お父さん (とらいち)
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お父さん

 久しぶりに父を見た時に“老けた”ではなく“小さくなった”と感じた。

 

 那珂は食卓テーブルに肘をつき、顎を手に乗せてぼんやりとテレビを眺めていた。だが、ただ画面を眺めていただけで、内容については何も頭に入ってはいなかった。目線の先のテレビと自分の間にはソファーが置かれており、そこに紺色のセーターを着た男性が座っていた。どちらかというと、テレビよりも気になっていたのはこの短髪のごま塩頭の方であった。数年前までは毎日見ていた、父親である芳広の頭である。

 

「芳子、あんた、ぼーっとしてないでお母さんのこと手伝いなさいな。まったくもう」

「久々に休み貰ったから帰ってきたのに。人使いが荒いよ。英雄のご帰還だよ。ちょっとは敬ってよ」

 芳子とは那珂の本名である。彼女を呼ぶ母の名前は恵子。芳子は芳広と恵子の一人娘である。

 “那珂”こと芳子は文句を並べながらのそりと立ち上がり、キッチンへと向かった。

 那珂の約一年ぶりの帰省であった。

 

 芳子は五年前に志願して艦娘になった。

 普通科の女子高生であった芳子は、学業優秀スポーツ万能と校内でもなかなかに目立つ生徒であった。身長が高いわけではないので、外見は際立って目立つわけではないが、人を引き付ける力と行動力は抜群であった。特に運動では周囲の目を引く存在であった。

 部活動はソフトボール部所属。一年時からクリーンナップを担い、勝負強いバッティングでチームを勝利に導いた。また、廃部寸前のバレー部に助っ人として名乗りを上げれば、バネを生かした強烈なアタックを敵陣に打ち込み、こちらも主砲として本来のバレー部員を上回る活躍ぶりを見せた。学業はスポーツほどではないものの、苦手でも嫌いでもなく、持ち前の負けん気の強さで上位に食い込んでいた。

 

 一般的に見て、華の女子高生として順調な生活を送っていた芳子が、唐突に艦娘を志したのは高校二年になってからであった。

 それまで彼女にとっては、艦娘は遠い存在であると感じていた。しかし、二年時に上がる前の春休みに、たまたま街で軍募集本部の隊員に声を掛けられ、あれよあれよという間に自分の中で艦娘という存在が現実味を帯びてきた。

 その後、ゴールデンウィークに両親には内緒で軍へ見学に出かけた。これが決定的であった。

 水雷戦の訓練で艦娘がアイスホッケーの選手のように海面を高速で駆け回り、ぶつかるのではないかという勢いで突進して攻撃をする。その姿を見て心臓がつぶれるのではないかという恐ろしい気持ちを感じたが、それよりも彼女の中では好奇心と憧れが上回った。数ある艦種の中で最も芳子の目を奪ったのは、水雷戦隊を束ねる軽巡洋艦娘であった。配下の駆逐艦に指示を出しながら、先陣を切って湧きあがる水柱の中を進む姿は、まるで舞台上で歌い踊るアイドルのように彼女の目に映ったのだ。

 

 芳子は高校二年の夏、高体連でチームが負けたのを機に、軍に受験願書を提出した。願書は両親の目を盗み判を押して提出したのだ。

 両親にバレたのは年末、自宅に合格通知が届いたからである。芳子は軍の試験の日には部活の合宿だと両親に嘘をついて出かけていた。そんなものだから、両親は郵便配達員が持ってきた合格通知を見るまで、全く何も知らなかったのだ。

 これには芳広も恵子も大変驚いた。特に芳広は自分の一人娘を戦地に送るなどもってのほかだと、烈火のごとく怒った。しかし、この父親の娘である芳子は負けなかった。良くも悪くも負けん気の強さと、スポーツと勉学で培った驚異の粘りを見せて両親を屈服させた。

 そして、また、良くも悪くも行動力のある娘である。さっさと高校を中退して艦娘の養成所に入隊を決めてしまった。

 

 養成所でも彼女は優秀であった。しかし、優秀という言葉の前には『それなりに』がついた。

 わざわざ軍に身を置こうという変人ばかりが集まる養成所では、上には上がいる。姉妹艦となった川内、神通の実力を間近で見せつけられ、負けん気の強い彼女ですらどうにもこうにも気負けした。

 川内は欠点として飽きっぽい性格ではあるものの、機敏で何より夜目が効いた。夜戦に持ち込まれたら勝ち目が薄くなる。

 神通は普段はおっとりしていて多少抜けたところもあるが、戦闘ともなると別人のようであった。特に接近戦に強く、距離を詰められるとこちらは何もさせてもらえない。

 では、那珂はというと、戦闘では彼女たちほど飛びぬけた才はなかった。砲撃、雷撃、夜間戦闘、どれも平均の水準でこなせるが、特別際立ったものはなく、特徴ある姉妹艦と比べられるとやや影が薄い印象であった。あれだけ高校スポーツで鳴らしたのにこのザマである。元々、聴覚と動物的嗅覚に優れたところはあったので、姉妹艦より多少潜水艦への探知に勝ることはあった。しかし、肝心の水雷戦では若干落ちると那珂は自覚していた。同クラスの軽巡洋艦娘であるのに水雷戦で劣るとは彼女にとっては大変不本意であった。ただ、これは那珂自身の所感であり、他者から見れば劣っているとまでは言えない程度のことであったが。

 

 養成所を出て実戦部隊に配属されてからは順調とは言い難い軍歴ではあったが、第四水雷戦隊旗艦に任命されてからはめきめきと頭角を現した。ついには、姉妹艦の川内、神通に先んじて、第二段階の改装を受けることとなった。艦隊の中でも飛びぬけて早く、名誉なことである。やはり艦娘としての素質は十二分にあったのだ。

 艦娘としての務めは危険であるし、忙しくもあるが、艦娘の生活は那珂にとっては楽しいものであった。第二段階の改装が早かったように、元々適正があり、十分に戦闘で活躍できたことはその理由の一つである。だが、彼女が艦娘生活が楽しい重要な理由がもう一つあった。艦娘は特別目立つのだ。

 艦娘になる前から目立ちたがり屋な性格ゆえに、テレビや雑誌、新聞等の取材には嫌な顔をしないどころか、意図的に目立つような言動を取った。実際に那珂の人気があるかはさておき、艦隊のアイドルを自称し、自作の歌やダンスを恥じることなく人前で披露した。

 

 艦娘としてとにかく目立ち、前に立ちたがる那珂ではあったが、それは外面であり、プライベートは存外地味なものであった。ステージ上では派手なパフォーマンスをする芸能人が、私生活では意外なほど地味であるようなものである。

 

 そんな地味な彼女は、実家の食卓テーブルに母から受け取った料理を配膳しながら、テレビと父親の頭を見ていた。高校時代に着ていた膝がテカテカした垢ぬけないジャージを着て、黒いフルリムの眼鏡をかけて。

 

 今朝、帰郷して実家の玄関をくぐった際、出迎えた父親が小さく見えた。自分が成長したからであろうかと疑ったがそうではない。艦娘になると解体や除籍にならない限り、身体は成長しない。つまり、艦娘那珂である芳子は高校生の頃から体格は変わっていないのである。

 そうなると自身のせいではなく、父親が原因であろう。そう、人間である父は老いたのだ。

 ソファーでテレビを眺めている頭も、まだ禿げあがってはいないが、ずいぶんと白髪が増えた。まだ定年までは少し年数が残っているのに。

 

 芳広が見ているテレビの下。テレビ台にはハードディスクレコーダーと背がクリーム色をしたノートが入っている。そのノートはスクラップブックだ。芳子はこの中身を知っている。芳広が艦娘那珂の活躍を報じた新聞・雑誌記事を切り抜いて収集したものであると。

 実は昨年帰省した際にたまたま気がついたのだ。夜更かしをして借りてきた映画を見終わり、ディスクを仕舞おうとしたときに気が付き、中を見た。

 どのノートも実に丁寧に整理されていた。あれだけ艦娘になることに反対した父がやったとは思えないほどに。目につきやすく誰にでも手に取れる場所に置いているので、芳子に内緒にして収集しているわけでもないようである。あんなに反対した手前、こういうものは隠すのかと思いきやそういうわけでもないらしい。中身は几帳面であるが、こういうところはおおざっぱだ。

 芳子は艦娘養成校の合格通知に激怒した父の顔を思い起こしたが、あれでよく勘当されなかったものだ。あれほどの剣幕で激怒していた父が自分の活躍をスクラップするようになるとは、あの時は思っても見なかった。

 

 私はいつまで艦娘を続けられるだろうか。そして、これから何冊あのスクラップブックを増やせるだろうか。芳子はスクラップブックの背と父の頭を眺めながらしみじみ考えた。

 自分にできることは精々活躍して、沈まないことである。

「ほら、お父さん。ご飯だからこっち来て」

「おう、すまんな。ありがとう」

 芳広はゆったりとした動作でソファから立ち上がった。その動作は、先ほどの芳子とそっくりであった。

 

  * * * *

 

 翌朝、芳子は起床ラッパがなる時刻に自然に目が覚めて飛び起きた。が、実家の布団の上だということを瞬時に判断して、布団に潜りなおした。

 芳子は今日鎮守府に戻るつもりであったが、列車の時刻は昼過ぎである。焦ることはないと、鎮守府ではできない惰眠をむさぼることに決めたのだった。

 

 それから芳子は、ずいぶんと遅くに起きて、だらだらと何をするでもなく過ごし、母が作ってくれた昼食を取った。

 そろそろ帰る準備でもしようかともぞもぞしていると、芳広が

「駅まで車で送っていくよ」

 と、話しかけてきた。

 実家から駅までは徒歩五分程度である。わざわざ車で送ってもらう距離でもない。

「近いんだから大丈夫だよ。荷物もボストンバッグひとつだし、天気もいいし」

「今晩の晩酌用の酒を買いに出ようと思ってたんだ。お前を送るのはついでだよ」

 彼女にはそれが本心なのか、建前なのか区別がつかなかった。

 しかし、父の厚意を無下にする理由もない。芳子は「じゃあついでに送ってもらうよ」と軽く返答をした。

 

 実家を出発して、三分もかからずに駅前のロータリーにライトグレーのセダンが滑り込んだ。一時間に一本程度しか汽車が来ない田舎の駅前には人の姿は見当たらない。

 カーキ色の冬季用ジャケットを着てマフラーを巻いた芳子はボストンバッグ左肩から下げ、後部座席から車外へと出た。芳広は助手席側のウィンドウを開けていた。

「ホームまで送ろうか?」

「いやいや、流石にそこまでしなくていいよ」

「そうか」

 芳広は特別感情を示すことなく短く返答をした。

 芳子は車をドアを閉めて、父に一度手を振ってから駅舎へと歩き出した。車が発進する音はしない。

 ふと、首だけ振り返ると、芳広がじっと彼女を見ていた。

 芳子は左手でメガネを取り、父に見えぬように“外交用の顔”を作ると、ステージ上で歌い踊るアイドルのように身体を右へくるりと一回転半させた。

 遠心力でマフラーがゆるりと弧を描き、身体に巻き付いた。そして、芳広と目を合わせると、とびきりの笑顔で投げキッスをお見舞いした。

 芳広は眼を見開き、口をぽかんと開けていた。しかし、それも一瞬で、すぐに目をつぶり頭を振った。口元は笑いを堪えたようににやけているのが見えた。

 そして、パァンと一発、車のクラクションが乾いた空に高く鳴り響いた。

 残響が残る中、軽巡洋艦・艦娘那珂は海軍軍人らしくきっちりとスマートに回れ右をしてまた駅舎へと歩み始めた。

 那珂の耳には、低くエンジンが唸り、タイヤが地面を噛んで車が動き出す音が聞こえていた。

 

 今度は振り返ることはなかった。



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