疾風と正義の女神と正義の味方 (たい焼き)
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プロローグ
世界の中心と呼べる程に金も物資も人も集まるオラリオの街は人の熱気と活気に満ちあふれている。メインストリートを歩けば様々な店や露店が己の店の商品を買ってもらおうと、商人達の客引きの声が喧騒を上回っている。
行き交う人々は人間を始め、エルフ、ドワーフ、小人族に多種多様の獣人族達。何より驚くのはこのオラリオの街の規模そのものだ。他のどんな街や大きな港がある街も大国の首都でさえこのオラリオの街の前では霞んでしまう程だ。その秘密はオラリオにしかないあるものが関係している。
『ダンジョン』と呼ばれる大きな穴がオラリオの街の地下には存在している。まるで生きているかのように次々とモンスターを壁や床から生み出し、中に入って来た侵入者だけではなく、穴からモンスターを排出して人々を殺し破壊と暴虐の限りを尽くさんとする。
今でこそそれはオラリオの街の中心にそびえ立つ巨大な塔に塞がれているが、遥か昔にはそれこそ何千何万では効かない程の人々が殺され、世界は絶望に包まれていたという。
そんなオラリオの街でも目立つ人影が一つ。顔から足元の靴まで隠れるローブに身を隠しながらメインストリートを避けるように裏路地を歩いている。つい先程オラリオの街に密かに潜入することに成功した人影は一先ず落ち着ける場所を探すべく、
「おい、止まりな」
物陰からすっと計4人の男が現れあっという間に囲まれる。逃げ道を塞ぎ、刃物をちらつかせて脅し、金品や高価な物を奪う、こういった人の目の少ない場所では少なくない頻度で起こる強盗事件の一つだ。
「安心しろ。金目の物さえ置いてけば命だけは助けてやるさ」
周りの男達もニヤニヤと笑いながら一歩ずつ距離を詰める。だが圧倒的不利な状況に置かれているにも関わらず全く動じた様子がない。首を僅かに動かして周りのならず者達を一瞥する。
「……アーチャー、蹴散らしてください。……殺してはなりませんよ」
女性らしき透き通った声であったが、それよりも彼女の言葉の方が気になった。
「あ? 何言って……?」
唐突に零した言葉に疑問を持った時にはもう遅く、ちょうど正面に立っていた男が何かによって蹴り飛ばされ、側に置かれていた樽に激突して意識を刈り取られる。それに一瞬遅れて気がついた他の三人も突然現れた屈強な男にあっという間に地に叩き伏せられた。
「終わったぞ。それで、彼らの処遇は?」
「放置で構いません。今はとりあえずの拠点を探す方が先決です」
幸い今の時期は気温が安定していて夜になっても冷え込みが激しいといったことはない。仮に目を覚ますのが夜になっても凍えて死ぬことはないだろう。
4人の男を一瞬で片付けた男は再び姿を宙に消し、ローブの人影もまたオラリオの影に消えていった。
■
「ここまで来れば良いでしょう」
ローブの女性がやや古びた木の椅子に腰をかけることができたのはあれからしばらくしてからだ。5年という歳月をオラリオから離れていた彼女にとって、今のオラリオは少々眩しすぎた。悪が蔓延り女子供が笑顔を振りまきながら出歩けないあの頃のオラリオが脳内にこびり付いていたが、それはまたたく間に払拭された。これを成したのが自分の眷属であった一人の少女というのだから、自分もほんの少しだけ誇らしい。
同時に辛い思いもさせてしまった。思い出されるのは5年前の彼女の姿。不器用で厳格な彼女だったが、自分やファミリアの皆に見せる微笑みは忘れようがない。あれからもう5年も経ってしまった。彼女は一体どれだけの血に塗れてしまっただろうか。それでもなお前に進めているだろうか。
ローブを脱ぎ捨て、彼女本来の姿が見える。思わず目が奪われてしまうような美貌の美しい女神の姿がそこにはあった。その女神はかつてオラリオの治安と秩序の維持を担っていたアストレア・ファミリアの主神だった。
「ああ、少々埃っぽいが、それは仕方あるまい。後ほど軽く掃除しておこう」
机と椅子が2つ。衣類を収納できるクローゼットに簡素なキッチン。あまり寝心地のよろしくないベッドが一つのみ。本当に最低限の設備だけの賃貸住宅だが、身を潜める必要がある今ならば丁度いい隠れ家になるだろう。メインストリートから離れている分安めの値段で契約を結べたからいいだろう。
「ありがとうございます。アーチャー」
どこで買ってきたのか、紅茶を手早く淹れた男性が女性の前にそれを置く。
「まさか再びオラリオに戻って来れるとは思いにもよりませんでした」
「構わんよ。元より君に力を貸すと決めたのは私だ。精々上手く使ってくれ」
目の前の男はそう素っ気なく言う。思えば今の自分があるのはこの男と出会ってからだったか。数ヶ月前、私はオラリオから離れた小さな農村の僻地に隠れ潜びながら日々を過ごしていた。何もできず、何もやろうとせず、食料や日用品が尽きれば持たされた金品と物々交換して飢えを凌ぐ毎日。そんな日々を過ごしているある日、男が現れた。男は生気の無い目をしていた私の話し相手をしてくれた。世間話をしているだけでも少しずつ元の自分に戻っていく気がした。
「そんなに心配ならオラリオに行ってみればいいじゃないか」
毎日を過ごす内に彼から提案されて私の体の機能は停止した。今までオラリオに帰りたいと思ったことは何度もある。唯一残ったあの子に会いたいと思ったことは数知れない。行こうと思えば行けない距離ではないにも関わらず行けなかった。否、行かなかった。あれから変わってしまったであろうオラリオの街や生きているかも分からないあの子に会うのがひたすら怖かったからだろう。
「彼女のことは何も知らないが、きっと恨んでいないと思うぞ」
ガツンと金槌で殴られたような衝撃で意識を引き戻され、なぜ?と聞いてみた。すると拍子の抜けた答えが返って来た。
「正義の体現者というのは皆どうしようもないお人好しばかりだ。彼女も君も、自分ばかり責めていては辛いだろう?」
「だからこそ背を向けず向き合いたまえ。何かしなければ何も変わらないのだからな」
それからは悩みに悩んだ。何日も悩み抜いて覚悟を決めてこの地に立っている。目を背けたくないと決めてしまったから。
「それで、これからの方針はどうするつもりかね?」
「早くリューを探したいという思いもありますが、旅費とこの家で資金の殆どを使い切ってしまいましたからね……」
小さな袋を傾けて溢れ出てくる硬貨はごくわずか。端金程度しか残っていなかった。
「ふむ。では当面は資金調達と情報収集となるわけだが、こちらは私が受け持とう。君は万が一に備えてここから出ない方がいい」
「申し訳ありません。何から何まで任せてしまって」
「仕方あるまい。闇派閥とやらが壊滅したとはいえまだ残党が息を潜めている可能性もある。アストレア・ファミリアに恨みを持つ者も少なくはないだろう」
「欲を言えば誰か信頼の置ける者と連絡をしたいですね。ガネーシャ辺りの派閥は昔から交流もありますし力になってくれるかもしれません」
「その辺りは後ほどでいいだろう。暗くなる前に何か手早く買ってこよう。暇つぶしの本や情報誌辺りもあった方がいいな」
「はい。お願いしますね」
何故か私に救いの手を差し伸べ、アーチャーと名乗り本名を明かさない彼は本当に頼りになる。この日は彼が買ってきたパンと昔よく食べたじゃが丸くんとで腹を満たし、翌日に備えることになった。
そして私が眠りにつく直前に部屋の中から姿を消すアーチャーの姿が瞼に映り込んで来た。
■
翌日、寝ぼけた目をこすりながら周りを見渡すととてもじゃないが信じられない光景が見えた。埃っぽかった部屋は綺麗に掃除され、ガタが来ていた家具は全て新品に代えられていた。真新しい机に何故か置かれているサボテンには驚いたがそれ以上に驚くことがある。
キッチンが驚くほど劇的なビフォーアフターを迎えている。ピカピカの新品なのは勿論のことだが、鍋すらなかったキッチンに一通りの調理器具が揃えられていた。調味料も塩や胡椒の基本的な物から香辛料やハーブ、あまりメジャーじゃない物まで網羅されていた。
「やあ、起きたか。もうすぐ朝食ができる。顔を洗って来なさい」
極限まで鍛え上げられた褐色肌の肉体の上からこれまた何故かよく似合うエプロンを着込んで料理をしているアーチャーがいた。焼ける音と匂いからして卵とベーコンだろうか。
「ええ、おはようございます……」
驚きのあまり面食らったが、目が冴えると同時にハッとして洗面所で身だしなみを整え、席につくことにする。
「これは一体、どこにこんなお金が……」
「ああ、君には言ってなかったな。私にはこんな魔術が使えてね」
彼の説明によると一度見た物ならば魔力を消費するだけで複製品を作り出せるのだという。武器の、特に剣のカテゴリーが得意だと言っていたが、日用品や家具でもできないことはないらしい。これで家具や調理器具を一新したそうだ。
「便利な能力なのね。……あ、美味しい」
「そうか、気に入ってくれて何よりだ」
少しだけ微笑んだ彼の横顔がちらりと映る。もしかして結構家事とか得意なのだろうか。
「それで、君が言っていた眷属というのは彼女で間違いないか?」
彼が差し出したのはギルドが販売している冒険者達のグッズだ。これも立派なギルドの収入源の一つなのだからレベルが上がり、人気が出ればそれだけ多くグッズが作られる。当時のリューは今はオラリオ1の剣士と呼ばれる『剣姫』アイズ・ヴァレンシュタインと競い合う程人気で注目があった冒険者だった。
そんな中で作られたブロマイドは少し古くなっていたが、当時のあの時の姿のままだった。美しい金色の髪のエルフだった。
「彼女だが、やはりギルドから要注意人物として登録されている。冒険者としての資格も剥奪されている」
「やはり、ですか」
「といっても形だけのような物らしい。彼女は闇派閥を一人で壊滅させたそうだ。その行いこそ正義だが、文字に起こしてしまえばただの殺戮だ。オラリオ全体からすれば英雄のような行いだが、ギルドとしての面子を保つには必要な処置だったというだけの話だ」
人は何かを犠牲にしなければ生活できない。食欲を満たすために他の動植物を殺し、魔石という資源を得るためにモンスターを殺し、街や国を維持するために英雄を切り捨てる。たまたまリューに白羽の矢が立ったというだけ。とてもじゃないが納得はできないが。
「一先ず彼女のことを知っている人物を探してみるとしよう。ああ、食べ終わった食器は流しに置いておいてくれ。夕暮れ時には帰ってくるが、お腹が空いたらそこの白い箱の中にサンドイッチを用意している。それを食べていてくれ」
なんと昼食の準備までしているという。何から何まで任せてしまうと、このままだらけてしまいそうになる。
「ええ、わかりました。いってっらっしゃい、アーチャー」
「ああ、行ってくる」
扉が閉じられる。
「さて、頑張りましょう」
この先はきっと長くなるだろうが、不思議と明るく照らされている気がした。
アストレア様って原作で一言でも台詞ありましたっけ?
口調とか大体イメージ通りでしょうか?
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1話
すっかり軽くなってしまったポーチを何度か小さく放り投げて重さを再認識する。生活資金すら禄に捻出できなくなるほど緊迫する状況になりつつある今、資金調達は自らが力を貸しているアストレアの目的以上に重要視しなければならない。なぜなら明日食う食料の調達すら困難な有様だからだ。
だがここは迷宮都市オラリオ。幸いなことに金を稼ぐ手段は腐るほどある。一文無しでも可能性はあるだろう。そう希望を持っていたのも始めの方だけだった。
まず最も多くの金を稼げる可能性のある仕事は冒険者になってダンジョンから魔石やドロップアイテムを持ち帰りギルドで換金するというものだ。しかしダンジョンの中には原則冒険者しか立ち入ることができない。そして冒険者になるためにはオラリオに数多く存在する主神達の誰かから『神の恩恵』を受け取らなければならない。神の恩恵が冒険者として登録する上で必ず必要となる物で、これだけは抜け道が存在しない。過去に神の恩恵を受けずにダンジョンに潜った者も居たらしいが、その大半が帰らぬ人となったため、規則として確立してしまったのだ。
勿論アーチャーは神の恩恵を受けていない。理由は幾つかあるが、一つは必要なかったから。既に英霊としての力を持っており、そこらの冒険者に負けない程度には後れを取ることは無いと判断したからだ。そして、自分が英霊であるということ。生前ならばともかく今は実体を持たない霊体の身だ。どこからともなく何故か供給され続けている魔力のおかげで現界する上で依代となるマスターの存在を必要としていないが、今を生きている人々に恩恵を与える『神の恩恵』が死んで時の止まったアーチャーに適用されるか怪しかったということだ。
そして最後の理由にアストレア自身の今の境遇がある。
アストレアという神は一度眷属達がほぼ全滅し、ファミリアが壊滅している。そしてその後の【疾風】による闇派閥の殲滅事件。彼女は全く悪くないのだが、これによって闇派閥全体から殺意を向けられ、アストレアに連なる者達はその存在を隠匿する他なくなった。
これらが積み重なり、アーチャーは表立ってアストレアの関係者を名乗ることができず、恩恵を受けられないため冒険者登録もできない。
だがせめて他の就職先が無い物かと、掲示板に貼られた求人票に目を通している。市役所等が存在しないが、こういった就職先の斡旋等も冒険者ギルドが請け負っていた。
アーチャーは生前親を亡くすのが早かった。早急に家事をする必要があったため、人並み以上の家事の腕を持っていると自負している。料理も掃除も洗濯も含めて何か活用できる仕事は無いかと探してみた。
仕事そのものはあった。調理ができる者を募集している料理店や酒場。家政夫を求めている富裕層の家。ファミリアそのものが冒険者ではなく家事ができる者を求めている張り紙もあった。だがいざ手続きをしようとするとまた異なる問題が発生してしまった。
身分証明ができないのだ。
オラリオは基本的にどんな者でも受け入れる。そしてオラリオで市民権を得る方法も幾つかある。他国からオラリオに移住する場合は他国での戸籍や身分証明ができる物が必要だ。そうでない辺境の農村や人間ではない種族の場合はファミリアに加入して冒険者登録をすれば市民権も一緒についてくる。もしくはそれ相応の金を積むことでそれらをパスできる。
見事にアーチャーにはどれも持ち得ていなかったのだ。
「まさか英霊になってまで就職難に陥る羽目になるとはな……」
これにはアーチャーもヘコんだ。高校を卒業したらすぐにロンドンへ留学する師匠について海外へ渡り、袂を分かってからは世界を放浪したが、そこではなんとかやっていけた。人助けの報酬として望む望まないに関わらず大金を受け取ることもあったし、百余名の料理人達とメル友になった縁でその店で料理の腕を振ったこともある。人理焼却の際にカルデアのサーヴァント達の中の端に名を連ねた時は、暇を見つけては人手不足で稼働していなかった食堂を数人の仲間サーヴァントと切り盛りした覚えもある。
「しばらくは日雇いのバイト暮らしだろうな……。探してみようか」
初っ端から出鼻を挫かれるが、この程度の不運には慣れた物だ。
■
しばらくして都市最大の農業系ファミリアである『デメテル・ファミリア』が臨時で働き手を募集しているとのことでそちらに参加することにした。米国の機械化農業を思い出す広大過ぎる畑を団員達が鍬を振り上げて耕しているというのだから改めて恩恵による身体能力の上昇には驚きだ。
「それにしてもお兄さん、随分力も体力もあるね。どこかで恩恵でも貰っているのかい?」
「いや、実家が農家で手伝っていたんだ。これくらいなら慣れた物さ」
経験こそ皆無ではないが大半は嘘である。英霊のステータスを恩恵だと誤魔化しながら作業を進め、日没が近づいて来た頃に作業が終了した。本日分の日当を貰って軽く挨拶してアストレアの待つ家に戻ることにする。
「これだけ貰えるのならば今後も世話になるかもしれんな」
支払いは存外悪くなく、今後の資金源としての視野に入れる。
「いらっしゃい~。じゃが丸くんはいらんかね~?」
帰り道で小柄な体型に見合わない豊満な胸が目立つ売り子が商品を売り込んでいた。
「おや、君は昨日も来た子じゃないか。また買ってくれるのかい?」
「ああ、普通の物を二つ程ほど貰おうか」
ジャガ丸くんとは芋を潰し調味料を加え、衣をつけた後に油で揚げた一口大の料理だ。生前日本でも手軽に作れたコロッケに似ている。そこそこ腹に溜まる上に一つ辺りの値段が30ヴァリスと経済的にも優しいのが高評価だ。
「毎度あり」
計60ヴァリスを手渡し、じゃが丸くんの包みを受け取る。
「へぇ、アーチャーくんって言うんだね?」
「そういう君こそ神とは思わなかったぞ。女神ヘスティア」
露店の方を店仕舞の準備をするとのことで多少雑談する時間ができた。こういうところで情報収集するのも忘れてはいけない。
なんとこの女神ヘスティアは最近になって下界に降りて来た神なのだそうだが、降りて来て間もなく友神の本拠に引きこもり自堕落な生活を送っていたらしい。アーチャーの知るギリシャ神話のヘスティア神も大体似たような物なのだが、やがて愛想を尽かされ本拠を追い出され、こうしてアルバイト生活をしながら自分の眷属となってくれる子を探しているそうだが、結果は芳しくないそうだ。
「そうだ。君は冒険者とか英雄に興味はないのかい? よかったら僕のファミリアに入らないかい?」
「冒険者か……。まあなれれば色々と楽できそうだが無理してなる気はないな。それに……」
「それに……なんだい?」
「英雄には……いや、なんでもないよ」
そうかい、とそれ以上深くは詮索してこなかった。
(今更英雄だと胸を張れないな)
かつて抱いた理想が間違いではなかったというのは少し前に得た答えだが、頑張って前を向けば向くほど、後ろに置いてきた後悔から目を背けなくなる。一生をかけて向き合い続けなければならない自分に与えられた課題となるだろう。
「そうだ。もしファミリアを探している者が居たらそれとなく紹介しておこう。君のファミリアの眷属になるかはそいつの判断になるがね」
「本当かい!? 助かるよ!」
後から聞いた話だが、この女神ヘスティアはこのジャガ丸くんの屋台ではマスコットのような扱いを受けているらしく、よく頭を撫でられては愛嬌たっぷりの笑顔で返しているそうだ。それでいいのかとも思ったが、初めて会った時から神の威厳など欠片も感じなかった。だがその親しみやすく誰にでも分け隔てなく接するのは彼女の美点の一つなのだろうなとも感じた。
せめて善人が彼女のファミリアに入ってくれることを祈ることにしよう。
■
「すまない。今日は収穫がなかった」
目の前でアーチャーが頭を下げて申し訳なさそうな声でそういった。
「仕方がありませんよ。この広大で人の多いオラリオでたった一人の人物がそう簡単に見つかるわけがありませんから」
だから貴方が責任を感じる必要はありません。と彼が持って帰って来たじゃが丸くんを頬張る。この絶妙な塩加減とサクサクの衣が合わさって最強に思えます。
「すぐに夕食の準備をしよう。それを食べながら待っていてくれ」
「あっ、私も何か手伝います」
「……君がか?忘れていないぞ。ここに来るまでの道中、面倒臭がって一気に焼こうとしてその日の夕食のウサギを丸焦げにしたことを」
「うぐっ……」
「だから、そこで座っていろ」
ああ、あれは本気の警告なのでしょう。この台所という名の聖域に私が一歩でも踏み込もうものならあっという間に斬り伏せられかねない。そう思わせる風格があった。
引いて待つこと十数分。さっとトマトソースのパスタとサラダが目の前に出される。アルデンテに茹でられたパスタ麺とソースが絡んですごく美味しい。良いベーコンが手に入ったから本当ならばナポリタンにしたかったが生憎トマトケチャップがなかった、と本気で悔しがっているアーチャーを見たのはこれが初めてかもしれない。
「そういえば、貴方は食べないのですか?」
「私は見ての通り生きた人間じゃないのでね。出費を減らせるなら減らした方がいいだろう?」
それはそうかもしれないが、そうではないのだ。
「そう。でも食べられないというわけではないのでしょう? ならいつかはリューも一緒に三人で食卓に付きたいですね」
「……そうだな。考えておこう」
彼は私のことを放って置けないから手を差し伸べたのだろう。彼はリューやかつての皆と同じでどうしようもないお人好しだ。むしろ彼女達より酷い病気か呪いのように染み付いてしまっているとも見える。彼が私達に手を差し伸べるのなら、私は救われてから後ろからあの大きな背中を押して共に前に行きたいと思う。
■
「ところで、その、ナポリタンというのはどうして作れないんですか?」
「一番重要なトマトケチャップが売られてなかった。こうなったら醤油も味噌もみりんも全部自作してみせよう」
「食べる側ならともかく、作る側の貴方を何がそこまでさせるのですか……?」
「フッ。別に、全部作ってしまっても構わんのだろう?」
「と、ともかく期待してますよ。アーチャー」
「ああ、それよりもアストレア、随分頬が緩んでいるが、もしや相当食い意地が張って来たんじゃないか?」
フッと小馬鹿にしたように笑って見せるアーチャーにイラッとして手元にあった枕で殴りかかった私は悪くないでしょう。というかひたすら作った料理を食べさせてくる貴方が悪いのです。
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2話
「俺がガネーシャだ!」
「ええ、知っています。久し振りですね。ガネーシャ」
少々個性的な外見をしているガネーシャ・ファミリアの本拠の中にある応接間で二柱の神と側に控える二人の人間が机を挟んで向き合っている。
片方はこのオラリオの中でも最大の規模を誇る派閥の主神と団長。自らを群衆の神と呼称し、その名の通り神々の中でも特に人間達を愛する神『ガネーシャ』とそのファミリアの団長である『シャクティ・ヴァルマ』。レベル5の第一級冒険者でもある実力者である。
そしてもう片方は先日オラリオに帰還して来たアストレア・ファミリアの主神だったアストレアとアーチャーだ。
「しかし俺も驚いたぞ。手紙を読んだ時は半信半疑だったが、こうしてまた会えるなんて欠片程も思っていなかったからな」
「私もです。そしてお礼を伝えたかった。私が居なかった5年間、このオラリオの街の治安維持活動、本当にありがとうございました」
オラリオが今の平和を取り戻すきっかけとなったのはアストレア・ファミリアの【疾風】であることは間違いないが、その後に闇派閥が勢力を盛り返したり外部勢力が入り込まなかったのはこのガネーシャ・ファミリアの者たちの地道な活動によるところが大きい。
「それで、手紙にあった内密に相談したいこととは一体なんなのだ?ウラノス達にも隠さなければならないのだろう?」
「その件なのですが、彼を冒険者にしたいのです」
アーチャーへと視線が向けられる。別に変わったところは見受けられない。強いて言えばオラリオの外で冒険者として活動していたんじゃないかと見た方がよっぽど自然だ。しばしガネーシャが思考に浸る。
「成る程、アストレアは現在は身を隠しておかなければならない。正義の派閥を疎ましく思っている者達も多い。だがそこの彼は冒険者になりたいが登録するときにファミリアも申告する必要があり、そこからアストレアの名が露見するのを防ぎたい。だから表向きにはうちのファミリアの眷属として登録し、実際はアストレアのために動けるようにしたい。簡単に言えばガネーシャ・ファミリアの名前だけを貸して欲しいということだな?」
「ええ、理解が早くて助かります。それが1件目です。もう一つは彼そのものについてです」
「彼がどうしたというのだ?ごく普通の人間だろう?」
「ああ、私はごく普通の人間だ」
アーチャーが口を開く。ただ普通に受け答えただけなのに、仮面の下のガネーシャの顔が驚きで歪む。
「嘘かどうか判断つかない。つまりそういうことなのだな?」
神は下界の者の嘘を見抜くことができる。天界に住む神々にとって下界に住む者は全て自らの創造物である。故に下界の人間による神殺しは禁忌とされていたり、ある程度の上位権限もある。子供からの嘘を見抜くのもその内の一つだ。
「お初にお目にかかる。私はアーチャーのクラスを与えられたサーヴァント。既に自分の生を終えてなお人類を守護する英霊だ。人々からの信仰心で祀り上げられて世界の法則から解き放たれているから下界の存在に当てはまらないのだろう。概念としては精霊に一番近いだろうか」
最も、アーチャーは厳密に言えばそれとはまた違う方法で英霊の座に登録された亜種に当たるのだが、ここでは割愛してよいだろう。
「おお、これはまたとんでもない者が出てきたようだ。こちらこそよろしく頼むよアーチャーくん」
アーチャーとガネーシャが握手を交わす。
「しかし良いのかね? 得体のしれない者をそう簡単に信用しても。もしかしたら後ろから刺されるかもしれないぞ」
「ふっ、俺はガネーシャだ。子供達の嘘が見抜けなければ相手の本質を読めなくなる程目が曇ったつもりは無いとも。それに何よりアストレアが君を信頼しているんだ。それだけで信用するに値する」
成る程、神々の中でも一、二を争う神格者だというのも誇張表現ではないらしい。これほどの傑物は長い歴史の中にもそうは居ない。
「では我々の頼みを聞いてくれるのですね?」
「うむ。ガネーシャの名、好きに使ってくれ」
ガネーシャとの会談も順調に終わった。特にこれといった揉め事も無く済んだ。
「私はガネーシャ・ファミリアの団長を努めているシャクティ・ヴァルマだ。以後協力することもあるかもしれない。これからよろしく頼む、アーチャー殿」
「アーチャーで構わんよ。こちらこそよろしく頼むよ、シャクティ」
互いに握手を交わす。
こうしてアストレアの派閥はオラリオ一の巨大派閥という後ろ盾を得ることに成功し、着々と基盤を固めていくことになる。
■
翌日、アーチャーは再びギルドに訪れていた。ギルドの中は主に冒険者と思われる人々でごった返し、今日も変わらず賑わっていた。最早日課になりつつある依頼の掲示板の張り紙に目を通して行くが、どうにも都合の合いそうな依頼は張り出されていない。
冒険者向けのクエストならば余るほど発注されているが、ギルドを通してクエストという形で成立している以上、ギルドを通さなければ依頼を受けることすらできない。依頼は冒険者であれば誰でも受けることができる。当然だがギルドと依頼主から腕を買われて契約が成立するため、失敗すればその冒険者やファミリアの信用の低下にも直結する。だがそれでも報酬が良い依頼が張り出される可能性があるため、金策としては中々良いと言っていい。
冒険者向けの依頼としてどんな物があるか、例として上げるならば権力者や商人達の護衛や警備などダンジョンの外が現場となる依頼や、ダンジョン内でのみ産出される純度の高い鉱石や特定のモンスターのドロップアイテムや価値の高い宝石等の採取を目的とする依頼、もしくは一時的なパーティーメンバーの募集の依頼だったりと、その種類は多岐に渡る。
アーチャーは羊皮紙を手にギルドのカウンターへと足を運ぶ。
「取り込み中すまないが、冒険者登録を頼む」
「は、はい。少々お待ち下さい」
やはり冒険者としての登録と身分証明は必要だと思い、急遽ギルドを訪れることにした。ちなみに結局『神の恩恵』は受け取っていない。
事前にアストレア・ファミリアと共に活動していたこともあるガネーシャ・ファミリアに事情を説明し、偽のステイタスを書いた羊皮紙をでっちあげ、先日の取り決め通りにガネーシャの名を刻んだ恩恵を受けている、とでっち上げる。レベルは1でステイタスはオール0、スキルも魔法も発現していない。他の冒険者と変わらない状態で冒険者登録を行う。
「はい。確認が取れました。これで冒険者登録は終了です。ダンジョンについての知識を学べる研修も受けられますが、いかがでしょうか?」
「そういう物もあるのか。折角なので受けるとしよう」
長くとも1時間くらいで終わると思って受けた講習だったが、担当になったギルド職員の女性がかなり熱心に教鞭を執ったため予想以上の時間を拘束されてしまった。だがそのおかげもあってダンジョンという物がサーヴァントでも油断ならない場所であることが分かった。それに稼ぎの良い素材がある場所も把握できた。
早速アーチャーはダンジョンに潜ることにした。バベルの地下1階に作られたダンジョンへの入り口を下りながら、他の冒険者から目立たないように目的地に向かう。レベル1で登録した以上、レベル1相応の動きをしなければ怪しまれて目立ってしまう。ファミリアには所属する冒険者のレベルに応じて相応の税金を支払う義務が課せられている。故意にレベルを低く申告すればその分脱税できるが、発覚してしまえば多額の罰則金を支払う必要が出てきてしまう。
目的地はダンジョンの7階層の食料庫と呼ばれる場所。その名の通りダンジョンから生まれたモンスターに食事を提供するためだけの場所だ。ここには食事を求めて多くのモンスターが集まってくる。そんな場でモンスターを狩ろうとするならば生半可な実力では囲まれて逆に嬲られて死ぬことになる。
だがそれ以上の実力を持った者ならば、勝手にモンスターが寄って来る絶好の狩場となる。
「フッ……!」
姿を隠しながら食事のために隙を晒したニードルラビットの魔石を後ろから矢で撃ち抜く。容易く貫通した矢はその向こう側に居た2体のニードルラビットの脳天もついでに撃ち抜いた。相手がこちらを認識する前に一方的に遠距離攻撃で殲滅するのは大昔から戦場において有効な戦術だ。
モンスターが寄って来るとはいえ、周期が決まっているわけでもなければ一度に来る数にもムラがある。故にモンスターが来なければ待ちの時間になるが、弓の英霊にも選ばれるアーチャーに取って標的を撃つ絶好の機会を弓を構えたまま待ち続けるのは慣れている。長ければ何日もの間を絶好の機会というものを待ち続けるのは並ならぬ神経を擦り減らすが、アーチャーを名乗るのであれば必須の技能だ。
そのまま30分程で目的のモンスターがやってきた。『ブルー・パピリオ』というモンスターはモンスターにも関わらず透き通る青い四枚の翅で淡く輝く鱗粉を撒きながら飛ぶ蛾のような美しいモンスターだ。同じ階層で出現する『パープル・モス』という似たモンスターもいるが、ブルー・パピリオのドロップアイテムである翅はその希少価値と美しい見た目から装飾品等として高値で取引されている。
翅を落とす確率を上げるには、翅を傷つけずにブルー・パピリオを殺す必要があるが、アーチャーにとっては容易いことだ。
「……シッ!」
細いレイピアを矢に改造した。針のように細くなった矢を数十匹の群れで現れたブルー・パピリオに向けて射る。一息の間に全てのブルー・パピリオに矢を放つ早業を披露し、魔石のある部位だけを綺麗に撃ち抜かれたブルー・パピリオはあっという間に全滅し、灰と翅を残してこの世から消え失せた。
「こんなものか……」
およそ8割程の数の翅を拾い集める。これだけでも数万ヴァリスは下らないらしい。収益としては今日までの中で一番の額だ。
この辺りで引き上げようとするが、出口を塞ぐように先程のブルー・パピリオの群れよりも多い数のキラーアントが現れる。ギチギチと顎を鳴らしながら外敵のアーチャーを見据えている。どうやらそう簡単には帰してくれないらしい。
「面倒だがやるしかあるまい」
弓を捨て、代わりに剣を投影する。キラーアントは絶命した時に仲間を呼ぶフェロモンを分泌する。まともに相手をしていれば囲まれて大量のキラーアントにすり潰されるだけなのは目に見えている。それでもアーチャーが持ちうる火力を叩き込めば全てのキラーアントを殲滅できるであろうが、あまり目立ちたくないうえに外の時刻も夕方に近づいている。
故に迅速に進路を阻む邪魔な敵だけ斬り伏せて撤退する。
「行くぞ」
後には血溜まりと弾け飛んだ甲殻のみが食料庫の中に残された。
■
「アストレア、ご飯だぞ」
ダイニングテーブルの上に並べられた料理は昨日までとは質が違った。昨日までの料理も美味しかったのは間違いないだろうけど、どこか質素なイメージは残っていた。だが今日の夕食はどうだろう。大きくて立派な魚の塩焼きに鶏のソテー。具沢山のスープに瑞々しい野菜のサラダ。高級料理店で出されるような料理の数々に思わず喉が鳴った。
「どうしたんですか? これらは」
「ブルー・パピリオを乱獲して得た翅が思いの外高く売れたのでね。今日くらいは奮発してもバチは当たらんだろう」
運良く稼げれば一攫千金も狙える冒険者が憧れの対象になる理由も良く分かる。死や取り返しのつかない大怪我の危険はあるが、その分得られる金は他の仕事よりも圧倒的に多い。
「さぁ、食べようか」
「えぇ。いただきます」
食前に手のひらを合わせて『いただきます』と言うのが彼の生前の食事の時のマナーらしい。彼の生前の故郷は今のこの世界には存在しない国らしい。似たようなルールは極東の方にもあるらしいからきっと彼もそちらの方の出身なのだろう。
「美味しいですね」
「そうか。慣れない食材もあったから口に合うようで良かったよ」
「それに誰かと食べる食事はやっぱり良い。あの頃を思い出します」
「私もそういう思い出があったな」
「そうなの? 良かったら聞かせて欲しいわ」
「そうだな……。本当に、あの頃は良かったなと今でも思えるよ」
アーチャーにもきっと彼を支えてくれる仲間が居たのだろう。かつての私の眷属達みたいに辛いことを分かち合ったり、支え合って導き合えるような仲間が。
「特に三人で食べる食事がよくあった。大人数も良いが三人が一番落ち着いて食事できたと思う」
「三人ですか。私とアーチャーとリューできっかり三人ですね」
「ふっ、そうだな」
アーチャーが微笑む。いつも顔をしかめているか小馬鹿に笑って皮肉な台詞を吐くことが多い彼にしては珍しい表情だと思う。
「それにしても、一体リューはどこにいるのでしょうか……。私達はここでこんなに美味しい物を食べてますよ、リュー」
「流石に聞こえていないとは思うが、想いだけでも届くといいな」
談笑しながら夜も更けていく。明日もこんな日になればいいなと祈ることにしましょう。
■
「……くしゅん」
皿洗いをしている最中、唐突にくしゃみが出てしまい、危うく皿を割ってしまうところをなんとか割れる前に受け止めることに成功する。
「大丈夫、リュー?」
「ええ。大丈夫です、シル」
同僚のシルが心配して駆け寄って来る。最初は割ってしまった皿洗いだったが、5年も続ければいい加減慣れてくる。
私も手伝うよ、と言ってシルも手伝ってくれたおかげで思いの外早めに皿洗いも終わった。店も既に閉店して残っていた皿洗いも終わった。今日の業務も何事もなく終了したということだ。
「そういえば明日ってリューも久し振りのお休みだったよね?」
「はい。ということはシルもですか?」
「そうなの。あっそうだ。よかったら明日一緒にどこかに買い物とか行かない?」
「……そうですね。折角ですし行きましょうか」
私がそう返すとシルは喜び、じゃあ明日の朝迎えに来るね、と言って上機嫌で店を出ていった。気づけば私が最後だったようで、店の明かりを落として寝泊まりしている店の離れの私の部屋へ戻り、シャワーを浴びて早めに就寝することにする。
まさか明日が私にとっての転機になるなんて、この時の私には思いにもよらないことだった。
序盤のガネーシャの辺りはちょっと強引かなって思いながら書いてましたね。どうでしょうか?
アーチャーの食事の時の三人がというのは、衛宮士郎だった時に最も多かったと思われる人数を参考にしてます。士郎・藤ねえ・切嗣、士郎・藤ねえ・桜、士郎・藤ねえ・セイバー、士郎・セイバー・凛、みたいな感じで。
昔どこかの小説を読んだ時に書かれていた覚えがあります
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3話
「おはようございます、アーチャー。朝から良い匂いがしますね。寝室まで匂いが届いていますよ」
コトコトと火のかけられたスープが煮えている。牛や鶏のお肉や魚などからとった出汁に更に脂肪の少ない肉や野菜を加えて煮立て、 出てきた灰汁を丁寧に取り除いて作ったというコンソメスープという物らしい。こうすることで濁りの無い透き通った綺麗なスープになる。
「おはようアストレア。今は少々立て込んでいてね、そこの温まっているスープとパンで先に食べていてくれ」
チラリと後ろを見て挨拶すると、すぐにキッチンと向かい合うように前を向いてしまう。自分への挨拶を素っ気なく返されたのか気に入らなかったからか、食卓に付かずに彼が仕事を脇から覗いて見る。そこにはおよそ二人で食べるには多すぎる料理が並んでいた。隣には重ねられた箱が積み上げられていた。アーチャーはその箱の中にキッチリと出来上がっている料理を詰めていく。
「それは、お弁当? なのかしら」
「ああ、とりあえず二種類の弁当を計三十個用意できた。これをギルドの入り口近くの露店で売る」
「えっ? でももうダンジョンに潜れるのだからそっちの方がよっぽど稼げるんじゃないの?」
アーチャーはこれをどちらも300ヴァリスで売るらしい。価格としては妥当な方であるが、これでは全て売れたとしても9000ヴァリスにしかならない。一度の冒険で得た戦利品が合計で数万ヴァリスになったのだから金を稼ぐのならばダンジョンに潜った方がよっぽど効率がいい。
「アストレア、もしかして君は肝心なことを忘れているんじゃないか?」
ドキリと心臓を直接鷲掴みにされたような感覚に陥る。僅かに黒い感情が奥底から湧き上がって来るのを神にも与えられた人らしい感性が教えてくれる。できることなら私の本心を見ないで、アーチャー。
「君は生き残りの眷属を探すのだろう? 確かにこれはダンジョンで集めた魔石やドロップアイテムを換金して得た金と比べたら小遣い稼ぎみたいな物だ。だが生活資金も得ることができた我々は、本来の目的のために動く余裕ができただろう?」
そう、私がオラリオに戻ってきた目的はただ一つ。文化的で裕福な生活を送りたいなんてものでは断じて無く……。
「【疾風】を探して再会することが我々の最優先だ。だからこそ情報収集や聞き込みも兼ねての客商売だ。薄暗いダンジョンの中よりはよっぽど人が居る。ギルドの前ならばこれからダンジョンに潜る冒険者や出てきて朝帰りの冒険者もたくさんいるだろう。その中の一人くらいは有力な情報を持っているんじゃないか?」
ええ、そうね。と相鎚だけで返す。
「……では行ってくる。昼食はいつも通り用意してあるからそれを食べて待っていてくれ」
アーチャーの姿が扉の向こうへ消えて扉が閉じられる。それを確認してからアストレアは力なくへたり込んだ。気温は暑くも寒くもなく、むしろ丁度いい気候と言えるだろう。にもかかわらずアストレアの体から止めどなく汗が流れて、軽く過呼吸状態になった。それが落ち着いたのはアーチャーが外出してから十分ほどしてからだろうか。
「はぁ……ふぅ……。シャワーを浴びねばなりませんね」
どれだけ気丈に振る舞っても心の内側に隠した本心は消えることはない。諭されて強く在ろうとしてもへばり付いたトラウマは消え失せない。今まで隠し通せていただろうが、アストレアがリューのことを思い出す度に繰り返していた現象がこれだ。
アストレアは恐れている。会いたいと願っている眷属が今の自分をどう思っているのかを想像することが。もしかしたら後悔の念で押し潰され、怨嗟の声を叩きつけて来るかもしれない。
アーチャーの言葉で多少は拭えた恐怖も全てではない。ファミリアの中でも一番の不器用な子だったリューの性格はアストレアもよく理解しているし、よく似ているのだとも思っている。自分の周りで起きた不幸や失敗、それらが例え自分や仲間の失態が原因でなかったとしても自分が悪いのだと信じてやまない、途轍もないまでの自己嫌悪こそがリューもアストレアも苦しめる。
そう、私はきっと再会を望むと同時に怖れているのでしょうね。そんな誰にも届かない呟きは虚空へと消えていった。
■
今日もオラリオは快晴だ。朝一番で浴びる朝日は心地よいし、洗濯物を干せばしっかりと乾くだろう。今の季節では朝は少しばかり肌寒いが、乾いた風と朝の日差しのおかげでそこまで寒さは感じない。
そして街の中央にあるバベルに向かった武装した多くの冒険者達が集う。時刻は日が登ってからそこまで経っていない午前7時頃。今日もまた富や名声を求めて冒険者達はダンジョンへと繰り出す。
そんな数多くいる冒険者の中の一人であるレベル2の魔法使いの少女はいつものように仲間と共にダンジョンへと向かっていた。
「おや? あれは何でしょうか?」
近い年頃の女の子の三人パーティの斥候職を務めている少女がふとギルドの入り口の側の人集りに気がついた。自分達の他に十人近くの冒険者達が目の前の屋台に目を向けている。
「んーと、なになに……。お弁当屋さんみたいですね」
側に立てられた看板にそう書かれていた。ダンジョンの中では持ち込める食料はかなり限定される。日帰りならば弁当を持ち込むのもありだが、何日もダンジョンに潜り続けるならばそうもいかない。腐りにくい乾物だったり、あまり美味しくない固形の携帯食料だったりと、食事は自分達の士気を保つためにも重要なダンジョンの中での数少ない娯楽とも言える。
「いらっしゃいませ。よろしければこちらの弁当などいかがでしょうか?」
黒のTシャツにスラックスと至ってシンプルな服装に黒のエプロンをつけている。あと目立つのは黒縁の眼鏡だろうか。短く整えられた白髪と褐色の肌の人物が声をかけてくる。この店の店員なのだろう。素人目でも鍛えられた戦士のような筋肉のある腕がちらりと見えたが、この人は冒険者ではないのだろうか。下手なレベル1の冒険者よりも強く見えてしまう。
「あー、えっと、どんなお弁当がありますか?」
パーティの中で一応方針とかを決めるリーダーが応じた。心なしか頬の辺りが少し赤いのは気の所為だろうか。
「基本的に二種類の弁当を日替わりで用意しています。今日の弁当はカツレツを挟んだカツサンドを詰めた物と極東の食事を参考にした定食弁当の二種類をご用意させていただいております」
まるで風景を切り取ったような絵に描かれた二つの弁当を見比べる。直接見たわけではないが、確かにどちらも美味しそうだ。
「じゃあ、定食弁当の方をください」
「私はサンドイッチの方にします」
あっという間に二人ともが購入を決めてしまう。確かに今日は日帰りの予定ではあるが、昼食は保存食ではあるが用意してある。今日無理して食べる必要は全く無いし、ここで自分だけ買わないというのもバツが悪いが、もし美味しくなかったらどうするつもりなんだろう。
「じゃあ、私もサンドイッチの方にします」
「サンドイッチが二つに定食が一つですね? 3つお買い上げでお値段が900ヴァリスになります」
900ヴァリスちょうどを差し出す。これだけ立派な弁当で900ヴァリスというのは破格ではないだろうか。一般人には少し高いかもしれないが冒険者向けと割り切れば問題なく払える値段だ。駆け出しの新人がソロで潜ったとしても1000ヴァリスは稼げるだろうからその辺りも考慮しているのなら良心的過ぎる。
「またのご来店をお待ちしております。貴女がたの冒険の成功をお祈りしております」
接客に関しても全く不愉快な物は感じない。これはきっと人気が出る店になるだろう。
ダンジョンに潜ってからは案の定リーダーがその話題を持ち出した。カッコ良かったねとか、いい人だったねとか言っていたが、確かにその通りだった。明日もまた買ってもいいかもしれない。
なお、いざ弁当を食べてみると想像以上に美味しく、ダンジョンの中にもかかわらず思わず気を抜いてしまいそうになってしまった。というより気を抜いた隙に一つ取られてしまい、違う意味で油断ならない状況になっていた。こうなったら絶対明日も買いに行こう。そう決めて午後からのダンジョン攻略に勤しんだ。
■
「この口調も疲れるな」
時刻は午前11時30分を差していた。予想以上に弁当は売れ、残り二つでちょうど完売する。だがこの頃になるとダンジョンに入る人影は減り始め、冒険者に代わってそれ以外の一般人の往来が増えてくる。冒険者は基本的には自由業みたいな物だ。今日は暦の上では休日であり、多くの飲食店やサービス業などに取っては稼ぎ時であるが、友人同士や恋人同士と見える人々が目に入る。喫茶店などの飲食店に多くの人が流れ始めて、売れ残りの弁当は魅力が落ちてしまうのは仕方のないことだ。
それと、さり気なくだが【疾風】についての情報収集もしていた。が結果は芳しくなく、有益な情報は禄に入ってこない。
「シル、貴女は少しばかり計画性が足りない。全財産というわけではないでしょうが、昼食を食べる前に殆ど使い切ってしまうのはあまりよろしくない」
「だって、良い買い物だと思ったから……」
屋台の側の噴水に腰をかけた少女達の声が耳に入った。傍らには何やら重そうな荷物がある。おそらくだが友人同士で休日に買い物に出かけ、その途中で予算を使い切ってしまったのだろう。片方は薄鈍色の人間、もう片方は薄緑の髪のエルフのようだ。
(それにしても、似ているな)
髪の色は違うが、似顔絵と見比べても顔の形はかなり似ている。遠目じゃ判断は付かないので少し接触を図ってみるのもいいかもしれない、とふと思いついた。
「君たち、どうかしたのかね?」
アーチャーの声に気がついた二人がそちらに振り返る。
「何か御用でしょうか?」
「いや、別に怪しい者ではない。私はそこの屋台で弁当を販売している者なのだが、君たちの声が聞こえて来たのでね。思いきって声をかけてみたのさ」
いきなり見知らぬ男に声をかけられたせいか、ナンパか何かと勘違いされているようで警戒されてしまっている。
「えっと恥ずかしいことなのですが、少しはしゃぎ過ぎてお昼ご飯を買うお金を使い切ってしまったのです」
比較的態度が柔らかい人間の少女の方が事情を説明する。大体は合っていたようだ。
「そうか。それは不注意だったな。そうだ。少し待っていてくれ」
屋台に戻り、売れ残っていたカツサンドと定食弁当を一つずつを彼女達に差し出す。
「売れ残りで悪いが、良かったら食べてくれ。勿論代金は要らない」
「えっ、でも悪いですよ」
「いやいいんだ。何度も言うがそれは売れ残ってしまった物だが、味は保証する。それにそのままじゃ廃棄するものだ。だから受け取って欲しい」
では、いただきます。と言って受け取ってくれた。
「君はどうする?」
「シルが受け取るのでしたら……、いただきます」
やや戸惑っていたようだが、受け取ってくれた。予定外だったがこれで弁当も完売した。
「ありがとうございました。あっ、私はシル・フローヴァっていいます。そしてこっちは」
「リュー・リオンと申します。この度はありがとうございました」
リュー・リオン。それはかつてのアストレア・ファミリアに所属していた冒険者で【疾風】と呼ばれていた者の名だ。【疾風】もエルフで彼女もエルフ。これで確定した。
「えっと、私の顔に何かついてますか?」
「ん?ああすまない。なんでもないよ」
怪しまれかけたが、少し不自然だが訂正する。
「そうだ。もしよろしければお礼も兼ねてうちの店に来てください。私のできる範囲でサービスさせてもらいますよ」
「ふむ、折角だ。予定が会えば立ち寄らせてもらおう。何という店なのかね?」
「豊穣の女主人というお店です。昼も夜もやっていますので、是非いらしてください」
「豊穣の女主人か。二人共そこで働いているのかね?」
「はい、そうです」
現在の居住地も判明した。後はアストレアを連れて向かうだけだな。まさかここまでトントン拍子で進むとは思っていなかった。
アーチャーはいつか必ず伺うと約束し、二人と別れた。屋台の片付けを行い、明日の弁当販売の食材の購入のためにオラリオの商店街へと足を運ぶことにした。
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4話
ご了承ください
「ただいま」
買い物を済ませて仮の拠点へと帰宅する。安かったため少々買い過ぎたかもしれないなと思いながらも、今日の夕食や明日の弁当の献立をどうしようかと考えながら玄関の扉を開ける。
家の中からの返事は無かった。普段ならば居間代わりに使っている部屋で小説や情報誌を読んでいるか、ベッドの上で寛いでいるかのどちらかだ。アーチャーが帰って来るとそれらを中断して『おかえりなさい』と出迎えてくる。
そしてアーチャーが作った夕食を二人で食べながら、その日あった出来事の報告会を開くのがいつもの日課となっていた。
「アストレア? いないのか?」
「ああ、アーチャー……。帰っていたのですね」
アーチャーの声に反応してアストレアの声が返ってくる。だがどうにも声色に元気が無い。どうやらベッドの上で眠っていたらしく、気怠そうに上体を起こしてこちらに歩き出そうとしていた。
「どうしたアストレア? 具合が悪いのか?」
「大丈夫です……。これくらい問題ありません」
どう見ても大丈夫には見えなかった。血の気の無い蒼白な顔色で今にも倒れそうな様子で大丈夫と言われても安心できない。
「すぐに何か食べやすい物を用意しよう。休んで待っていてくれ」
「いえ、本当に大丈夫なのです。風邪とかではないのです」
「たわけ。そんな辛そうな顔している君を放っておけるか」
ふらふらと立ち上がろうとするアストレアを大人しく座らせて、キッチンに向かう。食材を調達する過程でたまたま見つけた米を用いて粥にする。オラリオの市場では前世でいうインディカ米やタイ米の方が比較的良く市場に出回っているが、今回見つけたのはアーチャーの故郷でよく食べられていたジャポニカ米にかなり近い米だ。
お粥は風邪などで胃腸が弱っている時には最適の料理だ。前世の世界では離乳食や低カロリー料理としても食べられていた記憶がある。程よく塩を効かせたお粥を適度に冷まして完成だ。
「ほら、できたぞ」
「ああ、ありがとうございます。アーチャー」
お粥の入った器を受け取ろうと手を差し出す。だがアーチャーは器をアストレアに渡そうとしない。
「どうしたのです?」
「いやなに、体調が悪そうに見えるからな。食べさせてやろう」
「えっ、いえ、大丈夫です! ちゃんと一人で食べられます!」
「そんなにフラフラな様では説得力の欠片も無いな。いいから大人しくしなさい」
スプーンにお粥を一口分掬い取り、アストレアの口元に持っていく。アストレアも恥ずかしさで頬を紅く染めながらも、ついには観念してそれを受け入れた。
「はふっ、美味しいです」
「だろう? たまにはこういった薄味の食べやすい物もいい物だ」
食欲はあったようで、元々少なめに作ったお粥は完食してしまった。食べ終わったのを確認してから、ベッドの近くに椅子を持ってきてアーチャーもそこに腰を掛けた。
「さて、体調が悪いと言っていたが、何かあったのかね?」
「えっと、あのね、言いにくいのだけど……」
弱々しく、しかし今の心境を確かにアーチャーに伝えた。
アストレアは未だに己の最後の眷属と再会することを怖れている。仲間を全て失い、アストレア自身をオラリオから遠ざけた彼女は己の内側から溢れ出る復讐心を抑えられず、一般人も巻き込んだ壮絶な復讐劇は当時存在していた闇派閥の殆どを殲滅するにまで至った。その後の【疾風】の所在は公には明らかになっていないが、彼女はこれによって冒険者の資格を剥奪されている。
当時の何もかも変わってしまった今になって、アストレアは再び最後の眷属と向き合うことができるか、神でも分からないそれがアストレアはとても恐ろしい。
「そうだったか、すまない。君には無理をさせてしまったな。もう少し時間が必要だったようだ」
「いえ、連れて行って欲しいとお願いしたのは私です。なので謝らないでください」
あれから時間が経ったからか部屋の中がかなり暗くなる。アーチャーが部屋に備えつけられた魔石を燃料としている灯りに火を灯す。
「ふむ、やはり君をここに連れてくるにはまだ早かったようだ。オラリオを出ることにしようか」
「えっ?」
アストレアにとってもそれは意外な選択だった。てっきりアーチャーは困難から目を背けることを許さない性質の持ち主だと勝手に思い込んでいたからだ。
「私としてはどちらでもいいんだ。君が【疾風】と再会しようがしまいがな。どちらを選んだとしても今の君から何かが変わるというのならそれでな。」
「苦しければやめてもいいし逃げ出してもいい。だがそれは嫌だと思っている心が君の中のどこかに欠片程度でもあるのなら、私はそれに賭けたいと思う」
夜も更けて来た。そろそろ就寝する時間だったため掛け布団をアストレアにかけてやる。
「幸い時間制限は存在しない。君はとにかく自分自身が納得できる答えを探したまえ」
子供を寝かしつける親のような、アーチャーの柔らかい笑みがアストレアの脳裏に焼き付く。
納得できる答え。未だ不透明な答えを思考する暇も無く、アストレアの意識は睡魔によって眠りの中へ沈んで行った。
■
それから数日が経った。アストレアはまだ答えを出せていない。それでも一歩づつ前には進めているのだろうと、アーチャーは感じていた。
【疾風】の居場所が判明したあの日からも、目的は達成したにも関わらず弁当販売は可能な限り続けている。ガネーシャ・ファミリアの名で冒険者登録をしたため、ガネーシャ・ファミリアとしての業務を行いながらも時間を見つけては、情報収集は欠かしていない。
最近ではかなりの数のリピーターも増えて来ており、そろそろ販売数を増やしていかなければ需要が供給を上回ってしまい、食べられない者が増えてしまうだろう。
などと考えながらもアーチャーの足は一直線にある店に向かっていた。ダンジョンの真上に建っているバベルの4階から8階の全てを占めている武具屋だ。
武具の販売で収益を得ている『ヘファイストス・ファミリア』の経営している店で、迷宮都市オラリオだけではなく世界クラスのブランド力を誇っている。その武具販売の収益は絶大で、オラリオ内で唯一ダンジョンからの収入が必要ないほどの利益を上げている。
4階にはヘファイストスの名を入れることを許された武具達が並んでいる。素材もそれを加工する腕もいいのだろう。深層のミスリルやアダマンタイトを鍛え上げられた技術で加工した剣や槍、斧といった武具の数々は相手を傷付ける武器であるにも関わらず、同時に見る者を魅了する一種の芸術品のような美しさも放っている。
「成る程、これならばこの値段だと言われても納得できる」
ゼロが7個も8個も並ぶような値段は並の冒険者では到底届かない値段ではあるが、その性能は間違いなく一級品。武具の性能を10割以上引き出せる使い手が担えば、剣一本で一騎当千を果たすことも容易いだろう。ダンジョンの深層という素材を採取できる者も一握りしか居ないような物を潤沢につぎ込んだ結果がこの途轍もない高価というわけだが、それは致し方ないという物だ。
この武具屋の中をアーチャーは一周しながら展示されている全ての武具に目を通していく。
アーチャーはこれでもかなりの武器マニアだ。自身の魔術の属性も相まって特に剣のカテゴリーについては桁違いのこだわりという物がある。彼の祖国で昔使われていた刀ならば有名どころから無銘の刀も全て貯蔵している。西洋に絞ってもロングソード、ショートソード、レイピア、エストック、サーベルと宝具も宝具でない物も含めればその数は軽く千を超えている。
その上自分に取って異世界に当たるこの地では、自分の世界には無い概念を持った武器もあるのではないかと、こうして武具を見ては片っ端から複製し貯蔵を繰り返している。
「また貴方なの? 来るのは構わないのだけど、来たならせめて何か買って行って欲しいわね」
不意に後ろから声をかけられる。右目を眼帯で隠した赤髪の女性だが、その気配は人間のそれではない。
「ああ、それは悪かった。何分まだオラリオに来たばかりの身でね。武具防具を買うどころか日々の生活費にすら困っている有様なのさ。だが見るだけならタダではないのかね?」
「それでも冷やかし紛いのことはやめなさいと言ってるのよ」
これまで何度かこの店を訪れては同じことを繰り返していたせいで目をつけられたらしい。
「でも貴方の剣を見る目は他人とは違うみたいね。値段や見た目だけじゃなく、性能や打った鍛冶師の魂も見抜いているのかしら」
「まあ、そうだな。武器の解析は得意分野だ」
魂を込めて打った武器や長年使い込まれた武器には鍛冶師や担い手の意思が宿る。アーチャー固有の魔術はそういった経験や記憶ごと武器を投影する。
「なら貴方から見て一番良い武器はどれかしら」
「そうだな……」
アーチャーはしばらく考える。どれも鍛冶師の誇りが込められた良い武器だが、優劣を付けるというのならばコレだろう。
「まずはコレだな」
製作者名は『椿・コルブランド』ヘファイストス・ファミリアの団長であり、名実ともにオラリオ一の鍛冶師だ。刀剣に掛ける情熱は他の追従を許さないらしく、殆どの時間を自らの工房に篭っているそうだ。
数多くの名剣や宝剣を目にしてきたアーチャーでも、彼女の剣は間違いなく一級品に届いていると言えるだろう。
「あとはこの前新人達の武器を販売しているエリアで見た軽鎧だな。技術に関してはステイタスの関係上仕方ないだろうが、君のいう魂という奴はこれと同等以上に込められていたな」
確か製作者は『ヴェルフ・クロッゾ』といったか。鍛冶のアビリティが無いレベル1では仕方がない。
「へぇ。意外にしっかりと見えてるじゃない」
「このくらい経験を積んだ者ならある程度理解できるはずだろう? 始めから試すつもりで声をかけてきたことくらい理解しているとも」
「ねぇ、貴方は鍛冶には興味無い? 良かったらウチのファミリアに入らないかしら。貴方って結構見どころあるわよ」
数いる鍛冶の神の中でも最上級の技量を持つヘファイストスに腕を見込まれる。鍛冶師を志す子供達にとって何物にも代えがたい最上級の誇りとなるだろう。
「その誘いは魅力的だな。だが私には既に仕える主がいる。悪いが他を当たって欲しい」
「そう、残念だわ」
「まあ鍛冶に興味が無いわけではないさ。私の真髄に通ずる物もあるのでね」
「貴方の真髄、ねぇ」
「己の理想とする物に全身全霊を持って到達する。その理想に答えなんて無かったとしても追い求め続けること。いや、これに限っては私だけではなく、全ての人間に通じている物だろうさ」
外を見るともう夕焼けが差していた。そろそろ戻らなければアストレアを待たせてしまう。
「それでは私はお暇させてもらうよ。待ち人がいるのでね」
結局、ヘファイストス・ファミリアのテナント全てに目を通して何も買わずに帰宅することにした。
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5話
まあ僅かに残った自由時間を全部隻狼につぎ込んだせいで執筆進まなかったのもあるけど。
「救援要請?」
「ああ」
ガネーシャ・ファミリアが迷宮探索以外で請け負っている仕事は多伎に渡る。
オラリオの街全体の治安維持活動。過去に闇派閥と呼ばれた連中やそれらと結びついていたギャングやマフィア、悪徳商会や奴隷商人といった連中がのさばっていた時期があった。それらは【疾風】によってその大部分が殺害、検挙されたため今残っている連中は残党といっていい程の力しかない。そういった連中が今後二度とオラリオに台頭してこないようにガネーシャ・ファミリアが主体となって警察のような役割を担っている。
街の住民や他派閥から日々寄せられる要望などもガネーシャ・ファミリアに一部回ってくる物がある。一度ギルドに依頼などの形で寄せられた物のうち、腕利きの冒険者の力を必要とする物は多くの上級冒険者を抱えているガネーシャ・ファミリアの管轄となる。例を上げるときりがないが、特定の階層で採れる回復薬の材料になる薬草やドロップアイテム、希少鉱石の採取依頼だったり、モンスターの大量発生が起きて冒険者達に被害が出ると、ガネーシャ・ファミリアによる駆除も行われる。
今回寄せられたのはそれらの中では割と珍しい物だ。たまたま通りかかったアーチャーは事の詳細をシャクティから説明してもらう。
「ダンジョンの19~24階層のことを『大樹の迷宮』と呼ぶのだが、そこを探索中のパーティが帰還予定日になっても戻ってこないそうだ。それが一昨日のことで、心配したそのパーティの主神が昨日ギルドに依頼を発注、それからガネーシャ・ファミリアに回って来たんだ」
「一昨日か。無事でいればいいのだが。それで、そのパーティは何が目的で大樹の迷宮に?」
「被害にあっているファミリアによると普通に金銭稼ぎだそうだ。近いうちに本拠の改修工事をしたかったらしいから纏まった金が欲しかったのだろう」
「となると24階層、宝石樹狙いか。宝財の番人と鉢合わせして交戦し、痛手を負って撤退して身動きが取れないといったところか」
その名の通り宝石を実らせる樹である宝石樹にはそれを守る強力なモンスターが常に周りを巡回している。それが24階層で最強と言われるグリーンドラゴンで、その力は階層主にも匹敵する。
「分かった。行って来よう」
「一人で大丈夫か?こちらからも何人か手練を貸せるが」
「いや一人で構わない。戦力よりも身軽さを優先したいのでね」
アーチャーはガネーシャ・ファミリアの本拠の窓から飛び降り、そのまま屋根伝いに建物を飛び移りながらダンジョンへと向かっていった。
「あっ、団長。お疲れ様です」
「ああ、お疲れ」
その場に居合わせたガネーシャ・ファミリアの構成員の一人が居た。
「あの人が例の方ですか?」
「ああ、そうだ」
「その、大丈夫なのでしょうか」
「大丈夫だ。あの人の力量は私も信頼している。間違いなく私よりも強い」
「本当ですか?とても信じられないですが。レベル1、なのでしょう?」
「いや、そもそもあの人は神の恩恵を受けていない」
「はい?」
間の抜けた声が部屋の中に響く。神の恩恵の有無は絶対的だ。レベル1だろうが、経験値を積んだ冒険者の身体能力は受けていない一般人を軽く上回る。それがこの世界において覆せない常識として知れ渡っていた。
自分の中でそれが覆ったのはつい先日のことだ。たまたま空き時間が合い、たまたま顔を合わせたシャクティとアーチャーは軽い腕試しも兼ねて共に鍛錬をしたことがある。
鍛錬用の槍と木刀とが打ち合う音が鍛錬場の中に響く。非殺傷の武器を使っていても槍に込めた必殺の意が劣化することはない。一つ一つの攻撃がアーチャーを打ち崩そうと空を切り裂き迫る。
シャクティとてオラリオにも一握りしか居ないレベル5の第一級冒険者だ。神も認める偉業を都合4度乗り越え、鍛え上げたステイタスに自信を持っていた。自分よりも上の冒険者は数多くいるが、まるで敵わないとは思っていない。必要があれば刺し違えてでも敵に致命傷を与える覚悟もある。
だがアーチャーの防御を崩せる気は全く起きなかった。技量も戦闘経験も雲泥の差だと見せつけられた気分になった。自分より格上と呼ばれる冒険者達でもこれほどまでに戦うことに特化した者は見たことがない。
そして何度か武器を重ねているうちにシャクティはあることに気がついた。
(技量も一級品の域だが、何よりも戦い方が上手いのか)
戦闘中に相手を分析して次の手を読んで動きを見切る。強者同士の戦いにおいて最も重要とされるそれをアーチャーは高いレベルで習得している。心眼とも呼ばれるが経験が物を言うそれを習得するまでに一体どれほどの戦場を渡り歩いて来たのだろうか。攻撃・防御・回避、それらをこなしながら相手の動きや立ち回りを見切りつつ、相手の僅かな癖や行動パターンを読むことの難しさは長年冒険者としてモンスターや犯罪者達を相手取っている自分が何より理解している。
その後の戦闘は見るに耐えない物だった。焦って技の精度を欠いたシャクティの槍をアーチャーが上手く絡め取って弾き飛ばした。上空を回転しながら後方へ飛んでいく槍を眺めながら、剣を首に突きつけられて終わりだ。
これだけでも完敗なのだが、どうにも実力を隠しているような気がしてならない。
手を抜いているわけではないだろうがあれは本気であって全力を尽くしているわけではないと感じた。出さなかった理由は定かではないが、いずれにしても消化不良であることには変わりない。だがいつかは一泡吹かせられるくらいにはなりたいものだ、と再び槍を手に演習場へ向かいながら再戦を誓う。
■
「大丈夫? もうすぐ休めるからね」
ダンジョンの第24階層に至って普通のパーティが安全な場所を求めて迷宮内を彷徨っていた。まさかあそこまで強いとは完全に予想外だったと自分たちの軽率な行動を、今更ながら悔いた。
このパーティーは全員がレベル2になった冒険者で頭目の役目を担っているバスタードソードを担ぐ偉丈夫はレベル3に到達した。今は目標としていた宝石樹の防人から受けた痛打のせいで半死半生の目に会い生死をさまよっている。普段ならば鍛え上げた両腕で振るわれるバスタードソードで立ちはだかるモンスターを骨ごと断ち切ってみせるのだが、出血が酷かったせいで青褪めた顔色で意識が無い。
「悪い。ちょいとドジ踏んじまった」
屈めば身体がすっぽりと収まる程大きな盾を担いだ男が力なく呟いた。よく見ると足が正常な方に曲がっていない。千切れ飛んだわけではないため治療を受ければ治るだろうが、すぐに治るような物でもないだろう。持ち込んだポーションは全て使い切ってしまっており、治療を受けるには一度地上に戻らなければならないが、4人中2人がまともに動けない状況ではそう簡単にできることではない。
「何言ってるのよ。気にしないで、仲間でしょ」
「そうですよ。生き残っただけまだマシですよ」
弓や短剣の投擲などで中遠距離からの支援や援護を主に動くエルフの少女と、広範囲の殲滅が可能な魔法を習得した魔法使いのヒューマンの女性、以上4人の冒険者達はモンスターと接触しないように地図に記されている行き止まりの奥で息を潜めていた。
あわよくば一刻も早く地上に戻って、リーダーの治療をしたいがそれは限りなく難しい。帰ると告げた予定日から既に2日経ったはずなので、ファミリアの主神や仲間が今頃心配しているだろう。救援を期待するしかない状況に歯噛みする。
宝石樹の番人であるグリーンドラゴンを追い詰めたまでは良かったが、そこから不運が重なった。追い詰めたモンスターは何を仕出かすかわからないもので、予想外の攻撃をいきなり繰り出して来た。不意の突進で体勢を崩されて吹き飛ばされた盾持ちを庇おうと前に出過ぎた偉丈夫が、グリーンドラゴンの爪によって思いっきり切り裂かれたのだ。
急の事態で混乱しかけたが、出血が酷いとすぐに判断してエルフの少女が持っていた煙玉で煙幕を展開し、無事だった魔法使いと2人で重症を負った偉丈夫をなんとか担ぎあげて離脱した。盾持ちの男が動かなくなった足を剣を杖代わりにして付いて来てくれたおかげで全員命を落とさずに撤退できて良かったと今でも思う。もしあの時2人共動けなかったり、他のモンスターの追撃にあったりとさらなる不運が重なったらどうなっていたかなんて想像したくはない。
「で、これからどうするんだ?」
「これ以上の探索は無理だから地上に戻らないと行けないんだけど……難しいよね」
「ですがもう水も食料も尽きかけています。これ以上は厳しいですよ」
正規のルートから外れて隠れている自分達を誰かが発見してくれる可能性はかなり低い。単純に人が通る可能性が低いということだからだ。
「そうだ。動けるうちにリーダー抱えてお前らだけでも地上に帰ればいい」
「なっ!? そんなことしたら貴方が」
「俺のことはいい。無事に戻って応援を呼んで来てくれればそれでいいさ」
おそらく間に合わないだろう。それも覚悟の上での決断だった。ここから地上に帰るまでには日数がかかる。それまで生き残っていられる保証などどこにも存在しないのだから。だが救いは突如として現れる。通路の先の方から何かの足音が聞こえてくるのを全員の耳が捉える。
「おい、聞こえたか?」
「ええ、はっきりと」
ゆっくりとだが確実に近づいてくる気配がおそらく一つ。全員が手元の武器に手をかけて応戦準備を整えたところで曲がり角から影が一つ現れる。
「ようやく見つけたぞ」
漆黒に染まった弓を片手に持ち、背部には大量の矢らしき物が収まったバックパックを背負った男が先程からの気配の正体だった。みたところ弓を主武装とする冒険者のようだが、少なくとも彼らは男の姿に見覚えはない。
「―――ファミリアの冒険者だな? 君たちの捜索依頼が出ている。助けに来たぞ」
救いの手は差し伸べられた。彼らにとっては紛れもなく希望であろう。男は自身を『
「ほ、本当ですか? 私達、助かるんですか?」
「ああ、必ず無事に地上まで送り届けると約束しよう」
確実に成功できる策でもあるのか、それともただの自意識過剰なのかは分からないが、少なくとも今は誰でもいいから戦力を補充しておきたいところだ。
「かなり深い傷を負っていたようだな。止血はしていても血を流し過ぎている。顔が青褪めているのはそのためだろう」
「その、彼は助かりますか?」
「何とも言えないが、地上に戻ってすぐに治療を受ければ助かるさ」
だがここは24階層でかなり深い位置に存在している。接敵次第すぐに逃走して戦闘回数を最低限に抑えれば一日足らずでも地上に帰還できるだろう。ただし、全員が万全の状態ならば。
「なら俺を置いて行ってくれよ。そうすりゃ足手まといが一人減るだろ?」
「あんた。またそんなこと言って……」
それは確かに最善を尽くせる策であり、事実ではあった。だが危険に満ちたダンジョンの中にまで救いの手を差し伸べるこの男には一人でも見捨てる選択肢は初めから存在していない。
「少し怪我を見せてくれないか?」
「ああ、いいけどよ」
防具を外して露出した足首が変な方向に曲がっていたが、折れている様子は見られない。
「骨が外れているな。少し痛むが我慢してくれ」
ゴキッと嫌な音が響く。あまりの痛みに思わず涙が出そうになるが、そこはぐっと堪えてなんとか呻き声だけに留めることが出来た。
「次からは自分でも治せるよう医学も齧っておくといい」
するとどうだろうか。あれだけ痛みを生んでいたにも関わらず、骨がはめ込まれた時の痛みを最後にスッと痛みが引いて来たではないか。
「おお、これならなんとか歩けるようになるかもしれねぇ。ありがとな」
「どういたしまして。さて、ここを離れるなら早めの方が良い。戦闘は極力こちらで引き受けるので君たちは後を付いてきてくれ」
「わかりました」
重症のリーダーを担いで紅い外套の男についていく。助けられた4人はこれで助かると思ったが、このダンジョンの中では何が起こるか分からない。彼らへと突きつけられる危機はまだ終わっていなかった。
FGOにアストライア参戦
ちなみにこの小説のメインヒロイン(仮予定)のアストレア様はアストライアのラテン語系なので実質同一存在
まさかルヴィアが参戦するとは思ってなかったけど
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6話
なにしてんですかガネーシャ様
ダンジョンの中では常に冒険者の敵となるモンスター達が湧き続ける。詳細は明らかになっていないが、一説ではダンジョンは自我に近いものを持っていて、自分たちを地下に封印し続ける人間や神々を恨んでおり、敵として排除しようとモンスターを生み出し続けて冒険者達に差し向けているのではないかと言われている。
モンスターが生まれながらに持っている人間に対しての殺戮願望がそれの裏付けとなっているが真相は誰も知らないというのが現状だ。
そんなモンスター達と全く会わずにダンジョンから出ることはかなり難しいと言えるが、遭遇率を限りなくゼロにする方法はある。
モンスターは壁や床、天井から湧き出てくる。強固な壁がひび割れてそこから這い出て来るのだ。ならばその壁を破壊しながら潜ればいい。単純に湧き出る壁が全て壊れていればモンスターが湧くことはない。ただし、この方法を試したとある冒険者は上層を抜ける前に疲労で力尽きたという。
もうひとつは来た道を辿って戻る方法だ。冒険者が通った道というのは必然的にモンスターが倒された後ということになる。そのためこの方法ならばモンスターと戦うことなく地上に戻れるというわけだ。
「ここに来るまでの間に障害になり得るモンスターや罠は予め処理してある。私について来てくれ」
物陰から正規ルートの様子を伺いながら、救出した四人の冒険者達を率いて『安全階層』へと向かう。
敵影は無し。ハンドサインで後方の四人に合図を送り予め駆除してあった敵の残骸や灰の側を抜けて行く。
予定ではそろそろ18階層にある『安全階層』にガネーシャ・ファミリアの冒険者のパーティが待機しているはずであり、後は彼らが引き継いでより安全に救出した冒険者達を治療しながら地上へと帰還する手筈になっている。
ダンジョン自体の特性のひとつに『安全階層』なるものが存在する。安全階層の特徴として、安全階層ではモンスターは一切産まれない。大草原、湖と呼べる規模の湖沼や森が存在し、ダンジョン内固有の人間も食べられる食料もあるためこの階層に世話になる冒険者も多いだろう。
またモンスターが産まれないということもあり、この階層には『リヴィラの街』が存在する。冒険者達が更に下層の攻略の足掛かりに使ったりとそれなりに需要はあるが、隣接した階層からモンスターがやってくることが多々あり危険もそれなり以上にある。そのせいか売られている物価や宿などのサービスは地上のそれらと比べるとぼったくりもいいところだ。
それでも不意の襲撃などで物資を消失してしまえば利用せざるを得ないわけであって、決して不要にはならず需要と供給のバランスがかなり高い位置でバランスが取れているのだろう。
「それにしても助かったよ。助けに来てくれてありがと」
「構わないよ。困った時はお互いに助け合えばいいだけの話だろう?」
「ですが貴方が来なかったら私達はきっとあそこで死んでいたと思います。ですので貴方には本当に感謝しているんです」
「そうだな。そこまで感謝されたのならば、私も最善を尽くした甲斐があったというものだよ」
助かったことに安堵して警戒を緩めている女性陣二人に担がれている盾持ちの男はそれでも警戒を怠ることはなかった。周りの警戒はそこそこにしてその注意はむしろ先程アーチャーと名乗っていた男に向けられていた。
自分達を助けに来たと語るこの男、捜索届けが出されてから一日も経っていないだろうにも関わらず、怪我どころか体力を消耗した様子も見られないところからかなりも実力を持っていると思われる。盾持ちの見立てでは最低でもレベル3、もしかしたら4か5の可能性もあり得る。
だがそれこそありえないことだと内心では思っていた。
娯楽を求めて地上に降りてきた神々は現在眷属を集めては自身の眷属を愛でたり自慢し合ったりするファミリアの運営に勤しんでいる最中だ。眷属の背中に刻んだ神の恩恵は眷属に秘められた潜在能力を先取りするかのように引き出す。ステイタスに現れたレベルは受けた本人の実力を顕著に示し誤魔化すことはできない。
そしてレベルが上がった場合やレベル2以上でギルドに冒険者登録した場合は次の
そういった物は世間話のネタや同じ志を持つ者としての興味などもあって調べていた。だがこの男のことの噂や情報は全く無いし発表された覚えもない。つまり最近になってオラリオにやってきたということだが、モンスターが弱いオラリオ外でここまでのステイタスと技量を手に入れられるだろうか。少なくとも盾持ちがレベル2になるまでに数年かかった。
「着いたぞ」
思考に浸っている間に上層への階段が見えて来た。あの階段を上がればその先は18階層、ダンジョン内でモンスターが湧かない安全地帯だ。
「リヴィラの街にガネーシャ・ファミリアの団員が集まっている。そこで彼を治療しながら地上まで送り届ける手筈になっている」
「良かった。これで助かるんですね!?」
追い詰められて張り詰めていた緊張が解れていくようだ。こればかりは彼やガネーシャ・ファミリアに感謝しかない。
だが見えた希望を粉々に打ち砕く咆哮が後方から響いて来た。それに含まれるのは『怒り』や『恨み』か。
つい先日見たモンスターだった。切り裂かれた鱗や皮から流れていた血は乾いているが傷は完治しておらず、折れた角は痛々しいが、体力が衰えた様子を見せず大木の竜は地響きを鳴らしながらその巨体で突っ込んで来る。
「なっ!? まさか俺たちを追って来たってのか!?」
だとしたら随分と恨まれたものである。
「ここは私に任せて君たちは早く階段に逃げ込みたまえ」
「危険です!? 全員で戦った方がいいです!!」
「君たちのリーダーにはもう時間はあまり残されてないぞ? それでもここに残るかね?」
応急処置は済ませたが以前油断は許さない状況だ。
「なら俺が担いで行くよ。一番の足手まといは俺だしな」
頭目の男を肩に担いで盾持ちが階段へと向かって行く。
「アンタは俺たちを助けるのが仕事かもしれないが、俺たちだってアンタに救われた恩を返したい。悪いが俺たちの我儘に付き合ってくれ」
「わかった。力を借りるとしよう」
盾持ちが階段の上へと消えたのを確認して、現在進行系でこちらに突っ込んで来ているグリーンドラゴンと相対する。
「君たちは何ができる? 戦力を確認しておきたい」
「私はこの弓や短剣の投擲で隙を作ったり突いたりしてるよ。怒り狂ってるアレには大した痛手にはならないと思うけど」
「私は後衛担当で広範囲攻撃の魔法を使えます。時間はかかりますが」
「魔法の完成までどれくらいかかる?」
「5分、いえ3分ください」
「いや5分時間を稼ごう。確実に叩き込んでくれ」
「はい!!」
詠唱を開始して魔法の準備にかかる。どんどん魔力が杖に集中しているのが分かる。
「私が前に出よう。君は奴の隙を突いて弓を射掛けてくれ。狙いは任せる」
「わかったよ」
背後のバックパックから一本の剣を取り出す。それは他者を傷付けるための武器にも関わらず人を惹き付ける美しさを持っていた。思わず目を奪われそうになる名剣を手にアーチャーは駆け出した。
それに気がついたグリーンドラゴンもまたアーチャーに突進していき、自慢の爪を繰り出した。それがアーチャーの剣とぶつかり合い、驚愕する。正面から打ち合ったにも関わらず自慢の爪がたった一本の剣を砕くことができないからだ。
高レベルの冒険者でもまともに受ければ重症は避けられないその爪をアーチャーは正面から受けきった。巨体の重量と速く力の籠もった爪の振り下ろしは驚異ではあるが、アーチャーはそれよりも余程速く重く巧い一撃を受けたことがある。
数秒火花を散らした後、逆に押し切って爪を切り飛ばした。
痛みに呻き声を上げて仰け反ったところに矢が殺到した。射掛けた矢の数本のうち一本がグリーンドラゴンの片方の目に突き刺さり視界を奪った。その隙をついてアーチャーも持っていた剣を投擲してもう片方の目も潰してしまう。
「やるじゃないか。良い腕をしている」
「準備できました!! いつでも撃てます!!」
「よし、やってくれ」
速やかに引いて離脱した瞬間、豪炎がグリーンドラゴンを包み込み高温で全身を燃やしにかかる。
種族の特性上火に極端に弱いグリーンドラゴンに対し火による攻撃は非常に有効だ。だが目の前のグリーンドラゴンはそれを耐えきって見せた。流れ出た血液は残らず蒸発してしまったが、その執念のみで生きつないでいるようだ。
「終わりだ」
爆炎が晴れた瞬間にアーチャーが突き刺した剣を一気に引き抜く。傷口が一気に広がったことで血が溢れ出すが、それを意に介さず抜いた勢いのまま袈裟斬りぎみ首をはねる。
例えどれほどの執念を積み重ねて生き長らえていても首をはねられたり心臓や脳といった重要な器官を潰されて生きていられる生物はそうそういない。最後の一欠片まで抵抗し続けたグリーンドラゴンは激痛に苦悶の声をあげながら絶命した。
「おいこっちだ!! 早く輸血パック持ってきてくれ!!」
「ハイポーションです。飲めますか?」
リヴィラの街付近に急遽建てられた治療施設には既に怪我人が運び込まれていた。応急処置が適切で質が良かったおかげで大事には至らないだろうが、依然油断はできない状況だ。
アーチャー達は先程までグリーンドラゴン撃破を手伝ってくれていた二人も仲間を見てやってくれと告げて解散した。二人共深々とお辞儀してお礼を伝えてから去っていった。
これでアーチャーの役目はほぼ終わったと言ってもいい。ガネーシャ・ファミリアの冒険者達に引き継ぎを終えてから適当にリヴィラの街を見て回ってから今日の夕食の買い出しをして帰ろうと思っていたところに人影が通りかかった。
「おや? 君はガネーシャ・ファミリアの団員じゃないな?」
「ええ、私はディアンケヒト・ファミリアの『アミッド・テアサナーレ』と申します。救助されたあの方々の治療をガネーシャ・ファミリアからの依頼で行っています」
ディアンケヒト・ファミリアは大手の医療系ファミリアとして有名だ。そしてアミッド本人もまたその知名度は治療師の中ではオラリオトップクラスであろう。彼女の医療技術や調薬技術や規格外の回復魔法はあまりにも有名だ。
「そうか、ディアンケヒト・ファミリアにも援軍を頼んでいたのか」
「はい。彼らも危ない状態ですがなんとか一命は取り留めましたよ」
流石はディアンケヒト・ファミリアだろう。医療技術においては他のファミリアの追従を許さない。
「むっ、見た限りその箱は重そうだな。一つこちらで受け持とう」
「えっ、では悪い気もしますが、せっかくですのでお言葉に甘えます」
箱の中身はこれからの治療でも使うであろうポーションが詰められていた。それを仮設のテントの側に置いて積み下ろしの作業は終わりらしい。
「では私はこの辺りで失礼する。彼らを頼むぞ」
「はい。おまかせください」
アーチャーは急ぎで地上へ戻る。この後ガネーシャ・ファミリアに今回の依頼の顛末を報告しなければならないため、後のことは彼らに任せることになっているのだ。グリーンドラゴンの不意の襲撃には内心肝を冷やしたが損害無く撃破できたのならば後は問題ないはずだ。治療のエキスパートも揃っていることもあり、心配する要素も無い。
後日、1週間程の安静を終えて彼らが無事に退院したことがアーチャーの耳に入り、何事も無く彼らの命が救われたことを実感するのであった。
あと数話で進展がありますが、ここで一つアンケート取ります
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7話
実はジナコの疑似サーヴァントだった→ファッ!?
ディアンケヒト・ファミリア。それがこのオラリオに置いて最大手の医療系ファミリアの名だ。
構成する眷属の人数は同じ医療系ファミリアの中では最多であり、調合難易度の高い薬を作成する調薬技術とそれに必要な薬品や素材も充実しており、胃薬といった日々欠かせない常備薬から果てには
またポーションの材料の多くは探索系ファミリアとの取引で入手しており、定期的に一定量を購入する手段も整っているので信頼度はかなり高い。
唯一、主神のディアンケヒトの性格が悪く、足元を見た発注を行うことが多い点さえ目を瞑れば良いファミリアであると言えるだろう。それは多くの眷属達共通の悩みでもあるわけだが、そこは腕と誠実さでカバーしたり、販売窓口に立つことの多いアミッドらの接客によって客との信頼関係を維持することが一番大切なことだ。
ガネーシャ・ファミリアからの依頼で救助された者の治療を終えて無事全員退院が認められた日から数日が経ったある日のことだ。そちらの方に人手を割いてしまったためにこちらの接客業や調合班の人員が減っていたが、それが解消されたことで感じていた忙しさがなくなり、通常業務に戻った。
薬などの販売を行っている治療院には多くの冒険者たちが来店し、販売されているポーションを見て周りながら、質の良いポーションを買い求め、ダンジョンへと潜って行く。
「ここがディアンケヒト・ファミリアの治療院か」
店の中に入ってまず目に入ってくるのはやはりその品揃えだろうか。数多くの薬やポーションをこれほどまで多く揃えているのはここディアンケヒト・ファミリアのみだろう。
例えば今手にとっている『
また、これより効果を高めた『
「ふむ。悪くない」
最近はオラリオで活動するうえで色々と金銭が入り用だった。アストレアが今後オラリオで活動できるように準備を整えねばならないし、間引かなければならない物騒な輩もまだ多くいる。
そういったことやダンジョンでの探索は備蓄していた多くのポーションを消耗した。値段は少しばかり高いがその分質に期待するとしよう。
「おや、貴方は……」
声がした方向へ振り向く。アーチャーよりもかなり背丈の低い見覚えのある姿の女性があった。
「君は確か、アミッドだったな」
腰元にまで伸ばした美しい白銀の髪を持った彼女は、以前ガネーシャ・ファミリアの依頼でダンジョンに潜った時に手を貸して貰った覚えがある。
「以前は世話になったな。おかげで彼らも助かった。礼を言おう」
「いえ、それが仕事ですので。ただ最善を尽くしただけですよ。それと、いらっしゃいませ。アーチャーさん」
アーチャーが今日この治療院を訪れたのは足りなくなった物を買い足すためだ。そろそろ塩と胡椒が切れるなと売り物の弁当を作っている最中に気が付き、それならばと他にも不足して来ているものを補充するために様々な店や露店を見て回っている。ついでに醤油や味噌などのあまり見かけないが是非とも使いたい調味料も探しては見ているが、中々出回っていないようだ。極東では必須でもここオラリオまでは広まっていないらしく、残念に思いながらあるもので代用してやりくりしているのが現状だった。
それとポーションもそろそろなくなりそうだと思い出し、先日縁があったディアンケヒト・ファミリアの治療院を訪れた。
「今日は何をお探しでしょうか?」
「そうだな。『
「ありますよ。全部でこれだけになります」
手早く算盤を弾いて合計金額を弾き出す。出た数字は決して安い物ではなかったが、アーチャーの顔に苦い表情はない。
「問題ない。一括で払えるよ」
空いた時間の殆どをダンジョン探索に出向いて効率良く魔石やドロップアイテムを集め、換金しているため、現在のアストレア・ファミリアの懐はかなり暖かいといえる。それでも突然の出費に備えたり、今後の活動次第では大金を使う可能性もあるため油断はならない。
「随分とたくさん買い込まれるみたいですが、お一人で使うのですか?」
「ん? まあそうだな」
特にマジックポーションはアーチャーの保有魔力の回復にも使えることが実際に試してみて判明している。現在のアーチャーは常に魔力が回復し続けている状態だ。それも少量ずつではあるのだが、これと単独行動のスキルを併用すればマスターなしでも半永久的に現界が可能になっている。規格外のEXランクと同じになるわけだが、戦闘行為を行ったり投影を多用すれば当然魔力は足りなくなる。
それを一度に大量の魔力を回復できるマジックポーションで補うのだ。
「はい、丁度頂きます。それとご注文の品がこちらです」
アーチャーが注文した品物を包んで手渡す。
「ありがとう。ポーションが切れた時はまた頼らせて貰うことにしよう」
「ええ。またのご来店をお待ちしております」
踵を返して店を出ようとすると、偶然店内での話し声が二人の耳に入った。
「今の話は何かね?」
「おや、知らないのですか? 最近では割と噂になっていますよ」
アーチャーの耳に入って気に留まったのは巷で話題となっている冒険者、所謂『正義の味方』だとか『救世主』だとか呼ばれている存在についてだ。
そいつはダンジョンの上層にも下層にもふらっと現れてはダンジョン内で死の危険に陥ったり、急の襲撃で追い詰められた時に駆けつけては矢のような物でモンスターを遠方から爆撃するように薙ぎ払い、モンスターを全滅させる。突然の出来事に呆けて我に返った時にはモンスターもそいつも消え去っているのだ。またさり気なく治療に使えとハイポーションが置かれている場合もあるらしい。
そんなケースが1件や2件だけなら気のせいや幻覚だと小馬鹿にされるだろうが、ギルドに寄せられている報告は既に数十を超えてもうすぐ百件に届きそうだという。
ちらっと姿を目撃した者も居たらしいが、紅と黒の人影を一つちらりと見た程度でしかなく、依然どこのファミリアに所属する者なのかすら分かっていないらしい。きっと凛としてクールな美女に違いないとか、金髪でイケメンに決まっているとか根拠の無い願望のみが先行しているらしい。
どちらにしてもその人に感謝の言葉やお礼の品を渡したいという冒険者が数多く集まってギルドの方でも対応に追われて行方や目撃情報を募っているが、進展は無いらしい。
「それはなんともご苦労なことだ。まあ助かる冒険者が増えることはいいことじゃないか」
素っ気ない態度で返す。だがアミッドは何かが引っかかった。全く他人事を言っているように聞こえないその態度にどうにも引っかかりを覚えた。確かあの時のアーチャーさんの服装は紅と黒の装備のはずだった。
「それはそうなのですが……。そういう人は珍しいと思いますので、話題になっているんですよきっと。その人が居ればきっと無事に帰れるって」
「だがそれで全ての人々を救えているわけではあるまい」
アミッドはその一言でどうにも悲しく、責務に疲れ切ったような声に聞こえてしまった。正義の味方の影と目の前のアーチャーの姿がピタリと重なるようで、首を横に振って振り解く。その一言で生まれてしまった正義の味方の幻影を目の前のアーチャーに重ねたくなかったからだろう。あの時の彼はもっと別の、優しい気持ちで居たはずなのだ。
「ああ、すまない。気が重くなってしまったな。今日はこの辺りでお暇しておこう」
「あっ、はい。またのご来店をお待ちしております」
この暗い雰囲気は耐え難かったため、アミッドは特に引き止めもせず挨拶をしてアーチャーを見送った。
「あっ、アミッドさん。ちょっとご相談が」
タイミングを見計らっていたのか後輩の団員の一人が声を掛けてくる。
「
「それは……困りましたね。ロキ・ファミリアに依頼を出しましょうか?」
呟くような声は、消えることなく近くに居た男にも聞こえていた。
深層。ここからは第一級冒険者でも一瞬の油断も許されないほどの危険地帯になる。出現するモンスターの戦闘力もだがそれ以上に牙を向く物がある。
ダンジョンに仕掛けられた天然の罠や多数のモンスターが一度に襲いかかってくるせいで常に気を張っていなければならず、碌に休息を取ることができない。
そのためこれより下の階層に潜るならば大人数のパーティを組む必要が出てくる。人数が減る程一人辺りの仕事量が増え、その分厳しくなる。ソロで潜れる者などおそらく一人しかいないだろう。
ダンジョンの50階層。深層に存在する安全地帯であるここに突然人が出現した。
「……ふぅ。ここまで丸一日弱か。やはり途中から霊体化に切り替えて正解だったな」
途中までは物陰に隠れてやり過ごしたり、数が少なければ奇襲して仕留めたりしていたが、27階層を超えた辺りからモンスターの一群の数が比べ物にならないくらい増えて来た。別にそれでもただ倒すだけなら問題はない。投影宝具を射出して『
だがそれは魔力を大量に消耗する。遭遇するたびにそんなことをしていればいくら自然に回復している魔力も保たない。そのため戦闘そのものを回避するために霊体化で姿を消して目的地にまで直行してきたのだ。
休息もそこそこに、ここからは姿を消さずに下の階層に降りる。なぜならカドモスの泉には『
パワーだけなら階層主『ウダイオス』より強い、51層では最強の存在だ。ドロップアイテムは『カドモスの皮膜』で大規模パーティの装備だけでなく様々な薬にも使用される貴重品だ。
マップ自体は既に先駆者達が済ませているので道に迷うことはないだろう。最短かつ比較的モンスターと遭遇しにくいとされるルートを選び進んでいくが、ここまで深い階層だとダンジョンは決して優しくはない。
「早速か」
現れたのは黒いサイのようなモンスター『ブラックライノス』だ。それが一度に大量に生み出される。数は凡そ30体程になるだろうか。単純に強靭な筋肉から繰り出される物理攻撃や硬い皮膚の防御は厄介で並の武器では刃が立たず折れるだろう。
「ハッ!!」
存在を認めて瞬時に弓と矢を投影。それらを群れ目掛けて射ち出す。アーチャーが使う剣の数々は眼の前の敵に刃が立たないような並の武器ではない。高速で飛来する剣の矢はブラックライノスの尽くを切り裂き貫く。魔石を砕かれた個体は灰と化し、そうでなくとも頭などの致命傷となり得る箇所に矢を受けた個体はそのまま絶命する。
「こうすれば資金には困らんな」
さっと魔石をくり抜いて回収する。砕けて回収できなかった物を除いても20程の魔石を回収できた。これでも相当な稼ぎになるだろう。
この後数回モンスターと鉢合わせたり、産み出されたモンスターに囲まれかけるが、魔力の消耗だけで切り抜けることができた。
「さて、問題はここからだが……」
この曲がり角の先がカドモスの泉だ。ほんの少し顔を覗かせて先の様子を確認する。するとやはりというべきか巨大な竜が居座っていた。資料の見たことがあるが、あれがカドモスで間違いないだろう。
「では、行くか」
曲がり角から飛び出し、カドモスがこちらに気付く前に先手を仕掛ける。まずは矢を数本投影し走る勢いを弱めることなく射掛ける。カドモスの横っ腹にそれらが刺さるがそれだけで大したダメージにはなってないだろう。
「やはり一筋縄ではいかないな」
こちらに気がついたカドモスが振り返り、階層主すら上回るパワーで押し潰しにかかる。視界を埋め尽くすほど太い腕が横薙ぎに振るわれ、空を切る。
顔を上げたカドモスの視線には既に空中に跳び上がったアーチャーがおり、既に新しい矢を投影し終えて弓に番えている姿が映っていた。
「――――
―――
捻れた剣が撃ち出される。空間をも削り取りながらカドモスの背中に突き刺さり抉る。想像もしていなかったであろう痛みに呻き声が上がる。それでもなお命尽きずに抵抗の意志を見せる様は自分に与えられた使命によるものだろうか。
「終わりだ」
落下してきたアーチャーが投影した剣を脳天目掛けて突き刺す。カドモスの硬い鱗を豆腐を切るかのように突き刺さった剣が確実にカドモスに止めを刺し、引き抜きその太い首も刎ねる。完全に命を絶たれたカドモスの体が灰へと変わり、大きな魔石とドロップアイテムを残して消え去った。
カドモスは間違いなく強敵だった。パワーは知られているモンスターの中でも実質トップで鱗の硬さも強靭なタフネスも相まって階層主にも引けを取らないが、相手が悪かったとしか言えないだろう。
アーチャーはカドモスクラスの敵を相手に引けを取らない歴戦の英霊だった。それに、カドモスと同等以上に筋力があり、硬く素早さもあり、そしてなにより巧く戦う存在を知っている。
「なんとかなったか」
泉水を投影した容器に移し、消耗した魔力を回復するためにマジックポーションを飲みながら今の戦闘を振り返る。
あれは奇襲が上手くいったからこその結果だろう。正面から相対しての戦闘だったらこうまで上手くはいかなかった。負けることはないにしても、勝つか撤退するまでの間にダメージは避けられないというのがアーチャーの見解だ。
「これくらいあればいいだろうか? いや念の為もう一箇所も回っておこう」
近くにある他のカドモスの泉に気配を殺しながら移動する。だが妙な胸騒ぎがするのが気になっていた。杞憂ならば良いのだが、こういった悪い予感というものはアーチャーの経験上、良く当たってしまうのだ。
目的地に近づくにつれて鼻につく嫌な匂いが漂ってきた。それに居るはずのカドモスの気配が無い。
「これは……」
眼の前の光景に思わず絶句してしまった。あちこちに何らかの腐食性の液体で溶かされた草木の跡が残っているが、驚くべきはその先にある灰になったカドモスの死体だろう。魔石は見当たらないが、ドロップアイテムの皮膜は放置されたままだ。カドモスの皮膜は入手の難度と素材の加工先が多岐に渡るため非常に高価で取引される。それを放置する冒険者は絶対に居ない。
つまりこれは冒険者ではない何かが引き起こした惨状なのだろう。
結果的に守る者が居なくなった泉水を回収しながら何が起きたのか分析するが大体は想像できる。この階層で生まれるモンスターではカドモスには束になっても敵わない。つまり完全新種のモンスターが現れたということなのだろう。
単体か複数体か。詳細は分からないがこれから取るべき行動は逃げの一手しかあり得ない。既に目標は達したし、わざわざ深入りして手痛い打撃を受ける気はないからだ。
泉水を回収してすぐに地上に引き上げようとするが、どうやら手遅れのようだった。
「くっ、参ったな」
通路を埋め尽くす程の群れで押し寄せてくるモンスター達が居た。極彩色の体表と足のような触手の生えた芋虫のようなモンスターだ。口の中に何かを発射する管のような物もある。
そこから腐食液を撒き散らし、カドモスを数と腐食液で溶かして殺したといったところか。
アーチャーは敵の姿を認めた瞬間、そいつらが来る方の通路の反対の通路へ駆け出した。流石に未知の相手と相対して愚直に突っ込む程アーチャーは馬鹿ではない。背を向けて走って逃げるが、彼我の速度はほぼ互角といったところで、ただ走って逃げ切れるか微妙とみた。
逃げるアーチャー目掛けて芋虫型モンスターが液体を噴射してくる。十中八九あの腐食液だろう。アーチャーはそれに目掛けて短刀を二本程投影して投擲するが、腐食液に触れた瞬間に短刀の方が溶けて跡形もなくなった。
(金属で出来た剣が跡形もなく……。ミスリルとアダマンタイトで出来たヘファイストス・ファミリア製の武器だったのだがな。まともに被れば手足が溶け落ちるか失明もあり得るか)
アーチャーは逃げながらもこれから取るべき戦術を練る。あの腐食液は驚異的だが、気をつけるべきなのは一点だけだ。液体に触れても溶けないであろう
「ここはやはり、試してみるか」
頭の中に武器のイメージを走らせる。イメージするのは一本の名剣。決して折れず、曲がらず、刃毀れしない概念を持った宝具だ。
「デュランダル!!」
今ここに投影された伝説の名剣を立ち止まり振り向きながら横薙ぎに振り抜いた。直接剣に触れたモンスターとあまりに切れ味が良好過ぎるが故に発生した真空波がその後方のモンスター毎切り裂いた。
確かな手応えを感じたアーチャーだったが、顔を驚愕させた次の瞬間に後方へ大きく跳んで下がった。切られて力尽きたモンスターは信じられないことに爆発し腐食液を周囲に撒き散らしたのだ。
「絶命すると爆発する腐食液の貯蔵タンクでもあるモンスターか。質が悪すぎる。肝が冷えたぞ」
だが腐食液を被った同種のモンスターも腐食液に対しては耐性が無いらしく、至近距離でそれを被ったモンスターが絶命し、また爆発してを繰り返している。運がいいことにそれでそいつらも壊滅したようだ。
「今のうちに退却するべきだな」
モンスター達を尻目に頭に入っている地図を頼りに地上を目指し始める。
(気のせいだろうか。どうにも私個人に固執していたようにも見えたが……。)
気のせいであって欲しいと願いながら、ダンジョンの迷宮を走り抜ける。
それが気のせいではなかったと判明し、オラリオに根付く闇に関わってしまうのはまだ当分先の話だ。
「もうこんな時間ですか……」
時刻はもう遅く、日はとうに沈んでしまい昼間は繁盛していた治療院も客足が遠のいて静まり返っている。もう間もなく訪れる閉店時刻を迎えるれば一息つく暇も出来る。この後にまだ本日の売上の勘定や戸締まりなどの雑務もあるが、今日の勤めはほぼ終わったと言っていい。
そんなディアンケヒト・ファミリアの治療院にカランと鈴の音が響いた。
「あっ、貴方は……!?」
店に入ってきたのは最近何かとよく見るあの人だった。だが様子が普通じゃない。前に店に買い物に来た時は黒のシャツとズボンだったが、今は紅い外套と黒のボディアーマーと初めて会ったあの時と同じ格好をしていた物が、その外套が乾いた血と埃で汚れていた。
「一体どうされたのですか!? すぐに治療しないと!!」
「落ち着け。傷口は塞がっているし、返り血の方が多いから大丈夫だ。ただ急いで戻って来たのでね。こんな格好だが許してくれ」
とてもじゃないが大丈夫と言われてそうですかと言えるような格好ではなかった。こんな重症を負うような場所はダンジョンしかないが、一体どこまで潜って来たのだろう?
「これを取って来た」
「これは……、カドモスの泉水!?」
それは確かにカドモスの泉水だった。ダンジョン51階層でしか採取できない高価で貴重な素材だ。だがこれを獲得するに51階層まで行くしかないが彼が最後にここに訪れたのは一昨日のことだった。第一級冒険者でもパーティを組まなければまず五体満足で生きて帰ってこれない場所なのに、たった一人でそれも二日程度の時間で往復できるなんて人間業ではない。それこそレベル7のあの男ならば別だろうが。
「先日たまたま耳に入って来たのでね。必要なのだろう?」
「ええ、確かに必要ではありますが、これを一体どうやって? いえそれよりどうして関わりの無い貴方がこれを取りに……」
アミッドがその先を口にすることはなかった。首を横に振るアーチャーが暗にその先を言わないでくれと頼んでいるようだったからだ。
「そうですか……。事情がお有りのようでしたらこれ以上詮索は致しません」
「すまないな」
「いえ、そういうお客様も割と多くおりますので。それで泉水の買い取り金額なのですが、こちらで如何でしょうか?」
「いや、それの三分の一でいい」
「えっ?」
「これから長い付き合いになりそうなのでね。少しでも貸しを作っておけばそちらを頼る時に頼みやすくなるからな」
「それはそうですが……」
今回助けられたのはこちらだ。こちらはエリクサーの材料を早く、より安く手に入れられたが、代わりに彼が少なくない傷を負った。これで受けた借りは決して少しなんかじゃない。
「せめてこれを受け取ってください。疲労回復によく効くポーションです。もちろんお代は要りません」
「そうだな。貰おうか」
それと彼が今回のダンジョン探索で使ったポーションを補充して泉水の代金と一緒に袋に詰める。補充したポーションの代金は泉水の代金から差し引いたが、さり気なく割引している。
「今回は本当に助かりました。今後もご贔屓願います」
「ああ、また来させてもらうよ」
キィと木製の扉を開ける音が響く。
「ああ、そうだ」
「どうされましたか?」
アーチャーは背を向けながらも顔だけはこちらを見据えていた。
「君は関係無い私が取りに行ったのかと聞いて来たが、私も君たちと同じく困っている人を見過ごせない質らしい。いや、その生き方しかできなかったと言っていい。いいじゃないか、『正義の味方』。―――なんでか、妙に張りたくなる」
アミッドはそう言い残して退店した彼から目を逸らさずに見送った。後日、依頼されたエリクサーが予定よりも早く完成し、無事依頼主に届けられたという。急な対応にもしっかり対応してくれるとしてディアンケヒト・ファミリアの評判は更に高まるが、そこに名も知れぬ冒険者の功績があったことは知る由もないが、アミッド・テアサナーレだけは冒険者への感謝をいつまでも覚えているだろう。
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8話
「アーチャー、ちょっと行きたいところがあるのですが、着いて来てくれないかしら?」
丁度食べ終えた昼食の後片付けをしていた最中に掛けられた言葉だ。キュッと蛇口を捻って流れ出る水を止めて、アーチャーはアストレアに向き直る。
「別に構わないが、どこに行くつもりだ?」
「前に街に居たころから付き合いがある神に会いに行きます」
約5年前。ダンジョンで起きた謎のモンスターの襲撃によって引き起こされたアストレア・ファミリア壊滅事件。それによって一名を残して団員は全員死亡。生き残った最後の一人は後にオラリオに根付いていた闇派閥の構成員を癒着していた商人やギルド職員、果てには一般人をも巻き込んでこれらを殲滅した。
そんな偉業とも惨事とも言えるそれを成し遂げた生き残ったアストレア・ファミリアの冒険者は一時期ギルドのブラックリストに登録され、賞金まで掛けられていたが死亡説が流れたため現在は死亡している説が一般的となっている。
実際にはとある冒険者向けの酒場のウェイトレスとして日々汗水垂らして働いているのだが、それは知っている人は知っている話だ。
「では出発するとしよう。アストレア、準備は出来ているか?」
「
壁に掛けられていた緑色の外套を身につける。すると瞬く間にアストレアの身体が背景と同化していき、完全に視覚できなくなるまで透明化した。
「便利な物ですね、これ」
「ああ、それの持ち主を敵に回した時は非常に厄介だったと記録しているよ」
自らの同一存在が体験したという月で行われた聖杯戦争。その聖杯戦争の第二試合でアーチャーが対峙したサーヴァントこそ、この外套の持ち主だった。
真名『ロビンフッド』。圧政者であったジョン失地王に抵抗したオリジナルのロビンフッドではなく、複数存在したロビンフッドの集合体のサーヴァントであり『顔のない王』とも呼ばれていた男だ。そういう意味では同じ月の聖杯戦争に参加した自分と似た英霊であった。
「では行きましょう」
アストレアはそう言うと外に出る前に手を差し出し、アーチャーの手を握る。
「ん? どうした?」
「こうしないと姿が見えない私を見失いますよ」
姿が完全に消えたアストレアの位置を確認することはかなり厳しい。ただ呼吸の音や気配までは消せるわけではないのでなんとなくそこにいることだけは分かる。
「そうだな。その方が位置も分かるうえにいざというときに守りやすいか」
差し出された手を取ってしっかりと握る。女性らしく柔らかく少し力を入れると折れてしまいそうなくらいか細い手だったが、見失うことの無いように優しくしっかりと握る。
一方アストレアの方はというと、いつになくご機嫌な様子だった。
こうしてまた誰かとオラリオの街を歩ける日が来るとは思っていなかったからだ。あの頃と比べて街並みは幾らか変わってしまったが人の営みは衰えていない。
「おっ、旦那。いい魚が入ったんだけどよ、買ってってくれよ」
「これは確かによく脂の乗ってそうないい魚だな。だが先に寄らなければならない場所があるから残っていたら買わせてもらうよ」
「あらアーチャーさん、よかったら今日もお野菜買っていって頂戴」
「今日は先に行くべき場所があるのでね。後で寄らせてもらうよ、神デメテル」
大通りを歩いているとアーチャーがいつも食材を買っている店から声を掛けられることが屡々あった。
「アストレア、ここはいいところだな」
「そうでしょう? この街には私達も大変お世話になりました」
まだアストレア・ファミリアがこの街に存在していた頃の話だ。当時のオラリオは闇派閥が蔓延り日常的にギルド間抗争やテロ行為が横行していた。それを鎮圧したり、取り締まる憲兵的な役割を担っており、オラリオに住む市民から慕われていた。
特に市民達との交友があったのがアストレア・ファミリアと言ってもいい。アストレアも自身がオラリオから離れる前から存在していた店や人が今も健在で元気に暮らしている様子を見ていると嬉しくなる。
「久し振りに街をゆっくりと見て回れていますが、こんなにも人々の笑顔で溢れていたのですね」
「ああ。そして、それを成したのはアストレア・ファミリア、つまり君たちの功績だ」
「……そうですね」
闇に覆われて笑顔や幸福が影に隠れていたかつてのオラリオからは想像出来ない。そしてこれから会う神物も、その頃から交友のある神の派閥だった。
「さあ、ここですよ」
到着したのはいかにも寂れた感じの漂う小さな商店だ。店は小さいが綺麗に清掃されており、ファミリアの紋章が掲げられてもいるがあまり繁盛している様子は見られない。
「ここはミアハ・ファミリア。回復薬を扱う道具店を経営しているファミリアですよ」
店の扉を開けて中に入る。店をひと目見てアーチャーが感じた評価は寂れているだった。大手のディアンケヒトと比べるのはアレだが、品数や規模は圧倒的に下回っていた。
「おや、いらっしゃい。お客さんかな?」
迎えたのはいかにも優しそうな好青年に見える人物だ。カウンターで店番をしていたところでこちらに気が付き挨拶をしてきた。
「ああ、そんなところだ。用事があるのは私ではないがね」
横に控えていたアストレアが外套のフードを取る。宝具の姿隠しの効力が消えて姿が顕になる。
「おお、お主、まさかアストレアか? 本当に久しいな!!」
「ええ。久しぶりですね、ミアハ」
実に五年近くになる再会だ。ミアハの人柄もあってアストレア・ファミリアは良くこの店で回復薬などの補給をしていた。当時のオラリオではこのディアンケヒトとミアハの派閥が回復薬関係で利権を争っており、ディアンケヒト・ファミリアが一歩先に行っていたが決してミアハ・ファミリアも負けていなかった。
「ミアハ様、今日のお夕飯なのですが……」
「あっ、ナァーザちゃんだ。久し振りね」
「えっ? アストレア……様?」
店の奥から現れたのはおそらく
「そちらは大変だったと噂は良く聞いているが、戻って来れるくらい落ち着いたのか?」
「いえ、残念ながらまだ完全に落ち着いてはいませんが、私の子の様子が気になったので隠れて戻って来ました。このことを知っている貴方を除けばガネーシャくらいです」
再会を喜ぶのも束の間、以前からこのファミリアのことを知っているアストレアはミアハ・ファミリアの違和感に気がつく。
「もしかして今日はお休みでしたか? 以前ならこの時間帯はそれなりの客があったはずです。それに他の子達が見当たらないのですが、ダンジョンに潜っているのですか?」
それを聞いて途端に顔に陰りが差す二人。なるほど、同じく訳ありかとアーチャーは察した。
アストレアの過去と現在の規模で差が生じているのは今に至るまでの間で何か事件があったのだろう。
「アストレア、誰か来る。顔を隠せ」
店の外から人の気配が近づいて来るのをアーチャーが察知した。それを聞いてすぐさまアストレアはフードを被り再び姿を消す。
「がはは!! 邪魔するぞミアハぁ!!」
霊体化して全員の視界から姿を消していたアーチャーはその神物の顔を何度か見たことがある。神ディアンケヒト、オラリオの治療院では最大規模を誇るファミリアの主神だ。医術の腕は確かだが何より意地が悪いことで有名な神だ。
「ディアンか。一体どうした? 今月の支払いは済ませているはずだが?」
「今月は、だろうが!! 今まで支払いを待ってやったことが何度もあっただろう。なんとか一ヶ月分の金が用意できたからと言って調子に乗るんじゃあない!! 閑古鳥の鳴いてる貴様らのファミリアの様子を見に来てやっただけでもありがたいと思え!!」
支払いという言葉が気になる。状況を察するにミアハ・ファミリアはディアンケヒト・ファミリアに借金か何かの借りがあるようだ。
「とにかく!! 来月の支払い期限も近づいているのは知っているな? 客の居ない店だがそれでも質には入れられるだろう? 次から支払いが遅れたら即刻貴様らを追い出しこのオンボロな本拠を売り払ってやるから覚悟しておけ!! 要件はそれだけだ。帰るぞアミッド」
「はい。ディアンケヒト様」
高笑いを残してディアンケヒトが店を出る。ペコリとお辞儀を残して先日縁のあったアミッドも去っていった。
残されたナァーザとミアハの二人はその後ろ姿を音が聴こえそうな程に歯を噛み締めて見送っていた。
「あれは、借金を拵えてしまった、ということですか?」
部外者の居なくなった店内に再びアストレアの姿が現れる。
「……ふう。ディアンケヒトとは天界に居た頃から折り合いが良くなかったのは知っているだろう?」
そこからぽつぽつとだが事情を話してくれた。下界に降りた後も活動内容が被っていたこともあり、二柱の神はよく衝突していたのは覚えている。
アストレアがオラリオが離れてからしばらく後、ダンジョンに潜っていたミアハ・ファミリアのパーティが唐突な怪物の宴に遭遇してナァーザが命に関わる重症を負った。
「あの日、私は戦闘中に失敗して右腕をモンスターに食べられました」
隠していた右腕の袖を捲くるとそこにあったのは肌色の人の腕ではなく、研ぎ澄まされた剣の如く輝く義手だった。人の腕に限りなく近づけて機能を人のそれと何ら変わりがないように動けるようにする。神経までも繋げて動かせるようにしたものだ。
「金属の義手、
一度ディアンケヒト・ファミリアに飾ってあるのを見たことがある。冒険者の要求に応じてディアンケヒト・ファミリアが創り出した移植後すぐに戦闘に復帰できるような腕だ。そして必要な素材が素材なだけあって恐ろしく高い産物なのだ。
「うむ。当時の我々には借金をしてこれを買う他にナァーザの右腕を復活させる手段はなかった。多くの団員に反対されたのだがな、ナァーザを見捨てることができなかった」
当時のナァーザは精神的に相当な苦痛を負っていた。生きたまま右腕を喰われる苦しみを味わったのだ。命が助かってそれを認識したとしてもその絶望を拭い去ることはできない。勿論買わずに隻腕でもナァーザが生きるだけならば問題はなかっただろう。だがトラウマを抱えたまま生きる苦しみは想像を絶する。夜は深く眠れずフラッシュバックする悪夢にうなされるし、無くなったはずの腕が痛む『
「それまで居た団員達は皆借金を負ったミアハ様を見限って出ていってしまった。残ったのはモンスターと碌に戦えない元冒険者と莫大な借金だけ」
溜め込んでいた負の感情を吐き出したせいか瞳いっぱいに涙を浮かべるナァーザ。うわ言のように自分のせいだと自分を責め続ける姿は痛ましい以外の何物でもない。
「大丈夫よナァーザちゃん。貴女は悪くないから」
確かに深刻な問題だ。閑古鳥が鳴いているこの店で借金の返済できるだけの金銭を稼ぐのは相当厳しいだろう。
「……ミアハ、その借金とは幾ら残っているのですか?」
「まさかアストレア、お主……」
正義と秩序を司る女神は、ただ何年も前に交友があっただけのファミリアが抱えた借金を肩代わりする気だった。
「アーチャー。完済できるだけのお金を集めて来ていただけますか?」
「できなくはないだろうが、本気か?」
アーチャーとて困っている者は積極的に助けるべきだと思っている。だが同時に手を差し伸べるだけでは自己満足以外の何者でもない。救われた者が心の底から救われたと思わなければそれは偽善でしかないのだから。
「はい、本気ですよ」
「……こうなった原因が分からないわけではないのにか?」
「ええ、どうやら私はこの生き方しかできないみたいです」
屈託のない笑みを浮かべる。過去の凄惨な事件を知っている者からすれば痛々しいが、アストレアの瞳は覚悟を決めた者が持つ力強い光を放っていた。
「……わかった。やろうじゃないか」
ため息を付きながらもアーチャーはアストレアの頼みを了承した。
「金が用意できた。確認してくれ」
あの日から数日、再びミアハ・ファミリアの本拠を訪ねたアーチャーから借金を返済できるだけの金を用意できたと知らされた。
「……本当に?」
まさかこれほど短時間であれだけの金額を集めて来るとは思っておらずナァーザから驚く声が上がった。ドサッと音を立てて置かれた袋から溢れる大量のヴァリス硬貨が机の上に散らばる。ひと目見ただけで返済額を超えていると分かる。
「一体どうやってこんな短期間でこれだけのお金を?」
ダンジョンなら大金を稼ぎやすいとしても義手の借金は数日ダンジョンに潜った程度では集めきれない程膨れ上がっている。そんなに簡単に集められるならば返済にここまで苦労していない。
「武器を作って売った。戦う存在がいる以上、武器の需要は常にあるからな」
「でも鍛冶師でもそんなポンポンと高く売れる剣は打てないはず。良い武器を作るのにもそれなりに日数がかかる」
「まあ、その辺りは少しタネや仕掛けがあるがね」
触れられないはずの魔力がアーチャーの手によって形を作る。仄かに光った次の瞬間にはアーチャーの手には一振りのナイフが握られていた。
「これが私の魔術、まあ魔法のような物だ。簡単に言えば『解析して記憶している物を複製する』魔術だ。魔力さえあればいくらでも複製できる」
「これでヘファイストス・ファミリアやゴブニュ・ファミリアで販売されているような性能の保証がある魔剣を複製して都市外へ出る商人に流した。魔剣ならば使えば粉々に砕けて証拠が残らないからな。勿論刻印を誤魔化せる物を選んださ」
一本100万ヴァリスは下らないとされる魔剣をいくらでも複製できるのならばこれだけの大金を集めるのも簡単だっただろう。
魔法が使えなくとも振るうだけで魔法を放つことができる魔剣。太古の昔にコレを打つことができる鍛冶師の一族が今も存在しているラキア王国に売り込み、一財と貴族の地位を得た。魔剣を末端の兵にまで行き渡らせたラキア王国は周辺諸国との戦争で常勝無敗を誇ったという。
「複数人の商人に少しづつ武器を売れば足がつく可能性も低くなる。魔剣を欲しがる冒険者はオラリオの中も外も変わらず多いからな」
「そう、でも本当にいいの? こんな大金、私達にはすぐに返せる宛はないよ」
「別に構わないとも。 どれだけ掛かったとしてもいつか返してくれればいい」
それが両ファミリア間で結ばれた約定だ。利子も期限も無い圧倒的にミアハ・ファミリア側が有利な内容だが、アストレアは当初は返済の必要はないと言っていたが、ミアハがそれを頑なに断った。どれだけ掛かっても必ず返すとの一点張りを貫いた。
「でもなんで? なんでこんな私達を助けてくれるの?」
「理由か? そうだな」
少し考えて答える。
「強いていうなら『君たちが頑張っているから』だろうか。君たちが現状を受け入れて諦めていたならば何かしてやりたいという気持ちも起きなかっただろうな」
「……それだけ?」
「そうだな。見返りを求めるわけでも損得勘定をしたわけでもない。それはアストレアも同じだろうな」
それは今まで借金返済のために苦しい遣り繰りを続けていたナァーザにとって不可解な理由ではあったが、間違ってはいない。そう思える言葉だった。
「それより、今後はどうするんだ? 何か打開策でもあるのか?」
「あるにはある。だけどまだ構想の段階でそれもまだまだ、だから」
「ではその時は力になろう」
後日、ミアハ・ファミリアはディアンケヒト・ファミリアでも成し遂げられなかった画期的な新薬の開発に成功する。この出会いはそれに関わる重要な出来事かもしれない。
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9話
色々ありましたが元気です(反省してない)
「そこで忙しなく働いているのが君の眷属だな?」
朝早い時刻、まだ人の営みは活発になっていない。だがそれでも飲食店の朝は早いものだ。食材の仕込みもそうだが、開店するにも色々と準備というものがある。
客を迎え入れるために埃やゴミを掃き取り汚れを拭き取り、客席のレイアウトが歪んでいたらそれを正したりとざっと上げただけでもこれだけあるのだから開店前の飲食店というものはそれはそれは忙しいことだろう。
現在、まだ肌寒い風が残る早朝に店前の掃き掃除を行っているウェイトレスは先日出会った時に『リュー・リオン』と名乗った。かつてアストレアが誇らしく語った名前と一致しているうえに彼女の起こした事件のせいでかけられた手配書の似顔絵と酷似していた。髪の色が金から薄緑に変わっているが、染めたのだろう。懸賞金目当ての賞金稼ぎや暗殺者から少しでも目を逸らすためのカモフラージュかもしれない。
本人かどうかの確認も兼ねて彼女が現在身を寄せている『豊穣の女主人』の近所にある喫茶店でアストレアと共に朝食を取っている。例の事件のあとに死亡した説が流れていたそうだが、アストレアが食い入るように様子を伺いながら目元に涙を浮かべている姿を見る限り本人に間違いないだろう。
「あぁ……。無事だったのですね」
すぐにでも飛び出して行くかと思っていたがそれはしなかった。向こうの仕事の都合もあるだろうが本人にも思うところがあるのだろう。それを尻目に見ながら注文した紅茶を一口啜る。
―――――及第点だな。
飲んだ茶に厳し目に点数をつけているこの男だが、紅茶の淹れ方には人並み以上の拘りを持っている。筋肉質の男が持つスキルとしては意外なものではあるが、これでもこの男はとある貴族の当主にそのスキルを買われて執事のアルバイトをしていた経験がある。それ以外にも要人の警護や潜入先の人間に成り済ますには家事のスキルが非常に役立った。
「それで、結局いつになったら会いに行くのかね?」
「……今日は忙しいみたいですし、一旦出直そうと思います」
さりげなく伺ってみるのだが、何かと理由を作って再会を避ける。いい加減覚悟を決めて欲しいものだ。
カップをソーサーに戻す。肺の奥から零れた大きなため息はアーチャーの今の気分をそっくりそのまま表している。どうにもならなちもどかしさと呆れが半々に混ざった感情を吐き出してアストレアの正面を向くが、当の本人にはそっぽを向かれる。
「なあアストレア。別に私は強制するつもりはないし、今の状況にとやかく言いたくはない。だがせめてするかしないかどっちか決めるくらいはして欲しい」
「分かってはいるのです。ですがいざリューと対面したら私はきっと頭の中が真っ白になってしまうでしょう。何を話したらいいか、何をしてあげればいいのか分からないのです」
色々な感情が複雑に絡み合ってグチャグチャになっているのだろう。喜びや感動といった正の感情と後悔や罪悪感のような負の感情が拗れに拗れて恐怖になっているのだろう。
「だろうな。君は五年前までの彼女しか知らない。五年の時があれば人はどのようにでも変わる。だが君は違う。そうしなければならなかったとはいえ君だけは五年前のオラリオから逃げ出したまま何一つ変われていない。時間という齟齬がある限り彼女と君は決して交わらない」
「うっ、はっきり言ってくれますね」
「もどかしく思っているのは私も同じだからな」
皿に乗ったオムレツにナイフを入れる。スッと切れたオムレツを一口食べる。プレーンのオムレツの作り方はとてもシンプルで、だからこそ作る料理人の腕が顕著に出る。ふむ、悪くないな。プレーンオムレツには卵とバターの調和が必要不可欠なのだが、それがしっかりとできているこれは間違いなく美味い。
「何をしてあげれば良いかで迷っているようだが、やれることなど一つしか無いだろうに。それは君にしかできない大切なことだ」
「そう、ですね」
ここに来るまでに貰ったチラシに目を通す。むっ、卵と牛乳が安いな。明日の朝市の宣伝を確認、目についた商品をマークして脳に叩き込んでおく。こうした日々の少しずつの節約がやがて大きな財産になるのだ。学生時代に染み付いた習慣は死んでも消えやしなかった。
「……神は不変と言われてますが、それでも変われるでしょうか?」
聞く者によって答えが変わるであろう問いにアーチャーは確かな確信をもってこう答える。
「勿論、変われるとも」
自己嫌悪と理想に裏切られた絶望で鉛色の曇に塗り潰されていた自分は苦い思い出であり、二度と答えを失わぬようにするための誓いになっていた。たとえ今いる場所とは違ったとしても、どこかの世界・どこかの時間で得た『答え』は、アーチャーの胸にしかと刻まれていた。
「兎も角、君の眷属の無事もこうして確認できたわけだが、これからどうするのかね?」
「そうですね……。今度予定を合わせて行ってみましょうか」
「今じゃなくていいのか?」
「ええ。それに貴方から貰ったこの外套のおかげで姿を消せるのでいつでも行けるかと思いまして」
とある世界線の聖杯戦争において敵対した緑衣のアーチャーが使用していた宝具の投影品をアストレアに渡している。装備者を隠蔽する能力を持っており、透明化・消音・気配遮断等により高いステルス性を発揮する。
「だが行ってどうする。眺める距離が変わるだけで向こうは気付かなければ意味がない」
「店の食事が気になるというのもありますが、せめてこの手紙でも渡しておこうかと」
いつの間にか拵えたのかアストレアの手の中には封筒があった。五年分の想いを綴ったのであろう、かなりの分厚さがあった。
「これはまた、随分と分厚いな」
「最初はもっと厚みがあったんですよ。何度も書き直しました」
だが今はそれを渡す時ではない。
「それはさておき、こちらはこちらで事を進めるとしよう」
「そうですね。残念ながら闇派閥の残党は未だオラリオのどこかに身を潜めているはずですから」
リュー・リオンが闇派閥を掃討してからギルドが後始末を進めていく中で遺体の身元確認を行っていたという情報があった。その結果の写しの一部がガネーシャ・ファミリアの資料室の中に残されており、その中で一部の主要人物の死亡が確認されていない。
それらの生死の確認、もし対象が生きていたら可能な限り生け捕り、やむを得なければ始末するのが今後のアーチャーたちの方針となる。ガネーシャ・ファミリアもほんの僅かであるが内密に協力をしてくれており、ギルドや一般市民への根回しや後始末を行ってくれることになっている。
「これにリューを巻き込みたくはありません。本当はこのまま私も再会せずリューに平和な人生を送って欲しいです」
「……そうか。君がそこまで覚悟を決めたというのであれば私はそれに従おう」
会計を済ませ、リュー・リオンのいる『豊穣の女主人』に背を向けて歩き出す。全てが終わったら改めて胸を張って会いに行ければいいなと密かに思う。それ何年かかるかもわからないが、自分のやり残したことをやり遂げなければならないから。会いたいという思いを押し込めて、再び正義の女神は眷属と決別することになる。
「ふぅ、少し遅くなってしまいました。遅くまで店を開けていてくれたご主人に感謝するべきですね」
明日の仕込みと朝食に使う調味料が心許ない量しかなかったので、リューは遅い時間ながらも買い出しに出ていた。店の方も閉店間際で注文は既に取り終わっていたので店主のミアの指示で動いている。
今頃同僚の
とはいえ店はもう目と鼻の先だ。裏路地から帰って来たから予定より早く辿り着いてしまった。それはそれで仕方のないことだと思いながら路地を歩いていると、何か良からぬ気配を察知してしまった。物陰から様子を伺うと二人の男がいた。お互い仲間というわけではなさそうで、片方がナイフを手にもう片方を袋小路まで追い詰めていた。
「頼む! 見逃してくれ! もう悪いことはしない。この通りだ」
地面に額を擦り付けるくらいまで頭を下げ許しを請う。
「情報にあった通りの小悪党だな。そう甘い事をほざいて一体何度逃げ延びてきたんだ?」
振り上げたナイフを今にも振り下ろさんとしている様子を見せつけられている。だがリューは男を止める気はなかった。最初はよくある冒険者同士の諍いかと思ったが、どうやら違うらしい。男が働いた悪事が見つかり、追いつめられているようだ。追いつめている男がガネーシャ・ファミリアのような秩序を司る者か、それともきな臭い噂のあるファミリアや闇派閥のような混沌を司る者か分からないが、どちらにせよ男が悪事を働いたということには変わらない。男の末路が法によって裁かれるか凄惨な最期を迎えるかのどちらにせよリューに介入する余地はない。
だけど、自分の足は前に歩み出ていた。
「そこまでにしておきなさい」
道端に落ちていた石を投げてナイフを持つ手に向けて投げる。あわよくばナイフを取り落とすことができれば良かったのだが、直前に気配を察知されたのか逆にナイフで石を叩き落される。
突然現れた幸運に助かった、これで逃げられると思ったのか希望に満ちた顔で見上げた男の顔面に強烈な蹴りが叩き込まれる。
「ッ!?」
間の抜け声を漏らしながら男が飛んでいき、積まれていた資材の山に頭から突っ込んでそのまま僅かに痙攣して動かなくなった。
「動くなと言っていたんだがね」
「何をしているんですか?そこまでする必要なんてどこにも無かったはずですが?」
自分もよく『やり過ぎてしまう』ことはよくあるので人のことを言えないが、今の必要の無かったことだと思う。殺してはいないだろうが軽くない怪我を負ったことだろう。
「そんなこともない。これでもこの男は腐っても恩恵持ちでね。普段はダンジョンに潜って金を稼いでいるが、隙を見つけては窃盗、詐欺、恐喝を繰り返すどうしようもないクズで、何より闇派閥との繋がりがあると我々は睨んでいる。」
「なッ!?」
闇派閥。かつて自分が疾風の二つ名で通っていた頃に壊滅させたオラリオを破滅に導こうとする者たち。自分の拠り所であったアストレア・ファミリアを破滅に追い込み、そして自分が殲滅したはずの組織。
「そんな、はずは……」
「無いと思っていたのか? 数年前に闇派閥が大量に殺される事件があったな。直接関係していない者も全員殺される凄惨な事件が。だがそれで始末できたのは氷山の一角に過ぎない。残党やパイプのある奴らは未だオラリオのどこかに息を潜めている」
文字通り命懸けで臨んだ復讐が三流の芝居になった錯覚を覚える。あの時の命が惜しかったわけではないが、今のこの平和が束の間の物でしかないなんて思いたくもない。
「君が思っている以上に闇派閥はしぶとい。ただそれだけのことだ。」
男がリューの正面に立つ。褐色の肌、灰のような白髪、素顔は黒いマスクで目元を隠しているせいで見えないがどこかで見たような覚えのある気がするが思い出せない。
「貴方は、何者ですか?」
「ただの一市民、まあ掃除屋とでも名乗っておこうか」
そんなわけがない。ナイフを振り上げた時の敵意や人を害することにためらいがなかったことからこの男は先程のタイミングで介入しなければナイフを振り下ろして殺していたのではないか。
それに男が纏う空気というのか。高レベルの冒険者たちが持つ強者の風格を持ち合わせていることを肌で感じる。少なくともリューよりも明らかに格上とは分かる。今はこっちに敵意を向けてないことが救いか。
「そんなことを聞きたいのではない。貴方はどっちだ」
「どっち、とは?」
「正義か、それとも悪に与するものか」
少なくとも目の前の男は法と秩序を振りかざす者ではないだろう。どちらかと言うと目的のためならそれらに目を瞑るだろう。
「はっ、面白いことを聞くな。だがあえて答えるならどちらでもない、とでも言っておこう。『疾風』のリュー・リオン」
「!」
瞬間、リューは男の懐に踏み込み下から目を狙い手刀を突きつける。リューの中で男は決して見逃せない存在に転じた。過去の自分に気がついている存在は見過ごせない。何よりこの男から派生して良からぬ輩が今の居場所に攻め入ることは防がなければならない。
不意の手刀を男は体を軽く引いて躱した。そこから続けて頭部目掛けて蹴りを放つがそれは受け止められる。そのままもう片方の足で正面目掛けて蹴りを叩き込むが、それもナイフを手放した手で受け止められ、宙に浮いたリューはそのまま投げ飛ばされる。
「くっ」
体勢を立て直して距離を取ることができたが、男の力量を僅かに知れたことはよかった。
だが想定以上に男が強い。自分の格上に未だに無名の冒険者がいるとは思わなかったが。
「思わぬ偶然だったが、丁度良い。実力を試させて貰おう」
「一体、何が目的だ」
今は戦うしかないと諦め、リューは再び攻勢を仕掛けた。
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