黄金と勝利の魔王 (クリストフガルド)
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【第一章】勝利の王、参る
運命(うんめい)?それとも宿命(しゅくめい)


よろしくお願いします。


覚えていたのは熱かったこと。息が出来なかったこと。痛かったこと。

何もかも燃えてしまって、立っているのは俺の一人。他は全て、焼失した。

人も、木々も、土も、息をする為の酸素すら燃え尽きた。

季節は冬だというのに真夏を超える気温の上昇が僅か数秒で訪れた。茹だる様な暑さに頭がやれてしまいそうだ。これだけな暑さなのに汗一つ出ない、喉が渇いて水が欲しい。

目の前にドロドロに溶けた水道がある、辛うじて焼失を免れたみたいだが、まだ使えるだろうか?

右手を伸ばして確認をーーーーーあれ?

 

「右手、ないーーーー?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………クハァ!?」

 

ガバっ!とベットから飛び起きた。はぁはぁと息が乱れる、心臓に手を当ててみれば恐ろしく早鐘を打っている。来ていた寝巻きはぐっしょりと寝汗で湿っている。ようやく落ち着きを取り戻した頃には既に時計を見れば既に三十分近くベットの上にいたらしい。汗で張り付いた寝巻きを脱ぎ捨て上半身裸のまま、着替えを持って部屋を出る。

二階建てのこの家は一階に居間があり、二階には各々の個室が設けられている。トイレは二階と一階に一つずつあるが、風呂は一階にしかない。風呂場へ着き服を洗濯機へ放り込み、風呂へと入る。

 

(よかった……ちゃんとある)

 

三月半ば過ぎの頃、ようやく天気も暖かくなり春らしい天気となりぽかぽかして来たが、今の彼ーーー『草薙(くさなぎ)(ゆう)』ーーーの身体は異常なまでの熱気を放っていた。水で体を流しているのに一向に熱気が引かない、身体から湯気が立ち上るほどだ。

自分の右腕、肩先から指先に至るまで動作を確認する。どこからどう見ても人の手にしか見えないそれを、まるで義手でもつけ始めた人の様に動作を何度も確認する。

ようやく熱も冷めた頃には既に八時を過ぎていた。早々に着替え、今に出るとそこには見知った顔二人がいた。

 

「やあ、優。 ずいぶん長く入っていたね」

 

「お邪魔してるよ優くん。 久しぶりだね」

 

最初に名前を呼んできたのはこの家の主人の一人にして、幅広い顔と人脈、そして女性関係に噂が絶えない我らが草薙優の義祖父、『草薙一郎(いちろう)』だ。敬語で話しかけてくれたのはそんな義祖父の旧知の仲の高松(たかまつ)先生だった。

 

「こんちは、高松さん。 二人してこんな朝っぱらから何飲んだんだよ、歳を考えろよ…」

 

「ははは、この歳になると流石に元気溌剌(はつらつ)に外出する気も起きなくなったね。 だからこうしてご招待に預かっているわけだよ」

 

「そういうことさ優。 僕は別にインドア派ってわけじゃないしね、用があればどこへだって行くさ」

 

朝の八時から酒を酌み交わす老人二人の言い分にため息しか出ない。台所へ戻り、義母に仕込まれたつまみを作る。この家に来て最初に習ったのが、義母の口に合う為の酒のつまみ作りだった。職業“女王様”の義母は滅多なことではこの家に帰ってこないが、帰ってきた場合必ずつまみを作らされる。

つまみを早々に作り終え居間へ運ぶと、待ってましたと言わんばかりに老人二人が盃に酌を注ぐ。グイッと貫禄のある飲み方をする老人二人に呆れた様にまたも溜息。

 

「それで、どうしていきなりイタリアへ行くんだい?」

 

そう切り出したのは高松先生だった。イタリア?なんの話をしているのだと優は義祖父、一郎へ視線を送る。

 

「いやね、昔の友人の忘れ物があってね、それを届けに行こうかとね」

 

「それって女か?」

 

そう聞いたのは優だった。一郎は答えることはなく、代わりに片方の目だけを瞬きし、それがウィンクだと二人は理解した。そして、そんな事をするということは間違い無く女がらみの案件だ。

草薙一郎は女誑しである。幾十、いやもしかしたら幾百の女性の影を持ち、その都度彼の妻、つまり優の義祖母は心労をためていたと言う。

仕事を辞めて悠々自適に暮らしているからといって、既に妻(義祖母)『草薙千代(ちよ)』が旅立って早数年。幾ら何でもと思わなくもなかった。

 

「君も知ってるはずだよ、『ルクレチア』さんだよ。 前にうちの大学にいた女性さ」

 

「な、なんでまたあの女の名前が……でも、ダメだよ一郎さんや。 千代さんとの約束忘れたわけじゃないだろう?」

 

「……あれたしか、空港に見送りに行かない約束じゃなかったかな?」

 

「おいおい、とぼけるんじゃない! 覚えてるくせにこういう時だけ年齢からくるボケのせいにするなこの色ボケジジイィ……!!」

 

白々しくもとぼけた様に言い張る一郎に語尾を荒くなる高松先生。グイッと酌を飲み、テーブルの上に置き注ぎ足す。

以前、優は食材の買い出しに荷物持ちとして一緒に出かけた。その帰り道、前から歩いてきた昔はさぞ美人だったろうと思われる熟女然とした美女、その美女ーーー畑山(はたけやま)さんと言うらしいーーは一郎の姿を見てはっと口元に手を当てそこからドラマみたいな展開でーーーー。

 

『い、一郎さん……』

 

『やぁ、矢鱈(やちる)さん。 久しぶりだね』

 

畑山さんを名前呼び、それに対してうっとりとした視線を一郎に送る畑山さん。なぜか世間話が始まり、そのまま畑山さんのご自宅ご案内になるところを優が一郎の手を引き事なきを得た。ぜぇぜぇと息を切らしながら優は

 

『なぜ買い物しに来ただけなのにラブコメが始まる!?』

 

と壮大に愚痴っていた。それを義妹に伝えると無言で家を出て行き、コンビニで一番スンゴォイ、アイスを買ってきてくれた。

 

 

そして話は現在は戻り。

 

「そもそもあんたイタリア語できないじゃないか、一郎さんや」

 

「なんとかなるさ、今までもそういう感じだったしね」

 

そうなのだ。草薙一郎はかつて民俗学者だった。世界中を股にかけてあちこちの伝統などの収集、調査をしていた。だが、当然だが一郎本人は辺境に住む先住民の言葉などわかるはずもないが、なぜか暫く一緒に行動を共にすると何故か(・・・)仲良くなり色々と便宜を図ってもらうらしい。不思議だ。

今回もそんなノリで今回も海を渡ろうとしている一郎にまたも溜息を漏らすのは優と高松先生。

 

「大事な品らしいしね、郵送で送って何かあったら大変だ」

 

「大事な品って…何を運ぶんだい」

 

「昔、大学の仲間達とで行った旅行で、二十人くらい怪死した事件があっただろう。 氏神(うじがみ)様の祟りがなんとかってさ」

 

「その話、詳しく」

 

祟りと聞いて優は聞き流していた老人二人の会話に注目する。そんな姿にチラッと目を配る一郎は微笑みながら語った。

昔、義祖父一郎が大学院生だった頃、仲間内で能登(のと)へ旅行に出かけた。楽しい旅行にみんな和気藹々(わきあいあい)と楽しみ騒いでいた。当然、当時若かった一郎はそれはそれはモテたらしい、異性にもそして同性の友人もたくさんいるらしい。その中に『ルクレチア・ゾラ』と言う美女がいた。『魔女』と字名でどこか遠目で見られていた彼女も一郎の誘いにのり旅行に参加した。

時間はそんな時に起きた、突如として人死にが出た、最初は誰がこんなことをしたんだと警察も出動して大騒ぎになったが、一人、また一人と死者が続出した。

山村の住人は祟りだと騒ぎ立て、そんな時ルクレチア・ゾラがふらりと出かけて一晩帰ってこなかった、次の日の朝ぐったりとした彼女が一郎へ「もう人死にはでない安心したまえ」と告げた、その宣言通り、それ以降人死には出なかった。

不思議な話であった。

 

「誰かが殺した殺人なら証拠の一つでもあっただろうけど、全員が心臓麻痺、まるで何かの映画みたいだね」

 

「いや、新世界の神なんてあるわけないだろ。 いたら速攻で話題になっているし」

 

真面目な話をしすぎたのかちょっと場を和まず為に冗談を言う一郎にツッコム優。だが、その瞳の奥は笑っていなかった。だが、もう何年も前のことなら心配無用だと斬り捨て茶をすする。

 

「で、一郎さんは昔あった女に会いに行く口実が欲しいわけか」

 

「いやいや、人聞きの悪いことを。 私は性別の壁、文化の壁、人種の壁を超えて友好を確かめに行くだけさ」

 

嘘だ、二人の心が一致した。

 

「因みにだが、その品ってなのはどんな代物なんだい?」

 

「俺も気になる」

 

そう二人に言われ隣に置いてあった包みをテーブルに置き結び目を解く。

 

「………っ」

 

中から出てきたのは石版。B5サイズの大きさの石版に稚拙な絵が彫られている。鎖で繋がった男、二羽の禿鷲、太陽と月と星々の絵、鎖とは聖者を縛り、天使を縛る物、太陽と月は叡智の象徴、星々はそれらを讃える者達。地に繋がれたら男、愚かにも天に聳える火を盗みし盗人にして我が義叔父(・・・)ここから導き出される答えはーーー。

 

「…っと」

 

どうやら無意識のうちに眼を使っていたようで、集中しすぎていたようだ。話が先に進んでいた。高松先生が宥めても変に頑固な一郎は行くことは決定だと言い張る。

 

(行かしていいものか?)

 

明らかにこの魔道具はヤバイ、とんでもなくヤヴァイ。普通の人間が使ったら、いや、例え魔術師やそれに連なる者たちが使ったところでその瞬間そいつの命は尽きる。

これほどの魔道具、一般人に、それも身内にしてくれた恩人に軽々しく渡していいものか?そう考えて、答えは決まった。これはきっと自分の役目だと。

 

「だからね一郎さん、千代さんとの約束で絶対にあんたを、あの女の処には行かせられないよ」

 

「けれどもう行くって返事を出してしまったんだ。千代さんへの不義理をするつもりはないよ。友人へ挨拶を兼ねての観光兼届け人をするだけでーー」

 

「でもやっぱりーーー」

 

「ーーーー俺が行くよ」

 

二人の会話を断ち切るように言葉を挟む。優のその発言に高松先生や一郎までも眼を丸くした。

 

「本気なんだね、優」

 

「勿論、婆さんとの約束事、友達との約束事、どちらも大切だけど、その両方を守る為にはどうしても人手が足りないだろう?」

 

「確かに。 でも優くん。 向こうはイタリアだ、日本とは何もかも違う文化と言葉の国だよ? 本当に平気かい?」

 

高松先生の心配はもっともだ。若干十五歳の幾らしっかり者で通っているとは言え子供であることには変わらない。自分たちの四分の一程度の歳の子供に果たして任せられるか、高松先生はそこを心配しているのだ。

 

「いいよ、任せたよ」

 

「おう」

 

「えっ!? ちょっーーー」

 

なんと一郎はアッサリと快諾。口を挟もうと高松先生の言葉が届く前に優は今を出て二階の自分の部屋へと向かった。一階に取り残された二人の老人はヒソヒソと話し出す。

 

「本当に大丈夫かい? 幾ら何でも一人旅だなんて……」

 

「平気さ、優はああ見えてふらっとどっかに出かけて一ヶ月、二ヶ月帰ってこなかったこともザラにあるからね」

 

「それは保護者としてどうなんだい?」

 

「大丈夫、優はあれでちゃんと帰ってくる家をわかってる子さ」

 

悪く言えば無頓着、言い方を変えれば放任主義。そんなこんなで、草薙優のイタリア行きが決まったのです。

 

 

 

 

 

 

 

日本の東京都文京区、根津(ねず)を離れ、イタリアへ行く為準備を始める。既に夜の七時を過ぎていた。

まず問題となるのが、義妹『草薙静花(しずか)』にどう言い訳してこの家を離れるか、だ。

 

「……何も言わず行くか」

 

それが一番いいと考えて、手が止まった。ぎぃぃーーと扉の開く音、後ろを振り返ると鬼の形相の小さな少女が立っていた。

 

「何やってんの、お義兄(にい)ちゃん?」

 

地獄の鬼も裸足で逃げ出す形相での優しい口調は体に悪い。優はゆっくりと旅行鞄から手を離し立ち上がり静花へ近づく。

優の身長は百八十五センチもある、対して静花の身長は優の胸元にようやく頭がぶつかる程度、子供と大人くらいの差がある。

 

「で、何やってんの? 旅行行くの? へぇそうなんだ、私になんの断りもなしで? へぇーーーーー」

 

怖い怖い。恐ろしく冷めた目で見上げてくる静花に咳払いをする。

 

「違うぞ静花。俺は今回、爺さんの名代として『真世(まよ)』さんの命令を受けて行かなきゃならないんだ」

 

『草薙真世(まよ)』、天職・“女王様”と恐れられる衰えを知らぬ草薙家に棲まう魔物だ。草薙優が知る中で“人間”では間違いなく最大級の危険人物。宴会好きで年末年始は必ず家に居ない。そもそも滅多なことでは家に来ない。女王様には子分がいっぱいですでに離婚したとは言え男達から“貢物(みつぎもの)”が絶えず、“永遠の女王(エターナル・クィーン)”の称号を与えられている(本人も了承済み)。

我らが母ーーー優からすれば義母だがーーのお言葉とあらば流石の怒りっぽい静花も黙るしかなかった。ちなみに優が義母をさん付けで呼ぶのはかつて“おばさん”と呼んだ時、酷い目に遭わされたから、それもう凄い目に………。

 

「とにかく! 俺は行かなきゃならないから、お土産期待してろよ」

 

「せっかく、私と出かけられるのにお母さんが余計なことするから、それとお爺ちゃんも」

 

出かけられるという言い方はまるで優が静花と出かけたいといったみたいに聞こえるが、あえてそこは無視をした。荷物を整理してアンティークショップで購入した木製トランクを手に持つ、目の前にいる静花の横を通り階段を目指す。

 

「それじゃあ、行ってくるよ」

 

「ちょっと待ってよ」

 

制止を呼びかけられ止まる優。振り返るとなぜか仁王立ちポーズで眉を顰めた静花の顔。はて、どうしたのかと疑問に思ってると。

 

「それお願いされたのって今日なんだよね、もうこんな時間だよ? この時期って家族連れが多いよね? 今日予約したら普通は明日とかになるんじゃないの?」

 

「………」

 

痛いところを突かれた。そもそも飛行機の予約などしてない。さらに言えば飛行機なんて乗らずにイタリア行けるしと現代人の考えとはかけ離れた感性を持ち始めていた優にはここから先の打開策が見つけられなかった。

 

「………」

 

「……」

 

「…………………」

 

「ねぇ、何かうまい言い訳行ったらどうなの優兄さん」

 

その瞬間走り出した、否、逃げ出した。勢いよく駆け出し階段を駆け下りる。ダンダンダン×2の雑音。

逃げる優と追う静花。階段から飛び玄関口にある靴を履かずに手に持って外へ逃走し暗い闇路へと逃げ込む。

 

「コラーーー!! まてーーー!!」

 

玄関前で叫ぶ義妹静花の声などもう聞こえない。一瞬にで姿を消してみせた義兄にふんだ!と戸を勢いよく閉めて鍵をかけてしまった。

 

「絶対ーーぜっぇええええええたい! 謝ってもゆるしてやるもんかぁーーーーーーー!!!!」

 

草薙家に絶叫が木霊する。

 

「優、帰ってきたら死ぬんじゃないかな?」

 

それを一郎は我関せずと聞き流し、前途多難の優の今後を心配するのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イタリア北部、ミラノ。文化、経済、ファッションなど様々な物の流れが集う大都市。誰もが行き交う通りに面した喫茶店、そこに誰もが注目を浴びせる二人の男女がいた。

どちらもイタリア人、方や服装の上からでもわかる筋骨隆々の肉体と知的な顔立ちをした端正な顔立ちの男。やや歳がいってるがその美貌は若々しいままだった。

方や通りを行き交う人々を惹きつけてやまない美貌を放つ麗しき美少女。赤みがかった金髪が王冠のように頭から腰にベールのように伸びる、太陽に晒されて宝石のようにキラキラと輝く彼女の金色の髪は絹のように繊細で滑らかで風に煽られれば流れる様に舞う。

そんな彼女、イタリアが誇る天才児たる彼女は目の前の、自身の叔父にあたるイタリア“最高の騎士”に堂々たる宣言をする。

 

「ブランデッリ卿、私、『赤銅黒十字』の大騎士、『エリカ・ブランデッリ』は今回の『まつろわぬ神』調査の尖兵をお任せください」

 

堂々と、そして優雅に微笑みながら大騎士、エリカ・ブランデッリは自信に満ちた宣言を静かに口遊む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




読了ありがとうございます。


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騎士(きし)(おう)遭遇(そうぐう)

よろしくお願い申し上げます。
※加筆しました。


イタリア北部、ミラノ。その喫茶店(パール)、オープンテラスで向かい合う二人の男女。

イタリア、“最高の騎士”『パオロ・ブランデッリ』卿。

イタリアが生んだ“天才児(ジェニオ)”『エリカ・ブランデッリ』。

高級感のあるそれでいて趣味のいいスーツのパオロ卿。艶かしい彼女の足を覆い隠す程の丈の長い紅いドレス。どちらの服装にも紅い色が混ぜられていた。

両者は互いに沈黙だった。なぜなら彼女、エリカ・ブランデッリが放った言葉があまりにも荒唐無稽でパオロ・ブランデッリの頭の中は正に驚天動地であった。

 

「エリカ、自分の口にしてる事が分かってるね。そしてそれに対する私の答えはnoだと分かるね?」

 

「ええ、きっと叔父様───ブランデッリ卿ならそういうと思いましたわ」

 

敢えて叔父と呼ばなかったのはこれが家族水入らずの会談では無いからだろう。ふふっと微笑みティーカップに口を付ける。桜蕾の唇がそっと縁につけられ熱々のエスプレッソを喉に通す。そんな一つ一つの動作が男の欲望をかき乱し、遠目に見てくる観衆の野郎共、そしてそれがわかっていてやってのける彼女は正しく当代の騎士にして“魔女”であった。

パオロ卿はそんな孫を、エリカの父と母が遺した忘れ形見を心から愛している。だからという事もきっと今回、エリカが持ちかけた『まつろわぬ神』調査の尖兵、つまり斥候(エスポラトーレ)の申し出を渋った。

無論、孫可愛さだけではなかった。

 

「エリカ、お前にはまだ『まつろわぬ神』の案件は早すぎると思うのだ」

 

「だからこそ、ここで経験を積んでおきたいのです」

 

「神と呼ばれる者達がどれ程の存在か、わかっておらんな。 かつてそれに近しい者と矛を交えた事がある私が言おう」

 

アレ等は化け物だと。そう静かにいう叔父の姿に表面こそ微笑みを崩さないも、背筋を蛇が這い出るような怖気を感じざる得ない。

 

「存じております。 かつて《賢人議会(けんじんぎかい)》を統べる御方、『アリス姫(プリンセス・アリス)』等と共に“神殺し(カンピオーネ )”、黒王子(ブラックプリンス)『アレク』様と激烈なまでの死闘を繰り広げたと」

 

「その通りだ。 アレ等と対峙するということは人界の武技など児戯(じぎ)にも等しいと思い知らされる」

 

「はい。 ですが、その神をも弑逆(しいぎゃく)してしまう彼等、カンピオーネと対峙し、剰え(あまつさ)刃を向けた功に《紅い悪魔(ディアボロ・ロッソ)》の称号を与えられたではありませんか。 私もその称号を戴きたいのです」

 

「私の時は二十五歳だった。 正に肉体の絶頂期と言えるあの頃、若気の至りもあったとは認めよう。 だがエリカ、今のお前は当時の私よりも十も歳が離れている。 些か急かしすぎている」

 

もう少しまてとそう言ってくる叔父パオロにエリカはきっぱりと告げる。

 

「いいえ遅すぎます。 もしここで私が武功を挙げなければ、叔父様が守ってきた《紅き悪魔》の称号があの粗野で野蛮で、下品で幼児向けアニメを嬉々として鑑賞している変態の『ジェンナーロ』が受け継いでしまいます。 私、あの男にだけはあの称号を渡したくありません。 もし彼が栄えある《赤銅黒十字(しゃくどうくろじゅうじ)》の総帥についた暁には、私、彼の首級を見事取って見せますわ」

 

そんなに嫌なのか。思わず口にしてしまいそうになったがエスプレッソの入ったティーカップを口に運ぶ事で防いだ。『ジェンナーロ・ガンツ』はエリカが最も嫌う人物像だった。まずむさ苦しい、品がない、そして何よりかつて彼の車に乗った時延々と幼女向けのアニメを見させられ熱弁された。

もう最悪だったと今でも記憶に残ってしまう。人間、忘れたいと思っていることほど忘れられないものなのだ。

しかも首を()る宣言(ジェンナーロの)する辺りエリカが彼への嫌悪度は見て取れる。ニコニコと笑う姿が嫌に恐ろしく見えてしまう。

 

「だから叔父様、私を行かせてください」

 

いつもの悠々としたエリカでは無く、覚悟を決めた騎士の目で叔父パオロを射抜く。

紅い悪魔(ディアボロ・ロッソ)》とはそれ程までに重く名誉ある称号なのだ。その称号を与えられれば結社どころか世界中の魔術師達に広まることは明白、そして何より今が好機、結社の総帥となったパオロは三ヶ月前に称号を返上し、事実上の引退を発表したのだ。つまり今ならば───。

 

(私が《紅い悪魔》となる絶好のチャンス。 逃す手はない)

 

彼女の心情を知ってか知らずか、パオロ卿は溜息を零した。

 

「一度決めたら絶対に諦めないなお前は! ここまで言って止めないならもうこれ以上私の話など無用なのだろう、どうせ下準備は済ませてきているのだろうしな」

 

「あらやだ叔父様ったら、私そんなに腹黒くありませんわよ?」

 

ふふふと天使の微笑み(ソリーソ・エンジェル)悪魔の笑み(ソリーソ・ディアボロ)にしか見えない。

話は終わり席を立つエリカ。そこにパオロが疑問を投げかけた。

 

「エリカ───まさか、神殺しに挑むつもりではないな?」

 

背を向けて歩き出したエリカの足が止まった。実は、少しだけ、本当に少しだけ、そんなありもしない夢物語を夢想したからだ。

 

「安心して叔父様。 確かに魅力的な事だけど、そこまで自惚れてませんわ。 第二の『サルバトーレ(カンピオーネ )』卿となるのも吝かではありませんが、今回は辞めておきます」

 

「ならいい。 お前の事だ、それ相応の策を用意しての事だろう。 よかろう──《赤銅黒十字》総帥、パオロ・ブランデッリが騎士、エリカ・ブランデッリに命ず。 直ちにサルデーニャ島へ向かい『まつろわぬ神』の調査を遂行せよ」

 

「御意───騎士、エリカ・ブランデッリ、確かにその任務、拝命いたしました」

 

(うやうや)しくレディのする様なスカートの端を摘む様な礼でなく、心臓に右手を当て礼をする騎士の姿だった。

 

「お前には出来るだけ、平和な世界で生きてほしいものだがーーーどうやらお前は平和な世界では飢え死にしてしまうのだな」

 

「私は彼の将軍の様に戦に飢えてる訳ではありません。 ただ……」

 

「ただ、なんだ?」

 

珍しく言い淀んだエリカに驚いたものの一体、この娘が何を望んでいるのかが知りたい。何が彼女を駆り立てるのかを。

エリカは礼を解き、真っ直ぐ、青玉(サファイア)の瞳をパオロに向けーーー

 

「新しいもの──私の知らなかった物をこの目で確かめたいんです」

 

どこまでも真っ直ぐで美しい宝石の様なこの美少女に、パオロは彼女が立ち去った後でも目に焼き付いたエリカ・ブランデッリの笑顔に見惚れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サルデーニャはイタリア半島西方、コルシカ島の南の地中海に位置する島。地中海ではシチリア島に次いで2番目に大きな島である。

そして、周囲の島を含めたサルデーニャ島はサルデーニャ自治州を構成している。首都カシャリ(カリアリ)と呼ぶここは島の南に位置する港街であった。紀元前八世紀頃にフェニキア人が気づいたと言われる場所はどこか古めかしい家々が並ぶところでもあった。

そして今そのサルデーニャ島に地に草薙優は立っていた。普段から愛用している白のTシャツと動きやすさを重視したジーンズに、荒事などでも問題なく走れるように丈夫そうなゴツメの靴を履き、この時期には暑いと思われる赤を基本とした黄金色混じりのモッズコートを羽織っている。流石に暑いのではとすれ違う人の中には優を見て驚いたような反応をする者もいたが、対して優は涼しい顔のまま汗ひとつかかず歩いている。

 

「うーん、やっぱり変だ」

 

色々手を加えて(・・・・・・)借りたホテルの一室。三階建てで古びてはいるが、それは街の景観を損なわないためと割り切れば問題ない。外観は古びてもいざ入ってみれば清潔感のある内装であった。

なぜ、わざわざこんな遠回りをしたのか、その気になれば一瞬で(・・・)お目当てのサルデーニャ島の“魔女”『ルクレチア・ゾラ』の元へ受けたはずなのに。

 

「ここに来てからやけに体が疼く。 つまりそういう事なんだろうけど」

 

この体になって便利なのは危険が迫れば本能的にそれを知らせてくれるということ。お目当ての魔女の家はここから一日ほどかければ着く。それを身体が待ったをかけた。

 

「とりあえず、チェックインは済ませたし、街を散策すれば何か出るだろう」

 

木製トランクをベットに投げてホテルのフロアまで降り、ホテルを出る。現在、昼前の十一時を回った頃。日本との時差は八時間。思ったより早くついたなーという程度の感想で街をぶらぶら散歩。

 

「とりあえず飯」

 

お腹が空いてきて何か適当な飲食店を探す。ここはホテル街で飲食店が少ないのかなかなか見つからない。ようやく見つけ即決で最初に目に入った飲食店(バール)に入る。目の前にカウンター、その後ろには様々な銘柄の酒が置いてある。カウンター席に座り、目の前にいる店員に声を掛けて注文する。

しばらくして注文した料理が出てくる。

サルデーニャ伝統のパスタ料理、フレーゴラと切り分けられたフランスパンにガーリックバター、香ばしい匂いが鼻をくすぐりお腹が鳴る。

フレーゴラとは一般的に知られる麺を使わず、あられの様な粒を麺の代わりに入れフライパンでオリーブオイル、ニンニク、唐辛子、(あさり)などを入れて作る料理のこと。

ちょっと豪華だが、金ならある。財布を出し先に支払いを済ませいただきます。

 

ご馳走さまでした(Era tutto buono)

 

良い食べっぷりに店主も笑顔で返してくれた。店を出てまた辺りを散策する。イタリアへ来たのは実はこれが初めてではなかったりする(・・・・・・・・・・・・)

以前来たのは別の用事があったからではあるが、その時はろくに観光などしなかった。あの頃よりもだいぶ落ち着きがではじめたが、暇さえあれば──いや、暇をつくり学校などをサボり家を開けることも多い。

 

(爺さんや、真世さんは何も言わないけど、静花がなぁ)

 

草薙家に引き取られ三年、たった三年。高校へは一年遅れで入学した、行く必要がないと伝えれば静花がそれに反発、優の意思を半ば無視して無理矢理入学をさせた。私立の学校へと入学を果たしたが、小学校、中学校と通ってない優が入学できたのは、これも草薙一郎の人脈がなせる離れ業だった。

 

(けど、ある意味良かったかもな)

 

半ば無理矢理だったが、普通の生活なんて送れるはずがないと諦めていた優に草薙家のみんなが、それに関わる多くの人が彼の手を掴み離さなかったため、今の草薙優がいると言えた。なんだかんだと言って学業や友人と呼べるものたちと楽しみもあるので満更でもなかったりした。

歩き着いた先は大聖堂、さらに歩き大広場へ出る。遠目にはエメラルドグリーンの海が広がり、古く歴史を感じさせる家々と美しい海は神秘的で、日本では決してお目にかかれない光景が広がっていた。

ローマ通りへと進もうとした瞬間、全身が警戒態勢に入る。やはりいる。なぜ自分がこんな遠回りしてまでここに来たのか漸く自分自身に合点がいった。究極の獣の本能が警告を告げ、力を漲らせる。

 

(こっちか)

 

警戒心を高め、体内を駆け巡る“呪力(じゅりょく)”を練り上げる。いつでも行ける。見え始めたのは港、倉庫らしき建物とコンテナが置かれた港には人が少なかった。何故ならば今は“昼寝(シエスタ)”の時間、現在でもこの風習を守っている場所は多い。港へ入り、辺りを捜索し見つけたのは広々とした一角、仕事休みなのか若者がサッカーをしていた。地中海性気候に面してるここは年中気温は暖かい、それ故にラフな格好をしているものも街中にいた、体を動かすスポーツならばさらに薄着を着ていても不思議じゃなかった。だが、そんな若者の中に明らかに目立った人影があった。髪は黒、いや漆黒の艶やかな肩先にかかる程度、古びた外套──かつては美しかっただろう──は擦り切れ汚れ見る影もなかった。だが、何よりも惹きつけられたのはその人物の容姿。精巧な作りの顔は少年とも少女ともとれ、象牙の肌はシミひとつなくその人物の美を最大限引き出していた。

そして目にして近づいて気づく。あの少年からは微塵も力を感じない。たしかに人とは違うものを感じても、今のあの少年は脅威ではない、本能的に直感し暫し少年と若者たちのサッカーを見守った。

 

「おい、お主」

 

ゲームを抜けて少年が優へと近づき声をかける。

 

「先程から見ているだけではつまらぬもの、お主も混ざれ」

 

最初から気づいていたのか、妙に上から目線ではあるが、見守っていた優が混ざりたがっている様に思えたらしい。丁重に断ろうとすれば、若者たちもピューピューと口笛を吹き早く来いと急かす。断りづらくなった。

 

「…………じゃあ、混ざろうかな」

 

結局、押し切られ混ざってしまう。即席のゴールは漁網を使い見立て、いざ試合開始。若者たちは皆、体格のいい体つきでタックルでもされればひとたまりもない、が、優はそれに食らいつき必死にボールを守る。だが、件の少年が出てくれば風の様にひらりひらりと若者たちの間をすり抜けボールを掠めとる。だが、優も負けてられない、この体のずるい所は勝負事になればそれに応じて力を底上げしてくれること、ひらりひらりと避ける少年のボールを電光石火で奪い返す。これには少年も目を丸くしたが、次の瞬間には獰猛な獣の様に優を敵と捉え、迫り来る。試合は殆ど優と少年の独擅場だった。若者たちは二人のプレーに熱中し、わざと前に出ず二人にボールが行きやすい様パスを出した。日差しが傾き出し夕焼け空が出てきた頃にゲームは終わりを告げた。

結局、若者たちは一度も仕事に戻らずサッカーをしていたが誰も何も言わないのでこれがサルデーニャ風なのだろうと納得した。

優と少年以外、誰もいなくなった広場の一角に二人は仲良く腰を据えた。

 

「お主、やるではないか。 まさか我がああも押し留められるとは」

 

「いやいや、お前の方こそなんだよあの躱し方、ふわってしてたぞ!」

 

ふふふ、はははとお互いに互いの勇姿を称え笑い合う。だが、少年はぽつりと呟く。

 

「だが、決着がついておらぬ」

 

「ん?」

 

「たしかに、遊戯自体は大変盛り上がりを見せただろう。 しかしじゃ、我とお主とよ戦いは終わっておらぬ。 ならば延長戦と参ろうか」

 

「別にいいけど、何すんだ」

 

まさか、さっきまでのは演技でこれからが本当の戦い(・・)?警戒心が強まった優をよそにキョロキョロと周りを見渡して何かを探す。すると徐に歩き出し何かを持ってくる、それはバットとグローブだった。

 

「お主達はこれを使って球遊びをするのだろう?」

 

「まぁ、たしかに球遊びだけど。 ルール知ってるのか?」

 

「知らん」

 

はぁと溜息が漏れる。立ち上がり少年に野球のルールを説明する。

 

「なるほど、攻守と別れて互いに得点を競う競技なのだな?」

 

「まぁ、そういうことだ。 本当はもっと大人数なんだが、今は俺とお前の一騎打ちになるな」

 

「では早速始めるとしようか」

 

相談も迷いませずグローブを持って行ってしまった少年。残るバットを見つめまぁいいかと配置に着く。いざ勝負。

 

()くぞ」

 

「おっしゃ!」

 

振りかぶり、投げた。たったそれだけの大したことのない一連の動作、フォームは我流なのか優が知る野球選手の投球ではない。めちゃくちゃと表現としてもいい、だが、早い。

一球目は掠った、二球目は完全に空振り、三球は見送った。とりあえず、ワンアウト!

 

「お前ほんとに初心者だよな!?」

 

「如何にも、我は初心者であるぞ!」

 

思わず叫ばずにはいられなかった。無茶苦茶なフォームのくせにやたら早い投球に悪戦苦闘する優。

だが、一番肝心なことをここに来て思い出した。

 

「そう、言えば! お前のっ名前! なん、て、言うのかな!?」

 

質問しながらバットを振るも三度目のストライクにツーアウト。そしてグローブにボールを当てながら少年がとんでもないことを口にした。

 

「わからん」

 

困った風に笑う少年に残念なものを見る目で見つめ返す。

 

「そんな風に見るでない。 我にもわからないことがある、世界まっこと広いと言わざるおえんな!」

 

「いや、お前自分の名前だろ!? なんか覚えてないのか? ほら、その自分が人と違うとか」

 

やや確信に近い質問をしてみた。この質問次第で、今までの行動も言動の答えが決まる、そう直感する。

 

「うむ、一つだけわかることがあるぞ」

 

「………それは?」

 

行くぞといいボールを構え、投げる。カッーンとボールがバットを掠る金属音が夕焼けの港に響く。

 

「我は勝者じゃ、いかなる敵も我を討つに能わず、我が勝利は普遍に揺るがぬ。我は常に勝利とともにあり、決して敗北に汚泥を舐めるこのなどない」

 

なんと不遜な物言いだろう、だが、この少年には勝利こそが相応しいと優も納得がいってしまう。この少年が膝をつき敗北する姿が思いつかない、常に誰と競おうとも、例えどれ程の強敵難敵だろうとも必ず勝つだろうと。

ボールが投げ込まれまたもファール、ツーストライク。

 

「我も時には敗北を味わいたいもの、だが、我もつい力が入ってしまいなかなか思うようにいかないもの」

 

「………そうか」

 

ここでわかったことがある。この少年は嘘をついてない。本当にわからないのだ。だが、なぜ人と戯れていたのかはわからない、だが、この少年からは純粋な好意に近い何かしか感じない、ならば自分がすべきはこの少年との勝負に全力を投じて勝利を収めてやるのみ。

正直に言えば、負けたくない。なにやら負けたいけど負けられないとか言ってくるこの子供の鼻を明かしてやりたい、そう思うと全身に力が漲る。

 

「なぁ、次の一球で勝負を決めないか?」

 

「そもそも後一球でスリーアウトなのだろう? よかろう、我が引導を渡してやる」

 

最後の一球、少年は大きく振りかぶり、投げた!

ここ一番の最速の剛球が放たれる、さっきまでの優ならば簡単に打ち取られていた。だが、今の優は意識が完全に戦いに向けられていた。今の優には豪速球がスロー再生されているように見えていた。流れるようにバットを振り、空を切る音、グリップを引き絞る両手の感覚、全てが鮮明にわかる。

ボールはドン真ん中、バットは中心に吸い込まれるように流れていき芯にボールを捉え打ち上げる。カキーーンと今日一番の甲高い金属音が夕陽に溶けるように遠ざかっていく。最後にちゃぽんと間抜けな音が聞こえボールはサルデーニャの海に落ちていった。

 

「よっしゃあああああああああああ!!!!!」

 

渾身のガッツポーズ、子供のようにはしゃぐ優の姿に少年は賛辞の言葉を送る。

 

()(かな)! 実に良い棒振りであったぞ!! まさか我が敗北させられるとは、まっこと世はわからぬことがあるな!」

 

ははは!と大笑いする少年にこれではどっちが勝ったのかわからないくらい気持ちのいい笑いっぷりだと肩をすくめた。

二人はお互いに健闘を称えて握手をする。

 

「善き戦いであったぞ────ふむ」

 

「どうした?」

 

「いや、我もおぬしの名を聞いて()らぬことに今気付いてな」

 

そう言えばそうであったと優もうっかりしていた。

 

「じゃあ、改めて自己紹介だな」

 

「うむ、我は名乗れぬとも、我に勝利を収めたおぬしの名を我は記憶しよう」

 

「じゃあ、改めて。 俺の名前は────」

 

「ちょっと待ってもらえるかしら?」

 

二人だけの広場は闖入者が現れた。耳に心地いいソプラノボイス、凛としていていつまでも聞いていたくなる声の持ち主がかつかつと近づいてくる。

夕陽を背に歩いてくる彼女の姿を、その出会いを優は生涯忘れはしない。赤みがかった金髪は夕陽に照らされその光沢を一層引き立たせ、王冠(コローナ)の様に輝く。身長こそ高くはないが、その威風堂々とした物腰はそんなもの位に返さない。その美しい容姿と相待ってどんな男だろうと振り向かずにはいられない。どんな精巧な作りの人形や、今まで見てきた人ならざる者達にも引けは取らない。

そんな彼女は二人の前に立ち、驚くべき言葉を言い放つ。

 

「今回、来臨(らいりん)した『まつろわぬ神』について知ってることを全て話しなさい。 私の名は『エリカ・ブランデッリ』、《赤銅黒十字》の大騎士よ」

 

以後お見知り置きをと優美に左手を胸に当て礼をした。

 

(命令されたのは今日二回目だよ)

 

なんて場違いなことを考えてこれからの自分の不運を嘆く優なのであった。

 




誤字などありましたら、お伝えください。
読了、ありがとうございます。

※加筆しました。


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別離(べつり)(たび)道連(みちづ)

よろしくお願いします。

※修正しました。


「おっ、カツアゲに会うのは久しぶりだな」

 

「なんじゃおぬし、この様な輩に絡まれるのに慣れてあるのか?」

 

「もう慣れたもんよ」

 

陽気で声で自信満々に胸を張る優に少年は苦笑い。わかっていたことだ、絡まれることなんて普通に生きていれば殆ど訪れない運命的出会いに等しい。

優は何度も家を開けるがその度にトラブルに会い、いや(あい)されており、何度もこんな目にあった。ある時は金を出せと近所のチンピラ数十人と乱闘し警察にパクられそうになり、そのまま一緒に逃げ、帰りにラーメンみんなで食って仲良くなり、またある時はLA(ロサンゼルス)にカジノで荒稼ぎして店の裏を仕切る方々に追われボコボコにした後、変な仮面被ってるHERO(ヒーロー)にばったり会ってしまいそのまま揉め事に関わってなんだかんだで仲良くなったりと、遠い日の自分の姿にほろりと雫を一滴垂らしてしまった。そんな様子を見ていた二人の美少年、美少女は奇異の眼差しを向けていた。

そんな波乱万丈な物思いに耽っていた優にいい加減、話を進めたいのか眉間に皺を寄せたエリカと名乗る美少女が口を開く。

 

「ここ最近、この辺りに『まつろわぬ神』が来臨したのは間違いないの。ボーザ、オルゴソロ、バルミニ…続けざまに不可思議な住宅や自然への破壊現象が立て続けに起きてるの、そして、その現場には必ず異様な格好をした不思議な少年の目撃情報があるのよね」

 

これって偶然?と怪しむ目で少年を睨むエリカ嬢。彼女が口にした名前はいずれもサルデーニャの地名、そして優自身も気づいていた、この少年は普通ではない、先程から体の奥から力が(みなぎ)っている事に。そして突如、目の前から魔力の波動を感じ取った。

 

「改めて自己紹介をしましょう。 私はエリカ・ブランデッリ。 ミラノ結社《赤銅黒十字(しゃくどうくろじゅうじ)》に所属する大騎士、例えこの様な田舎でも私たちの結社の支部はあるの、だから誤魔化しても無駄ーー」

 

右手を二人に突きつける様にその手に獲物を呼ぶための言霊を紡ぐ。

 

(きた)れ、(はがね)の獅子よ。 獅子の魂を宿す者、闘争の精髄(せいずい)を宿す鋼よ。 我が手、我が声に応えよ。 汝の名は、クオレ・ディ・レオーネーー獅子心王の名を継ぐ勇士の鋼なり!」

 

命令し、讃え、闘争を滾らせる言霊に応えたのは眩しい銀色の(けん)、長剣は夕日浴びて僅かに刀身が紅に染まった様に見え、二度三度と剣を振れば空を切り光を反射する眩い光沢は一瞬だけ流星の様に見えた。見事な手際に思わず拍手したくなる。

 

「騎士、エリカ・ブランデッリは汝に戦の武運と栄光を願う。 汝、獅子の鋼は我が武勇を(たす)け給え」

 

戦闘準備完了、そう告げる様に切っ先を二人、優と少年へ向ける。

 

「さぁ、早く得物を出しなさい。 戦いの準備くらい待つ余裕はあるわ」

 

その物言いに少年と優は顔を見合わせる。普通ならここで斬りかかればそれは奇襲と言える。敢えてそれを捨て相手の準備を待つと言うのは、余程腕に自信のある強者(ツワモノ)かただの身の程知らずの馬鹿(うつけ)か。

だが、今回は前者だと直感的に優はわかる。彼女の剣の構える姿は言葉に表せないほど洗練で美しい。きっと想像もつかないほどの鍛錬を重ねた者達が行き着く気迫さえ感じて取れる。

でも、そんな一流と呼べるエリカ嬢の威嚇にさえ、優は微塵も脅威を感じない。蟻が像に威嚇しても意に(かえ)さない様に優は極自然体でその状況を眺めている。

エリカ嬢は不審に思う。一般人相手なら剣で脅せば十分、魔術師でもエリカ・ブランデッリ個人の名を知らずとも、『赤銅黒十字』の名を名乗れば大抵の輩は厄介そうに顔を顰めるものの、目の前の二人は飄々としており、プライドを突かれたのか少しばかり苛立ちを覚える。

顔を見合わせてどうする?と目で訴えてみる優。すると少年はやれやれと大袈裟に顔を振り優よりも一歩前へと出る。

 

「我と剣で武勇を競うか…古の勇士にすらその様な蛮行をした者はおらぬな!」

 

愉快そうに言い放つ少年の言葉に眉を顰めるエリカ嬢。

 

「《赤銅黒十字》のエリカ・ブランデッリの武勇を知らないなんて、どんな田舎から来たのかしら? 」

 

「うむ、我も自分の故郷の場所はわからぬ、だがーーー」

 

自分の名前さえも知らない少年が何を知っているのか、手を挙げゆっくりと下ろしていく動作にいよいよかと緊張が走る。そうして両者は対決をーーーせず、少年は彼女、エリカ・ブランデッリの後方に広がる海原を指差し言う。

 

「あれが何かはなんとなくわかる」

 

その瞬間、地震がサルデーニャ島を襲う。突然の地震に三人ともバランスを崩し、エリカ嬢は膝をつくが、優と少年はなんとか持ち堪えていた。

 

「おいおい嘘だろ」

 

優は目の前に現れた全長五十メートル超える巨体を眺めて呟く。天を衝く様に伸びる牙が二本、体を覆う漆黒の毛は夜の闇の様で見るものにその巨体も相まって圧迫感を増幅させる。現れた怪獣は『(いのしし)』に似ているが、それは姿が似ているだけで溢れ出る神気はこの成らざる神の獣。

海面から港に上がりオオオオオオオン!!と雄叫びをあげると突進する。行く手にある倉庫やコンテナを悉く粉砕し突き進みこのままでは街に入ってしまう。

 

「うそだろ!?」

 

「嘘ではない! 走れ小僧、こっちだ!」

 

「ちょっと!? まだ私の話はーーああもう!」

 

優と少年は『猪』とは別の方向へひた走る。重要参考人を逃すまいと追いかけようとするエリカ嬢、だが、すぐ近くで轟音が聞こえ騎士として最優先にすべきは何か考え、怪獣ーー“神獣”めがけ駆け出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここでよかろう」

 

走り着いた先は港の出口。優が入ってきた場所とは反対方向と言える場所。振り向けば今もなお怪獣によって破壊活動が行われてる。

いくつもあった倉庫やコンテナは特撮映画で使われるミニチュアの様に瓦礫と化している。最悪なことに引火したのか炎まで出ている。燃え盛る業火の中でも『猪』は怯まず破壊を継続する。街に突撃するかと思われたが何故か港で破壊活動に勤しんでいる神獣。

 

「時間の問題か」

 

もし、破壊するものがなくなればアレは直ぐに移動を開始する。ならばその前にカタをつけるしかない。どうする、ここで使うかと優はそのせいで起きる面倒ごとなどを天秤にかけている。だが。

 

「小僧、ここで別れよ」

 

突然、少年はそんな事を口にした。驚いたように優は少年を見るが、隣にいたはずの少年はいつのまにか自分よりも前方に、『猪』を見ていた。

 

「我は“アレ()”を知っている。 アレは我にゆかりのあるもの故、我がアレを引き付けたのだろう」

 

ならば、責任は我にあると少年は言う。その声には僅かだが哀しみが混じっているように思えた。港で街の若者たちと戯れていた陽気な声でもなく、どこか威厳のある上に立つものが見せる諭すような口ぶりでも無く、ただ、自分のしでかしたことに、そしてこれから起きるであろうことに憂いている様に。

 

「じゃあ、どうするんだ?」

 

ならばどうする、この少年の真意を確かめたかった。だから、少年から出た返答が予想外すぎた。

 

「向こうの方から助けを求む声がするのでな、ちと向かうとする」

 

「………正気なんだな?」

 

「勿論じゃ。 我の得手(えて)とする力でな、助けを求めるものに救いを授けなければ、それをしなければ、我は我たり得ぬ」

 

あり得ない。絶対にあり得ない答えが返ってきた。記憶がないとはいえこうまで変わるものなのか、これではまるでーーーとそこで考えをやめる。

今はこんな事を考えてる暇はないのだと首を振る。

 

「記憶もないのによく言うよなあ」

 

「ははは、これはしたり一本取られたわ」

 

そんなやりとりをしながら笑い合う二人。本来、あり得ざる交わり、怪しみながらも数刻の間共に遊び、語らい、時を同じくした両者はここが決別の時だと悟る。

優にはもう、迷いはなかった。

 

「よし、わかった。 逃げ遅れた人は俺に任せろ」

 

ならば、俺は俺のすべき事をする。

その発言に少年は驚いた顔をする。

 

「なに?」

 

「代わりに、あのバケモンはお前に任せた。 逃げ遅れた人は俺に任せてもらう」

 

「お主ーーわかっておるのか? あの神獣は我に近きモノ、故にアレを我が打倒すると言うのはーーー」

 

「それでも、お前がやらなきゃいけない事だろ」

 

もうわかっていた。この少年は俺の敵だと。何故記憶が消失しているのかは分からないが、あの神獣はこの少年に近い何かを感じる。きっと今ここで神獣を斃すべきは俺かもしれないと、けれども今は敵ではないと。ならばそれでいいじゃないか、今考えてもしょうがない事は後で考えてその時決めればいい。今日のことは今日の俺に、明日のことは明日の俺に任せればいいと。

そんないい加減な事を考えて、一人で納得して、完結する。少年は優の考えを読んだ様に大笑いする。

 

「はははは! ()(かな)()(かな)! これだからこそ人と言うのは面白い! よかろう、ならば我はあのデカブツをなんとかしよう、それ以外のことは主に任せるぞ」

 

「任せてもらうか。 次に会う時が俺たちの決着だ」

 

「よしーーーーでは、さらばだ人の子よ! 否! 我が仇敵(・・)よ!」

 

そう言い残し、少年は文字通り風に乗って消えてしまった。最後の言葉は核心をついていたが、それは後でいいかと考えて。

破壊活動をしていた『猪』の神獣は突如としてそれを止め、何かに備えて身構える様に周囲を警戒する。微風が吹いた。だが、次の瞬間、微風は強風となり、烈風となった。

下から掬い上げるように巨獣の体を持ち上げる。あの巨体を支えていた蹄が地を離れ天へと持ち上げられ、烈風により発生した竜巻に幽閉される。

港の近くもあったか、水を巻き込みながら巨大な竜巻は中央広場の大聖堂へ『猪』を叩き落とした。鳴り響く地鳴りとダイナマイトの数十倍の爆音。サルデーニャはイタリアでは田舎、それは大都市と比べ歴史ある建築が多い、今その一つ、この島の見どころである恐らく中世からある大聖堂が一瞬でその歴史に幕を降ろした。

 

「やるなぁ!」

 

なぜか俄然やる気出てきた優。漸くこの街に来た意味が果たせそうになり、久しぶりの闘争に少しだけ高揚していたりもする。この男、戦闘狂の気質がある。だが、あまり喜んでばかりもいられない、少年、宿敵(・・)との約束がある。

 

「向こうは任せた……こっちは俺の持ち場だ」

 

全身に流れる血が沸騰したかのように熱く滾る。体の内から流れる力、呪力を練り、言霊を紡ぐ。

 

「我は稲妻となり戦場を蹂躙する! 我が疾走を刮目せよ、凡ゆる者も我を討つこと能わず!我こそは最強にして王者、神王にしてこの世の覇者である!」

 

 

ーーー瞬間、雷光が爆炎を貫いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日の朝、ホテルで目を覚ました草薙優はロビーに備え付けられている新聞を手に取った。昨日の時間がどの様に記事になっているか見るために。だが、問題になっていた昨日の事件は火災事故として片付けられていた。大聖堂の崩落は老朽化によるものと、黒い『猪』には一切触れていない。

フロントにある男性に昨日の時間を聞けば、大変だったなと肩を叩かれておしまい。どうやら完全な情報統制敷かれていることに優は関心さえ覚えていた。ミラノ魔術結社《赤銅黒十字》となっていたあの少女の仕業だろうとすぐにわかった。大都市に構える結社というのはそれだけで力と威厳、歴史を持つ結社だと。

ホテルをチェックアウトし木製トランクを持ってホテルを出る。出た先にはあの少女、エリカ・ブランデッリが待ち受けていた。

 

「やっと来たわね、いつまで寝ているのかしら」

 

そんな悪態をつきながこちらを睨んでくるエリカ嬢。時刻は十一時を過ぎたとこ、まぁよく眠ったと言えるだろう。

 

「まさか、ずっと張り付いていたのか?」

 

「そんなわけないじゃない。 あなたの宿泊してるホテルを調べて使い魔に監視させていただけよ。 貴方がホテルを出る頃にここに居合わせただけ」

 

どうやらずっと監視されていたらしい、誰かに見られてる感覚はあったものの敵意が無いと分かればほっとけばいいと思い放置していたが、案の定というべきか、流石の徹底ぶりに感心する。

 

「そんなことよりも、昨日貴方と一緒にいた少年はどこにいるのかしら?」

 

「ああ、アイツなら昨日別れたよ。 なんでも人助けが趣味なんだと」

 

「つまり、まともに答えるつもりはないわけね」

 

本当の事を伝えたつもりだったがどうやら更に疑われてしまったみたいだ。

事実、昨日あの少年の姿をした何者かは『猪』の神獣を撃破したのだ。

少年と別れた優は自ら火の海に飛び込み逃げ遅れた人を救出した。そしてその途中で見たのは竜巻に閉じ込められた『猪』に金色に輝く何かが神獣を斬り裂いた瞬間だった。

すぐ様優は姿を隠蔽し、ホテルへと帰ってきたと言うわけだった。

 

「そんなのあり得るわけないじゃない。 あの少年は間違いなく『まつろわぬ神』を招き寄せた邪術師かカルト系団体の一味だと私は睨んでいるわ」

 

「その中に俺も入っていると?」

 

「当然じゃない」

 

自信満々に胸を張るエリカ嬢。発育が実り過ぎている二つの果実が柔らかそうに揺れ一瞬、そちらに目がいく。

だが、すぐ様視線を彼女の顔に戻す、だが、鋭い視線が待っていた。女というのはこういう視線に敏感だと聞いたことがあったが彼女も例にもれないらしい。

 

「それで、これからの貴方の予定を聞いておこうかしら?」

 

「とりあえず、『ルクレチア・ゾラ』の元へ向かう」

 

その名前を出した途端、彼女の表情が一変した。今まで優美で自信に満ちた顔が驚きのあまり崩れ目を丸くした。

 

「『ルクレチア・ゾラ』…サルデーニャの魔女と呼ばれる、あの魔女に貴方が会うですって?」

 

「ああ、ちょっと渡すものがあってな」

 

「………それを見せてもらってもいいかしら?」

 

どうせ見せないと言っても脅迫するつもりだと昨日の彼女の感じで理解した優は、素直に木製トランクケースを開け例の石板を取り出した。

 

「あ、貴方、そんなものを平気で持ち歩いていたの?」

 

「んぁ? 別に平気だろ、こんなもの」

 

「バカなの!? それはおそらく神代に創られし遺物、聖遺物よ! 一般人はおろか、私達《赤銅黒十字》ですら滅多にお目にかかれない代物よ!」

 

慌てふためく彼女の姿に思わず後退る。それほどのものだったのかと今思えば確かに中々の神気を感じるが、別段大した事ない(・・・・・・)と切り捨てる。

 

「そんな代物を素人に持たせるなんて……」

 

なにやらブツブツ独り言をしている彼女を脇を恐る恐る通り過ぎて行く優。その時だ、ガシッと肩を掴まれた。思わず肩が跳ね、ゆっくりと振り向けばニッコリ笑顔のエリカ・ブランデッリがそこにいた。

 

「どこに行こうというのかしら? まだ私の話は終わってなくてよ?」

 

恐ろしく強い握力で優の肩を掴み上げる、ミシミシと軋みをあげる鈍い痛みが走り思わず苦悶の声が漏れる。

 

「いだだだだだ! ちょ、ちょっと待ったキブ、キブだから!」

 

苦悶の声どころか悲鳴に近い降参だった。情けなく目尻に涙を溜めてる始末である。

 

(この女ぁ! 魔術で強化してやがる! とんでもねぇ怪力だ!)

 

痛みが走る肩をようやく離して貰い向き合う両者。エリカ嬢がまず口を開いた。

 

「その石板は素人が持つには危険よ。 本当は私が回収して然るべき場所に送りたいけど、どうせ抵抗するつもりなんでしょ?」

 

「当たり前だ」

 

「なら合理的に考えて私が一緒に行動するのが建設的な考えよね」

 

「んんんん?」

 

「だから今宣言するわ。 私、大騎士エリカ・ブランデッリは貴方と行動を共にしその石板の所在を確かめると」

 

この女は一体なにを言っているのだろうか、そんなことが頭によぎり、そして理解する。

 

「付いてくるつもりですか?」

 

「不本意ながらね、本当に遺憾だけれどその魔道書を放って置いておくわけにもいかないし、ましてや一番の容疑者の一人をここで見逃す手はないし、しょうがないけど、私が付いて行くしかないのよね」

 

はぁと頬に手を当て溜息をつくエリカ嬢、そんな仕草も絵になると場違いな考えをしてるが、優は思う。

 

(ここで彼女と一緒になると絶対面倒になる、ここはキッパリというべきだ俺!)

 

そう、先程は情けない声を出してしまったが、先程からこの少女には舐められぱっなしなのだ、ここは男としてキッパリというべきだ。

意を決して優はエリカ嬢の目をジッと見つめる。彼女も優の只ならぬ雰囲気に表情を険しくし、身構える。

優は言った。

 

「チェンジ」

 

言った、言ってやった!今優は初めての反抗、叛逆をしてみせたのだ。思春期の男子が悪戯まがいに悪事に手をつけその味をしめた時のようなスリルと高揚感に今、優の心は踊っていた。

だが、エリカ嬢の反応はない。つまり勝ったと確信した。勝ち誇ったように背を向け再び歩く優、だが、またしても肩を掴まれた。

 

「な、なんだよ、話はもういい、だ、ろ…………」

 

振り向いた先には紅の悪魔がいた。

 

「こ、この私、エリカ・ブランデッリに向かって、チェ、チェンジですって? いい度胸ね」

 

震える声でそう言う彼女の肩はわなわなと震えて、寒いのだろうかと変な考えも出てくる。だが、滲み出る怒気のオーラにそんな考えも吹っ飛んだ。

肩をつかむ力が先程の比じゃない、いだだだだだ!と悲鳴をあげても離してもらえない。

 

「いい? このエリカ・ブランデッリが一緒に行くと言ってるの。 これはお願いじゃない。 いい? これはお願いじゃなくて命令よ、決定事項なの」

 

わかった?と凄い剣幕で顔を寄せてくる彼女、端正な顔立ちに鼻の奥を擽る甘い香り、香水の類だろうか、きっと高いやつだと呑気に考えていると肩の力が増した。どうやら早く返事をしろと言うことらしい。

 

「わ、わかった! わかったから、だからこの手を! この手をどかしてくれーーー!!」

 

「分かればいいのよ」

 

そう言って漸く手を離してくれた。痛む右肩、なんてことを約束してしまったのだろうと言う後悔。これから起きる大惨事に巻き込まれる苦悩、そしてこの垢にもお嬢様と言わんばかりの美少女と一緒に旅をしなけれだならない現実。

優の腹は四十に穴が開いてしまうのではないかと思えるほど、お腹が痛かった。

 

一人旅が二人旅。こうして、騎士と王はその歴史的な一歩を共に歩み始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




読了ありがとうございます。

※修正しました。


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サルデーニャの魔女、王対(おうたい)する

よろしくお願いします。
※修正しました。


「ねぇ、いい加減にしない?」

 

そんな彼女の言葉を無視する優。今、二人はカリアリ駅のホームに備え付けられたベンチに腰を据えていた。サルデーニャの魔女こと『ルクレチア・ゾラ』がいると目されるオリエーナへは鉄道、車を使って二、三時間といった距離と聞いていた優は鉄道を移動手段として選んだ。

イタリアの鉄道は必ず遅れてくるそう聞いていたが本当にそうだったとはと驚愕しながらもこれも旅の味であると楽しんでいた。

だが、もう一時間も待たされている二人、優はこの状況を面白がっているがエリカ嬢は違った。端正な顔立ちに皺がより苛立ちが見て取れる。

 

「私、言ったわよね。 鉄道が時間通りに来るわけないって」

 

「そうだけど、やっぱり自分の目で確かめたかったと言うか、それでも乗りたいというか」

 

「要はただの馬鹿ね」

 

ごもっともだった。散々エリカに言われていたが頑固なのかなあなあで駅まで引っ張ってきてしまった。少し申し訳ない気もするが優からすれば勝手についてくるお前がいけないんじゃないかであった。だがそんな事よりも、彼女は優を見て信じられない様な目を向けている。

 

「貴方、その格好暑くないの?」

 

そう、優の格好は温暖な気候のサルデーニャ島ではまず着ない上着を着ているからだ。動きやすさを重視したジーンズと丈夫そうな靴、そしてエリカが指していた言葉の正体は黄金色混じりの赤いモッズコートだ。

この質問は今日で何度目だっただろうか、たしかに道行くすれ違う人々も奇妙なものを見るまでみていたのにも気づいてはいた。

 

「何度も言うけど暑くないの」

 

「本当に? 明らかに異常だわ」

 

そう言ってくる彼女の格好といえば、黒いノースリーブに黒いパンツ、その上から薄手の赤い上着を合わせている。シンプルなのにそれすらも彼女の美貌のお陰でモデルの様なファッションになる辺り、エリカという少女が持つ美しさはとどまるところを知らない。

会話が途切れて数分後、漸く鉄道が駅に着いた。

 

「待ちなさい」

 

乗り込もうとした時待ったをかけられた。振り返れば不機嫌そうな顔のエリカが立っていた。

 

「なんだよ、この鉄道であってるだろ? 何怒ったんだよ」

 

「本当に貴方は気が利かないわね。 レディと一緒にいるのだからエスコートするのは紳士の務めでしょ」

 

そう言ってエリカはふんっと鼻を鳴らして先に列車に乗ってしまう。一体、なんなんだろうと思い優も後を追い列車になろうとし気がつく。

 

「おいエリカ! お前荷物、荷物忘れてるって!?」

 

エリカのキャリーバックを持ってきて慌てて列車に飛び乗る。冷や汗をかいた後、車内を見ればそこは昔見た昭和を舞台にした映画に出てくるレトロな雰囲気の座席が幾つも並べられていた。エリカ探し、すぐに見つかった。車内には誰もいない様で、丁度車両の真ん中窓際座席に彼女は座っていた。

 

「おい」

 

「女性に対して乱暴な口の聞き方ね。 少しは優雅で洒落の効いた事も言えないの?」

 

「大きなお世話だ! だいたい人に荷物運ばせておいて礼の一つもないのかよ?」

 

「そう、感謝するわ。 そこに置いといて」

 

この女泣かしてやろうか。本気でそう考えたが、思いとどまる。エリカと向かい合う様にどかっと座る。キャリーバックはエリカの隣の席に置いてやった。少々腹の虫の居所が悪いが、ゆっくりと進む旧式の鉄道から見える田舎風景に優の心は癒された。

 

「そういえば、お前一人だけなのか?」

 

「何が?」

 

「いや、お前がそんな神様神様って言うからにはよっぽど大事なんだろう? 現に各地であの『猪』みたいな怪獣が暴れたって言ってたじゃんか」

 

「ええ、言ったわ」

 

「なのにお前一人なのか?」

 

「ええそうよ。 正確には私の従者もいるけど」

 

「その従者は?」

 

「別行動中よ」

 

そう言ってエリカは窓の外を眺める。優もつられて外を眺める。照りつける太陽とゆったりとした自然の風景に心が洗われる。彼女もそうなのかとチラッと横目で見たエリカの顔は退屈そうに目を細めて、ため息も出てきそうな雰囲気だった。

 

「貴方はどこまで知ってるの?」

 

しばらくの沈黙の後、エリカがふと聞いてきた。知ってるとは何か?

 

「あの少年と、港に現れた神獣、それに『まつろわぬ神』についてよ」

 

ああそれか。呑気に相槌をして、どうしようかと考える。いっそのこと全部ゲロってしまおうか、こうして隠滅している自分の存在を洗いざらい解いてしまいどうだ、参ったか!と声高らかにふんぞり返ってしまおうかとも思ったが、やめた。

 

(なぜかわからないけど。 今解いてしまうと、アイツとの戦いに変な鈍りが入ってしまう様な気がする)

 

別れを告げたあの少年、アイツとはまた会う。そんな気がしてならない。だが、それはあくまで『草薙(くさなぎ)(ゆう)』として会うのであって、決して“王”としてではない。ならば今は人としてあろうと決める。故に芝居を打つことにした。

 

「何度も言ってるけど、俺はアイツとは無関係で、巻き込まれたただの一般人だから!」

 

「ただの一般人が神代の魔導書を持ってるわけないじゃない。 早く全部白状しなさい」

 

「そもそも神とかなんなんだよ、あの怪獣とかさ」

 

「本気で言ってるなら貴方はただ捨て駒に過ぎないってことかしら? 組織立って動いているなら下っ端に余計な知識はいらないしね、後でいくらでも処分できるし」

 

「本人を前にして物騒なこと言うな! あと、俺はそんな物騒な組織に属してもないし下っ端でもない!!」

 

「口でならなんとでも言えるわね」

 

だめだ。どうやらエリカと言うこの女は絶対に俺の言うことを信じるかがないらしい。深い溜息が出てくる。

結局、どうあがいてもエリカに身の潔白を証明できなかった優だが、当初の予定は達したため良かったりした。また暫く無言が続く。レールを走る音と時折聞こえる鳥たちの囀りが眠気を誘う。

 

「……もし」

 

「ん?」

 

「もし貴方が言っていることが事実なら、貴方は知っておいたほうがいいわ」

 

先程までこちらを怪しむような目つきのエリカの目が変わった。こちらを心配というよりも危ぶむと言ったほうがいいか。

 

「知っておくって?」

 

「今回、私は私の所属する組織の総帥から任を任されたわ。 『まつろわぬ神』の調査及びそれに関与したものたちの調査」

 

ここ数日間で発生した怪奇事件、神獣による家屋、街の破壊。そしてその場に必ずと言っていいほど件の少年の姿が確認された。そして、少年が現れた土地では同時に『風』を待とう神の到来で神獣は倒される。

まつろわぬ神などと呼ばれるもの達は実際のところ本当に神なのか、それは彼女たち魔術師でもわからないという。ただ彼等は突如として現れたよな災厄を撒き散らす、神話の枠から抜け出してしまった神々、まつろわぬ、故に『まつろわぬ神』と呼ばれるそうだ。丁寧に説明してくる彼女に優は疑問を持った。

 

「どうして急に?」

 

「貴方が本当に無関係だとしたら、その魔導書を持ってる貴方は巻き込まれやすいわ。 騎士にとって民草は守るべき庇護すべき存在、例えそれが異郷から来た者たちでも私たちは民を守る騎士なのよ」

 

真っ直ぐ、サファイアの瞳が優を射抜く。あれだけ偉そうに踏ん反り返っていた彼女からは想像もできない真っ直ぐさに驚きはしたが納得できた。最初にあった時、港で奇襲できたにもかかわらず彼女はそれをしなかった。わざわざ身を晒し口上を述べ降伏まで進めてきた。人を食ったようなーーー否、人を丸呑みにしたような魔性様な少女はたしかに騎士道を歩む“騎士”その者だった。

 

「けど、もしかしたら『風』の神だけじゃないかもしれないわ」

 

彼女のその言葉の意味がわからず疑問を投げる。

 

「どういうことだ?」

 

「私、あの時、神獣を食い止めようと立ち向かったのだけれど、逃げ遅れた人がいることに気づいたのよ。 でも、次の瞬間に逃げ遅れた人たちが消えたのよ」

 

「………へぇ」

 

「そして感じたのは膨大な呪力の存在。遥か空の彼方に稲妻が走っていくのを確認したわ」

 

嫌な予感がする。汗が頬を伝う。

 

「もしかして………来てるのかしら」

 

「………ナニガ?」

 

「『カンピオーネ 』が、よ」

 

聞きたくなかった。そう思わずにはいられなかった。いくら人命救助だとしても見られたくなかった。そこは神様の仕業だと思ってくれれば良かったのにと頭を抑える優。

 

「もしそうなら、“七人目”かしら」

 

エリカが呟いたその意味がわからなかった。六人目ってなんだ?と質問してみたが、エリカが呆れた様に溜息を吐く。

 

「貴方、本当に知らないの? 『カンピオーネ』よ、知らない?」

 

「知らない」←(大嘘)

 

真顔で嘘をつく。罪悪感など微塵もない。騙されたほうが悪いとさえ思ってる優は人間としてクズかもしれない。

エリカは残念なものを見る様な目で優しい口調で話し始めた。少し腹が立ったが黙って聞くことにした。

 

「『まつろわぬ神』が招来した場合、間違いなくその場所は荒れるわ。 具体的に言えば、港だ起きたあの事件の数百倍の規模で災害が世界を襲うわ」

 

「そうか」

 

「どれだけ偉業をなした魔術師でも、世界最高峰の剣技を誇る大騎士でも、神には勝てない。 私達は神々に対して無力なのよ」

 

そういうエリカの表情は暗い。それがこの世界の常識、『まつろわぬ神』が顕れたならば何もせずじっと過ぎていくのを待つしかない。

 

「神には誰にも勝てない。現代兵器、魔術などによる攻撃は一切効かない。 だから、誰も何も言わない、何もしない」

 

でもと続ける。

 

「そんな無敵の神々を殺戮する存在があるわ」

 

それがカンピオーネ。神を神たらしめる至高の力を奪い、その権能を振るい地上を支配する魔王。如何なるものも彼等を縛ることはできず、彼等のいうことは何よりも重く逆らえば容赦はないという。

現在まで、確認された魔王は七人。誰もが身元がわかっていると言えばそうではない。

『剣の王』サルバトーレ・ドニ。通称“天才(バカ)

 

『老王』サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン。通称“ヴォバン侯爵”

 

羅濠教主(らごうきょうしゅ)() 翠蓮(すいれん)。通称“魔教教主”

 

『黒王子』アレクサンドル・ガスコイン。通称“黒王子(ブラックプリンス)

 

『冥王』ジョン・プルート・スミス。通称“ロサンゼルスの守護聖人”

 

『永遠の美少女』アイーシャ。通称“アイーシャ夫人”

 

エリカはここまで話すと会話をやめた。というか、最後の一人に関しては聞かなくてもわかっていた。

 

「最後の一人に関してはわかっていることは少ないの。 なにせ姿を消したり偽ったりする権能を持ってるみたいなの」

 

「そんなことが?」

 

「存在は確認されているその方の権能は三つ、一つは炎、あらゆるものを焼き尽くす業火を操る権能。

二つ目は、今話した姿を隠蔽する権能。これが一番厄介なの、そのせいで『賢人議会』のお歴々も存在を掌握できないでいる。

そして最後が───」

 

「雷ってことか」

 

ここまで言えば誰だって察しはつく。その三つは最も好んで使われる権能故、みられていても仕方ない。というよりもみられたところでバレるわけがない。そういうものなのだから。

 

「あの時走った稲妻は間違いないわ。 きっと七人目が来てるのよ」

 

自信満々に言い切るエリカに何故そう思うのか尋ねる。

 

「その方はね、どうやら戦いが好きみたいなの。 各地にその方がいたかもしれないっていう爪痕がたくさん残されてるのよ」

 

また嫌な予感がする。聞きたくないと思った優は質問をしなかった。だが、それとは別にエリカが喋ってしまった。

 

「ギリシャのエレクティオン神殿粉砕、ならびにアクロポリスの両断なんて傑作だったわ」

 

言いやがった!意が痛くなってきた。お腹を抑えて苦痛に歪んだ優の顔に怪訝に見つめてくるエリカは話を続けた。とても愉快そうに。

 

「それからその方はね、『冥王』とも旧知みたいでね、LAの一帯を停電にしちゃったのよ。 それから“ヴォバン侯爵”ともやりあったみたいでね、彼が表舞台に立ったのはそれが原因みたいなのよね!」

 

ふふふと笑いながら様楽しげに語るエリカとは対照的で優は胃薬を飲んでいた。

そんなこんなで、エリカと少しだけ距離が縮まった鉄道の旅は終わりを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「着いたわね」

 

「着いたね」

 

鉄道から列車に乗り換え、バスに揺られること三時間弱。ようやく目的の場所についた。時刻は午後四時、夕方と言ってもいい時刻。

オリエーナにいるという『ルクレチア・ゾラ』という魔女を訪ねてここまできた二人、目的地までもうすぐというところだろう。

あたりを見てもどう見ても田舎町。観光できそうな物はあまりなさそうで、丘や丘陵などに囲まれている、何処にでもありふれた田舎風景だが、落ち着いた雰囲気が都会に住んでいる優には心地いい。

 

「取り敢えず、宿を探して一晩泊まるか、すぐに目的地に向かうか、どうする?」

 

「目的地わかるの?」

 

「ああ、地図があるからな」

 

義祖父、草薙一郎から貰った地図を見せる。意外と細かくどうやら町外れの森に近いらしい。オリエーナは一万にも満たない小さな街だが見知らぬ街でこの時間で探し回るのは流石に躊躇われる。優ともたろんエリカも魔術師であるため下手な輩など相手にもならない、だが、あくまで一般常識言えばここはおとなしく宿でもとって明日また出直すというのがセオリーかもしれないという意味だった。

 

「大丈夫よ、行きましょう」

 

そう言って歩き出してしまったエリカ。勿論手ぶら、なぜなら優に全部持たせているから。最初は文句言っていた優だが、とうとう諦めて大人しく荷物を持っている。

 

「どこに行くんだよ」

 

「着いて来なさい」

 

そう言われて大人しく着いて行った先は駅から程なくしての所だった。ポツンと赤いボディの車が待機しており。その隣にはなぜかメイドが……。

 

「お待ちしておりましたエリカ様」

 

「待たせたわは『アリアンナ』。 でも私のせいじゃないわ、この男が鈍臭いからよ」

 

「ちょっと、俺と話してないのに俺を罵倒するのやめてくれない?」

 

「あら、鈍臭いところは否定しないのね」

 

「鈍臭くないよ! お前が荷物を俺に任せっきりだから足が重いんだよ!」

 

「レディの持ち物を率先して持つのは男性の本能みたいなものでしょう?」

 

「男にそんな野生の本能的要素はない! 断じてない!」

 

激しい(?)口喧嘩をし始めた二人の様子を見てアリアンナと呼ばれた黒髪のメイドはクスリと笑う。彼女が笑ったことで二人の注意が彼女に向けられた。

 

「申し遅れました。 私、エリカ様の従者兼世話係の『アリアンナ・ハヤマ・アリアルディ』と申します、お見知り置きを」

 

「え、あ、どうも。 草薙優です。 ご丁寧にどうも、こちらこそよろしく」

 

綺麗なお辞儀をするアリアンナにつられてついつい(へりくだ)ったように頭を下げる優にエリカは眉間に皺をよせる。

 

「私の時とは随分な差ね」

 

「お前の時は剣で脅して来たり、肩をゴリラみたいな力で握って来たりといい思い出がなかったからな!」

 

「ゴリラっていうのはこういう力かしら〜?」

 

ゴゴゴゴと効果音がつきそうな笑顔で肩を掴んで来たエリカに絶叫をあげる。その光景にアリアンナはまたも笑う。

 

「ごめんなさい、エリカ様が楽しそうでつい」

 

「………アリアンナ、もし本当にそう思うなら悪いことは言わないわ、病院に行って詳しく検査してもらいなさい。 いい? 目だけじゃなくて頭も見てもらうのよ?」

 

「初対面で失礼だが、こいつに賛成だ。 絶対それ何かの病気だぜ」

 

息ぴったりで勧めてくる二人に三度目の笑みを浮かべたアリアンナ。

 

「取り敢えず、お二人とも、目的地まで向かいますので荷物はこちらに」

 

「ええそうね、お願いアリアンナ。 ……貴方も早くしなさい」

 

「言われなくてもそうするよ!」

 

痛む肩を抑えながらトランクに荷物を詰めていく優。そこでふと気がつき口が開く。

 

「あと、俺の名前、優だから」

 

「………いきなり何?」

 

「お前さっきから俺の事、“貴方”って呼んでただろ? だからだよ、俺の名前は草薙優、好きに呼んでくれ」

 

「わかったわ」

 

「よし、じゃあお前の所のメイドさんに道を教えてくるよ」

 

「待ちなさい」

 

トランクに積み終えてアリアンナのところへ向かう優を制したエリカ。振り返った優は不機嫌そうな顔のエリカ。腕を組みながら私、怒ってます。と言わんばかりの顔だった。

 

「なんだよ、俺何かしたかな」

 

「貴方、私に名前言わせておいて、自分だけ逃れられると思っていたの?」

 

「………ああ、そういうことか」

 

優はここに来て漸く自分の失態に気がつく。たしかにこれでは鈍臭いと言われても仕方ないかもしれない。相手だけ言わせておいて自分は言わないだなんて、そんな都合のいいことはない。

 

「悪かったよ。 じゃあ、『エリカ』、改めてよろしく」

 

「ええ、改めてよろしく『ユウ』。 短い付き合うだろうけど」

 

そう言って手を握る両者。華奢な手だと思ったが、今はそれよりも、目の前の美少女の眩いばかりの微笑みにただただ魅入っていたかった。

 

 

 

 

そして二人から三人になった車旅は『ルクレチア・ゾラ』邸で終わりを迎えた。まず最初に降りたのは優、大急ぎで木の陰に走り胃から込み上げてくる吐瀉物をなんとか呑み込んだ。

 

「あ、危なかった……!!」

 

「出せば楽なのに」

 

ボソっと呟いたエリカの言葉に突っ込みする気力もないのか顔色の悪い顔で戻ってくる。

 

「……エリカ、黙ってやがったな」

 

「ネタバラシしたら面白くないかなーって思ったのよ、それに一応エチケット袋あげたでしょ?」

 

そうなのだ。この女、車が走り出す瞬間、突如としてビニール袋を渡して来た。何事だろうとエリカを見た優は彼女が酔い止めの魔術をかけているのを見てしまった。そこで気づいた、そして終わった。爆走する車、揺れる車内、過ぎ去る駅と横切られる車たち。驚きと悲鳴のオリエーナの善良なる人々の声、稲妻のごとく走り去る車に誰もが指をさし言う

 

ーーー『イカレてんのか!?』と。

 

それほどまでのライディングだった。だが、なぜか事故は一つもない。そこだけが不思議。

 

「彼女、なんでも(そつ)なくこなすんだけど、運転と煮込む料理だけはダメなのよね」

 

「それを早く言え」

 

「だから、言ったら楽しくないでしょ?」

 

この悪魔めと心底思った優。

ルクレチア・ゾラの家は如何にもと言った感じの館だった。どこか古びていて、鉄格子の門の奥に館の中へ続く扉がある。石像の置かれた庭は雑草だらけで手入れはされたない。この辺りはこの一件だけ、寂しい所だと言えた。

 

「行くか」

 

「ええ」

 

いざ入ろうと鉄格子の門の横に備え付けられてるインターホンを押す。待つこと数分、返事はない。時刻は午後五時過ぎ、夕方もだいぶ落ちて来て夜に変わろうと言う時間。しかもここは町外れの森、いてもおかしくないが居ないのならしょうがない、待つことにしようとエリカは伝えようとした瞬間、ギィィィと門が独りでに開く。

 

「まじかよ」

 

勿論魔術で開いたのは知っている。だが、場所が場所なだけにちょっとしたホラーだった。振り返ればエリカは肩を竦め大した事もないような顔、さらにその後ろのアリアンナも別段驚いたりもせず自然体だった。

 

「…………取り敢えず入るか?」

 

「それ以外ないでしょう。 行きましょう」

 

「はい」

 

三人は門をくぐり館の扉の前にやって来た。案の定三人が近づけば扉も勝手に開いた。中に入れば薪の暖炉、鮮やかな絨毯と高級感あふれるソファーと一人がけの椅子。上にはシャンデリアと意外にもテレビもある。電話もありとても魔女と呼ばれるものが住んでるようには見えない場所だった。チラッと壁を見れば変な仮面が何個か飾られてるが不気味というよりも変だと思った。

 

ーーーニ゛ャ゛ャ゛ャ゛ャ゛ャ゛ャ゛ャ゛ヤ゛

 

なんか聞いたことのある声。声のする方を見れば、そこには太々しい一匹の黒猫が此方を見下ろしていた。一目で使い魔だとわかる。黒猫は二階に上がるための階段を下って来て優、エリカ、アリアンナの横切りながら一つの扉の前で止まり、此方をチラチラと見てくる。

 

「来いってことか」

 

「流石にあからさま過ぎるけどね」

 

「荷物は私が見ておきます」

 

アリアンナに荷物を任せて二人は猫のいる扉を開ける、するりと猫は中に入っていき続いて二人も入る。

 

「よく来たな少年」

 

中から聞こえて来たのは甘ったるい女性の声。真っ暗な部屋だったが、声がした瞬間ゆっくりと部屋に明かりが入っていく。

そこにいたのは亜麻色の美しい髪の美女だった。人前、しかも男の前だと言うのにネグリジェを着たままでベットに横たわっている。最初に出会ったからも変わらずだらしない格好だった。どこか艶かしい色艶があるこの美女こそが『ルクレチア・ゾラ』その人だった。

 

「草薙一郎の義理の息子、いや、孫だったか? どちらでもいいか……。 ともかく、草薙優で相違ないな?」

 

「ああ、間違いないよ」

 

「そうか、一郎の手紙にあった通り、なかなか肝が座っているな。 こんな美女の肢体を眺めて眉ひとつ動かさないとは感心したよ」

 

「もし仮に俺が獣でも、そんな格好でいるあんたが悪いな。 肉食獣に草食獣を襲ってはいけませんと同じくらいタチが悪いしな」

 

「それでは君が肉食獣で、私が草食獣ことか、おお怖い怖い、私は食べられてしまうか」

 

会話を楽しむかのようにケラケラ笑うルクレチアだが、一向に動こうとしない。隣に丸まっている猫も同じく。

 

「随分と弱っているようですわね、ルクレチア・ゾラ」

 

ここでようやくエリカが口を挟んできた。優の隣にいるエリカに視線を動かすルクレチア。

 

「そういえば君はどこのどなたかな?」

 

「申し遅れました、私、《赤銅黒十字(しゃくどうくろじゅうじ)》の大騎士、エリカ・ブランデッリです。 お見知り置きをシニョーラ」

 

丁寧だが、どこか不遜な態度。だが、それが彼女らしかったのでつい優は鼻で笑う。そんなルクレチアだが、不機嫌になるでもなく少し驚いたように口にする。

 

「ああ、パオロ卿の姪御(めいご)殿か、お噂はかねがね耳にしてるよ。 若き天才、獅子の魔剣を手にした魔女と」

 

「あら、光栄ですわ」

 

それから女子トークが始まる。少々居心地が悪くなったが、気を取り直して目的のものを出す。古びた石板を。

 

「やはり、プロメテウス秘笈(ひきゅう)か……」

 

受け取った彼女はブツブツとコーカサス懐かしいなーとか、あの時は面倒だったな、たく一郎め、雨にでも降られてしまえなど、独り言を言っている。

そこにエリカが割って入った。

 

「シニョーラ。 質問をよろしいかしら?」

 

「構わないが、年寄り扱いはやめてくれ、気軽にルクレチアと呼んでくれて構わないよ」

 

「なら私もエリカでいいわ。 それでルクレチア、ここにいる優は一般人なのよね?」

 

「ぅん? ………ああそうか、そう言うことか。 合点がいったよ、大騎士がなぜそこの少年と一緒に行動を共にしているのかを。 大方、『まつろわぬ神』の起こした事件に巻き込まれたか、当事者として疑われていると言うことか」

 

なんという洞察力だろう。優はたったこれだけの会話と状況でここまで見抜いてしまう魔女に驚嘆を覚える。というかいい加減服を着ろと言いたかった。

 

「それで、やっぱり」

 

「私の知る限り、一郎は学者で、その家族構成も一般人と変わらない。 当てが外れたな」

 

ガックリと肩を落とすエリカ。失態だわ、私としたことがとか、なにやらいってるが、すぐに気を取り直して話を変える。

 

「では、ルクレチア。 今回、招来した神の素性はわかるかしら?」

 

「ああ、わかるとも。 何しろ私は二柱の神々の闘争に巻き込まれて絶賛呪力を使い果たしたばかりでね」

 

呪力を使い果たしたーーそれを聞いて優はようやくなぜルクレチアから殆ど呪力が感じなかったのか理解した。

 

「五日前サッサリに異常なほどの呪力が柱状列石(メンヒル)に集まった。 私はそれを霊視(れいし)し調査に向かった」

 

「それで巻き込まれたのね、神々の闘争に」

 

「その通り、辛うじて逃げ延びた私が見たのは二柱の神が相打ちする形で倒れる姿だった」

 

ぐったりとしたように息を吐くルクレチア。どうやら本当に辛そうだと二人は感じて取れた。それもそうだろう、エリカが話していたように最高峰実力を持つ騎士や魔術師でさえも神には遠く及ばない。必死で逃げてきたのだろう。

そしてエリカは恐る恐るといった感じで、口を開く。

 

「その神の名は?」

 

「───メルカルト」

 

メルカルト。古き多くの名を持つその神が地上に顕現したと言う証拠だった。だが、話はまだ終わりではない。ルクレチアは二柱(・・)と言ったのだから、まだもう一柱の神の名を聞いていない。

 

「もう一人の神は?」

 

「すまないがそっちは見れなかったんだ」

 

もしかしたら、そちらの方が重要だったかも知らないのに、渋い顔でエリカは唇を噛む。

 

「だが、どちらも軍神としての特性を持っているのはわかる」

 

「どうしてだ?」

 

「戦ってい神が剣を持っていたからさ。 剣は戦士の証、戦う道具だろう? それにメルカルト神に真っ向から挑もうとする神など軍神以外ありえない」

 

そう言うものかと感心する優。ルクレチア曰く、その二柱、軍神メルカルト、もう一方の正体不明の軍神と闘い深手をもらい撤退、そして正体不明の神は散り散りになったと言う。

 

「散り散り?」

 

「うーん、砕かれたと言うべきかな?」

 

「つまり斃されたの?」

 

「それは違う。 その神は黄金の剣を持った軍神だった、だが、最後の一撃をもらった際、体がばらけそれは獣の形をした神獣になり各地に飛び去った。」

 

その獣達が港を襲った神の獣だろう、優とエリカはチラッと互いにアイコンタクトをする。

因みにメルカルトは多くの名を持つ神々の王でもある神格だ。 古き名はバアル、嵐、雷、天空の神だったが、権威の上昇とともに様々な権能を持つようになり最高神として崇められた神だ。

これは最高神としたならば多くの神に当てはまることだった。北欧のオーディン、ギリシャのゼウスも多くの権能を持つ天空の王者である。そして天空神は豊穣も司る役目も担っているとルクレチアは語る。

 

「彼らは多くの名と力を持つ神々だ。 時に名を変えて地上を歩き様々な問題ごとを起こしては帰っていく傍迷惑な神でもある。 メルカルトの別名、と言うかこっちが本名と言うべきか、バアル神もその古典的な神様だ」

 

もともと天空神は暇な神(デウス・オティオースス)と言われるほど暇なのだ。なぜなら天空とはこの地上の上に存在する場所であり、それを支配する彼らは天地を支配した超越者。故に天地開闢などの重要だが、イマイチ理解できないなど、それ以外では殆ど活躍を見られない。それ故に信者ないし礼拝も捧げられないと言ったことも間々あった。ではなぜ、彼等の名が今尚続いたのか、それは彼等が多くの名を持つことに由来する。

 

「神々は多くの特性を吸収して自分の存在をより高めた、天空のみならず、知恵を、王権を、武力としての権威を取り込んであったのさ。 それ故に彼等には多くの名前がある。 その時その時で新たな名前を獲得し、神話の中に自分の名を刻んでいったのだ」

 

感心したように頷く優。話は戻され、砕かれたとはなんなのか、それを説明する番だと言う。

 

「彼はテュロスの町の守護神のような存在なのさ。 フェニキア人が築いたこの街は難攻不落の要塞でもあり、当時地中海の覇者であった彼等の手はもちろんサルデーニャにも伸ばされ島の支配者となった」

 

優れた商人であったフェニキア人は海上交易で繁栄を極めていた。その繁栄は幾たびの戦争により敗北しても尚損なわれることないほどに。

メルカルトは軍神、そしてフェニキア人が崇めていた神。故に彼の神はこの土地とも縁のある神といえる。

 

「メルカルト神はしばしばヘラクレスと混同される。 それはなぜか、ヘラクレスの柱という場所がある。 神話に出てくるヘラクレスは大西洋と地中海の間にある山を棍棒で叩き割った。 その結果、二つの海はジブラルタル海峡で繋がる。 わかるだろう? フェニキア人は海を使ってその版図を広げた、ラテン語にPlus Ultra(さらに向こうへ)、これはヘラクレス(メルカルト)が切り開いた新たなフロンティアへの願掛けのようなものでもあったのさ」

 

メルカルトないしバアルはヘラクレスよりも古い神性、フェニキア人がメルカルトが切り開いたその道をギリシアの民が英雄と混同したとうことだろう。

 

その後、ルクレチアとの話は終わり、今日はここで一泊する運びとなったが、そこでも問題はあった。

片方は知らぬ間に旧知の仲と再会できていたが、それがわかるのは一日経ってからだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




読了、ありがとうございます。

※修正しました。


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最後の晩餐(ばんさん)

遅くなりました。
長いです。よろしくお願いします。

※追記※
お気に入り百人ありがとうございます。そして、評価を入れていただき本当にありがとうございます。

※修正しました。


「もぉー、早く()ぎなさい……強情な男ね〜」

 

「いや、だからさ」

 

「このエリカ・ブランデッリに酌を出来るなんて光栄に思いなさい。 はやくつぎーなーさーい」

 

「だから……」

 

()ぎなさいよー」

 

酔っ払っている。完全に酔っ払いのノリで優に空のワイングラスを突き付けて注げと催促してくる。

なぜ、()えある《赤銅黒十字(しゃくどうくろじゅうじ)》の大騎士が酔っ払いのように───実際酔っ払いだが──ウザ絡みをしているのかを説明するには暫く前まで時を遡る。

 

 

 

 

 

 

 

 

オリエーナの街はずれに住む『ルクレチア・ゾラ』邸へと着いた優、エリカと従者兼メイドのアリアンナの三人。

アリアンナに荷物を任せ、二人はルクレチアと話し合い、此度の『まつろわぬ神』降臨の顛末と対策を話し合っていた。

 

「それで、これからどうすればいいかしら?」

 

これから、それはどういう今なのかそんなバカな質問をする者はこの場にいなかった。メルカルト神ともう一柱の正体不明の神、黄金の剣を持った剣の神らしい説明を終えてルクレチアは今晩はこの館に泊まればいいと宿泊の提案をしてくれた。勿論日本育ちの優は最初こそ遠慮したが、気にするなという言葉に了承した。

そんな時だ、エリカが口を挟んできたのは。

 

「どうすればいいか……どうにもできないだろう?」

 

大魔女と言われる彼女がどうにもできない。最高峰の魔女である彼女でさえ神々相手では逃げの一手でどうにか生き延びるしか出来なかった。

未だ若輩の、大騎士とはいえエリカ一人ではこの問題を片付けられない。封印だけならと高を括っていたといえる。そこで、ルクレチアはまさかと思い尋ねる。

 

「エリカ、まさかと思うが神殺しをするつもりなのか?」

 

「叔父様も同じことを私に質問したわ。 けどね、私は出来ることとできないことの区別は出来る女なのよ。 たとえ百度神と戦う機会を得ても私は一勝も出来ないでしょう。 それくらいの判断の余裕はまだ持っているわ」

 

神殺し。懐かしい響きに優の瞳に陰りが落ちる。わからないが、その出来事がなければ、優はここにいないし、生きてもいない。神を殺さねば自分が死んでいた。だけど、そのせいで自分は人として何かを失った気がすると思っていたりする。

そんな優の気持ちを知ってか知らずか、エリカはとんでもないことを言い出す。

 

「七人目が来てる可能性があります」

 

「……………まじ?」

 

ここにきて初めて見たルクレチアの驚いた顔、鳩が豆鉄砲、リスが砂糖菓子を舐めた、言い方は様々だが彼女は驚愕の表情を浮かべていた。エリカは未だ驚愕の顔を浮かべ半信半疑のルクレチアに理由を述べた。

 

「先日のサルデーニャの港で起きた事件をご存知? あの場に現れた『猪』の神獣と『風』の神の死闘の間際、私は第三の強大な呪力を感じ取りました。 そして、空の彼方に稲妻が走るのを見た……これを私は七人目のカンピオーネの仕業だと推測しるわ」

 

勿論、一瞬の出来事だったが、そう言ったエリカの顔は確固たる自信が浮かんでいた。不敵な笑みを浮かべてルクレチアを見る。対してルクレチアはうーんうーんと唸るばかり。そしてポツポツと話し出した。

 

「そうか、あの方が来てるのか。 そうかー、いつぶりだったかな、一年? 二年前か? それとも三年だったか? 会ったことがある御仁でね」

 

衝撃の事実にエリカは動揺する。それもそのはず、七人目は素性を隠し一切の接触を絶っている。声や外見、性別さえもわからない。見ようとするとその全身が靄のように不透明になりボヤけてしまう。霊視能力のある魔女を使って調べようとした事例もあるが悉く失敗に終わった。どうやら七人目の隠秘の権能は高位の霊視能力でさえも歯が立たないほど強力な権能だと言える。だからこそだろうエリカは聞きたくなった。

 

「どんな人物だった?」

 

好奇心だった。正体不明、年齢、外見や声もわからず性別も不明。いつカンピオーネになったのか、いくつの権能を保持しているのか、どこの生まれなのかもわからない。もしかしたら、自分が七人目に近づくことのできる最初の一人になれるかもしれない。エリカは少なからず興奮を覚えていた。

 

「どんなと言われても、あの御仁は私の前に突如現れてふっと消えていった。 聞きたい様だけ済ませて、あとは一言二言他愛な会話しただけさ」

 

勿論、顔はわからなかった。それを聞いてエリカは少なからず落胆した、だが、初めから望み薄だったのはわかっていたからまぁいいか位に考えていた。そしてここまで会話に入っていなかった優をチラッと見る。置いてけぼりにしていた為、つまらなさそうにスマートフォンの時刻を確認していた。

 

(まあ、そうよね)

 

当然の反応。魔術師でもない優には関係のない話。神だの神獣だの神殺しだなと話されてもつまらないだけ。だが、優はというと。

 

(あ、胃が痛い)

 

スマホの画面に表示された時刻には午後五時半過ぎ。陽もだいぶ落ち始め夜の気配を出し始めた頃か。優は七人目の話が出た瞬間、急な腹痛に襲われた。痛む腹に顔が歪みそうになるのをなんとか堪えてスマホに気をやる。必死にやせ我慢をしているのだ。

二人の会話が終わるのを待ち、優はルクレチアが持っている石板を指差し言った。

 

「じゃあ、その石はちゃんと返しましたよ」

 

不遜にも神代の遺物を石呼ばわりにした優にルクレチアは愉快そうに笑う。手に取った石板『プロメテウス秘笈(ひきゅう)』を眺める。要件が終わったといい優は部屋を立ち去ろうと身を翻した。

 

「うむ、確かに受け取ったよ少年………いやまて」

 

呼び止められた。あと一歩で部屋の外に行けるところで止められた。なんだよとジト目でルクレチアを睨む。

 

「おいおい、薄着のレディの肢体をそんな目で見てはいけないよ」

 

薄着なのは自分のだらしなさのせいだろうがと声にでかかったがなんとか堪える。何か用でもと言う優にルクレチアは答えた。

 

「なぜ君は今回の旅を決意したんだ?」

 

「なぜ、とは?」

 

「だってそうだろ。 まだ十代の若者が見知らぬ土地に来るのは躊躇われる。 旅行で行くならまだしも、いくら家族のためとはいえ考えさせられたんでね」

 

確かにそうかもしれない。普通の高校生一年生は確かに一人で海外へ旅に出るなどなかなかできる経験じゃない。

 

「まっ、そうかもしれないな。 でもせっかくの連休なんだ、海外に出かけられるならラッキーくらいに思ってのことだったんだけどな」

 

まさか怪獣と神様、それに魔術師なんかに出くわすなんて。間の抜けたような口ぶりでそう語る優。ルクレチアはふーんと鼻を鳴らし先程までの勘ぐる様な眼差しをやめた。代わりにつまらなそうな顔で。

 

「なんだつまらなん。 一郎の孫だというからてっきり女を買い漁りに来たと思ったのだがな!」

 

「俺はあの人(一郎)みたいに女関係で爛れてない!」

 

あの人(一郎)と同じ扱いされた事に憤慨する優。良い歳した男が近所のご婦人等と怪しい関係になってたりなど勘弁してもらいたい。

そして、よく言われる“あの”一郎の息子さんなのという決まり文句。そう言われて色眼鏡で見られるのにも慣れたものの、だが、一郎さんによく似てるわねと言われるのだけは我慢ならない。その事を義妹の静花に話した時、呆れるようにハイハイそうですねーと軽く流された、解せない。

もう話は終わったと言わんばかりにドスドス出口へ向かうとまたも呼び止められた。今度は何の用だと振り向いた瞬間、目の前に長方形の物体が迫っていた。それには見覚えがある、なぜなら先程サルデーニャに来る目的となり、ルクレチアに返却したものだったから。放物線を描いて落ちてくるそれ、石板を見事にキャッチした、おおと感嘆の声を出す人物を睨む。

 

「なんです、これは?」

 

「うん、君にやるよ」

 

「はぁああ!?」

 

大きな声を出したのはエリカだった。あんぐりに口をだらしなく開けて驚きを隠せない。こんな風に驚くなんて珍しいなと優は別の意味で驚いていた。

一歩前に立てエリカは叫んだ。

 

「お待ちください! なぜ彼にそれを渡すのですか!?」

 

「ん、気分」

 

「き、気分ですって……!?」

 

またも驚愕に顔をひきつらせる。美しい美貌が怒りと驚き、そして呆れに塗りたくられる。口元はピクピクと引きつり笑顔の仮面も半ば取れている。我慢ならないと沈んでいた顔を勢いよくあげた。

 

「ありえません! 彼のようなズブの素人に神代の魔導書を渡してしまうなんて、それならば、その役目はこのエリカ・ブランデッリが相応しいはず!」

 

「常識的に考えればそうだろうなぁ」

 

「ならば……!」

 

「だがな、そちらの少年はどうやら石板を返しに来ただけとは思えんのだよ」

 

確かにそうだった。ここに来た目的は石板をルクレチア・ゾラに返すためだった。だが、途中からその目的の優先順位は降格されていた。無意識だったといえる。優の頭の中には既に闘争のふた文字しか浮かんでおらず、まさか見抜かれていたのかと感心と共に、流石は当代きっての魔女だと心の中で賛辞を贈った。

話の矛先が優に向いていたため二人の視線が向けられていた、ルクレチアの新しいオモチャで遊ぶような人を食った表情とは対照的に、眉間に寄せたシワと納得がいかない顔で優を睨んでいた。

 

「やはり愚行と言えるわ。 その魔導書は神を封じる為に有効かもしれないのに」

 

「おや? 君は神を封じる為に来たのか」

 

てっきり神殺しをして新たな王になろうとしてるかと。ルクレチアの言葉に首を横に振る。

 

「私は高望みこそすれど、自分の力量をしっかりと見ているの。 確かに魅力的かもしれないわ。 でも、(アレ)等と戦うなんて御免(こうむ)るわ。 命がいくつあっても足りないしね」

 

エリカのその言葉を聞いて心底ホッとしたのは他でもない優だった。彼女の言葉はごもっとも、神々と戦うなんて命がいくらあっても足りない、たとえその先に栄光が待っていようとも、決して定命の者達では太刀打ちできない超越者なのだから。その超越者を弑逆してしまうカンピオーネは(まさ)しく怪物と表現が相応しい。

 

「故に、私はあの魔導書を欲します。 ルクレチア、再度のご検討を要求します」

 

エリカは引き下がらない。獲物を決して離さない、赤みがかった黄金の髪が王冠のようで宛ら獅子、いや雌獅子というべきか。食らいついた狙いを定めた獲物を欲してやまない強い瞳に射抜かれるルクレチアはと言うと。

 

「だが断る」

 

「なんですって…!?」

 

なぜここでそのネタを言うのか。ちらっと部屋の片隅に積まれていた本を見た。八十六年頃から連載していた様な大人気漫画が山のように積まれていた、その隣には投げ捨てられたA○a○onの絵柄が書いてあるダンボールの残骸があった。

 

「私は相手が絶対にYESの返答だろう思い込んでるところにNOといってやる女だ!」

 

額に青筋が浮かぶ。エリカと優は同時にこいつウゼェと思ったに違いない。ルクレチアはなんとも澄ました顔で続けた。

 

「私は面白いものには幾らでも時間と労力をかける性分でね! だからこそ、その少年にかけたくなったのさ。 第一、そんな魔導書を今更渡されてもめんどくさい───もとい今の私では手に余る。 故にこれは私的に妥当言える判断だと言えるな!」

 

寝転がりながらいろいろ消耗してると言いつつもなんとも元気に声を張るなとここまで来て仕舞えば呆れを通り越して感心さえ覚える。

速攻で諦めモードの優とは違ってエリカはますます機嫌が悪くなった。

 

「信じられないわ、彼のサルデーニャの大魔女がこんないい加減な人物なんて……もういいわ、好きにして頂戴。 私も好きにするわ」

 

「まさか、栄えある《赤銅黒十字》の大騎士様が一般人相手に脅しをかけることはないと信じているよ」

 

「当たり前じゃない! バカにしないで!」

 

部屋を後にしようとしていた所にそんな事を言われつい声を荒げてしまったエリカ、失礼と一言だけ残して乱暴な足取りで部屋を後にした。完全に取り残された優、まさか自分を置いて話をどんどん続けられ剰え結局この魔導書どうすんのと言いたげにルクレチアを見る。

 

「おいおいそんな顔をするな少年。 君は運がいい、神々と出会って無傷でここまで辿り着いたその幸運、いやこの場合悪運か? どっちでもいいが、君はついてる」

 

「全然嬉しくないんだが」

 

この部屋に来てどっと疲れた優も部屋を出ようとした瞬間、目に入った懐かしのゲーム機。黒くて四角い本体と丸みを帯びたコントローラーが有線で繋がっている。まさかこんなものまで持ってるとは、魔女とは一体っと考えて更に目に入る物がある。そのゲーム機専用のソフト、名前は確か──。

 

「ド○クエじゃねぇか!?」

 

思わず叫んだ。扉の向こうでガダっと物音がしたが気にしない。今はそれよりそのソフトだ、なぜこれがここにあるのかは別にいい。問題はその名前を叫んだ瞬間、ルクレチアが妙にそわそわし始めたことだ。

 

「や、別に私はただ面白いことが好きなだけで最近ハマり始めたゲームの世界観に感化されたわけでも、氏の描いた漫画キャラのセリフがカッコ良すぎでつい真似したくなったわけでもない」

 

早口で捲したてるルクレチア。真顔で言われても、そそっとゲーム機に布を被せ、漫画を横になっているベットの陰に隠そうとしてるあたりがすでにダメだった。

冷めた視線を送りつつ優も部屋を後にした。

ドアを開けた先には部屋に備え付けられたイージーチェアに腕を組みながら待っていた。

こちらをチラッと見た後はそれだけ。何か言うわけでもなく、アリアンナに出された紅茶を手を付け優雅に呑んでいた。優も何も言うわけでもなく向かい合う形で椅子に座る。

 

「あの人、変わってるわ」

 

誰のことか一目瞭然だった。大変だったななどの言葉はいらない。そんなこと言っても、このエリカという少女は次の次の策などすでに思いついているだろうと結論づけていたからだ。代わりにポケットに非常食として入れていたチョコを差し出した。

 

「………なに?」

 

「いや、食べるかなって」

 

「………いただくわ」

 

「アリアンナさんもどうぞ」

 

「ありがとうございます」

 

だいたい三分の一程度に割って分け与えた。エリカだけにあげるのは見栄えが悪いのでアリアンナにも当然あげた。すると食べ終えたエリカはおもむろに立ち上がり、ルクレチアの部屋ではない別の部屋へ行ってしまった。アリアンナにどっちと聞きそれにアリアンナが左ですと答える。なんだろう。

 

「おい、なぜ持ってきた」

 

「あら、別にいいじゃない。 減るものじゃないし」

 

「では私は料理を作ってまいります。 草薙様、エリカ様の相手をよろしくお願いしますね」

 

「ちょっと、アリアンナ。 それは言葉がおかしいわ、私が遊んであげるのよ」

 

「あっ、そうでしたね。 ではそういうことで」

 

なにやら話が片付いてしまったが、優の視線はエリカの持っているボトルに注がれている。酒だ。ワインだ。赤ワインだ。

 

「エリカ、歳は?」

 

「女性に年齢を聞くなんてマナーがなっていないわね。 十五よ」

 

「ダメじゃねぇか」

 

このイタリアの法律では十六歳から酒類を飲むことが許される。優は十六、エリカは十五歳。つまり年齢的にクリアしてないのだ。

 

「私がそんなこと気にすると思って?」

 

「ハイハイそうですねー」

 

この女、法律など知らん我が道を往く!って人種か。やはりとんでもないのに目をつけられたなぁと今になって後悔し始めていたが、すでに飲み始めているエリカの酒に優も在り付く。

 

「結局飲むの?」

 

「俺は十六歳だし、別にいいだろ」

 

「あなた、私より年上だったの?」

 

そういえばそうかもなと対して気にせずに飲み出す。かんぱーいとグラスを軽く当てる。半分ほど飲み始めたところでアリアンナが料理を運んできてくれた。そこから更に飲むペースは早まっていく。余談だが二人と一人の誰もこの酒と食べ物が誰のものなのかツッコミを入れないところ神経が図太い。

そして話は冒頭に戻る。

 

 

 

 

「早く注ぎなさいよー」

 

「…………なぁ」

 

「どうしてそんな顔してるの?」

 

「………だから」

 

「この私の酌を断るというの? 万死に値するわ〜!」

 

「……あのな」

 

「早く注ぎなさい!」

 

「だからそれは俺じゃない!」

 

完全に酔っ払ってしまったエリカは部屋に飾り付けられた仮面を優だと勘違いして空になったグラスを向けてくるが、勿論仮面にそんなことできるわけなくただエリカの機嫌が下がっていくだけだった。

途中からルクレチアも部屋から出てきて更に飲むペースが加速したのがいけなかった。

ルクレチアは黒猫と何やら戯れてほろ酔い気分と言ったところか、勝手に酒を出して料理までしたというのに怒りもしないあたりこの魔女、存外に器がデカイのかもしれない。

 

「いったぁ!」

 

エリカの悲鳴。するとそこには右の人差し指を抑えるエリカ、仮面の一つにヒビが見えるが、まさかデコピンでもしたのか?デコピンで仮面割らせられるのかとか、エリカの心配はしていなかった、寧ろ割られた仮面の心配をした。

 

「私の指になんてことしてくれたのかしら! ちょっとそこに直りなさい………なぜ顔色一つ変えないの? おかしいわ、絶対おかしいわ優!」

 

「ああもう、だからそれは俺じゃないって言ってるだろう!? ルクレチアさん! あんたからも何か言ってくれ!」

 

「おおそうかここか? ここがいいのかニャンタローよ」

 

わしゃわしゃ猫を撫でて全く話を聞いていない。斯くなる上は。

 

「アリアンナサァァァーーーン!」

 

「ぶっあははは!!! あ、アリアンナさーんですって、ちょっ、ちょっとおか、おかしい、くっぶふー、あっはははは!!」

 

階段上で何やらツボっているアリアンナも最早ただの酔っ払い。普通の人だと思ったのだが、どうやらエリカと一者に行動できるあたりこの人もダメだったらしい。いや、車の時点で気づけよと言いたいところだが。

響くエリカの罵声とアリアンナのゲラゲラ笑い、そしてトドメにルクレチアの(いびき)。収集は───不可能だった。

 

 

 

 

それが漸く落ち着きを取り戻し始めたのは夜中の一時を回ったごろだった。馬鹿騒ぎの夕食兼飲み会は既になく、みんな好き勝手に寝ている。アリアンナは階段で寝落ち、ルクレチアもベットがある部屋へ行かずソファーで寝ているし、顔には黒猫がアイマスクよろしく乗っかっている。あのエリカでさえも床に丸まって空の瓶を抱きしめて眠ってしまってる。

 

「はぁ…」

 

結局、片付けは優が一人でやりルクレチアを起こさないように抱き抱えてベットへ放る。ぐふっとか聞こえたが気にしない。階段で寝ているアリアンナをおんぶして一階にある別の部屋へと運び込む。最後に、エリカだったが。

 

「むぅ、なによー」

 

どうやら少し起きてしまったらしく、こちらを睨んでいる。

 

「悪い起こしたな」

 

「ホントよっ」

 

悪態をつきながらもこちらに手を伸ばして早く起こしてなポーズをしてくるあたり、本気で怒ってる訳ではないらしい。

手を掴んで引き寄せる。高い香水なのだろうか、鼻の奥へ甘い香りが通っていく。握手した時も感じたが、あの怪力がどこから出てくるのかと思うくらい小さな手をしている。背格好も優と比べれば二十センチは違う。一人で歩けるわと言いうが足取りがおぼつかない。フラフラと歩いては止まって、また歩くして漸く階段へたどり着き一段、二段、三段目に足をかけようとした瞬間、後ろに倒れた。

 

「おいおい大丈夫かよ」

 

「だ、大丈夫よ。 でも一応お礼は言っておくわ」

 

間一髪のところで優が背後に回り背中合わせの様にエリカの背中を支えた。ばつが悪そうにそっぽ向きながらお礼を述べてくるエリカにどういたしましてと言っておく。階段を登り終えるまで一緒についていく。

二階に上がり、一番奥の部屋ドアへと進み中へ入るとセミダブルのベッドが一つ。

 

「感謝するわ……ふふ」

 

突然エリカが不気味な笑いをしたことに驚いた。なんだよと目を細める優。するとエリカは微笑みながら。

 

「いえ、あなたもレディをエスコートすることが出来るんだなって思ったら可笑しくてね」

 

「流石の俺だって酔っぱらいの女一人を心配するくらいするさ」

 

「ええ、なんかそれがおかしくて」

 

ひどい言い草だ。ベット上に横になりながらうーんうーんと唸るエリカを見て、なんだかこっちまで笑えてきてしまった。いつも優美な姿を崩さない彼女がだらしなくしている姿が面白かったからだろう。まだ二日しか合ってない間柄だが、このエリカという女性がプライド高くそれでいて真っ直ぐで時々ズル賢い性格の持ち主だということがなんとなくわかってきた。だから、だから優は思う。これでいいのかと。

 

「なぁ、エリカ」

 

「なによ、悪いけど話なら明日にしましょ──」

 

「今からでも遅くないし、今回の件から手を引いたらどうだ」

 

場が静まり返る。バタつかせていた足も唸り声も止め、枕に顔を埋めたままエリカは一切の動きを停止した。そこから一分、二分と時計の針が進み、やがてエリカはベットから身を起こした、ぺたんとベットに座る形だ。交差する二つの瞳、サファイアの瞳と黒曜石の瞳がぶつかる。口を開いたのはエリカだった。

 

「何故そう思うの?」

 

「相手は神様だろう。 人が勝てる奴じゃない、だったら勝てる人を呼んでくればいいじゃないか」

 

イタリアに住む魔王、剣の王を呼べば、たとえ神相手だろうと───寧ろ神が相手ならば悠々どころか嬉々として向かってくるに違いない。剣以外は闘争と食うことしか能がない奴だ、神は倒せても後始末で結局プラマイゼロどころかマイナスになることもある。

勿論、本気で言った訳じゃない。あの馬鹿にまかせるなど自殺行為にしかならない。では、あの老カンピオーネに?ない、それは絶対にあり得ない。本当の理由はこの少女を戦いから遠ざけたかったからだ。

 

(ここまで付き合った仲だ。 ここで死なれたら目覚めが悪すぎる)

 

たった二日の仲だが、それでも他の誰よりも濃い時間を過ごしたように思える。プライド高く、剣、魔術、美貌等の才気に溢れる喪うのは惜しいと“王”として考える。それが自分の考えるべきことだと結論づける。なにをおいても、まず守るべきは民草の安寧なのだと。なのだが……。

 

「それはできないわ」

 

彼女は引かなかった。驚くことはなかった、そうだろうとわかっていたから。

 

「この任務は私が叔父様に───ブランデッリ卿に無理を言って来たのよ。 私にはどうしても手に入れなければならないものがあるの」

 

「その為に死んでもいいのか?」

 

「死ぬつもりなんてないわ、危なくなったら引くつもりだしね」

 

「嘘だな」

 

それは絶対嘘だ。彼女はあの手この手を使う女狐だが、同時に雌獅子ような獰猛さと勇猛さを兼ね備えてる。そして、なにより彼女は騎士だ。民を見捨てて自分だけ逃げる選択肢など始めからあるはずない。メルカルト神と少年神がぶつかればこの島は海に没するかもしれない。それをこのエリカという大騎士は分かっている。優の言葉にエリカは何も言わないが、初めて見せた苦笑いが答え代わりだった。

 

「私は騎士として、この島の人達を守る義務があるの。 もしここで私が何もせず逃げ帰ったりでもしたら臆病者だと一生、後ろ指を指されるでしょう。 それは私の、エリカ・ブランデッリのする事ではないわ」

 

胸に手を当てながら宣言する。

ああ、やはりそうだ。人がどれだけ言っても聞きやしないこの無茶を通す感じ、本当に嫌になる。

そして、それを止める術を持たない自分に。曲げられないものを持つ者に幾ら止めてもどうしようもないことを優は身を以て知っている。

 

「…………そうか」

 

絞り出せたのはたった一言だ。これが精一杯の返答だった。身を引き裂かれるようなこの思いを優はかつて味わったことがある。後悔を、たった一つの後悔を忘れない為に。

 

「なに、心配してるの?」

 

「なわけないだろ」

 

そう、心配などもうしてない。こんな女にいちいち心配などしていたらこっちの身がもたない。知ったことか、俺は俺のやり方を貫かせてもらうだけだ。

優の心情を知ってか知らずかエリカいやらしい顔でふーん、へーと繰り返す。

 

「貴方みたいな一般人よりも私の方が適してるわ。 だがらね優。 貴方は明日の便で日本に帰りなさい」

 

「へいへい、考えておきますよ」

 

やなこった。

誰が人の言うことを聞かない女の言うことを聞いてやるもんか。それに、俺には俺の約束があるんだ。あの少年神との再戦がまだ残ってる。

笑い合う二人はどこか不気味で、これから起きる波乱の前触れを楽しんでいるように見えてしまう。こういうところで妙な親近感みたいなものが生まれる。話すことがなくなったのか手持ち無沙汰となったのかそわそわし始めた優。冷静に考えてここは寝室で、今この空間にいるのは自分とエリカの二人、しかもエリカは先ほどのベットでダラけたせいか服が乱れている。目のやり場に困っていると、ウトウトし始めたエリカは電池が切れたおもちゃのようにポフっとまたベットへ倒れこむ。完全に寝てしまったようだ。いつまでも男が女の寝室にいるのは良くない、早々に退散しようとドアノブを回すが………っ!

 

「んんんん!? 開かない!」

 

そう開かない。そして聞こえてくる幻聴、いや、魔術によって送られてくる声がする。

 

《んふふふふふ。 さっき私をぞんざいにもベットへ放り込んだ報いだと諦めたまえ》

 

そうこの家の主人にして大魔女ルクレチアの声だ。たしかに面倒な魔導書を渡して来たその報復の一環としてベットへ放ったがまさかここまで実力行使に出るとは。

破るのは簡単だ。魔術で閉まってるわけではない、純粋に鍵が掛かっている。一般人ではない優が本気になればこの程度紙屑同然、だが、破れば正体がここで露見してしまう。バレてもいい、だか、出来ることなら神と戦うまで正体は隠し通したい。最高のタイミングで最高の戦果をあげる為。扉を叩き外のアリアンナを呼んでも返事はなく、結局、優は部屋の中にある椅子で一夜を過ごす羽目となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「優、私、昨日貴方と最後に話した後の記憶がないの」

 

「うん」

 

「私、昨日貴方がベッドルームまで運んでくれた事には感謝してるわ。 貴方にも紳士的な一面があることに嬉しく思ったから」

 

「うん」

 

「でも、昨日の言葉は撤回するわ。 貴方はケダモノよ」

 

「なんでさ!?」

 

「女性の淫らな寝起き姿を視姦しておいてどの口が言うのかしら」

 

草薙優、絶体絶命である。昨日、エリカと同じ部屋で寝てしまった。勿論何もしてない。本当だ。結局ドアを開けられず一夜同じ部屋で寝たわけだが、朝起きたエリカは起きた瞬間、優がベットのすぐ近くにある椅子で寝ていた事に激怒。優を叩き起こし今、出口ドアに押し付けながら取り調べをしている最中だった。その手には勿論、『獅子の魔剣(クオレ・ディ・レオーネ)』が握られていた。

 

「だ、だから違うんだ! 俺はお前と話し終わった後部屋を出ようとしたらドアに鍵がかけられてて出れなかったんだ!」

 

「百歩譲って事実だとしても、処女(オトメ)の寝室で寝ることが許されると思って?」

 

「そ、それについては申し訳ない」

 

指一本触れてないが、寝顔を少しだけ見たのは本当だ。ダラシなく涎も垂れてたなぁと笑いそうになるが、今笑ったら死ぬ、間違いなく死ぬ。いや、死なないが精神的に社会的に死ぬ、この女ならやりかねない。だが今はまだ別の問題が先だ。

 

「そ、それよりも頼むから服を着てくれ」

 

そう、彼女は下着姿なのだ。流石に恥ずかしいのかシーツを引っぺがし体を隠すように抱いている為あまり見えない。でも不思議だ、寝る前には来ていた服はどうしたのか、よく見ればベットや床に落ちている。寝相が悪いのか着ていた服を寝ながら脱いだみたいだ。白の上下、レースの入った下は左右の紐で締めるタイプみたいだ。エロい、間違いなくどエロい。これはいける、いいぞもっとだと心のオヤジが歓声をあげる。シーツで隠したとはいえその抜群のプロポーションは隠せない、細くそれでいて肉付きのいい脹脛(ふくらはぎ)、その上にある真っ白な太腿、腰のラインはカーテンの隙間から刺す太陽の光でうっすらとシーツ越しに浮かび上がる。そして何よりもその柔らかそうな二つの──。

 

ヒュン────ガンッ…………。

 

優の顔の真横を通り過ぎた銀の流星。暗がりで怪しく光るもその美しさは損なわれず、真っ直ぐ敵を刺し殺すため鍛えられた獅子の鋼。

優がエリカの露わな肢体を見ていたのがバレたのだ。エリカの顔を見れば怒った顔を真っ赤にしてる。色白な為、肩先まで赤みが広がってる。

 

「どこを見てるのよ!?」

 

「すいません!!!!!」

 

渾身の土下座、それで許してもらえず謝り倒して三十分以上エリカの機嫌を戻すため費やした。

 

 

 

 

 

 

「朝から賑やかだったな! 昨日はお楽しみか?」

 

朝八時過ぎ、ようやく朝食だ。クロワッサンなどのパン類とコーヒーという簡単なものだが、ガーリックバターの香ばしい匂いが鼻を伝い食欲(しょくよく)を唆る。

 

「お前、覚えてろよ」

 

ニヤニヤと他人事のように言ってくるルクレチアを睨んでおく。その肩にはあの黒猫が鍵を加えた状態でこちらを見ていた。ニヤッと笑った気がしたあたり使い魔共々似た者同士ということか。

あの猫も許さん。そう心に誓った優。サクサクのクロワッサンにバターを塗りたくり齧り付く、うまい。コーヒーも豆から挽いている為、インスタントにはない若干の苦味と香ばしさがある。イタリア人はコーヒーをこよなく愛する人種だ、一日平均して三杯飲むと言うし、締めにコーヒーと言う日本でいうお茶感覚なのだろう。食事もそこそこに本題へと入る。まず切り出したのはルクレチア。

 

「それで二人はこれからどうするのだね?」

 

「まず、『まつろわぬ神』を見つけ封印を目的に動こうと思っていますわ」

 

「当てはあるのか?」

 

「ええ、勿論ですわ」

 

優美にそう答えるエリカの顔には今朝の怒髪天のような感じはない。よかったもう怒ってないようだとホッとする。エリカの目的はわかった、そして今度は優の番だった。

 

「少年、君はどうする?」

 

楽しげに何かを期待するように目を細めて尋ねてくる魔女。組んだ手の上に顎を載せるように若干前屈みにすれば深い谷間が覗ける、というか男の前で薄手のキャミソールはないだろう、眼福眼福。

 

「いっ!!!?」

 

鈍痛が足先から走る。見ればエリカのヒールの踵が優の足を踏みつけてる。エリカを睨み何すんだと抗議の声を上げようとすれば凄んだ眼光で黙らされた。ダメだ、まだ怒ってる。横目でエリカを見れば赤と黒のツートンカラーTシャツに黒いパンツで合わせてる、正直似合っていると言いたいが今は褒めても返って火に油を注ぐだけだと判断し諦める。対して優は白い無地のTシャツとジーンズと言うラフな格好だ。尚も攻撃は続行されてるが構わず優は言った。

 

「俺もあの少年を探してみようと思います」

 

その返答に誰一人として驚いたり止めたりするものはいなかった。昨日、すでに話は済んでいる、エリカはバカねと小声で優にしか聞こえない声で呟くとルクレチアはそうかそうかと頷いた。

 

「いや、さすが一郎の息子だよ。 トラブルに事欠かない所とかあいつそっくりだな君はぁ!」

 

心底愉快そうに笑う。うるさいよと苦言を漏らすと効果なし。

 

「よし! 前途ある若者を激励してやろうじゃないか! 頑張れー!」

 

ウザい。二人の気持ちが一つになった。

朝食を済まし、優とエリカ、そして侍女アリアンナはルクレチアの館の門の外へ出ていた。

 

「付いてくることにしたのね?」

 

「ああ、俺がいないとこれが使えないだろ?」

 

石板をチラつかせながらそう言ってくる優にふんと私、不機嫌ですアピールをしてくる。そんなエリカを可愛いと思っていたら横からアリアンナが耳打ちしてくる。

 

「エリカ様、本当はすっごく心配なさっているんですよ。 草薙様は一般人ですからもしもの時は私がなんとかするって張り切ってましたから……!」

 

「ほほう?」

 

それはそれは。なんとも可愛げがあるじゃないかとエリカを見れば。

 

「気持ち悪い」

 

本気で傷ついた。美少女に本気声で気持ち悪いと言われたことがない優に取って予想をはるかに超える攻撃だった。膝が力をなくし地面に四つん這いになる程に。

 

「く、草薙様!?」

 

「ほっときなさいアリアンナ、そこのバカは一生そこにいればいいわ」

 

「そ、そんなエリカ様……!」

 

心配してくれたのはアリアンナだけ、エリカはサッサと優の横を通り抜け歩き出してしまった。アリアンナもアワアワしながら優とエリカを交互に見ながら微妙な距離感を保ちながら後を追う。

 

「俺、ちょっと忘れ物したかも」

 

未だ四つん這いになっている優が突如、忘れ物をしたという。振り返るエリカは呆れたようにため息を一つ。

 

「だらしないわね。 早く取ってきて」

 

ここでまっててあげる。そう言われてる気がして急いでルクレチアがいる館に戻っていく。門を潜り館の扉を開け、二階──には上がらず、真っ直ぐルクレチアがいる寝室へ突貫した。

 

「おい少年、歳も考えず、はしゃぎ過ぎと言えど女の部屋の訪ね方としては零点以下だ」

 

不機嫌そうに壊れたドアの前にいる優をジト目で睨む。やはり美女などという人種に凄まれればその破壊力は凄まじい。普段の優ならたじろぎ額を床に擦り付けていたが、今の優はもう、誰もが知る温厚な性格の人ではない。

 

「ん? ああ、悪い。 だが、あんたに聞きたいことがある。 勿論、答えてもらう、拒否は許さん」

 

「………少年?」

 

明らかに様子が違う。昨日まで人畜無害そうな少年だったのに、今目の前にいる彼はそう、まるで────。

 

「まるで“王様”みたいだって?」

 

「っ!」

 

ここで始めてルクレチアの顔に警戒の色が映る。

 

(読まれた!? バカな有り得ない、いくら弱っているとはいえその程度の魔術攻撃など私が見落とすはず、ましてやここは私の館でそんな失態を……)

 

考える。なぜ読まれたか、目の前の少年から発せられる圧倒的存在感と威圧感、そして恐怖。下手を打てば死ぬ、死ぬなど生易しいもっと酷い目に合うのではないかそんな予感がしてならない。だが、目の前の少年からは一切の呪力や魔力が感じられない……。

 

「っ! しょ、少年、君は、いや…御身はまさか」

 

そうだ有り得ない、大なり小なり人はその身に魔力や呪力を宿してる。言い換えれば生命力だ。それが微塵も感じられないなどそれではまるで死人たら同じだ。ルクレチアは現代にまで残る大魔女の一人、その彼女の感知さえ惑わせてしまう程の使い手など世界にそういるものではない、もしいるとすれば“聖騎士”か、同じくらいの魔女、或いは一つしかない。

 

「久しいな、魔女よ」

 

「………やはり、御身でしたか」

 

カーテンに遮られ暗がりの部屋で怪しく光るその眼、懐かしの旧知、数年前に突如現れ知りたいことがあるといい、知りたいだけ知って去ってしまった正体不明の王。それがまさかこれ程若いとは思わなかったと目を丸くする。そしていつまでも寝転んでいたルクレチアは気怠けな身を起こそうとする。

 

「ああ、そのままでいい。 俺も気遣いくらいできる」

 

「……」

 

「それと、御身は辞めてくれ。 さっきの様に砕けた感じでいい」

 

「…………なんと」

 

不思議な王だろう。素っ首斬り飛ばされるか、粉微塵に家ごと吹き飛ばされるくらいの覚悟はしていた。知らなかったとはいえ王に対して数々の非礼、死を持って償えと言わられれば従う他ないがまさかのお許しが出た。

 

「お互い知らない仲じゃない、俺も貴方には貴重な情報を頂いている。 それにあんな事で命を差し出せなんて、どっかの狼害(ろうがい)じゃないんだし、気にすんなよ」

 

優が口にした問題発言の当事者の顔が一瞬脳裏によぎるが、すぐに忘れる。その方がいいと本能的に察したからだ。ルクレチアも優に言われてベットに寝直し楽な姿勢で話をする。

 

「そうか? では、少年。 また何用で戻られたのかな?」

 

「あの時の答えは出たか?」

 

あの時とはまさか突然教えて欲しいことがあると言って来たあの日のことを言っているのか?まさかの質問にルクレチアは答えに迷う。結局、長い時を費やして探し求めた答えも未だ出ず、半ば諦めがある。

 

「………正直に言えば未だ分からぬ、としか言えぬな」

 

「……………そうか」

 

たった一言、そうかと言って身を翻して出て行こうとする。

 

「それを聞くためにわざわざ戻ってきたのか?」

 

「いけないか? 俺にとっては重要なことだったんだ」

 

「……少年、私からも聞かせろ」

 

王に対して命令口調、だが、無礼を許すと言ったのは彼自身だ。優はルクレチアへ振り返る。そこにはいつになく真剣な貌のルクレチアが。

 

「君は、答えがわかったのか?」

 

「いいや、だが、ある意味で答えは出た」

 

「それは?」

 

出口へ歩いてしまう優。ゆっくりと、蹴り飛ばされ壊れたドアがまるで巻き戻しの様に治っていく。ドアが閉まる直前優は言った。

 

「アイツは俺が倒すってことだ」

 

ドアが閉まった。

 

 

 

「随分と長く忘れ物を取りに行ったものね」

 

ルクレチアとの話を終えて戻ってきた優を出迎えたのは不機嫌なエリカだった。隣をチラリと見ればアリアンナが苦笑いしていた。優はチラッと忘れ物と称した黄金色混じりの赤いモッズコートを見せる。

 

「ルクレチアと一体、どんな話をしていたのかしらねぇ?」

 

「ど、どんなって………ん? まて、なぜ話をしていたとわかる?」

 

「貴方みたいに飢えた狼があんな無防備な状態の女性を放っておくと思う? いいえ、思わないわ!」

 

「誤解を生む様な発言は控えてもらうか! 俺、単純にこの石板がどんな力なのか聞いてみただけで」

 

「それにしては随分と長い説明をされていたのね? あらやだ、十五分? 貴方もしかしてそんなに早く事を済ませられるの?」

 

「おい、それは幾ら何でも俺にじゃなくて男に失礼だろ!?」

 

「貴方に言っているのだから、他は関係ないわ」

 

いやらしいと蔑む様な目で言ってくるエリカ、それを全力で否定する優。平行線な二人の不毛な口論をアリアンナが止まるまで暫く続いた。

 

(お二人とも、仲がお悪いんでしょうか?)

 

いがみ合いながらも歩調を合わせて進む二人の背中を見て、アリアンナは考えを改める。そうこれは所謂。

 

「喧嘩するほど仲がいいのですね!」

 

「どこがだ!」

 

「どこがよ!」

 

最後の平穏、これから先の物語に波乱が待ち受けている事をまだ誰も知らない。

 

 

 

 




読了、ありがとうございます。

これからもよろしくお願いします!

※修正しました。


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()が名は───

遅くなりました。なかなか仕上げられなくて、申し訳ありません。
それではどうぞ。

※修正しました。


「それで、目的地はあるのか?」

 

まず訪ねたのは優だった。ルクレチアの元を離れ車へと乗った三人、勿論運転手はアリアンナだ。代わりに運転すると名乗り出た優だがそこに侍女がーーー。

 

『私からお仕事を取らないでください!!』

 

涙ぐみ、必死感全開で言われてしまい、引き下がるしかなかった。なんでもアリアンナは魔術師としては優れているとは言いがたく、エリカに声をかけてもらえなければ《赤銅黒十字》を追い出されているところだったらしい。だが、致命的に運転が荒い。初見で乗れば間違いなく酔ってしま、いや、吐く。なぜ雇ったのかと聞けば。

 

『だって面白いじゃない』

 

だそうだ、エリカもルクレチア同様面白さに重きを置く人間の様だ。確かに気立てもいいし顔も可愛い料理も美味しいと三拍子揃っているが、なぜ変なところでダメなのか。世の中には不思議な人もいるなーと関心を覚える優。

そして決まった行き先はドルガリ、沿岸部にある小さな街にこれからいくという。

 

「理由は?」

 

「貴方があの女(ルクレチア)と密会していた最中に報告があったわ。 強大な呪力の塊がドルガリ方面に向かったとね」

 

なかなか優秀な部下を持ってるらしい。この短期間でそこまで調べられるとは、さすがは魔術の本場というところか、それともエリカが所属する結社の情報がすごいのか、おそらく両方だろう。

海に近い山間部にあり、自然豊かな場所、長閑(のどか)な山道の風景を車内から眺める。ここから先に文字通り生死を賭けた戦いがあるなどと誰がわかるだろうか。

 

「エリカ様、見てください」

 

当然アリアンナがそんなことを言ってきた。エリカはアリアンナが指差すフロントガラスを見る、つられて優も覗き見ると雨粒がポタポタとガラスを打つ。

 

「…………雨?」

 

「はい、山の天気は変わりやすいからでしょうか? 珍しいですね」

 

本当にそうだろうか。エリカとアリアンナの会話を聞いて不自然に気づく。ここサルデーニャは地中海性気候だ、温暖で乾燥している雨など滅多なことでは降らない。しかも、先程まであれ程晴れていたのだ明らかに異常だ。どうやら、エリカも気づいたようだ。

 

「いいえ違うわ。 この雨は自然に降ったものじゃない、この先にいる何かが起こしてるものだわ」

 

アリアンナに急いでと告げアクセルを全開にして走り出す車。緩やかな山道が死を予感させるデスコースに早変わりした瞬間だった。

一同はドルガリへとついた。山の(ふもと)にある小さな街だ、街にあった交番前まで下車した後はアリアンナを退避させる。

 

「貴方も逃げなさい」

 

「断る」

 

「っ、本当に死ぬわよ!?」

 

「死なないから安心しろよ」

 

エリカに宣告されながらも一歩も引かず並行して走る優。街は三人がついた時には既にパニックに陥っていた。突如降り出した雨と降り注ぐ雷、家屋に直撃し火事も起こっている。逃げ惑う人々、我先にへと走り出す人の雪崩の中を優とエリカは避けながら進む。

街の中心へたどり着いた途端、それは来た。

 

クェエエエエエエエエエエエ!!!

 

天より飛来する雷がエリカと優の二人は襲いかかる。

 

「危ない!」

 

「えっ…… きゃあ!?」

 

反応したのは優。素早くエリカを横抱えにして避ける。轟音を立てながら雷は路面へクレーターを付ける。じゅうじゅうと肉が焼け焦げたような音がその威力を物語る。

 

「あ、ありが──」

 

「礼を言うにはまだ早いぞ、早く立て!」

 

「わ、わかってるわ! 命令しないで!」

 

立ち上がる二人は天を睨む。雲の上に、いや、中にナニかいる。あきらかに自然に生まれた大きさじゃない。雲にその影を落とし存在をアピールするがの如く雷を落とした元凶はその威容を示す。

四足の足に蹄を持ち、王者の冠のような立派な角を掲げ嵐を中を天翔ける『山羊(やぎ)』。『(いのしし)』によく似た波動を感じる、間違いなく神獣だといえる。その大きさも『猪』に負けず劣らずの程、翼もないのに空を駆ける巨躯を見上げる市民達、ある者は指を指し驚き、ある者は惚けたように見上げ、ある者は怪獣の存在に恐れをなして逃げ惑い、ある者は神の神罰だと膝を屈し赦しを乞う。

ある意味では神の神罰だといえる、だが、それがどうしたと優は敵を睨みあげる。

 

「やはり現れたわね……だいぶ遅れてしまったみたいだけど」

 

街の惨状をみてエリカは悲しげな表情を浮かべる。雷の落ちたところは漏れなくクレーターができて、家屋に落ちた雷は炎となって民家に燃え移る。嵐の影響で物が飛び人に当たるかもしれない、そして何より、二次被害によるパニックが心配だ。逃げる人々の中には足腰の弱い者や病人もいる。こんな田舎町では若者よりもお年寄りの方が多いと相場が決まっている。すれ違う人々の中にはいずれも年寄りが多かったからだ。

 

クェエエエエエエエエエエエエエエエッ!!!!

 

まるで勝利の雄叫びように甲高い啼く『山羊』に優は身の内から湧き出る力の奔流を表そうと自身にかけた呪縛を解こうとするも。

 

「……バカにして」

 

エリカから漏れたその一言で我に帰る。普段の優雅な彼女からは想像もできない怒りを含んだ口調だった。ルクレチアの前でも似たような雰囲気を現したが今回はその比ではない。

 

「この島には何万を超える人が住んでいるのよ、それなのにたかが(・・・)神獣如きが荒らしていい権利なんてありはしないわ!」

 

「……………………くはっ」

 

たかが。エリカ・ブランデッリという大騎士は神の獣をたかが(・・・)と罵ったのだ。これが笑わずにはいられなかった。何という不遜、大胆さ、そして怒りを抱いていようとも害われることのない美貌と優雅さ、そして勇猛。まさしく雌獅子(めじし)。そんな優の心情を知る由もなく、エリカは笑われたと思いジト目で睨む。

 

「何よ、何か文句でもあるのかしら?」

 

「いや、むしろ逆だ! 最高だと思ってな。 そうだよな、あんな訳も分からない生き物に()られてたまるか!ってな!」

 

愉快そうに笑う優にエリカは一瞬、惚けたが、すぐに吊られて笑う。何度見ても黄金のような笑顔だ、といつまでも見てみたいと思ってしまうほどに優はエリカの笑顔が好きだった。

 

「ちょっと自分でも暑くなってしまったのは歪まないけど、言いなおすつもりはないわ! 私は騎士として民の平穏を守る義務があるの! だから──」

 

チラッと優を見る。何を言いたいのかわかってる。ここで自分が離れることは優を危険に晒してしまうかもしれないという懸念があるからだ。今も天翔ける『山羊』が雷を落とし続けてる。それを止める術を持つのは彼女『エリカ』と()だけなのだ。そして今は王の力を出せない。今はその時ではない、この力を振るうべき相手が近くに来ていると直感する。その者の真意を今一度問う為に。

 

「わかってる、俺のことは気にせず行ってこい!」

 

「………ありがとう─────()けよ! ヘルメスの長靴(ちょうか)!」

 

魔術を使い、空目掛け跳躍し『山羊』を追うエリカ。残された優は後ろを振り返る。

 

「いるんだろう? 出てこいよ」

 

「なんじゃ、バレておったか」

 

吹き抜ける風と共にあの少年は現れた。初めて会った時と同じくアルカイック・スマイルを浮かべ、ボロマント。端正な顔立ちなのにどこか年寄りめいた口ぶりで物を語る少年と二日ぶりに再会する。

だが、違和感がある。初めて会った時と同じように体が熱くなるのは当然だが、その熱が強まっている。まさかと少年を見る。

 

「やっぱり、お前は『神』か」

 

「そういうお主は『神殺し』で相違ないな」

 

青年と少年としてでなく、あの港で共に遊んだ友人ではなく、神と人、『まつろわぬ神』と『神殺し』として二人は対峙した。

 

「お前、名前は?」

 

「分からぬ。 未だ思い出せず……アレを倒せば或いは……かの」

 

今一度名を問うても知らぬという少年は空中で騎士と踊り狂っている『山羊』見ていう。ルクレチアが言っていた砕けたというメルカルト神と相討ちした『剣』の神の秘密が漸く直で見て取れた。

 

「お前は、あの神獣を殺せば殺すほど力を取り戻すのか」

 

「左様。 我は砕かれし器の一部、そしてあの獣も我と同じく本来の姿の一つに過ぎん。 今我がアレを誅殺すれば、我はまた我として地上に舞い戻るであろう」

 

「お前は、本当にそう思っているのか?」

 

だとしたら何故、あの時俺を助けた、何故港に現れた『猪』を倒し住民を救った。その問いに少年は初めて言葉を噤んだ。

何故そうしたのか、自分でも分からないという風采(ふうさい)だ。優はこれまでに多くの宿敵と対峙してきたが、このように人間臭さ残した相手など二人しか知らなかった。この少年はもしかして他とは違う?と考えを巡らせていると一際大きな落雷が響く。

 

「エリカ!?」

 

「あの娘、危ういかもしれぬぞ」

 

今向かえば助けられる。だが、正体を現した少年を放って置くわけにはいかない。慌てて向かおうとするが、後ろを見て立ち止まる。少年は優の懸念を晴らすかの如く。

 

「我も行こう」

 

そう告げた。駆ける両者は急ぎ、大騎士の元へ向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(きた)れ、我が剣、『獅子の魔剣(クオレ・ディ・レオーネ)』! 獅子の魂よ、今こそ我に強き意志と鋼の剛強さを授けよ! 願わくは我が身を天高く聳える彼の者らに我が剣を届かせ給へと!」

 

現れたレイピアの魔剣と彼女の体に紅いケープを巻き付け戦闘準備を開始した。紅の下地に幾重にも黒を重ねたケープは《赤銅黒十字》の証、それを纏うことを許された彼女は当代の大騎士。天を(かけ)る神獣目掛け宙を飛ぶ。使ったのは『跳躍』の魔術。魔女でない魔術師では空中戦は苦手、だが、それを補って余りある程の獲物が彼女の手にある。だが。

 

(高い……っ!)

 

このドルガリの街に高台はない。屋根伝いに『山羊』を追っても彼女の剣は届かない。それ程までに『山羊』は空高くいるのだ。エリカの得手は『鋼』を基礎とした魔術全般、鋼鉄を操りそれを武器として初めて彼女はその本領を発揮できる。神童と謳われて空を跳ぶ事は出来ても“飛ぶ”事は出来ない。『山羊』はエリカに見向きもせず街を蹂躙する。

 

「なら、こういうのはどうかしら!?」

 

飛ぶのを止め、一番高い屋根の上に降りる。剣を額に来るように構え、呪力を練る。エリカの周りの気温が急激に下がる。まるで極寒の大地に立っているかの如くあらゆる熱を奪っていく。エリカは紡ぐ、究極の術を、神すら傷つける言霊を!

 

「エリ、エリ、レマ・サバクタニ! 主よ、何故我を見捨て給う!」

 

これこそ『ゴルゴタの言霊』。憎悪と嘆き、怒りと祈りの呪文。

 

「我が骨は悉く(はず)れけり。 我が心は(ろう)となり溶けり。 御身は我を死の塵の内に捨て給う! 狗どもが我を取り囲み、悪を()す者の群れが我を苛む!」

 

これこそゴルゴタの丘にて磔にされし子が、死に瀕した我を何故救わぬのかと主への怒りと絶望を込めた禍詩(まがうた)

 

「我が力なる御方よ、我を助け給え、急ぎ給え! 剣より我が魂魄を救い給え。獅子の牙より救い給え。 野牛の角より救い給え!」

 

これこそ賛美歌。怒り絶望せよと主への帰依する絶対の意思もこの呪文の真理であった。

 

「主よ! 真昼に我は呼べど御身は応え給わず。 夜もまた沈黙のみぞ! されど、御身は聖なる御方、イスラエルの諸々に讃歌をうたわれし者なり!」

 

ここに術は完成する。『主よ、何故我を見捨て給う(エリ、エリ、サバクタニ)』これこそ《赤銅黒十字》の秘術、体得するのも至難、神をも傷つける呪いの祈りの言霊だ。

神の子を磔にしたゴルゴタの丘の霊気を再現する御技。神に属する者たちならば、神の子を傷つけそして死に至らしめたこの言霊から発せられる冷たき力を感じ不快に思わずにはいられないだろう。

『山羊』はエリカを睨む。漸く邪魔者()として認識してもらえたようだ。突進してくる『山羊』から街を離すべく外へ駆ける。

駆ける、駆ける、駆ける。街外れの平原、まばらに木々が立つ場所まで逃げる。そして、街の外へ出て『山羊』と初めて対峙するエリカ。

 

「我が剣、『獅子の魔剣(クオレ・ディ・レオーネ)』に命ずる! 今こそ我が言霊を吸い、偉大なる主への叛逆としロンギヌスの聖槍と()せ!」

 

『変化』の術を施した魔剣は細剣(レイピア)から一本の投擲槍(ジャベリン)へと早変わりする。その先端は鋭く滑らかな曲線を描き滲み出る霊気は『ゴルゴタの言霊』。

 

「はぁ!」

 

突貫するエリカ。勿論、ここは平地、飛び上がる為の足場はなく、地を走るしかない。そんなエリカを見て刺激されたのか甲高い啼き声で突進してくる『山羊』。

 

「引っかかったわね!」

 

ぶつかる直前にてヒラリと跳び躱すエリカ。大地を抉る暴風と共に雷鳴を轟かす。強靭な足はその巨体を支えるには脆すぎる。だが存在そのものが異常な獣に物理法則を説いても意味はない。

今はエリカ見てあるのはガラ空きとなった『山羊』の横っ腹。『豪腕』の魔術を使い投擲の威力をあげる。体を弓として()を引き絞り放つ!

 

グェエエエエエエエエエエエエエエッ!?

 

断末魔に似た叫びをあげ地面を滑るように落ちていく。ロンギヌスの聖槍の呪詛は効いている、余程のミスを犯さない限りまだ粘れると。

前足で自重を支えながら尚も立ち上がろうとする『山羊』の喉元目掛け再度呼び寄せた投擲槍を構えた。だが。

 

クァアアアアアアアアアアアアアアッ!!

 

今度の雄叫びは怒りによるものだ。雷雲から放たれる青白い稲妻がエリカを襲う。二度、三度、十を超えた辺りからエリカの表情に焦りが見える。ただでさえ難易度の高い術を行使しているのだ、その分集中を高めなければならない、だが『変化』、『跳躍』と並行して術をかけっぱなしのこの状態から神獣の波状攻撃。魔力も減る一方でエリカは槍を盾へと変え防御の姿勢を取る。ここに来て初めての防戦に歯軋りするエリカ。

 

「しまった………っ!?」

 

吹いた暴風のせいで着地のバランスを崩されてしまった。非情にも稲妻はエリカへ落ちてくる。

 

「きゃあ!?」

 

落ちてきた稲妻を盾で防ぐもバランスの悪い状態からでは踏ん張ることもできず吹き飛ばされてしまう。しめたと言わんばかりに『山羊』はエリカ目掛け再び突進する。衝撃を和らげられなかったエリカは蹲り立ち上がれない。

 

()られるっ!?)

 

死を直感したエリカは目を瞑る。激しい地鳴り似た音と共に来る衝撃を待つ、一分、二分と待てど来ない。確認してみるべく目を開いた先には驚きの光景が広がっていた。

 

「優!?」

 

「おおう、ようやくお目覚めがお姫様!」

 

右手一本で『山羊』の突進を止めていた優の背中を見て驚愕の声を上げる。

 

「あ、あなた一体どうやって? そ、それにその力は!?」

 

「あん? ああ、まぁ俺にも事情があってな! 今まで悪かったな」

 

その一言を皮切りに優は『山羊』の額を力一杯掴み持ち上げ、投げ飛ばす!

 

クァアアアアアアアアアアアッ!?

 

まさか、人間如きに吹き飛ばされたのが余程驚いたのか素っ頓狂な啼き声を出す。エリカはその光景に圧倒されていた。人間では太刀打ちできない神に連なる獣を吹き飛ばしてしまった青年に。赤い下地に黄金色混じりのモッズコートを肩で羽織る様にして着こなす草薙優の背中、ただの何も知らない一般人だった筈なのに何故神獣の突進を受け止められるのか、疑問が頭で渦巻く中で高らかに王者は宣言する。

 

「悪いが、もう隠す必要がなくなったんでな。 こっから先は俺が相手だ!」

 

明らかに挑発するよう言い放つ優の言葉によろよろと立ち上がりエリカは向けられていた殺意を優へとぶつける『山羊』。だが優は堂々と仁王立ちし、煽る様に手をひらひらさせ挑発してみせる。

 

クァァアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!

 

我慢の限界を迎え再びの突進。今度はその獰猛な角を突き立てる様にして、ダメだ逃げてとエリカは口に出そうとした、だが、彼女は確かに見た。後ろからだが確かに優の顔は愚かな獲物を見て笑っていたのだ。

放電しながら突進を仕掛けてくる『山羊』、大地と空が雷で切り裂かれ、暴風が吹き荒れる。宛ら小さな台風だ。人間が、魔術師が(かな)う存在ではない、それでもエリカは今、妙な安心感似た感覚に包まれていた。

 

「我が勝利の為、今こそ我が障害()を打ち破れ」

 

それは聖句。勝利の傲慢の聖句。バチバチと優の右腕を包むかの如く雷が舞う。それと同じく、今までどこに隠していたのか途轍(とてつ)もない呪力が優から溢れ出す。

跳んだ。迫り来る台風目掛け、一閃の雷が跳ねた。ぶつかる寸前、突き出された拳、そしてその拳とかち合うかの如く突き付けられた角。勝利したのは拳だった。『山羊』の強靭とも呼べる剛角を粉砕し、苦痛を与える。誇りである角を粉砕された『山羊』は絶叫を上げ仰け反る。だが、その瞬間に既に勝負は次の段階へと向かっていた。跳び上がった優はその身に雷を纏っていた。全長二十メートルを越す『山羊』が仰け反ればそれはビルの五、六階建てにも匹敵する高さを軽々と跳んでみせ、右手を振り上げる。

 

「我が命の火は絶えず、我が敵を焼き殺す!」

 

それは増悪と殺意の聖句。命を根絶やし決して生かさず誓いの聖句。

火、否、炎。業火を纏った右腕を『山羊』の右顔面へ叩き込む。

 

グァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!??

 

それは凄まじい痛みによる絶叫だ。肉を焼かれ、その中な骨まで熱は届き融解させられる。そしてそのあり得ない怪力によって『山羊』の体は吹っ飛ぶ。身体で大地を引きずりながら吹き飛んでいく。

 

「非常識だわ」

 

エリカは地面に座ったままその光景を見せられ呟いた。神獣は本来ならば聖騎士か大規模な騎士の軍勢を用意して対峙する相手、それを投げ飛ばし角を砕き、剰え一人で打倒する人間がいるだろうか?もしかしたら世界には数人居るかもしれない。だが、神性を纏った(いかずち)や炎を出す人間などエリカは一つしか思い当たらなかった。

 

「───カンピオーネ」

 

今、初めて、この瞬間。当代七人目(・・・)の神殺しの正体が判明した。草薙優、いかなる敵をも倒し勝利してみせた。常勝の王がここに存在を示した。

 

 

 

 

 

 

「案外、弱いよな」

 

そう呟きながら『山羊』を見下ろす。ピクピクと痙攣しているところを見るとどうやら生きてるらしい。だが、もう立ち上がる力もないのか起き上がりはしない。流石に正体はバレただろうと、背後に近づく気配を感じ振り返れば、そこにはエリカの姿があった。彼女の結社を象徴する紅と黒(ロッサとネロ)のケープにも汚れが目立つ、弱々しい呪力の反応がどれ程の激戦だったかを物語っている。エリカの表情は厳しい、そして胸に手を置きゆっくりと頭を下げる、それは騎士の礼だ。

 

「まさか御身こそが当代七人目のカンピオーネだったとは。 知らなかったとは言え数々の非礼お詫び申し上げます」

 

「…………は?」

 

なにを言っているんだ、この女。開いた口が塞がらない。

 

「御身の怒りはごもっとも、ですが、どうか我が命一つでそのお怒りを鎮めて頂きたく申し上げます」

 

なんだこれは。優は混乱していた、あのプライドの高いエリカ・ブランデッリが頭を下げている?どう言う事だ、優の考えでは『へぇー、貴方が七人目だったの』位の感想で終わると思っていた。だが、今目の前で起きてるこの状況が完全に予想外。まぁ確かに、初対面で剣で脅されましたし、肩を掴み上げられて痛い目に遭わされたし、機嫌を損ねたせいで土下座までしました、はい。

 

「王よどうかなさいましたか?」

 

エリカがこちらを見ている。だが、それは決してこちらを心配する様な目ではない、まるで此方を値踏みしているようだ。

 

「あー、やめやめ。 エリカ、お前、俺を試したろ?」

 

「あら? バレちゃった?」

 

悪戯に成功した子供のように微笑むエリカ。

 

「でも怒らないのね? 意外だわ」

 

「こんな事で怒ったりなんかしないし、そもそもお互い様だろ」

 

「お互い様?」

 

「俺もお前にカンピオーネだった事を隠していたし、お前がそんな態度をとったのだって仕方ない事だってわかるしさ」

 

自分がいかに危険で制御の効かない存在かは自分が一番よく知っている。その気になれば大都市を蒸発させられるし、天候を操り万雷を降らせる事もできる。仕方ないと言えば仕方ない。

 

「貴方、変だわ。 『魔王』である貴方達はそんな事を考える必要なんてないでしょう?」

 

「それは他の奴等の考えだな。 だが、俺は違う。 俺はいつだって周りへの配慮をしている…………つもりだ」

 

「つもりと言ってる時点で既にダメね」

 

ごもっとも。もしかしたら、いやかなり迷惑をかけてるかもしれない。そう思うとまた胃が痛くなってきた。お腹を抑えていた時、エリカの笑い声が聞こえてきた。

 

「……なんだよ」

 

「いえ、ごめんなさい。 天下のカンピオーネ、その七人目がまさかこんな人だったなんてって思ったら可笑しくて、ふふ」

 

確かに腹痛で顔を歪めている魔王など聞いたことがない。優もつられて笑ってしまう。先程まで命をかけた死闘を演じていたとは思えない気楽さだった。そんな時だ、第三者の乱入があったのは。

 

クァァァァアアアアアアアアアアアアアア!!!!

 

けたたましい啼き声。二人は声のする方、彼方の空、暗雲を睨む。それは金色の『(おおとり)』だ。

デカイ、単純にそう思った。港に現れた『猪』、そしてドルガリに顕現した『山羊』よりも大きく、そして速い。

 

「街が!?」

 

エリカが叫んだ。

巨大な怪鳥がその威のまま羽ばたけばどうなるか、今その答えが目の前にある。港で『猪』を巻き上げた竜巻にも引けを取らない大竜巻。家屋が薙ぎ倒され巻き上げられる。このままでは街は壊滅、死傷者も出る事だろう。

上空を滑空する(たか)に似た『鳳』。だが、悠々と街が破壊されているのを黙っていない者が今ここにいる。

 

「駄鳥がッ!」

 

手を掲げる、それに呼応するかの如く暗雲に稲妻が迸る。異常なまでの呪力、人間など足元にも及ばない神の雷を感じ取った『鳳』の注意が優へと向かう。

 

「待たれよ、(ぬし)

 

今一度神獣と『魔王』の死闘が始まろうとした時、背後から待ったをかける者が風の如く顕れる。エリカは目を見開り、顕れたボロマントを羽織る(くだん)の少年を凝視する。

 

「暫し待たれよ神殺し」

 

「なんだよ、今忙しいんだ。 野球の続きならまた後でな」

 

「クククっ、確かにその件についても未だ我が負け越してるでな、リベンジもいずれ果たそう。 だが、今はあの神獣の話だ」

 

優の言葉に愉快そうに笑ったと思ったら、今度は真剣な顔で現状についてだと言う。

 

「やはり、貴方が招きよせていたと言うことかしら?」

 

「違うな騎士よ、招きよせたのではない。 我を探し奴等は追ってきたと言う表現がしっくりくるだろう」

 

「追ってきた?」

 

「然り。 アレ等は我が姿の一つ、偉大なる神の化身なり。 砕かれて尚、未だ敗北を知らぬ勝利を求める者達よ」

 

わからない。この少年が何を言っているのかわからないと言った風情でエリカは警戒を込めた目で少年を睨む。

 

「優っ、貴方やっぱりこの少年と結託して『まつろわぬ神』を招き寄せたのね!?」

 

「やっぱりてなんだやっぱりって! だから俺は他の魔王とは───」

 

「いいや違うぞ騎士よ。 そこの神殺しとは港で初めて会った間柄、我は如何なる策も弄しておらん。 我にそのような小細工無用であるからしてな」

 

優が冤罪を晴らそうとした時、少年は横からそれを否定する。それに少し安堵するも複雑な気持ちなる。神に弁護してもらう魔王という新しい構図ができた瞬間だった。

 

「お前が真っ向勝負が大好きな神様だって事は分かった。 だから敢えて聞いてやる。 何故きた?」

 

優が口にした神という単語、その言葉で驚愕を露わにするエリカ。まさかこの少年が神だと言うのか、未だ『鳳』を牽制しながらも少年と向き合う優へ訪ねても無言が返ってくるだけ。

 

「我も思うところもある。 我が化身たちが多くの無辜の民への狼藉、詫びても詫びたらん」

 

「詫びをと来たか」

 

「茶化すでない、我は民衆の味方、それが民衆に仇を成すなどあってはならん。 故に我自ら彼奴等を誅殺してくれようと言うわけだ」

 

「その結果、お前がお前で無くなってもか?」

 

その言葉に少年は憂鬱そうに、別れを惜しむような哀しげな表情を出す。だが、次の瞬間には初めてあった時同様、慈しみを含むアルカイック・スマイルを浮かべた。

 

「嗚呼、口惜しい。 我が休息、安堵の日々は決して苦では無かった。 お主との勝負、あれは中々に楽しかった。 勝手気ままに下界へ降り人々と戯れた懐かしい記憶を思い出させてくれた」

 

少年は昔を懐かしむようにそれでいて楽しそうに微笑む。端整な顔、男だと言うのに細い体つきは女性的で蠱惑的だ。少年はだがと告げる。

 

「だが、あれは我の仕出かした事、故に我は我を取り戻すとする。 そしてその時こそ、決着の時ぞ、神殺し」

 

この言葉でとうとう少年が何を優に期待しているのか気づく、そしてそれに気づき優は毒づく。

 

「……嗚呼、そうかよ。 そう言うことか。 お前、後始末を俺に押し付ける気だな!?」

 

「クハハ! そうとも言うな! だが、仕方なかろう? 我は貴様と未だ決着をつけておらん。 その方法が一つしかない、ではそれを取るのが戦士たるもののつとめ」

 

なんて自分勝手!この野郎と一発殴ってやろうかとも思ったが、優もどこかでこの少年とはキッチリと決着を付けなければならないと予感していた。そして、その結果がどうなるかなど明白。歩き出す少年、その足が目指すのはドルガリ上空の『鳳』、静止しようとしたエリカを止める優、優は何故自分がこの少年のする事を止めないのか自分でも不思議に思った。だが、あの憂いた顔をした少年の後ろ姿を見て漸く気づいた。あの時あの港で出会い、そして競い分かち合った時間、優は初めからこの少年を神などとして見ていなかった。ただ、ひとりの友として、そしてその友が逝くのを見届けたくて、今この凶行を見届けているのだ。

 

「然らばじゃ、お主とのひと時の勝負、まっこと愉快痛快であったぞ! 故に、後のことを任せたぞ神殺し────草薙優!」

 

話し終えた瞬間、少年は風となった。突風が吹き荒れ思わずエリカは視界を覆ってしまう。だが、優だけはしっかりとその姿を最後まで見守っていた。

『鳳』と『風の神』が空中戦を繰り広げる。『鳳』は全長五十メートルはあろう巨躯、その身体から巻き起こされる突風、否、嵐と『風の神』はまともにかち合う。そして、港で『猪』をも虜にした竜巻の障壁へ『鳳』を閉じ込める。

 

「………剣?」

 

エリカがボソリと呟いた。『鳳』の片翼にも匹敵する両刃(もろは)の剣。暗天の中心に公然と煌く黄金剣。それが『鳳』目掛け飛び、その身体を一刀のもと斬り裂いた。真っ二つに斬り裂かれた『鳳』の身体は地上へ墜落する前に塵となって消えた。そして、黄金剣は今度は優とエリカの近くに倒れている『山羊』目掛け飛びその頭を貫く。断末魔を上げることなく同じく塵へと還る『山羊』。

 

「…………来る」

 

何方が言ったのだろうか。空中に鎮座する黄金剣から莫大な呪力が放出される。剣は姿を変え見慣れた少年へ変える。だが、そこにあの少年の面影はない。あるのは狂気染みた闘争心の塊、それをただ一人に向けて放っている。

 

「漸く戻ったか。 なかなか待たせてくれたな。 そして詫びよう草薙優。 お主との決着をつける為、今一度、我は真なる我へと還った」

 

「待っちゃいねぇよ。 お前が勝手に来ただけだ」

 

「そう言うな、我とお主の関係は最早決定した。 故に、我は我が勝利のため貴様を斃し、我が栄光としよう」

 

呪力が漲る。今までの少年の側で湧き上がってきた時とは違う。完全なる戦闘準備が完了した。カンピオーネとしての本能が今こそ敵を殺せと告げる。

 

「今度こそ、お前の名前を教えてもらうぞ」

 

「良い、では聞くがいい我が名を────」

 

今ここに、真なる『まつろわぬ神』が顕れた。その名は勝利、古き東方の軍神にして民衆の守護神、光の戦士。名を────。

 

「我こそは『ウルスラグナ』! これより貴様を斃し偉大なる勝利をかかげるもの!」

 

 

 

 




後半、早歩きしすぎた感があります。
読了、ありがとうございます。


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