彼は誰時に滲む灯火 (moco(もこ))
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前編

後編は予約投稿がうまくいけば本日の11時頃を予定しています。


 

 ──肌にまとわりつく重い空気。何度も近くをかすめた砲弾が空を切る音が、耳の奥でまだこだましている。

 肉が焼けるような匂いと、火薬、そして煙が混ざりあった空気が鼻について。生きているのか、死んでいるのかすら曖昧だった意識が、はっきりとしてきた。

 右眼はすでに血が入り込み、見ることもままならない。霞んだ視界で、辺りをなんともなしに見る。

 ──戦闘の、残り火が。至るところで、ちろちろとこの海上において、燃え上がっていた。

 

『──海域の制圧を確認』

 

 どんな時も声の調子が変わらない今回の旗艦を務める彼女の声が無線に乗る。ゆっくりと、彼女の方を振り返った。その彼女も、衣服は焼け焦げ、艤装は損傷がないところを見つけるのが難しいほどひしゃげていた。

 ゆっくりと首を巡らし、辺りを見渡す。

 ──人影らしい人影は。敵を含め、彼女以外見当たらなかった。

 

「──」

 

 海風に乗って自身に語りかける声。ああ、またか。何度も何度も。戦っている間も、終わった後も。海に出れば聞こえる呼び声。それを振り切るように、かたく目を閉じて。

 

『──これより。艦隊、帰投します』

 

 今日も今日とて。生き延びたこの身は、ただただ淡々と。任務を、こなしていく、それだけだ。

 

 

 新たに切り開かれた海域。それに伴い押し上げられた前線を維持すべく、連合艦隊の中枢を担うこの呉鎮守府では新たに作成された山のような書類を処理していかねばならなかった。

 作戦から帰って来て傷を癒したと思ったら、今度はこの膨大な事務処理である。いくら不知火が秘書艦を担っているからといって、人使いが荒すぎはしないだろうか。最も、忙しい方が色々なことを忘れられるのでこちらとしては願ったり叶ったりなのだけれども。

 だから、その日もいつも通り。提督に上げるべき書類を執務室へと持って行き、指示を仰いでまた仕事へと戻る。その繰り返しが続くのだと思っていた。

 

「──お前は、今日でクビだ」

 

 扉を開けた瞬間。つまらなさそうに頬杖をつきながらこちらに視線を向けた、この小憎らしい男が口を開くまでは。

 

 

「──は?」

「はっ、お前だけだぜ、俺にそんなあからさまに敵意を向けてくんのはよ」

「……おっしゃっている意味が、わかりませんが」

 

 呉鎮守府、連合艦隊司令長官執務室内。こちらを小馬鹿にしたような態度をとっているこの男は、残念ながらこの不知火の上司、呉鎮守府の提督だ。提督、とは艦娘を運用する適性があり、かつ作戦指揮をとることが出来る人間の総称である。だから、総じてみな提督と艦娘達から呼ばれるものの、階級はまた別のところにあった。

 こいつの階級は連合艦隊司令長官。最前線における戦闘の責任者が、この目の前で不遜に笑っているこの男なのだった。

 

「左遷、島流し、解雇。これくらい言えばわかるか?」

「……」

「お前使えねぇから。クビ」

 

 日本各所にある鎮守府の中でも、ここ、呉は最前線を支える重要な拠点だ。空母から戦艦まで、貴重な艦種は大抵がここで統括され、あらゆる作戦は基本的に呉が中心となって指揮を取る。そんな戦線を支える重要な鎮守府の提督は有能ではあるが性格が悪く、艦娘をモノとしか扱わないことで有名で、ほとんどの艦娘から嫌われていた。

 

「……不知火の仕事に落ち度でも?」

「んにゃ?仕事は完璧だけどよ。いい加減その無愛想なツラ見飽きたんだわ」

「……」

「あとお前よ、検査結果で過同調出てんだろ。俺の横に爆弾は置きたくないんでね」

 

 過同調とは、艦艇の神々と同調しすぎる現象のことだ。艦娘とは艦艇の神々の分け御霊を閉じ込めた霊珠、艦魄(かんぱく)から力を引き出すことが出来る少女達のことを指す。基本的に艦娘は艦艇の知識、経験を艦魄から得て戦うのだが、艦魄と同調しすぎると自身が何者であるかを見失い、下手をすると廃人になる可能性があり、その傾向を過同調と呼んでいた。

 

「問題ありません」

「八十五パーセントは問題大ありだ。中等度じゃねぇか」

 

 通常の艦娘の同調率は五十から六十パーセントほど。これより上は過同調とされ、七十から軽度、八十から中等度、九十からは高度過同調と区分される。一般的に過同調は時間さえかければ徐々に回復されるとされているが、最前線ではそういったことも難しい。自身の検査結果は優先順位の低い書類の一番下に入れといたのだが、目ざとく見つけられたようだった。

 

「特に、日常生活にも戦闘にも問題ありませんが」

「は!お前よぉ、酔ってるやつの酔ってないほど信じられねぇもんはねぇんだ、知ってるか?」

「さぁ。不知火はお酒を飲みませんので」

 

 持ってきた書類を机の上に置く。それを受け取って、ペラペラと確認しながら提督が続けた。

 

「ま、そんなことはどうでもいい。今日付けでお前は秘書艦を解任、所属も三日後から別んとこだ」

「……」

「わりぃな、壊れた道具に興味はねぇ。ああ、そうだな、そういえばお前」

 

 そこで言葉を切って、こちらをつまらなさそうに見ながら。

 

「初陣の後からすでに軽度過同調だったっけな?」

 

『──二度も目の前で。私を助けようとするあなたが轟沈する姿を見るなんて、ごめんよ』

 

 なんの気なしに続けられた言葉に、知らず知らずのうちに眉間に皺が寄る。それを、面白そうに見つめながら書類を脇に置き。

 

「今までご苦労さん」

 

 どかっと椅子にふんぞり返りながら。そう、彼は告げてきたのであった。

 

 

 呉鎮守府工廠内。前線への補給を担う次の船団護衛作戦に備えて多くの人が慌ただしく作業をしている中、その一角に声をかける。

 

「おい、野分の艤装調整はどうなってる」

「あー、後少しで終わる」

 

 油と煤にまみれた男が疲労をその顔に滲ませながら答えた。

 

「なるべく早くな、次の出撃まで時間がない」

「ったくここは陽炎型にも俺達にも優しくねぇよなぁ」

 

 首元のタオルで汗を拭いながら男がぼやいた。その作業を手伝いながら他の男がそれに答える。

 

「全くだな。陽炎型も夕雲型も。駆逐艦ってのを考慮しても使い方が荒すぎるぜ」

「だな、顔を覚える前に入れ替わることもザラだしよ」

「あーあー、やめろや辛気臭ぇ。俺達はあの娘らのために全力を尽くすだけ、だ、っとぉ!」

 

 よっしゃ、終わり!とその男が声を上げ、隣にいた男がそれと同時に拳を突き合わせる。達成感と共にその場にへたりこんだ二人に、飲み物を渡した。それを一気にあおって一人が話を続けた。

 

「そーいやよ、お前陽炎型の一番艦見たことあるか?」

「ん?そういやねぇな、色々見てきてはいるけど」

「だよなぁ。まぁ仕方ないのかね、陽炎型の一番艦って元々なーんかパッとしないよなぁ」

 

 それはつかの間の休憩におけるたわいもない話題。特に意味はない、座り込んでいる二人の後ろで、つい自身の眉を吊り上げたところで二人は特に気づくことなく話を続ける。

 

「そーだなぁ。二番艦のが人気あるよな、一番艦が沈没した後は不知火型って名前改められてるしよ」

「はは、いつの時代も出来た下がいると上は大変だなぁ」

「……そうか?」

 

 突如不機嫌そうに声をあげた自身に驚いて、二人が振り返った。

 

「俺は、アレがそんな弱い艦娘だとは、思わないんだがな」

「なんだお前、見たことあんのか?」

「……まァな。……陽炎、いい名前だよな」

 

 よく晴れて、日差しが強く、風がないときに現れるゆらめき、陽炎。確かに砲撃の成績は話にならなかったが、アイツの目には他の奴らにはない、力強い輝きがあった。あれは、カタログスペックだけでは評価されない強さ。なにも出来ず見送ってしまった自身の歯がゆさと共に吐き捨てる。

 

「どいつもこいつも、見る目ねぇよなぁ」

 

 あの娘は。遠い地で、元気にやっているだろうか。願わくば、その輝きが衰えていないことを祈りたい。自身が惚れ込んだ艦娘の悪評にむしゃくしゃしつつ、手元の缶を思いっきり煽った。

 

 

「……っくし!」

「風邪ですか?」

「いや、そんなことはないはずなんだけど…」

 

 首を捻りながら鼻をこする。

 

「誰かが噂してるのかな」

「えー?金剛さんかな……前回のギンバイ邪魔したし、また作戦練ってるのかも」

「……あの人戦艦ですよね?」

「ここでは艦種は関係ないわ。取るか、取られるか。それだけの関係よ」

 

 候補生の訓練を試験的に任せる。そう上から言われてやってきた娘は、五航戦、空母瑞鶴候補の一人だった。まだ艦娘ではないので空母候補生壱番と数字で呼ばれている。

 空母の母たる鳳翔さんから直々に教えてもらえる機会を得られるなんて、幸運な娘ですねぇと提督がボヤいていたけれど、試験的にここにひとりでやってきたこの娘の不安は強いだろう。だから艦種に関わらず目にかけていたのだけれど、最近はここのゆるゆるな実態を知って緊張も解れてきたようだった。現に今も、ものすごい呆れたような顔をこちらに向けている。

 ちなみにギンバイとは食べ物や嗜好品をくすねる行為のことである。金剛さん達がやってきて、そういえばそんなこともやったっけなぁと候補生時代を懐かしんだものだ。ギンバイは駆逐艦娘の専売特許。何を隠そうこの私、候補生時代のその腕前は一、二を争っていたのだ。だからこそ久々のその攻防には心が踊った。

 

「……」

「ま、力の抜きどころを学ぶのも大事よ。それじゃー海に出ますか」

「う」

「今日はちょっと波が高いわね」

 

 波の高さに怖じ気づいている壱番に笑いかける。この子はまだ、艤装を装着してから一度しか海に出たことがなかった。あの時はそりゃもう見ていられないほどのへっぴり腰だった。そりゃそうだ、知識があっても身体は海のことを全然知らないのだから。海は、どれほど向き合っても全てを理解することなどできないほど色々な表情を見せる。時に穏やかに迎え入れ、時に海の底へと飲み込もうと襲ってくる。それでも、私は、海が、艦娘であることが好きだった。

 

「大丈夫!海は怖いけど……楽しいわよ!」

 

 例えこの身が。役立たずという烙印を押され、辺境の地へと追いやられたとしても。駆逐艦としての、艦娘としての誇りを忘れたことなど、一度もなかった。

 

 

 不知火が出て行って数刻後。書類を確認しながら判子を押していき、思わず悪態をつく。

 

「作戦線がちいと延びすぎてんなァ、やっぱ」

 

 最初からこうなることはわかっていた。わかっていても上の命令には従わねばならない。どうにかこうにか新たに海域を切り開いたものの、今度はその前線を維持するための物資輸送航路を強化しなければいけないのだ。

 物資を送り届けなければ戦線の維持などできるわけもなく、さらに言えば新たに延びたこの補給線は敵地に最も近く、被害を受けやすい航路なのだ。まずはこの補給線の安全性を確保しなければ話にならない。この補給線を断たれればたちまちに戦局は傾き、また前線を下げなければならなくなるのだから。

 

「……横鎮のアイツの胃にそろそろ穴が開くな」

 

 現横須賀鎮守府提督は、海上護衛総司令部の長官を兼ねている。艦娘も装備も護衛に回すには圧倒的に足りない。頼むから、せめて完全なる安全海域の確保のために機雷敷設線か電探哨戒網を南方資源航路にだけでも構築してくれ、そうしたら商船も護衛なしで航海できるんだ、と毎回横鎮のアイツに泣きつかれているわけだが。アイツの言うことは最もだ。護衛に回せる艦娘などおらん、と言われれば、じゃあ商船だけでも安全に航海できるようにして補給船の回転率を上げよう、となるのは自然だ。

 俺はアイツ言うことを理解しているし、なるべくそうなるよう協力はしているのだが。上がうんともすんとも言わなければこちらもなにもできない。そして、前線担当のこちらとしては、せっかく押し上げた前線を下げることになるのもアホらしい。上の攻めろ攻めろといった意見と、横鎮のアイツの意見のギリギリのバランスのところまで前線を押し上げた、つもりだ。それでも今回の戦果のおかげで海上護衛問題はより深刻になるだろう。前線物資輸送航路の強化により、確実に他の海上交通線は今までより脆弱になるのだから。

 

「あー、中間管理職ってのはつらいね。早く上にいきたいもんだ」

 

 シュボ、とライターで煙草に火をつけ、それをくゆらせながらぼやく。そして、商船被害報告書を手に取った。

 

「……まだそこまで顕著じゃねぇが」

 

 少しずつ。商船被害が増えているように思う。大多数はこれを見ても問題なかろうと結論を出すだろうが。

 華々しい戦果をあげる前線の連合艦隊は、それこそ国民の希望の光だ。我々は深海棲艦に勝ち続けていると上は国民に示したい。だから、もっと勝て、とせっついてくる。目先の戦果を欲しがる。それと比例して、資源の補給を担う民間の商船被害や海上護衛問題などの地味な部分は軽視されがちになってくる。

 人は問題が浮上しなければ、そこを見ようとは中々しないものだ。商船被害がそこまで出ていない今では、ほら、これだったら商船の護衛もいらないではないか、と結論づける。大打撃を受けたとなれば、時すでに遅しとなるにも関わらず。

 悪循環だ。艦娘は艦娘で、護衛に回されるのはいわゆる前線を張るにはつらい落ちこぼれか旧型ばかりであるから、増々護衛を嫌がる。実際戦果らしい戦果もあげられないつまらない任務であるし、その重要性を解いたところで中々その士気は上がらないものだ。それに最新型を護衛に回そうとすれば上が連合艦隊の艦娘を護衛に回すとは一体どういう了見だ、とつばを飛ばしながら怒鳴り込んでくるのだ。

 正直に言おう、まともな感覚じゃこんな役職、やってられねぇ。

 

「あー……次の秘書艦も決めねぇと」

 

 ため息をつきながら書類を机に放ってどかっと椅子に深く座る。久々に仕事が出来るやつだった。実戦も、書類業務も。これで愛想さえあれば完璧だったんだがな。まぁもう過ぎたことだ。次は誰にするか……出来ることなら横鎮の大淀、かっぱらいたいとこだが。まァ無理だな、アイツ心労で死んじまうわ。

 

「長門はこっちに戻して……加賀は佐世保に回すか、そろそろアレもやべぇな、精神病棟にぶち込むのはもったいなさすぎる。貴重な艦種になればなるほど適性保持者は少ねぇってのによ……」

 

 艦娘は戦争の道具だ。そう思わねばこんなクソみたいな仕事やってらんねぇ。それでも、俺には俺の信念がある。

 艦娘は道具だが、俺は道具を雑に扱うやつは死ぬほど嫌いだ。限られた資源を大切に扱えないものに死地は切り抜けられない。一時期一部の提督間で捨て艦戦法、いわゆる艦娘を囮とした戦法が流行ったが、胸糞悪過ぎて軍規に新たに捨て艦戦法を禁止する旨を追加させた。

 駆逐艦だろうがなんだろうが、全ては貴重な戦力であり、また無駄に浪費する余力なぞ今の俺達にはない。敗戦は即ち人類の滅亡を意味する。これは人と人の争いではないのだ、和平交渉もクソもない。だから、確実に勝ち続ける。そのためにも、有能な奴らを潰してたまるか。

 

「さて、吉とでるか、凶とでるか」

 

 机の引き出しから一枚の紙切れを引き出してそいつのデータを見る。陽炎型のネームシップにして落ちこぼれ。なぜその方向に砲弾が飛ぶ、というくらい理解不能なほど砲撃が下手くそで、早々に見切りをつけられた問題児。自身は会ったことなどなかったか、なんの因果かソイツが配置されている泊地には今、アイツがいる。

 

「……同型艦は、同型艦を呼ぶ、ってな」

 

 海に呼ばれる。艦娘が轟沈した海域に同型艦をやると、その艦娘も轟沈しやすい。まだ確証は得られていない段階だが、最前線に立っているこの身は嫌というほどそれを理解していた。たまに話題に出るこの現象を誰が最初に言い始めたのか、海に呼ばれる、などとなんとも無駄にロマンチックな隠語が確立されつつあった。

 不知火は前線で活躍しすぎた。さすが陽炎型、と言ったところだ。だが、雪風、艦艇の頃からあらゆる死線を乗り越えてきた幸運艦の艦娘であり天才のアイツとは異なり、アイツは秀才型で精神面にも問題ありだ。現に雪風は同調率に問題がないのに対して不知火はここ最近顕著に悪化していた。

 陽炎型、夕雲型はその性能面からどうしても早く実戦に出せとせっつかれやすい。有能すぎるのだ、他の駆逐艦に比べてその性能が。だからこそ、沈んでいくのもこの二つが多い。

 不知火は、前線で活躍しすぎた。……この、陽炎型、夕雲型が多く轟沈していった海域で。

 

「……何が聞こえるんだろうなァ?ま、興味ねぇがよ。さて、賽は投げてやったぜ。どうなることやら」

 

 同型艦は、同型艦を呼ぶ。あちら側にいようが、こちら側にいようが。なれば。

 

「見ものだな、オイ」

 

 灰皿に煙草を押し付け。あくびを噛み殺しながら執務室を後にした。

 

 

 所属の変更を言い渡されてから、三日の猶予。短すぎると思ったものだが、実際に自身の身辺整理を始めてみればものの二時間も要さなかった。それもそうか、ここにはものが無さすぎる。給与をつぎ込む暇もなければ、特に趣味らしい趣味もなかった、しいて言えば読書くらいか。数冊の本を鞄に突っ込んで一息をつく。

 

「呉の海は、性に合っていたのですが」

 

 どんなに凄惨な戦場に赴いていても、ここに帰ってくれば穏やかな瀬戸内海がいつでも迎え入れてくれた。その静けさが気に入っていた。だが、その日々もあと数日で終わりだ。実感が湧かない。いや、そもそも。

 

「……生きている、実感すら」

 

 もう、久しくない気がする。まぁ、そんなもの。どうでもいいか。

 

「──」

 

 どうせなら。いっそ、この身を使い潰してくれれば。次の配属先の詳細は知らないが、鎮守府ですらなく泊地、それも戦術的重要性もさほどないところだと聞いた。そんなところで。なにを、すればいいのだろう。

 ひとつ、ため息をついて自室を後にする。

 

「……あ」

 

 自室から出ると、雪風とばったり出くわした。確か作戦を終えて帰って来たばかりのはずだ。

 

「これからお風呂ですか」

「は、はい!」

「そうですか。無事でなによりです、おかえりなさい」

 

 くしゃり、と頭をなでると、どこかくすぐったそうに雪風は体を揺らした。元々人付き合いがいい方ではないのだが、どうしてか雪風だけは構いたくなる何かがあった。同型艦としての親近感からかもしれない。

 

「ああ、そうだ。雪風」

「はい?」

「転籍することになりました。秘書艦も今日で解任です」

 

 せめて雪風くらいには言っておこうと事実を淡々と告げると、雪風は一瞬固まって泣きそうな顔になる。それが心苦しくあるものの、命令なので逆らうこともできない。

 

「陽炎型の同期は、もうあなただけでしたから。さみしくなります」

「……」

「ああ、そうだ。一度、聞いてみたかったことがあるんです」

 

 ゆっくりと、頭をなで続けながら。何でもないことのように言葉を続ける。それは、自身と同様に多くの同胞が沈んで行った海域で活躍する奇跡の駆逐艦に対して。

 

「海に。呼ばれたことはありますか、雪風」

 

 この身は、既に狂っているのかと。一度、尋ねてみたかった。

 海に出れば、聞こえる。敵のその姿がダブる。共に戦場を駆け抜けた同胞に。そんな自身は、もう狂っているのかと。最後に、聞いてみたかった。

 

「……」

「……あり、ます」

「そう、ですか」

 

 最後に、くしゃっとひと撫でして。

 

「少し、気が楽になりました」

 

 そう、表情筋が死んでいると提督をして言わしめた自身の表情を、できるだけ緩めながら泣きじゃくる雪風の涙を拭ってやった。

 

「しら、ぬい、さぁん……!」

「すみません。無責任かもしれませんが、達者で」

 

 この子に何もしてやれない自身の不甲斐なさを感じながら。せめて、その涙が収まるまでは傍にいようと、思った。

 

 

「さんきゅーな、ねーちゃん!」

「いえ、仕事ですから」

 

 目的地へ行くついでに補給艦の護衛もやってこい、とは相変わらずちゃっかりしてる男だ。性格は悪いが仕事は合理的かつ効率的だったから辛うじて彼の秘書艦をやっていられたところはある。必要最低限の会話で仕事を回せたのである意味相性は良かったのかもしれない、嫌いなことには変わりないが。

 お、いつものねーちゃんじゃねぇのかぁ、艦娘さんはどいつもこいつも別嬪さんだなぁ、と朗らかに話かけられたものの、どう返せばいいか一瞬迷い、結局よろしくお願いします、という無難な挨拶を済ませた。温暖な気候ゆえか、補給艦にいるどの人も陽気で気さくだった。

 この補給艦は荷下ろしを終えた後、しばしの休憩を経て帰路に着く。その際にはここの泊地の艦娘が護衛に当たるはずだが、それらしき影は見当たらなかった。とにもかくにもここの提督に挨拶をしなければ始まらない。補給艦の船員に執務室がどこにあるか尋ねて教えてもらい、連れてってやろうか?という申し出を手を煩わせるわけにはいかないからと断って歩き出す。ああ、工廠の場所も聞けばよかったか、艤装をとっとと下ろしたいがまぁいい、提督についでに場所を尋ねればいいだけだ。

 

「……静かなところですね」

 

 誰に言うでもなく一人呟く。この角を曲がれば提督の執務室だったと記憶しているが、ひとっこひとりすれ違わなかった。それほど規模の大きい泊地でもないし、あまりここに在留している人達はいないのかもしれない。

 扉を前にしてコンコン、と静かにノックをすると、はーい、どーぞーと間延びした声が中から聞こえてきた。

 

「失礼します」

 

 扉を開けると、まさに煎餅を口へと放り込もうとしていた、おそらくここの泊地の提督と思わしき人物と目が合った。

 歳は、二十代後半から三十代前半くらいであろうか。南方の少々高い気温にも関わらず、長袖の制服をしっかり着込み、おまけに右手には白い革手袋まではめているのは中々好感度が高い。衣服の乱れは風紀の乱れ、左手につままれている煎餅は見なかったことにしましょう。

 若い見た目に反して真っ白な前髪から覗く薄茶色の目がぱちくりと瞬かれたのを見届けてから言葉を続けた。

 

「本日こちらに着任致しました、陽炎型駆逐艦二番艦、不知火と申します」

「……」

「ご指導ご鞭撻、よろしくです」

 

 はじめが肝心であるから、きちんとした敬礼と共に無難な常套句を添える。それをぱち、ぱちと目を瞬かせながら聞いていた提督の言葉を待つ。しばらくして、ゆっくりと首を傾げながら提督が口を開いた。

 

「……え、聞いてません」

「は?」

 

 思わずドスの利いた声が出てしまった。いや、でもその返答はさすがに予想外なのですが。

 

「あれ?もしかしてこれかな?あれー?」

 

 気の抜ける声と共に、提督が執務机に乱雑に積まれていた書類の束をひっくり返し始めた。と、共に崩れる山。巻き起こる雪崩。思わずひく、と顔が引きつった。

 

「あらー」

「……」

「あ、待ってください違うんです!うちの秘書艦が少しここを離れてまして、ええ。いつもはこんなにひどくはですね」

 

 あわあわと言い訳を並べる提督を、無言で見返す。押し黙る両者。

 

「……」

「ええと」

「……」

「……とりあえず、ご飯でも食べます?」

 

 帰りたい。着いて早々、そう思った。

 

 

「いやいやいやこんなこともあろうかと空き部屋はきちんと用意してありますからあ!そう艤装!艤装降ろさないとですね!工廠はここです!そろそろご飯も出来ますから今日はそれ食べてゆっくりしてください!で、えー、明日!明日はそう!ヒトヒトマルマルにこちらに来ていただければ!多分、そのくらいまでには!こちらも色々と把握しますので!!」

 

 と、矢継ぎ早に巻くし立てあげられ、冷ややかな視線を提督に送りながらも執務室を後にした。苦手なタイプだ、多分。自分が割ときっちりと仕事をこなすタイプなので、ああいった杜撰な仕事を見ているとイラっとする。

 ため息混じりに工廠へと向かい、そこの、どうやら周りからおやっさんと呼ばれている最高責任者に艤装を預ける。それを見て、彼がしかめっ面をした。

 

「なんだぁ?呉じゃこんな艤装で戦ってんのか?ほぼ初期設定じゃねぇか」

「ええ、まぁ。すぐ壊れて修理中は代替のものを回されますので、呉の艦娘の装備は下手に個々にカスタマイズせず、艦娘が艤装に合わせる方法をとっています」

「けっ、艤装技師としちゃ面白くねぇ話だ」

 

 効率、効率って……あいつとは昔から考えが合わねぇ、と苦虫を噛み潰したかのような顔でそう続けた彼に問いかける。

 

「呉の提督とお知り合いですか」

「ああ?まぁ腐れ縁だなぁ、昔から気が合わねぇけどな」

 

 こんな僻地にいる艤装技師と連合艦隊司令長官が知り合いであるというのも、なんともおかしな話だが。彼は嘘をついている様子でもなかった。

 

「ここじゃ新しく開発に回す資源もあんまねーしよ、何より俺のプライドってもんがある。お前用にカスタマイズさせてもらうぞ」

「どうぞ、不知火に拒否権はありませんので」

 

 郷に入りては郷に従え。特にこの設定が気に入っているわけでもないので自由にしてもらって構わないと告げてそこを後にした。

 確か、食堂はこちらだっただろうか。食堂に近づくにつれ、食欲を刺激するいい匂いが鼻腔をくすぐった。今日は和食なのだろうか、出汁のいい香りがする。

 カラカラと引き戸を開け、辺りを見回すとカウンターにいた女性が声をかけてきた。

 

「あら。新人さんですか」

「本日こちらに着任しました、駆逐艦の不知火と申します」

「あら」

「よろしくです」

 

 トレイはそこ、ここで食事をお出ししますね、と説明を受け、カチャカチャと準備をしていたらその女性が言葉を続けた。

 

「私は、航空母艦の鳳翔と申します」

「……はい?」

 

 その言葉に思わず固まる。なんだ、ここでは艦娘が炊事まで担当するのか。料理などしたことがないぞ、と考えていたら顔に出ていたのか、彼女がくすくすと笑いながら続けた。

 

「私は、もう引退した身なので。ここでお料理を出させてもらっているんですよ」

「……はぁ」

「お口に合うと、いいのだけれど」

 

 そう言ってこちらに渡して来た食事は、控えめに言っても呉の食堂で出されるものより遥かに美味しそうだった。ありがとうございます、と受け取って、空いている席を探す。スタッフや艦娘と思わしき人達がちらほらと見えた。そのうちの一人と目が合う。

 

「見ない顔ね、曙んとこの泊地の新人さん?」

 

 本当に誰も自分のことを把握していないらしい。内心ため息をつきながら先ほどから何度も繰り返している自己紹介をその人の側のテーブルにトレイを置きながらした。

 

「本日こちらに着任しました、陽炎型駆逐艦二番艦の不知火と言います」

「……」

「よろしく」

 

 何度も繰り返して若干うんざりしていたので、挨拶もぞんざいになる。どうせこいつは駆逐艦だろう、文句を言われたら訂正すればいいと席に座ると。

 

「え、嘘!陽炎型!?わーやっと会えた!」

 

 ガタン!と椅子を鳴らしてこちらへと勢いよく歩み寄ってきたその人にびっくりして思わず顔を見返す。瞳をキラッキラさせながらこちらに身を乗り出してきたそいつにたじろいでいると、そんなこちらの様子に構うことなくそいつが話を続けた。

 

「私以外の陽炎型見るの初めて!あ、そう、名前、名前よね!陽炎よ!陽炎型ネームシップ!よろしくね!」

「は、はぁ」

 

 なにが嬉しいのか興奮気味にそう続ける彼女に相槌を打っていると、急に陽炎、と名乗りをあげたそいつが素っ頓狂な声を上げた。

 

「あ、もう時間だ!ごめんなさーい鳳翔さん!後で残り食べるからー!!」

「わかりました。はい、これはお腹が空いたら食べてね」

「こ、これは……!」

「おにぎりよ。大したものじゃないけれど……あまり時間がなさそうだったから、用意しておいたの」

「鳳翔さん……!好き!ありがとうございます!!」

 

 そうして慌ただしくおにぎりが入った風呂敷を受け取り、立ち去ろうとしたところで。

 

「またねー!!」

 

 と、元気よくこちらに声をかけ、そして走り去って行った。

 ……嵐のようなやつ。テンションの高さにうんざりしていたら、なんで訓練後なのにあの人あんなに元気なの……と近くで伸びていたもう一人の艦娘と思わしき女の子が呻き声をあげた。全くだ、と思いながらこちらにも挨拶をすべきかと思ったところで、その娘が力尽きた。……食事の半ばにして気を失っている。そっとしておこう。やれやれ、ようやく静かにご飯が食べられる。そう思った瞬間。

 

「ヘーイ!鳳翔!アイムホーム!ハングリーネー!!」

 

 ガラピッシャーン!と引き戸をけたたましく開きながら、別の女性が現れた。

 ……ここには、まともな艦娘はいないのか。その騒音をBGMに、うんざりとした顔で食事をかきこんだ。

 

 

 書類が見つからない。元来こういった事務処理は苦手なのだ、だから最前線にいる頃は全部秘書艦たる金剛に丸投げをしていた。実を言うと金剛もそこまで書類業務は得意ではないのだが、必要最低限だけおさえて後はごめん任せた、てへぺろ、で他の人に押し付けて切り抜けてきたわけである。うん、まぁ軍から嫌われてる理由の一つは間違いなくそれでしょう。でもしょうがないじゃない、人間苦手なもののひとつやふたつまぁもっとありますけど、愛嬌ってもんですよ。

 そんなわけで該当書類を探し当てるのを諦めた私は、軍の回線であいつに繋いでもらったのである。こんな辺境で干されてる私に何かを押しつけてくるやつなど、あいつしかいないのだから。

 

『何考えてんです?』

『わりぃな、邪魔だからそこに左遷した』

 

 この不遜な態度、相変わらずである。曲がりなりにもこちらはこいつより結構年上なのだからもう少し敬って欲しいところである。

 

『候補生の面倒見てんだ、駆逐が一人増えたところで変わんねぇだろ』

『いや大分違うでしょ……もっと早めに言ってくれません?』

『二週間前には書面が届いてるはずだが?』

『……』

『あいっかわらずクソみてぇな仕事っぷりだな、オイ』

『失礼な。金剛が不在だから書類がすこーし滞っているだけです』

『クソ暇な泊地でなんの書類が滞る』

『い、色々です、色々』

 

 いかん、向こうに押されているぞ。私がこいつのことが嫌いな理由に全ての仕事においてそつがないこともあげられる。え?嫉妬じゃないですよ?揚げ足取りたいのに取れなくてムカつくなんて思ってません。

 

『戦うしか能がねぇくせにんなところに引きこもりやがって。いい迷惑だ、前線に出てきたらどうだ』

『無理ですよ、戦いの最中盛大に足引っ張って欲しいんですか?』

『は、ごめん被る。俺は自分の懐に爆弾は抱えない主義でね、なァ、深海提督?』

『その悪口も久々ですね……』

 

 この見た目と、一回やらかしたこともあってついたあだ名。実際右手には深海棲艦の穢れがいるので全くの間違いでもない。艦隊決戦一回くらいなら問題なくこなせるくらいにはこいつを御せるようにはなったが、前線で戦い続けるのはさすがにリスクが大きすぎる、だからこの泊地へと流れついたのだ。

 その言葉に反応したのかどうなのか。自身の意志に反して右手がひく、と動く。それを拳を握りしめることで黙らせながら会話を続けた。

 

『気に食わねぇ、なにもかも。お前のやることなすこと、全部だ』

『……』

『厄介な神さん連れ戻したのは評価してやるけどよ。俺ぁお前が大っ嫌いだ』

『そうですか。私もあなたが大っ嫌いです』

 

 大っ嫌いなら放っておけばいいものを。それができないのは、残念ながら互いに互いの能力だけは認めているからだ。

 

『働け、俺の駒として。それが戦う力があるくせにそれを捨てたお前のなすべき贖罪だ』

『知ったこっちゃないですけど。なにが目的です』

『なに、話はシンプルだ。妹の面倒を見るのは、姉が適任だろ?』

 

 その言葉に思わずムッとする。言わんとしていることはわかった。彼女、先ほどここを訪れた不知火は陽炎型二番艦であり、そしてこの泊地には陽炎型一番艦が、いる。

 

『そっちの都合で陽炎をここに追いやっておいて。ムシがよすぎませんかね』

『はん、知らねーよ、陽炎の配置は俺がここに着任する前だ。文句は無能な前任にいいな』

『ほーぅ?うちの陽炎がちゃんとできる子だってわかってるかのような口振りですね?』

『さてね。ああ、だがよ』

 

 私はこいつのことが嫌いである。だが、そうであったとして認めざるを得ない。

 

『どっかの物語の正統派主人公みたいなツラしやがって。気に食わねぇんだよ、精々うちのじゃじゃ馬に振り回されな』

 

 こいつは人を見る目があるのだ、艦娘をモノとしか見ていない癖に。初見での雰囲気、与えられたデータ、そういったものを頼りに何よりもうまく艦娘を使っていく。戦いに飢えた艦娘には手綱を握れる艦娘を。一歩前へ踏み出せない艦娘には、優しく背中を押してあげられる艦娘を。とにかく、人と人を繋ぐのが、うまい。それがなおさら腹立たしい。だからこそ、ここにあの娘を放り込んだことにも意味があるのだろう。

 私はあの娘のことをなにも知らない。書類まだ見つからないし。だけれども、結局はこいつの手のひらの上でうまーく転がされるのだろうと思うと、もう、ほんとにムカつく。ムカつくので精々嫌味を言ってやるのだ。

 

『それは、悪人面であるあなたの僻みでは』

『俺はハードボイルドなだけだ』

『……はっ』

『やんのか、コラ』

『いえいえ、お仕事頑張ってくださいね、ハードボイルド提督ブフォ!』

『テメェ、潰す』

『どうぞどうぞ、間宮の羊羮用意してお待ちしてますよ、来れるもんなら来てみやがれってんです、多忙な呉のハードボイルドさん』

 

 そう言って相手の返答もろくに待たずに電話を切ってやった。ああ愉快愉快、いつも口では負けることが多いけれど、久々におちょくってやれた。どうせいつもあいつの手で転がされるし、それが悪い方向へと行くこともまずないけれど。それでも私はあいつが大っ嫌いなのだ。

 

「ヘーイ!ただい……部屋が!!汚い!!デース!!!」

 

 バッターン!と勢いよく執務室の扉を開けるなり、我が泊地の秘書艦、金剛が叫んだ。

 

「え、いつもより綺麗じゃないですか!?あ、おかえりなさい!ほら、見て見て私頑張りましたよ!ほら書類も」

 

 このように一箇所にまとまっております、と指し示そうとして勢い余って書類の山を崩してしまった。ドサー!!と勢いよく書類が床へと舞い散る。

 

「アー!!」

「あー」

 

 ぽりぽりと頭をかいていたら、もー!と金剛が怒りながらそれを拾い始めたので手伝った。

 

「あとさっき見かけたんデスが、あの無愛想なコ、誰デスか?話すタイミングを見失ってしまいマシタ」

「あー、うちに転籍になった娘だそうで」

「Pardon?」

「まだその書類見つからないんですけど、多分それのどこかに……」

 

 えへへ、と金剛が手元にかき集めていた書類を指差す。真顔でこちらを見返す金剛。とりあえずウィンクしておいた。

 

「……テートク」

「はい?」

「Get away from here. 邪魔デース、片付け終わるまでお外に待機しててくだサーイ」

 

 あ、これ割と本気でキレてる。親指でくいっと出ていけとジェスチャーする金剛に従って、すごすごと部屋を出る。バタン!と勢いよく扉が閉められたので、仕方なく扉の隣に座りこんでのの字をかきながらいじけることにした。

 

「だって、書類って見てると眠くなるんですもん……捨てないだけ進歩したと思いませんか……」

「むしろ捨てるのが論外だったんデース!!」

 

 思いっきり中にいた金剛に聞かれていた。

 

 

「同調率八十五パーセント!?普通もう廃人ですよ!!」

 

 ようやっと金剛の手によって掘り起こされた書類に目を通して、思わず素っ頓狂な声を上げた。

 

「そんなに悪いんデスか?」

「そりゃーもう。軽度過同調の初期から生の実感の喪失、症状が進んでくると感情起伏が少なくなって、最後は自失ってのが基本パターンなんですけど。八十五は普通に自失レベルです」

 

 分類的には九十から高度としているが、高度はもう戻れない、という意味での区分だ。この娘の値はそういった意味でもギリギリだ。

 

「そうは見えなかったデスけどネー?」

「元々感情起伏が少ない娘なんですかね、これを見ると。見落とされてたかな……いや、隠してたか」

 

 前線での心理状況というものは特殊だ。多くの敵を屠り、仲間が沈んでいくのを見ていると感覚が狂ってくる。人としての心が摩耗していくのだ。その日常からの感覚の逸脱を調整する意味でも同調率はシビアに管理しているはずなのだ、あいつなら。モノを粗末に扱うことを嫌う、あいつなら。

 それがここまで見過ごされているのは、自分はまだ大丈夫であると誤魔化していたか、あるいは、狂ってると自覚した上で。

 彼女の経歴まで読み進めたところで、ぽつりと言葉をこぼした。

 

「……ああ、初陣もひどいもんだ」

 

 行方不明艦隊の捜索。行方不明艦を見つけるも敵の罠にかかり、彼女以外は全て轟沈。その後、命からがら逃げ帰った彼女の情報により敵は掃討されたようだけれど。初陣と呼ぶには、あまりに惨い。

 

「昔っから、陽炎型は扱いが雑なんですよ。性能に任せた運用ばっかするんですから」

「……陽炎は、ここでのほほんとしてますけどネー」

「そう!それも許せない!」

 

 ここぞとばかりに今までの憤りを拳にのせて机を思いっきり叩く。金剛が書類を整理してくれたので雪崩が起こることはなかった。

 

「せっかく艦娘という生身の人と!コミュニケーションが取れるのに!!上は艦娘の性能しか見ないから歴代の陽炎もこういう不遇な扱いになる!私は!それが悲しい!!」

「テ、テートク、ちょっと、calm down……」

「やってられっか!」

 

 うがー!と頭を掻きむしる。それを見て、呆れ半分、意外そうな顔半分で金剛がこちらを見据える。

 

「そこまで陽炎のこと買ってたのは、ちょっと意外デース」

「そうですか?いやー、まぁね、どの陽炎にも言えるんですけど、性能はちょっとポンコツなところがあるんですけどね」

 

 陽炎という名をもらっていても、そのひとりひとりは違う人であるのに、面白いくらい共通する項目。これがある意味陽炎の適性条件なのかもしれない。

 

『──駆逐艦は、私の誇り!』

 

 あれはどの代の陽炎だったか。あの娘は歴代の陽炎の中でも比較的前線で活躍していた。あの、目。そうだ、今の陽炎も、その前も。陽炎という名前を受け継ぐ者の目には。

 

「いい目をね、するんです」

 

 燃え上がるような。命の煌めきが、その目に宿っているのだ。

 

「ああいう娘がいるだけで艦隊の士気も上がるんですよ。上にはそれがわからんのです……」

「アー、ほら、間宮の羊羹買ってきましたヨー?元気出してくだサーイ」

「わぁい」

 

 机にだらーんと突っ伏して、声だけで歓喜を示せば金剛は苦笑いをこぼした。

 

「……でも、わかる気がしマース」

「んー?」

「ここに、ひとり。敵もほとんど現れなければ、やることもほとんどないこの場所に居続けて」

 

 そう言いながら金剛は執務室の一角に備え付けてある本棚に近づき、そこにしまわれている一冊を取り出した。それは、日焼けと手垢で少々くたびれた日誌。陽炎がひとりここで奮闘していた(あかし)

 

「腐らずにあれだけまっすぐでいられるのは、ある意味才能ですネー」

「でしょー?」

 

 一日も、サボることなく。事細かに記される、陽炎の航跡。それだけではない、ここには船団護衛の教本、その他戦術書。安全海域と謳われているこの泊地にいる限り必要のなさそうな本が、少ないながらも並べられいて。そしてどの本にも読み込まれた跡がついているのだ。

 誰も咎める者もいない中。ただひたすら、愚直にこの泊地を任された艦娘として仕事を全うし、常に前を見続けていた彼女の生き様。それが、この現提督執務室に色濃く残っていた。

 

「ほーんと。皆、見る目ないんですから」

 

 頬杖をついてため息と共に吐き捨てる。それは、奇しくも呉のとある艤装技師がこぼした苦言と、全く同じ内容であった。

 

 

 ヒトヒトマルマル。言われた通りに提督の執務室を訪れる。どうぞ、と言われ扉を開けばそこには先客がすでにいた。同じ陽炎型駆逐艦にしてネームシップ、陽炎。こちらを振り返った彼女から提督に視線を移すと、その隣には昨日食堂で騒いでいた女性が控えていた。彼女がもしかして秘書艦なのだろうか。

 提督はこちらの存在を確認すると、静かに話し始めた。

 

「書類、確認しました。いやはやお見苦しいところを見せまして申し訳ありません」

「……いえ」

「それと紹介が遅れました、こちらがうちの秘書艦、戦艦金剛です」

「よろしくお願いしマース!」

 

 屈託のない笑顔で金剛、と呼ばれた女性が挨拶をしてきた。戦艦金剛、といえば始まりの四隻のうちの一角であったはずだが。まさかこんな僻地で始まりの四隻のうちの二隻に会うとは。

 始まりの四隻。人類が深海棲艦に有効な打撃を与えられず、徐々に生活圏を奪われていた頃に颯爽と現れた四人の艦娘。歴史にその名を刻みながらも、実際にその艦娘を見た人はほとんどおらず、都市伝説となりつつあるその人達が、戦艦金剛と航空母艦鳳翔が、ここにいる。なんだか不思議な感じではある、興味はそれほどないが。

 

「よろしくお願いします。駆逐艦、不知火です」

 

 敬礼と共に挨拶を返す。それを見て、Wow、綺麗な敬礼ですネーと金剛さんが感想を漏らした。

 

「まー見ての通りなんにもない泊地なんですがね、ここ。ちょうどよかったです、あなたにも手伝ってもらいたいことがあるんですよ」

 

 えーと、と言いながら引き出しを漁ろうとしている提督に金剛さんがスッと書面を手渡す。それを受け取ってあー、これこれ、とのんびりと提督がお礼を言った。

 ……秘書艦とは、介護職だっただろうか。

 

「まだ会ったことはないかも知れませんが。こちらでは試験的に候補生の受け入れを始めたんです。五航戦瑞鶴候補、空母候補生壱番。彼女の面倒を見てあげて欲しいんです」

「……お言葉ですが。艦種が違う不知火に適しているとは思えませんが」

「そんなことはないですよ、艦隊運動における連携とか、航行技術だとか、魚雷の回避運動だとか。やれることはいっぱいあります」

「……」

「呉では駆逐艦はヒエラルキーの最下層みたいなところがあるでしょうから、やりづらいかもしれませんね。でもあそこはあそこ、ここはここ」

 

 さらっと言ってくれる。あちらのいかにも海軍らしい上下関係に慣れきったこの身では、いかに候補生とは言え空母に気安く話しかけるのは中々抵抗がある。

 別に差別をされているわけではない、あそこでのあれは区別だ。戦艦や空母はその人数も少なく、戦術の要たる艦種であるからその責任も重い。そういった期待を背負って戦線を押し広げる彼女らと、その彼女達を必死に守り、彼女らが戦い続けるための物資を確保するための補給艦護衛任務などを担う駆逐艦。どちらも大事であることはわかった上で、それでも駆逐艦娘達は尊敬の念をもって彼女達と接するのだ。

 

「ていうかぶっちゃけここ艦娘ほとんどいないんですよ、空母なんて鳳翔さんだけですよ、鳳翔さんに任せっぱなしじゃ美味しいご飯が食べられないじゃないですか!!」

「それは困る!!」

「そうでしょう!」

 

 ……人が真面目にその候補生への接し方を考えているというのに。なにやら話題がどんどんゆるい方向へとずれてきた。ヒートアップする提督と陽炎を冷ややかな目で見るも当人達は気づいてないようだった。

 

「まーそんなわけでね、金剛にも陽炎にも、もちろん鳳翔さんにももう訓練を任せてはいるんですけど。そのローテーションに不知火も入ってもらいたくてですね」

「……ご命令とあらば」

 

 どうせこんな泊地ではやることもあるまい。のどかな海を哨戒し続けるよりかは幾分気が紛れそうだし、そもそもこの人は上司であるわけだから断るなどもっての他だ。

 

「堅いなぁ。陽炎とは大違い」

「別に同型艦だから似てるってわけでもないでしょ、そもそも他人だし」

「ま、そーなんですけどね。それじゃ、今日のお願いでーす」

 

 でれでれでれ〜と下手くそなドラムロールを口で鳴らしながらじゃん!と一枚の紙と共ににこやかに提督が告げる。

 

「おやっさんから標的用の深海棲艦の模型が出来上がったとの話があったので。今日は陽炎と不知火の二人でそれを使った砲撃訓練を行ってもらいまーす」

「え゛……?」

 

 その言葉に陽炎が怯んだ。

 

「……ぎょ、魚雷じゃダメ?」

「だめです」

「ほ、ほら。候補生は空母よ?私達の砲撃データなんていらないんじゃない?」

「今後駆逐艦候補生の受け入れも検討中なので。あと模型の耐久性見るのに艦載機なんか一々使ってらんないです、貧乏泊地の資源難なめないでください」

「資源調達頑張るから!」

「そういう問題じゃありませーん」

 

 なにをそんなに慌てることがあるのだろうか。必死に食らいつく陽炎をのらりくらりと交わしながら、提督はこちらに笑いかけてきた。

 

「やってくれますよね?」

「はい」

「さすが不知火、どっかのお姉ちゃんとは違って聞き分けがいいですねー」

「ぐ、ぐぬぬ!」

「妹艦はやるって言ってますが、ネームシップ陽炎さんはいかがですかー?」

「バカにすんじゃないわよ!!やってやるわ!!」

 

 ちょろいやつ、とそのやりとりを見て思っていたら、ギャーギャーと騒ぐ陽炎の傍ら、提督がいやー陽炎は扱いやすくて好きですよ、とぼそりと呟いたのが聞こえた。

 ……この人、割と腹の中は真っ黒なのかもしれない。さすが提督、どいつもこいつも癖が強くて嫌になる。表情を変えずに黙っていたら、こちらに気づいた提督がにこり、と笑いかけてきた。

 ……食えない人だ。

 

 

『じゃー動くタイプと動かないタイプ、両方の模型で撃ってもらうからよ』

『……』

『ちゃんと当てろよ』

『わかってるわよ!』

 

 艤装を背負い、海上にて波に揺られながら件の模型を見据える。呉では割とリアルな深海棲艦の模型を使っていたけれど。あれは、なんだ。案山子にしか見えない。

 

『それじゃ、陽炎からな。目標、敵深海棲艦。撃ち方始め』

 

 ごちゃごちゃとなにやら揉めていたようだが、おやっさんがそう指示を飛ばすと陽炎は渋々と肩口に装備している12.7 cm連装砲のアームを調整して……調整して……。

 

「……早くしてくれませんか」

「ちょっと待って心の準備が」

「は?」

「あ、いや。……え、ええい!!なるようになれ!!!」

 

 気合いと共に陽炎の連装砲が火を吹いた。どどど、と水柱が派手に乱立する。……標的から大分離れた、見当違いな場所に。

 

「……へったくそですね」

「知ってるわよ!!だから嫌だったの!!」

 

 魚雷は当たるもん!!と何やら言い訳をしている陽炎を呆れながら見返し、スッと右腕と共に自身の12.7 cm連装砲のアームを動かす。

 

 ──ダ、ダァン!!

 

「ノールック!?」

「動いてない的なんだからこれくらい普通です」

「やだ!私の知ってる普通じゃない!!」

 

 

 その様子を、少し離れた所から見ている二人がいた。

 

「やーうまいな、不知火は」

「陽炎が下手すぎるだけじゃないデスかー?」

「それをさっぴいてもいい腕してますよー」

 

 なるほどなー、前線に出ずっぱりになるわけだ、と一人納得する。そつなくなんでもこなせる器用なタイプなのだろう。

 

「……なんか、また言い合いしてますヨー?」

「えー?」

 

 

「偏差考えてるんですか!?」

「失礼ね!ちゃんと照準動かしてるでしょ!」

「的を追ってるだけじゃないですか!バカなんですか!?」

「あ」

「バカなんでしょう!?」

「いや理論ではわかるのよわかってはいるんだけどこの主砲を握るとついつい力が入っちゃ」

 

 ──ダァン!!

 

 今度は、動いている的に対して。陽炎を黙らせるように模型に撃ち込んでやった。

 

「……」

「砲弾は、相手の動く先に置いてやるんです」

「……」

「それができないのなら、ゼロ距離砲撃をおすすめしますが」

「ば、ばばばかにすんじゃないわよ!」

 

 

「おもしろいなー」

「趣味悪いですヨー?」

「やだな、陽炎の砲撃がじゃないですよ」

 

 ムキになって言い合っている二人を指差しながら、言葉を続ける。

 

「あの娘があんなに声荒げてるの初めて見ました。やっぱ、同型艦同士ってなんかあるんですかねー?」

 

 相性が、いいのか、悪いのか。とにもかくにも今までろくに表情を変えることのなかった不知火がああも煽られている姿は中々に面白い。ついでに言うと、陽炎も。

 

「いい刺激になればいいですねぇ、お互いに。いやー助かりますよ、私教えるの苦手で」

 

 一回旗艦との視界共有を利用して砲撃を当てる感覚を身につけてもらおうとしたことがあったのだが、今の動きなに?と聞かれる度にえ、誤差を修正しただけです、と返していたらもういいと断られてしまったのだ。

 

「あとやっぱ駆逐の主砲は撃ってて楽しくないんですよねー。戦艦が一番!願わくば生きているうちに大和の主砲とか撃ってみたいですねー!」

「……浮気デース」

「え、これは違」

「浮気デース」

「……安心してください、こんな辺境の泊地に大和なんて来るわけないじゃないですか」

「……それもそうですネー」

「でしょー。はい、仲直りー」

 

 むすっとしている金剛の両手をとって軽く上下に振る。

 

「……喧嘩はしてないデース」

「でもちょっと本気で妬いたでしょう」

「……」

「あなただけですよ」

「……そういうところ!!デース!!」

「あだぁ!?」

 

 金剛からなぜか頭突きをされたその時。海の上では取っ組みあいの喧嘩が始まろうとしていた。

 

 

「あなたなんで艦娘なれたんですか!?」

「失礼ね!?砲撃以外はそこそこよ!!」

「ネームシップの名が聞いて呆れますね!」

「……言ったわね?」

 

 急激に陽炎の声のトーンが落ちる。瞬間、反射的に顔の位置をずらすと、頬を陽炎の拳が勢いよくかすめた。

 

「売られた喧嘩は!買わなきゃ駆逐艦の名折れよ!!」

「初手外しておいてどの口が!!」

「当たるまでぶん殴れば問題ない!!」

「上等です!!」

 

 

「わはー、駆逐艦同士の喧嘩見るのひっさびさ、あいてて……」

 

 顎をさすりながら海上での乱闘をのほほんと眺める。駆逐艦が多く所属する鎮守府では別に珍しくもない光景。火事と喧嘩は江戸の華、ならぬ駆逐の華。仲間の、自身の誇りを傷つけられっぱなし、舐められっぱなしは許せないのが彼女らの性分だ。喧嘩を見かければ戦艦や空母などは面白そうにそれを囃し立て、やんややんやと盛り上がる。それが鎮守府における一種のエンターテイメントとなっていた。

 小さな体に秘めたる大きな闘志。僚艦を命がけで守り、時に強大な敵に怯むことなく立ち向かう彼女達は他の艦種よりも短い命であることが常であるからこそ。その生き様に皆魅せられるのだ。

 

「どっちに賭けマスかー?ワタシは不知火デース」

「えー?そうだなぁ」

 

 しかしこうして見るとやっぱり陽炎も駆逐艦なんだなぁという気持ちと。割とあの子、血の気多いなぁという不知火に対する新たな見解を得つつ。

 

「共倒れに一票ですかね」

 

 きれいに陽炎の右ストレートが入ったのを見届けながら、のんびりと答えるのであった。

 

 

「……いっつ」

 

 口の中が切れて鉄の味が広がる。喧嘩なぞ、いつぶりだろう。いや、そもそもまともに喧嘩なんてしたことすらなかったかもしれない。気づけば同期はもう雪風だけで。まともにぶつかりあえる娘なんていなかったのだから。

 陽炎との掴み合いの喧嘩は、結局最後は二人同時にのびる形で終わりとなった。航行安定装置のおかげで大破さえしなければ海上でのびようが沈まず海にプカプカと浮けるわけだが、先に意識を回復した陽炎に晴れやかな顔でいやーいいパンチだったわ、と引き起こされた時はなにをしているんだ、自分は、とさすがに我に返った。

 駆逐艦は喧嘩っ早い。だけれども、一度決着をつければお互い後腐れなし、というのが常だった。陽炎も多分に漏れず、改善しなきゃなーとは思ってたのよねぇ、今までは自分で試行錯誤するしかなかったから勉強になった、ありがとうとお礼まで言われてしまった。

 

「……」

 

 ぐいっと口の端を左手で拭えば、白い手袋に微かに血の赤がついた。

 ……イライラ、する。そもそもがあわないのだ、あんな能天気な娘と。能力がないのも、こんな泊地で平和ボケしているのも。……前線が、戦争がどういったものであるのか、まるで知らない無邪気なあの態度が。イライラする。

 自室に戻るため、宿舎へと通ずる縁側を歩いていると。

 

「──」

 

 不意に。呼ばれた、気がした。目を閉じて、左手のあの傷がある場所を手袋越しに右手で握りしめる。

 

「……どこにいても。逃げられるわけでもないのに」

 

 一体、自分はここで、なにをしているのだろう。そう、ここに来てから何度も自身に投げかけている質問を、また繰り返すのだった。

 

 

 ここに来てからごたごたしていて中々日課の訓練ができずにいた。基礎体力は日々の鍛錬がものをいう、最近どうにもイライラするのはこういった日課をこなせずに生活リズムが狂っていたのもあるかもしれない。

 動きやすい服を身につけて外に出る。まだ日が登ってから時間がそんなに経っていないこの時間帯は、少し肌寒かった。まだここの土地勘も掴めていないから、適当に島をぐるっとジョギングでもして体を温めるか、と考えながら外に出ると、そこには先客がいた。

 

「……あ。ええ、と」

「陽炎型駆逐艦二番艦、不知火と申します」

「空母候補生、壱番です。よろしくお願いします」

「はい、よろしくです。自主訓練ですか」

「まぁ、そんな感じです」

 

 何度か見かけたことはあったが、まだ直接訓練を担当したことがなかったので実際に言葉を交わしたのはこれが初めてだった。候補生ということもあってか、ちょっと気後れした様子だった。わざわざこれ以上関わる必要もあるまい、と、ここを離れようとして彼女の先でストレッチをしている人物をみつけ、微かに顔をしかめる。朝から見たくはない顔だった。

 

「あの人より早く起きようって、最近チャレンジしてるんですけど。これでもだめかー」

 

 隣でぼそりと呟く壱番。よくよく見れば、ストレッチをしている彼女、陽炎はどうやら一通りウォームアップを終えた後であるようだった。陽炎がこちらに気づいて声をかけてくる。

 

「はよっ!壱番、不知火!一緒に走るー?」

 

 朝から元気なことだ。そのテンションの高さが少し鬱陶しい。彼女に答えずに黙っていると、隣にいた壱番が元気よく声を上げた。

 

「いいですよ、競争しましょう。私が勝ったらお昼のおかず一個もらいますからね!」

「おっ、いいわね!乗ったわ!!」

 

 壱番も負けん気が強いのか、そう陽炎に吹っかけて隣へ走り寄り、簡単な柔軟を始めた。それを横目に、陽炎が視線であんたは?と聞いてくる。

 

「……不知火は、一人でここを周りたいので」

「そっかそっか。まぁ歩けるとこは入り組んでないから迷うこともないし。でも気をつけなよー」

 

 そう言って陽炎はひらりと手を振って自身もまた柔軟を再開した。もう少し絡んでくるかと思ったが、予想外に引き際がよかった。好都合だ。そのまま、黙ってそこを後にした。

 

 

「まだまだ後輩には負けないわよー!」

「……、ぜ、ぜぇ」

 

 肩で息をしてまともに答えられない壱番の横で勝ち誇る。ここに来てからも一日もサボらず基礎体力の訓練を続けてきたのだ、早々に負けてなんかやるもんか、という意地と共に壱番をボッコボコにしてやった。

 

「は、っげほ!……体力なら自信あったの、に」

「ふふん、これが現役艦娘と候補生の差よ。ま、航行とかで体力つくし。海に出続けたら嫌でも体幹鍛えられるわよ」

 

 壱番はまだようやくまともな航行ができるようになったレベルだ。これからの伸びしろを考えたらむしろ末恐ろしい。私、最初からこんな体力なかったしなー、ガッツもあるし、いい空母になるに違いない。負けん気の強さも個人的には好感が持てた。

 

「ほら、奢りよ」

「ありがとう、ございます」

 

 予め準備していたクーラーボックスの中の缶ジュースを壱番に放る。壱番はそれを片手でキャッチして一気に煽った。

 

「はー、早起きも勝てないし」

「なに?あんたそんなの競ってたの?」

「負けるの、嫌いなんです」

「そのガッツは認めるけど……それを言ったらもっと恐ろしい人がいるわよ」

「誰ですか」

「鳳翔さん」

「ああー……」

 

 本当に、いつ寝ていつ起きてるんだろう。鳳翔さんが来てから、ご飯は美味しいし気づけば家事を済ませてくれているしと至れり尽くせりなのだけれど、本気でいつ休んでいるのか気になるところである。お店を持つのが夢だったから。ちょっと違うけど、私のやりたいことをやっているだけよ、とにこにこと言われてしまえばなにも言えない。だからせめてもとお手伝いなりなんなりをするのである。多分、ここにいる人達で鳳翔さんに頭が上がる人なんていないんじゃなかろうか。

 

「鳳翔さんは別格なので……」

「その言い方は引っかかるけど、まぁわかるわ……」

「実際鳳翔さんに教えてもらえるの、私、すごい役得だと思ってます」

「そうなの?」

「はい。なんていうか、教えてくれるひとつひとつに大事なことがいっぱい詰まってるんですよね」

 

 そう言ってぐいっと缶をまた壱番が呷った。鳳翔さんの射や艦載機の扱いを見る事はあれど、鳳翔さん以外の空母を見たことがなかったので空母視点からの話は中々に興味深い。

 

「艦載機乗りの妖精さんの熟練度おかしいくらいに高いし……新入りの妖精さんもすぐ懐くし」

 

 妖精さん、とは艤装の調整や開発、出撃の際は戦闘の手伝いをしてくれる神仏の類い、と定義されている。工廠の奥には必ず小さな鳥居が設置されており、そこを行き来しているようなのだが、大抵の妖精さんは一箇所の工廠に居ついてお気に入りの艤装技師や艦娘を手伝ってくれている。

 私も結構懐かれている方だと自負しているけれど、鳳翔さんには負ける。工廠に現れた瞬間一斉に妖精さん達が彼女にまとわりつく姿は中々にすごい。鳳翔さんは鳳翔さんで妖精さんひとりひとりに声をかけて丁寧に対応しているし。あれに敵う日が来るとは思えなかった。あと地味に金剛さんも好かれてるのが納得いかない。あんなに扱いが雑なのに。

 

「なんていうか……性能とかじゃなくて。この人には一生敵いそうもないなって、理解しちゃうというか」

「へぇ〜」

「まぁ、だからこそ学べるところは多いです。チャンスは、活かさないと」

 

 そう言って空になった缶をぺき、と軽く握り潰す。

 

「……絶対に、見返してやるんだから」

 

 そして、おそらく無意識にこぼしたであろう壱番の発言を耳にとらえて。思わず聞き返してしまった。

 

「誰を?」

「あ。……ええ、と」

 

 壱番はハッとなって言葉を濁した。聞かれたくないことだったかな。人との距離感が近い自覚はあるけれど、さすがに踏み込んで欲しくないところに踏み込むほどデリカシーに欠けてはいないと思っているので、無理には聞くまいと黙って残りのジュースを煽る。しばらくすると、壱番が口を開いた。

 

「……陽炎さんは。なんで、艦娘になったんですか?」

「ん?適性があったからだけど」

「いや、そうじゃなくて」

「あはは、ごめん冗談よ」

 

 艦娘適性があるものはその意志に関わらず国に登録される。最終的に艦娘になるかどうかは本人の意志に委ねられるとされているけれど、実際のところは希少な艦種になればなるほど有無を言わさず、といった感じだ。だから中には戦うのを嫌がっている娘もいる。最も、そういう娘は候補生時代に適性難あり、と大体弾かれてしまうけど。

 だから、壱番が聞きたいのは私が戦場へと赴く理由なのだろう。

 

「純粋に憧れたからかなぁ」

「憧れ、ですか」

「うん。ちっちゃい頃ね、船に乗ってる時に護衛していた艦娘と話す機会があったのよ」

 

 そう言って過去を思い出す。

 

『ねーねー、お化け、こわくないの?』

『お化け?』

『深海棲艦のことじゃない?』

『ああ』

 

 ちっちゃい頃に読んでいた絵本。それは、深海棲艦と艦娘の戦いをモチーフにした童話だった。子供向けに話がアレンジされているとはいえ、深海棲艦はおどろおどろしく描かれ恐怖を煽り、そして艦娘はそれを打ち倒すヒーローのように描かれていた。深海棲艦はとても怖かったけど、同時に艦娘には強く憧れた。正義のヒーローとはまさにこれだと思った。だから、本物の彼女らを前にして興奮して話しかけたのだ。

 

『怖いわよー』

 

 それなのに、そうのんびりと返してきた艦娘はあまりにも絵本の艦娘と異なっていて。思わず噛みついてしまったのだ。

 

『……にせものだ!』

『え、偽物って』

『だって、かんむすは、ゆうかんだって本にかいてあったもん!弱虫なおねーちゃんは、にせもの!』

『あら』

『言うわねー、この子』

 

 今更ながら、護衛任務中で気を張っている中、あんなにけちょんけちょんに罵ったのに笑っていたあの人は中々に懐が広いように思う。そして、そんな罵声に彼女は真摯に答えてくれたのだ。

 

『ね、おチビちゃん。死ぬのって怖い?』

『……こわい』

『お父さんとお母さん、友達が死んじゃうのは?』

『やだ!ダメ!!』

『素直でいい子ねー』

『なんでそんなイジワル言うの!』

『ごめんごめん、でもね、私も一緒なのよ』

 

 顔はよく思い出せないけれど。彼女の目は、よく覚えていた。深海棲艦を、死ぬのが怖いと言い。家族が、友人が死ぬのは嫌と言った、彼女の、目。

 

『勇敢ってのは怖くないってことじゃないのよ』

『……どういうこと?』

『深海棲艦は怖い。死ぬのは怖い。怖いことばっかりね、それでも』

 

 怖い、と素直に口にする彼女。その内容は、難しくてよくわからないことも多かったけれども。

 

『仲間や家族が死ぬのはもっと怖いの。だから、いっちばん怖いものから大切なものを守るために私はここにいるのよ』

 

 それでも、そう語る彼女の力強い眼差しは、子供ながらに綺麗だ、と思った。

 

『……よくわかんない!』

『ありゃ。難しすぎたか』

『陽炎、そろそろ持ち場に戻るわよ』

『はいはい、っと。……ねぇ!』

 

 そう言って、かげろう、と呼ばれた彼女は首元のリボンをするりと解いてそれを風に乗せた。思えばよくキャッチできたものだ、あれが私の手に収まらなければかっこ悪いどころの話ではないだろうに。それでも。

 

『あんた、いい艦娘になれる気がするわ!海で待ってるわよ!!』

 

 あの笑顔に。あの言葉に勇気づけられた。艦娘ってやっぱり凄い!と、憧れたのだ。

 

「まーまさかあの人と同じ艦艇の艦娘になるとは思わなかったけど」

「え?」

「いやびっくりよね。こんなことってあるのねー」

 

 同じ艦艇の艦娘は同じ場所には配属されない。どういう原理かは未だに解明されてないが、一緒にいると艤装が不具合を起こすのだ。だから、彼女と会うことはもう二度とないけれど。もしかしたら、彼女はもうこの世にいないのかもしれないけれど。それでもいい。私は、あのとき。確かに彼女の意志を受け取ったのだから。

 

「今を全力で生きて大切なもののために戦っているその姿にね、憧れたのよ」

 

 まぁ予想外の自身のへっぽこさにこんなところまで飛ばされてしまったけれど。それでも変わらない。この海を、大切な人達を守るという点で私は自身が艦娘であることに誇りを持っている。

 

「……私も」

「ん?」

 

 物思いに耽っていると、徐に壱番が口を開き、意識を引き戻された。壱番は手元の少しへこんだ缶を睨みつけながら。

 

「私も、そう。……憧れて、目指したんです」

 

 そう言ったきり。その後の言葉を続けることは、なかった。

 

 

 

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後編

一部不快な人物と結構な殴り合い等があります。注意してください。


 

「──チェックメイトです」

 

 訓練海域の海上にて。不格好に尻餅をついて青ざめている壱番に連装砲を突きつけ、淡々と宣言する。

 ここに来て数週間が経った。訓練を重ね、艦娘としての戦い方を一通り身に付けた壱番の訓練はより実戦的なものへと移行していた。

 駆逐艦に襲撃された時の回避行動訓練。空母は近づかれれば負けだ。いくら空母瑞鶴が高速艦とはいえ、それは変わらない。だから常に護衛艦と共に行動をすることが大事になる。

 今日は陽炎と不知火、壱番で擬似的にそういった状況を作り出し、対処法を考える訓練だった。壱番の護衛をどっちがやるか、という時に不知火は一航戦の護衛を何度かしたことがあるからと護衛側につこうとしたら、壱番が突如食ってかかってきたのだ。

 護衛してたってことは、弱点もそれだけわかってるんでしょう、なら不知火さんが襲撃側をしてください。私は一航戦になんか負けないと妙な対抗心を燃やしているようだった。だから、何か勘違いをしているその様子から目を覚まさせてやろうと完膚なきまでに叩きのめしてやった。

 陽炎が目くらましに張った煙幕に自ら突っ込み、壱番に向かって一直線に駆け抜け、そして今に至る。

 

「ちょっと!あんた、何考えてんの!?」

 

 その様子を唖然と見ていた陽炎が、慌ててこちらへ駆け寄る。

 

「何って。実戦のようにお相手しただけですが。候補生だからと手を抜くのは失礼でしょう」

「煙幕に突っ込んでったら敵からのめくら撃ちであんたがボロボロになるでしょうが!!通常戦闘で相手しなさいよ!!」

「これが不知火の通常です」

 

 艦娘の戦い方は生き延びることを第一としている。敵が張った煙幕へと突っ込んでいくのは逆に自身に砲撃を集中させる悪手とされているが、知ったことではない。定石で戦場は生き延びられない。

 

「空母瑞鶴は高速艦ですので。近づいた方が確実に仕留められます」

「実際の戦闘だったら敵に囲まれてあんたが沈む可能性が高くなるじゃない!!」

「沈められる前に沈めるだけです」

 

 そう答えると、陽炎は絶句してこちらを見返してきた。何も間違っていない。ずっと、自分はこういう戦い方をしてきた。

 

「沈められなかったら、その時までです」

「……あんった、ねぇ!」

「何か、落ち度でも?」

「本気で言ってんの?」

 

 胸倉を掴んでこちらを睨みつける陽炎を、冷めた目で見返した。陽炎はぎり、と掴む力を強めながら、それでも怒りをなんとか抑えつつ吐き捨てた。

 

「悪いけど。あんたの戦い方も、その目も。私、大っ嫌いだわ」

「そうですか、奇遇ですね。不知火も正直あなたのその目、嫌いです」

 

 お互いにお互いが嫌いというのだから、これも一種の両想いだろう。好都合だ、今後一切つっかからないでほしい。

 

「……あの!!」

 

 しばらく二人で睨みあっていたら、急に壱番が声を上げた。どうやら立ち直ったようで、しっかりと海に立ちながらこちらに話しかけてきた。

 

「……私がいけないんです。対抗心だけいっぱしに燃やして、この有り様なんですから。頭が冷えました」

「……」

「もっと、ちゃんと自分の力量と向き合ってやるべきことをやります。……もう一度、お願いします」

 

 真正面から殺気をぶつけてやったというのに。この娘は、思ったより芯が強く、素直で賢いようだった。しっかりと頭を下げた壱番を黙って見ていたら、隣の陽炎がいつもより低い声で、

 

「じゃあ、攻守交代ね」

 

 と告げた。それに黙って応じて、配置につく。

 陽炎はぐるぐると肩を回して何かを確認しながらこちらを、不知火を真っ直ぐ見据え。

 

「それじゃあ。──はじめ!!」

 

 その掛け声と共に。こちらへと真っ直ぐに突っ込んできた。

 ある程度予想ができていたこちらも、主機を一杯まで叩き込んで突っ込む。

 

「え、ちょっと!?」

 

 素っ頓狂な壱番の声をゴングの鐘代わりにして。お互いその勢いのままに相手を力の限り殴り飛ばした。

 

「第二ラウンドよ!」

「望むところです!!」

 

 お互いに遠くへと吹っ飛ばされ、海水を思いっきり被りながら体勢を立て直して吠えてまた正面からぶつかる。唖然とこちらを見ている壱番など、最早お互いの視界に入っていなかった。

 

「あんたのそのなにもかも諦めてる目!ほんっと気に食わない!」

「うるさい!ろくに砲撃も当てられないへっぽこが!」

 

 そう言って思いっきり左頬をぶん殴った。艤装を背負っている状態では普段よりも肉弾戦のダメージは通らない、砲撃から守ってくれる結界が展開しているからだ。だからこそ喧嘩はより苛烈になっていく。

 たたらを踏みつつなんとかそこで踏ん張った陽炎は、今度はこちらの胸元に掴みかかってきた。

 

「知ってるわよ!私が弱いのも!練度不足なのも!だから余計に気に食わない!!」

 

 そう言いながら陽炎が膝を腹に叩き込んできた。思わず息が詰まる。結界を展開しているということは、すなわちその防御力でもって相手を殴りにいっているようなものである。例えていうなら盾でぶん殴るようなものだ。砲撃ほどの威力はないとは言え、続けていけばダメージは蓄積していく。

 

「あんたは強いのに!一体どこ見てんのよ!!」

「なに、が!」

「死にたがりと一緒に組むなんて真っ平ごめんだっての、よ!!」

 

 陽炎のパンチが綺麗に頬に入り、吹っ飛ばされた。水飛沫をあげつつ受け身をとって、体勢を整える。

 イライラする、本当に。元来自身は頭に血が上りやすいのだ。もはや正常な思考などどこかへ消し飛び、こちらに掴みかかろうと寄ってきていた陽炎に起き上がり様に殴りかかった。

 

「いっ!?」

 

 急所を狙うだとかそんな冷静な攻撃ではない。ただ、そこにいるこいつが気に食わない。こいつの存在を倒さねばならぬという一種の怒りに任せた攻撃は、陽炎の足元をすくうには十分だった。

 

「うるさい!前線にろくに出たこともないやつが綺麗事を並べるな!!」

 

 もはや自身が何を言っているのか、それすらもあやふやだった。ただただ怒りを言葉として放出しながら殴りかかる。

 

「何がわかるのよ!仲間が!目の前で沈んでいくのをただひたすら見送るしかできないのを!!戦場の現実を知らないくせに!」

 

 次に沈むのは誰だろうか。いつから他人と距離を置くようになっただろう。いつから、この心はなにも感じなくなっただろう。これでいい、こうしなければならない。生の実感などいらない。ただ、淡々となすべきことをなすだけだ。そうしなければ。

 

『──二度も目の前で。私を助けようとするあなたが轟沈する姿を見るなんて、ごめんよ』

 

 生き残ってしまった不知火は。殺してしまった仲間達は。

 

「──やっと、捕まえた」

 

 海上で倒れこんだ陽炎に馬乗りになってさらに殴りかかろうとしたところで。ぐいっと胸元を引き寄せられ、目と目が至近距離で合った。

 

「なん、」

「いつもすました顔してて気に食わなかったのよ。そっちが本性でしょう」

 

 気に食わない。弱いくせに。

 

「確かに私は仲間が死ぬところなんて見たこともなければ、そんな最前線で戦ったこともないわよ。でもね、これだけは言ってやる」

 

 自身が弱いとわかっているのに、衰えを見せないその瞳の輝きが。気に、くわない。

 

「──あんたを守っていった仲間を侮辱すんのも大概にしろ!!」

 

 額が、割れるのではないかというほどの衝撃。頭突きを食らわされたのだと理解した瞬間、意識が薄れゆく。

 腹が立った。こんなやつに。こんな、弱くて口だけはでかいやつに、そしてそんなやつにのされる自分に。なにもかもが気に食わないなか、最後の力を振り絞ってそいつにもう一発拳を叩き込んで。そして、気を失った。

 

 

「壱番の教育に悪いなぁ……」

 

 壱番が執務室に駆け込んできて、慌てて金剛を訓練海域へと向かわせ二人を引き上げ、医務室にぶち込んだところでようやく一息をついた。

 

「そういう問題デスかー?」

「いやまぁ、それだけでもないですけど」

 

 想定の範囲内と言えば範囲内。幾度となく死線をくぐりぬけてきた不知火と、前線に出ることもなく平穏で退屈な、ある意味艦娘としてもどかしい日々を送ってきた陽炎。性格もさることながら、その経歴すら真逆なのだ、ぶつかるだろうとは思っていた。砲撃訓練でのじゃれあい程度ではなく、このくらい派手にまたやるだろうなと。ただこんなに早いとは思わなかった、しかも壱番の訓練をほっぽり出してまでおっぱじめるとは。

 

「……いい傾向かも知れませんヨー?」

「そうですか?」

「自分の心をさらけ出してる証拠デース。実際書類でも問題行動は一切起こしたことがないと書かれてマシタ。戦い方に難ありとは書かれてマスが」

 

 艦隊決戦時の攻撃的すぎる行動に問題あり、とは書かれていたが、確かに普段の素行に関しては特筆されるようなことはなかった。そう考えれば変化があるのはいいことかもしれないが、こちらの心労も考えて欲しい。無理か、無理だな。頭を抱えたところでぽつりと金剛が言葉をこぼした。

 

「同型艦の声は、いい意味でも悪い意味でもよく響きマスからネー」

「……」

「それに、あの二人は根っこが似てる気がしマース」

「あー」

「だから余計に反発するんじゃないデスかー?」

「まー、それはね……思いました」

 

 どちらも、いい艦娘だ。芯となる揺るぎない信念を持っている。我々が愛してやまない、駆逐艦としての誇り。ただ、それに対する行動が異なるだけ。

 

「……こればっかりは、私じゃどうしようもないんですよね。なんたって私は所詮他人事ですから」

 

 どんなに艦娘の死を悼んでも。どんなに彼女達を勝たせるために死力を尽くし、指揮を取ったとしても、この身はただただ、この執務室で座しているのみ。その命を賭して海を駆け巡る彼女達の苦悩をわかってやるなど、傲慢だ。

 

「ヘーイ!テートクまで暗くなってどーするんデスかー!!」

「……おっと」

 

 ざわり、と右手のあいつが調子づいてきたところで、金剛の声に意識を引き戻される。と、同時に自身の霊力でそいつを押さえつけてやった。あーやだやだ、油断も隙もあったもんじゃない。心に影りを見せればすーぐに乗っ取ろうとしてくるんだから。

 

「……はー、やんなりますよ。こんな時に応援依頼が来るんですから。陽炎と不知火、セットで名指し」

「でも安全海域での船団護衛デショー?そのくらいなら大丈夫じゃないデスかー?」

「安全、ね」

 

 戦況というものは刻一刻と変化していく。陽炎が一人でここにいた時はこの航路は安全と言い切っても良かったかも知れない。だが、今はあの頃とは少し状況が違う。

 上が戦線の押し上げに躍起になっているのだ。実際つい最近一部海域を切り開くことに成功したと報告されている。生活圏が広がれば国民は喜び、士気も上がる。だが、事はそんな簡単ではないのだ。その戦線を維持し続けるためには、押し上げた前線にそれ相応の物資を供給し続けなければならない。物資がなければ戦い続けることも、破損を修復することもままならない。そのため、タンカーや補給艦を安全に前線に届けるには今まで以上に多くの艦娘を護衛につけなければならないのだ、なぜならば前線への補給線は敵からの攻撃を最も受けやすく、最も危険な航路となるわけだから。

 今現在、前線が押し上がったことにより新たな補給線が構築され、そこに護衛を割いている影響で内部の守りが薄くなっている。

 

「……ダメ元で水中探信儀と爆雷装備を具申したんですがね、却下されました。護衛ごときで大袈裟な、と」

「そんなに慎重になる必要があるんデスかー?」

「あるかもしれないし、ないかもしれない。向こうはないと判断したようですね」

 

 資源が常に逼迫している現在の状況では、数少ない電探、水探などはほとんど前線の連合艦隊に回されるため、護衛に回されることはほぼない。わかった上で言ってみたものの、まぁ結果はご覧の通り。ならば装備を持参すれば良いではないか、と問われれば、こんなド僻地の貧乏泊地では新たに艤装の開発をする資源余裕なんてないし、必要最低限をうまーくやりくりしているのが現状なんですよ、と答えざるを得ない。おのれ、空母候補生など寄越しおって、ボーキバカにならないんだぞ訓練用の艦載機でも。今後も候補生の受け入れをしなければならないのなら、もっと資源寄越せとせっつかねば。

 閑話休題。これは長年前線にいた自分の勘だ。深海棲艦は日々成長している。無作為に襲ってきていた最初の頃とは異なり、まるで人と人で争っているかのような駆け引きまで生じているのだ。

 だから、自分なら。敵が前線にご執心だと考えたらまずやることは。

 

「……潜水艦による通商破壊戦」

「……」

「潜水艦ってのは厄介です。潜って息をひそめれば見つけるのは至難の技。攻撃を受けて反撃しても倒したかどうかもわかりにくい。切り開かれた補給線の防衛を強化した分、他の脆弱になった補給線を叩くなら今なんですよ。実際今回の船団護衛だって船団規模に対して護衛に当たっている艦娘が少なすぎる」

 

 一部海域にはお粗末ながら敵潜水艦の襲撃を抑制するための機雷堰が設置されているが、残念ながらこの南方は重要な資源輸送航路が通っているというのになにも対策がなされてない。しっかりした敵潜水艦阻止帯を構築することができれば、安全海域は言葉の通り安全となり、理論上は商船の単独航行も可能になり運行能率も上がると思うのだけれど。そこは人間、勝っているときはこの気運に乗れと言わんばかりに足元が疎かになるのである。上は前線での勝ち負けしか見ていない、残念ながら。

 補給線はすなわち生命線であるというのに、どうにも軽視されているようには前々から思っていた。補給を担う商船がどんどんやられてしまえば船が足らなくなり、補給がままならなくなる。そうなればおのずと艦娘の艤装の開発、修繕にも手が回らなくなるというのに。商船被害が増えるとどうなるかといえば、やれもっと商船を造れだ、艦娘への開発資源ももっと増やせだと民需と軍需の資源の奪い合いという名の対立構造が完成するわけである。商船はなにも戦争における補給だけを担うわけではない、国民の生活の糧も送り届ける大事な船なのだ。国民の生活水準が低下するということは、国力の低下、ないし船や艦娘の艤装開発力の低下に繋がり、ジリ貧になって結局戦線を下げざるを得なくなるのに。

 

「でも今までは商船被害はそこまで上がってないデスヨー?」

「その発想がいけないんですよー。今大丈夫だから今後も大丈夫?なんだその穴だらけの理論は」

 

 実際この考え方が横行しているのも事実である。だから、明日雨が降るかもしれないから傘を持とう、と私が言ったところで、大多数は天気予報は晴れと言っているのだから傘などいらぬ、という風に意見を固めてしまうのだ。組織とはそういうものだ、めんどくさいことに。現在の日本国海上護衛の責任者である横須賀鎮守府の提督には心底同情する。彼は少ない手持ちでよくやっている。前線を担当している呉のあいつは海上護衛に理解がある方だとは思うが、矢面に立ってあいつと艦娘や資源の取り合いをするのは辛いだろう。最後に見かけた時やや胃薬が増えているようだったが元気だろうか。

 

「潜水艦による通商破壊戦だけならまだいいですよ?どうします?すでに敵潜水艦が何回も偵察をこなしていて、敵艦隊が防衛の穴をついて侵入していたら」

「さすがに考えすぎじゃないデスかー?」

「提督のお仕事は考えることでーす、ちくしょーめー。それにねぇ」

 

 そう言いながら左手で右腕を抑える。嫌な予感がするのだ。

 

「……こいつがね。いつもより騒ぐんですよね」

 

 宴の始まりだとでも言いたげに。楽しそうにこいつが嗤っているときは、大なり小なり。嫌なことが、起こるのだ。

 

 

 船団護衛の応援依頼。不知火と二人して執務室に呼び出され、概要の説明を受けた後、あ、陽炎はちょっと残って、と提督に引き止められた。

 

「これ、持ってってください。かさばらないし」

「……なんで?」

 

 それは、基本的には艦娘が所持することがないもの。確かにかさばらないが、それをわざわざ持って行く必要性は私にはわからなかった。

 

「なに、お守りです」

 

 そう言ってちょっとおどけた後。真面目なトーンで提督は話を続けた。

 

「護衛指揮官っていっつも不足してましてね。今回の指揮をとる提督に対して兵術的なものに不安があるんですよねぇ。ちょっと癖がありそうな感じですし」

 

 商船学校出身で大編隊の指揮経験もないみたいなので、と続けられ、あまりその意味を理解できずに首を捻っていると提督が補足してくれた。

 

「商船学校出身の人は商船の安否を第一としがちです。攻撃を食らうと反撃は二の次で商船の救助を優先する人が多いですね。……だから、まぁなんというか。いざって時の指揮に不安があるんです」

 

 提督にしては少々歯切れが悪い。そもそも、今回は安全海域での船団護衛だ。それなのに提督の言い方はまるで攻撃を受けるのを前提とするかのようなものであった。

 

「……生きて帰してくださいね」

「……そこは生きて帰ってきてください、じゃない?」

「いえ、合ってますよ」

 

 提督は表情こそ穏やかだったけれど。目が、笑ってなかった。冗談を言っている雰囲気ではない。だけれども、安全航路における船団護衛に行く私にかけるにしてはあまりにも仰々しい物言いだった。死にたがりのあいつの面倒もよろしく、と念を押すほどの。

 さすがに付き合いも長くなってきた、だからわかる。普段どこかとぼけたところがある人だけれど、こういう時は、何かある。

 提督へと体を向け、真っ正面からその瞳を見つめる。

 

「ねぇ提督」

「はい、なんですか」

「私は私のやれることは全力でやる。それが平穏な海での哨戒でも、安全航路における船団護衛でも。それが、私が艦娘であるための誇り」

 

 胸元の少々くたびれたリボンを握りしめながらはっきりと言う。私が憧れたあの人。同じ艦艇の艦娘として。同じ志を受け取ったこの身は、常にあの人に恥じぬよう、自身に恥じぬよう全力を尽くすだけ。それが、私の生き様だ。

 

「言われなくてもやるわよ。だから」

 

 自身が一般的な駆逐艦娘より実戦経験もなければ、砲撃も下の下もいいところだというのは自覚している。頑張っているなんて、言い訳はしない。私は、私の弱さを言い訳にしない。だから。

 

「提督も、やれることはやってよね」

 

 足らない部分は補う。使えるものは使う。私は、弱さを自覚した上で最善を尽くす、それだけだ。

 

「……今回は、向こうの管轄なんですけど」

「なんの話?私は心がけの話をしただけよ」

 

 提督が何を言いたいのかはわからない。はっきりと言わないのはきっと不確定要素だから。それでも。提督の、私の予感は、当たるような気がする。なんとなく私も胸がざわつくのだ。だから、これは提督が私にかけた保険と同じ。私は提督に保険をかける。

 

「……そうですねぇ」

 

 提督はしばらくこちらをじっと見つめると。ふ、と表情を緩めながら。

 

「……ちょっと。ここに来て腑抜けていたかも、しれませんね」

 

 そう、目を細めて、ぽつりと呟いた。

 

 

 大規模船団の護衛任務。後一時間もしたらここを出発し、最寄りの南方資源航路の主要中継地点である泊地にて船団と合流する。船団はそのまま門司港へと移動し、半分は本土、半分は前線へと資源を運ぶ。今回は合流地点から門司港までの護衛を担うのだが、よりにもよってあいつとセットで任務に臨まねばならない事実が、少なからず心を重くした。

 なんとなく一人になりたくて、桟橋から海を望んでいた。今日はよく晴れたいい天気だった。波に日差しが乱反射してキラキラと輝き、少しの眩しさに目を細めた。波は少し高めかもしれない。護衛任務は夜から昼にかけて行う予定だが、予報で明日も快晴であると言っていたので天候面で苦労することはないだろう。

 

「聞きたいことがあるんですけど」

 

 目を閉じてさざ波の音に耳を傾けていたら、砂浜を踏みしめる足音が後ろから聞こえてきて。声を、かけられた。

 

「一航戦の、加賀って人。知ってますか」

 

 振り返れば壱番が、いつもより若干硬い表情でそこに立っていた。

 

「……ええ。呉での最後の出撃は、彼女とでしたよ」

 

 今現在加賀は日本に一人しかいない。と、なればあの人だろう、と寡黙な彼女を脳裏に描きそう答えると、壱番はそのまま黙り込んでしまった。思えば以前一航戦のことをこぼした時も様子がおかしかった。

 

「知り合いですか」

 

 出撃までの暇つぶし。気分を紛らわせるにはちょうどいいと、こちらから話を振ってみた。

 

「……あの人、私のいとこなんです」

 

 似てない。それを聞いてぱっと思ったのがそれだった。まぁいとこ程度なら似てなくて当たり前か、姉妹艦と言われてもその実血縁関係すらなあいつと不知火よりかはなにか通じるところはあるのかもしれないけれど。

 

「そうですか。心配しなくても彼女はちゃんと生きてますから安心してください」

「……彼女、は?」

「……」

 

 墓穴を掘った。これ以上深く言及する必要もあるまいと沈黙を保っていると、徐に壱番が口を開いた。

 

「不知火さんとあの人って、ちょっと似てます」

 

 彼女も自分も口数が多い方ではないので、そう言われればそうかもしれない。あまり話す機会もなかったので、実際のところはわからないが。ただ。

 

「だから聞くんですけど」

 

 呉での最後の戦い。帰投時に交わした言葉と、あの目。彼女は。

 

「不知火さんも、私のことバカにしてるんですか」

 

 こちら側の人間だろうなと。そういう、確信があった。

 

「……ひとまず不知火のことは置いておいても。加賀さんは他人を見下すような人ではありませんよ」

「嘘よ。私はっきり聞いたんだから」

「なにをですか」

 

 そこで、一呼吸置いてから。吐き捨てるように壱番はこう続けた。

 

「私とあなたを一緒にしないで。ここは、あなたが来るような場所ではないのだからって」

 

 ああ。その言葉と、あの時の彼女の言葉が。点と点が、線で繋がった。あれは、この子のことか。

 なるほど、彼女の思惑通り壱番は勘違いしたらしい。ただし、彼女の予想を上回る反骨精神によって壱番はここに来てしまったわけだけれど。

 加賀さんの思惑を理解した上で、あの会話はこの子には伝えない方がいいと判断し、無難に言葉を濁す。

 

「……状況がわかりかねますので、なんとも言えませんが。少なくとも不知火はバカにしてません」

「そう?ならなんでそんなに私と距離を取るんですか?私のこと信用してないんじゃないですか?」

 

 やりにくい。というか、これは加賀さんに対する怒りの余波を自身が食らっているような。このやりづらさ、何かに似ていると思っていたら、脳裏にあいつが浮かんだ。ああ、うん。暑苦しいところ、そっくりだ。

 こういう性分です、とお茶を濁していたら、遠くから提督が声をかけてきた。

 

「そろそろ準備した方がいいですよー」

「……そうですね」

 

 これ幸いとばかりに無理矢理話を打ち切る。壱番はまだ何か言いたそうだったが、振り返ってとどめとばかりに、

 

「不知火はあまり彼女と交流がありませんでしたので。お力になれず、すみません」

 

 とつけ加えて、砂浜を後にした。

 

 

 合流地点の泊地に赴くと、なんともひどいものだった。今回の指揮を取る提督に挨拶を、と思って伺えば、腹は出て顔には脂がのったいかにもタヌキ親父、という風貌の彼は酒で酔っぱらっているようだった。

 その第一印象からして最悪だったのだが、今回は提督が船団の一隻に乗って指揮を取るというのについぞ船団会議をすることもなく、最後まで酒盛りを楽しんでいたのだからうんざりだ。

 彼が連れてきた駆逐艦娘の二人も、居心地悪そうに彼にお酌をしていた。かわいそうに。

 艦娘は基本的に提督に逆らうことができない。古来より提督の重要な役割として、自身の霊力を艦娘に分け与えることで一時的に改式、改二式艤装を背負えるようにするということがあげられる。改式艤装はそのままでは人の身に負担が大きすぎるのだ。それなので、提督に逆らえば常に戦場において上位艤装を解除され、そのまま海の底へと沈む可能性を秘めていた。実際提督もこいつのようにピンキリであるから、そういった脅しを使うやつもいるという。

 そして、なにより。人間より遥かに強大な力を有する艦娘達をまとめるための、提督が有する最大の力。強制命令執行権。これを使われれば、艤装を背負っている状態の艦娘はどんなに感情的に納得がいかなくても体がそれに従ってしまう。そういう術式が、艦魄に組みこまれているのだ。これは艦娘の人権問題として度々話題に上がる事なのだが、最終的に統率を失えば組織が瓦解する、我々も極力使わないよう心がける、という曖昧なコメントで逃げているようだった。

 そんなわけで、上司によって今後の艦娘生活にも雲泥の差が出るわけだ。艦娘は人であると主張されながら、その実戦争の道具として扱われる。だから、呉の提督の態度はある意味正しい。性格は悪かったが、道具としては大切に扱っているのも皆理解しているため、誰も逆らわない。強制命令執行権もほとんど使わない、そんなものを使わずともあいつは理詰めで艦娘を黙らせる。有能には、違いなかった。

 思わぬところで前の上司の有能さ、職場環境のよさを再認識しつつ、夜になったので出港した。護衛は不知火、陽炎とあの二人だけであった。船団規模としては少なすぎるが、どうせ安全航路、と色々ケチったのだろう。

 夜はほとんど何も見えない。航行灯を頼りに慎重に進んでゆく。船団護衛において最も警戒すべき敵は潜水艦であるが、対潜装備を持参していないこちらとしては目視確認するしかない。そして仮に見つけたとしても潜水艦に有効な爆雷を装備していないので、逃してしまう可能性も大きい。闇夜に紛れて奴らが息を潜めて近寄って来たとして、この肉眼で捉えられるとは思えない。それでもこちらとしては安全航路だし、対策もできないしと気を抜くことは出来ない。常に最悪の事態を想定しろ。死ぬその瞬間まで、思考を止めるな、考えることを放棄すれば死ぬぞ。俺はお前らが死のうがなんとも思わねぇが無駄死にしたやつは墓石に罵倒してやる。そう常に小煩い男の下にずっといたのだ、嫌でも慎重になる。

 自身の不安とは裏腹に船団は悠々と航海を続けた。そして、水平線の向こう側が微かに白み始めた頃。日が登れば幾分か楽になるな、とホッとした瞬間、それが、見えた。反射的に無線に怒鳴りつける。

 

『こちら不知火!左舷雷跡!!』

 

 海面に伸びる白い筋。八本の魚雷が、船団に襲いかかろうとしていた。間に合わない、このルートは確実に何本か当たる。魚雷の航跡の延長線上から自身を逸らしつつ、焼け石に水程度に魚雷の進行方向へと砲弾を叩き込んでいく。

 

「──くそ!!」

 

 数本信管鋭敏により手前で起爆、数本不発、そして。そのうちの五本が三隻の補給艦へ当たり、爆発音と共に火柱が上がる。

 敵は、どこだ。魚雷の来た先を見据え、無線に怒鳴りつける。

 

『反撃指示を!』

『こっちは救助で忙しい!勝手にしろ!!』

 

 冗談だろう、これが今回の指揮官なのか。舌打ちをして雷跡から敵を辿る。主機を最大戦速まで叩き込むと、同側面の船団後方を護衛していた陽炎が合流してきた。

 

『二隻以上の敵潜がいる!!』

『護衛はどーすんの!?』

『あっちの二人に任せる!!』

 

 無線機にお互い怒鳴り合いながら連携を取る。反対側や前方、後方からは攻撃が確認されていないようなので、そのまま反対側についていた二人に引き続き護衛及び救助をしてもらうことにした。

 潜水艦が急速潜行をしてしまえば対潜装備のないこちらは手も足も出ない。それでもみすみす見逃しては駆逐艦の名折れだ。雷跡は少なくとも二方向から来ていた。陽炎に一方の雷跡の方向を伝え、自身は別の雷跡を追っていたら──見つけた。

 潜水艦カ級。やつが、悠々と潜望鏡を出しながら遊弋しているのを捉えた。こちらが蜂の巣をつついたかのように慌てふためいているその様子を見て楽しんでいるかのようだった。

 

「──なめられたものね」

 

 主機を一杯まで叩き込んでそいつに急接近する。そいつが慌てて潜望鏡引っ込めるよりも早く、こちらがそれを鷲掴んだ。ここまでコケにしておいて、生きて帰れると思うな。

 

「沈め!!!」

 

 あらん限りの力で海面上にそいつを引っ張りあげながら、ありったけの弾を叩き込んでやる。確実に、息の根を止めるように。連続弾による分厚い砲煙が晴れ、バラバラになったそれを確認して手元の潜望鏡を海底へと放った。

 

『ダメ!みつかんない!!』

 

 こちらが一体仕留めている間に先の方まで足を運んだ陽炎が悲鳴をあげた。

 それもそうだ、そもそも今仕留めたこいつが例外なのであって、本来潜水艦とは一撃必殺の魚雷を放ったらすぐに潜航してその場を離脱するものである。海面に上がってこない限り、水中探信儀を持たないこちらはその居場所を割り出すことなど困難なのだ。

 

『確実に二隻はいた。逃げられましたね』

『どーすんのよ!?』

『どうするもこうするも……』

 

 居場所がわからないなら船団と合流して護衛に戻る方がいいだろう。先の体たらくでは今回の指揮を取っている提督は役には立たないであろうが、それでも今回の任務はあの提督率いる船団の護衛だ。無線を開いて提督に報告をする。

 

『こちら駆逐艦不知火。敵潜水艦一撃沈するも、最低一隻以上の潜水艦を逃しています』

 

 しばらく経っても返答がなかったため、仕方なくこれからの行動を淡々と報告した。

 

『これより陽炎と共にそちらと合流して、護衛任務へと戻ります』

 

 そして、船団へと戻ろうとしたところで。

 

『──ならん』

 

 ようやくそいつが発した言葉を。理解するのに、時間がかかってしまった。

 

『──今、なんと?』

『ならんと言った。まだ敵が潜んでいるのだろう、こちらは既に三隻沈められている。これ以上物資や商船を失うわけにはいかん』

『お言葉ですが、我々の装備では敵潜水艦を探し出すのは困難です。そちらに合流して護衛力を高めたほうがよいのでは』

『なに、もっと簡単なことだ』

 

 無線越しの、ねっとりとしたそいつの声が妙に鼻につく。嫌な予感がした。

 

『陽炎、不知火は救難信号を出しながら当船団と反対方向へと舵をとってもらう』

『……』

『いいかね、この物資は前線維持に必要なのだ。これ以上失うわけにはいかん。わかるな?』

 

 ──囮となれ。そう、こいつは指示を飛ばして来たのだ。

 

『なに、貴公らの速力をもってすれば敵潜水艦の魚雷をかわすなど造作もないことだろう』

『……こちらの潜水艦は、偵察部隊の可能性もあります。敵艦隊と遭遇する場合も』

『それなら尚更貴公らに引きつけてもらわねば。こちらは小回りのきかない大船団なのだから』

 

 話には聞いたことがある。捨て艦戦法。艦娘を囮につかい、その間に危険海域を抜ける戦法。確か、すでに軍規で禁止となったはずだが。

 

『いやぁ勇敢な艦娘さん達だ!貴公らの行動、大いに感謝する。その地点なら南方の泊地から救援部隊も駆けつけてくれよう』

 

 清々しいほどのクズだ。なるほど、自分は今まで中々に上司運が良かったと見える。今の提督も書類業務に関しては文句を言いたいところだが、このように理不尽に権力をかざすことはなかった。ぎり、と奥歯を噛み締めていると。

 

『──了解。これより陽炎、不知火両名は救難信号を発しながら南に針路をとります』

 

 不意に。冷静な陽炎の声が、無線へと乗った。

 

「なっ」

『そうかそうか!いやー、私としてはこんな方法は心苦しいのだが。頼みこまれたとあっては仕方がない!』

 

 しかもこの後に及んで捨て艦戦法を提案したのは自身ではないとまでの念押しだ、なんなのだこいつは。

 

『──では、健闘を祈るよ』

 

 怒りが最高潮に達した時。無情にも、無線は打ち切られた。

 

「何考えてんですか!!!」

 

 近くまで戻って来ていた陽炎に、行き場のないこの怒りの矛先を向けるのはしごく当然の流れだった。

 

「あんな指揮じゃ護衛何人つけても変わんないわよ」

「そういう問題じゃ」

「そういう問題よ。それにあのままじゃ強制命令執行権使ってたわよ、あのオヤジ」

 

 強制命令執行権が発動すると、自身の思惑通りに体が動かなくなる。それこそ、囮となって敵を殲滅し尽くせとでも命令されれば、生き残ることは二の次で敵を倒し切るまで体は動く。それは自身の限界を引き上げると同時に生き残る可能性を極端に下げることを意味していた。だから陽炎の言っていることも理解できる。理解は、できても。海上に二人残され、救難信号を打ったところで直近の泊地まで何キロだ。敵は、潜水艦だけなのか。先行部隊だったらどうする、敵駆逐、巡洋艦が入り込んでいたら。いくらこの足が早いとて。

 

「あのままあっちの護衛したって、いたずらに船を沈めるだけだと思う」

「……」

「潜水艦は魚雷撃たれないと察知できないし。潜水艦だけならいいわよ、巡洋艦とか入りこんでたらいい餌じゃない」

 

 こいつは、実戦経験もほとんどないというのに。敵が潜水艦だけであるという楽観的判断から、先ほどの応答をしたわけではないようだった。むしろ。

 

「──あの補給船には、人々の生活の糧が載ってる」

 

 安全海域の護衛しかしてきていないというのに。誰もが、護衛など地味な落ちこぼれのするものだと思っている中で、こいつは。

 

「届けなきゃいけない。沈めさせない。あいつが気に食わないとか関係ない。この場合、囮が一番効率的だと思う」

 

 何よりも補給船の重要性を理解して。その上であんなことを言ったのだ。頭に血が上り、思わず掴みかかる。

 

「死にたがりはどっちだ!!!」

 

 ふざけるな、本当に。ろくに敵と戦ったこともないくせに、力量もないくせに平気で囮になるという。これが死にたがりでなくてなんなのだ。

 額を突き合わせて怒鳴りつけているというのに。

 

「こっち、ようやく見たわね」

 

 なんなのだ、その態度は。なぜ笑っていられる。腹が立つ、本当に、こいつは。

 

「ああよかった。あんたが、ただの死にたがりじゃなくて」

 

 なんなんだ。

 

「私一人じゃ絶対死ぬわ。私弱いもん」

「なに、」

「だから、あんたが私を守るの」

「……は、ぁ?」

 

 何をわけのわからぬことを、と呆気に取られていると、陽炎はよいしょ、とこちらの身を引っぺがした。そして。

 

「向こう側ばっか見てんじゃないわよ、私が死ぬでしょうが。ちゃんと、生きている私の方も見ろ」

 

 ああ、またこの目だ。

 

「──私は、死なない」

 

 彼は誰時。誰が誰だかその輪郭でもってでしかわからない薄暗い夜明けにおいて。

 その、彼は誰時の、海上において。

 

「──あんたも、死なせない」

 

 煌々と、その瞳に命の灯火を宿し。

 めちゃくちゃなことを、こいつは言っているはずなのに。なぜか、何も言い返せず。ただただ、その瞳から目を逸らすことが、できなかった。

 

 

「アンタんとこの艦娘から緊急通信来たわよ」

「そうですか」

 

 某泊地にて。うちの泊地に最も近く、あまり他の提督との交友関係を持っていない私の中では比較的交流があるここの提督たる彼女が、無線通信士が受信した内容をまとめた簡素な報告書をこちらに寄越してきた。いつもはのんびりとした空気が漂うここの泊地が急に慌ただしくなる。

 

「アンタの読み、当たりすぎて怖いわ。なに?神託でも下ったわけ?」

「うーん、そんな神々しい神様とは縁がないですねぇ」

「は?」

「ただの戯言ですよ」

 

 陽炎達がここを出発したのを見計らってこそこそとやってきた私は、ちょっくらいいですか、姉さんや、と色々彼女に頼み込んだわけである。

 

「色々無理言ってすみませんね」

「ホントよね。これでなんもなかったら上等なお酒せびってやろうと思ってたのに」

 

 こちらの方が規模が大きく、補給艦がよく経由していく泊地とはいえ。艦娘の数はやはり限られたものであるし、その中でなんとかやりくりしている彼女の元に急に訪れてあれ貸せこれ貸せと言ったのだ。むしろそんな程度でいいのかと言いたい。その気前のよさは女性でありながらも中々男前であると言いたい。

 

「顔、怖いけど。何か気になるの?」

「いやー、まぁ色々ありますけど。……なんでうちの陽炎が緊急通信出したのかなって。今回の旗艦にはお飾りとはいえ提督が乗っているじゃないですか」

「使えないから勝手に信号出したんじゃない?」

「それにしたってあっちの提督がだんまりなのはおかしくないですか」

「死んだんじゃない?」

「補給艦三隻轟沈、とはありますけどその旨の記載はないですね。あと行動もおかしい。この距離なら反転せずそのまま目的の港に向かった方が早い」

 

 敵潜水艦の攻撃により被害発生。当船団直ちに反転し、最寄りの港に避難す。敵本隊が侵入している可能性あり、至急救援を求む。かいつまんでその内容を言えばこんなところだ。

 

「他の敵潜部隊が待ち構えているかもしれませんが、反転の方が愚策でしょう。それに夜が明ければ見つかる可能性が高まるので敵潜も慎重になる、夜よりかは安全だ。今までの研究で深海棲艦が無線を傍受していることが証明されているじゃないですか。これでは、まるで」

「囮みたい?」

「……」

 

 思わず指先に力が入ってしまい、報告書にシワがよった。黙ってこちらを見ていた彼女にそれを返し、言葉を続ける。

 

「うちとここの哨戒強化は任せます。執務室の特殊無線機借りますね、私はこっちに集中しますので」

「……潜水艦以外も、いると思う?」

 

 どうだろう。私だったら航路沿いの各所に潜水艦部隊を配置して、商船を攻撃したら直ちに離脱するような作戦をとる。

 ただ、相手は深海棲艦だ。やつらには恐怖心というものがない。ただただ、目の前にある船を、艦娘を海底へと引きずり込むために予想を遥かに上回る思い切りのいい行動をすることがある。

 だから。もし、偵察部隊が大船団の存在に気づいたら。もし、敵本隊がいたとしてその報告を元に、ろくに反撃もできぬ船団に牙を向いたら。しかも、今回は陽炎が囮になっている可能性すらあるのだ。常に最悪の場合を想定して事に望まねばならない。外れてくれた方がいいのだ、この身が笑いものになるだけならいくらでも甘んじて受けよう。だから、今はあえて、力強く。

 

「いますね。絶対」

 

 そう、答えた。

 

 

「潮が辛うじて近くにいるわね」

「駆逐艦一人、ですか」

「まぁその他の救援はもっと時間かかるし……吉報と捉えましょ」

 

 たまたま出発した泊地所属の綾波型駆逐艦、潮が哨戒任務で少し沖に出ていたらしく、取り急ぎこちらに向かうとの事だったが、お互いこのスピードで航行を続けてうまく出会えたとして一時間半程度。もしもの場合は焼け石に水程度の戦力だが、いないよりはマシだと思いたい。南へと最大戦速で進みながら陽炎との会話を続ける。

 

「敵本隊とぶつかる最悪の事態を想定して。私が絶対やっちゃダメなことだけ教えて」

「……砲撃はしなくていいです」

「ぐっ」

「外しようのない距離なら撃っていいですよ、まず無理でしょうけど」

「ぐぬぬ」

 

 自覚はしているのか陽炎が黙り込む。自尊心は傷つけているかもしれないが、言っておかないと。こちらとしては誤射でもされたらたまらない。

 

「足は絶対止めない。止めたら死ぬと思ってください」

「おっけ」

「倒すことに躍起にならない」

「それ、あんたが言う?」

「陽炎がやったら死にます。不知火は中々死なないですね、残念ながら」

「……」

 

 死にたがり死にたがりとこちらのことを言うものだから、意趣返しのつもりで言ったのだが、それを聞いて陽炎が黙り込んでしまった。それに構わずに続ける。

 

「ああ、それと。怖気づいたらとっとと逃げてください」

「はぁ!?」

「──深海棲艦の艦隊との交戦は初めてでしょう」

 

 初陣における普通の艦娘の行動パターンは二種類に分かれる。初めての戦いに高揚して突っ走るか、怖気づいて身動きが取れなくなるか。先ほどの奇襲ではそこそこ動けていたが、しっかりとした交戦下でまともに動けると期待するほど自身は楽天家ではなかった。

 

「絶対イヤ」

 

 まぁ、返事は案の定という感じだが。

 

「いい?あんたが私を守んのよ。私が逃げる時は相手を殲滅できた時かあんたが死んだ時だから」

「……最初から人に頼るとは、見上げた駆逐魂ですね」

「そうじゃない」

 

 そこで初めて陽炎の方へと視線を向ける。彼女は、こちらをまっすぐに見ていた。

 

「あんたは私が守るの」

「……あなたに守られるほど弱くありません」

「知ってる、むしろ足を引っ張るだろうこともね」

「じゃあ」

「それでも。一人でやれることなんて、限られるでしょ」

 

 何が言いたい。自分が弱いとわかっていながらこの横柄な態度はなんなのだ。バカなのか、いやバカなんだろう。

 

「うまく私を使いなさいよね、私が死なないように。私はあんたが死なないよう見張っててあげる」

 

 何様だ、本当に。その態度、その目にイラつくと同時に。胸の奥底が、微かに。ちりりと焦げるような、気がした。

 

 

 鳳翔さんが弓を引き絞り、艦載機達が空へと放たれる。彼らの行く末を見送っている彼女に付き添いながら、自身は周囲の警戒をしつつ無線で彼女に話しかけた。

 

『ここの提督、相変わらず無茶振りしますね』

『そうね。わざわざ来てくれてありがとう、曙ちゃん』

『あ、いえ、私じゃなくて。鳳翔さんを残してここを空っぽにしたことを言ったつもりだったんですけど』

『そうは言っても、うちは艦娘が少ないですし。私は低速艦なので、今回はお呼びではないですから』

 

 落ち着いた声で鳳翔さんがそう続けた。彼女と話す機会はあまりないけれど。慌てるとか、するんだろうか。救難信号が届いた旨をうちの提督から伝えられた時も、ただ静かに指示に従って哨戒任務についた彼女のそんな様子はちょっと想像できない。

 

『そもそもあの娘も連れてったのは……どうなんですか』

『金剛さんがついていますから』

『……』

『潮ちゃんも。今度、そちらにお礼をしないといけませんね』

 

 別にそんなものはいらないのだけれど。渦中の、いつも鬱陶しく絡んでくる駆逐艦娘を思い浮かべる。あれ、殺しても死ぬようなタマには見えないけど。でも、この海において絶対などないということは嫌でもわかっていた。

 

『……いい天気ですね』

『ええ、本当に。遠くまで見渡せて、航空母艦としてはありがたいですね』

 

 本当にいい天気だ。どこまでも続く青い空を見上げながら。この空の下、あいつが必死になって戦っているのかもしれないと思うと、なんだかこの快晴すら恨めしく感じた。

 

 

 何事もなければいい。そう祈れば祈るほど、それを嘲笑うかのように自身に降りかかる災厄。

 

「──ここはパーティー会場かっての!!」

 

 不知火に言われた通り、絶対に当たる距離において。自身に食らいつこうと飛びかかってきた駆逐艦ロ級に主砲をぶっ放しながら舵を切る。入れ食いだった。怖気づく暇すらなかった。距離を取ろうとする暇もなく、駆逐艦ロ級の集団がこちらに襲いかかってきたのだ。

 

「、の、やろ!!」

 

 視界の奥で蠢く深海棲艦の群れからチカ、チカと光が見え、思い切り左へと転回する。虫の羽音のようなものが耳に届くと同時に、自身の航跡を追うように次々と水柱が立ちのぼる。右へ左へと舵を切って、敵の砲弾の嵐を切り抜ける。止まるな、止まれば、死ぬ。

 

『──怖気づいたらとっとと逃げてください』

 

 うるさい。そうやって、人をバカにして。そうやって、人を遠ざけて自身を犠牲にして守ろうとする。わかりづらいのよ、あんた。今、この瞬間まで。ずっと単なる嫌な奴なのだと思っていた。

 仲間が目の前で死ぬだとか、来る日も来る日も生きるか死ぬかの瀬戸際で戦い続けるだとか。どれほどの絶望があいつの心に巣食っているかなんて、私は知らない、わかるなんて言う資格なんかない。それでも。

 

『煙幕を展帳する!!斉Z (右百八十度一斉回頭)!!』

 

 左から右へ。最大戦速で背中の煙幕発生装置から黒煙を上げて奥にいる深海棲艦の群れから私が見えなくなるように視界を塞ぎながら駆け巡るあいつと一瞬目があった。──ほら。

 ねぇ、死にたがり。死にたがりのくせに、その瞳の奥で微かに燃えているその焔は、なんなのよ。

 もう一匹飛びかかってきたロ級に砲弾をくれてやる。倒したものの、そいつが最期に放った砲弾が艤装をかすめ、艤装の破片が頬を切り裂き血飛沫があがる。燃えるかのようだ、きっと、ここから私の命の炎がこぼれ落ちている。呼吸は浅くなり、頭に血が上って、視界は狭まる。それでも、あいつの言葉に従って身体は舵を切っていた。

 

『損傷と残弾は!?』

『アームの連装砲イカれた!手元の主砲残弾はまだ結構あるけど魚雷はもう一斉射分だけ!!』

 

 ロ級の大群が突っ込んで来た時に思わず魚雷を撃ち込んでしまった。今思えばもっと使うべき相手がいた、軽巡洋艦ヘ級、雷巡チ級。ロ級が襲いくるその奥で虎視眈々とこちらの命を狙っていたより狂暴な海の魔物達。

 

『雷巡一、軽巡一、駆逐多数撃沈。魚雷ゼロ、魚雷発射管も壊れましたがまぁいいでしょう。残弾わずか。弾、もらえませんか』

『最大戦速で突っ走ってんのにどーやって!?』

『弾倉を左手で持って。腕をのばしてください』

 

 何言ってるかぜんっぜんわからない。そもそも頭が働かない。海に大切な砲弾を落としたらどうする、だとか冷静だったら突っ込むべきことは色々あれど、言われるままにヤケクソ気味に指示に従う。すると。

 

「──貰います」

 

 深海棲艦の咆哮や、荒れ狂うの波の音の中で。妙にクリアに不知火の声が耳に届いた。不知火はそのままパシ、と着脱式の弾倉を右手で掴んで私を追い抜き左へと離脱していく。

 

『……衝突したらどーすんのよこのバカァアアアアアア!!!』

『しません、これくらいで』

 

 主機を一瞬一杯まで叩き込んだのだろう、速度を調整しながら私と横並びになる頃には既に不知火は砲弾のセットを終えていた。なんだ、新手の手品か。

 

『……はっきり言っていいですか』

『あによ』

『潮が来たところでこれを切り抜けられるとは思えません』

『なら他の救援が来るまで粘ればいい』

『……』

『あんた死んだら私も死ぬからね』

『……だから、人に頼るのは』

『だから最後まで生きる努力しなさいよ。私のために』

 

 こっちを見ろ。こうやって何度も呼びかけてやらないとこいつは危なっかしくてしょうがない。

 死んでいった仲間達。殺してしまった仲間達。生き残り続けることへの罪悪感。戦場で生き残れば生き残るほど、人は戦場での死を望む。理屈ではない、感情が悲鳴をあげる。

 私はその苦しみを知らない。一回交戦したところでこの有様だ、不知火のように最前線で戦い続ける能力だってないだろう。

 それでも。それでも、私はこいつに死んでほしくない。だって、こいつ、めちゃくちゃいい奴なんだ。ずっとこっちを生かすように動いている。こんなに弱っちくて、態度も偉そうで本気の殴り合いをするほどに嫌いな私を、守ろうとしている。いくら戦闘でいっぱいいっぱいだとはいっても、そのくらいは私にだってわかる。

 たまに視界の端に捉えたその戦い方はやっぱり死にたがりと言わざるを得ないほど自身を省みないものだったけれど。先ほど彼女の瞳の奥に捉えた焔。あれは、駆逐艦娘の魂だ。なにがなんでも仲間を、僚艦を守る、見捨てないという。まだ消えてない、そして私はその光を消したくない。だから。

 

『あんたが、私を生かすの』

 

 私は、何が何でも生き残る。最後まで諦めない、絶対に。こいつが救った仲間の一人となってやる。こいつの、心を。殺してなど、やるものか。

 突如、背後から咆哮が上がる。最大戦速を保ったまま首だけひねって後方を確認すると、煙幕を突き抜けて二体の軽巡洋艦ヘ級が飛び出してきた。

 厄介だ。軽巡は足も早いし手数も多い。駆逐と軽巡でサシでやり合うのは少々分が悪い。ヘ級達が砲をこちらに向けるのを視界に捉えて面舵一杯まで舵を切る。

 

「でっ!?」

 

 至近弾による衝撃。自身の真後ろに着弾した砲弾により、つんのめりそうになる。

 ──足を止めたら、死ぬ!戦い始めてから常に自身に言い聞かせている言葉を脳内で叫び、足に力を込めて転覆をどうにか免れる。そしてそのまま取り舵一杯。敵に捕捉されるな、ただこの身が朽ちるその瞬間まで、走り回れ!!

 

『魚雷を、当ててもらえると助かるんですが!!』

『あんな足が早いのにどーやって当てろってのよ!?』

『接近してください!できる限り!!』

『死ぬんだけど!?』

『死なせない!いいから!!当てることだけ考えろ!!』

 

 視線をヘ級へと向ける。視線が、合った。ぞくりと悪寒が背中を駆け巡る。目と呼んでいいのかわからないその虚ろな空洞。その、奥の闇が、こちらを亡き者にしようとずっとこちらを追っている。

 

「──だぁあああああ!もぉおおお!!」

 

 瞬間、何かがキレた。それはそうだ、今までの接敵経験は良くて駆逐艦ロ級一体程度。それが団体さんいらっしゃいとわんさか現れ、さらに今まで見たこともなかった人型の深海棲艦まで襲いかかってくるのだ。これで平常心を保てという方が無理だ。

 ──初陣における艦娘の行動は二つに大別される。恐怖心に負け、動けなくなるか。初陣で気分が高揚し、好戦的になるか。

 高揚する間もなく、ただただ目の前のことを処理するのに必死だった私は、表面上は平常心を保っているかのようだったが。この瞬間、自身は後者へと傾き、思考が、とんだ。

 言われた通りに舵を切り、ヘ級と真正面から向き合いそのまま突っ込んでいく。魚雷の次発装填装置から発射準備完了を知らせる機械音が鳴る。この身が落ちこぼれと烙印を押されようとも、この身は、陽炎型駆逐艦のネームシップ。戦闘中でも魚雷の装填が出来る自身の性能を、ここで活かさずどこで活かす。

 真っ直ぐに相手を見据え、気持ちばかりに舵を右に左に切って相手に捕捉されないよう、かつ、最速で突っ込んでいく。

 

『──死なせない!』

 

 あんたがそう言うんなら、私は死なないんでしょ。残念ながら、私にはこの絶望的な状況をひっくり返す頭脳もなければ、力もない。だから。

 

『──当てることだけ考えろ!!』

 

 私には、あんたを信じて全力を尽くすくらいしか、できないんだから!!

 魚雷射程距離に入る。まだだ。もっと。二体いるうちの一体のヘ級の主砲が、こちらを捉える。死が明確にイメージされ、心がすくみあがる。魚雷を発射して、即離脱したくなる。

 ──冗談じゃない。ここで怖気づいて全部外すようなことがあれば、私は私を許せない。ここで逃げたら駆逐艦じゃない。何より。

 

「──ぁあああ!!!」

 

 死なせないと言ったあいつを信じきれなかった自身を許せなくなる!

 恐怖心をかなぐり捨てて、さらに前へ。瞬間。こちらにぴたりと狙いをつけていたへ級から小さな爆発が起こる。そして、砲弾は狙いを外して自身の遥か後方へと落ちた。

 相変わらず、嫌味なくらいにいい腕をしている。思わず、こんな時だってのに笑ってしまった。全てがゆっくりに感じる。神経が研ぎすまされている。ヘ級二体の猛攻でそこら中に水柱が乱立し、海水を何度も被りながら、破片をその身に受けながら。

 

「──てぇえ!!!」

 

 真っ直ぐに敵を見据え。相手の動く先へと、魚雷を射出した。四条の雷跡がヘ級へと伸びる。慌てて回避行動に移したところで遅い。より自身に近かったヘ級のど真ん中へと、魚雷は突っ込んでゆき、轟音と共に炎が立ちのぼった。一本は逸れ、残りの二本がもう一体へと伸びてゆく。少しこちらから距離があったためか、もう一体のヘ級は回避行動により一本を回避した。もう一本がそいつを捉えようとしたところで、咆哮と共に急加速をされてすんでのところを交わされてしまった。体勢を崩しながらも、ヘ級は勝ち誇るかのように嗤った。

 もう、魚雷はない。主砲の砲弾は残っていても、私の腕じゃあ。悔しさで奥歯を噛み締めながら回頭をして回避行動に移ろうとしたら。

 

『──上出来です』

 

 今まであんなにこの淡々とした声がムカついてムカついてしょうがなかったのに。この瞬間とても頼もしく聞こえてしまったのだから、私も調子がいいわよね、と、どこか他人事のように思った。

 体勢を崩したヘ級へと砲弾の嵐が降り注ぐ。数回の炸裂音と共に炎が上がり、ヘ級はその身を海の底へと沈めた。

 

「……は、ぁ!」

 

 集中状態が切れた瞬間、息が乱れた。傷だらけの身体が悲鳴を上げ、思わずよろめきそうになる。

 確か、これでめぼしい人型艦は、やった、はず。そう思って、一瞬気を抜いたのがまずかった。

 

『──速度を落とすな!!!』

 

 不知火の怒号に反射的に主機を一杯に叩き込む。その、瞬間。天まで登るかのような水柱が、至近距離で発生し、吹っ飛ばされる。海面に叩きつけられ、一瞬息が止まった。海面から顔を上げれば、血が視界を赤く染め、頭から出血していることを知った。どうにか立ち上がろうとして、思うようにいかずに膝をつく。

 ──止まれば、死ぬ。死んで、たまるか。

 その思いだけでもう一度気合いを入れて立ち上がり、主機を動かす。……まっずい、なんか主機から変な音してる。思うように、加速も出来ない。

 朦朧とした意識と、霞む視界の中。砲弾が飛んできた方へと首を巡らす。

 先ほど不知火が張った煙幕が晴れかけていた。その、微かにけぶる煙の向こう側から。長い黒髪をたなびかせ、両腕の巨大な砲塔をこちらに向けながら、その青く光る双眸を楽しげに細めながら。ああ、やんなる。一瞬援軍かと見間違うほど、実際のその姿は教本に描かれるどれよりも人間らしい(・・・・・)、そいつは。

 

「戦艦、ル級」

 

 後方に控え、満を持して現れたのか。そいつが先頭に立って咆哮をあげた瞬間、呼応するかのように周りの駆逐艦ロ級達が蠢いた。

 

『──逃げろ!!』

 

 やってるっつーの。ダメだ、どっか壊れてる。速度が出ないどころか、徐々に減速を始める自身の主機が嫌になる。

 ──駆逐艦は速度が命。高速で駆け回り、そして自慢の魚雷で敵を一撃必殺で屠る。速度もでない、魚雷もない。相手は、戦艦。決定打を、与えることが、できない。逃げ切れない。

 このままじゃ、まずい。絶対に死ぬものかと闘志を燃やしても、この主機は言うことを聞いてくれない。救援は、あとどのくらいでくる。どのくらい粘れば活路が見える。

 不意に、がし、と左腕をつかまれ、ものすごい勢いで手をひかれ、つんのめりそうになった。

 

「あんた、何して」

「そんな速度じゃいい的だ!!」

 

 こちらを振り返りもせずに不知火が叫ぶ。曳航により速度が上がり、そのおかげか、あるいはあいつが下手くそなせいか、ル級の次弾はあらぬ方向へと落ちた。しかし、その姿は徐々に大きくなる。こちらに、近づいている。

 

「……っ!」

 

 速度が出ない分、運動によって砲弾を交わしていく。不知火が舵を切ったことにより、その横顔が見えた。顔から、水滴がほとばしる。それは、海水ではなく、汗だった。こんな不利な状況で、全力で私を曳航している。

 

「──」

 

 置いてって。その一言を、発することができなかった。命が惜しいのではない。ここで私を見捨てたら、こいつの心が折れる。だって、そうだろう。あんなに自身の生死に頓着しないかのような態度だったのに。こんな足手まといを、嫌いな私の命を必死に守ろうとしているのだから。

 ああ、こいつも駆逐艦だ。最後まで、仲間を見捨てない。それは、駆逐艦娘が駆逐艦娘たる魂の中核。そうか、こんな状況で。何度も何度も仲間の命を、零してきたのだ、こいつは。

 嫌になる。弱っちい自分が。こいつの力になりたくて、でもどうしたって足を引っ張ってしまう自分が。

 ──嫌だ。こいつが死ぬのは、こいつの心が死ぬのは。本当に私は私のやれることをやったのか?こんな、ところで。諦めて、いいのか。嫌だ、嫌だ。私は、まだ。諦めたくない──!!

 ぎゅっと不知火の手を力強く握り返したその時。空を舞う艦載機が発する爆音とそれとも異なる轟音、そして。

 

『──いい天気だ』

 

 今まで、無線で聞いた覚えのない声が、耳に届いた。それが誰の声なのか理解する前に、戦艦ル級の前後に大きな水柱が並び立つ。夾叉弾(きょうさだん)。それは、お前を捉えたぞ、という死への秒読み。

 

『Yes!遠くまで見通せてー、絶好の、砲撃日和デース!』

 

 戦場においてもこの人はこのテンションなのか、とどこか他人事のように耳に飛び込む彼女の声と、戦艦ル級より上がる爆発を同時に捉えた。

 

『──そこはこの主砲の射程内だ。失せろ』

 

 その言葉と共に、次々と正確無比に深海棲艦達へと弾着する砲弾の嵐。艦隊決戦における旗艦との意識、視界共有を利用した提督の直接指揮。下手なやつがやればそれこそ艦娘の性能を大幅に下げると言われ、この時代ほとんどやっている人がいない中。確実に、自身の上司は戦艦金剛の性能を最大限まで引き出していた。

 そして、崩れ落ちる戦艦ル級を中心とした頭上にて飛び交う艦載機のうちの一機の影が、一瞬私に落ちた。

 

『いっけぇー!!』

 

 これまた聞き覚えのある声と共に、艦上爆撃機が次々と深海棲艦へと襲いかかる。夢でも見ているのだろうか。私を曳航しながら、不知火が無線機へと叫んだ。

 

『壱番!?なんでここにいるんですか!?』

『実地訓練デース!』

『私の独断と偏見でそこに行かせてまーす!!』

『上にバレると怒られるから黙っててください、ね!!』

『隠しててすみません!今、助けます!』

 

 ああ、なるほどなぁ。提督は、私との約束を守ってくれたわけだ。潮はあっちの提督から借りた規則破りのカモフラージュかな。まさか、まだ候補生の壱番まで引き連れてくるとは思わなかったけれど。

 そこからは圧倒的だった。中核をなすル級が早々に倒されたことにより統率を失った深海棲艦達はほうほうの体で逃げ惑う。そこに、無慈悲な戦艦の砲弾と艦載機の攻撃の嵐。自身の周りで轟音が鳴り響く。それは、私なんかの主砲が発するものとは比べものにならないほどの砲撃音。頼もしい、戦艦の35.6 cm砲弾の、音。ああ、すごいなぁ。こうやって圧倒的な火力を初めて目の当たりにして。そんな場合ではないというのに、感動してしまった。

 ──駆逐艦は、目。駆逐艦は、盾。戦場において、主役になることはほとんどない。それでも、私は駆逐艦であることを誇りに思う。

 

『──敵の掃討を確認』

 

 私が命を賭して守るべき頼もしい仲間達。私が魂を燃やして守れば守った分、彼女達は、戦艦は、空母は、こうして応えてくれる。それを、目の当たりにして。込み上げるものがあった。

 私は、今回守れたのだろうか。人々の血となり、肉となる大事な資源を載せた船を。結構な数の深海棲艦を引きつけたと思うけど、まさかやられてないでしょうね。

 まぁ、いいか。とりあえず、こいつも、私も生きてるし。

 

『艦隊、速やかに、帰投せよ』

 

 ちゃんと、私も約束、守れたわよね、提督。安心すると同時に不知火の腕から自身の手はすり抜け、その場に崩れ落ちる。薄れる意識の中、最後に視界に映った、珍しく動揺を見せたそいつに心の中で声をかけた。

 ──別に、死なないから。そんな顔すんじゃないわよ、バカ。

 

 

 出血は派手に見えるけど、そこまでひどくないわ。応急処置もよかったわね、と最寄りの泊地の当直医師がコメントを残して去り、医務室にて陽炎と二人取り残される。さほど大きな怪我を負わなかった自分は別室にて簡易治療を済ませ、その後ここを訪れた。近くにあった丸椅子を手で引いて黙って座る。陽炎は、まだ目を覚ましていないようだった。

 艦娘の治療方法は二種類ある。医務室内に張られた特殊結界内にて自身の自然治癒能力を高め、時間をかけて治療を行う通称入渠。そして、高速修復剤という薬物を用いて即座に健康体へと回復させる方法。後者は前線においてよく使われるが、乱用すれば艦娘の自己治癒能力を低下させ、打たれ弱い体にしてしまうデメリットがあるのと、希少なのもあってか余程のことがなければ使われることはない。幸い、思ったほどのダメージがなかった陽炎は前者が適応され、この医務室にて静かに眠っていた。

 

「……」

 

 普段あれだけうるさいこいつが静かに眠っているというのがどうにも落ち着かない。本当に、こいつは生きているのか。死んでいるんじゃないだろうかと一瞬不安になるも、ゆっくりと胸が上下しているのを確認してホッとする。

 私は死なない、と豪語したくせにこの有り様はなんだ。死んでいなければとりあえずオッケーとでも思っているのか。ル級の至近弾に吹っ飛ばされたこいつを見た瞬間は肝が冷えた。

 はぁ、と細く長くため息をつきながら膝を抱え込んでそこに顔をうずめる。静寂が落ち着かなくて、こいつが寝ているのをいいことに一人で好き勝手呟くことにした。

 

「……不知火は。仲間を見捨てたことが、あるんですよ」

 

 何度入渠をしても。高速修復剤を投与しても消えることのない、左手の傷。臆病者の、烙印。

 

「もっと、うまくやれたかもしれない。彼女を救う選択肢があったかもしれない。……ずっと、後悔しているんです」

 

 あのとき艦魄から流れ込んできたこの()の悲痛な叫びが脳裏にずっとこびりついていて、離れない。

 

「だから、他の人を沈ませるくらいなら自分が沈んでやろうと、がむしゃらにやってきたのに。どういうわけか、ここまで生き延びてしまいました。……もう、同期はほとんど、沈んでしまったのに」

 

 どんなに手を伸ばしても。どれほど死力を尽くしても。一人、また一人と消えてゆく。

 いつしか、自身の手から零れ落ちる命を直視することが怖くなって。ただただ、目の前の敵を殲滅することに注力するようになった。仲間を、見ないようにしてきた。

 だって、そうだろう。昨日隣で笑っていた子が、明日にはいない。心を交わせば交わすほど、喪失感で胸にぽっかりと穴が開く。だから、仲間なんて。友と呼べる存在なんて、いらないのだ。だって、そうだろう。次は自分の番だ。自分が、海底へと沈む番。そうでなければならない。生き残ってしまっては申し訳が立たない。それなのに。

 

「……なん、で」

 

 自分ばかりが生き残るのか。幸運なものか、これは、きっと死んでいった仲間達の運を吸い取るいわば呪いだ。

 なぜ、自分ばかりが生き残る。仲間を見捨て、誰も助けることができない、無力な、自分ばかりが。

 

「──それはね」

 

 自身の膝に顔をうずめ。自問自答するように紡いでいた一人言に、返答があった。

思わずがば、と顔を上げる。

 

「……いつから、起きて」

「あんたが話し始める少し前くらい?」

 

 身を起こそうとしてよろける陽炎を、慌てて支えた。まだ、ちょっと血が足らないなぁとぼやきながら、陽炎が続ける。

 

「それはね。あんたが仲間を守ろうとするのと同じくらい、仲間があんたを守ろうとしていたからよ」

 

 そう言って、ほれ、とこちらの手を取って自身の胸へと導く。

 

「な、にして」

「生きてるわよ」

 

 とっと、と緩やかな胸の鼓動が伝う。それは、確かにここに命があるのだという証拠。

 

「あんたが、私を守ったの」

 

 何度も何度も自身の手から零れ落ちた。渇望してやまなかった、仲間の、命。

 

「……不知火は、なにも」

「あんな必死に曳航しといてよく言うわよ」

 

 呆れるように言い放つ陽炎に対して押し黙る。違う、そうじゃない。あれは救援が間に合わなかったらなにも意味のない行動だった。どうかしていたのだ。

 

「なーんか、色々グダグダ理由つけて自分責めてそうな顔ね」

「……」

「図星でしょ。よくよく見たらあんたってわかりやすいわ」

 

 こいつは一々人の感情に敏感だ。そんなところも気に障ったのだ。人が、せっかく奥の方にしまいこんでいた感情を、引っ掻き回して。

 

「……あのさ、誤解してたわ。あんた無愛想だし目つき悪いし口を開けばバカにしてくるし、嫌な奴だと思ってたのよ」

 

 そして歯に衣着せぬこの物言い。イライラしたって仕方がないではないか。

 

「でもさ、そうじゃないのよね。あんた、誰よりも優しいわ。だから先頭に立って率先して傷ついてる」

「……」

「人の分まで、傷つこうとする」

 

 勝手に、ペラペラと。こちらのことを分かっているかのように語りかけるこいつに。瞳のその奥に、常に命の灯火を燃やし続けるこいつが、眩しくて眩しくて。

 

「でもね、一人じゃそんなの抱えきれないわよ」

 

 自身が欲しくてやまないそれを持っているこいつを。見ていて、イライラするのは仕方がないじゃないか。

 陽炎はよいせ、とこちらの身を引き寄せ、あやすかのように抱きしめた。こちらは立っていたため、軽く彼女に覆いかぶさるかのような体勢になる。

 

「まー、ね。私は頼りないけど。ほら、金剛さんとか、鳳翔さんとか。頼りになる人周りにいっぱいいるし。壱番も中々肝が座ってるわ、あれは将来大物になるわね」

「……」

「あとほら。なんていうの?一応私ネームシップだし?おねーちゃんだし?戦闘では足引っ張ってるけど、愚痴くらいは聞けるわよ、うん」

 

 彼女を潰さないよう、左手をベッドについて、右手で背中を支えてバランスをとる。自身の顔は、彼女の肩口にうずめた。

 

「だからさぁ。一人で生きてかなくて、いいんだって。無理だってそんなの。寂しくて死ぬわよ」

「……くせに」

「んー?」

「……弱い、くせに。偉そうに」

 

 彼女の背中に回す手に力を込めて。背中の服ごと、かき抱く。

 

「偉いもん。おねーちゃんだからね」

「……」

「妹は素直に甘えとくもんよー」

「うる、さい」

 

 人の気もしらないで。愚痴くらいは聞く?ありすぎて困る。

 

「……砲撃はもっと練習してください」

「う。すみません……」

「大体、死にたがりって、本当に人のこと言えるんですか。魚雷のときもあそこまで距離詰めるとか」

「いやあれ元々不知火がそうしろって言っ」

「うるさい」

「あ、はい」

 

 人の気も知らないで。自身の手から、こいつの手がこぼれ落ちた時。一体、こっちがどんな気分だったかも知らないで。

 

「……勝手に」

「うん?」

「……勝手に、先に。……死なないで」

 

 責任を取って貰おう。仲間を失う恐怖を。自身が心惹かれる存在を失う恐怖を思い出させたこいつに。人の温もりという優しさに、こんなにも自身は飢えていたのだと自覚させたこいつに。

 

「……うん」

 

 先に死ぬことなど許さない。こんなの、なにも確約のない口先だけの約束だ。それでも。

 

「まっかせて」

 

 なにも根拠のない、その力強い言葉に。自身が救われたように思えたのも、確かだった。

 

 

 深海棲艦との交戦から数日後。防衛ラインの内部に大規模な敵艦隊の侵入を許したとして、てんやわんやの騒ぎだったのも落ち着いてきた頃。私はまた例の彼女のところへと赴いていた。艤装技師としての資格も所有している彼女は、その日その長い黒髪をゆるく結わえたつなぎ姿で出迎えてくれた。こう言ってはなんだが、提督の制服なんかより数倍は似合っている。顔にも出ていたようで、私もこっち本職にしたかったけど、担ぎあげられちゃったからさーと笑いかけられた。

 

「以前は曙と潮を貸していただき助かりました」

「いいわよ、そのくらい。これで海上交通線の防衛に関して見直しが入ればいいんだけどねー」

「そうですねぇ。でも今回の件でようやっと海上護衛総司令部で敵潜専門部隊が発足するらしいですよ」

「へぇ」

「水探と爆雷もちょっと融通して貰えたそうです。最後涙声で何言ってるか分かんなかったですけど」

 

 今回の件で海上護衛に対する問題が浮き彫りになり、微々たるものだが海上護衛総司令部の意見が通った、ありがとうありがとうと嗚咽混じりの電話が横須賀よりうちにかかってきた。うん、今度胃に優しい贈り物でもしてあげよう、不憫かつ健気なその姿にちょっと同情した。

 

「呉のアイツも前線で艦娘が走り回ってクソうるさい中、水探なぞ使えたもんじゃねぇ、護衛にでも回せってナイスパスしたそうで」

「連合艦隊司令長官殿はホント、嫌味なくらい仕事ができるわねー」

「本当にね!!!」

「アンタ、本当にあの人のこと嫌いよね……」

「ええ!!!」

 

 握り拳と共に力強く答えると、彼女は机に頬杖をつきながら呆れたように続けた。

 

「わざわざそれ、直接言いに来たわけじゃないでしょう?」

「おっと。そうでした」

 

 ぽん、と手を叩いて電話を指差す。

 

「面白いもの見せてあげますから。電話貸してください」

「どうぞ?」

 

 設定を弄って相手が何を言っているのかスピーカー越しに彼女に聞こえるようにして、とある野郎に電話をかけた。

 

『あー、どーもどーも。この度は大変な事になりましたねぇ』

『全くですな、損害が補給艦三隻だけ、というのは不幸中の幸いです』

『そーですねー』

 

 当たり障りのないことを話しながら、彼女に目配せをする。声の主が誰かわかった途端、椅子の背もたれ越しにこちらを覗きこんでいた彼女は、お、という表情をして、ニヤニヤとこちらの動向を見守り始めた。

 

『いやー貴殿の艦娘は実に勇敢ですな』

『はぁ』

『私の制止を振り切って囮を買って出てくれまして。お陰様でその後は無事に到着することができましたからな』

『ほほぉー?』

 

 艦娘の発言権というものは、なきに等しい。上司である提督がそれは赤だと言ったらどんなに青くても赤。だから、真実がどこにあっても、それを握りつぶされることがほとんどである。そしてコイツは残念ながら私より階級が上なため、これはあれか、こういう筋書きだから黙ってろってことか。ほほぉ。なめられたもんだ。ゴソゴソと胸ポケットから例のブツを取り出して──スイッチを入れた。

 

『──ザ、ザザ……陽炎、不知火は救難信号を出しながら当船団と反対方向へと舵をとってもらう』

『……は?』

『これ、あなたの声ですよねぇ?言ってること違くないですかぁー?』

 

『──提督も、やれることはやってよね』

 

 本当に腑抜けたものだ。陽炎にはっぱをかけられなければ、こんな小細工程度しかできなかったのだから。音声を自動的に検知して録音を開始・停止するタイプのI Cレコーダー。おやっさんの魔改造により耐衝撃性・防水性もバッチリ。数々の艤装開発の影にこの人ありと謳われたおやっさんの実力をなめるなよ。

 陽炎があの真剣な目で私にやれることはやれと言わなければ、このままこの証拠ごと彼女らを海の底へと沈めてしまっていたはずだ。全く艦娘にはいつも驚かされる。いつだって目が離せなくなる。その、生き様に。惹かれてしまう。

 

『なっ、なぜそれを!!!』

『ほーんと、嫌になりますよねぇ。彼女達は自分の命をかけて我々のために戦ってくれているのに、やれセクハラだ、やれ捨て艦だ。……反吐が出る』

 

 あの娘達が生き残ったのは、仲間のために最後まで諦めず、必死に戦ったから。だから、ここからは私の戦いだ。

 

『残念ですが捨て艦戦法は軍規違反です、報告させていただきますね』

『……はっ!階級が下のお前の意見なぞ、いくらでも──』

『何か勘違いしてないか』

 

 あの頃に比べ、自身が振りかざせる力など微々たるものだ。それでも使えるものは使う。プライドなどいらない。

 

『もうこの話は連合艦隊司令長官に通してある』

『な、に?』

『彼は私の古くからの友人でしてね。知ってます?捨て艦戦法禁止したの彼なんですよ』

『は、へ?』

『ああ、それと。あなたが囮に使った駆逐艦不知火ですけど。彼女、彼のお気に入りでして』

 

 いつもこき使われているのだ。たまには使わせてもらう。それくらいの貸しは、こっちにだってあるだろう。

 不知火をこちらに寄こしたのは使い潰すには惜しい道具だから。まだ、利用価値があるから。秘書艦にまでしていたのだ、大体普通のクビならここには送るまい。お互いにお互いが嫌いではあるが、その一方でその利用価値は十分に理解しているのだ。

 

『──降格くらいで、済めばいいですね?』

 

 そう言って、一方的に通話を切ってやった。あー、スッキリした。

 

「アンタの人脈、謎よねー」

「……それで済ませてくれるところ、好きですよ」

「軽々しくそんな事言ってると、アンタのステディがまーた拗ねるわよ」

「ぬ」

 

 それはよろしくない。拗ねてる姿もまぁ可愛らしいものだけれど、こじらせると厄介なのだ。気をつけよう。

 

「あたしめんどくさそうなこと嫌いなの。つつかなければお互い幸せでしょ?あたしはこの田舎でのんびり提督業やるくらいが合ってんのよ」

「やー、お隣さんが理解ある方でありがたいことです」

「でしょ。でもスカッとしたわ!アイツ嫌いだったのよねぇ、階級だけは上だから毎回うちに寄る度に好き勝手しててさぁ」

「でしょうねぇ。下にしか強く出られない、典型的な小物でしたねー」

「あのツラ見なくて済むようになるとかサイコー。いいお酒入ったんだけど、持ってく?お釣りが出るわ」

「今回頑張った子はほとんど未成年だからなぁ。甘味のが喜びます」

「……アンタ、ホント思考の中心が艦娘ねぇ」

 

 感心半分、呆れ半分。そんな彼女に笑いかけながら。

 

「性分ですから」

 

 そう、言った。

 

 

 あの戦いから数週間が経った。陽炎はすでにピンピンとしており、やっぱ同型艦からの指導が一番わかりやすい!とこちらを訓練に連れ回す次第である。最近は、砲撃もほんの少しだけまともになってきたように思う。及第点はまだまだ出せないけれど。

 空母候補生壱番、否、五航戦、正規空母瑞鶴は無事技能試験をパスし、正式な艦娘となった。次の配属が決まるまで詰め込めることは詰め込む!とこちらも訓練付き合って下さい!と最近暑苦しい。

 そして、そんな中。どうやら、この泊地が候補生の訓練所としてやっていけそうであると上から判断されたのか、次は駆逐艦候補生二人がやって来ることとなった。先日の件で海上護衛に関する指導も強化するよう通達も来ており、こちらとて専門ではないというのに船団護衛の教本だなんだまで送りつけられ、全くもっていい迷惑である。

 ちょっとこういうの苦手だから!右に同じデース!とさらりと指導要綱の作成を押し付けられたので、日々の訓練の合間にまとめ、追加資料諸々を抱えて執務室を訪れた。

 

「提督、以前提出した指導要綱の第一案についてなんですが」

「……えっ」

 

 優雅に金剛さんとのティータイムとしけこんでいた提督がその言葉に固まる。……よもや、読んでいないなどでは、あるまいな?

 

「待って待って!読んだ!読みました!あれ!?どこやった!?」

「ヘーイ、それはこっちの山にあるは……あれー??」

 

 ガッサガッサと書類が辺りに散らかる。新たな業務が増えた関係で、今まで一山だった書類の山は二山、三山と増え。そのうちの一つが雪崩を起こした瞬間。ぶちっと、何かが切れるような音がした。

 持ってきた書類を執務机にバサッと放り投げる。書類はひらひらと宙を舞い、ただでさえ汚かった執務机が更にぐちゃぐちゃになる。知ったことか。

 

「前々から。一言申し上げたかったのですが」

「は、はい」

 

 引きつっている提督の顔を真っ正面から見据え、つかつかと机に歩み寄る。そして。

 

 ──ダァン!!!

 

「わひゃ!」

「Wow!?」

 

 思いっきり右手のひらを机に叩きつけ、今までの鬱憤と共に二人を睨みつけた。

 

「……落ち度まみれの、あなた達の仕事。いい加減我慢なりません」

 

 机に散らかっている書類をかき集め、パラパラとチェックしていく。

 

「……し、不知火さん?」

「なんなんですか、この優先順位すら考慮されていない分け方。必要事項の記載漏れ。金剛さんは字が汚い」

「名誉毀損デース!」

「黙れ」

 

 ええ、ええ、もういいです。今まで遠慮していた不知火がバカでした。郷に入りては郷に従え?クソ喰らえです。

 

「不知火は、上司の杜撰な仕事のせいで自身の業務が滞るのが我慢なりません」

「えっと」

「業務改革です」

「つまり?」

「お二人が、きちんとまともな書類業務を行えるよう。不知火が補佐して差し上げましょう」

 

 そう言って、手早くざっと分類を済ませた書類を机に投げ置き、二人を見据える。

 

「……」

「……」

「左が最重要書類のうち不備があるものです。さぁ早く」

「えっと」

「直せ」

 

 その日。一日中執務室から提督の啜り泣くような声と、秘書艦の呻き声が上がり。こうして、秘書艦補佐、不知火が誕生したのであった。

 

 

「佐世保に配属になりました」

 

 ようやっと指導要綱もまとまりかけた頃。業務の合間に、気分転換にと桟橋まで来てなんともなしに海を眺めていたら、後ろから声をかけられた。なんだかデジャヴを感じる。

 

「加賀さんも今、佐世保にいるみたい」

「そうですか」

 

 正式に艦娘となったその日。瑞鶴さん、と呼んだら眉をひそめられ、なんか、今まで番号で呼び捨てされてたからすごい気持ち悪いです……と散々なことを言われた。そうは言われても通常の鎮守府では駆逐艦にとって戦艦、空母、巡洋艦は上司のようなものであり、こう呼ぶのが普通だ。それが艦娘になるということです、とそのままゴリ押ししてやった。ちょっと面白かったからという気持ちが、なきにしもあらずではあるが。

 

「……あの。すみませんでした」

「どれがでしょう」

「……思い当たる節が不知火さんにとってたくさんあることを、とりあえず謝っておきます」

「理由がわからないのにとりあえず謝るのは得策とは言えませんね」

「ぐっ」

 

 あの日から。罪悪感が、なくなったわけではないけれど。それでも、幾分か心が軽くなったのも事実だった。きっと、この罪悪感が消えることはないだろう。そう簡単に人の心は出来ていない。後悔だって、ずっとし続ける。

 

「……やっぱり不知火さんは加賀さんと全然似てません」

「そうですか」

 

 仲間を失う怖さだって、消えるわけではない。自分は、どうしたって心の弱い臆病者なのだ。それでも。今、目の前にいる人達を。自分に笑いかけ、色々な形で支えてくれる人達を、遠ざけるのはやめようと思った。

 

「……あの船団護衛に行く前の会話のことで。……八つ当たりして、すみませんでした」

 

 自覚はあったのか、とは思ったものの、ここでまたおちょくると話が進まなさそうなので黙って続きを待った。

 

「小さい頃から、結構可愛がられていると思ってたから。だから、あの人の口からああいう言葉が出てくると思ってなくて」

「……」

「だから、その。あの人のことが絡むと、ついカッとなっちゃうっていうか。あの時、不知火さんとあの人がなんかダブって見えて。……すみませんでした」

 

 珍しく殊勝な態度で頭を下げる彼女に。ふと以前加賀さんと交わした言葉をまた思い出した。

 

「……加賀さんには内緒にしてて欲しいのですが」

「え?」

「加賀さんがあなたに対して言ったあの言葉は。決してあなたをバカにしたわけじゃ、ないんですよ」

 

 今からすることは、十中八九余計なお世話というやつだ。あの時は黙っておこうと思ったけれど、気が変わった。これも何かの縁だろう。

 

「最後に彼女と一緒に戦った帰りです。彼女にしては珍しいことに、よく喋っていました」

 

 彼女の相棒たる一航戦の赤城さんは過同調の弊害で戦線を早々に離脱し。そして、最後の戦いに至るまで多くの仲間を失った。赤城さんはきっと戻ってくるわ、と言い続け、信じてはいるようだったけど、彼女ももう限界が近かったのだろう。最後の戦いが終わり、帰投中、何かを吐き出すかのように一方的にこちらに語りかけてきたのだ。

 

「いとこがいる。優秀で、優しい子だ。小さい頃からよく面倒を見ていて、どうにもほっとけない」

「……」

「その子が艦娘になると言う。呉に候補生としてその子が招集された時に、偶々すれ違った。キラキラした目で私も空母になるのだと、言われたと。……冗談じゃないと思った、と」

 

 そこで言葉を切る。瑞鶴さんは、その言葉に思わず顔をこわばらせた。

 

「空母なんて、なるものではない。数が少なく酷使されがちな空母になんて、あの子をさせてたまるか。私は自分が一航戦であることに誇りを持っている。艦娘として戦うことに迷いはない、それでも。……大切な人が苦しむ姿を見るのは、もう、こりごりだ、と」

「……」

「これらの考えの元に、あの発言があったのではないかと」

「……そん、なの」

「勝手ですか?あなたにとっては勝手でしょうね。でも、加賀さんの気持ちも分かりますよ、不知火は。……彼女は長らく相棒を失っていますから」

 

 だから、あの時。ああ、この人と自分は似ているなと思ったのだから。人を拒絶することで心を守ろうとするその姿勢が、似ていると。

 

「……」

「……ひとつ、アドバイスをしましょう」

「え?」

「頭突きは、結構効きました」

「……は?」

「人と喧嘩をしたのは思えば陽炎が初めてです。不知火は優等生ですので」

「……」

「あの時は本当に鬱陶しいやつだと思ったものですが。……まぁ、自分の殻に閉じこもっていた不知火にはちょうどよかったです」

 

 これはお節介だ。加賀さんにとってはいい迷惑だろう、この子にとってもむしろマイナスになるようなアドバイスかもしれない。それでも、互いに互いを想っているというのにすれ違いっぱなしというのは、見ているこちらとしてはなんともアホらしい。精々引っ掻き回されればいい。

 

「……不知火さん、Mなの?」

「失礼ですね、不知火はどちらかと言えばSです。これから存分にお返ししますよ」

「……陽炎さんも、大変ねぇ」

「さて。なんのことでしょうか」

 

 わざとらしく肩をすくめれば、くすり、と笑われた。

 

「……話してくれてありがとうございます」

「いえ。ただの気まぐれですから」

「お世話になりました。邪魔しちゃ悪いからそろそろ行きますね」

「……」

「不知火さんも、もっと素直になったらどうですか」

「あなたにだけは言われたくないですね」

 

 そうむすっとした顔で言ってやると、彼女はそれには答えず、笑って桟橋から去っていった。……なんだか最後にやりこめられたようで面白くない。

 そして、彼女と入れ違いに。

 

「あれ?不知火?」

 

 哨戒任務から帰ってきた陽炎が、桟橋に上がってきた。素直、素直か。

 

「なに?わざわざ待っててくれたの?なーんて」

「そうですが」

「……お、おぅ」

「なんですかその反応」

「し、不知火が……素直すぎて戸惑ってる」

 

 ほれ見たことか。

 

「そうですか、じゃあもう二度とやりません」

「わー!わー!待った!待った!!すごく嬉しい!!」

 

 くるりと陽炎に背を向けて帰ろうとしたら、後ろから飛びつかれ思わずよろける。最近わかったことだが、陽炎はスキンシップが多い。それを嫌とは思わないが、元々こういったものに慣れていないので少々戸惑う。なんとか彼女を支えきると、えへへ、と笑いながら彼女がこちらの肩に顔をのせて喋り出した。

 

「私お迎えしてもらえるの、すっごく好きなんだ。ずっと一人だったからさ、初めてお迎えしてもらったとき、ああ、帰ってきたなーって。ここが、帰ってくる場所なんだなーって、ホッとしてさ」

 

 平和ボケめ、と今までずっと小馬鹿にしていたけれど。彼女は彼女でここで孤独に戦っていたのだ、そんなことはおくびにも出さないけれど。こいつにだって抱えているものの一つや二つ、あるんだろう。まだ、自分はなにも陽炎のことを知らないのだ。陽炎だって、自分のことを全然知らないだろう、そうやって自分は人と距離をとって今まで生きてきたのだから。だから。

 

「陽炎」

「んー?」

「……おかえりなさい」

 

 陽炎が、こちらに歩み寄ってくれたように。

 

「……へへっ。たーだいま!」

 

 今度は、こっちが。陽炎から貰ったものを、少しずつ返していけたらと。そう、思う。

 

─終─

 



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