Fate/Day light (ラビット晴晞)
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第一章 そして理想は芽吹く Limited/zero over
プロローグ 理想/確認
己が願いに 火を灯す
心を焼いた 火を灯す
焦げた心を 携えて
数多の祈りの担い手は
剣の丘に ただ独り
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
──それは、五年前の冬の日。
それは、俺が理想を継いだ日。
“衛宮士郎”の生き方が決まってしまった日。
その日は、月の綺麗な夜だった。
自分はなにもするでもなく、父である衛宮切嗣と月を眺めていた。
冬だというのに、気温はそう低くはなかった。
取り敢えず縁側は少し肌寒い程度で、月見をするにはいい夜だった。
この頃、切嗣は外出が少なくなった。
旅行に行くことが多く、家に居ることのほうが少ないくらいだった前の年までとはうってかわって、ほとんどの時間を家のなかでのんびり過ごすようになっていた。
「……子供の頃、僕は正義の味方に憧れた」
ふと。
父は、なにかを懐かしむように呟いた。
初めは少し驚いた。自分をあの地獄から救い出してくれた父が、自分にとっては正義の味方そのものだった父自身が、それを真っ向から否定してしまったのだから。
「なんだよそれ。憧れたって、諦めたのかよ」
むっとして言い返す。
憧れる親にその憧憬を否定されて、そうなんだなんて頷く子どもはいない。
そんな自分の言葉の意図を察してか、切嗣はすまなそうに笑って、遠い月を仰ぐ。
「うん、残念ながらね。ヒーローは期間限定で、大人になると名乗るのが難しくなるんだ。そんなコト、もっと早くに気が付けば良かった」
言われて納得した。
なんでそうなのかはまったく分からなかったが、切嗣の言うことだから間違いないと思ったのだ。
「そっか。それじゃしょうがないな」
「そうだね。本当に、しょうがない」
困ったように相づちをうつ切嗣。
切嗣の言うことに間違いはない。切嗣自身が言うのだから、切嗣は正義の味方にはもうなれないみたいだ。
なればこそ、俺の言うべき台詞なんて決まっていた。
「うん。しょうがないから、俺が代わりになってやるよ」
子どもながらの無邪気な返答。
それを聞いた切嗣は驚いたように自分を見る。その先にある切嗣の次なる言葉は分かりきっていたので、切嗣がそれを言う前に続けて言う。
「爺さんは大人だからもう無理だけど、俺なら大丈夫だろ。任せろって、爺さんの夢は──」
“─────俺が、ちゃんと形にしてやるから”
そこまで言い切る前に、父は微笑んだ。
続きなんて聞くまでもないっていう顔だった。
切嗣はそうか、と長く息を吸って、
「あぁ──────安心した」
眠るように目蓋を閉じて、その生涯を終えていた。
その誓いからずっと、借り物の理想を鍛え続けている。
この日の誓いを頼りに進み続けている。
その理想を否定されることもあったし、これからだって否定され続けるだろう。
けれど、例え偽物であったとしても、誰かを救いたいという願いが間違いなどではないと信じて、俺は何度でもこの答えを張り続けよう。
───俺は、正義の味方になる。
「……ん」
障子に遮られ、丁度よい感じに優しくなった光が差し込み、意識が覚醒した。
重たい瞼を持ち上げると、いつも通りの自分の部屋の天井が目に入る。
上半身を起こして、寝ぼけて硬直した身体を背伸びで解す。続いて頬を二回叩いて身体に残った眠気を吹き飛ばす。
「……夢、か。また随分と懐かしいものを選んだな」
本音を言うと、もう少し寝ていたい気もするけれど、そんな呑気なことも言ってられない。
只今、時刻は6時。
早く朝食の準備をしなくては、あの半居候が来てしまう。
「……よし」
意を決して立ち上がる。
タンスから着替えを取り出し、寝巻き姿から普段着へと着替えた。
そして、障子を開けて外へと飛び出す。
「うわっ……寒っ」
予想外の寒さに身体を震わせる。
3月27日。土曜日。
昨日終業式を終えて、春休み2日目である今日は、もう春の足音が聞こえてきているというのに、それに勝る冬の足跡を感じさせる残寒であった。
さっきまで毛布にくるまっていた寝起きの身にはこの寒さは堪える。
空自体はこれ以上ないくらいの青空なので、これから暖まっていくことを祈ろう。でないと、本当に春になったのかいまいち不安になってくるし。
やはり起き抜けの身体にこの寒さは負担が大きいので、少し駆け足で居間に向かう。
「さてと、さっさと作っちまおう」
そんなわけで、居間のなかにある台所に到着した俺はエプロンを着け、袖を捲り上げる。
「……鰆は使いたいな」
先日。
雷河さんが海で釣り上げてきた鰆を六匹程お裾分けしてもらった。
鰆は今が丁度旬の時期である。
それと同時に痛みやすい魚でもあるので、できれば今日明日中に使いきってしまいたい。
……昨日のうちに下拵えをしておけば良かった。昨日は遠坂との魔術鍛練が遅くなり、その疲れと眠気に負けて寝てしまった。
なので、手の込んだ調理は時間的に厳しい。
手っ取り早くできるのは塩焼きだな。あとは味噌汁とあぶら菜のおひたしで無難に和食にするべきだろう。
献立の組み立てを終えたなら、早速調理開始。野菜を洗って一口大に切る。おひたしに使うあぶら菜も切って、鰆は雷河さんが血抜きと神経締めをやってくれているので少し洗えば臭みは抜ける。
あとは、煮て焼いて茹でるのみ。
もう少しで米も炊けるので、もうすぐ朝食の完成だ。
「おはよう、士郎」
凛とした、それでいて俺のすべてを包み込むような優しい一声。
たったそれだけで、一気に気が引き締まる。
声が聞こえた方向を向くと、既に朝の準備を終えた、遠坂凛が微笑みを浮かべて俺を見ていた。
「おはよう、遠坂。今日は早いんだな」
「まぁね。今日は少し用事があるのよ」
軽く呟きながら、冷蔵庫から牛乳を取り出す。
そんな当たり前の動作にも、優雅さと気品を感じさせる遠坂に素直に息を呑む。
遠坂が正式にここに住むことになってから一ヶ月。未だに遠坂と俺が付き合っているという事実に現実味を持てないでいるのだ。
実際、あんなことがなければ、俺と遠坂は顔を合わせて話す機会さえなかったと思うし。
──あの戦いがあったから……
聖杯戦争。
七騎のサーヴァントと七人のマスターによる壮絶な戦い。
己が願いを賭けて、最後の一組になるまで争う究極の闘争。
そんな殺し合いから生き延びて、やっと取り戻した日常がここにある。
あの戦いで俺は色々なものを失った。けれど、得たものだって確かにあった。遠坂が最たる例だろう。
そして、これからは得たものをどう積み重ねていくか、なんだけど、それがなんなのかはまだわからない───
そんな俺の感慨をよそに、遠坂は食器棚からコップを取り出す。
そんな遠坂に温めるか質問する。
「ホットミルクにするか?」
「今日はいいわ。それより、桜は?」
「慎二の見舞い。もうすぐ退院だから、身支度を済ませたいんだって」
こないだ、慎二の見舞いに行ったら、慎二は桜の看病に文句を言いつつも素直に従っていた。
物腰も前と同じか、それ以上に穏やかになっている。
皮肉屋なところは相変わらずだが、少なくとも人を値踏みするような態度はいまのところ鳴りを潜めている。
本人的には魔術師への未練が消えたからじゃないか、っていうのが理由らしい。憑き物が落ちたっていうことなんだろうか。
これを機に、桜との関係が昔のような普通の兄妹のように戻ってくれることを祈る。
ふーん、桜も殊勝なことね、なんて興味なさげに呟く。
……遠坂や、自分から聞いておいてそれはないんじゃないかい?
そんな素っ気ない反応では答えがいがない、という俺の視線による声にならない抗議を受け流しながら、遠坂は台所を覗き込む。
「いい匂い……魚?」
「あぁ、この前雷河さんに貰った鰆を焼いてる。鰆はいまが旬だしな」
「へぇ、期待してるわ。衛宮くん」
「む。善処する、って言ってももうすぐ出来るんだけどな」
遠坂の期待に応えられるだろうか。
なにせ間に合わせの一品だ。
手抜きとまではいかずとも、急拵えであることに変わりはない。
ここまで来れば、そんな急拵えの調理でも美味いと言わせられるほどのポテンシャルを旬の鰆が持っていると信じるしかない。
そんなプレッシャーを俺に与え、牛乳とコップを持って、台所を居間の机に向かっていく遠坂。
あぁ、そういえば────
「遠坂。その用事ってなんなんだ?」
さっき遠坂は今日は用事があるから早めに起きてきたと言った。
遠坂の用事となると大体予想がつく。
「へ?なに、衛宮くん。気になるの」
「遠坂の用事っていうと、おおかた魔術関連だろ。そりゃ気になるさ。それとも、俺が聞いちゃマズイことなのか?」
俺がそう言うと、遠坂は再び微笑んで答える。
「ううん、むしろ都合がいいわ」
「……どういうことだよ」
訝しげに呟く。
すると、遠坂は微笑みを崩すことなく続けて言う。
「衛宮くん。朝食が終わったら、私の部屋に来て」
「あ、あぁ、それは別にいいけど……」
部屋に行く分には全然構わないが、まだ肝心なことを聞けていない。
「で、その用事っていうのは
「ヤッホーーーッ!おっはようございまーーす!!」
………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
場を支配する静寂。
なんだろう、この吹雪に打たれているような感覚。
「……はぁ」
「なによー士郎。いきなりため息はないんじゃない。まずは挨拶でしょ、挨拶」
心から溢れたため息。
これ以上ないバッドタイミングで現れた虎により生み出された空白の時間を終わらせたのは、意外にも俺だった。
それに対し、不機嫌そうに抗議する藤ねえ。
「あー、いや、まぁ、おはよう藤ねえ。早速で悪いんだが、朝飯運んで貰えるか?」
「おぉー、朝ごはん。この匂いは魚かな?」
俺の経験則からして、この野獣に普通のセオリーは通用しない。
抗議をはね除けようが、受け入れて謝罪しようが静まることはないので、やんわりと受け流し、それとなく話題を切り換えるという選択が、こういうときの正解だ。
このときの切り換える話題が食事であると尚良し。
そうすれば、移り気気質のある藤ねえはそっちに乗っかってくれる。
やはり野生動物、特に森林を一匹で縦横無尽に駆け回る虎には、同じ場所や話題に留まるのは好ましくないのだろうか。
「藤ねえがこの前持ってきた鰆を使ったんだ」
「おぉ、士郎も分かっとりますなぁ~」
おかずを手早く盛り付けて藤ねえに渡す。
料理を並び終えると、俺の隣が定位置になった遠坂に、桜が居なくなったことをいいことに、藤ねえが俺達の反対側を真ん中にどっしりと構える。
定位置に座った俺達は、全員がそれぞれ違う口調で、しかししっかり声をそろえて食事を始めるための挨拶を口にする。
『いただきまーす』
そして、全員が最初に口に運んだのは朝食の主役、鰆の塩焼きだった。
「うわっ、すごいわね。身が柔らかい」
「ほんとねぇ~、いまが旬の魚恐るべし」
「やっぱり旬の威力はすごいな。味の深さが段違いだ」
各々が旬の魚の力に舌鼓を打つ。
繊細で淡白な味だが、しっかりと自分の旨味を主張してくる。
これならば、もう少し副菜の主張を強めても、主菜としての役割を容易く担ってくれる筈だ。
「関東の方じゃ、冬が旬って言われてるよな」
「ふーん、そうなの?」
「そうなのって、興味ないなら相槌とかうつなよ」
「いいじゃない。こんな美味しいんだから」
確か関東では油が乗ってる冬の12月~2月辺りが旬といわれているそうだ。
鮭でいうトキシラズのような扱いだろうか。
まぁ、こういう方面は語り始めると止まらなくなりそうなので、ここで打ち切ることにしよう。
「うんうん。やっぱり士郎に渡して正解だったわね」
鰆をもう一度口に運んだ藤ねえが嬉しそうに頷きながら言う。
「渡して正解って、まさか藤ねえ。お裾分けじゃなくて、雷河さんからくすねてきたんじゃないだろうな」
「いや、ちゃんと頼んだわよ。ちょうだいって、そしたらくれた」
「いい大人がそれでいいのかよ……」
「それでいいのかとはなんだね、失礼な」
未だに祖父からお小遣いを受け取る25歳教師。
そんながめつさを仮にも生徒の前で見せつけるべきではないと思います、ハイ。
だがしかし、こっちが頼んだら素直に引き受けてくれるので、そういう意味ではまだマシかもしれない。
これで自分で朝飯を作ってくれるようになれば、一人分の負担が減るんだが。そこら辺は期待するだけ無駄だろう。今更そうなられたって困る。
「ねぇ、鰆はまだ残ってるんでしょ?」
「あぁ、夕飯にも使うつもりだけど……」
「いいわねぇ。夜はなににしてくれるのかな~、こりゃ楽しみだ」
藤ねえも藤ねえで、重いプレッシャーを俺に押し付ける。
それに、同じ鰆を使う以上、遠坂の期待もさらに重くなるだろう。塩焼きという簡素な料理を選択したのがせめてもの救いか。
遠坂たちの期待に応えるには、やっぱり夕飯はそれなりに工夫を凝らさなくては……
真っ先に思い付くのは天ぷらだ。
白身魚の味の繊細さと天ぷらの軽い食感は相性がいい。
ただ、それだと揚げるという特性上、工夫が出しづらい。
天ぷらだとタレに漬け込む等も出来ないし、それでは鰆の繊細な味わいを損ねてしまうかもしれない。
どちらかというと味噌焼きとか南蛮漬け、そっち方面に逸れてみたほうが、アレンジを効かせやすい。
いっそ鮭みたいにムニエルとかにしてみてもいいかもしれない。
「あっ」
「ん。どしたの、士郎」
「いや、なんでもない。ちょっとしたことを思い出しただけだ」
鰆といえば、白子も貰っていたことを忘れていた。
まぁ、朝食に使うような食材でもないし、あまり量もないし、白子は夕食のあとの藤ねえの晩酌用のおつまみにでもするか。
そして、夕飯の献立について思案している間にも藤ねえは物凄いスピードで完食していた。
「ごちそうさまでした。二人とも、春休みの宿題はちゃんとするのよ」
手を合わせた藤ねえは、食器を下げながら教師としての注意喚起はきっちりしていく。
そのまま居間を後にして、ヒョコッ、と襖から顔だけ出して言った。
「じゃあ、いってきまーす」
「いってらっしゃい。気を付けろよな」
はいはーい、と気の抜けた返事を返しながら、藤ねえは電光石火のスピードで家から出掛けていった。
いってきます、ってここは藤ねえの家ではないんだけれどな。
毎度のことではあるが、風の如く吹き抜けていった。
それからは、別段取り上げるような会話はなく、俺より少し先に朝食を食べ終えた遠坂が手を合わせて立ち上がる。
「ごちそうさま。美味しかったわ、士郎」
「期待に応えられて光栄だよ」
「夕飯も楽しみにしてる」
「……頑張る」
藤ねえと似たような言葉で夕飯のハードルを上げていくあかいあくま。
やはり遠坂は俺にプレッシャーを与えるのが好きなようだ。
しかし、鰆の調理をあまりやったことがない俺には、定番処しか思い付かないな。
仕方ない。
やはり知識と理解が足りないので、買い物に行くときに本屋に寄ってレシピを探してみよう。
「あぁ、そうそう」
「どうした、遠坂?」
食器を台所に下げて、自分の部屋に戻ろうと遠坂は襖の前に立つと、なにかを思い出したようにこちらに振り返った。
「衛宮くん。さっきも言ったけど、朝食が終わったら私の部屋に来て。事情はそこで説明するから」
遠坂はさっき伝えた必要事項を再び確認する。
「あぁ、分かった」
言葉とともに首を下に振って頷く。
それを確認すると、遠坂はさっさと居間を出て自分の部屋へと戻っていってしまった。
さて、遠坂にも言われたし、俺もさっさと朝食を食べてしまおう。
それから少し経ち、朝食を終え、食器を洗って一段落した俺は遠坂の言葉通りに遠坂の部屋へと向かっていた。
それにしても、遠坂のいう用事とはなんなのだろう?。
わざわざ俺を呼び出す以上、俺にも少なからず関係のあることなんだろうが、そうなるとあまり思い当たるところはない。
まぁ、ここで俺が頭を抱えて、思考を巡らせたところでなにか分かるわけではないのだが。
それに、答えはもう少し先に行けば分かるのだし、ここで悩む必要はないか。
そんな結論に至った俺は、何気なく辺りを見渡す。
「にしても、この家は広すぎるんだよなぁ」
口に出して、しみじみ思う。
一応注釈しておくが、自慢ではない。
元々、廃れた廃墟同然のこの武家屋敷を切嗣と俺と手伝ってくれた藤原組のみんなで修復する形でつくられたこの家は、使っていない部屋が数え切れないくらいある。
使っている部屋は、まず居間や台所、俺の部屋、洗面所に風呂、いま起こしに向かっている遠坂の部屋、土蔵と道場とあと藤ねえ以外に明かしていない部屋が一つ。
それでもまだ部屋が余っている。
明らかに持て余している。
いくら広くてスペースがあるといっても、そのスペースを扱いきれなければ宝の持ち腐れだ。
むしろ、年末の大掃除なんか、普段というか、一年間使っていなかった部屋まで掃除しなくてはいけないのは骨が折れるし、少し不便だと思う。
しかしながら、今年は桜に加え、遠坂という心強い戦力を得たので、去年よりは随分と楽になるだろう……多分、遠坂の家の大掃除のギブアンドテイクになるだろうけど。
……待てよ。もしかして、負担がより増えているように感じるが──気のせいってことにしておこう。
閑話休題。こんな考えるほど憂鬱になるような話は頭の隅に置いておこう。
そろそろ本筋へと戻るべきだ。
だってもう、遠坂の部屋に着いてしまったのだから。
「……ふぅ」
一旦落ち着いて、深呼吸して扉の前に立つ。
遠坂への恐怖をこの一ヶ月で体の芯まで刻み込まれた俺は、
この部屋の前でいつも身構えてしまう。
スー、ハー、もう一度深呼吸して……よし。
コンコンコン。覚悟を決めて、三回ノックする。
「遠坂、入るぞ」
沈黙を了承と受け取り、部屋の扉を開ける。
「待ってたわ、衛宮くん。適当なところに座って」
遠坂は想定していたように対応する。
俺を出迎えるその表情には、少し前までの日常の色は一切なく、ただひたすらに冷徹な魔術師のものになっていた。
適当なところに座れと言いつつ、きちんと俺が座る用の椅子をどこからか用意してくれていた。
こういう丁寧さは、遠坂らしいといえば遠坂らしくはあるが……。
遠坂の応対に何処か違和感を覚えつつ、用意された椅子に座る。すると、遠坂が紅茶を淹れて俺に手渡してくる。
「緑茶のほうがよかった?」
俺が紅茶を受け取ると、遠坂がそんなことを聞いてきた。
「いや、これでいいよ」
「そう。なら良かった」
答えた俺が紅茶を一口啜ると、遠坂は俺の向かいに置かれたもうひとつの椅子に座る。
俺はティーカップを机の上に置いて、改めて遠坂を見る。
遠坂はそれで、準備が終わったと判断したらしく、口を開いた。
「急に呼び出してごめんなさい。今日は魔術講座じゃないからそんなに構えないで」
「でも、魔術絡みではあるんだろ?」
「そうね。その通りよ。しかも今回は……」
俺の問いに遠坂は肯首しながら答える。
「今回は……なんだよ?」
そこで会話が途切れたので、遠坂の言葉の尾を繰り返しながら聞いてみる。
俺の質問に、遠坂の表情が曇る。
ただ、それも一瞬で、すぐに直前までの魔術師の顔を取り戻して俺の質問に回答する。
「今回は……少し厄介なのよ」
「厄介って、そんな深刻なことなのか?」
遠坂の話で次々に疑問が湧いてくる。
いつも遠坂ならこんなに濁した言い方はしないのに……
俺の新たな問い掛けに、遠坂はいいえ、と前置きをしてから答える。
「色々と事情が複雑になってるみたいなの……だから、下手を打ったら深刻な事態になりかねないのは事実よ」
言った後に、紅茶を啜る。
すると、あかいあくまは悪い微笑を浮かべる。
……ええい、遠坂。お前は真面目な話の隙間になどんなとんでもないことを言うつもりだ……。
遠坂がなにかを企んでいることを感じ取った俺が身構えると、遠坂がティーカップを俺の目の前に持っていく。
「士郎は料理は美味しいけど、紅茶の淹れ方はまだまだよね」
「───え?」
続けて腹の中に抱えているべき一物を包み隠さずに言葉にした。
あまりの突拍子のなさに俺が呆けた声を出す。
俺の反応に、遠坂はププ、少し吹き出したあとにしてやったりみたいな笑みでガッツポーズをとる。
「し、仕方ないだろ!?遠坂が来るまで紅茶なんて出してたとしてもほとんどティーバッグだったんだからな。大体、誰と比べてるんだ誰とっ!」
「さーて、誰でしょうねぇ。おほほほほほ!」
恥ずかしくなって口から反射的に出てきた俺の抗議を、するりと受け流していく遠坂。
──その高笑いは勝利宣言と受け取っていいのかな。
止めよう。いま俺がなにを抗議しても、今みたいに受け流されて終わりだ。勝ち逃げみたいになるのは尺だが、ここは大人しく撤退したほうが懸命だろう。
くそ、なにも言い返せない自分が情けない。
この借りはいつか絶対に返してやる……。
叶いそうもない遠い難題を勝手に己に課している時点でやっぱり目の前のあかいあくまの手玉で取られているのだろうが……。
「ってか、なんで急にこんな話になったんだ?」
「いや、これから少し真面目な話になるから、少しでも緊張を取っておこうかなと思って……」
成る程。先程までのやり取りは俺を気遣ってのことだったということか。
その割には随分と楽しそうだったね……君。
「……」
本題に入ろうとしたのか、遠坂は深呼吸する。
遠坂の顔から、一切の迷いが消えた。
それから、さらに数秒の間の置いて、ようやく遠坂は口を開く。
「────士郎、学園都市って知ってる?」
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Day1-1 朝/運命は再び廻り出す
あと、この作品を書くうえでの自分のスタンスなのですが、『基本は設定は守るが、時々踏み込んじゃダメなところまで踏み込もう』という少し危ないスタンスで行こうと思ってます。
“衛宮士郎”になる前の士郎のこととか。
自然にそうできるような展開を考えているので、ご了承頂きたい。
気に入ってくれたら、お気に入り、感想、じゃんじゃんお願いします。
「────士郎、学園都市って知ってる?」
その言葉に俺は少しだけ目を見開く。
驚いた。
予想外だった。
言葉自体もそうだが、遠坂の口からその言葉が出てきたことに俺は驚いたのだ。
──学園都市。
世界最先端の科学技術と教育・研究機関を併せ持った計画都市。
学園都市の名の通り、総人口230万人のうちの約8割を学生が占めており、世界最先端の科学技術は、壁一枚を隔てた俺達の居る外の世界とは、もはや数十年の差を隔てていると言われる。
そしてなにより、科学の最先端をいく学園都市を象徴するものといえば、やはり“超能力”の分野だろう。
なんでも、様々な方法で脳に刺激を与えることによって超能力者を人工的に作り出すことができるのだそうだ。
そんな科学の街のことを、まさか科学の道とは対極に位置する魔導の道を歩む生粋の魔術師である遠坂凛の口から聞くことになるとは思わなかった。
閑話休題。さて、そろそろ遠坂の質問にそろそろ答えなければ。
「そりゃまぁ、勿論。知ってる。夏の終わり頃には大覇聖祭とかで盛り上がるからな」
「え、なにそれ?」
「───」
遠坂が疑問に首をかしげるのを見て、あれ、知らないのか、と続けてしようとした質問を慌てて口にしまい込んだ。
ただ、挙動までは押さえ込むことができず、首をかしげたままになってしまった。
それを見た遠坂は疑問符を浮かべながらさらに首をかしげるおかしな状況。
気まずい雰囲気がこの部屋を包み込む。
どうやら遠坂は、学園都市について十分に把握できている訳ではないようだ。まぁ、前世の因縁レベルで科学と相性の悪い遠坂に、この手の話題を理解しろというのは無茶が過ぎる話ではあるが。
しかしこの空気どうしたものか。
このままにしておけば、肝心なことも聞けずじまいだ。
遠坂が俺を呼んだのだから、俺にも関係があることは間違いないし、こんなことで時間を無駄にしたくない。
「あー、えっとな……要は規模が大きい体育祭だよ」
「規模が大きい?」
「うん。学園都市の生徒が全学校対抗になって競い合うんだ。
研究成果を発表するような機会も兼ねてて、普段は情報を公開することが少ない学園都市なんだけどそのときばかりは一般解放してる。
テレビでも結構報道されたりするから、結構盛り上がるんだぞ」
「へぇー、な、なるほどね」
テレビで報道といえば、藤ねえが教育実習生だった頃に大覇星祭のテレビ中継をやっていて、一緒に見ていたな。
確か種目は棒倒しで、怪獣総進撃としか形容できない程の爆発があちこちで起きてた。
これ本当に棒倒しかと思ったし、藤ねえのテンションが上がっているのも見て、コイツ本当に教師志望かとも思ったっけ。
そんな回想も交えながら、大覇聖祭についての軽い説明を遠坂にする。
普段は俺が遠坂に教わる立場にあるので、遠坂からなるほど、なんて言葉を言われると中々むずがゆいものがある。
俺はそんな困った感情を苦笑に変えてから、遠坂に改めて聞く。
「で、その学園都市がなんなんだ?わざわざその単語を出すってことは今回の用事ってのはそこが関係してるってことでいいのか?」
「……そうね」
そのあと何度目とも知れぬ静寂が遠坂の部屋に満ちる。
遠坂の次の言葉に備えて喉を鳴らす俺を見据えながら、遠坂の鋭い言葉が静寂を切り裂く。
「魔術協会から衛宮くんに直々の指名、学園都市に行って人を守ってこいって」
「……は?」
俺の意思とは無関係に、反射に近い形ですっとんきょうな声が漏れた。
いましがた。
遠坂の口から学園都市という単語に出てきたことについて驚いたと語ったが、これはその比ではない。
まるでフリーズしたパソコンのように、言葉の理解が遅れている。
遠坂の放った情報に俺の処理速度が追いついて来ない。
少しして、ようやく情報を整理して理解できるところまで回復したところで、また新たな問題が発生する。
「ど、どういうことなんだ、遠坂!?なんで魔術協会から俺への直接の指名なんだ?というか、なんで魔術協会が魔術とは正反対の位置にある学園都市の人間を守らなくちゃならないんだ!?」
次から次へととめどなく疑問が溢れる。
何故?何故?何故?
数えだしたらキリがないくらいの疑問が一瞬にして俺の思考を染め上げる。
「そうなるのは分かるけど、衛宮くん。少し落ち着いて。順を追って説明するから」
「そうだよな。悪い、話の腰を折って……」
「それが言えるだけで上出来よ。よし、じゃあまずはどこから話すべきかしら……」
自分の中で生まれた疑問を一旦蓋をして、遠坂の言葉に耳を澄ます。疑問の答えは全て遠坂が持っている。
黒縁の眼鏡をかけ、顎に手を当てて、なにやら思案顔でなにかを考えている遠坂。
しばらくして、遠坂は俺の正面に向き直る。
「学園都市がどんな場所かについては、衛宮くんのほうが知ってるみたいだから、説明する必要はないわね」
俺をまっすぐ見る遠坂は確認をとる。
それに頷き、まずは最初の質問だ。
「それで遠坂。誰を守ればいいんだ?」
「……衛宮くん。既に引き受ける気満々ってわけ」
色々疑問があるなかで、まず一番気になったことについて質問すると、遠坂はジト眼で俺を睨む。
呆れたという様子をそのまま言の葉に乗せている。
あぁえっと、多分これ愚痴だな。
どうしよう。勿論とか言ったら、呆れから怒りに変わり即ガンドの刑に処されそうな雰囲気で候。
「ま、まずは魔術協会から誰を守れって言われたのかについて教えて貰えるか?」
だがまずは、質問に答えてもらえると……
こう言えば律儀な遠坂はそっちを優先してくれる。
俺も伊達にこの一ヶ月間、遠坂の怒りを買ってきてはいないのだ……言ってて悲しくなってきた。
というより、最初にこっちの質問をするべきでした。
そうしておけば初めから死を覚悟することなかったのに……。
遠坂は一瞬予想外の言葉に、返答を詰まらせながら、本題に戻って最初の問いに答える。
「小学二年生の男の子だって……」
「待て。尚更意味が分からないぞ。そういうのって、普通上のほうのお偉いさんとかじゃないのか?」
科学の街とはいえ、ある程度上の立場の人間であるのなら、正反対の魔術側の人間とも付き合いがあるかもしれない。
言い方は悪くなるが、賄賂や暗い取引なんかの欲にまみれた悪い大人の関係だったりする可能性もある。
まぁ、その可能性はかなり低い。
遠坂曰く、魔術師は基本的に神秘を秘匿したがる。
現代科学でさえも忌避しているだろうし、同じ魔術師ならいざ知らず。科学の街の住人と関係を持つなんてかなり無理な話だとは思うが、そう言われるほうがまだ説得力はある。
だが、そうではないとなると疑問が増える一方だ。
それも、この春小学2年生になる少年と聞けば尚のことだ。
「……分からない」
遠坂は暗い顔をしながら答える。
それ答えを理解するには俺はまだなにも知らなすぎる。その思いをそのまま怪訝な顔で表し、質問を重ねる。
「分からないって、魔術協会はそこを教えてくれなかったのかよ。普通そこは教えくれてもいいんじゃないのか?」
「それはおいおい説明するわ。簡潔にいうと、科学の街で起きていることだからかしらね」
「なるほど、大体わかった……まぁ、あそこ滅多なことがない限りは外に情報漏らさないからな」
本当はその滅多なことさえないんだけれど……。
正確には“ない”のでなく“あってはならない”。
学園都市の情報が外に漏れたとなれば、それが新たな戦争の引き金にさえなり得る。
学園都市の科学技術というのは、それだけの力を持っている。世界中が喉から手が出るほど欲しているものだ
だからこそ、学園都市は徹底した情報統制を行わなければいけない。
「でも、魔術協会が科学の街の問題にわざわざ介入するのはどういう了見なんだ?」
「そうね。単純に科学の街だけの問題なら、魔術協会も手を出そうとは思わなかったでしょうね」
「少なからず魔術にも関係があるってことか?」
遠坂は小さく肯首する。
「ある魔術結社がその小学生を狙ってるみたいなの……」
「────っ」
学園都市で人を守れって言われた時点でなんとなく予想はできていたが、こうして改めて口に出されて、ようやくその事実に自分の理解が追い付いたらしい。
学園都市にいる少年を魔術結社が狙っている。俺の役目は少年の護衛、可能なら少年を狙う魔術結社の撃退ってところか。
朧気ながら、俺のなかの認識が輪郭を帯び始めた。
「……俺には荷が重くないか?」
理解して真っ先に感じたこと。
普通こういうのって、魔術協会から派遣されるものではないのだろうか。それがどうして魔術として半人前ですらない俺に……?。
他にも色々聞きたいことはあるが、まずはそこから。
「なんで俺なんだ?」
「……」
「……遠坂?」
遠坂は言い淀む。
なにか言いにくいことでもあるのか。
あり得ない話でない。
人の良い遠坂のことだ。俺に変な重荷を背負わせないように……とか、色々思い付く。
「ほら、貴方って聖杯戦争を生き残ったじゃない?」
「ん。あぁ、そうだな」
「報告書に貴方のこと書かざるを得なかったのよ。そこにお誂え向きに魔術結社の企み……まぁそういうことね」
なるほど。確認を挟んだ遠坂の説明で合点がいった。
極東の島国でのマイナーなものとはいえ、大規模な魔術儀式を生き残ったほぼ一般人。それが俺だ。
魔術協会からすれば余程不気味な存在だろう。
要するに、俺を単独でその護衛任務とやらに向かわせて全容を知りたいんだ。
ただの一般人なら、任務を魔術協会の誰かを派遣して引き継ぎされるし、一定以上の実力をもっているならそのまま任務を継続させる。
どちらに転んでもメリットがあるって訳か。
「これ、俺あまり自由に動けないな」
「そうでもないわ。単独で派遣する以上、証人は衛宮くん自身しか居ない訳だし。その気になればいくらでもでっちあげられるわよ」
「いいのか……それ?」
「なにを今更。もう聖杯戦争の報告書だって色々誤魔化してるし……アーチャーの真名とか、貴方の固有結界とかね」
「……ありがとうございます」
取り敢えず手を合わせて拝むように感謝する。
気持ち的には神様仏様遠坂様だ。
遠坂が俺の師匠でよかった。心からそう思う。
そしてまずは、なぜ俺かという疑問は解消できた。次の疑問に移ろう。
「なんでその子を守らなきゃいけないんだ?」
次の疑問とは言いつつも、どちらかというと最初の疑問の続きだ。
護衛対象は小学2年生の男の子。
年端のいかない少年だが、魔術協会が絡む以上はなんらかの魔術に関係があるってことは確かだ。
「もう一度言うけど、分からないわ」
「なんで守らなきゃいけないのか教えずに守ってこいっていうか。それはいくら何でも─────」
「ストップ」
強引すぎる、と言おうとした俺を遠坂が言葉で止める。
「きっと魔術協会もことの全容を把握できていないのよ。じゃなきゃ魔術協会だってこんな礼儀知らずなことはしないわ」
おいおい話していくと言ったのがこれか。
まだ起こってない事件の舞台は、魔術社会以上の気密性を擁する学園都市。
対する探偵役は表の社会と隔絶され過ぎて、現代社会そのものを忌避する魔術協会。
相性が悪すぎる。
これは情報が不足するのも納得だ。
「にしたって」
無茶な任務に一般人(あっちは俺をそう思っているであろう)を単独で向かわせ、なにが起こるのかさえ教えてくれない。
なぜ守らなくちゃいけなくて、守れなかったらどうなるのかくらいは知っておきたい。
本音を言えば、推測でもいいから教えて欲しい。
引き受けるかそうでないかはそのあとの問題だ。
なんというか、こちらが断ることを前提に依頼してきたという可能性すら感じる。
「魔術協会って、そんな緩い感じなのか?」
「悪しき風習ってヤツね。魔術師は秘密主義で基本的に工房に篭って研究って連中が多いし、緩い仕組みでもやってこれたのよ」
軽く笑いながら遠坂は言う。
曲がりなりにも自分が関わっていた世界なのに、どうして俺は基本的なことをなにも知らないのだろう。
理由は分かる。
切嗣がそもそも教える気がなかったからだ。そもそも魔術を教えるのだって渋っていたくらいだし。俺の身を案じてのことだから文句は言えないが、こういう瞬間が増えていくと考えると頭が重たくなる。
「ただ、その子について一つだけ教えられたわね」
「1つだけ?」
「元々普通に生活してたみたいで、その頃を調べて得た情報よ」
そう前置きして、遠坂は続ける。
「その子、凄く運が悪いそうなの」
「運が、悪い?」
言葉を切り取って繰り返す。
運が悪いときたか。
これはまた、予想外の方向で来たな。しかしそうなると、問題は程度だろうか。
「でも、情報として入ってくるくらいだし、遠坂が凄いと言うくらいだから相当ってことは分かる」
聖杯戦争という濃密な時間のなかで、短い付き合いながら遠坂のことはまだ僅かだが分かっているつもりだ。
遠坂凛という人間は、才能に溢れながら、才能にかまけずに努力を重ねて結果を出してきた人間だ。
だからか、基本的に遠坂は言い訳というものを嫌う。
無論。それを人に押し付けるような嫌な性格もしていないが、他人の失敗を不幸という言葉で片付けるようなことは絶対にしない。
遠坂にとっての不幸とは、才能でも努力でもどうにもならない不条理のことを言う。
そんな人間が不幸という言葉を口にした。
不幸という言葉を重たく扱う人間が、それでも不幸と形容するしかないのだから、それはかなりのものだ。
「……そうね。聞いたときは気持ち悪さで吐き気がしたわ」
続ける遠坂の言葉には、微かながら怒りが感じられた。
不幸と称する少年に向けたものではない。
だとすれば、その憤りは……いったい誰に向けられたものだろうか。
「周りの大人はその子を“疫病神”扱いで、子供達にも虐められて、見ず知らずの男に包丁で刺されたり、テレビ局の心霊番組に撮られたり……他にも、色々と」
「それは……酷いな」
遠坂から聞かされたものは、まさしく不条理と呼べるものだった。
いままで生きてこれたことが奇跡と呼べるほどに。
少なくとも、子供の力でどうにかできる範疇を遥かに越えている。いや、大人だとしても解決できるか怪しいところだ。
なにせ自分にまったく原因がないのだ。
全て周りの人間が勝手に“疫病神”だのと指を差して祭り上げるのだから、自分の力ではどうしようもない。
遠坂が憤るのも無理はない。
「だから、その子は学園都市に送られたのかもな」
「ご両親も学園都市の科学に一縷の望みをかけたって訳か……魔術結社が狙ってるからあまり成果はなかったみたいだけど」
魔術結社とやらは、その子の不幸になにかを求めているってことか。
確かに、こうして聞いただけでも誰かに呪われているのか疑いたくなるほどの不幸だ。なんらかの魔術や異能が関わっていても不思議ではないし、むしろ納得できる。
「なぁ遠坂。その子の家族は魔術師の家系だったりするのか?」
「いえ、それはないわ。個人的にも調べてみたし間違いない」
個人的にも、と言っていることは魔術協会から送られてきた情報と、それを受けて遠坂が裏を取ったってことになるのか。
それなら、遠坂のうっかりが入り込む予知はないし信憑性をあるな。
「ならその子がなんらかの異能をもっている可能性か」
「超能力は基本は突然変異で生まれるものだし、ありえない話ではないわね」
少年自身には自覚はないが、実はなんらかの異能を持っていて、その弊害で人より不幸な事態に陥りやすい。
魔術結社はなんらかの目的で、その異能を狙っている。
いままでの話を聞いた感じだと、これが一番納得できるカタチだ。
「よし。概ねの事情は把握できたよ遠坂」
「そう。じゃあ、その先ね」
その先。
魔術協会からの指名を引き受けるか引き受けないか。
普通に考えれば俺は相応しくない。
俺なんかより相応しいヤツは他にいて、俺が断ればソイツがどうにかするんだろう。
魔術師として半人前以前の問題である俺が出張る理由はどこにもない。
けれど───────────。
「受けるよ。困ってるヤツのことを知ったから、ほっとく訳にはいかない」
困ってるヤツがいる。
そいつを狙う悪い奴らがいる。
できないことは引き受けない。だが、これは出来るかどうかも決まってはいない。
ならば、衛宮士郎は動かなきゃいけない。
例え相応しくなくても。
どんなにへっぽこでも。
衛宮士郎は魔術師である前に、正義の味方を志しているのだから。
「……そうね。貴方はそう答えるわよね」
「ゴメン。けど、やれるだけやってみるよ」
諦めたような呆れたような笑顔で遠坂は言う。
きっとこれから、何度もこの顔を見ることになる。俺が正義の味方を目指し続ける限り─────何度も。
「遠坂……もしかして怒ってるか?」
「当然でしょ。だから、全部終わったら覚悟しておきなさい」
今サラッととんでもないことを言われた気が……どんな恐ろしいことが待っているんでしょうか。
遠坂を怒らせてロクな目にあった覚えがない。
ガンドのガトンリングに晒されて命懸けの鬼ごっこを展開したり、セイバーも連れて新都でデートをしたり。
あれ、意外と嬉しいことも起こってるな。
そんな感じでいずれ来たる災厄から逃避しているうちに、遠坂は机の引き出しから一枚の紙を取り出して俺に手渡してきた。
「ビザは既にとってあるわ。明日には出発してもらうけどいいかしら?」
「え、明日なのか!?」
「えぇまぁ、色々大変だったのよ。その、ホテルの予約……?をホームページ……?でやったりしてたし」
「……よく一人で出来たな」
遠坂にとっては、任務が始まる前から激闘だったようだ。
とはいえ、氏名と電話番号と住所と部屋番号を打ち込むだけの比較的簡単な作業なのだが。これ俺が断ってたら、キャンセルでも一苦労だったに違いない。
早々に話して、俺や桜に頼るという発想がない辺り遠坂らしいといえば遠坂らしい。
「しかし明日か……家事はどうするんだ?」
「衛宮くんには一週間そっちに行ってもらうから、その間は私と桜で分担するってことで桜には話を通してあるわ」
桜には話してあるんだな。
なら尚更ホテルの予約は桜に任せれば良かったのに。
ビザに続けて渡れたのは最寄りまでの新幹線のチケット。魔術関連で必要な道具。さらには俺の不在時における人員の補填。
さすがは遠坂、準備が早い。
ここまで用意周到だと、遠坂家に受け継がれる“うっかり”が発動しそうでちょっと怖い。
「あとその子の名前教えてなかったわね」
「確かに、そういやずっと“その子”呼びだったな」
ここまで来て一番最初のところをすっ飛ばしていた。
「その子の名前は、上条当麻よ」
「上条……当麻」
黒髪の鈴声を聞いて、その名前を口に出して、疑問が生まれる。
初めて聞く名前の筈なのに、妙な感触があった。
この少年が、俺の運命を決定づけるような、“衛宮士郎”という人間の根幹から覆してしまうような……そんな感覚が─────────────
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Day1-2 昼/発端の説明
夕立も改二になり、瑞鶴や瑞鳳も来て、ついに本格的に中級提督になったと思える。
肩書きだけみれば大将なんで場違いも良いとこですが、早く那珂を改二にして先制対潜撃てるようになりたい。
「……ふぅ」
ため息を1つ吐いて、紅茶を啜る。
その動作には、少女の年齢にそぐわない優雅さが感じられる。
まだ成熟しきっていない少女らしい可憐な容姿が、いまのたおやかな動作とのギャップを生み、知的かつ落ち着いた女性らしさをバランスよく醸している。
少女の名前は遠坂凛。
遠坂家の6代目当主にして、冬木市の
その類い稀なる才能を持ち、それを持つに相応しい一人前の女性になりつつある少女は浅い暗みを漂わせた表情で、一週間前のことを思い出していた。
場所は空港。
何故そんなところにいるのかといえば、客を出迎えるためというのが、妥当な理由だろう。
来てから既に30分が経過していた。予定の便の到着時間が大幅に遅れてしまったのだ。
軽い苛立ちを隠しながら待っていると、その男は現れた。
「待たせてすまなかった。ロード・エルメロイ二世だ」
「初めましてロード・エルメロイ。遠坂凛です」
ロード・エルメロイ二世と名乗った男の言葉に魔術師として答える。
手早く握手を交わして、男は深く被っていたシルクハットを取り、続けて言う。
「立ち話も難だろう。そこに誂え向きののカフェがある、詳しい話は腰を下ろしてしよう」
「分かりました」
男の名はロード・エルメロイ二世。
正確には通り名であり本名はウェイバー・ベルベットという。
魔術協会の総本山、時計塔で一級講師であり、同時に近年創立された近代魔術学の
近年の魔術師でもっとも出世した男である。
場所は変わり、到着ロビーの近くにあるカフェに入り、喫煙席の窓側の席に座る。
「すまない、エスプレッソを二つを頼む」
「はい、かしこまりました」
手早く注文を済ませるエルメロイを横目に、凛は窓から見える飛行場を眺めていた。
そんなすぐに飛行機が飛び立つわけがないので、三機ほどの飛行機が動かずにいる。正確には、何人かの整備士が飛行機の状態を確認をしている。
エルメロイは煙草に火をつけ一服を始めると、凛に話しかけた。
「遠坂凛。君は二日前の手紙を読んだのかね?」
「……はい」
凛は数秒遅れて答えた。
当然ながら、遅れた理由は窓から見える景色に眼を奪われていたからではない。
遠坂凛という人間は、どこぞの奉仕大好き人間とは違い、きちんと公私を分けることができる。こんなことで回答が遅れるわけがない。
魔術師として表情を表に出すことはない凛にしては珍しく、困惑と怒りが交わった複雑な表情でエルメロイを見ている。
何故そのような表情を見せているかを説明するには、この遡った時間から、さらに二日前に後退する必要がある。
二日前の夕方、衛宮邸に時計塔からの封筒が届いた。
士郎にそれを渡された凛は、封を切って中にある手紙を読んだ。
『遠坂凛
貴公の弟子である衛宮士郎を此度の学園都市に於ける上条当麻の護衛を任ずる』
短く簡潔に纏められた衝撃的な手紙の内容は、これ以上ないシンプルな衝撃を凛に与えた。
ある程度落ち着きを取り戻してから、改めて手紙を読んでみたが、やはり間違いはなかった。
手紙と同じ封筒のなかにあった学園都市のパンフレットと護衛対象である少年の名前や学年などの基本的な情報が入っていた。
「……あれは、いったいどういう意図なんでしょうか?」
「君ともあろうものが、そこに気付かないわけではないだろう」
「……」
「図星か」
確かに、そんなことに気付かないほど、凛の目は決して節穴ではなかった。
要は、協会は士郎を試しているのだ。聖杯戦争の勝者である士郎のことを。
そうなれば、生きていれば彼の魔術師としての技量を知れるし、凛と違い協会に所属していないので人的損害には成り得ない。
組織として、ここまで正解な選択はないだろう。
だからこそ、凛はその采配に怒りを見せていた。別に凛は士郎のように誰かが犠牲になるのを阻止しようとするほどお人好しではない。
あくまで、身内に降りかかった問題だからこそ、凛は怒りを見せている。
エルメロイは、先程と同じように機嫌が悪そう顔で煙草の煙を吐きながら、淡々とした口調で凛に言い聞かせるように重ねて言う。
「まぁ、私もこの采配には反吐が出る、私も君も協会に所属している身。逆らうわけにもいかん」
「いったい彼を試すことになんの意味が……」
「恐らく衛宮の家柄が異端だからだろう」
凛の問いはエルメロイはハッキリと回答する。
その回答を聞いた凛は、さらに疑問を深める。それを見たエルメロイはこれまた不機嫌そうにため息をつきながら言う。
「長い間日本に居た君は知らないだろうが、時計塔では“衛宮”の名は知られている」
エルメロイは、その話をしながら過去に記憶を巡らせた。
その男を表現するには、“外道”という一言で足りるだろう。目的の為ならば手段は選ばず、その手は血という血で染まりきっている。
エルメロイは男と直接相対したことはないが、第四次聖杯戦争の記録を見るなかでその男の性格は容易に想像できた。
その養子である少年が、どんな人物であるのかはしらないが、どちらにせよ自分とはあまり相性がいいとは思えない。
だが、その方向性は違えど『使えるものはなんでも使う』という点が共通しているため、案外話してみれば意気投合するかもしれない。
「彼の祖父は、協会から封印指定を受けていた。才能溢れる魔術師だったそうだ。まったく気に喰わん」
「……へぇ、そうなんですか」
これは凛も驚いた。
彼の父である切嗣は、血の繋がりのない養父だというのは、聞いていた。
ただ、いくら文献を漁っても、“衛宮”という一族に関する記述はなかったので、てっきり、というか十中八九マイナーな一族だと思っていたが、まさか封印指定を食らってしまうほどの魔術師だったとは。
エルメロイは煙草を再び咥えて離し、煙を吐き出してから、続けて説明した
「衛宮の得意とする魔術は、固有結界のなかの時間の流れを操るで、体内や小因果の時間操作に特化したものであったらしい」
「固有……結界」
「君が驚くのも無理はない。固有結界なんて禁忌はお互いに見たこともないだろうからな」
続けざまに来た先ほど以上の凛の驚愕の理由をエルメロイは、固有結界という魔術の希少さと、特殊すぎる禁忌を使える人間が居たことを知ったからだと結論づけ、その結論をもとにした回答をした。
しかしながら、凛の驚愕の方向性は、エルメロイの想定のむしろ逆をいくものだった。
凛は固有結界という魔術をその身で体感していた。
そして、その使い手のことをよく知っていた。
その使い手とは、二人の会話の中心点にいる、遠坂凛の弟子にして、一番大切な人間である衛宮士郎なのだ。
これは身近なところに固有結界の使い手がいるため、エルメロイの予測は成立しない。
となると、遠坂凛の驚愕の理由は一体なんだったのだろうか。
話題からして、固有結界がその理由の中心の水底にあるのは確かだろう。恐らくは、衛宮家の魔術というのがその理由を水面に引き上げるための釣糸になるだろう。
まずそれを判断する材料として、衛宮士郎の才能は固有結界に一転特化したものだ。
そして、先程の釣糸と表現した衛宮家の魔術も固有結界を基点としたものである。
つまり、凛は士郎自身と衛宮家の魔術に共通項を見出しているのだ。
「すみません、後で衛宮の魔術に関する資料を頂いてよろしいでしょうか?」
「ん、それは別に構わんが……どうしてだ?」
衛宮の魔術を調べることが、今後の士郎との魔術講座にいかせるかもしれない、と考えた凛はエルメロイに衛宮の家に関する資料を要求した。
と、衛宮家の話だけをするつもりが、固有結界などの禁忌の話まで脱線してしまった。
そして、衛宮家のところまで引き返して考えてみると、魔術協会が衛宮士郎にここまで無茶な依頼をしたのかが少し分かって来るだろう。
それがわかった少女は、自分の出した結論を答え合わせのように口に出した。
「つまり、血は繋がってないとはいえ、封印指定を受けた男の孫が急に現れたから、魔術協会は怖くて仕方ない……ってことですか?」
バッサリと、それはもうバッサリと当たり前のように、なにも取り繕うことなく、言葉をオブラートに包むこともせず、ただただ自然体で当たり前のように、鋭く言いきった。
「……あ、あぁ、結論からいえばそうなるな」
遠坂凛の物言いにエルメロイが少々戸惑いながら、それでも冷静さを極力崩さずに答えるエルメロイ。
積んできた修羅場での経験が為す技だろうか。
さすがは、
そして、そのまま話を引き戻して、本線へと強引にレールを繋げる。
「結局のところ衛宮士郎にそのことは伝えたのか?」
「……」
エルメロイの質問に言い淀む凛の反応を、エルメロイはNoと判断した。
「成る程。それでは判断のしようがないな。私は日本に一週間ほど滞在するつもりなので、それまでに答えを出してくれ。頼んだ」
エルメロイは支払いを立ち上がる。
そのままレジに向かっていこうとするが、少し立ち止まってから、凛に先ほどとはまた違う質問をした。
「一つ質問なのだが、秋葉原はどんなところなのかな」
「……え?すみません、秋葉原ってどこのことですか?」
凛は典型的な魔術師なので、科学の方面では疎い。
2004年当時でさえ、誰もが知っている秋葉原を知らないほどに。
そして、凛のそのあまりにも酷い科学オンチに望む答えを得られなかったエルメロイが周りの目も憚らず激昂したのは言うまでもない……
そこまで振り返ってから、凛はもう一度紅茶を啜った。
先程、士郎は快くこの依頼を引き受けてくれた。
魔術協会も、事態が深刻になれば応援を派遣してくれると言っている。
それについては、あまり当てにしていないが……
それを差し引いても、曲がりなりにもサーヴァントと渡り合ったこともある士郎だ。こと戦闘において、士郎は自分よりも上かもしれない。
その士郎が、ここで失敗するはずがないと、凛は思っていた。
続けてエルメロイも衛宮の魔術に関する資料をできる限りのかき集めて昨日の晩に届けてくれた。
何故か、『大侵略』とプリントされた変なTシャツを着ていたが、そこは気にしないことにした。
とりあえず今日自分のすべきことは、士郎を学園都市に行かせる準備だが、それに関しては全て済ませているのでする必要はない。
今日という一日は、衛宮の魔術の資料を読み漁る方向で固めていこう。
そうと決まれば、早速遠坂邸に急いで取りに行こう。
凛は、身支度をすぐに済ませて、遠坂邸に向かっていった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「どしたの、桜?」
「……え、はい。なんでしたっけ、部長?」
「なに言ってんの。いまの部長はアンタでしょ、しっかりしなよ」
場所は穂群原学園の弓道場。
射手が的に向かって弓を引く射場と、矢道を挟んで、的を設置する的場に分かれた立派な弓道場からは部員たちのカンッ、と矢を射る澄んだ音が響き渡っている。
今季はもうすぐ三年生にとって最後の大会であることも手伝い、弓道場の熱気も普段より上がっている
そして、ここにも一人、心ここに在らずといった少女に居た。
少女の名は間桐桜。彼女もまた、今回の魔術協会の案件にも少なからず関わっていた。
「……はい、そうでしたね」
「もう、しっかりしなさいよ。新部長」
「……すみません」
いつになく、頼りない口調で答える桜を、美綴綾子は不思議そうに見つめていた。
その理由を説明するには、5日ほど前にまで遡る必要がある。
5日前の晩。
いつものように衛宮邸で夕食を食べ終わり、食器を片付けていると、凛から呼び出しを貰った。
反射的に了承してしまったが、気後れと緊張により身体を硬直させていると隣の士郎が言ってきた。
「話してこいよ。俺一人でも大丈夫だから……」
「で、でも……」
「いいって、こういうときぐらいカッコつけさせろ。って、それほどでもないな」
「……はい、ありがとうございます」
優しく笑う士郎に、頬を赤らめつつ了承する。
そして、そのまま居間をあとにして、凛の部屋に向かう。
「し、失礼します」
気後れしながら凛の部屋にドアを開けると、凛はベッドに座っていた。
その表情は、学校での凛とした態度とも、衛宮邸にて見せる『あかいあくま』の一面とも違う、悲壮と形容詞できるほどの暗いもので満ちていた。
凛のそんな表情を始めて見る桜は、戸惑いながら部屋の入り口で立ち竦んでいた。
桜が入ってきたことに気付いた凛は、少し表情を明るく作りながら答えた。
「あぁ、いらっしゃい。桜、適当に座って」
先程の僅かな悲壮な雰囲気が嘘のように、普段している振る舞いで桜を歓迎する。
桜は、それが作られた上辺だけの表情であることぐらいならわかってきた。だが、それが何故かということは当然ながら理解できなかった。
遠坂凛は強い。
少しのことで、決して狼狽えたりはしない。
そんな凛のここまでの表情を見るのは桜には初めてだった。
凛自身、“遠坂たる者、常に余裕をもって優雅たれ”という家訓を実践していて、人にそんな弱味を見せてはならない、と常にそういう振る舞いを努めている。
「……じゃあ、ね、姉さんの隣に座ってもいいですか?」
「……え、えぇ、いいわよ」
「じゃあ、失礼します」
凛の隣に座る。
これで距離も縮まり、会話も円滑に進むと二人は考えたようだが、実に甘い。短慮な考えである。
ただでさえ、二人は複雑な関係だ。
学校では先輩後輩であり、血の繋がった姉妹である。
学校内でこれを知っているのは、極々限られてくる。
まずは間桐慎二。桜の義理の兄であり、二人の事情を最初から把握していた一人。
もう一人は衛宮士郎。凛と桜の共通の想い人である。聖杯戦争が終わって間もない頃に二人で事情を士郎に話したのだ。
あとは、間桐の人間と士郎関係で大河と、士郎に話したあとは、親しい友人数名にも話した。
士郎が自分達が姉妹であると知ってしまえば、士郎の態度が変わるのでは、と桜は考えていたようだったが、そんなことは談じてなかった。
しかし、士郎はこれから二人は失った姉妹の関係を取り戻すべきだ、と言っていた。二人はそれを了承し、桜は可能な限り、凛のことを“姉さん”と呼んでいる。
そんな感じで、二人は姉妹であろうとして、ぎこちない関係が続いている。
そんな二人が背伸びして距離を無理矢理詰めた結果、逆に心理的距離が広がり、お互いに障壁を張ってしまった。
「……」
「……」
気まずさだけが広がる。
そのまま数分が経ってから、桜はなけなしの勇気を振り絞って決断する
「……あの、なんで呼び出したんですか。姉さん」
「……あ、えっと、そうね。どこから話しましょうか」
アタフタと慌てながらこめかみに手を当てて、思考を始める凛に、桜は苦笑した。
「実はね。魔術協会から依頼があってのよ、学園都市ってところに行ってこいって」
「え、学園都市って、あの学園都市ですか!?」
「そうだけど……桜は知ってるの?」
「知らないはずありません。結構有名なんですよ。なんでも、人工的に超能力者を作れるとかなんとか」
「超能力を人工的に……?それは、確かにすごいわね」
凛は、この二日前に学園都市の存在を初めて知った。
こういう類いの情報に関しては、本当に疎い。
「でも、大丈夫なんですか?あそこの技術はここの数十年先を行っていて、携帯電話を使えない姉さんが行ったら……」
「少しカチン、と来るけど、大丈夫よ。行けって言われたのは、私じゃないの」
そこまで言ってから、凛の表情は先程と同じようになった。
「士郎なの、行けって言われたのは」
「……へ」
瞬間。
間桐桜という少女の思考が停止した。
凛も、その反応は想定していた。想定していたからこそ、あえて少し寄り道をして、情報を間をおいて話すことで桜の動揺を最小限にしていた。
それでもなお桜にのし掛かる動揺は、少女の心を打ち砕くには十分だった。
「……それ」
「……え?」
「それ、先輩には……もう伝えたんですか」
まだ情報を処理しきれず、纏まっているわけがないぐちゃぐちゃな思考で、凛に問う。
桜は本能的に重要な要素だけを噛み砕いて理解した。
魔術協会が衛宮士郎に学園都市に行け、という本当に身勝手な依頼をした。
「いいえ、まだしてないわ。だからまだ、了承もとれてない」
「それは、なんでですか?」
「それは……言いたくないから、かしらね」
そんなことぐらい桜もわかっている。
凛だって怖い。士郎を失うことがたまらなく怖い。士郎の強さは信頼しているし、保証も出来る。
だが、それと成功率は必ずしも直列で繋がっている訳ではない。だから、ギリギリまで悩んでいる。一人では答えなんて出ないのを分かっていて、それでも悩んでいる。これは、きっと誰かに委ねていい選択ではないから。
それが分からない桜ではない。分からないわけがない。だって、その気持ちを一番理解しているのは桜しかいないのだから。
「……わたしは、先輩が言うなら良いと思います」
桜は、それを全て理解したうえで、自分の考えを口にした。
それは、当たり前な正解で、幼稚な選択で、誰でも思い付くような普遍的な考えだった。
これは、なにも自分の意見を通そうとして言っているのではない。
ぐだぐた悩んで、袋小路に迷い込んでいる凛の考えを明確にするためだ。
「それを決めるのは、私たちじゃなくて、どこまでいっても先輩です。私たちに出来るのは道を示して、先輩の選択を信じることぐらいしか出来ませんから」
「……そう、よね。ありがとう。桜、スッキリしたわ」
「フフ、なによりです」
「あ~ぁ、悩んでたのが馬鹿らしくなってきた。桜、明日買い物に付き合ってもらっていい?」
「はい、大歓迎です」
話が終われば、次に広がるのは姉妹の会話になる。
きっと、それは“しあわせ”を勝ち取った二人に対する褒美なのだろう。
そして、この後士郎が荷物持ちに駆り出されたのは、いうまでもない……
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Day2-1 出発/いざ、科学の街へ
無事(というか、なんとかギリギリ)進学できてよかったなぁ。
さて、今回から上条当麻少年とオリキャラその一がフワッと話に参加していきます。あと、次回から少し文字数を増やして8000~9000文字を目安にして投稿していこうと思います。
それに伴い、投稿ペースもさらに落ちると思います。それでも読んでくれる人がいると嬉しい。
出来ればお気に入り、感想、評価、どしどし待っています。
パチパチパチパチ。
ベーコンの油の弾ける音と香ばしさが少年の部屋を満たす。
あともう少しで朝食が出来る。といっても、少年の朝食はオーブントースターで焼いたトーストに焼いたベーコン、そして牛乳と、現代の朝食を絵に書いたような普遍的で簡素な朝食だった。
少年の年齢は7歳と非常に幼く、小学校ニ年生である。少年の家は学園都市の第7学区であり、そこのマンションの一室で一人暮らしをしている。
通常、この街の小学生は第13学区の寮に入ることになっているが、彼が断固としてそれを拒否した為、少年の祖父が学園都市の教員で、尚且つ
家事などは祖父に教えてもらっているし、この街は比較的に生活手段のない小学生には支給金が多く、両親の仕送りや時々貰う少年の祖父からのお小遣いもあり、なんとか生活できる状況ではあるのだ。
ただ、早く大人になりたい。早く生活手段を手に入れて、誰かに、具体的には両親と祖父に世話をかけたくないという親孝行に焦る気持ちが少年にはある。
だから家事は自分でやっているし、誰にも世話をかけたくないからこその一人暮らしなのだ。
「よし、できた」
と、ここまで長く語っていたうちに朝食が出来たらしい。そして、少年の名前をまだ紹介してはいなかったのでここで説明するとしよう。
少年の名前は上条当麻。
その右手にあらゆる異能を無効化する力を持つ
少年はそのまま、焼いたベーコンとトーストを皿に盛り、机へと運んでいく。だが、机には二人分の皿が用意してある。
その理由は……
ピンポーン。
インターホンが鳴る。
どうやら、その理由が来たらしい。上条はトテトテとフローリングの床を蹴りながら玄関に向かう。
玄関の扉を開けると、そこに居たのはスーツを、といっても、シワだらけのYシャツにズボンを履いただけの白髪の老人だった。
「おはよう、おじいちゃん。朝ごはんはできてるよ」
「おぉ、そうかそうか。楽しみだなぁ」
その老人とは上条の祖父、上条良三郎だった。
今日、つまり日曜日は当麻と良三郎は一緒に朝食を食べることにしている。それは、当麻の近況を知るために良三郎が設けたものだった。
部屋に入ると、良三郎はコーヒーメーカーを起動してコーヒーを淹れてから朝食を食べ始めた。
「うんうん、日に日に美味くなってるな。こりゃ、儂なんてすぐ抜かれてしまうな」
「まだまだだよ。もっと上手くなって、早くおじいちゃんに頼らないでも一人で暮らしていけるようになりたいから……」
「う~む。頼ってほしいのが祖父心なんだが……それと最近学校での調子はどうだ」
「別に普通だよ。たまに喧嘩になったりするけど」
このような、普通の家庭で親子が行う会話を親を飛ばして孫と祖父が週末に行うというのが、上条当麻と良三郎の日常だった
そして、ニュース番組を見ながら当麻がトーストを齧っていると、良三郎が新聞を片手に当麻に呼び掛けた。
「なぁ、当麻」
「なに?おじいちゃん」
「最近、
「うん、というか、いまこのニュースやってるしね」
いま、ニュースがやっている
内容は至ってシンプル。
全員命に別状はないみたいだし、単に不良同士のいざこざだっていうのが自称専門家達の見解らしい。
正直、そういうものとはあまり関係のない上条少年にはこんなことがあったのかー、と友達と話の話題にするくらいの関心しかない。
ただ、
「爺さんもその事件の捜査に当たるから、しばらくはここに来れそうにないんだ」
「ふーん、そうなんだ~」
少年は特に反応を見せず、手に持ったフォークでベーコンを食べていた。
強いていうなら、一瞬少し寂しそうな表情を見せたということぐらいだ。
良三郎は
「こんどのは、いつまでなの?」
「そうだなぁ、長くて三週間くらいかなぁ?」
記憶を探るような口調で良三郎は当麻の問いに答える。
それを聞いて当麻も牛乳を飲みながら、またも『ふーん』と反応を示す。良三郎も『質問しておいてその態度か』と苦笑いをする。
そのまま当麻の近況も聞きながら、朝食を済ませてしまった。そのまま良三郎も玄関まで行き、当麻もそれに着いていった。
「当麻。もし用事があるんなら、いつもみたいに夜の7時に電話を掛けるんだぞ」
「わかってるよ、だいじょうぶ。まったく、おじいちゃんは心配性なんだから」
「よし、じゃあ行ってくる」
「おじいちゃんの家は別にあるでしょ」
「ははは。ここはもう儂の家だよ当麻、老人の一人暮らしほどつまらんものはないからな」
「おじいちゃんって色々若いのに、変なところでおじさんだよね」
「当然だ。儂はお前のじいちゃんだからな」
がはは、と豪快に笑いながら胸を誇る老人。
それを見て、当麻も自然と笑いだす。
「じゃあ、行ってらっしゃい」
それを聞いて、良三郎も笑顔で一回当麻の頭を撫でてから玄関の扉を開けて出ていった。
当麻は良三郎を見送ったあと、食器を洗うためにそのまま台所に向かった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
今日は土曜日である。
平日が終わり、明日に備えなければならない日曜と違い、存分に楽しめる休日である。
多分、これだけではあまり俺の言いたいことは分からないだろう。重ねて言おう。今日は土曜日である。
つまり、今日は遠坂の魔術講座の日である。
順を追って説明しよう。まず遠坂の魔術講座はかなりスパルタ式である。
一度失敗すればため息を吐いて呆れられ、二度失敗すれば凄まじい怒号を浴びせられ、三度失敗しようものならガンドの嵐が吹き荒れる。
まぁ、そこまでいけば大体は桜が仲裁に入ってくれるので、まだそんな大きい怪我を負ったことはない。
それに、今日は俺が学園都市に行く日なので、いつもよりかなり控えめで行ってくれている。
俺は12時半くらいにこの家を出るので、あと15分もすれば今日の鍛練は終わる。
そして、講師である遠坂は鉛筆を走らせながら術式を書き込んでいる。その間に、俺は渡された魔導書で遠坂が書いている術式を使った魔術の起動の仕方を頭に叩き込んでいる。
今日は珍しく、こんなことを考え込んでいるのに術式の内容がスルッと頭に流れ込んでくる。
「ちょっと、ちゃんと集中してるの?」
術式を書いている鉛筆を一旦止めて俺に質問してくる。
言えない。言えるわけがない。まったく関係のないことを考えていたなんて言えるわけがない。
「まぁ、いまから行く学園都市のほうに意識が向くのは分かるけど、今はこっちに集中しなさいよ」
「ご、ごめんなさい」
「……よし、こんなもんかな。じゃあやってみて」
「あぁ、分かった」
遠坂に手渡された術式に魔力を流し込む。
俺の魔力は神秘となり、その神秘は閃光となって駆け巡った。
そして、こんなときに限って順調にこなせてしまう自分が憎らしい。こんなに順調だと、なんか不安になってきてしまう。
嵐の前の静けさ、というやつだ。順調すぎてなにかを見落としてないだろうか、遠坂の“うっかり”が発動するのではないかと、ついつい考え込んでしまう。
「どうしたの?遠い顔して……」
そんな俺を不思議そうに見ていた遠坂が沈黙を破って質問してくる。別に隠すことでもないので、普通に打ち明けることにした。
「え、いや、少し不安になってきて……」
「今更なに言ってんのよ、アンタってそんなに慎重だったけ?」
「順調に進み過ぎてるだろ、だからなにかとてつもないことを見落としてるんじゃないかって……」
「なによ、私の“うっかり”を疑ってるの?」
「うん、まぁ、そうなるな」
遠坂の“うっかり”は少しのミスでありながら、そのミスが決定的に深刻なところが非常に厄介なのだ。
あれ、遠坂。なんでそんな満面の笑みで拳握り締めてるんだ……?しかも、すっごい怖い笑顔なんだけど。なんで無言で近付いてくるんだ。え、嘘。まさか……
「おい。嘘だろ、遠坂。少し待ってくれ。俺、いまから学園都市に─────」
「フンッ」
「ぐえっ」
瞬間、あかいあくまの拳が俺の鳩尾に衝撃を与えていた。肺の空気が俺の外へと逃げ出す。
しかし、悲鳴をあげるにしてももっと見栄を張れるような悲鳴を上げたかった。ぐえっ、なんて締まらない悲鳴ではなんとも格好がつかない。
まぁ、彼女に鳩尾を喰らってつけられる格好も、張れるような見栄もないのだが……
暫く呼吸が出来なくなった。
「ガハッ、ハッ、ハ、ハァ、ハァ」
なんとか呼吸出来るようになってきてから、彼女は意地悪に微笑みながら俺に聞いてきた。
この振る舞いこそ、俺に“あかいあくま”といわしめる所以の一つでもある
「なに、衛宮くん。生まれたての小鹿のように足を震わせながら這いつくばってどうしたの?」
「あ、あぁ、なんともない。大丈夫だ」
「あらそう。じゃあ話を戻すけど、衛宮くんは順調過ぎるのが逆に不安だって言っていたわよね」
「ん、そうだな」
あくまで何事もなかったかのように話を進めるつもりなのか、遠坂。
まぁ、なにもないことにするならそれで一番だし、ここは遠坂に乗っかってしまおう。
「確かに、順調過ぎると気が緩みがちになるわよね。大丈夫よ、不安に思ってさえいれば対応は出来るわ」
……それが出来たら遠阪の“うっかり”は起きないんじゃないのかな、心の中で思う。無論口には出さない。そんなことしたら今度こそ本当に死ぬことになる。
「あぁ、善処するよ」
「よろしい、じゃあこれで魔術講座は終了よ。一週間の帳尻はどこかで合わせるから、そのつもりでいて」
「了解。じゃあ、桜のことを手伝ってくる」
「私はこれを片付けてるから、昼食出来たら呼んで。あと、昼食のあと、もう一度ここに来れる?」
「いいけど、なんでだ?」
そこには、“魔術師”としての遠坂の顔も、“あかいあくま”としての遠坂の顔もなかった。そこにあったのは“普通の女の子”の顔になっていた。
「まぁ、そのときまで聞かないことにするよ。楽しみはあとにとっておかないとな」
「アンタって、そういうことを平気で口走るわよね」
はは、と苦笑を浮かべながら遠坂の部屋を出ていく。
『痛ったぁ~、フー、フー、フー』
どうやら俺へ放った鳩尾は、遠坂にもダメージを与えていたようだった。再度苦笑いをしながら、遠坂の部屋を見る。
部屋のなかで痛がっている遠坂が目に浮かぶ。見たい気もするが、今日は昼食のあとのほうが大事なので、早く居間に戻って桜を手伝うか。
そして、昼食を食べ終わり、再び遠坂の部屋の前にいる。
俺を半殺しにした昨日の今日なので、昨日ほど雰囲気は悪くなかった。それでも二人の間に火花が散っていたが……正直凄く気まずかった。
結局、昼食のあとは食器を洗って、桜は部活に行ってしまった。
さて、そろそろ家を出る時間も近付いて来たし、入るとするか。
コンコン。二回ノックする。
「入るぞ、遠坂」
ドアを開けて改めて遠坂の部屋に入る。
さっきずっと2時間も居たので、さすがに変化はなにもない。ただ、さっき使っていた術式と魔術に関する資料が綺麗に整理整頓されていた。
「それで、なんで呼び出したんだよ?遠坂」
「……ちょっと渡したいものがあって」
そう言いながら、遠坂は紙袋を差し出してきた。その紙袋を俺が受け取ったのを確認して、続けて遠坂が言う。
「ほら、最終局面のときにアンタのパーカーがボロボロになっちゃったじゃない。その代わりになればな~、なんて……」
照れ隠しに笑って頭を掻く仕草が凄く可愛い。
渡された紙袋のなかを見てみると、赤いジップパーカーが入っていた。赤というにはもう少し深いくて鮮やかな、より正確にいえば深紅の色をしたパーカーだった。
「ありがとう、凄く嬉しいよ」
「うん、こういうのを本格的に作ったのは初めてだからあまり上手くはないけど……」
「そうか……ん?これ、遠坂が作ったのか?」
成る程。通りで色合いが赤っぽいわけだ。
でも、遠坂が作ったパーカーだ。ただの服のはずがない。もしかしたら……
「遠坂、もしかしてこれ……なにかの魔術が施されていたりするのか?」
「えぇ、よく分かったわね」
やっぱり。
遠坂の作るものが、ただの服な訳がないのだ……いや、それは遠坂に失礼だな。反省しよう。
「これを作るために使った布は、この前士郎に投影してもらった聖骸布なの」
聖骸布……あぁ、確か二週間前くらいの鍛練にて投影したものだ。投影する宝具に少しアレンジを加える鍛練で、アーチャーが使っていた礼装をただの布の形にして魔力が尽きるまで投影するという鍛練だった。
他にも投影したものはガラクタから宝具まで色々と多岐に渡るが、何故か聖骸布だけ消さずに残しておけと言っていたのはそういうことだったのか。
そんな思考で、一つの疑問に対する回答を得たことで、また新たな一つの疑問が生まれる。
「これって、どんな効果があったんだっけ?アーチャーが使ってたのは覚えてるけど、構造を解析しただけじゃどんな効果を持ってるかはイマイチ分からないんだけど……」
「それは外界に対する一級品の概念霊装なの。具体的にいえば、魔力抵抗や精神耐性がそれぞれ1ランク上がるの」
「へぇ、凄いな。このパーカー」
遠坂が胸を張りながら説明するこの聖骸布の効果に俺は思わず感嘆の言葉を上げる。
アーチャーの奴、いったいどこでこんなものを手に入れたんだ。
「それに、その聖骸布にはある3つの魔術を掛けておいたわ」
3つの魔術……?
首を傾げて疑問を表現する俺に対して、遠坂は再び胸を張って答える。
「一つは魔術で伸縮性を付加して、士郎の成長に合わせてジャストフィットでサイズを合わせることが出来るの」
成る程。俺の成長を鑑みて長く着ていられるように気を配ってくれた訳か。
「二つ目は自己修復機能。袖が破れたり穴が空いた程度なら1日で直ると思う。まぁ、服が半分ごっそり持っていかれたりしても、破片が残っていればそこから1ヶ月くらいで再生するから、大体のダメージなら大丈夫よ」
自己修復機能。これから学園都市に行く俺がするかもしれない敵との戦いによる服のダメージまで考えているというのか。
「3つ目は簡易結界。士郎が魔術を使うまでと使わなくなってから三分後なら常に展開されていて、聖骸布の元々の能力で士郎の魔力のほとんどを外界と遮断して隠蔽してくれるわ」
そこまでしているのか!?
さすがは遠坂だ。余念がない。というか、俺が学園都市に行くことを予見していたみたいにうってつけの魔術を施している。
いや、そうじゃないか。多分、妥協を許さない遠坂の性分がこのパーカーを作るときにも発揮されたみたいだ。
魔力抵抗、精神耐性を底上げする聖骸布をさらに伸縮性、自己修復機能、簡易結界と、これでもかというほど詰め込まれたパーカーだな。
「──────でも、こんな凄いもののお返しなんて俺には出来ないぞ」
「いいわよ。お返しなんて……元々そんなものを期待していた訳じゃないし、そんなこと言われるの目に見えていたし……」
「うっ」
図星を疲れた。
断りを入れたつもりが、バッサリと切り捨てられてしまった。見事にカウンターK.O.を決められてしまった。
「まぁ、強いてお返しを挙げるなら─────」
遠坂が意地悪に微笑みながら間を溜めている。
それに釣られるように、俺もゴクリ、と唾を飲む。そのまま遠坂は結論を述べる。
「────結婚指輪でいいわよ」
「……」
言葉が出てこなかった。
いや、あまりに急な展開だったので、まだ認識が出来ていない。理解のプロセスまで進んでいない。
鍵を掛けられ、おまけに凍りついた俺の理解が溶けて鍵が開くまでに数秒は掛かったと思う。そして、気を使うとかの回路が正常に作動してなかったために思ったことをそのまま言ってしまった。
「話がいきなり飛躍しすぎだと思う……」
「でも、士郎からプロポーズしなさいよね」
「……あ、あぁ、そうするつもりだ」
会話が途切れる。
もう俺のなかの時間の感覚はとっくになくなっていた。不意に時計に目をやると12時25分だった。この時間が永遠に続けばいいなんて思っていたが、どうやらもう出なくてはいけない。
ただ、その前にやることがもう一つ……
「なぁ、遠坂」
「なに、士郎」
「これ、着てみてもいいか?」
「えぇ。っていうか、着てみせて」
来ていたTシャツの上からパーカーを羽織る。
遠坂がチャックは閉めるなと言ってきたので、チャックは閉めずにそのまま袖を通すだけの着方になった。
……着てみてなんだが、服にあまり頓着するような人間では俺には派手すぎる気もするが実際似合っているのだろうか。遠坂には確認しよう。
「……似合ってるかな?」
「うん、超似合ってる!!」
満面の笑みでサムズアップする遠坂。
お互いに照れ臭くなり、それを誤魔化すために笑う。大笑いする。爆笑する。暫くして気恥ずかしさも抜けて笑いも落ち着いた頃、俺達は玄関へと急いだ。
よし、覚悟が決まった。元気も出た。決心もした。決断も済ませた。帰る場所もある。あとは一歩を踏み出すだけだ。
「じゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃい、士郎」
当たり前で慣れない挨拶をして、そのまま俺は玄関へと急いだ。
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Day2-2 科学の街/歪な日常
前回投稿ペースが落ちるかもと言いつつも、結構早めに投稿できました。
それで、今回は一場面を長くニ場面でお送りします。相も変わらず内容は0、話が進んでいるようで進んでいない。そんな駄文な感じですが読んでいただけると幸いです。
良ければお気に入り、評価、感想なんでも送ってくれると助かります。出来れば『批判』はやめて欲しいけど……
あれからニ時間とちょっとが経ち、俺はなんとか学園都市に着いた。
なんとかというのは、学園都市に入る途中で、複雑で面倒な手続きがしなくてはならかったのだ。その手続きを済ませてゲストIDとやらを貰うまででも一時間くらい使わされたと思う。独立国家という意見はどうやら本当らしい。
何故こんな面倒な手続きを毎回行っているのかといえば、やはり情報漏洩を防ぐためなのだろう。学園都市の科学技術は外とは数十年の差がある。その情報がどこかから漏れてしまえば、学園都市の信頼は当然の如く地に落ちるし、下手をすれば戦争の引き金になりかねない。
だからこそ、ここまで徹底した情報の秘匿が要求されているのだろう。
学園都市は、きっとそういう場所なんだろう。
と、長々学園都市の仕組みを憶測していたことはひとまず置いておくとして……
話を本筋に戻そう。
繰り返して説明するが、学園都市の面倒な手続きを乗り越えて、なんとか俺は学園都市に着いた。
だが、そのことでおちおち安心していられる場合ではない。
俺は早速、護衛対象の上条当麻という少年を探さなくてはならない。学園都市をくまなく捜索するなんて、時間がかかりすぎるし、第一、土地勘のない俺がいきなりそんなことをすれば迷子になるに決まっている。
ここは探す範囲を絞り込んで、そこを順番に探していくべきだろう。
当たり前の考え方を長々語って申し訳ないが、実際それが最善手であり定石的な手である。
だがその前に、学園都市に着いたことをまず遠坂に報告してなくては……
携帯電話を取りだし、電話帳から自宅に電話を掛ける。
プルルルルル。プルルルルル。プルルルルル。
ガチャッ
携帯電話のコール音が三回に渡って響いたところで、あちら側の受話器が取られたらしい。
『はい、衛宮です』
「遠坂、俺だ。学園都市に着いたから、一応連絡しておこうと思って」
『ふーん。で、これからどうするの?』
「いや、まだ時間があるし、上条当麻を探そうと思うんだけど」
『具体的には?』
「それは、学園都市のパンフレットを見ながら人が集まるところとか、小学生に関係しているところを回っていこうと思ってる」
『そう。でも、6時までには必ずホテルにチェックインしてね』
「了解。なにか進展があったらもう一度連絡するよ。じゃあな」
『うん、じゃあね』
電話を切る。
進展があったら連絡するといっても、1日やそこらで進展があるほど、俺は優秀ではない。
少なくとも、進展で連絡を入れるのは明日になると思う。
さて、報告もすんだところで行動開始だ。
学園都市のパンフレットに載っている地図を開く。まずはこの学園都市随一の繁華街と紹介されている第15学区に行こう。そこである程度探しながら回って、そのあとに、小学校や幼稚園とそれに付随する機関が集中している第13学区を探すという経路で行こう。
あまり時間もないし、あそこの駅で電車に乗っていくとしよう。
それで、探す前にショッピングモールのベンチで休憩していた。
休んでいる理由は、これから説明しよう。一言でいうならなんかもう……色々とくたびれたということだ。
荷物はコインロッカーに入れておいた。
学園都市のコインロッカーは電子ロックと呼ばれる技術らしく、パスワードを設定して閉めれば自動的に鍵がかかり、パスワードを入力しなきゃ開かないという。たった百円でまさしく鉄壁の城塞となる。
これは、確かにわざわざ鍵をかけて持ち運ぶより防犯性も持ち運びも楽にすむ。外から来た俺には革新的な技術に見える。
この他にも、俺の常識を覆す学園都市の技術はいくつもあった。
一つ目はリニアモーターカー。驚異的な速さと安全性。ものの数分で元居た場所から十数kmも離れていたこの第15学区に着いてしまった。揺れも殆んど無く、乗り心地も抜群。しかも、それを自動で人が乗らずとも勝手に動くというのだから尚驚きである。
二つ目は自動掃除ロボット。地面にあるゴミを埃からポイ捨てされた紙や缶まで一つ一つ適切な清掃方法で毎日24時間休まず街をくまなく綺麗にしているらしい。
1日で、そのうち30分だけでこんなものなので、学園都市には俺には想像できないものがまだまだあるはずだ。そして、それだけで俺の気力のほとんどが使われる衝撃的だったので、俺はいまその衝撃をよって削られた気力を回復させるために休憩しているという訳なのだ。
でも、俺もここに来るまではチューブのなかをタイヤのない車が走っているみたいな、そんなありきたりな未来都市を想像していたので、意外と検討外れだったところもあるが……
「っても、ずっとこうしている訳にもなぁ……」
誰に向けているわけでもない。ポツン、と佇む俺の独り言が人混みのなかに溶けていく。
ふぅ。
ため息を一つ挟んで整理をつける。こちとら1日で上条当麻という少年が見つかるなんて希望的観測は最初からしていない。だからといって、捜索に手を抜くつもりはない。ただ、ペース配分なんかを間違えるわけにもいかないことも事実だ。
ここは、まだ回復しきっていない気力を取り戻すための気分転換として、このショッピングモールでお土産探しでもしながら探そう。
「……なんだこれ。疑似五次元万華鏡」
そこから、ショッピングモールの露店を巡りながら散歩のついでのような感じに探していた。
あまり“探す”方に比重は偏っておらず、あくまで“気分転換のためにお土産選び”という意味合いが強い。
そうして、俺はいま疑似五次元万華鏡なる訳の分からないものを見ていた。『理論上における五次元空間の、あくまで見た目だけのビジョンを光学屈折技術で再現しました』というキャッチフレーズがまた怪しさを強調させている。
「……百聞は一見にしまず。固定観念を捨てていこう」
ここに来てから、固定観念なんて正面からぶち壊されてばかりだ。どうせ壊れてしまうような固定観念ならば、最初から捨ててしまおう。
そのままお試し用に用意された一本を除き込む。
そこに広がった景色は────────
「うへぇ、なにこれ……」
言葉は形容できない。正確には形容したくないような、不思議空間だった。
まぁ、確かに綺麗ではある。が、それと同時に混沌としていて、なんというかこう─────哲学的なことを考えたくなる。
これは……お土産選びからは除外でいいな。誰も喜ばなさそう。あ、桜なんかは喜ぶかも。う~ん、一応保留にしとこう。
「えっと、他には……」
そのまま、疑似五次元万華鏡が売ってある雑貨店に入った。せっかく学園都市に来ているのだ。ただのマグカップとか食器とかの実用品ではなく、学園都市ならではのお土産を買いたい。そういう意味では疑似五次元万華鏡のほうが選びたいジャンル的には近いと思う。でもだからといって、疑似五次元万華鏡が選ばれることは多分ないだろうが……
そのまま、学園都市名物と銘打たれているものをいくつか見ていた。まぁ、そのどれもこれもが、学園都市名物と言う割には全然外でも、というか冬木でも手に入るようなものばかりで、学園都市の技術力が使われるものなんて3つくらいしかなかった。
そりゃ、さっき情報漏洩を防ぐためにあれほど面倒な手続きを済ませたのだし、露店なんかで学園都市の技術を見れるわけもないのだが、やっぱり少し落胆するところはある。
「よし、大分気分も落ち着いてきたし、いよいよ本格的に探し始め──────」
ドンッ。
膝下辺りに衝撃が走った。
すぐに衝撃があった方向を向いていると、幼稚園児が尻餅を着いていた。
どうやらその衝撃は俺ではなく、ぶつかった側にほとんどが帰って来てしまったらしく、そのまま尻餅をついて倒れてしまったらしい。
「ごめん、下まで注意が回らなかった。大丈夫か?」
「えぇ、大丈夫なのですよ。こちらこそ周りを見れていなかったのです」
その幼稚園児は桃色のショートヘアをしていて、随分と礼儀正しかった。
ただ見たところ、凄く焦っている様子だった。周りが見えないほど焦っている幼稚園児といえば、俺の考え付く限り、理由は一つしかない。
「……もしかして迷子になったのか?なら、俺で良ければ手伝うぞ」
「そうですか、助かります─────って、私は子供じゃないのですよー!!」
「え、保護者とはぐれたんじゃないのか?」
「確かにこの身長では幼稚園児に間違われても仕方ありませんが、私はれっきとした大学生なのですよ!!」
ピシッ、空気が凍りつく音がした。
空気だけではない。認識も、時間も、思考も、俺を構成するすべてが凍結した気がした。
「あれ、どうしたんですか?」
そして、そんな俺を見て、見た目幼稚園児の自称大学生はキョトン、と首を傾げていた。
その仕草が俺の中から、彼女が大学生だという印象を更に下げていく。
「あ、この身長では信じられませんよね。ちょっと待っててください。いま学生証を見せますから」
そういった通りに、少女は俺にポケットから取り出した学生証を俺に見せる。
しかし、俺は少女の名前を知らないため、証拠能力なんて皆無なのだが、ここまで胸を張りながら俺に学生証を見せてくるので、信じざるを得ないだろう。
「えっと、一応聞いておくけど、君の名前は月詠小萌でいいんだよな?」
「はい、そうですけど……なんで分かったのですか?」
「いや、学生証に書いてあるから……」
やばいな。見た目に引っ張られて、つい年上なのに敬語を使えない。
見た目が幼稚園児とはいえ、初対面で年上の人間には敬意を払って接するべきだ。
「えっと、俺の名前は衛宮士郎……です」
「タメ口でいいのです。敬語とか使われると、逆にむず痒くなります」
……なんだろう。この少女の行動や言動に一つ一つに俺の加護欲が倍増されていく気がする。
でも、本当になんか困ってるみたいだし、事情だけでも聞いてみるか。
「それで、小萌さん。なにか困ってるなら、事情を話してもらえないか。力になれるかもしれない」
「いえいえ。関係のない人を巻き込むわけにはいきません」
「いいよ。どうせ用事があるまでは暇なんだ、俺の暇潰しに付き合うと思ってくれて構わないから」
「う~ん、でも……」
「ここでぶつかったのも、なにかの縁かもしれないし……な」
「……分かったのです。そこまで言うなら手伝って貰います」
よし。心のなかでガッツポーズを掲げながら呟く。
ただ、あまり暇ではないことを忘れていた。といっても、暇ではないが、時間がないわけではない。むしろ、焦っている様子から、小萌さんのほうが時間がないと言える。遠坂だって、俺がそういう人間だということはわかってくれると思うし、この場合はしょうがないということにしておこう。
「それで、なんで困ってるんだ?」
「さっき士郎ちゃんが言った迷子というのが近いかもしれません」
「それって、小萌さんがか?」
「……士郎ちゃん、ちょっと失礼ですよ」
「ごめんなさい、悪ふざけが過ぎました」
頭を掻きながら謝罪する。
そして、そんな俺の態度にプンスカ怒り顔を見せる小萌さんの姿が、余計に俺の中にある加護欲を刺激してしまう。
「私はいま教育実習の最中で、今日は実習させてもらっている学校の課外授業なのです。それで、生徒の一人がはぐれてしまったんです」
「土日でもやるものなのか?」
「見学をお願いしていた場所がその日しか空いてなくて仕方ないのです。ちゃんと振替休日はありますよ」
「そうか。なら、俺は上から探すから、小萌さんは下から頼む」
「わ、わかりました」
人探しに必要なのは、人手と連絡能力だ。
多分、担任の教師はクラス、又は学年を監督しなくてはならないので、探しにいけない。だから実習生の小萌さんに白刃の矢がたったのか、それとも小萌さんが自ら名乗りを上げたのか、あるいはその両方か。
いずれにせよ、いま動けるのは実習生の小萌さんと、まったくの部外者の俺だけということになる。
「あぁ、その前に連絡先を交換しておこう。仮に俺が先に見つけたとしても小萌さんに知らせられなきゃ意味がないからな」
「はい、じゃあそうしておきましょう」
「あと、念には念を入れて落ち合う場所も決めよう。じゃあ、5階の広場にしておこう」
「ず、随分と馴れているのですね。人探しに……」
「まぁ、これ以外にも色んなことに勝手に首を突っ込んでるからな。じゃあ、俺は屋上から探してくるから……」
それから宣言した通り連絡先を交換したあとに急いで屋上に行った。そこで、早速電話を掛けることになった。
『士郎ちゃん、もう見つかったんですか?』
「いや、そういえば……その子の特徴をまだ聞いてなかったなって」
ふぅ、連絡先を交換しておいて本当に良かった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「──────はぁ」
さて、ここで少し時間を戻り、学園都市に着いたとの報告を士郎から受けたあと、遠坂凛は衛宮の魔導書を読みながら、『衛宮士郎』という人間について考えていた。
恐らく、『衛宮士郎』という人間を一言で表すということは誰にも出来ないだろう。
彼の人間性は複雑であり、単純である。機械的であり、偽善に満ちている。強くて弱い。硬くて脆い。器用で不器用。おおよそ対極にあるすべての要素をその身に内包してきた。
その矛盾が、彼の才能にも影響を与えていた。恐らく本来の『天才』の意味と擦り合わせると、彼のほうが自分よりよっぽど『天才』であると、凛は感じている。
凛は自分がスペシャリストだとは思っていない。確かに魔術という広義的な点から見れば遠坂凛は間違いなくスペシャリストだろう。周りの人間だってそういう風に見ている。ただ、魔術のなかでさらに狭義的に区別すると、そのなかで遠坂凛はこれを極めていると、胸を張って言えるものをあまり持ち合わせていない。
無論、得意と呼べるものも幾つかある。まずは遠坂の魔術である転換に、その他にも基礎の強化等といった多くの魔術を行使できる。
凛の特性は、要するに『なんでもできる』ということだ。ただ、それはあくまでジェネラリストと呼ばれる部類に入る。なんでもできるが、なにもできない。そうなる危険性を常に孕んでいる。それでも一流の成果をだせるのが遠坂凛の才能といえるのだろう。
ただ、それはどこまでいっても『秀才』としか呼べないのだ。秀才とは、どこまでいっても凡人の延長線上にしかない。であるのなら、一点に特化された、研ぎ澄まされた一本の才能を持つ者にこそ、『天才』の称号がふさわしいと凛は感じている。
まぁ、彼女は人前で、特に気を許した人間の前では素直になれないので、いつも『へっぽこ』や『半人前』なんて呼んでしまうし、実際まだその通りなのだが……そこら辺の話はまた今度にしておこう。
さて、そんな衛宮士郎だが、そのことで遠坂凛が考える内容は一つだけだった。
最近、士郎がモテまくりだということだ。
あぁ、学園都市行きのことなら凛はあまり心配していない。繰り返して語るが、遠坂凛は衛宮士郎を信頼している。少なくとも、こと戦闘に於いてなら、そこら辺の魔術師なんて手も足も出ないだろうとも思っている。
しかし、そんなことなど些末な問題だ。
先程も言った通り、最近士郎にはモテ期が到来している。具体的に挙げるなら、女子の人気を二分していた間桐慎二と柳洞一成との間に新たなダークホースとして本人の知らないところで名乗りを挙げたのだ。
まぁ、元々二人なんて目じゃないくらいのイイ男だと凛は思っているので、最初はむしろ喜んでいた。自慢の士郎が注目されるのは嬉しかった。
しかしそれは、新たな恋敵の……それもその他大勢が一気に出現となれば、凛が危惧するのも無理はない。
一応訂正というか、補足を足しておくと凛は士郎の浮気するなんて思ってはいない。ただ、その恋敵どものせいで、士郎との時間がなくなることを危惧しているのだ。
「──────ふぅ」
もう一度ため息を吐いて、気分を落ち着かせる。
そして、先程までの思考にブレーキを掛けて、紅茶を啜りながら途中だった魔導書の続きを読み始める。
衛宮の魔術は固有結界を応用した自身の体内と小因果の時間操作に長けている。これだけ限定的な魔術を、四代で封印指定を受けるほどに昇華させた彼の祖父(血は繋がっていない)の才能が凄まじかったことが分かる。
「でも、なんで亡くなったんだろう。そんな才能溢れる魔術師が……」
ここに来て、次の疑問が浮かび上がる。
執行者に殺されたわけでもないのに、どこで、そしてなんで死んでしまったんだろう。
解答を得ようと、急いで資料をめくってそれについての記述を探す。
「やっぱり直接的な記述はなし……か」
エルメロイに渡された資料のなかには彼の祖父である衛宮矩賢の研究成果を纏めた日記のようなものもあった。
そこには、殺されることを示す記述はなにもなかった。意図的に削られているのかもしれない。しかし、そこに繋がるかもしれない記述が残されていた。内容は、それについて吸血衝動を克服した死徒化という研究について。それについて矩賢の日記にはこう綴られている。
『衛宮の固有結界を用いて、時間を無限に加速させ、宇宙の終末を観測することで根源に到達できるはずだ。
だが、人間の身体では寿命の問題からそれに耐えられない。でも死徒の強靭な身体ならそれを可能にできる。
吸血衝動を克服した死徒化を可能に出来れば、死徒化に伴うデメリットはすべてクリアされる。
だから私は、吸血衝動を克服した死徒化に関する研究を始めた。』
確かに理には叶っている。
成功すれば、六人目の魔法使いになれるかもしれない。そして、矩賢の才能を以てすれば不可能ではないとも思える。
その数年後の矩賢の亡くなった一日前の日記にはこう書かれていた。
『私が身を寄せていたアリマゴ島の住人は魔術協会、聖堂教会に皆殺されてしまった。
しかし、切嗣が生きていてくれたことがなによりの僥倖だ。
シャーレイのことは残念だったが、図らずも早く研究成果を出してくれた。
次の研究場所はもう決まっている。この日記と切嗣さえいてくれれば、研究は続けられるし、研究成果も切嗣に継がせることができる。』
その他にもいくつかの日記を読んでみたが、矩賢という人間がどんな魔術師だったかが分かった気がする。
一言で言うなら、典型的な魔術師だということだ。世間一般の倫理観とは解離した価値観をもっていたということがわかる。
しかし、それと同時に、息子である、つまり士郎の養父である切嗣には父親として無類で無限で無償の愛を注いでいたことも分かる。
別に、故人に対して怒りを見せるほど凛は短気ではない。むしろ、そのような怒りを見せる人間が居るのであれば、それはもう一種のヒステリーと呼んでもいいだろう。
だが、衛宮矩賢という魔術師を、人間を、凛は好きにはなれない。決して相容れない人間だと思う。
「まぁ、それほど興味がある内容ではないしね。士郎がなにか知ってるかもしれないから、帰って来たら聞いてみようかな」
不意に時計を見る。
時刻はもう四時に近付いていた。士郎が家を出ていってから、かれこれずっと資料を読み耽っていたので少し疲れた。軽く目眩がする。
「そろそろ桜も来る頃かな」
そう言いながら玄関へと向かう。
士郎には交代制と言ってあり、明日からはそうするつもりだが、それでは不平等なので初日は二人で一緒に夕飯を作ることになった。
居間に入ろうとしたところで、ガラガラと玄関の扉が開いた。現れたのは夕飯の買い物を済ませた桜だった。
「失礼します」
「あぁ、桜。丁度来る頃だと思ってたわ」
「あの、姉さん。どうかしたんですか。少し疲れてるみたいですけど……」
「まぁ、あれから三時間くらい魔術の資料を読み耽ってたから」
「大丈夫ですか。やっぱり今日は私だけで作りましょうか?」
「ありがとう。でも、大丈夫よ。今から作る訳じゃないし、少し休めば大丈夫だから」
桜はそうですか、と言ってから買ってきた食材をドサッ、と床に置く。
袋に入っていた材料を見ながら、桜に質問してみた。
「今日の夕飯の献立は?」
「カレーです。作り置きしておいて明日も食べられるように多めに材料買ってきました!!」
エッヘン、というような効果音が似合うような姿で胸を張る桜。それによって、凛は少しダメージを受けた。なにが理由かは、彼女の名誉のために省かせて貰おう。
「あと、三時間もすれば藤村先生も帰ってきますし、あと三十分もしたら作り始めましょう」
「わかったわ」
優しい笑みを浮かべる桜に釣られて、凛も微笑みを浮かべる。
さて、このあとに士郎を巡ってちょっとした戦争というか、紛争というか、いざこざが起きるのだが、それはもう少しあとのはなし……
ここでこの話のなかの時間を整理すると
15:00士郎が学園都市に到着。
15:30士郎が小萌先生と出会う。
15:00~16:00凛の場面ってな感じです。
凛の場面って文章量短いですし、分かりにくいけど、一応自分のなかでは一時間たっている設定です。
んで、次回からは16:30くらいから始まります。次回でやっと士郎と上条少年が出会いますのでご安心ください。
そして、心の叫びを一つ。
士郎はロリコンではないッ!!!!
もう一度言います。
士郎はロリコンではないッ!!!!
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Day2-3 邂逅/二人の少年
それと次回は二話同時投稿を目指すのでかなり期間が空くと思う。
気に入ってくれたらお気に入り登録、評価、感想大歓迎です。では、第六話かな?どうぞ。
上条少年は第13学区を適当に散歩していた。
洗濯なんかは春休み初日の金曜日に済ませてしまったので、午前に部屋の掃除を済ませ、昼食を食べ終わって食器を洗い終われば、夕食の買い物まで暇潰しの散歩がてらいつも登校している第13学区の道をなぞっているという訳だ。
一年生のときは、始めての一人暮らし、始めての家事、始めての学校、そんな初めて尽くしな生活でそんな余裕なんてどこにもなかった。
だが、そこから一年も経てばそろそろ慣れてくるものがある。
さて、ここまで散歩に続く経緯を説明し終えたところで、次は現状のことを説明しよう。
「よるごはん、なににしようかな」
頭の後ろに手を置いて歩きながら、少年は呑気に呟く。
もはや台詞が完全に主婦のそれである。
彼は座って考え事をするよりも、身体を動かしながら考えるほうが頭が冴えるのだ。散歩の理由も暇潰しの他に、夕飯の献立を決めるためというのもある。
まずはいまの手持ちを確認しなくては……
少年の思考は、まずは冷蔵庫の現状の確認から始まった。
余った牛挽き肉が少々、野菜は玉ねぎが少しとサラダに使えるものが一通り、他には卵に豆腐やカットわかめと調味料も一通りある。
「となると、コロッケかな」
コロッケ。
少年の言っているコロッケは、茹でたジャガイモを潰してに挽き肉を混ぜてものに小麦粉、卵、パン粉をまぶして油で揚げた、所謂ポテトコロッケと呼ばれるものだろう。
ジャガイモが足りないので買う必要が出てきた。
あとは、有り合わせでサラダと味噌汁でも作れるかな。
少年が依然として後頭部に手を置きながら、ぶらぶら歩きながら今日の献立が決まったところで、ふと気付く。
「あ。でも、どうせ行くなら明日の分も買っちゃおうかな」
これもまた、主婦の台詞のそれである。
買い溜めなんて一人暮らしの始めたばかりの大学生なんて殆ど思い付かない主婦の処世術の一つだ。
少年は『じゃあ、明日と明後日の献立も考えないとな』と続けて呟いていた。
「オムライスにからあげ、トンカツ。さかなだとやきざかな。むしざかな。チャーハン、パスタにグラタン、シチュー、カレー…………」
ブツブツとおかずを次々に挙げていく。
まず当たり前の前提だが、これらすべて上条少年が作れるものである。
そして次の絞り込む条件。手間があまりかからないこと。シチューとグラタンなんかはともかく、その他は簡単なレシピを使えば、ものの数十分で作れるものが多い。
まぁ、家庭料理とは等しくそういうものなのだが、そこはひとまず置いておくとしよう。
あとは、挙げているメニューが子供に大人気なものばかりなのはご愛敬だ。少し見方が大人びているといっても、彼もまだ小学二年生、育ち盛りの男の子だ。ここら辺、食の好みなんかは子供のようで同然だ。
時刻は四時を回ってきた。
この季節なら、あと三十分も待てば夕日が見られる筈だ。上条少年も15時半から散歩してきたので、さすがに疲れたのか、近くの公園で休むために入った。
ドスッ。ドゴッ。ドンッ
「──────え?」
何気なしに入った公園には、まさしく血の世界が広がっていた。
集団で一人を殴って、蹴って、押し飛ばして、叩いて、よってたかってそれを繰り返す。
無邪気ゆえの残虐。
無知ゆえの暴虐。
そんな残酷な世界が広がっていた。
殴る度に二つの声が聞こえる。ひとつは痛そうな声、もうひとつは笑い声。不愉快な音が耳に響く。聞きたくもないものが頭のなかで繰り返し繰り返し再生される。
────────嫌だ。この場にいたくない。
その光景に背を向け、その場を立ち去ろうとする。
あとは一歩を踏み出して、この公園から離れればそれで済む。それだけで、普通の日常に戻れる……筈だ。
「はぁ……ふこうだ───────」
少年は踏み出せなかった。
見捨てられなかった。
傍観者に甘んじることができなかった。
それを自嘲しながら、少年はそれを『不幸』だと嘆いた。
少年は諦観に包まれながら呼吸を整え、そしてもう一度身体を向ける。
逃げるために踏み出せなかった一歩を、助けるためなら踏み出せてしまうことに自己嫌悪を抱きながら、確かな一歩を踏み出す。
そのまま、二歩、三歩と足を進めていく。暴虐の中心へと近付いていく。
「あ、あの……」
「ん?」
上条少年の言葉に、暴力を振るっていた少年たちが一斉に振り向いた。
疑問と困惑のこもった瞳は、上条の姿を捉えた瞬間、そのすべての感情を敵意に変換して上条を睨み付ける。上条もその視線に怯むが、意を決して言う。
「こういうの、やめなよ……泣いてるだろ、その子」
「うるせぇな。疫病神が、絡んでくんじゃねぇよ」
「……っ」
少年たちのリーダー各が上条のことをそう言った。
それは“外”の世界で少年が大人たちに呼ばれた蔑称だった。
なぜそれを少年が知っているのかといえば上条とその少年には面識があるからだ。
その根を辿れば学園都市に入る前からの付き合いだ。彼らは“外”では家が近所にあった。だからかどうかは分からないが、幼い頃から、今もまだ幼いが、具体的な時期を挙げるなら幼稚園の年少の頃からだろうか。
元々仲が良かった訳ではない。相性はむしろ最悪、親の付き合いがあったからそこで交流があっただけの関係だ。
片やリーダ気質の暴君ガキ大将。
片や気弱で泣き虫で弱虫で不幸な疫病神。
噛み合うわけがない。まともな関係を築けるわけがないのだ。水と油って程でもないが、少なくとも溶け合うことは不可能。弾き合うのが目に見えている。
そんな関係なのだ。上条とこの少年の関係は。
「……それとこれとははなしがべつだろ。人を殴るのは良くないことだよ」
「はなしがべつなら、てめぇには関係ねぇだろうが」
「それこそ関係ないじゃないか。ぼくが言ってるのは、やりすぎだってことで……」
「へぇ、じゃあお前が代わりになってくれるんだな!!」
「……へ?」
一瞬遅れて痛みが走った。
殴られた痛みの他に、皮膚に熱さによる痛みが走る。その勢いのまま尻餅をつく。そして、見上げた上条の目に映ったのは、拳を合わせ、文字通り火花を散らして獰猛に笑う少年だった。
そういえば、なぜ二人が学園都市に来たのかの説明をまだしていなかった。こんな状況だが、どうか聞いてほしい。
まずは上条から説明しよう。上条はとにかく『不幸』だった。そのせいで、周りの人間に『疫病神』と呼ばれている。それは上条の右手に宿る
次は少年だ。これに関しては特に理由はない。
単に少年が学園都市に行きたいと言い、ソレを親が許した。ただ、それだけの話だ。きっと能力が欲しかったんだろう。
僕は失敗して彼は成功した。
それだけだ。
ドゴッ。ボスッ。バキッ。
「ハッ、痛ッ、ガハッ」
どうやら、標的は上条に変わってしまったらしい。
最初に殴られていた少年も、その場からさっさと逃げていた。
上条は、この行動を自重し自己嫌悪を陥る理由はここにある。この状況を覆す力もないのに、それでも首を突っ込んで、自分だけが『不幸』を被る。それが上条少年が自身の行動を嫌う理由である。
不思議と痛みは感じない。だが、少年は諦めに満ちた目で空を見ていた。
──────やっぱり、ぼくはふこうなんだな……
言って、少年は目を閉じた。
先程の諦めすら生ぬるい諦観の水底へと沈みながら、浸りながら、少年は世界を塞いだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あれから20分経って、うち10分は小萌さんの生徒の捜索に使われた。小萌さんが見つけたので、俺が手伝う意味なんてなかったのかもしれないけど、役立たずもいいとこだったけど、まぁ、見つかって良かった。
あとで改めてお礼したいと言われたので、交換した連絡先は電話帳に保存してある。
そして、小萌さんの助言を受けた俺はバスを使って小学生や幼稚園、それに関係する施設が集中している第13学区を訪れていた。
小萌さん曰く、『わたしはその子のことを知らないけど、小学生なら13学区に居ると思うのです』だそうだ。
着いてみて気付いたことだが、一つ難題があるような気がしてきた。
遠坂に電話して相談してみるか。
プルルルル。プルルルル。
ガチャッ
『はい、衛宮です』
「あぁ、ごめん。俺だけど……」
今回はコールが二回で出てくれた。
「あのさ、行くことだけに気を取られてまったく目を向けてなかったんだけどさ……」
『なに?』
「小学生相手に聞き込みなんて出来ないよな?」
多少疑問形にして、遠坂に切り出す。
そう。考えてみれば、小学生に聞き込みなど実行したら、“子供に危害を加えようとする怪しい大人”に見えなくもない。
子供は素直だからとはいうが、逆にその純粋さが俺に対する“怪しい大人”フィルターが働く可能性がある。
もしそうなって通報でもされようものなら、
そういうことなら、迂闊に聞き込みなんて出来ない。
だったら、『上条当麻の写真を見ながら探せばいい』なんて言う人もいるかもしれないが、それこそ“変態”扱いされるだろう。
それにそもそもの問題、俺は上条当麻の顔写真を渡されていない。遠坂が言うには、魔術協会もまだ事実の全容を把握できていないということなのだそうだ。上条当麻の情報すら掴めないとはなんだろうか。って思ったりもするのだ。
結論に言うと、上条当麻の顔も知らない。だからといって、誰かに聞くことも出来ない。早くも八方塞がりだということだ。難易度高いことこの上ないとは思わないだろうか。
『ふーん、そういうこと』
「いや。魔術協会、俺が見つけることを期待してないんじゃないのか」
『まぁ、難易度はとてつもなく高いでしょうけど、出来ないこともないんじゃない。指名してきたからには士郎なら出来るだろうって判断があったんでしょ』
「そんなこと言われてもなぁ……」
『大丈夫。魔術協会も情報が手に入り次第貴方に送るって言っているから……多分』
その最後は言わなくて良かったよ、遠坂。
でも、最後に多分遠坂つける辺り、遠坂も少なからず不安に思っているんだろうな。
『それで、なんかあったの?』
「え。なにがって、なにが?」
なにかあったといえば、あったが(小萌さんと迷子探しとか)、遠坂はその事を言っているのだろうか。
『いや、声が心なしか浮わついてたから、なにがあったのかと思っただけど……私の気のせいかしら?』
「そういうことか。いや、学園都市の技術力に圧倒されてな……少し興奮気味だったのかもしれない」
『なに、そんな凄い所なの。学園都市って?』
何故だろう。受話器も向こう側でキョトンとしている遠坂が目に浮かぶ。
「まぁ、漠然とした想像とは大分違ってたけど、だからこそ現実的な驚きだったというか、俺の常識が当てにならないことだけは分かったよ」
こんなことは少し前のデパートでも言ったが、俺もここに来るまでチューブの中をタイヤのない車が走っているとか、空飛ぶスケボーとか、そんなありきたりな未来都市を想像していた。
多分、某有名な22世紀から来たネコ型子守りロボットのアニメとか、これまた某有名な10万馬力の元素の名を冠したロボットのアニメなんかを見ていた影響だと思う。特に後者はこないだまでアニメ最新作をやっていたので見ていて、面白かったので柄にもなく嵌まっていた。個人的に好きなのはプルートウが出始めた辺りで……
げふんげふん、悪い。脱線してしまった。
とにかく、そんなので未来都市のイメージを固定されていたので、ここに来たときは多少の落胆を覚えた。
だが、よくよく見てみれば、“外”の世界では考えられない技術が山程あった。
リニアモーターカーや電子ロックなる技術を使ったコインロッカー、巡回する掃除ロボット、疑似五次元万華鏡に見た目幼稚園の大学生……最後のは違うかもしれない。さっきまで乗っていたバスも無人運転で動いていた。なんでも、AIと呼ばれるプログラムを内蔵していて、ちゃんと信号を守りながら運転していた。
「うん、色んな凄い技術があってさ」
『……士郎、私少しイライラしてきたんだけど』
「え、なんで?」
『だぁー、もういいから教えなさい!!一切合切、アンタが学園都市で見たものすべて!!』
「え、なんで遠坂そんなに怒ってるんだ!?」
『っ、そりゃ……その……』
今度は急にもじもじしだしたぞ……?くそ、可愛いな、遠坂はやっぱり……
『彼氏の趣味趣向を知りたいって……そんなに可笑しいことかしら?』
「……可笑しくないです」
なんというか、こう、幸せだ。
……なんて可愛いんだ、遠坂凛という人間は。
笑みが溢れる。もう抑えきれそうにないな、これは。
さて、日頃の労いも込めて、可愛い彼女の要望に答えなくてはなるまい。
「でも、どこから話そうかな。自分のなかでまだ整理しきれてなくて……」
一瞬だった。
不意に目をやった公園に地獄が広がっていた。
小年たちが、もう一人の少年をいたぶっている光景。
頭では理解できず、それでも身体が勝手に動いてくれた。脊髄が停滞よりも行動を選んでくれた。
そこから数瞬遅れて、脳が状況を理解した。急いで携帯電話の向こうに居る遠坂に伝える。
「悪い、遠坂。その話はまたあとで……」
『え、ちょっ───────』
ブツッ。
通信が切れる音を確認した俺は、腹に息を溜めて大越で叫ぶ。
「お前ら、なにやってんだっ!!!!」
感情の従って浴びせた怒声。
それはすぐに少年達に届いて、少年達は本能的な危険を感じたように走り去って逃げていく。
その勢いのまま俺は倒れていた小年のもとに駆け寄る。
「大丈夫か!?」
「……ん?」
少年は無気力な目で、ギョロリ、と面倒そうに俺を見据える。
そして、傷だらけの身体を起こして少年は続けて言う。
「大丈夫です。ありがとうございました」
そのまま立ち去ろうとする傷だらけの小年を引き留めて言う。
「待て、傷だらけじゃないか。手当てぐらいさせろ。丁度簡易救急箱あるから」
何故引き留めたかはよく分からない。
ただ、考えてる暇はない。この子の怪我の応急処置をしなくてならない、という現状を勝手に理由だということにする。すり替えることにする。
少年は手を引いて、近くのベンチに座らせる。キャリーケースから簡易救急箱を取り出して、包帯やら消毒液やらで患部に処置を施していく。
「これで良し、っと。もう大丈夫だ」
「……すみません。ありがとうございました」
「好きでやってることだ、気にするな。それじゃあな」
「あっ、ちょっ─────」
応急処置を済ませていると、時刻は16時20分を回っていた。そろそろここを出て、ホテルにチェックインしないといけないので、最低限の挨拶を交わしてその場をあとにした。
だが、この直後に俺たちは再開することになることになる────────
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Day2-4 トラブル/夕暮れの提案
二話連続投稿すると言っていました。
理由が二つくらいあって。
平成最後の日に投稿したいのと、このはなしの続きを二話連続投稿にすると、話の区切りが悪いな、って勝手に思い今回は一つの投稿に落ち着きました。
楽しみにしてくれていた人がいるなら本当に申し訳ないです。
あと、ランキング81位に載ることが出来ました。
応援、本当にありがとうございました。
それではどうぞ。
あれから数十分が経ち、上条少年は第3学区に来ていた。
今日は両親からの仕送りが来る日なので、それを受け取りに来ているのだ。そういうものは本来なら郵送で送って貰えるのだが、今月は何故か取りに行かなくてはならないらしい。
少年には、いつもの不幸の一つのようなものだし、今日は酷いほうの不幸があったので、今更それを嘆く気にはなれない。今はただただ疲れている。
「あの人、ちゃんとお礼とか言えてないなぁ」
言いながら、少年は少し前の記憶を呼び起こす。
赤と形容できる程深い茶髪と童顔が特徴的な青年が自分を助けてくれたことを思い出していた。
いままで両親や祖父以外の誰かに助けてもらったことなんて一度だってなかった。
幼い上条にとって周りの大人とは、自分を蔑み、罵り、否定するものでしかなかった。それはそこに厳格にそびえ立っていた事実であり、発言する権利すら剥奪されていた上条には覆しようのないことだった。
それが現実ということを思い知らされ、同時に上条は幼くして自分が“不幸”であることも思い知らされた。
そんななかで上条を助けたのは今日出会ったあの青年唯一人だった。
勿論、家族は自分を庇ってくれているし、それをありがたいとも思っているが、それは家族だからだ。家族だから上条は守られている。
そういった家族ではない、見ず知らずの他人に救われたのは初めてだった。衝撃的だったのは当たり前である。前提が崩れるとき、人は誰だって衝撃を受ける。
窮地に駆けつけて、弱いものを救うヒーロー。
青年は上条にはそう見えた。まぁ、それでは自分が弱いものになってしまうので、なんともできない感情が生まれているのは内緒だ。
さて、一旦両親からの仕送りという話題に戻らせて貰うが、今日渡されたのはお小遣いという名の生活費であり、食材なんかは遅れないため、その他の本やら両親が上条のために集めているお守りやらの雑貨品がたまに郵送で送られてくるだけなのである。
「というか、こんなものでボクのふこうがなおるとは思えないんだよなぁ」
ぶら下がった犬の形をしたお守りを手にとって見ながら、何気なく呟く。
運気上昇が謳われているなんて父の刀夜は言うが、科学の街にいる身としては少し理解できないというか、領域外の知識だ。
そんな曖昧なものに縋るしかない現状を、上条は少しの歯痒さを感じながら、生活費を受け取った上条は早速夕飯の買い物に向かっている。
夕飯の献立はあれから色々考えて、ポテトコロッケと卵スープ、マカロニサラダになった。
今日が丁度特売日だったので、一気に買い込んですうじつの買い物に行く手間を省いてしまおうという考えだ。買い溜めなんて一介の主婦の処世術である。
「いちばんはやいバスがくるのはあと20ぷんもあるし、じかんをつぶそうかな」
お誂え向きに公園があったので、そこのベンチでも少し借りてバスの時間まで待とう。今日は色々あったし、少しくらい罰は当たらないだろ、と少年は思った。
だが、彼は良くも悪くも“運気”というものに導かれるらしい。見つけたベンチには知っているような、知らない人影があった。
近付いてみると、知っている人だった。そちらも気が付いたらしく、少年のほうを見る。
「……え?」
「……へ?」
お互いに視線を交わしながら、二人は奇妙な声をあげた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
場所は第7学区のファミレス。
そこには“異質”が広がっていた。
いや、正確ではないな。訂正しよう。
“異質”というよりは、“異端”だ。“異端”が“異質”に繋がっている。
その場にいる全員が彼らに意識を向けていた。
今更説明するまでもないが、学園都市とは最先端の科学が集結する科学の街である。そこに、“異端”が広がっているとはどういうことを意味するのか。
「がっはっはっは。それで、まだ上条当麻とかいうガキは見つからねぇってか」
周りを気にすることなく豪快に笑う男。
筋骨隆々の逞しい身体に和装。そして男の半生の熾烈さをものがたるかのような傷だらけの顔。すべての要素が男の存在そのものを際立たせていた。
「うるさいわね。機密事項をそんな大声で喋ってんじゃないわよ」
男の一言にその向かいに座っている少女は不機嫌な表情と声で悪態をつく。
「お前は細かいことを気にしすぎだ。大きくなれんぞ」
「アンタがガサツすぎるだけでしょ」
少女の罵りを気にすることなく、尚も豪快に答える男。
それに対抗するように、少女も続けて男を罵る。
少女の服装は男に比べると幾分か常識的なものだった。ととのった顔立ちをしており、まだ“美しい”というより“可愛い”といった印象だが、総合すると見目麗しい容姿をしている。ただ、その言動で彼女の人物像をおおよそ理解出来ただろう。俗にいう“黙っていれば美人”というヤツだ。
「こんな会話、誰も聞いちゃいねぇよ」
「イヤでも耳に入るわよ。アンタの声はただでさえ響くんだから」
「おい、俺がうるさいみてぇじゃねぇかよ」
「そう言ってんのよ。ようやく気付いたの。アンタってもしかしなくてもバカだったりする?」
「……テメェ、俺に喧嘩売ってのか」
「売るどころかタダで配ってんのよ。ようやく気付いたの?」
いつのまにか一触即発の雰囲気が漂ってきたところで、男の隣で静観に徹していた青年が会話に参加する。
「やめろ二人とも。騒々しいことこの上ないぞ。ほかの方々に迷惑がかかるだろ、静かにしていろ」
大雑把な男と、気の強い女の喧嘩を止めるのは、眼鏡をかけた堅物な風紀委員長と古来より決まっているのだ。
青年の咎める言葉に、二人は一瞬怯みながらもすぐに反撃に転じる。
「だけどよぉ、イアン。こいつには一度礼儀ってヤツを教えてやんねぇと気が済まねぇ」
「そうよ。私もこいつには常識ってものを教えてやる必要があるわ」
「どっちもどっちだッ!!」
イアンと呼ばれた青年は迷惑だという意思を表情で示しながら、二人の主張を払いのける。
そうやって二人を牽制し、ため息を吐いて上がっているんだか下がっているんだか分からない微妙なテンションに整理を付ける。
気分を落ち着かせたイアンは、向かいの少女の隣に座っている顎に手を当てて、なにやら考え事をしている少年に話しかける。
「おい、ハルバート。お前からも二人になにか言ってやれ」
「……ん?ごめん、よく聞いてなかった。もう一回言ってもらっていい?」
暢気に答える少年に、イアンはもう一度ため息をつく。
どうやら、先程までの会話はハルバートと呼ばれた少年の耳には届いていなかったらしい。それほどまでに意識を水底まで沈み落として思考を巡らせていたのか、それとも頭を空っぽにして時間を浪費していただけなのか、真相はハルバート自身にしか分からない。
「……アイツらほどではないが、お前ももう少し人の話を聞くべきだな」
「ごめんごめん、それでなんの話だっけ?」
「二人が喧嘩を始めそうだから、注意してくれってことだ」
「イアンで駄目なら、僕がなにを言ったって無駄じゃないのか」
イアンの説明を受けたハルバートは自分には無理だと反論する。
「一応お前は俺たちのリーダーだ。命令でもすればアイツらも止まるだろ」
「そこまで言うなら……って、二人は?」
イアンの説得にやむなく引き受けたハルバートはさらにヒートアップして手を付けにくくなっているであろう二人のほうを見ると、そこには人影すら見当たらかった。
「ッ、まさか。すみません、ちょっといいですか?」
「は、はい。ど、どうなさいましたか?」
イアンはかなり焦りの表情を見せて店員を呼び出す。
店員は怯えている様子を見せて、躊躇いながらテーブルに来た。
その様子に、ハルバートは疑問を浮かべながら質問する。
「僕らの隣にいた二人ってどこに行きましたか?」
「あの方達でしたら、たったいま出ていかれましたけど……」
二人はイアンとハルバートが話している間にさらにヒートアップしていき、店の外に出て行ってしまったようだ。おそらく口喧嘩がエスカレートしていき、口論では決着がつかず、売り言葉に買い言葉で実力行使に移行しようとしている。
「そ、そうですか……ご迷惑をおかけしてすみません」
「……え?あ、謝らないでください」
「いえ、あの二人が迷惑をかけたでしょうし……謝るだけじゃ足りないくらいです」
ハルバートの謝罪を店員は戸惑いながらも対応する。どうやら責任の所在はあの二人にあるため、ハルバートに謝られたことの違和感を感じてしまったらしい。
その結果、ハルバートと店員の謝り合戦が始まってしまった。
その状況を見ていたイアンは本日三度目のため息を吐いて、二人の意識を向けてからハルバートに対して提案する。
「とりあえずお前はあのバカ共を止めてこい。こっちの後始末は俺がしておこう」
「わかった。そっちは任せるよ、イアン」
イアンの『任された』という返答を聞いたハルバートは、二人を追って店を出ていく。
店を出ると、漂うだけだった一触即発の空気がその場を支配していた。その空気を形づくっている二人の間にハルバートが割って入る。
「二人とも、こんな往来の場で喧嘩なんてやめてよ」
「止めてくれるな、大将。こいつには一度教育をしてやんねぇといけねぇんだ」
「コイツと意見が合うのはなんか癪だけど、私もコイツに常識を教えてやるから少し待ってなさい」
二人の主張にハルバートは呆然とする。
ハルバートは数秒後、なにかを決心したように眼を閉じる。
「二人とも、本当にここで喧嘩するつもりで居るなら、まずは僕と戦うことになるけど……いいの?」
瞬間。
その場の支配権が二人からハルバートに移動する。
静かな殺気を放つハルバートの威圧に、二人は取り出そうとしていた得物をしまう。
それを確認したハルバートは放っていた殺気をシュン、と閉まう。
「分かればよろしい!!貴重な戦力をここで失うわけにはいかないからね」
「「はい……」」
「ようやく大人しくなったか」
借りてきた猫のように大人しくなった二人は、殺気をしまったハルバートの言葉にすら相槌をうつしかない。
それを見て、嘲笑の混じった微笑を浮かべながら、面倒そうに呟く。
「イアン、それって俺達がいつも騒がしいみたいじゃねぇか。こいつはともかく俺は違うからな」
「はぁ。うるさいのはアンタでしょ、馬鹿じゃないの。それとイアン、こいつと一緒にくくらいで貰える」
「あぁ、戦んのか?コラ?」
「受けて立とうじゃない」
「二人とも!!」
「うっ……ごめんなさい」
二人が一瞬でしんなりする。
余程ハルバートのことが恐怖を抱いているようだ。二人を見ながら、イアンがなにかを閃いた仕草を取りながら、二人を睨んでいるハルバートに話しかける。
「そういえば、ハルバート。本土に残っている奴等の情報なんだが……我々の目的を察知したどこかの組織が刺客を送り込んできたらしい」
「へぇ、どこから?」
「そこまではまだ掴めていない。だが、刺客は魔術師だ。なんでも、マイナーな儀式に巻き込まれて魔術の道に入ったらしい」
「なら、大したことないじゃない。そんなへっぽこ寄越すなんて、私たちを止める気があんの?」
「油断は禁物だ。どんな可能性をも潰せ、いいな」
「はいはい、わかってますわよ」
ハルバートは組んでいた腕をほどき、男のほうを向きながら言う。
「喧嘩しようとした罰。今日の捜索は君に任せます」
「了解、大将。もし刺客と出会ったらどうすればいい?」
「君に任せるよ」
「御意」
一言答えて男は豪快に笑う。
そのまま、他の三人に背を向けて男は街ごみへと消えていった。
「いいのか?アイツ一人で」
「まぁ、今日明日で見つかるとは思ってないよ。でも……」
「でも?」
ハルバートは優しさと決意の合わさった表情を見せながら、ハルバートは二人の質問に答える。
「誰にも邪魔させない。僕たちが世界を救うんだから」
そう言った。
世界を救う。ハルバートは確かにそう言った。
それは、間違いなく『英雄』の言葉だった。
そのまま三人も歩き出す。世界を救うための道を──────
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
突然だが、俺こと衛宮士郎は宿を失った。
残念なことに、野宿道具はない。セーブポイントなんてあるわけがない。
何故こうなったかを一言で言うなら、“遠坂のうっかり”というところだろうか。
いまの言葉とこの状況、勘のいい人ならもう察してくれたことだろう。
詳しく説明しても、三行ぐらいで済んでしまうくらい些細で他愛ない、本当に微々たる出来事だ。
前置きはこのくらいにして、いい加減この状況の説明をしなくてはな。簡単にいえば、遠坂がホテルの予約を取っていなかった。
ほら、こんなものなんだ。本当に三行で説明できてしまった。
五時にホテルに着いてチェックインしようとしたら、受付の人に『そのようなご予約はなされておりません』とバッサリ切り捨てられてしまった。
内容というか、遠坂がそんなミスをした背景は大体想像がつく。おそらく機械音痴の遠坂は血の滲むような想いで、ホテルの予約をしようとして、なんとか予約のボタンを押すところまで辿り着いた。そこで、なんらかのアクシデントに見舞われ、帰ってきた頃にはもう予約は済ませたと記憶の置換が働いたのだろう。
まぁ、延々と益体のない憶測に耽っていてもなにも始まらないので、そろそろこれからどうするかについて考えよう。
さっきも言ったが、旅行者として来ているので、野宿用具なんか持ってきているわけがない。というか、それ以前にこんなところで野宿なんてしたら、
それに、学園都市には完全下校時間なるものがあるらしく、六時まで学生は家に帰らなくてはならない。簡単にいえば門限を極限まで突き詰めたものだ。
旅行者として来ているとはいえ、一応自分も学生なので門限は出来る限り守りたい。
「といっても、もうどこか代わりの宿をとる気にはなれないしなぁ」
なんとなく呟いた独り言が虚空に消えていく。
まぁ、そんなこといったって野宿しなくなければ、ここに知り合いのいない俺はどこかの宿を取らなくてはいけないのだが……
あ。でも、一人居るかな……?連絡先も知っているし、泊めてもらうって手も、駄目だな。そんな迷惑は掛けられない。
となると、今日はやっぱりどこかの宿を借りて一晩を凌ぐしかないのか。
こりゃ、遠坂にはあとで文句の一つでも言ってやらないとな。気が済まないというより、こういうことは絶叫とはいかなくても注意ぐらいはしなくてはならないだろう。遠坂のことだ、きっと素直に反省して次に活かしてくれるだろう。
そして、行動を起こそうとベンチから腰を上げて、立ち上がると───────
「……え?」
「……へ?」
お互いにすっとんきょうな声を上げる。
きっと彼も俺と同様に驚いたのだろう。
そう、驚いた。これは本当に予想外だ。
ちょこん、と独特の存在感で俺の前に立っていたのは、さっき第13学区で助けた少年だった。
「お、おう。さっき振りだな」
「そ、そうですね……」
俺も彼も、まだ状況を理解できていないのか、苦笑を浮かべながら場違いな挨拶を交わす。
「どうしたんですか?そんなにへこんで」
挨拶のあと、話しかけてきたのは少年からだった。
嘘だろ。子供から見て分かるほど浮かない表情だったのか、俺は。軽くショックだ。
「あぁ、色々あってな……ハハッ……」
やっぱり隠せてござらんかった。
苦笑いが無意識が溢れてしまっている。やっぱりロビーの人に、バッサリ切り捨てられてしまったことが相当堪えているらしい。
「いや、なにかこまってるみたいなかおしてたし、そうなのかなって……」
「う~ん。困ってるといえば困ってるかな……」
「なら話してもらってもいいですか?ほら、話すだけでも少しはスッキリするかもしれないし」
「いや、いいよ。そろそろ完全下校時間なんだろ。君は早く家に帰ったほうがいいんじゃないのか?」
見たところ俺より十歳ぐらい年下の少年に気を使われていることに若干のダメージと申し訳なさを覚えつつ丁重に断る。
なんていうか、俺の問題でこんな幼い小年を巻き込みたくない。小萌さんみたく中身が大人なんてことはないだろう……多分。おそらく。きっと。
俺の回答に少年は不機嫌そうな顔をしながら言った。
「じゃあ、こうしましょう。さっきたすけてもらったおれいに話をきく、それでかしかりナシってことで」
「貸し借りって、随分難しい言葉知ってるんだな」
「で、どうなんですか」
少年は依然として不機嫌な顔で続けて言う。
「そこまで言われちゃ、断るほうが失礼だよな。よし、分かった。話すよ」
「うんっ!!」
少年は先程までとは正反対の満面の笑みで相槌を相槌を打って、俺のとなりに座る。そして、一度立ち上がった腰を再び下ろし、どこから話すべきかを思案する。
一切合切全てを話す気にはなれないし、さすがに話せない。ここは適度にはぐらかしながら、というより、不要な部分を省いて説明するのが最善だろう。
「俺はある人の頼みで外から来たんだけど、どうもそいつが宿の準備を忘れてたみたいでな。それでこれからどうしようか悩んでた訳なんだが……」
出来るだけ端的に削れるところは全て削って、説明した。
「へぇ、その人うっかりさんなんだね」
「うん。まぁ、否定は出来ないな……」
小年のズバッ、とした感想に苦笑いを浮かべながら答える。
遠坂、お前はいま小学校低学年くらいの子に“うっかりさん”と呼ばれているぞ……
「なら、今日はぼくのいえにとまっていきませんか?」
俺が悟ったような表情で遠坂に思いを馳せていると、その間になにやら考え込んでいた少年から一つの提案を提示してきた。
「そこまでして貰うのはさすがに悪いよ。話だけでも聞いてもらっただけを十分だ。俺は別の宿を探すからさ」
じゃあこれで、と付け加えてその場を立ち去ろうとすると、少年からの一言が降りかかる。
「でも、いまからホテルをとるの難しいと思いますよ」
「……どういうことだ?」
振り返りながら少年に質問する。
困ったような顔をして少年は、俺の質問に対する返答を続ける。
「学園都市って結構観光客来るから、どのホテルも満員だと思います。せめて明日の朝までとかじゃないと」
「それって、本当か?」
「おかあさんたちのしおくりをうけとりにいにたまにここにくるけど、いつも賑やかだからそうだと思う」
まぁ、ちょっと考えてみれば確かに俺でさえこんなに興奮している場所に、誰も来ていないなんてあり得ないか。これだけ気密性高けりゃ、会社の商談なんかにもうってつけだろうし。
「成る程。こりゃ、宿探すのも手間がかかるかもな」
「でしょ。人のこういはすなおにうけとるべきだと思います」
「……そうだな。うん、今日は君の厚意に預かるよ」
顎に手を当ててしばらく考える。人の善意は素直に受け取っておくべきだよな、という結論に達した。
どうやら俺は押されることにも弱いようだ。まぁ、人の厚意を無下にすることなんて出来ないし、それが当たり前のことなんだろうが、若干流されやすい自分が恥ずかしい。
「ホントに、やったー!!じゃあ、いまからばんごはんの買い物があるのでつきあってください」
だが、こんな嬉しそうな顔が見れたなら、損ばかりじゃないかもな。というか、泊めて貰える時点で俺には得しかないのだが……
「夕飯、もうそんな時間か。もしよければ俺も手伝うよ。こう見えても料理の腕には多少の自信がある」
これに関しては藤ねえに桜、藤村組に一成と慎二、遠坂等といった人達からのお墨付きがあるので、これだけは自信を持って言える。
それに無償で泊めてもらうのだから、俺に出来る限りのことは手伝わないとな。
泊めてもらうといえば、そうさせてもらううえで確認させてもらわなくてはならないことがあるよな。
「君の名前をまだ聞いてなかったな」
「そういえばそうだね」
少年は俺のほうを振り返りながら自分の名を告げる。
「ボクの名前は、上条当麻です」
多分、この瞬間は数秒しかなかったはずだ。
だが俺には、この瞬間が永遠のように感じられた。まるで聖杯戦争において俺のサーヴァントとの邂逅のときのように、自分のなかの時間という概念が吹き飛んで、それだけ鮮やかで色濃く鮮烈に頭に焼き付けてる感覚。
そのまま、固まる。
人が本当に驚いているときにする行動は、硬直であることを俺は知っている。
予想外で、完全に理解の許容を越えているときには人の頭は思考を止めてフリーズした機械のように身体が硬直して動かなくなる。
「────したの?どうしたの?お兄ちゃん」
「え、あ、いや、なんでもない、なんでもない、大丈夫だ」
耳に飛び込んできた小年の一言で、意識がやっと再起動して表層に浮上してくる。
少年は動かなくなった俺を心配そうに見つめている。
……優しい子なんだな。
いまの一言だけで、それが分かった。いや、ここで出会ったばかりの俺を心配してくれてるんだ。優しくない訳がない。
出会ってまだ短いので、それだけで全てを分かったつもりにはなっていない。そもそも俺は、遠坂や一成のように人を見る目なんて持ち合わせていない。だから俺が少年と関わって得た少ない情報をもとに判断するしかないが、“それだけ”の情報でも、見ず知らずの他人に手を差し伸べることができる思いやりが少年にあることは分かる。
「悪いな。君に名乗らせたんだ、俺も名乗らないとな」
さて、思わぬ収穫を喜んでいられる暇はないみたいなので、早く自己紹介を済ませてしまおう。
一呼吸置いて目を閉じる。
数秒後、ゆっくりと目を開いく。そして、続けて自分の名を告げる──────
そんな彼らの決意を祝福するように、夕暮れは優しく揺らめいていた。
「俺の名前は衛宮士郎だ、よろしくな」
これが、衛宮士郎と上条当麻の出会いだった。
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Day2-5 決意/“守りたい”もの
モチベーションも凄く下がってるし、なんか最近あらゆるものに対して興味が失せている気がする。
取り敢えず投稿遅くなってすみません。
二日目はこれで最後です。
気に入ってくれたら、お気に入り登録、評価、感想心待にしております。
遠坂と桜の戦争は1日後に持ち越します。
それではどうぞ。
遠坂のちょっとした“うっかり”から宿を失った俺は、偶然上条当麻と出会い、その家に泊めてもらうことになった。
目先の問題が一気に二つ解決した俺だったが、思わぬ僥倖を喜んでいられる暇もなく、次なる問題が目の前に壁としてそびえ立っていた。
「はぁ、ふこうだ……」
「まぁなんだ。元気だせよ、な」
ため息を吐いて、この状況を嘆く少年。苦笑いを浮かべながら励ます俺。
あぁ。ちなみにあの自己紹介のあとにお互いの呼び方について話し合った結果、お互い礼節なんかを考えて接することはあまり得意ではないという結論になり、俺は『当麻』、当麻のほうは『しろう兄ちゃん』とお互いを呼び合うことになった。
それが上手く作用したのと、お互い一人暮らしで、周りからの援助でなんとか生活できている、という共通点もあって、早めに打ち解けることができた。
まず、何故こうなったかを説明してしまおう。
夕飯の買い出しのために第7学区のスーパーに来た俺たちだったが、理由は分からないがそのスーパーが臨時休業になっていた。
当麻の話によれば今日は特売日だったらしく、俺という人手もあり、一気に買い込むつもりだったらしい。確かに、俺がいれば『お一人様お一つまで』の商品を二つ買える。一つと二つは言葉だけ聞けば微々たるものだが、結構な差である。
卵なんかは最たる例だ。なんにでも使える分、消費も速く、量が多いに越したことはない。
買い物に毎日行くより、安く買える日に買い込んで備蓄しておけば、行く手間を省けて、その時間を別のことに充てられる。金銭的な意味でも時間的な意味でも、無駄を最大限省けてしまう主婦の処世術の一つ。わかりやすく言えば裏ワザである。
と、主婦の生活術の一つを解説したところで、そろそろ話を本筋に戻そう。
スーパーが休みとなれば買い出しは出来ない。他のスーパーに行こうにも、ここが上条少年の家でいて番近い店舗なようで、今から向かったのでは間に合わず、完全下校時間を過ぎてしまう。
というわけで、今日はコンビニで総菜を買っておかずにするしかないだろうな。
「ところで、当麻は今日はなにを作るつもりだったんだ」
「え?えっと、コロッケとポテトサラダ、あとたまごスープだけど……」
成程、必要な材料は大体わかった。
では、次の質問に移ろう。
「で、必要な材料はいくつかあるのか」
「はい、ひきにくとやさいものこったものがちょっと、あとはちょうみりょうが一とおり」
となると、冷蔵庫の中身も大体予測がついた。
「よし、今日の夕飯は俺が作るよ」
「いや、それはわるいよ。いちおうしろう兄ちゃんはお客さんなんだから」
「気にするな。料理してると気分が落ち着くんだ。それに、泊めてもらうんだから、手伝えることはできる限り手伝いたいしな」
「むぅ、それなら、まぁ……」
当麻も渋々ながらも承諾してくれた。でも、やはり不服なのか、頬をすこし膨らましている。
なんだろう、この既視感。俺って当麻に似た子と会ったことなんてあったかな……
「お兄ちゃんはなにをつくるの?」
「ハンバーグ。挽き肉があるなら作れると思ったんだ。昔から作ってたから、結構自信あるぞ」
ハンバーグ。
こねた挽き肉に玉ねぎや卵、パン粉なんかを加えて作った肉ダネを油をしいた中低温のフライパンで焼いた料理。おそらく、俺が和食よりも作り慣れているいるであろう料理の一つだ。
「じゃあ、一応コンビニに寄って行くか」
「おかしもすこしかおうかな」
こんな会話があって、コンビニで総菜のサラダを買うことになった。
そこから3分くらい歩いて、見つけたコンビニに入る。俺は総菜コーナーに、当麻はお菓子売り場に行き、そこで買うものを吟味する。
陳列された惣菜を見て、思わず感心してしまった。
俺はいままで惣菜やレトルト食品のことを『ちょっと美味しい即席食品』くらいにしか思っていなかった。はっきり言って軽視していた。
栄養価なんてまるで考えられていない、添加物満載の身体にあまり良くはないものだと思っていた。
だが、原材料表示と栄養成分表示を見てみると、結構考え込まれているようだ。少し値段の張るものなら、無添加のものもあった。これは案外、コンビニ惣菜も捨てたものではないかもしれない。
少なくとも、俺がいま適当に野菜を和えてサラダを作るよりかは断然仕上がりは良くなるはずだ。
「よし、こんなもんかな」
ハンバーグに合いそうな副菜をいくつかカゴに入れて、当麻が選んだ駄菓子も加えてレジに通して会計を済ませた。
「しろう兄ちゃんはさ、ひとりぐらしなの?」
「そうだな、毎日飯を食いにくる姉みたいな人がいるけど、基本的には一人で暮らしてるな」
「ってことは、おかあさんとかからしおくりとかくるの?」
「──────いや、親はもういないんだ。事故で死んじゃってさ……」
「……ごめんなさい」
「いいよ。気にしてないから」
空気が悪くなっていくのを感じて、すぐさま話題を変える。
「話を変えるけど、当麻はなにか趣味とかないのか?」
「しゅみかぁ、一人で生活するのでせいいっぱいでそんなよゆうないな。そういうしろう兄ちゃんこそしゅみとかないの?」
「俺か?俺は、そうだなぁ。ガラクタいじりとか、家に来る半居候が置いてくのを直したりとか、それを遡っていくと模型作りがあったから、趣味といえばこの二つかな」
「もけいかぁ、ぼくそんなこまかいことするのにがてだよ」
「やってみたら意外と楽しいぞ。やってる間、雑音が消えて、作業のみに没頭できるし……いい気分転換になる」
「そこまでうちこめるものがあるって、なんかいいね」
しばらくこんな会話をしながら歩いて、当麻が一人暮らしをしているというマンションについた。
そこに広がる視界に俺は驚嘆した。
「すごいな。こんなところに一人に住んでるのか」
目の前に高々とそびえ立っていたのは、いくつもの層が積み重なった建造物だった。
首をかなり傾けないことには、その全貌を把握することもままならない。無表情な灰色の外装は、シャープというか、厳然とした印象があり、風格のようなものすら感じる。ただ、それとは裏腹に趣きや伝統などといった要素は一切感じさせず、あらゆる無駄を排した近代的なデザイン。
これもまた、学園都市の技術が成せるものなのだろうか。
「うん。じいちゃんが
ためいきを挟みながら気弱に答える少年。
その様子から見るに、本当にギリギリ生活できている状態らしい。特売日の臨時休業からの落胆ぶりはそういう理由からか。
「まぁ、ともかく入ろうよ。完全下校時刻まであと数分だし……」
「……それもそうだな」
お互いに苦笑に顔を少し歪めながら、当麻の家へと入っていった。
夕食の献立という目先の問題をなんとかクリアした俺たちはマンションに入り、そこから当麻の部屋である401号室まで案内された。
「お邪魔します……へぇ、よく片付けられてるな」
「ありがとう。しろう兄ちゃん」
小学生の部屋にしては手入れが行き届いた部屋だ。
目立った埃も塵も見当たらない。丁寧に清掃されている証拠だ。
和風建築にすんでいる俺は、洋式の溝のあるフローリングの掃除をやったことはあまりないので、こういうのは素直に勉強になる。
「本当に綺麗だ。掃除機だけじゃなくて、モップもかけてるよな。小学生ができる掃除のレベルじゃないぞ、これは」
「まぁ、じいちゃんに教えられながらやってるし、手伝ってももらってるから」
う~む。誉めてるのにあまり喜ばないな。藤ねえは論外として、桜だったら満面の笑顔で喜んでくれるし、遠坂や一成だって表情には出さないが、ちょっとそわそわした反応をしてくれる。慎二は『当然のこと』なんて言いながら威張るのに。
さっきだって、お礼を言って微笑んでくれたが、どこか引け目みたいなものを感じた。
まるで、自分には誉められるようなものなんてなにもないし、誉められるような価値なんてない、みたいな────────
「……いや、いまはそんなこと考えたって仕方ないか」
「ん。なんか言った?」
「ん。あぁ、ただの独り言だ。気にするな」
小さな声でボソッと呟いたつもりだったが、当麻に聞こえてしまったらしい。
「それより、そろそろ夕飯作らないとな。台所はどこだ?」
そう言うと、当麻はうん、と相槌を打って俺を台所まで案内してくれた。
「ほうちょうはここ。フライパンとかなべはここ。しょうゆなんかはここにあるよ」
「分かった。ありがとな」
フライパンは最低でも二個くらい必要だが、あるな。じゃあ、調味料は醤油にみりん、料理酒に塩と胡椒、七味唐辛子と、一通り揃ってるな。ナツメグなんかはさすがにないが、それは携帯用ミニ調味料ケースのなかにあるから、まぁ大丈夫だろ。
さて、キャリーケースからエプロンと調味料ケースを取り出す。
「ねぇ、しろう兄ちゃん。いつもそれ持ち歩いてるの?」
エプロンを身に付けると、俺が取り出した調味料ケースを見た当麻が質問してきた。
「まぁな。これがないと落ち着かないんだ」
なかには辛子やナツメグ、わさびが入っている。他にも、時間があるときに作ってみたバジルソースなんかも入れている。というか、使うには微妙に残った調味料をそのまま捨てるのが勿体ないので、小さな容器に移して、再利用しているだけなのなだが。
「さて、そろそろ始めるか」
米を研いで炊飯器の早炊きのスイッチを入れるまな板と包丁、冷蔵庫の野菜室から玉ねぎを取り出して、みじん切りにする。
「なぁ、当麻」
「なに?しろう兄ちゃん」
居間でテレビを見ている当麻に呼び掛ける。
その間に弱火に熱したフライパンに油を敷き、みじん切りにした玉ねぎを入れて炒める。
「なんで俺を泊めてくれたんだ?」
「そりゃ、たすけてもらったし、おれいみたいものだよ」
「そんな大したことじゃないだろ。見返りが欲しくてヤったわけじゃないし……」
「まぁ、おれいがしたかったってだけじゃないけどね」
「なんだよ。他にも理由があるのか?」
玉ねぎが甘い香りを放ち始めている。
コンビニで買った駄菓子の一つをつまみながら、難しい顔をしている。どうやって言葉にするかを迷っているようだ。
「しろう兄ちゃんがぼくににてる気がしたから」
「俺とお前が?」
昨日遠坂にも言われたことを、当麻も口にした。
それと同時に玉ねぎもあめ色になったので、塩を振って皿に移して冷ましながら、当麻の言葉を聞き返す。
「うん。でも、気のせいだったけどね」
相槌を打って、すぐさまその可能性を否定する。
それを追求するつもりはない。いまはあまり深くは踏み込めそうにない。
冷蔵庫から合挽き肉をボウルに入れて、こね始める。
「……そうか。じゃあ、もう一つだけ質問してもいいか?」
では、別の方法で切り込もう。
上条当麻という年端のいかない少年を知るために。
俺にはその義務がある。
「うん、いいよ」
「当麻はさ、なんでこんなところに住んでるんだ?」
こんな立派なマンションに当麻が一人で住んでいる。
俺もそうだったが、それでも俺には当麻の状況が極めて歪に思えた。
ここは立派な家ではあるが、ここで住むには色々な弊害が伴うはずだ。
まずは家事だ。小学生の当麻が毎日家事をやらなくてはいけない。料理から洗濯、掃除まで何から何まで全てやらなくてはいけない。小学生としての勉強や課題をこなしながらそれをやるには、小学生には酷というものだろう。
次に通学の問題もある。
このマンションは第7学区で小学校は第13学区。隣街と言えるぐらいの距離はある。毎日遠い学校に通っているのか。俺も家からは遠いほうだとは思っていたが、それとは比較にならない。
マンション単体でみれば確かに便利だろうが、小学生が生活するには、逆に不便ではないだろうか。
これが全てという訳ではない。むしろ本来の質問の意図のうちの半分といったところだろう。
俺の質問に当麻が優しい微笑みで答える。
「ぼくが一人ぐらしがいいって言ったんだ。おかあさんとおとうさんにめいわくをかけたくないし……」
「いや、そういう意味ではなくてだな。でもまぁ、そういう意味でもあるかな。ここからだと学校へ行くための交通費も嵩むだろうし、食費だって発生する。小学生が住むには色々と不便だろ。それに──────
「それに?」
現実的で金銭的な前置きはもう十分だ。
さっさと本題に入ろう。
「─────それにさ、寂しくないのか?」
ギシリッ、という乾いた音がなった気がした。
この場を包む空気が変わる。そして、それを感じた当麻の表情も変わる。
しかし、秘密を暴かれたときの苦痛の感情ではない。
ただただ驚いている。多分、こんなことを見ず知らずの誰かに質問されたのは初めてなんだろう。
当然、ここで止まるつもりはない。
「ほら、友達とかと遊び辛いだろ。それで寂しくとかないのかなって────」
続けて質問の意図を伝えると、当麻もそれを理解したのかなにやら思案しているような様子のまま手探りの口調で答える。
「う~ん、ともだちはいるし、かじもしなくちゃいけないから、たまにしかあそべないけどね。うん、さびしくはないかな……」
「本当に?」
「……ごめん、すこしだけうそついた」
別に問い詰めていた訳ではないが、確認を取ると、意外にあっさり嘘を認めた。
苦笑いで頭を掻く当麻に、少しだけ笑みが溢れる。
挽き肉から粘り気が出てきたところで、生の玉ねぎ、炒めた玉ねぎ、卵、パン粉、塩、胡椒、ナツメグを加えてさらにこねる。
「ほんとうのことを言うと、やっぱりすこしさびしい。みんなともっといっぱいあそびたい」
「だったら、なんで一人暮らしなんてしてるんだ。寮に入るって選択肢だってあったんだろ?」
「それは……めいわくかけたくないから」
当麻はさっきの“迷惑”という言葉を改めて告げた。
多分、俺は困惑と怪訝の混ざった表情で当麻を見ていたと思う。
すぐにその感情を静める。そして、冷静に努めて質問する。
「迷惑って?」
「ほら、ぼくってふこうだから。きょうみたいなことがまいにちあって……だから、それでまわりの人にめいわくをかけたくないんだ」
「──────」
当麻は言った。
それが当たり前だと、それが前提だと、そう言った。
多分、当麻はそうあるべし、と自分を戒めているのだろう。でも、それはとても悲しいことだと俺は知っている。その生き方がどれ程報われないものか俺はその身をもって経験している。
先程までの怪訝な表情は気鬱なものへと変わり、心も同じようにどろどろした重苦しいものが纏わりつき、それを聞いてしまった、聞く選択をしたことを後悔した。
どう返していいかが分からなかった。当麻のおかれている状況は、俺には到底許容しがたいものだった。しかし、それを真っ向から当麻に「違う」と言うこともなにか違う気がした。
かといって、違う話題に切り換える気も起きず、それからしばらく会話が途切れた。
肉ダネは完成した。
あとは肉ダネを叩いて空気を抜き、ハンバーグの形に形成してフライパンで焼くだけだ。
……よし。ここで途切れた会話をやり直そう。
「なぁ、当麻。すこし手伝ってくれるか?」
「うん、わかった。なにすればいいの?」
「でも、この肉を形成して焼くだけなんだけな」
当麻は手を洗い、隅に置いてあった台を俺の隣に持ってきて登り、ボウルのなかにある肉をとって手を平で叩いて空気を抜き始める。
今更驚きはしないが、やはり慣れた手つきである。
ただ、一人暮らしを始めてまだ一年しか経っていないのに、ここまでできるようになる飲み込みの速さには素直に感心する。
「今さらだけど随分手慣れてるな。俺なんてお前の頃にはまだまだ失敗ばかりだったのに」
「これもじいちゃんのおかげかな。おしえられるのはほとんどわしょくだけど」
思ったことをそのまま賛辞にして伝えると、やはり当麻は謙遜を通り越した卑下した答えを返してきた。
「それでも凄いよ。俺なんてお前の年の頃は色々失敗ばかりしてたしな」
そういえば、初めてハンバーグを作ったのも当麻と同じ小学二年生の頃だったけ。
あのときも、藤ねえと一緒にハンバーグを形成したんだよな。
今の状況との共通項をもとに過去の記憶を探りだして、感慨に耽った俺を、当麻は不思議そうに見ていた。
「どうしたの、にいちゃん」
「ん。あぁ、ちょっと昔のことを思い出しててな」
「……どんな?」
当麻は俺の回答を聞くと、さらに深く追求してきた。
さっきまで俺が質問攻めだったので、ちょっとした仕返しなのかもしれない。
しかし、当麻は表情は依然としてキョトンとしたものだったので、単純に疑問を解消したいだけなのだと思う。
「いや、大したことじゃないぞ。ハンバーグを初めて作ったのって、丁度お前くらいの頃だったなって」
さっきまでの回想をそのまま口頭で伝えると、当麻はへぇ、と興味深そうに目を輝かせていた。
その期待に沿えるほど貴重な体験をした覚えは……あるな。一般人に話せるような代物ではないが。だが、それ以外は特にない山も谷もない、浮き沈みも小さい普通の人生を歩んでいるつもりなので、どちらにせよ当麻の期待に耐えうるものではないのだ。
「で、次はどうすればいいの?」
「時間があれば、しばらく肉ダネを寝かせておきたいんだけど、時間もないしあとはもう焼くだけだな」
「ってことは、皿を準備しないとね」
当麻は手を洗い終えると、台を食器棚のほうに持っていき、食器を数枚取り出して俺の側に置いた。
「じゃあ、はこぶときにまたよんで」
「あぁ、わかった」
さて、いよいよ最後の大詰めだ。
弱めの中火に熱したフライパンに油を敷いて、肉ダネを投入する。
パチパチ、と油の弾ける音が部屋全体に響き渡る。当麻も一瞬こっちを振り向き、そのあとソワソワしているのを隠しながらテレビを見ていた。
……ハンバーグが好物なんだろうか。
「なら、これを選んで正解だったかな」
こちらをチラチラ見てくる当麻を見て、小さな声で呟く。
暫くして、芳ばしい香りが漂ってきた。
当麻は匂いに釣られたのかこちらを見て、慌てて目を逸らした。その様子に、当麻もまだ子供なのだと認識出来て、何故だかちょっと嬉しくなった。そもそもここまで打ち解けられたのだって、当麻が子供ならではの警戒心のなさで、俺の懐までするりと入ってきてしまったからだ。
では、何故。
俺は当麻に“子供らしさ”を感じなかったのだろうか。
理由は単純。当麻がその“子供らしさ”というものを意図して隠していたからだ。
では、何故。
当麻は意図して“子供らしさ”というものを隠していたのだろうか。
理由は単純。当麻がそんな環境に置かれているのだろうか。
では、何故。
当麻は“子供らしさ”を隠さなければならない状況に置かれているのだろうか。
いままで目を逸らしてきた数々の疑問と向き合う。
短い期間、一日にも満たない付き合いからですら感じられるほどの当麻の“異常性”。
それは一体───────────
パチパチパチッ
意識の深層に潜ってしまいそうなところに、油の弾ける音が届く。
「─────あ、ヤベッ」
まだそれほどの重大時にはなっていなかったが、急いで火を弱めて焼いている面をひっくり返す。
表面だけこんがり焼けてしまった。でも、これならまだ弱火で焼く時間や蒸す時間の調整でなんとか対処できる。
「どうしたの、しろうにいちゃん」
「いや、考え事してたら焦がしかけたんだ。でも、まだ大丈夫だ。気にするな」
当麻の心配そうな表情で台所に居た。
多分。俺の深刻な表情をしていたのを見て、なにかあったのではないかと心配になって、台所に走って来たのだろう。
いずれにせよ、調理中に考えることではなかった。食事中もなるべく考えないようにしなくては。
自らの思考に反省しながら、調理を続ける。
「よし、あとはソースを作るだけだ。当麻、冷蔵庫にある惣菜を皿に盛り付けてくれないか」
「うん、分かった」
さらに暫くして、ハンバーグの焼き上がりを確認して、余分な油を取り除き、そのまま台所で、俺の調理を見ていた当麻に頼み、用意していた皿の半分に冷蔵庫に入れておいた惣菜のサラダを盛り付けた。
ケチャップとウスターソースとハンバーグの残りの油を交ぜて熱したお手軽ソースも出来上がった。
皿のもう半分に盛り付けてソースを掛ける。
丁度、炊き上がった白米を茶碗に盛り付け、ハンバーグと平行で作っていた味噌汁も出来上がった。
「よし、じゃあ運ぶか」
「うん」
エプロンを脱いで、盛り付けた皿を食卓に運ぶ。
そして椅子に座り、異口同音で揃えて合掌する。
「「いただきます」」
当麻は早速ハンバーグを箸で割って欠片を口に入れる。そして、味わったあと満面の笑顔を俺に向けてきた。
「しろうにいちゃん、すっごくおいしいよ。これ」
「お褒めに預かり光栄だよ」
当麻の賛辞を素直に受け取り、俺も当麻に倣い、ハンバーグを口を入れる。
うん。途中、トラブルもあったけど、普通に美味く作れたな。良かった。
当麻はハンバーグの味を気に入ったのか、物凄い勢いで全て平らげてしまった。
「い、一応もう二つくらい作ってあるんだが、おかわりとかいるか?」
「うん、おかわり!!」
「……はいはい」
これまた満面の笑顔で、おかわりを所望する当麻は俺に皿を差し出す。
それを受け取って、残りのハンバーグを取りに台所へ向かう。
「なぁ、一つ提案があるんだが……」
互いに八割方食べ終わった頃、当麻に質問する。
「ん、なに」
ハンバーグとご飯のダブルパンチを楽しんでいた当麻が箸を置いて、俺に聞き返す。
「いや、あと六日くらい俺はここにいるんだけど、その間、この家の夕飯は俺に作らせてくれないか」
「え、なんで」
「家事とかしてると気分が落ち着くんだ。ダメか」
「ううん。たすかるよ、しろうにいちゃん」
当麻はそれをすんなりと受け入れてくれた。
────────────守りたい。
そう思った。
無論、俺が当麻の置かれている状況の全てを改善できるなんておこがましいことは思ってはいないけど、せめて俺がいる間、具体的には当麻を狙う魔術結社からは“守りたい”と思った。
なんだか変な感じだ
今思えば、俺は誰かを“守りたい”と思ったことなんて少ないかもしれない。
これもまた、遠坂が言っていた俺を真人間にするという計画のちょっとした成果なのかもしれない。
断定しきれない文言で申し訳ないが、とにかくそういうことだ。
ただ、月の綺麗な夜に養父に理想を継ぐと誓ったときの決意に似た感覚があった─────
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Day3-1 始動/奇妙な共同生活
ただ、士郎の心理描写をもっと上手くやりたい。
三日目突入です。それと同時にあと四日もあるのかと憂鬱になったりならなかったり
もう無理矢理仕上げたので出来とか最悪かもしれませんがごめんなさい。
「……はぁ」
月曜日。
一週間の始まり。
その日を清々しく思う者も居れば、気怠い気持ちになる者も居るだろう。
人によって全く反対の印象を与える月曜日という日の朝に、穂村原学園の制服を着用し、登校の支度をしている遠坂凛はため息をついていた。
どうやら彼女は後者の人間らしい。だが、彼女のため息の要因はその他に二つほどある。
それを説明するためには時間をおよそ昨日の夜にまで戻す必要がある。
夜の衛宮邸にて。
遠坂凛。間桐桜。藤村大河。
三人の女性のあいだに一触即発の空気が流れていた。
といっても、その空気の原因は二人の姉妹であり、あと一人漂っている雰囲気に野生動物の本能が反応して警戒しているだけなのだが。
一言でも話せばそれだけで戦争が始まる一歩手前の膠着状態が、もう30分も続いている。
このような事態になっている理由は、ひとえに衛宮士郎の不在によるものだ。
この家の会話の中間点として、この家の住人の会話を上手く回していた衛宮士郎の不在によって、それなりに個性の尖っている三人の女性の会話が噛み合う訳もなく、こうした気まずい雰囲気が漂う事態となった。
「……」
「……」
まぁ、それだけではこんなピリピリした緊張感が出るわけない。それなりに個性が尖っているとはいえ、妥協や空気を読む術は心得ているので、ここまで無言にはならないだろう。
ではさっさと本題に入り、この緊張感の正体についての説明をさせてもらおう。
というか、こっちのほうがこの場面にとっては重要なので語らざるを得ないのだが。
今更語ることでもない周知の事実だが、遠坂凛と間桐桜の二人は衛宮士郎に好意を寄せている。そして、衛宮士郎が学園都市に行っている間、毎日午後9時に定時報告として電話が掛かってくる。
それは、互いに士郎と話すことのできる数少ないチャンスなのだ。
凛はその時間を誰にも譲りたくない。
桜をその時間を奪い取りたい。
ならば当然。姉妹は戦う運命にある。
同じ男に好意を寄せる二人の女として。
ただ、二人の少女は賢く強かなため、すぐに事態は動かない。
如何にして相手を出し抜き、先に電話に出るか。
いま二人の間には高度な心理戦が繰り広げられているに違いない。
9時まであと10分と差し迫ったところで、沈黙が崩れる。
その沈黙を打ち破ったのは桜の方からだった。
「姉さん、今日は帰らないんですか?」
「今日は泊まるわ。夜も遅いし、もうすぐ士郎から電話掛かってくるしね。桜のほうこそ帰らないの?」
「そうですね。明日も早いですし、それも良いかもしれませんね」
桜の追及と牽制のジャブを軽くいなしてそのままカウンタージャブを放つ。桜もそれを想定していたのか軽いフットワークで回避する。
こうした刹那の攻防の後、お互いに愛想笑いを浮かべながら緑茶を啜る。
「さ、さーて、私はテレビでも見ようかね」
こうした雰囲気に耐えかねたのか、大河は逃げるようにリモコンを手にしてテレビの電源をつける。といっても、放送されているのはバラエティー番組。それも本当に終盤のゲスト俳優によるにドラマの番宣なので、気まずさが増すだけだった。
引くに引けなくなった大河はテレビに視線を向けたまま、姉妹の様子を伺う。
そのまま時間は過ぎ、九時まで二分に迫ってきているところで姉妹の間の雰囲気は戦争一歩手前を通り越して冷戦状態に突入した。
どちらも同じような意味で、冷戦の使い方を間違えているが、この際気にしないでほしい。
それより、大河のほうに意識を向けてほしい。姉妹から発せられる凍てつく吹雪にさらされ、身体に悪寒が走り、全身に鳥肌が立ち、産毛という産毛が逆立っている。大河の第六感、即ち野生の勘が、今すぐここから逃げ出せと訴えかけている。
しかし、ここで立ち上がったのは大河ではなく、凛だった。
「姉さん、どこに行くんですか」
「……お手洗いよ」
桜の追撃も素知らぬ素振りで受け流し、トイレのほうの廊下の襖を開ける。それに思い過ごしかとひとまず桜も安心して警戒を解く。
しかし、凛は部屋を出る直前。
桜は見た。凛が悪魔のような笑みを溢したのを。
襖が閉まると、戦慄。桜の身体にも鳥肌が立つ。桜が察知したのは魔力の流れ。すぐさま立ち上がり、凛の後を追おうとするが、襖は開かない。
「くっ、開かない。魔力の流れの正体って!?」
思わず声に出して動揺する。
そういえば桜は、いつ士郎から電話が掛かってくるかという肝心な情報を知らなかった。かといって、その話題を深く追及してしまえば桜の意図を凛が看破してしまうから。
なので、凛の様子を伺い、怪しいと思ったタイミングで彼女を追い、電話を奪い取る。それが桜の狙いだった。
だが浅はかだった。凛にそんな軽率な思考を見透かせない訳がない。だからといって、魔術まで行使してくるのか、姉よ、と桜は思う。
そして、その姉は玄関の少し先の廊下に置いてある電話の前で勝利を確信した笑みを浮かべ、胸を張って立っていた。
「施錠の魔術。しばらくはそこから出てこれないわよ、桜」
……命が惜しいなら大人げないなんて言ってはいけない。
彼女はそれだけ士郎と話しがしたいだけなのだ。
プルルルル。プルルルル。
勝ち誇る彼女に、いよいよ勝者の景品が舞い降りる。しかしながら、凛はすぐには受話器を取らない。
『遠坂は常に優雅たれ』
遠坂家の家訓に従い、常に余裕をもって行動しなくてはいけない、と凛は自分を戒めている。それは当然、恋人と話すときも適用される。
……というのは建前で、単にすぐに出てしまうと電話の前で待機していたのかと思われかもしれないと、それが恥ずかしいだけである。
取り敢えず5コールくらい待ってから受話器をとることにした。
「もしもし」
『もしもし。遠坂、俺だ』
「どちら様でしょうか?」
『たった数時間話さなかっただけで忘れ去られるほど存在感薄いのか俺はっ!?』
凛のボケに的確なツッコミを入れる士郎。
「うそうそ、冗談よ。だってアンタって欲しいところに欲しいツッコミをくれるんだもの。こっちもボケがいがあるってものよ」
『まぁ、家にはいつもボケ倒してる人が居たからな……誰とは言わないが』
「あぁ、成る程……」
先程とは打って変わって、楽しそうな声で士郎と話をする少女。
どれだけ心待ちにしていたのだろうか。
「それで、今日の収穫は?」
ただ、この電話の本来の目的は定時報告。学園都市での上条当麻捜索の状況を聞かなくてはならないのだ。
『えっと、その事なんだが……』
士郎が困ったような声で答える。
「なによ、1日やそこらで成果があるわけないのは分かってるわよ」
それを、なにも収穫がないと判断した凛は呆れた口調で言う。
『いや、収穫はあったんだけど……どう説明するべきが分からなくて』
「えっ、本当に!?」
驚きの感情をそのまま言葉にする。だが、凛も少し息を吐いて感情を落ち着かせてから続けて質問する。
「それで、どんな収穫なのよ?」
『いや、収穫があったことであんなに驚いてたなら、もっと驚くことになると思うぞ』
「大丈夫よ。さっきは不意を突かれただけだから、然程のことなら驚かないわよ」
『わ、わかった。じゃあ、言うぞ』
士郎は前置きをして、さらに一呼吸の間を置く。
おそらく、凛の心の準備をする時間を用意しているのだろう。凛もそれに報いるべく、できるだけ多くのパターンを想定し、驚きに対する免疫を即席で作り上げる。
『上条当麻に会ったんだ。それで、いま当麻の家に泊めて貰ってる』
「────────────」
一瞬で凛の思考は止まる。
あらゆる思考が白く塗り潰され、脳がフリーズする。
そして。
数秒後、脳が色を取り戻し、士郎の言葉を理解しようと働き出す。
そして。
さらに数秒後、言葉の意味を咀嚼し、理解して飲み込む。
「はぁ──────」
ため息をひとつ挟んで、思索の熱を冷やす。
そこまでの沈黙に痺れを切らしたのか、士郎が受話器の向こう側から声を出す。
『凄いな、遠坂。本当に驚かないなんて。少しは驚くかなと期待していたんだけど』
「いや、凄く驚いてる。驚きすぎてリアクションが取れいくらい驚いてるわ」
『そ、そうなのか?』
「人間、本当に驚いたらこんなものよ……」
『俺も初めて当麻に会ったときには同じ事になったよ』
まさか1日目からここまで事態が動くとは凛にも想定外だった。
「で、どんな子だった?」
『いい子だよ……ただ、どこか違和感みたいなものを感じたな』
「違和感?」
『────ごめん、これも上手く言葉にできない』
凛は士郎の声色とともに感情が低く沈んだのを感じ取り、深くは追及しないことにした。
さてと、本題を済ませてしまえばあとは自由時間。話せるだけ話して士郎成分を補給してしまおう。まずは手始めに、と話題を振ろうと思ったところで、士郎の会話で見落とした点に気付く。
「って、その子の家に泊まってるってホテルはどうしたのよ」
ピキリッ。
その一言で空気が変わった。
『はぁ……遠坂』
「な、なによ」
士郎はため息を吐いて、気怠げに凛を呼んだ。それに肩を少し竦めながらも聞き返す
『遠坂、ホテルに行ったら予約されてないって言われたぞ。お前、ちゃんと予約したんだろうな』
「……え?」
そう言われて、凛は記憶を探り出す。つまりは回想だ。回想のなかで回想を語るのだ。なんともまどろっこしいが、今回は了承して欲しい。
昨日は確か、桜に前もって教わっていたパソコンで宿の予約をやっとの思いで最後の予約確定を押すところまで行って、そのあとは────あ、士郎に夕飯が出来たと言われて押さないまま行ってしまったのだった。それで、戻ってきたときには忘れてしまっていた。
「そういえば……してなかった」
『やっぱり』
今度は呆れた様子で答える士郎。
なんとも言えない気まずさが漂う。イメージとしては部屋に隠しておいた筈の大人な本を目の前に突き出された息子のような感覚だ。心なしか士郎の口調も、娘を叱る父親のようなものになっているような気がする。
「ご、ごめん」
『……いいよ。明日までに予約をもう一度取ってくれれば』
自分の“うっかり”を指摘された凛は、後ろめたそうな声で謝罪の言葉を口にする。。
士郎は本当に困った調子で答える。
「怒ってないの?」
『正直なところ、少し怒ってる』
凛の質問に、素直に答える士郎。そのまま続ける。
『でも、遠坂の“うっかり”は始まったことじゃないしな。それに、あのおかげで当麻に会えたんだし、結果オーライだったんじゃないかなとも思ってる』
「……ありがとね、士郎」
『いいよ。けど、本当に明日までには予約を取ってくれると助かる』
「うん、わかった。やっておくわ」
何気ない士郎の優しさを再確認し、胸をときめかせる乙女こと凛。
では改めて、士郎成分を補給しよう。
「で、士郎。どうだったの、学園都市─────」
瞬間。
手から電話がヒョイ、と奪い取られるのを凛は察知した。凛は後ろを振り返ると、魔術で居間に閉じ込めた筈の桜が黒い笑顔を凛に向けていた。
しかし、一瞬で満面な笑顔で受話器を顔に近付ける。
「先輩、元気ですか。ご飯ちゃんと食べてますか?」
『え、桜か……あぁ、ちゃんと夕飯は食べたよ』
「それでですね先輩……あっ」
「あぁ、士郎。どう、学園都市は」
『藤ねえ!?な、なんでさ!?』
桜が受話器を野性動物に奪われ、硬直した隙に凛が桜に飛びかかる。
勢いのままに姉妹が揃って倒れる。上にいる凛のほうが一瞬早く立ち上がり、マウントポジションをとりながら問い質す。
「桜、アンタ、どうしてここに!!」
「姉さんは日本家屋を舐めすぎです。日本家屋は襖と障子で出来ているので、どこからだって出てこれるんです。少し遠回りすることになりましたけど」
「なっ、しまった……」
押し倒されながらも不敵に笑う桜。
毎度の如くうっかりを爆発させた凛はマウントポジションをとったまま力なく頭を垂れる。
しかし、桜にも“遠坂”の血は流れている。即ち、彼女も少なからず“うっかり”の特性を持っているのだ。
「うん、うん、りょうかーい。それじゃ、また明日ね~」
「「あっ!!」」
虎は二人が争っている間に少し話して、電話を切ってしまった。二人の少女は保護者を見る。視線に気付いた虎は悪戯に笑いながら二人に言う。
「んー、まだ話すことあったの?」
衛宮家の家庭内ヒエラルキーが垣間見えた瞬間である。
そして、時間は現在へと戻り、さらに夜まで凛と桜は周りにも分かるほど陰鬱な雰囲気を漂わせていたのであった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
不思議な人。
それが、少年が赤毛の青年に抱いた印象だった。優しそうに笑うのに、どこか悲しそうというか、辛そうというか、苦しそうな感じがしてしまうから。
なんとなく、青年のことが知りたくなって、宿がなくなってしまってたと言っていたというのもあり、家に泊めると言った。
彼は悪いと断るが、少年が泊めさせてくれと何度も言われたのに根負けして、青年は少年の提案を受け入れた。少年は、あとから何故あんなに強情だったんだろう、と疑問に思うくらいあの時の少年は頑固だった。
青年について知れば知るほど、少年も悲しい気持ちになった。それは同情で、青年の心に踏み込む失礼な行為なのかもしれない。
──それでも、少年は青年は儚げに見えた
「──────ん、」
目を覚ますと、見馴れた白い天井が少年の視界に飛び込む。半分寝惚けている意識を呼び覚ますために、洗面台に向かう。
部屋の扉を開けて居間に出ると、美味しそうな匂いが鼻先に触れる。匂いを辿って台所まで歩いていくと、赤毛の青年がフライパンで魚を焼いていた。
数秒後、少年の存在に気付いた青年────衛宮士郎は、少年のほうに優しい微笑みを向ける。
「あぁ、当麻。おはよう」
「おはよう、しろう兄ちゃん」
目を離していても作業が続いている。やり方が手に染み付いているのだ。その主夫力に、尊敬の念を抱いていると、少し遅れて士郎が言う。
「悪い。台所勝手に使っちゃって、早く起きちゃってさ。なにかしてないと落ち着かなくて……」
「いや、ありがとう。それに、ボクのほうこそごめん」
本来士郎は客人で、その役目も自分のするべきことであると少年は考えている。それも、一週間ずっと士郎に任せてしまうというのはあまりにも申し訳ない。
昨日は士郎がそう言ってきてくれたのが嬉しくて二つ返事で了承してしまったが、今になって考えてみれば、士郎に対していらぬ苦労を掛けているかもしれない。
「止めてくれ。そういう意味で言ったんじゃない」
士郎は苦笑いをしながら、口調の優しさだけは変えずに少年に言う。言葉を受け取った少年は、逆に申し訳なさが大きくなり、反射的に謝ってしまう。
「う。ごめんなさい」
「いや、謝らないでくれ。好きでやってることなんだから。それに、顔でも洗ってきたらどうだ。朝飯は運んどくから」
「あ、そうだった。それで出てきたんだった」
依然として、困ったように笑う士郎は焼き上がった魚を皿に移す。少年はそれを見ると、そのままテクテクと、洗面所まで向かっていく。
顔に冷たい水をパシャッ、パシャッ、と顔に張り付け意識を呼び覚ます。タオルで顔を拭き、居間に戻ると机の上には本格的な和食が並べられていた。
「しろう兄ちゃん、朝からこれをつくったの?」
「ん。あぁ、有り合わせのもので適当にだけどな」
そういえば、誰かの朝ごはんを食べるのは、半年振りなのではないだろうか。それも、こんなに手の込んだものとなると、そんな条件をもとに絞り込むと初めてだと思う。
なにが凄いかと言えば、まずは鮭の塩焼きである。橙色の身が照り輝いている。他にも卵焼きも白身と黄身がまざった優しい色、見るだけでも分かるふわふわした外見。味噌汁からも、出汁の深く豊かな香りが鼻孔をくすぐる。
つまり、全て美味しそうだ。
「……てきとうのレベルをこえてるよ」
「ごめん、やり出したら止まんなくて」
「どうしよう。これぜんぶ食べられるかな」
「大丈夫だ。もし残ったら俺の昼食に回すから」
その言葉に少し疑問を覚えつつ、少年と士郎は机に座る。
三度、異口同音。
「「いただきます」」
テレビに映るニュースを見ながら、おかずを白米とともに頂く。鮭の程よい塩味が白米とよく合う。全て食べられるか不安とは言ったが、これならなんとか食べられそうである。
「なぁ、当麻」
「なに、しろう兄ちゃん」
ニュースで気になる記事を見つけたのか、箸を置いて、少年に質問する。
「
「えっと、一言で言うならただの不良集団だよ」
「不良集団?」
少年は士郎の次なる疑問に『うん』と前置きを置いて、搔い摘んだ説明を始める。
「しろう兄ちゃんは、学園都市がちょうのうりょくしゃをつくってるのは知ってる?」
「まぁ、なんとなくはな」
「でも、ボクもだけどほとんどの人は大したちからをもってないんだ。べんりなちからをもってるのなんて学園都市にすんでる人たちのほんのちょっとしかいないの」
士郎はそれを聞いて驚いていた。
当然だと思う。かくいう少年も、ここに来た頃は自分の能力に目覚めるのだろう、という期待をほんの少しは抱いていたりした。
しかし、実際に蓋を開けてみれば、少年も含めた学園都市の約6割が
「……それで、力のつよさによって
「そんな制度なのか」
「うん、それで、その
「な、成る程な」
青年は呆気にとられる。そして、少年の言葉の意味を理解すると痛そうな顔をした。
少年はそれに申し訳なさを覚え、今朝から数えて三回目の謝罪を口にする。
「ごめん、朝からするような話じゃなかったよね」
「いや、俺から始めた質問だしな。気にしないでくれ」
士郎がなんのニュースを見ていたのかが気になり、玉子焼きを口に運びながら、テレビの方を見る。
「あ、これ。きのうもあったんだ」
「え、なにがだ?」
「
少年の言葉を受けて、士郎は再びテレビを見る。
テレビには昨日に引き続いて
ここで、改めてこの襲撃事件について説明しておこう。この襲撃事件が始まったのは、いまから一週間と少し前に7名の
といっても、まだこの段階ではテレビのニュースで報道されていなかった。学園都市ではこんなことは日常茶飯事だし、いつもの不良同士のいざこざということ処理され、それは2日目や3日目、4日目まで同じだった。
だが、5日目から事態が動く。襲撃の痕跡が、一周して1日目の痕跡と合致したのだ。さらに6日目の痕跡は3日目と合致した。
つまり、集団による計画的な犯行だと言われ始めたのだ。これにメディアが食い付かない訳がなく、こうしてニュースで報道されるようになったというわけだ。
閑話休題。
暫くして朝食を食べ終わり、士郎は台所で皿を洗っていると、私服に着替えた少年はランドセルを机に置いて、士郎のところへと歩いていく。
「しろう兄ちゃん、でんわばんごうとメールアドレスおしえて」
「……別にいいけど、なんでだ」
士郎は洗った終わった皿を水切り台のうえに乗せて、掛けてあるタオルで手を拭きながら答える。
「ばんごはんをつくってくれるのは本当にうれしいんだけど、なにをつくるのかとか話しておきたいなって」
「そうか。ありがとな、当麻」
そのまま、二人の携帯番号とメールアドレスをお互いの電話帳とアドレス帳に登録する。
そのあと、少年はなにかを思い出したように居間にある引き出しを開けてなにかを取り出し青年に渡す。
「これ、合鍵。鍵がしまってたら開けて」
「これはさすがに受け取れないよ」
士郎は困ったような表情で、首を横に振る。しかし、少年の目を見て諦めた。
受け取った青年は苦笑いを浮かべながら言う。
「お前なぁ、仮にも他人にこれを渡すか」
「え、なんで。しろう兄ちゃんは他人じゃないじゃん」
満面の笑みで言う当麻に、青年も呆気にとられるしかなかった。
丁度、家を出る時間になったようで、少年はランドセルを背負い、士郎はキャリーケースを持つ。玄関を出て廊下に出る。
「じゃあ、夜にな」
「うん、いってきまーす」
──こうして、二人の奇妙な共同生活が始まった。
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Day3-2 準備/戦う前に
でも、最後の方は上手く纏められたのではないだろうか。
次回から普通に戦闘パート入るから、日常パートをここに詰め込むしかなかった。そのせいで、長くなりますが読んでくれれば幸いです。
あと、士郎が若干、っつかメタ発言に走ります。何故かと言えばここから先、主に二章から普通にメタネタオンパレードでいくからその片鱗でも見せちゃおうかな~とか言うノリです
あぁ、遅くなりましたが『スパイダーマン ファー・フロム・ホーム』見てきました。
いやぁ、いいですね。面白かったですね。
感想はいま活動報告に書き込んでいるところなので、良ければ皆さんと感動を分かち合いたいです。完成したら下にリンク張っておきます。
さて、意気揚々と当麻の家から飛び出したはいいものの、これからどこへ向かっていけばいいのだろうか、なんて思いながら、俺こと衛宮士郎は朝の公園のベンチで休んでいる。というか、暇を持て余している。
朝の公園というと、健康意識の高い老人がラジオ体操をしているイメージがあるものだけれど、その人工の八割が学生で占められている学園都市にはそれは当てはまらないらしい。
ただ、通学途中の中高生が遠くに見えることから見るに、それが学園都市の日常というものらしい。
と言っても、学生たちのぐったりしている様子と、今が春休みであることを鑑みるに補習のようだが。
俺の成績はそれなりのところに居るし、真面目に登校していたので聖杯戦争で何日か休んでも補習にはならなかったが。
話が脱線してしまって申し訳ない。話題を少し前に戻そう。今一度繰り返すが、これからどこへ向かい、なにをすればいいのだろう。
やはり、遠坂が予約した別のホテルのチェックインを済ませてしまうべきだろうか。
今日の朝、桜からメールで再予約したホテルの名前と住所が送られてきた。桜も見ながらやったと書いてあったので、大丈夫だとは思うが、昨日のことがあるので一応対応できるように備えておこう……主に心を。
住所的には昨日恥ずかしい思いをしたホテルから結構近い場所のようなので、バスに乗って当麻と出会った場所まで戻ってから向かうというのが最短の道だと思う。
となると、ここからなら昨日も乗ったバス停が一番近いようだし、そこまで歩いていくか。
「……よし、行動開始だ」
いまから数時間の行動スケジュールを組み終えた俺は、立ち上がってスーツケースを、それにつけられた通称の通りガラガラという音とともに引きずりバス停へと歩いていく───否。歩いていこうと思ったところで、俺は尻餅をついた。
「──────ッ、」
どうやら前方不注意からなにかにぶつかったようだ。なにかに意識を傾けていた訳ではなく、意識外からのなにかだった。気が回らなかった。
体感的にはそびえ立つ岩のような感触だ。もしくは、地面に強く根を張っている大樹のようなものだと思って貰っても構わない。
ただ、それは感触だけだ。本物ではない。道の真ん中にそんなものがあるわけがない。
だとすると、果たしてなににぶつかったのだろうか。
当然の思考が当然の帰結を迎えて、そして生まれた次なる疑問を解消すべく俺は顔を上に向けてぶつかったものを見上げる。
「……うん、まぁそうだよな」
普通に人だった。
別に、熊などの結構大きめの動物だと思っていた訳ではない。いや、むしろそっちのほうが困る。俺の命が危ない。なので、人のほうが有り難くはあるのだが。
人。男。体格の良い男性だった。
座りながらの目算なので、精確な値とは言えないが、身長は控えめにいっても2mくらいある。誤差があっても上下に10cmといったものだろう。
違和感を感じたのは、それだけではない。おそらく身長190~210cmの大男が科学の街に似つかわしくない和服を来ているからだ。
さらに、硬く太い筋肉を全身に纏っている。先程、男のことを岩と形容したが、本当にそれが正確だったと思う。
なんというか、筋骨隆々という言葉がそのまま人間の形になったような、そんな人だった。
「おっと悪い。怪我とかしてねぇか?」
男は俺の存在にやっと気付いたのか、腰を屈めて俺に手を差し出す。
かなり屈めないと、俺に手が届かないところを見るに、本当に身長は高いらしい。
「はい、大丈夫です」
男の手を取って立ち上がりながら言う。立ち上がってもまだ、顔を傾けないと男の顔を見ることが出来ない。
「悪りぃな。よそ見しちまってた」
「いえ、俺の方こそ前をよく見ていなくて……すみません」
お互いに謝罪し、バスの時間までもうちょっとなので、俺が尻餅をついた時に一緒に倒れたスーツケースを立たせて、その場を後にしようとする。
「おい、ちょっと待ってくんねぇか?」
すると、何故だか男が俺のことを引き止めてきた。
呼ばれたので、身体を捻って男のほうを振り返り、疑問を返す。
「なんですか?」
「もしかして、お前さん。旅行者なのかい?」
お前さん、なんてきょうび聞かない時代錯誤な少し江戸っ子の混じった喋り方で、男は俺に旅行者かと訪ねる。
質問の意図はよく分からないし、多分答えなくてもいいだろうけど────
「えぇ、まぁ、はい。そうですけど……」
考える間もなく、即答していた。
名前も知らない相手の、個人情報を探るような質問に答えてしまった。
とは言っても、答えないというのも後味は悪いので、反省こそすれど、後悔はしていないが。
「そうなのか。実はよ、俺も旅行者なんだよ。ヘヘッ」
「へ、へぇ」
俺が旅行者だと分かった瞬間、男は急に馴れ馴れしく話し掛けてきた。
しかし、馴れ馴れしいと言ったら、若干ながら鬱陶しさが含まれているような表現なので、一応訂正しておこう。
男はフランクに話しかけてきた。
「暇か?なら、少し話さねぇか」
見ず知らずの人間にここまでグイグイ来られたのって、初めてではないだろうか。
藤ねえだって、初対面のときは面倒見の良いお姉さんって印象だったし……どちらかと言うと、あとからあの性格が露見した形だ。
しかし、何故だろう。俺、この人と初対面な気がしない。どこかでこんな雰囲気の奴と会っていたような、遭っていたような──────
「う~ん、良いですよ。別に急ぎの用事もないし」
ホテルの件も、そこまで急いでやらなければいけないことという訳でもないのし、この際なので、いっそこのまま男の勢いに流されてしまおう。
「よし。そうと決まれば歩こうぜ」
「え、歩くんですか」
「おう。見たところ兄ちゃんにも予定はあんだろ。なら、歩きながらのほうが良いんじゃねぇのか?」
「─────」
思わず嘆息した。
ただ、勢いのままに周りを引っ張っていくような人なのかと思ったけど、意外に気配りが出来るようだ。
「この先のバス停に向かっているので、出来ればこっちの方向でお願いします」
「おぉ、任された」
向かおうとしていた方向を指し示して、男のちょっとした気遣いも一緒に受け取ることにする。
男はゆったりと歩いている。これほどの体躯があれば、そんなゆっくりとしたスピードでも、俺の歩くスピードに合わせて歩くことが出来るようだ。
だが、話をするとは言っても、同じ旅行者同士、話題なんて一つしかなく、要は学園都市にて驚いたことの挙げ合いだった。
「リニアモーターカーに掃除ロボットに電子ロックとやらを使ったロッカー、と兄ちゃんも中々面白えもんを見てるんだな」
「いや、それを言うなら貴方だって、飛行船に四つ足の装甲ロボットってそんなものがあったんですね」
意外なことに会話は結構盛り上がった。
いかにもな和装で、学園都市の技術には興味がないものと思っていたが(だったら何故ここに来たんだ、みたいな疑問は遠慮したい)、結構興味津々らしい。
「でも、そんなものがあるならもっと治安が良くてもいいんじゃないかな」
「ん。どういうことだい?兄ちゃん」
「いや、ニュースを見てたら、なんでも路地裏で通り魔事件が多発してるみたいなんですよ。警備ロボットみたいのが居るなら、そういうのって最初から起きそうにないから、少し不思議で……」
「……ヘ、へぇ、そういうのがあんのか。わりぃな、ニュースとかあんま見ねぇから、そういうのには疎くてよ」
あれ。いまこの人、一瞬言い淀んだような……
いや、気のせいだな。いけないな。護衛任務ってこともあって、疑心暗鬼が働きすぎているみたいだ。
「えぇ。だからできるだけ路地裏には近づかないほうがいいですよ」
「おう。ありがとな、兄ちゃん」
「お礼なんていいですよ。好きでやってるんだし」
言いながら、空を見上げる。
空には、男の言っていた飛行船が飛んでいた。いや、この場合は浮いていたと言ったほうが正しいか。
側面に設置された液晶には、天気予報が映し出されていた。
空には、男の言っていた飛行船が飛んでいた。いや、浮いていたと言ったほうが正しいか。
側面に設置された液晶には、天気予報が映し出されていた。
「明日、雨が降るのか……」
「みてぇだな。兄ちゃん、傘とか持ってきてるかい?」
「一応、折り畳みのものを持ってきてます」
「用意が良いねぇ、感心感心」
俺の視線を追って、同じように天気予報を見ていた男も俺の言葉に反応する。
そのままゆったりと歩く男の姿を盗み見る。
見たところ、男はそれらしい荷物を持っていなかった。そりゃ、宿に置いてきているのだろうが、旅行に来ているのだし、カメラなんかは持っているものではないだろうか。
いや、旅行の目的なんて人それぞれなんだし、俺だって観光目的で来たわけではない。これは決め付けで、押し付けだな。
「そろそろバス停じゃねぇのか」
「そうですね。じゃあ、ここで……」
少しだけ名残惜しさを感じるのは、男の人柄に俺が好感を抱いたからだろう。
男はそのまま後ろに身体を180°回転させ、俺から離れていくように歩き始める。
「あぁ、ちょっといいか?」
男はなにを思ったのか数歩歩いたところで、上半身だけを俺のほうに向ける。
「もうこれで、お前さんに会うこともねぇだろうし、名前を聞いて置きてぇんだけど……いいか?」
総人口280万人、旅行客を含めればさらに2~3千人水増しされる大都市で、偶然出会った人ともう一回会う確率なんて0%に限りなく近いと云うのは、確かにそうだよな。
それに、俺も話した人の名前を知らないままに別れると云うのは心残りになると思うし。
「……衛宮士郎です」
「俺は白土佐薙だ。まぁ、適当に覚えといてくれや」
豪快に笑いながら、自己紹介を返してくれた。
「──久々に
続けて男がなにか変なことを言っていた。そのまま手を振りながら、再び歩き出す。
男の……いや、白土さんの言葉になにか、違和感というか、しっくりこないというか、そんな感じがしたのだけれど、深く考え始めると、終わりのない底無し沼に足を取られる気がして────
──俺は、思考を放棄した。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「小萌ちゃん、なにかあった?」
「へ、なにかあったってなにがですか?」
「あぁ、悪かったね。小萌先生」
「昼休みなのでいいのです」
見た目小学生の教育実習生、月詠小萌は昼休みを応対室で過ごしていた。
高等学校の教育実習における昼休みというのは、昼食をとりながら、教師との雑談をするのが良いとされており、彼女もその半分はその教師との雑談に使っていた。
なぜ大切かといえば、教師の経験が生きた声で聞くことが出来るから。それは、いずれ自身が教師となるうえで、貴重な経験値に成り得るものだ。
という訳で、小萌は持ってきていたコンビニ弁当を食べながら、実習先の学校で自分の指導を担当して貰っている教師との雑談を交わしていた。
「では改めて、小萌ちゃん、なにかあったのかね?」
「いえ、特になにもないですが……どうしてですか?」
「いや、心ここにあらずというか、上の空というかな。だからなにかあったのかと……」
そう言った後に緑茶を啜って、一息つく初老の男性。
そんな呑気な様子を見て、呆れ笑いを浮かべながら割り箸でご飯を口に入れる小萌。
「そういう上条先生はいつも通りですね」
「そうだなぁ、いつも通りというのは良いことだぞ」
シワだらけのYシャツを着た老人は、年寄りとは思えない若々しい口調で話す指導教論に、小萌は思わず困ったような笑みを溢す。
そして、老紳士は緑茶をもう一度啜りながら真剣な顔つきになる。
「このところ、色々と物騒だしな」
「……あの襲撃事件のことですか?」
その話題になると、雰囲気が深く重く沈み込んだ。
老年教師が投げ掛けた話題というのは、言うまでもなく
「うちのクラスからもう三人も入院になってるしな。こりゃ、早めに解決しないと本当にマズイことになりかねない」
老人は眉間に少し皺を寄せ、事態の深刻さをそのまま表したような表情で言う。
それを聞いた小萌もまた、怒りと不快感から顔をしかめる。その表情は感情の変化とともに憂い顔へと変わる。
「解決するんでしょうか……」
「その為のわしら
老人は小萌を鼓舞するように笑う。
「という訳で小萌ちゃん。儂は今日、
「……へ?」
ピシッ、と老人は小萌を指差して力強く言い放つ。指差された小萌は気まぐれな指導員の言葉の意味を理解できず、変な声を出す。
しかし、すぐに指導員の意図に気付き、間髪入れずに抗議に入る。
「ちょ、ちょっと待ってください。いくらなんでも無茶振りが過ぎるのですよ!!」
「小萌ちゃんなら大丈夫!!」
「根拠はなんですか!?何処にあるんですか!?」
「そんなものはないっ!!」
「そんな無茶が通れば道理が引っ込んでしまいます!!」
「学園都市に道理を求めるなら、まだ小萌ちゃんも半人前だな」
「……その言葉に説得力を感じてしまった自分が情けないのです」
勢いのままに言い負かされてしまい、ため息を吐きながら力なくうなだれる教育実習生。
確かに、あまり常識の通用しない場所はあるけれど、こういうことではないのではないか、と思う小萌である。そんな小萌を見て、老人は白髪を掻きつつ苦笑いを溢しながら言う。
「まぁ、補習といってもプリントをやらせて間違ったところの解説をしてやってくれるだけでいいから今の小萌ちゃんならできると思うぞ」
「そっちのほうの根拠も一応聞いておきたいのです」
「まぁ、そんなものはやっぱりないんだがなぁ……」
キッパリと言い切る指導教論のまったく理屈が通らない、根拠なんて何処にもない理論に、今度は小萌の苦笑を浮かべる。
「やっぱりないんですか……」
「強いて言うなら、わしの勘だ」
「根拠としては弱いですね」
「いや、勘というのも案外馬鹿にならんものだぞ」
理論や法則を教える教師が、それも最先端の科学の街に住む人間が、勘なんて曖昧で非科学的なものを誇らしげに語っていた。
小萌はその姿を見て、なんとなく少し遠い未来に漠然とした不安に感じた。
「お孫さん、ちゃんと育ってくれることを祈ってるのです」
「あぁ、心配するな。わしとは似ても似つかぬ良い子だからな」
「具体的にどんなところがですか」
「わしみたいに行き当たりばったりみたいな行動はしないなぁ」
「自覚はあるんですね……」
ここまで来れば、この教育実習生と指導教論の関係性について理解できた人も多いと思う。
実のところ、指導教論の突拍子のない行動に付き合わされ、やらかしたことの後始末を手伝わされるというのが、教育実習における小萌の仕事のほとんどを占めていた。なにしろ、小萌がこの教育実習から得た最大の教訓は『上条先生のようにはならない』なところからして、彼女が指導教論のことをどれだけ反面教師としてみているかがわかる。
それでも(表面上は)愚痴を言わずに付き合うあたり、彼女の元々のお人好しが垣間見えるというものである。
「そいじゃ小萌ちゃん。わしは授業の準備があるんで先に行ってるぞ」
「わかりました」
さて。さっきまでの雑談というか、茶番のせいで昼食が食べ終わってないので、何はともあれ、まずはこのコンビニ弁当をすべて食べてしまおう。
プルルルルル。プルルルルル。プルルルル。
白米を口に入れたところで、電話が振動する。
なにかと思い、ポケットら携帯電話を取り出して確認する。番号の上に名前が書いてあった。どうやら電話帳に登録された知り合いからの電話らしい。
名前はなんと書かれているのだろうか────
「あ」
衛宮士郎。
昨日の課外修業で、はぐれてしまった生徒を探しに行った際に手伝いを買って出てくれた旅行者のことだ。
そして、その迷子探しの時に士郎の提案で、一時的に電話番号を交換したのを、お礼がしたいと言う小萌からのお願いで、そのままにしておいたのだ。今日の夜にでも電話するつもりでいたのだが、まさか彼のほうから電話を掛けてくるとは思わなかった。
今は少し急いでいるが、恩人からの電話を断るほど切羽詰まった状況でもないので、電話にでることにした。
「もしもし」
『あぁ、小萌さん。昨日振りだな』
「えぇ、昨日振りなのです。はむ、それで、はむ、士郎ちゃん、何か用ですか?」
『小萌さん、食事の最中だったのか。悪い、なら後でまた掛け直すよ』
「いや、大丈夫なのです。これも礼ですし、できる限りの話は聞くのです」
士郎の細やかな気配りに内心感心しつつ、弁当を少し早めのペースで口に運んでいく。
『実はな。少し頼みたいことがあって……』
「いいですよ。なにをすればいいのですか?」
『それが、昨日出会ったばかりの人にあまり頼みたくはないものなんだけど……』
「気にしないのです。任せてください」
『……よし、学園都市で襲撃事件ってのがあるって聞いてさ』
次に電話の向こう側から流れてくる言葉は、衝撃的なものだった。
話題自体は先程、指導経論と話した内容ではあったが、その話題が仮にも旅行者である士郎の口から出てくるのは、想定外だったのである。小萌は、驚きの感情をそのまま声に乗せて少年の言葉に答える。
「はい。でも、どこで知ったのですか?」
『ニュースで……』
「そういうことですか」
『いや、教育実習である小萌さんに対してこういうことを聞くのは大変不謹慎だし、個人情報の漏洩にもなってしまうし、断れることを前提に頼むんだけど……』
続けて、士郎は申し訳なさそうな、少し後ろめたそうな声で様々な前置きをする。
その前置きで、小萌には士郎が自分に何をしてほしいのかが概ねわかってしまった。
『もし小萌さんが教育実習に出ている学校でその襲撃事件の被害者が居るなら、出来れば入院先の病院と病室を教えて欲しいということなんですが……』
「はぁ、そこは予想を裏切って欲しかったのです」
『え、なんの予想を裏切ればよかったんだ?』
「……その話はひとまず置いておくとして、その情報がなにに必要なのですか?」
『ん。えっと、その……なんていうか……』
そこも小萌の予想通り、言い淀んだ。
なにか説明しにくい、入り組んだ事情があるようだが、こればかりは二つ返事で承諾するわけにはいかない。
教育実習生とはいっても、現在の小萌は教師である。そう易々と大切な生徒の情報を渡すわけがないのだ。せめて、何故それが必要なのかを聞かなくてはいけない。それが最低条件だ。
まぁ、渡すという選択肢が思考のなかにある時点で、彼女もまだ甘さが隠しきれていないが。
「じゃあ、質問を変えます。なんで、その情報が必要なのですか」
『……守らなきゃいけない奴がいるんだ』
先程とは打って変わり、強い覚悟のこもった口調で士郎は小萌の質問に答える。それに少し驚いているが、それとは裏腹に少し納得している自分に疑問を覚える。
そのあとはまた歯切れが悪くなった。その隙に、小萌は急いでコンビニ弁当を食べてしまう。ついでに買っておいた麦茶のペットボトルで喉を潤してから、士郎にもう一度質問する。
「もうちょっと詳しく説明してもらってもいいですか?」
『ごめん、詳しくは言えない。話したとしても、多分信じてもらえないと思うし……だからさっきも言ったように無理にとは言わない』
「でも、少しでも事情を話してくれないと、判断のしようがありませんよ」
『これは小萌さんの知らなくていい世界なんだ。ただでさえ、現在進行形で巻き込もうとしてるのにこれ以上危険に晒す訳にはいかないだろ』
士郎は強い言葉で続ける。
情報が断片的且つ少なすぎるので、断言はできない。ただ、危険の伴う事情ということらしい。おそらく士郎のほうも本当は巻き込みたくないが、それでも知りたいからこそ、こうして小萌に頼みに来ているのだろう。
今しがたも述べたことを繰り返すことになるが、士郎には頼み事をしようとしている以上、彼には説明する義務があるし、小萌にはそれを知る権利がある。士郎は、その在るべき過程を飛ばして結果だけを得ようとしている。自分からは何も言えないけど、貴女は教えてくださいなんて、はっきり言って欲張りすぎる。
そんなもの、本来なら交渉として成立していない。
無論。それは士郎のほうだって十分理解して、自分がどれほど馬鹿か自覚していることだろう。だから、断ってくれてもいい、と言っている。
馬鹿馬鹿しい。そう言ってしまえばそれまでだけれど、それが出来ない自分の性格に小萌は辟易する。
「はぁ、士郎ちゃんもですけど、お互い馬鹿ですよね」
ペットボトルを飲んで、呼吸を1つ挟む。
間を作ってから、小萌は呆れたように言った。
「取り敢えず、夜頃にメールで記載して送ります」
小萌の言葉のあとに、また沈黙が数秒間空間を支配する。
沈黙を破ったのは、少年の驚愕と困惑の二つが交ざった言葉だった。
『──え、いいのか?』
「仕方ありませんからね。ただし、教えるのは名前と入院先の病室だけです。それでいいですね」
『あぁ、それだけで充分だ』
さて、そろそろ昼休みが終わる。
教室へと戻らねば。
「じゃあ、もう切りますよ」
『あぁ、ありがとな。小萌さん』
「出来れば巻き込んで欲しくなかったのです」
『……仰る通りです』
まぁ、この場合、断れなかったこっちの責任だと内心思う小萌である。
『じゃあな、小萌さん』
「はい。またなのです」
こうして、教育実習生の長い長い30分間が終わった。
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「もう一度聞くぞ、当麻。今日なにがあった」
「えっと……かえりみちに空き缶ふんでころんで、また空き缶があったからそれをよけたら、こんどは犬のしっぽをふんでおいかけられて、あとそれから……」
「いや、もういい。もうお腹いっぱいだ」
どうやったら、そんなギャグ漫画のキャラのようなことになるのだ。
「あ、べつにギャグって言ってもらっていいよ。ギャグみたいなものだし」
「いいわけあるか。お前怪我してるだろ。実害伴ってるじゃないか」
俺が言った通り、当麻は身体のあちこちに傷を負っていた。
当麻が言っていた、転んでできたであろう擦り傷や、犬に噛みつかれたあろう牙の跡、他にも切り傷に火傷、小さめの打撲傷なんかもある。
取り敢えず、昨日と同じように、消毒液と絆創膏、ガーゼや湿布で応急手当をする。その昨日の殴られたことによる目の腫れは引いてきたようだが、同じような傷も見受けられる。
ということは、やっぱり────
「一応聞くけど、それだけじゃないよな?」
「うん、そうだよ」
「全部転んだりでついた傷じゃないよな?」
「────」
昨日の傷は転んで出来た傷ではなかった。
思い出せないという方は、少し遡ってDay2-3くらいに詳しく書いてあるので、そちらのほうをもう一度読んでもらえればわかると思うが、おそらく面倒だと思うので、こちらのほうで多くを省略させてなにがあったかということだけ書かせてもらおう。
まぁ、俺も詳しい事情は知らないので、当麻の話を聞いて憶測と俺が見た結果が絡み合っていると思うので、混ざりっけない情報を知りたいという方は、やはりDay2-3まで遡って読んでもらったほうが早いと思う。
昨日、夕食を考えるついでに13学区を散歩していた当麻は、偶然通りかかった公園で殴る蹴るの暴行に及んでいる少年達を止めようとしたら、今度は当麻のほうに暴力の矛先が飛んできたらしい。
そこに、こちらも半分偶然で通りすがった俺が介入したことで少年達が逃げていった。
当麻が言うには、俺のことを
「今日も殴られたのか?」
「……うん」
当麻は小さく頷いて肯定した。
思った通り、昨日の少年達に殴られたようだ。
ここまで来ると、学園都市は能力者に力の使い方についての教育を怠っているのでは、と思ってしまう。
「だいじょうぶだよ。よくあることだから」
「よくあったほうが駄目なんだよ」
当麻の的外れな言葉を一蹴しながら、眉間に軽いデコピンを喰らわせる。
デコピンを喰らった当麻は、痛そうに眉間を押さえる。
「こっちのほうがいたいよ……」
「馬鹿言うな。ここの火傷よりかはマシだろ」
「そりゃそうだけど……はぁ、ふこうだ」
さて、あとはここに湿布を貼って手当ては終わりだな。
「ちょっと待ってろ。すぐに飯の用意をするから」
「あ、てつだうよ」
「いいよ。当麻は少し休んでろ」
「だいじょうぶ。ぼく、体だけはじょうぶだから」
安心させるために頭を撫でて、少し微笑みながら言う。
「だからいいって。もしまた怪我でもしたら二度手間だよ。いいから休んでろ」
「むぅ」
不機嫌そうに頬を膨らませる当麻。
さっきまで話題が少しシリアスだったから、なんていうか、和むなぁ。
「……アイツさ」
「ん。なんだ、当麻」
米を研いで炊飯器のスイッチを入れる。そして、本格的に調理を開始しようと思ったところで当麻がなにかを言った。ほとんど聞き取れなかったが、言葉のニュアンスからして、誰かを指す言葉だと思う。
「ほら、きのう……ときょうぼくをなぐってきたやつのこと。きんぱつがいたでしょ」
「……あぁ、いたな。異様に目付き悪い奴」
そういえば、薄い金髪に、赤い目の三白眼が特徴的で、どうやったらあんなに悪人面になるんだろって、疑問を出るくらいの悪人面の少年が一人居た気がする。
「アイツ、ぼくのおさななじみなんだよ」
「幼馴染って、どういうことだ?」
「言葉どおりのいみだよ。学園都市の外ではいえがちかくてさ。よくいっしょにあそんでたの」
当麻は窓の外をなにかを振り返る見ながら言う。
「それで、よくあそんでたんだけどね。アイツ、なんでもできたんだよね。ようちえんのときからかん字とかできてたし……」
「それはすごいな」
まぁ、それは素直に感心ものだが、やはりそれは人を殴っていいなんて理由にはならない。当たり前のことだ。でもまぁ、その“当たり前”が機能していないからこそのこの状況とも言えるけれど……
「まぁ、自信があって、どうどうとしてるところはやっぱりすごいと思うんだけど、やっぱり四さいのときに変わったのかな……」
「変わったって、どういうことだ?」
聞きながら、汁物と副菜に使う具材を切る。
キャベツは千切り。これは水にさらしてシャキッ、とさせたらザルで水気を取る。
かいわれ大根は根本を切る。トマトはくし切り
干しワカメを水で柔らかくもどしてから絞る。長いものはざく切りに。
……いや、誰かさんに見えるのは、スルーしておこう。もしここで触れると、遠い未来のどこかでネタにされる気がする。
豚のロース肉は片面のスジは、1~2cmの感覚で切り、両面に薄く小麦粉をまぶす。
そしてここで、さっきの言葉の続きが始まる。
「四さいのとき、手から火花がちったの」
「ん。つまり、どういうことだ?」
悪い当麻、俺にはお前が言っている意味がよく分からない。
「学園都市って、ちょうのうりょくしゃをつくることもできるけど、そういうかんきょうがそろってるなら、しぜんにできるのうりょくもあるみたいなんだ」
「そいつがそうだっていうのか?」
「うん。学園都市では『原石』って言われてるみたい。いみはわからないけど……」
『原石』。
まぁ、自然に力を身に付けた、天然の能力者って意味ならかなり的確ではあると思う。
「それで、ボクはふこうをなおせるかもしれないからここに、アイツは力のつかいかたみたいなものを学ぶためにここに来たの」
成る程な。
なんで当麻が学園都市みたいなところに来たのかは少し疑問だったけど、そういう理由か。確かにここなら、『不幸』とか、それこそ『魔術』なんかの非科学的なものも、科学的に理論をつけられそうな気もする。
まぁ、見たところ成果は……
「まぁ、おたがいにせいかはないけどね」
うん。分かってた。
当麻もこんな傷を負っているということは、不幸は改善されていないようだし、その幼馴染の子も、躊躇いなくその力で他者を傷つけている。
「……でも、だったら今日当麻が殴られたのは、俺のせいかもな」
「え、なんで?」
「だって、昨日のことで目を付けられたんだろ。聞いた印象だとソイツかなりプライド高いみたいだし、だから俺のせいかなって」
昨日は俺が介入したので、当麻はこれ以上怪我をしなくて済んだが、その事が逆に幼馴染の少年のプライドを刺激してしまったのかもしれない。
それで今日も当麻は殴られてしまったことの原因になっているかもしれないのだ。
仮にそうだとしたら、俺がやったことは結局、事態の先伸ばしにしかなっていない。俺は余計なこしかやっていない。俺のやったことは無駄だったいうことになる。
そんなことはないと信じたいが、それでもそうなのかもしれないと頭の中によぎってしまったら、考えてしまう。
俺のしていることは、やはり───────
「そんなことないよ。でも、しろうにいちゃんがいてもいなくてもなぐられてたよ。それがきょうかきのうかのちがいだったってだけで」
「ハハ。お前って、時々ズバッと言ってくれるよな」
「そ、そうかな。おかあさんから、デリカシーがないってよく言われるけど……」
「でも、俺はそこまで言ってくれると気持ちがいいけどな」
とは言っても、出会って早々、人の彼女のことを『うっかりさん』と言われたときは度肝を抜かれたけどな。まぁ、当たってるだけに言い返せないが。
でもそういえば、当麻に遠坂のことを『彼女』とは言ってないな。当麻は、遠坂のことを“しろうにいちゃんを学園都市に行くように頼んだ人”としてしか認識してないだろう。多分そうだから、尚更言いにくい。
そんなところで、調理も進み生姜をすりおろす。
ここまで来れば、俺がなにを作っているかはおおよそ把握していると思うし、今更なところはあるが、話題転換の意図も込めて、今日の献立についての説明させて貰おう。
まず主菜は豚の生姜焼き。がっつり2日続けて肉というのも、無理があると思うが、育ち盛りの小学生。それに、例の『不幸』で人より体力の消費が早いと思うので、疲労回復に良いって言われてる豚肉を選んだのは、結果的には正解だったかな。
副菜はさっき切ったキャベツなんかを添えるかたちで。
汁物は卵とワカメの中華風スープ。この前、中華が得意な遠坂に教わったメニュー初お目見えだ。
よし、そろそろ肉を焼くか。
フライパンを弱い中火で温め、油を敷いて、肉を重ならないように両面を焼く。火が通ったら肉を取り出し、そこに生姜、醤油、酒、みりんを入れ、同じように中火(今度は少し強く)で、トロミが少し出る程度煮詰め、先程すりおろした生姜を加え混ぜたら、取り出した肉をすべて戻し、強火でタレを手早く絡め火を止める。
「いいにおい。しろうにいちゃん、きょうのゆうはんは?」
さっきまでの不機嫌さが嘘のように、ワクワクという擬音を張り付けたような顔で、当麻は聞いてきた。
「豚の生姜焼き、あとは汁物を作るだけだから少し待っていてくれ」
一応昆布でとっただし汁に、粉末チキンスープの素、酒、みりん、薄口醤油、塩、片栗粉を加える。
トロミがついて煮立ってきたら、溶いた卵を加え、菜箸で円を描くように混ぜる。卵がふんわりしてきたら、ワカメを加え、ワカメが温まったら万能ネギを散らして完成。
そのまま手際よく盛り付ける。
「当麻、出来たぞ。運ぶの手伝ってくれ」
「うん。分かった」
俺の頼みを聞いた当麻は、嬉しそうに走ってこちらに駆けつけてきた。
手伝わせてくれなかったら膨れて、手伝わせてくれると喜ぶというのは、意外と珍しいのではないだろうか。普通の男の子だったら嫌がるようなものだが。
「走るなよ。また転んだら大変だぞ」
「今度は大丈夫だよ」
やはり嬉しそうに皿を運んでいく当麻。
くそ。また和む。というか、ホッコリする。自然と笑みがこぼれるな。胸の中で暖かいものが広がっていく。
こんなもの、俺は持ってちゃいけないはずなのに……
──でもまぁいまはいいか。別に悪い気分じゃないしな。
そのまま、俺も盛り付けた皿を食卓へ運ぶ。
あと数日しか囲むことの出来ない、食卓へ────
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Day3-3 遭遇/戦闘、開始
超痛い。ビタミンCがいいらしいですけれど、手っ取り早いミカンは染みるんだよなぁ。薬がどこにあるかも分からないし、八方塞がりだ……
そんな痛みに耐えきって、なんとか書き終えました。
楽しみにしてくれた人がいるなら嬉しい。
読んでくれたら幸いです。では、どうぞ。
夕食から二時間。
俺は当麻と別れて、ホテルに帰ろうとしている途中だ。せっかく学園都市に来ているのだし、バス一本で帰るのももったいない気がして、気分転換と散歩も兼ねて学園都市の景色を見ながら遠くのバス停まで歩いている。
「……はぁ」
周りをキョロキョロ見渡しながらため息を吐く。
手には空き缶を握り締めて───────
夕食からのことを語るなら、多分ほとんどは愚痴になる。俺に起こったことではなく、当麻に起こった不幸に対する……だから、プライバシーというものがあるので、あまり語りたくないが、俺も実害を被ったお金を呑んだ自販機とやらにだけは愚痴りたい。
まずラインナップからしておかしい。
いちごおでんとか、抹茶ミルクにきなこ練乳、カツサンドドリンク、ヤシの実サイダー、と聞いた限り、美味そうなのがかなり多めに見ても、ヤシの実サイダーくらいしかないのはいかがなものか。
当麻が言うには、大学や研究所で作られた商品の『実地テスト』として市場に並んでいるらしいのだが、どう考えてもゲテモノしかない。もっとマトモな発想はなかったんだろうか、と疑問を呈してたい。
そのうえでお金を呑むときたら、もはやその自販機の存在価値を疑わざるを得ないだろう。
当麻も当麻で、他に持ち合わせがなかったとはいえ、二千円札を自販機に突っ込むぐらいなら、少し歩いて近くのコンビニで買ったほうが良かったのではないだろうか。というより、二千円札なんて珍しいものを一体どこで手にいれたのだろう。そっちの方も少し気になる。
しかも、そのあと自販機がバグったらしく、ヤシの実サイダーとカツサンドドリンクの二つを吐き出してきたようで、当麻の奴、俺にカツサンドドリンクを押し付けてきた。
当麻って、意外と図々しいというか、臆面のないというか、とにかく遠慮のないところがあるよな。前回でも触れたけれど、会って間もない俺の話を聞いただけで、遠坂のことを躊躇いなく『うっかりさん』って言っていたし……
とは言っても、人から貰ったものを無下にするのも嫌なので出したくもない勇気を出して飲んだのだが……ことのほか不味くない、というか、普通に美味かったのが悔しい。
まぁ、無理してまで飲もうとは思わないが……
そもそもカツサンドってトンカツの衣のサクッ、という食感と、厚い豚肉のジューシーさ、ソースのまろやかな甘さをパンで挟んで食うことで、渾然一体の美味を味わうものであって、それを飲み物にしたら良いところがすべて台無しになる。
極論、別にカツサンドじゃなくても良かったと思う。
「でも、こんな時間でも賑やかなんだな」
話題を変えるが、完全下校時間を過ぎているにも関わらず、学園都市は華やかに輝いていた。
ファミレスを見ればまだ営業時間らしく、普通に制服を着た高校生くらいの生徒が夕食を食べているし、ホールのバイトをしている人も居る。
そうなると、その完全下校時間もそんな重要視されてないのかな。または、小学生、中学生、高校生という感じで、それぞれ門限は違うものなのか。
そこら辺のシステムは、パンフレットにも載っていなかったのでよく分からない。
「……とは言っても、やっぱり一番目に入るのはアイツらなんだよなぁ~」
改めて周囲を見渡しながら、力なく呟く。
言葉通り、他に見えるどんなことよりも、俺の視界に強烈な存在感で飛び込んでくる奴等がいた。
ロン毛にドレッドヘアー、パンチパーマ、アイロンパーマ、リーゼント。今どきこんな不良いるのかってくらい、テンプレートな不良がコンビニの前や、シャッターが閉められた店の前などにたむろしていた。
それを、防具を着込んだ大人達が注意するという構図。
恐らくではあるが、彼らが当麻の話ででてきた
そうして思い浮かべるだろう。
不良生徒とそれを叱りつける教師達の構図を。
俺は今、たまにテレビの再放送される一昔前の学園ドラマでしか見ることが叶わないような光景を目の当たりにしている。
普通に驚きである。
外の世界ではほとんど見ない髪型の不良が、学園都市ではこんなに大量発生しているとは誰も思わないだろう。科学技術が数十年先を行っている学園都市で、何故このような俺の感覚では一昔前の、不良感溢れる不良達が居るんだろうかとか、考え出したらキリがなくなるような疑問ばかりが出てくる。
だから今回は、ア◯ム然り、頭文◯D然り、流行というものは一周回れば戻ってくるものらしいし、今回はその解釈で纏めることにしよう。
……出した例えがどこか違う気がするが、解釈は合っているはずなので気にしないでほしい。
う~む。だがこれは、第三者の意見を交えて議論してみたいところだ。議題はそれっぽく『学園都市の常識について』みたいなかたちで。
と、学園都市のゲテモノドリンクと不良についての持論を長々と展開してきたが、やはり実際に来てみないと見えない景色というものはやはりあるものだな。
技術も、システムも、常識も、全てが異世界と呼んでも過言ではないというのが恐ろしい。なによりも恐ろしいのが、ここが俺達の世界の延長線上にあるということだ。
この学生しかいない外から隔離された世界では、なにを支えにして生きているんだろうか。それこそ、考え出したら終わりがなく、結論が出る前に考えることが億劫になりそうな問いかけだけれど……
「……あれ?」
思考を振り払うように首を振る。
そこで、ふと目についた路地裏ヘ続く道に誰かが入っていくのが見えた。それだけで疑問符が出るほどではないが、それが顔見知りなら話は別だ。
190以上はある上背に、無駄のない筋骨、そしてあの着崩した青い和服。俺はその出で立ちに見覚えがあった。あんなに特徴的な姿を見間違える筈がないのだ。
あの背丈にあの青い和服って、もしかして──────
「─────白土さん、だよな……?」
白土佐薙。
その名は俺が朝に出会い、束の間の会話を交わした人がもう会うことはないだろうから、と最後に残していったものだった。
まさかその日に見かけることになるとは、どんな運命の悪戯かは分からないが、とにかく良かった。
だが、嬉しいと思う反面、なんか色々と残念でならない気もする。拍子抜けというか、朝の会話が丸々とまではいかずとも、最後の会話が無駄だったと思えてしまうのが少し頂けない。
自分で言うのもなんだが、あんな余韻ある別れ方をしといてすぐに再開、というのは肩透かしもいいところである。
いや、そこじゃないよな。
そんなことよりも、触れるべき点はいくらでもあるよな。
観光客がこんな夜遅くに外出しているのも妙だ(自分のことは棚上げしているが)。
なによりも、わざわざ路地裏に入っていくなんて少しおかしい。ニュースを見ていなくても、通り魔事件のことなら、俺が朝に話したんだし、まさか忘れてるなんてことはないだろう。
「……いやいや、あり得ないだろう」
そこまで考えて、嫌な可能性が頭によぎる。
それを振り払うように、言い聞かせるように言葉を思考の隙間に差し込んだ。でも、それがよぎってしまったらもうそれを消し去ることはできない。
消し去れないなら、あとは疑問が次々に溢れ出すだけ。
もし、今朝の疑心暗鬼が杞憂じゃなかったのなら。単なる思い過ごしではなく、本当に怪しかったのだとしたら。
もし、通り魔事件が当麻を狙う奴らとなにか関係があるんだとしたら。
もしそうだったのなら、白土さんが最後に残していった一言と辻褄が合う。
────久々に、一般人と話せてよかった。
白土さんはそう言っていた。
どこか引っ掛かるところがあったが、それが何処かが漸く分かった。一般人という言い方が鼻についたのだ。わざわざ俺のことをそう表すところに違和感を感じたんだ。
このパーカーをくれた遠坂が言うには、俺の魔力を遮断する機能が備わっている。それのせいで、白土さんが俺のことをただの観光客だと勘違いしたのであれば。
「───────」
点と点が一気に繋がった。
途切れ途切れの手がかりが一本の線となった。
しかしながらこれには、まだ決定的な証拠はない。この疑惑を確信まで引き上げるだけの根拠がまだ俺の手元にはない。
考えすぎと言われてしまえばそれまでだけれど、ただ頭ごなしに否定するには、疑わしい材料が揃いすぎている。
「これは、確かめてみる必要があるな」
俺は白土さんの後をつけることにした。
この疑惑が、朝思ったときと同じくただの取り越し苦労だったのなら、それに越したことはないが、俺としてはむしろそっちのほうが良い。
朝出会ったばかりの人間を、疑わしいという理由だけで尾行するという、俺のながでほの暗い罪悪感が芽生えるだけで事態を納めることが出来るし、白土さんの身の潔白も証明することが出来る。
……まぁ、俺が勝手に疑いをかけているだけなので、誰に対して身の潔白を証明するんだと言われたら、それは間違いなく俺自身に対してだ。
尾行を決断するほどに疑ってはいるものの、やっぱり俺は白土さんを信じたいのだ。俺の中で渦巻いている疑惑がすべて思い違いであってほしいと願っている。
できる限り足音と呼吸を小さくして気配を殺しながら、白土さんを見失わないように歩く。
しかし、近すぎず、遠すぎず、絶妙な距離感を維持しながら、相手のどんな小さな仕草や行動にも見落とさないように神経を尖らせていなくてはいけないというのは、中々骨が折れる作業だな。刑事ドラマでよく描写されている尾行や張り込みを何気なく見ていたけれど、実はこれほどの忍耐力が求められる行為だったとは。
いや、こういうを根気の強さを求められる作業はむしろ得意分野ではあるが、それでもさすがに神経が削られる。
その緊張かは分からないが、さっきから心臓の鼓動が早くなっきている。それを深呼吸で落ち着けながら、尾行を続けている。
白土さんは一片の迷いもなく迷路のように複雑な路地裏を、下駄をカタカタ鳴らしながら歩いていく。
行動での華やかな喧騒とは打って変わって、路地裏の陰鬱とした雰囲気から生まれる嫌な静けさのなかを下駄と地面が擦れる音だけが響き渡る。
「……ッ」
白土さんの放つ自然体でありながら、同時に堂々とした立ち振舞いに思わず唾を呑んでいた。
いまこの場において場違い過ぎる感情なのは重々承知しているが、それでも感嘆の息を溢してしまったのだ。
これを、普通の街中で見れたら多分俺はその場から動かずにその様子をただただ見入ってていただろう。
できることなら、そうであって欲しかった。
そんな俺の願いとは裏腹に白土さんは路地裏をさらに奥深くに潜っていく。
そのあとも、俺は白土さんの行動や仕草を一つたりとも見落とさないように注視しながら尾行を続ける。時間にして約8分、白土さんは止めることなく、かといって変に急ぐことなく、一定のペースで路地裏を進み続けた。
その間に、特に語るようなことはなかったので省略させてもらう。
話を戻してそう。8分に渡って白土さんは歩き続けた。言い換えれば、8分歩いて白土さんは立ち止まった。
いや、立ち止まったというより目的地に着いたといったところか。
道の角に身を隠しながら、白土さんの様子を伺う。そこには、白土さんとさっき見た
もっと詳しく説明させて貰えるならば、男達のほうが白土さんに因縁をつけているように見える。でも、白土さんから話しかけていたので、因縁をつけているというのも少し違うのもかもしれない。
ドクンドクンドクンドクン
くそ。こんなときに心臓の鼓動が煩くなって会話が聞き取れない……もっと近付けば聞けるか。
「─────」
そう判断して、気付かれないように少し白土さん達の距離を縮めようと試みたところで、白土さんの唇の動きが見えた。
そして、次の瞬間───────
ズドン!、とコンクリートの砕ける破砕音の衝撃が俺の耳を襲った。
その周りには、砕けたコンクリートの破片と傷だらけの状態で血を垂れ流す男達の姿が残されていた。
「あー、またやっちまった。でもまぁ目撃者は無傷で帰すなってイアンに言われてるしなぁ。まぁ仕方ねぇか」
彼は左手の頭を掻きながら、面倒そうに呟いた。
もう片方の右手には、石包丁をより鋭利にして肥大化させたような、もしくは斬馬刀と石包丁を足してニで割ったような、どこに閉まっていて、どこから取り出したのか見当もつかないほどの大きさの剣を携えて。
ただ、その剣を取り出す際、白土さんの身体に魔力のようなものが通っているのは辛うじて分かった。
その様子が、その光景が、なにを意味しているのかといえば、疑惑の確定である。
路地裏の行き止まりで佇む白土佐薙という男が、上条当麻を狙う魔術師であることが寸分違わず、疑いようのない厳然とした事実ということが証明されてしまった。
「ふざけるなよ……よりにもよって」
行き場のない感情を必死に圧し殺しながら、それでも言葉が漏れてしまった。
しかしながら、言葉にしなくてはいけなかった気がする。
だってそうだろう。
もしこれが運命というもので仕組まれていたというのなら、悪趣味なことこの上ない。
その時点で、思考を打ち切った。
確かに、白土さんが当麻を狙う魔術師だったはショックだ。
それでも、いまはそんな理不尽に歯を 食い縛っている時間はないのだ。そんなことは、あとでいくらでも嘆けばいい。
だからいまの俺のするべきことは白土さんを上手くやり過ごした後、救急車を呼んで倒れている彼らを救急隊員に引き渡して、遠坂に白土さんの情報を伝える、この三つだ。
動揺。怒り。嘆き。
いまにも破裂しそうな感情をなけなしの理性で抑えつけながら、持てる限りの冷静な思考を総動員してするべき行動の順序を組み上げた。
プルルルルル
そんなときだった。
ポケットに閉まっていた携帯電話の着信が鳴り響いた。
そこまで大きくはない。
それこそ、ついさっきまで居た大きな道のなかでは喧騒にかき消されてしまうような大きさしかない。
しかし、ここは路地裏。
表の広い道路や歩道の延長線上にありながら、その道路や歩道とは完全に隔絶された音の制止した空間。
表の歩道では道路を走る車のエンジンの回転音にかき消されてしまうような大きさの音でも十分に響き渡る。
「……ッ、誰だ!!」
案の定、気付かれてしまった。
今しがた組み上げたこの場を切り抜けるための作戦が一瞬にして瓦解した。
「────くそっ!」
言い捨てて、走り出す。
走り出してから、なぜ携帯をバイブモードにしておかなかったんだと後悔した。
直後、そんな後悔とともに一つの疑問がよぎった。
いったい誰が電話を掛けて来たのだろう。
遠坂はまずない。科学オンチの遠坂は携帯電話なんてまず使えないし、固定電話だって着信履歴を辿って電話を掛けたり、電話番号を使って掛けるなどといった発想に辿り着くまで、最低でもあと10分はかかる。
となると、次に思い付くのは桜か。アイツなら俺と遠坂の定時報告の時間に掛けてこなかったら、心配してくれて掛けてくれるだろうか。いや、いくら心配性の桜でも約束の時間を少しオーバーしたくらいじゃ電話を掛けてこないだろう。
三人目の選択肢になるのは小萌さんか。小萌さんとは、例の襲撃事件の被害者の人の名前と入院している病室を教えてもらう約束をしていた。でも、メールでっていうことだったし、その線は薄いか。というか、もう犯人の一人が確定してしまったので、無理に聞く必要がなくなった。
こんなこと考えても拉致が開かない、普通に確かめるほうが手っ取り早い、とポケットのなかから携帯を取り出し、いまだ鳴り続ける携帯を開く。
上条当麻。
携帯電話の画面にはそう表示されていた。
電話を掛けてきたのは当麻だった。おおかた、明日の夕飯の相談や例の襲撃事件の注意喚起の目的で掛けてきたんだろう。後者だとしたら、これ以上ないくらい最悪のタイミングだ。
「ハッ……ハッ……ハッ」
走る。走る。走る。
逃げる。逃げる。逃げる。
──これが当麻の『不幸』ってやつなのか。
走りながら、俺はそんな場違いなことを考えていた。
一昨日俺は、当麻の不幸のことを『不幸の避雷針』と表現したけれど、こういうことなのか。当麻と関わった人間ももれなく『不幸』になっていくってことなのか。
いや、そうならやはり等価交換の法則が成り立たない。誰かが『不幸』になったなら、その分誰かに幸運が訪れるはずだ。それが俺じゃくても……
「そこじゃないだろ……ッ!!」
その言葉とともに俺は立ち止まった。
違う。『不幸』とか『幸運』とかは関係ないだろ。
まったく、自分の不甲斐なさに腹が立つ。
肝心なことを忘れてるだろ。
俺に羨望と親愛を眼差しを向けてくれるアイツは、当麻は、そんな『不幸』に毎日耐えているんだろうが。
それが必ずしも正しいとは思えないし、思いたくもない。けれど、当麻が耐えているものから、なぜ俺が逃げることが許される。
それこそ、ふざけるな……
守るって決めたのに、守りたいって思ったのに、俺がそれから背中を向けてていい理由なんてない。
俺が背中を向けることを許されるのは当麻の前だけだ。当麻を守るために立ち塞がるときだけだろうが……!!
「なんだよ。鬼ごっこはおしまいか、少しは楽しめたんだがな……」
追いついてきた白土さんは俺に言葉を投げつけてきた。
「……ッ、お前は───」
声がした方向に振り返る。
向くべき方向を見据える。
当然の如く、俺がそうだったように、白土さんは驚きの声を上げた。
「白土さん、一つだけ聞かせてください。あなたは魔術師なんですか?」
問い掛ける。
白土さんは一呼吸を置いてから、それに対する回答を返した。
「……それが分かっちまう坊主は、俺の敵ってことでいいんだな」
小さく苦い顔を見せる。
が、それも一瞬で冷徹な表情へと変わった。
「本当は、戦いたくないです」
「俺もだ。でも、そうもいかないんでな」
そうだ。戦いたくない。
俺は白土さんとは戦いたくない。たった数分の談話だったけれど、それでも関わってしまった。関わって、好感を抱いてしまった。だから、戦いたくない。
でも、そうもいかない。白土さんの言う通り、俺にも白土さんにも譲れないものがある。
「引き下がってはくれないですね……」
「まぁな、今朝出会ったばっかの小僧に譲る道なんてねぇよ」
当然だ。
譲りたくないならば、勝ち取るしかないんだ。その道を歩く権利を、その道を歩く資格を……
「安心しろよ。人払いの結界は張っておいた」
「なら、心置きなく戦えるってことですね」
「そういうこった。じゃあ、お喋りは終わりだ」
そう言って、白土佐薙は走り出した。
目の前にいる俺に斬りかかる距離まで接近する為に。
ふぅ。 息を吐き出して呼吸を整える。慌てる必要はない。狼狽える必要はない。混乱できるほどの選択肢なんて俺は持っていない。もとより俺にできることなんて一つしかないのだから。
「
繰り返そう。俺にできることは一つしかない。
──────あと十五歩。
それが
──────あと十歩。
──────あと六歩。
──────あと五歩。
──────あと四歩。
──────あと三歩。
──────あと二歩。
その全ての行程を凌駕し尽くし、幻想を結び、
──────あと一歩。
剣の形を成すことのみ。
──────あと零歩。
激突。
お互いの手の内にある剣が火花を散らす。
ただ、突然現れた剣に男は僅かではあるが怯んだ。そのお陰で踏み込みが浅かった俺の振るう太刀筋でもなんとか防ぐことができた。
だが、鍔迫り合いにはならなかった。そうなれば、体格の差で俺が押し負ける。
俺は白土さんが重心を前のめりにしていることを利用し、その勢いに任せる形で後ろにいなす。反発する力を失った力はそのまま前に進む。
「ハァッ!!」
瞬時に大男の懐に潜り込み、もう片方の手に持つ剣で左上から右上に切り上げる。逆袈裟斬りだ。
「ぐっ!」
白土さんはそれを避けようと真後ろに跳躍した。
崩れた体勢では着地をとれるはずもない。案の定、仰向けに倒れた……が、後ろに飛んだ勢いを利用し、転がりながら片膝をついた姿勢を取る。
和装の男は、険しい表情でこちらに視線を向ける。警戒しているのか。白土さんが俺を驚異と認識している。
「坊主、なんでお前追い討ちを掛けてこなかった」
「……まだアンタの力を把握しきれていない。その状態で追い討ちを掛けるのは危険だと思っただけだ」
「へぇ、慎重なんだな」
よっと、なんて言いながら白土さんは立ち上がる。
まぁ、それだけではないが。
「あとは宣戦布告というか、挑発しときたいんです」
「挑発ねぇ、いいぜ、面白い。挑発してくれよ」
男は面白そうに笑い、俺に挑発を要求してきた。
……挑発って、要求されるものだっけ。挑発するって宣言してから挑発しようとしている俺も大概だが。
「俺はアンタには負ける気がしない」
「へぇ、その心は?」
息を吸って敵を見据える。両手に剣を構えて、さぁ、宣誓しろ─────
「アンタより強い剣士を三人ぐらい知ってるから」
及ばない。
ほんの三ヶ月前に出会った彼らは、英霊達はなにもかもが桁外れだった。その技も、力も、疾さも、重みも、強さも、なにもかもが一線を、いや、一次元をも画していた。そう形容しても過言ではない。
それに比べてしまえば、俺の目の前にいる敵は、失礼を承知で言うならばあまりにちっぽけだ。別に英霊達を過大評価している訳でも、いま目の前にいる敵を過小評価している訳でもない。
贔屓目なしに比較しても、それだけの差がある。
だから、負ける気がしない。
例え相手の手の内が分かっていなくても、勝算なんかなくても、そう思うだけの漠然とした自信のようなものが、それでいて確信に近いなにかがあった。
「まぁでも、坊主は強いぜ。なら本気で答えるのが礼儀ってもんだなぁ」
「なら、俺も全霊で答えます」
「上等、行くぞっ!!」
その号令とともに走り出す。
そして、剣が交わる。
そうして、今宵の決戦の火蓋が落とされた─────
次回はこの場面の、上条視点での補完を交えつつの戦闘パートになります。
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Day3-4 双剣/魔術師VS魔術師
まずは遅れてすみません。
そしてリメイクの件、あれは嘘ではないんです。
少しだけ予定を変更しただけなんです。
あと一話くらい投稿したら、一旦この小説を非公開にして、すべての話を設定を変更しつつ書き直します。
嘘ついたみたいなかたちになって本当にすみません。
それでも読んでくれる人がいるなら嬉しいです。
ソファに寝そべりながら漫画を読みふける上条少年は、風呂上がりなのか髪は濡れ、心なしかほわほわした雰囲気を纏っていた。
寝巻き姿に着替えているところから、もうすぐ就寝につくことが窺える。
歯磨きは済ませた。食器洗いや洗濯も士郎が居る間に二人でやってしまった。寝る前にするべき家事は、既に終わらせているようだ。
10年以上のキャリアを持つ主夫の力は伊達ではなく、上条の約3倍のペースと丁寧さで片付けてしまった。
特に夕飯のあの生姜焼きは、どうやったらあんなまろやかで奥深い味が出せるのか気になって仕方がなかった。あの生姜焼きをおかずに白い米を掻き込むなんて、幸せ以外の何者でもないと思わせるほどの逸品だ。
その様子に上条少年は、素直な尊敬の念を抱いたが、やっぱり客人であるはずの士郎に家事をさせてしまったり、自分の怪我の応急処置までさせてしまっていることに、何度目とも知れない申し訳なさが募った。
閑話休題。話を戻そう。
寝る準備を済ませたとはいっても、髪が濡れたまま寝ると寝癖が出来てしまう。しかしながらドライヤーは使うのはあまり好きではない。電気代がかさむので忌避しているというより、他人に髪を乾かしてもらうのは好きだが、自分でやるのはなにか面倒くさいのでやりたくないという感じだ。
だから上条少年は本棚から適当な漫画を取り、読みながら髪が乾くのを待っている。
「……」
漫画のページをペラペラと捲ってはいるがその実、内容はまったく頭に入ってはいない。
さっきから、コマと吹き出しの文字を流し目で追っているだけで頭でそれが理解できるかたちに変換されない。
もう読んだ漫画ではあるので、先の展開は分かってはいるのだが、それでも少年は漫画の内容に意識が向いていない。もう漫画を読んでいるといっていいのか、というレベルで。
一言で表すならば、心ここに在らずといったところ。
ここ1日は普通に過ごしてきているはずなのに、なにか大切なものを見落としているような違和感が胸のうちにこびりついて離れないのだ。
だが、さっきも言ったように、寝るまでに必要な工程は全て終えている。もう髪さえ乾けばいつだって寝ることが出来るのだ。
なのに、そんな違和感が頭から離れない。
いったいなにを見落としているのだろうか────。
プルルルルルル。プルルルルルル。プルルルルルル
と、思考を深く先鋭化させようとしたところで電話の着信音が鳴り響いた。
少年は寝ていた身体を慌てて起こし、トコトコなんて擬音が似合いそうな速度で電話のところまで歩く。
電話のまえに立つと上条少年は何気なくため息をつく。
この古くさい着信音を聞くと、学園都市は何故固定電話にも着メロ機能を実装しないのかと不思議に思うのだ。
流行りの曲とかではなくとも、クラシックを何曲か入れて、それから着信音を設定するような形にすればいい。少なくとも、嫌に耳に響く音よりは何倍もマシだ。
「はい、上条ですけど……」
『もしもし、当麻さん?母さんですよ』
……はぁ。
妙に間延びした声が聞こえてきたので、一旦受話器から手を離し、ため息をつく。
電話の相手は少年の母、詩菜だった。
別に嫌という訳ではないが、詩菜はマイペースかつ少し天然なきらいがある。その為、どうしても話に乗りきれず、いつの間にか詩菜のペースに振り回されることが多いのだ。
表情が見えない電話ではこの傾向が強くなる。
故に、少年は母のことが嫌いなわけではなく、むしろ大好きではあるのだが、彼女との電話に少し苦手意識を持っているのである。
「どうしたの、おかあさん」
出来れば早急に会話を切り上げたい少年ではあるが、春休みに実家に帰っていない息子との数少ない会話のチャンスを母親がみすみす逃してくれる訳がない。
きっと長電話になる。
上条としては湯冷めしないうちに寝たいので、出来れば長電話は避けたい。
しかし、自分だって家にいない間の両親の近況が気にならない訳ではないので、要件を聞いて今日のところは電話を切り、どこかの昼頃に電話を掛けて直してゆっくり話すことにしよう。
……無論、そのときは父である刀夜だったほうがありがたいが。
『今月の仕送り、ちゃんと当麻さんのところに届いたか確認したかったの』
「うん。それならちゃんと届いてるよ。いつもありがとね」
『いえいえ。まだ幼い我が子に一人暮らしをさせているんですもの。これくらいは当然よ』
受話器の向こうの詩菜が誇らしげに言う。
なんだろう……受話器の向こうで胸を張っている姿が眼に浮かぶ。というより、多分してる。
「でも、いつもならしおくりのかくにんってお父さんからだよね。なんで今日はお母さんなの?」
『刀夜さんは急な出張でいま海外にいるのよ。だから、今日は私が代わりに電話を掛けたの』
「わざわざかくにんしなくてもちゃんととどいてるって、もしとどいてなかったらそのときはじいちゃんの家でごはん食べるし……」
『あぁ、そうだ。お義父さんから聞きたわよ。最近学園都市で連続通り魔事件が起こっているらしいわね。当麻さんも夜道を歩くときは気を付けるのよ』
「だいじょうぶだよ。そもそもよるでかけないし……」
夜道に出歩くような不良少年になった覚えはないんだけど、と上条は思う。
そんなにことをすれば、祖父である良三郎に大目玉を食らってしまう。
少し軽口が多いものの、基本的には温厚な良三郎だが、激怒したときの表情はまさしく修羅のそれに変わる。
普段の行動は結構放任されてところがあるが、そこに少しでも危険がつきまとうのならその限りではない。前に路地裏で野良猫の世話をしていたのが見つかったときには鬼のような形相でこっぴどく叱られた。
結局その時は上条に目立った怪我もなく、猫も野良の癖に人懐っこすぎたため、狂犬病などの病気がないかを動物病院で検査して貰った後に良三郎の家に飼うことになったものの、あのときの良三郎の形相は、いまでも不意に思い出しては肩を震わせてしまう。
平たく言えばトラウマだ。
そんなトラウマから、少年は門限を守る。
日が沈む前には家には着いているし、就寝につく前にも必ず戸締まりを点検する。
祖父に怒られたくないというのが理由の第一だが、祖父を怒らせたくないという理由もある。
祖父が怒る理由が自分を心配してくれているからだと少年は理解している。だから、祖父に要らぬ心配をかけたくないのだ。
『でも、母さん心配だわ。当麻さんは後の事を考えずに突っ走っていくところがあるから……』
「いつの話をしてるんだよ。おかあさん」
『たった2年前のことよ。あなたが学園都市に行く前のことだもの』
母の言葉に少年は怪訝な感情を溢す。
二年を“たった”と表白する感覚を、まだ7年の時ほどの人生しか生きていない少年は理解できない。
「2年もむかしのことじゃんか」
『2年なんてあっという間よ。当麻さんも大人になったら分かるわ』
それが大人になるということよ、と詩菜は言葉のあとに付け加える。
思い出を懐かしむような声色がどこまでも優しく、思わず口が綻んでしまう。
──────あれ、もしや?
どうやら、知らぬ間にまた詩菜のペースにまた付き合わされていたらしい。そして不幸なことに、少年はそのペースに安らぎさえ感じてしまっている。
「……もう。だからやなんだよ、おかあさんと話すの……」
『ん。なにか言ったの?』
「な、なにも言ってないよっ」
そこまで自覚して、気恥ずかしさで頬を赤くしながら口ごもる。
しかし、微かながら上条の声を無駄に高性能な受話器が拾ってしまったらしく詩菜が聞き返すと、上条はムキになって話をはぐらかす。
やはり母には勝てないのかな、と上条は肩を落とした。
『あらあら。当麻さんはそういうところは昔の刀夜さんそっくりなのかしら』
詩菜は変わらず柔らかい声で続ける。
「とにかくもうきるよ。ボクももうねるんだし、これいじょう話すと、本当によふかしするふりょうしょうねんになっちゃうよ」
『あらあら、それは困るわ。じゃあ、今日はもう切るわね。さっきも言ったけど、夜道を歩くときは気を付けるのよ』
「よるなんて一人ででかけないよ──────」
思い出した。いや、その可能性に気が付いたのほうが正確だひろう。
とにかく、先程からあった見落としていた気がしていた“なにか”を掬い上げることが出来た。そんな違和感を消し去ることが出来たのだ。
見落としていたなにか───それは衛宮士郎のことだった。
彼が鍛えていることは、服の上からでもわかる。きっとチンピラモドキの
そして、彼は見ず知らずの上条を助けてしまうほど強い正義感を持ち合わせている。
そんな正義感の強い彼が
しかし、ここが学園都市であることを忘れてはいけない。
まして今の学園都市は、何者かの襲撃事件の脅威がある状態だ。
限りなく低いだろうが、彼がその襲撃者と遭遇する可能性がない訳ではない。
『もしもし、当麻さん。どうかしましたか?』
「……あ。ううん。なんでもないよ」
『そうですか。じゃあ、夜更かしは美容の大敵だし、母さんももう寝るわね』
「うん、おやすみ。おかあさん」
『はい。おやすみなさい、当麻さん』
その言葉を最後に、ガチャという音を残して詩菜は電話を切った。
上条の次に取るべき行動は決まっていた。
すぐさま携帯電話を取り出し、電話帳から“しろうにいちゃん”の名前を探し出して電話を掛ける。
そこから、電話の発信音が鳴り止むことも、士郎の声が聞こえることもなく──暫くして、電話がプツン、と切れる音がした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
キィン。
鳴り響く金属音。剣戟の度に散る火花。
己の信念を剣に乗せてぶつけ合う。
互いに譲れないものの為に、相手を叩き伏せる為に打ち合う。
とにかく無我夢中だった。
余計な思考を全て遮断して、ただ目の前にいる敵を打ち負かすことだけに全ての意識を向ける。
この場所にいるのは、俺と敵の二人だけ。
どちらかが倒れるまで続く殺し合い。
「ハァッ‼」
「フンッ‼」
唐竹割りに振り下ろされる鉄塊の圧力を右手の莫邪で受け流しながら、もう一方も左手に持つ干将で水平に斬りかかる。
敵は莫邪で受け流した大剣に向かって飛びながら、身を捻って干将による横一文字を躱す。
そのまま体制を立て直した男は、俺と同じように大剣を右から真横に薙ぐ。
それを二刀で受け止めようとするが、強靭な肉体から放たれる鉄塊は二刀を硝子細工のように砕き、俺の身体を容易く吹き飛ばした。
「──────くっ……!」
男はすぐさま俺に向かい振り払った状態を維持しながら、一直線に突進してくる。
そして、突進のスピードと全体重を乗せ大剣を左から水平に振るう。
全身に走る激痛をかき消して立ち上がり、すぐに新たな干将・莫邪を投影して踏み込む。
左から袈裟に放たれる大剣を、交差させた夫婦剣で受け止める。
互いの威力が拮抗したことと、新たに投影した干将・莫邪が最適化されていたため、先程のようには砕けることはない。
鍔迫り合いに持ち込むつもりはない。
大剣を上にに受け流しながら、さらに前へと踏み込む。
莫邪で左腕に一撃。袈裟に迸った干将が背中にもう一撃。
「えらく芸達者だな、坊主。見てて退屈しねぇ」
左腕と背中を斬られた男は不敵な笑みを見せ、首をコキコキ、と小気味よく鳴らしながら言う。
その挙動に戦慄した。
たとえ致命傷にはならなくても、続けざまに放った二太刀は確実に男の肉を断っている。
事実。
斬り裂いた左腕から出た血は重力に従い、青の和服を赤に染めながら左手から滴り落ちている。
なのに、何故目の前にいる男は何事もなかったかのように立っている──────?
ええい。そんなこと考えても仕方がない。
息を整え、構え直す。
「お褒めに預かり光栄ですよ」
「おう。オレが敵を褒めるなんて滅多に無いことだからな。まぁ、大事に閉まっておいてくれや」
男は、依然として自身につけられた傷を気にするような素振りは見せない。
警戒を強めながら、改めて敵を観察する。。
男の持つ大剣は、2mはある男の体躯を軽々と超え、斧にも似たその刀身も男の胴体に匹敵するほどの大きさだ。
そんな大剣を優れた体格を持つ男が扱うとなれば、ただ振り回しているだけでも十分すぎる脅威だろう。
ただ、身の丈以上の大剣になると、その用途は剣というより槍に近くなり、相手を懐に入れることなく中距離から圧倒的な物量で相手を叩き潰すような運用方法となる。
剛胆すぎる戦いぶりからして、おそらく男が本来得意とするのは一対多数の制圧戦。
だが、この狭い路地では大剣をむやみやたらに振り回せない。小回りも効かないため、その懐に潜りこむことさえできるなら、先程のように男に攻撃を命中させることができる。
地の利は俺にある。
加えて、大剣という武器の特性上、かなりの重量がある。それをただ振り回すだけにも相当な筋力が必要となる為、長期戦にも向かない。
まぁ、男のスタミナについては未知数なため、いつ底をつくかわからない体力切れを待つのは博打が過ぎる。
撤退するにしても、顔を見られた以上、明日から行動しにくくなる。
やはり、ここで真正面から男を倒すしかない。
「──────1つだけ、聞いていいか……?」
さっきまでの剣戟の熾烈さとは打って変わり、清閑とした空気が狭い路地の世界に満たされようとしているなかで、俺は男に訊ねる。
いま目の前にいる敵を倒すのなら、先に聞いて置かなければならない。
おそらく、まっとうな回答が返ってくることはないだろう。
それでも、衛宮士郎は知らなければならない。
「なんだよ、これでも守秘義務ってやつがあるからな。お前が欲しいモノは得られないかもしれねぇぜ」
「……なんで、当麻なんだ?」
何故、男達が当麻を狙っているのか。
アイツは人より少し『不幸』ではあるけれど、それ以外はどこにでもいる平凡な少年だ。
少なくとも、男達が当麻を狙うような“なにか”を持っているとは、微塵も思えない。
なのに何故、男達は当麻を狙うのだ。
それが知りたい。
衛宮士郎が上条当麻を守るために、それは必要なことだと思うから────
「……」
俺の問いに男は困ったように頭を掻く。
それから、腕を組みながら数秒ほど悩む素振りを見せ、問いに対する答えを探り当てたのか。また豪快に笑いながら口を開く。
「悪りぃが、それは守秘義務の対象ってやつだ。答えてやることは出来ねぁな」
男の回答は、概ね予想通りのものだった。
だから、話はここで終わりだと、そう思った直後…
「けどよ」
強い声が閑静とした薄い路地の世界に差し込む
声の主のほうを見ると、ソイツは大剣を右手で持ち上げたあとに肩に置きながら、尚も快活に笑っていた。
「どうしても聞きたいっていうなら──────」
不意に呆気なく表情を消した男の、その冷淡な黒眸が俺を射抜く。
「──────力ずくで聞き出してみろ」
そして。肩に置いていた大剣を俺のに突きつけながら、男はこう宣告した。
“それが聞きたいのなら、まず自分を倒してみろ”、と。
呼吸を整え、構える。
それが、俺が返すことのできる答えだ。
「準備は出来たかよ。じゃあ、続けるぞ」
言いながら、男も構える。
極度の緊張が一瞬にしてこの場を席巻した。
気さくな口調とは裏腹に、男は表情を殺したままであり、その周囲には重苦しい威圧感さえ漂わせている。
疾走する。
その気迫の中にあるはずの細い隙を掻い潜るように男との距離を詰める。
迷うな。怯むな。その隙を敵は見逃さない。僅かな隙さえ見せるな。
進み続けろ。一切の迷いを消し去れ。
そうして、互いが互いの間合いに再び侵入する。
男は大剣を下から斬り上げてくる。
「……くそっ」
焦りをそのまま罵声で表す。
男の攻撃に対し、左手の干将を袈裟に振り下ろす。
力の乗せて振るった剣は、間を置かず激突した。
「ふんっ!!」
「がっ!?」
俺の一撃は容易く弾かれ、可能な限りの威力は受け流したが、それでも一歩後退させられた。
男は振り切った大剣を強引に先程の一太刀の軌道を真逆になぞりながら第二撃を繰り出してくる。
その斬撃を両手の夫婦剣を交差させて受け止める。
「さて、オレはお前さんの質問に答えたんだ。今度はお前さんがオレの質問に答えてもらおうか」
鍔迫り合いの最中。
男が冷たい色で俺に語りかけてくる。
「オレがお前さんからの質問で唸ってる間、なんで斬りかかってこなかった?」
「こんな状況で、答えられる訳ないだろっ!!」
吐き捨てて、大剣に軌道を逸らしながら地面へと受け流す。
地面に叩きつけられた大剣はアスファルトを砕きながら、その下の土に深々と突き刺さった。
男は面食らいながらも、すぐに大剣を引き抜こうとする。
この瞬間を待っていたのだ。
俺は跳躍し、突き刺さった大剣に乗る。
「なっ!?」
俺の予想外の行動に男は驚きの声を上げ、一歩下がってしまう。
しかし、男は驚きはしたものの怯んではいない。
なら何故男は後退してしまったのか。
元々大剣を引き抜こうと、後ろに力を加えていたのだ。
そこに俺の体重が加われば、大剣を引き抜く程度の力しか込めていない男は当然引き抜くことはできない。
転倒させるまでは行かないものの、ほんの少しバランスは崩れる。
そして、男は態勢を立て直そうと無意識に一歩後退せざるを得なくなってしまう。
それは、言い換えれば一瞬の隙が生まれるということ。
「よし、このまま……」
莫邪の横一文字。
狙いは胴。
このタイミング、必中不可避──────
「お~らよっ!!」
「なっ、嘘だろ!?」
その雄叫びとともに、大剣は引き抜かれる。
引き抜かれた大剣は弧を描き、その上に居た俺を軽々と吹き飛ばした。
「がはっ!?」
地面に勢いよく打ち付けられた俺の肺から酸素が逃げ出す。
が、その痛みに構っている暇はない。
転がりながら、立ち膝の態勢にとる。
その勢いのまま、追撃を加えるために迫ってくる男に夫婦剣を投げる。
男は立ち止まり夫婦剣を両方とも打ち落とした。
「……馬鹿力にも、程がある」
深呼吸で逃げた酸素を取り込みながら、悪態をつく。
左腕斬られているんだぞ。
明らかにパワーダウンしているはずだろ。
なんで俺が乗ってる大剣をあんな軽々と持ち上げられるんだ。
無茶苦茶すぎだろ
「まぁ生憎、それしか取り柄ねぇもんでな。それにしても坊主、さっきのはマジで焦ったよ。咄嗟に軌道ずらすことしかできなかった。顔にかすっちまったぜ」
……一々称賛してくるのか、この人。
男の言葉通り、頬に切り傷がある。そこから血も垂れている。
「じゃあさっさと質問に答えて貰おうか。戦闘で余計なこと考えたくはねぇだろ?」
改めて質問の回答を迫られる。
絶好のチャンスだっだだろ、と言葉のあとにそう付け加えてきた。
そりゃあ、俺から質問したのだから、質問に対する答えが返ってくるまで待つのは当然だろう。
しかし、そんな当たり前すぎる理屈は、男だってわかっているだろう。
求められているのは、きっとそれ以外の回答だ。
そう問われると、斬りかからなかった理由なんて一つぐらいしない。
「……隙が全くなかったからだよ。あのとき斬りかかったってアンタなら簡単に防げていただろ?」
「まぁ、否定はしねぇがよ。そういう待ち方じゃあなかったろ。なんでだ?」
男はこの答えでは満足せず、新たな答えを要求する。
だが生憎、俺は男を満足させることが出来るようなきちんとした理由があるわけではないのだ。
騎士道や武士道に反するから、なんて高尚な理由があったほうが良かっただろうか。
それでも、俺の理由なんて質問の答えが欲しかったことと、隙が一欠片もなかったことの2つしかない。
「もっと単純な言葉で良いんだぜ?」
答えに困った俺に、男の言葉が届く。
そうして、頭から捻りだした言葉は、男の問いに対する答えではなかった。
「質問に質問を返す形で悪いけど、なんで俺がアンタを待っていたって思ったんだ?」
先程、男は俺の攻撃しなかった理由を答えた際に『そんな待ち方じゃあなかった』と返した。
さっきの俺の言葉にはそう感じ取れる要素はなかった筈なのに。
“隙がなかった”と言えば、普通は“攻めあぐねていた”と解釈するだろう。
ところが、男は俺が自身を“待っていた”と思ったらしい。
いまハッキリさせるようなモノではないとは自分でも理解しているのだが、しかし口から出てしまたのだから仕方がない。
でも、疑問は解消するべきだ。
それだけでも、ほんの少し迷いが減る。
それに、別に疑問を解消する為だけに男に質問をした訳でもない。
この問いには、きちんと俺なりの意図がある。
「お前な……その自覚があるんなら」
男は俺の新たな問いに男は不服なのか、僅かながら怒り引き戻す。
漸く……ではないが。
男の表情が息を吹き返したのだ。
望んだ答えが返ってこなかったので、然るべき反応なのだが。
直後。男の顔から怒りは消失し、次に浮かぶのは苦笑い。
しかしながら、怒りそのものが消失した訳ではないらしく、男は確かにイラついた様子で呟く。
「坊主。いまは結構真剣な場面だろうがよ。真面目にやろうぜ真面目に」
「む。大真面目だよ。そっちが質問に答えてくれなきゃ、俺だって答えを見つけられない」
たぶん、俺だけでは男の問いに対する答えには辿り着くことは出来ないだろう。
なら精々、男を利用させてもらうことにする。
男はさっき俺が質問したときのように、肩を組んで思考しているようだった。
それでも答えが出ないのか、組んだ肩をほどいて右手で顎を触って左上と右上を瞬きを挟んで交互に見るという奇妙な仕草を取っている。
そのまま、数秒間思考してから不機嫌そうに口を開いた。
「……理由なんかねぇよ。なんとなくだ」
あまり驚くことはなかった。
多分、この人ならそう答えると分かっていた。
「それだよ、“なんとなく”だ。俺にも理由なんてない」
疑問がスッ、と消えていくような音がした。
なんとなく──そんなもので良かったのだ。
明確な理由があったわけではない。ただ、漠然とした意図があっただけ。
あまり考えることではなかった。
「ただ、あえて理由を作るなら────」
その漠然とした意図に言葉というカタチを与えろと言うのなら───
「アンタに、“ちゃんと”勝ちたいと思ったから……だと思う」
敵やら味方やら、善人やら悪人やらの以前に。
俺にとって男は……白土さんは尊敬すべき人間なのだ。
その剣技も、精神も、在り方も、その全てが好ましい人間だった。
俺はこの人を越えたいと思ったから。
全霊を尽くして、白土さんに勝ちたいと思ったから。
だから、アレは────────────
「アンタに対する……俺なりの敬意だ」
言い切った。
これが、ここまでが白土さんの質問に対する回答。
俺だけが出せる、俺だけの回答だ。
「……」
巨漢はぽかん、ともう少しで顎が外れそうなくらいの大口を開けていた。
それで俺を不思議そうな目で見つめていた。
もう……見るだけで緊張感が途切れて薄れていきそうな表情をしている。
「ガハハハハハハハハハハッ!!」
直後。
白土さんは大声で笑いだした。
人払いの結界がなければ、大勢の人が野次馬として来るであろう程の大声で……
「本当に表情のバリエーション豊富だな……アンタ」
「いや、悪りぃ悪りぃ。でもよ。これが笑わずにいられるかよ……ブフッ」
悪いと思ってるなら吹き出さないでほしいものだ。
そして、吹き出したあとにまた大きな笑い声が響いた。
巨漢はその巨体をフルに生かして、なんともダイナミックな笑い方だった。
「はぁ、はぁ、はー、笑った笑った……本当に悪かったなぁ。お前がどことなく仲間に似てたもんでよ」
一通り笑いを吐き出した後で、白土さんはそんなことを言い出した。
その一言への俺の感想は決まっていた。
「それと笑う理由にいったいどんな関係があるんだよ」
「いや、それがその仲間ってのがとても面白い奴でよ。そいつに似てるお前も面白いってことだろ?」
……これほど人に笑われて納得がいかない理由が他にあるだろうか。
というかそれ以前に、真面目にやろうとか言ったはずの本人がふざけて真面目な空気を壊しかけているのはどうなんだろうか。
「あぁ、そうだな。お前さんがそんなことを考えているとはな」
俺の呆れた視線を気にも留めず、男は大剣を振りかぶった。
その動作を見た俺は、すぐさま後ろに跳び夫婦剣を構えて警戒を強める。
「忠告すると、お前さん。距離をとったのは間違いだぜ」
「何をするつもりだ……」
どう考えても大剣の射程からは外れている。
そこから剣を振りかぶって、どうやって攻撃するつもりだ────!?
「忘れたのか?俺は魔術結社の一員なんだぜ?」
この剣戟の最中に忘却の隅に置いていた前提を突きつけて、白土さんは大剣を地面に叩きつける。
地面が割れ、そのヒビが俺の足元まで侵食する。
胸にズドンッ、と強い衝撃が響く。
────直後、視界が変転した。
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Day3-5 決闘/男の世界
ただ、書いてるうちにどんどん妄想が広がって気付いたら終わってなかった。
本当に予定がガバガバだなぁ。
という訳で、あと1話は確実に投稿します。
取り敢えずはこれをおもしろくなっていると幸いです。
地面が冷たい。
視界が揺れた数秒後に飛び込んできた感覚だった。
続いて、背中に激痛が走る。
「ガッ!!?」
肺の中の空気が1cc残らず外に逃げていく。
視界がぼやけている。
呼吸もままならない。
陸に打ち上げられた魚のような感覚だ。
どうやら大剣ごと持ち上げたときのように、吹き飛ばされて地面に叩きつけられたらしい。
しかしその衝撃は先程の比ではない。
そのうえ、受け身もまともに取れなかった。
骨は折れてはいないようだが、ヒビは入っているかもしれない。
「ハッ、いっ……たい」
なにをされた。
白土さんが剣を振り下ろした場所と俺が立っていた場所の距離は離れていた。
走れば数秒で埋まる距離ではあるが、剣を振り下ろされた場所は明らかに大剣の射程距離からギリギリ外れていた筈だ。
なのに、白土さんが剣を振り下ろした直後に俺は吹き飛ばされて仰向けに倒れている。
あまりにも不可解だが、それがどういう現象であるのかの答えは得ている。
──忘れたのか?俺は魔術結社の一員なんだぜ?
大剣を地面に叩きつける直前に、白土さんが俺に言った言葉。
今の現象は間違いなくなんらかの魔術によるものだ。
「……はぁ……はぁ……」
それがどんな魔術なのか調べるのはひとまず後回しだ。
今の最優先にするべきことは新しい空気で肺を満たすことだ。
でないと、視界も思考もぼやけたままだ。
はやく脳に新鮮な酸素を届けてやらないと、まとまらない思考で答えが出る訳がない。
「おいおい坊主。そんなにのんびり倒れている時間なんかねぇぞ!!」
「って、ヤバッ!?」
そういや、白土さんがいるってこと忘れていた。
巨漢の追撃を転がって回避しつつ立ち上がり、そのままその体勢が出せる全力で横に跳躍した。
「まだ終わらねぇぞ!!」
その言葉とともに、俺の足元までアスファルトにヒビが入る。
また、俺を吹き飛ばした“なにか”が来る────!?
あの威力は何度に喰らってはいられるものじゃない。なんとかして避けなければ。
そう判断して、今度は後ろに跳ぶ。
「なっ!?」
直後。
俺が居た場所で途切れたアスファルトのヒビから、ガッシャァァンという轟音とともに地面がかなり角度のある三角形で言うところの斜辺のような歪な形が一瞬もかけることない速度で盛り上がった。
3歩後ろに着地して、すぐに双剣を投影して構える。
間一髪。今度はギリギリだが避けることができた。
敵が突き刺さった大剣を引き抜く動作を警戒しながら、さっき俺が吹き飛ばされた場所を確認する。
やはりそこでも同じように地面がせりあがっている。
「これって、もしかして……」
「ほらほら、余所見なんてしてる余裕なんかねぇぞ!!」
「く……」
ゆっくり思考してる時間はないか。
さっき魔術が使われた二度の状況から考えて、ある程度の距離がなければあの攻撃方法は使えない筈。
「なら、最速で懐へ飛び込むまでだ……!」
判断を下して、駆け出した。
「成る程なぁ。距離を詰めればあの攻撃は使えないと判断した訳か。まだこの攻撃を二回しか見てないのに懸命な判断だな」
「一々口に出さないと気が済まないのかアンタは!!」
吐き捨てながら、全速力で突進する。
その数秒後には男の懐へと潜り込んでいた。
迎撃に放たれる逆袈裟斬りを突進の勢いを乗せた莫耶で上へと跳ね上げる。
この状況なら、さっきの魔術を使っている時間はない。
もう片方の干将で袈裟斬りを放つ。
今度こそ胴体を斬り裂いて勝負を決める─────。
「悪いな。こいつにはこういう使い方もあるもんでよ!!」
そう言って、巨漢は大剣を強引に地面に突き刺した。
二度あった魔術と同じように、アスファルトにヒビが入る。
だが、白土さんの魔術よりも速く、俺の剣が胴に届く。
「貰った!」
直後。
干将に硬い衝撃が走った。
少なくとも、人体を斬り裂いた感覚ではない。
「なに!?」
視界に映ったものに驚愕する。
白土さんと同じくらいの大きさの岩の壁に干将が深々と突き刺さっていた。
あの一瞬で自分と俺との間に岩の壁を作って、俺の攻撃を防いだというのか。
だとすると、視界に白土さんがいないのはマズイ。
早く剣を引き抜いて、この場を離れないと。
「ふんっ。くそっ。剣が抜けないっ!?」
今の俺の力ではこの剣は引き抜けないみたいだ。
だったら仕方ない。
この干将は一旦消して、距離をとってから投影し直すしかな───────。
「お~らよ!!」
剣を消して、後ろに跳躍しようとしたその時。
掛け声とともに繰り出された大剣の一撃は岩の壁の上半分を砕き、その瓦礫が飛んできた。
身を捻り、出来る限り体勢を低くする。
ドォォンッ!!!。
破砕音とともに飛んできた瓦礫群は俺の髪を掠めながら、その路地の突き当たりにある建造物の壁を破壊した。
あんなのをまともに食らったら大怪我どころじゃ済まないぞ。
「手ごたえはねぇな。ならもう半分に居るってことか」
「しまった!?」
この体勢ではもう先程のようには躱せない。
かといって、たとえ干将を投影したとしても瓦礫群を全て叩き落とすのは無理だ。
回避も捌くのも不可能。
なら、全て真正面から防ぎきるしかない。
結構賭けになるが、一番可能性が高いのはこれだ。
「──体を剣で出来ている」
右手に残った莫耶を消し、詠唱で頭の中の雑念を消し、ただひたすらにイメージを研ぎ澄ます。
「じゃあ、もう一発行くか」
男は言葉とともに大剣を握る右手を高々と掲げる。
さっきの攻撃がまた来る。
展開が一瞬でも遅れたら死ぬ。
「間に合ってくれよ……!」
「そぉ~ら!!」
頭上に翳した大剣を勢いよく振り下ろした。
その軌道は、岩の壁の残った下半分を砕き、砕かれた瓦礫はさっきと同じように飛んでくる。
それから一秒もかからずに瓦礫は俺に激突した。
轟音と響き、砂煙が舞う。
「まだ情報が揃ってないなかでは懸命な判断だがな。それだけじゃ半分なんだよ。まぁ、防いだみたいだがな」
砂煙が消え去ると同時に白土さんは語りかける。
「……それでも、ここまで飛ばされましたけど」
俺の持ちうる中での最高の盾。
咄嗟の展開だったので花弁二枚が限界だったが、なんとか間に合わせることができた。
しかし、飛んできた瓦礫程度で花弁は一枚も割れることはなかったが、踏ん張っていたというのに2~3mは衝撃で飛ばされた。
とはいえ、目立った怪我を負わなかっただけ幸運だと考えるしかない。それに、このおかげでなんとなくだが白土さんが使っている魔術の正体を掴みかけてみた。
「でもよぉ、距離が出来たらこれが飛んでくるんだぞ!!」
三度、剣が地面に突き刺さる。
アスファルトに入るヒビが迫ってくる。
俺の予測が正しいのなら、この攻撃の予測して避けることは不可能だ。
より正確に言えば、これは俺の位置を狙って攻撃してきている筈なのでただ回避行動をとるだけでは位置を修正されてしまって終わりだ。
避けるには、さっきの偶然のようにギリギリまで引き付けてから俺の位置を“ズラす”しかない。
目測だが、ヒビが俺に到達するまで2秒程か。
「……」
あと1秒。
当たり前だが……練習してる暇はない。
失敗すれば待つのは敗北。
重要なのはタイミング。
早すぎても遅すぎても俺に命中する。
意識を研ぎ澄まして、そのタイミングのみに集中すればいい。
「そこだ!!」
ヒビが俺に到達する直前。
適当な剣を投影して、ヒビへと投げつける。
そして、一歩後退する。
剣が刺さった場所から真っ二つに裂けた岩盤が現れる。
「……やっぱりだ」
投げた剣に大して意味はない。
強いて言えば、岩盤を切り裂けるほどの切れ味があって、出来るだけ早く投影できるものを選んで投影した。
出てくる地点に障害物を置いても、それを突き破る形で出てくる。
例えばぬいぐるみとかならさっきの俺のように吹き飛ぶだろうが、剣みたいな鋭い障害物が深々と突き刺さっていたなら岩盤は裂けた形状で出てくる。
そして、ここにきてもう一つ分かったことだが、盛り上がった地面の周りは溝のように沈んでいる訳だ。
アスファルトのヒビからうっすらと空洞が見える程度しかないので、裂けた岩盤を間近で見るまで気付かなかった。
それと、地面が裂けて盛り上がったということは“ただ”盛り上がっている訳ではなさそうだ。
考えてみれば、当然だろう。
ただ地面が盛り上がっただけならばあんな斜めにせりあがる訳がないのだ。
「その様子だと、もう俺の使う魔術がどういうものなのかはなんとなくわかってるみたいだな……」
好戦的な色を帯びた笑みで白土さんが聞いてくる。
歪な速度と形状で盛り上がった大地。
そしてなにより、剣を投げたところから裂けてから盛り上がってきた岩盤。
つまり、白土が起こしている魔術現象は─────
「自分の狙った位置の地面を、一回“沈み込ませて”から隆起させているのか……?」
「……正解だ」
俺の導き出した答えに白土さんは肯定する。
そのまま男はアスファルトに深々と突き刺さった剣を片手で容易く引き抜き、肩にのせる。
「この剣は三層構造になっててな。真ん中の層には“大地”“流動”“固定”っていう俺のオリジナルのルーンが刻んである。こいつを地面に突き刺して魔力を通せば、狙った場所の地面を液状化してから盛り上げるって寸法さ」
「……っ」
続けてご親切にそれがどんな原理かも教えてくれた。
ただ、呆れるよりも先に白土さんの言葉に戦慄する。
白土さんの言っていることが事実なら、剣の射程なんてあってないようなものだ。
当然ながら、近付かなければ剣で斬るどころか、剣戟にだって持ち込めない。
接近戦であの馬鹿力を受け流して一撃を入れるので精一杯なのに、距離を取ったり、弾かれた先にあのルーン魔術が待ち構えているのでは、とても捌き切れない。
一つ一つなら対処はそう難しいことではない。
だが、近距離でもルーン魔術はさっきみたいに岩の壁を作ることもできる。
もし発動されてしまえば、攻撃を防がれるだけでなく、剣が突き刺さったら俺の筋力では引き抜けないので、相手の反撃に対する防御の初動が遅れるし、岩の壁で白土さんの姿が見えなくなるなど、俺が一気に窮地に立たされる。
さっきの防ぎ方も、もう少し練習すれば感覚を掴めるかもしれないが、まだ意識を集中させないと出来ないだろう。
あの豪胆無比の剣術に、いまだ射程の上限が見えないルーン魔術。なんて凶悪な組み合わせなんだ。
結論から言って、今の俺で白土さんの全力に対処することは不可能だ。
だとしても、ここで逃げるわけにはいかない。
明日からの行動を制限されるだけではない。
当麻を守るという意思と俺自身の力を、自分にも敵にも刻みつける為にも、ここでなんとしても白土さんを打ち倒さないといけない。
勝つ為に……するべきこと。
近距離でも遠距離でも驚異は消えない。
────────なら。
「……なら、一旦近付くのは止めだ!!」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
白土佐薙は困惑していた。
今、自分の目の前に立つ敵はなんと言ったのか。
白土は大抵のことでは動揺や困惑を見せない。
より正確に言えば、そもそも気にしない。
戦いには自分と相手、そして互いの得物さえあれば成立すると考えている。
その動機や理由は、戦いが始めれば意味はなくなるとも。
そんな考えを持つ彼が……いや、だからこそ彼は目の前にいる少年の言葉に困惑していたのだろう。
『……なら、一旦近付くのは止めだ!!』
赤毛の少年は確かにそう言った。
少年の得物はあの双剣だ。
あれほど高度に練り上げられた剣技は、十分強敵と言わしめるものだ。
だというのに、その近接戦を捨てると言ったのか……?
「まさか……剣を投げるとか、そんな馬鹿みてぇなことするんじゃないだろうな?」
「まぁ、当たらずとも遠からずですかね」
そう言って、敵が手に現れたのは何度叩き折っても取り出してきた双剣ではなく、弓だった。
弓を手にした少年は、すぐさま二つに割れた岩盤の間に突き刺さった剣を引き抜き弦を引いて弓を引き絞る。
「──
少年が言葉を虚空に放つと、剣はその構造を矢のように造り変えた。
ただ。弓なんて武器をこんな距離で使うなど愚の骨頂。
そもそも狙撃というのは、遠距離から気付かれずに標的を暗殺する為のものだ。
つまり、座っていたり、演説中といった相手が動いていない。あるいは、歩くなんてゆったりとしたスピードで動いているのが前提条件になる。
もし気付かれ、走られたりすれば、それだけで命中させる難度は爆発的に跳ね上がる。
まして、視覚的に動きの幅が広がる近距離ならば尚更だ。
標的との距離が近ければ近いほど狙撃難易度は上がるというのに、少年は弓による攻撃を選んだ。
このまま、左右に素早くステップを刻んで撹乱しながら距離を詰めれば終わる。
「……」
と、通常のセオリーから考えればそうだが、少年はそのリスクを侵してまで弓を使う道を選んだ。
ここでセオリー通りに戦うのは逆に危険。
ないより、そうやってちょこまか動き回るのも、深く考え込むのも柄ではない。
「ハッ!こういうときは直感に限るよな!」
変に動いて相手に打つチャンスを与えるよりも、敵が矢を放つ前に斬り伏せる。
その方がよっぽど彼の性に合っている。
相手がどんな策を弄していようと関係ない。
如何なる策も、己が肉体に宿るものを極限まで鍛えた力と技で突破する。
これこそが、白土佐薙の戦い方────!!
「この程度じゃビビらねぇか……」
とはいえ、想定外の動きで敵が動揺してくれるのを期待していなかった訳ではない。これで驚かないのなら、敵は白土がこういう対応をすると、薄々感づいていたようだ。
しかし、こうして白土が走り出した以上、敵は一撃で決着を着けなければいけなくなった。
その為に狙う位置は限られる。
これならば、たとえ敵のほうが先に矢を射ったとしても、一発程度ならなんなく弾ける。
白土の直感は意図せず、地の利を味方につけていた。
シッ。
先に仕掛けたのは、敵だった。
白土に矢が向かっていく。
矢が確実に貫けて、一撃で仕留められる位置。
ここまで条件が出来れば、自ずと狙いは見えてくる。人間の身体でそんなところは一つしかない。
「頭だろ!!」
巨漢は野生の動物が威嚇するように叫ぶ。
その直後に大剣の広い刀身で頭を隠す。
矢は白土の予測通り、頭を目掛けて直線で向かっていき、大剣に弾かれ、回転して弧を描いたあと五歩後ろに突き刺さった。
「このまま……」
白土は突進の速さを緩めない。
大剣の間合いが少年に到達するまで三秒とかからない。
敵には攻撃を防がれ、己の身は守る術はない。
攻防は決着が着いた。
この戦いの決着も。
それが、望まぬ結末であったとしても─────。
ドスッ。
「ガッ!?な、に……」
着く筈だった。
しかし、白土の身体に走ったのは敵の肉体を砕いた勝利の手応えではなく、生々しい音の衝撃と鋭利な痛み。
痛みの源流は脚からだった。
より絞った言い方をするなら、太ももと膝の付け根。
このままに無理に動くのは得策でない。
白土は立ち止まって痛みの始まりのほうへ視線を落とすと、矢が突き刺さっていた。
さっき弾いた矢とは僅かな差だが、より鋭く、身体を貫くのに特化した形状をしている。
「そういうことか……」
自分の身に起きたことを瞬時に理解する。
最初に頭部に射られた矢は
当たれば即死の
少年が狙っていたのは、一撃必殺ではなく自分の機動力を奪うことだった。
これからどう動くにせよ、痛みがあれば動きが鈍る。
恵まれた体格に任せた豪快な突進や踏み込みを多用する白土の戦い方には大打撃になり得る────。
「……ふぅ」
狙い通りに矢が命中したことに安心したのか、静かに空気を吐き出す。
そして、琥珀色の瞳で白土を捉えながら少年は宣告する。
「言っておきますけど、的が動いていようが自分が動いていようが、そうそう外しませんよ。俺は……」
成る程。
少年の言葉には積み上げてきたものからくる確かな自信を感じる。
これはかなりの弓の名手と見た。
その練度はあの剣技にも匹敵し得るものだ。
弓に切り替えた少年に対して強引に距離を詰める判断は間違いではなかったが、それでは敵の策を打ち破るには足りなかった。
それが事実。
終わった今更になって選択に対する後悔なんてしていられない。
悔恨を重りにして歩みを止めていては敵の少年の思う壺であり、少年の期待を裏切ることになる。
少年は白土に対して“ちゃんと勝ちたい”と言ってくれた。
その期待と敵の力に対する敬意に、全霊を以て答えるのが“魔術師”や“魔術結社の一員”である以前に、“戦士”である白土がするべきこと。
今は歩みを止めることなく、次の手を考えることに全ての思考を注ぐしかない。
「なら……!」
それから、白土が次の手を考え付くのは早かった。
飛んでくる矢を弾くのは、白土の動体視力と野生の勘を以てすればそう難しいことではない。
しかし、少年は自分が動いていようと正確に狙うことが出来るとも言っている。もし矢を弾いている間に懐に入られ双剣で斬りかかられては対処が出来ない。
かといって、動くには突き刺さった矢を抜いて止血しなければならない。
少年の放つ矢から防御しながら、一瞬でも少年の視界から外れることが出来れば。
「そぉらっ!!」
岩の壁。
白土の持ち得る技術のなかで攻撃を防ぎながら、敵の視界から外れることのできる唯一の方法。
大剣を振り上げ、地面へと叩きつけようと────
「みすみすやらせると思いますか……」
「く……!」
するが、大剣が大地に接触する寸前に、キィンという金属がぶつかり合う音とともに矢で大剣が弾かれた。矢は一本目や僅かに差異があった二本目とは違い螺旋状の形状をしている。
空気抵抗が少なくなり、矢が飛んでいく速度が格段に速くなっている。
一歩引いて状況を観察できるから、こっちの攻めの手を悉く遮られる。絶えず“後の先”をとられ続けている。
上へと跳ね上げられた大剣は右側のビルのコンクリートの壁に激突した。
さらに少年は続けて矢を射る。
放たれた矢が身動きが取れない白土に迫ってくる。
白土の最初の手は潰され、逆に敗北の崖っぷちに立たされている。
しかし、既に第二の手は進行している。
「へっ、詰めが甘ぇ!!」
瞬間。
ビルの壁に亀裂が走る。
亀裂は次々に下へと波及し、白土の足元で完全にヒビ割れ、その隙間から岩の壁が生まれる。矢は岩の壁に突き刺さり、白土の身体を射抜くことはなかった。
「アスファルトとかを介して間接的にでも地面に触れてるなら、どこだって発動できるんだぜ」
「本当に厄介ですね。その魔術……」
岩の壁で隔たれているので少年の顔は見えないが、険しい表情をしているに違いない。
それと、少年の言葉は褒め言葉として受け取っておこう。
敵が厄介という言葉や険しい表情ほど、白土が積み上げてきたものへの称賛の裏返しになる。
「こっちもなんとなくわかってきたぜ……お前の能力」
刹那の攻防ではあったが、これまで培ってきた経験と野性的直感が少年の扱う弓の性質への理解が早くも輪郭を帯び始めてきたようだ。
わかったことは二つ。
「一発ずつしか撃てねぇってのが、弓の欠点だよな……坊主」
弱点と呼べるものではない。あくまで弓という武器の性質上の欠点。
それは、矢を射るために弓を絞るという動作が絶対に必要だということ。
連射がほぼ不可能なのだ。
少年の弓の速射性や、狙いの正確性は確かに驚異だが、どんなに射られた矢と矢の間隔が狭くても、飛んでくる矢は一発ずつ。
少年の扱う弓は、あくまでただの弓だ。それ自体に、なにかの魔術的加工が施されている訳ではない。
むしろ問題なのは矢をほうだ。
今まで少年が撃ってきた矢は、剣の構造を変化させてやにしている。その過程でなにか仕込んでいても不思議ではない。
それがわかったからなにかが変わるかと言われればあまり変わらないが、少なくとも判断の間違いは格段に減る。
「……あともう一つ」
そして、二つ目に分かったこと。
「ねぇんだろ……この状況で俺を倒せる矢がよ」
先程なにか仕込んでいても不思議ではないとは言ったが、それでも白土の肉体をを一撃のもとに撃ち砕けるほどの矢を少年は持っていないということ。
無論、それが少年のブラフである可能性や単純に様子を見ている可能性も否定は出来ないが……。
それでも、白土の直感がそうだと告げていた。
「……当たりだよ」
「“それ”、敵の俺に言っていいのか?」
「む。一々敵に誉めたり自分の魔術をご丁寧に説明するようなアンタにだけは言われたくないな」
「ごもっとも。こりゃ一本とられたな」
色々と破天荒な白土の正論になど説得力はない。
まぁ、どちかといえばこの状況で正論を言っているのは少年のほうではあるが……。
むしろこんな気の抜けた会話は、彼が戦いを心の底から楽しんでいる証拠なのだ。
実際、白土の顔には獰猛な野獣が威嚇に使うときのものに、笑みを混ぜ合わせてたような混沌の表情が張り付いている。
この状況を巨漢は楽しんでいる。
互いに持ちうる技術を最大限に活用して勝利を掴もうとする。その技術が互角であればあるほどいい。勝敗が誰にも分からないほど拮抗していると最高だ。
白土にとってこの戦いは極上の時間だ。
「それに……言ったでしょう。アンタに“ちゃんと”勝ちたいです」
「────」
「なのに、俺だけ手の内のいくつかを知っているのは不公平だ。違うか?」
これもまた正論だった。
が、彼にとって正論はどうでもいいこと。
自分達が不幸な少年を標的にしている理由も同様。
今この瞬間だけは、心の赴くままにこの戦の愉悦を味わい、そのうえで少年を打ち砕く。
それだけでいい。
それだけあればいい。
「坊主。まだ倒れてくれるなよ……!」
「こっちはさっさと倒れて欲しいですよ……」
期待を込めて放った一言に、少年が少し不機嫌そうに文句を垂れる。岩の壁で隔たれていているので表情は拝めないが、きっと言葉に込められた感情と同じくらいのしかめっ面をしているに違いない。続けざまに愚痴をもう一発。
「まぁ、この戦いは長引きそうだけど」
「そりゃいいや」
言い終えた直後
ガシンッ、という激突音が岩の壁から響いた。
少年がまた矢を放ったらしい。
「一応捕捉しておく」
「……?」
「正確にはアンタを倒せるだけの矢はあるんだ。けど、この距離じゃ俺も無事じゃすまないし、近くの建物だって倒れるかもしれない……こっちだって事を大きくなんてしたくない」
大事にはするな。
隠密に行動しろ。
あの堅苦しい眼鏡がこっちの耳が痛くなるほど繰り返していた言葉。
魔術は本来人に触れていいものではなく、科学の街でなんて以ての外だと。それは白土だって理解していたし、今までの人生で繰り返してきたものだ。
「でも、もう少し矢のランクを落とせばアンタを倒すことは出来ないだろうが、目眩ましになると思う」
直後。
岩の壁が破裂した。
いいや、違う。矢が爆発したのだ。その衝撃で岩の壁が砕けてこっちに飛んできた。それは先程、白土が岩の壁を大剣で破壊して攻撃したものと同じだった。
「チッ」
舌打ちしながら全力で後方に跳躍しながら、腕力に任せて大剣で振り回し、飛んでくる破片を薙ぎ払う。大部分の破片を弾き飛ばせば、あとはぶつかって全て吹き飛ぶ。
当然だが、恵まれた体格を持つ白土のような人間にしか出来ない荒業である。
そんな荒業で窮地を乗り越えてきた。
「さっき俺の攻撃を参考にしたのか…ハッ!面白れ──」
すぐに敵の方を視線を移し、威圧するように狂暴に叫んだが、言い終える前に言葉を切った。
直前までいた筈の少年の姿が見当たらなかった。影も形も、あったのは瓦礫や隆起した地面などの戦いの痕跡だけ。だが、それが少年が直前まで居たことの証明になる。
逃げたのか。いや違う。ここで撤退したところでメリットなんてなに一つない。
なにより、矢が爆発する前にまだ戦いは長引くと少年自身が言っている。例え逃げたとしても戦闘そのものを放棄した訳ではなさそうだ。
「人払いの結界がどの程度の範囲かは坊主だって分かっている筈……この路地からは出ていない」
結界の範囲外に出たのならすぐに分かる。
それがないということは、まだ近くにいる筈だ。
白土は魔力で相手を探知するのは不得手であるが、探知能力が低いわけではむしろ高い部類だ。な敵が空でも飛んでいない限りは見つけられないものはない。
「そう簡単に隠れられると思うなよ。坊主……!」
そう言って、剣を地面を突き刺した。
魔力を流して任意を場所の地面を持ち上げているのだ。それを応用して魔力を反響させれば地面のうえになにが乗っているのかだって簡単に把握できる。
流す魔力の強さで事細かに探知することもできるが、今は大まかに位置さえ掴めればいい。微弱な魔力を人払いの結界の範囲ギリギリまで拡散させる。
発見できた人間は5人。
三人倒れている。それはさっき喧嘩を吹っ掛けられたので躾に吹き飛ばしたチンピラどもだ。一人建物のなかで椅子に座ってなにかを飲んでいる。これも違う。少年より一回り背が低い。そもそも座って休めるような猶予はなかった。
となれば……
「へぇ、案外近くにいたんだな」
白土が視線を向けたのは正面のビル。
階層は五階まで、さっき白土が岩の壁の破片に壁のコンクリートが砕け、中が丸見えになってしまっている。おそらくあの穴を使って中に入ったんだろう。
中にはいくつかの会社のオフィスのようなものや、駄菓子屋のようなものもある。こんな時間なので全部閉まっているが。
つまり。
中には誰もいない。少年は知らないだろうが、逃げ込むには打ってつけの場所という訳だ。
中は暗闇で、少年は走っていたのでもう探知した位置にはいないだろう。迂闊に飛び込むのは愚策だが、このまま時間を与えて、待ち伏せや罠を仕掛られるのは面倒だ。
「さて、続きと……」
罠を張られる前に強引に突破する。
それが最善の策だと決断して、ビルの暗闇に飛び込もうと一歩を踏み出すと、鈍い痛みに脚に走った。
「あぁ、そういうことか」
脚にはまだ矢が突き刺さっている。
何故少年が脚を狙ったか。機動力を奪う他にもう一つ狙いがあったようだ。
「時間稼ぎか……」
このまま脚を矢が突き刺さっている状態で、痛みに苛まれ機動力が半減している状態でビルの暗闇に飛び込むなど、愚策どころか無策無謀だ。
脚の応急手当をする時間。矢を抜いて止血するまで、少なくとも五分は掛かる。
その間は逃げ放題だ。
おそらく安全地帯まで逃げて、白土を倒すための策や体制を整えるのだろう。
取り敢えずは矢を引き抜く。
「こりゃ……坊主の言うとおり長引きそうだ」
痛みに眉を潜め、それを誤魔化すために薄ら笑いを浮かべながら白土はそんなことを呟いていた。
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Day3-6 反撃/起死回生の一矢
まずはすみません
数ヶ月失踪しておいてホント計画ガバガバだな。
取り敢えずは最近書くのサボって失踪していることに定評があるであろう僕氏です。
まぁ、定評もらえる程支持されてないがナ!!
あと、それなりに浅い設定を後書きに載せておきます。
少年がビルに逃げ隠れてから5分が経過してから、白土は矢を射られた脚に応急手当を施して、敵が追ってビルに突入した。
白土は明かりのないビルのなかを歩いている。
窓から差し込む月明りのおかげでなにも見えない訳ではないが、数m先は黒が世界を支配している。この暗闇に目が馴れるのはまだ少し時間がかかりそうだ。
人間の感覚のなかでもっとも重要な視覚に頼れない今、むやみに走り回ることは出来ない。なにせ少年がこのビルに姿を消してから5分が経っている。この建物の狭い通路に罠を1つ2つ仕掛けて待ち伏せるには5分は十分すぎる時間だ。
事を焦り、迂闊に動きまわって罠に嵌ったなんてことになれば、笑い話にすらならない。
落ち着いて進まなければならない。但し、慎重になりすぎてもいけない。慎重が過ぎて及び腰になり、チャンスを逃してしまうなんてことも避けたいし、そういう姿勢を白土は好まない。
適度に緊張感を持って、少なくとも暗闇に目が馴れてくるまでは動きまわる訳にはいかない。
「……だがよ。ここじゃ俺のほうが有利だぜ」
白土が言うとおり、彼には一つアドバンテージがある。
さっき敵を探知したときに彼はその副産物として、調べておいた。あくまで本筋には関係なかったが、知っておけばここからの戦いを有利に進めることが出来るカード。
建造物の構造。
この建物がいくつの層から成るものなのか。どこにどんな部屋があって、そこになにが置いてあるのか、どんなところに曲がり角や突き当たりがあるのか。それを大まかだが把握出来たのだ。
五階建てで階段は二つしかない。エレベーターもあるが今は停止している。部屋は各回に四つずつだ。建物自体の曲がり角は意外と多い。隠れる場所も多い。
トラップ。待ち伏せ。奇襲。他にもこの建造物で取れる行動はいくつかある。
敵の策を予測するには情報が必要だ。詳しい情報があれば、そこから敵のしたいことを絞り込める。情報は多ければ多いほどいい。
白土は現在二階にいる。
一階にはいなかった。念のため、このビルに入った段階でさっきの探知をもう一度、今度はビルの一階だけに絞って使ったので探し歩くまでもなかった。
とはいえ、建物は五つの層で区切られているのだ。一つの可能性を潰せても単純に引き算したってあと四つ残っている。
安心は出来ない。罠があるかを逐一調べていかなければいけないのだ。
罠があるかどうかを調べ方は単純で、岩の壁の瓦礫を石と呼べるサイズにまで砕いて、その一つを着物に忍ばせてきた。突き当たりなどの罠があると考えられる場所に来れば、それを投げてなにもなかったら石を拾って前に進む。これの繰り返し。
この石は手元にある。少年はいない。
まだ敵である白土がなにかを隠している可能性を警戒したのだろうか。だが生憎、白土に出来ることは全てやり尽くした。剣技という名の豪胆すぎる喧嘩術に、大地を持ち上げるだけののルーン魔術。
これだけなら、そこまで驚異には感じないだろう。
だが蓋を開ければ、シンプル過ぎるが故に応用力も高く、詠唱の必要がない分より実践に特化させてある。なにより、敵の策を強引に突破できるだけの出鱈目な身体能力に組み合わせればその破壊力は極大にまで膨れ上がる。
手数が少ないのは、それだけで十分だという自負。
この技だけあれば、大抵の敵には負けないという確信。
二つを掛け合わせたものを人は自信と呼ぶ。
その自信が彼の歩みに力をもたらしている。これは勝利への凱旋であると───────
「……待てよ。もしかしたら、坊主のほうも動き回っているのかもしれねぇ」
二階を調べ尽くして、ふと頭によぎった可能性。
それが言葉となって虚空に消えていく。
二つの階段ある。
一方が昇っているとき、もう一方が降りている可能性がある。無論、その逆もあり得るし、昇っているときに少年がさらに一段昇っているというのもあり得る。もしかすれば同じ階層で動き回っているから見つけられなかったのかも。
要は少年も動いている可能性。
普通に考えれば、動けばその分だけ遭遇するリスクが高くなるので動かず待ち伏せするほうがよっぽど懸命な判断だ。そんなリスクは今の白土のように追ってきた者だけに押し付ければいい。
だがそのリスクはある条件──敵も自分と同じように白土の位置を正確に把握する術を持っているという条件が加われば、一転してこちらをいくらでも叩けるチャンスに変わる。
「……悪い癖かな。こりゃ───」
白土は自分の思考を反省する。
魔術という学問が世界の裏側の深いところにあり、自分が触れているからか、それとも長年積み上げてきた自信から来る弊害か、自分に出来ることが特別なことだと無意識のうちに思ってしまっている。
なんにせよ、
「まぁ、考えても仕方のねぇことだな。こればっかりは……」
目の前に投げ捨てられた結果は変えようのない現実だ。
受け入れるほかない。
しかし、自分の意識の外にあるものを推測で迫っていったところでそれはあくまで予測だ。確証がある訳ではない。この予測の真偽が分かるのは、次に敵が仕掛けてきたときだけだ。
そう思考を打ち切って、白土は階段を昇る。
デパートや学校でよく見る二回に分けた折り返し型の階段だ。窓もないので切り返しが死角になっている。
「一応、確かめておくか」
そんなことを呟きながら、石を投げて罠があるかを確認する。
反応はない。
取り敢えず罠は仕掛けられていないようだ。肩を下ろして安堵のため息を吐いてから、すぐに警戒階段を戻して一段一段力強く踏み締めて昇っていく。
そして半分を昇りきり、外側から出来るだけ全体を見渡せるようにゆっくりと弧を描きながら階段の折り返しへと進む──────
「むっ!?」
キィン。
白土が視界に入った瞬間に、両手に剣を持った少年が一直線に突進してきた。
その勢いのままに右手に握られた小太刀を横一文字に振るう。対して白土は左斜めからの袈裟斬りで少年の一撃を弾いた。
剣の激突による甲高い金属音が腹の奥まで響く。
敵の選んだ行動は奇襲だった。
意識外から攻撃して一気に押し切るつもりだったようだが、ギリギリ防ぐことができた。警戒しておいて正解だったようだ。
さて、出鼻は挫いた。
奇襲は相手の動揺を誘わなくてはならない。故に、初撃を命中させることは絶対条件。白土のような多くの経験を積んだ者が標的なら尚のこと。
もし奇襲に失敗したなら、起こそうとした混乱の『波』に自分が飲み込まれてしまう。
丁度、今の状況のように──────
「そぉら!!」
自分に傾いた流れを逃す訳にはいかない。すかさず防御から反撃へと転じる。
白土は大剣を振り下ろした軌道を巻き戻すように反対側から斬り上げた。少年は残った左手の小太刀を袈裟に斬り下ろすことで防御するつもりのようだ。
しかし、一つの小太刀で対抗できるほど白土の振るう大剣は軽くはない。
このまま激突すれば少年が打ち負けるのは明白。
しかし、少年の表情に焦りも諦めも感じない。その眼差しには確かな闘志があり、逆立った赤髪が燃えているかのように錯覚させる。
少年の顔つきに違和感を覚えてから一秒も経たないうちに、白土の大剣と少年の小太刀が激突した。
「─────っ!?」
白土は眼を見開く。
剣が交わったのと同時に、少年は後ろに跳んだ。自分の喉元へとせり上がってくる大剣の鉄塊の圧力に負けないように踏ん張ろうとするのとは逆に。
地面を蹴って手放したのだ。
しかし、もう白土の剣の軌道が止まることはない。そのまま大剣を真上に斬り上げる。
少年の身体は当然、上へと弾き飛ばされた。
が、そうやって吹っ飛ばされることこそが少年の狙いだったのだと白土は悟る。青髪の巨漢の力を利用して、少年は2階と3階を繋ぐ階段を一気に駆け上がったのだ。
天井に吹き飛ばされた際に弾かれた小太刀が突き刺さり、少年は三階に辿り着いた。
少年は安心したのか眼を閉じため息を一つ吐いて小太刀を手放して着地する。手放したと同時に小太刀は消えていた。
「失敗するのも折り込み済みって訳か?」
白土はなにが面白いのか少年を見上げて笑いながら言葉を投げ掛けた。
少年は頭を掻きながら少し固い表情を挟んでから答える。
「……まぁ、通用しないかなとは思ってたよ。成功すればいいな程度の策かな」
「いや、かなり驚いたぜ。もう一瞬対応が遅れてたら負けてたな」
「その一瞬がないんだろ……アンタには」
少年が垂れた文句は確かに事実だ。このシチュエーションならば、例え10回同じことが起ころうと10回とも今と同じ結末を辿るだろう。
「それはさておき、かくれんぼはもう終わりか」
「俺的には鬼ごっこのつもりなんだけどな……でもかくれんぼだと思ってたんなら確かにここで終わりだよ」
「ってことはお前の言う鬼ごっこはまだ続くってことかよ?」
質問の答えは肯首でも言葉でもなく、次の階段へと走り出す形で返された。
白土は間を置かずに少年を追って階段を上りだす。だが、急ごうとする思考とは逆に太ももから広がる痛みが白土の動きを確実に鈍らせる。
白土が3階に着く頃には少年は4階へ続く階段の折り返しに入っている。
「チッ、応急処置はしたんだ。テメェは黙って動いてろ……あとでいくらでも休ませてやるからよ」
痛む足を拳で叩きながら吐き捨てて、白土は階段を上るペースを速める。
階段を一段飛ばしで進んでいく。
数秒と経たないうちに折り返しに到達する。そして、振り返ろうとしたところで閃光が走った。
「ウォッ!?」
間一髪。
閃光の軌道の先には、壁に突き刺さった矢が見えた。矢が飛んできたを方向を辿れば弓を手にした少年が階段を上りきった先に居た。
矢をもう一度見やり、冷や汗をかきそうなのを我慢して白土は少年のほうへ身体を向ける。
「なんだなんだ……ただの鬼ごっこじゃねぇのか?」
「逃げる側のハンデぐらい許して欲しいな」
「別にいいぜ。そっちのほうが捕まえがいがあるってもんだ」
白土の答えに呆れように苦笑いを零した後、今度は階段ではなく4階へと走り出す。
それを追って白土も残りの階段を駆け上がる。
4階のフロアに足を踏み入れると、少年は既に右の通路の一つ目の曲がり角に入っている。白土がさらに追って曲がり角に入ると、また最初の分かれ道を右に曲がっている。またさらに追っていけば今度は左に、次も左に曲がっていく。
「オイこら坊主!!ちょこまか曲がんな。真っ直ぐ走りやがれ!!」
「なんで妨害はアリでこれは駄目なんだよ?!」
直線の距離なら、スピードが落ちているとはいえ白土は少年をすぐに捕まえられるだろう。
単純な話になるが、そもそも体格が違うのだ。体格が違うということは背丈が違う。白土のほうが少年より二回りは大きい。当然、背丈の差があれば歩幅にだって差が生まれる。脚を負傷して多少スピードが落ちていたとしても、歩幅が違えば距離は縮んでいき捕らえられる。
だが、こうも曲り角を多用されると追いつけない。
通路が狭いので少年いつ見失うか分からないうえに、直角に曲がらなくてはならないので一々スピードを落とすためにブレーキをかけなければならない。ブレーキをかける瞬間に脚に鈍痛が走るのだ。
ただでさえ、身体全体を直角に曲げるという動作を短い間隔で繰り返すのには相当の負荷がかかる。先程脚を矢で射抜かれている白土にはその負荷が痛みとともにダイレクトに伝わってくる。
この状態を繰り返せば二人の距離は少しずつだが遠くなり、最後には見失ってしまうだろう。
「くそ。このままじゃ埒が開かねぇな」
少年が今こうして走って逃げている理由は予想がつく。白土を倒すだけの策を練るための時間稼ぎのつもりだ。
ならば、あまりモタモタしていられない。
まずは少年を捕まえることが最優先。可能な限り早急にだ。その為には、まずは少年の行動を把握しなくてはならない。
「地面から離れてると精度が落ちるんだがな……」
小さく呟きながら剣を床に突き立て魔力を拡散させる。
白土の探知魔術は地面の任意の地点での流動化の応用である為、地面との距離が離れている程、正確な位置の把握が難しくなる。しかし今回はビルの中という範囲に絞られている為、一ヶ所辺りに流せる魔力を増やしてより細かく探知できる。
少年は突き当たりを左へ曲がる。そのまま2つの曲がり角を無視し、次の道を右に曲がりそのまま全速力で直進していく。
その先にあるものは──────
「階段か」
少年の向かう先は階段ということは、上るか下りるか……どっちだ。5階に上るなら白土にとっては好都合だが、時間稼ぎのために逃げている少年がわざわざ逃げ道を狭めるような判断はしないだろう。
数秒後、白土の予測は的中した。少年は階段の前で強く踏み込み、跳び落ちる。
一段飛ばしならぬ全段飛ばし。
一秒どころか一瞬で折り返しに入った。
「……よし」
床に突き立てる剣から手放し、自身に向けて静かな決意を宣言する。
白土は再び剣を強く握り締め、そのまま床へとさらに深く突き刺す。そして、男は続けてこう口にした。
「──────さて、終わりにするか……」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ヤバい。脚が凄く痛い。
階段から飛び降りて、足の裏から直接着地したのだ。そりゃ痛いに決まってる。
迂闊だった。白土さんから逃げることに意識を集中させすぎて、自分の身体の限界を無視していた。
急いでいたとはいえ、膝のクッションで勢いならほとんど殺せるなんて馬鹿なことは考えず、転がって勢いを受け流したり、脚を強化をかけるなり方法はあった筈だ。
もし体勢を崩して着地に失敗すれば、脚の骨が折れていたかもしれない。
反省しよう。自分の身体で出来ることをちゃんと考えなくては……
またこんな機会があったら今度はちゃんと脚に強化の魔術をかけてから飛び降りるようにしないと。あとこの戦いが終わったらパルクールとか練習してみよう。
「……って、こんな呑気なことは考えてられないな」
痛みのせいで自分がなんの為に逃げているのか忘れかけた。白土さんから倒せるだけの決定打になる作戦を考える時間稼ぎだった。
「いないぞ」
後ろから追ってくる足音や気配を感じないので、顔を後ろに回すと白土さんの姿が見当たらない。
振り切ったのか……いや違う。
脚を負傷して幾分かスピードが落ちている筈だが、さすがにそこまで差が出る筈がない。
足が万全じゃなくても白土さんのほうが速いと踏んだから、なるべく直線で追われるのを避けていた。
スタミナだって、こんな数分で使い切る訳がない。
だとすると考えられるのは、追う必要がなくなったとか。
動かなくてもこっちの位置を把握できる手段を持っている可能性。
俺の居場所を把握できる手段があるのだとしたら、回り込まれておしまいだ。
考えてみれば俺がこの建物に逃げ込んでから、1分も掛けずに割り出してきたし、可能性はかなり高いと思う。ならば、もう時間的な猶予はない。
「もしそうだとしたら……まずいぞ」
今のままじゃジリ貧だ。
なにをするにしても、何らかの策を練らないと。
地の利が俺にあるおかげでなんとか立ち回れているものの、俺の出来る限りで有利な条件を利用しても決定打がなく攻めきれずにいる。
それはひとえに白土さんの実力によるものだ。
戦いが始まった段階から分かりきっていたことだが今の俺は白土さんより弱い。きっと開けた平野とかが戦場だったなら、俺は一撃で斬り伏せられていたに違いない。
しかし、だからといって勝ちを譲ってやるつもりなんてない。勝たなきゃいけないから戦っているんだ。実力差なんかで諦めてられるか。
それに、俺と白土さんの実力差は覆し難いほどのものではない。実際、魔術の介在しない剣技だけの戦いだった序盤は先述の通り、地形が味方してくれていたので俺の方がやや優勢だった。
単純な地力なら白土さんのほうが上だが、その差は地形や策で十分埋められる。
だから、こっちは小賢しく策を講じなくてはいけない。
格下の俺が白土さんとの実力差を埋める────いや、追い抜いてさらに勝ちをもぎ取れるだけの策をない知恵を振り絞って自分の出来ることを最大限に活用して考え出さくては。
「まぁ、すぐに策が思い付くならこうして逃げてないけど……」
策として最初に思いつくのは弱点を突くとか。
いや、弱点なんて見つかってたらたら最初から突いているけど。というか弱点以前に俺は白土さんを知らなすぎるな。
もう一度俺の見た白土さんを振り返ってみるか。
屈強な肉体から放たれる剛胆な剣術に、地面を液体化させて隆起させるルーン魔術を組み合わせて戦う魔術師。
単純であるが故にその破壊力は絶大。
振るう剣からは彼がこれまで切り抜けてきた修羅場の数とそこで積み上げてきた確かな実績の重みが伝わってくる。そして、それらが彼の剣に力を与えている。
それが俺から見た白土佐薙。名前に関しては多分偽名だろうな。
地面を持ち上げるルーン魔術はこの建物のなかじゃ使えないだろうし、使えるにしてもより魔力が要るだろうからあまり使ってこないと思うが、あの剣術だけでも十分脅威だ。
なんせアスファルトの地面を容易く砕くあの腕力と鉄塊がなんの気兼ねもなく振り回されているのだ。一発でもまともに喰らえばもうそこは使いものにならないだろう。頭や胴なら死は免れない。
アクションゲームなら何回か死んで慣れれば比較的簡単なボスタイプなのだが、死ねばそこで終わりの現実においてはそういう敵のほうがむしろ厄介だ。
複雑なものほどからくりが分かれば発動するタイミングをずらすことや予測することで対応できるが、手数が少なくそれが単純であればあるほど地力の差がものを言う。
今の状況がいい例だ。既に手の内がほとんど分かっているというのに、まったく対抗する術が浮かばない。
「せめて動きの癖くらい分かれば……」
たとえば剣を振りかぶる直前に脚が半歩下がるとか、どちらかの肩が僅かに上がるとか。そういう動きの癖が分かればいくらか対策の建てやすくなるんだが。
それを見抜ければ苦労はしない。そんな観察眼なんて実践経験が少ない俺に養われている訳がない……のだが、何故だろう。これが一番可能性が高い気がする。
俺の持ち得る手札のなかに白土さんの動きの癖を暴くカードが残っているような感覚がある。
「いや、そもそも隙なんてあるのか?」
そんな言葉が漏れていた。
もし癖や隙なんてものが見つかったとしても、俺がそれを突いて利用すれば勝てるなんて見込みが生まれることとは別問題だ。1%でも可能性があるなら賭けるが、それ以下や未満なんてこともあり得る。
白土さんの剣術に俺が付け入る隙なんて──────
「……くそっ!」
意識すればするほど、俺のなかで白土佐薙という存在が大きくなっていってる。過大評価しているとは思わないが、目の前の脅威をちゃんと正しく認識しないと諦めに呑まれてしまう。
なんでもいいんだ。
白土さんは今、脚を負傷していて機動力に難がある。少しでも稼いだこの時間のなかで、なんとしても白土さんの剣術のなかにある癖や隙を見つけないと、この際白土さん自身のことでなくともいい。剣の構造的に弱い部分でも……あれ、ちょっと待て。
俺は今、なにを考えていた───────?。
「白土さんの……剣術……剣の構造……」
剣術。
つまり、白土さんが使っている武器は剣ってことだよな。より細かく言えば大剣や斧剣なんだろうが。今はどちらでもいいが……とにかく剣に分類されるものの筈だ。
それなら、もしかしたら……
あの剣の材質は。構造は。いつ作られた。どういう用途で作られたのか。
「分かる。理解できる。でも、まだだ」
眼を通して、何度も交えた夫婦剣を通して、あの剣の“どういう”ものかが分かる。
これじゃあまだ駄目だ。
まだ足りない。もっと深く、もっと近くで、より正確に白土さんの剣を観て理解しないと。
かなり危ない橋を渡ることになるが、これが成功すれば実力の差の問題は完全になくなる。
「上手くいく可能性は……五分五分だな」
確率が半々じゃ十分賭けになるけど、今はこれ以上に勝てる見込みのある策はない。
それに、成功する可能性が半分もあるんだ。
ならもう賭けるしかないだろう。この方法以外に活路がないのなら、それがどんなに狭いものだとしてもこじ開けるしかないんだから。
「……やるかやらないか。成功する確率がどれだけ低くたって、やらなきゃ確実な0だ」
最初に白土さんを挑発したように、決意を自分へと言い聞かせるように宣言する。
そのまま速度を落とし、十字の角の中心で立ち止まる。
「よし……」
一度瞼を落として深呼吸する。
心臓の鼓動を落ち着かせてから、ゆっくり目を開く。
近付いてくる気配はない。
振り返ると、追ってくる姿はなかった。
普通なら動き回って仕切り直せる場所に移動するべきだろうが、もう対抗策に辿り着いた以上、逃げる必要はない。
決断は下した。
ならやることは一つ。
ここで白土さんを迎え撃つ──────!。
ガキィィィン!!
直後。
先程の決心を嘲笑うかのように、鉄筋コンクリートの床が砕ける轟音が耳を震わせた。
反射的に前転して、どこからか襲って来た脅威から逃れまいとする。
転がるという動作ができたということは前方にはなにも起きていないということは確かだが、まずは立って状況を確認しないと。
立ち上がって、俺がいた位置へと視点を移す。
そうして視界に飛び込んできたのは、岩の壁だった。
幾度目かの“ソレ”は十字に分かれていた通路を、俺が居る道を除いた三方を少しの隙間も残さず、両横の壁まで削りながら塞いでいた。
恐らく、地面を一階も二階も突き破ってこの三階まで持ち上げてきたのだろう。
あの人の地面を隆起させるルーン魔術は、ルーンを仕込んだ剣を突き刺した場所が地面と接しているなら、多少魔力を多く使うなんかの制約があるんだろうが、問題なく起動できることは路地裏での戦闘で既に一度見ている。
「それより問題なのは、これで攻撃が止んでいることだ」
もし同じような攻撃をしているなら、少しなりとも音や振動がする筈だが、そういう兆候は見られない。
無差別な行動じゃない。
やはり白土さんには、俺のおおよその居場所を特定するなにかしらの手段を持っている。
「……先手を打たれたって訳か」
ハッキリしてるのは、 白土さんがもう俺の位置を把握していることと、退路を塞がれたこと。
俺が勝って敵の戦力を削ぐか、白土さんが勝って当麻を守るものが居なくなるか。
どう足掻いたとしても、ここで決着が着く。
まぁそれは、俺にとっても好都合だ。
無駄なことを考る必要がなくなり、ただひたすらに研ぎ澄ませて造り出せる。
「最強の自分を……か。なんでだろう、妙にしっくりくる」
もう一度。
コンクリートが砕ける音がした。
床でなく天井から。
下から突き上げてくるのでなく、上から瓦礫と共に砕き落ちてくる。
暴力の化身が。
肉食獣が獲物を仕留める時のように、なにも逃すまいと目を見開き、歯を全て見せて獰猛な表情で。
「よう。もう鬼ごっこはおしまいだな」
俺の策に、なによりも必要なのは二つ。
この人の歩んだ経験を、在り方を、その全てを掴み取る為の時間。
もう一つは単純。
その過程を終えるまで負けず、生き延びること。
それまで、俺の持てる手段を限界まで使い尽くしてでも、ここに引き止める。
最初は取り敢えず会話を途切れさせなず、戦闘開始を可能な限り遅らせる。
白土さんはノリが良いから、付き合ってくれる筈だ。
そのノリの良さで、そのまま引き金を引けるから恐ろしいところもあるんだが……。
「そうですね。俺もそろそろ飽きてきたところです」
「なんだよ……一足遅かったって訳か。こりゃ貴重な魔力をほとんど使った甲斐がなかったかな」
口では困ったように言っているけど、その実まったく動揺していない。
呼吸も、筋肉も、全て乱れていない自然体だ。
やっぱりこの人は凄いな。
こんな状況だというのに、自然体のままでいられるってことは、それだけの修羅場を潜ってきているんだ。
敵のうえで、しかも関わった時間が極僅かな俺でさえ、この人の人となりには好感を持っている。
きっと白土さんは、敵のなかでも精神的な柱になっているのだと思う。
だからこそ、この人に勝てば敵にだって少なからず精神的なダメージを与えられる筈だ。
「ただ、ここは決闘場にしちゃあ狭すぎるよな」
「……だったら後ろの壁壊してくれません?」
「そりゃ無理だ。でも別のやり方で広くするから少し待ってろ」
そう言って、白土さんは壁に剣を突き刺す。
俺がその所作を認識する頃には狭い通路を形作っていた両の壁が液体のように流れ落ち、部屋との境がなくなっていた。
「無茶苦茶だ……」
「おうよ。ここは超能力者もいるみてぇだし、その争いってことで誤魔化せそうだしな」
「理由になってない」
「そうか……まぁ、細かいのは性に合わんしな」
こういう人だったってことにしておこう……うん。
今は余計なことを考えてる余裕もないしな。
白土さんは肩に剣を乗せて、どっしりとした体格とは逆に軽やかな笑顔をこちらに向ける。
「さて、これで舞台は整ったな」
「あぁ、ここなら公平だ。多少アンタのほうが有利な気もするけど……」
「そうさな。ここなら俺の得物は戦いやすいってもんだ」
どうやら、これ以上の先伸ばしは無理そうだ。
気迫が威圧感となって数メートル先の俺まで、全身の産毛が逆立つ程ピリピリくる。
もうここから先は白土さんの闘争本能が待ってくれそうにない。
夫婦剣を投影して構える。
この先は地形ももう味方はしてくれない、純粋な実力の勝負になる。
ほんの一歩でも対応が遅れたら、その時点で敗北と死。
「お喋りはもう終わりか。もう少し付き合ってやってもよかったんだぜ?」
「嘘つけ。もう待てないって全身から溢れでてるよ」
「なんでもお見通しか。どっちにせよ、死ぬ覚悟は出来たみてぇだな」
「まさか。俺を生き残るさ……アンタを乗り越えて」
その後に言葉はなかった。
これで十分だと、お互いに分かっていたから。
だから、もう言葉による対話は必要ない。
次の瞬間には駆け出していた。
始まる。
終わる。
決着へと動き出す。
前へ進むための、己の路を勝ち取る為の──────
白土佐薙
プロフィール
年齢 32歳
身長 196cm
体重 102kg
所属 フリーランスの傭兵→魔術結社『果てなき空』
使用する魔術
三層構造になっている大剣に「大地」「流動」「固定」の三つのルーンを仕込んでおり、まず「大地」で魔力に指向性を与え、「流動」で地面を元の硬度を保ったまま液体化しその動きを制御下に置く。
そして、流動化した地面を任意の位置で『固定』する。
この三つの操作を瞬時に連続して行うことで地面を隆起させ、相手に叩きつける攻撃となる。
自分の周囲に壁として発動することも出来、攻防一体であり、威力も十分、応用の範囲に優れた汎用性を兼ね備えている。
しかし、欠点がないわけでもなく、『瞬時』に連続して行うという用法から、流動化した地面に細かな操作を施すことが出来ず、隆起させる位置に剣などの鋭い障害物になるがあれば、流動化した地面が裂けたまま固定されてしまい、相手に攻撃を防がれてしまうこともある。
この魔術の応用として、魔力を周波数のようなものを変換して地面に流し、それを反響させることで相手の位置を知ることが出来る。
謂わば、魔力によるソナー探知機である。
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Day3-7 投影/勝者のいない戦い①
本当にすいません……書けるだけ書いた結果まだ終わらなかったので、すぐにもう一話書きました。
二話連続投稿を意図せず実現できて結果オーライかな、とか思っている次第です。
これで、リメイクとモンハンと受験勉強に集中できる。
言い訳としちゃ短いですけど、取り敢えず待ってくれている人が居たなら幸いです。後編は12時更新です。
では、どうぞ。
あれから、何度剣が交わったのだろうか。
数えることが億劫になる程繰り返されたのは確かだ。
剣戟の度に散る火花が戦いの激しさを物語る。
片や。豪胆で重厚、岩石のような太刀筋。
片や。繊細で軽快、流水のような太刀筋。
相反する性質が同じ質量でぶつかれば、結果は相殺になるのは道理。
対極に位置するが故に、互いの長所を潰しあう。
闘争が長引くのも必定だろう。
ならば勝敗を分けるのは、どちらがこの戦いに
「オラァ!!」
「ハァ!!」
白土が大剣を垂直に振り下ろす。
対する少年は左手の小太刀を右に斬り上げて迎撃し、剣を立てて滑らせ、大剣の唐竹割りの力を左に少し逸しながら受け流す。
大剣が小太刀と離れると、勢いのまま大剣は空を斬りコンクリートの床を砕いた。
「チッ……」
すぐさま懐に潜り込んだ少年の横一文字による追撃を阻止する為に、コンクリートの床に突き刺さった大剣を無理矢理持ち上げて太い刀身で防御する。
そのまま鍔迫り合いに持ち込んでいく。
白土の力に吹き飛ばされないように、少年は白土の力が作用しにくい大剣の柄に近い位置に双剣を滑らせる。
少年の判断の早さに息巻きながら、青衣の男は剣に込める力をさらに強める。
「岩の壁は出さないんですか……?」
「悪ぃな坊主。この戦闘の速度じゃさすがに使えねぇよ」
この建物は一階毎に3m程度の高さがあり、床も1mほどの厚さなので三階のここまでは12mほどはある。
白土が地面を隆起させたとしても、一度にここまで持ち上げるのには少しのタイムラグが生じてしまう。
ほんの3秒か4秒か。
今のような息つく間もない速さの戦闘では、そんな数秒さえ命取りになり得る。
だから、白土はこの状況でルーン魔術は使えない。
「いや、そうだったほうが助かりますけどっ……!?」
少年は言葉を言い終えるのと同時に剣を弾き、一歩後ろに下がる。
少しの間拮抗していたとはいえ、鍔迫り合いとなれば白土がかなり有利な態勢だ。そんな状況をみすみす続けさせる訳にはいかなかったのだろう。
まして、ルーンによる追撃の可能性がないなら尚更だ。
さらに一歩退き、双剣を構えたところを見た白土は少年が駆け出すのを待つまでもなく大剣を横一文字に薙ぎ払うように振るう。
少年は上半身を低くして、さらに右手の小太刀で上に弾いて、一気に白土の間合いへ入り込む。
そのまま左手の小太刀による斬り上げへ繋げる。
大剣は上へ弾かれた。
防御には使えない。
大剣を手放して回避するか。
いや、間に合ったとしてもこの先が不利になる。
大剣が破格の攻撃力を持つのは、白土の膂力によって振るわれるからであり、ルーンも魔力を流すことで初めて起動できる。
それだけではただの鉄の塊でしかない。
対して白土の見立てでは、少年の持つ双剣はかなりの業物だ。
きっと凄腕の刀工に打たれた刀であるのだろう。
それが、手放されたなんの力も込められていない大剣に激突したのならば、間違いなく打ち負けて折れるのは大剣のほうだ。
この状況においてそれは致命的。
「貰っ────」
回避も防御も不可能。
思考による判断ではもう間に合わない。
ならば、本能の流れに身を委ねればいい。
「甘ぇ!!」
幾度となく修羅場を潜り抜けてきた白土の経験が、この場を切り抜ける記憶を反射として引きずり出してきた。
上に叩きあげれた大剣の勢いに身を任せて脚で跳躍し、その軌道のなかで少年の腹を蹴り上げる。
それは奇しくも、少し前に少年自身が危機を脱する為に白土の斬り上げを利用して階段を一気に駆け上がったときとよく似た動きとなった。
少年は苦痛に耐えるように歯を食い縛り、片眼を閉じながら、二歩後に尻餅をついて倒れる。
「おわっ」
それでも、無茶を通して危機を脱したに過ぎない。
むしろ体勢を崩し、脚を負傷した状態の跳躍など不完全もいいところだ。
乱れたバランスがさらに乱れ、白土も三歩後に転んだ。
「ぐっ……!」
白土より一瞬早く倒れた少年は、同じように一瞬早く起き上がる。
立ち上がったままの勢いを殺さずに駆け出す。
一秒すらかけず白土に到達した少年は、双剣を交差させて白土の胴に斬りかかる。
白土も右手の大剣を振り抜いて防御する。
再び鍔迫り合いになる。
だが、前とでは状況がまるで違う。
白土は倒れ、思うように力を込められない。
少年は立っている。
踏み込み、勢い、腕力、力の全てを剣に込められる。
さらに上からかけることの出来る圧力。
これが、少年の力を倍加させる。
「まったく。ホントに痛いところを突くのが上手いよな坊主……」
「そうでもしないと勝てないだろっ!」
「ハッ。威勢がいいこって!!」
少年と同じだ。
白土だって、自分にとって不利な状況をいつまでも続けてやるわけにはいかない。
左足で少年の太もも辺りに蹴りを入れ、体勢が少し崩れた瞬間に剣を押し上げて少年を後退させ、その隙に立ち上がる。
「っ……まだまだぁ!!?」
「そうこねぇとなぁ!!」
互いに叫ぶ。
少年は、歯を食いしばり、眉間にシワを寄せ、元々逆立っている赤髪が燃えているかのように錯覚させるほど、さらに逆立たせて。
険しい表情で、まるで自分自身に誓うように。
白土は、目を見開き、口角を上げ、身体から流れ出ていく血も相まって地獄の猟犬を思わせる。
獰猛な表情で、まるで肉食獣が狩りを楽しむように。
キィィィン。
鋼の激突音がビル全体を揺らす。
ただ、攻防はそれでは終わらない。
少年は左手の黒の小太刀で大剣を滑らせ、宙へ浮かせる。
続けて右手の白の小太刀が逆袈裟に振り下ろされる。
小太刀の軌道が、白土の首筋に迫る。
後ろに跳躍しすんでのところで回避し、小太刀は白土の着物を掠めただけとなった。
白土はすぐさま反撃に転じる。
左足で踏み込み、強烈な幹竹割りを少年に振り下ろす。
少年はこの一撃を受けるのは不可能と判断し、左に半歩動いて躱そうとする。
その瞬間、白土が雄叫びを上げる。
「坊主ならそう来るよなぁ!!」
「ぐはっ……!?」
大剣の軌道を強引に止め、右足で少年の脇腹に蹴りを入れる。
回避しようとした動きが逆に、蹴りを少年の脇腹へとさらに食い込ませる。
予想外の攻撃に苦痛に顔を歪ませながら、少年はその場に倒れた。
「そろそろ慣れてきたぜ。この暗闇と……お前の太刀筋にな」
倒れた少年がこちらを見るのを確認してから、白土は語ると同時に笑ってみせる。
先程の攻撃は偶然ではない。
少年の動きには癖がある。
絶対に喰らっていけないと判断した一撃を避ける際にはかなりの確率で左に動く。
恐らく利き足が右なのだろう。
右足のほうが正確に動かせる為、右足を引いて胴を捻り左に避けてから反撃に転じる。
そういう動きが染み着いているのだ。
恐らく少年自身に自覚はない。
技を磨くなかで自然と身に付いた無意識の型といえる。
そんな癖にあった隙を突いた形となるが、白土の体感ではこれがかなり難しい。
少年の眼は鋭い。
本気の一撃と
だから、本気の一撃を放つ必要があった。
殺気も力も踏み込みも、それら全てを乗せた本気をぶつけにかかった上で、その一撃を囮にしなくてはいけない。
無論。そんな無茶を可能に出来るのは、白土の日本人離れした屈強すぎる肉体があってこそだ。
「坊主よ……とにかく俺が一歩リードだな」
「……嘘だな。あんな無茶、その身体で何回も出来るわけがない」
「さぁ、どうだろうな」
白土は少年の反論をおどけた口調ではぐらかしながら、僅かに目を細める。
さっき見せた笑顔の意味を、少年に見透かされている。
笑顔には、勿論狙いが的中したことへの喜びもあったが、それ以上に健在であると思わせたい意図があった。
路地裏の戦闘で、白土は左足の太ももを負傷している。
そのときは、少年が致命傷になり得る一射を囮にして二射を命中させるという手段を取った。
今の白土と同じように……。
それはひとまず置いておくとして、矢で貫かれた太ももの負傷は、止血し、包帯を巻きなどの応急処置を施した今も鈍い痛みで白土の動きを苛み続けている。
そんな状態のまま脚を先程のように無茶し続けていれば、怪我の容態はさらに重くなり、さらに動きは鈍くなる。
だからこそ笑ってみせた。
健在をアピールして警戒させ、最初からその癖を意識させて現れさせないようにすれば、結果的に少年の動きを阻害したうえで体力の消費を最小限に抑えることが出来る。
が、狙いを見抜かれては、逆に限界が近いと教えてしまったようなものである。
余計なことをするのではなかったと、白土は心のなかで舌打ちをした。
「おい坊主。お前、あとどのくらい動ける」
白土は一呼吸を置いて少年に問うた。
起き上がろうと立ち膝の体勢をとっていた少年が顔をしかめながら答える。
「なんだよそれ……」
「いいから答えろ」
「答えて俺になんかメリットがあるのか?」
「そりゃ、俺だけ動けなくなってきてるって分かったのは不公平だろうがよ」
「アンタが勝手に口を滑らせただけだろ」
「っ、うるせぇな!?……お前だって俺にちゃんと勝ちたいとかなんとか言ってたろ。答えねぇと降参するぞ」
「えぇ……なんだよその脅し」
少年は少し呆れたような目で白土は睨み、困惑の混じった言葉を返した後、瞬きを挟んだ。
白土だって脅しのつもりはない。
完全に苦し紛れだ。
そして言葉にした以上、本当に答えなかった場合は降参するつもりでいる。
意地の張りどころを間違えている気がしてならない。
「……同じく。もうあまり動けそうにないよ」
少年は立ち上がり、双剣を構えて答える。
返答を聞いた白土は、深呼吸して眼を閉じる────。
「そうかい……あぁ、まだ続けてぇなぁ」
言葉を聞き、噛み締めるように出した言葉。
それと同時に再び開いた黒眸には僅かながら寂しさが宿っていた。
「戦うのが好きなのか?」
「あぁ……戦ってるときは余計なことを考えなくて済むからな。ただ本能と経験に任せて動く感覚が心地いいのよ」
「……殺し合いなんだぞ」
「そうじゃなかったらもっと楽しかったぜ」
数多の戦場を経験した白土は、殺すという感覚には既に慣れていた。
そうしなければ生きていられなかったし、そういう世界でしか生き残る術を持たなかったから。
─────まぁ、戦場だしな。
そんな諦観を抱くより他に道はなかった。
ただ、それでも人を殺すという行為に抵抗があることもまた事実だった。
どこかで折り合いをつけるしかない。
でもそこまで捨てる気にはなれない。
だからこそ、全ての人を幸せにするなんて馬鹿げた御伽噺を本気で夢見ているあの男が、白土には光って見えた。
その姿を近くで支えたいと思った。
男の夢の先を共に見たいと思えた。
それが、白土佐薙が今ここに立っている理由であり、戦う意義だ。
「……」
そして今、あの男と同じようにまっすぐな眼をした少年が白土の目の前に立っている。
そんな少年を前にしては、手心を加えたほうが無礼というもの。
少年が白土に敬意を払ってくれたのと同様に、白土も少年に敬意を以て少年を打ち倒す。
それに、やっと
「まだ倒れてくれるなよ!!?」
「言われなくても!!」
白土の言葉を一蹴して、少年は突撃する。
左の小太刀で袈裟に迸る。
大剣の横に突き刺し、刀身の太い幅を利用して防御すると直後に大剣を軸にして跳び上がり、少年の左側目掛けて蹴りを入れる。
だが、さすがに二度目では通用しない。
左腕で蹴りを受け止められ、接触の瞬間に一歩下がられて威力をいなされた。
「……っ」
着地した瞬間、太ももに鈍い痛みが走る。
苦痛により、白土の動きが止まった一瞬に少年は体勢を低くしながら左下の懐へと回り込む。
次は右手による左一閃。
これに対し、大剣を引き抜いて右に切り上げる。
「うぉぉお……!!」
じりじりと。
歯を食い縛って、剣を握る腕の力を強める。
一歩進み、押し負け、退いては奮起してまた踏み出す。
退いて体勢を立て直すのが懸命な判断か?。
否。
結局のところ、同じことの繰り返しだ。
終わりの先延ばしでしかない。
互いの技は全て出し尽くした。
技をぶつけ合う段階はとっくに過ぎている。
「こっからは……意地の張り合いだ!」
大剣で右の小太刀を弾き、そのまま回転して、逆袈裟へと繋げる。
少年は身を捻り、大剣は赤髪を掠めたもののすんでのところで避け、標的をすり抜けた大剣はそのまま地面に突き刺さる。
「体勢が崩れてらぁ!!」
上体が反れていた体勢で無理矢理身体を捻り、バランスが崩れた少年の腹に、白土の右足による蹴りが炸裂する。
正面を向き、片足を胴とほぼ直角に上げた蹴り。
プロレスで言うところの16分キックであり、一番普及しているのはヤクザキックという名称だろうか。
「ガッ!!?」
身体の芯まで響いた衝撃に、少年の童顔は苦痛に歪み、足は床を離れた。
そこで終わりではない。
中心に到達し、尚も進み続けた力の流れは、ついに少年の身体の外へと弾け飛び。
少年もその流れに巻き込まれて吹っ飛ぶ……
ガシッ
「っ!?」
……筈だった。
手応えはあった。
蹴りの力は全てを、漏らすことなく少年に伝えた。
少年にいなされ、十全とは言い難い威力でも少年は倒れ込んでいた。
さらに今の蹴りは間接の曲げ伸ばしに体重を乗せるだけの簡単なものだが、それ故に屈強な体格を最大の武器とする白土と相性が良く、脚を負傷した今でも高い威力を発揮する。
今の蹴りをまともに喰らったのであれば、無事で済まないのは明白だ。
しかし、少年の身体は白土から離れない。
何故か。
少年の左手が白土の脚を、掴んで放さないから。
「だから言ったろ」
少年が白土の脚を支えに空中で体勢を立て直して着地する。
そして。
ゆっくりと。
はっきりと。
痛みに耐える為に歯を食いしばった表情は険しく、けれど確かに覚悟の籠った琥珀色の瞳が白土を見据える。
「今みたいな無茶が何度も出来る訳ないって……!」
こんな言葉を口にして、未だ左手で握りしめた白土の左足を、白の小太刀で突き刺す。
「ぐっ!?」
脚を源流とする鋭い痛みが、白土の頭の刹那を支配する。
今も尚、痛覚に多くの機能を塗りつぶされた頭で、何故少年が蹴りを耐えた理由を理解する。
確かに、今の白土は右足を通して力の全てを伝えた。
そう。
太ももを負傷した左足の踏ん張りが、そも万全である筈がない。
「くそが!!」
白土は痛みを振り払うかのように吐き捨てながら、コンクリートの床に突き刺さった大剣を引き抜いて斬り上げる。
少年は上半身を低くしてなんなく躱す。
次に脚に突き刺した白い小太刀を引き抜き、左手には閃光が迸る。
直後の左手には、黒い小太刀が納まっていた。
対する白土は、右足を固定していた白い小太刀が消えたことで左足で後ろに跳ぶ。
体勢を崩しながら四歩後ろに着地する。
「これで……」
静かな決意の声を上げ、少年は白土に向かって駆ける。
少年にとって、これは決着の一撃となる。
実際、左足の太もも、右足のふくらはぎを負傷し、強靭な白土の身体をもってしても、まともな踏み込みは数回が限界だ。
まして、今の白土は体勢が崩れ、立て直すのにだって数秒を掛けてしまうだろう。
だが、少年は一秒と掛けずに白土に辿り着く。
絶体絶命。
詰み。
「……ハッ!」
そんな状況のなかで、男は獰猛に笑った。
口角をつり上げ、歯を剥き出し、かといって目を細めることはなく、その眼はそらさず少年に向け、動物の威嚇に近い何度目かのソレを。
敗北が喉元まで迫っているというのに。
まるで勝利を確信したかのように。
───────────否。
ように、ではない。
確信したのだ。
訂正しよう。
先程の表情は威嚇などではない。
よく似てはいたが……確実に違う。
アレはむしろ、獲物が思惑通りに動いたときの狩人が見せる喜びの感情そのもの。
「坊主、出血大サービスだ。そらよっ!!」
男は叫び、大剣をコンクリートの床に叩きつける。
「なっ……!!?」
大剣コンクリートの表層が砕いてから瞬間の出来事。
その刹那に白土が切ったカード、戦況をひっくり返すには十分だった。
コンクリートを砕き、少年の左斜め下から。岩の壁がせり上がってきたのだ。
岩の壁は白土の胴を斬ろうと袈裟に振るわれた少年の黒の小太刀を弾き飛ばし、少年の視界から一瞬だが白土を消えた。
「そんでもって、上体は仰け反るよなぁ!!」
「っ……しまった!?」
勝利の目前にした狩人にもう痛みなど関係がない。
強靭な踏み込み。腰の捻り。単純な腕力。
全てが注がれ横に薙ぎ払われた白土の大剣は、岩の壁ごと、辛うじて打ち合った白の小太刀を粉砕して、少年を吹き飛ばす。
その勢いは壁を砕き抜き、少年を隣の部屋まで運んだ。
「ちとやり過ぎたな……」
疲れたように大剣を肩に乗せた白土はぼやきながら大穴が開いた壁を通り抜ける。
足を引きずり、砕かれたコンクリートの塵が煙となって穴の周囲を満たしているのを潜り抜けて、部屋を進んだ数歩先。
白土が見下ろす先には、壁に叩きつけられ思うように呼吸も出来ず、地に伏せるしかない少年の姿があった。
「ガハッ……ゲホッ、ゲホッ、ハッ、ハァ……ハァ……」
「まだ息があるかよ。大したもんだな坊主」
「なん……で、使っ、えないんじゃ……」
「あぁ、嘘は言ってねぇさ。あんな速さで剣をぶつけあってたんじゃあ、とても一度には岩を持ち上げてこれねぇ……
白土の言葉が意味すること。
今一度説明するが、白土のルーンの術色は剣を地面に叩きつけることで、剣の中に刻まれた『大地』『流動』『固定』の3つのルーンを瞬時に連続して起動し、地面を隆起させる。
この時、剣を叩きつけた位置が地面に接しており、そこまで魔力を流すことが出来れば、問題なくルーンは発動する。
例えば今の場合、コンクリートを叩けばその下に接した地面まで魔力を流すことで地面をここまで隆起させたことになる。
但し、この方法ではコンクリートから下まで魔力を流すという工程が発生するため魔力を流してから術色効果が発生するまでに若干のタイムラグが発生する。
加えて、アスファルトの下にある地面とこのビルの三階までは約12m。
白土が剣を叩き付けて、一度に地面をここ場所まで隆起させるにはどれほど短くても3秒ほどかかる。
そう。
─────────
「俺がなんの意味もなく、ただ剣をぶん回してるとでも思ったかよ」
「……っ!?」
先刻までの剣戟の最中にも、白土は勝利の為の布石を散りばめていた。
左足を負傷していた白土は大剣を普段より大きく振っていた。
少年の追撃を凌ぎながら、剣が床に突き刺さる一瞬に、その度に、底を尽きかけている魔力で出せる最高速度で地面を持ち上げてきた。
そして。
敗北が首元まで競り上がった瞬間。
少年の指が、白土の命に掛かりかけたタイミングで、勝利の布石は完成した。
一つ。隆起させた地面がここまで届く直前にあること。
二つ。少年の剣が振り下ろされる直前の回避不可になる瞬間。
三つ。少年が勝利を確信し、回避という選択肢を消す瞬間。
三つ目を満たす為に、少年に全力でぶつかり、少年の全力を引き出さなくてはならなかった。
白土の闘いに全てを賭けてもらわなくては、少年にとって勝利の価値が小さいものになる。
それでは、少年は気を抜いてくれない。
今の条件を踏まえた上で、少年が白土を越えてくれることを信じなくてはならない。
「まぁ、坊主は強かったから、そういうタイミングを見つけることはかなりムズい賭けだったけどな」
「……」
少年は口を開かない。
おそらく視界も判然としないのだろう。
ぼやけているであろう半目が、辛うじて白土の輪郭を捉えているだけだ。
そんな姿に白土は、なんとなく寂しさを覚える。
「……少し話そうぜ」
答えはない。
当然だ。
少年の耳には白土の言葉は届いていない。
あるいは、白土の言葉を少年の脳は正しく理解できていない。
それでも、白土に心の内にはまだ取り除いておかなくてはならない“しこり”が残っていた。
「一つだけ、聞いておきてぇことがある」
違和感と言い換えてもいいソレは、やがて大きな波となって、白土が今まで積み重ねたきた勝利への布石を全て飲み込んでいくような直感が、白土にはあった。
その根を辿れば、今まで数々の修羅場や強敵との闘争を潜り抜けた白土にとっても、少年には異質なものを感じていた。
剣の腕も、弓の腕も、目を見張るものがある。
なぜ今まで戦場であいまみえなかったのが不思議なほどに。
だが、剣を打ち合わせるときに垣間見える虚ろ。
闘志はある。殺意も感じる。守るという意思もある。
だというのに、剣を打ち合わせるとそれらを吸い込む闇のように深い沼を覗くような感覚を覚える。
だからこそ、白土はその違和感に答えを出さなくてはいけない。
勝利を磐石のものとする為に。
勝つ者の義務として。
「お前の『勝つ準備』ってのはなんだったんだ……?」
最後の闘いが始まる前の少年の言葉。
それが整ってきたと、少年は口にした。
白土が知りたいのは、その『勝つ準備』とやらが整っているのかいないのか。
もうこちらは奥の手を切ってしまっている。
さらに両足を負傷して、もはや走ることも出来ない。
整ってしまったなら、手を伸ばせば掴める筈の勝利の輝きがまた遠のいていくのだから。
「……!」
ピクリ。
少年の指が動く。
ようやく白土の言葉に反応を見せたのか。
それとも、ただ動かせる箇所を動かしただけか。
次に手を握って拳を作り、それを広げてからもう一度拳を作る。
身体が動くかどうかの確認だろうか。
次は足が動くか確かめてから、立ち上がるつもりか。
大剣に薙ぎ払われてまだ動くかよ、白土は心のなかで愚痴を溢す。
しかし、それを大人しく待っていられる程、大男は寛大ではないのだ。
「悪りぃがさせねぇよ!!」
「っ!?」
大剣が振り下ろされるのを辛うじて感じたか。
少年は右に転がって躱す。
虚空を切った大剣は、コンクリートを砕く。
しかし、もう魔力は流さない。
もう一度この場所まで地面を持ち上げるだけの魔力は残されていない。
「だからどうした!!」
その後も転がりながら、白土が剣を引き抜く合間に距離を取る。ただ、届かない距離ではない。
強引に大剣を掬い上げて少年を叩き上げようとする。
「ガッ!!??」
踏み込んではいない。
腰の捻りと腕力だけで振るった一太刀は、それでも踏ん張る両足の軋む痛みで鈍り、少年の赤いパーカーの布を裂いたのみとなる。
その間にも、少年は白土から距離を取り、転がる勢いを利用して片膝をつく体勢へと移行する。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
「へぇ、まだやれるかよ。お前化け物なんじゃねぇの?」
「それは……お互い様だろ」
「確かにな。俺も俺で化け物か」
そう言って、白土は自分の足元を見る。
左腕と背中。
左足の太もも。
右足の足首。
先の3つには応急処置を済ませたが、先程負傷した足首からは今も血が流れ続けている。
もうまともな踏み込みも出来ない。
さらには、このまま止血しなければ、いつ出血多量で倒れてもおかしくはない。
問題はそれだけではない。
魔力もほぼ尽きている。
もう地面をここまで持ち上げるだけの余力はない。仮に残っていても、こちらの狙いだったルーンによる奇襲はもう晒してしまった。
もう軽率に距離を詰めてはこないだろう。
ここから先は、命だけでは賭け足りない。
「まぁ、こんな化け物ももうすぐ限界らしいぜ」
「そうは見えないぞ」
「この傷だらけの身体を見てもかよ」
少年に苦笑いを浮かべて答えた白土は、次に息を吐き出して呼吸を整える。
右腕に大剣に殺気を込めて構える。
踏み込むことはおろか、踏ん張りすら不完全な脚だ。
それでも勝とうともがけばもう、腕に全てを込める他ない。
力も。命も。魂も。
文字通りの全てをチップに、男は最後の賭けに出る。
「来ないのか?」
「このままチンタラ戦ってたら俺は失血死だろうが」
「……っ。アンタそれを俺に教えたら」
その言葉で、少年は白土の意図に気付いたようだ。
まともな一太刀さえ振るうことのできない白土がこのまま戦ったとして、良くて敗北悪くて失血死だ。
万全に近い状態でも長引くほど、白土と少年の相性はお互いに悪い。
互いが互いの長所を長所を潰し合うのなら、どう転んだって今状態で勝ち目はない。
もう自分の力じゃ勝てないのなら、少年の力だって借りる。
「勝つにはもうこれしかねぇんだよ」
白土の狙い。
それはカウンター。
次に間合いに入ってきた少年の一撃に合わせ、膂力の全てを込めた大剣で薙ぎ払う。
それが今の白土が取れる選択肢のなかで、一番勝算が高いもの。
だが、これは賭けと呼ぶにはあまりにも──────。
「俺がこのまま動かなかったら、アンタの賭けは賭けにすらならない」
「あぁ、そうだな。お前には乗らざるを得ない理由があるわけでもねぇもんな」
互いにチップを賭けなければ、ゲームは成立しない。
少年が一撃を入れに白土の間合いに入らない限りは、白土のカウンターを狙う策だって機能しない。
まして、少年がなにもしなくても白土はいずれ失血死だ。
その前に白土が気絶するかもしれない。
少年にとっては、手負いの状態で白土の間合いに侵入する理由もメリットもまるでない。
ここまで相手に依存するような策は策とは呼べない。
ただの願望であり、意地だ。
「このまま負けたくない俺の最後の意地だ」
「……そこまで俺に言ったら、俺は動かないだろ」
「そこはまぁ、お前を信じるだけだ。お前は嘘つけねぇだろ」
白土の言葉を聞いて、少年はゆっくりと眼をこちらに向けて双剣を構える。
「来るかよ。馬鹿だなお前」
「まぁ、このまま時間稼ぎに徹して自爆でもされたらその方が困るし……」
「それもそうか」
無論。白土に自爆などの手段は残っていない。
それをブラフにすれば良かったとも考えたが、結果として少年をこちらに誘い込むことに成功したらしい。
少年の口調から察するに、本当に自爆などの手段を警戒しているわけではなく、半ば呆れながら付き合ってくれいている感じだ。
「でも、こっちとしても都合がいいからな」
「ん?そりゃどういう……」
「礼を言っておきます。さっきの攻撃でようやく全てを掴みとった」
言葉と当時に少年は両手の剣を手放した。
手放された剣が霧散するまでの一瞬に、少年は白土へと駆け出す。
意識を向けていた剣が少年から離れ、反応が遅れた白土はすぐに切り換えて、腕に力を込めながら大剣を振りかぶり、腰を限界まで捻り、力を閉じ込める。
反応は一瞬遅れたが、少年は丸腰だ。
意図は知らないが、これならばカウンターの必要すらない。
思わぬ幸運。
ならば───────────。
「上から叩き潰す!!」
「……っ!!」
少年が白土の間合いに入った瞬間、白土は剣を振り下ろす。
直後。
少年がなにかを唱え、手元が輝く。
ガキィン!!
「なっ??!!」
白土は驚愕する。
その目に写る全てが、あり得ないから。
少年が倒れていないことも、丸腰だった少年と剣を打ち合っていることも、その剣が。
その剣が────────白土の大剣だったことも。
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Day3-8 投影/勝者のいない戦い②
だから、こっちでなきゃ書けないことを二つをば。
最後の方は凄く雑になっております。だから、たぶん訂正入るかも。
もう一つ。タイトルの意味は士郎と白土さんのどちらも自分の勝利条件を達成できなかったからです。
お互いに秘策を用意していたことは分かっていた。
でも、敗北寸前まで追い詰められて策の用意が終わるというところまで同じなのは素直に驚いた。
俺は敗北寸前まで追い詰められて、ようやく策の用意が済んだのだが。
白土さんの場合、追い詰められることすら策に含めていたのだろう。
少しずつ、少しずつ。
俺が気付けない程微量の魔力で何度も、地面を持ち上げながら待っていたのだろう。
そのときが来るまで────。
そのとき、俺が勝ちを確信して気を緩める瞬間に、残っていた魔力を全て使い、一気にここまで隆起させて俺を攻撃した。
完全に意識外からの、俺にとっては不可避の奇襲だった。
おかげで視界も呼吸も覚束ない。
途切れそうな意識を意地で繋ぎ止めているような状態だ。
「でもそのおかげで……」
掴みかけていた最後のピースを手を入れてた。
ずっと、剣から目を離さなかった。
剣が交わる度に構造に手を伸ばした。
俺が追い詰められる寸前、剣に大量の魔力が流された瞬間に、その剣の全てを掴んだ。
構造も、用途も、それを扱うのに必要な要素を全て。
そして今、白土さんの目の前で、白土さんの筋力ごと大剣を投影した。
「意表は突けたかよ」
白土さんの驚愕の表情を見て、こちらの秘策も成功したことを確信する。
しかし、拮抗したのは一瞬だけ。
すぐに剣には亀裂が走り、砕け散る。
当然だ。
贋作。出来合い。
そんな粗悪品が、数多の戦いを潜り抜けた真作と張り合える要素などは1つもない。
砕け散り、霧散する大剣に構うことなく振り抜く。
分かりきっていたことに構っている暇などない。
すぐに夫婦剣を投影して、続く二太刀目を斬り返す。
白土さんは、すんでのところでそれを回避して全力で後ろに跳躍した。
「お前……どういうことだ」
夫婦剣で構える俺に、白土さんは問いかける。
白土さんの目と言葉には、強い警戒の色があった。
突然目の前の敵が自分の得物が使っているのだ。
驚き、警戒するのが道理だ。
「ありゃ間違いなく……」
「そんな筈はないよ」
────ありゃ間違いなく俺の剣だ
恐らくはそう言おうとしたであろう白土さんの言葉を遮って答える。
「そんなに自分の低く見積もらないでくれ。アンタの剣は、決してあんな粗悪品の贋作なんかじゃない」
続けた言葉は偽りのない本心だ。
白土さんの剣には、数多くの研鑽があった。
銘などはないが、その研鑽と輝きは、あの男を通して見た名剣達にも劣るものじゃない。
未熟者の俺が、即興で、形だけ取り繕ったハリボテなどとは決して比べられる筈はない。
「どういう意味だ?」
「言葉通りの意味だよ。俺が見せたのは贋作だ」
「贋作……っ。お前、そいつはまさか……だとして、んなことがあり得るのかよ」
俺の魔術についてなにか理解したみたいだけど、俺はアンタみたく優しくないし、一々細かく教えていられる余裕はない。
せっかく状況がこちらに傾きつつあるのに、この流れを手放してたまるか。
「なにを言ってるのかはよく分からないから、ご想像にお任せするよ」
「……お前、よく今日まで生きてこられたな」
俺の投影について、どこまで掴んだのかは分からないけど、異質なものであることは見抜いたようだ。
そういえば、聖杯戦争が終わってから最初に遠坂に釘を刺されたんだよな。
真っ当な魔術師に、投影を見られればどんなに良くてホルマリン漬けにされるって。
その事実に戦慄している俺に、遠坂は続けて言ってくれた。
これから使いこなせるようにはさするけど、使いどころは考えるように、出来ることなら一生使うなと。
きっと切嗣もそうなることを危惧して、俺に魔術を教えることを渋っていたんだろう。
そういう意味じゃ、良い師と良い父に巡り会えた俺は運が恵まれたんだろう。
「いや、運じゃなくて縁に恵まれたんだよな」
些細な違いだが、履き違えてはならないところだ。
そのことを忘れない為に、言い聞かせるように言霊にして吐き出す。
「そうかい……そいつは良かったな」
「ごめん。独り言だから、答えなくていいよ」
「じゃあ、俺の答えも独り言だ」
言いながら、白土はもう一度構える。
狙いはさっきと変わらない。
俺の一撃に合わせたカウンター。
「さて、どうする……」
相手がカウンターを画策している以上、無闇に突っ込むのは得策とは言えない。
かといって狙撃しようにも、まだ砂埃が晴れていない。
当たらないということはないだろうが、そうすれば白土さんはカウンターの選択肢は一旦保留にして回避に徹するだろう。
それを利用して、こっちも時間稼ぎに徹して消耗戦に持ち込む選択肢は一見最善に見える。
しかし万が一、白土さんに万が一道連れなどの手段があるなら、その使用を決断させる後押しになるかもしれない。
今挙げた3つは白土さんは通用しない。
しかし、全てまったく使い物にならない訳でもない。
「とくれば!」
右の剣を逆手に回して振りかぶる。
「ハッ、そう簡単に思いどおりにはならねぇなぁ!!」
投げられた剣を弾きながら、白土が吠える。
もうそろそろ聞き飽きた咆哮に構うことなく、すぐさま新しい陽剣を投影して袈裟に斬りかかる。
1つの矢が届かないなら、複数の矢を絶え間なく。
時として中途半端が一番役に立つ。
右の剣が斬り返された大剣と激突し、続けて左の剣を加え、斬撃は拮抗した。
「ここまでしても互角が精一杯かよ!?」
大剣、というより腕の可動域に関係する背中。
踏み込みに必要な左の太もも、右脚。
膂力の半分を担う左腕。
一つ一つが白土佐薙の動きを少しずつ削いで、確実に追い詰めている筈なのに。
やっと。
それで互角なんだ。
でも、だからこそ、ようやく勝算がまともな輪郭を帯びてきた。
「……お前っ!?」
余力など残すな。
次を考えるな。
それが許される相手じゃない。
持てる力の全てを乗せて、白土さんを上回れ───!!
「お互い捨て身だな!!」
「まさか、俺はただ全力なだけだ」
捨て身なもんか。
勝機が見えたから、あとは突き進むだけだ。
全ての一太刀を、これで決着を着ける覚悟で放つ。
そう踏み切れる程、俺が得た光明は眩い。
「ただ驚かせる為に、アンタの剣を見せた訳じゃない……」
俺の秘策は先程の大剣の投影で終わった訳ではない。
アレは欲しかったものを手に入れたが故にもたらされた副産物。
とはいえ、手札になったのなら有効活用するまで。
きっと白土さんは、俺の剣を予めどこかに閉まっておいたものを引き出していたもので、俺の魔術もそういうものだと思っていた筈だ。
それがさっきので、単に剣を引き出すだけだと思われていた魔術が、出来の悪い粗悪品でも自分の得物を作り出した魔術に認識が変わる。
一気に俺は得体の知れない奴になった筈だ。
「分からないものは怖いよな白土さん」
「あぁ。今マジに冷や汗かいてるよ」
俺もそうだった。
聖杯戦争に巻き込まれたあの夜に、赤と青の英霊の戦いに俺は恐怖した。
なにが起こっているか分からなかったから。
そんなものを見た人間の反応はシンプルだ。
恐怖する。逃げる。
分からないないもの。
即ち危険。
危険ならば近付くな。
それは、生物ならば持っていて当然の生存本能。
「まぁ、最後まで上手くいくものでもないか……」
けれど、恐怖で身体が凍るのは普通の人間だけだ。
戦場で生きるうえで、まず最初に克服しなければならないもの。
戦歴が多くあるであろう白土さんは、恐怖を捩じ伏せることが出来る人だということは分かっている。
だけど、僅かに生まれる躊躇いが動きを遅らせる。
「……ぐっ」
白土さんが呻き声とともに後退する。
まともな踏み込みも出来ない白土さんならば、遠慮なく鍔迫り合いに持ち込める。
当然ながら、それが俺が白土さんの力に勝れる理由にはならない。
先程も言った通り、白土さんの負傷でやっと互角。
痛みで鈍った動き。
恐怖が生む僅かな躊躇い。
俺が競り勝つ為にはさらにあともう一押し。
「おわっ!?」
白土さんが俺の力に負けまいと、傷を負った身体に鞭打って力を込めたタイミングで夫婦剣を引き、残さなかった余力をかき集めて後ろへ跳ぶ。
込めた力は標的を失う。
その結果、大剣はコンクリートを砕き、体勢が砕く。
自身を窮地に追いやった動作にゾッとしながら、もう一度白土さんの懐へ飛び込む。
「ハァッ!!」
首筋を狙って右の剣を斬り上げる。
白土さんは地面に突き刺さった大剣から片手を離して、身体を逸らせて躱す。
すかさず左の剣で大剣を掴み、右腕を斬りつける。
致命の一撃を囮にする。
このビルに入る前、弓でやってみせた手だ。
「くそっ」
さらに負傷を重ねた白土さんは左半身を逸らしたせいで体勢を崩す。
追撃に移りたいが、まだ決めきれないだろう。
後ろに跳んで距離をとる。
「……なんだよ。随分と慎重なんだなオイ」
「あぁ。これ以上細い綱は渡れないだろ」
全ての一撃を決着を着ける覚悟で放つ。
逆を言えば、決めきれないと判断したなら無茶はしない。
現状でも十分細い綱を渡っている自覚はあるが、これ以上細くなれば飛び乗った時点で引きちぎれるだろう。
今するべきなのは、手元にある細い綱を束ねて太く強くすることだから。
「でも、息つく暇は与えないっ!!」
「休憩なんざ、てめぇをぶっ倒していくらでもしてやるよぉ!!」
俺は言葉とともに駆け出し、男の雄叫びが終わる頃にはその懐に飛び込んでいた。
右の剣で水平に振るう。
広い胴を狙った一撃。
対する白土さんは大剣を地面に突き刺し、刀身を横にして受け止めた。
これも大剣の強みだ。
その広い刀身は攻撃にも防御にも一定の効果を発揮する。
「おらよ!!」
大剣を力一杯に引き抜いて、次の攻撃に転ずる。
このまま振り下ろすつもりだろう。
恐らくこれで決める気はない。
狙いは胴というより脚か。
まずは俺の機動力を削ぐつもりだ。
こちらが手負いになったなら、あちらの手負いにしなければ勝負は成立しないから。
「なら……くれてやるよ」
無造作に右足を差し出す。
白土は一瞬止まるが、それだけではもう止まらない。
狙っていた獲物が、狙っていた部位を差し出したんだ。もう止められる訳はない。
大剣は俺に向かって振り下ろされる───────。
「なっ!?」
だが、白土さんの一太刀が俺に届くことはなかった。
代わりに差し出した右足になにかがぶつかる感触と、大剣が何度目かの地面を砕く音が届く。
狙っていたものとはいえ、ここまで耳障りな音だとは思わなかった。
そんなことに気を回せる余裕がなかったから、今まで気にならなかったみたいだ。
痛みのせいか、勝利が近づいているお陰か。
さっきより視界が開けてきた。
「どうしたんだよ。せっかく狙いやすくしたのにな!!」
「ガッ!?」
白土さんが剣をまた引き抜く一瞬の隙。
左の剣で、右の手首を斬る。
大男は痛みに顔を歪めるが、それをすぐに激情で打ち消して大剣を俺目掛けて斬り上げる。
身を捻って回避し、そのまま後ろに跳ぶ。
「くそっ。ちょこまかと」
白土さんの文句には答えない。
「俺の魔術は投影だ。そして武具を投影するとき、その使い手の技量まで再現する」
これが白土さんの剣を投影したかった理由にして、そのなかで最優先で欲しかった情報。
憑依経験の共感。
俺の投影魔術は、その武具の使い手がなにを重ね、なにを得たかさえも解析し
だから、初めて投影した武具もある程度は使いこなすことが出来る。
「なんの話だよ?」
「それはこれから話すさ。なぁ、知ってたか?」
技量まで解析する。
基本的な体捌きから、僅かな癖まで。そのほとんど全てを把握できる。
そう、例えば──────。
「アンタは唐竹に振るとき、必ず左足で踏み込むんだ」
「っ!?」
唐竹割りはあらゆる斬撃の基礎であり、一番威力のある斬撃。
加えて白土さんの獲物は大剣だ。
白土さんの膂力も加えて放たれる唐竹は、脅威以外のなんでもない。
基礎であるがゆえに対策はしやすい。
高い威力をもたらす為に、強く踏み込まなくてはならないことだ。それはまともな踏み込みが出来なくなったであろう現状でも変わらない。
どんなに不完全でも踏み込みがなくては斬撃は成立しない。
故に、その踏み込みさえ封じてしまえば、斬撃というものは簡単に逸れてくれる。
「てめぇ……性格悪いな」
全て理解したであろう白土さんは苦笑いで言う。
しかし、性格が悪いか。
まぁ、戦い方を選り好みしていられる余裕がないだけなんだが、性格が悪いと言われればそうかもしれない。
そこまで考えたところで、あの赤い弓兵の姿が浮かぶ。
「……これから悪くなるみたいだよ」
「は?」
「いつか追い付く未来だよっ!!」
三度。突撃。
「ハァ!!」
「ぐっ……」
今まで以上の渾身の一撃。
激突の火花が散る。
俺の夫婦剣を通じて、白土さんの大剣の力が腕に伝わって腕が痺れる。今まで以上に捨て身になっている。
種明かしをしたからか、もう躊躇はなくなっている。
恐怖とは完全に区切りをつけたみたいだ。
このまま鍔競り合いに持ち込んで、癖などの駆け引きが入る余地のない力に勝負をするつもりだ。
「させるか!?」
もとから膂力に差がありすぎて、それを負傷と躊躇いで互角に持ち込んでいた。
捨て身の白土さんに勝てる保証はどこにもない。
敵の思惑に付き合う気はない。むしろ俺の策に最後まで付いてきて貰う。
「成程な……確かに今の俺は性格悪いよ」
自嘲気味に吐き捨てる。
性格悪いなら、とことんまで意地汚く振る舞ってやる
夫婦剣を滑らせ、白土さんの斬撃をいなす。さらに白土さんが振り抜くタイミングで目一杯に後ろに跳躍。
そのあとも夫婦剣を投げ、白土さんの動きを止めながら後ろに下がる。
「今だっ……!!」
十分に距離が稼げたところで、直剣と弓を投影する。
「
「─────っ!」
剣が矢へと変え、弓を引いて狙いを定める俺を白土さんは最大限警戒する。
けどもう遅い。
「これで、終わりだ……」
「ハッ、しゃらくせぇ!!」
まともに動けない白土さんは、俺がどんな
そして、これは──────────。
「
───────当たれば勝ちの、必殺の一矢。
白土さんの大剣が矢を叩き墜とそうと横一文字に薙ぎ払われ、矢に触れた瞬間。
その矢の中に秘められた莫大な力が一気に解放される。
ゴォォォオオオオン、と轟音が鼓膜とその奥にある三半規管を揺らし、同時に閃光と衝撃が広がる。
「ハァ……ハァ……ハァ」
閃光で目が眩み、轟音で身体が揺れ、止めに衝撃。
白土さん程ではないが、ただでさえあちこちガタがキテる身体にこれは堪える。
加えて、先程の一撃。
勝利を確信したうえで放ったものだ。
魔力の詰まった宝具を、文字通り爆弾にして破裂させる技能。
これ自体は下で白土さんを撒くときに使った。恐らく白土さんも警戒していただろう。
けれど、三度の突撃とそのとき受けた負傷で白土さんの意識は近接の方へと傾いた。カウンターを画策していたのもあって、それは決定的なものだった筈だ。
そこに来て、急に飛んできた矢だ。
反応も遅れ、もうまともに走ることすら出来ない白土さんは迎撃しかとる道がない。
けど飛んできた矢は爆弾。
俺にはこれ以上望めないほどに磐石のタイミングだった。
「思い返せば、なんて脆い策だったんだろうな」
全力で戦って、全力を引き出して、そのうえで自分が届かないことに賭ける。
白土さんの最後の意地と同じで、こっちも策と呼ぶにはあまりに相手に依存していた。成功したのは、紛れもない奇跡だ。
とはいえ、勝ちはまだ確定していない。
「これで倒れてないのはさすがに考えたくないけど……」
至近距離でモロに炸裂させた。
勿論、狙いは白土さんそのものではない。その獲物だ。
白土さんの大剣は、そのうちに秘められたルーン魔術も含めて厄介すぎるほどに厄介だった。
裏を返せば、大剣さえ破壊すれば、残るのは重体の身体のみ。
それに、いくら大剣が盾になったとしても、あの爆発をほぼ0距離を受けて少ない怪我でいられる筈はない。
順当に考えれば、その筈だ。
「けど、これは想定外だ」
爆発が砂塵を巻き上げたのか。
砂煙に隠れて矢が爆発した位置が見えない。
これでは、本当に白土さんが倒れてくれたかだって確認できない。
残りの魔力も少ない。
もし今の一撃で倒れていなければ、いよいよ八方塞がりだ。
これ以上のことをするなら、魔術刻印を使って遠坂の魔力まで使わなきゃならなくなる。
出来るなら遠坂の許可をとってから使いたいし、それだって長くはもたない。
「
今は、自分に出来る最善を。
弓を捨て、ある直剣を投影する。
シャルルマーニュ伝説の英雄ローランが用いた剣。その原典を投影したものだ。
所有者の魔力が尽きようと切れ味が落ちない。
魔力が尽きかけている現状にはうってつけの宝具だ。
俺が剣を構えると同時に、爆発した一帯を覆った砂煙が晴れる───────。
「……射程の差か」
そう俺に問いかけるのは、剣は折れ、身体のあらゆる箇所から血を流し、それでも殺気と闘志を宿した眼でこちらを睨む白土さんだった。
「……武器は破壊した。これで終わりだよ、白土さん」
怯まず事実を突きつける。
魔力は尽き、身体は瀕死。心が折れていなくたって、相手も折れないのならそれも意味を為さない。
もう白土さんに戦う術は残されていない。
だというのに……。
「意外と甘ぇんだな坊主。これは戦いじゃねぇ、殺し合いだぜ……」
「っ!?」
目の前の男が、それでも向かってくることがわかっていたから……辛くなる。
「止めてくれ、もう戦えるような状態じゃないだろ!!」
死を待つだけの身体を引き摺って、折れた剣を振り回す。
こっちもこっちで重体だが、歩くより遅い速さで、棒を振るより鈍い一太刀。そんなものを避けるのなんて造作もない。
もう折れたっていい。
そのほうがずっと楽だ。
分かっている筈だ。もう戦線に復帰できない白土さんを、俺が殺す気がないことくらい。
白土さんが気絶したあとでなら、未熟な俺でも基本的な暗示くらいはかけられる。
今日戦ったのが俺ではないと暗示をかけるだけで、俺の痕跡は消え失せる。
元々そのつもりだった。得体の知れない敵が仲間を打ち負かしたんだ。少しは牽制になる。
「それがどうした。剣が折れりゃ拳で、拳が折れれば骨で、骨が折れりゃ命で、敵の命を奪う。それが殺し合いだろうが」
「そんなの意地だろ、意地の為に死ぬつもりか?!」
否定しきれない心意気を、無理矢理否定する。
だってそれは、自身の否定だ。かつて意地だけで未来を打ち負かした自身の、あのときの選択に泥を塗るようなものだ。
けれど、あのときと今は違う。
俺は折れない。勝利を目前にして、白土さんを気遣う余裕さえ生まれている。
そんなヤツに意地を通したところで、虚しいだけだ。
「じゃあ意地も折れってか、こいつは意地の張り合いだったろうが、この期に及んで怖じ気づいてんじゃねぇぞ!!」
「だけど!?」
「優しいのは美徳だがな。今のお前は甘いだけだぞ」
分かっている。
その通りだ。今回ばかりは白土さんが正しい。
俺は自分で手を下すことになって怯えているだけだ。
それでも、甘えを捨てないと捨てないと決めている。捨てないように頑張ると己が理想と未来に二度誓った。
そして、無情にも白土さんの意地は通らない。
通されるのはいつだって勝った人間の道理だ。
「勝ったのは俺だ、勝った俺が負けたアンタをどうしようが自由の筈だ!?」
「勝ったなら勝ったなりのけじめをつけろ!!」
冒涜だと言っている。
俺の甘えは、死力を尽くした自分への侮辱だと。
「それにてめぇ、自分に出来ないことを他人にしろって言うのかい?」
続く言葉に眼を見開く。
知っている。
折れないと知っている。
止まれないことを知っている。
俺がそうだから。これは、互いに譲れないものを賭けた戦いであったのだから。
依然として、白土さんは俺に迫る。言葉と身体の両方で。
だとすれば、俺の答えは─────────。
「ハァ……」
眼を閉じるだけの猶予はあった。
息と心を整えるだけの余裕はあった。
覚悟を決めるだけの時間は……あった。
「これで、終わりだ……」
剣を構える。
向かってくる姿に、記憶のなかの英雄達が重なる。
その神速に圧倒されたことを覚えている。
だから、虚しいだけだとしても、止まれないと向かってくるその姿に向かって叫ぶ。
「遅い!!」
白土さんの胴に会心の一撃を叩き込んだ。
ハハッ、と乾いた笑いを残して、男は倒れる。
─────こうして、勝者のいない戦いは終わった。
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Day4-1 病院/思わぬ再会
まぁ、ハイ。
リメイクは済みました。
つーか、リメイク(上書き)ってより、リライト(書き換え)に近いです。
って訳で、プロローグと1話は丸々差し替え。
あとは時系列の変更に合わせて時間の表記を見つけられた限りそれに沿うように変えました。
あと要らないなと思ったDay1-3は削除しました。
いるかは分からないですが好きだった方はすみません。
それで変更点ですが、タイトルと時系列だけです。
春休みにしました。ただそれだけです。
なんで、別に差し替えたプロローグや1話は別に読まなくてもちっとも変わりません。でも、多分出来は差し替えたあとのほうがいいから読んでくれると嬉しい。
って訳で、長かった3日目が終わって、次は4日目です。
最初からブッコみますがよろしくです
壁も床も白一色の世界。
そこで俺は頭を抱えながら、自販機で買ったお茶を喉に流し込み、項垂れる。
「収穫なしか……」
護衛の指令を受け、学園都市に来て3日目。
俺は昨日、小萌さんに頼み込んで貰った情報を頼りに病院を訪れていた。
無論、当麻を狙う魔術結社の特徴を探る為だ。
このところ学園都市では、
俺はそれが魔術結社の仕業ではないかと考えた訳だ。
もしかすればいい収穫がとれるかもしれない、と。
そこで以前知り合った教育実習生の小萌さんを頼り、被害者の名前と入院している病院を教えて貰い、花を買って見舞いついでに情報収集をしようと試みた。
実際、事件が魔術結社によるものであることは昨日確証がとれている。
なにか有益な情報が得られると意気込んでみたはいいんだが……。
「まぁ当たり前と言えば当たり前か」
結論から言えば、結果は芳しいものではなかった。
受付で病室の番号を聞き、その近くまでやってきたところで気付いた。
病室の前に数人の大人達が立っていた。
年の頃はバラバラだが、全員服装は紺色で統一されていて、Yシャツと、ソレより少し濃く袖のない紺のジャケットを上に着ている。
そして、その出で立ちには見覚えがあった。
昨日チンピラとやりあっていた教師達だ。
確か
学園都市のガイドパンフレット曰く、学園都市の治安維持を目的に、教師達が志願してなるボランティアのようなものらしい。
要は外での警察に相当する組織で、あの服はその制服のようなものなんだろう。
病室の前で立っていた理由は、おそらく俺と同じ。
いや、もっとしっかりとした事情聴取が目的だろう。
当然だ。
ここが学園都市である以上、治安維持機構の彼らが動くのは明白である。
本来この件は彼らの管轄で、俺は部外者なのだ。
しかし、こちらとしてはまずい事態になった。
これでは、とてもじゃないが病室には入れない。
正式な組織に出てこられたとあっては、もう俺にはどうすることもない。
見舞いだと言っても、俺と被害者達は他人。被害者の人達が俺を知らないと言えば、面会すら許可して貰えないだろう。
しょうがなく踵を返した俺は、こうして待合室で緑色の席を1つ占領して骨折り損を嘆いている訳だ。
「こんなことなら、遠坂に脳から情報を抜き出せるような魔術教わっておくべきだったかな」
徒労に対してちょっとした後悔を吐く。
早い話が情報を引き出す魔術とかあったら良かった。
そんな器用な魔術は今の俺には扱えないかもしれない。だか、もし習得できていたら、あの人から。
「……ハァ」
そこまで考えて、また別の意味で後悔する。
こんな発想をしてしまう自分が恥ずかしくなった。
あの人から情報を抜き出すなんて、これ程名誉を傷つけることがあるだろうか。
白土佐薙。
昨日相対した当麻を狙う魔術結社の一員。
気持ちの良い人で、敵ながら尊敬できる人だった。出会う場所と状況が違っていたら、もっとゆっくり話してみたいと思える程に。
そして、得難い強敵だった。
彼との戦いに勝利して、俺はこの場に立っている。
いま思い返してみても、どちらが勝ってもおかしくない……いや、白土さんのほうが勝つ可能性の高い勝負だったろう。
針の穴に糸を通すように、手のひらに収まる小さな勝機をいくつも重ね、それら全てが噛み合って奇跡のような勝利だった。
「殺さなかったの……やっぱり怒ってるかな」
……結局、俺は白土さんを殺さなかった。
致命傷を負わせたが、あのあと止血はしたし救急車も呼んだ。白土さん自身の驚異的な生命力と学園都市の最先端の医療なら、きっと助かると信じて。
あれだけ覚悟の無さを責められて。
けれど、殺す必要を感じなかった。
誰がどう見ても重傷だ。俺が最後の一撃を喰らわせなければ、いずれは出血多量で死は免れなかった。
いくら助かったとて戦線に復帰できる身体ではない。
暗示の魔術も施した。
さすがに俺の痕跡全部とまではいかないまでも、あの戦いの記憶は消え去っているはずだ。
得体の知れないヤツが自分達の仲間を倒した。
そっちの事実のほうがいい牽制になると判断した。
なら怒っている訳ないか。そもそも俺との戦いなんて覚えてないんだから。
「いや、そんなものは後付けだ」
本当は、単にあの人を殺したくなかっただけだ。
でも、それでいいと思う。
どんなことがあろうと理想を捨てないと誓った。
白土さんには甘いだと吐き捨てられたが、そんな甘さを手放さないと決めている。
答えは既に出した。
今更揺らぐものではない。迷う余地はない。
「よし!!。迷っていたってしょうがない……切り換えよう!!」
敵の特徴を知っておきたかったというのが本音だけど、失敗したことをうじうじ気に病んでは後の事にまで支障をきたす。
ミスは忘れ、ミスの原因だけ覚えておく。
仕事ができる人間はそうするらしい。
俺もそうしていこう。
今は出来ることを全力で、だ。
幸い、仲間が一人やられてる。そのうえ、白土さんを倒した俺の特徴は分かっていない。他に仲間がいるのかどうかすらも。
すぐに仕掛けてくることはおそらくないだろう。
「とはいえ、目下どうするかな……」
当麻の護衛が任務である以上、当麻のある程度近くには居ないといけない。
かといって、当麻と片時も離れずにいることは不可能に近い。当麻は俺が護衛であることを知らないし、小学生を見に行く為に第13学区に行こうものなら、それこそいい職質の的だ。
そうやっているうちに、向こうが仕掛けて日には笑いものにすらならない。
だからこそ、俺は刺客を排除する方向で動いてる。
「せめてもう一人くらい人手が居ればな」
遠坂に応援を頼んでみるか────?。
駄目だ。
手続きして、派遣できる人間を探して、また手続きして、実際来るのはいつ頃だ。
既に事が済んだあとかもしれない。
白土さんと一戦やった時点で、俺が一人で最後までやらなきゃならないことは決まってしまった。
「あっ」
そうこうして考えてるうちに、冷たいお茶を飲み干してしまった。
飲みきれずに持て余すよりかはいいが、ここまでガブガブ飲んでいると、今の自分にどれだけ余裕がないかを思い知る。
ここに来てから、狙ったことが上手く行った試しがない。病院の件もそうだが、白土さんのときも彼の潔白を願った結果がアレだ。
当麻と出会えるなど、思わぬ幸運もある為に素直に嘆く気にもなれない。
「……宿に戻って情報の整理だな」
いかんいかん────さっき切り換えると決めたばかりではないか。
そもそもここは病院だ。病人の為の施設だし、至って健康……とは言えないものの、目立った外傷は……ないこともないが、誤魔化せるぐらいに治っている俺が長居していい場所ではない。
まぁ、昨日は白土さんに手酷くやられたので、応急処置をしたあとも寝るまで苦労した。
幸い。自分に解析を掛けた結果、ほとんどが軽い打撲で済んで良かったが。
そんな俺にやれることといえば帰って遠坂に現状を伝えて知恵を借りる他ない。
今が春休みで良かった。
ちなみに遠坂には、ホテルに帰ってからすぐに電話を掛けて現状を説明している。魔術刻印通して繋がっている遠坂にも俺の異変は伝わったらしく、そりゃもう大目玉だ。
幸運なことに、痛みと眠気に負け、すぐに眠りについたことで被害は微々たるもので済んだんだが……うん、後が怖い。
そうと決まれば行動だ。席から立ち上がり、ゴミ箱にコロンと空のペットボトルを放り込んで病院から去る。
「くそ。上の段に届かねぇな……」
その途中。
隣から声がした。
そこには自販機がある。もしかすると車椅子とかに座っていて上の段に届かないのかもしれない。
少し荒っぽい色でよく通る声だ。本人にその気はないのだろうが、嫌でも注目を集めている。
野次馬根性ではないが、俺もチラッと視線をやる。
「え?」
「あ?」
そこには見慣れた大男が居た。
「おぉ坊主じゃねぇか!!」
「し、白土さん?!」
思わず飛び退く。
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え!?。白土さん!?。なんで!?。なんでここに居る?。居るんですか!?
そっか。ここが病院だからですか。
怪我してますもんね──────ってアホか!?。
俺が白土に瀕死の重症を与えてこんなところに追いやったんだろうが!!。
でもなんで!!。なんでこの病院!?。なんだってこんなところで鉢合わせ!?。
「ん。なんでぇその花……ひょっとして俺の見舞いかい!?」
「あ~、えっとぉ……」
危ない危ない。
白土さんのおかげで目が覚めた。
止めどなく疑問が溢れて脳が塗りつぶされる感覚から解放された。
ありがとうございます……敵だけど。
そうだよ、クールになれ。冷静に物事を整理するんだ。
俺は白土さんを倒したあとに暗示を掛けて、戦闘の顛末は丸ごと記憶の闇の彼方だ。
つまり白土さんにとって今の俺は、昨日の朝に意気投合した旅行者という認識の筈。
本音を隠して平静を装えば、ここは上手くやり過ごせるだろう。
「んな訳ねぇか。俺が入院してることなんて知る訳ねぇわな坊主」
「えぇまぁ、でもニュースになってましたよ。まさか白土さんとは思わなかったけど……」
「待ちな坊主。ニュースじゃ旅行者としか言ってなかっただろうが、なんで俺が通り魔事件の被害者だと分かったんだ」
「いや、別件で複数人出てたらそれこそ別々に取り上げられますって」
「あぁ、それもそうか」
これは本当の話だ。
今朝……といっても、眠りに入るのが遅かったせいで起きるのも遅くなり、正確には9時頃の話だ。
その時間やっていたニュース番組では早速、昨日の件が取り上げられていた。
ついに通り魔が旅行者にも牙を向いた。
という見出しのもと、新たな犯人像みたいものを討論していた。
その旅行者が通り魔事件の犯人グループの一人なのを知る俺は何とも言えない気持ちになった。具体的に言うと少しだけ笑いをこらえる羽目になった。
只今。絶賛筋肉痛だ。今の俺は笑ったら腹筋にクるわけである。
「で、実際は誰の見舞いなんだ?」
「……学園都市の知り合いです。この街にいる間、ソイツの寮に泊めてもらってて、ソイツが通り魔事件の被害にあったっていうので。
こっちはウソだ。
とはいえ、全てがウソという訳ではない。
実際に当麻の家に泊めて貰っていたし、見舞いという目的も、それが叶わなかったというのもまた事実だ。
少しだけ事実を混ぜるのが、効果的なウソのつき方だと切嗣が言っていたっけ。
その頃はウソなんかつかないし、そんなこと教えられても、と思っていたが、今となってはその教えを実践することになっているから、人生は分からないものだ。
「そりゃまた難儀なこったな坊主」
「はい。この花どうするかな……そうだ。白土さん貰ってくれます?」
「勿論。ここの病室は寂しくていけねぇ……丁度そんくらいの花を探してたとこよ」
「病室が賑やかなのも、それはそれでいけないような気がしますけど」
「それもそうか」
うん。誤魔化せてる気がする。
このまま白土さんに見舞いの花を手渡してここから離れれば、この状況を上手く切り抜けられる筈だ。
「あぁ、そうだ。坊主、その花お前が生けてくれねぇか」
「……はい?」
「いやよ。なにぶんこんな容態なんで、うまく生けられそうにねぇんだ」
……どうしよう。
話が予想外の方向に広がった。
この場合は、どうするのが正解なんだろう。
本来なら、先程のまま花を渡してこの場から立ち去りたいところだが、断ったら間違いなく用事について聞かれるだろう。
生憎そこまででっち上げられる程、機転が利く頭脳は持っていない。むしろ頑固さに定評があるくらいだ。
ついて行くほうが懸命かもしれないが、それはそれで問題がある。
暗示の問題だ。
成功したとはいえ、へっぽこの俺の暗示はそこまで強くない。付いていってボロが出れば、白土さんの記憶を刺激してしまえば簡単に解けてしまう可能性すらある。
どっちを選んでもそれなりにリスクがある。
ならば────────。
「分かりました。せっかくなんで俺が押しますね」
俺は後者を選んだ。
後者で上げた不安は、いくらか少ないにしても前者にも当て嵌まるものだし、なにより近くに居ればもしボロが出ても挽回のしようがある。
一番最悪なのが、無理に言い訳をして退散したあとで、白土さんに不信感を与えて預かり知らぬ暗示が解けるパターンだ。
そうなってしまえば、もう俺にはどうしようもない。
白土さんには本名を教えてしまっているし、容姿からどういう人間かが割れれば詰みだ。
白土さんがそこまで深く考え込む人間には見えないが、勘は鋭いのは昨日の件で嫌というほど知っているし、用心に越したことはないだろう。
「重いですね」
「ひとえに筋肉だな。まぁ、筋トレだと思ってくれりゃいいさ」
車輪が着いてて重いって相当だな。
確かに、これは腕力と足腰が同時に鍛えられそうだ。
「……怪我、酷いんですか?」
「ここが学園都市じゃなきゃヤバかったらしいな。でも、あと1週間もすれば後遺症も残らねぇってよ」
「そうですか……よかったです」
車椅子を押しながら白土さんを見下ろす。
首筋を全て覆う包帯は、入院着で見えないが、おそらくは全身に渡って巻かれている筈だ。
言うまでもなく、昨夜の戦いによる傷だ。
その戦いに俺は勝った。おそらく、白土さんの矜持をもっとも傷つけるやり方で。
俺たちが魔術師として出会ってしまった以上、避けられる筈もない戦いだったし、なんであれ事態は動いてしまった。
前哨戦は終わって、ここからが本番。
仲間がこれほどの重症だ。魔術結社は本格的に俺の排除に動いてくる筈だ。
せめて、白土さんの他に敵が何人居るかが今後の動き方も決められるんだが。
「おっと坊主、行き過ぎだ。俺の病室過ぎちまってんぞ」
「……え?。あ、すみません」
「考え事かい……そういうのはもっと足元見てからするもんだぜ」
そう言って、白土さんはニヒルに笑ってみせる。
この人は、感覚で動いてるように見えて────いや、感覚で動いているからこそ、本質を言い当てることが出来るのか。
事実。白土さんの言葉は的を射ている。
足元も覚束ないなかでなにかを考えても、思考は泥沼に嵌まっていく一方だ。
覚えていないとはいえ、敵に的確な助言をする白土さん……なんとも気前がいい。あと駄洒落は言っていない。
「白土さん、ありがとうございます」
「……ん。なんのことだか知らねぇが、どいたしましてってヤツだ」
車椅子を回転させ、二つ前の病室に入る。
「個室なんですね」
廊下と同じ、白い世界が広がっている。
いや、患者に安心感を与えるためだろうか。棚などは暖かみのある木の色をしている。
「おうよ。予算を多く持っててよかったぜ。備えあればなんとやらってな」
「花瓶はどこですか?」
俺の質問に白土さんはそこだよ、とぶっきらぼうに言いながら窓際の棚を指差す。
白土さんをベッドまで連れて行き、花束を持って花瓶に向かう。当然ながら水は入っていないので、どこかの給湯室で水をもらってこないといけないか。
「……悪ぃな、昨日からの付き合いにこんな事させてよ」
聞いたことのない声色だ。
白土さんの言う通り、つい昨日知り合った人間に知らない顔があるのは当然だ。
「いえ、いくら付き合いが浅くても、包帯でぐるぐる巻きされた人の頼みを断るほど冷血な人間じゃないですよ俺」
「そりゃそうだ」
このとき、俺は油断していた。
いや、自惚れていたといったほうが正しいか。
そう。俺は自惚れていた。
そもそも前提から間違えていたことに気付かず、楽観してしまっていた。
「……昨日戦った敵の頼みさえ聞いちまうんだからな」
瞬間。
意識が凍った。
次いで、雷のような衝撃が走る。
続いて、止まった意識をよそに、思考が思い付く限りの可能性を探る。
暗示が解けた────────?。
ここまででなにか不審な態度を見せたか。
いや、ならば何故俺を自分の病室まで案内した。
どうしてそんな意味のないことを。仲間がいるなら別だが、少なくとも病室のなかは無人だし、病院で害意のようなものは感じなかった。
病院には居るのかもしれないが、白土の仲間はこの近くには居ない。居ないなら、なんで俺を戦えない自分の病室に招いたのか。
違和感はそれだけじゃない。たった今暗示が解けたにしては、落ち着いた声色だった。
暗示が解けた。つまり、知らない記憶が溢れ出すのだ。
いくらなんでも、動揺しないだなんてあり得ない。
違うのか。暗示が解けたのではなく。
「解けたんじゃなく、解けていた……?」
解けていた───もしくは、最初から暗示になど掛かっていなかった。
確かに暗示の魔術は正常に作動した。
その手応えはあったのだ。
なんて誤認だ。
魔術が正常に作動したからといって、それが正しく働くことにはならないということを今更ながらに気付いた。
「……っ」
ゆっくりと、振り返る。
これまでの行動のすべてが崩れ去る音とともに。
自らの思い上がりを悟りながら。
ゆっくりとは言いつつ、きっと数秒もかからなかった。
そうして、身体が男のほうへと向く。
視線が向かう先には、昨夜……あの路地裏と同じく獰猛に笑う男の姿があった。
「───────さぁ、あの夜の続きを話そうか」
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