悪戯の神は希望を拾った (乾パン中毒者)
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第一話:神は救いの手を差し伸べるか

劇場版上映をきっかけに棚にしまっていた原作小説を読み返しつつウィキ○ディアで神話記事を適当に読み漁っていたらなんとなく思いついて書いてしまったSSを投下。

やりたい展開ダラダラと書いてるだけだからあんまり期待はしないで(切実)。

因みに時期的に言えば原作の19年(厳密には18年と半年)くらい前です(適当)。


 コツ、コツと靴が街道の床を踏む音が静かに響く。

 

 周囲は既に夜の帳によって光が遮られているせいで真っ暗だ。微かに見える光は窓の隙間から漏れ出ている弱々しい光。それに照らされて見えるのは、泥だらけの自身の恰好。

 

 震える息が喉から漏れ出る。

 

「…………ここ、どこ……?」

 

 今にも泣きそうな子供の声だった。そしてその震えは声だけでなく、身体全体に伝播していく。

 

「私……誰……?」

 

 足がもつれて、私はその場で転げた。膝や腕が擦りむけて、決して小さくない痛みが頭を刺激する。

 

 私に記憶はなかった。気づけば薄汚い荷馬車の中で、周りの何もかもが理解出来ずほぼ一日中街の中を徘徊した。その道中で悪意ある者に転ばされたり、追いかけられたりした。にもかかわらず頼れそうな者など居るわけも無く、私の心は不安で擦り切れそうだった。

 

 両目から涙が流れ出てくる。

 

(私……このまま、死ぬのかな……?)

 

 最早這いずるだけの気力もなく、私はそんなことを思い始める。

 

 周りに知り合いなど誰一人としておらず、そして手を伸ばしてくれる人にも出会えなかった。持っているのは価値すらわからないわずかばかりの硬貨とボロ切れのような服。

 

 こんな浮浪児の様な少女を、一体誰が助けてくれるのか。考えてみれば当り前だと思えて来て、空っぽの笑みが浮かんでくる。

 

 私はきっと、何も知らないまま此処で死ぬのだろう。

 

 怖くはないのか? ……勿論怖い。だけど、抗う術がない以上どうしようもない。

 

 それとも、今手を伸ばせば、誰かが掴んでくれるのか――――?

 

 

 

 

「ちょちょぉっ!? ええやないかちょっと尻触るくらい! ……えっ、出禁? 嘘やろぉ!?」

 

 私の中で広がる悲痛な心と裏腹に、そんな声が聞こえてきた。

 

 わずかに動く首を動かせば、朱色の髪と細目がちの瞳を持つ女性なのか男性なのかよくわからない体型の人物が酒場らしき場所に怒号と絶叫を上げていた。声からして、恐らく女性だろうか?

 

 しかし肌で感じる微かな違和感が頭を惑わす。何だろうか、外見は普通の人なのに、本能的な何かがあの者を”畏れている”。これは、一体?

 

「ったく……ちょっとくらいサービスしても罰は当たらんだろうに――――って、んん? ん!? な、なんやアンタ! どないしたん!?」

 

 その人と目が合ったかと思うと、彼の者は焦りながら私の傍へと駆けよってきた。

 

 不思議と、謎の安心感は胸を満たす。だからだろうか。一度諦めた懇願の声が漏れ出したのは。

 

「……たす、け……て」

「…………う~ん、まあ、ええか。よしっ、うちが助けたる! 感謝せぇや!」

 

 彼女は「よっこいしょ」と掛け声を上げながら、私の小さな体を背負った。その際に初めて感じる人の温もりが異様に暖かくて、涙が出てくる。

 

「……あり、がとう……」

「ふふーん、うちがいるからにはもう安心や。……でも、ちゃんと恩返しはしてもらうで?」

「ん…………」

 

 その言葉に応えるように、私は彼女の首に手を回してギュッと抱きしめた。

 

 ようやく得た宝物を、離さない様に。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 ――――目が覚める。

 

 ゆっくりと見開かれる瞼の間から見えたのは、見知らぬ部屋の天井。決して立派では無い古びれた木張りの天井を見て、昨日の出来事が夢では無かったのだとようやく認識できた。

 

 少しずつ上体を起こせば、薄い毛布が退かされる。

 

 そして、自分の隣で誰かが寝ていることに気付いた。ぼやける視界で見えたのは朱色の髪。

 

「ぐぅ……むにゃむにゃ……んあ?」

 

 鼾をかいていた女性が涎を垂らしながら起き上がってきた。そして私の体を隅から隅まで弄ると、最後はパチンと自分の両頬を強めに叩き――――

 

 

「よっしゃぁぁぁぁああああーーーー!! 夢やなかったぁぁぁぁぁああーーーー!! 夢にまで見た美少女ゲットやぁぁぁああああーーーー!!」

 

 

 途端にそんな奇声を上げながらはしゃぎ始めた。

 

 何だろう、この人に拾われたことが非常に不安になってきた。

 

「あ、あの……」

「ん? なんや、どうかしたんかいな? あ、うちの名前はロキ。よろしく頼むわ」

「ええと……はい、ロキさん。それで、あの」

「あ、ジブン、名前はなんて言うん? 流石に名前がわからないんじゃ互いに呼びづらいやろ」

「名、前……」

 

 口に手を当てて、己の過去を思い返そうとする。

 

 

 ――――白紙(何もない)

 

 

 反射的に込み上げる嘔吐感。既に口を抑えていたからか対応は素早く、私は口を抑えて喉から込み上げる胃液を押し留めて飲み込んだ。

 

 多少の痺れが喉を刺すが、それについて気にする余裕はなかった。

 

「……知らない、何も、思い出せない」

「…………嘘、やないみたいやな」

 

 荒唐無稽な言葉にもかかわらず、ロキさんは私の言葉をそのまま信じてくれた。証拠も何もないというのにどうしてだろうか。だが私にとってそれが都合のいい事なのは確かだった。

 

「なあ、オラリオって言葉には聞き覚えあるか? 冒険者、魔法、魔石、神の恩恵(ファルナ)――――」

「……ごめんなさい。全部、わかりません」

 

 ロキさんが次々と何かのキーワードを挙げるが、そのどれも私の琴線に触れることは無かった。

 

 彼女は小さく呻き声を上げながら顔を抑えて天井を仰ぐ。

 

「うわぁ……マジかいな。初めての家族(ファミリア)候補が記憶喪失とか……レアっちゃレアなんやけど……うわぁ」

 

 明らかに彼女は困っている様子だった。それもそうか。拾った者が記憶喪失など、明らかに厄介事の種としか思えない。

 

 そう考えると申し訳なくて、私は震える脚で立ち上がって彼女の前から去ろうとする。

 

「え、ちょ、待て待て待てィ! 自分どこ行くつもりなんや!?」

「その、助けていただいたことには感謝しています。でも、これ以上迷惑はかけられないので……」

「なーに勝手に決めとんのや! アンタはうちに借りがある! それを返すまでは手放す気はあらへんで!」

 

 ロキさんは立ち去ろうとする私を羽交い締めして拘束した。そこまで強い力では無かったが、身体が弱っているからか碌に抵抗できない。

 

 それに、彼女の言い分も一理ある。恩を返さずに立ち去ろうなんて、確かに図々しいにも程があった。

 

 そう結論が出て、私は大人しく彼女に引き摺られてベッドに座らされた。

 

「でも、私ができることなんてあるんでしょうか……?」

「勿論や! ま、とりあえずうちの事とかこの街の事とか、色々と説明せなあかんな」

 

 その後、私はロキさんから麦粥を食べさせられながら色んなことを教えられた。

 

 まず、私のいるこの街は『迷宮都市』オラリオと言い、世界で唯一「迷宮(ダンジョン)」が存在する都市だという。そしてそのダンジョンの中には数々の希少資源だけでなく、モンスターと呼ばれる存在が生まれており、それらの持つ魔石はさまざまな道具に加工できるとか。

 

 そのモンスターを狩ることで生計を立てている存在が冒険者と呼ばれる存在。しかしモンスターは一部を除いてどれもが超常的な力を持っており、普通の地上存在では対応が難しい。

 

 そんな中、千年前に娯楽を求めた超越存在(デウスデア)、即ち神々が下界へと降り立ち、ヒューマンをはじめとする様々な種族に力――――神の恩恵(ファルナ)と呼ばれるものを与え、強化することで対応させることができた。

 

 力を与えた神々はやがて己の力を与えた子等を組織化し、ファミリアと呼ばれるものを作った。その役割は探索系、商業系、制作系、医療系など様々。果ては国家系までも存在しているらしい。

 

 そしてそのファミリアが最も多く存在しているのがこのオラリオだ。

 理由は単純に、ダンジョンから得られる潤沢な資源による一攫千金が狙えるからだ。モンスターという形で無限に魔石を得られる、そして未だ全貌が知られておらず未知の資源が無数に眠っている可能性を秘めたこの地は正しく宝庫と言っても過言では無い。

 

 故に神々と人々は絶えずこのオラリオに集まってくる。金と夢と未知という冒険を求めて。

 

 

 ……というのがロキさんの話だった。正直、色々と密度が高すぎで整理しきれていない。だが彼女が求めているのは何となく察することはできた。

 

「その……つまりロキさん、いやロキ様は、私に眷属になってほしい、と?」

「せやせや。いやぁ、うちは最近下界に降りてきたばっかりでな? 色々と美男美女を勧誘してみたんやけど全く成果が出えへんから参ってたんやわ。で、昨日ようやくジブンを拾ったわけなんやけど」

「……ええ、と」

 

 美男美女云々は置いといて、私が冒険者になるというのは、大丈夫なのだろうか。

 

 念のため壁に飾られた鏡で自分の容姿を見てみるが、お世辞にも強そうには見えない。むしろ栄養が碌に生き届いておらず痩せこけた手足は、少し力を入れれば容易く手折れそうな印象だ。

 

 そんな私が、危険な仕事をこなすことになる冒険者などになれるのだろうか……?

 

(……いや、まずはやってみよう。できなかったら、ロキ様に相談かな)

 

 やる前から諦めるわけにはいかないと、私は心の中で強くかぶりを振るう。今は、彼女への恩返しを最優先に考えねば。どうせ朽ちるはずだった命だ。可能な限りの事はやってみようと決心する。

 

「その……こんな私でよければ、よろしくお願いします」

「っしゃおらぁッ!! 初の眷属ゲットやぁぁぁ!!」

 

 ピョンピョンと、自身を超越存在(デウスデア)と称したにも関わらず子供のようにはしゃぐロキ様。神様の威厳の欠片も無いのだが、それ程嬉しかったのか。

 

「じゃあ早速神の恩恵(ファルナ)刻むから脱いでもらってええか?」

「へ?」

 

 いきなり脱げと言われてしまった。

 

 同性とはいえ遠慮という者は存在する。会ってまだ一日経っていないであろう女性に突然脱げと言われて脱ぐ奴は居るだろうか? 居たら是非ともその者には「変態」のレッテルを張ってほしい。

 

「いや、別に変な意味で言ったわけじゃあらへんよ? 単純に神の恩恵(ファルナ)与えるには生身の背中に刻む必要があってな……」

「わっ、わかりました……」

 

 抵抗はあるが、必要ならば仕方ない。私は言われた通り上着を脱いで――――というか、着ていた服はワンピースの様な上下一体型だったので、必然的に全裸となってしまう。

 

 羞恥心を堪えながら脱いだ服で前を隠して、ロキ様に背中を向けた。そして腰まで届く長い銀髪を肩から前に流して、その背中を露わにする。

 

「フヒヒッ、あーたまらんわぁ……そんじゃあ、記念すべき初神の恩恵(ファルナ)、行くで~!」

「ッ……」

 

 ロキ様は自分の人差し指の腹に針を刺して血を浮かび上がらせ、私の背中、首の根元辺りにその指を触れさせた。そしてまるで絵でも描く様に指を走らせ始める

 

 妙に手つきが艶やかなのは気のせいだろうか。

 

 度々走る鳥肌を堪えて凡そ数分、ようやく完了したのかロキ様はやっとその指を止めた。それと同時に溜まりに溜まった息を吐く。しかし中々言葉を発さないロキ様が気になり、ふとチラリと背後を見るが――――

 

 

「……………なんや、これ」

「え……?」

 

 

 先程と打って変わって、震えた声を漏らす彼女が居た。

 

 ゾクリと、酷い悪寒が身体を包む。そんな私の様子に気付いたのかロキ様はあたふたと顔を取り繕い、いつもの笑顔を作り上げた。

 

「あー、大丈夫や大丈夫や。ちょっとジブンの【ステイタス】にビックリしただけやから」

「そ、そう、ですか」

「はい、これ【ステイタス】な。……まさか肝心の名前が書かれていないってどういうことや……」

 

 ロキ様は素早く背中に浮かんだ光る文字を消すと、予め用意していた羊皮紙に羽ペンを走らせた。曰く、【ステイタス】は普通なら下界の者達が用いることは無い【神聖文字(ヒエログリフ)】で書かれており、専門的な知識を持つ者以外では解読不可能らしい。

 

 故にその【神聖文字(ヒエログリフ)】を普段から用いている神々によって共通語(コイネー)に翻訳されるのだという。

 

 翻訳作業が終わり、私は渡された羊皮紙を見る。だが私には、紙を見る以前に大きな問題を抱えていた。それは――――

 

 

「……すみません、ロキ様。私、文字が読めないんですけど……」

「…………おうふ」

 

 

 どうやら前途は多難らしい。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

「あー疲れたわぁ~……」

 

 身体を椅子の上に放りながら、ロキはぐぐーっと背伸びをする。長々と机の上にしがみついていたおかげで身体は節々が凝り固まっており、証拠として背伸びをすればミシミシと骨が軋む音がする。

 

「まさかファミリア結成後にやることが文字の教鞭とはなぁ……人、いや神生何があるかわからんわ、ホンマ」

 

 ロキは頬杖を突きながら、隣のベッドですうすうと眠っている己の初めての眷属を眺める。

 

 普段の姿もとても可愛いが、寝顔は更に可愛い。思わずムフフという気持ち悪い笑みが漏れるロキであったが、自身の記憶の中にある彼女の【ステイタス】の内容を思い返した瞬間複雑な顔に歪められた。

 

「……まさか名前がない上に()()()()だなんて思いもしなかったわ」

 

 名称不明(ノーネーム)

 Lv.1

 力:I0

 耐久:I0

 器用:I0

 敏捷:I0

 魔力:I0

 《魔法》

 【■■■■■】

 ・現在使用不可

 【フィシ・ストイケイオン】

 ・付与魔法(エンチャント)

 ・速攻魔法

 ・地、水、火、風属性から選択可能

 ・■■■■■■

 ・詠唱式【地よ、震え上がれ(エダフォス)】【水よ、噴き上がれ(プリミラ)】【炎よ、燃え上がれ(プロクス)】【風よ、舞い上がれ(フルトゥーナ)

 【】

 《スキル》

 【■■■■■■】

 ・生きている限り試練が訪れ続ける

 ・窮地時に全能力の超高域強化

 ・獲得経験値(エクセリア)の大幅増加

 ・諦観しない限り効果持続

 ・自分と周囲が希望を抱くほど効果向上

 【■■■■】

 ・解読不能

 【■■■■】

 ・解読不能

 

 以上が、彼女の【ステイタス】の内容だ。ロキ自身初めてのことだったので自分の方に不備があったのでは、と疑ったが地上に降りた超越存在(デウスデア)神の恩恵(ファルナ)に関する能力は例外なくほぼ均一だ。

 

 故に自身に異常はなく、あるとすれば目の前の少女だとロキは結論付ける。

 

(外見はただのヒューマンなのに魔法スロットが三つ。そして二つは発現済み。更にレアスキルらしきモノが三つ……明らかに異常やろ。それになんやこのスキル……!?)

 

 スキルの中で唯一解読できたものの内容は決して普通のソレではなかった。

 

 窮地時における全能力の強化や取得する【経験値(エクセリア)】――対モンスター戦闘や対人戦闘で得られる【ステイタス】成長のための糧の事――の増加などの効果も卒倒ものではあるが、一番異質だと感じ取れる”生きている限り試練が訪れ続ける”という内容。

 

 思わずロキの顔が渋くなるようなそれは完全に異常としか言えないスキルだ。なにせ本人の『運命』に干渉しているようなものなのだから。

 

 それが少女が元々持っていた因果なのか、それとも『神の血(イコル)』によって表面化したのかは不明だが……どちらにせよロキのやれることは一つだ。

 

「ちゃんと見守らなあかんな……」

 

 寝ている少女の頭を撫でながら、ロキは小さく呟いた。己が子を見守る親の様に。

 

 

 

 

 




遠慮なくチートスキルをつけていくスタイル。いろんな試練が飛び込んでくる予定だからね、仕方ないね(諸行無常)。

魔法名やスキル名は公開すると確実に正体バレそう(てか絶対バレる)だから伏せた。後悔はしていない。

ぶっちゃけあと10話以内で勘のいい人はなんとなく察しそうだけど、一応警告しておくと感想欄とかで「この子って○○ですか?」とか言うのマジ勘弁な!投稿者との約束だぞ!!


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第二話:初めてのダンジョン

 今日のオラリオは快晴。いつも通り変わらない日差しが巨大な迷宮都市を照らしている。まだ朝だというのにそこら中は多くの人々で賑わっており、世界で最も盛り上がりを見せている街という噂は伊達では無いようだ。

 

 そんなオラリオでもバベルへと続く大通りをそわそわしながら歩いている少女が一人。

 

 まあ、私の事なのだが。

 

「広いなぁ……」

 

 私はそんな声を零しながらそこら中の建物や露店を不思議そうに見まわす。記憶喪失というのは実に難儀なことだが、全てが新鮮に感じ取れるこの感覚は悪くないと思った。

 

 道中、露店から漂う美味そうな匂いに釣られかけるが、何とかこの誘惑を振り払った。

 

 食い物もタダではないし、何より時間が勿体ない。私は足早に露店の前を過ぎ去る。

 

 ふと、視界の端に細長い何かが目に入り、空を見上げればソレは見えた。オラリオ中心地で空高くそびえ立っている石造りの塔――――バベル。

 

 バベル。迷宮の真上に建っている五十階建ての巨塔。

 

 雲を突き破るのではないかという迫力を持つその建物はオラリオでも随一の迫力を誇っている。オラリオのどの場所にいても少し視線をあげればあの塔は姿を現すだろう。アレを作った者は大層な奇人に違いない。

 

 ハッ、と呆然としていた自分に気づき、雑念を払うように首を横に振りながら、私は止まっていた足を再度動かし始める。

 

 今私が向かっているのはギルドと呼ばれる組織の本部だ。ギルドが行うのは主に冒険者および迷宮の管理、魔石の売買等々。どちらもオラリオでは重要な役目であり、故にそれらを厳密に管理するギルドはオラリオにはなくてはならない存在だった。無論、黒い噂が無いわけでは無いが。

 

 が、それについては今の私には微塵も関係のないことだ。今私がやるべきことは自分を冒険者として登録することと、早くお金を稼いで私の所属するファミリア――――【ロキ・ファミリア】を立派な探索系ファミリアに育て上げる下地を作り上げること。ギルドの白黒など気にしても仕方のないことである。

 

 歩くこと十数分。オラリオでも滅多に見ることのない、神殿のような巨大な建物を眺めながら正面の大扉をくぐると、早朝にも関わらず沢山の冒険者の姿が見えた。朝でこれ程の数とは、人々が活発に動き始める昼になったらどれくらい混迷とするのだろうかと想像しながら、私は近くの順番待ちの列に並んだ。

 

 そして周りが自分を奇怪な視線で見ていることに気付く。まあ、仕方がない。明らかに十二、三歳の、一四〇C(セルチ)くらいしか無い背丈の女の子がこんな場所に現れたのだ。まず迷子か何かと疑うだろう。とても今から冒険者になる者とは思うまい。私もきっとそう思う。

 

 少々肩身の狭い思いをしながら十分ほどで私の番が来た。緊張をできるだけ押さえながら、私はほっそりと尖った耳に住んだ緑玉色の瞳、セミロングの薄緑色の髪を持ったエルフらしき受付嬢の前へと出る。

 

「ギルドへようこそ。要件は……って、え?」

 

 エルフの受付嬢さんがニッコリと綺麗な営業スマイルを浮かべていたが、私の姿をみるや呆けた顔に変わってしまう。ある意味順当な反応か。

 

「あ、あの……迷子になったのかな? お父さんとお母さんは何処にいるかわかる?」

「いえ、その……冒険者登録に、来ました」

 

 それを言うと、受付嬢さんは黙りこくってしまった。そして次の瞬間、真剣な表情を浮かべて私の両肩を掴んでくる。

 

 えっ、なに。

 

「ねぇ、もしかして誰かから強要されたの? 大丈夫、お姉さんに言ってくれれば力になるから!」

「い、いや、違います。ちゃんと登録しに来たんです!」

 

 いきなり身体を触られたせいで少々テンパりながらも私は興奮し始めた受付嬢さんを宥めるべくハッキリと言い返した。それを聞いて受付嬢さんは非常に複雑そうな顔で唸り始め、やがて私へと問う。

 

「もしかして、商業系とか制作系のファミリアだったり?」

「いえ、主神からはバリバリの探索系を目指す、と」

「……今すぐその神様を連れて来てくれないかしら? ちょっとシバくわ」

「ちょ、待って! 落ち着いて!」

 

 額に青筋を浮かべた受付嬢さんは今にも全てをぶち壊しながらロキ様へと突撃しに行きそうだった。何でそんなに興奮してるんですか。

 

「これが落ち着けるもんですか! こんな小さな子にモンスターと戦わせるなんて、きっと凄く悪どい神に違いないわ! 叩けば埃なんてジャンジャン出てくる系の!」

「違いますから! ちゃんと合意の上ですからぁぁぁぁ!?」

 

 確かに第三者から見れば己の利益のために少女に肉体労働を強いるという吐き気を催す絵面ではあるが、ちゃんと本人の合意有りの契約だ。私だって滅茶苦茶危険だと判断したならばすぐに手を引いて、何か別の仕事で彼女への恩返しにするつもりだ。死にに行くつもりは一切無い

 

 そう言う事をできるだけ丁寧に教えると、受付嬢さんはようやく怒りを鞘に納めた。何で登録する前からこんな困難が訪れるのか。

 

「……なるほど。最初に少しだけ試して、無理だったら別の方法でお金を稼ぐ、と」

「はい。ちゃんと主神と話して決めたことなので、心配には及びません。……そろそろ登録してもいいですか?」

「んー……わかりました。では必要事項をご記入ください」

 

 ようやく渡された用紙に私は備え付けの羽ペンを走らせた。三日四日かけてどうにか習得しきった共通語(コイネー)を一文字ずつ確認しながら丁寧に記入し、受付嬢に提出する。

 

 当り前だが、必要事項には名前や年齢もある。年齢については適当に決めればいいが、未だ本名不明な私がどうやって名前記入を乗り切ったかというと、単純に偽名を使うという選択肢だった。いや、仮称と言った方がいいか。

 ともかく「不便だから」とロキ様によって私は仮の名を付けられた。

 

 その名は――――

 

「はい。え~……アイリス・アルギュロス氏、十三歳、ヒューマン、女性ですね。所属ファミリアは【ロキ・ファミリア】……聞いたこと無いわね」

「あ、はい。私が初めての眷属なので」

「むぅぅ……十三歳の少女以外一人も眷属が居ない零細ファミリアなんて……ちゃんとサポートしないと大惨事じゃない……!」

 

 ブツブツと何やら怨念じみた何かを纏いながらつぶやく受付嬢さん。何だろう、早くこの場を離れたい気分で一杯になってくる。この人怖いよ。

 

「こほん、わかりました。ではこの後簡単な講習を受けてもらいますが、お時間はよろしいでしょうか?」

「はい、問題ありません」

「では早速此方へ。……誰かー! 交代お願いできる?」

「んあ? あーはいはい、わかりましたよ~」

 

 受付嬢さんは近くに居た者と席を後退しながら、私を連れて別室へと移った。

 

 そして目の前に広げられる数枚の羊皮紙。中身はダンジョンについての簡単なテストと言ったものだ。いずれも冒険者を志すならほぼ常識レベルの問題ばかりである。

 

「それじゃあ、時間内にこの問題を解いてね? 採点後、今の貴方が迷宮に挑んでも大丈夫かをチェックします。……まさか前知識なし、とか言わないよね?」

「はっ、はい! 頑張ります!」

「よろしい。では、始め!」

 

 ダンジョンに挑むつもりが何故か筆記試験が始まった。

 

 どうしてこうなったと心の中で呟きながら、私は鋭く目を光らせている受付嬢さんに見守られながら羽ペンを動かす。

 

 人生、そう上手くは行かないらしい。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

「むう。八割正解……上層についての知識は大丈夫みたいね」

「あはは……ふぅ」

 

 迷宮について事前に図書館などで調べていたのが幸いして、筆記試験は問題無くクリアできた。受付嬢さんとしては知識が不足していれば問答無用で特別教室を開催する予定だっただろうか、幸か不幸かそれが開かれることは無かった。

 

「それじゃあ、次は装備の準備ね。一応聞くけど、持参品とかは?」

「ありません。宿代だけで割と貯蓄がカツカツらしく……」

「う~ん……じゃあ借金することになるけど、ギルドから支給品として安価な装備を提供することになるわ。何か希望はある?」

「では、剣でお願いします」

 

 受付嬢さんに希望を伝えると、数分後彼女は少し小さめの、しかし私からすれば十分すぎる程の大きさのブロードソードを持ってきてくれた。

 

 こちらに渡されるソレを握って軽く持ちあげる。刃渡りは大凡六〇C。素人目に見ても決して良い武装とは言えないが……うん、これがいいな。

 

「えっと、お値段は」

「三五〇〇ヴァリスよ」

「高っ……」

 

 見てくれは安っぽいのに意外と値が張る。実は隠れた名剣とかだったり……。

 

「ごめんね? ギルドの上の人がちょっと金にがめつくて……早く死なないかなあのクソデブエルフ……」

「あ、あはは……」

 

 やはり見た目通りの品質らしい。受付嬢さんの殺意を纏った姿を見てそう直感した。おかしいな、ギルドの人は全員恩恵無しだと聞いたのに、バベル入り口付近で見た冒険者より彼女の方がよっぽど恐ろしく感じてしまう。

 

 色々あって、ようやくバベルにあるダンジョン入り口までたどり着いた。さて、これでやっと探索開始だ。

 

「いい? 危なくなったらすぐに逃げるんだよ? 死んだら元も子もないんだから」

「わっ、わかりました!」

 

 わざわざついて来てくれた受付嬢さんからのありがたい言葉を貰いながら、私はダンジョンへ続く緩やかな巨大螺旋階段をゆっくりと下る。

 

 そうして辿り着く薄青色の壁で構築された洞窟。冒険者なら誰もが一度は潜る1階層である。

 

 初めて見る天然洞窟にドギマギしながら歩くこと十分ほど。その頃に私はようやく初めてのモンスターと遭遇した。知識と照らし合わせれば、見つけたのはゴブリン。それが数匹程群れている。

 

「すぅぅぅ……はぁぁぁ……」

 

 小さく深呼吸して、高鳴りそうな心臓の鼓動を抑えつける。興奮するな。落ち着け。私はやれる。そんな無数の自己暗示を何度も頭の中で反響させつつ、背中に背負ったブロードソードを抜剣。柄を両手で握りしめながら、身を低くして突撃の態勢に入る。

 

 その態勢で数秒だけ固まり――――弾けるように、私はゴブリンの群れへと雄たけびを上げながら突撃した。

 

「はぁぁぁぁぁぁぁっ――――!!」

 

 完全な奇襲にゴブリンたちは対応できず、私と一番近い距離に居たゴブリンの喉がブロードソードによって切り裂かれる。まずは一匹。

 

「グギャッ!?」

「ガガギャッ!」

 

 残りの二匹がようやく自分たちが襲われていることを覚ったのか不気味な声を上げた。だが遅い。私は既に二匹目への攻撃に入っている。

 

 大きく踏み込んでの素早い突き。二匹目のゴブリンへと繰り出される一撃は容赦なく喉へと突き刺さり、勢い余って反対側まで刃が貫通した。これで二匹目のゴブリンは声を上げることもできずに絶命する。

 

 が、攻撃後の隙を突いて三匹目のゴブリンが私へと襲い掛かろうとする。武器はゴブリンの肉体に突き刺さったまま。私は歯噛みしながら剣から手を放しゴブリンの攻撃を回避。そして間髪を容れずにその小さな体を全力で蹴り飛ばした。

 

 遠くに吹き飛ぶゴブリンを尻目に、死体に突き刺さったままのブロードソードを力任せに強引に抜いて――――それを思いっきり遠くで転がっているゴブリンへと投擲した。

 

 狙った結果か偶然か、投げつけられた剣は正確にゴブリンの眉間へと突き刺さる。間違いなく致命傷だ。

 

 先程まで音に満ちていた空間が静寂へと変わる。念のため周囲に別のモンスターがいないかを確認し、安全であると理解した私は胸に張り詰めていたモノを息として吐いた。

 

「……やった。やったんだ、私!」

 

 最弱のモンスターとはいえ、集団相手に勝利を収めた。これは幸先が良い。

 

 喜びのままにゴブリン達からブロードソードを使って魔石を剥ぎ取り、袋に収めていく。予想外に順調すぎて小躍りしたくなる気持ちが出てくる。

 

 が、此処はどんな危険が訪れるかわからないダンジョン。そうしたくなる気持ちを抑えながら、私は奥の空間へと目を向ける。更なる道が眠るダンジョンの奥へ。

 

「よーし、頑張るぞー!」

 

 私の冒険は、まだ始まったばっかりだ。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 ロキ。かつて天界のトリックスターと呼ばれて畏れられ、数々の神々を煽って争わせた、天界における友達にしたくない神の五指に入るだろう悪戯好きの神は地上で何をしているのか気になる神々は多い。

 

 何せ天界でも散々好き勝手暴れ回った神の事だ、地上に降りても碌でもないことをやろうとしているに違いないと誰もが思っている。大多数の神がそんなことを戦々恐々と思っている中、その当事者は――――

 

「うーっし、皿洗い終わりっと。……なーんでうちがこんな事やらなあかんのや……」

 

 世話になっている宿の厨房で皿洗いをしていた。

 

 かつて天界のトリックスターと恐れられた神が。

 

 皿洗いをしていた。

 

 例え神であろうと超越存在(デウスデア)としての能力をほとんど封じている今の状態では飲食や睡眠が必要不可欠となっている。そのためには勿論金が必要だ。

 

 だがなにもしないで金が手に入るほど世の中は甘くない。人であろうと神であろうと別口で収入源が無ければ己の肉体で銭を稼ぐしかないのだ。

 

 ようやく眷属が作れたといっても、まだ一人目。そしてダンジョンに潜るのは今日が初日である。持ち合わせている貯蓄など微々たるものであり、宿が不要になるのはかなり先の話になるだろう。

 

 もし彼女を古くから知っている神がこんな光景を見れば爆笑必死だ。何処の世界に宿屋で皿を洗って日銭を稼いでいる神がいるのだ。

 

 此処にいた。

 

「うーん、アイリスたん遅いなぁ……」

 

 エプロンを脱いで洗濯籠に放りながらロキは小さくぼやく。考えているのは数日前ようやく作ることができた初めての眷属の安否。

 

 確か今日初めてダンジョンに潜る予定だったはず。軽く様子見程度にしておくと言っていたが、やはり心配なものは心配だ。もしかしたら迷ったのかもしれない、もしかしたら大怪我を、いや最悪死――――と、初めての子供についつい過保護になってしまうロキ。数千年前の彼女が今の彼女を見れば「誰だこいつ」としか言えない様だ。

 

「いやいや、ちゃんと信じなあかんな。大丈夫、うちはアイリスたんを信じるで!」

 

 己の中で渦巻く不安を無理矢理振り落としながら、ガッツポーズをしながら宿屋前の小さなベンチに腰掛けるロキ。口ではそう言っても行動がコレなあたり、心配性は暫く消えそうにない。

 

 待つ。待つ。待つ。

 

 待つこと一時間、オラリオで上空で輝く夕日が沈み始めた頃にはロキの右足は高速で貧乏ゆすりを行っていた。もし顔に不機嫌メーターが浮き出ているなら負の方向に振り切れているだろうほどにイライラしている。

 

「あーはよはよはよはよ……! 気になって夜も眠れへんわもう……!」

 

 呪詛の様にブツブツと呟くロキの醜態は、一つの人影が見えてきたことで終わりを告げる。

 

 視界の端で捉えたのは流水の様に流れている長い銀髪に少女らしさ抜群の童顔。全体的にほっそりとしたシルエット。直感的に自分の待っていた人物だと確信したロキの行動は早かった。

 

 

「おっかえりぃぃぃぃぃいいいい~~~~!!」

「わわわっ!?」

 

 

 全力疾走からの両手を突き出して件の人影に飛びつくロキ。飛びつかれた少女――――アイリスは驚きながらもどうにかロキを抱きとめる。

 

「ロ、ロキ様? どうしたんですかいきなり飛びついて?」

「そら可愛い可愛い子供の帰りやからな! くぅーっ、アイリスたんのモチモチ肌最高やぁ~! グヘヘヘヘ」

「も、もう、公共の場でやめてくださいよぉ……!」

 

 ニヘラと笑うロキにアイリスは苦笑を浮かべつつ、二人は既におなじみとなった宿屋の個室へと移動する。

 

 それからアイリスは血だらけになりボロボロになった服を洗濯籠に入れて、体に付いた血を備え付けのシャワーで洗い流した。モンスターは魔石を抜かれると例外なく灰化してしまうが、灰化する前に体から分離した血液などはそのままになる。が、肉片は残らず灰化するのだから実に不思議だ。

 

 そうして簡単に体を流し終えて、アイリスは上着を着ないまま寝室に戻って待機していたロキへと背を向けて椅子に腰かけた。

 

 念願の、【ステイタス】初更新の時間である。

 

「で、今日は何処まで行ったんや? 様子見とか言っておったし、やっぱ2階層くらい?」

「えっと、3階層ですね。まあ、ちょっと見て帰ってきただけですけど」

「3階層! ほえぇ~、意外といけるもんなんやな」

「その……実はアドバイサーの方にそれを言ったら怒られてしまって……。『武器も防具も整えて無い内に深入りしない!』って」

「ま、そらそうやな。どれだけ【ステイタス】が高くても、装備が弱かったら話にならんし。……ほいっと」

 

 二回目だからか慣れた手つきでロキがアイリスの背の紋様(エンブレム)から朱色の【神聖文字(ヒエログリフ)】を浮かべ上がらせる。

 その状態で神血(イコル)をもう一滴背中に染みこませると波紋が生じ、綴られていた【神聖文字(ヒエログリフ)】が薄まり、新しい文字が描かれていく。俗に言う【ステイタス】の更新だ。

 

 神の恩恵(ファルナ)を刻まれた眷属たちは【経験値(エクセリア)】と呼ばれるものを魂に貯蓄し、神の手によってそれは抽出される。そして抽出された【経験値(エクセリア)】は眷属たちの力の礎へと変換されていくのだ。

 

 勿論ながら【経験値(エクセリア)】はそう簡単に溜まる物では無い。自己鍛錬でも多少は溜まるが、やはり迷宮に住むモンスターか手強い実力者などの類と戦闘を行わなければ基本的に生じないものだ。更に言えば、同格か格上のモンスターとの戦闘で無ければ碌に貯まらない。

 

 格下との戦闘で簡単に貯蓄されるのならば、今頃オラリオは強力な冒険者であふれかえっている。

 

「――――ほわぁっ!?」

「?」

 

 【ステイタス】の更新が終了した瞬間ロキは奇声を上げた。その様子に驚いたアイリスがピクリと肩を震わして振り向こうとするが、ロキは反射的に手を突きつけて待ったをかける。

 

 そして数回深呼吸をした後、無言で羊皮紙に更新分の【ステイタス】の概要を記していった。その内容は――――

 

 

 アイリス・アルギュロス

 Lv.1

 力:I0→I68

 耐久:I0→I22

 器用:I0→I45

 敏捷:I0→I81

 魔力:I0

 《魔法》

 【フィシ・ストイケイオン】

 ・付与魔法(エンチャント)

 ・速攻魔法

 ・地、水、火、風属性から選択可能

 ・詠唱式【地よ、震え上がれ(エダフォス)】【水よ、噴き上がれ(プリミラ)】【炎よ、燃え上がれ(プロクス)】【風よ、舞い上がれ(フルトゥーナ)

 【】

 【】

 《スキル》

 【】

 

 

「へぇ~……意外と伸びるものなんですね、【ステイタス】って」

「そ、そやな……レベルとかアビリティの熟練度が低いうちは上がりやすいから、そんなもんやろ」

 

 ロキ、渾身の誤魔化しが炸裂した。

 

 確かに【経験値(エクセリア)】が溜まれば溜まるほど【ステイタス】は大きく成長する。だが【経験値(エクセリア)】とはそんな簡単に、そして大量に獲得できる代物では無いのだ。

 

 少なくとも一階層と二階層を半日弱程度だけ潜って得た【経験値(エクセリア)】でこんな爆発的な成長はあり得ないと、潤沢な前知識を保有するロキは断言できた。初めての眷属といえど知識とここまで齟齬があればやはり異常性は認知できるものである。

 

 当初、スキルの事をアイリスに告げようとしたのだが、すぐにロキはそれが悪手だと気づいた。

 

 巧妙な嘘で誤魔化すにはアイリスはまだ幼すぎる上に純粋過ぎるし、あり得ないとは思うが万が一このスキルの詳細を知って慢心しかねないと思い、もうしばらくは黙っていようとロキは判断したのだ。

 

(あかん……スキルの効果完全に舐めとった。このペースならランクアップもそう遠くないでコレ……)

「あ、そう言えば魔法あるのすっかり忘れてました。早めに練習して勘を掴んでおかないとな……」

「そか。ま、無理のない範囲で頑張ってや。焦らずにゆーっくりでええんやで?」

「はい!」

 

 できれば二年くらいかけてゆっくりとランクアップへの道を進んでくれと願うロキであった。勿論自身の眷属が着実に強くなってくれる分には文句は欠片たりともないのだが、そのペースが問題なのだ。

 

 現在打ち立てられているLv.1からLv.2への世界記録(ワールドレコード)はおおよそ二年前後だ。これは最長記録ではなく、最短記録である。

 

 普通ならば年単位の時間をかけてようやく達成される偉業(ランクアップ)。それがもし大幅に更新されたらどうなるのか。当然、話題を集める。

 

 そして娯楽に飢えた神々がソレを聞き逃すはずもなく、確実に何らかの干渉が起こり始める。最悪ファミリア同士による抗争――――戦争遊戯(ウォーゲーム)による引き抜きもありうる。それだけは絶対に避けなければならない。

 

 故に短くとも二年間はLv.1のままじっくりと育ってほしいというのがロキの本音であった。何せ初めて出来た眷属なのだ。どんなことがあっても手放さないし、奪おうものならあの手この手で肉体的社会的問わず全力でぶち殺しにいく腹積もりだ。

 

(まぁ、いっそ世界記録(ワールドレコード)ぶっちぎって一気に最強! って道もあるけど……ま、今は堅実が一番やな)

 

 昔の自分ならともかく、今は分の悪い賭けはしないべきだとロキは結論付けた。

 

 彼女は、アイリスは自身の手にある唯一の財産にして宝物なのだ。どんなことがあっても守り通すという覚悟だけが彼女の中で満ちている。

 

「ま、それはそうとアイリスたん! 今日の稼ぎはいくらや?」

「えーと、大体五〇〇ヴァリス弱、ですね……」

 

 一言で言えばショボかった。Lv.1の冒険者の一日の平均収入は大体四〇〇〇から五〇〇〇程。初めてのダンジョン探索とはいえ、平均の一〇分の一は流石に低すぎるとアイリスはうなだれる。

 

 だがロキは対照的に戦慄していた。

 

 なぜならば――――たった五〇〇ヴァリスしか稼げないような戦いで、あそこまでの成長を見せたのだ。単純計算しても恐らく並の冒険者の数倍以上の成長率に、ロキは震えあがらざるを得なかった。

 

(……真面目に最強一直線ルートを視野に入れてもええかもしれんな)

 

 そこまで考えてロキはブンブンと首を振って落ち込んでいる眷属の肩を叩く。そんなことを考えるのは後でいい、今優先すべきは目の前で落ち込んでいる家族の方なのだから。

 

「ええやん! 初めてにしてはようやったと思うで! 次は目指せ五〇〇〇ヴァリス! さっきも言ったやん、少しずつでええ。焦って転ぶほうが、うちにとっては悲しいことなんやから」

「……ありがとうございます、ロキ様」

「よーっし、まだまだ【ロキ・ファミリア】は始まったばっかりや。油断せずに気合入れて明日も頑張るでー!」

「おー!」

 

 右手を挙げながら、二人は着実に長い長い道を登り始める。

 

 いずれ最強と呼ばれるまでの、長く険しい道を。

 

 

 

 

 




誤字や致命的な設定違いがあったら遠慮なく申し付けてください。


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第三話:悪意は唐突に

 剣を振るう。その度にざらついた茶色の皮膚や緑色の皮膚が切り裂かれ、鮮血が舞う。

 

「はぁぁぁっ!」

『グゴァ!?』

『ッギギャ!?』

 

 幅の狭い各通路と連結した、規則正しい正方形構造を持つ広々としたフロア。壁際に追い込まれて窮地に陥らないように細心の注意を払いながら、私は一瞬の隙を見極めて手に持ったブロードソードを振るい、トカゲ型モンスターであるダンジョン・リザードごとゴブリンを両断する。

 

 昨日までは肉を少し深く切り裂くので精一杯だったというのに、更新された【ステイタス】のおかげか昨日の出来事がまるで夢だったかのように軽々と断ち切れるモンスターの肉体。思わず感嘆の声が漏れる程その差は大きかった。

 

 だが油断はしない。堅実に数を減らし続けていると言っても、相手はまだ五匹以上残っている。

 

 まさか移動しながら戦っていたら、移動先で不幸にもモンスターの孵化が起こっていたとは予想外の出来事だった。おかげで現在行き止まりの空間の中でモンスターを大量に相手取ることになってしまっている。

 

 が、そのどれもが低級のモンスター。数は多いが、油断さえしなければ問題はない。

 

「……魔法、試してみよう」

 

 昨日はすっかりその存在を忘却していたが、私は珍しくも神の恩恵(ファルナ)を与えられた時から魔法が発現していたらしい。魔法に精通している種族であるエルフならいざ知らず、ヒューマンでこれはかなり珍しいことらしい。

 

 とにもかくにも、折角魔法が使えるのだから一度は試すべきだ。そう思いながら、私は息を吸って頭の中にある詠唱を口にする。

 

「――――【炎よ、燃え上がれ(プロクス)】!」

 

 超短文詠唱を引き金に、私の中から炎が巻き上がった。

 

 視界を焼くと錯覚しかける高熱が私の全身に纏わりつく。しかし不思議と熱いとは思わないし、直視しても眩しいと思うことは無かった。だがモンスターたちは違うようで、全ての個体が炎を恐れるように後ずさりをしている。

 

 どうやらこの魔法で起こる現象は、術者には影響を及ぼさないようだ。実に便利である。

 

「行くぞ!」

 

 自分の体を炎が包んだことで少しだけ動揺してしまったが、自身にだけ悪影響がないならば話は早い。私は勇ましく笑みを浮かべると、早速モンスターの群れへと一歩踏み出した。

 

 ――――瞬間、予想外の加速。

 

 突然の出来事に驚きながらも、私は強引に体勢を整えながらすれ違いざまにゴブリンを一閃。その胴体が両腕ごと()()()()()()()()()()真っ二つになった。

 

(凄い……!)

 

 両脚で加速の勢いを殺しつつ、再度詠唱。

 

「――――【風よ、舞い上がれ(フルトゥーナ)】!」

 

 身体を包む炎が消え、代わりに目に見えるほどの大気の流れが生まれ始めた。そして試すように私は剣に風を集中的に纏わせ、力いっぱいに横一文字に薙ぐ。

 

 次の瞬間、繰り出される巨大な()()()()がモンスターの群れを襲った。不可視の一撃が高速で迫り、モンスターたちは何が起こったのかもわからない呆けた表情のまま身体を両断され、絶命。

 

 五匹もいたモンスターの群れは、一分も経たずに全滅した。

 

「……わぁ」

 

 それを確認した私は魔法を解除し、感動の声を上げる。先程までチマチマとやっていたのが馬鹿みたいな結果だ。私の思っている以上に、魔法というものは強力な武器だったのだ。

 

 ただし頼り過ぎるのはいけない。魔法は精神力(マインド)を消費して発動するのだが、それは体力と同じで有限だ。使い過ぎれば枯渇し、精神疲弊(マインドダウン)と呼ばれる現象が起こってほぼ確実に気絶する。

 

 ダンジョンの中でそんなことが起こればどうなるのか? ――――余程運が良くなければ、待っているのは確実な死以外あり得ないだろう。

 

 故に乱用するのは控えるべし、と私は浮かれている自分を戒めた。拾ってくれた主神(ロキ)様への恩を返す前に、そんな下らない理由で死ぬつもりはさらさらないのだから。

 

「よしっ、今日は5階層まで潜ってみよう」

 

 全滅させた魔物から魔石を回収し終えて、軽いストレッチを済ませた私はそう呟いた。

 

 現在私の居る階層は4階層だ。主に駆け出しはある程度基本アビリティが成長するまで、ここで地道に経験を積む。それ以上潜るのならば二人か三人程のパーティを組むのが基本だ。

 

 何故5階層の探索はパーティが推奨されるのか。その理由は大きく分けて三つだ。

 

 まず出現するモンスターが変わってくる。カエル型のモンスターであるフロッグ・シューターは今までのモンスターと違いその長い舌を撃ち出すことで中距離攻撃を仕掛けてくる嫌らしいモンスターだ。ゴブリンやコボルトで慣れた冒険者たちがこぞって油断して一方的にやられるのはそう珍しい光景では無い。

 

 そして何よりも迷宮構造の複雑化。地図もなしにうろついた結果長時間迷い続け、疲弊した所をモンスターに襲われてそのまま――――なんて光景も珍しくない。

 

 最後に、モンスターの出現間隔が4階層までとは比べ物にならないほど短い。戦闘が終わったかと思ったら背後の壁からモンスターが生まれてそのまま奇襲されて全滅するなんてことも十分ありうる。

 

 だからこそギルドは普段から集団での探索を推奨している。そもそも迷宮単独探索(ソロ・プレイ)なんてダンジョンを熟知している者からすれば論外なスタイルなのだ。

 何が起こるかわからない場所で、できることが限られている単身で挑むなど。

 

 が、今の【ロキ・ファミリア】は私以外眷属が居ない零細ファミリアである。主神も下界に降り立ってまだ一週間弱なせいで他のファミリアとの伝手も存在せず、他に共に潜ってくれる者を確保できない状況なのだ。

 

 だからこうして限られた人員で最大限の成果を上げられるように努力するしかない。

 

 死なない様に細心の注意を払いながら、着実に少しずつ。

 

 周囲を警戒しながら進むこと一時間、私はようやく5階層にたどり着いた。証拠として外観が薄緑色の壁面に変わり、空気も何処か様変わりしたように感じた。

 

 少し進めば、早速モンスターと遭遇(エンカウント)。見えたのはゴブリンやコボルト、フロッグ・シューターの群れだった。数は全て数えて十体。駆け出しのソロならまず撤退し、パーティでも十全な状況で無ければ撤退を選ぶだろう規模だ。

 

 だが私はその真逆の選択をした。

 

「――――【地よ、震え上がれ(エダフォス)】!」

 

 魔法の詠唱を唱え終えると同時に私はモンスターの群れへと駆ける。体に纏うは魔力で生成された岩石の浮遊装甲。私の襲撃に気付いたフロッグ・シューターがすぐさまこちらへとその長い舌を撃ち出すが、私の周りで浮いている岩石がそれを防いだ。

 

 攻撃を防いだことを確認しながら私は跳躍し、群れの中心部分の地面へと両手に持ったブロードソードを思いっきり叩き付けた。すると突然岩盤が盛り上がり、岩石で出来た巨大な棘がモンスターの群れを襲う。

 

『ィイア!?』

『グギャア!?』

「――――【水よ、噴き上がれ(プリミラ)】!」

 

 私の周りで浮いていた岩石が崩れ落ち、それを補うが如く水の塊が幾つも生み出された。それを私は手に持った剣に纏わせると、全力で地面へと突き出す。

 

 剣が地面に刺さると同時に剣に纏わりついていた水が地面へと伝播し、水圧の刃が形成されて周囲のモンスターへ襲い掛かる。突然の急襲に未だ対応することもできないままのモンスターたちは哀れにも全員高圧の水刃に体を切り裂かれて、そのまま絶命した。

 

 5階層における初めての戦闘。間違いなく快勝だった。

 

「っ――――」

 

 だが気を抜く前に、周囲の壁からひび割れが発生し始めた。その小さな隙間から這い出てくるのは、ゴブリンなどのモンスターの腕や足。所謂モンスターの孵化である。

 

 初めて見る光景に息を呑みながら、私は剣を構え直した。

 

 今日はとことんこの階層で暴れさせてもらおう。

 

 

「はぁぁぁぁぁぁぁああああっ!!!」

 

 

 雄たけびを上げながら、私は剣を振るい続ける。己を救ってくれた神様への恩返しのために。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

「5階層ぉぉぉぉ~~~~~!?!?」

「ひぃぃぃぃぃっ!?」

 

 ギルドの中で怨念の籠った怒号と少女の怯えた悲鳴が同時に響き渡る。

 

 あの後数時間にわたり5階層の探索を続けた私は魔石入れの袋がパンパンになったのを期に、その日の探索を切り上げギルド本部へと凱旋した。そして昨日の数倍の稼ぎでルンルン気分になりながら、己の専属アドバイサーへと近況報告をしに行ったのだが――――この様である。

 

「昨日私言ったよねぇ? 危なくなったらすぐに逃げるって。死んだら元も子もないって。君は5階層がどれだけ危険な場所かわかっててそんな無茶をしたのかな?」

「い、いえ、別に危険じゃなかったし……まだ余裕があるから大丈夫かなと……」

「そうやって慢心する人から死んでいくの! いい? 今の貴方は武器は貧弱、防具も着けていないの。もし異常事態(イレギュラー)が発生して下層から危険なモンスターが上がってきて、攻撃をモロに受けたら死んじゃうんだよ? 怖くないの?」

「怖くない、訳じゃありませんけど……」

 

 言葉を濁しながら、わたしはたどたどしい調子で返答をしていく。

 

 確かに武器はギルド配給の最弱級。防具も稼ぎの問題で購入すらできない始末だ。だが私だって好きでこんな状態で居るわけじゃない。お金がないから装備もろくに買えず、人手が居ないから安全な方法を取ることが出来ないのだ。

 

 かと言って1、2階層では私の力を大きく持て余してしまうし、最弱級のモンスターをいくら殺したところで稼ぎは微々たるものである、ならば多少深く潜るのは仕方ないことなのでは――――と受付嬢さんに言った瞬間、とてもとてもいい笑顔を私へプレゼントしてくれた。

 

 ただし目は笑っていなかったが。

 

「ねぇ、アイリスちゃんって冒険者になってまだ二日目だよね?」

「え、あ、はい」

「普通そのくらいの冒険者は1階層か2階層で少しずつ経験を積み重ねるの。理由はわかるよね?」

「えっと、装備を整えるお金や冒険者としてのスキルを整えるためです……」

「そうなの。でもアイリスちゃんは何でか、装備も、スキルも整ってないまま5階層まで行ったの。これって普通は”とっても危険な事”なの。わかるよね?」

「アッハイ」

「……で、私の言いたい事はわかるかな?」

「暫くは4階層から下には潜らないようにします。ハイ」

「よろしい」

 

 般若の如きオーラを背から出しながら、とても優しい声で強迫を行う受付嬢さんはモンスターの群れより遥かに恐ろしく感じた。実際後ろで何やら騒いでいた冒険者たちは全員無言になっており、受付嬢の後ろを通るギルド職員も心なしか彼女の近くでは早足になっている。

 

 実はギルドの隠れた実力者とかだったりしないかな、この人。

 

「とにかく、ちゃんと装備を整えるまで5階層まで行くことは禁止します。言いつけを破ったら……ちょーっとだけ一緒に”お勉強”しましょうね?」

「は、はいぃ……!」

 

 その言葉を最後に恐怖の面談は終わった。モンスターと戦闘するより受付嬢さんを相手にする方がよっぽど怖いってどういうことなんだ。

 

 すっかり張り詰めた肩をほぐしながら、私はバベルの外に出てオラリオを赤く照らしている夕日を見上げる。

 

 朝早く潜ったにも関わらず、もうこんなに時間が経っているとは。ダンジョンに居ると時間間隔は麻痺しやすくて参ってしまう。早く帰らないとロキ様に心配されそうなので、私は今日の稼ぎを手にしながら帰路に着いた。

 

「…………?」

 

 そうして数分間歩いていると、何か違和感を感じる。いや、これは視線か?

 

 足を止めて振り返ったが、そこにあるのは変わらず大通りを歩いている人々の姿。こちらを見ている人は確認できる限り誰もいなかった。少し考えて、気のせいかと片づける。

 

 そしてまた歩き出そうとして――――路地裏から伸ばされた手に肩を掴まれた。

 

「え?」

 

 勢いよく私の体は路地裏に引っ張られ、地面へと放り投げられた。だが私の頭は状況が全く理解出来ず、抵抗らしい行動もできないまま自分に狼藉を働いた者の顔を見上げるしかなかった。

 

「おう、お嬢ちゃん。今日は随分稼いだみたいだな。で、ものは相談なんだが、おじちゃんにその袋を貸してくれねぇかな」

「な、ぁ」

「今おじちゃんちょーっとばっかり金が無くてな? そんなおじちゃんにお金を貸してくれると助かるんだわ。あ、勿論ちゃんと返すぞ? ……いつか、な」

 

 ガシリと、黒い髪をオールバックにした、左頬の裂けた恐ろしい風貌の中年の男が、今日稼いだヴァリスの入った袋を鷲掴みにする。

 

 そしてようやく私は目の前の男が自分に何をしようとしているのかを理解した。それは強制的な金銭搾取。カツアゲと呼ばれる行為そのものだった。

 

 思わず男の両手を掴んで抵抗しようとするが――――次の瞬間、頬に男の裏拳が叩き込まれる。

 

「っぁ――――」

 

 呻き声を上げることすら叶わず、私の体は路地裏の奥を転がった。腰にあった袋は、既に男の手の中に。

 

「ったく、大人しくしていりゃこっちも手を出さなかったのによぉ。子供は大人しく大人の言うことを聞いてりゃいいんだよ」

「お、団長! またカツアゲですか?」

「馬鹿野郎。俺はちょっと”借りてる”だけだ。ちゃんと返すさ」

「そう言って返したこと一度も無いじゃないっすか」

「そりゃあ何時返すとは言って無いからな。こういうのは、奪われる奴が悪いんだよ」

 

 茫然とする私を尻目に、ガラの悪い男たちはそのまま立ち去ろうとする。その様子を見て、私の中で憤怒の炎が上がった。

 

「待てっ! 返せっ!!」

「――――うるせぇなこのガキがッ!!」

 

 今出せる全速力で男に飛びつこうとして、だけど男はその太い腕を振るい私の鳩尾に正確な一撃を叩きこんで吹き飛ばし返した。

 

 何度も地面に叩き付けられて肺から空気が吐き出され、乾いた咳だけが出てくる。何度も制止の声を出そうとして、だけど終ぞその声がでることは無かった。

 

 気づいた時には男たちの姿はもう無く、身体を震わせる小娘一人が路地裏で座り込んでいる。

 

「っぐ、ぅぅ…………っ!」

 

 初めて、人の悪意をこの身で受けた。

 

 自分の体を精一杯動かして、ようやく稼いだお金をまともに抵抗することもできずに奪われた。

 

 何故、どうして。そんな弱音が私の頭の中で反響する。その度に私の両頬を温かい水が流れ落ちる。両拳を痛むくらい強く握りしめる。嗚咽が口から漏れそうなのを必死にこらえる。

 

 まだ、駄目だ。

 

 まだ、始まったばかりなのだ。

 

 まだ、恩を返しきれていない。

 

 此処で私が折れるわけにはいかない。こんな所で一人惨めに立ち尽くしているわけにはいかない。あの優しい神様の期待に応えるためにも、立ち上がらねばならない――――。

 

「私、はっ――――まだ、終われないッ……!!」

 

 震える両脚で立ち上がり、路地裏を抜けて再度バベルの方へと足を踏み出す。

 

 奪われたなら、その分また稼げばいい。今の私には、それくらいしかできないのだから。

 

 崩れそうな心を保ちながら、私はまた迷宮に挑む。

 

 世界の悪意に、抗うために。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

「遅い」

 

 自分の借りている部屋に立て掛けられた時計の針を見て、ロキは苛立ちを隠しもしないドスの利いた声音で呟いた。微かに神威が漏れ出ているのではないかというほど歪められた怒りと不安の形相。時計の針が刻む無機質な音が彼女の心境を無視して苛立ちを加速させていく。

 

 時計の指している時刻は午前三時。既に深夜帯であり、未だ己の眷属は帰還していない。

 明らかに何か異常事態が起こっているとロキは断じ、もう看過できなくなってボロい上着を着て近辺を散策したのがおよそ三時間前の出来事だった。

 

 収穫はゼロ。少女の影も形も見当たらない。故にロキは殺気に似た何かを遠慮なく周囲に振りまいている有様。先程一度だけ隣の宿泊客が文句を言いに来たが、ロキは一睨みで追い返した。

 

 今の彼女は触れれば切れるナイフ。かつての悪神の如き心が形成されかけ――――一度深いため息を吐いて気を取り直す。

 

「一体どこ行ったんや……?」

 

 何か面倒事に巻き込まれたのはほぼ確実だろう。でなければまだ(外見は)幼い彼女が深夜になっても帰ってこないなんてことはありえない。まさか面倒な事件や変なファミリアの勧誘に巻き込まれているのでは、というところまで想像し、居ても立ってもいられなくなったロキはもう一度探索に行くことを決意する。

 

 そしてドアノブを捻ろうとして、不意にノックが聞こえてその手が止まる。

 

 またクレームかいなと思いながらロキは怒りの表情のままドアを強く開いて――――ボロボロになった自分の眷属(アイリス)を見て、絶句した。

 

「ア、アイリスたん……?」

「ロキ様……すみません、遅れ、ました……ちゃんと、お金――――」

 

 その言葉を最後に、アイリスは瞼を閉じてそのまま崩れ落ちる。咄嗟に自身の胸で抱きとめるロキだったが、やはりその顔からは動揺の色が抜けきっていなかった。

 

 血と土塗れの、さながら雑巾としか言えない衣服。全身に刻まれた裂傷と打撲の数々。赤黒く固まった血液や青く腫れ上がった肌が思わず目を覆いたくなる惨状だ。更に背負っていたブロードソードは倒れ掛かった際に床に転げ落ち、鞘から飛び出て欠損だらけの刀身を見せてくる。

 

 一体どんな戦い方を、どれだけ戦い続ければこの様な惨状になるのか。

 

 歯噛みしながらロキはいつものスケベ心を無にしながらアイリスの衣服を引き千切り、シャワーで全身を軽く洗い流す。そして可能な限り綺麗に水を拭き取ってからベッドへと寝かし、薬箱から傷薬や包帯をありったけ取り出して彼女の治療を始めた。

 

「ああもう! なんやねんもう!」

 

 何故アイリスがこんな事になっているのかはわからない。だが怪我の様子から察するに恐らくダンジョンで負った傷だろう。

 

 ロキは今朝直感的に理解していた。彼女の実力ならば初心者のボーダーラインと呼ばれる4階層までならほぼ無傷で済むだろうと。ならばこの傷は5階層以下にまで潜って負った傷なのか? 様々な推測が頭の中で飛び交うが、情報が不足している以上どれも断言はできない。

 

 とにかくロキはアイリスが気が付いたら説教する気満々であった。

 

「こんな無茶されても全然嬉しくないっちゅーに……」

 

 一通りの治療が終わり、ロキはベッドで寝ているアイリスに毛布を掛けて椅子に腰かけた。

 

 そして、彼女が手にしていた麻袋を机の上に広げて中身を見てみる。

 

「……五〇〇〇ヴァリス、やな」

 

 おかしい、とロキは思った。

 

 あれだけの傷を負う戦闘を行って、たったの五〇〇〇ヴァリス? 自分の目が鈍ったのか? いいや、そんなことは有りえないとロキは断ずる。何億年も生きてきた中で彼女の観察眼が鈍ったことなど一度もなかった。

 

 ならば何故なのか。何処かで浪費したのか、誰かに与えたのか。確かにそのような理由であればもう一度ダンジョンに潜って稼ぎ直したのかもしれない。だが彼女がそんな理由で、こんな大怪我を負うまで戦い続けるか?

 

 否、とロキは結論付けた。そんな理由ならば、彼女は自身に申し訳なさそうに報告して終わりだ。

 

 にもかかわらずこんな無茶を行ったのは何故か。与えたでも、使ったでもない。ならば――――

 

「…………なぁるほど、そういう事かいな」

 

 奪われた。

 

 オラリオは世界中から様々な人々が集まる。当然ガラの悪いゴロツキも例外では無い。故に世界的に見ればオラリオは決して治安のいい街とは呼べない。

 無論、ギルドも違法行為に対しては目を光らせているし、一部のファミリアは純粋な正義感によって憲兵のような役割を買って出ている。だがやはり、悪どいことをする輩は必ず現れるものだ。

 

 ここオラリオでは窃盗など日常茶飯事だし、恐喝、買収、賄賂等々、探そうと思えば不正行為や犯罪行為など山の様に出てくるだろう。しかしロキはそれらを責めるつもりなど一切なかった。どこぞの誰かがそんな下らないことをしていようが彼女にとっては微塵も興味の無い出来事なのだから。

 

 

 問題は、自分の眷属(所有物)に手を出したという事である。

 

 

 詳しくはアイリスから根掘り葉掘り聞き出すつもりだが、ほぼ確信の域に至ったロキは胸の中でドス黒い殺意を渦巻かせて、己の可愛い子供に手を出したファミリアに大して憎悪を迸らせた。

 

「覚悟せぇよ……絶対に後悔させたるわ……!!」

 

 悪戯の神は、暗闇の中で静かに嗤った。

 

 

 

 

 




お金をぶら下げてる年端もいかない少女が一人歩いてたら、多少治安の悪い町ならこうなるよねって話。


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第四話:主神とお買い物

 アイリス・アルギュロス

 Lv.1

 力:I68→F311

 耐久:I22→H195

 器用:I45→F301

 敏捷:I81→F370

 魔力:I0→H144

 《魔法》

 【■■■■■】

 ・現在使用不可

 【フィシ・ストイケイオン】

 ・付与魔法(エンチャント)

 ・速攻魔法

 ・地、水、火、風属性から選択可能

 ・■■■■■■

 ・詠唱式【地よ、震え上がれ(エダフォス)】【水よ、噴き上がれ(プリミラ)】【炎よ、燃え上がれ(プロクス)】【風よ、舞い上がれ(フルトゥーナ)

 【】

 《スキル》

 【■■■■■■】

 ・生きている限り試練が訪れ続ける

 ・窮地時に全能力の超高域強化

 ・獲得経験値(エクセリア)の大幅増加

 ・諦観しない限り効果持続

 ・自分と周囲が希望を抱くほど効果向上

 【■■■■】

 ・解読不能

 【■■■■】

 ・解読不能

 

 

(嘘やろ……)

 

 翌日の朝、ロキは未だに寝たままの眷属の背中に跨りながら【ステイタス】の更新をしていた。

 

 最初は起きてから行おうとしたのが、己の好奇心に負けた結果である。そして彼女が見たものは、全アビリティ熟練度上昇値トータル1000オーバー。常識を逸した成長速度に、ロキはもう何度目かわからない卒倒しそうな気持ちを覚えた。

 

 いっそ夢であってくれと自分の頬を引っ張ってみるが、景色は変わらず。無慈悲に今が現実だと突きつけられてロキは頭を抱えた。

 

(二年どころかこのペースだと一週間以内でランクアップしかねないやんこれぇ……!?)

 

 アビリティの熟練度はS、A、B、C、D、E、F、G、H、Iの十段階で表され、数値的なカンストは999である。なのだが、アイリスは冒険者になって本格的な活動を始めてまだ二日程度だというのに、既に一部のアビリティが二段階飛んでFに突入していた。敏捷に至っては既にE目前である。

 

 明らかにおかしい。異常すぎる。普通の冒険者ならばこの段階に至るまでは一ヶ月以上かかるものだ。それが、たったの二日。一ヶ月が、二日である。もしこの事実を他のLv.1冒険者が知ったのならば自分の努力が馬鹿馬鹿しくなって冒険者業を投げだすか、嫉妬のあまり襲い掛かるかのどちらかだろう。

 

「ゆっくりでええって言ったやん! あーもぉぉぉぉぉおおおおおおっ……!!」

 

 思わず怨嗟の声が這い出るロキ。それもそうだ。このままだと冗談抜きでLv.2までの世界記録(ワールドレコード)を大幅更新しかねない。そして碌に後ろ盾を持っていない自分では彼女を守り切れるかどうかは非常に怪しい。

 

 いっそオラリオ唯一かつ最大規模の農業系ファミリアの主神であり温和な人格神として有名なデメテル辺りに泣き付いてみるかと本気で思い始めた頃、ロキは「うぐ……」と自身が跨っている少女が小さく呻きながら目を開けたのを察知した。そして即座にステイタスを閉じて(ロック)を施し、彼女の背から飛び降りる。

 

「アイリスたん!? 起きたんか? ほら、水や」

「あ、りがとう……ございます……」

 

 アイリスが無事に目覚めたことに胸をなでおろしつつ、ロキは用意していた水差しからコップに水を注いで彼女に手渡した。未だに意識が朦朧としているものの、それは数分で正常に戻る。

 

 そしてロキは深く深呼吸をし、キッと目の前に居る眷属(アイリス)をキツく睨みつけた。

 

「……で、なんであんな体になっていたのか、説明してもろか」

「それは……」

「念のために言うけど、神々(うちら)に嘘は通用せえへんよ? ほら、素直にキリキリ吐くんや」

 

 じーっと、ロキはアイリスを何分間も見つめ続けた。気まずそうにするアイリスだったが、やがて罪悪感に負けたのか痺れを切らしたのか、ぽつぽつと事情を口にし始める。

 

 夕方の頃に帰宅しようとしたが、道中同業者らしき者に金銭を巻き上げられた事。取り返そうとしたが、成す術もなく敗北したこと。そして、奪われた分を取り返すためにもう一度ダンジョンに潜り、4階層で精神疲弊(マインドダウン)寸前になりながらも何時間も戦い続けたこと。

 

 それを聞いてロキは無言で顔を手で覆いながら、クックッと薄気味悪い笑いを零し始める。

 

「……なぁるほど、なるほどな。うちも油断してたわ。まさかこんな可愛い少女から金を巻き上げる奴なんておらんだろうと踏んでたけど、完全に予想外だったわ……。しゃーない、潰すか」

「っ、ま、待ってください!」

 

 神威を漏らしながら件のファミリアをあの手この手で叩き潰すための支度を始めようとするロキであったが、予想外にも被害者(アイリス)がその凶行を止めようとした。

 

 ロキに睨み返されて肩を震わせながらも、彼女は意を決して己の中の言葉を紡ぐ。

 

「こ、これは、私の問題です……。私が弱いから奪われたんです。ロキ様が出向くほどのことではありません。私が強くなればいい話なんですから」

「あのなぁ、アイリスたん。これはうちの面子の問題でもあるんや。正直今のうちメッチャキレてるんやで? ……うちの可愛い眷属に手ぇ出したらどうなるかを見せつけたる。徹底的にや」

「私がっ、乗り越えたいんです! 自分の力で!!」

 

 アイリスはギュッと、ロキの手を握り締めて懇願した。

 

 オラリオで冒険者同士の諍いは珍しい光景では無い。むしろ毎日頻繁に起こっていると言っていいだろう。そして基本的にそんな些事に対して主神が直々に出向くことは少ない。

 

 何故か。それは小さなことに対して一々顔を出していたらキリがないし、事が大きくなり過ぎれば収まりがつきにくいからだ。小さな諍いが様々な要因で話が大きくなり、戦争遊戯(ウォーゲーム)など始まってしまえば目も当てられない惨事である。

 川に小石を投げたらワニが出てきて手足を食いちぎられた、なんて当事者にとっては全く笑い話にもならない。

 

 それに何より、アイリスは困った時に真っ先に主神を頼るなんてことはしたくなかった。本当に自分の力が及ばないのならばその手を取るだろうが――――彼女はまだ諦めていなかったのだ。

 

 自分の力でどうにかできる、と。

 

「お願いします、神ロキ。……私に、チャンスをください」

「…………はぁぁぁぁぁぁぁ」

 

 度重なる懇願の末、ロキは深い深いため息を吐いて倒れ込むように椅子に座り込む。

 

「……わかったわ。今回は任せたる。でも、次またこんなことがあったら……」

「わかっています。今度は、上手くやってみせます。……あ、【ステイタス】の更新は――――」

「もう終わっとるよ~。はい、これ更新した【ステイタス】な」

 

 そう言ってロキは更新した【ステイタス】の概要が書かれた羊皮紙を彼女に手渡した。それを見たアイリスはすぐさまギョッとした顔に変わった。

 

 流石に上昇値1000オーバーは素人目にしても異常だったのだろう。流石に誤魔化せんか? とロキはチラリとアイリスを見るが、驚きこそしてもどうやら違和感には気づいていない様だ。

 

 他の眷属(比較対象)が居ない故の弊害か。

 

「あの……なんか、凄い伸びてますね」

「き、きっと成長期なんや! それに、昨晩大分無茶したみたいやし……な?」

「す、すいません……」

 

 意地の悪い笑みを見せれば、アイリスは申し訳なさそうに委縮した。それを愉快気に笑いながらロキは衣服を収めていたクローゼットから予備の服をアイリスに渡して、更に奥からかなり大きな袋を引っ張り出した。

 

 何をするのか全く理解出来ていないアイリスは勿論困惑している。

 

「あ、あの、ロキ様? 一体何を」

「買い物や買い物。金をケチると碌なことが無いってようやく理解できたんや。此処はいっちょ、()らしく眷属(子供)にプレゼントでもあげよかと思ってな」

「で、でも貯蓄はカツカツって」

「あれは嘘や。ま、これはいざという時のために取って置いたお金やから、あんま使いたくなかたんやけどなぁ」

 

 袋の大きさからして、恐らく十万ヴァリスは下らないだろう。アイリスは主神が嘘を付いていたことについては特に気にしてはいなかったが、そんなお金を自分のために使ってくれるというロキに感謝し、同時に申し訳なく感じている。

 

 ロキもそれを感じ取ったのか、愉快気に笑いながら彼女の頭を撫でた。

 

「別に気にせんでええよ! 知り合いの神に”握った弱み(貸し)”があってな? ちょーっと相談して『提供』してもらっただけや。こんな金浪費しようがなーんも思わへん。むしろ子供のために使えるなんて本望や」

「本当に、ありがとう、ございます……!」

「ええよええよ。……あ、傷はもう大丈夫なんか? 無理やったらもうしばらく休んでから行くんやけど」

「あ、はい。大丈夫です。もう痛みもさっぱりで……質のいいポーションでも使ったんですか?」

「んあ?」

 

 違和感が、ロキの中で渦巻き始める。

 

 昨日見たアイリスの怪我は明らかに一晩で治るような物では無かったし、一応備え付けの傷薬を使ってはいたがオラリオの中で出回っているポーションと効能を比べれば天と地ほどの差がある。そしてロキはポーションの類は手元に無かったため使うことはできなかった。

 

 つまり、痛みがないというのはおかしな話なのだ。

 

「ちょっと見せてや」

「?」

 

 どうしても違和感を拭いきれなかったロキは慎重に、彼女を包んでいる包帯を取り除いた。そして、見えたのは。

 

 

 傷一つない、玉の様な肌だけだった。

 

 

(…………嘘やろ)

「ロキ様?」

 

 おかしい。絶対に、おかしい。ポーションも使わずにあの大怪我を自力で癒した? 魔法も無しに? 医療系ファミリアが聞いたら気絶しそうな話だ。

 

 だが前例がない訳では無い。詳細こそ知らないが、数居る眷属の中には自己回復系のレアスキルを持っている者がいるらしい。とすれば、ロキが解析できなかった詳細不明のスキルが自己回復系のスキルだと言うならばこの現象にも説明がつく。

 

 一度深く深呼吸して、ロキはこの異常現象をスキルの影響だと判断した。そうでなければ説明が付かないのだから。

 

 そして同時に、この事実はアイリス黙っている事にする。

 

 この奉仕気質の眷属の事だ、傷を負っても平気だと知れば更なる無茶をしかねない。

 

「そやそや。取っておきの使ったんやで~。ま、貰い物だから気にせんでええ。とりあえず服とか買って、その後装備やな。奮発するで~!」

「あはは……ちゃんと貰った分だけ頑張ります!」

 

 細かい事を考えるのはやめて、ロキはこれから待っている楽しいショッピングに思いを馳せた。初めての眷属と初めてのお買い物。心が踊らないわけがない。

 

 無論ロキは今も抱いている悪感情を水に流すことはできない。が、とりあえずそれは横に置いておいて今を全力で楽しむべきだと思い、彼女は幸福感に身を浸した。

 

 

 

 

 余談だが、何故か宿屋の周囲で体調不良を起こした住民が多数確認された。

 

 最初は伝染病の類だと思われたが、医療系ファミリアの調査により特にそういう類の物は確認されず、後に『謎の集団体調不良』として小さな都市伝説のように噂が流れ、そして特に話題になることも無くひっそりと消えていった。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 バベル。ギルドの所有物であるオラリオ中心にそびえ立つその巨塔はダンジョンへの入り口であり、同時に冒険者のための公共施設という役割を持っている。その中身は簡易食堂や治療施設、公共用のシャワールームもあれば換金所まで存在する。

 

 だが、実はそれだけでは無い。ギルドはバベルが巨大であることを、つまり空きスペースが多いことを利用し、様々な商業系、作成系ファミリアに空いた場所をテナントとして貸し出している。

 

 ダンジョンの真上に建っているだけあってほとんどが冒険者のための専門店であり、基本的には武具関係や薬品等々。本店や支店と比べれば劣るが、駆け出しにとっては品ぞろえもそこまで悪くない。

 

 何故いきなりこんな説明をしたかというと――――私とロキ様は使い物にならなくなった武器や防具を新しく購入するために、バベルの中にある【ヘファイストス・ファミリア】のテナントに向かうためにバベルまで来ていた。

 

 因みに予備の私服は既に購入済みだったりする。白い短衣にミニスカート。飾り気の少ないそれは特に高級品というわけでもなく、ただ単に動きやすそうという理由で購入した数着数千ヴァリス程度の代物だ。

 

 その際ロキ様は「折角だから可愛いのを選ぶべきやろ!?」と悲鳴を上げていたが、装備の方にお金をかけたいという私の意思で何とか収めてもらった。まあ、何時か着せ替え人形になってもらうという約束が付くことになったが。

 

「しかし【ヘファイストス・ファミリア】って……そんな大手のファミリアの製品買えるんでしょうか? 噂ではかなり値が張ると聞いたのですが」

「んー、まあ大丈夫やろ。高級品ばっかり売ってたらファミリアが回るわけないし、安物だって売ってるに決まってるわ。今回狙うのはそんな安く出されてる中での掘り出し物なんよ」

 

 言われてみればそれもそうかと納得する。

 

 高級品ばかり出していても売れないのでは意味がない。いくら品質が高くても、買い手が付かなければただの飾り物と変わらないのだ。それに大手のファミリアだからと言って全員が全員熟練者(プロ)な訳では無い。駆け出しのLv.1が売りに出している作品もあるだろう。それならば確かにそこまで価格は高くないかもしれない。

 

 私たちはバベルの階段を上り、三階までたどり着くことができた。しかしおかしなことに此処から上に進むための階段が存在しない。途方に暮れていると、ロキ様は私の腕を引っ張って広間の中心に赴いた。

 

 幾つも存在している円形の台座のうちの一つに乗ると、ロキ様は備え付けられている何かの装置を操作し始めた。すると台座はゆっくりと動き始めて、ガラスで出来た筒のような空間を昇り始めた。

 

「わぁ……」

「魔石を使った昇降装置や。いやぁ、下界の子供たちも馬鹿にできんなぁ。天界では神々(うちら)神の力(アルカナム)使った移動が基本やったから、こういうのは新鮮やわ」

 

 初めて体験する浮遊感を楽しみつつ、ほどなくしてバベルの四階にたどり着いた。そして更に別の昇降機に乗り換えて、目的であるバベル八階へ到着。昇降機のドアを開けると、無数の武器が並べられている武具の専門店だらけのフロアが視界一杯に広がる。

 

 まるで武具の博物館にでも迷いこんだようだと思った。

 

「さぁて、何か掘り出し物っぽいヤツはどこやろなぁ~」

「そうですね……」

 

 何がいいかなと周りを見渡しても、やはり種類が多過ぎて判断がしにくい。しかし店の前で尻込みしているのもどうかと思い、私は思い切って武具店の中に飛び込んだ。

 

 そして変わらず見える武器の山。苦笑いを浮かべつつ、軽く周りを見渡す。

 

 ――――すると、視界の端で何かがキラリと輝いた。

 

「あ……」

 

 反射的に私はソレに歩み寄り、小人族(パルゥム)用の台に乗って壁に立てかけられていた剣を手に取った。

 

 刃渡り70C程のショートソード。刀身には薄い波紋が広がっており、尚且つ鋭く光を反射するその剣は非常に重々しく、そして美しいと思えた。(グリップ)もそれなりに良い素材を使っているのか、不思議とよく手に馴染む。

 

 間違いなく名剣だ。見た目に対して意外に重量を感じるが、それは素材の問題か。だが神の恩恵(ファルナ)によって強化されたこの肉体ならば振れないことはないはず。

 

 軽く左右に振ってみれば、心地よい切っ先が空気を裂く音が聞こえる。どれどれ、お値段は……四八〇〇〇ヴァリス。想像していたより意外と安い。これが掘り出し物、というヤツか。

 

「アイリスた~ん、いいの見つかったか――――っておおぅ、なんやその剣。凄そうやな」

「ロキ様、これにしていいですか?」

「ええよええよー。最終的に決めるのはアイリスたんやし。んじゃさっさと買って次防具屋行こか!」

 

 その後私は自身の選んだ剣――――《アグノス・ソード》を購入して、おまけとして鞘も見繕ってもらいつつロキ様と共に防具屋に訪れた。

 

 しかし体格が体格だ。ヒューマン向けの防具が置かれている棚には私に合いそうな大きさの防具など一つもなく、仕方がないので小人族(パルゥム)向けの棚へと移動してもう一度探し始める。

 

 そしてようやく自分に合いそうな防具を見つけた。その名も《小人族(パルゥム)のアーマードレス》。機動力を重視したその防具は肉体の運動を可能な限り邪魔しないような配置で装甲を施されており、防御力はそこまで高くは無さそうだ。

 

 だが上層を主に探索するならばそこまで高い防御力も必要ないだろうし、私は基本的に攻撃を回避するように心がけている。最悪、魔法で凌げばいい。

 

 この後採寸もあるので私は早めにロキ様にこの防具を購入することを伝えた。あんまり見た目が可愛くないとかでまたロキ様は渋っていたが、こればかりは仕方ない。ダンジョン探索で使う防具など汚れるのが基本。いくら可愛かろうが探索後にはボロボロになっているか血だらけであるのでそんなのを気にしても意味は無い

 

 お値段四〇〇〇〇ヴァリス。高いと思ってしまったが、店員曰く手足や関節部などの個所にある装甲に希少な軽量金属(ライトメタル)を使用しているかららしい。道理で見た目に反して軽かった訳だ。

 

 それから一時間ほど店員に簡単に採寸をしてもらい、防具の微調整を済ませてようやく完了。

 

 昨日とは比べ物にならないレベルで装備が整った。今ならば6階層、いや7階層まで行っても平気な気がする。いや、慢心は良くないな。慎重に慎重に。

 

「おー、意外と似合ってるやん! これはこれで中々イケるでアイリスたん!」

「ありがとうございます。本当に何から何まで……」

「ふふーん、眷属が立派な恰好をしてくれて主神(うち)の鼻も高いわ。それじゃあ早速ダンジョン探索に行くか? うちとしては別に休んでも構へんけど」

「いえ、行きます。行かせてください」

 

 私は強く、ロキ様にそう告げる。

 

 昨日の出来事もあって、私はようやく自分の楽観を打ち壊すことができた。世界は決して優しくない。いつかどこかの誰かの悪意が私を襲うかもしれないのだ。

 

 飛びかかった火の粉を払うくらいの力を身に付けねば、この街では生き残れない。

 

 故に強くならねば。誰よりも早く、誰よりも強く。

 

「……そか。じゃあちゃんと夜になる前に帰ってくるんやで? うちとの約束や」

「はい!」

 

 両拳を強く握りしめながら、私は力いっぱい頷いた。

 

 

 今度こそ、抗って見せる。

 

 

 絶対に。

 

 

 

 




物語の都合上成長が超ハイペースになるけど許して(はぁと)


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第五話:迷い込む試練

 5~7階層。

 

 これが何を意味するかはダンジョンに挑む者は嫌でも知っている。これは即ちダンジョン初心者にとっての山場であり、一種の洗礼とも言える境界だ。少なくとも1~4階層で物足りない、なんて思い上がった冒険者の大半は此処で己を屍に変える羽目になる。

 

 十分な下地がなければ碌に生き残ることすら叶わない。それが5階層から下に対する危険度だ。油断した者は此処で脱落していくのはオラリオでは日常茶飯事ですらあった。

 

 5階層から出現する初の中距離攻撃持ちであるフロッグ・シューター。

 

 6階層から出現する新米ではまず敵わないウォーシャドウ。

 

 7階層から出現する鎧の様に硬い甲殻を持ち攻撃力もゴブリンなどとは比べ物にならない『新米殺し』のキラーアント、飛び回りながら遅効性の毒鱗粉をまき散らすパープルモス、鋭い角と跳躍力で見た目とは裏腹に油断すれば死にかねないニードルラビット。

 

 いずれも新米にとっては知識と経験が不足していれば殺されてもやむなしの強力なモンスターたちだった。

 

 そんなモンスターたちだが――――

 

「はぁッ!!」

『ギシャァ!?』

 

 たった一人の少女――――私の手によって十数匹のモンスターの群れは一方的に蹂躙されていた。

 

 鋼以上に鋭く重い剣《アグノス・ソード》を振るえばキラーアントの装甲が紙の様に真っ二つになり、他のモンスターを巻き込んで斬り裂いてしまう。勿論モンスターたちも反撃をしようとするが、その全てが回避され、挙句最寄りに居たパープルモスがカウンターの斬り上げでその体を左右に分けた。

 

 そしてなお、私は無傷。《小人族のアーマードレス》の端々に血液が付着していているものの、それは私の血では無くモンスターの血だ。

 

 未だ止まらぬ蹂躙劇。新米の冒険者ならば為す術もなくなぶり殺しにされるだろう危険なモンスターの群れは、遭遇から一分立たずにその数を半数まで減らしてしまっている。

 

(凄い、この剣……馴染む!)

 

 重いはずなのに、振るえば羽のように軽やかに動いて圧倒的な切断力と破壊力を以てモンスターを打ち砕く様はさながら鉄の強風。武器が変わるだけでここまで差が出るのかと私は感心する。

 

 少なくとも前の安物の剣と比べれば圧倒的に差がある。魔法を使わなくてもモンスターの群れを一方的かつ短時間で殲滅できるようになる程には。

 

 そして一分後、私は全てのモンスターを倒し終えた。残存しているモンスターが居ないかしっかりと確認すると、私は剣を左右に振って付着している血液を振り払い、軽く布で拭いてから背中の鞘に《アグノス・ソード》を納剣した。

 

「ふぅ……ロキ様に感謝しないと」

 

 尊敬する主神のおかげで5階層にまで潜る許可を頂けた上に、戦闘がここまで楽になった。何せ7階層突入からもう数時間経っているのに、まだ私の中では余裕があった。

 

 魔法を使わずに此処までできるのだ。それは即ち更に深くに潜っても大丈夫という事であり、下で待ち受ける未知の冒険に思わずスキップしたくなる程浮かれそうだ。

 

「……いや、ダメダメ。今日は7階層までって決めたんだから」

 

 そもそもロキ様に対して夜になる前に帰ると約束したばかりなのだから、それが果たせるか怪しくなる行動は慎むべきである。

 

 浮かれている自分に何度目かの戒めを掛けつつ、私はモンスターの死骸から魔石と幾つかのドロップアイテムを回収した後に、再度探索を開始する。しかし数分間歩き続けて、私は何処かからか多数の足音がこちらに迫ってきているのを聞きとった。

 

 随分急いでいる様だが、一体何が――――。

 

 

「クソッ、何でキラーアントを仲間呼ばれるまで放置していたんだよ!」

「仕方ねぇだろっ! 陰に隠れてて見えなかったんだよ!」

「いいから走れ! 折角”希少種”まで見つけたってのに――――おい、あそこに同業者が居るぞ! 押し付けろ!」

 

 

 こちらに向かってくる者達が何なのかを考えていると、その集団は瞬く間に私の横を通り過ぎていった。

 

 そして、奥からは両手の指では数え切れない程のキラーアントの群れが悍ましくも這い出てきた。それを見てようやく私は自分が何をされたのかを理解する。

 

 

 怪物進呈(パス・パレード)

 

 

 自分の手に負えなくなったモンスターの群れを他の冒険者に押し付ける行為の総称。パーティ全滅を避けるための緊急処置ではあるのだが、一般的にはその行為はマナー違反と呼ばれるものだ。生き残るためにはこの方法しか取れないかも知れないが、()()()()()()()側からすれば堪った物では無い。

 

 私は舌打ちをしながら背中から《アグノス・ソード》を抜き放つ。

 

 流石にこの数は面倒だ。――――魔法で片を付ける!

 

「【炎よ、燃え上がれ(プロクス)】!!」

 

 詠唱を終えた瞬間に全身に纏わりつく劫火の渦。突然現れた炎に虫系モンスターの性なのかキラーアントたちは反射的にその行進を止めてしまう。そしてそれは、私にとっては大きすぎる隙であった。

 

 その時間を使って私は炎を剣に強く纏わせる。自分が眩しいと思える程の火力が《アグノス・ソード》を包み込み、やがて私の想像した通りに巨大な炎の剣が形作られる。

 

『ギギッ……!?』

「はぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ――――っ!!!」

 

 炎の剣を大上段に構えて、そのまま全力で振り下ろす。

 

 するとどうだろうか。()()()()が生み出されて、明らかに剣の射程外にいたモンスターまでもが紅蓮の炎によって滅却されてしまう。残ったのはわずかばかりのモンスターの死骸と、ポツンと灰の上にあるドロップアイテムのみであった。

 

「……あっ」

 

 想像以上の威力に驚きつつも、私は落ちていたドロップアイテムを拾ってみる。それは――――希少種、ブルー・パピリオからしか落ちないアイテム、『ブルー・パピリオの翅』だった。青く透き通った綺麗な翅は私の瞳を容赦なく引き付ける。

 

 大量のモンスターを押し付けられたりしたが、決して不運という訳でもない様だ。

 

「お、おい、何だよさっきの音……?」

「キラーアントの姿が見えねぇ……まさかあの数をこんな短時間で片付けたのか?」

「どうせ魔剣でも持ってたんだろ」

「ん……?」

 

 無言で残ったキラーアントの死骸から小さなナイフで魔石を取り出していると、先程私に怪物進呈(パス・パレード)を行った三人組の男たちが戻ってきた。よくもまあぬけぬけと顔を出せたものだと、私は不快気に顔を歪ませる。

 

 文句の一つでも言ってやろうかと彼らに相対して――――途端に彼らの目の色が変わるのを感じた。

 

「お、おい。それって『ブルー・パピリオの翅』じゃねぇか! 希少種のドロップアイテムなんて……」

「……なあお嬢ちゃん、その翅を俺らに”提供”してくれないか? なに、渡してくれれば何もしないぜ」

「は?」

 

 彼らは私にモンスターを押し付けたことを一言も謝りもせず、まず口に出したのは「ドロップアイテムを寄越せ」だった。その図太さに思わず眩暈を覚える。彼らには恥もプライドも存在しないのか。

 

 冒険者というのは荒くれが多いとは聞いていたし、それなりに覚悟もしていた。しかし予想以上のアレさに、私の堪忍袋の緒もそろそろ切れそうだ。

 

「……これは私が倒して手に入れた物です。あなた方に渡す義理も理由もありません」

「じゃあ、仕方ねぇなっ!!」

 

 先頭の男がいきなり腰の短剣を抜いて私に攻撃をしてきた。しかしそうなることはもう予想済みであり、私はバックステップでその攻撃を躱しながら《アグノス・ソード》を抜き放ち、下段に構える。

 

 初めての対人戦。剣を人に向けることには少しだけ抵抗はある。だが――――

 

(――――抗うって、決めたんだ……!!)

 

 足を踏みしめて、突きの姿勢のまま固まっている男の腕に向かって私は――――一切の躊躇の無い斬り上げを繰り出し、男の腕を前腕から斬り飛ばした。肉は骨ごと豆腐の様に斬り断たれ、切断一瞬後に動脈から噴水の様な血液が噴き出し始める。

 

「……あ? え――――ギャァァァァアアァアァアアアアアッ!?!?」

 

 まさか自分の方がやられるとは思わなかったのだろう。腕を切り飛ばされた男は数秒だけ呆けて、腕から迸る痛みによってやっと自分の腕が無くなったのを知ったらしい。傷口を抑えながら獣のように喚く姿は滑稽さすら覚える。

 

「グソがッ!! テメェこのガキィッ……!! お前たちィッ! 殺せッ、こいつを殺せェェェェッ!!」

「っ、この小娘がぁ!!」

「死ねっ!!」

 

 残りの男たちも武器を抜いて私に襲い掛かってくるが、妙に身動きが遅い。いや、私の動体視力が高いだけなのか。ともかく男二人の攻撃は欠伸をしていても容易く避けられるような代物で、私は冷淡な表情のままカウンターで二人の武器を弾き飛ばして《アグノス・ソード》と剥ぎ取り用のナイフの切っ先を男たちの喉へと突きつけた。

 

 そして可能な限りの重圧を声に籠めつつ、告げる。

 

「消えろ。二度と私の前に現れるな」

 

 ピクリと肩を震わせる男たち。彼らはそれっきり何も言わず、大人しく腕を斬り飛ばされた男を抱えて何処かへと去っていった。

 

 残された私は一度大きく深呼吸をして、血に濡れた己の手を眺める。

 

 初めて、人を斬った。

 

 殺したわけでは無いが――――あまり、良い気分にはなれそうにない。

 

 《アグノス・ソード》に付着した血液を拭って鞘に収めつつ、私はそろそろ帰路に就くことにする。もう切り上げないとロキ様にドヤされそうだ。

 

 地面に転がる魔石を回収しながら、私は初めて自分に降りかかった火の粉を払えたことに喜びを感じつつ、三日目のダンジョン探索を終了した。……今夜は、ぐっすり眠れるといいな。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 受付嬢――――その名をアイナ・チュールと言い、エルフの里から外界に飛び出してきた頭が固く鋼の貞操観念を持つ種族にしては珍しく自由奔放な女性だった。

 

 そんな彼女は気に入った者でなければ肌の接触すら拒むような、最早超硬金属(アダマンタイト)で出来ているのではないかと思えるほどの身持ちの固さに定評があるエルフなのだが、意外なことに既に一児の母である。

 

 が、残念ながら彼女の子供はオラリオには居らず、別の場所で夫と共に暮らしている。これは別に不仲という訳でもなんでもなく、ただ単純にアイナの退職準備が整っていないせいだった。

 

 一年ほどの産休が終わった後、そろそろギルド業も退職してのどかな場所で親子仲良く過ごそうとした矢先、ギルドの事実上のトップであるクソデブエルフ、一族の恥さらしとまで言われるロイマン・マルディールがそれに待ったをかけたのだ。

 

 アイナはギルドでもかなりの腕利きであり、所属してまだ数年だというのに冒険者やギルド職員たちからの信頼は分厚い。そんな彼女が突然抜けることで訪れる影響を恐れた彼は己の権限で彼女に半強制的な形で仕事を強いることにしたのだ。

 

 その事を告げられたアイナはLv.5の第一級冒険者すら震えあがるような怒気を纏っていたらしい。

 

 しかしその言い分にも一理あるとアイナは振り上げそうになった拳を収めて、およそ一年間の業務と後片付けを以てウラノス――――ギルドにおける主神と直々に退職契約を結びつけた。その際の彼女は神相手でも一歩も譲らなかったらしい。まさに母は強し。

 

 そんなこんなでギルド業務も残り半年ほどに差し掛かっていた彼女は……対談ボックスの中で、目の前の少女に対して頭を抱えていた。

 

「……7階層?」

「あ、はい」

「……ふっ、ふふふふふふ……!」

 

 自分でも訳も分からず笑いが込み上げてくるアイナ。目の前の少女、アイリスは突然の奇行に対して心配そうにするが、原因は自分だということをわかっているのか。いや、きっとわかっていない。

 

「ア・ナ・タ・はっ!! 私の言った事全っ然っわかってないじゃない!? 確かに装備が整ったら5階層まで潜っていいとは言いました! ええ許可を出しましたとも! だけど7階層まで潜っていいとは一言もっ! ひ・と・こ・と・もっ! 私は言わなかったんだけどっ!?」

「だっ、だって5階層がいいなら6階層も7階層も別にいいかなって……」

「全く! 良くない!」

 

 バンッ! とアイナは両手で机を叩きつけた。彼女の睨む目はさながら蛇のように鋭くなっており、そんな視線を向けられているアイリスは小動物の様にビクビクと震えている。

 

「あなたには危機感が足りない! 全く足りてない! 暫くダンジョンに潜るの禁止! 明日から徹底的にその危機感の足りない精神を叩き直しますからね!!」

「でっ、でもちゃんと余裕はあるんですよ? ウォーシャドウもキラーアントももうズバズバ斬れるようになりましたし……」

「そんな訳ないでしょう。あなたまだ冒険者になって三日目なのよ? 基本アビリティだってまだHにも届いてない筈のに、装備が良いからってだけでウォーシャドウやキラーアントを相手取れる訳――――」

「あの、これ【ステイタス】が書かれた紙なんですけど……」

 

 ぶっ、とアイナは思わず噴き出した。

 

 【ステイタス】というのは冒険者にとって命綱に他ならない。その者がどれほどの強さで、どんなスキルや魔法を持っているのかを示すソレは自身の所属するファミリア以外の団員に知られれば圧倒的に不利な状況に追い込まれかねない。自分の得手不得手を割り出されてしまえば待っている末路は碌な物では無いからだ。

 

 アイナは管理不足で【ステイタス】の情報が流出し、ものの見事に袋叩きに遭った冒険者を何人も見ている。故に【ステイタス】は冒険者に取って最優先で秘匿しなければいけない個人情報なのである。

 

 それが易々と目の前に出された瞬間、アイナは目の前の少女がとんでもない常識知らずとようやく理解した。

 

 同時に――――その紙に書かれた異様な数字も、見えてしまった。

 

 

 アイリス・アルギュロス

 Lv.1

 力:F311

 耐久:H195

 器用:F301

 敏捷:F370

 魔力:H144

 

 

「……え?」

 

 基本アビリティの大半が既にFに突入しており、低い物でももうHを越えている。

 

 これが冒険者になって一ヶ月くらいの者ならばアイナも「良く伸びる人だな」と思って終わりだった。だが、目の前の少女は、アイリスはまだ冒険者になってたったの三日。そしてこれは恐らく()()()の【ステイタス】である。

 

 すぐさまアイナは目の前の少女が嘘を吐いているのではないかと思い至ったが、様子を見る限りその可能性はとても低かった。自己顕示心の大きい下品な輩ならともかく、こんな純粋そうな少女が見栄を張るために虚偽申告をするとは思えない。

 

 だとすれば主神の嘘? いいや、たった一人の眷属相手にそれは無い。下手にこんな嘘を吐けば眷属に待っているのはダンジョン内での惨めな死である。

 

 と、いうことは、目の前のコレは、事実ということになってしまう。

 

(……嘘でしょ)

 

 アイナは静かに喉を鳴らした。今まで培ってきた自分の常識がガラガラと崩れ去るのを感じ、薄ら寒い物が背筋を走るのを感じる。何年もギルド業をしているからこそ、アイナは目の前に居る少女の異常性に対して酷く戦慄を覚えてしまう。

 

 度が過ぎているなんてレベルでは無い。神の力(アルカナム)の干渉でも無ければこんなハチャメチャな成長はあり得ない。だが神が地上で力を行使しようものなら問答無用で天界に強制送還される。そして最近神が送還される事象は一切確認されていない。

 

 完全に理解を越えた現象に再度頭を抱えながら、アイナは無言で【ステイタス】の書かれた紙を折りたたんで少女に返却する。

 

「すぅー、はぁー……わかったわ。本当に、本っ当に不本意だけど……無理のない範囲でダンジョン探索するのを許可します。ただし、私への詳細報告は忘れない事。それと【ステイタス】の書かれた紙は一度読んだら直ぐに人目が届かない様に処分する。わかった?」

「は、はい!」

 

 今確かに言えることは、アイリスは現状上層の探索をする程度ならばほぼ問題ないという事である。

 

 お金をどこから持ってきたのかは知らないが、アドバイス通り武器と防具もしっかりとした物に新調したのならばそうそう力尽きることは無いだろうとアイナは判断した。

 

 無論、こんな幼い子を危険な場所に送るのは非常に非常に不本意なことではあったが、下手に強く抑制して不意に爆発でもしたら目も当てられない惨状になる可能性が高いのだ。多少は寛容に行くべきであろう。

 

「えっと、ありがとうございました! また明日お願いします!」

「うん。ちゃんと気を付けて帰るのよ~……はぁ」

 

 その後アイナはギルド本部を立ち去る少女の背中を見届けて、ため息を吐きながら椅子の背もたれに倒れる。

 

 もしかしたら自分は、とんでもない子のアドバイサーになってしまったのかもしれない、と。

 

 

「……そういえば、あの子に私の名前、言って無かったな……」

 

 

 今度会ったらちゃんと自己紹介しようと、アイナは決心した。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 それから三十分後の宿。ロキは無事帰還したアイリスを笑顔で迎えて、恒例の【ステイタス】更新を行っていた。

 更新された内容は、以下の通りである。

 

 

 アイリス・アルギュロス

 Lv.1

 力:F311→E482

 耐久:H195→G257

 器用:F301→E428

 敏捷:F370→D512

 魔力:H144→G254

 《魔法》

 【■■■■■】

 ・現在使用不可

 【フィシ・ストイケイオン】

 ・付与魔法(エンチャント)

 ・速攻魔法

 ・地、水、火、風属性から選択可能

 ・■■■■■■

 ・詠唱式【地よ、震え上がれ(エダフォス)】【水よ、噴き上がれ(プリミラ)】【炎よ、燃え上がれ(プロクス)】【風よ、舞い上がれ(フルトゥーナ)

 【】

 《スキル》

 【■■■■■■】

 ・生きている限り試練が訪れ続ける

 ・窮地時に全能力の超高域強化

 ・獲得経験値(エクセリア)の大幅増加

 ・諦観しない限り効果持続

 ・自分と周囲が希望を抱くほど効果向上

 【■■■■】

 ・解読不能

 【■■■■】

 ・解読不能

 

 

「…………はぁ」

 

 全アビリティ熟練度上昇値トータル600オーバー。昨晩よりはマシになったが、相変わらずの常識外れの成長速度に、もう自分の方がおかしいのではと思い始めるロキ。

 

 そして彼女の眷属であるアイリスはそんなロキの心情を知ってか知らずか、いつも通り一部魔法とスキルを記していない【ステイタス】の書かれた紙を見て一喜一憂している。この訳のわからない伸び方で何処に不満があるのか。

 

「やっぱりスキルって、そう簡単には発現しないんですね……」

(しとるからっ! 前代未聞の最初からレアスキル三つ持ちやからっ!)

 

 事実を知っている身としてはロキはそんな馬鹿なことを言う眷属に叫びたくなった。

 

 因みに、今日の稼ぎは二〇〇〇〇ヴァリス。初日の稼ぎが塵のように見える額だった。やはり希少種からドロップしたレアアイテムを売却したのが大きな要因か。ロキとしても希少なアイテムを見つけて沢山稼いだと喜ぶ眷属の顔は、とても良きものだと思っている。そして稼ぎも十二分。

 

 色々と問題は立ちはだかったものの、順調な走りだ。眷属集めは未だ努力が実を結んでいないが、それでもいつかは――――と思い耽っていると、ロキの耳に部屋の扉が三回ノックされる音が届く。

 

「あ?」

 

 ルームサービスは特に頼んだ覚えはないし、そもそもこの安宿でそんな物は行っていない。では来客ということになるのだが、下界に降り立ってから凡そ一ヶ月前後、他の神々とは特に交流を行っていないロキにとって誰が自分を訪ねてきたのかは全然予想ができなかった。

 

 いや――――そもそも、自分がこの宿で暮らしているとは、誰にも言っていない。

 

 じゃあアイリス宛てか? と怪訝そうな顔を浮かべながら、ロキはアイリスを部屋の奥に引っ込ませながら扉を開く。そこに居たのは、

 

「……誰やアンタ」

「ああ、どうも神ロキ。こんな夜分遅くに失礼する。とりあえず、自己紹介をしようか」

 

 扉の前に立っていたのは、真っ黒な布で身を包んだ、縮れた黒い長髪の女だった。外に出されている両腕はガリガリにやせ細っており、顔も何処か不健康そうな色だ。そして浮かべているのは薄気味悪い笑みときた。

 

 直感的にロキは目の前に居るのが悪神の類だと確信する。

 

「我が名はアパテー。【アパテー・ファミリア】の主神だ。今回は少々用事があって貴方を訪ねた。どうやって貴方の所在を知ったかは……まあ、優秀な子供たちの成果、とだけ言って置こう」

「アパテー……夜の女神(ニュクス)のガキがうちに何の用や。個神的にはアンタのような輩をここに招き入れたくないんやけどな?」

「ククククッ、ああわかるとも。私とてタナトスやエリスのような神物を自身の家に招きたいとは思わないさ。だが神ロキよ、それは不義理だ。私はお前に抗議をする資格がある」

「はぁ?」

 

 意味が分からないとロキはこめかみを指で押さえながら自身の過去を思い返す。

 

 だがいくら考えどもアパテーなんて神と諍いを起こした記憶なんてない。数々の神々の恨みを買う所業をしては来たが、こんなマイナーな神なんぞに関わった記憶はないとロキは断ずる。

 

 ならばどんな理由で此処に来たのか――――ほぼ直感で、ロキはその理由を察した。

 

「そちらの子供が私の眷属の腕を撥ね飛ばしてくれたのでね。まあ、その賠償の請求に来たのだよ」

「……それについてはもう聞いとる。うちの子曰く、ドロップアイテムを横取りしようとした馬鹿が攻撃してきたからやり返したんやと。それについて賠償請求するやと? お前、うちの事舐めとんのか?」

「おや、おかしなことだ。私は『ドロップアイテムを横取りされて、いきなり襲い掛かられた』と聞いたのだがね?」

「じゃあそいつ連れてこいや。(うち)に嘘は通じへんぞ」

「残念ながらその者は今病院でね。面会もしないようにしている。まさかドロップアイテム一つを巡って腕を切断されるとは。そちらの眷属は中々に凶暴だな? 神ロキ」

「……………」

 

 神に嘘は通じない。だがそれはあくまで下界の存在の言葉に限る。

 

 神は神に対して嘘を吐くことはできるのだ。そしてその嘘も、場合によっては真実へと歪ませられる。目の前に居る神が「やり手」だと気づいて、ロキは思わず舌打ちをする。

 

「さて、私のファミリアは多少とも被害を被った訳だが……弁償してくれる意思は?」

「幾らや」

「一千万ヴァリス、なんてどうかな?」

「殺すぞクソガキ」

「ほう! では返す意思はないと受け取ってもよろしいかな? ならば――――戦争遊戯(ウォーゲーム)を貴方に申し込ませてもらう」

 

 神威を放ちながら、女神アパテーはニタリと不気味な笑いの闇を深めて、ロキにそう宣言した。

 

 戦争遊戯(ウォーゲーム)。簡単に言えばそれはファミリアの間でルールを定めて行われる、ファミリア同士の決闘だ。神々の代理戦争とも呼ばれるそれはファミリア同士の諍いを集結させるための一手にして、ルールに乗っ取った実力行使。

 

 争い合うファミリア同士の力量に差があり過ぎる場合、出来レースと化すその勝負は弱小ファミリアにとっては最も選んではならない手法でもある。

 

「断る。なんでうちがそんな下らん争いに乗らなあかんのや」

「ふむ……では明日から色々と”不幸な事”が訪れるやもしれんが……まあ、私には関係のないことだな。ククッ」

「お前……!!」

 

 これは殆ど強迫に近い、いや、完全に強迫と言っても差し支えないだろう。

 

 アパテーの言う”不幸な事”。ほぼ間違いなくこちらの妨害を行うつもりだと察せないほどロキは馬鹿では無かった。だからこそ今、自分らに残された逃げ道が完全に潰されていることも理解する。

 

 受ければ戦争遊戯(ウォーゲーム)が行われ、眷属が一人な上にLv.1である【ロキ・ファミリア】はほぼ確実に、一方的に潰される。

 

 だが拒否すれば、何をされるかわからない。少なくとも碌なことが起きないのは確かだ。最悪ダンジョン内、いや街中での襲撃もありうる。

 

 どちらが最も良い選択か、ロキは考える。考えて、考えて、考えて――――

 

 

 

「…………ええわ、その勝負受けたる」

「クッ、ハハハハハ! 成程、そちらを選んだか。よろしい、貴方の気が変わらないうちに色々と準備をしておこう。因みに次の神会(デナトゥス)は二日後だ。……くれぐれも、遅れないように」

 

 苦虫を噛み潰したような顔で、ロキは唸るようにそう告げた。そんなロキの様子が愉快だったのか、聞く者に不快感を感じさせる薄気味悪い笑い声を残しながらアパテーは足早に部屋の前から立ち去る。

 

 残されたのは不安の渦巻く渦中にいるアイリスと、全開になりそうな神威を抑えつけるので精いっぱいのロキ。

 

 今にも泣きそうな声で、アイリスは言葉を漏らす。

 

「ロキ、様……私っ……!」

「大丈夫。大丈夫や……うちが何とかしたる……何とかせなあかん…………」

 

 最初の試練が、ようやく訪れた。

 

 

 

 

 




試練「オッスお願いしまーす!」


アイナさんがギルド職員だったというのは本小説での完全な独自設定です。でもあのエイナさんの母親だし、こういう役にしっくり来そうなキャラだと妄想したものでね……。


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第六話:小竜退治

ぶっちゃけ投稿者の原作知識割とガバガバだから、もし原作との差異があっても(よほど致命的でない限りは)別時空ってことで許して(はぁと)


「どういうことよぉぉぉぉぉぉ――――っ!!!」

 

 バァン!! という机を叩く轟音がギルド中に響き渡る。普段からギルドに入り浸る冒険者からすれば最近の彼女が机の傍でウンウンと唸ったり机を叩いたりしているのは最早恒例行事だったが、今回はその数倍もの音が轟いたことで殆どの冒険者はギョッとした顔になる。

 

 見れば、件の受付嬢――――アイナ・チュールはそれはもう顔を真っ赤にして目の前に居る少女、アイリスとその隣にいる主神ロキへと向かって容赦のない怒号を飛ばしている。

 

「神ロキっ! 自分がっ、何をしたかわかってるんですか!? まだ冒険者になって四日目の子供しかいない状態でっ、【アパテー・ファミリア】からの戦争遊戯(ウォーゲーム)の申し入れを受け入れるなんてっ!! 酒にでも酔っていたんですか!?」

「酒なんて最近全く飲んでへんし、馬鹿なことしたって事はわかっとる。うちも正直後悔しとるけど……」

「だったら――――」

「ならアンタ、うちの子供がダンジョンや街の中で同業者に殺されてから文句言えるんか?」

 

 薄目を開けて、ロキははっきりとアイナを見つめてそう告げる。微かに神威をぶつけられたアイナは一瞬怯みこそしたが、キッと表情を作り直してロキを睨みつける。

 

「だからといってこれは自殺行為です! ああもう、もう申請通っちゃったから撤回もできないし……!!」

「チッ、あんの根暗め、仕事は一丁前に早いようやな。……ともかくうちらができることは戦争遊戯(ウォーゲーム)開始時までに極限まで鍛える事。もうそれしか道は無いんや」

「っ~~~~~~~!!!」

 

 淡々とそんな言葉を述べるロキに、アイナはもうキレる寸前になっていた。こんな、まだ成人もしていない子供に無理をさせる気満々なのだ。良識のある大人ならば怒るのが筋というものだろう。

 

 だが同時に理解している。【アパテー・ファミリア】相手ではどうしようもなかったのだと。

 

 【アパテー・ファミリア】。オラリオの中では小規模な部類に入るが、その悪評はかなり広まっている。団員のほとんどは元犯罪者で国家追放を受けた者か脱獄犯、前科持ちしかいないとか。普段から市民や駆け出し冒険者相手にカツアゲを繰り返しているやら。他にも探せば幾らでも出てくるだろうその醜悪な所業から、とてもまともな探索系ファミリアとは思えない。

 

 ギルドとしても悩みの種なのだ。捕まえようにも証拠が不足していたり、いつの間にか被害者と話が付いていたり(恐らく強迫か買収)、そもそもの被害者がいつの間にか姿を消していたりと。

 

 何をしているのかは想像がつくが、証拠がない以上追及のしようがない。

 

 だからこそ、アイナは頭がパンクしそうになっていた。あの悪徳ファミリアと戦う羽目になった小さな少女のことを思えば頭が痛くなってしまう。

 

「……神ロキ、今からでも遅くありません。オラリオからの逃亡をお勧めします。これはもう戦争遊戯(ウォーゲーム)などではなく、公開処刑です……!」

「お断りや」

「何故です!?」

この子(アイリス)がそう言ったからや」

「え……」

 

 茫然としながら、アイナはロキの隣で縮こまっている少女を見る。小さく震えていた。だが――――その瞳の奥には、確かな炎が灯っていた。

 

「えっと、受付嬢さん。昨晩から色々考えましたけど……逃げることだけは、したくないんです」

「でもいくらなんでも無理よ……【アパテー・ファミリア】にはLv.2の団員だっているのよ? 勝てるわけが……」

「……もう、奪われたくないんです。あんな悔しい思いは、したくない」

 

 アイリスはギュッと両手を握り締めながら、搾り出すような声でそう告げる。

 

 恐怖は、ある。だがその上で彼女は諦めることだけは決して選ばなかった。どれだけ辛い道でも、彼女は自ら進むことを選んだのだ。己の成すことを成すために。

 

「自分の居場所は、自分の力で護りたい。だから私は、逃げません。闘います」

「……すぅぅぅぅぅぅぅぅ……はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 

 過去最大級の、深海の様に深いため息を吐きながらアイナはへなへなと椅子の背もたれにもたれかかった。

 

「……それで、お二人は私に何をしてほしくて此処に来たんですか?」

「おっ、協力してくれるん?」

「内容によります。流石に他ファミリアの【ステイタス】を教えろとかは無理ですので」

「なら問題あらへんな。うちらがアンタにしてほしいのは【アパテー・ファミリア】についての可能な限りの情報提供と――――」

「12階層までの探索許可をしてほしいんです」

 

 メシャリとアイナの握っていたペンが握りつぶされた。

 

「……今、なんて?」

「その、12階層までの探索許可を、してください」

 

 二度目になるため息を吐きながら、アイナは思考する。

 

 何故12階層までなのかは大体想像がつく。13階層からは基本的にLv.2になってようやく適正だと判断される。つまり12階層とはLv.1における最終ステージなのだ。しかし舐めてはいけない。油断すればLv.2すら死にかねない、第三級冒険者にすら届かない者にとっては超危険区域である。

 

 そして、そんなところに冒険者になってまだ四日目の少女は行くつもりだという。アイナは頭がどうにかなりそうだった。

 

「……あー、ちょっとこれを見てくれへんか?」

「? 神ロキ、これは一体――――っ!?」

 

 わなわなと肩を震わせているアイナの肩をつつくロキ。アイナは怒りを可能な限り押さえながら何事かと顔を上げると、机の上に何かが書かれた羊皮紙が置かれていた。

 

 それは、昨日も見たような記憶があって。しかし書かれていた()()が決定的に違っていた。

 

 

 アイリス・アルギュロス

 Lv.1

 力:E482

 耐久:G257

 器用:E428

 敏捷:D512

 魔力:G254

 

 

 アイナは頭がどうにかなりそうだった(二回目)。

 

 机の上に置かれた羊皮紙に書かれているのは間違いなくアイリスの【ステイタス】だろう。基本アビリティ部分のみではあるが、ハッキリと冒険者に取っての生命線がそこにあった。

 だがそれはアイナが一番気にすべき問題と比べればあまり問題では無い。一番問題なのは――――

 

(アビリティ熟練度上昇値トータル600オーバーっ……!? 何なのこれぇっ!?)

 

 悲鳴を上げそうな口を押えながらロキを見れば、彼女も困り果てたように苦笑している。一方で少女は自身の異常性を全く理解していないようで、何がおかしいのかわからず可愛らしく首をキョトンと傾けている。

 

 そしてすぐにロキとアイナの秘密会議(耳打ち合戦)が始まった。

 

(どういうことですか神ロキ!? 昨日本人から見せてもらった【ステイタス】とかけ離れ過ぎてるんですけど!?)

(あー、アイリスたん見せてしもたか。どうりで【ステイタス】書いた羊皮紙のゴミがないと……まぁそう言う事や。この子の成長は明らかに異常なのはアンタも理解したやろ? 実はこの子、獲得する【経験値(エクセリア)】が増加するスキルを持っていてな)

(いや、だからってこれは異常過ぎでは……)

(それについてはうちも同感だわ……)

 

 前代未聞の【経験値(エクセリア)】増加系スキル。冒険者ならば喉から手が出るどころか殺してでも奪い取る価値があるそれは、あまりにも倍率がぶっ壊れていた。一応、所有者が『諦めた』場合効果が消えるというデメリットこそあるものの、逆に言えば諦めない限り何時までも何処までも効果が持続するという事だ。

 

 その結果生まれたのは理不尽としか言えない成長速度。強い不屈の精神が生む爆発的成長は、アイリスという少女を天井知らずに押し上げている。

 

 恐らく数日で12階層に到達するのも夢では無い。ロキもアイナもほぼ確信に近いものを【ステイタス】の書かれた紙から感じ取れた。

 

(とにかく、や。うちはアイリスたんの成長に賭けた。今のうちがするべきことは次開かれる神会(デナトゥス)で可能な限り有利な条件を引き出す方法を考えることや。それ以外にも色々と準備して戦争遊戯(ウォーゲーム)に備える必要がある。その為にアンタも利用させてもらう腹積もりなんよ)

(……それは、構いませんけど。良いんですか? 下手すれば戦争遊戯(ウォーゲーム)前にアイリスちゃんが死んじゃうかもしれないんですよ……?)

(うちはあの子を信じる。……勝つには、もうそれしかないんよ。だから頼むわ。あの子を行かせてやってくれんか?)

(……………………)

 

 正直、アイナは此処で自分が止めても行くだろうと確信している。ロキとアイリスは本当に単騎で【アパテー・ファミリア】に勝利を収めるつもりだろう。勿論勝負形式は一騎打ちが基本になるだろうが――――今回の相手を考えれば、最悪の場合を想定して動いた方が最善だ。

 

 あの犯罪者集団紛いのファミリアの事だ、十中八九正攻法は使わない。必ず何かを仕込んでくる。

 

 故に今必要とされるのは小細工を正面から叩き潰せる、一騎当千が可能になる程の強力な力。それを得るために二人は全力で足掻こうとしている。自分の声など心の負担を少しだけ軽くするだけだろうが――――アイナもここで腹を括る。

 

「わかりました。12階層までの探索を許可します」

「!」

「ただし――――ちゃんと、生きて帰ってね?」

「……はい!」

 

 処刑台への階段を一歩登らせたような気持ちになりながらも、アイナは目の前の少女を見守ることを決心する。

 

 藁にもすがる思いで、彼女は少女の勝利を願った。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 8~9階層はダンジョンの景色と地形が大きく変化する。

 

 ルームの数が多くなり、更にその一つ一つが広くなっている。更に各ルームを繋ぐ通路もかなり短くなり、天井も10M(メドル)前後まで拡張される。そして水色の壁面には苔が生え、地面も短い草の生えた草原に変貌する。

 なにより、頭上から強い燐光が降っており、幸いと言うべきか光源には困らない。

 

 新しく出現するモンスターは存在せず、むしろ1階層から4階層に出現するゴブリンやコボルドが少し強い程度で出現するだけ。4階層で長時間慣らした冒険者ならば、少し手こずるだろうが突破は比較的楽な方だろう。

 

 問題は、10階層から。

 

 10階層からは霧が発生する。そこまで濃いわけでは無いが、視界を遮るには十分な濃度の霧だ。大まかな造りこそ8~9階層と同じだが、光度は少し下がって注意して見なければ数M先も正確に見えるか怪しくなる。

 

 今までと比べてかなり勝手が違ってくることから、今まで以上に慎重な足取りで進む必要が出てくる。私は反射的に息を飲みながら、少しずつ通路を進む。

 

 数分ほど歩き続けると、やがて通路を抜けて視界がある程度開けた場所に出てきた。

 

 点々と佇立している葉と枝の無い枯れ木が不気味に空間を演出している。更に、上から下に向かうほど細くなっている普通の樹と比べて明らかにヘンテコな構造に私は顔をしかめた。

 

 これは恐らくダンジョンが有する厄介な特性の内の一つ、『迷宮の武器庫(ランドフォーム)』。ダンジョンが己の中を徘徊するモンスターたちに天然武器(ネイチャーウェポン)と呼ばれる物を提供する光景は、10階層で初めてお披露目される。

 

 発見したらまず破壊してモンスターがこれを有するのを防ぐのだが――――如何せん数が多過ぎる上に、もう”孵化”が始まってしまったようだと、私はひび割れが起こり始めるルームの壁を見ながら背中の《アグノス・ソード》を抜き放つ。

 

 そして同時に、私は道具屋(アイテムショップ)で購入した特殊加工された脂ぎった血肉を取り出す。これは狩りの効率を上げるために作られた、モンスターを誘き寄せるトラップアイテムだ。これを剥ぎ取り用のナイフで幾つかに切り分けて、そこら中にばら撒いた。

 

 するとどうだろうか、少し離れたルームからドスドスと大きな足音が複数聞こえ出した。当たり(ビンゴ)だ。

 

『ブギッ、ブ、ォ、ォォォォォオオオオオオオオオオオオオ!!!』

 

 潰れた様な雄たけびと共に、生まれ出たばかりの茶色い肌に豚頭のブヨブヨと太った身長三Mという巨体のモンスター、オークは地響きを起こしながら木々の間を抜け、道中で枯れ木の一本を()()()()()()()()こちらへと迫ってくる。

 

 木を一本丸ごと使った天然の棍棒は、受ければただでは済まないだろう。もし当たったらと思うと背筋が凍る思いだが、逆に言えば()()()()()()()どうという事は無い。

 

 オークは手に持った棍棒を大きく振り上げた。

 

 隙だらけだ。

 

「ふっ――――!!」

 

 両脚に力を入れ跳躍。その加速を最大限活かすように、私は武器を振りかぶって横に薙いだ。

 

 私へと攻撃しようとしたオークは棍棒を振り上げたまま、首と胴体を斬り離された。どれだけ身体に厚い脂肪の装甲を纏っていようが、首を断ってしまえば関係は無い。力を失ったオークの死骸はバランスを崩して、土煙を巻き上げながら倒れた。

 

 しかしまだ終わってはいない。着地して振り返れば複数の通路からオークが姿を見せ始めている。トラップアイテムのおかげで、なんと六匹ものオークがこのルームに集まろうとしていた。

 

 こんなに集まれとは言って無い。

 

「【地よ、震え上がれ(エダフォス)】!」

 

 文句を言いたい衝動を我慢しつつ、私は詠唱と共に岩石を自身の周囲に生み出した。それを即座に剣に纏わせ、力いっぱいに振り下ろす。

 

 剣が地面に衝突した瞬間ハンマーでも振り下ろしたような破砕音が響き、剣を包んでいた岩石は地面の中へ浸透し、地表を罅割らせながら広がり、やがて魔力の燐光を強くしながら地面から岩石の棘を生やして半数ものオークの胴体を串刺しにしてそのまま絶命させた。

 

 だがもう半数は精度が甘かったのか逃れられており、私は歯噛みしながら別の属性を纏う。

 

「【風よ、舞い上がれ(フルトゥーナ)】!」

 

 体中に大気の奔流を迸らせながら、風を両手に握った剣に収束させる。そして一閃。

 

 真空の刃が一匹のオークを両断する。別の個体へ続け様にもう一度放つが、今度は仕留めるには至らなかった。収束する時間も風の量も足りなかったからか。

 

『フゴォォォォオオオオアアアアアアアア!!!』

「くっ!」

 

 身体に重傷を負いながらもオークは私のすぐ近くまで迫り、その剛腕を振りかぶって振り下ろした。咄嗟に風を使って体を側面へ加速させ攻撃を回避。再度風を収束させた剣を引き絞り、圧縮した風を解放しながら刺突を放つ。

 

 次の瞬間、オークの体に巨大な風穴が空いた。

 

 ほぼ思い付きで放った風の槍は想像以上の威力でオークの巨体を貫通し、更にその向こうで枯れ木を引き抜こうとしていたオークの頭部を爆散させるという結果を残した。

 

 なるほど、こういう使い方もできるのか……。

 

 短時間でオークの群れを全滅させた私は残った死骸から魔石を回収しつつ、ベルトポーチから水筒を取り出して水分補給しつつさらに奥へと足を進ませる。

 

(オーク数匹くらいじゃ駄目だ……とりあえず、11階層まで行ってみよう)

 

 狙いは11階層に出現するレアモンスター、インファント・ドラゴン。上層に於ける最強のモンスターであり、下級の冒険者の一団(パーティ)では悉くが全滅させられているらしい強敵。

 

 それを倒すことができれば、かなりの上質な【経験値(エクセリア)】を得ることができる筈。

 

 制限時間(タイムリミット)まで恐らく一週間も無いであろう私にとっては、必ず越えねばならない相手だ。でなければ私はLv.2が在籍している【アパテー・ファミリア】に勝利することは叶わなくなる。

 無論、まだ基本アビリティが低い今の状態で勝てるとは思っていない。今回はあくまで様子見だ。

 

 ダンジョンにおいて自惚れは最大の敵。自分の力量を正確に把握することは冒険者にとって必要なスキルの一つだ。

 

 予定としては11階層へ進みながら適度にモンスターを狩り続け、ハードアーマードを一定数倒した後インファント・ドラゴンの観察、と言った所か。まあ、インファント・ドラゴンは希少種(レアモンスター)であるので、ちゃんと遭遇できるかどうかは少々怪しい所だが。

 

 しばらくモンスターを斬り伏せながら進み、少しだけ息が上がってきた頃にようやく11階層に通じる階段を発見する。討伐したモンスターの数は三桁は超えないと思うが、五十は過ぎていると思う。

 まだ体力も精神力も余裕はあるが、そろそろ休息するべきか。

 

 私は11階層に降りつつ、始点のルームに留まってその場で座り込み、ベルトポーチから大して美味くも無いブロック状の携行食を取り出してベリベリと包装を剥がす。

 

 姿を出した成型クッキーを齧れば、大して美味くも無い素朴な味が口に広がる。

 

 うん、美味しくない。

 

 それでもまともな食糧が殆ど存在しないダンジョン内では貴重な栄養源だ。数分で携行食を平らげて、パサパサに乾いた喉を水筒の水で潤す。

 

「……静かだなぁ」

 

 ふと思う。近くに話し相手でもいてくれればいいのに、と。

 

 長時間ダンジョンに潜っているとこんな事をたまに思う。死と隣り合わせの環境と長々と付き合ってきたが、やはり寂しさだけは紛らわせられる気がしない。

 

「……そろそろ行こう」

 

 携行食の包装を丸めてポーチに突っ込みながら、私は11階層の奥へと進んでいく。が、珍しくモンスターとの遭遇が全く起こらなかった。もしかしたら近くで何処かのパーティが狩りでもしているのかもしれない。

 

 一度正規ルートを外れて別の場所を当たるか、と私が考えて――――その直後にそれは起こった。

 

 

『――――ォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!』

「――――うわぁぁぁあああああぁあああああっ!!?」

 

 

 頭が揺れたと思ってしまうほどの大音量の咆哮と、それに伴う悲鳴が轟いた。咆哮によって少しの間だけ身体を硬直させながらも、復帰した瞬間私は声のした方向へと駆けだしていた。

 

 一分にも満たない疾走の末見えたのは、広い部屋で()()()インファント・ドラゴンに襲われている冒険者の一団(パーティ)。絶対数が五匹という少なさを誇っている希少種が、二匹。

 

 一体どんな不運持ちが居ればそんなことになるんだ。いや、むしろ幸運なのか。

 

 私は即座に頭の中で彼らを見捨てる判断を下した。小娘一人が助けに入ったところで状況なんて変わる筈がない。むしろ足並みを乱して死亡率を跳ね上げかねない。

 

 歯噛みしながら、私は踵を返そうとして――――インファント・ドラゴンの攻撃を避けるために地面に転がった冒険者と、目が合う。

 

「……………あ」

 

 助けを求める者の目だった。殆ど無意識に私は手を伸ばして――――瞬間、その冒険者の頭がインファント・ドラゴンの前足に踏みつぶされた。

 

 湧き上がる悲鳴と、轟く咆哮。

 

 纏わりつく空気が鉄の様に重く感じて、頭の中から先程の冒険者の目が焼き付いて離れない。私が動いていれば、彼は助かったのだろうか? わからない。だが、今、言えることは――――

 

 

 ――――私は、彼らを助けたいと思っているということだ。

 

 

「うあぁぁぁぁああああぁああああああああああああ――――っ!!!」

「なっ、子供!?」

「馬鹿っ、早く逃げろ!」

 

 突然現れた年端もいかない少女に動揺する冒険者たちだったが、私はその声を無視してインファント・ドラゴンへと跳んだ。

 

「【地よ、震え上がれ(エダフォス)】ッ!!」

 

 詠唱と共に現れた岩石を剣に纏わせ、最高の一撃をこちらの存在に気付いていないインファント・ドラゴンの頭部に叩き込んだ。瞬間、体高一五〇C、体長四M超の小竜の頭が跳ね飛び、琥珀色の鱗を剥がれ落ちさせながら横に倒れ込んだ。

 

 だが死んでもいなければ気絶もしていない。頭を叩かれて身体のバランスを崩しただけだ。インファント・ドラゴンはこちらを恨めし気に睨みながら倒れていく身体を捩り、その長い尻尾を鞭のように使って私を殴り飛ばした。

 

「がっ――――」

 

 岩石の装甲による自動防御が働き、その衝撃は大分緩和された。が、それでも宙に浮く子供一人の体を吹き飛ばすには十分であり、尾の一撃を食らった私は地面へと叩きつけられる。

 

「っ、はぁっ――――【風よ、舞い上がれ(フルトゥーナ)】ァッ!」

 

 すぐさま復帰しながら魔法を風の属性に切り替え、加速。未だ倒れ伏したままのインファント・ドラゴンの喉へと這うように駆ける。

 

 太古から数々の英雄譚で語られるように、竜種とは数あるモンスターの中でも最強に位置する種だ。鋭い爪と牙、巨大な肉体とそれを保護する金属の様に硬く柔軟な鱗。だが同時に、竜という存在には特殊な弱点がある。顎の下に生えている、無数の鱗の内、()()()()()()()たった一つの鱗。

 

 即ち、逆鱗である。

 

 この逆鱗の存在は鱗と鱗の間に隙間を作る。そしてその場所は喉。つまり、急所と重なっているのだ。

 

 その隙間を狙って剣を突き刺し、致命傷を与えて勝つというのは数々の英雄譚における定番の流れ(セオリー)だ(私はあまり読んだことは無いが)。そしてそれは私の目の前に居るインファント・ドラゴンも例外では無い。

 

「はぁぁぁああ――――っ!!」

 

 全ての風を推進力へ変え、私は一つの弾丸となりながら全力でインファント・ドラゴンの逆鱗と思しき個所へと《アグノス・ソード》の切っ先を突き込んだ。凄まじい加速が加わった強烈なピンポイント攻撃は、偶然か必然かインファント・ドラゴンの鱗の隙間に刺し込まれ、喉にあるその動脈を深く傷つける。

 

 すぐさま抜き放ち、後退。一秒の間もなくインファント・ドラゴンの傷からコポコポと血液が泡と共に噴水の如く吹き出し始めた。間違いなく、仕留めた。だが――――

 

 

『オォォォォォォオォォオオォォオオォオオオオオオオ!!!!』

 

 

 もう一匹のインファント・ドラゴンは同族の死を見て、嘆く様に、怒るようにルーム全体を揺らす大音量の咆哮を吐いた。洒落にならない威圧と迫力。そして生物としての本能がけたたましく警鐘を鳴らしている。

 

 先程の一匹は不意打ちで倒せた。では、正面からは大丈夫なのか――――?

 

 不安で体が震え出す。正面から相対して初めて私は目の前に居る小竜の恐ろしさに気付く。先程までは興奮によって意識せずにいたが――――やはり、恐ろしい。

 

 唇を噛み切って、痛みで恐怖を誤魔化しながら私は《アグノス・ソード》を正面に構える。

 

 僅かな隙を見て背後の冒険者一団を見るが、先程の咆哮で完全に我を忘れて固まっている。最悪だ。気持ちはわからなくも無いがせめて逃げる素振りくらいは見せて欲しい。

 

 視線をインファント・ドラゴンに向け直す。

 

 

 そこにあったのは、インファント・ドラゴンが同族の死骸から取り出した魔石をかみ砕いている光景だった。

 

 

 

「――――――――へ?」

 

 ガリッ、ガリッと噛み砕かれる巨大な魔石。インファント・ドラゴンはそれを咀嚼し終えて飲み込むと、ビクンビクンと身体を揺らす。

 

 身体の節々から吹き出す蒸気。表皮を迸る魔力の流れ。琥珀色から深紅に変色していく全身の鱗。何より肥大化していく巨体は元々の一五〇Cを越えて、その二倍の三Mにも届かんばかりの大きさにに変貌した。

 それは、まるでお伽噺に出てくるような。

 

 怪物(モンスター)だった。

 

 

 インファント・ドラゴン、強化種

 

 

 Lv.1にとっての絶望が君臨した。

 

 

 

 

 

「全員逃げてぇぇぇぇぇぇぇえええええええええええっ!!!!」

『オォォォオオオォォオォオオォオオォオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!』

 

 

 

 

 

 私の絶叫は魔竜の咆哮にかき消された。

 

 

 

 

 

 




竜種の逆鱗設定は独自設定です。でもドラゴンだし逆鱗くらいあるでしょ(狩人並み感)

上級の冒険者になるとそんなもん狙うより普通に首撥ねてぶっ○すか魔法叩き込んで殲滅する方が早いだけなんだよきっと(願望)


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第七話:魔竜征伐

 モンスターは稀に魔石を食すことで冒険者が【ステイタス】を更新するように、その能力が大きく変化する場合がある。ゴブリンやコボルドのような格下モンスターの魔石ならばほぼ変化は無いが(同種が食らうならまた別の話になるが)、仮に何らかの要因で自身と同格かそれ以上のモンスターの魔石を食らった場合、その基礎能力は大きく跳ねあがる。

 

 冒険者たちはその変化したモンスターを総称して”強化種”と呼んでいる。

 

 強化種は通常個体と比べて基礎能力だけでなく行動パターンも大きく変化している。まるで()()()()()()()()()()()()()()()。故にその危険度は元の個体と比べ物にならず、酷い場合は大規模な討伐隊が組まれる程だ。

 

 そして目の前に居るのは、インファント・ドラゴンの強化種。

 

 上層の階層主とまで言われるその小竜は元の姿と比べて二倍近い巨体へと変貌し、琥珀色だった鱗も鮮血の様に赤く変色している。何より特徴的なのは、身体の表面を血液の様に迸っている赤黒い魔力の流れ。

 

 推定Lv.2以上。駆け出し(Lv.1)が相手にするには絶望的過ぎる魔竜は、矮小な冒険者たちを嘲笑うように唸り声を上げる。

 

「っ、ぁ、あぁ……」

『オォォオオォオォオオオオ――――ッ!!!』

 

 後ろの冒険者たちの様に、理解を超えた現実に硬直してしまう私の体。本能が叫ぶ絶叫に反して、身体は全く動かない。恐らくこの現象は強制停止(リストレイト)。相手に一切の行動を許さない強者にのみ許された王者の一喝。

 

 Lv.2ならば抵抗出来たかもしれないが、此処に存在する冒険者は全員Lv.1。抗える道理など無く、インファント・ドラゴンは笑みの様な物を浮かべながらその体を大きく振り、長大な尻尾で私を含む冒険者の一団を無慈悲に薙ぎ払おうとした。

 

「ッ――――【地よ、震え上がれ(エダフォォォォォォス)】!!」

 

 その尻尾がこちらへと当たる前に辛うじて復帰に成功した私は完全に己の直感に任せて動いた。超短文詠唱を唱えて岩石を召喚し、それを手に纏わせて地面に叩き付ける。

 

 直後、厚さ二十Cもの分厚い石の壁が眼前に生成される。インファント・ドラゴンの尻尾による薙ぎ払いはその壁に直撃し――――しかしその勢いを殺し切ること叶わず壁は破壊され、地面を抉りながら私たちは全員纏めて尻尾に殴り飛ばされた。

 

 身体から聞いたことも無いような、何かが()()()音が響く。

 

「がふっ……!?」

 

 激痛と共に地面を転がる。どうにか上体を起こそうとするが、左胸から貫くような痛みが走ってその邪魔をする。これは、間違いなく肋骨が折れた。

 

 だがこれはむしろ幸運と言える。肋骨一本程度ならまだ戦うことはできるし、何より咄嗟に壁を作らなければこの程度のダメージでは済まなかった。

 

 後ろを見れば冒険者の一団も復帰不可能なダメージは負っていないらしく、全員フラフラと立ち上がり始めている。

 

「みんなっ、逃げて! 私たちじゃ敵わない!」

「わかってる! おいお前ら、早く撤退を――――」

 

 アレは無理だ。一匹目のインファント・ドラゴンは不意打ちに近い形で倒せたものの、こいつは格が違う上に正面から相対することを余儀なくされる。勝ち目は限りなく低い。故に私は戦闘継続か即時撤退かの二択を突きつけられ、ノータイムで撤退を選んだ。

 

 そしてその選択は全く間違っていなかった。

 

 間違っていたとしたら――――私たちは、強化種という存在を侮っていたことだろうか。

 

 

『ウォォォオオォォオォォオオオオオオオ――――ッ!!』

 

 

 咆哮と共にインファント・ドラゴンはその大きな口腔を限界まで開いた。瞬間、その口内で膨大な魔力が収束し始め、やがて炎熱へと変換されていく。

 

 まさか。

 

 そう思った直後に、ソレは放たれる。

 

 高圧縮の炎の塊が大砲から撃ち出される砲弾の如く、凄まじい速度で私たちが向かおうとしたルームの出入り口の天井へ直撃。盛大な破砕音をまき散らしながら天井は崩壊し――――出入り口は崩落する岩盤の山で埋められてしまった。

 

 全員が、言葉を失う。

 

 何故か。

 

 出入り口は塞がれてしまったが、別に脱出口は此処一つでは無い。もう一つ、ある。

 

 ただしその前にインファント・ドラゴン(絶望)が立ちはだかっているという最大の問題が存在するのだが。

 

「なんっ、なんだよ……っ!!」

 

 誰かが零した言葉は全員の心を代弁するものだった。

 

 当然だ。確かにインファント・ドラゴンは竜種に類するものではあるので、炎も吐けるだろう。だが決して迷宮の一部を大きく崩落させるような威力では無かったはずだ。モンスターが生まれたばかりで穴だらけになっているならともかく、健常な迷宮の壁を此処まで破壊できる威力なんて上層にいるモンスターではまずあり得ない。

 

 だが、目の前で起こった現象は紛れも無い現実だった。現に先程まで無事であった出入り口は見事に塞がれてしまっている。これではもう逃げることはできない。

 

 そうやって狼狽える私たちを見て、あの強化種(理不尽)は嗤うように唸り声を漏らした。

 

「っ…………!!」

 

 唇を噛みながら、手から零れそうな《アグノス・ソード》を構え直す。

 

 やるしかない。

 

 生き残るには――――あの魔竜(インファント・ドラゴン)を倒すしかない。もはや、それ以外に道はなく、もう一つの死を受け入れるという選択は断固として御免だった。

 

 

「全員っ――――構えろぉぉぉぉおおおおおおおッ!!!」

 

 

 周囲に満ちる恐怖を吹き飛ばしたい一心で、私は腹の底から鼓舞するように叫んだ。

 

 私一人では無理だ。ならば後ろにいる彼らの手を借りる他ない。冒険者は迷宮内では互いに不干渉という暗黙の了承(ルール)があるが、今はそんなもの糞くらえだ。一人でも多く生き残るために嫌でも協力してもらう。

 

「どんな手段でも構いません! あのインファント・ドラゴンの動きを止めてください! その隙に最速の一撃を急所に叩き込みます!!」

「む、無茶だ! できるわけない!!」

「できなければ死ぬんです! 選んでください、戦って勝つか、何もせずに死ぬか!」

「っ……!」

 

 私の言葉に全員が息を飲んだ。迷っているのだろう、アレに立ち向かうことに。

 

 気持ちは、わかる。私も怖い。逃げたいさ。だけど、それでも――――約束したんだ。

 

 

 生きて帰るって。

 

 

『ヴォォォォオオォォオォオオオオォオォオオオオッ!!!』

 

 

 インファント・ドラゴンが咆える。そしてその太く強靭な四肢を動かして移動を始めた。その様はさながら自走する小山だ。ぶつかれば一溜りもないだろう。

 

 そして竜は跳躍し――――その前脚を大きく振りかぶった。

 

「避けろぉぉぉぉッ!」

 

 後ろからの声に応えて私は全力で側面へと飛び込んだ。直後背後から爆弾が爆発したような破砕音が轟き、私の背中へと石つぶてが幾つか叩き込まれる。背中からミシリと嫌な音がしたが、まだ許容範囲だ。

 

 地面を転がって素早く立ち上がり、私はインファント・ドラゴンを睨みつける。

 

 顎の下、一つだけ逆さに生えた鱗。逆鱗。巨竜の持つ唯一の弱点。

 

 アレさえ突ければ――――。

 

「っ――――!!」

 

 すぐさまインファント・ドラゴンはもう一方の前足を振り上げて、私の方へと振り下ろしてきた。回避は体勢を整えたばかりで間に合わない。私は回避を捨てて防御を選び取り、力を纏わせた手を地面へと打ち付けて隆起する岩を私を包む殻の様に形成し、すぐに《アグノス・ソード》の腹に手を添えて盾の様に構える。

 

 瞬間、衝撃。

 

 岩の殻を悠々と貫通したインファント・ドラゴンの手は《アグノス・ソード》と衝突した瞬間小さなクレーターを形成。そのあまりの威力に両手が悲鳴を上げて、抵抗空しく片膝が地面に突く。

 

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああっ……!!」

 

 インファント・ドラゴンは私の悲鳴が面白いのか、まるで搾り取るようにゆっくりとその手に加える力を増していく。その度に地面の罅が広がり、私の全身が絶え間なく悲鳴を上げ続けた。

 

 まず、このままだと、死――――。

 

 

「――――【アイシクル・バースト】ォッ!!」

 

 

 強烈な冷気の爆発が起こる。

 

 思わず声のした方向に目を向ければ、名も知らぬエルフの女性が震えながらも杖を構えていた。彼女は、勇気を振り絞ってこの魔竜に立ち向かうことを決意したのか。

 

 おかげでインファント・ドラゴンの注意が私から逸れて力が緩む。その隙を逃さず全力でインファント・ドラゴンの手を弾き飛ばそうとして――――煩わしい虫を払うように吹き飛ばされた。

 

「ぁ――――」

 

 宙を舞い、地を転がる。幸いだったのは吹き飛ばされた方向が冒険者たちの居る方向だったことか。おかげで分断されて孤立せずに済んだ。

 

「立てお前ら! こんな小さな子供が戦ってるんだ……俺たちが諦めてどうする!」

「そうだ……俺はこんな所で死にたくない!!」

「どんな手段を使ってでもいい! あのモンスターの足止めを!」

 

 一人の勇気が伝播するように、やがて冒険者全体へと広がる。

 

 (希望)が、届いた。

 

「総員、魔剣用意!! 【()()()()()()()()()】の意地を見せろォ!!」

「【()()()()()()()()】の底力を舐めるなぁッ!!」

 

 倒れた身体を、《アグノス・ソード》を杖代わりにして立ち上がる。不思議と、彼らの声を聞くと力が湧いてくる。希望が満ちるたびに喜びがあふれてくる。たとえ絶体絶命の窮地に陥っているとしても――――勝てる可能性が残っているのならば、私は諦めない。

 

 

 ――――【■■■■■■】。

 

 

「え……?」

 

 頭の中で何かのスイッチが入ったような、おかしな感覚が生じた。

 

 何が起こったのかはわからない。だが身体の奥底から何かが湧いてくる。これは……力? それが全身に染みわたるようで、不思議な気分になる。

 

 ただ、今言えることは一つだけだ。

 

 

 これなら、()()()

 

 

「【慈悲無き冷気よ、命を摘む極寒の風よ。今こそ敵を凍てつかせ給え――――】」

「【罪人を戒めるために現れる黒曜の鎖。悪しき物を縛り付け、頭を垂れさせよ――――】」

 

 

 二つのファミリアの魔法使いらしきエルフたちが詠唱を始めた。それを察知したのかインファント・ドラゴンは雄たけびを上げながらまたもや口を大きく開く。

 

 

『オオォォオオォオオォオォオオオオオオオオ――――ッ!!!』

 

 

 咆哮と共に畜力(チャージ)される業焔の塊。衝突すれば冒険者の群れなど一瞬で蒸発するだろうその攻撃に魔法使いたちは悲鳴を上げそうになるが、盾を構えた冒険者たちが前に出てくることで恐慌は避けられる。

 

 撃ち出される炎の塊。悍ましく揺らめきながら迫るソレは、明らかに駆け出し(Lv.1)の扱う盾程度では防ぎきれない代物。

 

 だが――――その威力を減衰させる方法は、ある。

 

 

「――――【水よ、噴き上がれ(プリミラ)】ァァァァァァァァッ!!!」

 

 

 私の叫びと共に盾を構えた冒険者たちの前に水の壁が展開された。

 

 インファント・ドラゴンへ突撃するための余力を残しながらも、可能な限り最大限の出力で作り出した冷たい水の装甲。それは竜の吐いた炎弾とぶつかり、水分の大半を蒸発させながらその火力を大きく減衰させることに成功する。

 

 貫通した炎が盾にぶつかる。元の威力を保っていれば容易く消し炭にして有り余る威力だったのだろうが、水の壁でその勢いのほとんどを殺された炎弾は冒険者たちの構えた盾で十分に防ぎ切れるレベルまで劣化していた。

 

 攻撃を防ぎ切った。同時に魔法使いの詠唱が完了する。

 

 

「【アイシクル・バースト】!!」

「【バインド・オーダー】!!」

 

 

 二重に展開された魔法円(マジックサークル)の中で冷気の爆発が起こり、直後に無数の黒い鎖がインファント・ドラゴンの全身を縛り付けた。火炎放射という大技を使った直後のインファント・ドラゴンに回避する暇は無く、冷気によって身体の機能を低下させられ、無慈悲に全身を拘束されたのだ。

 

 そして魔竜は今、完全に身動きが取れない状態に陥った。

 

 これが最初にして最後のチャンスだ。

 

 

「――――全員下がれぇぇぇぇぇええええええええッ!!!」

 

 

 絶叫、そして、疾駆する。

 

「【風よ、舞い上がれ(フルトゥーナ)】ァァァァァァァアアアアアッ!!!」

 

 轟嵐を纏っての超加速。Lv.1では捉えることすらできない超絶的な速度で私は魔竜へと突撃する。巻き起こる強風で進路上にある全ての障害物を破壊しながらルームを駆け抜ける。

 

 

『オォォォオオオォォオオオォオオオオオオオオオオオ!!!!』

 

 

 ようやく自分の命が刈り取られる恐怖を感じ始めたのか、インファント・ドラゴンが全力で身を捩り始めた。その結果起こったのは鎖の一部を破壊しての腕の振り上げ。マズイ、これでは――――。

 

「撃てぇぇぇぇぇぇええええッ!!!」

 

 背後から幾つもの魔力の奔流が飛び出し、振り上げられたインファント・ドラゴンの腕を弾き飛ばした。

 

 一瞬だけ背後を見れば、何人もの冒険者が魔剣――――魔法が込められた剣を手に、私を見つめていた。

 

 そして口が動いた。――――行け、と。

 

 視線を魔竜に戻して、私は跳躍した。風の弾丸となった私は《アグノス・ソード》を限界まで引き絞り、加速のままその剣の切っ先を――――魔竜の逆鱗に、叩き込んだ。

 

 だが、まだ終わらない。こいつが絶命する最後の一手を私は切った。

 

 

「――――【炎よ、燃え上がれ(プロクス)】ゥゥゥウウウウウッ!!!!」

『ガァァァアアァアァアァアアアアアアアアァアアッ!?!?』

 

 

 全身から炎が迸り、それが《アグノス・ソード》へ収束し――――魔竜の体内で炎熱の奔流は炸裂した。

 

 内からの爆発。どれだけ頑丈な表皮や鱗を持っていたとしても、身体の内側からの爆発を防ぐ術など存在しない。そして《アグノス・ソード》が突き刺したのは逆鱗の奥。即ち()()である。

 

 動脈の中で起こった超高温の爆発。刃伝いに炸裂した炎が血管の中で荒れ狂い、それでもわずかな抵抗を試みるインファント・ドラゴンだったが――――機能不全となった脳が、その巨体からすべての力を奪う方が早かった。

 

 その巨大な眼から光が消える。

 

 噴き出した血液で滑り、《アグノス・ソード》の刃が竜の体から滑り落ちて私の体は地面に落ちた。ほぼ同時に、インファント・ドラゴンの巨体が倒れる。その様を誰もが無言で見つめ、大きな地響きが起こっても誰も言葉を発することができずにいた。

 

 ……ようやく、静寂が訪れる。

 

 絶望が、切り裂かれた。

 

 

「い――――よっしゃぁぁぁぁぁぁあああああああああ!!!!」

 

 

 その声を起爆剤に、冒険者たちは歓喜の声を上げた。理不尽とも言える脅威を退け、生き残れたことに多大な感謝を捧げた。諸手を挙げ、互いに抱き付き合い、涙を浮かべて喜び合う。

 

 できれば私もそれに混ざりたかったが……残念ながら、もう意識が持たない。

 

 精神疲弊(マインドダウン)。文字通り全ての精神をつぎ込んだ一撃を放ったせいで、意識を保つことすら難しくなっている。願わくばあの冒険者たちが私を地上に連れ出してくれることを祈りながら、私は瞼を閉じた。

 

 少し、疲れてしまった。

 

 

 ちょっとだけ、寝よう――――。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 壁に立てかけられた時計が夜の十時を刻むのを見て、アイナは手に持った書類の束を机に叩いて整えながら、ぐぐーっと背伸びをする。

 最近色々とゴタゴタしているせいか身体に疲れが溜まっているようで、もう書類を数えるのも疲れてきたため息を吐きながら荷物をまとめて同僚への挨拶を済ませてからギルド本部を出た。

 

 陽は既に沈み、暗闇の中で真っ白な月が空に輝いている。

 

「……アイリスちゃん、大丈夫かな」

 

 自身が専属のアドバイサーとして付いている冒険者の少女、アイリスについてアイナは思いを馳せた。

 

 今日から本格的に遅くまで潜ると言っていたが、まさか今もまだダンジョンの中にいるのではないか? そう思うと沈鬱とした気分が彼女の中で広がった。朝では非常事態であることとロキの決死の説得によって12階層まで潜る許可を出したものの、やはり少女に茨の道に進み出す後押しをしてしまったという罪悪感が渦巻いているのか。

 

「こういう事態にならないための大人なのにね……」

 

 ギルドは冒険者やファミリアの管理をしているが、その自由意思までは縛れないし、何より中立の立場だ。片方がどれだけ凶悪だろうと、片方がどれだけ善良であろうと、どちらかに肩入れすることは許されないのだ。

 

 それはギルドが設立された千年前からの鉄則であり、個人の意思で曲げられる物では無い。

 

 どれだけ一人で頑張っている少女を助けたいと思っても、アイナ個人でできることなんて高が知れている。かと言って職員としての権限を濫用するわけにもいかない。

 

 深い、深いため息が彼女の口から漏れた。

 

「あ」

 

 顔を上げれば、いつの間にかアイナはバベルの前まで来てしまっていた。考え事をしながら歩いていたせいで、体が勝手に此処まで歩いてきてしまったらしい。

 

 一応、彼女の住宅がある北のメインストリートに通ずる場所ではあるのだが……アイナは苦笑いをしながら、軽くバベルの中を見て回ることにする。

 

 もしかしたら、あの少女が中にいるかもしれないと思って。

 

「……うん、もし会えたらご飯でも買ってあげよう!」

 

 励ましの言葉や、こんな物しか買ってあげられないけど、それでも個人として全力で彼女を応援しようとアイナは既に決めている。彼女の中ではもうアイリスは世話のかかる妹の様な存在になっていた。

 

 実際アイリスの方もアイナの事を怖い姉のようだと思っていたりする。

 

 バベルの門をくぐり、深夜近くになっても未だ活気が消えない巨塔の中を見渡す。

 

 しかし目当ての少女は見当たらない。まあ、そう都合よく見つかるわけがないよね、とアイナは苦笑しながらバベルの中を通り過ぎて北のメインストリートへと繋がる門を潜ろうとして――――

 

「――――おい急げ! ちゃんと息はしてるよな!?」

「安心しろって。ただの精神疲弊(マインドダウン)だ。大きな怪我も見当たらないから死んだりしねぇよ」

「いいから早くしなさい男ども! 助けられた恩くらいキビキビ返しなさい!」

 

 そんな、やけにはっきりと聞こえる声に思わずアイナは振り向いた。

 

 そして――――冒険者の集団が、よく見知った顔の少女を抱えているのを見つける。そこからのアイナの行動は早かった。

 

「あっ、あの!」

「あん……? なんでギルドの職員が……」

「こ、この子のアドバイサーなんです! 一体何があったんですか!?」

 

 よく見れば少女、アイリスの顔色は酷く悪いものだった。息こそしているもののかなり弱っており、今にも死にそうな様子である。そしてアイナはこの現象を知っている。

 

 精神枯渇(マインドゼロ)。文字通り、全ての精神力(マインド)を絞り切った状態。治療をせずに放っておけばそのまま衰弱死しかねない危険な状態である。

 

「その、詳細は省くけど、私たちがインファント・ドラゴン二体に襲われて」

「……は?」

「一体はこの子が倒したんだけど、もう片方の一体が倒したインファント・ドラゴンの魔石を摂取して強化種になって」

「……ん?」

「その場にあった全戦力でこれを倒したんだけど、この子が無理をし過ぎて倒れて。ポーションの類はもう無いから、早く治療するために急いで地上に出てきたのだけれど……」

「んんん???」

 

 アイナは頭がどうにかなりそうだった(三回目)。

 

 インファント・ドラゴンの二体同時遭遇は、まあいいだろう。前例が無いわけでは無いし、運が悪ければ十分あり得ることだ。

 

 そしてインファント・ドラゴンの強化種。これも許容範囲だ。強化種になるモンスターに制限など無いのだから。起これば最悪の事態だが。

 

 で――――それを倒した? この少女が? 上層の階層主と呼ばれる小竜の一匹を倒し、剰え強化された個体まで?

 

 口から泡を吹いて倒れそうになる衝動を限界まで抑えつけながら、アイナはかぶりを振る。こんな事で驚いてる場合じゃない。一刻も早くアイリスを治癒施設へと運ばねばならない。

 

「っ……こちらです! 急いでください!」

 

 バベル中央の魔石昇降機(エレベーター)に乗ってアイナたちは塔を登った。公共用の医療施設まで運ぶために。

 

 昇っている最中に、アイナはヒューマンの男性の腕の中で眠っている少女の頬を撫でる。

 

 

「……ちゃんと、約束守ってくれたんだね」

 

 

 色々言いたいことはあるが、それでもまず彼女は彼女の帰還を祝福した。

 

 心なしか、少女が笑みを浮かべたような気がした。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 意識が、起き始める。

 

 瞼の僅かな隙間から差し込む光に気付いて、少しずつ目を見開いていくと、見覚えのない天井がまず見えた。白く清潔な石の天井。そして窓から差し込む陽日。ふかふかのベッドと枕。

 

 上体を起こせば身体にかかっていた毛布が崩れ落ち、自分が今アーマードレスではなく、無地の患者衣を着ていることに気付いた。そしてやっと、自分が今いる場所が病室だと気づく。

 

「確か、私は……インファント・ドラゴンを倒して……」

 

 そこから記憶が途切れている。自力で此処まで来た覚えがない、という事はあの冒険者の一団がちゃんと私を地上まで運んでくれた、という事か。

 

 感謝しなければ。

 

 そう考えた矢先、ガチャリとドアノブが鳴る。看護師でも訪れたのかと顔を上げてみれば、見えたのは朱色の髪と細目を持つ、よく見知った顔だった。

 

「……ロキ様?」

「ん? ……あぁぁぁぁぁぁやっと起きたぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 そんな絶叫を挙げながらロキ様が飛びついてきた。もう慣れたので私も手を広げて抱きとめる。

 

 途端に、私の中で安心感が広がった。――――ああ、帰ってこれた。

 

「ホンッッット心配したんやからなぁ! 何でインファント・ドラゴンの群れに突っ込むなんて無茶したんや! そんなやられてうちが喜ぶとでも思ったんかいな!?」

「……ごめんなさい。でも、見捨てられなくて……」

「はぁぁぁ……優しすぎるのも難点やなぁ……」

 

 正直、自分でもおかしな行動に走ったとは思う。頭では無茶無謀とわかっていた。だけど、今はもう居ないあの冒険者の目が、助けを請う意思を見たら、居ても立ってもいられなかったのだ。

 

 絶望している彼らに、希望を与えたかった。

 

「ま、大きな怪我は無いようやし、今回は許したる。むしろゼウスとヘラのジジババに恩を一つ売れたってだけでお釣りが来るわ!」

「……? あの、ロキ様。私肋骨が折れたと思うんですけど……」

「へ? あ、あー、それな。……んー、そろそろ隠すのもキツくなって来たし、教えるしかあらへんか……」

 

 何か違和感を感じる。骨が折れたのならそれは十分大きな怪我であり、自然治癒で完全に治るのはあり得ない。もしポーションで治療を済ませていたとしても、治療の代金を請求する医者がそれを主神に報告しないだろうか。

 

 それともまさか骨折は私の気のせいだったのか? ……いや、あの生々しい音と痛みは確かに……。

 

「実はなアイリスたん……アイリスたんは自動回復系のスキルを持ってるみたいなんや」

「え……ええええ!? スキルですか!? 私に!?」

()()()やけどな」

 

 そう言いながらロキ様はかなり難しい顔をした。そして、言い方が妙に曖昧だ。どういうことなのだろうか?

 

「実は、アイリスたんの持つスキルは()()()()なんや。うちでもどうしてかそんなことが起こっているのかよーわからんけど、とにかく詳細が表示されないせいで効果が全くの謎なんよ」

「なるほど……その詳細不明のスキルが自動回復系のスキルかもしれない、と」

 

 詳細不明の自動回復スキル。確かに便利だとは思う、が……”代償”がわからない以上かなり扱いが面倒そうだ。

 

 スキルの詳細が分かれば正確な運用もできるのだが、ロキ様曰く何故か解読不能らしい。神の恩恵(ファルナ)に不具合でも起こったのだろうか? それとも私の体に何か異常が起こって……?

 

「ま、とりあえず此処で【ステイタス】更新しよか。どうせ今日もダンジョンに潜るつもりやろし、人が来ないうちにさっさと済ませておくべきやろ」

「あ、はい。お願いします」

 

 患者衣を脱いで背中を晒し、ロキ様へと背を向けた。それから数秒して、彼女の指が背中を走る。

 

 幾ばくかの間無言が続いて――――

 

 

「――――ぶほわぁぁぁぁああああああぁっ!!?」

「!?」

 

 

 静寂はロキ様が悲鳴を上げながら吹き出すのと同時に卒倒したことで終わりを告げた。

 

「……………ゴフッ」

「えっ、ロ、ロキ様!? ロキ様ぁぁぁぁぁぁあああああ!?」

 

 その日、バベルの病室で少女の悲鳴が轟いた。

 

 

 

 

 アイリス・アルギュロス

 Lv.1

 力:E482→SS1026

 耐久:G257→A854

 器用:E428→S997

 敏捷:D512→SSS1120

 魔力:G254→S980

 《魔法》

 【■■■■■】

 ・現在使用不可

 【フィシ・ストイケイオン】

 ・付与魔法(エンチャント)

 ・速攻魔法

 ・地、水、火、風属性から選択可能

 ・■■■■■■

 ・詠唱式【地よ、震え上がれ(エダフォス)】【水よ、噴き上がれ(プリミラ)】【炎よ、燃え上がれ(プロクス)】【風よ、舞い上がれ(フルトゥーナ)

 【】

 《スキル》

 【■■■■■■】

 ・生きている限り試練が訪れ続ける

 ・窮地時に全能力の超高域強化

 ・獲得経験値(エクセリア)の大幅増加

 ・諦観しない限り効果持続

 ・自分と周囲が希望を抱くほど効果向上

 【■■■■】

 ・解読不能

 【■■■■】

 ・解読不能

 

 

 




Q.こんな成長おかしいだろ。加減しろ馬鹿
A.自分と”周囲”が希望を抱くほど効果向上

自分だけでなく周りの影響も受けるんですよこのスキル……。


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第八話:神会の行方

 神会(デナトゥス)

 

 神々の主催で行われる三ヶ月に一回の定期的な集会。外面上は神々が神意をぶつけ合う厳粛な雰囲気の元進む会議――――と思われているが、事実上の神々に取っての暇つぶしの雑談場である。

 

 そもそも元をたどれば一部の神々が退屈しのぎに企画した一種の集会であり、時間を持て余した神々が些細なことを駄弁り合うというもの。参加する神々が多くなるにつれ、やがて最新情報の交換場という風に変質こそしたが、やはりというか本質に変わりはない。

 

 とはいえLv.2に昇華(ランクアップ)した冒険者に二つ名を付けるという重大な役目も担っているのでそう馬鹿にできるものでは無いのだが。

 

 そんな神会(デナトゥス)が行われるのは、都市中央に位置する摩天楼(バベル)の地上三十階。

 

 塔を改装し一つのフロアを丸々使って出来た大広間はほぼすべての仕切りが取り払われ、広い空間にぽつんと巨大な円卓だけが置かれている。また、奥の壁際には硝子が周囲に張り巡らされているおかげで何処からでも空を一望できるのも特徴だ。

 

 上に階層があることを知らなければ、さながら空中に浮かぶ神殿の様に思えるだろう。

 

「――――んで? 今日の議題これで終わり? つまんねぇ~」

「しゃーねーじゃん。最近王国(ラキア)も大人しいし。ゼウスんとこの団長に一発ぶちかまされたのが相当堪えたんだろ」

「あー、アレか。本隊に『神域雷霆(ケラウノス)』落とされたんだっけ。アレはすごかったなマジで」

軍神(アレス)が発狂寸前になったらしい。草生える」

「プギャーwwwwwwwww」

 

 一度話題が盛り上がり始めると其処彼処から嘲笑の声が聞こえてくる。その後も神々は各々の話を好き勝手喋っては適当に駄弁っている。

 

 そんな無秩序な様子に、今回の神会(デナトゥス)初参加のロキはうんざりしていた。

 

 彼女のファミリアはLv.2を保有していない故に本来ならば神会(デナトゥス)に参加する資格はないはずなのだが、今回は特例として参加を許可されたのだ。そして何が起こるかわからないので気を引き締めていってみれば、この様である。

 

 思わずため息が漏れるのを抑えることも叶わず、ロキは騒ぎが自然消滅するまで頭を抱えながら耳を塞いだ。

 

 

 ――――そして、とある女神が片手を挙げたことでその騒ぎは沈静化を見る。

 

 

 縮れた長い黒髪の、不気味な笑みを顔に張り付かせている女神。アパテー。今まで神会(デナトゥス)に殆ど顔を出さなかった女神が突然手を挙げるという行為を行った事で、騒いでいた神々は興味津々になり、騒ぐより耳を傾けるのを優先したのだ。

 

「ふむ……どうやら私は予想以上にお前たちの興味を集めているらしいな。では本題から入ることにしよう。――――【ロキ・ファミリア】と戦争遊戯(ウォーゲーム)を行うことになった」

『いぇええええええええええええええええええッ!!』

戦争遊戯(ウォーゲーム)なんで何時ぶりだよ! てかロキ下界に来てたのかよ。全く気付かなかったわ」

「久々の宴だぜー! ……あれ? 【ロキ・ファミリア】ってLv.2居たか? てか名前を聞いたことすらないんだけど?」

「おいロキ、お前いつ下界に降りてきたんだ?」

「……一ヶ月くらい前や」

「??? じゃあ眷属の数は?」

「一人」

 

 ロキがそう答えた瞬間、今までの盛り上がりが嘘のように冷めていった。先程まで顔を輝かせていた神々は例外なく道端に転がった犬の糞を眺めるような顔をする。

 

 それはそうだ。神々は娯楽を求めはするが面白味のない出来勝負(レース)を見たいわけでは無い。面白そうなら出来勝負(レース)であろうと全力で楽しもうとするだろうが。

 

 しかし今回の場合は主催が悪評高き悪神(アパテー)のファミリアである。関わると絶対に碌なことにならないし、そもそも関わり合いたいともあまり思えないため、大半の神は不干渉を決め込もうとしているのだ。

 

「すまないな、皆。だが眷属に手を出された私は怒りを晴らす正当な権利がある。だろう?」

「ハン! ドロップアイテム横取りしようとしたアホの腕を飛ばしただけでなぁにを騒いでいるんだか。それにアンタ、眷属(子供)を大切にするような性格やないやろ」

「フフフッ、君の眷属が横取りしようとしたのだろう? ――――まぁ、事の真偽などもうどうでもいい。戦争遊戯(ウォーゲーム)を行うのはもう確定事項だからな」

 

 チッとロキは舌打ちしつつ、戦争遊戯(ウォーゲーム)の打ち合わせを始めた。

 

 まずロキとアパテー、両者の必要書類の自署や手続きを周囲の監修の元行っていく。

 

「で? アンタの要求はなんや?」

ロキ()の強制送還と眷属の公開処刑」

「―――――――――ア゛?」

 

 ロキの神威が全開になる。普段は細めている目は限界まで見開かれ、かつて天界で最大規模の終末戦争(ラグナロク)を引き起こした狡知の神は過去最大級の怒りをまき散らした。

 

「……うちがこれくらいキレたのはあの洞窟に長々と幽閉された時以来や。お前――――()()()()()()()()()()()()()()?」

「クククククッ……! ああ、できているとも。其方が勝った場合は煮るなる焼くなり好きにするといい」

「だったらうちが勝った場合、言う事全部聞いてもらうで。そっちがその気ならうちが何要求しようが構へんやろ?」

「どうぞ、お好きに」

 

 周囲の神々が顔を真っ青にするロキの神威の直撃を受けているというのに、アパテーは全く動じず張り付いた笑みを崩さないでいた。自身の行動が無駄だとわかったロキも円卓を蹴り上げながら神威を収める。

 

 そして互いの要求を書記の神へと明文化させると、次は戦争遊戯(ウォーゲーム)の勝負形式を決める話へ移行する。

 

「勝負形式は当然一対一、【ファミリア】の代表者の一騎打ちや。まさか一人を寄って集って袋叩きにするつもりじゃあらへんよな?」

「おかしなことを言う。別に戦争遊戯(ウォーゲーム)で『相手を袋叩きにしてはいけない』というルールがあるわけでもあるまい。……まあ、言葉で決めても永遠に平行線になるだけだ。ならば、天運に任せてみるのも一興だと思うが?」

「あぁ?」

 

 愉快気に笑いながらアパテーは懐から面によって窪みの数が異なる正六面体の物体――――賽子を取り出す。

 

「偶数なら君の望む一騎打ち、奇数なら私の望む形式――――ふむ、総力戦を行う、というのはどうかな? 安心したまえ、この賽子には一切仕掛けなどしていない」

「ッ…………」

 

 自分がこの神の弱みを一つや二つ握っていれば良い条件を引き出せたのだろうが、全く掴みどころのない悪神(アパテー)は全く隙らしい隙を見せない。ロキは歯噛みしながら思考する。

 

 確率は1/2。外せば勝利は絶望的。だが当たれば希望は見えてくる。

 

 分の悪い賭けではあるが、これ以上の妥協案を引き出せない以上、乗るしかなかった。

 

「……ええやろ。ただし振るのはお前やない。別の神に振らせぇや」

「そのくらいは了承しよう。誰か振りたい者はいるか?」

 

 アパテーが軽く円卓を見回すが、誰も声を上げない。誰があの天界きってのトリックスターの恨みを買う様な真似をしたいのか。――――と思っていると、一柱が手を挙げた。

 

 そしてほぼ全員がその神を見てギョッとする。何故なら、手を挙げていたのはこのオラリオの中でも最大最強の派閥の主神である――――

 

「……どんな風の吹き回しや、天空神(ゼウス)

「なぁに、このまま話が膠着するのも面倒だしのう。それに、儂だったらお前の恨みを買っても大してダメージは無いじゃろう?」

 

 顎から長く生やした白いひげを撫でながらゼウスは笑う。確かに彼ならばロキですら下手に手を出せない神物だ。他の神々やアパテーもそれに納得したのか、ゼウスの目の前に賽子は放られる。

 

 ゼウスは肩をすくめながら賽子を握り、円卓の中央へとそれを放った。

 

 ロキは祈る、頼むから偶数が出てくれと神頼みをする。本人が神なのに、というのはご愛嬌だ。

 

 そしてアパテーは結果が出るまで真顔に浮かべ――――結果が出ると同時にニタァと顔を歪ませた。

 

 

 出た目は――――3。

 

 

 戦争遊戯(ウォーゲーム)の形式は総力戦に決定した。

 

 

 ダァンッ!!! と怒りの形相を浮かべたロキの拳が円卓に叩き付けられる。それと対照的にアパテーの狂気的な笑い声が部屋中に木霊した。

 

「ヒハハハハハハハハハッ! これだから運頼み(ギャンブル)というのはやめられん! ……まぁ、どちらが出ようと私としてはどうでもよかったのだが……ああ、お前のその表情が見れただけでよかったよ」

「お前ェ……ッ!!」

「恨むならゼウスを恨みたまえよ。それと、前もって言っておくが形式に変更はないし、助っ人も認めない。ゼウス、例えお前が口を挟んでこようが私は意見を変えん」

「ほう……儂の怒りを買っても良い、と?」

「そうだ」

 

 最高神相手にそんな世迷言を断言してのけるアパテーにほぼ全員が彼女は狂ったと確信する。このオラリオで天空神(ゼウス)の怒りを買うという事は死刑宣告と相違無い。にも関わらず笑みを崩さずにそんなことを言ってのける様は他の神々にとってはアパテーは勇者か愚者にしか見えなかった。

 

 それ以降誰も何も言わないのを確認して、アパテーはゆっくりと腰を上げた。

 

「戦闘場所は適当な平原で構わんだろう。開催日はギルドとの相談をかねてやる。まぁ、攻城戦でもない限りは二日三日以内に始まるだろうがな。……では、そろそろ解散でいいかな?」

 

 アパテーは司会役の神へとそう問いかけ、その神は汗を垂らしながら頷くと彼女は手を振りながらそのまま広間から立ち去った。その後残った神々も気まずそうに席を立って広間から出ていく。

 

 残ったのはロキと、ゼウス。そしてヘラのみ。

 

「あー、そのぉ……すまんかったのう、ロキ」

「謝んなや。賭け(ギャンブル)で負けて進行役(ディーラー)を恨むアホはおらんやろ……はぁぁ」

「……昨日うちの子が世話になったから、その恩を返したかったんだがのう」

「だったら今すぐあのクソ女神の本拠(ホーム)をふっ飛ばしてくれへん?」

「いや、それはちょっと……」

 

 いくら天下無敵の【ゼウス・ファミリア】と言えど無断で他ファミリアの本拠(ホーム)を襲撃すれば多大なペナルティが科されてしまう。いくら恩があるからと言ってもそこまでの危険を冒す程の物かと言われればYESと言えないゼウスであった。

 

 そんな二人を見てため息を吐く、腰まで届く長いウェーブ掛かった金髪の女神。その名をヘラと言い、【ゼウス・ファミリア】と双璧を成す最大派閥の主神である。

 

「私は貴方がロキに対していくら借りを作っても知ったことでは無いのだけれど、せめて私の夫としての体裁は保ってくれないかしら、ゼウス?」

「あーはいはい、わかったわい。ったく……ロキよ、何か要望があるなら聞くぞ? 叶えられるかどうかは別じゃがのう」

「対人戦が得意な奴何日か貸せや。できれば剣と魔法が使える奴なら最高やな」

「魔法が得意な子なら私の方が良いわよ? とびっきりの子が今暇を持て余しているのよね~」

「ふむ、では儂のところからは剣が得意な暇を持て余している眷属を行かせよう」

 

 妙に協力的な態度の二柱にロキは少しだけ不信感を募らせる。まさかこれに便乗して恩を売りつける気では? と思ったが、その心を見抜いたのかゼウスは「心配せんでいい」とだけ言った。

 

「借りは返すが恩は押し売りせんよ。お主が心配していることは起こらん」

「私も同じよ。……そろそろあの女神(アパテー)も目障りになってきたし、勝手に排除してくれるなら手間が省けて助かるわ」

「……その言葉、信じるで」

 

 いくらオラリオ最大派閥の二つに恩が売れたとはいえ、己が眷属の無茶な所業に内心複雑であったが、おかげで良いタイミングで援護を受けられたことに対しロキはアイリスに対して最大級の賛辞を送った。

 

 ロキは思う。

 

 これならばもしかすると――――もしかするかもしれない、と。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

「昨日は本当に助かった! 一団(パーティ)を代表して礼を言う!」

「私からも、本当にありがとう。貴方が居なかったら本当に全滅していたわ」

 

 既に昼が過ぎ、そろそろ夕日が差し掛かってくる頃、私はギルド本部の魔石換金所の近くにある休憩場所でヒューマンの男性とエルフの女性から頭を下げられていた。

 

 どうやら二人は昨日の一団(パーティ)のリーダーらしく、その全員を代表して態々私に礼を言うためにオラリオ中を探し回ったらしい。

 

「い、いえ……私の方も助けられてしまいましたし、お互いさまですよ。だから二人とも、頭を上げてください」

 

 インファント・ドラゴン強化種との死闘。アレは恐らく私一人だったら間違いなく負けていた。勝利できたのはひとえに彼らが協力してくれたおかげであり、故に私は頭を下げるほどのことでは無いと二人に論ずる。

 

 それに私は地上まで運んでもらったこともある。こちらもそれについて礼をすべきだと私の方も頭を下げた。

 

「私の方こそお礼を言わせてください。倒れた私を、疲れていたでしょうに地上まで届けていただいて……本当に、感謝しています」

「くっ……ま、眩しいっ。この少女は在り方が眩しすぎる……!」

「やだなにこの子、持ち帰りたい……。ね、ねぇ貴方、良ければ【ヘラ・ファミリア】に移籍する気はないかしら? 団員()の推薦があればすぐに入団試験ができるし、あなたの実力なら問題なく入れるわよ!」

「ちょまっ、ズルいぞお前! 入るなら【ヘラ・ファミリア】なんかより断然【ゼウス・ファミリア】だ!」

「はぁ!? あんなむっさい男ばっかりのファミリアにこんな可愛い子を入れるつもり!? 貴方正気なの!?」

「お前のところだってケバい年増だらけだろうが!」

「なにおぅ!?」

「けっ、喧嘩はやめてくださいー!」

 

 自分を置いてエスカレートしそうな言い合いをどうにか止めつつ、移籍の話はやんわりと断りながら私は二人の話を引き続き聞くことにする。度々視線で花火を散らす二人であったが、話は問題無く進み始めた。

 

「こほん、とりあえずうちのパーティではあのインファント・ドラゴン討伐は貴方の手柄として結論が出たわ。だから、はいこれ。あの強化種の魔石よ」

「俺らのとこもほぼ同じ結論だ。命を救われてドロップアイテムまで貰っちゃあ、漢とファミリアのメンツが廃る。ほら、強化種のドロップアイテムだ」

「えっ?」

 

 机の上に置かれた二つの物体。紫紺色に輝く拳大もある大きな魔石と、四十Cにもなる血管が迸る巨大な牙が私の目の前に差し出された。

 

 私は彼らの言ってることが理解出来なくて茫然としてしまう。

 

「あ、あの、でも私、トドメを刺しただけで……」

「あの窮地を乗り越えられたのは貴方の力が大きいと判断したのよ。少なくとも、私たちだけじゃ確実に全滅していたわ。だからお願い、受け取ってくれるかしら?」

「俺からも頼む。俺たちのためと思ってコイツらを受け取ってくれ」

 

 二人はもう一度、私に頭を下げた。

 

 正直あまり気は進まない。確かに私は彼らの命を助けたが、彼らも私の命を助けてくれた。それで貸し借りはゼロになったつもりだと、私は思っていた。しかし彼らはそうは思っていないようで、こんな希少なアイテムを私に提供しようとしてくれている。

 

 かと言って、拒否できるような状況でもない。彼らは恐らく私が「はい」と言うまで粘り倒す。直感的にだが私はそれを理解する。

 

 彼らは私に恩を売りつけるつもりは無いだろう。むしろ返そうとしている。だが私が”納得”できるかどうかはまた別の話で…………一分間たっぷりと考えた末に、私はため息をつきながらコクリと頷いた。

 

「わかりました。ありがたくいただきます」

「そうしてくれると助かる。――――っと、そろそろ本拠(ホーム)に戻らねぇと。じゃ、縁があったらまたいつか会おうぜ!」

「ええ。……【ヘラ・ファミリア】に興味が出たら是非とも頼って頂戴ね?」

「あはは……」

 

 そうして私はギルドを去る二人に手を振って別れを告げた。

 

 手元を見れば大きな魔石に牙。結局未だに「貰ってしまったなぁ」という後悔が脳裏をよぎる。いや、この調子ではだめだ。相手があげると言ったんだ、素直に貰っておこう。何時までも引き摺らない。

 

 その後私は貰った強化種の魔石を早速換金に出した。――――その額、何と一つ八〇〇〇ヴァリス。Lv.1冒険者の一日の稼ぎの平均を優に超える額に顎が落ちた。やはり強化種という存在は特別なようで、特に上層の階層主と呼ばれるインファント・ドラゴンの強化種魔石だ。高値で売れもするだろう。

 

 が、問題はドロップアイテムの方だ。最初こそ売り払おうとしたのだが、なんだか勿体ないと思うようになってきた。

 

 ダンジョンに住むモンスターの中には爪や角、あるいは牙の中に金属の性質を持つものが存在する。その金属の名は、アダマンタイト。ダンジョン内でしか採掘されない希少金属(レアメタル)である。

 

 アダマンタイトは装備の素材としては一級品であり、その凄まじい硬度はちょっとやそっとでは折れず曲がらず。これで出来た武器は並の鋼の武器を悉く砕いても無傷と言われる程。しかし当然その産出量はわずかなものであり、上層ではほとんど取れない上に中層や深層でも採取できるのは僅かな量のみである。

 

 そして、そんなアダマンタイトの取れるダンジョンの中で生まれるモンスターの一部もその組織に金属の性質が反映されているのか、爪や牙などの武器的な器官にのみ金属属性(アダマント)が現れる。

 

 つまり、この牙は武器や加工できるという訳だ。

 

 インファント・ドラゴン、それも強化種の牙。ちゃんとした職人に任せて武器として形作ればかなりの業物が出来上がるに違いない。が、これを加工してくれる鍛冶師にコネがあるかどうかと言われれば無いわけで。しかしいつかできるかもしれないのだから取っておいた方が良いのかもしれないと、そう思ったのだ。

 

 結局私は牙を売ることはせず、そのままギルドを出て散歩がてらにオラリオのメインストリートを歩く。

 

 夕日が街を赤く照らしている。後数時間もすれば夜になるだろう。……ロキ様は遅くに帰ってきても構わないと言った。しかし今日の私はダンジョン探索を早めに切り上げた。

 

 普段ならば夜になるまで籠り続けていたのだが、今日を境に12層までのモンスターに()()()()()()()()()()()()。恐らく【ステイタス】更新の影響だろう。どれだけモンスターを屠っても、上質な【経験値(エクセリア)】が入ってくるような感じは全くしない。

 

 かと言って受付嬢さんから許可が出たのは12階層まで。そして私も13階層に行くつもりにはならない。あそこはLv.2になってようやく適正と呼ばれる場所、最初の死線(ファーストライン)。13階層を境にモンスターは魔法による遠距離攻撃を行うようになる。そんな場所に何の対策も無く単身で突っ込むほど、私は馬鹿にはなれなかった。

 

 しかしこのまま何の手ごたえも無いモンスターを相手にしていて大丈夫なのだろうかという不安が頭の中を離れない。いっそインファント・ドラゴンの強化種を人為的に作ろうかとも思ったが、流石にやめた。失敗した場合のリスクがデカすぎるし、ギルドから何を言われるかわかったものではない。

 

 では、何をしようか。

 

「……自主練でもしよう」

 

 考えて出した結論はそれだった。どこか適当な開けた場所、公共の場である公園のベンチに腰掛けて、近くに誰もいないことを確認しながら私は両手に意識を集中させる。

 

「――――【風よ、舞い上がれ(フルトゥーナ)】」

 

 今回は全身ではなく、自分の両手の部分だけに魔法の効果を発現させる。普段の戦闘ではとりあえず唱えてから必要部分に力を集約させていたが、それでは無駄が多過ぎる。

 

 必要な部分だけに展開することで精神力(マインド)の消費を極限まで抑える。ダンジョンに潜っている間幾度もモンスターと戦闘を行うことを強いられる以上、こういった工夫は今後必須になってくるだろう。何度も全身に魔法を展開させて無駄遣いを重ねれば、それだけ精神疲弊(マインドダウン)は足早に近づいてくる。

 

 である以上、今私が習得すべきなのは魔法の繊細なコントロール能力である。が、腕はガクガクに震えており、風も妙に荒々しい。あの手この手で収めようとするが、全然上手く行かな――――

 

 

「――――不思議な子ね」

「ッ――――!!?」

 

 

 両手に纏わりついている風をどうにか操ろうとしていると、近くから突然声をかけられた。思わずびっくりして両手の風が霧散してしまう。ああ、折角の風が。

 

 困り顔を浮かべながら俯かせていた顔を上げれば――――女神の様な美貌を持つ女性が、私を見つめていた。

 

「え……」

「あ、ごめんなさい。びっくりさせちゃったみたいで」

 

 神と見間違うほどの美しさ。腰まで伸びる黄金の如き輝きを放つ金髪と、金色の眼。白いイブニングドレスに身を包んだ彼女の姿が、夕日に照らされてはっきりと、凪の様に柔らかい笑みが見える。

 

 同性であっても、思わず見とれてしまうほど彼女は美しかった。

 

「あなたは、そう。自然に愛されている。だけど精霊とも、神とも言えない。いえ、人ではあるけど……何かが、混ざっているのかしら?」

「…………?」

「……ふふっ、ごめんなさい。少し難しかったかな。――――驚かせちゃったお詫びに、魔力を扱うコツを教えましょうか?」

「へっ?」

 

 その女性は私の横に腰掛けて、ピンと人差し指を突き出す。そして軽く揺らせば――――美しい風の流れがそこには生まれていた。暴れることも無く、ただ自然的に、かつ精巧な流れ。それだけで普段から風を扱っている私は隣にいる彼女がとんでもない使い手であることを覚る。

 

「魔力は流れ。押し留めるのでも、固まらせるのでも無い。ただゆっくりと、流れる場所を作ってあげるの。焦ることなく、無理に動かさず、行くべき場所に”導く”のよ」

「っ、はい!」

 

 彼女の言う通りに、私はまた両手――――いや、全身に意識を集中する。

 

 一か所の流れではなく、全身の流れを利用する。無理矢理引っ張ったり押したりするのではなく、流れるように、導く様に両手へと――――。

 

「……すごい、もうコツを掴めたみたいね」

「――――わぁ……」

 

 先程のような乱暴な風では無く、穏やかな、しかし速い流れが私の腕を包んでいた。今までとは段違いの効率で風が流れている。

 

 その光景に、私は子供の様に目を輝かせた。これなら、今まで以上に強力で、そして効率よく魔法を操れる。

 

 隣を見れば件の女性がニコリと笑顔を浮かべていて、照れくさくて私は思わず俯いてしまう。

 

「ふふっ……そろそろ帰らないと。貴方も、あまり保護者を心配させてはダメよ?」

「っ、あ、あのっ!」

「うん?」

 

 腰を上げてこの場を去ろうとする女性を私は反射的に呼び留めた。そして数秒間だけ考えて、己の気持ちをそのまま伝える事にする。

 

「もう一度、会えますか……?」

「……ええ、また会いましょう? 小さな冒険者さん」

 

 夕日が沈むと共に、笑みを残しながら彼女は何処かへと姿を消した。

 

 先程の出来事が夢のように感じて、しかしこの手に流れる風がその疑念を否定している。そして思う。私はまだ、彼女から色々なことを学びたい、と。

 

 

「……あんな人に、なりたいな」

 

 

 その呟きは、私の中で心地よく響き渡った。

 

 

 

 

 

 




試練「試す相手が圧倒的に不利な試練こそ主人公(英雄)へ与えられるにふさわしい試練だと思います」
フレイヤ「わかる」

駆け出し一人でそこそこの規模のファミリア相手に単騎で戦えとか圧倒的不利ってレベルじゃないと思うんですけど(凡推理)


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第九話:覚悟を抱く意味

 アイリス・アルギュロス

 Lv.1

 力:SS1026→SS1051

 耐久:A854→A884

 器用:S997→SS1003

 敏捷:SSS1120→SSS1146

 魔力:S980→S998

 

 

「むぅ……」

 

 いつもの宿屋のベッドの上で、私は昨日更新された【ステイタス】を見て唸っていた。やはり何度見ても、伸びが滞ってきている。

 

 アビリティと言うのは極めれば極める程その成長速度は落ちていく。まるで壁にでも遮られ始めたように。今回の場合は倒したモンスターたちから得られた【経験値(エクセリア)】の質が悪かったというのも一因しているだろうが、今まで順調に成長していたからか私は今回の伸びに酷く不満と不安を感じてしまう。

 

「いや、十分おかしい伸びやからなアイリスたん? 普通その辺りの冒険者の成長はほぼ微々たるものやからな? ていうかSSとかSSSって何なんやマジで……」

「う~ん……」

 

 言われてみれば確かにSSやSSSという表示に対しては私も疑問を持ち得ざるを得なかった。

 

 基本アビリティの限界値(カウントストップ)は999であり、熟練度のランクもSで止まる筈である。にもかかわらずそれを当然のように突破して尚止まらないアビリティの熟練度には私もロキ様も頭に疑問符を浮かべている。

 

 ロキ様の考察では私のスキルが関連していると思われるのだが、件のスキルは相変わらず詳細不明で解読不能。

 

 神の恩恵(ファルナ)に関して一番通じているだろう(ロキ)様ですらお手上げなのだから、もうどうしようもない。

 

「どうしよう……」

 

 だんだん私の中で焦りが大きくなり始める。【アパテー・ファミリア】との戦争遊戯(ウォーゲーム)開催日は恐らくそう遠くない。ロキ様の話では勝負形式は総力戦。文字通りファミリアの全戦力をぶつけ合わせる戦いである。

 

 それを行うには特に難しい条件は必要なく、少し広い場所を用意してやればすぐにでも始められるだろう。一応ギルドにおける書類の処理や周囲への勧告書の流布などがあるだろうが、今回は極めて小規模な戦いだ。

 

 情報ではLv.2を一人だけ在籍させているだけの眷属総員三十人前後程度の【アパテー・ファミリア】と、一人しか眷属が居ない上にLv.1しかいないというドが付くほどの零細ファミリアである【ロキ・ファミリア】の戦争遊戯(ウォーゲーム)。大手ファミリア同士の戦いの準備と比べれば遥かにお手軽の筈である。

 

 だからこそ時間はもう残り少ない。まともな鍛錬に回せるのは恐らく今日だけ。たった一日を使ってどうやればこの身を限界まで酷使できるのか私の頭は思いつけなかった。

 

 いっそ無茶を承知で13階層に潜るか――――?

 

「あ、そうやアイリスたん。今日はアイリスたんのために他のファミリアから人手を借りてきたんや」

「え?」

 

 唐突にロキ様はそんなことを言い出した。話に付いて行けず間の抜けた声が口から出てしまう。

 

「要は指南役呼んだんよ。アイリスたん、対人戦闘のスキルはほぼ無いやろ? 付け焼刃でも無いよりはマシなはずや」

「で、でも一体どこから……?」

「ゼウスとヘラん所や。安心せえ、別にうちが頭下げて乞うた訳やないから」

 

 【ゼウス・ファミリア】、そして【ヘラ・ファミリア】。どちらもこのオラリオに暮らす者ならば嫌でも耳に入る一大勢力。オラリオという街ができてから約千年間頂点に君臨し続けている神の軍団。

 

 その名前が出てきて、剰えそこから人員を引っ張ってきたと言いのけたロキ様に私は背筋を凍らせる思いだった。私たちの様な零細ファミリアがその正反対とも言える最強の集団にそんな狼藉を働いても大丈夫なのか、と。

 

 だが確かに魅力的な提案ではある。

 

 ある程度の戦闘はできても、私は対人戦の経験などほとんどない。そして戦争遊戯(ウォーゲーム)では嫌でも人の相手をすることになるだろう。たとえこのままモンスターとの戦闘を続けたとしても人間相手とは勝手が違い過ぎるし、何より”躊躇い”というモノは大なり小なり必ず生まれるはずだ。

 

 一応過去に一度だけ遠慮なく人の腕を斬り飛ばしたことはあるが、もう一度やれと言われたら苦い顔しかできない。私も別に好きで人を斬った訳では無いのだから。

 

「んじゃ、早速待ち合わせの場所に行こか。一刻も時間は無駄にできへん」

「はっ、はい!」

 

 色々言いたいことはあるが、もう取り付けてしまったものは仕方がない。彼の【ゼウス・ファミリア】と【ヘラ・ファミリア】の団員を待たせるのも失礼だと思い、私は急いで戦闘服に着替えてロキ様へと付いて行った。

 

 何もトラブルがなければ良いのだが……。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 オラリオは上から見ると広大な面積を誇る円形状の形をしており、堅牢な市壁に取り囲まれている。そんな市壁の上は巡回や外敵を迎撃するためのスペースがあり、しかし現状ほとんど使われていないのが現実である。

 

 何故かと言えば、冒険者という存在が大きい。

 

 Lv.1は神の恩恵(ファルナ)を得たばかりなら常人とそう変わらないものの、ある程度能力が伸びてしまえば確かな差が生まれ始める。Lv.2からは恩恵を受けていない者を多数相手取っても軽く蹴散らせるほどの戦闘力を保有する。Lv.3から上は、最早人の形をした怪物(モンスター)と言っても過言では無い。

 

 何よりオラリオに攻め入ろうとする馬鹿が現れれば耳ざといギルドが即座にその情報を掴み、その都度迎撃の準備に入るのだ。そして一騎当千の第一級冒険者たちを投入して遍くモノを蹴散らして終わらせる。

 

 要は巡回など必要ないのである。だからこそこの市壁の上は事実上のフリースペースと化していた。

 

 私はロキ様と共に市壁の内部に入り、その中に設置された階段を上って市壁の上へと出る。するとどうだろうか、此処から内部の都市の姿を一望でき、反対側に目を向ければ広大な草原が広がっている。中々の絶景だ。

 

 だがそれに見惚れている場合では無い。私は軽くあたりを見回して目的の人物を探す。

 

 そして少し離れた場所に、三つの人影は見えた。

 

「――――お、もう来たのか。意外と早かったな」

「……アンタらがゼウスとヘラの遣いなんか?」

「おう」

 

 少し大きめの木箱に腰掛けていた、見た目三十五前後の中年が立ち上がりながらロキ様の質問に答えた。

 

 灰色の髪に紅い瞳。そして顎に薄く髭を生やした男の人は一目でかなりの強者だと肌が感じ取る。態度こそ軽そうだが、中身はトンデモない重々しさだ。しかしそんな雰囲気など吹き飛ばすように、彼は笑顔を浮かべながら私へと手を差し出した。

 

「アルケイデスだ。よろしく頼む」

「あ、はい。よろしくお願いします、アルケイデスさん」

「……驚かないんだな」

「え?」

「いや、何でもない。……おい、お前たちも自己紹介くらいしたらどうだ?」

 

 アルケイデスさんがそう言うと、彼の後ろにいた人物たちが姿を現した。一人は黒髪黒目の、長い襟巻に薄手の防具、銀の長剣を携えた青年。もう一人は、金髪金眼の、白く柔らかそうなシルクのドレスを着こなす女性で――――

 

「――――ふふっ、また会ったわね。小さな冒険者さん」

「あ……えっと、その、こっ、こんにちは……」

 

 昨日会った、綺麗な女性だった。まさかもう再会することになろうとは。喜ぶべきなのだろうか?

 

「なんだ、知り合いだったのか? アリア」

「ええ。と言っても、昨日一度だけ会っただけなのだけれど。でも何だか運命の様な物を感じてしまうわね?」

「成程、この子が昨日お前が言っていた……俺はアルバートだ。まあ、俺はアリアの付き添いで来ただけなんだがな」

「私はアリアよ。よろしくね?」

「ア、アイリスと言います。よろしくお願いします!」

 

 緊張でガクガクと震える身体をどうにか動かして深く頭を下げた。憧れの女性に再会できたのもあるが、直感的に私は理解した故に震える。()()()()()()()()。少なくとも私が死に物狂いで立ち向かっても羽虫の様に片づけられる。

 

 なので最大の誠意を以て頭を下げる。これはもうほぼ本能的な行為だった。

 

「にしてもなんや。全員名前に『ア』が付いてるなんて変な偶然だと思わへん?」

「ハハハ! そうだな、では名前繋がりの(よしみ)だ。お手柔らかに稽古を付けてやろう」

「っ――――」

 

 ロキ様のどうでもいい話に対してアルケイデスさんは高らかに笑いつつ、先程まで座っていた木箱を力で抉じ開けて、中から二つの木刀を取り出した。早速稽古を始めるつもりなのだろう、ロキ様やその他二人は私とアルケイデスさんから距離を取る。

 

 私は背負った《アグノス・ソード》を抜いて、構えた。対してアルケイデスさんは二つの木刀を両手に、その場で立っているだけ。構えることも無く自然体のままこちらを見つめていた。

 

 息を飲み、私は片足に力を入れて駆ける。そして剣を振り上げ、彼の持つ木刀へと一撃を――――。

 

 

()()

 

 

 瞬間、アルケイデスさんの片腕がぶれて、気づいた時には《アグノス・ソード》がけたたましい音を放ちながら両手から弾き飛ばされていた。一瞬だけ思考に生じた空白が収まると、私の喉元に木刀の切っ先が突きつけられている光景が飛び込んでくる。

 

「あ…………」

「踏み込みの速さに比べて腕の動きが遅すぎる。――――お前、躊躇ったな?」

「は、い……」

 

 図星だった。

 

 相手がそれこそ、同情の余地が無い悪党ならともかく、私は知り合ったばかりの人間に全力で切り込めるほどの精神は持っていない。何だそのキチガイは。

 

 いや、勿論私の剣が彼を傷つけることは無いと理解しているのだ。実力が違い過ぎる故に当たらないだろうし、当たったところで薄皮を一枚斬るだけだ。ダメージ以前の問題である。だが――――やはり、刃物を人に向けるというのは、良い気分はしない。

 

「お前の事情はある程度理解している。その上で断言するが――――今は”優しさ”や”気遣い”は枷になるだけだ。その一切が例外なくお前の未来を暗い物にする」

「それは……」

「いや、別に俺は嫌いじゃないぜ? 心優しい少女。大いに結構だし大変好みだ。が……時間がないんでな。荒療治にはなるが、やるしかねぇか」

「え――――ッ!?」

 

 そう告げた瞬間、アルケイデスさんの纏った空気が一変した。

 

 (ビースト)怪物(モンスター)災害(ディザスター)。荒ぶる神威が人の形を以て顕現する。辺り一面に張り詰まったおどろおどろしい空気は何の魔力も流れていないはずなのに荒れだし、近くを飛んでいた鳥は悲鳴のように鳴き叫びながら遠ざかっていく。

 

 肺から空気が絞り出される。体中から汗が流れて止まらない。

 

 縋りつく様に地面を転がった《アグノス・ソード》を拾い上げて構える。ヤバイ、ヤバイヤバイヤバイ――――ッ!! 殺されるッ!!? 呑まれて潰される――――ッ!!?

 

 

「さぁて、全力で抗えよ。でないと死ぬぜ?」

 

 

 ただの木刀が今まで見たあらゆる凶器より恐ろしく感じる。一撃受ければ死ぬ。間違いなく。

 

 直後、アルケイデスさんの腕が消えた。既に一度見ている私は完全に勘任せで回避行動を取り、咄嗟に体を捻って視認不能の一撃を躱しきった。そして、余波である衝撃波だけで一直線に抉れる市壁を見て顔を青ざめる。

 

「言っておくが、俺に一撃与えるまで止めるつもりは無ェ。安心しな、加減はする。()()()()()()()()()()()()()

「ッ…………!!」

 

 アルケイデスさんが踏み込み、そこから嵐のような連撃は始まった。

 

 見切るのも一苦労な、受けた際に内臓が悲鳴を上げるような一撃が当然のように数十数百と襲い掛かる。私は全身を使ってそれを弾くか防ぐかしているが、攻めに転じることができないままじわじわと私の体力は削られていく。

 

 恐らく本気だ。アルケイデスさんは私を本当に死の淵に追い詰めるつもりでいる。

 

 攻防の微かな合間に息を吐く。――――此処を乗り越えられなければ、どの道未来は無い。此処で死ぬか、【アパテー・ファミリア】にすり潰されるかの違いだけだ。だが乗り越えられれば、光は見えてくる。

 

 

 希望を見失うな。

 

 

 覚悟を抱け。

 

 

 私の抱くべき覚悟とは――――

 

 

(暗闇の未来を切り開くために――――譲れない何かのために前へと進む心ッ!!)

 

 

 誰かを傷つけることを恐れるのは間違っていない。だけど、譲れないもののために勇気を出せ。恐怖心を乗り越えて、一歩だけでもいいから前へと進め。己の、守りたい物のために。成し遂げたい物のために。

 

 ちっぽけな勇気を、振り絞れ。

 

 自分を救ってくれた主神(ロキ)様を助けるために――――

 

 自分を心配し、応援してくれている受付嬢さんの思いに応えるために――――

 

 

「――――【炎よ、燃え上がれ(プロクス)】ゥゥゥゥゥゥゥゥウウウッ!!!!」

 

 

 手足を猛々しく燃える炎が包む。それを見てアルケイデスさんは一瞬だけ手を止めて距離を取り、驚いた表情を見せるが、すぐさま獲物を定めた獣の如き笑みを浮かべた。

 

「オォォォォオオオォオォオオオオオオオオオッ!!!」

「その意気だ――――!!」

 

 炎を加速に利用した爆速の刺突。Lv.3程でもなければ反応することすらできず貫かれるだろう一撃はアルケイデスさんを貫くことは無く、木刀の一本で軽やかに往なされてしまう。そしてもう片方の木刀はこちらの移動経路へと私の加速に合わせて振るわれていた。間違いなく直撃コース。

 

 だが私は刺突が凌がれた時点で彼の行動を見切り、加速しながら仰け反ることで横薙ぎの一撃を回避。両足でブレーキを掛けながらアルケイデスさんの方に体を向き直らせ、炎を背中で爆発させて強引に追撃を行う。

 

「何っ――――!?」

「はぁぁぁぁああぁああああああ!!」

 

 とんでもなく無茶な機動に全身が軋む。それを無視しながら剣に炎を纏わせアルケイデスさんに一閃。今度は躊躇など無く、全力の一撃だ。炎の加速も乗せた焔剣の一撃は流れるようにアルケイデスさんの左腕に叩き込まれ――――直後にカウンターの一撃が私の腹にめり込む。

 

「がっ、は――――」

「――――合格だ」

 

 私が最後に聞こえたのはアルケイデスさんの歓びに満ちた声と、吹き飛ばされた自分の体が見張り台の壁に衝突する破砕音だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

「人様の眷属に何やっとんやこのゴリラァァァァァァ!!!」

 

 ロキは憤慨しながらアルケイデスの脛を蹴り飛ばした。だが悲しいかな、超越存在(デウスデア)と謳われる神々は下界に降り立った瞬間並の人間と同程度の能力しか持たなくなる。そして気迫からして間違いなく第一級冒険者以上であるアルケイデスに常人が蹴りを入れようが、それは金属相手に全力で蹴るのと同じわけで。

 

「ったぁぁぁぁああぁぁあああッ!?」

「はっはっは、愉快な神様だなアンタ」

 

 予想以上の肉体の強靭さによる反動にロキは蹴った足を抑えて悶えた。当然の帰結である。

 

 愉快そうに笑いながらアルケイデスは見張り台の壁にめり込んだアイリスの体を剥がして、木刀を取り出した箱の中に詰められている高等回復薬(ハイ・ポーション)の瓶を取り出した。最高品質でこそないが、Lv.1の冒険者では手の出せない高級品であることには間違いない。

 

 アルケイデスは瓶の蓋を軽々と指で弾き飛ばして中の液体をアイリスの口に流し込む。アイリスは軽く咳き込むが、数秒してその呼吸からは苦しさが抜けていった。

 

「随分手荒にやったな【英雄雷霆(ケラウノス)】。お手柔らかに、とか言って無かったか?」

「ほざけ【聖王(ペンドラゴン)】。お前だって俺の立場なら同じことをしていただろうぜ? ――――こんなとびっきりの”原石”は見たことがねェ。おい神ロキ、こいつ本当にLv.1か? 今のこいつならLv.2だって相手にできるぜ?」

「間違いなくLv.1や。……それ以上は何も言わんで」

 

 不貞腐れながら渋々とロキは告げた。それを聞いてますますアルケイデスの悦びは増す。コイツは間違いなく『逸材』だと。己たち(英雄)を越える者になりうると。

 

 だからこそ残念に思う。

 

「【ゼウス・ファミリア】に入れてぇなぁ……。なぁ神ロキ、こいつうちに入らせないか? 今なら特別待遇も考えるが」

「殺すぞクソガキ」

「ちぇっ、残念」

 

 自分のところのファミリアに入っていれば手塩にかけて育てていたのに、と愚痴るアルケイデスであった。

 

「ま、これで俺の役目は終了だ。後はお前たち二人でやってくれ」

「は!? ちょっ、待てや! この子散々ボコっておいて放置かい!?」

()()()()()。だろ?」

「うぬっ……」

「それに、俺の剣は人様に教えられるようなモンじゃねぇよ」

 

 それを言われてロキは次の言葉が言えなくなる。

 

 アイリスが詠唱を叫びながらアルケイデスに突貫するあの瞬間、ロキは確信した。アイリスは冒険者として一皮剥けたと。次の段階(Lv.2)に進むための準備が()()()()()()()と。

 

 あの子は優しすぎて何処か遠慮しがちなところがあったのだ。一度覚悟を決めてしまえば無茶苦茶をやり遂げてしまうが、余程窮地に追い込まれでもしなければ覚悟は決まらないし、おかげで普段から引っ込み思案な所がどうしても目立つ。

 

 そういう意味ではアルケイデスの荒療治はアイリスにとっては最適解とも言えるだろう。彼女は窮地に追い込まれて初めて輝くタイプなのだから。

 

「件の戦争遊戯(ウォーゲーム)、アンタらの勝利を祈ってるぜ。じゃあ、縁があればまた」

 

 それだけを言い残し、アルケイデスは市壁の上から地上へと飛び降りた。普通の人間ならば投身自殺ものだが、彼の者は軽やかに、階段を一段降りただけの様な何気なさで地面に着地する。

 

 まるで嵐の様な男だったと、ロキは辟易とした顔でため息をついた。

 

「すまなかったな、止められなくて」

「止めなかった、の間違いやろ。まあええわ、アンタらがちゃんとアイリスたんの教育をしてくれるんなら文句はない」

「うふふっ。任せてくださいな、神ロキ」

「……………?」

 

 そう言いながら眠っているアイリスの頭を己の膝に乗せ、彼女の頭を子供をあやす様に優しく撫でているアリア。傍目から見ればそんな親子の様なやり取りだった。

 

 だがロキは微かに、アリアと呼ばれた女性に異様な雰囲気を感じ取る。

 

 人の様でいて、()()()()()

 

「そんなにその子の事が気に入ったのか? アリア」

「ええ、とても。何と言えばいいのかしら……この子は、真っ暗闇の中で微かに光るような。そんな感じがしたの」

「暗闇の中の微かな光、ねぇ……」

 

 アリアの呟きを聞いて、ロキは思う。

 

 

 ――――それはつまり、”暗闇の中でしか輝けないのではないか”と。

 

 

「……アホらし」

 

 自分の考えがガラにも無い物だと思って、すぐにロキはそんな考えを吐き捨てた。何にせよ自分は、この少女が道を踏み外さない様に見守ることしかできないのだから。

 

 ……ふと、唯一の眷属の可愛い寝顔を見て、笑みを浮かべている自分に気付く。

 

「……変わったなぁ、うち」

 

 そんな呟きは、オラリオに吹く風に流れて消えていった。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

「――――自分と魔力を別々の物として考えてはいけないわ。言葉で分けられていても、在り方は一つなの。自分の中に魔力を溶かすように、自分の手足を動かすように、一体となって動く様に意識してみて」

「は、はいっ!」

 

 既に天辺まで昇った太陽が沈み始めて数時間、青かった空は既に夕焼けに包まれており、あと数刻もすれば月がその身を照らし始めるだろう頃。私は既に数時間にも上る修練にラストスパートをかけていた。

 

 アルケイデスさんによる、抵抗意識の殻破り。

 

 アルバートさんによる、対人戦における駆け引き。

 

 アリアさんによる、より精密かつ大胆な魔法の制御。

 

 以上の修練をたった一日、されど一日中受けたことで私の中には確かな技術の研磨が生まれていた。少なくとも朝の自分と比べると、意識も肉体も技術も遥かに洗練されたと断言できる。

 

「――――【風よ、舞い上がれ(フルトゥーナ)】」

 

 既に何十回も何百回も発動してきた魔法の詠唱を唱える。瞬間、今私の周囲で流れている風の流れが()えてくる。目では無く肌で、頭では無く心で捉える。それと同化するように、私は大きな流れに身を任せた。

 

 そして、小さく地を蹴る。

 

「……やった、の?」

「すごい! もうこんなに上達するなんて!」

「マジかよ……」

「嘘やろォ!?」

 

 飛んでいた。私の体は確かに宙に浮いていた。

 

 噴射による強引な飛行では無く、風の(ヴェール)に包まれるような穏やかさを以て空を飛んでいる。それが面白くて、嬉しくて、満面の笑みが顔に浮き出てくる。

 

「ははっ、あははは! 凄い! 私、飛んでる!」

「マジか……マジで夢やないんか……人が神の力(アルカナム)無しで飛ぶとか信じられんわ……」

「うんうん、アイリスちゃんはとても呑み込みが良くて教え甲斐があるわ。自由飛行を習得するにはもう何日か掛かると思っていたのだけれど……」

「アリア以外に風で空を飛ぶ奴が生まれるなんてな……何が起こるかわからないもんだな」

 

 意識を行きたい場所に向ければ、風が後押しするようにその方向へと飛んだ。速度はそこまで早くないが、それでも思った通りに空を自由に動き回れるというのはこの上なく気持ちの良い事だった。

 

 勿論魔力の消費は決して軽くないし、実戦で使えるレベルには程遠いが、今の私にとってそんなことは些事だ。

 

 精神疲弊(マインドダウン)が起こる前に、私は市壁の上へと戻り着地する。そしてすぐさま主神(ロキ)様が私に抱き付いてきた。

 

「アイリスたぁぁぁぁぁん!! 最高や! もう絶対手放さへんからな! アイリスたんは未来永劫うちの子や!」

「あはは……ありがとうございます、ロキ様」

「あらあら、残念。貴方が良ければ【ヘラ・ファミリア】に入れたかったのに」

「……アルケイデスと同じことを言うのは癪だが、俺らのところに来る気があるなら何時でも歓迎するぞ?」

「えっと、その、すいません。私はロキ様に付いて行くって、決めたんです。どんなことがあっても、これからずっと」

「アカン死ぬっ。うちの眷属が可愛過ぎてキュン死してまう……!?」

 

 胸を抑えながらそんなことを言い出したロキ様に私たちは苦笑しかできなかった。

 

 さて、そろそろ陽も沈み切る。心底惜しいと思うが、彼らとももう別れなければならない。私はアルケイデスさんが残した大量の薬品の類がしまわれていた筈の木箱の中から辛うじて一つずつだけ残った最後の高等回復薬(ハイ・ポーション)精神回復薬(マジック・ポーション)をベルトポーチに収めつつ、改めて二人に向き直った。

 

「今日は稽古を付けていただき、本当にありがとうございました。何から何までお世話になってしまって……」

「いや、俺としても久々に鍛えがいのある奴に出会えた。お前と出会えてよかったよ、アイリス」

「私の方からもお礼を言うわ。ふふっ、弟子なんて取ったことは無かったのだけれど、これは中々悪くないわね」

 

 二人は笑顔で、私の頭を撫でてくれる。

 

 父親と母親が居たら、こんな人だったのだろうか。夕日のせいか、別の要因かはわからないが、視界の端が捉える自分の顔が赤くなったような、そんな気がした。

 

戦争遊戯(ウォーゲーム)、応援している。勝ってくれよ」

「無茶は、しないでね?」

「っ、はい!」

 

 去っていく二人に、私は彼らの姿が見えなくなるまで手を挙げて見送った。

 

 気づけばすっかり陽は沈み、夜の帳が空を覆っている。魔石灯はそれを境に点灯を始めて、オラリオは人々の作るイルミネーションに包まれ始めた。それを初めて見た私は、そんな場合じゃないというのに少しだけ感動して目を輝かせてしまう。

 

 ふと隣を見れば、ロキ様は一枚の羊皮紙を握り締めて苦い顔をしていた。

 

 それは、少し前にギルドから届いた書状。戦争遊戯(ウォーゲーム)開催日時と、その他詳細の通達。チラリと見れば――――戦争遊戯(ウォーゲーム)開催は二日後の正午。場所はシュリーム古城跡地付近の平原。森も丘も存在しない平原の真ん中で戦いは始まる。

 

 移動はおよそ丸一日かかるので、明日の朝にでも出発しなければならない。今日彼らの協力を得られて本当によかったと思う。でなければ絶対に戦争遊戯(ウォーゲーム)開催まで間に合わなかった。

 

 ……息を吐く。

 

 勝てるかどうかは私にはわからない。だけど私の中では一つの決意が存在している。

 

「ロキ様」

「ん? なんやアイリスたん?」

「必ず、勝ちますから」

「…………そか」

 

 誓うように、私は告げた。

 

 悪戯の神(ロキ)は一瞬だけ呆けて、ニカッと笑った。

 

 

 

 

 

 アイリス・アルギュロス

 Lv.1

 力:SS1051→SSS1254

 耐久:A884→SS1038

 器用:SS1003→SSS1172

 敏捷:SSS1146→SSS1386

 魔力:S998→SSS1193

 《魔法》

 【■■■■■】

 ・現在使用不可

 【フィシ・ストイケイオン】

 ・付与魔法(エンチャント)

 ・速攻魔法

 ・地、水、火、風属性から選択可能

 ・■■■■■■

 ・詠唱式【地よ、震え上がれ(エダフォス)】【水よ、噴き上がれ(プリミラ)】【炎よ、燃え上がれ(プロクス)】【風よ、舞い上がれ(フルトゥーナ)

 【】

 《スキル》

 【■■■■■■】

 ・生きている限り試練が訪れ続ける

 ・窮地時に全能力の超高域強化

 ・獲得経験値(エクセリア)の大幅増加

 ・諦観しない限り効果持続

 ・自分と周囲が希望を抱くほど効果向上

 【■■■■】

 ・解読不能

 【■■■■】

 ・解読不能

 

 

 

 




基本アビリティの熟練度が酷いことになっている件について。

原作はもうちょっと過去の出来事についての情報開示をするべきだと思うの……おかげでアイズの両親関係は名前以外ほぼ捏造状態だよ!


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第十話:戦争遊戯

 ガタリ、ガタリと不規則に訪れる揺れが私の意識の覚醒を促す。

 

「ん……」

 

 体を包む毛布を退かして見回せば、未だ自分が天幕の張られた馬車の中にいることを理解した。仕切り布の隙間から顔を出して空を見上げれば、広大な天空で輝く太陽はまだ南中していない。だがあと数時間もすれば開始時刻である正午に達するだろう見込みだ。

 

 一度は到着するまでもう一度寝ておこうと思ったが、緊張からかすっかり目が覚めてしまっている。しかし目的地到着まではあと一時間はかかりそうだ。それまで何もせず座りっぱなし、というのも少し落ち着かない。

 

 涎の跡がついた口元をふきながら、私は背負っていた《アグノス・ソード》を鞘ごと外して自分の膝に置き、鋭い摩擦音を立たせながら抜き放った。

 

「……大丈夫かな」

 

 一応、毎日手入れはしている。血糊は念入りに拭き取っているし、欠けた場所があれば携帯式の砥石で気休め程度に研いでいる。だが所詮は素人の応急処置だ。買ってからたった数日とはいえ、これまで散々酷使した《アグノス・ソード》は買った当日の様子と比べればいくらか輝きが鈍っている。

 

 今朝鍛冶屋でメンテナンスをして貰うはずだったのだが、名も知らぬ鍛冶師曰く「時間がかかり過ぎる」らしいので諦めた。どうやらこの《アグノス・ソード》、使われている素材が鋼鉄をベースにした波紋鋼(ダマスカス)硬結晶銀(シルバー・クリスタル)などが混ざった特殊な合金らしく、まともな整備をしようものなら半日以上かかるらしいのだ。

 

 それに整備にかかる費用もかなりキツかった。時間も予算もオーバーする以上、断念するしかないだろう。

 

 というかこんな剣が五〇〇〇〇ヴァリス以下で販売されているとかどうなっているんだ【ヘファイストス・ファミリア】の価格設定は。明らかに駆け出しが管理しきれるものじゃないだろコレ。

 

「……一緒に頑張ろうね」

 

 ぶつくさと考えている内に《アグノス・ソード》に付着していた汚れを全て拭き終わった。念のために刀身に植物油を薄く塗りつつ、願うように我が愛剣に激励の言葉をかけて鞘にしまいこむ。

 

 気づけばもう目的地が見えてきた。辺り一面、草しか生えていないだだっ広い平原。目を凝らせばかなり遠くで野営地らしきものが建っている。恐らく【アパテー・ファミリア】の野営地だ。

 

 そしてさらによく見ると、まだ昼間だというのに大人数が酒や肉を食い散らかしている。

 

 戦いの前に何て能天気だとは思うが、まあ、当たり前かもしれない。相手にするのが小娘()ただ一人である以上、楽勝ムードが漂う事は仕方がない。

 

 だが、私は負けるつもりなんて欠片も無い。

 

 ――――絶対に勝つ。

 

 尊敬する主神(ロキ)様に誓ったのだ。これを違えるものか。

 

 鞘にしまった《アグノス・ソード》を背に掛け、馬車の座席から腰を上げる。

 

 

 さぁ――――戦争の時間だ。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 戦争遊戯(ウォーゲーム)。ファミリア同士における諍いを収めるための最終手段にして全面戦争という物騒な内容ではあるが、一方で人々や神々にとっての娯楽という側面を孕んでいる。

 

 簡単に例えるなら闘技場(コロシアム)のような物だ。

 

 人知を超えた力を持つ冒険者たちが剣を手に取り争い合う。巻き込まれる側は顔を青ざめるだろうが、見ているだけの側からすればこれ以上無いまでに刺激的な催しだ。人も神も退屈こそを嫌悪する。故に戦争遊戯(ウォーゲーム)という存在は神々が便乗(悪乗り)して都市を盛り上げるための一種の起爆剤として働いているのだ。

 

 ――――が、今回は極めて小規模な戦い故に、オラリオはそこまで熱気に包まれては居ない。

 

 片や中堅にも届かない【アパテー・ファミリア】。

 

 片や無名かつ眷属一人の【ロキ・ファミリア】。

 

 神々の間では天界のトリックスターであるロキがどんな悲惨な末路を辿るのかと言う悪辣な動機でワクワクしている者もいるにはいるが、やはり一対多というイメージはかなり悪い。こんな見る必要もなく結果のわかり切った戦いを見る者はギャンブルに飢えた者か他者が嬲られることに喜びを感じる変態くらいだろう。

 

 事実喧伝もそこまで広く伝わってはおらず、この催しを見に集まった他地域の者もかなり少数である。

 

「うっわぁ……戦争遊戯(ウォーゲーム)前とは思えない盛り上がりの欠けっぷりやなぁ……」

「だってあのアパテーだぜ? アイツの眷属の被害に遭ったファミリアがどれだけいることやら……」

「ただのリンチじゃねぇか。せめて派手に散ってくれよロキん所の子供」

「あ゛?」

 

 ロキがバベル三十階の窓からオラリオを見下ろしながらそんなことを呟くと、背後の円卓から神々が不満そうに声を漏らしている。第三者からすれば犯罪者の巣窟紛いのファミリアが零細ファミリアを戯れで潰そうとしているような光景だ。

 

 もし【ロキ・ファミリア】のただ一人の眷属が何か大きな功績を上げていたのならば神々は「次は何をしてくれるんだ!?」といった感じで興奮しながら煽り散らすだろうが、残念ながらそんな事実はない。

 

 故に退屈な遊戯(ゲーム)。神々は退屈な日常を忌むが、退屈な遊びは更に嫌う。

 

「ふむ……ロキ、もうすぐ戦争遊戯(ウォーゲーム)が始まるが、何か言いたいことはあるかな?」

 

 頬杖を突きながらニヤニヤと薄気味悪く笑っているアパテーがそう問うと、ロキは神々の予想に反してニタリと悪戯を考えている子供の様な顔で彼女を見返した。

 

「そうやなぁ……アンタらの期待を裏切るようで悪いんやが――――巨人殺し(ジャイアント・キリング)、見られるかもしれへんで?」

『!』

 

 ロキの言葉に死んだような目をしていた神々が顔色を変える。アパテーは何故か更に笑みを深める。そして懐から懐中時計を取り出して、現在時刻がもうすぐ正午を迎えることを確認した彼女は顎を上げて宙へと話しかける。

 

「ウラノス、『力』の行使の許可を」

 

 

 

【――――許可する】

 

 

 

 ギルド本部の方角から重々しく響き渡る神威の籠った宣言が聞こえると同時に、先程と打って変わって目を輝かせた神々が一斉に指を弾き鳴らした。

 

 瞬間、オラリオ中に虚空に浮かぶ『鏡』が出現する。これこそ下界で行使が許されている『神の力(アルカナム)』――――『神の鏡』。千里眼の能力を有する、遥か遠くの出来事を一部始終見通すことができる唯一の特例だ。

 

 そしてその頃ギルド本部前庭では仰々しい舞台が勝手に置かれて、そこに接地された拡声器から女性の声が聞こえ始める。戦争遊戯(ウォーゲーム)名物、実況中継である。

 

『あー、あー。よし……改めまして、皆さんこんにちは。今回の戦争遊戯(ウォーゲーム)の実況を務めさせていただきます、ギルド職員のアイナ・チュールです。そして隣にいるのはゲストとして立候補していただいた――――』

『――――俺が、ガネーシャだ!!』

『――――えっと、はい。少し前に【苦労顔】シャクティ・ヴァルマ氏がLv.2に上がった時のテンションを未だに忘れられずにいる【ガネーシャ・ファミリア】の主神、ガネーシャ様に来ていただきました。今日はよろしくお願いしますね?』

『――――俺がっ……ガネーシャだ!』

『はい、ありがとうございました。では改めて説明させていただきますね。今回の戦争遊戯(ウォーゲーム)は【アパテー・ファミリア】対【ロキ・ファミリア】、戦争形式は総力戦。両陣営の戦士たちは既に指定場所に待機しており、今にも鐘が響くのを待ち構えている様子です』

 

 酒場や大通りなど場所に合わせて大きさが異なる円形の窓に、それぞれのファミリアの勢力が映っている。【アパテー・ファミリア】はおおよそ三十人以上の厳つい、確実に人を何人か殺している風貌の男たちが映っている恐怖の絵面であるが――――もう片方は、さながら精巧に作られた人形の如き美しさを持つ少女が映っていた。

 

 ここで戦争遊戯(ウォーゲーム)を見ていた神々が騒ぎ立て始める。ロキの眷属がたった一人だとは聞いていたが、こんな可愛らしい少女だとは欠片も思わなかった故。

 

「おいぃぃぃぃぃぃ! ちょっと待って! 幼女!? 幼女ナンデ!?」

「今すぐ中止だ中止! あの子は俺がお持ち帰りする!」

「幼女prprしたいお( ^ω^)」

「殺すぞアンタら」

 

 同時に別の場所では、たった一人の少女が大勢の大人に嬲られる光景を想像して大半の者が顔を青ざめさせている。一部ニヤついている者もいるが、それはごく少数だ。

 

 酒場ではどちらが勝つかを賭ける賭博が行われていたが、配当手当て(オッズ)はアパテーとロキで五十対一。事情を知らない者からすれば完全に出来勝負(レース)だと思われており、一部の酔狂な者(馬鹿)以外に【ロキ・ファミリア】へと賭けようとするものは居なかった。

 

 異様な空気が漂う中、実況者であるアイナの声が上がる。

 

『それでは、間もなく開始時刻になります!』

 

 カチリ、カチリと針が進み続ける。そして見ている者の興奮が最高潮(ピーク)に達した瞬間――――大鐘の音は鳴り響いた。

 

 

『それでは戦争遊戯(ウォーゲーム)――――開始です!』

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 風の弾丸が平原を駆けた。

 

 一歩踏み出せば一瞬で数十Mの距離がゼロへと変わり、更に一歩踏み出せば速度が増す。風という大自然の後押しを受けながら少女()は十秒も使わず【アパテー・ファミリア】との距離を無に帰した。

 

 そして目の前で高く跳躍。最大火力を群衆の中央に叩きこむために詠唱を紡ぐ。

 

 

「――――【炎よ、燃え上がれ(プロクス)】!!」

 

 

 両手にのみ炎が生じ、巻き起こる劫火は手を伝って私の握る《アグノス・ソード》へと流れるように移っていく。

 

 作り出される刃渡り数Mの巨大な焔剣。私はそれを未だ茫然としている【アパテー・ファミリア】へと振り下ろした。

 

「はぁぁぁぁぁああああああッ!!!」

 

 碌に指揮系統も陣形も構築していないならず者の集りと変わらない【アパテー・ファミリア】は()()()()を除いてこの攻撃に対処すること叶わず、至近距離で生じた炎の大爆発に巻き込まれて十名以上が戦闘不能へと陥る。

 

 そして、爆発で作られた巨大なクレーターの中心に着地。見事成功した強襲の成果に満足げに微笑みながら、私は《アグノス・ソード》の切っ先を辛うじて残った【アパテー・ファミリア】へと向けた。

 

「――――来ないの?」

「なっ、舐めやがってガキがァァァ――――!!」

「殺せ! 魔剣も使え!」

「早く魔法の準備しやがれノロマ共がッ!」

 

 ここで恐慌状態に陥らなかった事を褒めるべきか、それとも怒りのままに無策にも突撃しようとしていることを蔑むべきか。生き残った【アパテー・ファミリア】は私の安い挑発によりほぼ全員が怒りの形相を浮かべて持ちうる限りの全ての武器を持ってこちらへと攻撃を仕掛けようとする。

 

 が、襲い掛かろうとしている者は全員Lv.1。そして私は恐らくではあるが、オラリオ中にいるLv.1の中でも間違いなく最高の基本アビリティを持つ者。更に、技術はたった一日とは言え高位の冒険者に扱かれたことにより、そこらの木っ端冒険者と比べれば天と地ほどの差が生じていた。

 

 故に、烏合の衆を蹂躙できない道理は無く。

 

 前予想とは正反対の、【ロキ・ファミリア】によるたった一人の無双が幕を上げた。

 

「フッ――――!!」

「なっ、速――――ぎゃぁぁぁああッ!?」

「う、嘘だろ! 見えながぁぁぁぁああ!?」

 

 【アパテー・ファミリア】団員による一斉攻撃は悉くが回避され、逆に私が剣を振れば何処かしらから鮮血が飛び散るという光景が広がっていた。腕を斬られ、足を貫かれ、胴を切り裂かれ――――数刻前まで彼らの中で広がっていた楽勝ムードは既に影さえ見えなくなっている。

 

「このっ、死ねぇ!!」

 

 少し離れた場所から団員が手に持った魔剣を振るい、味方を巻き込むことなど知ったことかと剣に内包された魔法を解き放った。少し大きめの炎塊が剣から吐き出され、背を向けた私へと突き進み――――轟音を立てながら着弾。

 

 誰もが「やった!」と確信し――――炎が晴れた瞬間、絶句する。

 

「――――【水よ、噴き上がれ(プリミラ)】」

 

 水を纏っていた。どこからか湧き上がる流水は私を守るように渦巻いており、先程放たれた炎塊は跡形も無く消し去られている。そして水が剣に移り、次の瞬間には剣が振るわれて生じた水圧の刃が多数の団員を吹き飛ばす。

 

「なっ、何なんだよアイツ! 魔剣が効かねぇぞ!?」

「おい! 魔法の完成はまだなのかよ!」

「――――放たれし雷撃は敵を撃ち貫】ぎゃぁぁぁあああぁあああッ!?」

「遅い!!」

 

 遠方で杖を握りながら魔法を唱えていた団員の両腕は一瞬で距離を詰めていた私の握る《アグノス・ソード》によって切断され、顔を蹴り飛ばされてそのまま気絶。逆転の一手を潰されたことで団員の顔から次第に血の気が失せていく。

 

 だが、そんな彼らは私の前に出る三人の冒険者を見て少しずつ活力が戻っていった。

 

「だっ、団長! お二方! 遠慮なくやっちまってください!」

「これでテメェも終わりだクソガキ!」

「…………」

 

 私は目の前の男三人を睨みつける。そして脳内の情報と照らし合わせ、彼らが【アパテー・ファミリア】の団長と幹部であることを把握する。

 

 碌に手入れもされていない乱雑な赤髪の槍使い、リックス・バルバロン。

 

 スキンヘッドで顔も体も傷だらけの槌使い、ブロス・スカー。

 

 そして【アパテー・ファミリア】団長。オールバックの黒髪と大きく裂けた左頬。背中に背負う大型の重量金属(ヘヴィメタル)製の大剣がトレードマークの中年男。――――意外な所で再会してしまった、初めて私から何かを奪った忌々しい存在。

 

 第三級冒険者(Lv.2)、【無法者(デスペラード)】グリード・アルパガス。

 

「――――さて、久しぶりだな嬢ちゃん。こんな形で再会するとは思わなかったぜ」

「……あの時の貸しを、返してもらう」

「おいおい。たった六〇〇〇ヴァリスを奪われたことでそう熱くなるなよ? ちゃんと返すって言ったろ?」

「うるさい」

 

私の中に数日前の路地裏の出来事が今でも鮮明に思い返される。

 

 初めて受けた人の悪意。当然のごとく行われる悪行。飄々とした顔で誰かの物を無理矢理奪うこの男を、私は許すことができない様だ。先程からグツグツと胸の奥底から激情が沸騰しそうになっている。

 

「今の私が数日前の私と同じだと――――思うなっ!!」

「お前ら、こいつの相手をしてやれ!」

「へいさぁ!」

「ヒヒャハハ!!」

 

 私は地面を踏みしめてグリードへと襲い掛かろうとするが、振るわれた剣は彼の隣で待機していたリックスとブロスの得物に遮られてしまう。彼らの動きにわずかな違和感を感じながら即座に飛び引き、彼らへと標的を移す。

 

 よくわからないが、あの二人は他の団員と比べて強い。グリードを倒そうにも彼らが健在である限り大将首を獲るのはかなり困難だろう。

 

 だから――――速攻で片を付けさせてもらう!

 

「【地よ、震え上がれ(エダフォス)】!」

 

 地の力を集わせた手を地面に打ち付け、岩石の棘が二人へと襲い掛かる。Lv.1の冒険者ならばこれで仕留められる筈――――

 

「おお、凄ぇや。地面から棘を生やしやがった!」

「ハッハァ! 無駄無駄ァ! 吹っ飛べやぁ!!」

「ッ――――!?」

 

 リックスは地面から飛び出す無数の棘を軽々と躱し、ブロスはその手に持った巨大な槌で周りの地面ごと棘を砕いて吹き飛ばした。完全に予想外の事態に少しだけ狼狽えてしまうが、すぐに態勢を整える。

 

 予想よりも強かっただけの事に動揺してはいけない。気を強く持て、私。

 

「そらそらそらァ!」

「くっ――――!?」

 

 無数の棘の上を飛び移りながらリックスは私との距離を詰めて、その手に持った長い槍で連続突きを放ってきた。一撃目を剣で弾き、二撃目を身体を捩って回避するが、更に速度が上がった三撃目が左肩の肉を少しだけ抉る。

 

 何だ、こいつの速さは。他の奴らと差があり過ぎる。本当にLv.1なのか……!?

 

「死ねやァァァァァァッ!!」

「!?」

 

 進路を阻む土の棘を破壊し尽くしながら、巨大な槌を振りかぶってくるブロスを見て私は即座に回避しようとする。が、一瞬の隙を狙ってリックスが私の脚に槍を刺し込もうとする。反射的に回避して――――しかし、無理に避けたせいで体勢が崩れてしまう。

 

 マズイ。避けきれな――――

 

「ッ――――」

 

 反射的に《アグノス・ソード》を盾代わりにして防御。巨大槌の威力はある程度減衰したが、それでも私の体を吹き飛ばすには十分だった。ブロスの槌は振り抜かれ、私は十M以上の距離を吹き飛んで地面を転がる。

 

 そうして、ようやく確信する。

 

 たぶん、こいつ等二人はLv.1などでは無い。先程蹴散らしていた団員と能力に差があり過ぎる。私の様に基本アビリティが無茶苦茶に高いのか、それともスキルの効果なのかはわからない。だが戦闘能力は間違いなくLv.2クラスだ。

 

 ふと、とある言葉が頭を過る。

 

 ファミリアは規模や功績により、ギルドからIからSまで等級付けされている。等級が高くなるほど、ギルドからの月間徴税額も上がってしまうが、それは「そのくらいのファミリアならば十分稼げる額」だと判断されるからだ。

 

 が、人間だろうと神だろうとお金は貯めたいものである。ギルドの大量徴税を避けるため敢えて眷属のレベルアップ報告をせず下位に留まる違法なファミリアは詳細こそ不明だがそこそこの数が存在しているらしい。

 

 もしかしたら、【アパテー・ファミリア】はその内の一つかもしれない。そう思うと見えてきた希望が遠ざかったようで歯噛みしてしまう様な気持ちになってしまう。

 

「おいおい、どうしたよさっきまでの威勢は。”Lv.1”相手に苦戦しちまって、大丈夫なのか?」

「ヒヒヒッ、さっさと降参したらどうだい? ああ、そういや負けたら処刑なんだっけ? 必死に抗う訳だ~」

「大人しくしてれば俺らがここで苦しまずに死なせてやるぜ?」

「ッ……!」

 

 《アグノス・ソード》を杖代わりにして身体を起き上がらせる。三人のわざとらしい言葉と浮かべた嘲笑が非常に腹立たしい。剣を握る力が自然と増していく。

 

 ――――こいつ等を、倒す。

 

 その一心を持って、私は手から零れ落ちそうな希望を掴むために地を駆けた。

 

 

「オォォォォオオォオオオオオオオオオオッ!!!」

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

『幼女TUEEEEEEEEE!!』

「おいおいおい嘘だろッ!? あれホントにLv.1かよ! ロキィ! お前レベルの虚偽報告してないだろうな!?」

「しとらんよ~。うちの名に誓ってあの子はLv.1や」

「複数属性の付与魔法(エンチャント)持ち! 出力も尋常じゃねぇ! しかも可愛いとか大当たりじゃねぇかクソッ!!」

 

 朝の沈鬱とした雰囲気は何処に行ったのか、バベル三十階層は現在どんちゃん騒ぎが起こっていた。

 

 前予想では【アパテー・ファミリア】のリンチで終わると予想されていたのに、今現在鏡から見えるのは間違いなく【ロキ・ファミリア】による幼女無双。完全に予想外の光景に【アパテー・ファミリア】に賭けていた神々は悲鳴を上げ、【ロキ・ファミリア】に賭けていた神々は歓喜の絶叫を上げていた。

 

 当のロキ自身も眷属の予想以上の大暴れっぷりにケタケタと笑っている。

 

「ふーはははははっ! どやぁ? うちのアイリスたんは最高やろ!?」

『アイリスたんサイコーーーーーー!!』

『チクショォォォォオオオオオオオ!!』

 

 こんな騒ぎは別にバベルの中限定では無く、各所の酒場でも似たようなことが起こっていた。具体的には幼女に金をつぎ込んだ大人が「ヒャッハー!」と喜び回るというアレな絵面が。

 

 そんなこんなで予想を上回る展開にオラリオの住人たちは沸き上がり、小さな少女が厳つい男ども相手に無双するという爽快感抜群の絵面によって戦争遊戯(ウォーゲーム)開始時と比べて数倍以上の盛り上がりを見せていた。

 

『す、すごい! アイリスちゃん、蹴散らしています! 【アパテー・ファミリア】の団員が一方的に屠られていきます! ホ、ホントにLv.1だよね……?』

『あれは、そう……ガネーシャだ!!』

『あっ、ここで【アパテー・ファミリア】の団長と幹部が止めに入りました! ……え? な、なんかこっちもLv.1にしては強すぎるような……ガネーシャ様、何かわかりますか?』

『あれは――――ガネーシャか!?』

『すいません。聞いた私が馬鹿でした』

 

 実況ではそんな小コントが起こりつつ、しかしアイナの言葉によって一部の高位冒険者の目が少しだけ細められた。微かな違和感が言葉で指摘されたことで浮き彫りになったと言う方が正しいか。

 

「なぁ、おかしくないか? あの子供も大概だが、あの槍使いと槌使い、明らかに動きが()()()()

「【アパテー・ファミリア】って犯罪紛いの事も普通にやるんだろ? ……報告してないんだろうさ」

「オイオイ、マジだったらあの少女の勝ち目ねぇだろ。Lv.1がLv.2に敵うかよ」

「【無法者(デスペラード)】がいる時点で今更だろ」

 

 そんな声は酒場だけでなく、バベルの中でもわずかに芽を出していた。

 

 ロキは先程とは打って変わって鏡の中の光景をキツく睨みつけている。アイリスの異常性を理解して居るからこそロキは周りが天井知らずに盛り上がる中違和感の正体に気付いていた。

 

(あのクソ女神(アマ)ァ……! 眷属のレベルアップ報告しとらんな!? しかも二人以上ッ……!)

 

 Lv.1の中では間違いなく最強だと断言できるアイリスが若干ではあるが押されている。それは即ち相手がLv.2以上だということに他ならない。万が一レアスキルの類で強化されていたとしても、普通の冒険者とアイリスの基本アビリティ差は限界突破(SS以上)の有無という絶対的な開きがある。

 

 そんな差を埋められるスキルがある訳がないとは言わないが、一番可能性が高いのはやはりレベルアップの未申告だろう。

 

 チラリとロキがアパテーに視線を送れば、ニタニタと生理的嫌悪を刺激する笑みが返ってくる。それを見てロキは彼女は黒だと判断するが、何も言わずに歯噛みした。

 

 何故ロキが何もしないのか。――――単純に、アパテーが眷属のレベルアップを申告していないという確たる証拠は無い故に何もできないのだ。

 

 あったとしても戦争遊戯(ウォーゲーム)はもう止まらない。盛り上がりが最高潮に達している以上、今更ロキが何かを喚いた所で周りの神々は止まりやしない。

 

 ロキは無力感に苛まれながら、不意に最悪の予感が脳裏をよぎるのを感じる。

 

 

 あの中に第二級冒険者(Lv.3以上)が交じっているという可能性を。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 金属と金属がぶつかる度に花火が散る。

 

 既に何十と繰り返されている攻撃の嵐。槍と槌によるコンビネーション連撃を全力で凌ぎながら私は彼らの攻撃に隙が出るまで忍耐を続ける。

 

「オラオラァッ! 反撃しないと死んじまうぞォ!」

「耐えるだけで精一杯ってかぁ!」

「うぐっ……!!」

 

 同時攻撃を受け止める。両腕が軋み膝を突きそうになるが全力で堪える。

 

 魔法はまだ使っていない。()()Lv.2の【無法者(デスペラード)】が後に控えている以上、前座の二人程度に乱用するわけにはいかないからだ。最小限の消費で彼らを倒さなければたださえ低い勝ち目がさらに低くなってしまう。

 

 そして逆転の機会(チャンス)はやっと訪れた。怒涛の隙が無い攻撃は今の同時攻撃で一旦の終了を迎えた。

 

 此処しかない。

 

 

 ――――カチリ、と何かのスイッチが入る音が頭の中で響く。

 

 

「【風よ、舞い上がれ(フルトゥーナ)】ァッ!!」

「なん――――!?」

「ぬおォッ!?」

 

 

 身体から強烈な風の爆発を起こし、受け止めていた二人の武器を吹き飛ばす。結果、二人の両腕は上に跳ね上がり、胴はがら空きになった。すかさず風を剣に集め――――二度、剣を払う。

 

「はぁぁぁぁあああああああ――――ッ!!」

「がぁっ――――!?」

「うごぁぁああああ――――ッ!?」

 

 圧縮された風の壁が幹部二人を上から地面へと叩き付け、二度目に放たれた本命の一撃が二人を風と地面にサンドイッチにされた状態のまま吹き飛ばした。彼らは土を抉りながら三十M以上も吹き飛んでようやく停止。両者とも白目を剥いて倒れている。

 

 前座は片付いた。これで、ようやく大将を狙える。

 

 大量の土煙が上がる中、肩で息をしている私の前に空気を含んだ拍手をしながら近づいてくる影が一つ。シルエットから見える巨大な剣は間違いなくグリードだ。

 

「はははっ、すげぇや。実はお前もレベルアップの申告をしてなかったりするのか? Lv.1の冒険者が一人でLv.2二人を同時に倒すなんて聞いたこともねぇ」

「……お前、も?」

 

 何か含みのある言い方だった。

 

 こいつは、何を言っているんだ。その言い方だとまるで、彼ら二人だけでなく()()()()()だと言っているような――――

 

「ああ、主神(アパテー)からは『言わない方が面白い』って言われてるから、今まで色々と誤魔化していたが……此処で明かすのも、お前のイイ表情を見れそうで悪くは無さそうだ」

「なに、言って」

 

 グリードは背負った重量金属(ヘヴィメタル)の大剣を抜き放ちながら、空いた手の指を三本だけ立てる。

 

 

 

「俺のレベルは3だ」

 

 

 

 その言葉と同時にグリードの姿が掻き消え、次に目に入った光景は彼が低姿勢のまま大剣を振り抜こうとしている姿だった。

 

 比重の高い重量金属(ヘヴィメタル)を大量に使用して作られた超重量の鉄塊が迫る。完全な反射行動で《アグノス・ソード》を振り下ろしてそれを相殺しようとするが――――刃が衝突した瞬間、私の持つ《アグノス・ソード》の刀身に無視できないレベルの罅が入る。

 

「な――――――――」

「吹っ飛べ」

 

 絶句。そして、両腕ごと体が弾き飛ばされる。

 

 辛うじて両手に握る剣は手放さずにいられたが、その対象として私の体は数M上空をきりもみ回転した後地面に叩き付けられた。

 

「うわぁ、これで死んで無いとかマジか。どんだけ頑丈なんだこのガキ……。ま、どうせだし盛り上げてやりましょうかね」

「がっ、あ、ぅ…………!」

 

 呻きながら、立ち上がる。両手に握った《アグノス・ソード》は、もう見るも無残な姿だ。形こそ保ってはいるが、これ以上無理をすればその中ほどから真っ二つに折れてしまうだろうダメージを負ってしまっている。

 

 しかし私の武器はこれしかない。この剣が折れてしまえば、アレとどう戦えば――――

 

「【我等が欲は尽きることなく。痛みに悶え、憎悪に燻られ、不信の幻惑に縛られる】」

「ッ――――!?」

 

 グリードの口から魔法の詠唱が呟かれ始める。正面から押せば倒せるはずなのに、わざわざ魔法の詠唱? ――――間違いなく碌なことをしない。今すぐ止めねば、確実に不味いことになる。

 

 即座に私は彼へと駆けて、今にも壊れそうな剣を振るう。

 

 だが、容易く弾かれる。もう一度振るって、弾かれて。何度振っても、届かない。

 

「ッ、ぐ、ぉぉぉぉおおおおおおお!!」

「【手足に杭を打て、痛みを与えよ。その憎しみが無為と知らしめるために。その体に流れる物を惑わしてでも自由を奪え。家畜が祈る神など無し】」

「届けっ……届けぇぇぇぇぇええええええッ!!!」

 

 止まらない。グリードは嘲笑を崩さずに戦闘を行いながら詠唱を続ける。――――平行詠唱。本来ならば暴走して自爆しかねない魔法の行使を、高速移動や戦闘をしながら唱える離れ業。

 

「【炎よ、燃え上がれ(プロクス)】ゥゥゥゥゥッ!!!」

「【嗤え民衆よ! 磔にされた哀れな家畜を見上げよ! 彼の者から一切の力を奪いたまえ!】」

 

 精神力(マインド)をありったけつぎ込んだ炎で全身を包みながら、剣を振り上げる。

 

 

「【カデナ・デセスペランサ】」

 

 

 そしてその刃がグリードの頭を撃ち砕く――――寸前、手足の関節が何かに()()()()

 

 

「な、にが――――」

 

 

 痛みは無い。だが身体がピクリとも動かない。全身の炎も解除した覚えはない無いのに、霧のように掻き消えて――――私は理解のできない事象を前に、呆けることしかできなかった。

 

「拘束と魔法発動阻害の魔法だ。今からお前は三十秒間一切の身動きも、魔法を発動することもできやしない」

「ッ…………!?」

 

 手足の関節を、地面の魔法円(マジックサークル)から生えた真っ黒な鎖付きの杭が貫いていた。

 

 動かない。まずい、完全に拘束された――――!?

 

「さぁて! おいお前たち! 後は魔剣で調理してやりな!」

 

 気づけば、少し離れた場所から私を囲む様に十人程度の【アパテー・ファミリア】の団員が魔剣を構えている。幹部と団長が稼いだ時間の間に、準備をしていたのか。

 

「じゃあなクソガキ。来世は幸せに暮らせるといいな」

 

 それだけを言って、男は踵を返して手を振りながら遠ざかった。

 

 

 周囲の者達が手に持った剣を振るう。

 

 

「ッ――――【水よ、噴き上がれ(プリミラ)】ァァアアァアアアアアアアアアアッ!!!」

 

 

 拘束魔法の時間が切れる。だがもう回避が許される時は過ぎている。

 

 私は詠唱を絶叫するように叫びながら水の膜で己を保護する盾を形成するが――――魔剣による一斉攻撃は、この程度の防御で防ぎ切れるようなものではなかったようだ。

 

 

 数秒もせずに水は蒸発し切り、炎と爆音が全身を焼き始める。

 

 

 悲鳴を上げることもできないまま、私の視界は閃光に包まれた。

 

 

 

 

 

 




負けたな、迷宮破壊してくる。

Q.地味にLv.2二人相手に当然のごとく勝利しているのは何なの
A.アホみたいに高い基本アビリティ+付与魔法(エンチャント)による能力向上+謎スキルによる全能力強化=Lv.2「\(^o^)/」

???「追い込まれた狐はジャッカルより凶暴だ!」


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第十一話:焔神の聖火

 【無法者(デスペラード)】、グリード・アルパガス。

 

 【アパテー・ファミリア】最古参にして総勢三十六名の団員を率いる団長と言う立場に属するLv.2の冒険者。レベルアップに要した期間は三年。そして今に至るまで五年間Lv.3に上がる気配を見せず、そして彼以外の団員もLv.2に一人たりとも上らないが故に【アパテー・ファミリア】は「そこそこの期間活動して人数も多いくせに全然強くない探索系ファミリア」の一つとして挙げられる下位ファミリアとして蔑まれていた。――――実際は、主神が報告義務を無視して実力を隠していただけの様だったが。

 

 更に属している者のほとんどが元犯罪者という極めつけの特徴を持っている。そのせいでオラリオの治安維持の一部を任されている【ガネーシャ・ファミリア】や【アストレア・ファミリア】に目の敵にされているが、設立からおよそ八年間あの手この手で切り抜けられているのが現状だ。

 

 主神も中々表に出てこないが故に内情は謎だらけであり、団員もオラリオの中で好き勝手に動いていることから主神が眷属を制御しきれていないという疑惑も上がるなど、おおよそ良いファミリアとは全く呼べない代物だ。

 

 だが、実態は違った。

 

 主神(アパテー)は敢えて己が眷属を放っているのだ。欺瞞・不実・不正・失望を体現する女神は彼らの蛮行こそを愛するが故に。

 

 そして何よりのお気に入りが団長であるグリード・アルパガス。元ラキア王国将軍にして数々の国を相手に戦争を吹っ掛けては滅ぼし尽くした生粋の戦争好き。

 

 幼少のころから暴力沙汰に事欠かず、戦場で腕っぷしだけで暴れ回った末に将軍の地位まで上り詰めただけに飽き足らず、彼は他国に戦争の火種を投げ込んでは国民の戦意を煽って戦争の口実を作るなどしてほぼ毎日戦争を行っていたという。

 

 周辺国における彼の名は――――【戦争屋(ウォーモンガー)】。文字通り戦争を売りさばく最低最悪の人間。

 

 そんな最悪な人間である彼は毎日愉快な日々を過ごしていたのだが、十年ほど前にラキア王国の物資を他国に横流しするという不正行為が発覚したことによって逮捕され、恩恵を剥奪された後に国外追放の処分を受けた。

 

 それから二年近く周辺国を彷徨いながら行く先にラキア王国への敵意を煽りつつオラリオにたどり着き、悪神(アパテー)と出会いを果たして今に至る。

 

「ヒュ~♪ デカい火花が散ったなァ、オイ。戦争後に処刑するつもりだったのに此処で死んでちゃ世話ねぇぜ。だろお前らァ!」

「ハハハ! 調子に乗ったガキには罰を与えるのが大人の役目ってもんですよ団長ォ!」

「魔剣まで使って罰を与える大人とか聞いた事ねぇよ!」

『ヒャハハハハハハハハハハ!!』

 

 十数本もの魔剣による一斉掃射により作られた巨大なキノコ雲を見ながら【アパテー・ファミリア】の団員たちは嗤った。今まで散々嬲られた仕返しを行えたことで精々しているのだろう。全員が気色悪い笑みを浮かべ不協和音を喉から奏でている。

 

「ッ…………!!」

「うわぁ……マジかよ。あそこまでやるか普通……」

「やっぱアパテーと関わると碌なことねぇな……」

 

 バベル三十階の中では先程まで盛り上がっていた筈の空気が完全に鎮火している。唯一笑みを浮かべているのはアパテーのみで、そんな彼女をロキは今にでも殺しそうな顔で睨みつけている。

 

 しかしひとえにロキが襲い掛かっていないのは己の眷属が()()()()()()()とわかっているからだろう。

 

 神は自分が恩恵を与えた存在の死生を察知することができる。その事に此処まで感謝したことがあっただろうかと、ロキは顔を押さえながら浮かせていた腰を座席に戻す。

 

「アイリスちゃん! ああ、そんな……!!」

「むぅ……!」

 

 ギルド前庭でも観戦していたほぼ全員が顔を青ざめさせていた。確かに戦争遊戯(ウォーゲーム)で死者が出るというのはそう珍しくないことだ。刃物や魔法を使って争っている以上、どうしても当たりどころが悪くて死ぬという可能性はついて回る。

 

 それでもファミリア同士の抗争や戦争遊戯(ウォーゲーム)は暗黙の了解(ルール)として『他者の殺害を積極的に行わない』という物がある。あくまで相手を気絶させるか戦闘不能状態に追い込むのがお互いに後腐れが一番残りにくいのだから。

 

 何よりそんなことを積極的に行おうとするファミリアなどギルドとしても許容できない。冒険者の仕事はあくまでもダンジョンの開拓だ。

 

 だからこそ、殆どの冒険者にとってはいい大人たちが魔剣を少女相手に斉射するという光景は想像以上過ぎた。一部では煙の晴れた後の光景を想像して吐いている者まで確認できる。

 

「アイリスたん……!」

 

「アイリスちゃん……!」

 

 ロキは顔を歪めながら眷属の名を漏らす。アイナは涙を流しながら嗚咽の様に名を呼ぶ。

 

 どちらも、もう見守ることしかできない無力感に苛まれているが故に。

 

 

 

 

「…………あ?」

 

 グリードの笑いが止まった。彼の目が、煙の中に何か大きなシルエットを見つけたからだ。

 

「あー、いや……いやいやいや。いやいやいやいや、ありえねぇだろ。魔剣十本以上の総攻撃だぞ!? Lv.1の冒険者が原型留めてる訳が……!」

 

 煙が晴れる。まず見えたのは巨大なクレーター。魔剣による連続爆撃により抉れた地面は行われた攻撃の苛烈さをこれでもかというほど物語っている。だが、そんな物は今グリードにとってどうでもいい事だ。問題はその一番中央にあるモノ。

 

 身体中から白煙が立ち登っていた。無数の火傷も見える。だが――――不条理にも、少女はその姿を留めていた。

 

 《アグノス・ソード》を杖代わりにしながら、アイリスは立っていた。バラバラに吹き飛んでもおかしくなかったというのに、その肉体は未だ健在。纏っていたアーマードレスのほとんどを破壊されながらも、その小さな口で確かな呼吸を繰り返している。

 

「嘘だろ……」

 

 どんな耐久力だとグリードは目の前に居る少女に戦慄した。ほとんど抵抗できない状態での魔剣による多重爆撃、たとえ自分でも無事に耐えきれるか怪しいというのにLv.1である筈の少女は耐えきった。

 

 一体どんなトリックを使えば可能なんだと吐き捨てながら、グリードはその顔から笑みを消して手にある大剣へ力を入れ直す。

 

「だ、団長……?」

「下がってろ。俺が止めを刺す」

 

 先程までの軽快な様子は何処に行ったのか、彼は何か恐ろしい物を見るような目でアイリスに最大限の警戒を払いながら一歩、また一歩と彼女に近寄る。

 

「ひゅー……ひゅー……」

「どうやって耐え切れたかは知らねぇが……とっとと終わらせてもらうぜ。安心しな、抵抗しなきゃ楽に――――」

 

 パキリ、と殻が割れたような音がした。

 

 突如起こる異音に対して警戒心を最大まで上げていたグリードは言葉を止めて、周囲を探る。だが、とてもそんな音がするような物体は見当たらない。一番可能性のある少女の剣を見るが、特に何かが変わった様子はない。

 

 気のせいか、と警戒しすぎな自分を笑い飛ばしながら、彼はついに少女へと止めを刺すために剣を振り上げて。

 

 

 に呑まれた。

 

 

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――――ッ!!!」

 

 

 

 アイリスの負った傷から真っ黒な瘴気が溢れ出す。まるで入れ物が壊れて中から漏れ出した水の様に、その瘴気は際限なく彼女の体から這い出して辺り一面を包んでいく。

 

 最初こそただの強風を起こす魔法だと思っていたグリードだったが――――自分の体に植物の蔦の様な黒い紋様が広がり始めているのに気づき、背筋を凍らせる。即座にポーチの状態異常回復薬を口にするが、変化は無し。

 

 そこで彼は自分の体を蝕んでいるモノの正体に気付いた。

 

「なッ――――馬鹿な! 呪詛(カース)!?」

 

 呪詛(カース)。魔法と同じく詠唱を引き金にして放たれる。炎や雷、氷の放出や能力上昇の付与魔法(エンチャント)を始めとした通常魔法とは一線を画し、混乱、金縛り、痛覚の付与など、『呪い』と言うべき効果を発揮する特殊な魔技。

 

 魔法と違い防ぐ方法が限られており、尚且つ齎せる効果は『耐異常』などの発展アビリティでも防げないという凶悪な代物。

 

「ふざけんなッ! 無詠唱でこの出力と規模だと!? 何処まで出鱈目なんだこのガキィッ!!」

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――――ッ!!!」

 

 アイリスは正気を失ったように金切り声を上げながら瘴気をまき散らし続ける。だが時間が経てば経つほどその勢いは弱まりつつある。

 

 底を突きそうにない様子は変わらないが、単純に出口(傷口)が塞がれ始めたのだ。謎の自動回復による肉体の補修が始まり――――やがてすべての傷が治り、瘴気が止まった。

 

 グリードが息を荒げながら周囲を見渡せば、先程まで笑い声を上げていた団員は一人残らずその場で倒れ伏している。

 

 健在なのは彼と――――何事も無かったかのようにこちらに剣を構えている少女の二人だけだった。

 

 

「ふぅぅぅっ……! ふぅぅぅぅぅっ……!!」

「こ、のッ……クソガキがぁぁぁぁッ……!!」

 

 

 戦いの終幕が、近づいてきた。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 真っ黒な、泥の中に沈んでいるような気分だった。

 

 目を開けても、何も見えない。自分の姿さえ捉えられない。周囲で何かが蠢いているのは()()()が、何も()()()()。五感は全て潰され、今働かせている思考さえあやふやで強く意識しなければ解けてしまいそうなほど不安定だ。

 

 何かしなければ、という漠然とした思いだけが頭にある。

 

 何もしなければ溶けてしまう。周りで蠢いている()()()()と同じになってしまう。それだけは嫌だ。私は、そんな物にはなりたくない。

 

 手足を動かす。たとえ返ってくる感覚がなくても、必死に手足を動かしてもがき続ける。

 

 此処から抜け出さなければ。何か無いのか。何でもいい、誰でもいい。私を此処から連れ出してくれ。

 

 

 ――――いいや、此処から抜け出すやり方は既に知っているはずだ。

 

 

 聞こえるはずの無い、声が聞こえる。

 

 貴方は、誰?

 

 

 ――――中身が違うとはいえ、その姿をもう一度見ることになるなんてな。……仕方ない、手助けをしてやる。

 

 

 声と共に、温かい物が身体に触れた。

 

 何だろう。初めて感じるはずなのに、懐かしいような。

 

 

 ――――希望を忘れるな。どれだけ絶望的な状況であっても、希望さえ抱けば道は見えてくる。

 

 

 が、灯る。

 

 

 ――――後から考えるな(過去に縛られるな)先に考えろ(未来を見ろ)。最良では無く最高を目指せ。

 

 

 目を開けば、光が見えてくる。

 

 

 ――――……きっと、これからお前には数々の過酷な運命が舞いこんでくるだろうが。

 

 

 私はそれに手を伸ばして、掴まえた。

 

 

 ――――お前がそれを乗り越えて最高の未来(ハッピーエンド)を掴んでくれることを、空で祈っているよ。

 

 

 

 

 

「ッ―――――――――――!!!!」

 

 意識が覚醒する。

 

 何が起こった。何があった。頭を最高まで働かせて最後の記憶から状況整理を図るが、目の前が光に染まった瞬間から完全に記憶が途切れている。そうだ、私は確か魔剣の直撃を何度も受けて――――

 

「こ、のッ……クソガキがぁぁぁぁッ……!!」

「っな……」

 

 しかし私の肉体に大した傷は無く、むしろ目の前に居る男――――グリードは額から脂汗を垂らしながらこちらを殺さんばかりに睨みつけていた。最後に見た飄々とした様子は何処にも見当たらない。

 

 一瞬だけ視線を巡らせて周囲を見渡すが、魔剣を構えていた筈の【アパテー・ファミリア】の団員が一人残らず地面に伏している。……一体、何があったというのだ?

 

 よくわからない。わからないが――――今の私がするべきことは理解出来ている。

 

 目の前に居る男を仕留める。

 

 それで全てが終わる。

 

「【炎よ、燃え上がれ(プロクス)】――――ッ!!!」

「死ねよやぁぁぁあああぁぁあああ!!」

 

 詠唱と共に爆発の如く全身から噴き上がる業火。気絶前とは比較にならないレベルの出力に驚きながらも私は全身を炎で加速させながら剣を振るい、グリードの振るう大剣とぶつけ合わせる。

 

 凄まじい力と力の衝突。衝撃の爆発で気流が荒れ、踏みしめた地面が爆ぜる。

 

 同時に察知する。理由は不明だが、グリードは先程と比べて弱っている。何かに蝕まれたように動きにキレは無く、力も少しだけ下がっていた。それでも力で押し負けているのでLv.2――――いや、Lv.3というのは伊達では無いらしい。

 

「嘘だろ、能力低下(ステイタスダウン)……!? 呪詛(カース)の効果かッ!」

呪詛(カース)……? 一体どういう――――いや、それよりも!)

 

 疑問は先程から尽きないが、今は目先の事に集中だ。これ以上押されたらマズイと判断し、私は一度強く彼の剣を弾いて後退し距離を取る。

 

 彼我の能力差は莫大。付与魔法(エンチャント)の最大出力で補ってもまだ届かない。せめてあともう一つ付与魔法(エンチャント)があれば届くかもしれないのに――――

 

 

(――――もう、一つ?)

 

 

 その発想に至った瞬間、私は逆転への道筋が開いたような感覚を味わった。

 

 ああ、そうだ。

 

 

 足りないのなら、もう一つ()()()()いいんだ――――!!

 

 

 

「ふぅぅぅぅぅぅぅっ…………!!」

 

 

 剣を正面に構えて、極限まで集中する。

 

 ぶっつけ本番、即席の戦法。だが一番逆転できる可能性が高い一手。自分でも持っていたことに気付かなかった透明の切り札(インビジブル・ジョーカー)が今、切られた。

 

 

「――――【炎よ、燃え上がれ(プロクス)】ッ! 風よ、舞い上がれ(フルトゥーナ)】ァァァッ!!!」

 

 

 業焔と轟嵐が、共に狂騒を奏でた。

 

 全身から悲鳴が上がる。目と鼻、口から血が溢れ出す。骨が軋み、肉が裂け、肌がひび割れて血が漏れ出す。だがそれらは破壊されていくとともに修復されていく。謎の自動回復スキルによる恩恵は今最大限に働いていた。

 

 あまりの力に全身が内側から弾けそうだ。だが逆らってはならない。この荒れ狂う大波を”乗りこなせ”。無理矢理手綱を握るのではなく、流れに乗って先導しろ。学んだことを全て生かせ。

 

 およそ数秒で暴走寸前の力をどうにか制御しつつ、私は自分の中から精神力(マインド)が予想以上に凄まじい速度で減っていくのに気づいた。

 

 そして、ようやくスキルの代償を理解する。

 

 謎の自動回復スキルの代償は精神力(マインド)。これを消費することで傷は塞がれていく。でなければ魔法を二重発動しただけなのに精神力(マインド)消費量が異常すぎることに説明が付かない。

 

 あり得ない光景を前に茫然としているグリードを尻目に、私はポーチの中にある高等回復薬(ハイ・ポーション)精神回復薬(マジック・ポーション)の蓋を開けて素早く飲み干す。これで身体に作られていく傷も、今にも底を突きそうな精神力(マインド)もある程度回復できた。

 

 それでもこの状態を維持できる限界時間は恐らく一分前後。

 

 ――――奴を叩きのめすには十分だ。

 

「――――行くぞ」

「な、ぁ――――!?」

 

 前代未聞の二重付与魔法(ダブル・エンチャント)の恩恵を最大限まで発揮した加速。Lv.3ですらやっと反応できる速度で距離は詰まり、回避の暇すら与えないまま私は一撃を放つ。

 

 刃がぶつかり合う。そして一瞬の拮抗の末――――重量金属(ヘヴィメタル)で作られたはずの大剣が面白いように持ち主の両手と共に跳ねあがった。

 

「…………あ?」

「まだだァァァァアアアアアアアッ!!」

 

 完全にがら空きになった胴体へと力を纏わせた拳を叩き込む。風と言う”燃料”を得て更に猛々しく燃える炎は爆発的な加速を体全体に際限なく与え、その加速を最大限に乗せた打ち上げ(アッパー)はグリードの鳩尾に叩き込まれた。

 

 そして、拳がグリードの体に触れた瞬間、肉が焼ける音と感覚が、耳と腕から伝わってくる。

 

「ギッ――――あがぁぁああぁあぁああぁああああああああッ!?!?」

「吹き飛べェェェェエエエエッ!!!」

 

 拳を振り抜きながら腕に纏わりついた力を解放。莫大な炎熱が火山噴火の如く上空へと撃ち出され、グリードの体は焼かれながら凄まじい速さで遥かな大空と吹き飛んでいく。

 

 私はそれを追うように跳躍し、全身から炎を噴き出しながら急速に上昇。数秒でグリードへと追いつく。

 

 

 ――――そして、《アグノス・ソード》を大上段に構えた。

 

 

 失神していたのだろう、今ようやく目覚めたグリードは今自分が空に浮いていることに言葉を失い――――そして私が剣を構えている事に気付いて泣き叫び始めた。

 

「まっ、待てェ! やめろ! 死ぬ! そんなの受けたら死んじまう! 嫌だ、死にたくないィィィッ!」

「――――貴方は、そうやって助けを請う人の声に応えたことがあるのか?」

 

 炎が、剣に集う。

 

 戦争遊戯(ウォーゲーム)開始時に放ったモノとは比べ物にならない熱量を内包した焔剣。――――そんな代物の直撃に、果たしてLv.3の冒険者は耐えきれるのだろうか?

 

 それは、今から確かめてみる事にする。

 

 

「やめ――――やめろぉぉぉおぉぉおぉぉおおおぉおおおおおおおおッ!!!!」

「灰燼に帰せ――――」

 

 

 

「 『 焔 神 の 聖 火(プロメテウス・フォティア) 』 」

 

 

 

 

 焔風が、撃砕した。

 

 

 

 

 空で圧縮された炎が爆発する。余波で雲が割れ、無数の火花が飛び散り――――やがて、炎で全身を焼き焦がした男の体が大地へと叩きつけられ、衝撃波を滅茶苦茶にまき散らしながら岩盤が抉れ上がって吹き飛んだ。

 

 幸か不幸か、その男はまだ息をしていた。しかし最高品質のエリクサーを湯水のようにでも使わなければ身体の機能が戻るのは絶望的であり、むしろ生かされたことで彼には様々な苦難と羞恥が訪れることだろう。

 

 戦争屋(最低最悪)に相応しい、惨めな末路だった。

 

 

 

 戦場から音が止み、そして静かに一度だけ芝生を踏む音を響かす。

 

 念のため周囲を見渡しても、誰かが立ち上がろうとするような光景は無い。私以外、誰も足で地を踏みしめていない。数秒間じっくり深呼吸し――――私は、右手を突き上げる。

 

 

 【ロキ・ファミリア(私たち)】の勝利を、示すために。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 その光景を見た誰もが息を止めた。

 

 小さな少女が今にも折れそうな華奢な腕を振り上げる様子に、全くの現実味がなくて。

 

 ロキは自分の頬を引っ張った。

 

 アイナは自身の太ももを抓った。

 

 返ってくる確かな痛みが、今見ている光景が夢でもなんでもないことを告げていた。

 

 

「いよっっっしゃぁぁぁぁああああああああああッ!!!!!!」

 

 

『――――――――――――――――――――――ッ!!!!』

 

 

 

 神々が集うバベルの中でロキの歓喜の声が木霊すると同時に、オラリオ中から大歓声が上がった。

 

 平原から少し離れていた場所に設置されていた場所で待機していたギルド職員が銅鑼を激しく打ち鳴らせば、同じく決着を知らせる大鐘の音が都市全体に響き渡る。時間にすれば一時間足らずの戦い。だがそんな短時間でオラリオの空気は大きく変わり、暫く冷め無いだろう興奮の色へと染まった。

 

「アイリスちゃん……! あぁ、よかったぁ……!」

『俺が――――ガッネェェェェェェシャだッ!!!』

「「「うるせぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」」」

 

 ギルド本部前ではアイナがその緑玉色の瞳から大粒の歓びの涙を流し、隣のガネーシャは興奮が最高潮に達して雄々しいポーズでマイクを掲げながら全力で叫び、周囲に居る全員から駄目だしを食らった。

 

『決着っ! こんな結果を誰が予想したか! たった一人の少女が全てを覆すという大番狂わせ(ジャイアント・キリング)!! 戦争遊戯(ウォーゲーム)の勝者は【ロキ・ファミリア】――――――――!!』

 

 喜びのまま叫び散らすアイナ。ギルド職員という中立な立場ではあったが、今の彼女は己の立場をかなぐり捨てて、ただ少女の勝利を喜ぶ。そんな彼女を見て苦笑する同僚もいたが、そのほとんどは彼女と同じく感極まっていた。

 

『ヒャッハァァァ――――――――!!』

『チクショォォォォォォォォォォッ!?』

 

 酒場では勝者の歓声と敗者の絶叫が入り混じり阿鼻叫喚の有様だ。大穴狙いの阿呆以外は誰も予想すらしていなかった結果である。殆どの冒険者はやけ酒に走り出し、酒場は良くも悪くも大きく盛り上がっていた。

 

 そして、敗者側の主神であるアパテーは一体どうしていたか気になる者も多いだろう。

 

 一部の神々が彼女の羞恥に歪んだ顔を拝むために彼女の方へと顔を向けるが――――変わらずの笑顔を、彼女は浮かべていた。いや、むしろ悪化している。それを見た神々は背筋に氷塊を突っ込まれたような悪寒を感じた。

 

「くっ、くくくくくくくっ……はーっははははははははははははははははははは!! そうかそうか! そういうことか! ()()()()()()()()()()()()()()ぞ! ただの暇つぶしのつもりだったが、アレを()()目にできるとは! フハハハハハハハハッ!!!」

 

 狂ったように笑い叫ぶ女神。誰もがその様を見てドン引きする中――――一人の女神が、彼女へと殺意の籠った死線を投げる。

 

 

「おい、クソ女(アパテー)。覚悟はできてるんやろなぁ?」

 

 

 ゆらりと、不気味な動きで立ち上がる狡知の神(ロキ)。鏡の向こうとは言え目の前で己の眷属(子供)を散々に甚振られ、そしてついに報復の時が来たことで彼女は最高に愉快で気味の悪い笑みを浮かべていた。

 

 かつての彼女を知る者はその様子を見てかつてのトラウマ(ラグナロクの記憶)を刺激され「ヤベェよヤベェよ……」と顔を青ざめさせながら震えている。が、アパテーはそんな彼女を見ても何がおかしいのか一向に薄気味悪い笑いを止めない。

 

「言ったよなぁ? うちが勝ったらどんな要求でも聞くと」

「くくくくっ……それで、何を望む?」

「すぅぅぅぅぅ――――」

 

 

「【アパテー・ファミリア】の持つ全ての財産を没収! および全ての団員が今まで行ってきた犯罪行為の証拠をギルドへ全提出! そして全ての眷属は神の恩恵(ファルナ)を剥奪処分! 全ての後始末が終わった後にアンタは天界送還の刑や! 二度と下界の土を踏むなこの疫病神がァ――――ッ!!!」

 

 

 その言葉を聞いた殆どの神々がこう思ったという。

 

 

 

 ――――お前(疫病神)が言うな、と。

 

 

 

 

 

 

「――――馬鹿な、あの炎は……プロメテウス、何故お前が……?」

 

 

 天空神(ゼウス)は、誰にも聞かれないそんな呟きを漏らした。

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

「っしゃあ俺の一人勝ちィ!」

『嘘だろぉぉぉぉぉぉおおおおおおっ!!?』

 

 所変わって【ゼウス・ファミリア】兼【ヘラ・ファミリア】共用本拠(ホーム)神々の聖山(オーロス・オリュンポス)。文字通り山の様な巨大さと神々が住む聖域の如き豪華絢爛さを誇る超巨大神殿。

 

 元々は別々の建物だったのに、数百年間お互いが競争し合うように増築を重ねた結果繋がり合ってしまい、そのまま勢いで合体をしてしまったという奇怪な誕生経緯を持つ本拠(ホーム)であるが、今はその話は置いておく。

 

 そんな巨大神殿の中に存在する数百人は収容できそうな広大なスペースを丸ごと利用した酒場は現在喧騒に包まれていた。原因はやはり、戦争遊戯(ウォーゲーム)の結末をめぐる賭博だ。

 

 当然此処で行われた賭博の予想配当(オッズ)は他の酒場と似たようなモノであり、【ロキ・ファミリア】に賭けていた酔狂な少数派――――というかたった一人の男、【ゼウス・ファミリア】団長である【英雄雷霆(ケラウノス)】アルケイデス・テュールは喜びの声と共に腕を振り上げた。

 

「ハーッハッハ! アルバートの奴、ちゃんと仕込んでくれたみてぇだな! ま、俺からすればまだまだ詰めが甘いがな?」

「おいちょっと待てよ団長! なんでそこで【聖王(ペンドラゴン)】の名前が出てくるんだ?」

「そりゃあ俺とアイツと【金色の風精(シルフィード)】が色々と仕込んで――――おっとスマン、今のは忘れてくれ」

『はぁぁぁぁぁぁあああああああああ!?!?』

 

 酒場に居た全員が絶叫した。それもそうだ。

 

 何せ今の言葉は、オラリオの中でも数えるほどしかない特一級冒険者(Lv.6)が三人がかりで育てたという意味だったのだから。

 

 その言葉を聞いて殆どの団員は戦争遊戯(ウォーゲーム)の結果に納得の意を示す。都市有数の冒険者の手によって鍛えられたのならばあの強さも納得と考えたのだろう。

 

(……まあ、俺はちょっくら殻剥きしただけだし、下地を培ったのは本人の努力だがな)

 

 しかしそれを言ったら言ったで面倒事になりそうなので、アルケイデスは敢えてその事実は黙って出かかっていた言葉を酒で濁しながら喉奥に流した。

 

 

 

 

 

 

 

 小さな木の木陰の下で、黒髪の青年と金髪の女性は互いに寄り添い合っている。

 

「ああ、良かった。ちゃんと勝てたみたいね」

 

「途中でどうなるかとハラハラしたが……教えたことが役に立ったみたいだな、アリア?」

 

「ええ、そうね。……ねぇ、貴方。私、子供を生むならあんな強くて優しい子がいいと思うの」

 

「…………それを今言うか?」

 

「うふふふ。後であの子にお祝いの品でも持っていきましょうか」

 

「……そうだな。そうしよう」

 

 暖かな温もりの中で、二人は小さく口づけを交わした。

 

 

 

 




Q.なんで魔剣の攻撃に耐えられたの?
A.ギリギリ間に合った水の防護膜による威力減衰&クソ高基本ステイタスによる耐久&スキルによる底上げ&もう一つの謎スキルの効果(詳細はまだ先)

Q.あの呪詛的なものは何?
A.まだ秘密。しかし魔法ではない

Q.レベル1がレベル3に勝てるわけないだろ!
A.クソ高基本アビリティ+スキルによる全能力超高域強化+二重付与魔法(ダブル・エンチャント)+相手の呪詛による能力低下(ステイタスダウン)=Lv.1「馬鹿野郎俺は勝つぞお前(有言実行)」

Q.なんで急に必殺技名みたいなのを口にしたの?
A.その場のノリだよオルルァン!!


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第十二話:ランクアップ

 戦争遊戯(ウォーゲーム)は【ロキ・ファミリア】の勝利と言う、誰も予想だにしなかった結末で幕を閉じた。

 

 両派閥の激闘による盛り上がりは最初の話題性の低さと反比例するかの如くうなぎ上りになり、【アパテー・ファミリア】は改めてその凶悪性が認知され、そして【ロキ・ファミリア】は零細ファミリアながらとんでもない超大型新人(スーパールーキー)を抱えているファミリアだと注目を浴びるようになる。

 

 戦争遊戯(ウォーゲーム)に敗北した【アパテー・ファミリア】は【ロキ・ファミリア】の要求通り本拠(ホーム)を含めた全ての財産を勝者側に移譲。そして主神手ずからたった半日で全ての眷属から神の恩恵(ファルナ)を強制的に剥奪し、追撃の如く今の今まで誤魔化してきた全ての罪を主神自らぶちまけたことによって、大怪我をしながらどうにかオラリオへと帰還した全ての団員はその場で即時に逮捕、収監所送りになったことで【アパテー・ファミリア】は完全に崩壊した。

 

 そして主神アパテーは数時間の間だけ行方をくらました後にバベル前で自死を行い『神の力(アルカナム)』を発動させ天界へと強制送還。これにより【ロキ・ファミリア】に初めて降りかかった脅威は完全に消滅することとなった。

 

 しかし、一度起こった火は中々収まらない。

 

 何より話題だったのは【アパテー・ファミリア】の主神により全団員のレベルが改めて公開されたことだ。ご想像通り彼らはギルドからの税収を少しでも低くするためにレベルアップの報告を行っておらず、幹部であるリックス・バルバロンおよびブロス・スカーは実はLv.2であった事、そして団長のグリード・アルパガスに至っては既に一年前にLv.3に昇格済みだったという事実が発覚した。

 

 それ自体はそこまで問題は無かった。レベルを誤魔化しているファミリアなど探そうと思えば指で数えるには足りないくらいは居るだろうから。注目すべきは【ロキ・ファミリア】のアイリス・アルギュロスがLv.1であることである。

 

 第三級冒険者未満のひよっこ(Lv.1)が、第二級冒険者(Lv.3)を単独で倒した。

 

 前代未聞かつ千年間続くオラリオの歴史の中で一つたりとも前例のないそれは殆どの冒険者にアイリスのレベル詐称疑惑を浮かび上がらせ――――そして後日、ギルドによる厳密な捜査の結果、彼女は紛れも無く一週間程前に登録されたばかりのLv.1であることが発表された。

 

 その情報が公開されると同時にオラリオに激震が走る。

 

 一週間前に冒険者になったばかりの者が、Lv.3を打ち倒す。その字面だけを見れば誰もが言うだろう。「あり得ない」と。レベルとは一つ違うだけで文字通り次元が違ってくる。確かにLv.1の冒険者が複数人がかりでLv.2を倒したという前例はあるが、Lv.3相手では無論蹴散らされて終わる。

 

 故にこの情報は普通ならホラ話だと片づけられる類なのだ。――――だが、戦争遊戯(ウォーゲーム)という多数の者が観戦できる中で打ち立てられた功績が吹けば飛ぶような物である筈がなく、彼女は文字通り世界で初めて2ものレベル差を覆した実例となった。

 

 

 そして追撃の如く発表される更なる追加情報――――アイリス・アルギュロス、Lv.2到達。

 

 

 所要期間、十一日。

 

 モンスター撃破記録(スコア)、六八二体。

 

 今後一切塗り替えられることのないLv.2への最速到達記録(ワールドレコード)が打ち立てられた瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

「――――で、うちはこう言ってやった訳や。『うちからアイリスたん奪おうとした奴はどんな手を使ってでも潰すから覚悟して来いや』ってな! その時のアイツ等の顔と来たら……アヒャヒャヒャ!」

「もう、飲み過ぎですよロキ様……」

 

 夜の宿部屋の中で酒気を帯びた息と共に放たれる、主神のもう何度目かわからない自慢話を聞く度に頭が痛くなる。一度二度聞くだけなら別に構わないのだが、流石に二日間で何回も同じことを話されると流石の私もうんざりしてきた。

 

 しかし、心のどこかでは仕方ないとも思っている。何せ、かなり絶望的だった戦争遊戯(ウォーゲーム)の危機を見事乗り越えることができたのだから。

 

 私だって自分に浮かれている気持ちが無いとは言えない。

 

 

 ――――【アパテー・ファミリア】との戦争遊戯(ウォーゲーム)からもう三日が過ぎた。

 

 

 我ながら凄まじい激闘を繰り広げた後に丸一日かけてオラリオに帰還した後、待っていたのは顔も知れない多くの人からの歓声だった。一部からは「金返せー!」といった声も含まれていたが、大方戦争遊戯(ウォーゲーム)名物の賭博で負けたのだろうと察して無視した。

 

 そして数分後、遠方から全力疾走で駆けつけてきた主神(ロキ)様から、そしてその上から重なるように専属アドバイサーであるアイナさん(余談だがその時にようやく名前を知った)の二人から熱烈な抱擁を受けた。またその後には【アパテー・ファミリア】から散々苦しめられてきたLv.1前後の冒険者たちによる胴上げやら、いつの間にか用意されていた祝勝会やらと――――帰還して一日は正しく激動の時間だったと言えるだろう。

 

 で、私もその日は気持ちよく食べて飲んで遊んで寝た訳なのだが……後日からがとても問題だった。

 

 時は二日前の夜へと遡る――――

 

 

 

 

 ――――祝勝会を終えた夜、私はベロンベロンに酔いつぶれたロキ様に肩を貸しながらいつもの宿屋へと向かっていた。

 

「うぇへへ……あいりすたんさいこぉ~」

「ロキ様……ドワーフの火酒の一気飲みなんてするから……」

 

 ドワーフの火酒とは、酒にめっぽう強いドワーフが好む度数が凄まじく高い酒の事である。恐らく数ある酒の中でもトップクラスに強いソレを、ロキ様はノリにノリまくって周りに煽てられるまま一升を一気に呑み干してすぐさまぶっ倒れた。

 

 命に別状はなかったものの祝勝会が終わるまで気絶状態が続き、こうして帰路に就いてようやく目覚めてもこの有様であった。もう少し先のことを考えて行動してくれないものかこの主神様は。

 

 とはいえ神の恩恵(ファルナ)によって強化された肉体でロキ様一人を運ぶくらいは訳なく達成できることだ。私は今にも倒れそうな主神に背中を貸しながら宿屋の階段を上り、彼女をベッドに寝かせた。その頃になると酔いも少し覚めてきたのか「水ぅ~」と頭を押さえながら呻く様は完全に二日酔いしたおっさんのそれである。

 

 苦笑しつつロキ様に水を差し出した後、私は今まで空いた手で持っていた、最早元の姿が判別できないレベルにまでボロボロになった戦闘服(バトルドレス)を床に置いた。

 

 そこそこ良い金属を使っていたらしいが、流石に魔剣の連続攻撃には耐えられなかったらしい。だがまあ、良くここまで持ってくれたと私は煤けた装甲の表面を撫でる。

 

 その後は軽くシャワーを浴びて寝間着に着替えた。帰りの一日で睡眠は十分とったが、今回のバカ騒ぎによって色々と精神的に疲れてしまった。今日は早く寝て、明日武器と防具両方を新調しに行こうと決心する。

 

「…………ごめんね」

 

 壁に立てかけていた鞘から《アグノス・ソード》を引き抜く。

 

 刃は欠損だらけで、刀身には幾つもの深い罅が入っているそれは最早元の流麗な姿を思い出せないほどにまでボロボロになっていた。今までの戦いでも散々無茶をさせてきたが、今回は極めつけだ。何せLv.2やLv.3の振るう得物の連撃を幾度も受け止めたのだから、ダメージが無いはずがない。

 

 結果的に考えれば最善の行動だったとはいえ、自身を守るために何度も敵の攻撃を受け続けた愛剣に申し訳ない気持ちで一杯になる。

 

 私は……この子を、上手く使えていただろうか。

 

「……一応、鍛冶師に相談しておこう」

 

 此処でこの子を終わらせたくはない。せめて鋳潰して何かの武器に生まれ変わらせたい。

 

 費用は掛かるだろうが問題は無い。お金はロキ様曰く【アパテー・ファミリア】からたっぷり搾り取ってたんまり持っているらしいから。

 

「アイリスたぁ~ん、寝る前に最後の【ステイタス】更新しよか~」

「あ、はい!」

 

 酔いはまだ覚めていないが正気には戻ったらしい。ロキ様はへにゃりとした笑みを浮かべながらわきわきと両手を握ったり開いたりしている。良い神様なんだけど如何せん酒癖が悪いのはどうにかしてくれない物か。

 

 椅子に座って、ロキ様へと背を向ける。既に何度もやってきた【ステイタス】の更新。いつも通りパパッとやって寝よう。そう考えていると――――

 

 

「にゃんじゃあごりゃぁぁぁあああああああああああああ!!!??!?」

 

 

 酔いが抜けきって無いせいで噛み噛みになりながら絶叫するロキ様の声が木霊した。だがこの前卒倒したことと比べれば軽いと感じるので、私は淡白な反応を返しながら振り返る。

 

「何ですかロキ様……叫ぶと近所迷惑ですよ?」

「いや、ちょ、これ……嘘やろお前……? Lv.2に昇格(ランクアップ)可能なのは予想済みやったけど……あ、頭痛くなってきたわ……!」

「…………?」

 

 どうも尋常な事態ではないらしい。……いや、Lv.2に昇格(ランクアップ)可能?

 

「ラ、ランクアップって、ホントですか!?」

「あ、うん、ホントやホント。……あー、うん。とりあえずランクアップするか?」

「お願いします!」

「じゃ、とりあえずLv.1時点での最終【ステイタス】書いておくわ」

 

 すっかり酔いが覚めてしまった様子でロキ様は指でこめかみを押さえながらガリガリと羊皮紙に羽ペンを走らせる。

 

 私のLv.1に置ける最終【ステイタス】は以下の通りだ。

 

 

 アイリス・アルギュロス

 Lv.1

 力:SSS1254→SSS1582

 耐久:SS1038→SSS1391

 器用:SSS1172→SSS1406

 敏捷:SSS1386→SSS1688

 魔力:SSS1193→SSS1502

 《魔法》

 【フィシ・ストイケイオン】

 ・付与魔法(エンチャント)

 ・速攻魔法

 ・地、水、火、風属性から選択可能

 ・()()()()()()

 ・詠唱式【地よ、震え上がれ(エダフォス)】【水よ、噴き上がれ(プリミラ)】【炎よ、燃え上がれ(プロクス)】【風よ、舞い上がれ(フルトゥーナ)

 【】

 【】

 《スキル》

 【輪転する厄災(■■■■■■■■■・■■■■■■)

 ・窮地時に全能力の超高域強化

 ・諦観しない限り効果持続

 ・自分と周囲が希望を抱くほど効果向上

 【■■■■】

 ・

 ・魔力消費による肉体の高速修復が可能

 ・常時全能力に小補正

 ・発展アビリティの発現確率に大幅補正

 ・精神系状態異常の無効化

 【焔神の加護(プロメテウス・セルモクラスィア)

 ・火属性の攻撃に耐性獲得

 ・氷・水属性の攻撃に耐性獲得

 ・火属性の魔法行使時にのみ魔力に高域強化

 ・火属性の魔法行使時に消費する精神力(マインド)量一定割合減少

 ・窮地時精神強度を微補正

 

 

 全アビリティ熟練度オールSSSと、ランクがきっちり揃ったことに小さな喜びを感じつつも私はスキルの欄に大きな変化が起こっていることを確認した。

 

 新たにスキルが二つ増えて、そして今まで詳細不明だったスキルや一部の個所が何故か急に解読可能になっていた。スキルの名前は相変わらず潰れているが、効果が明らかになったのはかなり事態が好転したと言える。

 

 ……ん? アレ? ちょっと待って。位置がおかしい。この【輪転する災厄】というスキルは今日初めて見る物だ。なのに今まで詳細不明だったスキルの上に書かれているのは何故だろうか? 記入ミス? それに何か所か無理矢理擦って消したような痕があるし……。

 

「あの、ロキ様。見たことのないスキルが一番上にあるんですけど」

「記入ミスやないで~。実はそのスキル、かなり前から発現済みやったんやなぁ~、これが」

「えっ」

 

 まさかの予想外すぎるカミングアウトである。

 

 羊皮紙に書かれた【輪転する災厄】の効果をもう一度読み直してみると、確かに過去に二度、インファント・ドラゴン強化種との闘いと【アパテー・ファミリア】のと戦いで()()()()()()を受けたような感覚は覚えたことがある。恐らくそれが『窮地時に全能力の超高域強化』の恩恵なのだろう。

 

「えっと、どうして今まで黙っていたんですか……?」

「あんな切迫した状況で明かしたら確実に無茶やらかすやろ? まあ、言わずともたくさんやらかしたようやけど……」

 

 それを言われると苦笑しかできない。しかし、確かに早期からこのスキルの存在を知っていたらかなりの無茶無謀を仕出かしただろう。

 

 精神的な余裕ができた今ならばそんな危険を冒す気はないが、そういった意味ではこのスキルの事を隠匿した主神の判断は正しかったという事か。

 

「ともかくアイリスたん。自分がレアスキルをわんさか持ってること絶対誰かに知られたらアカンで? 万が一知られたらアイリスたんを無理矢理引き抜こうとする輩が大勢現れるかもしれへん。いや、最速でLv.2になった以上ぶっちゃけ今更やけど。とにかく絶対口外せんようにな!」

「わかりました。……ところで他に隠している事とはあったりしません?」

「……な、無いで?」

「…………まあ、ロキ様が隠すべきだと判断したのなら別に構いませんよ。きっと私を思ってのことでしょうから」

「うぐぐ……! そんな事言われたらうちの良心ががが……!?」

 

 様子から察するに、どうやらあと数個は何かを隠しているらしい。

 

 だが、私は主神の判断を信じよう。今回だって私に危険が及ばないために隠していたのだから、怒るのは筋違いだろう。むしろ感謝するべきだ。いつ明かしてくれるのかはわからないが、気長に待つとしよう。

 

 今はそれよりもランクアップだ。

 

 初めての昇格(ランクアップ)ひよっこ(Lv.1)から第三級冒険者(Lv.2)へ。今までの多大な苦労が実ったようで実に嬉しい。そしてまた第二級冒険者(Lv.3)への長く険しい道のりが待っていると思うと少しだけ苦笑してしまうが――――ともかく、今は喜ぼう。

 

「よしっ、これでランクアップの準備は完了や。いやホント、十日ちょいでこの光景を拝むとは思わなんだ、マジで……。あ、発展アビリティが習得可能になっとるわ。えーと……【精癒】、【剣士】、【狩人】の三つやな」

 

 発展アビリティとは既存の基本アビリティに加えて発現する能力である。

 

 発現するタイミングはランクアップ時のみ。レベルが上がる都度、ステイタスに追加される”可能性”がある。基本アビリティとは異なる特殊性を持つ能力を発芽、もしくは強化させる物だ。

 

 ついでに言えばあくまで”可能性”があるだけで発現しない場合もある。書物で読む限り積み上がった【経験値(エクセリア)】が関係しているらしいので頑張った分だけ選択肢が多くなるということか。

 

 因みに今習得可能な発展アビリティについて解説すると、

 

 【精癒】は精神力(マインド)の自動回復。

 

 【剣士】は剣カテゴリ装備時筋力に微補正を与える。

 

 【狩人】は一度交戦し、【経験値(エクセリア)】を獲得したことのある同種のモンスター戦に限り能力値が強化されるというもの。因みにこれはLv.2へのランクアップ時でしか習得できないらしい。

 

 選択肢が多いのは結構だが、実に悩ましい。Lv.2へのランクアップ時でしか習得できないのならば【狩人】がいいかもしれない。だが精神力(マインド)自動回復効果という【精癒】も捨てがたい。次のレベルアップが何時になるかわからない以上慎重に選びたいが……。

 

 ――――うん、決めた。

 

「【狩人】でお願いします」

「ん、わかったわ。では……ホイホイっと――――終わったで~」

 

 ロキ様が指をすいすいと走らせ、作業はあっけなく終わる。

 

 もうちょっと何か、内側から力が湧き上がるような感覚とかがあると思ったのだが、意外とあっけない物だ。

 

 ロキ様が更新後の【ステイタス】を記した紙をこちらへと手渡してくる。見れば、基本アビリティと熟練度が全て初期化(リセット)されてI0になっていた。が、別に焦ることでは無い。別に積み上げてきた経験が消え去ったわけでは無く、潜在値(エクストラポイント)として【ステイタス】へと反映される、らしい。

 

 ともかくこれで全ての作業が終わった。私は半脱ぎになっていた寝間着を着直して整えながら、ふと新しく発現していたスキルの事を思い出す。

 

「あの、ロキ様。新しく発現したスキルの事なんですけど……」

「ん~? ああ、あのプロメテなんちゃらってやつやな。……多分魔剣の一斉攻撃を受けたせいで発現したんだと思うで。てか今更だけどアイリスたん、一体どうやってアレ耐えたんや?」

「……さあ?」

 

 本音を言わせてもらうと、あの時は本気で死んだかと思った。にもかかわらず短時間の気絶だけで済んだのはどういう事だろうか。

 

 【輪転する災厄】の効果で耐久が引き上げられていたからか、それとも《小人族のアーマードレス》が意外と高性能だったのか、あるいは当たりどころが良かっただけなのか。

 

 まあ、こうして無事だったのだから、何でもいいか。

 

(……【焔神の加護(プロメテウス・セルモクラスィア)】、か)

 

 ……しかし、このスキルの発動に心当たりがある。気絶前と気絶後の魔法の出力が明らかに異なっていた、あの場面。

 

 スキルは今発現したはずだ。なのにあの時点で効果が発揮されていた。一体どういうことなのだろうか。ロキ様が今まで隠していた?

 

 いや、きっと違う。このスキルは恐らく――――あの瞬間【ステイタス】に生まれたのだ。

 

 どういう原理かは知らないが……うん、私が気にするべきことでは無いかな。これはきっと神の領分だ。

 

 とにかく、もう寝よう。今日は疲れたし明日も早い。私はロキ様の隣で横になり、布団を被って瞼を閉じる。

 

(……暫くは、ダンジョン探索は控えよう)

 

 そんな事を思いながら、私は意識を沈めていった。

 

 

 

 そして、翌日。

 

 私はメインストリートで()()()()()逃走劇を繰り広げていた。

 

 今日は《アグノス・ソード》の残骸とインファント・ドラゴン強化種のドロップアイテムを持って適当な【ヘファイストス・ファミリア】の工房に顔を出そうとしただけなのに、どうしてこうなった。

 

「待ってよアイリスちゅわあああああああああん!! 俺と一緒に愛を囁き合おうぜぇぇぇぇ――――ッ!!」

「んんんwwww幼女をprprしたいですぞwwww」

「ねえねえねえねえ! どうやって戦争遊戯(ウォーゲーム)であんなに大立ち回りできたんだい!? 教えてよぉぉおぉおおおお!!」

「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!?!?」

 

 Lv.2になって初めて全力の脚力を発揮する場面がこんな時とは思わなかった。私はメインストリートを全力疾走しながら津波のように押し寄せてくる神々から逃れ続け、どうにか撒くことはできた。

 

 念のため別のところから北東メインストリートの工業区へと赴こうとしたのだが、どうやってかは知らないが行く先々で神々たちに待ち伏せされたり、更に追加で現れた無数のLv.1冒険者たちからも逃走劇を繰り広げたりしている内に空はすっかり夕日模様に変わり、一日のほとんどを丸々無駄に潰してしまった。

 

 どうやら私の齎した話題はかなり刺激が強かったらしく、顔を出しておちおちと外出もできない有り様である。故に主神と共に溜め込んだ食糧を適当に食いつぶしながらほとぼりが冷めるまで待つことに決めたのだ。

 

 

 

 ――――そして、現在に至る。

 

 ほとぼりは後数日もあれば冷めるだろう。食料もまだ余裕はある。味は悪いが、背に腹は代えられない。宿にある食堂で食事をすることもできるのだが、同じ宿泊客に顔を見られて此処に居ることがバレたら確実に面倒なことになる。

 

 因みに宿のオーナーには予めロキ様がお金を握らせて黙らせておいたらしいので安心だ。

 

「ふぇへへ……アイリスたん柔らかぁ……きゅう」

「……寝ちゃった」

 

 酒をしこたま飲んだ挙句爆睡を始めた主神に呆れを隠せない。周りを見渡せば空になった酒瓶が散乱していて、頭が痛くなりそうな光景だった。

 

 深いため息をつきながらロキ様をベッドに寝かせ、散らかった酒瓶を片付けつつ私は暇な時間をどうやって潰そうかと考える。

 

 いつもなら剣や防具の整備、もしくはダンジョンに潜るための前準備などをしているのだが、前者は現在、武器と防具が両方共壊れているので不可能。後者は暫くダンジョンに潜るつもりは無いので意味は無いだろう。かと言ってこのまま寝るという選択肢も少々選びづらい。

 

 時計を見ればまだ夜の九時少し。寝るには少々早すぎる。

 

「……散歩でも行って来よう」

 

 もう日も暮れたし、昼と比べて大分人は少なくなっているはずだ。それにフードで顔を隠すつもりなので見つかる可能性は恐らく低い、と思いたい。

 

 まあ、見つかったとしても全力で逃げれば何とかなるか。

 

 机の上に書き置きを残して、私は外出用の服に着替えてその上から頭巾をかぶる。そして顔が見えにくいことを鏡で確認して、宿屋を出た。

 

 夜風が冷たく、人気もほとんどない。これなら出歩けそうだ。

 

「…………ん?」

 

 軽やかなステップを踏みながらメインストリートを歩いていると、傍にあった裏路地の奥で何かが視界の端を横切ったような気がした。

 

 嫌な予感がして、足を止めて奥を凝視する。

 

 

 ――――覆面を付けた男たちが、手足を縛られ猿轡をされた翡翠色の髪を持つエルフの女性を担いで運んでいた。

 

 

 それが何なのかを瞬時に理解し即座に疾駆。裏路地を一秒にも満たない速さで走破し、地面を蹴って女性を担いでいた男の顔面を蹴り飛ばした。

 

 完全な奇襲により男は頭から吹き飛び、その際に手放されたエルフの女性の身柄を私はしっかりと確保する。

 

「なっ、誰だテメェは!?」

「俺らの商売の邪魔をしようってのか!!」

「屑共め……!」

 

 やはり私の勘は正しく、彼らは人身売買を行おうと画策していたらしい。ならば遠慮は不要。殺さないが、半殺し以下は確定だ。

 

「【地よ、震え上がれ(エダフォス)】!!」

『ぎゃあああああああああッ!?!?』

 

 力を右腕だけに発現させ、地面を叩く。

 

 すると石レンガの敷き詰まった道路が直ぐに蠢き始め、舗装された道路の下から岩石の塊が突き出して数名ほどいた男たちを残らず殴りつけて吹き飛ばした。宙を舞った男たちはその後地面へと叩きつけられ気絶。

 

 戦闘終了。五秒もかからなかった。

 

「……うん、確かに変わってる」

 

 今まではランクアップしたという実感がなかったが、魔法を使うことで改めてLv.1との違いを理解することができた。【地よ、震え上がれ(エダフォス)】を唱えた際に扱えそうな土の量も、質も、そして速さも格段に上がっている。

 

 今ならインファント・ドラゴンの強化種を単独で相手取っても問題無いかもしれない。

 

「っと、いけない。すみません、今縄を解きますね」

 

 感慨に浸るのは後にして、まずは人命救助をしなければ。私は懐から護身用のナイフを取り出し、茫然とした顔で私を見ているエルフの女性の手足を縛っている縄を切り、猿轡を解いた。

 

 それからエルフの女性は新鮮な空気を何度が吸って吐くと、改めて私の方を見つめる。

 

「――――はぁぁ……感謝する。捕まった時は、どうなることかと思ったよ」

「私も焦りましたよ。散歩していたらこんな場面に出くわすなんて……。あ、立てますか?」

「ああ、大丈夫だ」

 

 そう言いながらエルフの女性は問題無く立ち上がった。どうやら怪我はしていない様だ。

 

 しかし、改めて見るととんでもなく美しい女性だった。

 

 肩程で切り揃えられた翡翠色の髪は夜だというのに黄金の様に輝いて、それでいて流れる水の様に美しい。同じ色をしている瞳も宝石と思える程引き込まれそうな光輝を放っていた。当然、顔も完璧と言える程整っており、普段からロキ様から放たれる神威を認識していなければ間違いなく女神様の類だと確信していただろう。

 

 嫉妬する気も起きないほどの容姿端麗さ。声も凛とした玲瓏なもので、聞いているだけで心地よい気分になる。

 

「それであの、どうしてこんな事に……?」

「……その、実は探し人をしていてな。少し前までは集団で探していたのだが、酒場の中で話を聞いている最中に後ろから口を塞がれて……」

「……酒場ですか?」

 

 この様な絶世の美女なエルフがこんな夜中に、そして荒くれ共が集まりやすい酒場などに居たらどうなるのか。答えは先程起こっていた光景である。

 

「わ、私も最初は反対したのだ! だがあのいい加減なドワーフが『酒場の方が情報は集まりやすい』とか言い出したせいで……! くっ、ガレスめ! 今度会ったらただでは済まさんぞ……!」

「あ、あの。とりあえず近くのギルド支部まで同行してもらえますか? この人達についての証言をして貰わないといけないので……」

「ああ、勿論だ。窮地を救われたんだ、そのくらいの事はしよう。……あ、その後で知人たちと合流するまで護衛を頼みたいのだが、構わないか?」

「はい。大丈夫です」

 

 私がそう返事をすると、エルフの女性は輝くような微笑みを見せながら手を差し出した。……あれ、エルフって自分が認めた者にしか触れることは許さないとかなんとか言われてなかったか。

 

 まあ、手を差し出されて握り返さないのも失礼だと思い、私は恐る恐ると言った様子で彼女と握手をする。

 

「リヴェリア・リヨス・アールヴだ。よろしく頼む」

「アイリス・アルギュロスです。よろし「何だと!?」――――あ」

 

 自分の名前を名乗ると、リヴェリアと名乗ったエルフの女性は瞳の色を変えて私の両肩をガシリと掴んで顔を寄せてきた。一瞬「え?」と思ったが、ああ、そう言えば今の私って有名人なんだっけと今思い出した。

 

 まずい、騒がれると確実に面倒なことになる。どうやってこの状況を乗り切ろうか――――と、思った瞬間。

 

 

「頼む! 私を【ロキ・ファミリア】に入れてくれないか!?」

「えっ」

 

 

 完全に予想外の言葉が出たことで、私の頭はフリーズした。

 

 

 

 

 




アイリス「Lv.2になって始めて戦う相手が人間って……」

ようやくロキ・ファミリア最古参勢の登場だよ……ここまで十二話とか嘘やろ……。

あ、こういった出会いの物語は完全に捏造です。というか原作では最古参勢とロキはオラリオ外で出会っているらしいので、そもそもの始まりがズレたこの時空では原作とはまた違う出会い方をするって事で……。


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第十三話:最初の誓い

「――――というわけでな、別に私としてはどのファミリアに入っても構わなかったのだが、どのファミリアも私に向ける目線が煩わしくてな……」

「はぁ……」

 

 ギルド支部から出て、メインストリートを歩きながらそこに居るだけで目を引くほどの美貌を持つ女エルフ――――リヴェリアさんは吐く様に私へと愚痴を零していた。

 

 彼女曰く、自分は未知を求めて里の外へと飛び出した。その目的を果たすため神の恩恵(ファルナ)を得られるならばどんなファミリアでも構わない――――そんな甘い考えは一瞬で砕かれた。

 

 快楽主義が殆どの神々。自身に下品な視線を向けてくる男ども。嫉妬の目線を絶えず向けてくる女たち(ただし何故かエルフは除く)を何度も見続け、オラリオに来てもう数週間程経っているが、未だにファミリアに加入できていないらしい。

 

 結論としては、色々と大変でもまだ気が楽そうな零細ファミリアに加入した方がマシと判断したのだとか。

 

「……あ、無論そんな理由だけで【ロキ・ファミリア】を選んだのではないぞ? やはり決定打になったのはあの戦争遊戯(ウォーゲーム)……。途中、不安になったところが多々あったが、素晴らしい戦いだった」

「あ、ありがとうございます……」

 

 彼女の数週間もの悩みに終止符を打ったのは戦争遊戯(ウォーゲーム)で私が繰り広げた激闘だったようだ。曰く、今一番勢いに乗り出しているファミリアが【ロキ・ファミリア】だと判断したため、そこに便乗するつもりだとか。

 

 まあ確かに勢いづき始めてはいるだろう。私も準備が整ったのならば”中層”へと足を運ぶつもりであるし、戦争遊戯(ウォーゲーム)で多少なりとも名声や知名度、何より多額の資金が手に入ったことでロキ様も本格的な眷属集めを始める筈だ。

 

 大剣で空にふっ飛ばされたり、一斉に多数の魔剣による爆撃を叩き込まれたり、魔法の反動で全身から凄まじい痛みを味わうなどと言った苦労が報われたと思うと涙が出そうな気分だ。

 

「――――あ、あの酒場でしょうか。何やら少年とドワーフが言い争ってるようですが……」

「ああ、私の知り合いだ。……さぁて、あのドワーフをどう制裁してくれようか……!」

 

 引き攣った笑みで両手の骨を鳴らしながら黒いオーラを出すリヴェリアさん。顔が崩れても美人なのは流石と言うべきか。

 

 私はなるべく隣にいるエルフの怒気に気付かないふりをしつつ、向こうで言い争っていた二人へと近づいた。

 

「――――だぁから、どうせ酒場の空気が気に入らなくて先に宿に帰っただけだろうが! あんな石頭のエルフなんぞわざわざ探す必要なんざない!」

「そういう訳にもいかないだろう? オラリオはお世辞にも治安の良い場所とは言えない。綺麗な恰好をしたエルフが一人夜道を歩いているなんて、それこそ恰好の獲物――――うん? ……あ」

「――――誰が、石頭だって?」

「……ああん? なんだ、近くに居たのか。まったく、外に出るなら出ると先に言って――――」

 

 リヴェリアさん、全力の助走を開始。

 

 そして――――情け容赦のないドロップキックがドワーフの顔面へと叩き込まれた。

 

 

「死に晒せこの脳筋ドワーフがぁぁぁぁぁッ!!!」

「ぐぼるわぁあぁぁあああああああああっ!?!?」

 

 

 蹴り飛ばされたドワーフを鼻血を出して回転しながら吹き飛んでいき、遥か向こうに積んであった薪の山に頭から突っ込んで豪快に薪の山を爆散させた。

 

 華麗に着地したリヴェリアさんはパンパンと服に付いた埃を叩き落として、満足そうな顔で頷く。

 

「よし、帰るぞフィン」

「頼む、待ってくれリヴェリア。君はこんな事をする女性ではないと思っていたんだけど」

「どこぞの誰かが酒場で長々と飲み勝負している間に人攫いに遭えば顔くらい蹴り飛ばしたくなるだろう」

「……すまなかった」

 

 リヴェリアさんが攫われた一因が自分にもあったと思ったのか、金髪碧眼の中々整った顔を持つ少年は申し訳なさそうに深く頭を下げた。

 

「構わん。小人族(パルゥム)の身長では見える物も見えないのだろうよ」

「………………」

 

 冷たく、突き放すような一言でリヴェリアさんは少年、いや小人族(パルゥム)の謝罪を切り捨てた。……どうやら、そこまで仲は良くないらしい。

 

 小人族(パルゥム)はその名の通り、とても身長の低い種族だ。成人してもその体格は子供とほぼ大差なく、外見から年齢が推測できないという特徴を持つ。また、他種族より勇気に優れているとも言われている。

 

 そして何より、遥かな昔に『フィアナ』という数々の偉業を成した騎士団が擬神化した存在を信仰していたのだが、千年前に神々(本物)が降臨したことで信仰対象の非実在が証明されてしまい、心の拠り所を失ってしまった結果現在進行形で衰退中の種族でもある。

 

「……所でそちらの子は? 君の知り合いかい?」

「ああ。攫われそうな私を単身助けてくれた勇気ある子だ。そして――――私たちの探していた人物でもある」

「何――――?」

 

 気まずい雰囲気に苦笑しつつ、私は被っていたフードを脱いだ。別に見せても減る物では無いし、折角私を探してくれていたのだから顔くらい見せなければ失礼だろう。

 

 するとなぜか、小人族(パルゥム)の少年は顔を呆けさせた。私の顔に何かついていたのだろうか?

 

「――――――――――」

「…………? あの」

「あ、いや。……映像で見るのと実物を見るのでは、かなり違うなと思ってさ」

「そうなんですか」

 

 よくわからないが、そういう物らしい。

 

 彼はすっとこちらに手を差し出してきた。意図を察して私もその手を握り返して軽く上下に振る。

 

「フィン・ディムナだ。よろしく、アルギュロス氏」

「よ、よろしくお願いします。あ、それと”アイリス”で構いませんから。多分其方が年上でしょうし」

「わかった。では気軽に呼ばせてもらうよ、アイリス」

 

 ニコリと爽やかな笑みと共にフィンさんはそう言った。何と言うか、美少年が笑顔で自分の名前を言ってくるのはこう、何か複雑な気分になる。照れくさいと言った方が良いか。私の予想では多分、彼はもうとっくに成人はしていると思うのだけど。

 

 そんなやり取りをしていたら、向こうからガラガラと音を立てながら薪の残骸を退かして立ち上がる気配がした。

 

「いたたた……何するんだこの弱虫エルフがぁ! オレを殺す気か!?」

「何だ、生きていたのか。チッ」

「ぐぎぎぎっ……! 攫われたかなんだか知らんが、知識に感けて己の力を鍛えんからそうなるんだ! 自分に降りかかる火の粉くらい自分で払えってんだ!」

「何だと!? 元はと言えば貴様が酒場に入ろうなんて言ったからだろうが! かと思えば情報収集ではなく酒を飲み始めるとはどういう了見だ貴様っ!」

「求める情報を持つ奴が勝負を吹っ掛けてきたから受けて立っただけだ!」

「それで、情報は得られたのか?」

「うぐっ」

 

 痛い所を突かれたようにドワーフの男の人は呻いた。ああ、成程。大体読めてきた。

 

 大方一番力の強そうなドワーフを飲み勝負でひきつけ、同伴していた綺麗なエルフが一人になった瞬間を狙って拉致を行った、とかそんな感じか。つまり彼は見事に騙されたという訳らしい。

 

「フッ……貴様が呑気に酒を飲んでいる内に、私は本人を探し出してきたぞ?」

「なぬっ!?」

「ど、どうも……」

 

 得意げに笑うリヴェリアさんに若干呆れながらも、私は前に出てペコリと頭を下げながら彼に挨拶をする。

 

「アイリス・アルギュロスです。ええと、貴方のお名前は……」

「オレはガレス・ランドロックだ。……にしても、本当に子供だなぁ。こんな小さな子があんな獅子奮迅の戦いを繰り広げるとは……実は成人した小人族(パルゥム)だったりするのか?」

「ええと……実は、記憶喪失で。自分が何の種族かよくわからないんです。主神は多分ヒューマンだと言ってましたけど……――――あっ」

「「「…………………」」」

 

 まずった。初対面の人に話すような内容では無い。おかげで空気がどんよりとしてきた。気づいた時にはもう遅く、既に出した言葉が戻ることは無い。

 

「す、すいません! 別にあなた方が気にすることではないですから、忘れてくださって結構ですので!」

「ハハハ、無理を言わないでくれ。……ええと、一応聞いておくけど、僕らがどうして君を探していたのかは把握しているかい?」

「あ、はい。【ロキ・ファミリア】に加入したい、との事でしたが」

「なら話は早い。どうかオレたちをお前の主神の元に連れて行ってくれないか?」

 

 そのくらいなら別に構わない。構わないのだが……少々間が悪いというか、今の二日酔いに近い醜態を晒している主神を見たら彼らはどういった反応をするのだろうか。きっと良くはない。

 

 と言ってもそれはロキ様の自己責任であるし、私個人としては拒否する理由は特に見当たらないので、私は素直にこくりと頷いた。

 

(……できれば帰る頃には酔いを覚まさせていてください、ロキ様……)

 

 期待半分で祈りを捧げつつ、私は帰路に就いた。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 ロキは呻いていた。だが別に酒が原因による頭痛に苦しんでいるというわけではない。酔いは既に覚めており、彼女の頭痛の原因は目の前の羊皮紙にあった。

 

 彼女が見ている羊皮紙は、少し前に彼女自身が頭の中に残っていた文面を忘れないように書き記したもの。

 

 眷属のスキル、その内の二つの詳細であった。

 

 まずは一つ目。Lv.2に上がる前に発現した【焔神の加護(プロメテウス・セルモクラスィア)】。効果は火・水・氷属性の攻撃に対して耐性を獲得し、炎属性の魔法を行使する際に魔力に補正、そして消費する精神力(マインド)が一定割合減少するというスキル一つが持つにしては多すぎる上に破格の効果だった。

 

 が、効果のことについてはロキはそこまで気にしていない。彼女にトンデモスキルが生えてくるのは今更な話であるし、何よりもう一つのスキルの方がもっと問題だったからだ。

 

 だがコレも決して無視できない問題を抱えているのは間違いない。

 

「……なんでこのスキルは火神(プロメテウス)の名前なんて冠しているんや……?」

 

 プロメテウス。ロキとは別体系神話に属する火神にして、下界に『炎』を齎して文明という概念を開花させた神格。下界に栄えある文化を生まれさせ、そして人々が行う戦争を発展させてしまった神でもあった。その良くも悪くも多大な功績をあげている彼のことは別の神話体系の神であるロキも名前だけは良く知っている。

 

 だからこそわからない。少し前まで天界にいたロキは現在プロメテウスは天界で他の神々と共に下界から来る魂の処理のデスマーチに大忙しだと記憶している。

 

 にもかかわらず、地上で彼の名を冠するスキルが発現した。更に言えば、【ステイタス】更新の際に第三者からの神の恩恵(ファルナ)への干渉も若干ではあるが確認された。十中八九プロメテウスの仕業だとロキは察する。

 

 が、それは本来ならばあり得るはずのない現象だ。確かに天界から下界に干渉することは可能ではある。プロメテウスほどの高位の神格を持つ神の神の力(アルカナム)ならば隔てた世界を貫通しての干渉も不可能ではない。

 

 だがそんなことをすれば間違いなく下界に降りた神々に気づかれるし、ぶっちゃけ天界にいる神々が下界に干渉することは本来禁忌(タブー)である。唯一お咎めが無いのはゼウスやらオーディン、某神聖四文字と言った絶対的な発言力を持った最高クラスの神格のみだ。当然プロメテウスは違う。

 

 唯一自分たちに気づかれず下界に干渉したとするなら、自分に縁の深い存在か神具を利用した間接的干渉しか考えられないのだが、あの場にプロメテウスと縁の深い物があったとは思えない。あり得るとするなら――――アイリス自身にプロメテウスと何らかの関係がある、という線か。

 

「……あり得ない話やないのよなぁ……」

 

 証拠がなかったのならロキは自分で出した結論を鼻で笑い飛ばしていただろう。あの神威の欠片も感じられないただの少女が下界に降り立ってもいないプロメテウスに縁の深い人物であるはずがないと。

 

 だが、もう一つのスキルがその可能性を不可能から可能に変えていた。

 

 それは今回詳細が明らかになった謎の自動回復スキル。【■■■■】とスキル名は相変わらずつぶれているが、効果はある程度明らかになった。魔力消費による肉体の高速修復、常時全能力に小補正、発展アビリティの発現確率に大幅補正、精神系状態異常の無効化。いずれも一つあるだけで大騒ぎになるレベルの効果だ。

 

 そして何よりも、ロキが現在進行形で頭を悩ませている効果。

 

 

 ――――スキル保持者に不老属性(イモータル)付与。

 

 

 最高位死霊(リッチー)吸血鬼(ヴァンパイア)不死王(ノーライフキング)といった伝説クラスの不死者(アンデッド)にしか保有することを許されない特殊属性。即ち不老。どれだけ時を経ても老いる事が無くなる、生きとし生けるもの達の悲願の一つ。神の位階に無断で片足を入れる許されない所業。

 

 それを、アイリスという少女は持っていた。では彼女は不死者(アンデッド)なのか? と問われればロキは否と断言する。神である以上、生者と死者の見分けなど一瞬でつく。見間違えることなどありえない。

 

 だからこそおかしいのだ。これは一介の人間が持ってていい代物では断じてない。

 

「アイリスたん……アンタ、一体何者なんや……?」

 

 神である自分でもわからないことに対し、ロキは戦慄した。もしかしたら、彼女は自分の手に負えるようなモノでは無いのではないかという懸念が彼女の中で生まれ始め――――

 

 

『ロキ様、ただいま帰りました』

「うびょわぁぁああぁああああああ――――ッ!?!?」

 

 

 当人の声がいきなりドアの向こうから聞こえたことにロキは驚愕のあまり絶叫を上げた。

 

「ロキ様!? どうしたんですか急に叫んで!?」

「な、なんでもない! なんでもないで!」

 

 いそいそとスキルの概要を記した紙をくしゃくしゃに丸めて適当な皿の上に置き、蝋燭を使って焼却処分しつつ、ロキは苦し紛れに何でもないように取り繕う。

 

 どう考えてもなんでもなくはない様子ではあったが、特にロキが怪我をした様子も無いのでアイリスは納得しつつ彼女に駆け寄った。

 

「ん? どうしたんやアイリスたん?」

「ロキ様、ついに私たちのところに入団を希望する人達が訪ねてきました。下にお待たせしているので早く行きましょう!」

「ほわっ!?」

 

 突然の入団希望者のエントリーに目を白黒させるロキ。

 

 確かにその存在が現れるのは予測していたが、まだ団員募集のポスター貼りもしてないし、と言うか購入予定の本拠(ホーム)も未だ手続きが終わっていないしと色々前準備が山積みなのに性急すぎやろ! と文句を垂れたいロキであったが――――下の休憩室で屯っている者達を見てその考えは一瞬で反転した。

 

「おや、もう来たのかい?」

「ふむ……(男か女なのか全然わからんな)」

「お~い、女将さん! 酒を持ってきてくれ~!」

「なっ、ななななななな……!?」

 

 ロキは思わず後ずさる。

 

 目の前に現れたのは美少年、絶世の美女、なんか酒臭いオッサン(お前が言うな)。そして同時に神としての直感が告げる――――こいつ等は間違いなく一級の”逸材”だと。

 

 一世一代のチャンス。絶対に逃してはならないとロキは決心した。

 

「こ、こほん。えー、アンタたちがうちのファミリアに入団したいって子達か?」

「はい、その通りです神ロキ。何か入団試験の様な物を行う予定だったのならば日を改めますが……」

「全員合格や!」

 

 即座に、ロキは彼らへとその一言を言い渡した。あまりにもあっけない目的達成に、三人は目をぱちくりとさせている。

 

「勿論適当に決めたわけじゃないで? そも零細ファミリアの立場上、選り好みする余裕なんてあるわけないし――――何よりうちの勘が告げとるんや。アンタらは間違いなく”大成”する」

「「「……………!」」」

 

 ニカッと笑いながら、ロキは断言する。同時に三人は息を飲んだ。その行動が意味するのは未来に対する期待か、あるいは待っている未知への興奮か、それとも未だ出会ったことのない強敵への楽しみか。

 

「んじゃ、早速だけど自己紹介してや。アンタらが何を求めてオラリオに来たのか、是非聞かせてくれへん?」

 

 その声に最初に反応したのは、小さな小人族(パルゥム)だ。彼は今までで見せたことが無いほどの真剣な表情で、重々しい声で己の名前と目的を告げる。

 

「僕は、フィン・ディムナだ。オラリオに来た理由は一族の再興。今も尚衰退していっている小人族(パルゥム)の”勇気”が失われる前に、僕自身が一族の希望に、勇気の旗印になることだ。――――どんな試練が待ち受けていようと、僕はどんな手段を使ってでもこの望みを成し遂げる」

「ほぉう……」

 

 ロキが目を薄く開けて笑った。しかしそれは決して嘲笑の類ではない。隣で聞いていたリヴェリアとガレスは神妙な顔になるも、特に何か言うことは無い。

 

 しかしアイリスだけは周囲と違って顔を凄く輝かせていた。

 

「一族の再興……凄く立派な夢だと思いますよフィンさん! 応援しています!」

「ああ、ありがとう」

「――――では、次は私が言おうか」

 

 タイミングを見計らっていたリヴェリアが手を挙げて名乗り出る。

 

「リヴェリア・リヨス・アールヴだ。どうせいずれバレるだろうから言っておくが、一応王族(ハイエルフ)でもある。本来ならばエルフは森の中で一生を過ごすような種族なのだが、私は里の中にあった様々な文献を見て外の世界に興味を持ち、友人と共に里を出た身だ。そして様々な場所を回った末、未知を求めてこのオラリオにやってきた」

「ハ、王族(ハイエルフ)……!? あ、えっと、リヴェリア、様と言った方が良いのでしょうか……?」

「いいや、そう畏まらなくても結構だアイリス。これから冒険者になる身だ、王族だのなんだのという肩書を押し付ける気はない。むしろ気軽に”リヴェリア”と呼んでも構わないぞ?」

「ぜ、善処します……」

 

 突然の王族宣言に恐れおののくアイリスであったが、当の本人は微笑みながら気軽な接し方を求めてくるのだから参ってしまう。尊い血筋を持つ者に対して敬意を払うなと言われて実際に払えない者など一体どれだけいるのやら。ならず者はお構いなしだろうが。

 

 最後に、ガレスはゆっくりと席から腰を上げ、腕を組んで言い放つ。

 

「オレはガレス・ランドロックだ。オレがこのオラリオに来た目的は他でもない、戦いだ! それを求めてオレは無数のモンスターや数々の強者の集うこのオラリオにやってきた。野蛮だの泥臭いだと思うかもしれんが、だからと言ってオレはこの目的を曲げる気はない。この胸の内から滾る闘争心を、オレは満たしたい! 自分でも想像のできない強者との闘いで!」

「おぉぉぉ……」

 

 パチパチと小さな拍手をするアイリス。共感こそ出来ないが、その熱意に感動したのだろう。その行動に悪意が無いと見抜いたのか、ガレスはニカッと笑ってアイリスの頭をワシャワシャと撫でた。

 

「がっはっは! お前は優しい奴だな! オレはお前さんの事が気に入ったぞ! 今度美味い飯と酒を出してくれる店に連れて行ってやろう! 無論、オレの奢りでな!」

「貴様! 子供に酒を飲ます気かこの常識知らずめ! 貴様にはこの子は任せておけん! 私が預かる!」

「何だお前、横からしゃしゃり出るな! お前の様な頭の固いエルフなんぞに任せていたらそれこそこの子に悪影響だろうが! 子供は大らかに育つべきだ!」

「貴様の場合は大らか過ぎだろうがこの酒乱ドワーフめ!」

「酒が好きで何が悪いんだこの潔癖症エルフが!」

「ふ、二人とも喧嘩はやめてください~!?」

「……はぁ」

 

 瞬く間に喧嘩を始める二人にアイリスは慌てふためき、介在役を強いられるフィンはため息を吐いた。この喧騒を見て愉快気にゲラゲラと笑いながらロキは口喧嘩をしている二人の背中を叩き、無理矢理手を突き出させた。

 

「ま、皆これから仲間になるんや。景気付けとしてやっとくべきと思わへん?」

「な、何故私がこんな……」

「こんな頭でっかちのエルフと仲良くなる気は――――」

「あの皆で手を重ね合わせる奴ですか? 是非やってみたいです!」

「「ぐぬっ…………」」

「ははっ。二人とも、子供には敵わないみたいだね」

 

 突き出されたリヴェリアの手の上にアイリスは自分の小さな手を重ねた。その上にフィンが手を置き、最後にガレスが手を重ねる。

 

「――――さぁ、これが【ロキ・ファミリア】の本格的な始まり(スタート)や。もう一回聞くで……アンタらの望み()は?」

 

 皆は手を重ねたまま、小さく頷いて己が願望を告げた。

 

「熱き戦いを」

「まだ見ぬ世界を」

「一族の再興を」

「え、これ私も言うんですか? ええと……――――家族(仲間)の、幸福を」

 

 アイリスの言葉を最後に、皆一斉に手を上げた。

 

 彼らはまだ知らない。これから待ち受ける数々の試練を、数多の道を、苦難の連続を。だが、それでも彼らが己の望みを見失わない限り、きっとその歩みは止まらないだろう。

 

 いずれ、その名声が世界に轟いても――――。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

「――――それで? 急に呼び出して何の用なの、ゼウス」

 

 顔の右半分が眼帯で覆われている女神は、鮮やかな紅色の髪を揺らしながら目の前の老齢の神に燃えるような紅色の左目を向ける。彼女はオラリオどころか世界で名を知らしめている鍛冶派閥、【ヘファイストス・ファミリア】の主神ヘファイストス。

 

 彼女は現在、眷属も連れずに小さな教会跡に来ていた。呼び出したのは他でもない、己が父(ゼウス)である。――――とはいえ、色々な諸事情が重なり彼女(ヘファイストス)(ゼウス)を父と慕ったことは一度としてないのだが。

 

「まずは、息災だったか? ヘファイストスよ」

「……私の前で父親面するのはやめてくれるかしら。反吐が出るわ」

「はぁ……実の父親に対してそこまで邪険になることも無かろうに」

「そうね。実の母親直々に天界から下界に叩き落とされた挙句、どうにか帰ってきたと思ったら労いの言葉ひとつない父親をどう親として見ろというのかしら。……下らない昔の話はどうでもいいから、早く本題に入りなさい」

 

 顔を嫌悪に歪ませながらヘファイストスはゼウスの言葉を叩き切る。此処までそっけない態度に諦めたか、ゼウスは大人しく娘の要望通りに本題に入ることにした。

 

「先の戦争遊戯(ウォーゲーム)、どう見る」

「…………どうって?」

「あの黒い瘴気と、終盤に放たれた炎。見覚えが無いとは言わせんぞ、ヘファイストス」

「わかってるわよ。……『匣』の中身に、プロメテウスの炎、でしょう?」

「やはりか」

 

 参った様にゼウスは頭を抱えた。己の見間違いであって欲しかったのだろうが、()()()()()本人からのお墨付きと、同じ火を扱う神格としての判断が下されてはそんな言葉で片づけられなくなったのだ。

 

「……でもおかしいわ。あの娘はとっくの昔に死んでるし、『匣』も既に太古に開かれた後。中身はもう世界に散らばっているはずよ。なのにどうして同じものが……?」

(…………まさか、な)

「残った中身だって、『希望(エルピス)』だけだった筈。なのにどうして呪いの瘴気なんて……ゼウス、何か心当たりでもあるの?」

「……いいや、確証はない。ただ一つ言えるなら――――」

 

 苦虫を噛み潰したような顔で、ゼウスは言う。

 

 

「――――あの少女は、この下界にとっての最後の試練にして希望かもしれん」

 

 

 

 

 

 

 




匣は開かれて、中身は世界に散らばった。

しかし、最後に希望だけは残った。



ところで、匣に残った希望は結局どうなったのかな?


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第十四話:意外な対面

 早朝。まだ眠っている人も少なくないだろう時間帯でも、ギルド本部は喧騒に包まれている。

 

 ギルドに来る人間の目的は様々だ。基本的には魔石の換金や、更新された情報を張ってある巨大掲示板からの情報収集、同業者同士での情報交換、商業系派閥の新商品発売の知らせや、希少種の目撃情報等々冒険者に取っては決して見逃せない情報は大体ギルドに集まっていく。故にそれを求めて人も集まる。自明の理である。

 

 何より最近話題なのは――――やはり、【ロキ・ファミリア】。

 

 今まで全くの無名だったその零細ファミリアは数日前とは比較にならないほど有名になっていた。やはり衆人観戦のできる戦争遊戯(ウォーゲーム)で切った張ったの大立ち回りをこれでもかというほど見せつけた影響だろう。今ではどこでもその話題で持ちきりだ。

 

 何より数日前に殺到したレベル詐称疑惑に対してギルドが正式に件の冒険者――――アイリス・アルギュロスを入念に調査した結果、たった一週間程度前に登録したばかりの新人であったことも話題に発破をかけた。

 

 Lv.1が小規模とはいえ一つのファミリアを単身で相手取り勝利した。冒険者業を長く続けている者からすれば絶対にありえない光景に卒倒しているのと対照的に、オラリオは現在お祭り騒ぎの最中。

 

 おかげ様でここ数日間ギルドの受付は冒険者業を目指してオラリオにやってきた若者から何度「【ロキ・ファミリア】の本拠(ホーム)は何処にあるんですか!?」という質問をされたのかわからない。因みにギルドも彼らの正確な所在は把握していなかったりする。

 

「――――はぁぁぁぁぁぁ……」

「アイナさん、大丈夫~?」

「あ、うん。大丈夫大丈夫……はぁぁぁぁぁぁ」

 

 そんなギルドの窓口で職員の一人であるアイナは本日何度目かわからないため息を付く。

 

 彼女がここまで心身疲れ果てている理由は単純、此処最近仕事がてんてこ舞いだったからである。戦争遊戯(ウォーゲーム)に関する書類仕事に事後処理はまだ良いとして、その後に舞いこんできた【アパテー・ファミリア】が抱えていた大量の犯罪行為の証拠を処理にするのに自宅に帰ることすらままならなかったからだ。

 

 それは彼女だけに当てはまる話では無く、事実彼女以外の職員の何人かも目の下にくっきりと隈を作っている。たださえ戦争遊戯(ウォーゲーム)の準備で大忙しだったというのに、止めを刺すように怒涛の仕事が舞いこんできたのだからもう阿鼻叫喚の地獄絵図だ。

 

 が、それも今日で終わりを迎える。大量の証拠を片付け終え、最後の犯罪者の収監を見届けて悪夢の如きデスマーチはようやく終了。数々の苦難を乗り越えたおかげでギルド職員の間には固い絆が生まれており、長い仕事が終わった祝いとして今夜は宴会をするつもりである。

 

 本来こういった催しは肌に合わないため参加してこなかったアイナも、今回ばかりは豪勢な食事で息抜きしようと決心をした。

 

 彼女の様な堅物も偶には息抜きがしたいのだ。

 

「あ、アイナさん。あの子は……」

「!」

 

 後ろから発せられた後輩の声に反応して、アイナは眠りこけそうになった顔をガバッと上げる。

 

 見れば、ギルドの正面入り口からそわそわとした様子で、腰まで届く長い銀髪を揺らしながら一人の少女がこちらへと向かって来ているではないか。普段のアイナなら迷子を疑っているだろうが、その少女は顔見知りであり、何より最近はオラリオ中の話題になっている人物でもあった。

 

「アイナさん! 数日ぶりです!」

「アイリスちゃん!」

 

 およそ二日間だけであるが、ここ最近の仕事の忙しさからまるで長らく会っていなかった我が子を思うような気持ちでアイナは少女を歓迎した。本人は気づいていないが、半年近く夫と我が子に会っていないせいで彼女の精神も大分キているようである。

 

「その、本当なら昨日訪ねるつもりだったんですけど……ちょっと色々あって」

「あー。まあ、仕方ないよ」

 

 何せ大勢の前で奇跡の様な番狂わせ(ジャイアント・キリング)を実現してしまったのだ。まだ冒険者になっていない者だけでなく、既に冒険者になった者はその秘訣を探りに、そして神々は彼女を引き抜くために今も尚オラリオを奔走中であろう。

 

 むしろそれらの目を掻い潜って此処までやってこれた少女にアイナは感嘆の声を漏らした。

 

「それで、今日は何の用で来たの? 実は挨拶だけだったり?」

「いえ、実はちょっと報告することがあって」

「報告?」

 

 アイナがそう問うと、アイリスは向日葵色に輝く笑みで言った。

 

 

「私、二日前にLv.2になったんです!」

 

 

 ギルドから音が消えた。まるで時間が止まった様に。

 

 職員も、冒険者も、皆一同に話題の人物が何を語るのかが気になったのだろう。好奇心から耳を澄ませて、そしてとんでもない爆弾が落とされたのを感じた。

 

「……ごめん、もう一回言ってくれないかな」

「二日前にLv.2になりました!」

「Lv.2?」

「はい!」

「二日前?」

「はい!」

「嘘じゃない?」

「嘘じゃないです!」

「アイリスちゃんって冒険者になってどれくらいだっけ?」

「ええと……神の恩恵(ファルナ)を貰ったのが大体二週間前で、冒険者になったのは十一日前くらいでしょうか」

 

 アイナは笑顔だった。だが不気味なほどに感情が籠っていない。そしてアイリスが「そんなに早かったのかな……?」という言葉をきっかけに――――

 

 

「――――きゅぅ」

 

 

 流麗のエルフは仕事疲れや夫と娘に会えないストレスの上に常識を逸する己が担当冒険者のとんでもなさに対する感情が重なった結果、脳の許容過多(キャパシティオーバー)によって思考が停止。そのまま椅子ごと後方へとぶっ倒れた。

 

「えっ、ちょ、アイナさん!? アイナさぁぁぁぁぁぁぁん――――!?」

 

 静寂に包まれたギルド本部に少女の叫びが響き渡った。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 夢を見ている。ちょっとだけ昔の夢だ。

 

 何処を見渡しでも木々だらけの、森に囲まれた故郷。いつも通り変わらない爽やかな風が吹く中、アイナは少し離れた所で腰を下ろして本を読んでいる翡翠色の髪を風で揺らしているエルフに声をかけた。

 

『リヴェリア様、一体何の本を読んでいるんですか?』

『ん、ああ、アイナか。……この里の、外についての本だよ』

 

 彼女が本を閉じて表紙をアイナに見せると、それは確かに里の外について書かれた本だった。どうやらはるか遠くの、港街に付いて記されているらしい。

 

『どうして、そんな物を?』

『そうだな。やはり、海というモノがどんなものか知りたくてな。……視界を埋め尽くすほどの広大な湖、だそうだ。私はそれを見たことも、感じたことも無い。それを少しでも知りたくて書庫から持ち出してきたのだが……やはり、字ではわかりそうにないな』

 

 少し寂し気に、エルフの王族は微笑んだ。

 

 エルフは余程の酔狂者でもなければ基本的に森で一生を過ごす一族だ。潔癖症、とでも言えば良いのか。己の血に高い誇りを持つ種族ゆえか、他の文化や血が流れ込まない様に外界を拒絶している。

 

 故に、海など見る機会など訪れはしない。此処に在るのは豊かな緑と、一族が細々と受け継いできた文化のみなのだから。

 

 一応、偶に訪れる移動教室の『学区』から多種多様な知識が流れ込むことはあるし、それに乗り込んで外の世界へと飛び出すエルフも居るには居るが、ごく一部の話だ。

 

 それに彼女は王族だ。尊き血を受け継ぐ者として、その責任を負う義務がある。

 

『海、見たいんですか?』

『……見たいと言えば見たい。が、それは無理な話だろう。王族(ハイエルフ)たる私は里に残って、皆を率いる義務が――――』

『じゃあ見に行きましょうよ! 海に!』

『は?』

 

 アイナの言葉に、リヴェリアは呆けた。どうやら彼女の突飛な言葉に理解が追いつかなかったらしい。

 

『ま、待て。私の話を聞いていたのか? そもそも私は王族で――――』

『そんなの関係ありません! 見たい物が見れない人生なんて、間違っています! リヴェリア様だって今の生活が窮屈だって、前言っていたじゃありませんか!』

『あ、いや、確かに言ったが……だが、私は』

『大丈夫です! ”立派な王族になるため”とかそんな理由をこじつければ行けます! 最悪今度やってくる『学区』にこっそり付いて行けば大丈夫です!』

『何が大丈夫なんだ……。だが、そうだな――――』

 

 呆れるような表情を浮かべたリヴェリアだったが、すぐに愉快そうな笑みに変わる。

 

 思えば、自分はとんでもない事をしていたなとアイナは思った。だが、自分を友と呼んでくれた王女を、どうして裏切れようか。何時かの日に思ったのだ。彼女を、心から笑顔にさせてみせると。

 

『悪くは、ない』

『はい! 一緒に行きましょう! 外の世界に!』

 

 その時の彼女はもう、ノリにノリまくっていた。長年の夢の一つが叶うと舞い上がり、いつもは絶対にしないだろうレベルのスキンシップまで行い、後になった死にたくなった覚えがある。

 

 しかしあの時の感触は一度として忘れたことが無い。こうして彼女のサラサラで柔らかい頬を触れた時の心地よさは、もう天にも昇るようで――――

 

 ――――次の瞬間、夢の光景が歪んで、目の前に己の慕う王女(リヴェリア)の顔が映し出された。

 

 久々に見る顔だ。数年前、一目惚れした男性を追うために『学区』を飛び出して以来一度も会っていない。度々手紙でのやり取りは交わしていたが、一年前程からリヴェリアも『学区』を降りたのかしばらく音信不通になっていて、その時は自分もお腹の事情があって探しに行けなかった。

 

 故に、実に懐かしいと思う。今は何をしているのだろうか。そんな事を思いながらアイナは自身の手が頭に送ってくる感触を楽しみ続け――――違和感に気付く。

 

(……あれ? なんか、感触が現実的過ぎるような……)

 

 フニフニと触る。とってもリアルな感触だ。まるで此処が現実で、自分は本物を触っているようで――――

 

 

「……アイナ、そろそろ私の頬っぺたから手を放してくれないか?」

 

 

 目がパチクリと覚めた。

 

 周囲を見渡せば、ギルド本部の休憩室。そこに設置された大きなソファで、自分はとある人物の膝を枕にしながら横になっていることを自覚する。

 

 その人物は、夢の中に出て来た王女(リヴェリア)にそっくりで。

 

「…………………リヴェリア様?」

「ああ、久しいなアイナ。直接顔を合わせるのは五、六年ぶりか? 元気そうで何よりだ」

 

 微笑みながら、頬を握られたままのリヴェリアはそう挨拶を送ってきた。

 

 

「リヴェリア様ぁぁぁぁぁぁ~~~~~~~っ!?!?」

 

 

 アイナは絶叫しながら上半身を跳ね起こして――――上から彼女を覗き見ていたリヴェリアと額を見事に正面衝突。致命的でこそないにしろかなりの痛みが二人の頭を襲った。

 

「ッ~~~~~~~~!?!? な、なんで!? どうして!?」

 

 頭を抑えてソファとリヴェリアの膝から転がり落ちながらアイナは悲鳴にも似た声を上げる。それもそうだ。一年前から連絡を取っていない友人、というか偉い人がいきなり目の前に現れたのだから。こんな状況でも動揺しない者が居るなら、それはよほど肝が据わった者だろう。

 

 そんな騒ぎを聞きつけたのか、休憩室の出入り口の扉を開けて飛び込んでくる者が現れる。

 

「アイナさん! リヴェリアさん! 何かあったんですか!? ……って、何ですかこの状況……?」

「ア、アイリスちゃん……」

「だ、大丈夫だアイリス。これは事故の様な物で……い、意外と痛いなこれは」

「あああああすいませんすいませんすいません!」

 

 アイナはほぼ反射的に極東から伝わる謝罪の意思を伝える最上級テクニック『土下座』をぶっつけ本番ながら完璧に披露して見せた。数年ぶりに会って早々こんな狼藉を働くことになるなんて、とアイナは穴があったら入りたい気分になる。

 

 返ってくる反応は、面白い物を見たかの様な笑い声だけ。どうやら、怒ってはいないらしい。

 

「全く、顔を挙げてくれアイナ。元はと言えば私が何の連絡も無くここに来たのも一因なのだからな」

「ううう……すいませぇん……!」

「あの、やっぱりお二人はお知り合いなので?」

 

 アイリスはしょぼくれているアイナをソファに座らせながらそんな質問をしてきた。アイナはどう答えようかと迷って、いやというかそれはこっちの台詞なんだけど――――と言い放つ前に、リヴェリアが先に口を開く。

 

「彼女は、私が里に居た頃からの旧友でな。私を外界に連れ出したのも彼女なんだ。自慢の親友だよ」

「へぇ~」

「そ、それよりお二人は一体どういった関係で……?」

「ん、ああ。そう言えばまだ言って無かったな。――――私は昨日【ロキ・ファミリア】入った。今日はその登録をしに来たんだ」

「へ?」

 

 頭が、二度目のフリーズを起こす。

 

「――――おい! 何時までこんな所に居る気だテメェら! 窮屈でかなわんわ!」

「ガレス、女性たちの居る部屋にノックも無しに入るのは流石にどうかと思うんだけど……」

 

 どうやらアイナの受難はまだまだ終わらないらしい。

 

 

 

 

 

 

 ランクアップ。与えられた神の恩恵(ファルナ)の器を昇華させ、()()()()()()()()()()()儀式。

 

 一つ違えば次元違いの戦闘力を発揮することが可能であり、故に冒険者同士の戦闘でレベルに一つでも差があれば、低い方は基本的に勝ち目はないとされる。しかしランクアップはある一定の基本アビリティが無ければ条件が達成できず、尚且つ《偉業》――――神々が認めるほどの功績を上げることができなければいくら基本アビリティが高くても行えないとされる。

 

 その条件達成の難しさから基本的にLv.2になれるものはLv.1の中でもかなりの少数。そしてそれに必要な時間は最低でも2年以上を要する。だからか冒険者の間ではLv.2に上がることは”(ふるい)を抜けた”と例えられることも少なくない。

 

 つまり、だ。ランクアップとは、決して短時間で成し遂げられるようなことでは無い。数年間もの努力を積み上げて初めて辿り着ける領域である。

 

 決して、決して十日前後などと言う超短期間で達成できる代物では無いはずなのだ――――!

 

「冒険者登録から四日以内に11階層到達……数百ものモンスターを単独(ソロ)で討伐しつつ集団でインファント・ドラゴンとその強化種の討伐……最後に戦争遊戯(ウォーゲーム)でLv.1を三十人前後とLv.2を二人、Lv.3を単身で撃破……」

 

 クラッ、とアイナは後ろによろける。

 

 彼女の報告を聞いて何度卒倒しそうになったことか。いや、知ってはいた。知ってはいたのだが改めて報告されると目の前の少女がとんでもない事を仕出かしたという事実をはっきりと認識できてしまう。

 

 周りにいるエルフと小人族(パルゥム)、ドワーフが明らかに顔を引きつらせていることから自分は正常なんだと己の正気を再確認しつつ、アイリスから直接聞き出した彼女の活動記録を羊皮紙に書き記していく。これは異例のランクアップを成し遂げた彼女の行動を公開することで、『彼女を参考にしてどんどん強くなってください』と広報するためだ。

 

 でも正直言ってアイナはこんな記録絶対に意味がないと確信しているのだが。こんなの出したところで誰もやらないしそもそも出来ない。やる奴は余程の馬鹿だけだ。それを言ったら目の前の少女は極めつけの馬鹿ということになってしまうが、あえて口には出さないでおくアイナであった。

 

 一応真偽を確認しておくが、彼女がインファント・ドラゴンの強化種を撃破したのは【ゼウス・ファミリア】と【ヘラ・ファミリア】の団員から既にギルドへと報告されているし、その魔石が換金されているのも記録済みだ。

 

 あの二大派閥が口を揃えて言ったのだ。間違いなく事実だろう。

 

「あー……チュール氏、一応聞いておくけど、Lv.1の冒険者が彼女の真似をしたらどうなるのか聞いてもいいかい?」

「間違いなく死にます。確実に。だから絶対に真似しないでください……」

「そ、そうか……」

 

 金髪碧眼の小人族(パルゥム)、フィンが好奇心でアイナに問うが、返ってきたのは切羽詰まった断言だった。迷宮についてある程度前知識のあるフィンもこの返答について予想済みではあったが、ソレを実行してのけた実例が隣にいるのだから実に頭が痛くなる。

 

 一体どんな奇跡が起こればこんな所業を成せるのか、アイリス以外のこの場にいる全員が同じことを思う。

 

「そっ、その、今後は自重する方針で行きますので……今回のようなことは多分、もう無いかと」

「そうしてくれると助かるかなぁ……」

 

 これ以上同じことがあったら胃に孔が空きそうだとアイナは涙目になりながら独白した。

 

「んん! ええと、とにかく三人の冒険者登録は無事終了しました。一応専属のアドバイサーを付けるかどうかをお聞きしますが……」

「必要ない。迷宮(ダンジョン)については何週間も前から学んでいるからな」

「右に同じく。まあ、彼女ほど詳しくはないだろうけどね」

「面倒なのは嫌いだ」

「そうですか……」

 

 全員からきっぱりと断られたことにアイナはがくりと肩を落とす。そう、別にアドバイサーは強制では無い。大手のファミリアなら同じ派閥(ファミリア)に所属している他の冒険者が勝手に面倒を見るし、たとえそうでなくても「面倒くさい」という理由で断られることもままある事だ。

 

 そういう者は大抵の場合ダンジョンの中でモンスターの餌へと早変わりするのだが。

 

「では、私たちはこれから軽い腕試しにダンジョンに潜るとしよう。幸い、全員装備はもう整っているしな」

「それじゃあ、皆とはここで一度お別れですね」

「むっ、何か用事でもあるのか? アイリス」

「はい」

 

 リヴェリアの問いに対し、アイリスは背にある鞘から剣を少しだけ引き抜き、中身を見せた。

 

 見るも無残な、原型こそ留めていても、とても剣とは呼べない代物がそこにはあった。

 

「――――自分の相棒を、ちゃんと直してあげないといけないので」

 

 欠損だらけの刀身が、陽の光を反射してキラリと輝いた。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 オラリオ北東のメインストリート。迷宮都市の名産品である魔石製品製造の心臓部であり、ギルドに雇われた無所属(フリー)の労働者から各種派閥(ファミリア)の職人まで集まる第二区画、工業区が設立されている場所。

 

 そういった生産系の仕事が集中しているからか、この場所を歩いている殆どの者は作業衣に身を包む者であった。筋骨隆々のヒューマンやドワーフが闊歩している様は、まるで此処が別の国なのではないかというほど雰囲気を様変わりさせている。

 

 周囲に蔓延る筋肉質の者が付近を横切る度にビクビクと肩を震わせながら、私ことアイリスはとある平屋造りの建物の前で足を止める。

 

「……ここが」

 

 アイナさんに前もって相談し、勧められた【ヘファイストス・ファミリア】所有の工房。主にLv.2以上の上級鍛冶師(ハイ・スミス)が作業を行っている場所だ。

 

 息を飲みながら戸を開く。すると目に飛び込んできたのは暗闇の中で光る炉の光。部屋の中にはまともに魔石灯も灯されておらず、辛うじてぼうっと光っている炉の輝きで何とか部屋の構造を把握できる程度の光源の無さに思わず足がすくむ。

 

 覚悟を決めて中に入ると、強い鉄の香りが鼻を刺激する。慣れない香りに少しだけ顔を歪めながら辺りを見回す。――――すると、視界の端で壁に背を預けながら職人たちの鉄を打つ様を眺めている、右目に大きな眼帯を付けた赤髪の女性を発見した。

 

 直感的に彼女が放つ神威を感じとり、”偉い立場の人(主神)”だと確信した私は「あの」と小さく声をかけた。

 

「ん……? 私に何か用――――ブッ」

「え?」

 

 女性は私の顔を見るや急に吹き出した。私の顔に何かついていたのだろうか。――――あ、いや。そう言えば私、戦争遊戯(ウォーゲーム)のせいで顔も名前も広く知られているんだったっけ。

 

「あ、あなた、何でここに……!?」

「その、武器を直して欲しくて……」

 

 背に回していた鞘ごと、私は《アグノス・ソード》を彼女へと手渡した。少々難しい顔をしながらそれを受け取った彼女は剣を引き抜き、その無残な姿を見て目を丸くする。

 

「……随分、無茶をさせたみたいね」

「す、すみません……大切に扱おうとはしたんですけど、色々と無理しなきゃいけなくて」

「ええ、わかっているわよ。戦争遊戯(ウォーゲーム)で貴方がこの剣を無茶苦茶な使い方をしていたことなんてこの目で見てたわ」

「うう……」

 

 剣は攻撃に使うもので防御に使うものでは無い。一応相手の攻撃を迎撃するのは間違った使い方ではないが、盾の様に構えて相手の攻撃を正面から防ぐ物では断じて無いのだ。

 

 しかし私はそんな使い方をインファント・ドラゴン強化種とグリード・アルパガスとの闘いで何度か行ってしまっている。Lv.2相当の怪物とLv.3冒険者の一撃を正面から刀身の腹に叩き込まれたことで生じた負荷は生半可な物では無く、こうして無残な姿になってしまっている。

 

 まあ、それ以外にも魔法を纏わせたことによる負荷もあるのだろうが。

 

「でも、剣は喜んでいるわ。……本当に大切にされていたのね」

「え?」

「いえ、何でもないわ。えっと、結論から言わせてもらうと、修理は無理よ。芯まで罅が入っている以上一度鋳潰して作り直した方が早いわ」

「そう、ですか……あの、それでもいいので、お願いします。ちゃんとこれからも使っていけるように、生まれ変わらせてあげてください」

「……ふふっ、勿論。――――椿(ツバキ)! お客さんよ!」

 

 女性が少し離れた工房へと声を飛ばすと、向こうから鉄を打つ音が止んで一分ほど間を置いた後、中から凛々しい褐色の女性が後頭部に結んで纏めた髪を揺らしながらこちらへとやってきた。顔には無数の汗が滲み出ており、しかし褐色の女性は不快そうな顔をすること無く爽やかそうな表情で首に回したタオルでそれを拭き取っている。

 

「おう、主神様。手前に客とは、珍しいな? まだLv.2になって数ヶ月しか経ってないはずだが」

「正確に言うなら、今やってきた客の依頼は貴方が適任だと私が判断したのよ。注文はこの剣を修復する事――――」

「あ、あとこの素材を使ってほしいんですけど……」

 

 思い出したかの様に私は背負っていた袋から”素材”――――インファント・ドラゴン強化種の(ドロップアイテム)を取り出した。

 

 そしてそれを見た瞬間、褐色の女性の目の色が変わった。まるで獲物を見つけた肉食獣の様な――――。

 

「童よ、それは何だ?」

「インファント・ドラゴン強化種の牙、です」

「ほぉう……」

 

 強化種、と聞いて褐色の女性は更に顔を子供の様に輝かせた。

 

「いいぞ! その依頼受けよう! 報酬は言い値で構わん。何せ手前がLv1の時に最後に打った作品とめぐり合わせてくれた上に、こんな上等な素材も提供してくれるのだからな!」

「え? こ、この剣、貴方が作ったんですか!?」

 

 まさかの事実に私は衝撃を受けた。意外な所で製作者とご対面するとは、凄い偶然だ。

 

「ああ。手前がレベルアップする前になけなしの貯金をはたいて買った素材で作った『Lv.1としての最高傑作』だ! 苦労して作り上げた鋼鉄をベースに波紋鋼(ダマスカス)硬結晶銀(シルバー・クリスタル)重量金属(ヘヴィメタル)を少量ずつ慎重に混ぜ合わせた特殊合金を二日間寝ずに鍛え上げた代物でな! うん、あの時の達成感は実に素晴らしい物であった!」

「そ、そんなに凄いものだったんですか……!」

「まあ、その後寝ぼけて値段設定を間違えて出したことに大分後になって気づいたのは苦い思い出にもなったがな……」

「えぇ……」

 

 どうりで品質に対して格安過ぎると思ったよ。いや、そのおかげで色々と助かったので感謝すべきか。

 

「あの、とっても良い剣でした。この子には凄く、助けられました」

「そうかそうか! そう言ってくれると手前も嬉しいぞ! ――――っと、自己紹介が遅れたな。手前は椿・コルブランドだ。よろしく頼むぞ童よ」

「アイリス・アルギュロスです。今後ともよろしくお願いしますね、椿さん」

 

 褐色の女性――――椿さんが満面の笑顔でこちらに手を差し出してきた。私がそれを握り返すと、手の中には厚くなってザラついている手皮や胼胝(たこ)の固い感触、そして何よりも炉のように熱いものが伝わる。そしてそのままブンブンと遠慮なく上下に腕が振られた。

 

 どうやら、彼女はかなり愉快な性格の職人らしい。

 

 その後、私は椿さんとこれからの予定を話し合いながら注文の最終確認を行い、工房を後にした。今後の予定の整理や準備を加味して、剣が出来上がるのはおよそ一週間後。最高の出来に仕上げてくれるというソレを、私は期待して待つことにした。

 

 愛剣(アグノス・ソード)強化小竜(インファント・ドラゴン)の牙が合わさったらどんな剣が仕上がるのか、実に楽しみだ。

 

 

 

 

 

 

「外見は似てるけど……”中身”が違うわね。まるで、『匣』そのものを……」

 

 

 そんな(ヘファイストス)の声は、工房に響き渡る金属音の中に消えていった。

 

 

 

 

 

 



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第十五話:勝利の報奨

リアルの事情で2~3週間ほど投稿が難しくなりそうです。どうかご了承を。


「これで、よし……」

 

 ガチャリと、籠手を固定する紐を結ぶと鎧が軽く磨れる音がする。その後軽く身体を動かしてみるが、違和感は極小。完全とは行かないが十分馴染むことに、私は小さくガッツポーズを取った。

 

 現在の場所、前回ロキ様と共に武器・防具を買いに来たバベル八階のテナントの小さな防具屋。前に此処に来た時に採寸したデータが残っているかもしれないと思い訪ねて、予想通りデータがまだ残っていたので私はほぼ全壊状態に陥った《小人族(パルゥム)のアーマードレス》とほぼ同じ物を購入し、調整した物を身に付けていた。

 

 因みに価格は前回と違い三五〇〇〇ヴァリス。何故か何も言って無いのに値引きされた。これはつまり「今後ともご贔屓に」という意思表示なのだろう。此処まで名と顔が広まるとは、戦争遊戯(ウォーゲーム)様々である。

 

「んー……念のためにコレも買っておこうかな」

 

 当初の目的は達成されたが、私は直ぐに防具屋を去らずに少しだけ商品を物色する。

 

 何故かと言うと、盾の代用品になりそうな籠手(プロテクター)を探すためだ。新しい剣を手に入れても、今までの様に仕様外の無茶苦茶な使い方ではまたすぐにダメになる。その為には盾、もしくはそれに準する物を装備するしかない。

 

 最初は大きめの盾を持とうと思ったが、すぐにダメだと判断した。盾と言うのは意外と重いしかさばる。回避重視の戦法を主とする私にとって機動力の低下は無視できない問題だ。なので今は軽くて小さい小盾(バックラー)か、手を塞がないプロテクターを探している。

 

 小盾(バックラー)の利点は小さくてかさばり難く、機動力もそこまで下がらないことか。更にいざという時は打撃や投擲にも利用できる所も魅力的だ。ただやはり手が塞がってしまうのが難点か。

 

 籠手(プロテクター)の利点は軽く、手を塞がない。これによって片手に武器を握っていてももう片手は臨機応変に動かすことができる。が、防御力はどうあがいても盾に勝てず、そして防御以外に利用できない(一応殴れるが)というのが難点だろう。

 

 どちらにせよ身を守る道具は一つか二つは用意しておくべきだと思い、私は目的の品物が入っている箱をゴソゴソと漁る。

 

 そうする事大体十分――――中々良さそうなプロテクターを発見した。

 

 一言で言えば、ソレは純白の籠手。かなり軽い金属を使っているのか、見た目に反して凄く軽い。更に少し小ぶりの短剣くらいなら収容できそうなスペースまで用意されている。これを作った人は機能美と言う物を理解しているのかもしれない。

 

 値段は八九〇〇ヴァリス。十分購入可能な金額だ。

 

「これください!」

「まいど」

 

 カウンターに持っていって支払いを済ませ、早速装着してみる。

 

 少し大きいが、まあこの程度なら大丈夫だろう。それに私くらいの年齢のヒューマンは成長期とか何とかで直ぐに大きくなる、筈。いずれ身体に合うようになるだろう。

 

 問題は身体に合う時までにこのプロテクターが原型を留めているかわからないと言う点だが。

 

(……ちゃんと大切に扱おう)

 

 少なくとも無茶はあまりさせまいと、私は現在炎で炙られて金床で金槌に打たれているだろう愛剣へと誓う。本音を言ってしまえば何度も壊していたら出費が無視できないレベルになるという部分もあるが、それは言わぬが花だ。

 

 護身用のナイフをプロテクターの中に格納しながら、私は昇降機を使ってバベル一階まで降りる。

 

 三人と別れてからまだ五、六時間。この程度なら、まだダンジョンの中かもしれない。一瞬だけダンジョンの中で合流しようかと思ったが、思いとどまる。

 

 彼らは全員成人済みで、精神的にも成熟しているのだ。私の様な子供と違って引き際くらい見極められるだろう。むしろ年の離れた私が要らぬ心配で駆けつけたせいで気を悪くするかもしれない。が、だからと言って何かやることがあるわけでもない。とても、暇だ。

 

 ダンジョンに潜ろうにも、現在手持ちの武器は護身用兼剥ぎ取り用のナイフだけである。一応モンスターを解体するために作られた物なのでそれなりの攻撃力は持っているが、流石の私もコレ一つでダンジョンに潜りたいと思うほど馬鹿では無い。

 

 まあ、1階層から4階層程度ならばこれ一本でも余裕で踏破できる自信はあるが――――。

 

「あら、此処に居たのね」

「随分探したぞ」

「!」

 

 そんなことを考えながらバベル一階をうろついていると、唐突に背後から声をかけられた。最初は警戒心を引き上げて振り返ったが、後ろにいた二人が顔見知り――――否、恩人であることから直ぐにその心は鎮火する。

 

 アルバートさんと、アリアさん。私服らしきもので身を包んだ二人がそこには居た。

 

「アルバートさん、アリアさん。えっと、四日ぶりです。その節は本当にお世話になりました!」

「ふふっ、いいのよ別に。私たちが勝手にお節介を焼いただけだもの」

「ま、そういう事だ。それよりも、戦争遊戯(ウォーゲーム)での戦い、見事だった。ちゃんと学んだことを活かしていたみたいで安心したよ」

「は、はいっ!」

 

 突然の再会に混乱しながらも私は褒められたことは理解できたので深く頭を下げた。

 

 彼ら二人のおかげで、私は今こうして無事で居られている。二人の協力がなければ、私は今頃無残な死体となっていただろうと思うと今でも怖気が全身を駆け巡る思いだ。

 

「さて、勝利の祝いに君に”コレ”を贈りたいんだが……受け取ってもらえるか?」

「え?」

 

 そう言いながらアルバートさんは手に持っていた何かを包んでいた布を取り除き、それを露わにした。

 

 布の奥から現れたのは鞘に入った刃渡り七〇Cくらいの剣だった。差し出されたそれを受け取り、試しに少しだけ引き抜いてみると――――明らかに鉄では無い、銀色の輝きが目に映る。

 

 この輝きは何度か見たことがある。これは【ヘファイストス・ファミリア】の店舗の中で、硝子の箱の奥に飾られていた第二等級以上の武具に使われる素材の、

 

真銀(ミスリル)の、剣……!?)

 

 反射的に悲鳴を上げそうになった。

 

 軽量の上等級金属。武器としての素材ならば数ある金属の中で順位を付けても上から数えた方が早い代物。魔力の伝導率が非常に高く、付与魔法(エンチャント)の効果を最も発揮しやすい金属でもある。強度も上級冒険者であろうと壊すことが難しいほど十分に備えている。

 

 そんな物で武器を作れば一体どれほどの金額が必要だろうか。少なくともゼロが六、七個は並ぶと思う。

 

「こっ、ここここんなもの貰うわけにはっ!?」

「いや、いいんだ。俺が昔使っていた剣を蔵から引っ張り出しただけの物だしな。何時までも部屋の中で埃を被るくらいなら、お前に使われるのが本望だろうさ」

「でっ、でも!」

 

 冒険者の装備は本人の実力に見合う物を装備するのが普通である。そうでなければ装備に頼るような戦い方へと歪んでしまい、本人の能力が碌に成長しないからだ。

 

 ぶっちゃけ《アグノス・ソード》が私の実力に見合っていたかと言うと少し怪しい所だが、ミスリルの剣など完全にアウトである。これはLv.4かLv.5になって初めて扱うことを許されるような代物。どう考えても今の私には相応しくない……!

 

「別に売り払ってくれても構わないし、使わずに保管しても構わない。もうお前の所有物だからな。どう扱ってもお前の自由だ」

「ッ……!? ッ……………!?!?」

「もう、アルバート。だから言ったじゃない、どうせ贈るなら一目で価値がわからない物の方が気が楽だって」

「その分お前の贈り物の方がヤバいと思うんだがな」

「さあ、どうかしら? あ、アイリスちゃん。私からはこの首飾りを送るわね?」

 

 とんでもない物を手に入れたせいで完全に茫然としている私の首に何かが掛かる。

 

 見れば、緑色の結晶を蕾の様に銀細工で包んだペンダントがある。これもまた高級そうな物ではあったが、ミスリルの剣よりかは大分ハードルが下がったので、私は深い安心感に包まれた。

 

「精霊の魔力結晶を最硬金属(オリハルコン)の細工で飾った首飾りとか、その道の職人が見たら卒倒するぞ……?」

「うふふっ」

「?」

 

 呆れかえった表情を浮かべるアルバートさんと、悪戯に成功した子供の様に笑うアリアさん。

 

 二人がそんな表情をする理由が分からず顔を傾けるが、アリアさんは相変わらず微笑みながら私の頭を優しく撫でるだけだ。一体何がどうしたというのだろうか……?

 

「それじゃあ私たちはそろそろ行くわね。次の『遠征』が近いから、早めに身支度しないと」

「そうだな。んじゃ、無くさない様に気を付けろよ? 特にペンダント」

「は、はい!」

 

 それを最後に、私は二人と別れた。

 

 ……不味いな。本来なら贈り物をする側だった筈なのに、逆に贈られるなんて。しかしLv.2になったばかりの私が彼らの満足のいく様な贈り物ができるかと言えば、まあ無理としか言えない。

 

 ならいつか、彼らが本当に困っているときに助けになろう。今は弱い力しか持っていないけれど、いつかあの二人の隣に立てたら、その時こそ――――。

 

「……………」

 

 剣を鞘に戻し背に回しながら、私はバベルのダンジョンの入り口に繋がる巨大な下り階段を見つめる。

 

(……余計なお世話、かもしれないけど)

 

 剣の試し振りついでに、様子見くらいはいいかも知れない。

 

 何もなければ先に帰り、もし何かがあったのならば、助けに入る。うん、これが一番良い。やはり何もしないで待つなんて恰好が悪い。

 

「……よし!」

 

 両頬をパチンと軽く叩きながら、私は一歩目を踏み出した。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 モンスターは魔石を摂取することで能力を変動させる。しかしながら質の悪い魔石を一つや二つ食した程度では大して変わることは無い。故に、冒険者やギルドが『強化種』と呼ぶ個体はある程度の”(さかい)”を越えたことを意味している。少なくとも元の固体とは隔絶した危険性を有しているのは確かだ。

 

 当然だが、強化種の出現はとても稀なことだ。モンスターは基本的に同士討ちを行わない(飢餓によって共食いを行い場合はある)。故に強化種が出現する主な要因は外的なモノ――――冒険者が回収を忘れた魔石を食すのが主だ。

 

 だからこそギルドは冒険者に対し魔石の回収し忘れがないように徹底的に警告をしている。オラリオが魔石製品の製造が盛んであることも理由の一つであるが、何よりも強化種の出現は非常に危険な事態を招くのだから。

 

 たとえゴブリンやコボルドであっても、強化種と判断される程に強くなった個体は駆け出しのLv.1の冒険者には対応が困難故に――――。

 

「――――くっ!」

 

 第3階層のルームの中で小柄な金髪碧眼の少年。否、小人族(パルゥム)であるフィンが自身の身長以上もある槍を軽快に振りまわして、自身の背後から襲い掛かろうとしたコボルドの頭部を一閃する。致命傷を与えられたコボルドはそのまま地面に倒れるが、それでもフィンは全く気が抜けなかった。

 

 なぜならば、今自分たちはゴブリンやコボルドの大軍に囲まれてしまっているのだから。

 

「クソッ、全く数が減ってねぇぞ! どういうことだ!?」

「……恐らく、あの赤いゴブリンが他の場所からモンスターを呼び寄せる能力を持っている、としか思えないね」

「強化種という奴か……!」

 

 見れば、ガラクタの兜を身に付けた体色の赤いゴブリンがこちらをバカにするように喚き叫んでいる。その度に別の通路からゴブリンやコボルドが湧き出ており、階層に居る全てのモンスターが集まっているのではないかと群れと対峙する三人は錯覚した。

 

 息を飲みながらフィン、ガレス、リヴェリアは互いに背中合わせになるように集まり、自分たちを囲んでいるモンスターの集団と対峙する。数は大まかに数えても四十以上。明らかに駆け出し冒険者の三人パーティ程度でどうにか出来る規模では無かった。

 

 が、彼らも別に好きでこういう事態に陥っているわけでは無い。今回の件は完全に不運としか言えなかった。

 

(まさかモンスターに()()()()()()なんてね……!)

 

 思えば親指の疼き――――自身が生来持つ”癖”のような、第六感とも呼ぶべき虫の知らせ(嫌な予感)がした瞬間から撤退を選択するべきだったとフィンは後悔した。だが自分があの瞬間に戻れたとしても、撤退はかなり難しかっただろう。

 

 何せその時には別のルートを経由したモンスターによって()()()()()()()()様だし、闘争心に火が付いたガレスを引きとめるのは困難を極めるだろうし、冒険者になったとはいえその矜持(プライド)がまだ頭に染みついているリヴェリアがゴブリンやコボルド程度に撤退を選ぶとはとても思えない。

 

 それにフィンとて何処かで慢心していた。何の苦労も無く3階層までたどり着けたことに、心のどこかで浮ついていたのだ。己の夢へと着実に進めているような気がして――――こんな様に陥ってしまった。

 

「ああ、全く……油断大敵という言葉が身に染みる思いだ……!」

「おい堅物エルフ! さっさと魔法の詠唱を始めろ!」

「私に命令するな! ――――【終末の前触れよ、白き雪よ。黄昏を前に(うず)を巻け】!」

「っ、待てリヴェリア! 今はまだ――――」

 

 包囲されている状態で、精密な制御を要求されるが故に無防備にならざるを得ない魔法を使うなんて自殺行為だ。

 

 もしリヴェリアが高速での移動を行いながら詠唱を行う高等技術、並行詠唱を行えるのならば話は違うだろうが、残念ながら今の彼女はそこまでの技量は持ち合わせていなかった。

 

 その隙を見逃さず、様子見に徹していたモンスターの軍団が彼女へと襲い掛かる。突然の光景に動揺してしまったリヴェリアの詠唱が途切れ、当たり前のように魔法の発動は失敗してしまった。

 

「しまっ――――」

「何をしてんだお前は! 魔法を唱える以外能が無いくせにこんな時に失敗なんてするんじゃねぇ!」

「なっ、何だと貴様っ!」

「こんな時に喧嘩をするな! やるなら生き延びてからにしろ!!」

 

 ガレスが襲い掛かってくるモンスターをその腕力で弾き飛ばしながらリヴェリアを罵倒し、それに激昂したリヴェリアが声を荒げてこんな時にまで口喧嘩を始めようとする様子に辟易としたフィンは反射的に怒号を飛ばした。

 

 もし隣にいるのが普通の性格の者であれば勇気を出させる発破の一つや二つ口にしていただけだろうが、如何せんこのエルフとドワーフは未だ指揮経験の少ないフィンにとって癖が強すぎた。頑固すぎるとも言う。

 

(せめてモンスターの来る方向を限定されられれば……!)

 

 魔法による起死回生を狙うためにはリヴェリアをモンスターの襲撃から守り切れることが大前提となる。だが二人で四方八方から来るモンスターから彼女をカバーしきれるかと言われれば無理だと断言する。だからこそ襲い掛かってくる個所を限定する必要がある。

 

 そう判断した瞬間、フィンの中では作戦が組み立てられていった。

 

「二人とも聞け! 今から向こうの通路へと一点突破を仕掛ける! その後通路に入ろうとしてくるモンスターからの攻撃を僕とガレスが凌ぐから、リヴェリアは魔法で敵陣を吹き飛ばせ!」

「くっ……それしかないか!」

「むむぅ……了解だ!」

 

 二人は小人族(パルゥム)からの命令に若干の抵抗を抱きつつもその作戦が最適だと判断。すぐさま実行に移す。

 

 フィンは露払いとして先鋒を駆ける。そして左手を前に構え、詠唱を始めた。

 

「【魔槍よ、血を捧げし我が額を穿て】……!」

 

 疾走を続けながら超短文詠唱を行ったフィンの左手に、鮮血色の魔力光が集う。フィンはそれをおもむろに自分の額に押し当て、身体に魔力光を”注入”した。

 

「【ヘル・フィネガス】! ――――ッ、おぉぉぉぉおおおおおおおおおおおっ!!!」

 

 瞬間、フィンの碧眼が血の様な赤色に染まった。そして普段の冷静さを何処かへと放り捨てたように、狂戦士の如き雄たけびを上げるフィンはモンスターの群れへと突っ込み、蹂躙を開始する。

 

 凶猛の魔槍(ヘル・フィネガス)。フィンの持つ戦意高揚の魔法。彼が神の恩恵(ファルナ)を与えられた際に二つのスキルと同時に発現したその魔法の効果は強力無比。戦闘指揮能力を犠牲に戦闘能力を大幅に引き上げるという効果によって、今の彼はLv.1の中でも中堅以上の力を発揮していた。

 

 フィンが槍を一振りすればモンスターの肉が抉れ飛び、頭が弾け、体内の魔石が粉砕される。その凄まじい力に感心しながらも、後続のガレスもその手に持った巨大なバトルアックスを力の限り腕を振り絞り、薙いだ。

 

「ぬぉぉぉおおりゃぁああああああ!!」

 

 この一撃で複数のモンスターの胴体がちぎれ飛ぶ。ドワーフとして元来有している剛力に、最初から発現済みのスキル【力精豪拳(ドヴェルグ・エンハンス)】の効果による高い『力』の補正によって、彼は今まで以上の力で雑兵を蹂躙してのけている。

 

(っ……魔法さえ唱えられれば……!)

 

 全ての魔法はそれぞれ固定された呪文を術者の口が紡ぎ出すことによって効果を発揮する。詠唱が長ければ長いほど強力な効果を発揮し、短ければ規模は縮小するが直ぐに発動できるという利点を持つ。

 

 そして、リヴェリアは王族(ハイエルフ)として特殊な魔法特性を有していた。その名も『詠唱連結』。彼女が発現させた魔法に含まれている詠唱属性であるそれは、能力(ステイタス)にレベルという位階があるように、彼女の魔法に対して三段階の位階を存在させている。

 

 超短文から短文、短文から長文に、長文から超長文の詠唱に。それぞれに定まった詠唱を”繋げる”ことで出力を高め、魔法の効果を変容させることができる。

 

 故に、今の彼女は一つの魔法から三つの魔法を扱うことができる。理論上は最大九種の魔法を扱うことができるという唯一無二の強みを持つ彼女は、晩成さえしてしまえばこと魔法においては他の追随を許さない程の魔導士になるだろう。

 

 ――――が、現在のリヴェリアは冒険者としては未熟と言う他なく、また習得している魔法のいずれも長い詠唱を必要とするモノばかり。無論、唱えてしまえば戦況を覆せる強力な魔法なのだが、発動ができなければ意味は無い。

 

 誰かに守ってもらわねば碌に動けないことに歯噛みしながら、リヴェリアは二人が大暴れしていることで作られた道を駆ける。そして通路の中に飛び込み、杖を構えて詠唱を始めた。

 

「【終末の前触れよ、白き雪よ。黄昏を前に(うず)を巻け】」

『グゴァアア!!』

「行かせるかァ!!」

 

 リヴェリアの魔力に反応してモンスターは彼女へと襲い掛かろうとするが、すかさずフィンがその間に割り込みモンスターの体を吹き飛ばす。ガレスの方も間もなく駆けつけ、大波の様に押し寄せてくるモンスターをその剛力で押し留める。

 

「ぐぅぅぅぅっ……! 早くしろォっ!」

「【閉ざされる光、凍てつく大地】」

「そうだ、この調子で――――うぐっ……!?」

 

 ビシリ、と。フィンの頭から電流の様な痛みが走り、血の様な赤目が元の碧眼へと変わる。魔法を維持するための精神力(マインド)が切れたのだ。

 

 フィンがこの魔法を使うのは初めてだった。故に、維持できる時間を見誤った。

 

 それでもどうにか昏倒する事だけは気合で防ぎ、今にも倒れそうな身体に鞭打ち、力を振り絞って自身へと向かってくるモンスターを槍で迎撃する。だが、その勢いは既に風前の灯火としか思えないほど弱っていた。

 

「何をチンタラやってんだ小人族(パルゥム)! お前が倒れると防衛線が崩れるぞ!」

「わかっ、ている……!!」

「【吹雪け、三度の厳冬――我が名はアールヴ】!!」

 

 今にも崩れそうな防衛線だったが、どうにかリヴェリアの詠唱は完成する。――――直後、モンスターの死骸を踏み越えて二人の防衛線を飛び越える影が。

 

「なっ――――」

「しまっ――――!?」

「え」

 

 二人の頭上を飛び越えたゴブリンはその醜い顔に笑みを浮かばせながら、そのまま目の前にいる麗しいエルフへと己の牙を突き立てるために口を開ける。

 

 反射的にリヴェリアは魔法を唱えようとして、しかしまだ前にいる二人の退避が済んでいないせいで躊躇し、その間にも涎だらけの汚い牙が目の前まで迫り――――

 

 

「――――させない」

 

 

 頭上から振った銀の煌めきに脳天を貫かれ、一瞬で絶命した。

 

「【地よ、震え上がれ(エダフォス)】!」

「ぬぅお!?」

「な!?」

 

 突然現れたその影は超短文詠唱を唱えて地面を手で叩く。瞬間、地面が盛り上がって手の様に変形し、前にいた二人を捕縛。そしてすぐさまリヴェリアの後方まで引っ張り退避させる。

 

 これで誤射の心配はなくなった。

 

 いきなりの状況変化に頭が付いていけておらず茫然とするリヴェリアだったが、すぐさま乱入者――――アイリスの呼びかけによって気を取り戻す。

 

「リヴェリアさん! 早く魔法を!」

「ッ! 【ウィン・フィンブルヴェトル】!!」

 

 極寒の吹雪が巻き起こる。

 

 大気をも凍てつかせる純白の細氷が通路に飛び込もうとしたモンスターを一番後ろにいた強化種も含めて一匹残らず凍結させ、数秒後には数十ものモンスターたちは巨大な氷の監獄に閉じ込められた。

 

 先程と打って変わっての不気味な静寂が広がる中、アイリスは無言で拳を引き絞り――――氷の巨塊に叩き込む。

 

 拳が突き刺さると同時に夥しい亀裂が氷の表面を走る。直後、粉砕。轟音を立てながら中に居るモンスターの群れごと氷は粉々に砕けて、やがて一部の個体を灰へと変えながら消えていった。

 

 数秒間の余韻を挟み、氷の複雑な光の反射を後光にして銀色の少女は三人へと振り向く。

 

「――――さて、色々と話を聞きたいんですが……皆さんお疲れでしょうし、まずは家に帰りましょうか」

 

 少女の微笑みに、三人は安堵の息しか返せなかったそうな。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 ダンジョン探索初回にして初の強化種との邂逅はフィン、リヴェリア、ガレスにとって忘れられない体験となった。全員が全ての体力を使い切っているのかヘトヘトであり、入る前と比べて随分と様変わりしている。

 

 ギルド本部で獲得した魔石を換金し宿へと足を進ませる中、歩きながら事の一部始終を聞いたアイリスは少しだけ困った表情を浮かべる。

 

「あー、つまり、なんです? 探索が好調だったから全員ちょっと欲張って深入りした挙句、あんな状態になったと?」

「恥ずかしながら……その通りとしか言えないかな」

 

 誤解されやすいが、神の恩恵(ファルナ)はあくまで与えられた人間の潜在能力を引き上げる役目に過ぎない。別に神様から謎パワーを与えられて凄くパワーアップする、という仕組みでもなんでもないのだ。

 

 そして彼ら三人は――リヴェリアは『学区』に在学していた際に得ていたので魔力に関してはLv.1の中でもトップクラスではあるのだが、その他アビリティはほぼ常人と変わらない――神の恩恵(ファルナ)を与えられてまだ初日。つまり元々の身体能力と比較して大した変化はスキル発現による補正を除けばほぼ皆無である。

 

 にもかかわらず、無自覚とはいえ調子に乗って3階層まで潜ったらしい。

 

「いえ、まぁ、私も初日はちょっと様子見だけだったとはいえ3階層まで潜りましたから何も言えませんけど……むしろ初日で強化種と遭遇した方が私にとっては驚きですよ」

「僕も同感だね。……何はともあれ、感謝するよアイリス。君が居なかったらどうなっていたことやら」

「そうだな。どこぞのドワーフが『戦いがオレを求めている』なんて抜かしながら奥深くに突っ込んでいかなければ、お前の手を煩わせる事は無かったのだがな」

「ああ全くだ。どこぞのエルフが『私の魔法で全てを吹き飛ばしてやろう』とか言いながら無駄にモンスターを挑発しなければな」

「何だと貴様っ!」

「やんのかゴルァ!」

「二人とも! 喧嘩はやめてくださいってば!」

 

 アイリスは今にも互いに掴みかかりそうなリヴェリアとガレスの間に割って入った。激昂していても流石に子供に乱暴をするほど頭に血は上っていなかったのか、二人は「フン!」と鼻を鳴らしながらそっぽを向く。

 

「……フィンさん、今更ですけど、どうやってこの二人と知り合ったんですか?」

「ん? ああ、別にそう難しい経緯でもないさ。僕とガレスの場合は船旅で同じ個室で寝泊まりしただけで、リヴェリアとは同じキャラバンでオラリオに来たってだけでね。そこそこ付き合いは長いけど、実はそう深い仲でもないんだ。……こうして同じファミリアに入ることになっては、何か作為的なモノすら感じる出会いだったけどね」

「そうなんですか」

 

 確かに、偶然出会った面々が別々の目的にも関わらず同じ場所に来て同じ組織に属すると、作為的――――いや、運命的とも言える関係かもしれないとアイリスは思ってしまう。

 

 が、口に出すとエルフ(リヴェリア)ドワーフ(ガレス)がまた騒ぎ出しそうなので敢えて言わずにおくアイリスであった。

 

「ええと……とりあえず、暫くは全員でダンジョンに潜りましょうか。やはりいざという時の保険は必要でしょうし」

「それはありがたいけど、アイリス、君の武器は今修理中だと思うんだけど? ……いや、その背負っている剣は、もしかして予備の武器かい?」

「あ……すいません、この剣はちょっと強すぎるので、暫くお蔵入りにするつもりで……。それと私は皆さんがLv.2になるまで基本的に後ろでサポートに徹するつもりですし、いざとなったら魔法があるので大丈夫です!」

 

 そう言いながら小さくガッツポーズするアイリス。それを見たフィンは、どうにも目の前の少女が自分よりも遥かに強いLv.2とは思えなくてクスッと小さく笑った。

 

「え? わ、私、何かおかしい事言いました……?」

「ああ、いや。君は欲が無いんだな、と思ってさ」

「欲、ですか?」

 

 人間、誰しも誰かの上に立ちたがるものである。そしてこの四人組においてアイリスは唯一の上級冒険者(Lv.2)。その立場を利用してファミリアの主導権を握ろうとするのでは、と数刻前まで警戒していたフィンであったのだが、そんな心配は杞憂に終わりそうだと彼は判断した。

 

 こんな純粋な子が、どうしてそんな野心を抱けようか。

 

 肩をすくめてフィンはアイリスから視線を外す。――――すると、こちらへと全力疾走で駆け寄る影が彼の目に映った。そして、

 

 

「おっかえりぃぃぃぃぃぃぃいいいいいい――――!!」

 

 

 朱色の髪をブンブンと揺らしながら彼女(ロキ)は全力で跳躍し、先頭に居たアイリスへと飛びついた。そして少女はきゃあー、と悲鳴を上げながら己が主神を受け止めながら倒れ込む。

 

 主神の突然の奇行を見た三人は呆れつつ、同時に笑みを浮かべる。

 

 

 ――――この家族(ファミリア)なら、退屈はしなくて済みそうだ――――と。

 

 

 オラリオの夕日は、変わらず赤く輝いていた。

 

 

 

 

 

 




※現在の【ロキ・ファミリア】構成員の【ステイタス】


 アイリス・アルギュロス
 Lv.2
 力:I0→I7
 耐久:I0
 器用:I0→I6
 敏捷:I0→I10
 魔力:I0→I14
 《魔法》
 【■■■■■】
 ・現在使用不可
 【フィシ・ストイケイオン】
 ・付与魔法(エンチャント)
 ・速攻魔法
 ・地、水、火、風属性から選択可能
 ・多重展開可能
 ・詠唱式【地よ、震え上がれ(エダフォス)】【水よ、噴き上がれ(プリミラ)】【炎よ、燃え上がれ(プロクス)】【風よ、舞い上がれ(フルトゥーナ)
 【】
 《スキル》
 【輪転する厄災(■■■■■■■■■・■■■■■■)
 ・生きている限り試練が訪れ続ける
 ・窮地時に全能力の超高域強化
 ・獲得経験値(エクセリア)の大幅増加
 ・諦観しない限り効果持続
 ・自分と周囲が希望を抱くほど効果向上
 【■■■■】
 ・解読不能
 【■■■■】
 ・スキル保持者に不老属性(イモータル)付与
 ・魔力消費による肉体の高速修復が可能
 ・常時全能力に小補正
 ・発展アビリティの発現確率に大幅補正
 ・精神系状態異常の無効化
 【焔神の加護(プロメテウス・セルモクラスィア)
 ・火属性の攻撃に耐性獲得
 ・氷・水属性の攻撃に耐性獲得
 ・火属性の魔法行使時にのみ魔力に高域強化
 ・火属性の魔法行使時に消費する精神力(マインド)量一定割合減少
 ・窮地時精神強度を微補正


 フィン・ディムナ
 Lv.1
 力:I0→I12
 耐久:I0→I10
 器用:I0→I28
 敏捷:I0→I20
 魔力:I0→I13
 《魔法》
 【ヘル・フィネガス】
 ・高揚魔法
 ・全能力の超高強化
 ・好戦欲激昇に伴う判断力の低下
 ・詠唱式【魔槍よ、血を捧げし我が額を穿て】
 【】
 《スキル》
 【小人真諦(パルゥム・スピリット)
 ・逆境時における魔法及びスキル効力の高増幅(ブースト)
 【勇猛勇心(ノーブル・ブレイブ)
 ・精神汚染に対する高抵抗(レジスト)


 リヴェリア・リヨス・アールヴ
 Lv.1
 力:I7→I8
 耐久:I5→I7
 器用:I26→I29
 敏捷:I20→I23
 魔力:B712→B717
 《魔法》
 【ヴァース・ウィンドヘイム】
 ・攻撃魔法・連結詠唱
 ・第一階位【ウィン・フィンブルヴェトル】
 ・第二階位【レア・ラーヴァテイン】
 ・第三階位【ヴァース・ウィンドヘイム】
 【】
 【】
 《スキル》
 【妖精王唱(フェアリー・アンセム)
 ・魔法効果増幅
 ・射程拡大
 ・詠唱量が増えるほど強化補正増大


 ガレス・ランドロック
 Lv.1
 力:I0→I30
 耐久:I0→I21
 器用:I0→I10
 敏捷:I0→I7
 魔力:I0
 《魔法》
 【】
 《スキル》
 【力精豪拳(ドヴェルグ・エンハンス)
 ・『力』の高補正


改めて比較するとホントおかしいなこの幼女……


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第十六話:不穏な気配

少しだけ環境が安定したので、隙を見て出来上がったのを投下。

今回は完成度8割のモノに少しずつ手を加えてようやく完成したモノなので、本格的な再開は4月からになりそうです。


 冷えた夜の下、多数の松明とそこから散る火の粉が石製の戦場(アリーナ)を照らす。

 

 血液のこびり付いた石の台。風によって生じる冷やされた冷たい感触とは裏腹に、その周囲を囲んでいる女たちの声は対比するように熱狂そのものだった。

 

 

『――――汝こそ真の戦士よ(ゼ・ウィーガ)!! 汝こそ真の戦士よ(ゼ・ウィーガ)!! 汝こそ真の戦士よ(ゼ・ウィーガ)!!』

 

 

 仮面を被った女たちは吼える。さながら称えるように目の前で血みどろになりながら争い合っている両者を鼓舞するように。

 

『――――はっ、はぁっ……はぁっ……!』

『――――――――』

 

 歪な、蛇を模った仮面を被った少女が、同じく蛇を模った綺麗な仮面を被った少女を見下ろしている。両者の様子は対照的であり、片方は息が絶え絶えといった調子なのにもかかわらず、もう片方は息すら切らしていない様だ。

 

 弱弱しいほうの少女が、目の前の女に語りかける。

 

『……私を殺し、あなたは……生き残る。……これで、よかったんだ……』

『――――なぜ、本気を出さなかったんだ。姉さん』

『馬鹿だなぁ。――――あなたが強くなったんだよ? 私の妹を、あなた自身のもう一人の姉を殺して……』

 

 自嘲するように、少女は呟いた。その瞳にもう力はなく、全てを諦めたように脱力している。子供にすら簡単に倒されそうなほどに弱っている彼女を見かねたのか、対面していた歪な仮面の少女は何も言わずに鋭い金属爪の付いた腕を振り上げる。

 

『……ねぇ……最後に、お願いして……いいかな?』

『――――言え』

『カーリーを……神を、殺して……この国を、私たちの部族の誇りを……あんな幼稚な神の好奇心から生まれるものなんかに……させないで――――』

 

 それだけを微笑みながら、少女は目の前にいる者にだけ聞こえるよう声で言い切った。

 

 同時に、腕が振り下ろされて少女の首が宙を舞う。それを見て戦場(アリーナ)を囲んでいた女たちが喚起の声を上げる。此度の『儀式』の勝者を、弱者を食らい強者への道をまた一歩進んだ少女を称えるがごとく。

 

 そして、その光景を一番高い場所から見下ろす童子のような姿を持つ超越存在(デウスデア)を、歪な仮面を被った少女は見上げて、そして吼えた。

 

 

 

『――――ッオ、ォォォォオォオォォォオォオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!』

 

 

 

 その叫びに篭っていたのは歓喜だったか、怒気だったか――――それとも、絶望だったのか。

 

 

 今となっては、誰にもわからない。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 炉の中の炎が猛々しく光り、部屋全体の温度をじわりじわりと上げていく。薄着であっても全身が汗だらけになるような高温環境の中、金属を強く打つ音が一定間隔で響き続ける。

 

 褐色の女性――――椿は一心不乱にその手に持った金槌を目の前で赤熱し続けている剣に振り下ろし続ける。呻き声一つ上げることなく、ただ小さく呼吸だけをしながら、眼の傍を流れ落ちる汗すら気にせず金槌を振るった。

 

 Lv.2になった事による、常人とは一線を画する驚異的な身体能力をフルに使い鋼を打つ様は正しく鍛冶師。振り下ろす力を微細に変えながら何回も、何十回も、何百回も、何千回も同じく動作を繰り返す。普通ならもう腕が痺れて動かなくなってもおかしくないというのに、彼女は一向に鍛冶の手を止めなかった。

 

 今の椿は、まるで鬼にでも憑りつかれたかの様な気迫を発している。彼女よりも上のレベルの鍛冶師ですらその鬼気迫る空気に恐れ戦くほどに。鍛冶狂いとしか言いようがないその光景に、傍で彼女を見ていた赤髪の女性――――主神ヘファイストスは薄く微笑む。

 

 それに合わせて今まで無表情だった椿の顔が歓喜に歪み始めた。もはや狂ったのではないかと思える程の笑みを浮かべ、鋏で掴んでいた刀身を持ちあげて間近で見つめた。

 

「――――主神様よ、コイツは手前がLv.2で作る作品の中で最高の出来(モノ)になるぞ?」

「ええ、みたいね」

 

 殺人的な熱気に炙られ、滝のような汗を流しながらも椿は笑みを少しも崩さなかった。

 

 目の前にあるソレが、今の自分が作れる最高の剣だと確信したが故に。

 

 

 

 

 

「待たせたなアイリスよ! ようやく完成したぞ、お前の相棒()が!」

 

 全身を汗まみれにした椿さんが工房の奥から快活な声と共に出てきた。達成感に満ちた顔の彼女は持っていた浅い箱を私の前に降ろすと、中に入っていた剣を手に取ってその全体をこちらへと見せてきた。

 

 その刀身は白を基本色としていながら、表面に血管のような模様が走っていた。元の銀色は一体何処に行ったのやら、その面影は大まかな形状くらいしか残っていない。が、私に不満は無い。むしろ十分以上に満足できる出来である。

 

「ああ、模様について気になるのか? おそらく武器に混ぜ込んだドロップアイテムの影響だろう。剣として出来上がった瞬間、まるで生き物のように浮かび出おった。……嫌だったか?」

「いえ、すごく強そうだと思います。とっても!」

「はっはっは! そりゃよかった、もしコレにケチを付けてきたらどうしようかと思ったぞ?」

 

 実に機嫌よく笑いながら椿さんはあらかじめ用意していたであろう鞘に剣を収めて、私に手渡してきた。それを受け取り、早速抜剣。白色の刀身が陽光を反射して美しく輝く様は見惚れる他ない。そして見た目だけでなく、強度も切れ味も凄まじい事を肌で感じる。

 

 正しくLv.2に許される中では最高の剣と言っても過言では無いだろう。

 

「では名前も付けないとな。今までの名では、コイツも満足すまいよ」

「名前、ですか?」

 

 言われてみれば、形状以外はほぼ別物と言っても過言では無いこの剣に元々の名である純粋な剣(アグノス・ソード)は相応しくないように思えた。この剣は、新たな素材を使って”生まれ変わった”のだ。ならば新しい名を付ける必要があるだろう。

 

「ふぅむ……《フィロ・ウェッソ》、いや《イルミナム・エスパーダ》とかは――――」

「――――《アスプロス・ソード》というのは、どうでしょうか?」

 

 純白の剣(アスプロス・ソード)。シンプルではあるが、我ながらしっくり来る名前だと思う。

 

 私の考案した名を聞いた椿さんは目を閉じて何度か頷くと、太陽のような笑みを浮かべて親指を突き立てた拳を突き出す。どうやら彼女も納得できる良い名であったようだ。

 

 そうやって私たち二人が武器の命名式を終えると、工房の奥から赤髪の女性が出てきた。

 

 彼女こそ椿の所属する鍛冶派閥【ヘファイストス・ファミリア】の主神兼社長、ヘファイストス様である。

 

「ちゃんとした名前が決まったようで何よりだわ。折角私が第三等級武装として認めたんだから、変な名前を付けてたら今頃一発怒鳴りつけてたわね」

「あ……ヘファイストス様。こ、こんにちは!」

「ええ、こんにちはアイリス。……ところで椿、貴方この剣の代金は言い値で良いとか言っていたわよね? でもあなた、最近金欠気味とかって言ってなかったかしら?」

「あっ」

 

 ヘファイストス様に指摘されて初めて自分の財布事情について自覚したのか、椿さんは今までの様な豪快さが嘘の様な間の抜けた声を漏らす。……職人気質過ぎるのも問題か、これは。

 

 苦笑しつつ、私は背負っていた袋を手に持っていた剣と入れ替えるように前に回した。中に入っているのは大量の金貨。ざっと二十万ヴァリスか。なけなしの貯金とロキ様から餞別として渡された【アパテー・ファミリア】との戦争遊戯(ウォーゲーム)によって得た資金のほんの一部を詰めたそれを、私は椿さんへと渡した。

 

「二十万ヴァリス程入っているはずです。足りないなら後日また持ってきますけど……」

「いや、十分だ! 手前としても良い仕事をさせてもらえたからな! もし刃が欠けたり、切れ味が鈍ったと思ったら遠慮なく手前に持ってきてくれ。何時でも整備してやるぞ!」

「はい! ありがとうございます!」

 

 少し抜けた所はあるが、椿さんは実に気の良い鍛冶師だと思う。できれば今後とも長く付き合っていきたい。

 

 その後彼女と少しの世間話を交わしながら、私は工房を後にした。本当なら今すぐダンジョンに籠って新たな愛剣を試し斬りしたいところだが――――残念ながらそれはしばらく先になりそうだ。

 

 何故なら、今の私は――――。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 巨大な蟻系モンスター、キラーアントが目の前の獲物を貪り食わんと跳躍。が、その攻撃が届くことは無かった。その跳躍に合わせて鋭い突きが繰り出され、キラーアントの関節部へと的確に穂先が突き刺さり、魔石が砕かれて灰となってしまう。

 

 その光景を見ながらフィンさんは不敵な笑みを浮かべつつ視点を戦場の俯瞰に()()()()()。気づけばガレスさんが複数のキラーアントに囲まれ苦戦しているのに気づき、フィンさんは素早く後方に指示を飛ばした。

 

「アイリス! ガレスのフォローを!」

「了解です!」

 

 そして後方で巨大なバックパックを背負って待機していた私は背中から剣では無く簡素なクロスボウを取り出し、弦を引いて矢を装填。素早く照準を定めて引き金を絞り矢を撃ち出した。

 

 弦の張力によって撃ち出された鉄製の矢は高速で飛翔し、目標であるガレスさんの背後にいたキラーアントの”目”に突き刺さる。唯一甲殻に覆われていない弱点個所に矢は深々と食いこみ、キラーアントを絶命させることに成功した。

 

 背後からの襲撃を警戒する必要が無くなったガレスさんは笑みを浮かべながら両手の大戦斧を強く握りしめ振りかぶる。

 

「ふんぬぅぅぅぅぅぅっ!!」

 

 気合の雄たけびと共に繰り出される全力の薙ぎ払い。キラーアントの硬い甲殻ですら弾けない破壊力を以てガレスさんは真正面から二体のキラーアントの体を真っ二つに叩き割った。武器の攻撃力はそこまで高くないにも関わらずこのような光景を実現させられるのは、やはり持前の剛力が成せる業か。

 

「【吹雪け、三度の厳冬――我が名はアールヴ】!」

「二人とも、魔法の準備が整いました!」

「わかった! ――――ガレス、後退の時間だ!」

「むぅ……承知した!」

 

 リヴェリアさんの詠唱が完了し、彼女の足元に展開されていた翡翠色の魔法円(マジックサークル)が眩い光を放ち始める。詠唱が終わったことを私が叫び、それを聞き届けたフィンさんはガレスさんへと指示を飛ばして下がらせた。

 

 そして前衛の二人が下がり、ルームの奥からキラーアントの群れが殺到し始める頃を見計らってリヴェリアさんは己の魔法を炸裂させた。

 

「【ウィン・フィンブルヴェトル】!!」

 

 彼女の凛とした声が魔法名を紡ぎ、同時に極寒の吹雪がダンジョン内に吹き荒れる。回避することすらできずにキラーアントの群れは一瞬にして氷漬けにされ、刺々しい氷のオブジェの中に閉じ込められた。

 

 そしてすかさずガレスさんが手に持った大戦斧を氷へと振り下ろして粉砕。これによって二十近く居たはずのキラーアントはあっけなく全滅することとなった。

 

 その後、ようやく部屋に訪れる静寂が戦闘が終了したことを告げる。

 

「はぁ……複数のキラーアントの群れと遭遇した時はどうなるかと思いましたが、何とかなりましたね」

「まさか部屋で生まれた直後に別の部屋から群れが迷いこんでくるとはね。僕も予想外だったよ」

 

 額を濡らす冷汗を袖で拭いつつ、私は辺り一面に転がったキラーアントの死骸から魔石とドロップアイテムの回収を始める。

 

 今の私の役目は、所謂『サポーター』と呼ばれる存在とほぼ同じだ。補佐役(サポーター)、と言えば聞こえは良いが、その実はただの荷物持ちに過ぎない存在――――などと巷では吹聴されている様だが、私は否と断言しよう。

 

 冒険者が前に出てモンスターと直接戦うのに対して、彼らは後方で見ているだけという側面は確かにある。だが同じくダンジョンに潜っている以上危険性は間違いなく存在しているのだ。それに居るのと居ないのでは、得られる収入やダンジョンに潜り続けられる時間は段違いと言える。

 

 サポーターが居なければすぐに荷物が満杯になってしまうし、地上から持ってこれる食料などの必需品がかなり限られてしまう。たとえ戦えない荷物持ちであっても、ダンジョン探索においてはちゃんと需要は存在することを忘れてはいけない。

 

 まあ、非戦闘員故に乱戦時には確実に足手まといになるというのは否定できないが……。

 

 ともかく、今の私はそんな役に徹していた。一応緊急時に援護できるようにそこそこの性能のクロスボウ(お値段一二〇〇〇ヴァリス)を装備しているが、基本的には戦闘は三人に任せている。

 

 これは別に私が戦闘を面倒くさがっている訳では断じてない。単純に私が前に出て戦った所で良質な【経験値(エクセリア)】は得られないし、三人にはなるべく【経験値(エクセリア)】を多く得て欲しいのと、集団としての連携力を高めるためだ。

 

 浅い上層からLv.2である私が前に出てしまうと一人で全てが片付いてしまう。それではいつか痛いしっぺ返しを食らうだろうという判断からフィンさんと話し合い、こういった形に落ち着いた。

 

 そして彼ら三人が冒険者として登録してからおよそ一週間。探索はかなり順調に進んでおり、もう既に7階層まで足を踏み入れていた。初っ端から複数のモンスターの群れと遭遇するというアクシデントこそあったが、こうして無事に勝利を収めていることから中々良い出だしと言えよう。

 

「ほらよ、アイリス。キラーアントのドロップアイテムだ」

「はい、ありがとうございます。ガレスさん」

「いいってことよ。……で、そこのエルフは何もしないのか?」

「むっ……」

 

 ガレスさんが拾い集めてきたキラーアントのドロップアイテムをバックパックに詰め込みながら、私は「またか」と頭を抱える。チラッと見れば、またもやリヴェリアさんとガレスさんは視線で花火を散らしており、今にも爆発しそうな雰囲気だ。この三日間でウンザリするほど見た光景である。

 

 一応別の場所でモンスターの死骸から魔石を回収しているフィンさんに視線を向けるが、あちらも呆れてものも言えない様子である。

 

「し、仕方ないでは無いか! モンスターの死骸に触れるなど……」

「汚いからやりたくない、ってか? フン、エルフの王女様ってのは冒険者になっても随分とまあお高くとまっていらっしゃる。こんな子供に重労働押し付けて平気な顔してるなんて、とても真似できねぇぜ」

「なんっ――――……アイリス! 私も手伝うぞ!」

「え?」

 

 怒りで顔を真っ赤にしたリヴェリアさんが懐から何やら豪華に装飾された儀礼用ナイフを抜き放ちながらズンズンとこちらに近付いてきた。私はその様子に思わず恐怖して一歩後ずさり彼女に道を譲ってしまう。

 

 そしてキラーアントの死骸の前に立ち、その手に握った儀礼用ナイフを振り上げるリヴェリアさん。数秒間の葛藤後、彼女は覚悟を決めたような顔付きでキラーアントの腹にナイフを振り下ろした。飛び散る体液を顔や服に浴びながらも、リヴェリアさんは不快感に顔を歪めつつ体内の魔石をはぎ取ることに成功した。

 

「や、やったぞ! どうだアイリス!」

「あ、は、はい。よくできたと思います」

「フッ……どうだガレスよ、私だってやればできるのだ!」

「……魔石一つ取り出しただけでなーに得意げになってんだか」

「ぐぬぬっ……! フンッ!」

 

 今更であるが、エルフとドワーフは種族的に非常に仲が悪い。エルフという種族は閉鎖的かつ潔癖な者が多く、ドワーフは豪快な性格の者が多いと聞く。故に性格的な相性がお世辞にも良いとは言えない。

 

 何より自然を愛し自然と共に暮らすエルフにとっては、金属の扱いが非常に得意で文明発展をこれでもかというほど後押ししているドワーフは非常に気に入らない存在だろう。何よりドワーフは身の清潔をあまり重要視していないことも一因か。

 

 それ以外にも太古にて何かしらの因縁があったとか何とかと本で書いてあったが、情報が今一不明瞭なので深くは知らない。今確かに言えるのは、リヴェリアさんとガレスさんの関係を改善するのは一苦労しそうだという事である。

 

「こほん! ええと、とりあえず今日はこれで切り上げようか。バックパックもそろそろ満杯になりそうだし、リヴェリアも此処までかなりの数の魔法を撃ったから精神力(マインド)を大量消費しているはずだ。ガレス、君だって短期間の連戦続きで疲労もかなり溜まっているだろう?」

「なぁに、オレはまだまだ行ける。そこの軟弱なエルフと違ってな」

「私だって後二、三発は撃てるぞ? 何ならそこの生意気なドワーフに一発撃ちこもうか?」

「アァン!?」

「フンッ!」

 

 フィンさんは無言で空を仰いだ。私も少し頭が痛くなってきたが、文句を言わずに早めに援護射撃を行うことにする。

 

「あ、あのー……私もそろそろ肩が疲れてきたので、此処で切り上げたいな~、って……」

「むぅ……なら仕方ない」

「すまんなアイリス、何時も負担をかけてしまって」

 

 秘技、自分をダシにして喧嘩を収めるの術。これはこの一週間で二人の喧嘩をフィンさんと共に何度も宥めている内に嫌でも習得してしまった術である。そしてできればいつかは封印したい術だ。

 

 その後、私たちは魔石やドロップアイテムの回収漏れが無いかを念入りに確認しつつ帰路に就いた。今まで散々会敵して来たのが嘘のように、帰りの道でモンスターと遭遇することは無かった。

 

 潜るときはほぼスカスカだったバックパックの中身がパンパンに詰まっているせいで少々負担を感じはしたが、流石はLv.2の身体能力か。特に問題無く、私は子供二、三人分の体重くらいはあるだろうバックパックを一度も降ろすこと無くダンジョンから脱出できた。

 

 そして有無を言わさずすぐさまギルドの換金所へ直行。魔石やドロップアイテムで中身がみっちり詰まったバックパックをギルド職員へと押し付けて、私たちは一緒のテーブルに腰掛けて深いため息を吐きながら一休み。

 

 が、ただ休むだけでは時間が勿体ない。故に共にダンジョンに潜った日から、皆が集っている戦利品換金時に反省会を開くことにしている。

 

 反省会と言ってもその日の人物の評価みたいなものだが――――蔑ろにする理由は、無い。

 

「さて、今日も皆の行動を評価(おさらい)しましょう。まずはフィンさんからですね。――――一言で言えば、悪くはありません。指示も的確ですし、事態の急激な変動にもしっかりと対応できています。百点満点で評価するなら九十五点を付けられるでしょう」

「ふむ……五点の減点はどういった理由か、聞いてもいいかい?」

「はい。ええとですね……フィンさんは指揮と戦闘に対して別々の視点を持ってますよね? 個人としての視点と、俯瞰者としての視点。貴方はそれを切り替えながら戦っています」

 

 フィンさんはこの一団(パーティ)における中核的な存在となっている。人体で例えるなら身体の各所へと命令を送る脳の役割か。そして同時に前線を支える戦士としての役割も果たしており、実に頼れる味方だと言えよう。

 

 だが、二つの役割を同時にこなしているからこその欠点が存在している。

 

「フィンさんは視点を切り替える時に僅かにですが隙が生まれます。まだ浅い上層ならば特に問題は無いと思いますけど……いつかその隙が致命的なモノに変わらないという保証はありません」

「……なるほど。では君は『俯瞰者としての視点を保ったまま前衛の役割を十全に熟せるようになるべきだ』、と言いたいんだね?」

「要約すれば、そうなります」

「二つの役割を別々に行うのではなく、一つに合わせるか……ありがとう、参考になったよ」

 

 私の出した意見に納得したのか、フィンさんは何度か頷きながら感謝の言葉を口にした。

 

 言葉をオブラートに包んだが、言ってしまえば年下の子供に「お前は中途半端だ」と言われた様な物なのに反論の一言も言わないとは、中々懐の広い人だ。

 

 さて、次はガレスさんの番だ。

 

「ガレスさんは変わらずパーティの頼れる前衛を果たしていると思います。下手な雑魚相手なら軽く蹴散らしてくれますし、生半可な攻撃ではビクともしません。敵を押し留めてくれる盾役(タンカー)としてはこの上なく頼もしいと言えるでしょう」

「ふっふっふ……三十年以上鍛え上げた肉体は伊達では無いという事だな!」

「――――ですがフィンさんの指示を実行に移すまでかなり遅延(ラグ)があるのは大きく減点です。最短でも一秒前後間がありました。指揮者の指示をすぐに実行できないのは、ちょっと致命的ですね……」

「うぐっ」

 

 恐らくこれは彼の矜持(プライド)的な問題だろう。何せ指示を出しているのが自分より幼く見える小人族(パルゥム)だ。もしフィンさんの外見が成人したヒューマンかドワーフの様な筋肉質で威厳もある顔立ちだったら話は別だろうが、正直言ってフィンさんの外見はヒューマンの子供と大差ない。

 

 中身が成熟しているとわかっていても、自分より弱く見える者の命令を素直に聞き入れる程、ガレスさんのプライドは低くないらしい。そしてこれは集団戦闘においては致命的である。

 

 命令を聞かない兵士など、指揮官に取ってはこの上なく厄介な存在なのだから。

 

「……まあ、これについては時間をかけて解決していく他ないですね。それでは次はリヴェリアさんですが……固定砲台としては、特に言うことはありません。火力もありますし、詠唱の速度も申し分ありません」

「フッ、そう褒めてくれるな。照れるではないか」

「ですがこれは()()()()()()()()()()です。いえ、この役割は長文詠唱の魔法を持つ後衛魔導士としては正しいでしょう。ですがやはり、詠唱中に無防備になるという弱点は個人的に看過できません」

「うっ……」

 

 魔法を扱わぬ物にとっては軽視されがちだが、魔法と言うのは多大な集中力と膨大な練習によって初めて成り立つ武器である。制御が乱れれば魔力が暴走して自爆――――魔力爆発(イグニス・ファトゥス)を起こして自滅しかねないため、魔力の制御に精神を傾倒させるために戦闘中でも棒立ちになるのは普通の事である。

 

 が、その弱点をそのままにしておいていいのかと言われれば当然「否」である。前衛の防御が絶対で無い以上最低限の自衛力は必須であり、事実この一週間でリヴェリアさんが詠唱中にモンスターから肉薄された回数は二十を優に超える(全て私が対処して事なきを得たが)。

 

 この辺りは前衛の問題もあるだろうが、だからと言って全ての責任を男二人に擦り付けるわけにもいかない。ダンジョンではあらゆる危険性が付きまとってくる。火力だけが取り柄の固定砲台など、何時通用しなくなるかわからない。

 

「とりあえず、リヴェリアさんは並行詠唱の習得を目標にしましょう。難しいとは思いますけど、動きながら魔法を唱えられるのは間違いなく大きな利点になりますから」

「……善処する」

 

 リヴェリアさんは苦い顔をしながらもコクリと私の言葉に頷いた。

 

 並行詠唱。激しい動きの中でも魔法の制御を誤らないことを要求される高等技術。言葉にすれば簡単ではあるが、この技術を実際に激戦の中で行えるのはオラリオの中でも一握りだけだろう。特に後方で長文詠唱を行う後衛魔術師でこれを行える者は一人もいないと聞く。

 

 何せこの並行詠唱、後衛で魔法を撃つだけの魔導士にとってはまず必要ないであろう白兵戦の技術をある程度要求してくるのだ。そして強力な魔法を扱う者にそんな技術を磨く酔狂な輩は居ない。何せ味方が守っている間に後ろから一発ドカンと撃って終わりなのだから。

 

 が、私はそれで満足したくはない。潰せる弱点は潰す。死に繋がる要因は無くしておいても損は無いはずだ。

 

 何より人員不足である現状を鑑みれば、魔法を唱え終えるまで前衛が防衛線を維持できる可能性は決して高いものとは呼べない。そしてそれがいつ解決できるかわからない以上、並行詠唱の習得はかなり優先度が高いと言えよう。

 

「……ところで、皆さんは私に対して何かコメントはありますか?」

「いや、僕からは特に何も」

「そもそもお前と一緒に戦ったことが無いから何とも言えないのだが……」

「援護射撃については文句無しにバッチリだったぞ」

 

 ……やはり一度は前に出て戦うべきか。こちらから容赦のない駄目だしをしているのに向こうから何も言われないというのは、その、辛い。

 

 そんなこんなで反省会は此処でお開き。窓の外を眺めればもうすっかり夕暮れ模様。早朝から籠ったので、だいたい半日近くモンスターと激戦を繰り広げていたという事か。でも一人で切り盛りしていた時よりずっと精神的に疲れているのは何故だろうか。

 

 ……うん、考えない様にしよう。それが一番だ。

 

 私は疲れた顔を浮かべながらコップに注がれた水で喉を潤す。人と人の仲を取り持つというのも、そう簡単ではないらしい――――

 

 

「――――おっ、世界最速少女(レコードホルダー)じゃん!」

「ぶぅぅぅぅぅぅっ!?」

 

 

 突然の指名に動揺のまま口に含んだ水を噴き出してしまい、更にその拍子に水が気道に入り込んでむせた。ごほっごほっ、と咳き込んでいる私の気持ちを知ってか知らずか、いきなり背後から現れた女性は気安くこちらの肩を叩いてくる。

 

 横目で見れば、露出度の高い服を着た褐色の女性が長き黒髪を揺らしながら、蛇の様な目つきで私を見ていた。

 

 当然、初対面だった。

 

「えっと……どなたです?」

「アタシ? アタシの名前はリュゼ・レジーナ。見ての通りアマゾネスだよ」

 

 リュゼと名乗った女性はいつの間にか私の腕を掴んで強引に握手させた。何と言うか、ガツガツとした女性だ。今まであったことが無いタイプの同性にどう対応していいかわからず、私はついついされるがままになってしまう。

 

「いやぁ、この前の戦争遊戯(ウォーゲーム)ではイイモノ見たよ~。ちょーっと予想を外して財布が空になったけど、まあ些細な事かな。それよりさぁ……どうやってあんなに早くレベルアップしたの? 何かコツでもあったり?」

「え? いや、その」

「そ・れ・と・も、何かレアスキルでも持ってたのかなぁ?」

「えっ、あっえっと、その……!?」

「にゅっふふ~。動揺しちゃって、可愛いなぁ」

 

 ペロリと舌なめずりしながら、彼女は獲物を定めた蛇の如く睨んできた。それが酷く恐ろしくて、何も言えずに委縮してしまった。

 

「おい、強引な詮索はやめてもらおうか。それ以上やるなら、こちらにも考えがあるぞ」

「あん? 人の会話邪魔してんじゃ――――……ああ、アンタが噂の超絶美人のエルフか。ほぉ~ん」

 

 割って入ってきたリヴェリアさんに対してリュゼさんは殺気を滲ませた視線を飛ばしたが、すぐにその視線は物珍し気な、そして可哀相な物を見るような目に変わる。

 

 行動の一々が理解出来ない。一体何なんだこの人は。

 

「ま、アンタが誰に目を付けられようがどーでもいいんだけどさ。――――それじゃあ世界最速少女(レコードホルダー)ちゃん、()()()()()()()()()()ね?」

「……はい?」

 

 最後に舐め回すような視線と訳の変わらない言葉を残して、彼女は去ってしまった。他の三人に目を向けるが、恐らく私とほとんど同じことを思っているだろう。「何だったんだアイツ」と。

 

 本当に、何だったんだろうか、彼女は。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 その後私たちは戦利品を換金した金を手に、数十分ほど歩いていつもの宿屋に帰還した。

 

 戦争遊戯(ウォーゲーム)で【アパテー・ファミリア】から本拠(ホーム)含めた全財産をふんだくってやった癖になんでまだ安宿暮らしなのかって?

 

 ……まあ、諸事情の都合としか言えない。具体的に言うなら、ギルドが安全確認のために【アパテー・ファミリア】の本拠(ホーム)を隅から隅まで調べようとした結果、建物中に違法薬物や身元不明の死骸発見のオンパレードだったおかげで、戦利品である建物に移り住む気がゼロになったのだ。

 

 事故物件ってレベルじゃない場所に住むなど真っ平御免なので、現在新しい本拠(ホーム)を探している最中である。豪華な食事を前にお預けを食らったような気分になったものの、あそこに住みたいかと言われれば絶対にNOなので仕方がない。

 

「ロキ様、ただいま帰りました~」

「おかえりぃ~……」

 

 部屋の扉を開けば、ぐでんぐでんに酔ったロキ様が机に突っ伏している光景が真っ先に見えた。一体何があったというのだ。

 

「なぁんでどいつもこいつも『ランクアップの秘訣は』とか『住んでる場所が古臭すぎる』とか言ってくるんや……! 来るならちゃんと自分の夢と覚悟を持ってこんかいッ!!」

「完全に酔ってますね、これは……」

 

 どうやら眷属集めが思うようにいかなかった結果の自棄酒らしい。

 

 彼女としてはちゃんとした自分の目的を語れる者を引き入れたいのだろうが、良くも悪くもおかしな形で有名になってしまった弊害か。入団希望者は大体が私が早期にランクアップした秘密を探りたい者らしい。そしてロキ様はほぼ例外なくそいつらを叩き返している。

 

 曰く、目の前の利益しか見えていない奴には将来性が無いからダメだとか。

 

「だぁぁぁぁぁぁ! リヴェリアたぁーん! 気晴らしにおっぱい揉ませぶぎゃっ!?」

 

 ロキ様は台詞を言い切る前にリヴェリアさんによる酒瓶投擲を顔面から受けてノックダウン。流れるようなアンダースローに思わず拍手をしてしまう私。

 

「……正直、お前がこのファミリアに居なかったら即座に脱退を決意していたぞ。アイリス」

「すみません、本当に……」

 

 悪い神様では無い。決して悪いはずでは無い、のだ。たぶん、恐らく、きっと。ただ酔うと中年オヤジのスピリットが表面化してしまうというか。酒癖が酷く悪いというか。

 

「あはは……それじゃあ僕たちは部屋に戻るよ。それじゃあまた明日」

「私も部屋に戻ろう。早く汗を流したいのでな……」

「はい、また明日会いましょう皆さん」

「おいフィン、この後酒場に行かねぇか? 昨日美味い店を見つけて――――」

 

 皆と部屋の前で別れつつ、私は部屋に散らかった酒瓶を片付けて、完全に気絶してしまったロキ様をベッドに寝かせる。

 

 酔っている上に酒瓶が頭に直撃したのだ。暫く起きないだろう。この様子では今日の【ステイタス】更新は無理か。

 

 その後床に零れた酒を雑巾で拭きつつ、およそ二十分ほどで部屋の片づけがひと段落した。

 

 私もそろそろシャワーを浴びて、軽い食事を済ませて寝ようかとエプロンを外そうとして――――不意に、部屋をノックする音が聞こえて手が止まる。

 

『アイリス、少しいいか?』

「リヴェリアさん?」

 

 特に優先することもなかったので私は素早くエプロンを脱いで、部屋の扉を開けた。すると体を洗い終えて肌から少しだけ湯気を立ち昇らせているリヴェリアさんの姿が。

 

 何か私に用事なのだろうか。

 

「ええと……その……この後何か予定はあるか?」

「いえ、ありませんけど……」

「で、では――――私と食事に行かないか?」

「へ?」

 

 予想すらしなかった申し出に、私の口から変な声が漏れた。

 

 

 

 

 

 




主人公が男だったらリヴェリア√入ってるな……

その場合はリヴェリアママが年下趣味とか言われるようになるけどな!


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第十七話:王女との特訓

長期の遠出から実家に戻ってようやく本格再開できると思ったら別にそんなことは無かった(白目)

今もリアルの方が少しゴタゴタしていて今までの様に短期での連続投稿は無理そうです。一応不定期にポツポツと投下するつもりではあるので、どうかご了承を。


 オラリオ西メインストリート沿いに建っている一つの飲食店、『森人の故郷亭』と呼ばれるその店は生まれ故郷の森を離れオラリオに集まったエルフにかなりの人気を誇る飲食店であった。

 

 天井や壁、家具や調度品のほぼ全てがエルフの隠れ里から持ってこられた自然由来の素材で作られており、仄かに漂う香炉の優しい香りや、特注品らしき魔石製品の蓄音機からは綺麗な音楽が流れて店内の雰囲気をノスタルジックに演出している。

 

 そんな他の店では滅多に見られない特色からかエルフ以外の種族からもかなりの人気を誇り、あまりに人が殺到して雰囲気が崩れかねないと危惧したが故に近年からは予約制となったほどの大人気店に、私は足を運んでいた。

 

 周囲を見渡せば誰も彼もが高級な燕尾服やらドレスを身に付けており、そのおかげで決してみすぼらしくは無いが高級とは決して呼べない服を着ている自分が酷く浮いているように感じる。

 

 こういう時のためにドレスの一着でも買っておけばよかった……。

 

「――――アイリス? 顔色が悪いようだが……嫌なら店を変えても構わないぞ?」

「あ、だっ、大丈夫です! 嫌ではないんですけど、ちょっと気まずいというか……」

 

 対面しているリヴェリアさんが心配そうに声をかけてきたのは嬉しい。嬉しいのだが、本音を言うならもう少し俗っぽい店に連れて来て欲しかった。

 

 いや、この時間帯では酒場や飲食店はガラの悪い客で満杯だろうし、そういう輩を嫌う彼女ではこの選択は仕方ないか。うん、大人しく我慢して食事を楽しもう。その方が良い思い出になる。

 

「その、すまないな。誰かを食事に誘うのは初めての事で、どういった店が良いのかわからなくてな……」

「いえいえ、むしろこんな高級店に連れて来ていただいてありがたいです。でもリヴェリアさん、この店予約制で、一週間先までびっしり埋まっているって噂なんですけど、よく取り付けられましたね」

「ん? 予約制? いや、店長と少し話し合ったら快く席を空けてくれたのだが……」

「えっ」

 

 その言葉を聞いて、私はチラリとカウンター奥に居る店長らしきエルフに視線を向ける。そして一瞬だけ目が合ったと思うと、無言で視線を逸らされた。

 

 ……そう言えばこの人王族(ハイエルフ)だった。なら同種族が彼女を特級待遇で扱うのも仕方ない事か。

 

「えーっと……何でも無いです。と、とにかく何か頼みましょうか。私の分も一緒に決めてくださって構いませんので……」

「そうだな。――――すまない、そこの従業員。良ければこの店のお勧めを教えてくれないか?」

「はっ、はいっ!」

 

 リヴェリアさんが軽く手を上げて人を呼べば、近くに居た美人エルフのウェイトレスが飛ぶようにやってきた。その声は明らかに緊張と焦燥感全開であり、彼らがどれだけ今この場所にいる王族に粗相がないように気を張っているかが察することができた。

 

 苦笑いを浮かべつつ、丁寧にも用意されていたメニューを軽く見て――――瞠目する。

 

(…………嘘ぉ)

 

 一度の食事は五〇ヴァリスもあれば大人でもそこそこ腹は膨れる。だが、メニューに書かれた料理はいずれも平均三〇〇ヴァリス以上。一番高い料理は二〇〇〇ヴァリスを優に超えている。普通の店でこんなぼったくりな値段設定などした日には明日には焼き討ちに遭っていそうな超高額設定だ。

 

 一応財布には一万ヴァリス程入れているので問題は無いが、見たことも無い値段設定に思わず眩暈を覚えてしまった。

 

「――――では王茸(キングマッシュ)入り野菜スープと虹輝魚(レインボーフィッシュ)のムニエル、仔牛(ヴェール)のミニステーキの果実ソース和え、それと新鮮な野菜の盛り付けを二つずつ頼む。ああ、アイリス。ドリンクはどうする?」

「へ? あ、ええと、果実の生搾りブレンドジュースでお願いします」

「では、私も同じものを頼む」

「か、畏まりました!」

 

 そうこうしている間にいつの間にかメニューが決まったようで、私は今頼まれたメニューの合計価格をメニュー盤を見ながら軽く計算してみる。

 

 合計価格――――四八〇〇ヴァリス。二人分頼んだので会計はその二倍。

 

 庶民の食費約二ヶ月分の値段が一度の食事で消えた。金銭感覚壊れる。

 

「……その、すまないな、何時も喧嘩を宥める役を任せてしまって」

「え? ……あー、それは……」

 

 貧乏根性を迸らせていると、リヴェリアさんが唐突にそんな話題で切り込んでくる。

 

 確かに彼ら三人と行動を共にしている中で、リヴェリアさんとガレスさんの口喧嘩を宥めなかった日はない。止めた回数は多分両手の指では数え切れない程だろう。そして勿論心労も多少は感じている。

 

 だが私とて最初から仲良しこよしで行けると思っていたわけでは無い。集団で行動する以上、人間関係での衝突が起こる可能性など想定済みだ。

 

 ……まあ、だからと言って現状に不満を感じていないわけでは無いが。

 

「あの……リヴェリアさんは、ドワーフの事が嫌いなんですか?」

「……そうだな。お前には辛い答えになるだろうが、私はドワーフの事が嫌いだ。憎いわけでは無いが……あの下品な性格は許容できそうにない」

「げ、下品……」

 

 彼女の言いたい事はわからなくも無い。前にも言ったと思うがドワーフは身の清潔をあまり重要視しない。そしてエルフは潔癖症な者が多い。更に言えば若干脳筋気味な者が多く、いかにも知的な感じのするエルフとは根本的に相性が最悪なのだろう。事実、オラリオでその二種族が争い合っているのはそう珍しい光景では無い。

 

 互いに嫌悪しているから、歩み寄ろうとしないから一向に仲が改善しない。当然の帰結だ。

 

「特にガレス! 奴は何かと私の揚げ足を取ってくる! 奴ほどドワーフという存在の意地汚さを体現している者はいないだろうな! 全く、何なのだ奴は……! 少し休めばやれ軟弱だの惰弱だの……それしか言えんのかあの脳筋めッ!!」

 

 わなわなと身を震えさせながらリヴェリアさんは溜め込んだ不満を爆発させた。

 

 確かに彼女の言い分も一理ある。この三日間、私の目から見てもガレスさんはリヴェリアさんを目の敵にしており、何かと罵倒を繰り返しているように感じた。彼からは憎悪こそ感じられなかったが、そこには確かな”怒り”があった。

 

 どうして彼がリヴェリアさんに対して怒りを抱いているのか不明である以上まだ断定はできないが……恐らく過去に何か知らの確執があったのではないかと私は察した。種族としても、個人としても。

 

「あの、リヴェリアさん。ガレスさんに対して何か変な事とか言った覚えはありませんか?」

「む? 変な事……いや、特には思いつかないな。罵倒なら毎日のように飛ばしているが」

「ですよねぇ……」

 

 これに就いてはガレスさん本人から聞き出した方が早いと判断し、この話は此処で打ち切った。丁度ドリンクが運ばれてきたのでそれで喉を潤しつつ、しかし料理が出されるまではまだ暇があるので、今度はこちらから話題を切り出す事にする。

 

 あ、このブレンドジュース美味しい。

 

「ところでリヴェリアさんは、フィンさんについてはどう思っているんですか?」

「分不相応な高望みをしているいけ好かない小人族(パルゥム)

「ブッ」

 

 叩き切るように、リヴェリアさんはとんでもない言葉を当然のようにつき出してきた。そんな不意打ち気味の言葉に驚くあまり、私は思わずむせてしまう。

 

「ごぼっ、げほっ……そ、それは一体どういう……?」

「どうも何も、そのままの意味さ。叶うはずの無い夢を追いかけるために仮面を被って周囲に愛想を振りまいている薄気味悪い輩をどうして好きになれる。お前は騙されているかもしれないが、あれは存外野心深くて打算塗れの男だぞ?」

「えっ、えぇ……?」

 

 下手すればガレスさんより容赦のない、しかし冷静な言葉でリヴェリアさんはフィンさんをこれでもかと扱き下ろした。

 

 私からすれば大きな夢を抱いてダンジョンという危険に挑む勇気ある青年に思えるのだが。野心があるというのはわかるが、打算塗れというのはどういう事だろうか。

 

「奴は私心を殺して”最良”の選択を行える者だ。決断力がある、取捨選択が巧い、と言えば聞こえは良いがな。それは自分の利益(目的)のために他人を平気で切り捨てられるという事でもあるんだ。アレは必要ならば友人だろうが平気な顔で見捨てる。指導者としては最適だが、人としては落第点だな」

 

 フィンさんは私が今まで出会った中で最高の指揮者と言える。状況に応じた対応力が非常に高いのだ。そして何よりも『安全』を重視した戦い方を行う故に、安定性は抜群である。

 

 だからこそ私は指揮に関してはフィンさんに全幅の信頼を置いているし、その人となりも好んでいる。そんな彼が人として落第点だなんて、とても思えない。

 

「……あ、すまない。子供に話すようなことでは無かった。忘れてくれ」

「い、いえ……大丈夫です。リヴェリアさんに悪気は感じられませんでしたから」

 

 今確かに言えることは、【ロキ・ファミリア】に新しく加入した三人組の関係は最悪と言えるモノだという事だ。早期に改善しなければ内部崩壊もありうる。

 

 しばらくは人間関係の改善に奔走することになりそうだ。

 

「えっと、では私についてはどう思っているんですか?」

「ん? そうだな、一言で言うならば、とても好ましい子だ。優しくて気配りも利く上に可愛いときた。もし妹ができるならお前の様な――――あ、いや、とにかく嫌いではないという事だ。だから安心してほしい」

「あ、あはは……私もリヴェリアさんの事は好きですよ」

「! そ、そうかそうか! ふふっ、私の事が好きか……」

 

 照れくさそうに、リヴェリアさんは顔を赤らめながら笑った。

 

 こういう反応を見ると、彼女も一人の女性なのだと理解できる。王族なんて大体貴族主義の傲岸不遜な者達だと思って苦手意識を抱いていたが、やはり本で書いてある事を鵜呑みにするのは間違っているという事か。

 

(……はやく、皆で仲良く冒険できるといいな……)

 

 口の中でフルーティーな味わいを弾けさせているドリンクで舌鼓を打ちながら、私は思う。今すぐには難しくても、いつか皆で笑い合いながら、一緒に迷宮へ――――。

 

「と、ところで物は相談なんだが」

「? はい、何でしょう……?」

「――――並行詠唱の習得の手助けを、してほしいんだ」

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 魔法というものは超短文詠唱の物でもなければ、基本的に棒立ちで行うのが基本だ。何故なら魔法というのは言葉を発するだけで発動するような代物ではなく、望む形につむぐために詠唱という行為をトリガーとして己の内側で激しく動き出す魔力を制御する必要性が生まれてくるのだ。

 

 失敗すればもれなく自爆、魔力爆発(イグニス・ファトゥス)という最悪の結果が付いてくる。これは自分が致命的なダメージを負うだけでなく、場合によっては周囲すら影響を及ぼす。戦場でこんなモノを引き起こした挙句周囲を巻き込んで戦闘不能、なんて笑い話にもならない。

 

 例外として、魔法名や掲示された詠唱を唱えるだけで発動できる”速攻魔法”ならばその心配も限りなくゼロになるが、そんな魔法を持っている者はオラリオ内でも一握りだろう。故に大多数の後衛魔導士は自爆というリスクを最小限にするために魔法を唱える際には動かないというのが鉄則なのだ。

 

 しかし――――

 

「【終末の前触れよ、白き雪よ。黄昏を前に――――はぐぉっ!?」

「あっ」

 

 私の動きに目配りしながら、木刀による攻撃をどうにか回避しようとしたリヴェリアさんは小石に躓き、後頭部から思いっきり地面に転んでしまった。それによって展開されていた魔法円(マジック・サークル)も霧散し、後に残ったのは頭を地面にぶつけて悶絶しているエルフの姿だけになってしまう。

 

「くっ……ま、まだまだっ……!」

 

 痛む頭を押さえつけながらも心折れずに立ち上がってくるリヴェリアさん。その痛ましい姿を見て顔を引きつらせつつ、私も木刀を構えなおす。

 

 現在地点、ダンジョン第1階層大部屋。正規ルートから大きく外れた人気のない部屋で私とリヴェリアさんは朝早くから並行詠唱――――魔法の詠唱をしながらの行動を可能とする高等技術習得のための修行をしていた。

 

 ちなみにロキ様やフィンさんからは事前に許可を取ってある。むしろここ一週間ダンジョンに連続で挑んでいたから、息抜き期間として数日ほど休みをもらえた。

 

 予定としてはとりあえず、もらった休みは可能な限りリヴェリアさんの修行に宛がうつもりだ。

 

 そして、私たちの行う修行の内容は至って単純。私が攻撃し、リヴェリアさんはそれを避けながら魔法の詠唱を可能な限り続ける、というモノ。

 

 修行を始めた当初は、そこまで難しくはないだろうと思っていた。実際少し早めに動きながらの詠唱はもうできている。――――しかし、戦闘中における回避や迎撃などの突発的に早い行動を行うと途端に注意が散漫になってしまう。

 

 こうして小石に足を引っ掛けて盛大にすっ転んでしまうほどに。

 

「リヴェリアさん、ちょっと休憩入れましょうか」

「いや、私はまだやれ――――」

「駄目です」

 

 有無を言わせず、私は疲労のあまりフラフラになっているリヴェリアさんを強引に引きずって、部屋の端っこ辺りに座らせた。意地になって無理を続けたところで上がる成果など高が知れている。

 

「……すまない」

「もう、そんな顔しないでください。同じファミリアの仲間なんです、むしろ頼られて嬉しいんですよ?」

「そ、そうか」

 

 私が笑みを浮かべて思ったことをそのまま伝えると、リヴェリアさんは照れくさそうに顔を赤らめる。そんな、普段は大人びた彼女には似つかわしくない反応に、私は思わずクスリと小さく笑った。

 

「な、なぜ笑う?」

「あ、いえ……リヴェリアさんって、意外と照れ屋さんなんだなって」

「そ、そんなことはないぞ? ……少なくとも、上辺だけの言葉に心が動くことは無いさ」

「……?」

 

 突如哀愁の雰囲気を纏いだしたリヴェリアさん。……何か地雷を踏んでしまったのだろうか?

 

「ほら、私は王族(ハイエルフ)だろう? 忌々しいことに、他者に褒めてもらった事に関しては事欠かないのさ」

「でも、それって」

「ああ。……その美辞麗句は全て『王族(ハイエルフ)のリヴェリア・リヨス・アールヴ』への言葉だ。私個人へ向けられる言葉など、それこそアイナ等の個人的な友人からしか向けられない」

 

 周りから送られてくる賛辞が己では無く、己を飾っている肩書きにしか向けられない。その肩書きが努力して得た物ならばともかく、彼女のソレは完全に先天的な代物だ。

 

 何もしないで得た宝物だけに目を向けられ、言葉を送られる。……それは、何と空しいことだろうか。

 

「……前に言ったと思うが、私は未知を求めて故郷を飛び出した。しかしそれは故郷を出た理由の半分に過ぎないんだよ、アイリス」

 

 自嘲するように、彼女はいつもとは正反対な弱々しい様子で呟いだ。

 

「私は自分の価値を示したかった。王族である以外に、私が私である所以を見つけたかった。私が私自身の手で積み上げた何かを得たかった。……王族にしては、少々俗な理由だろう?」

 

 存在理由(レゾンテートル)の証明。己が何故生きているのかを、己が生きているうえで示せる価値を、彼女は未知と共に探しに来たのだ。

 

 恐らくこれは、彼女の抱える巨大なコンプレックスの一つなのだろう。

 

「お前が、初めてなんだ」

「……へ?」

「ええと、ヒューマンの同性で……私に嫉妬すること無く、此処まで仲良くしてくれたのは。今まで会ってきた者達は、大体私を見て顔を顰めてしまう」

 

 ……まあ、理由はわからなくも無い。リヴェリアさんの美貌は(超越存在(デウスデア)等の存在を除けば)私から見ても世界の中で五指に入るレベルだ。

 

 私の場合はそう言った感情より尊敬や感心などが表に浮き出ているが、私の様な者は恐らく少数派なのだろう。人間、自分より優れた者を目の当たりにして心に浮かべるのは大体の場合嫉妬なのだから。

 

「逃げる様に故郷を飛び出した事に後ろめたさを覚えなかった日は無いが――――お前と出会えたこと、その一点だけは、心の底から幸運だと思っている」

「リヴェリアさん……」

 

 今度は私の方が顔を赤らめてしまう。こんな事を正面から言われて照れるなと言われても、その、困る。

 

「ふふふっ。お前も人の事が言えないみたいだな?」

「リ、リヴェリアさぁん!」

 

 そんなことを言って意地悪そうな笑みを浮かべながらからかってくるリヴェリアさんに、私は涙目で抗議した。だが……悪い気分では無い。

 

 心地よい気分だった。仲間と共に、この様な談笑ができるというのは。

 

 こんなありふれた一幕が、何時までも続けばいいのに――――。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 空を見れば、もうすっかり夕暮れ模様が空を覆っている。赤くなった空を境に人々も自分たちの家に戻るための準備を進め、昼で最盛を迎えたオラリオの喧騒は少しずつ、眠る様に静かになっていった。

 

「何故だ……何故いつも途中で……ブツブツ」

「あ、あはは……」

 

 いつもの宿へと向かうメインストリートを進みながら、私はすっかり意気消沈してしまったリヴェリアさんをみて苦笑を浮かべた。

 

 結局、今日の特訓で並行詠唱を習得することはできなかった。まあ一回修行しただけですぐに出来るとは毛ほども思っていなかったが。

 

 リヴェリアさんが凹んでいる理由は、ただ単純に成果が見られないからである。何度やっても足元の注意がおざなりになったり、足元に集中すれば今度は攻撃への回避が鈍くなったり。一進一退するばかりで何も好転しないのだ。

 

 こういうのは地道な積み重ねをして結果を出すものなのだろうが……自分が大の得意な魔法に関する分野での挫折は、相当堪えたらしい。

 

「うーん……せめて見本になる人が身近に居たらよかったのですが」

「確かにな……」

 

 一応私も戦闘中に詠唱を行うことはできるといえばできる。が、私の場合は魔法の詠唱が超短文だからこそ比較的簡単に可能な芸当であり、基本長文の魔法しか持たないリヴェリアさんとは勝手が大きく違うのだ。

 

 それに、扱う魔力量も莫大な差がある。私の魔法で扱う魔力が1~3だとすると、リヴェリアさんの魔法が扱う魔力は低く見積もっても5以上。仮に私が魔力暴発(イグニス・ファトゥス)を起こしたとしてもダメージは軽微なものだろうが、リヴェリアさんの場合は私のモノとは比較にならない大爆発を起こすだろう。

 

 故に、私以上に慎重を期する必要が出てくる。最悪練習中に爆死しかねないのだから。

 

 まあ、流石に全精神力(マインド)をつぎ込まない限りはそんな事態は起きないだろうけど。

 

 ともかく、何かしらの手段で見本になりそうな魔法剣士を交友関係を得られたら、この停滞を打破する方法もおんぽいつけるだろうが、生憎私は冒険者になってまだ半月も経っていない新米も新米。そんな都合のいい人脈など持っていない。

 

 ……最終手段として【ゼウス・ファミリア】や【ヘラ・ファミリア】に頼み込んでみるという手もあるが、それはできれば使いたくない。必死に頼み込めば受けてもらえそうな気もするが、オラリオ最大派閥に借りを作るというのはいささかリスクが高すぎる。

 

 それに、あの二大派閥は数日前から共同で『遠征』を行うため現在主力のほとんどが不在だ。向こう数週間はそんな状態が続くため、今頼んだところで有力な人材を借りられるかと言われると首を傾げざるを得ない。

 

 結論を述べると自力でコツコツ頑張れという事だ。他人の手を借りるのは本当にどうしようもなくなった時だけにしておくべきなのだから。

 

「とにかく、少しずつ頑張っていきましょうリヴェリアさん。焦ったって、何も良いことは起こりませんから」

「そう、だな。地道に頑張れば、きっと――――ん?」

 

 リヴェリアさんは突然何かに感づいたように、顔を少しだけ険しい物に変えた。私はいきなり彼女の様子が変わったことを不思議に思いながら、その視線を辿って先にあるものを視界に入れる。

 

 彼女――――否、近くに居た者達が見ていたのは、通りの中央。

 

 血の様に赤い光に照らされながら見えたのは――――どす黒く光る黒髪を靡かせる女が、筋肉隆々とした厳つい大男の頭を鷲掴みにしながら()()()()()吊り上げている光景。

 

 その現実味が消え失せた様子に、誰もが絶句する。

 

「おい、おい。聞いてんのか、木偶の棒。お前の頭に付いている耳は飾りか?」

「あ、がっ、ぎっ……!?」

「驚いた。オラリオでは人の姿をした家畜が居るのか。それとも私の共通語(コイネー)がおかしいだけか? ん?」

 

 嗜虐的な笑みを浮かべながら女は段々とその手に加わる力を強くしていき、その度に男の頭からミシミシと異音が少し離れた所にいるこちらまで聞こえてくる。

 

 まさか、公然の場で――――!?

 

「……チッ、詰まらん男だ。強そうなのは見た目だけで、中身はまるでドブネズミだ。まぁ、女を抱く覚悟も無く尻を触ろうとするような輩だ。……これ以上お前の様な奴を触っていると反吐が出る」

 

 周囲に居る全員が顔色を蒼白とさせた頃、女は明らかな嫌悪感で顔を塗り潰すと、吊り上げていた男を無造作に放った。しかしそんな軽々とした動作とは裏腹に、放られた男は凄まじい速さで回転しながら飛んでいき、少し離れた壁を凹ませてようやく停止した。

 

 そんな惨劇を起こした女は飄々とした様子で指の骨を鳴らしつつ、自分を見ている者達に舌打ちと鋭い視線を飛ばす。その視線に殺気を感じとったのか、冒険者や住民たちは皆足早にこの場を立ち去った。

 

 厄介事の臭いを感じ取った私たちも早々に立ち去ろうとして――――私は身を凍らすような殺気を感じてしまう。

 

「っえ―――――」

 

 反射的に振り返れば――――目の前に、蛇の如くぎらついた金色の眼が現れた。

 

 ぞわりと全身を駆け巡る悪寒。生存本能に従って今繰り出せる最速の一撃で目の前を薙ぎ払う、が。

 

「……あれ?」

 

 瞬き一回の間をおくと、目の前に広がっていたのは何の変哲もない夕焼けに照らされた街並みだけ。

 

 騒ぎを起こしていた女性は、いつの間にか姿を消していた。

 

「これは、一体……?」

「アイリス? どうかしたのか? ……ああ、騒ぎの当人が消えたのか。これなら引き返す必要もないな」

「そう、ですね……」

 

 先程の怪奇現象は、一体何だったのだろうか?

 

 何度考えても答えは出せず、結局私は腑に落ちない感情を抱えつつも「気のせい」だと片づけて帰路に就くことにした。

 

(……さっきの女性、どこかで、会ったような……?)

 

 答えは、未だ出ない。

 

 

 

 

「――――いやはや、まさか反撃貰うとはねぇ~」

 

 小さくなっていく二つの影を建物の上から見下ろしながら、黒髪の女――――リュゼ・レジーナは愉快気に、頬に生じた浅い切り傷から流れ出てくる血を指で取って舐めながら呟いた。

 

「察知能力はLv.3並み、身体能力はLv.2中堅ってところだけど……アレは奥の手の一つや二つ隠してるね、絶対。……ああ、楽しみだなぁ……早く()()()()()()()()なぁ……」

 

 リュゼは光悦とした表情で、まるで自分の大好物を目の前にした子供の様な無邪気さで、そんな気味の悪い事を口にし続ける。

 

 彼女(アイリス)の事を考えるだけで身体の疼きが止まらない。

 

 今すぐ、自分の心に従ってあの少女を己が悲願のための糧にしたい。

 

 が、リュゼは衝動と共に震える腕を抑えつける。

 

「いや、まだ。まだその時じゃない……大好物を食べるときは、最高の環境で無いと、ね?」

 

 冷静さを滲ませて、しかし顔に浮かべる狂気を薄めることは無く、リュゼは衝動を誤魔化すようにしきりに己の血を舐め続ける。

 

 そんな彼女の背後に、複数の影が現れた。

 

 全員が彼女と同じ褐色の肌を持つ女。そう、アマゾネスである。露出の激しい独特の民族衣装を身に纏った彼女らはリュゼに声をかけようとして――――しかし直後に彼女からの殺気の混じった睨みによって強引に黙らされた。

 

 しかし彼女のその視線を意に介することも無く前に出てきた者が居た。

 

 鮮血の如く赤い髪、褐色の肌。そして何より特徴的なのは周囲の者と比べる明らかに小さなその躯体と牙を生やした異形の仮面。まだ成人もしてい無さそうな少女はゆっくりとリュゼに近付き、幼さを残しながらも老成した声を発し始めた。

 

「リュゼ、いつまでこんな所で油を売っておる。多大な苦労をしてようやくオラリオに入れたというのに、この四日間、未だ一度も”狩り”に参加せず傍観ばかり。……これ以上は(わらわ)も見逃すわけにはいかなくなるぞ?」

「うるせぇよ。オラリオ(ここ)の男どもは身体だけはご立派だがな、心が駄目だ。噂に聞く【ゼウス・ファミリア】や【ヘラ・ファミリア】の奴らならともかく、な」

「いやぁ、流石に妾もソコに手を出すのは……下手したらテルスキュラが終わるぞ? 我が儘言わんで言う事を聞け、このじゃじゃ馬め」

「チッ……」

 

 少女が少しだけ怒りを滲ませながら言い放つと、リュゼは不機嫌そうな顔で立ち上がりながら既に消えた二つの影のあった方向を一瞥する。

 

「……まぁ、主食(メインディッシュ)の前の前菜(オードブル)だと思えばいっか」

 

 艶めかしい舌なめずりを残しながら、女傑(アマゾネス)たちは街の陰へと消え去った。

 

 波乱の予兆を、色濃く残しながら。

 

 

 

 

 

 



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第十八話:美神の宴

「――――ダンジョン内部での原因不明の行方不明者と、死体の多発?」

 

 そんな物騒な同僚からの言葉に、アイナは思わず書類作業の手を止める。

 

 ギルド本部窓口。純白の大理石で覆われた受付ロビーである一階フロアは厳粛とした空気を漂わせながら、オラリオの早朝らしく多数の冒険者の入り混じる喧騒を奏でる。

 

 そんないつもと変わらない日々であったが、今そこに一石が投じられようとしていた。

 

「そうなんですよ。被害に遭ったファミリア曰く、生きているのは確かだけど痕跡がさっぱり消えていて……」

「殺害された冒険者については、身ぐるみを剥がされて無造作に放置されていました。モンスターによる損傷が大きいせいで捜査が遅々たるものになってしまいましたが、死因は恐らく同業者によるものだと」

 

 ダンジョンにおいて冒険者同士の諍いによる刃傷沙汰は、実のところそう珍しいことでは無い。荒くれの多い冒険者は基本的に気が短く、血気盛んな者が多いため、何かしらのトラブルがあれば直ぐに手が出されやすいのだ。

 

 無論公共の場ではその限りでは無いが、ダンジョン内部――――オラリオでの法が適用されない場所においては、そこでは力こそが法となり代わる。勿論、犯罪行為の確たる証拠をギルドに掴まれてしまえば処罰は免れないが、ダンジョンという極限環境はそういった悍ましい犯罪行為を行うには適し過ぎている。

 

 何せ、内部で殺人を犯しても死体をモンスターに放ってやれば後は自動的に証拠は隠滅される。それに人目も基本的には少ない。

 

 一応そういった行為を取り締まるためにも有志のファミリアが尽力してはいるものの……あの広大な魔窟を隅から隅まで見張れというのは、無理難題が過ぎるというものだ。

 

「【ガネーシャ・ファミリア】や【アストレア・ファミリア】への報告は?」

「すでに動いてはいますが、依然足取りがつかめないらしいんです。……それに、街の方でも同じようなことが起こっているらしくて、かなり混迷とした状況なのも事態が好転しない原因かと」

「そんな……」

 

 行方不明に遭った人数は確認されている者だけでも五人以上。殺害された者は十人近い。そして、そのどれもが第三級冒険者(Lv.2)以上。明らかにただ事では無い。

 

 何せ、Lv.2冒険者の一団相手に明確な足取りとなる痕跡を残さないまま勝利できるほどの手練れ。それは即ち実行犯がLv.3以上であることを示している。

 

 そんな者達を野放しにしておいたらどうなるのかは、想像に難くない。

 

「一応、街への注意勧告は済んでいるし、有志ファミリア達も積極的に動いているから、きっと大丈夫ですよ!」

「そう……だと、いいんだけど……」

 

 アイナは不安げに口元を摩りつつ、思案する。

 

 確かに【ガネーシャ・ファミリア】や【アストレア・ファミリア】などが動いている以上、解決は時間の問題だろう。が、重要視すべきは事件が解決するかどうかでは無い。

 

 何故、こんな事が起こり始めたのか。事の元凶は何なのか。

 

 それに視点を当てなければ、何も進展しない――――そんな予感がアイナの心を掴んで離さない。

 

(……外部や内部への抑止力として存在している【ゼウス・ファミリア】や【ヘラ・ファミリア】が『遠征』で不在なタイミングを狙った? 内部は……いや、ギルドとも繋がりが深い二大派閥がオラリオの治安に対して睨みを利かせている以上、犯行が明らかになれば確実に潰されるリスクが発生する。つまり内部からじゃない、犯行が明らかになってもある程度誤魔化しの利く外部勢力による犯行の可能性が高い)

 

 オラリオ外からの脅威の襲来、というのは珍しい話では無い。世界的に見てもこの街の価値は莫大なものであり、実際その利益を得るためにラキア王国は過去に何度か戦争を仕掛けてきている(すべて失敗に終わっているが)。

 

 魔石、ドロップアイテム、希少金属。少量でも外に流れてしまえばそれだけで巨大な財を築けてしまうそれらはとても魅力的だ。だが一番価値のある代物は――――やはり、冒険者。

 

 ダンジョンの存在しないオラリオ外の冒険者は、高くて精々がLv.3以下。反面、オラリオにはLv.5以上が――殆ど【ゼウス・ファミリア】か【ヘラ・ファミリア】所属ではあるものの――ゴロゴロと存在している。もし一人でも手中に収めることができるのならば、外部国家のパワーバランスは大きく傾くだろう。Lv.6ともなれば小国が大国相手に勝利を収める事も夢では無い。

 

 もし「行方不明」が諸外国からの拉致行為によるものだとしたら、辻褄は合う。だが無理矢理攫った冒険者を戦力として使うのは少々難しいのではないか? という考えがアイナの頭の中をグルグルと回る。

 

 戦力として連れて行くのではないとしたら、一体何のために……?

 

(……個人的に、調べてみようかな?)

 

 危険な行為ではある。アイナは先天的に魔法の扱えるエルフではあるが、恩恵を持っている冒険者と比べれば酷く貧弱としか評せない。

 

 それでもこの様な無謀な行動に移るのは、やはり――――

 

(アイリスちゃんが巻き込まれる前に、少しでも早く解決するようにしないと……)

 

 自身の担当冒険者である小さな少女のため、なのだろう。

 

 被害に遭っているのはほぼLv.2の冒険者。そしてその枠内にはアイリスも含まれている。故に、あの少女が被害に遭わないという保証は何処にもありはしないのだ。

 

 むしろアイリスはトラブルを誘引する体質を持っているとしか思えないので、巻き込まれる可能性は大だ。

 

 故に、彼女はギルド職員として、そして一人の大人として、少女のために少しでも力を振るおうとする。

 

 

 果たしてその行為は吉と出るか、それとも――――

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 『神の宴』、と呼ばれる催しがオラリオには存在している。

 

 詰まる所、下界にそれぞれ降り立った神たちが顔を合わせるために設けた会合だ。似たようなモノとして『神会(デナトゥス)』があるが、あちらは定期的に開かれるのに対してこちらは不定期、という違いがあるか。ついでに言えば、開催も個人主催であるため主催するファミリアの規模に応じて内容もまちまちだ。

 

 そんな『神の宴』に参加するための招待状が、ロキの目の前のテーブルに置かれていた。内容は『フレイヤ主催 神の宴』という文字が。

 

「……めんどくさぁ」

 

 ロキとて別に『神の宴』に興味が無いわけでは無い。しかし主催があのフレイヤである。ロキは同郷出身であることを加味しても、個人的にあの薄気味悪い微笑を顔に張り付けている女神が苦手なのだ。別に蛇蝎の如く嫌悪しているという訳では無いのだが。

 

 噂に聞けば【フレイヤ・ファミリア】は規模こそ中堅の域を出ない。が、主神の美貌が男神を悉く骨抜きにし、勝手に貢ぎ始めることから財力だけならばそこそこの規模を誇っている。あの美神(フレイヤ)の事だ、提供する飲食に関して妥協などあるはずもなく、確実に高級かつ美味な食事や酒が用意されていることだろう。

 

「アカン、そう考えると無性に行きたくなったわ。……でもなぁ」

 

 無類の酒好きであるロキは久しく高級な酒を飲んでいないせいで、極上ものの酒類に思わず涎を垂らす。が、今の自分の恰好を見て小さくため息を吐く。

 

 普段着である今の衣服はそこらで買った千ヴァリス前後程の安物だ。神々が着てくるであろう高級で絢爛な衣装と比較すれば月と鼈としか言いようがない。

 

 ぶっちゃけドレスなどあったところで着る気など欠片も起きないのだが。

 

 何故かって? ほら、そんなモノを着れば彼女のとある部分が嫌でも強調されてしまうではないか。

 

 彼女の断崖絶壁(胸部)が。

 

「あー……自分で考えてて死にたくなってきた……」

 

 試しに自分の胸を揉もうとしても、あるのは肋骨の凸凹とした感触だけ。女性の胸にあるべき柔らかみなど影も形も見当たらない。

 

 完全なる無。同性からも軽い哀れみの視線を集める絶望的な壁は、ロキのメンタルをこれでもかというほど打ちのめしてくる。普通の人間ならばまだ成長の余地うんぬんかんぬんで誤魔化せるだろうが、悲しいかな、超越存在(デウスデア)は不変の存在。つまり永遠の(ゼロ)である。

 

「今から巨乳の女ども爆死せえへんかなぁ……はぁぁぁぁぁ……」

 

 顔も知らない巨乳たちへの殺意を募らせながら、ロキはテーブルに突っ伏しながら顔だけを上げて現在販売中の物件のカタログを読み漁る。

 

 アイリスとリヴェリアはダンジョンへ平行詠唱の特訓へ。フィンはオラリオの散策へ。ガレスはたぶんどこかの酒場で昼から飲んだくれているのではないだろうか。そしてロキは……特にやることは無いのでこうして適当に時間を潰している。

 

 金も時間もあるが、やることが思いつかないというのはこれ程退屈なのか。もう面倒だし、自分もガレスのように酒でも飲み散らかそうか――――と思っていたら、宿屋の扉が開かれ、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

「何故だ……何故なんだ……二日目なのに全然進展が……」

「リ、リヴェリアさん、元気出してください!」

「あ、二人ともおかえりや~。今日は早く切り上げたんやな?」

 

 己が眷属二人の期間を確認したロキは先程の様子とは打って変わって上機嫌な笑顔でアイリスとリヴェリアを出迎えた。

 

 並行詠唱の特訓は今日で二日目。様子から察するに進展は乏しいらしい。

 

「つらい……もうねる……」

「お、お大事に……。あれ? ロキ様、その封筒は一体?」

「んー? あー、まあ、神同士の食事会のお誘いみたいなもんや。気にせんでええよ~」

 

 すっかりいじけてしまったリヴェリアが部屋に上がるのを見届けたアイリスはロキがテーブルの上に無造作に置いていた封筒に気付いたようだ。

 

 が、ロキとしては特に行く気はないので無難な返事をして話題を切り変えようとするが――――

 

「神同士の食事会、ですか。だったら人脈作りに行ってみるのもいいかもしれませんね。ロキ様も時間は空いているでしょうし」

「えっ、あー、いやー……別に行く気はないんやけど」

「駄目ですよロキ様。折角のお誘い(チャンス)なんです、ちゃんと活かさないと」

「う~ん……」

 

 ロキは正直言って面倒くさいと思った。しかし言われてみれば人脈に乏しい自分がちゃんとしたコネを作れるチャンス、というのは言われてみれば確かにそうだ。

 

 それを含めてもまだ行きたくないという心が七割ほどあったが……最愛の眷属のためならば行かないわけにもいかない、と思い始めるとその天秤は少しずつ傾いてくる。

 

「パーティーに行くんだったらちゃんとおめかししないと。ロキ様、ドレスとかは持っていませんでしたよね? じゃあ私と一緒に「よっしゃ今すぐ行くで~!」えっ」

 

 大好きな子供とのお買い物。この一大イベントを逃すほどロキは道化になれなかった。先程までダウナー気味だったテンションが一転して最高潮に達する様は、アイリスすら困惑するほどである。

 

 相変わらず自由奔放な己が主神に呆れ顔を浮かべつつ、アイリスは買い出しの準備を始めた。

 

 向かう先は北のメインストリート。服飾関係が大きく発展している大通りは大陸全体から見ても凄まじい数の服飾店が軒を連ねており、服関係ならば恐らくはこの場所で全て解決してしまうだろう。種族ごとの専門店も完備していることから、無い物を探す方が難しい。

 

 その中でもやってきたのは『天衣無縫の纏衣』と呼ばれる店だ。女性用の超高級ドレスを専門に仕立てている店であり、機織りを司ることで有名なアテナの派閥である【アテナ・ファミリア】傘下の高品質が確かに保証されている人気店の一つであった。

 

 販売しているドレスは最低金額でも十万ヴァリスを越える程であるが、幸い【ロキ・ファミリア】の懐はまだ温かい。

 

 それにファミリアの面子が掛かっている以上、遠慮する理由もないだろうとアイリスは判断した。

 

 豪華絢爛な服装が陳列されている店内に視線を奪われながらも、アイリスとロキは適当な服装を見繕うために辺りを見回す。

 

 すると、マネキンに着せられて展示されていたとある一品が二人の目につく。

 

 黒を基本色としたフリルのついたドレスだった。証明に照らされて魅せるのは、まるで深夜の様な美しい純黒色。いかにも、といった豪華さこそ無いが、実に完成度の高い一品である。

 

 そして次に値札へと視線を移して……軽く目を剥く。

 

 お値段二五〇〇〇〇ヴァリス。一般庶民からすれば数年は食事に困らなさそうな大金が値札には記されていた。

 

「うっわぁ……服一着で二十五万ヴァリスとか舐めとんのか……」

「そりゃあ、高級素材をふんだんに使っているみたいですからね。ええと……ドレスの名前は『ミッドナイト・デイズ』。中層に生息するシルバー・シルクワームから採取した超高級シルクにブラック・バタフライの鱗粉を編み込んだ渾身の一品。……そりゃ高いわけです」

 

 中層域にしか存在しない希少種のモンスタードロップ品を用いられたドレス。成程、確かに馬鹿高い理由に納得できる。もし冒険者用に何らかの特殊効果が付与されていたならば値段は数倍に上がっていただろうし、深層で取れた素材ならば恐らく桁がもう二つ三つ上がっていただろう。

 

 そう考えるとアイリスは目の前のドレスは品質に対してとても良心的な値段に思えた。

 

「ロキ様、これにしませんか?」

「はぁっ!? ままま待ちぃや! も、もうちょっと安いヤツにせぇへん? こんな事で無駄にお金使うのもなんやし……。ほ、ほら、向こうの店にある五万ヴァリスくらいのはどうや!?」

 

 目に見えて気後れし出したロキに、アイリスは小さく嘆息する。

 

「……ロキ様、ファミリアの威厳を示すために使うお金は『無駄』とは言いません。それに、そうですね……もし私がみすぼらしい恰好で食事会に参加して、周りの人たちに笑いものにされたら、ロキ様はどう思いますか?」

「即座にそいつらをぶっ殺すわ」

「ぶっこ……こほん、つまりそういうことですよ。ロキ様」

 

 間髪容れずにロキの口から飛び出た物騒な発言に口を引きつらせつつ、アイリスはロキの不安を正面から説き伏せた。

 

 主神()を笑いものにされて、眷属(子供)が我慢できる道理はないと。

 

「むぅぅぅぅ……わかったわ。何よりアイリスたんの頼みや、着るだけ着てみたるわ」

「はい!」

 

 

 

 

 数時間後。代金の支払いと採寸、サイズの調整や簡単な化粧を終え、ロキは試着室から一歩を踏み出した。

 

「……おお~」

 

 それを出迎えるのはアイリスの輝かんばかりの感嘆の表情と小さな拍手。

 

 少女の喝采を受けながら、ロキは慣れない出来事に照れくさそうに天井を仰ぎつつ己の姿を大鏡で再確認する。

 

 我ながら似合っていないことも無いのではないか、とは思う。しかし、やはり……胸部の違和感は甚大であった。

 

 女性としてあるべきものがそこには無い。普段から男物の服装を着ている故に、改めて知らされる強烈なまでの自覚がロキの自尊心をケチョンケチョンにしようとしてくる。

 

「ロキ様」

「な、なんや、アイリスたん?」

「今のロキ様、とっても綺麗です」

「―――――――――」

 

 しかし、その心の傷を埋め合わせるかの如く、眷属の言葉が彼女の心にスーッと染み渡った。

 

 そしてロキは確信した。”ああ、天使とはこの子の事を言うんだ”と。

 

 あまりの純粋な言葉にオヤジ魂という心の汚れが一撃で浄化され、その勢いで天界に送還されるのではないかと思いこみ始めたロキ。そうだ、無乳がなんだ。ナイチチがなんだ。自分には可愛い眷属がいるではないか。

 

 具体的に言うならば、己と同じ悲しき運命(不変の貧乳)を背負った眷属(アイリス)が。

 

「……何でしょう、今誰かに物凄く馬鹿にされたような気がしたのですが」

「きっ、気のせいや気のせい」

 

 アイリスの謎の勘の良さに冷汗を流しつつも、ロキは自身のドレスを仕立ててくれた店員に軽い礼を言いつつ店の外へと躍り出た。

 

 既に空の太陽は西の地平線へと沈みかけており、街が茜色に染まっている。そして顔を左右に振って辺りを見回してみれば、恐らくは『神の宴』へと参加するだろう容姿端麗な神々がせわしなく動いていた。

 

 全体的に男神が多いような気がするのは、やはり”あの”フレイヤが開催する宴だからか。

 

(……ま、適当にメシだけ食ってちゃちゃっと帰ればええわな)

「ロキ様、よかったら見送りましょうか? 万が一、という可能性もありますか」

「ホンマに? いやぁ、アイリスたんマジ天使やわぁ~!」

「あはは……」

 

 ロキは愛らしい眷属(アイリス)に抱き付いてそのもちもちとした肌の感触を堪能しながら、街道をハイヒールで鳴らしながら歩き始めた。

 

 宴の時は、近い。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 都市が夜闇に覆われ、それに合わせて魔石灯の明かりが灯り始めてきらびやかなイルミネーションを作っていく。

 

 相変わらずの喧騒がオラリオを満たしていく中、今日はいつもとはまた違う、美男美女がとある敷地に足を運んでいた。

 

 【フレイヤ・ファミリア】本拠(ホーム)、『戦いの野(フォールクヴァング)』。繁華街の中心に位置し、潤沢な高級建材をありったけ使って建造された神殿にも似た荘厳な造りの屋敷。広大な敷地と高い四壁を有するそれはフレイヤという美神の持つ巨富と権力を表しているかのように見える。

 

 これが規模としては中堅程のファミリアが有する本拠(ホーム)だと言って、誰が信じるだろうか。しかしフレイヤという神を知る者からすれば皆口を揃えてこう言うだろう。

 

『フレイヤならば仕方ない』

 

 その美貌を以てすれば数多の男たちを虜にし、その財を貢がせることなど訳ない。無論、自身が気に入った他派閥(ファミリア)眷属(子供)をそれとなく、可能な限り波紋を立たせずに引き抜くことも。

 

 だからこそ、フレイヤという存在を知っている神々は皆この場で例外なく顔を顰めた。

 

 

 ――――コレを築き上げるのに、一体どれほどの男どもに貢がせたのか、と。

 

 

 そんな『戦いの野(フォールクヴァング)』の中に存在する、月を思わせることから銀の屋敷とも呼ばれている建物の中で、『神の宴』は行われていた。

 

 天井に吊り下げられた豪奢なシャンデリア型の魔石灯。それに照らされるは巨大な大理石のテーブルの上に並ぶ無数の御馳走。世界中から最高級のモノを取り寄せられて作られたその料理群は一つ一つが実に食欲をそそる香りを漂わせて、場を弁えない者が訪れればすぐにでも下品に齧りつきに行くだろう程の魔力を放っている。

 

 が、此処にそんな馬鹿な者は居ない。全員が礼服を着こなしつつ、それぞれが少量ずつ料理を皿に載せながら、食事の合間に他の神々と談笑を交わしている。

 

 流石にこんな場所で醜態を晒す神など居ないだろう。何せここは【フレイヤ・ファミリア】の本拠。

 

 大きな醜態を晒せば、主神(フレイヤ)を信奉する眷属(狂信者)共が喜んでその神の派閥を潰しに行くだろうから。信奉する女神の開いたパーティーを台無しにする輩を、ヤツらが放っておくわけがない。たとえ神殺しだろうが、女神の眷属らはやるだろう。

 

 それを理解しているからこそ、ロキも極上の酒を前にしても欲望のまま動いたりはしなかった。可能な限り目立たない様に、空間の隅っこで血のように赤いワインの入ったグラスを揺らしながら、気怠そうに向こうで楽し気に騒ぐ神々を眺めている。

 

 しかし極力目立たない様にとはいっても、最近話題になっている派閥の主神であるロキが注目を浴びないわけがなく。

 

『おい見ろよ、ロキ来てるぞロキ』

『え、マジで……なんだあの貧乳!(驚愕)』

『いや貧乳じゃねーよアレ。無乳だよ。絶壁だよ』

『スゲェ、あそこまで無いと逆に感心するわ』

『あんな胸が存在するとか、世も末だな』

『かなりまな板だよアレ!』

(………アイツ等いつか殺す)

 

 自分の最大のコンプレックスを臆することなく抉ってくる馬鹿共の顔を脳裏に焼きつけつつ、もう帰ってしまおうかと黙想するロキ。料理も酒も最高品質だ。文句はない。だが――――

 

眷属(子供)たちと一緒に食う飯の方が余程美味いねんな……」

「あらロキ、私の出した食事に文句があるのかしら?」

「ぎゃぼあぁぁあぁああぁぁあ!?!?」

 

 突然気配も無く己の背後に現れた存在に、ロキは下品な悲鳴を上げた。それによって会場中の視線を集めてしまうことになるが、それはロキに取って大した問題では無かった。

 

 むしろ今一番問題だと思っているのは――――今この場で最も目を付けられたくない女神(ヤツ)に目を付けられた、という事だ。

 

 ズザザッ、と素早く後ずさりをして件の女神、フレイヤから距離を取るロキ。今の彼女は階層主と相対した冒険者の如き緊張を放っている。

 

 それを見てクスッと笑うフレイヤ。純白の雪の様に白く美しい肌、色気を放つ細長い手足と小振りで柔い臀部、そして程よい大きさの胸部を金の刺繍が施された白いドレスで包んだ様はまさに女神。黄金律そのものを体現した美の結晶は艶めかしい笑みを浮かべながら、ロキの前までやってきた。

 

「な、なんやフレイヤ。なんかうちに用か?」

「あら? 用がなければ友神に話しかけてはいけないのかしら?」

 

 その言葉を受けてロキは思わず叫びたくなった。「お前は何を言っているんだ」と。

 

 確かにロキとフレイヤはそう浅い仲ではない。天界では神器の貸し借りを偶にするくらいには親交があった。が、互いに相手を『友神』と思っているかと言われれば、両者ともに『NO』を掲げるだろう。そこに利益があるならばある程度の交流は持つが、相手に攻め込む理由ができれば喜んで叩き潰す、そのくらいの関係だ。

 

 故にロキは確信する。こいつは絶対に何かを企んでいると。

 

「ほざけ色ボケ女神。別にうちとアンタはそこまで仲深くないやろ」

「あら、悲しいことを言わないで頂戴。少なくとも私は、貴方との関係は大事にしているつもりよ?」

「あっそ」

 

 フレイヤのその言葉に嘘は無いだろう。ただし”自分に火の粉が飛んで来たら迷わず切り捨てる”くらいの大事さだろうが。

 

「とりあえず、旧友からの賛辞を述べさせていただくわ。ファミリア結成おめでとう、ロキ」

「けっ……結成数年でこーんな馬鹿デカい本拠築き上げた奴に言われても嫌味にしか聞こえんわ」

「ふふっ、相変わらず捻くれてるわね。……それで、少し聞きたいことがあるのだけれど」

 

 空気が変わる。それをすぐさま察知したロキは薄く目を開いてフレイヤを睨みつけた。

 

 自身に何を聞いてくるのかは、大体想像がついているから。

 

「件の世界記録(レコード)更新に関することなら何も言わんで。ウチのファミリアのトップシークレットや」

「つれないわね。貴方の事だから何か裏技を使って地上で神の力(アルカナム)を使った、とか思っていたりしたのだけれど」

「アホか。そんなモンあったらもっと派手にやってるわ。……アレは正真正銘、あの子が自力で手繰り寄せた結果や。ズルなんてなーんもしとらん」

 

 吐き捨てる様に、ロキは拒絶の念を込めてフレイヤへとそう告げた。

 

 この場でその言葉を鵜呑みにできた神は殆どいないだろう。何せ件の冒険者(アイリス)が打ち立てた功績――――Lv.1がLv.3を倒すというのは不可能そのものと言っても過言ではない所業だ。故にオラリオで九割以上の神はこう思っているに違いない。「ロキが何か裏技を使った」と。

 

 ロキとてその気持ちはわからなくも無いが、だからと言って謂れのない不正の疑いをかけられるなど良い気分になる筈がない。神威と沈黙が満ち、場の空気を氷点下まで下がる中、狡知の神と豊穣の女神は睨み合う。

 

 そんな空気をため息と共に切り裂いたのは、意外な一柱だった。

 

「……その辺りにしなさい、あんたたち」

 

 冷え冷えの場に炎を入れたのは、赤い髪と深紅のドレスの姿を振りまく隻眼の女神、鍛冶神ヘファイストス。

 

 額から少なくない冷汗を流しつつ、彼女はこれ以上の緊迫が広がるのを防ぐために決死の思いでこの荒波に一石を投じた。ロキもフレイヤも一瞬だけ怪訝そうな顔を浮かべるが、ヘファイストスの姿を見て少しだけ冷静になったのか、すぐに張り詰めた空気を解いた。

 

「……チッ、ファイたんに免じて流したる。次は無いで、色ボケ女神」

「ふふっ、随分丸くなったわね、ロキ。昔の貴方なら遠慮なく火種を大きくしていたのに。……それじゃあ、また会いましょう」

「ケッ」

 

 意味深な笑みを浮かべつつ、フレイヤは会話を打ち切ってロキの前から立ち去った。これ以上話を続けても意味がないと判断したのか。それとも彼女の言葉に嘘がないと見抜いて何かを考え始めたのか。

 

 どちらにせよ面倒なのに目を付けられたとロキは内心で深いため息を吐きながら、グラスに残っていたワインを一気に飲み干す。だが先程のフレイヤの顔を思い出せば、ロキは今だけはこの最高級のワインが酷く不味く思えてしまった。

 

「……ファイたんって。あなたと私、一応初対面よね?」

「んにゃはは! 別に初対面の神にあだ名を付けちゃアカン法なんて無いやろ?」

「ああ、なるほど。そういういい加減な性格なのね、あなた……」

 

 しかし何時までもそんな調子では精神的に厳しい。ロキは隣にいるヘファイストスを出汁に無理矢理気持ちを切り替えて、食事や会話で気分を晴らすことにした。神とてストレスは溜まるのだ。こうして解消せねばやってられない。

 

 その後もロキは知り合ったばかりのヘファイストスと少々ばかり談笑しながら料理に舌鼓を打つ。特に話が進んだのは、やはりアイリスについての話題か。

 

「――――じゃあやっぱり、本当に裏技とかそういうのは無いのね。正直まだ半分くらい疑っているのだけれど……」

「いやぁ、うちかてこうなるとは思わなんだ、マジで。まさか初めての眷属が二週間弱でランクアップなんて想像できるかっちゅーねん!」

「私としてはうちの将来有望な子の傑作を半月足らずで潰したことに絶句しているわ」

「そんだけ無茶苦茶やってるってことやろなぁ……」

 

 互いに一人の眷属に就いて思いめぐらせ、そのトンデモ無さに遠い目をするロキとヘファイストス。二人の間で気妙な友情が生まれた瞬間であった。

 

 そんなこんなで、もうそろそろで『神の宴』も終わりが近づいてきた。時刻は後三十分ほどで深夜に突入するだろう。

 

 初めての参加かつ、あのフレイヤ主催の『神の宴』。ロキとしては料理も酒も極上ではあったが、やはり彼女は当初と同じ結論を出す。

 

 これなら宿で眷属(子供)たちと一緒に飯を食った方が何倍も良い。

 

(ま、ファイたんと面識を持てた事は唯一かつ最大の収穫やな……)

 

 最後の一杯になるであろうワインが入ったグラスを傾けつつ、ロキはチラリと少し離れた場所にある台の上で何かを言おうとしているフレイヤに視線を向ける。

 

 恐らく、この宴の締めに何か小さな催しでもするのだろう。自己顕示欲の塊ばかりの美神が「パーティ終わり、はい解散」なんて終わり方をするわけがない。

 

 天界に居た頃と全然変わらんな、と思いつつロキは気まぐれにフレイヤの言葉に耳を傾けた。

 

「そろそろこのパーティが終わる時間が近づいてきたわ。でも、このまま終わるというのはちょっと味気ないと、そう思わないかしら?」

『なんだ、締めにフレイヤが歌でも歌うのか?』

『いや、案外ビンゴ大会とかかもしれん』

『何言ってんだ。野球拳に決まってるだろJK』

『ストリップショー! ストリップショー!』

「うふふ、残念ながらどれも違うわ。……少し前に、私の眷属の一人がLv.2にランクアップしたのは知ってるわよね。折角だから、この機会に皆に『自慢』しようかと考えたの。そうね、御前試合みたいなものかしら?」

 

 うげ、とロキは小さく呻き声を漏らした。何でこんな宴にまで来てフレイヤの眷属自慢に付き合わねばならないのか。

 

 少しだけ期待したことが馬鹿馬鹿しくなり、ロキはさっさとワインを飲み干して家に帰ろうと思いめぐらせ――――次に視界に映った者を見て思いっきり吹き出した。

 

「ぶぅぅぅぅぅぅぅぅぅ――――っ!?!?」

「きゃっ!? ロ、ロキ? どうしたのいきなり――――って」

 

 突然の奇行にドン引きするヘファイストスも、ロキの視線の先に居る者を見て絶句する。

 

 その反応は、至極順当なモノだと言えよう。何せ今この場に居るはずの無い者が、そこには確かに存在していたのだから。

 

 具体的に言えば、巷を騒がせている冒険者――――アイリスの姿が。

 

「アイリスたんんんんんんんんん!?!?!?」

「ど、どうして……どうしてこんなことにぃ……!?」

 

 二M(メドル)に届かんばかりの巨漢の隣で半泣きになりながら助けを求めるようなアイリスの問いに答えられる者は、誰一人として居なかった。

 

 

 

 

 




フレイヤ「お ま た せ」


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第十九話:月下を駆ける

平成最後の記念にちょっと投稿予定時刻を繰り上げて投稿です。


 太陽はすっかり身を隠し、それが生み出す夜闇の下で煌びやかに輝く繁華街を、私は歩いていた。

 

 夜遅くまで外を出歩くのは諸事情なりで何度かあったが、こうして繁華街にまで足を運ぶのは初めてだった。辺りを軽く見回せば、昼のオラリオとはまた違った類の騒がしさがあちらこちらに満ちている。

 

 普段から此処に入り浸っている人からすれば何も珍しいことではないだろう。が、そう言った記憶に乏しい私からすれば、凄く不思議なものに思えてしまうのだ。

 

「うわぁ……凄いなぁ……」

 

 立ち並ぶ木造、石造の店舗。無数に展示された食品や土産が豪奢に吊られている魔石灯に照らされて、まるで宝物のように輝いていた。初めて見る光景に四方八方に目を奪われながら、私はついつい『新商品販売!』と書かれた看板の前に立って、屋台で山のように積まれているソレを見た。

 

 それは細かく切り刻んだジャガイモと溶かしたチーズを混ぜて、そのまま一口サイズに焼き上げた食べ物だった。芳ばしいジャガイモとチーズの香りが食欲をそそる。

 

「これ一つください!」

「あいよ! おや、お嬢ちゃん、一人かい? もしかして迷子だったり……」

「迷子じゃないです……」

 

 悲しいかな。やはり外見年齢12歳が夜の街を出歩いて居るのはかなり不審な光景らしい。

 

(早く大きくならないかなぁ……)

 

 未来の自分への微かな期待を胸に抱きつつ、私は店主のおじさんに十ヴァリス支払い商品を受け取った。早速一口齧れば、カリカリとした食感と共にジャガイモとチーズの味が口に広がる。シンプルながら美味しいの一言だ。

 

「ん~……美味しいです」

「だろう? でも最近はちょいと売れ行きが良くなくてなぁ……。素材は良い物使ってるのに、何でだろうな」

「そう、ですね。……飽きやすい、とかでしょうか?」

「ふむ」

 

 このジャガイモのチーズ焼きというべき商品、味は決して不味いわけでは無い。が、やはりというか味が凄く単調だ。偶に食べるならともかく、日常的に軽食にできるかと言われれば答えづらい。

 

 だったらバリエーションを付ければ良いのでは? と思うが、残念ながらこのチーズ焼きは付け入る余地が少ない。精々がケチャップやらマヨネーズやらに付けて食べるくらいだろう。つまり汎用性が不足している。

 

 だったらジャガイモ単品で商品を作り、そこに何種類かのソースを付属して売りに出すのはどうだろうか。と、私は店主のおじさんに提案してみた。

 

「なるほど、あえて未完成の品を作り、そこから完成に至るようなソースを……ありがとな嬢ちゃん! 参考に色々試してみるぜ!」

「あ、はい。頑張ってください!」

 

 どうやら良いアイディアを出せたらしい。

 

 ご機嫌な店主のおじさんに見送られながら、私はそろそろ【フレイヤ・ファミリア】の本拠へと赴こうとする。何故自分の本拠に帰らないのかというと、単純にロキ様の迎えのためだ。

 

 神に手を出す不届き者が居るとは思いたくないが、それでも万が一という言葉があるように慎重になって悪い事は何もない。それに、こうした方がロキ様も喜ぶだろう。安全も機嫌も得られる、一石二鳥の良案だ。しない理由はない。

 

 折角だし、何か手土産の一つでも買っていこうかな――――そう考えながら歩いて居たら、不意に誰かとぶつかってしまった。

 

「おん?」

「わっ、す、すみません! 大丈夫です、か……」

 

 崩れたバランスを取り繕いつつ、私は素早く謝罪をしながらその人物を見上げた。

 

 するとどうだろうか。そこには、見たことのある顔がこちらを向いていた。アマゾネス特有の露出の多い民族衣装から露わになっているすらりと伸びた手足に、褐色の肌。流れるような黒髪とその奥から覗く金色が輝く爬虫類のような瞳。

 

 身長はおおよそ一七〇C前後、だろうか。私より三〇Cも高い高身長が故に、必然的に首を大きく上げて見上げざるを得ない。

 

「……ん? 世界最速少女(レコードホルダー)ちゃん? 奇遇だね~」

「リュゼ、さん……でしたっけ?」

 

 こんなヘンテコな形で、私は少し前にバベルでこちらとひと悶着起こしたアマゾネスの女性、リュゼ・レジーナと奇跡的な邂逅を果たしたのであった。

 

 彼女は扇情的な恰好を恥ずかし気も無く見せびらかしながら、片手に持った瓶からワインらしきものを呷りつつ、前と同じ様に凄まじくフレンドリーにこちらの肩に手を回してきた。思わず反射的に逃げようとしたのを察知されたのか、妙に手の力が強まっている。

 

 どうやら向こうに逃がす気はないらしい。

 

「いや~! 偶然って怖いね。まさかこんな所で会うなんて。あ、一口飲む?」

「あ、いえ。お酒はちょっと……」

「まあまあ、そう言わずにホラ。先っちょだけでいいから!」

「えっちょ、むぐっ!?」

 

 強引に拘束された状態のまま、リュゼさんは私の口に瓶の口を突っ込んだ。そこから鼻をツンと刺すような匂いの液体が勢いよく流れ込んできて、その苦さと渋さに案の定すぐにむせた。

 

「ごっほ! げほげほごぼっ!?」

「ありゃ、まだお酒は早かったか。残念」

 

 未だにむせている私の手を引っ張りながら、リュゼさんは近くに在った小さなベンチに私を座らせた。その後自身も乱暴に腰を下ろしつつ、瓶に残った酒をグイッと全て呑み干す。

 

 酒の味はよくわからないが、ラベルの数字からしてかなり強い一品だろうに、彼女の顔は赤みすら帯びていない。とんだ酒豪だ。

 

「で、味の感想は?」

「え? それは、ええと……苦い、としか」

「だよね~。ま、アタシも味なんて毛ほども気にしてい無いんだけどさ。アタシからすれば麦酒も醸造酒も果実酒も大差ない。酔えれば味なんて二の次さ」

「はあ……」

 

 クックッ、と小さく笑いながら彼女は私にワインの瓶を押し付けてきた。改めて瓶のラベルを見れば、どうやら【ディオニュソス・ファミリア】製のワインの様だ。値札も張られており――――その値、五〇〇〇〇ヴァリス。その数字を見て即座に私は吹き出した。

 

 こんな高級品をあんな下品なラッパ飲みで味わうなんてとても信じがたい光景だったのだから。

 

「酒はいいよぉ~。酔ってる間はパーッと嫌なこと忘れられる。まあ、飲み過ぎたら翌朝が地獄なんだけど」

「……そういうのって、依存症って言わないんですか?」

「人間生きていれば、必然的に何かに依存するさ。そうでもしないとやってられないよ、辛いことばかり起きるこんな世界で生き続ける事なんて」

 

 腕に付けた古びた二つのミサンガを見つめながら、その言葉を零す瞬間にだけリュゼさんは顔に濃い哀愁を浮かべていた。

 

こんな好き勝手生きているような人でも、やはり過去に何かしらのしがらみを抱えているらしい。

 

「そのミサンガは……?」

「あー…………姉二人からの贈り物だよ。私が初めて儀式……いや、勝負事に勝った記念に、自分の髪で編んだヤツをアタシにくれたんだ。いつか離れ離れになっても、これを見て自分のことを思い出してくれるように、ってさ」

「……いいお姉さんなんですね」

「ああ。アタシにはもったいない姉たちだった。……本当に、アタシなんかには」

 

 ミサンガを付けた側の手で強く握りこぶしを作りながら、リュゼさんは声を震えさせる。その怨嗟や憎悪のこもった声に背筋に冷たいものを感じ、私はそれ以上この話題に触れないことにした。

 

 これ以上深入りすれば、おそらく凄惨な光景が作られるだろうということは想像に難くないのだから。

 

「――――あ、一応聞いておきたいんだけどさ世界最速少女(レコードホルダー)ちゃん。もし仲間が誰かに攫われたらどうする?」

「はい? え、ええと……そりゃもちろん、どんな手を使ってでも助けに行きます」

「なら、『指定の場所に一人で来い』って脅迫状を送られた場合は?」

「……一人で行きます」

「罠だっていうのはわかるのに?」

「私は、仲間が傷つくなら自分が傷つくことを選びます」

「ふ~ん……」

 

 突然すぎる問いではあるが、特に困るわけではないので私は素直にその質問に答えた。

 

 もし仲間が何らかの危機状況に陥った場合、私は全てをかなぐり捨ててでも救出に向かうだろう。たとえ罠だろうと何だろうと、使える手を全て使って助けて見せる。己の肉が裂け、骨が砕けててでも、必ず。

 

 ――――それが、私が誇示できる唯一の存在証明なのだから。

 

「……ま、参考にしてみるよ。んじゃ、そろそろヤツらもやってくるだろうし、ここらでお暇しますかね」

「あ、待ってください!」

「おん?」

 

 もう用は済んだのか、リュゼさんは手を振りながらこの場を足早に立ち去ろうとする。しかし私はふと、とあることを思い出して彼女を呼び止めた。

 

 特段難しいことでは無い。単純な話――――私は、まだ彼女に自己紹介をしていなかったのだ。

 

「私の名前は、アイリス・アルギュロスです。次に会う時は、アイリスって呼んでください」

「……んふふ、じゃーねー。アイリスちゃーん!」

 

 一瞬だけ茫然とするも、リュゼさんは直ぐにニカッと笑みを浮かべながらこの場を去った。

 

 次に会うのは何時になるかはわからない。だが不思議と、その時は決して遠くないと、そんな気がした。

 

 さて、そろそろ帰ろうかと私は踵を返し――――振り返った瞬間、眼前に付きつけられた槍の穂先を見て硬直した。

 

「――――え?」

「ようやく見つけたぞ、この盗人め……!」

 

 グツグツと煮込んだ釜の中身を思わせる憤怒が籠った声をぶつけられた。だがいきなりそんなことをされても、私は何が何だかさっぱりわからなかった。

 

 すぐにここ最近の過去を思い返してみるが、やはり何か恨みを買う様な行為をした覚えはない。まさか【アパテー・ファミリア】の生き残りか、と思ったが私の事を「盗人」と呼んだ故に、恐らく違うだろう。

 

 盗人? 私が? いや、何かの間違いだろう。何かを盗った記憶などあるはずが――――

 

 

(―――――――まさ、か)

 

 

 もう一度、よく考えてみよう。

 

 私は何かを盗んだ記憶はない。だが相手は何らかの要因でそれを勘違いしている。その要因が外的なものであるならば、最近誰かに渡されたモノに他ならないだろう。

 

 で、だ。先程私は誰かに何かを受け取っていなかっただろうか。

 

 具体的には、空になった酒瓶を。

 

 

 私が自身が盗人と勘違いされた答えにたどり着いた頃には、目の前には槍の穂先だけでなく剣の切っ先や鏃などが追加されていた。だが、焦ってはならない。我々は話し合える生き物だ。冷静になって対処するんだ、私。

 

「あ、あの、これは誤解で――――」

「――――皆に問おう。我らが女神の所有する館の蔵に入った不届き者に相応しい処罰は、何だ?」

『死刑! 死刑!! 死刑!!!』

 

 私は今日新しいことを学んだ。

 

 こちらが平穏かつ平和的に解決しようとしても、相手がそもそも交渉する気がないのならば、その試みの努力は全くの無駄であると。

 

 現状の不味さを理解した私は全身から汗を拭き出しつつ、一歩だけ後ろに下がる。相手もその隙間を埋めるように、少しずつ近づいてくる。

 

 話し合いの余地は無し。戦力差、味方は私一人、相手は確認できるだけで十名以上。考えるまでもなくこちらが圧倒的に不利。

 

 これらの情報から導き出される最適な行動は――――逃げる。

 

 

「「「――――殺せェッ!!」」」

「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃいいいいいいいっ!?!?」

 

 

 殺意塗れの怒号を合図に、私は彼らに背を向けて全力疾走を開始した。同時に響き渡る男たちの怒りの咆哮。

 

 先程まで楽しそうな騒がしさで満ちていた歓楽街が一瞬にして騒然と混乱の渦中に叩き落とされるのを感じながら、私は人混みを掻い潜りながら逃げる。何処に逃げればいいのかはわからない。だがこの場において私の手元にある選択肢は、これしか残っていなかった。

 

 迫りくる無数の足音。理不尽への怒りからくる頬を伝う涙。そして変わらず絢爛に輝き続ける歓楽街。

 

 私は運命の悪戯というものを呪いながら、夜の大逃走劇を開始した。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 駆ける。駆ける。駆ける。

 

 今まで一度もしたことのない全力逃走。後ろに流れる夜景を尻目に、私は背後から迫る死の軍団の足音に反応して心臓の動悸を早めながら無心に足を動かし続ける。

 

 人混みという名の盾を抜ければ、相手は遠慮なくその手に持つ凶器をこちらへと放ってくる。本能に従って背後をチラリと見れば早速数本の矢が豪速でこちらに向かって来ていた。

 

 私はそれを見て即座に回避行動に移り、避けきれないと判断した矢は素早く腰から抜き放った剣で切り払う。この行動によって追跡者たちとの距離が少し縮んでしまうが、身体を矢で射抜かれるよりは遥かにマシだろう。

 

「逃がすなァ!!」

「ぐぅっ……!?」

 

 すかさず背を向けて走れば、うなじに悪寒が走る。反射的に伏せれば頭上を投擲槍(ジャベリン)が掠めた。

 

 やはり、あちらはこちらを生け捕りにする気はあまり無いらしい。

 

 涙目になりながら私は過去最大級に頭を回転させて現状を打破できる手段を考える。今取っている”逃げる”という行為は問題を先延ばしにしているだけに過ぎない。根本的な解決ができなければ今夜を凌いだ所で明日また追手が掛かるだけだ。

 

 ついでに言えば、今日中に事態を改善しなければ、確実にファミリアの仲間にも被害が及ぶだろう。何せ顔は割れている。探られれば確実に所属ファミリアがバレてしまう。

 

 何とか無罪を証明しなければならない。幸い、方法はある。被害に遭ったファミリアの主神か、第三者の立場にいるファミリアの神に掛け合って私が盗みを働いていないことを証言してもらえばいいのだ。

 

 問題は、そうする前に彼らに殺されそうなことなのだが。

 

()ったァッ!!!」

「ッ――――【風よ、舞い上がれ(フルトゥーナ)】!!」

 

 いつの間にか回り込まれたのか、前方にあった路地から追跡者の仲間らしき者がハルバードを振り上げながらこちらへと飛びかかろうとしていた。私は息を飲みつつ、周囲に市民が居ない故に遠慮の必要も無くなったことを確認して魔法を詠唱。

 

 超短文詠唱から紡がれる暴風の加護を以て私は跳躍。爆ぜるようにその場から飛び上がり、近場の建物の屋上へと着地することで追手をどうにか撒く。

 

「何!?」

「関係無い! こちらも上がるぞ!」

「いぃっ!?」

 

 しかし追手たちは諦めず、私と同じく驚異的な身体能力を以て建物の屋上へと一足で飛んだ。これは一般人やLv.1冒険者にはまずできない芸当。つまり追手全員がLv.2以上の強者ということになる。

 

 第三級冒険者が十人以上在籍しているファミリアとは、あのバカゾネス(リュゼ)は一体どこの大所から盗みを働いたんだ……!?

 

 私は既に姿を消してしまった全ての元凶に心の中で恨み辛みの言をぶつけつつ、加速。並の冒険者ならばまず追いつけない程の加速で一先ずこの場に居る追手を振り切ろうと試みて――――

 

「――――死ねェ!! 【フレア・バースト】ォ!!」

「嘘ぉっ!?」

 

 背後から魔法により生み出された炎弾が飛来し、ソレは私が足場にしていた建物に着弾。即座に内包していた莫大な熱量を炸裂させて、建物は溶けるように崩落した。

 

 マズイ。こいつ等、周囲の被害を度外視しているッ……!?

 

 爆発の衝撃で体が宙へと押し出され、抵抗する暇もなく私は何処かの建物の窓へと衝突。甲高い音と共にその内部へと突っ込み、転がりながら耳から在住者のものであろう悲鳴を捉える。

 

「きゃぁあっ!? な、何!? 子供!?」

「す、すみませ――――危ない!?」

 

 直ぐに謝罪の言葉を口にするが、視界の端から閃光が見えた瞬間私はすぐさま在住者の女性に飛びかかり、無理矢理その場に伏せさせた。直後、雷撃が建物を貫き爆発させる。

 

 雷が肩を掠めて肌を焼く痛みを歯を食いしばって堪え、降りかかる瓦礫を風で吹き飛ばしながら、私は近くにあった木製の物干し竿を掴む。

 

「いい加減に――――しろぉぉぉおおおおおおおッ!!!」

 

 怒りのまま、全力投擲。半ば無意識に物干し竿へ風を纏わせたせいか、投げた物干し竿は予想以上の速度を叩き出しながら、宙に浮いていた追手の鳩尾に打ち込まれる。

 

 瞬間、強烈な爆発音と凄まじい衝撃波が空を蹂躙し、生じた風は攻撃に当たった者だけでなく、その周囲に居た者すら巻き込んで吹き飛ばした。

 

「……え?」

 

 久しく全力を出してなかったせいか、私はこの結果に狼狽えてしまう。

 

 これは、とてもマズイ。加減しないと死人が出てしまう。そうなれば、もう後戻りはできない。ファミリア同士での戦争すらありうる――――!?

 

 先程攻撃を当てた者が死んでないことを切に祈りながら、私は覆いかぶさっていた女性に小さく謝罪を告げてすぐに建物を飛び出して逃走を再開する。

 

 追手はまだ半数以上残っている。吹き飛ばした者たちだってすぐに復帰してくるだろう。そしてこれからは人気の少ない場所を通らなければならない。でなければ余計な被害が広がってしまう。

 

(なんでっ、なんでこんなことにぃっ……!?)

 

 全力で両手を振りながら走り続ける。心の中を満たすのは困惑と、怒りと、痛哭。

 

 どうしてこうなった。ただ神様をパーティーの会場に送り届けて、終わった頃に迎えに行って家に帰るだけだった筈なのに、何故こんな命懸けの鬼ごっこをしているのだ。理不尽だ、不可解だ。

 

「反撃された! 盗人の分際でこちらに刃を向けるとは!」

「首を断て! 心臓を貫け! 奴をこれ以上生かすなッ!」

 

 殺意が背中を叩く。

 

 捕まったが最後、狩られる。一片の慈悲も無く、死という結末を与えられる。

 

 四肢をもがれ、首を刎ねられ、無惨にも亡骸を蹂躙される。

 

 悲惨で、無惨で、惨憺たる結末が、今向かって来ているのだ。

 

(嫌だ)

 

 走る。

 

(嫌だ嫌だ嫌だッ! こんな所で、まだ、わたしはっ――――!!)

 

 ひたすら、走る。

 

 死という未来から逃れるために、一心不乱に足を動かし続ける。

 

「こんなっ、所で――――死ねるかぁぁぁああああああああっ!!!」

 

 双眸から零れ落ちる涙を振り払いながら、私は死に物狂いで加速した。

 

「なっ、加速しただと!?」

「クソッ、逃してたまるか!」

「援軍はまだか!?」

 

 両脚からブチブチと嫌な音が立て続けに頭に響く。関節が激痛という悲鳴を上げている。それでも私は足を止めない。背後から飛んでくる矢や魔法、路地や建物の屋上から飛びかかってくる者達の襲撃を紙一重で躱しながら、できる限り彼らとの距離を離すために走り続けた。

 

「このまま誘導しろ! 本拠(ホーム)の壁に追いこめば袋の鼠同然だ!」

 

 そんな言葉が、風に流れて私の耳に届く。

 

 誘導。どういう、事だろうか。その言葉はまるで、私がどこかへと意図的に誘いこまれているということで――――。

 

 私は少しだけ、自分の向かっている先に何があるのかを意識してみた。するとどうだろうか。

 

 ――――二〇M以上の巨壁が、そこには鎮座していた。

 

(嘘ッ――――!?)

 

 いや、この壁は知っている。【フレイヤ・ファミリア】の本拠である『戦いの野(フォールクヴァング)』を囲んでいる四壁だ。城塞の如く君臨するソレは、いかなる侵入者をも阻むだろう威圧感を放っている。

 

 直ぐに方向転換しようとするが、視線を向ければ既に大量の追手が両脇を固めていた。これでは進行方向を変えても直ぐに嬲られるだけだろう。

 

 だが前方には巨大な壁。今保有している最大火力を叩き込んで万が一壁を貫けたとしても、その後の隙を突かれて死亡(デッドエンド)を迎えるだけだ。

 

 では、どうする。どうするどうするどうする。考えろ私――――!!

 

 左右に逃げても駄目。壁を破壊するのも無駄。後退など論外。――――だったら。

 

 

「――――【炎よ、燃え上がれ(プロクス)】ッ! 【風よ、舞い上がれ(フルトゥーナ)】ァァッ!!」

 

 

 巨壁を眼前にして少し大きく跳び上がりながら、私は二重付与魔法(ダブル・エンチャント)を発動。全身が軋むのを感じながら、自身の躯体を轟炎と暴風で包み込む。そしてその力を両脚に極限まで集約させ、着地の瞬間に合わせ――――解放。

 

 

「跳、べぇぇぇぇぇえええええええ――――ッ!!」

 

 

 足裏から生じた極大の爆発は、私を夜空へと押し上げた。

 

「な、ぁっ!?」

「嘘だろ!?」

 

 予想外の光景に狼狽える追手たちの声が遠ざかっていくのを感じながら、私は爆発に依る推進力で二〇M以上はあるだろう壁を悠々と跳び越えた。土壇場の一芸ではあったが、何とか上手く行った……!

 

 後は着地だけだ。と、どうにか両手両足の推力を調節してなるべく安全かつ迅速に降りようとして――――

 

 

 

「――――逃がさん」

 

 

 

 ゾクリと、背筋を鋭い悪寒が走り抜けた。

 

 弾かれるように後ろを振り向けば、誰も居ない筈の宙に「巌」のような巨漢が、巨大な剣を大上段に構えていた。

 

 鋼鉄の如く鍛えられた四肢。そこらのヒューマンならば軽く圧倒するだろう二M近い巨躯。そして錆色の髪に紛れて獣の様な耳が生えているのが見える。それ即ち、彼が亜人(デミ・ヒューマン)である証拠。しかもかなり戦闘に特化した種であろう。

 

 そんな存在がまるで弓の弦のように両腕を引き絞り、私へと致命的な一撃を叩き込まんとしている。

 

 何故、私の後ろに。いや、どうやって(ここ)まで!?

 

(まさか――――嘘でしょっ!?)

 

 微かにではあるが、男の身に付けているブーツの周りには石材の粉末らしきモノと細かな大量の傷があった。そこから導き出される結論は――――恐らくあの巨壁を踏み砕く勢いで()()()()()()

 

 不可能、という訳では無い。だが私の跳躍に追いついたという事は、私の行動の後瞬時にその行動に移ったという事。こんな無茶苦茶を即時に実行する胆力には舌を巻く思いだ。

 

 だが感心している場合では無い。そんな荒業を実現したことからあの男は恐らくLv.2以上、それも力や敏捷と言った肉体系基本アビリティに特化していると推察できる。流石の私でもそんな奴の全力攻撃を無防備な背中で受ければ、死ぬ。

 

「う、ぁぁあああああああああああッ!!!」

「何――――ッ!?」

 

 バランスの維持を即座に中断し、私は鞘に収納していた《アスプロス・ソード》を抜き放って、今繰り出せる最大の一撃を背後へと振り抜いた。

 

 

 

「――――ハァァァアアァァアアアァアアアアアッ!!!」

「――――オォォォォオォオォオォオオオオオオッ!!!」

 

 

 

 ――――雄叫びと剣がぶつかり合い、爆音が空へと四散する。

 

 生じる一瞬の拮抗。風によって出力を増した炎によって強化された私の一撃は寸分違わず私の体を裁断しようとした大剣の一撃を捉え、衝突と同時に金切り声と火花が空に反響する。

 

 ミシリ、と互いの剣が悲鳴を上げ――――直後、私と巨漢の体は爆ぜるように別々の方向へと弾かれた。

 

「ッ――――!?」

「くっ――――!」

 

 死に繋がる一撃は防ぐことはできた。だが今の私は全く喜べる気持ちにはなれなかった。

 

(しまっ……バランスがっ……!?)

 

 相殺による反動はおおよそ私に制御できるようなものではなかった。

 

 必死に両手両足の推力を調節してバランスを保とうとするが、強烈な衝撃による慣性力と歪な姿勢で弾かれたことによりきりもみ回転を始めた身体を整えるには、今の私はあまりにも未熟過ぎた。

 

 

「う、わぁぁあぁぁああぁああああああああっ!?!?」

 

 

 私ができることは無様に悲鳴を上げることと、迫りくる石造りの建物の天井とぶつかる衝撃に備えて頭を両手で覆う事くらいしか無かった。

 

 数瞬後、強烈な衝撃と破砕音が全身を叩く。

 

 幾度も体を硬い物に叩き付けられ、その最中に一際強力な一撃が頭へ打ち込まれ――――。

 

「ぁ、――――――――」

 

 間の抜けた声を漏らしながら、無慈悲にも私の意識は闇に呑まれた。

 

 

 

 

 

 




アイリス「神様をパーティに送り届けて迎えに行くだけの簡単な仕事だと思ったら突然盗人呼ばわりされて弁解の余地なく襲われたでござる。ふざけんな」

試練「(予定通り幼い少女に困難が降りかかる様を見ながら)やったぜ」
フレイヤ「(自分の領域に迷い込んで来た極上の原石を発見しながら)やったぜ」



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