GBF-L_ガンダムビルドファイターズ Lost (杉村 祐介)
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起:Lost
GBF-L #001「失われた自由」


「父さん、兄ちゃん!」

 

 少年、と呼ぶには幼過ぎる風貌の、まだ短パンが似合う年頃の男の子は、冷たいコンクリート張りの床のような異質な地面を、小さな足で一生懸命に駆けながら叫んだ。地平線の先は夕闇から夜へと変わる時刻のそれに近く、見渡す限り青から黒へのグラデーションが上空を覆っている。背後には太陽があったであろう赤を残しつつも、すぐにそれさえも闇へと消えていくだろう。

 グラデーションの中に2つ、親子と思われる影がある。その影は少年に背を向けて闇へ闇へと歩いていく。少年は2人を追いかけようと必死で足掻くが、足を動かせど動かせど、彼らとの距離が狭まることはなかった。

 

「待ってよ兄ちゃん! ねぇ、父さんも──」

 

 踏み出すたびに重くなる足、酸素不足で痛みが走る脳、視界はだんだんと潤んでいく中で、少年は喉が裂けても良いと思わされるほどに声を出し続けていた。それでも、地平線の先にいる2人は並んで歩き続けている。

 

 そのうち疲れ、足がもつれた。冷たく固い地面に顔面から倒れ込みクラクラとめまいを起こす。ハッと顔をあげると、そこにあったはずの父と兄の姿はすでに無く。

 ただ夜を迎えた空と、冷たい床だけの世界に、少年は独りになっていた。

 

「ひとりに、しないでよ……」

 

 涙をこらえて震えた声が、反響する物のない闇の世界に、無慈悲に広がるだけだった。

 

 

 

「遊(ユウ)」

 

 ふと誰かの声がする。いや、誰かではない、はっきりと分かる。暖かく優しい柔らかな、身を包むような声の主は、少年、遊の背後にはっきりと存在していた。

 

「……母さん!」

 

 身体を起こし、手を伸ばして歩き出した。そのぬくもりを再び感じたくて。

 

「母さん──」

 

 しかし残酷にも、突然現れた大型トラックが、母の姿を掻き消して。

 

 

 

 息を荒げ、ねっとりとした汗をぬぐい、時計を見る。針は六時半を刺していた。朝日はカーテンに遮られ部屋はまだ暗い。水分を含んで重たくなったタオルケットを押しのけてベッドから降りた遊は、部屋の電気をパチリとつけた。ベッドと勉強机と、少しの本棚があるだけの質素な部屋が、遊の安心できる数少ない居場所。父親の教育によって玩具のたぐいはほとんど見当たらない、小学六年生の部屋とは思えない殺風景な部屋だった。そこにたった一つだけ置いてある遊び道具。母から貰った大切なガンダムのプラモデル──ハイグレード ストライクフリーダム──

 

「おはよう、母さん」

 

 遊はそれを大事そうに、だが物寂しげに見つめて言った。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 人気のないリビングを抜けて、キッチンにある冷蔵庫から食パンを取りだし、無造作にバターを塗ってトースターで焼く。その間に牛乳をコップ一杯。テレビはつけず、毎朝静けさを噛み締めている。これが日課だ。

 父親は朝早く仕事に出ては、夜遅くに帰ってくる生活を続けていた。たまに晩御飯だけは一緒に食べることができたが、そのときもほとんど会話することもなく、兄とばかり話していた。中学二年生の兄は父親に愛されていた。だが愛されるが故に、良い高校へ入るための勉強を強いられ、学校に塾にと忙しい毎日を送っていた。母は今年の二月ごろ、交通事故で意識不明になった。もう半年になるか。

 

「行ってきます」

 

 誰もいない家にぽつりとつぶやく。これも日課。

 

 

 

 小さくなったランドセルを背負い学校へ行く毎日。いつもと同じ朝。いつもと同じ通学路。誰と話すわけでもなく、ポツンと独り登校する。朝日は輝いていたが、その反面、遊の心は今日もまた何をされるのだろうかと暗く沈んでいた。

 途中、唐突にドンと背中を押され、遊はよろめいた。

 

「おぅ!おはよー長谷川ぁ!」

「何ぼーっとしてんだよ!」

「おっさきぃ〜」

 

 遊の後ろから駆け抜けていったのは、背高のっぽな川根、遊より小柄な日野、そして大柄で力の強い武田。クラスメイトの中でも元気の有り余るやんちゃな三人組だった。少年らしい笑顔をこちらに一瞬向けたあと、学校へ駆けていく。

 だが、彼らは遊の友達ではない。

 

 今日は上履きがなくなっていた。

 きっと下校時には戻されてるだろう。安い挑発に乗る幼さも気力も、遊にはなくなっていた。ただ淡々と、目の前の事実を受け入れるだけが、遊が自身を守るための行動だった。

 職員室へ行き、担任に報告する。

 

「先生、上履き忘れました」

「"忘れた"って、今日は木曜日よ?」

「すみません、汚れたのを洗おうと持って帰っちゃって……」

「しょうがないわね。貸出用のがあるから、今日はそれでいい?」

 

 担任の緑先生は新米教師で、遊がちょっと無理を言えば大抵の事を流してくれる気の弱さがあった。遊は根掘り葉掘り聞かれることもなく気楽でよかったと思いつつ、自分にはちょっと大きいサイズの上履きを借りて、パカパカと変な音を立てながら職員室を後にした。

 教室に戻っても、遊が上履きを借りていることに気づく人はいるだろうし、聞き耳立てている人もいる。そして裏でこそこそ笑っているのだ。だが遊はじっとこの時を待っていた。そう、明日はとうとう終業式……夏休みが始まる。

 

 

 

── ガンダムビルドファイターズ ロスト ──

 〜 第一話 失われた自由 〜

 

 

 

「なぁ知ってるか? ロストフリーダムって奴……また出たんだって!!」

「えーなにそれ」

「ガンプラバトルのあれだろ!『お前は何を望む〜!』って戦いにくるやつ!」

「そんなのネットでしか見たことねぇよー」

 

 クラスメイトの喧騒の中からちょっと興味のある話題が耳に入ってきた。投げ返される会話に聞き耳を立てながらも、決して交わろうとするつもりはない。

 ガンプラバトル、今流行りの模型を戦わせるゲームだ。どういう技術なのかは小学生の遊にとっては全く理解に及ばなかったが、兄である卓(スグル)は昨年まではすごくハマっていて、めずらしく親に頼んでバトル用のデバイス、GPベースを買ってもらっていたっけ。自分はまだ早いとデバイスを買ってもらえなくて悔しかったのは昨日のことのようだ。

 

「お前は何を望む、か……」

 

 ふわふわと思考してみたが、今の遊には何かを望むような欲も、希望も、ぱっと出てくるものがなかった。自分用のGPベースだって今手に入れたところで、誰か遊び相手がいるわけでもない。教えてくれる師もいない。一人遊びほど面白くないものはないと、遊は知っていた。けれど本当に望みが叶うのなら──

 

「はーいそこまで! みんな、夏休みの宿題配りますよー!」

 

 緑先生がドタバタと大量のテキスト抱えて教室に入ってくるなり、場を沈めるために大きな声で統制をとった。その声に、遊の頭のなかに広がっていたイメージがザーッと流されて消えていってしまった。

 

「はい、これが夏休みの宿題。あとでちゃーんと保護者の方にも渡しておいてね!」

 

 "夏休みのしおり"と書かれた20ページ前後のテキストに、わら半紙の学級だよりが1枚。そこには漢字の書き取りから理科の研究まで、宿題の項目がぎっしりだ。これにはどんな小学生も落胆してため息が出る。

 

「みんな夏休みだからってゲームなんかに夢中にならずに、計画的に宿題やってくるように!」

 

 ゲームか、そういえばガンプラバトルって近所で出来たっけ。などと遊は上の空で考え事をしていたものだから、目の前に先生がやってくるのも気づかなかった。

 

「長谷川くん、先生の話ちゃんと聞いてましたか?」

「あっ、はい……すみません」

「もう。先生の話も授業も、ちゃんと聞いておかないと、二学期から大変ですよ!」

「すみません」

 

 もともと小柄な身体をさらに縮こませて謝罪の意思を見せる遊。緑先生は「分かれば良いです」と言わんばかりに満足気に次の生徒の元へ歩いていった。だが、遊の頭のなかはすでにガンプラバトルのことでいっぱいだった。兄が戦っていた姿を思い出し、そこに自分を重ねて夢見る。この瞬間だけは、遊の心は年相応に子供になっていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 次の日。終業式も普段通り、別段何があったということもなく無事に終わった。全国の小学生たちが待ちに待った夏休みが始まったのだ。この日ばかりは遊も浮かれ気分で家に帰った。小学生最後の夏休み。少しくらい悪いことをしたって、神様だって怒りはしないよ。そう自分に言い聞かせて、遊は昨日からずっと計画していた事を実行に移すべく、兄の部屋へと忍び込んだ。

 

 兄、卓の部屋はとても鬱蒼としていた。壁を埋める本棚にぎっしりとつまった紙の束。中学校の参考書だったり、辞書だったり、推奨図書のシールが貼られた文庫本だったり。漫画やゲームの攻略本なんて見当たらない、純粋に文字だらけの本で埋め尽くされていた。その一角に置かれた勉強机には、必要最低限のペン類と教科書、そしてこれだけ父親に許された、一体の白いガンダムのプラモデルが飾られている。

 ユニコーンガンダム。神話のユニコーンのような一本角、彫りの深い純白の装甲、ガンダムという作品では珍しい緑のライン状のセンサーアイ。ただ立っているだけなのに、優雅さと逞しさを感じる風貌。遊は自然と見惚れていた。

 ハッと我に帰った時、何秒、何分経ったかわからないくらいの時間が過ぎていた。あまりモタモタしていると部屋の主が帰ってきてしまう。自分はこれを眺めにわざわざ来たのではないと言い聞かせて、目的の物があるだろう場所を開けた。

 右下の引き出しの一番奥の箱の中。兄はいつもここに大事なものを隠す癖がある。今回も、父親に没収されないように大事に片付けてあった物。ガンプラバトルに必須のデバイス、GPベースもそこにあった。

 

「ほんのちょっと、借りるだけだから……」

 

 遊は誰に言うわけでもなく消えそうな声で呟きながら、それを抜き取った後で引き出しを元通りにした。

 

 

 

 ガンプラバトルに必要なガンプラは自分のストライクフリーダムが、そしてGPベースも手に入った。これでゲームセンターに行けばガンプラバトルができるようになった! 高鳴る気持ちを抑えながらも、遊はスキップしそうな足をなんとかコントロールしながら部屋を飛び出した。靴を履き、扉を開けて

 

「……行ってきます!」

 

 誰もいない家に、普段よりちょっと元気な声をかけた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 近所のゲームセンターはいつも小中学生で賑わっていた。さらに言えば、今日から夏休み。浮かれた学生がたくさん集まって大繁盛だ。あまり雰囲気に馴染みのない遊はその熱量に圧倒されながらも、念願のガンプラバトルをするために、バトルシステムのあるコーナーへ足を運んだ。

 三台あるうちの二台はすでにバトルが行われていて、その青白い幻想的な粒子が宇宙や地上を型取り、そのフィールドをガンプラが縦横無尽に駆け回る様は端から見ているだけで満足できるほどの輝きを放っていた。だが今日の目的はガンプラバトルをプレイすること。昔のように、眺めているだけの自分とは別れを告げて、己の力でバトルを楽しむのだ。

 起動していない三台目にGPベースをセットすると、瞬く間に粒子が散布される。

 

『Begining Plavsky particle dispersal. Field 00 "Tutorial". Please set your Gun-Pla.』

 

 小学生の遊にとって耳に流れてくる英語は聞きなれないものだらけで、何をすればよいか数秒頭が停止したが、ただなんとなく、ガンプラを台に置けば良いということだけは感覚で理解した。

 母から貰ったストライクフリーダム。これでバトルをすれば、現実世界さえも変えられる。そんな気がしていた。

 

『Welcome! New fighter!』

 

 眼前に広がる世界が色を変え形を変え、小さなフィールドを創り出した。空は作られたような青、大地は無機質なコンクリートに覆われ、かまぼこ型のドームが整然と並んでいる。宇宙に作られた人口都市・コロニーの内部のようだ。

 モニターのちょうど中央に、緑色の球体からなるロボット──モビルスーツが現れた。名はハイモック。ガンプラバトルにおいてプラフスキー粒子で生成されるダミーターゲットだ。

 

『Shoot an enemy. 撃ち落とせ!』

 

 とてもチュートリアルらしいガイドだ。手元の操縦桿の一部が光り、モニターにも操作方法が事細かに表示される。遊は右手をひねり武器スロットを表示させると、2番めのスロット「MA-M21KF 高エネルギービームライフル」を選択する。それに呼応して画面上のストライクフリーダムが二丁拳銃を構え、射撃の姿勢に入った。

 

「目標を視界に入れて……こうか!」

 

 ゆっくりと、確実な動作でカーソルを合わせての射撃。よほど実践には程遠いが、それでも遊のストライクフリーダムが放ったビームは、ハイモックの胸部を確実に貫いて、輝かしい爆発と耳に響く爆音を残して四散した。

 遊は初めての敵機撃墜に喜びの声を上げた。しかしそれもつかの間、今度は二機のハイモックが頭上から現れ、ストライクフリーダムを取り囲むように円を描いて近づいてきた。

 

『Slash an enemy. 斬り倒せ!』

 

 チュートリアルのガイド音声が変わった。言われる通り、次の敵はぐるぐると渦を描きろくに射撃の照準が合わない。遊は右のスロットをもう一つ回した。シュペールラケルタビームサーベル、これだ!

 ビームライフルを腰にマウントし、取り出したるは二振りの光の剣。

 敵が間合いに入ったタイミングで、ライフルと同じように操作する。たったそれだけで近づいてくる二つの影を華麗に切り捨てた。

 爆炎で画面が埋まり、そして晴れる。空は青く、地面に立つのはストライクフリーダムただ一人。

 一つ一つ、確実にできることが増えていくことに、遊は快感を覚えていた。

 

『Fight against an enemy. Survvviiivvvveeee……』

 

 

 

 おかしい。次のチュートリアルの音声がふいにノイズを発し、プツンと途切れた。さっきまで鳴っていた明るいBGMも止み、ストライクフリーダムの駆動音だけがコクピットに反響する。

 

──お前は──

 

 突然、声が聞こえた。その声はとても低く、心に刺さるような深さを持ち、心臓を鷲掴みにされるような恐怖感を煽ってくる、そんな声が。

 

──お前は 何を望む──

 

 スピーカーから鳴る音ではない気がした。もっと直接、頭の中に語りかけてくるような。

 

──私は 全てを──

 

『Danger! New fighter field in.』

 

 警告アラートと共にシステムアナウンスが鳴り響いた。円状のレーダーには敵を示す赤い点が一つ。そちらへ視点を動かすと、そこにはさっきまでのハイモックとは全く違うシルエットの、赤と黒の片翼を持ち、大振りの大剣を二振りもかついだ、異形ともよべる"黒いストライクフリーダム"が空中に浮かんでいる。

 

──私は 全ての破壊を──

 

 奴の名前を、遊は知っている。

 

「ロスト……フリー、ダム?」

 

 宙を漂い、こちらを見下ろしているロストフリーダムは、無機物でありながら、不敵な笑みを浮かべているように、遊には見えた。



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GBF-L #002「手にした不自由」

 朱い粒子を身にまとい宙を漂う異業種"ロストフリーダム"。それは遊のストライクフリーダムをベースとしたにもかかわらず、色も、武装も、その風貌も、全てが異なる、対となるような、別の世界から来たような。"失われた自由"の名に相応しい存在。

 

「なんだ、こいつ……!」

 

 ガンプラバトル初心者の遊が一目見ただけでも、ロストフリーダムから震え上がるような寒気を感じた。このおぞましいほどに感じるプレッシャーは一つのプラモデルが発しているものなのか? この恐怖感は本当にゲームから受けているものなのか? ロストフリーダムとはどういう存在なのか? 疑問は尽きることを知らず、遊の小さな頭の中を駈けずり回る。だがロストフリーダムはその答えを教えてくれるほど、優しくは無かった。

 脱力していた構えから一変、前屈姿勢になったそれは空を蹴るように足を伸ばし、同時に背面バーニア全てに火を灯す。またたく間に黒と白のストライクフリーダムが近づき交差する。その瞬間、遊は応戦するどころかなんの防御手段をとることも許されず、ただ相手の大剣の一閃を身に受けることしかできなかった。

 

『Caution! RightArm lost.』

 

 画面が揺れる。左に指し示された計器には"右腕破損"のアラートが。さっきの一瞬で、遊のストライクフリーダムは右腕を切り落とされていた。

 視野の外へ突き進んだロストフリーダムを追うべく、遊はストライクフリーダムを180度回転させた。だがそれも遅かった。剣の切っ先をこちらに向けたロストフリーダムが眼前に差し迫る。

 モニターが白黒に点滅する。『Head lost.』のアラートが鳴る。画面が大きく揺れ、そしてサブモニターの荒い描写へと切り替わる。センサーの大部分はError表記となり、HPの指針ともいえる画面の枠も真っ赤に染まる。もはや敵影を拝むことすらできず、ただ大剣の乱舞に、自分の愛した機体が四肢をもがれ削ぎ落とされていくのを眺めることしかできなかった。

 

「なんだよ……」

 

 遊の瞳から光が消えていく。

 

「なんだよこれ……!?」

 

 兄、卓の遊んでいたゲームはこんなにも狂ったものではなかった。もっと楽しく、皆で笑いあってプレイができるゲームだった。自分もそれがやりたくて、母のくれたガンプラを使いたくて。ちょっと悪いことをしたけれど、それでも楽しめるはずだった。それなのに。圧倒的な力の差を見せつけられ、痛めつけられ、切り刻まれ、殺される。こんなはずじゃなかった。こんなゲームじゃなかったはずだ。それなのに……それなのに!

 声も出ないまま涙が流れた。サブモニターの粗さではなく、自分の涙で画面が揺れた。

 かたや新品のごとく煌きを放つ黒い自由。かたや満身創痍、切り裂かれ、ビームに焼かれた装甲につつまれた白い自由。もはやいくら操縦桿を動かしても、鈍い音を立てて鉄が軋むだけの存在。

 

──お前は 何を望む──

 

 ロストフリーダムは最後にこう問いかけた。

 

「僕は、何を……」

 

 遊が答えを見つける前に、それは大剣をかかげ、ストライクフリーダムの胸を貫いた。

 

『Battle ended.』

 

 バトルシステムの音声が静かに終了を告げた。遊は散っていくプラフスキー粒子をかき分け、ボロボロにされたストライクフリーダムを抱きかかえ──

 

「……え?」

 

 ボロボロにされたはずのストライクフリーダムは頭も腕も、どこも壊れされたような形跡は無く、バトル開始時と同じ姿で、毅然と直立していた。あれはただの夢だったのかと思わせるほどに自然で、なんの損傷も無かった。

 しかし確かにそこに、黒いストライクフリーダムは存在した。だが対戦相手が居るはずの向かい側には誰もいない。そして、自分のストライクフリーダムは傷一つ受けていない。何があったのか、遊自身さっぱり理解できなかった。

 

「おっ、なーんだ長谷川じゃん」

「……武田、くん!」

 

 さっきの夢のような出来事に引っ張られ、現実を見ることを忘れてしまっていた。ふと声の方へ振り返ると、そこにはあの忌々しい、武田たち三人組がいたのだ。彼らはいつもの"少年の無垢な笑顔"で遊に、そして遊のストライクフリーダムに視線をやる。

 

「よぉ、お前もガンプラバトル?」

「GPベース持ってたんだぁ!」

 

 武田の手がストライクフリーダムに伸びる、遊はとっさにそれを掴んで引き戻したが、こんどは川根が背中に回って遊の肩をつかみ、日野が手首を掴んだ。遊が振り払おうと力を込めても、3人がかりでは手の出しようがない。

 このガンプラだけは守らなきゃダメだ。これだけはこいつらに渡しちゃダメだ。心が破裂しそうになるくらい暴れまわったが、身体はそれを押し込めるように強張り、声も出なければ動くことも、走って逃げ去ることも出来ない。

 全身を、恐怖が包み込んだ。

 

「へぇ、ストフリじゃん。お前こんなの使うのかよ」

 

 遊の手からガンプラを掠め取った武田は、それを舐め回すように上下左右からまじまじと見つめた。遊が取り戻そうと手を伸ばすが、日野と川根に抑え込まれて、その手はわずかに届かない。

 

「でもさ、これ全然ダメっしょ! ゲート処理も出来てないし、シールも剥がれそうだし、そもそもストフリなんて長谷川の反射神経じゃ使いこなせないって!!」

「そんな……そんなこと、ないっ!」

 

 言葉に出した反論とは裏腹に、遊の脳裏にはさっきの戦いの光景が蘇っていた。さっきの、黒い機体に蹂躙された戦いが。

 

「お前にお似合いのガンプラにしてやるよ!」

 

 武田が言った。その言葉に、そしてその行動に遊は目を丸くした。彼は自分のナップサックから油性ペンを取り出して、パチンとキャップを開けたのだ。

 

「や、やめ──」

「おっと、動くなよ!」

 

 武田がニヤリと笑みを返す。それは大人が見たら単なる笑顔だろうが、子供同士、いじめっ子といじめられっ子という立場の差から見たら、"これからお前が苦痛に感じることをして、その姿を見て俺達は楽しんでやるよ"という、死刑宣告に近い何かを含んだ、悪魔のそれと同じものだった。

 乱雑にあてがわれた黒いペン先が、白い装甲を部分的に汚していく。遊は左右から押さえつけられて、黒いペンが白い装甲を汚していくのを、ただ見つめることしかできなかった。

 父さんの言うとおり、勉強も運動もできない僕はゲームを楽しむことも許されない。母から貰った大事なガンプラで、みんなと同じように楽しくバトルすることさえも、僕には叶わない夢。兄ちゃんのGPベースを盗むように持ってきて遊ぼうとした自分への罰。……こんなことなら、ガンプラバトルをしようだなんて考えるんじゃなかった。

 後悔と雪辱が遊を襲って、その視界を涙で歪める。

 

「ほらよ」

 

 武田が一通り遊び終わって、二人の拘束から開放された遊に手渡されたそれは、"バカ"や"マヌケ"と書かれたり、汚い星や三角マークが書き殴られ、見るも無残な姿になっていた。

 遊は泣くのを必死に堪えながら、言葉にならない声を小さく洩らし、大事な大事なストライクフリーダムを両手で抱えて走り出した。

 

「あー、長谷川泣いて行っちまったー」

「あんなヤツどうだっていいよ、それよりバトルやろうぜ!」

「だねー」

 

 遊のことをおもちゃのように思っている彼らは、その心の闇に気づくこともなく、自分たちの遊びへと関心を切り替える。その姿は無邪気で、残酷だった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 息が荒げる。涙が止まらない。全速力で動かしている足は今にももつれそうだ。遊はどこをどう通ったのかもわからないまま、気がつけば自宅の玄関に靴を脱ぎ捨て、階段を駆け上がって自分の部屋の扉を開けていた。ベッドに倒れるように飛び込んで、そこでやっと、不規則に鳴る心拍音を押さえ、涙を拭い、言葉にならない声を出した。自分の大好きな母親からもらった、大切なストライクフリーダム。その純白の装甲に、黒い汚い文字が描かれている事実。それを直視した時、声と涙がとめどなく溢れた。

 

「なん、で……どうし、て……ぇっ!」

 

 油性ペンをガンプラに押し付ける武田、両サイドで自分の身体を押さえつけている二人の表情、汚される純白のストライクフリーダム。脳裏に次々とさっきの光景がフラッシュバックされていき、自分の心を自分で深く深く傷つける。遊は自分自身の感情がコントロールできず、ただ泣くことしかできなかった。

 嗚咽としゃっくりと、自分の感情の不理解で言葉が詰まる。誰に話せるわけでもない、誰に理解されるわけでもない悲しみが、孤独な遊を包みこむ。そのうち、だんだんと意識が朦朧として──

 黒いストライクフリーダムの鮮麗された軌道。そこから繰り出される閃光。斬撃。全ての行動が次の行動へと繋がり、それは流星のように鋭く、手にすることすらかなわない。一方自分が乗っていた機体はどうだ。チュートリアルでやっと歩き、攻撃ができるようになった程度の自分。何も出来ず、ただお手玉にされていた自分。決して母親からもらったストライクフリーダムが悪いのではない。自分の無力さが、それの強さを引き出せなかったのだ。

 ガンプラバトルだけではない。鉛筆を持ってもダメ、ボールを投げてもダメ、自分は何をしても並以下のことしかできないのだ。背も低くて手足も細いし、気配りができる人間でもないし、最近視力も落ちてきた気がする。学校へ行っても友達は居ないし、家に帰っても家族も居ない日が多いし、いつも父と兄だけが仲良しで自分は孤立している。

 ずっと、どこへ行っても孤独な人間だ。母から貰ったガンプラも、母自身をも守ることができない弱い人間だ。自分の弱さに、嫌気が刺した。

 

 

 

──お前は──

 

 夢の中で、あのバトルでも聞こえた声が耳に届く。それは聴き逃しそうなくらい小さくかすかな声だった。だが今の遊には、その存在がしっかりと理解できた。

 

──お前は 何を望む──

 

 とても低く、心に刺さるような深さを持ち、心臓をわしづかみにされるような恐怖感を煽ってくる、そんな声。遊はその、誰とも分からない謎の声に、自然と答えていた。

 

「……僕は」

 

 死んでしまいたいとさえ思っていた心に、それはとても小さかったが、強く、全てを焼き尽くさんと燃えたぎる黒い感情が、遊の心に芽生えた。

 

「僕は、全ての破壊を……」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 目が覚めた。涙は枯れ、頬に乾いた跡がついていた。照明も冷房もつけない部屋は蒸し暑く、とても居心地が悪い。窓の外では、少し早いセミの鳴き声が響いていた。

 ストライクフリーダムは汚れたままだ。だがそれを見ても、もう"これ以上"気持ちが沈むことはなかった。ふつふつと湧きあがる感情と、相反する冷静すぎるほどの思考回路。遊は自分が自分でないような剥離感を覚えていた。

 ガンプラはただ作るだけが終わりではない。細かいディテールを重ね、デカールを張り、リアルに作り上げることもできれば、その身体を改造し、色を塗り替え、自分専用に作り変えることもできる。このガンプラは、もうただのストライクフリーダムではない。いや、これから変えるのだ。自分自身の手で塗り替え、心の色に染め上げる。遊が持つ、遊だけのガンプラに。

 

「ロスト、フリーダム」

 

 遊の心のままに。

 

 

 

── ガンダムビルドファイターズ ロスト ──

 〜 第二話 手にした不自由 〜

 

 

 

 日は沈み暗い夜が訪れる。それもつかの間、また日は昇る。

 暗くなり、また明るくなる空とは裏腹に、一晩寝た遊の心は暗いままだった。だがその暗い中にも、今まで存在しなかった、たったひとつの赤黒い灯火があった。

 蒸し暑い扇風機の風も、朝ごはんのトーストの味も、久々につけたテレビアニメの騒音も、今の遊には刺激が足りなかった。頭の中はからっぽだ。いや、からっぽではなく"無"で埋め尽くされていた。そんな遊も、今日は一つだけ目標を立てていた。

 復讐だ。

 朝食を終え自室に戻った遊は、その机の上にあるガンプラを見つめた。昨日までの白く輝く装甲はもはやかけらも残されておらず、黒く輝く装甲に、要所要所で赤と金の装飾が主張する。その風貌は禍々しく、昨日の対戦相手に見た姿と重なる。

 兄の部屋から盗んできたガンダムマーカーで、黒と赤を基調とした塗装になったストライクフリーダム。それはもう"ロストフリーダム"と呼ぶに相応しい。

 

「行こうか」

 

 誰に言ったのか、遊は一人部屋で呟くと、自分のロストフリーダムと兄のGPベースを大事にナップサックへしまうと、落ち着いた振る舞いで部屋を後にした。

 

 

 

「……なんだ、長谷川かよ」

 

 ゲームセンターのバトルシステムでは、すでにいじめっ子三人組がガンプラバトルで遊んでいた。今日は純粋にバトルを楽しんでいるようで、やってきた遊をいじめるつもりはさらさら無いようだ。

 

「俺たち暇じゃないんだけど」

「そーそー、お前みたいなバトル初心者の相手してらんないの!」

「こっちは本気で戦ってんだから、邪魔すんなよ!」

 

 ここで引けば今日はいじめられずに済む。だが、それを理解してもなお、遊は一歩も引き下がるつもりはなかった。

 口々に喋る三人をよそに、川根と日野がバトルしているシステムに、GPベースをねじ込む。刹那、青白い光が遊を包んだ。

 

「お、お前なんのつもりだよ!?」

 

 武田が制止しようとするが、すでにバトルシステムは受付を完了させ『Please set your Gun-Pra.』の表示を済ませていた。遊も武田を完全に無視して、表情を変えること無くロストフリーダムを起動させる。

 

「長谷川遊、ロストフリーダム。出る……」

 

 黒いストライクフリーダムはその翼をはためかせ、大空へ飛びたつ。



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GBF-L #003「壊された純白」

 眼下で争う二機のガンプラは乱入のアラートを聞きつけて一斉にターゲットを変更した。一方はデルタプラスと呼ばれる、人型にも戦闘機にもなる鋭角でスタイリッシュな鼠色の機体、もう一方はロングライフルを背負ったジム・スナイパーⅡと言う四角を基本とした構造の、深緑色の機体だ。

 遊はそのロボット──MS(モビルスーツ)──が出て来る作品を見たことも無いはずだったが、モニターに映るMSの名前とその見た目を確認するだけで、どんな動きで戦うのが得意なのかということがすぐに理解出来た。なぜそのようなことが脳裏に浮かんだのかは全くわからなかったが、今はそんなことどうでも良かった。

 

 デルタプラスは一瞬の間に人型から鋭角なシルエットの戦闘機へと変形すると、上空に漂うロストフリーダムめがけて一直線に飛翔する。遊もまた呼応するように、無意識に操縦桿を押し込んで黒い自機のバーニアを燃やした。両者の距離は瞬く間に縮んでいく。

 

「お前みたいな奴が、邪魔すんなよ!」

 

 パイロットの川根が叫び、デルタプラスの機首からビームの光が続けざまに解き放たれる。それはロストフリーダムを狙って直線に、だがその速度のせいか照準がブレて散弾のようにちらばって突き進んだ。狙いが定まっていれば簡単な動きで回避もできただろうが、広がり続けるそれを回避するのは至難の技、初心者の遊には直撃を免れないであろう。

 だが遊は、それを踊るように右回転して躱し、その推力を殺さぬまま、上腕に装備されたビームシールドで攻撃の1発を受け流し、同時にまばゆい輝きを放つサーベルを腰から抜刀、2回転目に正面に来たビームライフルの閃光を、一寸違わぬ剣さばきで切り払った。その動きは昨日ゲームを初めてプレイした小学生の動きとは思えない、洗練された美しさと強さが、そこに垣間見えていた。

 ロストフリーダムの動きに驚きを隠せない川根は判断を誤り、高速の機体を制御できないまま、まるで黒い装甲に吸い込まれるかのように直進していた。そしてロストフリーダムが、高速で近づくそれとすれ違うさなか、抜刀していたサーベルが熱をたぎらせ光を纏い、その機首に閃光の刃を押し当てて、鼠色の装甲を膨大な熱量で溶かしながら、尾翼まで真一文字に切り捨てた。動力源を失った2個の塊はふた手に分かれ、フラフラと飛行した後に壮大な爆風と爆音を響かせて消えた。

 

「まぁ、こんなもんか」

 

 遊はポツリと呟いた。その言葉が、自分の動きへの評価なのか、それとも対峙した川根の評価なのか、発言した本人も定かでなかった。だがどちらにせよ感覚的に「もう少し上手に動けるだろう」という期待があってからの「こんなもんか」という落胆。ガンプラバトル2日目という初心者である遊が、内心そう思ったのだ。

 

 

 

── ガンダムビルドファイターズ ロスト ──

 〜 第三話 壊された純白 〜

 

 

 

 ピピ、という警告音と赤いアラート表示。遊は慌てることも無く操縦桿を最小限に動かして回避運動を取る。直前までロストフリーダムが存在していた空間を細く鋭い閃光が駆け抜け、青い空の彼方へと消えた。

 

「今度はあいつ……日野くん、か」

 

 足元に広がる森林のどこかに敵がいる。だがジム・スナイパーは隠密性と狙撃性に優れた機体で、木々に馴染むかのような装甲色のそれを、上空から目視で索敵するのは至難の業だった。一方のこちらは青一色の快晴に、大きな黒い点が、まるで狙ってくれと言わんばかりに激しく主張している状況だ。頼りになるのは画面隅に小さく表示された熱源センサーのみ。

 だがそんな状況でも、遊は微動だにせずに冷静に射角を見極め、おおよその位置をすでに把握していた。

 第二射が大空を穿つ。ゆうゆうと滑空して回避したロストフリーダムは、その眼下に広がる森林の一部を注視した。予測していた箇所より僅かに左、大きな樹の影に沼があるようで、そこに半身をうずめつつ高角射撃ができる体勢も整えている。身体を固定しているおかげか、その弾道におこるズレを最小限にとどめ、正確な射撃を可能にしているようだ。

 小学生のガキにしてはよく考えたものだ。だがスナイパーにとって自身の動きを止め自らの逃げ道を作らないことは、死を意味することを知らないらしい。身をもってわからせてやろう。この私が──

 遊はふと我に返った、自分は一体何を考えていたんだろうか、と。

 

「もらった!」

 

 日野の声が聞こえた。とっさに遊はロストフリーダムを転進させ、ビームの上を飛び越えるように天へと舞い上がった。それでは狙い撃ちにされ続けるから、本来ならば地面すれすれを飛行するのが定石だろう。だがこれでよかった。

 ジム・スナイパーはさらにライフルを上へ掲げ、上空の黒点を撃ち抜かんと数回トリガーを引いた。だがトンボのように滞空しては急加速し、また急停止するロストフリーダムの動きをつかめずにいた。それはすんでのところで回避し、挑発するように滞空しながらくるりと一回転してみせる。ムキになってトリガーを連続で引けば、それもまた踊るようにいなして見せた。そしてどんどんライフルの角度が高くなり……

 突然目を刺すような強い光がジム・スナイパーを、日野を襲った。モニターは白一色に輝き、レーダーや計器すらその光に覆い隠されて見ることができない。ゲーム上、それほど強い光ではないはずだったが、さっきまで黒い機体の胸一点を狙い続けていた日野にとって、その光はいささか刺激が強すぎたのだ。

 太陽を背にした黒い破壊者が、2丁のルプス・ビームライフルを連結させ、そのエネルギーを一点に集中させる。その輝きの一閃は、足を沼に沈めていなければ回避できたであろうジム・スナイパーの、深緑色の胸部装甲を寸分狂わず撃ち抜いた。

 

 『Battle ended.』。バトルシステムのアラートが、聞こえてくるはずだった。

 

『New fighter field in.』

「……乱入か」

 

 

 

 一点の曇もない蒼天の彼方から天使の名を背負うそれは颯爽と現れた。白いスタイリッシュな四肢に青の装甲を重ね、各所に球を思わせるクリアグリーンの装飾と、右腕に装備された大型の実大剣、頭部には2本の鋭角なVブレードアンテナと、輝かしいツインアイ。

 ガンダムエクシア。それは戦いを終わらせるために戦うガンダム。

 

「長谷川てめぇ、川根と日野になにしやがった!」

「武田、くん……」

 

 彼が乗るエクシアは速度を落とすことなく、背中にある円錐状のGNドライヴがより一層光り輝き、幻想的な残光を纏いながら猛進する。突き出した右手にある大型の実大剣GNソード、それが変形し刃が格納されると、隠れていた銃口が姿を見せる。そこから閃光が数発連射された。このビーム、戦艦の装甲をやすやすと撃ち抜きそうなほどのジム・スナイパーどころか、先程のデルタプラスのものよりも弱いものだったのだが、それが単なる牽制でしかないことは、そのエクシアの武装からも透けて見える事実だった。

 黒い影がその輝きの隙間を抜けるように進むと、互いの距離は一気に縮まり、お互いに剣を──エクシアは畳まれていたGNソードを、ロストフリーダムは黒い柄から赤いビームを──抜き放ち、それらをぶつけ、火花を散らせた。

 

「どこでどんな特訓してきたか知らねぇけど、調子乗ってんじゃねぇよ長谷川ぁ!」

 

 激しくぶつかり合う二振りの刃。さらにエクシアは左手を巧みに操り、腰から小ぶりの剣を逆手に握り、ロストフリーダムがサーベルを握っているその手を殴りつけるように鋭い刃先を振りかぶった。そしてそれを予見していたように、ロストフリーダムは腕のビームシールドを即座に展開する。その蒼白の鉄壁が迫り来る白刃を受け止め、お互いはそのぶつかり合う反動で自然と距離が開けた。

 

「長谷川のくせに舐めたことしやがって!」

 

 矢継ぎ早にエクシアは左手の剣を元の位置へしまうと、そのしなやかな身体をひねって腰後方のサーベルを抜刀し黒い敵影へ投擲、その刃につづいて自らも突撃する。その加速力と俊敏性はまさに近接戦闘に特化したチューニングの成せる技だ。

 一方のロストフリーダム、正確には元キットのストライクフリーダム。それは中距離を得意とする高性能万能機だ。オールラウンダーとして設定されているとはいえ、全力が出せる状態の特化機体を相手にするには、ビームサーベル2本だけという武装が貧相に感じられた。戦いのセオリー通りに事を運ぶなら、一度距離を開けて射撃戦に持ち込むのがベストだが。

 

「武田くん、僕はずっとこの時を待ってたんだよ」

 

 青く輝くモニターの中心に居る白い機体。そこに乗ってる武田の姿が脳裏に浮かぶ。どれも自分をいじめて笑いながら見下していたそれは、しだいに川根、日野、それ以外にも父、兄、先生などと混ざりあい、誰とも言えない不気味な何かに変貌していった。その表情を見た遊は、それまで無風の海のように穏やかだった心に嵐を呼び、荒れ狂う感情の波で自身を飲み、感じえなかったほどの激昂と、息もできないほど黒く濃い憎悪の海に沈んでいく。

 

「僕は、全ての破壊を……!」

 

 瞬きをすればその手が敵に触れそうなほどの距離しかないというのに、遊のロストフリーダムは貧相な2本のサーベルすら腰に収納してしまった。そして2丁拳銃を両手に構え、そして背中の赤と黒の翼を、エクシアの……武田の視界を覆い尽くすかのように大きく展開した。その8枚の赤い羽は、それぞれ意思を持ったかのように独立し散開する。終わりの始まりを告げる無数のスラスター音が辺り一面の空気を震わせて、黒い翼からは血のように赤い光が漏れ出し、金色の関節をより一層禍々しく照らし出した。

 ロストフリーダム。遊の失われた自由が目覚める。

 

 投擲されたサーベルを左腕のビームシールドで弾く。だが迫りくる本体は、この盾で防ぐことは不可能に等しい。回避しようにも、大きく広げた翼はどのルートを辿ってもその剣に捉えられ、切り裂かれるだろう。

 だが、もう逃げる必要など無い。

 

「どうしたんだよ長谷川! 今更いつもみたいに逃げようったってそうはいかねぇぜ!?」

 

 両手に銃を握り、大型のシールドも持ち合わせていないロストフリーダムは、超至近距離のエクシアにとって丸腰も同然のように見えた。

 

「もらったぁ!」

 

 武田は歓喜の声を上げながら猛突する。その剣先が黒い装甲を穿つ直前。

 

 上空から急降下する赤い尖爪が、その刀身を穿つ。8枚の真紅の羽、スーパードラグーンの1基が実大剣の切っ先に特攻し、その進むべき道をわずかに逸した。さらに突き刺された羽からビームが放たれ、鉄の焼ける音と匂いが、そして閃光が弾け飛ぶ光と衝撃が、漆黒と純白のガンダムを分かつ。

 

「武田、俺はお前を破壊する」

 

 切っ先が僅かに逸れた実大剣。その重さに振られ体勢を崩したエクシア。見下すロストフリーダム。一瞬の出来事が、武田にはスローモーションで見えていただろう。遊がいじめられていた時に感じる恐怖感と無力感を、彼もまた同じように感じていたのだろう。

 それでこそ、壊す価値があるというものだ。

 逸れた剣先を華麗に躱し、その脳天にかかと落としを繰り出した悪魔。避ける間もなく天使は地に堕ち、木々をなぎ倒し大地をえぐる。そしてそれが再び天を仰いだ時、すでに青天は失われ、荒天、紅血のような一色に染められた、不気味な空が覆いかぶさり、13門からなる砲口が、唸りを上げて膨大な熱量を吐き出し、眼下に広がる広大な大地を、森林を、堕ちた天使ごと焼き払ったのだ。

 全てを灰にした悪魔はスラスターや装甲の隙間から、熱を帯びた煙をため息のように長く長く吐いた。

 

 

 

『Battle ended.』

 

 正真正銘、バトル終了の音声が流れたことで、張り詰めていた真紅のプラフスキー粒子が解放され、ゲームセンターの天井へ、勝利したプレイヤーへ、敗北したプレイヤーへ広がって、消えていった。浮いていたガンプラは脱力しバトルシステムの天板へゆるりと下降し、ちょうど横たわったエクシアを見下す位置に、胸を張り厳とした出で立ちで静止した。

 操縦者――ファイター達の表情はみな一様に、現実を受け入れられずに放心していた。敗北した武田、川根、日野はともかく、勝利した遊自身すらも。

 

「遊、お前どこで練習してきたんだよ? 昨日初めてバトルやったって言ってたのに」

 

 やっとのことで出た武田の言葉に、遊は緊張の糸がほどけ、同時に戦闘に集中していたがために忘れていた黒い感情が、今までさんざんいじめられてきた記憶が、決壊したダムの水のごとく心に流れ込んできて。

 

「どこでって、今までさんざんやってきたじゃないか」

「今まで?」

 

 遊はバトルシステムの上にあるガンプラに手を伸ばした。そこには自分の黒いストライクフリーダムと、今までいじめてきた武田の白いエクシアがいる。そう、このエクシアのように反抗できない相手に対して、彼らは自分たちの快楽のために、玩具のように扱った。僕の心を弄び、壊れていくのを眺めて喜んでいた。悔しくて、悲しくて、とても辛かった過去が怒りをふつふつと湧き上がらせ、その瞳を黒く濁らせる。

 心なしか少し震えていた手が、黒ではなく、白いガンプラを掴んだ。

 

「そうだよ。こうやって、反抗できないからって」

 

 遊はエクシアの脚を左右の手で持つと、関節の動かない方向へ両手で思い切り力を加えた。小学生の力は非力といえど、プラモデルを壊すのは容易いことだ。パキッとあっけない音をたてて、それは二つに分かたれた。

 

「──えっ」

 

 武田の間の抜けた声を気に留めることもなく、遊はその片割れを持ち主になげてよこす。膝から下のパーツがバトルシステムの天板を滑り、武田の右脇に落ちた。

 

「う、うわぁ……あああ!」

 

 小学生にしては図体の大きい武田が目に涙を浮かべ、いつもは自信満々な表情をぐにゃりと崩し、大声で泣き叫ぶその姿は、普段の姿を見慣れていた川根と日野からしても異質だった。そのくらい、自分のガンプラを好いていたということだろうが、いつもの武田とは別人のように喚いて。

 当然遊もその姿を見て、雷に打たれたように我に返った。武田は泣くし、川根と日野はそれをみて呆然と立ち尽くしているしで、その異質な雰囲気に大勢の人間が集まっていた。その誰もがいぶかしむ様子で見つめていたことで、自分がやってしまった愚かさにやっと気付いた。気付いたときには、遅かった。

 遊はとっさに愛機であるロストフリーダムと、兄から借りていたGPベースを手早くナップサックに放り込み、壊してしまったエクシアをその場に投げ捨てるように置き去りにして駆け出した。人混みをかき分け、後ろから来る店員の手がとどかない場所まで、血眼で逃げ道を探した。ゲームセンターから出たあともその速度を落とすことなく、むしろもっと早く、一秒でも早くこの場所から遠いところへと、無我夢中でもつれそうになる足を必死に動かし続けた。汗とも涙ともいえない水分が頬をつたい、視界が滲んでぼやける。

 

 

 

 物を壊されることの悲しさは自分もよく知っているはずだった。鉛筆をおられたり、上靴を隠されたり、たとえ嫌がることをされたとしても、嫌がることをされたからこそ、自分は必ずやらないと心に決めていたはずだった。なぜあんなことをしてしまったのか。普段されてきたことの仕返しを、無意識のうちに求めてしまったのか。ただストレスのはけ口としてやってしまったのか。

 あいつらが僕をいじめてきた罪は消えやしない。人を玩具のようにして遊ぶなんて間違っている。だから僕が教えてやったんだ、彼らが間違っているということを。その心に刻みつけてやったんだ。僕は悪くない。いや違う、僕はただ玩具で遊んで、それを勢い余って壊してしまっただけだ。あいつらだって僕のストライクフリーダムに落書きをしたじゃあないか、煽ってきたあいつらがわるい。僕は悪くない、間違ったことなんて、やってないはずだ。なのになぜ、こんなにも心が乱れるのか。

 答えの出ない問に、遊は頭のなかで何度もぶつかる。荒れた心を抑えることもできず、ただただ走り続けた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 どの道を走ってきたかも定かではないが、気がつけば見慣れた玄関が目の前にあった。涙は不思議と収まっていたが、呼吸が乱れ、喉もカラカラで、無理に使い続けた足はガタガタと震えが止まらない。とりあえず水を飲みたいと靴を脱ごうとして、靴紐がほどけていることにやっと気がついた。

 

「おい遊」

 

 突然声をかけられて肩が跳ね上がる。靴を見ていた視線を上げると、普段はこの時間に居ないはずの兄、卓(スグル)が学生鞄を持ってこちらを見ていた。

 

「どうした、そんなに慌てて」

「卓兄ちゃんこそ、なんで、こんな、時間に」

 

 言葉が切れ切れになる。呼吸が落ち着かないせいなのか、それともGPベースを勝手に持ち出したことがバレやしないかと焦っているのか。

 

「さっき忘れ物を取りに帰ってきたんだ。すぐ戻らなきゃ」

 

 卓は靴箱から自分のスニーカーを出して丁寧に靴紐を結び直した。その様子を見て何もバレてないだろうと遊は胸をなでおろしつつも、自分もその隣で靴を脱いで、靴箱のいつもの場所にしまう。あくまで冷静に、何もなかったように装いながら。

 靴を履き終え立ち上がる兄。見送ろうと遊も立ち上がってその背中を見つめる。わずか2歳年上、中学二年生でしかない卓の背中でも、勉強ができ、スポーツもそれなりにこなし、父親から認められて期待されている兄の姿は、遊にはとても大きく遠い存在に思えた。

 

「ところで遊」

 

 鞄を肩にかけ脇にしめ、いかにも優等生ですという出で立ちの彼は背中越しに、劣等感を抱えた弟に言葉を投げかける。

 

「お前なんかいいことあったか?」

「えっ」

「なんかニヤけてんぞ。夏休みとはいえ、遊ぶのも程々にしとけよ」

 

 卓はそう言い残して、そそくさと塾の方向へと走って行った。遊はあっけにとられていたが、横にある靴箱の上、出かける前に最後の身だしなみを確認するための鏡を見る。

 

 そこには確かに、不気味に笑った自分の素顔が映し出されていた。



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GBF-L #004「見失った光」

 洗濯物を取り込む母の、長い黒髪が風に揺れる。帰宅した遊がランドセルも降ろさないまま、その柔らかで優しい背中に飛びつく。

 温かく眩しさを感じる世界。幽体離脱したような第三者の視点、おぼろげな霧のように包まれた視界から遊はそれを眺めていた。

 夢の中だとはっきりわかる。だって彼女は、今は洗濯どころか立つことさえできないのだから。

 

「おかえり。どうしたの遊」

「今日のテスト、100点だったんだ!」

「すごい! やったねー!」

 

 夢の中だとはっきりわかる。だって彼女は今、誰の声にも返事ができないのだから。

 そしてこれが、自分にとっての夢なのだと、普段無意識に自分にすらひた隠しにしている欲求なのだとわかった時、我慢しつづけていた涙が、限界を超えて溢れ出る。

 

「ほら、あなたが欲しがってた物よ」

「ガンプラ!」

 

 母がどこからともなく出してきた箱。遊の視界に映る、それを満面の笑みで受け取った遊。小学生にはいささか大きいサイズの、それでいて見た目よりも軽い箱。だがその中に入っているものは、少年にとっては重く、とても憧れていた輝かしいものだ。

 ストライクフリーダム。パッケージには正しくこう記されている。

 

 

 

── ガンダムビルドファイターズ ロスト ──

 〜 第四話 見失った光 〜

 

 

 

 遊は目を開けた。頭が痛い。頭だけでなく、身体もこわばっていたのかギシギシといいそうなほどだ。ベッドに横たえていた身体をもぞもぞと動かして、血の回らない重たい頭部を起こす。枕元にある時計の針は六時を過ぎたあたりを差していた。

 窓から赤い陽の光が入ってくる。暑苦しい感じと、どこからか聞こえる「また明日なー」という子供の声から、今は夕方なんだろう。昼寝をしてしまったようだ。目やにが気になって手をやると、ほほがざらざらしてることに気がついた。

 温かくて懐かしくて、すべてを包み込んでくれる優しい夢。もう叶うことのない悲しい夢。心の芯をぐっと強く握られたような苦しみが、また瞳を潤わせる。だが今は、この涙は我慢できる。

 扇風機が首を振って室内にわずかな気流を作ったのも虚しく、部屋は重く暑苦しい空気で占領されていた。

 

「……遊」

 

 聞き慣れた声に、遊はビクンと身体を飛び上がらせた。

 

「いるのか、遊。返事をしなさい」

 

 遊の父、長谷川卓也(タクヤ)その声だ。

 今日は平日で、こんな時間には帰ってこれるような仕事ではないはずなのに、なぜか今日は家にいる。そして自分を呼んでいる。普段起こりえない事態に身体が硬直してしまう。

 

「あ……は、はい。います」

「こんな時間まで昼寝でもしてたのか」

「ごめんなさい」

 

 自室の扉は開けられてこそいないが、それでもその向こうで立っている父親の姿が透けて見えるかのように頭にうかぶ。背がスラっと高くて、細いフレームの銀縁メガネの向こうから、いつも淀んだ瞳で自分を見下していて。とても怒っているようで、それでいて冷酷で、言葉を上から投げつけるように話しかけるその姿が。

 扉の向こうでため息がひとつ。

 

「まぁいい。それより晩ごはんの準備、手伝ってくれないか」

「……はい」

 

 言葉尻は「お願い」でしか無いそれは、遊にとって――実の子にとってそれは「強制」「義務」に近い重さを感じるもので、「はい」と返事をする他に選択肢はなかった。そうやって素直に従わなければ、その後どんなふうにして怒られるのか、想像は易い。

 スリッパが擦れる音がする。扉の前から人の気配がなくなって、やっと遊の肩に入っていた緊張が解けた。ふぅ、呼吸さえも忘れかけていたみたいだ。

 いつから父親はあんなふうになってしまったんだろう。少なくとも去年は、もっと穏やかで優しくて、多少のことなら笑って流してくれるような人だった。今ではちょっと反抗する素振りを見せたらすぐ怒る。それもやっぱり、母さんが入院したことが負担になってるんだろう。仕事だって大変そうだし、やはり自分が、ちょっとでも手伝って支えていかなければ。母さんが帰ってくる日までの辛抱だ。

 

「さぁお手伝い頑張ろう!」

 

 自分に言い聞かせるように、母親の口癖だった言葉を出す。母の笑顔が浮かんで消え──ふと、勉強机の上に立っているガンプラを見た。母から貰ったストライクフリーダム。落書きされたストライクフリーダム。自分で黒く塗りつぶした、ストライクフリーダム。

 

 ロストフリーダム。確かにあれはそう名乗った。いや、あれに名前をつけたのは自分自身だったか。純白の装甲を、黒く──まるで自分の心の闇のように──黒く塗りつぶして。流れ出るのは赤い血の涙か。溢れ出るのは求めた金の輝きか。しかしこのガンプラにそんなたいそうな理由をつけた覚えはない。単に身体が、心が勝手に赴くままに手にしたガンダムマーカーで、落書きをただ上から隠しただけ。白い機体に戻したかったのではなくて、汚されたのを覆い隠すように、本心を他人にミられないように、上から色を重ねただけ。それでも無意識に手にとったマーカーで彩られたそれは、幼稚園児のぬりえのように下手で、それでいて禍々しく、惹きつけられる何かを発していた。

 兄と同じように戦いたいというのは単なる夢で、兄が使う純白のモビルスーツに憧れつつも、結局のところ自分は兄にはなれないし、認められもせず、肩を並べるどころか、目を見て話すことすらできない臆病者で──。

 

「あー……だめ、だめ。ご飯の準備しなきゃ」

 

 一人で被害妄想する悪い癖がまたでちゃったなぁ、なんて頭で反芻しながら、遊は寝ぐせのついた髪の毛を手櫛で整えながら部屋を出た。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 いつもの食卓。いつもの風景。食事中はテレビもスマホも禁止なので、わずかに食器のぶつかる音以外はとても静かだ。ごはんの準備中に帰ってきた兄が横に、斜め前に父が座っている。一つだけ、目の前にある空白の席を見てしまうと、夏だというのに部屋がすこし寒く感じる。辛くしてもいいといつも言っているのに「お前はまだ子供だろう」と父親が煮込んだ甘口カレーも、いつも以上に刺激がたりないように思えた。

 父親の食器と兄の食器が空になる。自分はまだもう少しだけ残ったカレーを、ちょっと食欲がないながらも口に運んでいるところだ。

 

「遊」

 

 いつもは黙ってご飯を済ませ、そのまま風呂に入って寝るだけの父親が珍しく口を開いた。その異様さに、遊も兄の卓も食事の手が止まる。

 

「お前今日、何をやった?」

 

 何をやった。その一言で、忘れかけていた今日の記憶が脳裏を駆ける。漆黒のストライクフリーダム、純白のエクシア、泣いている同級生、投げ捨てたガンプラの足。そして帰宅した時に鏡に映った自分の顔。

 この質問をされるということは、父親は今日何をやったか知っているということだ。知っている上で、本人の口から言わせようとしているのだ。そこに自由はない、逃げ場もない。あるのは服従と、質問に答える義務だけだ。

 それでも遊は、そうだからこそ遊はこういう時に口を閉じてしまい、何も話せなくなってしまう。

 

「武田くんのお母さんから電話があったぞ。お前、友達のおもちゃを壊したらしいな。どんな理由があっても他人の物を壊して、その上謝らずにいるなんて許されることじゃないだろ。わかっているのか?」

 

 返事もせず黙っていたら、父親が口撃を始めるのはいつものことだ。

 

「お前は勉強も運動も苦手なんだから、せめて友達付き合いくらいは上手になりなさいと昔から言ってきたつもりだったが。明日武田さんのとこに謝りに行くからちゃんと反省して、仲直りする準備をしておきなさい」

 

 他人の物を壊しちゃいけない。その一文に異論はない。けれど、武田からいじめられ、何度も自分の物を隠されたり壊されたりしてきたのが許されている現実と、たった1回エクシアを壊した自分が叱られている現実が、遊には受け入れがたい差を感じて飲み込めない。反省? 何を反省すればいいんだ。仲直り? 直る仲なんて無い相手とどうやればいいんだ。そう、悪いのは自分じゃない。あっちが先に仕掛けてきたんじゃないか。僕は悪くない。悪くない。

 言葉にできない感情が、頭から心臓へ黒い血液を送り返し、それが逃げ場を求めて全身に循環する。言葉にしようにも出口は固く閉ざされている。あふれた思いが汗になって固く握った手を濡らすし、涙になって溢れそうになるのをぐっとこらえる。

 

「いつも言ってるだろう、『遊ぶ前に勉強をしなさい』。夏休みも始まったばかりだし、宿題山ほど出されているんだろう。お前は去年もろくに計画建てずにダラダラと過ごして、8月末に泣きついてたじゃないか。去年とおなじようにまたダラダラと過ごすつもりだったのか? 卓は毎年ちゃんとやっていたのに。遊、お前ときたら──」

「父さん」

 

 父の言葉を遮ったのは、隣にいた兄、卓だった。胃液が登ってきて吐きそうだったのが、間一髪のところで止まった遊は、助け舟を出してくれるのだと期待して、潤んだ目で彼の方を向いた。

 

「食器、下げるよ」

「あ……あぁ、ありがとう」

 

 違う。今日の食器洗い当番は卓で、それがいつまで立っても終わりそうになかったのを見かねて声をかけただけだったんだ。希望を持っただけ持ち上げた気持ちが、その高さから地面にたたきつけられる感覚に襲われる。ちっぽけなプライドで作られた殻は簡単に割れ、中の生卵が床に散らばるような。

 調子を崩された父は一度わざとらしい咳払いをして、端的にわかりやすい言葉を選んで、遊に投げつけた。

 

「いいか遊、明日はちゃんと仲直りするんだぞ」

 

 かろうじて形を保っていた卵黄を、足で踏みにじられた。そんな感覚。ギリギリで耐えていた心も、必死にこらえていた涙も、すべてが決壊する。

 

 

 

「なんで仲直りしなきゃいけないんだ」

 

 「えっ」という、意外さを隠せない言葉が漏れた。それは目の前にいる眉間にシワを寄せた父の声か。それとも食器を片付けていた兄の声か。

 

「遊、お前何を言って」

「なんで、なんで僕だけ? 剛くんだって悪いのに、なんで僕が謝らなきゃいけないんだ。ずっと我慢してきたのに、誰も助けてくれなかったのに、なんで僕だけ!」

「落ち着け遊、お前──」

「うるさい!」

 

 兄の静止を振り払うよに手を振った。それが置いてあったプラスチックのコップを跳ね飛ばし、中の水を盛大にぶちまけた。濡れたフローリングの上に、カランと軽い音を立ててころがるコップに、3人共言葉を失っていた。

 コップが当たった手の甲が痛いのと、自分の心が痛い。どっちの痛みが原因か自分自身でもはっきりと分からないままに、こぼれる涙の量がさらに増えた。目の前の父親は怒りと困惑の表情でこちらを見ている。その視線が耐えられなくなって、自分の皿に残ったカレーをたいらげることも、ぶちまけたコップの水を掃除することもせず、一目散にリビングを飛び出した。それが精一杯だった。

 

「おい遊!」

「待って父さん」

「卓は黙ってなさい!」

 

 リビングから廊下を抜けて自分の部屋に入るまでに聞こえた父親の声が、恐怖でしかなかった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 まっくろな海の中を、頭を下にしてゆっくりと沈むような。足元に太陽の光がおぼろげに映っていて、それもだんだんと闇に消されるような。人間は身体の力を抜くと浮くというけれど、そんな気配はなく。ただただ闇に沈んでいく。

 水面が、光が、遠のいていくのを感じながらも、自分の心は焦りも怖さもなかった。冷め切っていた。周りの水もさして温度が高くはないが、身体が冷えきっている錯覚で温かささえ感じる。海流のないこの黒い海でさえも、自分の心ほど冷たくない。

 手足はぴくりとも動かない。ただおぼろげに開く瞳で遠ざかる光を見送りながら、ただ重たい首をもたげて近づいていく深淵を眺める。届かない光を求めるのは疲れてしまった。それよりも遊には、このまま沈んだ先にある闇にこそ興味が湧いたのだ。落ちていく、沈んでいく、動かない身体でたどり着いた先に何があるのか。何もないのかもしれない。いや、きっと何もないだろう。

 それでも遊は何かを求めていた。その何かが、自分自身ですらわかっていないというのに。

 

 

 

 暑い真夏日。空調機がごうごうと動く音すら、賑やかなBGMでかき消される空間。中で子どもたちが入れ替わり立ち替わり、ぎゃあぎゃあという叫び声と電子音が不協和音を奏でる部屋。最寄りの場所よりちょっとだけ遠くてちょっとだけ広いゲームセンターは、夏休みの子どもたちで盛大に賑わっていた。当然人気のゲームセンターにはどこにでもある、あの独特な六角形のバトルシステムが2機も設置されていて、すでに1機は子どもたちに囲まれて賑わっていた。もう1機は遊が一人で、黒いストライクフリーダムを動かして遊んでいた。時折周囲の小学生や中学生が、まるで盗み見るかのようにその戦いを眺めては、気づかれる前に逃げるように視線をそらす。

 バトル上は山積みにされた残骸と、焼き払われた市街地。黒い影が縦横無尽に飛び回り、空から降りてくる緑の量産機をサーベルでなぎ払い、ビームで焼き、死体の山を築いていく。バトルフィールドに降下され、地上に降りた瞬間を狙われたハイモックが爆散した時、遊のディスプレイに映る数字が92に増えた。その残骸、足元に落ちた腕。ストライクフリーダムはそれを踏み潰し、装甲を大きくひしゃげさせた。

 

「すげぇ、100撃破まであと8だぜ」

「俺こんなプレイ初めて見たぜ」

 

 ひっそりとバレないように会話する。本人は全く気に留めていなかったが、このゲームで100撃破など、普通の学生プレイヤーができる芸当ではない。だからこそ、異質に見えて誰も近づこうとしなかった。

 武器を構えたハイモック相手に一瞬で懐に飛び込むと、身体をかがめて下からサーベルを振り上げ、その手に握るライフルだけを両断する。そのまま振りおろし緑のまるまる太った左腕をバターのように切り落としたと思えば、寸分狂わず右肘と左膝に突きをお見舞いし、活かしたまま行動不能まで追い込む。そして最後に二振り目のサーベルを抜き、左右で挟むように横薙ぎにして二分した。撃墜数が93になる。それでもまだ執拗に、ストライクフリーダムは地面に転がった緑のだるまに剣を突き立てた。

 

「違う……こんなんじゃない」

 

 遊は撃墜数なんて眼中になかった。ただ、あの時の興奮を求めていた。デルタプラスを、ジムスナイパーⅡを、エクシアを破壊した時のような、なんとも言われぬ快感を求めていた。自分の心にぽっかりと空いてしまった大きな黒穴を、ガンプラバトルなら埋められるだろうと思っていた。だがいくらハイモックを倒しても、その穴が埋まるどころか、どんどんと広がっていくようにも感じた。

 

 

 

「何が違うの?」

 

 遊はゲームに夢中になりすぎて、すぐ隣に誰かが立っていることにすら気づかなかったので、身を飛び上がらせて硬直した。その一瞬で、ストライクフリーダムはビームの嵐に飲み込まれ、あっという間にゲージがゼロにされてしまう。ゲームオーバーだ。

 青白いプラフスキー粒子は終了のアラートと同時に開放されていき空気に溶け込んでいく。手元にあったコンソールも消えて、コックピットを模した壁も徐々に消滅する。

 

「……誰」

 

 遊はテンポを乱された相手にイラッとした態度をとろうと、眉間にシワをよせながら視線を向けた。しかしその姿を見て、なぜか戦意が氷のように溶けていく。

 Tシャツにショートパンツ。長い髪を結った大きめのシュシュとウエストポーチ、桃色のリストバンドが目を引く活発そうな女の子。遊よりもすこし背が高く、おそらく中学生だろう。だけど遊は彼女のことを見たこともないし、そもそもこのゲームセンターも遊の通っている小学校の校区外で、ここに来たことも、この付近に友達がいることもありえない。

 この雰囲気の中で堂々と話しかけてきた彼女は、初対面であるはずの遊に話しかけてきたというのだ。

 

「さっきからずっと戦ってるの見てたよ。きみ、ガンプラバトル強いね! 中学生?……だったら大会出ててもおかしくないし、あたしが知らないはずないんだけど」

 

 よくしゃべる人。遊の自分の苦手なタイプだ。

 

「小6です」

「そっかぁ、将来有望ってやつだね! 家はどこ?近いの?あたしもすぐそこでねー!」

「あの、えっと……その」

 

 彼女の質問攻めに遊が返事に困ってしまい、結局何に答えていいかわからなくなって。こうなると遊は何も言えなくなって、ただ黙ってうつむいてしまうのだった。

 返事がないことに数秒遅れて気がついた彼女が、ひと呼吸開けて、もうひとつ質問を投げてくる。

 

「よかったらあたしとバトルしない?」

「うん……え?」

「ガンプラバトル。言っとくけどあたしも強いよ!」

 

 彼女の腰にある四角くかさばったウエストポーチから箱がとり出され、その箱から大事そうに白色のガンプラが取り出される。それは花のような台座がついている、普通のより一回り小さくて女性らしい曲線が使われたシルエットのガンプラ。遊のいる場所から反対側のユニットへ、対面するように移動してそれをバトルシステムにセットする。

 

「きみ、名前は!?」

「あ……は、長谷川遊、です」

「あたしは山田アイ。よろしくね!」

 

 小6の夏休み、2日目。風のように彼女は現れた。



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GBF-L #005「狙われた力」

『Begining plavsky particle dispersal.』

「あたしは山田アイ。よろしくね!」

 

 桃色のリストバンド、揺れる長い髪。彼女は曲線美の映えるガンプラと自前のGPベースをセットすると、粒子の壁ができる直前、遊にウインクを飛ばした。

 いきさつはまるで分からない。遊には彼女と戦う理由は無かった。だが同時に、戦いを拒む理由も、遊にはなかった。

 

「……やるしか、ない」

 

 ひとつだけ言えることは、彼女の笑顔は、遊には眩し過ぎた。

 

 

 

── ガンダムビルドファイターズ ロスト ──

 〜 第五話 狙われた力 〜

 

 

 

 先ほどの戦闘で炎上させもはや人間の住む場所ではなくなっていた都心部が、バトルをリセットされたことで全くの更地へと変化し、そして再構築される。サーベルで焼き斬った高層ビルも、その足で踏み潰した公園も、死体に埋もれた駅も、すべて元のまま、今さっきまで人が住んでいたかのような美しさと汚さが同居した雰囲気。

 それを無慈悲な鉄の塊が一歩、踏みにじる。

 遊は空中に解き放たれたストライクフリーダムをビル群の隙間に着地させ、息を潜めるように最低限の動きで影に隠れた。真正面から向かうには、色々な情報が足りなさすぎる。それと同時に、自分に戦意が見いだせなくて、一歩踏み出すことをためらってしまった。

 

「山田さん、か」

 

 彼女の名前に心当たりはなかったし、女の子の友達はおろか、男子の友達すら6年生になって作れずにいた遊にとって、彼女は理解不能な存在だった。本当に今日のゲームプレイを見てバトルを申し込んだなら相当な熟練ファイターだろう。迂闊に飛び出しては返り討ちに合うだけだ。それ以前の遊のことを知っているなら、もっと違った方法で話しかけてくるはずだし、会話もバトルも、こんなに唐突になるはずがない。それに何より、その笑顔が頭から離れなくて──

 

「ぼーっとして、何を考えてるの?」

 

 後方から聞こえたアイの声に、遊は驚きつつもストライクフリーダムを反転させた。早いか遅いか、ストライクフリーダムのすぐ右脇を、ビームの熱量が通り抜ける。浮遊する小さな花のような銃口がひとつ。無線型ビーム兵器ファンネルビットだ。

 とっさのことで何が何だか理解が追いつかず、ただ全力でこの場から離れろと本能が叫び、それに順応して手元の球体を全力で引っ張る。ロストフリーダムはその羽を大きく広げ、青々とした天空へと急速浮上、捉えきれなかった第二撃が足のつま先わずか数ミリ下を通り抜ける。間一髪。

 だが空中へ逃げることは、同時に本体から自分の位置を教えるようなものである。

 

「くそっ、どこから……」

「様子見からスタートだなんて、さっきの気迫はどこ行ったの?」

 

 先ほど回避した花弁の銃口が、上空のストライクフリーダムを捉えつつ逃さない。大空においてその質量の差は、機動力の差に直結する。当然、軽く小さいほうが速い。

 

「ド、ドラグーン! それから、ヴォアチュールリュミエール起動! あとは、えっと……」

 

 遊はたった一つのファンネルから逃れるべく、上空を駆けまわった。その翼にぶら下がっていた重りを開放させ、追手と同じファンネルビットとして自立起動させる。そしてその翼から、青い光を放出させて、自身の機動力を格段に上げる。

 だがこちらのドラグーンは、通常のMSよりはるかに小さいファンネル相手にビーム攻撃を命中できるはずもなく、ただ空を焼くことしかできなかった。。身軽になった本体は最大限の速力を手に入れたが、それでもまだファンネルに及ばない。

 

「無駄よ。今のあなたじゃ、それは捕まえられない」

「くっそ……!」

 

 空を泳ぐように飛行するたった一つの白色の花弁に対して、踊らされるように宙を舞う黒い機体。まるで操り人形のように、傍から見ても情けない戦闘運びである。さっきまでのCPU戦を見て期待が高まっていたギャラリーたちも落胆のため息しか出ない。

 

「ほら頑張って! 遊の実力はそんなもんじゃないでしょ?」

 

 アイからの通信が耳に入るが、そんなものを気にしていられるほど遊に余裕はなく、「簡単に言うけど!」とそっけない返事をするのみで。

 たった1分にも満たない、戦闘とすらよべない戯れだったが、遊の集中力と判断力の限界は簡単に訪れた。気を抜いたら負ける、気を抜かなくても決定打に欠ける。ガンプラバトルを初めて数回の遊にとってのこの1分は、地獄のような戦いだった。それを望遠レンズで眺めていたアイはため息をついて、精密に動かしていた右手を、今までよりも精密に、かつ力強くひねる。

 

「残念、もうちょっとできると思ったけど」

「何を……!?」

 

 ファンネルの動きが格段に上昇した。それは8機にも及ぶドラグーンの波を乗り越え、2丁のビームライフルの猛攻を矢継ぎ早にくぐり抜け、すぐさまストライクフリーダムの胸元を捉える。今までの動きは全部、手加減されていた結果だったということが、初心者の遊ですら理解するほどのキレのある攻め。

 なぜ、どうしてこんな人と自分は戦っているのか。対戦を申し込まれて、手加減されて、呆気無く負けるためにここにいるのか。まだ敵の姿もちゃんと見れていないのに、遠隔操作されている駒一つにさえ勝てないのか。違う、僕のやりたかったガンプラバトルはこんなんじゃない。もっと兄ちゃんのように好敵手としのぎを削り合い、サーベルを交わらせ、火花を散らす激戦がしたかったのに──僕はダメなのか。兄ちゃんのように戦えないのか。

 遊は気の遠くなるような、自分が自分でなくなるような感覚になった。

 

 

 

「その勝負、待った!」

 

 フィールドに『New Fighter Field In』のアラート。

 その白い花が返り血で黒く染まる前に、下方からの閃光がコアを穿つ。精密な射撃に花弁は散り、残された本体と、黒い自由が硬直する。

 大地に立つは太い四肢、丸みを帯びた装甲、ブラックとヴァイオレットカラーで彩られたそれはひとつ目をぎょろりと動かす。ドムと呼ばれるタイプのガンプラが、武装を盛大に引っさげて割り込んでいた。

 

「お前、YouTuberの「桃井アイ」だろ!? こんなところで会えるなんてな!」

 

 先ほどファンネルを撃ちぬいたドムのパイロットが、遊のことなどそっちのけで通信越しにアイに話しかけた。

 

「ふーん、あたしを知ってるのは嬉しいけど。自己紹介くらいしたらどう?」

「そいつは悪かったな!」

 

 構えた大型のビームライフルでビルの一つを狙撃する。それが爆発するが速いか、白い機体、ファルシアと呼ばれるアイのそれが姿を見せる。

 

「登場早々ファンネルを撃ちぬき、一発であんたの居場所を特定する。それだけじゃ不満か?」

「不満ね。外から見てたらあたしの潜伏場所なんてまるわかりでしょ」

 

 ギャラリーから嘲笑の声が漏れた。ドムのパイロットは恥ずかしさと怒りから「煩い!」と一喝して、そのコンソールをガチャガチャと動かす。ドムがライフルを捨ててバズーカに持ち替え、背面のミサイルハッチから雨のように爆薬を降り注ぎ、肩からガトリングガンを乱射し、一瞬で市街地を焦土と変えた。標的にされたファルシアはそれをいとも簡単に、ビル群を軽快に跳び渡り、猛攻を華麗に回避し受け流す。燃える街を舞う妖精の姿は、とても幻想的で。

 その戦いを、巻き込まれない距離に逃げながら、何も出来ずに宙で見守るだけの遊。

 

「あたしは今、彼に興味があるんだけど」

「あいつなんかより俺のほうがよっぽど強い! だからよ、闘技場つれてってくれよ!」

「お断りよ!」

 

 Youtuber、闘技場、桃井アイ、なんのことだかわからない遊は、戦闘に割って入る精神力も、技術力も持ち合わせていない。感じる無力感と疎外感。

 

「はは……」

 

 ふと無意識のうちに、メニュー画面の「リタイア」に手が伸びる。

 こんな戦い、自分にとって何の意味もない。戦う理由もない、彼女達と戦える技術もない、失うものも手に入れるものもないのに、戦い続ける意味なんてあるわけがない。僕はコンピューター戦で敵を倒せていればそれで満足だった。見知らぬ誰かに勝つことよりも、自分よりちょっと弱い相手を倒している方が楽しかった。誰かと競い合うことは苦手で、ゲームに言われたクリア条件をこなしているほうが楽だった。誰かと戦い上下を決めることは、そこに憎しみと悲しみを生み出す。それは人にとって良くない感情で、その気持ちが高まってまた同じ過ちを繰り返す。そうやって積み上げられたものの上に、何が出来上がるというのか。誰かを蹴落として、見下して、勝って負けてを繰り返し、負の感情を増幅させるくらいなら、いっそ──

 

「遊、あなた何を考えてるの」

 

 突然向けられた声に手が止まった。それは遊の心臓を握るような、鋭利なナイフを突き立てるような、恐怖を感じる一言だった。あまりの恐怖感にすべての毛穴が広がり、細胞が全力で悲鳴を上げるような。

 だがその後に続く言葉は無く。アイとファルシアは戦場を踊る。

 

 

 

 ドムがその武装をほぼ使い切りパージした姿は、大型のビーム重斬刀といくつかの手榴弾をぶら下げるだけになった。登場から一変してスタイリッシュに見える。

 

「あんなガキより俺の方が何倍も目立てるぜ? ほら、ジオン機体使いって今いないだろ! それだけでも再生数稼ぎに──」

「ならないわ」

 

 重斬刀の一撃も、その声も、ファルシアには届かない。

 

「あなたのそれじゃ、華がないもの」

 

 さっきまで轟々と唸りを上げていたモビルスーツが沈黙する。ファルシアの手のひらから放たれた熱線が、重厚そうな装甲を貫くのは一瞬で。左胸装甲を貫通したビームはファルシアによって薙ぎ払われ、その傷口を大きく広げた。片腕まで切り落とされ、かろうじて胴体をつないでいたドムも、もはや息することは叶わず、無残に爆発した。

 爆炎に映える姿は美しい。その影も、その動きも、切り返しの速さも。遊には美しく、遠いものだった。

 

『New Fighter Field In』

『New Fighter Field In』

『New Fighter Field In』

 

 休む暇もなく、3人の新手が姿を見せる。ドムの戦いに釣られてやってきた、さぞ腕に自信のあるファイター達だろう。今バトルにアクセスしているのは遊、アイ、ドムのパイロット、そして新たな3人の刺客。狭いフィールドでの多人数戦闘は当然のごとくリスクが大きい。にもかかわらず、6角型のバトルシステムが満員になるほど、この戦いは魅力的ということか。

 

「そこの雑魚いドムとか見捨てて、俺を連れてってくれよ!」

「桃井ちゃん、動画で見るより数百倍可愛いんだねぇ……」

「あんたらひっこんでなさいよ! ねぇ、女性プレイヤーってのも貴重でしょ?」

 

 そして当然、彼らの目的はアイ。そしてファルシアの撃破だ。誰も直前までハイモックを蹂躙していた遊の姿を覚えてはいない。

 

「うーん、人気者って辛い!」

 

 さっきドムが乱入していた時の声のトーンではなく、ちょっと猫を被ったような、少し高めの声だった。

 

「仕方ないなぁ。それじゃ私のために集まってくれたみんな! この戦いで勝った人を闘技場に招待するね!」

 

 ギャラリーたちがざわついた。当然乱入者たちは息巻いて、それぞれの機体を横睨みする。もはやすべてが敵、すべてが戦場。生き残った者が次のステージに立てる。遊にとって闘技場の価値は全く分からない。だがその周囲の雰囲気から察するに、かなりの人気があると見て取れる。

 

「で! 勝利条件は、あの黒いストフリを倒した人ってことでよろしく!」

 

 その一言で、多数の視線が一気に遊へと向けられた。

 

「……え、う……」

 

 殺気立ったツインアイが並ぶフィールド。その姿を堂々と皆に見せるように宙に佇む黒いストライクフリーダム。機体だけ見れば格好良く決まっているが、パイロットはそうではない。全員が全員、さっきのドムと同等かそれ以上の実力を備え、それぞれ思い思いにカスタムしたガンプラで、この前初めてバトルした初心者を屠らんとしている事実。ビット一つ撃退することもできずに遊ばされた自分を本気で潰しに来る未来。それが見えた時、遊は恐怖で血の気が引いた。

 

「山田さん、何を──」

「あたしのことはアイって呼んで! それじゃ、期待してるからね?」

 

 通信が途絶えると同時に、白いファルシアからビームが一発、こちらに届けられた。

 それは命中どころか、ストライクフリーダムのかなり横を通り過ぎただけだったが、試合開始の合図には適しすぎるほどに、良い号令だった。ファルシアのビームを見た他のファイターたちが獲物を先取りされまいと、次々とそのバーニアを点火し、ライフルを唸らせ、その剣先をたぎらせる。3機のガンプラが一斉に向けた殺気に、心が先に殺されそうだ。

 一瞬の判断ミスが命取りになる。さっきのファンネルビット一つとは比べ物にならない物量が遊を襲う。

 空は居場所もバレるし集中砲火を受けて不利だ。ならいっそ焼き払われるまでの間だけれど、街の中を縫うように逃げるほうがよい。そんな自身の直感を信じて遊は空中から急降下した。幸いにも足元はMSが隠れるほどのビルが立ち並ぶ場所で、そこまで落ちればあとは追いかけるほうが不利だ。

 山田さん、いやアイさんは僕に対して何をそんなに期待するのか、さっきのファンネルを躱せなかった戦いを見て、それでも「期待してるからね」と言ったのは何でなんだ。乱入者たちはみんな強い、一対一でも勝てっこない相手なのに、なんでいま自分は諦めずに逃げてるんだ。逃げることに意味はあるのか。

 いや、意味が無いわけじゃない。だって彼女は言ったんだ、「期待してるから」って。

 

 無数に飛んできたライフルの射撃をなんとか回避しきって、ビルの隙間にたどり着いたストライクフリーダムは、そこからさらに逃げるべく一度着地しビルの隙間を抜けた。敵の位置をレーダーで把握しながら二対一にならないように立ち回れば逃げきれる。今背後に二つの熱源がある。背後に、二つ……?

 

「見つけたぁ!」

 

 突如画面に現れる白と青の機体。画面端にあるレーダーを注視しすぎて、肝心のモニターに映る敵影に気づけなかった。

 

「この俺のダブルオーライザー・インフィニティソードから逃げられると思うなよ!」

 

 そのMSが、ビルの横幅より長い大剣を腰に溜め、そのままビルごと横薙ぎにした。鉄とコンクリートの塊であるビルさえも、刃の質量をもってすれば簡単に砕かれた。

 遊が慌てて腕に仕込まれたビームシールドを展開する。一刀両断されるのをギリギリ防ぐことには繋がったが、その重量をそのまま受け止めることもできず、シールドごと反対側のビルにたたきつけられる。止まる鋭剣、身動きのとれないストライクフリーダム、対峙するダブルオーは片手を離し、腰のビームサーベルに手を掛けて。

 

「俺の勝ちだ」

「させないっ!」

 

 ストライクフリーダムの胸をビームサーベルが貫く直前、ガトリングの弾雨がダブルオーを襲った。その一発一発は致命傷にならないとはいえ、その場に居続けるには弱くない威力だ。たまらず青い影が距離を取る。

 

「邪魔すんな!」

「それはこっちの台詞よ!」

 

 横槍を入れてきた彼女の機体、全身に火砲を装備した「ヘビーアームズカスタムV2」と名乗るそれは、バックステップしたダブルオーに対してさらに追撃を加えた。途切れない銃撃に巻き込まれないよう、遊もその場から一目散に撤退する。ダブルオーはその射線を縫うように空を駆けまわるが、必殺の一撃もそのリーチの差を埋まらなければ意味はない。

 

 この状況、チャンスなのか? 遊はビルの影から二人の戦闘を様子見した。ダブルオーは銃弾の嵐をものともせずに動きまわり、ヘビーアームズは乱雑に見えて正確な射撃でダブルオーを近づけさせていない。だめだ。このままでは勝ち目がない。三人を同時に相手どることなんて出来ないし、一人づつ倒していくしかないというのに、今彼らの動きを見ても確実に自分が勝てる見込みも、付け入る隙もない。

 

「だめだ、逃げ──」

 

 振り返ったそこに、警報アラートが鳴り響く。

 

「ははは! そうやって群れてくれるおかげで、ボクのクアッドサテライトキャノンのチャージにも困らなかったよ! みんな消し炭になってしまえばいいんだよぉ!!」

 

 モニターに映った小さいMS「ガンダムQX(クアッドエックス)」が、その四門の大型ビーム砲を展開し、通常のMSにはないエネルギー量をその砲身に蓄え、今にも放たんと唸りを上げる。あの熱量、あの機体、そして今までずっとチャージしていたことを考えると、このあたり一帯が消し飛んでもおかしくない威力に違いない。狙いは遊、そしてストライクフリーダムだ。距離があいてしまっていたダブルオーとヘビーアームズは、全速力で遊から離れれば逃げきれるだろう。だが遊は気づいたところで、回避する方法も、受け止める方法も思いつかない。

 負ける。どうやっても勝てない。そりゃそうだ、だって弱いんだもの。弱肉強食、ただ弱いものは負け強いものが勝つ、それだけのこと。最初から負けることはわかりきっていたじゃないか。それなのになんでガンプラバトルを始めてしまったんだろう。兄ちゃんはなんでガンプラバトルを楽しめていたんだろう。

 今ではすっかり見なくなったけれど、ユニコーンを操縦している兄、卓の姿は、遊にはとても輝いて見えた。勝った試合は当然、負けた試合でも笑っていた。なんでだろう、遊にとって武田を倒したことも、モックを相手に連勝していたことも、今負けようとしていることも、楽しさなんて感じない。あるのは虚しさと、悔しさだけだ。

 

「負けたく、ない……」

 

 楽しくもない、嬉しくもない、たかだかゲーム一つに何を固執しているんだろう。将来役に立つようなことでもないのに。諦めてしまえば楽になれるのに。

 

 けれど……だからこそ、遊はこのゲームに負けたくない。悔しい。勝ちたい。何も出来ないやつだと言ってきた連中を見返したい。

 

「負けたくない! 虐められるのはもう嫌だ、嫌だ、嫌だ……」

 

 涙が頬を伝った。その瞳は充血し、それはまるで、ロストフリーダムが身にまとう粒子のような、濁った朱に染まりつつあった。



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GBF-L #006「求められた勝利」

 眼前に広がる戦場で、幾多の花火が割いて散る。三機のガンプラは勝利と栄光を手にしようと地をかけ空を舞い、布についた一点のシミのような黒いガンプラを追いかけた。まだ幼く弱かったファイターは、圧倒的不利な状況でただ「負けたくない」と願った。

 その願いが瞳から溢れ頬を伝う。その水晶体は充血し、それはまるで、黒いストライクフリーダムが身にまとう粒子のような、濁った朱に染まりつつあった。

 

 

 

──ガンダム ビルドファイターズ ロスト──

 ~ 第六話 求められた勝利 ~

 

 

 

 楽しくもない、嬉しくもない。たかだかゲーム一つに何を固執しているんだろう。将来役に立つようなことでもないし、誰かから褒められ表彰されるようなことでもないのに。諦めてしまえば、楽になれるのに。

 それでも。

 

「負けたく、ない」

 

 それでも。だからこそ。遊はこのゲームに負けたくないと強く願った。悔しい、勝ちたい、何も出来ない奴だと言ってきた連中を見返したい。

 だがそれをやすやすと叶えられるほど、状況は思わしくない。

 

 

 

「あははは! チャージの時間を稼いでくれてありがとうね、これで僕の勝ちだよぉ!」

 

 ガンダムQXのファイターはねっとりとした言葉と視線をアイに飛ばして言う。

 

「アイちゃん待っててね、今この虫けらどもを消し飛ばしてそっちに行くからさぁ!」

「うん、頑張って! その機体の火力、あたし気になるわ!」

 

 アイはにこやかに返事をした。期待していることは嘘ではない、嘘ではないが、本心でもない。ファイターをその気にさせるだけの上辺だけの返事。本当に欲しいのは取ってつけだだけの安っぽい火力武装なんかではない、もっと心の底から恐怖を感じるような力、何者にも侵されない勝利への渇望、全てを否定する破壊の衝動。

 

「……見せてもらうわ、ロストフリーダムの力」

 

 ほんのわずかに朱く光るストライクフリーダム、その濁った輝きをアイは求めていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ダブルオーとヘビーアームズは激しく交わり離れの攻防を繰り広げていたが、それもガンダムQXに充填される熱量に気圧されて中断せざるを得ない状況になった。

 

「あの火力バカ、先に潰すべきだったか!」

「こうなったら、やられる前にやるしかないわね」

 

 ヘビーアームズがその腰にマウントした手榴弾を地面に投げつける。巻き上がる白煙と閃光。ダブルオーの動きがほんのわずかだけ光から逃げる。そのわずかな時間で、ヘビーアームズはターゲットを黒いMSに切り替えた。

 

「火力バカはあんたもでしょう。何も考えずに近接武器ばかり背負ってるから、こういう搦手にすぐ怯む!」

 

 「何を」と声が届くもその手は届かない。ヘビーアームズはその剣先を躱し、全力でその機体を走らせた。崩落したビルを次々と踏み台にして高く飛び上がり、ロストフリーダムを捉える距離まで最短で足を運ぶ。その身のこなしはまるで格闘機のそれに近い。

 

「そこの黒いの、私のために堕ちなさい!」

 

 肘に備え付けられた心もとないサイズのアーマーシュナイダーを展開し、眼下に座り込むストライクフリーダムへ突き立てんと、水面へダイブするように真っ直ぐ、真っ直ぐに落下する。当然この速度で垂直落下すれば自身も破損してしまうが、この戦いにおいてそんなことはどうでも良い。ただ目的のMSを誰よりも先に撃墜することが最重要事項だ。そのためなら、自分のガンプラですら壊れてしまっても些細な問題ではない。壊れてもまた作り直せばよい。

 

 

 

 壊れても良いのだ。壊しても良いのだ。ガンプラバトルはそういう遊びなのだから。

 

「俺は……負けたくない!」

 

 その判断が、ロストフリーダムに勝機を与えた。

 ツインアイに魂が宿る。ハイパーデュートリオンエンジンが最大出力で唸り、ドラグーンが鎖から解き放たれ宙を舞い、ヴォアチュールリュミエールの輝きが大地を照らす。朱い粒子を身にまとい、ロストフリーダムがその呼吸を始めた。

 

「トランザム!? いや、GNドライブもなしにストフリ単体で出来ることじゃ……」

「そうでなくても今更、遅い!」

 

 ヘビーアームズのパイロットはその異変に気づきつつも、もはや止まることも出来ず、止まることも考えず、急転直下、彗星のごとき速さで刃を突き立てんと堕ちる。

 

「俺は、全ての、破壊を──」

 

 ドラグーンが踊る。それはロストフリーダムの周囲に円陣を描き、頭上にいるヘビーアームズの周囲を飾るようにビームを掃射し壁を作った。遠目から見れば天に伸びる光の柱のような、天を穿つ銃口のような光の壁を。その中心を、連結したビームライフルの閃光が走る。逃げ場を失ったMSの肩口を貫き、半身をその熱で焼いた。アーマーシュナイダーも手放され、もはや地面に自ら叩きつけられるのを待つより他無いに等しい。

 だが、決定打には惜しくも届かない。半身失ってもなお落下を続けるヘビーアームズは、ロストフリーダムを睨んで離さない。

 

「まだ、まだよ!メインシステムは動いてるっ!ガンダムWの機体だもの、当然……」

 

 武装スロット7番目の、本来選ぶべきではない、技とはとうてい言えない代物。そう「自爆」という手段で、敵もろとも木っ端微塵になるという選択肢を彼女は選んだ。

 光に包まれる機体、落下する様は本当に彗星になったかのようだ。だが遊はそれも見据えて。

 

「なんで、自分から壊してまで僕をいじめるんだ!」

 

 奥の歯を噛み締めながらも、その機体を空高く舞い上がらせ、MSが自爆した爆風さえも追い風にして高く高く舞い上がる。

 

「次はお前か!?」

 

ロストフリーダムはそのドラグーンを従え、下方にいるダブルオーに狙いを定める。2丁拳銃とドラグーンを全てロックオンさせ……ストライクフリーダムの必殺技ともいえる、ハイマットフルバーストの構えだ。

 

「お前を倒すのは、俺なんだよ!」

 

 だが、ダブルオーもやすやすと受けてくれるほど甘くはない。両肩に備えたGNドライブをフル回転させ、その剣を天に掲げてエネルギーを集中。それは先程ロストフリーダムが作った見掛け倒しの柱ではなく、真に天を貫き大地を割る、輝きの剣ライザーソード。

 

「3人まとめてと思ってたけど、自爆のおかげで的が減ったよ!サテライトキャノン発射ぁ!」

 

 残された二機を射線上に捉えたガンダムQXの砲もまた、唸りを上げる。

 

 

 

 あふれんばかりの熱量の津波がロストフリーダムを襲う。ハイマットフルバーストがダブルオーを貫くのが先か、ライザーソードがロストフリーダムを焼き切るのが先か、はたまたサテライトキャノンが両者を飲み込んでしまうのか。どちらにせよ、ロストフリーダムは挟撃の形で敗北する。誰が見ても明白な未来、受け入れがたい現実がそこにある。

 

 それでも、負けたくないと願う気持ちは、消えること無く。

 

 

 

 光の奔流が黒い影を包んだ。ガンダムQXの砲とライザーソードがぶつかり合い、割れる竹のようにビームを裂いた。だが同時にライザーソードも消失し、クアッドエックスには届かない。お互いがお互いの火力をぶつけあい、その交じり合う中心はまばゆい光に包まれた。もはやその中にあるはずの小さなシミのような機体など跡形もなく消えるだろう。

 そう、本来ならばロストフリーダムという存在は、消えるべき物だった。開放されるべき物だった。ここで消えておけば、苦しまなくて良かったのかも知れない。

 

 

 

 しばらくフィールドを閃光が支配したのち、両者のビームが減衰していき、フェードイン、眩しかった世界もやっと肉眼で目視できるようになる。

 ダブルオーもガンダムQXも持てる力を出しきって、放心状態だ。

 

「黒いのはやった、どっちの判定だ!?」

 

 画面を確認する。撃墜判定として名が上がっていたのは、ドムとヘビーアームズ、その先は未だ空欄。撃墜リストにロストフリーダムの名前はない。

 まだ墜ちてはいない。まだ負けてはいない。負けたくないと願った少年の心の炎は未だ。

 

「なんで……なんで皆して!」

 

 ダブルオーの足元、瓦礫の中から現れた黒い左手が、その白い足首を掴んで引きずりおろした。

 

「お前、あの状況でどうやって──」

「なんで僕ばっかり!」

 

 死んだはずのロストフリーダム。その突然の襲来に動きが鈍ったダブルオーを、右手に握ったビームサーベルで真一文字に切り捨てた。それだけでもうそのMSは敗北し、ただのプラスチックの塊と成り下がった、試合の判定では撃墜された。だがロストフリーダムはそのサーベルを振るい続ける。

 

「くそっ、くそっ! 僕は!」

 

 もはや掴んでいた片足以外、ビームサーベルで滅多斬りにされ、それがMSだったことを知らなければただの瓦礫にしか見えないような、見るも無残な姿に成り果てた。

 ひとしきり、叫んだロストフリーダムは、ゆらりと向きを変える。その視線はガンダムQXを捉え、その周囲には朱い粒子が渦を巻く。

 

「く、来るな! 僕のQXに傷をつけようだなんて、そんなこと許され──」

 

 言うが早いか、墜ちるが早いか。通常の射撃が通らないほど離れている距離を、ロストフリーダムの連結したライフルのビームが駆けていき、QXの胸を貫いて、消えた。

 

 

 

「ハイマットフルバースト、と見せかけてただのドラグーン一斉掃射。ライザーソードとサテライトキャノンを相殺させつつ、自分は瓦礫の下へ退避…よくできた戦術じゃない」

 

 その白い華、ファルシアに搭乗して高みの見物をしていたアイは、目の前の景色にとても夢を抱いた。そう、これが自分の望んだ力。全てを破壊する願い。ロストフリーダムに集まる朱い粒子。そのどれもが、期待していた以上の実力だ。だからこそ彼をあそこへ連れて行きたい、いや行かなければならない。

 

「遊、さすがあたしが見込んだ──」

 

 刹那、その頬をかすめる弾丸。

 

「まだ僕をいじめる奴が!」

 

 台風の目が動く。残ったMSはただ一人、ファルシアめがけて真っ直ぐ、全力で翔ぶ。それに応じで朱い粒子全体が動くものだから、対峙したファイターへの威圧感はもはや通常のMS1機とは遥かに違う。ロストフリーダムはその手にサーベルを強く強く握りしめ、はちきれんばかりのエネルギーと感情を込めて、小さな華すら踏みにじらんと進む。

 

「落ち着きなさいよ、ほら。3、2、1……」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

『Time Up.Battle ended.』

 

 充満していたプラフスキー粒子が開放され、その青い輝きも、ロストフリーダムがまとっていた朱い輝きも、縛られていた役割から開放されて浮遊する。それは次第にゲームセンターの空調に吸われてか、あたりに霧散して、消えていく。

 遊の手元から無くなった球体のコンソール。もう少しだけ握っていたかったような、消えてくれてほっとしたような。名残惜しくて、手を何度か握ったりひらいたりしてみたが。バトルは終わったという虚無感だけを知らせてくれた。

 目の前には先ほどの荒廃した都市ではなく、六角形のバトルシステムが。そして各々自分の機体を手にうつむいたり、睨んでいたりするファイターが。そして真正面には、ただ一人満面の笑顔でいるアイの姿が。

 

「まさかあの状況から3機撃墜だなんてね。さすがあたしの見込んだファイター!」

 

 ファルシアをポーチに収納して、他のファイターに目もくれず真っ先に遊へと近づくアイ。

 バトル中、急に泣き叫んだかと思えばまるで別人のような戦いを見せてきた遊という異端者に、誰もが近づこうとせず、近づきたくないと思っていただろう。それでもなお、近づいていくアイ。

 

「どうして泣いてるの。遊が勝ったんだよ?」

 

 声をかけられて、なぜだろう、先ほどの涙とは別の感情が押し寄せてくる。また視界がにじむ。彼女が言うように、3機ものMSを倒し生き残った。試合はタイムアップだったけれど、事実上勝ちも同然だった。なのに悲しい、涙が出てしまう。それがなぜなのか、遊自身にも理解ができなかった。

 

 アイが遊の手を取る。そして戦っていた他のファイターや、バトルを見に来たギャラリーたちに声高らかに。 

 

「今日はみんなありがとー! また近いうちに来るから、それまでに腕を鍛えといてね!」

 

 ざわつく人混みを気にもとめず、アイがロストフリーダムを拾い上げると、その柔らかい手を握ったまま遊に囁く。

 

「来て。遊の力を貸してほしいの」

「えっ」

 

 手を引かれるがままに、彼女の背中を、揺れる綺麗な髪を追いかけて、ゲームセンターを後にした。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 大通りから少し入り組んだ道に入って、右に1回、左に2回曲がったところにある、地下へと続く下りの階段。それを約1階分くらい降りたところにある鉄の扉。やや錆びついてるようで、きしんだ音を上げて開かれたそれの先は、小中学生がくるようなところではない、お酒のビンや綺麗なグラスが並ぶ、落ち着いた雰囲気のバーのようだった。

 中には男の人が一人、この雰囲気に似つかわしくないタンクトップにジーパンという服装で、イスに腰掛けながらスマホをいじっている。スマホの光で顔だけがハッキリと見えたが、よくて20歳くらいのお兄さん。とてもここの店主という風貌ではない。

 

「おっ、また新人ちゃん?」

「ヒロシは黙ってて」

 

 ヒロシと呼ばれた青年はスマホをポケットにしまうと、興味深そうに遊へと近づいてきた。20代にしてはガタイが良いとは言えないし、むしろ細い体格だったが、遊は見知らぬ年上に自然と警戒心を覚え身体がこわばる。

 

「お嬢ちゃん、この雰囲気じゃ3日も持たないんじゃねぇの?」

「黙っててって言ったでしょ」

 

 アイがヒロシの脛に対して思いっきりつま先で蹴りを入れる。さすがに大人でもこの部位には効くのか、声こそ出さなかったが足を両手で抑えて悶えた。

 

「この子はね、見た目はそうかもしれないけど、あいつにも必ず勝てる強さを持ってるわ」

「へぇ、このなよなよしたガキがねぇ」

 

 男は遊を一瞥して言った。

 

「よく来たな、ここは天国のような闘技場だって呼ばれてる。……まぁ負けたやつには地獄でしか無いだろうけどな」

 

 煽らないの、とアイが忠告しつつ片足をあげたら、さすがに二回目を喰らうまいと数歩後ろに下がったヒロシという男。それでもヘラヘラと笑っていて、遊にはそれが不気味だった。

 

「気にしないで、あいつ悪趣味なのよ。ああやって新しい人が来るたびに脅かしてるだけ。あなたの実力ならここは名前通りの天国よ」

 

 アイの言ってる意味が理解できないまま、さらに奥へと手を引かれる。

 

 

 

 扉を開けた先には、バトルシステムが何台か置かれていて、すでに青白い光を発しているものや、そうでないもの。そしてその周囲には戦うファイターと、観戦者たち。まさかこんな地下の部屋にバトルシステムが置いてあるなんて思いもしなかった。

 

「ここは……」

「改めてようこそ、あたしの闘技場へ。歓迎するわ!」

 

 声に気づいたのか、戦っている二人のファイター以外の観戦者たちがこちらに視線を投げた。その瞳はさっきのゲームセンターにいたギャラリーたちとは違う、だれもが敵意をむき出しにしたそれだった。

 その中の一人が、言葉はなく、ただ己のガンプラとGPベースを遊に見せてきた。きょとんとしていると、アイが遊の背中を押して、バトルシステムへと誘う。

 

「さっきのバトル、楽しかったでしょ」

「えっ?」

 

 耳元でアイが囁く。

 

「楽しかったでしょ。負けた他人を見下すのが、逃げられもしない相手を切り刻むのが、怯える敵を撃つことが。それでいいのよ、何も思わなくていい。だってあなたは」

 

『Battle Start!』

 

「あなたはロストフリーダムのパイロット。全てを壊して、全てを奪うためのファイター」

「ロスト、フリーダム……」

 

 そうか、僕はロストフリーダムなのか。僕が初めてガンプラバトルをした日に現れた黒い影、目の前の敵を壊して奪うあの機体のパイロット。それが僕なのか。

 ならやることはたった一つ。全てを破壊し、全てを奪う。

 

「長谷川遊、ロストフリーダム。出撃する」

 

 赤い翼をはためかせ、漆黒の機体が宇宙を駆ける。それを遮るものはなく、立ちはだかるものは壊せばいい。

 

「俺は、全ての、破壊を──」

 

 

 

「長谷川、ねぇ」

 

 部屋の一角、精巧に作られた赤い愛機を手に、その戦いを眺めている少年が一人、笑う。

 

「遊、か……」

 

 黒い機体を手に、その戦いを見つめる少年が一人、唇を噛む。

 二人の視線の先に映るは無垢な少年か、それとも黒い破壊神か。




ちょうどこのタイミングで拙作
「GBF-L外伝 無限の剣」を読んで頂けると
内容への理解が深まることと思います。

ガンダムビルドファイターズ L外伝 無限の剣
作者:くすりし。
https://syosetu.org/novel/184097/


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承:Seek
GBF-L #007「与えられた目標」


 戦いは白熱した。いや、観客からすれば白熱したように見えていた、が正しいか。

 宇宙空域に漂う巨大なコロニーの外部で二つの灯火が交わり離れる。いくつもの光線が点を追いやり、時折広がる爆炎を貫いて閃光が駆ける。雷のような残光を見せる朱い影は、黄色い光の進む先へ先へと回りこむように動き続けていた。

 

「なんだ、なんなんだよあいつ……!!」

 

 左腕の肘から先がもげ落ち、背面バーニアも絶え絶えに、コロニーに逃げるように侵入するMS。腰から伸びたアームの先にあった二枚のシールドは右側は全損、左側も半分が溶けてしまっている。追われる身のそれはちっぽけな闘志を捨てず、背中を見せて後退しようともその銃を手放すことはなく。

 居住用コロニーには人影はない。ビル群の隙間に潜り込んで勝機を伺う。

 パワード・ジムを砲撃型に改造していたそれは、切断された大型砲をパージし、空になったプロペラントタンクもその場に置き捨てた。残されたのは残弾わずかなハンドガンと頭部バルカン程度しかない。勝ちは遠い、だが諦めさえしなければ、勝機はある。

 

「あんなガキに、俺が負けてたま──」

 

 新緑色の美しいプラフスキー粒子が、じょじょに朱く染まっていく。

 けたたましく警告音が鳴った。血眼になって眼前のモニターに目を配る。だが前後左右、上にも敵影は無い。違う、下だ。床の向こう、コロニー外部からここをピンポイントで撃ちぬくつもりなんだ。

 とっさに彼は機体を動かす。直後、ビームの奔流がコロニーを突き破り天高く昇っていく。一瞬でも判断が遅れていれば敗北は必死だった。

 なぜピンポイントでこの位置がバレたのか全く理解が追いつかない。だが現実に位置がバレているのは明白だ。機体の動きを止めないように、かつ姿を晒さないように慎重に動く。

 

 

 

 突然だった。背後からビームで撃ちぬかれた。左足をロストしたというアラートが鳴る。

 

「くそっ、どこから!」

 

 振り返りざまにハンドガンをばらまく。そこにあった朱い羽根のような鉄の塊は、あっけなく爆発した。だがその爆発が目印となって。

 二本目、三本目のビームが降り注ぐ。それはパワード・ジムの腕をもぎ、頭を穿った。右腕と頭部ロストのアラートが続く。心拍数が上がる、恐怖で腕が震える、破壊された右腕のマシンガンを打とうと、手元のトリガーを引き続けたが反応がない。来るな、やめろ、来ないでくれ──

 

「俺は、俺は!!」

 

 バランスを崩したジムの成れの果てが、天を仰ぐように背を地面に向けて倒れると、天井──コロニーの反対側の地表──に穴が空き、そこから一直線にこちらへ向かってくる赤と黒の機体。その手には剣を、その目には憎悪を。

 

「や、やめ──」

 

 

 

 胸部がサーベルで貫かれる。眼前のモニターが血のような朱でうめつくされた。

 

 

 

── ガンダムビルドファイターズ ロスト ──

 〜 第七話 与えられた目標 〜

 

 

 

 今日の三機目。ZZとウイングゼロカスタム、そしてさっきのパワード・ジム。じゃらじゃらとパーツがぶつかる音を立てる。対戦相手の機体を自分のナップサックに乱雑に放り込んで、自分の機体は別の袋に丁寧に片付けた。

 プラフスキー粒子の灯りが失われ、地下室はまた薄暗く陰湿な雰囲気に戻る。満たされていくナップサックに反して、遊の心は乾いていた。

 

「連戦連勝。さすがあたしの見込んだファイターね」

「……アイちゃん」

 

 遊に近づいてきた少女は、先ほどの戦闘を一部始終見ていたようで。

 

「また良い動画ができそう!」

 

 彼女は確かに笑っていたはずだが、遊にはどこか笑顔ではないように見えた。

 

 

 

 動画サイトに上げるバトルの録画が彼女の趣味らしく、そのバトルは全てこの地下室にあるバトルシステムで録画されていた。今さっきのバトルも例外なく録画され、彼女が編集された状態でインターネットにアップされるのだろう。小中学生にはそれなりに知れわたっているようで、ファイターたちは動画を上げてもらうことが一種のステータスになっていたりする。

 でも、そんなことを知りもしないまま連れてこられた遊にとっては、どうでもいい事だった。ただアイが自分を必要としていることが、今の遊にとっての戦う理由。

 

「このまま勝ち続けたら、いずれ必ずあいつとも戦えるわ」

 

 アイが目配せする。その先、地下室の反対側にたむろしている中学生グループの一人。早川魁斗(ハヤカワカイト)と目があった。

 苦手なタイプだ。身体は決して力があるガタイの良い感じではない、むしろ痩せている方なのだけど、人の心をいたぶることが得意そうな、いじめっ子の目をしている。本能的にそれを感じた遊は身体が震えた。

 遊は魁斗から目をそらしてアイを見る。アイもまた、遊の目線に気づいてこちらを向いてくれる。彼女を見ている方が、気持ちがとても楽だ。

 

「今じゃダメなの?」

「ダメ。ここのルールは曲げられないもの。誰かのバトルに乱入するか、お互いの同意の上でないと戦ってはいけない」

「前にも聞いたよ。だから僕から直接早川くんに頼んで」

「無理よ。あいつは……自分のことを正義の審判者とでも思ってるのよ。倒すべき相手だと認めない限り、戦おうとしないわ。それどころか、周りの手下みたいに引き連れてるやつらを差し向けて消そうとする」

 

 あれじゃどっちかって言うと魔王ね、と苦笑まじりにアイは言ってのけた。

 魔王か、この闘技場を牛耳る存在にはお似合いのアダ名だと遊は思った。そうなれば自分はさながら、魔王の手から世界を救う勇者で、アイは囚われのお姫様。ハッピーエンドで終わる物語のはじまりなんだろうか。

 

「……まさか、ね」

「どしたの?」

「ごめん、なんでもない」

 

 不意に変な笑いがこぼれた。アイに気づかれて、慌ててごまかす。きっと変なやつだと思われただろう。

 

「で、そろそろ遊もガンプラの改造しない?」

「改造?」

「そう、今日戦った相手だって、パワード・ジムにお気に入りの武装をたくさん追加してたでしょ。あんなふうに、自分の好きなように武器を追加したり、バーニアを増やしたりするの」

 

 ガンプラファイター達にとっては当然の、ガンプラバトルにおいての一番の醍醐味。それぞれのMSがそのままの姿ではなく、オリジナルに改造した姿で戦う。量産機でエース機体を倒すためのチューンナップもできるし、エース級をさらに改造して局地戦仕様に仕立てあげることも出来る。さまざまなガンダム作品の武装を混ぜあわせ、最強の俺ガンダムを作ることができる──それこそがガンプラバトルの真髄。ガンプラファイターが、ガンプラビルダーと呼ばれる所以でもある。

 だが遊は、ガンプラファイターとしても、ガンプラビルダーとしてもまだ生まれたて、幼かった。

 

「やらなきゃダメ?」

 

 ガンプラをストレートに組むだけなら自分にもまだできたが、手先の器用さも余り自信がないのに改造ができるとは思えない。

 未知の領域への不安もあった。そして、未改造で戦っていた兄への憧れもあった。

 だがアイは否定を返す。

 

「ダメ。少なくとも早川くんと戦うまでには、出来るようになってないとね」

「そう……」

「わかんないことがあったら、あたしが教えてあげるから。ね?」

 

 それでもなお、わかったと答えるにはハードルが高いと感じる。

 

「手に入れたパーツも増えてきたし、改造したい放題ね」

 

 アイが言葉にした「手に入れたパーツ」。先ほどのバトルで戦った対戦相手のパワード・ジム。それ以外にも、今日までに十回以上戦ってきた相手のガンプラ全部が遊の手元にある。

 

「でも、これ、本当に貰って良いものなの?」

「当たり前じゃない、ここのルールなんだから。初日に説明したでしょ?」

 

 この地下室での対戦は、対戦終了直後に乱入するか、お互い同意の上でバトルをはじめなければならない。バトルは全て録画されている。そしてバトルに敗北した者は、使っていたガンプラを勝者に渡さなければならない。残酷で無慈悲で弱肉強食な闘技場のルール。

 

「それがイヤって言うなら、強くなって早川を倒して、あなたが一番になればいいのよ。一番になったら自由にルールを書き換えることができる」

「一番……」

 

 早川魁斗、彼をちらりと見た。彼はずっとこちらを気にしていたようで、目があうなりニヤリと嫌な笑みを浮かべて軽く手を振ってきた。学年は遊より一つ上、中学一年。まだ戦った姿を見たことはないけれど、彼がこの闘技場で一番のファイターである以上、実力はあるのだろう。

 けれど、本当に強いのだろうか。遊自身、十回以上の戦いを経て連戦連勝、今日の試合だって全員中学生だったが負けなかった。圧勝だった試合もあった。今の僕なら勝てるんじゃないか。いや、戦うチャンスさえあれば勝てる。だからあいつは僕に乱入してこないんだ。今のままでも十分強い。苦手な改造なんてしなくてもいい。

 そんな無根拠な自信がふつふつと湧いてくる。

 

「わかったよ。僕は勝つ」

「期待してるわ」

 

 アイの笑顔は、大人びて見えた。

 

 

 

 結局その日は帰宅しても改造する気力もアイデアもわかないまま、遊は次の日もまた闘技場に来た。今日は小学生だけがその場で戦っているようで、中学生の登校日だって言っていたのを思い出す。アイの姿も魁斗の姿も見えなかった。

 地下室に入った遊に気づいた数名は距離をあけた。それもそのはず、バトルに無差別に乱入しては理不尽な暴力で勝利をもぎ取り、ファイターの機体を奪い続ける謎の少年だ。中学生ならまだしも、小学生がロストフリーダムの相手をしようという勇気はないだろう。それほどまでに、今までの戦闘が一方的な展開だった。

 何かが違う、何かが足りない。きっとアイちゃんが居ないからだろう。そうにちがいない。遊は心に空いた隙間を自覚しながらも、見てみぬふりをして。

 

「ねぇ、僕も混ぜてよ」

 

 遊が地下室に入ってきたことに気づかなかった、バトル中の一組の小学生を相手に、乾いた喉を潤す水を求めて乱入する。

 

 

 

 可変し飛び回るZガンダムを堕とし、地を奔るゴッドガンダムを潰した。たやすく、簡単に。それでも足りない、何かが足りない。

 最初にエクシアを破壊した時や、ダブルオーを滅多斬りにした時のような高揚感が足りない。バトルに勝つという結果は同じはずなのに、目の前の勝利には虚無しかない。つまらない。もっと楽しみたい。これじゃ弱いものいじめじゃないか、いつになったら魁斗と戦えるんだ。アイちゃんはそれを望んでるのに、応えることができていない。もっと倒さなきゃいけないのか。もっと弱い者いじめをしなきゃいけないのか。

 

 

 

『楽しかったでしょ。負けた他人を見下すのが、逃げられもしない相手を切り刻むのが、怯える敵を撃つことが。それでいいのよ、何も思わなくていい。だってあなたは──』

 

 楽しくない。負けた他人を見下すことも、逃げられもしない相手を切り刻むのも、怯える敵を撃つことも。違う、何か違う、間違っている。けれど何が間違っているのか分からない。どうすれば楽しくなるのか分からない。答えが見えない。モヤモヤした感情が心臓から血管に送り出されて全身を駆けまわるような感覚。

 

「おい」

 

 声に反応できないくらい、深く考えてしまっていた。

 

『New Fighter Field In』

 

 乱入アラートにやっと気づいて、慌てて意識をバトルに戻す。敵は倒したはずだ。違う、乱入だ。このバトルに僕と同じように誰かが割り込んできた。

 

「誰っ……!」

「俺の仲間を散々やってくれたじゃねぇか! なぁ!」

 

 上だ。ストライクフリーダムが立ち尽くしていた地面から見上げると、大の字になって降りてくる黒いMSの姿が。細かく分割された装甲の隙間から、金色のフレームが輝いて見える。右腕にはレールガンらしきものが、左腕には鋭利な四本の爪が、そして頭部は刺々しい剣山のようなアンテナが。その特徴的な見た目は、まるで黒く染められた兄の駆る──

 

「──ユニコーン、ガンダム」

 

 あの機体は、兄が使っていたユニコーンにとても似ていた。しかし黒と金のカラーリングは知っているものとは真逆の、禍々しさのある雰囲気で、それはなぜか自分の機体と似ていた。

 

「俺は黒田涼介! このバンシィで、テメェをぶっ倒す男だっ!」

 

 目の前に映るMSを見ていると、遊の心はこれ以上ないほどにざわついた。



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GBF-L #008「重ねられた影」

 例えるなら。一つ前の問題なら解けたのに、授業で先生に当てられたところだけが答えられなかった時のような。苦手なドッヂボールでボールが当たったのに、顔面だったからセーフ判定でコートに残らなきゃいけない時のような。雨の日に水たまりを避けて歩いていたのに、横を通った車が水しぶきを上げて足が濡れた時のような。

 目をそらしても、襲いかかる現実。どうしようもない事実。

 

「黒い、ユニコーン……!」

 

 見上げた青い空、降下する黒い機影。ユニコーンガンダム二号機「バンシィ」は、憧れていた兄のそれにあまりにも似すぎていた。

 

 

 

──ガンダム ビルドファイターズ ロスト──

 〜 第八話 重ねられた影 〜

 

 

 

 市街地、だった場所は先の戦闘で荒らされ崩壊していた。人々の憩いの場所だったであろう公園もMSの大きな足跡が残り、人類の発展を示す天にそびえる無数のビルも、その半数以上が戦闘によって潰されたり折られたりしている。大地を覆うアスファルトは無数の熱戦でえぐられていた。

 

「よくもまぁ、こんな酷い戦いができるなぁ、お前っ!」

 

 あたりに散見されるZガンダムとゴッドガンダムだった腕や脚部、ヘッドパーツさえも胴体と繋がっていない戦場。その中心に立つ無傷のストライクフリーダム。それは戦争ではなく蹂躙されたのだと、バンシィのパイロットである涼介にはそう見えただろう。

 天を背にした黒いユニコーンは右腕の、手首から先に装備されている二枚の並行板をロストフリーダムに向ける。

 

「くらぇよ!」

 

 ビームスマートガンと呼ばれるそれは、特徴的な紫の光線を蜘蛛が出す糸のように吐いた。けたたましいアラートが鳴るか鳴らぬか、遊はその操縦桿を引いて回避運動を取る。紫のビームは紙一重でロストフリーダムを貫けず、そのまま大地を覆うコンクリートを切り裂いた。

 

「早い……っ!」

 

 強い。たった一回の攻撃だったが、初心者の遊にすらそう思わせるほどに、これまで戦ってきた誰とも違う強さを感じさせる一撃だった。それは動きの質か、予備動作か、それとも武器の威力なのか。遊にはそこまでの理由を理解することはできなかったが、それでも強いと思わせる何かが、涼介が操るあの機体からにじみ出ているのは事実だ。

 先ほどのビームが地下のパイプを貫いたのか、ガスか水蒸気のような白い煙が傷口から勢い良く吹き出してあたりを覆った。視界を奪われた遊は敵から距離をとるべく右足を引いた。そのとき、足元にあったゴッドガンダムの残骸が機体に触れて。

 注視するわけではなかった。ただ無視して、その場から離れるだけだった。それでも遊の脳裏にはこわれたパーツが、自分が壊した相手のパーツが、頭から離れない。

 

「酷い戦い……って」

 

 先ほど涼介が言った「こんな酷い戦い」という言葉が反芻される。

 

「これが当たり前なんでしょ、ガンプラバトルは」

 

 ガンプラバトルは自分が作ったガンプラで戦い、その勝敗を決めるゲーム。その途中でパーツが壊れてしまうこともゲームとしての重要な要素だと、兄は昔そう言っていた。ゲームで遊べば壊れるのが当たり前。なのになんで「酷い戦い」なんて言われなきゃいけないのだろう。

 

「そんなわけ、ねーだろ!」

 

 遊の答えに涼介の激昂が部屋に響く。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 真夏の日差しに照らされたアスファルトがホットプレートのように照り返し、ムンと蒸し暑い日本の夏が続く。日陰に入っても涼しさを感じられない重たい空気をかき分けて、可愛らしいシュシュでまとめられたポニーテールが揺れる。手首にはめた厚手のリストバンドにも汗がにじみ、駆け足で闘技場へと急ぐ彼女の息も上がる。今日は登校日。いつもなら誰よりも早くここへ来ていたアイも、今日ばかりは遅れた登場だった。

 地下へと続く入り口の鉄扉は日に照らされておらず、その取っ手はひんやりと冷たい。扉を開けて先へ進めば、エアコンで人工的に作られた冷気が歓迎してくれる。だが、扉の向こうでアイを待っていたのは快適な冷房だけではなく。

 

「やあ姫、今日はまたずいぶんと急いでるようで」

「……早川」

 

 扉の裏、闘技場へ入る前の酒場のスペースで、早川魁斗が椅子に腰掛けながら出迎えた。

 

「何か用? あんたに構ってるほど暇じゃないんだけど」

 

 アイはあえて鈍感な男子にでも嫌っているのが伝わるように、露骨に心のそこを素直に態度に示して言った。魁斗はそれを理解してもなお、彼女の前を遮って。

 

「つれないなぁ、僕をここに呼んでくれた時は仲良くしてくれたじゃないか。ちょうど春ごろ──」

「忘れたわ、そんな昔」

 

 彼がここに来たのは今年の春。アイがこの闘技場を始めたころでもあるし、同級生のアイと魁斗、二人が中学生へと進学した時期でもある。

 

「たった三ヶ月前のことじゃないか」

「いい? 私の一ヶ月ってとっても大事なの。アホの男子と一緒にしないで」

 

 アイはまた意図的にきつい言葉を吐いて捨てた。そうすれば魁斗のプライドを傷つけて、諦めるか隙ができると思ったからだ。

 

「待てよ!」

 

 だが、今日の彼はそれで諦めることはなく、怒りをぐっとこらえて、すり抜けて奥へいこうとするアイの肩を掴んだ。その手を力任せに引っ張って、彼女をこっちへ向けさせながら、壁へと押し付けた。必然的に、二人の目線が睨み合う。

 

「僕をそこらへんのアホと一緒にするなよ!」

「そういう強引なとこがアホって言ってんのよ!」

 

 お気に入りの服を掴まれてついカッとなったアイが、声を荒げながら魁斗の手を振り払う。直後、相手のペースに飲まれてはいけないとすぐに冷静を装ったが、これ以上無理やり突破はできそうにない……アイは観念して、彼の話を聞くことにした。

 

「で、待ち伏せするほどだし、何の話よ」

 

 ああ、と魁斗は笑顔を見せて言った。こうして普通の表情をしている限りで言えば彼の顔はイケメンに部類される方なのに、性格が粘着質で弱いのが台無しね、と心の中で彼女は思う。

 

「僕はアイがこの闘技場でやりたいこと、気づいちゃったのさ」

 

 その言葉に、アイはぴくりと肩を震わせる。

 

「やりたいこと?」

「そうさ。君は僕をこの闘技場に誘った。そして動画をネットに上げながらちやほやされていった。ある程度チャンネル登録数は増えたし、人気投稿者になったわけだけど……それが本当の目的じゃないでしょ?」

「何が言いたいの」

「僕がトップに立つまでは君と僕、仲よかったじゃない。なのに僕がここのトップに立ってから、黒田だっけ、あいつを呼んで……あいつをボコボコにするまでは仲良くしてたじゃん。で今はあの長谷川って奴でしょ」

 

 魁斗はそこで一区切りつけて、大きくため息をついて続けた。アイに緊張が走る。

 

「あてつけなんだろ? 僕が君より強くなって、闘技場のトップになったことへのさ。素直になりなよ」

 

 魁斗の言葉は、アイの本心ではない。大外れの回答だったものだから、彼女は少し吹き出してしまった。

 

「何がおかしい?」

「別に! この闘技場は私がトップでいるためのものじゃないもの。だけどアナタはトップに居すぎなのよ。流石にそろそろ交代しなきゃ、花が無いでしょ?」

「……へぇ、認めないのかい」

 

 魁斗はアイの態度を見て、距離を開けて闘技場への道を譲る。

 

「でも残念だなぁ、僕を倒すために連れてきた黒田と長谷川が同士討ちしてたりしたら、僕は誰にトップを譲ればいいのかな?」

 

 その一言は、アイの心を揺さぶるに易い問いかけだった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「仲間の仇ってやつだ、受け取れっ!」

 

 白煙を切り裂いて突出してきたバンシィが、その異様に肥大化した左腕を盾に、不意を突かれて回避しそこねたロストフリーダムに力任せにぶつかる。激しく揺れる画面、さらに遊の眼前に広がるモニターには、めいいっぱいに拡大されたバンシィの頭部バルカンが唸りを上げて乱射され、画面のフラッシュと機体の振動と効果音が襲いかかった。

 その刹那、黒い機影であるはずのバンシィの姿を、白いユニコーンに錯覚する。

 

「……なんで」

 

 バンシィはロストフリーダムを押さえつけたまま、勢い良くビル群へと突っ込んだ。二機のMSを支えきるほどの剛性を、人間のために作られた構造物は持ちあわせておらず、砂で作った城のようにボロボロと崩れ落ちる。

 目の前の機体が兄の姿と重なる。憧れだった兄の、何でもできる自慢の兄の、絶対に自分では勝てない兄の姿と重なる。目の前の機体が兄のそれとシンクロし、まるで兄に責められているように感じる。

 

「なんで」

 

 これ以上その顔を見たくない。これ以上そのガンプラと戦いたくない、これ以上それに攻撃されたくない。

 これ以上僕を責めないで。

 

「なんで!」

 

 刹那。ロストフリーダムの左腕が、バンシィの頭部を殴っていた。

 

「なんでそのガンプラを使ってるんだ!」

 

 悲痛な叫びとともに繰り出された拳は、涼介の思考を止めるには十分すぎる一撃だった。

 

「お前、何を言って……」

 

 バンシィの頭部バルカンが静止され、そのツインアイが遊を睨みつけた。そしてその肥大化した左腕、黄金の四つの爪、ヴァイヴレーションネイルがより一層輝いて。

 

「誰が何をつかおうが勝手だろうが!」

 

 振り下ろされた鋭爪。ロストフリーダムはその一撃を右手で受ける。だがその爪にとってMSの装甲は紙切れに等しく、腕はあっさりと切り裂かれ、大地に墜ちる。

 

「やった!?」

「あのストフリに攻撃が決まった!」

 

 外野が歓声を上げる。それもそのはず、今の今までロストフリーダムに攻撃を与えたファイターは、この闘技場には誰一人いなかったのだ。気づけばZガンダムとゴッドガンダムの持ち主である小学生以外にも、数人の中学生が遊と涼介のバトルを観戦している。

 涼介は一撃を浴びせたことで笑みを浮かべたが、そこに気の緩みはなく、さらに集中して眼前の遊を見据えていた。

 一方の遊は、右腕を犠牲にして攻撃を受けたかのように、空中へ飛び上がってバンシィから距離をとった。

 

「これ以上、来るなっ!」

 

 スロットを回してドラグーンを選択する。だが画面には赤い文字で「エラー:リチャージ」という表示がされるのみ。直前の戦いでのエネルギー消耗がまだ収まりきっていないのか、武装の大半がリチャージと示されている。焦りは加速し、汗ばんだ手が震える。

 なにより眼下のバンシィに対して、そこ知れぬ恐怖を感じていた。

 

 

 

「遊!」

 

 闘技場に駆け込むや否や、アイが声を上げる。

 

「……アイちゃん」

「あんた黒田と戦って──!?」

 

 アイに見えた光景は予想を超えた惨状だった。魁斗を倒せると思っていた遊のロストフリーダムは右腕が欠落し、過去に魁斗に負けた黒田はピンピンしている。試合の流れは一目見ればわかる、完全に黒田の優勢だ。このままでは、遊が負ける。

 それは困る。目的からまた遠ざかってしまう。この夏がチャンスなのに、この夏の間に終わらせなきゃいけないのに!

 

「遊、しっかりしなさい。約束したでしょ、早川を倒すって!」

「でも……でもっ」

 

 遊の瞳から戦意が失われているのは誰の目から見ても明らかだった。

 

「僕は、僕じゃダメだ、なんにもできない……卓兄ちゃんには勝てない」

「何を言ってるの、相手は黒田よ、同学年じゃない! 遊の本気なら楽勝よ!」

 

 アイの言葉も今の遊には全く通じず、ただロストフリーダムは宙を漂うばかり、その独特な朱い粒子も、徐々に光を失い消え失せていく。

 

「戦いに、集中しろっての!」

 

 しびれを切らしたバンシィが、戦意喪失している空中のロストフリーダムへと飛び上がり、再びヴァイブレーションネイルを高々と掲げる。それを避けることもせず、恐怖で震え上がることしかできず。

 

 激震。再び振るわれた爪が、こんどは頭部を痛快にえぐった。遊のモニターはメインカメラが切断され砂嵐とノイズで溢れる。すぐにサブカメラに切り替わったとはいえ、その映像は乱れ、モザイクがかかったように表示されている。

 違う、モザイクはサブカメラのせいじゃない。自分の涙のせいだ。何もできない弱い自分が悔しくて。兄のようなガンプラが迫ってくることが怖くて。アイちゃんの期待に応えられない自分が情けなくて。頬を水滴が伝って落ちるその冷たい涙に、泣いていることに気付かされてまた悔しく思う。

 そして何より、モニターに映るひしゃげたストライクフリーダムの頭部が、母親からもらった大事なガンプラだということを思い出してしまって。曲面がひしゃげ、アンテナも折られたその頭部が、もう二度と元の形には戻らないのだと思い知らされて。

 

「ああ……うああ……!!」

 

 涙を浮かべた遊の瞳に、悲壮と憎悪の感情が芽生えた。



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GBF-L #009「砕かれた機体」

 愛機を壊された。その事実だけが遊の頭を駆け巡った。ストライクフリーダムに込められた思いと、ストライクフリーダムに積み重なった記憶が新しい方から広がって、そして霧散していく。数多のガンプラを破壊していったこと、一対多数の不利な戦闘をも切り抜けたこと、いじめっ子たちに落書きをされ黒く塗りつぶしたこと、そして母親に貰ったこのストライクフリーダムで、兄と楽しく遊んだこと。

 

「う、ああ……」

 

 遊の黒くにごった血液に乗って全身へと循環され、悲しいという感情を怒りへと還元した。許せない、許さない。俺をここまで傷つけた奴が。俺に敵対してきた奴が。目の前にいる兄に似た機体をつかうあいつが。

 荒いサブカメラの映像と、潤んだ瞳を通して見える遊の世界に、もう兄のユニコーンガンダムは映されていない。見えるのはただ黒と金の、己に牙を剥く猛獣のようなMS。

 

 

 

──お前は何を望む──

 

「俺は、全ての破壊を!」

 

 Reload completed. 涙を浮かべた遊の瞳に、悲壮と憎悪の感情が宿った。

 

 

 

──ガンダム ビルドファイターズ ロスト──

 〜 第九話 砕かれた機体 〜

 

 

 

「どうだっ! このガンダムの爪の一撃はよぉ!」

 

 飛び上がってからの一撃を繰り出した涼介のバンシィは、重力に引かれて下降し、その大地を両足で力強く踏みつけた。

 ここまで無敗の強さを誇っていた遊のロストフリーダム、それに対して一撃ならず二撃目を加えた涼介の咆哮に、闘技場にいたギャラリー達は湧きあがる。ぶっ壊せ、やっちまえ、仇を取ってくれ……それぞれがそれぞれの感情を声に上げる。この空間には、遊を応援する声は一つも上がらない。遊にとってその現実が重く重く突き刺さる。

 こんなもの、いじめと何も変わらない。いつだっていじめられる側は独りで、周りの人間はいじめる側に回るか、外野でひっそりとしているんだ。いつだってそう。だからこそ僕は、いいや俺は──

 

「俺は、独りでも、戦う!」

 

 涙を拭ってもぼやけた視界、ノイズの走るサブカメラの映像では、もはや敵は黒い影にしか見えない。それでいい、敵の位置さえわかれば──いっそわからなくなっても──戦う。戦い続ける。俺は、全ての破壊を。

 

「いいかげん眼を醒ませ、ドラグーン!」

 

 もう一度スロットを回し、先ほど拒否されたドラグーン・システムを呼び起こす。リチャージ完了とともにパージされた八機のドラグーンが拘束具から解き放たれ──いや、ドラグーンという拘束具を解き放ったロストフリーダムが、ヴォワチュールリュミエールを顕現させ、堕ちてゆく己を支え、再び空へと飛び上がらせた。

 

「勝負はこれからってか、そう来なくっちゃなぁ!」

 

 涼介が駆るバンシィはその装甲、サイコフレームの輝きをより一層増し、朱い粒子をあつめつつある相手になお立ちふさがる。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「アイ、この勝負どっちが勝つと思う?」

 

 眼前に広がるまばゆい粒子に照らされたギャラリー達は熱狂の渦を作っていた。その中で戦闘の行く末を心配そうに見守る少女に、早川魁斗は語りかける。

 

「何よ急に」

「ちょっとした賭けさ。君がこの試合の勝者を当てるだけのね。賭けに負けたら、勝った方のいうことを一つ聞くってのでどうだい?」

 

 魁斗の笑みはバトルシステムの光に照らされて、普段よりいっそう不気味さを増していた。何かを企んでいるのは明白で、その企みはアイにとって部の悪いものだということもすぐに考えが及ぶ。だが今のアイには、彼を一発で黙らせるような良い返事が見つからず。

 

「断るわ。他の男子と勝手にやってなさいよ、そんな事」

「いいや君は乗る、乗らなきゃいけないのさ」

 

 ずい、と一歩寄ってくる魁斗。いつも以上の強気さに裏があるのだろうと、アイはそこでやっと気づいた。彼の手に握られているガンプラに。

 

「あんたまさか!」

「そうさ。君が賭けに乗らないなら、決着がついた直後に乱入させてもらうよ」

 

 ふと気付かされる。主導権がどちらにあるのかということを。たとえここから遊が逆転勝利を収めたとしても、賭けに乗らなければ、満身創痍のロストフリーダム相手に魁斗が颯爽と勝利するのだろう。遊が負けても当然、彼の目下の脅威は消え去る。漁夫の利を狙って勝率を高める、彼の勝率を裏付ける戦法。

 それを止めるには、彼の言う賭けに乗らなければいけない。だが賭けに負けたら、魁斗の言うことを聞かなきゃいけなくなる。

 

「あんた、サイテーね」

「賢いって言ってくれよ。で、どっちに賭ける」

 

 ここでアイが迷う理由などないはずだった。アイ自身もそう思っていたのに、魁斗への返事に一瞬だけ戸惑った。本当に彼を信頼していいのだろうか、と……。

 いや、ここで迷ってはいけない。何のために今まで闘技場を運営してきたのか。この夏、アイにとって最高のファイターが集まった今年が最初で最後のチャンス。私の夢を叶えるための、おそらく一度きりのチャンス。

 

「──遊が勝つわ。黒田にも、あんたにもね」

「へぇ」

 

 結果が楽しみだね、と魁斗はバトルに視線を戻した。フィールド上では、無傷のバンシィと満身創痍のロストフリーダムが幾多の爆音と斬撃を繰り広げている。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 8機の朱いドラグーンが宙を飛び交い、矢継ぎ早にビームを繰り出す。バンシィはそれを巧みに回避し、攻撃の隙間を縫うように飛び回った。勢いを殺すこと無くドラグーンを操る本体めがけて最短ルートを突き進む。

 

「でぇりゃぁぁ!」

 

 背中に搭載していたビームサーベルを抜刀した右腕を、ロストフリーダムめがけて思い切り振り下ろす。メインカメラも右腕も失ってしまっていたロストフリーダムもまた、左手に握ったビームサーベルでそれを受け流すようにあしらい、再び距離を取る。重力に逆らうことの苦手なバンシィは地面へと降り立ち、もう一度ロストフリーダムを屠らんと跳躍する。

 ヒットアンドアウェイのように、サーベルが切り結ばれては離れ、離れては重なりあい、その合間合間にビームの雨が降り注ぐ。だがどちらも有効だたりうる一撃を繰り出せず、荒廃した大地に爪痕を残すばかりで。

 

「いいかげん墜ちろ!」

「嫌だっ!」

 

 八度目の剣撃、ロストフリーダムより僅かに天を取ったバンシィが、ここぞとばかりに全力でバーニアを吹かす。機体の重量、そして勢い、重力もあいまって、黒いフリーダムは黒いユニコーンともみくちゃになりながら急降下、地面と激突した。

 地上で馬乗りになったのは、バンシィだ。ロストフリーダムの腹部にまたがって拘束する形で着地していた。

 

「これで、終わりだぁ!」

 

 左腕の異形なる武装、アームドアーマー・ヴァイヴレーションネイルが高速振動する。見上げた巨躯の繰り出す一撃の恐怖は、もう二度も受けて身にしみて分かる。次はない。だからこそ、この攻撃を受けてはいけない。終わる、終わらせたくない、終わらせてたまるものか。

 

「まだっ! 終わりじゃ無いっ!」

 

 遊はスロットを早回ししレールガンを起動する。背中を地面に、腹部前面をバンシィに抑えられた、馬乗りになっていたロストフリーダムが繰り出す一撃は、天高く登っていくにすぎない。だがその銃身が展開するということは、馬乗りになっているバンシィのバランスを崩すための動作としてはあまりにも的確で、十分すぎた。

 突如として展開されたレールガンに太ももから押し上げられたバンシィはバランスを保てず、振り上げた左腕をそのままに、胴体ごと前のめりになって倒れこむ。起動していたヴァイヴレーションネイルは地面に喰らいつき、食い込んで離れなくなった。

 

「これで……っ」

 

 そしてロストフリーダムは残された左手に、サーベルの柄を握りしめ、自分に覆いかぶさっているバンシィの胴体めがけて突き上げる。

 

「させっかよ!」

 

 その一撃を躱すべく、バンシィは地面に食い込んだ左手を、アンカー代わりにして思いっきり引っ張った。重たい胴体が音をたてて引きずられ、奇しくもビームサーベルの一撃を回避する。だがその攻撃自体からは逃げきれず、獅子の右足にグサリと突き刺さる結果となった。

 馬乗り状態から開放されたロストフリーダムはすぐさま立ち上がり距離を取る。そして今まで誤射を恐れて使えなかったドラグーンたちが、一斉に彼を屠る……はずだった。

 

 サイコフィールド、はたまたIフィールドバリアか。ドラグーンの朱い閃光は空間を捻じ曲げられ、バンシィの後方を焼き払う。

 ビームが描く曲面の中心、黒いユニコーンの眼光は眩しく。

 

「ははっ……楽しい、楽しいなぁ、おい!」

 

 涼介の笑い声が、通信モジュールを通じて遊に届く。

 

「お前は『独りでも戦う』って言ってたけど、俺にはよくわかんねぇ。今までも、これからも──」

 

 右足をもがれたバンシィは、左腕を地面から引き抜いて、片足と両腕を地面につけて、短距離走のクラウチングスタートを思わせるような美しさと、ライオンが獲物に狙いを定めて飛びかかる直前の猛々しさを思わせるような荒々しい姿を見せた。

 

「ガンプラバトルは、一対一の真剣勝負! だからこそ楽しいっ! こうしてお前と戦ってることが、この一瞬が、楽しいっ!!」

 

 刹那、小さくなっていた影が大きく飛び上がり、再び獅子の爪が唸りを上げてロストフリーダムへと襲いかかる。

 

「お前は強い! だけど俺は、お前に勝つぜぇ!」

 

 すさまじい気迫と共に迫り来る鋭爪に対して、左腕のビームシールドをとっさの判断で展開するも、それを受けきるにはあまりにも脆く儚い。手甲のジェネレーターが割れ、爆炎とともに砕け散る。だが両腕を失ってもなお、ロストフリーダムの周囲に渦巻く朱い粒子は途絶えること無く。

 

「一人で楽しむなよっ! 相手がどんな思いで戦ってるかも知らないで、お前は……っ!」

 

 遊の嘆きを代弁する如く、カリドゥスが吼えた。

 

 

 

『Battle Ended』

 

 極大な紅の閃光。貫かれたサイコ・フレーム。黄金の爪は届かず、その本体は左胸を穿たれ、爆散する。Iフィールドバリアも至近距離では意味を成さず。ただ一撃が、渾身の一撃が試合の明暗を分け隔てた。

 血のように朱く染まったプラフスキー粒子は役目を終えて、その狭苦しいフィールドから逃げるようにあたりへ散らばった。二人のファイターを照らしていた光も、ギャラリーたちを熱狂させた景色も、夢のように儚く散ってゆく。残された静寂が、ボロボロになった2機のガンプラを包み込んだ。

 

「終わっ、た……?」

 

 遊は勝った。だが愛機は見るも無残な姿で、その場に立っているのがやっとで。もう二度と、空を駆け銃を構える姿も見れないほどに破損していた。それがとても悲しくて、声も出なかった。黙って対戦相手の涼介を睨んだ。

 

「あー、終わった。見事に俺の負けだっ!」

 

 だというのに、負けたはずの涼介のほうが清々しい顔をして、満足気に笑っているではないか。

 

「お前さ!」

「な、何……」

 

 その涼介が遊に近づいて、右手を差し出す。握手の合図だ。

 

「お前強いな! 名前はなんて言ったっけ」

 

 さっきまで機体を賭けて争った相手とは思えない、笑顔の眩しい少年だった。けれど今の遊にはその表情に嫌悪感しか抱けなくて。

 

「長谷川、遊」

 

 握手は交わさない。だが名前は答えておく。なんとなく、礼儀だと思ったからだ。

 

「おう、俺は黒田涼介。楽しかったぜ、久々に燃えたバトルだった!」

 

 なぜだろう。勝ったのに暗い感情に飲まれている自分と、負けたのに明るい相手との差がどこにあるのか遊には理解できない。

 

「またやろうぜ。次は俺が勝つからな!」

 

 そう言って彼は笑顔で、バンシィをバトルシステムに置いたまま、ツカツカと闘技場の出口へ向かっていった。それにつられて数人の、おそらく遊と同じ小学生達が部屋を後にする。

 

「……なんだよ、あいつ」

 

 変なものを見たせいか、どんよりとしていた心が少し晴れたような、それでいてモヤモヤが残っているような、居心地の悪い状態になった。

 

 

 

 壊されてしまったロストフリーダムと、戦利品であるバンシィを手にして、ふと顔を上げる。残ったメンバーは自分のことを警戒している表情で、誰も話しかけてこない。ただ一人、彼女を除いて。

 

「遊っ」

「アイ、ちゃん」

 

 駆け寄ってきた彼女を見て、遊はどれほどの安心感を貰っただろうか。ようやく自分が勝ったという喜びにひたることができた。

 

「ちょっと危なかったけど、勝ったよ」

「そうね、でも──」

 

 アイの視線は、壊れた機体に向いている。

 

「それじゃもう戦えない」

 

 その声は悲しそうで、目は暗くなっていて。それが遊にはいたたまれなくて、つい本音を隠して虚勢を張る。

 

「戦えるさ。前にアイちゃんが言ってたじゃないか。ガンプラの改造しなきゃって。ちょうどいいタイミングだよ!」

「……強いのね、遊は」

 

 彼女に笑ってほしいという願いが、遊を空回りさせる。

 

「そう。僕は強いんだ。改造さえ終われば、きっと早川にだって勝てる!」

 

「いやぁー、僕も不安になってきたなぁ!」

 

 割り込んできたのは、誰でもない早川魁斗だった。

 

「見せてもらったよ。あの動き、あの判断力、あの対応力。見事だったよ! この闘技場じゃ僕の次に強い黒田を倒してしまうんだもの、相当な実力だね。小学生とは思えないよ!」

「早川……っ」

 

 遊より一回り背が高く、自然と見下されている形になっているせいか、その言葉の端々に棘を感じる。

 

「僕もファイターの端くれだ、君の全力と戦いたい。新しいガンプラが完成したら、すぐにバトルしようよ」

「言われなくてもそうするつもりだよ」

「そりゃ良かった。それじゃ次会えるのを楽しみにしているね。長谷川くん」

 

 魁斗はそれだけ言い残して、闘技場を後にした。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 普段はみんな残って試合をするような時間だったが、遊と涼介の激闘を見たせいなのか、他の誰もがバトルシステムに触れること無く、その日は闘技場を閉める時間になった。長いようで短いような、濃い一日を終えたファイターたちは帰路につく。その戦いを見ていたものは興奮を思い返したり、分析をしてみたり、はたまた打ち勝つための未来を描いてみたり。

 遊は壊れたロストフリーダムをバッグに、まだ日の出ている帰り道を歩く。

 

「もっと強くなりたい……強い武器を持たせて、壊される前に壊す。そんなガンプラを」

 

 頭の中で今日の戦いが何度も繰り返される。バンシィのそのどれもが強力で一撃必殺の威力を兼ね備えた武装。黒と金の恐怖を感じさせる色。そして兄を思わせる造形。

 

「強く。涼介くんみたいに、お兄ちゃんみたいに、強く──」

 

 膨らんでいくイメージの中で、ふと涼介と兄の笑顔が重なる。

 

「……なんで」

 

 なんでガンプラバトルが楽しいんだろう。

 

 遊は、遊自身が問いかけてきたそれに、答えることができずにいた。



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GBF-L #010「忘れられた楽しさ」

 楽しい。そんな大事な感情を、遊はすっかり忘れてしまっていたように思った。

 

 眩しいほどの白に包まれた世界。その光に目が慣れると、次第にあたりの景色がぼんやりと見えてくる。

 母さんと父さんが談笑している。その横で卓がガンプラバトルをしている。対戦相手はあの闘技場でバンシィを使っていた涼介で、その試合を魁斗が眺めている。それを遮るように駆け抜けていったのは武田たち三人組。他のクラスメイトや知っている人、知らない人もいて、誰もが幸せそうに笑っていて。

 楽しそうな景色が目の前に広がっていた。事実、そこでは誰もが笑っていて、朗らかでいて、自分もそこへ混ざりたいなと自然と伸びた黒い手。

 

「……なんだ!?」

 

 ぎょっとして手を引っ込めた。よくよく見れば手だけでなく腕や足、身体全体が黒いモヤにかかったように見える。手で払っても落ちないそれは気持ち悪く、眼前の人々と自分を隔てる何かに感じられて身体が震えた。

 

 白い空間に黒い自分という、場違いな立場に冷や汗が流れる。まるで世界から否定されたかのように思える。疎外感、孤独感、楽しいことを楽しめない自分というイレギュラーな存在を、誰もが疎んでいるように感じた。さっきまで笑っていた人々がこちらを真顔で見ている。「笑えもしない、楽しめもしない、そんなお前がなぜここに居る」という声が響く。

 遊は「違う」と言いたかった。だが息が吸えなくて声が出ない。足は震え身体が強張る。違う、そうじゃないんだ、楽しいって何だっけ、分からなくなっちゃっただけだ、お願いだから話を聞いてくれ、僕を捨てないで──

 

 

 

「遊」

 

 名前を呼ばれて、うつむいた顔を上げて振り返った。

 

「アイ、ちゃん?」

 

 声の主もまた、自分と同じモヤを身にまとっていた。

 

「遊」

 

 彼女が手を伸ばして、遊を求めた。遊もこの世界で同じ黒い影を抱えた存在を求め、手を伸ばした。真白な世界に二人の黒い影が交差する。しかし、

 

「遊」

 

 まばたきをした直後、目の前に居たのは鏡に写ったかのような自分で──

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 うだるような暑さに目を覚ました。時刻は6時、窓の外ではいつものように朝日が昇り鳥が鳴く。7月のカレンダーはその役目を終えて破り捨てられそうな日付、きっと8月に入っても、同じように蒸し暑い毎日が続くのだろう。

 頭が痛い。とても嫌な夢を見ていた気がするが、もうすでに内容が思い出せない。確か皆が幸せそうで、自分は誰かと手を繋いで、誰かって誰だろう。そんな曖昧な思考の残滓は、きっと寝ぼけた思考のせいだ。

 

「起きなきゃ」

 

 自分に言いきかせるように、遊は独り言をつぶやいて身体を起こした。今日も闘技場に行ってアイちゃんのために戦わなければ。そう思ってふと相棒を見る。昨日の戦いで壊されてしまったロストフリーダムは、机の上に力なく横たわっているだけで。

 

「……もう、絶対に壊されないようにしなきゃ」

 

 遊は落胆と、再び立ち上がるための決意を胸にする。

 

 

 

──ガンダム ビルドファイターズ ロスト──

 〜 第十話 忘れられた楽しさ 〜

 

 

 

 父は仕事に、兄は塾に。家に残されるのはいつも遊一人。父は「勉強をしっかりやっておくように」と口うるさくいうものだから、今日は家に残って宿題を片付けていく。遊が目の前に並べたのは国語の、さらに的を絞って漢字ドリルのみ。算数や理科社会と違って、漢字はノートに延々と同じ文字を書くだけという、何を考えていても手を動かせば終わる宿題としては好きだった。逆を言えば、何か別のことを考えでもしなければ退屈で退屈で死にそうなほど嫌なのが漢字ドリルだ。

 やや窮屈じみてきた小学生向けの勉強机に向かって、冷房の効いた部屋で同じ字を何度も何度も繰り返す。右手はもう小指のあたりまで鉛筆で汚れてしまっていた。

 

「意義、意義、意義、意義……」

 

 六年生にもなると画数の多い漢字ばかりで、すぐに鉛筆の先が丸くなってしまう。そのたびに鉛筆削りをゴリゴリと回さなきゃいけなくて、これもめんどうだ。『勉強中はクーラーをつけても良い』という家のルールがあるから暑さにバテることはないけれど、これでは暑くなくても精神的にまいってしまう。

 そうやって集中力が散漫になると、やはり思い浮かぶのはガンプラのことで。

 

 早川魁斗に勝つためにも、闘技場に戻るためにも、ストライクフリーダムを改造しなければならない。けれどガンプラ初心者の遊にとって、改造するなんてことは全く想像も及ばないところだった。今は壊れたパーツを取り除いて胴体に腰と足がついているような情けない姿で立たされている相棒の姿を、どうやって直してやればよいものか。モヤモヤとしたイメージはあるけれど、そのイメージを具体的な形にする方法が思いつかない。

 

「意義、意義、意義、義……あっ」

 

 考えすぎて手元が乱れた。遊は間違えた文字を修正するために消しゴムを──机の上にあるはずの消しゴムが無い。ふと脇をみれば、座っているイスの足元にころがり落ちているではないか。横着してイスに座ったまま手を伸ばしてみるも微妙に届かない。もう、といらだちを小声で吐き出しながら、乱暴に立ち上がってイスを引いた。

 ふと目を奪われる。転がり落ちた消しゴムの横、物で隠すように置かれた箱。角が白く禿げ、折れや湿気でまがった紙の、凛々しいストライクフリーダムが描かれたその箱。今ではすっかり闘技場の戦利品入れになっていたそれを、消しゴムの代わりに拾い上げて漢字ノートの上に置いた。

 

 昨日行ったバンシィとの戦いが、闘技場で戦ってきた数々の試合が脳裏に蘇る。そういえば、その中でもひときわ焼き付いているガンプラがいた。そうだ、確か青いメタリックカラーの──

 

「ジム、だっけ。これ」

 

 思わず声が出た。

 肩に大型のビーム砲を二門、腰の両脇にシールドが一枚づつ搭載されているパワードジムは、確かに他のガンプラとは異質な雰囲気をだしている。アイちゃんも言っていたように、これはジムに他のガンプラを混ぜた物だ。具体的な名前はわからなかったが、少なくとも両腕は違うキットから持ってきたものだろうということは、塗装が禿げて見えた下地の、パーツ本来の色が違っていたことから、初心者の遊でも簡単に想像できた。

 腕を引っこ抜いてみれば、ゴム質の穴にプラスチック製の棒が刺さっているだけで、なんの加工もされていないように見える。

 

「これは、腕の軸を使って……別の腕をつけてるのか」

 

 壊されたストライクフリーダム。特徴的な異形の両腕。点と点が輝いて一つの線で結ばれた、そんなイメージが頭を駆け巡った。ああ、気づいてしまえばなんと単純なことか。足りない頭部も同じ発想で、箱の中から探しだしたふさわしいパーツをあてがう。それらはまるで、最初からそうであったかのように、遊の心の中にしかなかった空想を具現化して──

 

 

 

 普段過ごしている遊の部屋の隣。兄の部屋は同じ間取りのはずなのに、彼にとっては別世界のようにに感じられる空間だった。自分も他の同級生に比べたら趣味は少ないほうだけれど、それ以上に、おもちゃや遊びの感じられない大人な雰囲気の部屋、本棚には教科書や塾のテキストと少しの文庫本が並んでいるだけで、その1段上は腕時計やスマホが適当に置かれている空白だらけのスペース。

 この空間には去年までいくつかのガンプラが並んでいたことを、遊は知っていた。それを片付けてしまった理由はきっと父だろう。あの厳格な人がそれを許さなくなってしまった。そのころから、卓という存在は変わってしまったように思える。それまでは優しく接してくれる親しみやすい兄だったはずなのに、今ではすっかり交わす言葉も減ってしまった毎日で。

 再び持ち主に無断で侵入し、押入れからガンダムマーカーを数本頂戴する。

 

「……ごめんなさい」

 

 誰に言うわけでもない、本人に届くはずもない。けれど無意識に遊の口からこぼれでた言葉を聞いていたのは、部屋に唯一飾られていた純白のガンプラだけだろう。

 フルアーマー・ユニコーンガンダム。兄のお気に入りだったガンプラ。関節はくたびれていて腕は自重に耐え切れず力なく下がりっぱなし、首もすわっていない赤ちゃんのように斜めに傾いている。股関節を支えるアームでなんとか立ち姿をキープしているだけで、ボディのあちこちは擦り傷やパーツの欠けている箇所が見れた。そのどれもが、ガンプラバトルのせいで受けた傷だった。

 兄はユニコーンで戦っている時、心の底から楽しんでいるように思っていた。けれど今ではすっかりバトルもやらず、飾るだけで。本当に楽しかったのだろうか。今兄は別のことを楽しんでいるのだろうか。ガンプラバトルはもう楽しめなくなってしまったのか。自分は楽しいとは思えていない、けれどアイちゃんのために、誰か他人のために戦っている自分のことは正しいと思っている。人助けだから自分は間違っていない。楽しいだけが人生じゃないと父は言っていた。だからこれで良いんだろう。きっとこれで良いんだろう。

 

 他人から見ればねじ曲がっていたとしても、遊にとってその肯定感は、守られるべき大事なものだった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 昨日の激しい戦闘を繰り広げた英雄たちを失った闘技場は、心なしか静かさを感じるほど落ち着いていた。だが静かとはいえバトルシステムが動いていないわけではなく、今も二台のシステムが青白い光を放ち、激しい戦場を彩っている。

 その部屋の裏、扉をあけてもう一枚壁を隔てたところ。液晶のモニターが六枚並んでいるデスクと、メインとなるタワー型のパソコンに囲まれた少女が一人。

 

「ねぇアイ、僕とバトルをしないかい?」

 

 四角い画面に食いつくようにしているアイの脇で、手持ち無沙汰にペン回しをする少年、魁斗が声をかける。

 

「昨日の戦いであれだけ傷つけ合ったんだ、今日は黒田も君のお気に入りも来やしないよ。だから今日の目玉ってことで、ね?」

「イヤよ。動画の編集で忙しいの」

 

 通算何度目になるだろうか、こうして戦いの誘いを繰り返しても、アイは魁斗の言葉に乗ることは一度もなかった。それどころか闘技場のNo.2でありながら、二ヶ月以上にわたって他の誰ともガンプラバトルを交えたことがない。それは毎日積み重ねられるバトルの動画をアップロードするための編集に忙しいのが一つの理由だが、魁斗はそれを「自分に再び負けることが怖いのだ」と勝手に曲解していた。だからこそ今日もまた彼女を誘った。結果は玉砕、なにも面白みがない。

 

「……いつまで意地を張ってるんだよ、一度僕に負けたくせに」

 

 そんな悪態混じりに吐き捨てた言葉にさえ、彼女からの返事はない。

 つまらない、つまらない、つまらない。相手にされないという最高の屈辱を受けて、魁斗は苛立ちを隠せずに扉をくぐって、力任せに閉めた。

 

「僕は強い、この闘技場で一番だ。なのになんでアイは僕を無視するっ!」

 

 早川魁斗は中学一年生にしてこの闘技場のトップに君臨していた。中学生以下しか入れないこの闘技場でも、一年生と三年生の差は大きく広がってしかるべきだというのに、彼はそれでも一位の座を持ち続けていた。そこらへんのファイターとは違うガンプラへの情熱、ガンダムの知識を持ち合わせていた彼は、場所が場所ならば大きく羽ばたいていたことだろう。

 だがこの闘技場は都心から少し離れた地域の地下、隠されているかのような場所にある。さながら狭い籠の中。それでも彼は望んでここに来た。自分の力を示すために、望んでここに留まり続けている。

 自分の苛立ちを抑えきれない魁斗は、戦いの輝きを放っているバトルシステム前へツカツカと早足で赴き、GPベースと愛機をねじ込む。

 

『New Fighter Field In』

 

 ローズレッドに彩られたガンプラの表面をプラフスキー粒子が駆けた。その造形は深く、他のファイター達とは一線を画す。各所に散りばめられたコーションデカールと、丁寧に塗り分けられた塗装、細かいモールドはまるでそれが現実に落とし込まれたモビルスーツという兵器として実在するかのような。

 

「早川魁斗、ジャスティス。出撃する! 僕は正義を執行する者だ!」

 

 眼前に広がる宇宙を切り裂くように翔ぶ、正義の名を冠したガンダム。

 

 

 

「何が『正義を執行する者』よ」

 

 壁の向こう、戦闘をモニターしていたアイがつぶやく。

 

「ここに正義なんてないし、私があんたと戦わないのは、まだあんたを潰したくないってだけよ。それを調子に乗って──」

 

 マウスを軽快に叩く。並んだモニターの左側では、二機の改造ガンプラを相手に一方的な戦闘を広げる魁斗のジャスティスがライブ映像で流れる。右側には、昨日の試合でボロボロになりながらも立ち上がるロストフリーダムの姿が映る。作品的にも因縁浅からぬ二機の姿は、とても似ていて、とても遠い存在に見える。ガンダムという作品を愛するがゆえに固執する魁斗と、作品を知らないが故に逸脱する遊の姿がそう思わせるのだろうか。

 どちらにせよ、次に戦うのはこの二人。この二機であることは誰しもが思っていたことだろう。

 

「魁斗じゃダメだった、遊に勝ってもらわなきゃ私は──」

 

 改造されたガンプラを矢継ぎ早にジャスティスが射抜き、右側のモニターに映る試合は終幕を迎えた。時を同じくして、左側の試合もまた、終了を告げるメッセージが表示されていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ガンダムマーカーのインクがしっかり乾いたことを手で触って確認してから、遊は小さなパーツたちをあるべき姿に一つ一つ組み上げていく。暑さで手汗が酷いのを、ガンプラにつかないように逐一タオルで拭いながら、丁寧に慎重に組み立てる。

 

「これが──」

 

 完成したそれは、今までのストライクフリーダムそのままの姿よりも強そうで、誰にも負けなさそうなシルエット。黒いガンプラが机の上にどっしりと仁王立ちする。

 足と胴、背中はストライクフリーダムそのものであるはずなのに、その姿はそれとは逸脱している。やや細い足腰に対して無骨な両腕。右手には大型の並行板からなるビーム兵器が、左手には大きな鉤爪が。頭部に搭載されたハイメガキャノンはガンダムZZの物だ。残されていたストライクフリーダムの武装である複相ビーム砲とレールガン、ドラグーンも含め、そのどれもが前面に立ちはだかる敵を屠ることだけを考えているかのような必殺の武装。

 デザイナーも登場作品も違うガンプラのパーツを使っているから、当然のように異物感がにじみ出ている。それでも、それだからこそ遊は、その異形感に心をくすぐられ、惹かれた。

 

「これが、僕のロストフリーダム」

 

 全ての破壊を可能とする、遊のロストフリーダムがそこにあった。

 これならば必ず闘技場で一番になれるだろう。これならば早川魁斗に勝てるだろう。そう思わせる何かを、新たなロストフリーダムから感じた。そう、最初に出会った影のような片翼のストライクフリーダムに似た何かを、このガンプラからも感じられる。直接的な強さではない。根拠はないが、それはこのガンプラを「怖い」と思う心なのかもしれない。

 

「これなら勝てる、勝ってアイちゃんの願いを……」

 

 

 

 ──お前は 何を望む──

 

 ふと、最初に出会ったロストフリーダムの言葉が聞こえてきたような気がした。あの時は遊も答えられなかったが、今なら言える。

 

「彼女の願いを叶えることが、今の僕の望みだ」

 

 その望みを叶えるための武器が、完成した。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 昼間の喧騒とセミの鳴き声も遠く、月と静寂があたりを包み込んだ熱帯夜。ミックスベジタブルと細切れのウインナーをスーパーで市販されているチャーハンの素と混ぜた簡素な晩ごはんを、料理した卓が皿に盛りつけていく。

 

「遊、お茶を用意して」

「わかった」

 

 母が入院してからというもの、家事の分担は残された家族3人で当番制と決めていた。食事の分担だけはまだ小学生だった遊にガスを扱うのは任せられないと、父と卓の二人が交代でやっていた。やっていた、と言ってもカレーや麺類などの簡単なレシピを少し作るだけで、あとはだいたいスーパーの惣菜が並ぶ毎日。

 そんな遊にとっては、兄が作るチャーハンは数少ないごちそうだった。

 

「今日はチャーハンで済ませてしまった、ごめんな」

「全然、大丈夫」

 

 大好きな兄の作ったチャーハンを、パクパクと早いペースで口に運ぶ。今日はちょっとだけ胡椒がきいてるなと思った以外は、いつもの美味しいチャーハンだ。

 

「なんか遊、変わったな」

 

 卓が思い立ったことをそのまま口に出す。遊にとって、こんなふうに言葉をかけられるのが久しかったせいか、少し言葉にとまどいが出てしまった。

 

「そう、かな……?」

「なんていうか、楽しそうだ。最近毎日でかけているみたいだが、何をしてるんだ?」

 

 卓に褒められることは、遊にとって嬉しいこと以外のなにものでもない。けれど本当のことを話すことはできない。『兄ちゃんのGPベースを勝手に使ってガンプラバトルをやっています』なんて言えるはずもないのだ。嬉しさと焦りとで、一瞬だけ頭が固まるのを遊は感じた。

 

「友達の家に、遊びに行ってるんだ」

「毎日おなじ子のところに?」

「うん、あ、違う違う。数人のグループで遊んでるから、日によって別の子の家に行くんだ」

「それじゃウチにも呼んでるのか?」

「それはお父さんが許してくれないだろうし、子供だけの家で何かあったら大変だと思うし、無理言って断ってるんだ」

 

 遊はそこまで言いながら、自分がこんなにも嘘が上手になっていることに驚いていた。言葉には出していないけど、もうすでに架空の友達と遊んでいる自分の姿が映しだされていて──

 

「……そうか。楽しいならいいことだな」

 

 卓はにこやかに微笑んだ表情で、話題を終わらせた。

 ごまかせたようでホッとした。と思いつつ遊も笑顔を返して、残っていたチャーハンを口に運ぶ。やはりちょっと胡椒辛い。けれどそれを口に運ぶスピードは、最初よりさらに上がっていた。

 

「ところで、俺のGPベースを見なかったか?」

 

 チャーハンを食べる手が止まった。

 遊は脳裏で思考を巡らせる。さっきの会話で気づかれたのか? それとも、最初から知っていて話を振ってきたのか? 今もなお優しそうな兄の表情が逆に信じられなくなっていく。

 

「……GPベースって、ガンプラの?」

 

 とぼけた素振りで言葉を返す。

 

「そうそう。俺も友達からガンプラバトルに誘われてたんだが、あれが見当たらなくて」

「僕は知らないよ」

 

 頬を伝った水滴は、冷や汗ではなくただ夏の暑さのせいだと思いたい。それか、このチャーハンが辛いせいだ。きっとそう。

 遊は皿の上に残っていたものを手早く口に掻きこんで、コップのお茶を飲み干した。逃げるように食器をまとめて流し台に置いてキッチンを後にする。

 

「今日の食器洗いは遊が当番だろう」

「あとでやる、置いといて!」

 

 階段を駆け上がる音が反響して、卓のため息をかき消した。

 

 

 

 独り静かになったキッチンに、ピロロンとスマホの電子音が響く。塾で単独行動が増えた卓の身を案じて父が彼に持たせた物だ。今では父親の想像以上に使いこなし、電話とメールだけでなくネット検索からSNS、動画サイトの閲覧、ゲームアプリまでかなりのことは使いこなせるほどになっている。だが卓はそんな話題を共有できるほどの相手を作らなかったから、そのほとんどに興味を示さなかった。これを使うのは父親との連絡と、勉強で分からなくなった時の辞書代わり、そしてスケジュール帳としての役割くらいだ。

 そんなスマホからの通知を、卓はご飯をそっちのけで食いついた。

 

 動画サイトの更新を知らせる一通のメール。本文に記されたリンクアドレスをたどり、その動画へとアクセスする。

 

「桃井アイのバトルチャンネル!」

「この闘技場でもかつてない死闘、接戦の末に勝利したのは──」

 

 明るいピンク系の服をまとった快活そうな少女が、ポニーテールを揺らしながらMCをつとめる動画。それは最近流行りの日々のガンプラバトルを実況するタイプのものだった。

 熟練ファイターの動きは学生ファイターたちにとっては芸術のようであり、手本とする先生のようでもあり、憧れと尊敬と勉強ができる動画がカテゴリとして人気を博すのは自然なことだろう。だがこのチャンネルはそれらとは違う。どちらかといえば下手の集まりだ。小中学生同士のありふれたバトルを流している平凡なチャンネル。

 

「本日のバトルは、黒いストライクフリーダムVSバンシィ!」

 

 だが卓にとっては重要な、興味深い動画チャンネルだった。



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GBF-L #011「切られた火蓋」


【挿絵表示】

ロストフリーダム
黒田涼介との戦いを経て強化された。
破損した頭をZZに、腕をバンシィに差し替え
全てをガンダムマーカーで塗装されたガンプラ。
朱い粒子、そして遊が最初に出会った黒い影との関連性は──


 朝。身体の痛みもなく息苦しさもない。気がついたら朝になっていたという感じで、今日はとても寝覚めが良い。いつものように蒸し暑い空気が重くのしかかっている不快感があるだけで、なんともない一日の始まりを迎えることができた。何より昨日は、夢を見なかった。

 部屋の空気を入れ替えようとカーテンと窓を開ける。もう日が差してきてもおかしくない時間なのに、その空は薄い暗雲に沈んでいて、部屋の電気をつけようかと思うくらいの天気だった。こういうときはもうすこし気温も下がってくれれば良いのに、高い湿度のせいか生ぬるい風が部屋に流れてくるだけで。

 こんな天気なのに調子の良い身体だということに違和感を覚えながらも、今日すべき大事な目標を、机の上に立たせていたガンプラを見て思い出す。両腕を異形の武装で覆い固めた、漆黒のストライクフリーダム。遊の新たなロストフリーダムは、片付けられた勉強机の上に凛々しく仁王立ちしていた。

 

「ロスト、フリーダム」

 

 これを使って早川魁斗を倒す。それが今の遊の願いであり、アイちゃんの願いでもある。彼女が望むならきっと僕は何とだって戦うだろう。

 

「……母さんは、僕がガンプラバトルしてるって知ったら、怒るかな」

 

 ふと改造前の姿を、そしてそれをプレゼントしてくれた母のことを思い出して、少年の表情は少しだけ綻んだ。

 

 

 

──ガンダム ビルドファイターズ ロスト──

 〜 第十一話 切られた火蓋 〜

 

 

 

 小学生の遊にしてみれば見上げるほどの大扉は、いつにもましてヒンヤリと冷たく感じられた。それを押し開けて入ったバーのような空間のさらに奥、薄暗い照明の闘技場は、今日もいくつかのバトルシステムが織りなす光に満たされていた。

 

「よ、思ったより早かったな」

 

 入り口付近にたむろしていた小学生グループの中から一人、声をかけてきたのは黒田涼介だった。

 

「俺とのバトルからまだ3日しかたってねぇじゃん。新しいガンプラ、もうできたのか?」

 

 遊は涼介という少年に驚いていた。彼とはつい先日戦って、ガンプラを奪い取ったばかりだというのに。それに涼介とさっきまで談笑していた同学年の子たちは遊に距離を置いている。これが正常だと遊自身も思うが、この心の距離感は一体なんだというのか。

 

「黒田、くん」

「涼介でいいって。ほら、新しいの見せてくれよ」

 

 黒田は遊がガンプラを出すのをしっかりと待ってくれていたが、その言葉に遊はいじめっ子の武田を連想してしまった。苦手なタイプだ、と身体が自動的に強張って警戒するのと同時に、逃げたくなってきて、黒田の横をすり抜けて、稼働しているバトルシステムに近づいていく。

 取り出した愛機の姿は黒田にも見えただろう。見慣れた両腕の造形にピンときた彼が口を開く前に、遊がGPベースをセットする。

 

「もう負けないよ、黒田くんにも、早川くんにも」

 

 

 

 New Fiter Field In. Battle Star!

 

 乱入した世界は青々とした快晴の空に覆われた孤島が一つ。それをぐるりと囲う一面の大海原。遮蔽物の少ない海上と、特殊な海溝が作り出す渦潮が多発している海中という両極端なフィールド。その決闘場とも見て取れるモビルスーツにとっては小さな陸上で、相撲を取るかのように剣を交える2機のガンプラ。

 彼らにもアラートは響いただろう。それでもなお切り結ぶ両者に、遊は愛機のテストプレイを開始する。

 

「まずは牽制代わりに一発!」

 

 右手首を回しスロットの3番目、右腕部に装備された二枚の板からなる強力なビーム兵器、アームドアーマーBS(ビームスマートガン)と名付けられたそれが唸る。蜘蛛の糸のような深紫の閃光が走り、それは発砲者すら驚かせるほどの速さで空を駆け抜け、ターゲットにしたガンプラの一機を貫き、抉った。

 爆散する敵機を眼前にして、やっと視線をこちらに移した片割れが、バーニアを点灯させて跳躍する。白い機影、控えめなトリコロールカラーに加え流線型のデザインが施されたボディ、随所から露見する黒鉄色のガンダム・フレーム、サムライを思わせる鉄刀を一振り握ったそれの名は──バルバトス。

 より人間に近いデザインのモビルスーツだった。その動きも、ロボットのそれとは思えないほど美しく、たくましさを感じさせる動きだった。機械のもたらすそれではない強さを持ったガンプラは、バーニアに物を言わせた飛行ではなく、脚力を中心とした跳躍でロストフリーダムの高度まで迫る勢いだ。その速度は並ではない。

 ロストフリーダムはアームドアーマーBSをもう一度放つ。だがそれを、バルバトスは避ける素振りも見せず、その純白の装甲で受け止めた。紫の花が散るように流れる光。その本体にダメージを与えられた様子はない。

 

「効いてない……でも」

 

 遊はスロットを回し、今度は左腕の武装、アームドアーマーVN(ヴァイブレーションネイル)を選択する。サイコフレームという特殊金属でできた四本の爪が唸りを上げて金色に輝けば、それはどんな分厚い装甲も斬り裂く獅子の爪となる。

 甲高い音とともにぶつかりあった両者の武器。地上から飛び上がったバルバトスの振り上げられた鉄刀を、ロストフリーダムは左腕の甲で受け止め、弾く。そして空いた懐にもう一撃、左腕の鋭爪が食らいつく。リーチは短い、だがその威力は先ほどビームを弾いた装甲さえもやすやすと切断し、コクピットをバラバラに斬り裂く。

 たった一撃。心臓を抉られて行動不能になった鉄塊は、力なく海面へと落下していく。そのしぶきが最後の叫びのように打ち上がると、重力に負けて消えた。

 

「……強い」

 

 荒れる海面を見下しながら、遊は手応えを感じていた。右腕のビームスマートガンもそうだが、左腕のヴァイブレーションネイルは絶大な威力だ。どちらも遊の予想より上を行く火力、スピードを備えていて、それがまるで最初からこうあるべきだったような、しっくりと手に馴染む感覚に包まれていた。

 始めてガンプラバトルをしたときに出会ったロストフリーダム、あれとは姿形こそ異なるものの、あのロストフリーダムを目にしたときに受けた感覚が今、自分の手元にある。パワー、スピード、風貌、そして朱く染まった粒子……この力が何であれ、もはや誰にも負けやしない、そんな自信を沸き立たせるような、強さ。

 

 

 

 New Fiter Field In.

 

 背後からのアラート。不意打ち気味に現れた乱入者に反応して機体を転身させる遊。装甲のわずか数センチ先にまで及んだ大振りの刃は空を切り、風を呼ぶ。ロストフリーダムの判断力をもってしても、ここまで差し迫るほどに敵は迅速かつ大胆だった。

 モビルスーツはさらなる一撃を加えんと空中で一歩踏み出す。だがその切っ先は装甲を食い破ることもできず虚空を撫でるのみ。ロストフリーダムにとってそれはもう見たことのある武装でしかない。大剣は朱い粒子を斬り裂くのみで、その切っ先は本体には届かない。残像のように粒子を散らすロストフリーダムはその速度を上げ、紅の敵に向けて腰のビームサーベルを振り抜く。だが同時に敵もまた機体を巧みに操り、サーベルを大剣で受け止めてみせる。ほんの数秒にも満たない間、ぶつかりあって散る火花。両者はそれを良しとせず距離を取る。

 紅色の機体。触れれば即死を意味するであろう身の丈ほどもある大剣を、やすやすと片手で振り回す猛者。曲線と直線の織りなす美と胸部に輝くGNコンデンサの光。遊にとってそれは見たことのない姿をしていたし、画面に表示される機体名も聞いたことがなかった。

 

「ガンダムスローネ、ツヴァイ」

 

 そしてさしたる興味も無かった。二度の斬撃を見て、こんなものかと吐き捨てるのみで。

 スローネツヴァイはサイドアーマーに装備したGNファング──宇宙世紀の設定で言えばファンネルビット、遊の知っているガンダムSeedの世界設定で言えばドラグーンと呼ばれている自立飛行兵装──を解き放つ。周囲に展開されたそれら六機は、舞い踊るように弧を描き、羽蟲のように散開する。うっとおしい、と言わんばかりにロストフリーダムもドラグーンを八機全て展開し、光の翼とも形容される、ヴォワチュールリュミエールを開放する。

 快晴の空を駆け回る無数のファンネルビット達、それらが繰り出すビームの乱気流をかいくぐり交わる二機のガンプラ。方やGNドライブの残光を紅く散らし、方や変容したプラフスキー粒子の残光を朱く残す。

 紅と朱とはしだいに混ざり合い犯し合い、互いを己のものにせんと取り込み溶け合う。モビルスーツの距離も次第に近づいていき、もはやその剣先が触れようかという距離にまで近づき──

 

 切り捨てた。両腕に装備されているビームトンファーが、紅の装甲を分断した。心臓であるGNドライブを焼かれたスローネは、刹那の沈黙を経て爆発する。GNファングは主を失い命を枯らす。

 自信は確信に変わった。この強さなら、必ず。

 

 

 

「待っていたよ、長谷川遊くん」

 

 場外からの声に、ふとモニターから外へと意識を向ける。

 

「早川、魁斗っ!」

「思ったよりも早かったね、もう少し時間がかかるものと思っていたよ」

 

 此度の目的、倒すべき宿敵。早川魁斗は遊の戦いを一部始終眺めていた。

 

「この試合は一度終わりにしよう。補給して、完全な状態で戦うのがフェアってものだろう?」

 

 そう言って彼は自前のガンプラをチラつかせながらも、GPベースをセットして乱入する素振りは見せず、むしろ周囲のファイターたちに目配せをして、これ以上乱入させないように圧をかけている風に見えた。その流れを他のファイターたちも良しとしているのか、誰も遊に試合を挑もうとはしなかった。

 フィールドに独り取り残されたロストフリーダムはその試合の勝者となり、ファイターである遊の手元におとなしく戻ってくる。被弾もなく、破損もない。これならばすぐにでも決戦に出せる、最高のコンディションだ。

 

「……勝負だ魁斗!」

「おうおう焦るなよ。まずはここのルール通り、戦利品を回収してからってもんだろう?」

 

 戦利品、と言われてバトルシステムに残されたガンプラを見返す。先程打ち倒した三機のガンプラが、持ち主に回収されることなく無残に転がっている。それを遊は、手元に寄せてナップサックに入れた。

 魁斗はいつもの余裕ある笑みを浮かべて言う。

 

「新しいストライクフリーダム、すごく強そうじゃないか。奪った機体で強化するってのはどんな気持ちなんだい? さぞ気持ちがいいんだろうね!」

 

 その言葉選び、イントネーション、表情、どれもが遊の神経を逆なでするような苛立ちを感じさせた。

 

「おっと、怒らないでくれよ。ここのファイターのほとんどはそんなもんさ。少ないお小遣いで沢山のガンプラは買えない。だから奪ったガンプラそのままで戦ったり、改造パーツとして使ったりするのが当たり前……あいつのバルバトスも、そいつのスローネツヴァイも、本当の持ち主は別人っていう現実──」

 

 ふと先程まで相手をしていたファイターの表情に目をやる。確かに負けて悔しそうにしているが、それほど酷いものではない。そして遊は、彼ら以上に苦い表情をしているファイターたちが別に居ることにやっと気づいた。

 言葉に出せない感情がふつふつと煮えたぎってくる。魁斗が作ったルールを破壊し、ここにあるねじ曲がったルールを破壊し、アイちゃんの願いを叶える。そのためにロストフリーダムを作り、今日ここまでやってきた。

 

 Please set your GP-base.

 

「魁斗、俺はお前に勝つ!」

 

 このロストフリーダムでお前を倒す。GPベースをバトルシステムに叩きつけるようにセットし、認識させる。

 

「そうかい! けど残念だな……君が作ったそのツギハギの機体は、僕が回収してやるよ!」

 

 魁斗もGPベースをセットする。

 そして両者は愛機を、己の手で作り上げた心の形をバトルシステムに乗せる。

 

「長谷川遊、ロストフリーダム。出る!」

「早川魁斗、ジャスティス、出撃する。僕は正義を執行する者だ!」

 

 孤島を中心とした大海のフィールド上に、同時に解き放たれた二機。一方は黒く塗られた異形の、自由の名を冠する機体、ストライクフリーダム。一方はローズレッドで丁寧に塗装された、兵器であるのに美しささえ感じる丁寧な作風の、正義の名を冠する機体、ジャスティス。

 因縁浅からぬ両者は、セルリアンブルーに彩られたプラフスキー粒子の風を受け、操縦者の心を乗せて洋上の大空を羽ばたく。



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GBF-L #012「示された因縁」

「魁斗……俺はお前に勝つ!」

 

 遊はなんとしても、早川魁斗を倒さねばならないと決心していた。ねじ曲がった正義を正すために、期待に応えるために、アイちゃんに褒めてもらうために、なんとしても倒さねばならないと決心していた。そのためならば、たとえ他人から奪ったガンプラのパーツを取り込んでも、兄から盗んだGPベースを使い続けていても、正しいことのように思えていた。

 心の羅針盤を失ったまま大海へと飛び出した「失われた自由」は、一体どこへ向かうというのか。自身すらもそのたどり着く場所を、目指すべき場所を知らぬままに、ただ目の前に映る敵を踏み倒し、ただ己が前だと信じた方向へ進み続ける。

 亡霊船のような進路をたどる遊の前に立ち塞がるは、雷鳴を轟かせた暗雲のごとき「正義」のガンプラ。

 

 

 

── ガンダムビルドファイターズ ロスト ──

 〜 第十二話 示された因縁 〜

 

 

 

「長谷川遊、ロストフリーダム。出る!」

「早川魁斗、ジャスティス。僕は正義を執行する者だ!」

 

 孤島。周囲全面を大海原に囲まれた小さな大地。爽快に突き抜けるほどの青々とした空と、大波と渦潮のまみえる海が大多数を占めるこのフィールドに、二機のガンプラは勢い良く解き放たれた。方や闇を背負う黒にまみれたストライクフリーダム。方や美しい薔薇を連想させるような赤いジャスティス。

 両者はほぼ同時に、一撃必殺の兵器を敵に向けて放つ。

 

「まずは!」

 

 赤い機体のルプス・ビームライフルは細く鋭い一閃を。黒い機体のビームスマートガンは糸のような紫の閃光を。それぞれの光は交差して目標に進むも、それは空気を焼き彼方へと伸びるのみ。モニターに敵影を捉えながらもそれはまだ遠く、狙い穿つにはいささか小さい。

 この距離では牽制にもならないし、ジャスティスという機体自体は中〜近距離向けの装備が多い。ここは間合いを一気に詰めるのが得策か、と魁斗は構えたライフルを一度下ろす。

 

「この距離じゃ、お互いの射撃も当たらないだろう──」

 

 その油断の隙に、遊のロストフリーダムからの二撃目。

 モニター一杯のアラートと、深紫の熱と光が迫る。無防備に晒されたジャスティスの、偶然にもそのシールドに直撃したビームは、その装甲を眩しく照らして焼いた。

 

「──なに」

 

 魁斗の予想を超えた一撃は機体さえ穿つことはなかったが、その心を乱すには十分な威力だった。赤い機体にダメージはない、だがシールドの美しい表面は半分が焼け、もう一撃を受けることもままならないだろうほどに溶け落ちている。先の冷静さも、熱された装甲を前に蒸発する。

 

「この距離で、僕に当てたっ!?」

「次は墜とす!」

 

 三撃目、紫の線が伸びる。だがその意思はあまりにも直線的すぎて、ジャスティスの運動性にかかれば躱すに容易い。

 

「不意打ちでなければこの程度!」

 

 正義が背負う翼は形を変え、その推力を全て背面へ向けて飛び立つ。その機動力は他のガンプラとは一線を画す速度まで一瞬で到達する。流星のように伸びる残光、その目標、ロストフリーダムまでの相対距離は瞬く間になくなってゆく。

 黒い亡霊を切り捨てんと、解き放たれた正義の刃。ジャスティスはビームサーベルを抜き放って構える。ロストフリーダムもそれに応じて左手で腰のサーベルを抜刀する。

 重なる刀身、弾ける熱と光。

 

「さすがにここまで無敗なだけはある」

「負けられない、俺が勝つんだ。だから!」

 

 一段と大きな爆発ともとれる音を発して、両者の刃は離れた。ジャスティスは急加速、今度は敵機から距離を空けるように空中を滑空する。

 ロストフリーダムにダメージを与えることは叶わなかったジャスティス。とはいえ魁斗は手応えを感じていた。気づいたのだ。先程の動きの中で、遊の反応速度が僅かに遅れていることに。もう一瞬、あと一瞬だけこちらが早く動ければ、あの忌々しい合成魔獣の胴体を真っ二つにできる。無敗の悪魔のようでいて、相対する操縦者は想定通り、ただの新米ファイターのそれだ。

 

「──笑っちゃうね、こんな奴に皆して負けたのかよ!」

 

 正義の執行者は、よもや正義を掲げる者とは思えないような邪悪な笑みを浮かべて言った。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 バトル開始からわずか1分程度。その一連のやり取りは、その場にいる全てのファイターを釘付けにするほどに美しく豪快だった。フィールドを縦横無尽に駆け回る赤と黒の機体を、大勢のファイターたちが寸分も見逃すまいと、目を凝らして追いかける。普段はいがみ合い対立している中学生グループと小学生のグループも、今は肩を並べフィールドギリギリの境界線へとひしめき合って行く末を見つめ、ときに大きな歓声を上げる。

 

「さすが遊! いけ! やっちまえ!!」

 

 その中でも涼介の声がひときわ大きく響く。ロストフリーダムに使われているバンシィのパーツが元をたどれば自分のものだったことが嬉しかったのか、彼の活躍が自分の活躍であるかのように喜び、ヒートアップしていた。

 

「俺を倒した上にそのパーツまで使ってんだから、あれぐらいやってもらわなきゃな!」

「黒田、すこし静かにしてなさい」

 

 この場に似合わぬ華奢な声。予想してなかったその姿に、涼介は飛び上がるほどに驚いた。

 

「山田っ!?」

「その態度、女の子に対して失礼じゃない?」

「いや、だってお前いつも裏のパソコンで辛気臭そーに試合見てるから、今日も引きこもってんのかと思ってさ」

「そういうのが失礼だって言ってんのよ、バカじゃないの」

 

 涼介の言葉にイライラしながらも、アイはバトルシステムに集まる少年たちをかき分けて、一つのパネルからケーブル引き出す。いくつものピンがある平たいそれを、手に持っていたケーブルにつなぐと隣のバトルシステムが点灯──リアルタイムで、遊と魁斗のバトルが再生されていた。

 

「さ、好きなとこで見なさい」

 

 わあっ、と一目散に動く観客たち。反対側でも同様にモニター代わりにしたシステムができたのだろう、半分程の人数が場所を変えていた。

 

「こうも大勢いたら私の場所が無くなっちゃうじゃない」

 

 ひしめき合っていた周囲に余裕ができたのを確認すると、アイは遊と魁斗どちらの側につくわけでもない、まるで審判が立つようなポジションで、セルリアンブルーに輝くフィールドを見据えた。

 

 バトルに真剣な眼差しを向けるアイに、涼介が声をかける。

 

「なぁ」

「何よ」

「なんでここまでするんだよ」

 

 実のところ涼介にとって、アイという人間がずっと理解できないままでいた。新人を闘技場に連れてきては、多少の手間をかけて説明し、あとは裏にこもって動画を取っている陰湿な奴。動画の中では猫を被っていて、普段はとてもいけ好かない奴。ごくたまにバトルを挑まれても、それをあっけなく返り討ちにするほど強い奴。自分もあの魁斗に負けるまでの少しの間だけだが、アドバイスをもらいながら一緒に行動していたことは事実だが、それにしても彼女という存在が、涼介にはわからなかった。

 

「別に。あんたに話す理由なんて無いわ」

 

 そんなアイが、こちらを睨むような視線で一瞥しながらも、試合から目を離すことなく続けた。

 

「貴方と魁斗の戦いもこうして見に来てたでしょ」

「んなもん知らねぇよ。試合してる最中に誰が見に来てるかなんて関係ねぇだろ」

 

 ガンプラバトルは一対一の真剣勝負、そこに誰が見に来ようと誰が応援しようと意味はない、涼介はそう思っていた。けれどアイはただ、ため息をこぼすばかり。

 

「だからバカって言われるのよ」

 

 バカだと言われて涼介はむっとしたが、それ以上でもそれ以下もない。そこを深く考えないのが黒田涼介の数多い長所のうちの一つだ。……彼はそう認識している。そんなことよりも大事な試合が今、目の前で繰り広げられているのだから、今言葉尻にカッカしている暇はない。

 けれど一つだけ、涼介はアイに聞いておきたいことがあった。

 

「お前、どっちに勝って欲しいんだ?」

 

 その問いかけに、アイはほんの少しの沈黙を置いて、頬を緩めて再び答えた。

 

「だからバカって言われるのよ」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 試合開始時は快晴だった空は、いつの間にか薄く黒い雲がもやのように広がっていた。その中を斬り裂くように飛び回るガンプラは、幾多の攻撃を交わしては離れ、離れては交わりを繰り返し、帯状の雲を描いては掻き消した。

 ジャスティスがライフルを腰にマウントしサーベルを握れば、ロストフリーダムもまた腰のサーベルを振るう。熱量同士が激しくぶつかり合う音がバトルを彩った。

 火花を散らす画面を前に、魁斗はあえて遊に聞こえるように叫ぶ。

 

「加速力、機動力、武装の出力、そのどれもが闘技場ファイターの平均以上。おまけに反応速度はトップクラスだ。素晴らしいファイターだよ、遊くん!」

「人を見下して!」

 

 汗ばむ手でコンソールを動かし、眼前まで迫ったサーベルを弾きかえす。

 

「俺はお前に勝つんだ、勝たなきゃダメなんだっ」

 

 息を荒げて叫んだ遊は、ビームサーベルを前に突き出しながら背面のスラスターを全力で吹かす。

 

「なぜ僕を目の敵にする?」

 

 魁斗はジャスティスを急降下させロストフリーダムの突進を回避したと思えば、すぐにサーベルとライフルを持ち替えて射撃戦へと移行する。その手早さに翻弄されている遊は回避することしかできない。

 

「僕とキミとは初対面だ、キミに争う理由なんてないだろう」

 

 確かに魁斗の言うとおり、遊にとって彼はなんでもないただのファイターの一人だ。自分が抱く戦う理由は、アイちゃんがそうしろと言ったからだ。彼女がそう望んだから、自分をここへ連れてきたアイちゃんの言うことだから、そうしなければならないと思った。それだけだ。

 なら、彼女はなぜ魁斗を倒したがっているんだ?

 

「それは──」

「それは『お兄さんに言われたから』か!?」

 

 遊の手が止まった。旋回するロストフリーダムはジャスティスから遠ざかり、そして空中に漂う。纏いかけていた朱い粒子が霧散して、闘気がぼやける。

 

「図星か、そうか。やっぱりそういうことだったんだな」

 

 敵の異常に気づいた魁斗もまたジャスティスを空中に漂わせて、遊にモニター通信まで開いてみせた。その表情は何故か勝ち誇ったかのような薄ら笑いを浮かべ、蔑むような視線を遊に向けていた。

 

「ああ、長谷川って名字でそうじゃないかと思ってたけど、よくよく見れば長谷川部長そっくりじゃないか。兄弟だってなんですぐに気づかなかったんだろうね僕は。そうか、部長は自分じゃ戦えないからって弟を使ってまで僕を倒そうって考えたのか!」

 

 魁斗は何を言っているんだ。兄の卓とこの男にどんな関係があるんだ。部長……そうだ学校の部活、兄は模型部に所属していたはずだ。つまり早川魁斗は兄の後輩か。でも『戦えない』ってどういうことだ。一体何があったんだ──

 ぐるぐると思考がめぐる。頭を想像が支配して手が動かない、口が開かない、言葉が出ない。さっきまで吹き出していた額の汗は一気に引いてゆき、立ちくらみのように平衡感覚が曖昧になっていく。全身に重りを乗せられたように重力がかかり、力が入らない手は小さく震える。

 

「何を、知ってるんだ?」

 

 たったそれだけ、必死になって絞り出した言葉がそれだった。

 

「何って、全部さ!」

 

 力の抜けた表情の遊を見て、魁斗は勝ち誇ったかのように言い放つ。

 

「部長はひとつ下の僕に負けるのが怖かったんだろう。僕が入部してしばらく経って急に『部活を辞める』なんて言い出して、僕とのバトルを最後に全く顔を出さなくなった。部活どころか好きだった模型屋にも行ってないみたいで、部員のだれもが模型を辞めたと思ったよ。僕だって悲しんだぜ? 技術もバトルも上手かったんだ、尊敬だってしていた。そんな人が模型辞めるなんて、相当なことがあったんだろうって思ったさ。だけど蓋を開けてみれば……部長は最後の試合で僕に負けたことを根に持ってて、こんなとこにまで弟を送り込んでくるなんて、笑っちゃうよ!」

 

 魁斗の高笑いが闘技場に響いた。音の逃げ場がない地下空間でその声はよく反響して、遊の鼓膜を何度も叩いた。

 

「違う。兄ちゃんはそんなこと僕に言ってない!」

「本当にそうかい? あの人のことだ、弟に直接負けたって言うことが恥ずかしかったんだろう。直接言えないまま、お兄さんは黙ってキミをここへ来るように誘導したんだよきっと。ほらGPベースをよく見なよ、ビルダーネームがお兄さんの名前まんまじゃないか!」

 

 ぎょっとして自分のデバイスを確認した遊。周囲の観客もハッとしたように視線を移す。確かにファイター名の欄には「SUGURU HASEGAWA」と記されている。自分もGPベースを勝手に借りたときから深く考えずに使っていたが、誰も気づかなかったのか、気づいても些細な問題だと思っていたのか。今の今まで気が付かなかった。それは確かに兄の名前だ。

 

 

 

 遊の知らないところで兄は戦って、負けていた。その事実を初めて知った。卓は遊に語ってくれなかった。いつの日か唐突に「模型は辞めた」と言って、大好きで毎日触っていたプラモや工具を段ボール箱に押し込んで押入れに封印した兄の背中を忘れはしない。それは小学生の自分でもわかるほどに、悲しさを我慢していた背中だった。何があったのか遊にはわからなかったが、それがこの早川魁斗に負けた悔しさだったのかと思うと、言葉に出せない黒い感情が沸々と湧いてくるのを抑えられなかった。

 

「兄、ちゃん」

 

 魁斗の言うとおり、ここへ来ることは兄の予想していたことなのか。まるで操り人形のようにここに連れてこられて、戦わされていたのか。いいや違うきっと違う、そんなことをするような兄ではないはずだ。そう思っているのに、そう思いたいのに、疑念がきれいに晴れることはなく、自分の心を黒く埋め尽くしてゆく。

 ロストフリーダムの周囲に再び朱い粒子が渦を描く。それと同じように、遊の身体に濁った血液が心臓を介して行き渡る。

 

「僕、ぼ……俺、俺はっ……」

 

 手が震える。さっきまでのとは違う、今は内側から溢れ出そうな感情を抑えるので精一杯になっている震えだ。冷え切ったような身体に再び熱がこもる、汗がじわりと滲む。全身の毛が逆立っているようにも感じられる。

 きっとこの感情は怒りだ。兄が好きだった模型を辞めさせるきっかけになった魁斗を、それを高笑いして見下してくる魁斗を、絶対に許せないと全身で怒っているんだ。きっとそう。許せない、許さない。絶対に。

 

 ゆらいだ闘志にもう一度火をくべる。ロストフリーダムの粒子を朱く灯らせる。それに足るほどの、有り余るほどの理由ができた。

 俺は、早川魁斗を倒す。倒さなきゃならない。

 

 

 

──お前は 何を望む──

 

 

 

「俺は! お前を! ぶっ倒す!」

 

 怒りで涙が出るようなこともあるのだろうか、遊の潤んだ瞳の奥に、歪んだ魁斗の姿が映っていた。



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GBF-L #013「願われた結末」

 つい先程までの青々とした快晴の天気はどこへやら、空には雷鳴轟く暗雲がたちこめ、今にも豪雨が溢れ出しそうな様相に早変わりしていた。その中央、ロストフリーダムの周囲には朱い粒子が渦を巻く。それは機体の血肉となり、尋常ではない能力を引き出すということは、ここにいる遊以外の誰もが知っている事実。対峙するジャスティスはその武器を握り直し、決戦を見守るギャラリーたちは試合の行方を固唾を呑んで見守る。

 

「俺はお前をぶっ倒す!」

 

 遊はそれを言葉に出すことで自分の決意を改めて認識した。眼の前にいる正義を振りかざす男を、本当か嘘かもわからない事を騙る悪漢を倒すと、自分の決意を固めた。

 だがその裏には確実に迷いが、心のゆらぎが見て取れる。迷い立ち止まりそうになるからこそ、そうやって言葉で自分を支えるのだ。自分の行いに自信がないからこそ子犬のように吠えるのだ。想定通り、魁斗は隠しきれない笑みの漏れた顔で、心の底からの自信をもって答える。

 

「できるものなら、やってみろよぉ!」

 

 カッと輝く雷光に照らされたジャスティスのツインアイがより一層輝きを増して、眼前の黒い機体を見据えた。

 

 

 

 寄り合う縁は複雑に絡まった糸のように。重ねられた思いは煩雑に積み上げられた積み木のように。終わらせるにはいっそ、全てを捨てて、全てを流してしまうほうが早いのかもしれないと思わせるほどで。

 

 

 

── ガンダムビルドファイターズ ロスト ──

 〜 第十三話 願われた結末 〜

 

 

 

「ドラグーンっ!」

 

 右手のスロットが軽快に回る。多数の武装から選ばれたのは、合計八枚からなるビット兵器ドラグーン。それらが主の命令を受けて一斉に、拘束具となるバインダーから解き放たれる。それは同時に「拘束具だったドラグーンから、ロストフリーダムが解き放たれる」ということ。

 真なる姿、内なる翼、無限の力である蒼白の輝き、ヴォアチュールリュミエールが展開される。それは無限に広がる天の翼か、全てを破壊する悪魔の翼か。

 

「やっと本気になったか、はは」

 

 魁斗の表情から笑みは消えない、だがその頬には汗が伝い、真剣な眼差しは画面を見据える。余裕はない、油断もない、そして不安もない。今まで無敗の遊を相手に、朱い粒子を纏ったロストフリーダムを前にしてもなお、早川魁斗には勝算があった。

 

「格の違いを教えてやるよ、遊」

 

 吐き出した言葉を皮切りに、ジャスティスのバーニアが轟々と唸る。爆発したような加速でロストフリーダムとの距離を詰める正義は、柄を連結させた双刃のサーベルを右手に、半壊したシールドを前に突き出して猛突する。

 ロストフリーダムが接近する敵影に対して手を伸ばせば、それに呼応してドラグーンが空を駆ける。三機のドラグーンが赤い機体の進行先を正確に予測して狙いを定め、無駄の一切を省いたビームを放つ。

 

「分かりやすい攻撃だ」

 

 だが、当たらない。ジャスティスはレーダー反応を見てから進行方向を直角に曲げ、飛び上がるような形でビームを回避する。速い、今までの敵とは段違いだ。自分を正義を執行する者だなんて豪語するだけのことはある。

 

「次は当てる」

「当たらないよ、お前の攻撃は」

 

 ドラグーンがビームの嵐を巻き起こす。その隙間を縫うように加速するジャスティス。

 

「オールレンジ攻撃は、それだけで万能の兵器じゃない。むしろ扱いを間違えば──」

 

 鋭角に曲がる赤い機体。ドラグーンの操縦にばかり気を取られ、その棒立ちになっていた黒い機体は、判断が一瞬だけ遅れた。

 

「甘い隙を晒すことになるんだよなぁ!」

 

 輝く刃、振るわれる閃光。ジャスティスは双刃のサーベルで弧を描き、重厚な装甲のわずかな隙間、胸部と右肩の間にある関節を的確に、大胆に切り落としてみせた。

 

「速いっ!?」

「まだ終わりじゃないさ!」

 

 返す刃でジャスティスは、ロストフリーダムの下半身に狙いを定める。だがその一撃は間一髪、左腕のビームトンファーを放出し受け止めるロストフリーダムが阻む。ビーム同士の激しくぶつかり合う火花が、暗雲を背にした二機を朱く彩る。

 

「どうした、僕をぶっ倒すっていうのはハッタリか!?」

「ハッタリなんかじゃ、ない」

「じゃあやってみせろよ!」

 

 ジャスティスは鍔迫り合いのさなか、蹴りを入れてロストフリーダムを突き落とす。遊の機体は空から急降下し、墜ちた先はちょうど孤島で、土煙が激しく舞い上がった。

 流石の魁斗も視界が塞がれた孤島へ突っ込むことはせず、空中で滞空する。

 

 右腕を落とされ、矢継ぎ早に猛攻を受けた遊は、魁斗の強さを理解しながらも、ずっとぐるぐると頭を支配する疑問に頭痛さえ感じていた。

 兄ちゃんがガンプラを辞めた理由が魁斗に負けたから? そしてその復讐のために僕を使ってここに連れてきた? GPベースを盗んだのも知っているけど、黙っていた? 魁斗の告げた真実は、遊には信じられないことばかりだ。

 卓がガンプラを辞めたのは六月頃で、もし僕を復讐に使うならもっと早くけしかけるはずだ。GPベースだって僕に手渡すチャンスなんていくらでもあったはずだ。ゲームセンターでアイちゃんに会わなければ、この闘技場に来ることさえ叶わなかった。惑わされるな、あいつは嘘を言っている。今ここに立ってるのは、先生に言われて勉強するのとは違う、父さんに言われて手伝いをするのとは違う。僕自身の思いでここに立っている。それは誰にも否定されない僕の考え、僕の真実だ。

 

「僕は兄ちゃんに言われてここに来たわけじゃない、アイちゃんと出会ったのだって偶然で、誰が僕に言ったわけでもない。これは僕の、僕自身の思いだ!」

 

 爆発音。土煙の中から飛び上がり、その左腕をジャスティスめがけて突き出した。とっさの判断でシールドを構えたジャスティスの左腕を握りつぶすようにアームドアーマーVNが牙を剥き、草食動物に喰らいついた獅子のように容易く、その片腕、肘から下を食い千切った。

 

「お、お前っ」

 

 ジャスティスは──魁斗は驚きと戸惑いと怒りに表情を歪ませる。

 

「この僕のジャスティスに傷をつけるだと? デタラメな改造ガンプラのくせに正義に楯突くだと? ふざけるな……ふざけるなな、ふざけるな!」

 

 目と鼻の先にある両者の機体、ジャスティスが右腕のサーベルを振るえば、それはロストフリーダムのビームトンファーで遮られる。再び鍔迫り合いとなった両者、肉薄するロストフリーダムの朱い粒子に、ジャスティスが飲まれていくような気さえする。いや、ジャスティスがロストフリーダムから粒子を吸っているようにも見える。

 朱い粒子は二機を包み込み、かき混ぜる。

 

「ガンダムという作品の上辺だけを借りて俺ガンダムだと? デザイナーも世界設定も無視した醜い合成魔獣どもが! お前達が玩具として作ってるそれはなぁ、もっと精密で丁寧であるべきなんだよ、それがわからないガキが、ガンプラは自由だなんてご名目で、ガンプラバトルだなんだと遊びやがって! お前のその機体だってそうだ、ストフリにバンシィの腕なんか装備したら、せっかくの曲線美とスタイリッシュさが台無しじゃないか! それを平然と、お前達は──」

「それが魁斗の戦う理由か」

 

 遊の言葉に、少しの沈黙。そして髪をかき上げて答える魁斗。

 

「そうだとも! 僕はね、ガンプラは自由だなんて言いながらその創作元を踏みにじるような適当な工作とでたらめな作品設定が大嫌いなのさ。特にお前のようなSeedもUCも見たこと無いような、にわかビルダーの作品がなぁ!」

 

 ジャスティスは奪われた左腕の肘でロストフリーダムの頭部を叩く。それはビームサーベルのように切り伏せるようなダメージを与えることはできなかったが、遊のモニターは衝撃で大きく揺れた。その隙にジャスティスが、残された右腕でビームサーベルを振るう。だが、当たらない。その残光が空を彩り、直後、ロストフリーダムのかかと落としが炸裂し、今度は魁斗のモニターが激しくフラッシュする。

 

「そんなくだらない理由なら、俺は負けない。負けられない!」

「二度も攻撃を」

「三度目もあるぞっ」

 

 追撃。ロストフリーダムが飛び蹴りの形でジャスティスを空中から叩き落す。朱い粒子の渦からはじき出され、海に叩き落される直前でなんとか体勢を立て直すも、先程の上下関係が一変した。

 

「遊! 兄のためじゃないっていうなら、お前はどうして戦う、なんでこんな場所に居続ける!」

「俺は──」

 

 問に、言葉が詰まる遊。ふと頭をよぎるのはアイちゃんの笑顔で。フィールドの横で試合を見ているアイちゃんに目線がふと移る。

 自分の求めているものが、自分自身ですら理解できていなかった。その答えの鱗片が脳裏でちらつく。

 

「……はは、そういうことか」

「何がおかしい!?」

 

 言葉のない答えに、ついぞ笑ってしまう魁斗。

 

「君の言っていることは真実だと、やっとわかったのさ。いやー、さすがアイの認めた奴だ」

「今更何を!」

 

 左腕を前に突き出すロストフリーダム。それに応えるように、ドラグーンがジャスティスにビームの雨を御見舞する。だが見え透いた攻撃は赤い正義にあたることはなく、躱されて虚しく海に解けて消えるばかりで。

 お返し、と言わんばかりに、飛び上がったジャスティスが肩部のビームブーメランを投擲する。悪魔の囁きと共に。

 

「いや別に。君はアイのこと、好きなんだろ?」

「なっ」

 

 遊の手が鈍った。好きとか嫌いとか、そういう人間の感情にすこぶる疎い遊にとって、直接的にそう言われたことが事実であろうとなかろうと、動揺を隠すことができなかった。迫りくるブーメランの刃を、ロストフリーダムは間一髪、一基のドラグーンを盾にすることでしか凌ぐことができず。眼の前で爆発するドラグーンに押される形で、ふらりとよろめく黒い機影。

 

「わかり易いなぁ遊くん!」

 

 戻ってくるブーメランを受け止めたジャスティスは、その予測を確信に変えて一転攻勢、前に出た。

 

「でもその様子じゃ何も聞かされてないんだろうなぁ」

 

 矢継ぎ早にライフルを持ち直して射撃するジャスティスに対し、遊はぐらついた機体をなんとか空中に保たせつつ、大振りな動作で回避行動を取る。

 何を聞かされていない? 一体僕は何を知らない? 疑問が心に引っかかって離れない。

 

「……戦いの最中に、うるさいやつだ!」

 

 ロストフリーダムは再びドラグーンを操り、飛び回るジャスティスを包囲するようにビームの網を敷く。だがジャスティスは、魁斗はその隙間を難なく潜り抜けて接近してくる。

 

「アイがなんでお前にここまで手間をかけてると思う。お前が好きだから? そんなのあるわけないじゃないか」

 

 急速接近してくる正義が振りかざすビームの刃を、失われた自由は左腕のトンファーでなんとか受け止めることしかできず。

 

「簡単さ、動画の再生回数が桁違いになるんだよ。連戦連勝、ヒーローのようなファイターが負けて愛機を奪われる様ってのは、とても盛り上がるからねぇ!」

「これから負けて動画を盛り上げるのは、魁斗……お前の方だぞ!」

 

 ロストフリーダムの渾身の蹴りがジャスティスを弾きとばす。その一瞬、朱い粒子の脈動がさらに激しさを増して──

 

「お前が、アイちゃんを語るなよ!」

 

 片腕を失ったロストフリーダムは、残されたドラグーンを従えて高く高く上ってゆく。乱雲立ち込めるその限界まで上昇した黒い機体がツインアイを光らせて、その身に宿した複数の、単体でさえも孤島一つ焼き払うに易いような武装を展開する、その姿はまさに。

 

「まだそんな力が、悪魔め──」

 

 腰部のレールガン二門、腹部の複相ビーム砲、頭部のハイメガキャノン、そしてドラグーンからなるハイマットフルバーストが、ちっぽけな正義を断罪する光として天空から降り注ぐ。ロストフリーダムに残されたプラフスキー粒子のありったけをその一撃にかけて解き放つ。

 無数の光線がジャスティスを包んで、その機影が飲まれて消えた。

 

「僕はアイちゃんのために戦うんだ、アイちゃんが連れてきてくれたここで戦い続けるのが、僕の目的だ……!」

 

 

 

「ならその目的のために、ここで死ねよぉ!!」

 

 試合はすでに終わったと思っていた、その隙が致命的だった。海中から飛び上がったジャスティスが、天に漂う機体めがけて駆け抜ける。

 

「まだ生きて──」

「そうさ! お前がハイマットフルバーストを撃つのをずっと待ってたんだ。激昂して、周りが見えなくなって、全力でエネルギーを使い切るこの時をずっと!」

 

 遊は迎撃しようとレバーを動かす。だが機体がガクンと傾き、激しい重力を感じる。エネルギーのほとんどを使い果たした上に、ドラグーンさえもその役目を終えてバックパックに強制撤退し、ヴォアチュールリュミエールも失われたロストフリーダムは、もはや黒い棺桶に等しかった。

 

「お前の戦いを何度も何度も動画で見た。意味不明な強さをした機体と、それに見合わない操縦技術、かと思えば世界大会クラスの反応速度を見せたり、あの黒田との戦いじゃオロオロとのたうち回る……ほんと、わけわかんないよお前は!」

 

 正義の名を冠した機体はロストフリーダムにしがみつくと、そのまま我が身どうように急降下した。気づけばジャスティスの背面にはあるはずのファトゥムは失われ、その全身もビームの奔流に晒されて、ただれたような傷跡を残している。それでもジャスティスは、ロストフリーダムを離さずに海へと墜ちるために、まだ戦い続けるためにしがみつく。

 

「お前の強さの源は、最初はNT-Dか、EXAMか、ナイトロシステムのような強化型かと思っていたよ。だが違う、どちらかといえばSeedだ。お前の精神が高ぶれば高ぶるほど、このフリーダムは強くなってた」

「何が、言いたい!?」

「わかんないかなぁ、お前が怒れば怒るほど強くなるなら、絶望させちまえばそれで終わり、ってことだよ、遊!」

 

 海面に叩きつけられた二機のガンプラは、その衝撃でバラバラになりかねなかった。だがそれでも形を保っていられたのは、まだ戦う気力が残されていたからなのか、それとも誰かに戦うことを求められていたからなのか。

 

「最後に一つ教えてやるよ。遊、ここで君が勝っても、いずれ新たなファイターをアイが連れてきて、そいつに君が負けるまで戦わされるのさ。勝ちが続けば続くほど、高くなった積み木のように、崩れる様が派手になるからね!」

「何でそんなことがわかる!」

「根拠ならあるさ。ここのルール『勝ったら負けたガンプラを奪える』、あれを決めたのはアイ自身なんだから!」

「アイちゃんが、ルールを──!?」

 

 魁斗の言葉が真実であるかどうかなんて、遊は考えもしなかった。ただ頭を巡ったのは、アイちゃんの言っていたことが嘘なのか、騙されていたのか、自分は掌の上で踊らされていただけなのか。疑問が不安になり、不安が雑念になる。戦いの真っ最中だというのに、観客としてこの試合を見ているアイのことが気になってしかたない。

 

「アイちゃんは僕が負けるのを見たい、だって? そんなこと有るはず無いじゃないか! だってアイちゃんは僕のために色々としてくれるし、お前を倒して欲しいって、ねぇ!」

 

 遊がアイに視線を移しても、彼女はフィールドをじっと見つめているだけで、自分の方を向いてくれることはなく。

 自分を肯定してくれない。それはつまり、自分の言っていることが間違っているということなのか。

 

「……嘘だ」

「嘘じゃないさ。アンティルールは彼女が作ったものだ。アイはガンプラを奪い合って潰し合う、そんな戦いが見たくてここを運営してるんだ」

「嘘だ!」

「彼女が否定しないことこそ、何よりの証拠だろう!?」

 

 魁斗の叫びに重ねられて、ジャスティスは最後の一閃を放つ。

 

「アイの作ったルールで死ねよ、長谷川ぁ!」

 

 せまるビームサーベル。遊はがむしゃらに武装スロットを回した。エラー:オーバーヒート、エラー:残弾ゼロ、エラー:武装ロスト、エラー:水中使用不能、エラー、エラー、エラー──

 

 深く暗い海の底で、ロストフリーダムだったガンプラは静かに壊れて堕ちた。

 

 

 

 Battle ended.

 

 濃い朱に染まっていた粒子達もその役目を終え、主人であるガンプラから消失してゆく。白熱した戦いを繰り広げた両者の結末はあまりにも無残で、全身の装甲を傷つけられたジャスティスも、粒子の支えを失って前のめりに倒れた。勝利した魁斗は肩で呼吸しながらも笑みをうかべ、敗北した遊は呼吸もできないほどに追い詰められ。

 

「じゃあ、君の好きなアイちゃんが決めたルールだからね」

 

 魁斗はそう言って、カバンからガンプラが一つ入りそうなほどの空箱をとりだした。愛機であるジャスティスのそれではない、奪ったガンプラを入れるためだけの箱に、ロストフリーダムを丁寧に梱包していく。

 

 自分が作ったガンプラが奪われる。

 たった一つしか持っていない自分のガンプラが奪われる。

 母さんからもらった大事なストライクフリーダムが奪われる。

 

「ああ……!」

 

 今までこうして無数のガンプラを奪ってきた報いだろうか。兄のGPベースを盗んで使っていることへの罰だろうか。はじめて奪われる側になって気づく苦しみ、辛さに、喉を力強く締め付けられる感覚におちる。周りの視線が全て軽蔑に見えてくる。今まで自分が奪い続けてきたことが、これほどまでに他人を傷つけてしまっていたのかと我に返る。自分のしてきたことが間違っていたのだと思い知らされて、この闘技場という空間全てが敵に思えてきて、遊はたまらず、その空間から逃げ出した。

 

 

 

 重たい鉄扉をぬけて外へ飛び出したら、出かける前は曇り空だった天気模様が、今はもう土砂降りの大雨だ。遊はそれもかまわず飛び出して、その雨を全身で受ける。

 

「……あああ! なんで、どうして! 僕は、僕は! うあああああっ!!」

 

 少年の叫びは叩きつけられる雨音でかき消され、誰の耳にも届くことはなかった。



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転:Fall
GBF-L #014「知り得なかった憧憬」


 心に、ぽっかりと穴が開いた。

 

 ちがう。単に塞いでいた板切れがなくなって、今までずっと開いていた穴が見えるようになっただけだ。僕はずっとガンプラバトルという玩具で、心の隙間を埋めようとしていただけ。寂しさと怒りと悲しみを覆い隠して忘れるために、遊びで気を紛らわしていただけ。傷ついていた自分自身に、平気だよ大丈夫だよと嘘をつくために、いつも強くて真っ直ぐな兄ちゃんの真似事をやっていただけ。ああ、僕は何のために戦っていたんだろう。

 

 心に、ぽっかりと穴が開いていた。

 

 

 

── ガンダムビルドファイターズ ロスト ──

 〜 第十四話 知り得なかった憧憬 〜

 

 

 

 ひとしきり降り終わった夕立ちはその気配を水たまりに残すのみで、焼けるような夕日が雲の切れ間から濡れた大地へと差し込まれていた。闘技場のある路地から少し進んで商店街まで行けば、帰宅する人や買い物をする人たちの喧騒につつまれる。さっきまでの激闘が嘘のように、変わらない日常がそこに広がっている。

 

「魁斗ぉ!」

 

 人混みに消えそうになる魁斗に声を張り上げたのは、涼介だった。

 

「なんだよ、負け犬」

「てめぇに言っておきたいことがある」

 

 小学六年生と中学一年生という、たった一年の大きな差によって頭一つちがう身長差の魁斗に、怯むこともなくずんずんと大股歩きで近づく涼介は、そのニヤついた顔を見上げて睨みつける。

 

「てめぇを倒すのはオレだ。忘れんな!」

「へぇ。おまえ遊に負けたのにそんな大口叩けるんだな」

 

 せいぜい楽しみにしておくよ、とそっけなく返して、魁斗は再び歩き出す。足蹴に扱われたことに涼介は取っ組みかかろうかとさえ思うほど腹立たしかったが、何も言えなかった。それ以上に相手にされていない自分の弱さが、許せなかったから。

 ひたあるく魁斗も、自分の弱さが許せないでいた。その思考の中に涼介なんてこれっぽっちも存在しておらず、ただ長谷川遊とロストフリーダムのことばかりがめぐる。

 

「僕のジャスティスをあそこまで追い込んだあの機体。異常なマニューバ、反応速度、出力もあり得ないほど強力だ……なんだっていうんだ、あれは」

 

 そう、特別異質に感じたのは、ビームブーメランをドラグーンで受け止めた一瞬の動き。あれは魁斗にも直撃したと思わせるほどの硬直があった、遊が反応できるタイミングではなかった。それを、ドラグーンをピンポイントで動かして受け止めるなんて芸当、並の小学生が出来るものじゃない。あれは世界大会でお目にかかってもおかしくない程の技術──

 頭が痛い。いつまでも脳裏に焼き付いて離れない卓が、そしてその弟であり自分の前に立ちふさがった遊が、魁斗の思考とプライドを引っ掻き回して離れられない。そのイメージを払拭するために、物理的に頭をかきむしってみるも虚しく。

 

「長谷川……まだ僕の前に立ちふさがるっていうのか」

 

 魁斗の思い描く長谷川は遊の方か、それとも兄の姿か。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 暖かさと肌寒さを感じる。静けさと喧騒が耳に響く。明るさと暗さがまぶたに差さる。すごく頭が痛くて、平衡感覚もおかしい。立っていると思っていたけれど、よくよく気づいたら横になって寝ているようだ。暖かい毛布につつまれていて、優しい気持ちになるような。

 

「ここは──」

 

 眼を開けると、遊は知らない部屋に居た。

 

「あ、起きた」

 

 黒と白のインテリアに纏められた部屋は大人びた雰囲気を感じさせて、その部屋の中に薄い生地でできたスカイブルーの長袖と、同じような色のハーフパンツな格好のアイは、その空間にはチグハグで浮いているような印象を受けた。きっとそれだけではなくて、夏なのにやや涼しいとさえ思える気温や、自分が普段とは違うぶかぶかの白シャツを着せられていることがそう思わせたんだろうか。

 

「体調はどう、風邪引いてない?」

 

 さっきまで見ていたであろうバラエティ番組が白々しく笑いの合いの手を入れるのを、全く気にも止めずに自分の心配をしてくれるアイに、寝起きの頭が急速に回転していくのを自覚した。自分はベッドの上で横になっていたみたいで、彼女はソファがわりにベッドに腰掛けてテレビを見ていた。そう、確か闘技場の入り口でいつもスマホをいじっているヒロシという男の運転する車で、夕立ちの中で突っ立っていた自分は泣きじゃくったまま、アイちゃんに手を引いてもらってこのマンションに来たんだ──

 視界がクリアになっていく。経緯が恥ずかしくなって顔が真っ赤になる。思わず眼の前の彼女から目をそらしてうつむけば、着ている服も自分のものではなく大人サイズの白いTシャツで。それがよけいに恥ずかしく感じられて、寝ているときに被っていた毛布をたぐりよせて身体全体を隠すようにくるまった。

 

「あ、アイちゃん、僕はその」

「顔赤いけど大丈夫? やっぱ風邪引いたんじゃ」

「大丈夫! たぶん大丈夫だから!」

 

 心配してくれているアイに対して、慌てふためくことしかできない自分によけい恥ずかしさと情けなさを感じて、遊は膝を抱えて小さく三角座りするしかできなかった。

 

 やや気まずい沈黙が続いて、アイは「なら良かった」と微笑むだけで。遊は返す言葉が見つからなかった。その優しげな笑顔の裏に、どんな感情を隠してるんだろうと不安になった。魁斗を倒すと意気込んでいたのに無様に負けてしまった自分のことを、雨に濡れて泣いていた自分のことを、一体どう思っているんだろう。闘技場のルールはアイちゃん自身が作ったということを自分にずっと黙っていたことを、一体どう思っているんだろう。

 

「喉乾いてない? ジュースしかないけど飲む?」

 

 そう言った彼女は遊の返事を聞く前に、煩わしくなってきたテレビを消して、扉の先にあるキッチンへと向かった。普段ツインテールに結っている髪が今日は下ろされていて、そのしなやかで長い髪がさらりと遊の前を通り過ぎた時、ふわりと広がるシャンプーの香りがどこか遠い記憶を掻き立てる。

 

「アイちゃん」

「あー、そのね。黙っててごめん」

 

 アイは遊を見ないままに、ジュースを注ぐ手を止めることなく言った。

 

「嘘ついた、って覚えはないんだけど、ちゃんと言わなかったのは事実だし。闘技場のルールはあたしが作ったってこと。ごめん」

「……別に、終わったことだし、気にしてないよ」

 

 本音を言えば、気にしていないわけではない。けれどこうもダイレクトに謝られると、自分の感情をどこへ持っていけばいいのか分からなくなってしまう。アイを責めることができれば楽になれるのかも知れないけれど、どんな理由でも他人を責めることが正しいとは思わないし、遊は誰かに嫌われるようなことを進んでする人間でもなかった。

 

「僕だってごめん、結局魁斗に勝てなかった」

「いいよ別に。あたしの勝手な押し付けだもの、遊が気にすることじゃない」

 

 氷がぶつかり合う音が静かに響くガラスコップを、アイは遊に手渡して言う。

 

「優しいんだね、遊は」

「そんなんじゃない。僕は──」

 

 優しいと褒められているはずなのに、今の遊にはなぜかそれが苦しいことのように感じてしまう。蒸し暑い外よりもよっぽど居心地が良いはずなのに、今すぐここから逃げ出したい気さえする。口にしたオレンジジュースは酸っぱくて甘い。

 

「僕帰らなきゃ」

 

 コップのジュースはまだ残っているが、この部屋に残る理由はもう無い。

 

「何言ってるの。もうとっくに夜だし、遊の服はまだ乾いてないよ?」

「えっ」

 

 アイに言われてハッと気づいた。さっきのバラエティ番組は夜8時から毎週やってるものだし、閉められたカーテンの隙間から太陽の光が見えることもなくて、部屋に一つ置いてある時計の針はもうすぐ9時をさそうとしている。

 

「か、帰らなきゃ父さんに叱られる!」

「大丈夫よ、もう連絡しといたから」

 

 アイがどこからともなく手渡してきたのは遊の財布で、もしものためにと母が入れてくれていた住所と電話番号が書かれた紙がその中に入っているのを思い出す。

 

「ヒロシに連絡してもらって、今夜は勉強会ってことで家族から承諾もらったわ。こういう時の大人って便利よね」

 

 あの父親がお泊り会を許すだろうか、と遊は不思議に思ったが、それ以上に展開の速さについていけない。

 

「でも、アイちゃんのお父さんとお母さんは」

「それも大丈夫。ここはパパの隠れ家みたいなとこだから」

「隠れ家って」

「パパしょっちゅうママと喧嘩するんだけど、そういう日には決まって言い訳しながらここに泊まるの。夏休みの間はパパに頼んであたしも自由に使っていいことになってるから」

「そ、そうなんだ……」

 

 とても手際がいいというか、ぬかりのないアイに対して、遊は外周からじわりじわりと詰め寄られているような感覚になる。やっぱり彼女のことはどこか掴めない存在だ。

 

「さて、それじゃあ」

 

 遊が三角座りしているすぐ横、その肩がくっつくほどの距離にアイが座って、遊の耳元で囁く。

 

「今夜はあたしと楽しいこと、やろ?」

 

 やっぱり夕立ちのせいで風邪でもひいたんだろうか、クーラーはしっかり効いているはずなのに、遊は身体が火照っていくのが自分で理解できた。

 

 

 

 激しい戦いに傷ついた雨を超えて、また日は昇る。昨日の曇り空はどこへやら、すっかり快晴となった空から夏特有のジリジリした日差しが降り注いでいる。猛暑の中をセミが一生懸命に鳴いている声は、遊にとってはちょうど煩わしい目覚まし代わりとなった。

 遊は昨夜ずっと、アイちゃんセレクションの恋愛映画三本を休まずに二人で鑑賞していた。一本目はラブコメディで、二本目は純愛物で、三本目はよく覚えていない。アイは映画をとても楽しそうに、真剣に見ていたことだけは覚えている。けれど遊は映画なんてアニメの劇場版くらいしか興味が無かったので、それらは退屈で理解できない世界だった。あんまり夜ふかしにも慣れていない彼には難しく、気づいたらベッドの上で眠りこけていたようで。

 身体を起こして周囲を見回す。アイはすぐ近くで毛布に包まれながら、こちらに背を向けて寝息を立てている。自分より後に寝たんだろう、起きる気配はない。

 

「アイちゃん、朝だよ」

 

 寝ぼけ眼で彼女を起こそうとして肩に触れた。薄手のパジャマ越しに届く柔らかな肌の感覚、さらりと輝く長い髪、黒髪とのコントラストが映える白い耳。そんな無防備な姿に一秒か十秒か、それとも一分以上の時間だろうか、起こすのも忘れてただただ視線を奪われてしまう。

 

「んっ」

 

 アイが寝返りをうってこちらに顔を向けた。ただそれだけなのに心臓が飛び出そうなほど驚いてしまう。自分が驚いたことに驚きながら、何もしていないのに何か悪いことをしているような錯覚に苛まれて、慌てて手を引っ込める。

 

「お、起きた? 起きてない……?」

 

 彼女はまだ夢の中にいるような幸せそうな表情を浮かべている。

 遊は頭がぐるぐるとかき混ぜられるような錯覚を覚えた。ガンプラバトルで勝利した時の高揚感や追い詰められた時の焦燥感とは違う、この心臓の高鳴りの正体は一体なんなのだろうか。幼い彼にはまだ理解できない感情が消化しきれずに堂々巡り。どうしたら良いのかも分からず、頭が動かない分身体を動かさないといけないような気がして、とりあえず彼女を起こすことは諦めてトイレに向かった。

 昨今ワンルームマンションでは当たり前となっているが、産まれてこのかた恵まれた一軒家に暮らしてきた彼にとって、風呂とトイレが複合されているユニットバスは初めてで、その不慣れさにも戸惑いを隠せずに空間をぐるりと見渡す。身体を清めるための風呂場に、汚さの象徴のようなトイレがあるというのは最初は不思議に思う。けれどこの家に連れてこられてから混乱しっぱなしな遊の頭はもう考えがまとまらず「そういうものもあるんだな」と受け入れる他無かった。

 

「──あ」

 

 ふと足元に、一滴の赤い液体が落ちていることに気づいた。なんだろう、と思ったらもう一滴。ぽたりと落ちたのは確かに血液で。

 

「血。あっ、鼻血っ!?」

「もう何よ朝からうるさいなぁ」

 

 遊が鼻血にびっくりして声を上げたのが聞こえたのか、さっきまで寝ていたアイも起きてしまい、もそもそとした動きで遊のところに来ると、その血を見て悲鳴を上げる。

 

「ひゃっ、なんで、血!?」

「ごめんティッシュ、ティッシュちょうだい」

「え、何、ティッシュ? 鼻血なの!?」

「早くっ……!」

 

 ああ、雨の中で鳴いていたところや鼻血を出していたりする自分を見て、アイちゃんはどう思っているのか。きっと情けないやつだと思っただろうなぁ。血の香りで気持ち悪くなるのをこらえながら、遊はただ彼女の心が気になって仕方ない。

 

「はい、ティッシュ! 服は汚れてなさそうだし、血が止まるまでおとなしくしておいて」

 

 そんな不安を吹き飛ばすかのような彼女の笑顔と対応に、遊はただ、あっけにとられて目をぱちくりさせるばかりだ。ああ、彼女の優しさと強さはどこから出てくるのだろう。

 ぼーっとしている遊のことを鼻血のせいだと思っている素振りのアイは、ユニットバスに落ちた血を洗い終えると自分の支度に取り掛かった。

 

「遊の服も乾いてるだろうし、鼻血が落ち着いたら着替えてね。今日出かけるから!」

「出かける、って?」

「せっかく朝から一緒なんだもの、少し付き合ってよ」

 

 付き合って、の意味がよく理解できず──いや、想像しているそれとはイントネーションも雰囲気も全然違っているので間違っているんだろうなと思いつつ、意味を一つしか知らない遊にとってその言葉に混乱してしまい、また鼻血がひどくなりそうなめまいを覚えた。

 そんな遊をよそに、テキパキと自分の着替えを取り出して身支度を進めるアイ。揺れる長い髪をつい目で追ってしまって。

 

「……何ジロジロ見てんの。バカ」

 

 そう言われてハッと、遊は視線をそらす。彼女はバツの悪そうに、着替えを抱えてバスユニットに滑り込んだ。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 すっかりお出かけ日和となった快晴の空の下、アイは遊を連れていろいろなお店に入った。最初はハンバーガーショップで朝ごはんを済ませ、次にコンビニに立ち寄ってお菓子を買って、女の子向けの洋服店に入って店内をぐるりと見回して。何も買わずに今度はアクセサリーショップを見て回り、結局買ったのは小さなストラップ一つだけ。

 遊は、欲しい物があるからお店に入るのが買い物なんじゃないかと不思議に思ったけれど、アイはとても満足そうで鼻歌でも歌い出しそうなほどご機嫌なのが見て取れたので、ますます不思議でたまらない。

 

「ねぇ、次はどこ行こっか!」

 

 前を歩いているアイが笑顔で振り返った。姉のようで、それでいて少女のような親近感を思わせるその表情に、先の疑問は泡となって消える。彼女が笑っていられるなら、まぁいいか。そんなふうに思っている自分がいた。

 それでもやはり気になることは山ほどあって。着慣れないコンビニ産の下着を脱ぎ捨てて自分の服を身にまとえたことはホッとしているが、それでも出かける用のちょっとカッコイイお気に入りではない、これといった特徴もないTシャツに短パン姿の自分。隣のアイはちょっとおしゃれな感じで、ポニーテールにシュシュをつけ、フリルのついた水玉模様のワンピースに、手首にはいつものリストバンド。普段暗い闘技場で見せる姿と違って、可愛らしい女の子としてそこにいる。遊は隣に並んで歩くことが気が引けてしまい、こうして彼女の後ろを追いかける形で歩いていた。

 日差しと店内の光量差で鏡のようになった道路脇のショーウインドウを眺めれば、頭一つ分くらい身長の高いアイと、クラスでも一番チビな自分との見た目は釣り合ってないように見える。並んで歩けば姉弟かと誤解されるだろう。そんな風に思われるのは嫌だな、ということだけはハッキリと意識できた。

 

「なにボーッとしてるのよ」

 

 遊は前を歩いていたアイが立ち止まったことに気付かないくらい考え込んでいたらしく、声をかけられて肩が飛び上がる。

 彼女は手を差し出してきた。

 

「こういう時って男の人がリードしてくれるものでしょ?」

「えっ、でも、僕よく分からなくて」

 

 混乱するばかりだ。リードする方法も、アイちゃんの考えも、自分がどうしたいのかもよく分からなくて。

 

「大丈夫、次に行きたい所はあそこだから」

 

 そう言ってアイが指差したのは二人が初めて会った場所、遊の小学校からは校区外のゲームセンター。

 

「ちょっと寄ってくだけだけど、いいよね?」

「……うん」

 

 アイの手をとって、遊はゲームセンターへと向かった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ゲームセンターのガンプラバトルスペースは今日も賑わっていた。今も全てのバトルシステムに交代待ちの列ができ、中高生がわいわいと賑わっている。このゲームセンターでは自然と二台が中学生用、残り三台が高校生用という棲み分けがなされているようで、方やビームライフルがヒットしただけで即終了。方やサーベル、ライフル、ミサイルの応酬を繰り広げる白熱した戦い……バトルの技術レベルも歴然とした差があった。

 遊は爆音に包まれたゲームセンターの中にいるのに、吸い込まれるように綺麗なガンプラバトルの音声だけを聞いていた。目の前で広がる爆炎やバーニアの、プラフスキー粒子が織りなす光の芸術に見とれていた。そこには兄の長谷川卓が戦っていた、確かに自分が憧れたガンプラバトルの世界が広がっていた。

 

「やるな!」

「こいつはどうだ!」

 

 上下左右目まぐるしく立ち位置を変え武器を変え、二人のファイターが忙しなく動かす手さばきで、所狭しと飛び回るガンプラ。その軌跡は流星のようで、その交わりは閃光のようで。

 遊は今更やっと気づいたのだ。ああ、自分が憧れたのはこの世界だった、自分が求めていたのはこの輝きだった! 皆が楽しく全力で競い合う世界。愛するガンプラと共に戦う楽しさ、強敵に立ち向かう興奮、勝利を勝ち取った時の喜び。そのどれもが自分が心から求めていたもので、そのどれもが自分の手から零れ落ちるように失っていたもので。勝ちたい。戦いたい。ガンプラバトルがやりたい。自分も同じフィールドに立って競い合いたい。

 だが、それは叶わぬ夢。手元にストライクフリーダムはもう居ない。

 悔しい。昨日雨の中でロストフリーダムを失った悲しみに泣いたのとは違う、魁斗に負けてしまったことが悔しい。次こそは勝ってやる、そう強く思うけれど、そのための剣はもうない。自分が相手から奪い続けてきた因果応報か、自分の愛機も奪われた。母さんから貰った大事なプレゼントだったのに、それは自分が弱いせいで奪われてしまった。魁斗に対しての恨み怒りはない。あるのは自分の弱さに対してだけだ。

 

「……くそっ」

 

 昨日ありったけの涙を流したからなのか、今は泣こうとも思わなかった。

 

 

 

 アイは遊のことを気にすることもなく、ただバトルシステムで戦っているファイター達、ガンプラ達を程よく観察した。そして、

 

「今日もハズレね……帰ろっか、遊」

 

 ハズレ、つまり闘技場に誘うほどのファイターは居ないということなのか、あっさり身を翻して出口へ向かう。遊もここに長居していても悔しさが募る一方で。アイの意見に無言の同意を見せて、その後を追う。

 

「よー、桃井ちゃんだよね」

 

 帰ろうとする彼女をじっくり見ていたファイター達が、声をかけてきた。

 

「何、あたしのファン?」

「まぁファンってのは間違いないよ!」

 

 帰り道を塞ぐように、三人の男の子たちがぞろぞろと肩を並べる。みんな遊より高身長で、中学生、二〜三年生だろうくらいの雰囲気だった。

 

「俺らも仲間に入れてくれよ。闘技場、早川から聞いたけど楽しいらしいじゃん」

「まぁ、早川が入れてるんだから当然俺達が入ってもいいだろ?」

 

 遊のことなんて蚊帳の外で、三人はアイににじり寄る。自分たちが男子で複数人のグループなこと、一方のアイは女子で一人なことが彼等の態度を増長させていたのだろう。

 だがアイは毅然とした態度を崩すこともなく。

 

「ごめんね、今は定員一杯なの。誰かリタイアしたらまた誘ってあげる」

「だったらよ──」

 

 一番体格のいいファイターが、今度は遊に目を向けて。

 

「お前、闘技場のファイターだろ。こいつ蹴落とせば一人は枠ができんじゃねーの」

 

 その高圧的な態度に、学校でいじめられていた武田を重ねてしまう。けれどあの時の弱いだけの自分ではない、ガンプラバトルなら何度も経験を重ねてそれなりの自信はついている。特に今はイライラしていて、使えるガンプラさえあれば年上から売られた喧嘩でも買ってやろうかと思うくらいだ。だが相棒はもういない。歯がゆい、悔しい。言い返せないまま、けれど目線をそらすことはなく、じっと相手に視線を返し続けた。

 妙に張り詰めた空気があたりを漂う。

 

「おー、なんか楽しそうじゃん。俺も混ぜてくれよ!」

 

 それが壊されたきっかけは、快活な少年の一言だった。先程ガンプラバトルに勝利したのだろう、よほど嬉しそうな笑顔を浮かべて闊歩してくる小学生とおぼしき姿。遊とアイには見慣れている彼は、二組の間に割って入るとこう、豪語する。

 

「俺は黒田涼介、闘技場のファイターだ。せっかくだからチーム戦ってのはどうだ!?」



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GBF-L #015「狭められた視界」

 ああ、自分が憧れたのはこの世界だった、自分が求めていたのはこの輝きだった! 皆が楽しく全力で競い合う世界。愛するガンプラと共に戦う楽しさ、強敵に立ち向かう興奮、勝利を勝ち取った時の喜び。そのどれもが自分が心から求めていたもので、そのどれもが自分の手から零れ落ちるように失っていたもので。勝ちたい。戦いたい。ガンプラバトルがやりたい。自分も同じフィールドに立って競い合いたい。

 叶わぬ願いほど儚いものはない。少年は今、ガンプラバトルに恋をしたのだ。

 

 

 

── ガンダムビルドファイターズ ロスト ──

 〜 第十五話 狭められた視界 〜

 

 

 

「せっかくだからチーム戦ってのはどうだ!?」

 

 颯爽と、風のように割り込んできた少年に、一同は唖然とするばかりで。誰もが良いとも悪いともとれる反応すらみせず、ただ立ち尽くすばかりだった。

 

「……なんだよぉ! ここは乗り気でバトルするお決まりの展開じゃねーのかよ」

 

 しびれを切らした飛び入りの少年、黒田涼介は叫ぶ。

 

「な、中学生の兄ちゃん達は闘技場行きてえんだろ。ここにいる遊と俺はそのメンバーだし、山田はそこのリーダーだし。俺達とチーム戦すりゃ、否が応でも注目してもらえるってもんだ」

 

 悪い話じゃないと思うぜ! だなんて啖呵を切った小学生に、気圧されていた中学生の三人組もやっと頭が回ってきたのか、各々で頷いたり、目配せしたりしている。

 それに焦ったのは誰でもないアイだ。

 

「ちょっと黒田、あんた自分が言ってることが分かってるの」

「え、何か悪いこと言ったか」

「悪いことだらけよ。確かにあいつらぶっ飛ばしてやりたい気持ちはあるけど、あたし今日は戦うモチベじゃないし。それどころか遊はモチベも、戦うためのガンプラすら持ってないのよ? そんな状態で闘技場メンバーを賭けたチーム戦なんて、絶対認めない!」

「黒田くん」

 

 ヒステリックぎみに言い寄るアイにたじろぐ涼介、その間に遊が割って入る。

 

「チーム戦ってことは、僕のガンプラも用意できてるってこと?」

「ちょっと遊、何を」

「アイちゃんは黙ってて!」

 

 遊は燃えていた。もし遊の手元にロストフリーダムがあったなら、涼介の介入がなくてもバトルを受けていただろう。戦う術(すべ)があるならば、チャンスがあるならば、それを手にしたいと思う気持ちは誰にも止められない。

 涼介もまた、遊の気持ちを察していたかのように。

 

「ほらよ。弟たちのヤツなんだけどさ、お前に貸してやるから」

 

 そう言って彼が取り出したのは、白と黒──細かく言えば深い紺色──の双子のようなガンプラ。ティターンズとエゥーゴのガンダムMk-Ⅱ。

 

「黒いのは俺が使う。俺は黒が大好きだからな!」

「わかった、じゃあこれ借りるよ」

 

 手渡された白いガンダムは、見慣れていたストライクフリーダムよりもゴツゴツして、それでいてシンプルな機体。

 

「……もう、男子ってなんでこうバカばっかなのよ」

 

 アイはそんなことを言いながらも、愛用の白いファルシアを手に真っ先にバトルシステムへと歩み寄るのだった。

 

 

 

 『Please set your GP-base. Please set your Gun-Pla.』

 

 青白いプラフスキー粒子につつまれて、六角形のバトルシステムの一面に一人ずつ立ち並んだ。初めて扱う機体ということもあり、奇襲を受けないようにと右にアイ、左に涼介が立ち並ぶ位置につく。誰もが手慣れた様子で試合前の最終チェックを済ませて、愛用のガンプラをバトルシステムに読み込ませる。

 遊は目の前にセットしたガンプラの背中を眺めた。よくよく考えればGPベースもガンダムMk-Ⅱも、全てを借り物で戦うことになるのだ。半ば勢いで受けてしまった試合だけれど、ほんとうに良かったのだろうか。今更後悔と反省が押し寄せてきて、そんな自分に引け目を感じてつい、視線が下を向いてしまう。

 ポンと軽快な音が鳴る。顔を上げると、出撃前のモニターに涼介の顔が映し出されていて。

 

「頼んだぜ遊、お前の強さは前の試合でさんざん味わってるからよ!」

 

 相変わらずこの状況を楽しんでいそうな様子で、早く戦いたくてウズウズしているというのが表情だけで伝わってくるほどだ。

 

「黒田ぁ、あんたのせいでこんな無意味な戦いに巻き込まれたんだから。あとで埋め合わせしなさいよ!?」

 

 矢継ぎ早にアイからの通信が届く。涼介の顔を覆い隠すように映されたのは、彼とは反対に不貞腐れているような表情でいる。

 

「遊は無理して戦わなくてもいいから。こんな奴ら、黒田とあたしだけで十分よ」

「へぇ、山田がそんなに俺のこと信頼してくれてるなんてな!」

「その名字で呼ばないで! もう、何度言ったらわかんのよ」

「へぇ〜、なら遊みたいに『アイちゃん』って呼んだほうが良いか!?」

「あんたにだけはその名前で呼ばれたくないわ……!」

 

 頭を抱えるアイと笑ってのける涼介の、コントみたいなやり取りに緊張がほぐされながらも、試合の前にあんまりほぐれすぎるのも良くないなぁと思いつつ。

 

「ありがとう、二人とも」

「何言ってんだよ、試合はこれからだぜ」

「そうよ。黒田を盾にしてでもこの試合、勝つんだから!」

 

 どういう意味だ、という涼介の声が途切れるような形で通信は途絶えたが、三人の気合は十分に高まった。これほど心強いものはない。

 

「黒田涼介、ガンダムMk-Ⅱ。行くぜぇ!」

「長谷川遊、ガンダムMk-Ⅱ。出ます」

「桃井アイ、ファルシア・トリフォリウム。いっくよー!」

 

 黒と白のガンダム、そしてファルシアベースの無いファルシアが一斉に踏み出した。土煙が粉っぽい黄土色の、多数の渓谷が亀裂となって走る荒野がそれらを歓迎する。

 

 

 

 しかし、がくんと遊の操るMk-Ⅱが突如としてペースを落とした。

 

「おい遊、大丈夫か!?」

「……平気。機体には何も問題ないよ!」

 

 涼介の心配を気丈に返してみせた遊だが、内心、遊はとてつもなく焦っていた。

 機体が重たい。想像している何倍もの燃料を移動だけに奪われている気がする。ストライクフリーダムのそれとは大きく違う性能に困惑した。武装もまるで違っていて、どれだけ武器スロットを回してもライフルとサーベル、左腕の物理シールドしかない。頭部バルカンすら搭載されていない始末だ。ガンダムシリーズという数多の作品を深く知らない遊にとって、こんな貧相なモビルスーツがガンダムネームを持っている事実に驚きを隠せないでいた。

 自分のものと色が違うだけのはずなのに、出撃時の速度を殺すことなく遥か上を飛び続けている涼介の機体を見上げると、もしかしてスペックの悪い機体をわざと渡されたのではないのかと疑ってしまう気持ちも湧いて出る。そんな思いが荷となっているのか、ずるずると重力に引っ張られて高度を落としていく遊のMk-Ⅱ。改めて何か異常があるのかとモニターの情報を探っても何も見つからない。

 ハッと顔を上げれば、熱源接近の赤いアラートが目の前に。

 

「……くそっ!」

 

 白いMk-Ⅱはその機体を重力に任せて墜落するように降下して、朱い大地に装甲を擦り付けて不時着した。その上を飲み込まれていればひとたまりもないだろう極太のビームが通過しジリジリと空気を焦がす。

 射線の先をズームモニターでよく見れば、ティターンズカラーのセラヴィーガンダムが砲口を冷却している様子が映し出されて。

 

「外したか」

「お前の実力じゃその程度ってことよ、倒れた奴は俺が貰ったぁ!」

 

 矢継ぎ早に、今度は渓谷を縫って飛び込んできた赤い装甲のブルーディスティニーが、ビームサーベルを片手に飛び上がる。

 

「早い!?」

「まず一人!」

 

 意気揚々と振り下ろされたサーベルを、時同じくして急降下してきた黒いMk-Ⅱがサーベルで受け止める。

 

「近接戦闘なら負けねぇっての!」

「んだと?調子に乗りやがって……」

 

 激しい閃光が重なり合って火花が散る。遊は涼介の援護をしようと、倒れていた機体をなんとか起こし、その手に握られたライフルを構えて、放った。だがサーベルも当たるかと思われるような距離の狙撃も、敵機にやすやすと回避されてしまう。

 重たい。何もかもが遅い。身体を起こすのも銃を構えるのも、照準を定めてトリガーを放つことさえ遅いと感じてしまう。今動かしているのがストライクフリーダムだったら、こんなあっさりと回避されることもなかったはずなのに。

 

「くそっ!」

 

 焦りと苛立ちで思わず自分の太ももを叩く。

 

「どうした、やっぱり雑魚そうなお前から潰してやろうか!」

 

 言うが早いか、ブルーディスティニーのバイザーが、その装甲のように赤く輝いていく。それは戦闘をシステムが肩代わりする代物。戦いの意思を殺す兵器。止まるまで暴れ続ける武神の招来。

 

「EXAM起動……いくぜレッドディスティニー!」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「さーて、今日の対戦カードは!?」

 

 二人を置き去りにしたアイのファルシアは荒野の上をさらに加速し、幾多の渓谷を飛び越え、すでに敵の一角である射撃型モビルスーツに狙いを定めていた。

 素のセラヴィーガンダムですら重火器系統を複数搭載した砲戦系ガンダムだというのに、ティターンズ特有の紺色に染まったそれはさらに複数のビーム火器を背負い、もはや動く砲台のような形相だ。今はまだそれを構えておらず、正面から見ればハリネズミのように天を睨む多数の銃口。先程の超遠距離砲撃は、その十もある砲門のたった二つが火を吹いたに過ぎない。全砲門が開かれれば、自分の背に置き去りにしてきた遊と涼介にどれほどの被害が出るかは想像に易い。

 

「今日はあたし、桃井アイと! 謎のファイター、セラヴィーガンダム使いの対戦だー!」

 

 普段の声のトーンとは違う可愛さを惜しみなく出しましたというようなそれは、ご丁寧にバトルシステムのスピーカーから流され、ゲームセンターにいたファイターの多くを釘付けにする。

 

「おい、桃井アイだってよ?」

「なんか最近有名な動画配信者だっけ」

「あの黒いガンプラの!?見に行こうぜ!!」

 

 瞬く間にギャラリーたちが周囲を囲う。注目を集めてテンションとポテンシャルを上げていくのは、アイ本来の戦い方だ。

 

「みんな、最後まで楽しんで見ていってねー!」

 

 桃井アイの掛け声に「うおおー!!」と子どもたちの歓声が上がる。

 

「へぇ、ネットアイドルは自称じゃないってこと?」

「そういうことっ」

 

 望遠レンズでファルシアの動きを観察しているセラヴィーに対して、牽制の意味を込めての通信回線。ああ、つまりはこの戦い、そういう舞台でやるのだと、否応無しに通じる一言。

 だからこそ、セラヴィーを手繰るファイターは難色の表情を浮かべて。

 

「やりにくい相手は嫌いだな。拓海、頼んだ」

「おう」

 

 仲間内の短く単純なやり取りからは、その付き合いの長さが伺える。

 了解の返事が来たことでセラヴィーはさらなる砲撃を、桃井アイからの邪魔が入らない位置で続けようと、白いファルシアを避けるように大回りなルートを進む。そして代わりにファルシアの前へと立ちはだかったのは、大きな翼を背負ったゴッドガンダム。

 

「お前の相手は俺だ!」

 

 空中を駆け抜けるファルシアに対して狙い澄まされた踵落とし。ビームでもバズーカでもない質量そのものの一撃は、当たれば一発KOもあり得た一撃。それをアイは巧みな操縦技術で回避する。

 

「ちょっと、女の子に不意打ちなんて卑怯じゃない!」

「そう言いながらしっかり回避するあたり、さすがだと言っておく」

 

 並の同学年ファイターじゃ反応できない死角からの一撃だった。普段の相手なら当たっていた一撃をこうも簡単に回避されるなんて、とゴッドガンダムのファイターは歯がゆい思いもしたが、それと同時に高揚感もあった。久々に強い相手と戦えるというファイターの闘争本能をくすぐられる高揚感。

 アイも同じく期待が高くなった。さっきゲームセンターを見て回った時には居なかった高水準のファイターがここに居た。別の形で会えていたなら、きっと勧誘しただろう。

 だがそこで「はいそうですか」とバトルに応じないのが、アイらしいというべきか。

 

「でもいいの? あなたの仲間があたしの仲間を倒しちゃったら、それで枠は埋まっちゃうかもしれないわよ。あそこはあたしの闘技場、誰がなんと言おうとあたしが抜けることはないもの」

「それを言うなら、あそこは桃井アイの闘技場だ。お前に勝って文句を言わさずにこじ開けてもらう」

「へぇ、言うじゃない──」

 

 ゴッドガンダムの乗り手、拓海の言葉で彼女は吹っ切れた。

 出力全開。目の前のゴッドガンダムに猛進、そして先ほどのお返しと言わんばかりの高機動で、同じように身体を縦に一回転させてからの踵落とし。通信回線で油断していたのか、ゴッドガンダムはものの見事に肩口へと打撃をもらい、滞空していたその場から一直線、隕石のごとく地面へと落下する。

 赤茶色の土煙が舞った。機体重量の差なのか、それともとっさの受け身が功を奏したのか、ゴッドガンダムへのダメージは少ない。だがその一撃が決まったこと、それが実力の差を決定づける最初の一撃。

 

「いいわ、最初にあんたと遊んであげる!」

 

 見下すファルシアに対して、ゴッドガンダムは、拓海はさらに闘志を燃やす。

 

「やっと被ってた化け猫が取れたな」

「うるさい」

 

 身軽なファルシアは彗星のような軌道でゴッドガンダムに迫る。当初の目的であるセラヴィーはもうすでに手の届かない位置へと動いていた。アイは最初こそ遊と涼介が心配ではあったが、今はもうそんなことはすっかり忘れて、ただ目の前のゴッドガンダムと戦うことを望んでいた。ああ、彼女もまた生粋のファイターなのだ。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「おらぁ!」

 

 EXAMの光輝くバイザーが迫る。黒のMk-Ⅱは白い僚機を背に置いて、その猛攻を受け止めるに精一杯だ。

 

「どうした、そんなもんか!」

「くそったれ……」

 

 涼介もアイに呼ばれたファイターの一人、決して弱いわけではない。だがMk-Ⅱという純粋にスペックが平均的な機体と格闘偏重のファイターである彼とのミスマッチ、そして相手がEXAMシステムという大幅なスペック増加システム搭載であるということ。そして何より遊を守りながら戦っている現状が、この劣勢を作り上げている。それが理解できた時、遊の歯がゆい気持ちは輪をかけて大きくなって。

 

「ああ、この!」

 

 ビームライフルを乱雑に振り回してトリガーを引く。そんな攻撃が当たるはずもなくやすやすと回避される。それは涼介の行動をも阻害するような横暴さで、

 

「遊、お前──」

「こんな下手くそが闘技場のメンバーだって、笑わせるぜ!」

 

 白いMk-Ⅱのモニターにレッドディスティニーが大地を蹴って迫った。振り上げられたビームサーベルを間一髪、シールドで受け止める。それもつかの間、矢継ぎ早にショルダー・タックルを決められ、画面が大きく揺れて、ノイズが響く。

 

「僕はこんな、こんなことで」

「──うるせぇーっ!!」

 

 黒いMk-Ⅱがその推力を一直線にして、せめぎ合う機体へ向けて飛び込む。レッドディスティニーはそれを察知してバックステップ、なんの問題もなしに回避した。だが混乱と興奮のさなかにあった遊とその機体は避けるどころか受け身すらとれず、チーム機体同士がぶつかりあい、もみくちゃになりながら勢いを殺すことなくすっ飛んだ。

 そして二機は荒野を縫うように走る渓谷の隙間へと、吸い込まれるように落ちる。

 

「黒田くん、なんで!」

「うるせーって言ってんだよ、聞こえねーのかこのポンコツ!」

「ポン……!?」

 

 渓谷の下を流れる川へと真っ逆さまに墜落するMk-Ⅱはそのまま水を頭から被り、日光と無茶苦茶な駆動で熱された焼け石のような装甲で蒸発した。フラフラと、それでも立ち上がる頑丈なモビルスーツ。

 

「ポンコツなのは僕じゃない、この機体だよ! 重たくて遅くて、ストフリとは全然違う。黒田くんの黒い方はそんなに機敏に動いてるのに!」

「バカヤロウ!」

 

 黒いMk-Ⅱが、白いMk-Ⅱを拳で殴った。よろめいた白い機体は再び水しぶきを上げて倒れる。揺れるMk-Ⅱのモニター、揺れる遊の心。

 

「お前なら……お前ならそれを使いこなせると思って貸してんだよ。自分の動きに合わせるんじゃねぇ、機体の動きに自分を合わせんだよ。こいつだって前の機体より出力も装甲もぜんぜん弱えけど、それでも俺はまだ100%の力でこいつを動かしきれてねぇ……100%出せばあの赤い敵にも負けねぇ強さがあるって俺は思ってる、だから!」

 

 接触回線、モニターが開く。映し出されたのは揺るぎのないとても真っ直ぐな瞳だ。

 

「だから遊、お前もその白いヤツに合わせろよ。お前ならぜってー強くなれるから!」

「……黒田くん」

「あとその、黒田くんって呼び方さ。なんか照れくさいからよ。涼介でいいぜ」

 

 そういうときだけ目を逸らして、すぐにモニターは閉じられた。

 

 冷静に考えてみれば、涼介に言われたとおりだ。自分の勝ちたいという思いばかりを押し付けて戦っていた。機体の事を何も知らないまま戦っていた。ただ動きが遅くて重たいだけのガンダムじゃないんだと、言われるまで気が付かなかった。

 倒れていた機体をゆっくりと起こす。その重みや動きを確認しながら、落としていたライフルとシールドを拾い上げる。ガンダムMk-Ⅱの一挙一投足が、手にしているプラフスキー粒子でできた球状のコンソールから伝わってくるかのようだ。ストライクフリーダムより遅く重いがそれでも、それでもこいつはガンダムだ。ストライクフリーダムのように空を飛び回りライフルとドラグーンで攻めるような派手な戦い方ができなくても、こいつの戦い方があるんだ。

 狭まっていた視界が広がる、黒いモヤが晴れていく気がする。

 

「ごめん……ありがとう、涼介」

「っしゃ! じゃあ気を取り直して、勝ちに行くぜぇ!」

 

 ガンプラバトルは性能差で勝負が決まるものではない。それと同時に操縦技術で決まるものでもない。だからこそ、ここから何が起こるかは誰にも予測はできようもない。

 熱された機体と心は適度に冷やされ、だが闘志の炎はなお燃え上がる。番狂わせはいつだって逆境から、そして折れない心から生み出されるものだ。



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GBF-L #016「固められた思い」

「ごめん……ありがとう、涼介」

「っしゃ! じゃあ気を取り直して、勝ちに行くぜぇ!」

 

 気合十分の涼介はバーニアを吹かす。それに対して、優しく肩に手をやることで抑える遊のガンダムMk-2。

 

「待って。レーダーには二人の敵が見えてる…あっちも合流したみたい」

「ならなおさら奇襲を掛けなきゃまずいじゃねーか!」

「それじゃきっと勝てない。だから、ちょっとやりたいことがあるんだけど」

 

 涼介は早る自分の感情をぐっと飲み込んだ。それに見合うほどの遊の真剣な表情に押されたのだ。

 

 涼介にとって遊は特別だった。ガンプラバトルの強さという意味で言えば魁斗やアイ、他のファイターも十分に強敵と呼べる存在だったが、遊はそのどれとも違う、特別な何かを持った、好敵手と呼ぶにふさわしい存在。だからこそ、焦りや苛立ちから強さを発揮できていない彼にイライラしたし、こうして肩を並べて戦うことが楽しい。

 

「……いいぜ。お前が言う作戦なら、やってみる価値ありそうだしな」

「ありがとう涼介。じゃあまず──」

 

 少年は仇敵ではなく、好敵手を前にして成長するのだ。

 

 

 

──ガンダム ビルドファイターズ ロスト──

 ~ 第十六話 固められた思い ~

 

 

 

 灼熱の日光が降り注ぐ荒野にぽつり、一つの影をつくるモビルスーツの姿。先程まで激しいちゃんばらを繰り広げていたレッドディスティニーが膝をついて待機状態にあった。

 それにゆっくりと、周囲を警戒しながら近づいてくる重鈍なモビルスーツ。武装の重さを引きずるように飛んできたセラヴィーガンダムだ。

 

「おい、なにラクしてんだお前は」

「トロいお前を待ってたんだよ。ったく相変わらずクソみたいな速度だな」

「近接バカのお前には分からんだろうさ」

 

 へいへい、とレッドディスティニーからの通信が返ってくる。彼等も烏合の衆というわけではない、悪態を付き合うほどに、仲の良さがにじみ出る。

 

「で、桃井アイはどうなった?」

「問題ない。あいつは拓海が相手してる」

「あー、拓海はタイマンつえーからな。俺のEXAMと互角ってんだからほんと」

「いい加減攻めるぞ。小坊相手に苦戦して援軍に行けなかっただなんて拓海に言い訳する気か」

「そだな。二対一の状態で狭い渓谷に飛び込んだらハメられるかって警戒したけど、お前の援護がありゃなんとかなるか」

「ああ」

 

 その時、一陣の風が吹いた。乾いた砂を巻き上げるそれは、呑気な空気を吹き飛ばして新たな幕開けを告げるようで。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「なぁ遊、本当にやるのか?」

「それ以外に勝てる方法が思いつけば、辞めるけど」

 

 渓谷の影の下で黒いMk-2が、バレーボールのレシーブをするかのように両手を揃えて腰前に構える。闇に溶けている機体の両目は深緑色の鈍い光をたぎらせて。

 

「そんなの簡単に思いつかねぇから、こんな無茶するんだろ」

 

 同じ影の中にある白いMk-2は、瓜二つの機体に向かい合う形で両足を前後に開く。

 

「僕が出ていったら、すぐに手順通りに」

「分かってるって。早くやろうぜ」

「うん……」

 

 今から行う作戦は自分で言い出したことだけれど、正直なところ成功するかどうかは分からない。成功率なんて見えてこない不安だらけの計画だ。それでも勝とうと思うならこの手段しか無い、そう思うほどに相手は強敵だ。きっと、きっと涼介なら自分の思い通りかそれ以上に善戦するだろう。自分が足を引っ張らなければ、この作戦は上手く行く。きっと。

 考えれば考えるほど、遊の頭は不安が間欠泉のように溢れ出す。だから今は、考えるのは辞めにしよう。

 

 見上げた空は両脇の大地に阻まれて狭い。それでも確かに明るい世界が広がっている。行くぞ、その世界へ羽ばたくんだ。

 

「──始めよう。勝つために」

「よっしゃ、来い!」

 

 白いMk-2が黒めがけて走り出す。そしてその右足を相棒の手に乗るように踏み込む。黒いMk-2がタイミングピッタリに、その手に乗った右足を、白いMk-2を跳ね上げる。

 飛び上がる遊の機体は、涼介のバネを身に受けて一直線に天を目指す。ランドセルは重りではない、夢を詰め込んだエネルギーパックだ。それに繋がっているバーニア全部が熱を放出し、目指すべき空へと手を伸ばす。

 

「……いくぞ、Mk-2」

 

 渓谷の影から飛び上がって、荒野に降り注ぐ太陽の直射日光を全身に浴びた白いMk-2。川の水流に濡れた装甲がさらに輝きを増す。それは地表を大きく超えて、二機の敵性モビルスーツを見下ろすまでの高度まで到達した。

 

「出てきやがった!」

 

 待ち構えていたレッドディスティニーはバイザーの奥に映すツインアイを緑に戻していた。それでも、EXAMを発動していなくても奴の格闘は遊にとってみれば脅威だ。

 

「なんだ、白い方かよ。面白くねぇが相手になってやるか」

「僕じゃ不満か!」

 

 見下げる相手に牽制のビームライフルを数発、上空から落下しながらの射撃をしてみる。

 

「ああ、不満だね。あっけなく死にそうでさ!」

 

 闘争本能むき出しなレッドディスティニーは、その緑のバイザーを輝かせて身を乗り出した。遊のライフルから打ち出されたビームの光を撫でるように躱して見せつけ、脚部に砂塵を巻き上げながら大地を滑る。その動きは、遊の不慣れな狙撃では捉えることは到底出来ない。

 

「やっぱりそうだよね……でも」

 

 牽制だから当たらなくていい、先刻の戦いで自分の無能さはありったけ見せつけたんだ。面白くない相手だからこそ、真っ先に倒しに来るだろう。それでいい、僕は囮だ。

 当たらない射撃を止めて、近づいてくるディスティニーを迎撃するために遊のMk-2もまた、前面に大きく突き出した左腕のシールドで身を守りながら、震える右腕でサーベルを構える。

 

「こい、相手になってやる」

 

 落下する速度に合わせて高まる心拍数を、遊はその小さな全身にビリビリと走る電流のように感じていた。

 

「雑魚が調子に乗りやがって。大輝!こいつは俺が仕留める、黒いMk-2は任せたぞ!」

「了解したよ」

 

 ディスティニーの連絡を受けたセラヴィーがその首をもたげる。仲間に言われたとおり、ターゲットは涼介の手繰る黒いMk-2だ。砲撃手たるその重厚なモビルスーツには、通常のそれとは別格の索敵システムとレーダーが備わっている。当然のごとく渓谷の影に潜んでいたそれのは、看過されることなく照準に収められて。

 

「そこか」

 

 身の丈以上の長さを誇る背中から肩口を通して伸びたビームキャノンが二門そろって唸りを上げた。たった二つの銃口から吹き出た光は、荒野の大地を抉りながら駆け抜け、狙いすました一撃を相手に御見舞した。

 

 

 

 ──はずだった。

 

「やっと試合開始の合図が来たぜっ!」

 

 涼介の持つ天賦の才能か、天性の直感か。当たれば必死のビームキャノンを、やすやすと回避してみせ、さらにそれが着弾した爆風を背に受けて加速する。ただ眼前の敵を屠らんと、前に、ただひたすらに前に。

 

「そんな真っ直ぐに走ってきたら、ただの的だ」

 

 セラヴィーは先程撃ち損じた長身ビーム砲を冷却させるために、こんどは腰と背面のキャノン砲を展開し、再び黒いMk-2へと唸らせる。

 

「そんな真っ直ぐなビームなんて、ただのビームだ!」

 

 四つの砲塔から時間差をもって繰り出された球体の熱源も、それが狙うべき敵を傷つけることも出来ず、ただ地面を爆発させるばかり。黒いMk-2は踊るようにかいくぐって距離を詰める。

 

「たかだか二回ほど砲撃を回避したところで、図に乗るなよ」

 

 そう言い放ったセラヴィーが靴裏のアンカーを地面に突き刺し、冷却もリチャージも済んだ長身の砲塔をはじめ、両腕に握った銃剣を二丁、肩口に二門、腰そして脚部に装備された砲、合計十個にもおよぶ銃口の一斉掃射の構え。対軍砲撃形態、全てのセンサーもフル稼働し、眼前の黒いMk-2──それどころか、その周囲一体、己の前方を扇状に広げたその全てを焦土と変えるほどの火砲が、涼介一体に向けられている。

 

「これで回避は出来るはずもない!」

 

 仲間のピンチに駆けつけようと、遊が機体を向ける。

 

「涼介!」

「おっと、よそ見する余裕なんてねぇだろ」

 

 レッドディスティニーのビームサーベルが、間一髪、遊の白いMk-2を削り取る前にシールドにぶつかった。弾ける閃光、押し込まれる機体。遊が涼介の援護に行きたくても到底向かえる状況ではない。

 

「この!」

 

 乱暴にビームサーベルを振るう白いMk-2。だがその軌道は初心者のそれで、何百回と戦いを重ねてきた年上に届くはずもなく、簡単に切り払われてしまう。

 

「ざっこ。お前が闘技場のメンバーだってんだから笑っちゃうぜ。あっちの黒い方がまだ少しは楽しく戦えそうだったけど──」

 

 ま、いいだろう。そう吐き捨てたレッドディスティニーのファイターが、最後の一太刀と言わんばかりにサーベルを振り上げる。

 

「……それは、どうかな!」

 

 白いMk-2はその手に握られたビームサーベルで地面を擦り上げた。当然のごとく大地を焦がし、乾いた土煙が撒い散って。それは眼前のレッドディスティニーにダメージは微塵も与えない。代わりにその目を、機体のレーダーではなくパイロットの視界を奪った。

 

「こいつ!?」

 

 たじろぐディスティニーを尻目に、白いMk-2はサーベルを投げ捨てながら砂塵を潜り抜けて進む。

 ああ、言われたとおり自分の実力は涼介よりも弱い。あの日涼介のバンシィに勝てたのが自分でも不思議なくらいに、その差はハッキリと分かりきっていることだ。けれど涼介は「お前なら使いこなせる、お前なら絶対強くなれる」と言ってくれた。だからこそ、その期待に答えよう。自分の出来ることをやろう。

 Mk-2というガンプラはストライクフリーダムに比べてフットワークに軽い機体ではない。けれど関節の伸びがいい、動きが落ち着いている。射撃の安定感だって違うし、鋭角に動くような回避は苦手でも、より人間に近い滑らかな動作が向いている。だからこの一撃は、ストライクフリーダムには出来ない、ガンダムMk-2にしか出来ない最後の一撃。

 遊の本当の狙いはレッドディスティニーではない。セラヴィーが足を止めて身動きをとらなくなった、回避行動ができなくなったその瞬間を最初から待っていた。腰裏にマウントしていたライフルを持ち、滑るように片膝をついて上半身を安定させる。左手でフォアグリップをしっかりと握り、右手のトリガーを引き絞る。

 

「当たれ──」

「させるか!」

 

 刹那、飛び込んできた赤い眼光のレッドディスティニーが、その右腕のビームサーベルを白いMk-2に叩きつける。だがわずかに遅い。ライフルからはすでに光の筋が伸びた後で。

 遊が残した光の筋は、足を止めて動けないセラヴィーに吸い込まれるように突き進む。それは確実にセラヴィーの脚部へ直撃した。たちまち燃え上がるセラヴィー、だがそれは単に装甲に直撃しただけで、姿勢を崩すほどの威力すら無く──。

 

「ごめん涼介、あとは頼んだよ!」

 

 そう言い残して、遊の画面は一気に真っ赤に燃え上がり、派手な爆発音とエフェクトを残して消える。この戦い、僕の力だけでは確実に勝てない。けれど涼介なら、きっと。

 

 

 

「──おうよ、任された!」

 

 止まらない。もう止められない。遊を失って孤立した涼介はセラヴィーに向かって突き進むのみで、そんな黒いMk-2へ向けたセラヴィーの砲口はエネルギーを溜めに溜めて、はちきれんばかりの熱量を蓄えて。

 

「このセラヴィー、白い方の不意打ち程度で止まる機体じゃない!」

 

 チャージの一時停止、そしてスロットの変更、特殊システム選択。見事な手さばきで武装が変更され、選ばれたそれはガンダム00の特殊兵装。プラフスキー粒子よりもより鮮やかで認知性の高いエメラルドグリーンの即時隔壁、GNフィールド。

 

「そう簡単に、パチ組のガンプラがこのGNフィールドを抜けられると思うな!」

「言いたいことはそれだけかぁ!?」

 

 黒いMk-2が肩口からビームサーベルを抜き、その機体の勢いを殺すことなく問答無用で新緑色のバリアに向かって振り下ろす。互いのエネルギーは反作用を発生させ、粒子がぶつかりあって飛び散る様はまるで火花のようで。

 

「バリアがなんだってんだ!」

 

 Mk-2の関節が悲鳴をあげる。だがそれが事切れるよりも前に、球体だったGNフィールドが歪み、ズブズブとビームサーベルを飲み込んでいく。否、ビームサーベルがGNフィールドを溶かしていく。

 

「ばかな、GNフィールドがただのサーベルに──」

「このゲームにはなぁ、完全無敵なんてもんはないんだよ!」

 

 ぶつかり合う粒子の火花はより一層輝きを増して、辺り一面に激しく散って消えていく。GNフィールドへ食い込んでいくビームサーベルが装甲へ到達するのにはそう時間もかからず。ものの数秒でそれは袈裟斬りに振り下ろされ、矢継ぎ早に振り上げられた逆袈裟のニノ太刀によって、GNフィールドはかち割れ、主であるセラヴィーガンダムの装甲をいともたやすく両断した。

 

 

 

 だが戦いはそれで終わるわけではない。

 

「GNフィールドをただのサーベルなんかでかち割るなんてな。白い雑魚より、やっぱ黒い方が倒し甲斐のある敵じゃねーか!」

 

 レッドディスティニーが土煙を上げて大地を駆ける。余韻に浸る暇もなく、涼介のMk-2は身を翻して猛進する敵影をモニターに定めた。

 

「遊が雑魚だってか!?」

「ああそうさ、EXAMを発動してないこいつでもボッコボコにできるくらい弱いやつだったのは、お前も知ってのとおりだ」

 

 そう言ってスロットを回し、再びEXAMシステムを起動させる。

 

「お前らが渓谷の下でちんたらしてる間にリロードは済ませておいた。さぁこっからが本当の勝負だ!」

 

 迫る赤いバイザー。その仮面の下に隠れた表情から、これからの戦いへの期待と己の勝利への慢心で満ち満ちた笑みが溢れる。だが余裕と油断は表裏一体、勝利と敗北は雲泥万里。最後まで戦うことを諦めない者こそが真の勝者となる。

 

「そいつはどうかなっ!?」

 

 激突。二対のビームサーベルが交わり一層激しく輝く。しかしそれもつかの間、閃光に照らされた黒いMk-2がその刃を力任せに振り抜き、レッドディスティニーのビームサーベルを強引に弾き飛ばしたかと思えば、そのままショルダータックルでその赤い機体を突き飛ばす。ぐらり、レッドディスティニーは体勢を崩したかと思えば、それの関節が煙を上げて崩落するように倒れる。

 

 機体の残存粒子が尽きたわけではない、EXAMはさっき発動させたばかりだ。なのになぜだ。立ち上がることもままならなず、膝が震え肘から先もピクリともせず。まるで筋が絶たれたように、糸が絡まって切れた操り人形のようにだらんとして動かない。

 

「まさか関節が、ポリキャップがダメになったのか」

「そのとおりだよ!」

 

 敗北判定を貰って画面がブラックアウトしていた遊が、その瞳に残った並々ならぬ闘志を見せつつ言った。

 

「太陽に照らされ続ける荒野に長時間いればガンプラに熱が溜まる……そんな状態で何度もEXAMシステムを使って戦ったら、関節部のポリキャップがドロドロになって、ただじゃ済まないでしょ!」

「太陽に焼かれていたのはお前たちも同じ──」

「僕達のガンプラが平気なのは、涼介が僕の頭を冷やすついでに、渓谷の川に突き落としてくれたからだ!」

 

 涼介のMk-2とレッドディスティニーの単騎決戦ならば涼介にも勝ち目はあるが、セラヴィーの援護射撃がどうしようにもいかない。遊はMk-2の扱いに慣れてきたとはいえセラヴィーとディスティニーどちらも足止めすらままならない実力だ。だからこそ、太陽と自機の熱によって自爆する可能性があるディスティニーを後回しにして、セラヴィーを遊の犠牲を払ってでも倒すという決断に達した。

 そんな不確定な作戦があるか、と叫ぶ声が上がったが、この二人はそんな馬鹿な作戦に自分たちの勝敗を賭けたのだ。

 

「これがお前がさんざん馬鹿にした奴が考えた、最高の作戦だ!」

 

 飛び上がった黒いMk-2の影がレッドディスティニーを覆い隠したかと思えば、直後。その手に握るビームサーベルが、その赤い胸部装甲を貫いて焼いた。

 

 

 

『Battle ended.』

 

 セルリアンブルーに彩られた粒子が、楽しかったパーティを終えて帰っていく子どもたちのように散っていく。彼等が次にパーティを開くのはそう遠くはないだろうが、今はまだこの戦いの余韻に浸っていたい。勝った嬉しさも負けた悲しみも、それらはきっと粒子がふわりと風に乗せて運んでくれるだろう。

 

「涼介──」

「やったぜ遊、お前の作戦に乗って正解だった!」

 

 屈託のない笑顔で遊に向けて掌を見せる涼介。その意味はすぐに伝わって、遊も言葉の代わりに左手を広げて。パチンと息の合ったハイタッチが響いた。

 

「で、バトル終了したってことは山田も……」

「当然でしょ、あたしが負けるとでも思ってたの」

 

 遊と涼介よりも早くに決着をつけていたのか、落ち着いた表情で答えるアイの姿が。

 

「俺達の援護に来なかったから、てっきりくたばってるのかと思ったぜ」

「生き残ったのが黒田じゃなくて遊だったら、すぐにでも援護に行ったわよ」

「それは俺が一人でも勝てるくらい強いって意味で?」

「あんたは潰れてもゴキブリみたいに這い上がってくるって意味よ!」

「もう、喧嘩はだめだよ二人とも」

 

 遊はあわてて仲裁に入るが、その直後、そんな必要もなかったなと安堵する。彼らの表情にはうっすらと勝利の喜びを分かち合う笑顔が見て取れたから。

 

 

 

「ちっ……」

 

 舌打ちするのは、レッドディスティニーを操っていたファイターで。

 

「なんか白けたわ、俺は帰る」

 

 背を向けた中学生に「待って」と引き止めそうになった遊は、それをすんでのところで飲み込んだ。ああ、本当は戦えたことに感謝もしたし、再び戦いたいと、今度は真剣勝負をやってみたいとも思った。だが負けた相手の気持ちを考えてみれば、そんなことを勝った側から言えるわけもなく。さらに言えば、ディスティニーもMk-2も、この戦いで大なり小なり壊れてしまって。

 そんな状態を見てしまうと、ガンプラバトルは誰しもが楽しいと笑いあえるような遊びじゃないのだと、否が応でも思い知らされる。

 

「どしたんだよ遊」

 

 表情を伺ってくる涼介に自分の本心をさとられまいとした遊は、とっさにごまかしの言葉を重ねる。

 

「あ、いや……涼介から借りたガンプラ、壊しちゃったから」

「あー、それな」

 

 涼介は少し考えたフリをして、答える。

 

「遊が持っててくれよ。俺が持って帰っても、弟になんて言えばいいかわかんねーからさ」

「えっ、でも」

 

 返事に戸惑った遊を置いていくように、「そいつを頼んだぜ」と言い残して、涼介もそそくさとゲームセンターから駆け出していく。

 

「何よあいつ……ほんと騒動しか持ってこなかったじゃない」

「そうだね」

 

 悪態をつくアイに同意もしない相槌を打つ。風のように現れて、風のように去っていった少年の背中は、遊には少し輝いて見えた。

 

「まぁいっか。ガンプラバトルは想定外だったけど、黒田のおかげで遊も元気になったみたいだし」

「アイちゃん──」

「言わなくても分かる。また闘技場で戦ってくれるんでしょ? けど今日はもう帰ろっか。また今度、ね」

 

 アイもまた「急だけど、あたしはやることが出来たから」と言い残して、バトルシステムから遠のく。次に彼女に会えるとしたら、闘技場へ行かなければならないのか。気が重い、というほどではない。けれど複雑だ。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 魁斗に奪われた愛機ロストフリーダム、今日の戦い、そしてずっと前から憧れていたガンプラバトルという遊び。点が一つ一つ結ばれて筋道を立てるように繋がっていく。

 戦えば戦うほどに壊れていくガンプラバトルは、誰しもが楽しむことは不可能なんだと遊は感じた。けれど同時に、涼介が自分を信じてくれたように、お互いを理解して励ましあって、腕を競い合うことは楽しいことだと思った。魁斗にリベンジも果たしたい。そして同時に、涼介とも再び戦いたい。借り物ではない自分の機体で──

 

「やっぱり、取り戻さなきゃ」

 

 敗北して奪われたロストフリーダムを、自分の愛機をこの手にもう一度。その願いを叶えるために、その手でもう一度掴むために、再び戦うための剣が必要だ。ロストフリーダムを取り戻すための、新たなロストフリーダムが。

 

 少年は小さくとも固い決意を胸に、一人、帰路を踏みしめた。



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GBF-L #017「溶けかけた感傷」

 陽はまだ高くアスファルトをジリジリと焼いている。冷房の効いたゲームセンターから帰ってくるだけですっかり蒸し焼きになった遊は、早く帰って冷たい麦茶を飲みたいと喉を鳴らした。

 家の前にたどり着く。ふと「事前連絡もなしに一晩外泊した」ということが急に後ろめたくなって、帰るのが億劫に感じられた。慣れ親しんだ玄関のドアもやけに重たく感じられて、油の刺されてない金具がギイと音を立てることも気になるほどだった。

 

「ただいま……」

 

 そっと扉の裏から顔を覗かせれば、靴箱の上に置いてある時計は午後三時を過ぎたところだと告げている。ああ、大丈夫だ。この時間なら父は仕事に、兄は塾に出ていて留守だろう。遊はホッと胸をなでおろす。でも、鍵が開いていた事、つまり家に誰かが居ることにすぐ気がついて。

 

「帰って下さい!」

「そう言わずに、何か手伝わせて下さいな」

 

 リビングから聞こえてきた声に必要以上にびっくりした。声の主は父親と女性のそれだ。

 

「卓也さんは背負いすぎなんですよ、もっと頼ってくれて良いのですから」

「美代子さんの気持ちも有り難いですが、うちはうちでやれますし、急に来られても……」

 

 ふと足元を見れば、父親の大きな靴の隣に、見慣れない女性の靴が綺麗に並べられている。この持ち主には覚えがあるし、玄関まで届く大きな声にも聞き覚えがある。それはとても優しくて柔らかな記憶の──

 

「あら、遊ちゃん!」

 

 玄関にいた遊の気配に気づいたのか、リビングから顔だけ覗かせた声の主が、シワは目立つものの屈託のない笑顔を向けてくる。

 

「遊ちゃんお帰り〜! また突然だけど会いたくなって来ちゃったわ!」

「いらっしゃい、美代子おばあちゃん」

 

 彼女は杉原美代子。遊の母親である遊美の母。つまるところ遊の祖母だ。

 

「外暑かったでしょう、おばあちゃんがアイス買ってきたから食べましょ!」

「う、うん。アイス食べたい」

 

 相変わらず押しが強い。玄関に入る直前までどうやって父親に言い訳しようかなんて落ち込んでいた気持ちと、この底抜けに明るくて元気な祖母のテンションに、加えて普段は仕事で居ないはずの父もすでに家に居ることもあって、遊は戸惑って靴を脱ぐことすらもたついた。

 そうこうしてるうちに、父が祖母の背中越しにこちらを見ながら言う。

 

「遊。卓が二階にいるから呼んできてくれ」

「わかった」

 

 心なしか声のトーンが柔らかく感じられたのは、きっと祖母の前だったからだろう。母遊美の代わりをきちんとやっていると見せたいのかな、そうやって普段出来ていないことを取り繕って見せかけるのは大人の常套手段だけれど、なんだか卑怯だな……なんてことを思いながら、脱いだ靴を靴箱にしまってから二階へと上がる。

 自分の部屋の隣、兄の部屋は扉が少しだけ開いていて、中に人の気配を感じられた。遊はつい気が緩んでノックもせずにドアノブに手をかける。

 

「兄ちゃん、おばあちゃんがアイス買ってきてくれたって──」

 

 部屋に居た卓は、声も出さずに驚いて硬直していた。遊はその光景に驚いて固まった。

 開け放たれた窓、そこから不自然に外へと向けられていた扇風機、鼻にツンとくる独特の匂い、新聞紙が敷かれた床。その中央に座っていた兄の手元には絵筆が、そして普段は机に飾られていた白いガンプラが握られていて。

 

「……遊」

「はい」

「扉を閉めて」

「はい」

 

 いけないものを見てしまったような気がした。身体が硬直してぎこちない受け答えをしてしまう。変な緊張なのか、それとも部屋が蒸し暑かったからなのか、汗で滲んでいた手を震えさせたまま部屋に入って、なるべく静かに扉を閉める。卓はその間に、いくつか並べられたカラフルなキャップのガラス瓶を一つ一つ丁寧に、かつ手際よく片付けていく。

 呼吸も忘れていた卓が、大きくため息を吐いて。

 

「遊」

「はい」

「呼んでくれてありがとな。アイス、食べに降りようか」

「は……うん」

 

 それは怒るでもなく、悲しむでもなく、いつもの優しい兄の表情だった。

 

 

 

──ガンダム ビルドファイターズ ロスト──

 ~ 第十七話 溶けかけた感傷 ~

 

 

 

 溶けかけたアイスを片手に、無断で外泊していたことなんてすっかり忘れてしまうほど、兄が模型を手にしていたことが頭に焼き付いて離れなかった。

 

「遊ちゃん、ボーッとしてどうしたの。夏バテ?」

「あ……うん、何でも無いよ!」

 

 祖母の気遣いに不意を突かれる。「そう、体調には気をつけてね」と軽く返されたけれど、本当は全部見抜いてるんじゃないかと思う何かが感じられて、ちょっと心の距離を取ってしまう。

 さっき見たことは誰にも話すまいと心に決めていたのだけれど、変に意識しすぎて逆に苦しくなってきた。遊がアイスの味も半分くらい分からないほどに考えてしまってると言うのに、当事者である卓は父にも祖母にも普段と同じように接している。なんだろうか、このモヤモヤした感情は。ズルい、という言葉は間違ってると思うのだけれど、それ以外の言葉が出てこない。

 どうしていいやら、と思案していたら、しびれを切らした父親が口を開いた。

 

「美代子さん。二人をお願いできますか? 用事で少し出てきます」

「出てくるって……もしかして遊美の御見舞かしら」

 

 図星だ、とツバを飲む父卓也。

 

「相変わらず鋭いですね……昨日行く予定だったんですが、残業で行けずじまいで。振り替えで今日仕事の休みを取って行くことにしていたんです」

 

 バツの悪そうに返事をする父の言葉から、御見舞の単語が重なってイメージが膨らんでいく。

 今病院で意識が戻らず寝たきりの母。もう半年以上目を覚まさない母のことは、思い出そうとすると頭がギシギシと痛む。なぜだろう、御見舞に行きたいという欲求と、行きたくないという感情が自分の中でぶつかり合ってしまう。

 

 そんな遊の事を悟ったのか、それとも単にお人好しなだけなのか。美代子は考える素振りもなく返事をした。

 

「いってらっしゃいな。二人の面倒は私がしっかり見ておくわ」

「すみません。今日だけはお言葉に甘えさせてもらいます」

 

 父は祖母に礼をしたあと、濁った瞳を遊と卓に向けて、その後そそくさと出ていってしまう。本当に、あの人は何を考えているんだろうか。

 暑さで溶けたアイスは甘ったるいミルク風味だ。

 

 

 

「さあて! 卓ちゃんも遊ちゃんもアイス食べ終わったら出かける準備してちょうだい」

 

 父が玄関から出ていったのを確認して、これまたにこやかな笑顔の美代子が言い放つ。思い立ったが吉日、という言葉が彼女にはピッタリだ。

 

「出かけるってどこへ?」

 

 卓は二階に置いてきた作業途中の模型が気になっていたので、少しばかり嫌そうな声のトーンだったが。

 

「おもちゃ屋さんよ。今日はお父さんに内緒でお婆ちゃんが買ってあげますからね」

「ほ、本当に!?」

 

 唖然とした二人。色々と良くしてくれる祖母だったけれど、普段はお菓子やアイスなんかを買ってくれることはあっても、ここまでダイレクトにしてくれることは誕生日くらいなもので、それも卓が中学生に上がってからパタと止まっていたことだった。だからこそ驚いたし、嬉しくもあった。

 

「さあ準備ができたら車に乗ってちょうだい」

 

 そう言いつつも、準備なぞさせるつもりも無いくらいに背中をグイグイ押してくる祖母。溶けたアイスを喉に流し込むように食べ終えてから、遊はナップサックを手にしたまま祖母の車に乗り込んだ。遅れて卓も飛び乗ってくる。二人並んで後部座席に座ったのを確認して、運転席の祖母が車のキーを回した。

 

「ほんっと、お婆ちゃんはいつも突然だなぁ」

「そうね。でも人生って突然ビックリすることが沢山ある方が嬉しいじゃない?」

 

 鼻歌交じりの祖母と二人の孫を乗せて黄色ナンバーの車が軽快に走る。

 

 

 

「ねぇ兄ちゃん、さっきやってたのって」

「ちょっと前に友達に誘われてな……ああ、父さんには内緒だぞ。期末テストの調子が悪かったのに、遊んでるのがバレたら大変だからな」

「うん」

 

 遊にとって兄は勉強も運動もできてルールも守る完璧な人だというイメージがあったけれど、それは自分の勝手なイメージだったんだと気付かされた。小学校の頃は一緒に遊ぶこともあったけれど、兄が進学してからはすっかり勉強漬けで、こうやって隣りに座ることもほとんど無くなって。そんな兄が、今自分がハマっているガンプラバトルに復帰する。その事実がとても嬉しくて、憧れだった兄の横で戦える日が来るかもしれないと想像するだけでワクワクして。

 ふと手に持っていたナップサックのことを、その中にあるガンプラ──壊れたMk-2──のことを思い出す。

 

「もしかして兄ちゃん、これ直せる?」

 

 兄はガンプラバトルを嫌いになったんじゃなかった。だとしたら、これを見せても問題ない。そう思った。

 

「へえ、エゥーゴカラーのMk-2か、渋いチョイスだな。それで」

「友達に借りてたんだけど、ガンプラバトルしてたら壊れちゃって」

「なるほどな……接続軸が折れてるけど、それ以外は大丈夫そうだな。これくらいなら、家に帰ったら直してやれるよ」

「本当? 良かった!」

 

 さすが頼りになるお兄ちゃんだ。

 

「で、遊が最近ソワソワしてたのは、勉強そっちのけでガンプラバトルしてたんだな」

 

 ギクリ。思わずツバを飲み込んだ。夏休みの初日に喧嘩したことはバレていたけど、それからずっとガンプラバトルをしていたことは、父にも兄にも隠してきたことだった。いろんなことがありすぎて、黙って遊んでいたことがバレるということもうっかり忘れていた。

 

「もしかして俺のGPベースが無くなったのは」

「ごめんなさい」

「ダンボールにしまってた工具とかガンダムマーカーももしかして」

「ごめんなさい」

 

 全部バレてる。これほど恥ずかしいことはない。

 

「……まぁ、使ってなかったし別に困ってないから良いけどさ」

「えっ」

 

 もっと怒られるかと思ったが、想像以上に優しい対応で拍子抜けだ。

 

「遊びに必要だろ。しばらく貸してやるよ」

「ほんと!?」

「ただし、父さんには絶対に見つかるなよ。取り上げられて困るのは俺なんだから」

 

 遊はそれに何度も深く頷いた。

 

「あなた達、本当に仲が良いのねぇ」

「美代子お婆ちゃんも、このこと父さんには内緒にしててくださいね」

「ええ、ええ。もちろんですよ。子供なんて親に内緒の一つや二つ持っておくものですから。おばあちゃんも小さい頃はよくお菓子をつまみ食いして、それをネズミのせいにしてたもの!」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「はい、分かってるわ。パパの言うとおりにする、だって私はパパの子だもの。週末楽しみにしてるから。じゃあ、またね」

 

 薄暗い部屋を照らすのは小さな照明と複数並べられたパソコンのモニターだけ。そんな部屋に少女が一人。スマホを片手に誰かと会話していたかと思えば、それを投げ捨てるようにデスクに置いてキーボードを叩く。モニターには当然のようにガンプラバトルのリプレイ動画が並んでいる。

 カタン、とキーの音が響いて、彼女は深くため息を吐いた。

 

「お嬢ちゃん、あんまり無理すると美容に悪いですよっと」

 

 彼女の孤独を割って入ってきたのは、闘技場の門番代わりに毎日居座っている細身の成人男性だ。彼にとってみれば年齢が半分くらいの子供相手になるのだが、それでも「お嬢ちゃん」と呼ぶのがお決まりだ。

 

「自販機のだけど、アップルティー好きだったよな」

「ヒロシにしては気が利くじゃん」

 

 ヒロシ、と彼女が呼び捨てにするのも彼等のコミュニケーション。そこには年上への敬意や年功序列なんてものは無く、彼女と彼の見た目からはとても似つかわしくない言葉だがビジネスライク的な関係性というのがピッタリ合うほどである。

 

「あたし、明日からしばらく来れないから。留守の間は任せたわ」

「ご帰還はいつ頃で?」

 

 ヒロシは調子に乗っているときほど、かしこまった言い回しを好んで使う。それは奴隷や召使いという関係性ではなく、雇い主と従業員のそれに近い。半分はごっこ遊びで、半分は本当のことだ。

 

「もう八月だし、お盆が終わるまでは来れない」

「こんなに熱心に動画編集してたのは、不在の間に動画サイトを更新するための種作りですかい」

「そこまで分かってて全く手伝おうとしないのって、ヒロシらしい」

 

 手伝わないことは、同時にこちらの領域へ不用意に踏み込んでこないことでもある。そういう分別がついているのは大人だからか、それとも個人的な性格なのか。そういうサバサバした関係を持てるのは、アイにとっては好都合だった。

 けれど。

 

「俺が『お父様』から任されたのはここの管理だけですからねえ」

 

 お父様、という言葉は地雷のスイッチだ。

 

 ヒロシがアイの様子から自分の失言に気づいて、あわてて取り繕おうとした結果なのか、手が自然とろくろを回すポーズになっている。

 

「悪かった、別に煽ったわけじゃあないんだが」

「別にいいわよ」

 

 そう、今は別に良い。怒るより先に考えなきゃいけないことが沢山あるから、気にしてられない。

 

「その『お父様』が、とうとう行動するって」

「……へえ、つまり」

「一年半くらい続けたここも、この夏が最後ってこと」

 

 シャットダウンを実行していたパソコンがその責務を全うし、モニターが一斉に消灯される。部屋は小さな電球と、ヒロシがもたれかかっている扉の外にある非常灯の灯りだけとなり、あとは闇に沈んだ。

 ヒロシはスマホの画面を眺めながら、どこか他人事のように呟いて。

 

「バイトとしては美味しかっただけに、ここが無くなるのは残念だなあ」

 

 お父様が計画を実行するまではもう少しだけ時間がかかると聞いた。具体的に考えれば、手続きも含めて八月末ごろになるだろう。それまでが、この夏休みが最後のチャンスだ。過去に見た光を求めてずっと戦いを続けてきたこの闘技場も、面倒な動画編集も、猫かぶりキャラをやることも最後。

 そう考えると、ちょっとは先が見えてホッとした、気持ちが楽になった。

 

「ありがとねヒロシ。こんなだけど、あんたのおかげで助かったわ」

「そりゃどーも」

「じゃあ、あたし帰るから戸締まりよろしく」

 

 自分に余裕ができたからなのか。普段は考えもしないことを言っているな……と思いながら立ち上がる。

 

 

 

「日が長いとはいえ気をつけてお帰りをー」

 

 ポニーテールを揺らして歩く少女の小さな背中が出口を抜けて見えなくなるのを確認してから、ヒロシはもう一度スマホを叩いた。

 

「ほんと、このバイトが無くなるのは惜しいな……っと」

 

 手際の良いフリック操作で打ち込んだ『ターゲットが帰宅、以降一週間は不在。抽出作業は十分に可能』というメッセージを電波に乗せて依頼主へ送る。いつものことだが、返信は秒速だった。

 

『試験機を送る。今までどおり記録を続けろ』

『抽出は』

『まだ時期ではない』

 

 それ以上の返信は送らず、黙ってスマホをポケットにしまう。

 ヒロシにはターゲットの目的も、お父様の計画も、依頼主の目的も知らぬままだった。だが知ろうとも思わなかった。ただ言われる通り監視して、データを送れば金が手に入る。良いバイトだ。今後も続くのならダラダラとやっていたかったが、それもこの夏で終わるらしい。つぎのバイトでも探すかな、と考えてみるも、自分のようなぐーたらな奴にマトモな仕事なんてできっこないだろうと打ち消す。こんな残念人間だからこそあぶれた仕事が舞い込んでくる、とも言えるが。

 ヒロシの手によって残されていた電気は完全に消され、部屋の鍵は閉められた。

 

「ま、やばくなったらトンズラすっかな」

 

 暗闇に沈み黙した闘技場のバトルシステムは、次に現れるファイターが誰であろうと迎え入れるのだろう。だがその上で広げられるバトルは、システムが望むものであるとは限らない。



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GBF-L #018「選ばれた自由」

 重たく大きな鉄扉の向こう、バーカウンターのさらに奥にある閉鎖的な空間。薄暗い照明とセルリアンブルーの粒子が立ち込める一室に今日もまた、うら若きファイター達が集う。

 部屋の奥、入り口から一番遠い角で壁に持たれながら、ここで行われるバトルすべてをまるで監督しているかのように佇む少年。そして彼と再び相まみえるべく、新たな剣を手にした少年。先日の勝者は余裕を見せつつも、二度と見たくなかった顔が現れている苛立ちが表情ににじみ出ている。

 

「長谷川、お前また来たのか」

「魁斗……お、俺のロストフリーダムを返してほしい!」

 

 学年が一つ上の魁斗に対して、遊は素直に怖いと思った。思ったが、それで尻込みしていては目的も果たせない。勇気を振り絞って立ち向かう。

 

「へえ、それで。返したらどうすんの」

「返してくれたら、俺はもうここには来ない」

 

 遊の一言に、対峙する魁斗はぷっと笑いだした。

 

「はいそうですか、なんて言うわけ無いだろ? だいたい、ここを何だと思ってるんだよ。相手のガンプラは勝って奪え、それがここのルールだろう!」

 

 それに、と魁斗が付け加える。

 

「それにお前、ここに来たってことは作ってきたんだろ。新しいガンプラ」

 

 隠すつもりも無かったし、魁斗が素直に渡してくれるとも思ってなかった。最初からこうなることは分かっていた。だから遊はためらいもなく、新たなロストフリーダムを──両腕をバンシィの腕に差し替えた"フリーダム"を──箱から取り出す。

 

「勝負だ魁斗、次は負けない!」

 

 兄に手伝って貰ったこのガンプラで、自分のガンプラを取り戻す。その決意を胸に、魁斗への宣戦布告の声を高らかに。

 

 

 

──ガンダム ビルドファイターズ ロスト──

 ~ 第十八話 選ばれた自由 ~

 

 

 

 祖母の車に揺られて、卓と遊は最寄りのショッピングモールに到着した。住宅街を抜けてしまえばすぐなのだが、小学校の校区外でもあるし、大人の付き添い無しでこういったところに出入りするのは校則違反だと言われてきた。それを言い出したらバトルシステムを置いている主要のゲームセンターはアウトだし、ましてや自分が今日戦ったゲームセンターは校区外なので、ぶっちゃけた話気にするほどのことではないのだけれど。それでもここへ来るのは久々で、その上おもちゃを買ってもらえるということも久々で、ワクワクせずには居られない。

 

「賑わってるわねえ。夏休みだからかしら、やっぱり子供が多いわ」

 

 ここからはおばあちゃんが後ろから付いてくる形で、家電量販店のおもちゃコーナーへ一直線。普段は落ち着いている兄も心なしかスキップでも始めそうなはや歩き加減で並ぶ。

 

「買ってあげると言っても、一つだけよ。お父さんが帰ってくるまでそんなに時間がないから、早めに決めてくれたら嬉しいわ」

「はあい」

 

 おもちゃコーナーの入り口には、これみよがしと言わんばかりにバトルシステムが置いてあり、数人の少年が固まってプレイしていた。家電量販店の一画にもバトルシステムが置かれるほどにガンプラバトルは世界的に賑わっていた。こうしてバトルの情景を見せることでプラモデルがよく売れるらしいし、実際に遊もこうして他人のバトルを見たら、自分の身体もウズウズしてくる。

 その横を抜ければ、子供では手が届かない高さまである商品棚に、派手で格好いいパッケージを見せびらかすように所狭しと並べられた模型の数々。一つ一つの情報量に圧倒されて、思わず口をあけたまま棒立ちしてしまった。

 しかしいざ、この中から一つだけ選べと言われると、正直なところとても迷う。ガンダムというアニメに対しての知識もないし、思い入れもそんなに無くて。ただガンプラバトルをやりたいという思いからこのコーナーに来ても、どうしてよいやら。

 

「卓兄ちゃん──」

 

 助け舟を出してもらおうと声をかけたが、そんな卓はかごを引っ掴んですっ飛ぶように歩き出す。慌てて追いかけたら、そこは塗料やニッパー、やすりが置いてある道具コーナーで。

 

「兄ちゃんそれ買ってもらうの?」

「これは自分の小遣いで買う。お婆ちゃんには別のをお願いしようと思ってるけど──」

 

 そう言いながらも、カラフルなガラスの瓶を手にとっては棚に仕舞うことを繰り返す兄。

 

「緑色?」

「そう。基本のグリーンに調色しようか、でも不安定になるからルマングリーンかデイトナ、メタリックもあるし迷う。銀下地にクリアグリーンでも良いんだけど、上からパール塗っても印象かわってくるだろうし──」

「へ、へぇー」

 

 遊にはどれも同じ色に見えたが、兄にとってみれば「全然違う」らしい。そのこだわりはよく分からない領域だ。

 そうこうしてる内に決まったのか、いくつかの瓶を買い物かごに入れた兄。ふと隣りにいた遊と目があって、そこで初めて彼がどうしていいか困っていたことにやっと気づいたようだ。

 

「そうだな……遊はストフリ好きだったよな。前に買ってもらって喜んでただろ」

 

 兄がそう言って、数ある商品棚の中からガンダムSeedのコーナーへと連れてきてくれた。

 そのコーナーも他の商品棚と同じようにガンプラが並べられていたが、ひときわ目立つところに置かれた箱に目が行った。青い翼を広げる白い機体のパッケージは、自分が親しんでいるそれだったので、ちょっとだけ安心感が湧く。

 

「フリーダムに続いてHGのストフリもリバイブされたのか」

「へ、へぇー。そうなんだ」

 

 よく分からない兄の独り言に、とりあえず相槌を打っておく。よくよく見れば、たしかに飾られたストライクフリーダムの箱イラストは、自分の知っているそれとは違っていた。

 

「せっかくだし新しいストフリ買ったらどうだ? 昔の物より可動域も広がって、よりガンプラバトル向けでもあると思うけど」

「うん……」

 

 そうだ。今日買ってもらうガンプラで再びバトルを挑まなければならないのだ。ストライクフリーダムを使って、あの魁斗に。けれど先日の試合を思い返してみれば、ドラグーンも上手く操作した記憶が無く、エネルギー切れを起こして敗北するという結果に終わって。本当に自分がストライクフリーダムを使って良いのかという疑問が湧いてしまう。

 

「けど、これじゃないのが良いな。兄ちゃん、もうちょっと使いやすいガンプラって無い?」

「使いやすいって?」

「えっと、うーん……」

 

 兄の質問に、少し考える。今までの戦いを振り返ってみれば、ドラグーンとスピードでゴリ押して「やられる前にやる」というような猪突猛進なプレイスタイルだったなぁ、と一人で反省しつつ。今日使ったガンダムMk-2は素直だったけれど、動きが重たくて何か違う感じだったし、涼介のように近接格闘は得意ではない。近づかれないようなスピードと、立ち止まらずに使えるビームと、ちょっと威力の高い装備を持ってる。そんな機体──

 

「なんて言うんだろう、こう……ビューンって動いてバーン! みたいな?」

 

 なんというか、もっと国語を勉強したほうが良いと、自分でも思った。

 

「ビューンって動いてバーン、か」

 

 とても下手くそな伝え方だったけれど、それでも遊のイメージは卓にある程度伝わったようで、彼が商品棚を見渡して、時には二つ三つ先の列まで行って、素早く箱をいくつか手に取った。

 卓が遊の元に戻ってきたときには、ガンプラの箱を四つも重ねて両腕が塞がっていた。

 

「おまたせ。上から順に説明するけど」

 

 そう言うと、卓は積み上げた箱を上から手渡してくる。

 

「一つ目はユニコーンガンダム。俺が使ってるから知ってると思うけど、防御力、機動力、攻撃力どれをとっても高水準だ。ビームマグナムの残弾が少なすぎることは欠点だけど、NT-Dさえ使いこなせばストフリを超えるスペックを発揮できる」

 

 どちらかと言えばガンダムMk-2に近いシルエットのそれはとても格好よかったが、これを選ぶとなれば兄と被ってしまう。それは何だか嫌だな、という思いが決断を渋らせた。

 

「二つ目はダブルオーライザーだ。近接格闘機ではあるものの機動力はピカイチだし、GNソードⅡの射撃とオーライザーのミサイルもあって遠距離がこなせないでもない。NT-Dと同じく時限強化式のトランザムもあるし、近距離戦闘ができれば爆発力は随一ってやつだな」

「見たことある……友達が使ってたやつだ」

 

 友達というのは嘘で、本当はゲームセンターで戦った誰とも知らない中学生だったけど。

 

「次はGセルフ・パーフェクトパック。ユニコーンガンダムの攻撃性能をちょっと防御寄りにしたようなもんで、いくつかのモードを使い分けて戦うんだ。モード切り替えのクセが強いが対応力はユニコーンとダブルオーを遥かに凌ぐ」

 

 ガンダム、にしてみてはちょっと丸みを帯びた姿が可愛いとさえ思ってしまう。これがどうモードを変えて戦うのか、全然想像もつかないけれど。

 

「最後は、まぁ代わり映えしないが」

 

 そう兄が言って手渡してきたのは、どこか懐かしく、それでいて新鮮さもあるガンプラ。

 

「HGCEフリーダム。クセがなくて、それでいて強い。ストライクより汎用性と拡張性に劣るし、さっき見せた三つやストフリより尖ったところはないけど、その分スタンダードに纏まってて使いやすい。見た目もストフリと似てるしな」

 

 手渡された四つのガンプラはどれも魅力的ではあった。けれどやはり引き寄せられるように目が行ってしまうそれを手にとって──

 

「僕、フリーダムにするよ」

「そうか。じゃあ残りは棚にもどしてくる」

 

 選ばなかった三つのガンプラを有るべき位置に戻す兄。遊は受け取ったフリーダムのパッケージを眺める。底面はわら半紙のようなざらざらした灰色一色だったけれど、表面の色鮮やかなハイマットフルバーストを放つフリーダムのパッケージ絵と、側面でポージングをするプラモデルの写真とが想像力を掻き立てる。このキットならあの魁斗にも勝てるのではないか、そんな妄想が掻き立てられて。

 ストフリよりも速く飛び、武装もシンプルになった分あの時のように弾切れで焦るようなこともなく、かつMk-2のように重たくて動けないようなこともなく──

 

「だめだ」

 

 足りない。どう思考を巡らせても魁斗はその上を行く。あの装甲に剣は届かない、あの胴体を銃じゃ貫けない。捉えられず、掻い潜られ、こちらの胸を一突きで終わってしまう。あのジャスティスは驚くほどに高性能だ。本当に同じガンプラなのかと思うくらい出力の桁が違う。どうしても届かなくて伸びた左手は空を斬り裂いて──

 ああ、忘れていた。あのロストフリーダムの左手にはすべてを破壊する剛爪が、右手にはすべてを焼き去る火砲が。きっとその手を伸ばせば届く。その武装を持ったガンプラの名前は、

 

「──バンシィ!」

 

 ん、と兄が首をかしげる。

 兄がちょうど見ていたコーナーの一画にそれはいた。黒いボディに裂けた装甲から覗く黄金のサイコフレーム、黄金の角とたてがみを模した造形。涼介と最初に出会って戦って、自分が奪った機体。

 

「これって」

「ああ、これはRX-0バンシィノルン。ユニコーンの兄弟機で、色々あって敵対していたけど最後は和解して共闘した──」

 

 長い話はもう耳に入ってこない。それよりも、知ってる姿と少し違う差に疑問が湧く。

 

「これ……腕が普通じゃん」

「ああ、腕が違うのはこっち」

 

 兄が手に取ったのは二つとも同じバンシィ、のはずだが、若干パッケージのイラストも違う。よくよく見れば、陳列棚にはユニコーンガンダムも5種類ほど並んでいた。なんでこんなに同じガンプラばかり作られてるんだろうか。なんて疑問が浮かびながらも、目的のそれを手に取る。確かに間違いない、これが涼介の使っていた、両腕が異形のバンシィだ。

 じっと見つめる姿に、卓が話しかける。

 

「ほしいのか?」

「うん……その、腕だけで良いんだけど」

 

 そういったら、兄はそのバンシィと、遊が選んだフリーダムを取り上げて美代子お婆ちゃんの元へ急ぎ足で向かった。

 お婆ちゃんは入り口に置いてあったバトルシステムを遠巻きに眺めていて、というより、バトルシステムに集まっている子どもたちの賑わっている姿を見ていたというのが正しいのだろう。幸せそうに見つめる祖母は、戻ってきた孫の姿に気づいてこちらに手を振った。

 

「決まった?」

「うん。これとこれ、お願いします」

「今はこういうのが流行ってるのねぇ。お婆ちゃんにはわからないけど、あなた達が楽しんでるなら良いと思うわ」

 

 男の子はこういうのが好きなのって、いつの時代も変わらないのかしら。と言って、それをレジへと持っていく祖母。

 

「兄ちゃん、それ」

「気にするな。本音を言えば、素体はもう家に全部あるんだ。今買ったら積みプラになっちゃうだけだし、組んで使われる方がガンプラも幸せだろ」

「でもどうして、そこまでしてくれるの」

 

 少しの沈黙があって。

 

「ガンプラの改造は、楽しいからな!」

 

 そんな兄の笑顔は、久々に見る少年のそれだった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 フリーダムを組み立てることは、遊にはとてもむずかしくて疲れることだった。だからバンシィに手が回ることもなく、それは兄の卓にも見抜かれていたようで「これは俺が作るから」と自室へと持ち帰ってしまった。

 ストライクフリーダムを買ってもらった時はとうてい一人では組み立てられず、半分を兄の手で作ってもらった記憶が蘇る。まだ一人前にはならないのかなあとぼんやり考えながら、それでもなんとか、フリーダムはその五体満足になるまで組み上げることができたのだ。

 完結させたということは自信にも繋がる。

 

「遊、できたか」

「卓兄ちゃん」

 

 示し合わせたかのように扉をノックしてきた卓が麦茶を持って部屋に入ってきた。自慢気に完成したものを見せると、彼もうんうんと頷いてみせる。

 

「こっちもできたぞ。バンシィの腕」

「ありがとう!」

 

 早速はめ込もうとする……だが、フリーダムの胴体とバンシィの腕はハマらない、ハマるはずもない。腕の方は丸い棒がささる穴になっているのに、胴体側は球体が入るようなくぼみになっている。前のストライクフリーダムは胸から棒が飛び出ていたのに、今回は凹み同士になっている。これではどうやってもくっつかない。

 

「おかしいな」

「どうした? 見せてみろ」

 

 それを兄に見せれば、ピンと何かに気づいたのか、そうなることを半分予想していたのか。すぐに部屋を往復してくる兄。

 取り出したのはグレーのプラスチックパーツ。それは見た目をカッコよくするものでもなければ、火力を強化する武装ですらない。バンシィの腕に組み込まれたポリキャップにフィットする棒軸と、フリーダムの胸部にある凹みにピッタリ収まる球体のジョイント部で出来た小さなものだった。

 本来そこにあるべきだったかのように、あてがわれたそれは最後のパズルピースのように綺麗に収まった。

 

「捨てずに残しておいて良かった」

 

 さらにバンシィの右腕は、形状が遊の知っているそれとは少し違っていた。並行板は腕に固定されていた本来の形ではなく、折りたたまれて手が露出するように改造されている。

 

「ああ、それは俺が使おうと思ってたんだけど、遊がバンシィを使うんなら、便利だろうと思って」

「すごい……!」

 

 ガンプラの改造の奥深さを魅せつけられた気がする。

 

 前回のストライクフリーダムよりも等身が上がってスマートになった、新たな装いのロストフリーダム。相変わらず似つかわしくない異形の両腕を備え、勉強机の上でその翼を大きく広げる。

 まだ、腕と身体の色はちぐはぐだったが、それでもこれが戦うイメージを連想させるには十分だった。

 

「塗装はどうする?」

「ガンダムマーカーだけ貸してくれたら、あとは自分でやるよ」

「そうか」

 

 兄は「頑張れよ」と背中を押して、遊の部屋から出た。

 

 

 

 そこからは黙々とただひたすらに塗り続けた。組み立てたばかりのガンプラをバラバラにした上で丁寧に、ミスしないように、細かいところまで塗り残しのないように。フリーダムの白い装甲を黒で塗りつぶし、バンシィの装甲も同じ色で整え、金色と赤のマーカーで要所要所のパーツごとに塗り分けていく。

 地味で細かい作業だった。他人から見れば、アリが砂糖を運ぶような小さいスケールの話だった。それでも遊はそこに可能性を、手塩にかけて塗ったこのガンプラがバトルフィールドを飛び回る様を夢に描いて、勝利を勝ち取る未来を想像していた。

 

「終わった……」

 

 気づけば日も陰り、オレンジに染められた世界で夕蝉が鳴き、人々は家に帰る時間だ。

 ふぅ、とため息が出る。並べられたパーツはバラバラなまま塗料が乾くのを待っていた。完成は明日になるだろう。今できる作業はすべてやった。

 完成形を想像して、もう一度、今度は大きくため息をついた。疲れはしたが、不思議と笑みが溢れるほど充実していた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 新たなガンプラを手に、遊は再び闘技場へと戻ってきた。宿敵、魁斗を倒すため。そして自分の愛機を取り戻すために。

 

「勝負だ魁斗、次は負けない!」

「おうおう吠えるなよ、僕に負けたことがそんなに悔しかったかな?」

 

 魁斗もガンプラの入った箱を取り出して。もう一触即発だ。さらにそこへ

 

「よー、俺も混ぜてくれね?」

「……涼介」

 

 戦いの匂いに煽られて、居ても立ってもいられなくなったファイターが名乗り出て。

 

『Please set your GP-base.』

 

「涼介、邪魔しないで。これは俺の問題なんだ」

「悪ぃけどもう止めらんねぇよ。魁斗にも負けたくねーし、遊にだって負けらんねぇ。俺は!」

「黒田さぁ、もうちょっと強くなってからにしないか? ハッキリ言って雑魚なんだよお前」

 

 睨み合う三人の獣たち。お互いはお互いが譲らないことを悟って、六角形のバトルシステムを一面づつ均等になるように挟んで立ち並ぶ。

 

『Please set your Gun-Pla.』

 

 他のファイターが入り込む余地なんて無い。遊んでいたファイターたちもその手を止めるほど、小中学生とは思えないほどのビリビリと緊迫した空気が闘技場を支配する。それぞれの思いは理解されることは無く、和解される道もなく、ただぶつかり合うことでしか解決の方法は無く。

 

『Battle start!』

「長谷川、黒田……後悔させてやるよ、この試合を受けたことをさぁ!」

「てめぇの御託は聞き飽きたぜ!」

 

「俺の機体を返してもらうぞ、魁斗!」

 

 黒き機体に再び宿った命が燃える。強い意思はもはや止められず、熱意の炎は瞬く間に延焼しすべてのファイターを焼き尽くす。その先にある焦土に何も残りやしないことは、幼い子たちには知る由もないことだった。



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GBF-L #019「問われた意義」


【挿絵表示】

ロストフリーダムを取り戻すためのロストフリーダム
HGCEフリーダムをベースにアームドアーマーを搭載した姿
純粋な完成度の強化、兵装の削減により操縦が簡単になり
直感的な操作を可能としたガンプラ


 外は夏空に照らされてきっと暑いのだろう。だがクーラーの効いたこの室内では、そんな事どうでも良かった。外に出ればたちまち熱中症になってしまいそうな服装でも、家の中なら快適なものだ。

 彼女のトレードマークとも言えたポニーテールは今日は不在で、その長い髪は重力に引かれて垂れ下がるのみ。薄手の布地で作られた紺色のワンピースはその肌を手首まで覆い、襟元のリボンが小さく主張するだけの味気無さ。髪を留めるシュシュも、派手なリストバンドも、しばらくはおやすみだ。

 

 コンコン、部屋の扉がノックされる。

 

「藍、ただいま。今帰ったんだ、顔を見せておくれ」

「パパ、どうぞ入って」

 

 開いた扉の先にはスーツ姿の男が一人。四角い淵のメガネ、整われた髭。想像するに易い四十代ほどの、世間的には知的なおじ様というルックスだろうか。そんな彼は、幼い彼女を見ると一目散に駆け寄って抱きしめる。

 

「元気にしてたか。出張中寂しい思いをさせて済まなかったな」

「おかえりなさい、パパ」

 

 アイはこの男を──己が父親をやさしく抱きしめた。

 

 

 

──ガンダム ビルドファイターズ ロスト──

 ~ 第十九話 問われた意義 ~

 

 

 

『Battle start!』

 

 バトルシステムの掛け声で一斉に飛び出した三機のガンプラ。眼下一体は木々で埋め尽くされ、頭上は闇夜に覆われている。索敵の難しい環境に投げ出されたファイターたちは、レーダーと己の直感を頼りに敵を探る。

 夜空を飛ぶ遊のロストフリーダムは索敵も半分に、その機体性能を手探りで感じていた。

 

「……すごい、前のよりずっと早いし、扱いやすい」

 

 前の、とは奪われたロストフリーダムのことでもあったが、きっとガンダムMk-2のことでもあるだろう。重たい挙動のそれらから一変して、フリーダムをベースにしたこの搭乗機は基礎スペックが手応えで分かるほど段違いだった。ちょうど直線移動に長けていたが小回りの苦手なストフリと、精密な動きは出来ても瞬発力に欠けたMk-2の良いところを併せ持ったようなマニューバは、操縦者の想像としている所の上を行っていた。

 それに加えて武装の削減、簡略化でスロット変更も残弾把握も容易になっている。今まで何度もイメージを重ねてきた結果の判断だが、実際に初めて動かすまでは不安があった。しかしそれも昔、今はこうして自信満々に操縦できる。

 夜風を抜けて疾走る漆黒の機体は、軽快に準備運動のステップを刻む。

 

「これなら!」

 

 これなら魁斗のジャスティスとも互角に、それ以上に渡り合える。遊は自信をさらに強く持って、背面バーニアの火を強く灯した。

 

 

 

 だが、そう思い通りに上手く行く話でもなく。

 

「うおおおおーっ!!」

 

 警告。音と光のアラートで知らされた危機に素早く反応する。急制動をかけて機体を静止し、流れるようにバックステップ。ただ迫り来るビームライフルを回避するための動作だが、それだけでも心地よい。

 その気持ちいい感覚を振り払いながら、向けられた銃口と殺意に目をやる。

 

「遊、まずはお前だ!」

「涼介……」

 

 眼下の森林に潜った闇夜に染まるMk-2。木々の間を縫って進みながらビームライフルを天空へと射出する。閃光は暗闇を、黒い装甲を照らす。照らすだけで決して当たりはしない。ロストフリーダムは無闇矢鱈に投げられたそれを悠々と、やすやすと抜けてさらに天を進んだ。

 

「やめてくれ。涼介のガンプラは壊したくない!」

「俺とは戦わないってのか!?」

 

 涼介には、遊が背中を向けて逃げる卑怯者のように見えただろう。その事実が、強さに恐れをなして逃げ出すそれでもなく、対策を立てるために距離を開くそれでもなく、雑魚にかまっている余裕はないとあしらわれる対応に見えただろう。涼介は自分がそれほど強い存在だという驕りは無かった。だがそれでも、対戦相手として認められていない事実は、遊をライバルとして見ていた彼にとってそれは、衝撃的で許されない態度だった。だからこそ、

 

「壊したくない──?」

 

 屈むMk-2。その柔軟で精強な四肢をバネにして、アスリートのように飛び上がる鉄の塊。シールドも捨て、右腕のライフルを放ちながら、高く飛んでいるロストフリーダムにめいいっぱい近づく。

 

「考えないのかよ、自分のが壊されるってことを!」

 

 空いた左腕は流れるように背面サーベルを握り、敵機と交わるその瞬間にまばゆい刃を発振させながら振り下ろす。それを遊は、ロストフリーダムは左腕のビームトンファーで受け止めて。

 

「やめろって言ってるだろ!?」

 

 剣を弾いたかと思えば、ロストフリーダムの空いた右手がMk-2の手首を掴んで、機体重量をものともしない推力差を見せつけるように一回転、背負投のように遠心力と重力を味方に、舞い上がった鉄塊を再び地面に打ち落とす。

 なぎ倒される木々、舞い上がる土煙。叩きつけられたMk-2のツインアイはそれでもなお、ファイターとしての意地で煮えたぎる。ロストフリーダムの右腕、ビームスマートガンで追撃されない事実がより一層神経を逆撫でした。相手にされていないということが嫌でも分かった。

 

「どうした、右腕のゴツい武器は飾りかよ?」

 

 悪態をつきながら、木の葉と砂土で汚れに汚れた涼介が再び飛び上がろうとする。だが先程の一撃で関節が折れたのだろうか、足を滑らせて転倒する。

 

「邪魔しないでよ、俺は魁斗と勝負したいだけなんだ」

「ふざけんな!」

 

 冷静な遊とは裏腹に、片足を引きずってもなお立ち上がろうとする涼介の熱は収まらず。

 

「ふざけんな……俺との勝負はしねえってのか」

「今は必要じゃないだろ」

「ガンプラバトルで、ファイターとして、向かい合った! それ以外に戦う理由がいるのかよ!」

 

 震える機体で、それでも重力に屈しまいと立ち上がり、天を見上げて闘志を滾らせる。

 

「ガンプラバトルに言い訳を持ってくんなよ!」

 

 

 

「そうだね。ガンプラバトルに言い訳は持ってきちゃダメだよね」

 

 二機に割って入る警告音、無数の熱量が空を舞い襲いかかる。遊はそれを難なく回避したが、満身創痍、片足を壊した涼介のMk-2はもろに被弾し、頭部と右腕を射抜かれる。

 

「このビーム……魁斗、まさか!?」

 

 予想は的中した。眼下のMk-2から目を離し、介入してきた敵機体をモニターに捉える遊。考えたくなかったが、見えてしまった現実からは逃れられない。

 黒いボディに赤い翼をまとう魁斗の機体は、不敵に笑ったように見えた。

 

「黒田が悪いんだぞ、僕を除け者にして長谷川と遊んでるから……。こうやって不意打ちされても、文句は言えないよな」

 

 まばゆい光に視界を奪われたかと思えば、目を開けば、残されたのは一筋の焼け野原で。

 金色のサイコフレームを煌めかせながら、その異形の腕を持ち上げて。赤い翼が舞い踊り、腰のレールガンと腹部、そして頭部の砲門が唸る。ハイマットフルバースト、全てを破壊せんと放たれる、かのガンプラの象徴。

 遊の目の前に佇むモビルスーツは、まさしく自分が作ったロストフリーダムだった。

 

「この機体、出来は悪いし機体バランスも不釣り合いだけど……悪くない火力だな。こいつは楽しめそうだ」

「魁斗ぉっ!」

 

 怒りと共に爆発するかのように加速した遊が、その右腕を展開してビームスマートガンを放つ。迫りくる紫の閃光を魁斗は横へステップして躱し、返す手で同じく右腕のスマートガンを照射する。遊は直進する速度を殺すことなく、閃光をポールに見立ててバレルロール、物の見事に螺旋状に回避すると、ものの数秒で肉薄、左腕のヴァイブレーションネイルが唸り、振り下ろされた。

 魁斗がそれを紙一重で躱すも、空振った勢いをそのままに繰り出される左足での踵落とし。だが同じ異形の左腕の甲で受け止められ、鉄と鉄のぶつかり合う鈍い音が響くばかりで。

 

「なんでそれを使ってる!?」

「わからないのか、馬鹿なやつだ!」

 

 踵落としを受け止めたまま、魁斗のロストフリーダムがレールガンを展開するも、遊は右足で機体を蹴り飛ばして距離を開ける。体勢を崩したそれは空中へ虚しく線を描く。

 だが終わらない。八機ものドラグーンが一斉に動き出し遊のロストフリーダムに迫る。それを縫うように回避して、再び距離を詰めようと試みる遊。右腕のスマートガンを格納したその手で腰のサーベルを抜刀すると、棒立ちの敵へと猛進する。

 サーベルを握った右腕を振れば、魁斗のロストフリーダムは左腕のビームトンファーを展開して受け止める。散る火花、灯りに照らされる鏡に映ったかのような両者。

 

「理由が知りたいなら答えてやるよ」

 

 魁斗がモニター回線まで開いて言った。

 

「僕のジャスティスに傷をつけた機体ってのに興味があったんだよ。一体どれほどのガンプラなんだろう、ってね。それに」

 

 続けて彼は言った。口元は笑いながら、目は殺意を満たして。

 

「負けた奴のガンプラを奪うのがアイちゃんの決めたルールなんだ、僕が使って当然だろう!」

「こいつ──」

 

 目の前にいるロストフリーダムは確かに取り戻したいものだ。だというのに、倒さなければ取り戻せないのだ。宿敵である魁斗に操られ、敵として立ちはだかるそれを一刻も早く解放しなければならない。だが愛機を傷つけて取り戻したところで何の意味がある。

 

「残念だったな、お前はこれを取り返せないよ。今僕に負けるか、こいつを壊すか。壊せないよなぁ、取り返したいんだもの!」

「くそ、くそっ……!」

 

 鍔迫り合いが続く両者。魁斗の機体が左腕を押し込む。一瞬その手を強く出そうとも思ったが、敵がわざと力を緩めたらどうなる、と思考を巡らせてしまった。当然のようにビームサーベルは魁斗の機体を切り裂くだろう。それは……ダメだ。

 遊のロストフリーダムは身を引いて回避した。傷つけられない。攻撃する手が緩む。それが壊れる様を見たくない。そう思うがゆえに出るに出れない。

 

 

 

 直後、どっと溢れ出す朱いプラフスキー粒子。それは遊のロストフリーダムではなく、魁斗が操るそれから発せられるものだった。

 

「ああ、こいつは気持ちがいい。ぶっちゃけ負けてもいいけど、負ける気がしないな。なんでも壊せそうだ!」

 

 朱い粒子を纏ったロストフリーダムは、より一層キレのある動きで遊に迫った。左腕の爪が振り下ろされるのを間一髪で回避したと思えば、ドラグーンによる挟撃に狙われ、それをいなせば今度はレールガンが。身体を捻って回避してもドラグーンや射撃が矢継ぎ早に飛んでくる。それに対して遊は何度も、何度も回避するしかできず。

 

「ほら、もっと逃げろよ。走れよ。何度も背中を僕に見せて、情けない声を聞かせてくれよ!」

「魁斗、お前っ……!」

 

 悔しさで心が一杯になったが、止まないビームの雨にただ逃げ回るより他はなかった。怒りで心が一杯になったが、それでも遊にはどうすることもできなかった。

 

「さぁもっと、もっとだ──」

 

 

 

──お前は──

 

 ガンと頭を殴られるような衝撃に、魁斗はその手を止めた。

 

「……誰だ!?」

 

 

 

──お前は 何を望む──

 

「うるさい、黙れ!」

「どうしたんだ魁斗、何か聞こえるのか!?」

 

 突然止んだ攻撃に驚いた遊も動きを止める。

 静寂。だが魁斗はそれを静かだとは思っていない。

 

「なんなんだ、一体!?」

 

──お前は 何を望む──

 

「誰だよ、何だよこれ」

 

──私は──

 

「黙れ、黙れっ!」

 

──私は 全ての破壊を──

 

「喋るなあああーっ!」

 

 

 

 魁斗の叫び声だけが闘技場に反響した。バトルシステムも、その中にある機体も音を発さず、戦いを見ていたファイターたちも息を飲んで見ているだけで。その異質さに皆、圧されていた。

 朱い粒子がロストフリーダムを飲み込む。周囲の、まだセルリアンブルーだった粒子までの飲み込んでいく。それはさっきまでとは別人のように、ロストフリーダムを操り人形のように不気味に不格好に動かすと、そこにいる遊の機体をギロリと睨む。

 

「──ゔぉえっ」

 

 気持ちの悪い声とも音とも分からないものが聞こえた。直前まで叫び声を上げていた魁斗の足元に、吐瀉物が撒き散らされていた。

 

「かい、と!?」

 

 急変した体調に驚いた遊が声を荒げた。にもかかわらず直後、魁斗の手繰るロストフリーダムが動き出す。

 

「長谷川っ、あんたは……あんただけはっ!」

 

 朱い粒子はロストフリーダムを台風の目のように覆い、吹きすさぶ嵐のように遊の機体へと打ち付けた。それは殺意と怒りと悲しみを混ぜたような鋭い刃物のようで、飲まれてしまいそうな感情の波のようで。ただ立っているだけでも画面はノイズで荒れに荒れ、音声は雑音で満たされる。

 

「あんただけは、許さないっ!」

 

 魁斗の機体が暴走を始める。それは虚空をビームで焼き、無をサーベルで切り裂いた。もはや遊の姿など見えていない。それは別の、見えない何かと戦っているような、見えない何かに抗っているかのような、そんな気さえした。



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GBF-L #020「溢れた憎悪」

 朱色の粒子が嵐となり吹きすさぶ。渦中のロストフリーダム、それを操る少年はその風に耐えきれず飲まれた。もはやどちらが主人であるのか、彼の意思は正気を失い、その身体は心と乖離した操り人形の如く。想いを汲み取って輝く粒子はその朱い輝きをより一層強くして広がる。人の想いは力だ。力は人を惑わせ、傷つけ、そして破壊する。感情の濁流は対峙する少年も飲み込もうと迫った。

 脅威を眼前にして、少年はただそれが悲しいことのように思えて。

 

 

 

──ガンダム ビルドファイターズ ロスト──

 ~ 第二十話 溢れた憎悪 ~

 

 

 

 ガクガクと震える足で、操縦桿にしがみつくように立って、吐瀉物が靴を汚そうとも微塵も気にかけない様子で魁斗は叫んだ。

 

「僕は、あんたに!」

 

 錯乱するパイロットは何を見ているのか。ロストフリーダム は虚空を殴り、ビームで焼いた。そこに何もないことは対峙する遊にも、戦いを見守るギャラリーたちにも分かりきっていたことだし、何より魁斗が「あんた」と呼ぶような存在は、この闘技場には存在しない。

 

「やめろ、やめろよ魁斗」

「うるさい! お前も、僕を否定するのか!」

 

 遊の言葉に激情した魁斗が睨む。

 

「なぜ逃げた、なぜ戦わない! 僕をさんざんコケにしておいて、今更逃げられると思うなよ!」

 

 魁斗と一体化したかのようなオーラに包まれた、朱い粒子に溺れるロストフリーダム。そのツインアイは本来の持ち主である遊をギロリと睨みつければ、直後、殺意の塊となって突進した。獲物を捉えた眼光は尾を引き、吹きすさぶ粒子がそれを掴んで離さない。逃げるという選択肢はない。逃げる場所も時間も与えないほど、一瞬でその左腕の爪を振るう。

 間一髪、遊は獅子の爪に臆することなく、あえて一歩前に踏み出して、その手首を己のマニュピレーターで抑えこんだ。

 

「魁斗、何を言ってるんだよ!? しっかりしろ!」

「がああぁっ! 黙れ、黙れ黙れっ!」

 

 荒い呼吸を整えようともしない、ベタついた吐瀉物を何とも思わない。充血した瞳は何を見ているのか、他人には一ミリも理解できない。錯乱した魁斗はロストフリーダムに操られるがまま、目の前にいる遊を誰かに重ねながら、怒りと憎しみに溢れた感情をぶつけた。

 

「長谷川、あんたは俺の!」

 

 

 

『New fighter feild in』

 

 システムボイスと共に、一筋の光が乱入した。

 嵐のようなプラフスキー粒子の吹き荒れる世界に舞い降りた鉄塊。重装甲の兵士を思わせる外装と、大剣と銃が一体化した大型武装を手にしたそれは、長距離狙撃によって戦場を貫いた。肩から垂れる鉄プレートと、その裏に装備されている大型シールドがより堅牢さを物語るそれは、ヒロイックな三角形のシルエットからは遠い、鈍角で描かれた宇宙世紀を思わせる機体。

 名をジェスタ支援型参式、ガンダムUCに登場したジェスタに、ダブルオーで登場したデュナメスの両腕を搭載した無骨なモビルスーツであった。

 

「お前ら手ぇ出すな。お仕置きの時間だ」

 

 新手のジェスタは交わる二機のガンダムに割り込んで、その片方、台風の目になっている魁斗が操る方へタックルを仕掛けた。瞬時の横槍に対応できないロストフリーダムがそれをもろに食らって、闇夜の森へと墜落していく。唖然とする遊のロストフリーダムに、ジェスタはただ黙って背を向け続ける。

 六角形のバトルシステム。魁斗の立ち位置から真反対、遊と涼介の間に立って操縦するのは、いつも闘技場の入り口でスマホを弄っているだけの背高の男、ヒロシだった。

 

「なんでお兄さんが……」

「闘技場の運営権限ってやつだ。この試合は無効、ガキどもは速やかにフィールドアウトしろ。いいな!」

 

 ヒロシは声を上げた。怒鳴るようなそれではなく、かと言って優しい声色でもない。ただ成人男性の声というものは、小中学生にとっては圧の強い命令に感じた。遊もそれに逆うことなく――逆らおうという気もおきず――自分のロストフリーダムを後退させる。

 闘技場のシステムは意図的に投了を封じられているのだが、バトルエリアからわざと飛び出すことで擬似的に負けることは裏ルールとして自然的に作られ、守られていた。そうやって放棄された試合の多くは身内の模擬戦のようなもので、ガンプラを奪うアンティルールに縛られないことも決まっていた。とはいえ、遊はそんな馴れ合う相手も居なかったので実際に行うのは初めてだったが。

 

「逃げるのか? また僕から――」

「バカヤロー。聞き分けの悪いガキが」

 

 魁斗のロストフリーダムが飛躍する先に立ちふさがる紺色のジェスタ。その身の丈ほどもあるライフルを構え放てば、暗雲を切り裂き台風の目を焼かんと疾走る一筋の閃光が駆け抜ける。それを雷鳴のように鋭く貫くようなマニューバで回避すれば、それは邪魔者を消さんとツインアイを動かす。

 

「黙ってフィールドアウトしてりゃ、痛い目見なくて済んだってのによ」

 

 改造されているジェスタのバックパックが久方ぶりの命令に歓喜した。複数のスラスターとウイングで形成されたそれはハッチを展開、搭載していたマルチミサイルを射出する。雨のように降り注いだそれが爆発すると、それは衝撃と熱量による攻撃ではなく、一体を覆い尽くして視界を奪う煙を撒いて。

 

「邪魔をするなよ……ドラグーンっ!」

 

 黒いガンダムは真紅の翼を開放する。だが、自立行動するはずのそれらは解き放たれた直後、ふわふわと漂うばかり。そしてしだいに自我を失った子どもたちは、重力に引かれて落ちてゆく。

 

「何を!?」

「ここはもうお前の戦場じゃねえってことだ」

「たかだか煙で目隠ししたからって!」

 

 魁斗が吠えた。ロストフリーダムは翼を開いて横に一回転する。スラスターの出力と翼の質量で風が巻き起こり、機体にまとわりつく煙はかんたんに吹き飛ばされた。それはロストフリーダムの視界をクリアにすると同時に、周囲からもその存在が明らかになる。

 その位置へすかさず、ジェスタが腰のグレネードを投擲する。

 

「食らっとけ」

 

 刹那、魁斗のモニターは白と黄色の輝きに支配された。目の前で爆発したスタングレネードが視界を、さらには聴覚をも奪い去って無力化した。もろに光を見てしまった魁斗は、今まで微塵も離そうとしなかった操縦桿から手を離して目を覆う。いくらゲーム上の演出とはいえ、ふいの出来事に対応できる人間はそうそう居ない。

 その隙を逃さずジェスタが飛ぶ。黒い傀儡の背後に回り込んでその身体を羽交い締めにしたかと思えば、全身のスラスターとバーニアを全開にして赤黒い煙を突き抜ける。流星のごとき二つの塊は雲を突き抜け、そのままエリアの外まで――

 

 

 

『Error! Battle ended.』

 

 ほぼ同時にバトル上に戦えるファイターが存在しなくなったことで、バトルシステムは予期せぬエラーに思考回路をショートさせた。ほぼ全域に蔓延していた朱い粒子は檻から放たれて霧散し、何者かに呪われていたかのように戦い続けた魁斗はその場に崩れ落ちた。

 悪夢のような時間は終わったのに、誰も言葉を発しない異様な静寂が覆いかぶさっていた。それも当然だ。今まで遊しか使えなかった朱い粒子をまとったロストフリーダムが暴れまわり、ファイターとして操縦していたはずの魁斗は狂ったように叫び、嘔吐して。あの機体を使っていた遊も泣き叫んで戦っていた過去も相まって、ロストフリーダムというガンプラが化物のように見える。とても異質でおぞましかった。

 

「お前ら吐いたもんに近づくな、病気にでもなったら面倒だ。ボーッとしてねぇで今日はさっさと帰れ」

 

 彼の言葉に我に返った。観客の子どもたちは恐ろしいものを見たという表情で、ヒソヒソと会話するのもほどほどに、皆そそくさと闘技場から出ていく。

 奥の部屋から掃除道具を取り出してきたヒロシは、テキパキと手慣れた様子で魁斗を安静に寝かせ、吐瀉物を片付けていく。遊はそんなヒロシのことも寝かされた魁斗のことも気になった。だが先に、バトルシステムから飛び出して地面に落ちた、魁斗が使っていたロストフリーダムを拾い上げた。

 原因はきっとこのガンプラにある。一体なんだというのか、とても心がざわついて心臓を握られているかのような息苦しさを感じる。これを取り戻すために来たはずなのに、自分の頭は手放した方が良いとけたたましく警鐘を鳴らしている。でも心はこれを盗んででも取り返したいほどに渇望していて、目を逸したくてもその黒い装甲に吸い込まれるような気分だ。相反する頭と心は激突するが、ただ一つ言えることは、自分の作ったガンプラなのに、まるで別の人物が作ったかのような――

 

「遊」

 

 ふと呼ばれた声に視線を上げれば、床に寝ていた魁斗が身体をもたげ、上体を起こしていた。

 

「返せ、それはまだ僕の物だ」

 

 魁斗の言葉に身体が強張った。

 渡したくない。そもそもこれは僕の作ったガンプラだ、渡す必要なんてない。このまま逃げてしまえば、ロストフリーダムも取り戻せるし、もう二度とこんな場所に来なくても済むんじゃないか。そう思ったけれど、足は動かず口は開かない。

 魁斗に続いてヒロシもこちらを睨む。

 

「さっきの試合は無効だ、そいつを渡せ」

「……で、でも」

「渡せ」

 

 大人の発する威圧感に、それ以上歯向かう気力も出なかった。仕方なく遊はロストフリーダムを静まり返ったバトルシステムに立たせる。そして未練を断つために帰ろうかと思ったとき、同じくバトルシステムに立ち尽くしている涼介の姿を見て思い出した。今日ここへ来たのは、預かっていた彼のガンプラを渡すためでもあったのだということを。

 

「そうだ涼介。この前のMk-2だけど」

「うるせぇ、黙れよ」

 

 帰ってきた冷たい言葉。先日共闘したとは思えない彼の態度に面食らって、返す言葉が見つからなかった。涼介もまた、自分自身が苛立っていることにハッとしたのか言葉に詰まる。

 

「……悪ぃ、俺帰るわ」

 

 背中を向けて立ち去る涼介に、遊は何も言えなかった。

 最初に自分とガンプラバトルをした時は、激闘の末に負けたというのに笑顔だったあの涼介が。先日の共闘で自分にあれだけ楽しそうにガンプラバトルを見せつけた少年が。濁った瞳でこちらを睨んで、吐き捨てるように感情をぶつけて立ち去るなんて。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 夏休みもだいたい二週間が終わってしまった。むし暑い夜が続く中、遊は消化しきれていない宿題を前に鉛筆を動かしていた。

 本当なら今日は、涼介から預かっていたMk-2を返して、魁斗と戦って勝利して、全部を終わらせてもう二度と闘技場には来ないつもりだった。それが実際はどうしてだろうか、何にも果たすことはできず、魁斗は倒れ涼介は目を曇らせただけで。こんなのおかしい。自分はただ、楽しくガンプラバトルがしたいだけのはずだ。もう新しい自分の機体は完成しているんだし、魁斗に奪われたロストフリーダムを諦めてしまえば、あの闘技場に二度と近づかなければ、きっとそれは叶う。

 わからないことだらけだ。涼介が何に苛立っているのかも、魁斗がロストフリーダムに固執している理由も、朱い粒子とロストフリーダムの関係も。自分があのロストフリーダムを取り戻したいのかどうかも、考えれば考えるほど曖昧になっていく。少し進んで行き止まりにたどり着く、複雑で難解な迷路のようだ。

 

 答えは出ない。なら考えるのはやめにしよう。時計は午後9時を過ぎたことを示している。そしてカレンダーには、明日の欄に大きく文字が書き記されていて。

 

「明日は登校日、か」

 

 久々の学校をイメージして、また憂鬱な気持ちになった。積み上がった宿題は一向に減る気配がないまま、時間だけがダラダラと過ぎていくのを感じた。




時系列的に、先日公開させて頂いたコラボ作品は
このタイミングでの公開が望ましかったのですが、
あちらが先行公開となっていました。
まだ未読の方はぜひ、読んでいただきたいと思います。

ガンダムビルドファイターズ L + D / F
作者:くすりし。
https://syosetu.org/novel/192820/
*外伝でありIF世界です。本編とは違う結末を迎えています。


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GBF-L #021「映された機影」

 人気のないリビングを抜けて、キッチンにある冷蔵庫から食パンを取り出し、無造作にバターを塗ってトースターで焼く。その間に牛乳をコップ一杯。テレビはつけず、毎朝静けさを噛み締めている。これが日課だった。

 父親は朝早くに仕事に出ては、夜遅くに帰ってくる毎日。兄は塾に忙しくしているようだけど、最近やっと会話が増えてきて、素直に嬉しいと感じている。母親は交通事故にあってから、長い長い入院生活を送っている。

 

「行ってきます」

 

 誰もいない家にポツリとつぶやく。これも日課だった。

 

 夏休みに離れ小島のように与えられた登校日である。久々の学校に、ガツンと降り注ぐ真夏の日差しの力強さとは相反して、遊は鬱々とのしかかる湿度の高い空気のように陰気だった。

 

 

 

──ガンダム ビルドファイターズ ロスト──

 ~ 第二十一話 映された機影 ~

 

 

 

 小さくなったランドセルを背負って学校へ行くのも久々だ。半月前に通っていた通学路は早くも懐かしい気さえするほど。でも、懐かしいと思うことは、それが欲しかったということではない。思い返されるのはいじめを受けていた学校生活の日々。また嫌がらせを受けることになると思うと、今すぐにでも引き返して家に閉じこもっていたいほどだった。それに加えて夏休み初日と次の日、武田くんとの喧嘩をしてガンプラを壊してから一度も会っていない。謝るべきだと自分の頭は言うが、とてもそんなことはできないと心が叫ぶ。答えが出ないまま彼と会わなければならないことが苦痛だったし、復讐と称して何をされるかわからないのが不安で仕方がなかった。

 それでもズル休みしようと思わなかったのは、親の教育の賜物か、それともただの傀儡として動くしかできない彼そのものが原因か。

 

 

 

「はぁー、かったりぃ」

「朝から何言ってんのさ」

「夏休みの途中に学校とかマジ面倒じゃん!」

 

 遊の背後から武田、川根、日野の声が聞こえて、遊は震え上がった。今日も仲良く登校しているのだろう三人組は、駆け足でこちらに近づいてくるようだ。全身が強張って、自分の歩く速度も早くなっているのがよく分かる。不自然に走るような素振りをしたら逃げたと思われてまたいじめを正当化させる理由を作ってしまう。遊はそうならないように、ギリギリ自然な早足くらいの感覚で歩いた。

 心臓は音を立てて鳴り響くし、汗は止まらない。きっとこの汗は暑さのせいだ。早歩きなのは遅刻しそうだからだ。そうやって、何かを聞かれた時の言い訳ばかりが頭をめぐった。

 

 独り登校する少年を、走っている三人組が追い越していく。

 

「……あっ」

 

 三人の中で一番小柄で、メガネをかけた少年が振り返った。彼は遊に気づいて声をかけ、

 

「長谷川、おはよー。あのさ……」

「おい日野、いくぞ!」

 

 何かを言おうとしたのだろうか、日野と呼ばれた眼鏡の少年は、遊のまえで少しだけ止まった。向こうから武田と川根が呼んでいる。遊に近づくな、という無言の圧力を発しながら。

 

「……じゃあね」

 

 結局、日野は武田と川根の方へと走っていく。

 今日は何もしてこなかった。それどころか、武田たちは自分のことを避けているようだし、日野だけは何かを言おうとしていた。そのことが不思議で、遊は声が出なかった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 登校日という行事は淡々と進められた。授業があるわけでもなく、先生のありがたい話を聞いて、すでに終わっている宿題があればそれを提出して、夏休みの注意事項をもう一度聞かされて、解散。本当になんでこれだけのために学校まで来なきゃいけないのか、疑問に思うほど中身のない時間を過ごした気がする。

 早々に解散となったクラスにはまだ大勢のクラスメイトが残っていた。みんな自分と同じように物足りなさを感じていたのだろう、そして久々に会った友達もいて、夏休みに体験したこともあって話が弾むんだろう。日に焼けていた同級生もいたし、もうどこかに出かけたと自慢げに話す子もいた。宿題を全部終わらせたと言う子がいれば、あえて全く手を付けていないなんて言ってみせる子もいる。なんでそういう子に限って自信満々なのかは不思議だったが、かくいう自分もほとんど終わっていない。けれど焦りはしていなかった。去年もなんだかんだで終わらせることができたし大丈夫だろう……そんな漠然とした感覚がどこかにあった。

 それよりも、魁斗に奪われたロストフリーダムのことを思い返してしまう。あれを取り戻すためにはもう一度戦わなければならない、それでもあれを傷つけたくはない。そもそも、自分はあれに勝てるのか? あの暴走しきった悪魔のようなガンプラに――

 

「長谷川っ」

 

 声をかけられて、ぐいと現実に引っ張り戻された気がした。振り向けばそこには眼鏡の少年、日野が一人で立っていて。いつも一緒に居るイメージのある武田と川根は先に帰ったのだろうか、珍しいな。そう思いつつも、もしかしたらどこかに隠れて何か企んでいるんじゃないかと、つい身構える。

 

「なに?」

「あのさ。長谷川って、ガンプラバトルいつからやってたの?」

「……なに?」

 

 必要以上に警戒していた遊は、彼の質問がよく理解できなかった。ガンプラバトルをやっていたのはいつからですか?という単純な質問すら、言葉がつまり、まともな返事ができない。

 

「長谷川があんなに強いって知らなかったよ。ガンプラバトル。ねぇ、こんど一緒にやろうよ」

 

 驚いて声が出ない。同級生から遊びに誘われることが久々で、嬉しいという気持ちが湧いたのも事実だけれど、それをもみ消すほどの嫌悪感と不信感が溢れ出す。だって彼は一学期にあれだけ嫌がらせをしてきた一人で、それを謝ったり許したりということもなく、単に同じ趣味だったから一緒にあそぼうと誘うその無神経さは、遊がこれまで受けた感情を踏みにじる行為そのものだったから。

 

「ほらこれ、長谷川のガンプラでしょ。なんでYoutuberの動画に出れたのか知らないけど、初めて見たときはびっくりしたよ!」

 

 そんな遊の心境をいざしらず、日野は学校へ隠し持ってきていたスマートフォンを取り出して幾度か操作したあと、その端末の小さな画面をこちらへ見せてくる。

 

『桃井アイのバトルチャンネル! この闘技場でもかつてない死闘、接戦の末に勝利したのは――』

 

 手のひらに収まるスマホのモニターに映っていたのは、バンシィと戦う黒いストライクフリーダムの姿だった。

 

 

 

 画面の向こう側には、ピンク色を主体としたフリルの多い派手めな服装の、ポニーテールとリストバンドがチャームポイントの少女が笑顔を振りまいていた。彼女がスポーツの実況中継のような解説をはさみながら、二機の黒いガンプラが混じり合いぶつかり合う姿が映し出されている。ファイターの姿は一切見えない、声もカットされている。聞こえるのは桃井アイという少女の聞き慣れた声とビームライフルやサーベル、機械音。けれど、その黒いストライクフリーダムが遊のそれだということは、本人にはすぐに理解できた。

 

「これ、なんで……いつ知ったの」

「ついこの間だよ。びっくりしたなー、だってけっこう再生数出てる動画に、知ってる人が居たんだもん!」

 

 自分のロストフリーダムは画面のなかでバンシィと激しく戦闘を繰り広げていた。劣勢かと思いきや、ドラグーンを展開してから一転攻勢に出るロストフリーダム。朱い粒子が渦を巻き、残光のように流線を描く。その機体からは端末の画面越しですら殺意を感じるほど、目の前の相手を破壊することだけに集中しているようだった。

 

「長谷川、めっちゃ強いじゃん。ねぇ今度さ、僕にもガンプラバトルのコツとか教えてよ。対戦とかやってさ!」

 

 興奮する日野の言葉なんて聞こえてこない。遊はただ、見せられた動画の中で暴れまわる自分のロストフリーダムという存在から目が離せなかった。これは本当に自分なのか。まるで昨日戦った魁斗と同じ……想像以上に悪魔的で、破壊的な姿。朱い粒子をなびかせて黒いユニコーンガンダムを猛追する自分の愛機。両者譲らず、その姿がボロボロになってもなお、お互いがお互いを傷つけることを厭わず、止めようとしない。

 こんなガンプラバトル、ぜったい楽しいものじゃない。自分がやりたかったのは兄のように、バトル中もバトル後も笑って対戦相手と握手ができるような、そんな楽しいガンプラバトルだったはずだ。けれど画面の中では死闘が巻き起こり、誰も幸せにならない殺し合いが映されている。

 自分はすでに、楽しいガンプラバトルなんて求めちゃいけないほど、この手は汚れきっていたんだ。

 

「で、強くなったら僕も闘技場につれてってよ。動画出てみたいんだ! 武田くんや川根くんに内緒でさ。そしたらあいつらのこと見返してやれるんじゃないかって! だからさ――」

「いやだ」

 

 日野の言葉に、明確な拒否を返す。

 

「いやだよ。協力できないし、日野くんとガンプラバトルをするつもりもない。もちろん闘技場にも連れていかない」

「なんで?」

「なんでって」

 

「――おい、日野ぉ!」

 

 クラスメイトの中でも大柄な武田の、太い声が響く。彼はいつもの三人組で帰ろうと思ったらしいが、気づいたら日野が居なくなっていて、下駄箱の前で待っていたらしい。いつまで経っても日野が戻ってこないので、しびれを切らして戻ってきたということらしい。

 

「……へぇ、これからは長谷川と仲良くすんのか?」

「でも、あの動画見たでしょ! 長谷川とバトルやったら僕たちだってもっと上手く――」

「うっせぇな!」

 

 武田に突き飛ばされた日野が、隣の机を大きくずらすほど勢い良くぶつかった。それには遊も驚いたが、同時に、今までさんざん自分がされてきたことが返っているようで、いい気味だと感じていた。だから日野のことを助けようともしないし、助けたいとも思わない。さっき友好的に話しかけてくれたクラスメイトに冷めた目線を送るだけ。

 小学生から言えば巨体の武田は、座り込んでいる日野からくるりと向きを変えて遊を睨む。

 

「長谷川よぉ、お前俺のエクシアよくもぶっ壊してくれたよな」

 

 やはり夏休み初日のことを恨んでいるらしい。当然だ。好きなものを壊されて怒らない人なんて、傷つかない人なんていない。

 

「忘れちゃいないよな!?」

「……そんなこともあったね」

 

 ああそうか、今さっき日野が突き飛ばされたときに感じた気持ちが、エクシアを壊した時にもあったんだ。だからあの日家に帰った時、鏡の中の僕は変に笑っていたんだ。あの日、目の前の大きくて強そうな武田が泣くほど傷ついたってことが、僕自身にとってはとても気持ちがよかったんだ。

 僕は誰も幸せにできないし、誰とも楽しく遊べない。目の前の相手を傷つけることが楽しいって知ってしまったから。

 

「正直、ざまぁみろって思ったよ。クラスで調子乗って、僕のことをいじめてたキミが、あんなに大声で泣くなんて思わなかったもん」

「――っ!」

 

 遊は直後「黙っておくべきだったことを言ってしまった」と冷静になったが、覆水盆に帰らず、武田はその顔を真っ赤にして、頭のてっぺんまで血を遡らせて激昂した。言葉が先か身体が先か、怒りくるった彼がその手を強く握りしめて遊を殴るまでは一瞬もかからなかった。

 

「ちょっと、何をやってるの!」

 

 タイミングが良いか悪いか、担任の先生が戻ってきて二人の間に割って入った。

 

「騒がしいと思ったら、何が原因?」

 

 こういう時の先生、というより大人というのはいつも高圧的で、子供の目線で見るんだと言いながら、何もできない存在なんだと遊は知っていた。こういう時に正直に話しても助けてもらえないし、嘘を言えば余計に立場が悪くなる。黙っていれば、面倒になった大人は諦めて離れていくことを経験していた。

 武田も同じように思ったのか、しばらく沈黙が流れる。

 

「……何も話したく無いってことね。わかった。今日はもう下校しなさい」

 

 予想通り、先生は何をするわけでもなく、何を正すわけでもなく。ただこれ以上武田が暴れないように監視しながら、生徒たちを追い出すように帰宅させた。遊もその流れに乗って、武田に追いかけられないようにそそくさと学校から出ていく。

 

 

 

 殴られた頭部にはたんこぶができていた。けれどそんなに痛みはない。痛さなんてどうでも良かった。やっぱり登校日なんてズル休みすればよかったんだ、と囁く声が聞こえた気がしたけれど、それが誰の言葉なのかは分からない。

 遊の心は淀み、黒と白が混ざり合って、モノクロのマーブル模様を描き出していた。この黒く濁った気持ちをどんな言葉で伝えたらいいのだろう。どんな言葉が正しいのだろう。きっと辞書を引いても、小説家の人に聞いても、正しい答えなんてないと思う。

 

 ただ、はっきりとわかったことがある。動画に映っていたあのロストフリーダムは自分が思っていた以上に化け物みたいな強さで、壊さずに取り戻そうなんて考えが甘かったんだ。あれは壊してでも取り戻さなきゃいけない。他人の手に渡しちゃいけなかった。あれは僕の力だ。僕が、すべての破壊を――

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「……クソっ」

 

 道端に転がっているというだけで、石ころは少年に蹴り飛ばされた。力なく地面を何度か跳ねたそれは角が欠けてぼろぼろになっていく。無意味にそれを追いかけては、もう一度、側溝に落ちない程度に加減しながら再び蹴る。夕日に照らされた物静かな住宅地の路地を、涼介はうつむき気味に帰路を進む。

 ちょうど三度めのキックで大きく飛び上がり、地面とぶつかった石は衝撃で真っ二つに割れてしまった。代わりになるような手頃な石が転がっていないか辺りを見ると、大人が一人、自分を見ていることに気がついて。

 

「やあ。きみ、ガンプラバトルに興味はないかい?」

 

 くたびれたスーツ姿の痩せた男は、唐突にそう話しかけてくる。

 

「……誰、おっさん」

「おっさんは心外だなぁ。まだお兄さん、くらいの年齢なんだけど」

 

 猫背でメガネをしている男は、よく見ると確かにまだ若いと言える見た目だろう。けれど涼介にとってみれば二十代も三十代も変わらずおっさんだし、五十代以降はもう爺さんだ。小学生にとって学年の上下という一年間の差は重要でも、二十九歳と三十歳の一年は変わらない。目の前の猫背な男が自分より年上であるという事実に、何も変化はないのだから。

 警戒する涼介に対して、初対面だというのに青年は気さくに話を続ける。

 

「お兄さんね、ガンプラ作るのは得意なんだけど、ガンプラバトルは苦手でね……でも、どうしても自分のガンプラを戦わせてみたいんだ。これが本当に強いのかどうか――」

 

 変なことをしたら股間でも蹴り飛ばして逃げよう、そう思っていた涼介だった。けれど猫背の男は淡々と、彼と同じくらいくたびれた革の手提げカバンからプラスチック製の箱を取り出して、さらにその中に丁寧にしまわれた黒いプラモデルを取り出す。

 

「これは……」

 

 目を奪われた。いいや、心を奪われたと言ってもおかしくない。どこの誰とも分からない男が見せてきたガンプラは、あの黒い化物じみた強さのフリーダムと同じニオイを感じたのだから。姿形は全く違う、それどころか、原型――ベースキット――が何なのかすら分からないほどに混沌と混ぜ合わされたそれは、それでも確かにロストフリーダムと同じ雰囲気を漂わせていたのだ。

 喉から手が出るほど、それが欲しくなった。だが同時に、魁斗が体調を崩して吐いたことを思い出して、ぐっと押しとどまる。

 

「なんで俺に……?」

「ゲームとかって、大人より子供のほうがよっぽど上手いだろ。お兄さんは自分の機体が動いて、戦って、勝つ姿が見たいんだ。けれど、お兄さんは操縦が下手でね。だから君に――」

 

 少年の手に収まらない大きなプラモデルを手渡してきた男の指は細く、まるで悪魔のようで。

 

「このGPベースを使って戦ってくれたら、お兄さんはパソコンからリプレイ動画を見れるようになっているから、好きなときに好きな場所で戦ってくれたら良いよ」

 

 悪魔の囁きだったのかもしれない。でも、負け続けていた涼介にとっては神の与えに等しくも思えた。それが邪神だとしても、彼は手を伸ばさずには居られなかった。

 

「きっとキミなら満足のいく戦いを見せてくれると思う」

 

 男は期待を込めて言った。その機体に込めた粒子は朱く胎動していて――



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GBF-L #022「手放した情熱」

 足をくじいた。最初はただそれだけだと思っていた。

 骨折だと言われた。意味がよくわからなかった。

 中学生になるまで運動をせずにおとなしくしていれば、自然に治るとお医者さんに言われた。

 もし悪化したら、手術してネジを埋め込むらしい。

 母ちゃんはお医者さんの言うことを聞いて、おとなしくしてろと言った。

 だから俺は、大好きだったスポーツを手放した。

 

 代わりに見つけたガンプラバトルは、とても楽しいものだった。

 

 

 

──ガンダム ビルドファイターズ ロスト──

 ~ 第22話 手放した情熱 ~

 

 

 

 相変わらず蒸し暑い日が続く。遊は登校日の翌日、いつもより早い時間に家を出て、急ぎ足で闘技場へ向かった。

 奪われたロストフリーダムは破壊してでも取り戻す。取り戻せなくても破壊しなければならない。あれは僕だけが使っていいものだ。持ち主のもとへ、あるべき所へ戻さなければならない。持ち主といえば、涼介から預かっている白いMk-2だって返さなければならない。これはただ借りただけのガンプラで、本来自分が持っているべきではないのだから。

 涼介のことを考えて、ズキリ、記憶が軋む。魁斗がロストフリーダムを使ったあの日、涼介が濁った瞳でこちらを見ていたのを思い出す。どうしてそんな顔をしていたのだろう、涼介はもっと底抜けに明るくて、いつでも笑っているような奴だったのに。僕と戦ったときも、お互いボロボロになって最終的に負けた試合のあとでも、あれだけ笑っていられた奴なのに。

 

 考え事をしていたらあっという間に時間が過ぎて、気がつけば目的地についていた。

 

 

 

 闘技場の入り口である地下への階段を降りて、その重たい鉄扉を開ければ、ちょっとお酒の匂いが漂う空間が、エアコンの冷気とともに遊を迎え入れてくれる。

 

「来たか……って、珍しいな」

 

 相変わらずヒロシがカウンターの向こう側でくつろいでいた。毎日こんなとこにいて、やることが無いのだろうか。

 

「珍しいって? ここ最近、結構来てると思うけど」

「一番乗りがお前さんとは思わなくてな」

 

 ヒロシはそう返答した。つまり、この奥にあるバトルスペースには魁斗や涼介はおろか、今は誰も居ないということか。少し早く来すぎたようだ。

 バトルスペースに行っても魁斗がいないんじゃ意味がない。Mk-2を返すために涼介のことも待たなきゃいけない。

 どうせ待つなら、ヒロシと話をしようか。そんな気まぐれを起こした遊は、大人用に作られた高いイスによじ登るように座って、カウンター越しのヒロシに話しかけた。

 

「ねぇ、いつもは誰が一番のりなの?」

 

 対峙する大人は、いつも以上に気だるそうにイスに腰掛けながら答えた。

 

「黒田ってガキだよ。あいつ、いの一番にここへ来て、消防らが厨房にリンチくらうのを護ってるっぽいのさー」

「消防、厨房……?」

「ん、あぁ――中学生組が小学生組をいじめないように、見張ってるって意味だ」

 

 意味が通じていなかった言葉をわかりやすく言い直して、彼は「はぁー」と深くため息をついた。

 

「とにかくここは今、幾つかのグループに分かれてんのは雰囲気で分かるだろ」

「幾つかって……魁斗のグループと、涼介のグループってこと?」

「お前なんにもわかってねぇのな」

 

 ヒロシが軽く笑った。それが嘲笑だということは子供ながらに理解していたので、遊は少しむっとした。だが言い返せるものじゃない。自分はここに来てまだそんなに時間が経ってないし、ただ闇雲にバトルをするばかりだった。周囲の状況なんてこれっぽっちも考えていなかったのだから。

 

「まずは小学生グループだ。なんだかんだ才能はちらっちら見えるが、所詮ガキのお遊び。ガンプラの制作技量もバトルの操縦技量も程度はしれてる……本人たちは満足して楽しんでるっぽいけどな」

 

 なぜだろう。そう言ったヒロシの表情には、どこか優しさのようなものが見え隠れした、そんな気がした。普段はほとんどをこのカウンターバーのスペースで過ごしていて、自分たちとは距離を置いているような大人なのに。

 

「でもって、それをカモにしてガンプラ奪ってく中学生グループ。そいつらは年上だから消防なんざひと捻りさ。おまけに複数人でつるんで乱入すっから、消防たちじゃ手に負えねぇ」

「そんな……それじゃ、ただのいじめじゃないか!」

「まぁそこだけ見たらいじめと変わらねぇさ」

 

 気持ちが昂る遊を抑えるように、ヒロシは指を二本立てて見せつけてきた。

 

「とりあえず中学生と小学生のグループは対立してんだ。けどな、ややっこしいのがこっからで――」

 

 更にもう一本、立てられた三本目の指。

 

「早川魁斗。あいつがここへ来てから状況が変わった。あいつは基本、『乱入があったバトルにだけ乱入しにいく』ことにしてるようでな」

「乱入にだけ、戦いにいく……?」

「そ。まぁ要するに消防らに乱入した厨房をぶっ倒してたってことさ。おかげで消防狩りはめっきり減った」

 

 魁斗がそんな戦いをしているとは思わなかった。もしかして本当は良いやつなのか、と若干思った直後、自分との戦いでさんざんな物言いをしてきたことを思い返し、確実にそれはありえないと否定する。

 

「ぶっちゃけ早川は荒れてたここを立て直したとも言えるけど、お嬢――アイにとっちゃあ失敗だったんだろうな。次に連れてこられたのが黒田涼介でな」

 

 四本目の指が立てられる。

 

「黒田は最初こそ消防たちと遊んでるふうだったけど、そのうち物足りなくなったのかねぇ、厨房に喧嘩売るようになった……違うな、厨房の喧嘩を買うようになった。あいつらの乱入を片っ端から返り討ちにしちまったのさ。あいつ消防のくせにバトルの腕はあったからな、けっこうな厨房たちが負けまくってたぜ」

 

 負けた中学生たちの顔っていったら、ホント情けねぇの。と笑うヒロシ。

 

「早川はそんな黒田が目の上のたんこぶだったんだろうよ。そりゃそうだろ。自分が乱入者をぶっ倒して正義っぽい遊びやってたら、黒田っていう新参が真似してきたんだからな」

「あの二人は戦ったの?」

「当然さ。でもって結果は早川の全戦全勝。まぁ早川のガンプラは完成度が段違いだから、しゃーないとは思うけどよ」

 

 そして、とうとう五本目の指が立てられた。

 

「さて、そんなところに風のように現れたお前さんは、一体何を見せてくれるのかねぇ」

「……僕?」

「今や黒田を倒して、あの早川にも勝利目前に迫ったファイターはお前以外いない。単にガンプラを奪うのが楽しいって面じゃねえし、強さをアピールしたいってタイプでもない。お前の願いは何だ?」

 

 願いは何だ、その一言が鈍器のように頭を揺らした。自分の願い、叶えたい夢、目指すべき目標。足元が急に崩壊して闇の中に落ちていくような気さえする問いかけに、今答えられるのただ一つ。

 

「僕は……僕はもう戦いたくない。今日で最後にするために来たんだ。あのロストフリーダムを取り戻すために」

 

 その答えに、ヒロシはぷっと吹き出して笑った。

 

「早川が乗るかどうかもわかんねぇのに、ほんと。若いってか幼いねぇ」

「なにをっ!」

「一つ言っとくがここじゃあ、戦ったガンプラを奪うのがルールだ。もしあいつがロストフリーダムではなくジャスティスを使ってきたりすれば、たとえソレに勝っても本命は取り返せねぇぞ?」

 

 言葉に詰まる。たしかに、この闘技場はそういうルールだ。暴走したロストフリーダムだけなら、壊してでも勝って奪い返すこともできたかもしれない。けれど再びジャスティスと戦うことになったら……またボロボロになりながら勝利しても、次に勝てる見込みはない。それどころかジャスティスに勝てるかどうかも分からない。

 

 けれどそのルールを踏み越えてでも、あれを取り戻さなきゃ前に進めない。それだけは確固たる決意だ。

 

「だったら、魁斗がロストフリーダムを使ってくるまで、何度でもぶっ潰すだけだよ」

 

 その時、入り口の大きな鉄扉が開いた。遊が振り返ると、目が合ったのはここによく居る中学生グループだった。涼介でも魁斗でもないことに少し落胆しながらも、中学生たちがバトルスペースに入っていくのを雰囲気で察しながら、目をそらす。

 お酒の匂いが漂うカウンターバーは、子供には早いのかもしれない。

 

「ところで最近、アイちゃんを見ないけど」

「ああ、彼女はちょっと早い盆休みってとこだ。しばらくこねーってよ」

「そう……」

 

 ふと、アイちゃんがなぜここを開いているのだろうかという疑問が湧いた。

 さっきヒロシが言っていた「魁斗の存在はアイにとって邪魔だった」「涼介が連れてこられた」という話を含めれば、そう……自分だって、彼女に連れて来られた存在だ。だとすると、アイちゃんが僕に願うことは魁斗の撃退であるはずだ。けれど彼女は魁斗との決戦で何も言わなかった。

 それなのに、彼女は負けた僕を助け、再びガンプラバトルに招くこともした。あれは涼介の強引な誘いに乗ったのも大きな理由だが、もし魁斗を倒すことだけが目的なら、負けた自分のことなど捨ててしまっても問題なかったはずだ。

 

 分からない。分からないことが多すぎる。アイちゃんも、魁斗も、涼介も、きっと何か理由があってここに居続けているはずだ。それが分かれば、少しは自分の不快感もマシになるのかもしれないけれど――。

 

 

 

 再び鉄扉が開いた。遊がふり返れば、さっきから待っていた涼介の姿があった。声をかけようと思ったが、様子がおかしい。彼は普段、胸を張って顔を上げて歩いているのに、今日に限って背を丸めてうつむき加減に、その瞳を黒く濁らせていたのだ。

 

「涼介……?」

「遊、今日は早えんだな」

 

 まるで別人のようだった。異常だった。チームバトルをした時の熱い少年ではない、先日自分の前に立ちはだかった闘志もない。こちらに向けられていたのは、熱量のない殺意だった。

 冷たい気迫に首がしまる思いをしながらも、遊は声を絞り出した。自分でも驚いたが、その声は確かに震えていた。

 

「あ、ああ。そうだ涼介、借りてたMk-2を持ってきたんだよ。兄ちゃんに修理してもらったんだ。この間渡しそびれてて、ほら」

 

 ナップサックから一機のガンプラを取り出す。白い装甲のやや重厚な雰囲気のそれは、遊の手から本来の持ち主へと渡された。

 涼介はそれを受け取ると、まるで興味の無さそうに自分のかばんへと入れた。

 

「なぁ遊。バトルしろよ」

「……えっ?」

 

 涼介がMk-2をしまうついでに、そのかばんからガンプラを取り出した。それは普段見慣れているHGのサイズとは比較にならないほど巨大な、小学生の手には余りあるほどのサイズのプラモデル。

 

「見たこともねぇガンプラを貰ったんだ。強そうだろ? 早く動かしたくてさぁ」

「貰った?」

「そう。バトルが苦手だって言うおっさんから貰った」

 

 暗がりでよく見えなかったが、彼が手にしているガンプラはそのサイズからしても確かに普通ではなかった。今まで涼介が使ってきた機体は全て改造も塗装もされていない、組んだだけのシンプルなものだったと記憶している。けれど涼介はそれを楽しんで動かしていたのも記憶している。違和感はそこにあった。今の涼介からは、楽しさを微塵も感じない。

 

「……涼介、なんかおかしいよ」

 

 遊が軽く投げた言葉は、思いもよらず涼介の琴線に触れた。

 

「おかしい? おかしいのは遊、お前だろ。なんで普段はなよなよしてんのに、バトルの時は悪魔みてぇな目をするんだ」

「悪魔……?」

「ああ、お前は悪魔だよ。この間の魁斗だって悪魔だった。お前らの戦いは、俺の知ってるガンプラバトルじゃなかった!」

 

 涼介の叫びは遊の心に突き刺さった。異常なバトルをしていた自覚が沸き上がった。日野に見せられたスマホの動画がフラッシュバックした。嘔吐した魁斗の姿が脳裏に焼き付いた。悪魔、そう呼ばれても不自然ではないことを、自分がやってきていたことを自覚した。

 

「……けどよ。俺もこいつがあれば、悪魔になれそうだぜ」

 

 声が出ない遊を置き去りに、涼介が奥の部屋へ向かった。そこは先に来ていた中学生たちが戦っていて、その起動しているバトルシステムへと近づいていく。中学生たちも最初は何かの冗談だろうとタカを括っていたのだが、静止を入れるすきもなく、異変に気づいた時はすでに、涼介がGPベースを叩きつけていた。

 

『New Fighter Field In』

 

 けたたましく鳴り響く乱入アラート。全プレイヤーに表示される警告の文章。青々とした空と紅色の大地で覆われた空間に、朱い粒子を纏った異物が墜落する。

 二機の交わる戦場真っ只中に、白昼堂々土煙と衝撃音を轟かせて着地をしたそれは、涼介が新たに手にしたプラモデル。幾多ものパーツがフレームにあてがわれ交わり、それらを黒と赤に塗装されたカスタム機。機械的ではなく人間の筋肉を模したかのようなシルエットに刺々しい装飾を施した、身の丈は並の倍ほどもある巨躯。表示されている名は『剛鉄機』。

 

 

 

「乱入!?」

「おいおい、あいつ自分から殺られに来たのかよ!」

 

 既存のガンプラはその一瞬で並列になった。当然だ、さっきまでのガンプラバトルも、カモである小学生グループが来るまでの余興に過ぎず、そして乱入したのが目の上のコブである黒田涼介なのだから。

 AGE-1タイタスとブルデュエルガンダムが、起伏のある荒野を駆け抜けた。目標は新手、巨大な鉄塊。

 

「とりあえず、死んどけや!」

 

 推進力の高いタイタスが先に出た。自慢であり主力のビームリングを展開させて、ラリアットを決めにかかる。その速度は並のファイターでは反応すらできやしない。それが、着地した直後で周囲の様子を理解できていない機体ならなおのことだ。

 ビームがスパークとなって弾け飛ぶ。AGE-1タイタスのラリアットを受けて瓦解しないガンプラなどいない。はずだった。

 

「……効いてねぇ!?」

「っしゃおらぁ!」

 

 ビームラリアットを受けてなお、剛鉄機と銘打ったガンプラは健在。むしろその腕を片腕で受け止めているではないか。直後タイタスの腕と胸を掴み返すと、それを強引に引っ張って、肩関節から無理やり引きちぎってみせた。

 機体剛性もさることながら、タイタスの攻撃に反応できた涼介の操縦性能も、そしてタイタスの腕を引きちぎる機体出力もまた、異常だった。

 

「馬鹿力かよ……けど、見た所武器一つねぇ丸腰、なら!」

 

 ブルデュエルが多連装ミサイルを放ち、右肩のスコルピオン機動レールガンを撃つ。どちらもモビルスーツ戦闘において決定打になりうる火力の兵装だ。空気を揺らすほどの轟音が乱入者を飲む。

 閃光と爆炎で舞い上がった土煙が引いていく。だがそれも――

 

「損傷なし、だとぉ!?」

「強え、これは強えよ。あのおっさんに感謝しなきゃなぁ!」

 

 晴れた空に豪腕が伸びる。ブルデュエルガンダムとの距離を一気に詰めて、その拳を振り抜いた剛鉄機。爆発かと思われるほどの衝撃が、彼の動き一つで行われる。

 直後、紺色の装甲がバラバラに砕け散り、あたり一面にモビルスーツだったものが弾け飛んだ。

 

 巨人。豪腕。その周囲には、確かにあのロストフリーダムと同じ朱い粒子が漂っていた。

 

 

 

『New fighter field in』

「――涼介っ!」

 

 青空を切り裂いて、黒いガンダムが地上へ墜ちる。ロストフリーダムと呼ばれたそれは赤黒い翼を広げて、荒野で荒れ狂う鉄塊に急接近する。

 

「やめろ、涼介はそんなことをする奴じゃないだろ!?」

 

 目標を破壊しつくした結果、荒野に佇むに留まった剛鉄機に対して、遊は――彼の新たなロストフリーダムは、その全出力を左腕に載せてつっこんだ。ヴァイブレーションネイルは展開せず、サイコフレームの剛性に質量と感情を重ねて。

 

「あぁ!?」

 

 だが、それは届かない。剛鉄機にとって身軽なフリーダムの重量など、大人が子供に押された程度と言えるか。ぐらりと上半身が揺らいだものの、その脚部でしっかりと大地に食らいついた。

 朱い粒子が、さらに舞い上がる。

 

「俺が、どんな戦いをするかなんて、お前に関係あるのかよ!」

「それは――」

「遊。お前がここで見てきたものが、なんとなくわかってきたぜ。こいつのおかげで!」

 

 剛鉄機がロストフリーダムの左腕を掴み返して、棒を振るように簡単に投げ飛ばした。それはヴァイブレーションネイルを展開しなかった遊に対しての、殺意を向けなかった彼に対しての、最大限の嘲笑だった。

 土煙を上げて地面を滑るフリーダム。機体の損傷こそないが、圧倒的な出力と質量の差に、遊は目を見開いた。

 

「涼介、お前、そのガンプラは一体……?」

「バトルしようぜ遊。楽しいバトルをよぉ!」

 

 一歩、二歩、地面を抉るように歩む機体は、朱い粒子をさらに増やしていく。ロストフリーダムではないのに、ロストフリーダムと同じ面影を持ち、粒子を朱く染めていく。いや、あれは機体から発せられているものだ。朱い粒子を生み出している。

 あの機体は、危険だ。

 

「遊、今なら分かる。お前が強かった理由が!」

「涼介!」

 

 涼介にはガンプラを己の身体であるかのように動かす天性の才があるのは、今までの戦いでさんざん見てきたことだ。ガンダムMk-2で跳躍した時のように、剛鉄機も身体をグッと縮こませる。来る、それも特大の跳躍が。一瞬にして心臓を抉り出すほどの拳が飛んでくる。

 遊はモニター越しに見えた剛鉄機の動きと、朱い粒子と、涼介の殺意に、凍りついたかのように動けなくなっていた。

 

 

 

 だが、

 

『New fighter field in』

「駄目じゃないか。僕がいないところで、そんな戦いをしちゃあ!」

 

 新手。しかもこの声。このタイミング。天空から飛来するビームの雨に剛鉄機は急遽、アスリートのように見事な側転で回避してみせた。その先、大空に滞うのは紅い正義を冠する機体、ジャスティスガンダム。

 

「黒田。どこでそんな機体を手に入れたかは知らないが、この闘技場は僕の物だ」

「んだよ、誰が何で遊ぼうと関係ねぇだろ」

「そうだな。じゃあ遊ばせてもらおう、僕との勝負は三戦三敗、今回もキミを玩具にしてね!」

 

 舞い降りる正義は高らかに宣言する。

 

「早川魁斗、ジャスティス。出撃する! 僕は正義を執行する者だ!」




今回登場した「剛鉄機」は知人に登場依頼をしていた作品です。
とてもカッコいいプラモを作られる方です。
やっと劇中での活躍をお見せすることが出来ました。
この場を借りて改めてお礼申し上げます。

マヨネーズのマヨさん
Twitter:@mayonnaise999


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弾かれた一撃

ビルドシリーズ10周年のガンプラ発表で、気持ちが動きました。
しばらく放置しておりましたが、少しづつ書きたいです。


 一番であれ。彼の親はそう願ったらしい。その願いに応えるかのように、彼は一番であり続けた。だがその努力はねじ曲がり、正しくない方向に伸びていった。他者を蹴落とし、嘲り笑う彼の行いは、まるで正義とはかけ離れた存在だった。

 だがそれでも彼は正義だった。多数決の民主主義がまかり通るこの小さな世界では、過半数さえ取れれば邪悪も正義だ。たとえ脅迫や賄賂だったとしても、数の暴力こそが彼を正義に仕立て上げた。

 

 だがそんな仮初の正義なぞ長くは持たない。本来の正しさというのは未来永劫続くもので、悪に染まった権力の振りかざす正義が長く続いた歴史は存在しない。彼もまたその歴史通り、正義から遠ざかるときが来たのだ。その時、彼は悟った。正義など存在しないと。信頼など存在しない、簡単に人は裏切るのだと。人間とは利用し利用される存在だと。己も親の道具に過ぎないのだと。

 

 二番手に落ちぶれた彼に残っていたのは、正義を騙るガンプラだけだった。彼は再び一番になるために、利用できるものは全て利用して、敵になる者は全て排除した。ああ、目の前に光るダイヤの原石も砕かなければならない。自分の一番を守るために。

 

 

 

──ガンダム ビルドファイターズ ロスト──

 

 ~ 第23話 弾かれた一撃 ~

 

 

 

「早川魁斗、ジャスティス。出撃する! 僕は正義を執行する者だ!」

 

 ローズレッドの機体、ジャスティスはそのバックパックを垂直に変形させ、推力をより大きく発揮できるように展開した。それはサイズこそHGの、普段から遊や涼介が使っているガンプラのサイズだが、その詳細なディテールや稼働ギミック、スライドする装甲の隙間から見える内部フレームは、並のそれとは段違いに細かく掘り込まれていた。商品ブランドをリアルグレードと称するそれは、HGとは文字通り“格”が違った。

 

 通常あり得ない速度の急発進、急加速。空中で地面を蹴ったかのような速さに到達するジャスティスは、幾度もこの闘技場で勝利を掴んできた。魁斗にとっては信頼のおける機体であり、対峙する涼介にとっては、宿敵とも呼べる相手だ。

 

「黒田ぁ!」

 

 隕石のように飛来するジャスティス。それに対応すべく、涼介の手繰る剛鉄機は、獣のように両手を地面に下ろし、構える。

 

「早川……、邪魔すんじゃ、ねぇ!」

 

 文字通り、身体をバネのようにしなやかに扱っての跳躍。スラスターの一つも吹かさず、赤黒い鉄塊は空中へと躍り出た。四肢を回転させながら飛び上がったそれは、長い腕でジャスティスへと迫る。

 

「邪魔はお前だろぉ、黒田!」

 

 赤い正義は迫りくる黒い獣を狩るべく、腰のラケルタ・ビームサーベルを抜き、その刃を突き出した。その反応の速さ、詰まりのない滑らかな動きは、RGならではの再現度であろうか。剛鉄機は回避しようと身体を捻るが、間に合わない。

 隕石は彗星となり、空から裁きを落とす光となり、黒い獣の眼、メインカメラへと迫る。

 

「早川ぁっ!」

「デカけりゃ強いなんて、小学生の発想だよ全く!」

 

 いくら大きな機体であろうとガンプラである以上コクピットが損傷すれば終了だ。そして四肢が長いと言うことはそれだけ動きが怠慢になると言うことでもあり、一瞬で懐に潜り込んだジャスティスを黒田の剛鉄機は捉えきれないまま、二機はひとたびの邂逅となった。

 

「堕ちろ!」

 

 突き立てた閃光の刃。それは確かに機影の脳天に直撃した。

 

 

 

 スパークが弾け飛ぶ。黒田の画面は赤と白の明滅に包まれ、計器たちは悲鳴を上げる。勢いを殺せぬまま、剛鉄機は刃を突き出したジャスティスをその長腕で捉えるも、頭を熱源で焼かれつづけた。

 空中で混じり合った二機は、獣が正義を抱えるように、地面へと堕ちていく。

 

「ーーなぁ!」

 

 正確には“獣が正義を捉えて離さないままに、地面へと引き摺り下ろしていく”のが、正しかった。

 メインカメラを守るためのガンダムの顔が、ビームサーベルの熱量を押し除けてなお輝いて睨む。まるで刃を通さない甲冑のようなそれが、なお赤黒い粒子を纏って睨む。

 

「邪魔なんだよ、なぁ!」

 

 黒田の咆哮と共に剛鉄機が、掴んでいたジャスティスの腕を空中で握る。ミシミシと装甲板が悲鳴をあげて歪んでいくのを、魁斗は聞き逃さなかった。

 

「なんだっ、このパワーは……!?」

「俺が、知るかよ!」

 

 地面に激突する刹那、ジャスティスは巨腕によって背面から強く叩きつけられる。剛鉄機はその上に覆い被さるように、的を鷲掴みにしている右腕と、両足とを同時に大地へとつけた。

 速さの上ではジャスティスの方が上手かもしれないが、片腕を押さえつけられ、逃げられない状況になってはもはや意味のないものだ。

 

「邪魔すんなって言ったろ」

 

 磔にされたジャスティスに向かって、ぐぐ、と剛鉄機の左腕が軋む。その拳は、精密なRGを粉々に砕くことなど、些細なものだろう。虻が死骸に集るかのように、赤く黒く染め上げられた粒子は渦を巻いてその左腕に、エネルギーとなる怒りを喰い漁るべく集まっていく。

 

 

「――涼介ぇ!」

 

 

 

 飛び込んできたもう一つの黒。フリーダムのシルエットが全体重をかけての飛び蹴りを、エネルギー体に近しい左腕へと炸裂させた。

 

「遊……!」

「お前の相手は、ぼくだろ、涼介っ!」

 

 倒れるほどではなかったが、剛鉄機がわずかによろめいた瞬間に、遊の狩るフリーダムと、魁斗の乗ったジャスティスが空へと飛び上がった。

 ジャスティス、魁斗にしてみれば、フリーダムに救われた形となったが。当然ながら魁斗はそれを良く思うはずもなく。空へと逃げた二機は一度空中で機体をぶつける。

 ーー接触回線だ。

 

「おい、何のつもりだ!」

「早川! いまはぼくたちでいがみ合ってる場合じゃないでしょ!」

「あの機体じゃないお前が出てきて何になる!?」

「それは、そうかも……だけど」

 

 遊、魁斗、涼介。三者三様に異なる想いがあるものの、今この場で感じていることは一つだ。

 

 “剛鉄機”は異常だということ。

 

「ぼくはあれを破壊したい。けど、一人じゃ自信がない!」

「だからどうした!」

「何か、方法はない!? フィールドアウト以外で勝つ方法!」

「雑魚が! あのデカブツにはお前の腕じゃ勝てないさ。ボクの技量ならさっきのように懐に潜るまでは余裕だけど――」

「だけど!?」

「この機体、RGジャスティスを持ってしても、アレには勝てないな」

「な、なんでっ!?」

 

 魁斗がこうもあっさりと負け宣言をするなんて、と遊は呆気に取られたが、対になる魁斗はいたって冷静だった。

 

「見ただろ、さっきのビームサーベルを弾く装甲板! あれはきっとナノラミネートアーマー……鉄血のオルフェンズに登場した、ビーム攻撃にはほぼ無敵のトップコートさ!」

「ビームに無敵!? チートじゃん!」

「オレたちSEEDはフェィズシフト装甲で物理にかなり強いんだぜ。それも知らずにチートだなんて騒ぐなよ!」

 

 そう言われて、遊がジャスティスを改めて見たところ。確かに地面に強く叩きつけられても、腕が潰れるほど握られていても、ジャスティスは稼働限界にならずに動き続けている。それはRGならではの剛性かもしれないが、ガンダム作品の設定にも紐づいているということが、初めて理解できた。

 

「無知なニワカに教えてやるとな、SEED作品は物理に強い装甲があったからこそのビーム合戦、ジャスティスのサーベルもライフルも一級品だがビーム兵器。どこまで行っても泥臭く実弾戦をしてた鉄血機とは相性が悪い!」

「だから勝てないって」

「いーや! このジャスティスには無いが、お前にだけは搭載されてるだろ。ビーム兵器じゃない武装が!」

「それって」

 

 ストレートに組んであるジャスティスには無くて、カスタマイズされたフリーダムにはあるもの。背中のバラエーナ砲でも、腰のラケルタでもない。その異形の両腕、光り輝くサイコフレーム……。

 

「お前の腕の“ヴァィヴレーションネイルを貸せ。それが黒田への唯一の有効打だ」

 

 

 

続く



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灯された闘志

 

 

──ガンダム ビルドファイターズ ロスト──

 〜 第024話 灯された闘志 〜

 

 

 

「この左手だけが、あれを倒せるって……!?」

「ああ。これだけの完成度を誇るボクのジャスティスでさえも、あの装甲は抜けない。そういう設定なわけ。そんなことも知らずにガンプラバトルをやってたのかよ!」

「なっ、でも、……」

 

 返す言葉がなかった。たしかに遊はガンダム作品への知識が皆無だ。兄であれば、ガンプラコーナーへプラモデルを買いに行った日、壁一面に積まれたプラモデルの機体と特性はすらすらと言えただろう。けれどその弟は、余りにも未熟だった。

 

「お前が貸さないって言うなら、ボクは一旦戻る」

「戻るって?」

「フィールドアウトだよ。こんな勝負さっさと降りるのが勝ちさ」

 

 遊は魁斗のことを「思いの外冷静だな」と思ったが、彼の言葉にすぐに考えを改めることとなる。

 

「ジャスティスで勝てなくても。そうだな、お前から奪ったあの黒いストフリなら……」

「待てよ魁斗、お前それってーー!」

 

 ロストフリーダムを使うつもりか?と聞こうとしたが、その言葉はストレートすぎる。確実にYESが帰ってくるだけだ。そうすれば魁斗を止めることが出来なくなるし、今の自分では涼介も、ロストフリーダムを使う魁斗も止められないだろう。そうなったら、地獄だ。

 ここで言うべき言葉は、ストレートな質問じゃない――この刹那、遊は今までの記憶を頼りに、小さな頭をフル回転させて、自分の願いを叶えるための言葉を選んだ。

 

「それって、涼介に負けを認めるってこと!?」

「……は?」

 

 魁斗は、まさか小学生の、自分より年下の、普段から頼りなさそうなナヨナヨしたガキに挑発めいたことを言われるとは、思いもしないところだった。

 

「おい、もう一回言ってみろ」

「だから、自慢のジャスティスではあの涼介に手も足も出ないし、なんならボク……お、オレが腕を貸さなかったら、他人の機体で勝ちに行く、ってこと、なんでしょ?」

「お前、よくそんな――!」

 

 接触回線のモニター越しに見える顔が真っ赤になったかと思えば、一瞬ぐわんと下にフレームアウトした。そして1秒の間をとって、至って冷静に、あたかも策ありというような表情で、魁斗は前髪を手で掻き上げて宣言した。

 

「遊くん……キミは何か勘違いしてないか? ええ、ボクが涼介に勝てない? そんなことあるはずがないだろう!? 今まで常勝無敗、この闘技場の支配人であるこのボクが、涼介ごときに!」

「ぼ、ぼくは闘技場の新米だから、わからないなぁ〜……」

「なら見せてあげるよ! このボクがいかに優れていて、人の上に立つべき存在なのかと言うことを!」

「お、おお〜っ!」

 

 遊は心の中だけでガッツポーズをした。魁斗がその気になってくれるのならば、勝機はまだ残っている。

 

「遊くんっ! この戦いの勝利条件は!?」

「な、なに……?」

「なにでは無い、返事はボクの部隊に配属された隊員のようにしたまえ!」

「あっ……サー・イエッサー!!」

 

 なんだか思惑以上に、魁斗の踏んではいけないスイッチを踏んでしまったようだが……勝てるならばこの際何でも良い。

 

「改めて遊くん、この戦いの勝利条件は何かな?」

「そ、それは……あの敵モビルスーツの、撃破でありますっ!!」

「よろしい! では必須武装であるバイブレーションネイルの破損が敗北条件だ。ならば、遊くんっ! キミはこれから送る座標へ一つずつ行動してくれたまえっ」

 

 それを皮切りに、二人の接触回線は途絶えた。すぐさま遊のモニターには、いくつかの座標データが送られてきた。それは地面スレスレだったり上空だったりと粗雑なように見えたが、素人目線で考えると「急上昇と急降下を繰り返す」ものだった。

 

「これに何の意味が……いや、考えても、仕方ないか!」

 

 改めて、身体に馴染む機体の操縦桿をぐっと握り直し、遊は一つ目の目標ポイントへと急いだ。

 

 

 

「こそこそと、何を喋ってたのかは知らねえけど」

 

 フィールドの中央、赤い大地と青い空に挟まれた巨大なガンプラ“剛鉄機“が、グググと身体を曲げて構えをとる。

 

「バトルの続きと行こうぜ、遊っ!」

 

 跳躍、と呼ぶには激しすぎる地面の揺れ、機体の挙動。鉄塊が跳ぶには普通推力のいくつかを補うためにバーニアやスラスターを使うものだが、この機体はそんなものを使わずに、バトルフィールドの最上空まで飛び上がれるのだ。

 

「涼介、その機体は、きみのじゃないだろ!?」

「だからどうしたぁっ!」

 

 遊のロストフリーダムを易々と飛び越え、上空へと舞い上がる剛鉄機。そこからスラスターを巧みに使い、まるで翼があるかのように、鋭角に、ロストフリーダムめがけて飛び降りる。黒い機影が隕石のように加速して迫る姿は、鉄血の機体をベースに組み込まれたことも含めて、まるで阿頼耶識で動いているかの如く。

 飛び込んでくる敵影に、効果がないと分かっているが、遊は右腕のビーム・スマートガンを展開した。

 

「なんかよくわかんねぇけど、この機体にビームが効かねぇのは、なんとなく理解したぜ!」

 

 ジャスティスにサーベルを突き立てられたあの一瞬の出来事で、涼介にはこの機体がどう強いのかが理解できた。そのあとの長話も、ロストフリーダムの挙動も知ったことではないが、『この機体がビームを弾き返した』という事実だけを汲み取って、涼介はその特性を感覚で知ったのだ。それは涼介の才能か、バトルのセンスの高さは遊や魁斗をはるかに凌駕している。

 年上の中学生を相手取って大立ち回りを繰り返していたのは、バトルセンスの高さからに他ならない。ロストフリーダムを傷つけた最初のバトルも、素組みのバンシィでやってのけたファイターだ。

 

「わかっていても!」

 

 遊がトリガーを引く。指示通り放たれた紫光の筋は、剛鉄機の肩装甲に見事命中、だがそれも貫通することなく、水鉄砲のようにむなしく散るばかりだ。

 

「貰ったぜ、遊っ!」

 

 勢いを殺さず、ビームスマートガンにも躊躇せずに猪突猛進していた涼介の腕が、蝿のように飛び回るフリーダムの翼めがけて、ぐんと伸びていく。

 回避行動をとるべきか否か、遊は剛鉄機が迫る最中、ギリギリまで直進する動きを止めなかった。「魁斗には勝てる作戦がある」ことに、一か八かの賭けに出たのだ。信頼の置けない相手だが、ここで引いても意味がない。自分一人ではこの機体に勝てないし、魁斗の機嫌を損ねても意味がない。愚直に、自分のできることをするしかない。遊はその一点だけは迷わずに信じることにしていた。

 

「優秀な上司は命令を守る部下を、見捨てたりはしないものだ!」

 

 ガツン!と隕石にぶつかる物体。それはジャスティスの背負う、スラスターの集合したバックパックでありながら、短時間の自立行動が可能なファトゥム00だ。その上に乗っていたジャスティス本体が、剛鉄機の背中に飛び移る。

 

「んなぁ!」

「いくらビームに強くても、これならっ!!」

 

 左手は剛鉄機の肩をがしりと掴み、背中に跨るように食いついたジャスティスは、右手に握ったビームサーベルのつかの部分を、ちょうどフリーダムを掴もうと伸ばしていたためガラ空きになった右側の横っ腹に、止まらぬ速さで押し当てる。

 

「爆ぜろーー」

「させっかよ!」

 

 こんどは瞬時に理解した涼介が、伸ばしていた右腕を使っての肘打ちで、ジャスティスの右腕ごとビームサーベルを弾き飛ばした。その衝撃たるや、ジャスティス本体が剛鉄機から振り落とされるほど強力で、一回転する剛鉄機から弾き出されるようにジャスティスが宙を舞った。決死の一撃はわずかに決まらず、空中をサーベルの熱量が通り過ぎただけだった。

 

「涼介、魁斗っ!?」

「遊、キミはボクの指示通り動けばいい!」

「テメェ、邪魔ばっかするなら――」

 

 今度は剛鉄機がジャスティスの方向を睨むが、すでにファトゥムが本体を回収済みだ。空中機動に難がある剛鉄機はそのまま地面へと着地する。

 

「黒田涼介。キミのバトルセンスは獣みたいに鋭いのは評価するよ。けれど、このボクにかかれば、狩りをするようにお前を倒せるってのをさ、ここで証明してやろうって言うんだよ!」

 

 地上に落ちた隕石に、こんどは地上スレスレまで急降下したジャスティスが迫る。ローズレッドの翼を広げ、土煙を盛大に捲し立てながら、悪魔のようなツインアイめがけて飛び込む形だ。

 

「突っ込んでくるってのか、なら!」

 

 剛鉄機が地面に足の鉤爪をめり込ませ、グン、と姿勢を低く構える。両手を大きく広げ、全身に紅いプラフスキー粒子を纏う。その粒がまた一回り濃く、黒くなって、大気中を飛ぶ粒子も取り込んで大きく、激しく流れを作る。中心はもちろん、剛鉄機だ。

 

「止めてやんよ」

 

 それはどんどん激しくなって、竜巻か、大型の台風かと見紛うばかりに広がっていく。そんな渦の中心めがけて、小さな小さなジャスティスは果敢にもバーニアの火を灯して。

 二つは瞬きの間に、それぞれの光を交差させる。ぶつかる金属音が鈍く響く。果敢にも、ジャスティスからビームの類いは出されていない。

 ショルダータックルの形で左側を押し付けるジャスティスの、全身のバーニアとスラスターが雄叫びをあげた。

 

「コイツ、馬力だけで!?」

「ガンプラの出来栄えが違うんだよ、ボクのジャスティスは!!」

 

 2倍ほども体格差があるジャスティスと剛鉄機だったが、その差を厭わぬ完成度で、ジャスティスの側がほんの僅かに押し勝っていた。地面を穿っていた剛鉄機の鉤爪がグラリと揺れ、直後に大地が悲鳴を立てて砕けた。杭のように打たれた両足が支えを失って、鉄塊がひとかたまりに地面を飛ぶ。

 踏ん張りの効かない空中ではさすがの巨躯も流されるばかり、各部のスラスターだけでは押し戻せない。

 

「お膳立てはしたぞ遊! 決めてやれっ!!」

 

 地面から引き剥がした剛鉄機に対して、ジャスティスはさらに空中で回転蹴りをする。それ自体は軽微なダメージだが、押し出されるように宙を舞う。

 

「んぐぅっ!?」

「――涼介!」

 

 上空から、燕が狩りをするごとくその翼を小さく折りたたみ、指定されたポイントまで一直線に駆ける。

 

「この武装だけが、涼介に届くなら――!」

 

 左腕のサイコフレームに伝心し、電振。ガンダリウム合金さえも容易に切り裂くヴァィヴレーションネイルを眼前に突き出し、燕が嘴で狩りをするように、指定されたポイントに――ポイントに誘導されていた剛鉄機に――直角に墜ちていく。

 

「涼介っーー!」

「遊ぅ、んにゃろぉ!」

 

 金色の爪が、様々なガンプラのパーツで構成された剛鉄機の装甲を、ばりばりとガンダムフレームから剥ぎ落としていった。バイブレーションネイルは骨を断つことこそ叶わなかったが、表皮を砕き、鮮血のような朱い粒子を、その身から大きく吹き出させた。

 

「これは――!?」

 

 ロストフリーダムは返り血のような朱い粒子まみれになり、遊のコクピットから見える視界もまた、同じ朱に染まった。

 

「負けたくない」

「逃げられない」

「勝ちたい」

「勝負したい」

「超えられない」

「どうして」

「どうして」

「どうして!」

 

「この声は、誰の――」

 

 反復される少年の声は、最初こそ涼介のものかと思われたが、次第にそれは数多の少年たちの声に重なり、そして最後には

 

「どうして」

 

 自分自身の声となって、遊の心臓を貫いた。

 

 

 

 胸元を酷く抉られたような不快感。内臓から込み上げる吐き気に襲われて、遊は咄嗟に口を押さえる。胸の痛みが呼吸を乱して、その視界を涙で滲ませた。朱いプラフスキー粒子を肺に吸い込むたびにそれは酷くなるような、そんな気がした。

 

「――お前は、何を望む」

 

 その言葉が、遊の心にだけ響いた。

 

「俺は……!」

「俺は勝負したい! 正真正銘の真っ向勝負がやりてぇ!!」

 

 声の主は遊ではない。遊にだけ聞こえていたと思っていた声は、対峙する剛鉄機のコクピットに居る同じ少年の、涼介にも届いていたのだ。

 

「遊、まだ勝負はおわっちゃいねぇ。これからが本番だ、そうだろ!?」

「涼介っ……」

 

 二人は朱い粒子に包まれて、今にも崩れ落ちそうなほどに呑まれていた。それでもなお、涼介は心に小さな灯火を、エメラルドグリーンのプラフスキー粒子を宿し、夜空に輝く一番星のように、嵐の夜に輝く灯台のように、その心を光らせていたのだ。



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