暗殺教室 〜幽霊が見える生徒〜 (稲葉 諸共)
しおりを挟む

幽霊教室 1限目 幽霊の時間

椚ヶ丘中学3年E組。劣等生や問題児が集められた落ちこぼれクラス。

E組の教室は他とは違い山の上に建てられている。E組の生徒は険しい山道を毎日登校して行かなければならない。

 

今まさにその山道を登る少年が1人。彼もE組の生徒である。彼は何処にでもいる普通の生徒だった。

 

ある一点を除けば…

 

 

「ん?」

 

山道を登り切り校舎に向かおうとした彼は、少し離れたところに佇む1人の女性に気がついた。見知った顔だった。少し前までは同じ教室にいた人なのだから。

 

だからこそ驚いた。

その人の身体がおかしい事に、

その人の身体が透けている事に、

 

「雪村先生? アンタ死んだのか?」

 

『崇道…君??』

 

 

 

3年E組 崇道 幽太(すどう ゆうた)。彼は幽霊が見えた…。

 

 

 

 

 

 

 

「ヌルフフフフ…! 私が月を壊した犯人です」

 

クラスを襲う静寂。まるで時間が止まったかの様に、皆言葉を発しない。しかし、皆の心の声は1つに重なった。

 

((((いや、まず5、6箇所ツッコませろ‼︎‼︎‼︎‼︎))))

 

 3年E組の教室にやって来た『黄色いタコ型生物』。

クラス全員の視線が正体不明の生物に突き刺さる中、彼…崇道 幽太の視線だけは隣の人物…いや、幽霊に突き刺さっていた。

 

 

『ほわああああ!///// ほわあああ!/////』

 

元担任・雪村あぐり。

タコ相手に目をハートにして興奮している、ズレた感性の持ち主だ。

 

(うるせぇなコイツ…)

 

雪村あぐりに冷たい視線を送っていると、タコの側に立っているスーツ姿の男が前に出て話はじめる。

 

 

「防衛省の烏間だ。単刀直入に言う…

 

…君達にこの化け物を暗殺してほしい」

 

 

 

 

 

3年E組の潮田 渚。小柄な体型と女子の様なルックスを持つ少年。防衛省の説明が一通り終わり、頭の中を整理していた。

 

「とんでもない事になったねー渚」

 

そんな渚に茅野 カエデという少女が話かけてくる。

 

「うん。いきなり暗殺っていわれても…」

 

「そうだよね。それに来年の春には地球が消滅するなんて言われても正直ピンとこないよね」

 

そもそもあのタコ型生物は何なのかとか、本当に月を破壊した犯人なのかとか、普通の中学生には判断できない突拍子のない事ばかりで混乱するのも当然だ。しかし1つだけシンプルな事がある。その事実1つで3年E組のクラス皆は殺し屋になる事を選んだ。

 

「でもさ、暗殺に成功すれば賞金100億だよ、100億! 渚は100億円貰ったら何に使いたい?」

 

そう。それは暗殺に成功した場合の報酬だ。クラスも先程からその話で持ちきりだ。100億を何に使うだのと、楽しそうに話し合っている。

 

そんな中、誰とも話さず教室から退出する生徒が1人。渚はその人物を見つめる。

 

 

「どうしたの渚?」

 

「……いや、なんでもないよ」

 

 

崇道 幽太。このクラスになって少し経ったけど、渚は未だに彼と話した事がない。それどころか誰とも話そうとしない。他の人が話かけているのを遠目で見ていたが、彼はまったく見向きもしなかった。コミュニケーションを取ろうとしないのだ。流石に教師に話しかけられれば無視しない様だが。

同じクラスメイト同士仲良くしたいという気持ちはあるのだけど、彼の放つ近寄りがたい雰囲気につい畏縮してしまう。まるで自分たちとでは住む世界が違うかの様な。

 

彼の目には世界がどう写っているのだろうか…

 

 

崇道side

 

「それで? アンタどうして死んだんだ? 雪村先生」

 

教室を出て人気のない校舎裏。そこで崇道は幽霊となった雪村あぐりに事情を聞くことにした。

 

『えっと…、その…』

 

話しづらいことなのだろうか、あぐりは目を泳がしながら両手の人差し指をくっ付けてモジモジしている。

 

「まぁ、別にアンタの死因を聞いたところで、どうでもいいか……」

 

『あはは……ところで崇道君は昔から見えるの? その……幽霊が』

 

 雪村あぐりの質問は思っていた通り霊感の事に関してだ。そりゃそうだ、幽霊が見える奴なんて、崇道も自分以外知らない。気になって当然だ。今まで出会ってきた幽霊達にも同じ質問をされた。

 

「物心ついた時から。さすがに知り合いが死んで幽霊になったのは初めてのことだよ……」

 

『先生も驚いちゃった、まさか本当に幽霊になるなんて』

 

今でも不思議そうに自分の半透明な体を確認する あぐり。でも崇道にとってそれ以上に驚くべき存在がこの3年E組にやってきたのだ。

 

 

 

「おや? 君は確か…崇道 幽太君でしたね」

 

不意に声をかけられ、振り向くとそこには奴がいた。新しく担任としてやって来たタコ型超生物。

 

「こんな所でどうしたのですか?」

 

幽霊と話していた、なんて言えるわけもなく。誤魔化す事にした。

 

「別に…。アンタこそ何してんだよ」

 

「いやね。先生これからお世話になる校舎を歩いて見て回っていたところです」

 

今更だが、本当にこんな奴が教師なんて出来るのだろうか。

 

「……んじゃ、先に教室戻るんで」

 

「はい、それでは後ほど。それから崇道君、できれば私の事は先生と呼んでください」

 

この時、後に殺せんせーと呼ばれる生物は知らなかった。

 

自分の目の前に教師としての道を示してくれた大切な人がいる事を…。

 

 

 

 

 

渚side

 

3年E組が暗殺教室になってから数日。クラスの生徒達もこの異様な状況に段々慣れてきていた。みんな思い思いに暗殺に意気込んでいるが、今日もターゲットの先生は殺せず放課後を迎えた。

 

渚はカバンに教科書を詰め込み帰りの準備をしていた。

 

「おーい渚。一緒に帰ろうぜ」

 

「うん。杉野」

 

杉野に誘われ席を立つ渚。そこへ後ろから歩いて来た崇道 幽太とぶつかってしまう。一瞬、崇道と目が合い硬直してしまう渚。そんな渚など気にも留めず崇道は教室から出て行く。

 

「大丈夫か渚?」

 

「うん。軽くぶつかっただけだったら」

 

杉野は怪我というよりどちらかと言うと、不良に絡まれた虐められっ子みたいな印象で心配していたのだが。

 

「それにしても相変わらず取っ付き難いやつだよな〜。崇道って」

 

「うん。なんていうか…近寄り難いっていうか」

 

この教室が暗殺教室になっても、殺しのターゲットが担任になっても、崇道は相変わらず1人だった。

 

 

 

 

 

帰り道。雪村 あぐりは周りに人気がいない事を確認して崇道に話しかける。

 

『崇道君…。もうちょっとこう、友達付き合いとか…しっかりした方が。さっきもホラ、渚君達に話しかければ良いのに』

 

「余計なお世話だな」

 

雪村 あぐりは誰とも打ち解けない崇道を心配していた。以前というか生前というか、担任だった時から崇道が1人だった事を気にしていたのだが、未だ友達がいないとは…。

 

「大体、あいつらとは見えてる世界が違う」

 

自分には幽霊が見えて彼らには見えない。それだけの事? とんでもない。とても大きな違いだ。

 

「友達? なれるかよ」

 

『………。』

 

 崇道のその言葉に、あぐりは生前によく話し合っていた、とある男の事を思い出す。とても大切な思い出。

 

『そんなことないよ崇道君。例え見える世界が違っても、住む世界が違っても、本心で話し合えば分かり合える』

 

 殺し屋と教師でも分かり合えたのだから。

 

『渚君達なら崇道君の事、ちゃんと分かってくれるよ』

 

 何故そこまで断言できるのか崇道にはわからなかった。あぐりの真剣な表情。そこには嘘は無かった。本気で分かり合えると信じている顔だった。

 

「…うるせぇんだよ」

 

 崇道の声色が暗く変わる。雪村あぐりは自分が失言した事を理解した。崇道にとって触れられたくない部分に触れてしまったのだと。

 

「アンタもいつまで俺に付き纏うつもりだ? さっさと成仏しろよ。鬱陶しい」

 

『崇道君…』

 

あぐりを置いてそのまま帰る崇道。その背中を黙って見ている事しか出来ないあぐりは、自分の無力差が悔しかった。

 

 

 

 

家に帰るなり自室のベッドに寝転がる崇道。頭に浮かぶのは先程のあぐりの言葉。

 

『渚君達なら崇道君の事、ちゃんと分かってくれるよ』

 

その言葉が崇道の神経を逆撫でする。

 

 

物心ついた頃から幽霊が見えていた。

 

そんな彼を両親は気味悪がった。誰もいない筈の場所を指差しては、「誰かいる」「そこにホラ」。こんな不気味な事ばかり言う息子を両親は初め心配した。病院の精神科に連れて行ったり、あらゆる手を使った。それでも崇道幽太の虚言が消える事は無かった。

 

当然だ。彼は嘘などついていないのだから…。

 

両親はそんな息子の言葉を信じる事が出来なかった。しばらくして両親が幽太に何か言う事は無くなった。それは幽太を受け入れたのでは無く、幽太を拒絶したのだ。

 

その後、幽太と両親との間に言葉は消えた。それからの事だろう。人にも幽霊にも関わらない様になったのは。

 

「……」

 

 

 

翌日。

 

今日は朝から崇道の機嫌が悪かった。昨日 あぐりに言われた事がまだ頭から離れないでいたからだ。イライラしながらも学校へ向かう崇道はE組の校舎へ向かう山道の途中であぐりと出会う。

 

『おはよう。崇道くん』

 

「……チ」

 

露骨な舌打ち。あぐりは神妙そうな面持ちで話しかける。

 

『昨日はゴメンね崇道くん。でも先生が言った事、決して忘れないで欲しい』

 

「…………」

 

崇道はあぐりを無視して校舎へ向かう。あぐりも今日は崇道に付きまとうのは止した方が良いと判断して追いかけなかった。焦らなくて良い。

 

あの子達なら分かり合えると信じているから。

 

 

 

 

「それでは先生 中国に行って本場の麻婆豆腐を食べて来ます」

 

お昼休みの短い時間で中国まで往復して帰ってくる。人間では不可能な事をこの怪物教師は当然の様に熟してしまう。見せつけられる先生の凄さに、生徒達は目的の暗殺が如何に遠い道のりかを認識させられる。

 

しかし、それは今更だ。あの先生の凄さはこの数日で十分体験済みだ。それに賞金の100億円を諦める生徒はいない。

 

そして今日この日。とある少年達の暗殺計画が動き出そうとしていた。

 

「おい渚。ちょっと付き合えよ。暗殺の計画進めようぜ」

 

 

 

あぐりside

 

『はあ〜』

 

雪村 あぐりは校庭にいた。幽霊となった彼女は出来る事がほとんど無い。物には触れれず、人とも喋れず、唯一話せる崇道とは今は会わない方がいい。何もする事がなく、ただ校庭にいたあぐりはとても退屈していた。すると校舎から出てくる4人の生徒に気づく。

 

よく一緒に行動してる寺坂、吉田、村松の3人と渚、計4人の少年達だ。

 

話を聞いていると、どうやら暗殺の計画らしい。寺坂が渚に小袋を渡して立ち去ると、中国に行っていたターゲットが帰って来た。

 

もうすぐ授業が始まると言って、ターゲットはそそくさと校舎に入って行った。

 

『結局、寺坂くん達が渡したのは何だったのかしら?』

 

渚を見ると丁度、寺坂達から貰った袋を開けていた。中身が気になり覗くあぐり。

 

『手榴弾!?』

 

手榴弾を首にぶら下げる渚を見て、このままでは不味い! そう考えた あぐりは急いで校舎に駆け込む。

 

 

 

 

 

『崇道くん!!!!』

 

「……」

 

これから授業が始まるという時に、血相変えて現れたあぐりに崇道は驚いた。昔から幽霊には慣れている崇道は微動だにせず、そのままあぐりの言葉に耳を傾けた。

 

『お願い! 渚くんを止めて!!』

 

 

 

 

 

 

「短歌の最後に”触手なりけり”とつけてください。それが出来た人から今日は帰ってよろしい」

 

ターゲットから提示された問題。触手を説いた短歌など中々思いつかず、クラスのみんなが頭を悩ませている中、潮田 渚は密かにターゲットの隙を狙っていた。

 

そしてもう一人、崇道 幽太も別の事を考えていた。

 

先程あぐりに聞いた渚の自爆テロ。

 

今も崇道の隣で必死に自爆を止める様に訴えるあぐり。崇道は表情にこそ出していないが迷い、悩んでいた。

 

いくら人との繋がりを避ける崇道でも、このまま渚を見捨ててもいいのかと良心が痛む。

 

だが、身体が動かない。顔が下を向く。声が出せない。動く前に言い訳が浮かぶ。

 

手榴弾と言ってもターゲット様の物。人間には無害だ……

 

『……道…ん…』

 

そもそも何と言って止める。何故自分が手榴弾の事を知っていると聞かれたらどうする……

 

『崇……くん…!!』

 

そうだ。だいたい他人がどうなろうと知った事じゃ…

 

『崇道くん!!!!』

 

「ッ!?」

 

気が付けば渚はまさに自爆する直前……!

 

崇道の体は脳から切り離されたかの様に動いた。

 

 

 

 

 

教室内で爆発音が響き渡った……

 

 

 

 

 

 

 

 

渚は目を開けると、自分の現状に驚いた。

 

ゼロ距離で爆発が起きたのに無事な事にではない。薄皮の様な幕が爆発の影響を防いだ事にでもない。

 

「崇道……君……?」

 

 

崇道 幽太が自身の体を盾にする様に渚を守っていたからだ…

 

 

 

 

 

 

 

暗殺の結果は失敗に終わった。このタコ型超生物は月に一度脱皮ができるようで、その皮を盾とし渚と崇道を爆発から守ったのだ。自分に対しその皮を使わずに事なきを得たと言う事は、超生物にとって超至近距離からの爆弾も大した脅威ではないという事だ。改めてこの超生物の怪物性に驚愕するが、その怪物性のおかげで2人とも無傷で済んだと言えよう。

 

その後、渚に手榴弾を渡した寺坂たち、そして渚本人も加え、タコ型超生物からお説教をくらった。寺坂たちは渚を、渚は自分自身を大切にしなかったと。ありがたいお説教だが、その後、人に胸を張れる暗殺をしましょうなどと、訳分からない事を言って締め括っていたが。

 

 

ちなみに、このタコ型超生物は殺せない先生、略して≪殺せんせー≫と呼ばれるようになった。

 

 

 

 

 

 

そのまま授業が終わり、一人帰ろうと崇道は校舎を出たところ、殺せんせーに呼び止められた。

 

「……何ですか?」

 

「いやね、先生、君に伝えたいことがありまして……」

 

「伝えたいこと?」

 

「君が飛び込んできた時は、先生驚きでした。渚君を庇おうと決死の行動。自分を盾にするという無謀な行動でしたが、誰かを助けようとする。そんな優しい心を君が持っていることを、とても嬉しく思います」

 

否定しようとした。だが、言葉が出なかった。事実、自分は渚を庇おうとしたのだから。無意識に……。

 

「どうか、その優しい心をいつまでも失くさないで下さい。先生からのお願いです。君のその優しさは美徳ですから」

 

「……」

 

返事をしなかったのは、認めたくなかったからだ。自分が他人と関わろうとしたことを。認めてしまえば自覚してしまう。

 

自分が寂しがっていること、人に飢えていることを。

 

それだけは崇道の自尊心が許さなかった。

 

そのまま立ち去る崇道の背を見て、殺せんせーはこれ以上何も言わない事にした。その場にいた雪村あぐりも、何も言わず、崇道の背中を見送った。

 

 

 

そんな教師2人の間を、一人の少年がすり抜けて行った。

 

「崇道君!」

 

崇道に呼び止めたのは、潮田 渚だった。

 

「……潮田」

 

「渚でいいよ、崇道君。皆、そう呼んでるし」

 

「何か用か?」

 

「うん。……さっきはありがとう。助けてくれて」

 

「助けたのは、あのタコだ」

 

「それでも、君は僕を助けようとしてくれた。だからお礼を言いたいんだ」

 

渚は嬉しかった。話したこと無い、そう、崇道が言う≪他人≫という関係なのにも関わらず、助けようとしてくれた事に。崇道のことを少しは理解できた気がしたから。

 

「話はそれだけか? それだけなら俺はもう帰る」

 

「え? ……うん」

 

ぶっきらぼうに返し、そのまま立ち去る崇道。やっぱり、まだ彼との心の距離は遠いと渚は思った。それでも渚は知った。彼の≪優しさ≫を。だから……。

 

「また明日ね! 崇道君!」

 

 

 

 

帰り道、崇道は不貞腐れていた。その後ろをふよふよと漂うようにあぐりが浮遊していた。

 

あぐりは嬉しそうに話しかける。

 

『……渚君。良い子だね』

 

自分に向けてくる、あぐりの笑顔が鬱陶しい。潮田も変に勘違いして鬱陶しい事この上ない。

 

そして何よりも腹が立つのは、自分の口元が少し緩んでいる事だ。

 

 

 

 

 

その後も嬉しそうに語りかけてくる幽霊を無視して崇道は家に帰った。

 

 




誰か続き書いてくんないかな〜


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幽霊教室 2限目 野球の時間

今回は野球の話。因みに作者は野球を全く知りません。


早朝、朝6時。崇道 幽太は目を覚ました。

 

いつもの時間に目覚ましが鳴り、いつもの様に起床する。

 

そしていつもの様に自分の朝ご飯を作る。

 

崇道は両親と共に暮らしているが、親子の間に会話は無い。昔から不気味な事を言う息子に、両親の心は離れていった。今でこそ崇道は幽霊の事を人に言わないが、その時に生まれた両親との確執は今も続いている。

 

故に崇道と両親との間に会話は無い。最低限、息子に関わらない様に接している。

 

そんな訳で崇道は自分の事は自分でしなければならないのだ。

 

いつもの様に自分のご飯を作り、そして学校に行く。

 

ただ、いつもと違うのは……。

 

 

 

 

 

 

『おはよう! 崇道君』

 

「……」

 

最近、自分に付き纏ってくる幽霊が出来た事だ。

 

清々しく挨拶する雪村あぐりに対してうんざりした目をする崇道。あぐりと出会ってから毎日この調子だ。

 

「アンタいつまで、俺に憑くつもりだよ」

 

『だって……。私のこと見えるの崇道君だけだし……。一人だと退屈で』

 

心成しか清々しい太陽の光さえも鬱陶しく感じる。しかし、物心ついた時から幽霊が見えた崇道。さすがに慣れた様子で学校に向かう。

 

「だったらさっさと成仏すればいいだろ」

 

『うーん。成仏か〜。私も考えたんだけど……、成仏ってどうすればいいの?』

 

空中に浮遊しながら考える あぐり。真面目に考えているのか知らないが、ふよふよと浮かびながら考える姿は、少しバカっぽく見えた。

 

『私の他にも幽霊がいれば、話し相手になってくれたり、成仏の事とか色々相談できるんだけど。私まだ、自分以外の幽霊とあった事ないのよね〜。……ねえ崇道君、私の他に幽霊っていないの?』

 

辺りをキョロキョロと探す あぐりに、崇道は自分が知る幽霊の特性について語る。

 

「死んだ人間が必ず幽霊になる訳じゃない。なる奴もいれば、ならない奴もいる。それに幽霊ってのは、意外と直ぐ成仏するもんなんだよ」

 

『へえ〜。そうなんだ』

 

「だから、そこら辺に幽霊が溢れかえってるなんて事は……」

 

無い。そう続けようとした直後。

 

『うおおオオオオオ……』

 

突然、何かの呻き声が聞こえた。

 

「!」

 

『っ、な、何⁉︎』

 

この世のものとは思えない不気味な声に、崇道も あぐりも足を止める。

 

二人はその声の方をゆっくりと見てみると、そこには……、

 

 

 

絶望した様に項垂れる野球選手の幽霊がいた。

 

 

 

—————————————————————

 

 

 

『うおおおおオオオオオ……』

 

『ねえ、崇道君。あれって……』

 

「幽霊だな」

 

四つん這いになって、呻き声をあげる幽霊。ガッシリとした体に、野球のユニフォームを着て、メットを被る姿は正しく野球選手だ。

 

『あの〜』

 

「あっ、おい」

 

あぐりはその野球選手の幽霊に話しかける。崇道としては関わりたくないのだが。

 

『大丈夫ですか?』

 

『オオオ……オ? ア、アンタ、俺の事が見えるのか?』

 

『ええ。同じ幽霊ですから。私も』

 

野球選手の幽霊は項垂れていた首を起こして、あぐりを見上げる。

 

『幽霊? ああ、確かにアンタも体が透けてるな。俺以外にも幽霊って居たんだ……』

 

『はい。えーと、それで、どうしたんですか? 項垂れてるようですが』

 

幽霊になっても あぐりは教師だ。困ってる人(幽霊)は放って置けないのだろう。しかし……。

 

『……ふふ……、アンタに話しても……。俺のこの、どうしようもない≪未練≫は……、ふふふ……』

 

消え入りそうな声で、今度は天を仰ぎ見る幽霊。魂でも抜けたかのような様子に あぐりは困ったように崇道に助けを求める。ここは幽霊のエキスパートに意見を仰ごう。

 

『うーん、どうしよう崇道君。この人、悩んでるみたいだけど』

 

「放っとけばいいだろ」

 

取り付く島もない。崇道としては面倒事に関わりたくなかったのだ。しかし、それなら崇道は幽霊(あぐり)の問い掛けに答えるべきではなかった。

 

『……ん? 君、今……幽霊と会話したか!?』

 

「げっ……」

 

『ひょっとして俺の声も聞こえているのか⁉︎ まさか、君も幽霊……、いや違う、君の体は透けてない。間違いなく生きている! なのに幽霊を認識しているのか!』

 

いつもの調子で あぐりと会話してしまったのが運の尽き。関わりたくないのなら、この場は無視して学校に行くべきだったのだ。

 

『やっぱり、幽霊と会話できる人間はいたんだ! 君、俺の話を聞いてくれ!!!!』

 

崇道はいつも通りの日常がまた一歩遠ざかるのを感じ、ここ最近で一番大きな溜め息を吐いた。

 

 

———————————————————

 

 

さすがに住宅街で幽霊の話しを聞くのも不味いだろう。誰もいない空間に一人で話し掛けている所を見られれば、頭のおかしい人と認識される。昔、その事で散々な思いをした崇道だ。場所を移動する事にした。

 

幸い学校の方はまだ余裕がある。親との気まずい空気が嫌で、いつも早めに家を出ているから。

 

移動した先は、まだ誰も居ない河川敷の野球グラウンド。ここなら見晴らしが良く、誰かが近づいて来てもこちらが先に気づくだろう。何より、幽霊からの熱い要望があった。

 

『自己紹介がまだでしたね。俺は大塚 翔(おおつか かける)。生前はプロ野球選手でした』

 

さっきまでの情け無い姿と打って変わって真面目な自己紹介。見た感じ20代前半の男。幽霊とはいえ少しは社会人としての自覚があるらしい。

 

『ご丁寧にどうも。私は雪村 あぐりです。生前は教師をしてました。で、こっちが……』

 

「ふん……」

 

対してこっちは中学生の問題児。相手が幽霊ともあれば、礼儀なと有るはずもない。

 

『す、崇道君。自己紹介されたんだから、こっちも自己紹介しないと……』

 

教師として、元担任として、一応注意する あぐり。だが、現在のヒエラルキーは完全に崇道が上。言う事を聞くはずもなかった。

 

『いえ、良いんです。こっちが無理言って、話を聞いてもらってるんですから』

 

大塚は野球コートを見渡して、静かに言葉を紡ぎ始める。

 

『俺、プロ野球選手って言いましたけど、実は一度もプロとしてグラウンドに立っていないんです』

 

『え?』

 

『子供の頃からプロ野球選手になるのが夢だったんです。ありきたりですけど、昔見たとある野球選手に憧れて。メジャーに行って、プロを相手に野球がしたかった』

 

そう言って大塚は子供の頃を思い出す。父に連れられ、初めて観にいったプロ野球。観客席からグラウンドは遠くて、野球選手たちなんて米粒くらいにしか見えなかったけど。けど、そんな距離を吹き飛ばす様な、特大のホームランが上がった。自分の側まで飛んで来た野球ボール。自分もあの選手の様に、こんな遠くまでボールを飛ばせるだろうかと……。

 

『高校ではあまり活躍出来なかったんですけど、大学出てしばらく、ようやくプロになれたんです』

 

『でも、プロ野球に出る前に交通事故に巻き込まれて……。このままじゃあんまりだ。一度だけで良いんだ! プロとして野球がしたい』

 

拳を握り締め、大塚は自分の思いを打ち明ける。

 

『でも今の俺じゃあバットもグローブも持てない。そこで君の体を貸して欲しいんだ! 君に乗り移って野球をさせてくれ!』

 

その言葉を聞いて、あぐりは疑問に思った事を口にする。

 

『崇道君。幽霊って人に乗り移れるの?』

 

「……無理に決まってんだろ」

 

『ええ⁉︎ 無理なのか!』

 

もし幽霊が自分勝手に人に乗り移れたら世界はもっと混乱に満ちているだろう。

 

「何で乗り移れると思ったんだよ」

 

『だって、漫画とかだとよく……』

 

「漫画の見過ぎだ。もっと現実見ろ」

 

幽霊が見えるという非現実的な少年が幽霊に対して現実を説いている。その光景に あぐりは違和感を感じる。

 

『そんな……』

 

再び項垂れる大塚。最後の望みを断たれ、大きなショックを受けたのだろう。

 

「仮に、俺に乗り移れたとして。プロ野球なんてできるわけないだろ」

 

当然だ。崇道は中学生、ましてや野球なんてした事もない。彼に乗り移った所で、精々そこらの草野球チームに参加するぐらいしか出来ないだろう。

 

「それとも何だ? まさか俺にプロになれとか言うんじゃないだろうな。……無理に決まってるだろ。そんな未練捨てて、さっさと成仏するんだな」

 

そう吐き捨てて崇道は学校へ向かう。

 

『ちょ、崇道君……』

 

あぐりは崇道を追いかけ様としたが、項垂れている野球選手を放っておく事が出来なかった。

 

 

————————————————————

 

 

 

「何で連れて来たんだ」

 

『だって放っておけなくて……』

 

あの後、あぐりは項垂れ続ける大塚を学校まで連れて来た。

 

因みに今は放課後。崇道と あぐりは人の居ない草木が鬱蒼と生い茂る山の中で話をしている。大塚は少し離れたところで項垂れていて、あの様子なら二人の会話も聞いてはいないだろう。

 

それはともかく、あぐりが彼を連れて来たのにはいくつか理由がある。

 

幽霊とは孤独なものだ。最初は自分が幽霊である事に興奮する者もいる。しかし、それは初めだけ。誰にも認識されず、何にも触れられず、そこにあるのは只々孤独。自分と崇道が居なくなれば、彼は本当に孤独になってしまう。あぐりはそんな存在を放ってはおけなかったのだ。正に教師らしい理由だ。崇道にしてみれば良い迷惑だが。

 

そしてもう一つ、あぐりには朝の崇道の言動に思う所があった。

 

『崇道君。嘘ついたでしょ』

 

「嘘?」

 

『幽霊が人に取り憑けないって言ったの。あれは嘘だよね』

 

思わぬ問い掛けに、崇道はあぐりを睨む。それに対し、あぐりは崇道の目を正面から見つめ返した。この発言は割と確信があってのものだったからだ。

 

あぐりは教師として人をよく見る観察眼がある。生前なら人をジロジロ見るのは失礼で憚られるものだが、霊体になって人目を気にしなくなった分、生きていた頃よりも観察力は上がっているだろう。ましてや教え子の、それもここ最近はしょっちゅう一緒にいたのだ。崇道の嘘など何となく分かる様になっていた。

 

——崇道君。幽霊って人に乗り移れるの?——

 

——……無理に決まってんだろ——

 

あぐりは崇道のこの返答に対して、一瞬何か迷った様に感じた。事実、崇道は あぐりや大塚に対してある情報を隠そうとした。

 

「嘘じゃない。事実アンタが聞いてきた、"幽霊が人に乗り移る"なんて事は出来ない。……その逆は出来るけどな」

 

『逆?』

 

そう、これは屁理屈だ。あぐりの質問に対する答えの様に、幽霊がその辺にいる人に自分勝手に乗り移ったりする事は出来ない。出来てしまえば、普通に暮らしてる人が急におかしな行動を取り始めたりしてしまう。そうなれば軽いパニックだ。

 

しかし、崇道の場合は別だ。彼は幽霊を認識している。そのせいか崇道が望みさえすれば幽霊に体を貸す事が出来る。つまり幽霊主体で乗り移るか、崇道主体で乗り移させるかの違いである。

 

『つまり崇道君なら大塚さんに体を貸せるってこと?』

 

「ああ」

 

『それなら……』

 

「貸してどうする? 朝言った様にアイツのやりたかったプロ野球なんて出来るはずないだろ」

 

『……』

 

あぐりも勿論理解している。崇道の体を借りてもプロ野球が出来る訳じゃない。それでも……。

 

 

 

『それでも崇道君なら……大塚さんの力になってあげられるんじゃないかな』

 

 

 

「…………はぁ」

 

傍で項垂れる大塚を見て崇道は溜め息を零した。

 

 

 

————————————————————

 

ところ変わってE組の教室。潮田 渚はカバンに教科書を仕舞い、帰る支度をしていた。するとそこに声を掛けてくる人物が一人。

 

「おーい、渚。帰る前に、ちょっと練習付き合ってくれよ」

 

「杉野。いいよ、変化球の練習だよね」

 

三年E組、杉野 友人(すぎの ともひと)。彼は根っからの野球少年だ。

 

「おう。殺せんせーに言われた俺の武器。手首や腕の柔軟性を鍛えようと思ってな」

 

彼は最近まで自分には野球の才能なんて無いんだと思っていた。実際、彼の投げる球は遅かった。メジャーの有名な選手の投球を真似してみても球速は全然変わらなかった。しかし、担任であり、ターゲットであり、何より人知を超えた力を持つ殺せんせーのアドバイスにより考えを改めた。人にはそれぞれ得意分野があり、自分には自分の才能があると。

 

それからこうして渚によく変化球の練習を付き合って貰っている。

 

早速二人はグラウンドに出て変化球の練習をし始めた。

 

「本当に良く曲がる様になったね、杉野」

 

杉野のボールを受けて渚は改めてそう思う。実際ボールを取ろうとしても取りこぼしがあるくらいだ。

 

「だろ? でも、そろそろ実践で使えるのか試してみたくってさー」

 

「実践? 試合でバッター相手にって事?」

 

「まあ、試合で投げられるなら、それが一番なんだろうけどさ」

 

それを聞いて渚は自分がバッターとして打つのはどうだろうと考えた。だが直ぐに考え直す。野球なんてそんなにした事無いし、正直杉野の練習相手にはならないだろうと。なら他に居ないだろうかと考える。クラスの中で野球をしていて、杉野の良い練習相手になってくれそうな人……。

 

「おい」

 

そんな人居ないだろうと考えた時、渚は後ろから声を掛けられた。そこには……。

 

 

苦虫を噛み潰した様な表情の崇道 幽太がいた。

 

 

 

————————————————————

 

少し時間は遡る。

 

「俺の体を貸してやる」

 

『本当か!』

 

崇道は大塚に体を貸す事にした。いつまでも自分の周りで鬱陶しく項垂れ続けられるのはこちらとしても迷惑だからだ。

 

『なんだ、やっぱり出来るんじゃないか、乗り移り』

 

「言っとくけどプロ野球なんて出来ると思うなよ。アンタに体を貸すのは今回だけだ。これから時間を掛けて、俺をプロにしようなんて考えても無駄だからな」

 

その言葉に大塚は少し押し黙った。事実、大塚は自分が見える崇道に体を貸して貰い、プロ野球選手を目指そうと考えていた。幽霊と幽霊が見える少年がタッグを組んでプロを目指す。そんな漫画みたいな展開を大塚は少し期待していた。だが……。

 

『……わかった。これは俺の我儘だ。君の人生を縛り付ける権利なんて、俺には無い』

 

崇道は野球好きじゃない。そんな崇道に、自分の野球に対する思いを押し付けようとは思わない。

 

「あと、これからアンタがするのは試合じゃない。ちょっとした練習相手だ」

 

『えっ⁉︎』

 

「草野球のチームなんて入りたくないからな。クラスメイトがやってる練習に混ぜて貰うだけだ。それで満足しない様なら、俺はもう知らん」

 

『ううぅぅぅ……。わかった……。それで我慢しよう』

 

「後、俺の体を使って変な事したら問答無用で叩き出す。……あっ、後人前では極力しゃべるなよ。それから……」

 

こうして崇道は渚と杉野の練習に入れて貰う羽目になった。

 

 

————————————————————

 

そして現在。崇道はバッターとして杉野の前に立っている。

 

「驚いたよ。まさか、崇道君が野球やってたなんて」

 

崇道の後ろでキャッチャーとしてグローブを構える渚がそう話しかけてくる。知らなくて当然だ。崇道は野球なんてやった事が無い。しかし、今、崇道の体に入っているのは、プロ野球選手。素人がバンバン杉野の球を打ったら面倒な事になる。杉野の自信喪失にも繋がるだろう。

 

そういう訳で、崇道は野球経験があるという事で話が進んでいる。

 

(しかし、まさか崇道が練習に加わるなんてな)

 

目の前で構える崇道を見て、杉野は彼の印象について考えていた。今までは極力、人と接しようとしなかった崇道が、まさか自分から野球の練習に加えて欲しいと言ってきた事に、杉野は至極驚いた。

 

先日、渚が起こした自爆テロで渚を庇う為に飛び出して来た崇道。その事から彼の認識を改めた杉野だったが。今回の事で更に認識を改める事になった。

 

(ま、無口なのは変わらないけど)

「それじゃあ、行くぞ」

 

杉野はボールを構え、投球フォームに入った。それに対して崇道(大塚)も杉野から投げられるボールを見切ろうと目をこらえる。

 

そして一球見送った。見送ったボールはヌルッと曲がり、渚のグローブに収まった。

 

(なるほど。確かに良い変化球だ。中学生にしてはだが……)

 

大塚は杉野の球を分析する。一方で、杉野は一球見送られた事を警戒していた。

 

(全く動かなかった。最初から見る前提だったな。これって崇道もかなり本気って事だよな)

 

「『……次』」

 

そう言って崇道(大塚)はバットを構え直す。その動作は野球選手として、かなり様になっていた。その為、杉野はまるで試合中の様な緊張感を感じ始める。

 

「よっしゃ。行くぜ」

 

再び放たれた杉野の投球。崇道(大塚)も今度はちゃんと打とうとバットを振る。

 

しかし、大塚のバットはボールをすり抜けた。

 

「『あれ?』」

 

その事実に誰よりも驚いたのは大塚である。

 

(どうした? 何かおかしい事でもあったのか)

 

(いや……変だな)

 

大塚は心の中で崇道と会話するも同様が隠せない。今のは本気で打つつもりだった。だが結果として、バットはボールに掠りもせず渚のミットに収まった。おかしいなと思い、再びバットを構え直す。

 

「『次』」

 

こうして杉野と大塚の長い勝負が始まった。

 

—————————————————————

 

それからしばらくして日も暮れて来た頃。気づけば自分の影が自分の身長を追い越していた。

 

大塚は苦戦していた。確かに杉野はいい球を投げる。しかし、腐ってもプロ野球選手。ここまで打てないなんて事は無い。ならば何故打てないのか。

 

それは元々の自分の体と崇道の体との差異が原因だろう。

 

当然、大人と子供とでは体格も違う。リーチも、体重も、筋力も、全てが違っている。その為、大塚は生前の様に打っても当たらないのだろう。

 

しかし、流石はプロ野球選手。崇道の体を徐々に使い熟し始めていた。

 

一方、杉野も徐々に合わされ始めて焦っていた。けれどもそれ以上に嬉しかった。こんなにも本気で戦える相手がいて。まさか崇道がここまで野球に熱い奴だなんて思わなかった。

 

この時間をもっと味わっていたい。そう思う程……。

 

しかし、二人ともかなり消耗しており、そろそろ終わりが見え始めた。

 

その前に……。

 

 

 

「『なぁ、お前。プロ野球選手、目指してるのか?』」

 

「え?」

 

急に崇道(大塚)が話し始めた。

 

(おい、あんまり喋るなって言っただろ)

 

(すまない。少しで良いから喋らしてくれ)

 

そんな大塚を止めようと心で会話する崇道だったが、大塚は止まらなかった。

 

急に話し掛けられて驚く杉野だったが、少し考えて自分の思いを口にしだした。

 

「……正直、プロ野球選手なんてなれるか分かんねー。俺には才能なんて無いんだって、何度も思った。けど俺やっぱ野球好きだから、好きならやっぱり目指したいなって、そう思うよ」

 

その言葉に今度は大塚が自分の思いを口にする。

 

「『なれるよ。お前。良いプロ野球投手に……』」

 

「……っ!」

 

掛け値ない賞賛。それは大塚の紛れも無い本心だった。

 

「へへっ、なんだよ。嬉しい事言ってくれるじゃん。それじゃ次で終わりにするか」

 

「『ああ』」

 

 

杉野はボールを構える。

 

 

———けど、今は

 

 

そして投球フォームに入り……、

 

 

————先輩として

 

 

ボールは杉野の手から放たれた。

 

 

————超えるべき壁として

 

 

大塚はボールをしっかり見極めて……

 

 

——————君の前に立ちはだかろう

 

 

 

大きく、フルスイングした。

 

 

 

———————————————————-

 

 

 

 

『ありがとう崇道君。君のおかけで俺の中の未練もすっぱり消えたよ』

 

杉野たちと別れた後、崇道たちは朝の河川敷に居た。沈んでいく夕日が妙に眩しくて崇道は目を細める。

 

「……いいのかよ? プロとしてプロ野球がしたかったんだろ? 」

 

『もう満足さ。未来のプロ野球選手と勝負できたんだから……』

 

「あっそ……」

 

まあこれで消えてくれるならどうでも良いかと、崇道は心の中で納得する。しかし、その後の大塚の発言には納得出来なかった。

 

『崇道君……。君は優しいな』

 

まただ。また、心が痛む。優しいと言われると心がズキズキ痛む。

 

『不良振っていても良く分かる。わざわざこんな俺に付き合ってくれて。本当に感謝している』

 

「別に。アンタが目障りで、さっさと消えて欲しかっただけだ」

 

『そうか……。そういう事にしておこう』

 

ありがとう。それだけ言い残して大塚は成仏していった。消えていった大塚を見届けて、崇道は自分の心をそっと撫でた。

 

 

優しいと言われると心が痛む。

 

 

 

 

—————嬉しいと感じると、心が痛むんだ。

 

 

 

 

———————————————————-

 

 

 

 

『お疲れ様。崇道君』

 

帰り道、にこやかに笑いかけてくる あぐりを見て少し腹が立った崇道は一つ、幽霊についての情報を教えてやろうと考えた。

 

「アンタ。朝に成仏ってどうすれば良いのか聞いて来たよな。……教えてやるよ。幽霊ってのはみんな≪未練≫があって現世に留まる。その未練を無くせば、成仏していく」

 

ただ……。

 

 

 

———幽霊なんて、意外と直ぐに成仏するものだ———

 

 

 

正に今回のケースがそうだ。大塚の未練はプロ野球をしたいという願いだったが、何だかんだ杉野との野球勝負で満足して消えていった。未練を無くすというのは必ずしも願いを成就させてやるという事では無い。

 

未練を諦めれば、いつでも成仏できるのだ。

 

「アンタは一体……どんな未練があるんだ」

 

『……』

 

その問いに あぐりは答える事が出来なかった。自分でも分からないのか、それとも分かっているからこそ答えられないのか。崇道には判断つかない事だったが。

 

「ま、今回みたいに、適当な所で満足して消えてくれ」

 

 

面倒事に巻き込んでくれたお返しとして、精一杯の皮肉を投げかけておく事にする。

 

『……ふふ』

 

そんな崇道を見て、逆に崇道らしいと笑みをこぼしてしまう あぐりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに後日談だが、崇道は杉野に野球好きだと勘違いされ、良く草野球チームに誘われる様になった。

 




暗殺教室なのに、まったく暗殺出てこないなー。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幽霊教室 3限目 弱点の時間

 最近、崇道に対するクラスの見方が微妙に変わって来ている。

 それが行動として、最も顕著に表れているのが"潮田 渚"と"杉野 友人"この両名だ。

 先日の自爆テロや野球勝負を経て、二人は崇道に対して友情を感じる様になった。

 

 それからというもの、二人は良く崇道に話しかける様になっていた。

 クラスもその事を周知し始めていた。

 

「崇道君?」

「うん。最近、仲良いじゃん、渚と杉野君」

 

 その事に対して茅野カエデは興味を示した。

 今まで孤立していた為、崇道について詳しく語れる人は居なかった。

 これを機に崇道について、朝のホームルーム前に尋ねる事にした。

 

「と言っても僕らが勝手に話し掛けてるだけで、仲が良いかって言われると……」

「だよなぁ。俺ももう一回野球に誘ったりするんだけど、断られてさ」

「まあ、あの時は崇道君の方から声を掛けて来たから」

「え? 崇道君と野球したの?」

 

 崇道と野球をした事に驚く茅野。

 

「うん。日が暮れるまで杉野と勝負してたよ」

「へぇ〜。ちょっと意外かな。崇道君ってもっと冷めた人なのかなって思ってた」

「俺も驚いたよ。崇道って意外と熱い奴なんだなって」

 

「そうですねぇ。あの勝負は本当に熱かった。先生も思わず手に汗……、いえ、触手に汗を握りましたよ。」

 

 気づけば側にいる虫の様に突然現れた殺せんせー。

 流石に虫の様に嫌悪する訳では無いが、心臓に悪いという意味では似た様なものだ。

 

「殺せんせー。あれ、見てたのかよ」

「はい。夕陽をバックに野球で語り合う少年達。まさに青春の1ページでした」

 

 そういえば、と思い出したかの様に一個の野球ボールを取り出す殺せんせー。

 

「これがあの時に崇道君が打ち上げたボールです。後で崇道君にサインを書いてもらわなくては」

 

 

(((ホームランボールかよ!!!??? )))

 

 

 殺せんせーは崇道、もとい崇道に憑りついていた野球選手の幽霊、大塚が最後に打ち上げたホームランをキャッチしていたのだ。

 しかも打ち上げられるのを見た後に、わざわざ野球のユニフォームとグローブを取りに校舎に戻り、着替えてからホームランボールをキャッチするという離れ業まで熟していた。

 

「しかしそんな崇道君なんですが、暗殺の方はあまり積極的ではないのですよ。崇道君には是非、野球の時の様な情熱を先生にも向けて来て欲しいのですが……」

 

 自分を殺しに来る暗殺者の相手なら手慣れたものだが、自分に興味を持たない生徒とどう接するか。

 殺せんせー自身色々考えている所だった。

 

 そうこう話している内にホームルーム5分前。

 崇道が教室の引き戸を開けて入ってきた。

 それを見た殺せんせーは早速サインをねだりに行く。

 

「あ、崇道君! おはようございます! 早速で悪いのですが、先生このボールにサインを書いて欲しいのですが!」

「サイン?」

「はい、先日打った崇道君のホームランボールですよ」

「なっ!?」

 

 殺せんせーの言葉を聞いて、先日の野球勝負が見られていた事を知る崇道。

 

 ここで初めて、崇道は殺せんせーに対して危機感を覚える。

 野球勝負を見られた事自体は問題ではない。

 

 問題なのは見られた事ではなく、()()()()()()()()()事だ。

 

 こちらが認知せずに様子を見られたら、崇道の秘密がバレてしまう恐れがある。

 崇道は幽霊が見える事を周りに隠しているが、最近は常にあぐりが憑りつき、あぐりとの会話を迫られている。

 その様子を、虫の様にどこにでも現れるマッハ20の怪物に見られてしまえば、まず間違いなく怪しまれる。

 

 

――危険だ。この担任……はやく殺さなくては……

 

 

 殺せんせーを見る崇道の目に、確かな殺意が宿る。

 急に様子が変わった崇道を見て、殺せんせーは首傾げる。

 

「にゅ?」

 

 図らずも、崇道を殺る気にさせた殺せんせーであった。

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 結局、朝は崇道の事を聞けなかった茅野カエデ。

 まあ、これから聞く機会などいくらでもあるだろう。

 今はそれよりも暗殺のチャンスだ。

 

 殺せんせーは今、生徒が手入れをしていた花壇を荒らした罰としてハンディキャップ暗殺大会を開催していた。

 自ら縄で拘束され、木に吊るされるというハンデ状態で生徒の暗殺から逃れようというのだ。

 

 茅野もそれに参加すべく準備を完了させ、急ぎ足で屋外に出た所。

 防衛省の烏間 惟臣(からすま ただおみ)と遭遇した。

 

「あ、烏間さん。こんにちは」

 

 急いでいても挨拶を忘れない茅野。

 元気よく挨拶するその姿からは、彼女の人柄の良さが見て取れた。

 

「こんにちは。明日からは俺も教師として、君たちを手伝う」

「そうなんだ」

「よろしく頼む」

 

 烏間は大人として、仕事として、必要最低限の挨拶を茅野に返した。

 

「じゃあ、これからは烏間先生だ」

 

そんな烏間に対し、茅野は太陽に向かって咲き誇る向日葵の様に真っ直ぐと笑顔を向けた。

 

「……」

 

 烏間が教師になるのは殺せんせーを殺す為、地球を守る為であり、任務だからだ。

 彼の本職はあくまで防衛省だし、彼自身もそう思っている。

 だからこそ、突然先生と呼ばれた事になんともこそばゆさを感じてしまう。

 

自分が教師になるのだと改めて感じていたタイミングで、一人の生徒が烏間に声をかけた。

 

「烏間さん」

「君は……崇道 幽太君。――どうした?」

 

 烏間は崇道と話すのは初めてだ。

 しかし、明日からはここの教師となる身。

 生徒全員の顔と名前は当然記憶している。

 

「ここに書いた物を、急いで用意して欲しいんですけど」

 

 そういって崇道は一枚の白い紙を手渡す。

 

「これは……」

 

 その内容を見て、烏間は目を見開いた。

 烏間の驚いた様子を見た茅野は、崇道が渡した紙の内容に興味を持った。

 

「??」

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 その後、学校が終わり家に帰った崇道は自室であぐりと話していた。

 

「あの怪物を殺す。その為に、アンタには怪物の行動を監視してもらう」

『ええ!? 監視ってどういう事、崇道君!』

 

 殺せんせー暗殺計画に乗り出した崇道は、あぐりに殺せんせーの行動を見張れと命令する。

 

「この前は、アンタの頼みを聞いてやったんだ。今度はそっちが俺に協力すべきだろ」

『うぅぅ……。それは』

 

 先日のプロ野球選手の件、崇道はあぐりに貸しがあると考えている。

 その事を引き合いに出されると、あぐりとしても断れなかった。

 

「そもそも相手は地球を滅ぼそうとしている怪物。いくら幽霊とはいえ、アンタは人類の一員として協力すべきなんじゃないのか」

 

 正論であぐりを促す崇道。

 確かにあぐりは崇道の申し出を断る理由が無い。

 むしろ積極的に協力すべきなのだろう。

 

 ただ、監視するにしても一つだけ懸念がある。

 

『でも、マッハで動ける相手を監視なんて出来ないと思うけど……』

 

 それは幽霊は高速で移動することが出来ない事だ。

 空中に浮遊しても、せいぜい人間の走る速度しか出せないであろう。

 そんな幽霊が、コンビニ気分で南極に行く殺せんせーについて行けないのは当然だ。

 

 もちろん幽霊の事に、誰よりも詳しい崇道がそれに気づかないわけがない。

 

「別にあの怪物にピッタリ張り付いて見張れって言ってるんじゃない。夜、学校にいる時だけでいい」

『どうして夜に?』

 

 そこには崇道なりの考え、持論があった。

 

「人は誰にも見られていない時こそ、油断し、弱点を晒す。それは獣も、あの怪物も同じはずだ。アイツが夜、一人で何をしているのか。それを観察してくれればいい」

 

 幽霊が見える事を周囲に隠している崇道だからこその考え。

 

 どっちにしろ夜は暇なんだろと、付け加える崇道。

 確かに崇道が就寝する夜になると、眠らない幽霊であるあぐりは暇を持て余す。

 崇道にしてみれば、アンタも暇をつぶせて丁度いいだろと、言わんばかりだった。

 

『はぁ。……わかりました』

 

 実はあぐり、崇道に内緒で夜な夜な出かけている場所があるのだが。

 

 それについて、今は話さないあぐりだった。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 殺せんせーは国家機密の存在。

 よって世間からは隠れて過ごしている。

 その為、3年E組旧校舎の宿直室で寝泊まりしているそうだ。

 

 そして今日も、殺せんせーは夜の学校に一人でいるのだろう。

 

 夜9時。

 殺せんせーを見張る為、あぐりはE組の校舎に来ていた。

 生前していた事を、死後、霊体になってからもするはめになるとは思わなかった。

 

 でも、嫌ではなかった。彼との時間はあぐりにとって、まさに心休まる楽しい一時だったから。

 

『お邪魔しま〜す……』

 

 宿直室に入ったあぐりは、聞こえるはずもない挨拶をした。

 別に部屋に入る時、挨拶をするのは礼儀とか、そんな事を思ってのことじゃない。

 ただ、殺せんせーに会いに行く。

 彼に会いに行く。

 

 それが少し気恥ずかしくて、誤魔化しただけのことだ。

 

 部屋に入ると彼がいた。

 大きな体に、黄色い皮膚。丸い顔にウネウネとした触手。

 ところが彼は微動だにしていなかった。

 ただひたすらに、一心不乱に何かを見ていた。

 

『? 何をしているのかしら』

 

 ――――人は誰にも見られていない時こそ、油断し、弱点を晒す。

 

 そんな崇道の言葉が脳裏をよぎった。

 

『まさか、本当に――』

 

 弱点を晒しているのだろうか。

 そう思い、彼の手元を覗き込むと――。

 

 

「ヌルフフフ////」

 

 エロ本を眺めている彼がいた。

 

『……』

 

 エロ本、特に巨乳を凝視している彼。

 良く見ると、黄色い顔はピンクに染まり、見ての通りのスケベ顔を晒していた。

 その姿を見て、彼と同じように顔を赤く染めるあぐり。

 確かにこれは、男の弱点というべき所なのだろうけど。

 

 こんな事、生徒である崇道に何て説明すれば良いのか。

 頭を悩ませるあぐりであった。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 後日、殺せんせーの行動を報告するあぐり。

 彼は授業に必要なプリント作成や、教材を大量に読み漁るなど、教師としての行動が主で、弱点らしい弱点はなかったと。

 

「本当に他には何も無かったんだな?」

『……うん。コレデ全部ダヨ……崇道クン……』

 

 流石にエロ本の事は隠す事すあぐりだが……。

 

「……嘘だな」

『うっ……』

 

 崇道に嘘は通用しなかった。

 以前、崇道の嘘をあぐりが見破った様に、崇道もあぐりの嘘が何となく分かる様になっていたのだ。

 その程度には二人の仲は深まっているという事だ。

 

 まぁ、それを除いても今回のあぐりの嘘は分かりやすかった。

 エロ本という、どこか真剣になれない隠し事のせいだろう。

 

「何隠している? キリキリ話せ」

 

 おおよそ教師に投げかける言葉では無いのだが、それは逆に崇道にとって気兼ねなく話せる相手だという証拠。

 最近、崇道が少し心を開いてくれていると感じていたあぐりだが、今回はその事で葛藤する羽目になる。

 

『うぅぅぅぅ……。その……』

 

 教師として、生徒の信頼を裏切りたくは無い。

 しかし女として、エロ本の事を口にするのは憚られる。

 

 散々悩んだ末、あぐりが出した結論は……。

 

『エッチな本……見てたました。……一人で……』

「はぁ?」

 

 あぐりは生徒の信頼を取る事にした。

 その顔は羞恥で真っ赤に染まっていた。

 まさかの情報に崇道も言葉に詰まる。

 

「…………」

『…………』

 

 教師と生徒。二人の間に気まずい沈黙が訪れる。

 

 意外と初心な二人であった。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 そのまま数日様子を見たが弱点らしい弱点は見つからず、崇道はこのまま暗殺に乗り出す事にした。

 

 この日、崇道は体育倉庫で待ち伏せしていた。

 次の授業は体育。ターゲットが準備の為、体育倉庫に訪れた所を狙う算段だ。

 薄暗く、物が圧迫する狭い空間は、崇道の暗殺には持って来いの場所。

 

 (来た……)

 

 ターゲットが体育倉庫に入る。それを確認してから、崇道は手に持っていた物を起爆させる。

 

 

 ――――次の瞬間、倉庫内が光と爆音に包まれた。

 

 

 

 

 

 崇道が使ったのは、アメリカ陸軍でも使われている閃光発音筒。

 いわゆるスタングレネードと言われる物だ。

 

 この狭い体育倉庫ならどこで起爆させようと、部屋全体を光で埋め尽くす事が可能だ。

 崇道自身はスタングレネード用に用意した特別なゴーグルと耳栓で防護している為、自身が麻痺する事は無い。

 

 なぜ殺傷能力の無い非致死性兵器を使ったのか。それにはいくつかの理由がある。

 

 そもそもマッハ20で動く怪物をナイフや銃で殺すのは土台無理な話だ。

 基本性能が違い過ぎる。

 なら動けない様に捕らえてしまえば良いというのが崇道の考えだ。

 

 しかし普通に捕らえるんじゃ逃げられる為、まずは逃げられない状況を作る事にした。

 

 その為に用意したのがスタングレネードだ。

 スタングレネードによって発生する閃光で相手の視覚情報を奪う。

 如何にマッハ20の怪物でも、光からは逃れる事は出来ない。

 

 さらに光と同時に起きる爆音で相手の聴覚をも奪う事が出来る。

 光と音による感覚器官の一時的な麻痺。

 視覚情報と聴覚情報、この二つを失えば、如何に超生物といえど隙が生じるはずだ。

 その隙に対先生物質の檻で捕まえてしまえば、後は簡単。

 

 スタングレネードを起爆した後直ぐに、崇道は用意していた止め金を外す。

 すると倉庫に仕掛けていた、対先生物質で出来た捕獲用シートが一瞬で殺せんせーを捕らえる。

 

 これが崇道の暗殺計画の全貌だ。

 

 崇道は止めを刺す為、殺せんせーを捕まえたであろうシートに近づく。

 そこで気づいた。

 

「――いない!?」

「ヌルフフフ。残念でしたねぇ、崇道君」

 

 突然ゴーグルと耳栓が外される。

 驚いて背後を振り向くと、人を揶揄う様に笑う殺せんせーが立っていた。

 

「どうして……まさか、スタングレネードを避けたのか?」

「いえ、流石に先生と言えど、光からは逃げれる事は出来ません。物体が光の速度を超える事は不可能ですから。そこを狙った君のアイディアは確かに良かった」

 

 しかし、と付け加える殺せんせー。

 

「先生、視覚や聴覚の他に、嗅覚も優れているのですよ。君がこの体育倉庫に潜んでいる事は、匂いで初めから分かっていました」

 

 情報不足。

 まさか殺せんせーの嗅覚が犬並みに優れているとは思わなかった。

 中々弱点を見せない相手に、功を焦った崇道のミスだ。

 

 そのまま授業を行うかの様に崇道の疑問を解いていく殺せんせー。

 崇道は黙ってそれを聞くしかなかった。

 

「君のスタングレネードは確かに、先生の目と耳を一瞬麻痺させた。しかし、それだけです。殺しに来ると分かっていれば、慌てる事は無い。落ち着いて体育倉庫から脱出するだけです」

 

 警戒されれば暗殺の成功率はグッと落ちる。

 そこに隠れているとバレれば、奇襲は奇襲の意味を為さない。

 いくら目と耳を奪おうと、マッハで動ける事に変わりは無いのだ。

 

 目と耳が機能しない状態でも、音速で体育倉庫から抜け出すくらい殺せんせーには簡単という事なのだろう。

 おまけにこうして話をしているという事は、既に視覚と聴覚、共に回復しているという事。

 末恐ろしい回復速度だ。

 

「何よりも君の失敗は、私に殺意を悟られた事です。ここ数日、君から向けられていた殺気には気づいていました。他の生徒達と比べ、あまり暗殺に積極的ではなかった君が明確な殺意を持った事で、先生は他の生徒達以上に君を警戒する様になりました」

 

 間の抜けた表情をしていても、殺せんせーはここ数日の崇道の殺気をハッキリ捕らえていた。

 

「ここは暗殺教室。誰もが先生に対し、殺意を隠し持っています。その中で君は自分の殺気を隠す事を怠った。他の生徒達との協調性の無さが、それを浮き彫りにしてしまったのです」

 

 いつも一人でいる事が、ここに来て暗殺の弊害となっている事に崇道は気づかされた。

 

「君はもっと他の生徒と協力すべきでした。そうすれば君の殺気は他の生徒達の殺気に紛れ、先生にここまで警戒される事は無かったでしょう」

 

 殺せんせーの言っている事は、理解はできる。納得も。

 しかし、それは崇道には出来ない相談だ。

 幽霊が見える事を隠している崇道にとって、他人との繋がりは一番敬遠している事だからだ。

 その事については、殺せんせーも薄々勘付いていた。

 

「君が何かを隠している事は知っています。その為、必要以上に人を避けている事も。しかし、他人は決して敵ではない。付き合い方次第で心強い味方にもなるのです」

「味方?」

 

 味方という言葉に疑問を覚える。

 崇道にとって、味方は自分だけだった。

 父も母も、誰一人として自分を理解してはくれなかったのだから。

 

「人は皆、弱みを他人に見せない様に隠している。しかし、秘密(弱点)が露見する事を恐れて、他人を拒絶してはいけない。今回の様に、人を避ける事で弱点(秘密)が浮き彫りになる事もあれば、人と繋がる事で逆に弱点(秘密)を隠す事ができるのですから。今の君に必要なのは、周りの環境に適応する力」

「味方と言っておきながら、それを利用すると?」

「世の中に無償の関係などありません。友情も愛情も全てギブアンドテイクで成り立っています」

 

 暗殺に限らず、何事においても一人で出来る事には限りがある。

 このまま進んでいけば遅かれ早かれ、崇道はその難題にぶつかっていただろう。

 殺せんせーは、暗殺者として、人として大切なものを伝えようとしていた。

 

 暗殺という名の授業で……。

 

 殺せんせーの話の趣旨は理解した。

 なればこそと、崇道は思う。

 

 幽霊が見える自分は普通の人間ではない。

 そしてそれは、殺せんせーにも言える事。

 普通の人間に当て嵌まる定義が、自分たちにも当て嵌まるのかと。

 少し、遠回しに尋ねた。

 

「アンタはどうなんだ? 周りなんて関係なく、一人で世界を相手に戦えてるアンタには、弱点なんて何処にもない」

「いえいえ、先生こう見えても弱点だらけですよ。それを巧みに隠しているだけです」

 

 弱くありたいと、そう願ったのは他でもない、この怪物なのだから……。

 

 しかし、事情を知らない崇道には分からなかった。

 マッハで動ける身体能力、暗殺を巧みに躱す高度な知能。

 こんな怪物に、本当に弱点なんてあるのだろうか。

 

 そう考えた時、ふと、潮田渚の弱点メモを思い出した。

 

 崇道は渚が殺せんせーの弱点を綴ったメモを書いていると小耳にはさんだ。

 内容はお世辞にも役に立つか不安になる様なものだったが。

 

 そういえば崇道は、自分も殺せんせーの秘密を一つだけ知っている事を思い出す。

 

「弱点……。アンタが夜な夜な学校でエロ本読んでる事とか?」

「にゅや!? す、崇道君、どうしてそれを!?」

 

 あまりのもくだらない秘密で、弱点というには甚だ疑問だ。

 自分の抱える秘密と同列に扱うのは釈然としないが、この情け無くも立派な教師を見て、少し考えを改めた。

 

 思えば、こんな怪物がちゃんと教師をしているのだ。

 徐々に生徒達との信頼も築き始めている。

 

 それに対して自分はどうだろう。

 幽霊が見えるだけの自分が、他人と分かり合えないなんて決めつけるのは、ただの逃げではないだろうか。

 

 隠す為に他人から離れた自分だが、隠す為に他人と繋がる事が出来ると教えられた時。

 自分が一人なのは、決して幽霊の所為ではないのだと。

 そう言われている様に感じた。

 

「ふふ……」

『崇道君……?』

 

 静かに笑う崇道を見て、あぐりは彼の心境に変化が起こった事を悟った。

 

 ここまで言われたからには、黙ってられない。

 崇道は挑戦を叩きつける様に、不敵な笑み浮かべて言い放った。

 

「為になる授業をありがとう殺せんせー。次はちゃんと殺してやるよ」

 

 次こそは殺してやる。

 その言葉は、自分の秘密を隠しつつ、他人とも向き合うという。

 崇道自身に向けての挑戦でもあった。

 

「はい。次はちゃんと、()()()で殺しに来てください」

 

 その挑戦を大胆不敵に笑う事で、自信満々に受け止めた殺せんせーであった。

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「渚。何してんだ?」

「杉野……。いや、殺せんせーの弱点が中々見つからないなと思って」

 

 休み時間中、渚は自分が書いた弱点メモを見返していた。

 まだ書き始めたばかりだが、中々発見が少なく滞っていた。

 

(まあ、そんな簡単には見つからないよね……)

 

 どこかに弱点が転がってないかと探している渚。

 そして、それは意外な所から転がり込んで来た。

 

「アイツの弱点なら一つ知ってるぞ」

 

「――っ崇道君」

「――っ崇道」

 

 急に話しかけてきた崇道に驚く二人。

 ある意味、殺せんせーが突然出て来る時より驚いた。

 

 崇道とはあの野球以来、あまり話をしておらず、あの時感じた友情はこちらの思い込みなのかと疑問に感じていた2人。

 

 それが急に話し掛けて来ては、驚くなという方が無理だろう。

 そして何よりその内容に耳を引っ張られる。

 殺せんせーの弱点を知っているとは一体。

 

「殺せんせーの弱点って、崇道君それ本当?」

「まじかよ。何なんだよそれって?」

 

「それは……」

 

 崇道からの情報を、ゴクリと生唾を飲んで待つ二人。

 

「エロ本だ」

 

 

 

「「……は?」」 

 

「宇宙人みたいな見た目してる癖に、普通の人間と変わらず性欲があるらしい。特に巨乳ものを好んで見ている」

 

 まさか崇道の口からエロ本という単語が出て来るとは。

 崇道からもたらされる情報に身構えていたが、かなり拍子抜けした。

 

「……」

「……」

 

 だが、なんだろう。

 こうして崇道とエロ本の話が出来る事に喜びを感じる二人。

 

 だって、こんな頭の悪そうな会話、()()としか出来ないんだから。

 

「じゃあ今度、殺せんせーにエロ本見せて、食い付いて来たところを狙うか。エロ本の調達は岡島あたりに頼んで」

「エロ本で世界が救われるなんて、なんか凄い情け無い話だけどね……」

 

 殺せんせーの弱点の話は置いといて、今はこうして友達との会話を楽しもう。

 そう思った渚と杉野だった。

 

 

 

「それと、アイツの嗅覚は犬並みだ。匂いを残せば感づかれるから気を付けろ」

 

 そっちの情報の方が重要なのでは? と思わずにはいられない渚であった。

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 その日の夜。町を彩る電気が闇夜に消える時間帯。

 雲が三日月を覆い隠し、重くのしかかって来る不気味な空。

 茅野カエデは自宅の洗面所で鏡に映る自分を見ていた。

 

「今日の暗殺……使えそう」

 

 今日、崇道が行った暗殺。

 実は茅野は隠れて見ていたのだ。

 崇道が烏間に渡した紙を盗み見た茅野は、暗殺にスタングレネードが使われる事を知っていた。

 そこで自分も特殊なゴーグルと耳栓を身に着け、少し離れた所から、その瞬間をじっくり観察していた。

 

 結果は失敗だったが、それなりに有効であったと茅野は感じていた。

 

「待ってて、お姉ちゃん。必ず仇は取るから」

 

 鏡に映る茅野の顔は、普段の彼女からは想像できない程、冷たく憎悪に満ちていた。

 殺せんせーにすら、その憎悪を悟らせない茅野の隠匿スキル。

 

 しかし誰も見ていない今、その完璧な演技は崩れ去る。

 

 一人を確信している人間は弱点(秘密)を晒す。

 その崇道の考えはまさに正しかった。

 茅野の中に燻る憎悪を表現する様に、彼女のうなじからは禍々しい触手が唸っていた。

 

 

 

 

『…………』

 

 

 そんな茅野を心配そうに、影から見つめる幽霊が一人。

 

 茅野は自分が一人では無い事に気づかない。

 

 

 




 もともと見切り発車で書いたこの作品。ここから先の展開なんて考えてる訳も無く。ネタが尽きた……。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幽霊教室 4限目 因縁の時間

なんか無理やり書いた感。読んでる最中に、ん? となっても脳内で都合の良いように補完してください。


「ねぇ、幽霊が見えるって本当〜?」

 

 彼と話したのは小学6年の頃。進級でクラスが変わって直ぐの事だった。

 彼とは小学校が一緒だっただけで、一度も話した事は無かった。

 そんな彼が突然話しかけてきた時は、酷く驚いたのを覚えている。

 

 彼の事は以前から知っていた。

 天才、問題児、様々な噂が飛び交う学校一の有名人。

 そんな彼が自分に話し掛けて来られては、幽霊に話し掛けられるより驚いた。

 その上、話の内容が自分の霊視についてだったのだから。

 

「クラスの奴が言うには、昔幽霊が見えるって君自身が言ってたらしいけど」

 

 どうやら昔の噂を聞いて話しかけてきた様だ。

 幽霊が見える事を隠す様になって随分と経つが、未だにこういう面白半分で来る奴がいる事実にうんざりする。

 

「幽霊なんて見えるわけないだろ」

 

 だから、これまでの連中と同じ様にキッパリと否定してやった。

 そうすればコイツも、他の連中と同じ様に帰るだろうと思っていた。

 

「見える訳ない、か。ま〜そうだよね。幽霊なんて見えるばずないよねぇ」

 

 しかし、彼は他の連中とは違った。

 

「けど……」

 

 ――幽霊の存在は否定しないんだね

 

 

 その言葉を聞いた時、心臓を掴まれた様な気分だった。

 直ぐにその言葉を否定したかったが出来なかった。

 頭が混乱して考えがまとまらず、出かかった声は喉に詰まる。

 ただひたすらに、動揺を悟られない様、無反応を貫く事で精一杯だった。

 

「ふ〜ん。まあいいけど」

 

 休み時間の終わりを告げるチャイムを聞いて、彼は自分の席へ戻っていった。

 その時の顔はまるで、新しい玩具を見つけた時の子供の様だった。

 

 

 それが彼との最初の出会いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『おはよう! 崇道君!』

 

「……」

 

 朝7時15分。

 登校の為、家を出た崇道を元気良く待ち受けるあぐり。

 反対に崇道の様子は朝から眠たそうな面持ちだ。

 

『どうしたの崇道君。寝不足? 駄目よ、夜更かしは程々にしなくちゃ』

 

「夢見が悪くてあんま寝付けなかったんだよ。最近どこぞの教師の幽霊が枕元に立つせいかもな」

 

 あぐりの注意を崇道は適当な言い掛かりをつけて躱す。

 確かにあぐりは崇道に憑りつく幽霊だが、常に憑りついている訳ではない。

 崇道のプライバシーを守る為、崇道の部屋などには許可なく立ち入ったりはしない。

 夜、崇道が就寝している時あぐりは外で夜空を漂っていたりする。

 決して崇道の枕元に立ってなどいないのだが。

 

『うっ……。と、ところで夢見が悪かったて、一体どんな夢だったの?』

 

 崇道の難癖に若干困った様な苦笑いを浮かべるあぐり。

 話題をすり替える様に崇道の夢について尋ねる。

 しかし、崇道の返答は……。

 

「……さあ、もう忘れた」

 

 崇道の頭の中に夢の記憶は殆ど消えていた。

 夢というのは見ている最中では脳に焼き付く程強烈な印象を受けるのに、目が覚めるとどうして靄がかかった様に忘れていくのだろう。

 

 後に残ったのは夢で感じた嫌な予感。

 

 それがいつまでも崇道の心を渦巻いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ、崇道君。おはよう」

 

「おっす崇道」

 

「ああ」

 

 朝、教室に入ると渚と杉野の二人と挨拶を交わす。

 ただ返事を返しただけだが、人との関わりを避けていた頃と比べると大した進歩だ。

 

『うんうん。やっぱり朝の挨拶は大事だよね、崇道君』

 

(うっせぇ)

 

 教師として教え子が挨拶をする様になって嬉しいのか、後ろにいるあぐりは笑顔で頷く。

 

 そんな中、崇道に声をかけるもう一つの声がした。

 

「おはよう! 崇道君!」

 

「?」

 

 突然飛んできた女性の声に脳が疑問を覚える。

 

――――おはよう! 崇道君!

 

 その声に一瞬、あぐりの朝の挨拶がフラッシュバックしたのだ。

 

 しかし、あぐりでは無い。

 聞き間違いでなければ崇道は誰かに話し掛けられたという事になるが、渚と杉野とは既に挨拶を交わしているから二人のはずもない。

 このクラスで二人の他に話し掛けてくる生徒の存在に思い当たらず、誰だと思い崇道は声の主に顔を向ける。

 

「あれ? ひょっとして崇道君。私の名前知らない? 私、茅野カエデ。よろしくね」

 

「いや、流石に名前は知ってる」

 

 話し掛けてきたのは茅野カエデという少女だった。

 同じクラスなのだから当然名前くらいは知っていた。

 しかし何故彼女の声が一瞬あぐりと重なったのか、崇道の疑問は晴れなかった。

 そんな崇道の心情をよそに茅野は会話を続けて来る。

 

「そうなんだ。良かった〜。さすがに名前まで知られてなかったらどうしようかと思ったよ」

 

「あ、ああ……」

 

「崇道君とは今まであんまり話した事なかったけど、最近渚や杉野君と仲良さそうだったし、これを機にクラスメイトとして仲良くしたいなって思ったの。だからこれからよろしくね」

 

「……」

 

 表情豊かで人懐っこい彼女の人柄に戸惑ってしまう。

 まして初めて話す相手に何と言葉を返せば良いのだろうかと思い悩む。

 言葉を返そうと思案するが中々言葉が出てこず、これでは女の子を意識してまごつく思春期の男子の様ではないかとそんな不甲斐無い思いが募る。

 

「ヌルフフフ。友達付き合いは進歩した様ですが、女の子とのお喋りはまだまだの様ですね〜」

 

(殺す……)

 

 突然耳打ちされた不愉快な言葉に殺意が湧く。

 しかし衝動で降ったナイフが当たるはずも無く、その殺意は虚しく空を切った。

 

 先程まで崇道の後ろには誰もいなかった筈なのに後ろから聞こえた声。

 つまりその声の主はほんの一瞬で崇道の背後を取ったという事だ。

 暗がりでも無い開けた空間の教室で、そんな芸当が出来るのは一人しかいない。

 

「残念。そんなんじゃ、先生は殺せませんね〜」

 

 ターゲットであり担任の殺せんせー。

 何故この教師はこうも人の殺意を煽るのが上手いのだろうか。

 殺せんせーといい、あぐりといい、崇道は教師に対して苦手意識を感じてきた。

 

「チッ、このエロ本教師が……」

 

 殺そうとしても殺せないこの教師に今できる抵抗は、精々相手を貶すぐらいだった。

 

「エロ本?」

 

 その言葉に茅野カエデが反応した。

 そう言えば自分と渚と杉野、そして幽霊のあぐりを除いては、この教師が学校でエロ本を読んでいる事はまだ知らていない情報なのを思い出す。

 

「にゅわわわ!? 崇道君! それは言わない約束でしょう! 違うんですよ茅野さん! 先生は決してその様な……」

 

 女子生徒にエロ本の事を隠そうとする見っともない教師を横目に、渚と杉野、二人の会話に参加する。

 

「あははは。殺せんせー、必死だね……」

 

「ま、教師として生徒に知られる訳にはいかないよな」

 

「どうせあの様子じゃ近いうちにバレる」

 

 殺せんせーの情けない姿に呆れ返る崇道。

 何故あんな教師を未だに殺せないのだろうか憤りを感じる。

 

 そんな憤りをよそに、杉野から話を振られる。

 

「そうだ崇道、また野球の相手してくれよ」

 

「や、野球……?」

 

「あれから一度もやってないんだし、次は打たせないぜ」

 

 杉野達には崇道が野球経験者という事で話が通っているが、実際に野球なんてした事が無い崇道。

 その事実を隠さなければならない事に焦りを覚える。

 

「ま、まぁ気が向いたらな……」

 

「「?」」

 

 

 密かに野球の練習をしようと、崇道は心に決めたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな決意をよそに、今崇道はバットではなくナイフを振っていた。

 

 現在烏間先生指導の元、体育の授業を行っている。

 この暗殺教室において体育の授業とは暗殺のスキルアップが目的の為、普通の体育の様にサッカーや野球は基本行わない。

 ナイフの素振りなどがメインだ。

 

 今しがたクラスで運動神経が良いチャラ男の前原と学級委員の磯貝が二人掛かりで烏間先生にナイフを当てようとしていたところだ。

 しかし二人の攻撃は烏間先生にことごとく捌かれる。

 最低限烏間先生にナイフを当てられたる様にならなければ殺せんせーにナイフを当てる事はほぼ皆無だ。

 クラスに課せられた合格ラインを提示されたところで今日の体育は終了した。

 

 皆が校舎に戻ろうとした時、一人の生徒が高台からこちらを俯瞰する様に立っている事にクラスの皆が気づいた。

 その生徒はこちらが気づいた事を確認すると、真っ先に渚に話しかけた。

 

「久しぶり、渚君」

 

「カルマ君……。帰ってきたんだ」

 

 

 赤羽カルマ。

 彼の姿を見て、崇道は朝見た夢の内容を思い出す。

 

 

 

――――あの時と同じだ。こちらを面白そうに見下ろすあの顔。

 

――――あの時もアイツはこんな風に突然現れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「先生って案外チョロい人~?」

 

「ぐぬぬぬぬ……」

 

 E組に来て早々、赤羽カルマは殺せんせーに暗殺を試みた。

 暗殺自体は躱されたが、カルマはこの暗殺教室始まって以来、初めて殺せんせーにダメージを与える事に成功した。

 カルマの挑発に殺せんせーは顔を真っ赤にして悔しがっていた。

 

「渚。カルマ君ってどんな人?」

 

 その様子をE組の生徒達が固唾を飲んで見守る中、茅野は渚にカルマの事について聞いていた。

 三年になるこの時期に転入してきた茅野は赤羽について詳しく知らなかった。

 

「うん。1年、2年が同じクラスだったんだけど、2年の時続け様に暴力沙汰で停学くらって、このE組みにはそういう生徒も落とされるから……。でも、今この場所なら優等生かもしれない」

 

「どういう事?」

 

「凶器とか騙し討ちとかなら、多分カルマ君が群を抜いてる」

 

 ナイフを巧みに弄ぶその様子から、カルマが凶器の扱いに長けている事がうかがえる。

 すると、思い出したかの様に渚は崇道に向き直る。

 

「あれ? そういえば崇道君って、カルマ君と同じ小学校だったけ?」

 

「……」

 

 渚の疑問に崇道は答えなかった。

 崇道の心情は今複雑な思いで溢れている。

 

 

 ――――幽霊が見えるって本当〜?

 

 

 赤羽カルマ。彼の登場に冷や汗を流したのは殺せんせーだけではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後、崇道は家に帰らずスポーツショップに立ち寄っていた。

 普段スポーツショップなどに足を運ばない崇道故、あぐりは疑問に思う。

 

『それで? 崇道君。スポーツショップに寄って何買うの?』

 

「野球用品」

 

『えっ! 崇道君、野球始めるの?』

 

 崇道の言葉にあぐりは驚いた。

 あの崇道が野球を始めるというのだから。

 

「ボロが出ない様に最低限、練習するだけだ」

 

『そっか、杉野君ともっと仲良くなる為に……』

 

「違う。かってに人の気持ちを都合よく解釈するな。これはあくまでも幽霊が見える事を隠す為だ。流石に野球の経験有無だけでバレるとは思わないが、念には念をだ」

 

 崇道はそう言っていたが、あぐりは理解していた。

 念には念をともっともらしい事を言っていても、実際に野球経験の有無だけで霊視の事実がバレる訳は無い。

 杉野の誘いをわざわざ受ける必要は無いのだ。

 

 それでも杉野の野球の誘いを受けるという事は、せっかく出来た杉野のとの友情を憂いての事だった。

 

 

 野球用品が並ぶ棚の前に来ると、思った以上の品数に二人は考え込む。

 

「野球のグローブっつても色々あるな、何買えばいいんだ」

 

『大塚さんがいれば、色々教えて貰えたんだけど』

 

「そもそもアイツがいなかったらこんな苦労してねーよ」

 

 グローブの良し悪しなど考えた所で分かるはずも無く、一番安い物で良いかと考え商品に手を伸ばした時……、

 

 

 

 ――――突然肩を叩かれた。

 

 

 

「幽霊とでも話してんの?」

 

 

 

 ――――そこには彼がいた。

 

 

 

 

 

 

「赤羽……」

 

 

 

 

「やあ崇道。こんな所で会うなんて奇遇だね」

 

 

 

 

 

 




4月から一人暮らししてる。流石に慣れたし、休みの日は楽しいけど平日が……。

ああ、明日は月曜か……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幽霊教室 5限目 修復の時間

お久しぶりです。

最近、オリジナル小説を書き始めました。
その宣伝の為にこの度、昔の作品をこうして更新した次第。


 

「幽霊とでも話してんの?」

 

 突然肩を叩かれ振り返ると、そこには赤い悪魔がいた。

 

「赤羽……」

「やあ崇道。こんな所で会うなんて奇遇だね」

 

 まずい。あぐりとの会話を聞かれたかと警戒した。例え聞かれていても独り言として押し通せるが、自然とあぐりと会話する様になった迂闊な自分に腹が立った。

 

『大変、崇道君! 赤羽君が!』

(気づくのおせーよ)

 

 役に立たないと心の中で幽霊に悪態をつく。赤羽は眉を顰めるこちらを揶揄う様に不敵な笑みを浮かべている。

 

「渚君から聞いたけど野球、上手いんだってね。崇道が野球に興味あったなんて知らなかったよ」

 

 早速嫌な話題を振ってくる。何故なら崇道は野球が上手でもなければ、興味もないのだから。

 

「お前こそ。野球に興味がある様には思えないが」

「いや~、暗殺で使える物がないか探しに来たんだけど、野球用品のコーナーに見覚えのある顔があったからさぁ。何かボソボソ呟いてたみたいだったし、てっきり幽霊とでも話してんのかと思ってさ」

 

 あいも変わらず幽霊関連のネタで人を揶揄ってくる赤羽に辟易とする。昔からこいつのデリカシーがなく無遠慮なところが心底迷惑で嫌いだった。

 

「またその話か……。人をおちょくってそんなに楽しいか?」

「そんなつもりはないさ。でも、あんな超生物(殺せんせー)が存在してるんだから、案外幽霊も存在してそうじゃん?」

「……幽霊なんている訳ないだろ。くだらない」

 

 赤羽自身、幽霊の存在なんて本気で信じている訳ではないだろう。しかし何が楽しかったのか、こいつは小6の半年間ずっと付き纏ってきたのだと嫌な思い出が蘇る。

 

「ふ〜ん。まあ、今は幽霊よりもあの怪物殺さなきゃね〜。地球が破壊されて俺達自身が幽霊になったら笑えないし。それじゃあまた学校でね〜」

 

 そう言って赤羽は楽しそうに去っていった。肩に入っていた力が抜ける。しかし、油断はできないと気を引き締め直す。

 

 あの笑顔はあの時と同じだ。玩具で遊ぶ子供がそれを無邪気に壊してしまう様な。

 

 あいつの興味は今、殺せんせーに向けられている。しかし、その興味が改めて自分に向けられた時。自分の秘密を暴かれてしまいそうな……。

 

 そんな予感を感じられずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 取り敢えず目的だった野球用品を買って帰路につく。その最中あぐりが話しかけてくる。

 

『崇道君……赤羽君と友達だったの?』

 

 さっきのやり取りを見ていて、なぜそんな答えに行き着くのか。この教師は頭の中がお花畑で満たされているのだろうか。

 

「何でそうなる」

『だって気の置けない友達って感じがして仲良さそうに見えたよ』

 

「冗談じゃない。アイツは昔、俺が幽霊見えるって噂聞きつけてわざわざ揶揄に来ただけだ。さっきみたいにな。アイツのせいで噂は広がるわ、不良との喧嘩に巻き込まれるわで散々だった」

 

 そう……。

 思い返すのは小6の頃。あいつに初めて声をかけられた日から始まる。

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、幽霊が見えるって本当〜?」

 

 その質問に対し、崇道は当然の様に嘘をついた。

 

「幽霊なんて見える訳ないだろ」

「見える訳ない、か。ま〜そうだよね。幽霊なんて見えるばずないよねぇ。けど幽霊の存在は否定しないんだね」

 

 そう言葉を残して、鳴り響くチャイムと共に彼は席に戻っていった。

 

 放課後、下校途中に彼はまた話しかけて来た。

 

「やあ」

 

 あまりにも気安いそれに崇道は無視を決め込んだ。

 

「ねえ。無視しないでよ。俺は幽霊じゃないだからさ〜」

「……」

 

 その軽口に不快感を覚え、崇道はとことん無視を決め込んだ。それでも彼の軽口は続き、幽霊をネタにこちらを揶揄ってきた。家に着くまでそれは続き、次の日の下校時も、その次の日の下校時も彼は付き纏ってきた。

 

 そんな日々が少し続いたある日。

 

 横断歩道で信号待ちをしていたら、後ろから不良がぶつかってきた。不良は3人組で、前を歩く不良が後ろの2人と話す際、前を見ずに歩いていたのが原因だ。

 

「ッて。気ィつけろガキ」

 

 あまりの横暴に顔をしかめると、こちらの態度が気に食わなかったのか、不良3人は大人気なく小6の崇道を囲んできた。

 

「ンだぁ? そのツラ。文句あんのか?」

 

 相手にするのも嫌だったのでしょうがなく謝罪しようとすると、側にいた赤羽がすかさず口を出してきた。

 

「いやぁ、今のは前見てなかったお兄さんが悪いでしょ」

 

 それを聞いて不良は標的をこちらから赤羽に移した。いくら相手が間違っているといっても、不良3人も相手に反論してどう収拾つけるつもりかと思った。

 

「なんだぁ、このガキ。あんま調子のってっと──」

 

 目線を合わせてメンチを切ってきた不良に、彼は先手必勝とばかりに顔面を殴った。あまりの思い切りの良さに思わず「えぇ……」と声が漏れた。

 

 そのまま驚いて固まっていた隣の不良の股目掛けて、彼は足を振り抜き、金的された不良はもんどり打つ様に倒れた。

 

 最後の不良は痛がる仲間2人を心配して隙を見せたところ、赤羽にケツを蹴り飛ばされて倒れ込んでいた。

 

「あはは! 走るよ!」

 

 不良達が倒れている様を楽しそうに嘲笑って走り出す赤羽。今にも起き上がりそうな不良達から逃げる様に赤羽を追いかけた。

 

 この日、初めて崇道は自分から赤羽に着いて行った。

 

 

 

「はあ、はぁ、はぁ」

 

 思い返せばいつぶりだろう。こんな必死に走ったのは。肩で息をしている崇道と違って赤羽はもう呼吸を整えていた。

 

「お前喧嘩っ早過ぎ」

「だってムカつくじゃん。ああいう連中」

 

 赤羽は気にも留めない様子で言い捨てる。

 

「どうするつもりだ? 絶対目ェ付けられたぞ」

「問題ないよ、あんな連中。また返り討ちにすれば良いだけだし」

 

 どこまでも傍若無人なその様子に、崇道は諦めた様に項垂れた。

 

「それに幽霊と比べればあんな連中怖くも無いでしょ」

「はぁ……。知るかよ」

 

 面倒な奴に目をつけられたものだと思った。でも悪い奴では無いのだろうとも思った。不良から助けてくれて、赤羽を見る目が少し変わる。

 

 久しぶりに全力で走った空は清々しい程に空気が澄んでいて美味しかった。

 

 翌日から崇道は赤羽と話す様になっていた。次第に交流は増え、放課後は家に直帰せず、ランドセルを背負ったまま寄り道したりして。コンビニで漫画を立ち読みし、たまに出会しそうになる不良達から隠れるのはスパイ気分で少し楽しかった。

 

 赤羽経由で同級生とも話す機会が少し増えた。

 

 しかし、それも長くは続かなかった。

 

 赤羽はとにかく目立つ奴で、影響力というのが凄かったのだ。そんな赤羽と最近つるんでいる崇道は学校でよく話題に上がる様になり、その結果、昔の話を掘り返してくる奴も増えた。

 

 まだ人間的に未熟な小学生は実にくだらない話が好きで、人を揶揄って楽しむ傾向が強い。鎮火したはずの噂話が瞬く間に広がり、崇道はまた色んな奴から幽霊の事で揶揄われる様になった。

 

 

『うっわ。今時幽霊見えるとか馬鹿じゃん』

 

 

────うるさい。

 

 

『お前幽霊見えんだろ? 目っていうか頭大丈夫?』

 

 

────黙れ。

 

 

『はい〜。嘘つき罪で刑務所行き〜』

 

 

────消えろ。

 

 

 気が付けば気にならなくなっていた赤羽の冗談も、他の連中の揶揄と同じく自分を嘲笑していると感じるようになってしまって……。

 

 

『ねえ』

 

 

 それが酷く屈辱的で……。

 

 

『幽霊が見えるって本当〜?』

 

 

 だから赤羽についこう言ってしまった……。

 

 

 

────死ね、と。

 

 

 

 それから赤羽とは疎遠になった。しつこく付き纏ってきたあの頃が夢だったみたいに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして現在。

 赤羽を警戒していた崇道の心配は杞憂だった。

 

 最初こそ殺せんせーを翻弄していた赤羽だったが、赤羽を徹底的に警戒した殺せんせーは彼の暗殺を尽く躱していった。その度に手入れと称しておちょくられる始末。

 

 次第に赤羽からは余裕がなくなり、彼の顔に張り付いて離れなかったあの挑発的な笑みは消え、もはや崇道の事など忘れて躍起になって暗殺を繰り返している。

 

 自分にターゲットが向かない事を崇道は安堵しつつ、それと同時に赤羽の意外な一面に少し驚いた。

 

 あんな赤羽を見るのは初めてだった。

 

 疎遠になって久しいから気づかなかったけど、改めて考えると以前の赤羽とは何か違う気がした。昔はもっと無邪気に滅茶苦茶しでかすって印象だったが、今は何だか生き急いでいるというか。上手くいかない事にムキになる事にはあれど、ああも焦燥に駆られているのを見るのは初めてだった。

 

 またもや暗殺が失敗に終わり、校舎から出て山林に入って行く赤羽。それを遠くから眺めていると、あぐりが我慢を切らした様に聞いてきた。

 

『話しかけないの?』

「誰に? 赤羽にか? 何で俺がアイツに話しかけるんだよ」

『だって……心配そうに見てたよ』

 

 心配? 俺が? アイツを?

 

 心の中で否定した。だってアイツは──。

 

『友達……なんでしょ?』

「……」

 

 

 

 

 追いかけると赤羽は高さ何十メートルあるのだろうかという崖端から突き出した木の上に座り込んでいた。なんて危ない所で物思いにふけっているのだろうかと呆れてしまう。

 

「おい」

 

 こちらから呼びかけると、赤羽は少し驚いた顔をしてこちらを一瞥したが、すぐ顔を戻してしまう。

 

「……珍しいじゃん。崇道の方から俺に話しかけてくるなんて」

「俺だって好きで話しかけるかよ。ただ随分とらしくないなって思ってな」

「らしくない? 俺の事? へぇ〜。君に俺の何がわかるの? 別段大した仲でもないでしょ俺らって」

 

 突き放す様な刺々しい返事だったが、無理もないと思った。今赤羽は余裕が無いし、昔の事とはいえ赤羽に対し死ねとまで言ったのだから。

 

 崇道も今更仲直りがしたい訳ではなかったが、隣に浮かぶ幽霊に囃し立てられて、つい追いかけてきてしまった。あぐりを恨めしそうに睨みながら後悔する崇道。

 

 気まずい沈黙の中、言葉を探していると渚がやって来る。

 

「あれ? 崇道君も一緒?」

 

 どうやら渚も思い詰めてる赤羽を心配して様子を見に来た様だ。イライラして自分の爪を噛んでいる赤羽に彼は(さと)す様に言葉をかける。

 

「カルマ君。焦らないで皆と一緒にやっていこうよ。殺せんせーにマークされちゃったら、どんな手を使っても1人じゃ殺せない。普通の()()とは違うんだから」

「先生……ねぇ」

 

 渚が発した先生という単語に赤羽は妙な反応を示す。

 

「やだね。俺が殺したい(やりたい)んだ。変なところで死なれんのが1番ムカつく」

 

 あくまでも自分1人で殺す事に固執する赤羽。彼には何か先生という存在に対して並々ならぬ感情を抱いている様に感じ取れた。

 

 そこに丁度良く(くだん)の殺せんせーがやって来る。

 

「カルマ君。今日は沢山先生に手入れされましたねぇ。まだまだ殺しに来ても良いですよ。もっとピカピカに磨いてあげます〜」

 

 わざわざ挑発に来たのだろうか。それとも思い詰めている赤羽に対し、これが殺せんせーなりの激励なのだろうか。内心に何を秘めているのかわからない2人のやり取りを崇道は黙って見守っていた。

 

「確認したいんだけど、殺せんせーって先生だよね? 先生ってさ命を賭けて生徒を守ってくれる人?」

「もちろん。先生ですから」

 

 殺せんせーの返事を聞いて赤羽は何かを決意した様に見えた。

 

「そっか。良かった。……なら殺せるよ」

 

 何を考えているのだろうか。その様子を訝しんでいると、赤羽が急に話しかけてきた。

 

「ねえ崇道。……人って死んだらどうなるのかな?」

 

 

──君は知ってるの?

 

 

 そう問いかけられた気がした。

 その質問に言葉を返す間もなく赤羽は崖から飛び降りた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 落ちて行く最中、赤羽は走馬灯を見ていた。

 

 思い出されるのは先生の記憶。

 どんな時でも自分を信じてくれていたあの先生。

 

『お前が間違わない限り、俺はお前の味方だ』

 

 そう言ってくれた先生を赤羽は心から信頼していた。

 

 ある日、赤羽は虐められてる先輩を助けた。虐めていた相手には怪我を負わせたが、多少過激でも自分は今日も正しい事をした。先生も分かってくれる。そう信じてた。

 

 でも────。

 

『いいや赤羽。お前が悪い』

 

 虐められていたのはEND(エンド)のE組。落ちこぼれの生徒で、虐めていたのはA組の優等生だった。たったそれだけの理由で先生は掌を返した様に赤羽を責め出した。

 

 味方と言ってくれたのは赤羽が成績だけは優秀な生徒だったからで、結局あの先生は最初から自分の評価や経歴の事しか考えてなかったのだと知った。

 

 

──この瞬間、赤羽の中で先生が死んだ。

 

 

 あの怪物はどうだろうか。生徒を命懸けで守るといったあの先生は。

 

 赤羽を助ける為には音速で動けない。音速で助けようとしたら赤羽の体はバラバラになってしまう。かと言ってゆっくり助けたら、そこを赤羽に殺される。

 

 殺せんせーは生徒と自分の命どっちを選ぶのか。

 見捨てられたら赤羽は死ぬ。

 

 

──死ぬ。

 

 

 

────死ぬ。

 

 

 

 

───────死。

 

 

 

 

 

 

 

 

────死ね。

 

 

 死を覚悟した時、赤羽はかつて崇道に言われた事を思い出した。

 死ねと言われたあの時の事を。

 

 

 

 あの時、アイツは……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局のところ、自分の命をも利用した赤羽の暗殺は失敗に終わった。殺せんせーの触手は何と粘着質になる事ができ、蜘蛛の糸に獲物が拘束される様に赤羽を動けなくした状態で助けたのだ。

 

 赤羽が何を考えてあんな無茶をしたのかは崇道には分からない。先生という存在に対してどんな感情を持っていたのかも。

 

 ただ、殺せんせーに助けられた赤羽の顔は何か憑き物が落ちた様にも見えた。あの変態教師と話して、自分と同じ様に気付けた何かがあるのだろうと静かに推し量る。

 

 崇道と赤羽。お互い少しは何か変わったのだろうが、2人の仲は何も変化していない。あの後も特に会話は無かった。

 

 

 そうして迎えた放課後。崇道は下校途中にバッティングセンターに寄っていた。野球経験者だという嘘を誤魔化す為に、少しでも野球の練習をしようと思っての事だ。

 

 崇道が施設に入り受付を済ますと、突然肩を叩かれる。

 

 そこには何と赤い悪魔がいた。

 

「やあ。奇遇だね」

「つけてたのか?」

「まさか。本当に偶然だよ」

「どうだかな……」

 

 あぐりをチラッと見ると彼女は驚いた様子もなく、薄っすらと微笑みを浮かべていた。今度はちゃんと赤羽の存在に気づいていたのに何も言わなかったなと洞察する。いったい何を考えているのか。いや何を期待しているのか。どうせ頭の中はお花畑なんだろうなと、またも心の中で悪態をついておく。

 

 昔みたいに赤羽を無視して、そのままバッターボックスに立つ。後はフロントで貰ったカードを入れれば開始だという所で、崇道はつい赤羽に質問してしまう。

 

「どうして飛び降りたんだ?  死んでたかもしれないのに」

 

 自殺紛いの事をした赤羽。死ぬ事が怖くはなかったのだろうかと純粋に問いかける。

 

「さあ? あれが1番殺せると思ったし、殺せんせーを殺す事しか考えてなかったから」

「死んだらどうするつもりだったんだ」

 

 それを聞いて赤羽は崇道を試す様な質問を投げかける。

 

「死んだらそれまでじゃん。死んだ後の事を気にするなんて。ねえ崇道。君は知ってんの? 死んだ人間が死んだ後どうなるのか」

 

 あいも変わらず霊視ネタを擦ってくる赤羽に、やっぱり根っこは変わってないなぁ、と崇道は呆れつつもそれがコイツらしいと焦りではなく安心を覚えた。

 

「……さぁな。仮に知ってたとして、それを聞いてどうするつもりだ。死んで幽霊になってやりたい事でもあるのか? くだらない。人は死んだら死ぬだけだし、どうせいつかは死ぬんだ」

 

 

────赤羽……。命は大切にな。

 

 

 その言葉に赤羽は少し驚いた。以前の崇道なら、こんな事は言わなかっただろう。

 

(命は大切に……か。何か変わったな〜。崇道も……)

 

 崇道からこんなストレートに心配されるとは思ってもなかった赤羽。昔の話とはいえ、死ねとまで言われた相手にだ。

 

思い返すのは小6の頃。崇道に初めて話しかける()()()()()()()()

 

 実は赤羽は崇道が幽霊と会話している所に偶然居合わせていたのだ。赤羽から見れば崇道が何も無い空間に向かって1人喋っている様にも見えたが、崇道のその様子はとても一人芝居をしている様には見えなかった。

 

 幽霊が見えるという彼の噂話を聞いたのはそれからだ。

 

 赤羽も小学6年生の男の子。科学で証明できない超常現象に心踊らせる年頃。赤羽は隠れて崇道を観察する様になった。そして観察すればする程、その噂は本当なんじゃないかと思う様になっていった。

 

 だから崇道に声をかけた。

 だって幽霊が見える人間なんて面白いに決まってるじゃん、と。

 

 崇道が本当に幽霊を見る事が出来るのかは定かではなかったが、赤羽は割と崇道の霊視を信じていた。

 

 しかし崇道が学校の皆から揶揄われる様になってしまい、それが少し申し訳なかった。

 

 自分の好奇心で嫌な思いをさせてしまった事。

 それを強く後悔したのは崇道に死ねと言われた時だ。

 

 

────あの時、崇道は泣いていた。

 

 

 正直泣くとは思ってなかった。崇道にとってはそれだけ触れられたく無い事だったのだろう。本当に辛そうで、苦しそうで、だから付き纏うのを止めた。今更だとは思ったが、それがせめてもの謝罪だと赤羽は考えた。

 

 でも今思えば、それも無責任な行動だったなと反省する。友達として、もっと出来る事があったんじゃないかと。もっと寄り添う事が出来たんじゃないかと。

 

「それで、いつまでいるんだよ?」

「暇だからさ。俺もちょっと付き合おうと思って」

「……」

「野球に」

「……好きにしろ」

 

 この日から崇道と赤羽は野球の練習を共にする様になった。少しだけ昔に戻ったみたいに感じる2人。

 

 空振りする崇道を揶揄う赤羽。

 

 後ろの教師はそれを嬉しそうに眺めていた。

 




この小説も時間を見つけて細々と更新していこうと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幽霊教室 6限目 デートの時間 手解き編



デートの事なんてわかんねぇよ(怒)




 

 

 つい先日。イリーナ・イェラビッチとかいう外国人の女が、英語の教師としてこの暗殺教室に赴任して来た。

 

 当然、ただの教師ではない。

 

 殺し屋だ。

 

 

 

 自らの美貌を武器にして殺しを行うハニートラップの達人。赴任当日、イリーナは殺せんせーの情報を得る為、渚にディープキスをした。それもかなりエグいやつを。

 

 ハニトラを得意とするイリーナらしいやり口なのだが、問題は崇道もその対象にされかけた事だ。

 

 崇道も渚と同じく独自で殺せんせーの弱点を探り、情報を集めている。それを欲してイリーナは崇道に迫ってきた。当然、崇道は拒んだ。よく知りもしない相手とキスなどしたくないし、人前でディープキスなど論外である。

 

 面倒くさかったので無償で情報を提供する事にしたのだが──

 

『ハッ。キスくらいで照れるなんて、純情な坊やね』

 

 ──と煽られた。

 

 かなり腹が立った。表情にこそ出ていなかったが、普通にぶん殴ってやりたくなる程に崇道はムカついた。

 

 元々、傲慢な性格をしていたイリーナ。案の定、暗殺教室に馴染めなかった彼女は崇道に限らず、他の生徒たちとも揉める事になる。軽く学級崩壊を起こす程。

 

 立ち上がる生徒達。飛び交う文句と罵声、そして文房具。普段クラスメイト達と一緒になって何かをする事がない崇道だが、この時だけは一緒になって物を投げた。崇道が投げたのはゴミだった。

 

 流石に反省したイリーナは生徒達に謝罪し、また生徒達もそんなイリーナを受け入れ、徐々に馴染んでいった。

 

 崇道を除いて……。

 

 

 崇道だけはイリーナが苦手だった。勘違いしないで欲しいのは、崇道は別に煽られた事を根に持っている訳ではない。もうとっくに許している。

 

 嫌っているのではなく、苦手なのだ。

 

 その理由として、クラスの皆がイリーナの事をビッチ先生と割と失礼な呼び名で呼ぶ中、クラスのノリに付き合わない崇道だけはイリーナの事を普通にイリーナ先生と呼んでしまったからだ。

 

 普通に先生扱いしてくれる生徒。おまけにキスを恥ずかしがるその純情さは、これまでハニトラで相手にしてきた汚れた男達には無い初々しさがあった。

 

 そのせいで崇道はイリーナに気に入られ、授業で当てられる回数なんかも多くなってしまう。

 

 先生風を吹かせたいのだろうが、英語が苦手な崇道にとってはかなり有難迷惑な話だ。

 

 幽霊のあぐりに殺せんせー、赤羽、更にはイリーナと癖のある人物が増えてしまい、面倒事も比例して増えていく。

 

 ようやく一日が終わり、自室のベッドで寛いでいると、珍しくあぐりが部屋にやって来た。普段はプライバシーもあり、日が暮れると気を遣って何処かに行く彼女だが、こうしてやって来たという事は何か話があっての事だろう。また面倒事だろうか。

 

 正直、嫌な予感しかしない。

 

 窓から顔を覗かせたあぐりは手をパンッと勢い良く合わせ、拝む様に頭を下げると、こう頼み込んできた。

 

『お願い崇道君! デートして!』

 

「何言ってんだてめぇは(怒)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「外国人の女の子の幽霊だぁ?」

 

『はい……。その子と…その、デートしてあげて欲しくて……』

 

 正座するあぐりを上から睨みつける崇道。イリーナの授業でBとVの発音を練習させられて癖になってしまったのか、怒りに耐える様に下唇を軽く噛んでいる。

 

「ふざけんなよ。俺は幽霊相談所も恋人代行サービスもやってねーんだよ」

 

『聞いて崇道君。その子、とっても可哀想な子なの。親の仕事の都合で日本に来たんだけど、日本語が話せなくて周りに馴染めず。友達を作ろうと必死で日本語勉強した矢先、事故で幽霊になっちゃってひとりぼっち。寂しいからずっと成仏したかったって』

 

「友達ならアンタがなってやれば良いだろ。同じ幽霊だし丁度良い。そのうち成仏もするだろ」

 

『友達にはなってあげられるけど、あの子が言うの』

 

 

 ── 一度で良いから素敵なデートをしてみたかったって。

 

 

 やたら純粋なというか、夢見る少女みたいな発言。

 

 現在、中学三年生の崇道。すれた性格で現実を見ている彼は恋人ができたことも、デートした事もないのだが、恋愛が漫画や小説で見るほど甘ったるいだけのものじゃない事は容易に想像できる。

 

 更にあぐりの話し方からも、その女の子はかなり若いんじゃないかと感じてならない。

 

「ちょっと待て。さっきからあの子あの子って、そいつ何歳だ?」

 

『幽霊になってから数年経ってるらしいけど、生きてた時は小学三年生だったって』

 

「ガキじゃねーか! ますますデートなんてできるか! 大体知らない奴となんてそいつもお断りだろ」

 

『それが、崇道君のこと話したら会ってみたいって』

 

「何だって?」

 

 何かの冗談かと思う。

 自分と会いたがっている? 

 いったい自分はどんな男だと思われているのだろうか。とても素敵な男性とでも勘違いされているのだったらたまったもんじゃないと頭を抱える崇道。

 

「アンタ、俺の事どんな風に話した? 変に脚色して話したんじゃないだろうな」

 

『まさか。脚色なんてしてません。ありのままの崇道君を話しました』

 

 背筋を伸ばして答えるあぐり。だが、人の良いこの教師の事だ。無意識に他人の良い所を強調して話してもおかしくは無い。要らぬ期待を背負わされたと嘆く崇道。

 

『とにかくお願い! 一度会ってあげるだけで良いの』

 

 あぐりに懇願されても答えは出ず、返事は後日に持ち越しとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝。

 崇道は学校に行こうと家の門を開けると、電柱の影からこちらを覗き込む小さな何かを見つける。

 

 外国人特有の長い金髪。話に聞いていた小学三年生くらいの女の子。その幽霊だ。

 

(うわぁ……。いるし)

 

 目と目が合い思わず固まる女の子と崇道。恥ずかしくなったのか、女の子はサッと姿を隠してしまう。

 

(あの教師。家の場所教えたのか。それとも後をつけられたのか。返事待たずに来たぞ……)

 

 対応に困っていた崇道だが、丁度そのタイミングであぐりがやって来た。

 

『おはよう崇道君。昨日の話、考えてくれた?』

 

「おい。考える前に相手が来てんじゃねーか。どうすんだよ」

 

『え? うそ。何処に……』

 

「あの家の塀の中に入ってったぞ」

 

 それを聞いてあぐりは隠れた女の子を探しに行く。結局自分は幽霊からは逃れられない運命なのかと、諦めて二人の幽霊を待つ崇道。

 

 

 

 

 

 

 

『まぁ、色々予定は狂っちゃったけど、せっかく会いに来てくれたんだし、取り敢えず二人とも自己紹介しよっか』

 

「……」

 

『……』

 

 ……気まずい。

 

 場所をいつかの河川敷に変え、仕切り直したあぐり。

 

 しかし、その気遣いも虚しく二人は無言。崇道は腕を組んで女の子を見下ろし、女の子はそんな崇道を見上げられず目を泳がしていた。

 

『か、彼が崇道幽太くん。以前話した通り幽霊が見えるの。凄いでしょ…』

 

 気まずい沈黙に耐えられなくなったのか。代わりにあぐりがお互いについて紹介し始める。

 

『そ、それでこっちはサラちゃん。昨日話した女の子…』

 

『コ、コンニチワ……』

 

 カタコトの日本語。

 

『スドウ、サン。オ、オアイデキテ……コウエイ…デス…』

 

 俯き見えづらい表情。垂れ下がった長い金髪。緊張で縮こまった肩。恥ずかしそうに弄る指先。初々し過ぎる少女の様子。

 

 正直なところ、かなり対応に困る。

 

「……コチラコソ」

 

 思わず崇道までカタコトになってしまう。

 

 様子を見ていたあぐりにも『崇道君、顔怖いよ。あと、腕組みはやめよう』と小声で注意される始末。誰のせいだよと、心の中で愚痴を言わずにはいられなかった。

 

『ア、アノ! トツゼン、コンナコト…メイワク、カモ…シレマセン…ガ……』

 

 意を決したのか、不安から無意識に弄っていた手を胸に添えて、女の子は覚えたての日本語を発する。

 

『ヨロシケレバ…ワタシ…ト、デート……シテ、クダサイ』

 

「……」

 

 何て断れば良いものか。否、何て答えれば良いものか。返事に時間を掛ければ掛けるほど、女の子の肩が震える。

 

 非常に断りづらかった。

 

 というか、断れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ありがとね。崇道君。デート引き受けてくれて』

 

「もう良い。諦めた。付き纏う幽霊が増えても面倒だしな。成仏するってんならデートくらいしてやるよ」

 

 デートの約束をした後、女の子は恥ずかしいそうにそそくさと帰っていった。それでも帰る際、律儀にお辞儀をしている事から育ちの良さを感じる。

 

『でも崇道君。デートなんて経験あるの?』

 

「あ?」

 

 かなりイラッとする発言。自分から頼み込んでおいてこの女……と思わずにはいられない。

 

 崇道が睨むと流石に失言だと気づいたあぐり。サラに素敵なデートを楽しんで欲しいという純粋な気持ちが先走り、つい言ってしまった。

 

「そういうアンタはさぞかし経験豊富なんだろうなぁ?」

 

『うう…。すみません』

 

 生前は仕事に明け暮れ、デートなど殆どした事がない。その上、数少ないデート相手は碌な相手じゃなかった。人に語れる程の恋愛経験はあぐりにはない。

 

「ったく。デートなんて、妹と接する様にやれば良いだろ。妹いねーけど……」

 

『駄目だよ崇道君。サラちゃんにとっては一生に一度の大切なデートなんだから。素敵なデートを演出してあげなくちゃ』

 

「人様のデートで乗り気になりやがって。そう言うからには何か良い案あんだろうな?」

 

 正直なところアドバイスは欲しい崇道。デートに満足して貰えず、成仏失敗なんて事になるのが一番面倒だ。一発で決める。そう考えていた。

 

『えっと……その…。とにかく誠実に接してあげる事! そう誠実に!』

 

「使えねぇ」

 

 思った以上に恋愛方面で役に立たないあぐり。どうしたものかと悩んでいると、あぐりからとある提案が出される。

 

『あ! そうだ。あの人にアドバイス貰うのはどうかな?』

 

「あの人?」

 

『ほら。あの人なら同じ外国人で女の子の気持ちもわかるだろうし。なによりデートに詳しそうな……』

 

 嫌な顔が思い浮かんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何よ崇道。授業でわからないとこでもあったわけ?」

 

(こいつかぁ……)

 

 職員室から人気のない校舎裏に呼び出した相手を見て、崇道は一抹の不安を感じる。

 

 ハニトラの達人。イリーナ・イェラビッチ。

 

 経験豊富過ぎて駄目な奴だと思った。小学三年生相手のデートにアドバイス貰うには不健全過ぎる相手だ。

 

 かといって崇道の狭い交友関係の中、他にアテになる相手はおらず。デバガメ根性の逞しいタコ型生物なんて、はなから選択肢にも入らない。

 

「授業か…。そうだな」

 

 よりにもよってコイツに頼るハメになるなんて。だが何かしらの参考にはなるかも知れないと、覚悟を決めてイリーナに恋愛の授業をしてもらう事にした。

 

「外国の女の子ってどうすれば喜ぶんだ?」

 

「はぁ? 何よいきなり」

 

「なんか言われて喜ぶ事とか、されて嬉しい事とか……」

 

 次第にこちらの事情を察して食い付くような反応を見せるイリーナ。

 

「……まさかデートのアドバイス? 何よアンタ奥手っぽくみせてやる事やってんじゃない!」

 

「違う。……いや違わないけど。ちょっと一緒に出かける事になっただけだ」

 

 デートとは意地でも言わない崇道。苦虫を噛み潰すというか、口の中に何か酸っぱい物を噛んでる気分だった。

 

「素直じゃないわね。まぁいいわ! デートのプランならこの百戦錬磨のイリーナ先生にドンと任せなさい! 完璧なプランを整えてあげるわ!」

 

 自身の得意分野である質問に気を良くしたのか。腰と胸に手を当てて自信満々という様相のイリーナ。綺麗な金髪を手でサッと払い、まずは冷静に分析を始めましょうと言わんばかりだ。

 

「それで? 外国人が相手って、何処の国の子? 言語は?」

 

「知らん」

 

「ちょっと! これから口説く相手の出身も知らないってどういう事よ! やる気あんの!?」

 

 初っ端から怒られた。今日出会って、今日決まったデートなんだから仕方がないだろと、言うに言えない歯痒さを味わう。

 

「聞き忘れたんだよ。言葉は普通に英語だったはず」

 

「英語ねぇ。アンタ英語のリスニング苦手だけど、相手の子は日本語話せる訳?」

 

「カタコトだけど一応会話は成り立つ」

 

「そう。相手は年下? 年上?」

 

「……年下」

 

「だったら優しくリードしてやんなさい。若い子は年上の頼れる姿にグッとくるから。リードするには…そうねぇ。その子の好きな物とか把握してんの?」

 

「それについては今知り合いを通して聞いてもらってる」

 

「そう。それならいいわ。恋も暗殺も事前の情報収集が一番肝心なの。それを怠った奴に成功は訪れないわ」

 

 その知り合いとは今この場にいないあぐりの事である。あぐりにはデート前に好きな物とか何かしらの情報を聞き出してもらう為に女の子の方に付いてもらっていた。

 

「あと、アンタは表情に気を付ける事! その冷めた顔は絶対NGよ! 自分に興味が無いんだって相手に不安感を与えるわ」

 

「笑顔か……」

 

「笑顔はコミュニケーションよ。こっちから微笑みかけると相手も返してくれる。最初はたどたどしいやり取りだったとしても。続けていれば自然と二人の間で笑顔が通う様になるから」

 

 意外と健全なアドバイスばかりで驚く崇道。もっとドロドロしたアダルティな意見が飛んでくると身構えていたのが拍子抜け。

 

 初めてイリーナに対して先生らしさを感じた。

 

「そのうち相手の笑顔が薄れ、別の何かを期待してるような、そんなしっとりと甘い雰囲気になったらもうこっちのものよ。そっと優しく手を握って……」

 

「手を握るとかそんなん無しで頼む」

 

「はあ? アンタ手を繋ぐくらいで何ビビってんのよ! もっと男らしいくビシッといきなさい! ビシッと!」

 

(物理的に不可能なんだよ)

 

 幽霊に普通のデートプランが通じるのだろうか。今更ながらそんな不安を感じつつも授業は続いていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「取り敢えずこんなところね。今言ったところに気をつけていれば最低限デートの形にはなるわ」

 

(ようやく終わった……)

 

 思いのほか時間が掛かってしまい、ようやく一息つく崇道。ここまでしっかりとレクチャーされるとは思ってなかった。正直、人付き合いを避けてきた崇道には教えられた事の半分も実践できるか疑問だった。

 

「それで? デートの日取りはいつなの?」

 

「言わない」

 

「何でよ! アドバイスしたんだからそれくらい教えてくれたって良いじゃない」

 

 報酬を寄越せと言わんばかりに突っかかるイリーナを、崇道はキッパリと突っぱねる。理由はただ一つ。

 

「あのデバガメタコ野郎がいつ何処で聞き耳を立てているかわかったもんじゃないからな」

 

 

 その言葉にとある軟体生物の体はギクッと震えた。

 

 





1月中に投稿しようと思ったけど2月になった。

月一更新は難しいな…。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。