より」

 

 自分で、自分の腕を切り落とした上に、他人の腕をつけるという常軌を逸した変態行為。

 その余りの衝撃に、呆然とした顔で固まる茨木童子を置いて、綱は1人上機嫌に語っていく。

 そして、興奮がマックスに達したのか、おもむろに右腕を口に近づけ。

 

 

「―――いつでも君の腕(かのじょ)と愛し合える」

 

 

 ねっとりと舐め上げるのだった。

 

「イィィィヤァアアアッ!?」

 

 そこが茨木童子の限界だった。涙腺も限界だった

 自分の腕が、ヤバい奴のヤバいことに利用されている事実を直視できずに、悲鳴を上げる。

 そして、そのまま逃げるように、一目散に屋根を破って飛び去って行く。

 

 右腕? もう切り離されているんだから、自分とは関係ないという現実逃避である。

 世の中には忘れた方がよいことが多々あるのだ。

 

「逃げたか。左腕もどうせなら貰いたかったが……おっと、冗談さ冗談。私が愛しているのは君だけだよ」

 

 そんな彼女の姿を見送りつつ、綱は恋人を宥める様に右腕へ優しい接吻を落とすのだった。

 

 生まれてこの方、親にも見せたことの無いような恍惚の笑みを浮かべて。

 




腕だと吉良みたいにポケットに隠せんやん……せや! 自分の右腕にすればええやん!
こうして、今回の話が生まれました。
しかし、自分が書く華扇ちゃんはどうして、血の涙を流して角を折ったり、変態に腕を舐められて涙目になったりと散々な目にあっているんだろうか(真顔)

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3話:平安の怪異

前回あらすじ
渡辺「え? その腕捨てちゃうんですか!?」


 時は平安。

 街灯などあるはずもなく、夜の闇に人が怯えるしかなかった時代。

 数多の怪異が跋扈(ばっこ)し、また人の畏れから多くの妖が生まれた時代でもある。

 

 宇治の橋姫に土蜘蛛、鵺に九尾。

 果てには、現代でもなお祟り神として畏れられる平将門と、その娘である滝夜叉姫。

 そして、酒吞童子に代表される鬼達。

 

 その多くは頼光四天王や、安倍一族の陰陽師により討伐されている。

 しかしながら、それで人々の畏れが消えるわけではない。

 

 自らが天皇になろうとした将門ですら、神として奉られた。

 例え、晒された首を見ようとも人間は祟りを恐れ、忘れることをしなかった。

 そんな時代だからこそ。

 

 新たな怪異も簡単に産み落とされる。

 

 

 

 

「ねえ? 『女腕(おんなうで)』の噂はもう聞いた?」

「『女腕』? 何なのかしら、それは?」

「京の町に現れた新しい妖怪よ」

「妖怪……それはどんな?」

 

 女三人寄れば(かしま)しい。その言葉は井戸端だろうが、宮中だろうが変わりない。

 十二単の美女達は、その身分など関係なく噂話に花を咲かせる。

 

「何でも体は顔を隠した男、右腕は女の腕という妖怪らしいわ」

「夜な夜な京の町を練り歩いては、女の腕に何やら語りかけているみたい」

「まあ、怖い。でも、それだけならそこまで怖がる必要は無いんでなくて?」

 

 友人から説明に、1人の美女が気持ちが悪いとばかりに顔を顰めさせる。

 しかし、聞いた情報から考えれば、気持ちが悪いものの、恐ろしいものではない。

 だが、妖怪だと言われている以上、それで終わるわけもない。

 

「もちろん、それだけじゃないわ。『女腕』は基本は顔を隠している。でも、時折顔を覆う布を取ることがあるらしいわ。そして、その顔を見たものは……」

「見た者は…?」

 

 ゴクリと唾を飲んで次の言葉を待つ美少女。

 そんな、美少女に対して友人は。

 

「分からないわ」

 

 思わず、ズッコケてしまうような言葉を吐くのだった。

 

「ちょっとー、ここでそれはないでしょう?」

「でも、本当に分からないのだから仕方がないじゃない。だって」

 

「―――『女腕』の顔を見た人間はこの世に居ないんだから」

 

 空気が冷たくなるとは、こういう事だろう。

 先程までの呆れた空気が消え去り、背中に冷たいものが流れる。

 

「見た人間が居ないというのは……つまり」

「喰われたのか、地獄に引きずり込まれたのか、はたまた……」

「くわばら、くわばら」

 

 ブルリと身を震わして、怖い怖いと肩をすくめる友人2人。

 現代であれば、そんなことは迷信だと言える事柄。

 しかし、平安時代には妖怪は真な脅威。笑い事では済まない。

 だというのに噂を聞いた美少女の顔には、恐れというものが無かった。

 

「でも、心配する必要はないわよ」

「必要ないって……貴方何を言ってるの?」

 

 余りの危険意識のなさに、若干戸惑ったような声を出す友人達。

 そんな、友人達に美少女は胡散臭そうな笑みと共に説明を始める。

 

「私達が仕えているお方は、藤原(ふじわらの)道長(みちなが)様。そして、同じように道長様に仕えているのが―――頼光様とその四天王」

 

 頼光と四天王。

 言うまでもなく道長が持つ、否、朝廷が誇る最強の破邪の剣である。

 

「今までも数多の妖怪を討ち取ってきたあの方達なら、きっと新しい妖怪も打ち破ってくれるはずよ」

「……確かに、言われてみればそうかもしれませんね」

「源頼光様を筆頭として渡辺綱様に坂田金時様、さらに碓井(うすい)貞光(さだみつ)様、卜部(うらべの)季武(すえたけ)様。これだけのお方達が居れば恐れる必要はないのかもしれませんね」

 

 彼女達の身近にいる英雄達の存在。

 それが彼女達の心に良い意味で安心感を、悪い意味で慢心を与えていた。

 

「だめだめだめだめ! 妖怪を甘く見たらいけないよ」

「あ、貴方様は…!」

 

 しかし、そこに釘を刺す存在が現れる。

 

「渡辺綱様!」

「いいかい? 妖怪は殺せる存在だ。でも、決して油断していい存在じゃない。だから、決して『女腕』を探そうなんてしてはいけないし、その顔を見てもならない。死にたくないなら、夜は大人しく家の中に居るんだよ」

 

 現れたのは件の人物、渡辺綱。

 綱は現れると同時に、怒涛の勢いで3人に警告を行っていく。

 普段は情熱のない男が、懸命に妖怪に近づいてはならないと説く姿に、最初は呆気にとられていた3人だったが、流石に軽率な発言だったかと恥じ入る。

 

「申し訳ございません。不用心に過ぎましたわ」

「分かってくれたらいい。私達も必ず妖怪を倒せるというわけではないからね」

 

 綱からの警告に3人を代表して、言い出しっぺの美少女が頭を下げる。

 そんな彼女に対して、綱は話はこれで終わりだと去ろうとして―――彼女の右手を見る。

 

「……すまないが、君の名前を教えてくれないか?」

「…? (むらさき)です」

(むらさき)…君が……」

「私がどうかされましたか?」

「いや、なんでもない。夜道には気を付けるんだよ」

 

 綱は彼女の名前を聞くと、それに満足したのかすぐに手から目を離し、今度こそ歩き去っていくのだった。

 

「美しい腕だった。だが、まあ―――君には劣るけどね」

 

 やはり自分の右腕(よめ)こそが、最も美しいと再確認しながら。

 

 

 だからこそ、気づかなかった。

 

「渡辺綱…女腕…フフフ……もっと話してみたいわね」

 

 紫と名乗った美少女が、とてつもなく胡散臭い笑みを浮かべていることに。

 

 

 

 

 

 草木も眠る丑三つ時。

 人の姿はなく、動物の姿もない。

 そんな闇が支配する時間に歩く男の姿が1つ。

 

「良い夜だ。空には青白く輝く月と星々。何より、隣には君が居る。ああ……やはり、こうして逢瀬を重ねるのは良いものだ。家で君と共に過ごすのも悪くはないが、外の景色を見るのもまた格別だ」

 

 誰にも見られぬように布で顔を覆った男が、キザッたらしい台詞を吐きながら歩いている。

 当然、隣にはその言葉を受ける女性がいるはず。

 多く者はそう思い、男の隣を見てみるがそこには誰も居ない。

 

 では、男はありもせぬ虚像に向けて言葉を吐いているのか。

 否。男は確かに実在する者に甘い言葉を吐いているのだ。

 

「フフフ……本当に月が綺麗だね。君の―――白い腕が良く映える」

 

 自らの右腕があるはずの場所についた女の腕に向けて。

 

「ああ…本当に美しい……ダメだ、我慢が出来ない。頬擦りをしても? その綺麗な手に!」

 

 そう、この男の正体こそが京の町の新たなる怪異。

 『女腕』である。

 

 『女腕』は何やら興奮したように息を荒げながら、顔を覆う布を解いていく。

 顔を見られてはならないと理解している。

 しかし、愛する女と直に触れ合いたいという欲望が抑えきれないのだ。

 

 そして、顔をさらけ出して女の腕に頬ずりをしようとした時。

 

「―――誰だ! そこにいるのはッ!」

 

 まさに鬼のような形相で、何もない空間を睨みつけるのだった。

 前述のようにそこには何もない。あるとすれば空気のみ。

 だが、しかし。男は確信をもってその空間を見続ける。

 

「ふふふ……流石は、と言った所かしら」

「姿を現せ、もののけ」

「あら? 女性に対してそんな言い方はないのではなくて?」

 

 美しい声が何もない空間から響いてくる。

 続いて、その空間に罅が、否、隙間(・・)が広がっていく。

 隙間は世界を隔てる境界のように広がっていき、やがて無数の目が顔を覗かせる。

 だが、真に悍ましいのはその目ではなく、その中から現れた美少女。

 

 月夜でなお燦然と輝く金色の髪。見るもの全てを虜とする美貌。

 人ではあり得ぬ高貴さを醸し出す、アメジストの瞳。

 そして何より、答えなどありはせぬという胡散臭さ(不確定さ)

 

「君は…! (むらさき)と名乗っていた…?」

「あら? 姿を変えていたのに気づくなんて流石。では、正解の御褒美に改めて名乗りましょうか。私の名前は―――(ゆかり)八雲(やくも)(ゆかり)よ」

 

 寒気する程の色気を乗せた笑みを浮かべる美少女。

 その正体は境界を操る力を持った大妖怪、八雲紫。

 後に幻想郷の賢者となる者である。

 

「それにしても、よく私が同一人物だと分かったわね」

「なに、あれだけ肌が瑞々して美しく、なおかつ餅のように白く、頬ずりをしたくなる程に柔らかそうな腕はそうそう見られないからね。思わず、接吻を落としたくなったのを抑えた記憶も相まって覚えていたのさ。顔を変えた程度じゃ、その腕の美しさは隠せない」

「…………」

 

 無言で腕を服で隠す紫。

 やはり、如何に大妖怪と言えど、変態の扱いには困るのだろう。

 

「ああ、安心してくれ。君の腕を取ろうとは思っていないさ。君の腕は確かに美しい。10点満点で評価すれば間違いなく10点だ。だが、私の腕(かのじょ)はそれを超える11点だ。他の女に現を抜かすことはないよ」

「……美しいと言われて、これ程嬉しくないと思ったのは初めてだわ」

 

 あくまでも自分の嫁こそが至高であると語る男に、紫は関わり合ったことを後悔し始める。

 しかし、ここまで堂々と姿を現した以上それは許されない。

 紫としても、男としても。

 

「さて、如何に美しい腕を持つ女性だろうとも、私の顔を見たんだ。……残念だが、大事を取って殺させてもらう」

「私も残念ですわ。まさか、あの妖怪殺しの英雄、渡辺綱が『女腕』の正体だったなんて」

「フフフ、名乗るまでもないか。だが、そちらに名乗ってもらった礼犠だ。そう、私の名は……」

 

 男、改めて渡辺綱は優雅かつ勇ましい声で、武士らしく名乗りを上げる。

 

「「――渡辺綱」」

 

 酷く聞きなれた声と被さるように。

 

「23歳、独身。仕事はまじめで、そつなくこなすが、今ひとつ情熱のない男……。元皇族の血を引く上流貴族っぽい、気品ただよう顔と物腰をしているため、女中には()()()が、頼光様からは戦働きとか、護衛ばかりさせられているんだぜ。悪いやつじゃあないんだが これといって特徴のない……影のうすい男さ」

 

 その声は男のもの。もちろん、綱の声ではない。

 しかし、聞き覚えがないわけではない。むしろ、聞き覚えがありすぎる。

 

 ―――馬鹿な、あり得ない。

 

 そんな思いが綱の脳裏に走るが、戦士としての体は現実から逃げることなく振り返る。

 そして、目にするのだった。

 

「同…僚…ッ」

「出しな……てめーの刀……『鬼切丸(おにきりまる)』を……」

 

 自らの同僚の姿を。

 

「ちッ! 言われずともな!」

 

 そこからの綱の行動は早かった。

 最初から仲間への情などなかったとばかりに、容赦なく刀を同僚に振り下ろす。

 並みの人間であれば、それだけで一刀両断となる太刀筋。

 だが、しかし。

 

「やめとけ、やめとけ。右手を取り換えて自由に使えない今のお前じゃ、クマと相撲をして鍛えた俺の腕力には勝てねーよ」

「クソが…ッ」

 

 なぜ同僚が、ここに居るとは聞かない。

 目を見れば分かる。同僚は妖になりかけている自分を始末しに来たのだ。

 そしてそれは―――

 

5人(・・)でかかるが、卑怯とは言わんだろうな、綱よ?」

「頼光…様…!」

 

 自らの主の意志であるのだと理解していたから。

 

「あらあら……これは予想外。まさか、私以外にも彼を追っている存在が居たなんて」

「グル……ではないか」

「当然。ただの人間ならともかく、相手は妖怪退治の英雄。私、そこまで命知らずではなくてよ?」

 

 そんなシリアスな空気を醸し出す四天王達をよそに、紫は1人余裕の笑みを浮かべる。

 それもそうだろう。彼女からすれば、自分を殺そうとした人間に邪魔が入ったのだ。

 まさに運命は私に味方をしているという状況である。

 

「それじゃあ、部外者である私はここで帰らせてもらうわね」

 

 故に、紫は胡散臭い笑みを浮かべたまま隙間を開こうとし――

 

「少しゆっくりしていきませんか? どうせ、ここ一帯は結界で完全封鎖しているんですから」

 

 何者かの呪術により、それを打ち消されてしまうのだった。

 

「隙間が開かない…ッ!? それにあなたは……」

 

 その事実に目を見開き、ここに来て初めてとも言える警戒の表情を見せる紫。

 大妖怪である彼女をして、ここまで警戒させる人物。それは。

 

「初めまして、麗しきお嬢さん。ボクは安倍晴明、しがない陰陽師です」

 

 安倍晴明。

 神の使徒を母に持つ、史上最強の陰陽師。

 

「しがない陰陽師ですって…? これだけの大結界を、私にすら気づけないように張っておいて、笑えない冗談を言うものね」

「そうですか? まあ、何はともあれ、ボクの仕事はここから誰も出さないことなんで特にあなたに危害を加える気はありませんよ。……もっとも、闘ったとしてもボクは誰にも負けませんけどね」

 

 そう言って、ニコリと笑ってみせる晴明と反対に、紫は初めてその顔から笑みを消すのだった。

 

「そういう訳だ、綱よ。ここから逃れるすべはない。部下の不始末は主の責任。故に、私自らが介錯してやろう。……しかし、まさか鬼の腕を、自らに移植しているとは思わんかったぞ」

「……人間に仇なすつもりはありません」

「それはお前の邪魔にならぬならばだろう?」

 

 紫達の反対側で、ジリジリと残りの四天王と頼光に距離を詰められながら、綱は必死に考える。

 生き残る道を。この場から逃れる道を。

 そのためならば、泥を啜り、頭を地面に擦り付けることになっても構わない。

 誇りなどドブにでも捨ててしまえば良いのだ。

 

「仮にお前がその言葉を守ったとしよう。だが、それは何の解決にもならん。私の部下から……いや、皇族の血を引く者から妖が出るなど恥だ。全く、気色の悪い腕など付けおって」

 

 ピタリと綱の思考が止まる。

 顔から感情という感情が抜け落ちていく。

 その顔は無地の能面のようでいて、その実。

 

「……今、なんて言った?」

 

 ―――般若の面であった。

 

()()()()()()など付けおってと言ったのだ」

「なるほど…そうか…そうか……」

 

 頼光の再度の言葉に、綱の思考から逃げるという選択肢が完全に消え去った。

 彼の心に、人生に、誇りというものはない。

 全てをこなしてきただけの人生に、そんなものが生まれるはずなどないのだから。

 

 だが

 

「―――死ね」

 

 誇りはなくとも、愛はある。

 

右腕(彼女)を侮辱する者は誰であろうとも許さん! 地獄で詫び続けろぉおおッ!!」

 

 その姿、まさに悪鬼羅刹。

 愛する者を侮辱された怒りに燃える綱は、数の差など物ともせずに立ち向かっていく。

 

「づぉッ!? ほぼ左手だけって言うのになんて剣圧だよ…ッ」

「流石は我が四天王の筆頭、渡辺綱と言った所か……」

 

 怒りで完全にリミッターの外れた状態の綱は、鬼気迫る表情で他の四天王を打ち倒していく。

 4対1? それがどうした。愛する者を侮辱されて怒らぬ男など男ではない。

 さあ、今こそ怒りの牙を、憎き奴の喉元に突き立てるのだ。

 

「源頼光ゥウウッ!!」

「……見事。僅か1人で他の四天王を退けるとは。まさに、その強さ鬼神なり」

 

 もはや、人間の領域を超えた剣技をもって同僚達を打ち倒した綱。

 後は、愛する女性を侮辱した“元主”を切り伏せれば終わる。

 左手で強く刀を握り締め、大きく振り上げる。そして。

 

 

「だが―――そうした化け物を斬るのが私達の仕事だろう?」

 

 

 容赦なくその胴体を切り裂かれた。

 

「…ゴフ…ッ」

「ふむ。右腕を切り落とすつもりの斬撃だったのだがな……自らの胴体で受けるとは褒めるべきか、呆れるべきか。まあ、もとより―――その愛を利用した作戦だったのだがな」

 

 どこまでも無機質な視線で自分を見下ろす頼光を見て、綱は気づく。

 最初から、自分は彼の掌の上を踊っていたに過ぎぬのだと。

 

「そうか……私を挑発し…無理な体勢で突っ込んでくるように仕向け…最後に不可避の一撃を右腕に叩き込む……そうすれば必ず右腕を庇うと理解して……」

「正解だ。仮に右腕を庇えずとも、相当な動揺を誘える。そこを叩けば結果は今と同じだ」

 

 淡々と、まるで機械のように語っていく頼光の姿に、綱は思わず笑ってしまう。

 なぜ自分は忘れていたのだろうかと。

 この男は自らの主は。

 

「卑怯とは言わせんぞ。お前には常々、勝利こそが全てと言っておったのだからな」

 

 勝利のために手段など選ばぬ“鬼”だと。

 

「さあ、終わりだ」

「…ッ」

 

 頼光がゆっくりと刀を振り上げる。

 それは感傷に浸っているわけではなく、最後の抵抗すら許さないという油断の無さ故だ。

 だから、綱はもう逃げられないと諦め、握っていた刀を地面に落とす。

 そして、首を差し出すように胡坐をかいて頭を垂れる。

 

「……何の真似だ?」

「首を切り落とされれば、右腕を斬らずとも死ねるだろう?」

「……どのみち貴様の体は右腕もろとも焼くつもりだぞ」

「だとしてもだ。例え、1分、1秒、刹那の時であっても構わない。私は彼女を守りたい」

 

 そのためなら喜んで首を差し出せる。

 笑ってそう告げる綱に、頼光は何とも言えぬ表情を浮かべる。

 だが、彼の意志が変わるはずもなく。

 

「そうか……では、さらばだ」

 

 断罪の刃が振り下ろされる。

 

 

 

『……手を貸してやる』

 

 

 

 夜の空に甲高い()()()が響き渡った。

 

「……なに?」

 

 そう、金属音だ。鈍い、斬首の音ではない。

 金属と金属が、すなわち刀と刀がぶつかり合った音に他ならない。

 

 片方の刀は無論、頼光の刀。

 そして、もう片方の刀は―――

 

『今回だけは特別だ。手を貸してやろう―――()()()

 

 綱の右腕(・・)が持ったものだった。

 




平安時代って他の東方キャラと絡ませやすいんですよね。
一番簡単なのは、頼光をマラリアにかけた上に寝込みを襲ったのに、瞬殺されたヤマメ。
二番目は綱さんが腕をぶった切った鬼の元ネタ説のある宇治の橋姫ことパルスィ。
藍様は晴明の子孫が石にするので微妙に合わない。
でも、登場したのは紫しき…ならぬゆかりん。

理由は簡単。
源頼光+四天王+安倍晴明から生還できそうなのがゆかりんしか居なかったから。


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4話:茨木童子

 別に助けたかったわけじゃない。

 

 ただ、この男が死ねば自分も死にかねないから手を貸しただけだ。

 本来であれば、百度殺しても足りぬ程に憎い……気色悪い男であるが今は不味い。

 実に腹立たしいが、流石に腕だけの私では頼光共に勝てるとは思えん。

 要するにこの男が死ねば、頼光共に私も殺されてしまう危険があるということだ。

 

 それだけは認められない。

 勇ましく戦って、鬼らしく死ぬのならばともかく。

 変態に良いように使われたまま死ぬとか、死んでも死にきれない。

 

 そもそも、なんでこの変態は平然と鬼の腕を自分の腕にしてるのだ?

 普通に考えて拒絶反応とかあるだろう。

 というか、全力で拒絶しようとしたり、体を奪おうとしたら逆に喜ぶってなんだ。

 気持ち悪すぎて無視するのが一番だと気づいたのは記憶に新しい。

 

 まあ、何はともあれだ。

 私はこのまま死ぬわけにはいかない。

 

 誇り高き鬼の四天王の1人として、何より1人の女としてこのままは嫌だ。

 必ずや、この男から逃れ、元の体に戻ってみせる。

 そのために今だけは手を貸してやるだけだ。

 

 

 だから、別にこの男のことが少し心配になったとかじゃないからな。

 

 

 

 

 

「君は……私を助けてくれるのかい?」

『勘違いするな。今、貴様に死なれると困るだけだ』

「それでも嬉しいよ。フフフ……こんな時に何だが、君と話が出来るのが嬉しいよ」

『たわけ。こちらは貴様となんぞ口もききたくはないわ』

 

 ゆらりと、幽鬼のように立ち上がる綱。

 その姿に警戒したように頼光は一歩下がり、油断なく相手を観察する。

 

 姿形に変わりはなく、左腕から右腕に刀を持ち換えただけ。

 しかし、その右腕というのが何よりも厄介である。

 今の綱の右腕は茨木童子の右腕。すなわち、鬼の腕。

 そして、本来の武士の利き腕は左ではなく右。

 

 鬼の剛力に四天王筆頭の綱の技術。

 それらが加わるとどうなるかというと。

 

「では、初めての共同作業といこうか」

『気色悪いことを言うなッ!』

 

―――鬼に金棒である。

 

「重い…ッ」

「先程までの私と思わないことだな、頼光様(・・・)

「クッ…調子に乗りよって…!」

 

 源頼光と渡辺綱。共に後世まで名を遺す武士の代名詞であり、稀代の英雄。

 そんな2人の戦いが生易しいはずもない。

夜の闇の中に、銀閃と火花が花のように舞い散っていく。

 

「やはり馴染むな、君の腕は! どうやら私達は体の相性が良いようだ!」

『無理やりくっつけておいて、どの口がほざいている!?』

 

その中で押しているのは、やはりというか綱の方である。

本来の強さであれば主である頼光の方が強い。

しかし、今の綱には、人の頭を豆腐のように潰せる鬼の腕がある。

加えて、想い人が力を貸してくれているという事実が、綱のテンションを最高に『ハイ!』って奴にしている。

 

これらが頼光を押している要因となっているのだ。

 

「随分と余裕だな……だが、その余裕いつまでも続かせんぞ!」

「ッ!? ここで盛り返してくるとは……流石は我が主と言ったところか」

 

 しかし、その程度でやられるようでは英雄は名乗れない。

 なおかつ、マラリアにかかった状態で土蜘蛛を切り伏せた頼光は倒せない。

 酒吞童子を騙した知略が有名な頼光であるが、その真髄は武技にある。

 

「この首、簡単には取らせんぞッ!!」

「ちぃッ…!」

 

 力で鬼に勝てぬのであれば技術で上回ればいい。

 まるで、そう語るかのように綱を徐々に徐々に押し返していく頼光。

 

「鬼の腕力に最高峰の技術。確かに合わせて相手にするのは難しい相手だ。だが、綱よ。お前に剣を教えたのが誰か―――忘れたわけではあるまいな?」

 

 何の予備動作もなく首を刈り取りに来た一撃を、紙一重で躱し綱は冷や汗を流す。

 今の一撃は隙を見て狙ってきたものではない。

 ()()()()そこに隙が出来ると知って、置かれていたものだ。

 

「私の動きを全て予想し、その一手先に斬撃を置く……フフフ…恐ろしい」

「最強の攻撃も、どこに来るか分かっていれば躱せばいいだけだ」

 

 これが源頼光。

 妖怪に劣る人の身で数多の妖怪を屠った男。

 綱はその強さに今更ながらに畏怖し、乾いた笑いを零してしまう。

 これが偽物の自分とは違う、本物の英雄なのかと。

 

 勝てぬやもしれぬ。そんな諦めが綱の心に影を刺して来た時。

 

『――ほお……言ったな、人間?』

 

 それを打ち消したのは、やはりというべきか愛する者の声だった。

 

「お前は……茨木童子か」

『その通りだ。まあ、今はそんなことはどうでもいい。それよりも貴様は、どれだけ強い攻撃もどこに来るか分かれば躱せると言ったな?』

「その通りだが?」

『クックック……まったく人間とは小賢しく愚かなものだな』

 

 クツクツと甲高い笑い声を発するのは茨木童子の腕。

 まるで、落語の落ちでも聞いたかのようにおかしいと笑う彼女に、皆の視線が集中する。

 

『教えてやろう。真の強さとは、最強の一撃とはどういうものかをな』

 

 強さにおいて、鬼は偽ることを良しとしない。

 そして何より、自らを差し置いて最強を自称する者を決して許さない。

 

『人間如きが打った刀故に、脆いのではと心配していたが……存外、丈夫なようで何よりだ』

 

 ギチギチと不快な音が辺りに響き渡る。

 それは、ただ鬼が全力で刀を握っただけの音。

 並みの刀なら、即座に砕けてしまう握力で『鬼切丸』を握った鬼が嗤う。

 

『これならば―――本気で振るえる』

「速――ッ!?」

 

 一閃。

 何の技巧も工夫もない、ただ横薙ぎに振るわれた斬撃。

 どこにどういった攻撃が来るか素人でも分かる程の単純な一撃。

 しかし、それが生み出した結果はただの斬撃ではない。

 あの頼光が避けることが出来ぬと一瞬で諦め、刀を盾に防御を選択するほどの一撃だ。

 だが、その防御も。

 

『なんだ、その防御は? まるで吹けば飛ぶ紙だな』

 

 何の意味もなく頼光の体ごと吹き飛ばされる。

 

『アハハハハッ! 何が分かっていれば躱せるだ? 最強の一撃とは、分かっていても躱せぬもの、防げぬもの。鬼の前では軟弱な人間の足掻きなどちょこざいだけよ!』

「……その人間に負けた君が言うのか」

『黙れ変態! 貴様は人間ですらない悍ましい変態だ! 故にあれは計算に入れん!!』

 

 散々良いようにやられてきた頼光を吹き飛ばしたことで、上機嫌そうに笑う茨木童子の腕。

 そんな彼女に綱がツッコミを入れるが、変態と一蹴されるだけだ。

 その時の彼女の声が少し震えていたのは多分気のせいである。

 と、そんな馬鹿なやり取りをしている間に、フラフラとではあるが頼光が立ち上がる。

 

「その強さと悪性……名付けるなら『断善(だんぜん)修悪(しゅあく)の怪腕』と言った所か」

『善を断ち、悪を修むか……断悪修善の逆か。ククク、人間にしては悪くない洒落だな。頼光四天王壊滅の記念に受け取ってやらんことも無いぞ』

「フン……まだ、戦いは終わっていないというのに随分と余裕だな」

 

『クハハハハ! いまさら何をやっても無駄無駄無駄ッ! 貴様らの敗北だ!』

「つまり私達は最強の2人と言うことだね?」

『貴様は黙っていろ、変態ッ!!』

 

 もう勝負は決まったものと高笑いをする茨木童子の腕。その声自体は、中々に威厳のあるものなのだが、今の彼女は腕だけなので絵面はシュールである。まあ、そもそもの話が女の腕を取り付けた男が居る時点で、真面目な話にはできないのだが。どう頑張っても、ホラーが限界である。

 

「……そう言えば、お前にも勝利を確信して慢心する癖があったな、綱よ」

「彼女と似ていると言われると照れますね」

「慢心、軽率、怠慢。以前のお前なら1つ程度で済んでいただろうが、鬼と混ざったことでその全てを満たしてしまったな」

「何が言いたいんですか…?」

 

 綱の気持ちの悪い惚気は無視しつつ、頼光がゆっくりと語っていく。

 その不自然さに流石におかしいと気づいた綱が、頼光に近づこうとするが。

 

「―――勝負とは始まる前に決まっているものだ」

 

 その足はまるで釘で打たれたように地面に縫い付けられていた。

 

「これは…この五芒星は…!?」

「私が誰と来たか忘れたか?」

「四天王達と……安倍晴明…ッ」

 

 綱が今更になって目を見開くと、自身を中心にして五芒星が描かれているのが見えた。

 そして、5つの頂点それぞれには他の四天王3人と頼光、そして安倍晴明の5人が居た。

 

「ボクは面倒なのでやりたくなかったんですけどね。頼光様がやれというので仕方なく、綱さんの動きを封じさせてもらいました。ついでに、封印術に気付かないように軽く幻術もかけてたので、気づかなかったのはしょうがないと思いますよ」

「初めからこれが狙いだ。純粋にお前を討ち取れるのならそれでよし。無理ならば、私がお前を引き付けている間に晴明殿に封印を行ってもらう。勝てずとも負けなければいいのだ」

 

 やれやれと言った様子で話す晴明と、正反対に淡々と語る頼光。

 彼らは初めから真っ向勝負などやる気などなく、どこまでも勝利だけを求めていた。

 ある意味で清々しさを感じてしまう冷徹っぷりであるが、納得出来ない者も当然居る。

 

『また卑劣な手を使いおって……怒りを通り越して呆れが出てくるわ。そもそもの話、人間如きの術で縛られる鬼ではない。こうなっては致し方がない。体の主導権を寄越せ、渡辺綱。我が動く!』

 

 無論、またしても罠にはめられた鬼が許すはずもない。

 強制的に肉体の主導権を奪い取り、鬼の剛力をもって封印を破ろうとする。

 だが。

 

『!? …動けぬ…!?』

 

 鬼の力をもってしても五芒星の封印を破ることは出来なかった。

 

「怪力乱神ならともかく、ただの腕力で破れるとは思わないでください。五芒星の特徴は、一切の隙間なく無限に連鎖を続ける完全性。自らの守護に使えば最強の盾となり、封印として使えば決して抜け出れぬ牢となる」

『おのれ…! 小癪な…ッ』

 

 一切の身動きが出来なくなり、苛立たし気に怨嗟の声を吐き捨てる茨木童子の腕。

 そして、その気持ちは皮肉なことに綱と同じものだった。

 しかし、幾分か綱の方が冷静さを残していた。

 

「……確かにこの術を破ることは難しい。だが、五芒星の完全性を維持するためには、君達はそれぞれの頂点から動くことは出来ない……違うかね?」

「おっしゃる通りです。この封印術は強力な反面、術者達は動けない」

 

 術を分析し、弱点を見事にいい当ててみる綱だったが、その顔に喜びの色はない。

 それもそうだろう。彼がこの短時間で見つけた穴に対して、本人が気づいていないわけがない。

 

「でも、その前に動ける存在を呼び出しておけば問題はないですよね?」

 

 突如として雷鳴が轟き始める。

 何事かと綱が顔を上げると、とてもこの世のものとは思えぬドス黒い雲が広がっていた。

 

「これは…!」

「綱よ、これがお前のお迎えだ。もっとも、行き先は無間地獄だけだがな」

 

雷鳴に混ざり、ガラガラと車輪が鳴らされる音が近づいてくる。

それは地獄への直通便。死体や悪人を奪い去る地獄の獄卒。

火の車を引き、それは地獄からの迎えとしてやって来る。

 

「火車さん、お願いします」

 

 火車。その名の通り、火の車を引き死体を連れ去る猫の妖怪。

 鬼の一種でもあるが、鬼の四天王と比べれば格は比べるまでもない。

 しかし、一切身動きのできない状態。

さらに言えば体のほとんどが人間であれば、状況は違う。

 

「鬼に鬼を殺させるとは何とも悪趣味な……」

 

 黒雲から炎と共に現れた火車は、一直線に綱の下に降りて行き。

そして。

 

『私が…! この茨木童子が…火車如きにィィッ!?』

 

 容赦なく轢いた。

 

 

 渡辺綱、23歳。火車に轢かれて地獄に落ちる。

 

 

 

 

 

『…きろ。起きろ! 起きろ変態!』

「む……ここは?」

 

 罵声を聞きながら起きるという、何とも珍しい起床の仕方で私は目を開く。

 それと同時に、意識がなかった間は感じることのなかった熱さに顔を顰めてしまう。

 耐えられない訳ではないが、内臓を焼くようなこの熱さは素直に不快だ。

 

「おはようございます、渡辺綱さん」

「君は……確か八雲紫か」

 

 そんな私の不快さとは反対に、今度は涼し気な顔をした少女、紫から挨拶をされる。

 しかし、状況が分からない。

 熱さで思考がダメになったのかもしれないと思い、頭を振りつつ辺りを観察してみる。

 

「草木がなく、岩だらけ。おまけに呼吸をするだけで息苦しい熱気……まるで地獄だな」

『まるでではない。正真正銘の地獄だ、たわけ』

 

 私のつぶやきに対して、彼女が吐き捨てるようにだが、返してくれる。

 なるほど。となると、やはり私は元同僚達に地獄に封印されたのだろう。

 しかし、そうなってくると少し気になることがある。

 

「ふむ。私達が地獄に居るのは納得だが、どうして君まで居るんだい? 八雲紫」

「あら、旅は道連れ世は情けって言うでしょう?」

『ぬかせ。あの晴明とやらの結界が抜けれぬから、私達に乗じてこっちに来ただけだろう』

「その過程で火車から奪い返してあげたんだから、素直に感謝しなさいよ」

『どうだかな。何やら裏がありそうで胡散臭くてかなわん』

 

 何やら、2人が言い争いを始めそうなので、間に割って入って止めることにする。

 

「まあまあ、今は言い争うよりやることがあるだろう。いつまでもこんな暑苦しいところに私は居たくない」

『……フン』

「それもそうね。じゃあ、建設的な話でもしましょうか」

 

 彼女はまだ拗ねているようだが、取りあえずは矛を収めてくれるらしい。

これでなんとか、この場は収まっただろう。

 

「一先ずこの地獄から抜け出すことを優先したいんだが、それは出来るのかい?」

「ここら辺一帯は元からなのか、晴明がやったのかは分からないけど、隙間を外に繋ぐことが出来ないわ」

「ここら辺一帯……ということは別の場所に行けば可能と言う事か?」

「絶対とは言わないけどね。幾ら何でも地獄全部がそういうことになってるとは思えないわ」

「と、なるとそこまで行かないといけない訳か」

『貴様はそこまでの護衛だそうだ。よかったな、武士の面目躍如だぞ』

 

 地獄という場所に距離の概念があるかは知らないが、地獄巡りなど間違いなく大変だろう。

 

 そもそもの話、かなり上位の妖怪とみられる紫が、私が目が覚めるまで待っていたのだ。

 それは少しでも戦力を確保したいから。

すなわち、紫ですら勝てぬか分からぬものが地獄に居るのだ。

 

閻魔大王は元より、地獄に住む鬼神長などには見つかるとまずいだろう。

今度こそ容赦なく殺されかねない。

 

「しかし、人生とは分からないものだ。まさか、地獄を旅することになるとはな」

『ククク、なんだ、臆病風にでも吹かれたか?』

「まさか。私はどこ行ったって恐れることなんて何もないよ。だって……」

 

 だが、恐れはない。

 私にはいつだって勇気が溢れている。

 理由は至って単純。

 

「―――いつも君が隣に居てくれるからね」

 

 愛する女性がいつだって右腕に居てくれるからだ。

 




活動報告でも言いましたが、第一部完と言うことで一旦終わらせてもらいます。
茨歌仙の最終回後に復活する予定。詳しくは活動方向をどうぞ。
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後、令和記念に新作書きました。どうぞ
【私は『レイワ』! 博麗霊和! 霊夢おねーちゃんの妹!!】https://syosetu.org/novel/189924/


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