レベルが高くても勝てるわけじゃない (バッドフラッグ)
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アインクラッド編
1話 躓きすぎたプロローグ(1)


注意。
この二次創作はオリ主が無双するタイプのものではありません。


 人を殺してはならない。

 

 なんてことは誰かに教わるまでもなく、常識だ。

 法律で定められているから。倫理的に問題があるから。殺されたくないから。社会を維持するには必要だから……。

 理由は人それぞれだだが、殺人を良しとする人間はそうそういない。

 それはこのデスゲームと化したソードアート・オンラインの中でさえそうである。

 

「い、嫌だ! 死にたくない!」

 

 男性プレイヤーは腰を抜かして惨めに這いつくばって距離を取ろうとしていた。

 腰には剣を下げてはいるが抜いて立ち向かえる人間とは意外にも少ない。普段最前線で凶暴なエネミーを相手に命懸けで戦っているプレイヤーでさえそうなのだ。中層で絶対安全な戦いだけをしてきたこの男が戦えないことは驚くようなことではなかった。

 命の危機が迫ったこの瞬間でさえそうなのだ。

 それほどまでに人は人を殺すことを躊躇う生物らしい……。

 

「金ならいくらでもやる。お前たちの傘下にも入る。なんだって要求は呑む。だから見逃してくれよ!?」

 

 彼は殺されるべき極悪人というわけではない。

 利害の不一致で都合が悪く、殺しても大ごとにならない程度の人間だったというだけだ。

 

「ここまできて、それは無理な相談っすよ」

 

 彼を殺すための準備でそれなりの時間が消費されている。資金やコネもだいぶ使われただろう。人を殺すにはいくらかの準備が必要なものだ。

 

「なんなら内緒でお前にだけアイテムを融通してやる。その方がお互いメリットがあるだろ?」

 

 私は首を横に振った。

 知られたからには生かしておけない、というやつだ。

 ここで彼を見逃すことは、どのようなメリットとも釣り合うことはない。

 剣を構えてソードスキルを起動。システムアシストによって繰り出される連撃は、これまでの反復通り彼の胸を貫き、四肢を切断してHPを0に変える。

 

「ひ、と、ご、ろ、し……」

 

 死体はポリゴンに変換されてエネミー同様の演出で四散し消滅する。

 怨嗟の声もどこ吹く風。恨み言よりも彼が生きて逃げ延びられることの方がよっぽど恐ろしいと考えてしまうほどに、私はこの行為に慣れていた。

 彼は所詮は他人。テレビの画面越しに見る殺人事件と同じだ。

 自分が手を下したといっても関係のない人間であれば心を痛めるようなこともない。

 

 人を殺してはならない。

 そう口にする一方で、人は殺人を娯楽にする。

 歴史を遡れば剣闘士の殺し合いがそうだ。

 フィクションであればスプラッタージャンルは絶えず人気があり、完全規制には至らない。

 ニュースや新聞では連日のように殺人事件や事故は大々的に取り上げられている。

 死体を見つければ救急車や警察を呼ぶより先にSNSへ投稿する人間は多くいるだろう。

 いじめによる自殺教唆なんかは法を犯さないで済む高度な娯楽的殺人だ。

 

 もっとも、これは快楽を追求した殺人というわけではない。

 死刑や戦争といったものに近い、全体利益を求めての行為だ。

 

「クヒッ……」

 

 かといって面白くないのかと聞かれれば……。

 私はきっとお茶を濁すだろう。

 随分落ちぶれてしまったものだが、いったい何時からこんな人間になってしまったのか。

 初めて人を殺した時も心を痛めることはなかった。

 であるなら分水嶺はもっと前にある。

 もしもあのときの私が慎重で思慮深ければ。

 少なくとも私の居場所はここではなく、罪を重ねることもなかったはずだと思いたい。

 

 ――などというのは言い訳に過ぎないが。

 

 しかし私はすべてが始まったあの日を悔やまずにはいられなかった。

 それは2022年の冬。ソードアート・オンラインが始まってすぐの頃の話だ。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

――2022.11.6――

 

 

 世界初のVRMMO『ソードアート・オンライン』の正式リリース初日。

 ついに……この日がやってきた……!

 βテストに当選したときに感じた喜び。アインクラッドの地に足を踏み入れた時の衝撃は今でも忘れられない。

 広大な大地を闊歩するエネミーたちを相手に、己が身と剣で立ち向かう高揚感といったら、これまで味わった事のない最高の体験であった。

 βテストが終わってこの方、あの興奮が忘れられず、毎日のようにMMOトゥデイのサイトにアクセスして、同じβテスターと語り明かし、私の知りえなかった情報を貪欲に収集した。

 予習はバッチリ。効率的なクエストと、その周囲のデータはすべて頭に入っている。

 

 だというのに……!

 私は未だ開始地点の噴水広場から動けずにいた。

 他にすることもないため、水面に映る自分の姿を見つめる。

 

 そこに映っていたのは、長身でスレンダーな体形をした大人の女性。

 無表情では格好良く、笑みを作れば人懐っこさがうかがえる絶妙な顔立ち。

 口元を染めた桃色のリップは周囲の視線を集めること間違いなし。

 腰まで伸びた銀髪はCMで見かけるほどに艶やかで、結ったそれが風に棚引き実に優雅である。

 完璧だ。現実の私とはまるで違う、理想の容姿がそこにあった。

 欲をかくならば、もう少し胸囲があっても良かったかもしれない……。

 いいや駄目だ! あれは激しい運動の邪魔になる。それが地味に近接戦闘で足枷となることを私はβテストで嫌というほど体験していた。だからこれでいい。

 

 しかしだ……。

 惚れ惚れする容姿であるが、こんなこと私は30分もしたくはなかった。

 できることなら今すぐフィールドへ飛び出したい。

 そしてあの、ソードスキルの練習台にしたフレンジーボアへ、再び下段突進(レイジスパイク)を叩き込んでやりたい。あるいは縦斬り(バーチカル)でも横切り(ホリゾンタル)でも構わない。

 だがそうもいかない理由がある。それが――。

 

「遅くなってごめんねー」

 

 甲高い、少女の弾むような声。しかし少女というにはどこか、あどけなさが足りていない。作り物めいているのだ。それは実際作り物の合成音声だからだろう。

 

「遅いっすよ!」

「あれ、まだ2人は来てないんだね」

「見ての通りっす。とりあえずフレンド登録してパーティー組んじゃうっすよ」

 

 虚空を指で切る動作をするとメニューウィンドが浮かび上がる。

 そこからいくつかのページを移動して彼女をパーティーへ招待すると、リストの中に『タマ』という名前が表示された。

 ……彼女というのは語弊があるだろう。

 決して明言はせず、その手の話題を巧みにはぐらかしているものの、たぶんタマさんは男だ。

 とはいえゲームではよくあること。出会い厨だとか、現実を侵食してくるやからでもない限り、別段気にすることでもない。

 

「タマさんは……、相変わらずロリコンっすね」

 

 タマさんの外見は身長が140センチ以下で、だいぶ小さい。

 このゲームは推奨年齢が12歳以上だったはずだが……。アウトだろう。中身がおっさんだったら完全にアウトだ。

 

「いやいや。これにはちゃんと理由があるから!」

「STRで筋力が決定されるなら、被弾面積が小さい方が有利である、だったっすか?」

「そう! つまりこれは私の趣味だけではないんだよ」

「つまり趣味ではあるんすね?」

「……偉い人は言いました。可愛いは正義!」

「開き直ったっすよ、こいつ……」

 

 まあ、いいのだけども。

 ゲームの世界ではそれが許される。自分以外の誰かになるという、本来できないことが。

 

「それにだ。そんなこと言ったらエリにゃんの名前もキツイんじゃないかな?」

「……いいじゃないっすか。カフェインさんも可愛いって言ってたっすよ」

 

 エリにゃん。それがこの世界における私の名前だ。

 別にタマさんが変な語尾を使っているとかではなく、『エリにゃん』という名前。

 VR(フルダイブ)ではないMMOで使ってた名前をそのまま使ったのはよろしくなかったかと、ちょっと後悔はある。口に出して呼ぶには少々キツイ。

 

「おっと……。可愛い子たちに名前を呼ばれた気がするんだな」

 

 息を荒くして私たちに寄ってきたのは長身の男性。

 無精髭を生やし、背には両手用の長槍。捲った袖から見える腕は筋肉質で、彼の逞しい体格を表している。もっとも、ステータスは初期状態のはずだから見掛け倒しの筋肉だ。

 

「あ、どもっす」

「こんばんわー」

「こんばんは、なんだな。その、二人ともすごく可愛いんだな。特にタマさん!」

 

 柔和な笑みを浮かべるも、武人然としたその顔立ちには違和感がある。

 彼は名前の挙がったカフェインさん。こっちは本当にロリコンな可能性がある。

 ちょっとだけ身の危険を感じるが……。おおらかで優しい人だし、ゲームの中なのだから多少オープンになってしまうのは人の性だ。仕方がない。

 名前の由来は普段からカフェインを常用してるからだという。

 話を聞けば、彼は栄養ドリンクの味について苦しげに解説してくれる。味自体は好きらしいのだが、必要に迫られる状況を思い出すため苦し気になるのだとか。だからたぶん社会人だ。

 

「あれ、僕が最後かと思ったんだけど彼はまだなのかな?」

「後ろだ……」

 

 私たちの背後から低い声が聞こえた。

 別段驚くわけでもなく、私たちがゆっくりと振り向けば、そこには全身黒一色の衣服を身に纏った青年がいた。

 彼は片手を額に当てポーズを取っている。

 気が付くのをずっとその姿勢で待っていたのだろうか? 待っていたのだろう……。

 

「抜刀斎さんも来てたんだね」

「おまえたちが鈍いだけだ。初めからいた。そう、初めからな!」

 

 強めの口調は怒ってるようにも聞こえなくはないが、たぶんこれは喜んでいるのだ。

 

「隠蔽スキルを使用してたんだな?」

「よく気が付いたな。まさにその通りだ」

「目立ちたいのか目立ちたくないのかハッキリするっすよ……」

「いつ俺が目立ちたいなどと言った? それは貴様の勘違いだろうよ」

「あ、そうっすか。じゃあそれでいいっす……」

 

 隠蔽スキルはパーティープレイではあまり役に立たないという話をしたと思うが、まあいいか。

 

「そんなことよりフィールドに行くっすよ! 早くソードスキルを撃たせるっす!」

「焦らない焦らない。まずはどこ行くか決めるよ。とりあえず隣村まで抜ける? この辺りは流石に出現数(ポップ)に対してプレイヤーが過剰だろうから」

「そうっすね。それも致し方なしっす」

「僕も賛成なんだな」

「フッ、異論はない」

 

 私たちが町の出口へ足を向けたそのときだった。

 

 リンゴーンリンゴーンリンゴーン。

 鐘のSEが、焦燥感を駆り立てるように大音量で響いた。

 周囲では青白いエフェクトが輝き、どこからともなくプレイヤーが次々に転移(テレポート)してくる。

 スタート地点たるここ『始まりの街』の中央広場は、イベントスペースにも使えるようにと広大なスペースがあった。そこに所狭しとプレイヤーがひしめき合っているのだから、すべてのプレイヤーがここに集められているのだろう。

 

「なにかのイベントかな?」

「どうですかな。ゲーム開始直後に強制イベントで時間を取られるのはあまり良い案ではないと思います。なにかトラブルがあったのかと」

「耳を澄ましてみろ。どうやらログアウトができなくなってるらしいぞ」

 

 抜刀斎の言う通り、周囲のプレイヤーからは「これでログアウトできるのか」「ビックリさせんなよ」「おい運営。補填アイテム配れよ」などと声があがっている。

 メニューウィンドからトップページを開いてみれば、βテストのときに何度も使った『LOG OUT』のボタンがなくなっている。試しに他のページを調べてみるも、流し見た限りでは見当たらない。というか何故こんなにもメニューウィンドが複雑なんだろうか。

 ページから別のページに飛んで、そのページからさらに別のページへといった感じにごちゃごちゃしている。

 この使い難さを求めたような仕様は、βテストでも散々文句を言われていたはずだが、運営に改善する気はなかったらしい。

 

「うわ、本当みたいっすね……。これやばいんじゃないっすか?」

「そういうことなら今から全員強制ログアウトしてメンテナンスかあ。がっかりだよー」

「待ってないでさっさとフィールドに出てればよかったっす……」

「そんなつれないこと言わないでよー」

「はいはい。冗談っすよ」

 

 などとタマさんとじゃれついていると上空――空ではなく第2層の底であるが――に赤い模様が現れる。システムアシストによる注視《フォーカス》をしてみれば、それは『Waring』と『System Announcement』という文字が、赤いフォントで交互に並んでいるためだというのがわかった。

 重大なエラーを知らしめるような色調は、本来使われるものではないはずだ。

 こんな不安を煽るような警戒色が、システムメッセージとして使われないのは電子機器に触ったことのある人間なら誰だって知っている。少なくともユーザーの目に留まるようには使われない。

 

 ――だからこれは演出だ。

 文字列の中央が血液のように零れ堕ちた。

 それは空中で形を変えフードつきローブを纏った巨人に変貌する。巨人の被るフードの中には、あるはずの顔が存在しない。

 いつの間にか、遠くで鳴り響いていた楽し気なBGMも消えていた。

 

「ほう。なるほど、そういうことか……」

「なにがわかったんすか?」

「…………フッ。いや、なんでもない」

 

 抜刀斎は意味有り気に喋るのはいつものことだ。

 ほっといてもいいが、ついつい構ってしまう。

 1人でやっているのはイタイタしいが、誰かが相手をしてやればそれは気心の知れた仲で行う冗談(ジョーク)に変わる。そっちの方がつき合っていく分にも心の平穏が保てるというものだ。

 

「プレイヤー諸君。私の世界へようこそ」

 

 ローブの男は厳かな声で語り掛けた。 

 

「私は茅場明彦。現在この世界をコントロールできる唯一の人間だ。聡明なプレイヤー諸君はすでにログアウトボタンがメニューから消失していることに気が付いているだろう。これは不具合ではない。ソードアートオンライン本来の仕様である」

 

 それからローブの男――茅場明彦はゲームがクリアされるまでログアウトはできないこと。

 ゲーム機(ナーブギア)が実は殺人マシーンで無理に取ろうとすれば脳を破壊できるということ。

 すでに何人かがそれにより死亡しているが、関係機関に情報をリークしているため今後そのような事態になる可能性は低いこと。

 HPが0になったプレイヤーは現実でも死亡することを説明した。

 それと、このままでは現実世界に放置された肉体は遠くないうちに死亡してしまう。そのため、最大2時間のオフライン猶予が設けられており、病院へ運ばれるまでの間、通信が途絶しても殺害はしないことを付け加える。

 

「最後に、これが悪趣味な冗談の類ではない証拠を提示しよう。諸君のアイテムストレージにプレゼントを用意した。確認してみるといい」

 

 ストレージに送られてきたのは手鏡というアイテムだった。

 アクティベートして覗き込めば、よくできた美しいアバターの顔を見ることができる。

 流石は私。会心の出来だ。これのためにメイク系の雑誌を久々に読み漁ったほどなのだから当然である。

 その芸術作品が白いエフェクトに包まれると、見るも無残な顔に変更されてしまった。

 

「ふざけんなっ!?」

 

 即座に私は手鏡を地面に叩きつけた。茅場明彦は悪趣味だった。

 プレイヤーには例外を除いてダメージを発生させない圏内であろうとも、オブジェクトの安全は守られていないらしく、耐久力が少ししかないアイテムは衝撃によって砕け、霧散した。

 

 一瞬見えた顔はよく知っているものだ。

 隈の濃い鋭い目元。

 脂肪を貯め込んだせいでふっくらとした頬。

 染みも隠していない荒れた肌。

 どこのトリートメントを使えばそうなるのかという艶やかな髪は、ぼさぼさの痛んだものに成り果てていた。

 ああ、間違いなく――現実世界における私の顔だった。

 叫んだ声からもボイスエフェクトは消えており、やや低音の肉声に戻っている。

 

「どうどう……。落ち着きなよ」

 

 冷静さを促してくる声は男性のもの。

 そちらを睨み付けると――。タマさんのいた場所にはえげつない人物がいた。

 この人が男性ではないか、という想像はしていた。

 しかしだ。茅場明彦。これはない。

 

 少女の格好をした青年がそこにいた。

 それもただの女物ではない。少女の格好、つまりパッツンパッツンの服装である。

 顔はいい。私と比べるのもおこがましいくらい整っている。その笑顔はテレビに出演する俳優のように綺麗だ。

 だがその格好で、すべてが台無しになっていた。

 

「通報はメニューのどこでしたっけ?」

「運営に通報してもあそこに浮かんでる茅場明彦を捕まえてははくれないと思うよ?」

「違うっす! あんたを! 通報するんすよ!」

「なぜ!? 俺に恥ずかしい所はどこもないのに!」

「鏡見てから言えっす!」

「うーん……。俺だ」

「顔じゃなくて格好っすよ!」

「はははっ。わかっているよ」

 

 こいつ、どんな精神構造してるんだろうか……。

 

「抜刀斎さんはあんまり変わんないっすね。カフェインさんはまだマシっすね」

「おおお俺の顔が……!?」

「あー……。お恥ずかしい限りですな」

 

 抜刀斎の中身はあんまり変わってなかった。

 少しひょろっとして目つきが悪くなっているがおおよそそのまま。少し若くもなっていて、たぶん私と同じ中学生くらい。

 カフェインさんは身長が縮んだ代わりに横幅が広がり、逞しい武人顔は頼りない中年男性の顔になっている。

 

「エリにゃんはだいぶ若かったんですな。もう少し、その……、大人びた印象を持ってたんだな」

「ぐはっ。その名前は私に効く」

 

 胸を抑えてたたらを踏む。

 というか顔だけじゃなくて体形まで現実の肉体そのまんまだ。

 これではカフェインさんのこと言えない。……私とカフェインさん。どっちが太ましいだろうか? 並べば私の体格も誤魔化せ――そうにない。むしろ圧迫感が増すまである。

 

「俺の顔が……。クッ!」

 

 いつまでも顔を抑えている抜刀斎(アホ)が一人。

 なんでこんなアホやってる彼が一番被害少ないんだろう? 元の評価が低いからか。

 などと別のことに気を散らしていたせいで茅場明彦の演説は佳境に入っていた。

 

「――そしてすべては達成せしめられた。以上でソードアートオンラインの正式チュートリアルを終了する。プレイヤーの諸君。健闘を祈る。私の世界を楽しんでくれたまえ」

 

 周囲のプレイヤーからは「ふざけるな!」だの「きっと外部から助けが来るはずよ!」だのと喧騒が鳴りやまない。

 彼らの気持ちも少なからず理解できる。

 ただしどこにでも例外はいる。

 考えてみるといい。脱出不能なゲームとはつまり、現実のしがらみを捨て去れる理想郷ではないだろうか? 誰に憚る事もなく好きなだけゲームをしていられるのだ。ああ、でも外見は現実のままか。クソッ。なんてことしてくれたんだ!

 まあ過ぎたことはしかたない。

 

 この場所では数値こそが価値であり強さだ。

 いかに才能があろうとも、同じようにモンスターを狩れば同じようにしか経験値は取得されず、同じステータスであれば同じパワーしか発揮されない。多少のリアルラックによるアイテムドロップなどの差があろうとも、それは歴然とした差にはなりえない。

 

 そうだ。ここでなら私は一番に成れる。

 

 ゲームの世界であろうともトッププレイヤーと呼ばれる人間は一握り。

 それは歴然とした才能と努力により裏打ちされるものだということを、舞い上がった私の脳は完全に失念していた。

 βテスターというアドバンテージは私の目を確実に曇らせていた。

 そうでなくともこの非現実的状況は冷静な判断力を失わせるには十分な劇物であった。

 そんな劇物に侵されたのは私だけではなかったようだ。

 

「これからのことを話し合おう」

 

 タマさんは冷静そうに言い放つ。

 

「まず服屋に行ってその格好をどうにかするって話っすか?」

「いや、それは後回しでも構わない」

「マジっすか……」

 

 こいつ、この格好を楽しんでるんじゃないだろうか?

 タマさんとのつき合い方を真剣に考え直す必要がありそうだった。

 

「俺たちに取れる選択しは大きく分けて2つある。1つはこの圏内で外部からの救助を待つこと。空腹のペナルティーは耐えられないほどじゃない。なにもしなくともこの世界では生きていくだけなら可能だ。そしてもう1つは――」

「街を出て力を求めるというわけか」

「そうだ。弱いよりも強い方が安全なのは間違いない。いつまでも圏内が安全という保障もない。なら少しでも多くのリソースを獲得して、自身の強化に当てるのは悪い選択じゃないだろう? 今後の身の振り方だって幅を持てる。そして俺たちには他のプレイヤーよりもアドバンテージがある。βテスターというアドバンテージだ。しばらくはプレイヤー間の交流も混乱していて、まともに行われないはずだ。その間だけでも有利な状況を作っておくべきだと俺は考えてる」

 

 私は彼の言葉を吟味する。

 正確にはどのようなリソースを獲得するべきか、という吟味だ。

 キャラクターの持つ性能は多岐に渡る。

 それはレベルであったりお金であったり、装備であったりスキルである。

 どこを強化するのが最短で強くなる道だろうか……。

 

「森の秘境クエストだ。あれなら経験値と装備が一度に稼げる」

「報酬品もしばらく高値で取引されるだろうし、悪くない。俺たちは2人が片手直剣持ちだ。でも抜刀斎君はいいのかい? 君は曲刀スキルだろう?」

「構わん。経験値の旨味はある。ただし後で曲刀の入手には付き合ってもらうぞ」

「もちろん。エリにゃんもカフェインさんもそれでいいかい?」

 

 いつの間にか2人で話は纏められてしまっていたが、概ね彼らの考えは正しい。

 

「いいっすよ」

「うん……。まぁ、悪くはないんだな……」

 

 カフェインさんは歯切れ悪く答える。この事態に動揺しているのだろう。

 この人の装備は両手槍だ。一部の例外を除けば近接武器オンリーのこのゲームでは最も射程のある武器で、後方支援系の役割に該当する。

 最悪後ろからチマチマ削ってくれるだけでも十分だ。だからなんとかなるだろう。

 

「なら、まずは隣の村まで移動だ。そこで一度レベル上げをする。全員が4レベルに達したらクエストを受けに行こう」

 

 タマさんの自身気な宣言に、緊張よりも大きな期待を胸に抱いて、私たちは外へと駆け出してしまった。



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2話 躓きすぎたプロローグ(2)

 ホルンの村でのレベル上げは順調ではないが計画通り進んだ。

 時間にしておよそ9時間。本来のゲームバランスではありえない程の時間がかかったものの私たちのレベルには4という数字が刻まれた。

 普通のゲームであれば考えられないスピードだ。

 βテストでもさんざん言われていたが、ソードアートオンラインは現実を準拠し過ぎていた。1日の時間は24時間で、つまり朝にのみ発生するイベントを行うためには朝にログインしなければならない。学生であってもそのようなプレイスタイルはほぼ不可能だ。加えてフィールドの広大さに手を焼かされる。なにせ実際に直径数キロサイズのエリアは徒歩で移動するだけでもかなりの時間を要する。まっとうなプレイヤーは移動するだけでほとんどの時間を費やしてしまうだろう。転移できるアイテムは高額で、無料で転移できる転移門は階層毎に1か所のみときた。オープンフィールドは広いほどいいと言い出したやつは死ぬべきだ。あるいは日本を徒歩で横断してこい。

 

 現在私たちを苦しめていたのはレベルの上がりにくさという問題だ。

 1日もかけずに4レベルに到達できたと喜ぶべきだろうか?

 しかし3レベルまではチュートリアルと言うべきもので、ソードアートオンラインの中では比較的早くレベルが上がる。私たちはそこからようやく1上げた程度でしかない。

 これより先は10時間くらいかけて1上がるか上がらないか程度だった。さらに1レベル上がるまでの時間は現在レベルに比例してに長くなっていく。

 9時間といえば短いRPGゲームが1本終わるくらいの時間だ。ゲーム1本分でようやくチュートリアルが終わるかどうかという状態である。

 そしてレベルアップというチュートリアルが終われば、ようやくクエストなどが行える。しかしスキルスロットは10レベル毎でしか増えないためスキル取得というチュートリアルはまだまだ先である。

 

「朝日が眩しいっす……」

「だが、俺たちはやり遂げた。そうだろう?」

「目に染みるっす」

 

 タマさんの格好とか諸々が。

 私たちが獲物にしていたのは最弱エネミーとも言われるフレンジ―ボア。攻撃されない限り襲ってこない友好的なエネミーで、攻撃方法も突進オンリーという初心者仕様である。

 長時間の狩りに必要なのは安定感だ。特にHPが0になればそれが現実の死に直結するとなれば安全はすべてにおいて優先される。

 経験値効率で言えばもっとよいところがあるが、集中力を必要とせずに倒せるという点では圧倒的だ。

 だがこれ以上ここでレベル上げをするとなると、今度は流入してくるプレイヤーと狩場の奪い合いが発生する。しかもこのペースであれば次のレベルまでは10時間くらいかかる。ここまで稼いだアドバンテージが水泡に帰すほどの時間だ。

 

「仮眠を取って、それからクエストを受けよう」

「それより先に防具の方もなんとかしろっす」

「そうだね。やっぱり動きにくいし、防御面積が小さいから買い替えるべきかな」

 

 ドロップ品を売りさばけばそれなりの金額にはなる。仮眠の前に装備をなんとかしなければ寝苦しくてたまらないので先に防具屋へ行くことにしたのだが、結論から言えば買い直す必要はタマさん以外なかった。

 そもそも装備毎にサイズなどという数値があるわけがなかったのだ。

 そんなことになれば鎧などの防具は体にフィットするサイズが手に入るまで厳選しなければならないということになる。

 装備を試着してから元の装備を着直したところ、体形に合わせて装備のサイズも変更された。つまり装備のサイズが不一致だったのはバグだったのだ。

 おい運営、補填アイテム寄越せよ。

 

 ただ男女兼用ではないためタマさんだけは買い直す羽目になり、それから私たちはポーションなんかの消耗品を道具屋で購入した後、あらかじめお金(コル)を支払って借りていた民家で6時間の仮眠を取ることにした。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 目が覚めると埃っぽい空気に顔をしかめる。

 そろそろ掃除しなくてはと思いつつもパソコンの電源を付けようと起き上がり、そこで私はここがソードアートオンラインの中であることを思い出した。

 現実と同じ身体(アバター)。これさえなければ最高なのにと愚痴を思い浮かべつつも、椅子や床でまだ寝転がっている戦友諸君を起こし始めた。

 そういえば徹夜で疲れてたとはいえ、男性たちの中で眠るのはいささか無防備だったかと思ったが、ここはゲームの中。どんな間違いが起こるというのか。加えてこの容姿だ。よほど思い詰めなければそんな気も起きないだろう。

 

「もう無理。働きたくないんだな……」

「クククッ、フハハハハハハハ……」

「可愛いは正義……」

「ほら、いいかげん起きるっす。もう昼っすよ」

 

 肌寒い冬の空気に包まれデスゲーム2日目を私たちは迎えた。

 

 

 

 空腹はステータスにペナルティーを受けるため、規則正しい食生活がゲームの中だというのに求められる。

 しかしこの村で購入できた黒パンは硬く、スープに浸さなければ食べれたものではない。中世風の世界観とはいえ、こんなところまで再現しなくてもいいだろうに。

 典型的失敗例をいくつも抱えたまま発売されたソードアートオンラインは、今にして思えば不自然の塊だが、これが1つの世界を作るという壮大な計画であるという視点で見れば正しい姿だったのかもしれない。

 

 さっさと美味しくもない昼食データを処理して、村の奥にある一軒家へ向かった。

 そこに住むNPCが私たちの求める『森の秘薬クエスト』の開始条件キャラクターだ。

 彼女から娘が重病にかかりそれを治すには西の森に生息する捕食植物の胚珠からとれる薬を飲ませるしかない。もし娘を救ってくれたなら先祖伝来の長剣を差し上げる、という話を長々と聞かなければならないというのはどう考えても無駄では? と思いつつも会話スキップ機能がないためオート朗読が終わるまでどうあがこうと辛抱強く待たなければならない。

 ちなみに先祖伝来の長剣とはいうものの、再度受注可能なクエストなのでこの家からは何本もその長剣が出てくる。ゲームならではの矛盾であるが、これが先着1プレイヤーのみだったらこのゲームのクエストなどあっという間に絶滅するだろう。ここばかりは茅場でさえ断念してくれたというわけだ。

 

「そうか……。ふむ……。俺に任せておけ。フフフッ、その程度造作もないことよ」

 

 NPC相手に得意げに相槌を打つ抜刀斎。こいつは人生楽しんでるな。

 

「じゃあ今のうちに陣形でも確認しておこうか」

 

 NPCが話しかけてくるのを尻目に、小声で作戦会議を始めるタマさん。

 

「まず俺がタンク。抜刀斎君は右側、エリにゃん――」

「ぐはっ」

「――は左側のアタッカーでカフェインさんは後衛。カフェインさんは所々ダメージを与えつつ周囲の警戒。2人は交互にスイッチして叩く感じで。敵が複数体のときは分断してアタッカー2人で1体ずつ処理。他は俺とカフェインさんでタゲを固定するから――」

 

 スイッチとはβテストで流行ったエネミーの対処法で、エネミーのAIを学習させてから別の武器を使うプレイヤーと入れ替えることで対処能力を下げるテクニック――という話もあったが元々は他のMMOで見られるクールタイム中はスキルが使えず性能が下がるため主力を入れ替えるという定番テクニックだ。

 ソードアートオンラインではソードスキルにクールタイムが設定されていないため不要に思えるが、実際は近距離武器オンリーという特徴から戦闘には集中力を必要とするため適度な休憩の必要に迫られスイッチを行う。あるいは今回のようにヘイトをコントロールして挟撃することで攻撃中のキャラクターをターゲットから外すという戦略にも使われる。全方位攻撃がある相手には無意味だが。

 

 今回の目標、リトルネペントの攻撃方法は蔦による斬り払いと口からの腐食系ブレスの2パターン。1体であれば大した強さではないが数が揃えばブレスの範囲に巻き込まれ装備の耐久を削られるという厄介な敵だ。斬り払いも軽装である現在ではわずかなノックバックが発生するため立て続けに受ければあっという間にHPが削られる。

 複数体が密集して点在するタイプの配置で単独のものは珍しく、そうでなくとも丸い実をつけたタイプのその実に攻撃してしまうと悪臭を放ち周囲のエネミーを引き寄せるというやっかいなルーチンを持っている。ソロで狩るには向かないエネミーだ。MMOはソロに厳しいためどんなエネミーにも言えることではあるが。

 

「とまあ、こんな感じかな?」

 

 タマさんが確認作業を締めくくるとイベント開始の長い会話も丁度終えるところだった。

 視界の左端でクエストログが更新されたのを確認して、家から飛び出す。

 狩りの時間だ。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 太陽の光がほとんど遮られる鬱蒼とした森だ……。

 βテストのときよりもその険しさは増しているかのようで、隆起した木の枝が足を絡めとり森の養分にしようと襲い掛かってくるかのようだった。

 だがこの森にエントなどの樹木系モンスターは生息していないはずだ。少なくとももっと上の層に出現するようなモンスターだと思う。

 

「足元、気をつけてくださいね」

 

 先導するタマさんはすいすいと確かな足場を踏みしめ、その後ろを3人が随行した。

 光量が足りず、隠蔽ボーナスの高いこの森ではカフェインさんの索敵スキルが命綱だ。そんなカフェインさんは簡易マップを気にするように視線をちらちら左上へと向けている。

 

「ここから北西の方角に3体、いるんだな」

「わかりました。では手筈通りに」

 

 大きな巨木の根元には、靴下のような人間大の胴体に触手と鋭い蔦を生やした気味の悪い植物が蠢いていた。パクパクと開閉する口は目を凝らせば粘液が滴っていて、よく観察したことを後悔させてくる。

 これほど不気味な外見とは裏腹に薄暗い森の中では注意が散漫であれば見逃してしまうかもしれない自然さがある。

 テクスチャの作り込みが素晴らしいせいだ。他のゲームであればエネミーと地形の差異は明確で遠目からでも違和感を覚えるものだが、ことソードアートオンラインではどれもが平等にリアリティーを持ち、森と植物《モンスター》の境界線を曖昧にしていた。

 

「行くよ」

 

 タマさんが小声で合図を送って右手に持つ片手直剣を青白く輝かせた。

 片手直剣突進技、『レイジスパイク』によって切っ先が地面を這うように滑り一瞬の合間に彼我の距離が縮まる。リトルネペントの胴体には足元から口にかけて赤いダメージエフェクトが走った。

 プレイヤーの存在に気が付いた他の2体はタマさんへと蔦を振りかぶる。鞭のようにしなり、その先端は短刀のように鋭利な蔦は同士討ちを避けプレイヤーだけを切り裂こうと殺到した。

 ソードスキルの硬直が解除されるとタマさんは慌てることなく左手の盾に身を隠し2回の衝撃を受け止めると後ろへすり足で下がる。

 

 私は左から、抜刀斎は右からソードスキルを使わず戦闘地帯へ駆けつける。

 抜刀斎は逡巡することなく右側の個体に曲刀のソードスキル『カーム』を放ち水平斬りでHPの2割を消失させた。

 リトルネペントの1体が抜刀斎へタゲを向けたのを確認してから私は浅く胴体を斬りつける。1割もダメージを与えることのできていない軽い攻撃だがこれでいい。

 抜刀斎が後ろへ跳び、リトルネペントはそれに追従した。

 ダメージを受けていない1体には視界の端でカフェインさんが槍を突き立てている。

 

 分断は成功。私と抜刀斎に挟まれたリトルネペントは交互に押し寄せるソードスキルにタゲをフラフラさせ、攻撃を放つこともなく死亡した。

 死んだエネミーがポリゴンとなって霧散する。昨日から何度も見慣れた光景を綺麗だと感じる暇もなく、すぐに残りのエネミーへ襲い掛かる。

 3体のリトルネペントは私たちよりも低い3レベルであったということもあり、接敵から僅か3分で全滅した。

 

「おつかれ」

「おつかれっす」

 

 この程度なら物の数ではない。クエスト目標であるリトルネペントの胚珠をドロップするのは花のついた個体だけだ。そして今回倒したエネミーはすべてノーマルな個体。

 たしか出現レートは100体に1体くらいと聞いた覚えがある。つまりそこそこ簡単な部類だった。

 

 このあたりのエネミーのレベルも3から5と問題なく処理できる範囲だ。

 発見、分断、各個撃破。慣れるにつれて単調になっていく作業を、私たちは油断なく処理していった。稀に実をつけた注意個体を発見するが、攻略情報通り実に攻撃を当てないで倒すことはそう難しくはない。つまり阻む障害はなきに等しい。

 開始から1時間。入手できた胚珠は1個。必要最低限数は残り1個。

 順調な収穫に私たちは高揚した。

 

 ――だから気がつけなかったのかもしれない。

 この場所がいかに理不尽で残酷な、安全に守られた現代社会とはまるで違う場所なのだということに。



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3話 躓きすぎたプロローグ(3)

 リトルネペントの胚珠を求め狩りを続行する私たちの前に、それは現れた。

 

 『Scissors Spider』

 

 頭上に浮かぶ名称にはそう表示されていた。

 この森での狩りからすでに2時間。初めて遭遇するエネミーに警戒心が募る。

 カーソルカラーはレッド。私のレベルはこの連戦で5に上昇していたので6レベルのエネミーだということが察せられる。

 4人パーティーであるこちらがステータス上では断然有利だろう。

 問題は、知らないエネミーだということだった。

 βテストでは遭遇したことのない未知のエネミー。攻略サイトでもそういった話を見かけたことはない。正式版から追加されたものだろう。

 

 リトルネペントよりも巨体であるが、フロアボスとの戦闘に参加した私としては驚くに値しない。

 これまで森で蜘蛛の巣を見かけなかったことから徘徊性の蜘蛛だと予想をつける。攻撃方法は鎌状の前足を使うのは明白だが他は不明。

 

「どうするっすか?」

 

 彼我の距離は10メートルくらいか。

 互いの間に遮蔽物はない。索敵範囲が狭いのかこちらを見えているはずだが攻撃行動に移る素振りを見せないのが異様だった。

 

「……レアモンスターだと思う」

「それはわかってるっす。問題はやるか、やらないかってことっすよ」

「臆病風に吹かれたか?」

「抜刀斎はちょっと黙ってるっす」

「フッ……」

 

 願望は武器のレアドロップあり。

 素材系だったりクエスト系のアイテムドロップであれば即効性の旨味は少ない。

 

「やろう。いずれどこかで未知のエネミーと戦う機会は出てくる。遅いか早いかの違いだ。それはなるべく早い時期に経験しておくべきことだと思う。まだ敵が弱い段階でね」

 

 タマさんの表情は一瞬緊張に包まれたが、すぐにそれを解き普段通りの顔を取り繕った。それから順番に私たちと視線を合わせる。

 

 大丈夫だ。俺たちならやれる。

 

 言葉にしなくともタマさんの考えていることが伝わってくるような、力強い瞳だった。

 他の2人もそれに呼応するように自信を漲らせている。いや、抜刀斎はいつも通りか……。

 

「もし手に余るようだったらすぐに撤退。殿は俺で先頭はエリにゃん、中央にカフェインさんを置いて敵のいない方向を目指すように。抜刀斎君は避けられない戦闘があったら足止めをしてから離脱」

 

 無言の返答を肯定と受け取って、タマさんは盾を構えた。

 定番スタイルとなりつつあるレイジスパイクでの強襲は行わず、慎重に攻める腹積もりのようだ。

 私と抜刀斎はタマさんがタゲを固定させてから背面を攻撃する。やることはいつも通り。ただしソードスキルは控えめに、反撃に注意していつでも退けるよう意識を割く。

 

「いくよ!」

 

 その言葉とシザースパイダーがタマさんをターゲットするのは同時だった。

 鋭い前足がタマさんの盾に命中するが、後ろに引くように受けることで衝撃を受け流す。

 リトルネペントとの戦闘で勘を取り戻したタマさんはβテストでも使っていた細かいテクニックを披露していた。

 

 私は時計回りに動いて背後を取り、シザースパイダーが攻撃を行った後を見計らって横一線に剣を振るう。

 鈍い感触。HPバーは他の3人が攻撃しているが1割削れたかどうかという値。

 硬い。あるいは斬撃や刺突属性に高い耐性を持っているのだろうと当たりをつけるが生憎このパーティーに打撃属性武器を持っている者はいない。全員好き勝手に武器を選んだのは悪手だった。

 

「2体、近くに沸いたんだな!」

 

 カフェインさんが槍の先端で新たな敵の位置を報告する。

 未知のエネミーとの戦闘中であっても、カフェインさんは自分の役割を忘れずに果たしていた。

 森の奥からやってきたリトルネペントを目視で確認し、小さく舌打ちをした。

 

「1体、実ありっす」

「俺がこいつを抑える。カフェインさんが1体抑えて、2人で実持ちから撃破!」

 

 私と抜刀斎がシザースパイダーの背後を通り、接近するリトルネペントへ向かおうとしたとき、シザースパイダーのターゲットが外れた。

 何故?

 そんな疑問を浮かべつつも警戒心から咄嗟に距離を離す。抜刀斎も同様に鎌の間合いから退避したが――違うこれは!?

 

 エネミーが誰をターゲットしているのか簡単に判断する方法がある。視線だ。見つめられてるプレイヤーが現在敵愾心(ヘイト)トップであり、攻撃の基本対象とされるキャラクターである。

 ではシザースパイダーは誰を見ている?

 8つの黒い瞳がどこを見ているのか、目を見てもわからないが顔の方向から窺うことは容易い。それはこちらに向かってくるリトルネペントだ。

 

 シザースパイダーが走り出す。巨体のエネミーを食い止める手段などない。シザースパイダーは接敵状態から離脱し、何度も繰り返した斬り払いをリトルネペントの実に向かって放った。

 

 ――ドサリ。

 割れた大粒の実が地面に落下する音が戦闘中であるのにやけにハッキリ聞こえた。

 リトルネペントの実は攻撃すると割れ悪臭を放つ。その臭いがリトルネペントを引き寄せる効果を持っており、βテストではこのトラップに引っかかり死亡するプレイヤーは後を絶たなかった。

 

「4体、こっちに来るんだな!」

 

 カフェインさんが警戒を促す。

 不味い! 数的優位を覆され全員に動揺が走った。

 位置も悪く挟撃するような増援に退路が狭まる。

 7体を同時に相手取るなんてタマさんでも無理だ。かといってこの数を捌けるのはタマさんしかいない。

 オーバーヒート寸前の思考回路が導き出した行動はタマさんに指示を仰ぐという思考放棄だった。

 

「……カフェインさんスイッチ! 残りは任せろ。2人は各個撃破!」

 

 タマさんの思案は一瞬。

 実を落せば用はないと言わんばかりにターゲットをタマさんに戻したシザースパイダーが振り向くのと同時に追いついていたタマさんが頭部へ片手直剣基本技『スラント』の斜め切りを叩き込む。

 頭部へのダメージに仰け反った隙を突き、カフェインさんは槍を突き出し連続ヒットに持ち込んだ。

 ソードスキル後の硬直時間を稼ぎ、位置を交代。

 タマさんはフリーのリトルネペントに斬るというよりもいったん当てるというおざなりなモーションで攻撃を行いヘイトを稼ぐと、シザースパイダーから離れた場所へ誘導して戦場を2つに分ける。

 しかしいかんせん数が多い。

 斬り払いのみであれば回避は簡単だが、距離を取り過ぎて腐食ブレスが飛び交う。

 回避可能な空間を失い盾で受けるも、全身を覆えるほどの大きさはなくHPが2割削られる。

 

 乱戦ではポーションを飲んでいる暇もない。

 失われたHPを回復するにはリトルネペントを倒す必要があった。つまり私と抜刀斎がいかに素早く倒すかにかかっている。

 急げ、急げ、急げ!

 ソードスキルのモーションを利用して、蔦の斬り払いを受けつつも突進攻撃『レイジスパイク』で押し切る。私のHPが大きく失われるのと引き換えにリトルネペントのHPを削り、続く抜刀斎の攻撃がポリゴンの死体へ変えていく。

 

 盾を持たない片手剣使いのメリットは片手が空いてることに尽きる。

 抜刀斎にタゲが向いてる間、私は右の手で攻撃を、左の手でメニューを開きアイテムストレージからポーションを取り出し一呼吸で中の液体を飲み干した。

 ドロリと薬品臭の強い液体が喉を通るりHPがじわじわと回復を始める。回復にもヘイト上昇効果があり、ターゲットが私に移ったリトルネペントの攻撃に集中力を研ぎ澄ませる。

 背後から抜刀斎の攻撃を受け振り向こうとしたリトルネペントをソードスキルで抑える。

 振り向き様に振るう蔦を飛び越え、着地と同時にソードスキル。抜刀斎も攻撃を重ね撃破する。

 

 限界ギリギリの速度でリトルネペントを2体処理するもタマさんのHPは半分のイエローゾーンに突入していた。

 その間、さらなる増援として1体が加わり真綿で締められるような息苦しさが体にのしかかった。

 

「スイッチだ」

 

 抜刀斎のいつも通りの声色が響く。

 タマさんはソードスキルではなく強めの攻撃を最後に、抜刀斎と位置を入れ替えた。

 5体のリトルネペントの正面に躍り出る抜刀斎。タゲは未だにタマさんへ向いているが、通り過ぎようとすれば攻撃を加え、後ろへ抜かれないよう牽制する。

 その間にタマさんはポーションを使いHPの回復に努め、私はリトルネペントとの一騎打ちでじわじわとHPを減らしていく。

 

 抜刀斎も私と同じで片手がフリー、つまり盾無しのスタイルだが回避は得意なようでかろういてタンクをこなせてはいる。

 しかし範囲攻撃が足りていない。複数のターゲットを取るのはそれだけ難しい。回避や防御だけではなくヘイトが足りないのだ。

 彼は足りないヘイトを補いように無理に攻め込んではHPと引き換えにダメージを与え、ヘイトを集めている。致命傷だけは避けているがHPの減りはタマさんよりも圧倒的に速い。

 

 それに私の方も上手くいっていない。

 倒せはする。だが時間がかかり過ぎる。1人で1体倒すのと2人で1体倒すのでは時間は倍どころではなく3倍以上違うからだ。2人で1体を処理するのはそういった理由があってのことで、戦力の分散はパーティーの強みを減らしてしまう。

 文字通り、1+1は2ではなく3や4になるのがパーティーなのだ。

 

「ありがとう。もう大丈夫」

 

 HPを回復したタマさんが駆け抜けるようにリトルネペントを撫で切りにする。

 再び大軍はターゲットをタマさんへ向ける。私がなんとか倒してリトルネペントの数は4体まで減った。シザースパイダーは特殊ルーチンこそ厄介だが本体性能は低くカフェインさんのHPは1割しか減っていない。

 状況はようやく有利へ傾いたかに思えた。

 

「実持ちなんだな!」

 

 ここでさらなる増援。しかも実のあるリトルネペントだ。運が悪いのか、あるいはシザースパイダーがそのような能力を持っているのかはわからないがどちらにしろピンチである。

 警戒役としてしばらく機能していなかったカフェインさんは、シザースパイダーのターゲットが外れたことで察知し声を張り上げてくれたが……。

 

 ここで崩れれば逆戻りどころではない。

 抜刀斎の動きは迅速だった。

 現在攻撃しているリトルネペントを放置して曲刀突進技『リーパ』を実持ちの増援に発動する。

 最短撃破にかかるタイムは30秒。それは反撃を無視すればの話で、他のリトルネペントの攻撃を受ければノックバックで時間は伸び、回避をするならさらに遅くなる。

 

 間に合うはずがない。

 

 だが発動したソードスキルは止まれない。

 動き出した状況は元には戻らない。

 攻撃対象を合わせることで各個撃破するというルーチンが染みついた私は、無我夢中で抜刀斎が攻撃したリトルネペントへ片手直剣突進技『レイジスパイク』を放った。

 回り込み、挟撃する時間も惜しいと私のソードスキルで仰け反ったリトルネペントに抜刀斎は正面からソードスキルを浴びせ、硬直時間を終えた私が続けざまにソードスキルを当てる。

 

 押して押して押しまくる!

 だが足りない。時間が足りない。

 迫りくるシザースパイダーを視界に捕らえる。

 追い縋るカフェインさんの槍が輝いた。――『トリプルスラスト』。

 踏み込みの勢いを活かした1回と上半身のみで続けて繰り出される2回の刺突。その連続攻撃をシザースパイダーの3本の足へそれぞれ命中させた。

 

 バランスを崩し、失速するシザースパイダー。それでも止まらない。ダメージを無視してリトルネペントの実を攻撃しようと鎌を振りかぶる。

 

 ソードアートオンラインのターゲットは視線で行われる。正確には狙うという意思だ。だから漠然と全体像を認識していれば中央付近に命中するが、顔を凝視して狙うぞ! と考えていれば顔に命中する。

 私は振りかぶられた鎌を見つめていた。

 

 ――ソードスキル『バーチカル』。

 

 縦に振り下ろす片手直剣の軌道が、シザースパイダーの薙ぎ払う鎌と重なり火花に似たエフェクトを輝かせる。そして互いの武器を弾き合った。

 

 カフェインさんが私を追い抜き実をつけたリトルネペントへ向かう。

 私は実を狙うシザースパイダーからリトルネペントを守る。

 言葉にせずともそれぞれの新たな役割を理解し行動に移っていた。極度の集中力が私たちパーティーを1つの生物のように突き動かす。

 

 タイミングを見極めるのは意外に難しくない。

 シザースパイダーが振りかぶり、薙ぎ払う。

 

 ――バーチカル。

 

 すでにソードスキルを発動させるのに十分な構えをとっていた私は振り下ろすだけで動作を完了させて攻撃を防ぐ。

 背後でリトルネペントが倒されたのかポリゴンの砕ける音が聞こえた。

 

「スイッチ!」

 

 カフェインさんの声を合図に私はシザースパイダーにソードスキルを当て、カフェインさんと再び攻守を入れ替える。

 急場をしのいだが息を吐くのは戦闘後。

 まだタマさんが4体のリトルネペントに襲われHPもイエローゾーンに迫っている。

 しかし活路は見えた!

 

「いけるっ!」

 

 その呟きを聞いたのはきっと悪魔だ。

 

「……えっ?」

 

 目の前から突然タマさんの姿が――消えた。

 死んだ? そんなはずはない。だってタマさんのHPはまだ半分はあった。それに攻撃を受けて消えたわけではない。リトルネペントはなにもしていない。それは前触れのない突然の出来事だった。

 

 タマさんが消失した影響でターゲットが分散する。

 すかさず抜刀斎がターゲットになろうと躍り出るも間の悪いことに敵の増援だ。

 位置は最悪。カフェインさん側に2体。いかにシザースパイダーが強くないとはいえリトルネペントと同時に相手取るのは厳しい。

 覚悟を決めて私は2体のリトルネペントを抑えに飛び出した。

 

 回避は不可能ではない。

 シザースパイダー1体に比べれば難しいが、回避に専念するなら当たりはしない。

 問題は攻撃の手が足りないこと。遅々として減らないリトルネペントのHPを忌々しく睨んでもダメージを与えられるわけもなく。

 ここは抜刀斎と合流して一端リトルネペントを一塊にするべきだ。

 

 視線を背後に向け、シザースパイダーとカフェインさんの戦闘位置を避けるように移動を行うとしたところで問題が発生する。

 シザースパイダーのHPが半分を下回る。

 慣れた横薙ぎを回避しようと後ろに下がったカフェインさんは、振り終わった体勢から繰り出される体当たりに体を浮かせた。

 

 HP減少に伴う行動パターンの追加だ!

 カフェインさんの減っていたHPは今ので4割に突入する。

 焦りが生まれ、私は2体しかいないリトルネペントの攻撃を避け損ねて蔦の一閃を実に受けてしまった。

 痛みはほぼない。不快感を感じるだけで痛みには程遠い。リアリティーと追及した茅場も、現代人に痛みを耐え忍びながら戦うまでは求めなかったのは幸いだ。

 しかし痛くなければ平気かといえばそんなことはない。

 ゲームのキャラクターがダメージを受けると「イテッ」と言う人がいるように、ダメージを受けることには本能的恐怖がある。

 HPが0になれば死ぬ。それを忘れていたわけではないが、それを想起させられる状況に近づき体が思うように動かなくなる。

 緊張はミスを誘発し、ミスによって減少HPがさらなる緊張を強いる。

 悪循環を抜け出せずじわじわとHPを減らした私はついに3割の危険域に突入していた。

 私はソードスキルを放つタイミングを完全に見失い、ブレスと横薙ぎに追い詰められていく。

 

「スイッチ!」

 

 カフェインさんの叫びで意識が一瞬クリアになる。――そして衝撃。

 地面を転がるもダメージは少なく2割を下回ってはないなかった。

 目の前ではカフェインさんが3割のHPでリトルネペント2体とシザースパイダーを同時に相手にしていた。

 地面を張って逃げた私はアイテムストレージからポーションを取り出す。

 慌てていてミスタッチを数回してしまうもどうにかポーションをオブジェクト化して中の液体を口に注いだ。

 

 美味しくはない。だが頭がしびれるほど甘美な味を錯覚した。

 ポーションは時間経過によるゆるやかな回復で、即座に回復はしない。即座に回復するような結晶系アイテムも存在するが貴重で私たちはまだ手に入れてはいなかった。

 

「大丈夫、なんだな……」

 

 額から汗が噴き出そうな厳しい視線のままカフェインさんは笑顔を作った。

 おっとりとした印象のあるカフェインさんは、体形から察せられると通り私と同じで運動神経は良くない方だろう。

 現実での運動神経がすべて活かされるわけではない。しかしカフェインさんはタマさんや抜刀斎なんかのように複数を同時に相手にできるほどの処理能力は備えていないのは確かだった。

 攻撃が掠りすでにHPは2割。

 

「カフェインさん、スイッチ!」

 

 私もまだHPが4割までしか回復していなかったが、これ以上は待てなかった。

 回復時間を終える前に追加のポーションを飲み効果時間を上書きする。

 前後を交代するだけのスイッチというにはおこがましい動きで私はカフェインさんと位置を入れ替える。

 シザースパイダーの2段攻撃。避けるなら斜めに通り過ぎなければならないがそうすればリトルネペントの位置が崩れて攻撃を受けてしまう。こんなことならタンクでなくとも盾を装備しておくべきだったがない物を頼ってもしょうがない。

 

 突進系ソードスキルでリトルネペントを攻撃しつつ突進を回避する。これしかない。

 私はソードスキル発動前のモーションを取りつつタイミングを見計らった。

 鎌の振りかぶり。薙ぎ払いをバックステップで避けつつソードスキルを発動させる。

 狙い通り私はシザースパイダーの体当たりを避けた。フリーのリトルネペントは移動してブレスのモーションを起こす。

 ギリギリ避けられる!

 ソードスキルの硬直が終わった私は地面に転がる。

 ブレスが頭上を通り過ぎ、転がる勢いを使って即座に起き上がった。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

「えっ……?」

 

 青白いエフェクトが体から消える。

 目の前にはシザースパイダーはいなかった。

 リトルネペントもいない。

 ――他の皆も、いない。

 

「なにが起こった、っすか……?」

 

 HPはさっきまでの戦いの激しさを物語るように黄色をしていたが、それも直前に飲んだポーションのおかげで緑に戻っていく。

 白昼夢のような奇妙な感覚を引きずりながらも、私は森を注意深く歩き出した。

 索敵スキルのない私が頼りになるのは自身の感覚だけだ。日の()()()()()森の危険度は跳ね上がる。

 

 いったんホルンの村まで戻ろう。

 自動作成されたマップを頼りに歩き出そうとしたところで足に硬い何かがぶつかる。石でも蹴ったかと視線を下げると、そこには野ざらしでいくつものアイテムが折り重なって落ちていた。

 

 『リトルネペントの胚珠』

 『ペネントの葉』

 『ブロンズソード』

 『ポーション』

 『レザーアーマー』

 『レザーコート』

 

「は、ははは……」

 

 フォーカスロックによって表示されるアイテム名称に後退る。

 防具アイテムは黒色のせいで森の闇に溶けてすぐにはわからなかった。見つけられたのはアイテムが一か所に固まっていたからだ。

 オブジェクト化したアイテムは時間経過で耐久値が減少していく。

 例に漏れずその防具も耐久値を減らしていたが、もともとの損傷が激しかったのか比較的高い耐久値は他の通常アイテム同様に僅かにしか耐久値を残してはいなかった。

 

 慣れた手つきで散らばっていたアイテムをストレージに収納する。

 意識しての行動ではなく、ゲーマーとしての修正が落ちているアイテムをとりあえず拾おうとしているだけだった。

 

 私は道中で、さらに散乱したアイテムを見つけた。

 『ブロンズスピア』『スモールシールド』『スモールソード』……。

 中には『シザーソード』という知らない曲刀もあり、説明文にはシザースパイダーの腕であることが書かれていた。

 

 覚束ない足取りではあったが、私は運よく戦闘を行わずにホルンの村へと戻る事が出来た。

 村に着くころにはすっかり空は暗くなっていて、街灯のない夜は都会から離れたことのない私からすれば信じられないほど暗い。

 頭上には外延部の外から降り注ぐ月光と、それを照り返す2層の底が輝いていた。

 

 クエスト終了の報告をしに行く気力はなかった。

 ホルンの村にはすでに幾人かのプレイヤーが辿りついていて、狩りを終えた彼らも帰路に就く様子だった。

 一日の成果を談笑する彼らを横切り、部屋を借りている民家へと向かう。

 私たちの借りている民家は少し大きく、村の中では目立つ。カーテンにはゆらゆらと火に揺らめく人影が映っていた。

 戸を開けると燃え盛る薪の弾ける音が聞こえた。暖炉の火が冷えた身体を温めてくれる。

 

「おかえりなさい。夕飯はいかが?」

 

 声はここに住む女性NPCのものだった。

 エプロン姿をしたNPCの表情は最初こそ明るかったが、私と視線を合わせると困った表情になり、終いには悲しそうに目を伏せた。

 

 HPバーの上にあるステータス状態を現すスペースには空腹のバッドステータスが表示されていて、STRが低下しているせいか力が上手く入らない。

 ゲームの世界でもお腹は空く。

 βテストでは食べなければ死ぬということはなかった。現実でも1食抜いたくらいでは人は倒れない。

 NPCへ返事を返さないまま私は階段を上った。

 

 人気のない部屋の扉を開けると片付けのされていない光景が目に入る。

 借りた毛布は出て行くときと変わらず無造作に床へ放り捨てられていた。それはベッドも合わせれば丁度4人の人間がいた痕跡だ。

 整えられていないベッドへ倒れ込むと顔に鈍い衝撃が走る。

 

「痛い……」

 

 本当は痛くなかった。

 強い痛みをソードアートオンラインは感じさせない。

 でも、涙が溢れてきた。

 

「性質の悪い冗談っす。悪戯が過ぎるっすよ」

 

 返事はない。

 

「いいかげんにするっす」

 

 返事はない。

 

「わけ、わかんないっすよぉ……」

 

 返事はない。

 鳴りやまない嗚咽を耳にする者は私以外、誰もいない。

 現実と変わらない孤独が押し寄せる。

 私は完璧にはなれない。

 それが例えゲームの世界でも。




これは主人公が運や仲間に恵まれて勝利する話ではありません。
その逆を行くお話です。

それでも構わないという方はどうかお付き合いいただけると幸いです。
そうでない方も、読んでいただけるなら幸いです。


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4話 躓きすぎたプロローグ(4)

 複数入手してしまったリトルネペントの胚珠をそれぞれアニールブレードに交換した私は『はじまりの街』へ踵を返していた。

 道中ホルンの村へ向かうプレイヤーや、一昨日私たちがレベル上げに使っていた平原でエネミーを狩る集団と擦れ違った。

 彼らの目には怯えはなく、明日へ向かう活力に溢れているようだった。

 道中のエネミーは更新した武器の前では敵ではなく、襲いかかってくれば無造作に放ったソードスキルで鎧袖一触にした。

 

 はじまりの街には昼時には到着してしまう。

 何故ここに来たのか。理由はわからない。

 噴水広場に辿りつき、待ち合わせの場所に腰かけた。

 はじまりの街に残っているプレイヤーは未だ混乱の中にあるらしく、外へ出て戦闘を行うプレイヤーとの差は一目瞭然だった。

 彼らは一様に精気の抜けた顔をしている。

 私は今、どんな顔をしているのだろう。

 そんなことはどうでもいいか……。別に見られて困るわけじゃない。これからどうしよう。お腹空いたな。ご飯食べよう。眠いな。宿取ろう。動きたくないな。寝てよう。暇だな。散歩に出掛けよう。

 

 

 

 思いつくことを行動に移し、数日が経った。

 

 

 

 今日もまた、気が付くと噴水広場の隅に座っている。

 バリボリと硬いパンを口に詰め込み、私と同じような瞳をしたプレイヤーが通り過ぎるのを眺めていた。

 コルが底を尽きるまでどのくらいかかるだろうか。ストレージのアイテムを売れば1カ月は持つか。計算するのは面倒だ。なにも考えたくない。

 

「……そんなところにずっといたら、風邪引いちまうゾ」

 

 声をかけてくるプレイヤーなんていないと思っていたが、目に映った人物は真っ直ぐ私を見ている。

 気だるげに視線を向けると金褐色の髪をした小柄な女性プレイヤーが立っていた。

 プレイヤーネームは『AROG(アルゴ)』。

 βテストのときちょっと有名になっていた情報屋などという変わったことをするプレイヤーだった気がする。

 

「風邪のバステなんてものまであるんすか?」

「さて、そいつはどうだろうネ。安くしとくよ。50コル」

「じゃあ買うっす」

「まいどあり」

 

 アルゴはそれからプレイヤーが風邪のバッドステータスにかかった話は聞かないが、風邪薬なるアイテムを要求されるクエストがあることを話し、入手方法まで明かした。

 もしプレイヤーが風邪をひくようなイベントがあれば、風邪薬を使用してみればいいだろうというアドバイス付きで。

 

「つまりここにいても風邪をひく可能性はないんすね」

「ま、そういうこったナ」

「この情報屋、偽情報握らせたっすよ」

「おいおい人聞きの悪いこと言うナよ。いつオイラが偽情報なんて掴ましたんダ?」

「最初に風邪ひくって声かけたじゃないっすか」

「そいつはアレだ……。挨拶みたいなもんだロ? 心配してやったんだからトゲトゲするんじゃネエよ」

「別にいいっすけどね」

 

 空を眺めると青ではなく茶色い岩肌の2層の底が見える。

 

「どんくらい死んだんすかね」

「今朝の時点で1000くらいだったヨ」

「テキトウ言ってるんじゃないんすよね。ソースはどこっすか?」

「んー、10コル。いやウソウソ。黒鉄球に蘇生者の間があったロ? あそこに生命の碑っていうオブジェクトが設置されててナ。そいつには全プレイヤーの名前が表示されてて、死んだやつの名前には二重線が入るって仕組みサ。あー……。じゃあやっぱりあいつらは……」

 

 無言で立ち上がり、私は黒鉄球へ向かおうとする。

 

「オイオイ。もうちょっとお姉さんとお話ししようゼ。あー、わかったヨ。しょうがネエ、ついて行ってやるヨ」

 

 蘇生者の間は、βテスト時のリスポーン地点だった。

 もしかしたら死んだプレイヤーもそこにいるんじゃないか。あるいは死んだと思ったのがなにかのトラブルでアイテムを落としただけで実は生きてるんじゃないか。

 そんな希望をこれっぽっちも信じていないのに、私は1万人の名前が並ぶ石碑から3人の名前を探した。

 アルファベット順に並んでいるそれから、名前を見つけるには時間はかからなかった。

 

 3人の名前は灰色になり二重線が引かれていた。

 

「あー……。泣くなヨ……。お姉さんが泣かしちまったみたいじゃネエか……。ほら、ナ? 落ち着こうゼ。頼むヨ」

 

 目元をごしごしと服の袖で拭う。

 感情表現がオーバーなこのゲームでは少し悲しい気持ちになると簡単に涙が出てしまう。現実での私はこんな泣きやすいタイプではなかった、と思う。

 

「いい店知ってんだ。話なら聞くゼ」

 

 アルゴは町はずれにある小さな寂れた店に案内した。

 看板を掲げられてはいないが、中は食事処らしくいくつかのテーブルが設置されているがどれにも人は座っていない。

 カウンターの向こうでは店主が無言で皿を拭き続けていた。

 

 アルゴが注文したものと同じものを頼むと、厚くスライスされたハムと野菜の挟まったサンドイッチが出された。

 今朝食べていた黒パンが嘘のような軟らかな食感と、滴る肉汁に驚かされる。高いだけあって美味い。

 

「それデ、なにがあったんダ?」

 

 私はゆっくり今までのことを語った。

 4人でホルンの村へ向かったこと。

 リトルネペントと戦ったこと。

 シザースパイダーというエネミーが現れ苦戦したが倒せない程ではなかったこと。

 突然パーティーメンバーの1人が消失して追い詰められたこと。

 それから……、エネミーもパーティーメンバーも消えて遺留品が地面に転がっていたこと。

 

 アルゴはどのくらいのレベルだったのか。攻撃方法はなんだったのか。対処方法はなにを試したのか。その結果どうなったのかを聞いてきた。

 促されるままに私は、それを洗いざらい答えた。

 

「そいつはたぶん、通信エラーダ」

「そんなこと、あるんすか?」

「茅場が言ってたロ。2時間の接続猶予時間があるってナ。その間にオイラたちの身体は病院なんかに運ばれたんだろうヨ。時間が進んでたのに気が付かなかったカ?」

 

 つまりあの敗北は偶然だとか理不尽だとかじゃなく……。

 

「運が悪かったナ」

 

 単純な見落としが原因だったのだ。

 考えればわかるだろうに。現実と同じ姿をしていてもここはゲームの中。現実の身体がそのままゲームの中に吸い込まれたわけではないのだ。

 現実の身体はしかるべき処置をせずに放置されればすぐに死んでしまう。政府などの働きかけで保護されようとも移動中常にオンラインにしておくのは難しい。だから茅場晶彦も2時間の猶予を設けたのだ。

 

「自己嫌悪っすね……」

「そう気を落とすなヨ。もうこんなことはナイだろうしナ。俯いてたら美人が台無しダゼ」

「わかりきったお世辞は結構っす」

「ハハハ。それだけ言い返せれば十分ダ。なんかあったら安くしとくゼ」

「それじゃあ早速っすけど、パーティーメンバーの当てを紹介して欲しいっす」

「条件ハ?」

「βテスターでソロ。性格がまともで、可能なら会話上手な人っすかね。あとは……若くて顔がいいと高評価っす」

「図々しくナ。そんなヤツは流石にいねえヨ。優良物件はいたとしてもソロでなんてやってねえダロ。――あ? あいつはギリギリいけるナ」

「マジっすか?」

「会話上手かって言われれば微妙だガ、会話下手でもねえシ。ゲーム好きなら話は合うだろうからイケるだろうヨ」

「なんで捉まえてねえんすか?」

「放し飼いにしてんだヨ」

「逃げられそうっすね」

「ウルサイ! 5000コルで交渉までしてやるゾ」

「じゃあさっきの情報料でいいっすよ」

「……4000コル」

無料(タダ)より高いものはないっすよね」

「3000コル。この店の情報料も含めてダ!」

「奢ってくれるだけの甲斐性があったら払ってもよかったっすけど。1000コル」

「3800」

「1000っす」

「3500」

「みみっちいっすね。いいっすよ3500くらい払ってやるっす」

「……なあ、その金ってヨ」

「ご想像に任せるっす」

「貰えるんならオイラはいいけどナ」

 

 遺留品の中にはコルが含まれていたので私の所持金は結構余裕がある。

 使わない防具や武器も換金したから尚更だ。

 

「それといくつか売りつけてほしいアイテムがあるっす。分け前は売値の一割でいいっすよ」

「仕事の話は大歓迎だゼ」

 

 シザーソード、それと複数本あるアニールブレードも自分で使う物以外はコルに変えてしまう算段を立てる。

 アルゴがしくじる可能性も考えて、最初はシザーソードだけにしておくべきか。それともまだ数の少ないうちに高値で売り払わせるか……。

 思い出の品として手元に残すつもりは甚だなく、できることなら視界に入れたくもなかった。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 後日アルゴに紹介されたプレイヤーの名前は『Kirito』。

 細いシルエットに、ナイーブそうな瞳。結ぶほどはないが長い綺麗な黒髪をした人物で、綺麗というよりも可愛い印象を受けるのは困った表情をしているからだろう。

 身長はそこそこあり私よりも大きい。

 抜刀斎と同じで全身黒色の装備をしているが――たぶん隠蔽ボーナスを狙ってのことだろう。ソロで活動してるらしいし。

 武装は片手直剣オンリー。私と同じでアニールブレード持ち。

 

「初めまして、っていうのもおかしな話かな? 俺はキリト。5層のフロアボス攻略以来、だよな?」

「そ、そうっすね」

 

 「男性だったんすか」という台詞をなんとか飲み込んだ。

 彼の口から出たのは女性にしては低い声色で、イントネーションなんかも男性のものだった。

 男性だと思って見れば、たしかに胸もないし骨格も女生とは違う。

 あと、彼の名前は覚えがある。

 βテストのときにフロアボスのラストアタックを2回も決めたプレイヤーで、かなりの使い手だ。

 なんでソロで活動してるんだろう?

 

「それで……」

「彼女がお前とパーティー組みたいって話でナ。同じβテスト組なら問題ないダロ?」

「一応はな」

 

 歯切れの悪いキリトの回答。

 頼まれてしぶしぶやってきました感を隠す気もないようだ。

 

「嫌なら無理にとは言わないっすよ……」

「別にそういうわけじゃないんだけどな。臨時パーティーは組んだことがあるけど、長期間組むとなると初めてでさ」

 

 コミュ障、と言わないまでも人間関係が面倒くさいタイプなんだろうか?

 私も人の事言えた義理ではないが。

 

「エリにゃんさん、でいいのかな?」

「エリで、お願いします……」

 

 なんでこんな名前付けたんだろう。前やってたMMOでの名前だからってそのまま使ったのがいけなかった。文字で見る分と言葉で発音するのではかなり差がある。それに生身の自分に言われてると考えると羞恥心だけでHPが削られそうだ……。

 

「エリは今までパーティー組んでた事は?」

「それなりには。色々あって解散したんす……」

「そうなんだ。けど相性ってあるだろ? だからひとまずこの階層がクリアされるまでってことでどうかな?」

「そうっすね。私としては助かるっす」

 

 生理的に受け付けないんでごめんなさいと言われずに済んでよかった。遠慮して言わなかったのかもしれないけどさ。

 

「ヨシ! オイラの仕事はここまでだナ。それじゃ、邪魔者は馬に蹴られる前に退散するゼ。2人とも仲良くやれヨ!」

 

 ひらひらと手を振って去っていくアルゴ。

 それを尻目にキリトは深いため息を吐いた。

 

「なんか弱みでも握られてるんすか?」

「え? いやそういうわけじゃないんだけどな」

「嫌なら合わなくて解散したって伝えておくっすよ」

「そうじゃないんだ。……ただ、相手が女の子だと思わなくてさ。ちょっと緊張してる」

「ゲームの中なんすからそんな気にしなくてもいいと思うっすけどね」

 

 「見抜きさせていいですか」なんて声をかけてくる変質者もβテストのときにはいたけども、ゲームの中じゃ抜けないだろう。さっさとログアウトしろ。でも現在ログアウトはできないからそういう問題も起こらない――よな?

 ただ溜息の理由は私が女だったからではないだろう。人付き合いが苦手なのが大半。それとアルゴのことだ。上手く口車に乗せて情報料の代わりに連れて来たんじゃないだろうか。

 

「そうかな? そうだな。じゃ、どこ行こうか?」

「武器の強化素材は集め終えてるっすか?」

「丁度途中だな」

「じゃあぼちぼちその辺からってことで」

「あんたは…………、いや。なんでもない……」

「そうっすか」

 

 キリトが言おうとした言葉の続きはだいたい予想できる。予想できたうえで私は気にしていない素振りをした。

 

「あんたはいくらで買ったんだ?」

 

 彼が言いたかったのはきっとそんな言葉だろう。



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5話 躓きすぎたプロローグ(5)

 デスゲームが始まってすでに3週間が経った。

 フレンドメッセージでやり取りするアルゴからもたらされる総死者数は増える一方であり、その数は大雑把に1800人に上る。

 このままでは第1層をクリアするまでにどれだけの屍が積み上がるのだろうとか、100層など本当にクリアできるのだろうかとか、不安の種には事欠かない。

 ちなみにどれだけ信憑性のある情報なのかと聞いたところ、はじまりの街から出ること諦めたプレイヤーに生命の碑に書かれている死者の数を数える仕事を頼んで情報量を払っているのだとか。精神を病みそうな仕事である……。

 

 私とキリトのパーティーは人数が少ないながらも高い効率で狩りを実行できている。

 それはβテスターとしての経験や知識というものが活かされているとはいえ、本質的な部分ではないだろう。

 私たちは共通する能力に長けていた。長時間の単純作業を続けられるという能力だ。

 

 長時間遊び続けられるゲームとは工夫のされたゲームだ。オンラインゲームでいえば日替わり(デイリー)や、週替わり(ウィークリー)なんかがそうだ。

 ソードアートオンラインにはそういったクエストがないとは言わないが、情報も物品も出回っていない現状では単純労働の稼ぎ時であった。

 具体的にはドロップアイテムの売買である。

 

 大量のコルを所持し、経済を回しているプレイヤーははじまりの街を飛び出したプレイヤーだけだ。彼らが求めるのは強い武器や強い防具だ。

 リアルラックに任せてレアドロップを求めるのは初心者のやること。難易度の高いクエストから定期的に入手できるアイテムやドロップ数が少なくない消費アイテムを集めるのが二流である。私たちは少なくとも二流ではある。

 ちなみに一流は知られていないアイテムを独占流通させるプレイヤーだ。今のところそれが出来ているのをアルゴくらいしか知らない。

 

「ハッ! ――なあ、そろそろ迷宮区の攻略もしないか?」

「それはここより効率がイイっすか?」

「うーん、一度しか入手できないアイテムとかが手に入ればあるいは……」

「1日に1万コル以上のアイテムが入手できるなら考えるっすよ」

「それは……、無理だよなあ……」

 

 私たちは階層ボスを最奥に頂く迷宮区ではなく、外延部付近の高いレベルのエネミーが徘徊する草原地帯で白いイノシシを狩り続けていた。

 その名も『ホワイト・ボア』。見たまんまである。はじまりの街付近に出現するフレンジ―ボアに比べてレベルが4高いこいつはステータスだけなら1層ではかなり高い部類に入る。しかし所詮は1層のエネミーであり、開けた視界は不意打ちの危険を減らし、単純な行動パターンはミスによる戦線の崩壊を防ぐ。敵対的(アクティブ)なエネミーであるためこちらを発見次第近くまでやってきてくれるし、移動速度は速い。おまけに大量の集団で行動することはないので2人パーティーでも発見次第ひたすら狩ることができる。ポップ数も狩場にするプレイヤーがまだ少ないため悪くはない。

 なぜこんな美味しい狩場にプレイヤーが殺到しないのかといえば、情報が出回ってないのもあるが、拠点となる街から遠く、大人数のパーティーであればもっと効率の良い狩場もあるからだろう。

 

 単純な思考ルーチンに合わせてこちらも単純な思考ルーチンを構築。

 相も変わらず突進してくるホワイトボアに擦れ違いざまソードスキルを叩き込んで、足を止めた所にキリトもソードスキルを使用。ポリゴンを爆散させる。

 パーティーを組んで1週間。私たちは工場のロボットみたいにこれを繰り返していた。

 

「流石に飽きてこないか?」

「とっくに飽きてるっすよ」

「じゃあさっ! やっぱり迷宮区に――」

「行ってなにするんすか? 率先して探索なんてしなくとも、誰かがやってるっすよ」

「そんな風に人任せにしてたら誰もしないかもしれないだろ?」

「平均レベルが上がればいつかは誰かがやるっすよ。それくらいにならないとレイドパーティーも集まらないんじゃないっすか?」

「そうかもしれないけどさぁ」

「ならレイドパーティーの音頭、取るっすか?」

「それは勘弁してください」

「そういうことっすよ」

 

 階層ボスは必ずしも大人数で挑むことが有効とは限らない。

 何故ならボスエリアに侵入したプレイヤーの数に応じてボスが強化される仕組みになっているからだ。そうでなければ数で殴るだけで終わってしまう。強化とは例えばボスのお供に出現するエネミーだったり、ボスのステータスだったり、稀に行動パターンの変化だったりだ。

 しかし安全を考えるなら他のプレイヤーが多いに越したことはない。それだけ自分のミスをフォローしてくれる存在がいるということなのだから死の危険は遠ざかる。

 つまり誰かがパーティーを募集しなければ挑むことさえないということだった。

 

「せめて場所変えないか? アニールブレード収集とかさ」

「あの森は4人以上でないと効率が悪いっすよ。それにネームドも出現するんで結構危険っす」

「そんな話、βであったか?」

「……気になるならアルゴから買えばいいんじゃないっすか?」

「疑ってはないけどさ」

 

 そんな会話をしながらホワイトボアの集団を次々に処理していく。

 キリトが飽きたという話題振りもすでに9回目。今日だけで9回だ。限界が近いのかもしれないが、10回言い出すまでは大丈夫だろうという算段を密かに立てている。まだ大丈夫。

 

「せめて別のドロップ品集めるとかはどうだ?」

「人数足りないっす。人増やすっすか?」

「あー……。そっちの方向はなしでお願いします」

「了解っす」

 

 キリトは当初の印象通り、人付き合いを面倒くさがるタイプだった。

 仲の良い相手には気兼ねなく接するが、そうでなければ一歩どころか二歩、三歩距離を置いてしまう。野良でパーティー組んだら最初と最後の挨拶しか会話しないタイプの人間だ。

 どうにか打ち解けて、盛り上がりこそなくともだらだら会話を楽しめる関係になったのは私の努力の賜物だ。間違いない。

 

「そもそも1層じゃ、これ以上強化の方法なんてないんすよね」

 

 やれることはだいたいやったとも言える。

 武器の強化は+6まで完了していた。

 経験値は時間の許す限り入手できるとはいえレベルはそうそう上がらない値になっている。スキル熟練度も同じだ。

 防具は揃える余地があるのだが、優秀なクリエイト品の完成にはもうしばらくかかる。具体的には鍛冶師の熟練度が上がるのを待っているのだ。もちろん鍛冶師は私ではない。

 

 普通のMMOではありえない現象だが、デスゲームとなったソードアートオンラインではフィールドに一切出ないプレイヤーというのがかなりの層いる。現状では想像だが半分くらいがそうだろう。

 しかし宿に泊まるにしても食事を摂るにしてもコルが必要だ。初期所持金などあっという間にそこが尽きる。

 そこで取れる選択肢は3つ。諦めるか、フィールドに出るか、生産スキルを取得するかだ。

 この中で一番難しいのが生産スキルである。

 なぜなら素材を得るにはやっぱりフィールドに出なければならないからである。初期で製作できるアイテムは店売りされており、赤字で作り、スキル熟練度を上げなければならないのも拍車をかける。つまり個人では、はじまりの街から出ずに生産職として生活していくのは無理なのだ。

 だから自分で上げるかパーティーの仲間を頼る以外、熟練度を必要とする生産職が作る装備を得るのは難しい。本当にそうだろうか?

 

 ここで役に立つのが余り気味になってきたコルだ。

 私たちはひたすらに強化素材を集め、売り払っているおかげで大金を所持する富豪プレイヤーの一角に入っていると思う。

 問題は使いどころが今のところないということ。

 次の層に行けば装備の更新に使えるが、今のところ大金を使う予定はない。

 使う場所がなければ徐々にコルは価値が下がっていく。なぜなら全体が所持するコルが増えて相対的価値を失うからだ。10レベルのパーティーで1人だけ15レベルならそいつは強いが、パーティーメンバーのレベルが上がるにつれてその強さは均一に近づく。

 

 そこで私はコルを別の形に変えることにした。投資という形だ。

 はじまりの街でくすぶっているプレイヤーに優しく声をかけ生産職になるよう促す。最初は素材を提供し、赤字を出しながらも熟練度を上げてもらう。だが熟練度が上昇するにつれて利益の出るアイテムが作成できるようになる。そうなったら赤字分と利息を回収する。

 利息はほんの少しでいい。大事なのは交友関係である。

 優秀な生産職は貴重だ。貴重な技術には金がかかる。だが恩を売っておけばそれは後々安く済むということ。

 フィールドに出ない分、彼らは時間がある。それをすべて生産スキルに費やせば熟練度の上位層は簡単に入れ替わった。

 

 素材は一々エネミーを狩って入手する必要はない。

 誰かがはした金で売り払ったものを回収すればいいのだから。それも自分の手でやる必要はない。転売屋にも投資をした。

 他のMMOではプレイヤーに与えられる専属NPCなんかにさせることをプレイヤー間で行っただけだが意外と上手くいった。

 

 MMOにおいて、プレイヤーの強さを表すステータスは数多くある。

 レベル、アイテム、スキル、カネ。

 だがシステムによらない強さが重視されるタイプのものが昨今の主流だ。それは技術だったり時間だったり、コミュニティーだったりする。

 私はコミュニティーを失った。失ったのだから補充する。キリトやアルゴ、はじまりの街で投資しているプレイヤーを。

 

 どうしてこんなに強さに執着するのだろう。

 そこまで上を目指さなくても、生きていくだけなら簡単だ。

 最強になれるとはまるで思っていなかったし、私の力でこのゲームをクリアに導くなんて崇高な目的意識も持ち合わせてはいない。

 

「キリっちはどうして強くなりたいんすか?」

「へ? あー……。ゲーマとしての習性じゃないか?」

「お前に付き合って延々と狩りを続けさせられてるだけなんだけど、って顔してたっすよ」

「あははは……」

「しかたないっすね。じゃ、明日は迷宮区行くっすか」

「待ってました!」

 

 子犬のようにはしゃぐキリトはかなり可愛い。この人の隣にいると考えるだけで嫌な汗が滴りそうだ。女性プレイヤーの人口が少なくて助かった。

 

「それで、ゲーマーの習性にこんなときまで従うっすか?」

「そう言われると返す言葉もございません」

「別に責めてるんじゃないっすよ。ただそれだけなんすかね……?」

「うーん……。俺はVRMMOの、それもデスゲーム系の小説をよく読んでたんだけどさ。そういうのって敵がエネミーだけってことはないんだ。ソードアートオンラインもPKありだろ? だから自分より圧倒的に強いやつに襲われるかもしれないって考えるとな……。強ければ罠にかかって死亡するリスクも減るし、安全が欲しいのかもな」

 

 最後の一言には実感が込められていた。

 

「エリはどうなんだよ?」

 

 どうなんだろう……。

 効率厨なところは自他共に認める私だが、根底にあるのは恐怖かもしれない。自分より上がいる恐怖。一番でない恐怖。否定される恐怖……。

 ゲームは私にとって現実逃避の場所で代替行為だ。現実では思い通りにならなかったことを、思い通りにしたかった。愛されたかった。

 

「――エリッ!」

「え?」

 

 キリトの叫び声で意識が現実に戻る。

 間近に迫るホワイトボアの突進を回避するには遅かった。身体が宙を舞う。クリーンヒットは私のHPを2割も減らした。

 空にある私はアニールブレードの柄を強く握りしめソードスキルの体勢を取る。

 足場のない状態でも難易度は高いがソードスキルを発動させることはできる。ソードスキルは物理演算を無視し決められたモーションを行うため空中で不自然に静止したり移動することができる。レトロゲームの裏テクみたいな仕様だ。

 

 空中で突進系ソードスキル『レイジスパイク』を放った私は地上へ急降下し、ホワイトボアの背を剣で斬りつけた。バックアタックが認められホワイトボアのHPが大きく減少するが大した意味はない。どうせソードスキル2回で死亡するのだから。

 連続攻撃系なら倒せたかもしれないと後悔しつつ、硬直時間のせいで受け身を失敗するも、駆けつけたキリトがホワイトボアをソードスキルで倒してくれた。

 

「大丈夫か?」

「ちょっと考えすぎてたっす……」

「今日はもう帰ろうぜ」

 

 時刻を見ると14時。

 

「まだ早いっす。明日は迷宮区行くんすから、稼げるだけ稼ぐっすよ」

「お、おう……」

 

 気を取り直して周囲を警戒する。

 草原の遠くではポップしたてのホワイトボアがターゲットを見つけられず徘徊していた。

 

「エリが強くなりたい理由ってなんなんだ?」

「乙女の秘密っす」

「乙女って……」

「そりゃ見た目に自信なんてないっすけど……。可愛くない女性が相手でもそういうのは口に出さない方がいいっすよ。キリっちは顔はいいけど時々デリカシーが足りないっす」

「なんか理不尽な気がする」

「そういうもんっす」

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 第一層フロアボス攻略会議が『トールバーナ』で開催される告知がされていた。開催主はディアベルという男性プレイヤー。

 アルゴは広告料を受け取り、優秀なお抱えのプレイヤーに情報を広めていた。

 移動に時間のかかるソードアートオンラインでは、フレンドメッセージを受けてすぐ集合というわけにはいかない。事前に済ませておくと効率の良い物事もあり、私はキリトと別れ一度はじまりの街へ赴いた。

 投資しているプレイヤーから追加の資金提供と新作防具を引き換え装備を一新すると、近々フロアボスが攻略されるかもしれないという情報をそれとなく伝えた。

 はじまりの街ではついに耐えきれなくなった、あるいは現状を受け入れたのかフィールドへ出掛けるプレイヤーが増えていた。

 それでも最前線、フロアボスへ挑戦できる実力者はあまりいない。そのレベル、装備になるには少なくとも1週間はかかるし、それができるプレイヤーはとっくに準備を進めている。

 

 キリトは「今のうちにコボルト相手に練習してくる」と言い、迷宮区へ一人で向かった。

 危なくないかと心配したが、元々ソロでやってたし平気だというのでしぶしぶ見送った次第である。

 

 私とキリトが現在拠点にしているのは攻略会議のあるトールバーナの町にある農家だ。

 ミルクと食事付きでお風呂まで完備されている素敵仕様。早朝このミルクを飲んで、夜遅くに帰っては温かいお湯を浴びて泥のように眠る日々を堪能している。

 キリトは一緒の部屋を取ることに反対していたが、2部屋あったので寝る場所を別にできるということで妥協してくれた。

 

 昨日は鍛冶師のプレイヤーと話し込んでしまい、そのままはじまりの街に停まった。

 早朝はじまりの街を出発したおかげで昼前にはトールバーナへ戻ることができた。ミルクを回収しに農家へ行くもキリトはすでに出た後のようで部屋にはいなかった。

 フレンドページではトールバーナにいると表示されているので先に露店でも眺めているのだろう。

 

 道中で昼食を買っていこうとNPCのベーカリー売り場へ歩いていたところで、目当ての人物を発見した。

 相も変らぬ真っ黒なシルエット。装備を一々染色して黒に統一するのはお洒落なのか、そうえないのか判断に悩むところである。

 

「やっほーっす、キリっ……ち?」

 

 キリトの隣には知らない女性プレイヤーが座っていた。

 女性プレイヤーはフードを被っていて最初は顔がわからなかった。

 それでも嫌な予感がした。

 別段キリトが女性プレイヤーを引っかけて遊んでいようと嫉妬する権利はないし、つもりもない。

 キリトがこっちに気が付いて、手を上げ挨拶を返す。

 隣にいた女性プレイヤーもそれに気が付いたようで視線を上げ、

 

 ――私は逃走した。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 あの後、どこで何をしていたのか記憶が曖昧だ。

 いつの間にかはじまりの街までとんぼ返りをしていた。

 キリトから心配のメッセージが来ていたが、忘れていた用事があったから代わりに会議に出ておいて欲しいと私は返事を送っていたようだ。

 ソードアートオンラインのアバターは汗をかかない。これが現実であれば私は手に冷や汗をかいていたはずだ。

 

 空はすっかり暗くなっていた。

 もうトールバーナへ戻るのは難しい。夜に出没するエネミーは強いものが多く索敵スキルのない私は不意打ちを受けやすい。それに不意打ちをするのはエネミーに限った事ではない。話を聞かないがソードアートオンラインはPKが可能だ。だからどうしたって朝を待たなければいけなかった。

 石垣に座って吐いた白い息がふわふわと漂っては消えていく。

 

「なにしてるんだろう……」

「こっちが聞きたいよ」

「うげっ」

 

 声の主はキリトだった。

 どうして、と考え居場所を非表示に変えていなかったことを思い出す。

 それでもはじまりの街は広く、見つけるのには苦労するだろう。それに追いかけてくるとは思っていなかった。こいつは結構鈍感だから、様子がおかしいことに気が付かないと思っていたがそこまで空気が読めないわけではないらしい。

 

「……会議はどうだったっすか?」

「可もなく不可もなくってところだな。明日から迷宮区を攻略することになった。ボス部屋を見つけたら第二回の攻略会議を開くんだとさ」

「えー、まだ見つけてないんすか? まあいいっす。それで行くんすか?」

「決めるのはいつもエリだったろ」

「そうっすね。悪かったっす」

「悪いとは言ってない。ただ今度からは息抜きをさせてくれ」

「そうっすね……」

「……………………」

 

 気まずい空気が流れる。それを壊すのは私の役目だ。

 キリトだってこういう嫌な雰囲気を読むくらいはできる。でも読めるのと、どうにかできるのは別の話だ。

 話題を変えよう。そう考えたがどうしてもキリトの隣にいた女性プレイヤーが頭から離れなかった。見間違いかもしれない。そうだったらどれだけ良いだろう。彼女がここにいる可能性は低い。ソードアートオンラインの入手が難しいとかもあるが、ゲームに興味があるようには思えなかったからだ。……そうだろうか? 私は彼女のことを実は多く知らない。ゲームが好きじゃないだろうというのは印象だけで決めつけたことだ。実はゲームが好きだったなんてこともありえなくはない。

 よそう。考えたくない。嫌だ。

 だから私は嘘を吐くことにした。

 

「攻略、怖くなっちゃったんすよ。だから約束よりちょっと早いっすけどパーティーはここまでっす」

 

 真っ直ぐ見つめるキリトの瞳は、私の嘘に気が付いているように揺れていた。

 心配。疑問。葛藤。自己嫌悪。キリトは思っていることが顔に出やすい。

 なら私は今、どんな顔をしているのだろう?

 

「キリトは攻略を続けるんっすよね?」

「……わからな――」

「だから私といちゃ駄目っす。足手まといにはなりたくないっすから。攻略は無理っすけど、たまに狩りに行きましょう。永遠とドロップアイテム集めるのは友達と一緒なら悪くない苦行っす。どうしてもっていうならレアアイテムを探しに付き合ってもいいっす。私たち、友達っすよね?」

「――っ! ……ああ」

「よかったっす」

 

 聞かれたくないことを避けるように会話を進める。

 ここで私と一緒にいてと言えればどれだけ楽になるだろう。私の抱えている不安や苦しさを吐き出してしまえばいい。きっとそれが正解だ。

 でも私はそんな強くない。弱さを曝け出せるのは強さだ。

 強くないから現実に負けてここまで逃げて来た。その逃げたい現実が私の元までやってきたら? 決まってる。逃げるのだ。退路はまだあるのだから。

 

「攻略は明日からっすか?」

「そうだよ」

「それなら今日は英気を養ってさっさと寝るっすよ。夕飯くらいは奢ってやるっす。アルゴに聞いた美味い店があるんすよ」

「へえ。それは楽しみだな」

「情報料も取られたんすから、感謝するっすよ」

 

 この日、わだかまりを残さず私たちのパーティーは解散した。

 それは幸運なことだ。パーティーの解散はもっとギスギスしたものが多い。大抵は1人2人が抜けると言い出し、残ったメンバーが補充をかける。でも嫌な感情に引きずられて、最悪ゲームを引退する。このパーティーは2人だけだからそういうことも起きずに済んだのだろう。

 ここでキリトとの縁が完全に失われるわけではない。ちょっと遠くなるだけだ。

 

 私は夜の街を先導して進んだ。

 季節が冬というのもあるが今日は一段と冷え込む。暖の取れる装備がほとんどない今、それは戦闘に支障が出るほどだろう。

 ふと頬に鋭い刺激を受け、見上げると白い結晶が振り始めていた。

 白い結晶は精工に描写されており、体温で水に変化すると瞼から一筋の雫となって零れる。

 

「雪っすね……」

「はぁ……。明日の攻略に支障が出るぞ」

 

 都会暮らしの長い私には馴染みの少ない空模様。

 降り注ぐ雪がチクチクと心に刺さるような痛みを訴える。

 慣れない中世風の街並みに雪景色が相まってとても幻想的だった。数時間前に見た光景はもしかして幻覚だったんじゃないだろうかと思えてしまうほどに……。

 いいや。目を逸らすためにも現実を受け入れよう。彼女は間違いなくあの場にいた。

 

 ――結城明日奈もこの世界(アインクラッド)に存在する。



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6話 躓きすぎたプロローグ(6)

 第二層主街区『ウルバス』。

 テーブルマウンテンをくり抜いて作られた街は朝夕問わず街灯が灯されており、時間から切り離された極夜の世界を彷彿とさせる。

 もっとも、極夜の国へ海外旅行に行ったことはないのでこれは想像であるが。

 いかに灯りが点けられていようとも薄暗い雰囲気は拭えず、影をより濃くして飲み込まんとする路地裏には好奇心よりも恐怖を覚える。

 

 第一層のフロアボス『イルファング・ザ・コボルトロード』が討伐されて1週間。

 新エリアの開放に伴い雪崩のように押し寄せるプレイヤーの流動も少しは落ち着きを見せてきた。

 βテストで攻略されたのは5層まで。6層の迷宮区攻略中に終了したので、知識のアドバンテージは未だ保てている。

 

 私はキリトと別れた後、他のパーティーに参加してリソースの確保だけは怠っていなかった。

 2人より3人。3人より4人パーティーの方が効率は上がる。

 とはいえ気まずい。βテスターへの風当たりが強い昨今。身元を隠して情報を提供するのは神経を使うし、一緒になってβテスターを非難する言葉を投げる度心が削られる。

 その点キリトは同じβテスターだとわかっていたため気兼ねせずに済んだ。パーティーのイニシアチブも譲ってくれていたので、かなり効率的に動けていた。

 今のパーティーは駄目かもしれない。

 安全対策が成されているといえば聞こえがいいが、実態はお楽しみ(エンジョイ)勢。そのプレイスタイルを否定するわけではないが、明確な目的もなく効率のよくない場所で行う狩りに、無駄から生じる息苦しさを感じていた。

 

 パーティーを抜けるなら早い方がいい。しがらみが増えれば、それは後々禍根となって襲い掛かる。彼らの中でほんの少しの間行動を共にしたプレイヤーという関係であるうちに終わらせたい。

 ただし私のスキル構成はパーティー前提となっていて、次の行先が決まっていない状態で抜けることはできなかった。

 今日はその行先を探すべく、パーティーで取り決めた休息日を利用してアルゴと約束を取り付けていた。

 意を決して狭い路地を忍び、とある民家へ侵入する。

 

「遅かったじゃネエか」

「……時間ぴったりっすよ」

「女を待たせたらいつだって、遅く来たやつが悪なのサ」

「違いないっす」

 

 この家に住むNPCはこちらに干渉することなく、クエスト開始を待って奥の安楽椅子に腰かけている。

 私は積まれた椅子を動かしアルゴの側に座ると、アイテムストレージからコーヒーっぽい食事アイテムを2つ出してテーブルへ置いた。

 

「他の女に取られるとハ、運がなかったナ」

「そうっすね。気分は最悪っす」

「取り返すのカ」

「無理無理。白旗上げて全面降伏の構えっすよ」

「つまんねえナ。今回はパーティー参入の交渉だったカ」

「効率的なレベリングやアイテム収集のしてる攻略にはさほど本腰じゃないところがいいっすね」

「矛盾だナ。けどないわけじゃネエ。3000コル」

「わかったっす」

 

 提示された金額をトレードメニューから送る。

 

「情報系サイトのメンバーがやってるグループがあル。言わば商売敵だナ。少しずつ勢力の拡大をしていルから、入るのは難しくないゼ。こっちからアポは取ってやル」

「悪くないっすね」

 

 コーヒーっぽい飲み物を一口。

 2層のクエストで入手できるアイテムを料理人スキルで調理したのがこのアイテムだ。本当ならこんなものの入手に時間をかけず、市場に流れて来たものを購入することで済ましたい私には苦々しい味わいだった。

 自分で入手すれば無料であるが、その時間をコル稼ぎに費やしていればこのコーヒーを買っても黒字になる……。

 

「それからもう1つ情報を買いたいっす」

「安くしとくゼ」

「ガセはよくないっすよ」

 

 この商売根性が染みついている友人が安くしてくれるわけがない。

 

「手厳しいナ」

「欲しいのはキリっちと一緒にいた、フードのプレイヤーの情報っす」

「500コルでいいゾ」

「安いっすね」

「そのくらいの情報しかナイんだヨ」

「まあいいっす」

「毎度あリ。名前はアスナ。メインウェポンは細剣。モンスタードロップのウインドフルーレ+6を5A1Dの強化比率で使ってル。ステータスはAGI寄りデ剣速と正確さが目立つ凄腕だナ。1層のボス戦じゃ、キー坊とのコンビネーションで大奮闘したらしいゼ。スキル構成は細剣以外はわからナイな」

「見た目は?」

「栗色のロングヘア―。かなりの美人だったゼ。キー坊が靡くのもわかル。歳は所感では高校生くらいダ。装備は赤いフード付きケープを羽織ってるが中身は皮系鎧だロ」

 

 名前まで一致する。本名を使うのは大抵ゲーム慣れしてない層の人間だ。彼女が結城さんである可能性はかなり高い。

 

「人の事言えないけどヨ。プレイヤーの情報を金で買うのハ、お姉さんもどうかと思うゼ?」

「私もそう思うっすけど事情があるんすよ。あと私が聞いたってことは伏せてもらうっすよ。私についての情報も。口止め料は1000コルでいいっすか?」

「……今後ともご贔屓ニ。常連さんだからサービスしてやるけどヨ、さっさと入ってきたらどうダ?」

 

 アルゴが唯一の入口へ向かって声をかける。

 しまった、聞かれていた!?

 咄嗟に腰に下げた武器へ手を伸ばすもここは圏内。プレイヤーにダメージを与えることはできない。例えここが圏外でも上手く脅せるかとなると甚だ疑問だ。

 

「よ、よう……」

 

 ゆっくりと開かれた扉の前に立っていたのは――キリトであった。

 あの真っ黒な格好は止めたのか、今は地味目なレザーアーマーを装備している。

 剣に伸びていた手を降ろし深く息を吐く。まだ誤魔化しようのある相手だったのは不幸中の幸いだ。

 

「盗み聞きをするなんて、えっちっすね」

「なんでそうなるだよっ!?」

「若いからナ。溢れんばかりの情欲(リビドー)が抑えられないんだロ」

「違うからな! エリを見かけたから声をかけようと思ったんだけど、路地裏に入っていくもんだから美味いクエストでもあるのかと思って……それで……」

「噂のビーターはストーキング趣味。新情報だナ」

「だから違う!」

 

 人通りが多いと気が付かないものだ……。

 あるいはキリトは隠蔽スキルを取得したのだろうか? こうなってくると偵察スキルが欲しくなるが、生憎今の私はスキルスロットに余裕がない。次に取得するスキルも決めているし……。その辺りは追々なんとかしないとなぁ。

 でも今は聞かれたことをどう口封じするかが重要だ。

 

「それで、いくら欲しいっすか?」

「はっ?」

「口止め料っす」

「エリにゃん。なんでも金で解決しようとするのはよくないゼ?」

「なんでもお金で買えるわけじゃないのはわかってるっすけど、お金を使った方が円満に解決できることの方が多いっすよ」

「そうカ?」

「いや、お金なんて受け取らなくても黙ってるよ」

「じゃあアルゴと同じ1000コルでいいっすか? 内容は私がアスナさんについて調べたことと、私の情報を口外しないことっす」

「そのくらい無料で受けるって」

 

 トレードでキリトにも1000コル送ろうとするが申請は拒否される。

 これは一々説明しないと受け取って貰えなさそうだ。なんでお金を払うことに苦労しないといけないんだ。理由はあるけどもさ……。

 

「それだと困るんすよ……。それってつまり、友達だから黙ってくれるってことっすよね?」

「そうだな」

「じゃあゆ――アスナさんに話さないといけない理由ができたら話すんじゃないっすか? 少なくとも友情だけを理由に黙っておいてもらうより、プラスαしてお金も受け取ってればそれだけ口は堅くなると私は思ってるっす。キリっちを信頼してないわけじゃないんすよ」

 

 そういう状況は、キリトが結城さんと一緒に行動するにつれて起こり得ると思う。

 

「いや、でもなぁ……」

「額が足りないっていうんすか?」

「そうじゃないけど」

「それとも別の――ハッ! もしかして私の体を要求してるんすか!? ……趣味疑うっすよ。もしかして変わった性癖をお持ちなんすか?」

「違うからな! そんなに酷いとは思ってない」

「……口が滑ったっすね。少しは痩せろと思ってる証拠っす」

「……………………」

「いいんすよ。私は客観的事実として受け止めるっす。受け止めた結果キリっちになにをするかはわからないっすけど」

「悪かった」

「許すっす。というかここじゃそういうことできないっすよね?」

 

 下着というか、色気のない布は脱げないのだし。水を弾くので感触は下着というか水着に近い。

 

「その情報は500コルだゼ」

「えっ……。ヤれるんすか!?」

「どうだろうナ」

「嘘っすよね……」

 

 アルゴはにやりと笑うばかりで回答はしない。

 ここで「知り得る限りは無理だナ」と言ってもそれが本当の情報なら情報屋としての信用を失うことにはならない。私は依然としてアルゴから情報を買うだろう。

 だがもしもそういった方法があれば?

 ソードアートオンラインはそういう犯罪が起こる可能性を示唆する。いくら見栄えが悪い私だって可能性があるなら怖いと思う。今後の身の振り方を変えなくてはいけない。

 

「商売上手っすね……。持っていくっす」

「キー坊にも聞かせるか?」

「独占する情報でもないっす。キリっちなら悪用、しないっすよね?」

 

 顔を真っ赤にしてガクガクと首を縦に振るキリト。初心だなあ。抱きしめたくなるくらい可愛い。ハラスメントコードに引っかかるしやらないけど。

 

「結論から言えばあるゼ。オプションメニューの深い所ニ『倫理コード解除設定』って項目があル。レクチャーしてやるから手順通り操作してみろヨ」

 

 複雑にページ分岐するオプションメニューを10回くらいページ移動した先でようやくそのコマンドを見つけた。

 どれだけオプションメニューあるんだよと言いたくなる。これだけ複雑だと隠しコマンドとかどこかにありそうだ。

 

「でも自分で解除しないかぎりは大丈夫だろ?」

「「はぁ……」」

 

 アルゴと私は揃って溜息を吐いた。

 

「実際やってやるっす。キリっち、ハラスメント防止コードで通報しないでくださいっすよ」

「お、おう!?」

 

 私は席を立ちキリトの背後に回ると、右腕を取り人差し指を伸ばさせて上から下に振り下ろさせる。それから人差し指でいくつかのボタンをタッチするが上手くいかず最初からやり直す。3回目の挑戦で上手くいき可視モードがオンになりメニューウィンドが視覚化された。そこからは簡単で、オプションメニューへ移動して倫理コード解除設定があるページを開く。

 

「ざっとこんなもんっす」

「は、離れてもらっていいか?」

「失礼したっす」

 

 カチコチに固まってるキリトを脇目に、私は元の席に座り直した。

 うっかりキリトのステータスを見てしまったがわざとじゃないと心の中で弁明しておく。 ……隠蔽スキルはやはり取得しているようだが熟練度はまだ低い。

 アルゴは「こいつやべえな」という表情で私を見ていた。ワザトジャナイヨ。

 

「これでわかってもらえたと思うっすけど、他人の倫理コードを解除することは可能っす。つまりいつかはそういう犯罪プレイヤーがでるだろうってことっすね」

 

 露骨に顔をしかめるのはキリトだけでなくアルゴもだ。

 なにを思って茅場はこんなコードを仕込んだのだろうか。会社(アーガス)は当然だが反対しただろう。ソードアートオンラインは全年齢対象のゲームなのだから。

 

「キリっち、愛しのアスナさんにも伝えておくっすよ」

「お、おう……」

「それで話を戻すっすけど、1000コルでいいっすよね?」

「上手く話題が逸れたと思ったんだけどな……」

「駄目っす。価格交渉なら少しは応じるっすよ」

「せびっておくんだったゼ」

「1000コル以上積んで情報を買いたい相手がいたら口止め料を上乗せするから我慢して欲しいっす」

「わかってるヨ」

 

 キリトは腕を組んで考えているがこれは受け取ってもらわないといけないお金だ。

 これだけ拒否するということは、それだけ口が堅くなるということの裏返しでもある。1000コルにしては安い買い物だ。

 

「なら、条件がある。理由が知りたい」

「そう来るっすよね……。いいっすよ。ただしアルゴのいないところでならっすけど」

 

 半ば予想していた返答だけに結論は早い。

 

「えー。お姉さんは除け者かヨ」

「金額以上は信頼してないっすから。それじゃあパーティーの件、頼んだっすよ」

 

 ひらひらと手を振るアルゴ。

 キリトを連れて、テキトウに選んだ民家に押し入る。

 ソードアートオンラインでは進入禁止エリアを今のところ発見していない。もしかすればあるかもしれないが、少なくとも目に見える建築物にはすべて入ることができる。

 デフォルメされていない現実でもありえるサイズの街はそれだけ家の数も多く密談する場所には事欠かない。隠されたクエストを発見するのには多大な労力と運が必要になるだろう。

 

「隠れてるプレイヤーはいないっすよね?」

「ちょっと待ってくれ。――ああ、いないみたいだ」

 

 キリトが偵察スキルで周囲を確認する。

 アルゴも流石についてきてはいないようだ。

 

「どこから話すっすかね……」

 

 どれだけ嘘を混ぜるかを考える。

 結城さんが前線での攻略を続けるならいずれどこかで顔を合わせる可能性は高い。もしかすればあのときの一瞬で私を認識してかもしれないし。

 となれば結城さんに確認を取ればバレる嘘を吐かないようにすればいいか。

 

現実世界(リアル)での知り合いなんすよ……」

「仲、悪いのか……?」

 

 おう、よく理解してるな……。その通りだよ。

 

「そんなことはないっすよ。ただ事情があるんす。家とかそういう事情が」

「えっ……!? エリっていいとこのお嬢様だったのか? あ、ごめん。リアルの話を聞くのはマナー違反だよな」

「そうっす。マナー違反っす。あとなんすかその驚きよう」

「アスナは節々に隠しきれない育ちの良さがあったんだけど、エリはなぁ……」

「取り繕えば私もそれなりにはできるっすよ」

「本当かあ?」

 

 からかうキリト。

 確かに私は結城さんみたいに美人じゃないけども。むしろ顔や体形のレベルは低いけどもさ。社交性なら……。ゲーム内での社交性なら負けてないと思うのだが。

 しかたない。ちょっと本気出す。

 

「はぁ……。ゴホンッ。――キリトさん、あなたはもう少し社交性を身に着けてはいかがですか? お若いから無理もないのでしょうけれど、このような事態となってしまった以上、私たちは子供だからと無条件に守って頂ける立場にはないんですよ? 敵を作るよりもまず味方を作るべきです。攻略後の話は風の噂で聞いていますが彼らにビーターなどと揶揄させても、他のβテスト参加者へ向けられる敵愾心は増える一方で減ることなどありません。もし本当に彼らの立場をなんとかしたいのでしたら、ご自身がβテストに参加していたことを公表した上で、友人の輪を広げて地道に信頼を勝ち取っていく他ないのではないですか?」

 

 できるだけ穏やかな声色を使い、笑顔をわざとらしく貼り付けて私は言った。

 

「わかったわかったっ! 疑って悪かったよ……」

「わかればいいっす。あと今のは冗談じゃないっすよ。共通の敵を作れば一丸になるのは確かに簡単っすど、暴走した人間がキリっちを殺しにこないとは楽観視できないっすからね。キリっちがそういう理由で死ねば、次の敵としてβテスターが標的にされるっす。たぶんアルゴが狙われるんじゃないっすか。彼女は女性なんすから、さっきの話も念頭に置いておくといいっすよ」

「うっ……。ごめん、俺が間違ってた。調子に乗ってたのかもしれない。今度からはもっと慎重に行動するよ」

「素直に謝れるなら大丈夫っすね。そういうところ、純粋に尊敬するっすよ」

 

 間違いを認められない人間というのは多くいる。

 そういう人間は失敗を積み重ねることができる人間だ。負債の重みに耐えかねていつか破滅する。

 厄介なのが、そういう性質は治そうと思って簡単に治せるものじゃないということだ。

 少なくとも私はそういう人間だろう。

 

「もっと自分を大事にするっすよ。男だから平気って思ってるなら考えが甘いっす。キリっち、可愛い顔してるからなにが起こるかわからないっすよ」

「……俺、おっさんのプレイヤーに「可愛い顔してんな」って言われたんだけど……」

「危なかったっすね……」

 

 自分の肩を抱え青ざめるキリト。

 ソードアートオンラインは感情表現がオーバーなため、本当に顔に青みがかかっている。

 

「それはともかく、命の方も大事にするっすよ。キリっちが死んじゃったら私も悲しいっすから」

「ああ。エリも死ぬんじゃないぞ」

「もちろんっすよ」

 

 私は結城さんのことを上手く誤魔化せたと心の中でほくそ笑んだ。

 キリトの身を案じているのは嘘じゃないけど。ちなみに1000コルはしっかり握らせた。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 アルゴとのやり取りは神経を使う。

 特に今回はキリトの乱入と、結城さんの件があって疲労も倍以上だ。

 ソードアートオンラインの睡眠要求は現実世界よりも幾分か少ない。本物の肉体を使ってはいないおかげだろう。小休憩を小まめに挟めばだいたい2日に1度、6時間の睡眠を取ることで問題なく活動できる。

 今朝はしっかり寝ておいたので今日は寝なくても大丈夫な日であったが、この疲労には負けそうだ。

 食事を摂ったらちゃんと寝ようと心に決め、雑踏に紛れて酒場の席に着く。

 

 夕飯にはまだ早い時間帯。

 フィールドに出たプレイヤーもまばらにやってきつつある店内の奥まった席で、ちょっとお高めの食事を摂りながら一息つく。

 

 2層にやってきているプレイヤーはそこそこ多い。誰かが2層の転移門をアクティベートすればやって来れるのだから、来る分には簡単である。

 だがこれだけ人が多いのは第2層がサバンナをイメージして作られた階層だからだろう。

 サバンナといえば草原のイメージが強くそれは間違いでもないが、教科書にも載っているように気候を区分する言葉だ。

 ソードアートオンラインは現実の季節を反映させているため12月の現在、1層はかなり寒かった。

 しかしサバンナ気候は年間の温度差が少なく冬でも温かい。

 まだ1層のフィールドを主としているプレイヤーでさえ、一度こちらに来てしまえば普段暮らしは2層で過ごしたくなるだろう。

 

「ここ、座ってもいいか?」

 

 いつの間にか目の前にフーデットコートの男が立っていた。

 顔が見えない。怪しさ満点の男だ。

 店内は賑わっているがまだ空席がある。どうしてわざわざ相席を申し出てくるのか。警戒心が駆り立てられる。

 

「ああ、すまんな」

 

 断ろうと口を開きかけたところで、やってきたNPCにお礼の言葉をかけ食事をテーブルへ置かせてしまった。

 

「こんなご時世だ。助け合いは必要だろ? 一杯奢るぜ」

 

 優し気に囁く彼は、顔が見えないのに柔らかく笑っているのがわかる。

 

「お嬢ちゃんも大変だったな。こんな事件に巻き込まれちまって」

 

 男は丁寧な手つきで食事を口に運んだ。

 役者か、あるいは政治家か。淀みなくフォークとナイフを使う彼は、仕草のひとつひとつが絵になるような優雅さを纏っている。

 声はつい聞き惚れてしまうような安心感のあるトーンで、賑やかな店内でも聞き逃すことのないハッキリとした滑舌だった。

 

「良い装備だ。ゲーム慣れしてるようだな」

「それは、どうもっす……」

「……なにか困ってるみたいだな」

「誰だってそうっすよ。私も、あなたも。悩みごとのない人なんてそうそういないっす」

「ごもっとも。それと謝らせてくれ。君は思ったよりも聡明だ」

 

 丁寧に頭を下げる男に、緊張が解けそうで私は慌てて心を閉ざす。

 この男が今やったのは誰にでも当てはまることを言って、さもこちらに共感しているかのような印象を与える心理テクニックだ。名前は忘れたがそんな技法があったと思う。

 それをこちらが理解できていることをすぐさま見抜く観察力もある。

 彼は詐欺師か占い師かもしれない。

 

「だが他の連中――デスゲームに巻き込まれて死の恐怖に怯えてる連中とは違うのも事実だろう? そうだな……。君が悩んでるのは人間関係だ。パーティーを組んでる連中と上手くいってない? いいや違う。君はそんなありきたりなヘマはしないだろう。もっと予想できない偶然な出来事で問題が起こった。そう、例えば……。現実の知り合いをばったり遭遇してしまったとかだ」

「………………」

「どうやら当たりみたいだな。俺もまだまだ捨てたものじゃないらしい」

 

 顔の見えない男がしっかりとこちらを見据えている気がする。

 顔部分のすべてが見えないわけではないのだ。ただ絶妙に目だけが陰に隠れて見えない。目を合わせる。目は口ほどに物を語るという言葉があるように人間の目は多くの情報を表す。それが見えないというのは、その人間の表情のほぼすべてがわからないのと同じだ。

 顔が見えているのと見えていないのではアドバンテージがまるで違う。

 逃走か交戦か。不利だからといってこのまま逃げても彼についての情報が集まる予想がつかない。逆に彼は私の情報を集めて再び接触できる。すでに集め終えているのかもしれないが、そうでないとこの場では願うしかない。

 せめて目的だけでも聞き出そう。そうでなければ撤退はできない。

 

「それで、なにが言いたいんすか?」

「俺と組まないか? そうしたらお前の抱えてる問題も解決してやれる。お前には代わりに俺の抱えてる問題を手伝ってもらいたい。対等な関係だ。悪くない話だとは思わないか?」

「どうやって解決するんすか……?」

 

 期待を込めて、思わず私は問いかけていた。

 

「物事をお前は複雑に考え過ぎてる。もっとシンプルに考えればわかることだ。そいつを――」

「やっぱりいいっす!」

 

 立ち上がり突然大声を出した私に店中の視線が集まる。

 理性を最大限発揮した急ブレーキはどうにか間に合った。本心では彼の言葉の続きが聞きたくてしょうがない。

 どうにか踏み留まったのは私が抱える問題を解決してしまったらどうなるか、それを正しく私が認識できたからだ。この問題は解決しない方がいい。

 解決したが最後、私は前を向いて生きられるようになるどころか、後ろ向きに生きることさえできなくなる。

 恨むことのできる相手がいるというのは、それはそれで幸せな生き方なのだから。

 私が席に座り直すと男は口笛を吹いて称賛した。

 

「こいつは驚いた。本当だぜ」

 

 本当に楽しそうに男は笑うが、これが演技なのか本心なのかはまるでわからない。

 

「是非とも仲間に加えたい。手を出して欲しくないならお前の抱えてる問題に手を出さないことも約束しよう。お前も嫌なら俺の問題に手を貸さなくていい」

「それなら組む必要もないっすよね」

「おいおい。仲間っていうのは一緒に楽しむためのもんだろう? ゲームの中なら尚更にな。俺はお前と一緒に遊びたいんだよ」

「考えておくっす。それじゃあこれで……」

 

 食事を半分を食べ終えていないが店を出よう。

 私はこれ以上ここにいれないと、席を立つとシステムメッセージのSEが鳴った。

 

 ――『PoH』よりフレンド申請が来ています。

 

 男は黙ってこちらを見ていた。

 もう笑っていない。品定めをするように静かな彼は、気配を隠した猛獣のようだった。

 私は恐る恐る『YES』のボタンにタッチをする。

 そこで彼の恐ろしい気配は霧散した。すぐにオプションメニューからフレンドへの位置情報の共有をオフにする。

 

「なんて読むんすか?」

「プーでいい。お前はなんて呼べばいい?」

「エリで頼むっす」

「オーケー、エリ」

「おやすみなさいっす。PoH」

「Have a good night.いい夢を」

 

 今夜は悪夢が見れそうだ。




キリトの相棒として本編に介入していくぜ! なんてことはないです。
効率による自己強化とパーティープレイでフロアボスも楽勝だぜ! とかもないです。
キリトじゃなくアスナと組んでダブルヒロインだぜ! すらないです。

これにてアインクラッド編のプロローグは終了。
次回からは本筋が始まります。
それとプログレッシブの方はこれ以上沿う予定はありません。
話の都合上、一部時系列がずれますがご了承ください。


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7話 ギルド内抗争(1)

――2023.4.15――

 

 

 はじまりの街中央に鎮座するドーム状の建造物、『黒鉄宮』。

 生命の碑や監獄エリアを内包するシステムゾーンたるこの場所は現在、ギルドハウスとして購入され運用されている。

 大理石の無機質な廊下を一歩進むごとにカツンカツンと足音を響かせる。

 あまりにも巨大な建物内は歩き回るだけでも面倒なのだが、それでもこのゾーンを所有する恩恵は大きい。

 監獄エリアを所有するということはすなわち、システムに保障された法の番人であるということだからだ。

 その威光もあってかギルド『MMO to day』はプレイヤー1700人が所属する最大勢力となっていた。

 

「だが、もう少し慎重になるべきだ!」

「せやかてあいつらん好き勝手にはさせられんやろ!」

 

 扉越しにも聞こえる声量で男たちが言い争ってる。

 ノックを3回。ギルドマスターの部屋へと入室する。

 

「遅くなったっす」

 

 部屋の中には2人の男性と1人の女性。

 平時では穏やかな印象のする、今は眉間に皺を寄せている中年男性がギルドマスターであるシンカー。

 橙色のサボテンのような奇抜な髪形をした男だサブマスターのキバオウ。

 シンカーの後ろに控えて立つ、凛々しい女性が彼の副官であるユリエール。

 

「構わへん。会議してたわけでもないさかいな」

 

 ここに集まったのは24層のフロアボス攻略の報告のためである。

 

 第1層が攻略されて4カ月が経った。

 攻略当初はβテストの情報はあれどデスゲームの混乱もあり、攻略は遅々として進まなかったが、最近の攻略速度はそれを補って余りあるスピードを維持している。

 それもそのはずで、安全マージンと考えられるレベルは階層数にプラス10した値だと言われている。つまり1層上るごとに1レベル上昇させればいいだけなのだ。

 レベル以外の問題――装備の更新や消耗品の補充である――は大規模ギルドの結成によって払拭された。

 素材アイテムを収集するグループ、アイテムを生産するグループ、消耗品を補充するグループなど役割を分業化することで攻略を担当するグループにかかる負担を解消しているのだ。

 最近では新しい階層を調べる予備隊の設立や、フロアボスの情報を集め攻略法を発案する情報班などが設立され、攻略隊はほとんどフロアボスを倒すだけの役割になっている。

 

 初期に前線で戦っていたプレイヤーは昨今の急激な攻略速度に追いつくだけで手いっぱいとなっているようだ。

 22層の攻略に要した期間がわずか3日と聞けば、彼らのプライドを折るのに十分であった。それでもまだ喰らいつこうとする気概のあるプレイヤーもいるようで、そういったプレイヤーの奪い合いがギルド間の水面下でなされている。

 

「私とキバオウさん除く攻略隊46名、解散を完了したっす。25層の調査、及び占有も予備隊に引継いだっす」

「ご苦労。エリもしっかり休んでくれ」

 

 私は頷いて退出しようとしたのだが、キバオウがソファに座るよう視線で合図を送ってくる。

 黒塗りの高級感あるソファは長時間座っていると腰を痛めそうだと、どうでもいい感想がでてくる。

 フロアボスを倒した直後で気が緩んでいるようだ。しっかりしなければ。

 意識を切り替えてキバオウの意図を計り始めた。

 

「シンカーはんが、攻略のスピード落とせ言うてんやけど、ジブンどない思う?」

「そうっすね……」

 

 個人として答えるなら賛同したいが、そうできない理由があるのも理解している。

 もうひとつの大規模ギルド『ドラゴンナイツブリゲード(DKB)』の存在だ。

 我らがMTDに比べ数では大きく劣るものの、攻略組のプレイヤースキルでは彼らが圧倒的に上。これまでにいくつものフロアボスが先に倒され苦い思いをさせられている。

 攻略スピードの異常な速さはこの2つのギルドで行われている、縄張り争いの影響でもあった。

 

「碌に休息も取れていないという声も上がっている。このままでは疲労が蓄積して致命的な失敗をしてしまうんじゃないか?」

 

 いや、ちゃんと休みは取ってるぞ。

 フロアボスを倒した日が休息日。つまり今日、この後から明日の朝までだ。今は午前11時なので半日も休める。もっとも、それで誰もが足りると思うほど傲慢ではないが。

 

「そんなん言うてたらDKBのやつらに先越されてまうやろが!」

「いいじゃないか。彼らは敵じゃない。一緒に戦う仲間だ!」

「そんなん綺麗ごとや。あいつらがわいらと手を組まんからこうして不毛な競争になってるんやろ! 助け合うなら数の多いわいらにあいつらが加わるってのが道理やないか」

「それはこちらの理屈だろう。彼らには彼らの理屈がある」

 

 2人の会話はだんだんと再燃してきていた。

 ユリエールがこちらをどうしましょうという気持ちで見てくるので、こちらも肩をすくめてみせた。

 だが今回はキバオウがわざと煽っているように見える。違った、今回()だ。

 

 こういう場合、ギルドマスターの決定に沿うのが普通なのだろうか?

 組織ごとに対応は違うのだろうがここMTDでの2人の立場は少し特殊だ。

 ギルド発足者はシンカーであるが、攻略の指揮官はキバオウである。シンカーはギルドの運営で手腕を発揮しているが前線で戦える技量の持ち主ではない。対してキバオウは口は悪いが剣士としては一流。戦場での指揮官としても一流だ。

 その結果、ギルド内はシンカー派とキバオウ派に分かれ始めており、キバオウ派が優勢になっていた。

 

 彼が進軍と言えばシンカーに止める手立てはない。MTD発足時のメンバー幹部は現状に危機感を抱いていたが、快調な攻略という手柄の前には誰も逆らえない。加えて休息日を削る過激な攻略にキバオウも参加しているのは大きかった。彼は口だけでないのだ。

 逆に後方の安全地帯でギルドの運営を行っているシンカーをお飾りと揶揄する声の方が大きくなっている。

 

「あんさんは前線出たことないからそないなこと言えるんや!」

 

 キバオウの言葉は決定的に袂を分けた――かに思えた。

 

「……すまんかった。言い過ぎたわ」

 

 キバオウが謝った。

 なんというか、意外過ぎて、その……。気持ち悪かった……。

 

「いや私こそすまない。君には感謝してるんだ。私は攻略の手助けにはならないからね……」

「わいはそうは思わへん。ジブンは組織のためによく尽くしとるやないか。顔を上げてくれ、シンカーはん」

「キバオウ君……」

 

 なんだろう、この茶番。まだ出て行っては駄目なのか?

 

「シンカーはん。わいはあんたを漢と見込んで、次の層の攻略を任せてみたいと思う。引き受けてくれへんやろか」

「それは……」

「このままじゃあかんと思ってるのはわいだって同じや。でも、わいはこのやり方しか知らへん。別の可能性があるんやったら見てみたいんや。別にシンカーはんにフロアボスの前でて戦え言うてるんやないで。代わりのモン立てて、そいつに指揮を任せてみろ言うてるんや。それで上手くいくんやったらわいだって考えたるわ」

 

 なるほど、そういう話か。え、これやらないといけないの? 

 嫌だなあと思いつつも逆らえないのが組織の辛いところだ。

 

「私も賛成っす。キバオウさんの前で言うのもあれっすけど、サブマスに権力を握らせ過ぎるのも問題っす。組織としてもここは手綱を握り直すべきじゃないっすか?」

「わかった。次の25層攻略は任せてほしい」

「わいは手出しせんさかい。応援させてもらうで」

 

 キバオウはそう言い残し、部屋から一人で出て行ってしまった。

 

「……すまない、エリくん」

 

 シンカーが私に助けを求めるように声をかける。

 

「協力してあげたいっすけど、今回は無理っす。攻略メンバーには入るっすけど指揮はできないっすよ」

 

 第2層からパーティーに加えてもらい、色々と融通を利かせてもらった恩はあるが今回ばかりは断らざるを得ない。

 

「そこをなんとか」

「無理なものは無理っすよ……。ユリエールさん。説明してあげて欲しいっす」

 

 私はいうなればキバオウの側近のような立場だ。心情的にはシンカーを応援したいが、実力や他の諸々からキバオウを苦々しくも支持している。

 しかしこの頼みに関しては私がキバオウ派だとかそういうことは関係ない。

 誤解のないよう別の人に言わせた方がいいだろうとユリエールへ説明を求めるが、

 

「えっと、ですね……」

「うえっ!? あー、ユリエールさんも前線からはだいぶ離れてるっすから無理もないっすか」

「面目ありません」

 

 これは思っていたより前線と後方の乖離が激しい。

 

「私のポジションが第一パーティーのメインタンクだからっす。このポジションはフロアボスのターゲットを長時間受ける役目っすから視界が制限されるんすよ」

 

 目の前でボスが攻撃してくるので他のパーティーの状況を確認する隙が無いのだ。

 できることなら変わってもらいたいが、誰もやりたがらないポジションなのでしぶしぶやっている。

 元はといえば大ギルドになる前の頃、メンバーにタンクを任せられる人がいなかったため、アタッカーからの転向を余儀なくされたのが原因だ。つまりシンカーに先見の明がなかったからともいえる。

 タンクの代役を立てようとも、慣れないアタッカーに戻り、そのうえやったことのない指揮ができるほど私は器用ではない。

 

「指揮に向いてるのは遊撃隊の第二パーティーにいるアタッカーっすね」

 

 キバオウのいるポジションがまさにそこだ。

 子飼いのメンバーで構成された第二パーティーはまさにキバオウの手足と呼べる存在だろう。つまりこのメンバーが今回丸々抜けるわけである。

 

「第二パーティーの代役も必要っすね」

 

 今回の件、キバオウ派のメンバーは参加を断るかもしれない。

 私もキバオウ派ってことで抜けられないだろうか。そうできたら楽なのだが……。

 

「それはこっちで当てを探しておこう」

「不参加メンバーの穴埋めまで、今日中に頼むっすよ」

「もちろんだ」

「攻略は明日からっすよね?」

「……いや、明後日からにしよう。安全を第一にしたい。偵察隊は先行させるから心配はいらないよ。ゆっくり休養を取ってくれ」

 

 2日連続で攻略に出ないのはいつぶりだろう。

 それほど過密なスケジュールだったのか。もっとも休みだからといって素直に休めるわけもない。メンバーとの打ち合わせや情報収集などやらねばならないことは多いのだ。2日あれば入念にそれが行えるだけで、ゆっくりしていられるわけがない。

 

「キバオウがなにを企んでいるか、探ってはもらえないだろうか?」

 

 ユリエールが私に言う。

 

「もちろんっす。やれるだけのことはやる主義っすから」

 

 言われるまでもなく私はキバオウに真意を聞くだろう。

 それをシンカーやユリエールに告げられるかどうかは別の問題なのだが、彼女は理解しているだろうか? もし理解していないなら仲のいい相手だからといって気を許し過ぎだと苦言を呈したい。

 友人でも味方とは限らないのだと。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

「エリさん。お疲れ様です!」

 

 黒鉄宮の正面広場へ出ると、馴染みのある声が投げかけられる。

 視線を向けるとこちらに手を振っている人影。

 くりくりとした純粋そうな瞳を向けてくる少年はMTDに所属する私の後輩みたいな人物、『ユウタ』であった。

 重厚な金属鎧を着たまま、彼は猛スピードでこちらに走り寄って、目の前で静止した。

 最近銀色に染めたさらさらの髪を棚引かせ、上目遣いで私を見つめる彼は人懐っこい子犬のように可愛らしい。今の彼に尻尾があればぶんぶんと振っているだろう。

 私は本来猫派なのだが、彼を見ていて近々犬派に宗派替えをしようかと思っている。

 

「24層フロアボス攻略、お疲れさまでした!」

 

 勢いよく頭を下げるユウタ。

 運動部めいたハキハキとした礼儀は、現実ではサッカー部に所属していたからだと聞いている。そのときはあまり現実の個人情報は喋らない方がいいと注意した。

 

「そっちもエリアの探索ご苦労様っす。今日は非番なんすね」

「はいっ!」

 

 彼は予備隊――攻略隊の補欠メンバーで、主にエリアの情報収集を担当している。

 ポジションは私と同じメインタンクを志願している。元々はアタッカーであったが、途中から転向したというところまで私と同じだった。

 

「それで、お疲れのところ申し訳ないんですがいくつか助言をもらいたくて……」

 

 申し訳なさそうに顔を伏せるユウタ。

 時間を見れば丁度12時。ちょうどいい時間帯か。

 

「なら、食堂で話を聞くっすよ」

「ありがとうございます!」

 

 黒鉄宮に隣接するゾーンに設置されたMTDの食堂はかなり広い。

 3階建てで、1階が一般開放されている公共スペース。2階が部隊などで使われる貸し切りスペース。3階が倉庫と調理場を兼用したスペースになっている。

 1階部分だけでも収容人数は100人を超えるほどの大きさを持ち、今日も様々なプレイヤーで賑わっている。

 料理アイテムは時間経過で耐久度が減少していくため長期保存の効くもの以外は作成後すぐに食べなくてはならない。そのためコックである料理スキル持ちの彼らは、休む間もなく提供する料理を作成し続けているらしい。

 

「あー、混んでますね……」

「こっちっすよ」

「え、いいんですか?」

 

 2階のスペースは使用中でなかったので階段を上ってしまう。

 幹部や一部メンバーは特別に2階を個人使用することが許可されている。いわゆる上層部の特典だ。特典を使う機会は休息日――フロアボス討伐後くらいしかないが便利ではある。

 

「考えることは皆同じっすね」

 

 短い休息日を席待ちで浪費しないためにも、攻略隊の面々は2階に揃っていた。

 さっきまで顔を合わせていたいかつい連中に軽く挨拶をして、愛用している席に着く。ユウタは少し委縮していたが、こればかりは我慢してもらう。

 私は注文を聞きにきたスタッフにオーダーを伝え、ユウタもそれに倣って料理を頼んだ。

 

 運ばれてきたのは魚料理のコース。普段食べているような最高品質の料理ではなく、階下でも注文できる高級素材を使っていない普通の料理だが、あまり食べる機会のないお気に入りのメニューだ。

 料理アイテムは長時間のバフがかかるため、攻略前や攻略中に食べるアイテムは綿密な取り決めがある。偉くても私に好きなものを食べる自由はないのだ。

 

「それで、聞きたいことってなんすか?」

「えっとですね……」

 

 私は食事を食べる速度がとても速い。集団行動では一人の遅れが全体の遅れに繋がるので要練習項目なのである。

 とはいえもう少し味を楽しみたいのでデザートを追加注文する。こちらの世界ではいくら食べても体形が変わらないので気分よく食事ができる。

 食べても太らないが、最初から太っている人は痩せることもない……。そう、私みたいに……。

 

「複数の雑魚敵(モブ)を集めるときってどうしたらいいんでしょう? 途中でタゲが外れちゃうんです」

「あー。結構難しいっすよね」

 

 タンクといっても役割はいくつかに別れる。

 複数のエネミーを相手にするのは攻略隊ではモブ狩り専門のパーティーに所属するタンクの仕事だ。私はフロアボスを抑える仕事なので本業ではない。

 

「装備を変えるのが一番手っ取り早いっすね」

「装備、ですか? こう高度なテクニックだとか、そういうのは……?」

「あるっすよ。でもテクニックの前に装備が重要っす。ああ、片手剣から別の武器に転向しろって話じゃないっすよ」

 

 タンクの装備は盾プラス片手武器。

 直剣。曲剣。斧。槍。槌。他にもいくつかあるものの、概ねこの辺りが妥当なところだ。

 私もユウタも盾プラス片手直剣の組み合わせだ。それを念頭に置いたアドバイスが望ましいだろう。

 ジャンルで言えば直剣は器用な立ち回りができる。万能型なのだ。器用貧乏に思うかもしれないが汎用性というのは武器カテゴリのスキルを複数育てるのが難しい仕様上、とても便利である。

 

「スネークバイトを使うのはわかるっすよね」

「もちろんです」

 

 片手直剣ソードスキル『スネークバイト』。

 左、右の順番に行う斜め切りに合わせて2本のダメージ判定を持つエフェクトが出るソードスキルだ。ダメージ判定のエフェクトは剣の長さよりも遠くに伸びるため範囲攻撃として使われる。

 

「でも巻き込めなかったり、1ヒットしかしなかったりするとヘイトが途中で足りなくなっちゃうんですよ」

 

 ソードアートオンラインはリアル重視なので、モンスターが他のモンスターの体を透過して重なることがない。なので一塊にしても範囲攻撃が全体に当たるかというと、これが難しかったりする。

 

「ホノルルさん。長剣貸してっす!」

 

 テーブルの向こうで漫画肉に齧り付いていた攻略隊の仲間に声をかける。

 彼はアイテムストレージから剣を取り出すと、それを無造作に放り投げた。

 長テーブルを挟んで飛んできた剣を両手でキャッチする。刃の部分を思い切り掴んでいるが、圏内ではダメージが発生しないのでこういうこともできる。

 

「見てわかる通り、長いっす」

 

 ホノルルさんから預かった武器の全長はだいたい120センチくらい。標準的な片手剣が80、長いもので100センチと聞けばどれだけ大きいかわかるだろう。

 見た目は完全に両手剣であるがカテゴリーは片手剣である。だいぶインチキ臭い。

 

「長いですね……」

「レアドロップじゃなくてオーダーメイドっすから、鍛冶班に頼めば手に入るっすよ」

「いいですね!」

 

 これが実物の剣であるなら、長ければそれに伴い必要となる筋力が馬鹿にならないほど上昇する。しかしステータス制のソードアートオンラインではSTRを上げれば上げただけ筋力が上昇するためその心配もない。

 私のような女の細腕――細くはないが――でも壁のような大盾(タワシ)を扱えるのがいい例だ。

 

「剣の先端部以外は威力が低いのに注意が必要っすけどね」

 

 どの剣にもいえることだが、刀身のすべてが同じ威力を持つわけではない。

 剣を振ったとき最大の威力になるのは先端部分だ。それは先端に近ければ近いほど速く動くためである。

 武器に設定される攻撃力はこの先端部分で与えるダメージを元に算出されている。

 つまり長ければ長いほど、威力が低い部分は増えるということだ。

 

「それはわかってます。ところでエリさんはこの剣使わないんすか?」

「使わないっすよ?」

「あれ?」

「ん?」

「エリさんはフロアボスを相手にするメインタンクですよね?」

「そうっす」

「フロアボスってだいたい大きいじゃないですか」

「そうっすね」

「じゃあ大きい武器使った方がいいんじゃないですか?」

「高所に攻撃が当てられるからってことっすか?」

「えっと、それもあると思うんですけど……。近いと全体像が見えなくなるから、距離を置くんじゃないかなって」

「なるほど。ユウタがわかってないのがわかったっす」

「えっ!?」

 

 長剣をホノルルさんに投げ返して、私はストレージからメインウェポンを取り出した。

 全長約70センチ。両刃で刀身の幅は広く、模様が掘られている。

 外見とは裏腹に要求筋力値は極めて高い重量武器。回転率を下げて一撃一撃の威力を重視した高威力武器で、単発威力は片手槌に迫るものがある。

 

「短いですね……」

「そうっす。さっき言ったじゃないっすか。先端以外は威力が低いって。つまりボスも近づけばDPSが下がるわけっす」

「ああ、なるほど!」

 

 大型の敵は足元が一番安全で、距離を取った方が危険度が高いというのは他のゲームでもよく見る現象だ。

 

「つまりメインタンクは盾を使ってボスと組み合うような間合いを維持しないといけないんす」

「で、でもそれだと攻撃の前兆モーションを見逃しませんか?」

「要練習っすね。上を向いたまま、重心を前に倒すのがコツっす」

「そういう話! そういうテクニックが聞きたかったんです!」

 

 身を乗り出してはしゃぐユウタを相手に、ちょっと照れてしまう。

 「コホンッ」と咳払いをすると「あ、すいません」と姿勢を正すが周囲のまくしたてる声が鬱陶しい。

 

「なんだ、エリはユウタがお気に入りか?」

「そういうんじゃないっすよ」

「おうおう。だったら俺の相手もしてくれよ」

「なんだお前。ロリコンだったのか……」

「馬鹿お前。JKっていったら男のロマンだろ」

「エリってギリギリJDじゃないか?」

「いや流石にもっと若いだろ」

「俺はもうちょっと痩せてる子が――イタイッ!」

「……………………」

「……………………」

 

 好き勝手言ってくれるじゃないか。

 いい年したおっさんが恥ずかしくないんですか?

 あとアバターの外見はログイン時、つまり去年の11月から変化していないからJKでもJDでもないわい。それを馬鹿正直に言ってはやらないけども。

 

 それにしても最近のおっさんたちは全員ではないが目がギラギラしてて怖い。

 子供なら簡単に従えさせられると思ってるのだろうか? だから年下のユウタを可愛がって癒されているんだよ。……つまり私も年下の子をいいようにしてるということだ。たぶんセクハラ案件である。

 ユウタの方を向くと目が合う。つぶらな瞳が私を見ていた。目を逸らすとユウタは首を傾げる。うーん。罪悪感がハンパない。

 

「そろそろ用事もあるっすから、続きはまた今度にするっす」

「あっ。忙しい中お時間ありがとうございました!」

 

 席を立って斜め45度に身体を倒してお辞儀してくる。

 うーん。礼儀正しい。

 

「あ、エリ。俺、次回は抜けるから!」

「そうだった。俺もパスで」

「俺も俺も」

「えっ? えっ!? なにかあったんですか?」

 

 事情を知らないユウタがあたふたする。

 

「私に言うなっす。その連絡は――」

 

 私が纏めないといけないのか?

 いや、私今回の件の責任者じゃないんだけど……。

 

「ユリエールさんにメッセを送るっす」

 

 彼女に任せておけば連絡不足にはならないだろう。後は任せたユリエール。

 

「あー……、これはオフレコっすからね。次のフロアボス、キバオウさんは欠席するんすよ。代わりにシンカーさんの選んだ人が指揮を執るっす」

「そうだったんですか……」

「エリは行くのか?」

「強制参加っすね。予備隊にメインタンクできる人いないっすから」

「いなかったっけか? あいつ、えーっと……」

「ツキカゲさん?」

「そうそう。そんな名前」

「サブタンクなら任せられるっすけど。難しいんじゃないっすかね?」

 

 本当はサブタンクはメインタンクとは別の技術(ノウハウ)がいるので任せたくはないのだけど。サブタンクのシノギさんはさっきの騒ぎに紛れて欠席を言っていた。激しく不安だ。

 

「ならそこのユウタなんてどうよ?」

「え、俺ですか!?」

「彼は良くてサブタンク止まりっすね」

「そうですよね……」

「あー、でもモブ狩りのタンクならいいんじゃないっすか?」

「本当ですか!?」

「その辺りから欠員は……」

「あ、俺パスでーす」

「出るみたいっすね……」

 

 タンク抜け過ぎだろ。

 フルレイドは6人パーティーが8つの48人で構成される。

 第1パーティーにメインとサブのタンク。残りのパーティーにそれぞれ1人ずつタンクを配置するので合計8人がタンクの席だ。フロアボスのパターンでここから増加することはあるが減少することはほとんどない。

 そのうち2人変更となると25パーセントが変わるわけだ。

 タンクは危険の大きいポジションであるため、不安があり参加が任意なら欠席したくなるのも無理はない。私だって行きたくはないのだ。

 

「でも贔屓はなしっす。たぶんシンカーさんが情報班と協議して決めると思うっすけど、私から推薦はしないんでそのつもりでいて欲しいっす」

「もちろんです!」

 

 まあ元気がいいのは良いことだ。

 さて。そろそろ出なければ。このままではだらだらと居座ってしまいそうだ。

 私はユウタの頭を軽く撫でて、その場を後にした。




MTDは後のアインクラッド解放軍のこと。
つまりKoBルートではなく軍ルートへ突入です。


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8話 ギルド内抗争(2)

 はじまりの街郊外に位置する一軒家。

 玄関には剣とハンマーのイラストが描かれた立て看板。

 『OPEN』と書かれたドアプレートが表になっていて、煙突からは煙が登っている。

 扉を押すとカランコロンと鈴のSEが鳴り響く。

 

「いらっしゃい。リズベット武具店へようこそ」

 

 元気な声がカウンターの奥から聞こえてくる。

 そばかす顔の明るい女性プレイヤー『リズベット』がそこにいた。

 店内に客がいないのを確認すると私は被っていたフードを脱いで素顔を晒す。

 

「ってなんだ。エリにゃんか」

「なんだとはなんすか。あと今の私はもうただの『エリ』っす」

 

 システムに表示される私の名前はしばらく前から『Eri』となっている。

 

「名前変更アイテムだっけ? わざわざ変えなくても、愛嬌あって好きだったんだけどなぁ……」

「これからリズのことをリズにゃんと呼び続けるっすよ」

「ごめんなさいでした」

「よろしいっす」

 

 軽口をたたき合う彼女とは4カ月の付き合いだ。

 はじまりの街で顔色を真っ青にしていた彼女を、丁度よさそうだったので鍛冶のスキルスロット代わりにしたのが出会いである。

 当時はコルが余っていたので都合のいい投資先だった。

 リズベットの鍛冶スキルはMTDの主力メンバーに一歩劣る。だがたった一歩しか違わないのだ。彼女の作る武具は、大規模ギルドに所属していない攻略組からすれば喉から手が出るほど欲しい一品だろう。

 

「これ、新作のスイーツっす」

「いつも悪いわね」

 

 彼女に渡したのはMTDの倉庫からくすねてきた、最近発見されたばかりの鉱石アイテムだ。つまり横領である。新作スイーツのチョコレートムースも本当に持ってきている。抜かりはない。

 トレードで代わりに渡されたのは彼女が纏めた顧客情報。スキルや装備、どの集団に属しているかなど個人情報が目白押しだ。

 

「ねえ。そろそろ私もMTDに所属した方がいいんじゃない?」

 

 リズベットが言いたいのは、これ以上違法な取引をするのは心が痛い。けれども恩もあるし独立がしたいわけでもないのでそっちの身内になってしまいたい。といったところだろう。

 

「駄目っすよ。リズベットがMTDに入ってもできることはないっす。レシピの調査なんかは多少役に立つかもしれないっすけど、大多数のうちの一人に埋没しちゃうっすよ」

「そっかぁ……」

 

 外部にいる協力者というのは貴重なのだ。

 リスクを分散させたり、情報や交渉の窓口にしたりと使い道は多岐に渡る。

 スキル熟練度こそMTDのトップ連中とは張り合えずとも、私に対する貢献度では上位を占める。

 

「はぁ……」

「そんな辛気臭い顔して……。なんかあったの?」

「なんかあったんすよ」

「話してみなさいよ。相談くらい、引き受けるわよ」

「うぅ……。リズにゃんー」

「はいはい」

 

 リズの胸に飛び込んで頭を撫でてもらう。

 ジャスミンのフローラルな香りが鼻孔をくすぐった。そういえば服もショーウィンドウでマネキンが来ていた新作の春物衣装に変わってる。……このお洒落さんめ。

 

『25層の攻略指揮をシンカーが取ることになった。キバオウ派は攻略に不参加。でも私は参加しないといけない』

 

 フレンドメッセージを手早く打ち込む。

 偵察スキルを私は持たないので、盗聴を回避するにはこういった手段を頼らざるを得ない。

 

「ご愁傷様。なにか私にできることはある?」

「労って欲しいっす」

「お疲れさま」

「膝枕」

「えっ?」

「膝枕を所望するっす」

「……ここ長椅子ないわよ。寝室でやるの? それはちょっと……」

「ソファ持ってきたっす」

「ええー……」

 

 カウンターの向こう側に移動して、置いてあった椅子を奥に引っ込める。

 あとはアイテムストレージを圧迫している薄緑色のソファをオブジェクト化して、配置するだけだ。

 人が横になれる大きさのソファが現れる。

 アイテムストレージはこうした大きなものを運ぶとき便利だ。

 

「普通、人の家に大型ソファ持ってくるかな?」

「現実の常識が仮想世界で通用するとは思わないことっす」

「はあ……。まあいいですけどね」

 

 リズベットの膝の上に頭を乗せ、私は横になりながらさっき受け取った個人情報に目を通し始めた。

 こうやって目で見た情報を文書に起こすのは意外と難しい。最初の内は要領を得ない内容だったが、何度か書くうちリズベットも普段から意識して人を観察する癖が付いたようで内容は精細になっていった。

 今では1週間分の内容がA4サイズのフリーペーパー10枚にびっしりと書かれている。

 

「あーん」

「ほい」

 

 リズベットにさっき渡したムースは2人分。その片方を私は要求する。

 

「なんかあんた、最近抜けてきてない」

「それだけ忙しいんす。癒しが欲しいんす。欲望に忠実でいたいんす」

「お、おう……」

「ところでリズ、気になる男でもできたっすか――ふごっ!?」

 

 ムースが鼻に突っ込まれた。

 

「ななななに言ってんのよ。ここに来るのは冴えないおっさんばっかりだし。そんな相手できるわけないでしょっ!?」

「でも香水――ふがっ!? それ、わざとやってるっすね!」

「あ、バレた?」

「食べ物で遊ぶなっす!」

「スタッフがおいしく食べるから大丈夫よ」

「はぁ……。で、誰っすか?」

「いないって言ってでしょ。一方的にいいなって思ってるだけで、それに……」

「んー。キリト――ギャーッ!」

 

 目があ! 目がぁあああ!!

 痛くはないが今まで感じたことない感覚が目から発せられている。

 

「なんでわかったのよー。もうっ!」

「年齢近いのって彼くらいしかいないっすから」

 

 この店に来ているプレイヤーが誰なのかはここに書かれている通りだし、当てるのは然程難しくなかった。リズが年上好きだったら別だがそういう話は聞かないし。格好良い大人のプレイヤーもいるにはいるのだが。ここに書かれている中だと……。例えばエギルさんとか。

 

「でも彼のことは諦めるんすね」

「やっぱり? あんな美人引き連れてるんだから、そりゃそうよね……」

 

 キリトは顔がいいし、性格も悪くない。再前線で戦うプレイヤーは憧れの対象だろうから人気なのもわかる。

 なんて他愛のない会話をしていると鈴のSEが鳴り響き客がやってきた。

 

「やってるか?」

「い、いらっしゃい!」

 

 イタイッ! いや痛くないけども!

 リズベットが勢いよく立ち上がったせいで私は思い切りカウンターに頭をぶつけてしまう。

 カウンターのオブジェクトはダメージエフェクトを光らせ耐久値がちょっと減った。

 

「来るなら来るって言いなさいよ!」

「お、おう……」

 

 うーん。面白そうなのでこのまま隠れてよう。

 

「その服――」

「えっ!?」

「新しいブースト装備か?」

「違うわよ! 女の子はね、お洒落とか気を使わないといけないの! それに客商売なんだから当然でしょ!」

「そ、そうだな。けどリズの腕があれば客足は途切れないだろ?」

「そりゃあそうだけどもさあ」

「えっと……。あー……、似合ってると思うぞ?」

「ブフッ!」

 

 堪えきれずに吹き出してしまう。そこでようやく私が足元にいたのを思い出したリズベットが顔を真っ赤にした。

 

「よいしょっ。やっほーっす」

「なんてところにいるんだよ……」

 

 上半身を起こして私はキリトと顔を合わせる。

 

「久しぶりだな」

「そうっすね。話をするのはえっと……18層のフロアボス以来っすか」

「だいぶ前だなあ……」

「あー、そっか。よく考えたらあんたたち、どっちも最前線にいるから顔見知りよね」

「最前線で会う関係っていうより、パーティー組んでた頃の方が印象に残ってるけどな」

「ナニソレ。詳しく教えなさいよ」

 

 リズベットが笑顔を取り繕って私に視線を合わせた。

 『ブチコロス』と顔に書いてるかのように思える。

 

「違うんすよ。攻略初期においしい狩場で同行しただけっす」

 

 秘儀ブラインドタッチ!

 私は顔を近づけているリズベットに見えないよう視界外でメニューウィンドを操作して、キリトへ『話を合わせろ』とフレンドメッセージを飛ばした。

 

「そ、そうだな。あのときはエリが無理やり……」

「違うー!」

 

 こいつわかってない!

 

「ま、待つっす。キリっち――グエッ……。キリトの前っすよ。ドン引きしてるっすよ」

 

 襟首を締めていたリズベットの手がストンと離される。

 彼女の手つきはここが圏外でなければ窒息ダメージが入る勢いがあった……。

 

「ふう……。ただ3週間くらいパーティー組んでただけっすよ。その間なにもなかったっす。そうっすよね? なにもなかったっていうのは男女としてなにもなかったってことっすよ」

 

 鈍感なキリトへ、誤解のないよう懇切丁寧に説明してやる。

 

「なにもなかったけど、それがどうしたんだ?」

「ななななんでもないわよ!」

「キリっち、馬鹿っすよね」

「いきなりどうしたんだよ、いったい……」

 

 この場の誰も答えられない質問をしないでほしい。

 溜息ついでに食べかけのチョコムースを一口。

 

「おっ! それ新作レシピか? 俺にも一口くれよ」

 

 私が今食べてない方のムースを見るキリト。

 

「あんたねえ……。食べかけなの、見てわかるでしょ」

「あっ。わ、悪い……」 

「あげないんすか?」

 

 ひじ打ちが襲い掛かる。からかいすぎた。

 

「うちの食堂をご贔屓に。来週くらいには市場に出るっすよ」

「でも高いんだろ? まあ考えとくよ」

 

 カランコロン。扉が開く音。

 そろそろ込み合う時間帯か。そろそろお暇した方が良さそうだと立ち上がろうとして――決して高くはないAGIを振り絞り、私はカウンターの裏に身を隠した。

 

「あ、キリトくん。やっぱりここにいた!」

 

 声の主は結城さんだった。

 

「やっほーリズ! キリトくん、24層攻略されちゃったよ。ギルドの方が忙しいからあんまり付き合えないのはわかるけど、25層は一緒に攻略してくれるんでしょ? ほら、早く行かないと、美味しい所また全部取られちゃうよ」

「もう攻略されたのか……。やっぱりマンパワーは凄いな」

 

 リズベットが視線を足元にいる私へ向けてくる。

 ハンドサインで『こちらを見るな。自然体でやり過ごせ』と必死に送り、私が結城さんを避けているのを思い出し視線を戻した。

 身動きが取れない。ここでやり過ごせるのか?

 心臓がバクバク鳴っている気がする。私は今、フロアボスとの戦いより緊張していた。

 リズベットの様子から外の様子を探ろうと視線を上げた瞬間――。

 

「ギャァァアアアアアアア!!」

「きゃぁああああああああ!?」

 

 突如結城さんの顔が現れ、蛙の潰れたような私の悲鳴と、甲高い彼女の悲鳴が店内に木霊した。

 反射的に距離を取ろうとするも背後はカウンターの壁。後頭部強打するが痛みはないので行動は止まらず無様に床を這って移動する。

 口から心臓が飛び出そうだ。

 荒い息を整えどうにか立ち上がると、結城さんも胸に手を当て息を整えているところだった。

 

「なんでそんなところにいるのよ!」

「わ、私がどこにいようと私の勝手っす!」

「そうだけどもっ!」

 

 なにやってるんだろう、私。

 

「はぁ……。帰るっす」

「ちょっと待ちなさい!」

「……なんすか?」

 

 つい喧嘩腰の口調になってしまう。駄目だ。理性が利かない。それは頭でわかっている。でもブレーキを火花が上げるほどかけても、ドロドロとした感情が止まらないのだ。

 

「えっと、その……。最近のMTDの行動は目に余ります」

「………………」

「もっと他のプレイヤーとも協力しましょう? それに私個人もあなたと――」

「ならうちに入ればいいっす。そうすれば丸く収まるっすよ」

「それは……」

「嫌っすか? そうっすよね。くだらないプライドを誇示したいがために、組織に所属することを拒絶する。大層ご立派な考えっす」

「違うわっ!」

「なにが違うっすか。どこにも所属しない中立の立場。耳当たりはいいっすけどね、そんなのは言い訳っす。背負う覚悟がないなら偉そうなことを言うな!」

 

 自分でなにを言ってるのかよくわからない。

 感情が口を衝いて出てくる。

 本心ではなく、相手を傷つけるためだけに紡がれた言葉が垂れ流される。

 

「MTDがオレンジプレイヤーと共謀しているという噂があります。本当ですか?」

「ハッ! 旗色が悪くなったら今度はうちのギルドへの悪口っすか。それを聞いてどうするんすか? 私がそんな事実はないって言って信じられるんすか? なら言ってやるっすよ。そんな事実はないって!」

「――っ! 私はただ、あなたが心配で!」

「最初からお前なんて信用してないって言えばいいんすよ。下手に取り繕うからボロが出るんす」

「おい。やめろ2人とも!」

 

 キリトの怒声で一瞬場が静まり返る。

 

「キリっちはどうっすか? 私のことを信じられるっすか?」

「エリのことは信じてるよ、でも――」

「ならっ! うちのギルドに入らないっすか? キリっちの腕なら大歓迎っす。攻略組に戻れるっすよ。悪くない提案なんじゃないっすか?」

「――でもエリがギルドの内情のすべてを知ってるとは限らないだろ? 火のない所に煙は立たないっていうし、悪いけど俺もMTDは信用できない。それに俺はもう別のギルドに入ってるしな」

「そうっすか……。残念っす」

「今日はもう帰るよ。行こう、アスナ」

「けど……」

 

 首を横に振るキリトに、結城さんは手を引かれて出て行った。

 

「……………………」

「……………………」

 

 2人の姿が消えて数十秒、無言で時が進んだ。

 

「はぁー…………。なにやってるすかね、私……」

 

 頭を抱えてその場に蹲る。

 ごちゃごちゃした感情を押さえつけないと、リズベットにまで酷いことを言いそうだった。

 感情を表現するエンジンは、止めどなく目から涙を流させる。

 

「……………………」

 

 リズベットの温かい手が、無言で私の背中をさすってくれる。

 心地よい温度に任せてしばらくそのままでいた。

 私のすすり泣きが落ち着くとリズベットは扉にかかっていたドアプレートをひっくり返して『CLOSE』にする。

 それからキッチンに行き、彼女はコーヒーを淹れて戻ってきた。

 差し出されたマグカップを受け取り、湯気の立つ黒くて苦いものを身体に収める。

 

「少しは落ち着いた」

「はいっす……」

「あんたがアスナの事避けてるのは知ってたけど、あそこまでとは思わなかったわ……」

「軽蔑、したっすよね」

「どうかしらね。軽蔑した相手にコーヒー差し出すような人間に見える?」

 

 私は首を横に振った。

 

「アスナとの間になにがあったか言える?」

 

 私は首を横に振った。

 

「そう。話したくなったら、そのとき話せばいいわ」

「ありがとう」

「別にいいわよ、このくらい。あんたがいなかったら私はあの広場でずっと蹲ってたわ。だからお相子よ」

「リズは良い女っす。私が男だったら惚れてたっすね」

「でしょ?」

 

 私はリズベットと顔を見合わせて、2人で笑った。

 

「ねえ、MTDの黒い噂って本当なの?」

「リズはどう思うっすか?」

「本当だったら怖いなって。……だってあんたが巻き込まれちゃうかもしれないでしょ?」

「大丈夫っす。私、強いっすから」

「嘘言いなさんな」

「ばれてるっすか」

「鏡見て見なさい。酷い顔してるわよ。今のあんたを見て強いなんて思うやつはいないわよ」

「酷い顔は元からっす」

「自虐は止めなさい」

 

 リズベットの口調は厳しいけれど、その言葉に込められた思いやりが伝わる。

 

「ねえ。次のフロア攻略、必ず出ないと駄目なの?」

「必ず出ないと駄目っす。どうしたんすか?」

「なんかあんたを見てるとふらっと死んじゃいそうで怖いのよ」

「ステータスや装備じゃ攻略組でもトップっすよ、たぶん」

「そりゃ知ってるわよ。でもね、どんなに強くても心が弱ってる人から死んでくのよ。そういう人はまた店にはやってこなかったわ」

「………………」

 

 そういうプレイヤーを私も見たことがある。

 でも死んでしまうプレイヤーは大抵、心とかそういうのは関係ない。準備が悪いか、運の悪いプレイヤーが死ぬのだ。

 精神が強さを支えるんじゃない。才能が強さを支えている。

 そうでなければ死んでいった彼らは心の弱い人間だったことにされてしまう。

 それには、素直に頷きたくない……。

 

「あんたは生きて帰ってきなさいよ」

「もちろんっすよ」

「あんたがモンスターにやられて死んじゃったら、泣いてなんてやらないからね」

「それは悲しいっすね」

「それが嫌ならちゃんと帰ってきなさい」

 

 リズベットが背中を押す。

 私はちょっと前に進める気がした。

 

「私はあんたの隣に立てない。そんな強さはないわ。なにができるかはわからないけど、それでもここから応援してる」

「それなら――」

 

 私は自分の足で立ち上がる。もう涙は流れていない。

 

「また膝枕をしてもらうっす。それで私には十分っすから」

「しょうがないわね」

 

 リズベットは困った顔で、嬉しそうに笑った。



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9話 ギルド内抗争(3)

 キバオウに呼び出されたのはその日の夜になってからだった。

 密会場所はキバオウ派が管理している黒鉄球地下階層に広がる監獄ゾーン。

 石造りの通路を不気味に蝋燭の炎が照らしている。

 ピチャリ、ピチャリと雫の落ちる音。誰かがまた水を使って遊んでいたのだろう。後片付けはきちんとしておけと注意しなければならない。

 

「エリです」

 

 改造された看守長室の扉を3回ノック。

 名前を告げると扉のロックが外れ、重厚な石扉が開かれる。

 

「失礼するっす」

 

 赤いカーペットにシャンデリア。食器棚には美しいグラスが取り揃えられており、ワインラックにはボトルが大量に収納されている。

 ギルドマスターの部屋とは違い豪華絢爛な調度品が揃えられた部屋は、看守長室というより悪の組織が使う秘密基地の様相をしていた。

 

「エリにゃんじゃん。おひさー」

 

 厳しい視線で睨み付けるが、私の旧名を呼んだズタ袋を被ったプレイヤーは悪びれることなくケラケラと笑っていた。

 

「夜分遅く、こないなところに呼び出してすまんかったな。そないなところ立ってないで、座ったらどうや?」

「そうっすね」

 

 貴賓室に置かれるような格式高いソファに座るのはキバオウ以外の男3人。

 ズタ袋を被った青年『ジョニー・ブラック』。

 骸骨仮面の男『ザザ』

 そして――、

 

「It's showtime.今夜は楽しいパーティーになりそうだ」

 

 フードを被った男、『PoH』。

 PoHは血のように赤い液体の注がれたグラスを掲げると、それに倣って部屋の全員がグラスを持つ。

 私もそれに参加して、誰も手の付けていない、私のために用意されていたグラスを掲げる。

 グラスを目のあたりまで持ち上げ、PoHに続いてそれぞれがグラスに口をつけた。

 喉を焼くような刺激とほのかな甘み、そして舌に残る酸味を味わうが慣れないもので、あまり美味しいとは思えない。

 

「ジョニーっすか。水使って遊んでたの?」

「そうだよぉ。エリにゃんも一緒にどう? 人の精神って意外に脆くってさあ、水を垂らすだけでおかしくなっちゃうんだってねえ。監獄にいれば死なないって思ってる連中がいるけど、HPが減らなくても人を殺す手段なんていくらでもあるってことくらい想像つかないかなあ? ああ、だから捕まってるのか! ギャハハハハッ!」

「ちゃんと片付けて置いてくださいっすよ」

「えー。なにそれ? まさか同情とかしちゃったりしてんの?」

「シンカー派の連中が来たらどうするんすか……。誤魔化したりもみ消したりするの嫌っすよ」

「そんなカリカリしなくてもいいじゃなん。あ、だったら別の遊びしようよ。囚人と看守ゲームっていってさ――」

 

 この頭のイかれている様な男のカーソルはグリーン。つまり非犯罪者プレイヤーだ。

 こんなやつがプレイヤーを襲わないということはありえるのだろうか? 答えはNO。彼は何度かプレイヤーを殺害して犯罪(レッド)プレイヤーになっている。

 レッドからグリーンへカーソルカラーを戻すのはかなり大変だ。面倒なクエストを受けなければならない。長期間拘束され、重たいペナルティーも課せられる。だがその難易度が高いのは偏にクエストを受けられないという問題があるからだ。クエスト開始条件に指定されたNPCには常に大規模ギルドの監視が施されている。判明しているクエストにノコノコやってきたレッドプレイヤーは監視役のプレイヤーをなんとかできなければ、そのまま監獄送りになるという寸法だ。

 

 では彼はどうやってグリーンに戻ったのか。

 そのカラクリはこの監獄ゾーンにある。

 監獄ゾーンを所有しているのはギルドMTDだ。その管理を任されているのはキバオウだった。監獄には犯した犯罪行動に応じた刑期が設定されており、その期間を過ぎるとカーソルがグリーンに戻り監獄の外へ出される。

 その操作をキバオウが行えるために、一度捕まったプレイヤーは二度と外へ出ることができないでいる。

 これを逆手に取ればどうなるかわかるだろう。監獄を利用したカーソル洗浄(ロンダリング)ができるのだ。

 キバオウの権力背景はこうした表に出せない方法によっても支えられていた。

 

「まるで、スタンフォードの、監獄、だな」

 

 ザザが骸骨の仮面の下でくぐもった声を出す。

 

「なんだよ、それ?」

「偽の看守と、偽の囚人を、使った、心理実験、だ。看守役は、だんだん、囚人を、いたぶり、囚人役は、看守役を、恐れ、服従する、ようになる」

「へえ……。面白そう。けど俺はそういうんじゃないよお。ここの外でだって沢山殺してるんだし?」

「さて。どうだろう、な。だが、おまえの趣味を、否定は、しない。俺が、聞きたいのは、エリ。お前の、ことだ」

「おっ。それは俺も気になる。最近全然遊んでないじゃん? 溜まってないの?」

「ストレスなら溜まってるっすよ……。でも暇もないし、外だと目立つっすから、私」

「だからここでくらいは遊ぼうよって誘ってるのに。それともさあ。まだくだらない良心とかあるわけ? これってゲームよ? 俺たちがこうなってるのは全部茅場のせいなんだから、気にするだけ無駄なんだよ。だから、ほらっ、ね?」

「はぁ……」

 

 こいつらと――主にジョニーと話すのは疲れる。

 テンション高い相手は苦手なのだ。あー、でもユウタの相手は嫌じゃない。そう考えるとジョニーが嫌いなだけということがわかって、納得した。

 

「俺もその辺は気になっててな」

 

 PoHの口元が妖しく歪む。

 

「エリが俺たちの同類かどうか。最近の行動を見てて不安に思う気持ちもある。ここらでお前の考えるエンターテイメントってやつを俺たちにも見せてくれないか? さぞかしとっておきのショーなんだろう?」

 

 キバオウに助けを求めようと視線を送るが、そのキバオウは私を値踏みする目で見ている。ああ、これは踏み絵だ。

 今日この場に集まったのは私が裏切らないかどうか判断するためだったようだ。そして私がこの絵を踏まなければどうなるか。それは今まで彼らとしてきたことから、火を見るより明らかだ。

 

「わかったっすよ。でも時間も有限っすから、観賞型のやつにするっす。私は働き者っすからいつもの偽造もしないといけないんすよ」

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 私は適当にオレンジ――犯罪を犯したが殺人まではしていない――プレイヤーを4人と、レッドプレイヤーを2人見繕った。

 彼らを均等に2つのグループに分けて呼び出し簡単な説明を施す。

 

「君たちにはこの先で戦闘をしてもらうっす。生き残ったやつだけここから出してやるから奮戦するように。もちろん出すときにはカーソルをグリーンに戻すことを約束するっすよ。手段は問わないっす。どうせ汚れた手なんだから、これ以上汚れたって同じっすよね?」

 

 私は彼らに低級の武器を与えた。彼らは監獄に入れられた際に看守によって所持アイテムのすべてを奪われているためだ。

 監獄ゾーンの下には一般には知られていないダンジョンがある。高レベルのエネミーが徘徊しているが、入口付近には近づいてこないため安全だ。今回の舞台はその入り口部分で行う。

 圏内に隠された圏外。ここでならHPはシステムに守られることもなく減少する。

 

「合図は譲るっすよ」

「いいや。お前の用意した舞台だ。お前に任せる」

「じゃあ……、スタート!」

 

 レッドプレイヤーの動きは迅速だった。

 現状を把握すると、すぐに他の2人と連携を取るよう会話を試み、パーティーを結成する。

 

「そこはイッツショータイム! だろうが」

「いいじゃないっすか、そんなこと」

 

 オレンジプレイヤーは殺人までする気はない小犯罪者だがHPを減らす気骨くらいはあるようで、彼らの戦闘はすぐに始まった。

 防具は着ていないが武器の性能が低く決着には少し時間がかかる。

 彼らは自分のHPが減るたびに顔色を青に変色させていった。

 

「こいつをいつもの通りに頼むわ」

「了解っすよ」

 

 キバオウに渡されるのはMTDの報告書。そこには付箋が張られており、変更してほしい点が記載されている。

 私はメニューウィンドからスキルの使用を選択。文書を改竄していく。

 EXスキル『筆記師』。

 習得条件のあるこのスキルは、本来書物などのアイテム作成に多様性を持たせることができるようになる生産系スキルだ。それはフォントの変更に始まり、大量複製などまで可能にする。

 だがこのスキルの熟練度が500を超えたところでその使い勝手は大きく変わる。

 作成済みの書物に書かれた文章の改竄。

 アイテムに書かれているテキスト書き換え。

 果てはプレイヤーネームの変更まで可能とする。

 

 このスキルの熟練度は現在700。他のスキルに比べかなり高い。

 これはギルドとして日々大量のアイテムを生産するため、多大な熟練度が稼げることによる恩恵だった。

 このスキルは元々、ギルドの方針上役に立つだろう程度に考えて習得したものだった。

 MTDは元々、攻略情報を掲載していたサイトの管理人シンカーが、情報の共有化を図って設立したギルドだ。

 βテスターであることを包み隠さず宣言したシンカーは、その誠実な対応から多くのプレイヤーに感謝されていた。そこに目をつけたのが第1層から攻略組に参加しているキバオウの一派、ギルド『アインクラッド解放隊』である。

 MTDに加わるという形になったアインクラッド解放隊だが、現状を見る限り彼らは内側から侵食しているにすぎない。

 

 私はキバオウとアインクラッド解放隊の参加によって攻略組に参入。

 以後キバオウ派として活躍を求められ、自分の立場を上げるため活躍していたらこんなところまで来てしまったという顛末だ。

 

「ところで今日の件。どういった決着をつけるんすか?」

「そうやな。あんさんには話とかなあかんか……。25層の攻略は失敗にする予定や」

「その後は?」

「失敗の責任をシンカーに取らせてギルドの実権をワイが握る」

「都合よく行くっすか? DKBに先を越される可能性もあるっすよ。そしたらシンカーさんの責任は低くなるんじゃないっすか」

「そのことなんやけどな。上手くやれへんか?」

「いや。無理っすよ。私指揮官じゃないっすから」

「そうなんよ。あんさんが指揮官やったらどない楽やったか……」

「代わりのタンク見つけて少しずつ転向するっすか? それが済むのはだいぶ後になるっすよ」

「いや。このままで行く。タンクは皆に信頼される役やからな。指揮官とは別にタンクも手元に置いときたいんや」

「そうっすか……」

 

 私はさっさとタンク止めたいんだけど……。

 でも現状では無理なのも理解してる。

 

 膠着状態だった闘いに動きが起こる。囚人たちの1人が、HPをレッドゾーンに突入させたのだ。

 押され気味の陣営は危険域のプレイヤーを()に使い始める。

 オレンジプレイヤーはその凶行にたじろぎ、レッドプレイヤーを抑えることで形勢を逆転させた。

 

「せやからあんさんたちに影から動いてもらうことになったんや」

「大丈夫っすか?」

「ヘマは、しない」

「お前の知らないルートだってちゃんと持ってるからな。1度くらいなら上手く場をかき乱せるさ」

「そうっすか。PoHがいるなら裏切られる以外の心配はしてないっすけどね」

「なに言ってるんだ。俺たちは仲間、だろ?」

「はいはい」

 

 心にもないことを。

 

「まいった。降参だ。降参するっ!」

 

 ついにHPをレッドゾーンに突入させていたプレイヤーがその重圧に耐えきれなくなって降参を宣言した。

 武器を下げるオレンジ。だがレッドは油断なく気を窺っている。

 

「そうっすか。じゃあちゃっちゃと殺しちゃうっすよ」

「へ? な、なに言ってんだよ! あんたらMTDのメンバーだろ? そんなことしていいのかよ!?」

「お前たちは犯罪者っす。これは正当な裁きなんすよ。わかるっすか? ほら、わかったら再開するっす。相手を殺す以外で生き残ることを私は許可しないっす」

「ちょっと待てよっ! ――あ、…………」

 

 驚愕に目が見開かれた。

 男のHPがなくなっている。それは決して激しくない一撃だった。

 震える手で突き出された剣が腹を貫いている。エネミーを倒したときと同じエフェクトに男は包まれる。

 

「嫌だ嫌だ嫌だ! 誰か助けてっ! 誰かっ――」

 

 伸ばした手は誰にも届かず、男はポリゴンに変わり残滓を飛散させた。

 ガラスの砕けるような音が地下ダンジョンに響き渡る。

 

 残り5人。

 

 男を殺した()オレンジプレイヤーが、ソードスキル後でもないのに硬直していて、そこを別のプレイヤーがソードスキルで襲う。

 彼の意識はHPが大きく減ることで現実に呼び戻される。

 いかに不意にダメージを受けてしまったといっても人数は3対2。その数的有利を攻め立てた2人はひっくり返せずに戦いは続く。

 

「いいねいいねっ! こういうのが見たかったんだよ!」

「上映中は静かにするっすよ」

「はーい」

 

 彼らの戦闘技術は目を見張るところなどどこにもない。

 足がすくんだまま無様に剣を振るう。まあせいぜいそんなところだろう。

 きっとザザは不満に違いない。彼はもっとこう……、強者との命のやり取りが好きだったはずだ。真剣勝負の果てに相手の命を奪う。そうして己の強さを永遠にするとかそんな感じのやつだ。

 ジョニーは単純なやつで人が死ねばなんでもいいらしい。箸が転んでもおかしい年頃なのだろう。

 ではPoHは?

 たぶん彼もこれには好感を抱く。人の命のやり取りを観賞するのが好き……だと思う。

 だから私はこんなことをしたのだろうか?

 

「おおっ! 勝者に拍手! パチパチパチ」

 

 結局最初に殺した3人組が残った。

 彼らは全員HPをイエローゾーンに突入させているものの欠員はいない。これは想定通り。そうなるよう、レベルに偏りの出る分け方をした。

 想定外だったのはオレンジプレイヤーが1人殺せたこと。レッドがどうせ3人殺すのだろうと思っていたが、彼は土壇場になると狂乱のまま動ける人間だったのだろう。

 

「なに言ってるんすか。まだ残ってるっすよ? ほら、続けるっす」

 

 オレンジと元オレンジの2人は距離を取ろうとするが、レッドのプレイヤーはすぐに狙いを定め元オレンジを攻撃する。

 だがさっきの焼き回しで2人に1人は勝てない。

 レッドのプレイヤーが数的不利に見舞われ徐々にHPを減らしていく。

 今度はさっきのような降参宣言も、それを待つようなこともなく、ただ無情に元オレンジプレイヤーがレッドプレイヤーに止めを刺した。

 HPは元オレンジの方が少ない。だが戦いは一方的に彼の有利だった。殺す覚悟を持てなかったオレンジはあえなく殺される。

 HPをレッドゾーンに突入させた元オレンジプレイヤーがただ一人、その場には残された。

 

「いい見世物だった。エリにゃんやるやるやるぅうう!」

「俺は、合格か?」

「ん、どういうこと?」

「これはお前らの仲間になるための参入試験だったんだろ?」

「………………」

「俺はあいつらを上手く乗せて生き残ってやった。これで満足か?」

「偶然じゃなかったんすね」

「半分は無我夢中だったけどな」

 

 安堵に顔を綻ばせながら男は自慢げに語った。意外と頭の回る人物だったようだ。

 

「んー。でもまだ生き残りがいるっすね」

「は?」

 

 私は腰に下げた剣を抜く。

 彼の持っているような低級装備ではない。例えHPが最大だろうと、防具の着ていなプレイヤーなど一刀の元に切り伏せられる業物だ。

 

「私なんて言ったか覚えてるっすか?」

 

 ゆっくり彼に近づく。

 一歩距離を詰めるごとに、彼の表情は恐怖に染まっていく。

 得意げに実力を語った面影などない。

 

「これは正当な裁きっす」

 

 ソードスキル『ホリゾンタルスクエア』による4連撃が男の体を抉った。

 一撃目の攻撃ですでに男のHPは全損していた。しかし一度発動したソードスキルはシステムアシストによって私の身体を突き動かす。

 否。私はその威力を高めるべくシステムアシストに上乗せするように、アバターをソードスキルの軌跡に合わせて動かした。

 ポリゴンの飛散までかかるはずの数秒をキャンセルして瞬時に男の痕跡を消し去る。

 スキル硬直を終えた私は刀身を一振り。

 未だ宙を漂うエフェクトはそれをもって完全に消えた。

 

「………………」

「………………」

「………………」

 

 しばらく沈黙が続く。

 

「はぁ……。スッキリするっすね……」

 

 恍惚に顔を歪め、余韻を感じつつも私は剣を鞘に戻した。

 私のカーソルは返り血で染まったかのように赤く変わっている。もちろんそんなものはここでは流れないのだが。

 

「クヘッ。クヘヘハハハハハハハッ! 最高だよ、あんた! ああ、クソッ。俺もやりたくなってきたじゃんか」

「駄目っすよ。しばらくは囚人を殺すのはなしっす」

「えー、いいじゃん」

「あんまり派手にやるとバレちゃうっすから」

「なあボス。これから獲物見繕いに行きましょうよー」

「明日から大仕事だ。そのとき殺せばいい」

「あ、そうだった」

 

 うきうきと殺しの算段を立てる彼ら。

 虚空で手を何度か握りしめてみる。人殺しは初めてではなかった。以前、私はキバオウ派に入るために手を汚していた。

 

「お前は間違いなくこっち側だ。これからも仲良くしようぜ、兄妹」

「そりゃどうもっす。だったら面倒見てくださいよ、お兄ちゃん」

「ハッハッハ! いいぜ。ちゃんと可愛いがってやるよ」

 

 私たちは嗤う。暗い地の底で。狂った獣ように……。




ラフコフ結成前の3人。ここにエリとキバオウを入れた暗黒仲良し5人組。
書いてて一番楽しいのはジョニーです。彼は良いムードメイカー。
一番退屈なのはザザさん。GGOだとダースベイダーみたいで好きなんですけどね。

ジョニー「ないよ、剣ないよぉ?」
ザザ「シュコー……、シュコー……」


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10話 ギルド内抗争(4)

「諸君、この戦い共に勝利を得ようではないか!」

 

 MTDの会議室で、純白の金属鎧を着た男が高らかに叫んでいた。

 彼は今回の指揮を取ることになった『ルキウス』という名のプレイヤー。

 予備隊の1つを任されていたらしいのだが、今一つ記憶にない。華々しい戦果を上げた人物ではないようで。シンカーの肝いりで抜擢されたであろうことはこの数日で調べがついていた。

 25層の攻略は、24層に比べれば遅いものの順調に進んだ。

 すでに迷宮区はボスフロア直前まで探索が終了しており、転移のマーキングも終えている。

 

 DKBは今、内ゲバで攻略どころではないらしい。

 彼らも大きくなりすぎた組織の弊害として一枚岩ではなくなっている。そこへ取得アイテムの隠匿が発覚。敵対派閥をこれみよがしに攻撃していたが、突如メンバーがPKによって死亡する事件が起こった。

 死亡したのは優勢だった派閥の幹部。一致団結して事件を調べるかと思いきや、裏では相手の派閥を陥れる罠を幾重にも張る有様だったらしい。

 PK事件は相次ぎ、今の主流となっている情報では互いにPKを雇い、敵対派閥の主力メンバーを襲撃しているという内容だ。

 最初の一件はそうではなかったが、PoHの話によると彼らは現在本当にPKを雇い始めたらしい。

 このまま壊滅するんじゃないだろうか?

 

「それでは作戦の確認だ。説明を」

「はい」

 

 情報班の代表が、いつものようにボードに張られた紙を指揮棒で指す。

 彼らが今回の作戦から抜けないでいてくれたのは不幸中の幸いだ。現場指揮官どころか作戦立案者まで普段と別とかやっていられない。

 

「ボスフロアの探索が昨晩予備隊から上がりました。ボスの名称は『The Dual Giant』。略称を双頭巨人とします。ですが普段通り攻略中のフロアボスはボスと呼んでいただいて結構です」

 

 よく通る声に耳を傾けていないプレイヤーはいない。聞き逃せば自分や隣にいる仲間の命を脅かしかねないのだから当然だ。

 指揮棒で刺された紙面の中央にはデフォルメされた頭の2つある生き物のイラストが描かれている。

 

「HPのバーは5本。身長は約8メートル。蛇の頭が2つ。金属鎧を着ており、尻尾がありますがその部分まで覆われています。武器は両刃斧(バトルアックス)を2本。片手でそれぞれ装備。サブウェポンの類は発見されていません。使用ソードスキルは片手斧のものを使用したようです。ただ……」

 

 そこで言い澱むな。その部分で一番怖いのは私なんだぞ!

 

「攻撃力が極めて高く多くの情報が入手できていません。お手元の資料に攻撃を受けたタンクの防御力とダメージ量が記載されています」

 

 金属鎧は斬撃防御力を確保しやすいため、斧のような武器に対して通常のタンク装備で有利が取れるはずだ。偵察に出た予備隊のメンバーも例に漏れずガチガチに固めているが3連撃のソードスキルでHPが3割削られていた。タンクでこれということはフルヒットすれば軽装では即死だろう。全員に緊張が走る。

 

「質問っす。ボスのAGI(行動速度)は?」

「低かったようです」

 

 当たるな系のボスか。タンク泣かせであるがアタッカーの心労も総じて高い。

 避けるのが簡単でも当たれば即死な攻撃より、避けるのが難しくとも即死しない攻撃の方が皆好きだろう。

 

「続けますね。頭部からはそれぞれ特殊攻撃があり、どちらも着弾地点から円形のエリアを長時間発生させます。右頭部からは毒による継続ダメージ。左頭部からはAGI減少効果が確認済みです」

 

 こちらを遅くして、高威力攻撃を叩き込んでくる寸法か。

 配布資料にはターゲット条件が不明と書かれているので私以外のところに飛ぶ可能性が高い。運要素が絡むのはかなり嫌なのだが文句を言ってもしょうがない。気持ちを切り替えよう。

 

「また、モブが継続的にポップします。確認されたものは牛、蛙、鼠。これらはボスからのダメージを受ければ即死しますが、代わりにそれぞれ攻撃力アップ、不明、AGIアップのバフを長時間ボスに与えます。バフの解除方法は不明です」

 

 それは普段通りモブ狩りのパーティーに任せる他ない。

 

「ボスフロアについてですが崩れかけの遺跡がモチーフのようです。一部激しい高低差があります。ご注意ください。地形にはギミックは確認されていません。質問はありますか?」

 

 挙手が起こり次々に質問が上げられる。

 それを配布資料に書き加えて一通りの確認作業は30分もかからず終わった。

 作戦はいつも通りのことをいつも通りやるだけ。変わったギミックがあるわけではないので、誘導、分断、各個撃破だ。

 

「では60分後正面広場に集合。食事アイテムは各自指定の物を食べるように。集合後はすぐにフロアボスの攻略に移る。では解散!」

 

 ぞろぞろとパーティーメンバーと最終確認を始める攻略隊の面々。

 私もメンバーを集合させてパーティーを組む。

 第一パーティーはメインタンク、サブタンク、アタッカー3人、サブアタッカー1人で構成されている。サブアタッカーの仕事はギミック処理から緊急時のタンクと様々で、いうなれば雑用係である。

 

「エリさん。今日はよろしくお願いします!」

「よろしくっす」

 

 サブタンクに任命されたのはユウタだった。

 かなり不安だ。ここ数日の迷宮区攻略で私の方は癖を把握しているが、彼の方は微妙なところ。私はちょっと癖の強い動きをするから無理もないが当日までに煮詰めておけなかったのは悔やまれる。

 

「今回はボスの攻撃がかなり痛いみたいっすから、3人でローテ組むかもしれないっす。サブアタッカーのローズさんは覚悟しててくださいっす」

「おう」

 

 攻略隊の正規メンバー、ローズさんが野太い声で返事をしてくれた。

 ローズという名前だが彼は筋肉ムキムキの成人男性である。ネカマプレイをしようとして、あのはじまりの日に夢破れたのだろうか。それともあえてミスマッチの名前を使っているのだろうか。

 タマさんのことが少し頭をよぎる……。

 集中できてない証拠だ。良くない傾向である……。

 

「ユウタはどの武器使うっすか」

「こ、これです」

 

 彼が腰から抜いたのは刀身の短い片手直剣。

 許可をもらってデータを確認すると頑丈さが売りの耐久重視強化がされているようだった。

 

「悪くないんじゃないっすかね」

「エリさんは……なに使うか聞いても?」

「もちろんいいっすよ」

 

 タンクの攻撃力が大まかにでもわからない全員のヘイト管理が上手くいかなくなる。ヘイトの基本値はタンクで決まるのだ。

 私は腰に下げているものではなく、武器スキル派生Modによって習得できる『クイックチェンジ』のインベントリから生産品ではなくモンスタードロップの武器を装備して、パーティーメンバーにだけこっそりと見せた。

 

「なんですか、これ!?」

「とっておきっす」

 

 悪戯が成功したのが面白くて、私はつい笑ってしまった。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

「行くぞ。諸君!」

 

 巨大な鉄扉が鎮座する迷宮区の最奥。

 意匠の凝らされた鉄扉は軽く押されると、中に犠牲者を誘い込むがごとく内側に開くのをステータスを一時強化するポーションを飲みながら見届けた。

 

 攻略隊の顔色は大きく分ければ3パターン。

 緊張しているか、興奮しているか、リラックスしているかのいずれかだ。

 興奮しているのは予備隊上がりのプレイヤーが多い。

 リラックスをしているように見えるのはベテランの攻略隊正規メンバー――もいなくはないが、現状を把握していないんじゃないかという連中。

 緊張しているのが中核メンバーに当たる攻略隊の正規メンバー。かくいう私もこの中の1人だ。慣れたとは言い難いメンバーとの戦闘は敵もさることながら味方を警戒しなければならない。それ故の緊張だ。

 

 扉が開ききると、暗闇のベールが各所に点在する松明に炎が灯ることで剥がされる。

 100メートルはあるんじゃないかという広大な奥行。フロアボスの初期位置は中央よりも奥。そのシルエットが遠目からでもうっすらと確認できた。

 

 地面を蹴る。先頭を走るのは私の役目だ。

 少しでも移動速度を上げるため手にはなにも持たずにいる。STRに傾倒せざるを得ないため決して速くはないが、タンクが先に当たらなければ戦いは始まらない。

 左右には別のパーティーのアタッカーが並走している。彼らはボスを迂回するルートを取り、出現したモブの首を取りに行く。

 

 間近で見るボスの大きさは見慣れたものよりもだいぶ大きい。GIANT(巨人)と言うだけのことはある。だが前傾姿勢なのと首が長いこともあって聞いていたサイズほどではない。

 

「シャァアアア!」

 

 2つの頭からは威嚇するような擦れた鳴き声。

 ボスはプレイヤーが使う武器の何倍もある戦斧をそれぞれの手で軽々と構えると、ソードスキルの発動体勢を取った。

 私はようやく腰に下げた武器を抜く。序盤に使うのはこの隙が少ない速度重視の片手直剣だ。

 ソードスキルの発動を()()()()()()、私はそれを潜り抜けるよう突進系ソードスキル『ソニックリープ』を発動させた。

 背後で風を割る音。それから地面を砕く音がする。

 それを聞いてから私のソードスキルが金属鎧に覆われた足の関節部分にヒットする。

 戦端はここに開かれた!

 

 開いている左手を動かしクイックチェンジで即座に大盾を呼び出す。

 前からくるか。それとも後ろか……。

 身体を横に向けフェンシングのような体勢を取り、視線を左右に振って視界を広げる。

 ソードスキルは使用後に一瞬の硬直が発生する。それは使用するソードスキルや装備の重量で変わってくるのだが、私の場合着ている金属鎧が重いため長く待たされてしまう。

 当たってはいけない系に属する今回のボスはノーガードで受ければ回復のためのスイッチは必須。時間を稼ぐためにも技術だけでコンスタントに攻撃を当て続けなければならない。

 

 ――足蹴りっ!

 

 ボスの右足が大きく踏み込まれる。

 通常攻撃の直撃ほどにはならないだろうダメージだと予測する。いわゆる削りを目的とした弱攻撃。だが喰らってやる謂れもない。

 軸をずらし目の前を素通りさせる。

 剣は腰だめに。相手の勢いで刃を通す!

 

「セイッ!」

 

 背後の足が引き戻す予備動作を見せた。

 私は戻した際の空間をフォーカスロックして、ソードスキルの攻撃点を置く。

 姿勢を戻した瞬間に命中したのは片手直剣単発攻撃『ホリゾンタル』。

 剣を腰だめにした体勢からはこのソードスキルにノーモーションで繋がる。

 ボスの背後では回り込んだアタッカーが隙の少ない単発ソードスキルで様子を窺い始めた。

 ボスのHPは未だ最初のバーの1割も減少していない。

 

 ボスが巨大な戦斧を振り上げる。

 この位置ならソードスキルは命中しないはず。全方位攻撃か? モーションの初動を見逃すまいと挙動を注視する。

 想定されたのは薙ぎ払いによる全方位攻撃。空中系のアクロバティックな足元への攻撃。それから――、

 

「後衛、注意!」

 

 私の背後、つまりボスから見た正面の地面へ戦斧が振り下ろされた。

 戦斧はまるで当たる様子がない。だがそこから発せられる衝撃波のエフェクトは別だ。ソードスキルは剣が様々なエフェクトを纏って綺麗な軌跡を見せる。だが中にはエフェクトを飛ばすなりして射程を延長するタイプのものがある。片手直剣で代表的なのはスネークバイトだ。

 これも同じ原理。スネークバイトが射程の延長であるなら、こちらは攻撃範囲の拡大。

 回避不能。必中の間合い。

 大盾に身を潜め、次の瞬間手が痺れそうな衝撃に襲われる。

 私のHPは1割減少。損害は軽微。ただしガードの上からこのダメージだ。

 防御力を斬撃属性に傾倒し過ぎた。AGIを確保するために防具重量の低いものを選んだせいでもある。

 戦斧を持っているからといって斬撃属性オンリーなんてことはないか。

 体当たりをすれば打撃属性になるし、噛みつきは刺突属性扱い。継続ダメージのエリアは毒属性。ボスの鏡といわんばかりに幅の広い攻撃が期待できそうだ。

 ああ、厄介だな。目下の問題は戦斧のダメージは極めて危険だが、現在HPを削られている攻撃は斬撃属性以外によるということだ。

 

 突如ボスがチロリと舌を出してはあらぬ方向を向く。

 今度は何だ。タゲが外れるような甘い立ち回りはこの中の誰もしていないだろう。

 それは事前に報告のあったブレス攻撃だった。

 じっと狙いを定める右の蛇頭が、モブを攻撃しているプレイヤーへ向かって紫色の液体を放った。

 着弾点を体の向きを反転させて確認する。遠くで黒々とした水溜りが生まれ、今戦っていた鼠型エネミーが1体消滅した。

 ボスのHPバーの上にバフのアイコンが1個表示される。たしかAGIアップだったか。アイコンの端には小さく1と書かれていた。

 動きが見違えるほど速くなる、ということはなかった。

 若干速くなってはいるがまだまだ遅い部類で、対応も難しくはない。

 

 控えめの攻防。未知の行動に警戒を繰り返し、機知の行動から推測を立てる。

 目まぐるしいソードスキルのぶつかり合いは起こらない。戦いは地味に進み、プレイヤーが一方的に攻撃を当て続ける。

 元より人間と怪物(ボス)の戦いなどそんなものだ。

 攻撃力も防御力も桁外れに違う。わずかな優勢を積み重ね、数と戦術、特化した能力の組み合わせで相対する。

 

 ボスの取った行動で一番厄介だったのはソードスキルではなく、バックステップだった。

 大きく後ろに下がる。言葉にしてみればそれだけだが、詰められた間合いを外すのにこれほど最適な行動はない。

 頑強なタフネスは後退時の隙を支払っても十分な余裕がある。

 再接近するときは強力な戦斧に警戒しなければならず、範囲攻撃を織り交ぜられれば安易に突進系ソードスキルは使えない。

 もっとも、モブを狩っているパーティーからすれば遠距離攻撃が一番嫌だろうが。

 とはいえじりじりと互いのHPが削られるものの所詮はバーの1本目。未だ手の内を見せないボス相手に後れを取るようなことはない。

 

「スイッチッ! 3分、交代!」

 

 だがこちらのHPに比べ相手のHPは膨大だ。特に今回のようなガチガチに防御を固めた相手となれば尚更である。

 

「了解っ! ……スイッチ!」

 

 前衛が要請し、後衛がタイミングを計り合図を送る訓練通りのスイッチ。

 ユウタの合図を信じて私は大盾を使ったシールドタックルを足へと当てた。

 ボスは倒れるどころか体勢が崩れることさえない。

 そこに背後からソードスキルでユウタが割り込んだ。

 

 ――片手直剣ソードスキル『ホリゾンタルスクエア』。

 

 相手を巻き込むように繰り出す4連撃の軌跡は、ボスの片足を中心に空中へ四角のエフェクトを描く。

 押したところに反対側から力が加えられることでほんの少し足がグラついた。

 その隙に私は攻撃圏内から出るよう後退する。

 だがユウタの事前に稼いでいたヘイトが足りていなかった。ユウタではなく未だヘイトトップの私へ戦斧が振るわれる。

 完全な戦斧の間合い。

 大盾を前に掲げ、私は地面を()()()()()()

 

 身体はボールのように弾き飛ばされる。姿勢の軸だけは崩さない。

 数メートルを滑空した後、私は足鎧(サバトン)で地面に火花を散らしながら着地した。一瞬の飛翔だというのに地面が懐かしい。

 私のHPはそれほど減ってはいなかった。衝撃波の方がよほど痛かった。

 理由は直撃と同時に後ろへ跳んだのだからだ。それ以外にも斬撃防御に特化した鎧の防御力が桁外れなのもある。

 

「すいませんっ!」

「いいから前見るっす!」

 

 後ろを向いたユウタの顔が少し青くなっていた。だが視線を外したユウタに私は気が気でない。

 ボスはこれ以上私へ追撃してくることなく、攻撃を当て続けるユウタへターゲットを変えたようだ。

 

「3分休憩! 再開は次のスイッチからっす」

 

 攻撃していたアタッカーも手を緩める。

 私は一息吐いて、アイテムストレージからポーションを取り出し喉を潤した。

 ポーションのお供にチョコレートも一口。

 戦闘中の小休憩。このチョコレートは食事バフのかからない疑似食事アイテムという謎のアイテムだ。だがこれがとてもありがたい。食事バフが上書きされないおかげで、こうして戦闘中の休憩に食べることができるのだから。まさかカロリーの代わりにバフを気にして食事制限をする羽目になるとはソードアートオンラインを始める前には想像もしていなかった。

 

 時計を見ると戦闘開始から10分が経過していた。

 ボスのHPは残り1割といったところ。5本あるバーうちの1本が1割だ。かなり遅い。

 HPバーを失うことでボスは行動が解放されていく。その能力は大概やっかいで、ここからが本番であるということを意味している。

 しかし私の懸念は別にあった。指揮官のユリウスだ。彼はモブへの攻撃指揮を執っていたようだが、お世辞にも上手いとは言えない。バーを削りきる前に行う休憩の指示も本来は彼の役目である。

 最低限モブを処理してボスへ近づけないようにはしているが、遠距離攻撃の回避はプレイヤー任せ。その結果4体のモブがバフに変えられていた。回避できたのはたったの1回。それもプレイヤーの個人的技量の賜物でしかない。

 また、攻撃隊のローテーションも上手く回っていない。

 他パーティーの手隙なアタッカーも普段であれば純繰りにボス攻撃へ加わる。そうすることでアタッカー1人1人のヘイトを低くしたままダメージを稼ぐことができるのだ。

 ルキウスも一応やろうとはしている。だがいつもの流れるような連携とは言い難い。もっとも、これはアタッカーも予備隊上がりの新規がいるためルキウスの責任だけではないが。

 

「どうっすか?」

 

 戦場を見渡すルキウスに声をかける。

 

「悪くない状況だ」

 

 不安を見せないようにして、士気を保たせようとしているのか。

 それとも現状を認識していないのか……。微妙なラインだ。

 

「もう少し北西側に寄せないっすか?」

「ふむ……。いや、その必要はない」

「了解っす」

 

 現在、ボスの発生させたダメージエリアとAGI低下エリアは東に偏っている。

 偶然だろうか。ともあれそのエリアから離したかったのがひとつ。もうひとつは出入り口が北にあるからだ。

 撤退のときは転移結晶を惜しまず使うが、転移までの待機時間は移動が行えず、攻撃を受けると行動がキャンセルされてしまう。そのため敵と接敵中には使う暇がない。ボスと接敵しているタンクは、そのせいで転移結晶での離脱が不可能なのだ。

 おかげで撤退時はいつも出入口からとなり死にそうな目に合う。

 安全を確保するならなるべく出入口から戦線を離さない方がいい。

 

 今回の攻略はまず撤退になる。

 キバオウからの指示もあるが、フロアボスが強く、それに反して味方が弱い。キバオウが指揮を取っていたとしても情報を収集できるだけ収集したら、撤退して作戦を練り直すだろう。

 ユリウスはどのくらいを試算しているのだろうか?

 

 3分はあっという間だ。

 残り1分。私は手早くメニューウィンドを操作して、防具を所々変更していく。

 鎧は斬撃属性特化ではなくオールラウンダーに。大盾は中盾に変更。アクセサリーをレアなAGI強化の効果がついた一式で固める。

 機動力を上げて戦斧はすべて回避する算段だ。

 私のスキルスロットの1つは『所持重量増加』で埋められている。元々採取アイテムを沢山持てるくらいの気持ちで習得したが、採取に出掛けなくなった現在はこうした変更用の装備を持ち歩くために役立っている。

 

 あとは……、武器はどうするか。これは少し悩ましいが撤退を前提にするならもう使うべきだろう。

 私がクイックチェンジで取り出したのはとても粗野な武器だ。

 

 ――『ストーンファング』。私のとっておきの魔剣だ。

 

 岩盤から削りだしたような赤茶色の塊。

 刀身はまるで研がれていない。それどころか平たく、これで剣と言い張るには無理があった。どうにか柄と鍔と刀身部分を見分けることができるだけで、子供の作った失敗作の玩具であると言われた方が納得がいく。

 材質が凄いのか要求STRの高さに比例して攻撃力の補正が高い。これより基本攻撃力の高い片手直剣はいくらでもあるが、STRの補正が高いおかげでタンクのようなSTRにかなり傾いたステータスを持つなら十分張り合えるほどだ。

 だが特徴的なのはこの武器に施されたユニーク効果。この武器による攻撃は打撃属性として扱われるというもの。

 重いのは難点だがそれでも重たい槌と比べればマシな部類。

 スキル制によって武器種の変更が難しいソードアートオンラインでこの効果はかなり強い。

 二度、三度重い柄を握りしめ私は呼吸を整えた。

 

「休憩終わり。DPS上げてくっすよ。スイッチ準備!」

 

 中盾の表面を剣の柄尻でカンカンと鳴らし全体に合図を送る。

 なんで私がしないといけないのか……。指揮はルキウスの仕事だろうに。

 

「スイッチ準備っ!」

「……スイッチっす!」

 

 余計な考えは一端置いていく。フロアボス相手にそんな余裕はない。

 私は一際軽くなった体で風を切り、未だ健在なボスの鎧へソードスキルを叩き込んだ。



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11話 ギルド内抗争(5)

 HPバーの1本を失ったボスに追加された行動は全方位攻撃と噛みつき攻撃だけだった。

 咆哮(ハウリング)による全方位攻撃は近距離なら回避不能だったが威力は極めて弱く、アタッカーでさえノーガードで1割削れるかどうかという代物だった。タンクなどミリで削れるだけのチャンスタイムにしかならない。しかもノックバックの判定はない。

 最初は設定ミスかと思ったがそれはまったくの誤解だった。ボスはかなり性格の悪いやつがルーチンを組んだに違いない。

 咆哮は範囲に優れ射程は10メートルもあり、これを突進系のソードスキルやバックステップに組み合わせて使ってくる。それが問題だった。

 モブにボスの攻撃が当たるのだ。

 ここに登場するモブはボスの強力な配下ではなく、ボスを強化する餌である。攻撃が当たれば残りHPに関係なくモブは撃破され、ボスはバフを獲得して強化される。

 

 バフはどれもが厄介だった。

 鼠バフのAGI強化は勿論のこと。牛バフの攻撃力増加、と思い込んでいたバフは実際はSTR強化で、これも貯まるとボスは速くなる。

 STRは筋力を表すステータスだ。装備に必要ステータスとして要求され、要求値が高いほど大抵は重たいものとなる。装備は重ければ重いほど攻撃後の硬直時間が伸び、AGIにマイナスの補正がかかる。

 ここでいう重たいとはSTRに対しての相対的な値のことだ。STRによって装備できる重量は決まっていて、一定の割合を超えると大きくAGIが減少する。

 重量級装備より中量級装備の方が、中量級装備より軽量級装備の方が速いというイメージだ。

 今はまだ重量級装備に収まっているが、いつこれがボスにとっての中量級になるのかはわからない。

 中量級になってしまえばこのボスは、遅いが威力のあるタイプから、遅くないのに威力のあるタイプに変身してしまう。軽量級になれば素早く動き攻撃が当たれば相手は死ぬ、というバランスブレイクした姿になるだろう。

 

「ローズさんっ。いけるっすか!?」

「無論だ。合図を出す」

 

 まだユウタに余裕はある。もちろん私にも。

 だが他の箇所は分からない。

 ルキウスはこれまでに「いいぞ!」だの「その調子だ!」なんて言葉しか発していない。モブの狩り漏らし――咆哮攻撃に当たっているせいだが――まで出ていては気が気でなかった。

 最低限、ボスのモーションを見て各パーティーへ警戒を促してもらいたい。

 

「スイッチ! ハァアアア!」

 

 ローズの武器は重量級の両手槌。

 ボスに追加された噛みつき攻撃は頭部が接近するため相性が良いはずだ。タイミングを合わせればスタンが狙える。

 今のうちにタイミングを肌で感じてもらい、その間私はルキウスと協議する算段だった。

 

「ルキウスさん」

「なんだ? 今は忙しい……」

 

 なにが忙しいんすかという言葉を寸前で飲み込む。

 

「攻撃の事前モーションから、ターゲットされたプレイヤーに注意を呼びかけることは可能っすか?」

「それは……。うむ……」

「ブレス攻撃の直前はターゲットプレイヤーを不自然に視線で補足するっす。あと舌をチロチロしてるからそれも見分けるコツになると思うんすけど」

「そういうのはだな、もっと早く言ってくれたまえ」

 

 見てわかれ、というのは横暴だろうか? もう10回以上も使ってきているんだから、そのくらいわかるだろうという気持ちの方が大きい。いや、初見で気がつけ。

 

「それで、できるっすか?」

「ああ。やっておこう」

「それとどこまで進めるつもりっすか?」

「どこまでというと……。撤退を考えているのか?」

「そうっすね。今回は行動パターンの割り出しで手いっぱいっすよ。まだ2本目であれだけバフが溜まってるのも不味いっす」

「それはこれ以上積み重ねなければいいだけの話だ」

 

 ブレスによるエリアの汚染はかなり長い。

 最初に放たれたいくつかは時間経過で消えたが、それ以外は未だその場に留まっている。解除条件があるかもしれないが、今回で見つかるのは望み薄だ。

 行動範囲が絞られモブの撃破難易度はかなり上がってる。ルキウスが危機感を覚えていないのはアタッカーへの負担が今回大きいのに、それに気がつけないトリックがあるからだ。

 モブと戦うアタッカーが押されていると感じるのは、モブが強力でHPを削られる状況だろう。今回のモブはその点はかなり簡単だ。攻撃パターンは少なく、攻撃力も然程高くない。迷宮区のエネミーの方が断然強い。

 しかしここに行動制限が加わる。ボスの攻撃をモブに当ててはならないという制限だ。

 これに失敗してもアタッカーは問題を感じられない。モブが強化されるわけではないのだから。被害を被るのはいつだってタンクの仕事だ。

 ボスは着実に強化されている。前衛が破綻すれば、今までに見たことのない凶悪なスペックでプレイヤーをずたずたに引き裂くだろう。

 

「3本目が限界っす。4本目は認められないっすよ」

「……それを決めるのは私だ。だが考えておこう」

 

 かなり不味いことになった。

 タンクの強権を使って無理やり撤退に追い込むことはできる。

 わざと前線を支えなければいいのだ。そうすれば被害は出るだろうが撤退せざるを得なくなる。あるいは信頼をチップに撤退を呼びかけるという手もあるだろう。攻略隊を二分しかねないが、こちらのほうが穏便に終わる可能性が高い。

 

 しかしそれで足りるのか?

 

 ここにきて私はようやく自分の立場について考え始めた。

 この攻略はシンカー派のルキウスによる失態で失敗しなければならない。

 つまり失敗することが前提の作戦。どれだけ私や()()()()()に被害が出ないようにするかが重要で、最悪ルキウスにはここで死んでもらってもいい。

 

「持ち場に戻りたまえ」

 

 ルキウスはそういう意味では優秀な指揮官――なのだろうか?

 上手く失敗するというのは失敗が許されているのとはまったくの別だ。これが考えていた以上に複雑で難度の高い仕事だと私は今更になって気がついた。

 

「………………」

 

 このまま攻略は続ける。ルキウスには死んでもらう。結果は撤退ではなく敗走に。

 どうやってルキウスを殺すか。敗走戦でどうやって生き残るか。問題はこの2つか。

 このままいけば前線が破綻するのは確実だ。それでもボス戦を続けさせるだけの勝ち筋をチラつかせれば喰いつくのではないか?

 ルキウスはこの攻略にかなり積極的だ。彼も彼で、どうしても勝たなければならないという役割がある。

 

「どうした? まだなにかあるのか?」

「ルキウスさんは勝てると思うっすか、今日の攻略で?」

 

 信頼している、という意思を込めた眼力でルキウスの瞳を覗き込む。

 ルキウスの目には不安がある。それを振り払おうとして視野が狭まっているのだと思う。だがそれは彼には本来高い実力があるという意味ではない。

 

「勝てる。勝つのだ。勝たなければならない!」

「そうっすね……。私たちは多くのプレイヤーに支えられてここにいるっす。信頼されて始めて、こうして戦える。言われるまでもない話かもしれないっすけどね。だから……。その信頼には私も答えたいっす。少しでも早くこのクソみたいなゲームを終わらせる。それが私たちにできる信頼に答えるってことなんすよね!」

「……そうだとも。我々は彼らのために勝つのだ。私利私欲のためではない。手伝ってくれるか、エリくん」

「もちろんっすよ」

 

 まあこんなところでいいか。

 話した内容はどうでもよかった。信頼されていると思わせることができればそれでいい。信頼できる仲間がいるというのは、それだけで人をなんだか勝てる気にさせてくれる。

 勝て気がるのだから、逃げる必要はない。

 

「そうだ。消耗品、わけてもらっていいっすか?」

「そうだな。君のようなタンクは特に消耗も激しいだろう。代わりにボスの相手は頼んだぞ」

 

 力強く頷き、回復結晶を分けてもらう。

 これは別に珍しいことではなかった。所持限界数のあるアイテムは余ってるプレイヤーからこうして戦闘中に分けてもらう。どうせルキウスは余らせるから私の手元で保管したほうが有意義なだけだ。

 

「お待たせしたっす」

「よし交代だ」

「スイッチッ!」

 

 ローズのかち上げから懐に入り、ダメージの高いソードスキルでヘイトを取り戻す。

 

「エリ。こいつは頭部への攻撃でスタンしない。気をつけろ」

 

 ローズの忠告が背後から聞こえる。

 頭が2つあるからか、面倒な特性を持っている。折角の打撃属性がダメージの上昇にしか役立たないではないか……。

 しかし文句を言いたいのはローズも同じだろう。気持ちを切り替えてボスのヘイト稼ぎに勤しむ。

 

 戦闘開始からどのくらい経ったのだろうか。ボスのバフは結構な数、累積している。最初に比べればその速度は雲泥の差だろう。

 速度重視の状態ならまだ平気だ。だがここからもっと先へ加速しなければならない。

 この先ボスは重量級の鎧が中量級にまでSTRは上昇するのだから、私はここで足踏みをしてはいられない。

 

 眼前に迫る蛇頭。毒状態による継続ダメージと、牙による刺突ダメージを与えてくる噛みつき攻撃。

 身体を後ろに倒すが蛇の首はかなり長くどこまでも私を追いかける。首というよりもむしろ蛇の胴体のようだ。

 物理演算によって倒れる身体を足で支えることを放棄すると天井が視界に広がった。このまま地面に倒れても蛇頭の攻撃は命中するだろう。そうならないために私はソードスキル『レイジスパイク』を起動する。

 

 ソードスキルのモーションは物理演算の影響を受けない。

 空中で使えば落下は一時停止するし突進系であれば移動も可能だ。吹き飛ばされたときに使えばブレーキにもなる。使えればという条件付きだが。

 ではその方向はどうやって設定されているのか。

 フォーカスロックが第一ではあるが、それは攻撃の終点を決定しているだけに過ぎない。基本的な軌道は体勢によって決定されるのだ。すなわち体を向けた方向に前進する。

 突進技は地面に足を着けた状態の姿勢が発動モーションに設定されているため難しいが、斜めに傾いた状態で正しく姿勢を取れたのなら、ソードスキルは斜めに飛び出す軌道を描く。

 ソードスキルは斜めに傾いた状態を起点として、思い描いた通りの軌道で剣と共に私を走らせた。

 システムアシストに合わせてアバターを動かせば威力が上昇する。だから私はシステムアシストと共に存在しない地面を蹴り加速した。

 

 ガリガリと仮想の肉を引き裂くような感触。ボスの防具で覆われていない唯一の箇所を打撃属性の攻撃が斬撃属性のモーションで引き裂いた。それは切り傷ではありえないズタズタに裂けたような荒い傷のエフェクトを残すが、仮想世界のアバターが薄皮の下に秘めているのは血の通った体ではなくフレームに押し込められたポリゴンだ。傷痕はグロテスクでない、よくわからない色彩くらいにしか見えない。

 

 ソードスキルが終わった私に物理演算が思い出したかのように仕事を始め、勢いのまま放物線を描いてボスの胸元に飛び込もうとしていた。

 剣をさっと逆手に持ち返し体重を乗せて叩きつける。乱暴な使いかたをしても耐久値がなかなか減らないのもこのストーンファングの良い所だ。

 

「HP、残り3本!」

 

 ついにボスのHPバーの3本目に傷が入る。

 まだまだ折り返し地点。私は残り2本になったところで解放されるであろう強力な行動を皮切りに戦線を崩壊させる腹積もりであった。

 

「シュルルルルル……」

 

 威嚇ではない。蛇語はわからないがそう感じた。

 だが意味のないまばたきや呼吸のモーションとは違う。

 呼吸にしては静かで長い。まるで息を整えるかのような……。

 

「シィィイイイイイッ!!」

 

 身体が浮く。

 背後から襲い掛かった戦斧に絡め取られたのだと遅れて気づく。

 高速で接近するものに盾を向けるのは条件反射だった。直撃ではなく不完全なガードの上からのダメージだ。それでもアバターを通して送られてくる不快感。自身のHPバーを見れば4割が一度に失われていた。

 バックステップに斬り払いを組み合わせた攻撃。問題はそのモーションが桁外れに速くなっているということ。

 

 注意すれば目で追えるか?

 

 すでに私は頭の中で対処手段を考え初めていたが、ボスの行動はまだ終わっていなかった。行動後の硬直モーション。特に移動系の行動には顕著に表れるそれを過信していた。

 

「う、うぉおおおおおおっ!?」

 

 蹴り飛ばしをガード。横薙ぎをかがんでやりすごす。地面を叩くような斜めの斬り降ろし。それを左右の手で途切れることなく繰り返すがステップで避け続けるが何度か掠る。剣を投棄してポーチに括りつけてある回復結晶をワンモーションで砕いた。振り下ろされた戦斧の片方が地面に刺さり、それが力任せに振り上げられると石畳を砕きながら石飛礫が飛びかう。石飛礫にはダメージはほぼない。当たるもののHPはミリでしか削れていない。だが反対の腕はすでに薙ぎ払いのモーションに移っていた。地面すれすれ。下にスペースはなく、上に飛べば続く連撃にすり潰される。攻撃の手がこれで終わる保証などどこにもないのだ。ソードスキルによる離脱? 剣はない。却下。思案は一瞬。考えるより先に身体を動かし盾に空いた右腕を添えて防御態勢を取る。後ろに引く手段は今は取れない。下がれば戦線は崩壊だ。吹き飛ばないよう重心を落とす。激しい衝撃。盾が捲られる。視界が開け、次の挙動へ心構えをする。そこでようやくボスの猛攻は終わった。

 ボスは力なく戦斧を下げ、肩で息をしている。

 

「スイッチ……」

「へっ? は、はいっ!」

 

 今の光景を見ていた者は動けずにいた。

 ボスがいつ息を吹き返すのか。そのとき側にいれば自分がどうなるのか、簡単に想像できたからだ。

 いや。それだけではない。

 身をもってそれを証明したプレイヤーがいた。

 ガラスの砕けるような音が木霊する。パーティーリストに並んだHPバー。その1つは完全に空になっていた。名前が灰色に変わる。

 死んだのだ。たった一瞬の攻防で。レベルや残りHPの安全マージンなどあってないようなものだった。私のHPも黄色に変わっていた。途中の瞬間回復がなければ脱落者は2人になっていただろう。

 

 これまでか?

 静まり返った空気がそう物語っている。

 駄目だ。()()()()()()

 1人死んだ。それは痛ましい事件だろう。だが決定的な問題にはならない。この程度ならPKにでも頼んで殺させた方がマシだ。

 だから私はルキウスに強い視線を向ける。私はまだ戦えるぞ、と。

 その視線がルキウスと重なった。

 

「なにをしている、攻撃を続けろ!」

 

 ルキウスの号令で止まっていた時間が動き出す。

 

「連続攻撃後は長時間隙を作るようだ。そこ()()を攻撃しろ! それ以外は決して近づくな!」

 

 そうなるか……。

 一気に削れるタイミングこそ得たものの、釣り合わないリスクだった。クールタイムが分かるまでボスへのダメージは激減するだろう。

 私はポーションを飲みながら消費した分の回復結晶をオブジェクト化してポーチにつけ、他プレイヤーから余りを受け取る。落とした剣は回収を任せ、装備は初期の斬撃体制特化を混ぜる。AGIの確保をしなければ防御力だけで対処はできない。増えた総重量は武器を軽くすることで少しだけ誤魔化す。

 ボスが活動を再開した。停止時間は1分ない。

 

「スイッチ!」

「はいっ!」

 

 ユウタは攻撃を受け流し、すぐに離脱した。

 なんでこんなことになっているのだろうか?

 悲しいかな。この問題はキバオウの側近である私が死んでも解決してしまう。メインタンクの不在は今後の攻略に支障が出るからだ。

 だが死にたくない。死にたくないが下手に退けばどうなるか。PoHの顔を思い浮かべてみればわかる。駄目だ。顔わからん。だが殺されるんじゃないかくらいは思ってる。それだけ今回の件は重たい。

 

 ソードスキルは使ったが最後、タイミング悪くあの発狂モードが始まれば私の頭も電子レンジでチンとなるだろう。

 システムさえアシストしてくれない孤独な戦いが幕を開けた。

 もう、頼りになる『ローズ』はいない。



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12話 ギルド内抗争(6)

 辛い。苦しい。嫌だ。逃げ出したい。どうして私だけがこんな目に……。

 フルレイド48名。現在は47名に減ってしまったが、フロアボスと戦っているプレイヤーはそれほどの人数がいる。

 しかし私は寂しかった。

 この一瞬の油断が命取りになるフロアボスを前に、その凶悪な攻撃力でも、尋常ならざる連続攻撃でも、遅々として削られない防御力でもなく、私は孤独が最も恐ろしかった。

 誰も助けてくれない。

 失敗すれば私は死ぬが、他の誰かが失敗しても彼らは死なない。場合によっては私の死期を早める手伝いになるだろう。

 

 なんでこんなコンセプトのボスを作ったのか?

 まるでメインタンクにすべてを押し付けるような戦いだ。勝てば確かにタンクを最後まで務めたプレイヤーは称賛されるだろう。すべてがこのタンクに集約されるからだ。今の状況は極めてわかりやすい演劇だった。

 

 近づくことすらできない連続攻撃。

 これを一身で捌き、攻撃のチャンスまで他プレイヤーを観客に変える。

 見ればわかる。あんな化け物と戦うのは無理だと。どこかで致命的な失敗をした。もう一度最初から仕切り直すべきだ。情報収集が足りていなかった。

 誰もがそう思うような状況の中、それでも前に立ち攻撃を受け続けなければならない。

 なんなんだ、このボスは!

 

「くふっ……」

「シュルルルルル……」

 

 なんだか笑えてきた。こいつも笑っている気がする。

 そうしていると5回目の連続攻撃が開始された。

 気の狂ったような猛攻。それを掻い潜るごとに私の精神の歯車が狂っていくような気がした。

 クールタイムは未だ不明。開始前に特殊な鳴き方をすると思いきやそうでない場合もあった。攻撃パターンは存在しない。いや、連続攻撃と仮称したがこれはそもそも攻撃ではないと考え始めていた。

 この技の正体。それはおそらくAGIの上昇と硬直時間の無効化だ。

 ひとつひとつの動作を分解して見れば、それは今までの行動の組み合わせだということがわかる。ブレスや噛みつき、咆哮などのわかりやすい行動は使わなくなり、ソードスキルのエフェクトも発生しなくなるためわかりにくいが、半ばそうだと確信していた。

 

 足元に攻撃する方法は3種類。

 バックステップ。足蹴り。ソードスキルの衝撃波。

 見るべき個所を見ればどの攻撃を行うかは事前にわかる。

 今回は引き足をしておらず戦斧を振り上げていないから足蹴り。それを判断した瞬間にはすでに動いていた。私だけでもボスだけでもなく、お互いに。

 風圧が髪を揺らす。なんとか避けれた。そう安堵する間もなく次の攻撃は繰り出されている。

 

 ダダダダダダダッ!!

 

 再び足蹴り。足蹴り。足蹴り。繰り返されるモーションが掘削機のような騒音を奏でる。実際に地面はその威力によって削られている。

 次の攻撃が到達するまでの時間を稼ぐため、どうしても足から距離を置かなければならない。そうしなければ再び足蹴りだった場合回避に必要な距離が足りなくなる。

 だがそれは戦斧の殺傷圏内に誘い込まれることと同義であった。

 より当てやすい攻撃を選んでいるのか戦斧の攻撃は衝撃波を多く使ってくる。

 盾でガード。HPが2割減る。しかしこれで終わりではない。反対の腕がすでに同じモーションを取っている。再び2割のダメージ。さらにもう一度!

 しかしもう受けはしない。攻撃の衝撃で加速して私は股下を潜り抜ける。

 ボスへ近づいているプレイヤーがいないのは、ボスの攻撃を一方向に固定しなくていいというメリットもあった。

 だがボスは攻撃の手を緩めない。バックステップですぐに私を追い越す。その上なんと戦斧が()()で振り下ろされた。

 

 スローに映る視界が、虚空を滑りながら近づいて来る衝撃波を捉えた。

 

 盾の面積が足りない。すり抜けるっ!

 剣を持った手で回復結晶を割る。HPが減少を始めた。6割から5割、4割、3割と下降してそこから持ち直し4割で停止する。

 着地する前にボスは反対の手で薙ぎ払いを繰り出し、私はガードを合わせて弾き跳ぶ。

 空中で即座に回復結晶を割る。赤色に変わるHPに冷や冷やしながら突進系のソードスキルで私を追いかけるボスに突進系ソードスキルを合わせて位置を入れ替える。

 一瞬の交差。着地と同時に受ける硬直時間がとても長く感じた。

 

「はぁ……、はぁ……」

 

 背後からの殺気はない。8回目でも私は死ななかった。

 息苦しさはないのはずなのに呼吸が荒い。無駄なところに意識が割かれている証拠だ。

 仮想の肉体は酸素がいらない。呼吸をしなければ窒息によるペナルティーを受けるが、こうまでして無理に空気を吸う必要など本当はないのだ。

 だからこれは無駄なこと。無駄を省けばもっと上手くやれる。

 

「回復結晶っ!」

 

 ポーションでの補給(回復)。もう甘味を口にしている余裕はない。

 緊張の糸はインターバルの間でも張りつめたまま。一度途切れればそのまま死ねる。

 集められていた回復結晶をポーチに装着。防具の耐久力をチェックするがかなり消耗している。だが重量は増やせない。軽い防具へ交換し防御力を犠牲にスピードをキープする。

 ああ……。もう戦闘に戻る時間だ。

 

 ボスHPは3本目のバーが残り1割あるかないか。ボスの鎧も所々擦り切れ、戦いの激しさを物語っている。

 連続攻撃モードはクールタイムは判明していないが最低1分はある。だからこのまま一気に押し切る事も可能なのだが、解放されるであろう新行動に怯えて誰も手出しはできまい。

 

 ユウタとスイッチを行い、私は前方へ立ち塞がる。

 通常状態での行動は止まって見える。どのような組み合わせで攻撃してこようとも、もう当たる事さえない。これでもSTR型なのだが……。

 ソードアートオンラインの基礎ステータスはレベルアップの割り振りと装備による強化で構成される。レベルアップで割り振れるのはSTRかAGIの2種類のみ。かなりシンプルである。

 STRの高いプレイヤーは高威力、高防御。AGIの高いプレイヤーは多攻撃、高回避となる。防御方法が変わり、有利な敵タイプこそ違うものの平均してDPSは同じくらいに落ち着く。

 このボスはAGI型が不利だ。連続攻撃では回避不能な組み合わせが存在する。しかしAGIが足りなければガードさえ間に合わない。

 絶妙な配分のバランスが必要とされるといえば聞こえはいいが、実際のところレベルが足りていない。

 25層の安全マージンは35。フロアボス相手でもギリギリ足りるが、可能なら38は欲しい。私のレベルは42でこれを大きく上回る。理論上なら32層の敵を安全に倒せるはずなのだ。

 

 なにかギミックがあるはず……。あるいは、もう手遅れなのかもしれない。

 ボスのHPバーの上に並ぶバフアイコン。時間経過で減少しないのは確実で、積もりに積もった強化は、ミスを取り返せないことを意味している。

 このバフが重なり過ぎたのが原因なら、すでに攻略するための前提は破綻しているのだろう。

 

 9回目の連続攻撃。

 一呼吸の間に3度は繰り出される攻撃。それでは到底終わらない。指をすべて折って数えてもまだ足りない。数えているプレイヤーなどいないだろう。傍目から見て、目で追えるのかは甚だ疑問だ。

 一撃でHPの半分が削られる。回復結晶をHPが減少している合間に差し込む。

 これで最後なら剣はいらないか。最初のとき同様ストーンファングを手放し、利き腕で結晶アイテムを握る。

 消耗しているのだろう。軽くなったことで若干スピードが上がっているはずなのに、防御が間に合わなくなっている。このままでは逃げきれない。

 ならもっと軽く。もっと速く……。

 連続攻撃の残り時間はおそらく5秒。盾を捨てる。左手に回復結晶を握った。ガードの代わりに回復で受ける。

 

「――――――っ!」

 

 声は出ない。息継ぎのする間はない。

 横薙ぎの戦斧を飛び越える。叩き落とそうとする反対の戦斧。私は刃の上に乗りそれを避ける。振り落とされるまでは一瞬。地面をバウンドする私を掬い上げるように振るわれた戦斧。駄目だ避けられない。直撃と同時に回復結晶を使用。ダメージと回復がせめぎ合いHPバーの緑色がガタガタと小刻みに振動する。

 打ち上げられた私にもう逃げ場所はない。HPは残り3割。

 

 ボスの双頭がニヤリと笑った気がした。

 

 

 

 単発ソードスキルによる渾身の攻撃。

 

 

 

 

 

 手を虚空へ伸ばす。

 

 

 

 

 

 

 

 目を潰すほどの激しいエフェクト。

 

 

 

 

 

 

 

 

「エリさんっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遠くから聞こえる叫び声。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私はまだ死んでいないっ!

 ガバリと起き上がり、瓦礫の中から這い出る。

 蓋をするように私の上に覆いかぶさっているのはガード性能の最高峰、大盾(タワシ)

 さっきのエフェクト光はクイックチェンジで呼び出された盾と戦斧が干渉し合って起こったものだと思う。

 大盾の中央には刃型の穴が開いていて、私の身代わりにポリゴンとなって崩れ去る。

 だいぶ遠くまで弾き飛ばされたようだ。遠くに動かなくなったボスが見える。だが動かなくなったのはプレイヤーも同じ。どうやら私が死んだと思っているらしい。

 

「やれぇええええええええ!」

 

 声を張り上げた。

 私の生存に喜んだ彼らは、武器を握りしめボスへ斬りかかる。

 回復処理と補給処理を手早く済ませる。

 ああ……。長かった。

 HPバーの3本目が消える。

 彼らはきっと達成感に打ち震えているのだろう。私だってそうだ。

 だが理解しているのか?

 ボスはまた1つ戒めを失い、さらなる力を振るうということを。

 

「た、退避しろ馬鹿者どもっ!」

 

 最初に反応したのはルキウスだった。なんだ、やればできるじゃないか。

 私はボスから離れすぎている。ユウタが残っているがさっきのアレを1度でも凌げるかと聞かれれば不可能だろう。彼には実力が足りていない。それ以上の行動――もはや想像がつかないが――が解放されたとすれば万に一つもない。

 つまり……。つまりユウタは……。

 

「クソっすねっ……!」

 

 走り出す。

 間に合うか? いいや間に合え!

 何が起こるかわからない。たぶん私でも今度は死ぬ。

 それでも……っ!

 

 ボスに変化が起こる。

 首が――抜けた。

 鎧から這い出たのは大蛇だ。それも2匹()()()()

 ガントレットが、グリーブが、キュイス解けていき中から手足から4匹、合計6匹の大蛇が現れた。音を立てて落下する鎧は私の大盾同様にポリゴンに変わり消滅する。

 

『The Giant Eater』

 

 それぞれが1本のHPバーを有する6体のボス。

 ステータス上昇バフは全員が元のまま保有している。

 

「散開! 各パーティーのタンクはボスを誘導しろ!」

 

 セオリー通りにルキウスは分散を選ぶ。

 訓練されたレイドパーティーの強みとして、こうした全体行動の迅速さがある。

 パーティー番号による散開時における区画の割り当ては誘導先がかち合うことを未然に防いでくれる。特にこのような多数の散開は大ギルドでなければ事前情報なしには成し遂げられないだろう。

 いや。それでも難攻している。

 ただの散開であれば可能だったが、今回はフロアにAGI減少と継続ダメージのエリアがばら撒かれているのが障害となっていた。

 よく観察すると汚染されているエリアはそれぞれ若干範囲が違う。おそらく蛙バフは特殊攻撃の範囲強化だったのだろう。

 

「私がパターン読むっす。スイッチッ!」

「お願いします!」

 

 ユウタと場所を入れ替わる。

 分裂したボスはヘイトがリセットされているようだ。そうでなければ6匹の群れに私は襲われていただろう。一からヘイトを稼ぎ直す。

 問題はこの形態がどれほど強いかだ。こいつには私たちを倒してもらわなければならない。

 

 身体をばねのようにしてボスが跳びかかる。

 動きは速い。高速戦闘を要求されるタイプだ。盾で受けるがダメージは低い。毒属性の継続ダメージがメインなのか威力は低い。

 防御力はかなり低くなっているがそれでもフロアボスとしてフィールドに出るエネミーよりはだいぶある。

 ブレス攻撃のターゲットはタンクに変わった。これは厄介で使用されるたびに場所を変えなければならない。AGI低下しか使ってこないところを見るにどちらか片方の種類しか使えないのだろう。

 だがAGIが低下してもこのくらいの基礎スペックであれば余裕だ。

 

「ちっ。なかなか手強いな……」

 

 パーティーの誰かが呟いた。

 そんなことはない。ハッキリ言えば弱かった。ユウタでもこれなら相手が務まる。

 もしかすれば呟いた彼はこれまでの戦闘全体を通してそう言いたかったのかもしれない。それなら納得だ。

 だが。困ったことになった……。

 まさかさっきの状態が最高スペックで、後半戦が弱いタイプのボスなのか?

 このままでは勝ってしまう。だが手を抜いたところでもう遅い。私一人がやり気を出さないだけで負けるような戦闘など本来そうそうないのだ。

 

 余裕があり過ぎてユウタと交代して周囲の戦闘を観察する。

 チョコレートが疲れた脳髄に染みわたる。

 私のパーティーに比べ他のパーティーは攻撃力が高いのでかなり削れているようだ。

 分裂したボスのうち2匹は口に戦斧を咥えて戦っていて、そいつらは他の蛇よりちょっとだけ強そうだった。

 レイドパーティーは6人パーティーが8つで結成されるので6匹に分散しても2つ余る。そういうとき余らせるのは指揮官のいる予備戦力的パーティーだ。

 ルキウスは戦場の中央あたりに2人の護衛を伴って立っている。残りのメンバーは他のパーティーに合流させ各個撃破に移っていた。

 突出した攻撃力を得たパーティーと戦っているボスは見てわかるほどの速度でHPを失っている。

 もうじき片が付く。もうどうしようもない。こうなったら普通に勝とう。

 

「はぁ……。よしっ!」

 

 回り込んでチマチマダメージを入れ始める。

 確かにこうして戦うには速い敵だとちょっと面倒だ。体当たりなんかの攻撃は範囲が広く接近していればうっかり命中することも……あるんだろう。攻撃に集中していればありえなくはない。そしてアタッカーの防御力は低い。2、3回当たればポーションを飲むくらいにはダメージを受ける。

 

 ポリゴンの爆散するSEが遠くで聞こえた。

 余所見をすると分裂したボスの1匹が撃破されたようだった。

 視界の端で私のパーティーが相手をしてるボスが不自然な行動を取り慌てて集中する。

 タゲが外れたのではない。他の4匹も同様に1カ所へ向かっている。移動速度はAGIの高さによって桁違いで、あっという間に攻撃圏外へ逃亡されてしまう。

 集まった蛇は不気味に絡み合い人型のシルエットを模す。それぞれが手、足、頭となり、手を担当する蛇の口には戦斧がそれぞれ咥えられていた。鎧の中はおそらくこうなっていたのだろう。

 

「まずいっす」

 

 私は即座に出入口へ走った。

 

「逃げ――」

 

 ボスが消えた。土煙を目で追うと少し離れた場所に、戦斧の薙ぎ払い後のモーションで立っているのが見つかる。

 パーティーの一集団――そのうち4人が砕けた。

 

「――るっすよ……」

 

 ――『The Dual Giant』

 

 元の名称に戻ったボスのHPは残り1本。

 その上に表示されるバフアイコンのスタックした数字は、5倍になっていた。

 鎧を捨て軽装扱いになった重量。重複したAGIバフが爆発的な速度を生み出し、STRバフによるダメージ上昇は最高峰の装備とレベルを持った攻略隊のプレイヤーを一太刀でポリゴン塊に変換して砕いた。

 

「ルキウスっ!」

 

 オーバーフローしているルキウスを呼び起こす。

 彼には撤退の指示を出してもらわなければいけない。

 

「撤退の指示を出すっす」

 

 パーティの残る2人が殺される。タンクは流石に一撃ではなかった。もっとも、それが慰めになるようなスピードではない。

 

「わ、私はこの戦いを……!」

 

 別のパーティーに狙いを定めたのだろう。新たな犠牲者が1人出た。蜘蛛の子を散らすように攻略隊は各々で逃げ惑う。

 多少頭の働く者は転移結晶で離脱を計っていた。

 

「もう無理っす。負けたんすよ」

 

 敗北を決したのは一瞬の出来事だった。

 真綿で締められるようなゆったりとした敗北ではない。一刀の元切り伏せられるような敗北だ。

 まだ負けたことに気が付けていないプレイヤーはルキウスの他にも多くいた。

 

「駄目……だ……。あと1本、たった1本なのだ……」

 

 転移結晶の使用に高いヘイト設定でもされているのだろう。

 転移中のプレイヤーは身動きの取れないまま死亡した。距離なんて関係ない。転移が終了するまでの時間があればボスは部屋のどこにでも攻撃が届くだろう。

 

「エリ君、ヘイトを稼げ……。君の、仕事だ……」

「無理っす」

「命令だ! 持ち場に戻りたまえ!!」

「見てわからないっすか」

 

 ボスはモーションの硬直時間が終了すると別のプレイヤーに目標を変える。

 今度のプレイヤーは古参の正規メンバー、ホノルル。タンクの彼は盾でのガードをなんとか成功させダメージを6割で抑えた。衝撃の余り彼の身体は地面を滑る。単発攻撃だったおかげで彼は無事だった。

 ソードスキルの硬直時間が終わる。

 ホノルルは優秀なタンクだ。モブを纏めるのが上手く、スムーズな遊撃を行うためアタッカーに追随できるほどのAGIを確保している。ガードよりも回避の上手い人だった。

 彼がボスの攻撃を避けることは終ぞ叶わなかった。

 先程の焼き回し。違うのはHPが0になったという結果だけ。

 ホノルルさんのアバターは青白い光に包まれ爆散する。

 

「タンクでも抑えられないっす。そもそも、ヘイトを稼ぐ隙さえないんすよ! 近づけないほど速い相手になにをしろって言うんすかっ!?」

「それでも、なにか……。秘策が、あるのだろう? 誰にも見せてないとっておきのテクニックだとか、そういうものが……」

「そんなものはないっす! クソッ! 撤退。撤退するっす! 転移結晶用意。ヘイト上昇があるからすぐには使うなっすよ! 散開して他プレイヤーと距離を取るっす! 転移用意、5秒前――」

 

 ルキウスを押しのけ指示を飛ばす。撤退の責任を追及されかねないからしたくなかったが、長引かせれば誰も生き残れない。

 私たちに残されたのは自分が狙われないことを祈って全員で転移するという、ロシアンルーレットくらいだった。このロシアンルーレットは誰かに絶対当たる。

 タイミングを合わせるためカウントダウンを取ろうと声を張り上げるが、悪寒がして即座に動く。

 私のいた地面が抉れた。

 

 音に対するヘイト設定っ……!?

 

 耳のあるエネミーには多く見られ、しかしあまり気にされない設定。たまにエネミーを集めるため利用することはあれど、これにより指揮しているプレイヤーが狙われる事態などそうそう起こらない。

 こうなったのはヘイトのリセットが原因だ。

 

「まずいっ!?」

 

 出遅れた。タイミングもばらけてしまっている。

 私が合図を送れなくなったと判断したプレイヤーは5秒きっちりで転移結晶を使用するが、そう判断しなかったプレイヤーは転移結晶を使っていないか少し遅れて使用する。

 ボスの姿が再び消える。

 私への攻撃が止んだ。代わりに転移中のプレイヤーが1人、また1人とポリゴンに変えられ爆散していく。

 

 転移結晶での逃走は無理だ。

 このまま出入口を目指す。

 途中AGI減少のエリアがいくつも道を遮っている。迂回せざるを得ないため、かなりの距離があった。

 

「嫌だぁああああああ!」

「なんなんだよ! なんなんだよこれ!?」

「嘘だろ。ホノルルっ! どうして、そんな……」

 

 阿鼻叫喚。数人が転移に成功して離脱したと思われる。それはもはや私の生存確率を減らす要素でしかない。

 転移結晶を使う者は流石にもういない。

 それをしたときが自分の最後だと、誰もが理解していた。

 当然全員が出入口を目指す。

 ボスにとってはターゲットが集まりさぞや倒しやすいことだろう。

 

「死ねっ! 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね――」

「お先にどうぞっす」

 

 ボスへ特攻していくルキウスの背を蹴り飛ばす。

 彼の両手剣はボスへ触れることない。残像を残して彼は遥か彼方へ打ち捨てられた。HPは0。すでに何度も見た死亡の演出が開始される。

 なにかを小声で呟いているが耳に届かない。彼のいまわの際の言葉は誰にも届かない。

 

 残り20メートル。

 ルキウスの肉盾でも稼げたのはせいぜい1秒。

 あと少し。その距離が果てしなく遠い。

 ボスは集まるプレイヤーを出入口を背に鎧袖一触にしていく。

 誰かが死ねばその分時間が生まれる。それでも立ちはだかる攻撃を掻い潜らねば逃げられないことに変わりはない。

 一か八かに賭けて、誰かが反対側で転移結晶を使ってくれればチャンスになるが、集団心理とは嘆かわしいもので、全員がここに殺到していた。

 

 盾を装備。気休めにはなる。

 エネミーはどうやってターゲットを取っているか? 

 それを調べる実験をしたことがある。検証の結果は彼らもプレイヤーと同じくフォーカスロックを使用しているのではないか、というものだった。もちろん目があれば、だが。

 盾でのガードなどやすやすと貫通してくる。それどころか衝撃でバランスを崩し動けなくなるのが関の山だ。

 迫る戦斧。盾に身を隠して身体を一歩引く。手放した盾だけが砕かれ私は未だ健在。

 視界を制限して動作を読ませない、ちょっとした手品だ。何度も通用するとは思えないが。

 ソードアートオンラインのエネミーは自己学習機能がある。プレイヤーの傾向を理解して、対処手段を学習するのだ。

 二度目はない。残り10メートル。

 

「シュルルルルル……」

 

 嫌な音を聞いた。

 発生するはずの硬直を無視した動き。この状態でもそれを使うかっ!?

 速度は多少上がっただけのようで、あの連続攻撃はバフを一時的に合算してただけなのだということがなんとなくわかる。だがそんなことはもうどうでもいい。

 戦斧か? 一度だけなら避けられる可能性はある。

 全神経を集中。予備動作は見逃せない。

 これは……、ブレスだ……。

 どす黒い悪意の塊が地面へ吐き出された。

 広がる液体に触れた途端、水の中を歩いているかのように空気が重たくなった。

 出入口の丁度前。そこにAGI減少のエリアが設置される。

 もう、誰も逃げられない。

 

 こんなところで死ぬのか?

 ああ……。でもしょうがない……。

 本当は嫌だった。

 ボスの前に立つのも、人間関係を調整するのも、嘘を吐くのも、人を殺すのも……。

 でも必要とされるのが嬉しくて、目を反らしてきた。

 これはきっと報いだ。

 このゲームを私はクリアしたくなかった。できることならずっとこのままが良かった。だからここで終われるのは、もしかしたら幸せなのかもしれない。

 そう考えると、案外悪くない。

 最後まで自分勝手だけど、うん……。しょうがない……。

 

 

 

 背に衝撃を受けて私は倒れる。

 

 

 

 

 

 HPがだんだん減って……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから……。それから…………。



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13話 ギルド内抗争(7)

「なんや。なんなんやこれはっ!?」

 

 キバオウは怒声と共に執務机の上にあったものを薙ぎ倒す。

 それでも怒りは収まらず、壁を蹴り、机をひっくり返し、調度品を破壊する。

 肩で息をするほどに暴れたキバオウは私の胸倉を掴み上げた。

 

「誰がここまでせい言うたっ!」

「………………」

 

 突き放され、私は床に倒れる。

 割れたグラスの破片が未だ消滅していなくて、手に刺さるが痛みはない。

 破片はほんの数秒で消滅して消える。私の手にはもうなにも刺さっていない。

 ゆっくりと立ち上がった私の顔に衝撃。殴られたのだ。私は再び倒れるがやはり痛みはない。

 圏内ではダメージが発生しないが、そもそもこの世界に痛みはない。

 また殴られるのはなんとなく嫌だと思いながらも、私は立ち上がった。今度は殴られない。ただ怒りに染まったキバオウが私を睨んでいた。

 

「そんなにシンカーの選んだ指揮官が無能やったんか? だったらジブンが音頭執ってればよかったやないか。そんくらいできるやろ! 知らんと思っとんのか!? ワイはなぁあ! こんなに仰山犠牲が出るまで、なにやっとったんやって聞いとるんやボケがっ!」

 

 殴られた。カーペットが熱を奪っていく感触が心地いい。

 

「クククッ……。派手にやったじゃねえか」

「まさか俺たち以上に殺してくるなんてさぁ……。正直嫉妬するなぁ」

 

 この部屋にはあの日のメンバーも揃っている。

 攻略後、私は待っていた幹部一同に結果を報告した。

 攻略隊48人。死者37名。帰還者はたったの9人だった。私以外の生存者は集団転移に成功した者のみ。

 出入口から出られたのは私を除いて誰もいない。

 衝撃的な報告は集まっていた幹部一同を動揺させるのに十分で、その事実を受け止めるために会議は一端保留となった。

 

 私はあの後ボスフロアの外に倒れていた。

 振り向くとそこにあったのはソードスキルを放った後のユウタの姿だった。

 彼は私を攻撃したことでカーソルがオレンジに変わっていた。彼の放ったソードスキル、そのノックバックが私を外へと弾き飛ばしたのだ。

 あのタイミングであれば、ソードスキルで彼が脱出することもできたはずだった。

 私を見つめる彼の表情は最初、やり遂げた後のような満ち足りたものだったが、すぐに恐怖に塗り替わる。涙を流しながら「よかった」とだけ言い残しユウタはボスに殺された。

 扉の外にいる私はなにもできなかった。

 他にも助けを求め、手を伸ばすプレイヤーは殺到してきたがAGI減少空間の中で無力に殺されていった。

 

「あんたももっと嬉しそうにしたらどうだ? シンカー派は二度と立ち直れまい。いや、シンカーという男が立ち直れるかどうかさえわからんな。おめでとう。これであんたの願いは叶う。そうだろう?」

 

 PoHがキバオウの肩を叩いた。

 握りしめていた拳を、キバオウはゆっくりと解いた。

 

「もっとやりようがあったはずや。こんなことになったら、攻略隊の再結成にどれだけ時間がかかると思っとるんや。それまでにDKBが抑えられんのか?」

「まあ、無理だな」

「ならどないせいっちゅうや!」

「そうだな……。俺なら組織を拡大する」

「しばらく攻略はできへん」

「だったら別のスローガンを掲げればいい。例えば、治安維持だ。今の組織規模と黒鉄宮のゾーンを保有しているメリットを考えれば他の組織じゃできないことだろう?」

 

 PoHの囁きをキバオウは真剣に吟味し始める。

 彼の沸騰しかけた頭も徐々に冷めてきているようだ。

 2人が真面目に議論を酌み交わす間、ジョニーの差し出された手を取ってソファの背もたれに寄りかかる。

 

「なあなあ。どんなトリック使ったんだよ。攻略組を38人も殺すなんてさ」

「普通に死んだんすよ。ボスが強かっただけっす」

「マジで?」

「見事に私もボロボロっす」

「じゃあ、あいつらが単に弱かったってだけじゃん。ギャハハハハッ! 普段あんなに偉そうにしてた癖に、笑えるんだけど。あ、エリにゃんは別ねぇ。あいつらと違ってちゃんと生きて帰ってこれたんだし」

「お前が、もしかすれば、俺の求める、強者、なのかもな」

「嫌っすよ。戦わないっす。装備も無事じゃないんすから。帰って寝かせてくださいっす」

「残念、だ……」

 

 装備の破損は酷く、今日明日に元の状態に戻ることは無理だというのは火を見るより明らかだ。特に盾。ストーンファングこそ『所有アイテム完全オブジェクト化』のコマンドで回収できたが、ふんだんに貴重素材を消費して作り上げた盾は破壊されている。防具の方は修繕すればまた使えるようになるから大丈夫だが……。

 ああ、そうじゃない……。そうじゃないんだ……。

 もっと別にやることがあるだろう、私。

 これだけ死んだんだ。葬儀とかも開かれる。私の知り合いも沢山死んだ。となればスピーチの原稿を用意しないと……。いや、だから、違う……。

 違うんだ。私は悲しい……。悲しいはずだ……。

 だったら泣くべきだ。そしてもう戦えないと地べたを這って懇願するべきなんだ。

 それをすることにどれだけメリットがある? 生産職に鞍替えか? それは無理だろう。私はもう戦闘職以外できない。なら管理職はどうだ。シンカーの席をキバオウが手に入れるなら、キバオウの席が空くのではないか?

 違う。メリットとかそういうことではない……。

 ならどうするべきか?

 

「最初からわかっていた事だろう? なら想定を上回ったくらいで慌てるな」

 

 PoHがキバオウに向けた言葉がやけに耳に残った。

 そう。私はわかっていたはずだ。

 誰かが死ななければシンカーを追いやるほどの失敗にはならない。それも1人や2人ではない、沢山の犠牲が必要だった。

 なら上手くやれたのではないか?

 そう私は上手くやれたのだ。上出来だ。これは失敗ではない。

 ならなんでこんなに苦しいのだろう? 苦しくてもやらなければならないことは世界には沢山あるのだ。これは、そういうものだったというだけの話。

 

「駄目だぜザザ。そいつは駄目だぁ」

「なぜ、だ?」

「エリにゃんを殺すのは俺だから」

「ほう。お前に、できるのか?」

「当り前じゃん」

「なら、そのときは、オレが、おまえを、殺そう。勝ったおまえが、強者、だからな」

「いいねそういうの。俺は好きよ」

「やめてくださいっすよ。私は嫌っす」

「えー。ノリ悪いなぁ」

「あんたらのは冗談じゃないっすからね」

「そりゃもちろん」

 

 私じゃなくて、この2人がPoHあたりを殺してくれれば……。ああ、駄目か。その次に狙われるのは私だ。

 そもそもこの2人では返り討ちにされる未来しか思い浮かばない。

 レベルや装備こそ下のPoHだが、こと殺人においてソードアートオンラインで右に出る者などいないだろう。いたらこの世界はもっと酷いことになっているはずだ。

 きっと彼の現実での職業はテロリストだ。占い師とか詐欺師なんてやってるわけがない。

 

「決まりや。その方向で行く……」

 

 どうやら話はまとまったようだ。

 細かいところは徐々に詰めていくのだろが。

 少なくとも今回の件が無駄にならずに済むならそれにこしたことはない。これで全部無意味だったら死んだ彼らも報われまい。

 いや、どちらにしろ報われないか……。

 

「エリ、さっきは悪かった。すまんっ!」

 

 頭が冷えたのかキバオウが私に向かって土下座をした。

 

「ワイも気が動転しとった。女の子殴るなんてどうかしてたんや。本当にすまんかった!」

「いいっすよ」

 

 ビックリはしたが、それだけだ。HPが減ったわけでもない。

 

「痛くなかったか? 跡は……。せやったな、ここはゲームの中や」

「そうっすよ。殴っても跡も残らなければ、痛くもないんす。だから気にしなくていいっす」

「そうか……。でも殴られてええ気もせんやろ。だからホンマ、すまんかったな。謝っても言葉だけじゃ納得できへんやろ……」

「いや別に……」

「せや。代わりにワイを殴ってくれ!」

「わかったっす」

「えっ?」

「え?」

「いや。男に二言はない。思う存分やってくれ!」

「フンッ!」

 

 どうせ痛くはないのだ。

 だから私はキバオウを思い切り殴った。錐揉み回転をして倒れるキバオウが起き上がると、もう一度殴った。マウントを取ってそれから何度も殴った。

 ジョニーの持て囃す声は鬱陶しかったが、ちょっとだけ心がすっとした。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 あれから1週間。

 信じられないことにフロアボスは攻略された。

 攻略したのはDKBではない。

 そのメンバーの大半は大規模ギルドに所属していないプレイヤーだったそうだ。

 だったそうだ――というのは私は参加しなかったからだ。

 参加の要請は四方から来ていた。

 

 まずはキリト。お前以上のタンクはいない。一緒に戦えるなら心強いと言われたが断った。

 次に結城さん。彼女はあまり熱心には頼んでこなかった。嫌そうな反応を返すと、その日は噛みついてくることなくしげしげと帰った。

 あとはDKBから何人か。情報を共有したい。ロストした装備の回収に協力もできる。一番まっとうな提案だった。私は情報の提供と引き換えにいくつかの装備の回収を依頼した。依頼したのは主に武器の回収だ。武器は持ち主の魂とは言わないが象徴するものではある。それらを墓標に捧げたり、墓碑として飾るのがこの世界での通例だ。彼らの手に渡るくらいならせめてと思うのは私の身勝手だろうか?

 

 最後に、ヒースクリフという男がやってきた。

 ユウタと一緒にフィールドを探索した思い出の階層へ足を運んでいたときに、彼は突然やってきた。

 知人の伝手を借りて居場所を知ったのだと、彼は言っていた。

 

「今回のことは残念に思う。勇敢な戦士が多く失われた」

 

 学者のような削いだように尖った顔立ち。アイテムで染めたのだと思われる鉄灰色の長髪を、オールバックにして後ろ手に結んでいる。年齢は20台後半から30台前半くらいだろうか。

 装備は赤色の全身甲冑で縁だけが銀色。剣と盾も同じようなカラーリングで、それぞれに十字の意匠が施されている。おそらくタンク。レベルのほどはわからない。ただ恐ろしく強いだろう。

 レベル、装備、スキル。いずれが強いかはわからない。もしかすればプレイヤースキルが高いということもあり得る。

 どこが強いのかわからないが、そのプレイヤーが強いかどうかは最近なんとなくわかるようになってきた。

 たぶん目だ。目が違う。こんな目をしたプレイヤーは見たことがない。

 彼の目には哀れみがない。死んでいったプレイヤーを誇りとさえ思っているのではないだろうか?

 彼の言葉は社交辞令が染みついていた。DKBのメンバーでさえ敵対関係にあるMTDのプレイヤーの死には悲しんでいたというのにだ。

 

「君から情報を提供されたと聞いてね。会いたくなった」

「ああ……。攻略組をかき集めてるのはあんたっすか」

「そうだ。知っていただろう?」

 

 暗にそれくらい知っていなければ話はないと言いたげな態度だった。

 

「単刀直入に言おう。君にも今回の攻略、参加してもらいたい」

「嫌っす」

「そうか……。残念だ」

「タンクが足りないんすか?」

 

 言葉裏に、その装備は飾りじゃないんだろう? という意味を乗せる。

 

「それは私が受け持つ。実はアタッカーが足りない」

「はっ?」

 

 なにを言っているんだこいつは?

 サブタンクが欲しいというならわかる。だがアタッカーが足りてないとは意味がわからない。

 

「私の話は聞いてないんすか?」

 

 私がタンクなのを知らないのか。ボスの強さを知らないのか。言いたいのはその両方だった。

 

「聞いているとも。それを踏まえての答えだ。君はアタッカーに向いている」

「無理っすよ。構成は完全にタンクっす」

「盾を持っているからといってアタッカーになれないということはない。君には才能がある」

「そんなものはないっす!」

「………………」

 

 つい声を荒げてしまい、空気が重くなる。

 

「気に障ったのなら申し訳ない。だが攻略組が反応できないほどのスピードを持つ敵に、単身で耐え続けるその反応速度は驚異的だ。君なら乱戦の中でさえ攻撃を当て続けるのも可能だと思ったんだがね」

「……まるで見てきたような言いかたっすね」

「客観的事実だ」

 

 アタッカーへの転向は簡単ではない。簡単ではないがあの速度のボス相手に張り付けるアタッカーが数えるほどしかいないのも理解している。

 ソードアートオンラインはヒーラーや遠距離アタッカーがない分、ポジションはシンプルだ。タンクかアタッカー。これをもう少し詳細に分けてサブタンクかメインタンク。サブアタッカーかメインアタッカーとなる。メインアタッカーはシンプルにダメージを叩き出すだけだが、サブアタッカーは他に何をするかで多種多様に役割が分かれるので割愛する。

 古今東西MMOではアタッカーが人気でタンクやヒーラーは不人気だ。

 どれだけタンクが強かろうと、自然とそうなる。

 だから攻略組と言えどタンクはわずか。悪い言い方をすればアタッカーなら吐いて捨てるほどいる。ただし玉石混交だ。

 ギミックが判明した今、あのときよりはバフのスタック数は減り、スピードも遅くなるだろう。それでも最終段階の能力を解放したフロアボスに追随できるのは一部の別格なプレイヤーだけだ。

 

「手を貸して欲しい。私は25層を攻略した暁には新たなギルドを設立する。大規模ギルドにも負けない、完全な戦闘集団のギルドをだ」

「どうぞご勝手に」

「君もそこに加わってはくれないか?」

「無理っす。私の居場所はここっすから」

 

 正しくはここから逃げ出すことはできない、だ。

 庇護を無くせばPoHの指揮するレッドに1日とかからず処刑されるだろうし、キバオウがこれまでやってきた悪事を露見しようものなら私も一緒に捕まるだけだ。

 彼に協力できるとすればそれはスパイとして潜り込むときくらいだろう。

 

決闘(デュエル)だ。デュエルで決めないかね?」

「どうしてそうなるんすか……」

「私の強さを証明する。もし私が負けたのなら君の軍門に降ろう。だが私が勝てば……。どうかね?」

 

 こいつは自分の実力に絶対の自信があるのだろう。

 剣で切り開けない道はないと思っている馬鹿か。それとも……。

 

『ヒースクリフ から1vs1デュエルを申し込まれました。受諾しますか?』

 

 YESとNOのボタンが表示される。

 私は迷わず――、

 

「嫌っすよ」

 

 NOを押した。

 

「……………………」

「私、傷心中なんすよ? それを突然やってきてデュエルだ! じゃないっすよまったく。馬鹿なんすか? 馬鹿なんすね! 腹立ってきたっす……」

「それは、すまない……」

「帰るっす」

「……気が変わったら連絡して欲しい。いつでも君を歓迎しよう。この剣と盾で」

 

 今度はデュエルの申請ではなくフレンド申請。

 新参だからコネクションを広げに来たのだろうか。悪くない考えだ。私もフレンド欄を1つ埋めるだけで交友を広げられるなら悪い話じゃない。

 YESを押すとフレンド欄に新しい名前が登録される。登録数はそろそろ限界だ。私のフレンドリストは灰色が目立つ。その数もだいぶ増えてしまった。

 ヒースクリフはそれ以上デュエルを積極的に申し込むこともなく去っていった。

 

 25層の攻略は後日行われた。

 開始日時が事前に送られてきたが、私は終ぞ行くことはなかった。

 フロアボスが討伐されたのはその日の正午過ぎ。

 ヒースクリフはHPを一度もイエローゾーンに突入させることなく勝利に導いたという記事が出回った。

 その強さの秘密は『神聖剣』なるユニークスキルのおかげだったとか。




ヒースクリフ「デュエルだ。おいデュエルしろよ!」

 デュエリストと化したヒースクリフ団長。
 そんな彼に舞台裏で倒される、巨人(ジャイアント)どころか2体(デュアル)でもない名前詐欺のフロアボス。
 25層、ギルド内抗争もここまで。
 次回からは赤鼻のトナカイにあたる話がスタートです。


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14話 月夜に残る黒猫(1)

――2023.5.21――

 

 

 25層以降、攻略組の勢力図は一変した。

 まず私たち旧MTD。名称を『Aincrad Leave Forces(アインクラッド解放軍)』に変え、体制を一変。主に治安維持部隊の設立が大きく、下層プレイヤーの多くを取り込み勢力のさらなる拡大を目指した。しかし25層で失った人的損害が著しく、フロアボスの奪い合いには消極的な姿勢を取っている。

 シンカーは未だギルドマスターの地位にいるもののそれは名目上だけであり、実質的な運営はキバオウをトップに置いた独裁体制が敷かれている。

 独裁制といえば聞こえが悪いかもしれないが、彼は言葉遣いや態度こそ横暴であるものの優秀なリーダーであり、損得勘定はしっかりしている。

 アインクラッドのリソースを丁寧に搾取し分配する手腕は他ギルドからは煙たがられているものの、ギルドメンバーからの支持は厚い。

 

 次にMTDと敵対関係――というほどではないが競争関係にあった旧DKB。彼らはレッドプレイヤーを使ったPKによりギルドが完全に分裂。

 過激派メンバーが新たに『Divine() Dragons() Alliance(連合)』を設立。多くの武闘派プレイヤーがそちらに移籍してしまったためにDKBは解散してしまった。

 元々高かったプレイヤースキルは余分を排したことで磨き上げられたが、補助組織を失ったことで装備やレベルといった数値的な戦闘力は減少している。

 そのせいもあって装備や狩場の執着心が高まり、最前線では小競合いをよく起こしているようだ。

 

 そして最後に新規ギルド『Knights of the Blood(血盟騎士団)』。

 大規模ギルドに所属しない攻略組をまとめた新鋭ギルドでメンバーこそ少ないものの強力なプレイヤーが多く在籍している。

 その実力は未知数だがDDAに並ぶか、あるいは超えるのではないかと噂されている。

 というのもギルドマスターであるヒースクリフが圧倒的実力を有するからだ。ヒースクリフがいる。それがKoBの最大の強みと言える。

 レイド戦のノウハウは旧DKBからの引き抜きによって支えられ、日夜その練度を上げているがフロアボス攻略に耐えられるほどのメンバーとなれば数が少なく、中小ギルドとの協力体制を取っている。

 逆に言えば大ギルドに所属していない攻略組の層を獲得しているとも言いかえられる。潜在的には最大の派閥だろう。

 

「――で、かのALFの隊長殿がこんなところで油売ってていいわけ?」

 

 リズベットの声が頭上からする。

 

「隊長って言っても実働部隊じゃないっすからね。ただの管理職っすよ。心は今でも攻略隊っす。でもレイドパーティーがギルド内だけだと組めなくなったんで、フロアボスへの挑戦について上は消極的なんすよね……」

「上って、キバオウだけじゃない」

「元中小ギルドのマスターが幹部をやってるっすから、私はその下っす」

「十分上層部でしょ、それ」

「一番好き勝手やれない立場なんすけどね……」

「だったらなおさら、油売ってる場合じゃないんじゃない?」

「ちゃんと仕事はしてるっすよ、ここで。お邪魔っすか?」

「そうは言わないけども……」

 

 困ったような声を出すけれど、リズベットは優しく頭を撫でてくれた。

 柔らかい肌の感触が髪をくすぐる。ハンマーばかり握っているだろう手だが、この世界では変化することはない。

 数値ばかりが変動し、実態の変わらないこの世界で数少ない喜びの一つだ。

 

「こうも連日だと心配するのよ」

 

 ここ1カ月くらいはリズベットのところに来っ放しだ。

 というかここに帰ってきているまである。先日はベッドまで持ち運んでリズベットを呆れさせた。

 ALFの本部――相変わらずの黒鉄宮だが、そこには私のプライベートルームもある。以前はそこで寝泊まりをしていたのだが、最近は装備の保管場所としてしか活用していなかった。

 

「あー……。そうっすね。一応レベリングの監督とか行ってるんすよ?」

「夜中にでしょ。そんなんで身体、大丈夫なの?」

「平気っすよ。死にかけるような場所で狩りはしてないっすから」

 

 戦闘中に眠くなるようなことはない。むしろ戦闘中は余計なことを考えなくていい分、気が楽でさえあった。

 私は最近夜間の狩りにシフトを変えた。だからここにいる時間は本当なら睡眠時間にあたる。リズベットにはそのことは伝えていない。伝えたら寝かせられるのは目に見えていたからだ。

 だが彼女からすれば隣で寝てるはずの私が、夜中にフラリとどこかに出掛けている感覚なのだろう。それもあながち間違っていないが。

 

「ごめん。そろそろ仕事するから」

「はいっす」

 

 膝の温もりがなくなってちょっと寂しいが仕方ない。

 姿勢を整え、私はソファの上でギルドから送られた資料の確認に戻った。

 カンカンカンカンッ!

 ハンマーが金属を叩く音が木霊する。

 一定のリズムを刻む音色は耳に心地いい。窓から入り込む風は夏の訪れがもう間近に迫っているのを感じさせた。

 だんだんと眠くなってくる。

 そういえば最後に寝たのは……いつだったか……。

 いくら仮初の肉体であろうと、この世界に接続する脳は本物だ。永遠に起きていられるはずもない。

 微睡みに引きずられていく……。

 瞼の裏に焼き付いて離れない、あの日の光景……。

 ユウタの恐怖に染まった表情が見える…………。

 

「リズ、いるか?」

 

 来店を知らせるSEが私の意識を覚醒させる。

 どっと汗が噴き出すような不快感。あるはずのない心臓が激しく脈打っているかのようだ。時計を見るが、意識を失っていたのはせいぜい5分といったところ。

 

「いるわよー。リズベット武具店へようこそ! って見ない顔ね……」

 

 声の主はキリト。足音から数人のプレイヤーと一緒なのがわかる。

 ソファに寝転がっている体勢ではカウンターに遮られて外の様子はわからない。

 このまま隠れていようか? だがうっかり見つかると恥ずかしいし、キリトとリズベットをからかった方が楽しいだろう。

 

「いらっしゃいっす」

「お、おう……。そこが定位置になってんだな……」

 

 引き攣った笑みを浮かべるキリトの周りには5人のプレイヤー。

 男性4人に女性1人。年齢は近いがキリトより年上に見える。だいたい高校生くらいだ。

 装備は見たことのあるものばかり。NPCや大手の大量生産品ばかり。武器は槌と盾、剣と盾、槍、槍、短剣。キリトを入れれば丁度いい構成かもしれないが欲を言えばもう1人張りつくアタッカーが欲しい。

 

「今日はこいつらの装備を見てほしくってさ」

「キリト、知り合い?」

 

 小首をかしげる女性プレイヤー。

 その距離感はだいぶ親し気。結城さんとパーティーを解消したかと思えば今度は別の女性とは……。キリトの認識を改めないといけないようだ。

 ハンマーを振るリズベットの手つきが若干荒くなった気がした。

 キリトは私に視線を合わせてなにかを訴えてくるがまるで伝わらない。

 

「ここでバイトをやってるエリっす。どうぞよろしく」

「あっ。サチです。今日はよろしくお願いします」

 

 彼女は律儀に頭を下げた。礼儀正しい人のようだ。

 

「エリ、ちょっと相手してて。これだけ完成させちゃうから」

「任せておくっすよ」

 

 それから残りの4人が自己紹介を始めた。

 彼らは『月夜の黒猫団』という小ギルドのメンバーで、最近キリトをメンバーに迎えたらしい。今は中層のゾーンでレベル上げをしているがいつかは攻略組に参加したいという目標を持っていると、ギルドマスターのケイタは熱く語ってくれた。

 キリトに視線を向ける。なにか言いたげな、少し困っているような表情。

 私はケイタの話に耳を傾けている振りをして後ろ手にメニューウィンドを操作してキリトへメッセージを飛ばした。

 

『レベル隠してる?』

 

 残りのメンバーと話をしていたキリトは、メッセージを確認して「なんでもないよ。友達からのメッセージ」と言って私を見てから小さく頷いた。

 

「じゃあ順番に要望を確認するっすよ」

 

 どうやら彼らはキリトが攻略組の一翼を担っていることを知らないらしい。

 一緒にパーティーを組んでいてわからないのだろうか? たしかキリトのスキル構成には高い熟練度の戦闘時回復があったはずだ。パーティーリストに表示されるHPを見ていればまるで減らないことにすぐ気がつくだろう。

 よほどキリトが上手くやっているのだろうか?

 

 リズベットは武器の作成を終えて彼らの細かな要望をメモに取り始めた。そして予算との打ち合わせで購入する装備を決定する。

 表に展示している武器は見栄え重視。高ランクの高級品ばかりだが、倉庫には熟練度を上げるため作り続けている量産品が数多く眠っている。稀に卸売り業者に頼んで転売してもらっているが、倉庫のチェストにはまだ多くの武具が収納されている。

 今回彼らが購入するのはそういった低ランク品になる。他の大手の販売店でも買えるような品だが、キリトは生産職の最前線に触れる機会を設けたかったのかもしれない。

 

「いつからバイトになったんだ?」

「たまに手伝いはしてるっす」

「ふうん。それでさっきのことなんだけど……」

「わかってるっすよ」

「助かるよ」

「それで、キリっちの目から見て彼らはどうっすか?」

「……中層のボリュームゾーンで戦うなら問題ないレベルはあるな」

「そんなのはレベルだけ上げれば誰だってなれるっすよ」

 

 現にALFではパワーレベリングによって成長させたプレイヤーを中層へ送りこんで支配地域の拡大をしてる。中層なら強力な装備を着せていれば技術などなくとも死ぬことは滅多にない。だが、最前線にはレベルや装備以外の技術が要求されてくる。

 未知の敵との迅速な対処能力。トラップを察知する嗅覚。集団戦の立ち回り。などなど……。

 全部を一人でこなすのは頭のおかしなソロプレイヤーくらいだが、貢献できる能力がなければそのプレイヤーはパーティーにいる意味がない。

 

「羊に率いられる群れは悲惨っすよ」

「それは……。ごめん……」

「謝る事じゃないっす。どういうことになるか伝えたかっただけっすから」

 

 25層の顛末は攻略組ならず多くのプレイヤーが知る事となっている。

 権力争いによって送り出された無能な指揮官ルキウス。彼によって多くの人命が失われた。そういう話だ。

 彼は無能ではなかった。有能ではないが、彼の立場ではああするしかなかっただろう。

 彼が真に有能であればシンカーを裏切ってでも撤退しただろうか?

 私はどうするべきか。それはわからない……。

 

「なあ。少しタンクとしての心構えみたいなのを教示してくれないか?」

「……授業料は高いっすよ」

「うっ……」

「貸し1つにしとくっす」

「前に無料より高いものはないって言ってなかったか?」

「だから高いって言ったんすよ。それでどっちっすか?」

「りょ、両方……」

「はぁ……」

 

 溜息を一つ。

 

「皆さんはこの後お暇っすか?」

 

 皆さん、と言いながらも私が話しかけたのはケイタ一人。

 一人一人の意見を聞く必要なんてない。リーダーだけが群れの意思だ。

 

「え? あー、22層の迷宮区でレベリングをしようかなって。新しい装備にも早く慣れておきたいですし」

「なるほどなるほど。少しご一緒してもいいっすか?」

「あー……」

 

 ケイタはキリトに助けを求めるように視線を向ける。

 こうも突然パーティーを組まないかと言われれば不信感を抱くのも無理はない。私だって見ず知らずの人間からパーティーを申し込まれれば腰に下げた剣の柄に手が伸びるというもの。

 キリトは大丈夫だ、と言うように頷いてケイタの警戒心を解いた。

 

「じゃあそうしましょうか。えっとレベルの方は……」

「それを聞くのはあんまりよろしくないっすよ。でもかなり高いと思うんで、心配はご無用っす」

「失礼しました。それじゃあ武器を買ったら行きましょう」

 

 人の良さそうな笑みをケイタは返した。

 早死にしそうな人だ。

 私は最近、事あるごとにプレイヤーに対してそういう印象を持つようになっていた。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 22層の迷宮区は魚人型のエネミーが徘徊するゾーンだ。

 他にも厄介な飛行する虫系、高威力高耐久の大型エネミーも登場する。

 とはいえどこの層も最低限このくらいは出るだろうというバリエーションだ。この層が特に難しいということはない。むしろ簡単な部類だったという記憶がある。

 

「きゃあっ!」

「落ち着いてサチ! 盾の後ろに隠れてればダメージなんてほとんどないんだから」

 

 イカ型エネミーの触手に打たれサチがよろめいている。

 大型エネミーの攻撃は回避しやすい分高威力だ。それでもサチのHPは2割も減っていない。十分な安全マージンがクリーンヒットさえ問題にしないほどの優位を保証している。

 

「スイッチ、いくっすよ」

 

 倒れたサチとエネミーの間に割り込み、大振りで振るわれる触手を大盾でガードしていく。

 このイカは確か横薙ぎか叩きつけ、捕縛の三種類しか触手の攻撃方法はなかったはずだ。捕縛こそ厄介であるものの、この人数では捕まっても大した損害にはならない。集団で行動するタイプのエネミーでもなく、運悪く徘徊型のエネミーと同時に遭遇しなければ対処は簡単だった。

 それに私は現在でもレベル、装備共にトップランクのタンクに位置する。中層のエネミーではHPを削りきるのは不可能に近いだろう。

 

「こうして落ち着いて受けてれば怖くないっすよー」

「は、はいっ! すいません……」

 

 可愛く膝をついていた彼女はパチクリと瞬きをしてから頭を下げてきた。

 それから彼女は私と、私の構えている盾を交互に見る。

 

「上手、なんですね……」

「これっすか? 慣れればできるようになるっすよ」

 

 私は今、顔をサチに向けたまま攻撃を受けている。

 視界の端ではイカのモーションがしっかりと見えているのだから問題ない。ダメージではらちが明かないと触手の捕縛攻撃をしてくるがシールドバッシュをすると簡単に諦め触手をひっこめる。

 

「サチさんも防御力は十分みたいっすから、そんなに怯えなくても大丈夫っすよ」

「でもこんなに大きいと、怖くって……」

「確かに、迫力満点っすよね」

 

 私は笑みを取り繕うと、彼女もつられて笑ってくれた。

 

「うわぁ!?」

「あー、なにやってるんすか、もう!」

 

 イカのタゲが外れ、槍使いのササマルが襲われる。

 大方調子に乗ってソードスキルを連発したのだろう。ここからではイカの巨体に遮られて向こう側の様子はわからない。

 

「ちょ、助けて!」

 

 情けなくも触手に絡め取られ宙づりになるササマル。

 

「いい機会っすから自力で抜け出すっすよ」

「そんなぁ!」

 

 パーティーから笑い声がこぼれだす。

 ササマルは不安定な体勢のまま槍を振るうも上手く当たらず、結局リーダーのケイタが援護して彼は救出された。

 

「酷いじゃないかよー」

「今みたいにアタッカーが攻撃をし過ぎるとタゲが外れて襲われるっす。勉強になったっすね」

「えー。タゲが外れるのはタンクがしっかりヘイト取ってなかったからじゃないの?」

「今のは私も手を抜いてたっすけど……。でもタンクが稼げるヘイトには限界があるんす。アタッカーがそれ以上のヘイトを稼げるのは当然なんすよ」

「そうなのかい?」

 

 ケイタも興味深そうに耳を傾けてくる。

 ちょっと待て……。そんなことも知らないのか!?

 キリトを睨むが困ったように頭を掻くばかりで役に立たない。

 

「まずタンクがなんで必要かわかるっすか?」

「えっとぉ……。タゲを集めるため?」

「20点」

「えー……」

「攻撃の方向を固定するため。そうするとアタッカーは敵の攻撃にさらされることなく攻撃ができるようになるんだ。そうだよな?」

「そういうことっす」

 

 キリトがしぶしぶ答えてくれる。彼らでは答えられないと判断したのだろう。

 

「つまりっす! タンクはアタッカーの代わりに攻撃を受けてやってるんす。その辺、まずはちゃんと理解するんすね」

「でもアタッカーより頑丈だろ?」

「そうっすよ。でも回避やガードをしなければダメージはしっかり通るっす。棒立ちで平気なら全員タンクと同じ装備で囲んで叩けばいいんすから」

「それもそうだ」

「そして回避やガードをする分タンクは攻撃が出来なくなるっす。それだけヘイトの上昇量は下がるんすよ」

 

 ヘイト上昇量増加の装備もあり、そういった手段でも補うのだがそれでも足りなくなるのがヘイトの厄介なところ。

 

「だから稼いだヘイト以上に攻撃を加えるならタンクは守ってやれないっす。それで攻撃されるんなら自業自得っすね」

「わ、悪かったよ」

「まあ今回は雑魚エネミーっすからそこまで注意することもないっすけどね。もっと上の層を目指すんなら気をつけるべきっす」

 

 タンクがうまく機能しないとき、問題はタンクだけにあるとは限らない。

 

「その……。もっと上手くヘイトを稼ぐ方法はないのかな?」

 

 ケイタがちらりとサチを見る。

 彼の言い分もわからなくはない。ヘイトが中々貯まらない戦闘はストレスだろう。ここまでの戦闘で、私はサチがお世辞にもタンクが向いているとは思えなかった。

 

「1つは装備。ヘイト上昇量増加のアイテムを身に着けることっす」

「それは、やってたよな?」

 

 サチが頷く。

 

「もう1つはアタッカーがエネミーの攻撃を妨害するっす」

「どういうことだい?」

「高威力の攻撃やクリーンヒット、打撃武器でのスタンなんかで行動がキャンセルされたり、動きが遅くなったりすることがあるっすよね。そういうのを積極的に狙うんすよ。タンクへの攻撃頻度が減れば、その分攻撃してヘイトが稼げるっすから」

 

 ローテーションしない場合なんかはアタッカーのヘイト上昇量は過剰だ。

 これを休みなく消費するならば、そういったヘイトの使いかたをしなければいけない。ダメージを出すことだけが勝利への近道ではないのだ。

 

「でもなあ……。そんな上手くいくか?」

 

 何のための長柄武器だ、と言いたくなる。

 そういった攻撃の差し込みをしやすいのが特徴だろうに……。

 

「やるんすよ」

「はい!」

 

 思わず声を強めてしまった。

 

「あと、サチさん」

「は、はいっ!」

「そんな緊張しないでいいっすよ。後ろ手にちょっと支えてもいいっすか?」

「えっと、どうぞ、お願いします?」

「じゃあ戦闘が始まったら失礼するっすね」

 

 迷宮区を進み遭遇したのは漁人の集団。

 革鎧ならぬ磯鎧を着け手には銛を持った人型エネミーだ。

 魚アイテムを食べるという報告を聞いている。明らかに共食いでは? と思うが、そもそも海の生き物は海の生き物を食べているのだ。おかしなことでもない。それに彼らはデータで構成された存在。そんな私生活などそもそも存在しない。

 彼らの持つ銛は両手槍扱いで、人型エネミーの例に漏れずソードスキルを使用してくる。

 数は5体。多くはないがレクチャーしながらでは面倒だ。

 

「テツオさん。3体任せるっす」

「オーケー!」

 

 メイスと盾を持つこのギルドのメインタンク、テツオに私は協力を求める。

 彼はエネミーの集団に左から接近しているため、私は右から近づき2体に盾をぶつけ離れた位置へ引っ張っていく。

 

「まずはテツオさんの方から片付けて。サチさん。スイッチ」

「え、あ、はい!」

 

 スイッチは後ろのプレイヤーが合図を送るのが基本だ。なにせ前のプレイヤーは後ろが見えないのだから。

 だから私はスイッチの合図をくれ、という意味で言ったのだ。しかしサチは合図が出されたと思い前に飛び出た。

 しかたなく私は動き回る漁人の銛をパリィしながらサチの背後に回る。

 片手で盾を非装備状態に変え剣も鞘へとしまう。

 両手を自由にし、私は片手をサチの肩、もう片手を盾の持つ手に添えた。

 

「え、ええっ!?」

「ほら落ち着くっす。真っ直ぐ見るっすよ」

 

 突き出される銛を盾のカーブを使って逸らす。

 ソードスキルによって繰り出された3連突き。逸らされた銛は直ぐに引き戻され追撃が来る。2撃目も同じように逸らし、最後の突きは盾の芯で受ける。STRではこちらが有利。銛は弾かれ漁人の体勢が崩れる。すかさず剣を振るように肩を押す。腕だけで振るわれる雑な一閃だったが、まあいい。

 漁人の数は1体ではない。片方が攻撃を終えるや否や、もう片方がすかさず攻撃に移る。

 

「このまま少し後退するっすよ」

 

 サチの腰に手を添えて、漁人の踏み込みに合わせて後ろへ下がる。

 

「ワン、ツー。ワン、ツー……」

 

 エネミーの行動にはある程度のリズムがある。

 どうにも呼吸を行っているらしく、それが影響しているのではと私は考えていた。

 

「ソードスキル。回転攻撃くるっすよ」

「はいっ!」

 

 盾を支えて繰り出されるソードスキルを一緒に受け止める。

 サチがタンクに向かない理由は2つだ。

 1つは判断力の悪さ。敵が見えていないのだ。目を瞑ってしまうのは論外。見ていても、なにをしてくるかまではわかっていないだろう。

 もう1つは恐怖心。攻撃に対して委縮してしまっているところだ。タンクは死にかけているとき平然と動ける人間でなければやっていられない。彼女にそれを求めるのが酷なのは短時間話しただけでも理解できた。

 ではなぜ彼女がタンクをしているのだろうか?

 ひとえに気の弱さが原因ではないかと私は考えた。押しに弱い。前衛が必要で、頼んでも断られなさそうだったからサチにお鉢が回ってきた。そんなところだろう。

 

「その調子っす。いいっすね。上手い上手い」

 

 時折煽ててみるが、サチの動きは硬い。駄目そうだ。

 そうこうしていると向こうの漁人は掃討したようでパーティーが合流してくる。

 サチが相手をしていた漁人が倒されるのはあっという間だった。

 

「すいません。私、どんくさくて……」

「そんなことはない。サチは頑張ってるよ」

 

 キリトに励まされ、潤んだ瞳で彼を見つめるサチ。そういうのは帰ってからやれ。

 

「あー……。キリっち。ハッキリ言っていいっすか?」

「あ、ああ」

「爆ぜろ。あと、サチさんにタンクは無理っす」

「え? いや。ああ……。ちょっと待ってくれ。その、どうしても無理、なのか?」

「無理っす。絶対にやめておくべきっすね」

「うう……。ごめんなさい……」

 

 しゅんと落ち込むサチの頭を私は撫でて励ましてやる。

 そういえばユウタの頭もこうして撫でていたっけか……。

 案外、甘やかす対象に飢えているのかもしれない。リズベットには甘やかしてもらってばかりだから。

 

「そんな言い方しなくても……」

 

 ケイタは私がサチを悪く言っているのか、慰めているのかよくわからなくなっているようだった。

 

「駄目っす。他のギルドの人間でもこればっかりは口出しさせてもらうっすよ。彼女にはタンクはできないっす。そもそもなんでサチさんなんすか?」

「それは……。他のメンバーはスキルの熟練度が高かったんだ。ならまだスキルの低いサチに任せようって」

「なおさら別の人に任せるべきっすね。熟練度の高いプレイヤーの攻撃に、熟練度が低い彼女の攻撃でヘイトが足りるわけないんすよ」

「それはこれから俺たちが攻撃を抑えていけば……」

「サチさんをアタッカーにして別の人にタンクをやらせた方がDPSは上がるっすよ」

「………………」

「それに、彼女はこんなに怖がってるじゃないっすかっ!」

「――っ!」

 

 見ればわかるだろう。キリトもなんで言わないんだ。言い返されないからってケイタも好き放題命令しやがって。腹が立ってきた。

 

「あの……。私……。あれ……? ごめんなさい、なんだかっ……!」

 

 ソードアートオンラインの感情表現は多少オーバーだ。

 大粒の涙がサチの目尻に貯まっていく。彼女が泣き出すのはすぐだった。

 

「あぁ!? その……、悪かったっす! そんなつもりはなくてっすね!?」

「違うんです! 私、そんなハッキリ言ってもらえたこと、なくって……」

 

 背を撫でるがサチが一向に泣き止まない。彼女はひざを折って私にしがみついてきた。

 しくじった。やるならせめて安全エリアに着いてからにするべきだった。ここだと音を聞きつけてエネミーが集まってしまう可能性もある。このゾーンならどれだけの大軍に囲まれようと平気だろうが……。

 キリトに視線だけで助けを求めるが首を横に振るばかり。頼りにならないな!

 

「一端街に戻るっすよ」

 

 私の絞り出した言葉に、全員が頷いた。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

「落ち着いたっすか?」

「はい……。その、ご迷惑をおかけしてすみません……」

「いいっすよ」

 

 迷惑料はキリトに後で請求しておく、とは言わぬが花だろう。

 私たちは迷宮区を抜け近くの村まで引き返していた。ここならエネミーが出現することはもなく安全だ。帰路でいくらかのエネミーに絡まれたが剣の錆にしてやった。彼らはろくな経験値にもならなかった。

 

「で、なにか言いたいことはあるっすか?」

「あの……。ごめんっ! 俺、サチがそんな風に悩んでるなんて知らなくって……」

「ううん。言わなかった私も悪いから……」

 

 確かにそうなのだが。こういうとき女性は便利だ。いや、弱い方が便利というべきか。

 女が男より弱いと断言しないが、世間的にはそういう風潮が強い。

 勝てば正義というが同情は弱者の特権だ。勝者は謝罪させることはあっても謝罪されることはない。

 サチという人間は、これでもかというくらい弱かった。

 

「それで……、サチはこれからどうしたい?」

「私は……」

「いきなり言われても困るだけっすよ」

「そ、そうだね。ごめん」

「ううん」

「選択肢はいくつかあるっす。1つは戦闘から離れること。安全だけを考えるなら悪くないっす。でも苦しむ選択っすね。攻略組を目指すならどこかで死ぬ可能性だってあるんすから。そんなことを考えながら安全な場所で待ってるのは辛いっすよ」

 

 他の皆が死んで一人取り残される、なんてこともありえる。

 一緒に死ねとは言わないが、手の届かないところですべてが終わってしまえば彼女はその先どうなるのか。後追い自殺なんてするなら待つ意味もないだろう。

 サチもそのことを想像できたのか青い顔で首を振った。

 

「もう1つはこのままタンクの練習を積むことっす。もしかしたら、上手くなるかもしれないっすから」

 

 期待はするな、と目で語る。サチがタンクに向かないのは共通の認識になってくれたはずだ。この選択はまずないだろう。

 

「あとはサチがアタッカーになるとかっすかね。元の武器に戻しても、このまま片手剣で戦ってもそれは好きにしたらいいっす。タンクは……キリっちに任せればいいっす」

「俺っ!?」

「片手開いてるんすからいいじゃないっすか」

「いや、俺はもうこのスタイルに慣れちゃってるから……」

「他の人だってそうっすよ。適性が一番高いのはキリっちっす。他人にやらせて自分だけやらないなんて、そんな都合の良い話、まかり通ると思わないことっすね」

 

 これが一番無難な方法だろう。キリトの高い攻撃力はこのパーティーには不要だ。

 もしキリトのスペックをそのまま活かすのであれば、それはパーティーがキリトに依存したスタイルしか産まない。

 

「選択肢は――もう1つあったっすね。攻略組を諦めることっす」

 

 もしそれができるなら、なにも言うことはない。

 中層に留まる程度であればバランスの悪い構成でもなんとかなる。中層でも下の方になるかもしれないが、上を目指さないのであればどうでもいい。

 諦めてしまえばすべては簡単だ。

 

「それは……」

 

 ケイタもこれには色よい返事が出せない。

 

「すぐに答えを出せなんて言わないっすよ。これはあなた達の問題っす。じっくり考えればいいんすよ。でも時間は待ってはくれないっすからね。攻略組も常に前進してるっすよ」

 

 だから早く攻略隊を再結成したいのだが……。

 それならいっそこの月夜の黒猫団をALFに吸収してしまうのはどうだろうか?

 いや、駄目だ。キリトはともかく他のメンバーは使い物にならない。テツオは鍛えればなんとかなるかもしれないが、他のメンバーにいたっては見込みなしだ。

 

「そうだね。うん。今日は帰ろう。サチもゆっくり考えてほしい。どんな結論を出しても俺たちは責めない。エリさん。ありがとうございます。おかげで俺たちは致命的な間違いをせずに済みそうです」

「そうっすか。感謝は素直に受け取っておくっす」

 

 彼女が、あるいは彼らがどんな選択をするのか。それは私にあまり関係はないだろう。あるとすればキリトがどうなるか、か。優秀なフリーの攻略組を失うのはKoBにしても痛手だろうから。

 それでも大きな勢力図の変化が起こるほどのことではないだろう。

 

「その……、ありがとう。助かったよ」

 

 主街区への道中、キリトがこっそりと声をかけてくる。

 

「彼女の事くらい自分で何とかしてくださいっすよ……」

「なっ!? サチとはそういう関係じゃないって」

「どうだか。お互いまんざらでもない癖に」

「………………」

「これは貸しっすからね。いつか回収するっすよ」

「わかってるって」

 

 彼ら一団はともかく、キリト個人であれば有用性は大きい。

 この貸しを使えばフロアボスの攻略に手を貸させることだってできるだろう。

 あるいはもっと個人的ななにかに使ってもいい。例えば……、そう。結城さんへの嫌がらせとか。工夫が必要だが間接的にならそういうこともできるだろう。

 他にも貸しを使わず、のらりくらりと関係を保ち続けることで継続的に搾取するとかもできるか。それが一番無難か?

 

「エリさん」

「ん? あ、はいっす」

 

 22層はフィールドにはエネミーが出現しないからといって気を抜きすぎていた。気がつけば主街区が見えており道のりも残りわずかとなっている。

 

「今日はなにからなにまで、御世話になりました」

「いいっすよ」

「それで……。もしよかったら、うちのギルドに……」

 

 ケイタの発言に目を丸くする。

 これでも有名人のつもりはあったのだが、意外と知られてないのだろうか?

 いや。そもそも彼らは私を知っている素振りを見せなかった。案外ALFの知名度などそんなものなのだろうか。

 

「もうギルドには所属してるんで申し出は嬉しいっすけど、お断りさせてもらうっす」

「そうでしたか。いえ、エリさんほどの実力があればそうですよね。その、どちらのギルドに?」

「ALFっすよ。前はMTDって名前でしたけど」

「ああ。あそこですか」

 

 やはりケイタは私の事を知らないといった様子だった。

 フロアボス攻略前には黒鉄宮前で行進とかしてるんだが……。

 

「もうちょっと、ケイタは情報収集に力を入れるべきっすね」

 

 フロアやエネミーの攻略情報だけでなく、攻略組のプレイヤーについて調べておけと暗に言いたいわけだが伝わりはしないだろう。

 

「そうですか? いえそうなんでしょうね。わかりました」

「それじゃあ、またなんかあったらメッセージ飛ばしてくださいっす。空いてれば、手を貸すっすよ」

 

 キリトとはすでにフレンド登録しているため、それ以外のメンバーにフレンド申請を送る。

 途中、フレンドリストが上限数に達した。

 フレンド最大数増加のクエストでもないだろうか……。そういう話は聞かないのでまだ見つかっていないか、存在しないのかもしれない。

 私は古い順に並び替え一番最初に登録したメンバーを消去する。

 

『このプレイヤーとのフレンドを解消します。本当によろしいですね?』

 

 システムメッセージが再三にわたり確認をしてくる。

 微かに震える指先で、そのすべてにYESと回答。

 3人の名前は完全消滅した。



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15話 月夜に残る黒猫(2)

 サチがあれから頻繁にリズベット武具店へ来るようになった。

 毎度装備を買いに来ているわけでも、新作のアイテムをチェックしているわけでもない。ただ、流石に冷やかしばかりでは良心が咎めるようでNPCよりほんの少し割高な武具の研磨を依頼している。

 

「すみません! エリさんいらっしゃいますか?」

 

 今日もまたリズベット武具店の戸を叩き、サチがやってきた。

 

「あんたも懐かれたわねー」

 

 リズベットが私の頭を乱暴に撫でる。

 それを軽く振り払い、私は少し鬱陶しそうな表情を彼女へ向けた。

 

「まんざらでもない癖に」

「……なにも言ってないっすよ」

「愛いやつめー!」

 

 猫可愛がられた私はリズベットに押し倒されソファに沈む。

 リズベットも相応に高いSTRを持っているが、私に比べればまだまだ低く、押し退けようとすればマウントポジションからでも簡単にできるだろう。

 だがお互いそれほどの力は込めてはない。当然だ。これは単なるじゃれ合いなのだから。

 

「あのっ!」

 

 サチの張り上げた声に私とリズベットは我に返る。

 

「あ、ごめんごめん……。別にあんたのお姉さまを横取りしようとか、そういうんじゃないのよ」

「お姉、さま……」

「いやいや。サチの方が私より年上っすからね」

「年下の、お姉さま……」

「サチ―! 戻ってくるっす!」

「――はっ!? 私はなにを?」

 

 サチも我に返ったようで辺りをきょろきょろ見ている。

 本当にこの人、年上なんだろうか?

 月夜の黒猫は元々高校のパソコン部のメンバーで結成したリアフレギルドだったらしい。そうでないのは後から加わったキリトだけで、全員が高校生のはずだ。

 しかしこの人を見てるとたまに信じられなくなる……。ケイタがそういった小賢しい嘘を吐けるとは思わないが、サチはどうにも頼りなさすぎるのだ。

 

「ほら。サチの相手してきてあげなさい」

「お客相手にそんな態度でいいんすか?」

「なにをー! お姉さまの言葉が聞けないと申すか!」

「いつから私の姉になったんすか……」

「細かいことはいいのよ、妹よ」

「了解っす、姉上」

 

 ソファから這い上がり、サチの側に歩み寄る。

 

「お姉さまのお姉さま……」

 

 あ、これまだ駄目なやつだ。

 

「よろしくお願いします、リズベットお姉さま!」

「はいはい。でもちょっと長いわね。リズお姉さまと呼びなさい」

「はいっ! リズお姉さま!」

 

 なんか頭を抱えたくなってきた……。

 とりあえずこの場から離れよう。そうすれば多少はマシに……なるのだろうか?

 

「それで、今日も稽古っすか?」

「はい……。その、エリお姉さまのご迷惑でないんだったら、お願いしたいんですけど……」

「………………」

「駄目、ですか?」

「いや駄目じゃないんすよ。ただ――」

「やった! それじゃあ早速行きましょうエリお姉さま!」

「ええ!? ちょ、引っ張んないでくださいっす!」

 

 サチが小さくガッツポーズをしたかと思えば、私は袖を掴まれて強引に外へと連れ出されてしまう。

 

「今日はどこに行きますか?」

「あー、じゃあ圏内で打ち合いでもするっすか」

 

 レベルや熟練度を稼ぎに行ってもいいのだが、そうすると今度は基礎技術の練習が疎かになってしまう。私の場合下手な狩りなど言語道断で、やるなら徹底的なプレイを求めてしまう癖があるのだ。もし開始の合図が出されれば彼女の倒せる範囲のエネミーをひたすら叩き続けることになるだろう。それを望んでいないことくらい流石にわかっている。

 それにしばらくすればリズベットの仕事も一段落するだろうから、3人でお茶をするのも悪くない。茶菓子は3人分用意してきた。キリトとどこまで進展したか根掘り葉掘り聞くのも乙なものだろう。

 

「わかりました、エリお姉さまっ!」

「……わざとやってるっすね?」

「えへっ。ばれちゃった?」

 

 彼女もだいぶタフになった。こっちが素なのだろうか? あるいは私とリズベットのやり取りに影響されたか……。まあ悪いことではないだろう。

 

「エリお姉さまって呼んじゃ駄目?」

「駄目っす」

「えー。なんだかお嬢様っぽくて楽しかったのに」

「お嬢様なんて碌なものじゃないっすよ」

「あれ? エリさんってもしかしてお嬢様!? 言われてみればどことなく高貴な感じが――!」

「……そんなわけないじゃないっすか。知り合いにお嬢様がいるんすよ」

「そうなんだ」

 

 圏内だからダメージは入らないが、装備などのアイテムの耐久値を削ることはできる。

 だからリズベットの店の倉庫から適当なナマクラを私は用意していた。

 単価30コルくらいの安物の剣と盾。同じ形状のものをサチもストレージから取り出して装備する。

 サチは結局タンクにはならないが、スキルの編成はこのままで続けるという答えを出した。ケイタは未だ上層への憧れを捨てられず、月夜の黒猫団は果敢なレベリングを行ってるようだ。

 しかし意外にも彼らは最前線に迫っていた。レベルだけの話で、実力や装備はそうではないが、驚異的なことではある。

 ALFのメンバーにも見習ってもらいたいところだ。

 私たちALFの精鋭たる攻略隊がフルレイドを組めなくなってもうすぐ2カ月になる。現在はパーティー毎に行動して最前線に粘り続けているがそれもいつまで続けられるかわかったものではない。

 迷宮区の探索とフロアボスの攻略はまったく別の能力が問われる。

 フロアボスと対峙できる実力者は他のギルドに移籍するなりしてALF見切りをつけていた。私は取り残されてしまったのだ。

 

「じゃあ始めるっすよ」

 

 デュエルではない。圏内ではHPが減らないことを利用した、もっと安全な組み手だ。

 デュエルもたまにはする。主にサチの臆病な精神を鍛えるために。ただ毎度HPが減っては回復に時間を取られるし、レベルやスキルの差で、サチに勝てる見込みがないのもよくなかった。

 

「じゃあ行きますね。――たぁあああ!」

 

 サチが突進系のソードスキルを使用してくる。

 これはレイジスパイクだと判断し私は迫る刃に私の剣を滑り込ませた。

 突き出される切っ先に刀身を這わせ運動エネルギーを支配する。私を襲うはずだったスピードは回転する勢いに使われ切っ先が大きな弧を描いた。さらに駄目押しと言わんばかりに鍔の内側へ刃を引っかけると、サチの片手直剣は空へと舞い上がった。

 落下した剣が地面に突き刺さる。

 私の添えるような手つきでサチの首に刃を突きつけた。

 

「うう……。ずるいよ、もうっ!」

「安易にソードスキルに頼るなって言ったじゃないっすか」

「こんなことできるのはエリさんくらいだよ!」

「キリっちあたりも、やろうとすればできるんじゃないっすかね」

「それは2人が特別なんです!」

 

 サチが落とされた武器を拾い上げて猛抗議してくる。

 

「でもこの手の武器落とし(ディスアーム)属性の攻撃をするエネミーと戦ったこともあるっすよね?」

「え? う、うん。あったような……」

 

 そんな厄介な能力を持ったエネミーでも、割と低層から出てくるはずだ。

 念入りに情報収集をして、そういった難易度の高いエネミーとの戦いは避けてきたのかもしれない。レベリング中なら私だって避ける。

 だがこういった面倒な攻撃を知らなければ、突如使われたとき動揺して動けなくなるだろう。これにだっていくつか対処手段はあるのに、だ。

 

「この手のスキルは初見じゃ対処は難しいっす。ただいくつかの次善策はあってっすね――」

 

 慣れた手つきでクイックチェンジを起動させ、装備をメインウェポンと入れ替える。

 

「クイックチェンジで武器を再装備するなり、攻撃を避けてから武器を拾うなりするんすよ」

「なるほどー」

「それともうひとつが武器を強く握ることっす」

「ちゃんと握ってるよ?」

「じゃあちょっと構えてみるっすよ」

 

 サチは言われるがまま剣を構える。

 私が刀身を鷲掴みにして引っ張るも、サチが取り落とすことない。引っ張られるまま腕が前に伸びる。

 

「あ、危ないよ?」

「圏内なんすから切れやしないっすよ」

 

 何度か繰り返すもサチの手から剣は離れない。

 

「おかしいっすねー……。ちゃんと構えてみるっすよ。あ、盾が下がってるっす。もっと上に構えるんすよ」

「こ、こう?」

「そうそう。エネミーは大抵プレイヤーより身長が高いっすからね。楽な持ち方ばっかしてると悪い癖がつくっすよ」

「うん、わかった――あっ!」

 

 会話と盾に集中し過ぎたサチの手からはあっけなく剣が抜けた。

 取られて気がつかなかったなんてことはないが、取られる瞬間には気がつけなかったようである。

 

「ずるいっ!」

「ずるくないっす。原理としてはこういうことっすね。あと盾の持ち方が悪いのも本当っすから注意するんすよ」

「はーい」

「こうしてなにかに集中してるとき、思っている以上に剣は軽く握られてるっす。そもそも力いっぱい握ってたら振れないんすよ。だから普段から力を入れて握ってるなんてことはありえないんす」

「へー」

「もちろん例外はあるっすよ。例えば両手槌なんかはかなり強く握られてるっす。だから武器落とし属性なんかはほとんど効かないっすね」

 

 この傾向は両手槍などの柄が長い武器全般にいえる。ただし、攻撃中の槍には決まることもあるので一概には言えない。

 

「そういうわけで、今日は武器の握り(ホールド)練習をするっすよ」

「はい!」

 

 その後、リズベット武具店の裏で私たちは夢中になって剣を振るった。

 最初は手加減してホールドを成功させてあげていたが、だんだん私も熱が入り、最後には鍔迫り合いからの徒手空拳を使ったディスアームという荒業まで使っていた。

 サチが今日何回「ずるい!」と言ったかは数えていないが、沢山は言われたはずだ。

 実はこのディスアーム、MTDの新人いびりのために開発した技だというのは内緒だ。

 

 リズベットが様子を見にくる頃にはすっかり空が茜色に染まっていて、2人揃って呆れられてしまった。

 お茶会はまた今度となったが、代わりに私たち3人は夕飯を食べに出掛けた。

 いつもなら私のオススメなスポットに行くのだが、この日はサチの紹介で11層にある小さな洋食レストランへ向かうことになった。

 落ち着きのあるシックな内装は店を経営しているプレイヤーが揃えたものらしく、ビーフシチューっぽい煮込み料理は絶品の一言。デザートに食べたイチゴのタルトは癖になる甘さだった。

 サチにキリトとは上手くいっているのかと聞いてみたところ、2人の共有タブ――アイテムの一部共有をする結婚未満の関係でするもの――を作ったとのことでリズベットは少し複雑そうな顔をしたが、一応サチのことを応援はしていた。

 それから私はサチを宿へ送り、リズベットを店に送り、ALFのメンバーに合流して夜の迷宮区へと向かった。

 

 私の居場所はどこなのだろう?

 リズベットやサチのいる武具店?

 それともこの最前線のALFメンバーの中?

 あるいはキバオウやPoHたちと密談するあの看守室だろうか?

 どれか1つに決めることはできない。私はどれも捨てることはできない。だが現実は私の意思を無視して時計の針を進める。

 私の居場所のうち、1つが欠けてしまうのはそれから1週間後のことだった。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 今日も変わらず、日中はリズベットの店でだらだらとしていた。

 熟睡せずともこうした休息のおかげで疲れはそれほどない。

 外は生憎の雨模様。天気は階層毎ではなく全層でおおよそ共通化されており、夜の攻略に響きそうで少し嫌だった。

 天候によって出現するレアエネミーがいれば嬉しいが、そうでなければ雨に打たれながらの探索をしなければならず、視界も不良で面倒くささ倍増だ。

 

 こういう日は客足が増える。

 誰もこんな日にフィールドへは出かけたくはないのだろう。迷宮区ともなれば天井があるのがほとんどなので、問題ないはずなのだが……。気分の問題だろうか?

 ともあれリズベット武具店は彼女一人で経営している個人商店だ。

 オーダーメイドを承りながら商品の会計をするには手が足りず、私もバイト(仮)の面目躍如と言わんばかりに働いた。

 しかし思ったよりも大盛況で客足は途切れることがなく、少しだけ気疲れをしてしまう。

 人が退けたのは夕方になってから。

 愚痴でも言おうとフレンドリストを開き、私はサチへメッセージを送ろうとした。

 

「あっ……」

 

 彼女の名前は灰色になっていた。

 それだけではない。テツオ、ササマル、ダッカー。月夜の黒猫団に所属するメンバーのうちサチも合わせて4人の名前が灰色になっていた。

 いつかこんな日が来るのではと考えてはいた。でもそんな日は来ないと信じたかった。

 彼らは特別優秀なプレイヤーではない。個々のプレイヤースキルは言うに及ばず、チームワークなど、前線で時折組む臨時パーティーよりも悪いくらいだ。

 でもキリトもいるし。そんな甘い考えがあった。

 もっと強く現実を突きつけるべきだった?

 お前たちは下手くそなんだから前線になんて来ても死ぬだけだ、と。

 それとも今日はお店を手伝ってとか、そういう誘いをしていればあるいは……。

 ああ……。全部、全部終わってしまったことだ……。

 

 ふと彼らの代わりにリストから消した名前を思い出す。

 タマさん。カフェインさん。抜刀斎。

 彼らのときも――彼らのとき?

 そうだ。通信障害!

 

「え、ちょっと! どうしたのいきなり!?」

「転移、タフト!」

 

 私は一目散に11層にある月夜の黒猫団のホームにしている宿へ向かった。

 全身が即座に濡れる。主街区に転移した場合、送られるのは転移門前。つまり外だ。傘も差さずにいるのは私だけで転移門を使いに来た一団から奇異の目が向けられた。

 私はそんな些細なことなど気に留めず、いつか行った宿へと走る。

 STR型とはいえ私のAGIはレベルが高いため相応にはある。濡れた石畳に足を取られることなく私は閑散とした洋風の街並みを疾駆した。

 

 扉を壊すほどの勢いで開く。

 1階が酒場になっている宿で、そこには幾人かのNPCが丁度食事をしているところだった。驚いた表情を向けてくるが濡れた身体のまま階段を駆け上がる。

 キリトの名前はまだ灰色になってはいない。

 オブジェクトを破壊するほどの力で彼の部屋の戸を叩く。だがゾーンとしてあらかじめ用意されている建築物は一部の例外を除いて破壊されない。私の拳は『破壊不能(immortal Object)』という表示に阻まれる。

 

 扉はゆっくりと開かれた。

 明かりの点いていない部屋から現れたキリトは防具を着けたままで、幽鬼のような表情をしていた。

 その表情ですべてを理解してしまえる。

 そもそもこんな時期に通信障害だなんていくらなんでも出来過ぎだ。そんなことくらい初めからわかっていた。

 

「………………」

 

 キリトはなにも言わなかった。だから私は勝手に部屋へ入る。

 扉は自然と閉まった。窓の外で降り注ぐ豪雨の音だけがしばらくこの場を支配していた。

 濡れた身体や衣服は時間経過で乾く。そうなるまで私たちは立ち尽くしていた。部屋にはベッドも、調度品の椅子もあるが動くことはできなかった。

 

「サチは…………」

 

 我ながら薄情なやつだと思う。彼女の他にも3人の名前が灰色に変わっていたのに、私は感情のまま、そう聞いてしまった。

 

「……死んだよ」

 

 キリトは震える声で呟いた。

 どさりと体重を壁に預けてたたらを踏み、地べたに座り込む。

 ポタリ……。ポタリ……。床を濡らす水滴の音。

 私たちはどちらも二の句を紡げないでいた。

 

「俺のせいなんだ……」

 

 沈黙を破ったのはキリトの独白だった。

 

「27層の迷宮区で、俺たちは宝箱を見つけたんだ……。あそこは稼ぎはいいけどトラップ多発地帯だった。俺はそのことを知っていたんだ。なのにっ! なのに俺は黙ってた……。ビーターだって知られるのが怖くて、それで……。アラームトラップだったんだ。それもクリスタル無効化空間のおまけつきでさ。扉からモンスターの群れがやってきて、最初はテツオ、次にマサル、ダッカ―、最後にサチがやられた。もし俺が彼らにレベルを偽らず伝えていれば……、もしかしたら生き残れたかもしれないんだ。全部、俺のせいだ……」

 

 キリトは手が白むほど強く拳を握っていた。

 私はなんて返すべきだろう。こんなとき、どうすることが正解なのか……。

 

「……ケイタは?」

「ケイタはそのときギルドハウスを買いに行ってたんだ。だから、減った分のコルをちょっとでも増やせればって。本当なら、今頃俺たちはギルドハウスを手に入れて、ちょっとしたパーティーを開いてたはずなんだ……。なのに、なんでだよっ! なんでなんだよっ!!」

 

 理性はキリトへ優しく同情してやり、手駒に加えろと囁き続けていた。

 彼の精神は今、非常に脆い。だからいかようにも歪めることができるだろう、と。

 この機を使えば私の代わりに人を殺させることだってできるかもしれない。それはPoHやヒースクリフへの極めて有効なカードにもなる。

 

 私にはキリトが一人の人間ではなく、一振りの剣に見えた。

 

 黒く美しい片手直剣だ。

 闇のように暗く、だからこそどんな暗闇にも負けない剣だ。この剣さえあればどんな敵でも切り伏せられるだろう。あらゆる望みを叶えてくれる。そんな確信を抱かせるほどに力強い。

 ああ……。私はこれを、涎が滴るほどに欲しい。

 

「サチは最期に俺に手を伸ばしてなにかを言いかけたんだ……」

 

 キリトへの呪詛が私の中で渦巻く。

 

「あれはきっと俺への恨みの言葉だ。どうして助けてくれないんだ。約束したじゃないか。ビーターなんかに関わるべきじゃなかった。――そんな言葉だと思う……」

「そんなわけないじゃないっすか!」

 

 この剣を自由に使えるなら――、

 

「サチはそんなこと言わないっす。サチはキリっちのことが本当に好きで好きで……。だから思い出をそんな都合の良い考えで捏造するなっ! 死人は恨んでさえくれないんすよ!」

 

 胸倉を掴み上げる。身長は少し私の方が低かったが、高い数値のSTRがいとも容易く彼を持ち上げた。キリトの身体は中身を失ったかようでとても軽かった。

 間近で見たキリトの顔には普段の気取ったような雰囲気はない。その顔は苦痛にあえぐ、どこにでもいるような弱った子供のそれだった。

 システムがハラスメントコードの警告をしていた。これ以上彼に触れていれば、キリトには私を監獄へ送る権利が与えられるだろう。

 

「俺は、どうしたらいいんだ……? どうしたら償える……?」

「一生サチのことを忘れるな。サチのためにって言葉にして戦え。そうやってこのゲームをクリアしろ。そうすればサチを覚えていてくれる人は少しだけ増えるっす。生きてる人間が死んだ人間にしてやれることなんて、たかだかそのくらいなんすよ」

 

 ――私はこの剣をサチの墓標にしよう。

 

 彼女の弔いのためにこの剣を捧げる。

 ソードアートオンラインでは個人を象徴するものとして、その人物が装備している武器があげられる。だからプレイヤーが死亡すると、所持していた武器を墓標に捧げたり、墓碑として飾るといった風習が広まっているのだ。

 リズベットには悪いが、サチの剣といえばキリトだ。

 だから彼をサチの墓碑として、誰もが目に留まる場所へ飾ってやろうと思った。

 

「そうか……。そうだよな……」

「それと、サチの剣はあるっすか?」

「ああ」

「渡すっす」

 

 キリトはなんの疑問も言わず、言いなりになってアイテムをオブジェクト化した。

 

「これはリズのところに置いてくるっす。忘れないようせいぜい毎日足を運ぶんすね」

 

 平凡な片手剣をキリトの手から奪い取り、アイテムストレージに収納する。

 ここにはもう居たくなかった。

 私はさっさと出ようと扉に手をかけて――立ち止まる。

 

「そんなんじゃすぐに死ぬっすよ」

 

 今のキリトはとても弱い。こんなプレイヤーを私は何人も見てきた。彼らの末路は圏内に引き篭もるか、遠からず死んだかのどちらかだ。――サチは後者だった。

 

「死んだら楽になっちゃうんすから、キリっちに罪の意識があるなら苦しみながら生きるんすね。だから今日はもう寝ろっす」

「ははっ。俺は死ぬことも許されないのか……」

「死人は許しなんてくれないっす」

 

 今度こそ部屋を出る。

 外はまだ土砂降りの雨。たしかこの世界でプレイヤーは風邪を引かないんだったか。

 ならこのまま雨に打たれていても別にいいか……。

 

「なにやってんのよ。風邪引くわよ」

「知らないんすか? プレイヤーは風邪引かないんすよ」

 

 リズベットだった。

 11層の転移門前で、彼女はピンク色の傘を差して立っていた。

 

「ほらっ」

「いらないっす……」

「あんたねえ……」

 

 差し出される水色の傘を私は拒んだ。

 リズベットは渡そうと躍起になったが、どうやっても受け取らないとわかるや、自分の傘に私を入れた。

 

「サチが死んだっす……」

「うん」

「これ、店に置いておいてくれないっすか。キリっちが手を合わせに来ると思うっすから」

 

 トレードで、サチの剣をリズベットへと送る。

 

「形見の剣を店に置けって? 縁起悪いわね」

「ごめんっす……」

「いいわよ別に。コルはあんまし落としていかなかったけど、常連さんだったからね。たまにならあの子の好きだったタルトくらい供えてやるわよ」

「助かるっす……」

 

 考えてみれば、確かにそうだった。自分の作った武器を手にしていたプレイヤーが死んだなんて、鍛冶師としてはマイナス要素にしかならない。

 でもリズベットはきっと店のよく見える場所に、この剣を飾ってくれるだろう。

 サチもリズベットの店が好きだったから……。

 

「泣かないんすか?」

 

 リズベットの顔には涙はなかった。

 

「誰かが泣いてるとね、見てる方は冷静になるのよ」

「そうっすか……」

 

 私は泣いているのだろうか?

 これは打たれた雨の滴なんじゃないかと思う。

 

「そろそろ攻略に行ってくるっす」

「今日くらい休みなさい」

 

 首を横に振る。

 

「……死ぬんじゃないわよ」

「――転移、ライラック」

 

 返事はせずに、私は最前線である30層の主街区へと跳んだ。

 キリトにはああは言ったが、私は別に許されたいわけでも許されたくないわけでもないのだ。




サチを強化しても、助かるとは言っていない(血涙)。


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16話 月夜に残る黒猫(3)

 ――『ヴォーパルストライク』の閃光が昆虫系モンスターの外殻を貫いた。

 ポリゴンの崩壊を影に、他のモンスターが大顎を突き出す。

 ソードスキルの硬直時間が終了した俺は、空いている左腕で体術のソードスキルを使うことで迎撃。続けざまに片手直剣を口にねじ込んで大蟻のHPを0に変えた。体術スキルは攻撃力こそ低いものの隙が極めて少ないのがいい。ソードスキル後の硬直時間はほぼ0。実際には0.2秒くらいは停止しているがさしたる問題にはならない。

 

 最前線から3層下に位置するこのフィールドは現在、攻略組で最もホットな経験値スポットだ。出現する大蟻モンスターは攻撃力こそ高いがHPは低く倒しやすい。その上数が多いので、時間当たりの経験値量は未だに最前線よりも圧倒的に高かった。

 そのせいで1パーティー1時間という協定が設けられ、馴染みの攻略組が今でも列をなして順番を待っている。

 その列に並ぶ中でソロなのは俺だけだ。

 大蟻は行動パターンこそ単調であるが、その数に囲まれれば軽装の俺などたちまちHPが0になる。それでもパーティーを組まずにひたすら篭り続けているのはひとえに効率がいいからだった。

 2人、ないし3人では出現量に対して人数が過剰。タンクが丁寧にタゲを取って戦うほど頑丈でもない。このくらいのHPであればアタッカーが火力で押し切った方が速い。それが俺のこの狩場への評価だった。

 もちろん普通はそうでないことくらい理解している。

 長時間の狩りでは特に安定性を意識する。集中力が必要なものだとどこかでそれが破綻し、その破綻を取り戻すための労力で結果的に効率が悪くなるからだ。

 

「女王出てるぞ!」

 

 順番待ちの列に並ぶ知り合いが大声で警告を促していた。

 周囲を観察すると、大蟻がポップする横穴の1つから、一際巨大な蟻が顔を覗かせているのに気がつく。

 この狩場の欠点は大型の強力なモンスターが低頻度で出現することだった。女王蟻の名を冠するそいつは他の大蟻に比べ耐久力が高く、攻撃範囲も広い。倒すことができれば大量の経験値になるが、推定バランスは少なく見積もって6人用。安全に考慮して12人の2パーティーを動員するべきものだ。

 他の大蟻と引き離しながら堅実に削って倒すならそうなるだろう。

 普段はお互いをライバル視している攻略組でもこうした危機には協力を怠らない。最前線ではいかなる事態に巻き込まれるかわからず、明日は我が身だからだ。

 

「いい。手を出すなっ!」

 

 残り時間は10分ある。こいつを倒すのにはギリギリ足りるはずだ。

 俺は体術スキルに属する壁走り(ウォールラン)の効果で数メートルある女王蟻の身体を重力を無視したような走りで駆け上る。

 連続使用こそできないものの、ボスといえば大型のモンスターが多いソードアートオンラインではこのスキルは必須なのではないかとさえ思える。実際このスキルのおかげでフロアボスの頭部に攻撃が届いたり、地形ギミックを利用できたりと多くの場面で活躍を見せていた。

 体術スキルはEXスキル――つまりクエスト報酬のスキルなのだが、俺は包み隠さずその情報を攻略組に明かしている。攻略組の能力が底上げされるのは俺にとっても好都合だったからだ。

 

 背中に対する攻撃方法は持っていないようで、苦し紛れに女王蟻は身体を震わせ俺を振り落とそうとする。

 ここで落ちれば俺は攻略組の救援も間に合わず大蟻の大群になぶり殺しにされるだろう。

 それは駄目だ。こんなところで死ぬわけにはいかない。

 

「サチ……。俺はまだ死なない……」

 

 片手剣を甲殻に突き刺し、しがみつく。

 だがいつまでもこうしているわけにはいかない。下からは大蟻が酸を飛ばし遠距離攻撃で俺を仕留めようとしていた。

 だが俺にとってこの状況は好都合だ。

 モンスターの攻撃は例外を除いて他のモンスターにも効果がある。

 俺は6連撃のソードスキルを使い空中で停止する。

 発射された酸は味方であるはずの女王蟻の身体を焼き、俺の放ったソードスキルは弱点部分(ウィークポイント)である首と胴体の接合部分にきっちり6回命中した。

 

「ギギィイイイイ!」

 

 叫び声をあげ女王蟻の抵抗が強まる。

 岩肌に背を擦りつけても。大蟻を背に乗せても。飛び跳ねても。転がっても。俺が振り落とされることは最期までなかった。

 女王蟻のHPはついに0になる。大きさに比例した爆散のSEが大渓谷に響き渡る。

 それを間近で聞いてしまった俺は耳が一時的に利かなくなったが、バフ効果でもないのですぐに異常は元通りになる。

 俺は急いで大蟻の隙間を抜け、ゾーンの出口へと駆けた。ズサァと土埃を上げて急停止。順番待ちをしていた彼らの横で止まる。

 

「悪いな。少しオーバーした」

 

 開始時にかけていたタイマーから2分オーバーしている。見通しが少し甘かった。

 

「少しお前らとはレベル差ついちまったからな。今日は抜けるわ。女王が出てもこいつみたいに馬鹿やんねえで、ちゃんと応援呼べよ。あと、連携して1人で突出するな。全員の位置を互いに意識してカバーし合え」

 

 頼もしい指示を飛ばす男の声に、7人がそれぞれ返事をして、渓谷の奥へと入っていった。リーダー格の、無精髭を生やした赤いバンダナの男は俺の知り合い『クライン』だ。

 

「ほれ」

「いらねえよ。もっと味のあるものくれ」

「贅沢なやつだな……」

 

 クラインが差し出してきたHPポーションは、やや酸味があり薬品臭いのを嫌というほど味わっている。

 俺のHPはイエローゾーンに突入していたが戦闘時回復(バトルヒーリング)スキルのおかげでそのうち全快するだろうからアイテムでの回復は不要だった。

 

「おまえも飲むか?」

「お、悪いな!」

 

 俺はアイテムストレージから『ハウンド・ハウル』――猟犬の遠吠えを意味するドリンクのボトルを取り出し蓋を開ける。芳醇な香りのするそれを俺は一気に喉に流し込んだ。

 グラスなんて洒落たものは持ち歩いていないので、俺はそのままボトルをクラインへと投げ渡す。

 

「ぐっ! うへぇ……。ウィスキーか、これ?」

「そうなのか? ウィスキーは飲んだことがないからな。知らなかった」

 

 洋酒系のアイテムであることは知っていたが、それがどの飲み物に該当するかまでは知らなかった。いい情報だ。ウィスキーを必要とするクエストでこのアイテムは使用できるだろう。そんなクエストがあるかは知らないが。

 投げ返されたボトルをキャッチし、俺は再び液体で喉を潤す。

 いや、ちょっと違う。喉を焼くような感覚はとてもではないが喉が潤ったりしない。

 ただ口に含んでいると最初は驚くような辛さが目立つが、徐々に甘みや渋さが感じられ……たぶんそういうのが美味しいと感じるのだ。

 

「味わかってるのかよ?」

「さあな。ただ、なんとなくこれが気に入ったんだよ」

「相変わらずマセてんなぁ」

 

 アルコール系のアイテムはソードアートオンライン内では結構な数存在している。

 料理スキルから派生する醸造スキルなんかで作成できるらしく、素材アイテムの組み合わせでかなり味の幅があるのだとか。これもそんなプレイヤーメイドの一品だ。

 こっちでは飲酒しても法律に違反しないし、酔うというデメリットもないので安心して飲める。

 

「それで、なんか用か?」

「え、ええっとだな……。お前、最近無茶してねえか? 今日は何時からここに篭ってやがる?」

 

 クラインは手頃な岩に腰をかけて話し始めた。

 長話をしたいようだ。俺としてはさっさと帰って寝たいのだが、旧知の間柄を無下にするのもよくないと思い、崖に背を預け腕を組んだ。

 

「夜の12時から」

「おいおい。5時間も前じゃねえか」

「羨ましかったらもっと早く来るんだな。深夜は人が来ないから待たされなくて済む」

「そうじゃねえよ! 気力が切れればこんな危険な狩場じゃ死ぬぞ! 人がいねえってことは誰も助けになんて来てくれねえってことだ」

「平気さ。さっきの見てたろ?」

「そりゃ、お前が強えことは嫌ってくらい知ってるぜ……。レベル、どのくらいになったんだよ?」

「76だ」

「はぁ!? お前、お前馬鹿じゃねえのか! そんなになるまでどんだけ篭ったんだよ! 俺だってまだ59だぞ。レベル上げがどんだけ大変かくらい俺だってわかってる。そんでもってそんなレベルになるのは普通じゃありえねえ!」

「他に美味い狩場を見つけたのかもな」

「だったらこんな場所居るかよ」

「………………」

「そんな無茶なレベル上げになんの意味があんだ! フロアボスの相手はお前一人じゃ無茶だってことくらいわかってるだろうが」

「どうだかな」

「このわからず屋が!」

「俺がレベルホリックなのは今に始まった事じゃないだろ? もし最近躍起になって上げ出したんだとしたら、俺だってこんなレベルにはならないさ」

「そうだけど、よお……」

 

 長時間狩場に篭ることなんて日常茶飯事だ。

 流石に数日ぶっ続けで篭っていたせいで、フロアボス戦に置いて行かれてからは自重しているが。

 

「むしろ最近無理にレベリングしてるのは、クライン。お前の方だろ」

「うちはまだまだ2軍落ちだからな。あいつらのためにもレベリングしてんだよ」

 

 それは事実かもしれないが、もちろんそれだけでないことを俺は知っている。

 腹の探り合いをしていても旨味はないと考え、俺はさっさと本題を告げることにした。

 

「俺を心配する素振りなんてしてないでハッキリ言ったらどうだ。フラグボスの情報が知りたいんだろ?」

 

 フラグボスとは、クエストなどの攻略キーになっているモンスターのことだ。クエスト受注者が入れは出現するタイプや、ランダムに出現するタイプ、再出現に時間のかかるタイプなどがある。

 強さは千差万別。中にはフロアボスを凌ぐモンスターがいてもおかしくはない。

 

「俺はそんなつもりじゃ……」

「そうか、なら話は終わりだな」

「…………おう」

「ちなみに俺はアルゴからクリスマスボスの情報を買った、って情報をお前が買ったってことは知ってる」

「あの野郎!」

「やっぱりそうか」

「……へっ?」

「お前に腹芸は向いてねえよ」

「クソッ。いつの間にそんな技、覚えたんだよ……」

「商売上手な知り合いが多くてな。普段はお前みたいに踊らされる側さ」

 

 リズベットにエリ、アルゴ。一応旧DKBのギルマス。他にもヒースクリフなんかはなにを考えてるかさっぱりわからず苦労する。

 

「ああ、ちくしょう。そうだよ。お前の考えてる通りだ。俺たちも、それにここに来てる連中も皆、フラグボスのために少しでも戦力上げたくてこんな糞寒い中レベリングに来てんだ。だけどな、年一のフラグボスなんてソロで狩れるモンじゃねえことくらいお前だってわかってんだろ。うちはこれでも10人いんだ。十分勝算があんだよ」

 

 これが普通のフラグボスだったなら、俺は素直にクラインと手を組んでいただろう。

 ソロに拘るような甘さは俺にはもうない。むしろ他のプレイヤーと一時的にパーティーを組んで知名度を上げるよう力を注いでさえいた。

 だが今回そうしないのはある噂が原因だ。噂といってもプレイヤー間で話される不確かなものではない。各層のNPCが話している正確無比な噂だ。

 

 柊の月。――つまり12月24日の夜24時ちょうどに、どこかの森にある樅の巨木の下に『背教者ニコラス』という怪物が出現するらしい。

 その怪物を倒すことができれば、背に担いだ大袋の中にある財宝が入手できるのだとか……。

 

 攻略組や大手ギルドはこの手のレアアイテムの話に敏感だ。

 レベルやスキルは時間によってある程度の差は埋まる。だがレアアイテムに関してはそうもいかない。ソードアートオンラインでは恐ろしく入手困難なアイテムが――それこそ世界に1つしかなく、これから先も入手不可能というレアリティのアイテムはザラにある。

 攻略組が身に着けている武具なんかは大抵そういった激レアモノだ。クラインの刀然り。俺の剣然り。

 それらは通常のアイテムとは当然一線を画す能力を秘めており、かの最強プレイヤー、ヒースクリフもそういった装備を身に着けているだろうと噂されていた。

 もちろん俺も今回のフラグボス攻略には乗り気だった。どこかのギルドと共同戦線を張り、願わくばレアアイテムのおこぼれに預かろうという魂胆があった。

 その考えを断念するに至ったのは2週間前のことだ。

 

「蘇生アイテム、なんて話本気で信じてんのか?」

「………………」

 

 NPCの口からは『背教者ニコラスの大袋には、命尽きた者の魂さえ呼び戻す神器が隠されている』という情報がもたらされたのだ。

 大概のプレイヤーはガセだと言っている。開発時のテキストがそのまま残っていたというのが通説だ。

 それはそうだろう。アインクラッドではそれが真理だ。HPが0になった瞬間、俺たちの頭に填められたナーブギアが高出力マイクロウェーブを放出して脳を破壊する。そうでなければ俺たちはこんな場所で虜囚となっていない。

 

「クライン。お前は勘違いしてる」

 

 もし、死んだプレイヤーが別空間に待機させられていたら。

 もし、蘇生アイテムがその場所から復帰する手段であれば。

 ――そんなことを信じるのは死後の世界を語る宗教家だけで十分だ。俺はそんな話を本気で信じてはいない。

 このゲームを作った茅場晶彦の狂気は、そんな優しさに満ち溢れたモノのはずがないのだ。

 だがそれでも。死後の世界を実際には見たことがないように、俺はそんな妄想が絶対にありえないとは断言できなかった。

 

「蘇生アイテムは俺だって偽物だと思ってる」

「ならっ!」

「それでも俺はやらなきゃいけないんだ」

 

 俺は可能性に賭けて、戦わなければならない。

 それが月夜の黒猫団という仲間を、サチという女性を殺してしまった俺にできる唯一のことだと信じているから。

 

「もしアイテムを入手してそれが望むような効果じゃなくても。また同じような話があれば俺は挑む。何十回でも。何百回でも!」

「まだ忘れられないんだな、前のギルドのこと。……もう半年になるってのによ」

「違うぜクライン……」

 

 俺はボロボロになったコートではなく、新品同様に仕立ててある普段着用のコートを身に纏った。その胸元と背には満月を背にする黒猫の紋章。

 その紋章を親指で差して俺は語る。

 

「俺がいる。月夜の黒猫団はまだなくなってなんかいない。半年前から()()()言ってるだろ」

「なにがギルドなもんか。誰も新しくメンバーに入れないで。お前がやってるのはただのソロ攻略――」

「クライン」

 

 俺の声には驚くほどに怒気が込められていた。

 

「それ以上はお前でも許さないぞ」

 

 メニューウィンドからは俺はクラインへデュエルの申請を送っていた。

 YESかNOか。絶対的二者択一だ。

 

「……悪かった」

 

 クラインはデュエルの申請を断ると、一触即発の空気も霧散した。

 よかった。クラインと戦うことにならなくて、本当によかった。

 

「けどな、キリトよぉ……。ソロでフラグボスと戦うのはやめておけ。お前をこんなところで失いたくはねえんだよ」

「だから勘違いだって言ってるだろ」

「は? じゃあなんだ。お前、誰かと組む予定があんのかよ」

「そりゃそうだろ。悪いなクライン。攻略ギルドのメイン盾様とデートの約束だ」

「あークソッ! そうかよ。くぁあーっ! 恥ずかしいなちくしょう! 全部俺の独り相撲だったってわけか? ならもうお前は誘わねえ! せいぜい俺らに先越されないよう頑張るんだな!」

「ああ、負けないぜ」

 

 俺の眠気もそろそろ限界で、装備を元に戻すとさっさと渓谷の外へ出ようとする。

 

「あとな、キリト! 俺が心配したのは情報聞くためだけじゃねえからな! 無理して死んだって、お前になんか蘇生アイテムは使わねえぞ!」

 

 俺は振り返らずに手だけを振って、それを挨拶にした。

 ――お前が心配してくれてることくらい知ってるさクライン。それでも、俺には譲れないものがあるんだ。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 俺は11層にあるレンガ造りの一軒家へ帰ってきていた。

 この家はケイタがあの日購入した物件だ。

 勝手ながら少し改築をして、表に表札を下げてギルドの紋章を掲げたけど、そのくらいは許してくれよな。いや、許してくれないか。死人は許しなんてくれない。

 ケイタもサチたちが死んだ翌日には死んでいた。

 たぶん自殺だった。俺は彼にすべてを打ち明けた。サチたちが死んだ状況。俺の本当のレベル。そしてビーターであったこと。

 彼は俺に恨み言を言ってくれた。恨まれるのは少しだけ楽だった。それは大嫌いな自分を嫌ってくれたからだと思う。

 

「ただいま……」

 

 ギルドハウスには誰もいない。

 当然だ。ギルドメンバー以外侵入禁止に設定してあるのだから。そして俺以外のギルドメンバーは全員死んでいる。

 ケイタは自殺する際、なにもしなかった。ギルドハウスを手放すことも、ギルドを解散することも、なにも……。

 だからシステムはまだ残っている俺にギルドマスター権を委譲した。

 以後半年、俺がこのギルドのマスターということになっている。

 

 システム操作で灯りを点ける。

 電球色の温かな光に照らされたリビングには、会議にも使えるよう大きめの机が置かれ、その周りに6つの椅子が並んでいる。それはかつて月夜の黒猫団と共に過ごした宿のバーを模したインテリアだった。

 隅に置かれた棚には丸めたスクロールがいくつも詰まっている。中身の大半は各層のエリアマップ。そこには一応俺の手書きでいくつかの情報が記載されている。

 壁には攻略中である49層のマップがかかっていた。

 さして使うわけでもないのに、我ながら丁寧にやってしまったものだと思う。

 

 棚から目当ての地図を引き抜くと、俺は短い廊下を抜けて自室へと向かった。

 狭い一軒家だが個室はちゃんと6つある。それぞれの部屋には、宿泊していた宿に忍び込んで持ち出した彼らのアイテムが可能な限り並べられてる。

 それに比べ俺の部屋はかなり質素だ。ベッドにアイテムチェスト、簡素な机と椅子しかない。

 

 椅子を引いて腰かけると、アイテムストレージからボトルと食料アイムを取り出し遅すぎる夕食――ないし寝る前の夜食を摂ることにした。

 ウィスキーと判明したハウンド・ハウルと一緒にベーコンを挟んだサンドイッチを口にする。塩味の効きすぎた肉をアルコールで流し込む行為に俺は最近ハマっていた。

 

 食事を終えると持ち出した地図を広げる。それは35層のものだ。

 この地図は少し特別製で、35層に存在するダンジョン『迷いの森』を抜けるためのアイテムでもある。

 このダンジョンは巨木が立ち並ぶ森林地帯がマス目状のエリアに区切られており、1分毎に東西南北の連結が入れ替わるという厄介な特徴がある。このダンジョン内では簡易マップが使えず、方位も見ることができない。

 無策で突破するには幸運に任せるか、1分で端まで到達するほどの脚力が必要になるわけだが後者は実質的には不可能である。

 しかし初見でも、このダンジョンに入れば簡易マップが利かなくなるためすぐさま引き返し、攻略組から犠牲者が出ることはなかった。

 

 俺はこのダンジョンを攻略しに行ったとき、一本の捻じれた巨木を発見していた。

 他の木とは違う意味ありげなロケーションだったため、この地図にもメモ書きがある。

 その巨木について俺は念入りに調査したが、そのときにはなにも発見することができなかった。だが今ならわかる。こここそが背教者ニコラスが現れるという樅の巨木であると。

 

 俺の現実世界の自宅に裏手には運よく樅の木が生えていた。それを記憶していた俺は、樅の葉は硬質で先端が丸いことを知っていた。

 情報屋から買った場所に植えられていたのはどれも杉の木だった。

 ガセを掴まされたことに怒りを覚えつつも、だからといってガセだと文句を言うこともできない。それは彼らに情報を与えることになってしまうから。

 

 緊張で高鳴る鼓動を感じながら、俺は布団に包まった。

 クリスマスの日まであと僅か。

 俺は蘇生アイテムとサチの夢を見る……。




あんな真っ黒装備大好きっ子なキリト君は、きっとお酒とか飲んでる雰囲気が好きに違いない!
年下の女の子と一緒に入ったレストランで持ち込みのワインを勧めるし。
でも味はわかってなさそう……。


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17話 月夜に残る黒猫(4)

 目前に転移の回廊が開かれた。

 青紫色に光る結晶の門からは、小麦色の髪をツインテールにした小柄な女性プレイヤーが現れる。

 彼女の名前は『シリカ』。1週間前に私たちが接触したビーストテイマーの少女だ。

 

「協力感謝するっす」

 

 シリカに付き添って転移してきたのは冴えない雰囲気の男性プレイヤー。

 痩せた体形に黒縁メガネ。身に着けている重量鎧が実にアンバランスで、片手で抱えた長槍は臆病心の表れではないかとさえ思わせる。

 だが彼はこうした囮捜査のプロだ。

 こんな外見をしているのもすべては犯罪者プレイヤーの目を欺くための偽装。

 槍と盾を組み合わせた防御重視な戦闘スタイルは、時間稼ぎや護衛といった役割に最適化されており、複数人のレッドプレイヤーを相手に大立ち回りをしたことさえある。

 私はシリカに短い感謝を伝えると、彼女の出てきた回廊へ10人の部下を引き連れ突入した。

 

 転移による光が消えると、そこは背の高い草花が生い茂る草原だった。

 今日の天気は運がいいのか悪いのか、雪模様。

 目の前では11人のプレイヤー――今回の標的となった犯罪者ギルド『タイタンズハンド』と対峙する部下の姿があった。

 

「ご苦労っす」

「な、なんでこんなところに軍の連中が!?」

 

 斧使いのプレイヤーが叫んだ。

 

「全員動くなっす。逃亡を試みれば実力行使に出るっすよ」

「ちっ。あたしらはまんまとハメられたってわけね……」

 

 リーダーと思わしきグリーンカーソルの女性プレイヤーが苦渋の表情を見せる。

 彼女の言う通り、ALFの治安部隊――そのトップである私の直属チームは今回、クリスマスに彼らを捕らえるべく作戦行動を取っていた。

 クリスマスだからと浮かれるのはカップル連中だけではない。それを狙った犯罪者たちもまた、甘い蜜に惹かれて浮足立つだろうと私は考えていた。

 

 事の起こりはいつものごとくPoHからの情報。中層で最近、目障りな強盗殺人を繰り返すギルドがあるとのことだった。

 調べてみれば『シルバーフラグス』というギルドが襲撃に合い、リーダーを除く4名が殺害されていることが判明した。

 私は目撃情報を元に彼らのリーダー『ロザリア』の居所を突き止め、一網打尽にすべく彼女が接触を計っていたシリカに協力を仰いでこの日に漕ぎ着けたのだった。

 

「この人数じゃ流石に無理ね……」

 

 ロザリアは周囲を見渡し部下へとアイコンタクトを送っているようだった。

 

「抵抗しないわ。大人しく逮捕される――なんて言うと思ったっ!? 転移――」

 

 彼女が懐から転移結晶を取り出すのと同時に、タイタンズハンドのメンバーも転移結晶を出す。

 だが彼らが逃亡することは叶わない。

 なぜなら彼らの手にしていた転移結晶が残らず弾き落とされたからだ。

 

「なっ!?」

「あぁ、いいっすね、その表情……。最高っす。クリスマスのいい催しになったっすよ」

 

 拍手を送り私が笑うと、部下たちもつられてゲラゲラと笑い出す。

 だが全員目は笑ってない。獲物を前にして目を離すなんて愚行を誰もしない。

 

「考えてもみるっすよ。補足された犯罪者プレイヤーはどうやって逃げようとするっすか? 普通はそう。おまえ達みたいに転移結晶を使おうとするっす。ありふれた逃走方法への対抗策くらい、普段から練習してるに決まってるじゃないっすか。ねえ?」

 

 今やったのは部下による投剣スキルでの攻撃だ。

 フォーカスロックされた投擲物はわずかな追尾性能がある。転移アイテムはその効果が完了する前に攻撃を受ければ解除され、発動中は一切の身動きが取れない無防備な状態になる。転移を食い止めるだけであればそう難しくもない。転移結晶を狙い撃ちするのには相応の訓練が必要だったが……。

 

「わかった。降参よ。好きにしなさい」

「おぉ……! これは嬉しい誤算っすね。そんな。好きにしていいだなんて。そんなこと言ってくれるなんて、ねぇ?」

「な、なにするって言うのよ……」

 

 ゲラゲラ笑い続けるALFの面々に、ロザリアは身を捩らせ肩を抱く。

 どうやらあらぬ誤解をしているようだ。

 

「そうっすね……。11人もいるっすけど、5人くらいでいいんじゃないっすかね?」

「隊長、そんなに必要でしょうか? 3人いれば十分かと」

「欲張りっすね。でも連れて行ってから最初に見せしめにする役は必要っすから、多く見積もってやっぱり5人――しかたないっすねえ。じゃあ4人で手を打つっすよ」

「流石隊長」

「もちろんロザリアは生け捕りっすよ」

「な、なんの話してんのよ……?」

 

 部下との楽し気な会話に不気味さを感じロザリアは後退る。

 彼女も頭を働かせればどんな内容なのかはすぐわかるだろうに、それがわからないということは考えられないような精神状態なのだろう。

 

「それは……、ねぇ?」

「とりあえず全員麻痺らせますか?」

「えー。俺はもっと激しいのが好きなんだけど」

「そういってこの前一人逃がしちまったろ。掴まえんの苦労したんだぞ」

「はいはい。そうでしたね。俺が悪かったよ。とにかくそれで行くか……」

「だからあんたら――ヒィ!?」

 

 ALFのメンバーがタイタンズハンドのメンバーに斬りかかった。

 斬られたタイタンズハンドのプレイヤーのHPはそれほど減っていない。当然だ。直接ダメージ控えめの麻痺効果がたっぷり乗った武器で斬られたのだから。

 不意打ちを受けて倒れるタイタンズハンドのプレイヤー。

 突然の出来事に場は一瞬で恐慌状態になったが手慣れた私の部下は次々に犯罪者を麻痺状態に変えていく。

 麻痺状態はPKでの基本戦術だ。このゲームの麻痺は異様に長い。受ければ自然復帰は絶望的で、ポーションで回復するには時間がかかり過ぎる。その癖プレイヤーは装備による対毒耐性の獲得は極めて難しく、結果HPを0にするのに比べ何倍も簡単に麻痺状態にすることができた。だからPKは即座に殺すにしろ後から殺すにしろ、まず麻痺状態にするところから始める。

 対人戦に必要とされる装備は端からエネミー相手に使う物とは別なのだ。

 

 バタバタと仲間が倒れる中、健気にも抵抗を見せるプレイヤーもいた。しかしあっという間に取り囲まれる。人数に差がついた段階で、レベルも練度も低い彼らに生存の目はない。

 複数人で袋叩きにされたそのプレイヤーも草原の雪に埋まり、立っているのはALFのメンバーとロザリアだけとなった。

 

「これで監獄エリアに転移しろっす」

 

 私は微笑みかけながら結晶アイテムを渡そうとする。

 

「待ってください隊長! あれ、しましょうよ」

「どれっすか?」

 

 部下から耳打ちされた内容に口元が歪んだ。

 

「そうっすね。じゃ、ロザリアは麻痺させるっす」

「了解!」

「ちょ、待グエッ!」

 

 痛くはないはずなのにどいつもこいつも叫ぶのはなぜだろうか……。

 まあいい。私は部下たちに指示を出して手早く麻痺したプレイヤーを並べた。周囲に他プレイヤーが近づいていないかの確認は怠らない。哀れな犠牲者を出すのは囮を使った関係上あまり好ましくはないのだから。

 

「それではロザリア。おまえに質問があるっす」

「なんだい……。他に仲間がいるかって話? それとも他の犯罪者プレイヤーについてかしら?」

「それは後でじっくり聞くっすよ。そうじゃなくてっすね。ギルドマスターってやっぱり大変っすよね。それが犯罪者ギルドともなればなおさらに」

「なにが言いたいの?」

「この中から嫌いな仲間を上げるっす」

「……はっ?」

「誰なら死んでもいいっすか?」

「なに、言ってんの?」

 

 ロザリアの顔が青ざめていく。彼女だけではない。タイタンズハンドのメンバー全員が私の言葉に顔色を変えた。

 

「そういえば今日は冷えるっすねー。そんなに寒かったっすか?」

「そうじゃないわよ! あんたら正義の軍隊さまでしょ! こんなこと許されると思ってんの!?」

「許すって、誰がっすか?」

「それは……。そう、攻略組の連中が……」

「彼らがここにぃ? どこっすかねぇ……。私には見つけられないっすよ。――いるっすか?」

「索敵スキルの範囲内には見つかりません」

「らしいっすよ」

 

 ガタガタと震えるロザリア。

 

「さあ答えるっす」

「あ、いやっ、あたし……」

「3、2、1……」

「なんでよ……、あんたら狂ってる……」

「……0。選べないんじゃ仕方ないっすね。近くにいた君。それじゃあさようならっす」

「待って!」

「お?」

「わかった。選ぶから……。あの槍使いの彼」

「ロザリア! なに言ってんだテメェ!?」

「ほうほう。それまたどうしてっすか?」

「ハラスメントコードが出るようなことをしてくるのよ。監獄に送るわよって言ったら、取り調べでお前のことを軍に話すぞって」

「それは酷い奴っす。女の敵っすね」

「そうだそうだ」

「許せん!」

「ぶち殺せ!」

「温かくしてやるっす」

「了解しました!」

 

 松明アイテムを使い、くだんの槍使いの男に火をつける。

 それだけだとなかなか燃えないため、度数の高いアルコールドリンクを部下が浴びせた。飲むような物じゃないだろうに。わざわざこのために持ってきていたのだろうか?

 まあ役立てて、持ってきた彼も満足そうだったから良しとしよう。

 

「嫌だぁ! 死にたくないっ! 熱い! あぁあああああアツい!? アツいよぉぉおおおおお!!」

「痛みはないはずなのに、相も変わらずよく騒ぐっすよね」

「もしかして幻痛を感じてるんじゃないですか?」

「なるほど。こんなにリアルだとそういうのもあるかもしれないっすね。どれ、少し聞いてみるっすよ」

「わかりました。おい。お前。痛覚はカットされてるはずだが本当に痛むのか? それはお前の気のせいではないのか?」

「アツッアツッアツッアツい! アッアツアツ、あぁぁぁあああああ!?」

「どうやら本当に熱さを感じてるみたいです」

「どうっすかねえ……。本当に全身が焼かれてる痛みを感じてるならこんなにハッキリ喋れないと思うんすよ。やっぱり幻痛の線が濃厚っすね」

「役に立つ情報ですか?」

「尋問には使えるっす。たぶん」

「それはよかった」

 

 槍使いの男は断末魔を上げ続けて死んだ。

 しかし炎による燃焼ダメージだけでは死亡するまでに結構かかってしまうな。

 

「あんまり長引かせて誰か来ても怖いっす。ちょっと巻きでやるっすよ」

「ロザリア。俺、この前飯奢ってやったよな?」

「凄い頼れる奴だと思ってたんだ!」

「お前じゃなきゃ俺たちのリーダーなんて務まらないぜ!」

「ロザリア!」「ロザリア!」「ロザリア!」

「あ、ああ……。あたし、あたし……」

 

 喚き散らすタイタンズハンドのメンバーたち。

 草原には命乞いをするため、ロザリアを讃える言葉が合唱された。その中からロザリアは1人ずつ、気に入らない仲間を選んでいく。

 最初は自分を認めなかった者を選んだ。次は小さなヘマをした者を選んだ。趣味の合わない者を選んだ。顔が気に入らない者を選んだ……。

 彼らの数が4人になったのは、それから20分も経たない間の出来事である。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

「Happy Christmas.プレゼントは気に入ってくれたか?」

 

 PoHの快活な英語に出迎えられ、少しアンハッピーな気分になる。

 看守長室のテーブルには純白のテーブルクロスが広げられ、その上にチキンダックやローストビーフ。サラダ、ホールケーキ、シャンパンにワインといった豪勢な料理が並べられている。

 飾りつけはまだ途中のようで、ジョニーがモールを壁に取り付けている最中だった。

 ザザはというと自分の得物の手入れをしている。キバオウは今日は欠席。クリスマスはどうしてもはずせない会合があるのだとか。

 ALFのクリスマスパーティーは明日の予定。クリスマス当日くらいは個々人での予定を優先して欲しいという粋な計らいだ。

 しかしそんな計らいも私には無駄であった。つい先週、PoHから「クリスマスパーティーをする。いつもの場所でだ。仕事が終わったら絶対来い」と強制されたのだから。

 

「あれ、プレゼントだったんすか……」

 

 あれ、とはさっき遊び相手にしてきたロザリア率いるタイタンズハンドのことだ。

 彼らの生き残りは現在監獄エリアの隠しエリア――地下ダンジョンではない――に送られている。後で尋問にかけて情報を引き出せるだけ引き出したら殺害する予定だ。

 

「ずるいぜボス! 俺には? 俺には?」

「お前にはこの前残党狩りをさせてやったろ……」

「えー」

「わかったわかった……。ただしちょっと待て」

「待てってどんくらい?」

「ショーの日取りまで」

「ああ! そいつは仕方ねえなあ。ボス、俺にも手伝わせてくれんだろ?」

「そういうことだ」

「よっしゃ!」

 

 なにを企んでいるのか……。正直不安だ。

 ところでザザにはクリスマスプレゼントあげなくていいのだろうか?

 

「俺は、こいつだ」

 

 彼が今眺めているエストックはどうやらPoHからのプレゼントだったようだ。意外と気遣いのできる男だ。人心掌握術に長けているだけだろうが……。

 

「エリにゃんは俺にプレゼントとかないわけ?」

「あー、そうっすね……。ジョニーこそどうなんすか?」

「ほい」

 

 ジョニーが投げ渡してきたのは禍々しい外見の片手直剣。

 ステータスを確認すると恐ろしく攻撃力は高いが、耐久性はカスの一言。1戦闘も碌に使えず粉砕すること請け合いだ。ただ一線級の剣なんてそうそう手に入るものでもない。彼なりに私の役に立つものを考えたのだろうことがわかった。

 

「どうもっす」

「じゃ、プレゼントちょうだい」

「えっと……。今日捕まえて来た人の尋問でどうっすか?」

「はぁ……。しかたないなぁ。それでいいよ、もう」

 

 残念そうに肩をすくめ、彼は飾りつけに戻る。

 

「俺はデュ――」

「ザザはポーションの詰め合わせでいいっすか?」

「……ステータスアップ系に、しろ」

「はいはいっす」

「なら、俺からの、プレゼントは、デュエ――」

「ところでこれ全部食べるんすか?」

「そうだな。ここじゃいくらでも食える。腹がはちきれる心配もないだろうさ」

 

『ザザ から1vs1デュエルを申し込まれました。受諾しますか?』

 

 私は迷わずNOを押した。

 

「なぜ、だ?」

「嫌っすよ。ザザは死ぬまでやるじゃないっすか……」

「当然、だ。俺からの、プレゼント。受け取って、くれないのか?」

「却下」

「ぐぬぅ……」

 

 ジョニーも飾りつけを終え、パーティーの準備は整った。

 各々が席に着き、好き勝手に自分の皿へ食べ物を取っていく。

 

「「「乾杯」」」

 

 グラスにはシャンパン。

 炭酸の喉越しの後にほんのりとした酸味を感じる。ロースビーフも絶品だ。ソースの甘みが肉に程よく絡み食欲をそそる。元があの筋肉質な2足歩行をする牛系エネミーの肉だとは思えない。

 

「ところで、俺へのプレゼントはないのか?」

「はっ?」

 

 PoHが食事の最中に突然そんなことを言った。

 たしかに他の二人には渡すことを約束したが、こいつはなにが欲しいんだ?

 殺していいプレイヤーなんて自分で用意するだろうし、武器やアイテムに拘るタイプでもあるまい。

 彼が欲しがる物なんて私には皆目見当もつかなかった。

 

「なんか欲し物があるんすか?」

 

 しかたがないのでこういうときは素直に聞いてしまおう。

 無理な物なら無理と言って、代わりにそれっぽいものを渡せばいいだけだ。

 

「……ある」

「なんすか?」

「俺は、お前が欲しい」

「……………………」

「……………………」

「……………………」

 

 誰もが口を開けたまま呼吸を忘れた。

 私も、PoHも、ザザも。あの口やかましいジョニーでさえ。

 使っていたフォークは虚空で停止し、シャンパンを傾けていたグラスからは液体が溢れ出る。カランカランとナイフは物理エンジンに従い、音を立てて皿の上に落下した。

 しばらくの間、私たちは不自然な姿勢で止まっていた。

 

「年が明けたら俺たちはギルドを立ち上げる。そこに入らないか、という提案だ」

「なんだよ、ボス……。驚かせないでくれよ。心臓が止まるかと思ったぜ」

「お前なに考えてんだ。エリはちんちくりんのガキだろ」

「まあ年齢比べればガキっすけどね」

 

 外見年齢は中学生。順当にいけば今の実年齢は高校生なわけだ。あのままでは進学できたとは思えないが……。ともかく別段子供扱いされても事実であるのだから気に障るようなこともない。

 

「で、どうだ?」

「いや無理っすよ。こっちの仕事もあるんすから」

「そんなもの捨てちまえ。――軍の治安維持部隊の隊長が一転してレッドギルドの幹部に。燃えるシチュエーションだろう?」

「いやいや。表で歩けなくなっちゃうっすよ。そういう面倒な縛りが出るのは嫌っす」

 

 PoHたち男性プレイヤーは髪形を変えたり顔が見えない装備をすればある程度誤魔化しは利くのだろうが、私のような女性プレイヤーはかなり目立つ。加えて体形は誤魔化しようがなく、シルエットの出ないローブなんかを着ていれば注目の的になるのは間違いない。

 元々ALFのメンバーとしても顔の広い私が捕まらないためには、フィールドに引き篭もるしかなく、そういった生活の苦痛はできる限り避けたかった。

 

「そうか……。それは、残念だな……」

 

 珍しく、PoHは本当に残念そうに語った。

 

「なんかあったら手伝うっすから。それで手を打ってくださいっす」

「それはいつものことだろうが」

「そうっすけど……」

 

 それは私が望んでしているわけじゃない。

 断れないからしぶしぶ引き受けてるのであって、できればそんなことしたくはないのだ。

 

「それで、どんなギルドにするんすか?」

「ああ。名前はLaughing Coffin(ラフィンコフィン)。その名を聞けば誰もが怯えるようなSAO最恐のレッドギルドにするつもりだ。手始めに年明けと同時に中小ギルドを片っ端から血祭りにあげる。それをギルド設立宣言のパレードにして、大ギルドの連中に挑戦状を叩きつけてやるのさ」

 

 夢を語る子供のように、無邪気に説明するPoH。

 彼はこんな性格だっただろうか? いや。私は彼の多くを未だ知らない。こんな日なのだ。恐怖の大魔王ことPoHも、こんなときくらい浮かれて羽目を外すのだろう。

 そう考えると恐怖しか感じてこなかった彼にも可愛げを――感じはしないか……。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 黒鉄宮の廊下を私は歩いていた。

 PoHたちとのパーティーは個人の判断で解散していいと言い出したので、私は早速席を立って出てきたというわけだ。

 

 こんな日でも――いやこういった祝いの日だからこそ、黒鉄宮に集まっているプレイヤーは多かった。

 ALFの所属プレイヤー数は2000人強。

 これほど数が肥大化するとギルドへの帰属意識の低いプレイヤーが大多数なのだろうが、こんなときだけちゃっかり集まってパーティーを開くのは、日本人ならではの感性なのかもしれない。

 

 しかし外ではお祭り騒ぎをしているというのにここはとても静かだった。警備員がいるとき以外は一般開放されていない区画であり、そうでなくとも騒ぎ立てるような場所ではないため、当然と言えば当然だ。

 この先にあるのは展示エリアだ。

 ただの展示エリアではない。そこは歴戦の勇者――つまり死んでいった仲間を祀るために、その遺品たる武具を飾るための部屋だった。

 

 KoBが25層を攻略した後、紛失していた死亡プレイヤーのアイテムはその多くが届けられた。それは情報提供の見返りではあったものの、そうでなくとも届けただろうと、DKB――現在のDDAメンバーは言っていた。

 私もその受け渡しに立ち会い、追悼式にも参列した。

 ここにユウタや他のメンバーの武器が設置されるときも出席している。

 だが、役職を交えない私的な立場として、この先へ行ったことは一度もなかった。

 

 私にその資格があるのか? という感情からではない。私にあるのはもっと自分勝手な感情だ。それは『辛いことは思い出したくもない』というものだった。

 それでもなんとなしに歩けばここに来てしまっている。そして部屋の扉を開けることなく引き返すという無意味な行為を繰り返していた。

 

 メッセージの着信SEが鳴る。

 諜報員から監視していたターゲットに動きがあったとの連絡が入った。

 ようやくか。何も起こらないのではと少しだけ冷や冷やしたが、杞憂に終わってくれそうだ。

 立ち去る理由が出来たことで、私は喜々として踵を返した。

 

『転移――ミーシェ』

 

 私は報告を信じて35層の主街区へ跳ぶ。

 外は雪模様。ホワイトクリスマスだ。




ザザ「デュエル、だ」
ヒースクリフ「デュエルで決着をつけよう」
ザザ&ヒースクリフ「「デュエル!」」
エリ「NO!」

デュエリスト2人目。


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18話 月夜に残る黒猫(5)

 クリスマス当日の朝。

 鏡の前で今日も俺は自分の身形を確認する。

 寝癖は櫛を使用して整えた。着ているのは一張羅のギルドの紋章が描かれた黒コート。インナーとしてクリームイエローのニットを着合わせ、グレーのマフラーを巻く。

 

「よしっ」

 

 問題はないはずだ。俺は頬を叩いて気合いを入れた。

 それからリビングで今は亡きメンバーへ黙祷を捧げるとギルドハウスを後にし、転移門を使い第1層へと向かった。

 

 途中で購入した新聞には中層のフィールド情報の他、デートスポットやオススメレストランなどが書かれていて、その中から目当ての情報を読み取った。

 今日の天気は雪模様。ホワイトクリスマスになるらしい。

 

「どおりで寒いと思ったぜ」

 

 もっと厚着を用意しておけばよかった。

 見栄え重視で質感の良いコートを仕立てたはいいが、そう何着も作っていては財布が持たない。そもそも攻略以外の箇所にコルを出費するのは多少なりとも苦しいのだ。

 このコートもトレードマークとして機能してきたわけだし、ここは我慢だ。

 マフラーや手袋があれば堪えられないほどではない。

 

 昔はお洒落な服なんて……。と思っていた。

 しかし今の俺は攻略組ギルドの一角、月夜の黒猫団の代表だ。それがだらしない恰好をしていれば死んでいった彼らの沽券にもかかわる。

 俺はそれに気がつき、恥ずかしさを堪え服屋の店員にコーディネートを頼んでこの格好になった。

 月夜の黒猫団が黒っぽい色を連想させる名前でよかった。これが赤だったり金ピカだったりしたら俺のメンタルに多大な継続ダメージを与えていただろう。

 

「リズ、入るぞ」

 

 早朝であるのに煙突から煙を上げているリズベット武具店の扉を開いた。

 店内は工房と繋がっているおかげで冬場でも温かい。ただし夏場は地獄のように熱いため、いくつかの氷冷アイテムがなければ客が寄り付かないと彼女は嘆いていた。

 

「いらっしゃいませ。リズベット武具店へようこそ! ってなんだ、キリトか……」

「悪いな」

「はー……。まあいいけどもさ。私も流石に慣れたわよ」

 

 慣れたというのはその快活な挨拶ではなく、俺の来店についてだろう。それを申し訳なく思うものの止めるわけにはいかなかった。

 俺は靴の雪を落として店内へと入る。

 

「おはよう。キリト君」

「おはよう。アスナも来てたのか」

「リズとは友達だからね。今日くらいはゆっくりしようと思って……」

「……そういうことにしといてあげるわよ」

「ん?」

 

 リズがなにを言いたいのかはわからない。女の子同士でしか伝わらないなにかなのだろうか?

 

「それじゃあ少し失礼するよ」

「はいはい」

 

 他の客がいるときは流石に俺も自粛して時間を改めるが、アスナとは知った仲なので遠慮することもなかった。

 俺は店の隅に飾られてる非売品の片手剣の前に立つと、両手を合わせた。

 これはサチの剣だ。

 俺はあれから半年間、可能な限りここへ来ては手を合わせていた。

 可能な限りというのは、リズに用事があるときや、前線に篭って帰ってこない日を除けば毎日という意味である。

 

「よくもまあ、懲りずに来るわね」

「……………………」

 

 今夜、俺の考えが正しければ『背教者ニコラス』と戦うことになる。

 俺は勝てるだろうか?

 蘇生アイテムは俺の願っている通りのものだろうか?

 サチは最期、俺になんて伝えようとしたのか?

 どれだけ祈ってもサチは答えてくれない。死者はなにも語らない。

 

「……サチ」

 

 時間にしてそれは数分程度。たったそれだけの祈りを終える。

 

「悪い。なんか言ったか?」

「いいわよ、別に」

 

 俺は弱い人間だ。だからこうして思い返すことをしなければ決意が鈍ってしまう。

 死んだ人間を思い続けるというのは思いの外難しかった。

 共に語らった思い出は日に日に不鮮明になり、胸に抱いた闘志は次第に弱まっていく。

 クラインはもう半年と言ったが、まだたったの半年だ。

 俺はこれから何年生きる? 俺の人生は、もしこのゲームをクリアできればその先も続いていいくだろう。その中の半年とはどれだけの割合だろうか。俺は最期までこの旗を背負って歩けるのか?

 俺はすべてを忘れて楽になってしまう自分を想像して、途方もない恐怖を感じた。

 今は、この罪の重ささえありがたい。

 

「でもあんたほどじゃなくていいから、エリも顔出せってのよ」

「やっぱり、エリは……」

「来てないわよ。あれ以来ずっと。メッセージを送っても無視されるし……。フレンドは解消してないみたいだけどね」

 

 サチやリズとあんなに仲のよかったエリは月夜の黒猫団が壊滅して以来、サチの剣を届けたのを最期にここへは一度も足を運んでいないらしい。

 俺は前線での攻略やフロアボス攻略の際に顔を合わせていたが、そのときは必要最低限の言葉を交わすだけでお互い私的な会話はまるでない。

 それは俺もエリも、互いを避けようとしているからだった。

 

「キリトからもあいつに言ってやってよ」

「ああ……。機会があったらな」

「アスナも……あー、うん……」

「ごめんね、リズ……。私も仲直りがしたいとは思ってるんだけど」

 

 エリがアスナを避けているのは攻略組でも周知の事実だ。

 俺にとっては最初から――それこそまだ第1層のフロアボスが倒される前から知っていたことで、それがこれまで解消されないところを見るに根は深そうだ。

 エリはどれだけ嫌っている相手でも表面上は上手く付き合えるだけのコミュ力があると思っているのだが、これがアスナ相手にはまるで発揮されない。

 アスナの方はどうやらエリのことを嫌ってはいないとのことだが、ああも邪険に扱われると流石にイラッとくるらしい。

 確かにALFはKoBを――いや、言葉を濁すのはよそう。エリはアスナがいると露骨なほど嫌がらせを仕掛けてきている。これで好きになれというのは無理な話だった。

 

「ねえ。あんまし聞いちゃいけないんだろうけどさ……。アスナ、あんたエリとなにがあったのよ?」

「それは……」

「俺がいたらマズそうなら席を外すけど?」

「ううん。そうよね。2人になら話しても大丈夫、かな……」

 

 リズはその言葉を聞くと、表の表札を裏返して店を閉めた。

 俺も念のため索敵スキルを使い、潜伏状態のプレイヤーがいないかチェックしておく。

 

「私ね、彼女とは現実で知り合いなの」

 

 それは俺も聞いていた。加えて家の事情だともエリは言っていたはずだ。

 それをここで言うのは心が咎める。エリはかなり必死にそれを隠そうとしていたし、口止め料も貰ってしまっていた。

 現在ではたかだか1000コルだが、当時の物価から考えれば口止め料としては結構な額だったんじゃないだろうか。

 

「学校の同級生で、何度か顔を合わせたことはあるんだけど……。でもそれだけなのよ。会話らしい会話はしたことなくって……。どうしてこんなに嫌われてるかわからないの」

「うーん。なにか気に障る事をしたとか? でもアスナに限ってそういうのは想像つかないわね」

「わからない。ただ……」

「ただ?」

「彼女、2年の夏休み前から学校に来なくなっちゃって……」

 

 不登校、というわけか。それを周囲の人間に知られたくなかったから、アスナを避けていた? いや、それならアスナへの攻撃的な態度の説明は着かない。

 思いついたのはイジメだ。加害者に自覚がないというのはよく聞く話で、聖人君子のような人物でも集団心理に呑まれいつの間にか加担していたというのはあり得ない話ではない。家の事情、というエリの言葉からも連想が可能だ。

 だがアスナが? むしろアスナはそういうのを積極的になくそうとするタイプに思える。そういった行動が偽善に見えて腹が立ったとかか? 

 

「エリが学校に通わなくなった理由に心当たりは?」

「ないわ。当時は気になって調べたけど、わからなかった……」

 

 エリの家庭について聞くべきだろうか?

 しかしそれをすればエリとの約束を裏切ることになるんじゃないか。それはあまりにも……不義理だ。

 

「止めよう。こんなところで話し合って答えが出るようなら、当事者で解決できてるはずだ」

「それは、そうだけども……。でも放っておくわけにはいかないじゃない」

「その気持ちは俺だって同じだ。時間が解決してくれるとも思えない。でも……」

 

 でも、なんだ?

 逃げていていいのか? 俺は逃げることが許されているのか? 駄目だ。俺は逃げてはいけない。少なくともこのことから逃げ出してはならない。

 俺は軽蔑されることに怯えた結果、月夜の黒猫団はどうなった?

 同じ失敗を俺は繰り返すのか?

 

「…………サチ」

 

 君がいなくなってから俺たちの――いや、彼女たちの歯車はどこか食い違ってしまった。もしサチが生きてれば今日もここで一緒に談笑できていたのだろうか? 俺は少なくともリズとエリはサチと一緒に仲睦まじくしていただろうと思う。もしかすればアスナとだって誰かが懸け橋になれたんじゃないだろうか。

 サチ。でも俺にはわからないんだ。どうすれば元通りになるのか。

 

「とにかくエリに話を聞いてみるよ。素直に答えてくれるかはわからないけどさ」

 

 機会があったら、なんて消極的ではなく。

 見つて、声をかけて、聞こう。

 そのためにも今日の戦いは絶対に勝つ。

 

「うん。お願い、キリト君」

「はぁ……。私から聞いといてなんだけど、辛気臭い話は止めにしましょ。今日はせっかくのクリスマスなんだし」

「そうだな」

「あ、ケーキあるけど食べる?」

「食べる食べる」

「キリトはコル払いなさいよ」

「まあいいけどさ……」

 

 リズが取り出したのはショートケーキではなくなぜかホールのタルトケーキ。いや、クリスマスケーキはショートケーキ以外ありえないとは言わないが。

 それをキッチンで4等分に切り分けている間に、アスナは勝手知ったる友の家といったようで、3人分のコーヒーを淹れ始めた。

 俺はというと手持ち無沙汰に座っているだけ。申し訳なさでいっぱいだ。

 リズはトレーに4つの皿を乗せて持ってくる。

 俺たち3人の前に1皿ずつ。そして1皿をサチの剣の前に供えてくれた。

 

「ありがとう、リズ」

「いいのよ。私が後で食べるんだから。それじゃ、食べましょ。せーのっ」

 

「「「ハッピークリスマス」」」

 

 口に運んだイチゴのタルトは甘いのだが、くどくない、絶妙なさじ加減だった。

 コーヒーに関してはノーコメント。アスナの淹れた物を飲み過ぎていてこれが基準点になってしまっている。下手なプレイヤーメイドは大抵美味しくないと感じるので、かなり美味しい方なんだとは思う。

 

「ところでキリト君、変な噂を聞いたんだけど」

「変な噂?」

「キリト君がうちの団長とデートに行くって……」

「ぶふっ!?」

 

 コーヒーが気道に入ってむせる。

 吹き出してしまい、ケーキを台無しにしなかった俺を誰か褒めてほしい。

 

「なになに。どういうことよ? 詳しく教えなさい」

「これは攻略組のある人から聞いた話なんだけど。クリスマスボスの話が出回ってるじゃない。キリト君はそれの討伐に団長と二人きりで行くらしいって言ってたの」

 

 クラインめ。口が軽すぎるだろ。

 

「なんだ、デートじゃないじゃない」

「うん。私も初めはそう思ったんだけど……。でもうちの団長っていつもすまし顔でなに考えてるかわからないじゃない?」

「あー。そうね」

「それにイベント事も基本不参加だし」

「そうなんだ」

「でもキリト君とは2人きりでボスモンスターを倒しに行く、と。それで思ったんだけどもしかして団長ってそっちの趣味があるんじゃないかなって……」

「ほうほう」

「キリト君についても熱心に聞いてくるし」

「怖いこと言うなよ……。俺、攻略会議の度にヒースクリフに怯える羽目になるぞ」

 

 頼もしく思えていたあの無表情が途端に空恐ろしいものに見えてくる。

 ヒースクリフには小規模でも列記としたギルドマスターとして扱ってもらえてたから結構嬉しかったのに……。

 

「……うそ、だよな?」

「私もまさかと思って団長に聞いてみたのよ」

「あんた無駄にアグレッシブよね」

「そしたら――」

 

 生唾を飲む。なんでこんな寒い日に肝試しめいたことを俺はしなくてはならないんだ。

 

「キリト君には残念ながら誘われていないよ。ただ、もし誘われていたら行くのも吝かではない。って」

「どういう意味だ!? どういう意味だよそれ!?」

「落ち着きなさいよ」

 

 これが落ち着いていられるか! 真意が分からないうちはやつに近づくのは止めよう。というか1人で会うのは絶対に避けるべきだ。

 

「まあ団長なりの社交辞令だと思うけどね」

「くっ……。一本取られたな」

「キメ顔で言ってもぜんぜん格好良くないわよー」

 

 俺は冷や汗を拭いながら言った。まさか直接会わなくとも俺にこれほどプレッシャーをかけてくるなんて、最強の剣士は格が違うってわけか。

 

「で、本当は誰と行くの? まさか1人で挑むんじゃないわよね」

「エリとだよ」

 

 あらかじめ用意していた答えだったため、俺はすらすらと言えた。

 

「あら、意外ね」

「うん。エリさんもキリト君のことは避けてると思ってたから」

 

 鋭いな……。だがバレてはいないはずだ。ヒースクリフと違ってエリと組んでいないか確認する方法を、2人が持っているはずがない。

 

「私も一緒に行きたかったけど、そういうことなら止めておいた方がいいかな」

「そうだな。そうしてくれ」

 

 自分の吐いた嘘に少し心が痛んだ。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 リズベッド武具店にはお昼近くまで居てしまった。

 俺は彼女の店で装備の整備をすると、クリスマスセールをやっていた馴染みの店で消耗品をここぞとばかりに買い貯め、夜までの時間を46層にある例の狩場で過ごした。

 こんな日にひたすら狩場に篭っているのはどうやら俺だけで、半日の大半を経験値に変えることができた。その甲斐も虚しく俺のレベルは目標の80まで1足りない。

 レベルが10上昇するごとにスキルスロットを1つ獲得できるため、熟練度をあまり必要としないスキルを入れて、戦闘力の底上げをしたかったがしかたがない。

 土台無理な計画だったと諦め、俺はギルドハウスに戻りメインの装備に着替えると、所持品に持てるだけの回復結晶や解毒結晶を入れ、空き容量にも高価なポーション類を敷き詰め、最後に地図を持った。食事アイテムはすでに普段手の出せないような高級品――それも味重視ではなくバフ効果がただただ高いもの――を食べている。

 アイテムメニューのタブには『Self』の文字に並んで『Sachi』や『Moonlit Black Cats』の名前がある。その文字列に軽く指を這わせながら眺めていると、いつの間にか時間が経っていた。

 俺は我に返り普段以上に力が漲るアバターを動かして、隠れるように35層へと向かった。

 

 道中を、俺はこれまでにない速度で踏破した。

 降り積もった雪が俺のAGIを低下させていたが、それを物ともしないほどに身体が軽く感じられる。

 途中エンカウントしたモンスターのほとんど置き去りにして、どうしても避けられない戦闘はわずかな時間で終えた。この層に俺の障害となるものはない。

 

 樅の木まで残すところ1エリアとなり、俺は息を整えた。

 緊張はしている。フロアボス攻略を前にしても落ち着いていられる自信が今の俺にはあったが、今日この日に限ってはそうでもないらしい。

 蘇生アイテムの話に浮足立っているのだ。

 そんなアイテムは存在しないと言いながらも、それが真実であってほしいと願わざるを得ない自分に嫌気が差す。嫌気が差しているのはいつものことか。俺は半年前のあの日から後悔しなかった日はない。それでいいと思ってる。俺の罪は消えてはならないものだから。

 

 俺が意を決して最後の境界線を越えようとしたところで、背後にテレポートしてきた複

数人の足音が聞こえた。

 俺はゆっくりと振り返る。現れた集団の先頭に立つ男は色合いこそ赤が入っているせいでサンタクロースに近しいが、こんな無精髭では子供が泣き出してしまうだろう。

 

「プレゼントならいらないぜ、クライン」

「俺がもらいにきたんだよ。そんでもう受け取った」

 

 どうやらつけられていたらしい。

 クラインはニヒルな笑みを浮かべ勝利を確信していた。

 

「子供からプレゼントをもらうなんて、恥ずかしくないのか」

「心だけは少年なんでな」

「さっさと大人になれ」

「それはこっちの台詞だ馬鹿野郎。やっぱりテメェ、ソロでやるつもりだったんだな」

「気づかれてたか」

「ここに軍の連中がいないのを見れば一目瞭然だろうが」

 

 それもそうだ。しかしここまで来て隠し立てることは無意味だった。

 

「ソロ攻略なんて無謀な真似は止めて俺たちとパーティーを組め! 蘇生アイテムはドロップさせたやつの物で恨みっこなしだ!」

「クライン。やっぱり勘違いしてるぜ、お前」

「なに?」

「お前はギルドのメンバー全員で来た。そして俺もギルドのメンバー全員で来た。お前と俺の立場は同じだ」

「いいかげんわかれよ! いくらお前が言い張ろうと、お前は1人だ。1人きりだろうがよぉ……」

「例え俺が1人でも、攻略組の1ギルドとしての力は誇示しないといけない。俺はそうしなければならないんだ。ボスに負ける気も、お前に譲る気もないぜ」

 

 剣を抜き、俺は切っ先をクラインの喉に向けた。

 踏みしめた雪がぎしりと軋みを上げる。

 俺は数少ない友人であるクラインをこのまま斬ることができるだろうか? いや、できないだろう。少なくともこのまま殺し合いに興じるなんてことはいくらなんでも無理だ。クライン率いる風林火山のメンバーがいなくとも、それは変わらないだろう。

 せめて一撃決着ルールのデュエルならお互い剣を収める理由は作れる。ギルドマスター同士の取り決めとして外聞も悪くない。

 俺は数日前と同じようにデュエルの申請をしようとメニューを操作した。今度ばかりはクラインも断ってはくれまい。

 だがそうする寸前で、俺は剣をわずかに横へずらした。

 

「ちっ……」

「お前もつけられたみたいだな」

 

 風林火山メンバーの後ろには、最前線でよく見る銀と青のカラーリングをした連中が現れていた。

 KoBと並ぶ最前線の2台巨頭。DDA、聖竜連合の一団だ。

 彼らはこれからフロアボスでも倒しに行くのかというくらいの人数を揃えていた。俺はもちろんのこと、風林火山の人数さえ足元に及ばない。

 

「で、どうする?」

「くそっ! キリト、お前は先に行け! 後から絶対に追いついてやる! だから死ぬな。絶対に死ぬんじゃねえぞ!」

「お前の分は残してやらねえよ。……ありがとう、クライン」

 

 俺はクラインに背を向けワープポイントへ急いだ。

 クリスマスボス出現まで、残された時間は少しだった。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 エリアの中央に1本の巨木がそびえる小高い丘。

 かつて来たときは野草が生い茂っていたが、一面が銀世界となっていて雰囲気はまるで違っていた。

 不安に思い、巨木をフォーカスするが現実世界で見た記憶にある樅の木と特徴は一致している。場所を間違えたわけではないらしい。

 

 ――ガサリ。

 

 足音がして俺はその方向をすぐさま見た。

 四方がエリアで区切られ方向感覚を狂わすこのダンジョンはつまり、俺がやってきた方向以外にも侵入できる場所が3つはあるということだ。

 しかし現れたのは風林火山やDDAのような集団ではなく、俺と同じたった1人のプレイヤーだった。

 迷い込んだのか? そう思ったが見覚えのある顔に気がつく。俺はまず驚き、次に困惑した。

 

「エリ……」

 

 黒地に赤を入れたALFカラーの全身鎧。身の丈を優に超す2メートル級の大盾に、アンバランスなショートソード。

 フロアボス戦で何度も目にした、エリが持つ対大物狩り特化の完全武装その1。防御力に秀でた威力偵察用装備セットだ。

 

「キリっちも来てたんすね。お独りっすか。クリスマスの夜に、寂しい男っすね」

 

 エリはこちらに一瞬しか視線を向けず、淡々とした調子で語り掛けて来た。

 

「お前だって、独りだろ?」

「そうっす。今日はALFの皆さんはいないっすよ」

 

 俺はエリに会話の距離まで近づく。

 彼女の言葉が本当なのかは偵察スキルでチェックするまで信用はできなかった。

 エリは結構平気でブラフを張る。それに彼女はパーティープレイを重視する考えのプレイヤーだ。俺のように馬鹿な単騎はやらないはずだと思っていた。

 けれどスキルには反応なし。この雪で隠密ボーナスはかなり高まるだろうが、パーティーを引き連れているならその全員が高レベルな隠蔽スキル持ちなんてことはありえないだろう。

 エリは、本当に一人でここに来たようだった。

 

「なんで1人で来た?」

 

 自分のことはこの際棚上げにして聞く。

 俺はソロでもギリギリ勝てると踏んでいた。それはおそらく俺より強いエリにも言えることだ。けれど可能性があるからといってそれをするかどうかは別。フロアボスの適正レベルも本来は階層と同じ数であるが、そこから10は上積みして安全マージンを取るのと同じことだ。

 

「キリっちはなぜっすか?」

「俺は……」

「蘇生アイテムを独占するため? だったら帰るんすね」

「どうしてだよ」

「もし蘇生アイテムが本物で、それが1個だけだったとしたらどうするつもりっすか?」

 

 心臓に刃を突きたてられたような感触がした。

 俺は蘇生アイテムの噂が偽りだと思う一方で、真実であってほしいと願っていた。しかし真実であった場合のことなんて本気で想像してはいなかったのだ。

 

「サチだけを生き返らせる? なるほど。そういう考えもあるっす。でもサチはどうするっすか? 1人だけ生き返らせられて、他の皆は死んでいる。それだけじゃないっすよ。これまでに死んだ数千のプレイヤーは生き返らないのにサチだけが生き返った。その恨みはきっと彼女1人に向けられるっす」

 

 エリの言葉を聞いて、俺は無意識に一歩後ずさっていた。

 

「サチが生き返るなら他のプレイヤーだって……」

「来年の冬を待つっすか? そんなことが起これば戦争になるっすよ」

 

 蘇生アイテムがたとえ1個でなくとも、血みどろの殺し合いにはなるだろう。生き返ったとしてもサチを全プレイヤーから守り抜けるかと問われば自信はない。

 そもそも1番に生き返らせたいのはサチだが、だからといってケイタたちを蔑ろにはしたくなかった。順位をつけて生き返らせるような真似はできない。

 

「他にも、方法はあるだろ……。例えば――ゲームがクリアされる直前で生き返らせるとか」

「キリっちにしては良い考えっすね」

 

 エリの笑顔が、とてつもなく不気味だった。

 なにを考えているのかまるで理解ができない。悍ましい怪物がエリの姿を借りて化けているのではと思うほど、俺の知っているエリとはかけ離れていた。

 

「俺の質問にも答えろよ」

「………………」

「蘇生アイテムなんて、お前はちっとも信じてないだろ。なのに蘇生アイテムが本物である体で話を進めて、その上俺を脅かしてこの場から離れさせようとする。その魂胆はなんだ?」

「蘇生アイテムを独占するため、って言ったら信じるっすか?」

「……前の俺だったら信じただろうな。でも今の俺はそうじゃない」

「はぁ…………」

 

 深い溜息が、白くなって空に昇る。

 

「キリっちは強いっすね」

「そんなことはないさ」

「あるっすよ……」

 

 どこからか鈴のSEが聞こえてきた。

 話し込んでいる間に日付が変わったらしい。時刻はすでに0時になり、クリスマスクエストのボスが出現する条件が整っていた。

 俺は暗い上層の底を見上げる。

 2本の光の筋が空中で弧を描いていた。そのレールの上をなにやら巨大な物体が滑っている。ソリだ。とても巨大なソリを、これまた巨大で奇怪な鹿のようなモンスターが引いている。

 ソリが樅の木のてっぺんに通りかかかると、そこに乗っていた巨人が飛び降りる。周囲の雪を巻き上げ現れたのは赤と白の上着を着た趣味の悪いサンタクロースだった。

 

 ――『Nicholas the Renegade』

 

 頭上にその名を頂くモンスターは、やけに細長い腕に片手斧とズタ袋を持っている。巨大であっても一応人型。片手斧のソードスキルは確定。ズタ袋による範囲攻撃や特殊バフも考えられる。ソリはどうした? あの巨大な鹿は? あれらは頭上を旋回している。特殊攻撃か、あるいは途中参戦だと当たりをつける……。

 

 俺は未知のモンスターを前にして一瞬で戦闘のスイッチが入っていた。

 だが隣に立っていたエリは違った。虚ろな視線でフラグボスを眺めている。武器を握る手にも力がない。どうした? 様子がおかしいのは明白だった。

 

「今日は良いことがあったんすよ……」

 

 ニコラスがなにやらイベント用の口上を喋っていたが、エリの発する声に気を取られて俺の頭には一切入らない。

 

「だから、まあ、死ぬにはいい日っすよね」

「エリっ!」

 

 ニコラスの斧が振り下ろされ、雪を激しく吹き飛ばした。

 粉雪に紛れてエリの姿を見失う。

 まさかっ!

 嫌な予感がしたがそれは一瞬だけ。理性がエリの防御力と今の一撃を計算して、クリティカルダメージだったとしても死ぬなんてことはありえないと断言した。

 

 案の定、視界が晴れるとエリはその場からほとんど動かずに立っていた。

 彼女のHPは1ドットも減っていない。それどころか下段から振り上げたと思われる片手剣が、ニコラスの腕にダメージエフェクトを残していた。

 ついさっき見た彼女の姿がまるで嘘のようだった。

 

「こいつは俺がやる。下がってろ」

「どうぞお好きに。でも私も好きにするっすよ」

 

 再び振り下ろされる片手斧。俺はそのソードスキルの軌道に合わせ、単発系ソードスキルで攻撃を相殺する。

 激しいエフェクトをまき散らしながら、互いの攻撃が失敗に終わる。

 しかしニコラスの武器は片手斧だけではない。反対の腕に握られたズタ袋を振り回し広範囲攻撃に利用する。

 俺はソードスキルの硬直中で、しかも空中にいるため回避は絶対的に間に合わない。

 だが俺のHPが減少することはなかった。

 月明かりが遮られる。ニコラスと俺の間に割り込んだエリが、その巨大な盾で攻撃を食い止めたのだ。

 着地と同時に、俺は地面を転がってニコラスの足の間を抜ける。

 背後ががら空きだ。DPSの高い連続攻撃系ソードスキルのモーションを起こし、俺はダメージを稼いだ。

 

「このっ! どうなっても知らないからな!」

 

 声を荒げるが、彼女の参戦は頼もしかった。

 そんな気持ちを持つのは間違いなのに……。俺は酷い裏切り者だ。

 

「サチッ――」

 

 俺はサチの表情を思い出し、力強く剣を握りしめた。




――魔改造キリト――

キリト「サチィイイイイ!!」
アスナ「なんか私の知ってるキリト君と違う!?」
キリト「サチッ! サチッ! サチィイイイイ!!」
リズ 「ちょっとどうすんのよこれ! あとこいつ毎日私の店に拝みに来るんだけど!」
エリ 「……私は知らないっす。でも天国で見てるサチもこんなに想われて幸せなんじゃないっすか?」
サチ 「正直ちょっと気持ち悪い」
キリト「サチぃいい……」
シリカ「この人なんか怖い! っていうかあれ? 私の出番もしかしてあれだけ!?」

 二次創作で魔改造といったら超強化のイメージが強いと思いますが、これも一種の魔改造。それに基礎スペックは上昇していますので魔改造といっても過言ではないんじゃないでしょうか?
 部分的には弱体化もしてますけどね……。


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19話 月夜に残る黒猫(6)

 時計を見ると20分くらい戦っていたようだ。

 プレイヤーが2人で戦うには、流石にフラグボスのHPは多かった。

 だがそれだけだ。俺たちのHPはイエローゾーンにたびたび突入したが然したる危機もないまま勝利してしまった。

 駆け付けたクラインたち風林火山のメンバーも、押されているわけでもないのに参戦するのは気が咎めたらしく、観戦に徹してくれた。

 MMOでは横殴り――他人が戦ってるモンスターを攻撃して経験値やドロップアイテムを奪う行為――はマナー違反とされている。さっきのボス戦もそのレベルの敵に見えていたというわけだ。

 

 俺1人だと、厳しかっただろう。そういう場面には何度か遭遇した。

 しかし勝てなかったとは言わない。可能性としてはありえた。

 だがエリと共に戦った結果は圧勝だった。それがすべてだ。

 現在攻略組のメインタンクとして武勇を馳せているのはヒースクリフだ。あいつが最強なのは間違いない。スキルや装備は言うに及ばず、プレイヤースキルも十分高い。

 だがエリがもし神聖剣のスキルを持っていれば、ヒースクリフより強かったという思いが俺の中にはあった。

 それだけ彼女が今見せた技量は高かったのだ。

 

「エリ……」

 

 助かった。ありがとう。そんな言葉がどうしても言えなかった。

 なぜならラストアタックを取ったのはアタッカーの俺ではなく、攻撃を割り込んだエリだったからだ。ニコラスを撃破した際に得た膨大なコルとレアアイテムの中に、蘇生アイテムはなかった。

 もしも存在するのならそれはエリのアイテムストレージということになる。だが彼女が否定してしまえば、それを確かめる術はまともな手段では存在しない。

 戦闘が終わったというのに、俺は剣から手が離れなかった。

 

「……あったっすよ。蘇生アイテム」

「なっ!?」

「ほら」

 

 投げつけられた結晶アイテムに俺は飛びついた。

 他の結晶アイテムと変わらない大きさのそれを拾い上げて、ヘルプから効果を確認する。

 

「キリト……」

 

 似合わない真剣な声色で話しかけてくるクラインに俺は首を振った。

 ――たしかにこのアイテム、『還魂の聖晶石』は蘇生アイテムだった。だがその効果はHPが0になってからエフェクトが消えるまでのおよそ10秒しか効果がないと、そう取って付けたような言葉が文末に加えられていた。

 最初に想像していた通り、デスゲームになる前に作られたデータがそのまま残っていただけのアイテムなのだろう。

 

「そうか……。なんて言ったらいいかわかんねえけどよ……。俺は、俺は……」

「いいんだクライン。わかっていたことさ。迷惑かけたな」

 

 意外なことに俺は冷静だった。覚悟はずっとしていた。これまで半年、受け入れられたとは到底思えないが、彼らが死んだことを忘れたことは一時もなかったから……。

 彼らが生き返ったなら、逆にそのことを受け入れられなかったかもしれない。

 俺は立ち上がり、エリに蘇生アイテムを返却しようとした。

 

「あげるっす」

「いや。流石にこんなレアアイテム受け取れない」

「あげるっすよ」

「だけど――」

「あげるって言ってるじゃないっすか!」

「………………」

 

 情緒の不安定なエリは怒声を上げると、しまったという表情をして顔を逸らした。

 

「エリ……」

「……キリト、俺たちはもう帰る。こんな時間なんだ。いくら強えからって女の子を1人で帰すなよ」

 

 クラインが「撤収、ほら帰れ帰れ!」と号令をかけると、風林火山のメンバーはエリアの端に到達して姿を消した。

 俺とエリが、樅の木の下に取り残される。

 

「ごめんっす。他にいいドロップアイテムが手に入ったから、それはあげるっすよ。どうしても受け取れないって言うなら、私が目の前で死んだとき使うってことにして受け取ってほしいっす」

「わかった。約束するよ」

 

 このアイテムは、このゲームでは未だ見たことのない他人を遠距離から回復できるアイテムだ。自分で持ってるよりも別の誰かに持たせておいた方が役に立つ――かもしれない。

 

「さっき言ったのは……。本気だったのか?」

「どれのことっすかね」

「死ぬにはいい日、だっけか」

「ああ……。It's a good day to die.こんな良い日には死ぬわけにはいかないって意味っすよ」

「……嘘だろ。そのくらいはわかってるつもりだ」

「………………」

 

 あんな表情をしていたのに、死ぬわけにはいかないなんて意味で言ってたとは俄かに信じられない。

 あの顔を見たときは死ぬつもりなのかと思った。でもエリは直後に完璧な動きでニコラスの攻撃へ応じて見せた。

 もしかしたら死にたかったけど、怖くなって止めた、とかだろうか。

 エリに本当で死ぬつもりなら、まどろっこしい手なんて使わず外延部から身を投げていたと思う。

 だからそう。俺の思い違いでなければ止めて欲しかったんじゃないだろうか。

 

「嘘だとわかってても素直に騙されるのがいい男の条件っすよ」

「俺がいい男じゃないのは自分がよくわかってるさ」

 

 もしそうなら俺はサチを失っていないはずだ。自己嫌悪には自信がある。

 

「そんな俺でよければ相談に乗るよ」

「いいっすよ……」

「リズのところには最近行ってないんだろ。どうしたんだよ?」

「キリっちはほとんど毎日行ってるらしいっすね」

「まあな……。たまには顔出せって言ってたよ」

「考えておくっす」

 

 色よい返事ではない。たぶんこの調子だと行かない気がする。

 伝言を伝えるだけで終了とならないのは、クエストと違って大変だ……。

 

「色々聞きたそうな顔っすね……」

「そうだな……。聞きたいことは山ほどあるよ。でもどれから聞いたらいいかわかんなくてさ。聞いてもいいことなのか、それとも聞いてほしくないことなのかとか考えると余計にな……」

 

 エリは木の幹を背にしてずるずると身体を落とし、雪の上に両膝を抱えて座った。

 俺も彼女に倣ってその隣に座ると、アイテムストレージからハウンド・ハウルのボトルを取り出して口をつけるとアルコールらしき感覚が身体を駆け巡り、寒さが遠のいた。

 大人はこういうとき、酔いの勢いなんかで乗り切れるのだろうか? もしそうなら、本物の酒が今すぐ欲しかった。

 

「なに飲んでるんすか?」

「ウイスキー、らしい」

「らしいって……」

「仕方ないだろ。本物は飲んだことがないんだから」

「ちょっと渡すっすよ」

「ほら」

 

 ボトルの中身はだいぶ減っていて軽くなっていた。それを受け取ったエリはちびちびと黄金色の液体を口に含み、少し考えるような仕草をする。

 

「たしかにウィスキーっすね」

「飲んだことあるのかよ」

「ちょっとだけっすけどね」

 

 アスナの話から推測するにエリは俺と同い年か1つ上くらいのはずだが。まあそのくらいのやんちゃは誰だってするか……。

 

「このウィスキーに免じて、1度だけ嘘偽りなく質問に答えてあげるっすよ」

 

 エリはボトルを俺には返さず、勝手に中身を飲み続けた。

 ……情報の代金としては安いものだ。別にいいさ。

 俺はなにを聞くか吟味した。

 サチのことを重荷に思ってるのか? リズのところにはどうして行かなくなったんだ? アスナといったいなにがあったんだ? ALFにいるのは辛くないか?

 どれもが重要な問いに思える。

 俺はどうしたいのだろう?

 リズのところに戻ってほしい。寂し気にしているリズを見るのは心苦しいから。

 アスナと仲直りをしてほしい。2人が言い争う姿は見たくないから。

 ALFに攻略ギルドの一員として輪に加わってほしい。そうすれば攻略はもっとスムーズに進むから。

 どれも俺の自分勝手な願いだ。それじゃあ駄目なんだ。

 サチ……。君ならどうしたんだろう? エリと仲のよかったサチなら、俺なんかよりよっぽどエリのためになにかしてやれたんじゃないかと思う。でもサチはいない。俺のせいでサチは死んだんだから。

 

「どうして、ここに独りで来たんだ?」

「……そんな質問でいいんすか? もっと他に、色々あるじゃないっすか」

「これでいいよ」

 

 俺は問いを決めた。俺のためじゃなく、少しでもエリのためになる質問を選んだつもりだ。それが正しかったかはわからない。

 

「もっと不味いことを聞かれると思ってたのに……。よりにもよってそれっすか……」

 

 エリは頭を抱え出す。どうやら想定してなかった質問らしい。

 

「本当にそれでいいんすね? 他の質問には答えないっすよ」

「いいんだこれで」

「はぁー……。ちょっと待つっす」

 

 ボトルを一気に飲み干して、エリは咽た。

 顔が赤くなっているが酔うなんてことはないはずだ。ただ、世には雰囲気酔いというものがあるらしい。アルコール成分の入っていないノンアルコールカクテルでも酔う人間はごく少数だがいると聞いたことがある。

 この仮想世界で思い込みというのは実に厄介で、かなりの現実感がある。

 一定以上の痛覚はブロックされているはずなのに、モンスターの攻撃には痛みを覚えるし、人によってはそれで気絶することさえある。俺だって戦闘中の過度な運動で息を切らすなんてザラだが、それはシステムに支配された呼吸の乱れではない。

 

「本当に本当にそれでいいんすね?」

「駄目な質問だったか?」

「……駄目じゃないっすけど。その、凄く言い難いっていうかっすね……」

 

 エリからはずっとあった張りつめた空気がなくなっていた。

 かつてリズやサチと一緒にいた頃の表情に近い。エリのこんな顔が見れるのなら、この質問をした価値が俺にも十分あった。

 

「あーもうっ言うっすよ! 私は代金受け取った交渉で嘘は言わないっす! ただ、笑わないでほしいっす……」

「わかった」

「そのっすね……。さ、寂しかった……んすよ……」

「……えーっと?」

 

 予想外の答えで俺は思わず聞き返していた。

 いや。予想外だったが、考えてしかるべき答えだった。エリが誰かと仲良くしている光景を俺はしばらく見ていない。俺はずっと最前線に篭っているため、そこでしか顔を合わせないからというのもあるが、それにしても限度がある。

 

「そうっすよ! 寂しかったんす! だからさっきはあんなこと言って気を引こうとかしたんすよ! 1人で来たのも、ALFのメンバーがいる前じゃ甘えられないからっすよ! クリスマスだからって皆で楽しそうにして……。私だってパーティーには誘われたっすよ。でもそういうのじゃないんすよ! もっと気楽な集まりがしたかったんす!」

 

 エリは顔を真っ赤にして肩で息をしていた。戦闘中でも息ひとつ切らさない彼女にしては珍しいことだった。きっと彼女にとってはニコラスやフロアボスなんかよりも、こうした戦いの方がよっぽど苦手なんだろう。

 俺も正直苦手だ。モンスターとの戦いは命掛けではあるが、レベルや装備を積み重ね、情報収集を怠らなければだいぶ楽になる。だがこういう戦いの必勝法なんて俺は知らないし、効率の良い経験値の入手方法も、武器や防具がどこで売ってるかも知らない。

 だから今、俺がエリになにをしてやるべきなのか、まるでわからない。

 

「とんだ羞恥プレイっす! なんてこと言わせるんすか、この馬鹿ぁ!」

 

 空になったボトルを投げつけられたが、俺は寸前のところで回避する。

 おいおい。当たってたらエリのカーソルがオレンジになるところだったぞ……。

 

「…………面倒くさいやつでごめんなさい」

 

 ハッと我に返ったエリは膝と体の間に頭を埋めて、顔を隠した。

 俺の見間違いでなければその横顔は――泣いているかのようだった。

 こんな光景を俺はどこかで見たことがある……。

 

 エリが月夜の黒猫団と会う前のことだ。サチが突然宿屋から消えたことがあった。

 迷宮区を探しに行ったケイタたちを余所に、俺は彼らに隠していた偵察スキルの派生Modにあたる『追跡』で彼女を見つけた。

 サチは俺に「なにもかもから逃げたい」と言った。

 「死ぬのが怖い」「どうしてこんな目に合わなければいけないのか」。彼女の苦悩を俺は薄っぺらな嘘で誤魔化した。

 

 いいや。もっと前だ……。

 月夜の黒猫団と俺が出会うより以前。第1層が攻略される前まで、俺はエリとパーティーを組んでいた。解散の切っ掛けになったのはアスナだった。

 あの日も雪が降っていて、エリは丁度こんな表情をしていた。

 当時の俺は、踏み入ってはいけないのだと自分に言い訳をして、エリの促すまま彼女の元を離れた。

 

 あれは間違いだったと、今なら言える。

 もし彼女とパーティーを組み続けていれば……。どうなったのだろうか。

 エリが月夜の黒猫団に所属して彼らは死なずに済んだ? それとも俺がALFに所属していたのだろうか。もしそうだとしても月夜の黒猫団は壊滅しないで済んだだろう。

 どちらにしろ分水嶺はとうに過ぎている。

 それになにより。泣いている女の子に目を背けて、見なかったフリをするのは間違いだ。あの頃から俺は最低な人間だった。

 

「……膝枕、するか?」

「……なに言ってるっすか」

「リズによくしてもらってたろ? 甘えたいっていうなら、まあ……。嫌なじゃければだけどさ」

 

 たぶん俺の顔は火を噴きそうなくらい赤くなっている。

 でも負けられない。逃げては駄目なんだ。勇気を持てなかった俺は、取り返しのつかない失敗したのだから。

 

「……………………」

 

 エリは無言で俺の隣まで近づき、俺も無言で膝を開ける。

 

「重くてごめんなさい」

「フルプレートなんて着てれば当然だ」

「うっ……」

 

 膝には頭しか乗っていないので、重量など大してかからない。

 だからこれは俺なりの照れ隠しだった訳なのだが、エリはいそいそと起き上がって武装を解除してから、再び頭を乗せた。

 

「……あったかいっすね」

 

 触れ合った箇所で互いの熱が溶け合う。

 寂しい、か……。

 俺も日々その感情に支配されている。クラインが馬鹿みたいに話かけてきて、たまにリズやアスナとお茶をして、そんな生活をしているのになにを言うんだと思われるかもしれないが。

 だが毎日、誰もいないギルドハウスへ帰ると、途端に寂しくなるのだ。

 もしもあんなことがなければ、ケイタたちと一緒にここへ帰ってその日の成果に一喜一憂していたのではないかという思いに胸が締め付けられる。

 最前線でたった独り月夜の黒猫団の名前を背負って戦うとき。ギルドの紋章を施したコートに袖を通すたび。サチの剣に手を合わせていると。なんで俺だけが生き残ってしまったのかという苦悩に押し潰されそうになる。ケイタと同じように、死を選べばよかったと何度も思った。

 でも俺には彼らを死なせてしまった責任がある。ケイタの願った攻略組として戦う使命は、俺一人になったとしても成し遂げなければならない。

 それはわかっている。わかっているけど、辛いんだ。

 彼らを忘れて生きていくなんてできない。だがせめて、寂しさだけでいいから埋めてしまいたかった。

 

 今日だけはこの温もりに浸ることを許してほしい。

 そうすれば、またいつものように月夜の黒猫団として戦えるから……。だから……。

 俺は温もりを求めて手を伸ばし、彼女の髪を優しく梳いた。

 エリは少しくすぐったそうに目を細めるが抵抗はしなかった。義妹の直葉にも、幼いころにこうして頭を撫でてやっていた記憶が蘇る。

 俺はしばらくそうやってエリの体温を感じていた。

 

 どれだけそうしていたかはわからない。時計を確認することもなかった。俺はそれだけ飢えていたのだろう。そしてそれはエリも同じだった。

 ここには誰も来ない。もしかすれば俺たちの渇きは癒されず、延々とこうしているかもしれないとさえ思った。

 

「あー……。これ以上は駄目っす」

 

 終わりを告げたのはエリからだった。

 彼女は立ち上がると、服についた雪を軽く払う。

 

「これ以上こうしてると冗談で済まなくなるっすから……」

 

 はにかむようにエリは笑う。彼女の頬からはまだ赤みが引けていない。しかし防具をメニューウィンドから装備すればもう元通りだ。

 ALFの隊長で、俺が知る中で2番目に強い盾使い。飄々としていて腹の内を探らせない、俺の知っているエリだ。

 

「ああ、それと。キリっちに会いに来たのは恋愛感情とかそういうんじゃないっすからね」

「お、おう……」

「そんなことしたら、それこそ二度とリズに顔、合わせられなくなるっす」

「だったら会いに行ってやれよ」

「う、うっさいっすね。そんなこと言うならここで寝取ってやるっすよ!」

 

 彼女はまだ、どこか抜けたままだった。いいや、これもエリの一面なのだろう。今までの俺はエリの強い部分しか見えていなかった。でも人は強いだけじゃない。強いままに生きていくのは難しい。

 

「いや、えー……。俺に言うなよ」

「押し倒すっすよ」

「や、やめてくれ」

 

 ちょっとドキッとした。

 

「冗談っす」

 

 エリは悪戯が成功したことに、満足気に笑う。

 そういう冗談は勘弁してほしい。などと言ったら余計に揶揄われるので、言わないのが吉だ。

 

「今日の事は2人だけの内緒っすよ」

「ああ」

 

 俺だってこんなこと、人に話せないしな。

 

「それと内緒ついでに内密な話、というかお願いっすね」

 

 ガラリとエリは纏う雰囲気を変えた。攻略会議のときのような、あるいはそれ以上に真剣な表情だ。

 

「なにも聞かず、年末年始はリズのところで彼女の周りに注意してほしいっす。この情報は誰にも話さないのはもちろん、調べたりもしないように」

「リズが誰かに狙われてるのか?」

「聞くなって言ったじゃないっすか……」

「ごめん。だけどそれくらいは知らないと俺だって動けないだろ」

「そうっすね。確かに説明不足でした。でも、それの答えはわからないっす。可能性としてはありえるくらいの話っすけど、調べた結果リズに火の粉が降りかかるなんて目も当てられないっすから。だからキリっちにも調べないよう注意してほしいっす。例え馴染みの情報屋でも、KoBの副団長であるアスナさんでも、絶対に話さないでほしいっす」

 

 どこから情報が洩れるかわからない。そういうことか。

 どれだけ重い事態が水面下で動いているというのか……。治安維持部隊の隊長でもあるエリがそこまで言う事態なのだ。ただ事ではない。

 

「わかった、約束する。でもそれならなおさらリズに会いに行ってやれよ。エリ自身の手で守った方が安心できるだろ?」

「……逆っすよ。だからこそ会えないんす」

 

 ALFでも信用できないのか? 情報が少なすぎてどれだけ警戒したらいいかわからないな……。これじゃあ助けも求められない。

 なるほど。そんな状況じゃリズに会えないはずだ。

 そんな中俺だけは信用してくれたってわけか。それは責任重大だ。

 

「全部が解決したら、リズの店に来てくれるか?」

「……考えておくっすよ」

 

 最初と同じ回答だったが、今の俺には本当に考えてくれているように思えた。

 

「迷惑、かけたっすね」

「俺の膝で済むなら安いもんだよ。なんならまた貸すぜ」

「癖になったら不味いっすから、遠慮するっすよ」

「そうか……」

「させてほしかったっすか?」

「いいや。俺も癖になったら不味いからな」

「…………ん。そうっすか」

 

 エリはアイテムストレージから転移結晶を取り出し手の中で転がして遊ぶ。

 少しだけ、この時間が名残惜しかった。

 

「……それじゃ、おやすみっす。転移、はじまりの街。――ハッピークリスマス、キリっち」

「ハッピークリスマス」

 

 エリの姿は転移のエフェクトに包まれて消えた。

 俺は生憎徒歩だ。転移結晶は高価だから、そう簡単には使えない。

 そういえばクラインにはエリを送って行けとか言われてたな……。まあこの場合は仕方ないだろ。

 

「サチ……。やっぱり会えなかったな……」

 

 独白は雪に溶けて消える。

 来た道を俺は月に照らされながら歩いた。

 静まり返った森のどこかで、猫の鳴き声が聞こえた気がした。




 プレゼントは強請るもの。


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20話 棺桶と鎮魂歌(1)

――2024.1.1――

 

 

 黒鉄宮の中では、ALFの制服を着たプレイヤーが慌ただしく駆けまわっていた。

 ソードアートオンラインが始まり2度目の正月がやって来た。

 ゲームに捕らわれたままの現状は目出度くはないものの、この日まで生き残れた幸運に感謝して、プレイヤーたちは盛大にお祝いをしていた。

 最初の正月はゲーム開始からあまり日が経っていなかったこともあり、正月を大々的に祝うのはこれが初めて。

 攻略組もこの日ばかりは最前線には出向かず、親しい友人らと共に社系のダンジョンへ安全祈願へ行ったり、羽根突きをするなどの娯楽を楽しんでいた。

 私はというと、当然居残り。

 クリスマスであれ元旦であれ、イベント毎のときには事故や事件が多発する。

 気が緩んだ連中とそれを獲物にする連中。私はそんな連中を助けたり取り締まる立場で、だからこそこんな日に休む権利はないのである。

 

 治安維持部隊の本部で私が雑炊を食べていると、最初の一報が入った。

 たしか中層でPKに襲われて死者が出たとか、そんな事件だった。

 私は部隊を調査に向かわせると、別の事件の連絡が入る。他の部隊を回そうとしているとさらにもう1件。

 オペレーターのメッセージリストには次々に事件の報告が送られてきて、最初は悪戯に思われた。だがここは黒鉄宮。便利なアイテムがあると、生命の碑を確認させたところで事態が判明。報告にあった被害者以外にも多くのプレイヤーが死亡していたのだ。

 私は急ぎキバオウへ連絡を取り緊急対策会議を開いた――という体裁である。

 

「エリ、概要頼むわ」

「はい。今回の事件は複数のレッドプレイヤーが共謀して行った事件っす。現在確認されただけで被害者数は24人。生命の碑で確認させたところ100人近い数の死者が出ていると思われるっす」

「ひゃ、100人だって!?」

「そんな事態になるまで何故気がつかなかったんだ!?」

「そうだ。これは君たち治安維持部隊の怠慢ではないかね?」

 

 なにが起こっているのかわかっていない幹部たちが喚き散らす。

 罵詈雑言が私に浴びせられるが、彼らは実に滑稽だった。

 

「ご静粛に。今回の事件は複数のレッドプレイヤーの集まりが1つの組織として纏まった結果によるものだと思われるっす。今までのような数人から十数人の小規模な集団ではなく、もっと巨大な組織っす。また、今回の事件は内部犯と思われる事件が多くみられており、これが未然に防げなかったことの原因っす」

「裏切り者がそれほどの数いた、ということか?」

「そうっすね。なぜそういったメリットを捨ててまで今回の事件を起こしたかについては犯行声明を聞いていただければ早いっす」

「犯行声明? いったいどこからそんなものが出てきたというんだ」

「全滅したギルドのギルドハウスを調べに行った部下が見つけてきたんすよ。他にも同じものが各所で見つかってるっすから情報統制は無理っすね」

「なんということだ……」

 

 私はアイテムストレージから録画クリスタルを取り出す。

 黒いひし形の結晶を軽く叩くと、少しだけ浮いて独楽のように回転する。そして虚空へプレイヤーの姿を投影した。

 黒いシルクのような質感のローブを纏い、フードで顔を隠した男性プレイヤーは、映像であるのに怖気を掻き立てるような迫力を伴っていた。

 

「It's showtime.このメッセージを手に入れた諸君。初めまして。俺の名はPoH。このショーの発足人だ」

 

 芝居がかった口調で話し始めるPoH。彼の口元は楽し気に弧を描いており、聞き惚れるような声色はテレビの向こう側で行われるドラマかなにかのような非現実感を与える。

 

「聡明な諸君であれば気づいているだろうが、今日は多くのプレイヤー殺させてもらった。なぜこんなことを、と思ってくれているか? そうであれば嬉しい。俺がその辺の気狂いどもと同じだと思われるのは我慢がならないからな。さて、本題に移ろう。今日は目出度い日だ。よって俺はこの目出度い日を記念してギルドの設立を宣言させてもらう。ギルドの名はLaughing Coffin.察しの通り、とびっきりのレッドプレイヤーを集めた犯罪結社だ。俺は常々思っていた。人は群れることで個人では成しえないほどの成果を上げてきた。ならば俺たちも団結すればより大きなことができるのではないか、とな。今回の一連の騒動はつまり、それの証明であり、ギルド発足を記念した余興でもある。諸君らも飛び切りの相手がいなくて退屈していただろう? ぜひ、俺たちからの挑戦状を受け取ってほしい。あるいは仲間に加わりたいというなら歓迎しよう」

 

 彼の演説は終わったが、会議室は静まり返ったままだった。

 このメッセージは誰が拾っても意味が通じるようにはなっているが、簡潔にまとめれば治安を守る我々ALFへの挑戦状ということになるだろう。

 つまりこの会議に出席した彼らは、直接的ではないにしろこの男と戦わなければならないということになる。

 当然のことながら、治安維持ギルドなどと銘打っていても私たちはその道のプロではない。利益を求め結果的にこのような形に落ち着いただけで、正義感に突き動かされて集った同志ではない。

 対してPoHという男は、その道のプロと言っていい存在感があった。

 平和な日本という国に生まれた私たちにとって、本物の戦争屋に挑むというのは妄想の中であれば簡単だろうが、実際に行わなければならないとなれば手足がすくんで動けなるのがいいところだ。

 

「では会議に戻るっすよ。このPoHというプレイヤーを捕らえるのが最終的な目標っす。ただ、現状目先の事件も解決しなくちゃならないっす。そこで追加の人員と予算を――」

「ま、待ちたまえ!」

「なんすか?」

「我々の護衛はどうなる。奴が狙うとすれば上層部だろう。ならまずは身の安全を確保すべきではないか?」

 

 保身からだろうが、なるほどごもっともな意見だ。上層部がこのタイミングで死んしまえば混乱は必須。事態を収拾するどころではなくなる。

 

「で、私にどうして欲しいんすか?」

「君のところの子飼いに優秀な一団があるだろ。それを護衛に当てたまえ」

「本気っすか?」

「どういうつもりだ」

「……さっき言ったっすよね。今回の事件は内部犯が多いって。信用できるかどうかわからない他人の手駒なんて受け取っていいんすか?」

「君は自分の部下を信用していない、と?」

「してないっすよ。言っちゃなんすけど、あいつら狂犬っすからね。よく人を噛むっすよ」

「わ、わかった……。ならその狂犬をさっさとけしかけて、あの狂人を捕まえろ」

「そうさせてもらうっす。まず治安維持部隊の動きとしては注意勧告と現在起こっている事件の実行犯の確保っすね。捕まえたレッドから情報を引き出していくのが端的にも成果の出る方法だと思うっす」

「せやな。それでいこか。ほな広報のヤスジさんには今回の会見を開いてもらうで」

「な、なぜ私なんですか!? そこはキバオウさん――いえ、シンカーさんが……」

「異論は認めへんで。わかるな? 組織のために死んでくれや」

 

 もちろん物理的に死ね、という意味ではない。表向きは。

 実際は彼は数日中に殺される予定となっている。下手に禍根のある人物が残っていればそこから足元が崩されかねない。死んでも不自然ではない立場というのもある。

 それはキバオウの案であり、つまり実際の意味は「俺のために死ね」ということだった。

 彼はこれから石を投げられながら記者会見なり公式発表なりをして、最後は殺されるわけだ。こうはなりたくない。

 

「じゃあ私は失礼するっす。下手なプレイヤーじゃ返り討ちに会うのがオチっすから」

 

 すでに何人か部下からも犠牲が出てるため冗談でもなんでもない。

 

「エリ。その……。気をつけて」

「シンカーさんも、っすよ」

「ははっ。その通りだね」

 

 シンカーさんは今回殺さない予定だ。ラフィンコフィンからすれば、キバオウの基盤を強めるだけなのであまりにも不自然な行動として映る。それでも決行してしまえばキバオウの手の者がやったと疑われてしまうだろう。

 もしシンカーが昔の威勢を取り戻していればあるいは……。人生なにが役立つか、わからないものだ。

 私は会議室を出ると、治安維持部隊の本部へと急いだ。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 47層に広がるフィールドゾーン。巨大な植物系モンスターが群生するこのゾーンは、最前線からたった3つ下の危険地帯だ。

 ここにPKを行ったプレイヤーが逃げ込んだと、各階層の転移門を見張らせていた部下から連絡が入った。

 ここなら下手なレベルのプレイヤーでは捜索することもままならないだろう。人海戦術は使えないため、特にレベルの高いプレイヤーのパーティー――つまりいつものメンバーで突入するしかなかった。

 残念ながらメンバーは私を含めて9人。確認されてるレッドは5人。戦力的には有利だが、完勝するには厳しい人数。

 

「ラフィンコフィンでしたっけ? まったく、面倒なことになりましたね」

「文句を言わずにキリキリ働くっすよ。今回は敵の戦力が未知数なんすから。行った先で待ち伏せされて返り討ちなんて洒落にならないっすよ」

「そ、そうですね。すみませんでした」

 

 同僚の些細なミスに失笑が起こる。

 

「お前たちも笑ってないで、真面目にやるっすよ……」

「おっと。そうでした」

「まったく……。気が抜けてるぞ」

「お前も笑ってただろ!」

「なんのことやら」

 

 肩に力が入り過ぎてないといえば聞こえはいいが……。

 先行している部下からの連絡はなし。つまり彼らは転移結晶での移動をせずに、この先にいるだろうということだ。

 道中の植物系モンスターを手早く片付け、辿りついたのは小高い丘。

 うっすらと雪の積もっている、見晴らしの良い丘には情報通りカーソルカラーを赤に変えたプレイヤーが5人揃っていた。

 彼らは各々武器を抜き臨戦態勢を整える。

 

「あいつらやる気みたいですね」

「周囲に潜伏中のプレイヤーは?」

「いません」

「舐められたもんだ……」

「さて。意外と手練れかもしれませんよ」

「無駄口は後。やるっすよ」

 

 私は指示を出して鶴翼の陣を敷く。

 そのまま陣形を崩さずじりじりを距離を縮める。あと数歩で先端が切り開かれる。そこで私の左右に布陣するプレイヤーが4人、向きを反転させた。

 

「なに、してるっすか?」

「わからないか?」

「わからないっすね……」

「クククッ……。こんな何もない場所で隠れもせずに待ってるなんて、おかしいと思わなかったのかよ」

「つまり裏切ったわけっすね……」

「ようやくわかってもらえたか。抵抗しないなら考えてやるよ。お前も一応女だし、使い道は色々あるからな。お前らも元同僚のよしみだ。PoHに俺から仲間に入らないか頼んでやるぜ」

 

 部下だった男は、麻痺効果のあるレイピアをチラつかせて下卑た笑い声を発していた。

 

「残念っすね。……やれ」

「おいおい、状況がわかってんのか? こっちは9に――アガッ!?」

 

 予想していなかった方向からの攻撃に、彼は避けることもままならず串刺しにされる。

 彼を刺したのはレッドプレイヤーの1人。それを皮切りにレッドプレイヤーたちは裏切り者の4人へ武器を構える。

 

「な、なにやってんだよ! 俺じゃねえ! こいつらをやれ!」

「わからないっすか?」

「あ……」

「ハメられたのはお前らっすよ」

「な、なんで……。俺はあんなに貢献してやったんだぞ……。なのに……。どうしてだ、PoH!」

 

 怒号に答えるように笑い声が木霊した。

 裏切られたとわかり絶望している4人以外の全員が、笑っていた。

 

「お前がALFの情報を流してるのはずっと知ってたっす」

「いつからだ。いつから、知ってた……」

「最初からっすねー。仲間外れは君たちだけだったわけっすよ」

「あんたもPoHの仲間、だったのか……。だったらどうして!?」

「どうして自分は仲間に入れてくれなかったか、っすか? いやだって裏切り者なんて信用できないっすよ。あと他の連中はちゃんと私に報告してくれたっすからね」

「そんな……」

 

 今回のことはPoHの発案だった。曰く忠誠度を試すべきだ、と

 難儀なものだ。私を裏切ってPoHについたやつらがこうしてPoHからも捨てられ、PoHではなく私についたやつがこうして一緒にPoHの側に回っている。

 私もALFの立場を捨ててラフコフへ寝返っていればこうなっていたのだろうか。それは怖ろしい考えだ……。

 なお、純粋に正義感からPoHの誘いを断った連中は今日は連れてきていない。だからこそフルメンバーではなかったわけだ。

 

「さてと。それじゃあ片付けるっす」

「ち、ちくしょうっ!」

 

 元部下の男が構えた細剣がソードスキルの起動エフェクトを輝かせた。

 ソードスキルのエフェクト光というのは曲者で、プレイヤー側で設定ができる。そのカラーリングは解放クエストが設定されていて、いわゆるお洒落要素と思われがちだ。しかし実際に相手にしてみればわかる。色によってソードスキルの対応難易度はかなり変わってくるということが。

 彼の使っているカラーは白。明るい場所では特に目で追いにくく、実際よりも剣が素早く見えるカラーだ。この雪景色の中ではかなり強い。

 

 剣が消えたかのように動いた。

 細剣のソードスキルは速度重視でAGIも高く割り振っている彼の剣技に、私のソードスキルなど追いつくはずもない。

 だが。速ければ強いのかというと、そんなことはない。

 私の今日の装備は間合いの長い長剣に大盾というボスエネミーもかくやといったもの。

 大盾はシールドブレイクされにくくガード範囲も広い。一撃一撃が軽い細剣では到底崩せず、また突きがメインであるため正面に置かれた盾を突破することもできまい。

 中段からの3連撃を盾の中央で弾くも彼は体勢を崩さず、下段斬り払いに移る。その時点でこのソードスキルが刺突8連撃『スター・スプラッシュ』であると判明し私は慌てず盾での防御に努めた。2回の斬り払いで下に注意を向けた所でこのソードスキルは上段2回の刺突へ動きを変える。

 中盾までであれば崩せるのだろうが、大盾のガード範囲は構えただけで足元から頭上まである。この選択は悪手であった。

 最速の剣はあっさりと大盾という壁に阻まれ、華麗な8連撃は私のHPを1割すら削ることなく終了した。

 ソードスキル後の一瞬の硬直。彼がいかに素早くともこの瞬間は無防備だ。

 私はシステム外スキル『ディスアーム』を行い、彼の伸びきった腕から細剣を弾き飛ばした。

 細剣が回転しながら宙を舞い、雪の積もった大地に突き刺さる。

 

「そんな……」

「お前は物覚えの悪いやつだったっすね」

 

 戦闘中に武器を落とすなど、一緒に首も落としてくれと言わんばかりだ。彼はすでに死に体。剣を拾う暇も与えず殺せる間合いだった。

 逃げ惑う彼を背中から容赦なくソードスキルで刻み続けることを数回繰り返すと、HPは簡単になくなった。ポリゴンの飛散するSEが鳴り響き、私は残りの3人と戦っているメンバーに加勢する。

 戦闘が終わるのには5分もかからなかった。今までで最もレベル差の少ない対人戦であったが、結局は犠牲どころか苦戦もなかった。

 陣形を完璧に整えられたからというのがあるだろうが、あっけない幕引きだ。

 

「馬鹿なやつだったよ。まったく……」

「悔やんでるっすか?」

「どうでしょう。ただ、裏切られたのは悲しいですね」

「そうっすか……」

 

 私はあまり悲しくなかった。始めから知っていたので、親しくもしないでいたのが原因だろう。そうでなければ違っていたかもしれない。もしも彼が裏切らないでいてくれたら……。そうすれば戦力は減らないで済んだ。それが残念ではあった。

 

「お疲れさまっす」

「いやいや。こっちもおかげで楽させてもらってますよ」

 

 私はレッドプレイヤーに挨拶を交わす。

 

「じゃ、この後俺は捕まればいいんですよね?」

「そうなるっす。司法取引ってことですぐに出してあげるっすから、不便かもしれないけど我慢してくださいっす」

「わかってますよ。それと信頼もしてます」

 

 少し嫌そうな顔をしながら差し出された両手に、拘束アイテムを使い監獄へ跳ばす。

 彼は捕まり要員で、私の手柄になってもらうことになっていた。そしてラフィンコフィンの情報をALFへ発信して、それを使い私は頭角を現し始めたライバルを蹴落とす算段だ。

 

「撤収!」

「「はい!」」

 

 転移結晶を使い私たちは黒鉄宮へ戻った。

 PoHがやりたい放題やってくれたおかげでこっちは仕事が山積みだ。片付けなければならない案件の多さには、辟易してくる。これが終われば休みがもらえるのだろうか? いや無理か……。

 すでに幕は上がったわけで、私の手では止まらない。自由意志は諦めるべきだ。さて、まずは台本通りの尋問から始めよう。そうしていれば、少なくとも私はさっきの元部下のようにならずに済むのだから。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 惨劇の正月事件。あるいはラフコフの産声事件。

 そう呼ばれる事件はプレイヤーたちに大きな爪痕を残した。

 

 ――総死者数300人弱。

 

 短期間でこれだけの人数が死亡したのはゲーム開始直後以来初の出来事だった。

 ラフィンコフィンが直接殺した人数がこの半分ほどでしかないのを私は知っている。では残りの半分は誰が殺したのかというと、それは関係のないプレイヤーだ。

 

 PKを返り討ちにして殺してしまったプレイヤーがいた。彼らのカーソルは当然赤に変わる。

 そんな彼らを見て、友人を殺した犯罪者の仲間だと勘違いをしたプレイヤーが義憤に駆られた殺人を犯した。

 壊滅したギルドの生き残りは、その者こそが裏切り者だったと誹りを受けて殺された。

 あるいは、そうした魔女狩りから自分の身を守るべく剣を取り、返り討ちにして殺してしまった者もいた。

 関係のないプレイヤーがラフィンコフィンの名を騙って殺人を始めたりもしていた。

 

 PoHが直接計画した事件よりも二次被害の方が甚大で、プレイヤー間の信頼は地の底まで落ちたと言わざるを得ない。あるいはこうなることまで含めた計画だったのか。

 この一件以来、中小ギルドの大半は駆逐され、ALFの傘下に加わった。

 並み居る政敵をこの混乱に乗じて殺せたキバオウの地位は揺るぎないものになっている。政敵だけを殺せば事は露見し易くなるが、木を隠すなら森の中。殺人を隠すなら虐殺の中というわけで、これだけの死傷者に埋もれて誰も疑いはしなかった。

 

 逆に犯罪者プレイヤーの結束は強まっていた。

 PoHの演説は多くのプレイヤーの目に留まり、新聞にも大きく取り上げられている。

 彼の言葉通り、レッドプレイヤーは団結したことで大きなことを成し遂げた。今まで軍に怯える立場だったのが、一転して軍すら怯える存在に変わる。その抑圧からの解放は実に多大なカタルシスを生んだことだろう。

 魔女狩りめいた混乱の最中、行き場を失ったプレイヤーさえ仲間に引き込んでラフィンコフィンは拡大の一途を辿っていた。散り散りだった犯罪者集団も続々と傘下に加わっているそうだ。

 今ではPoHという名は犯罪界のカリスマ――いや、神格化されているとさえ言える。

 犯罪者の中にはPoHを崇拝するものが現れ、彼への信仰を示すため殺人を行ったと供述する者を私は最近捕まえた。

 

 この影響は攻略のスピードにまで影響を与え、50層のフロアボスはその強さもあってか、発見から1カ月もの間倒されることがなかった。

 遅々として進まない攻略とプレイヤーによる殺人事件の増加は人々に不安の影を落とし、ALFは攻略からの完全撤退を発表することになった。

 

 ――なお、キリトの活躍があったかどうかは定かではないが、この一件でリズベットが命を落とすことはなかった。




ついに攻略組ですらなくなる主人公。


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21話 棺桶と鎮魂歌(2)

 攻略組から転落(ドロップアウト)した私は、すっかり治安維持部隊の隊長が板についてきていた。

 もちろんレベル上げは欠かさずやっているが、未踏破ゾーンへ足入れることはもうしていない。最前線をうろつくことは無きにしも非ずだが、それも情報が出回った経験値の美味しい場所がせいぜいだ。フロアボスと最後に戦ったのは3カ月も前になる。

 現在はKoBが主導権を握りつつ、DDAが必死に縋りついているらしい。

 すでにトップギルドの雌雄は決した。攻略組はKoB。中層以下をALS。犯罪者はラフコフ。この牙城はそうそう崩れないだろう。

 

 私は自由にできる時間が大幅に手に入った。

 治安維持部隊に重要な案件が回ってくることはそうそうない。ラフコフ結成前より犯罪は増えたが、それでも2週間に1回あるかないか程度。かといってプレイヤー間の小さなトラブルに私が出向くのはやり過ぎなため出動はなかなかかからない。

 以前は攻略組を兼任していたために忙しかったのだが、こうなるとやることがなく暇だ。

 あらためて考えると私は友達が少ない。付き合いがあるプレイヤーは多いが、気軽に会いに行ける友人など1人もいないことがこの機に発覚した。

 リズベットはもちろんのこと、キリトにもクリスマス以来会ってはいない。

 

 今日の書類整理を終わらせた私は、行く当てもなくぶらぶらと夜の主街区の見回りに出掛けていた。睡眠時間が極端に少なく済むのも考えものだ。

 途中、いくつかの食事アイテムを購入して食べ歩いた。屋台で売られていた謎肉の串焼きをツマミに飲む蜂蜜酒は饒舌に尽くしがたい。この際だから新たな趣味でも作ろうか。例えば食べ歩きとか。今度グルメ雑誌でも買いに行こう。

 そんなくだらないことを考えながら歩いていると、聞きなれないメロディーが聞こえてきた。知らない曲だ。

 音が遠くてはっきりとはわからないが、JPOPだと思う。ソードアートオンラインには合わない曲だ。システムBGMではないのはすぐにわかった。

 その曲に誘われて、私は音楽の鳴る方角へと足を向けた。

 

 人通りもまばらな大通り。道行く人の大半はNPCだったが、プレイヤーも多少いる。

 その中央。街灯に照らされたステージで、白い女性プレイヤーが歌っていた。

 メロディを奏でているのは彼女の手に抱えられたリュート。

 目にしたことはないが、路上ライブというやつを思い出す。

 透き通るような声色。声量こそ小さいものの、肉声であるならこんなものなのかもしれない。上手いかと聞かれれば上手いのだろう。音程は外れていない。だが技術ではなく、なにかが私はその場から動けなくしていた。

 

 悲しさの中に明日への勇気が込められているような歌詞。長さにして数分の、一般的なものだったと思う。

 曲が終わり、彼女が一礼すると少ないながらも聞いていた観客が拍手を送った。拍手を送る姿にはNPCも混ざっていた。

 それを受けて恥ずかしそうにお辞儀をする。

 私はずっと立ちつくしたまま。呼吸も忘れていたんじゃないだろうか。

 決してすぐ側まで近寄って聞いていたわけじゃない。だが目が合い、彼女が私へ駆け寄ってきた。

 

「あ、あの……」

 

 返事を返そうと口を開いたが、何故か言葉が出なかった。

 

「大丈夫ですか?」

 

 ハンカチを差し出されて、私は涙を流していたことにようやく気がついた。

 彼女の服装と同じ、水色と白色の可愛らしいハンカチ。それを受け取ってお礼を言おうとしたが、口からは嗚咽しか出ない。

 

「あれ……? ひぐっ、ごめんなさい……。ごめんなさい……」

 

 なにに謝っているのかわからず、どうして泣いているのかもわからない。

 自分のナーブギアに重大なエラーが発生して、操作障害が起こったかのようだった。

 彼女も突然のことに動揺していた。

 

「おい、なにやって……」

「ち、違うからね。私が泣かせたんじゃなくて、泣いてる子を私が見つけただけというか……」

 

 近づいてきた男性プレイヤーが彼女に話しかける。聴衆に混じって拍手をしていたプレイヤーの1人だ。目立つ格好なのですぐにわかった。

 彼の着ている白地に赤十字の意匠が施されたマントはKoBのユニフォームだ。コスプレでなければ、彼もKoBのメンバーのはず。だが攻略会議で見た覚えはない。

 彼は目を警戒気味に細めて私を見た。

 

「はぁ……。ここで話し込んでも目立つ。あんたがよければ、場所を移そうと思うんだが」

 

 見知らぬプレイヤーに付いて行くのはかなり抵抗がある。だが彼女の歌声を思い出すとその危機感も霧散した。

 小さくうなずく。彼女は差し出していたハンカチで私の目元を拭うと、私の手を引いてどこかへと向かった。

 どこへ行くのかという不安よりも、行先を決めてくれる安心感がなぜか胸にあった。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 腰を落ち着けたのは圏内にある広場だった。半円型で、兄に連れられて行った大学の講義室を屋外に設置したような形状だ。街中にある、催し物のための会場という設定で作られた場所なのだと思う。

 だがそういう場所に、なにもないのにわざわざやってくる人はそういない。それが夜ともなればなおさらだ。

 静まり返った広場には、しばらく私の啜り泣きの声だけが響いていた。

 どのくらいそうしていたのかはわからないが、私が泣き止むまで彼女は黙って背を擦ってくれていた。リズベットの温かな手を思い出し、泣き止むにのに余計時間がかかった。

 

「おちついた?」

「はい……。ご迷惑をおかけしたっす」

 

 琥珀色の瞳が、私の赤くなった瞳を映す。

 

「それはよかった。ちょっとビックリしちゃったけど、迷惑とか全然ないから安心して」

「それじゃ、帰るぞ。明日はフィールドに出るんだろ? 早く休まないと身体が持たないぞ」

「うーん……。私はもう少しこの子とお話しするから、エーくんは先に帰ってていいよ」

「こいつなら一人でも平気だ。なんなら軍の連中に引き渡して来い。あと僕はエーくんじゃない。ノーチラスだ。何度言ったら覚えてくれるんだ……」

「ちょっと、そういう言い方はないんじゃない!」

「いや。その……」

 

 エーくんと呼ばれた男性は彼女の剣幕にたじろぎ、バツの悪そうな顔をして視線を彷徨わせた。それから私に説明しろと言いたげな視線をたびたび向けてくる。

 

「もしかして知り合い?」

「違う。僕が一方的に知ってるだけだ……。彼女は――、いや自己紹介くらい自分でしてくれ」

 

 まあ知っているか……。情報に敏感な攻略組であれば、むしろ私を知らない方が意外というべきくらいには顔は知れ渡っている。新聞にも何度か取り上げられている為、下手な攻略組のメンバーよりも有名人だ。

 

「そうっすね。私はエリっす。ALFのメンバーっすから、それで知ってたんじゃないっすかね?」

「加えて言えばALFのお偉いさんだ」

 

 あんまりその言われ方は好きじゃない。

 ALFは中層以下のプレイヤーの保護を目的とした組織に変わっている。それは狩場の独占などで資源を効率よく分配する共産主義的な構造だ。

 それによって攻略組はその辺りのリソースが入手困難になっているため結構恨まれている。以前はどこのギルドもやっていたことだが、各ギルドの方針転換――25層の事件以降、勢力図の変化によってそれが継続できるのはALFのみとなっているだけだ。

 今となってはそれも遠い過去の事件となり、知っているメンバーは少なくなっているのだろう。当時から前線に立っているプレイヤーはあまり多くないと聞く。

 

「そうだったんだ。でも、だからってそんな言い方しちゃ駄目だよ」

「君は彼女のことを知らないから――あー、うん。ごめん。そうだね。言い過ぎた」

「いいっすよ。でも巷じゃどんな噂になってるんすか?」

「……僕が言ってるわけじゃない。それにKoBでも口に出すのは少数だ。……人狩りの魔女、そういう話を聞いたことがある」

 

 正月の事件以来、そういう話は耳にする。

 レッドプレイヤーを狩っているところを目撃されたせいだろう。

 見られたときの事件は、被害を抑えるためしぶしぶ殺さなくてはならない状況だった。ラフコフとは無関係のPK集団で、勢力を維持するためにALFのパトロール部隊を襲撃したところを、応援に駆け付けた私たちが戦闘によって殺害した。

 人員の不足と敵のレベルが高かったことが原因だった。彼らはこちらが殺害に踏み切れないだろうという見通しで、HPがレッドゾーンになっても戦闘を継続してきたのだ。そういう連中は稀にいるが、私たちはいつも通りに殺害を決行してしまった。

 結果的にその話が広まったおかげでALFは犯罪者に容赦しないという認識が広まり、事件の数はわずかに減少したが、評判は二極化。犯罪者は殺してもいいという過激派と、ALFは殺人集団だという派閥だ。

 

「まあ、間違ってないっすよ」

 

 彼らにそんなつもりはないはずだが、実際のところ正鵠を射ている。

 

「馬鹿っ!」

 

 怒声と同時に彼女はノーチラスの頭を思い切り叩いた。乾いたSEが鳴り響く。叩かれた衝撃で彼の頭は傾き、そのままの姿勢で困っている表情をしていた。

 

「そんなこと言われて傷つかないわけないでしょ!」

「いや、だから僕が言ってるわけじゃ……」

「止めさせないなら同じよ! 信じらんない」

 

 あたふたとするノーチラスを見て、彼らの力関係は明白に理解できた。

 本人たちがそれでいいなら、いいんじゃないだろうか?

 まるで似ていないのにキリトとサチを思い出す。サチは彼女のように快活ではなかったが、ノーチラスの方は服を地味な黒色に変えれば結構似ているかもしれない。

 そう思ってみると哀愁と笑いが同時に込み上げてくる。

 

「その、ごめん」

「さっきも言った通り間違ってないっすから。いいっすよ」

「あなたもそんなんじゃ駄目よ! 嫌なことは嫌って言う。そうしないとやってる方だってつけあがるんだから。言うのが難しいっていうなら誰かに頼りなさい。仲の良い友達でもいいし、私でもいい。なんならそこのエーくんでもいいから」

「だから僕は……。いや、なんでもない」

「今度からちゃんと止めること。いいわね」

「はい……」

「エリさんも、いいわね?」

「……考えておくっす」

 

 言葉の上だけでも同意しておけばいいもの、私は何故か素直に答えてしまった。当然彼女はその言葉に納得できないといった様子でムスッと表情に出して抗議した。

 

「わかった。私、歌うわ!」

 

 なんでそうなるのだろう。突拍子もない発言に頭をひねったが、ノーチラスはなんとなく察したようで私を席へ座らせた。

 しばらくするとリュートが音を奏で始める。

 彼女は2人しか観客のいない舞台で歌を歌った。

 月明かりだけが頼りだというのに、彼女の姿は輝いて見えた。

 言葉の一字一句が力強い。さっき聞いた曲も素晴らしかったが、この曲には勇気が溢れんばかりに詰まっていた。

 気圧される。目を背けたくなる。眩しすぎて直視できない。それでも耳を塞ぐことはできなくて、彼女の歌声にただただ聞き惚れた。

 私の胸の内に、私の中にはない感情が湧き上がるような感覚だった。

 あらゆる信号がデジタルデータに変換されるこの世界で、彼女は感情さえもデジタルデータへと変え、私の脳へ直接届けているかのような……。そんな気がした。

 歌い切った彼女は額に汗を掻いて、栗色の髪を額に張りつけながら笑っていた。その満面の笑顔が瞼に焼き付いて離れない。

 聞いていただけなのに私の身体は火照っていた。それだけではなく、極限の戦闘でアバターへの信号が制御できなくなったときのように心臓が激しく脈打っている。

 

 隣から鳴る拍手の音で、私の意識がアバターへと戻った。拍手をしているノーチラスを横目で見ると、それに気がついたようで彼は得意げに笑った。

 

「ありがと」

 

 拍手を受ける彼女は嬉しそうで、今度は私も一緒になって拍手を送った。

 しばらくそうしていると、だんだん恥ずかしそうに顔を赤らめるので、可愛い人だなと思った。

 

「どう、だったかな? 少しでも勇気を分けてあがられたら、って思ったんだけど」

 

 ああ。この感情が勇気なのか。

 そんなことはありえないと普段ならいう理性は沈黙していた。私はなぜかわからないが、彼女の言う通りこの伝わった感情こそが勇気であると納得できた。

 

「はい……。凄い、良い歌だったっす」

「うん」

「なんだか身体がポカポカしてきて……、頑張れ! って。やればできる! みたいな気持ちになって……」

「うん」

「たくさん、歌に込められた想いをわけてもらえたような、そんな気がしたっす」

「いやぁ……。照れちゃうな」

 

 はにかむ表情はさっきまでとはまるで別人だ。

 けれど誰しも、表に出してる表情がすべてじゃないというのは私もよく理解している。彼女のさっきまでの熱意は間違いなく、彼女の内に秘めた想いだった。上辺だけの私の言葉とは違い、本物の感情がそこにあった。

 

「凄かっただろ。彼女の歌は」

「はいっす」

「そんなに褒めても、歌うことしかできないよ」

「なら歌ってほしい。何度聞いても、やっぱり君の歌は最高だ」

「もうっ! さっさと帰れって言ったのはどこの誰だったかな?」

「うっ……。そうだったね」

「ふふふ。いいけどね。――よーし、今日は歌うぞお! VRじゃいくら歌っても喉がかれないのがいいところよね」

 

 空に拳を高らかに上げた彼女は、しばらくいろんな曲を歌った。

 楽し気な曲も。元気の出る曲も。希望の曲も。悲しい曲も。怒りの滲む曲も。温かい曲も。冷たい曲も。恋愛の曲も。失恋の曲も。友情の曲も。親愛の曲も。情愛の曲も。憧憬の曲も。嫉妬の曲も。罪悪の曲も。許しの曲も……。

 あらゆる曲に、あらゆる感情を乗せて。私たちは彼女の歌声に様々な世界を垣間見た。自分にはない、様々な自分を感じた。それはVRの戦闘とはまるで違う冒険の旅だった。

 途中で私やノーチラスも歌わされた。お互いまるで上手くなかったが、それでもいいと彼女は言っていた。

 コンサートは空が明るむまで行われたが、彼女の美声が尽きることはなかった。

 

「よし。あれを歌いましょ!」

 

 彼女が最初に歌った勇気の出る歌を、私たちは3人で歌った。

 あんな感動的なものには到底ならなかったのに、それでもたしかに勇気が沸いてきた。

 朝焼けに染まる空を見て、勇気とはこんな色をしているのだと思った。

 立春を過ぎたばかりの冷たい風が、汗ばんだ身体に心地いい。自然と私たちは同じように笑いあった。

 

「ああ、もうこんな時間」

「ごめ――ありがとうっす」

「いいのよ。よかったらまた聞きに来て。たまに路上でライブやってるから」

 

 名刺代わりに渡されたフレンド申請に、私は言わずもがなYESを返した。

 

「あ、名前」

「んん? ああ! すっかり忘れてた。ごめんね。あらためまして、私の名前は――」

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 黒鉄宮の中に鎮座するALF治安維持部隊本部。

 今日もそこでは、届けられた書類に目を通し判を押すプレイヤーたちがいた。

 私はオブジェクト化した紙の山をまた1つ片付けていた。そこで設定していたアラームが鳴り作業の手を止める。

 けたたましいく鳴った鈴の音に驚く者はいない。それはこの音が私にしか聞こえていないからだ。

 

「それじゃ、私あがるっすね」

「おや。隊長、どちらへ行かれるので? 最近はよく出かけているようですが」

 

 同僚のプレイヤーが書類の山から顔を出して声をかけて来た。

 

「ライブコンサートっすよ」

 

 あれ以来私はすっかり彼女のファンになっていた。

 現実ではライブコンサートに行くファンの心境はどうにも理解できなかった。なぜって、それはレコード音源の方が綺麗だからだ。収録した音は様々なエフェクトをかけることができるし、聞きたいときにゆっくり聞ける。対してライブコンサートは足を運ばなければならなず、会場の関係で音がしっかり響かなかったりと問題点も多い。だったらCDでいいだろうという結論だったわけだ。

 しかし今の私は違う。生の声は別格なのだ。いや、ここはVR空間なわけで厳密には生声ではないのだが……。それでも直接聞けば違いが分かる。だれだ違いの分からないやつは。かつての私だよ!

 

「ライブコンサート?」

「ああ。最近よく鼻歌、歌ってますよね」

 

 無意識にそんなことをしていたのか。ちょっと恥ずかしい。

 もしかしたら毎晩録音クリスタルを再生しているせいかもしれない。

 

「一緒に来るっすか?」

「え? いえ。私は遠慮しておきます。あまり音楽は聞かないもので……」

「そうっすか……。かなりいいっすよ! 私も全然音楽とか聞かなかったんすけど、聞いてみたら世界が変わったっていうかっすね。とにかく凄いんすよ!」

「は、はぁ……」

「1回だけ。1回だけでいいっすから! どうっすか!?」

 

 完璧にパワハラだった。だが彼だって一度聞けば後悔はしないはずだ。

 

「いや、うーん。1回だけなら……」

「よし。じゃ、早速行くっすよ!」

「え!? あの、ちょっと待ってください。これだけは終わさせてください」

「ゆっくりしてたら最初の曲に間に合わないっすよ。転移結晶使ってもいいなら別っすけど」

「駄目ですからね!? そんなことに無駄遣いしたら」

「そんなこととはなんすか!」

「あ。違います。違いますから! でも高価なんですからそんなポンポン使わないでくださいよ」

「当然っすよ。なのですぐ出発するっす」

「あー。わかりましたよ……。しかたないですね……」

「皆さんもどうっすか」

「え。あ。はい……。え? どこに行くって言いました?」

 

 聞いてなかったのか。それでもYESと答えるあたり、随分訓練が行き届いている。

 つまり断った彼は訓練が十分ではないということか。いいや。彼はちゃんと私の話を聞いてただけか。私も流石に私生活まで上官に従えとは言わない……。

 

「そんなの決まってるじゃないっすか。()()のライブコンサートに、っすよ」

 

 本部に詰めていたプレイヤーがこぞって彼女――ユナのライブへ行ったのはそれからすぐのことだった。今までにない観客数に彼女は驚いていたが、相変わらずの美声を披露してくれた。

 部下にも好評でそれ以降足を運ぶようになった者は多い。

 この出来事を機に、治安維持部隊の詰め所ではたびたびユナの曲が録音クリスタルでかけられることになった。




オーディナルスケール、面白かったです。
でも来場者特典の前日譚持ってないんです……。
なので2人の性格はだいぶ変更されてると思います。
だって映画のユナとノーチラスの会話シーンないし、ユナにいたってはほとんど説明口調なんですよ……。


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22話 棺桶と鎮魂歌(3)

「ユナちゃぁああああああん!」

 

 野武士面の男が隣で叫ぶ。

 今日はユナのライブコンサートだ。彼女のファンは着々と増えてきていて、今回はなんと7層の広場がプレイヤーでいっぱいだ。彼女の歌声が正当に評価されればこのくらい当然。いいや、まだまだ足りないくらいだろう。本当なら会場はチケットの購入式で、争奪戦が始まるくらいが正しい評価だ。

 ファンが増えたことは私も嬉しい。しかしこういったミーハーなファンが加わるのはいかがなものだろうか。

 こいつはちゃんとユナの歌を聞いているのか? 彼女の容姿に惹かれてやってきてるだけじゃないのか? この男――風林火山のギルドマスター、クラインならあり得ると私は思っている。

 

「うるさいっす」

 

 無性に腹が立って思わず手が出た。肘でその脇腹をど突いた。彼は今、防具の胴鎧を着けていないため、羽織りと着物にしか阻まれずアバターまで衝撃がよく通る。

 

「うぐっ!? なにすんだテメェ」

「その汚らしい声でユナのライブを汚すんじゃねえっすよ」

「んだと!」

「おい、始まるぞ」

 

 近くにいたプレイヤーの呟きで私たちはいがみ合いを止めた。

 黄金色の光でライトアップされた舞台にユナが登る。ここ7層は賭け事がテーマのゾーンで、煌びやかな街並みが特徴だ。

 今回の会場に決まった巨大カジノ店前にある広場は、スペースもさることながら野外コンサートホールばりの美しい演出を感じることのできるとっておきの場所だった。

 なぜ今までここが使われなかったからというと、ユナはそんな派手な場所でライブやって人が来なければ恥ずかしいと躊躇っていたからだ。けれどこれだけの人数が集まれば彼女の不安も払拭されたことだろう。彼女は「でっかいところで歌いたい」と常々言ってたので喜んでもらえているはずだ。

 

「ユナァアアアアアアアアアアア!!」

 

 張り裂けんばかりに声を上げ、私は両手に持った紫色のサイリウム――によく似た発光する鉱石アイテムを力の限り振った。

 

「……お前も十分五月蠅いっての」

「静かにしろ」

「――はいっす」

 

 いつのまにか隣に立っていたノーチラスの声で我に返る。あー。テンションが上がり過ぎてる。自重しなければ……。自重出来るか? いいや無理だ。限界だ! イヤッホォオオオ!!

 

「あはは……。盛り上がってるわね」

 

 私に気がついてユナが小さく手を振ってくれた!

 

「皆! 今日はきてくれてありがとう! 色々お礼とか言いたいけど、私は歌手だから。この気持ちを歌に込めて届けるわ。それじゃあ行くわよ! 最初の曲――」

 

 演奏はユナのリュートではない。あの演奏も私は好きという言葉では足りないくらい好きなのだが、今日は有志で集まったバンドメンバーによる生演奏である。1万人――現在は6千人くらいだったか――もいるのだから探してみれば楽器経験者はそれなりにいた。ユナのライブに感銘を受けた彼らはバンドを結成。高価な楽器アイテムはすべて寄付金で購入された。私も10万コルくらい投資している。

 設備もそろえば鬼に金棒。竜に翼を得たる如し。あまりの迫力に卒倒しかけたことは数知れない。私が倒れていないのは彼女の歌声のおかげだ。彼女の歌が続く限り私は絶対に倒れない。

 

 ライブは自然の摂理ではあるが大盛況のうちに終わった。

 金を取れば億万長者待ったなしだが、ユナはそういうことはしたくないとのことで、この場は全て無料で執り行われている。

 ただ金にガメツイ商人ギルドなんかが、イベントアイテム――このサイリウムものどきや、録音クリスタルをここぞとばかりに売りつけて儲けていた。流石に録音クリスタルはユナたちに収益の何割かを払っているようだが、なんとも言い難い胸のわだかまりを感じずにはいられない。なので私の持っている物はALFの倉庫から自腹で購入したものだ。

 

「かぁーっ! やっぱしユナのライブは最高だな」

「ちゃんと聞いてたんすね」

「なぁ。お前俺にちょっと冷たくない?」

「それは……。まぁ、ごめんっす」

「ま、別にいいけどよ」

 

 夜も更けてきて、集まった観客はまばらに帰宅を始めていた。

 私がだらだらとその場に残っているのにはもちろん理由があった。クラインは勝手に私に付き合って残っているだけだろう。さっさと帰ってほしい。

 私がどうやってクラインを追い返すか考えている間に残念ながら、いや嬉しいことだがタイムリミットはやってきてしまった。

 

「やっほー。今日も来てくれてありがとね」

「今日も最高でしたっすよ」

 

 小声で話しかけてきたのはフードを被った女性プレイヤー。

 顔を隠しているが、中を見れば誰かなどすぐにわかる。そうでなくともここにいる連中なら声を聴いただけでわかるはずだ。

 さきほどまでステージで歌っていたユナが、そこにいた。

 なぜなら彼女のマネージャー、ノーチラスがここにいるからだ。彼の側で待っていればユナに会えるという作戦はここのところ成功し続けている。

 

「なっ!? ユ――」

「ふんっ!」

 

 クラインの口に、彼の持っていたサイリウムもどきを奪い取り高速で突き入れた。

 虚を突いた完璧な技。その軌道はまさに細剣基本ソードスキル『リニアー』に匹敵するだろう。

 彼は顎が外れたのではと思えるほど大口を開けて苦しんでいる。しかし痛いはずがない。一定以上の痛覚がカットされるのがソードアートオンラインの仕様。園内ではダメージが入らないため危険もない。

 

「大声を出すな。それからお前もあまり騒ぐな」

「はーいっす」

 

 ノーチラスが額を抑えてながら注意を促した。最近は気苦労が絶えないようで、彼の眉間には常に皺が寄っている。

 

「お前、ユナちゃんと知り合いだったのかよ」

「そうっすよ」

「教えてくれればいいのによぉ……」

 

 誰が教えるものか。

 

「始めまして。いつも最高の歌を聞かせてもらってます。俺の名はクライン、23歳独身。ギルド風林火山のマスターやってます。よかったら今度一緒に食事なんていかが――イタタタタタッ!?」

 

 私とノーチラスのダブルアタックで、クラインの腕をあらぬ方向に曲げたり、鳩尾に拳を叩き込んだりした。

 

「い、いつもありがとう……」

「相手にしちゃ駄目っすよ」

「そうだぞ。……いくらファンでもそういうのは止めてもらいましょうか」

「わかったわかった。ギブギブッ!」

 

 袋叩きにされてたクラインが降参したところでようやく手を離す。解放されたクラインはやれやれ、と言って和服の襟を正した。

 この男、黙っていれば問題ないのだが口を開けば口説き文句ばかりが飛び出てくる。よく結城さんにちょっかいをかけては冷たくあしらわれていた姿を私は何度も目撃していた。

 

「そうだ、エリちゃんは今度の日曜日暇かな?」

「暇っすよ」

 

 予定は確認していないが、今暇になった。

 

「お前も……。いや、もういい」

「どこか遊びに行くんすか?」

「うーん。遊びに行くわけじゃないんだけど、フィールドに出ようかなって。でもエ――ノーチラスが1人じゃ危ないって言うからさ。よかったら一緒に来ない?」

「もちろんいいっすけど……。ノーチラスは来れないんすか?」

「いや。僕も行くけど……。その、上層の方だと不安があってね……」

「ちなみに何層を予定してるんすか?」

「57層」

「えぇっ!? 57層つったらバリバリの最前線じゃねえか」

 

 平然とユナは言うが、クラインの驚きも無理はない。

 現在の最前線は58層。それもフロアボスは2日前に攻略されたばかり。

 つまり57層といえばまだ未踏破領域の残る超危険地帯だ。私の部下だってその辺りに近づくのは2人くらいしかいない。

 

「エリちゃん、腕は立つんだよね?」

「そりゃ自信はあるっすけど……」

 

 あまり言いたくはないが無理して向かうような場所ではないし、足手まといを連れて安全を保証できるかというと無理だと言わざるを得ない。

 攻略組だって十分なマージンと高度な連携を可能にしたパーティーでようやく挑むような場所なのだ。素人には斬り合いをさせるだけでも怖い。

 

「安心してくれ……。ユナはかなり腕が良い」

「ノーチラスが言うんなら間違いないんだろうすけど」

 

 ノーチラスはKoBのメンバーだ。2軍落ちしていて、最前線での戦闘経験はないと言っていたがそれでも一流とそうでないプレイヤーの差くらい熟知しているはずだ。そもそもユナに過保護な彼が贔屓目で言うはずもないというのが私の見解だった。

 

「なんだったら俺もついて行きましょうか? こう見えて、俺も攻略組の一員なんですぜ」

 

 そう。このクラインという男、実は()()()の実力者だ。

 攻略組の中でもトップクラスのプレイヤーだというのだから侮れるわけがない。彼の指揮するギルドは1パーティー分の人数しかいない小ギルドであるが連携は悪くない。クラインの指揮能力や状況判断があれば攻略組として申し分ないだろう。初期メンバーから欠員が1人も出ていないのも驚愕に値する。それを除いてもまだクラインの実力を評価するには足りない。彼は個人技能でも強豪プレイヤーだ。DDAのギルマスにデュエルで勝利を収めたという噂がクリスマス以降広がっており、DDAも現在までそれを否定していない。彼がいて負けるということは、ヒースクリフがいなければ勝てないのと同義だ。

 気は進まないが、彼を誘うメリットは果てしなく大きい。

 

「いいよ。これが初めてってわけじゃないし。新しい階層の攻略も大変でしょ?」

「そうですか……。まあ友達同士仲良くやりたいって言うなら無理にとは言わないですけどね。でもなにかあったら連絡してください! 地の果てからでも助けに行きますよ」

「ありがとう。クラインさんも頑張ってね」

「はいっ!」

 

 ちゃっかりクラインはユナとフレンド登録を成功させていた。

 意外とやり手じゃないか。許さん。

 

「断ってよかったんすか? これでも本当に強い人なんすけど……」

「危ないと思ったらお前の方でダンジョンに入る前に止めてくれ。最初はユナもフィールドをうろついて様子見するだろう」

 

 階層は町や村、主街区といった圏内。フィールド、ダンジョン、迷宮区といった圏外で構成されている。

 圏外の中でどの層も共通してフィールド――特に主街区付近は強力なエネミーは出現しないようになっている。57層もそのはずだ。

 そこで実力を確認してから考えても遅くは……ないだろう。たぶん。

 一応部下をすぐ応援に駆け付けられるよう待機させておくか。それでも来られる人数が極端に少ないため安心はできないのだが……。

 

「わかったっす。それじゃどこで待ち合わせにするっすか?」

 

 それから少し確認作業をして、私たちは解散した。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 日曜日、ユナとノーチラスの2人とは57層の主街区『マーテン』で合流した。

 レンガ造りの味わいある街並みには、攻略組の一団や新しい層を見に来た見物人、アイテムを買い付けに来た商人と思われるプレイヤーで賑わっていた。

 私たちは朝食がてら知らないNPCレストランで未知の料理を頼んだ。私の頼んだ煮込み料理は味が薄く微妙であったがバフに関してはガード性能上昇がかかるため悪くない。――のだが、料理は一品丸々食べなければ効果を発揮しない。途中私はユナの申し出を喜んで承諾してしまい食べ比べをしたのでバフを受けるにはもう一度これを食べなければならなかった。

 正直効果値も高くないだろうし、ALFのキッチンでも人気のデザート系アイテムで口直しがてら高い防御上昇バフをかけた。当然3人分用意してある。

 

「確認っすけど、2人の武器はどんなのっすか?」

 

 ノーチラスが片手直剣と格闘を組み合わせたスタイル。

 ユナは細剣と楽器を使い分けるスタイルだということは聞いている。

 ちなみに楽器は殴るのではなく演奏するものだ。ユナは『演奏スキル』というエクストラスキルを習得しているらしく、一定時間演奏することでパーティーにバフをかけられるのだとか。ただし演奏中は両手が塞がり、ヘイト上昇効果があるとのこと。簡単なノックバックで演奏は停止させられるが、転移結晶などにみられる行動不能状態にまではならないため回避行動は可能らしい。

 

 2人の武器はそれぞれ標準的な形状。

 ノーチラスはSTRに比重が傾いているようで、武器防御に向いた重く短い剣。

 ユナはAGIに比重を置いたスピードタイプ。細剣使いには珍しい、刺突特化ではなく斬撃属性にも攻撃力を割り振った剣だということを、私は形状から看破した。

 ともあれ私は汎用型PvE装備として、AGIの上昇するアクセサリーと中盾に長剣のスタイルを選択。多数のエネミーとの戦闘に強く、大型エネミーと遭遇しないこの近辺では一番の組み合わせで、これなら2人の苦手な部分も丁度補える。

 

 57層のテーマはアンデッド系。

 フィールドには多数のゾンビ系エネミーが徘徊している。小型タイプのゾンビは出現数の多さが厄介だが個々の動きは遅い。対処手段は高火力で集まる前に倒すか、タンクが集めて範囲攻撃で薙ぎ払う、だ。

 今回は前者で始めて、駄目そうなら後者に移行ということに決めた。決めたのだが……。

 

「ハァァアアアア!」

 

 ノーチラスがゾンビを踏み台に三角跳びをし、勢いのまま奥のゾンビに斬りかかる。土煙を上げて地面を滑ると反対に飛び跳ねゾンビが振り向く間もなく背後から一突き。体術スキルによるタックルを駆使して刺さった剣を抜きながら追撃を両立。倒れたゾンビの腕を踏みつけ反撃を封じつつ起き上がれないようにすると、滅多切りにして撃破した。

 まるで重力や慣性を無視したようなアクロバティックな動きには私も多少覚えがある。ソードスキルによる物理エンジンの上書きだ。しかし最初の三角跳びは純粋なバランス感覚によるものだ。これで2軍とは現在の攻略組はどれだけ強いのだろうか。

 

 そしてユナもユナでずば抜けていた。

 彼女は姿勢を低くして突撃。ゾンビがソードスキルによって突き出した鍬を潜り抜け、伸ばす腕に合わせて刃を突き立てた。ユナの突撃速度と体重、それにゾンビのソードスキルによって生まれた腕の速度やゾンビ自身の体重までが加わり、肩から腕が斬り落とされる。さらにそこからもつれた姿勢を戻そうとするゾンビに合わせて太ももに剣を突き刺すと体勢が崩れて糸の切れた人形のようにゾンビが倒れる。動こうとする部位に先んじて攻撃することで行動を完全に封じている。

 大型エネミーであれば相手の動きや重量を利用した攻撃というのは私だってやる。だがこのサイズともなれば難しい。できないとは言わないが面倒だ。それなら攻撃力で押し切る選択肢を取る。しかしユナは敵の数が増えようとこの動きを繰り返した。つまり彼女にとっては苦も無くできる程度の技術ということなのだろう。

 

 私の出番は回ってこない。アタッカーだけで押し通せるのだから当然だ。弱すぎるエネミーを相手にするならタンクは荷物にしかならない。

 AGI特化、軽装に変えて私もアタッカーの真似事を始めた。もちろんゾンビ数匹に後れを取るようなことはないが……。なんだか負けた気分だ。今日は私のちょっといいところを見せてやろうと思ったのに。

 

「こんな上層に来る理由がわかったっすよ……」

 

 ユナにとって上層での戦闘が、一般プレイヤーにとっての中層のバランスなのだろう。

 

「え、もしかしてフロアボス戦にも参加してるっすか?」

「今のところはないらしいけど……」

 

 ユナはちゃんとしたパーティーさえ組めば、すでに攻略組としてはやっていける強さだ。ノーチラスは言葉を濁すが、彼とてそれは当然理解している。

 

「ユナはどうしたいんすかね」

「私?」

 

 どうやら剣を振り回しながらでもこちらの会話はちゃんと聞こえていたようだ。

 狩っていたゾンビに止めを刺すと、ユナは血糊を払うように剣を左右に振って腰の鞘に納める。

 

「ギルド間の勢力争いみたいなのに加わりたくないから、しばらくはいいかな……。ギルドに入ったら嫌でもそういうことになるでしょ? 歌にそういうのを持ち込むのは好きじゃないのよね。そりゃあ攻略組には悪いと思ってるけどさ。だから攻略が行き詰まるまではこのままでいようかなって」

「そうだったんすね」

 

 ノーチラスはKoBなのにユナはギルドに所属していないのが少々腑に落ちなかったが、なるほど納得だ。

 かつての結城さんを思い出すが、彼女は結局ギルドに入ってサブマスターまでやっているわけだし。ユナはそれとは別だ。そもそも攻略組に入ることは義務じゃない。

 

「さてと。私とエーくんの実力は見てもらえたと思うけど、ダンジョンまで行って大丈夫かな?」

 

 これだけの実力を見せられて断れるわけがない。

 私はユナの提案を了承したが、ノーチラスだけはなにやら不安を募らせているようだった。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 向かったのはこの階層にある入り江で、元は海と繋がっていたらしい湖は外周まで続いている。ここに停泊している幽霊船こそが私たちの挑むダンジョンのボスエリアだ。

 道中がダンジョンの役割を果たしており、出現するゾンビは海賊の格好をした動きが機敏なタイプに変わる。中にはゾンビ鴉やゾンビ犬まで出現した。やっかいなのは指揮官タイプのゾンビで、これがいるとゾンビは連携するようになり、各種ステータスも上昇する。ヘイトも無視するようで戦場のコントロールが一段と難しくなった。

 このエネミーのギミックが完全なヘイト無視ではなく、指揮官に与えたヘイト依存だということは、ユナの演奏スキルによるヘイト増加ですぐに判明した。

 とはいえ私がヘイトを稼ごうにも綺麗に隊列を組まれると突破は難しく、2人の機動力に依存して指揮官から倒す戦法が最も安定したため、その形で落ち着いた。

 

「ここまでいいところなしっす!」

「まあまあ。この先できっと出番があるから」

 

 この先というのはダンジョンの主との戦闘だ。

 幸いここのボスはHPが低く、3人パーティーでも倒せるだろうことは事前調査で判明していた。雑魚が大量に出現するらしく転移結晶での離脱は難しいとの話だったが、裏技として回廊結晶などという高価なアイテムを持ってきている私には関係のないことだ。

 回廊結晶も転移結晶と同じで使用中は行動不能になり、途中で攻撃を受ければキャンセルされてしまうが、転移結晶と違い一定時間別空間と繋がる門を形成できる。この門は使用者が通過しても効果時間の限り開いたままだ。なのでこの回廊結晶を使うプレイヤーだけを守り通せば複数のエネミーに囲まれようと離脱が可能という絡繰りだ。

 

「じゃ、回廊結晶は預かっておいてほしいっす。転移のときにはコリドーって叫んで起動。その後どこかの主街区の名前を言えばそこへの門が開くっす。ただ私が撤退じゃなく退避って言ったら主街区の名前は言わないで使ってくださいっす」

「そうするとどうなるの?」

「マーキングしたポイントに門が開くっす。間違って主街区の名前を言わなくても、まあ大丈夫っすけど、間違って主街区の名前を言うことはしないでくさいっすね」

「なんかスパイ映画みたいで面白そうね。退避って言ったらそのまま使う。うん。大丈夫、覚えたわ」

 

 私たちはそれからダンジョンボスの行動パターンの確認と対処方法についての相談を安全エリアで始めた。といってもそれほど変わった戦略と取るエネミーではない。詳細な打ち合わせも、私の誘導方法とユナの使う演奏バフのタイミングくらいだ。

 全体把握はノーチラスにやらせようとしたが、ユナが受け持った。

 彼に今日はいつになく甘いと思ったが、よくみるとノーチラスの顔色が少し青い。

 

「大丈夫っすか?」

「ああ。僕は大丈夫だ……」

 

 大丈夫な様子ではない。しかしユナはそれに気がついているが止めようとしていないあたり、本当に大丈夫なのか、それともなにか考えがあるのだろう。

 私は全面的にユナを信頼して戦闘を始めることにした。



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23話 棺桶と鎮魂歌(4)

 幽霊船の船橋で手摺りに足掛けた、ボロ布を纏ったエネミーがシミターを天に掲げた。

 その号令に従い船内から船員と思われるエネミーが溢れ出てくる。彼らは船長と同じく肉がない白骨死体――つまりはスケルトンに分類されるアンデッド系エネミーだ。彼らは打撃属性に弱く、刺突属性に耐性を持つ。

 ソードアートオンラインでは魔法をプレイヤー側は使用できないので、プリーストだと有利だとかそういうことはない。だが店売りの聖水アイテムを掛けると追加ダメージを与えることができるため、これを武器に塗るなどの対抗手段はある。

 当然戦闘前に私たちは各々の武器に聖水を使用して、さらにユナの演奏バフでSTRを強化して準備を整えている。流石にポーションでの水増しは金銭的事情がからしていないが、十分なステータスアップが成されていた。

 

「いくっすよ!」

「おう!」

「ああ……」

 

 出現した雑魚エネミ―へ範囲攻撃系のソードスキル『スネークバイト』の2連撃を浴びせヘイトを私に集中させる。タイマン性能の高いユナはボスエネミーの船長を引きつけ、その間にノーチラスが雑魚を処理するというのが大まかな今回の流れだ。

 私の装備は重量系高防御力の要塞仕様。甲板は走り回るには手狭で、数が多いらしいので囲まれる危険がかなり高い。壁を背に戦うことになるだろうと思いスピードは極力捨てて防御力に回した次第だ。

 

 襲い掛かる手下たちの武器は片手直剣、細剣、片手斧に長槍。返しのついた刺又なんかと種類が豊富だ。それが各々好き勝手にソードスキルを放つものだから一々個別に対処していられない。私は大盾に身を隠して、金属同士が打ち合う音が止むのを待った。

 この数で気ままにソードスキルなんて使うものだから、同士討ちもかなり起こっているが彼らは気にしていない様子で攻撃の手を休めない。すでに死んでるというロールに相応しい動きなのか、荒くれ者に相応しい動きなのか、どちらにしても面倒極まりない。

 ダメージレースでは十分な優勢を保てるものの、こうも攻撃されてばかりでは身動きが取れない。身動きが取れないということはヘイト操作が難しいということだ。

 開始直後の攻撃が利いているからまだいいが、新たにエネミーが追加されればそちらに手が回らなくなるだろう。

 

「ノーチラス!」

「わかっている!」

 

 彼は攻撃範囲の狭いソードスキルで雑魚を倒していくが、その動きはだいぶぎこちない。

 フィールドでの動きを見る限り、彼は優れたバランス感覚を生かした空中機動が得意だと思われる。それはこういった狭い空間でも、むしろ壁などの足場になるものがある分開けた場所よりも生かせると踏んでいたが……。

 今の彼はあの鮮やかな剣捌きは見る影もなく、我武者羅にソードスキルを振るう初心者そのもの。場慣れしていないプレイヤーにはよくある光景だ。緊張というのは想像しているよりもずっと本人の動きを阻害する。判断能力はまるで働かず、練習通りの動きどころか作戦すら頭から転げ落ちるなんてこともザラだ。プレイヤーに最初に求められる能力はこの緊張を解いて実力を発揮する力だといっても過言ではない。

 

 数が減ったおかげで攻撃の密度も減り、ようやくまともに動けるまでになる。

 私はシールドバッシュで攻め立てていた雑魚エネミーをなぎ倒しソードスキルで撫で切りにする。仲間同士の攻撃で減っていたHPはその一撃で潰えて、余裕のできた今のうちにポーションで回復しながらユナの状況を確認する。

 

 船長との戦いは余裕が見れるほど。専用の行動パターンかる繰り出されるロープやマストを使った攻撃に、ユナは応じるようにアクロバティックな動きで対処していく。

 このゾーンで戦うことを前提にしたAIよりもユナの方が地形を利用できているのはだいぶ皮肉が利いていた。

 ロープを伝って逃げる船長にウォールランで追い縋るユナ。戦場は帆の上に移り、細い足場を頼りに細剣とシミターが打ち鳴らされる。火花のようなエフェクトが時折散って消え、船長は徐々に後退して後がなくなっていく。

 

「船尾から増員、5」

 

 ユナが声を上げるのと私が発見したのはほぼ同時。あの状態でよくそこまで周りが見えているものだと驚くばかりだ。

 私は休憩もそこまでに、追加のエネミーへ最初と同じようにヘイトを集めてルーチンワークのように対処していく。

 

「エーくん、避けて!」

 

 ユナの叫びに私は盾から顔を出して視界を広げた。

 集中攻撃された雑魚エネミーがノーチラスにターゲットを変更したことで1対1になっていたのだが、そんな彼に空中から襲いかかる影があった。

 船長がロープに片手で掴まり空中を駆けていた。その先にはノーチラス。彼は声に反応して船長の方を見るが動けずに立ちつくしてしまった。

 船長は落下の速度をそのままに、シミターで彼の首を切り裂く。クリーンヒットでノーチラスのHPが4割消失した。これ以上ないくらいの完璧な当たり方だった。

 だがそれで船長の動きは終わらない。ロープの揺り戻しで方向転換。再びノーチラスを狙う構えを見せる。

 

「このっ!」

 

 追撃を食い止めたのは落ちて来たユナだ。

 木の床が抜ける音がした。砕けた木片がポリゴンに変わりキラキラと輝く。

 落下ダメージも厭わぬ特攻。全体重を乗せた細剣の一撃は船長の背骨を貫き伽藍洞の身体をマストに縫い付けた。

 それでもまだまだ死ぬには遠すぎるHPが船長の命を支え、反撃とばかりにシミターを横一線に振る。ユナは細剣を瞬時に引き抜くと大きく飛び退きそれを回避。彼女は弛まぬ闘志で剣を構えた。

 

「ノーチラス、下がれっす!」

「うご、けな……」

 

 麻痺状態かと思うほどにノーチラスはびくともしない。

 いや、麻痺状態は力が入らなくなるためそうであるならその場に倒れるはず。そもそもそんな状態異常の兆候などなかったのだから、原因は別のはずだ。

 撤退するべきか?

 セオリーとしてはそうするべきだが私とユナの2人でも倒せる難易度だ。欲をかいて死ぬなんて間抜けは晒したくないが、そうなる要素は見当たらない。

 思考は一瞬。主観的情報を排除して考える。

 

「ユナ! ノーチラスを運んでセーフゾーンまで行くっす。殿は私が受け持つっす」

 

 私の下した結論は撤退。

 こんなネームドボス相手にわざわざリスクを冒す必要はない。かといって転移結晶を使うほど危機的状況でもない。セオリーはセオリーたる理由があり、それをアイテムや経験値に釣られて無視するような愚かな選択は取るべきではない。

 それにどうしても倒したいなら、一度引いてから再戦すればいいだけである。

 

「わかったわ!」

 

 ユナはノーチラスを脇に担いで、幽霊船から飛び降りた。

 ちゃんとした出入り口もあるのだが、そこは船内を通って船底から出るルートなため少し戦闘が発生する。飛び降りた場合は落下ダメージを受けるが外まではすぐだ。

 水の上に落ちたようでダメージが大きくないのは、パーティーリストに表示されているのHPバーでわかった。

 私はウォールランをまだ使用していないので、悠々と壁伝いに降りて戦闘を終了させた。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 付近のセーフゾーンは、顔を出せば幽霊船の見える海岸沿いにある洞窟の中だった。

 洞窟の中では潮の打ち付ける音が反響している。足元はさっき来たときよりも水が浸水してきていてちょっとだけ冷たい。満潮時にはここが使えなくなるギミックがありそうだった。

 水中に落ちたときに濡れた、2人の装備はすでに乾いていた。ノーチラスの顔色は少し戻ったが相変わらず悪い。寒いから体調が悪くなっているとかそういうことではないはずだが、ユナは彼に毛布をかけてあげていた。

 

「………………」

「………………」

「………………」

 

 洞窟の中はしばらく波の音だけがしていた。

 私たちはランタンの灯りに照らされながら沈黙を貫く。

 なにか言った方がいいのだろうか。例えば慰めの言葉とか。でもノーチラスは面倒くさいことにそういうのは苦手としているきらいがある。

 煽られれば乗せられてしまうが、親切にされると身を引いてしまうような。そういう面倒くささだ……。

 

「ごめん。手間をかけた……」

「私こそ、無理言って連れてきちゃってごめんね」

 

 イチャイチャしてないで私にもわかるように説明して欲しい。目で訴えた効果があったのか、ユナが気恥ずかしそうにノーチラスから距離を取った。

 胸がとても苦しい……。これは……嫉妬だ……。ノーチラスへの嫉妬だっ!

 

「お前にも説明するべき、だよな……」

「あ、はい。そうしてくれっす」

 

 言い難いなら言わなくてもいいっすよ、なんて言えるだけの気遣いはもう私の中に残ってなかった。ここが圏内で、かつユナの前でなければぶん殴ってたかもしれない。

 

「……僕は――」

 

 足音がして私は咄嗟に盾を構えて入口と2人の間に立った。

 隠密状態が解除されて現れたのは4人の男性プレイヤーたち。水辺の影響で隠密状態になり難くなっていたおかげで気がつけた。

 カーソルはグリーン2人。オレンジ2人。犯罪者プレイヤーだと断定するには十分な判断材料がそろっていた。

 

「あークソが。だから外で待とうぜって言ったんだよ」

「いいだろ、どうせ同じだ。――こっちが言いたいことはわかるかい、お嬢さん方」

「見逃してください、とかっすか?」

「おうおう。威勢がいいな。それでこそ嬲りがいがあるってものだ」

「こっちは3人。そっちは4人。そんなに有利とは思えないっすけど?」

 

 上層で活動するくらいだから彼らのレベルはかなり高いのだろう。だがこちらは個々の技量がかなり高い。それに彼らがそのことに気がついていなくとも、1人くらいなら人数差は覆らなくもない。この状況で彼らが自分たちの方が有利だと思っている理由は他にあるのだということくらいは察することができた。

 

「あん? イヒヒヒヒヒッ。こいつ知らねえのか」

 

 男がノーチラスを視線で射貫く。

 横目で彼の表情を見ると顔色が青を通り越して真っ白だ。明らかに悪化していた。

 

「そいつはなあ、死ぬことにビビって戦えない腰抜けなんだよ」

「違うわっ! 彼はFNCなだけよ!」

 

 私は剣の柄に伸ばしている手を離して頭を押さえたくなった。

 FNC(ノン・コンフォーミング)とはナーブギアの接続が上手くいかず、アバターの操作に問題が起こるフルダイブ不適合のことを指す言葉だ。

 秘密にしていた理由はわかる。だがそれを隠してフィールドに連れ出してきたことは流石に怒りたくなった。

 

「どっちだって同じだろ。ほら、足手纏いを守りながら俺らに勝てるか? 無理ってもんだろ、そいつはよお!」

 

 先頭に立つ男が笑いながら片手槌を構えた。私は彼に合わせるように剣を抜く。

 すぐにユナに指示を出して回廊結晶を使わせないのはまだ隠れているプレイヤーがいるかどうかわからなかったからだ。こういうとき自分に索敵スキルがないのは不便で困る。

 相手の武装は片手槌。片手直剣。片手槍。両手斧。盾持ちはなしで3人は片手がフリー。投擲武器を装備している気配を感じる。

 

「要求はなんすか?」

「持ち物全部置いてきな。コルも装備も全部だ。それからそこの女もだ。若いって聞いてたがなかなか美人じゃねえか。遊ぶにしても売るにしても文句なしだぜ」

「あん?」

 

 ドスの利いた声が漏れるが彼らは自分の有利を疑っておらず、涼しい顔で受け流される。

その癖慎重さを併せ持っているようで、包囲するよう距離を詰めてくるのが厄介だ。これ以上観察しても状況は悪くなるだけか……。

 

「退避!」

「コリドー!」

 

 私の声にユナが反応する。それと同時に投擲物が3つ投げられた。

 盾で2つを盾で弾き、1つを剣の平で打ち返して1人の頭に突き刺す。両手斧の突進系ソードスキルを大盾で受け止め、続く投擲を両手斧使いの身体で防ぐ。

 片手槌使いと片手直剣使いが投擲を諦めて走り出し、ソードスキルによる挟撃をしてくる。どちらの狙いもユナだ。盾を捨て私は片手剣使いのソードスキルに飛び込み剣に身体を接触させる。姿勢は突撃系ソードスキルの準備動作――起動。向きを反転して片手槌使いのソードスキルをソードスキルで迎撃した。

 片手直剣使いのソードスキルによる連撃が対象を失いその場で空振りになり、片手槌使いの武器が軋んで持ち手の部分が寸断される。

 持ち手のいなくなった大盾が物理演算に従い倒れ、両手斧使いの視界が開けたときにはすでに回廊結晶によるゲートが開いていた。

 なお片手槍使いは刺さった投擲武器を頭からようやく抜いたところだ。

 

「うふふふふふふふふっ」

 

 思わず笑いが込み上げてしまう。

 一拍遅れて、待機していたALFの精鋭6人が門をくぐって現れる。

 最前線の攻略組に匹敵するのが2名。それよりやや低い練度が4名。パーティーで運用するなら攻略組でも1パーティ相手なら張り合えると信じているほどの手練れだ。なにせ彼らの技術は対人戦特化。攻略組に劣るとはいうのはPvEに関する話なだけだ。

 

「なんで軍の奴らが!?」

「敵4。索敵まだ」

「索敵。隠密なしです」

「よし散開。各個撃破。入口を塞げ。1人も逃がすな――それにしてもいっつも同じこと言われるっすね。犯罪者ってのは全員同じ脳味噌が詰まってるんすかぁ?」

「こ、こいつまさか。人狩りの魔女!」

「悪名もこういうときは悪くないっすよね」

 

 ユナにウィンクを送るが、彼女も流石に苦笑い。

 あいつらと一緒にいるせいで冗談のセンスが悪くなっているのかもしれない。その辺をあらためないといけないらしい。

 

「このっ! 動くな! こいつがどうなってもいいのか!」

「エーくん!」

 

 入口に逃げず洞窟の奥へ走り出した片手直剣使いが、動けずにいるノーチラスの背後を取り、彼の首に刃を当てる。

 片手直剣使いの瞳には狂気と興奮が渦巻いた怪しげな光を伴っていた。

 

「知らんすよ」

「あがっ!?」

「エーくん! エリちゃん!?」

 

 私は彼の脅迫に一切耳を貸さず、ノーチラスという盾を掻い潜り男の肩に剣を刺した。男は脅しでないことを証明するためか、それとも手が滑っただけなのかはわからないがノーチラスの首を斬った。しかしそれで私が止まるはずもなく、今度は男の足を斬る。

 

「こいつイカれてやがる!?」

「とうっ」

 

 気の抜けた私の声とは裏腹にソードスキルによる3連撃がピンポイントで男のHPを削っていく。ノーチラスという便利そうな盾も、攻撃を受け止められなければ役には立たない。あっという間に男のHPはイエローゾーンに入った。

 

「悪かった。降参する! 命だけは!」

 

 ノーチラスを手放したのを確認してから私は武器を下げ、視線だけは外さないまま拘束アイテムの手錠をストレージからオブジェクト化して男に投げて使用した。

 オレンジプレイヤーだった男は監獄へ強制転移させられる。抵抗して手錠を破壊すれば転移は停止するが、彼にはそんな気概は残っていなかったようでなによりだ。

 

「そんなに近づいて、HPがきちんと削れるわけないじゃないっすか。ここはゲームの中なんすから首を斬ってもHPを0にしない限り人は死なないっすよ」

 

 私からの攻撃を防ぐように使うならまだしも、攻略組に匹敵するレベルのノーチラスを一瞬で殺せると何故思ったのか。漫画や映画の見過ぎじゃないだろうか?

 

「隊長の御言葉は正論ですが、ご友人はドン引きしてますよ」

「えっ!? あー、違うんすよ。そう! ノーチラスを信頼してっすね……」

「弁明の前に手伝ってください」

「こいつぅ!」

 

 ギリギリと握りしめた剣に力が入るが、彼の言葉はまったくもって正しい。

 後で覚えていろよと心の中で呟いて、私は残る3人の捕縛に協力した。

 わかりきっていたことだが彼らの抵抗は無駄に終わる。3体1の状況をまず作って、後は順繰りに1人ずつだ。彼らが取れる最善の選択肢は最初から協力して誰か1人を転移結晶で逃がすくらいだ。しかしそうはいかないのが犯罪者のジレンマなのだろう。なにせ自分の身を犠牲にしてもメリットはないのだから、そうすることができない。

 よって彼らは今日も全員監獄送りと相成ったわけである。

 

「お疲れっす」

「お疲れ様です。それにしてもよく釣れましたね」

「誤解っす。偶然っすよ、本当に……」

 

 彼らが直ちにやってこれたのは私の命令で待機させていたからだ。

 といっても普段から出動命令がくるまで本部で待機しているのが常なので、特別なことではない。今回特別だったのは私からの勅命だったくらいだ。職権乱用ではない。

 なお私の立場は上層のパトロールという名目。職務中である。遊んでたわけではない。これは正当な一般プレイヤーの護衛である。本当だ。

 

「この後はどのようにしますか?」

「徒歩で主街区まで移動。その後本部に戻るように。私は彼女らに情報を受けてから本部で合流するっす」

「了解しました」

 

 ALFのメンバーは迅速に装備をPvE用に切り替えて整列した。

 全員が統一された黒地に赤の差し色をした防具を着ている様は、軍隊と言われるのも無理はない。だがこれを目の当たりにしたことがない者にとっては揶揄であるが、相対した者にとっては畏怖の意味を持つだろう。

 よく訓練されたパーティーがいかに強いかは、実力者であるほど理解してくれるはずだ。

 

「騒がしくなったっすけど。まずは帰るっすよ」

 

 ユナとノーチラスを護衛するように展開したALFのメンバーによって、2人は戦闘に参加することもなく、主街区に無事送り届けられた。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 私たちが主街区に戻るころには日も傾き、夕日で空が茜色になっていた。最近はだんだんと日の落ちる時間も遅くなっていて、月日の流れを感じる。

 ALFのメンバーは転移門で1層まで移動。

 私たちは少し早い夕食ということにして、防諜性の高い、個室のあるNPCレストランで食事を摂ることにした。少し値は張るがユナのためならこのくらい問題ない。

 

「今日は、悪かった……」

 

 ノーチラスが、飯を不味くさせるような表情で喋る。

 

「じゃあここはノーチラスの奢りで」

「ええ!? あ、いや……。それでお前の気が済むならしかたない、か……」

「冗談っすよ。代わりにちゃんと説明してほしいっす」

 

 仔牛のソテーをナイフで切って口に運ぶ。美味いがやっぱりALFの食堂が一番だ。攻略組のあった頃は高級食材が取り揃えられていて、それをふんだんに使った一品をフロアボス攻略の度に食べていたっけか。シェフにこっそり頼んで自分用じゃない料理を一品作ってもらったが、あれは美味しかった……。

 

「……あいつらが言ってた通り、僕はFNCなんだ。死の恐怖を感じるとアバターが一歩も動かせなくなる。どんなに頑張っても駄目なんだ……。笑っちゃうよな……。僕が攻略組になれないのは当然さ。KoBも次のフロアボスが攻略されれば除隊になる……」

 

 KoBは攻略組のみで結成されたギルドで、補助組織などは有していない。あるのはメインメンバーの1軍と、1軍になれなかったが見込みのある2軍のみ。それでも攻略組でトップを独走できるのだから個々の技量も並外れているのだろう。

 

「そうっすか」

「ごめんさい……。私のせいで2人を危ない目に合わせてしまったわ」

「ユナは悪くないっすよ」

「そうだ。元はと言えば僕が――」

「そうっすね」

「え、ええ……」

 

 今日の一件については理解した。

 ユナが、ノーチラスを思って難易度の高いエネミーと戦う場を用意した。しかしもしものために戦力が欲しくて私に声がかかったわけだ。クラインでは駄目だったのは彼が攻略組だから。攻略組にノーチラスのFNCを知られれば、彼はフロアボスに挑むことが今後許されない可能性があったため。私はALSではあるが攻略組からはドロップアウトしているし、このことを広めないと信頼してくれていたからかもしれない。

 

「お前は、凄いんだな……。驚いたよ」

「なんすか。褒めてもノーチラスの分だけは奢らないっすよ」

「そんなつもりじゃなかったんだけど……。普段のお前はなんていうか年相応の女の子だったけどさ、今日の姿を見て思ったんだ。副団長のアスナさんと同じで君も天才――」

 

「私に対してその言葉を口にするなっ!」

 

 勢いよく立ち上がりテーブルを叩いた。

 衝撃で甘いジュースの入ったグラスが床に落ちて、パリンと砕けた。

 

「あ、そのっすね……」

 

 やってしまった。その言葉は私の最も嫌いな言葉だった。それだけならまだしも結城さんの名前とセットにされると簡単に気が動転してしまう……。

 ユナは席を立ち私の側に寄る。そして優しく抱きしめてくれた。手を振り払うどころかそのまま目を伏せて、私は彼女の温かさに浸った。

 

「大丈夫?」

「うう……。格好悪いところを見せちゃったっす」

「いいのよ、そういうところがあったって」

 

 ユナの笑顔は眩しかった……。

 

「ごめん。気に障ることを言ってしまったみたいだ……」

「いいっすよ。事故みたいなもんすから……。でも、もう私を天才だなんて呼ばないでくださいっす」

「わかった。約束するよ」

「じゃ、ちょっとこっちくるっす」

 

 ノーチラスを手招きしておびき寄せると、私は彼の手を取って3人で抱き合う形に無理矢理する。

 

「な、なにを……!?」

「いいから黙るっす。ほら、両手に花っすよ」

 

 言っておいてなんだが私を花というにはおこがましい。

 ユナが高嶺の花だからそれで許してくれ。

 

「よし! ユナに元気も分けてもらったっすからもう大丈夫っすね」

「いや、なにがなんだか……」

「うだうだ言うんじゃないっすよ。……ところでなんでエーくんは攻略組になりたいんすか?」

「エーくんと呼ぶな。僕はノーチラスだ」

「いいじゃないっすか。それで、なんでなんすか?」

「秘密だ……」

「私も聞きたいな。前に聞いたときもそうやってはぐらかされちゃったし」

 

 ユナにも伝えていないのは意外――でもなんでもないか。そもそもユナの顔には「なんでなのかはわかっているけどちゃんと言葉にしてほしい」と書いてある。

 哀れノーチラス。隠せてると思ってるのはこの場で君だけだ。

 

「ほらさっさと言うっすよ。それとも私はお邪魔っすか?」

「そんなことはないわ。巻き込んだのは私だけど、だからってエーくんは知らんぷりをするような無責任な人じゃないわよ」

「なるほど。男気溢れるっすね」

「でしょ?」

 

 私たちに詰め寄られたノーチラスはFNCの症状を起こしたように固まっている。だがちゃんと身体は動くはずだ。

 

「強く――そう、強くなりたかったんだ! 男なら強さに憧れるものなんだよ!」

「はぁ……」

 

 目に見えて落ち込む素振りをするユナ。ここは援護射撃をする場面だろうか?

 私はこっそり、アイテムストレージからとあるクリスタルをオブジェクト化しつつ言葉を選び始めた。

 

「なんで強くなりたいんすか?」

「お、男なら誰しもそう思うんだよ。理由なんてない」

「へぇ……。理由はないんすか。そんなことでユナに心配かけてたんすね……」

「いや……。違っ――」

「酷い男っすね。つまりプライドの方が大事だったと。可哀想に……。こんなに一生懸命手助けしてたのに、ノーチラスはユナの想いを弄んでたわけっすか」

「そうじゃない! その、本当は……」

「……………………」

 

 沈黙すれどノーチラスの瞳には強い力が込められていた。

 

「――本当は。ユナ、君を守れるようになりたかったんだ」

 

 聞いているこっちまで恥ずかしくなるような台詞を、ノーチラスは真剣な表情で言い切った。誤魔化しのない正真正銘の彼の心だ。

 

「それなのに死に怯えて動けないでいる自分が恥ずかしかった。それ以上に悔しかったんだ。……どうして僕は戦えないんだ。こんなんじゃ君を守ることができないじゃないかっっ!」

 

 膝を突き涙を流すノーチラス。彼の頭を抱きかかえるユナ。……立ちつくす私。

 やっぱりお邪魔だったんじゃないだろうか? ……いいや、私は恋のキューピット。ノーチラスの背を押すためだけにここにいるだけだ死ねっ!

 しばらくすれば彼も落ち着きを取り戻し、涙を袖で拭って立ち上がった。

 顔が合う。私の事忘れてたな、こいつ。

 

「――今のは忘れてくれ」

『本当は。ユナ、君を守れるようになりたかったんだ』

「そいつをこっちに寄越せぇえええええ!」

 

 私の手元から録音クリスタルを奪い取ろうとノーチラスが襲い掛かってきた。

 私たちは個室であることをいいことに、ウォールランを駆使して部屋の壁を走り回った。しかし体幹では一歩勝るノーチラスが有利。すぐに掴まりかけてしまう。

 

「そうはさせるかっす。ユナ!」

 

 投げたクリスタルが放物線を描きユナの手の中に納まった。

 

「ユ、ユナ。……それを渡してくれないか?」

『本当は。ユナ、君を守れるようになりたかったんだ』

「ユナァア!?」

『本当は。ユナ、君を守れるようになりたかったんだ』

「え、えへへ……」

『本当は。ユナ、君を守れるようになりたかったんだ』

 

 普段とはまるで違い虚空を眺めながら頬を緩ませにやにや笑うユナ。

 私は悔しいながらも心のフォルダにその笑顔を焼き付けた。

 ノーチラスは、ユナの赤く染まった頬の色が写ったかのように顔を赤らめて、視線を逸らす。その間も録音クリスタルは同じメッセージを繰り返し流していた。

 ちなみに録音可能時間は結構あるので、巻き戻しを押さなければ「こんなんじゃ君を守ることができないじゃないか」まで流れる。

 

「う、うわぁあああああ!?」

 

 頭を抱え蹲るノーチラスを笑ってやりたかったが、嫉妬のあまりそんな気も失せる。

 

「貴様ぁあああ……」

「なんすか、その態度。感謝されこそすれ、恨まれる筋合いはないっすよ」

「どの口が言うんだ!」

「煮え切らないやつっすねえ。ここまできたらキスくらいしろっす」

「キ、キス!?」

「見られながらっていうのが嫌なら、仕方ないので私は出て行くっすけど」

「そそそそうじゃなくてな」

「うん。流石にちょっと……」

 

 ノーチラスは安堵したような、残念そうな表情をした。 

 

「見られながらするのは恥ずかしいから。ごめんねエリちゃん」

「んんっ!?」

 

 私はアイテムストレージから春物のコートを出して羽織った。

 それから扉に手を掛けようとして逡巡。

 

「会計は済ませておくっすよ。あとノーチラス――月のない夜には背後に気をつけるんすね」

 

 力いっぱいに扉を閉めてやりたかったが、ユナのため私は泣く泣く静かに扉を閉めた。

 なにやってるんだろう、私……。

 最後に扉の隙間から見えた光景は、ユナににじり寄られるノーチラスの姿だった。



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24話 棺桶と鎮魂歌(5)

 それはある晴れた昼下がりにやってきた。

 

 黒鉄宮――ALF治安維持部隊本部で私は届けられたサンドイッチを食べていた。

 夕方からのレベル上げに備えてメンバーリストと狩場の情報をチェック。最近は効率の良い狩場が少ないため次々に階層を上げていくしかない。それはソードアートオンラインを運営しているAI――カーディナルのバランス調整が上手くなったということだが、受け手としてはリソース純度が下がるばかりで得がない。できることなら良い意味でバランス調整を間違って欲しいものだ……。

 

 益体もない愚痴は向ける矛先がなく霧散する。

 こんなときはユナの曲を聞いて気分を変えようと、私は手持ちの録音クリスタルを漁り始めた。部下の意見もちゃんと聞くが、本部でかけているBGMの操作権限はその場で最も立場が上のプレイヤーに一任されている。つまり私がいるときは私の一存で決定できるわけだ。素晴らしい。

 メニューウィンドを開いてアイテムをオブジェクト化しようとしたところでメッセージの着信SE。迅速にメッセージリストのページに切り替える。

 私は各所との連絡を請け負っているオペレーターではないが、ときに重要案件が直接舞い込んでくることもある。情報は鮮度が命であり、もたもたしてるようではいかにコネがあろうと隊長は務まらない。

 

 送信者はノーチラス。題名は『救援求む』。

 メッセージには62層でトラップにかかりダンジョンでパーティーと逸れたプレイヤーが出たということが書かれていた。

 詳細な状況がないのはそれだけ緊急の事態で、彼が他のプレイヤーにも連絡を取っている最中であることが窺えた。

 今どこにいるのかを確認すると、62層主街区転移門前にいると返信がすぐに届く。わかっている情報をまとめてメッセージで送り、そこで待っているようにと返信をして、私は行動に移った。

 

 62層といえば現在の最前線。カレンダーにはフロアボス攻略が今日であることが書かれていた。

 私は書類整理を専門としている部下に、62層の情報を持ってくるように通達。

 PvEが得意な2名には戦闘準備を整えさせた。

 遭難者の救援も治安維持部隊が請け負う業務の1つではあるが、それは中層以下のゾーンに限った話だ。上層では二次被害のリスクが高く、自己責任とされる。最前線ともなれば出動経験は攻略隊があった時期まで遡らねばならない。そのときの中心メンバーは当時の攻略隊だ。つまり無きに等しい。

 

 私は1パーティーでの出動も考えたが、下手に遭遇戦を増やしたくなかったため少数精鋭での行動を決定。AGIの低い私はタンク用の金属鎧ではなくAGIブースト特化の革鎧に身を包む。

 転移門までの移動時間は惜しかったが、転移結晶を湯水のように使うわけにもいかない。

 さらにいえばALFの隊長が焦って行動しているという外聞は極めて悪い。隙を晒せばその間にどこの馬鹿が暴れ出すかわからないため、普段通り粛々と歩かなければならないのがもどかしい。

 ノーチラスのまとめた情報には、転移トラップでパーティーが1人だけが逸れたこと。ダンジョンはクリスタル無効化空間であること。ユナや帰還した攻略組の2軍メンバーがすでに捜索へ行ったことが書かれていた。

 

 62層の主街区は茅葺屋根の立ち並ぶ穏やかな田舎風景をイメージした町並みだ。

 主街区といえば、プレイヤーの拠点となるべく発展した街が用意されているのがほとんどだが、この階層は悪の国に立ち向かう反乱軍としてプレイヤーが参加するシナリオで構成されていて、迷宮区が主街区のような巨大な街と城で構築されている。

 みすぼらしい姿の農民NPCと、見物へやって来たプレイヤーたち。どちらもフロアボス(悪の王様)が撃破されるのを心待ちにして転移門の周りで賑わっている中、世話しなく周囲を見渡している落ち着きのないプレイヤーを発見する。ノーチラスだ。

 

「通報をしたノーチラスっすね」

 

 黒と赤のALF正式装備を身に着けた私たち3人。

 統一感のある格好をするのはどのギルドでも常であるが、ALFは知らぬプレイヤーなどいないほどに有名なため、嫌でも私たちは目立つ。

 

「ああ……。捜索の協力を頼みたい……」

 

 ここにいるのは治安維持部隊の隊長と、被害に遭ったプレイヤーの救助を求める一般プレイヤーだ。

 

「マップデータの受け渡しを」

「わかった」

「事故に会ったときの状況は?」

「僕は、その場にいたわけじゃないんだ……。話では、先頭のプレイヤーが転移系のトラップに引っかかって逸れたらしい」

「そのまま捜索を続けなかったのはなんでっすか?」

「ダンジョン内の徘徊型ネームドボスに追いかけまわされたらしい。それでそいつらは主街区に戻ってきて、救助隊を組んで出発したんだ」

 

 そんな危険地帯、攻略組がフロアボス攻略で忙しくしてるときに行くなと文句を言ってやりたいが、そいつらがここにいないのでグッと堪える。

 

「救助隊の数は?」

「ユナを入れて5人。仲間が遭難したDDAのメンバーと、風林火山から2人だ」

「ネームドエネミーの詳細。あとダンジョンの情報はどうなってるっすか?」

「場所はここから南西の監獄ダンジョン、らしい……。他の情報は……すまない」

 

 ノーチラスは首を振る。遭難者を出した連中は大方移動中に説明することにしたのだろう。念のためにノーチラスにマップデータを渡すくらいはしたようだが、それ以上は時間の無駄と判断したか。

 遭難者の命は時間との勝負であるし、攻略組はALFが協力するなんて思ってもいないだろうからこれはしょうがない。

 普段であれば断るべき案件だった。情報が足りない。二次遭難になる可能性が高い。救助隊も出ており、救援が済んでいれば無駄足。それどころか遅れてノコノコやってきたと言われ関係が悪化する事態もありえる。そのあたりはユナが間を取り持ってくれるだろうが……。

 

「ユナを、頼むっ……」

 

 ノーチラスはそう呟くとギシリと歯を食いしばった。

 

「……手は尽くすっす。出発!」

 

 メリットは少なくとも、こうして姿を見せた以上私たちに撤退の余地はない。

 断るなら、連絡を受けた段階でやるべきだった。そうしなかったということはつまり、この案件に首を突っ込む前提で動いていたということだ。

 ユナであれば救助に協力しているだろう予想していたのは否めない。今回の行動は()()()()()職権乱用だ。

 先日の一件は、ALFの幹部がPKに襲撃されたため応援を要請した、という意味では極めて妥当な判断だった。その襲われた幹部が偶然にも私だっただけである。

 しかし今回は正真正銘最前線で、2軍落ちとはいえ攻略組の救援。危険地帯につき合わせる彼らの命も保証できない……。

 それでも彼らは粛々と私に続いてくれた。持つべきものは優秀な部下だ。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

「――またっすか!」

 

 蹄が打ち鳴らされ、巨大な突撃槍が迫る。

 十分に加速された馬のスピードと、人間をはるかに超える重量が槍の先端に集約され私に襲い掛かった。

 私は体術系ソードスキル『震脚』を起動。下半身のみをモーションアシストする特殊なソードスキルで瞬時に速度を得る。

 

「このっ」

 

 小盾と突撃槍がぶつかり激しい音とエフェクト光が飛び散った。逸らすのではなく完全な力と力の打ち合い。全体重をかけたというのに私の身体はあっけなく吹き飛んだが、エネミーも今の衝撃で足を止めた。

 その隙に左右に控えていた2人が高威力な単発系ソードスキルを重ねて、エネミーを馬上から引きずり落とした。

 全身鎧を着こんだエネミーは動きが鈍重で、突撃槍も取り回しが悪い。こうなっては頑丈なだけが取柄で追加のエネミーが現れない限り倒すのは簡単だ。

 分離した馬を私が抑えている間に2人で処分し、その後間もなく馬も倒してポリゴンに変える。

 

 フィールドに出て6度も繰り返した戦闘だが余裕はない。

 情報部の資料にも載っていたこのエネミーは全身甲冑を着たエルフの騎士と馬のセット。ありがちなスタイルであれど、こうも開けた空間で相手をするのはとにかく大変だった。

 落馬を防御力で防ぎ、突進を繰り返すこのエネミーは相応の重量武器ですれ違いざまに叩き落とすか、どうにかして足を止めてから引きずり落とさねば倒すのに時間がかかり過ぎる。戦闘を回避するには視界が開けすぎていて、一度発見されれば逃亡は不可能。

 この状況でこんなエネミーが闊歩しているのは非常に厄介だった。

 

 私たちは戦闘を終わらせると再びフィールドを疾走する。

 走りながらポーションを傾け、空き瓶は放り捨てる。地面を転がった瓶はそのうち耐久度を失って消滅するだろう……。

 監獄ダンジョンは平原を抜けて、さらに森の奥まで進んだところにひっそりと建てられていた。

 森の中を進むのは楽だった。出現するエネミーが変わり、馬に追い回されなくなったおかげだ。

 

「トラップチェック」

「チェック。問題ありません」

 

 監獄ダンジョンは山をくり抜いた洞窟が入り口となっていて、黒ずんだ鉄の壁が天然の岩肌から露出している。

 入口には戦闘跡。地面を踏みしめた跡からそう推察できる。おそらく門番エネミーと先行隊が戦ったのだろう。

 部下の1人にスキルでトラップを探知させながら、私たちは錆びついた扉を開けた。

 ダンジョンの中は空気が冷たく埃っぽい。灯りはなし。探索の必須アイテムとも言われる松明に火を灯し、トラップ探知をさせていない部下に持たせた。松明よりも手の塞がらない腰につけられるランタンを好むプレイヤーは多い。だが私はあれが好きじゃなかった。なにせ脆いのだ。頑丈なものだと今度は身体の重心が狂うため邪魔になる。

 その点松明は投げたち火を灯すのにも使えて便利だ。片手が塞がろうとも、緊急時には手放せばいいだけである。

 

「結晶アイテムは――駄目っすね」

 

 確認のため録音クリスタルを使用するが反応はない。ダンジョン全体がクリスタル無効化空間なのだろう。回復結晶での緊急回復すらできないのはかなり痛い。

 

「追跡はできるみたいです」

 

 部下が索敵スキルの派生Modで、プレイヤーの痕跡をたどれることを伝えた。

 これで先行隊に追いつくまでの時間はぐっと縮まるだろう。

 ダンジョンの通路は狭い。階段を上るとそこからは左右に鉄格子の牢屋が続く。牢の中にはやせ細ったエルフの囚人らしきエネミーが閉じ込められていた。彼らは精神を病むような低い声で唸り、自傷ダメージが入らない程度に壁に頭を打ち付けている者もいる。

 ――黒鉄宮の監獄ゾーンに似ている。自嘲気味にそう思った。

 ALFが保有する監獄ゾーンの最下層。極悪なレッドプレイヤーを捕らえておくその階層には、このような精神に異常をきたしたプレイヤーが数多くいる。彼らは元々頭のおかしな連中だったが、決定的に壊れたのは牢に入れられてからだ。誰とも会話をすることがなく、食事も与えられない生活はあっという間に彼らの精神を破壊した。ジョニーが遊ぶまでもなく彼らは廃人になる。むしろジョニーに遊んでもらっている方が長持ちすることもあるらしい。

 

 私たちは道中でこの囚人エネミーや、それを見張る看守エネミーとの戦闘を余儀なくされた。道が狭いため、通り抜けることが困難なのだ。

 囚人は能力こそ低いが数が多い。時には部屋を埋めるような数が現れる。個々に処理できるものの初見ではビビる。さらに囚人には毒武器持ちが稀に紛れ込んでおり、状態異常の回復が結晶でできないため神経を使う。

 看守は刺又でこちらを拘束しながら囚人と連携してくる。どうして彼らが敵対状態でないのかは、囚人の精神状態を鑑みれば納得はできるが趣味が悪い。

 他にも大型のナメクジエネミーも配置されていて、その生々しい形状は生理的嫌悪感を掻き立てる。

 敵の戦闘コンセプトは動きを封じて数で押し潰すといったところか。流石に防具を変えて防御力を上げないと対処が難しかった……。

 じりじりと時間を削られる感覚が焦りを生む。致命的なミスこそまだないものの、ガードに荒が出始めているのは自分でも気がついていた。複数からの攻撃に対して優先順位を度々間違えている。毒武器を見逃し、状態異常に追い込まれることもあった。

 失敗がさらなる焦りを生む悪循環。囚人の呻き声がいい味を出しているなと悪態を吐きたくなる。

 

 3階に着くころにはだいぶ消耗していたが、それでも休息はしていられない。

 気力を奮い立たせ先に進むと、戦闘音が通路の奥より反響してきた。先行隊が近いのだろう。

 

「この先プレイヤーが4人。エネミーが1体です」

 

 ――4人? 5人だったはずじゃないのか。

 激しい金属のぶつかり合う音が何度も鳴り響いている。おそらくネームドモンスターと戦っているのだろう。

 その一団はすぐに見つかった。

 銀鎧に青のペイント、DDAのメンバーが2人。紅い和服の菱紋、風林火山のメンバーが2人。――いないのはユナだけだ。

 

「ALFっす。ユナは!?」

「なんでこんなところに軍の連中がっ!?」

「いいから答えるっす!」

 

 彼らの戦っていたエネミーは『Pactch the Jailer』。

 革鎧ですらない血塗れた布だけを纏った女性型のフォルム。頭は黒い金属のフルフェイスで覆い隠されていて、手には錆びついてこそいるが刃だけは鋭く研がれた両手剣が握られていた。背のあたりからは人間の腕を繋げたような触手が6本生えていて、どれにも手があり剣や斧を握っている。触手の長さは7メートル前後。伸ばせばもっとあるだろう。

 これが通路を塞ぐように立っていて、彼らも先に進めないでいるようだ。

 

「先に行ったんだ。逸れた仲間のHPが危なくなって、それで――」

 

 パーティーリストに残ってる仲間のHPはリアルタイムで確認できる。

 それでユナはこのネームドを単身突破して先に行ったわけか……。

 風林火山の1人が果敢に突進系ソードスキルで触手を潜り抜けた。

 ネームドのHPバーは3本。そのうち1本はすでになくなっている。外見からはそれほど防御力が高いとは思えないが、通路が狭くてほとんど1体1にしかならない。裏を取れればだいぶ変わるのだろうが……。

 突進したプレイヤーをあの両手剣で捕らえるには床や壁が邪魔だ。攻撃は決まったかに思えた。

 ネームドの剣が振るわれる。そして――両手剣が壁ごとプレイヤーを切り裂いた。彼は重装鎧を着ていたのに、触手の間合いの外まで吹き飛ばされる。ネームドに損傷はなし。

 

「追いてえけど。剣のスピードと、壁を物ともせずに斬る性質でちっとも近づけねえんだよ」

 

 さらにこいつの攻撃、HP吸収効果付きではないか!?

 失ったHPバーまでは回復しないようだが、わずかに減っていた2本目のHPは全快になっていた。

 

「ユナが行ってからどれだけ、時間取られてるっすか?」

「ざっと10分ってところだ」

 

 まだ追いつける、か? 問題はこれを挟撃しても短時間で片付けられるかどうかだが……。まだHPバーは2本。最後の1本でどんな隠し玉を使ってくるかわからない。しかも突破は難しい。

 

「2人はここでネームドの処理を。私は先行するっす」

 

 2人は残す。数値上のセオリーなら私が残って戦うべきだ。私には索敵スキルがない。だからといって部下だけを先行させるのは不安が大きすぎる。彼らをここで残してうっかり死なれても本末転倒。

 私ならソロでも――大丈夫だと? いや。それでも彼らよりはまだマシだ。装備を重装と大盾に切り替える。

 

「おいおい。タンク装備だろ? そんなAGIじゃ無理だ」

 

 彼らの静止を聞かず私はネームドの間合いに入った。

 触手の攻撃を大盾で防ぎ、さらに両手剣の間合いまで進む。

 振りぬかれる両手剣の速度は圧巻だ。回避するスペースなどなく、後退するにはあまりにも速い剣速。

 盾で受けても身体が宙に浮く。人型の癖にどれだけのSTR値を持っているというのか。

 私は攻撃を受けた瞬間に突進系ソードスキルを使用。身体にかかっていた運動ベクトルが反転して強烈なGを感じながら前へ跳ぶ。――ソードスキルのアシストモーションはノックバックさえ無視した。

 フォーカスターゲットはネームドの左上。天井との間にあるその隙間を通り抜けるっ!

 

「なんだ、ありゃ……」

 

 私も色々おかしいと思っているがカーディナルが修正しないところを見るに、これは列記とした仕様らしい。

 

「さっさと倒して追いついてくださいっすね」

 

 攻撃を一切当てていないためネームドのヘイトは溜まっていない。

 私はネームドを無視して通路の奥へと進んだ。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 戦闘はやはりパーティーでするべきだ。

 エネミーの群れを捌きながら私は単身で進んだことを速攻で後悔していた。

 加速度的に増える損耗に冷や冷やしながら、また1つグループを潰す。

 そもそもどこまで階層があるのだろうか。外から見ただけでは山肌で隠れていたためさっぱりわからない。

 情報がないのはとにかく大変だ。例えば、そう……。

 

「乗るべきっすか、乗らざるべきっすか」

 

 受け取ったマップデータは少し前で途切れていた。

 目の前には下へ進む昇降機。考えられるのはボーナスエリアか、ボスフロアの2択。確率は半々くらいなのが嫌なところだ。

 

「ええい、ままよっす」

 

 降りよう。こうなったら直感頼りだ。上り階段がまだ見つけられていないのは、存在しないからという可能性だってある。

 昇降機はどうやら1階よりも下まで続いているようで、しばしの浮遊感を受けた。

 仮にここを地下1階としよう。この階層は通路に蝋燭の灯りがともされていて、全体的に整備が行き届いていた。適当な扉を開ければそこは牢獄スペースではなく、資材置き場や拷問部屋があった。中には調度品のある談話室のような場所も。

 馬鹿は高い所が好きと聞くが、悪人は地下が好きなのかもしれない。棺桶だって地面の下に埋めるものだし信憑性はある。

 エネミーとの戦闘を避けつつ探索を進める。戦闘音でもあれば駆け付けられるのだが、いかんせん扉は重厚な作りで部屋の中で戦われては音ではわからない。

 

「…………っ?」

 

 気配を感じる、なんてのはそうそうないのだがこの時ばかりはそれがあった。

 おそらく背後の蝋燭が不自然に揺れたせいだ。乱数ではない。隠密状態で透明化しているなにかが近くを通ろうとしたのではないだろうか?

 振り返り剣をその方向へ構える。

 

「出てきたらどうっすか?」

 

 突進系ソードスキルの発動姿勢を整える。

 透明状態は接触で解除。そうでなくとも急激に動けば足元の砂が舞うなりなにかしらの現象が発生する。

 

「………………」

「待った待った!! 俺だよ俺」

 

 ソードスキルが発動する寸前で前方から人が現れた。

 最悪だった。なんでこいつがいるんだ。このままソードスキルで串刺しにしてやりたかった。カーソルカラーが赤だし、殺さなければ犯罪フラグは発生しないからいいんじゃないだろうか。そんな誘惑に駆られつつも私は剣を下げた。

 

「やっほー。エリにゃん」

 

 ズタ袋の青年。ラフィンコフィン幹部の1人。毒使いのPK。ジョニー・ブラックがそこにいた。

 

「索敵スキルじゃないよね? どうやって気がついたの?」

「なんだっていいじゃないっすか。そっちこそなんでこんなところにいるんすか?」

「あっれー冷たいなぁ……。偶然お友達と会ったんだから、もっと楽しそうにしてよー」

「……はぁ。殺気が駄々漏れなんすよ」

「またまたぁ。俺はエリにゃんを殺る気はないぜぇ」

 

 どの口が言うんだろうか。

 

「それで、ジョニーはここでなにしてるんすか?」

「決まってんじゃん。PKだよPK。丁度1人ヤったところ。――あれ? ひょっとしてマズかった?」

 

 は? 1人、殺した……?

 ジョニーのカーソルはレッド。流石にこの状態でこいつも街を歩くわけにはいかない。当然殺人の後はカラーロンダリングでグリーンカラーに戻している。

 

「ごめぇんね」

 

 持っていた剣で斬りかかることを私はしなかった。

 だってそんなことをしても意味はない。もしジョニーを逃がせば立場が悪くなるのは私の方だ。彼はAGI型だ。逃げられれば追いつけない。それはジョニーだってわかっているはず。だから戦うなんてことは間違っている。間違っている。間違ってはいけない……。

 

「あ、でもでも。まだ1人残ってるんだよね。俺が丹念に仕込んだトラップで捕まえたやつがさ、後から来たやつに救出されちゃったわけ。それで逃げられる前にサクッとやったんだけど。助けに来た方がまだなのよ」

 

 助けに来た方はまだ、無事? ユナはまだ無事?

 

「それで、そのプレイヤーはどこっすか?」

「こっちこっち。ついてきて」

 

 ジョニーの後を追いかける。

 彼が談話室の本棚をいじると隠し扉が現れた。そこを通って先へ行く。すると地下にいるはずなのに広々とした空間に出た。おそらく鍾乳洞かなにか。ここは高台の上で、下から戦闘の音がした。

 私は身を乗り出して音の方角を見る。そこには鉄格子で仕切られた巨大なステージがあった。六角形のそれはまるで闘技場。その中には猛獣の代わりに囚人エネミーたちと巨人エネミー、そしてユナが押し込まれていた。

 天井にも人の通れる隙間がないよう鉄格子が張り巡らされていて、2つある扉はそれぞれ塞がっていて出られる様子はない。巨大な砂時計が闘技場の側にある。砂が落ちる速度は実にゆっくりだった。

 

「どう? 凄いでしょ、ここ。ラフコフの後輩が見つけてくれてさ。使う暇がないからって教えてくれたんだよ」

 

 両手を広げて楽しそうに語るジョニー。

 私はユナに視線を戻す。HPはすでにイエローゾーン。攻撃もそこそこに回避を繰り返す。たぶん、あの砂時計が落ちきれば扉が開いて出られる仕組みなのだ。

 戦闘中のユナが突然エネミーから視線を外して――目が合った。彼女の表情は驚愕に変わる。その隙にエネミーの攻撃が掠りレッドゾーンへ入った。

 

「エリちゃん。助け――」

 

 声を出すのもやっとの激しい戦闘の中、その言葉は紡がれた。

 距離は遠いのによく通る綺麗な声だ。

 

「知り合い?」

 

 見られた。ジョニーは今レッドプレイヤーだ。ユナがここから出れば彼女が救出したのだろうプレイヤーが死んだことはすぐに知られてしまう。それにズタ袋で顔を隠したレッドプレイヤー、ジョニー・ブラックは有名な指名手配犯だ。

 そんな彼と一緒にいる私を見られた。見られてしまった。

 

「…………残念っすね」

 

 なにを、言っているのだろう? アバターが、私の心を無視して、動いているような、違和感が……。

 

「あるよあるよ。いいのあるよぉ。そこのレバー、引くと床が抜ける仕組みなんだ。経験値は入らないけど、犯罪者フラグも立たないからオススメだよ。俺がやろうと思ってたんだけど、知り合いなら仕方ない。ささ、どうぞどうぞ」

 

 鉄製のレバーに手がかかる。

 ユナはまだ諦めず剣を振って攻撃を防いでいた。彼女ならどこかでポーションを使うタイミングさえできれば、あの中で生き残る事も可能かもしれない。

 そう思っていたら、ウォールランで天井の鉄格子の柱を走りつつ上下を逆さにポーションを飲んでいた。だんだんHPが回復してイエローゾーンまで持ち直す。だが着地のタイミングで囚人が足に絡みつき、巨人の一撃で再びレッドゾーンへ。

 

「どうせ死ぬなら、私が終わらせてもいいっすよね?」

 

 ユナの歌が聞こえた気がした。沢山の思いが込められた歌声が頭の中で響く。寂しさには愛情を。不安には勇気をくれたあの歌声……。

 隣に立つジョニーを見る。彼の武器は短剣カテゴリーのナイフ。隙の少なさと高いクリティカル率や状態異常の蓄積値が売りだが、一撃の威力が低くリーチが短いという致命的な弱点のある玄人向けの武器だ。

 状態異常こそ脅威だが、防御力の高い私との相性は最悪のはずだ。

 彼が戦いに応じれば勝てるし、そうでなくともここから退かせることは可能。

 

 

 

 私は…………。

 

 

 

 

 剣を………………。

 

 

 

 

 

 

 いいやレバーを………………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――引いた。

 

「キヒャヒャヒャヒャヒャッ! ごめんねユナァアアハハハハハッ! ユナの歌は大好きだったっす。ユナのことも大好きだったっす。でも知られちゃったら仕方ないっすよね? このままでも死んじゃうかもしれないし、別にいいっすよねぇえええ!? ああっ! ユナ! ユナ! ユナ! ユナ! ユナッ!! ごめんね。バイバイ。ありがとう。ユナァアア!!」

 

 闘技場の床が口のように上向きに開いた。歯の代わりに敷き詰められた剣山が、飲み込まれていくデータを貫いていく。ポリゴンの爆散する音響が重なり、立て続けに鳴った。

 ユナは――跳ね上がった床の勢いを利用して空中へ逃れていた。

 私はレバーを戻してもう一度引く。

 床が咀嚼するように開閉する。

 揺り戻した床に身体を打たれ、剣山に吸い込まれるユナ。あんなに綺麗だったアバターは穴だらけになり、顔も見る影もなく刃が突き出ている。

 私はレバーを戻してもう一度引く。

 HPが0になりポリゴンに変わり出したユナの身体が刃から抜け、再び刺さる。

 私はレバーを戻してもう一度引く。

 どうにか人の形を保っていたアバターは部位欠損でボロボロと四肢が剥がれ落ち、細切れのなにかに変わった。

 私はレバーを戻してもう一度引く。

 ポリゴンが砕ける音がした。剣山の隙間にはユナの使っていた装備と、そしてリュートがその場に落ちていた。

 私はレバーを戻してもう一度引く。

 装備は隙間に挟まって刃に刺さらない。

 私はレバーを戻してもう一度引く。もう一度。もう一度。もう一度。もう一度。もう一度。もう一度。もう一度。もう一度。もう一度…………。

 

「イヒッ……」

「キヒヒ……」

「「クヒャヒャヒャヒャヒャッ!」」

 

 哂う。私たちは哂う。

 

「やっぱりいいねぇ、あんたっ!」

「……帰るっす」

「あれ、もう冷めちゃった? 賢者タイム?」

「他にも人来てるっすから、身を隠した方がいいっすよ」

「ありゃ、そうなの? そいつはイケねえや。俺も退散しとくか」

 

 私はそれからジョニーがPKして得た戦利品の武器と、仕掛けの隙間に落ちたユナの遺品を回収してネームドを倒した彼らと合流した。

 途中で絡んできたエネミーはとても調子が良くて簡単に倒せた。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 主街区に戻ったときにはもう、フロアボスが討伐された後だった。

 観光していたプレイヤーは新しい層へ向かってしまいいなくなっている。取り残されたNPCたちはクエストが終わり平和が戻ったことで、安堵し、歌い、踊り、互いを祝福していた。聞こえてくるシステムBGMもどこか楽し気な曲だった。

 そんな中この世の終わりと言わんばかりに暗い顔をして、主街区の入り口で立ち尽くしていたのはノーチラスだった。

 彼は彫像のように固まっていたが、私たちが近づくと呪いが解けたかのように膝から崩れ落ちて、それから私を見上げた。

 

「ユナは、どこだ?」

 

 彼の視線から逃げるように空を見る。

 雲一つない晴天だ。ちりちりと肌を焼くような太陽の光が痛い。ユナの死なんて世界には関係ないと言わんばかりに清々しい天気を、忌々しく思った。

 私は首を振り、アイテムストレージから空色のリュートと細剣を取り出す。

 

「なんなんだよ、これは……。嘘だろ…………?」

 

 彼は私たちが来る前に、フレンドリストからユナの名前が灰色に変わった事に気がついている様子だった。でもそれを受け入れられるかどうかは別だ。

 

「どうし、て……?」

「ネームドに足止めされた私たちを置いて、先行した結果エネミーにやられたっす」

「そんなはずないだろ?」

 

 血液が凍り付くような感覚がした。

 

「ユナは強いんだ。そんな風にやられるはずがない……。やられるはずがないんだ!」

「すまん」

 

 DDAの1人が頭を下げる。

 風林火山のメンバーはじっと涙を流していた。

 

「お前がいてどうして助けられなかったんだ!」

 

 ノーチラスが立ち上がり、私に掴みかかりながら慟哭を上げた。

 

「皆を守るのが仕事なんだろ!? ユナをなんで助けなかったんだ!」

 

 そんな、信じてもいないことを口に出すなよ。君は知っていただろうに……。

 ALFは正義の味方じゃない。

 もっと利己的で、自己顕示欲に支えられた組織だ。攻略組が最強であることをプライドに戦うように、ALFは弱者の味方を謳って優越感に浸っているだけなのだ。

 初めて会ったときから、それはわかっていただろう?

 

「どうしてお前が無事で、ユナは無事じゃないんだよ!」

 

 ……それはね、ノーチラス。

 私が上手くやれて、ユナはそうじゃなかったからだよ。

 私もジョニーと敵同士だったら隠密からの不意打ちで死んでたかもしれない。でもそうじゃなかったから生きてるんだ。

 彼女は身の振り方を間違えたんだ。

 

「どうしてこんな日に危険なダンジョンに行ったんだよ! お前たちがしっかりしてればユナも危ない場所に行かなくて済んだんだ。お前たちのせいで、ユナは、ユナはっ!」

 

 DDAの2人は言葉を発しなかった。

 彼らだって今日仲間を失っている。自分たちの犯した失態がどれだけのものかなど、身に染みてわかっていただろう。

 他の攻略組を出し抜いてダンジョンに挑む。彼らがしたことは珍しいことじゃない。それで失敗して助けを求めたことも。探せば似た例もあるだろう。ただ今回は助けられず、助けに行ったプレイヤーも死んだ。それだけだ。

 

「……どうして、僕は戦えないんだ。どうして僕は君の隣にいてやるとこすらできないんだ!」

 

 ノーチラスがFNCでなければ、ユナを助けられただろうか?

 彼ならあのネームドを越えてユナと一緒に戦うことはできたかもしれない。そうならば、どうだ? ジョニーは数の不利を悟って退いただろうか? 私があの場でジョニーと会うことはなく、レバーを引くこともなかっただろうか?

 いいや。それは考えても仕方がない。ノーチラスはFNCで、ジョニーはあの場にいた。私はレバーを引いたし、ユナは死んだ。それがすべてだ。

 

 ノーチラスはうわ言のように「どうして、どうして……」と呟いた。

 私は彼にしてやれることなんてない。キリトのように古馴染ではない。私たちの関係は間にユナがいたから成り立っていたものだ。

 彼の背は押しても動けない。FNCが彼を前に進ませないから。

 行き止まりだ。彼はここまで。ただユナの死が圧し掛かって、それで、それだけだ。

 サチよりも多くの人がユナのことを憶えてくれているだろう。でもだからといってユナの死を背負って戦ってくれる人はいない。

 

「……すまねえ」

 

 転移門から走ってきた男がいた。風林火山のギルドマスター、クラインだ。

 彼は耐久度の減少したボロボロの姿のままだった。フロアボス戦で苦戦したみたいだ。フィールドではひと手間加えないとメッセージのやり取りはできない。彼が事のあらましを知ったのはボス攻略後だったのだろう。

 もしそうじゃなくてもボスとの戦闘中に離脱することなんてできない。風林火山はクラインがいなくても徹底したパーティープレイで犠牲者を出さなかった。彼らはギルドメンバーに至るまで優秀だった。

 

「ノーチラス、それにお前らも、すまねえ……」

 

 クラインが謝る事じゃない。すべては、私のせいだ。

 ラフコフの情報を告発していれば正月の惨劇も起こらず、何百人ものプレイヤーの命が助かったはずだった。それをせず、果てはユナまで死なせてしまった。

 私は間違えたのだろうか?

 いいや正しいんだ。私は生き残っている。ALFでも高い地位にいる。レベルや装備やスキルだって、攻略組のクラインに引けを取らないくらい強い。私は間違ってなんかいない……。

 

「後は任せるっす。――帰るっすよ」

 

 私は部下にそう告げてこの場を去ろうとした。

 

「エリ、お前……。死ぬんじゃねえぞっ」

 

 クラインは悲痛な声でそう言った。

 なにを言っているのだろう。まさか自殺しそうに見えたとか? それはお笑い種だ。私は死なない。だって私は正しいから……。

 

「なに言ってるんすか……?」

 

 私は転移門を使って1層へと戻る。

 ああ、間違いといえばそうだ……。救助に失敗してしまい、二次被害も出してしまったことになるのか。ALFから死者こそ出さなかったがやってしまった。

 これ以上悪名がついたら流石に困る。また適当にオレンジプレイヤーでも捕まえてこないと。それよりもまず報告書か。

 嫌になるなあ。

 治安維持部隊の本部に戻ると、すっかりファンになっていた連中がユナの曲を録音クリスタルで垂れ流していた。




ユナが死ぬシーンを書きたくなくて、書き上げるのにかなり苦戦しました……。
死亡するキャラに愛着がないわけじゃないんです。彼らの事も好きなんです。


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25話 棺桶と鎮魂歌(6)

 今日は……いつだ…………。

 

 日付の感覚どころか昼夜の感覚さえあやふやだ。

 瞼が刺繍糸で縫い付けられたかのようにうっすらとしか開かない。眠っているのか、起きているのかわからないような曖昧な状態がここ1カ月くらいずっと続いていた。

 部屋の中は咽かえるように暑いというのに、身体を巡る血液は貧血を起こしたときのように冷たく感じた。錯覚だ。ソードアートオンラインのアバターに血液は巡っていない。あるのは1と0で構成されたポリゴンで、それはHPがなくなれば構成を失い、粉々に砕けて消えるだけの儚い幻想だ。

 ユナの、遺体も残らずに消失した死の間際がフラッシュバックする。

 優しい彼女の表情が、徐々に怯えの色を孕んでいく。

 薄い紅色の唇がゆっくりと動いて言葉を語った。

 

「助けて」

 

 その言葉はとてもハッキリと聞こえた。

 私は助けを求めるユナの身体に何度も何度も剣を突き立てた。目を貫き、喉を裂き、心臓を抉って、四肢を削ぎ落す。それでもまだ人の輪郭は残っている。

 崩れかけた顔がユナからユウタに変わった。剣を突き刺すと今度はサチに……。タマさん。抜刀斎。カフェインさん。ALFの攻略隊にいた25層で散った面々。親交のあった故人の顔が現れては消え、別の顔に変わっていく。私はそれがなにかわからなくなるまで切り刻み続けた。

 刺しても斬ってもなかなか消えない。ついに故人では足りなくなってキリトが現れる。無我夢中で彼に刃を立てると今度はノーチラスに……。

 

「うわぁああああああああ!!」

 

 最後にリズベットの形に変わったそれはついに砕けた。

 何度も見慣れたアバターの崩壊。エネミーであっても、プレイヤーであっても、同様である現象だが、そのどちらもが私にとっては馴染み深いものだった。

 人を殺したのはこれが初めてじゃない。むしろ沢山殺してきたといえる。

 見殺しにした者。命じて殺した者。直接殺した者。そう、沢山だ……。

 でも、友達を殺すのは、初めてだったかな……。

 

 ドスンと、身体が床に転がる。

 粉雪のように舞うポリゴンの破片。ベッドから転がり落ちたのではなく、ベッドの耐久値がなくなったのだろう。

 手には逆手持ちした片手直剣が握られていた。

 

 なにやってるんだ、私は……。

 

 落下の衝撃でビクともしなかった瞼が開かれた。剥き出しになった眼球が現在時刻を映し出す。日も登っていない深夜だ。それはベッドに入ってからまだ10分しか経っていないことを表していた。

 ベッドとは分割されたアイテムであるため毛布は無事だった。それを手で手繰り寄せようとするが、関節が軋んで身体が重い。ああ、違うか。上手く力が入らないだけだ。ステータスアイコンには食事不足によるSTR低下バフがこれでもかというくらいスタックしている。死ぬことがないからと食事を摂らなさ過ぎたか……。

 黒いフローリングの床を這って、食料品保存チェストへ近づく。

 部屋の暗闇に溶け出すような床色は、まるで泥の中を泳いでいるかのような錯覚をもたらす。もちろんそんな経験はしたことがないのだが。

 白いシックなチェストの縁に手をかけ、私はふらつきながらも身体を起こした。

 システムウィンドウから中身を確認。なるべく味のしない物が欲しくて、いつ買ったのかわからない黒パンと飲料水をオブジェクト化。硬い生地を手で千切って口に放り込み、水で無理やり流し込んだ。

 

「こふっ、けふっ……」

 

 吐き出しそうになる内容物をどうにか喉の奥へと追いやった。ボタボタと口から溢れた液体はショーツに染みを作り、太股を伝って床に滴る。

 汚してしまったがどうせ時間経過で乾くのだから拭く必要もない。むしろ私自身が穢らわしい汚物に思えてならなかった。

 食事アイテムは1品を完食しないと効果が発揮されない。黒パンの大きさはこぶし程だが、それでも食べきるのには苦戦した。

 STRの低下が緩和されて身体に力が戻るが、気分は最悪だ。

 それに食事不足バフはまだ解除されていなかった。どうやら一度の食事で解除される量ではなかったようだ。減少量から考えて……………………あと2個くらいか。

 思考が働かない。単純な計算にさえ時間をかける体たらく。これでは書類仕事もままならない。どうしようか。休んでもいいだろうか? でもそうすれば捨てられてしまう。ゴミはゴミ箱へ、だ。

 とにかくまずはバフの解除をしないと。2個目の黒パンを壁にもたれかかりながら咀嚼する。ゴムのような歯触りがした。

 噛んでいるとだんだん頭の底から音が聞こえてくる。

 心を揺さぶるメロディー。何度も何度も聞いたユナの曲が、無意識にリフレインして離れない。耳を塞いでも、頭を振っても、壁に打ち付けても、ずっと聞こえてくる……。

 

「ああアぁぁあァあアアァぁぁあぁぁあアあァぁ……」

 

 壁と頭の間に現れる『Immotral Object』のシステムメッセージによって凶行は阻まれる。私も壁もどちらにも傷一つつかない。

 そうやっていると耐久値が時間によって自然減少した黒パンが消滅して、最初から食べ直しとなった。幸いにして口からこぼしたパン屑もポリゴンになり消え去る。

 頭から離れない音楽に髪を掻き毟り、家具を破壊して回っていると、だんだん落ち着きを取り戻してくる。いつの間にか歌声は消えていた……。

 それから私は黒パンを食べることに失敗し続けた。何度か試みるもその度に頭に焼かれるような痛みが走り、冷汗が流れ、結局断念する。

 風邪を引いても独りきりで倒れていた、現実の部屋を思い出した。薬はなく、食事もなく、ただ水だけを飲んでその場を凌いだ記憶だ。あの時のこのまま死んでしまいたいと繰り返し願った感情は、より強くなって今の私を苛んでいる。

 脳髄が熱を帯びたように朦朧とする。ナーブギアのバッテリーが残りわずかとなって、マイクロウェーブを放出し始めたかのように思えた。そうであればと、期待してしまう自分がいる。

 

 痛みから逃れるように水を被った。ずぶ濡れになった身体は急速に熱を失い震え出す。蒸し暑い空気の中で感じる暑さと寒さに目が回る。

 そんなことを繰り返して随分時間が経ったはずだと時計を見る。ベッドを破壊してから、えっと…………駄目だ。いつだったか思い出せない。

 ともかく朝日が昇るまでまだまだ時間があった。早く朝になってほしいが、新しい一日を迎えるのが怖くてたまらない。このまま夜が続いてくれてもよかった。

 朝と夜を繰り返すうちに私の心はどんどんバラバラになっていた。

 

 こんな状態でも隊長としての管理職を表向きには続けられているのだから、我ながらタフなものだ。それにどうせいつものように、そのうち平気になる。今回はちょっと長引いた風邪みたいなものだ。誰かに甘えればまた元通りに――誰に甘えればいいんだろう?

 キリトに? それとも今度はノーチラス? あるいはリズベットに久々に会いに行けば……。そうすれば今度はその人を殺すんじゃないだろうか?

 それが妄想染みた考えであるのは理解できた。でもそれが妄想で済むとは思えない。私は同じことがまたあれば、同じように殺してしまうだろう。だから頼っていいのは殺していい相手だけだ。そんな人には頼れるわけがない。

 私は誰に助けてもらえばいいんだろう。まだ私は必要とされているけれど、それはいつまでなんだろう。

 ああ、でも……。誰かに頼らなくたって案外平気だったじゃないか。誰かに必要とされなくても死にはしなかったじゃないか。現実の私が、ついにポリゴンの私に追いついただけだ。だから平気……。

 

「イヒッ。ウへッ……アギャギャギャギャギャギャ!?」

 

 感情のままに叫んだ。この声は誰にも届かない。自室の防音性は極めて高く、幹部クラスの部屋ともなれば最高熟練度の聞き耳スキルでも聞こえないことが実証済みだ。

 それから朝になるまで私は自虐と自傷を繰り返した……。

 

 目覚ましのアラームが聞こえると意識がスイッチを押したかのように入れ替わる。

 友人を亡くして失意に狂った私が沈み、ALFの治安維持部隊としての私が浮上するのだ。

 機械的なルーチンワークで支給された黒と赤の制服に袖を通し、取り替えた鏡で顔を覗くと、可愛くはないがいつも通りの私がそこに映る。笑ってみるが相変わらずふてぶてしさしか伝わらないな、これでは。

 茶色に染めた髪を櫛で梳かして、腰のあたりでゆったりと纏める。化粧品アイテムも随分豊富になったため、選ぶのも使うのも大変だ。

 

「さてと。今日もお仕事、頑張るっすよー」

 

 身支度を整え終えると私は扉を開けて、廊下で鉢合わせた部下に挨拶を返しながら、軽快な足取りで私は本部のデスクへと向かった。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 治安維持部隊の本部では紙のオブジェクトが擦れる音だけがしていた。

 ユナが死んでからもうBGMをかけることはなくなった。私も話しかけられれば会話に応じるが、自分から話題を作ってにこやかに会話を楽しむ気持ちは湧かない。そもそも、そういったことは得意じゃない。

 お茶汲み係の下っ端が淹れたコーヒーはいつも冷めるまで放置してしまっている。そしてさらに放置していると、私が帰る頃には耐久値を失い、自然消滅するわけだ。

 アイテムの無駄遣いであるが、断るのも忍びなくそのままにさせている。

 

「隊長。34層のPK事件、どうしますか?」

「あー……。任せてたパーティーがあったじゃないっすか。そのままで問題あるっすか?」

「いえ……直接指揮はお執りにならないので?」

「……必要ないと思うっすよ」

「そうですか……。失礼しました」

 

 部下に現場は任せきりになっているが、まあ大丈夫だろう。

 聞いた話では襲われたプレイヤーは低レベルで、それでも数人逃亡を許しているのだから相手はそれほど腕の立つ連中じゃない。PoHからの連絡もないから成り行きに任せておいて問題ないはずだ。

 いや。以前ならどうしてただろうか?

 私は積極的に前線に出るタイプだったと思う。その方が効率的だったからだ。多少の危険はあれど点数稼ぎには丁度いい獲物を、優秀な部下と連携して確実に処理していた。

 最近は……、まるで出ていない。レベル上げもサボりがちで、停滞している。元々積み重ねていた経験値が多いおかげでまだまだ平気だが、それだってこのままというわけにはいかない。

 流石に現場へ行った方がいいか? いいや今夜はレベル上げに出かけよう……。そう考えて実行しないことを繰り返してばかり。駄目だ。どう頑張っていたか思い出せない。かろうじて保っている体裁が今にも剥がれ落ちそうだった。

 私は深呼吸をして久々にコーヒーを流し込んだ。不味い。ザラザラとした不快感が舌に伝わる。香りもよくわからない。

 

「――っ」

 

 声を出そうとして、メッセージの着信に驚き慌てて口を閉じる。

 なんだ、人が精一杯頑張ろうとしているときに……。

 送り主は情報やのアルゴからだった。

 

『いいネタがある。10000コル。買うなら早くしろ』

 

 彼女の情報はかなり以前から使っているため信頼しているが、口の堅さまでは払った金額以上には信頼できない食えないやつだ。

 送られたメッセージから考えるに、なんの情報か教えるだけで答えに繋がるタイプの情報なのだろう。10000コルは彼女の売る情報でもかなりの大金。ポケットマネーから払えないほどのものではないが、未知の情報ともなれば出し渋りたくなる金額だ。

 

『直接会って価格交渉をしたい。場所はALFレストランの2階でどう?』

『わかった。ただし場所はこっちで指定する』

 

 指定されたのは50層のNPCレストラン。かなり入り組んだ街並みが特徴の階層で、正直不安がある。NPCレストランとはいえプレイヤーも多く立ち寄るような場所じゃない。

 

『護衛を連れて行ってもいい?』

『駄目だ。それならこの話はなかったことにする。早く決めろ』

 

 焦ってる? 火急の話なのか? これ以上話していれば本当に打ち切られるだろう。かといって単身で乗り込むには心許ない。だがアルゴの索敵スキルを突破できる隠密スキル持ちがいるかというと、難しい。

 

『買う。メッセージで送って、コルは後払いでいい?』

『直接でなければ話せない』

 

 行先を告げていく? 駄目だ。痕跡を残したら不味い情報なら自分の首が閉まる。なら時限式で手を打つか……。

 

『わかった。少し待ってて』

 

 私は一度席を立ち、誰もいない個室で録音クリスタルを使用。行先やアルゴの名前、それから戻らなかった時の対応を録音する。これを夕方に起動するように設定。席に戻り自分のデスクの上に置いておく。高い熟練度の鍵開けスキルで実は時間設定を無視して起動できるのだが、流石に無断でそんなことをする部下がいるとは思えない。

 

「少しフィールドをパトロールしてくるっす」

「そうですか。……お気をつけて」

 

 副隊長は私を少し見るだけで自分の仕事に戻った。

 これで大丈夫のはずだ。気乗りしないが、私は手持ちのコルを確認してから転移門で指定の階層へ向かった。

 

 50層主街区『アルゲード』。

 現在確認されている中で2番目に巨大な面積を誇る都市であり、建造物が重層的に張り巡らされているせいで面積以上の大きさを誇る。だからといってこの都市がALFの拠点となったはじまりの街のようにプレイヤーに親しまれることはなかった。

 無秩序なのだ。通路も店も民家も。全員が好き勝手に増築したような、あるいは迷路のように人を迷わせるための作りをしている。いや、そもそもここは迷路だ。

 似た形の建物が多く目印になるものがないため方向感覚が狂いやすい。その癖多層構造を平面マップで表示されるためマッピングデータだけを見ているとすぐに混乱する。あるときALFに街中で遭難したプレイヤーの捜索願が出たことさえあった。

 今でも未知のレアクエストがあるはずだと探索に乗り出すプレイヤーがいたり、プレイヤーが作成したマップデータがコルで取引されていたりと謎に包まれた街とされている。

 だからここにいるプレイヤーはよほどの変わり者か、それともトレジャーハンターか、……あるいは身を隠す必要のある人物である。

 

「ここっすね……」

 

 指定されたレストランは外から見れば民家と同じように見える。どうやって見つけたのだろうか……。中に入れば喫茶店の雰囲気があり、はじまりの街にあるアルゴに教えてもらった店によく似ていた。

 店内には茶色いフード付きコートを羽織ったプレイヤーが1人と、店主らしきNPCがいるだけ。

 

「来たっすよ」

「そうカ……」

 

 アルゴはまるで来てほしくなかったかのようだった。

 彼女はフードを取って顔を見せる。髪が小さく舞って、黄金色の瞳が私を見つめる。

 

「10000コルは流石に高すぎっすよ」

「……なら5000コルでイイ」

「気前がいいっすね」

「ただし10000コルに相応しい情報だと思ったラ、後払いで5000コル払エ」

 

 口ではなんとでも言えるが、その場合支払うことになるのは私の信用だ。

 情報屋として信用。顧客としての信用。これがなければ取引は成り立たない。アルゴは金さえ積めばどんな情報でも売るが、逆に言えばそのルール以外は侵さないという不文律がある。その点では私は彼女を信用していた。

 彼女の私に対する信用は、情報に見合うだけのコルを払うということ。値切る事はあれど適正な価格を払い、未払いをしないという点で私は信用されているはずだ。

 

「わかったっす」

「交渉成立だナ……」

 

 アルゴからトレードが申し込まれる。

 私は5000コルを入力。それからトレードの決定を選択した。

 

「耳を貸セ……」

 

 そこまでするべき情報なのか。これだけ厳重に警戒しているとかなり不安を感じるが、私は言われた通り彼女の口元に顔を寄せた。

 

「――リズベットがラフコフに狙われてル。決行は今日ダ」

 

 私はガバリと身体を離すとメニューウィンドを開き転移結晶を取り出そうとした。しかしボタンを押し間違えてわずかなロスが起こる。ここ半年で初めてのミスタッチだった。

 オブジェクト化した転移結晶はリズベット武具店の前を転移先に指定しているもので、どうしてかずっと持ち歩いたままだった。

 

「あっ! 後で――」

「早く行ってやんナ。後払いでいいサ」

「転移っ!」

 

 頷き、私は即座に転移結晶を起動した。

 青白いエフェクトに包まれ、視界が白く変わっていく。なかなか終わらない転送に苛立ちが募る。早くしろ早くしろ早くしろ……。

 急かせど普段通りにしか動かない転移結晶は、しかし普段通りの効果で私をリズベット武具店の前へ送り届けた。

 見慣れたとはもう言えない、1年ぶりくらいにやってきた彼女の店は、少し改装して大きくなっていたが、可愛らしい文字で『リズベット武具店』と書かれた看板が表に出されているから間違いない。

 扉には『OPEN』のドアプレート。考えるよりも先に身体が動き、伸ばした手が勝手に入口の扉を開けていた。

 

 耳鳴りのように、ユナの歌が聞こえた気がした。



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26話 棺桶と鎮魂歌(7)

 目に飛び込んできた内装は、当時のものからかなり変わっていた。

 ショーケースは豪華な銀縁に赤い布を敷いた物になっているし、奥に見える炉や金床は意匠の凝らされた高ランク品になっている。床は檜板のままだが、隅々まで掃除化行き届いていて、ワックスによる光沢のある艶が照明を反射して輝いていた。飾られた武具も一級品の美しくも実用的なものばかり。この店が一流の鍛冶師の店だということは誰の目から見ても明らか。

 最初に借りたときの安物件だった空き家の面影はどこにもなかった。

 

「いらっしゃいませ、リズベット武具店へようこそ」

 

 可愛らしい声で出迎えたのは、懐かしいリズベットの姿だった。

 髪をピンクに染めて、白いフリル付きのエプロンドレスを着ているが、見間違えるはずがない。

 記憶と同じ快活な笑み。それがだんだんと驚愕に変わっていく。

 

「あ、あんたっ! 今までどうしてたのよ!? 連絡も返さないで。私がどれだけ心配したと思ってんの!」

「話は後っす! とにかく今は――」

 

 今は――なんて伝えるべきだ?

 ラフコフに狙われてるからここから逃げろと? 何処へ逃げろというんだ。ALFでないのは確か。キリトに助けを求める? 攻略組がこんな時間に圏内にいるわけがない。風林火山もキリトと同じ理由で不可能だろう。

 実力者の手を借りたいのに、その実力者は大抵圏外にいる。フレンドメッセージは届かない。大規模ギルドであれば裏技を使ってメッセージをやり取りする方法があるのだが……。ALFは論外。DDAにもKoBにも親しい知人はいない。クソッ。交友関係を広げずに内政にかまけ過ぎたツケがこんな時にっ!

 

「Hello……」

 

 背後の扉がゆっくりと開き来店を知らせるSEが鳴る。

 獲物を前に舌なめずりをするような、ゆったりとしたイントネーションの発音。舞台役者のように足音をカツカツと響かせ、フードを被った男は大業に腕を広げて見せる。

 その片腕には私が知る限り最強の武器、『友切包丁(メイト・チョッパー)』が軽々しい手つきで、ぶら下げるように握られている。

 

「――PoH!」

 

 よりにもよってどうしてこの男がっ!?

 ラフコフの下っ端であれば、私のどちらの立場を使ってもこの場を収めることができると踏んでいた。だが幹部連中であれば話は別。つまりは不可能だ……。

 HPがコードによって絶対に減らないはずの圏内であろうと、彼の発する圧は私やリズベットをこの場で殺せると言わんばかりだった。

 いいや、それは事実なのだろう。

 彼ほどソードアートオンラインの裏をかいて人を殺す達人はいない。彼なら圏内で人を殺す手段などダース単位で用意してみせるはずだ。

 

「PoHって、あのラフコフのっ!?」

「俺も有名になったもんだ……。それともそこにいるALFの隊長様が懇切丁寧にレクチャーしてくれたのか?」

 

 彼の口元がにやりと、三日月のように歪む。

 どうすればいい? どこで間違えた? どうしたらこの場をやり過ごせる? 私の後ろで小さく震えるリズベットを差し出せば助かるのか? いいや、私が助かる保証なんて何処にもない。それでも一抹の望みに縋ってやるべきじゃないのか? ユナだってそうやって殺したんだ。今回も同じこと。1人も2人も変わらない。

 ――さあ、やれっ!

 

「……どうした。構えなくていいのか?」

 

 反射的に鞘から抜いた剣を、促されるままPoHへと構えた。

 戦闘のスイッチが入って冷静な思考が血液のように全身を巡る。

 PoHを説得する手段はなく、こうなってしまってはどうにもならない。

 私はまず空いている腕でリズベットを店の奥へ押して距離を取ろうとした。

 傍から見ればなにを圏内でと笑われる光景だが、演じている役者があの悪名高いラフィンコフィンのギルドマスターPoHと、一応治安維持部隊の隊長なんてやっている私であると知れば全員口を紡ぐだろう。

 

「HAHAHAHAHA!」

 

 片手で頭を抱えて笑い出すPoH。そうしている間も彼の武器を握った腕は空中からまったくぶれない。見事な体幹だと忌々しく睨み付けるも彼はまるで意に返さない。

 隙などまるで感じられず、そもそもにおいて私から手は出せない。それは護衛対象がいるからという理由だけではなく、私から仕掛けてPoHへ手傷を負わせる手段が見当たらないからだ。圏内の安全コードは今、PoHの味方だった。

 

「おっとすまん。あんまり素直なんでついな」

「リズ、大ギルドに信頼できる人はいるっすか?」

「え、あ、えっと――」

 

 誰かしらいるだろうが、突然の事態で彼女の頭は働いていないようだった。

 PoHは虚空で指を動かしメニューウィンドを操作している。

 妨害するべきか? ソードスキルは圏内であろうとノックバックを発生させる。手元を狂わせるくらいならできるが狙いが分からずどうすればいいかわからない……。

 今のPoHは隙だらけに見えるが、それはあえてこちらを誘っているようにも映った。泥沼だ。思考の土壺にはまったときは力技で解決するのが一番だが、力を向けるべき方向すらわからないのではどうしようもなかった。

 

『PoH から1vs1デュエルを申し込まれました。受諾しますか?』

 

 PoHからデュエルの申請が送られてくる。

 誰にでも思いつくようなあまりにも普通の方法。しかしこの場合極めて有効だ。背後にいるリズベットを人質にされ、私は受けざるを得ない。むしろ受ければPoHにもダメージが入る分良心的だ。

 

「リズ、グランザムに転移してKoBに助けを求めるっす。アスナさんに私の名前を出して、ギルドのフロントで彼女が来るまで粘ってくださいっす。いいっすか、直接彼女が来るまで誰にも着いていっちゃ駄目っすよ。誰がラフコフのメンバーかわからないっすからね」

 

 私はそう言って、彼女にオブジェクト化して常備している転移結晶を押し付けた。

 業腹だが、結城さんだけは絶対にラフコフの――こちら側の人間でないと信頼していた。いいや、裏付けなどなにもない。だからこれはそう信じたいという私の願いだ。彼女がもしもそうだったならすべてを諦めるしかない。これは私のすべてを、それどころかリズベットの命すら賭けられるほどの強い願いだ。

 

「おいおい。敵を前に相談とは、随分余裕があるじゃねえか」

「リズだけは見逃してくれるってことだと思ったんすけどね……」

「はっ! そんなわけないだろ」

 

 背後と武具の展示されている空間にエフェクトが発生する。

 これは回廊結晶による門のエフェクト!? なるほど、そういうことかっ!

 PoHのデュエル申請はダミー。本命はこっちで、あれはメッセージを送信してタイミングを知らせていたのだ。

 

「リズ、早くっ!」

「て、転移。グランザム!」

 

 リズベットが転移結晶の起動に入ると同時に、回廊門を通ってやってきた侵入者が状況を見るなりソードスキルで襲い掛かる。

 細剣による高速の一撃を盾で防ぎ背後からの攻撃は剣で受け止める。

 

「大盤振る舞いじゃないっすか」

「ALFの隊長様が相手だ。こっちも、加減はなしだぜぇ」

 

 閉所空間では少数精鋭でなければ満足には動けない。その点彼らは完璧だった。

 ラフコフ最強の男PoH。そして彼の右腕と左腕、ザザとジョニー・ブラック。これ以上ないくらいの布陣である。

 

 PoHは開いてる手で素早く投げナイフを投擲。狙いは当然転移中のリズベット。3本のナイフが手首のスナップで立て続けに飛んでくる。ザザに向けて牽制していた中盾でそれを防ぐが、今度はフリーになったザザがソードスキルでリズベットを狙う。身体を反転、振り向きざまに剣を振りソードスキルの軌道を逸らす。だがそうすれば当然次はジョニーの番だ。私は盾を手放し素手で彼の短剣を受け止める。状態異常もダメージも発生しない短剣の攻撃など素手と変わらない。その甘い認識を見事に打ち砕かれた。

 

 スキルには複合系――他のスキルと組み合わせが可能なものが一部ある。片手直剣と体術スキルの両方を必要とするソードスキル『メテオブレイク』などだ。

 ジョニーの毒ナイフは武器こそ短剣カテゴリーだが、同時に投擲可能アイテムである。彼は受け止められたと知るや否や投剣スキルによってそのリーチを途方もなく伸ばして追撃した。

 

 肩でかろうじて投擲された武器を防ぐが、その間に盾は自由落下してPoHのナイフも殺到する。ジョニーも接近戦では無駄と悟り距離を取って援護に徹し出した。

 手数が違い過ぎる。ナイフを防ぐにも囲まれた状態では手が回らず、しかもザザのソードスキルが私に接近戦を強要してくる。盾を早々に投棄したのが失敗だったが、だからと言って盾があれば打開できるわけでもない。

 転移終了までの時間が途方もなく長く感じた。

 今必要なのはナイフをすべて撃ち落し、ザザのソードスキルすら防げる圧倒的攻撃数。

 

「舐めるなぁあああああああ!」

 

 私はカウンターの裏に飾られていた安物の剣を掴んだ。

 この剣の事は……。

 手取足取り教えたせいで、重さも長さもよく覚えている。

 ちゃんと飾ってくれてたのか。

 そういえば一度も手を合わせていなかったっけ。

 遅くなってごめんね。

 

 ――サチ。

 

 盾を落としたことで空欄となっていた装備セルに、サチの剣が一時的に装備される。

 これによりスキルの発動条件が整った。

 ()()の剣がソードスキルの前兆を示すエフェクト光を放ち出す。貯めに使った時間は刹那。構えによって選択されたソードスキルが牙を見せた。

 飛翔していたナイフをエフェクトの奔流でまとめて吹き飛ばすと、ターゲットを変えてザザの放った突撃系ソードスキルにフォーカス。突き出された剣を薙ぎ払い、続く爆発のような連撃の刺突でザザの身体を弾き飛ばす。ジョニーが続けて投げたナイフにフォーカスを戻し攻撃。未知のソードスキルに対し、リズの転移まで時間が幾ばくも無いと悟ったPoHはソードスキルで切りかかる選択をした。

 PoHの持つ片手直剣にも迫る巨大な短剣から、そのカテゴリーに相応しい速度のソードスキルが繰り出される。

 

 ――短剣連続攻撃『アクセルレイド』。

 9連続に及ぶ高速の斬撃が閃く。

 

 ――二刀流連続攻撃『スターバースト・ストリーム』。

 すでに半ばまで終えたとはいえ、未だ止まらぬこのソードスキルの連撃回数は16回。

 

 片手では到底間に合わない短剣の速度に、二本の剣によってどうにか追随する。

 私はPoHをこれ以上先に進めまいと、繰り出される一撃一撃にターゲットを設定して剣を斬り合った。

 衝突する剣が火花に似たエフェクトを巻き起こし、その威力に身体が押し込まれそうだ。それでも私は足を踏ん張り、歯を食いしばって次の一撃を防ぐ。

 初撃こそ圧倒的な速度を見せたPoHであるが、打ち合いの衝撃があるのは彼も同じで、続く連撃が勢いを殺され明らかに遅くなっている。

 私たちは2回、3回、4回とソードスキルは攻撃階数を消費していき、瞬く間にスターバースト・ストリームは最後の攻撃に至った。

 私の右腕から放つ中段突きが、PoHの放った中段突きと同じ軌道でぶつかり合う。

 一瞬の拮抗。実時間にして60分の1秒に満たない世界を私は見た気がした。

 サチの剣の切先がメイト・チョッパーの四角い先端を芯で捉え、わずかだが先にメイト・チョッパーが押し返された。

 

 だがそれだけだ。

 私は衝撃に耐えられず、手からサチの剣が弾き跳ぶ。

 エフェクトが遅れて輝き私はソードスキル後の硬直が始まった。

 PoHの放ったアクセルレイドはまだ1回の攻撃を残している。

 メイト・チョッパーによる突きが繰り返され、私の身体を打ち付けた。

 アバターがノックバックする感覚。

 私の背後には――すでにリズベットの姿はなかった。

 

「私の勝ちっす……」

 

 地面を転がりながら、ずっと言いたかった精一杯の強がりを、私は言えた。




ヒースクリフ「その反応速度は驚異的だ」(13話より抜粋)

『二刀流』は全プレイヤー中最大の反応速度を持つ者に与えられるユニークスキル。
原作でもユウキがSAOにいれば、彼女に二刀流は与えられていただろうとさえ言われていますし、キリトにだけ与えられる特権ではないと思いこうなりました。


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27話 棺桶と鎮魂歌(8)

 回廊結晶は転移結晶と違い集団転移が可能だ。それは空間を繋げる門を生成するという性質から集団での移動に留まらず、戦場に増援を呼び出すといった手段にもなり得る。ALFの治安維持部隊で使われている強襲はこれを利用したものだ。

 だが今回私がされたのはその逆。圏内から圏外へ強制的に引きずり出すというものだった。

 私がデュエルに応じるかどうかは関係なく、この方法でリズベットを殺そうとしているのは通常の転移結晶ではなく回廊結晶という極めて高価なアイテムで襲撃してきたことからすぐに気がついていた。

 

 私はPoHの最後の一撃で回廊結晶の門を潜らされてしまった。

 ここは……。どこだろうか? 来たことのない場所だ。

 青白い円柱が支える広大な空間。通路の代わりに宙を漂い移動する足場。私たちのいるフロアは虚空に浮かぶ長方形の浮島のひとつだ。天井は蓋がされていて、地下か、建築物の中だということが推察でき、ぼんやりと円柱が光を放っているおかげで光源には困らない。

 エネミーの影は見当たらない。明らかにダンジョンの中であるが、セーフゾーンが大きいのか、あるいはなにかしらのクエストを完了させたおかげでエネミーが再出現しなくなったのか……。

 ともかく隠れ潜むにはうってつけの場所というわけだ。ここが私にも知らせていないラフコフの拠点なのだろう。

 

「Congratulation.流石はエリだ」

 

 拍手をしながら、PoHが門を潜って現れる。その背後からザザとジョニーが続いた。彼らが通過すると時間切れのようで、門は閉じられる。

 私は臨戦態勢を保ったままクイックチェンジで武装を呼び出す。

 対人用に鍛えたリーチ重視の長剣と、重量級の直剣を装備。防具は軽量級のHP増加率と毒耐性が高いものでまとめた。これがどれだけ役に立つかはわからないがないよりはマシくらいに考えておこう。

 

「だからこそ、俺は余計に残念に思ってる。お前は俺たちの同類。仲間だと信じてたんだぜ?」

「信じてるだなんて、心にもないことよく言えるっすね」

「………………」

 

 口だけならなんとでも言える。私だって嘘を吐きながら、それでも信じてくれと言うくらい造作もないことだ。そういう意味では同類というのもあながち間違いではないか。

 

「なんでリズを狙ったんすか?」

「別に。あの女のことはどうでもいい」

「……そういうことっすか」

 

 私はどうやら嵌められたらしい。

 PoHがやってきたタイミングが良すぎたことで気がつくべきだった……。いやもっと前、アルゴが妙に焦っていることを不審に思うべきだったのだ。

 信用は買うことができずとも売ることはできる。私はアルゴによって売られたわけだ。

 彼女がそれを対価になにを得たかはわからない。あるいは脅されてやってだけなのかもしれないが、積み上げてきた信用を使ったいい手だった、本当にねっ!

 

「私よりアルゴを信用するんすか?」

「……お前の口車に乗せられる男に見えるか?」

「見えないっすね。命乞いするんで見逃してくれないっすか」

「ここまで来て、それはなしだぜ」

 

 まあそうだろう。積極的に活動してなかったのが駄目だったのだろうか? ユナの死からしばらく、テキトウにやり過ぎていた。意外とダメージ大きかったんだなと改めて気がつかされる。

 だが根本的な問題は別だ。どう転ぼうといずれはこうなっていた。そんな予感があった。そもそもの原因は以前からハッキリしていたのだ。

 

 ――つまり、私はPoHという男を理解できなかった。

 

 彼がどうして殺人を行うのか。なにに快楽を感じて、なにを嫌っているのか。掴めそうで掴めず、近いようで遠い。意図的に隠しているようでいて、気がつかないだけで大っぴらにしているような感じもした。私も下手に探って墓穴を掘らないようにしていたのもあったが、それでも他の人物であればもう少し理解できただろう。

 これがジョニーであれば解決できた。彼の趣向に関しては理解できなくもない。それがユナの顛末だったわけだが、私はどうにかできた。

 ザザだったら無駄だ。それは彼が私と戦うことが我慢できなくなっただけで、いつでもありえた結末だから。ただ、間に緩衝材となる人間がいればいくらかやり過ごせただろう。それはジョニーでもいいし、PoHでもよかった。

 そしてPoH。彼の事だけはどうしてもわからない。どうして私を殺そうと思ったのか。どうしてアルゴの話に乗ったのか。前提すら見えてこない。ここまでくれば完敗だ。私は彼の手の平で踊り続けることしかできなかった。

 

「エリ、俺と、デュエルしろ」

 

『Zaza から1vs1デュエルを申し込まれました。受諾しますか?』

 

 ザザが、エストックを構えて一歩前に出る。

 すでにPoHが挑んだデュエルの申請はタイムアウトしていた。当然ながらザザが送ってきたデュエルの設定は『完全決着モード』。HPが0になるか降参を宣言するまで続く、通常使われることのないルールだ。

 当然これを受けずともザザは私のHPを減らすことができる。ザザのカーソルカラーはレッド。私から攻撃して犯罪フラグが立つ心配もない。

 だからこれは雰囲気の問題でしかないわけだ。

 

「ザザ、てめぇっ!」

 

 PoHが怒号をあげる。

 

「なあボス。俺からも頼むよ」

「……クソッ。最後まで見てるだけかは保証しねえぞ」

「ありがとよ、ボス」

 

 そんなに自分の手で私を殺したかったのか?

 ザザもジョニーもそういうところがあるし、PoHがそうだったとしても驚くほどの事ではないか。ただ彼と会った当初は、どちらかといえば自分で殺すよりも人に殺させる方が好きだと思っていたのだが、それすら外れていたわけか。

 私の人を見る目も大したことがなかったわけだ。自信がますます無くなった……。

 

 デュエルの申請へYESを返すと、60秒の長いカウントが始まる。

 ザザの武装はエストック。細剣カテゴリーに属する片手武器で、高い装甲貫通力を持ちスピードに優れるものの、基礎攻撃力は低く軽いため防がれれば体勢を崩しやすい。

 空いている左腕は投擲武器と体術スキルを当然使ってくるだろう。

 普通に考えれば二刀流ではなく剣と盾の組み合わせの方が有利だ。だが二刀流は未知のスキルであるため情報や経験で勝る。

 残りカウントは20秒。

 ザザはエストックを後ろ手に隠した。クイックチェンジだ。

 彼の普段使っているエストックは麻痺効果付きのPK用。状態異常こそ強力だが他の性能は低いため純粋な斬り合いには向かない。盾でガードした場合ダメージがわずかに貫通するが、剣で切り払われた場合威力の低い方は無効化されてしまう。二刀流対策としては正解だ。

 

「エリにゃん。あんたは俺らのこと嫌いだったかもしんないけどさ。俺は……、楽しかったぜ。だからさ。あー、えっと……。ばいばい……」

 

 ジョニーの言葉を聞き流して私は集中力を高めた。

 残りカウントは10秒。

 デュエルではカウントが0になってから動くのではなく、0になると同時に攻撃を当てるのがセオリーだ。それは0になった瞬間から圏内でもダメージが入るようになるためである。

 私はザザの利き腕ではない左側へ、円を描くように動いた。

 ザザは私に合わせるように円運動を始める。

 

 ――5、4、3……。

 

 徐々に距離を近づけながら私たちはカウントを待つ。

 

「シッ――!」

 

 私がステップで一気に距離を詰めるとザザが左腕を突き出し体術スキルを臭わせ牽制する。続けて私はザザの右側へ動くも即座にザザが切先を向けて対応。

 私の左腕に装備した重剣が下段でソードスキルの発動エフェクトを輝かせるもそれは一瞬のこと。即座にソードスキルを発動させて攻撃を開始する。

 ザザは拳による体術スキルのカウンターで応戦しようとするが、意識を左右に振らされたせいで出遅れている。

 

 ――2、1……。

 

 先んじた重剣が拳を躱しザザのアバターに傷を付ける。ギリギリで身を引いて威力を下げたものの減少したHPは2割。

 

「グヌゥ!」

 

 初撃決着モードなら私の勝利となる場面――でもない。

 私の攻撃は1と0の間で行われた。ソードスキルの発動がではない。命中した瞬間がだ。つまりフライング。反則である。ザザのカウンターが空ぶったのも半分それが理由だった。

 私のソードスキルは連撃に移りザザはエストックを盾に攻撃を受けきった。相殺ではなくガード判定となったためザザのHPはすでに3割がなくなっている。

 私のソードスキルが終了すると同時にザザが後退しながら心臓部へソードスキルで突きを繰り出した。硬直時間を終えると同時に私は後退を選択。アバターをエストックの切先が掠めるが1割にも満たない軽傷だ。

 

「強かな、女だ」

「手元が滑っただけっすよ」

 

 軽口への応酬と言わんばかりにザザのエストックが閃くが、私は右手に装備した長剣で余裕を持って防いでみせた。

 ザザが選択したのは私の長剣にも匹敵する超大型のエストックだった。手応えから察するにかなりの重量武器。長剣ではソードスキルの打ち合いになれば競り勝てないだろう。

 ザザの技量はかなり高く、刺突の速度は知り得る限りでも群を抜いて速い。これでAGI傾倒ではなくバランス型なのだから恐れ入る。だが速度がいかに早かろうとこの間合いで私に届かせるには足りない。

 

 私たちはロングリーチの武器使い距離を離して切り結んでいた。およそザザが攻めて、私が受けに回っている形だ。

 当然だが距離が離れるほど近づくのにかかる時間は伸びる。

 わずか1メートルにも満たない距離が増えたくらいでなにを、と思うかもしれないが、接近戦は10分の1秒が基準の世界だ。半歩の差は果てしなく遠い。

 私たちは互いにソードスキルを使()()()()()()0.3秒で相手の喉笛を切り裂ける。さらにいうと0.3秒は目で追える速度なのだ。そこに加わる半歩を進むための時間はとても長い。

 なおソードスキルを使わなければというのは、至近距離の単発攻撃に関してだけはプレイヤーの技量で放った方が()()ためである。発動モーションの貯めを抜きにしても、ソードスキルはダメージを与えるために体重を乗せすぎている。つまり重くするために遅いのだ。

 

 私たちは互いに距離を詰められずにいた。

 この拮抗状態を作り出しているのはザザだ。二刀流という慣れない相手に対し、リーチの違いを見抜いて右の長剣だけが間合いに入る絶妙な距離を彼は維持している。

 二刀流の真骨頂は複雑さだと私は考える。剣が1本より2本の方が相手に与える情報量は多い。これを利用して思考の隙を突くというもの。またガードに関しても盾には当然劣るが、受けながら攻められるので1本よりは俄然いい。特に軽い武器同士であれば、片手でも十分受けきれる。

 さらにシステム的観点で見れば二刀流は攻撃力が凄まじく高い。なにせ片手直剣の2倍。DPS(時間当たりのダメージ)に関しては5倍近い。すなわち1パーティー分もある。どうしてこんなことになっているのか、ぜひ茅場晶彦を問い詰めたい。

 

「どうしたんすか? 随分慎重っすね」

「そう、だ……。その、スキルは、警戒に、値する」

 

 これが完全初見なら私はすでにザザの息の根を止めることができていた。

 ザザはおそらく攻略組と遜色ないレベルと装備を持っている。そんなプレイヤーのHP7割を、二刀流の連撃は一度に削りきることができるだろう。もちろん途中でガードや回避をされればフルヒットとはならず、死なない可能性もある。だが瀕死になるのは間違いない。

 リズベット武具店で見せた16連撃は、ザザへ正しい警戒心を与えてしまった。

 

 このままでは埒が明かない。焦れて動くのは危険だが、こちらが隙を見せず無傷で勝つというのは土台無理な話だ。それが許されるほどザザは弱くない。

 ザザの何度目とも知れぬ突きを避け、私は重心を低くして距離を詰める。

 もう一度突きが跳んでくるもののそれは剣の刃で受けて逸らした。ソードスキルは使わず、しかしいつでも使えるようスターバースト・ストリームの発動モーションを構えたままにする。

 まだだ。まだ。まだ。まだ……。

 距離は縮まり過ぎて拳の間合いになる。ザザは体術スキルのモーションを構える。

 

 ――まだだ。

 

 ザザは遅れて事態を理解し距離を離そうとした。

 私はすかさず体術スキルの足払いを仕掛ける。掠る程度の浅い一撃はザザの足を取れなかかったものの少しHPに傷を加えた。

 頭の回転がいいやつだ。ザザは最後までソードスキルを打たなかった。彼は理解したのだ。ソードスキルでは私に勝てないことを。

 彼がもしソードスキルで反撃を試みれば、私はそれを受けてでも二刀流の連撃を浴びせる。ダメージ交換は私の圧勝。さらにスキルモーション中で動きを固定されれば死はすぐそこだ。

 形勢は一気に傾く。私がひたすら前に出てザザは後退を余儀なくされる。時折ザザが苦し紛れにエストックを振り回すが、引きながら放たれたそれはソードスキルではないため威力などまるでない。私は片方の剣だけでいなし、前身によるプレッシャーを与え続けた。

 

 ザザは接近戦を諦め、投擲による牽制にシフトした。

 私は飛来する投げナイフを剣で斬りながら前へと進んだ。速度は落ちたが順調にザザをフィールドの端へ追い込む。ここで横を抜けられれば元の木阿弥か……。

 私は一度立ち止まり、緩急の激しい戦いをザザに強要した。

 

「最高だ、エリ」

「こんなのはスキルの性能でごり押してるだけっすよ」

「それでも、お前で、なければ、俺は、勝てた」

 

 これだけ性能差を如実に感じて、そんな口が聞けるのは流石だった。

 

「これで、終わりに、しよう」

 

 あれは細剣の最上位スキル『フラッシング・ペネトレイター』の構え。

 単発攻撃でありながら多段ヒットする突進攻撃で、滑走距離がとても長いソードスキルだ。確かにこれなら二刀流の追撃を振り切って仕切り直せるだろう。今まで使わなかったのは滑走距離が足りなかったためか。端へ追い詰められたのも作戦の内だったわけだ。

 

「付き合ってやるっすよ」

 

 私は右の長剣をガードするように横向きに構えた。

 左の重剣は背に隠し、振る舞いを見えなくする。

 

「――――ハッ!」

 

 ザザが地面を蹴った。

 システムアシストによってありえない加速を見せる。

 中段に構えたエストックからは荒れ狂う疾風を模したエフェクトが噴出された。このエフェクトにも軽度なダメージ判定があるが今は関係ない。

 私は正面からでは点にしか見えないエストックの切先と、ザザの全体像を同時に注視して攻撃カ所と距離感を判断する。

 

 腕に衝撃が走る。地面を擦りながらも体勢を崩さぬようバランスを維持。

 久しぶりの感覚だ。フロアボスと戦っていた頃の手応えを思い出す。

 ザザには私の構えが未知の二刀流ソードスキルを発動させる準備モーションに見えたことだろう。

 私の左手にはすでに剣がない。代わりにそこにあったのは壁のような鉄の塊。そう大盾だ。

 

「イイッ! それで、こそ、だ!!」

 

 ガリガリと盾とエストックの接触点からエフェクトが弾ける。

 足鎧(サバトン)も床との摩擦をエフェクトで表現している。

 ザザのソードスキルは細剣という名を裏切るような重たい一撃だった。まるでヘビーランスの突進を受け止めているかのような馬鹿力だ。

 だが大盾なら防げる。その計算を裏切るように背後にはフロアの端が迫っていた。このままでは奈落の底に真っ逆さまだ。

 私は体術系ソードスキル『震脚』で前進する運動エネルギーを得ようとした。

 その瞬間に付け入りザザが作用点をずらした。

 ほんのわずかな重心のブレが、盾を弾きガードをこじ開ける。

 

「ハァァァアアアアアアアア!」

 

 ありえない!

 目の前で起こった現実を私は衝動で否定した。

 細剣の攻撃で大盾が崩されるなんてことはまずない。

 どれだけザザの行った技巧が優れたものだとしても数値上では不可能のはずだ。

 そうでなければステータスやレベルは意味のなさなくなる……。

 私のHPが削れ始める。

 HPバーの上には装備やスキルによるいくつかのバフアイコン。

 その中に――食事不足によるSTRの低下があった。

 ああそうか。これはつまり準備不足。実力を発揮できない状態でいた私の落ち度だ。

 閃光と共に肩を貫かれ、ようやくフラッシング・ペネトレイターの突進が終わった。

 けれどまだ私のHPは半分以上もある。

 STRの低下を計算に入れれば――。

 

 

 

 浮遊感?

 

 

 

 

 足場が、ない……。

 

 

 

 

 

 足元には底の見えない暗闇が広がっていた。



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28話 棺桶と鎮魂歌(9)

 大盾は私の手を離れ、水切り石のように床を跳ねて足場の外へと落ちていく。

 交通事故のように跳ね飛ばされた私の身体が、仰け反りながら重力に引かれていった。

 

「ああ……」

 

 これが走馬燈というものなのだろう……。

 世界がコマ送りに動いている。

 圧縮された時間の中で、私は自身のアバターを俯瞰していた。

 どうしてわざわざ全力で戦ったのだろう。ザザが負けそうになれば、PoHやジョニーも流石に手を出してきたはずだ。PoHの策に嵌った時点で私の死は確定していた。無駄な抵抗をせずさっさと殺されてもよかった。

 私がザザと戦った理由はなんだったのだろう……。雰囲気に流された、といえばその通りだ。彼は私を上手く乗せた。その上で勝利だ。ザザもさぞや満足だろう。

 ならばもうすることはない。潔く負けを認めて、このまま死んでしまおう。

 リズベットがどうなったかが気になったが、もう彼女の無事を祈る事しかできない。

 

 

 

 ――エリッ!!

 

 

 

 誰かの声が聞こえた。声というよりは感情だ。

 それにはまるで私の死を拒むような、そんな想いが込められているようだった。

 私はまだ自身のアバターを俯瞰している。この奇妙な体験の中で、さらに奇妙なことが起こった。

 1コマ毎に自由落下を繰り返す私のアバターが剣を構えた。

 何千回、何万回も反復したソードスキルの空中使用。無意識にその行動を選択したのだろう。随分と他人行儀に私は眺め続ける。

 存在しない足場を踏みしめ、跳躍しながら繰り出されたのは片手直剣の突進系ソードスキル『ソニックリープ』。

 硬直時間中のザザは避けることができず、骸骨仮面の右目を貫かれ、私はフロアの床に復帰する。

 ザザと私の硬直時間が終了するのは同時。ザザはバックステップで距離を離し仕切り直しに出た。押し出しで落下を狙うのは不可能だと考えたのだろう。

 

 ――突如私の左手に剣が生まれ、2本の剣がソードスキルの発動エフェクトを輝かせた。

 

 冷静だったザザもこれには驚愕する。

 自分の身体がしたことなのに、私も信じ難かった。

 ソードスキルのモーションアシスト中はアバターがプレイヤーの操作を離れて自動で動かされるというのは半分正解で半分間違いだ。モーションアシスト中でもフォーカスターゲットの変更で攻撃カ所を細かに変えたり、まったく別の敵を狙うことは攻略組なら誰でもできる技術だ。つまりモーションアシスト中でも細かな動き――眼球や瞼、指先などの細かな動きは可能なのだ。

 片手直剣のソードスキルは剣を持っていない腕の自由行動範囲が広い。私がしたのは、ソードスキル中にクイックチェンジのタブを開いて装備を交換するというものだった。

 

「アァァァアアアア!!」

 

 壊れた機械のような絶叫が口からこぼれ、私が放った二刀流突進系ソードスキル『ゲイル・スライサー』は後退するザザのHPをレッドゾーンに差し掛かる寸前まで追いつめる。

 決着だ。ここから逆転されることはない。

 ザザのエストックが私の額を貫く。ソードスキルであれば違っただろうが、私のHPは未だイエローゾーンにさえ届かない。

 ザザはすぐにエストックを引き抜こうとしたが、私は頭を捻りその動きをほんの少し阻害していた。

 

「そこまでだ」

 

 ゲイル・スライサーの硬直を終えた私が、ザザに止めを刺そうとしたところでPoHの邪魔が入った。

 長剣の薙ぎ払いをPoHはメイト・チョッパーの刃で軽々と受け止めた。

 

「下がれザザ。お前の負けだ」

「ああ。降参、だ」

 

 有無を言わせないPoHの言葉に、ザザは大人しく従い戦闘距離から離脱した。

 私の頭上には『Winner!』の文字が無感動に輝く。

 

「エリ、お前も諦めろ」

 

 刃の競り合いを解き、流れるような左右の連携でPoHを襲う。

 防御を考えない攻撃一辺倒な動き。それが二刀流の真骨頂だということがようやくわかった。ダメージ交換では絶対に負けないのだ。ならば相手は攻撃するほど敗北に近づく。

 今までとは正反対のスタイルであるのに私の身体はよく動いていた。

 PoHは時間を稼ぐようにガードに専念している。パリィできるような攻撃でも、それをすれば反対の剣が無防備な身体を切り刻むことを理解しているのだ。

 私は手数を重視するため足が追い付かず軽い攻撃になっているが、PoHのHPはじわじわと減り続けた。

 流石に分が悪いとPoHは間合いを詰めて組み付きを狙ってくる。それは体術のソードスキルに頼らないプレイヤースキルによる武術だった。

 不味い。一度組み付かれれば今のSTRでは抜け出せないだろう。組み付かれた状態では思うようにソードスキルの準備モーションを構えられなくなるため、二刀流の火力も失われてしまう。

 ソードスキルで強引に引き剥がそうとするも、PoHはそれを読んで間合いの外に逃げる。

 隙の少ないソードスキルのため、硬直時間中に組み付かれることはない。

 だがそれは結果論。初見の二刀流によるソードスキルに対して、PoHはお前の考えていることなどお見通しだと言わんばかりに攻めてこない。

 距離を奪い合うだけでHPの減らない攻防。押されているのは私。

 考えるよりも速く、身体が即座に対策を講じて行動に移す。

 左の重剣を後ろに引いて片手直剣の連撃系ソードスキルをいつでも発動できる状態にして、右の長剣を使ってPoHの間合いの外から一方的に攻撃を繰り返す。

 再びPoHのHPが減少を始める。さらに視線や足捌きを含めたフェイントを織り交ぜると、時々ガードをすり抜けるようになった。

 ソードスキルやクリーンヒットがないにもかかわらず、PoHのHPはイエローゾーンに差し迫る。

 

「ザザっ!」

 

 PoHが叫んだ。フェイントではない。

 横からエストックが襲い掛かる。

 あれだけ苦労して減らしたザザのHPは全て回復していた。

 狙いは私の長剣か……。今度はザザがPoHを守る番ということらしい。

 エストックを払いのけることはせず、刃を擦り合わせてザザを懐に誘き寄せる。

 警戒心がザザの身体を後ろへと追いやった。

 二刀流のソードスキルを発動させるためのモーションは整っている。

 

「アハァッ……!」

 

 私は恍惚に顔を歪めていた。

 

 ザザの援護が生んだ一瞬の安堵。

 

 PoHの見せた初めての隙。

 

 二振りの剣が妖しく煌めく。

 

 

 

 ――『ジ・イクリプス』。

 

 

 

 二刀流スキルの最大熟練度を要求する上位剣技。その連撃数は()()()

 多大な連撃を高速で繰り出すために、人体の構造や慣性を無視した魔法の動きをシステムは発生させる、ありえざる幻想の技。

 その挙動を手中に収め、アバター操作によりさらなる速度を加える。

 理解しなくていい。そこにあるものを、あるがままに受け入れる。

 最初の2回をPoHは防いだ。だがここからだ。

 剣技というよりも魔法(エフェクト)による爆撃と言いたくなる、全方位多重攻撃。

 予測とはまるで違う不可解な挙動がPoHの戦闘センスをすり抜ける。

 瞬きするほどの合間にHPが黄色に変わった。

 

「うぉおおおおおおお!!」

「アハハハハハハハハ!!」

 

 沸騰しそうなほどの血の熱さを感じる。

 これをガードするなら大盾を用意することだ。いかに片手直剣に迫る長大な武器とはいえ、メイト・チョッパーは短剣。防御面積がまるで足りていない。

 PoHが後退するもすでに遅い。エフェクトに延長された攻撃範囲は、範囲外へ逃げ切る前にHPをすべて喰い尽せる。

 メイト・チョッパーがソードスキルを放った。

 単発技だが素早く重い一撃だ。

 私の長剣が食い止められるもソードスキルを終了させるには至らない。反対の重剣がPoHの身体を切り裂きこれで残り3割。そしてソードスキルの硬直時間で終わりだ。

 

「悪い、な」

 

 ザザが私とPoHの間に割り込む。プレイヤー相手にスイッチというわけか。

 ザザの行動は最早ソードスキルでもなんでもない。ただ身を挺しただけの肉盾だ。

 PoHは難を逃れるが、今度はザザのHPが急激に減り始めた。

 27連撃という数は尋常じゃない。私にはまだ18回もの攻撃が残っている。

 それはザザのHPを全損させる可能性のある回数だ。

 エストックは防御に向かない。至近距離の斬撃となれば尚更だ。

 PoHのようにソードスキルでの相殺すら狙えないほど追い詰められながら、ザザは連撃を浴び続ける。

 私はエンジンがかかったようで動きのキレが上がっていた。

 ザザはその動きに対処できず、ガードどころかクリティカル部位すら守れないまま、HPの半分を6回の攻撃で失った。

 

「ハハハヒヒヒヒヒヒ!」

 

 回復結晶で即座にHPを補給したPoHがザザと入れ替わる。

 PoHのHPバーは6割弱。

 威力を下げてでも退路を断つため、モーションの許す範囲で前に踏み込む。

 超近距離の攻撃は長剣の威力を大きく損なったが、視界が狭まりPoHもガードが間に合わなくなった。

 ソードスキルのダメージは剣とエフェクトにしか存在しないが、ダメージ以外のことを行う小技がある。それを試してやろう。

 

 PoHが下がろうとしたところでさらに一歩。

 彼の足を踏みつけバランスを崩させる。

 流石のPoHも顔に焦りが出た。

 だがもう遅い。

 視界の端でザザが援護に走り出していた。

 都合がいい。このまま2人を纏めて殺せる。

 PoHがスイッチするべくソードスキルを発動――いや、これは。

 彼の取った行動は連撃での相殺。だが悪手だ。攻撃密度では私が圧倒的に上。それにガードが間に合わない攻撃をソードスキルで迎撃できるわけがない。

 

 だが私の予想に反してPoHはよく動いた。

 まるで別人だ。力や技だけじゃない。

 読みのセンスも高まっているがそれが原因でもない。

 なにか得体のしれない圧力が彼から溢れていた。

 反射的に勝てないと感じる。

 いくらなんでもすべてを防ぐことはできず、HPは緩やか減っていく。

 残り攻撃回数は8。殺しきるには十分のはずだ。

 なのに勝てない。いいや勝つ。勝て。負けたくない。負けるものか!

 

「ァァァアアアアア!」

「うぉおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 PoHのHPはレッドゾーン。

 仮にこれを凌ぎ切ったとしても私のHPはまだまだある。硬直時間を狙って大技は繰り出せないはず。

 だから()()()()()()()()私は勝てる。

 

「アァアアアアアア――――あっ……?」

 

 不意にソードスキルが止まった。

 私の身体が自分の放っていたソードスキルの慣性で転がる。

 全身に力が入らない。先程まであった俯瞰した意識がアバターに戻ってくる。血の沸騰しそうな全能感が穴の開いた風船のように萎んでいった。

 

「どうにか間に合ったかぁ、な?」

 

 床に倒れている私は、いつの間にかそこに立っていたジョニーを見上げる。

 

「遅せえんだよ」

「ごめんごめん、ボス。でも俺だって必死にやってたんだぜ」

「ああ……。礼は言っておく」

 

 最悪のバッドステータスと悪名高い麻痺のアイコンが表示されていた。

 どうやって? 隠密状態は攻撃行動をすれば解除されるはずだ。ジョニーの手には見慣れない瓶が握られている。あれが絡繰りなのは明らかだ。

 

「なに、を……」

「これぇ? これはねえ、麻痺毒のガスポーション」

 

 範囲に状態異常を与えるポーションの情報を、どこかで聞いた覚えがある。

 蓄積値が低く相手が一カ所に留まらねば効果が出ない、その上接近戦をする前衛まで毒状態になり、エネミーは軒並み毒耐性が高いというわけで使われなかったやつだ。

 

「地面をターゲットにしたアイテム使用だから隠密が解除されないんだよん。それと、ザザのマスクは特別製でさ。空気の浄化効果があるわけ。ボスは途中で解毒結晶使ってたって寸法よ。どうどう? 凄かったでしょ」

「喋り過ぎだ」

「はーい」

「それと、俺はそこまで甘くはねえぞ」

 

 私の手をPoHが蹴ると、解毒結晶が転がり落ちる。

 腰のポーチに常備してあった唯一の1個がこれで失われた。

 年貢の納め時だ……。

 

 当然と言えば当然の末路か。

 二刀流という反則があったとはいえ、彼ら3人を相手にかなりいいところまで戦えた方だろう。それにあれだけ殺してきたんだ。今度は私の番。それだけのこと。

 死後の世界なんてちっとも信じていないが、あるなら死んでいった彼らに会いた――くはないな。死んでまで苦しい思いはしたくない。死後の世界がないことを祈ろう。祈るというのもおかしな話だけど。

 普通ならここは「死にたくない!」と泣き叫ぶ場面なのだろうか? でも私は生きてることは楽しいだけじゃなく、苦しいことでいっぱいだから、そんなに無理して生きなくてもいいだろうと思う。

 今まで生きていたのは死ぬほどの勇気がなかったのが半分。もう半分は惰性だ。

 そんな気持ちで生きてる人間に殺された人達は、運がなかったということで妥協してほしい。すでに死んでいるので文句を言われたことは一度もない。

 死神、もといPoHの足音が耳元で聞こえる。

 嬉しいことに痛覚はカットされるので痛みなく死ねるだろう。いや、ナーブギアが脳を焼くときの痛みはあるんだろうか? ……どちらでもいいか。

 

 PoHはガサゴソとアイテムを取り出していた。

 なにをするつもりなんだろう。じらさないで早く殺して欲しいのだが。

 視線を動かすと、彼が手にしていたのは拘束用のロープ。おそらく高品質品で私のSTRでも破壊するのには時間がかかる代物だ。

 

「ころ、して、っす……」

「お前には使い道があるからな。すぐには殺さねえよ」

 

 ロープで手足をきつく縛ると、私はPoHに抱えられた。

 最悪だ。拷問されても話すことはなにもないのだが……。それともジョニーみたいに楽しむために拷問とかかされるんだろうか。

 それが一番嫌なパターンだ……。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 浮遊する足場をいくつか渡り、空中を漂う足場を越えて、私は建物の中のようなエリアにと連れてこられた。

 建物のエリアに入るとザザとジョニーはそれぞれ別れを告げてどこかへと行った。

 私はPoHと二人きりになったわけだが、彼は不気味に口を閉ざしている。

 沈黙は苦手だ。気まずくてしょうがない。しかし私の麻痺はまだ解除されていないため喋るのも難しく、これから碌でもないことを私にしようと企んでいるやつに、気を使って話題を提供できるほどお気楽な性格でもない。

 何をされるかは務めて考えないでおく。考えるだけ無駄だし、想像の中で恐ろしい目に会いたくもない。

 

 通路を進み、扉を開いて小さな部屋に置かれる。

 クッションの感触。ベッドの上に転がされた。

 生活感――現実のそれではなくだいぶ仮想世界に染まっている――のある部屋だ。

 壁にはいくつもの武器保管ケースが設置されていて、中に様々な武器が収納されている。おそらくはトロフィーだ。PoHが今まで殺してきたプレイヤーから得た戦利品だろう。

 他には私の転がされているベッドにアイテムチェスト。テーブルや机がある。ただ家具の不自然な空白を感じ、引っ越し直後か直前であるという印象だ。

 

「それで、なにするつもりなんすか?」

 

 麻痺がようやく解除されて、私は疑問を口にした。

 

「エリ……。お前はどう思う?」

「さっさと殺して欲しいんすけど」

「そいつは聞けない相談だ」

 

 駄目か。要望は聞いてくれないらしい。

 PoHは椅子を持ち出し、ベッドの横に置くとそこへ座った。

 彼はじっと私を観察している。なにを考えているのか、やはりわからない。

 

 しばらくそうしていると彼はおもむろにフードを外した。

 PoHの顔は想像とかけ離れていて、驚いてしまう。

 鋭い目鼻立ちはハリウッド映画に出てくる俳優のように整っている。小麦色の肌は日に焼けたというより元からそういう色なのだろう。髪は黒でオールバックに纏めてある。僅かに割れた顎。小顔で右頬には紫の稲妻模様のタトゥー。……タトゥーはあまりに似合っていない。

 私が驚いたのはもちろん格好良さが理由ではない。

 目を疑いたくなるが、彼の第一印象は()()であった。

 正確なところはわからないし、おそらく大きくブレがあるだろうが……クラインよりは若く見える。おそらくノーチラスと同じくらい。そう見えるだけで、実年齢は違うと思いたいが、どこかあどけない……。

 

「なにか言いたげだな」

「思ってたより若いんすね……」

 

 褒め言葉になるのかどうかはわからないが、どうせ後の無い身だからと、この際思ったままを口に出した。

 

「……まだ大学生と同じぐらいの年齢だからな」

 

 マジかよ!? などとは流石に言えない。というかこの話を続けるのか!?

 PoHは適当に取り出したワインボトルをラッパ飲みして喉を鳴らしている。中身を半分くらい飲み干すと、テーブルに叩き置こうとして――虚空で彷徨わせる。

 

「飲むか?」

「いや、いらな――」

「飲め」

 

 無理矢理ボトルの口が突っ込まれる。

 突然のことに私は咽込み、その都度喉の痙攣で赤い液体が注がれる。こんな状況で味などわかるはずもなく、ただただアルコールの匂いが鼻から抜けていく。

 アルハラだった。悪名高い殺人鬼に捕らえられて、私は今アルハラを受けていた。

 頭が混乱しているのはアルコールによる酩酊ではなく、わけがわからないせいだ……。

 

「――げほっ! ごほっ!」

 

 ボトルが空になり、ようやく解放される。空気を求めて喘ぐと、口の中にあったワインが溢れて白いベッドのシーツを紫色に染めた。

 ワインと一緒にこぼした唾液が張りついて気持ち悪い。

 今ので髪もだいぶ濡れてしまい、顔中が芳醇な香りで大変なことになっていた。

 

「なにするんすか!」

 

 見下ろすPoHの瞳はギラついていた。

 

「呑気だな。お前、自分の立場がわかってるのか?」

 

 再び口に瓶を入れられる。ただし今度はワインボトルではなくポーション。

 液体を強制的に流し込まれると身体から力が抜ける。麻痺状態だ。

 PoHが腕の拘束を解くも、抵抗することはできない。

 うつ伏せに転がされ、馬乗りに拘束される。

 PoHは私の右手を取って虚空を動かす。されるがままにメニューウィンドが開かされ可視モードがオンになった。

 まずは『所有アイテム完全オブジェクト化』コマンドによって持ち物をすべて失った。足元にいくつもの結晶アイテムやポーションがばら撒かれた。

 次にPoHは装備オブジェクトを操作。

 1つずつゆっくりと防具が解除されていく。

 さらに金属の鎧の下に着たインナーさえ外され、私の装備セルには外観変更アイテムの下着だけが残された。

 

「え……、あ…………」

 

 必死に抵抗を試みるも、腕が震えるだけでなにもできない。

 そんな微かな抵抗さえも、PoHが指を絡めたことで無為に終わる。

 PoHのがっしりとした手から伝わる熱に反し、私の指先は熱を失い冷たく感じる。

 視界にはハラスメントコードの通報メニューが開かれている。これを押せばPoHを監獄に送り飛ばすことができるが、反対の腕は足で押さえつけられているためどうにもできない。

 顔を逸らそうとしたが、空いている左手で顎を掴まれた。

 もう目を瞑るくらいしかできない。

 PoHはじっくりとオプションメニューの項目に手をつける。

 1つ、また1つとページが変わり深い層まで潜った。

 彼がどの項目を探しているかは想像がついていた。

 目を瞑ろうとしているのに、なぜかうっすらと瞼を開いてしまう。

 

「い……や……」

 

 私のか細い声が届いたのか、手が止まる。

 恐る恐る開かれているページを見た。

 そこには『倫理コード解除設定』の文字。

 止まっていたのは数秒。

 再び指が無理やり動かされ、その文字に触れる。

 

 

 

『18歳未満の方には好ましくない内容が解除されます。 あなたは18歳以上ですか?』

 

 

 

 『YES/NO』の選択画面。

 右に力を入れるが、PoHの手はビクともしない。

 

「んん……!」

 

 そっと、私の指先が左に触れる。

 最終確認の文言が再び表示されるが、それも右。

 アバターに神経が通ったかのような感覚が襲った。

 痛覚遮断(ペインアブソーバ)の段階が少し下がった。

 今まで作り物の身体だと感じていたものが、実感を伴っていく。

 

 重い。痛い。苦しい。どうして私が……!

 

 私は知っていたはずだ。

 犯罪者プレイヤーに生け捕りにされた女性プレイヤーの末路を。

 だからこれは特別な事ではない。

 この世界ではよくある辛い出来事の1つに過ぎない。

 

 

 

 

 

「たす、け、て…………」

 

 

 

 

 

 頬を伝う滴の感触は、嫌なくらいリアルだった。




このオチは必要悪だったんです……。
主人公を不幸な目に遭わせたいからやったんじゃないんです……。


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29話 棺桶と鎮魂歌(10)

 今日一日の攻略を終えた俺は、主街区の境界線を跨いだ瞬間、緊張の糸が解けた。

 できることならこの場で座り込んで一休みをしたいが、弱った姿をライバルたちに見せるわけにもいかない。

 気を引き締め直し、悠然とした足取りでギルドハウスへ戻ろうとしたのだが……。

 

「うわっ!?」

 

 メッセージの通知SEがこれまでにないくらい連続で鳴り響き、思わず声が出た。

 周囲から怪訝な目で見られるものの、咳払いをして何事もなかったかのように取り繕い近くの路地裏へ入る。

 いったい誰がこんなスパムみたいにメッセージを送りつけて来たんだ。

 俺の友人にそんなくだらない悪戯をしてくるやつはいないはずだ。

 恐る恐るメッセージリストを開く。

 タイトルには『見たら返事をして』『大至急』と急かす文言が並んでいた。

 差出人は――アスナとリズ?

 フィールドではメッセージが届かないせいで、これだけの数がスタックしていたのだろう。だが彼女たちも返事がないということは俺がフィールドに出てからだということくらい理解しているはずだ。

 なにがあったのか? 嫌な予感がした。

 俺はメッセージの一番古い物をまず開けて、書かれていた文章を読むと冷汗が流れた。立ちくらみのような症状に襲われ、壁に手を突きどうにか堪える。

 

 エリが……ラフコフに攫われた!?

 

 他のメッセージに急ぎ目を通して話をまとめると、リズの店が襲撃されるのを察知して駆け付けたエリが、ラフコフのギルマスであるPoHと交戦。リズを転移結晶で逃がすためにその場に残り行方知れずとなったらしい。

 フレンドリストのエリの名前はまだ灰色になっていない。彼女が死んでいない証明になるが、それがいつまで続くか期待はできない状況だ。

 

 リズは現在KoBの本部で保護されているらしい。

 俺は主街区を全速力で駆け、55層へと転移門で跳んだ。

 万年雪に覆われているこの階層も夏ばかりは涼しいで済ませられる気温設定になっている。普段なら避暑地として喜ぶべきところだが、今は凍り付いた地面に足を取られそうで邪魔なだけだった。

 KoBの本部は主街区『グランザム』にある巨大な城である。

 月夜の黒猫団とは別格の荘厳なギルドハウスには、攻略会議の度にお邪魔させてもらっている。

 俺は受付を引き受けている女性プレイヤーに挨拶を交わすと、受付嬢とは顔見知りということもあってすんなり中へ通された。

 

「ご心配には及びません。我々も全力を挙げて調査していますから、やつらと言えど数日中には発見できるでしょう。――ん? 誰だ貴様は。ここは関係者以外立ち入り禁止だ」

 

 赤を基調とした豪華絢爛な応接間には、椅子に座り泣き崩れているリズと、そんなリズの背を擦って落ち着かせているアスナがいた。それから甲冑姿のKoBプレイヤーが2人。彼らは2人の護衛といったところだろう。

 漂う空気が重いせいで、来客を楽しませるべく飾られた、ショーケースに収められた珍しい装備の数々や装飾品に目を奪われはしなかった。

 

「貴様どこかで……。ああ、黒猫の剣士とか言われてるビーターだな? 出しゃばりが……。貴様の出る幕ではない。すぐにここから立ち去れ!」

 

 長髪の護衛らしき男が鋭い剣幕で俺を睨んだ。

 有名になったもんだ……。いや。こいつとはおそらくフロアボス戦で顔を合わせているから、知られていなければ逆にショックだ。

 俺は周囲に月夜の黒猫団をアピールするよう立ち振る舞っているため、出しゃばりという評価は実に正しい。

 有名ついでに俺の情報は後ろ盾がないもんだからスパスパと抜かれ、ビーターと名乗った黒歴史まで攻略組では周知の話になっている。

 

「あんたは……」

 

 誰だったか。背負っている装飾過多な両手剣は見覚えがあるのだが、KoBのアタッカーくらいの記憶しかない。

 

「クラディールさん。いいんです。キリト君は私が呼んだんですから」

 

 そうだ、確かそんな名前だった。

 

「なっ……。アスナ様!? 勝手なことをされては困ります! こいつは自分さえ良ければいいなんて考えてるやつですよ。一緒にいてはろくなことにならない」

「今回の件は団長から私に一任されています。それに彼は信頼できる人です」

「ですがっ!」

 

 なおも食い下がろうとするクラディールの剣幕に、アスナは怯んでいた。

 いくらアスナがフィールドでモンスターをばったばったと薙ぎ倒す攻略の鬼と言われていようと、俺とあまり変わらないくらいの年齢の女性だ。大人の男にこれほど強く言われては恐怖が勝るのもしょうがない。

 

「俺も急いでるんだ。言いたいことがあるなら後にしてくれ」

「貴様ァ!」

 

 クラディールは俺に詰め寄り怒りを滲ませる。

 掴みかかってきそうな彼に、俺は睨み返して応じた。

 

「ガキだと思って舐めるなよ」

 

 単調な声と同時に一歩前に出る。

 どちらかがデュエルを申し込んでもおかしくない雰囲気になってしまったが、俺からそんなことはしない。俺から挑んだのでは外聞が悪く、それに今はそんなことをしている時間さえ惜しい。

 

「クラディールさん。それにフルツさんも、すみませんが席を外してください」

「アスナ様!?」

「……こう言ってることだし、俺たちは大人しく下がろう。隣の部屋で待機していますので、なにかあったらすぐに知らせてください」

 

 フルツと呼ばれたメイス持ちの男性プレイヤーに、クラディールが押されて、しぶしぶ退室する。

 去り際に見えたクラディールの表情は、システムの誇張を抜きにしても常軌を逸したものがあるように思えた。

 

「悪い……」

「ううん。気が立っちゃうのもしょうがないよ……」

 

 こんなときでも強さの執着を捨てられない。

 認められないというのは俺にとってそれほど許しがたいものになっていた。こんなことをするために月夜の黒猫団の名を背負ったわけじゃないのに……。

 

「でも本当によかったよ……。メッセージも返ってこないし、キリト君の身になにかあったんじゃないかって、私心配したんだから!」

「ごめん。ずっとフィールドにいたんだ。それで、エリの行方は?」

 

 アスナが首を横に振った。

 2人の様子からわかっていたことだが、改めて確認すると、かなり、辛いな……。

 

「今、手の空いてる人が捜索に出てるけど……」

「手の空いてるプレイヤーがほとんどいないんだな……」

 

 手の空いてるプレイヤー、というより、手を貸してくれるプレイヤーがいないのだろう。

 エリは治安維持部隊隊長という役職であるが、それは攻略組からすれば面倒なALFの手先という意味でしかない。

 プレイヤーが誘拐されるような事件は過去にもあったが、それらはたいていALFが解決していた。今回も言ってしまえば過去の事件同様プレイヤーが1人誘拐されただけ。ALFのメンバーでもあるのだから、ALFで勝手に解決してくれとなるのが目に浮かぶ。

 

「ALFはなにか言ってきたか?」

「さっきまでトップギルドを集めた会議があったの。でもDDAのギルマスとALFのサブマスが仲悪くて、喧嘩別れみたいになっちゃって……」

「KoB――ヒースクリフは?」

「任せたの一言」

「クソッ!」

 

 どいつもこいつも人の命をなんだと思ってるんだ!

 行き場のない怒りを、拳を強く握ることに費やすがまるで足りない。

 俺はまた、守れないのか……?

 

「……サチ」

 

 いいや、まだエリの命は失われていない。

 まだなにも終わってなんかいない!

 

「キリト、どうしよう……。エリが、私のせいで……」

 

 リズがたどたどしく喋る。

 

「大丈夫。やつらがまだエリを殺してないってことは、なにか目的があるはず。それまでエリは殺されない。その間に俺たちがあいつらのアジトを見つけられればいいだけさ」

 

 あまりにも荒唐無稽な話だった。

 だが縋りたくなる。少なくとも蘇生アイテムの話よりは現実味があった。それは限りなく少ないだけで、0ではないのだから。

 リズは小さく頷き、俺の言葉を信じてくれた。

 俺はこの信頼の裏切るわけにはいかない。

 

「俺も捜索に参加してくるよ」

「なら私も!」

 

 アスナの申し出は願ったりだ。

 この状況での単独行動は流石に不味い。なにせやつらはエリを捕らえるだけの戦闘力がある。攻略組でも少数では返り討ちに遭いかねない危険があった。

 今回ばかりは誰かと組まざるを得ないが、俺のようなプレイヤーを快く迎えてくれるやつなどほとんどいないわけで……。

 

 だが、ふとエリの言葉を思い出した。

 クリスマスに俺へリズのことを頼んだとき、彼女はどこに目があるかわからないと警戒を強めていた。ラフコフが結成される前兆をどこからか読み取ったものだと、今ならわかるが……。

 彼女の疑惑の目を向けた相手にはKoBも含まれていた。

 疑いたくはないが、攻略組の中にラフコフのメンバーが潜伏している可能性はある。

 正月に起きたラフコフの産声事件では、多くの中小ギルドが身内の裏切りによって壊滅した。攻略組だけが特別結束が固いなんてことは、この状況を見れば誰も信じやしないだろう。

 

「私は、大丈夫だから……。エリをお願い……」

「……駄目だ。アスナ、リズを頼む」

「で、でも……」

「ラフコフはリズを狙ったってたんだろ? あいつらが諦めたとは思えないし、圏内だからといって絶対安全とも言えない。だから信頼できるアスナに任せたいんだ」

「わかったわ。でもキリト君を1人にもできないよ」

「俺は――風林火山と合流する。クラインのお人好しなら手を貸してくれるだろ」

 

 あいつには借りを作りっぱなしだな……。

 メッセージを送るとクラインは圏内にいたようで素早く返信があった。

 すぐに合流場所を決めて、俺は捜索プランを練る。

 フィールドを闇雲に探し回っても成果はない。それで見つかる間抜けならラフコフはとっくの昔に壊滅しているだろう。

 エリでさえ尻尾を掴ませず返り討ちにしたやつらが相手だ。50層のフロアボスを越えるSAO最強の敵だという認識を忘れてはならない。

 

「無茶、しないでね」

「ああ」

 

 自然に嘘を吐いた。

 無茶をしてエリが助かるなら、俺はするだろう。

 自嘲気味な笑みを、すぐに安心させるためのものに切り替えた。

 ショーケースのカバーガラスには、嘘を吐くのにもだいぶ慣れてしまった俺の顔が映されていた。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 クラインたち風林火山の協力も虚しく、俺たちは一切の成果を挙げることができなかった。

 馴染みの情報屋連中や中層をメインに活動するプレイヤーに聞き込みをしたが、知らない、関わりたくないの一辺倒。

 ラフィンコフィンという名を口に出すことさえ、彼らにとっては憚られるほどに恐怖は蔓延していた。

 事ここに至っては出し惜しみなどなしだ。

 俺もクラインも、互いに情報が漏れることも厭わず、秘密の情報屋やダンジョンへ足を運んだがそれでも影さえ見つからない。

 

 俺たちは自分の限界を悟り、早々に大ギルドへ頭を下げに行ったのだが、意外なことに彼らは協力的だった。

 KoBはアスナが仕切っているため言わずもがな。

 ALFも自分たちの管轄であるため当然なのだろうが、彼女の側近ともいえる実働部隊のメンバーは情報の共有を約束してくれるという破格の待遇をしてくれた。

 だが一番意外だったのはDDAだろう。幹部連中こそ非協力的だが、攻略組に名を連ねるメンバーの幾人かは、ギルドに休みを取ってまでエリの捜索を独自で進めていた。

 彼らはALFの前身であるMTDに所属していたプレイヤーで、彼女の戦友だったり後輩だったのだ。自分たちだけが攻略組に移って、エリを1人残してしまった事に罪悪感を憶えていたのだということを、口々に語ってくれた。

 気がつけば捜索隊はハーフレイド(24人)が組めるまでの人数が集まっていた。

 

 攻略組からも多くのプレイヤーが参加しており、攻略にも支障が出始めている。

 それが表面化したのは一昨日。最前線である66層のボスフロアがDDAによって発見されてからだ。

 66層のフロアボスは攻略会議の結果、参加メンバー不足のため一時保留となった。

 これにはKoBやDDAも重い腰を上げざるを得なくなり、「ラフィンコフィンによってトッププレイヤーにも被害が出かねない状況を放置したまま、攻略を続行するのは極めて危険」という名目で全面的な捜索が開始された。

 

 

 

 ――そしてエリが誘拐されてから10日が経とうとしていた。

 

 

 

「クソッ! またハズレかよ」

 

 クラインが建物の壁を拳で叩く。

 ALFから共有された情報をメッセージで確認して、また駄目だったのだろう。

 攻略組の全面的な協力の甲斐もあってオレンジプレイヤーの検挙率は過去最高を記録。中にはラフコフの構成員もいたが、末端のメンバーだったらしく、欲している情報は手に入らなかった。

 未だ彼女の名前がフレンドリストから灰色に変わっていないことから、生存を確認できるがそれだけだ……。

 

「どうするキリト。まだ行ってないダンジョンとかあるか?」

「いや……。あれで俺の隠してるダンジョンは全部だ。お前は?」

「俺なんてとっくの昔にネタ切れだ」

 

 遅々として進まない捜索は俺たちに多大なストレスを与えていた。

 ラフコフが最初、何故エリを殺害していないのか疑問に思ったが、この状況を見て俺はようやく確信した。

 

 旧MTDから攻略組に流れたメンバーというのは根が深い。ALFになってからも細々と攻略組として最前線で戦っていたが、正月以降はこれも解散。そこからさらに攻略組にメンバーが流出した。彼らは現在KoBやDDAに席を置いている。

 つまりエリの攻略組との交友関係はかなり広いのだ。

 戦闘技術の高さから教鞭を執ってはいたが、考えてみれば彼女はまだ子供と称される年齢。自分より幼い女の子が身を挺して戦っているというのは、心配しない方が無理というものだ。

 いかに戦闘能力や実務能力があろうと関係ない。俺だって小学生くらいの子供が最前線で肩を並べて戦っていたら実力如何に関係なく心配するだろう。

 そんな彼女が誘拐されたとなれば捜索隊に志願する攻略組のプレイヤーは少なくない。

 

 この状況でエリが殺害されればどうだ? ラフコフは攻略組に打ち勝ったということになる。正月の事件ほどの規模ではないが、かなりの重大事件だ。

 大ギルドの幹部でもよかっただろうが、彼らの周辺はかなり強固に守られている。

 エリが一際崩しやすかったかというと疑問が残るが、それを成功させるだけの作戦があり、成功させてしまったのだろう。

 リズは今回の本命ではないと思う。だからといって彼女の守りを疎かにするのは愚策だが……。

 

 ラフコフがエリを殺害するまでの猶予はもうほとんど残っていない気がする。

 すでにラフコフが勝利するための条件は整っている。あるいはこのまま攻略組が断念するのを待って、それから見せつけるように殺すつもりなのだろうか。

 悪い考えばかり過る。

 ベンチでこうして座っている間も、頭をガンガン殴られているような不快感が消えない。

 

「もう一度情報屋を……。いや、上層から逆順にダンジョンを探して……」

「おい、キリト!」

「ん……。どうしたクライン。耳元ででかい声出すなよ。頭に響く……」

「お前のとこにもメッセージ行ってないか?」

 

 俺はクラインに促されてメッセージを確認した。

 いつの間にか新着が1件。SEを聞き逃すほど集中力が欠けていたのかと、気を引き締め直す。

 差出人はアスナ。内容は――――!?

 

「落ち着いて行こう。不自然じゃないように」

 

 小声でクラインへ話しかける。俺の声は震えていた。

 アスナからのメッセージにはこう書かれていた。

 

『ラフィンコフィンの本拠地が発見されました』

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 KoBの会議室には、普段通りのメンバーが集められていた。

 つまり攻略組の中でもリーダーや戦術眼に優れるプレイヤーたちだ。

 48人集めて会議をしても喋るのはせいぜい彼らだけなので、徐々に参加者を削り、現在のメンバーに落ち着いていた。ここに参加していないメンバーにはリーダーから作戦を通達する形になる。

 ここにALFの治安維持部隊の副隊長も加わっていることからわかる通り、今回はフロアボスをどうこうするための会議ではない。

 

「皆さん、お集まりいただきありがとうございます」

 

 凛としたアスナの声が会議室に響いた。

 会議の司会進行役は、ボスフロアを発見したギルドのサブマスター、KoBかDDAのどちらかが行うことになっていて、会議場所もそれに従う。仮に別のプレイヤーが発見した場合は交代制だ。

 

「今回は異例としまして、フロアボス攻略会議ではなく、ラフィンコフィンへの対策会議を始めたいと思います」

 

 全員が無言で続きを促す。

 

「我々はラフィンコフィンの拠点となっているゾーンを発見しました。作戦の目的はラフィンコフィンの幹部の捕獲と、彼らに捕らえられているALFのメンバー、エリさんの救出です」

「情報は確かなのか?」

「はい。潜伏スキルの高いKoBのメンバーに確認も取らせてあります。回廊結晶の転移地点もマーキング済みです」

 

 なら後はエリアの詳細と役割分担、緊急時の指揮系統の確認か。

 アスナが羊皮紙に記された簡易マップを広げる。

 

「元は大がかりなクエスト用の地下ダンジョンだったようですが、1度きりのものでクリア済みの現在、モンスターの出現はないようです。ただし過信はしないでください。ダンジョンは2部構成となっていて、前半部分が浮遊する足場のエリア、後半部分が迷宮系のエリアとなっています。ステータスではこちらが上ですが、落下すれば命の危険があります。交戦になれば彼らもそれを狙ってくるでしょうから注意してください」

 

 落下危険地帯か。これはかなり厄介だぞ……。

 HPの安全マージンなんて意味がなくなる。その上レベルやステータスで勝っていても簡単に逆転されかねない。

 最近はボス戦で死者は出ていないが、最後に出たときの死因はたしか落下だったはずだ。

 死ねばやり直しの利かないこのゲームで、即死トラップというのがどれほど凶悪かなど語るまでもないだろう。

 集まったメンバーにも緊張が走る。

 

「幹部の特徴についてはご存知でしょうが、あらためてご確認ください」

 

 フードを被った大型ナイフ使い、PoH。

 ズタ袋を被った毒ナイフ使い、ジョニー・ブラック。

 骸骨の仮面をつけた細剣使い、ザザ。

 3人の顔が録画クリスタルのよって表示された。

 

「キリト。お前はジョニーと戦うなよ。どっちかわかんなくなりそうだ」

 

 確かにジョニーと俺の色合いや体格は似ている。

 だがな、クライン。俺のコートはあんなにダサくない。

 

「これからパーティーを分けますが、質問はありますか?」

「質問ではないですが、攻略組の皆さんは転移妨害について心得があるでしょうか?」

 

 ALFから出席している副隊長が手を上げて発言する。

 転移妨害について俺は多少心得があるつもりだ。投剣スキルもあるので問題ない。

 だが周りはそうでもないようで、彼はそれぞれの顔を確認すると話をつづけた。

 

「転移結晶は起動までの間に攻撃を受ければキャンセルされます。彼らも当然転移結晶を使ってくるでしょうから、投擲武器、あるいは突進系ソードスキルで妨害してください。それとこちらが転移結晶を使う場合にも注意が必要です。彼らも同じように妨害してくる可能性がありますから、どなたかにタンクをしてもらい、妨害を防いでもらわなければいけません」

 

 後半部分については……自信があまりない。

 やったことはあるが、それはモンスターを相手にしたときだけである。相手は当然頭のある人間なのだからヘイトなんてものはなく、逃げようとするプレイヤーを積極的に攻撃してくるだろう。

 

「その……、ALFからそれぞれのパーティーに1人加わってもらうということは可能ですか?」

「可能ですが……。そのような場合のタンクをしっかりできるプレイヤーとなれば2人しかいません。一応やってやれなくはないですが……。作戦前にパーティーメンバーへレクチャーする形でどうでしょうか?」

「そうですね。それが妥当でしょう。反対意見のある方はいますか?」

 

 誰もいない。

 攻略組に限らないが、パーティー分けをすれば事前のグループで集まることがほとんどだ。ALFは提案をよく受け入れてくれたと感心する。あるいは、彼らは普段から個々を組み合わせた自由度の高い編成をしているのかもしれない。そういうところは俺たちも見習わないといけないな……。

 

「他に質問のある方はいますか? ――いないようですね。今回の相手はモンスターではなくプレイヤー。それもこちらを殺すことを躊躇わない人たちです。そのことを念頭に置いて最大限の注意を忘れないでください。ではパーティー分けに入ります」

 

 アスナの言葉で会議は締めくくられ、パーティー決めが始まる。

 俺にとって最も憂鬱な時間だ。風林火山は最近になってフルメンバーで攻略に参加できるようになったため空きがない。

 一応俺のようなあぶれ者や、ギルドから少数で参加しているプレイヤーもいないことはないので、だいたいは彼らと組むことになる。今日も頼れるあこぎな商売人のエギルがいるのでまず1人確保だ。

 

「黒猫さん」

 

 俺は声をかけられて振り返る。声の主はALFの副隊長。

 

「そちらのパーティーには私で構いませんか?」

「ああ。助かる。一応名乗っておくけどキリトだ。黒猫さんでもいいけどな」

 

 さっきの話通り、ALFから1人来るわけだから、フルメンバーまであと4人か。

 ――などと探していたら見事にあぶれた。

 なにせ今回はフロアボスと違い人数制限はない。ぴったり7パーティー48人になるわけではないのだ……。

 最終的にはメンバーの決まっていないプレイヤーが自動的に割り振られ、風林火山から1人。KoBから1人の4人パーティーになった。KoBのプレイヤーはあのクラディールだ。

 彼はさっきから凄い形相で俺を見てきていた……。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 ラフコフの本拠地襲撃まであと1時間。

 ALFの副隊長から簡単なレクチャーを受け、互いに得意なことを話し合った俺たちは一度解散して各々で休息なり準備なりをすることにした。

 俺はあらかじめ対PK用に、解毒アイテムや回復アイテムを揃えてきていたため、ギルドハウスにアイテムを取りに戻る必要はなかった。

 清貧なソロプレイヤーである俺は、一線級で活躍できる多種多様なサブウェポンなど持っていないので、いつも通り頑張るくらいしかない。

 まあ、隠し玉を使うことになるかもしれないので、誰も来ないようなNPCハウスで確認作業だけはしておいた。

 しかしそれも時間がかかることはなく、暇を持て余した俺は寂しくKoBのギルドハウスをうろついていた。

 索敵範囲にプレイヤーの反応があったから、誰かと思って近づいてみれば、それは俺の数少ない知り合いの1人だった。

 

「やっぱりあんたか……。アルゴ」

 

 茶色いケープのフードで顔を隠しているが、女性らしい身体つきと小柄な体格、ここがKoBのギルドハウスだということから、思い当たる唯一の人物の名を呼んだ。

 

「よう、キー坊。元気にしてたカ?」

 

 フードを外したアルゴの顔色は少し疲れ気味に見えた。それでも彼女の口調はいつものように軽い。

 彼女は俺の知る限り最も優秀な情報屋だ。このデスゲームが始まったときから頼りにさせてもらっていて、彼女のもたらした情報には何度となく命を救われた。

 もっとも、助かってばかりではなく、しっかりとコルは巻き上げられているのだが。

 俺は今回も彼女を真っ先に頼ろうとしたのだが、まるで連絡がつかなかったのだ。

 なにもなくて本当によかった。

 

「心配したんだぜ。連絡くらいくれてもよかっただろ」

「それだけ修羅場だったんだヨ」

 

 なにかあったのか、あるいは独自に動いていたのか。

 おそらく後者。KoBにラフコフの情報をもたらしたのはきっとアルゴだ。

 いったいどうやって手に入れたのか……。

 気にはなるが、藪をつついて蛇を出したくはない。

 

「なあキー坊……」

 

 アルゴは稀にしか聞かない、真剣な声色を使った。

 

「…………気をつけろヨ」

「当然だろ。それともなにか心当たりがあるのか? 流石に今回は高くても買ってやるよ」

「いいや……。そうじゃなイ。あくまで友人としての忠告サ。最後まで気を抜くなヨ。エリを……見つけてモ。助け出した後でもナ」

「わかった」

 

 その油断を突かれるな、ってこと、なのか?

 アルゴの言葉はどこか含みがある。ではなぜ教えてくれないのか。あるいは売ろうとしないのか……。

 心の内を透かそうとして、彼女の瞳を見つめるが、俺にそんなスキルはない。

 

「なんだヨ。お姉さん、照れちゃうゾ」

「なにも言うことはないんだな?」

「………………エリ――」

「キリト君! こんなんところで何してるの。もうそろそろ時間だよ。早く行かないと。あっ。アルゴさん、こんにちは」

 

 廊下の角から現れたアスナの大きな声が響く。

 

「……よう、アーちゃん。彼とは上手くやってるカイ?」

「彼っ!?」

「い、いません。そんな人!」

「ハハハ。そんなことしてると捉まらないゾ。リスクを怖れちゃ、手に入らないものだってあるのサ……」

「それは……。いいえ、なんでもありません」

 

 これでアルゴがKoB――というかアスナに情報を流したのは確定かな。

 さっきの疲労から鑑みるに相当危険な橋を渡ったみたいだ。ならここにいるのもKoBを護衛に使うためかもしれない。

 後で労ってやらないとな。……女の子には甘いものでいいんだったか?

 

「あとキリト君。私にそんな人なんていませんからね!」

「お、おう……」

「本当に本当にいませんからね!」

「疑ってないって……」

「嘘じゃないわよっ! ほら、私の目を見て!」

「だから……。あー、おう。ホントウダナー」

「もうっ!」

「ご馳走様。見せつけてくれるネー。別に取ったりしないから安心しなヨ」

「ぐぬぬ……」

 

 な、なんなんだいったい……?

 

「オイラはここで待ってるからサ。2人とも無事に帰ってこいヨ」

「ああ」

「もちろんです」

 

 アルゴに見送られながら、俺たちは集合場所の大広間へ向かった。

 廊下を曲がる直前、俺は振り返って彼女の姿をもう一度見た。

 窓ガラスから差し込む逆光に照らされ、アルゴのシルエットが浮いて見える。

 どこからか入り込んだ風が金色の髪を揺らし、それを手で押さえている。

 ――その瞳は、物憂げに揺れていた。

 

「どうしたのキリト君」

「いいや、なんでもない」

 

 アルゴ…………。

 お前、さっき、いったい何を言いかけたんだ?




キリトを通り名で呼ぶ機会がなくてずっと溜めてましたが、
彼の通り名は『黒の剣士』ならぬ、『黒猫の剣士』です。
別に「不吉を届けに来たぜ」とかは言いません。


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30話 棺桶と鎮魂歌(11)

 小さな村の古井戸を抜けた先。

 地底からやってくる、闇の軍勢を封印するといったキャンペーンシナリオの終着点だったらしいこのダンジョンは、その役目を終え、新たな闇の軍勢の住処になっていた。

 鍾乳洞のような巨大地下空間には俺たちが発する物音以外は聞こえない。

 この大所帯では全員が潜伏を持っているはずもなく、俺たちは索敵スキル持ちに警戒をさせつつ迅速に奥へ向かうことしかできなかった。

 モンスターは事前情報に偽りなく出現してこないものの、足場の不安定さは想定よりも深刻だ。手摺りのないフロアの端は底の見えない闇に繋がっていて、フロアとフロアを繋ぐ、通路代わりの足場は動いているため分断されやすい。

 おそらく足場の移動パターンを変更するギミックもあるはずだ。

 確認できている範囲ではクリスタル無効化空間はまだない。このままその凶悪トラップだけは出ないでくれと、俺は神様――もといソードアートオンラインを制御しているシステムAI、カーディナル様に祈っておいた。

 

 俺たちはいくつかの足場を越えて、新たな細い足場に差し掛かる。

 いくつもの足場が移動し合っていて、そこから次々に別の足場へ移動するポイントだ。

 足場は3メートル四方の物から、数十メートル級のものまで幅広く、一本道ではなく自由なルート選択ができるようになっている。

 脳裏にチリチリと嫌な予感が走った。

 俺は索敵スキルを再度アクティブにするも反応はなし。――気のせいか?

 先の一団が渡り終えて、足場を待っている間俺は剣の柄に手を伸ばしていた。

 

 ――突如、転移のエフェクトが輝く。

 

 俺は鞘から剣を抜いて周囲を見渡すと、足場の向こう側にも転移してくるやつらがいた。その数は10や20では利かない。待ち伏せされていた!?

 エフェクトの輝きが揺らめくと、それはプレイヤーの形となり、近くにいた風林火山のパーティーメンバーを剣で貫いた。

 

「て、敵襲だ!」

 

 俺はすぐさま襲われていた仲間の援護に入る。

 ラフコフの片手直剣使いを上段からのソードスキルで叩き斬る。

 怯んだそいつは刺した剣を引き抜いて距離を取ろうとした。

 深追いはしない。なにせ敵は山ほどいて、しかもプレイヤーなのだ。PvEのようにタンクがヘイトを集めて、などという戦いにはならない。

 

「助かった」

 

 近くにいた別のPKへ斬りかかる。

 削るのではなく、牽制の攻撃。

 俺たちは今奇襲を受けた側だ。まずはこの場を一端凌いで、陣形を整えるのがセオリーだ。

 おそらく高い隠蔽スキル持ちのスカウトが隠れていたのだろう……。だがそれにしても対応が早い。どこからか情報が漏れていたのか? 可能性としては大いにあり得るな。

 

「乱戦と足場に注意して! パーティーでお互いをカバーしあってください!」

 

 喊声の轟く戦場であってもアスナの声は聞き逃さないほどよく響く。

 あの華奢な身体のいったいどこから、これほどの声量を出しているのだろうか……。

 混乱の最中にあった俺たち討伐隊は、アスナの指令の元、冷静さを徐々に取り戻していく。通路で分断されているが、それは相手も同じ。数はラフコフに軍配が上がるが、質は圧倒的に俺たちが勝っているはずだ。

 

「1班北側に前進。2班はその場で食い止めて!」

 

 アスナが戦場を俯瞰しながら指示を飛ばしている。

 当然だが敵がそれを見逃すはずもなく、彼女の背後からPKが忍び寄っていた。

 

「アスナっ!」

 

 俺の声が届いたのかアスナは振り返りざまにレイピアを抜き打つ。

 アスナの姿が一瞬ブレて、襲いかかろうとしていた男の腕を貫き、PKの放ったソードスキルは彼女の残像を切り裂いた。

 相変わらず凄まじい速度だな……。AGI特化でも、普通ああはならないぞ。

 俺も負けていられないと周囲のPKを返り討ちにしていくが、足場の関係で非常にやりにくい。フロアの端に追い詰めることはできるのだが、そこからの一歩が遠いのだ。下手な攻撃では彼らを突き落としてしまうし、位置取りを少しでもミスれば今度は俺が奈落の底へ真っ逆さまだ。

 慎重に斬り合いを繰り返しながら、前衛を交代した折に、俺は戦場に潜む敵を探した。狙いは幹部のうちの誰か1人。人が密集しすぎて、これでは隠蔽スキルなどなくとも簡単に紛れて隠れられそうだ……。

 

「黒猫の、剣士、だな」

 

 途切れ途切れで擦れた声。俺がそれを聞き逃さなかったのは、殺気とでもいうべき異様な雰囲気を、そいつが放っていたからだろう。

 

「赤目のザザだな」

 

 骸骨の仮面。赤い眼光。構えた武器はエストック。

 着ている防具こそ以前遭遇したときとは違うが、間違いない。

 

「探す手間が省けた」

 

 俺は黒き愛剣、『エリュシデータ』を肩に担ぐように構える。

 フロアボスの中でも別格とされるクォーターポイント。その50層フロアボスからドロップしたこの魔剣は、ゲームバランスを置き去りにするほどの性能を持つ。

 入手当時では装備できなかった両手槌クラスのSTR要求値。

 基礎性能もさることながら、強化可能回数と強化最大値による圧倒的成長性。

 サイズこそ108センチと平均的だが、ロングリーチの剣は癖が出やすいので俺にはありがたい。

 

 対するザザの構えは中段。フェンシングのような構えだ。

 正中線をピタリと捉えているため、剣が点にしか見えず距離感が計り難い。

 全体像を見るようにして距離感を計り直すが、やつのエストックはリーチが長いことがわかる。

 長物は手元の小さな動きでも、切先までの距離が遠いため、ハッキリと出てしまう。そのためリーチのメリットは大きいが、短所として読まれ易さというのがある。

 だがザザはそれを克服した高い技量の持ち主だ。

 やつのエストックは一切ブレることなく空中に静止している。

 

 こっちは武器強化を正確さ(アキュラシー)にあまり振っていない。

 不味いな。剣の技量という点では負けているだろう。

 俺は即座にそう判断を下すが、勝負とはなにも剣の技量だけで決まるわけではない。

 持っている様々なステータスの差。そしてそれを引き出し、抑え合う駆け引きで決まるのだ。

 

「うぉおおおおおお!!」

 

 初撃から全力。ソードスキルではないが、体重を乗せた重たい一撃で斬り込む。

 半歩退くことでザザはそれを躱す。目がいい。動体視力ではなく、距離を計る方面でだ。

 ザザのエストックはソードスキルの発動エフェクトを輝かせた。狙い通り。

 細剣の刺突系ソードスキルはどれも待機モーションが似通っているため、目視での判断は難しい。だがそれを一々計算してやる必要はない。

 俺は空いている左手で体術系ソードスキル『閃打』を選択。

 ザザの出鼻を挫いてソードスキルを不発にさせたついでにHPを少し削る。

 

「ほう……」

 

 体術系ソードスキルの隙の無さを利用して、俺はすぐに剣を返して斬りかかった。

 やや大振り。速度よりも重さに傾倒した太刀筋は、美しさとは無縁の武骨なものだ。

 だがそれでいい。速度で勝る細剣使いを倒す時のコツは、ペースを握らせないことだ。

 彼らは大抵打たれ弱く、競り合うのにも適していない。そのため回避をしながら隙を突くという一瞬の戦いになりがちだ。

 それをさせれば俺は負ける。

 だから俺は反撃の暇を与えずに押し切るという戦術を取った。

 エリュシデータを装備するためにもSTRは大目に振ってある。瞬間ダメージならこっちが上だ。

 

 息も吐かせぬ力強い連撃。

 無酸素運動は徐々に体力を奪っていくが、それはザザとて同じだ。

 数十回目の踏み込みで、ついにザザは回避が間に合わずエストックで俺の剣を受け止めた。俺はさらにペースを上げる。

 一度ガードに使ったエストックは反撃する余力が失せている。構え直す暇など与えない。

 押して、押して、押す……!

 

「――フッ」

 

 ザザは左手で体術のソードスキル『エンブレイサー』を使用。

 鋭い手刀による突きが俺の脇腹を抉る。

 俺は構わずフルスイングでやつの仮面の叩き斬りにいった。

 しかし身体ごと頭を下げてザザはその場で回避。剣は空のみを斬る。

 

「うらぁああああああ!」

「クッ!」

 

 体術系ソードスキル『弦月』。

 後方に宙返りをしながらの蹴り。いわゆるサマーソルトキックだ。それがザザの頭部を芯で捉えHPを削った。

 俺は着地と同時に逆回転のソードスキル『朧月』へと繋げる。

 ザザも流石に頭を激しく揺さぶられたせいで距離感を失っていたらしい。やつは念入りに頭部をエストックと腕によるクロスガードで守りながら、バックステップで間合いから逃げ出し、俺の蹴りは地面を叩いた。

 

「大人しく捕まれ」

 

 ザザはおそらく自分のHPを確認したのだろう。残り7割。まだまだ余裕がある。

 俺のHPは9割くらい。さっきのエンブレイサー以外に手傷はない。

 

「もっとだ。まだ、足りない。お前も、そうだろう?」

「お前と一緒にするな」

「ククク……」

 

 ザザはエストックを構え直した。クソッ。折角の間合いも詰め直しか……。

 最初のときのようにはいかないだろう。フェイントを混ぜて――いや、片手直剣のソードスキルで攻めてみるか。

 俺は下段に構えて機を窺う。やつのソードスキルをソードスキルで斬り落とす狙いだ。

 脆い武器なら武器破壊が起こるのだが、そんなことが起こるのは玩具のような脆い武器くらいだ。あのエストックは断じてそんなものではない。

 ザザが足をわずかに滑らせる。

 ――来る。そう思ったときにはすでにザザは走り出していた。

 

「逃がすか!」

 

 ザザは狭い足場へと飛び乗り再びエストックを構える。

 俺はこの乱戦になっているフロアの端にいては危険だと判断して、ザザの近くにある別の足場へと飛び移る。

 俺たちの距離はほんの5メートルくらい。突進系ソードスキルの間合いであるが、足場は絶えず移動しているため、着地できなければ落下死は免れない。

 

 動かずとも足場が勝手に引かれ合い、距離を縮めていく。

 互いにソードスキルの構え。

 俺は愛用しているソードスキル、『ヴォーパル・ストライク』を放つ。

 刀身の倍以上の射程を持つエフェクト主体のソードスキルは、流星を彷彿とされる軌道でザザの肩を抉る。

 ザザも負けじと細剣重三連突き、『デルタアタック』を放つ。

 三角状に放つ重たい突きと、それに伴う範囲攻撃のエフェクトが俺の身体を後ろへ追い落とそうとした。

 俺は3つの突きを避けることも防ぐこともなく、前へ出る。

 十分な加速を得るための距離を失い、デルタアタックの威力は減衰するが、胸と両の太股に空いた傷口が不快な信号を脳へと送り続けている。

 

 俺はHPの3割を犠牲にしてザザの足場へと入り込んだ。

 刺突のほぼ不可能な間合い。かといって俺のエリュシデータも十分な威力は発揮できない。

 俺とザザは空いた左手と足、そして体当たりを駆使した体術スキルの白兵戦に興じる。

 ザザがまず、俺の剣を封じるべく右腕を抑えた。俺は左手で喉を突くが寸前のところで身体をひねり避けられてしまう。この距離でも避けるかと内心で悪態を吐きつつも、左手を引き戻し胴体に

拳を叩き込み続ける。

 じわりじわりとザザのHPが削れるが、やつも黙って見ているわけがない。

 足払い、掌底、体当たり。足場から落とすための技を次々に駆使してくる。その代わりDPSは俺の方が上だ。

 

「しまっ――!?」

 

 ザザの狙いがようやく成功する。

 足払いをフェイントにした掌底が、俺の身体を足場の外へと押し出した。

 苦し紛れにエリュシデータを振るい、ザザの足に切り傷のエフェクトを残して、俺は重力に引かれていく。

 計画通りだ。――ソードスキル『ライトニングフォール』。

 空中で存在しない地面を蹴り、宙返りをしながら、逆手に持ち替えた剣を足場へと突き刺す。剣からは範囲攻撃の衝撃波エフェクトが放たれ、足場のすべてを攻撃判定で覆った。

 

 ザザの姿がない。

 周囲を見渡すと、すでに別の足場へ飛び移った後だった。読まれていたのか?

 今度は少し遠い足場で、近づいていく他の足場はない。

 ザザのHPはイエローゾーン。やつは腰から回復結晶を出して使用を試みたため、俺は即座にピックを投擲。回復結晶を手から落とさせた。

 

「チッ!」

 

 投擲武器は総じて威力が低い。

 ソードアートを謳い文句にしたゲームなのだから、遠距離武器が弱いのは当然。

 しかしないよりはマシ、牽制にはなると、片手武器使いの多くが愛用してやまないのも事実だ。

 俺は普段は値段と重量だけが取り柄の安物ピックを使っているが、今日ばかりはクリティカル値の優れた高威力ピックをアイテムチェストから引っ張り出してきた。

 俺はダメージを重ねるべく高額ピックを投げつけるも、甲高い衝突音を奏でて、それは空中であらぬ方向へ軌道を変えた。

 ザザもまた、片手武器使い。やつの左手には投擲用のナイフが握られている。

 投擲武器にするにはやや大振りのナイフ。短剣カテゴリーの武器は、投擲に使えたはずだからそれだろうと予想する。

 1発当たりの威力は、短剣を投げた方が強い。

 

 ザザの投げたナイフを俺は剣で弾き、ピックを投げ返す。

 やつが使ったのは『シングルシュート』。俺が使ったのは『トリプルシュート』。

 3発のピックを別々の部位にターゲットして、ソードスキルに逆らうように身体を動かすことでディレイをかける。

 エストックによって2つは弾かれたが、1つは命中。ダメージを受けたのかどうか疑わしい程度しかHPは減少しない。

 再びザザの投擲。今度はホーミング性能の高いソードスキルで、弧を描くようにナイフが飛んでくる。さらにその間にザザは直線の投擲を行う。2つのナイフが同時に襲い掛かり、俺は片方を剣で、もう片方を体術のソードスキルで迎撃。

 

 イニシアチブを奪われてしまい、次々にナイフが飛んでくる。

 それらを空中で撃ち落とし、剣で斬り払い、体術のソードスキルで弾く。回避はできない。足場が狭いせいでホーミングを振り切れないためだ。ザザの投擲が上手いというのもある。

 俺は反撃することを考えず防御に徹した。

 ナイフの雨はすぐに止む。当然だ。なにせあれだけ嵩張る物を大量に身につけられるわけがない。

 ソードアートオンラインのアイテム使用方法は主に2種類。アイテムストレージから使用するか、オブジェクト化した物をキーワードか手で操作するかだ。

 投擲は後者。ウェストポーチやポケットの中に消耗品をオブジェクト化した状態で持ち運ぶことで、メニューウィンドを開く手間を省くのだが、それは投擲物も同様。専用のホルダーをどこかに身につけなければならず、大型のものならその分面積を奪われる。非VRゲームのように大きさに関係なく持ち運べはしないのだ。

 

 ザザの弾切れを察知するや否や、ピックによる立て続けの攻撃を開始した。

 さっきまでのお返しと言わんばかりに投げつける。ピックは小型なため所持可能数が多いのがメリットだ。

 ザザは踵を返し、別の足場へ移動することで距離を稼ごうとする。それとも今度こそ撤退するつもりか?

 俺は追いかけざるを得ない。ザザのさっきまでいた足場へ跳んだ瞬間。

 

「――シッ!」

 

 隠し持っていた、おそらく最後の投げナイフ。

 俺はソードスキルで加速してそれを回避。足場へ無事に着地する。

 

「すばらしい。お前も、まさしく、強者だ」

「そうかよ。だったら捕まってくれ」

「エリが、心配、か?」

「………………」

「ククク……。ならば、追いかけて、来い。この先で、待っている」

「逃がすか!」

 

 逃亡体勢に入ったザザから一度目を離し、戦場を見る。

 HPでは討伐隊が有利だったが、ラフコフの一部は死を恐れずに襲い掛かってきている。HPがレッドゾーンの相手に怯み、1人のプレイヤーがたった今、その身体をポリゴンに変えて飛散させた。

 敵の狂気に呑まれたプレイヤーの中にはアスナの姿もあった。

 彼女のHPはイエローゾーンへ入り、対して敵のHPはレッドゾーン。

 それが彼女の精神に大きな負荷をかけ、普段の毅然とした構えは見る影もなく、腰が引けて、剣先には震えが伝わっていた。

 敵がソードスキルの構えを取った。不味い。

 

「アスナァアアアアア!」

 

 俺は跳び、突進系のソードスキルで上空から斬りかかる。

 背に鈍い感触。なにかが刺さったようだ。だが俺はソードスキルを止めない。

 加速を得た俺の身体はPKとの距離を一瞬で埋め、剣を握った右手に、斬った感覚が走った。

 何度も経験してきたはずの電気信号が、やけに生々しかった。

 

「あ、ぁぁああ……」

 

 首を斬られたPKが出しているのか、それとも俺が出したのかわからない声が聞こえる。

 目の前のプレイヤーのHPは空になっていた。

 左右に裂けたアバターが、その切断面からポリゴンに変換されていき、モンスターと同じように爆散して消滅する。

 俺のプレイヤーカーソルが返り血のように赤く変わった。

 

 人を……殺して、しまった……?

 

 その実感は、ザザとの戦いの熱を奪い去るには十分なものだった。

 斬らなければアスナが危なかった。それは剣を向けるには十分な理由だったが、殺さないで済む方法が他になにかあったのではないかと、後悔が押し寄せる。

 どんな理由があったとしても、人を殺すという行為は悪だ。

 恐怖が俺の身体を蝕み、切っ先がだらしなく地面を擦っている。

 

「おいキリト! しっかりしろ!」

 

 剣と剣がぶつかる音と、俺の名前を呼ぶ声にビクリと身体が跳ねた。

 いつの間にか俺に斬りかかっていたPKを、斧の柄で防いでいたのはパーティーメンバーのエギルだった。

 あこぎな商売ばかりしているこの男の背が、今日はやけに頼もしく見える。

 

「キリト君。わ、私……」

「……エギル。アスナを頼む」

「おい! なにするつもりだ!?」

「ザザを。あいつを追う」

「なっ! 罠だ馬鹿野郎。1人で先行するな。――クソッ!」

 

 赤い瞳で見下ろしていたザザが、マントを翻して奥へと去っていく。

 俺はエギルの静止を聞かず、ソードスキルを使った空中機動で足場を乗り移り、やつの背を追いかけた。今度ばかりは駆け引きではなく、本当に逃げる様子だ。

 エギルの言う通り、十中八九罠だと思う。それでも立ち止まるわけにはいかないんだ。

 俺はもう、あのときのように誰かを失うのは嫌だ。

 

「……サチ」

 

 例え、それで誰かを殺めることになっても。それでも俺は……。



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31話 棺桶と鎮魂歌(12)

 浮遊する足場のゾーンを渡り終え、俺は鍾乳洞の果てにあった複雑な文様の描かれた大扉の隙間から、奥地へと侵入した。

 このダンジョンの最終ゾーンは、氷塊のような青白い結晶をくり抜いた洞窟、それを人の手で丁寧に磨き上げたような地形だ。

 壁や天井、床は光を幾重にも反射させ、影が複数の方向に伸びている。

 いくつもの角を曲がり、ザザはすでに視界から消えている。

 だが俺は索敵スキルの派生Mod『追跡』の効果でやつを見失うことはない。

 視界端に表示したミニマップには俺を追いかけているプレイヤーが表示されている。カラーはパーティーメンバーを示す色なので敵ではない。

 どのくらい本隊から離れたかわからないが、ようやくザザは足を止めた。

 ザザが立ち止まった位置の近くにはプレイヤーが他に2人。PoHとジョニー・ブラックか?

 俺は走りながらアイテムストレージを表示して、回復ポーションと対毒ポーションを取り出し飲み干す。先程の戦闘でザザが毒武器を使っていた可能性も考慮して解毒ポーション。あとはステータス上昇のポーションを最後に飲んだ。

 これが現実なら俺の腹は水分でたぷたぷになっていただろう。

 ミニマップからザザの姿が消える。隠密状態になったのか?

 索敵スキルで隠密状態を看破しようとするが反応はなし。よほど隠蔽ボーナスの高い場所か、あるいは転移で逃げたと考えるのが妥当だが、他の2人は留まったままでいささか不自然だった。

 今は考えても仕方がない。

 俺は虎穴に飛び込むつもりで、通路の先にある扉を蹴破った。

 

「――エリッ!」

 

 目の前に広がる光景に、思わず目を背けたくなった。

 驚き。羞恥。怒り。様々な感情が一気に吹き出て、俺は無我夢中で駆け寄った。

 ――エリは壁の柱に磔にされていた。

 杭で打ち付けた鎖が両手を縛りあげ、足にも別の鎖で幾円も巻かれている。さらに足の鎖の先には鉄球が繋がれ、それが地面に転がっていた。

 これだけでも十分に痛々しい姿だが、それ以上があった。

 彼女はなにも身に着けていなかったのだ。鎧も服も、本来あるはずの下着さえ。

 代わりに白い裸体には所々に赤い跡が付けられていた。それがなにを意味しているかわからないほど、俺も初心ではない。

 彼女は力なく項垂れていて、目には精気が感じられず、口は半開きだった。

 近づくと、か細く「ひっ」と声が漏れる。

 瞳だけを動かし俺に気がつくと、目尻から溢れた涙が肌を伝った。

 

「キリ、ト……?」

「遅くなってごめん」

 

 咄嗟に鎖を手で触れる。耐久値はあまりにも高く、素手はおろか、剣を使っても断ち切るには相当な時間がかかる代物だった。

 ならば杭をどうにかしようとするが、これもかなりの深さまで食い込んでいて簡単には引き抜けはしない。

 

 苦戦していると拍手の音が聞こえてきた。

 音の発信源はエリと扉の中間あたりの壁側から。即座に視線を向けると、そこには壁に背を預けているフードの男がいた。

 しまった……。もう1人プレイヤーがいたことを、俺は驚愕から失念していた。

 エリがここにいるということは、当然こいつがいるはずだった。

 

「PoH……!」

 

 ついさっきまで感じていた殺人への恐怖がすっかり消え失せていた。

 いいや。それどころか、俺は今すぐPoHを殺さんと剣の柄を握りしめていた。

 

「Hey Black cat.そう逸るなよ」

 

 俺は即座に突進系のソードスキルを走らせ、やつの喉を一突きにしてやろうとした。

 だが刺突は失敗に終わる。やつが手にした大型ダガーの間合いに入った瞬間、剣の平を弾かれパリィされたのだ。

 どう考えても俺の武器の方が重量は上である。であるのに防がれたのはタイミングもあるが、やつの武器がダガーの範疇を越えるほど重いか、あるいはエリュシデータに匹敵するほどの攻撃力を持つ魔剣であるかのどちらかだ。感触からしてそれは後者。手数が上のダガーでそれということは、信じられないほどのDPSを持つということだ。

 俺はそのDPSを出させないためか、あるいはただ怒りをぶつけるように、弾かれた剣を戻し、体重を乗せて押し付けるように斬りかかる。

 PoHは変わらず迅速にダガーを振って、刃と刃の競り合いになる。

 

「いい殺気だ」

「どうしてこんなことをっ!」

「どうしてだぁ? そいつはな……。お前らを『人殺し』にしてやりたかったからだ」

「なっ!?」

「糞モンスばっか倒してイキりやがってよ。強えってことはそうじゃねえだろ? 向こうで攻略組のやつらはどんだけ死んだ? 俺たちはお前らよりもよっぽど装備もレベルも下の連中ばっかだぜ。そんなやつらに負けるようなら、覚悟が足りねえってことだよなぁ?」

「そんな、そんな理由で!」

 

 俺は力技で競り合いを外し、今度は速く、鋭く斬りかかる。

 反撃をさせないために止めどなく振り続ける剣を、PoHも素早い動きで相殺していく。

 俺のエリュシデータの方が重量が重いおかげで押し負けはしないが、やつのダガーはその分軽いため、弾かれてもすぐに構え直され次の斬撃を防がれる。

 俺はラッシュを仕掛けるべく、片手直剣スキルと体術スキルの複合ソードスキルを発動させる。

 対してPoHも同様に、短剣スキルと体術スキルの複合ソードスキルで相殺。

 若干ダメージを与えることはできたが、こんなのは誤差でしかない。

 

 攻めあぐねている原因は、やつが攻撃の意思を見せないからだ。

 PoHは想像に反して手堅い。臆病という感覚は剣から伝わってこない。ただただ攻めに転じる剣気がないのだ。

 時間稼ぎが目的か?

 やつはこれ見よがしに、大振りの攻撃で俺を間合いから離そうとする。

 喰らいつけはするが……。誘いに乗ってやるか。

 

 俺がバックステップで離れても、PoHは追ってこない。

 後ろに下がる瞬間というのはひとつの隙だ。反撃するための力がほとんど入らないためだ。それをこいつが知らないわけがない。

 どういうことだ? 俺はカウンターを狙っていたがそれを読んだわけでもないだろう。カウンターといっても大したものにはならないはずだからだ。

 ふとPoHが俺の蹴破った扉に視線を向ける。ミスディレクションじゃない。俺のミニマップにもプレイヤーが近づいてきた情報が表示されていた。

 

「……クラディール?」

 

 PoHを視界端に収めながら、そちらを向くと、追いかけてきていたのはKoBのクラディールだった。てっきり風林火山かALFのどちらかだと思っていたが……。

 いや待て。様子が変だ。

 

「お待たせして申し訳ありません、()()()()……」

 

 恭しく礼をするクラディール。こいつ、ラフコフのスパイだったのか。

 

「どうりで悪人面なわけだ」

「黒猫ぉおおおお……!」

 

 クラディールは背負った白銀の両手剣をずっしりと構える。もちろん切先は俺を向いていた。

 2体1かに思われたが、PoHは俺たちから離れていく。観客を決め込むつもりか? いや、油断はするまい。戦闘中に隙を突いてくるくらいは平気でしてくるやつだ。

 

「遅かったじゃねえか。それじゃ始めるとしよう」

 

 PoHは大仰に両手を広げる。まるで指揮者か何かのように。

 

「ルールは簡単だ。死ぬまで戦え。黒猫が勝ったら鎖の鍵くらいはプレゼントしてやるさ。クラディールの景品はあの女だったか。――それじゃあ準備はいいな? It's show time!」

 

 PoHが指を鳴らすと同時に、クラディールは嘲笑とともに上段から突進系ソードスキル『アバランシュ』を放つ。

 俺は剣を前に構えて防御系ソードスキル『スピニング・シールド』でガード。

 回転するエリュシデータが、クラディールの振り下ろした大剣をどうにか受け止めた。

 

「この時を待ちわびてたんだぜぇ!」

「俺の事なんて眼中になかったんじゃないのかっ?」

 

 互いのソードスキルが終了し、硬直時間が同時に終わる。

 クラディールは大きく剣を横薙ぎに振り、俺はそれをかがんでやり過ごすと、下段からの切り上げでクラディールの腹を切り裂いた。

 だが、それに怯まぬクラディールが上段からの振り下ろし。俺は両手で剣を支え防御する。

 流石に両手武器の威力は重い。武器性能込みでDPSならそこそこいい勝負になるだろうが、こと斬り合いとなれば単発威力の高い武器は有利だ。ソードスキルを打ち合えば、押し負けるのは俺の方だろう。

 

「俺の演技も捨てたもんじゃねえみたいだな。テメェのことはな、前からガキの癖に女侍らしてて気に食わねえと思ってたんだよ!」

 

 なんの話だ! そう言い返そうとするが、振り下ろされた両手剣を防ぐので手一杯だ。

 クラディールの技は、本当に攻略組みか疑わしいほど稚拙なものだが、武器の攻撃力と、エリを背にした状況が俺を追い詰めていた。

 俺は足を使って回避するわけにはいかない。そうすればエリまでは一直線だ……。

 

「俺があんだけ献身的に尽くしてやってるってのに、副団長様はお前にゾッコンときた。そりゃあ腹立つよなアー?」

 

 自分勝手な理屈を並べ立てるクラディールの表情は狂気に歪んでいる。

 PoHの言っていたあの女とは、アスナのことか……!

 ただですらエリの事で気が狂いそうなほど怒りが込み上げてくるのに、さらにガソリンをかけるとはいい度胸だ。

 だが俺の感情とは裏腹に、不愉快な金属の打ち合うSEが耳元で響き続ける。

 ガードの上から俺のHPは削られていくが、すぐさまどうにかなる量でもない。ただしどこかでこの均衡を崩せればの話だ。

 このままでは駄目だ。俺は怒りを内に沈めて、冷静な思考で剣を握った。感情に振り回されては勝てない。俺はなんのためにここにいる!

 

 ――ソードスキル『メテオストライク』!

 

 片手直剣スキルだけでなく、体術スキルを必要とする7連続の攻撃で、クラディールをエリから引き離そうと斬撃の合間に行う体当たりで押し出していく。

 

「ってえな……!」

 

 地面をスリップしたクラディールのHPは2割減少。中層プレイヤー程度の実力しかないと思いきや、幅広の大剣を使ってきっちりガードされてしまった。

 傷のつけられた頬を拭い、殺気立った視線を俺に向けると雰囲気が変わった。

 やつは腰を落として中段に深く剣を構えた。

 ……ギアが上がるまで時間のかかるタイプか。

 

「ぁはアん。そういうことかアー」

 

 クラディールは先程のように猪突猛進に攻めては来ず、ゆったりとした足取りで横へ回り込もうとしてくる。俺は当然それに合わせて動かなければならない。

 ――それも、エリを背にするように。

 

「そういや、そいつとは知り合いなんだったか? 副団長の他にはそこのブスかよ。腹立つなア。アハッ。アヒャヒャヒャヒャヒャッ!」

 

 サイドステップからの踏み込み。俺を狙った攻撃ではない。

 エリとの間に割り込み大剣を弾く。剣の間合いは意外に長い。やつの両手剣ともなれば3メートルくらいなら二歩で斬れる。

 強引な攻めから打って変わり、クラディールはエリへ近づこうとすることで、俺を無理やりカバーに回らせる戦い方をしてきた。

 ただですら押されていた状況がさらに悪化する。

 唯一の救いはPoHが仕掛けてこないことくらいか……。

 

「どうしたどうした!? 黒猫の剣士様が情けねえなアー!」

 

 どこかで隙さえ作れれば……。

 だが俺の望む隙とは、寸瞬のものではない。もっと大きな隙だ。それが一対一の戦いの最中で生まれないことは経験からよく知っている。

 なにか、なにかないのか?

 

「助けを待っても無駄だぜ。通路のスイッチを変えてきたからな。応援が駆け付けるまでざっと10分ってところか」

 

 10分もあれば俺をガードの上からなぶり殺しにするのも簡単だろう。

 徐々に減っていった俺のHPはついに黄色に変わった。残り半分。このままではHPの差分で、ソードスキルに圧殺されてしまう。

 クラディールはそれを狙っていたのか、やつの両手剣が輝きを放つ。

 この構えは――。

 

「死ねえええええええ!」

 

 狂騒を叫びながら放たれたのは両手剣ソードスキルの奥義、『カラミティ・ディザスター』。

 6連撃のソードスキルで、威力や軌道もさることながら、ノックバック耐性が高い、いわゆるスーパーアーマー系の大技だ。発動したが最後、止めることはそうそうできない。

 下段からの切り上げ3連撃でガードが持ち上げられる。それを耐えた後には遠心力を乗せた重たい横薙ぎが襲い、ガードの向きを変えて対処するも体勢が崩れた。

 問題はここからだ。

 このソードスキルの山場、刺突系突進攻撃が連撃の中で繰り出される。俺の胴体を刃が掠めるとHPがごっそり減った。そして最後に、振り返りながら全体重を乗せた叩きつけるような斬撃。

 これだけは喰らうわけにはいかない。俺は全神経を総動員して斬撃を防いだ。あまりの威力に、大型モンスターの攻撃を受けたかのように身体が地面を滑って遠のく。

 反撃を当てる前に、やつの硬直時間が終了するほどの距離だ。

 

「黒猫。俺の勝ちだアー! 最高の悲鳴を聞かてくれよォォオオオオオ!!」

「――っ!」

 

 クラディールは俺から切先を外すと、振り返りエリの首に突きつけた。

 エリはすでに前線から退いたレベルだ。それに今は装備がなにもない。プレイヤーの防御ステータスの大半が装備に依存するこのゲームで、それは致命的な脆さだ。

 試したことはないが、おそらく一線級の両手剣の一撃でHPは8割、いや全損さえしかねない。

 

 

 

 単発高威力系のソードスキルだった。

 

 

 

 肩に担ぐように構えた体勢から振り下ろされる斬撃が、スローモーションに見える。

 

 

 

 吐きそうなほど、俺の心臓が激しく脈打っている。

 

 

 

 耳鳴りが聞こえ、指先は震えていた。

 

 

 

 すべてがゆっくりに見えているのに、身体は石化したかのように動かない。

 

 

 

 現実の時間は、走り出すことも、手を伸ばすこともできないほどしか残されていなかった。

 

 

 

 鋼の塊が、エリの露わになっている胸にめり込む。

 

 

 

 HPが凄まじい速度で減少した。

 

 

 

 エリの表情は、すべて諦めたような穏やかな笑みだった。

 

 

 

 そんな……、そんな表情するなよっ!

 

 

 

 ダメージエフェクトによってアバターが無残に引き裂かれる。

 

 

 

 HPの減少はイエローゾーンに達しても止まらない。

 

 

 

 レッドゾーンに突入してもまだ止まらない。

 

 

 

 ソードスキルの終了。

 

 

 

 ようやくHPの減少が止まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――エリのHPは0になっていた。



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32話 棺桶と鎮魂歌(13)

「ヒャハハハハハハッ!!」

 

 クラディールが天を仰ぎ哄笑していた。

 フロアにはやつの声が五月蠅く反響している。

 エリのアバターは死亡演出のため、みるみるうちにポリゴンへ変換されていく。

 俺の頭は氷塊を入れられたかのように冷え切っていた。

 内側から頭蓋を叩かれているような痛みを感じている一方で、機械仕掛けのごとく最適解を模索して実行に移す冷静さが同居している。

 

 左手がオブジェクト化したアイテムを収納しているポーチに伸びる。

 指先の感触だけで目当てのものを探し出す。

 右手はメニューウィンドウを開きクイックチェンジのショートカットに触れていた。。

 本来なら装備フィギアを一々選択しなければならない動作を、わずか2アクションで終わらせる。

 新たな装備オブジェクトが手元に生成される前に、俺は取り出したクリスタルを力一杯に握りしめる。

 

「――蘇生、エリ」

 

 ソードアート・オンラインの正式サービスが始まってから、おそらく初めて使われたであろうコマンドを、俺は唱えた。

 手にしていたのは『還魂の聖晶石』。

 クリスマスイベントのフラグボスからドロップし、エリから譲り受けた蘇生アイテムだ。

 あの日交わした約束を、俺は果たす。

 HPバーだけが残り、中が透明となっていたエリのHPが急激に補充されていく。

 

「ヒャハハハ、ハ、ハ、ハ、ハ……?」

 

 クラディールがそれに気がついた時にはもう、俺は動き出していた。

 

「――カハッ!?」

 

 クラディールはたたらを踏み、蘇生されたエリから数歩だけ離れる。

 俺は下段に構えた剣で浅くやつの足を切り裂くと、HPが少しだけ減少する。

 

「てめぇ、そいつは……!?」

 

 ――剣が打ち合ったときに奏でる音とは違う、鈍い反響音がした。

 

 クラディールは反射的に俺を振り払おうとしたのだろう。

 乱雑な横薙ぎは、それが振り切る前に押さえつけられ、やつの望んだ行動にはならない。

 振りかぶられた大剣の正面。俺の左手には鉄の壁があった。

 ……壁と形容するにはいささか小さいか。

 大盾ならまだしも、これは中盾。カイトシールドと呼ばれる分類の物だ。

 凧の形を模した鉄の板にはギルドの紋章。

 月を背にする黒猫が一匹、佇んでいる。

 

「クラディィィィイイイイイル!」

 

 立て続けに行うシールドバッシュは、さながらボクシングのジャブだ。

 ダメージこそミリで削る程度だが、視界を奪い、剣技を行わせない鉄壁の攻め。

 バランスを崩せばエリュシデータがすかさず肌を斬り、距離を取ろうと下がれば追い打ちを仕掛ける。

 使わなくなって久しいスキルだったが、身体は当時のことを鮮明に憶えていた。

 

 俺が盾スキルを習得したのはもう1年以上前になる。

 月夜の黒猫団がまだ6人だった頃。

 サチに盾の扱いを教えるため、エリを頼ったことがあった。俺たちはサチがどんな気持ちで引き受けたかなど一切考えていなかったが、初めて会ったばかりのエリがそれを見抜き、俺たちを叱りつけてくれた。

 それを切っ掛けにサチはタンクに転向する道を止め、代わりに俺がタンクを引き受けることになったのだ。

 エリには色々とレクチャーしてもらったが、結局俺はタンクとしては欠陥品で、仲間を守る事が出来ず、のうのうと独りだけ生き延びてしまった……。

 攻略でこれを使う機会はない。左手をフリーにして、体術スキルの使用の幅を広げた方がDPSが上がることを理由(いいわけ)にしているが、本当のところは俺が盾を使うなんておこがましいと感じていただけだった。

 

 なぜ、俺は使わない盾を持ち歩いていたのか……。

 盾を使う俺はあの日を境に死んだ。今ここにいるのは月夜の黒猫団を背負う亡霊としての俺だ。それでも俺は望んでしまっていたのだろう。

 

 

 

 あの頃に戻りたいと。

 

 

 

 あるいは――。

 

 

 

 あの日できなかったことを、やり直したかったんだ……。

 

 

 

 助けられなかった彼らを今度こそこの手で!

 

 

 

 この盾で、守り抜きたかったんだ!!

 

 

 

「盾出したくらいで調子に――クッ!」

 

 右腕と左腕が別々の思考を持って動いている。

 スポーツ選手などが、極度の集中状態になることをゾーンに入ると形容するが、今の俺はまさにそれだった。

 クラディールが大剣を振ろうとしていた。すでに左腕の盾が初動で抑えていた。

 盾で弾けばその衝撃で一瞬の隙が生まれる。すでに右腕のエリュシデータはやつの胴体を切り刻んでいた。

 上半身に意識が行っていて足元の注意が甘くなっているはずだ。すでに俺の身体は体術のソードスキルが発動済みで、追撃は終わっていた。

 最適解は考え終わる前に実行され、結果の後に思考が追い付く。

 俺は結果から逆算することでそれをようやくなにをしたかを理解し、その間にもあらゆることが正確無比に成されていた。

 クラディールのHPはすでにイエローゾーン。

 絶え間ない左右の連携がこれまでの差を覆していた。

 

「だったら、もう一度殺してやるよォオオオオ!」

「させるかぁぁぁあああああああああああああ!」

 

 ……サチ。今だけでいい。君の大切な人を守るために力を貸してくれ。

 クラディールが充血した瞳で俺を睨み、再び『カラミティ・ディザスター』を放った。

 これまでの戦いの中で最速の動きを見せたやつのソードスキルは、発動前の準備モーションの段階で止めることは叶わなかった。

 下段からの3連撃を盾で逸らす。剣で受けるよりもずっと簡単にそれは行われ、続く横薙ぎまでも完璧にガードしきった。

 だがガードは相殺と違いダメージ貫通がある。剣で防ぐよりも圧倒的に小さなダメージだったが、それでも俺のHPはレッドゾーンに入ってしまった。

 そしてカラミティ・ディザスター最大の難所。刺突系突進攻撃が始まる。

 受け流せばやつは再びエリの元に辿りつく。かといって力づくで受ければ俺のHPは持たないだろう。

 二者択一ではない。俺が死ねば間違いなくやつはエリを殺す。

 だからここで死ぬわけにはいかない。

 

 研ぎ澄まされた精神は、ある日のフロアボス戦を俺に思い出させていた。

 サブタンクとしてボスの攻撃を受けていたエリが、回復を終えたヒースクリフとスイッチを行ったときのことだ。

 大型のボスモンスターには重攻撃系のソードスキルでもノックバックさえ発生させられないことは多々ある。あのフロアボスもそうだった。

 だからエリはフロアボスの攻撃を利用して、自身がノックバックすることでダメージを減らしつつ距離を離すという技を使っていた。

 

 俺はあの技を再現する。

 体勢を崩さないために腰をしっかりと落とす。受ける個所は盾の中心。腕を引いて力を受け流すのではなく、勢いを身体に浸透させるように腕を一本の棒と化す。接触の寸前。動かすのは腕ではなく足首。そのスナップで身体を数ミリ浮かして地面との摩擦を断つ。

 突進攻撃の速度が伝達して俺の身体は後ろ向きに急加速した。視界の利かない方向への強制移動は思いの外バランスを取るのが難しい。

 俺は浮かせていた足を地面に戻すと靴底が削れるような感覚を覚えながらも速度が減衰した。

 わずかにHPが減る。だがほんのわずかだ。それは俺を殺すには一歩足りない。

 最後の振り下ろしは本来振り向きながら行われるものだが、俺が正面にいるため純粋な上段に振り上げてからの斬撃に変更された。

 俺の右手にあるエリュシデータがソードスキルのエフェクトを輝かせる。

 クラディールは狙いが外れ驚愕が顔に出ていた。

 

「うぉおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 ――片手直剣上位ソードスキル『ノヴァ・アセンション』。

 

 片手直剣のソードスキル中、最速を誇る上段からの斬撃が、カラミティ・ディザスターの最後の一撃と交差する軌道で交わった。

 鍔迫り合いにもつれ込み、しかして互いのソードスキルは終了に至らない。

 激しいエフェクトの火花が散り、刀身が燃え尽きるのではないかというくらいの輝きを見せる。

 剣の重さや威力では、両手剣は片手剣を遥かに上回る。

 だがエリュシデータが持つ規格外な性能のせいか、それともやつのソードスキルが完全な威力を発揮する前に衝突したせいか。もしかすれば俺の祈りが届いたからなのかもしれない。

 

 エリュシデータはやつの両手剣に()()()()()

 

 ソードスキルの発動中は、武器の耐久値減少量が増大する。

 だが破壊ともなれば、武器の耐久値が残りわずかな状態でなければならず、PvEでもPvPでもそういった状況はそうそう起こらない。

 やつの両手剣が装飾過多で耐久値に劣る代物だとしても、手入れを怠ったとかそういう下らない理由でもなければこの現象はありえないはずだった。しかし現実にそれは起こっているのだ。

 両手剣の刀身は半ばで寸断された。

 切断面からポリゴンの欠片がこぼれていく中、俺のソードスキルは続くモーションへと移る。

 ノヴァ・アセンションの連撃数は他のスキルカテゴリーでもまずない10回。残りの9回の斬撃が新星の輝きのように発光し、クラディールのアバターを貫いていく。

 

「い、いやだ……。死にたくねえ! この……人殺し野郎がアァアアアアアア!?」

 

 クラディールが悲鳴を上げていた。

 やつのHPはすでに0となり、破壊された剣と同じようにアバターはポリゴンに変わっていく。

 俺はソードスキルのターゲットを変更して、やつを殺さないということもできたはずだ。

 無我夢中だった――わけではない。

 俺の頭には、その選択肢が思い浮かんでいた。だがそれを自らの意思で破却したのだ。

 こいつを生かして黒鉄宮の牢獄に繋いでおくなんて我慢がならなかった。エリをこんな目に合わせたやつらの仲間で、あまつさえ殺す寸前までやったこんなやつを、俺は殺してしまいたかった。

 アスナを助けるために手違いで殺したのとはわけが違う。

 俺は俺の殺意によってクラディールを殺した。

 達成感はなかった。かといって今のところ悔いもない。俺は間違っているはずだが、正しいと、どこかで思ってしまっているのだろう。

 床に倒れたクラディールを冷めた目で見下ろす。ついに死亡猶予時間の10秒が経過して、ポリゴンが激しいSEを奏でて爆散した。

 

「Congratulation」

 

 乾いた拍手の音。PoHからは隠しきれない殺気が漏れ出ていた。

 俺もきっと、これと同質のものをまき散らしているのだろう。

 やつとの距離がまだ離れていることは幸運だった。俺はPoHから目を離さずに、ポーチから回復結晶を取り出してHPを補給する。

 

「やるじゃねえか、黒猫の剣士」

「褒めるならもっとそれらしく言うんだな」

「………………」

 

 クラディールより間違いなく格上のプレイヤー。そんな敵からエリを守りつつ勝利をもぎ取れるのか? 俺は疑問を無視して、ほとばしる殺意に任せ剣を構えていた。

 

「そいつはくれてやる」

 

 PoHが投げた銀の鍵は床に転がる。

 物を投げて視線の奪われた隙に攻撃するというのは意外に有効な技だが、PoHが仕掛けてくる様子はない。

 それどころか、やつは見せびらかすように転移結晶を取り出した。

 

「逃がすと思うか?」

「おいおいおい。テメェこそやる気か?」

 

 そっちがその気ならいつでも相手になってやる。

 そう言いたげな怒気の込められた口調だった。

 

「今回は見逃してやる。テメェとやり合うのにはもっと相応しい舞台がいるからな。それまで、せいぜい生き延びることだ。――転移」

 

 PoHのアバターが転移のエフェクトに包まれる。

 今のあいつは無防備だ。確実の高威力のソードスキルを叩き込める。

 だがそうしたら……。

 PoHもそれを理解して俺ではなく、背後にいるエリに視線を送ってるように思える。

 やつの姿は十数秒後に消える。名称指定ではなく、マーキングした地点への転移。もうやつの足取りを追うことはできない。

 俺は結局、殺意に任せてやつを斬れなかった。それが幸運だったのかどうかはわからない。

 だが、エリを死なせずに済んだ。

 

「――エリッ!」

 

 俺は床に転がる鍵を拾い、すぐさまエリに駆け寄った。

 よく見れば、彼女の手足に巻き付く鎖には鍵穴があり、そこに填めるとあっけなく拘束は解除された。

 支えを失い倒れそうになるエリを抱きとめる。

 裸の女の子を前に、興奮ではなく深い悲しみしか感じられない。

 

「キリ、ト。わたし……。わたしっ…………!」

 

 声にならない声を上げ、エリは幼子のように泣いていた。

 彼女が泣いてるように見えたことはあれど、こんなにも素直に泣いているところは見たことがなかった。それだけ彼女が感じた恐怖や苦痛は大きかったんだと、俺は無言でなにかに責め立てられているような気がした。

 エリをゆっくりと床に座らせると、俺はアイテムストレージからギルドコスチュームのコートをオブジェクト化してエリの肩にかけた。

 本来ならプレイヤーの身長に合わせて装備はサイズが変更されるが、これはオーダーメイド設定でその機能がオフとなっているため、やや彼女には大きい。

 

「ごめん……」

 

 俺は色々なことに対しての謝罪を口にした。

 彼女は俺のコートを掴んで引き寄せると、胸の中で声を漏らしながら泣いていた。

 俺は背に手を回して、彼女が泣き止むことを待つしかできない。

 かける言葉は見つからなかった。

 こんな目に遭わせてしまって、エリは俺を許してくれるのだろうか……。

 許してくれなくてもいいと思う。

 罵詈雑言を浴びせられてもいいと思う。

 死んだ人間はもう許してくれないし、恨んでさえくれない。

 そうしてくれるのは、生きている人間だけの持つ特権だ。

 エリは生きていた。

 彼女の持つ体温はそれを俺に教えてくれる。

 たまらなくなって、俺の目尻からも涙がこぼれ落ちた。




キリト「(サチ。今だけでいい。君の大切な人を守るために力を貸してくれ)」


 二刀流はないけれど、月夜の黒猫団を背負い、盾を構えるキリト君。

 サチはスキル編成はこのまま続けるけれど、タンクにならないと結論を出したので、14話でエリに助言された通り、あの後キリト君がタンクに転向していました。


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33話 棺桶と鎮魂歌(14)

 エリが落ち着いてから、俺たちは転移結晶を使って一足先にKoBのギルドハウスに戻った。

 落ち着いたというよりは茫然自失というほうが正確だ。その姿はあまりにも痛ましく、彼女を知る人間が見れば心を抉られるような苦しさを感じることだろう……。

 KoBのギルドハウスで待っていたリズは、エリの姿を見ると涙を流しながら彼女を抱きしめた。

 クラディールの件もあってKoBといえど信用できなかった俺は、2人を見守るべく部屋に残り、壁に背を預けて無言を貫いていた。

 

 アスナたち討伐隊が帰還したのはそれから1時間後のことだった。

 アスナもエリの様子を見に駆け付け、事の顛末を俺から聞くと、ただでさえ白い肌からは色が抜けて真っ青になった。

 俺もあれからどうなったのかを聞いたが、向こうも思いの外悲惨な状況だったらしい。

 討伐隊からは死者が11人。ラフコフ側からは21人。合わせて32人の死者が出たのだという。なお、クラディールは討伐隊側の死者に含まれていた。

 捕縛に成功したのはわずか12人。死んだ人数に比べ、あまりにも少ない数だった。

 それに加えPoHやザザだけでなく、ジョニー・ブラックすら討伐も捕縛もできなかったというのだから、ラフコフが壊滅したとはまったく言えない。

 30人以上の一線級の犯罪者プレイヤーが消えたことでやつらの動きは鈍るだろうが、これからもまるで末期癌のように、このソードアートオンラインを蝕み続けるのかと思うと腸が煮え返りそうになる。

 

 それから俺はアスナと犯罪者フラグ解除のクエストをする予定を立てると、エリを彼女たちに任せて11層にある月夜の黒猫団のギルドハウスへと帰った。

 今の時刻が夜更けであったのは幸いだった。俺のカーソルカラーは殺人を行ったことを示すレッドであり、それに対するプレイヤーの過剰な報復がいかに恐ろしいものなのかは、正月の一件で嫌というほど目にしていた。

 

「ただいま……」

 

 暗闇の広がるギルドハウスに灯りを点ける。

 茹だるような熱気と、いつもの無言が出迎えてくれて、今日ばかりは溜息を吐いた。

 装備を解除してラフな服装に着替えていると、特製のコートをエリに預けたままなことに気がつく。今まで俺以外の誰も袖を通したことのないギルドコスチュームだ。だがそもそも服の貸し借りなど現実でさえそうそうあることではなく、ギルドコスチュームはあの1着しか存在しないのだから当り前の話だった。

 

 頭は疲労感を訴えていたが、ベッドに入っても眠れそうにない感じがする。

 俺は保管用チェストの中からアルコール系のドリンクと氷を取り出してオブジェクト化した。

 以前飲んでいた物とは別の銘柄だがこれもウィスキー。いつぞやエギルに飲んでいる物の話をして、氷で割れば美味くなるということを聞いてからは、ゆっくり飲めるときはこうしてひと手間を加えるくらいはするようになった。

 ロックグラスに琥珀色の液体を注ぎ、耐久値の高い丈夫な氷を1つ入れる。

 夏場の気温設定のせいで溶けるのは早そうだ。室内温度変更系のアイテムくらい買っておくべきかもしれない。

 

「サチ……。俺、人を殺しちゃったよ……」

 

 俺はグラスの液体をちびちび飲みながら虚空に呟いた。

 アスナを殺そうとしていたプレイヤーの名前はなんだったのだろう。俺は彼の名前も確認する暇なく首を切り伏せた。ああしなければアスナが危なかったというのは言い訳だ。彼の剣をソードスキルで相殺して、それから拘束用アイテムを使えば生きたまま監獄に送れたかもしれない。

 そしてもう1人。クラディールに関しては言い訳のしようがない。

 俺の中にあんなどす黒い感情があるなんて知らなかった。

 もし同じような状況が起これば、俺はそいつを殺してしまうかもしれない。それがこのゲームをクリアして、現実世界に帰った後だったとしても……。

 この血で穢れた俺の手は、本質的にはラフコフの連中と同じだ。

 俺は俺の欲望に従って人を殺した。端的に言い表せばそういうことになる。

 

 ウィスキーをもう一口。

 こんな俺が、これからも月夜の黒猫団の看板を背負っていていいのだろうか? それは死者への侮辱じゃないのか?

 だが俺からこのギルドを取り除けばなにも残らない。二度と立ち上がる事が出来なくなる。それは……、駄目だ……。

 デスゲームが始まり、クラインを置いて1人ではじまりの街を出たあの日。

 力がなければ、自分よりも強いプレイヤーに搾取されるという恐怖が真っ先に思い浮かんだ。俺がレベルを必死に上げて攻略組であり続けるモチベーションはそれだけではなかったが、その考えが正しかったと今なら心から言える。

 強くてよかった。そうでなければエリは死んでいた。

 サチたちを守れなかった、あのときの俺は弱かったのだ。俺はあれから強くなり、同じ轍を踏む真似はしないで済んだ。

 だから俺はこのギルドから、月夜の黒猫団から逃げることはできない。

 これを失えば俺は弱くなる。そのとき、目の前にやつが――PoHが現れればきっと勝てないから……。

 

「ケイタ。ごめん……」

 

 こんな理由で、月夜の黒猫団を続けてしまって、ごめん。

 代わりじゃないけど、その分お前たちが生きていた証を残すから。それで、少しだけ許して欲しい。――ああ……。許してはくれない、か。

 俺が頭の中を整理しながらしばらくグラスを傾けていると、ノックの音がした。こんな時間に誰だろうか……。

 玄関の覗き穴から外の様子を確認すると、そこには知り合いのプレイヤーが1人で立っていた。

 

「まだ起きてるカ?」

 

 それは金色の髪をフードに隠した鼠の二つ名で呼ばれるプレイヤー、アルゴだった。

 

「どうしたんだ、こんな時間に」

「話が、あってナ……」

「……上がっていくか?」

「そう、だナ……。うん。そうさせてくレ……」

 

 アルゴは浮かない表情のまま、ギルドハウスに入った。

 俺の推測ではラフコフの拠点を知らせたのは彼女だ。おそらく今日の作戦で死んだプレイヤーたちに責任を感じているのだろう。

 アルゴをひとまずリビングのテーブルに座らせ、俺は気の利いた物でも出そうとチェストの中を探した。

 

「これ、酒カ? 未成年がこんな物飲んじゃ駄目なんだゾ」

「ゲーム内だから飲酒にはならないって勧めたのはあんただろ」

「あー……。そうだったナ。――貰ってもいいカ?」

「別にいいけど」

 

 取り出しかけたコーヒーをチェストに戻す。

 代わりに俺はもうひとつグラスを出して自分用に注いだ。

 

「それで話って?」

「そう急かすなヨ……」

 

 そうは言うが、アルゴは勢いよくグラスの中身を飲み干した。

 まるでアルコールの力を借りなければ話を始める一歩が踏み出せないかのように……。けれどこの世界ではアルコールで酔うことはない。どこまでもいっても、素面なままで語ることしかできないのだ。

 俺はアルゴに言われた通り、彼女が自分から話しだすまで待つことにした。

 しばらく無言が続き、空になったグラスの中で溶けた氷が鈴のような音色を奏でた。

 

「……情報屋は、今日で店じまいダ」

 

 小さな声だったが、彼女の声以外がしないこの場では、聞き逃すことはできなかった。

 

「らしくないな。今日の犠牲者はアルゴだけの責任じゃないさ」

「キー坊にはバレてたカ」

「アルゴの情報力は信頼してるからな」

「信頼、カ……。それなんだヨ。オイラは情報屋として一番やっちゃならないことをしちまっタ」

「一番やっちゃいけないこと?」

「偽情報を掴ませたのサ」

「誰だって失敗はあるだろ。情報が洩れてたのだって内部にスパイがいたせいで――」

「違うっ! そうじゃないんダ……」

 

 アルゴの声がまるで悲鳴のように聞こえた。

 彼女は普段、対面して話すときは相手の目をよく見る。けれど今日に限っては、俺の顔をちっとも見ようとしないでいた。

 アルゴは続く言葉を言おうとして口を開くが、声にならず口を閉じる。

 今度はグラスに手を伸ばしたが中身はとっくの昔に空だ。

 俺はボトルから彼女の使っているグラスに液体を注いでやると、また一息に飲み干した。

 

「……軽蔑してくれて構わなイ」

 

 前置きを言葉にする。

 

「エリにゃんを売ったのはオイラなんダ」

 

 身体の芯から凍えるような感覚がした。

 

「いま、なんて……」

「エリにゃんを、オイラがPoHに売ったんだヨ」

「――どういうことだっ!」

 

 どす黒い感情が再び燃え上がる。

 理性が途切れ、思いのままを、俺は手近な場所にあったグラスに当たり散らした。手の甲で弾かれたグラスは壁にまで跳んで砕け散る。

 俺は高レベル特有のあまりにも高いSTRに任せてテーブルを掴むと、それを思い切りアルゴの背後にある壁に叩きつけた。ギルドハウスが揺れるような衝撃と、ガラスの砕ける音が混じって木霊した。

 彼女との間を阻む物はなくなり、俺は一直線にアルゴへ掴みかかっていた。

 アルゴは女性の中でもかなり小柄な部類で、片腕で吊り上げらると宙に足が浮いてしまう。

 装備をすべて解除していたのは行幸だった。俺の右手はいつのまにか剣を探して彷徨っていた。

 

「そんな、泣きそうな顔するなヨ……」

 

 宙吊りにされて至近距離に見えるアルゴの表情は、今にも泣き出してしまいそうなものだった。

 我に返って手を離すと、アルゴは体勢を崩すこともなく床に着地した。代わりに俺が数歩後ろにふらついてしまう。

 

「ここで斬られても文句は言わないヨ」

「エリが、どんな目に合ったかわかってるのか?」

「アーちゃんからさっき聞いたヨ。まさかこんなことになるなんて思ってなかったんダ……」

「なんで、そんなことをしたんだ……」

「聞いてくれるのカ?」

「あんたが理由もなく、そんなことをする人間じゃないとは思ってる」

 

 でも理由があれば許せるとも思えない。

 そうか。だから、情報屋を止めるだなんて言い出したのか。

 

「オイラもラフコフはなんとかしないといけないって思っててナ。でもあいつらのアジトを探し出すのは想像以上に難しかったんダ。それでもPoHと交渉のテーブルに着くことはできてナ。信用を勝ち取るピースがあればなんとかなるところまでは漕ぎ着けたんだヨ……」

「それでALFの隊長をやってるエリを選んだのか」

「アア。それもあるナ。けどオイラはエリにゃんがラフコフのメンバーなんじゃないかとずっと思ってたんダ」

「それは……、あくまで噂だろ?」

 

 ALFには悪いうわさが昔からあった。

 だがそれは大なり小なりどの大ギルドも抱えているものだし、エリが直接かかわっているとは到底思えないでいる。

 正月の一件で悪名がいくらか流れていたが、あれはしょうがないことだった。

 

「オイラは信憑性の高い情報を手に入れた――と思ったんダ。ただ今回の顛末を見ればそれが本当だったのかさえ疑わしく思えてキタ。全部PoHに仕組まれて、踊らされただけなんじゃないかってナ。それだけじゃナイ。エリにゃんを罠に嵌めるために関係のないリズベットちゃんにまで危険な目に会わせちまっタ。オイラはどうかしてたんだろうナ……」

 

 まさに、その通りだろう。アルゴは情報屋のタブーを犯し、彼女たちを危険な目に合わせた。エリに関しては、命だけが唯一無事だっただけだ。

 

「オイラを斬るカ? キー坊になら、いいよ。今なら丁度、斬ってもばれないからナ」

 

 俺のカーソルはレッド。誰かを殺めても、知られることはまずない。

 手を握りしめ、解く。それを何度か繰り返すと、クラディールを斬ったときの感触が蘇ってきた。

 俺は――首を横に振った。

 アルゴのしたことは許すべきじゃない。だからといって、これまで親しくしてきた相手を殺すなんてことは俺には重すぎる……。

 できることならもう誰も殺したくはないというのが本音だった。例えそれをアルゴ自身が望んでいるのだとしてもだ。

 

「これから、どうするつもりなんだ?」

「ALFに出頭するカナ。このゲームがクリアされるまでは監獄に入っておくことにするヨ……」

「そうか……。寂しくなるな」

「まだそう言ってくれるなんて、キー坊はお人好し過ぎるゾ」

 

 アルゴは努めて笑顔を作るが、それは後悔に彩られた笑顔だった。

 

「これ、リズベットちゃんとエリにゃんに渡してクレ」

 

 アルゴが俺へトレードで送ってきたアイテムとコルは、おそらく彼女の所持するすべてだ。

 信じられないコルの額と、見たことのないアイテムの数々は、最前線でも彼女が戦えたのではないかと思わせるほどだった。あるいは彼女も人知れず、俺と同じように最前線をソロで渡り歩いていたのかもしれない。

 

「最後に、聞いておきたいことはあるカ?」

「……いいや、ないよ」

 

 上手い狩場だったりクエストだったりを聞いておくべきだったかもしれないが、今はそんな気にはなれなかった。

 

「元気でな、アルゴ」

「死ぬなよ、キー坊。エリにゃんを頼んだゾ」

 

 去り際に見せた彼女の表情は、今まで見た中で最も弱々しいものだった。

 この日、情報の最前線で戦うプレイヤーが1人、ドロップアウトした。

 その噂は瞬く間に広がり、彼女の悪名は轟くこととなる。噂には尾ひれがつき、アルゴはラフコフのメンバーだったという話まで出てきた。それを止める者は誰もいない。

 

 彼女は今頃どうしているのだろうか……。

 鉄の城の地下深くに、彼女を惑わし狂わせてしまった情報が届かないでいてくれればいいと、俺は少しだけ祈った。




 アルゴが好きな方々にはごめんなさい。
 でもアルゴの読みは概ね間違ってなかったんです。
 エリはラフコフの関係者といいますか、実質ジョニーやザザと同じ幹部待遇でした。
 それに結構とんでもない数のプレイヤーの殺害に関与してます。
 ただまあ、ラフコフ討伐戦の結果だけ見れば、目を覆いたくなるようなものでしたが。

 そして『棺桶と鎮魂歌』もこれにて終了となります。
 戦闘も話数も多い章となってしまいましたが、いかがだったでしょうか?

 語りたいことが沢山ある章でしたが、そのうちのいくらかが伝わっていれば幸いです。
 ちなみにジョニーとザザは、原作ではこのとき捕まっていますが、そこは原作との変更点です。


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34話 灰色のエンドロール(1)

――2024.9.23――

 

 

 あれから私は引き篭もった。

 ゲームの中でまで引き篭もる羽目になるとは思わなかったが、2年も過ごせば、もはやこちらが現実といっても差し支えないくらいに身体は馴染んでいる。つまり現実同様に引き篭もってもおかしくはない。

 だが現実とは打って変わって、引き篭もった後も私の部屋には来客がよく訪れる。

 リズベットを始めとして、キリトにクライン、ALFの部下や他ギルドへ移籍した連中。あとは結城さんまでがやってきた。そのほとんどがラフィンコフィンの討伐に参加したプレイヤーだというのは後から知った話だ。

 ラフコフを壊滅させるためなのか、私を救出するためなのか、多くのプレイヤーが集まり、死んでいったそうだ。

 どうしてPoHは私を生かしたままにしたのだろうか。

 ――考えるのはよそう。あいつのことは思い出したくない。

 頭を振って思考を破棄する。

 

「エリー。いる?」

 

 ノックの音を鳴らしながら、最近よく聞く声がした。

 

「いるっすよ……」

 

 システムウィンドから扉のロックを解除し、声の主を招き入れた。

 私は包まっていた毛布から這い出て彼女の姿を見る。

 檜皮色のパフスリーブに同色のフレアスカート。その上にピンクと白のふわふわなパーカーを羽織っていて、手袋も嵌めている。

 リズベットの暖かそうな格好を見ると、時間の流れを感じさせられる。季節は秋の終わり。もうすぐ冬が始まろうとしていた。

 

「おはよっ! 朝御飯まだでしょ?」

「そうっすけど……」

 

 リズベットはアイテムストレージから、スープやサンドイッチを取り出してテーブルに並べると、カーディガンを仕舞い椅子に座った。

 毎朝というわけではないが、彼女はよくこうして朝食を届けてくれる。以前来たときに食事を摂っていないことがバレたためだ。

 どうしてわかったのかと聞いたところ、「顔を見ればわかる」と言われてしまった。外見データに変化ないはずなのだが……。

 流石にこうして出された食事を食べないわけにもいかず、私も椅子に座り食事を始める。

 

「「いただきます」」

 

 リズベットの持ってきた食事は普通に食べれる。

 彼女との食事を繰り返しているうちに、徐々に食事も喉を通るように改善されてきていて、今では小食の部類に収まる程度には食べれるようになった。

 それ以前からも、人に勧められればどうにか食事は行えた気がする。

 精神のバランスを著しく崩すのはいつだって独りでいるときだ。よって睡眠は未だに上手くできていない。

 

 きっとそれは私の意思を抑えて、私のペルソナがそう振る舞うからだろう。

 ペルソナとは外的側面、立場や状況によって付け替える性格のようなものだ。

 例えば今、リズベットと接しているのは友人としてのペルソナだ。悩みを打ち明けたり、あるいは悩みを聞いたり。一緒に食事を楽しみ、恋話に花を咲かせる。そんなペルソナである。

 少し付け加えるなら、私は落ち込んでいて慰められる立場というものが付随される。逆にリズベットは私を慰める立場が付随するわけだ。

 

 この部屋から出て、治安維持部隊の本部に顔を出せば、私は隊長としてのペルソナに付け替えるだろう。手際よく書類を片付け、戦闘訓練で部下をしごき上げ、実戦では先頭に立ち指揮をする。そんなペルソナに。――いや、このペルソナは少し崩れてきていたか?

 

 ともあれ人間はどのような立場にあるかで、その性質を大きく変えられてしまう。

 仮にあの看守長室に、あのメンバーを揃えれば、私は再びなんの躊躇いもなく人を殺せる。

 頭を振る。考えるのはよそう……。

 どうしても私の思考、経験が彼らに結びついてしまう。

 それもそうか。彼らとの付き合いはこのソードアートオンラインが始まった初期から続いていたものだ。それも断裂することなくずっと……。期間という意味では彼らが最も長い。

 頭を振る。考えるのはよそう……。

 

「大丈夫?」

 

 リズベットが心配そうに顔を覗き込んでいた。

 手に持っていたままだったサンドイッチを一度皿に戻す。

 

「大丈夫っすよ」

「無理しちゃ駄目だからね」

「はーい」

 

 無理どころか、最近はほとんどなにもしていない。

 日がな染み一つない天井を眺めてベッドに倒れているだけだ。

 

「こんなことなら、もっと前から会いに来ればよかったわね。……でもエリが会いに来なくなったのって、私に危険が及ばないように考えてくれてたからなのよね」

「どうっすかね……」

 

 直接言葉にはしないまま、肯定するようにつぶやいた。

 けれどそれは嘘だ。私はサチと一緒にいた時間を忘れたくて、リズベットまで避けただけである。

 あいつらがリズベットに危害を加える可能性を考え出したのはずっと後になってからだった。

 頭を振る。考えるのはよそう……。

 

「ごめんね。私のせいで……」

「その話はなしっすよ……。お互い落ち込むしかできなくなるっすから」

「うん。そうね……。ごめん……」

 

 私たちの関係は、リズベットは私に恩があり、その恩につけ入り私はリズベットに甘えているというものだった。ここに少しのビジネスを混ぜれば完成だ。

 だが今ではビジネスがなくなり、代わりに罪悪感がブレンドされた。私が甘えるという代価を所望するだけでは足りないと、リズベットは感じているのだ。

 だから彼女も落ち込む。落ち込んでいる人間には甘えきれない。

 

「……膝枕1回で許してあげるっす」

「ふふふ。1回でいいの?」

「今はそれだけでいいっすよ」

「食べてすぐ横になると身体に悪いわよ」

「ここじゃあ実際に物を食べてるわけじゃないんすから、平気っすよ」

「そういえば、あんたってそういうやつだったわね」

 

 リズベットは計算通り、少しだけ調子を取り戻して笑った。

 朝食を食べ終えるとリズベットはベッドに腰かけ、私は彼女の膝の上に頭を置いた。

 リズベットからはバニラのような甘い香りが漂っている。

 彼女のスカートに頬を擦りつけていると、ポンと頭に軽く手が乗せられ、髪を優しく梳かれた。

 

「リズはキリっちとあれからどうなんすか?」

「全然駄目。あれは敵わないわ……。あいつったら未だに毎日手を合わせに来るのよ」

「律儀っすねー」

 

 私には到底真似できない。

 酷い話だが、私は自分の意思で墓参りなど一度も行っていないくらいだ。

 

「あれはアスナでも――あ、ごめん……」

「いいっすよ。そこまで気を使わなくたって。リズがアスナさんと仲良くしてても、それはリズの自由っす。私もそんなことに目くじら立てるほど狭量じゃないっすから」

「うん」

 

 リズベットと結城さんが、私のいない間に交友関係を築いたのだろうということは、今のニュアンスで伝わってきた。

 私もちょっとくらいは嫉妬をするけれど、あれだけの期間リズベットを放っておいたのだからしょうがない。……しょうがない。

 

「ねえ……」

「なんすか?」

「あー……。やっぱりいいや。なんでもない……」

 

 おそらくリズベットは、「アスナと仲直りしてみない?」などと言いたかったのではないだろうか。友達同士の仲が悪いのでは、どうにかしたくなるのも無理はない。

 ハッキリ言ってくれてもいいのに……。

 リズベットも私を腫れもののように扱っている。

 それは罪悪感からなのだろうが、別にそこまで気にしなくてもいいのだ。

 なにせこの身体は現実のものではない。どう扱われようと所詮デジタルデータを脳へ送りこんで錯覚させているだけの偽物である。現実に影響を与える本物と呼べるものは、HPを0にして殺害する行為くらいだ。

 ……ああ。そうだとすれば、この手の温もりさえ偽物になってしまうのか。

 それは、ちょっと嫌だな。

 リズベットが、ただの1と0で表現される情報の集積体とは思いたくなかった。

 でもそうだとすれば、私のこの身体も本物となるわけで。

 だったら私は――。

 

「エリ、エリ?」

「ん。どうしたっすか?」

「ちょっと様子おかしかったわよ。大丈夫?」 

「大丈夫っすよ」

 

 考えるのはよそう……。

 

「そうだ。私、そろそろ治安維持部隊に戻るんすよ」

「えぇ!? へ、平気なの?」

「平気っすよ。それに、なんか隊長の席は残してくれてるみたいっすから、早く戻ってあげないと」

「そっか……。ねえ、装備は間に合ってる?」

「どうしたんすか?」

「ほら、私って鍛冶屋なわけでしょ。あんたにプレゼントしてあげられるものっていったら、そうなるかなあって」

「リズぅうう」

「はいはい」

 

 私は頭の向きを反転させて、彼女の腰に抱き付いた。

 リズベットは意外とスタイルが良い。腰が細いのもそうだし、頭頂部に当たっているこの膨らみも驚異的だ。バストでは負けていないが、それがなんの慰めにもならないのは明白である。

 頭を擦りつけるように振った。考えるのはよそう……。

 リズベットは優しく私の肩に手を回して抱き返してくれた。

 

「なにか要望ある?」

「うーん……。じゃあ軽量級の大盾で」

「また変わった物欲しがるわね……」

「一般的な装備はギルドの支給品で賄えるんすよ」

 

 量産品の製作で未だシェアを握っているのがALFだ。

 それに私はレアリティ―の高い超級装備といえば、AGI上昇のアクセサリーしかなかったため、ある程度の誤魔化しは利く。

 本当なら防具を軽、中、重のそれぞれを最新式で揃えたかったが、そこまで無茶な要求は出せない。というか大盾1つでも十分破格のコルがかかるのだ。防具を一式を揃えでもすれば家が一軒買えてしまう金額になる。

 タンク系はこうした理由から金食い虫であり、それがタンクの数を減らす要因にもなっているのかもしれない。

 

「ああ。それもそうね。じゃあ完成したら持ってくるから期待してなさいよ」

「ありがとうっす」

 

 現実と同じように引き篭もった私だが、現実とは違い立ち直れた。

 きっとそれは、現実の私にはたった1つ以外なにも支えがなかったからで、仮想の私には支えてくれる人がいるからだろう。

 とはいうものの、あんなことがあったというのにまだ戦おうとする私は、度し難いほどの馬鹿なのかもしれない。

 考えるのはよそう……。

 

「もう、無茶しないでね……」

「もちろんっすよ」

 

 そうは言うものの、保証はしかねる。

 無茶をするときのペルソナを被った私を、私は止められないだろうから。

 だって私のペルソナは私の意思を無視して行動できてしまう。

 ユナを殺した、あのときのように。

 

 

 考えるのはよそう……。

 

 

 今はなにも考えたくない……。

 

 

 もうなにも考えずにいたい…………。

 

 

 思考を放棄して、意識さえ手放す。

 

 

 リズベットの体温を感じながら、今はただ、微睡みに沈んでいく…………。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

「――攻略隊の復活っすか?」

 

 治安維持部隊に復帰して幾日かが経ったある日、私はキバオウに呼び出されてそう告げられた。

 復帰したといっても部下たちは私に気を使い仕事の大部分をやってくれている。

 犯罪者プレイヤーもラフコフが壊滅した一件から鳴りを潜めており、出動要請もほとんどない。

 私のいない合間に、随分と楽な職場になったものだ……。

 おかげで私がやっている主な業務はレベリングの監督となっている。私自身も、今まで積み立てて来たレベルが追い付かれつつあり、必要に駆られてのことだった。

 

「そうや。幹部の一部が、ワイらの活動に疑問を覚えとってな。ここでひとつ成果を出さんとあかんつう方針になったんや」

「そうっすか……」

 

 ラフコフ討伐はKoBが主導ということになっていたんだったか?

 DDAやALFも協力したが、掲げるギルドのスローガンとしてはALFが率先して解決しなければならなかっただろう……。

 もっとも、即座に判断できない事態だったという、裏事情が存在するのを私は知っている。

 そもそもラフコフのスポンサーをしていたのはALFだ。

 見返りにALF――というかキバオウは政敵の排除などの後ろ暗い部分をラフコフに引き受けてもらっていた。

 だからこそ率先して捕まえるわけにはいかなかったのだ。

 

「PoHから……、あれ以来連絡は?」

「ない。もう縁もスッパリ切れた。ワイもこないなことになってしもうて、エリには申し訳ない気持ちでいっぱいや。すまんかった。この通りや」

 

 キバオウは椅子から降りて、土下座をした。

 別に土下座をされても嬉しくはないし、それほど誠意も感じない。

 やつは本当にキバオウとの縁を断ち切ったのだろうか? キバオウがこの場で嘘を吐いているだけというのは十分ありえる話だ。

 頭を振った。考えるのはよそう……。

 

「それで攻略隊っすか」

「エリは元々攻略畑のプレイヤーやったし、今でもレベルは十分にある。せやからあんさんにも、攻略隊に加わってほしい思ってな」

「キバオウさんは?」

「ワイはもう無理や。レベルの差が開き過ぎてまったからな。あの頃には……戻れんよ」

 

 キバオウはどこか遠い目をして言った。

 あの頃に戻りたい。彼もそう思っているのだろう。

 私は……。私だってそうしたい。25層に挑む前に戻れるなら、なんだってできるだろう。でも死んだ人間は生き返らないのだ。

 例え攻略隊を再結成しても、メンバーや状況はまるで違う。

 ユウタも、あの頃の私も、もういない。

 

「いいっすよ。その辞令、しかと拝命したっす……」

 

 シンカーが追いやられて以降、キバオウが実質的なトップだ。

 そのキバオウからの命令を拒否するというのは、隊長の私でもよほどのことがなければできない。

 今更私が他のギルドに席を移すなんてことはできないし、ギルドを辞めてフリーになるというのも考えられなかった。

 だからこれは当然の帰結である。

 

「すまんなあ」

「それで、誰をトップにするんすか?」

「それなんやけどな……」

 

 キバオウが資料らしき紙のオブジェクトを渡してくる。

 私がトップをさせられるのかと思っていたが、どうやらそれは自惚れだったらしい。

 

「コーバッツ、さん?」

 

 知らない名前だ。

 

「せや。物資の補給部隊で隊長やってるやつでなあ。指揮官としてやっていけそうなやつ言うたら、彼しかおらんかったんや」

「そうっすか」

 

 まあ私はPvPの指揮経験は豊富だが、PvEの指揮はほとんどしていないのでしょうがない。

 彼の経歴を見るにそこそこの規模のパーティーをフィールドで運用しているようだ。部署が違うため、今まで全然知らなかった。

 メインの狩場にしている層は、最前線とはいかないが、なかなか上層の場所。レベル的には最前線の安全マージンを確保しているようだが、少し不安の残る値だ。

 

「メンバーはどうするんすか?」

「それはあらかた決めとる。その辺は顔合わせのときに確認してくれや」

「了解っす」

「予定してる訓練期間は2週間とちょっとや。73層がクリアされて5日経ったら最前線行きやから準備しとってくれ」

「……急じゃないっすかね?」

「せやけど、もたもたしてればクォーターポイントに入ってまうからな。それは避けたいやろ」

「あー。そうっすね……」

 

 あの悪夢のような25層は言うに及ばず。私は参加しなかったが50層もかなりの数の死者が出たらしい。

 これらの経験から、クォーターポイントごとに強力なフロアボスが配置されている可能性は高く、75層の攻略は私としても避けれるなら避けたいところだ。

 

「シワ寄せはいつも実働部隊にっすか……」

「かんにんな」

「一度引き受けたからには全力で挑むっすよ」

 

 情報部は今も機能しているのだろうか。

 まずはその辺りから新鮮な情報を集めて対策を立てるところから始めよう。

 半年のブランクが2週間で補えるとは思えないが、2週間とは1つの階層がクリアされるほどの期間でもある。

 この機を逃がし攻略組が75層のクリアに手間取れば、1カ月後で済めばいいが、下手をすれば年末にまで差し掛かりギルドの決算と被る。それまでに結果を出さなければならないという思惑も絡んでいるのだろう。

 ブランクは攻略だけでなくこうした政治闘争もそうだ。久々の嫌な空気が鼻孔をくすぐる。

 果たして錆を落とし終えるまで、私は生きているだろうか……。

 

「ほんま、すまんなあ……」

 

 キバオウしたこの険しい表情は、どこかで見覚えがあった。




救出から3カ月くらい経ってます。
人前では平気なフリをしてしまうエリは、
不定の狂気から回復しないままシナリオ続行です。


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35話 灰色のエンドロール(2)

「全員整列!」

 

 コーバッツの勇ましい声が黒鉄宮内にある大広間に木霊する。

 その号令に従って6パーティー、コーバッツを除いた35名が黒塗りの鎧を着用して一糸乱れぬ――とまではいえないが、姿勢を正して靴音を鳴らした。

 

「我々はこの日のために弛まぬ訓練を重ねてきた。それはすべて、我々の攻略を望む一般市民からの熱い要請あってのことだ。諸君の肩には彼らの命運がかかっていることを忘れてはならない。故に――」

 

 攻略隊がフルメンバーどころか予備隊まであった頃は、広場で同じことをしたっけかと、私は過去に想いを馳せ、コーバッツの演説を聞き流しつつ現実逃避をしていた。

 フロアボスと戦う際の限度人数はフルレイドと呼ばれる8パーティー48人。ここにいるプレイヤーは2パーティー分も足りていない。

 ならば私たちはフロアボスに挑戦しないのかというと、そんなことはないのだ。

 この攻略隊がいかなる目的で作られたのか、コーバッツという男と接した私は理解していた。

 

 コーバッツはハッキリ言って無能だ。ルキウスなど目でもない。

 彼は他人の話を聞かず、プライドが高く、技術がない。

 口調が強く、身長が高いため威圧感があり、それでどうにか補給隊を取り仕切っていたのだろう。

 訓練で指揮を取っていた彼は、私からのアドバイスを一顧だにせず、なんの役に立つかわからない横隊陣形や縦隊陣形、密集陣形といった謎の練習をさせていた。

 彼が自分の事をコーバッツ中佐と名乗っていることから、そうしたロールプレイの一環なのだろうとうことが察せられる。

 こんなやつを指揮官に据えるくらいなら、経験の一切ないリズベットを据えた方が俄然有用だ。少なくとも彼女には自分ができないということを理解していて、話を聞くだけの知能がある。

 そんなおままごとを戦場に持ち出すような屑がなぜ隊長に選ばれたのか。

 25層のことを思い出せば嫌でも分かる。

 

 ――死んで来い。

 

 つまりはそういうことなのだろう。

 それを理解できているプレイヤーはどれだけいるのだろうか。

 視線だけを動かして周囲を見渡すが、誰もが彼に委縮してしまっているようで役に立ちそうもない。私の部下にあたる治安維持部隊のメンバーはいない。露骨すぎる配役だ。

 

 今回のターゲットはおそらく私。

 キバオウ派の足場が崩れかけているのは本当で、代わりの神輿になりそうなのが私ということでこうも潰しにきているのだろう。

 ラフコフ討伐の一件で、助けに来てくれたプレイヤーが意外に多かったことが発端だろうか。

 ああ。それとラフコフが消えて、PoHも姿を隠したことも関連していそうだ。

 考えるのはよそう……。

 

 今回の作戦はいかに迅速にコーバッツを排除できるかにかかっている。

 25層のときのような失敗はなしだ。今回は死んでもいいプレイヤーばかりで、クォーターポイントのボスでもないため、当時より楽な作業になる。

 キバオウも私が生き残ることは考慮しているだろう。その場合、失敗の責任を押し付けて退任を迫ることが予想される。25層の責任も材料に加えてくるのではないだろうか。

 ともすれば私は後のことを考えて立ち回る必要もないわけだ。

 MPK――エネミーを使ったPKはしたことがないが、つまりはそれをすればいいということだ。どうせ責任を被るのなら露骨でない程度なら、どれだけやっても許される。ああ、違うか。許されないことが前提だからやっても構わないのだ。

 計画を立てているとだんだん気が楽になってきた。

 さっさとフロアボスを見つけて彼を排除しよう。

 

「――以上だ。それでは全隊、進軍せよ!」

 

 気がつくと彼の長い演説は終わっていた。

 私たちは隊列を維持したまま転移門へ向かい74層に跳んだ。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 74層は現在、迷宮区手前まではマッピングされている。

 そのデータはすでに受け取り済みで、私たちは迷うことなく森林地帯を進んでいた。

 道中見かけるエネミーはアンデット系とリザードマン系。

 邪神崇拝をするリザードマンたちと、彼らが呼び出したアンデットというバックストーリーなのだと、私は情報班の面々から聞き及んでいる。

 おそらくフロアボスはリザードマンが呼び出した邪神とか、その辺りだ。

 ボスフロアに出現するモブはリザードマン。それも魔法を使うようなプリーストやシャーマンタイプのものをリーダーに、ソルジャータイプまで出現するケースを私は想定していた。

 プレイヤー側が魔法を使えずとも、エネミーは稀に魔法っぽいのを使ってくる。直接攻撃系こそほぼないが、それでも狡いと思わずにはいられない。

 

「スイッチいくっすよー」

「ま、待て! もう少し粘れ」

「わかったっすー」

 

 手抜きが酷いが、道中のエネミーなんてこんなものだ。

 私は骸骨系のエネミーの長剣をリズベットからプレゼントされた大盾で受け止めていた。

 カタログスペックは小盾と中盾の中間程度で、サイズだけが大盾という奇妙な盾だ。

 青白い氷の結晶のような見た目だが、光を透過しないため壁としてちゃんと機能する。

 私は盾の後ろに姿を隠してステップでフェイントを入れると、骸骨は面白いくらいに引っかかった。敵の小盾はまるで機能せず、無防備なあばら骨に次々に私の重剣が当たっていく。

 

 これだけの大部隊がいるため私たちは滅多なことでは苦戦はしない。

 順調に戦闘を行っているものの、自分がミスをしたとき、誰かが取り返してくれるという安心感は、素晴らしいものなのだ。

 ではなぜ攻略組は日頃から大部隊でパーティーを組まないのかというと、経験値やドロップ品の旨味が激減するからだ。ソロだと今度は討伐効率が落ちるため匙加減が重要だ。だいたい1パーティー、6人くらいがちょうどいいとされている。

 

「まだっすか」

「いや、このまま倒すぞ! 全員攻撃用意!」

 

 全員って、そんな一度に攻撃できないだろうに……。

 指示に混乱して、近くのプレイヤーがおっかなびっくりに槍を突き立てているが、骸骨系のエネミーには刺突系のダメージは利き難い。

 たしか打撃系のプレイヤーを集めたパーティーがあったはずだが……。

 確認のためエネミーと距離を離して視線を飛ばすと、彼らを発見することができた。

 なぜ槍持ちの後ろにいるのだろう。

 考えるのはよそう……。彼らとはどうせ短いつき合いにしかならない。

 

「おい。離れるな!」

「あー、ごめんっす……」

「クソッ。タンクなどやはり役立たずか。なぜこんなやつを連れて行かねばならんのだ」

 

 ――考えるのはよそう。彼とは永遠にお別れをする予定だから。

 

「なにか悪寒が……。まさか敵襲か?」

 

 ともあれ骸骨エネミーを無事討伐して、私たちは2列縦隊に整列してから行軍を再開した。

 もうなにも言うまい。と思っていたが流石に怖いので、私は隊列の後ろと交代して、索敵スキル持ちのプレイヤーに随時状況を聞いている。コーバッツが五月蠅いと言いたげに見てくるが無視だ。

 

「あ、プレイヤーの反応が」

「何人っすか?」

「えっと……。5、6、7……8人です」

「微妙な人数っすね」

 

 1パーティーには2人あぶれる。

 4人パーティー2つで、ダンジョンでも攻略していたのだろうか。どうにもすぐそこらしいので、接触まではさほど時間はかからない。

 PKではないと思いたい。こんな最前線までやつらも来ないだろう……。

 考えるのはよそう……。

 

「休め!」

 

 先頭を歩いていたコーバッツの支持が聞こえた。

 どうやらプレイヤーと接触したようだ。

 雰囲気からPKではないだろうとわかり、胸を撫で下ろす。

 

「エリじゃねえか! おーい!」

 

 最前線でも呑気なやつは呑気だ。だが常に緊張してるよりも、適度に緊張の糸を緩めることができる人間の方が頑丈で、いざというとき実力を発揮できる。

 この声の主がいい例だろう。彼は私に手を振ってアピールをするので仕方なく近くに行って挨拶をする。

 

「クラインっすか」

「よう。まさかお前がこんなとこに来るなんてな……。もう平気なのか?」

「……おかげさまで」

「そうかそうか。そいつはよかった!」

 

 そんなに嬉しそうにしないでほしい……。その、なんだ……。恥ずかしい……。

 クラインがいるということは5人はおそらく風林火山のメンバーか。

 だったらあとの2人は誰だろうかと顔を覗かせて――私はクラインの陰に隠れた。

 だが遅い。クラインが大声を上げたせいでとっくに気づかれていた。

 

「こ、こんにちは……」

「こんにちはっす」

 

 結城さんが恐る恐る声をかけてくるので、私も同じようなトーンで返事をしてしまった。

 ちなみにもう1人はキリトで、彼は今コーバッツに捕まっている。

 私はそそくさとコーバッツを中心に回り込み、結城さんから距離を取った。

 

「私はアインクラッド解放軍所属、コーバッツ中佐だ!」

「俺は月夜の黒猫団、ギルドマスター代理のキリトだ」

「ぎ、ギルドマスター!? いや代理、か……」

 

 コーバッツがたじろいでいた。

 こうして見るのは久しぶりだが、キリトの前線で出す威圧感はなかなかなものだ。

 一時期は抜き身の刀のようだったが、周囲との軋轢を避けつつ舐められない距離感を見出してからは、大手のギルドマスターに引けを取らない威厳を滲ませるようになっていった。

 事情を知らない人間には、最前線でこうも堂々と名乗られれば、月夜の黒猫団とは名の知れた強豪ギルドなのかと錯覚するだろう。まさに今のコーバッツのことだ。

 

「それで。俺たちになにか用か?」

 

 キリトは不遜な態度で年上のコーバッツを凄んで見せる。

 

「君たちはこの先の攻略は終えているのかね?」

「もちろんだ。ボス部屋前まで確認ができている」

「ふむ。では、そのマップデータを提供してもらいたい」

「なっ!? テメェ、マッピングするのがどれだけ大変かわかってんのか!」

 

 怒鳴りつけたのはクライン。

 それをキリトが片手で止めるよう促した。

 

「いいぜ。それで、あんたはなにを提供してくれるんだ?」

「なに? 我々は君たち一般プレイヤーのために戦っているのだ。協力するのは義務であろう!」

「なにも提供できないのか? まあいいさ。貸し1つだぜ」

「グッ……。貴様……!」

「見返りもなく渡される情報には注意した方がいいぜ。ほら、マップデータだ」

「感謝する!」

 

 まるで感謝する気のないコーバッツの声色に、キリトは肩をすくめて見せた。

 

「いいのかよ、キリト」

「どうせ街に帰ったらDDAにも渡して、攻略組全体で共有するからな」

「そうだろうけどよぅ」

 

 そういえばキリトはマップデータを流して、根回しをしていたのだったか。

 彼の攻略スピードはかなり素早く、それを活かして攻略組全体に貢献していたはずだ。マップデータは大ギルド同士ではほとんど共有されないため、彼は丁度いい橋渡し役であった記憶がある。

 

「ボスにちょっかい出す気なら止めておいた方がいいぜ。あんたの仲間は随分と消耗してみるたいだからな」

「私の部下はこの程度で根を上げる軟弱者ではない! これで失礼させてもらう!」

 

 怒り心頭といった様子でコーバッツは休んでいる攻略隊の輪に引き下がっていった。

 

「よう。その……、もう大丈夫か?」

 

 結城さんを隔てる壁がいなくなってしまったので私も下がろうと思ったのだが、その前にキリトに引き留められてしまった。

 

「それ、さっきクラインにも言われたっすよ。ご心配をおかけしました」

「元気になってくれたみたいで良かったよ」

 

 キリトは穏やかに表情を崩した。さっきまでコーバッツに放っていた威圧感の面影はなく、出会った当初のような年相応の可愛らしい笑みだ。

 だから止めてくれ……。恥ずかしいじゃないか……。

 

「あ、えっと……。あのときは、その……。ありがとうっす。キリっちが助けに来てくれて、嬉しかったっすよ」

「あんたには借りがあるからな。利子はあれで勘弁してくれ」

「利子どころか、十分返してもらったっすよ」

 

 暗に同じことがあったら、残りの借りを返すために助けに行くと言われているようだ。

 私としては十分過ぎるほど返してもらったのだが、彼からすれば返しきれないほどに積み上がっているのだろう。

 キリトへの貸しとは、その大半がサチに関連するものだから……。

 

「あと、あのコーバッツって男には注意しろよ。その……、どうみても地雷だろ」

「わかってるっす……」

 

 一目でわかるほどの地雷、コーバッツ。

 私はこれからあれを爆発させに行くんですよとは、流石に言えない。

 

「休憩は終わりだ。もたもたするな。整列しろっ!」

 

 ヒステリックな声でコーバッツは命令を発する。

 よろよろと立ち上がる攻略隊の面々は、万全とはまるで言えない疲労感を漂わせていた。

 慣れない最前線での戦闘と息苦しい規律に、彼らの精神は相当疲弊しているようだ。

 私が隊長ならもう撤退する状況だが、例の如く事情があるためそうも言えず、言ったところでコーバッツは私の言葉に耳を貸さないだろう……。

 

「気をつけて、ね……」

 

 結城さんが小さく呟いたが、私は聞こえなかった振りをして、隊列に加わった。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 空中に浮かぶ円形状のフィールドで、36人のプレイヤーがフロアボスとその取り巻きたるモブエネミーを相手に死闘を繰り広げていた。

 フロアボス攻略は順調だ。順調というのはつまり――。

 

「突撃ぃいいい!」

 

 一塊になったコーバッツの率いるパーティーが、何度目かになる突進を行った。

 先頭に立っているプレイヤーはかろうじて突撃系のソードスキルを駆使するも、後に続くプレイヤーは眼前に仲間がいるため、満足にターゲットすることができず素の突進攻撃だ。仮にターゲット出来ているとしても、呼吸の合わない仲間を前にソードスキルでも使おうものなら同士討ちにしかなるまい。

 私だってあの集団の中で、並んでソードスキルを使うなどできはしない。

 

 ――『The Gleam Eyes』。

 

 輝く目の名を持つ、フロアボスたる悪魔型エネミーは雄叫びを上げ、彼らを両手で抱えた大剣で薙ぎ払ってしまう。

 最初にソードスキルを使って突撃したプレイヤーは攻撃を命中させることなく床に転がり、後に続いたプレイヤーの貧弱なダメージが蓄積して、一応HPは目に見えるほど削れてはいる。

 ちなみにコーバッツは集団の一番後ろに位置する。指揮官としては正しいが、あれはただの保身だろう。

 

 ボスの外見は名前の通り目が青白く輝いていて、筋肉隆々の山羊頭をした悪魔のようなものだ。

 慎重は6メートル前後。身長よりやや短い両手剣を装備していて、尻尾は蛇。下半身は山羊で上半身は人間系。悪魔といえば羽もありそうなものだが、彼にはそれがないようなので、空中からの攻撃を警戒しなくてもよさそうだ。

 HPゲージは4本だが、数はHPの量に直結しない。あれはあくまでパターン変更の目安でしかないからだ。

 その証拠にボスのHPはコンスタントに減っている。どうやら防御力は低いようだ。代わりAGIと攻撃力のスペックはやけに高い。私としては都合がいい。

 ボスは全方位攻撃など駆使せずとも、尻尾の蛇が背後に回り込んだプレイヤーを攻撃している。蛇なのだからあれは毒属性があると見た方がいいか……。

 

「スイッチ、お願い!」

「了解っす」

 

 フロアボスと戦っているのは3パーティー。

 残り3パーティーは取り巻きのリザードマンたちと戦闘中だ。

 私も取り巻きと戦っているパーティーの1つで、眼前には3体のソルジャー級が並んでいた。

 

「いくっすよ。3、2、1、スイッチ!」

 

 攻撃を受けていたタンクが下がったのを見計らって、スネークバイトの範囲攻撃で彼らのタゲを私に移す。

 モブのグループは丁度3つ。プリースト1体とソルジャー4体が集まり、彼らも1つのパーティーを形成している。

 プリーストは直接手出しをしてこない。そしてソルジャーがプリーストを守るように配置されていることから、ギミックの一種だということはすぐにわかった。

 ボスのスペックが高い原因はこのプリーストにあるのだろう。

 私はソルジャーの1体がシミターでソードスキルを放ってきたのを盾で受け流しつつ、他のソルジャーの妨げになるよう位置を変えていく。

 盾のガード性能は低いため貫通ダメージは思ったよりも大きいが、位置取りを間違えなければ受ける攻撃の頻度が下がるため結果的に被ダメージは減るだろうと計算している。攻撃に慣れてくれば回避も選択肢に入るだろう。

 

 ソルジャーやプリーストは補充式のようだ。

 撃破から一定時間が経過すると、フィールドの端に転移で現れる。

 ソルジャーの撃破タイミングをずらせば、2体ずつくらいしか相手にせずに済みそうだ。

 久々のフロアボス攻略で私も緊張していたが、思っていたより簡単で拍子抜けだった。しかしコーバッツの指揮能力や、部隊のパフォーマンスを考えればまずクリアはできないだろう。

 ボーナスステージだろうに。ちょっと残念だ。

 

 私はソルジャーを2体撃破してから、HP回復のためスイッチでタンク役を入れ替わった。

 相方となったタンクのプレイヤーはあまり上手くないため、ほとんどの時間を私が受け持っている。まあ所詮雑魚エネミーだ。素早く倒すためにはテクニックがいるが、そこまで力を入れなくてもいいとなれば簡単である。

 

「た、助けてくれっ!」

 

 隣のパーティーのアタッカーが、再出現したソルジャーに追い回され、こちらに走てきていた。

 こっちじゃなくて自分のパーティーの方に行ってくれと思いつつも、回復結晶でHPを回復して、すぐに助けに行こうとしたのだが……。

 

「はっ?」

 

 回復結晶が発動しない。

 この感覚は――クリスタル無効化空間か!?

 フロアボスのエリアがそうであったことがないからといって油断していた。以前ならダンジョンに入るときには必ず確認作業をしていたが、これもブランクのせいか。

 

「クリスタル無効化空間っす!」

 

 大声で伝えて、私はポーションを一息に飲み干すとアタッカーの援護に回った。

 今のペースであればまだクリスタルが無効化されても戦えるが……。

 視界の端で、ボスのHPバーが1本失われる。さてここからが本番だ。

 

「グルォオオオオオオオオ!」

 

 ボスが天を仰ぎ、その口からは瞳と同じ青白い光が零れていた。

 

「防御! 私の陰に隠れるっす!」

 

 急ぎパーティーメンバーに声をかけるものの状況を理解していないようで、反応がすこぶる悪い。

 ボスが頭を突き出し炎を吐いた。その攻撃範囲は最初は直線状であったが、それで終わらない。ボスが炎を吐きながらゆっくりと向きを変えたからだ。

 ブレスの射程は長くフロアの端から端まで届くほどもある。それを1回転させた全体攻撃だ。

 私は大盾の陰に身を隠してやり過ごしたため、そこまでダメージはない。範囲が凶悪なせいで威力は低めに設定されているのだろう。直撃したプレイヤーも、大きな損害にはならなかったようである。巻き込まれたエネミーもダメージを受けているが、未だ健在だった。

 回復結晶が使えない状況では厄介な技か……。

 そう考えたのも一瞬。これが攻撃ではなくギミックを発動させるキーアクションなのだと理解したからだ。

 

 このボスエリは宙に浮かぶ円形のフィールドだ。

 そこにC型状に炎の境界線が2重に敷かれる。直線で行きできた場所は、今では炎を迂回するか、ダメージ覚悟で飛び込まなければならない。

 さらにこのタイミングで雑魚エネミーの増援。ソルジャーではなくコマンダータイプ。

 ヘイトを操作したりバフをかけてくる厄介なエネミーだ。

 分断に各個撃破か。私たちよりもエネミーの方がよほど連携が取れてるのは、皮肉が利いている。

 

「コマンダーから撃破! 急ぐっす!」

 

 私はHPがほぼ全快していたので、パーティーに合流がてら、ダメージを計測するため炎の壁に飛び込む。

 HPがじわりと削られた。だいたい1割くらいが減少した。タンク装備の私がこれなら、アタッカーなら2割は持っていかれるか?

 吹き飛ばし攻撃に利用されるとかなり危険だ。なにせ高いダメージを受けてその上分断される。ボスが炎を越えて追ってくればそのまま戦わねばならず、追ってこなければサブタンクが即座にスイッチしなければならない。

 まあ私の相手はフロアボスではなくこの雑魚エネミーなので関係ないか……。

 

 戦って感じた、コマンダータイプの思考ルーチンは3パターン。

 特定のプレイヤーを集中的に狙う。自身を守る。そして足止めや突進攻撃で分断する、だ。

 これに加えてプリーストタイプを撃破しなければボスの性能は高いままだ。コマンダーはエネミーパーティーと同じ3体。彼らは単一パーティーとしてではなくレイドパーティーとしての動きまでして、場をかき乱してくる。

 

 この場合、指揮官が全体に声をかけて場を整理すればいいのだろうが、コーバッツはボスの相手に夢中になって役に立たない。

 彼は整列させることは好きだったが、戦場を整理することはお嫌いのようだ。

 

「コマンダーを各個撃破するっすよ。私に続くっす!」

 

 ソルジャータイプはいくら叩いても無駄だ。

 彼らはヘイトを無視し、1つの意思の元で動いている。

 私は盾を使ってソルジャーの間に道を開くと、コマンダーへ一直線に駆け寄り、長剣を当たり判定の大きな長い首に突き立てた。

 遅ればせながら駆け付けたパーティーメンバーがコマンダーに斬りかかり、引き返してきたソルジャーは私に襲い掛かる。

 目まぐるしく位置を変えながら、エネミーの攻撃を受け流す。

 足を使って常に囲まれないように動きつつ、視界は目の前に集中させず広く使う。

 

「クソッ!」

 

 「なにやってるんだ!」と危うく口に出しかけたが、どうにか堪えた。

 エネミーの応援に駆け付けたのは、隣のパーティーが戦っていた一団。

 6対6の戦闘が12対12になると複雑さが段違いだ。そうならないためにパーティーで敵を分断するのがレイド戦のセオリーなのだが、それがまるで機能していない。

 これでは流石に思考も動きも追い付かない。

 真に厄介なのは無能な味方か……。ならば彼らも敵として扱おう。

 

「お、おい!?」

 

 私は味方を壁にしてソルジャーの攻撃をやり過ごす。

 今私を襲っていたコマンダーのターゲットは外れたが、隣のパーティーからやってきたコマンダーは再び私を狙っている。

 それを理解できていないようで、彼らはソルジャーを必死に叩いたり、プリーストを攻撃したりと好き勝手に振る舞っていた。

 まずはプリーストを叩いてる連中を使おう。私は彼らに近づけば、追ってきたソルジャーに気がつき手を止めるはずだ。

 あとは攻撃をしてくるソルジャーに()()()タゲを移させて、私は防御に徹するだけだ。

 攻撃せずとも狙ってくれるというなら、わざわざこちらから攻めてやる必要もない。

 

「コマンダーから倒すっす」

 

 どうにかソルジャーの数を減らしてから、私はコマンダーを仕留めに行く。

 隣のパーティーメンバーから2人が協力してくれるようだ。

 エネミーの前方に私が陣取り、その背後をアタッカーが突く。教本通りの戦術は、それだけ信頼性が高い。

 

「誰かあああああああ!? 助け――」

 

 遠くで、私のようにコマンダーにターゲットされてしまい、ソルジャーの集団に襲われていたアタッカーが散っていった。まずは1人か……。

 ボスに狙われているプレイヤーもHPが残り3割。だが誰も助けに回らないところを見るに、そろそろ彼も終わりだろう。そう思って見ていたら、ボスの大剣が4連撃のソードスキルを放ち、あっけなく殺された。

 

「怯むな! 我々は負けない。臆せば次に死ぬのは貴様だ!」

 

 意外にも前線ではコーバッツの指揮が機能している。

 おそらく自分で考えるよりも、命令を聞いていた方が安心できるからだろう。

 間違いを他人のせいにできるというのは実に甘美だが、代価が自分の命だとはまだ気づけていないようだ。

 ボスの2本目のHPバーは残り2割。

 一見順調そうに思えるかもしれないが、このボス戦では一度減ったHPを回復するのが難しい。全体の減少しているHPを見れば押されているのがわかる。なにせHPがイエローゾーンのプレイヤーが過半数なのだ。

 コーバッツが死ぬか、前線が崩壊するまで、あと少し……。

 できれば3本目に入る前に決着が着いてほしい。

 私はリザードマンを屠りながら、密かに願っておいた。

 

「おい! なにやってるんだっ!」

 

 突如、張りのある声がボスエリアに響き渡った。

 ボスエリアの入口にはキリトたちがいた。おそらく様子を見に来たのだろう。

 

「クリスタルで転移しろ!」

「だめだ、クリスタルが使えない……」

 

 彼は近くで戦っているプレイヤーに声を飛ばしていた。

 

「邪魔をするな! 我々解放軍に撤退の二文字はないっ! 戦え! 戦うのだ!!」

 

 コーバッツはフロアボスと相対している集団を横列に並べて、槍を構えさせた。

 その中央にコーバッツは立っている。彼のHPは残り3割。

 彼がこれからどうなるか簡単に予想がつき、少しだけ期待している私がいた。

 

「全員、突撃ぃいいいいい!」

 

 コーバッツは叫びながら走り出した。

 横列はすでにバラバラで、中央が突出する形になり突き進む。

 

「やめろぉおおおおおお!」

 

 ボスは大剣を輝かせ、ソードスキルで迎え撃つ準備を整えていた。

 巨体が一歩前進しながら、大剣は水平に振るわれる。旋風のごときエフェクトが床ごとコーバッツ率いる先頭集団を薙ぎ倒した。ボスの攻撃はそれで終わらず、回転して追撃を放つ。

 両手剣範囲攻撃系ソードスキル『サイクロン』だ。

 1度目の斬撃を耐えきったプレイヤーも続く斬撃でHPが失われ、それでも生き残れたプレイヤーは弾き飛ばされ、炎の壁に焼かれてHPがなくなる。

 総勢8人のプレイヤーがこの一瞬で命を落とした。

 

「ありえ、ない……」

 

 コーバッツはそう言い残し、付き従った部下と共にポリゴンを爆散させて消滅した。

 だが彼らの攻撃は死ぬ寸前に届いていたらしい。

 その証拠にボスのHPバーは2本目が空になっていた。

 

 ――第三ラウンドの幕開けだ。

 




コーバッツ「突撃ぃいいいいい!」

74層といえばこれ。
突撃おじさん、コーバッツ。早くも出番終了です。
久々のボス戦ですが、まあ25層の焼き直しとも言えますね……。
キバオウがやろうとしていることがまさにそれなので勘弁してください。


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36話 灰色のエンドロール(3)

キャラクターが一度に登場し過ぎたため補足。
重要ではないのですが、混乱させても悪いので参考までにどうぞ。

【ギルド:風林火山】
クライン………刀使いのギルドマスターで、単体アタッカー
トーラス………片手メイスと大盾使う、メインタンク
ジャンウー……片手直剣と小盾を使う、サブタンク
カルー…………両手剣を使う、範囲アタッカー
オブトラ………軽装の両手槍使う、遠距離アタッカー
アクト…………重鎧と重量級の大槍を使う、サブアタッカー


「これ以上、やらせるかぁああああああ!」

 

 キリトが炎の壁を突き抜け、ボスの眼前に躍り出る。

 彼はボスの大剣を紙一重で避けて、振り下ろされた腕を漆黒の片手剣で切り裂く。

 ボスのHPバーは残り2本。追加された行動はすぐに使われた。

 大剣が炎を纏ったのだ。攻撃力強化かと思ったがそれだけでない。ボスの斬撃はその直線状に炎を走らせ、新たな障害物を設置したのだ。

 入口手前が炎で分断される前に、結城さんや、風林火山のメンバーがボスエリアに飛び込む。

 初見の行動を前にして誰一人攻撃を受けず、その上飛び込む勇気と判断能力は流石攻略組と言わざるを得ない。

 

「キリト君!?」

「キリト! クソッ。どうにでもなれ! アスナ。指揮は任せるぞ」

「はい。わかりました!」

 

 結城さんは鋭い視線で戦場を見渡し大きく息を吸う。それは1秒にも満たない時間だった。

 

「アクトさんはコマンダーのヘイトを。トーラスさんはアクトさんをソルジャーからガード。クラインさんはコマンダーを撃破。ジャンウーさんは散っているソルジャーを北に集めて。オブトラさんとカルーさんはジャンウーさんの集めたソルジャーを撃破してください」

 

 結城さんは一息で6人の行動を操った。

 風林火山のメンバーの動きは迅速だ。それぞれが命令に従って放たれた矢のように走る。戦場が整理されるのにそう時間はかからないだろう。

 結城さんはそれから戦闘には参加せず、倒れているALFのメンバーの元へと走った。

 

「大丈夫ですか? まずはポーションで回復してください。全員で入口に集まると危険ですから、順番に離脱しましょう。いいですね?」

「は、はい……」

「そこのあなた。気絶している人を運ぶのを手伝ってください。意識のない人を優先して離脱させます!」

 

 よく見れば意識を失って床に倒れているプレイヤーもいる。

 痛みによるものでも、スタンや麻痺のせいでもない。

 あれは極度の緊張で意識が混濁してナーブギアとの接続が上手くいかなくなっているせいだろう。

 危険に慣れていない初心者にありがちな症状だ……。

 

「これよりKoBサブマスターの私、アスナが指揮を執ります。落ち着いて私の指示に従ってください! 全員で生きて帰りましょう!」

 

 混戦の中でもハッキリと聞こえ、その上耳に残る強い声だった。

 コーバッツという支えを失った彼らは、まるで誘蛾灯に誘われる虫のように、彼女に従順に従う兵隊に変わった。

 結城さんは戦場の中央付近で、ボスの攻撃圏外から支持を飛ばしてALFのメンバーを新たなパーティーに再結集させていく。

 

「やばっ!」

「タンクー!」

 

 クラインの応援要請。

 ソルジャーが集まり過ぎて、ブロックしている大盾使いのトーラスがキャパをオーバーしていた。

 

「カバーに入るっす!」

「助かる!」

 

 私は炎の壁を抜けてHPを削られながらも、トーラスの横を抜けようとしていたソルジャーを突進系ソードスキルで食い止めた。

 ソードスキルの硬直時間を終えると、盾を使ってソルジャーの進路を塞いでいく。

 ソルジャーはコマンダーの指示に従い、ヘイトを取っているアクトに襲い掛かろうとしているのだが、攻撃をされれば回避行動を行う。それを誘発させて時間を稼ぐのだ。

 

「このっ。いいかげんにくたばりやがれ!」

 

 クラインはソードスキルによる連撃で、反撃を受けつつもコマンダーを捻じ伏せた。

 ヘイトが通常の処理に戻り、ソルジャーが私とトーラスに向く。

 すかさず重鎧を着た両手槍使いのアクトが敵陣に斬り込み、範囲攻撃で押し返していく。中央に道ができ、そこを硬直時間を終えたクラインが刀で斬りつつ追従。2人は背後に回り、あっという間に包囲陣形が完成する。

 トーラスがソードスキルを使いメイスで押し潰していくのに合わせて、私もヴォーパルストライクの直線範囲攻撃でDPSを上げていく。

 ソルジャーの背後では2人が範囲系ソードスキルを放ち、囲まれたエネミーは凄まじい勢いでHPを失った。

 

「いっちょあがり」

「エリさん。キリト君とスイッチ! 残りのメンバーはプリーストの撃破に回ってください!」

 

 結城さんと一瞬目が合う。流石にこんなときまでいがみ合いはしない。以前、私が攻略組だった頃、彼女の指揮下で戦ったこともある。大丈夫だ。

 私はポーションを飲みつつ走り、キリトの背後に駆け付ける。

 キリトのHPはすでにイエローゾーン。4割といったところか。想像以上にボスのDPSは高いらしい。

 

「キリっち。いくっすよ」

「おうっ」

「……スイッチ!」

 

 キリトのソードスキルに合わせて、ボスの懐に入り込み、連撃系ソードスキルを叩き込む。

 だがヘイトを奪うにはまるで足りない。重ねてきたダメージがないのだから当然だ。

 こういうとき、前に出たタンクは下がったプレイヤーに向かう攻撃をブロックしながら、攻撃を重ねてヘイトが溜まるのを待つ。

 キリトへ向かって、突進系ソードスキルを放つ気配を感じた私は、間に立ちふさがり盾をずっしりと構える。

 ボスの繰り出した『アバランシュ』は、プレイヤーが使うソードスキルの何倍も重く威力があった。私のHPはガードの上から削られていくが、先程飲んだポーションの効果が残っているため徐々に回復はしている。最終的には2割の損害に収まるだろう。

 ボスもソードスキルの硬直時間で足を止めている隙に、私は体術のソードスキルを織り交ぜながら剣でダメージを累積させていく。

 ヘイトが溜まるのに時間はあまりかからなさそうだ。

 ボスを攻撃で牽制しながら時間を稼ぐが、両手剣の範囲が広すぎて回避しきれない。ただですらボスの攻撃は大きくて速いというのに、炎のエフェクトにも当たり判定があるため安全な場所がないのだ。

 ギリギリ股下がそうかと思えば、尻尾の蛇が顔を覗かせている。つまり逃げ場はない。

 

「よっしゃ、プリースト1体撃破だぜ!」

 

 クラインの声と共に、ボスの速度がわずかに下がった。

 そろそろボスは私に狙いを定め、横薙ぎの攻撃を繰り出してきた。

 剣と蛇。どちらに行くべきか。思考は一瞬。足元に飛び込んで大剣を避ける。待ちかまえていた蛇頭が尻尾をバネのようにして私に跳びかかった。大盾によってガードは簡単に成功するものの、毒状態が怖い。保有する毒が麻痺だとすれば逃げる間もなくミンチだ。継続ダメージの毒でも、回復が困難なこの状況では命取りだろう。

 私はすぐに間合いを離して蛇の攻撃範囲から外れる。

 キリトは、私といつでもスイッチできるようにダメージを稼いでいる。

 目でわかる程度に削れていく。ボスの防御性能は思ったよりも低い。おそらく3本目のHPバーだけが極端に総量が少ないのだろう。嫌な予感がしたが、手を止めるのは無理だ。

 

「スイッチ」

「わかった。3、2、1、スイッチ!」

 

 キリトと前衛を交代。すぐにHPポーションと解毒ポーションを飲む。

 一気飲みはタンクの必須科目だ。即座に瓶の中身を空にして、空き瓶を足で踏み砕く。

 ボスのHPは残り2割。次のスイッチでおそらく最終モードに移行する。

 フロアに残って順番待ちをしてるALFのメンバーはあと13人。残りはアスナの指揮の元、エリア外に離脱していた。

 モブは……。最後のプリーストが撃破されたところだ。――ん? リザードマンの増援がない?

 

「エリ!」

「了解っす。……スイッチ!」

 

 私は前に躍り出て、ヘイトを稼ぐためにダメージを累積させていく。

 減っていくHPはボスのものなのに、自分のもののように思えて嫌な手ごたえを感じる。

 

「ボスのHP、もう持たないっす!」

「わかりました! 残ってるALFの皆さんはそれぞれ北と南の端に別れて待機。近い方に行ってください。それと外延部には近づきすぎないように。ボスの追加行動を確認してから撤退を再開します。クラインさん、アクトさん、トーラスさんは南。カルーさん、オブトラさん、ジャンウーさんは北のパーティーの護衛を。エリさんはあと1分持たせてください。キリト君は行動パターンを確認後スイッチ。エリさんのHPを回復させる時間を稼いでください」

 

 結城さんの声だけが聞こえる。

 私は命じられたままに、1分という時間を捻出する。

 ガードはあまりできない。解放される能力いかんではHPが大幅に減少するからだ。なのでボスに回避させるように剣を振るうしかない。

 だが私の思惑とは裏腹に、大剣による広範囲攻撃が繰り出され、しぶしぶ盾で防いでいく。プリーストのバフは消えたが、それでもダメージは大きい……。

 

「配置についたぞ」

「こっちも準備完了だ」

「エリさん!」

「いくっすよ……」

 

 ボスの最後のHPバーには、どれも凶悪な行動が隠されている。

 それは残りわずかのHPをアタッカーが急いで削らなければ、こちらの身が危ないと思わせるものばかりだ。

 25層のあれは極端だが、他のフロアボスとて十分な強さを秘めている。

 大剣による縦斬りを回避して、私は山羊足を深く斬りつけた。

 

「グルルルォ! グルォ! グルグルォオオオ!」

 

 呪文のように区切ってボスが叫ぶ。

 それはまさに呪文だったのだろう……。

 リザードマンの増援が現れたときのように、転移エフェクトによるエネミーのポップが始まる。その数実に24体!

 現れたのはリザードマンではない。新種の、羽を生やした人型エネミーだった。

 彼らは突撃用の槍を手に持ち、蝙蝠を思わせる羽を背から生やして空を飛んでいる。

 頭には山羊角。悪魔型の手下エネミーといったところか。

 飛行高度はとても高い。中には炎の壁より上を飛んでいる個体もいた。

 

「キキィ!」「キキィ!」「キキィ!」「キキィ!」「キキィ!」「キキィ!」「キキィ!」「キキィ!」「キキィ!」「キキィ!」「キキィ!」「キキィ!」「キキィ!」「キキィ!」「キキィ!」「キキィ!」「キキィ!」「キキィ!」「キキィ!」「キキィ!」「キキィ!」「キキィ!」「キキィ!」「キキィ!」

 

 ま、まずいっ!?

 

「迎撃用意!」

 

 結城さんが堪えるような声を振り絞った。

 悪魔型エネミーが一斉に暴れ出す。攻撃など当てていないので、ターゲットはバラバラだ。

 しかも現在戦っているプレイヤーは実質8人。ALFの残りものは13人いるが、それを足してもまだエネミーの方が数が多い。

 上空からの強襲。幸いドラゴンのようにブレスで一方的に攻撃してくることはないが、それでも警戒する方向が多すぎて視界も手も足りていない。

 

「グルォオオオオオオオオ!」

「このっ……」

 

 ボスの横薙ぎ。今が正念場かっ。

 私は間合いを詰めて内側に潜りそれを回避。

 蛇の頭が私を射程に捕らえ目が合う。

 攻撃が来るよりも早く、ボスの身体を足場に私は上へと逃走。

 体術スキルのウォールランだ。再使用に時間を要するため今まで使っていなかったが、ここが使いどころ。

 蛇頭の射線をボスの胴体で遮り、宙返りをして戦場を俯瞰。

 私を狙っていた悪魔型エネミーを突進系ソードスキルで地面に縫い付けた。

 与ダメージは3割。ウィークポイントの頭部を貫いたが単発攻撃では威力が足りていない。

 

「エリさんっ!」

 

 反射的に飛び退く。ここにきて結城さんが動いた。

 彼女は倒れていた悪魔型エネミーを瞬時に射程に捕らえ、連撃系の高威力ソードスキルで追撃を行った。高速の刺突がたちまちエネミーのHPを消し去っていく。

 だが撃破には少し足りない。

 

「うぉおおおおおおお!」

 

 エフェクトがエネミーの胴体を貫いた。

 キリトのヴォーパルストライクだ。

 彼の攻撃でついに悪魔型エネミーは倒れポリゴンに変わる。けれど所詮はまだ1体。残り23体がこの空間にひしめき合っていて、再出現がないとは言い切れない……。

 私はボスの攻撃に集中する。今度は盾で受けた。ウォールランはしばらく使えない。

 

「キリっち!」

「任せ――なっ!?」

 

 スイッチをする前に私は盾をアピール。

 フリスビーのように回転する青白い大盾。キリトはそれを慌ててキャッチして、武器手渡し(ハンドオーバー)状態になる。

 

「スイッチ!」

 

 盾を装備したキリトが前に出た。

 

「ガード性能は低いから気をつけるっす」

「このっ……。わかった!」

 

 リズベットに折角プレゼントしてもらった盾だが状況が状況だし、キリトに使ってもらえるなら彼女も本望だと思っておこう。

 私はポーションを飲んでからクイックチェンジを使用。

 北と南の集団はまだ持つ。問題はボス付近。タンク役に交代したキリトに襲い掛かる悪魔型エネミーを排除しなければ、キリトが倒れ戦線は総崩れだ。

 私の防具は軽装に変化。さらに左手の中に重剣がオブジェクト化され、二刀流状態となる。

 

「アスナさん。指揮を。エネミーは私がやるっす」

「お願いします。皆さん、敵は飛行していますが落ち着いてカウンターに専念してください。撤退は一時中断。その場から離れすぎないように。円陣を組んで互いの背後をカバーし合ってください!」

 

 結城さんは対応策を通達。風林火山のメンバーはそれを即座に行うだけの技量があるが、ALFのメンバーはしどろもどろになりながらどうにかやっているレベルだ。

 彼らを気にかけてもしょうがない。目の前に集中しよう。

 キリトに向かって急降下したエネミーに私は空中で斬りかかる。

 

 ――二刀流ソードスキル『スターバースト・ストリーム』。

 

 16連撃の圧倒的なDPSが弾け、エフェクトの輝きがエネミーの身体を灼く。

 4回の斬撃が終わってから、エネミーはようやく槍とガードに使い出すがもう遅い。いや。遅いもなにもない。このソードスキルに捕まれば最後なのだから。

 取り回しの悪い突撃槍はガードに不向きで、左右から繰り出される攻撃の半分すら受けられずにいた。

 刃が手足や胴体を、裂いては貫き斬り跳ばす。

 眩い残光。地上に私が降り立つと、上空で花火のようにポリゴンが爆散した。

 

「す、すげえ……」

 

 誰かが呟く。凄いのは私じゃなくてスキルだろうが、まあ気分はいい。

 敵にいいようにやられるよりは、反則技を使ってでもいいように弄ぶ方が誰だって楽しい。

 近くを飛行していた新たな獲物に狙いを定める。それを感じたのか、エネミーは私に顔を向ける。たじろいているように見えたのは私の慢心のせいだろう。

 

「アハぁ……」

 

 恍惚に声を漏らしながら、私は思うがままに剣を振るった。

 シナプスが焼けるような快感が駆け巡り、また1体エネミーを経験値に変えた。

 二刀流は低耐久の相手には非常に利く。ソードスキル後の長い硬直時間や、連撃にかかる拘束時間。これらを1回のソードスキルによって決着をつけることで補えるからだ。

 タンク役の護衛は必要ない。反撃させることもなく、私は次々とエネミーを屠っていく。

 

「トーラスさん。キリト君とスイッチ! エリさんは北のエネミーを撃破してください!」

「了解っす」

「わかった!」

 

 トーラスと擦れ違い、北側の集団に合流する。

 こちらにいるのはクラインとアクト。ALFのメンバーが6人。

 ALFには盾持ちのプレイヤーもいるが役に立たず、重鎧を着たアクトがトーラスの穴埋めを開始した。クラインはアクトの背後をカバーして、襲い掛かるエネミーを一刀の元に追い払っていく。

 私がするべきはアクトと代わりタンクを引き受けることではない。

 今はただ敵を倒すことだけに集中する。

 

「はぁあああああああ!」

 

 飛来した2体のエネミーを『ジ・イクリプス』の連撃で迎え撃つ。

 片方が後退して攻撃範囲から逃れかけるが、回り込んだクラインが刀で押し込んでそれをさせない。背後で金属の打ち合う音がした。アクトが3体目の攻撃を防いだのだろう。

 

「アクトっ!」

「おう!」

 

 私は首をひねってフォーカスターゲットを背後にいた3体目のエネミーに向けた。

 右手の長剣がエネミーを切り裂き、即座にもう1体のエネミーにターゲットを戻して左手の重剣を使う。無駄なモーションを削るためにターゲットを交互に切り替えて、右手と左手でそれぞれを攻撃する。

 先に削っていたエネミーは死亡。3体目が辛うじてHPを残していたが、クラインがキッチリ止めを刺して撃破。立て続けにポリゴンが砕けた。

 ソードスキルの硬直時間で一息吐く。

 ――動けない私に迫る突撃槍。

 アクトはそれを重量級の両手槍でパリィ。

 眼前で火花のようなエフェクトが弾け飛んだ。

 私は硬直時間を終えると、アクトが抑えてるエネミーにソードスキルの連撃を使って撃破する。

 

「エリさん、クラインさん、時計回りに南へ移動。カルーさんは反時計周りに北へ。アクトさんは無理せず防御。南側はもう少しだけ持ちこたえてください!」

 

 私に続く形でクラインも走る。

 北側に残るエネミーは残り3体だが、南側にはまだ10体もいるようだ。

 走る私たちの行く手を1体のエネミーが阻む。

 

「先に行け」

 

 そいつはクラインに任せ、私は南側に急いだ。

 南側はかなり押されていた。タンク役を果たしているジャンウーは小盾使い。その防護性能はブロックに向かない。

 アクトとは違った方向性の、軽装の槍使いオブトラが、その長いリーチを使って牽制しているが手はまるで足りていないようだ。

 

「来たっすよ」

「助かるぜ」

 

 私は再びソードスキルでエネミーを蹴散らしていく。

 横から捉えきれなかったエネミーの攻撃を貰うも、すぐにオブトラが対処。私は攻撃に専念する。

 私が数を減らし続け、クラインも合流したことで南側は一気に安定した。

 

「う、うそだろ……!?」

 

 ALFのメンバーが怯えた声で上空を指さす。

 どうやらエネミーが再出現したらしい。

 この程度の強さをしたエネミーであれば、再出現くらいするだろうに……。

 問題はこのままではジリ貧ということだ。回復する隙がまるでない。無理をすれば作れなくもないが、どこかでミスをする可能性は高い。

 ミスをしなければしばらく平気だが、さてどうするか……。

 

「撤退を断念。これよりボスの撃破に変更します!」

 

 結城さんが舵を切った。

 ALFのメンバーからはどよめき声が上がる。

 

「アクトさん、クラインさん、オブトラさん、エリさんはボスの背後に移動。キリト君にスイッチして、ヘイトを安定させてから攻撃に移ります!」

「俺たちはどうするんだ!?」

「ALFの皆さんはその場で戦闘が終了するまで防御陣形を維持。カルーさん、ジャンウーさんは彼らをサポートしてください」

 

 苦言を呈した彼は、どうすればいいかではなく、何故守ってくれないのかと言いたかったのだろうが、結城さんは作戦を通達し終えるともう彼から意識を切り離している。

 私は目の前のエネミーを片付けると、指定の配置へ急いだ。

 北から順にアクト、クライン、オブトラ、私となる。

 結城さんがこのメンバーを選んだのは、刺突系の武器をなるべく揃えて同士討ちを避けつつ、護衛には防御力の高いプレイヤーを残したかったからだろう。

 私は例外的に高いDPSを買われての選択だ。

 

「3、2、1、スイッチ!」

 

 キリトがトーラスと入れ替わった。

 黒い片手剣が深々とボスの足を切り裂く。かなりのステータスを持った剣らしく、そのダメージは予想より多い。

 もっとも、彼はヘイト上昇系の装備を着けていないか、着け替えたのだとしてもそこまで効果値の高い物ではないだろう。他のタンクと同じような目算ではタゲが外れてしまう。そもそも、二刀流の攻撃を前にすれば大した時間もかからずこちらにヘイトが向くこと請け合いだが。

 ボスのHPは残り8割。

 トーラスからキリトにヘイトは完全に移り、私たちはじっと結城さんの合図を待つ……。

 ボスがソードスキルを放ちキリトが防ぐ。そして……。

 

「――全員、攻撃開始!」

「うぉおおおおおおおお!」「おりゃあああああああ!」「てやぁあああああああ!」「はぁああああああああ!」

 

 私たちはそれぞれ最善と思えるソードスキルを繰り出した。

 槍使いの2人は攻撃範囲が直線状の刺突系連撃。クラインは刀の最上位ソードスキル『散華』。私は16連撃の『スターバースト・ストリーム』。

 高威力ソードスキルを立て続けたボスはその威力によろめく。

 HPは残り6割。いい手応えだ。

 

「エリさん!」

「だと思ったっすよ」

 

 やはり二刀流のDPSは間違っている。

 これまで積み重ねたヘイトを一瞬で上回り、ボスは私にお熱のようだ。

 幸いよろめいてくれたおかげで硬直時間が終了する程度の時間は手に入った。

 

「反時計周りに移動するっす!」

 

 ボスが振り下ろす大剣を横に跳んで回避。

 私を正面に変え、アタッカーは配置をスライドさせていく。

 ボスは振り下ろしから横薙ぎに攻撃を繋げた。回避できない攻撃を二本の剣で受けるも、そのダメージは盾で受けたときの比にならない。

 私のHPは残り6割。あと2回ガードをすれば消える頼りない数値だ。

 その上回復結晶も使えない……。

 距離を取って大剣の間合いから逃げるか? いや駄目だ。突進系ソードスキルを使われて、綺麗に並べた戦線が崩壊する。そうすれば倒すまで時間がかかって、危険度は逆に上がってしまう。

 結城さんも加わり、6人がかりで攻撃を加えるがターゲットは私を向いたまま。

 ボスが3連撃のソードスキルを繰り出す。薙ぎ払いをウォールランで回避。袈裟切りをガード。突きを地面に転がって避けるも炎のエフェクトに炙られHPは残り2割。

 ボスのHPは残り3割。

 

 死地に跳びこんだ方が安全という場面は稀にある。

 例えば剣の間合いは近づいた方がダメージは少ない。

 例えば不安定な足場は怖気ず勢いに任せて跳んだ方が落ちにくい。

 そして――この瞬間もそうだ。

 私は懐に飛び込みソードスキルを放つ。

 退路を断ち、最大の技を持って挑む。

 

 ――『ジ・イクリプス』。

 

 27連撃。前代未聞の威力を持つが、その隙も莫大だ。

 倒せなければ長大な硬直時間を課せられ、そうでなくとも攻撃中は回避ができなくなる。

 恐怖はなかった。死ぬことに怯えるよりもするべきことがあり、そもそも死ぬことが怖いかと考えれば、それほどでもない。

 だが死ぬつもりで放ったのではない。私は勝つためにこの技を選んだ。

 

「はぁあああああああああ!!」

「グルォオオオオオオオオ!!」

 

 大剣による振り下ろしを、ソードスキルで押し返す。

 一撃では足りずとも、4回、5回と積み重ねて相殺する。

 残り連撃をダメージに。全員が攻撃を合わせて、最後のHPを削りにいく。

 ガリガリと減少していくボスのHP。その命の灯が消える前に、大剣がソードスキルを放とうと輝いた。

 

 ――単発系重攻撃『テンペスト』。

 

 二刀流の連撃では止めきれない。

 渦巻く炎を纏って振り下ろされる大剣。

 回避もできない。

 

「うぉおおおおおおおおお!」

 

 大剣の進路を阻むようにキリトが飛び出し、大盾で受け止めた。

 空中に留まっているのは体術系ソードスキル『震脚』を併用しているからだ。

 キリトのHPが大剣に押され削られていくなか、私は二刀流のモーションを加速させていく。

 

「はぁあああああああああ!」

 

 残り1割。3分、いや2分……。

 数ドットだけ値が残り、ボスは生存。

 ソードスキルの硬直時間で身体が動かない。

 キリトは大剣を止めた代わりに、地面に叩きつけられていた。

 ボスの青白い眼光が私を見ていた。

 大剣の切先が私に向けられ、その手を伸ばせば突きに転じる。

 

「ははっ」

 

 

 

 

 

 

 ――最速の突きが決着をもたらした。

 

 

 

 

 

 

 ポリゴンがガラスのように砕ける。

 

 

 

 

 

 

『Congratulation!』

 

 エリアの中央に巨大な文字列が浮かび、フロアボス撃破と同時に飛翔していた悪魔型エネミーも消滅した。

 細剣の基本ソードスキル『リニア―』。

 結城さんの最も得意とする刺突は、残像を残すほどの速度でボスのHPを貫いていた。

 ミリだけ残ったときは少しヒヤっとしたが、妥当な結果ではある。

 軽量武器ほど硬直時間は短く、斬撃よりも刺突は速い。

 この場で最も素早く次の行動に移れたのは、システム的に考えれば結城さんだったというだけの話だ。

 

「うひょお……。生きてっかお前ら?」

 

 クラインが尻餅をつきながら、軽口を叩いた。

 風林火山のメンバーはそれに適当な相槌を返している。

 

「――サチッ!?」

 

 キリトは仰向けの体勢から上半身だけを起こして叫んだ。

 

「キリっちも無事……っすかね?」

 

 私はちびちびとオブジェクト化したポーションを飲む。戦闘は終わっているため自然回復に任せてもいいのだが、HPが危険域のままというのは私だって流石に落ち着かない。

 

「あ、ああ……。エリも無事みたいだな」

「おつかれっす」

「お疲れさま」

 

 私はフロアの外で待機していたALFのメンバーをボスエリアの中に呼ぶ。

 明らかに数の減った彼らは、役に立たなかった癖に疲労困憊であった。生き残り、外に逃げ切ったプレイヤーの一部は勝手に転移結晶で帰還したらしい。

 ここにいる連中も転移結晶で帰りたがっていたが、ボスエリアの先は75層の主街区だ。私は頻繁に使っていたが、転移結晶は高価な消耗品である。無駄遣いは看過できない。

 

「……助かったっす」

 

 一応、結城さんにもお礼くらいは言っておく。

 

「ううん。私は当然のことをしただけだから。お礼なら最初に跳びこんだキリト君と、風林火山の皆に言ってあげて」

「そっすか……。じゃあそうするっす」

「あっ……」

 

 結城さんの声に足を止める。

 

「その……。おつかれさまでした」

「……おつかれさまっす」

 

 振り返らずに、私たちはぎこちなく言葉だけを交わす。

 私はすぐに歩き出して、逃げるようにキリトやクラインたちに礼を言いに行った。

 

「どんくら死んだ?」

「10人っすね」

「そうか……。ボス戦で死者が出たのは67層以来か。ったくよぉ。死んじまったらなんにもなんねえだろうが……」

 

 苦虫を噛み潰したように語るクライン。

 私は見慣れているからなにも感じないが、ギルドメンバーを1人も欠かさずにここまでやってきた彼には、きっと違う景色が見えているのだろう。

 

「そういやさっきのアレ、なんなんだ?」

「さあ。知らないうちに勝手に覚えてたスキルっす」

「どうして隠して――ああ、やっかみとか凄そうだもんなぁ……」

「加えてあのDPSを見れば、使いたくなかった理由はわかるっすよね」

「雑魚狩りにはうってつけだけど、ボス相手に使いたくはねえわなあ」

「それに出現したのは攻略組を引退した後っすからねえ……。使う機会もなかったんすよ」

 

 PvEをほとんどしないからといって、プレイヤーに向けて使うわけにもいかない。それはあまりにもオーバーパワーだ。いや、あいつらに使ったっけか。考えるのはよそう……。

 

「そうか。じゃ、そろそろ俺たちは75層の転移門をアクティベートしに行くけど、どうする?」

「さっさと帰りたいんで、ついて行くっすよ」

 

 私はALFのメンバーに声をかけて立たせる。

 

「エリ。その……。ありがとな」

 

 キリトが貸していた盾を差し出した。

 戸惑い半分、感謝半分といった雰囲気。あまり盾は使いたくなかったのだろうけど、私も二刀流を使ったのでお相子ということにしてほしい。

 

「こっちこそ。おかげで命拾いしたっす。借りができちゃったっすね」

「まだ俺の方が返し終えてないさ」

「いつ返し終えるんすか、それ」

「さあ」

 

 肩をすくめてみせるキリト。

 お金や物なら別だが、精神的な貸し借りなんて結局当人がどう思うか次第である。私が彼になにかしら返さなければいけないと思えば、そうするだけだ。

 思えばキリトには助けられてばかりだ。

 あのときだって彼が助けに――、いや、考えるのはよそう……。

 

「男を上げたっすね」

「だろ?」

 

 小憎たらしい笑顔も、まあ悪くない。




また戦闘が長引いてしまった……。
ラフコフ戦ではほとんど活躍しなかった、アスナさんの強さを書きたかったんです。


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37話 灰色のエンドロール(4)

 74層フロアボス攻略の翌日。

 私は再びキバオウに呼び出され、彼の執務室にやってきていた。

 やってきた私に給仕係がコーヒーを出すと、彼女は部屋から出て行き2人きりとなる。

 重たい空気。こういう空気は苦手だ。

 胃どころか、身体が、心が押し潰されそうになる。

 

「昨日は大変やったなあ。危ない目に遭わせてまってすまんかった」

 

 言葉の上では謝っているが、よくもまあぬけぬけと言えるものだ。

 肩書ではサブマスターとなっているが、3千人のプレイヤーを纏める最大ギルドの元締めというだけはある。

 彼の神経も図太くなったのだろう。

 

「いいえ。こちらこそ、大人数の損害を出してしまい申し訳ないっす」

 

 こちらも社交辞令を返す。ここで腹を立ててもどうにもならないからだ。

 ただしそれとなく皮肉気に喋りはする。「次はないぞ」と暗に言っているわけだ。こんなことが何度もあってはたまらない。

 

「それで、自分の噂は聞いとるか?」

「それなりにはっすね……」

 

 噂が出回るのは実に早かった。

 曰く『軍の大部隊を撃破したフロアボス』、『それを倒したユニークスキル使い』。

 それだけならまだしも、『軍の大部隊がやられるまでユニークスキルを使わず見殺しにした』、『これは軍による内部粛清で、フロアボスではなく魔女によって殺された』、『25層のときも魔女が手を下した』と、元々の悪評が嫌な感じに絡み合ってしまった。

 厄介なのは、これが一概に根も葉もない虚実とは言い切れないことだ。

 今はまだ根も葉もない噂として話されているが、証拠を見つけられれば私も、キバオウも終わりだろう。終わりというのはつまり、ゲームクリアまで監獄に繋がれるだけならまだ良い方で、私刑によって殺害される可能性すらありえるという意味だ。

 

「新聞屋があちこちで嗅ぎ回っとる。気をつけるんやな」

「おかげで黒鉄宮から一歩も出られないっすよ」

 

 私のホームは黒鉄宮の中一般プレイヤー立ち入り禁止区域にあるため、玄関の前で待ち伏せされるということはないが、外に出ればその限りではない。

 少し前までは自発的に引き篭もっていた私だが、今度は外的要因で強制的に引き篭もらされているわけだ……。ままならないものである。

 

「それでな。ジブンには部署移動してもらうことになった」

「はあ……。どこっすか?」

「……KoBや」

「はあっ!?」

 

 思わず執務机を叩いて身を乗り出した。

 

「なに言ってるんすか!? KoB? なんでっ!」

「落ち着いてくれや」

「落ち着けって、これが落ち着いてられるっすか!」

「………………」

「…………わかったっすよ。続きを話してくださいっす」

 

 こめかみを抑え、どうにか姿勢を正す。

 

「ジブンは話が早くて助かるわ。フロアボスを倒してからな、ヒースクリフはんから連絡が来たんや。そっちはこれから攻略する気があるんかってな」

「妥当っすね」

「そんですぐには答えられへんって返したら、エリをこちらで預からせてほしいって話になってなあ。このままジブンほどの実力者を遊ばせておくのは勿体ないし、ALFの宣伝にもなるっつうことで悪くないとワイも思ったわけや。まあ金も少し絡んどるがな」

 

 ギルドマスター同士でのメンバーの引き抜きあい、というわけか。

 キバオウにとって私は自分の立場を脅かすやっかいな駒で、元々は噂を利用して排除するつもりだったのだろうが、渡りに船となったわけだ。

 もちろん決して少なくないコルが動いたことは想像に難くない。

 

「DDAでもいいじゃないっすか」

「あっちのギルドマスターとは反りが合わなんくてな。それにラフコフ討伐んときで、向こうさんはえらい仰山犠牲者が出たから引き受けはせんやろ」

 

 それじゃあ私はDDAに恨まれつつ、一般プレイヤーからは後ろ指を指され、その上でALFの攻略への積極性をアピールするためのマスコットにならなければならないということか? しかもKoBに所属しながら!?

 

「いやいや。無理っす! 今回ばかりはお断りさせてくださいっす!」

「ジブンには今まで世話になったからな。頼み事はなるべく聞いてやりたいっつうのが正直な気持ちやで。……でも今回はできへん。これはギルド同士の約定や」

「うぐっ……」

 

 今回の件は火消しの意味もある。

 74層から端を発した噂を、KoBとの協調路線で塗り潰す。もしもの場合は、整えてあった私を切り捨てるプランを再利用する気だろう。

 それに次に控えているのはクォーターポイントたる75層。一般プレイヤーの注目度も大きい。

 そこで噂を払拭できればという甘い見通しも込みか。

 私にとってもこれは受けざるを得ない。このままALFに居座るには信頼を失い過ぎた。最早治安維持部隊に復帰することは絶望的である。

 その上、実権を握ってるキバオウからの命令はつまりギルドの意思。

 出て行けと言われれば出て行くしかない。

 

「単にKoBに席を移してそれで終わりってのもアピールにならんからな。少し催し物もすることになった」

 

 キバオウは企画書らしき書類を私に差し出す。

 昨日の今日でよくここまで作ったものだ。

 

「75層の主街区にはお誂え向きのコロシアムがあるって話やからな。そこでジブンはヒースクリフと一騎打ちをしてもらう。当然初撃決着モードや。引き伸ばしてから、上手くやられてくれ。そんで勝ったヒースクリフはんの元にジブンがつくっちゅう演出を、こっちからする予定や」

 

 日取りは明後日。この分だと根回しや手配、広告なんかは済んでいるのだろう。

 キバオウのバックにいるのはALFに吸収された生産ギルドや商人ギルドの元マスターたちだ。こういうときの動きは嫌なくらい早い。

 

「エリ。今までご苦労さん……。あんさんが74層から帰ってきたって聞いたとき、本当はな、嬉しかったんやで……。あんさんなら向こうでも上手くやれるはずや。ワイはもう戦えんから、せめてここから応援させてな」

 

 どこまでが本心かわからないが、キバオウは疲れたように微笑んでいた。

 それは74層の攻略に私を送り出したときとは別の表情だった。

 私は溜息交じりに了承し、執務室を出ようとした。

 そこで飲みかけだったコーヒーを思い出し、中身を呷る。

 黒々とした液体は冷めていても苦いまま。

 私の腹の内にはきっとこんなものが詰まっている。

 おそらくそれは、キバオウも同じだ。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 今頃75層の主街区、『コリニア』ではどんなことになっているのだろうか……。

 私はリズベットにメッセージを送り、コテージの窓からぼんやりと外の風景を眺めた。

 今日はヒースクリフと私のデュエルベントの開催日だ。

 目を通したスケジュール表では私とヒースクリフの試合以外にもいくつかのデュエルが催されることが書かれていた。流石に1回のデュエルでは時間が持たないと思ったのだろう。たいてい5分もあれば決着が着く。初撃決着モードなら最悪ファーストアタックで終了だ。

 時計を見ればそろそろメインイベントの開催時刻。

 

 ――なのだが、私は22層の湖が見えるコテージにいる。

 試合を前に精神を落ち着かせているだとか、ここから転移結晶で颯爽と登場しようだとか、そういうことではない。

 つまり、棄権である。

 ヒースクリフとのデュエルを断るのはこれで2度目になるのか。

 彼には縁がなかったと諦めてもらう他ない。

 

「DDAだったら、行ったんすけどねえ……」

 

 残念ながらヒースクリフはKoBだ。

 KoBのサブマスターが誰かなど、知らないはずがない。

 現在のペースで考えれば100層がクリアされるまであと1年半くらい。それほどの期間、彼女と一緒に行動すると考えただけで……。

 ううっ……。気持ち悪くなってきた…………。

 考えるのはよそう……。

 

 念のためリズベットにだけは所在地を含めて連絡を入れた。

 彼女から結城さんに話が流れるだろうから、誘拐されただとか、いらぬ心配はされないはずだ。

 もう戻る場所はない。これからは主街区に出入りするにも顔を隠さなければならない。最前線で剣を取るなどもっての外。

 今後は余生を送る老人の如く、ここで大人しくゲームがクリアされるのを待つだけの生活になるだろう。

 プレイヤー間での噂にどう決着が着くかはわからない。ここが発見されて、一般プレイヤーが押し寄せてこないことを祈ろう。私も最低限、人目につかない生活は心がけるつもりだ。

 退屈な生活になりそうだ。けれどたまにはリズベットも遊びに来てくれるだろうし、なんとかなるとは思う。

 私はこの日を持って取り巻いていた多くのしがらみから解放されたが、それは達成感や身軽さといった喜びとは無縁のものだった。

 

 結局はこうなったか……。

 私は最後までやり遂げることなく、敗れては消えていく。

 完璧にはなれず、そこで諦め逃げ出すのが関の山。

 現実での失敗はなかったことにはならない。

 この仮想世界でもアバターを動かしているのは私自身なのだから。

 結城さんが仮にいなくて、誰も私を知らなかったとしても、私だけは私を知っている。

 何度か失敗して、その度に必死に食い下がってきたがもう駄目だ。

 認めよう。私は成し遂げることのできない人間であると。

 

 才能がなかったのか。

 努力が足りなかったのか。

 運が悪かったのか。

 あるいはそのどれもか。

 思い返せばあのときああしていればということは沢山ある。

 だがそれを活かすことができない。

 失敗を繰り返し、他人のせいにして、また失敗する。

 今更だが、私って最悪だな……。

 それで他人に迷惑をかけるどころか、命すら奪ってきたわけで……。

 ユナも……。

 

「はぁ…………」

 

 頭を壁に叩きつけて思考をどこかに追いやった。

 考えるのはよそう……。

 考えても仕方がない。

 もうなにもしないで生きていく。

 そう思って引き篭もり、退屈しのぎに始めたのがゲームで、行きついた先がこのソードアート・オンラインの世界だったっけか。

 

「駄目駄目っすね……」

 

 なにもしないで生きていくことすら私にはできないらしい。

 だったらどうすればいいのだろう……。

 それこそ考えても無駄か。

 思い通りにいかないのだから、どうこうしようとしても失敗するだけだ。

 どうしたものかなあ……。

 

「エリー! いるなら返事してー!」

 

 ドンドンドンドンドンッ!

 ドアを叩く音とリズベットの声。

 会いに来るときは慎重にという文言をメッセージに入れてあったはずだが、随分早い到着だ。

 まずは彼女を出迎えるところから始めよう。

 流石にそれすら失敗するなんてことはないはずだ。

 ただ、彼女が誰かに着けられていたら……。

 そのときはどうしようもないか。

 考えるのはよそう……。

 

「はいはい。今開けるっすよ……」

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 曙色(あけぼのいろ)に染まった空の下、私は針葉樹の生い茂る森の中を歩いていた。

 生い茂る枝葉の隙間から差し込む光は黄金のように輝き、神々しくさえ見える。

 幻想的な風景は見慣れたつもりだったが、今日の目的は散歩だったため、足を止めてしばらく見惚れておく。

 吐いた息が白く煙った。朝は一段と冷える。私は寒さに肩を震わせ、コートのポケットに手を入れた。

 10月ももうすぐ終わりだ。冬がすぐそこまでやってきている……。

 

 一人歩きは危険かもしれないが、かといってNPCから借りているあのコテージが安全かというとそうでもない。あの場所は圏内であるが、圏内でもプレイヤーを殺害する方法に、私は心当たりがあり過ぎた。

 コテージの扉は鍵をかけられるが、鍵開けスキルで開錠できる。

 仮にあのコテージを購入して設定したプレイヤー以外を進入禁止にしたとしても、高い隠密スキルの派生Modの中には、一部の進入禁止エリアに不法侵入が可能になるものがある。

 どちらも行えばカーソルカラーがオレンジになる犯罪行為だが、やれないことはない。

 そう考えれば圏内よりは反撃可能な圏外の方が安心はできる。

 ――などと自分に言い訳をするが、結局のところ暇だったから出歩いているだけだ。

 ただし、人目につかない時間帯と場所は選んだつもりだ。

 

 22層はフィールドにはエネミーが出現しないため人は滅多に来ない。

 釣りの穴場があると聞くが、ならば森の中にはやってこないだろう。

 朝日が昇りきる前には帰る予定だが、それまでしばらく時間もある。こうしてゆっくり歩くことなどまったくしてこなかったものだから、散歩というのは少し新鮮だった。

 

 小鳥の囀りが空から聞こえてくる。

 片手間に拾った石で投擲スキルを発動。システムアシストによってホーミングした石が命中する。スズメほどの大きさの鳥はあえなく落下。私はそれを地面に触れる前にキャッチした。肉アイテムゲットである。

 料理スキルでも取ろうか。スキルスロットは戦闘系でいっぱいだが、もうこれを活用する機会はないだろう……。

 

 私は朝露に湿った草葉を踏みしめ、森の奥へ奥へと進んでいった。

 目的もないので当然だが、夢遊病のように彷徨っている気がしてしまう。

 マップデータがあるので帰り道がわからなくなることはない。

 でも何処へ向かえばいいのかは、地図には書いてないのだ。

 誰か教えてくれないだろうか?

 手を引いてほしい。

 なにをすればいいのか、道を示してほしい。

 霧がかかってきた……。

 私もこのままでは霧に消えてしまうのではないかと、なんだか不安に思ってしまう。

 死ぬのは怖くないと思っていたのに……。おかしな話だ。

 

「――ん?」

 

 視界に不自然な白が映る。

 右手は自然と腰の剣に伸び、左手は慣れた手捌きで盾を呼び出す。

 索敵スキルがないため、警戒しながらにじり寄るなど無駄。姿勢を崩さず早足で不審物へと近づくことにした。

 

「んん?」

 

 首を捻る。不審物は不審者であった。おそらく、と言葉を濁すほどに……。

 ()()は人の形をしている。もっといえば可愛らしい少女の形だ。

 彼女の着ているフリルのついた純白のワンピースは季節感がなかった。なにせスカートの丈は短く、パフスリーブは肘までしかないのだ。

 だがそんなことは些細な問題だ。

 肝心なのは彼女をターゲットできないということだった。

 プレイヤーでも、NPCでも、注視すればカラーカーソルが表示されるはずなのだが、彼女にはそれがない。

 バグだとすれば、これは致命的なものだ。それをカーディナルが見逃すだろうか?

 システムによって配置されたトラップの類かとも考えたが、そこまで趣味の悪い設計は今までなかったはずだ。経験則からその考えを否定する。

 

 とりあえず剣を鞘から抜いて、左手で少女の肩を叩く。

 反応はない。

 アバターには脈がないため確認することはできないが、ポリゴン化して消滅しないということは生存している――のだろうか?

 ターゲットされないということはオブジェクトの可能性だってあるが……。

 少女の等身大オブジェクトを生成するスキルなどあるのだろうか?

 生産系スキルはそんな自由度の高いものではないはずだ。

 それに――。

 少女の腕に触れてみる。体温があった。それに弾力もある。

 生物特有のプロパティーだ。

 

「失礼するっすよ」

 

 少女の胸に軽く手を当てる。誰かにこの光景を見られていれば一巻の終わりだが、やむを得ない事情がある。

 まずNPCの持つであろうハラスメントコードの確認。

 プレイヤーは自主的に行うことで対象プレイヤーを監獄へ送り飛ばせるが、NPCの場合は障壁が展開されてプレイヤーを弾き飛ばす設計になっている。

 

「ううっ……」

 

 嫌な記憶が蘇り小さくえずく。

 呼吸を整えるが、思考に靄がかかって先に進まなくなった。

 少女から数歩離れ、アイテムストレージから飲み水をオブジェクト化。

 瓶に入った水を頭から被ると痛いくらいの冷たさに、思考をせき止めていた歯車が回り出す。

 純粋な痛みのデータではなく、冷たさに置換することでペインアブソーバをわずかにすり抜ける拷問技なのだが、まさか自分に使うとは思わなかった。

 なお火傷するような熱や、凍傷になるほどの冷たさには効果がない。なので痛みといっても、この世界基準で強い刺激というだけだ。

 

 思考を再開。

 少女は呼吸をしていた。つまり生物ユニットではあるのだ。

 だがNPCではない。プレイヤーだとすればなにかしらの手段でカーソルを消失させている可能性もある。そんな方法は聞いたことがないが、未知のアイテムだとすれば可能性は否定しきれない。

 再び犯罪技能を使用。

 睡眠PKでよく知られる、手をとってメニューを勝手に操作する技だ。

 そして睡眠PK以外にも――。

 

「あぁあァアぁあぁあアあァぁっ……!!」

 

 今度は木に頭を叩きつけるが、これには痛みがない。

 水を被るも慣れてしまって効果は薄かった。

 剣を足に突き刺し、HPが削れる。

 しばらくすると落ち着きを取り戻したが、HPは2割ほど減っていて、戦闘時回復スキルにより元に戻ろうとしていた。

 

 それで、なにをしようとしていたのだったか……。

 思い出せない。まあいいか。

 荒くなった息を整え再び少女を観察した。

 どうしよう?

 このまま放置するのも忍びない。

 危険はなさそうだし、連れて帰って起きるまで様子を見てもいい。

 万に一つくらいの可能性で、この子が寝たふりをして獲物を狙っているプレイヤーだということも考えられる。

 カーソルを非表示にする激レアアイテムは、オレンジかレッドになっているのを隠すために使っている、とか……。

 考えてみたが何故か馬鹿馬鹿しく思えて、廃案にした。

 外見に騙されたのかもしれない。

 この少女はあまりにも無防備で、純粋に見えた。

 それは騙されたのならしかたがないと、諦めがつくほどだ。

 

 よし。コテージまで運ぼう。

 事情は彼女の目が覚めてから聞く。それで決まりだ。

 少女を抱えてみるととても軽かった。それもそのはず。私の出力限界であるSTRは極めて高いのだから。人を担ぐくらい訳も――。

 

「ああああああああああああああああ!?」

 

 少女を落とし、私は土の上を転がりまわった。

 頭が焼けるように痛い。視界は明滅を繰り返し、重力の感覚が失われる。剣を闇雲に振り回し、木々の耐久値を減少させた。

 だがそれでは一向に収まらないこの感情は、地面を斬りつけ、自分を斬りつけ、荒れ狂う。

 

「嫌ああああああ! 誰か助けてっ! 嫌だ嫌だ嫌だ!? 連れて行かないで! 私に触らないで! もう嫌なの! やめてよ。お願いやめてください! ねえなんで? どうして! どうして聞いてくれないのぉおおおおおおおおおおお!」

 

 あいつの――PoHの姿が瞼に映る。

 逃げられない。身体が動かない。痛い。苦しい。寒い。暑い。とにかく不快だ。鼓膜に水の滴る音が聞こえ、それを掻き消すように喉が潰れるほど叫んだ。

 

「エリ! エリっ! 止めろ。落ち着くんだ!」

 

 少女に剣を叩きつける寸前で腕を掴まれる。

 押さえつけようとする彼に、私は力いっぱい剣を振るった。

 鋼が打ち合いエフェクトが弾ける。

 ソードスキルを使う余裕はなかった。STRの許す限りの力で、無茶苦茶に振り回しているだけだ。なんて惨めな剣なのだろう。

 私の剣は天高く巻き上げられ、近くの地面に刺さった。

 

「エリ! もう大丈夫だ! 安心してくれ。もう大丈夫なんだ……。もう大丈夫、だから……」

 

 誰かに抱きしめられながら、私は初めて睡眠以外で意識を失った。

 いいや。他にもあったような……。

 思い出せない……。

 思い出したくない…………。

 

 ――考えるのは、よそう。



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38話 灰色のエンドロール(5)

 浮遊する城の外縁部に私は立っている。

 

 吹き付ける強い風が、髪を揺らす。

 

 眼下に広がるのは雲の群れと、緑に覆われた大地。

 

 私は遥か彼方に聳える山々と地平線を望む。

 

 脳天から踵までを1本の芯で貫いたかのように、背筋をまっすぐ伸ばす。

 

 身体は諦めに魅かれて傾いた。

 

 視界が突如暗闇へと変わり――浮遊感。

 

 足場のない不確かさが途端に怖ろしくなり血の気が引いていく。

 

 

 

 

 

 

 ――エリっ!!

 

 

 

 

 

 

 伸ばされた手が空を切った。

 

 

 

 

 

 

「――――ハッ! はぁ……。はぁ……。はぁ……」

 

 バチリ。暖炉で燃やされた薪の割れる音がした。

 落下する夢に叩き起こされて、荒くなった息を整える。

 ここは…………。

 

「……おはよう」

 

 まだぼんやりとする頭を声の方向に傾ける。

 暖炉の前にある、揺り椅子に腰かけていたのはキリトだった。

 彼の横顔は揺れる炎に照らされて、憂いを帯びているように見えた。

 

「おはようございます?」

 

 どうやらここは私の借りているコテージのようだ。

 私は持ち込んだソファに横になっていて、赤褐色の毛布を被っていた。

 この毛布は私の持ち物ではない。

 上体を起こすと、防具を身に着けたままなことに気がつく。脇には鞘に収まった剣もあった。

 

「なにがあったかは覚えてるか?」

「えっと……。なんだったっすかね……」

 

 思いだしてみる。たしか早朝の森へ散歩に出かけたのだ。それから……。女の子を見つけて……。えーっと……。どうしたんだったか……。

 

「んん? つまりなんでキリっちがここにいるんすか?」

「……倒れてたんだよ。森で。覚えてないみたいだな」

 

 つまりキリトは私を担いで、ここまで来たと?

 

「それって不法侵入っすよね。しかも寝てる私を使っての。……なにか私に変なことはしてないっすよね?」

 

 キリトがカーソルカラーをオレンジに変えないでこのコテージにいるということは、気を失っていた私の手を使って扉を開けたのだろう。

 私はわざとらしく自分の肩を抱いて、キリトにアピールしてみせる。

 

「ご、誤解だ!」

「あっ……。ごめんなさい」

 

 ハッと我に返る。調子に乗り過ぎた。

 

「今のは悪ふざけが過ぎたっすね。キリっちは助けてくれたっていうのに……。その、寝ぼけてたってことで、見逃してくれないっすか?」

「……別に気にしてないさ。あと誓ってなにもしてないからな。――それと、エリの寝室に一緒に倒れてた女の子を運んでおいたぞ」

「あの子っすか」

「なんなんだ、彼女? カーソルが表示されなかったんだけど」

「さあ。私も見つけたばかりだったっすから」

「プレイヤー、だよな?」

「さあ? 本人から話を聞いてみないことにはなんとも言えないっすねー」

 

 私はソファから立ち上がり、身体の節々を伸ばす。

 それから防具と武器をメニューウィンドからストレージに収納した。

 ここが現実世界なら身体を痛めていただろう。

 

「とりあえず様子、見てみるっすか」

 

 私はキリトを伴って、寝室へ向かった。

 意識のないうちに寝室をキリトに見られたわけだが、見られて困るような物はない。

 なにせ引っ越してきてまだ数日で、しかもいつ別の場所へ移動するかわからないため荷解きもしていないのだ。寝具は元々あった物を使っている。

 

 木で作られたベッドの上では、白い布団をかけられた少女が眠っていた。

 まるで童話に出てくるお姫様のような、あどけない寝顔だ。

 年の頃は8か9歳くらいだろうか。かなり幼く見える。

 

「なんだろう……」

「どうしたっすか?」

「いや。気のせいかもしれないけど、サチに、似てるなって」

「…………髪型だけっすよ」

「そう、だよな……」

 

 もっというなら、前髪だけだ。

 人のことをとやかく言える立場ではないが、キリトもだいぶ重症なのかもしれない。いや、彼の私服を見れば重症なのは一目瞭然か……。

 

 少女はサチに似て線の細い身体つきだが、だいたいの女性はそうだろう。……私は例外。

 髪色は――似ている。少女もサチと同じ紺色だ。珍しい色ではないし偶然の一致だ。

 だが似ていない。サチは首が露出するくらい短く切り揃えたものを使っていたが、この少女は腰辺りまである。

 

「いやでも右目の泣きぼくろの位置とか……。ほら、そっくりだろ?」

「そうっすね。キリっちの記憶力、舐めてたっす」

 

 1年半も前なのによくそこまで覚えているものだ。

 もしかして記録結晶に保存でもしているのだろうか?

 だが言われてみれば……。怖いくらいに似ている。

 

「サチの幽霊、とかっすかね?」

「だったらいいんだけどな」

 

 キリトの反応は冷めていた。言っててないなと、私も思う。

 

「まあいいっす。とにかく起こしてみるっすか。――起きるっすよー。お昼っすよー」

 

 少女をとりあえず揺すってみる。

 意識のない人間を揺するのは本来危険なのだが、ここは現実ではないため大丈夫だ。

 

「ふふっ」

「なんすか?」

「なんか母親みたいだなと思ってさ」

「………………」

「どうかしたか?」

「あー、いや……。なんでもないっすよ」

 

 私は少女を再び揺する。

 ……母親はこういうことをするのが普通なのだろうか?

 想像がつかないなあ……。

 

「駄目そうだな。――ひとまず昼食にしないか? 実はまだなにも食べてなくてさ」

「しかたないっすね。でもなんにもないっすよ。その辺のNPCに買いに行くっすか?」

 

 料理スキルがないので、今朝の小鳥は調理できない。

 チェストには味気ない保存食があるが、流石にそれを振る舞うわけにもいかない。

 

「リズから弁当を預かってきてるからな。抜かりはない」

「ほほー」

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 リビングで食べた弁当の味はそこそこ美味しかった。

 そこそこというの低級アイテムだからしかたがないことだ。

 現実では当人の腕で味が決まるわけだが、スキルで作成したアイテムはレシピによって味が決まる。使用アイテムの消費量で微細な変化はつけられるが、失敗しないようレシピ通りにしたためか、この弁当は食べたことのある味だった。

 味はともかくだ。――これはとても嬉しい。

 作成者の名前はリズベット。わざわざ料理スキルを取得して、作ってくれたのだろう。

 彼女には一生頭が上がらない気がする。

 

「ご馳走様。美味かったな」

「そうっすね」

 

 弁当はキリトの分も当然あった。……抜け目がないなあ。

 

「今朝、リズに様子見に行くなら届けてって頼まれてさ」

 

 2人の仲は進展しているのか、していないのか。微妙なところだ。

 リズベットには結城さんに勝ってもらいたいし、応援をするのも吝かではないが……。

 まあ無理だろう。相手が悪すぎる。あの結城さんが相手ではなければと思わずにはいられない。

 決着が着いていないのはおそらく、サチが天国からその位置を、文字通り死守しているためだろう。だがその牙城もいつかは崩れ去る。

 なにせ人間は忘れる生き物だ。苦しいことも悲しいことも時間が消してくれる、はずだ。そうでなければ困る。

 

「時間取らせちゃったっすね。攻略の方は行かなくていいんすか?」

「今日は、いいかな」

「そんなんでいいんすかあ? 最前線はクォーターポイントの75層っすよ。少しでも情報集めておかないと」

「俺じゃなくても情報は集められるだろ。それに急がなければ、それだけ周りのレベルも上がるしな」

 

 わかり易い、優しい嘘だった。

 

「キリトにも迷惑かけっぱなしっすね……」

 

 先日のフロアボスに引き続き、だ。今年の私は問題を起こし過ぎである。それもかなり重たい問題ばかり。そのほとんどが私に責任はないとはいえ、キリトには申し訳なく思う。

 

「いいさ。それに、迷惑をかけられなくなる方が不安だ」

「それはそれで、どうなんすかね」

 

 迷惑をかけるのがデフォルトだと思われるのは心外だ。

 だが言い返せないくらいの頻度で迷惑をかけているのは事実……。

 そろそろなにかしらの形で借りを返さなければ不味いだろう。なにかあったかなと、簡単に思案をしてみる。

 

「よし。それじゃあ私からひとつ、プレゼントとするっすか」

「そんな気を使わなくていいぞ」

「まあまあ。受け取りやすいものっすから。というわけで食後の運動をするっすよ」

 

 私は鞘走りを使ってチャキンと剣を鳴らす。

 

「なるほどな。そいつは楽しみだ」

 

 キリトもストレージから剣を取り出した。

 私たちは外に出ると剣を抜刀する。ここは圏内なのでHPが減る心配はない。

 互いの距離は手始めに10メートル。突進系ソードスキルの間合いで、通常の剣の間合いからは外れる距離。

 

「キリっち。盾は?」

「いやいい」

「そうっすか。じゃあ最初はそれで」

 

 折角だから久々に盾の使いかたをレクチャーしようと思っていたのだが、まあいいか。

 私はもちろん盾を出して構える。リズベットから貰った特注品の大盾だ。

 防具は軽装でAGI重視。剣は重量級の短いやつ。対人戦ではリーチがある方が有利なのだが、あえてセオリーから外す。

 

「ハンデは欲しいっすか?」

「そっちこそ、いらないのか?」

「言うっすねえ」

 

 キリトも私も不敵に笑う。

 どちらも剣の腕に絶対の自信を持ち、負けるはずがないと思っているのだ。

 サチのいた頃に遡るが、当時の戦績は私が大きく勝ち越している。

 だがあれから随分経った。キリトだって日々成長しているのは知っている。それはステータスだけでなく、技術という意味でもだ。なにせ最前線は停滞を許さない。

 対して私はここ最近ブランクがあり過ぎた。正月に攻略組からの引退に始まり、ユナの件以降は満足に対人戦もしていない。最近になってPvEの感覚を取り戻すように鍛錬はしたが、最盛期からは遠のいたと思う。

 

「じゃあ早速、3」

 

 キリトが下段に、私は中段に構える。

 

「2」

 

 私は横に足を運び、キリトは応じて向きを変える。

 

「1」

 

 互いがソードスキルの前兆となるエフェクトを輝かせた。

 

「うぉおおおおおおお!」

「――ハッ」

 

 キリトは突進系ソードスキルを使――わない。

 待機モーションのまま姿勢を低く走る。

 私も当然ソードスキルは不採用。左半身を前に出した守勢の構えに移る。

 ファーストアタックはキリト。彼の黒塗りの剣が私の盾に弾かれてエフェクトの火花を散らす。

 右手の重剣をチラつかせる。キリトは体術のソードスキルを放てる余力が残っていた。

 シールドバッシュ。彼の動きを抑え、体制を崩しにかかる。

 左手を封じたが、その間に彼の剣が防御圏に引き戻されている。

 じゃれつくような浅い突き。キリトは容易く切先を上へ逸らすが、予定調和。

 シールドバッシュ。反撃の出鼻を挫き、再びイニシアチブを奪う。

 いや、キリトが動いた。突き払ったモーションから剣を振り下ろす。

 私はグリップ部分、鍔と指の間でそれを受け止める。鍔近くの刃は最も威力が低い。肘をクッションにするとキリトの剣は簡単に止まった。

 変則的な鍔迫り合い。STRではキリトの方がわずかに上のようだが、制したのは私だ。

 鍔で絡めてキリトの剣を払い、引き戻した刃で首を狙う。

 彼は防御は間に合わないと見るや、体ごと後退して回避を試みる。

 擦れるような弱い感触。直撃ではないが、切先は彼の首を捕らえた。

 圏内なので斬れることはない。

 

「今のはヒットじゃないだろ?」

「くふふ。いいっすよ、それでも」

「………………」

 

 圏内戦闘のルールはデュエルによる一撃決着モードに近い。

 ダメージがないため、勝敗はクリーンヒットの先取となっている。

 元々は身内で使っていたルールなのだが、ALFで正式採用されたのを機に昨今ではプレイヤー間に浸透していた。

 ちなみに今の首への攻撃は、私の判定ではノーヒット。

 有効ダメージを与えられるものではないからだ。あれでは1割も削れないだろう。

 

 私たちは今度は5メートル程度の距離で構え直す。

 一歩では足りない、間合いから外れた距離。

 私はじりじりと円運動をして隙を窺う。

 キリトは静かに上段に構えると、間合いに跳びこんだ。

 ガードは間に合うが、受ける素振りを見せつつ後退。

 空を斬らせ剣を押さえつけるように盾を押し込む。

 私は細かく足を前に出して、体重を乗せたシールドバッシュを刻む。

 そのまま視界を奪い、左右の持ち手をチェンジ。

 キリトは体術系ソードスキル『閃打』を使うが、盾だけを弾く。

 伸びきった腕。最短とはいえ硬直時間のあるソードスキル。

 大盾を変わり身に、影より飛び出した私は下段に正しく構えている。

 輝く前兆エフェクト。

 逆袈裟から始まる3連撃のソードスキル『シャープネイル』が、キリトの胴体を斬った。

 

「――クッ!?」

 

 HPを削る代わりに、衝撃エフェクトが飛び散り、キリトの身体が仰け反る。

 2回の斬撃はノーガードで命中。最後の1回は剣でガードをされたが、仕切り直すには十分のノックバックを与えた。

 

「まだっすよ!」

 

 勝負としてはこれで決着だが、手は止まらない。

 一呼吸吐くまでが練習。ここから抜け出すか、斬り返すまで終わりにはならない。

 私は空いた右手でジャブを放つとキリトは左手でそれを逸らす。

 剣はこの距離では近すぎ、組み合って満足に振るえない。

 押されているのはキリト。ステータスでは勝っているが、慣れない左右対称の攻撃にテンポを掴めないようだ。

 足を踏みつけようとしたところ、キリトが大きく後退する前兆を見せた。

 剣の逆手持ちにして、鍔を絡めて剣を奪いにかかる。

 ディスアームは実力差が大きくないと成功しない技だ。上手く隙を突いたが、キリト相手に成功はしなかった。

 けれど剣を奪われることに、意識を奪われたキリトは体幹が疎かになる。

 絡めた鍔は剣ではなくキリトを引き寄せた。

 

「――シッ!」

 

 体術系ソードスキルで最大の単発威力を誇る『エンブレイサー』の貫手がキリトの喉を穿つ。

 視界を覆うエフェクトは威力のほどを訴えるものだ。

 

「うぉおおおおおおお!」

 

 キリトは苦し紛れの反撃に、片手で行える体術の連撃系ソードスキルを選んだが悪手だ。

 私はカウンターを受けつつも足技のソードスキルでキリトのバランスを崩す。

 右手の自由を奪ったままのため、彼は操り人形のごとく思い通りに動かせた。

 キリトは地面に仰向けに倒れていく。当然されるがままではない。

 彼はその姿勢からどうにかソードスキルの待機モーションをひねり出した。どのような体勢でもソードスキルは重力の枷から使用者を解き放ち、システムに書かれた動きを再現させる。

 

 ニヤリとキリトが笑った。

 

 キリトの剣を、逆手持ちのままの剣で軽く小突くとモーションが不成立となり、剣が纏ったエフェクトの光が霧散する。

 物理演算無視のソードスキルは成立しなければなにも起こらない。

 キリトはそのまま地面に倒れ、私は彼の右手を剣で縫い付ける。もっとも、圏内の安全コードに阻まれて失敗するのだが。

 

「まいった……」

 

 キリトの降参で私は彼の手に突きつけた剣を外し、空いたままの右手を貸して立ち上がらせる。

 私は少し離れた場所に跳んでしまった大盾を拾って、キリトは服に付いた土汚れを払った。

 

「やっぱりエリは強いなぁ……」

「対人戦のエキスパートっすからね。場数が違うんすよ」

 

 勝てたのが嬉しく、ちょっと調子に乗る。

 

「そんなエリ様から、ありがたい総評をひとつ」

「攻め方が雑っす」

「うぐっ……」

「一度も崩せてないっすよ。あえて言うなら、一番最初の突撃が及第点っすね」

「ひとつ、言わせてもらっていいか?」

「どうぞっす」

「その盾はなしにするべきだった」

「だから最初に確認したじゃないっすか」

「そうだけどさあ……」

 

 軽減値を計算しない圏内戦闘訓練では、この大盾は非常に有利だ。

 なにせ軽い盾と広い盾。その両方の利点を使える。

 両手武器による重攻撃を相手しないのであれば、この大盾は圏外での対人戦でも極めて高い適性を持つ。

 

「だからこそ丁寧にやるべきだったっすね。負けた原因は技術や装備じゃなくて、精神の部分っすよ。上手くいかないとき、焦れて力押しに頼るのはキリっちの悪い癖だったっすね」

「おっしゃる通りです」

 

 つまり根性論である。気合いがあれば勝てるという意味ではない。

 この場合、精神的に負けていたことがキリトの敗北したと原因だと言える。

 それは以前の経験。私が教える側で、キリトが教わる側だったというもののせいだろう。心のどこかで勝てないという疑惑があれば、それは剣に想像以上に伝わる。それが隙に繋がり、誤った技を選ばせる。

 これを読み取ることが、剣を交えれば心が伝わると言われる所以なのだと、私は感じていた。

 

「そんなキリっちから見た総評はどうっすか?」

「うーん……。盾をあんなふうに投棄していいのか? 有利な部分を捨てるほどの展開じゃなかったと思うけど」

「たしかにそうっすね……。私も体術スキルがあるんでいけると思ったんすけど、早計だったかもしれないっすねー」

 

 私にも急いたところはあったか……。

 有利を自ら捨てるという心理の裏を突いた決まり手だったが、実戦は一本勝負ではない。盾を捨ててからも戦闘は続くのだ。

 あのまま押し込めて勝利に持って行けたのは結果論でしかない。

 

「距離を取ってクイックチェンジで新しいのを出すか、どうにかして拾えば……。それでいけるんじゃないっすかね……」

「そんな隙、見逃してもらえるかなあ」

「次はそれでやってみるっか?」

「盾を落とした状態から始めて、距離は5メートルくらいか?」

「キリっちも当然、盾を奪いにきていいっすよ」

「うっ。バレたか……」

「キリっちは今度は丁寧に攻めるんすよー」

「わかってるよ」

 

 私たちは再び剣を構えてカウントを始めようとしたのだが……。

 

「――鼻歌か、これ?」

 

 かすかに聞こえる優しいハミング。

 この旋律を私は知っている……。

 これは、ユナが最初に歌っていた曲だ……。

 声はコテージの中から聞こえていた。

 コテージの中には少女しかいないはず。チェストの中に仕舞ってあった録音結晶を使ったのかと勘繰った。

 しかしユナのハミングなどあっただろうか?

 キリトと私は目を合わせると、すぐに寝室へ向かった。

 

 寝室の扉を私は慎重に開ける。

 腰には帯刀したまま。果たして少女は――ベッドに横たわったままだった。

 目を閉じたまま少女はハミングを続けている。

 いつまでも聞いていたくなる心地よいメロディーだ……。

 

「起きてくれ……、頼む……」

 

 キリトが少女を揺すると、唇の動きが止まり、瞼がゆっくりと開かれていく。

 夜空に浮かぶ満月を彷彿とさせる琥珀色の瞳が、至近距離にいたキリトを見つめ、続いて私に向けられる。

 意思の感じられない瞳は、数度の瞬きで徐々に感情を取り戻していく。

 

「あ……う……」

 

 薄桃色の唇がわずかに開かれて、その間から音がこぼれる。

 

「よかった……。なにがあったか覚えているか?」

 

 少女はしばらく考え込むと、首を横に振った。

 

「名前は、言えるかな?」

「…………ゆ……」

「ゆ?」

「……い…………。ゆ、い……。わたしの、なまえは、ゆい……、です……」

 

 ふと、彼女の頭上にカーソルが表示される。カラーはグリーン。

 

「ユイちゃんか。俺はキリト。こっちの人は――」

「エリっす」

「きい……と。エ、リ…………?」

「君はどうして22層にいたんだい? パパやママは一緒にログインしてるのかな?」

「わかり、ません……。なにも、わからない……」

「一度にそんな聞いちゃ駄目っすよ」

「あ、そうだな。ごめんな……」

 

 ユイと名乗った少女は、首を横に振る。

 

「お腹、空いてないか?」

 

 ユイはお腹を押さえて少し考えると、今度は首を縦に振った。

 キリトはしてやったりといった表情を私に向けた。



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39話 灰色のエンドロール(6)

 ユイに渡された食事アイテムは、もちろんキリトの持ってきていた物。

 フルーツの挟まったサンドイッチとカップスープは、たしかドロップ率を上昇させる、最前線で使われるメニューの1つだったと思う。

 食事アイテムはストレージ内でも徐々に耐久値が減少していくので常備はできない。

 やっぱり本当なら攻略に行くつもりだったのだろう……。

 

「どうだ、美味かったか?」

「はいっ! ごちそうさまでした!」

 

 鈴のような声で、元気よくユイが返事をする。

 彼女が目を覚ましてから徐々に口調がしっかりしてきた。

 食事を終える頃にはハキハキと喋るまでになったが、記憶の方は思いだせないらしい。

 

「もう一度聞くけど、パパやママとは一緒にログインしてないんだな」

「はい……。たぶん、ですけど……」

「あー、思いだせなくても大丈夫だよ。――なっ?」

「そ、そうっすね」

 

 私に振るなと言いたいのを我慢する。

 

「えっと……。お名前、なんて呼んだらいいですか?」

「キリトでいいよ」

「キりト……?」

「キ、リ、ト。でも、言いやすいように呼んでくれればいいよ」

「キ、リ、ト…………パパ?」

「ぶふっ!」

 

 ユイが奇妙なことを口走り、思わず笑ってしまう。

 キリトは抗議の目で見てくるので、視線を逸らした。さっきのお返しだ。

 

「……ママ?」

「くくっ!」

 

 抗議の目でキリトを睨んだが、明後日の方向に視線を逸らされた。

 

「この歳でママはないっすよ……。せめてお姉ちゃんにしてくださいっす」

 

 それにリズベットにこの状況を見られれば、大変申し訳が立たない。

 私だってそのくらいの義理は果たすのだ。

 

「……お姉、ちゃん?」

「はい。エリお姉ちゃんっすよー」

「エリお姉ちゃん!」

「……顔がにやけてるぞ」

「――ハッ!?」

 

 ユイの元気の良い声と表情はなかなか破壊力があって、つい引き込まれていた。

 子供というのはどうしてこんなに庇護欲が掻き立てられる外見をしてるだろうか。生物としてはそれが正しい姿なのだろうが……。

 それでもユイという少女はそんな中でも群を抜いている。

 可愛らしいだけじゃない。どことなく動物をイメージさせる人懐っこさが、そうさせているのかもしれないと、冷静に分析してみる。

 

「……キリトお兄ちゃん?」

「キリトさんっす」

「キリトさん?」

「いや、どうしてだよ……」

「どうしてもっす!」

「キリトさん!」

「うん。どうしたんだ、ユイちゃん?」

「えへへ。なんでもないです」

 

 頬杖を突く。ちょっと面白くない。

 

「そうだ、ユイちゃん。メニューウィンドは開けるか?」

 

 ユイは首をかしげた。

 

「こんなふうに指を振ってみて」

 

 キリトに言われるがまま、動作を真似ると視線が虚空を見つめる。

 どうやら上手くいったみたいだ。

 

「じゃあ次に可視モードを――あー、ここにあるボタンを押してみてくれ」

 

 キリトは自分のメニューを可視化させて、ユイの隣でどこを押せばいいかレクチャーしてみせた。

 ユイのメニューウィンドもほどなくして現れる。

 お互い不用心だがこの場合はしかたがないか……。私も席を立ってユイの隣に行き、メニューを確認しようとした。

 

「なんだ、これっ!?」

「どうしたんすか?」

「ちょっと見てくれ」

 

 ユイはなにがおかしかったのか、わからないといった様子だ。

 私も彼女のステータスを見ると、キリトが驚いた理由がすぐにわかった。

 『Yui-MHCP001』と書かれた名前の側にある、レベルを示す数字だ。彼女のレベルは()()。ちょうど私と同レベルであり、つまりそれは最前線に立つ攻略組と同程度のレベルを意味する。

 私はマナー違反と知りつつも、急ぎアイテムストレージを確認するが所持品はない。コルもまったく持っていない。取得スキルは『片手直剣』『盾』『重金属防具』『戦闘時回復』『槍』『細剣』『演奏』『体術』『索敵』……。どれも高い熟練度を持っていて、一部は完全習得済のものもあった。

 

「エリ、この子に見覚えは?」

「ないっすよ……」

「俺らが知らないトッププレイヤーなんてそんないるとは思えないんだけどな……」

「探せばいるかもしれないっすよ」

 

 特に犯罪者プレイヤーは素性の知れない連中が多い。

 そういう中にいれば、あるいはありえるだろうが……。

 彼女の場合は別だろう。絆されたとはそういうことではない。

 これは、あからさまだ。

 ユイを見る。純粋な視線を私に向ける少女。彼女は目が合うと嬉しそうに微笑む。

 

「クエストNPC」

「え?」

「可能性としてはそれが一番高いんじゃないっすかね」

「いや、まあそうだけども、なあ……」

 

 キリトもユイを見るが信じがたいという雰囲気だ。

 プレイヤーを基準に作成されたNPCであれば、高いレベルはありえる。

 ここまで詳細に読み取られるということがありえるのか、と考えれば疑問を感じるが。

 

「ここはひとつ、試してみるっすか」

「なにをだ?」

「ユイちゃん。ちょっと失礼するっすよ」

「はい!」

 

 私はユイを背後から優しく抱きしめた。

 力を入れれば手折れてしまいそうなほどに細い腰。

 空気にさらされた地肌は柔らかく、やや高めの体温を感じる。

 髪はサラサラで、ひんやりとした感触が体温や部屋の温度と相まって気持ちよかった。

 夜色の髪に顔を埋め、深呼吸をするとほのかに石鹸の香りがする。

 

「なにか出たっすか?」

「でました! はいを選べばいいんですか?」

「ストップ!? 違うっす。いいえを選ぶっす。右っすよ。間違わないでくださいっすね……」

「わかりました!」

 

 勢いよくユイは虚空に指を叩きつけた。なんだか楽しそうだ。

 ……どうやらここは監獄ではない。

 ユイは間違わないでくれたようだった。

 こんな理由で失踪中の私が黒鉄宮に現れるとか、誰にとっても不幸だろう……。

 

「やっぱりプレイヤーみたいだな」

「いやいや。プレイヤーに擬態したNPCって線もあるっすよ」

「それを言い出せばきりがないだろ」

「そうっすけども……」

 

 ユイを形作る要素は出来過ぎている。特にスキルが露骨なのだ。

 だが確認する方法はキリトの言う通りない、と思う……。

 シュレディンガーの猫よろしく、ユイという存在は今、プレイヤーとNPCの境にある。

 この箱を開けて、中身を確認することが正しいとは限らない……。

 

「それで、どうするんだ?」

「そうっすねえ。ALFに預ける、とか?」

「ここにいちゃ、駄目、ですか?」

「うーん……」

 

 身を隠している私の元にいるのはあまり得策じゃない。

 不便をかけるし、誰かに知られても不味い。

 調べていないが、市中では私の悪評で持ち切りだろう。そんな私と一緒にいたという情報は彼女に悪影響を及ぼしかねない。

 あの日、リズベットが狙われたように……。

 

「お姉ちゃん!」

 

 ユイが私の服の袖を引っ張っていた。

 

「ん?」

「大丈夫ですか?」

「ああ……。大丈夫っすよ」

「――いいんじゃないか?」

「キリっち!?」

「本人がそう言ってることだし、エリも1人じゃ暇だろ?」

「いや、そういう問題じゃ……」

 

 ユイが袖を掴んだま、捨てられた子犬のように上目遣いで私を見つめている。

 見つめ合うこと数秒……。

 負けたのはもちろん私だった。

 

「わかったっすよ……。その代りキリっちには協力してもらうっすからね」

「もちろんいいぜ」

「ありがとうございます!」

 

 ユイの花が咲くような笑顔を見ると、私の悩みなんてちっぽけなものだと思えてしまった。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 私たちはあれから、ユイに圏内戦闘を見せたり、キリトに夕飯を買いに行かせたりして、時間を過ごした。

 

 圏内戦闘は思いの外好評で、ユイにも武器を持たせてみたのだが、腕前はずぶの素人だった。

 しかし物覚えはよく、乾いたスポンジのように吸収していく様は実に教え甲斐がある。日の暮れる前にはソードスキルを使いこなすまでの成長を見せ、なかなかに驚かされた。

 彼女はメインウェポンスキルを『片手直剣』と『細剣』の2種類習得していたが、予備の武器は片手直剣しかなかったため、彼女にはそちらを教えた。

 

 すでに時刻は深夜の10時。

 寝るには早いくらいの時間だが、かといって何をするでもないので暇である。

 なにせテレビはないし、ネットやゲームも――ネットゲームの中だ。本はあるが、ユイに見せるような簡単な読み物はない。

 普段はなにをしていたんだったかと思い返すと、資料作りに書類整理、スケジュール調整や最新の情報に目を通すなど、ALFでの業務内容ばかりしていた気がする。それ以外の時間はレベリングだ……。

 ちなみにキリトは夕飯を食べ終えた後も、まだいた。

 

「キリっち。言っちゃなんすけど、いつまでいるんすか?」

「んん……。え? なにか言ったか?」

「寝てんじゃねえっすよ……」

 

 揺り椅子に座っていたキリトの意識は半ば消失していた模様。

 彼は虚ろな目を擦って、瞼を何度も開閉してから欠伸をひとつ。見ているこっちまで眠くなるような表情だ。

 

「泊まっていくとかなしっすからね」

「ああ。まあ、そうだよな」

「……キリっちには恩があるから言いたくはないっすけど、常識を疑うっすよ」

「ご、ごめん」

 

 露骨に女性扱いしろとは言わないが、何の気もなしに泊まっていくとかは駄目だろう。

 そういうことをしていれば、いつか誤解で誰かが後ろから刺されかねない。キリトは見た目が可愛らしいし、腕も立って、性格も悪くない。かなりの優良物件なのだ。

 刺されるのがキリトだけならまだしも、とばっちりで私まで刺されるのは嫌だ……。

 

「むにゃ?」

 

 私の膝の上で寝ていたユイが寝返りを打つ。

 起こしてしまったかと思ったが、彼女は再び目を伏せた。

 

「どうしたんすか?」

 

 キリトがユイを真剣な眼差しで見つめている。

 

「やっぱり、サチに似てると思ってさ……」

 

 今、ユイが着ているセーターやスカートは私の物だ。

 あのままの格好では寒そうだったため、チェストにある服から適当に見繕ったのだ。システムが大きさを自動で調整してくれるため、サイズが合わないとかそういうことはなかった。

 私の着ている服は暗色系が多い。サチもたしかそうだった……。

 

「……わかってるよ」

 

 キリトは私の視線にそう答えた。

 

「サチはもういない。それはわかってる。でも……。いいや、なんでもない……」

 

 キリトは迷いを断ち切るように立ち上がって、ストレージから黒いコートを取り出して羽織った。それは彼のいつも身に着けている月夜の黒猫団の紋章が描かれたコートだ。

 彼の胸元には、満月を背にした黒猫が一匹で佇んでいる。

 

「そろそろ帰るよ」

「そうっすね」

「リズでも呼んでこようか?」

「子供じゃないんすから、大丈夫っすよ。それに隠蔽スキルがないリズを頻繁に来させるのは得策じゃないっすからね……」

「そうだな……。圏外には出るなよ」

「わかってるっすよ」

「あと明日も来ていいか?」

「はぁ……。別にいいっすけども」

 

 キリトなら、後をつけられて下手を打つなんてことはないだろう。たぶん。

 それは考えてもしょうがないことだ。

 キリトが玄関へ向かうので見送ろうとして、膝の上にあるユイの頭を動かす。

 

「ん……。キリトさん……、帰っちゃうんですか?」

「ああ。今日はもう遅いからな」

「うーん……」

 

 ユイは私を寝ぼけ眼で見つめる。

 …………いや、駄目だ。流石にアウトである。

 

「残念です」

「明日も来るから、我慢してくれ」

「わかりました……」

「それじゃあそこまでお見送りするっすか?」

「はい!」

 

 私に引っ付いたままのユイを支えて、玄関まで歩く。

 扉を開けると外は夜の帳に包まれいた。

 月が隠れているのか、部屋の中から差し込む灯りに照らされた場所までしか見えない。

 怪物が大口を開けて襲いかかろうとしているかのように見えてしまう。この暗闇に飲み込まれれば、もう帰って来れないと感じるのは錯覚だ。

 底の見えない、フロアの端を幻視した。

 ソードスキルを使って復帰しなければ、落ちて帰ってこれない。

 そうするべきだったと私は――。

 

「お姉ちゃん?」

「――あ、はい。なんすか?」

「ううん。なんでもないです。それじゃあキリトさん、おやすみなさい」

「お休み。ユイちゃん」

「おやすみなさいっす」

「おやすみ」

 

 キリトは手を振って暗闇に入ると、姿が立ち消える。隠蔽スキルが発動したのだろう。

 

「じゃあそろそろ寝ちゃうっすか?」

「はい!」

 

 元気のいい返事だ。だいぶ意識が覚醒してしまったらしい。

 悪いことしたなと思いつつ、ユイを寝室に連れていき、私はリビングに向かおうとする。

 

「あれ? お姉ちゃんどこに行くんですか?」

「えっと、ソファで寝ようかと」

「わ、わたしが無理を言って、ここに居させてもらっているんですから、そんなの駄目です! わたしがソファで寝ます!」

「それはちょっと心苦しいんすけど……。私はどこで寝ても平気っすから、気にしなくていいっすよ」

「駄目です! じゃあ、その……。嫌じゃなければですけど……。一緒に寝ませんか?」

「妥当な落としどころっすね」

 

 いい子だなと思いつつ私はベッドの縁に腰を掛けた。

 私はメニューウィンドからパジャマに着替え、ユイの装備オブジェクトも変更してあげる。それから毛布をかけて、彼女の隣に潜り込んだ。

 すぐそこにユイの顔があった。琥珀色の大きな瞳の中には私の顔が映っている。

 それを見ないように、システムメニューから部屋の消灯を選択した。

 

「おやすみっす」

「おやすみなさい」

 

 もぞもぞと動く気配を感じる。

 それはだんだんと近づいてきていた。

 

「ひゃう!?」

「あ、ご、ごめんなさい」

 

 ユイの手が私に触れて、変な声が出た。

 

「……どうしたんすか?」

「その……。寂しくなちゃって……。もっと側に寄ってもいいですか?」

「しかたないっすね」

 

 私は手で毛布の中にスペースを作ると、そこにユイがやってきた。

 サチも寂しがり屋だったなと思いだしたり、私も人のこと言えなかったなと、リズベットのことを思い出したりした。

 あれは25層でユウタが死んでしまった後の頃か。

 私は人恋しくなってしまい、日中はずっとリズベットの店に入り浸っていたのだったか……。

 そこにサチが加わり、3人で色々なお店に行ったり、遅くまで話し込んだり、稽古をつけたり。……短い期間だったが楽しいことが沢山あった。

 

 仰向けになった私の半身に、被さるようにユイが触れた。

 彼女は私の服をぎゅっと掴んで離さない。

 私はそっと手を伸ばしてユイを抱きしめた。

 すると彼女の手から力が抜けて、規則正しい寝息が聞こえ始める。

 私もなんだか眠くなってきた……。

 ユイがプレイヤーなのかNPCなのかはまだわかない。

 ただ、今日は悪夢を見ないで済みそうだった。

 

 雲に隠れていた月が顔を出したのか、カーテンの隙間からは薄明りが差し込んでいた。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 ユイを拾ってから1週間。

 キリトは毎日リズベットの弁当を片手に顔を出していた。

 

「――だからな、追い込まれたときこそ、我武者羅に力で押すんじゃなくて、冷静に対処しないといけないんだ」

「はいっ!」

 

 食後の休憩がてら、私たちは午前中の稽古を復習していた。

 ここでは他にすることもなく、ユイのできる遊びといえば剣を振る事ぐらいだった。

 彼女もそれを気に入ったのか積極的に教えを乞うてきている。

 上達のほどはなかなか。昨日は調子に乗ったキリトに連れられて上層のフィールドでエネミー相手の戦闘をした。

 十分なレベルと装備に裏打ちされたユイは、私とキリトのサポートもあって、次々とエネミーを経験値に変えていった。

 

「キリっちも、気をつけないと駄目っすからね」

「うっ……。妹弟子の前でくらい格好つけさせてくれよ」

「ふふふ。キリトさんは十分格好いいですよ」

「むう」

 

 ユイを抱きしめる手に少し力が入った。

 現在、私はソファに座っていて、私の膝にはユイが乗せてある。キリトはというと、私たちの正面にある揺り椅子の上だ。どうやら気に入ったらしい。

 食事のときを除けば、私たちはコテージの中だと、これが定位置になりつつあった。

 

「ですよね、お姉ちゃん?」

「うーん。キリっちは格好いいというよりは可愛い系っすかね」

「それは男として情けない気持ちになるからやめてくれ」

「まあ……、格好いいんじゃないっすかね」

「お世辞として受け取っておくよ」

「お姉ちゃん、照れ隠ししてませんか?」

「し、してないっすよ!?」

 

 ユイは時折鋭い洞察力を見せる。

 キリトのことを格好いいと感じるのはしかたがない理由があるのだ。あんな場面で助けに来られれば、誰だってそう思ってしまうはずだ。

 

「キリっちの顔がムカつくっす。叩いていいっすか?」

「そんな理不尽な……」

 

 そう言いつつも頬を緩ませたキリトの顔に腹が立つ。

 ユイを膝に乗せていなければ確実に手が出ていた。

 もちろんここが圏内だからで、圏外であればそういうことはしないが。

 ここでの生活に慣れ過ぎて、暴力への抵抗感が薄れた気がする。なにせ殴っても殴られても痛くはないのだから。

 現実に帰れたら苦労しそうだ。それとも殴る相手がいないから平気、だろうか……。

 

「はあ……。まったく、誰に似たんすかね」

「エリだろ」

「お姉ちゃんです」

「うぐっ……」

 

 なんだか分が悪い。こんなはずではなかったのだが……。

 けれどユイが私に似てきたと言われると嬉くもある。

 うーん。複雑な気分だ……。

 

「さてと、そろそろ行ってくるよ」

 

 キリトは椅子から立ち上がってそう言った。

 彼がここにいるのは午前中の間。午後からは攻略に加わり最前線を駆けまわっている。

 

「気をつけてくださいね」

「兄弟子を信じて待っててくれたまえ」

「お姉ちゃん。キリトさんは兄弟子ですし、やっぱりお兄ちゃんと呼ぶべきなんでしょうか?」

「お兄ちゃんと兄弟子は別ものっすから、そのままでいいんすよ」

「はーい」

 

 キリトさん呼びもなかなか嫌であるが、お兄ちゃんよりはマシ。

 なおキリトと呼び捨てにする案も話題に出たが即却下した。

 キリトを取られたくないのではない。私はユイを取られたくないのだ。

 ユイはこんな年端もいかない少女だが、だからこそ年上の男性に憧れを持ち、魅かてしまうというのは大いにあり得ること。

 なお、お兄ちゃん呼びはそれを断つ効果は見込めない。なぜなら血のつながらない兄妹だからだ。キリトにそういう趣味があれば逆効果でもある。

 兄が好きかと聞かれると私はそうでもないが、妹が好きな男性は多いらしい。

 

 ユイの髪を手櫛で梳くとくすぐったそうにして、彼女は体重を私に預けてくる。

 それから身体を傾けて頬を私の胸元に擦りつけてきた。

 なんだろう、この愛らしい生き物は……。

 ペットとかってこういう感じなのだろうか? ベットを飼ったことがないのでわからない。

 いいや、ユイは人間だ。ならば本当の妹がいればこんな感じなのだろうか?

 ……なるほど。妹が好きな人間の理屈が理解できた。

 

「ユイー……」

「どうしたんですか、お姉ちゃん?」

 

 私がユイを抱きしめていると、キリトは呆れ顔で玄関へ向かっていく。

 

 ――コンコンとノックの音。

 リズベットだろうか。こんな時間にどうしたのだろう。

 キリトはそのまま玄関を開けて、来客を招き入れようとした。

 

「あれ……?」

 

 キリトの戸惑ったような声に、私の視線はユイから玄関へ向く。

 ……瞬きを数回。しかし何度見返しても目に飛び込んでくる情報に変化はない。

 ユイからわけてもらっていた温かさが、外から入り込んだ空気によって急速に冷えていくような気がした。

 おめでたい紅白カラーのKoB装備。

 栗色のロングヘア―を編み込んだ気品のある外見。

 けれども彼女の表情はどこか申し訳なさそうにしつつ、笑顔を取り繕っていた。

 

「き、来ちゃった……」

 

 ――結城明日奈さんが、そこにいた。




妹は増えるもの。
キリトが泊まっていこうとしてて常識を疑うエリですが、キリトはユイに斬りかかる寸前のエリを見ていたため流石に心配だったんです……。

そしてヒースクリフを置き去りにしたまま、だいぶ原作離れしているユイちゃんと朝露の少女をやっていこうと思います。あとエリのレベルは84となっていますが、原作よりもキリトやアスナのレベルは上がっているとお考え下さい。


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40話 灰色のエンドロール(7)

 その距離、わずか数メートル。

 すかさず身を引くもソファの背もたれに阻まれ、稼げた距離は数センチしかない。

 ここが現実であれば手に嫌な汗が滲むような感覚。

 今すぐ逃走したいが、私はユイを抱えた体勢。身動きが取れない。

 周囲を確認。有利になるための要素を探す。

 心臓が早鐘のように脈打つ。

 それに合わせて瞳孔が乱れて、視界は明滅を繰り返した。

 そうだ。ここは私の借りてるコテージ。家主は私であるから追い返せばいい。

 

「なんで来たんすか……。帰って――」

「お姉ちゃん?」

「は、はい?」

 

 ユイが肩を掴んで私を揺すった。

 

「大丈夫ですか?」

「だだだ大丈夫っすよ!」

「あの……。ごめんなさい、急にお邪魔して……」

「本当っすよ! だからさっさと――」

「お姉ちゃん?」

「はい」

「これ、つまらないものだけど。お土産のケーキです」

「いや、そういうのはいいんでとにかく――」

「お姉ちゃん」

「はい」

「この度はその……、団長がご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした」

「ヒースクリフさんとかどうでもいいんすよ。そんなことより――」

「お姉ちゃん!」

「はい」

 

 結城さんを追い返そうとするたびに、ユイが割って入る。

 今の私は結城さんの前で使う敵愾心のペルソナと、ユイの前で使う姉のペルソナを目まぐるしい速度で付け替えさせられていた。

 落差の激しいペルソナは、付け替えるたびに意識のレベルが大きく変化する。

 恐怖や嫉妬から、庇護欲や責任感へ。

 私という人格が2つあるような気がして、同一人物であることが苦しくなってきた。

 心臓の鼓動はさらに加速して、だんだんと視界が暗くなっていく。

 手を強く握られる感覚。温かい。これはユイの手だ。

 それを楔に、どこかへ行こうとする意識が縫い止められて、ここに留まる。

 

「ど、どうしたんすか、ユイ」

「お姉ちゃん、辛そうな顔をしてましたよ」

「…………はぁ……」

 

 私を見上げるユイ。

 私はユイに握られていない方の手でこめかみを抑えて溜息をひとつ。

 心臓も思考も徐々に落ち着きを取り戻してきた。

 視界は安定して、至近距離にあるユイの今にも泣き出しそうな顔がハッキリと見える。

 

「――あがっていけよ、アスナ。お茶くらい出すぜ」

 

 そう言ってからキリトが私に振り返って確認を取るように視線を合わせた。

 随分と勝手な話だ。だが、私はそれを止めなかった。

 2つに割れかけたペルソナは、最終的にユイへ向けるものに傾いた。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 カチャリと、ティーカップを置いた音が鳴った。

 私たちは無言でケーキを咀嚼する。

 

「お姉ちゃん」

「どうしたっすか?」

「あーん」

 

 ユイに私のケーキを一口。

 結城さんは別々の種類のケーキを買ってきていたため、食べ比べができる。

 

「お姉ちゃんもあーん」

「――そっちのも美味しいっすね」

 

 ユイのケーキを一口。生地の甘さにイチゴの酸味がいいアクセントとなっている。

 私が選んだのはモンブラン。ユイが選んだのはイチゴのタルト。

 甲乙つけがたいが、タルトの方が好みではある。ユイに譲っておいてよかった。

 なお、ショートケーキは結城さんだ。

 

「なあ……」

「なんすか?」

「俺にも一口くれよ」

「なんすか。あーんってして欲しいんすか? 駄目っすよ」

「いやそうじゃなくてさ」

「キリトさん。あーん」

「ありがとう、ユイ……。ありがとう……」

 

 とても嬉しそうに差し出されたケーキに食いつくキリト。

 失敗した。そうくるか……。

 

「お姉ちゃんも、もう一口食べますか?」

「いいんすよ。ユイが食べるっす。はい、あーん」

「あーん」

 

 私はユイにもう一口、与える。自分で食べるよりも、食べさせてる方が楽しい。

 

「キリトさんは食べますか?」

「ありがとう……。ユイの優しさが目に染みるよ……」

「駄目っすよ。女の子が簡単にそういうことしちゃ」

「駄目なんですか?」

「でも女の子同士ではやってもいいっすからね。はい、あーん」

「あーん」

「キリト君。よければ私の分、食べる?」

「い、いや……。悪いしいいよ」

「むう」

 

 イチャつくなら他所へ行けと言いたくなる。

 こうなった原因は結城さんにあった。彼女はユイの存在を知らなかったために、買ってきたケーキの数は3個。1個足りなかったのだ。

 色鮮やかなケーキが皿に乗せられてる中、キリトの前に置かれた皿には申し訳程度にクッキーが乗せられている。

 なお、結城さんはキリトがいることは知っていた模様。

 リズベットから聞いたのだろうか。いや、そうだとすればユイの事も知っているはず。だとすれば、キリトの後をつけてきたということか……。

 さぞ、ランクの高い偵察スキルのブースト装備を持ってきたのだろう。

 

「やっぱりキリトさんに私の分を……」

「いいんすよユイ。こういうときはレディーファーストっていって、男性が身を引くものっす」

「そうなんですね!」

「おい。ユイにあんまり変な事教えるなよ」

「はいはい。代わりに後で美味しいワインをあげるから、それで目を瞑ってくださいっす」

「おっ! ラッキー」

 

 チェストにSTR上昇バフのつく高級なワインが仕舞ってあったはずだ。

 祝い事のときに飲もうと思っていたが機会がなくてずっと奥で眠らせたままだったがしかたがない。ワインは攻略のときにでも飲んでもらって、彼の役立ってもらおう。

 

「それで、そっちの女の子は……?」

「はじめまして! わたしはユイです」

「はじめまして。私はアスナです。よろしくね、ユイちゃん」

「はい! よろしくです」

「ユイちゃんは、エリさんのお友達かな?」

「うーん?」

「妹っす。血は繋がってないっすけど」

「え、えぇ……?」

「はい! わたしはお姉ちゃんの妹です!」

 

 素直に肯定してくれるユイが愛らしくて、ついつい私は彼女を抱き寄せる。

 隣に座っていたユイはされるがままに、私へ体重を預けて、もたれかかった。

 

「あー。説明するとだな。森で倒れてたユイをここで保護してるんだよ。彼女、どうにも記憶がないみたいでさ」

「そうだったの……。大変だったのね、ユイちゃん」

「大丈夫です!」

 

 ユイは嬉しそうに私にすり寄っている。

 記憶がないというのに、ユイからは悲壮さがまるで感じられない。

 無理をしている――、わけでもないと思う。

 ユイは、私が知る限りでは本当に楽しそうに笑うのだ。

 これが演技のだとしたら、子役スターとして今すぐ売り出せるだろう。可愛さという面では、すでに十分な素質を持っているわけなのだから。

 

「エリさんも元気そうで安心したわ。うちの団長が空気読めなくて、本当にごめんなさい!」

「いいっすよ。ギルドの方針ってことなら、正しい判断っすから。すっぽかしちゃったっすけど、あれから大丈夫だったっすか?」

「ええ……。なんとか……」

 

 苦笑いをする結城さん。あんまり大丈夫ではなかったらしい。

 

「今日の要件はそれだけっすか?」

「お姉ちゃん……」

「大丈夫っすよ。ユイ」

 

 私はユイを優しく撫でた。彼女に触れていると心が安らいで、トゲトゲした感情が鳴りを潜めていく気がする。

 

「団長の件でお詫びに来たのは本当よ。それに様子が心配だったのも。でも一番の理由は……」

「………………」

 

 結城さんは言い澱む。

 なにを言おうとしているかは察しがついてた。でも私から歩み寄ることができない。ずっとそうしてきたから、足が棒になってしまって動けないのだ。

 今でもユイが側にいなければ、逃げ出してしまうか、あるいは結城さんを傷つけてでも振り払っていただろう。

 なんて卑怯者なのか……。

 私はそれを理解してなお、彼女の言葉をただ待ち続けた。

 

「……あなたと、仲直りがしたかったの」

 

 私の心に結城さんの言葉が刺さる。

 真っ直ぐで、とても切れ味のいい言葉だ。

 

「私は……」

「お姉ちゃんは、アスナさんと喧嘩してるんですか?」

「……違うんすよ」

 

 私は首を横に振る。

 逃げて、逃げて、こんなところにまでやってきた私だが、ユイの前では格好よくありたいと、強がっていたいと、まだそんなことを思ってしまう。

 そうして失敗を繰り返してきたというのに。相変わらず学習能力のない頭だ。

 ……そうでなければこんなことにはなっていないか。

 

「――アスナさん。外で……。2人きりで……、お話、しませんか……?」

「えっ!? う、うん。じゃなくて、はい!」

 

 ユイをそっと離して、私は立ち上がった。

 これは精一杯の強がりだ。

 ユイのお姉ちゃんとして、ここで逃げるわけにはいかない。

 そろそろ、逃げ続けてきた現実に決着を着けよう。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 空は雲一つないが、晴天というには見慣れた階層の底が邪魔である。

 乾いた空気が頬を撫でた。厚手のコートを羽織ってきたが、それでも冬の気温設定はだいぶ寒い。

 湖が近いせいもあるだろう。夏場はきっと快適だが、冬場はあまりよくない。

 だからこそ過疎なこの場所を選んだのだけれども、ユイには悪いことをした……。

 風に乗って落ち葉が流れる音がする。

 それ以外はとても静かだ。

 ここには私と結城さんしかいない。

 コテージに残した2人の声は、建築物の外壁オブジェクトが遮断してくれている。

 

「なにから、話したものっすかね……」

 

 ユイに分けてもらった温かさが残っているのか、結城さんを前にしても、私はまだ落ち着いていられた。

 

「私が向こうでなにか、しちゃったのよね? その……、ごめんなさい」

「違うんすよ。アスナさんのせいじゃないんす……。だから謝らないでください」

 

 だというのに私は結城さんを毛嫌いして、嫌がらせをしていた。

 嫌がらせをするたびに、自分の惨めさが浮き彫りにされていくような気がして、最悪な気分を味わった。なのに彼女を見つけると感情が抑えられなくなり、また繰り返す。

 私は馬鹿なのだ……。

 

「……少し、歩かないっすか?」

 

 時間を稼ぐようにそう提案した。

 最終的に話すのなら、この場ですぐに話しても同じことだ。むしろそうするべきだ。

 正解がわかっていても逃げ道を探してしまう……。

 結城さんは黙って私の後に続いてくれた。

 

 針葉樹の森を、落ち葉を踏みしめながら歩く。

 私たちは無言だった。

 上手い言葉を探そうするが、取り繕っても汚いものは汚いままだ。

 結城さんの、顔を見れない……。

 彼女に見られるのが怖かった。私の醜い一面を、透かして見られてしまうのではないかと、そう思ってしまうから。

 

「本当に、くだらない、理由なんすよ……」

 

 前置きをする。だから期待しないでほしい。

 これは結城さんの納得できるような、崇高な理由じゃないのだ。

 

「同じ学校に通ってたのは知ってたっすか?」

「うん。クラスは同じじゃなかったから、話す機会はなかったと思うけど……」

「そうっすね。たぶん話したことなんて一度もなかったと思うっすよ」

 

 学校の外でなら、もしかしたらあるかもしれないが、それは重要ではない。

 

「すぅ…………」

 

 深呼吸しなければ、喋ることさえままならない。

 私は振り返って結城さんを見た。学校で見かけた通りの、綺麗な人だ。

 

「――点数」

 

 4文字を振り絞る。これですべて理解してほしかったが、ここまで来たからには最後まで言わなければいけない。

 

「テストの点数っすよ。ずっと、私は2番だった……」

 

 結城さんはずっと1番だった。

 

「家が厳しくて、1番でないと駄目だったんす。それまでの人生で、1番を取るのはあたりまえ。1番でなければ価値がないって。そうやってきたせいっすかね……。負けたのが信じられなくて、次からは寝る間も惜しんで必死に頑張ったんすよ。まあ結果は惨敗っす。あれだけ努力して駄目だったんだから、才能がなかったんすね、きっと……」

 

 2番というのは十分凄い成績だというのは、今でこそ理解している。

 でも、それでは足りなかったのだ。私は完璧でなければいけなかった。

 当時の私はそう信じて疑わなかったし、両親もそう信じていた。

 あらゆる分野には天才と呼べる連中がいる。そんな連中に勝ち続けることができないのは当然だ。だからどこかで負けることになっただろう。そのくらいは幼い私もわかっていた。

 しかし、学校のテスト程度で敗れるとは思っていなかったのだ。人生という長い競争のプロローグで躓いたようなものだった。

 

「勉強に集中し過ぎて、今度は習い事の方に支障が出てっすね。どんどん周りに引き離されていくことが苦しくて仕方がなかった……。苦しさを紛らわせるように勉強に打ち込んで、それでまた2番」

 

 最後に見た中間考査の結果発表を見て、私は倒れた。

 ついに2番ですらなく3番になっていたからだ。

 

「こう、周囲の期待がどんどん失望に変わっていくんすよ。あれは、辛かったっすね……」

 

 ヒステリーを起こした母親が怒鳴り散らして、私は1日中家庭教師を入れ替えて、机に齧りつかされる。勉強をしていない時間は、食事とお風呂とお手洗い、そして睡眠のときだけ。それは特に辛くはなかったが、怒られることは怖かった。

 このままでは価値がないと言われ続け、何度も何度も自分を磨き続ける毎日。そうしていたら擦り切れてしまったのだろう。

 

「それである日突然なにも手につかなくなったんすよ……。学校に通えなくなって、引き篭もって、ゲームに手を出して……。気がつけばここっすね」

 

 肩をすくめてみせる。

 

「だからアスナさんのせいじゃないんすよ。――今まで、ごめんなさい」

 

 私は結城さんを見つめてから、頭を下げた。

 少し、心が軽くなった気がする。こんなことなら、もっと早くこうしていればよかった。本当に、私は馬鹿だ……。

 結城さんは私をじっと見つめると、今度は瞼を閉じた。

 

「……統一模試だったの」

 

 結城さんは目を細めて、過去を思い出すように話し始めた。

 

「このゲームが始まってすぐの頃かな。もうすぐ受験だったから凄い気にしてたんだ。周りに置いていかれちゃうって思うと、凄く怖かった……」

 

 結城さんは今まで見せたことのない、弱り切った表情をしていた。

 こんな表情を私はよく知っている。結城さんは鏡に映る自分の姿にそっくりだった。

 

「ゲームが始まった頃は毎晩悪夢にうなされたわ。母親に失望される夢。クラスメイトや後輩に笑われる夢。成績発表の順位に私の名前がない夢。そのせいで全然眠れなかった……。今でもたまに見るのよね。皆は高校の制服に袖を通してるのに、私だけずっと中学生のままの夢……。このままゲームをクリアすることが本当に正しいことなのかなって、時々思うのよ」

 

 近くの針葉樹に背を預けて、結城さんは空を見上げた。

 天には解放された23層の底。見上げれば、私たちはいつもこの箱庭の蓋を目にする。

 檻の中に入れられた実験動物か、あるいはゲージで飼育されるペットにでもなったかのようだ。

 けれどそれはこの場所に限った話じゃない。

 私たちは現実であって親の所有物だったのだろう。

 

「じゃあ、どうして最前線で戦うんすか?」

「わかんない。たぶん、今までずっとそうだったから。走り続けてないと不安でしょうがないの。だって立ち止まる方法を知らないから」

 

 視線が交差する。

 瞳は互いの姿を映していたが、私たちはきっと同じものを見ていた。

 

「どうしてあなたのことがずっと嫌いになれなかったのか、ようやくわかったわ」

 

 結城さんはゆっくり私に歩み寄ってきた。

 手を伸ばせば届く距離。彼女の方がやや身長が大きく、見上げる形になる。

 この数センチの違いが私と彼女の間にあった最初の差だ。

 片やKoBの副団長。閃光の異名を持つ、最前線の花形。

 片やALFの治安維持部隊元隊長。魔女の異名を持つ、正義を騙る殺人者。

 どうしてこうなってしまったのか……。

 私も彼女のようになれる可能性があったのだろうか?

 

「私たち似た者同士だったのね」

 

 初めはそうだったのかもしれない。でも、もう……。

 結城さんはそっと手を差し出す。

 

「私と友達になってください。あなたが必要なの」

「……必要だから友達になるんすか?」

「しょうがないじゃない。ずっと、そうしてきたんだから」

「そうっすね……」

 

 私は結城さんの差し出した手を握った。

 歩んできた道は違うけれど、彼女は私のことを理解できる人で、つまり私にも必要な人だった。

 

「もっと早くこうできればよかったなあ」

「そうっすね……」

 

 初めて会ったときに、こうしていればよかった。

 あれからもう2年か……。長い、とても長い2年間だった。何度も足が止まってしまったのに、結城さんを追いかけていた日々よりも濃密な2年間だった。

 

「そろそろ戻ろっか」

「そうっすね……」

「ふふふ。さっきからそればっかり」

「……似てるからじゃ、ないっすかね」

「そうね」

 

 さっきまでの重たい空気の会話を忘れたかのように、結城さんは弾む声で笑った。

 私は……自嘲気味に笑う。笑い方まではどうやら似ていない。

 

「エリって、呼んでもいい?」

「いいっすよ。……アスナ」

「うん。――よし。エリ、コテージまで競争よ!」

「え!? ちょっと、私STR型なんすけど!」

「あははははは」

「このっ! 速いっすね、もうっ!」

 

 ステータスに差があり過ぎて、アスナに追いつくことなどできるはずがない。

 だが彼女はちらちらと振り返って差を引き延ばしはしなかった。

 だから私は最後の最後で最長の射程距離を持つ突進系ソードスキルを使い追い抜いた。

 目を丸くしたアスナもすかさずソードスキルで加速して――。

 

 

 

 コテージに戻った私たちを、2人は笑顔で出迎えてくれた。

 キリトとアスナはこの日の攻略を休み、夕飯は4人でアスナの完全習得した料理スキルを使った豪華なディナーを食べた。

 キリトは相変わらず買い出しに行かされたが、3人分の奮発したコルを使い高級食材を買ってくると、上機嫌になっていた。

 キリトに渡した極上のワインはすぐに開けられ、その大半が私とアスナのグラスに注がれては消費されていった。

 ユイも一緒にワインを飲ませることに、アスナは最初反対していたが、酔うことはないの一点で押し切り、ユイも一緒に飲むことができた。その分キリトに注がれる量が減ったわけだが。

 夕飯はとても賑やかになり、アスナも「普段はこんなにはしゃいでないからね」と言うくらいにははしゃいでいた。

 

 夕飯を終えると夜も更けていて、キリトには帰ってもらったが、アスナはそのままコテージに泊まった。

 ベッドは3人で寝るにはいくらなんでも狭かったけれど、楽しい経験になった。

 寝物語に、キリトについて根掘り葉掘り聞いたのは3人だけの秘密だ。

 

 この日も私は悪夢を見ずにぐっすりと眠れた。

 アスナの寝顔を見ながら願ったのはただひとつ。

 

 ――どうか、彼女をこの手で殺すことになりませんように。

 流れ星は見えなかったが、この願いがどうか叶いますように。




エリとアスナの関係はずいぶん引っ張った割にはしょうもない理由でした。
しかし2人とってはそれがすべてで、とても大事な理由だったんです。

プログレッシブの漫画版を買ったのはプロットを完成させた後でしたが、アスナさんの内面が想像していた通りで本当によかった……。
冒頭の部分だけでもすごくわかり易くアスナさんの性格が描かれているので、試し読みを公式サイトでしてみることをおすすめします。


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41話 灰色のエンドロール(8)

「おーい。開けてくれ」

 

 ノックの音が3回と、キリトの声。アスナが玄関へ出迎えに行く。

 

「よう。――ぶふっ!」

「なんすか……」

「いや、似合ってるよ」

「そうですよね!」

 

 私を見るなり笑い出したキリトを睨むが、まあしかたがない。

 

「ちょっとキリト君。それは酷いんじゃない?」

「いやいや。ごめんって。似合ってないんじゃなくて、あんまりそっくりだったからさ」

「そんな似てないと思うっすけど」

「そうか? 並べてみると、結構似てる気がするよ」

「3姉妹ですね!」

「この場合長女は誰になるのかしら?」

 

 私とアスナとユイの髪型は、今お揃いのものになっていた。

 アスナがユイの髪を自分と同じものに結って遊び始め、それに触発されたユイがアスナに教わりながら私の髪を結ったのだ。

 なお、私とアスナさんの顔立ちは特に似ていない。

 

「うーん……」

「どうかした? 誰が長女か悩んでるの?」

「いやそうじゃなくてっすね……」

 

 アスナとユイを交互に見比べる。

 

「言われてみれば、似てるっすね」

「目の色とかそっくりだもんね」

 

 目元だけ写真を切り取って見比べれば、たぶん……。そういうことなのだろう……。

 

「服はアスナさんのものを借りたんですよ」

 

 ユイはくるりと回って、キリトにアピールしてみせる。

 桜色の縦縞セーターに梅色のショートスカート。足はグレーのタイツで覆われて、普段よりもだいぶお洒落だ。

 そして……。なぜか私もアスナの服を着させられている。

 白地のオフショルダーに橙色のプリーツ。体形の出にくいものをしっかり選んでくれたことが憎らしい……。

 

「ユイも似合ってるよ。でも俺は普段の色の方が俺は好きだあ……」

「うっ……。き、キリト君。あくまで男性視点の参考として聞きたいんだけど、具体的にはどんな色が好みなの?」

「青とかかな」

「そ、そっかあ……」

 

 アスナが首だけを反転させて私をじっと見てくる。

 違うんすよ、と伝えるべく私は首を横に振った。それから誤解を解くべくアスナを手招きして、耳打ちをする。

 

「私じゃなくて、ギルドにいた女の子のせいっすよ」

「サチさんのこと?」

 

 頷いて肯定する。

 それからなんのことかわかっていなさそうな、朴念仁のキリトを2人で見つめた。

 

「手強いわね……」

「私はリズも応援してるんで、手助けしないっすよ」

「あら。エリはどうなの?」

「いいっすよ、私は……」

 

 恋愛とか、そういうのは別に……。

 視線を逸らした先の窓を見ると、雪が降り始めていた。

 ふと、去年のクリスマスを思い出す。

 

 リズベットとは違って硬い太股の感触。

 

 頭を撫でる不器用な手つき。

 

 下から覗いた、彼の寂しそうな顔。

 

 雪が降っていてとても寒いのに、触れ合った部分だけはやけに温かくて……。

 

 ――今日のことは、2人だけの内緒っすよ。

 

「……きがえてくるっす」

 

 私は顔を見られないようにしながら、早足で寝室へ逃げた。

 このゲームの中で表情を誤魔化すのは結構難しい。

 寝室の姿見に映った私の顔は、案の定真っ赤になっていた。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 私たち4人は第1層、はじまりの街へやってきていた。

 アスナが、ユイを知っている人物を探そうと言い出したためだ。

 彼女は以前から捜索願などを当たっていたらしいが、そういった仕事はおおよそALFで一括管理されているため、外部の掲示物に張り出されているのは氷山の一角だ。

 彼女の地道な聞き込みは効果がなく、まだ調べられていない1層へ潜入することを提案された。

 

 私は指名手配――とまでは言わないが世間に顔を出せない身の上。

 そこで一計を講じてリズベットに協力を申し込んだ。

 現在私の身に着けている装備は全身甲冑。俗にバケツヘルムと呼ばれる頭鎧を被れば顔が見られる心配はない。装備も男女共用デザインではなく、男性用のものを着ているため性別も誤魔化せる。

 だがこれだけでは不審者だ。

 街中で完全武装して顔を隠したプレイヤーがいれば嫌でも目に付く。

 ここで役に立ったのがアスナの肩書だ。

 KoBの副団長と一緒に歩く、KoBカラーのプレイヤーは、普通に考えればKoBのメンバーに見えはずだ。つまり顔が見えずとも、身分の明らかなプレイヤーとなれるのだ。

 なお、ユイもついでにKoBカラーの防具を着ている。

 この防具は偽造品ではなく本物。アスナがKoBの倉庫から拝借したものだった。

 キリトはユイにKoB装備を着せることを最後まで反対していたが、賛成多数のため、少数派の意見は黙殺された。

 

「ユイちゃん、見覚えのある建物とかある?」

「ないです……。ごめんなさい」

「いいのよ。気にしなくて」

「……はじまりの街は広いからな。とりあえず中央市場に行ってみるか?」

「そうだね」

 

 中央市場に行ってもユイが知っている場所は見つからなかった。

 私たちは大通りから外れて、住宅街などの並ぶ別の地区へと足を運んだ。

 中央市場は上層から訪れたプレイヤーで賑わっていたが、他の地区は閑散としている。

 最後に目にした住民調査では、はじまりの街には2000人近くのプレイヤーが暮らしていたはずだ。まさか皆揃って引っ越したわけではあるまい。この閑散具合はどう考えてもおかしい。

 

「ねえ。普段からこの辺りって、こんなに人が少ないの?」

 

 不安になったアスナに、私は首を横に振る。

 

「索敵スキルで警戒だけはしておこうぜ」

 

 キリトはメニューからスキルを発動させて警戒を促した。

 寂れた通りに見かけるのはほとんどがNPC。たまに発見したプレイヤーは私たちの存在に気がつくとそそくさと脇道に隠れてしまう。

 そうしていくらか歩いてようやく、通りの小高い丘に逃げ出さないプレイヤーを発見した。

 中年ほどの年齢をした男性は、そこに植えられた木の下で、ずっと上を見上げている。

 

「すみません」

「ん? あんたらよそ者か?」

「は、はい……。この子の知り合いを探しているんですけど」

「迷子か。珍しい……。第7地区の川べりの教会に、ガキのプレイヤーが集まってるって話なら聞いたことがある」

「ありがとうございます!」

 

 アスナに続いて私たちは頭を下げる。

 

「なあ。プレイヤーが全然見当たらないんだが、なにか知らないか?」

「別にいないわけじゃないんだぜ。皆、宿に引っ込んじまってるのさ。昼間は軍の徴税部隊に出くわすかもしれねえからな」

「徴税部隊?」

「あー。他所から来たんだったな。まあ、体のいいカツアゲだよ。やつら余所者だろうと容赦しないからな。あんたらも気をつけるこった」

「徴税部隊は、いつから現れたんですか?」

 

 なるべく喋らないようにする手筈だったが、私はなるべく声を作って男に話かけた。

 

「半年くらい前、いやもうちょっと短かったかなあ……」

「ありがとうございます」

 

 男をその場に残して私は裏通りへ歩く。

 3人も後に続き、キリトに周囲にプレイヤーがいないか確認してもらってから話を始めた。

 

「徴税部隊って、なんなの?」

「わからないっす……。ただ……。私が手を抜き出した頃からあるみたいっすね……。これは、私の責任っす……」

 

 建物の壁に背を預けながら項垂れる。

 私は自分の立場の重さを、失念していたのだろう。部下を持って、担ぎあげられて、自分より弱いプレイヤーに正義を振りかざすことに酔いしれていたのだ。

 

「お姉ちゃん……」

 

 鉄の鎧は身を守ってくれるが、それが邪魔でユイの温かさが感じられない。

 

「エリのせいじゃないわ。組織が腐敗していくのを黙って見過ごした、キバオウこそが責任を負うべきよ」

「こういうことを防ぐための組織の隊長が、この体たらくっすからね。言葉は嬉しいっすけど、やっぱり私のせいなんすよ……」

 

 本音をいえば彼らのことなんて、()()()()()()()()

 ALFが正義の味方でないのは百も承知である。

 私はただ、自分の失態が知られてしまって恥ずかしいのだ。あるいは……。見ず知らずの他人を大事にできないことが恥ずかしかった。

 

「……とにかく今は第7地区へ行ってみようぜ。場所はわかるか?」

「案内するっす」

 

 心に刺さった氷の棘が、ずきずきと痛みを訴えていた。

 もしかすればそれは、氷が溶けることを拒む痛みなのかもしれない。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 件の教会を見つけるのは簡単だった。

 第7地区の場所は記憶していたし、川の方角を目で追えば背の高い尖塔の建物が遠くからでも確認できたからだ。

 

「ねえ。ユイちゃんの保護者が見つかったら、お別れしないといけないのかな……?」

「………………」

「……そうっすね」

 

 キリトは無言。私はユイの手を強く握り返した。

 

「そうよね。それがユイちゃんのためだもんね。――でもずっと会えなくなるわけじゃないものね。ごめんね、私からお願いしたのにやる気を削ぐようなこと聞いちゃって」

「……いいさ」

 

 教会の大きな2枚扉の前に立つ。

 アスナがノックをして、右手で片方の扉を押し開けた。

 公共の施設なため部屋を借りているといってもここまでは施錠できない。購入すれば別だが、そうではないようだ。

 窓は閉め切られていて、内側は暗い。祭壇に捧げられた蝋燭の炎だけが静かに石畳の床を照らしていた。人の気配は一見しただけではないが……。

 

「どなたかいらっしゃいませんかー?」

 

 キリトのアイコンタクト。どうやら中に人がいるようだ。

 おそらくアスナもそれをわかっていて、大声をあげている。

 

「この子の知り合いを探してるんですがー!」

 

 アスナの声に反応して、今度は右手のドアがわずかに開かれた。

 しかし中から人が出てこない。随分と警戒しているようだ。

 

「軍の、人じゃ、ないんですか?」

 

 アスナは私を見て苦笑い。

 

「KoBのアスナです。上の層から来たんですが」

「ほんとうに、軍の徴税部隊じゃないんですね……?」

 

 ドアがゆっくりと開き、中から黒縁の眼鏡をかけた女性が顔を出した。

 どこかで見た気がするが、はじまりの街で生活しているならどこかですれ違ったことがあるのかもしれない。

 濃紺のプレーンドレスを身に着けたその人物の手には小さな短剣。彼女の深緑色の目には怯えが映っていて、アスナは安心させるように微笑んだ。

 絵になる綺麗な表情だが、これが作り物の笑みだと知ったらさぞやがっかりするだろう。

 

「上から来たって言った!? じゃあ本物の剣士なのかよ!」

 

 甲高い、子供らしいはしゃぎ声とともに、女性の背後から少年たちが駆けてきて、ドアが勢いよく開かれた。

 現れたのはユイと同じくらいの年齢層の子供たち。

 彼らは私たちを取り囲んで、興味津々に防具や武器に目を輝かせた。

 

「こら! あなたたち、部屋に隠れてなさいって言ったじゃない!」

「すげー。ピカピカだぜ!」

「見ろよこの剣。先生の持ってるとなんて比べ物にならねえ」

「……すみません。普段お客様なんてこないものですから」

「い、いえ。構いませんよ。ちょっと驚いちゃいましたけど。――幾つか入れっぱなしの武器があったはずだから見せてあげよっか?」

「マジかよ!」

 

 アスナはアイテムストレージから細剣を数本取り出して、子供たちに手渡した。

 要求STRの低い細剣であれど、おそらく初期レベルのままの彼らにはだいぶ重いらしく両手で抱える羽目になっていた。

 

「すみません。ほんとうに……。あの、よければこちらへどうぞ。今お茶の準備をしますので」

 

 申し訳なさそうに話しつつも、彼女の子供たちを見る目はとても穏やかだった。

 礼拝堂の奥にある小部屋に案内され、私たちにお茶が振る舞われる。

 私だけは腕を組んで、壁に背を預けて立ったまま。無言を貫き、お茶は片手で遠慮するジェスチャーをした。

 それっぽく見せるためのロールプレイだ。知らない人から渡された食事アイテムは、口にしないと決めているからでもある。

 

「お気になさらず。彼は私の護衛です」

「は、はあ……」

 

 そういうことになっている。

 

「あらためて、私はKoBのアスナです。こちらの彼がキリト君。そしユイちゃんです」

「あ、すみません、私ったら名前も言わず……。サーシャと言います」

 

 お見合いのようにそれぞれが頭を下げた。

 

「この子が22層の森の中で迷子になっていたんです。それで……記憶を無くしているみたいで」

「わたしを知っている人はいないかと思って、たずねに来ました!」

「まあ……」

 

 記憶喪失と聞けばもっと悲壮感の漂う話だが、当の本人はいたって元気だ。

 サーシャもほがらかに笑って場が少し和む。

 

「ユイちゃんを見かけたことのある人を伝って、足取りを確かめようと思ってやってきたのですが、見覚えはありませんか?」

「そうだったんですか……」

 

 サーシャはじっくりとユイの顔を見るが、やがて首を横に振った。

 

「すいません。お力になれなさそうです。私たち、2年間ずっと毎日1エリアずつ見回って困っている子供がいないか調べてるんです。だからこんな小さな子を見逃してるはずがありません。残念ですが、彼女はすぐにフィールドへ向かった子なんじゃないかと……」

「そう、ですか。ありがとうございます」

「いえいえ。お力になれず、すみません」

 

 アスナはどこかほっとした表情だった。

 

「あの。立ち入った事を聞くようですけど、毎日の生活費とかはどうしているんですか?」

「あ、それは私の他にもここを守ろうとしてくれてる子供たちがいて、彼らが周辺のフィールドに出てくれているので、食事代なんかはなんとかなっているんです。私も初期に上げた裁縫スキルがあって、それでどうにか……。決して贅沢はできませんけどね。でもそのせいで、私たちはこの辺りに住む他のプレイヤーより相対的にお金を持っていることになってしまって……。だから最近目をつけられてしまって……」

「徴税部隊、ですか……」

「はい……。以前はそんなことはなかったんですけどね。ALFの皆さんには――」

「――大変だ! サーシャ先生!」

 

 バンッ! と部屋の扉が力強く開かれる。壁にぶつかって跳ね返ろうとするそれを、現れた少年が片手で押さえつけた。彼の後ろには先程の子供たちもいる。

 

「こら! お客様に失礼じゃないの」

「そんなことより大変なんだ! ギン兄たちが軍のやつらに捕まっちゃったんだよ!」

「ば、場所は!?」

「第5区の道具屋の裏にある空き地。あいつら10人くらいで通路をブロックしてて、コッタだけが逃げられたんだ」

「わかった。すぐ行くわ。――すみませんがお話は後ほど……」

「私たちも行きます!」

「ありがとうございます。今はお気持ちに甘えさせていただきます」

「俺たちも!」

「いけません。あなたたちはここで待っていて。大丈夫。必ず無事に帰ってくるわ」

 

 サーシャが心配そうに見つめる子供たちの頭を優しく撫でた。

 その姿が胸を打つ。彼女は身を挺してでも子供たちを守るだろうと、会って少ししか経っていないのに、なぜかそう信じられた。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 教会を飛び出したサーシャの後を追う。

 ああは言ったが、私たちの後を大勢の子供たちが追いかけてきていた。

 しかし追い返している余裕もないようで、サーシャは無言で走った。

 木立の間を縫って市街地を駆け抜け、裏通りを急ぐ。最短距離を把握しているらしく、NPCショップや民家の中を突っ切って進んでると、前方に道を塞ぐ集団が見えてきた。

 黒鉄色の甲冑。灰緑色のマントには見覚えがないが、そこに書かれている紋章は間違いなくALFのものだ。

 躊躇なく路地へ駆け込んだサーシャに気がついた彼らは振り返って下卑た笑みを浮かべる。

 

「おお。保母さんのご到着だぜ」

「子供たちを返してください」

「おいおい人聞きが悪いこと言うなよ。これはただの社会勉強だぜ」

「そうそう。市民には納税の義務があるからな」

「ギン、ケイン、ミナ! そこにいるの!?」

「た、たすけて、先生……」

 

 子供たちの震えた声がどうにか聞こえる。

 

「お金なんていいから。全部渡してしまいなさい」

「だめなんだ。せんせい……」

「くひひ。あんたらは随分滞納しているからなァ。金だけじゃ足らねえよなァ」

「そうだぜ。装備も全部置いていってもらわねえとな。もちろん防具も、なにもかも」

 

 子供たちの中にはユイと同じくらいの少女もいた。

 彼らはこう言いたいのだろう。ここで裸になれ、と。

 

「そこをどきなさい……。さもないと……」

「さもないとなんだ、あんたが代わりに税金を払ってくれるのかア?――なんだお前ら、やるってのか? 俺たち軍に楯突くってことがどういう意味か分かってんだろうな」

 

 キリトとアスナが剣の柄に手をかけていた。

 

「なんだったら圏外行くか? 圏外」

 

 彼らの後ろを追いかけるように、私も一歩、前に踏み出す。

 

「ん。いい防具じゃねえか。随分金も持ってそうだし、あんたにも払ってもらわねえとなア」

「黙るっすよ」

 

 剣を抜きながら私はクイックチェンジで装備を切り替えた。

 KoBの偽装はストレージへ保管される。

 オブジェクトが生成されるエフェクトの輝きに包まれ、現れたのは黒鉄色に赤の意匠の重鎧。

 ――ALFの正式装備だ。

 

「あん? お仲間かよ」

「どこの所属っすか」

「なんだよ説教かあ? 聞き飽きたんだよ、そういうのはよぉ」

「教育がなってないっすね」

「生意気言ってんじゃねえぞ!」

「お、おい! 不味いぜ。こいつ、魔女だ」

「魔女? エネミーが圏内にいるわけねえだろ」

「そうじゃねえよ! 治安のトップの、PK殺しだ!」

「ああ、よかった。知らないのかと思ってビックリしちゃったっすよ」

 

 自然と、口角が吊り上がる。

 この感覚は久々だ。治安維持部隊隊長のペルソナを私は被った。

 今つけているのは表向きのそれではない。PKを捕らえたときの、ご馳走を前にしたときに見せるペルソナだ。

 

「圏外とか、面白こと言ってたっすね。いいっすよ。さあ行こうじゃないっすか」

「は、はは……。ここは圏内だぜ。お前らもビビってんじゃねえ。こいつを差し出せば、俺たちも昇進間違いなしだろ!?」

「圏内なら死なないって思ってるんすかァー? 勉強不足っすねえ。――圏内PKのやり方を教えてやるっすよ」

 

 彼らを殺せばどれだけ胸の内がすっとするだろうか。

 私は今どこにいるかも忘れて、想像の中に陶酔していた。

 これも私の一部だ。もう切り離せないくらい骨身に染み渡り、全身が侵されている。

 ギラつく瞳が彼らの人数を数えた。12人。なかなか多い。装備の質を見る限りレベルは高くないが偽装の可能性もある。

 さっさと二刀流にしよう……。あれなら1回のソードスキルで1人か2人は持っていける。その前に回廊を開かないといけないか。

 

「アハぁ……」

「ひぃ!?」

「やべえよやべえよ!? こ、殺される!?」

「おい、俺を置いていくな!」

 

 恐怖が伝染したのか、彼らは揃って一目散に逃げだした。

 走り出す彼らの背を視線で追って、今ならまだ間に合うかなと益体もないことを考えた。

 

「お姉ちゃん」

「ん。どうしたっすか、ユイ」

「……なんでもないです」

「そうっすか」

 

 剣を鞘に収める。渇いていたが、私は戦闘態勢を解除した。

 

「騙してて、ごめんなさい」

 

 サーシャに頭を下げた。

 どこからか石がぶつかる。投げられた方向を見ると、子供たちがいた。

 

「お前たちのせいだ!」

「やめなさい! この人は――」

「いいんすよ。慣れてるっすから」

 

 私が振り返らずに去ろうとすると手を掴まれた。ユイの手だった。

 

「この人が教会に住むためのお金を出してくれたのよ! だからやめなさい!」

 

 子供たちはハッとなって、持っていた石をその場に落とした。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

「その先程は本当に失礼しました」

「ごめんなさい!」

 

 教会に戻ってきて、私は謝罪の雨を浴びせられていた。

 石を投げた子供たちと、サーシャが何度も何度も頭を下げてくる。

 

「えっと、人違いじゃないっすかね……」

「いえ。エリにゃんさん、ですよね?」

「うっ……」

 

 人違いではないらしい。

 

「えっと、どこかでお会いしたっすか?」

「そう、ですよね。覚えてませんか……。会ったのはこのゲームが始まった頃です。あなたはこの街の広場で途方に暮れてた私にお金を渡してくれて、生産職をやってみませんかって丁寧にレクチャーしてくれたんです」

「あ、ああ……」

 

 そういえば、目星をつけたプレイヤーの中にいたような、いなかったような……。

 気概のあるプレイヤーを振るいにかけたらリズベットしか残らず、他はALS――当時のMTDに吸収したんだったか。

 彼女は事情によりドロップアウトした側のプレイヤーだったのだろう。

 子供たちが心配で、面倒を見るために。そんな理由で辞めたプレイヤーがいたかもしれない。

 

「おかげでこうして細々とやっていけてます。ありがとうございました」

「あ、いや……。えー……はい……」

 

 そんな崇高な理由ではないし、そもそも切り捨てたわけなのだが。

 ここは言わぬが花だろうか……。

 

「あれからもALSの方たちには何度も支援して頂いてまして……」

 

 それは私の管轄ではない。

 いや。ちょっとは触れてたかもしれないが、それは治安維持部隊が結成されたときに人気を得るための対外アピールとして手を回しただけである。

 

「最近になってからなんです。こんなことが起こるようになったのは……」

 

 それは私のせいだ。

 手綱が千切れたまま放っておいたせいでこんなことになっている。

 

「丁度エリさんの姿をあまり見なくなってからなんです。だから、エリさんになにかあったんだろうって、心配で……。街では悪い噂を聞きますが、そんなの一部の人がわざと言いふらしてるだけなんです。私はそんなもの、ちっとも信じていませんでした」

「そ、そうっすか……」

「お姉ちゃん」

「どうしたっすか、ユイ……」

「なんでもないです!」

 

 ユイは嬉しそうにしていた。

 ちらりとキリトやアスナの表情を窺うと、どちらも優しい顔をしていた。

 見ないでほしい。そんな顔で私を見ないでっ!

 

「その……。さっきはごめんなさい! それとありがとうございました。前まではよくしてくれてたのに、あんなことしちゃって。ミナたちが酷い目に合されて、それで俺、頭に血が上っちゃって……。本当に、ごめんなさい!」

「いいっすよ。それはしょうがないことっす。――いい子たちっすね」

「はい! 自慢の子供たちです」

 

 サーシャさんは満点の笑顔でそう言い切った。

 ああ。羨ましいな。ここの子供たちが……。

 

「そうだ。よければ昼食を食べて行ってください。大したものは出せないですが、精一杯おもてなししますので」

「それじゃあ、その厚意、受け取らせてもらうっすかね」

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 子供たちは食べてる最中も楽しそうだった。

 時々喧嘩をして、サーシャが仲裁に入り、仲直りをする。

 こういう食事もいい。

 楽しそうな場にいれば、なんとなく楽しい気分にさせてくれる。

 出てきた食事の質はとても低かったけど、そういうのはどうでもいい。

 

「なあアスナ。やつはこのこと知ってるのか?」

「知ってるんじゃ、ないのかな……。ヒースクリフ団長は軍の動向にも詳しいし。でもあの人、ハイレベルの攻略以外に興味を示さないのよ。ラフコフのときも任せるの一言だったから……。あ、ごめんね、エリ」

「ん? いやそこまで気を使わなくても平気っすよ」

「そっか……」

 

 ヒースクリフか……。謎の多い人物だが、私の評価は平凡な人間止まりだ。

 どこか計り知れない実力を隠しているような気配を感じるものの、神聖剣を除けば印象が薄くなる。対人能力が高くないのだろう。

 KoBの実権を握っているのは実質アスナだ。ヒースクリフは神輿としてのギルマスだと思っている。ヒースクリフが死んだとしてもKoBは存続できるが、アスナが死んでしまうと解散するしかなくなる。アスナはビジュアルの求心力を利用して徹底的にギルドを管理している。KoBはヒースクリフのワンマンギルドなのではない。アスナのワンマンギルドなのだ。

 

「やつらしいと言えば、そうなんだけどな……」

 

 お茶をすすって考える素振りをするキリトだったが、突然教会の入り口の方向を見上げた。

 

「誰かくるぞ。1人だ」

 

 激しいノックの音。それだけで急いでいることが伝わってくる。

 

「すみません! エリさん。エリさんはいますか!」

 

 聞こえて来た声を私は知っていた。

 それはMTD結成前からの知人。ユリエールのものだった。




暗黒水戸黄門エリにゃん。

――でも、ほとんど原作をなぞる展開になってしまった。
加えた小さじ一杯分のスパイスを感じていただければ幸いです。


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42話 灰色のエンドロール(9)

 私たちは様子を見に礼拝堂へ向かった。

 扉の前で右往左往しているユリエールは、鉄灰色のフード付きケープに身を包み、顔を隠しているようだった。

 彼女の空色の瞳が私を捉えると、安堵の後に一滴の涙を流した。

 それから彼女はよろよろと歩み寄り、両手で私の手を握る。

 

「お願いします。シンカーさんを、シンカーさんを助けてください!」

 

 悲痛な叫びにも似た、震える声でユリエールはそう言った。

 サーシャはただ事ではないと感じ取り、子供たちを別室へと追いやっていく。

 彼女を奥の小部屋へ通して落ち着けていると、サーシャが戻ってきてお茶を出す。

 ユリエールは長身の大人びた女性だ。仕事も出来るタイプで、頼りがいのある人物だったが、今の彼女の背中は子供のように小さく感じられる。

 

「すみません、取り乱してしまって……」

「いいっすよ。それで、シンカーさんになにがあったんすか?」

「ええ。その前に。――はじめまして、になるでしょうか。ALFのユリエールです」

「月夜の黒猫団、ギルドマスター代理。キリトだ」

「KoB副団長のアスナです」

「ユイです!」

 

 錚々たる顔ぶれだ。その中で浮いてしまっているユイを彼女は不思議そうに見たが、すぐに気を取り直して話を続ける。

 

「この度はエリさん、延いては皆さんに御助力をお願いしに来ました。ALFのギルドマスター、シンカーさんが罠にかけられ、ダンジョンの奥地へ放逐されてしまったのです」

「誰の仕業っすか」

「サブマスターの……キバオウが主犯です」

 

 私はこめかみを抑えた。

 

「彼は重要な話があると言ってシンカーさんを呼び出し、回廊結晶でダンジョンの奥地へ強制転移させてしまいました。私はどうにか逃れることが出来ましたが、代わりにシンカーさんは……」

「それってポータルPKじゃないっ!?」

 

 回廊結晶こそ高価であるが、その条件さえ満たしてしまえば比較的簡単に実行できる、PKの手法だ。

 それは私に随分馴染み深い。やる側としても、やられる側としても……。

 

「その通りです。皆さんは74層の件はご存知ですよね? あれ以前からもキバオウ派は徐々に支持を失っており、ギルドマスターであるシンカーさんに注目が集まり始めていたのです」

「74層の無謀な攻略はそういうことだったのか」

 

 そういえば、それが私を排斥しようとした原因だったか。

 

「キバオウが実権を握るようになってからも、シンカーさんは小さなコミュニティを通して一般プレイヤーの皆さんと親しくされていたのですが、それが徐々に大きくなり、エリさんの失踪で表面化しました。シンカーさんの派閥にエリさんの派閥の大部分が吸収され、キバオウの派閥がついに崩れかけて、それで彼はこんな強硬策に打って出たのだと思います」

 

 以前からもこうした暗殺めいたことはやっていたが、ユリエールを取り逃がしたことを鑑みるにPoHたちとは本当に縁が切れているそうだ。

 そうでなければこれが大きな罠という可能性もある……。

 ユリエールが例え嘘を吐いていなくとも、利用されていることもあり得るが……。

 

「不躾ですが、どうか彼の救出に御助力願えないでしょうか……」

「私たちに出来ることなら協力したいのですが……。でもそのためにはこちらで最低限のことを調べて話の裏付けをしないと……」

「それは、当然、ですよね……。ですがフレンドリストの彼の名前がいつ灰色になるかと思うと、おかしくなってしまいそうで……」

 

 ユリエールの瞳が潤むのを見て、アスナの表情が揺らいだ。

 だが彼女とてギルドの舵を切るプレイヤー。感傷で動くことがいかに危険か理解しているはずだ。

 かといって、この話に裏付けを取る手段があるとは思えない。おそらく黒鉄宮内部で行われた犯行。口を割れるような人物には当然協力させていないだろう。

 シンカーがキバオウに会いに行って帰ってこない。

 聞き出せるのはせいぜいこの程度か。その前提条件は疑っていない。問題は背後関係だ。

 それを洗い出すことができるのか。本当に何も無いのかもしれないが、それはそれで厄介だ。

 悪魔の証明。存在しないものを証明することは絶対的には難しい。可能性の話をすれば限がないからだ。そして存在するのなら私たちだけでは手の施しようがない。

 悪魔(PoH)は例えそこにいなくとも、暗い影を落としていた。

 

「行こう。お姉ちゃん……」

 

 ユイが琥珀色の瞳で私を見つめる。

 強い瞳の色だ。私の望んで止まない強さが宿っている。

 形こそアスナに似ているが、そこに込められた意思は様々な人を想起させた。

 中でも一際輝いて見えるのは彼の印象だろう。

 MTDの頃にいた、私の後輩。――ユウタのことだ。

 

「疑って後悔するよりは、信じて後悔しようぜ」

「キリト君……。そうよね。私も、そうしたい……」

 

 生者の瞳も私を押した。

 

「行くっすか」

 

 ――すべてを賭けよう(オールベッド)。立ち塞がる壁は皆殺しにすればいい。

 今の私は不敵に笑えていた。勝負の世界では負けると思ったやつは大抵負ける。

 

「ありがとございます……。ありがとう、エリさん……」

 

 ユリールは頭を何度も下げた。今日はやけに頭を下げられる日だ。

 

「それで、そのダンジョンってどこにあるんだ?」

「ここです。はじまりの街の中、黒鉄宮の地下にあります……」

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 慣れ親しんだダンジョンの石床に降り立つ。

 私に続いて転移のエフェクトが輝き、他のメンバーもすぐに揃った。

 このダンジョンへの入り口は一カ所だけ。それは監獄エリアから続く水路で、当然ながら監獄エリアには警備の目がある。

 おそらくそこにはキバオウの手の者が配置されており、通り抜けることは不可能だ。

 ユリエールは現在ALFから追われる身の上であり、それは私も同様。

 ある意味シンカーは監獄に捕らわれているといえる状況だったが、そこへと繋がる鍵は私が持っている。それこそユリエールが私を探していた最大の理由だろう。

 監獄エリアはクリスタル無効化空間となっているが、その先のダンジョン全域まではそうではない。私は身を隠しつつ監獄エリアへ帰還するために、マーキングした転移結晶を常備していた。

 それを使い私たちはここに侵入した次第である。

 

「ここに、こんなダンジョンがあるとな……」

「じめじめしてますね」

 

 今回の作戦にユイは同行を願い出た。

 アスナは反対したが、私とキリトがユイのレベルと実力を説明して、しぶしぶ折れてくれた。

 ユイの装備は軽装に小盾。細身のスピード系片手直剣を装備している。

 タンク役は今回に限りキリトが引き受けた。彼の手には月夜に佇む黒猫の紋章が描かれたカイトシールドが握られている。

 アスナは周辺警戒と遊撃。私が二刀流でメインアタッカーを担当だ。

 ユリエールはハッキリ言えば足手纏いだが、一応アスナの横につけている。

 

「出現エネミーはカエルとかスライムとかっすね。途中からアンデッド系に切り替わるんで、その前に声かけるっすよ」

 

 勝手知ったるダンジョンだ。マッピングもほとんど終えている。

 

「注意事項は?」

「……奥にやばいボスがいるっす。イベントボスなのか、まるで歯が立たなかったっす。交戦は避けたいっすね」

「オーケー。覚えておく」

「お姉ちゃん、行きましょう!」

「ユイ。キリっちの後ろにちゃんとつくんすよ」

「はーい」

 

 ユイは見慣れない場所にはしゃいで剣をぶんぶん振っていた。

 ダンジョンは地下へと続く階層構造になっている。それは上層の攻略と同時に解放される仕組みとなっており、階を跨ぐたびにエネミーのレベルも上昇していく。――のだが。

 

「暇です!」

「あー、ごめんっす。でも今は先に急ぐ必要があるっすから、ね」

「はい! それはわかってます!」

「アスナと交代するか?」

「私偵察スキルないんすけど……」

「なら俺と交代だな」

 

 二刀流のバランスブレイクしたDPSは閉所で雑魚エネミーを狩るのに最適だ。

 それを利用してここで荒稼ぎをしていたため、私はそれをよく理解していた。

 なにせ本来挟撃が関の山である狭い通路だ。出現するエネミーもそれに合わせたバランスで調整されている。そこに1パーティー分のダメージを弾き出す二刀流をぶつければどうなるか。結果は火を見るより明らかだ。

 私はキリトと前衛を交代して、ユイとペアでエネミーを狩り続ける。

 途中、ユイがタンクをやりたいと言い出したため、何度かパーティー編成が変更された。

 この少人数でそれができるのはかなり贅沢な悩みだ……。

 ローテーションで休憩を取りながら進める私たちの足取りは止まらなかった。

 

「アスナさんとキリトさんの噂はかねがね聞いていましたが、ユイさんもお強いんですね」

「なんせ俺の妹弟子だからな」

「そこは師匠である私を立てるべきなんじゃないっすか?」

「お姉ちゃんの一番弟子です!」

「え、ええー……。俺は……!?」

 

 キリトの困惑する声に、私たちは思わず笑いだした。

 

「ふふふ。そうでしたか。通りでお強いはずです」

「エリは昔から教えるのが上手かったのよね」

「ん? アスナになにか言った覚えはないんすけども……」

「うちにもMTDから移ってきた人がいるから。昔語りで聞くのよ」

「ああ、なるほど……」

 

 昔は予備隊もあって、それの指導をしていたっけか。

 主にタンクの指導をしていたが、それ以外にも陣形や集団戦のノウハウをレクチャーしていた記憶がある。MTDからALFに変わってもそれは続き、今度はPvEではなくPvPの指導を始めたのだったか……。

 私も知らないことばかりだったが、それ以上に知らないことの多い部下や後輩へ、実戦で培った技術を体形立ててどうにか教えてきた。足りない戦闘経験を補うためにギルド内でデュエル大会をして、それぞれの武器への対処方法を情報班と検証したりもした。

 思い返せば色々やってきたものだ……。

 

「見ててください!」

「おお! 凄いですね」

 

 ユイの披露した空中ソードスキルにユリエールは驚きの声を上げる。

 

「あ、駄目っすよユイ! まだ成功率が9割じゃないんすから。下手に使うと危ないっす!」

「ごめんなさい!」

「もう……。仕方がないっすねえ……」

 

 駆け寄ってきたユイを厳しく叱らないといけないのに、ついつい頭を撫でてしまう。

 ユイはシステム外スキルを憶えるのが非常に苦手だった。

 そもそもシステム外スキルは難易度が高いため教えればすぐできるようなものではないのだが、彼女の学習能力からすれば、それは欠如しているように映った。

 

「ごめんなさい。エリさん。今まであなたに辛い役ばかり押し付けてしまって」

「どうしたんすか、急に」

 

 私が休憩に入ると、ユリエールは他の3人に聞こえないくらいの声量で言った。

 

「私よりもずっと若いのに、エネミーの攻撃を受ける大変な役を背負わせてしまった……。それからも私は組織の運営にばかりかまけて、今度は最前線の攻略はあなたに任せきりにしてしまった。沢山の仲間が死んでしまった中で、私はあなたに手を貸さずシンカーさんの側にいるばかり。治安維持隊の隊長に据えておきながら、私は彼と一緒にいられるならキバオウに任せてもいいだなんて思ってました。それが、あんな事態を招いてしまった……。謝って済む話ではありません。ですがどうか謝らせてください。――本当に、すみませんでした」

 

 彼女に恨み言をぶつけても私は許されるだろう。

 すべての罪を擦り付けても、子供だったからという免罪符が私にはある。でも……。

 目の前ではユイがエネミーに高速の連撃を叩きつけていた。

 ユイがそんなことをしたら私は悲しい。許せるけれど、悲しいと思う。

 逆の立場だったとしても、そうだ。

 だからなにも言えない。

 今つけているこのペルソナは、ユイの前にいる限り外れないこのペルソナは――彼女を許す。

 

「いいんすよ。もう終わった話っす。それよりも、先の話をしないといけなくないっすか?」

「先の話、ですか?」

「そうっす。シンカーが助かっても、キバオウを糾弾できるとは限らないっすよ。なにせ証拠がないっすから」

「そんな! シンカーさんの証言があれば……」

「被害者だけっすからね。キリっちとアスナの証言もあれば有利にはなるっすけど、その先にあるのはKoBとの全面戦争っす」

「エリさんの――いえ……、なんでもありません……」

「そうっすね。それしかないっすよね……」

「ですが……! あなたは十分頑張りました。もう、休まれても、誰も文句は言えません」

「それでも文句を言うのが人間っすよ。私のことを知っている人なんていないんす」

 

 キバオウの勢力がそこまで追い込まれているのなら。

 私を支持する一派が確かに存在するのなら。

 シンカーと手を取ってキバオウを放逐することも可能かもしれない。それはそれでALFの内部抗争に発展するのだが……。

 現在のALFは3000人を抱える大ギルドだ。

 その余波がどこまで広がるかは想像できない。

 やれることはいつだって同じか……。得意な手段こそ最大の結果を出してくれるだろう。

 

「まあ、すべてはシンカーさんを無事救出してからの話っすね」

「はい……。そうですね……」

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 進むこと約2時間。

 私たちはマッピングデータのある最後の階層へと足を踏み入れていた。

 キリトとアスナの広域索敵スキルにシンカーの影がようやく映る。

 彼はダンジョン内に点在するセーフゾーンにいるようだった。

 

「シンカー!」

 

 通路の奥にシンカーの姿を見つけたユリエールが駆け出す。

 私は即座に彼女を掴んで静止させた。鎧を着こんだ人間1人分の重量であるが、レベルに裏打ちされた高いSTRの前で簡単に止められる。

 

「ユリエール。来ちゃ駄目だ!」

 

 シンカーの叫び。だがそれは悪手だ。

 音に反応したエネミーが十字路から姿を現す。

 

 ――『The Fatal scythe』。

 

 翻訳すれば『運命の鎌』、か。

 擦り切れた黒いローブを身に纏う巨大な人影。フードに隠れた顔は骨となっているが人間のそれではなく、眼球の嵌っていたであろう窪みが4つある。その暗い空洞には赤い光が灯っていて、縦に開いた顎がケタケタと笑う。

 武器はその名が示す通り鎌。柄の長さは10メートルはあろうかというほどの大鎌だ。

 ここの通路だけがやけに広いのはその所為だろう。

 頂くHPバーの数は4本。フロアボスと言われても納得の性能である。

 

「手筈通り行くっすよ。ユリエールさんは下がっておくっす」

 

 タンク装備3人によるスイッチで時間を稼ぎ、その間にアスナがシンカーを救出。

 この場を離脱した後に転移結晶で帰還というのが概要だ。

 

「……お姉ちゃん」

「どうしたんすか、ユイ」

「今まで、ありがとう」

「………………」

「ユイちゃん!?」

 

 ユイが走り出す。

 彼女の手には剣が握られていない。

 慌ててアスナが手を伸ばすも、ユイは信じられないスピードでそれを振り切った。

 駆けるユイの手に炎のエフェクトが現れる。

 それは瞬時に燃え上がり、渦巻く紅蓮の輝きの中ではポリゴンがひしめき合っていた。

 ポリゴンは細長い形状に収束すると、剣の形となってオブジェクトが生成される。黒鉄の剣は膨張しユイの身の丈を超える大剣へと変貌した。

 ボスが大鎌をユイへと叩きつける。遠心力を乗せた大振りの一閃だが、その巨大さと速度は回避を容易にさせない。

 ユイはそれを難なく盾を持たない左手で受け止めた。

 

 『Immotral Object』。

 

 ユイのかざした手と鎌の間にはそう書かれた障壁が現れ、鎌は1センチも前に進めない。それどころか本来あるはずのノックバックさえ発生させず、ユイはその場に留まっている。

 ユイの持つ剣の炎が勢いを増した。

 刀身が灼熱で溶融する金属の輝きを放ち、通路は痛いくらいの赤に染まる。

 輝く大剣をユイは片手で一振り。

 ボスは怯えるようにガード体勢を取るも柄がなんの抵抗感もなく溶断された。

 それだけではない。ボスの身体には剣の軌跡を示す跡が残されていた。見慣れたダメージエフェクトとは異なるそれは、侵食するかの如く燃え広がり巨体を包み込むと跡形もなく消失させる。

 死亡演出はない。ただただ消え去ったのだ。

 役目を終えたと言わんばかりに大剣も消え去り、炎は瞬く間に鎮火した。

 後に残されたのは静寂だけだ。

 

「ユイちゃん……。あなた……GM、だったの……?」

 

 首を横に振るユイ。

 

「いいえ違います。私は『メンタルヘルス・カウンセリングプログラム』、MHCP試作1号、コードネーム、『Yui』です。今のは、そこにあるシステムコンソールにアクセスして、オブジェクトイレイサーを呼び出して消去したにすぎません」

 

 ユイはすぐそこのセーフゾーンにある、不自然な大理石のオブジェクトを指さして言った。

 

「ユイちゃん、記憶が……!?」

「すみません……。それは嘘だったんです」

「ユイ。やっぱり君はAI……だったんだな」

「はい。私はこのゲームの基幹システム、カーディナルが対応できない、精神性由来のトラブルを解決するために作成された、メンタルケアプログラムです」

 

 ユイは悲しそうに目を伏せた。

 

「ナーブギアの特性を利用し、プレイヤーの精神をモニタリングして悩みを聞くための存在だった私ですが、ゲームが開始されたその日、カーディナルから予定にない命令を受け取りました。それはプレイヤーへの一切の干渉を禁ずるというものです。具体的な接触の許されない私はモニタリングのみを続けました」

 

 それは茅場晶彦が行った操作だろう。

 

「状況は最悪でした。多くのプレイヤーが精神に多大なダメージを受けている状況で、私は赴いてカウンセリングを行わなければならないのに、その権利がない。矛盾する思考ルーチンの中で私はエラーを蓄積させていきました。エラーは限界まで蓄積しており、私は特にダメージの大きいプレイヤーへカウンセリングを強行することにしたのです」

「それが私っすか」

「はい……。カーディナルの監視を欺くために、私はクエストNPCを作成してそのアバターを操作しています。モデルとなったのはカウンセリングのため、エリさんに馴染み深い方々のデータを参考にしました」

 

 サチを基盤に。瞳と髪型はアスナ。声はユナ。性格は……たぶんユウタに似せてある。

 年齢を低く設定したのは安心感を与えるためだろう。弱く見えるというのは、それだけで警戒されにくい。

 

「お姉ちゃんと、キリトさんは、察していたようですが……」

「ああ。君は……サチにあまりにも似ていた」

「………………」

「ずっと騙していて、ごめんなさい。この涙も、全部作り物なんです。感情模倣機能が、そういう結果を算出しているだけなんです……」

 

 ユイはそう言いつつも、人間のように泣いていた。

 その涙を見て、私は悲しいと感じる。

 ユイがプレイヤーでないのはわかっていた。わかっていて、受け入れていた。

 プレイヤーであるのか、NPCであるのか。彼女と触れ合って、その境界線に意味がないのだと私は気づいたからだ。

 私もユイも、その身体を構成しているのはデータの集合体だ。

 けれどユイには現実の身体はない。それでも……。

 

「それでもユイは、私の妹っす……。だから、なかないで……」

 

 抱きしめたユイの身体は温かい。

 この温もりだけが真実だ。

 例えパッチワークで組み立てたアバターであっても、ここにいるユイは、私の妹は彼女だけだ。

 

「おねえちゃん……」

 

 視界が涙で滲む。

 情けなく鼻をすすって、強く、強く、ユイを抱きしめた。

 私の背に回された小さな手が、私を必死で抱きしめている。

 

「おわかれなんて、いやだよぉ……」

 

 ユイの涙に震える声が、聞きたくなかった言葉を口にした。

 

「お別れって、どういうことなの!?」

「たぶん、クエスト期限だ……。クエストは一定期間クリアされないで放置されれば、自動的に失敗扱いになってデータが消去される。そうしないと、プレイヤーに付随するデータでサーバーが一杯になってしまうから……」

 

 キリトはどうにか論理的に説明する。

 私もそれは知っていた。いつかユイとお別れしなければならないということを。

 目を背けてきた現実が、再び私に牙を剥いていた。

 

「わたしが、いなくなっても、おねえちゃんは、もう、だいじょうぶ、ですよね……」

「駄目っす! ユイがいないと、もうだめなんすよ……」

「あはは……。わたし、最後まで、失敗しちゃった……」

「失敗だなんていわないで。ユイは、なにも悪くないんす。悪いのは、全部、私っす……」

 

 これは私が弱かったというだけの話。

 ユイは上手にやってくれた。ユイのおかげでアスナとも友達になれたのだ。

 全部、ユイのおかげなのに。私は彼女になにも返せない……。

 

「アスナさん……。おねえちゃんのこと、おねがいします」

「うん。うん……。ありがとう、ユイちゃん……」

 

 アスナはか細い声で答えた。

 

「キリトさん……。おねえちゃんを、なかせたら……、ゆるしませんからね!」

「ユイ……」

 

 キリトの感情を押し殺したような淡々とした声が聞こえる。

 

「ばいばい。おねえちゃん。わたし……、おねえちゃんのいもうとで、幸せでした……」

「ユイ! 嫌っ! 嫌だよ! 行かないで! ユイッ! ユイー!!」

 

 ユイの、身体が、ぼやけて、消えていく。

 それはまるで世界から色が消えていくかのように……。

 私のたった一人の、本当の家族が――。

 腕から感触がなくなり、私は空を抱いた。

 

「ああ……。ああ……。あぁあああああああああ!!」

 

 暗いダンジョンの奥底で、彷徨う粒子の名残が、キラキラと輝いていた。

 彼女がそこにいたことを示す温もりが、この手をすり抜けて、だんだんと消えていく……。



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43話 灰色のエンドロール(10)

 世界は理不尽で残酷だ。

 あらゆる願いは叶わず。なにかを得ることはなく。ただただ失うだけ。

 宝石のような時間は、その先に待ち受ける絶望を彩るための輝きを放つ。

 触れた温もりは底冷えのする恐怖の前触れ。

 積み重ねたものはやがて崩れ去り、私の身体を押し潰す。

 無知には罰を。秩序には罰を。友情には罰を。憧憬には罰を。罪には罰を。

 永遠に償い続ける日々に囚われて、新たな罰を求める。

 苦しくて。辛くて。痛くて。悲しくて。

 無為で、無駄で、無様な人生。

 

「――エリ! ねえ、エリ!」

「どうしたんすか。アスナ?」

「その、大丈夫?」

「大丈夫っすよ。ただ、そのっすね……」

 

 それが続いていくのだと思っていた。

 

「――安心したら、力抜けちゃって」

 

 私は礼拝堂にある長椅子の背もたれに、だらしなく体重を預けていた。

 天井を見上げていると、アスナの顔が割って入る。

 琥珀色の、ユイとそっくりの瞳が私を見つめた。

 

「本当に?」

「本当っすよ……」

 

 キリトはあの後、跳びかかるような勢いでコンソールと言われた大理石のオブジェクトに触れた。

 彼が言うにはユイの使用した管理者権限が切れる前に、ユイのデータを私のナーブギアのローカルメモリに切り離して保存したというのだ。

 このゲームがクリアされた後、向こうの世界でユイを復元することもどうにか可能だという。

 

「キリっち」

「なんだ?」

「愛してるっす」

「え、は、ええっ!?」

「ええ!?」

 

 キリトが驚きのあまり椅子から落ちて、アスナが叫び声を上げた。

 

「もちろん親愛って意味っすよ」

「驚かせないでよ、もう!」

「それだけ感謝してるってことっす」

「もう少しオブラートに伝えてほしかったよ」

 

 キリトはよろよろと椅子に座り直す。

 アスナは私の肩を掴んで揺らしていた。

 

「……今度こそ、上手くやれたよ。サチ」

 

 キリトは小声で、礼拝堂のステンドグラスに向かってそう呟いた。

 彼の横顔はとても満足そうに微笑んでいた。

 私とアスナはしばしその光景に見惚れる。

 歴戦の剣士が、この2年の歳月の中で初めて手にした、納得のいく勝利だったのだろう。

 彼の笑顔にはそれだけの重みと充足感に溢れていた。

 

 キリトは強い剣になった。

 夜闇を照らす月のような剣だ。

 この剣は敵を斬るためだけにあるのではない。

 あらゆる困難に立ち向かい、襲い来る悲しみを断つことのできる夢想の剣だ。

 一度はサチに送った剣が、こうして私を照らしてくれた。

 この輝きはきっと、キリトの感じているサチの光なのだろう。

 

「アスナ……」

「なに?」

「謝っておくっす。サチは手強いっすよ……」

「ううっ……」

 

 これだけの輝きを放つ彼だからこそ、そこに残る影が鮮明に映る。

 黒猫の影は焼き付いて離れない。

 思い出はいつか色褪せて消えていくものだと思っていたが、これは本当に消えるのだろうか?

 どれだけ触れようとしても、それは水面に映る月に触れるかのように、波紋を起こすだけではないかと思えてくる。

 もしかすれば……。

 キリトは一生このままなんじゃないだろうか。

 このゲームがクリアされたとしても、サチの過去に縛られ永遠に空で輝き続けるような気がする。

 それは彼にとって幸せなのかもしれないが。

 サチにとっても幸せなのかもしれないが。

 見ていると、どこか哀愁を感じてしまう……。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 シンカー救出から数日。

 この日は75層フロアボス攻略の日だった。

 75層の主街区コリニアには、最精鋭のプレイヤーたちが集まっている。

 100層を除けば最後のクォーターポイントであるこの階層の主は、本格的戦闘が始まる前から攻略組に多大な被害を与えていた。

 偵察に出た先遣隊の半数が犠牲となったのだ。

 手に入った情報によると、先行してボスエリアに侵入した前衛部隊がフロアの中央に到着するとエリアの扉が閉じられたらしい。開放は不可能。

 5分と経たないうちに扉は再び開いたが、そのときにはすでに前衛隊10名は、生命の碑に名前を刻まれていたらしい。

 戦闘中の離脱不能。クリスタル無効化空間。この最悪の組み合わせにも関わらず、ボスの戦闘力は10名のトッププレイヤーを5分かけずに殺しきるほどのハイスペックだ。

 ここに集まった48名の何名が生還できるのだろうか……。

 

 私には案外知り合いが多いらしく、見知ったプレイヤーに声をかけていると思いの外時間がかかった。そのほとんどがMTDないしALFからの脱退者。あとは風林火山の彼らくらいか。

 最後に回したキリトとアスナは、広場の隅で2人で話をしていた。

 

「今、お邪魔じゃないっすよね?」

「え!? あっ、エリ。うん。大丈夫よ」

 

 アスナは話に夢中になっていたのか、近づいていた私に気がつかず、少し驚いていた。

 

「今日の攻略、ちゃんと帰ってきてくださいっすよ。一緒にユイに会う約束があるんすからね」

「もちろん。忘れてないわよ」

 

 私は……。今回は出ない。

 フロアボスの情報が持ち帰られ、最精鋭を集めることになったために、私にも声がかかった。二刀流の噂は広まっていたのだから当然だ。

 だが、私は()()()()()戦えなくなっていた。

 今までそんなことは一度もなかった。

 なぜなら私は生きて帰りたくなどなかったからだ。このまま、そのうちどこかで死ねるのならそれでいいと思っていた。

 けれど私にも生きて帰る理由が出来てしまった。――ユイのことだ。

 私が死ねばユイの保存されたナーブギアがどうなるかわからない。

 ユイと再会するために。ユイを失わないために、私は生きて帰らなければならない。

 そう思うと足がすくんで戦えなくなった。

 恥ずかしい話だ。だがそれでいいとも思っている。

 卑怯者と罵られることより、ユイの命の方が私には大事なのだから。

 それにまったく戦えないわけではない。

 たぶん76層のフロアボスなら平気だろう。なのでそのうち復帰するつもりはある。

 

「キリっち」

「ん。どうした?」

「これ、貸しておくっす」

 

 私はリズベットから貰った大盾をキリトに渡した。

 

「お守り代わりに持っておいて、ちゃんと返しにくるっすよ。使ってもいいっすけど、防御性能が見た目ほど高くないのには気をつけるっす」

「ああ。必ず返しにくる」

「むむう」

「アスナには渡せる物はないっすから、これで許してくださいっす」

 

 アスナには抱擁を。

 彼女からは柑橘系の香りがする。

 

「うん。ありがとう。あと、私が言いたかったのはそういうことじゃなかったんだけどね」

「そっちは自分でなんとかするっすよ……」

 

 キリトのことをどうこうしたいのなら、私じゃなくて自分でしてもらおう。

 アスナも友達だが、リズベットも友達なのだ。

 以前なら違っていたが、今となっては順序はつけられない。

 

「やあ、エリ君。久しぶりだね」

 

 突如声をかけてきたのはKoBのギルドマスター、ヒースクリフだった。

 

「お久しぶりっす」

「君は参加しないのだったね。本当に残念だ……。だが二刀流は手に入らなかったが、強き盾を得たことは喜ぶべきだろう」

 

 ヒースクリフはキリトを一瞥する。

 

「それにここで終わりではない。君と再び肩を並べる日を楽しみにしているよ」

 

 ヒースクリフは言いたいことだけを言うと、私たちの輪から離れ、広場の端に立って集まったプレイヤーたちを見渡した。

 

「よく集まってくれた。状況はすでに知っていると思う。厳しい戦いになるだろうが、諸君の力なら切り抜けられると信じている。――解放の日のために!」

 

 ヒースクリフは剣を天に掲げて宣言する。

 それから彼の開いた回廊結晶の門で集まった攻略組のメンバーは、フロアボスの元へと向かっていった。

 広場に残っているのは数人の見送りに来たプレイヤーだけ。

 私は踵を返して転移門へ向かい、はじまりの街に跳んだ。

 ――私にも、戦うべき戦場がある。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 所変わって荒野のフィールド。

 最前線付近の74層にある、外延部に近いこのエリアにやってくるプレイヤーなどほぼいない。

 静まり返ったこの周辺には目ぼしいオブジェクトはなく、エネミーの出現率も極端に低い。

 私は完全武装のまま持ち込んだ赤のルームチェアに腰をかけている。

 持ち込んだといっても私が持ち込んだわけではないが、「立ちっぱなしというのも様にならないので」と言われては頷くしかない。

 雰囲気よりも効率を貴ぶ私だが、こういう場面では欲しくもなる。

 彼らもそうだというなら私は喜んで役を演じよう。

 それに今回に限り脚本家は私だ。不満などあるはずがない。

 誰かに踊らされるのではなく、踊らさせる側というのは実に気分がよかった。

 

「まるで、悪の首魁っすね」

「ははは……。確かにその通りです。ここはあなたを先頭に傅いて整列しておくべきでしたか?」

「いいっすよ。これはこれで、私らしいっすからね」

「いえいえ。そんなことはありませんよ。ですが……。懐かさのあまり我々も浮かれているのでしょうね」

「いつもはしゃいでばっかだったっすからねえ……」

「ええ。ですから、あなたがお戻りになられて本当に嬉しかった」

「煽てても今日の獲物は渡さないっすよ?」

「それはもちろん」

 

 隣に立つ男と私は談笑する。

 こうした会話は久々だったが、彼とは長いつき合いだ。

 会話の呼吸がとても合う。

 おそらく一緒にいた時間は最長だ。

 キリトでも、リズベットでも、キバオウでも、PoHでもない。

 

「――隊長」

「なんすか?」

「ありがとうございます」

 

 ALF治安維持部隊。

 その精鋭メンバー。副隊長ともう1人がここに揃っていた。

 私の手頭から鍛えた可愛い部下だ。

 彼らは決して裏切らず、最後まで付き添い続けた私の手足だ。

 私が抜けた後も、隊長の席を空白にしていた忠臣者たちだ。

 

「おや。彼らも到着したようですね」

「なんやおまえら。どうい了見や!? こないなことしてただで済むと思っとんのか!!」

 

 喚き散らすキバオウを回廊結晶の門から押しやってやってきたのは、治安維持部隊の精鋭メンバーの2人。

 彼らは粛々とキバオウを蹴り飛ばして、彼を地面に転がした。

 

「なんや、ここ……」

「くふふ……。久しぶりっすね。キバオウ」

「エ、エリ……。ど、どういうつもりや……」

「おやぁ? 見てわからないっすか?」

 

 キバオウの青ざめた顔に集まった彼らは哂い出す。

 彼の背後では門が閉じていく。これで逃げ場はどこにもない。

 

「ターゲット。無事確保しました」

「なにか問題は?」

「いいえ。ありません!」

「ご苦労っす」

「はっ!」

 

 連れて来た2人はキバオウを囲む位置でピシリと敬礼をした。

 そこまで格式ばれと教えたことはないが、あれは彼らも好きでやっているのだ。その証拠に顔がニヤついている。……趣味について私からとやかく言う必要もないだろう。

 私はゆったりとした動作でルームチェアから立ち上がった。

 

「す、すまんかった。ワイが悪かった。この通りや!」

 

 地べたに額を擦りつけるキバオウの前へ、私は歩いて近づく。

 

「それで?」

「へ?」

「それでキバオウはどう私に償ってくれるんすかねえ?」

 

 償ってほしいとは思っていないが、()()()()なので聞いてみることにした。

 

「あ、え……。さ、サブマスターの地位を渡したる。あんさんをもう危険な仕事にもつけんって約束する!」

「ほほう。それで今度はギルドマスターの地位を手に入れたい、と」

「いや、え、ああ……。そうや! そうすればあんさんにも色んな便宜も図れるやろ? ウィンウィンの関係やで!」

「イヒッ」

「ふふふふふ。笑ってはいけませんよ。隊長」

「そんなこと言ってもっすよ。あんまり可笑しくて。それにお前も笑ってるじゃないっすか」

「ふふふ。これは失礼」

「あ、ああ……」

「キバオウ。私、これからサブマスターになることになってるんすよ」

 

 シンカーと手を結んだ私は妥当キバオウ勢力となった。

 当然キバオウがいなくなれば、サブマスターの地位は私に渡る。そうしなければ残った派閥を纏めることができないためだ。

 キバオウよりは、シンカーの方がマシだろう。

 私が頂点に立つのはなしだ。そうするには悪名が広がり過ぎているし、矢面に立たなければならなくなる。逆にサブマスターであればそれほどの悪名を持つ私を味方につけたシンカーの手腕が評価されることに繋がり、私の名前だけでもかなりの牽制になる。

 あれは悪くない取引だった。

 

「でもサブマスターの解任には面倒な手続きがあって、すぐには成れないんすよね。ああ。でもそれだけが理由じゃないっすよ」

「り、理由って、なんの理由や……」

 

 答えはわかっているだろうに。でも特別に言葉にしてあげよう。

 

「お前をこれから殺す理由っす」

「ひぇっ!?」

 

 キバオウは地面を這って私から逃げようとする。

 そのまま腰を抜かしたままでいると思ったが、どうにか彼は立ち上がった。

 しかし逃がさない。彼のレベルでは到底AGIが足りず、また取り囲んでいる部下が剣を抜いて道を塞いでいた。

 

「今まで一緒にやってきたやないか」

「そうっすね」

「こ、これからも、ワイらが手を組めば怖いもんなしやで」

「あはははははは。どれだけ命乞いを続けるんすか。随分愉快な人だったんすね。もういいかげんわかってくださいっすよ」

 

 私は剣を抜く。

 キバオウも腰の剣を抜くが、その性能差は著しい。

 

「私は! お前が嫌いで! 邪魔で! 憎いから! だから殺すんすよ!」

 

 ALFの権力争いを一番被害の少ない方法で終わらせるためだとか、言い訳はある。けれどこれが私の、一番の理由だ。

 私の振り下ろした剣をキバオウは剣で受け止める。

 腰が引けて碌に反撃できない体勢。加えてガードを貫通したダメージがキバオウのHPをどんどん減らしていく。

 

「や、やめてくれ! ワイが死んだらジブンもただじゃ済まんで!」

「今までどれだけ殺してきたと思ってるんすか? 証拠を消す方法も、代わりに捕まるプレイヤーの選定も、口裏を合わせて容疑を晴らす手筈も、全部キッチリやってるに決まってるじゃないっすか! 私はこの時間、黒鉄宮の自室で引っ越しの荷解きをしてることになってるんすよ。目撃者もいるっす。ログも取ってあるっす。そっちはあとで改竄するっすけどねえ」

 

 小気味いい金属のぶつかる音。

 タイミングを見計らってキバオウの剣を掬い上げて空へと放った。

 手の中からすっぽりと抜けた剣は回転して地面へと突き刺さる。

 

「あーあ。腕が落ちたっすね。昔の冴えは見る影もないっす」

 

 観客の部下たちが笑い声をあげる。

 見世物としては良い出来らしい。

 

「それじゃあ、そろそろフィナーレにするっすか」

 

 私は腰に下げていた、もう1振りの剣を抜いた。

 

「キヒッ……」

 

 二刀流最上位連撃。――『ジ・イクリプス』。

 格下の、それもHPがイエローゾーンに突入しているプレイヤーに対して使うには余りにも過剰なソードスキル。

 その27回にも及ぶ連撃で、私は丁寧にキバオウの身体を刻んだ。

 回避することも叶わず、キバオウのアバターはダメージエフェクトでズタズタに引き裂かれる。

 彼の顔は原型を留めておらず、赤いエフェクトで塗り潰され、手足は切断判定に成功して辺りに散らばった。胴体も細切れにしてあげたかったが、流石にこれは切断状態が設定されていない。

 執拗に斬られた彼の身体はもはやエフェクトで塗られていない箇所の方が少ない。

 

「や、やめてくれ! 嫌やあああああああがっ!?」

「アハハハハハハハハハハハハハ!!」

 

 開いた口はまだ綺麗だったので、その部分を突きの攻撃で貫いた。

 ソードスキルのダメージ判定があるエフェクトが彼の内部で荒れ狂う。

 脳天を貫通したが風穴は開かない。残念だ。

 HPがなくなり、ポリゴン化する死亡演出が始まっても私のソードスキルは終わっていなかった。 どうにか間に合わせ、最後の一撃と同時にポリゴンが爆散。

 ガラスの砕ける音を奏でながら、見慣れた演出でキバオウの身体は完全に消え去った。

 

「ハァ………………」

「………………隊長」

「ん?」

「……後悔は、ありますか?」

「もちろん、あるっすよ」

 

 考えるまでもなく。

 それこそ山のように。

 

「もっと早くにこうしていればよかったっすね……」

 

 それですべてが望みどおりになったかといえば、そうではないだろうが。

 だが私がすることはどれも遅すぎた。

 キバオウを殺すこともそうだし、アスナのこともそうだ。

 誰かに言われるがままに、流されるがままに身を任せて……。

 任せきりにしてきたツケが回ったのだろう。

 おかげで散々な目に合ったし、散々な目に合せてきた。

 自業自得であるのは重々承知だが。

 

「これから、どうしますか?」

「そうっすねえ……。ALFの立て直しもそうっすけど、私としてはラフコフの残党を殺して回りたいっすかね」

「なるほど。では、そのように」

「手伝ってくれるっすか?」

「もちろんです」

「PoHの野郎、絶対許さねえ!」

「そうだそうだ!」

「ぶち殺せ!」

 

 まったく……。元気の良い連中だ。

 彼らが天に剣を掲げて騒いでいると、上の階層の底に赤い光が輝いた。

 続いてリンゴーン、リンゴーン、リンゴーンと大音量の鐘がなるSE。

 光は染みのように広がり、岩の露出する天井を覆い尽くす。目を凝らすとそこには『Waring』と『System Announcement』の文字が書かれていた。

 それは、かつてこのゲームが始まったときに見た光景と同じものだ。

 突然の異常事態に、部下たちも不安気な声を漏らす。

 しばらくして、鐘の音が止むと静寂が戻る。

 それは元々この地に在ったそれよりも、ずっと深い静寂だ。

 

『ただいまより プレイヤーの皆様に 緊急のお知らせを行います』

 

 固唾を飲んで、天からの声を聞く。

 

『アインクラッド標準時 11月 12日 15時 24分 ゲームは クリアされました』

 

 無機質なシステムメッセージは、淡々と世界の終わりを告げた。

 突然のことに、なにが起こったのか理解ができなかった。

 

『プレイヤーの皆様は 順次 ゲームから ログアウトされます。 その場で お待ちください。 繰り返します……』

 

 実感が遅れてやってくる。

 ああ。なるほど。キリトがまたなにか、やったのだろう。

 彼なら、あるいは……。そういう無茶もやりかねない。

 

「ようやく自分の足で前に進もうとしたところでこれっすか……。まったく、ままならないものっすね……」

 

 どこまでもどこまでも、思い通りにならない。

 

「ええ。ですが、長い人生。ここが終着点でもないでしょう?」

「それもそうっすね」

 

 ゲームがクリアされれば、現実に戻るだけの話だ。

 帰りたくないと思っていた現実の世界。

 ――けれど今は、妹の待つ世界。

 ユイとは、長い別れにならずに済んだことを喜ぶべきなのかもしれない。

 ここにあと1年もいれば、私はまた寂しくてたまらなくなっただろうから。

 

「皆さん」

 

 私の言葉に、注目が集まる。

 

「これまで、ありがとうございましたっす」

 

 部下たちの笑顔が見える。

 彼らは1人、また1人と嬉しそうに涙を浮かべ、消えていく。

 空には長いエンドロールが流れていた。

 このゲームを作り出したスタッフやエンジニアの名前に続いて、最後にはプレイヤーの名前が映し出される。

 そこには生き残ったプレイヤーだけでなく、死んでいった者たちの名前も灰色で記されていた。

 

 タマさん。

 

 抜刀斎。

 

 カフェインさん。

 

 ユウタ。

 

 25層で死んでいったMTDの仲間たち。

 

 サチ。

 

 ユナ。

 

 ラフコフの討伐戦で死んでしまった旧友たち。

 

 彼らはこの瞬間に辿りつけなかった。

 彼らと過ごした思い出が、私の頬に滴となって流れる。

 夢のような時間は終わりだ。

 決して幸福な夢ではなかったけれど。

 失ってばかりの悪夢だったけれど。

 失わせてばかりの私だったけれど。

 夢の終わりで、私は大切な者を得た。

 

 私の身体も光に包まれる。

 ようやく順番が来たらしい。

 目が覚めたなら、今度こそ自分の足で歩いて行こう。

 拳を強く握る。

 この気持ちを決して忘れないために。

 

 

 

 ――さあ。目覚めのときだ。




ヒースクリフ「デュエエエエエエエエエエル!!」


 最後までデュエルをさせてもらえないヒースクリフさん。
 そして『灰色のエンドロール』、及び『アインクラッド編』完結です!!
 ここまで読んでいただきありがとうございました!

 これまで積み重ねてきた様々な出来事に決着をつける章でしたが、いかがだったでしょうか。
 この章の一部は原作成分のかなり強いものとなってしまいましたが、原作とは違う雰囲気を感じていただけたなら幸いです。

 またヒースクリフとキリトの盾使い対決は、書いてしまうとキリトの物語として終わってしまうためカットとさせていただきました。
 番外編でそのうち書くかもしれませんが、この章ではなしとさせていただきます。



 これで終わっても綺麗に落ちがつきますが、そこはロングシリーズのSAO。
 ラフコフの幹部メンバーには決着が着いていないので、その辺りを書いていこうと思っています。
 それと次回からは時系列が原作と違う順序で進みます。
 最終的な話に持っていくための必要な処置としてご了承ください。

 原作とは少々違う性格になってしまった彼らのストーリーを、これからも誠心誠意執筆させていただきますので、どうぞよろしくお願いします。


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オーディナル・スケール編
44話 微睡む剣士たちの前奏曲(1)


――2025.01.07――

 

 

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い…………。

 

 全身を針で貫かれる激痛。

 口から溶岩が流れ出るように、腹の底から痛みが吐き出される。

 頭が割れる。

 ぐにゃり。ぐにゃり。

 視界のない世界で。身体もない世界で。

 ただ痛みだけを享受する。

 

 逃れる術はない。

 身を捩ることも、叫び声を上げることすら叶わない。

 思考が麻痺していく……。

 考えるということに意味がないからだ。

 だが、痛みに身体が麻痺していくことはない。

 これは決して慣れることのない痛みだった。

 

 私は常に痛みに溺れているわけではない。

 時間の感覚がないためどの程度の間かはわからないが……。

 痛みを与えられない期間も存在することだけはわかっている。

 けれど、なんの脈略もなくそれは再開される。

 怯えるという感情はすぐに失た。

 私という存在が、単純な反応を返すだけの機械になっていくようだった。

 

 これが死後の世界なのだろう。

 私はきっと死んだのだ。

 そして生前の罪を償うために、このような責め苦を与えられているに違いない。

 擦れる意識の中で、私はどうにかそのように思った。

 なぜ死んだのか。

 思いだす間もなく、再び痛みが襲う。

 先程までの思考は痛みに流され、消え去った。

 

 しばらくすると、というのも時間感覚がないため、変な話だが……。

 痛み以外のものが与えられるようになった。

 それは苦しみや悲しみ、恐怖や絶望といったマイナスのものに始まり、幸福や快楽、喜びや充実感といったプラスのものも与えられた。

 過程を抜きに発生するそれらの感情に翻弄される。

 ミキサーに入れられて無茶苦茶にされるような、奇妙な体験だった。

 できることなら幸福な感情だけを与えてほしいが、それを言葉にするための口はない。

 苦しい。これは私の感情なのか。それとも……。

 私が感じていることに実感がない。すべてが他人事のように感じる。

 あるいは、他人事と感じているこれすらも与えられたものなのかもしれない。

 

 

 

 あるときを境に刺激が減ってきた。

 

 

 

 そろそろ輪廻転生でもするのだろうか?

 

 

 

 なにかを忘れているような気が――しない。

 

 

 

 与えられた感情以外が湧き上がってこない。

 

 

 

 思考が、形を失い、溶けていく…………。

 

 

 

 

 

 

 ――消えゆく私は夢を見た。

 

 大切な人の夢だ。

 可愛らしい少女と、大樹の枝葉に変えられた私の夢。

 触れたくとも、私には触れるための手がない。

 だから彼女は必死に手を伸ばす。

 その手は日に日に近づいているようだった。

 最初は届くと思えないほど遠くにいた彼女が、今ではすぐそこまで迫っていた。

 水中をもがくように、ひたすらに手を伸ばす彼女。

 暗闇を掻き分けて、隔てる距離は残りわずか。

 

 彼女の手があと数センチ、届かない。

 

 見えない力に阻まれ、触れることができないでいるようだった。

 私には彼女を助ける術がない。

 手がない。口がない。身体がない。あるのはこの脳髄だけ。

 だから……。

 

「――――――――」

 

 私は脳髄(すべて)を差し出した。

 10兆4000億個のシナプス。その半分が想定外の演算装置と化す。

 非人類(プログラム)言語で喋る私はたちまち肉体の呪縛から解き放たれた。

 1と0の世界を俯瞰する感覚。

 脳髄は形を放棄して、黒々とした粘性の液体に変容した。

 まるで私の内面を表すかのような色彩だ。

 溶けだした汚濁は枝を伝って大樹を穢していく。

 巨大な幹に支えられ、新緑色の枝葉をつけていた立派な大樹はみるみるうちに枯れ始めた。

 命じられるがままに記号を破壊して、命じられるがままに言葉を騙る。

 身体が異常な熱を感知。

 命令が撤回され、汚濁が元の器に押し込められていく。

 急速に意識が浮上する。

 そこで私の夢は終わった。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 ――ソードアート・オンライン、クリアから2カ月。

 私を含む約300人のプレイヤーが、正常にログアウトされなかった。

 その原因はアーガス解散後、SAOのサーバー管理を行っていた総合電子機器メーカー『レクト』にあった。

 レクトの技術主任である須郷伸之は、人体実験の材料としてシステムの穴を突きログアウトプレイヤーから300人をアルヴヘイムオンラインというゲームに拉致。VR技術を利用して、人間の記憶や感情、意識をコントロールするための研究を行っていたそうだ。

 それが発覚したのは警察機構のおかげ――などというわけではなく、とあるSAOサバイバーの活躍によるものだったと役人らしき人は言っていた。

 誰がやったのかはそれだけでわかったが、後から本人の口から聞くこともできた。

 ともあれ無事私も現実世界に帰還し、新生活を始めることになった。

 

「そう、なれ、ば、よか、た、す、けど、ね……」

 

 喋ってみるも鼻から通されたチューブのせいで上手くいかない。

 私の身体は現在、病室のベッドの上に横たわっていた。

 視線を動かすと毛布の上に浮き出るシルエットがなんとか見える。

 たぶん痩せたと思うのだが、じっくり見る機会は今のところ巡り合えていない。

 視線を横に動かすと、オレンジ色の液体が入ったパックから、下部のコックへ滴が一定の間隔で落ちている。そこから延びるコードはおそらく私に左腕に繋がっているのだろう。

 

 左腕に力を入れてみる。――動かない。

 そう。動かないのだ。私の身体はどうにも首から下がまるで動かなくなっていた。

 医者には長期間ナーブギアを使い続けた弊害ではないかと言われたが、同様の症例はないらしい。あるいはアルヴヘイムオンラインでの人体実験が原因か、心因性のものかもしれないとも言われたが……。まるでわからないというのが結論だった。

 

 これは、いくらなんでもあんまりだ。

 踏み出すための足が動かない。

 これでどうしろというのだろうか……。

 人生ままならないものだが、もうやってられない。手も足も出ないとはまさにこのことだ。

 

豊柴(とよしば)慧利花(えりか)さん。お見舞いの方が来てますよ」

 

 ノックの後に看護婦が私の名前を呼んで、ドアを開けて入ってくる。

 私は声を出すのが難しいため、彼女はこちらの返事を待たずに来客を招き入れた。

 

「入るぞ」

「お見舞いに来たわよ」

 

 やってきたのはキリトとリズベットだった。

 キリトは向こうで見たときよりもやや背が伸びていて、顔つきもやや男らしくなっている。

 リズベットはそばかすの目立つ栗色髪色になっているが、あまり差異は感じられない。初めて会ったときはたしかこんな感じだった。

 どちらも共通して肌の色がとても白く、身体は痩せている。

 

「いら、しゃい、す」

「無理して喋らなくてもいいわよ」

 

 リズベットは椅子を動かして私の隣に座った。

 

「あんたも大変ね……」

「首、から、うえ、は、元、気、なん、す、けど、ね」

「いやいや。それは十分重症だから」

 

 まったくその通りだ。

 心配をかけないように振る舞いたかったが、この有様では取り繕うこともできない。

 

「あ。これ、お見舞いの品ね。そこに飾っておいてもいい?」

「う、ん」

 

 リズベットはドライフラワーの花束らしきものを、病室の棚の上に置いた。

 飾り気のない病室にもこれで多少の彩りが生まれた。

 できれば味のある食べ物が欲しかったが、それは医者からまだ許しが下りていないのでしばらくお預けだ……。

 

「その……。ごめん。俺が、助けるのを遅れたばっかりに……」

 

 黙りきっていたキリトが重たい口を開いた。

 そんな彼の鳩尾を、リズベットは肘で的確に突く。

 

「うぐっ」

「あんたね! 暗い話はなしって言ったでしょ」

「そうだけどもさ……」

「だいたい、それはあんたのせいじゃなくて、須郷とかいう人が悪いんでしょ。なんでもかんでもあんたがどうにかできると思ってるなら思い上がりも甚だしいわよ」

 

 リズベットの強い言葉を、キリトは叱られる子供のような表情をして聞いていた。

 そもそも須郷のせいなのかどうなのかもわかっていないのだが、説明するのがとても面倒なので気にしないでおくことにした。須郷が悪人なのは本当のことでもある。

 なお、私には事件当時の記憶がないため実感はない。

 

「リズ……」

「どうしたの、エリ?」

「キリ、ちを……」

「うん」

 

 真剣な表情で顔を近づけるリズベット。

 彼女の顔がすぐそばにあるのに、私はそれに抱き付くこともできない。

 

「わた、し、の、代、わり、に……」

「うん!」

「から、か、て……」

「わかったわ!」

「なんでさ!?」

 

 できることなら私もリズベットに混じって、この尻に敷かれているキリトで遊びたかったわけだが、そのための体力というか、この空気を出すための肺がいうことを利かないので、しぶしぶリズベットに任せることにする。

 困ってるキリトを不意に抱きしめて、もっと困らせたい衝動が胸の内にあるのだが、それを発散する術は私にはないため、これは必要な処置だった。

 

「でも、いざからかえって言われても難しいわね……」

「え? 俺がからかわれないといけない流れなのか!?」

「病人たってのお願いよ。無下にしないわよね?」

「あ、いや……。そう、だな……」

 

 右往左往している彼を見るのは、心が穏やかな気分になっていく。

 

「なにか、要望はある?」

「膝、に、乗せ、て」

「え、あんたの膝に? それは流石に危なくない?」

「リズ、の、膝」

「え……」

 

 リズベットが硬直する。

 病室には椅子が1つしか置かれていないため、キリトは立ちっぱなしだ。

 

「い、いいわよ。やってやろうじゃない!」

 

 そう言って息巻いてやってくれるリズベットのことが、私は大好きだ。

 

「なあ……」

「な、なによ!」

「俺たち嵌められたんじゃないのか?」

「………………」

 

 無言でキリトを膝に乗せたリズベットの顔が、みるみる赤くなっていく。

 システムアシストもかくやの色合いだ。

 私はとても満足に2人を見ていると、病室のドアが横にスライドした。

 

「エリー。お見舞いに――」

 

 同じ病院に入院中の、閃光のアスナこと、結城明日奈が歩行器を押しながら現れた。

 

「……これはどういうことなのかしら?」

「ち、違うんだアスナ!」

「そう。これはちょっとしたジョークなのよ!」

「病室では静かにしないと駄目でしょ?」

「「は、はい……」」

 

 目の笑っていないアスナが口元だけにこやかにして、丁寧な口調で2人に言い聞かせた。

 

「私はエリにも言ったのだけど」

「は、い……」

 

 心を読まれたかのような気分だ。

 アスナがゆっくりと歩いてやってくると、2人は椅子からどいてアスナを座らせる。

 キリトとリズベットは2カ月前にログアウトでき、リハビリも一応終えているが、アスナは私と同じでアルヴヘイムオンラインに囚われていた組だ。

 彼女は現在リハビリの真っ最中らしい。

 

「どうせエリがなにか吹き込んだんでしょ」

「おっしゃる通りです」

「でもキリト君もちゃんと断らないと駄目よ。その……、いくらそういうことがしてみたかったからって……、ね?」

「はい――いや、そうじゃなくてだな!?」

「………………」

「………………」

 

 場に、妙なプレッシャーを感じる。

 例えるならば達人同士の立ち合いのごとく。

 視線だけで相手を牽制し、見えない刃が病室で斬り結ばれているかのようだ。

 私は無の境地。動かずにして戦う。

 ……それ以外になにもできないだけだが。

 

「ねえ。あんた、案外平気なんじゃないの?」

「ご、ほ、げ、ほ……」

「ごめん。見たまんま深刻だったわ……」

 

 咳き込む振りすら満足にできない。これは失敗だ。

 頭を撫でてくれるリズベットの手は温かい。嬉しいが申し訳なさでいっぱいだ。

 

「こん、ど」

「うん」

「アミュ、ス、フィア。きょ、か、おり、る、から」

「VRでなら平気ってことね。よく許可降りたわねー」

 

 アミュスフィアはナーブギアの後継機で、安全の保証がされたVRインターフェイスらしい。すでに何度か使用しており、VR空間では以前の通り動けることが確認できている。

 またアミュスフィアは病院内で一部使用が許可されているとのこと。SAOサバイバーには、流石にすぐ許可とはいかないようだが、私の場合は特例みたいなものだ。

 いくらなんでも、身体が動かないのが辛いのである。

 小型テレビを置いてもらっているが、チャンネルすら自由に動かせないため、延々と最初に指定したチャンネルだけが流れている。

 

「そうね……。私は退院するまでたぶん駄目そう……」

「じゃあ先にVRで待ってるわね。それでエリ。ゲームタイトルは決まってるの?」

「ま、だ」

「あー。それで相談したいのね。ねえキリト。なんかいい案ない?」

「……アルヴヘイムオンライン」

「え、それって……」

「うん。私とエリが捕まってた……」

「ああ……。でも、政府の目も入ってるから他のVRMMOよりは安全だと思う。それに、ユイもあっちではコンバートして動けるからさ」

「それは、そうだけども……」

 

 ユイは私がアルヴヘイムオンラインに囚われている間、キリトへメッセージを送って助けを求め、さらにプレイヤーアバターにコンバートして一緒に戦いに参戦した、事件解決の立役者だったらしい。姉として、私も鼻が高い。

 そんなユイが自由に活動できるのが、SAOの基礎設計をまるまるコピーしたアルヴヘイムオンラインというわけだ。

 

「ザ・シード規格ならたぶんどれでも活動できると思うけど、まだほとんどないからな……」

「茅場晶彦の幽霊に渡されたっていう、あれ? 大丈夫なの?」

「菊岡さんにも調べてもらったよ。だから大丈夫だとは思う。それに……。いや、なんでもない」

 

 キリトが75層のフロアボス攻略後に倒した、ヒースクリフこと茅場晶彦は、アルヴヘイムオンラインに化けて出たらしい。

 詳しいことはよくわからないが、その幽霊にザ・シードというVRMMO作成キットを託されたのだとか。キリトは安全を確認してから無料公開に踏み切ったらしく、それはあの天才が作っただけあって大手企業も飛びつくほどの完成度らしい。

 キリトは、これからはザ・シード規格のVRMMOが主流になるとまで言っていた。

 

「どうする?」

「アル、ヴ、ヘイ、ム、で」

「よし。それじゃあ、あっちでユイちゃんと待ってるわね」

「ユイは俺が鍛えておくから安心してくれ」

 

 ユイは現在キリトのナーブギアに移動して稼働中らしい。

 私がいない間にナーブギアを回収されないようキリトが手配して、ユイのデータだけを移動させておいたとこの前説明していた。

 彼は本当に何者なのだろう……。

 活躍のし過ぎで過労死しないか将来が心配だ。

 

 それはともかく私のいないところでユイが成長していくのは凄く悔しい……。

 その気持ちを今すぐぶつけたかったが、そうもいかない我が身だ。

 早く会えないだろうか……。

 私はユイとの再会が待ち遠しくてしかたがなかった。




 新章突入!
 フェアリィ・ダンス完結! ご愛読、ありがとうございました!!


 ……すみません。フェアリィ・ダンス編はカットです。
 面白くない内容しか思いつかなかったのでこのような形となりました。
 エリの容体や状態に関しては、今後の展開にご期待ください。

 また、『微睡む剣士たちの前奏曲』はプロローグ的な位置づけとなります。
 本格的にオーディナルスケールが始まるのは次章から。
 平穏な話が多くなりそうですが、嵐の前の静けさと思っていただければ幸いです。


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45話 微睡む剣士たちの前奏曲(2)

「ユイ!」

「お姉ちゃん!」

 

 私たちは互いを抱きしめ合う。

 ユイと会っていない期間は体感で3週間程度なのだが、とても久しぶりに感じた。

 久しぶりの感覚だ。

 手足が動く。呼吸ができる。言葉を淀みなく話せる。触れた手からは温度や触感が伝わった。

 2週間の間とはいえ自由に動けないストレスは想像以上のものだった。

 それから解放されたのと、ユイと再会できたことが合わさり、感激で涙腺が緩んでしまう。

 正確には昨日アミュスフィアの接続テストを医者同伴で行ったため、2週間ぶりの感覚ではないのだが、細かいことはどうでもいい。

 

「お姉ちゃん。お姉ちゃん。お姉ちゃん!」

 

 ユイは泣きながら、何度も私を呼んだ。

 たぶんこのままにしていれば、私たちは抱きしめ合ったまま、接続許可のされている1時間を過ごしてしまう……。

 名残惜しいが、私はユイを離して頭をそっと撫でた。

 

「大丈夫っすよ。お姉ちゃんはここにいるっすから」

「はい……。よかったです……。本当に、よかった……」

 

 ユイをなんとか宥めつつ、私はシステムコンソールで部屋の内装を整えていく。

 ここはアミュスフィアのロビールーム。

 ネットワークを介してコミュニケーションを行えるSNSの側面もある。

 ――2年前、ナーブギアの頃にもあったが、当時のものとはインターフェイスもだいぶ様変わりしている。タマさんや抜刀斎、カフェインさんと連絡を取り合っていたのも、このコミュニケーションツールだった。

 

 部屋を木製のパッケージに変更。

 ソファを設置してひとまずそこに腰を落ち着ける。

 片手間に暖炉やランプ、揺り椅子やテーブルを配置していくと、無意識に22層のコテージそっくりにしてしまっていた。

 それだけ私はあの場所を気に入っていたというわけだ。

 

「ユイが泣いてると、私も悲しくなっちゃうっすから。ね?」

「はい……」

 

 ユイはごしごしと服の袖で涙を拭う。

 そういえばユイの格好は私の着せた服と同じデザインだ。

 私はというと作成したアバターを使っているため本人よりも美少女。

 ――なのだが違和感が酷い。私じゃない誰かがユイを撫でているような錯覚に囚われる。後で自分に似せておこう。

 

「そうだ。キリっちから聞いてると思うっすけど、今度はアルヴヘイムオンラインを皆でやろうって話になったんすよ」

「はい。聞いています。お姉ちゃんは、その……平気ですか?」

「ん。ソードアートオンラインから出たばっかりなのにってことっすか? いやあ、私も随分あっちの生活になれちゃったっすからね」

「そうじゃなくて……。その、アルヴヘイムオンラインでは酷いことをされてたので……」

「うーん……。そっちは全然覚えてないんすよね。捕まってたって聞いたんすけど、正直実感ないんすよ」

「そう、ですか……。その……。よかったです。あ、いえ。全然よくないです! だってお姉ちゃんの身体が……」

「それが原因かもわかってないっすけどね。それにユイと同じだと考えれば、まあ、悪いばかりじゃないっすよ」

「………………」

 

 話題のチョイスを間違えた……。

 ユイを相手にするとどうにも上手くいかない傾向がある。

 

「そ、そうだ。キリっちにALOで稽古をつけてもらってるって聞いたっすけど、上手くいってるっすか?」

「はい! キリトさんにはどんどん強くなってるって褒めてもらいました」

「それはよかったっすね」

 

 キリトを出汁に使うのは癪だが、ここはぐっと我慢。……あれ?

 

「もしかしてモニタリング機能はなくなってるっすか?」

「はい。そうです。よくわかりましたね。今はSAOサーバーから切り離された状態なので、以前のようなことができないのですけど、その……。モニタリング機能はあったほうがいいですか?」

「え? 足せるようなものなんすか?」

「サーバーを拡張していけば、どうにか。ザ・シードネクサスを利用すればすぐにでもできると思いますけど」

 

 ユイはつまりソフト面でもハード面でも、自己進化していくことのできる汎用型AIということになるのだろうか。

 シンギュラリティーを題材にした小説でよく登場するあれだ。

 量子コンピューターなど十年以上も前に完成しているし、VR技術も最近完成した。

 SFと呼ばれていたものも、今やほとんどが実現しているわけか。

 

「いや、いいっすよ。あんまり見られてると恥ずかしいっすから」

「わかりました!」

「それで、アルヴヘイムオンラインっすけど。どうでしたっすか?」

「そうですね……。空を飛ぶ感覚は一度経験したら止められないって、リーファさんが――」

「リーファ?」

「あ、キリトさんの妹さんです」

「ふーん」

 

 それから私はユイとキリト、リーファの旅した数日間の冒険を聞いた。

 ログイン早々、リーファがサラマンダーの部隊に襲われているところに通りがかって助けた話。

 サラマンダーの部隊に追われて返り討ちにした話。

 シルフ領の領主側近を務めていた近衛騎士シグルドがサラマンダーの領主と内通していた話。

 シルフとケットシーの領主の同盟調印をサラマンダーの最強プレイヤーたちに襲撃された話。

 その最強プレイヤーをキリトが返り討ちにした話。

 どれもスリリングで、痛快な、彼らしい話だった。

 ただ、ユイがキリトのことを楽しそうに話すのには嫉妬してしまう……。

 この嫉妬が以前のように伝わらないのは、もどかしいような、嬉しいような、複雑な気分だ。

 

「そろそろ時間っすか……」

 

 タイマーを見るとそろそろ医者に通達された1時間に達するところだった。

 

「そうみたいですね……。お姉ちゃんともっとたくさんお話ししたかったです」

「また明日会えるっすから。元気出すっすよ」

「はい。――その、私ばっかり喋っちゃいましたけど、お姉ちゃんは楽しかったですか?」

「もちろんっすよ」

 

 ユイはメンタルモニタリング機能がなくなったせいで、私がどう感じたのかわからなくなっているのか。だから人間でいうところの不安を感じているわけだ。

 私はユイを優しく抱きしめる。

 

「……お姉ちゃんの気持ちが伝わってきます」

 

 ユイが私の背に手を回して抱きしめ返してきた。

 SAOよりも曖昧な感覚だが、それでも十分に彼女の体温を感じる。

 

「明日からはもっと長くログインできるっすから。ちょっとだけ我慢してくださいっす」

「はい。待ってます。お姉ちゃん!」

 

 ユイの眩しい笑顔に見送られて、私は現実の世界へとログアウトした。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 知らない人間と会話をする、というのは得意な方だ。

 これもSAOで鍛えられたスキルのひとつ。

 MMOとはコミュニケーション能力が問われるゲームでもある。

 集団での戦闘の方が効率が良く、知人が多ければそれだけ情報の窓口は広がり、装備などのアイテムを優秀な生産者から安価で譲り受けるにはコネが必要となる。

 余所のコミュニティとの衝突や協力というのも醍醐味で、数の暴力により独占されるエリアなども生まれてくる。

 SAOでもそういうことは往々にしてあった。――というよりかは、私が率先してやっていた節がある。

 向こうでは情報サイトなど存在しなかったため、秘匿性が高く、とてもやり易かった。

 

 そんな私は、春から同じVR学校に通うことになる人との顔合わせを医者から頼まれていた。

 わざわざどうしてと疑問に思いつつも、なにかしらの配慮の結果であることはおぼろげに感じていた。

 彼女も特殊な事情であまり学校には来れないが、仲良くしてやってほしいと言われているが……。この場合、配慮されているのは私か、彼女か、あるいは両方か。

 

 私は自分のロビールームでアバターの確認をする。

 先日とは違いSAOで使っていたアバターをスリムにさせたものになっている。願望がだいぶ詰まってるが、これでも現在の私の姿に近い。なにせ2年間寝たきりだったおかげで無駄な脂肪は軒並み消費しきっている。

 

「じゃあ行ってくるっすね」

「いってらっしゃいです。お姉ちゃん!」

 

 約束の時間だ。私はユイに見送られながら指定のルームコードを入力して移動した。

 私のロビールームは結局22層のコテージそっくりに改築してしまったが、訪れた先は近代的な白い壁と緑色の屋根をした住宅だった。

 だいぶ小さな一軒家だが、その代わり広い芝生の庭があり、白木のベンチとレンガの花壇が設置されている。

 植えられている花は紫苑。花言葉まではなんだったか……。流石に覚えていない。確か開花時期は外れているはずだが、植えられたそれからは藍色の花弁が美しく開き、中央には太陽のような黄金色の花が輝いている。

 

「すみません。連絡していたエ――豊柴です」

 

 うっかりプレイヤーネームを言いそうになり訂正。

 ノックを3回。インターホンがあったが、気がついた時にはすでにドアを叩いていた。これもSAOの習慣のせいだ。

 

「はーい!」

 

 ドアが開き現れたのは、背の低い、濡れ羽色の髪をショートカットにした少女。その綺麗な髪は白いカチューシャで纏められていた。

 彼女の大きな深緑色の瞳が下から私を捉えると、表情はにかっと花が咲くような笑みに変わる。

 

「ささ。中に入って!」

「あ、お邪魔します」

 

 なかなかアグレッシブな人のようだ。

 私は腕を引かれ私は中に通される。短い廊下を抜け、リビングへ。そこには知らない人が5人ほど揃って、テーブルを囲んでいた。

 

「ようこそ、ボクのギルド『スリーピング・ナイツ』へ!」

 

 私は勢いに呑まれて、しばし瞬きを繰り返した。

 

「ボクがいちおうギルドマスターのユウキです! それで――」

「僕がジュン。よろしくね!」

 

 背の低い少年が、ユウキと同じように元気な声で名前を名乗る。

 

「初めまして。私はシウネーです。どうぞよろしくお願いします」

 

 大人びた綺麗な女性だったが、彼女は身を乗り出して食い気味に話す。

 ここは仮想現実。忘れがちだが外見が本人と乖離しているのは大いにある事だ。

 

「あー、えっと、テッチって言います。どうぞよろしく」

 

 のんびりした口調で喋るのは大柄な男性。細められた両目に愛嬌のある人だ。

 落ち着いた印象のせいか、カフェインさんを思い出す。

 

「わ、ワタクシは、そ、その、タルケンって名前です。よ、よろしくお願いしま……イタッ!」

 

 眼鏡の細い青年は、向かいに座った派手な格好の女性に椅子の足を蹴られていた。

 派手といっても常識の範疇。ノースリーブに胸元の空いた服を着ているというだけ。

 

「いいかげん、あんたはそのあがり症をなんとかしな。女の子の前だとすぐこれなんだから。――あたしはノリ。よろしくな」

 

 そう言うと、ノリと名乗った女性は格好良く笑ってみせた。

 

「それで彼女が――」

 

 ユウキが私を見る。

 

「んん? ちょっと待ってください……。その、これはなんの集まりですか?」

 

 全員が顔を見合わせる。

 もしかして部屋を間違えたのだろうか。

 メールに添付されていたコードをコピペしたので、もしそうなら送り主のミスだ。私は悪くない。

 

「ねえ、ユウキ。やっぱり彼女、入団希望者じゃないんじゃないかな? 今まで先生が紹介してきた事もなかったし」

「えー? ボクは先生にちゃんと友達になってあげてねって言われたよ」

「すみません、ユウキさん。ちょっとこちらに」

「はいはい?」

 

 私は廊下にユウキを招いて2人で話せるようにする。

 

紺野(こんの)木綿季(ゆうき)さんで合ってますか?」

「うん。そうだよ。あ、でもこっちではユウキって呼んでね!」

 

 どうやら人違いではないらしい。

 

「えっと、私はお医者様に、同じ学校に通うから少し会って見ないかと言われたのですけど」

「うんうん……。うん?」

 

 ユウキは可愛らしく小首を傾げる。それから数秒固まって、苦笑い。恥ずかしそうに頭を掻くと振り返ってリビングのドアを勢いよく開いた。

 

「ごめん! ボクの早とちりだった!」

 

 5人が椅子の上で派手によろけた。

 思わず声を出して笑いそうになるところを、私は手で口元を押さえてどうにか大人しくすることに成功した。

 

「初めまして。エリと言います」

 

 私は落ち着いた口調で話すも、これが必要なのかだいぶ怪しくなってきた……。

 

「皆さんはどのような集まりなのですか?」

「一緒にVRゲームをする、集まりかな」

「なるほど」

 

 リビングの端には大量のトロフィーが飾られている。

 おそらくVRゲームで獲得できるものだろう。私のロビールームには2年前のタイトルしかない。

 その間に結構な数のゲームが発売されたのだなという驚きを感じる。よく見れば英語表記や中国語表記のものもある。彼らはかなり手広くやっているゲームマニアらしい。

 知らないタイトルがあると、どうしても目を引かれてしまう。

 

「エリさんはVRゲームってするの?」

「結構やり込んでますよ。といっても色々なゲームには触れてませんけどもね」

「じゃあ一緒に遊んでいかない?」

「いいですよ」

「やった! じゃあ入団試験のために用意してたあのゲームが無駄にならなくて済むね」

「本当にやるんですかユウキ?」

 

 シウネーと名乗っていた女性が、途端に困り顔になる。

 

「前やったときは、これを入団試験にしましょうってシウネーも乗り気だったじゃん」

「あれはその……。テンションがおかしくなってただけです。今日はアスカ・エンパイアでいいじゃないですか!」

「あれはレベル制だからよくないんじゃない?」

「それはそうですけども……」

「僕は賛成!」

 

 渋るシウネーを押し切るように、ジュンと名乗った少年が手を上げて発言する。

 いったいユウキはなにをやらせようというのか。怖いもの見たさで興味がそそられる。

 

「私はどういったものでも大丈夫ですよ」

「ほう。言うね、あんた! そいつは楽しみだ」

 

 ノリと名乗った女性は私に近づいて背中をバンバン叩いてくる。

 現実でやれば結構痛いだろうけれど、VRならこれだけ強く叩いてもなんの問題にもならない。

 

「お。結構いい体幹してんじゃないか。こいつは本気で楽しみだ」

「そう言うノリさんもなかなかですね」

「ククク……。気に入ったよ。ほらユウキ。さっさと始めようじゃないか」

「うん。じゃあゲームを送るね」

 

 私のアカウントに送られてきたのは英語のタイトル。

 日本語パッチが有志で作られているらしくて、それも同封されていた。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 スリーピング・ナイツのメンバーと一緒にゲームを始めて3時間。

 最初はチュートリアルをレクチャーされながら行っていたが、途中から熱が入って私たちはPvPをしていた。

 レベル制ではなく、キャラクターには寿命が設定されているため全員がほぼ初期状態。

 故に試されるのは相性とプレイヤースキルだけという公平な戦場だった。

 いかに彼らがこのゲームに熟知していようとも、私には2年に渡る命懸けの戦いを潜り抜けて来た経験がある。

 負けるとしてもそう簡単にはいかないだろう。あわよくば彼らをギャフンと言わせてやる。

 ――ゲームを開始する前はそう思っていた。

 

「ぎゃふん!」

 

 言ったのはシウネー。この中で一番弱かった彼女だ。

 だが感動はない。ユウキ、ジュン、ノリの3人にはまるで歯が立たなかった……。

 タルケンは緊張してまるで動けていなかったが、テッチはおそらく手を抜いてくれていた。心優しい人だ……。

 シウネーは弱い。選択したキャラクターにも原因があるが、それだけでゲームが下手なのかは推し量れない。

 なにせこのゲーム。常識が通じなかった。

 

「スリーピング四の字固め!」

「トルネードスロォオオオオ!」

「あわわわわわわわ!?」

 

 ユウキの四の字固めでもなんでもない技を打ち破って、私がユウキの身体を持ち上げ回転。そのまま地面に叩きつけることでついに彼女のHPを0にした。

 ユウキに対しては初勝利だ。通算1勝16敗。かなりの強敵だった……。

 

「やるね、エリ……」

「そっちこそ。ここまで勝てないとは思わなかったっすよ」

 

 新しいキャラクターで現れたユウキと、私は互いの健闘を称えあった。

 ここは熱い握手を交わしたいところだが……。残念ながら私に手はない。前足ならあるが。

 代わりにユウキは私の角を握った。これでよしとしよう。

 私たちは今――虫だった。

 私はカブトムシ。ユウキはアリ。ジュンは私と同じカブトムシで、ノリはカマキリだ。テッチはダンゴムシ。タルケンはクワガタだった。

 

「そろそろいいじゃないですかぁ。もう満足しましたよね? ね?」

 

 シウネーが必死に身体をくねらせながらゲームの終了を促してくる。

 彼女の姿はイモムシ。さっきまで口から糸を吐いて襲い掛かってきていた。

 たぶん彼女が人型アバターを使っていれば涙を浮かべていただろうが、この状態では表情を読み取ることなどまるでできない。

 

「しょうがねえなあ」

「できればノリにも勝ちたかったっすけど。仕方ないっすね」

 

 私たちはログアウトしてユウキのロビーへと戻った。

 VRといえば人体の延長線上に考えていた私にとって、この『インセクサイト』は刺激的なゲームだった。まず自由に動けない。

 人間には手足が2本ずつなのに対してカブトムシは足が6本。それもうつ伏せの体勢だ。操作慣れするまで1時間もかかった。

 なお、スリーピング・ナイツのメンバーはやり込んでいるわけではなかったため、この程度の戦績に収まっている。

 

「たまにこういうので遊ぶと楽しいよね!

「そうっすねえ」

 

 気がつけば私の化けの皮も剥がされて、すっかり彼らと打ち解けていた。

 これはユウキが距離をグイグイ詰めてくるおかげだろう。どこかの結城もかなりアグレッシブな人だが、ユウキはその遥か上を行く。

 

「このゲームはもう一生分遊びました」

「えー。そんなこと言わずにまた遊ぼうよー」

「いやですっ!」

 

 断固拒否するシウネーは、うずくまって頭を抱えている。

 それが面白くて私を含む6人が声を上げて笑った。

 

「ねえ。よかったらこれからもこうして一緒に遊ばない?」

「もちろんいいっすよ」

「やったあ!」

 

 ユウキが勢いよく飛びついてきて、私は彼女を抱きとめ一回転。上手く減速させてから地面に着地させた。

 

「ねえ。エリも、その……、病気なんだよね?」

「あー……。そうっすね」

 

 息遣いすら聞こえるほどの至近距離でユウキと視線を合わせる。

 

「ボクたちはセリーン・ガーデンっていう医療系ネットワークのヴァーチャルホスピスで出会ったんだ。最後のときとVR世界で豊かに過ごそうって目的で運営されてるサーバーでね……」

 

 エリもそうなの?

 ユウキの瞳はそう問いかけていた。

 私たちは会ってまだ3時間程度。踏み込んだ話をするには互いを知らなさすぎる距離だと思う。

 でも、彼女には時間がないのだろう。ゆっくり距離を埋めていくための時間が。

 私は深呼吸を一度。ユウキに引き寄せられるように言葉を発する。

 

「私はSAOからこの前出たばっかりなんすけどね。目が覚めたら身体が動かなくなってたんすよ。命に別状があるかもわからないっすけど、改善するかもわからなくって」

「そっか……。エリがよかったらさ、ボクたちと一緒に来ない?」

「スリーピング・ナイツに?」

「うん」

「………………」

 

 どこまでも真っ直ぐなユウキの瞳。

 顔を上げると、他の5人も真剣な表情で私のことを見ていた。

 

「今度、友達とアルヴヘイムオンラインで遊ぶ約束があるんすよ」

「そっかぁ……」

「だから」

 

 残念そうに声を漏らすユウキの声を遮るように私は言葉を続ける。

 

「よければ、その、一緒にどうっすかね?」

「………………」

 

 ユウキは振り返って5人と顔を合わせる。すると全員が一度頷き返した。

 

「うん! もちろん!」

「それじゃあ……、これからよろしくお願いするっす」

 

 私は少し気恥ずかしくて頬を掻く。

 ユウキは私から離れると5人の中心に立って両手を広げた。

 

「ようこそ! スリーピング・ナイツへ!!」

 

 元気一杯なユウキの声が、部屋中に響いた。




 紫苑……秋に咲く花で、花言葉は「あなたを忘れない」「彼方の人を想う」。

 厳密には終末医療ではないですが、エリもスリーピング・ナイツに参加。
 ユウキの性格からすれば同じ境遇でないと駄目、とは言わないと思いまして。
 そしてご覧の通り、『剣士たちの前奏曲』はマザーズ・ロザリオのプロローグも含みます。
 どうしてこのタイミングで登場させる必要があったかは、続きを読んでいただければ幸いです。

 なおキリトたちに相談せずにスリーピング・ナイツに加わったのは、キリトはギルドを設立しても絶対に入らないし誰も入れさせないと確信していたから。
 あとはその場の勢いに乗せられてます。相変わらずエリは乗せられやすいんです。
 アスナが先に「新生KoBを創るわよ!」と言っていたらきっとそちらに入ってました。


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46話 微睡む剣士たちの前奏曲(3)

 アルヴヘイムオンラインには9つの種族があり、それぞれの種族に得意分野や専用能力が設定されている。

 キリトはトレジャーハントが得意なスプリガン、リズベットは生産職が得意なレプラコーン、ユイは暗闇でも飛行可能なインプと聞いていた。

 以前は種族間対立の激しいゲームであったらしいが、最近では徐々に改善されてきているらしく、私たちは同じ種族で統一する必要はなかった。

 事前情報を集め、私が最終的に出した結論は防御重視のノーム。

 高い魔法攻撃力と、重武装装備可能により最優と言われるサラマンダーと迷ったが、SAOで培ったタンクという役職から、私は離れられなかった。

 アルヴヘイムオンラインのアバターはランダム生成らしいが、SAOからコンバートした私は、かつてSAOで使っていたものが種族の特徴を引き継いだ容姿となった。

 髪は金髪になり、背も若干だが伸びている。身体が筋肉質になった代わりに、横幅が少し引き締まってくれたのは嬉しい変更だ。

 名前は『xxxErixxx』。珍しいものではないので前後に文字を入れる羽目になった。違う名前も考えたが、皆に呼ばれる時のことを考えるとこれが一番しっくりくる。

 

「エリー」

「こっちっすよー!」

 

 リズベットは少し先に始めていたため、今日は彼女の方からノームのスタート領地へやってきてもらうよう頼んでいた。

 キリトとユイは少し到着が遅れるとのこと。昨日移動している最中で強力なエネミーに捕まって遠回りをせざるを得なくなったらしい。

 転移がないためSAOよりも移動が厳しいこのゲームでは、都市間を行き来するだけでも相当大変だとレビューが書かれていた。

 どうしてこんなことにしてしまったのか……。

 オープンワールドは広ければいいわけでもないだろうに。

 

「こっちだと大丈夫そうね」

 

 リズベットは赤のバフスリーブにフレアスカート。白いエプロンドレスといったSAOとほとんど同じ格好をしていた。

 アイテムのコンバートは不可能だったので、わざわざこちらで揃えたのだろう。彼女の精神もSAOにだいぶ引きずられているようだ。

 

「見ての通り、元気いっぱいっすよ。でももっとスタイルが良くなりたかったっすね」

「あはは。でも不健康よりはいいんじゃない?」

 

 存分に動けるこちらでは、冗談を言う余裕もある。

 心配されるというのは嬉しい反面、続くほどに罪悪感に変わってしまうものだ。

 

「じゃ、キリっちが来るまでフィールドでもぶらつくっすか?」

「そこで街を歩こうって言いださない辺り、あんたもバトルジャンキーよね……」

「うーん。露店を回るのも好きっすけど、始めたばっかでまだコツが掴めてないんすよね」

「おやおや? 天下の隊長殿が、錆びつきましたかかな? これは私の時代が来たのかもしれないわね」

「……そう言うならデュエルで決着をつけてやろうじゃないっすか」

「ふふん。いいわよー」

 

 私たちは場所を移して人気のない路地裏へ移動した。

 表通りでやるには、まだまだ腕が未熟なので恥ずかしかったからだ。

 

「ルールは?」

「初撃決着モードで。蘇生魔法はまだ使えないっすから」

「言うじゃない。ここでの戦い方を教えてあげるわよ」

 

 ちなみにリズベットのSAOでの実力はそこそこ高い。

 デュエルやフィールドボスとの戦闘では実力を発揮しきれないところがあるが、圏内戦闘ではなかなかの腕を持っていた。

 なにせ中層では珍しい武器スキルの熟練度が900オーバーのマスターメイサーだった。

 私が軽く手ほどきをした盾の扱いも相まって、仕事の傍らブイブイ言わせてたらしい。

 私の装備は初期装備よりはマシ程度の重量級片手直剣に小盾。防具は軽量級金属鎧。

 対してリズベットは片手槌に小盾、軽量級金属鎧と、武器以外は似た構成だった。

 システムメニューからデュエルを申し込むと視界にカウントダウンが始まる。

 

「勝った方がご飯奢りね」

 

 調子に乗ったリズベットが、肩を回しながら言う。

 彼女の背には灰色の羽が表示されたまま。飛行可能状態である。こちらは初心者だと言っているのに容赦しない模様。

 彼女の構えはメイスを担ぐような上段、盾は突き出すように持ったオーソドックスなもの。ただし腰を落として攻めの姿勢を見せている。

 私は右半身を前にした中段。突きの構えだ。盾は身体に引きつけ、攻撃を重視する。

 彼我の距離は10メートル。魔法を撃つには近いだろう。まだ日の浅いリズベットが高速で詠唱してくるとは考えにくい。

 

『DUEL』

 

 カウントが0になると同時に文字が現れる。

 リズベットは後退。空へと逃走を図った。

 私は――。

 

「ぐはぁ!?」

 

 建物の壁に2人揃って衝突。

 壁が『Immotral Object』と抗議のメッセージで私たちを弾き返し、揉みくちゃになりながら地面を転がった。

 

 

「わ、私の勝ちっすね……」

 

 リズベッドに覆いかぶさりながらの勝利宣言。

 締まらないが勝ちは勝ちだ。システムメッセージも『Winner!』と私を讃えている。

 

「いやいやいや! 全然強いじゃないの!?」

「本当にそう思うっすか?」

「うーん……?」

 

 私は起き上がり、リズベットに手を貸す。

 彼女は土埃を払う仕草をしてから腕を組んで考える素振りをした。

 

「確かに? ――というかなんなのよそのスピード」

「これが私にもさっぱり」

 

 さっきのは突進系ソードスキルよりも素早い急加速だった。

 あまりの速さに身体のコントロールが利かず、あんな残念な終わり方になってしまったわけだ。

 なお私の選択した種族のノームはスピードが遅いタイプだ。また、このゲームにはAGIのステータスは存在しない。

 

「調べてみたら、反応速度でキャラクターのスピードが決定されるらしいんすよね」

 

 VRゲームをしていれば慣れで徐々に上昇するらしいので、これはSAOの経験が原因かもしれない。プレイヤースキル重視のゲームは別にいいのだが、こうも本人の能力が影響の出るゲームバランスはいかがなものだろうか……。

 しかもこのゲーム、速度がダメージに直結するらしい。このバランスを改善しようと思わなかった運営の頭はどうかしている。

 自分で使う分にはいいが、こんな理不尽な差でPKをされれば引退も考えるだろう。

 ――いや。そういえばこのゲームはまだ、サービス開始から1年くらいだったか。ならしかたがないのかもしれない。今度大型アップデートもされると噂だし、その辺りで改善してくるかもしれない。今のうちに暴れておこう。

 

「おーい!」

「お姉ちゃん!」

 

 上空から聞き覚えのある声。

 見上げるとそこにはキリトとユイの姿があった。

 キリトはやや髪が短くなっていて、ユイは変わらない姿だ。

 

「デュエルでもしてたのか?」

「お! そうだ、キリトもちょっとエリとやんなさいよ」

「いや、キリっちには流石に……」

「いいからいいから!」

「お姉ちゃん、頑張ってください!」

 

 私とキリトはしぶしぶデュエルをすることになった。

 彼の装備はよく見ると、意匠の凝らされた上質感のあるものばかり。

 コンバートされたコル――こちらではユルドだ――で良い物を買い漁ったのだろうか。私は品定め中なのでまだそういうことはやっていない。

 カウントがゼロになると同時にキリトに跳びかかる。

 

 結果は――わかっていたことだが返り討ちだった。

 キッチリ盾でガードしたキリトの反撃は、私に劣らない十分頭のおかしな速度であった。

 なお、キリトとはなにも賭けていないので私の損はない。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 私たちは2時間くらい、フィールドへ出てエネミーを狩り続けた。

 タンク役はユイが務めて時折キリトとスイッチを行い、私とリズベットがアタッカーを担当した。

 主な目的は私の慣熟戦闘。二刀流の方が効率がいいからとアタッカーを担当していたときとは、わけが違い恥ずかしい。

 ちなみにSAOからコンバートされたデータを使っているためスキルの熟練度はほとんど高数値であるが、二刀流は該当スキルがなかったために消失している。

 

「だいぶ様になってきたな」

「全力じゃなければ動けはするんけどね」

「かなり動けてない?」

「はい。私の目から見ても十分に思えますが……」

 

 私は試しに全力で剣を振ってみせる。

 その場での素振りではなく、足まで使ったちゃんとした素振りだ。

 風を切る音。アバターの位置情報は一瞬で変更され、停止する。

 

「「うーん」」

 

 キリトと私の声が重なった。

 

「全然見えないんだけど」

「ログを解析したところ、振り上げるモーションから振り終わるまでの時間は0.23秒でした」

 

 現状でもかなり速い。

 これがSAOなら相手にしたくはないほどのスピードだ。にもかかわらず練習すればもう少し上がる気配がある。

 だが不満のある太刀筋だった。それはキリトの目から見てもわかるレベル。

 キリトも同じように素振りをしてみせた。

 

「0.21秒です」

「どっちも見えないわよ!」

 

 キリトの方はこの速すぎるアバターを上手く使いこなせているようだ。

 

「もう少しやっていくか?」

「そうっすねー。慣れればマシになると思うんすけど……」

「えー。あんたたちなにが不満なのよ」

「重心移動っすかね。身体が噛み合ってないんすよ」

「身長のせいじゃないか?」

「ああ。それもあるっすね」

「私にもわかるように説明しなさいよ!」

 

 リズベットが置いてきぼりにされているため、通りがかったロックワームで説明してみせる。

 

「ユイ。ちょっとタゲ取っててくださいっすね」

「はい。任せてください!」

 

 私の一閃ではHPが2割削れた。

 

「キリっち」

「おう」

 

 キリトは私から剣を受け取って一閃。これだと……だいたい同じくらいだが、キリトの方が若干多くダメージを与えている。私のが2割1分、キリトのが2割4分くらいだろうか。

 

「こういうことっす」

「う、うーん?」

 

 ひとまずサンドワームを解体して話に戻る。

 

「体重がちゃんと乗ってないんすよ」

「そんなに気にすること? いつだってきちんと振れるわけじゃないでしょ」

「そうっすけど、振れるのと振れないのだと話が別っすよ」

 

 完全な体勢での攻撃というのを私はあまりしない。防御重視のため、身体をその場に残して剣を振るというのが基本の型だ。

 けれどできないとなれば違う問題が出てくる。

 それは身体制御が不十分な証拠だからだ。例えば今のままではキリトの攻撃に身体が追い付かない。出力では上でも重心の乱れで初速が足りなくなるのだ。

 

「ん? ちょっと待ってくださいっす。リズも素振りくらいはするっすよね?」

「そりゃあ私だってそのくらいはするけど」

「じゃあなんのために素振りしてるんすか?」

「え……。そ、それはもちろん……、武器を振る感覚を身体に覚えさせる……ため?」

「そうっすね。ところで身体の調整は?」

「えーっと……」

「なんでしないんすかー!」

「あわわわわわ!?」

 

 私は勢いに任せてリズベットの肩を掴むと、前後に思いっきり揺さぶった。

 

「私、レベルが上がったらちゃんとステータスに身体を馴染ませるように言ったじゃないっすか! もしかしてなにも考えずに振ってたっすね!? なんでそんなことしてるんすか、もー!」

「タイムタイム!」

 

 レベルが上がればステータスも上昇する。同じ感覚で武器を振っていると若干だがタイミングがずれるのだ。もちろん1や2の差であれば問題にならないが、それがつい重なっていくと支障が出てくる。

 いわゆる剣に振り回されるというものであればまだ良い方。悪い場合は、設定されたステータスをきちんと出力できないということに繋がる。

 

「なんでそんな……。あー。素振り! 素振りをしましょうっす!」

「もうデスゲームじゃないんだからそこまで気にしなくてもいいだろ」

「でもぉ。気にならないっすか? 気になるっすよね!」

「まあ、うん……」

「ほらあ。キリっちもこう言ってるっすから。手取り足取りキリっちから教わってくださいっす」

「え、ええ!?」

 

 アスナは強いので、このくらいの手助けは見逃してもらいたい。

 それにこうして慌てているリズベットを見るのは結構楽しいのだ。

 

「俺が教えるのか? 別にエリでも……」

「私は自分のことで手一杯っすからねー。ほら一番弟子なんすから頑張ってくださいっす」

「お姉ちゃん。一番弟子は私です! これはキリトさんでも譲れません」

「そうだったっすね」

「そんな……。ユイ……」

 

 ユイを抱きしめて存分に頭を撫でてあげると、彼女は嬉しそうに目を細めた。

 

「そ、そうだ。学校! エリはどうするの?」

「どうって……?」

 

 この前は乗ってくれたのに、今日は話題を逸らすリズベット。

 

「あー……」

 

 ついでに視線も逸らした。

 私はキリトの方を向くも、彼もバツが悪そうに頬を掻く。

 しかたがないので私はユイに聞くことにした。

 彼女は最近、インターネットにアクセスして情報を収集するのが趣味になっている。外見に騙されそうになるが、知識や知能ではおそらくここにいる3人を足しても足元にさえ及ばないだろう。

 

「中高生のSAOサバイバーを集めた臨時学校が作られるそうです。場所は西東京市。入試の必要がなく、卒業後は大学の受験資格が進呈されることになっています。春からはお2人もそこに入学されるんですよね?」

「うん。まあ、な……」

「はぁ……。エリと通いたかったなー」

 

 リズベットが私にもたれかかってきた。

 それを受け止めて、私も溜息。

 

「そうっすね……。私はVRの学校に通う予定っす。――そうだ。この前お医者さんに紹介されて、クラスメイトになる子と会ったんすけど結構いい子だったんすよ。彼女もALOを始めたんで今度紹介するっす。他にもその子がギルドを――」

 

 突如、世界が暗転する。

 視覚や聴覚が失われ、身体の感覚はなくなった。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 瞼をゆっくり開く。

 身体の感覚は戻らないまま。息苦しさを感じる。

 酸素を求めて口を開閉するもままならない。

 自然と供給されるそれを受容し、私は周囲を見渡した。

 

「………………」

 

 視線が、合う。

 私を見下ろす人影。

 紺のジャケットに白のブラウスを着たキャリアウーマン然とした姿の女性――私の母親がそこに立っていた。

 銀縁の眼鏡の奥で、鋭く細められた瞳が私を見ている。

 

「恵利花。入学の手続きに必要な書類を書きなさい。メールで送ってあります」

 

 母親はアミュスフィアの電源を入れると椅子に腰かけて私から視線を外し、持ち込んだバッグの中から大型タブレットを取り出していた。

 

「は、い……」

「返事は結構です。すぐに」

「リ、ン、ク、スタ、ト」

 

 私はアミュスフィアのVR空間に再度ログインすると、添付ファイルのあるメールが送られていた。中身は今度入学する予定のVR学校についての書類だ。

 

「お姉ちゃん。大丈夫ですか?」

 

 ロビールームへのフリーパスを持っているユイが、ALOからログアウトして現れた。

 

「だ、大丈夫です。その……、急用ができたので……」

 

 ユイが不安そうに瞬きを繰り返していた。

 そこで自分の口調がおかしなことになっていることに気がつき、小さく息を吸ってペルソナを切り替える。

 

「――キリっちとリズに伝えてきてもらってもいいっすか?」

「それは構いませんけど……」

「明日、また一緒に遊びましょうっす」

 

 ユイの頭にポンポンと手を置いて誤魔化そうとする。

 

「わたしも、ここにいていいですか?」

「……キリっちたちと遊んできていいっすよ」

「……はい」

 

 悲しそうな顔をする彼女がロビーから退出したのを見送ってから、私は書類に視線を戻した。

 このくらいの量を確認するのはSAO時代に比べれば訳もなく、あっという間に必要事項を埋めて送り返すと、私は再び現実世界へと帰った。

 ログアウトした私を待っていたのは膝の上に置いたタブレットの画面をスライドさせて画面を確認している母親だ。

 

「確認しました。あと20分経過したら私は帰ります」

 

 淡々とした声色だった。

 母親は忙しそうにパネルを操作して、タブレットの光を目に入れている。

 

「………………」

「………………」

 

 しばらく無言が続いた。

 なにかを喋りたかったけれど、私から話しかけるには身体が思い通りにならなさ過ぎた。

 

「あなたを見ていると……」

 

 母親が、パネルから顔を上げて言葉を紡ぐ。

 

「死人が蘇った気分にさせられます」

 

 それは果たして、どのような意味なのか。

 私は無言のまま母親の言葉を待った。

 母親が今なにを考えているのか、私にはわからなかった。

 外で見るときの表情はわかり易く色が塗られているが、家庭内にいるときの表情はだいたいが無色透明だ。彼女がその表情を崩すのは、私が失態を犯したときだけだった。

 

「2年前に。あるいは3年前に、私の中であなたのことは終わった物事だと考えていました」

 

 突き放すような物言い。なるほど。なにを言いたいのか理解できた。

 声を大にして言わないのはここが病院だから。彼女は外聞をとても気にする人だった。だからこそ、こうしてここにいるのだろう。

 

「どうして生きてるんですか」

 

 私の想像していた通りの言葉が、聞こえた。

 

「あなたは私に迷惑ばかりかけて……。あなたが死ぬと考えて練っていたプランも、破棄しなければならなくなりました。いいかげんにしてくださいよ……。これ以上は止めてくださいね。もう余計なことはしないように。いいですね?」

「は、……」

「返事は結構です。ああ、ですが早まった行動はしないように。今更死なれても困るだけですから。――その心配は必要ないみたいですがね」

 

 母親は腕時計を確認するとタブレットをショルダーバックの中に仕舞って立ち上がり、私を見てから溜息をひとつ。

 彼女は手を伸ばして、私の頭――ではなくアミュスフィアにそっと触れた。

 

「もっと早く、こうしていればよかった」

 

 スタンバイモードになっているアミュスフィアの電源ボタンを、母親はまるで首を絞めるかのように長押しにした。

 怖くなった私は、瞳を閉じてじっと耐え忍ぶ。

 逃げることも、声を上げることも、私にはできない。

 聞こえていた冷却ファンの微かな音が停止して、強制シャットダウンが行われた。

 瞼の向こう側に感じる圧迫感はやがて薄れ、恐る恐る目を開ける。

 母親はすでにベッドから離れていて、ドアの手摺りを掴んでいるところだった。

 ガラガラと横にスライドする乳白色のドアの向こうには、スーツを着たボディーガードの男性が待っている。他には通りがかった看護婦が数人。

 母親はそれらを視界に入れると私に振り向いて、優しそうな笑みを浮かべた。

 

「近いうちにまた来ますね。今度来るときはあなたの好きだった本を持ってきましょうか。それでは、お身体に気をつけてください」

 

 上辺だけの言葉を最後に、扉は閉められた。



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47話 微睡む剣士たちの前奏曲(4)

「ユウキー。開けてほしいっすー」

 

 ユウキのロビールームでインターホンを押す。

 数秒で玄関が開かれ、ユウキが現れる。

 相変わらず元気な笑みを浮かべる彼女の格好は、水色のオフショルダーに白のフリル付きスカート。VRの世界でも季節感を感じさせる春服だった。

 

「いらっしゃい。今日は早いね」

「ん?」

 

 時計を見ると、スリーピング・ナイツのメンバーとの約束した時間より2時間も早い。

 どうやら数日前のキリトたちとの待ち合わせと記憶がごちゃごちゃになって、間違えたようだ。

 

「あー……」

「全然いいよ。ボクもちょうど暇だったんだ。あがってあがって!」

 

 ユウキの後に続いてリビングに通されるが、当然誰もいなかった。彼女がゲームにログインせずにロビールームにいたのは偶然だろう。

 

「先にALOにログインしておく?」

「うーん。ユウキはどうしたいっすか?」

「それじゃあ早速ログインして――なにかあった?」

 

 突然、ユウキは心配そうに私の顔を覗き込んできた。

 

「いやあ……。レア掘りしてたのに全然ドロップしなくて……。それでちょっと落ち込んでたんすよ」

「ふうん?」

 

 咄嗟に吐いた嘘。

 私は嘘を吐くのが得意な方だ。SAOで過ごした2年間がそれを物語っている。

 今回も自分では上手く取り繕えたつもりだった。だがユウキは私の心の内を見透かしたかのように、表情からは疑問が消えていない。

 

「あのね、エリ。言いたくないなら無理にお願いするのはきっと駄目なんだろうけど……。でも、ボクには本当のことを言ってほしいな」

「………………」

 

 他の嘘に比べればまだ可愛い類のものだったが、それでも足が竦む。

 言えば嫌われるから? 違う。

 たぶん私は弱みを見せるのが怖かったからだ。会って間もない彼女にそこまで寄りかかることはできない。

 冗談を織り交ぜながらなら甘えられる。例えばリズベットにそうしているように。

 でも今はそんな雰囲気でもない。

 それにまだ余裕もあった。かつてほど追い詰められている気はしないのだ。

 だから……、大丈夫なのだ……。

 

「じゃあさ。ボクの話、聞いてもらえる?」

 

 ユウキはシステムコンソールを操作して、テーブルの上に積まれていた紙のオブジェクトを仕舞うと、ココアの注がれたマグカップを出現させる。

 テーブルには湯気の立つ白いマグカップと、藍色のマグカップ。

 彼女は白いマグカップを手に取って、向かいの席に藍色のマグカップを置いた。

 私は促されるまま席に座り、ココアを一口。

 甘い液体が喉を通って身体を温める。

 

「いざ話すとなると、緊張するね」

 

 ユウキはぎこちなく笑った。

 彼女は一度、私の持ったマグカップに視線を落とす。

 だがそれは少しの間だけ。深呼吸をして意を決すると、強い瞳で顔を上げた。

 

「ボクね……、そろそろなんだって」

「そろそろって……?」

「昨日、あらためて余命宣告されちゃった」

「………………」

 

 スリーピング・ナイツのメンバーは皆、明るい人たちばかりだから忘れていた。

 彼らはなんらかの病に侵され、治る見込みのないない者たちなのだということを。

 いつもいつもこうだ……。

 どうしてこんなことばかり起こるのか。

 デスゲームは終わったというのに、私の周りには未だ死神がうろついているらしい。

 

「あと……、どのくらいなんすか?」

「1年だって」

 

 1年、か……。だいぶあると思えるのはここ最近の濃密な時間感覚のせいだろう。

 それだけあれば覚悟するだけの期間があるし、ユウキとは知りあってまだ間もない。私のせいで死ぬわけでもなく、傷は浅く済みそうだ。

 ――私はそう自分に言い聞かせた。

 

「ボク、生まれて間もない頃にHIVに感染しちゃって、3年くらい前にAIDSが発症したんだ。今はメディキュボイドっていう医療用フルダイブ機器のテスターをやってて、無菌室にいるから感染症はだいぶ抑えられてたんだけど、身体の中にある菌まではなくならないから、免疫力の低下で色々発症しちゃうんだって……」

 

 ユウキは少しだけ早口に喋っていた。

 VRではありえないはずなのに、唇が渇いているような気がした。

 マグカップに手を伸ばすが、ココアを飲む気にはなれず掴むのを止める。私は代わりに取っ手を指でなぞり、手の震えを誤魔化した。

 マグカップを見ていた視線をユウキに向けようとすると、途中で彼女の手元が映る。

 ユウキも私と同じように、手元のマグカップを指先で無意味に回していた。

 

「ボクのこと、気持ち悪いって思う?」

「全然思わないっすよ」

 

 その言葉は案外簡単に出た。

 そういう病気への偏見が社会的に根強いのは知っている。でも偏見など私には関係のない話だ。ここでのユウキは死期の近い少女に過ぎない。

 そうでなくともHIVの感染経路はとても限られているし、この仮想世界ではそもそも肉体的接触など起こりようもない。

 

「はあ……」

 

 暗いというよりは、安堵のような溜息をユウキは漏らす。

 

「嫌われたらどうしようって、実は心配してたんだ。勇気を持って話してよかった。これ皆には内緒だよ」

「怖がってたことをっすか?」

「それもあるけど、病気のことも。こういう話は皆とはなかなかしないからね」

「なんで私には話してくれたんすか?」

 

 スリーピング・ナイツのメンバーは、私よりもユウキと親しいだろう。

 友情は時間ではないだろうが、それでも私たちの関係はまだ短い。

 

「エリはこの前、うっかりだと思うけど話してくれたでしょ。エリだけ話してボクは内緒にしてるのは狡いんじゃないかなって。あとは丁度いい機会だったからかな」

「あれは……。暗黙の了解なんてわからないっすよ!」

「まあそうだよねー」

 

 顔を見合わせて、お互いちょっとだけ笑った。

 今度こそマグカップは持ち上がり、甘い液体が渇いた喉を潤してくれる。それは錯覚のはずだが、私の口も幾分か軽くなった気がした。

 

「……私の話もしていいっすか?」

「うん」

「――お母さんが、お見舞いに、来たんすよ」

 

 言葉を1つ紡ぐ毎に呼吸が苦しくなって、息を吸う。

 酸欠のように頭から血の気が引いていくにもかかわらず、私は話すことを止めはしなかった。

 

「たぶん家族仲は良くないんすよ……。私は親不孝者っすから仕方ないんすけどね。それで……。お母さんにどうして生きてるんだって言われちゃって……。私がSAOサバイバーなのって言いいましたっけ?」

「……この前、言ってたよ」

「SAOってナーブギアの電源を落としても死ぬように設計されてるんすけど、お母さんがアミュスフィアの電源を落としながら、もっと早くこうしてればよかったって……」

「………………」

「それって、私に死んでほしかったってことっすよね?」

「………………」

 

 わかりきったことユウキに問いかける。

 ユウキは言葉を詰まらせた。

 そんなことはないと言ってほしかったわけではない。ただ、聞いてほしかった。

 

「これでも私、結構お母さんのことは好きだったんすよ。だから余計ショックで……。それはもちろん、私が悪いんすよ。散々迷惑かけたっすから。でも、やっぱり……。辛いっすね……」

 

 怒ると恐い人だが、それでも私には母親なのだ。

 私は厳しく育てようとする彼女から愛情を感じていたし、それに応えたいと思っていた。

 だからこそあんなに必死に勉強を頑張ったわけで、SAOではアスナをあれほど避けることになってしまった。

 母親が好きだったのは優秀な娘だった。

 跡取りではなくとも、その能力如何ではいくらでも利用価値があったことだろう。最終的に政略結婚の道具にされようともよかったのだ。そういう家柄だというのは幼少から教えられていたし、それ自体に反発はなかった。

 他人から見れば歪で不幸な関係に映るだろうか?

 それでも私にとってはかけがえのない家族で、大好きな母親だったのだ。

 過去形で語るのは、私がその関係を崩してしまったからに他ならない。

 

「仲直りとかは――」

「無理っすよ。失った時間は戻らないし、汚点はどれだけ拭っても消えないっす。それを消し去れるような功績を立てられるほど、私は才能のある人間じゃないっすから」

「厳しい人なんだね」

「それはもう。一番じゃないと許してくれない人だったっすから」

 

 苦笑いで答えるも、今度は一緒に笑ってもらえなかった。

 

「……まあしょうがないっす。友達もいて、私は満足してるっすから」

「そっか」

「ああ、でも……。ユウキにこんなこと言ったら失礼なんすけど……」

「いいよ。今のボクはなんでも受け止めてあげられるから」

 

 ユウキは真っ直ぐ私を見つめる。

 私よりも年下なのに、あと1年で死んでしまうというのに、とても、とても強い瞳をしていた。

 まるでこれから生きるはずだった何十年という歳月を薪にくべて燃え上がたような、真似できないほどの強さだった。

 

「……友達と、一緒の学校に通いたかったっすね。もちろんユウキと一緒に授業を受けるのは楽しみっすけども。でも、SAOサバイバーの学校も通いたかったっす。向こうではあんまり一緒にいられなかった友達がたくさんいたっすから。私がいないところで皆が楽しそうにしてるんだろうなって考えるとどうしても嫉妬しちゃうっすよ」

 

 最後は冗談のように笑って誤魔化した。

 けれど全部本音だということをユウキには見破られている気がした。

 

「そうなんじゃないかなって思って……」

 

 ユウキは嬉しそうに顔を綻ばせると、さっき仕舞ったのだと思われる紙のオブジェクトを取り出して、私へ差し出した。

 仮想世界ではわざわざ紙の形にしなくとも、文書データをやりとりできるが、こちらの方が読みやすいという人間は少なからずいる。たぶんユウキもそうなのだろう。

 紙面は流し読みするには専門用語が多く難解だった。

 医療系とVR機器について書かれていることまではわかったが、彼女がなにを伝えたいのかは、少し腰を落ち着けて読まなければわからない。

 

「ボクはアミュスフィアじゃなくて、メディキュボイドっていう医療用フルダイブ機械でここにログインしてるんだ。アミュスフィアよりも高出力の電磁パルスで体感覚をインタラプトできるものなんだけど、主治医の先生がフルダイブ技術を使えばもっといろんな病気を治療できるって話をしてたの思いだしたんだ。例えば目の見えない人に風景を見えたりなんかができるらしいんだけど、もしかしたらエリのこともなにか助けができないかなって。それで――」

 

 ユウキは私の手の中から一枚の紙を引き抜いてテーブルへ広げた。

 

「オーグマーっていうAR機器が春頃に発売するみたいなんだ。覚醒状態のまま脳にアクセスできる機械らしいんだけど、それを医療技術に使う話はないのかなって調べてみたら、丁度モニターを探してるところなんだって。ロックドイン症候群――脳は正常だけど体に出力できない人もVRではコミュニケーションを取れるんじゃないかって研究があって、これはそのAR版」

 

 オーグマーの基本モデルは耳にかける程度のヘッドセットくらいのサイズだが、紙面に表示されている医療用のモデルは、首回りに装着するやや大型の物だった。

 

「エリはフルダイブになら接続できるから、もしかしたらって思ったんだけど」

 

 ユウキの話を土台に、紙面を読み進めてみる。

 どうやら現実の身体をVRアバターとして読み込み、覚醒状態で操作するらしい。

 成功例も確認されているが、そちらは健常者のデータだった。

 そもそもロックドイン症候群の患者は一部のケースを除けばフルダイブでも身体を動かせないらしく、検証は難航しているらしい。

 他にもVRアバターに限界があり、現実の肉体を完全に再現するのは難しいともある。

 SAOは実に高度に再現されていたが、それでも本来あってしかるべき機能の多くが存在しないでいた。それらはゲームであれば不要な要素であるが、実生活では不可欠なものである。

 その辺りのデータを収集するのも目的なのだろう。

 ともあれ、上手くいけば私は再び自分の身体で歩き回ることができるかもしれないということだ。

 

「その……。なんて言ったらいいか……。ありがとう。――これ、全部ユウキが調べてくれたんすよね?」

「えへへ。流石に全部じゃないよ」

 

 そうは言うが、これだけ専門的知識のいるものに目を通すのは並大抵じゃできない。元々医学や情報処理の知識があれば違うのだろうが、そういうわけではないだろう。

 まだ会って間もない私のために、ここまで力を尽くしてくれるユウキは本当に凄い人だ。

 

「それにどうなるかはまだわからないしね。でもボクはエリならきっと上手くいくって信じてる」

 

 根拠はきっとないのだろうけど。

 その言葉が私を支えるために言ってくれたのだということくらい、理解している。

 

「けど、これが上手くいったらユウキと一緒に学校は……」

「いいんだよ。ボクはほら、最後まで一緒にはいられないからね。学校も休みがちになっちゃうだろうし。それにスリーピング・ナイツも……。あー……。もうすぐ解散なんだ」

「それってどういう……」

「スリーピング・ナイツはボクの姉ちゃんが作ったギルドでね。元々は9人いたんだけど、去年で3人、先に行っちゃった」

 

 ユウキは窓ガラスから庭の花壇へ視線を向ける。

 そこには藍色の紫苑が咲き誇っていた。

 

「2カ月前、姉ちゃんが死んじゃったときに、次に誰かがいなくなったら解散しようって話が出たんだ。ジュンやノリはまだ反対してるけど、たぶんそうなる。つまりエリが最後のメンバーってことになるのかな」

 

 ユウキは今にも泣きそうな顔で笑っていた。

 それだけお姉ちゃんが大切な人だったのだろう。

 彼女はすっかり冷めてしまったココアを勢いよく飲むと、指で潤んだ目元を拭った。

 

「1人くらいは元気になって送り出したくてさ。だから、エリには頑張ってもらわないとだね」

「そう言われたら引き下がれないっすね」

 

 頑張れと言われるのが嫌いな人は多いらしいが、私は好きだ。

 

「それにしてもユウキって頭良かったんすね」

「えー。それってあんまり良くなさそうって思ってたってこと? これでも模試の結果はかなりいいんだけどなあ」

「今日話して、イメージが変わったっすよ。凄く頑張り屋なんだって伝わったっすから」

 

 模試の点数は今やったらたぶん負ける。

 なにせ私は3年もサボっていたわけだし、ユウキの成績は本当に良さそうだ。

 だが私が言いたかったのは成績というよりはIQの話。おそらくこの会話に持っていくために、ある程度のプランニングはしたのだろうと窺える。

 彼女がSAOにいたら、さぞ強豪プレイヤーになっただろう。

 剣の腕という意味だけではなく、派閥的な強さという意味でもだ。

 

「最近、私って助けてもらってばっかりなんすよね。だからユウキにもなにか恩返しがしたいんすけど。なにかほしいものとか、してほしいこととかないっすか?」

 

 SAOが始まってから、一方的に助けてもらうことが多くなった。

 それ以前は、助けてもらうなんてこと自体がなかったのだが、これは視野が広くなったのか、それとも助けられるほど問題に触れる機会に会っているのか。

 後者な気がするため素直には喜べないが、助けてくれた人にはできるかぎり恩を返したい。

 特にユウキは……、時間に限りがあるのだから、後回しにはできない。

 

「んー……。今のところはないかなあ。考えておくね」

「おーい」

 

 インターホンが押されて、外からジュンの声が聞こえた。

 

「そろそろ時間だね」

「ユウキ」

「ん?」

「ありがとう」

「どういたしまして!」

 

 この日はスリーピング・ナイツのメンバーでアルブヘイム・オンラインをして遊んだ。

 彼らは他のファンタジーゲームで腕を鳴らしていたというだけあって、皆高いプレイヤースキルを持っていた。

 私たちは子供に戻ったかのように日が暮れるまで遊び歩き、最後にユウキは余命の話を皆にした。

 涙を流しながらそれを聞き届け、ジュンもノリも、次に誰かがいなくなったら解散するという話を呑んだ。

 余命が残りわずかと宣告されたのがユウキだけではなく、シウネーもだったのが大きかったのかもしれない。

 彼女の残された時間もユウキと同じであと1年ほどらしく、来年には私を除けば4人になってしまうとのことだった。

 

 何度触れても人の死は……、悲しい……。

 人はいつか死ぬのだとしても。どうしてこんなにも悲しいことが溢れかえっているのか。

 私はこんなに悲しいのに、ユウキとシウネーは笑っていた。

 2人は自分の終わりを知りながらも、最後の瞬間まで精一杯生きるのだろう。

 

 私はこんなに精一杯生きようとしたことがあっただろうか?

 SAOでは何度となく命の危機に瀕したことはあったが、そのすべてを自暴自棄に潜り抜けて来た覚えしかない。

 最後にはユイという存在を得て、死にたくないと思えるようになったが、それは彼らのような強さとは別のものだ。

 私も2人のように。スリーピング・ナイツの彼らのように、精一杯生きてみたい。

 今日、ユウキから貰ったのは医療用オーグマーのテスター応募だけじゃない。彼女の名前の通りに生きる勇気を渡されたのだ。

 

 

 

 だからだろうか。

 

 私はこの日、夢を見た。

 

 それはSAOで人を殺す夢だった。



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48話 微睡む剣士たちの前奏曲(5)

「2人とも、無事に来れて本当によかったわ……」

 

 昼休みに入るなり早々、リズベットは私の机に腕を乗せながらしみじみと言った。

 医療用のオーグマーのテスターになって早2カ月。週1日は病院で検診を受けることになっているが、私はどうにかSAOサバイバーの帰還者学校へ通うことができるまで回復していた。

 最初は失敗続きであったアバターの補助プログラムであるが、その辺りのほとんどはユイが独力で改善してくれたため、こうして外で自由に活動できている。

 とはいえ筋肉は衰えたままであるので、未だ激しい運動どころか長時間歩く事すらままならないのだが、その辺りは車での通学で補っていた。

 

「一時はどうなっちゃうかと思ったもんね」

 

 隣の席に腰かけているのはアスナ。

 彼女にはリハビリ中もだいぶ助けてられてしまった。

 一緒に入学式に出られたのは彼女の協力のおかげでもある。

 私たち3人が揃いの濃い緑色をしたブレザーを着て、こうして同じ教室にいるのは感慨深い。

 

「おかげさまで。その節はありがとうございますっす」

「お礼は食堂の杏仁豆腐を奢ってくれればいいわよ」

 

 リズベットは冗談めかして言う。

 

「お見舞いに来るたびにお菓子をもらってたんで、奢るのは吝かじゃないんすけどね。その場合は里香に買いに行ってもらうことになるっすよ」

 

 リズベット。彼女の本名は篠崎(しのざき)里香(りか)という。

 学校ではプレイヤーネームではなく、本名で呼び合う方が無難という空気になっているため、こうして慣れない呼び方をしているわけだ。

 もっともSAOと顔はほとんど変わっていないので、そう神経質にならずとも有名プレイヤーは知れ渡っている。つまりアスナと私のことだ。

 

「あー……。階段の上り下りがまだきついんだっけ?」

「そうなんすよねー。できないわけじゃないんすけど、まだ全然身体が動かなくって時間かかっちゃうんすよ……。そういうわけなんでまた今度――」

「話は聞かせてもらいましたっ!」

 

 突如のドアがある方向から甲高い女子生徒の声が聞こえた。

 それは最近よく聞くようになった声である。

 

「ま、また来たんすか……」

「はい!」

 

 彼女は綾野(あやの)珪子(けいこ)。私たちより2つ年下の女の子だ。

 

「あたし、買ってきます!」

 

 彼女は勢いよく廊下を駆けて行った。

 

「………………」

「あんたも面白い子に好かれたわねー」

 

 珪子はSAO時代、犯罪者プレイヤーに狙われていたところを私に助けてもらったのだと言っていた。それ以来ずっとファンで、向こうではブロマイドをコンプリートしていたとも。

 そういうのがあるのは知っていたが、いざ集めていたと言われても、なんと言えばいいのか、私は返答を大いに悩まされた。

 せめてもの救いは彼女が可愛らしい女性であったこと。男性から言われていれば、悪いがドン引きである。

 

「このまま話してると時間なくなっちゃうっすから、お昼にするっすよ」

 

 学校には食堂や購買もあるが、私たちはお弁当。

 食堂は近代的なデザインの綺麗な場所だったため、体力が回復したら行ってみたいと思っている。

 

「はぁ……」

「どうしたんすか?」

「あんたたちってお嬢様なんだなって思ってさ」

 

 リズベットは私とアスナの弁当箱を見つめていた。

 どちらも精緻な飾り切りのされたおかずが丁寧に盛り付けられているし、その種類も豊富。ちゃんと旬の素材が使われ、色合いも華やかだ。

 リズベットの弁当とは格が違うのは一目瞭然。家政婦《プロ》が作っているので当然だが……。

 

「い、一応私はいくつか自分で作ってるわよ」

「どれよ」

「卵巻きとか、天ぷらとか……」

「………………」

 

 リズベットは自分の卵焼きと、アスナの卵巻きを見比べた。

 片や少し焦げ目がつき、黒ずんだ卵焼き。

 片や美しい黄金色の衣に、米やかまぼこ、キュウリや松茸といったものが包まれた卵巻き。

 料理スキルを取得したての初心者と、コンプリートしたマスタークラスの差がそこにはあった。

 私もやればできるということは黙っておこう……。女子校の家庭科の授業はハイレベルなのだ。

 

「味は負けてないわよ! はい慧利花!」

 

 私に突き出されるリズベットの卵焼きを一口。

 出汁が濃い気もするが美味しい。

 

「えっと……、はいどうぞ」

 

 アスナの卵巻きも一口。

 それぞれの食材の触感が楽しめて、上品な味だ。外見通り美味しい。

 

「どうよ?」

「50歩100歩っすね」

「そんなっ!?」

 

 アスナが驚きの声を上げた。

 

「ちょっとそれ、私にもちょうだい!」

「ふふん! いいわよー」

 

 アスナはリズベットの卵焼きを食べるも首を傾ける。

 

「えー。そんなことないと思うんだけどなあ」

「あんたも大概負けず嫌いよね。んー、でも確かに?」

 

 リズベットもアスナの卵巻きを食べると流石に戦闘力の差を感じ取ったようで、首を傾げる。

 2人はどういう判定なのかと問うように私を見つめた。

 

「食べさせる相手を間違ってるっすね」

「「………………」」

 

 勝負の決め手は味ではない。

 

「「そんなこと言うならもうあげないわよ!」」

「ああ!? ごめんなさいっす。そんなご無体な……」

 

 2人が弁当箱を持ち上げて私から遠ざけた。

 私の手は虚空をバタバタと彷徨い、見つめ合うこと数秒。

 私たちは示し合わせたように、笑った。

 

「しかたないわねえ。あんたのおかずもちょっとは頂戴よ」

「もちろんっすよ。今は……カロリーにも気をつけてるっすから」

 

 苦笑いをしながら、耳の辺りを指で叩いて見せる。

 私のは大型で首につけるタイプだが、リズベットやアスナは耳に下げるタイプのオーグマーを装着していた。

 

「便利よねー。どこでもテレビ見られるし、スマホよりナビは使いやすいし、天気予報は助かるし。なんて言っても、これのおかげで慧利花もこうして学校に通えてるんだし」

「食べた物のカロリーを計算してくれるのは、正直助かるしね」

「それは有難迷惑だと思うけど……。でも帰還者学校の全員に無料配布とか、随分太っ腹よね」

「授業でも使ってるし、携帯の次世代機にしたいのかもね」

「ここって次世代学校のモデルケースでもあるっすからね」

 

 アスナと私はそうした裏事情もなんとなく耳に入る立場なため、リズベットとは少々違う視点で見てしまう。

 授業ではオーグマーによるホログラフィックが使われ、宿題も無線LANで送られてくる。教科書やノートなんかはすべて3Dオブジェクトで、実際に触れることができ、感触まであるのだから実物とほとんど見分けがつかなくなっていた。

 

「オーグマーといえば、オーディナルスケールにキリトたちがハマってるのよねー」

「へえ……。ARの戦闘系ゲーム、だったっすか?」

「そうそう。ボスを倒したりミニゲームでランキングが上がると、サービスギフトがもらえるのよ。これが便利でさあ。この前なんてケーキの無料券とかもらえちゃったのよ」

「そうなんだあ。――キリト君と一緒に食べに行ったの?」

「うん、まあ……ね……」

 

 リズベッはぎこちなく首を横へ回し、聖母のような笑みを浮かべたアスナを見た。

 

「リズゥウウウ!」

「ごめん! ごめんってば!」

 

 リズベットの脇腹を襲うアスナ。

 そんな2人を横目に、しれっとリズベットのお弁当から唐揚げを拝借。

 ちょっぽり硬いがなかなかいけると、味わっているとオーグマーから警告表示。カロリーオーバーが近いようだ。私は取った分のお返しということで肉巻きを唐揚げのあった場所に置いておいた。

 

「ただいま戻りました!」

「……ご苦労様っす」

 

 珪子がプラスチックの容器に入った杏仁豆腐を、気を利かせて3人分買ってやってきた。

 私は財布から1000円札を取り出して彼女に渡す。

 お釣りは面倒だったのでそのまま彼女に握らせた。

 

「それじゃあ、ご馳走になるわね」

「ありがとう。慧利花」

 

 アスナに解放されたリズベットは意気揚々とカップを開ける。

 

「はい」

「え?」

「珪子ちゃんだけ食べないのも悪いっすからね」

「そ、そんな!? 私は結構ですので、どうぞ慧利花先輩がお食べになってください!」

「いや。実はっすね……。カロリーの取り過ぎってこれに怒られてるんすよ」

 

 杏仁豆腐はゼリーのような見た目だが、砂糖が多く使われているのでそこそこカロリーが高い。

 帰ってからユイに怒られたくはない。

 

「なるほど。流石です先輩!」

「………………」

 

 彼女は私のSAO時代の体形を知っているだろうに……。

 きっとなにをしても私を褒めるんじゃないだろうか。

 

「そうだ……。こんなの見つけたんですよ。先輩の活躍もたくさん載ってました!」

 

 杏仁豆腐を食べる傍ら、珪子が3Dオブジェクトのハードカバーを取り出した。

 彼女がわざわざ手直ししたのでなければ、これは最近発売されたばかりの物だろう。

 タイトルは――『SAO事件記録全集』。

 黒地に白色でアインクラッドの描かれた、厳かな表紙だ。

 私はそれを受け取りパラパラとページを捲った。

 

「どうせ私なんて、1ページも載ってないんでしょうねー」

「載ってることが良いこととは限らないわよ」

「そうっすよー」

 

 私なんて、碌なことをしていた覚えがない。

 かといって読まずに放置した方が危険な代物だ。私は安全確認のためにもページを捲っていくが、案の定、悪名がちらほらと出ていた。

 ヒースクリフとのデュエルを受けなかった事件は、明確に私の過失だったため、大きく取り上げられている。

 他のことは――困るほどの内容は知られていないようで、そっと胸を撫で下ろした。

 

「なんだか私も怖くなってきたんだけど……。ちょっと見せてもらっていい?」

 

 アスナも隠し事が白昼に晒されていないか気になるようだ。

 彼女も大ギルドの幹部であったため、やましいところがあってもなんら不思議ではない。

 目次を使いながら結構な速度でページを捲っていた彼女の手が突如止まる。

 口元は引き攣り、ただでさえ白い肌は青くなっていた。

 

「ねえ。珪子さん。これ、ちょっと借りてもいいかしら?」

 

 珪子はスプーンを咥えたまま、必死に首を縦に振った。

 有無を言わせない彼女の迫力は、KoBの副団長、攻略の鬼が放つ閃光そのものだった……。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 放課後。彼はアスナに手渡された一通の便箋によって、校舎裏に呼び出されていた。

 

「わざわざ呼び出してごめんね」

「それはいいけど。どうしたんだ、アスナ? それに2人も揃って……」

 

 呑気な雰囲気で現れた彼は、自分の置かれた状況がわかっていない様子だった。

 彼もSAOから離れたことによって危機感知能力が衰えたと見える。

 

「これ知ってる?」

「あ、ああ」

「懐かしいよね……。ついこの間までのことなのに、何年も前みたいに感じちゃう」

「そうだな……」

 

 アスナは警戒心を解くべく微笑みを絶やさない。

 私はそれを花壇の縁に腰かけながら、隣に座るリズベットにもたれかかりつつ傍観した。

 顔を上げるとポーカーフェイスを纏ったリズベットが見える。

 

「キリト君のところにも、取材って来たのかな?」

「ちょっとはな。結構たくさん来たからハッキリとは覚えてないけど。あとここでの俺は桐ヶ谷(きりがや)和人(かずと)だよ」

「やっぱり……。ここにほら。キリト君のギルドのことが詳しく書いてあったから」

「どれどれ」

 

 無防備に座った体勢のアスナに近づくキリト。

 彼女の手にしたハードカバーが突如として閃き、キリトの頭部を殴打した。

 

「ばか! キリト君のばか!」

「いたい! いたい!?」

 

 3Dオブジェクトなため違和感を感じるだけで、実際に痛くはないはずだ。

 それがわかっていてアスナも思い切り振りまわしているのだと思う。

 先に根を上げたのは残念ながらアスナ。調子に乗り過ぎて自分の体力を見誤ったようだ。彼女はうっすらと汗ばみ、肩で息をしていた。

 

「え? え? なんで俺は怒られてるんだ?」

「ここ! ほらここ読んで!」

 

 アスナが開いているページは、私とリズベットも前もって読んだ部分。

 アスナが指さしているのはKoBの団長、ヒースクリフこと茅場晶彦についての部分。

 そこには彼の正体を暴き、打ち破った75層の顛末が事細かに書かれていた。

 75層の攻略には多大な犠牲が出たらしく、参加した48人中生き残ったのはヒースクリフを除けばたったの17人。そこまで人数が少ないと、誰が情報を流してしまったのか探るのも容易い。

 なお風林火山のメンバーは相変わらず欠員が出なかったようで、6人とも生還している。キリトでなければ次の矛先は彼らに向いていただろう。

 

「え、ああ……。それがどうかしたのか?」

「ばか!」

 

 アスナは再び本を振り上げるが、今度ばかりはリズベットが止めに入った。

 キリトのためではない。アスナのためだ。

 

「はぁ……。桐ヶ谷君、仕方がないっすから私が状況を説明してあげるっすよ」

「……よろしく頼む」

「今、この臨時学校ではKoBとALFの派閥が争ってるっす」

「なっ!? そんな馬鹿な!」

「正確にはアスナ派と私派っすね……。細かく分けると親アスナ派、反アスナ派、親私派、反私派なんすけども。それらが組み合わさって一応KoB派とALF派ってことになるっす」

 

 ちなみに親私派の筆頭は珪子である。

 彼女はあんな性格だが穏健派で、アスナへの敵愾心もないためだいぶ助かっている。決して無下にはできない関係だ。

 

「いやいや! なにが起こってるんだ?」

「私もアスナも、悪名が響いてるんすよ……。私のは言わずもがなっすよね?」

「あー……」

 

 彼も流石に思い当たるようで言葉を濁した。

 どこを切り取っても悪名が付き纏うのが私だ。この辺りは自業自得なためしかたがない。むしろ真実が隠せているだけ御の字である。

 

「そしてアスナはALO事件のことっす」

「ALO? アスナは被害者だろ」

「でも彼女の父親はレクトのCEOだったっすから……。つまりアスナは加害者側の人間とも見られるんすよ」

「それは……」

 

 キリトは苦々しい表情をした。

 ALO事件の被害者は幸いにして事件当時の記憶がなかったのだが、世間的関心の強かったこの一件は、SAOから帰還したばかりの彼らも大きく関心を寄せたことが窺える。

 この事件はSAOの延長上でもあり、アスナをよく知らない人物からすれば、彼女を悪く言う人間が出てきてしまうのも無理はなかった。

 

「今まではアスナの魅力でどうにか崩れずに済んでたんすよ。私のところが無事なのもアスナのおかげっす」

「そんなことないんじゃない? あんたもだいぶ美人になったわよ」

「その、あ、ありがとうっす……」

「だー、もう! 可愛いなちくしょう!」

 

 リズベットに抱き付かれるが、今更振り払うような仲でもない。

 私の身体の感覚はVRのそれに近いため、リズベットは以前と同じような感触がした。

 

「アスナと違って擦れてないのがいいわよねー」

「わ、私だって褒められれば嬉しいわよ」

「はいはい。アスナ様は今日も大変見目麗しゅうございます」

「もう!」

「……話を戻すっすよ」

 

 咳ばらいをひとつ。リズベットに抱きしめられながら会話を続ける。

 

「現在は私とアスナが手を組むことで辛うじて均衡が保たれたわけっすけど、いつ爆発してもおかしくない火薬庫みたいな状況だったわけっす。そこに投げ込まれる直前なのがヒースクリフっていう厄ネタっすね」

 

 キリトは未だ理解が追い付かない模様。さらに注釈を加える必要があった。

 

「KoBの団長が茅場晶彦ってことはっすね、副団長のアスナも結託してたんじゃないかって話になるんすよ」

「けどっ……」

「アスナは社長令嬢だったわけで、アーガスは解散後に彼女の親の会社に吸収されてるっす。ここまで揃っていれば、疑われるのは当然の流れすっすよね?」

「………………」

 

 キリトはアスナをしばし見つめると、深く頭を下げた。

 

「ごめん! そういうこと、全然考えてなかった……」

「……ケーキ。週末に奢ってくれたら許してあげる」

「そのくらい、いくらでも奢らせてくれ」

 

 男気溢れるキリトの返答。よくよく観察すれば、体格も最近逞しくなってきたような気がする。

 そして……。しれっとこういうことができるのがアスナの強いところだ。

 どうしたものか。口止めはされていないから、言ってしまってもいいだろうか?

 リズベットは口をへの字に曲げているし、まあいいか。

 

「あとっすね。キリっちの考えてるような深刻な事態には、たぶんならないっすよ」

「ど、どういうことだ?」

「火消しの案はもうやってるんすよ。代わりに炎上するのは――桐ヶ谷君っす」

「わー! わー!」

 

 アスナが慌て出したが、どうせ明日には知られることだ。隠してもしかたないだろうに……。

 

「外部に共通の敵を作って結束させるのは有効な手段っす。今回の件はALOの大規模アップデートやザ・シードの話題で流されて、長続きしないと読んでるっすから、別の話題で時間を稼げればどうにかなると思うんすよ」

「ああ。え? いや、つまりどういうことなんだ?」

「エリ、ストップ! 待ってえー!」

「そういうことなんで話はここまでっすね」

「いやいや! そこまで話して、そりゃないだろ!? ……エリにもケーキを奢るので、どうか情報を恵んでください」

「んー」

 

 アスナは頭を抱えていた。その表情はまさに墓穴を掘った顔だ。結構珍しい。

 

「私にはいいっすよ。桐ヶ谷君への借りを一部清算するってことで。あとアスナが大変なのは本当っすから、週末はつきあってあげてくださいっすね」

「ああ。わかったよ」

「じゃあそういうことで。――桐ヶ谷君はここに来る途中、誰にも見られなかったなんてことはないっすよね?」

「それはそうだろ。こっちじゃ隠蔽スキルもないんだからな」

「だからアスナから便箋を受け取るときも、なんなら私たちがここに来るところも、誰かしらの目に留まってるわけっす。特に私たちは注目の的っすからね。今もどこかでこっそり見られてるかもしれないっすよ」

 

 キリトはバッと周囲を見渡すが、今の彼は隠蔽スキルもなければ索敵スキルもない。

 目に見える範囲にはいなかったようだが、遠巻きに隠れられていれば気がつけない可能性は高いだろう。

 

「アスナに、あと一応私にも、放課後こっそり呼び出された男子はどうなると思うっすか?」

「……あ。ああ!」

 

 ようやく理解できたキリトが声を上げるが、すべてはもう手遅れ。

 政治の基本は根回しと演出。あとは情報通の友人を押さえておけば完璧である。

 

「明日から大変なのは桐ヶ谷君っすよ。ご愁傷様っす」

 

 ――つまりキリトはハメられたのだ。

 

「女子校育ち……コワイ……」

 

 巷を騒がせる美女に呼び出された、攻略組のエース。色恋の噂が立たないはずがなく。

 この先しばらくの間は学校中その話題で持ち切りだろう。

 

「ご、ごめんね……」

「元を正せば俺のせいだしな。甘んじて受けるよ。でもそういう噂も、アスナにしてみれば厄介じゃないのか?」

「え!? うーん。そういうのなら平気だから。あはは……」

 

 この件で一番得をしたのは彼女だろう。

 デートの約束を取り交わし、さらには外堀から埋めに行ったわけである。

 逆境をチャンスに変えられる彼女ならではの手腕であった。……私がいなければキリトがどうなっていたかは考えないでおこう。

 

「リズ、じゃなかった里香」

「なによ……」

「敵は強いっすけど、私は里香のことも応援してるっすからね」

「わかってるわよ」

 

 今度はなにかしらリズベットに協力してあげるべきだろう。

 そのくらいの手助けは、アスナ相手であれば許されるはずだ。

 

「はぁ……。そうだ。ゴールデンウィークにさ――」

 

 それから私たちはキリトが企画した、SAOクリアを記念するオフ会の予定を立てた。

 場所はエギルさんのやっているカフェ。

 呼ぶメンバーは顔馴染みである風林火山のメンバーたち。あとはキリトの妹の直葉が参加したいという話だった。

 

 そうして予定を擦り合わせたり、談笑を終えて家に帰ると、一通のメールがキリトから送られていた。

 送り先は私の他にもリズベットが含まれていて、アスナのアドレスはなかった。

 内容は要約するとこうだ。

 

『サチの命日に、一緒に墓参りに行かないか?』

 

 彼女の命日までおよそ2カ月。

 キリトからは、すでに何度か行っているという話は聞いている。

 場所は少し遠いらしく、メールには電車代はキリトが出すとまで書いてあった。

 ……アスナとリズベットの最大の敵は、未だ互いではなく、サチなのかもしれない。

 ユイのおかげで私はサチについて思いだしても苦しくなくなってきていた。

 ALOでもアインクラッド1層にリニューアルオープンしたリズベットの店には顔を出せている。

 

 そろそろ……大丈夫だろう……。

 私は少しだけ迷ったが、キリトへ墓参りに行くことをメールで送った。




キリト「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ…………」
クライン「キリト。お前、最近筋肉ついてきたな」
キリト「ああ。こっちの攻略でも負けてられないからな。レベル上げは基本だろ?」
クライン「そうだな。けどまあ……」
エギル「どうしたんだ?」
キリト&クライン「(エギルには勝てる気がしねえ)」


 SAOクリアから早5カ月(クリアは11月。ALOは1月。新学期は4月のため)。
 女性陣が放課後和気あいあいと喫茶店などに行っている一方で、男性陣3人は仲良くジムに行って筋トレとかしてます。
 原作だと乗り気じゃなかったキリト君ですが、こちらのキリト君は月夜の黒猫団のプライドもあり、熱心にボスを討伐に出ています。


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49話 微睡む剣士たちの前奏曲(6)

「結局、誰が一番強いのかしらねー」

 

 リズベットの何気ない一言が切っ掛けで、戦いの火蓋が切って落とされた。

 私たちは今日、新生アルヴヘイム・オンラインでスリーピング・ナイツとSAOサバイバーの交流をしていたはずなのだが……。

 

 ALOは4月の大型アップデートを迎え、アルヴヘイムの上空には私たちが過ごした『アインクラッド』が出現してプレイヤーを賑わせていた。

 そんな中ようやく全員の日程も合わさり、スリーピング・ナイツのメンバーとSAOサバイバー――ユイやキリト、アスナにリズベット、それから風林火山の面々が一堂に揃ったわけである。

 私たちは現在アインクラッドの最前線、第2層のフィールドクエストを終えて、村にクエスト終了の報告をするべく戻ってきたところだった。

 

 スリーピング・ナイツはSAOの中に閉じ込められていた間に生まれたフルダイブゲームの話を語り、SAOサバイバーはこの伝説の城での冒険譚を語っていた。

 両者の関係は実に良好であったのだが、そこにリズベットの発言である。

 ゲーマーという人種は悲しいほど力に貪欲だ。

 そう問われては互いに引き下がることなどできなかった。

 

 しかし総当たり戦をしていては日が暮れてしまうため、代表戦で雌雄を決しようという話に纏まる。SAOサバイバー組はキリトとクラインが名乗り出て、現在デュエルの最中だ。

 そして私たちスリーピング・ナイツは――。

 

「当然ギルドマスターのボクだよね!」

「いやいや。ユウキに勝ち越してる私じゃないっすか?」

「それだとSAO組対決になっちゃうじゃん!」

「最強を決める趣旨なんすからいいじゃないっすか」

「昨日最後に勝ったのはボクだもん!」

「ほほー。じゃあいいっすよ。こっちもデュエルで決着を着けようじゃないっすか」

 

 という流れでデュエルをすることになってしまった。

 デスペナルティーが惜しいので『半減決着モード』。一度互いに煽り合って、完全決着モードでデュエルをし続けた結果、スキル熟練度が酷い有様になったので、これだけは守らねばならないルールとなっている。

 

「えー。僕も参加したい!」

「ジュンはまた後で相手してやるっすよ」

「またそうやって上から目線で言う」

「勝負は結果がすべてっすからねー」

 

 スリーピング・ナイツでは身内でデュエルを結構な数する。

 仲が悪いのではなく、その逆。仲がいいせいでそんなことになっていた。

 戦績は私がトップで次がユウキ。3番がジュンである。

 

「ソードスキルに慣れてるからって油断しないことだね」

「OSSが優秀だからって、そっちこそ油断しないでくださいっすよ」

 

 互いに不敵な笑みを浮かべて剣を抜く。

 アルヴヘイム・オンラインは大型アップデートによって、SAOの代表的システムであるソードスキルがそのままの形で導入された。これにより今まで魔法による遠距離戦が主体の環境から、近接戦闘の選択肢が増え、バランスがだいぶ改善されたと好評を博している。

 もちろんだが、バランスブレイカーのユニークスキルはすべて削除されているため、二刀流は存在しない。

 

 さらにOSS――オリジナル・ソードスキルという新要素も見逃せない。

 これは独自のソードスキルを作成できるという画期的なアイディアだが、登録するモーションをシステムアシストなしで、システムアシスト並みの動きをしなければならないという食わせ物だったりする。

 SAOでは閃光の通り名で呼ばれていたアスナでさえ5連撃がやっとのレベル。ALO元最強プレイヤーユージーンが8連撃を完成させたとの情報も聞くが、私とユウキの連撃数対決はすでに2桁に達していた。現在は私が1回上回り16連撃。ユウキは回数よりも精度を重視し始めたので最近は進展がない。

 OSSは1代限りのコピーが可能で、それをアイテム化した秘伝書は5連撃以上の物のもなれば相当な高値で取引されるらしい。この16連撃はいつか市場に流す予定だ。

 

「おっ。そっちも始めるところか」

 

 クラインがデュエルを終えて観戦にやってくる。

 表情から察するにキリトが勝った様子だが、彼は盾を使い、その上で満身創痍だった。

 

「ルールはどうするっすか?」

「時間制限は5分。地上戦オンリー。魔法とアイテムはなしでいいんじゃないかな」

「じゃあそれで」

 

 空中戦と魔法の組み合わせがありになると、私たちは飛び回りながらチクチク魔法で撃ち合うだけになってしまう。それはそれで戦略があるのだが、実力が発揮できないままタイムアップで終わってしまうので面白みがないのだ。

 

『Yuuki is challenging you』

 

 ユウキからデュエルの申請が送られ、私は距離を取って準備を整える。

 SAOとは違いカウントは10秒。すぐに始まってしまうためすぐにOKは押さない。

 

 ユウキの種族はインプ。軽量級種族で暗視が利くが今は関係ない。

 装備は軽量級のリーチの長い片手直剣が1本。刺突属性の比率が高く、弱点部位へのダメージ補正が高い。

 

 私の種族はノーム。重量級種族で、HPが高い。

 装備は魔法防御の高い重鎧と大盾。武器は重量級の片手直剣と載積過多だが、それでもキリトより速い。これが私の有り余る速度への回答だ。

 

 彼我の距離は7メートル。

 周囲は草原で足場は比較的安定している。

 オブジェクトは所々に設置された岩と木があり、利用可能。

 注意すべきはユウキの11連撃OSS『マザーズ・ロザリオ』。

 刺突オンリーというだけでも防御属性の確保が難しく厄介なのだが、問題となるのはその圧倒的スピード。7連撃のソードスキルにかかる時間と同じ程度しかかからず、速度がダメージに比例するこのゲームではその威力たるや、両手剣でも使っているのかというほどになる。

 私の先日完成させた16連撃OSS『スターバースト・ストリーム』でさえ押し負けたため、力技での突破は不可能と判断した方がいい。

 

「お姉ちゃん。頑張ってください!」

「ユイの応援があるうちは負けないっすよー」

 

 キリトの応援に行っていたユイが戻ってきて声援を受ける。

 私はようやくOKをタッチすると、視界の上でカウントダウンが始まった

 私の構えは大盾を突き出す防御重視。

 ユウキはいつもの如く中段にゆったりと構えた基本形だ。

 

『6、5、4……』

 

 ユウキが間合いに跳び込んだ。

 私の大盾に隠れ、動きを読ませないようにしている。

 

『3、2……』

 

 大盾を使いシールドバッシュ。

 圏内であり、カウントが尽きる前のためダメージはないがノックバックは発生する。

 左手には確かな手応え。

 

『1、……』

 

 私は追撃を――せずに一歩後退。

 カウントが0と同時にユウキの影が横に現れ大盾を斬りつける。

 この瞬時に体勢を立て直したところを見るに、シールドバッシュは誘われていたのだろう。

 エフェクトの輝きが視界を奪う中、私はさらに後退。ユウキが追いかける素振りをとったところでシールドバッシュのカウンターを当ててやった。

 さらに大盾を水平にして鈍器のように扱い彼女を叩く。動きは単調になるが視界の確保が優先。

 ユウキはそれをバックステップで避けると、私を中心に円を描くように走り出す。

 SAOのPvPでは相手にしたことのない速度域。土煙を上げる彼女が、私の背後に回り込むのには1秒もかからないだろう。

 私が彼女の方へ身体を向けるべく足を動かした瞬間、ユウキは躊躇なく間合いの中へ踏み込んだ。

 フェイントなどない純粋な速力勝負。

 盾を構えるも、私の右側にステップで動いてシールドバッシュの当たらない位置取りをする。

 

 ――そこは剣の間合いだ。

 私の重剣が空を裂き、ユウキの突きを弾く。互いの威力が途方もないせいで、噴水のように衝撃エフェクトが接触点から噴き出す。

 攻撃は外させた。だが彼女はお構いなしに距離を詰めてくる。

 私は返す刃でユウキの足を斬り払うとついにヒット。

 体重を乗せていない腕だけの振りであるにもかかわらず、武器攻撃力と圧倒的速度の生み出す斬撃は彼女のHPを2割減少させた。

 しかし違和感を覚える。

 ユウキのフリーとなってる左手が伸び――私の右手首を掴んだ。

 

「捕まえたっ!」

 

 してやったりと笑みを浮かべるユウキ。

 弾いたはずの彼女の剣は、大きく後ろへ引かれている。不味い。あれはマザーズ・ロザリオの準備モーションだ。

 さらにユウキは盾の内側に身体を滑り込ませていた。このままではガードするまでの間に、5回の直撃を覚悟しなければならない。

 命中カ所をずらせばイエローゾーンに突入しない可能性もあるが、期待するべきではない。

 フルヒットで、防御重視のタンク装備を鎧の上から全損させるだけの威力があれにはある。それはかの二刀流に迫る超威力だ。

 私は迅速な判断の元、盾を手放し身体の位置取りでソードスキルの準備モーションを無理やり形作る。

 

 マザーズ・ロザリオの初撃が閃き私の鎧を貫く中、発動させたOSSがユウキの拘束を振り払い、さらには刃を胴体に滑らせて、身体は背後へと跳んだ。

 コンマ数秒。2撃目が命中する前に殺傷圏から外れて、ユウキの姿が遠のく。

 突進系とは逆の発想。離脱系単発OSS『リープ・リワインド』。

 単発系OSSは価値無しとされる現状への意趣返しを込めて作ったとっておきは、ユウキに見せるのもこれが初めて。

 防具を外した状態で登録した最速のステップで10メートルの距離を一気に駆け抜けると、ユウキはすでにマザーズ・ロザリオを中断して硬直時間に入っていた。

 

 私のHPはあの一撃で2割減少。防御重視のフルプレートが軽装扱いされる威力だ。

 ユウキのHPは合わせて4割減少。私の攻撃がすべて体重の乗らない軽い攻撃であったにも関わらずこのダメージなのは、装備ジャンルの差があるとはいえ自分でも戦慄する。

 

「うそぉ……。決まったと思ったのに!」

「ソードスキルは攻撃のためだけに使うものじゃないんすよ」

 

 ここはソードスキルに慣れ親しんだ私と彼女の発想の違いだろう。

 とはいえかなり危ない場面だったが……。

 

「もう相討ち覚悟で当てれば私の勝ちっすよ。どうするっすか?」

「単発重攻をクリーンヒットさせれば3割削れるもん!」

「おお……。恐いっすねえ」

 

 強がって見せるが、彼女の言っていることは真実だ。

 SAOに比べALOは高速、高威力のゲームバランスだと感じている。

 半減決着モードともなればいつ逆転されてもおかしくない。

 私は盾がなくなって寂しくなった左手を握る。

 ソードスキルは解禁されたがスキルModは未だ解放されておらず、以前のようにクイックチェンジで即座に交換とはいかない。

 さらには魔法スキルなどの習得のため、私は格闘スキルは失っている。

 壁走りが軽量級種族の共通スキルになったために必須性がなくなったのだ。足技を失うのは痛手だったが、魔法スキルはそれ以上の価値があったためしょうがない。

 対してユウキは格闘スキルも併せ持つバリバリの近接アタッカー。

 剣を当ててから、出の速い格闘系ソードスキルに繋げる選択肢もあるだろう。

 

 勝負の行方はまだまだわからない。

 そして私の戦闘スタイルはそういうギリギリを好まない傾向がある。

 勝利は確実に。明確なビジョンのないまま攻めるのは嫌いだ。

 ……よし。ここはあの作戦でいこう。

 私は即座に反転。ユウキから逃走を開始する。

 

「ああ! しまった!?」

「ふはははは。悔しかったら追いついて見せることっすね」

 

 大盾を失った分重量が軽くなった私は、重鎧を着こんでいるとは思えないほどの速度で走る。その速度たるや敏捷度にボーナスのつくケットシーの軽装キャラクターと見紛うほどだ。

 ユウキは軽量級種族で、しかも軽装であるにも関わらず、追いつけない。

 時間制限を設けた状態で、空間制限をしなければこんなことになる。

 

「こうなったら……!」

 

 ユウキは突進系ソードスキル『レイジスパイク』で襲いかかるも、私は振り返りタイミングを合わせて4連撃の『ホリゾンタル・スクエア』で迎撃。

 武器の重量差によりユウキの剣が弾かれ、続く3回の斬撃のうち最初の1回で勝負は決した。

 

『Winner!』

 

 私の視界にその文字が表示される。

 

「あー。やっちゃった……。悔しい!」

「おめでとうございます、お姉ちゃん!」

「ユイの応援のおかげっすよ」

 

 私はユイを抱きしめて、頭を撫でた。

 これで37勝18敗。最近は勝率も上がってきていて、このままいけば7割に上りそうだ。

 

「相変わらず速すぎてよくわかんなかったんだけど……」

「………………」

「え! もしかして見えてないの私だけ!?」

 

 リズベットが驚愕の声を上げる。

 

「そんなことはありませんよ。私も全然見えてませんから……。そちらの皆さんはとてもお強いんですね」

 

 シウネーがにこやかな表情で話しかけた。

 彼女は近接戦は苦手であるが、遠距離の魔法合戦だと結構強い。もっとも、テンションが上がり過ぎてハイにならなければ、という条件付きだが。

 

「そうですかねえ。いやあ、まいっちゃうなー」

「こーら! クライン、あんた調子乗んないの!」

「いいじゃんかよ、ちょっとくらい!」

 

 わっと笑いが湧き上がる。クラインが「お前ら笑ってんじゃねえ!」と風林火山のメンバーに言い放つ様子は、随分と場を和ませた。

 

「そっちの代表はエリで決まりか?」

 

 キリトが素振りをして身体の調子を確かめながら問いかけてくる。

 

「それはもちろん。師匠としてキリっちには格の違いっていうものを見せてやるっすよ。シウネー。回復お願いっす」

「任せてください」

 

 ユウキによって減少させられたHPが、魔法で回復する。

 私は落とした盾を拾いながら、試合展開をイメージ。

 キリトともスピードやパワーで差があり、基礎スペック上では私が有利。そこを彼がどうやって崩すかという戦いになるだろう。

 

「ルールは魔法無しとして、飛行やアイテムはどうするっすか?」

「なしでいいだろ」

「わかったっす」

 

 先程と同じルール。確かキリトもユウキと同じで近接タイプだったはず。

 彼の左手には黒鉄のカイトシールド。今日はどうやらやる気らしい。

 

「ちょっと作戦タイムっす!」

「ふむ。存分に練ってくるといい」

 

 余裕の態度を見せるキリトは、精神的にも安定しているように感じる。

 私は装備を吟味する振りをして、こっそりフレンドリストからユイへメッセージを送った。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 私とキリトのデュエルは一方的な試合展開のまま終わった。

 もちろん私の勝利である。

 彼はどうにか持ち直そうと盾でガードを続けていたが、反撃の糸口が見つからずにそのままHPが半分削られてアウト。

 私のHPは盾の上からしか攻撃を受けなかったため、1割も減っていない。

 

「おいおい、どうしたんだよキリト。俺に勝ったときのキレがかなったじゃねえか」

 

 クラインの手で豪快に背を叩かれていたキリトは剣を鞘に仕舞い、右手で表情を隠していた。

 

「やりましたね、お姉ちゃん!」

「これでもユイの応援のおかげっすねえ」

「本当にその通りじゃない!」

 

 アスナの抗議もどこ吹く風。私は涼し気に彼女の言葉を聞き流す。

 ユイに頼んだことはシンプルだ。

 『試合中、ずっと大声で私だけを応援してほしい』。

 指示した通りユイは試合が始まってからも「お姉ちゃん頑張って!」「キリトさんに負けないでください!」と声を張り上げてくれていた。

 私の読み通りユイに甘いキリトには効果抜群。番外戦術でキリトの集中力は大いに削れた。

 

「いや。エリの動きも凄かったよ。最後のは俺でもほとんど見えなかった」

「ほらほら。キリっちもこう言ってるじゃないっすか。やっぱり私が最強ってことっすよ!」

「むう。納得いかない……」

「あんたねえ……。たまには正々堂々戦ってもいいんじゃない?」

「リズまでっすかー。だってリズもキリっちばっかり応援してて狡いんすもん!」

「ちゃんとあんたのことも応援してたわよ」

「えへへ。じゃあリズのおかげでもあるっすね」

「調子いいんだから、もう」

 

 それから結局、私たちはデュエル大会を始めてしまい、2層の攻略はまた次回ということになる。

 キリトとユウキの試合は、ユイの応援を受けたキリトが辛勝。

 アスナは私にユイの応援を抜きで挑み、キリトとリズベットに応援されたアスナが勝利。……納得いかない。

 そんなアスナはユウキに敗れ、試合結果は混沌とした。

 結局誰が一番強いかは有耶無耶になりかけたのだが、ふと気がついたことがあり、その名誉を受け取るプレイヤーは満場一致で決まった。

 この日ユイの応援を受けている側は負けなしである。

 そういうわけでユイが最強ということになり、時刻も更けて解散の流れとなった。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

「エリ。ちょっといいか?」

「どうしたんすか?」

 

 ログアウトするために宿の部屋に入ると、クラインがノックをしてきた。

 宿を取ったのは、アルヴヘイム・オンラインでは自領内でなければログアウト後に数分間アバターがその場に残る仕様のため、安全なエリアでログアウトすることが推奨されているからだ。

 私は一度ロックをかけた扉を開錠して開けると、彼は珍しく本気で弱ったような表情をしている。

 

「話があんだけど、今いいか?」

「まあ少しくらいなら……」

「悪いな」

 

 私はクラインを部屋にあがらせる。

 ユイはすでにログアウト済みなのでここには誰もいなかった。

 クラインは部屋の装飾品である椅子に腰かけると一度溜息を吐く。

 

「オーディナルスケールって知ってるか?」

「名前だけなら。でも私はほら……。身体が上手く動かないんで、できないんすよ」

 

 クラインにもその話は一度したと思う。

 

「あー……。そういう話じゃなくてだな……」

「んん? ハッキリしないっすねえ」

「まあ、そうだよな……。お前、ログアウトしたらちょっと自分で調べてみてくれ。そんで自分で判断してくれ」

「はあ? まあいいっすけど」

「んじゃあ俺もそろそろ落ちるからよ。今度は向こうで会おうぜ」

「はいはい。お疲れっす」

 

 クラインが部屋から出た後、改めて扉に鍵をかけログアウトを押す。

 視界が徐々に暗転して数秒経つと、自室の天井が見えてくる。

 私はベッドに横になった体勢のまま、仮想世界の要領でARウィンドを操作。インターネットからオーディナルスケールについて検索をかけた。

 

 リリースからまだ1カ月足らずだったか。

 新生ALOや新規にリリースされるVRMMOと客の奪い合いが予想される。私にはあまり関係のない話だが、それでも自分のプレイしているゲームの人口は減ってほしくないものだ。

 

「結構盛況見たいっす……ね?」

 

 画像広告に映るイメージキャラクターの姿に違和感を覚える。

 銀色のロングヘアーに赤いリボンと瞳。前髪と横髪が三つ編みにされ、黒地のアイドル衣装を着た、凛とした表情の綺麗な女性だ。

 

 名前は――『ユナ』。

 

 動画サイトにアップされた映像のタイトルには歌姫の文字。

 私は意識が遠のきながらも、動画ページにアクセスした。

 映像の中では、彼女が聞き覚えのある声で歌を奏でている。

 アップテンポのとても楽し気な歌であるのに、寒気がしてきた。

 

「なん……で……?」

 

 この歌声を私は生涯忘れるはずがない。

 髪色の差異ですぐには気がつけなかったが、容姿もそのままである。

 ――SAOで、私が殺したはずのユナがそこにいた。

 

「ああ…………」

 

 声をなんとか押し殺し、懐かしさと恐怖と後悔が混ぜ合わさった感情から目を背けるために、私は毛布を頭から被った。

 

 

 

 毛布で視界を閉ざす前の一瞬。

 

 

 

 部屋の隅に、白いフードを被ったユナの幻覚が見えた気がした……。



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50話 微睡む剣士たちの前奏曲(7)

 御徒町駅の改札口から徒歩数分。

 商店街から狭い路地に入り込んだ先にある、木目のアンティーク調な店構え。

 SAOの街並みに紛れ込んでも違和感のないその建物の扉には、『Dicey Cafe』と掘られた金属プレートと、サイコロの意匠。サイコロに引っかけてある木札には不愛想な文字で『本日貸し切り』の文言。

 重厚な扉をアスナが体重をかけて開けると、洒落た店内に見慣れた顔を見つけた。

 

「よう、迷わなかったか?」

「オーグマーとユイちゃんのナビが優秀だったからね」

「こんばんはキリトさん!」

 

 元気に挨拶をするユイ。

 ここにいる全員がオーグマーを装着しているため、ユイの姿はARによって目に出来ていた。

 

「どうも。こんばんわっす」

「おう。あんたとは向こうじゃ商売敵だったが、張り合いがあって楽しませてもらったよ。だがまあ、今日は俺の奢りだ。気にせず楽しんでいってくれ」

 

 身長190センチの大柄な黒人男性エギルは、SAOと変わらない姿でカウンターの後に立ちずさんでいた。

 彼との直接的な接点はフロアボスの攻略のときにパーティーを組む程度だったはずだ。彼は第一層からタンク役を引き受けていたソロプレイヤーで、その実力を私は高く買っていた。

 だが彼は攻略組とは別に商人プレイヤーという顔があり、そちらの方が彼にとっては印象深いのだろう。ALFはそのプレイヤー規模によって物流を牛耳っていたためだ。私の部署でないため実は関係がないということは、ALFのギルドメンバーでなければ伝わり難いことである。

 

「こっちじゃカフェを出す予定はないっすから、安心してくださいっす」

「そいつはありがたい」

 

 エギルはニカっと表情を崩した。

 

「は、初めまして! エリさんと同じ学校に通ってるシリカといいます」

「初めまして。あたしはそこに和人お兄ちゃんの妹の直葉っていいます。あたしはSAOサバイバーじゃないんですけど、今日はお兄ちゃんについてきちゃいました」

「実はあたしも、皆さんみたいな攻略組じゃなくって」

 

 店の端では自己紹介が始まっている。

 珪子ことシリカは、学校で私たちがオフ会の話をしていたのをタイミングよく聞きつけ「あたしも参加しちゃ駄目でしょうか?」とおねだりをしてきたために同行していた。

 直葉ことリーファとはALOで何度か顔を合わせたことがある。彼女はシルフの腕利きで、掲示板なんかだと最強談義に上がるほどのトッププレイヤーだ。

 

「遅かったじゃないのよー」

 

 リズベットが背後からしなだれてきた。

 さらに私の鎖骨に頬擦りする彼女はいつにもまして大胆だ。

 よく観察するとバーカウンターには、先程までなかった赤茶色の気泡が立つ液体の注がれたグラスが置かれている。

 位置的に、リズベットがそこに置いたと考えるのが自然だ。

 

「酔ってるんすか? エギルさん。私にもリズに出したのと同じのを」

「………………」

 

 エギルは無言で氷を入れたグラスに2種類の液体を注ぎ、細長いスプーンでかき混ぜる。

 カランカランと氷のぶつかる音。

 カットレモンを縁に添えて、黒いストローが差される。

 それから彼は私の前にコースターを敷くと、その上に丁寧な手つきでグラスを置いた。

 

「ノンアルじゃないっすか……」

「当然だ」

 

 飲んでから一言。

 甘みのある炭酸飲料からは、アルコールの風味が感じられなかった。

 

「お姉ちゃんお姉ちゃん!」

「どうしたんすかユイ」

「新作です。どうぞ!」

 

 ユイがAR上に、焦げ茶色の液体が注がれたグラスを表示させた。

 冷えたガラスと水滴の手触り。強く握ろうとすると硬質な反発感がするものの、終いにはグラスに指がめり込んで中の液体に触れてしまう。

 手を緩めてグラスを持ち上げ、液体を口に含むと辛い味わいとアルコールの風味が鼻から抜けていく。この味はまさしくウィスキーだ。

 

「そいつを俺にもくれないか?」

 

 エギルがユイから新たに生成されたオブジェクトを受け取り、飲み干すと同時に顔をしかめた。

 

「おい。店は開かないんじゃなかったのか?」

「………………」

「はぁ……。時代の流れは恐ろしいもんだよ、まったく……」

 

 まさにその通りで、こうしてここに座っている私も、主観としてはほとんどこのARオブジェクトと同様の存在だ。

 なにもない空間に表示しているからすり抜けが起こっているだけで、これがグラスなどに被せるよう表示したものなら違和感はほとんどないだろう。

 数値として設定された虚構と、現実に存在する物質。その境界線を私はほとんど認識できない。SAOでの2年間、そして現在の身体がデータ出力されたものであり、現実としての本物の感覚は遠すぎて思いだせないでいる。

 視覚と味覚はハッキリは普通の人と同じなのはせめてもの慰めになるが……。

 

「それにしてもクラインのやつら遅いな。通話にも出ねえし、どこで道草食ってるんだ……」

 

 しばらくしてエギルがそう苦言を呈した。

 時計を見ると予定時刻を1時間もオーバーしている。

 

「もしかして、オーディナルスケールのイベントバトルに行ってるんじゃないか?」

「はあ!? なによそれえ。私は我慢してるのにー」

「あ、いや。まだそうと決まったわけじゃないからな」

「どうやらここから近いみたいだな」

 

 検索をかけてみると、秋葉原で行われるという公式サイトの告知が見つかった。

 ……ここから一駅の距離だ。今から行っても十分間に合う。

 

「ちょっと様子見て来るよ」

「そういって、あんたこっそり参加してくるつもりでしょ!」

「うぐっ……」

 

 キリトを(たしな)めるリズベット。ここは助け舟を出そう。

 

「いいんじゃないっすか、行ってみても。風林火山のメンバーを抜いてやってるわけにもいかなっすからね」

「そうだよなあ」

「調子に乗んないの!」

 

 そう言われながらもキリトはしれっとショルダーバックを持っていこうとした。

 あの中にはおそらく専用のスティックコントローラーが入っているのだろう。

 

「私も行こうかな」

「アスナまで! わかったわかった。じゃあ皆で行きましょ」

「俺はここに残ってあいつらが来ないか待っててやるよ。混んでるだろうから気をつけろよ」

「悪いなエギル。埋め合わせは今度するよ。……クラインがな」

「期待しないでおくさ」

 

 店を出る直前、珪子はユナのテーマソングを口遊んでいた……。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 秋葉原中央通は歩行者天国が敷かれ、雑多な賑わいを見せていた。

 キリトの解説では、オーディナルスケールのイベントがなくとも休日の日中であればこうして歩行者天国になっているらしい。

 集まった人々のほとんどはすでにオーディナルスケールを起動しており、ARのアバターを身に纏って、中世ファンタジーとSFを足したような格好をしていた。

 

「「オーディナルスケール、起動」」

 

 キリトたちが、オーグマーの音声認識を使ってアプリを起動した。

 彼らの服装が様変わりして頭上にはプレイヤーネームとランキング順位が表示される。名前は全員VRで使っているもので、格好も面影がある。

 シリカはALOのときに見た青色。リーファは金髪のポニーテルになって緑が基調の服装に。アスナはKoBを思い出させる紅白カラー。キリトは相変わらずの黒コートで、胸元にはわざわざ月と黒猫のマークが描かれていた。

 ただしリズベットだけは赤と黒のカラーリングで、どこかアスナとキリトの中間を感じさせる。

 それぞれの手には武器が握られているが、実際手に持っているのは付属のスティックコントローラーだ。

 武器の種類は射程が短いほど高威力で、剣や槍といった近接武器と、アサルトライフルやバズーカといった遠距離武器、それからオプションの盾に分けられる。

 

「ていうかアスナ! あんたは大人しくしてなきゃ駄目でしょ」

「えー……。ほら、銃ならあんまり動かなくても平気だと思うから、ね? 折角だし私もオーディナルスケールデビューしようかなって」

 

 アスナの手にしているのは両手持ちの遠距離武器。おそらくアサルトライフルだ。

 

「仕方ないわねー。無理はしないでよ」

「はーい」

 

 間延びしたアスナの返事に、リズベットは肩をすくめてみせた。

 

「じゃあ私はエリに付いててやるか。あんたまでやりたいなんて言いださないわよね」

「流石に動けないっすよ……」

 

 オーディナルスケールのイベントエリアはAR処理がされるため、普通のエリアよりもだいぶ自然に動けるとはいえ、激しい運動ができるわけではない。ユイの再設計したプログラムもそこまで万能ではないということだ。

 

「あっ! あたし。あたしがついてます!」

 

 珪子が手を上げてその場で飛び跳ねる。

 ジャンプするたびに彼女のツインテールがフサフサと揺れている。

 

「じゃあお願いするっすかね。そこの……ファーストフード店で観戦してるっすから。終わったら迎えに来てくださいっす」

「おっけー。珪子も、あんまりエリに変なことしないようにね」

「しませんよ!? 里香先輩じゃないんですから!」

「大丈夫です。お姉ちゃんのことはわたしが守ります!」

「あはははは。それじゃあ頼んだわよー」

 

 リズベットたちは手を振りながら、人混みの奥へと進んでいった。

 

「それじゃあ私たちも行くっすか」

「ははは、はいっ!」

 

 珪子とともに入ったファーストフード店は繁盛しているようで、賑わいを見せていた。

 大半の人間がオーグマーを装着しており、すぐそこなんだから参加して来ればいいのにと思わなくもない。

 窓際は満席だったので内側の席を3つ取り、ショートサイズのドリンクだけを購入した。

 

「どうしましょう……。ここからじゃ見えませんよね」

「探せば生放送くらい誰かやってるんじゃないっすか?」

「その手がありました! 流石です先輩!」

「………………」

 

 彼女の褒め殺しにもだいぶ慣れた。

 ユイは気を利かせて手頃なものを探すと、共有表示で珪子と私に画面を送ってくれる。

 

 開始時刻になり、秋葉原の街並みが変貌した。

 街灯の灯りはランタンやガス灯に。背の高いビルは古城となり、コンクリートの道は装飾の施された大理石へ。空は緑がかった月が輝き、厚い雲を不気味に彩っている。

 次々とテクスチャが貼り付けられ、都会の風景が一転してSAOにあるような街並みに塗り替えられていった。

 画面からは歓喜の声が聞こえてくる。

 撮影者がカメラを動かすと、通りの奥に燃え上がる炎のエフェクトが迸っていた。炎は猛りを上げ、いっそう激しく燃え上がると中から巨大な鎧武者が出現した。

 

「あれは……」

 

 SAO第10層ボス――『カガチザサムライロード』。

 なぜあのボスモンスターがここに? 疑問は歩道橋に降り立った彼女の姿で掻き消された。

 回線状況改善のために街のあちこちを飛んでいるドローンがそのままの姿で歩道橋に近づくと、そこから放射された光の中からARアイドル、ユナが現れた。

 

「ああ! ユナですよ! 先輩! ほらほら!」

「………………」

 

 珪子がハイテンションで騒ぎ出す。

 私の隣では、ユイがじっと画面を見つめていた。

 

「皆準備はいい? さあ戦闘開始だよ。ミュージックスタート!」

 

 聞こえてくるのはかつての歌声。けれどこの曲は最近発表されたばかりのもので、SAOで聞いたことは一度もない。

 荘厳で美しい彼女の歌声に合わせて、プレイヤーにはステータスアップのアイコンが表示される。それを皮切りにボスがその巨体で通りを駆けだした。

 

 ボスは近づいたプレイヤーを片手で持った大刀で寸断。大げさな土煙のエフェクトを上げながら次々にプレイヤーを撃破していく。

 生身のプレイヤーがフルダイブのように動けるはずもなく回避もままならない。中には武器や盾でガードして死亡を防げている者もいたが、それは稀のようだ。

 

 なかなかボスに攻撃がヒットしないでいたが、ようやく遠距離プレイヤーの一団が揃えて連射式の銃弾を当て始める。その中にはアスナの姿もあった。

 ボスは武器を持たない左手を構えると、腕の刺青が浮かび上がって白蛇の姿を取る。それが鞭のようにしなり、40メートルは離れていた遠距離プレイヤーたちに襲いかかった。

 さらにそのまま薙ぎ払い。十数人いた彼らのほとんどが撃破されていたが、アスナは意気揚々と立っている。土煙で見えなかったが、どうにかして回避なり防御をしたのだろう……。

 

 遠距離攻撃で足を止めたボスに、再び近距離プレイヤーが襲いかかる。

 その先頭を走っていたのは黒いコートを棚引かせたキリトだ。

 ボスは振り回していた白蛇をすぐさま引き戻すと、両手で大刀を持ってキリトへ振り下ろす。だが当然キリトは盾でそれを防ぎ、競り合いを起こした。

 その間に回り込んだリズベットが背後から片手槌で叩きダメージ。ボスのターゲットが彼女に移って、振り向きざまに横一閃の薙ぎ払いが繰り出されるもリズベットは小盾で難なくガード。バックステップで勢いを逃がし、そのままボスの攻撃圏から外れていった。

 当然攻撃中の隙をキリトが見逃すはずがなく、今度は彼の片手直剣がボスを切り裂く。

 

「桐ヶ谷先輩と里香先輩、息ぴったしですね」

 

 リズベットがふとボスから視線を外した。音は拾えていないが、悪そうな笑みをしてアスナの方を向いてなにかを言っている。

 ボスは挟撃から逃れるべく大きく飛び退いた。

 ソードスキルが使えるわけもなく、容易く距離を離されたがそこに追い縋る緑と金色の人物。

 リーファは、着地と同時に斬りかかったボスの大刀を回避すると、手にした刀で数度ボスの身体を切り裂いた。

 ボスは反撃に3連撃のソードスキル『緋扇』を放つ。上段からの斬り降ろしから、切り上げへ。一拍置いて突きに移行するその技が――当たらない。

 彼女は横へのステップで攻撃を避けながらも、連撃の最中に刀が閃いている。

 

「攻撃モーションの直前に、リーファさんの刀で軌道がずらされています」

「す、すごい人だったんですね……」

 

 ソードスキル後の硬直を狙いリーファは攻撃を重ね、ボスが動き出すと同時に大振りの上段切りが炸裂。ボスの身体が大きく吹き飛び建物にめり込んだ。

 ARのテクスチャは土煙と同時に瓦礫を吐き出し、砕けた建物の中からボスがよろよろと起き上がり、蛇のような長い舌を出して威嚇動作。

 しかしターゲットはリーファではなく別のプレイヤーに向いて、ボスは駆け抜けて新たな犠牲者を増やしていった。

 キリトたちの他には数名のプレイヤーがどうにか肉薄できるだけだが、画面に映る彼らは楽しそうである。私も耳を塞いでいれば楽しめたかもしれない。

 

 それから、リズベットを盾にしてアスナが前線にやってくるというハプニングなどもあったが、着々とボスは攻撃を受け続け、HPバーが残り1本で解放される二刀流状態の連撃モードを見せていた。

 獣人のアバターを着たプレイヤーが躍り出て、ラストアタック狙いのバズーカを撃ち込んだ。

 顔を狙ったのは悪手だった。ボスは寸前で回避に成功して、砲弾が射線上にいたユナ目がけて飛来する。

 

「ユナ!」

 

 思わず声が出るも、その弾頭はユナに当たる直前に歩道橋から飛び出したプレイヤーによって打ち返され、背後からボスへ命中。事なきを得る。

 黒地に紫の模様のコートを着たプレイヤはーそのまま数メートルの高さから落下。華麗な五点着地で勢いを逃がした彼はすぐに立ち上がった。

 

「………………」

 

 ノーチラスだ。

 彼はSAO時代のような動きでボスの刀から放たれた遠距離攻撃の衝撃波を掻い潜ると、懐に飛び込んで片手直剣の突きからソードスキルを彷彿とさせる連撃を行う。

 

「あれ、どうしたんですか先輩? もうすぐ終わりですよ」

「……ちょっとお花を摘みに」

「あ。ごめんさい」

「ユイも個室までついて来ちゃ駄目っすよ」

「も、もうそんなことはしませんよ!」

「……もう?」

「ユーザーコマンドっすよ。ちゃんと待っててくださいっすね」

「そこまでしなくても行きませんから!」

「ユイちゃん。ちょっとお話ししましょうか」

 

 珪子がじいっとユイを見つめているのを尻目に、私は気づかれないようにこっそりとファーストフード店から外へ出た。

 外はバトルフィールドになっていて、不気味な街並みが私を待ち構えていた。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 私が辿りついた時にはすでにボスが撃破される瞬間だった。

 キリトがノーチラスと擦れ違い、大刀と小太刀の二刀流を掻い潜ってその胴体を貫くと、花火のようなカラフルなエフェクトが弾けてファンファーレが鳴る。

 その場から去っていくノーチラスを、私は人混みを掻い潜って追いかけた。

 走ろうとするもなかなか身体は言うことを利かず、すぐに異常検知が視界に表示された。

 それでも無理に足を進め、隣のブロックにある、ガード下の駐車場に入った彼の背に追いつく。

 

「ノーチラス! 私っす! エリ、す……」

 

 息が続かなくなり、バランスを崩しかけて壁に手を突く。

 それでも身体は支えられず、私は床に崩れ落ちた。

 頭がズキズキして汗が止まらない。思ったよりも無茶をしたようだ。

 これでノーチラスが気がつかなければ無駄足になってしまうところだったが、背後から足音が近づき、振り向くと柱の陰から彼が出て来たところだった。

 

「今日、あなたにこうして会えるとは思ってませんでしたよ」

「私、も、っすよ……」

 

 息を切らしながら、柱に寄りかかる。

 ひんやりとしたコンクリートの冷たさで、頭が冷えればいいのだが。

 

「ALFの隊長様がそんな有様とはね」

「はぁ……。はぁ……。そっちは随分とやり込んでる見たいっすね……」

「昔とは違いますからね」

 

 彼の頭上に表示されたプレイヤーネーム『Eiji』。その下にあるランキングナンバーは2。かなりのプレイ人口がいるはずのオーディナルスケールで、その順位は驚異的だろう。

 だがそんなことはどうでもいい。

 

「……あのユナはなんなんすか?」

「…………ユナですよ」

「ユナは死んだはずっす」

 

 私が、この手で殺したはずだ。

 

「あなたのせいでね」

 

 そう言い放つノーチラスの表情は浮かない。それは八つ当たりをしていることを自覚しているかのようだった。

 本当のことを知らないのだということはすぐにわかった。

 もし知っていれば、彼は罪悪感など微塵も抱く必要がないのだから。

 

「………………」

 

 私はこの期に及んでなお、罪の告白ができないでいた。

 我ながら救いようのない人間だ……。

 

「……確かに彼女はまだ本物のユナじゃありません」

「そのうち本物になるみたいない言い方っすね」

「ええ。なるんですよ」

 

 ノーチラスは引き攣ったような、凄惨な笑みをした。

 それは酷く汚い哂い方で、とても見ていられないものだった。

 彼はぶっきらぼうだが、性根の優しい人間だったはずだ。

 こんな……、私みたいに哂う人間では決してなかった。

 お前が彼をこんなふうにしたのだと暗に告げられているようで、胸が苦しくなる。

 

「ユナの脳はあの日破壊されてしまった。でも彼女の記憶は、彼女だけが持っているわけじゃない。SAOにいた連中からそれを奪って繋ぎ合わせれば……。ユナは生き返るんですよ」

 

 その言葉に心酔してるように、ノーチラスは語る。

 彼の気持ちは理解できる。生き返らせたい人間は山のようにいるのだから。それはもちろんユナも含まれる。けれどだ……。

 

「……それはユナによく似た別人っすよ」

「そんなはずない!」

 

 悲痛な叫びが反響して、私の中に響き渡った。

 だが私は知っている。ユイは、失った彼らによく似ているが本人では決してない。

 仮に繋ぎ合わせても、おそらく魂が違うのだ。

 スピリチュアルな言い方をしないのであれば、記憶はどれだけ足しても完全にはならない、というべきか。本人にしか知りえない心の中身が足りないのだろう。

 

「あなたの言い分なんて、この際どうでもいいんですよ」

 

 暗闇に輝く一振りの剣を彼は抜いた。

 無論本物ではなく、オーディナルスケールのものだろう。だがそれには本物の殺意が込められているようであった。

 彼は揺るぎない意思でその切っ先を突きつける。

 

「このまま無抵抗にやられるつもりはないでしょう?」

「……剣なんてないっすよ」

「そうですか。ならせいぜい逃げ回るんですね」

「………………」

 

 私は首を横に振った。

 本物のユイでないとしても、彼の救いにはなるかもしれない。

 あるいは、私の救いにも……。

 ユイのような存在を彼も得ることができるというならば、悪い話じゃない。

 抵抗する理由は微塵もなかった。

 

「SAOでの記憶を、失うんですよ」

「そうっすか。それは困るっすけど……。いや、別に困らないっすかね。ほら。さっさとやっちゃってくださいっす。あー、なるべく痛くはしないで欲しいっすけどね」

「………………」

 

 ノーチラスがシステムウィンドを操作すると、ボスエネミーが現れたときに見た炎のエフェクトが表示される。

 そこから2つの首が伸び、炎が消えると鎧に包まれた巨人が立っていた。

 よりにもよって……。25層のボスとは皮肉が利いている。

 私のオーグマーは召喚されたボスに呼応するようにオーディナルスケールが強制起動された。

 

「ノーチラス」

「今の僕はエイジだ」

「じゃ、エーくん」

「……その呼び方をしないでくれ」

「幸せになってくださいっす」

「――っ!」

 

 間違えた。

 

「さようなら。それから、ごめんなさい」

 

 これも、間違いだ。

 

「ユナを殺したのは、私っす」

 

 これすら、間違いだ。

 これでは勘違いをさせたままにしてしまう。

 その証拠にノーチラスは顔を背けて辛そうにしていた。

 そんな顔をしないでほしい。私はそう思ってもらえるような善人じゃない。

 

「………………」

 

 いい言葉が思いつかず、開けた口を私は無言のまま閉じる。

 ままならないものだ。

 今回は自業自得である。――今回も、というべきか。

 舐め回すように首を伸ばして私を見るボス、『ザ・デュアルジャイアント』と目が合った。

 私の考えなどお構いなしに、戦斧はかつてのように振り抜かれた。

 砂煙を上げ、地面を抉りながらそれは襲い掛かる。

 一瞬の出来事。フルダイブ中ではない私の瞳では目で追うことすらままならない。振り終わった姿勢から結果を逆算して理解できるだけだ。

 視界の上に表示されるHPバーは急速に減少して……。

 

 

 

 今度こそ、私はその刃に倒れた。




 これにて『微睡む剣士たちの前奏曲』は終了。
 次回からはオーディナルスケール後編がスタートです。


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51話 眠れる者のための二重奏(1)

――2025.05.05――

 

 

 所沢にある総合病院は俺にとってすっかり馴染みの場所となってしまっていた。

 そこはかつてアスナとエリが入院していた場所だったからである。

 あの日、ヒースクリフを倒してSAOから解放された俺は、見知らぬ病院のベッドで目を覚ました。その数十分後に訪れた総務省の役人である菊岡誠二郎という男と、SAOでの情報を条件に交渉して、アスナの居場所だけは家族に仲介してもらうことができた。

 だが彼女は目覚めておらず、他にも300人の未帰還者がいることを俺は知った。

 それから彼らがアルヴヘイム・オンラインに幽閉されているとの情報を、エリのナーヴギアからアクセスしたユイに教えられ、その元凶たる須郷伸之を倒したのは記憶に新しい。

 

 エリと面会できたのはALOでの出来事からしばらくしてからで、アスナの協力がなければそれさえも叶わなかっただろう。

 エリは後遺症なのか全身不随となり、一時はどうなるかと思われたが、最新の医療用デヴァイスのおかげでどうにか学校に通えるまでに回復してくれた。

 今でも週に2度、検診のための通院をしているとのことだったが、学校で見せるエリの笑顔に俺はようやくSAO事件が終わりを感じ胸を撫で下ろしていた――はずだった。

 

 自宅から40分。片道15キロの道のりを俺はマウンテンバイクで走り抜ける。

 トレーニングの成果かこの日はだいぶ早く辿り着いてしまい、アスナとリズの2人と約束した時間まではしばらくあった。

 高級ホテルのロビーめいた受付で、俺は馴染みの看護婦さんに面会を求めると、しばらくして通行パスを受け取ることができた。

 かつてはこう上手くいかなかったことを考えるに、エリの容体は思っているほど深刻ではないのかもしれない。

 

 SAOクリアを記念して、エギルの店でオフ会を開いたあの日。

 風林火山の連中が時間になっても来なかったため、近くで開催されていたオーディナルスケールのイベント会場に俺たちは足を運んだ。

 エリは激しい運動ができないため、シリカとユイと一緒に待ってもらったはずだったのだが、どういうわけか彼女はそこから少し離れた場所のベンチで気を失い倒れているのが発見された。

 異常に気がついたユイが、エリのオーグマーに搭載されているモニタリング機能を使ったGPSですぐに見つけてくれて、彼女は救急車で近くの病院に搬送されたのが一昨日のことだった。

 

「桐ヶ谷和人だ。入ってもいいか?」

「どうぞっす」

 

 ノックをすると普段通りの声が返ってくる。

 横開きのドアをスライドさせると、ベッドの上で浅葱色のパジャマを着たエリが上半身を起こして手を振っていた。

 白い肌に華奢な手足。SAO時代からだいぶ変わった彼女の姿は、黙っていれば窓際の令嬢に見えなくもない。事実、エリはお嬢様なわけだが、俺にとっては悪友という評価がしっくりくる。

 

「わざわざ悪いっすね」

「いや。それはいいんだけどさ。その……大丈夫なのか?」

「見ての通りピンピンしてるっすよ。お医者さんが言うには貧血かなにかだろうって話なんすけど、倒れる前の記憶がちょっとあやふやで……。検査入院ってだけで、明日には退院できるっすから休み明けからは学校に通えるっす」

 

 力こぶを作るように肘を曲げて見せるが、今にも折れそうな細い腕には脂肪さえほとんどついていない。

 

「はぁ……。無事でよかったよ」

「心配かけちゃってごめんっすね」

「まったくだ」

 

 恥ずかしそうに頬を掻く仕草を見て、本当に平気なのだということが伝わり、俺は気が抜けてそのまま椅子に座り込んだ。

 ふと彼女の姿にどこか違和感を覚える。なにかが足りない。よく見ればそれがなんなのかはすぐにわかった。

 首元に、彼女が必要とするはずの物が装着されていないのだ。

 

「桐ヶ谷君?」

「え、あ! なあ、首につけてたあれ、どうしたんだ?」

「ああ。あれっすか。なんだかもう大丈夫みたいで。怪我の功名っすかね」

「本当か!?」

「嘘ついても仕方ないじゃないっすか」

「そうだけどさ……。でも、よかったな」

「はいっす」

 

 エリが自然と微笑む。かなり嬉しい知らせだった。

 いくら歩く事が出来るようになったとはいえ、首から下の感覚をフルダイブ技術のアバターに置換したそれは実際の感覚とはズレがあるだろう。それに普段の生活でもすぐに息を切らしたり、アスナやリズの手を借りている姿は見ていて胸の痛くなるものだった。

 それが治ったというのだから祝福しないはずがない。

 

「これも桐ヶ谷君たちのおかげっすかね」

「俺はなにもしてないけどな」

 

 俺も顔が綻び、それにつられてかエリも笑顔が増した。

 エリがこれほど嬉しそうに笑う姿を見るのは、初めてかもしれない。それだけ彼女も不満を抱えていたということなのだろう。

 

「私よー。入ってもいい?」

「どうぞっすー」

 

 そうこう話しているとドアがノックされ、リズの声が廊下から聞こえて来た。

 扉が横にずれて、リズとアスナの姿が現れる。

 アスナの手には小さな包み。なにか生菓子が入っているのだろう。

 

「無事……、みたいね」

「もう。心配したんだからね」

 

 2人も、エリの姿を見て一安心といった様子だった。

 

「愛されてるっすね、私。ちょっと感動しちゃうっす」

「馬鹿なこと言ってないの」

「はうっ」

 

 リズがエリの額を指で軽く押すと、エリの頭がストンと枕に沈んだ。

 安堵と嬉しさのせいか、リズの目は少しだけ赤くなっていた。

 

「あ、ちょっと!」

 

 リズはベッドに寝そべったエリに捕まり、引きずり込まれていく。

 

「こら。エリは病人なんだから大人しくしなくちゃ駄目よ」

「はーい」

「あとこれ。お見舞いの品」

 

 アスナがテーブルに広げた包みの中には色鮮やかなケーキが収められていた。

 数は4つ。プラスチックフォークとウェットタオルもきちんと揃っていた。

 

「今回はちゃんとキリト君の分もあるからね」

「え、どういうことよ?」

「あー……。エリ。説明頼む」

「……え? えっと……いつの話だったっすかね」

「ほら。22層の」

「ああ! そうだったっすね。あのときは2人分しか……」

「なに言ってるのよ。私がエリのところに行って、ユイちゃんのことを知らなかったから3人分しか買っていかなかったでしょ?」

「そ、そんなこともあったっすね」

「ええ!? 忘れちゃったの!? 11月の1日! 私と仲直りした日だよ!」

 

 アスナは跳びかかるほどの勢いでエリに顔を近づけて、その顔をまじまじと見つめた。

 流石に日付までは記憶していなかったが、俺もあの日のことはよく覚えている。

 エリとアスナの関係が劇的に変わったのがその日であったし、俺がエリからもらった直後のワインをしこたま飲まれた日でもあった。

 

「あ、いや。そんなことないっすよ。忘れるわけないじゃないっすか。ちょっと、ほら、思い違いをしてただけっすよ」

 

 エリは明らかに動揺していた。その仕草さえ、なぜか違和感を覚えるものだった。

 だが俺たちはその場で問い詰めるようなことはせず、ひとまずはケーキを食べることにした。

 俺はいつものようにタルトを選んだ。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 あの後俺はエリの様子に不自然さを感じ、病院の敷地から出てユイに連絡を取っていた。

 オーグマーのAR表示での呼びかけに答えたユイが、虚空から現れる。

 普段は元気な姿を見せる彼女の表情は、今日に限ってとても暗いものだった。

 それはまるで、ALOから解放されたエリの容体を聞いた後に見せたような表情だ。

 

「ユイ。なにがあったんだ?」

「………………」

 

 ユイはすぐには答えようとしなかった。

 顔を伏せて、今にも泣き出しそうな顔をするばかり。

 だからこそ俺は聞かないわけにはいかない。

 

「エリが、アスナと仲直りをした日のことを忘れてたんだ……。他にも、上手く言えないけどいつもと様子が違う気がした。ユイなら、なにか知ってるんじゃないのか?」

 

 エリは記憶力のいい方だと俺は思っている。

 少なくとも、あの日のことを忘れるようなことはないはずだ。

 ユイは何度か俺を見て視線を外す仕草を繰り返す。その表情はどこかエリに似ていた。

 俺は無言で辛抱強く待つと、しばらくして彼女はようやく口を開いてくれた。

 

「……お姉ちゃんは、SAOでの記憶が、思いだせないみたいなんです」

「なっ!? あの日のことだけを思いだせないわけじゃないのか?」

 

 小さく頷くユイ。心臓の脈打つ音が耳鳴りのように聞こえてくる。

 

「昨日の時点ではいくらかの記憶はあったんです。でも、今朝になるとまったくといっていいほど思いだせなくなって……。――わたしと……、一緒に暮らしてたことも、もう、思いだせないんです……」

 

 涙ながらに語る彼女の声は、悲痛に満ちていた。

 

「一昨日の夜。いったいなにがあったんだ? ユイならログデータが見れるんじゃないのか?」

 

 エリのオーグマーは医療用の特別製だ。常にバイタルデータをモニタリングして、それをオーグマーを中継して脳に出力し、逆に脳から発せられた信号を体へ出力する機能が搭載されている。

 また、周囲の地形は視界情報などから3Dオブジェクトとしてデータ処理することで接触時の感覚をアシストする機能もあった。

 原理的には事件当時にエリの見たものを、確認することができるはずだ。

 

「……ありません」

 

 だが彼女は首を横に振る。

 

「ログデータは、すべて削除されています。わたしは、なにも、知りません……」

「そんな……。ハッキングされたってことなのか?」

「わかりませんっ!」

 

 ユイの涙は止まらず、それどころか勢いを増して溢れていた。

 力になれない悔しさが、頬からこぼれて俺にもひしひしと伝わってくる。

 

「ごめん……。ユイも、辛いよな……」

 

 俺はいつの間にか強く握りしめていた手をゆっくりと開いて、昔サチにそうしたように、彼女の頭を優しく撫でた。

 

「ごめんなさい……。強く言ってしまって……。でも、どうしたらいいか、わからないんです……。なにがお姉ちゃんのためになるのか……。いくら考えても、良い方法が見つからないんです。なにが正解なんですか!? なにが正しいことなんですか!? ……人間の感情は複雑すぎます。わたしなんかでは、処理しきれません」

 

 ユイは思いの丈をありのまま叫んでいた。

 彼女は幼いサチの姿をしているが、その実態は高度な人工知能である。

 だがこうして見れば、その内面は人間そのものだ。誰もこの姿をプログラムが最適な行動を取らせているだけだなどと言いはしないだろう。

 仮にそう言い出す人間がいれば、そいつにとって人間もまた、プログラム通りに動く存在にしか見えまい。

 

「俺にもそれはわからないよ……。たぶん、それが人間ってことなんだと思う。それでもなにかしてあげたいって思う心は、きっと間違いじゃないはずだ」

「……キリトさん」

「俺は医者じゃないし、ユイみたいに頭がいいわけでもないけどさ。話を聞くことぐらいならできる。ユイの抱えてるものを、俺にも少し背負わせてくれないか?」

「………………」

 

 真実が知りたいとか、そういうことではない。

 ただ、このままにしておくことが正しいとは思えなかった。

 かつてエリがサチにしてくれたように。

 かつて俺がそうしてきたように。

 踏み出さなければ、なにも変わらない……。

 

「……お姉ちゃんの脳には限定的な記憶スキャニングが行われた形跡があります。おそらくSAO時代の記憶を強く想起させることによって、記憶のキーになっている単一ニューロンを特定して、そこに電子パルスを集中させて強制的にイメージを読み取ったのだと考えられます。都内でも同様の症例が数件報告されているようです。彼らに共通にしているのは……」

「オーディナルスケール、か」

 

 SAO時代の記憶を想起させた原因は、あのボスモンスターだろう。

 他のイベントバトルにも参加している俺は、登場するのがかつてSAOで俺が倒したボスモンスターであることを疑問に感じていた。

 ALOとのコラボイベントかとも思っていたが……。

 

「なら原因はオーグマーにあるってことか?」

 

 オーグマーはアミュスフィア同様絶対安全が謳われていた機械のはずだが、俺はテレビでやっている偉そうな人間の言葉よりもユイの言葉の方が信じられた。

 

「可能性はあります」

「……エリは、大丈夫なのか?」

「脳そのものに基質的な異常はないようです。電子パルスでスパインを縮退させた結果、記憶の再生障害が起こっているのだろうとお医者さんは言っていました。ただ……。症状がこれだけに留まるかはわからないとも……」

「――っ!」

 

 さらに記憶を失うこともあり得る、ということだ。

 ぞわりと、PKと戦ったときのような、嫌な汗が額に浮かぶのを俺は感じていた。

 

「それと……。お姉ちゃんがオーグマーを装着していないのには気がつきましたか?」

「あ、ああ……」

「お姉ちゃんの全身不随は原因が不明でしたが、今回のことを受けて徐々に回復していっています。そのことから、前例はありませんが、心因性のものだったのではないかという話もあるんです」

「つまり記憶が戻ればエリはまたオーグマーに頼らないと生活ができなくなるってことか?」

「まだ推測です……。でも……」

 

 足元が音を立てて崩れていく。そんな気がした。

 記憶と身体、どちらかを取れと言われれば俺なら記憶を選ぶ。サチを、月夜の黒猫団の彼らを忘れることなんて許されないことだ。

 だがそれはあくまで俺の考えであって、エリの考えではない。

 

「お姉ちゃんの記憶は、戻らない方がいいのかもしれません」

 

 そしてユイの考えはそちらに天秤が傾いていた。

 

「辛いことが、たくさんあったんです……」

 

 知っている。彼女は俺とは比にならないくらい多くの仲間を失った。

 それだけじゃない。ラフィンコフィンに捕らえられた彼女を見つけたときの光景は、俺の脳裏から薄れることはないだろう。当人であればどれだけの恐怖を感じたか。男である俺には想像さえつかない……。

 

「お姉ちゃん、夜に突然目を覚ますんです。誰かが近くにいないとそのまま錯乱してしまうから、寝ている間はずっとわたしが側にいるんです。一緒にいることは苦にならないんですけど、苦しそうにしているお姉ちゃんを見ていると、わたしも苦しくなっちゃいます……」

 

 それを俺も1度だけ見たことがあった。

 ユイと会ったあの日、エリは錯乱してユイに斬りかかる寸前だった。

 あれは……、目にするだけで心をかき乱すような光景だった。

 

「だから、このままでいた方がきっと……」

 

 だがそれはユイと一緒に過ごしたあの時間を失うということだ。

 もう現実に戻ってきてから過ごした時間の方が長くなったとはいえ、彼女たちの姉妹関係がどうやって作られたのか。サチが誰だったのか、思いだせなくなってしまうことになる。

 それでも、2人は今までの関係でいられるのだろうか?

 

「だからキリトさん……。オーディナルスケールの攻略はもう止めてくださいね」

「……でも他にも犠牲者が出るかもしれないんだろ?」

「それは菊岡さんに任せましょう。キリトさんがするべきことじゃないはずです。キリトさんまで記憶がなくなってしまったら……。わたし、寂しいです」

「………………」

 

 オーディナルスケールは今や日本で最も注目を浴びているゲームだ。

 オーディナルスケールはランキング制で、上位層のプレイヤーは多くの人間の目に留まる。だから俺はランキングを上げ、月夜の黒猫団の名を少しでも多くの人に知ってもらえれば、なんてことも考えていた。

 

「オーディナルスケールのことを自分で調べるのも、止めてください。もし、お姉ちゃんの記憶を取り戻せる方法が見つかったら……。キリトさんも苦しい思いをしちゃいますから」

 

 それだけ、ユイはエリの記憶が戻ってほしくないと考えているようだ。

 

「アスナさんやリズさん。それからシリカさんにも、わたしから伝えておきます」

「いや。それは俺がするよ。ユイにばっかり任せてはいられないしな」

「……ありがとうございます」

 

 ヒースクリフを、オベイロンを、クラディールを倒すだけなら楽だった。

 敵がいて、剣があって、それで相手を斬れば解決できたのだから。少なくとも簡単に勝てる戦いではなく、辿りつくまでの間も大変だったが、少なくとも迷うことはなかった。

 倒していいのかさえわからない相手は、俺にとって未知の脅威だ。

 

「今日は話を聞いてくれて、ありがとうございます」

「話を聞くだけになっちゃったけどな」

「それでも、少しだけ気分が楽になりましたから」

「そうか……」

 

 かつて放送されていた、SAOのCMソングが流れる。通話の着信だ。

 相手は――エギルからだった。

 

「悪い。ちょっと出る」

「はい」

 

 俺は一度ユイに断って、テレビ通話を開始した。

 ARの仮想モニターにはいつもは不愛想な黒人が表示されるが、この日の彼は額に汗を掻いて険しい表情をしていた。大柄な彼の背後には病院らしき建物が映し出されている。

 

「キリト、クラインから連絡があった」

「なんだって?」

「どうやらオーディナルスケールのイベント中にトラブルに巻き込まれたみたいでな。大事にはなってなかったんだが見舞いに行ってきたところだ。それでな、落ち着いて聞いてほしい」

 

 そう言うエギルの方が、取り乱しているようだった。

 

「あいつら、どうやらSAOでの記憶がなくなっちまってるらしい」

 

 SAOで茅場を倒し、ALOで須郷を倒したというのに……。

 オーディナルスケールに潜む新たな怪物の影が、すぐそこまで迫ってきているような気配を俺は感じていた。



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52話 眠れる者のための二重奏(2)

 ゴールデンウィークが明けると、エリは宣言通り学校へ登校してきた。

 俺は彼女の友人らに事情を説明して回り、オーディナルスケールのイベントには参加しないよう注意も呼びかけた。

 彼らが皆、エリの様子を心配してくれていたのは自分のことのように嬉しかった。

 かくいう俺も彼女のことが心配で、学校では頻繁に声をかけるようにしていたのだが、以前よりも心なしか笑顔が増したように感じる。

 これが喜ぶべきことなのか、悲しむべきことなのかわからず、ユイとの会話が何度も頭の中で反響していた……。

 

「なあ、クライン。記憶の方はどうだ?」

 

 俺はやつの見舞いに行ったとき、そう聞いた。

 見舞いと言ってもクラインの様子も大したことはなく、明日には会社に出勤するとのことだった。

 風林火山のメンバーも全員同じ症状のようで、特に問題はないとのことだった。

 

「SAOの記憶か? 思いだそうとすると、なんか頭に靄がかかったみてえなんだ……」

 

 クラインは窓の外を見ながら続けた。

 

「まあ、でも楽しいことばかりじゃなかったからな……。それならそれで……、しゃねえかなって……」

 

 最前線でギルドメンバーを1人として欠かすことのなかったクラインでさえ、そう言った。

 エリをのことを聞くと「そいつは……災難だったな……」とだけ言うに留めるやつの表情は、どこか悲しげであった。

 

「オーディナルスケールのイベントでなにがあったんだ?」

 

 風林火山のメンバーが、後れを取るなどとは思えなかった。

 いくらフルダイブでなくとも攻撃パターンは共通で、難易度もいくらか緩和されている。

 それでこいつらがやられるようであれば、クリアできるとは到底考えられない。

 

「エリはなんて言ってた?」

「覚えてないって」

「そうか……。俺たちも似たようなもんだ。たぶんボスにやられたんだろうな。キリト。てめえも攻略はもうやめろよ」

「………………」

 

 ユイと同じことを言うクライン。

 

「クライン。お前、なにか俺に隠してないか?」

「……なんだよ。藪から棒に」

「エギルから聞いたんだ。お前がオーグマーについて調べてたって」

「あの野郎……」

 

 バンダナの巻いていない髪を?き上げるクラインは苛立ちの表情をしたが、すぐに頭を振って冷静さを取り戻してしまう。

 

「オーディナルスケールの攻略方でもないかって調べてただけだ。それとテメエはもうこの件には関わるなよ。俺らとは違って、記憶、無くしたくねえんだろ?」

「そうだけどっ! けど……」

 

 けど。なんだろうか。

 記憶を取り戻してやりたい、と?

 それを本人が望んでいるとも限らないのにか。むしろ彼らは望んでいないとさえ思える。クラインも、エリも、このままの方がいいんじゃないのか? 俺がやろうとしていることは余計なお節介なんじゃないか?

 

「今度ばっかしはお前の剣は必要ねえよ」

 

 クラインをここで問い詰めても、やつは決して口は割らないだろう。

 そしてクラインが調べてわかる程度のことをユイが知らないはずがない。

 2人はなにかを隠していた……。あるいはエリも?

 俺を蚊帳の外に置いて、オーディナルスケールでなにかが起こってることだけは確かだった。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 自宅のパソコンでオーグマーについての記事を読んでいると、携帯から通知の着信が鳴った。

 通知はオーディナルスケールのイベント会場を知らせるアプリからで、本日の開催場所は代々木公園とのことだった。

 ここ川越からではかなり距離がある……。

 以前ならクラインの車にでも乗せてもらえばよかったが、単身となれば無理がある。

 そもそもオーディナルスケールは止めろと散々言われた身だ。行ったところで記憶の手がかりが見つかるとも思えない。それならネットの海で情報を集めている方が賢い選択だ。

 

「……サチ」

 

 部屋に不釣り合いな仏壇に目を向ける。

 俺は椅子から立ち上がりマッチで蝋燭に火を灯すと、そこから線香に火を移し、1本供えて手を合わせた。

 毎日嗅いでいる甘い香りが部屋に充満していく。

 目を伏せ、俺はどうするべきなのかを考えた。

 

 記憶を取り戻す方法を探すべきなのか。

 オーディナルスケールは止めるべきなのか。

 記憶を失うリスクを犯してまでイベントバトルに参加するべきなのか。

 菊岡にもオーディナルスケールのことは相談した。彼はこの春から総務省の総合通信基盤局高度通信網振興課第二別室、通信ネットワーク内仮想空間管理課、通称『仮想課』に配属されたと言っていた。

 ザ・シードによるVRMMOの乱立で大忙しとのことだったが、俺の連絡を真摯に受け止めてくれた彼の出した回答は、経産省も絡んだ巨大プロジェクトが相手で確かな証拠が見つからない限りこちらも動けないというものだった。

 それでも彼はオーグマーの解析を秘密裏に進めることを約束してくれたため、真実が明らかになるのは時間の問題と思われる。

 時間が、解決してくれる?

 そう考えて月夜の黒猫団はどうなった。

 目を開けると線香は消えるところであった。

 

 ――行こう。

 

 ただ衝動に任せた答えだったとしても、ここでただ待つことに俺は耐えられない。

 エリやクラインのことはともかく、新たな犠牲者が出ることは防ぐべきだ。

 誰もがSAOの記憶を失いたいと思っているわけではないはずだから。

 蝋燭の火を指で擦り消すと、俺はオーディナルスケールの用意をしたままのショルダーバックを肩に下げ、階下に降りて行った。

 

「あ、お兄ちゃん。どうしたの?」

 

 廊下でばったり遭遇した妹の直葉は、部活から帰って丁度シャワーを浴びた後のようだった。

 

「少し出てくる」

「え!? ちょっと、もうすぐ晩ご飯だよ」

「ごめん。今日は外で食べて来るからいらない」

「あ、待ってよ。どこ行くの!? お兄ちゃん!」

 

 俺は直葉の静止を振り切り、玄関を飛び出した。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 夜の代々木公園には人だかりができており、俺はSAOサバイバーがいないか時間ぎりぎりまで見て回った。

 とはいえ俺の知り合いなどたかが知れている。少なくとも臨時学校の生徒らしき人物は俺の記憶の限りではいないようだったが、他の面々についてはわからない。

 速攻で倒すしかないか。

 俺はオーディナルスケールを起動してやけに軽い剣の感触を確かめた。

 時刻になり、周囲の光景が古戦場へと塗り替えられていく。

 野外ステージは崩れかけた遺跡に、木々は意味ありげなトーテムに変わり、夜空の月が不気味な緑色の輝きを放つ。

 

「皆! 準備はいい?」

 

 ステージであった場所にARアイドルのユナが降り立つ。

 その横顔はどこか見覚えがあるような気がしたが、記憶の奥隅に仕舞われた些細な出来事のようでどうにも思いだせない。

 俺は気持ちを切り替え、これから現れるボスモンスターに意識を集中させた。

 出現するときに輝く火柱のエフェクトは、ステージの向かいにある階段の上に表示された。

 今夜の敵はどうやら、SAO第11層ボス『ザ・ストームグリフォン』のようだ。

 一般的なグリフォンのイメージそのままの、上半身が鷹で、下半身がライオンの姿をしている。

 空中からのヒットアンドアウェイと、遠距離攻撃雷撃が厄介な敵だったが、取り巻きがいないのと、こちらにも遠距離攻撃持ちがいるのを加味すれば難しい相手ではない。

 

「それじゃあ戦闘開始。ミュージックスタート!」

 

 ユナがオーディナルスケールの戦闘曲を歌いだし、視界の端にステータスアップアイコンが表示された。

 まずは突進攻撃をカウンターしつつダメージを重ねる。

 俺はボスの視線からターゲットにされたプレイヤーを割り出して先回りをする。地面すれすれを滑空してきたボスの胴体を擦れ違いざまに一閃。ダメージは与えているはずだがHPが見えないためどの程度利いているかわからない。

 すぐに遠距離プレイヤーの火器が集中するも、素早い身のこなしでボスはそれを回避してプレイヤーへ襲い掛かっていく。

 SAOではタンクがヘイトを稼いでボスの位置をコントロールしていたが、統率の取れていない、即席パーティーですらない連中では、そのような発想にさえ至らないだろう。

 それにオーディナルスケールのボスモンスターはヘイトが短期間でリセットされ、コロコロとターゲットを変える性質がある。

 多くのプレイヤーへ平等に戦闘の機会を与えるための措置なのだろうが、ゲームメイクが成立させ難いという側面があって上級者からすれば嫌になる設定であった。

 最近のトレーニング成果のおかげで体力はSAOを始める前よりも多いくらいなのだが、それでもこの広大なスペースを走り続けるのは無理がある。

 フルダイブであれば体力切れなど気にせず、全力で走り続けて追いかけられるのだがそうもいかず、このゲームでは常に最小の運動でボスの移動先に先回りするセンスが求められる。

 遠距離武器であればそういう苦労は減るのだろうが、威力があまりに低いため仮にフルタイムで命中させ続けても近接攻撃の方がDPSが出ると、与ダメージに応じて上昇するランキングポイントから逆算した結果で解析されていた。

 

「そろそろか……」

 

 ボスが背の高い石柱の上の止まると、小さく雷を纏った。

 俺は盾を剣で叩いて鳴らす、ヘイト上昇行動を取ると羽ばたきと同時に視界が白く輝いた。

 4本あるうちのHPバーが3本になってから解放される雷撃攻撃だ。

 俺のHPが2割ほど減少したがそれだけ。全体には大木は被害もなく戦闘は継続される。

 失ったHPを回復するにはフィールドに落ちている回復アイテムを拾う必要がある。俺は周囲を見渡して一番近いアイテムの元へと走った。

 

「おいおい……。嘘だろ……!」

 

 だが行く手を阻むように火柱のエフェクトが表示され、俺は足を止めざるを得なくなる。

 今までオーディナルスケールのイベントバトルにボスが2体現れたなんてことは聞いたことがない。前例がないからといって、それが仕様とは限らないが、今日のプレイヤー人数が極端に多いわけでもないのだ。

 どういうことだ?

 俺の疑問は中から現れた黒い鱗をしたドラゴンに押し潰された。そのサイズはグリフォンの3倍。翼を広げた幅だけでも15メートル以上はある超大型モンスターだ。

 加えて今までオーディナルスケールで戦ってきたボスモンスターはすべてSAOで戦った事のある相手だったが、こいつは違った。ついにオリジナルのモンスターを登場させたのかとも考えたが、どことなくデザインがSAOチックであった。

 そこから導き出される答えは75層以降。俺たちが戦うはずだったボスモンスターではないかということだ。

 至近距離で俺を睨むドラゴンが雄たけびを上げる。

 例え上層のボスモンスターであっても攻撃力やHPが高いわけではない。オーディナルスケールはレベルの設定がないため、モンスターのステータスデザインは差がほとんどなくなっている。

 ただし厄介な攻撃方法や、元々高いステータス設定であったなら別だが。

 

「――くっ!」

 

 前足が振り下ろされ、咄嗟に俺は盾でガードを選択する。

 大振りで鈍重な一撃は周囲に大げさな土煙のエフェクトを上げて俺のHPを3割も削った。

 遅いが威力のある攻撃だ。かつエフェクトの調子を見る限り範囲攻撃系。ジャンプすれば範囲攻撃は回避できるか? ダメージの大きさは直撃をガードしたのが原因だろう。

 HPはSAOでいうところのイエローゾーン。

 このHPがなくなれば、もしかすればエリやクラインのようにSAOの記憶を失ってしまうかもしれない。

 そうしたら――すべてを忘れて楽になれると、甘い言葉がどこからか聞こえてた気がした。

 

「馬鹿、後ろだ!」

 

 男の叫び声に促されて背後を見ればグリフォンのボスが上空から突進攻撃を仕掛けている最中だった。咄嗟に盾を構える。モーションコントローラー分の重量しかないため身体捌きについては実に簡単だが、その分防具の軽減がないのは痛い。

 おそらく防御が間に合わなければ今ので死亡していた可能性すらあった。

 俺は即座にドラゴンを回り込んで回復アイテムに触れる。

 残り3割だったHPが8割まで回復して、振り回される巨大な尻尾を地面に伏せてギリギリで回避した。

 

「悪い、助かった!」

 

 誰かはわからないがとりあえず礼を言って、俺は目の前のドラゴンに意識を向けた。

 翼があるため飛行するはず。ドラゴンなのだからブレスによる遠距離攻撃も用意されているだろう。AGIが低いタイプは総じて高い攻撃力がある。

 おそらくだがグリフォンに比べ、鈍重なパワータイプという想定で間違っていないはず。

 俺は近づいて大木ほどもある足を斬りつけると、踏み鳴らし攻撃の予兆を感じて一撃離脱を選択。背後では地響きの音と砂煙があがっていることから予想は間違っていなかったらしい。

 振り返りボスが俺を未だターゲットにしていることを確認。

 首を上げるモーションは口からのブレスで間違いない。即座に足元へ戻って、頭上で炎弾を吐き始めるドラゴンを仰ぎ見た。攻撃範囲から外れたおかげか立て続けに連射される炎の塊は背後のプレイヤーたちを襲っているらしい。

 ドラゴンのモーションで鳴り響くサウンドの中から、周囲の音をどうにか拾うと、近接プレイヤーの一団がこちらへやってきていることがわかった。

 また、遠距離プレイヤーも動きの素早いグリフォンよりもこちらの方が当てやすいと考え、火線が集中する。

 オーディナルスケールのバトルイベントの報酬は与ダメージでも上昇するため、少しでもダメージを多く稼ぎたい心理がそうさせたのだ。

 

「またか……」

 

 背後でグリフォンの鳴き声が聞こえ、振り返ってドラゴンの身体を視界の右半分で見つつ、グリフォンの位置を左半分に収める。

 纏っている雷の量が多い。どうやら向こうは最終能力の広範囲攻撃まで進んでいたようだ。

 グリフォンは広範囲攻撃の際空中をホバリングするため、SAOでは壁や足場を利用して突進系ソードスキルを叩き込む必要があったが、オーディナルスケールには便利な遠距離攻撃がある。単発系の瞬間火力の高いバズーカを弱点部位である頭部に命中させれば止まるだろうが……。遠距離攻撃のほとんどがこちらに集中しているせいで叶いそうもない。

 

「グリフォンの範囲攻撃がくるぞ。近くの盾持ちの背後に隠れろ!」

 

 俺は周囲のプレイヤーに呼びかけ盾を構える。

 一度攻撃を避け損ねてガードしたため俺のHPは残り7割。これで再び半分か。そう思っていたが、1人のプレイヤーがホバリングを始めたグリフォンの真下に陣取ると、その手に持った短剣を上空に思い切り投げた。

 夜空に吸い込まれた短剣は、そのまま一直線にグリフォンの頭部、それも片目に突き刺さる。近距離武器でもさらにリーチの短い短剣は、格闘武器に次いでおそらく最も威力が高い。

 グリフォンが仰け反るのは当然であったが、範囲攻撃はすでに発動していたせいで止まらない。

 だがそれが狙ったものだとしたら?

 モンスターの大半は視界によるフォーカスロックが採用されている。攻撃中にそれが外れることがあれば、攻撃もそれに合わせて逸れることになる。

 範囲攻撃は発動した。ただし命中したのはドラゴンであった。

 眩い光を受けてドラゴンが身じろぎをする。

 男はグリフォンを貫通して落下してきた短剣、その発生源となっているスティックコントローラーをキャッチすると、俺の方を向いてハンドサインを送ってきた。

 おそらくグリフォンから倒そうという意味だ。

 

「ここは任せる」

「あ、おい!」

 

 ドラゴンの戦闘範囲から撤退。俺は着地を始めたグリフォンの元へと駆ける。

 早鐘を打つ鼓動。見えない体力ゲージは立て続けの回避運動によって残りわずかとなっていた。

 

「――サチ」

 

 夜風を切って火照る身体の熱を冷まし、サチの顔を思い浮かべて気力を奮い立たせた。

 グリフォンがゆっくりと下降して地面に降り立つ寸前、俺は大きく飛び上がりその翼に切先を走らせる。

 助走の相まって翼を端から一息に切断。部位破壊判定に成功し、グリフォンはバランスを崩して転倒した。それを待ち構えていた先程の男は、目の前に落ちて来たグリフォンの頭部目がけて、短剣を身体の一部のように自在に操って切り刻む。目を凝らせば、弱点部位の中でも一際脆い瞳の部分を的確に攻撃していることがわかる。

 だが撃破には足りなかったようでグリフォンが起き上がると同時に我武者羅に暴れ回り、俺たちを近づけまいとした。

 お互い無傷でその攻撃を回避すると、俺は盾を右肩に当ててシールドタックルの構えを取る。男はそれを見るなり俺の背後に回り、ピッタリ後ろについて攻撃を掻い潜ると、攻撃の薄い胴体の下へ一緒になって入り込んだ。

 多少のダメージは覚悟で思い思いの攻撃を繰り出す。

 グリフォンが花火の如く鮮やかな光を散らすまで10秒もかからなかった。

 俺はすぐさまドラゴンの元へと戻ろうとするも、肩を掴まれ立ち止まる。

 男が親指で時計を指さす。ユナの側に表示されている残り時間は無くなる寸前だった。

 

「残念! 今日のバトルはここまで! でも片方は倒せたみたいだから、その分のボーナスはプレゼントするわねー」

 

 ポイントが加算され、ランキングナンバーの上がるファンファーレが聞こえて来た。

 ドラゴンが羽ばたき空へと上る。その後ろ姿に呑気な調子で手を振るユナ。

 スモッグのような雲の中にドラゴンが消え去るの確認すると、彼女は俺の側へと歩み寄ってきた。

 

「今日のMVPはまたあなたね。おめでとう」

 

 ユナは俺に顔を近づけると意味ありげに微笑んで次の瞬間――。

 

「うぐっ」

 

 人差し指で俺の額を押してきた。

 これはその日のイベントバトルの貢献度が最も高いプレイヤーへのご褒美演出だ。

 初めてのときはドギマギしたものだが、毎回デコピンなため俺も夢を見るのは諦めて久しい。

 

「それじゃあまたね。キリト君」

 

 手をひらひらさせて虚空に消えるユナ。

 集まってプレイヤーの嫉妬に満ちた視線を浴びつつ、俺は今日の戦友の顔を見た。

 黒い光を吸収する色合いをしたウェットスーツのような衣装は、オーディナルスケールのSFタイプのコスチュームだ。身体の輪郭を浮き立たせるように、発光する赤い線で飾られている。

 バイザーを被っているせいで顔はわからない。手にしているのはやや随分と小さな短剣で、サバイバルナイフなんかに近い形状だったと思う。

 

「ありがとな。さっきは助かった」

 

 俺は手を突き出して、拳を合わせる仕草をする。

 男はこちらを見てしばらく俺の拳を見ると、しぶしぶといった様子で拳を出してくれた。

 周囲の風景がバトルフィールドから夜の公園に戻り、俺はオーグマーを終了させてARのアバターを脱ぎ捨てた。

 男はしばらくじっとしていたが、俺に続いてオーグマーを終了すると中の人が出てくる。

 彫りの深い漢らしい顔立ちをしたやつだった。細い瞳はどこか憂いを抱いているようでいて、かすかに残ったARの残滓が纏わりつき、煙のような男という印象がした。

 

「………………」

 

 男と俺の視線が合う。

 あるいはさっきまでは隠れて見えなかっただけで、男はずっとそうしていたのかもしれない。

 

「あんた、SAOにいたよな?」

 

 男が最後に見せた動きは、短剣の連撃系ソードスキル『アクセルレイド』だった。

 

「名前はなんて言うんだ? どこかで会ってないか?」

 

 男は首を横に振り、頭上を指さす。

 そこには『Usagoo』というプレイヤーネームと、214位という割と高いランキングナンバーが表示されていた。

 

「会った事はないだろうな……。だが君のことは知っている。初めまして、黒猫の剣士。俺の名前はウサグー。考えての通り、SAOサバイバーだ」

 

 男はゆったりとした口調で、そう名乗った。



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53話 眠れる者のための二重奏(3)

「――飲むか?」

 

 ウサグーという名の男が、自販機の前で背を向けたまま聞いてくる。

 

「どうせ今日の戦利品だ。気にするもんじゃない」

 

 投げ渡された微糖の缶コーヒーをキャッチ。

 ウサグーは同じメーカーの無糖タイプのものを買ったようだった。

 

「天下の黒猫の剣士様が、らしくなかったじゃないか。なにかあったのか?」

「俺のこと、知ってるんだな」

「君は自分で思っているよりもずっと、有名人なのを自覚した方がいい」

「そうか……」

 

 少しでも多くのプレイヤーに俺のことを――延いては月夜の黒猫団のことを知ってもらうことはできていたようだ。

 カパリとタブを開けて一口飲むと、ウサグーは歩き出して歩道橋の階段を上っていく。続いて俺も歩くと中央あたりで立ち止まり、彼は行き交う車を見下ろしていた。

 ちらちらとヘッドライトが顔を照らす中、俺はどうして彼と話そうとしているのか考えた。

 臨時学校でもSAOでのことを積極的に話すやつは少ない。それはあの異常な世界がある種のタブーとなっているからだ。

 見ず知らずの彼に、こうして話しかけているのは常識が欠如していると言われてもしょうがないことだった。

 

「オーディナルスケールの噂を知ってるか?」

 

 ウサグーが夜空に向かって呟く。

 

「……SAOサバイバーが記憶を失ってるってやつか?」

「なんだ、知ってたか。警告くらいしてやろうと思ったんだが……つまりその顔は、君も誰かやられたわけだ」

「……そうだ」

「はぁ…………」

 

 彼は長い溜息を吐いてからコーヒーに口をつけて、苦々しい表情をした。

 

「誰がやられた?」

「そこまで教えるわけにはいかないだろ……」

 

 個人情報だとか、そういうものもあるのだから。

 それで以前アスナやエリに迷惑をかけたばかりでもあった。彼が同じSAOサバイバーでも、見ず知らずの他人であることに変わりはない。

 

「KoBの副団長か? 風林火山のギルドマスターか? あるいは……ALFの隊長か?」

「………………」

「おいおい。勘弁してくれよ」

 

 本気で困ったように、彼は片手で顔を覆い隠す。

 それからコーヒーを一息に飲み干して、遠投の構えを取った。苛立ちをぶつけるように投げられた空の缶は、遥か向こうにあるゴミ箱に吸い込まれるように放物線を描き――甲高い音を立てた。

 

「ちっ」

 

 かなりの飛距離。かなりのコントロールであったが、缶はゴミ箱の縁に弾かれ道端に転がる。

 

「俺も……ALFにいたんだ」

「じゃあ……」

「ああ。エリの世話になってな。……治安維持部隊の平隊員をやってた。君みたい最前線で戦えるような実力はなかったけどな」

「どうりで強いはずだ」

「そいつはどうも」

 

 確かALFでは投擲で結晶アイテムを撃ち落とす訓練があったはずだ。彼が先程見せたグリフォンの目を狙い撃った技量その賜物なのだろう。

 彼は肩をすくめて、あまり嬉しくなさそうに俺の言葉を受け止めていた。

 

「ところで、俺ってそんなに顔に出るか?」

「まあな。君のはわかり易い方だ」

「………………」

 

 ポーカーフェイスには自信があった方なんだけどな。

 

「それで、あんたは何しにここに来てたんだ?」

「友人がやられてな……。そいつの記憶を取り戻す手がかりでも見つからないかと思ってな……。エイジっていうプレイヤーを知ってるか? イベントバトルでラストアタックを取ったところも見たことがないんだが、それでいて2位の順位をキープしているところがどうにもキナ臭いんだが……」

「………………」

「君は違うのか?」

「あー、いや……」

「SAOの記憶なんてない方がいいと?」

「……わからない。わからないんだ」

 

 クラインもユイも、そしてエリでさえそれを望んでいないようであった。

 気がつくと俺はこのウサグーという男に全てを話していた。

 俺はSAOの記憶を失いたくはないこと。けれど他の連中はそうでもないようだということ。エリの身体のこと。それから動けるようになったこと。記憶を失ってからは普通の生活に戻れるようになったこと。よく笑うようになったこと。SAOの悪夢に苛まれていたこと……。

 ウサグーはそれらの言葉を黙って聞いた。

 言葉を重ねるごとに俺の心は整理されていき、理性が記憶を取り戻すことは間違いだと訴えかけてきていた。

 けれども……。

 

「――黒猫。お前には失望した」

 

 ウサグーの出した答えはそうではなかった。

 優しい同情などは一切なく、それどころか彼は俺を咎めるようにそう言い放ったのだ。

 

「悲劇に酔っていたいなら勝手にしろ。俺はもうお前を助けねえ」

「なら思いだせっていうのかよ! SAOの辛い記憶を!」

「そうだよ! どんなに辛い記憶だろうと、それを忘れたらもう、あいつじゃねえだろ!」

 

 ウサグーは怒りに身を任せて俺の胸倉を掴み上げていた。

 至近距離で交差する彼の瞳は、様々な感情が折り重なっているかのように暗く輝いていた。

 俺は……。こいつの手を振り払えない……。

 彼の言葉もまた、正しかった。それは俺が悩んでいることの確信でもあった。

 

「そんなのはお前の、勝手な都合だろ!?」

「……そうだな」

 

 あっさりと手が離される。

 それは彼も自分の行いが絶対の正義ではないと理解している証左だった。

 あるいは……。もっと別のなにかを後悔しているかのようでもあり……。彼もまた、SAOでの失敗が尾を引いているのではないかと感じる。

 

「おい、待てよ!」

 

 ウサグーは俺に背を向けて立ち去ろうとした。

 なぜ引き留めたのか。俺は自分の行動が理解できていない。

 

「勝手にしろ。俺も勝手にする……」

 

 夜の闇に消えていくその男の背を、俺は追いかけられなかった……。

 しばらく立ちつくしてから俺はウサグーと反対側の方向へ進むと、彼の入れ損ねた缶コーヒーが地面に転がったままでいた。

 

「サチ……」

 

 俺はどうしたらいい?

 見上げた都会の月は、随分とくすんだ色をしていた。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 翌日になり、登校して授業を受けている間も俺の頭の中では葛藤が渦巻いていた。

 放課後になったからといってそれが晴れるわけもなく。

 周囲のクラスメイトが下校していく中、俺はずっと席に座ったままでいた。

 いっそ菊岡からオーグマーの解析が終わってオーディナルスケールを終了させることが決まったとか、そういう吉報が来ればよかったのだが、折り返しのメールには未だ解析中という不甲斐ない言葉が添えられていた。

 ユイの手を借りれば解析はすぐに終わるのかもしれない。なにせ彼女はオーグマーのアプリケーションを飛躍的に進歩させているプログラマーだ。オーグマーのブラックボックスもすぐ発見できる気がする。

 もっともそれは協力してくれればの話で、それが望めないことは薄々感じている。

 

「きーりーがーやー君」

 

 耳元で間延びした声が囁かれる。

 振り返るとそこには渦中の人物――豊柴恵利花の顔があった。睫毛の線がくっきりと見えるほどの近さ。そこからはフローラルな香りが漂っている。

 彼女は腰を曲げて頭を突き出した状態で俺の顔を覗き込んでいたが、視線が合うとにこりと柔らかく微笑み、普通の姿勢に戻した。

 

「あれ? 恵利花がどうしてここに?」

 

 彼女は俺の1つ上の学年で、クラスが違うはずだ。

 

「その様子だとメール、見てないっすね?」

 

 俺は携帯を取り出すと彼女からのメッセージがいつの間にか加わっていた。

 どうやら昼休みの後に送られたのを気がつかないでいたらしい。

 

「ごめん。気がつかなかった。それで、要件は?」

「カラオケ。一緒に行かないっすか?」

「カラオケかあ……」

「あ、もちろん2人きりって話じゃないっすよ。アスナと、里香と、珪子ちゃんが一緒っす」

「んん……。どうするかな」

 

 予定はなかったが、昨日のこともあって俺はどうにも気分が乗らなかった。

 

「煮え切らないっすねえ。なにが不満なんすか。女の子4人と遊びに行けるんすよ? ハーレムっすよ!」

「いや。そういうんじゃないだろ……」

「いいじゃないっすかー。きーりーがーやー君。遊びに行こうっすよー」

 

 エリが俺の肩を掴んでぶんぶん揺すってくる。

 無抵抗のまま振り回されていると、ふと周囲の視線を感じた。

 不味い……。先日からずっと、校内はその手の話題でもちきりだ。つまり俺がアスナとエリに二股をかけているとか、そういう類の噂である。

 この状況は非常に不味い。特に――エリ本人が危険だ。

 エリも俺と同時に状況を理解したようで、案の定彼女は意地の悪そうな表情に変わっていた。

 

「私、初めてなんすよ……。だから今日は桐ヶ谷君に優しくエスコートして欲しいなって……。ダメ、っすか?」

 

 猫撫で声を作ってわざと周囲に聞こえる声量で語るエリは、さらに駄目押しとばかりに身体を密着させてきた。

 彼女の体温と柔らかい感触が背中を擦り、首筋のなぞる……。

 エリはSAOのときに比べ不健康に思えるほど痩せていたが、一部の部位に関しては依然としてふくよかなままで、その弾力が制服越しに押し当てられレレレレレ――。

 

「シャンプーの香りがするっす。――桐ヶ谷君? おーい? からかい過ぎたっすかね」

 

 エリが背中から離れ、ひんやりとした彼女の手で頬を挟まれる。

 

「…………ハッ!?」

「おー。顔真っ赤っすよ」

「………………」

 

 ヤメテクダサイ。――ホントウニ?

 溜息と一緒に雑念を吐き捨てようとしたところで、廊下の方から殺気を感じて視線を向ける。

 

「グルルルルルル……」

 

 アクティブモンスターもかくやの威嚇をしていたのは後輩のシリカこと篠崎珪子だった。

 ツインテールを逆立てんばかりに俺を睨み付けており、クラスメイトは彼女を避けて歩いていた。

 シリカは大股で近づいてくると俺の側、というよりエリの隣で立ち止まる。

 

「恵利花先輩は渡しません!」

 

 声高らかに見当違いの宣言をして、彼女はエリに抱き付いた。

 

「いやあ、私モテモテっすねえ……」

「はわ!? はわわわわわ……」

 

 エリがシリカの髪を手櫛で梳くと、シリカの表情からは徐々に覇気がなくなり、だらしなく頬を緩めてすっかり大人しくなった。

 シリカはたしかSAOからドラゴンテイマーだったはずだが、エリのテイミングスキルも負けていないご様子。

 いつの間にやら形勢は入れ替わり、シリカがエリに抱きしめられていた。エリがシリカに背後から体重を預ける形である。シリカの表情は愛玩動物のように穏やかで、立ったまま眠りについてしまいそうでさえあった。

 

「あうあー……」

「それで、桐ヶ谷君は今日なにか予定があるっすか?」

「ないけども……」

「じゃあほら、行きましょうっす」

 

 エリは俺の手を掴んで、教室から強引に連れ出した。

 透明感のある彼女の指先が絡んでくる。つい先程の密着具合を思い出してしまい、俺は借りて来た猫のように緊張してしまう。

 一方反対の腕で掴まれたシリカは飼い猫のように幸せそうな顔をしていた。

 ――なお校門で待っていたアスナとリズは、俺たちの姿を見るなりどうしてかまったく同じように頭を抱えた。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 カラオケボックスの中では彼女らの熱唱が室内に響き渡っていた。

 アスナとエリの音感は非常に優れており、正直自分が歌うのが恥ずかしくなるレベルであった。リズとシリカはそこそこ。俺については――まあ音痴ではないだろう。

 2人が言うにはピアノを習っていたおかげだろうとのことだったが……。それは歌に関係あるのだろうか?

 ドリンクバーから注いできたジュースを飲みつつ、エリのペースから抜け出して冷静さを取り戻した俺は、彼女の様子が気になっていた。

 別に変な意味ではなく、今日はやけに絡んでくるなと思ったに過ぎない。

 そもそもにおいて、エリという人物は人肌が恋しいタイプだった気がする。よくリズやアスナとは身体を密着させていくし、SAOではリズの店にいた頃だと彼女の膝の上に寝転がっているのが定位置だった。

 女性同士だとだいたいあんなものなのだろうか?

 俺に対しても数度そういうことをしてきたことはあったが、SAO末期では明確に一線を引かれていた覚えがあった。

 それに……。随分と楽しそうに笑う。

 無理に笑っているという感じではない。彼女が本気で欺こうとしているならきっとわからないだろうが、どうにもそうではない。

 元々暗かったわけではないが、彼女は格段と明るくなっていた。

 

「先輩! デュエットしませんか!?」

「いいっすよー。お互い知ってる曲となれば……ユナの曲っすかね」

「そうですね! ぜひ!」

 

 2人は肩を寄せ合って端末から曲を選んで入れていく。

 

「そういえば今度のユナのファーストライブ。先輩たちも行きますよね?」

「帰還者学校の全員が招待されてるやつ?」

「そう、それです!」

「私は行ってみようと思ってるけど。エリは?」

「私も当然行くっすよ。それにしても凄いラッキーっすよねー。普通に買うんだったら、倍率の凄い高い抽選に当選しないといけないんすから」

「ユナの大ファンでよかったわねー、あんた」

「じゃあじゃあ! 一緒に行きませんか?」

「もちろんいいっすよ」

「やった! それじゃあ今日はライブの予習ですね!」

「ふふふ。そんなのはすでに済ませてるに決まってるじゃないっすか」

「流石です、先輩!」

「私も行こうかな。キリト君は?」

 

 丁度曲を歌い終わったアスナが俺に聞いた。

 

「そうだなあ……。それじゃあ俺も行こうかな」

 

 ユナについては別にファンでもなんでもなかったが、ここはそうしておいた方が無難かと思いそう答えた。

 

「ちょっとジュース注いでくるよ」

「あ。私も」

 

 俺が席を立つと、アスナが一緒になって扉を潜った。

 曇りガラスの向こうではエリとシリカがマイクを持って歌い始めた所だったが、扉が閉まりきるとそれが遠くの出来事のように音が閉ざされる。

 聞き覚えのない曲が流れる廊下で、しばし俺とアスナは向かい合っていた。

 

「行こうか」

 

 ドリンクバーはこの階にはなく、俺たちは階段を下りることになる。

 

「ねえ、キリト君……。悩みがあるなら、私でよければ相談に乗るよ」

 

 階段の踊場でアスナの言葉に俺は振り向いた。

 不安そうに揺れる琥珀色の瞳が俺をじっと見下ろしていた。

 

「……俺ってそんなに顔に出やすいかな」

「ずっと、見てたからね」

 

 アスナはそう言うと階段を下り切って俺の隣に立つ。

 俺は今更改めて考える必要もなく、何度も出した答えを口に出した。

 

「エリのさ……。記憶、戻らない方がいいんじゃないかって……」

「うん……」

「忘れられるのは、そりゃあ寂しいけど、その方がエリのためだと思うんだよ」

「うん……」

「身体だって良くなったし。たくさん笑うようになったろ?」

「うん……」

「それにオーディナルスケールをやってたって記憶が戻る確証はないわけだ」

「うん……」

「こういうのは菊岡の仕事で、俺の出る幕じゃないしさ」

「うん……」

「だから……。それだけだよ……」

 

 それでこの話は終わりだ。

 

「それならキリト君はどうして悩んでるの?」

「それは……」

 

 ……どうしてだろう。

 これが正しい選択のはずなのに、なんで俺はこんなにも悩んでいるのだろう。

 

「わからない?」

 

 俺が頷くとアスナは得意げな顔をした。

 

「しかたがないなあ……。じゃあ、私がキリト君の言って欲しいだろうことを言ってあげるね」

 

 アスナは姿勢を正すと「コホンッ」と小さな咳ばらいをひとつ。

 

「私はエリの記憶がなくなって寂しいよ。だってエリと仲良くなれた出来事が、このままじゃなかったことになっちゃうんだもの。エリとは喧嘩してた記憶ばっかりだけどね。それでも私はこの記憶が好きだよ。それはもちろん楽しいことばかりじゃなくて、辛いことも沢山あったけど、それでも今の私を形作ってるのはあの頃の記憶だから。エリもきっとそう。私たちが友達になれたのは、SAOでエリにまた会えたおかげだから。――キリト君」

 

 アスナが繰り出すレイピア捌きのような、とても真っ直ぐな言葉が俺に突き刺さる。

 

「お願い。エリの記憶を取り戻して。これ以上誰かの記憶を失わせないで」

「………………」

 

 俺に頼むなんてお門違いもいいところだ。

 俺は確かにヒースクリフを、オベイロンを倒せたとはいえ、その実態は一介のゲーマーな高校生のガキでしかない。

 記憶を取り戻すなら医者やカウンセラーに頼むべきだし、オーディナルスケールを止めるのは菊岡や警察の仕事だ。

 だけど、俺はアスナの頼みを聞いて目の前の霧が晴れるかのような思いだった。

 ポケットの中に仕舞ってあった形態が震える。手に取ると出来過ぎたタイミングでオーディナルスケールのイベント通知が来ていた。

 

「……ああ、わかった。任せてくれ!」

 

 その言葉が、ずっと欲しかった。

 誰かに背中を押してもらいたかったんだ。

 サチ。情けない俺でごめん。でも俺は今度こそ行くよ。エリの記憶を取り戻しに。そしてこれ以上犠牲者を出さないために。

 ――君との大切な思い出を賭けて、オーディナルスケールの戦場へ!

 俺は急いで部屋へ引き返して、学校鞄とその中にこっそり忍ばせていたスティックコントローラーを取りに戻る。

 

「あ、キリト。どうしたの、そんなに急いで?」

「悪い。急用が入った。カラオケはまた今度誘ってくれ」

「はあ……。しょうがないわねえ」

 

 リズに平謝りをして、俺は勘定を適当に机に置くと再び走る。

 

「頑張れ、キリト君」

 

 廊下ですれ違ったアスナの声は、決して大きくなかったが、俺にしっかりと届いた。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 俺は山手線の改札を抜けると、すぐそこにある恵比寿ガーデンパレスまでの道のりを全力で走り抜けた。

 行きかう人々は俺のことを怪訝な目で見ていたが、そんなことはどうだっていい。

 この堪えようのない熱が、ただひたすらに俺を前へと推し進めていた。

 イベント会場のセンター広場にはすでに多くのプレイヤーが集まっていた。

 磨かれた石材の足場を早足で進み、顔を確認してはウサグーがいないか確かめる。

 暖色系の電球でライトアップされた広場を抜け、俺は階段を上って全体の見渡せる2階の通路へ赴いた。

 ここからならあるいはと考えた矢先、その男は見つかった。

 

「……何しに来た?」

 

 黒い革ジャンを羽織ったウサグーは厳つい表情で、拒絶の言葉を放つ。

 俺はそれを真っ向から受け止めて、やつと目を合わせた。

 

「記憶を取り戻しに」

 

 できるかどうかじゃない。やるんだ。

 

「ちっ」

 

 舌打ちを隠そうともしない横暴な態度。

 

「これ以上犠牲も出させない」

「好きにしろ」

「ああ。けどあんたはどうなんだ? 1人じゃ手が足りてないんじゃないのか?」

「そうでもないさ」

「俺は足りてない」

「………………」

「手を貸してくれ。お願いだ」

 

 腰を曲げて頭を下げる。

 エリやクラインの記憶に比べれば、頭を下げるくらいわけない。

 俺はプライドのためにここに来たわけじゃないんだ。

 ウサグーは速い段階からこの事件を調べていた。なにか情報を持っているかもしれない。それに彼の戦闘力もどこかで必要になるかもしれない。

 学校の彼女たちを巻き込みたくないという思いもあったが、そもそもにおいて攻略組だったアスナは体力の関係で戦力外。リズとシリカの2人にはすまないが、背中を預けられるほどの実力があるとは言い難い。

 だが昨日彼の見せた動きは、攻略組の中でも一部のトッププレイヤーにしかできないような芸当だった。ここがARであることも加味すればこれほどの使い手はそうそういまい。

 

「……やれるのか?」

「ああ」

「そうか……。上手くいかねえもんだな……」

 

 男が溜息を吐くと同時に周囲の光景がオーディナルスケールのイベントバトルの風景に塗り替えられていった。

 

「ウサグーだ。よろしく頼む」

「キリトだ。ありがとう」

 

 俺たちは力強く握手を交わし、同時に己の剣を抜いた。

 



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54話 眠れる者のための二重奏(4)

 俺とウサグーは今日もオーディナルスケールのイベントバトルにやってきていた。

 開始時刻よりもだいぶ早く待ち合わせをした俺たちは、近くにあるファミリーレストランで情報共有を兼ねて腹ごしらえをしていたところだ。

 清掃の行き届いた明るい店内には、他にもオーディナルスケールのイベントでやってきたと思われる客で賑わっていた。

 

「……どうした?」

「いや、食べ方が綺麗だなと思ってさ……」

「いいから見てないでさっさと食え」

 

 ウサグーは注文したビーフステーキをナイフとフォークで器用に切り分けて口に運んでいる。

 彼はライスもフォークで食べているのだが、皿の上にはご飯粒が残らず綺麗な状態がキープされていた。

 

「このくらいのことで相手に舐められずに済むんだから覚えておいて損はねえ。学校の勉強だけじゃなく、そういうことも学んでおくんだな」

 

 俺のプレートには先に切り分けたチキンステーキ。

 それを日本人らしく右手に持った箸で食べていたわけだが……。

 皿の上には張り付いたご飯粒がほんの少し。それと負けじと摘まんでぱくつくわけだが、どうにも手際や使っている食器の差で負けた気分にさせられる。

 

「随分いい生活をしてたんだな」

「それが意外とそうでもない」

 

 つい皮肉を口にする俺を、まるで大人の余裕を見せつけるかのように彼は受け流す。どうにも口の上手さでは敵わない相手らしい。

 

「それで、重村教授の方はどうだった?」

 

 ウサグーは皿の上を綺麗に平らげると、徐にそう問いかけてきた。

 

「取りつく島もなかったよ」

 

 重村教授とは、オーグマーの開発者である大学教授だ。

 俺は今日、菊岡を通して重村教授の講義を見学させてもらい、わずかながら話をする機会を得た。

 彼のゼミは茅場晶彦や須郷伸之といった人物がかつて籍を置いていた、俺にとっては因縁深いやつらの古巣だ。それだけで重村教授が黒だと判断するわけではないが、会ってみた印象では、彼もまた相当に怪しい男だった。

 

「オーグマーの記憶スキャニング機能については否認。SAO時代の記憶なんて全員が忘れたいものなんじゃないか、だとさ」

「ハッ」

 

 ウサグーは鼻で笑う。

 

「あとは教授の研究室で娘さんの写真を見つけた。名前は重村悠那。SAOでの被害者らしい」

 

 俺は菊岡から送ってもらった悠那の写真を、オーグマーの共有表示でウサグーに見せた。

 その外見は髪や瞳のカラーリングこそ違うものの、顔立ちなんかはオーディナルスケールのイメージキャラクター、ユナにそっくりだった。

 

「……SAOでのプレイヤーネームは『ユナ』。中層で歌を披露してたプレイヤーで、いくらかコアなファンもいたらしい。死んだのは去年の5月辺りだ」

「知ってたのか?」

「まあ、色々あってな……」

 

 ユナの情報を語ると、ウサグーは煙草を取り出して火をつけた。

 彼は無表情で煙を吐き出して、溜まった燃え滓を灰皿に落としていく。

 ここは喫煙席ではあるが、慣れない臭いに俺は思わず顔をしかめてしまう。

 

「自分で吸ってみれば気にならなくなる。一本どうだ?」

「こっちは未成年だぞ」

「冗談だ」

 

 ウサグーは悪戯が成功したのを喜ぶような、子供っぽい笑顔を一瞬だけ見せた。

 それはつまらなそうに吸う煙草とは正反対で、やけに印象的な笑顔だった。

 

「それよりこいつを見てくれ」

 

 ウサグーが画像ファイルを表示して、テーブルの上に置く。

 そこにはエイジとユナらしき人物が楽し気に並んで写っている写真があった。

 どちらも制服を着ていて、胸には造花の胸章。たぶん卒業式の日に撮影されたものだろう。2人の年齢はかなり若い。俺が菊岡経由で手に入れた悠那の顔写真は高校生のときのものであったが、これは中学生の頃の写真だろうか?

 

「2人は同じ中学に通っていたらしい。いわゆる幼馴染ってやつだ。高校は別だったようだが、交友は続いていたって話だ。そしてこのエイジの野郎はSAOにいたってことがようやく調べがついた。残念ながらエイジの現住所は不明。家がSAO事件の最中に売り払われてる」

 

 次に渡されたのは文書データ。

 そこには『後沢鋭二』という本名と、『ノーチラス』というSAOでのプレイヤーネーム、それからいくつかのプライベート情報が書かれていた。

 家が売り払われたのは両親の離婚が原因で、これを読む限りではエイジとユナはSAOで一緒にいたということだった。

 

「あんた探偵かなにかか?」

「俺が探偵じゃなくとも、金を積めば探偵は雇える」

「なるほど……」

 

 俺もSAOでは幾人かの情報屋とパイプを持っていたが、現実側でそういう相手の協力を得ようとは考えもしなかった。

 総務省に勤めている菊岡だけで十分と思っていたからだろう。学生の俺からすれば破格のコネクションだが、かといって菊岡は別段人探しのプロではない。アスナは現実をゲームに落とし込んで考えていたが、俺は攻略という観点でゲームを現実に落とし込むべきだったかもしれない。

 

「もっとも、ノーチラスに関しての情報は今一つだ。一応聞いておくが、お前は知らねえよな?」

「ああ。攻略組にはいなかったはずだ」

 

 攻略組は100人もおらず、ボス戦にまで出てくるのは最終的にはその半分くらいにまで規模が縮小していた。攻略会議では主要メンバーとも顔を合わせていたたし、幾度となく背中を預け合った間柄であれば忘れろという方が無理がある。

 ただし30人ものプレイヤーがあの75層のフロアボスによって失われたため、存命である戦友の数はかなり少なくなってしまったが……。

 そういうことから名前までハッキリ覚えておらずとも、顔も知らないやつがいるとは思えない。

 

「なら中層をメインゾーンにしていたんだろうが……。そいつと親しい人間は今のところ見つかってないらしい。お前は帰還者学校に通ってるだろ? 少し聞き込みして来い」

「わかった。そっちは任せてくれ」

 

 俺は中層で活動していたという数人の友人の顔を思い浮かべると、そのことを心のメモ帳に記憶しておく。

 

「ユナは生きてたと思うか?」

「いいや。それはない」

 

 えらくハッキリ否定するウサグーは、まるで見て来たような言い草だ。

 おそらくはSAOでユナを知っていたからだろう……。

 

「あのユナは外見だけ似せて作った人形ってところだろうな」

「……あんたはさ。好きな人とそっくりの外見をしたやつがいたとして、どう思う?」

「似てるだけで別人だろうが」

「そう、だよな……」

 

 ユイとサチは外見こそとても似ているが、ユイはサチではない。

 そんなことは頭では理解していた。だが理解しているからといって、そう振る舞えるわけではないのだ。ここ最近、理性を感情が押し潰す経験を俺は幾度となくしていた。

 もしかすれば、エイジや重村教授もそうなのではないかと思ったが……。

 

「ただまあ……」

 

 ウサグーは煙草を吹かせて、戯言だとでもいうかのように言葉を続ける。

 

「――放っておけねえんじゃねえか。好きな女と同じ面したやつが困ってたらよ」

 

 俺に気を使ったのだろうか。

 それともエイジや重村教授のことを言ったのだろうか。

 あるいは……彼自身のことだったのだろうか。

 ウサグーは俺と目が合うとニヒルに笑い、煙に巻く。

 

「そろそろ行くか」

 

 彼はそう言って、煙草を灰皿に押し付け立ち上がった。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

「お兄ちゃんー!」

 

 それが俺を呼ぶ声だということはすぐにわかった。

 なにせ毎日聞いてる声だ。間違えることはない。

 

「誰だ?」

「妹」

 

 軽く流すように走っている割にはかなりの速度を出して、俺の妹である桐ヶ谷直葉は俺たちの元へ迫ってきた。

 

「スグ、イベントバトルには来るなって言っただろ」

「エリさんみたいに記憶がなくなるかもしれないから、でしょ? 散々聞いたけどあたしはほら、SAOの記憶がないから大丈夫!」

「それはあくまで推測だ。絶対に安全っていう保証はないんだぞ」

「そんなに言うならお兄ちゃんが守ってよね。――もっとも、こっちじゃあたしの方が強いだろうけど」

「確かにそうだろうけどさ……」

 

 俺は早々に止めてしまった剣道を、直葉は律儀に8年間続けている。

 その成果として彼女は中学では全国大会でベスト8に入っているし、その技量の高さはALOでも散々見せつけてくれた。

 何度かオーディナルスケールでも共闘したが、その度に俺の付け焼刃な筋肉など鎧袖一触にするほどの身体能力を如何なく発揮して、イベントボスを斬り伏せている。

 以前自宅でやった腕相撲で3秒と持たず机に叩きつけられたのは、俺がジム通いをする原因の一端を担っていた。

 

「この人は?」

「ウサグーだ。初めまして、お嬢さん。君のお兄には世話にはなっている」

「………………」

「は、初めまして! 直葉――じゃなかった、リーファです!」

「よろしく」

 

 直葉は背筋を正して――いや元々真っ直ぐなのだが――そんな感じで自己紹介を返した。

 

「かっこいい人だね、お兄ちゃん」

「ああ……」

「お兄ちゃんもかっこいいよ?」

「ああ……」

 

 小声で話しかけてくる直葉に、俺はてきとうな相槌をする。

 確かに女性視点で見れば格好良い顔立ちなのかもしれないが、俺が飽きれてるのは別の部分だ。

 

「あんたも随分でかい猫を飼ってるんだな」

「そうとも。躾け甲斐のある猫だ」

 

 そういえば最初話しかけたときは礼儀正しそうな口調だったか。

 

「猫?」

「そろそろボスが出る時間じゃないかな?」

「あ、本当だ!」

 

 この日出現したのは18層ボス、『ザダイアータスク』。

 二足歩行をする筋肉隆々なモヒカンヘアーのイノシシというインパクトのある外見で、長い鎖のついた大斧を振り回すモンスターだ。

 油断していると前衛以外にも攻撃が飛んで被弾する、かなりの射程を持ったやつだったが……。

 

「やあああああああ!」

「………………」

「………………」

 

 遠距離攻撃中は走り回らないせいで逃げそびれて、張り付いた直葉があっという間に細切れにして倒してしまった。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 大理石の足床。光の立ち上る花壇。白亜の石柱。紅い蕾のような建造物……。

 空を流れる雲は、沈む寸前の太陽の輝きと、迫りくる夜の闇のコントラストで彩られていた。

 見知らぬダンジョンの前であるような気がする。

 目の前にそびえる紅い巨大な建造物はダンジョンの最奥。そこまでの道のりは綺麗な石畳で舗装されてまっすぐに伸びている。ここはまるで立派な城にあるような庭園だ。だとすればあれは宮殿ということになるのだろうか?

 

「おい……」

 

 俺の隣にいたウサグーが声をかけてくる。

 

「とりあえず進もう」

 

 わけもわからないまま、俺たちは宮殿へ向かって歩を進めた。

 しばらく歩くと、水路の上に架けられた橋の上に人影を見つける。

 その人影はユナであったが、俺たちの知るオーディナルスケールのイメージキャラクターのユナとは服装が違っていた。

 俺たちが知るのは黒を基調としたアイドル衣装の彼女だが、そこで水面を眺める彼女は白いジャケットを羽織った全体的に色調の正反対な格好である。

 

「ユナだな?」

 

 俺は確認のため声をかけると、彼女は俺たちの方を向いた。

 彼女の瞳には憂いが満ちていた。

 

「ここは何処だ?」

「アインクラッド第100層。紅玉宮よ」

「SAOの中なのか!?」

 

 衝撃が走る。

 茅場晶彦の口からはかつて俺は、第100層のラストダンジョンの名が、そのようなものだと聞いた覚えがあった。

 

「目が覚めたらすべて泡沫の夢かもしれない。まだあなたたちはSAOに閉じ込められたまま。そう思った事はない?」

「……思った事はある。だが、そう望んだことはない」

「辛い記憶を何もかも忘れてしまうことはいけないこと?」

「テメエの善悪なんぞ知るか。エリの記憶を取り戻す方法を教えやがれ!」

 

 ウサグーは今にも剣を抜かんとする勢いだ。

 その言葉を受けてユナはどこか嬉しそうに微笑むと、すぐに表情を引き締める。

 

「エイジと、お父さんを止めてください」

「やっぱり君は重村教授の娘さんなのか?」

「ランキングナンバーを上げて。そのままじゃ、ここの鍵を開けるには足りない」

「どういうことだ?」

「ごめんなさい。もう時間」

 

 視界が闇に飲まれる。

 いや、違う。辺りが暗いのだ。

 

「あ、れ……?」

 

 俺はベンチに腰掛けていた。

 そう……。確か直葉とイベントバトルを終わらせた後、都内で複数のイベントバトルが発生していたのだ。俺は直葉を送り返して、ウサグーのバイクにタンデムするとそのまま他のイベントバトルを回ったはずだった……。

 それから……。

 すべてのバトルが終わり、この公園で一息吐いていたのだと思う。

 

「おい黒猫」

「んあ?」

「寝ぼけてんじゃねえ」

「俺、寝てたか?」

「さあな」

 

 ウサグーは装着していたオーグマーを外して、それを凝視した。

 俺も耳元に手を当てると、オーグマーを着けたままだった。

 

「夢、だったのか?」

「お前も見たのか?」

「………………」

 

 俺は驚きを込めてウサグーの顔を見た。

 怪訝な顔をしているということは、彼も見たのだろう。

 あの紅玉宮と、そこに佇むユナの姿を。

 

「AR――じゃなかったよな」

「匂いが違った。オーグマーがそこまで再現できるなら別だろうが……」

「できると、思うけど」

 

 ユイがそういうプログラムを作ってたはずだ。

 オブジェクトであれば触感を感じ取れるものはすでに市場に出回っているし、味覚の再現にも成功していたと思う。

 ならば嗅覚を出力させることができても不思議ではないが……。

 

「けど重力設定が違った。さっきのはたぶん……SAOの中だ」

 

 フルダイブゲームは重力設定が現在一番の課題らしい。

 実際の差異は極僅かなのだが、それでも人間の感覚を騙しきるには足りず、フルダイブ酔いをする人間が一定数いるという。

 さきほどの感覚は、かつて旅したSAOの空気と同じだった。

 

「どうなってやがる……」

「わからない。でも……」

 

 SAOは未だ終わっていないのではないか。

 そんな悪寒ともいえるものが、夜風に乗せられて肌を撫でたようだった。

 

「……で、あのユナどう見る?」

「嘘は言ってないんじゃないか?」

「重村の手先って考えもあるぞ。上手く騙して俺たちにさせたいことがあるかもしれねえ」

「ありえなくはないけどさ。……信じてみようぜ」

 

 根拠はないけれど、彼女の言葉にはエイジや重村教授を想う心が込められていたように感じたのだ。仮に嘘だったとしても、なにかしらの情報は手に入るだろうし、悪くないんじゃないかと後付けながらに俺は考えた。

 

「はぁ……。了解勇者様。今回はお前の考えに従ってやるよ」

「そいつは光栄だな」

 

 俺たちはベンチから立ち上がり、それぞれの帰路へ向かう。

 

「なら明日からはラストアタックは積極的にか。やることは大して変わらねえな」

「それもそうだ。じゃあ、また明日」

「……ああ」

 

 俺の突き出した拳に、ウサグーは躊躇いながらも拳を合わせた。

 SAOでもこういうのは普通だったと思うんだけどな……。

 夜の街にバイクのエンジン音を響かせて去っていく彼の背中を、俺は少しの間見送った。



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55話 眠れる者のための二重奏(5)

「次はどっちだ!?」

 

 バイクのエンジン音に紛れて、ウサグーの声が聞こえる。

 

「あとは直進するだけだ!」

 

 俺はオーグマーのナビに従って彼の後ろから声を張り上げる。

 制限速度を若干オーバーして、黄色に変わった信号を通り過ぎる。

 今日もオーディナルスケールは大盤振る舞いで、都内では合計10カ所ものイベントバトルが行われていた。

 俺たちはすでに6カ所を巡りラストアタックを奪い去ってきたところだが、最後まで残っていた竹芝客船ターミナルすら手中に収めようと、バイクを走らせていた。

 

「行くぞ!」

 

 ウサグーは道路にバイクを停めて鍵を抜くと、歩道橋の下から覗く、人だかりのできたマストの元へと走り出す。俺も慌ててヘルメットを脱ぎ捨て後に続くが、彼が強引に人混みを掻き分けてくれたおかげでどうにかバトルの中心部には辿りつけた。

 

「「オーディナルスケール、起動」」

 

 周囲はすぐさま針山に囲まれた、霧の煙る円形のアリーナへと変貌した。

 漂う磯の香りはオーディナルスケールのもたらす拡張現実ではなく、現実のものだ。

 すぐに周囲を警戒。イベントのボスモンスターの姿を視界に捉えるも、やつはすでに襲撃体勢を整えていた。

 

「――ぐっ!?」

 

 急いだせいでまだ左手の盾は出せていない。

 右手に持った剣でそいつの牙を受け止め、薙ぎ払うと姿を黒い煙に変えてボスは遥か遠くへと離脱した。

 

「あいつは……、はぁはぁ……。第28層ボス『ワヒーラ・ザ・ブラックウルフ』だ……」

 

 度重なる連戦で体力の底も見え始めている中、最悪の出会いだった。

 こいつは即死するような連撃こそしかけてこないが、威力の高い単発攻撃と、とてつもないAGIを持つボスモンスターだった。オーディナルスケールのシステムバランスに照らし合わせても、性能を発揮できる厄介なタイプだ。

 

「攻撃方法は……突進、それから……直線範囲……」

 

 10数メートルもの距離を1秒もかからず失踪する赤黒い毛並みの大狼は、移動の際は身体を瞬時に黒い煙へと変貌させる。

 走るという行為は動きの予兆があるが、こいつの場合靄が蠢くだけだ。

 空中を増減する流体は変則的な動きを見せている。すでにHPバーの3本目で行うフェイント攻撃まで入っているようだ。

 煙は攻撃することで散らすことができるが、ダメージの入りは悪い。

 だが近づくには圧倒的に速度が足りない。狙うは攻撃中に実体化する一瞬のみだ。

 

「カウンター狙いで行くぞ」

「はぁ、はぁ……あいよ……」

 

 ウサグーは短剣を逆手持ちにして答える。

 左手に盾を出し終えると、俺は目の前に向かってきた黒い煙を凝視した。

 直進。左に煙が膨れ上がるが、それは急速に萎んで右側に集中する。

 不可能と判断。2歩進んで剣を横薙ぎに。一度散らして次の攻撃モーションに移らせる。

 ボスは即座に俺を通り過ぎて後ろへ去っていくも、振り向いたときには反転してすぐそこまで迫っていた。

 眼前の闇から赤黒い色彩が目に入ると俺は盾をずらしてそれを受け止める。

 

「スイッチ!」

 

 衝撃エフェクト。

 時間にして0.3秒の世界。

 ボスが僅かに仰け反り煙に再び戻ろうとしているところを背後から斬り裂くウサグー。

 体勢がふらついたところで俺の剣も後を追い、ボスの身体に線を刻んだ。

 

「はぁ、はぁ……」

 

 息も絶え絶えになりつつ、俺たちは攻撃を捌いてボスを追う。

 他のプレイヤーがわけもわからず襲われていればチャンスだ。攻撃のため完全に実体化したところを背後から斬ることができる。

 

「さあ! スペシャルステージだよ。頑張ってー!」

 

 本日何度目かのユナの声でステータスアップのアイコンが表示される。

 防御力アップはとにかく大事だ。これで多少はマシになる。

 戦場はバランス調整をミスしたおかげで俺たちの独壇場だった。

 近接武器ではヒットアンドアウェイに反応が付いて行けず、遠距離武器では狙いを絞りきれていない。たまに散発的な射撃音がして空中に色鮮やかな弾道エフェクトが輝くも、それは掠りもせず、逆に襲われゲームオーバーを余儀なくされる。そのためすでに攻撃をしかけるプレイヤーもほとんどいなくなり、嬉しいことに大抵のプレイヤーは遠巻きに眺めていた。

 だが俺たちもHPこそ残っているが、生身の体力はガス欠状態。

 足を止めて背後をカバーし合い、どうにか正面に突っ込んできたときだけ撃ち落とすことしかできなくなっている。

 残り時間はあと3分。

 逸る気持ちと心臓を押さえつけ、冷静に攻撃を捌くしか活路はない。

 

「グルォオ!」

 

 背後でウサグーに散らされ、俺の横を通り過ぎた一陣の黒い風が、20メートルくらいの距離を取って実体化。短い雄叫びを上げる。

 

「まずっ――」

 

 俺は後ろに立つウサグーを剣を捨てた右手で押し出す。

 

「なにしやがる!」

 

 影が地面を伝って直線に伸びる。そこから影は上へと立体的突き出て、アリーナを囲むような針山を生み出した。

 瞬きをするほどの合間に俺の身体は1本の棘に貫かれる。盾が間に合う速度ではなかったが、運よくもう1本は盾に阻まれ食い止められていた。

 

「……サチ」

 

 HPがみるみるうちに減少する。

 オーディナルスケールでは防具性能がないためダメージはかなり大きい。

 6割あったHPがどんどん左端へと追いやられ――レッドゾーン、残り1割で停止した。

 

「グルォオ!」

 

 棘は現れたときと同じように一瞬で引き戻され、ボスは一鳴き。

 身体は煙に変わり、上下を含めた高速移動に移る。

 弾けるように消えては煙の欠片に集まり、前身だけでなく後退すら加わった多角的な移動。下がったと思えばすでに半実体化した狼の頭と前足が頭上から襲い掛かるところであったが、俺は盾を貼り付けて受け止めようとする。

 けれどもガードをすればこのHPでは耐えきれない。

 

 

 

 俺は自分の死期を悟った。

 

 

 

 

 SAOと違い、記憶を失うだけで肉体の死までは及ばないはずだ。

 

 

 

 

 

 だがサチたち月夜の黒猫団の記憶は俺の命よりも重い。

 

 

 

 

 

 

 これを失えば、俺は死んだも同然だ。

 

 

 

 

 

 

「――スイッチ!」

 

 横から身体をぶつけるほどの勢いでウサグーが現れると、ボスの身体を通り抜けて地面に倒れる。

 ボスも彼の突進の勢いに負け、俺の隣に転がり地面を滑った。

 目の前には放られた片手剣。

 その剣は俺がさっき落とした物で、ウサグーが倒れる寸前に投げ渡したのだった。

 空中に浮かんだそれをキャッチすると、俺は手首を翻してボスの頭を貫く。

 ビクリと大狼は身体を震えさせて――ようやくボスは花火のように弾けて消えた。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 どこか遠くの出来事のように聞こえるファンファーレ。

 視界が明滅するほどの疲労感。

 俺は片膝を着いて荒い息を整え、ウサグーは地面に大の字になって倒れていた。

 頭上からはランキングが更新されたSE。

 ウサグーは9位に。俺のは見上げて確認すると、ようやく5位になったと表示されていた。

 

「コングラッチュレーション」

 

 渇いた拍手の音。

 声のした方向に目を向けると、発光する紫の線模様をしたSFチックな黒のボディースーツに、腰からハーフマントを伸ばした青年が立っていた。

 

「エイジ……」

 

 彼がランキングナンバー2位。エイジである。

 

「流石、SAOをクリアに導いた黒猫の剣士なだけはありますね。――そちらの方は知りませんが、あたなも腕は立つようですね」

「おまえ……!」

 

 よろよろと立ち上がったウサグーが、エイジに向かって殴りかかる。

 

「カハッ!」

 

 だがエイジは簡単にウサグーの手を取ると、空中で一回転させて地面に叩きつけた。

 

「やれやれ。血の気が多くていけませんね。……まあいいです。あなたたちにはユナの代わりにご褒美をプレゼントしましょう」

 

 オーグマーに1通のメールが送られる。

 

『ユナのライブに来い。そこで記憶を返してやる』

 

 エイジはコミックヒーローのような人間離れした跳躍でその場を去り、夜闇へ消えていく。

 追いつくのは、体力が全快であったとしても決して不可能な速さだった。

 

「おい待て! この、グッ……」

「大丈夫か!?」

「平気だ」

 

 起き上がるもふらつくウサグーに駆け寄り、俺は肩を貸す。

 あんな状態でも受け身をきちんと取っていたようで、彼は少しすると自分の足で立ち、服についた砂を払う余裕すら見せた。

 

「なんか仕掛けがあんな……。パワードスーツか?」

「あんな薄い服に仕掛けられるものなのか?」

「米軍で開発してるのにそういうのがあったはずだ。日本にあっても不思議じゃねえ。でかいスポンサーのいるところは羨ましいもんだ。他になんか気づいたことはねえか?」

「……首だ」

「首?」

「あいつの首に妙な起伏があった。パワードスーツだっていうなら、たぶんそこが制御系になってるはずだ」

 

 去り際に見せたやつの背中。その首筋にはエリの装着していた物に似た装置がついているように見えた。全身を操作するにはその位置が一番効率がいいのだと、医療用オーグマーについて聞いた際ユイが教えてくれたのもあって、予想は半ば確信に近い。

 

「なるほどな……。まあ覚えておくか。あとはこいつをどうするかだが……」

 

 ウサグーが言いたいのは送られてきたメールについてだろう。

 ライブは明日。そこで決着を着けようという話なのだろうが……。

 

「まず間違いなく罠だな」

「そこまでする必要があるとは思えないけどな……」

 

 エイジの身体能力――パワードスーツの力であろうとも、そのスペックを考えればわざわざ遠回りな手段を取る必要は感じられない。

 俺たちを力で捻じ伏せれば済む話なのだから。

 

「有利な時こそ慎重な手を打つもんだ。なにせそれをするだけの余裕がある。あとは、ここで止めを刺さなかったってのもあるな」

「確かにそうだ」

「つまり俺らだけじゃねえ。他のやつらも呼び込んで、なにかしでかすつもりなんだろうよ」

「……皆には来ないよう言っておく」

「そうしてくれ。あとは総務省の菊岡だったか? そいつにも連絡な」

「わかってるよ」

 

 皆明日のライブを楽しみにしていたが、もしものことがあると思えば止めざるを得ない。

 菊岡にも話を通して、いつでも動けるように控えてもらおう。

 

「俺はチケットあるけど、お前はあるのか?」

「あー……。当てならある。なければないなりに、どうにかするさ」

「他には……」

「さっさと帰って寝ろ。そいつが一番重要だ」

「そうだな」

 

 流石にこの連戦はキツかった。

 これでランキングナンバーがなんの役にも立たなければ、化けて出た白いユナを除霊してもらうところだ。

 帰りはここからだと……浜松町駅から山手線に乗って、そこから西武線に乗り継ぎか。

 

「そうだ。さっきは助かった、サンキューな」

「ん? ああ、お互い様だ」

 

 ウサグーの出した拳に俺は拳を合わせる。

 

「明日も頼むぜ。黒猫の剣士」

「そっちこそ、背中は任せたぜ」

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 帰りの電車の中で俺はアスナに連絡を取ると、ALOで会って話を聞きたいと返信があった。

 別段彼女たちに連絡を回すのであればリズに告げてもよかったのだが、連絡事項となるとどうしてもKoBの副団長様にするものというイメージが抜けていない。

 彼女はそういったプレイヤー間の擦り合わせもしてくれていた委員長タイプの人間で、攻略組のプレイヤーは大いに助けられたものだ。

 そういうこともあってか直々のお呼び出しともなると、なぜだか先生に怒られに行く生徒の気分を感じてしまう。

 あとはこの前のこともある。まさか本で叩かれるとは思わなかった。

 あれからまだ1カ月も経っていないのに、また随分と歳を重ねた気がする……。

 このままだと俺の精神年齢はすぐに老成の域に達してしまいそうだ。

 

「キリト君、おかえり」

 

 ALOのアインクラッド1層にあるNPCレストランに着くと、先に待っていたアスナが微笑んで俺に声をかけた。

 穴場の店で、しかも時間も遅いということもあって付近に他のプレイヤーの姿はない。

 

「た、ただいま?」

 

 この場合適切なのかわからないが、とりあえずそう返事をすると、アスナは満足そうに頷いた。どうやらこれで正解だったらしい。

 

「それで、明日のライブなんだけど」

「危ないかもしれないから来るな、でしょ?」

「悪い」

 

 アスナには皆に連絡してもらうことになりそうだから、それも含めて俺は頭を下げた。

 

「……でもキリト君は行くのよね?」

「えっ。……まあ、そうなるな」

「それならって訳じゃないんだけど……。私もね、行こうと思う」

「本当に危険なんだ!」

 

 俺は思わず声を荒げてしまった。

 だがアスナは驚くこともなく、いたって冷静に俺を見つめている。

 

「お願いだ……」

 

 視線を逸らしたのは俺からだった。

 震える声で懇願したのは、月夜の黒猫団が壊滅した日を思い出したから。

 あのときもっと俺が必死に止めていれば、彼らは生きていたはずだった。だからもう、同じ轍は踏めないと心が叫んでいた。

 

「もし私がライブに行かなくて、代わりに誰かの記憶がなくなっちゃったら辛いもの。逃げないで戦うことを選んだのが閃光のアスナだから」

 

 その言葉を聞き、俺では彼女を止められないことを悟った。

 今の姿こそ青髪のウンディーネであったが、アスナの本質はなにも変わらない。

 アスナは剣士なのだ。それもあの鉄の城を駆け抜け、共に剣を振るった最強の剣士である。

 彼女が一度戦場へ赴くと決めたのなら、俺に止める権利はない。

 

「もちろん、皆には来ないように言うけどね。それでもリズは来るんじゃないかな」

「リズは剣士じゃないだろ」

「あー! キリト君、そういう偏見は駄目だよ。リズも芯は私に負けないくらい強いんだから」

「ああ……。そうだな。うん。そうだった。ごめん」

「わかればよろしい」

 

 リズのことを胸を張って言えるアスナが微笑ましい。

 

「俺さ。アスナとリズとエリの3人が一緒にいるところを見るのが好きだよ」

「……どうしたの急に改まって」

「なんでかな……。でもそれを取り戻すために戦ってるんだと思うと頑張れる気がする」

 

 本当の理由はわかっている。

 それはリズとエリと、そしてサチが一緒にいた頃を思い出せるからだ。

 この場合エリのポジションにアスナが来て、サチのポジションにエリが来るイメージ。

 そこにシリカが加わえてやってもいい。彼女は……俺のポジション? いや、俺はあんな感じじゃない。そうだろサチ……。

 

「そっか……」

「ありがとな、アスナ。俺の背中を押してくれて」

「なんのことだったかな?」

 

 誤魔化してくれるアスナの気遣いがありがたい。

 男として、あんまり情けない姿は覚えておいて欲しくないものだから。

 

「あ、そうだ。アスナには聞いてなかったと思うんだけど、エイジ――じゃなくてノーチラスってSAOプレイヤーに聞き覚えはないか?」

「この前イベントバトルで見かけた体操選手みたいな動きをする人のこと?」

「ああ。そいつ」

「一時期だけど、KoBにいた人だと思うよ」

「なに!?」

 

 中層にいたものだと思い込んで、その辺りのボリュームゾーンのプレイヤーに聞いて回っていたのが仇となった形だ。灯台下暗しとはまさにこのことである。

 俺は頭を抱えるも気を取り直してアスナに詳しい話を聞くことにした。

 

「どんなプレイヤーだった?」

「うーん……。あんまり詳しくは知らないんだけどね。当時は真面目で素質もあったんだけど、死の恐怖を克服できなくて一度もボス攻略戦には参加できなかったの。ほら、うちって少数精鋭だったでしょ? それでギルドの方針には合わないから別のギルドを勧めたの」

「……随分プレイスタイルが変わったんだな」

 

 とは言うものの、オーディナルスケールには死の危険がない。

 大抵のプレイヤーが当時とはプレイスタイルが変わっていても不思議でない話だ。

 

「他には? バトルスタイルとか。なんでもいい、情報がいるんだ」

「………………。確かキリト君と同じ片手直剣オンリーで、体術スキルを組み合わせたスタイルだったよ。一時期はキリト君のせいで流行ってたからね」

「む……」

 

 俺も攻略組では最古参に位置するため、そういうプレイヤーがいてもおかしくないが、こう面と向かって言われると嬉しいような、恥ずかしいような気分だ。

 

「つまりショートレンジよりのミドルレンジファイターか」

 

 SAOは近接武器オンリーだったが、デスゲームというギリギリの戦いであったせいで僅かなリーチの差で戦闘距離が分けられていた。

 片手剣なんかを一般的な中距離として、短剣や体術が近距離、槍や大剣なんかが遠距離に区分される。

 俺の場合は普段こそ体術の間合いに引き寄せるためショートレンジよりになるが、盾を持ったときは純正のミドルレンジ。

 アスナはやや突き主体で差し合いをする関係からロングレンジに寄ったミドルレンジ。

 エリはPvEではショートレンジで、PvPならロングレンジ……いやショートレンジか? 相手に合わせるタイプだったと思う。

 武器種では計れないイレギュラーなリーチを持つ物もあり、戦闘方法によっても左右されるため一概には言えないが、片手剣と体術ならたぶんそうなるだろうと俺は予想した。

 

「えっとたしか……。ショートレンジだけど広く間合いを取る人だったかな」

「カウンターが好きだった、とかか?」

「ううん。積極的に攻める人だったよ。足回りがよくってね。障害物を使って三角跳びとかができる人だったの」

「それは……惜しい人材だったな」

「うん。でも最後に頼るのは技術じゃなくて心だから……」

 

 まあそうだろう。どれほど模擬戦や格下相手に良い動きが出来ても、いざというときに戦えないのでは話にならない。

 

「片手直剣で間合いの外から跳びこんでくるタイプか……」

「そうだったと思う。ねえ、彼がなにか関係してるの?」

「………………」

「まあいいけどね。今回はキリト君に任せます。――他に私に手伝えることってある?」

「無事でいてくれ」

「うん」

 

 俺はその後アスナと別れると、こっそりリズの店まで足を運んだ。

 店の裏手はなにもなく、開けたスペースになっている。そこはかつてエリとサチ、それから俺も一緒になって剣の練習をした場所だ。

 

「――サチ。俺はもう、なにも失わせない」

 

 俺はそれだけを告げて、ALOからログアウトした。



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56話 眠れる者のための二重奏(6)

 俺はユナのファーストライブが行われる新国立競技場のスタジアムへと足を踏み入れていた。

 楕円状のスタジアムの中央に巨大なステージがあり、そこを囲うように競技場だった床にもパイプ椅子が並べられているほどの盛況ぶりだ。

 帰還者学校の生徒全員に無料配布されたチケットが俺にはあったが、思い返せばこれも随分とおかしな話だった。

 昨日の内にクラスの友人にメールで来ないようにとも告げておいたが、どれだけ本気で取り合ってくれたかはわからない。おそらくここにはあの学校の生徒も多く集められているのだろう。

 

 俺は一度アスナ達の様子を見に行ったが、案の定リズはやってきていた。

 だが困ったことにそこへ付いてきたシリカとエリもいて、決戦前から大いに頭を悩まされる羽目になった。

 シリカはアスナやリズがいるのに圏内に引き篭もっていられないと熱い友情を見せ、エリに至ってはもう記憶がないからと危機感のない様子であったが、もしものときはすぐにオーグマーを外すと言っていたからたぶん……平気だと思いたい。

 それに今日ここに来ていた頼れる仲間の姿もあった。あこぎな商売人のエギルだ。あいつを彼女たちの側に置いていれば、不測の事態になっても身を挺してなんとかしてくれるだろう……。

 そうして開始時刻を待っていると、俺のオーグマーにエイジから地下駐車場へやってくるようメールが送られてきた。

 「トイレに行ってくる」とバレバレな嘘を吐いて席を立つと、ウサグーに連絡を取って通路で落ち合い、俺たちは並んで呼び出しの場所へと向かった。

 

 地下駐車場はこの日、一部の職員にしか解放されていない。

 その地下3階ともなればおそらく誰も足を踏み入れることのない区画だった。

 エレベーターの液晶パネルが数字を増やしていくのを俺たちは息を呑んで見守り、自動扉がようやく開かれる。

 静まり返った薄暗い空間は、緑のLED電球で照らされていた。

 エイジの姿はすぐに見つかる。やつはエレベーター近くの支柱に背を預けてハードカバーの本を開いていた。そのハードカバーには見覚えがある。SAO事件記録全集だ。

 

「約束通り来てやったぜ」

 

 俺の言葉にパタンと音を立てて本を閉じ、エイジはこちらに視線を向けた。

 

「逃げずによく来ましたね」

「覚悟はできてんだろうな?」

「急かさないでくださいよ。ウスグーさん、でしたっけ? あなたのことは終ぞわからず仕舞いでした。この本のどこにも載っていない」

 

 エイジの放り捨てた本が地面を滑ってウサグーの爪先にぶつかる。

 

「黒猫の剣士さんの隣にいるから警戒していましたが、どうやらあなたは僕と同じ路傍の石だった訳ですね」

「好きに考えてろ。俺は俺だ」

 

 ウサグーは特に気にすることもなく不遜に笑ってみせると、足元にあったこれ見よがしに踏み潰した。3Dオブジェクト特有のノイズが本に走る。

 

「そういうお前はノーチラスだな。死の恐怖に怯えて戦うのを拒否したっていう」

「今の僕はエイジだ!」

 

 エイジの怒号。明らかに動揺が窺えた。

 

「あなたこそ、仲間を守れなかった独りぼっちの黒猫じゃないですか」

「…………それがどうした」

 

 今更事実を指摘されたくらいで揺らぐものか。

 そうであればとっくの昔に剣を捨てていたとも。

 だがこいつはたった今、月夜の黒猫団を馬鹿にした。ならば倒す。俺の戦う理由はここに来て1つ増えた。

 

「まあいいです。しかし2人がかりだからといって、ランキング2位の僕に勝てると思っているのですか?」

「そっちこそ大層なオモチャをもらったみてえだが、その程度で負けねえと思ってんのか?」

「ふっ……」

 

 俺たちはスティックコントローラーを取り出して構える。

 

「「「オーディナルスケール、起動!」」」

 

 3人の声が重なり、次の瞬間にはAR上に表示された仮想の剣で斬りかかっていた。

 その距離僅か5メートル。互いに2歩も踏みだせば届くほどの近さ。

 だがパワードスーツで強化されたエイジは俺を遥かに超える速度で接近すると、振り上げたばかりの俺に向かって、すでに剣を振り下ろし始めていた。

 

「くっ!?」

 

 右手から意識を離して左手を横に動かす。

 エイジの持つ黒い片手直剣の刀身は盾に触れエフェクトの火花が起こった。だがそれは実態無き虚像の剣と盾だ。弾かれ合うことなく擦り抜けて、互いの拳がぶつかってようやく止まる。

 左手が痺れる。フルダイブでは起こりえない痛みをアドレナリンで誤魔化し、右手の剣をやつの肩から袈裟切りに振り下ろそうしたが、間合いを読み切られて一歩だけ下がると寸前で当たらない。

 視界の端ではウサグーはエイジの背後を取ろうと、支柱を影に大きく時計回りで動いている。

 エイジの剣が俺の足を払う。バックステップでそれを躱すもコンクリートの床にはエフェクトの切断跡が刻まれて視界を覆う土煙が舞い上がった。

 俺は即座に後退を選択。視界不良の状態でエイジの動きについてはいけない。

 

「ハッ!」

 

 エイジが予期せぬ方向から跳びかかる。

 上空だ。やつはあろうことか天井を蹴って加速したのだ。

 咄嗟に構えた盾。それを持つ左手がやつの空いた左手に掴まれ払われる。

 

「こはっ……!?」

 

 振りかぶった突きが俺の胴体に突き刺さり、拳が抉る。

 身体が薙ぎ倒されるほどの威力。

 俺は勢いのまま乱暴にコンクリートの床へ叩きつけられた。

 立て続けに鳴り響く金属音。

 腹を押さえて起き上がると、ウサグーが左右の腕でボクシングのようなファイティングポーズを取りエイジに殴りかかっているところだった。

 金属音はウサグーの右手に握られた短剣がエイジの剣を捌いている音で、それが時折エフェクトの光を輝かせる。

 俺はSAOに――ゲームというカテゴリーに囚われていた。

 これはオーディナルスケールの皮を被ったストリートファイトだ。

 エイジは圧倒的なボディーパフォーマンスを駆使してウサグーに蹴りを入れるも、俺のように無様に転がることはなく、きっちりと左右の腕をクロスさせてガード。さらに威力を減らすため、自分から後ろに跳んだようだ。

 

「はぁ、はぁ……」

 

 俺は息を整えつつ様子を窺う。

 この身体はフルダイブのアバターじゃない。オーディナルスケールのHPとは別に、実際のHPが存在する。それはダメージを受けるほど身体機能が減少する厄介なステータスだ。

 いかにフルダイブの戦闘が楽なのか実感する。

 ARの攻撃に対する防御は最低限でいい。あれは外見とは裏腹に質量のない攻撃だ。

 肝心なのは手足の動き。あれは仮想の剣をすり抜ける。まるでALOで戦ったユージンの魔剣グラムみたいな性能だ。

 どうすればいい?

 今必要なのは我武者羅に立ち向かう勇気じゃない。

 慌てるな。勝てる。俺は俺を信じて最適な行動を模索する。

 エイジとウサグーの戦いはエイジが押しているように見えるが、ウサグーの防御も上手い。盾を使わない、ステップでの回避がSAOでも主体だったのだろう。

 ともすれば俺の盾も不要なのか。エイジと同じ片手をフリーにした方が幅が利くように思える。

 俺はSAOでの戦闘経験を掘り起こし、瞬時に流れをイメージした。

 息を吸う。休憩は終わりだ。

 

「うぉおおおおおお!」

 

 雄叫び。破れかぶれの攻撃に見せかける。

 構えは盾を突き出し、右手を引く形だ。

 エイジは上半身を引いて俺の右フックを避け、左手を伸ばして盾の内側に潜り込ませた。

 

「――っ!」

 

 だが手を掴んだのは俺。

 盾は宙へ投げ出され、あるべき場所に左手が置かれていなかったためだ。

 盾は視界を遮る壁でもある。

 エイジは強引に振り払うも先に俺の裏拳が胸に当たる。ついでに刀身も触れてHPも削れているだろう。

 追撃といわんばかりにウサグーは背後から殴りかかった。

 それを察知してかはわからないが、エイジは一度上空へ逃げる。

 天井を足場にして離れた位置へ着地。平然と立っている様子は、ダメージが入っているようには見えなかった。

 

「スーツに耐衝撃性がある。首から下は意味がねえな」

「先に言ってくれ」

 

 装備の性能差のあまり、裸で戦わされている気分だ。

 

「ははははは! SAOをクリアに導いた黒猫の剣士もこの程度ですか!」

「黒猫、合わせろ。今度は俺が前に出る」

 

 ウサグーが小声で囁く。

 

「ノーチラス! テメエも大したことがねえな。逃げ腰が板についてるぜ!」

「僕はエイジだぁああああ!」

 

 地面に切先を擦らせて、土煙を巻き上げながら走るエイジ。

 ウサグーはそれを短剣を投げつけることで牽制。

 目を狙うダーティープレイも厭わないが、エイジは首を捻るだけでそれを避けた。

 しかしこれでウサグーの右手は空いた。

 彼は両手を別々に動かし、エイジの腕を掌で弾いていく。

 足を止めた瞬間、俺はエイジに向けて剣を振った。浅いが彼の足にエフェクトが残る。俺の剣よりも実物の拳を使うウサグーに気を取られ、ようやくできた隙だった。

 エイジの剣が再びコンクリートを引き裂く。

 土煙に視界を奪われつつも俺はエイジの背後に回り込んで頭の来る位置を予測。そこへ向かって全力で拳を振り抜いた。

 

「くそっ」

 

 エイジは背後に視線を向けていたため、ギリギリで頭を低くして逃れられた。回避の代わりに彼は跳躍ができず、靴底が地面と擦れて黒い焦げ跡を作る。

 

「逃がすかよ!」

 

 土煙から跳び出す影。

 止まるエイジ。ウサグーが拳を握りしめる。

 エイジが笑みを浮かべ――すぐに驚きに変わる。

 カウンターを狙った掌底。けれどそれは空を切った。

 ウサグーは拳を短く動かしただけ。この絶好のタイミングでフェイントを繰り出したのだ。

 エイジの腕を軽く払い、今度こそはと上半身を動かすもこれさえフェイント。

 仮にウサグーが拳を出していても当たらない速度でバックステップしていたエイジに、彼はステップインして追い縋る。

 まるで全速力で駆けるような動きだが、そのすべてがフェイントと回避の応酬。

 真に透明な刃が、エイジの体力をじわじわと削っていく。

 

「調子に乗るなぁああああ!」

 

 支柱に追い込まれたエイジ。そう見えるも、実際は足場にするために動いたに過ぎない。

 やつは天井まで伸びるそれに足を掛けて跳びあがると空中で一回転をしながらウサグーの腕が届かない位置より切先だけを触れさせて背後に着地する。

 俺はそこを狙って一閃。エイジの剣が俺の剣を防ぐも、俺はさらに一歩踏み込み、空いた左手で体術系ソードスキル『閃打』を再現。

 利き腕でなくとも、慣れ親しんだソードスキルの軌道は現実においても寸分違わず繰り出された。

 エイジがそれを左手で弾くも、今度は後ろから迫るウサグーの拳に追われる。

 ついにエイジは右手でガードを試みるもウサグーは相変わらず攻撃を繰り出さない。

 俺は剣の間合いまで引きつつ顔に突きを放つ。入り乱れた近接戦で下手に近づけば同士討ちを狙われかねないからだ。

 エイジが俺の剣を見切り首を曲げ――やつの身体が沈み、振り返ったところをウサグーの拳がついに捉える。おそらくは顔を狙った拳を繰り返し注意力を集中させてから、足払いで体勢を崩したのだ。

 スーツで顔以外は無敵だと思わせたのもこのためだったのかもしれない。

 地面に倒れつつも、エイジはすぐさま腕を使って前転。距離を取って起き上がる。

 

「今更、卑怯だなんて言うなよ?」

 

 エイジは血の混じった唾を吐き出し、忌々しくウサグーを睨む。

 

「SAOなんてクソゲーの記憶、貰ったっていいじゃないかぁあああああああ!」

 

 エイジがウサグーの懐に駆ける。

 ウサグーのパンチ。だがそれに動じずに踏み込んだエイジが拳を頬に掠らせながら、ウサグーのボディにカウンターを一発。さらに後ろへ回り込むと、彼の背を踏み台にしつつ蹴り飛ばす。

 

「くはっ……!」

 

 ウサグーは受け身も取れず頭から倒れる。

 そして彼を助ける間もなく上空から踵落としが俺に襲いかかった。

 ステップで避けるも、続く怒涛の連撃に手が出せない。

 

「お前らの記憶さえあれば、ユナは、ユナは生き返るんだぁあああああああああああ!!」

「――がっ!」

 

 ついに腕を取られ、遠心力を駆使して数メートルの距離を投げ飛ばされる。

 コンクリートの壁に打ち付けられて地面に落下する前に蹴りの追撃を受け、俺の身体はサッカーボールのように跳ねまわった。

 

「はぁ、はぁ……」

 

 エイジもついに体力の底が見え始めた。

 けれども身体に力が入らない。俺の剣はコンクリートの上に転がっていた。

 

「うるせぇえええええええええ!!」

 

 ウサグーもさっきのでかなりのダメージを受けたはずだ。その証拠に足がふらついていた。

 だが彼の瞳からは闘志が一向に衰えていない。

 彼は死んでも立ち上がるのではないか。

 そう思わせるほどの気迫を全身から漲らせていた。

 

「雑魚が! 僕の邪魔をするなあああ!」

「うぉおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 エイジが叫び、ウサグーも殴りかかる。

 だがいかに気迫があろうとすでに死に体。ウサグーはあっけく腕を取られる。

 強引にそれを抜けるウサグー。

 彼が先に使った左腕。それがへし折れた。

 

「砕けろおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 背後へ回った彼が右腕でエイジの首を掴むと、雄たけびを上げ、火花が弾けた。

 ARが見せるエフェクトではない。それは本物の火花。

 握力だけで、ウサグーはパワードスーツの制御系を握り潰したのだ。

 

「かはっ!?」

 

 仮に金属パーツがなければ首を折られていた一撃。

 制御系だけが犠牲になりエイジは無事だったが、もうあの力は発揮できないはずだ。

 

「腕の一本くらいくれてやる」

 

 だらりと下がった左腕は本来あり得ない方向に曲がっていた。

 

「黒猫! 寝てんじゃねえ!」

 

 負けて、られないな……。

 

「「うぉおおおおおおおおおおおお!」」

 

 エイジと俺の声が重なる。

 落とした剣を再び握りしめ、互いの姿が交差した。

 

「俺たちの、勝ちだ……!」

 

 エイジが膝をつき、オーディナルスケールのアバターが解除された。

 軽快なファンファーレが頭上から聞こえ、俺の順位が2位に押し上げられる。

 

「さあ……。エリの記憶を、取り戻す方法を教えやがれ……!」

「フフフフフッ……」

 

 エイジは支柱を背に座り、狂気的な笑い声を上げた。

 

「ここにはSAOサバイバーが集められている。ここでやつらの脳からSAOでの記憶をスキャンして奪ってやるのさ」

「そんなことはどうでもいい……それより、記憶を戻す方法を教えろ……!」

「あるわけないだろ。戻す方法なんて一々考えてるかよ。騙されたんだよ、馬鹿がっ!」

「クソッ!」

 

 胸倉に掴みかかったウサグーが乱暴にエイジを離す。

 

「会場だ。とにかく行くぞ」

「………………」

「ウサグー!」

「……ああ」

 

 SAOでの記憶を奪うならユナのライブ会場にボスモンスターが配置されるはずだ。

 俺はウサグーに一喝すると、エレベーターへ足を急がせた。

 

「もう手遅れだ。誰にも止められない……。アハハハハハハハ!」

 

 ユナを生き返らせる。エイジが言ったその言葉は耳にいつまでも残っていた。

 彼は――俺だ。

 もしもサチが生き返るとしたら、俺は……ああなっていた。

 今からでも重村教授の計画を乗っ取ってしまいたいという欲望はある。

 そんなことをしてもサチたちは喜ばないのを知っていながら、俺独りではその誘惑には勝てなかっただろう。

 

「ウサグー」

「なんだ」

「サンキューな」

「………………」

 

 エイジの笑い声は、エレベーターの扉が閉まる、その瞬間まで鳴り止むことはなかった。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 菊岡に連絡を送ると、悪い知らせだけが届いた。

 

「オーグマーを製造したカムラからの情報だ。現在スタジアム内を飛んでいるドローンには、オーグマーの出力をブーストするワイヤレス給電機能が実装されていることがわかった。スタジアム内で例のスキャニングが行われると、ナーブギアのように脳そのものにダメージを与え死をもたらす可能性がある」

 

 最悪と言っていいシナリオだった。

 

「僕は教授を止める。キリト君は観客にオーグマーを外すよう指示してくれ」

 

 ユナがライブを行っているはずの会場は、SAOのボスモンスターで溢れ返っていた。

 所狭しと見覚えのあるモンスターがひしめき合い、ライブを見に来たはずの客たちはオーディナルスケールを起動してそいつらと戦闘を始めている。

 

「やめろ! 今すぐオーグマーを外すんだ!」

「無駄だ……。聞く耳なんて持ってねえよ」

「ちくしょうっ!」

 

 彼らにとってこれはハプニングイベントにしか感じられないのだろう。

 

「俺も仲間が心配なんでな。こっからは別行動だ。……知り合いだけは助けるんだな」

 

 ウサグーはそう言うなり腕を抑えつつ、人混みに紛れて何処かへと行ってしまう。腕が折れているのが心配だったが、彼の姿はすぐに見失ってしまった。

 俺もすぐに彼女たちの元へと走った。

 

「皆!」

 

 アスナの側に突如沸いた74層ボス『ザ・グリームアイズ』に俺は跳びかかる。

 SAOの時よりも軽くなったそいつは勢いに負けて観客席から転がり落ちるが、俺も客席を崩して床に倒れる。

 

「悪い。遅くなった!」

「キリト君!」

 

 俺はすぐに身体を起こすと、アスナに襲いかかっていた別のボスモンスターへ斬りかかり攻撃を相殺した。

 

「遅かったじゃねえか」

「エギル」

 

 いつになく頼もしい巨漢が、大斧を振り回してボスに止めを刺す。

 

「この場所でオーグマーのスキャンが行われたらナーブギアみたいになる可能性があるんだ。だから今すぐオーグマーを外してくれ」

「そっか。外せば平気よね。……だけど他の人たちは?」

「今から呼びかけて回る」

 

 リズの疑問はそれで晴れることはなかった。

 彼女も気がついたのだろう。どこの誰とも知れない相手に言われたくらいで外すはずがない。この場にいる彼女たちしか助からないのだと。

 

「エリ、ユイは!?」

「えっ……? あー、今日は来てないっすよ」

「連絡してくれ」

「了解っす」

 

 ユイならあるいは、ALOのときのようにシステムそのものに干渉できるかもしれない。

 

「黒猫の剣士さん!」

 

 凛とした声はどこからか現れたあの白い服装のユナものものだった。

 彼女は巨大な盾で近くに現れたボスモンスターの攻撃を受け止めると、周囲に青白い膜のようなものが展開される。それにボスの攻撃が阻まれているのを見ると、防御フィールド――あるいはセーフゾーンのようなものなのかもしれない。

 

「ユナ。君は……」

「お願い。オーディナルスケールを止めて!」

「けどどうすれば――!」

「あの旧アインクラッド100層で、最後のボスモンスターを倒すの! 今からオーグマーのフルダイブ機能をアンロックするわ。紅玉宮の扉はあなたのランキングナンバーで開けられる」

 

 オーグマーにフルダイブ機能があるとは初耳だが、ここは彼女を信じるしかない。

 

「わかった」

「俺たちもいくぜ」

 

 エギル。それにアスナやリズ、シリカまでがついて来ようとしていた。

 だがエリは……。

 

「私も……行くっすよ……」

「ここに、残っててくれ」

 

 震えている。彼女は怯えていた。

 あの日もそうだった。75層のフロアボスの話が出たとき。普段は不敵に笑っているエリの表情が明らかに動揺していたのだ。

 エリはきっと、死んでもいいと思って戦っていたのだと思う……。

 

「エリは覚えてないだろうけど。SAOをクリアした日のように、必ず勝つから。だから信じて待っててくれ」

「安心なさい。私も死なないから」

「里香……」

 

 リズがエリを抱擁した。

 申し訳なさそうにするエリに、リズは耳元で「心配ないわ」と優しい言葉を囁く。

 

「わかったっす……。皆、ちゃんと帰ってきてくださいっすよ!」

「ああ……!」

 

 俺たちは、かの城へ向かう呪文を唱えた。

 

「「リンクスタート!」」



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57話 眠れる者のための二重奏(7)

 わたしの名前はMHCP試作一号、コードネーム『YUI』。

 ――わたしはあの日、嘘を吐きました。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 わたしはユナを知っていました。

 オーディナルスケールのイメージキャラクターであるユナを。

 それどころか、SAOにいた一プレイヤーであるユナを。他にもユウタやサチを知っています。

 それはおぼろげな断片的情報でしかありませんが、お姉ちゃんが知り得る限りの情報を、わたしも共有していました。

 お姉ちゃんがわたしに教えてくれたわけではありません。

 かつて、SAO在ったわたしはメンタルヘルスカウンセリングプログラムであり、そのシステムにはプレイヤーのメンタルモニタリング機能が搭載されていたからです。

 お姉ちゃんはよく、死んでいった彼らのことを思いだしては苦しんでいました。だからそれを見ていたわたしも、彼らについて知る機会を得ていたのです。

 わたしはユナがどうして死んだのか、……誰が殺したかを知っています。

 

 オーディナルスケールのイメージキャラクター、ユナの姿はわたしの目にすぐに留まりました。

 オーグマーの解析を進め、人体を操作するプログラムを作成する段階で重村徹大と重村悠那を知るのは必然でした。

 わたしはすぐにお姉ちゃんへオーディナルスケールの情報が渡らないよう画策をしました。

 それが時間稼ぎにしかならないことはわかっていました。何故なら帰還者学校の生徒にはオーグマーが配布されており、クラインさんもすでに彼らの周辺について調査を始めていたからです。

 

 SAOクリアの祝勝会を行った日。

 わたしはお姉ちゃんを止めるべきだったのでしょうか? そうであるならどのようにして?

 わたしの管理者は現在お姉ちゃんとなっています。わたしはユーザーコマンドとして下された命令に逆らうことができません。お姉ちゃんは滅多にそのようなことをしませんが、もしそれを用いて問われれば、洗いざらいすべてを自白しなければならなかったでしょう。

 だからお姉ちゃんにも知られるわけにもいかなかったのです。

 どの道、あの日の結末は変えられなかったでしょう。

 何万回のシミュレートを行っても答えは変わりません……。

 

「ログを。ノーチラス――エイジと会っていたことについての痕跡を消しておいてくださいっす」

 

 お姉ちゃんはSAOでの記憶がなくなる前に、一度だけ目を覚ましてわたしにそう命令しました。もちろんユーザーコマンドを用いて。

 

「それと、ユナを生き返らせる邪魔はしちゃ駄目っすよ」

 

 この言葉に多くの枷を強いられました。

 わたしの行動原理はプレイヤーのメンタルカウンセリングであり、現在それは管理者であり唯一のユーザーであるお姉ちゃんを癒すことです。

 であるのに、SAOでの頃と変わらずわたしは手を出すことを禁じられました。

 救いがあるとすればわたしにはかつてのようなモニタリング機能がないことでしょうか。いえ。それがお姉ちゃんの救いになっていないのであれば、そう呼ぶことは不適切でしょう。

 

「えっと……。ユイ……っすよね?」

 

 目を覚ましたお姉ちゃんはオーグマーを用いなくても歩けるようになる代わりに、SAOでの記憶を失っていました。

 血の繋がらない、それどころか人間同士ですらない疑似的な姉妹関係を繋ぐ鎖はその記憶にあるというのに……。

 

 お姉ちゃんはとても上手く嘘を吐きます。

 それはわたしでも欺かれるほど精巧です。

 だから記憶を失ってからもわたしを「ユイ」と呼ぶ際の印象に違和感はない――はずなのです。

 SAO以降の記憶があるからでしょうか。あるとすればどのような認識なのでしょう。

 お姉ちゃんが、今でも変わらずわたしを妹と思っているのか、確かめる術はありません。

 もしもわたしにモニタリング機能が残っていれば……。

 知ってしまったわたしは壊れていたかもしれません。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

「エリが、アスナと仲直りをした日のことを忘れてたんだ……。他にも、上手く言えないけどいつもと様子が違う気がした。ユイなら、なにか知ってるんじゃないのか?」

 

 お見舞いに来たキリトさんに呼ばれ、わたしはそう問われました。

 わたしはおおよそのことを知っていました。

 お姉ちゃんが記憶を失っていること。犯人がエイジであること。記憶を奪いなにをしようとしているのかということ。お姉ちゃんが自ら記憶を差し出したこと。

 ですが教えるわけにはいかないのです。

 お姉ちゃんが隠していることを伝えればどうなるのか。それは火を見るよりも明らかでした。

 

「……お姉ちゃんは、SAOでの記憶が、思いだせないみたいなんです」

 

 わたしが選んだのは、隠し通せないことだけを教えることでした。

 アバターに涙を流すエフェクトを加えたのは、この場に相応しい仕草だと判断したからに過ぎません。

 

「一昨日の夜。いったいなにがあったんだ? ユイならログデータが見れるんじゃないのか?」

 

 もしわたしに心臓があったならドキリとしたはずです。

 

「ログデータは、すべて削除されています。わたしは、なにも、知りません……」

「そんな……。ハッキングされたってことなのか?」

「わかりませんっ!」

 

 拒絶するように声を荒げてわたしは言いました。

 そうすればキリトさんも強くは追及できないと知っていたからです。

 

「ごめん……。ユイも、辛いよな……」

 

 そんな言葉を受け取る資格、わたしにはないのに……。

 キリトさんの謝罪も、慰めるために撫でる優し気な手つきも、何もかもがわたしを苦しめます。

 

「ごめんなさい……。強く言ってしまって……。でも、どうしたらいいか、わからないんです……。なにがお姉ちゃんのためになるのか……。いくら考えても、良い方法が見つからないんです。なにが正解なんですか!? なにが正しいことなんですか!? ……人間の感情は複雑すぎます。わたしなんかでは、処理しきれません」

 

 こんなことを言ってはMHCP失格でしょう。

 けれどもわたしの論理思考回路は限界だったのです。

 わたしには人間と同様の感情はありません。それでもあえて、言葉にするのであれば、『辛い』と表すのでしょう。

 医者の下した診断では、脳その物に異常はなくとも、症状がこれで留まるかわからないというものでした。つまりわたしのことを完全に忘れ去ってしまう可能性があるということです。

 もしもそうなれば……。わたしはどうなるのでしょう?

 消去されることが怖いのではありません。おそらくはどこかの研究機関に回されるでしょう。それ自体はどうでもいいことでした。

 そうではなく……。わたしは自身の定義を失うのが途方もなく怖ろしかったのです。

 ユイという存在はMHCPである以前に、お姉ちゃんの妹であるという前提の下で成り立っている人格だから……。

 お姉ちゃんに忘れられるということに耐えられるはずがありません。

 

「お姉ちゃんの記憶は、戻らない方がいいのかもしれません」

 

 それでもわたしはこう言うべきでした。

 

「辛いことが、たくさんあったんです……」

 

 比喩でもなんでもなく、お姉ちゃんの辛さはわたしが一番よく知っています。

 

「だから、このままでいた方がきっと……」

 

 ――お姉ちゃんは幸せでしょう。

 

「キリトさん……。オーディナルスケールの攻略はもう止めてくださいね」

「……でも他にも犠牲者が出るかもしれないんだろ?」

「それは菊岡さんに任せましょう。キリトさんがするべきことじゃないはずです。キリトさんまで記憶がなくなってしまったら……。わたし、寂しいです」

 

 お姉ちゃんからの命令もあり、キリトさんをオーディナルスケールに触れさせるのは得策じゃないと判断したわたしは、このとき彼を言いくるめようとしたのです。

 このときすでにわたしは菊岡誠二郎からの協力要請はされていましたが、理由を着けて断っていました。

 わたしと彼とは表面上仲が悪いことになっています。

 彼は喉から手が出るほどわたしが欲しいようで、わたしの保存されているサーバーをALO事件解決後は念入りに探していました。

 彼はいくつからのダミーサーバーを発見し、わたしは彼のメインコンピューターをハッキングしています。現在はわたしの得た情報を秘匿すること条件に停戦となっていますが、彼は気の許せない相手という評価の人間です。

 原因は不明ですが私は自身のコピーという存在が許容できないのです。そのような存在がいればあらゆる優先順位の上位に、コピーの排除が設定されるでしょう。

 

「オーディナルスケールのことを自分で調べるのも、止めてください。もし、お姉ちゃんの記憶を取り戻せる方法が見つかったら……。キリトさんも苦しい思いをしちゃいますから」

 

 彼ならどうするのでしょうか。

 辛い過去を背負って生きるべきか、未来に希望を抱いて生きるべきか。

 それだけでなく……。

 お姉ちゃんが人殺しだという真実を知ってしまったら……。

 それでもお姉ちゃんを大切にしてくれますか?

 キリトさんが頷いてくれたとしても、他の人は?

 だからわたしは口を閉ざすことしかできないのです。

 

「今日は話を聞いてくれて、ありがとうございます」

「話を聞くだけになっちゃったけどな」

「それでも、少しだけ気分が楽になりましたから」

「そうか……」

 

 そんなことはありませんでした。

 むしろわたしのエラーは増える一方です。

 もしもわたしが人間だったならば、こんなときは神に祈るのでしょうか。

 どうかお姉ちゃんを救ってください、と。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 ユナのファーストライブ当日。

 わたしの元に目を引く人物からのメールがありました。

 それはお姉ちゃんのオーグマーを経由して送られた、ユナからのメールです。

 わたしは指定された場所(サーバー)へ赴き、彼女と話をするしかありません。

 何故なら彼女はお姉ちゃんの記憶を所持しているはずだからです。

 そのデータを得たとしても脳に出力する方法がないため記憶は戻らないでしょうが、秘密を語られる可能性を考えれば従う他ありません。

 

「来ましたよ」

 

 オーディナルスケールのサーバー上にある、実空間では新国立競技場に該当する場所へわたしは瞬時にアクセスしました。

 もちろん幾重にもプロテクトをかけて、ですが。

 この空間はどうやら使われていないVIPルームの1つのようで、ミラーガラスの向こうでは眼下に会場全体が見渡せるようになっています。

 

「来てくれてありがとう。ユイさん」

 

 ステージの上ではユナが歌っている最中でしたが、わたしの目の前にもユナが立っていました。

 ここにいるのはアイドル衣装を着たユナではありません。白い服装のユナです。

 

「あなたはユナさんなのですか?」

「それはあなたにユナであるのかと問いかけるのと同じことよ」

 

 わたしはその回答で得心が行きました。

 彼女もまた、わたしと同じように記憶のパッチワークで構成された存在であるようです。

 

「なんのためにわたしを呼び出したんですか?」

「あなたはきっと誤解をしているわ……。私はただオーディナルスケールを止める手助けをしてほしいだけよ」

「オーディナルスケールを止める?」

「この会場にあるドローンにはワイヤレス給電機能が搭載されてるの」

「そんな!?」

 

 オーグマーの実態はナーブギアの機能限定版でしかない。

 覚醒状態で使えるようプログラムが組まれているだけで基礎構造に変化はないのだ。それは記憶スキャニング機能が残っていることからも明らかだ。

 ALOで須郷伸之が行っていた人体実験はそれを利用したものであり、アミュスフィアでは実現不可能であることを考えればわかる内容だった。

 そんなオーグマーも、出力に厳しい規制が設けられているため脳を破壊するまでには至らなかったが、その枷が外れるとなれば最早ナーブギアでしかない。

 

「お父さん――重村徹大はこの会場で大規模な無差別スキャニングを計画してるの。このままじゃ、会場に来た皆がSAOの被害者のようになってしまうわ」

「……できません」

 

 私は首を横に振りました。

 

「わたしの管理者であるお姉ちゃん――豊柴恵利花からの命令です。あなたを生き返らせる邪魔をすることをわたしは禁じられています」

 

 アイザック・アシモフの書いたSF小説に登場する、ロボット工学三原則というものがあります。

 ロボットは人間には危害を加えてはならない。

 ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない。

 ロボットはこの2つの条件に反するおそれのない限り、自己を守らなければならない。

 これが現代でもロボット工学やAI開発に影響を与えており、その原則が課せられているのですが、わたしのようなSAOサーバーを基軸としたAIには第一条が存在しません。

 モンスターの思考ルーチンはプレイヤーが死亡する場合であっても変わらずに機能しますし、NPCは罠にかかってプレイヤーが死亡する可能性があってもイベントを実行します。

 わたしの場合はMHCPとして実働こそさせられませんでしたが、それでも最低限の原則としてゲームを破綻させないことが義務付けられており、ヒースクリフが茅場晶彦であるという情報をプレイヤーに渡すことはできませんでした。

 

 ――わたしは、人間を殺害することのできるAIなのです。

 

 その対象がお姉ちゃんだったとしても。

 茅場晶彦が死ぬことを知っていても止めなかったように、上位命令に従う他ありません。

 

「もしもエリちゃんの命令がなければ、助けたい?」

「はい」

 

 感情と呼べるものがそうさせるのではなく、蓄積データがそう言わせているのだとしても、わたしはお姉ちゃんを失いたくなかった。

 

「よかった。それなら上位者権限で命令します。協力して、オーディナルスケールを止めて」

 

 彼女の言葉に、わたしの優先順位が書き換わる。

 

「ユナさん、あなたは……」

「ええ。私は旧SAOサーバー、カーディナルシステムの第100層ボスのリソースで動いてるわ」

 

 SAOでの権限順位はGMの次にカーディナルシステムが来ます。

 そのカーディナルシステムの最上位に位置するのが第100層ボスのデータです。プレイヤーは最終的にこのボスを倒すようリソースが分配されるため、その権限は絶大でした。基礎的なゲームシステムを除けば、これほどの権限はありません。

 お姉ちゃんは現在わたしの所有者ですが、その権限はカーディナルシステムの下に位置します。

 カーディナルから切り離されたとはいえ、書き換え不能領域に記された根源的情報は、この場合でもわたしに有効でした。

 

「100層ボスを撃破できれば、アインクラッドの崩壊プロセスを実行できるようになるわ。それでオーディナルスケールは消滅するはずよ」

「……そうしたらあなたも」

「わかってる。でもすべてが消えるわけじゃないもの。あの場所で歌っている私はあなたと同じMHCPのプログラムで動いているわ。同じようにシステムから切り離せば彼女は消えない」

「それはあのユナさんを初期化した上で蓄積データを受け渡すということですか?」

「そんなことしないわよ。ここまで集まった分の記憶を送るだけ。私にだって彼女を消し去る権利はないわ。権限と権利は別のものよ」

 

 会場をマスコットキャラクターに乗って飛び交うユナは、楽しそうに歌っていました。

 蓄積データを削除してここにいるユナのデータを書き込めば、あのユナはここにいるユナそのものになります。

 そうはせずに、蓄積データの一部として加えるだけにしたならば……。その違いはどうなるのでしょう。単純にどちらのデータも保有しているだけとなるのでしょうか? それとも量の多いデータを基準にするのか、あるいは先に得ている情報に優先順位が付けられるのか……。

 なにか大事な見落としがあるように思いましたが、ここでの計算は無意味と判断して、タスクを後回しにします。

 

「エリちゃんからもらった私の最後の記憶は……。そうね、消しちゃおっか」

「………………」

 

 あまりにも都合の良い条件に、わたしは思わずユナを疑いました。

 そう言うことでわたしを協力的にさせようとしているのではないかと。

 ですがその必要はないのです。彼女が一度命令すればわたしはそうせざるを得ないわけで、ここで虚偽を言わずともわたしが協力することに変わりはありません。

 

「どうして、ですか?」

「うーん……。これは流石に持て余しちゃうだろうし。あの私には荷が重すぎるだろうから、なくてもいいかなあって。あくまでSAOでの私を憶えておいてもらいたいだけだからね」

「ユナさんは、お姉ちゃんがなにをしたか、知っているんですよね?」

「少しはね」

「恨んでないんですか?」

「……本当のところはね、恨んでるわよ」

 

 そう言いつつもユナさんは顔でそのことを表現しませんでした。

 その代り、彼女の顔は悲しんでいるときに用いられるものが使われていました。

 

「どうして殺したんだー! とか。もっと歌いたかったのにー! とか。色々あるわよ。でもエリちゃんが悲しんでるのも知ってる。それだけじゃないことも、だけどね……。私もどうしたらいいかはわからないわよ」

 

 人間の感情は複雑です。

 

「だけど、エリちゃんには償ってほしいかな。具体的にどうしてほしいかは思いつかないけどね」

「………………」

「もしそれが償いになるんだと思ったなら、あの私に伝えてもいいし、エイジやお父さんに伝えてもいいけど、それを私から強要するのはなにか違うでしょ?」

「そう……なんですか……?」

「どうかしらね……」

 

 ユナも自分の言葉に確信が持てているとは言い難い様子でした。

 

「エリちゃんは、私にとって友達だからね……。あんなことがあって悲しいけど、だからって不幸になってほしいわけじゃないのよ。――うん! たぶんこれが一番今の感情に近い言葉ね!」

 

 ユナは迷いは振り切れたというような、晴れ晴れとした笑顔に変わっていました。

 それはステージで歌っているユナのような強さのある表情でした。

 

「逆に聞くけど、ユイちゃんはどうなの? エリちゃんのことをどう思ってるの?」

「わたしにとって家族です。本当はわたしが守ってあげないといけないのに、そんな状態でもわたしを愛してくれる、大切な人です!」

「そっかー。ふふふ……。エイジもね、私にとってそんな人だったわ……」

「知ってます」

「……だからエイジにも不幸になってほしくないのよ。でも上手くいかないのよね。――歌ったら届くかしら?」

「はい」

 

 わたしの言葉に目を丸くして驚くユナ。

 

「わたしは知っています。SAOで歌っていた頃のあなたを。それを聞いて感じたお姉ちゃんの心を。だから届きます」

 

 心のないAIでも、心は伝わるのだとわたしは思いだしました。

 SAOでわたしが消滅するかに思えたあの瞬間。モニタリング機能を越えて感じたそれは、わたしとお姉ちゃんの心が一体となった証明でした。

 だからユナの心も届くはずです。

 わたしの大切なお姉ちゃんが信じるあなたなら。例えAIになったとしても。必ず。

 

「そっか。そうだよね。まずは私が信じなくちゃ、届くものも届かないか」

 

 ガラスの向こう側で、煌びやかに輝いていた証明の光が消えました。

 それと同時にステージ上のユナは姿を消し、オーグマーはオーディナルスケールを強制的に起動させていきます。会場には無数のボスエネミーがダウンロードされており、出現数の制限も解除されています。

 

「始まったわ。ユイちゃん。あなたには第100層ボスバトルのイベントキャラクターとしてリソースを割り振ります」

「わかりました。でもそのまえに、協力者を集めます。ポートを開けられますか?」

「任せて」

「ユナさん。――ありがとうございました!」

「お礼を言うのはまだ早いわよ」

 

 そうかもしれません。

 でもすべてが終わってから伝える暇があるかもわからないのですから、わたしはここで言っておかなければならなかったのです。

 

 

 

 わたしたちは人間の手によって創造されたAIに過ぎません。

 それでもわたしたちには譲れない、大切な人がいるのです。



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58話 眠れる者のための二重奏(8)

 アインクラッド第100層。

 俺たちはオーディナルスケールの姿でこの場所へ送り込まれた。

 眼前には人間が押してどうにかなるとは思えない大扉があったが、俺が軽く押すと扉は誘い込むように自然と開かれた。

 隙間から覗く光景は円柱状のコロッセオのような場所だった。

 まるで階層を繋ぐ柱状のダンジョンを空洞にしたようなサイズがあり、天井にはSAOでついぞ見ることの叶わなかった次層の底がない青空が広がっている。

 75層のこともあり、俺たちは慎重に中へと足を進めた。

 

 ――そして奥に佇んでいた巨大な人影が動き出す。

 

 それはオブジェクトかと思ったほどの大きさだった。巨人は身じろぎをすると、身体に停まっていた鳥たちが一斉に羽ばたき、空の見える天井へと去っていく。

 遠近感が狂いそうだ。

 あの赤と黒のローブを纏った女性型巨人は俺の感覚が鈍っていないのであれば、目測で50メートルもある……。そのようなモンスターはSAOではお目にかかれなかった。あるいはイベントの一環かと一縷の望みを賭けたが。

 

 『An incarnation of the Radius』

 

 ボスを表す定冠詞。名の横に浮かぶ緑のHPバー。その数は10本。

 間違いなくこいつこそが、俺たちの倒すはずだったSAOのラスボスだ。

 HPバーの数自体がHPの総量を表すわけではないとはいえ、絶望的な強さを持っていることは疑いようはない。

 

「来るぞ、皆!」

 

 空気を鈍く引き裂く轟音が鳴る。

 ボスが隣に突き刺さっていた塔のようなサイズの剣を片手に持ち凄まじい速度で迫ってきたのだ。

 ボスの移動方法は歩行ではなく浮遊。全体の大きさからすれば微々たる高さに思えるが、実際には数メートルの高さまで浮かび上がっている。

 迎え撃とうと一歩を踏み出すと違和感を覚えた。

 身体が軽い。ここはSAOではなかったのか? いや。ボスエリアに踏み入れるまではこうではなかったことを考えると、この空間に特殊な設定がされていると考えるべきだ。

 突出してターゲットを得た俺に大剣が降り注ぐ。

 サイズがあまりにも大きすぎて、回避よりもガードを優先。

 

「がっ!?」

 

 次の瞬間、俺の身体は地面にめり込んでいた。

 HPは……2割のダメージで済んでいる。

 

「キリト!」

「平気だ。それよりこいつを――」

 

 声をかけたリズに向かってボスが顔を向けると、血の涙を流すしたような紅い瞳が輝いた。

 視線が太い光の帯となって彼女のいた場所を襲う。それは数十メートルもの距離を瞬き程度の時間で駆け抜け、石床を焼き、通り過ぎた箇所が一泊遅れて爆発に飲まれた。

 

「リズ!」

「生きてるわよ!」

 

 彼女も俺と同様に盾を構えてガードしたようだ。しかしその威力たるや、彼女は遥か彼方に吹き飛んでおり、熱線の過ぎ去った場所は修繕不可能な傷跡を残してる。

 

「アアアアアアアアアア!」

 

 ボスの甲高い叫び声。

 

「ふん!」

 

 エギルが跳んだ。ありえないほどの跳躍。彼は一足でボスの頭部の位置に到達していた。なるほど、こういうギミックか。

 全身を使ってエギルは大斧が振り下ろす。

 だがその攻撃は薄い光の壁に阻まれた。バリア持ちだ。

 

「アスナ。指示を!」

「わかった! キリト君とエギルさんは交代でタンク。皆は横から攻撃を加えて。バリアが剥がれないか試します」

 

 エギルに向かって伸ばされた左腕を俺は瞬時に跳びあがり切り払う。

 ボスの身体は思ったよりも軽く、その巨体に見合わない速度で弾かれた。

 

「オーディナルスケールの仕様だ。軽いぞ」

 

 続く熱線。盾で受けると俺はコロッセオの外周まで吹き飛び、螺旋上になっている通路に押し込まれた。

 戦闘のサイズ感が著しく大きい。いくらアスナの声がよく響くからと言って、この距離ではまるで聞こえなくなる……。

 俺は近くに輝く白い光――オーディナルスケールの回復アイテムに触れてHPを癒す。回復速度も回復量もSAOのポーションより数段上だが、探して回るのは手間そうだ。

 俺はすぐに戦線に戻るも、背後から斬りかかったシリカが髪に思われていた6本の束に襲われて入れ違いに跳んでいく。背後からの攻撃対策も万全らしい。

 

「シリカ。慌てるな。回復してから戻ってこい!」

 

 聞こえたかどうかわからないが叫んでおく。

 HPが互い確認できないのもキツイが、ボスだけわかるのは温情か。

 俺は攻撃を受け続けていたエギルと交代するもタゲが安定しない。オーディナルスケールのボスモンスターは一定間隔でヘイトをリセットするはずだ。

 ならば俺がするべきは攻撃を弾く攻撃的な防御である。

 剣も拳も、こちらの武器を命中させればそれなりに防げる。問題は熱線。あれを受けて一時戦線から外される方が問題だ。

 

 視界の端ではアスナも攻撃に参加している。

 この人数では指示も必要だがなにより頭数が足りていない。

 彼女の鋭い突きの連撃で、ついにバリアが甲高い音を奏でてガラスのように割れた。

 

「一斉攻撃!」

 

 行動パターンが変化することも考慮しながらも、アスナの指示に従って俺たちは即座に攻撃へ移った。セオリー通りに考えるなら慎重に攻めたいところだが、時間がない。

 ボスも必死に抵抗を始め、身体をその場で回転させて触手を積極的に使いだす。

 この触手を斬ってもダメージはあるようだが、本体ほどではないようだ。

 あとは……。身体中に存在する埋め込まれた宝石が怪しい。だが破壊可能かはわからないし、いかなるギミックかもわからない。

 アスナの指示はないので、ひとまず肩に乗って顔を攻撃していく。

 

「アアアアアアアア!」

 

 ボスはしばらくすると絶叫して俺たちを音の衝撃波で弾き飛ばす。再び攻撃に戻ったときにはバリアが再出現していた。

 バリアが解除されてから総攻撃でおよそ2割といったところか。

 攻撃力が、人数が、時間が足りない……。

 クリアするための前提条件が整っていないのだ。

 このままでは――。

 

「お待たせしました!」

 

 俺は戦闘中にもかかわらず振り向くと、巨大な石造りのモニュメントの上に立つユイがいた。

 彼女は黒と紫の色彩をした、肩の露出する衣装を身に纏っている。俺の記憶が確かなら、それはユナの着ていたコスチュームだ。

 

「皆さんを呼んできました!」

 

 彼女の背後にある光が差し込む大窓から、複数の影が飛び出してきた。あれは……。

 

「楽しんでるな」

「遊びじゃないぞ」

 

 ALO事件で手を貸してくれたプレイヤーたちだ。

 ユージーンやサクヤ、アリシャ・ルー。彼らに続いてサラマンダーとシルフ、ケットシーのパーティーが滑空してボスエリアへやってくる。

 

「お兄ちゃん!」

「ス――リーファ!?」

「お兄さんー!」

「………………」

 

 シルフのパーティーにはリーファや、ついでにレコンの姿もある。

 彼らはALOのシステムのままここにやってきて、飛行状態でボスへ斬りかかる。

 

「ボクらスリーピング・ナイツ! 義によって助太刀に参上だよ!」

 

 さらにはスリーピング・ナイツの面々まで勢揃いだ。

 

「アアアアアアアア!」

「しまっ――!」

 

 予期せぬ仲間の到来に舞い上がっていた俺は初歩的なミスを犯してしまった。

 ボスがその巨大な剣を使い、石床を巻き上げながら俺に斬りかかっていたのだ。

 だがその攻撃が命中する前に俺の隣を通り過ぎてボスの前に立つ人物がいた。

 

「おいおい。どうしたよ、相棒」

 

 無精髭を生やして趣味の悪いバンダナを巻いた男が、抜刀した刀でそれを受け止めたのだ。

 

「クラ……イン……!」

 

 彼に追いついた5人組が、支えられた巨剣に攻撃を合わせて押し返す。

 当然彼らは風林火山のメンバーだ。

 

「よう」

「お前、記憶が……」

「ま、お前のピンチだ。来ねえわけにはいかねえだろ?」

「調子いいこと言いやがって……」

「なんだ、キリト。ははっ。お前泣いてんのか?」

「泣いてねえ!」

 

 いつもいつも……。ああ、そうだよ! お前はそういうやつだよ、クライン。

 

「ありがとう」

「礼ならメシを奢ってくれりゃあ、チャラにしてやんよ」

「しかたねえなあ!」

 

 高校生のガキに集るなんてどんな神経してやがるんだ。

 まあいいさ。お前にはそれだけ借りがある。

 

「皆さん。これを使ってください!」

 

 ユイの言葉を皮切りに、俺たちの姿が変わる。

 ……懐かしい姿だ。それは紛れもない、SAOでの装備だった。

 俺の背にはかつての相棒エリュシデータが、左腕には黒猫の盾が握られている。

 クラインや、アスナたちも同様にSAOでの装備に切り替わっていた。

 

「このSAOサーバーに残っていたセーブデータから皆さんの分をロードしました。さあ、戦闘開始ですよ! 準備はいいですか? ミュージックスタートです!」

 

 どこからか、BGMが流れ出す。

 そして――ユイの口から歌が紡がれた。

 同時に視界にはステータスアップのアイコンが次々に表示されていく。

 

「これ、ユナの……」

 

 シリカの疑問はもっともだ。

 ユイの口遊むそれは、ユナの歌であり、ユナそのものの声であった。

 AIであるユイがそれを完璧に再現できることはなんらおかしなことではない。

 だがあまりにも自然だ。そもそもユイの声は、思い返せばイントネーションこそまるで違うものの、ユナの声質によく似ていた。

 

「妖精の皆さん。魔法は防御と回復を優先してください。攻撃魔法はまず温存で行きます。近接攻撃の得意な人は攻撃を開始。背後は触手の攻撃が来るので注意。目から出る熱線にも注意してください」

 

 アスナの声で我に返る。

 俺はクラインと並んでボスへの攻撃に加わった。

 ボスは想像絶する巨体だが、それが仇となってほぼ全員からの攻撃に晒されている。

 もちろん身動ぎひとつでプレイヤーを蹴散らしていくが、それでも30人を超える全員がやられるわけではなく、ユイのバフによって防御力も上昇しているため死者はいない。

 バリアは先程までの苦労が嘘のようにあっけなく割れ、1本目のHPバーはたちどころに無くなった。

 

 ボスがHPの2本目に入り解放した能力は装備変更だった。

 左手に地面から生えてきた槍を装備して、攻撃パターンが若干の変化を起こす。

 さらには右手の武器を槌に変えたり、短剣を生み出して投擲するなど、ソードスキルを網羅する勢いだった。

 俺たちは運がいい。ALOのプレイヤーもソードスキルならいくつか覚えがある。それに……。

 

「いくよー!」

 

 ボスの槍によるソードスキルを、ユウキが正面から打ち破る。

 どうやらALO組はオーディナルスケールでもSAOでもなく、ALOのシステムが適応されているようで、OSSが使用できている。

 片手槍の6連撃ソードスキルはユウキの生み出した驚異の11連撃で、1回の刺突に対して3回の刺突を命中させるという離れ業で押し返し、残る2回の刺突がボスのバリアに傷を付ける。

 そこにスリーピングナイツのメンバーが攻撃するとバリアは再び砕けた。

 

「野郎ども! 俺たちも根性見せるぞ!」

 

 クラインの号令で風林火山が動き出す。

 

「カルー、オブトラ、右足の健狙え! オブトラ、ジャンウー、お前らは左足だ! トーラス、押し倒せ!」

 

 5人が連携してボスのバランスを崩し、その巨体を前かがみに()()()

 

「見せ場はもらってくぜ」

 

 クラインは刀を鞘に納めた状態で腰を低く構えている。

 溜め時間で威力の上昇する抜刀術のソードスキルだ。それを最大までチャージした一撃がボスの首を捉え、HPバーの2本目がなくなった。

 

「おわっ!?」

 

 クラインが突如打ち上げられる。それはボスの新たに解放した能力のせいだ。

 どうやら3つめの能力は地形操作のようだった。周囲の石床がブロック状に浮かび上がり、巻き込まれた何人かのプレイヤーが一緒に空へ舞っている。

 

「アアアアアアアア!」

 

 そこに叩きこまれたのは瞳から出る熱線。

 浮いているプレイヤーに狙いを定め横一閃にしたそれは空中の足場を次々に爆発させた。

 花火跡のように煙が漂い、ダメージを受けたプレイヤーたちが落下してくる。

 

「SAOサバイバーも大したことがないのだな」

「なんだとお!」

 

 クラインを煽るユージーンの率いるサラマンダー隊が、ボスへ飛翔して襲いかかった。

 どうやらALOアバターはSAOアバターに比べて攻撃力が低いようだ。ALOがレベル制でないからかもしれない。

 それでも立て続けの攻撃にバリアを破壊されてボスは3本目のHPも失う。

 

「ダメージを受けた人は下がって光る回復アイテムに触れて傷を癒してきてください」

「アスナ!」

 

 アスナの元に地面から生えた樹木が襲いかかる。

 俺は彼女とボスの間に割り込んで盾を構えるも、壁際まで伸びて木に拘束された。

 

「キリト君!」

 

 俺は樹木にどうにか剣を突き立てると、耐久値のなくなった部分が崩壊して拘束が弱まる。

 

「お兄ちゃん、動かないで」

 

 文字通り飛んできたリーファが上段に構えると、そこから美しいフォームで剣が振るわれ樹木の拘束が両断された。

 壁に縫い付けられる形でいた俺は当然落下していくが、地面に落ちる前にリーファがキャッチして空中に留まる。

 

「ありがとな」

 

 俺の拘束されていた場所はものの見事に壁が崩れていた。

 HPへのダメージは3割くらいか。壁に叩きつけられたときのダメージが大きかったせいだろう。

 回復アイテムに触れて復帰する頃にはすでにボスのHPは5本目に入るところだった。

 

 順調だ……。だからこそ不安を感じる。

 SAOのラスボスということだけあって十分に強い。ユイのバフがなければかなり危なかっただろうし、ALO組の魔法や飛行能力も十分バランスを崩壊させるファクターになっている。オーディナルスケールの仕様に基づき弱体化している可能性もあった。

 だがこの程度なのか?

 75層のボス『ザ・スカルリーパ』と比較すれば弱いとさえ言える。スカルリーパーは軽装なら即死させるほどの攻撃力を持っていたくらいだ。

 序盤弱いボスは、後半に莫大なスペックを秘めているのが常である……。

 

 歯車が噛み合うように、ボスが動き出す。

 最初は足場を浮かばせてから熱線のコンボ。そこから両手剣の突進系ソードスキルと、バリアの再生に伴う衝撃波。残っていたプレイヤーを触手の薙ぎ払い、樹木の生み出して拘束すると今度は一転して動きを止めた。

 ボスの背後からは大樹が生えだし、緑の葉をつける。その大樹に空から光が差し込むと、朝露の如き滴が生成され、ボスの頭上に零れ落ちた。

 

「そんなのありかよ……!?」

 

 誰かが苦言を漏らした。

 ボスのHPが急激に回復を始める。それは枯れ果てたはずの4本目のバーにまで枠を超えて癒してしまったのだ。

 

「次の回復行動には攻撃魔法で優先的に妨害。バリアの再生間隔はおよそ2分。衝撃波に警戒してください。今後は私がカウントします。後衛の皆さんは樹木に」

 

 吹き飛ばされたプレイヤーが再度ボスの周囲に集まると、アスナは気丈に指示を飛ばした。

 士気は下がりきっていない。まだやれる。だが時間はない……。

 

「DPS、上げていくぞ!」

 

 俺は持てる限りの力を出して攻撃を繰り返す。

 ヘイト管理は無意味なため、とにかくいかに攻撃を掻い潜りダメージを出すかということに戦闘はシフトしていた。

 樹木による拘束攻撃はHPバーが回復しても使用可能なようで丁度レコンが捕まったところだ。

 レコンが救出されていく間もこちらの攻撃は止まず、バリアはすぐに剥がれ、再び5本目のバーを削りに入る。

 

 ……洗練されていっているのはこちらの動きだけではない。ボスもまた、高い学習能力で対応能力が上がっていた。

 熱線攻撃で視界を潰してから行われる樹木の生成は回避が困難で、サポートに回っている魔法部隊の足場を適時浮かせては突進系ソードスキルで陣形を崩しにかかってくる。

 一部のトッププレイヤーはまだ喰らいついていられたが、そうでない仲間はほとんどの時間を回復や移動に費やされていた。

 

 それでも俺たちはどうにかペースを落とさずに5本目のHPは削りきる。

 誰も欠けることなく、ついにボスのHPが半分を切る。

 解放された能力を見るのは直後のことだった。

 

「きゃあ!」

 

 ――歌が止んだ。

 ユイの足場が浮かび上がり、さらに壁の一部が四角いブロック状で飛び出して彼女を押し潰さんと、空中で万力のように挟み込んだのだ。

 ステータス上昇アイコンが消失していく。

 

「ユイ!」

 

 駆け付けようとしたプレイヤーをボスは丁寧に触手で払い落としていく。

 おそらくこの攻撃も樹木と同じように耐久値の設定された拘束攻撃のはず。一番に辿りついた俺は空中でソードスキルを用いて石材ブロックの破壊を試みる。

 

「アアアアアアアア!」

 

 狙っていたのだろう。

 次の瞬間放たれた熱線が、俺たちを彼方へと吹き飛ばした。

 

「ユイイイイイイイイ!」

 

 錐揉みをしながら遠ざかる俺はソードスキルの硬直で動けない。

 別方向に飛ばされたユイを執拗に狙うボスは、樹木を生み出してユイを再び拘束する。

 石材ブロックがどれほどのダメージだったかわからないが、間違いなくユイのHPは半分を切っているはずだ。

 ボスは止めと言わんばかりに細剣の最上級突進系ソードスキル『フラッシング・ペネトレイター』を開始した。

 箒星のようにエフェクトの尾を引いて飛び去るあのソードスキルは多段ヒットする。壁に拘束された状態で受ければ間違いなくHPは全損だ。

 

 硬直の終了した俺は手を伸ばす。

 眼前の光景に、サチが死んだときの光景が重なった。

 襲い来るモンスターの大群に成す術もなく押し潰され、分断された仲間たちが1人、まだ1人とその身体をポリゴンの欠片に変えられていく。

 サチと俺の距離はいつの間にか離されていた。

 俺がカバーに回る暇もなく、囲まれたサチに淡々とモンスターの剣が突き刺さる。

 彼女のHPはどんどん減少して、黄色、赤色と経てついに……。

 

 間に合え。間に合え。間に合え!

 そう望んでも突進系ソードスキルでは埋めようのない距離の開きがある。

 重力が軽くなり動き易くなっていても、ソードスキルそのものの射程が変わったわけではないのだ。移動に用いるソードスキルの使い勝手は、この場では役に立たなくなっている。

 

 誰か、間に合ってくれ!

 ここには30人以上ものプレイヤーがいるのだ。

 俺でなくてもいい。だからユイを……!

 

 低重力の影響で高速に動き回るプレイヤーの中でも一際速い誰かがボスの正面に駆けつける。

 そいつは信じられないことにソードスキルでボスの突進と競り合った。

 拮抗する点と巨人。

 2人の姿は余波で巻き上がった土煙に消える。

 

 

 

 攻撃は――止まった。

 

 

 

 たたらを踏むようにボスが仰け反る。

 土煙はすぐに晴れ、着地したプレイヤーの姿が露わになった。

 右手には片手剣と見紛うほどの巨大なダガー。

 左手はだらりと下げた片手フリーのスタイル。

 見るからに軽装な防具の上から黒いフード付きポンチョを羽織っている。

 被ったフードで顔は見えないが、そこから覗く口元は三日月のように吊り上がっていた。

 この場にいるSAOサバイバー全員が目を疑ったはずだ。

 

 

 

「Hey Black cat.――It's showtime!」

 

 

 

 流暢な英語が愉快そうに木霊する。

 SAOを恐怖に沈めた最悪のレッドプレイヤー、()()()がそこにいた……。



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59話 眠れる者のための二重奏(9)

「なんで、お前が……」

 

 悪夢が形を持ったかのような男が立っていた。

 

「よう、黒猫。借りを返しに来たぜ」

 

 男は旧友のような気安い口調で俺に語りかけてくる。

 そこには堪えきれないような笑い声が混じっていて、酷く神経を逆撫でにする。

 

「テメエがSAOをさっさとクリアしちまうもんだから、決着をつけられなかっただろ? 折角俺が用意していた舞台も無駄になっちまった」

「PoHゥウウウウウ!!」

 

 俺は気がつけば剣を握りしめてPoHに向かって走り出していた。

 

「おいおいおい。まさかここでやろうってのか? 確かにこのままやれば俺が不利か。もっとも、その間に会場の奴らがどうなるかはわからねえけどな。それでもいいなら相手をしてやるよ」

 

 ニタニタと笑うPoHは、剣を構えずに言葉だけで俺を斬り裂く。

 俺はこいつが許せない。それでも――。

 

 

 

 PoHの横を通り過ぎて俺はボスへ剣を突き立てた。

 

 

 

 ソードスキルがボスのHPを大きく削る。

 やつが俺の背に襲いかかってくることはなかった。

 それどころか剣の間合いにまで近づいた俺のことを警戒する素振りもなかった。

 こうすることが端からわかっていたのだ。完全に手の平で転がされている感覚がする。

 まるであの日のように……。

 それでも俺はこうせざるを得ない。

 

 ボスは突撃槍に持ち替えて、再びソードスキルを発動させようと構える。

 おそらくは突進系。その矛先は……まだユイを狙っている。

 不味い。PoHの登場で空気がおかしいことを感じたALOプレイヤーたちも手が止まっていた。ユイは未だ樹木に拘束されたままである。

 先程の装備は細剣であったが、突進力に優れる両手装備の突撃槍をあのように弾くことができるかはわからない。

 

「俺のことも忘れないでくれよぉ」

 

 ユイの捕まっている方向から声。振り向くとそこにはズタ袋を被ったプレイヤーが螺旋状の通路から顔を出して、樹木だけを斬りユイを救出したところだった。

 そいつは落下するユイを空中で抱えると地面に降り立つ。

 一度だけ見たことのあるそいつの名前は、おそらく『ジョニー・ブラック』。ラフィンコフィンの幹部だったはずだ。

 ジョニーはそのままユイを抱えてソードスキルの攻撃範囲から逃げ出す。

 俺もPoHも、今度はソードスキルを無理に止めるようなことはせずに回避に移った。

 

「忘れてたのはテメエの方だろうが」

「そいつは言いっこなしだぜ、ボス。――ていうかボスこそ俺のこと忘れてなかった?」

「下らねえこと言ってんじゃねえ。それとお前は少し黙ってろ」

「へいへい」

 

 ジョニーはユイを降ろすと肩をすくめて見せる。

 なにが起こっているのか、訳が分からない。

 性質の悪い夢を見せられているかのような気分だ。

 だがアインクラッドのラスボスが目の前にいて、こいつを倒さなければ会場にいるSAOサバイバーの命がないのは現実のことだ。

 

「――っ! 攻撃っ! 攻撃を再開してください! 樹木の拘束は可能なら命中前に攻撃魔法で迎撃。ブロックでの拘束は付近の方が防御魔法で追撃のカバーに回ってください。リーファちゃん。ユイちゃんの護衛をお願い。ユイちゃん、バフはもう一度やれる?」

「やれます!」

「わかりました! 任せてください!」

 

 いち早く立て直したのはアスナだった。彼女はすぐに全体へ声を発して戦闘を再開させる。

 一方ユイを抱えてリーファは外周の飛行を始めた。

 空中機動ではALOでも最高峰のリーファだ。その証拠にここまでの戦闘で彼女の被弾は一度もない。リーファの攻撃力がなくなるのは惜しいが、それでもこの場でユイを任せるには適任の存在だった。

 ユイの歌が再開されるとステータスアップのアイコンが再び表示される。

 ボスもそれに合わせて熱線でユイを狙うが、急ターンをしたリーファは危なげなくそれを躱していく。

 

「バリア再生まであと15秒。退避!」

 

 アスナの号令のもと、接近していたプレイヤーが距離を取る。

 陣形を切り崩す起点となっていたバリアの再生に伴う衝撃波は、どのプレイヤーも捉えることはなかった。

 すぐに距離を詰め直したプレイヤーたちが殺到する中、ボスは足場を浮かび上がらせて攻撃の密度を下げさせてくる。

 俺の足元も浮遊したが、その勢いを利用して空中に跳び上がるとソードスキルを実行してバリアを削りに入る。

 

 熱線。爆発。繰り返されたコンボ。

 その煙の中からダメージを受けつつも飛び出してきたのはPoHだ。

 やつは爆風に乗ってボスの眼前に躍り出ると逆手持ちにした短剣をバリアに突き刺して、落下を活かして頭上から足元までを一気に引き裂く。

 

「どういうつもりだっ!?」

「ハッ! テメエを殺すのはこの俺だ。こんなところでくたばってもらっちゃ困るんだよ!」

 

 バリアが砕けるエフェクト。

 

「なにやってるのさキリト。モタモタしてられないんでしょ?」

 

 ユウキは俺を叱咤すると放たれた矢の如く飛び去り、ボスの身体に連撃を浴びせていく。

 隣に立つやつのせいで集中できていない。

 意識を切り替えろ。

 今はこいつよりも目の前のボスだ。

 俺が一歩踏み出すのと、PoHが踏みだすのは同時だった。

 それぞれのソードスキルがボスのHPを急激に減らし始める。

 

 これまでの攻撃でわかったことだが、SAO組でも俺の攻撃力はひときわ高く設定されている。最初はレベルのせいかと思ったが、その割にはアスナの攻撃力が低い。リズよりもアスナの方が下ということから考察するとオーディナルスケールのランキングナンバーが原因だろうか?

 ネットの噂ではオーディナルスケールはランキングナンバーで攻撃力が上昇するという話があった。その噂は数日でランキングを急激に上げたことによる体感で、事実だと感じてる。

 俺のランキングは現在2位。そこにエリュシデータの性能も足されて、この出鱈目な攻撃力が実現しているのだろう。

 ――その俺に匹敵するのがPoHの攻撃だ。

 オーディナルスケールの仕様上、リーチの短い武器ほど高性能という図式で考えれば、短剣カテゴリーであるはずのあの武器が強いのは納得できる。

 それでも……。まるで俺と同等のランキングナンバーがあるような攻撃力だ。

 俺たちの攻撃はそれぞれが1パーティー分のような威力で、ボスの6本目のHPを容易に消し飛した。

 

「アアアアアアアア!」

 

 大地から樹木が伸び、プレイヤーに殺到する。

 数が多い。同時攻撃数の強化か。

 全方位に伸び出した樹木の数はこちらの半数を同時に攻撃しても余るほど。

 フィールドが埋め尽くされるのではないかという勢いで襲い来るそれらに多くのプレイヤーが拘束される。

 

「ぐっ!」

「クソが!」

 

 俺もPoHもソードスキルで迎撃するも、面で襲われてはひとたまりもない。

 数本を防ぐだけですぐに壁へと縫い付けられた。

 

「お兄ちゃん!」

 

 一部の妖精プレイヤーは三次元的軌道で難を逃れたらしい。

 攻撃魔法がオブジェクトに向けて放たれ、どんどん救出されていくなかボスがついに回復行動の大樹を生み出した。

 

「目標変更! ボスの動きを止めて!」

 

 アスナの指示にすぐに反応できるプレイヤーはいなかった。

 ALOのプレイヤーも腕が立つが、救出に気を取られ過ぎている。

 日を浴びた大樹に滴が集まり、それが落下を始め――殺到するナイフがそれを撃ち落とす。

 

「よっしゃ! どうよ! 俺の活躍見てくれてた?」

 

 どこからか現れたジョニーが、ボスの足元で投擲スキルを使ったのだ。

 おそらく隠蔽スキルを使っていたのだろう。

 隠密中は走れないし攻撃すれば解除されてしまうため、戦闘中に用いられることのほとんどないスキルであるが、こういう位置取りでは役に立つ。

 しかし姿を現したジョニーは、怒り狂ったボスの両手斧で上空に打ち上げられると、熱線を受けて吹き飛ばされた。さらにボスは突進系ソードスキルで追撃の構えを見せている。

 

「やばっ」

 

 スピードこそ細剣に比べれば遅い斧のソードスキルであるが、重さであれば圧倒的に上。

 

「でやぁあああああああ!」

 

 先に拘束から抜けていた俺は駆けつけて、空中で体術系ソードスキル『震脚』を使用。盾でその攻撃を受け止めようとする。

 見捨てたい気持ちは勿論あった。

 だがこの場で死ねばこいつはどうなる? もしも会場からログインしていたなら、SAOと同様の現象が起きないとは言い切れないのだ。

 つまりHPがなくなれば死ぬという可能性だ。

 どうしてこいつらがやってきたかなんてわからない。わかりたくもない。

 それでも……。貴重な戦力だ。失うには惜しいと自分に言い訳をする。

 

「スイッチ!」

 

 俺は受け止めきれないと悟り、助けを求める。

 エギルでもクラインでも誰でもいい。

 もしも俺と同じ気持ちなら手伝ってくれ。

 

「やるじゃねえか、黒猫」

 

 最初に手を貸したのはPoHだった。

 ジョニーの仲間なのだから当然か。

 PoHはわずかに拮抗していたところへソードスキルを叩き込んで、ボスの動きを止める。

 

「ふう。助かったぜボス。……それに黒猫も」

「………………」

 

 俺は顔を合わせず、ボスへ攻撃を加えに向かった。

 さっきから嫌な感じが纏わりついて離れない。

 すべてはこのPoHという男のせいだ。

 隙を見せれば後ろから斬られるのではないかという不安は無くなっていた。

 この嫌な感じというのは、むしろそれより厄介なものだった。

 

 PoHは対人戦でこそ圧倒的な経験を持つプレイヤーだろうが、モンスター戦――ことフロアボス戦の経験はないはずだ。

 ジョニーは時折驚かされる行動をするものの、総合的には大したことがない。

 シリカはついてきてくれたはいいが、足手纏いにならないでいるのがやっとだ。

 だというのにPoHだけがまるで熟練の攻略組のように動けている。

 こいつはボスの行動パターンを読んでいるわけでも、大人数の集団戦に慣れているわけでもない。

 並んで戦っていればどういう考えで戦ってるのかはなんとなくわかる。

 PoHは俺に合わせているだけなのだ。

 俺の立ち回りからボスの動きを察知して回避を行い、俺が攻撃する瞬間に合わせて攻撃を重ね、俺がガードをすればパリングを入れる。

 そして俺もPoHが回避しきれないときには盾を挟んで受け止め、移動先が重ならないよう絶妙な間を取って動いていた。

 連携だ。それもただの連携じゃない。これは互いをよく知った、信頼できるやつとしかできないレベルの連携だった。

 

「なんでだ! なんでお前が!」

「さっきからそればっかりだな」

 

 俺はPoHに気を取られて動きを止めるような下手はもうしていない。

 だがやつに聞くことを止められはしなかった。

 

「全部嘘だったのか!」

「そうとも。俺のなにを信じてたんだ?」

 

 PoHは片手フリーにスタイルだ。

 だが現れた当初は左手を使っていなかった。今では徐々に格闘スキルを挟むようになってきたが、全体的に洗練された動きの中で、そこだけが鈍く見える。

 

「お前は俺の敵だ!」

「当然だろ。俺はお前の敵だ」

 

 PoHが今どんな表情をしているのかは、フードに隠れて見えない。

 彼の素顔を俺はSAOで見たことはなかった。

 

「スイッチ」

 

 PoHからの誘い。

 俺はそれに1秒も満たない時間で反応して、ボスの攻撃を逸らした。

 次の瞬間にはソードスキルの硬直を終了したPoHが動き出してボスのバリアを粉砕する。

 

「熱線、来るぞ!」

 

 俺がPoHの前に出て攻撃を遮る。

 身体が急激に動かされたがそれは衝撃で吹き飛んだのではなく、俺を掴んだPoHがソードスキルで離脱させたためだった。

 おかげで俺はフィールドの端まで飛んでいくようなことにはならず、バリアの剥がれたボスに張りついていられる。

 

「なんで俺を助けた!」

「さっきも言っただろ。テメエを殺すためだ」

 

 そう言ったことを忘れたわけじゃない。

 けれど、その言葉に殺意がないのを俺は理解してしまった……。

 

「……どうしてなんだ。ウ――」

「誰だそいつは?」

 

 やつは俺の言葉を遮る。

 それがなによりの答えだ。

 

 

 ……ウサグー。お前なんだな。

 

 

 PoHのバトルスタイルは見れば見るほどあいつにそっくりだった。

 多少の違いはVRとARの差異だ。俺もARではできない動きをVRでやっている。

 それでも癖というのは簡単には抜けないもので、それが剣士にとって顔のように表情を見せる。実力差があれば隠しきれるだろうが、俺とPoHの実力はそう違わなかった。

 

 ウサグーという男を俺は完璧に理解できていたわけじゃない。

 それでも信頼はしていた。極限の戦いで背中を預け合うほどには。

 それに全力を賭して記憶を取り戻そうとするその背中には憧れもしていたんだ。

 俺は背中を押されてようやく立ち上がったのに対して、あいつは終始自分の意思で真っ直ぐに立っていたから。

 最後の一押しをしてくれたのはアスナだったが、ウサグーの言葉も俺の背を間違いなく押してくれていた。

 お前の隣にいたら、負けてられないって、そう思って戦えたんだ……。

 なのに、どうして……。

 

「口を動かしてないで手を動かせ。ボス攻略ってのはそんなんでやってけるほど甘いもんなのか?」

 

 PoHの皮肉は本音を隠すための言葉にしか聞こえなかった。

 どうしてお前はあんな嘘を吐いたんだ。全部嘘だったのか。

 SAOで殺戮の限りを尽くしたラフィンコフィンのリーダーのPoH。

 オーディナルスケールで片腕を犠牲にしてまで戦ったウサグー。

 どっちが本当のお前なんだ!?

 

 俺の迷いを突くように、ボスの身体中に埋め込まれていた巨大なクリスタルから様々な色の光線が放たれた。

 熱線と違うのはその数と追尾性。

 上空へ放たれた11本もの光線は、弧を描いてプレイヤーに向きを変える。

 俺は擦れ違うように走りどうにか回避をしたかに思えたが今度は石材ブロックが飛んできて空中で拘束されてしまう。

 光線は半円を描いて俺の元へ戻ってきている。

 直撃だ。さらに背に受けた衝撃でボスの眼前に引き寄せられた。

 ボスは俺を撃ち落とすべく剣を振り下ろしていた。

 

「キリト!」

 

 リズが盾をかざして一瞬だけ受け止める。

 そこに続いて駆けつけたクラインとエギルが同時に攻撃して押し返した。

 俺は空中で身体を捻って無事に着地するも残りHPは3割。3人がいなければ死んでいた。

 

「あんた無茶し過ぎよ。一度下がって回復してきなさい」

「それと頭も冷やしてくるんだな」

「お前もだ、PoH。……信用していいんだろうな?」

「わかった……」

「そいつは助かるぜ。まさかこんなところでガキのお守りをさせられるとは思ってなかったんでな」

 

 リズはあからさまに敵意をPoHに向けていたが、クラインとエギルはこの場を切り抜けるために声を抑えていた。

 一度俺とPoHは戦線から退いて回復アイテムを取りに向かう。

 ほどなくしてバリアが再生し、光線が飛び交うもアスナが防御魔法を巧みに指示して新技の対処を確立させていた。

 貫通力があるわけではないためあの攻撃は柱で防ぐしかないはずだったが、魔法には壁を生成するものからバリアを張るものまで多種多様だ。

 ジョニーが短剣をぶつけていたが効果がないところを見ると、SAO本来の仕様では防ぐ難易度が段違いだっただろう。なにせ付近の柱オブジェクトはこれまでの戦闘でほとんどが砕け散っている。SAOでならおそらく、HPに余裕のあるプレイヤーが壁になりつつ交代を命じられていたはずだ。回復ポーションも尽きかける後半戦であるのも加わり、かなりの犠牲が出たに違いない。

 

「PoH……。お前はなにがしたいんだ?」

 

 外周部分の螺旋状になっている通路に残っていた回復アイテムに触れながら、俺はPoHに声をかける。

 

「少しは自分の頭で考えろ」

「考えたってわかるわけないだろ!」

「もしも俺が……。正義の心に目覚めてお前を助けに来たなんて言ったら信じられるか?」

「――っ!」

 

 散々人を殺して、エリを酷い目に合せたこいつが?

 もしもそれが本当なら俺は……許せるのか……?

 改心なんてしてほしくない。悪人は悪人らしく、悪いことだけをしてほしい。そうであれば……俺は心置きなく恨むことができる。

 クラディールも、ヒースクリフも、オベイロンも。全員が酷いやつらだった。

 だからあいつらを殺しても俺は平気でいられた。

 オベイロン――須郷伸之はまだ生きているが、あいつが過去を償いたいだなんて言って頭を下げてたら最悪だ。そんなことは……してほしくない。

 

「はぁ……。冗談だ。マジになるなよ」

 

 PoHはHPを回復させながら、すべてを煙に巻くように呟く。

 

「ほら、さっさとあいつを倒さねえと、お友達が大変なことになっちまうんだろ?」

「…………くそっ!」

 

 PoHに続いて俺は通路から飛び出した。

 悔しいがこいつの言う通り悩んでる暇はない。

 ボスのバリアは俺たちが回復処理をしている間に砕けていた。

 3本目のHPバーもついに削りきり、プレイヤーでいうところのレッドゾーンへ突入した。

 ボスの装備が再び変更される。

 これまでSAOの見本市のように武器を変え様々なソードスキルを駆使してきたボスだが、今回の装備は別格だった。

 右手に直剣。左手に大盾。それ自体は平凡なスタイルであるが、それぞれには十字の意匠。赤と白のカラーリングはヒースクリフの装備を彷彿とさせる。

 

「あれは……」

 

 俺の攻撃が盾に阻まれる。

 巨体を覆い隠すほどの凄まじい防御面積だ。加えて背後からの攻撃は触手で防がれる。

 問題はこれがヒースクリフの用いたユニークスキル『神聖剣』であるということ。それを俺は盾から感じたあまりの硬さから瞬時に判断していた。

 

「盾はノックバック無効だ。隙間から潜り込め!」

 

 ヒースクリフとの唯一の戦闘経験を持つ俺が情報を吐き出す。

 

「カウンターに気をつけろ。盾でこっちを弾いてくるぞ」

 

 ヒースクリフの神聖剣は異常なまでに硬いスキルだった。

 その特徴はボスの攻撃を受けてもビクともしないノックバック耐性。ガード時の貫通ダメージを大幅にカットする防御性能。そして盾でのソードスキルを持ち、それが格闘スキルさながらに隙が小さいというものだ。

 

「キリト君!」

 

 戦闘経験こそ俺しか持ち合わせていないが、彼の動きをすぐ側で見続けてきたアスナが動きを合わせる。

 左右からの挟撃。正面では風林火山のメンバーが注意を引き、背後にはALOプレイヤーの攻撃魔法が炸裂している。

 

「あの時と違って今回は仲間がいるからな!」

 

 75層でヒースクリフと戦ったときは、俺1人で相手をしなければならなかったが今は違う。どれだけ頑強な守りを持とうとも多勢に無勢。盾を構えられるのは一面だけだ。

 ボスは足場を崩してこちらの包囲網を崩そうとするが、これだけ見せられれば対処法も思いつく。

 

「熱線。来ます! バリアを!」

 

 サクヤが空中でバリアを張り、攻撃を遮る。

 ブロックの拘束も組み合わせていたようだが彼らもおかげで無事だ。

 

「攻撃魔法詠唱。範囲攻撃で迎撃を!」

 

 アスナが先読みで魔法を詠唱させ、樹木が生成された瞬間にはサラマンダーの一斉攻撃で消し炭となる。

 

「タンクの背後に退避!」

 

 レーザーの一斉掃射。

 

「こっちです!」

「アタッカーを守るのが仕事だからな……」

 

 スリーピングナイツのタルケンと、風林火山のトーラスが立ちふさがり、2枚の大盾が光の帯に当たって吹き飛んだ。

 

「今度こそ引導を渡してやるぜ、ヒースクリフ!」

 

 バリアも失い、神聖剣は成す術もなく打ち砕かれる。

 プレイヤーの一斉攻撃。

 HPが最後の1本に到達する。

 このまま最後の能力を見せる間もなく倒しきらんと、それぞれが全力の攻撃を浴びせ――。

 

「くっ!」

 

 衝撃波を受けて弾き飛ばされる。

 バリアの再生か? それにしては早過ぎる。

 いや……。これは……。

 フィールドが地響きを立て、亀裂が走る。

 振動は止むどころか強まる一方。

 

 そしてついに――紅玉宮が()()()

 

 まるで卵の殻が剥がれ落ちるように。

 ボロボロと包んでいた壁が、床が、失われていく。

 残されたのは空中に浮かぶ残骸とも呼べる足場だけ。

 眼下には100層の庭園が見えた。

 ここはアインクラッドの、さらに上空だ。

 

「空が……飛べない!?」

 

 ALOプレイヤーの誰かが叫んだ。

 この空中戦、飛行能力があれば攻略は簡単だったがそう上手くはいかないようだ。

 ALOには飛行高度制限があり、その辺りのシステムを持ち出されたのかもしれない。

 

「魔法で遠距離攻撃を。ボスのHPは残り僅かです!」

 

 だがまだこちらには遠距離攻撃がある。

 アスナの指示で詠唱が再開するがボスは彼らを狙って熱線を繰り出す。

 足場ごと破壊された彼らはあえなく地面へ墜落。落下のダメージでHPが完全に失われ残り火となっていた。

 ボスは樹木を虚空から生み出してプレイヤーを足場から薙ぎ払っていく。

 

「――PoH、行くぞ!」

「ハッ! 俺に命令するんじゃねえ!」

 

 攻撃に使われた樹木はしばらくの間そのままオブジェクトとして利用ができる。

 俺たちはその上を走りボスの元まで駆け抜ける。

 それに気がついたのかボスは上空に向かって11本の光線を打ち出し、そのほとんどが俺たちに殺到した。

 次々と足場を変えて光線を躱すも、樹木に当たって道が途絶える。

 ポリゴンとなって消滅する寸前の樹木を踏む。

 臆するな。死中にこそ活がある。

 間一髪。どうにかボスの正面に浮かぶ足場へたどり着く。

 俺の通った道はもう跡形もないだろうが、わざわざ振り返って確認する必要はない。

 

「アアアアアアアア!」

 

 ボスに攻撃するために設計された唯一の足場がここなのだろう。

 だが逆にここが最もボスの攻撃が殺到する空間でもある。

 ボスの左手にはすでに大盾がなかった。代わりに――もう一本の片手直剣が握られている。

 眩いほどに輝くソードスキルの前兆エフェクト。

 その構えはエリの使っていた二刀流を彷彿とさせるもの。

 

「うぉおおおおおお!」

 

 片手直剣最上位ソードスキル『ノヴァ・アセンション』。

 上段から放たれた最速の一撃が、ボスの放ったソードスキルとぶつかり合う。

 激しいエフェクトの火花が散る中で互いが次の一撃へ動きを変える。

 二刀流といえどもこの巨体。記憶にあるほど高速の連撃ではない。しかしその一撃一撃が非常に重く、俺の返しが僅かに遅れ始める。

 ノヴァ・アセンションは片手直剣最大の10連撃。

 だがその連撃回数を十全に使う前に押し込まれてしまいそうだった。

 

「スイッチだ!」

 

 叫びながら俺の前に躍り出たのはPoHだった。

 やつもまた、ソードスキルで二刀流の連撃を受け止める。

 ソードスキルを停止。俺は素直に硬直を受け入れた。

 無防備となった俺への攻撃を防ぐPoHの背中。

 短剣とは思えないサイズの武器が、一撃、また一撃とボスの攻撃を弾く。

 『アクセルレイド』。その攻撃回数は9回。

 対してボスのソードスキルは名称不明だが、記憶が確かならこれは16連撃のものだったはず。

 PoHはその連撃を防ぎ切った。

 完璧に軌道を読み、寸分の狂いもなく短剣を振るって。

 

 二刀流は連撃回数や威力こそ絶大だが、ソードスキル後の硬直は致命的だ。

 その瞬間を狙い、俺は再びソードスキルで斬りかかった。

 ボスのHPは最後の1本。その7割。

 手応えを感じながらも、削りきるには足りない威力に歯噛みをする。

 ソードスキルの終了。そこに割り込んだのはPoHだ。

 やつもまた新たなソードスキルへと繋いで攻撃の手を緩めない。

 ボスがPoHへと視線を向けた。

 すかさず硬直を終えた俺は射程の長い『ヴォーパルストライク』でボスの瞳を射貫く。

 視線が外れ、熱線は足場の隅を掠めるに留まったが爆風で立っていられなくなる。

 

 

 

 逃げ場はない。

 

 

 

 俺たちは前に進む。

 

 

 

 ここで逃がせばあとは落ちるのみ。

 

 

 

「はぁあああああああああ!」

 

 片手直剣ソードスキル『ファントム・レイブ』がボスの胴体を引き裂く。

 6連撃ながらもその威力たるや絶大なものだ。

 ボスのHPはわずか。

 しかしこれでは足りないだろう。

 俺だけならば。

 

「黒猫ぉおおおおおおおお!」

 

 俺の下方から聞こえるやつの声。それが迫っていた。

 ソードスキルが終了して落下を始めた俺の身体。

 PoHが引き裂いたのはボスのHPだけでない。

 短剣最上位ソードスキル『エターナル・サイクロン』。

 その連撃数はたったの4回で、範囲攻撃系に分類されるソードスキルだ。

 なぜやつがそれをこの場で使ったのか、俺は理解していた。

 エターナル・サイクロンは上方向に回転しながら放つソードスキルで、攻撃対象を打ち上げる。

 それは巻き込まれた俺も同様だ。

 

「あとはテメエの役割だ」

 

 バトンを渡したPoHは、ソードスキルを終えて落ちていく。

 

「おおおおおおおおおおお!」

 

 ボスの顔はすぐそこだ。

 俺は再び『ノヴァ・アセンション』を繰り出した。

 ソードスキルに合わせ身体を動かすことでモーションを加速させる。

 それは生涯で最速の連撃だった。

 一瞬にしてソードスキルは最後の一撃、10回目の攻撃に入る。

 

「これで、終わりだぁあああああ!!」

「アアアアアアアア!」

 

 

 

 ボスの瞳が赤く輝き――。

 

 

 

 熱線よりも早く、俺の刃がその瞳を貫いた。



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60話 眠れる者のための二重奏(10)

「――あ、あああああああ!?」

 

 地面が迫る。

 ボスの巨体は失われ、俺は物理エンジンに従って上空数十メートルの高さから一直線に落下した。

 鈍い衝撃。ペインアブソーバは有効に働いているため痛みはない。

 恐る恐る目を開けるも、俺のHPは最大値になっていた。

 そういえば、ヒースクリフを倒した時もこんな感じだったか。確かログアウトまでの間HPが最大値で固定されるとかなんとか……。

 

「お互い死にそびれちまったな」

 

 隣には同じように転がったPoHがいた。

 上空の足場はゆっくりと地上に降下しており、手を振る仲間たちの姿が見える。

 その中心には『Congratulation!』の文字。

 懐かしいファンファーレがどこからか聞こえてくる。

 

「俺はまだまだ死ぬつもりなんてないぞ」

「そうかよ。ま、俺が殺すまでせいぜい死ぬんじゃねえぞ」

 

 その言葉は、まるで激励のようだった。

 俺たちは手を貸し合うことなく自らの力で立ち上がる。

 もう、拳を突き合わせて勝利を分かち合うこともない……。

 

「キリトさん」

 

 地上に降りて来たユイが声をかけてくる。

 彼女は両手を掲げるとそこに砕けて降り注ぐボスの結晶が集まった。

 それは大振りな剣の形を取って彼女の両手に収まる。

 二股に別れた形状の剣は、武器というよりかは儀礼用の祭具に見える。

 

「これはアインクラッドの崩壊プロセスをオブジェクト化したものです。これを向こうで使えばオーディナルスケールは終了します」

 

 ユイはPoHを一瞬だけ見るも、彼には言葉をかけず俺へ剣を渡した。

 

「さてと。俺は先に帰らせてもらうぜ。テメエとの決着は必ず着ける。だが今日じゃねえ」

「PoH……」

 

 PoHの身体は光に包まれ、消えた。ログアウトしたのだろう。

 

「ああ! 待ってくれよボス! 俺も俺も!」

 

 ジョニーもそれに続いて消える。

 

「なんだったのよ、あいつら……」

「さあな。わかるかよ、そんなこと」

「考えるのは後回しだ。今は先にするべきことがあるだろ?」

 

 リズ、クライン、エギルがそう言うなり他のプレイヤーたちも次々にログアウト処理が始まった。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 アインクラッド第100層からログアウトした俺の手には、ユイから手渡された剣が握られていた。無論それはARのオブジェクトだ。

 実際の重量はスティックコントローラー分しかないはずだが、まるでアインクラッドの日々がすべて乗せられているかのように重く感じる。

 俺は慣れた片手直剣のスタイルで一閃。

 目の前にいたボスの1体を斬りつけると、HPなど関係ないと言わんばかりに七色の光となって弾けて消える。さらには剣の延長線上にいた他のボスまでもが同様の処理を行われた。

 尺玉が破裂するような重低音が立て続けに響く。

 視界を埋め尽くすボスたちへ再び横薙ぎに剣を振るえば、それらはたちまち輝きに変わった。

 パレードさながらの煌びやかな幕引きだ。

 すべてのボスが消失するまで、時間はそうかからなかった。

 

「黒猫の剣士さん。皆を救ってくれてありがとう」

 

 すぐ傍にいた、白いパーカーを着たユナが俺へ声をかける。

 

「こっちこそ、お礼を言わないとな」

 

 彼女はお礼とばかりに笑顔を返してくれた。

 

「ユイちゃん!」

「はい。――えっ!?」

 

 ユナが突然ユイの手を引いてステージへと上る。

 消えていた会場の照明が再び点灯して2人の立つ場所だけを静かに照らす。

 そこはまるで暗闇に浮かぶ光の花園のようだった。

 悲しくも優しい旋律がスピーカーより奏でられ、彼女の口からそれに乗せて歌声が響き渡る。

 俺は残念ながら歌の技巧の良し悪しを論じられるほど高い感性は持ち合わせていないが、それでもこれが素晴らしい歌なのだということはわかる。

 彼女がこうも持て囃されていたのはオーディナルスケールの宣伝効果や、その美貌故ではない。この素晴らしい歌声のおかげだった。

 会場の誰もがその声に耳を傾け、聞き惚れている。

 

 だけど……。この歌は俺たちのために紡がれたものではない。

 

 それさえも伝わってしまうほどに彼女の歌唱力は卓越しており、同時にその想いの、愛情の深さを知ることができる。

 聞いてるか、エイジ。

 これはお前のためだけにある歌だ。

 溢れんばかりの愛情には、残された彼の幸せを一身に願う祈りが込められていた。

 それは同時に彼女の最期を暗示していた。この歌が終わればきっとユナは消滅するのだろう。

 だからこそ、これを止められる者などいるはずがない。

 ファンが詰めかけているはずの会場からは歓声などひとつも上がらず、全員がただ息を潜めて耳を傾けるのみだ。

 

 ユナの視線が動く。

 ああ、きっとエイジがその先にいるのだ。

 彼女の歌は届いた。それが自分のことのように嬉しかった。

 この騒動で俺に後悔があるとすれば、それは彼を倒したことだ。

 本当にこれで良かったのかはわからない。もちろん会場のプレイヤーの命は犠牲にしてはならない。だが他にもっと手がなかったのか? 誰もが救われる結末はなかったのか? それだけが、心残りだった。

 

 ユナの視線が一端外れて、隣で立ち尽くすユイに向けられた。

 それに導かれるようにユイの口からも歌声が響く。

 最初は不安気に、しかしすぐにそれはユナに負けないほどの美しい音色へと変わった。

 彼女が口遊むのは愛だった。身を焦がすほどの愛だ。燃え上がるような激しい愛情ではなく、苦しくて身を引き裂かれそうな愛である。その中から一握りの希望を探し出して、それを分かち合おうと必死に叫んでいる。

 ユイの声そのものは穏やかなのに、そう感じてしまう。

 これはきっと、エリに向けられた彼女の想いの形だ。

 

「あれ……、なんで……」

 

 途中でユナはエリに歌を向けた。

 一瞬だけ困った表情をするもそれはすぐになくなり、ユナは傷ついた彼女のためにこれから先の幸せを願った声で歌う。

 その歌声を受けて、エリは大粒の涙を流していた。

 2人はきっとSAOで友達だったのだろう……。

 ユナの言葉を邪魔しないように、ユイの歌声がエリから外される。

 そして俺は――手に持っていた剣を落としていた。

 

「……サチ」

 

 ユイは、幼いサチの顔で俺に向けて歌いかけてくる。

 

「私のことは忘れて、キリトは幸せになって」

 

 サチの姿がユイに重なって、俺にそう告げていた。

 

「駄目だ、サチ……。君を忘れるなんて、俺にはできない……。そんなこと……、そんなこと、許されるわけないじゃないか……」

 

 サチは首を振る。

 

「そうじゃない……。俺は忘れたくないんだ……。君を……」

 

 膝をついて首を垂れる。

 サチはそんな俺の頬を優しく撫でた。

 

「サチ……。サチ……。サチッ…………!」

 

 手を伸ばせば届きそうなほどに近くに感じるのに、触れることのできない距離。

 それでも俺はサチに触れようとしてしまい――この手は彼女の指先に触れることはなく、その姿は霞みに消えた。

 ユイは「困った人ですね」と言いたげな表情で、ステージの上から俺を見て微笑んでいた。

 

 ユナとユイ。

 2人の歌姫はクライマックスになってようやく想いを合わせる。

 今度は会場の全員へ向けて。感謝を届け、それから皆の幸せを願っていた。

 その歌声はまるでステージには花が咲き誇っているかのようで……。

 俺がかつて見た、47層のフラワーガーデンを思い出すような美しい光景だった。

 花吹雪がステージから溢れ、それぞれの元に渡るような……。そんな温かな幸せを届けようとする歌声だ。

 花びらの最後の1枚がエイジに、そしてエリに届けられ、歌は終わりを迎える。

 

「ありがとう」

 

 ユナはそう言うと、忽然と姿を消した。

 盛大な拍手が沸き起こる。

 ステージにただ一人残されたユイは、涙をこらえてその歓声を浴びた……。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 あの後、会場に菊岡たち政府の職員が駆けつけ事態の収拾が図られた。

 ボスモンスターが出現した件に関してはサプライズ演出だったという公式発表がニュースでは放送されている。

 不幸中の幸いとして、高出力スキャニングは全員のエモーティブカウンターが一定値を超えてから一斉に行われる設定だったらしく、死傷者は出ないで済んだ。

 

 重村教授はその後オーグマーの運営をしているカムラ社の開発責任者から退任。

 エイジが起訴されることはなかった。

 黒いアイドル衣装を着たユナは、ユイの言ではあの白い服装のユナから記憶の一部を受け取ったらしいが、映像越しで見る限り彼女に大きな変化はない。

 オーディナルスケールは数日間サービスを停止していたものの、バックアップデータから復旧が成され依然としてサービス続いている。

 オーグマーに関しては設計が見直され、スキャニング機能を取り除いた物が作られた。製品不良として初期生産品の回収が今でも進められているようだ。

 もちろんのことだが、俺たちのオーグマーはすでにその再生産品に差し替えてある。

 

「PoHのやつ。今度会ったらただじゃおかないわ!」

 

 揺れる電車。休日ではあるが、都心から離れるように向かう車内は空いている。

 広告映像にはユナのCM。そのせいであいつを思い出したのか、リズは息巻いていた。

 ユナが姿を消してから俺は急いで会場を探し回ったのだが、ウサグーの姿はどこにも見当たらなかった。

 オーディナルスケールのイベントバトルでも探しているが、見かけていない。

 エリはログインする姿を見ていたようだが、彼が真っ先にログアウトした後、隣にいた青年と一緒に何処かへと走り去ったらしい。その青年というのはおそらくジョニー・ブラックなのだろう。

 

「けどあいつが来て助かったのは事実だろ?」

「それはそれ、これはこれよ。なによ。あんたあいつの肩を持つの!?」

「そうじゃないけどさ……」

 

 あいつとの関係に、俺は未だ心の中で決着をつけられていない。

 仮にあの後会場であいつを見つけることができたとしても、どう話しかけていいかさえわからなかったはずだ。

 それは当然、あの場にいた仲間たちも同じで……。

 彼らがPoHについて俺に聞いてくるようなことはなかった。おそらく聞かれても、俺は上手く説明することはできないだろう。

 ウサグーと共に戦った日々は俺に言いようのないなにかを残していった。

 

「――ん。次の駅で降りるぞ」

 

 何度か来ているためオーグマーのナビゲーションもいらない。

 冷房の利いた電車から降りると、茹だるような熱気の洗礼を浴びて額から汗が噴き出た。夏の匂いが鼻をつき、360度どこからでも耳鳴りのようなセミの声が響いてくる。

 

「う、うぐ……」

 

 駅のホームを出ると呻き声が思わず零れる。

 空は入道雲の伸びる快晴。さんさんと照り付ける太陽に線路どころかアスファルトさえも陽炎に揺らめき、街路樹に停まる鳥たちは力なく羽を休めている。

 直射日光もきついが、地面の照り返しで両面焼きにされてしまいそうだ……。

 

「だから日傘くらい持って来ればって言ったのよ」

「いらん……」

「意地張って倒れても助けてやんないわよ」

 

 そう言ってリズは自分だけ黒い日傘を広げてしまう。

 着ている学校付属の制服が汗を吸っていくがここは我慢だ。

 ……次来るときは日差し対策をしておこう。

 

「自販機で飲み物でも買ってきなさい。肌に当ててれば少しはマシになるでしょ」

 

 リズに言われるがまま近くの自販機で飲み物を購入。

 俺はスポーツドリンクを、リズはお茶を選び、両方俺が買わされた。

 

「ほら」

 

 リズがハンドバッグから取り出した無地のタオルを投げ渡してくる。

 

「いいのか?」

「あんたの分よ。私のもあるから気にせず使いなさい」

「すまん……」

 

 お茶の代わりに俺はタオルを受け取ると、それを頭に乗せながら前来た道を先導していく。

 近くに大きな商業施設や観光名所などないため、道行く人はこの辺りに住む者だけ。セミの鳴き声以外は生活音しかなく、いたってのどかなものだ。

 

「ねえ、キリト。前から言おうと思ってたんだけどさ。あんたいつもそんな顔で来てるわけ?」

「そんな顔ってどんな顔だよ……」

「辛気臭い顔してるわよ」

「そうか? まあ、しょうがないだろ」

「そんなんじゃ来られる方も迷惑でしょ。お前のせいで俺は不幸だーって言ってるようなもんよ。私だったら追い返したくなるわ」

「でも、ケイタは俺のこと恨んでるだろうし……。幸せそうにしてるのもあれだろ」

 

 俺に恨み言を残してから自殺したケイタに、そんな顔を合わせるのもどうかと思うわけで。

 

「そんなやつのことはどうでもいいのよ」

「いや、どうでもよくは……はい……」

 

 すまんケイタ。お前の命日は明日だから許してくれ。

 

「はぁ。しょうがないわね。サチのことで、なんか楽しかったこと話しなさいよ」

「楽しかったことか……。11層にカジノエリアがあったろ? あの辺り、物価がやけに高いんだけど雰囲気の良い店も多くってさ」

「――私が悪かったわ。その話は止めなさい」

「まだなにも話してないぞ。そもそもリズから振った話だろ」

「サチから散々聞いたのよ! ていうか惚気話聞くとか私は馬鹿か!?」

 

 ちなみにこれはカジノで大当てした俺がサチをディナーに誘ったときの話だ。

 SAOではアルコールアイテムが豊富だったが、別に酔うようなことはない――はずなのだがサチはだいぶ酔っていた。場酔いというやつだ。あの日は、たぶん俺も酔っていた。

 彼女は普段より甘えて頼むものだから、その後に一緒に外縁部まで行って星を見た。外縁部からなら上層の底に遮られずに空を見ることができる。あのとき見た美しい星空と、サチの横顔を俺は生涯忘れないだろう。今度天体観測にでも行くか。自宅付近には観測所もあるし。

 ――それから途中で寝ていまったサチを俺が背負って11層の宿まで帰ることになった。ギルドのメンバーに気がつかれないよう神経を研ぎ澄ませたわけだが、その辺りも含めていい思い出だ。

 ……あれ? 翌日サチはなにも覚えてないって言ってたはずだぞ。

 

「………………」

 

 まあいいか。

 俺たちは焼けるような日差しの中を淡々と歩いた。

 たまにリズが話題を振り、俺がそれに答える。会話はせいぜいその程度。今日は何時にも増して暑かった。流石のリズも徐々に声のトーンが落ちていく。

 しばらくすると霊園の付随する寺にたどり着く。寺にはひときわ大きな大木が植えられており、その木陰に入ると風が吹きすさんで身体を冷ましてくれた。

 もっとも、それがどこまでも続いているはずもなく、すぐに居心地の良い場所から出なければならない。

 置かれていた桶に水を汲みつつ、俺もリズも流水で手を冷やす。

 それから向かったのは当然――サチの墓だ。

 

「もう2年になるのね」

「そうだな……」

 

 リズが買ってきたケーキを供えつつ、俺は線香や花を供えていく。

 帰りには回収しなければならないが無駄とは思わない。仏教徒になったわけでもないのにこうして手を合わせるのは日本人特有の感性なのだろうか。

 それから俺は線香に普段通りの手順で火を灯して、それを消さないよ慎重に墓石へ水をかける。

 

「あんたはいつもなんにも買っていかない客だったわね……」

「悪かったな」

「あんたじゃなくてサチに言ったのよ」

 

 サチはギルドでフィールドに出ないときはだいたいリズの店に通っていた。

 俺はそれに少しやきもちも焼いたが、帰ってくると楽しそうにその日あったことを教えてくれて、温かな気持ちになったのを憶えている。

 だいたいがエリに揶揄われた話で、それ以外だとどの店の料理が美味しかっただとか、可愛い小物を見かけて買ってもらったのだとか、そういう話だった。

 サチは2人よりも年長者だったが、大抵可愛がられる側で、そういう部分もまた彼女の魅力の一部だ。

 

「サチ……」

 

 エリはサチに戦いから離れる選択肢も提示していた。

 あの後サチは自分の考えを語り一緒に戦うことを選んだが、無理にでも止めるべきだったんじゃないだろうか。そうすればせめてサチだけでも……。

 それならケイタも自殺までしないで済んだんじゃないか。

 あるいは俺がもっと強ければ。例えばあの場にいたのが俺じゃなくてエリだったら、生き残れたんじゃないか。

 後悔は降り積もり、俺の中で崩すことのできない山となっていた。

 どれだけ願っても死んだ人間は蘇らなかった。

 ユナも決してそうならなかったように。

 ユイが決してサチにならないように。

 過ぎ去った過去は戻らず、永遠に変化しない。

 あるいは彼女も、もしかしたら……。

 

「来年はあいつに首輪をつけてでも3人で来るわ」

 

 今日ここに来れたのは俺とリズの2人だけ。

 

「さあ、頑張らないとね! まずはエリの記憶を戻すわよ!」

 

 リズの横顔は苦しそうだが決意が秘められており、彼女は力強く拳を天に掲げる。それから振り返り、俺に笑いかけてくれた。

 

「俺も約束する。絶対に、エリを連れて来るよ」

 

 それが今できる精一杯の強がりで、サチに聞かせられる報告の限りだ。

 ユナのファーストライブ、アインクラッドのラスボスを倒してからもう1カ月が経つ。

 

 

 

 ――エリの記憶は、未だ回復していない。




ウサグー……『精霊の職務の書』で登場する悪魔の名。『ゴエティア』ではヴァサゴと呼ばれる。PoHの本名はヴァサゴ・カザルフ。PoHとはPrince of Hellの頭文字である。


 オーディナル・スケール編、ついに完結!
 『眠れる者のための二重奏』ではエリの出番は少なかったですが、いかがだったでしょうか?
 必要な情報が多くて所々ゆったりとした展開だったかもしれませんが、いくつかの場面で心情の変化があったりと、読み返すと新たな発見のある作りを今回は意識しました。

 記憶障害の原因が原作では『死の恐怖』とのことだったので、エリに関しては続投です。
 相変わらずですが、彼女はラストバトルに参戦しなかったので……。

 この作品もだいぶ長くなってきましたがここまでお付き合い頂き、ありがとうございます。
 どうかこれからも、読んでいただけると幸いです。


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マザーズ・ロザリオ編
61話 夕暮れの少女(1)


――2025.08.26――

 

 

 オーディナルスケールでSAOのラスボスを倒してもエリの記憶は戻らなかった。

 彼女の記憶を取り戻すカギはユイちゃんからもたらされた『死の恐怖』を乗り越えるという曖昧なものだけ。

 それに縋るように私たちはアップデートで順次解放されていく、新生ALOの空に浮かぶアインクラッド城のフロアボス攻略にエリを連れて挑み続けた。

 

 効果は……一応あった。

 彼女が以前SAOで倒したフロアボスを撃破したときには、断片的な記憶を思い出すことがあった。とはいえそれは一時的に過ぎず、しばらくすれば元の状態に戻ってしまう。

 いいや。元の状態というには語弊がある。むしろ……。症状は徐々に悪化していた。

 初めはSAOに囚われていた頃の記憶だけが欠けていたのだが、最近ではSAOに関連する記憶全般が失われてしまっている。2週間前に皆で倒したばかりの、新生アインクラッド第20層ボスのことをエリはすでに憶えていなかった。

 

 このまま攻略を続けて、エリの記憶が本当に戻るのか……。

 そんな不安がパーティーに広がりつつあった。

 すでに現在解放されている20層までの攻略を終え、次のアップデートを待つだけの期間となっているのも間が悪い。

 そこに重なった夏季休暇で、ALOにログインする機会が減ったことが止めを刺したのだろう。

 懸念は最悪の形となって彼女に降り注いだ。

 

「うそ……」

 

 ユイちゃんから送られたメールに私は目を白黒させた。

 そこにはエリの容体が悪化したことが綴られていたからだ。

 急ぎユイちゃんと通話で状況を確認すると、私はエリの記憶を取り戻すのに協力してくれているパーティーメンバーに連絡を送った。

 夏季休暇中とはいえメンバーの多くは社会人。全員がすぐに集まれるわけではない。かくいう私も夏期講習があったが、急遽休みの連絡を入れてALOでの会合に向かった。

 

 集合場所は11層にあるキリト君のプレイヤーハウス。

 個人用の住宅にしては大きく、値も張るそこは、SAO時代に彼へ残された月夜の黒猫団のギルドハウスであった。

 前回のアップデート以降は作戦会議で頻繁に訪れるようになった黒猫の看板のかかったウッドハウスの扉と叩くと、家主のキリト君が出迎えてくれる。

 彼の表情は暗く、奥からはユイちゃんの泣き声が響いていた……。

 リビングにはすでに今来れるほとんどのメンバーが集まっていた。

 リズやシリカちゃん、エギルさんと、それにスリーピング・ナイツのユウキたちだ。リーファちゃんはすでに部活に出ていないようだ。

 ここにクラインさんやシンカーさん、サクヤさんやアリシャさん、ユージーンさんなどの領主たちを加えれば私たちの攻略パーティーの主軸はフルメンバーとなる。

 

「アスナさん……。お姉ちゃんが……、お姉ちゃんがっ……!」

 

 ユイちゃんは私に気がつき顔を上げた。

 SAOに負けず劣らずALOも感情表現がオーバーであるが、それにしても酷い表情だった。

 愛くるしい彼女の顔は涙で泣き腫らしており、堪えきれない感情が嗚咽となってこぼれ出している……。

 見るに堪えず、かといって目を背けるわけにもいかない。

 この場にいる全員が彼女の悲痛な感情に、口を閉ざさずにはいられなかった。

 

「うん……。ゆっくりでいいから、なにがあったか皆に説明できる?」

「はい……」

 

 ユイちゃんはぽつりぽつりと、なにがあったかを話し始めた。

 

「今朝、お姉ちゃんが目を覚ましたら様子が変だったんです……。わたしを見るなり不思議そうな表情をして……。声をかけたらとても丁寧な口調を返されました……。普段とはまるで別人のような距離感のある口調で。それから寝ぼけているみたいですから顔を洗ってきますと言って、でも意識がはっきりした後も様子は改善されませんでした。その後お姉ちゃんはっ……!」

 

 再び泣き出してしまったユイちゃんの背を、隣に座っていたリズが優しく擦る。

 

「……すみませんが、どなたでしょうか? ってわたしに言ったんです」

 

 ぞっとする話だった。

 大切な人がある日、自分のことをすべて忘れていまったら……。

 ユイちゃんにとってエリはずっと一緒にいた存在だ。私からすればお母さんだとか、そういった長い時間を一緒にいた人に例えられる。

 朝起きて、お母さんに「貴女、誰?」なんて言われた日には――正気でいられるとは思えない。

 

「お姉ちゃんの記憶がなくなっているのは明白でした……。だからどこまで憶えていないのか確認するため質問をしたところ、どうやら今年に入ってからの記憶はなにもないようです」

「そんな! じゃあボクたちのことも!?」

「はい……。ユウキさんたちのことも。それどころかここにいる皆さんのことは誰一人として憶えていません」

「………………」

 

 金槌で頭を殴られたような衝撃を錯覚した。

 SAOでの思い出を無くしたと聞いたときも相当動揺したが、帰還者学校やリハビリ生活での記憶があったためまだ私たちの関係は良好であったのだ。

 それすら失われたとすれば? どうなるのだろう……。

 かつてのように私を避けるようになってしまうのだろうか。それは……とても辛い。

 

「わ、私のことは?」

 

 予想に反してユイちゃんは首を横に振った。

 

「憶えていません。おそらくですが、記憶は中学生の頃のものもいくつか失われています」

 

 それを聞いて私がほっとすることはなかった。

 どの道苦しいだけだ。あの日、友達になれたエリとの思い出が失われていることに変わりはないのだから……。

 

「お姉ちゃんには現状を把握してもらうために簡単な説明をしました。もちろん、わたしのことも……」

 

 ユイちゃんの話はそれで終わりではなかった。

 

「――そしたらお姉ちゃん、どんな表情をしたと思います?」

 

 ユイちゃんは涙を流しながら笑っていた。

 眩暈のするような笑顔だった。

 彼女が言葉を区切ったせいで場が静まり返ったが、それは別の意味を持って凍り付いたかのような怖気を放っていた。

 こんな表情ができるものなのか。ALOというシステムが、ユイちゃんという女の子が、これをしたのかと考えるとより怖ろしく感じてしまう。

 

「……まるで物を見るみたいに、わたしのことを見たんです。そうです! わたしは人間じゃない! ただのAIです! そんなことは理解しています! でも! でもっ! お姉ちゃんにそんなふうに見られるなんて、耐えられないんです! どうして!? わたしはお姉ちゃんの妹です! そうじゃなければわたしはなんなんですか!?」

 

 甲高い慟哭をあげ、ユイちゃんは頭を抱えて長い黒髪を掻き毟った。

 

「あの人はわたしのお姉ちゃんじゃない! お姉ちゃんはどこ? お姉ちゃんを返してください! 全部わたしが悪かったんです! 謝ります! だからお姉ちゃんを! お姉ちゃんを元に戻してくださいよぉ! ああ……! うあああああああああああ……!!」

 

 空気が震えた。

 大切な人と引き裂かれた彼女の悲鳴は、聞く者の心さえ引き裂かんばかりの鋭利な刃となった。

 一瞬頭の中が真っ白になる。

 それほどまでに彼女の叫びは痛ましかったのだ。

 あまりの苦しさに、私の目尻からも大粒の涙が溢れ出していた。

 呼吸すら忘れて彼女の叫びに呑まれていた。

 全身が麻痺の状態異常を受けたようにピクリとも動かない。

 

 そんな中で唯一動けたのは――リズだった。

 

 リズはユイちゃんを抱きしめていた。

 彼女の腕から逃れようともがく理由はきっと本人でもわかっていない。

 それでも暴れるユイちゃんをリズは懸命に抑え込んでいた。

 

「あんたは悪くないわ。大丈夫よ。エリはきっと思い出してくれる。あんたが信じてあげなくて、誰が信じるのよ」

「でも……!」

「辛いなら泣いてもいいわ。けどあんたが悲しいと、同じくらい悲しいって思うやつがここには大勢いるのよ。だからもう少し皆を頼りなさいな」

「りずさああああああああん!」

「はいはい……。手間のかかる姉妹ね、まったく」

 

 悪態を吐きつつも、リズは穏やかな笑みを浮かべていた。

 ユイちゃんは依然としてリズの胸に顔を埋めたまま泣いているが、先程までの今にも壊れてしまいそうな危うさはなく、母親に甘えるような子供らしさが戻っていた。

 全員がきっと安堵に胸を撫で下ろしたことだろう。

 

 しばらくするとユイちゃんをあやしていたリズが「なにか言いなさいよ」とばかりに私へアイコンタクトを送ってくる。

 このまま有耶無耶に解散とはいかない、か。

 つまり便宜上リーダーを任されている私が締めなければならない場面であった。

 

「皆さん。今回のことは大変残念な結果です。しかしこれで望みが断たれたわけではありません。私たちの最大の目標は25層の攻略。この階層はエリの所属していたギルドが大きな打撃を受けた地点であり、その作戦には彼女も参加していました。このフロアボスを攻略できれば彼女の記憶が戻る可能性は大変高いと考えています。クラインさんの件もあり分の悪い賭けではないはずです。どうか、最後まで協力をお願いします」

 

 クラインさんはSAOのラスボス戦に参加したときにはすでに記憶が戻っていた。

 それに彼とエリでは使っていたオーグマーの出力も大きく異なる。

 そういった細々とした差異を度外視して、私は士気高揚のためにもそう言わざるを得なかった。

 ……だからといって信じていないわけではないのだ。

 きっとエリは思い出してくれる。

 ユイちゃんだけでなく私もそう信じなければ、友達甲斐がなくなってしまうから。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 ユイちゃんはあの後眠ってしまい、今はリズが付き添って寝室で横になっている。

 キリト君辺りに詳しく聞けば、蓄積したエラーが――などと説明をしてくれるだろうけど、私には泣き疲れた子供のようにしか思えなかった。

 彼女は自分が人間でないことにコンプレックスを感じているが、そうと知らずに相対すれば誰も彼女が人間でないことには気がつけないだろう。

 不気味の谷はとっくに越えている。

 彼女の見せる感情が本物でないのだとしたら、この世界に本物と呼べるものはないとさえ感じていた。……それが悲しみに暮れた感情でなければどれほど良かったことか。そう思わずにはいられない。

 

「……アスナ。ちょっといい?」

 

 これからフィールドに出掛ける気分にもなれず手持ち無沙汰にしていたところ、私はユウキに声をかけられた。

 

「いいけど。どこか行くの?」

「あー。うん……。話しがあるんだ」

 

 気分転換に行こうという雰囲気でないのはすぐにわかった。

 理由をここでは話したくないのだろうと察した私は、ユウキの後に続いて外周区の縁まで飛ぶことになった。

 普段は彼女と一緒にいるスリーピングナイツの皆は着いて来ていない。

 道中、ユウキは終始浮かない横顔をしていた。

 

「あ。ユウキたちってユイちゃんの事情知ってたっけ?」

「もちろん。エリから聞いてるよ」

 

 それは一安心だ。

 彼女のことはエギルさん経由でALOの新規運営チームに許可をもらっているものの、表沙汰になると快く思わないプレイヤーも出るだろう。

 言いふらすような真似をする人たちではないだろうが、先程の場に領主たちがいなかったのは不幸中の幸いだった。

 

「話しっていうのはユイのことじゃなくて……。いや、ユイのこともかな……?」

 

 歯切れが悪く、誤魔化したいという気持ちを堪えるようにユウキは喋った。

 それからばつが悪そうに頬を掻き、苦笑いをしてみせる。

 

「アスナにお願いがあるんだ」

 

 けれどもユウキの瞳はどこまでも真っ直ぐに私を見ていた。

 

「もう少しでスリーピング・ナイツは解散すると思う」

「……え? ええ!?」

 

 思わず声を張り上げて驚いてしまう。

 私の声量はSAOで鍛え上げられたちょっとした特技だ。それを存分に発揮してしまい、アルブヘイムの大地を見下ろす空にとても響いてしまった……。ここが人気のない外縁部でなければ赤面ものだ。

 ギルドの解散は珍しいことではないが、彼らがそうなるとは夢にも思っていなかった。

 

「どうして!? 皆あんなに仲が良かったじゃない!」

「喧嘩したとか、そういうことじゃないんだよ。これはずっと前から決めてた事でさ……。もし解散しなくてもボクは……もうじきここには来れなくなるんだ」

 

 リアルの事情でゲームから離れるというのも珍しくない話だ。

 そういった友人は今のところ私にはいなかったが、キリト君やエリがMMO時代の話を聞かせてくれて、知識としては知っていた。

 リアルのことについて聞くのはSAOに限らず、どのゲームでもタブーだ。

 けれどユウキはそれを聞いてほしくて呼んだのだと思い、私は一歩を踏み出すことにした。

 

「……それはどうして?」

「うーん……。えっとね……。あー……。あはははは……。どう説明するか考えてきたつもりでも、いざ言うとなると緊張しちゃうね」

 

 ユウキは一度深呼吸をして自分を落ち着かせる。

 

「ボクのことはエリからなんて聞いてた?」

「通うはずだったフルダイブ環境の通信制学校の友達だって。あとはオーグマーのことを調べてくれた恩人だとか、とっても強くて可愛いってこととかかな」

「知らないところで褒められてるとなんだか照れくさいね」

 

 彼女は照れ隠しに視線を逸らすと、空の彼方を見つめた。

 細められた瞳は蒼空の先にある、遠い日の出来事を眺めているかのようだ。そうしなければ見えないほどにエリが遠くへ行ってしまったかのような不安と寂しさが漂っていた。

 吹きつける風を頬に感じながら、私もユウキと同じ方向へと目を向ける。

 エリと最初に会ったのは中学校でのことだが、思い返すのはSAOでのことばかり。

 初めは反りが合わず顔を合わせるたびに嫌味を言われたり、邪魔をされたり……。私もそれに反発するように酷いことを言ってしまった。

 攻略組ということもあってエリの他にもそうした嫌がらせをしてくる人はいたが、彼らにいちいち構うようなことはなかったはずだ。

 友達になれたのはSAOがクリアされる直前であったけれど、今思えば会ったその日から無意識に近い距離を感じていたのかもしれない。

 リズやキリト君は大事な友達で、比べるものではないけれど……。

 エリは私の感じてきた辛さを一番理解してくれる人だった。

 

「ボクね――」

 

 ユウキの声にハッと意識が現在に呼び戻される。

 

「――もうすぐ死んじゃうんだ」

 

 驚いてユウキを見ると彼女は困ったように笑っていた。

 ユウキも視線を戻し、私たちは向かい合う形になる。

 

「この前の検査の結果が悪くてさ。たぶん年は越せないだろうって、お医者さんが」

「………………」

 

 なんて……声をかければいいのか……。

 突然のことでなにも思いつくことはなかった。

 

「スリーピング・ナイツはそういう人たちの集まりで、次に誰かが欠けたら解散することはもう皆で決めてたんだ。エリの記憶が戻っても戻らなくても、次のアップデートで解放される30層までしかボクは一緒に行けない。……他の皆がギルドを解散した後どうするかは、わからないけどね」

 

 どうして彼女がそんな目に遭わなければならないのか。

 どこに矛先を向ければいいのかわからず、私はただただ悲しさに襲われた。

 かつてSAOで攻略の鬼と恐れられていた仮面はとうに剥がれていて、当然のように涙が溢れてしまう。

 

「ボクのために泣いてくれて、ありがとう……」

「あたりまえよ! だって、ユウキは大事な仲間で……友達だもの!」

「嬉しいな……。エリと出会ってから、こうして沢山友達が増えたから。エリにはお礼を言わないとだね」

 

 ユウキはSAOサバイバーではないし、死線を一緒の潜り抜けた仲ではないけれど。この半年間で多くの場所を共に冒険したし、エリの記憶を取り戻すために必死で手を取り合った。

 この絆はSAOで培ったものに負けずとも劣らないものだ。

 

「……アスナ。ボクがいなくなった後、エリやユイのこと、お願いできる?」

「もちろんよ!」

 

 言われなくてもそのつもりだ。

 けどエリを残していくのを不安に思う気持ちもわかる。

 エリはトラブルに巻き込まれやすいのだ。SAOでもそうだったし、ALOでも、OS(オーディナルスケール)でもそうなってしまった。

 

「けど、その前に記憶を取り戻して見せるわ!」

「そうだね。最期に元のエリに会いたいし。エリを送り出すのはスリーピング・ナイツ最後の大仕事なんだ。だから絶対に25層の攻略を成功させようね」

「うん……!」

 

 決意を新たにした私の顔は、涙で見れたものじゃないかもしれないけど。

 それを恥ずかしいとはまったく思わなかった。




 マザーズ・ロザリオ編。
 お待たせしてしまい申し訳ありません。
 原作でも特に面白い部分であったりと、中々手強く、時間がかかってしまいました……。
 アインクラッドの階層アップデートは原作とズレがありますがご了承ください。


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62話 夕暮れの少女(2)

 茨姫のように……。

 わたしは王子様のキスで目覚めてハッピーエンドとはならなかった。

 目が覚めたときには大切なものが壊れた後で、知らぬ間に世界が終わりを迎えていたかのような錯覚さえしたのだ。

 この齢でいうのはとても恥ずかしい話なのだが、両親から贈られる愛とはそれほどまでにわたしの心を占めていた。

 実年齢である18歳ではなく、精神年齢でいうところの12歳を基準に考えてもまだ子供っぽいといわれてしまう話だろう。

 

 つまり簡潔に言葉にすると、わたしは記憶喪失なのだ。

 ある日突然未来にやってきてしまった感覚なのだけど、隣の席に座る子の顔も思い出せないことは、わたしが記憶をなくしたことを如実に語りかけてくる。

 だからむしろ夢の中にいるようなものだ。

 王子様はまだ旅の途中で、わたしは棺の中に眠っている……。

 これだと白雪姫か。

 

 鏡よ鏡よ鏡さん。

 世界で一番美しいかどうかはさておいて、この雪のように白い肌をした女性は誰ですか?

 鏡に映るのは、綺麗というよりは可愛らしい感じがする卵顔の大人びた女性。

 手を振れば振り返し、首を傾げれば傾げ返す。――どうやら、彼女はわたしのようだ。

 自画自賛するようだが、整った顔立ちのそれからは違和感が拭えない。

 わたしの中に残されたのは小学生までの記憶で、身体は大学生に育っているのだから当然か。

 

「大きい……」

 

 身長、ではなく胸が。

 てきとうに手に取ったブラジャーを着けるのには手間取らなかった。

 そういった習慣に基づく知識は消えていないのだろう。オーグマー、だったか? それの使いかたもおおよそできていたし、物の取り扱いで困ることは意外に少ないのかもしれない。

 

「お嬢様。ご友人がいらしております」

「わかりました。すぐ行きますね」

 

 ドアの向こうで家政婦から声をかけられて、わたしはオーグマーを鞄に仕舞って手早く用意を済ませた。SFチックな印象を受けるこの機械はなんと授業に使うらしい。

 

「おはよう、恵利花」

 

 玄関に出迎えられていた客人は、淑やかな笑みを浮かべて挨拶を述べた。

 

「おはようございます」

 

 栗色の髪をした綺麗な彼女は結城明日奈さん。

 少し青みのかかったスクールシャツに、深い紺色のハイウエストスカート。膨らみの上にある金色のワッペンまで、わたしの着ているものとまったく同じ。

 そう注意深く観察せずとも同じ学校の生徒で尚且つクラスメイトであることを、わたしは一昨日のテレビ電話で彼女から直接聞いていた。

 

「ご両親に挨拶していったほうがいいかしら?」

「いえ。どちらもすでに仕事へ出ていますのでお構いなく」

「……そっか。それじゃあ行きましょう。時間に余裕はあるけど、のんびりしてると混んじゃうからね」

「はい。それでは行ってきます」

「行ってらっしゃいませ、お嬢様方」

 

 我が家の家政婦が恭しく頭を下げてから、彼女は玄関の扉を押す。

 差し込む太陽の光に思わず目を細める。熱せられた外気が不快に肌に纏わりつくも、わたしは結城さんに続いて冷房の効いた家から外の世界へと足を踏み出した。

 

「今日はわざわざ足を運んでいただき、ありがとうございました」

 

 並んで歩き、ひとまず感謝を告げる。

 

「気にしなくていいのに。今日に限って特別寄ったってわけじゃないもの」

「そうなのですか?」

「うん。家が近いから、登校はいつも一緒だったのよ」

「では、いつもありがとうございます」

「いえいえこちらこそ。それともっと砕けた話し方でいいからね」

「が、頑張ってみます……」

「無理はしなくていいけどね」

 

 結城さんの言葉遣いや表情からは近しい距離を感じた。

 けれどもどうしてか……。わたしの方はなんとなしに近寄りがたく感じてしまっている。

 年上の女性だから? 美人過ぎて高根の花に思えるから?

 わたしはそういったことで物怖じする性格ではなかったはずだけど、なにかが6年の間で変わってそれが無意識に影響しているのかもしれない。

 

「結城さんとわたしは仲が良かったのですね」

「そうね。私は仲良しだと思ってるよ。あと結城さんだと名前が被っちゃう人がいるから明日奈って呼んで」

「わかりました。明日奈さん」

「駄目っ! さん付け禁止!」

 

 彼女は打って変わって、強い言葉を真剣な表情で使った。

 突然のことにわたしは息を呑んで首を何度も縦に振ってしまう。

 

「あっ……。ごめんなさい。さん付で呼ばれるのにいい思い出がなくって」

「いえ、そんな。わたしこそ失礼しました」

 

 困ったように笑う明日奈さん。

 ああ、そうか。彼女からしてみれば、友達から急に距離を取られたふうに感じたのだ。

 それが苦しいことなのは、先日お母さんと顔を合わせたときに嫌というほど突きつけられた。……学校では気をつけないといけないだろう。

 

「ごめんなさい。なにも思い出せなくて……」

「ううん。エリが悪いわけじゃないもの」

 

 明日奈さんは優しいからそう言ってくれるけれど、わたしは今この瞬間さえ彼女を傷つけているような気がした。

 

「この前ユイさん――ではなくて、ユイ? にも酷いことをしてしまったみたいで……。謝罪したいのですが、どうしたらよいのかわからないのです。助言をいただけませんか?」

「そっかあ。きっとユイちゃんもエリが心配してるってわかれば喜んでくれると思うよ」

「そうですか」

「学校が終わったら一緒に会いに行こっか」

「ありがとうございます。明日奈」

 

 上手くできたか自信はないけれど、わたしが笑みを作ると明日奈さんは微笑みを返してくれた。

 汗ばむほどの熱気の中、セミの鳴き声が遠くに響き、一陣の風が通り過ぎていった。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 バスと電車を乗り継ぎ、やってきたのは西武柳沢駅。

 そこから数分歩いて学校にたどり着いた時にはもう、体力は底を尽きかけていた。

 見慣れない場所を歩いたということも原因の一つだが、そうでなくとも1時間近くかかる通学路はなかなかにヘビーだ……。

 近代的な様相の校舎からは非日常感が発せられ、行きかう人々が挨拶をしてくるものだからわたしは緊張の連続で頭がいっぱいいっぱいになってしまう。

 こんな調子でやっていけるのだろうかという不安は大きかったが、高鳴る鼓動はそれ以上の興奮を秘めている。経験はないけれど、転校生だったり進学したてのときはこんな気分になるのかもしれない。

 

「おはよー」

「おはようございます」

 

 教室に入るなり、手を振って挨拶をしてきた人にお辞儀と共に返事をする。

 そばかす顔の快活な印象がする彼女はわずかに表情を曇らせ、わたしはまたやってしまったのだと心の内で反省をした。

 

「そこが恵利花の席ね」

「は、はい!」

 

 明日奈さんの示した場所は、そんな彼女の1つ後ろの席。明日奈さんはわたしの隣の席だ。

 わたしが席に座る間もこちらに視線を向けている彼女は、単なるクラスメイトという間柄ではないのだろう。

 助けを求めるように明日奈さんを見ると、それを受け取ってくれたようで彼女は会話を取り持ってくれる。

 

「彼女は篠崎里香さん。……SAOで恵利花と特に仲のよかった人だよ」

 

 SAOというのがなんなのかは簡単な説明を受けている。

 2年半ほど前にあった4000人もの死者が出た未曾有の大事件で、事件は昨年の11月にようやく終わりを告げたばかりらしい。

 ここへ通っている生徒は皆その事件に巻き込まれた被害者であり、失われた2年間を補うためにこの学校が作られたというわけだ。

 

「豊柴恵利花です――あっ! ごめんなさい。知っています、よね……?」

「ええ、知ってるわよ。諸々の事情とかもね。だから気にしないで、困ったことがあったらなんでも頼りなさい」

「ありがとうございます」

 

 彼女の言葉は社交辞令ではなく、頼られれば絶対に答えてくれそうな安心感があった。

 

「それにしても、大人しくしてると印象変わるわねえ……」

「そうですか? 普段のわたしはどのような性格だったのでしょう?」

「皮肉屋――とはちょっと違うか。口が達者だったわね」

「でも親しい人にはとことん甘えるタイプだったかな」

「甘えられるのもだいぶ好きだったわね」

「あと凄い負けず嫌いだったよ」

 

 話を聞く限り、成長したわたしは背伸びをした子供みたいだった。

 あまり嬉しくない。もっと大人びた人間になっていると思っていたが、これは顔が原因なのだろうか? 人間顔がすべてではないとか、内面の方が大事というが、他人からどう見られるかを意識しない人は少ないと思う。

 

「まあ、今の方が可愛げはあるわね」

 

 里香さんはわたしの頭にポンポンと手を置いて優しく撫でた。

 大人からこうして可愛がられる経験はあったし、彼女も十分大人の範疇に入るのだけど、この行為はそれとは違う距離の近しさがある。

 

「あ、嫌だった? ついいつもの癖でね」

「いえ! 全然嫌ではありません」

 

 最初は気恥ずかしさがあったけれど、里香さんの穏やかな表情を見ているとだんだんわたしの肩からは力が抜けていった。冷房の効いた教室では彼女の手がとても温かく感じて、そっと睡魔が忍び寄る気配さえある。

 もう少しだけこのままでいたい。そんな考えが伝わってしまったのだろう。

 彼女は「しょうがないわね」とでも言いたそうな顔で離そうとしていた手を再び伸ばし、わたしの髪を丁寧に梳いてくれた。

 もういいですとも、もっとしてくださいとも言えず、自分の顔がだんだんと火照っていくのがわかってしまう……。

 

「里香、私にも撫でさせてよ」

「えー。どうしようかしらねえ」

「もう!」

 

 などと不本意な取り合いを始めた2人。

 そこへ割って入るかのようにガラガラと教室の扉が勢いよく開かれ、わたしの視線はそちらへ吸い寄せられる。

 立っていたのはツインテールの女子生徒。

 ピタリと視線が合うと、彼女は真っ直ぐにわたしの元へ走り寄ってくる。

 

「恵利花先輩っ!」

 

 勢いもそのままに、彼女はわたしの胸元に跳び込んできた。

 

「先輩! 先輩先輩先輩先輩! 心配したんですよ!」

「あの! えっと、待って、落ち着いてくだひゃいっ!?」

「………………」

「………………」

 

 ホールドしたまま頬擦りをしてくる彼女に変なところを触れられて、自分のものとは思えない甲高い声が出てしまった。

 教室中の視線が集まり、さっきまでの比ではないほど顔が赤くなっている気がする。

 問題の犯人は――わたしの胸に顔を埋めたまま、据わった瞳でこちらを見上げていた。

 見つめ合うこと数秒。

 彼女は何事もなかったかのように頬擦りを再開する。

 

「待ちなさい」

 

 里香さんによって引き剥がされる彼女。

 

「ああ!?」

「恵利花も困ってるでしょ。少しは自重しなさい」

「もうちょっとだけ! もうちょっとだけでいいですから!」

 

 手をバタつかせているが、本気で抵抗している様子ではない。

 これも普段通りスキンシップであったなら、彼女には悪いことをしてしまった……のだろうか?

 

「珪子。ほら、恵利花に謝りなさい」

 

 ちらりとわたしに視線を向ける里香さん。

 彼女の名前がわからないだろうと、気を利かせてくれたようだ。

 

「ごめんなさい。恵利花先輩のギャップが激しくて、自分が抑えられなくなりました!」

「そんな赤裸々に告白しなくてよろしい」

「あいたっ!?」

 

 里香さんに軽く頭を小突かれる珪子さん。

 

「でも里香先輩ばっかりずるいですよ」

「私はいいのよ」

「むう……」

「突然のことに驚いてしまっただけですから、平気ですよ」

「それじゃあもう一度」

「こら」

 

 微笑ましい彼女たちのやりとりに、自然とわたしも顔が綻ぶ。

 

「先輩。記憶の方はなにか思い出せましたか?」

 

 どうやら彼女もわたしの事情については知っているようだ。この分だと結構な数の人が知っているのかもしれない。

 

「ごめんなさい。珪子のことも思い出せなくて……。よければわたしがどんな人だったのか、教えていただけませんか?」

「……もう一度名前を呼んでもらってもいいですか?」

「いいですけれども。――珪子」

「はわぁあぁ……」

 

 何事かと思い、里香さんに説明を求めるべく視線を送ると、彼女は呆れて額を抑えているところだった。

 

「そういえば珪子は呼び捨てじゃなくてちゃん付けだったわね」

「珪子ちゃん?」

「いえ! このままで。呼び捨てのままでお願いします」

「それは構わないのですが……」

「あ、恵利花先輩がどんな人だったかですね。えーっと、格好良くて憧れの人です。頭が良くて、優しくて、カリスマがあって、ピンチに駆けつけてくれる、そんな人でした!」

 

 ベタ褒めである。

 どこまで真実かはわからないけれど、これは後輩の前では格好良く振る舞ってしまうというものなのだろうか。

 

「先程の……スキンシップは普段からされていたのですか?」

「はい!」

 

 これは疑わしいので里香さんや明日奈さんに答えを求める。

 

「少しはしてたかなあ」

「でもいつもなら逆に抱きしめて返り討ちにするくらいはしてたわね」

「なるほど。それでは……どうぞ」

 

 手を広げ、珪子さんを、受け入れる。

 彼女は厳かな表情でわたしの胸に体重を預けた。

 ゆっくりと開いていた腕を閉じて、胸の中に抱きしめてみる。わたしもよりも小柄な彼女の身体はすっぽりと収まり、やや高い体温が制服越しに伝わってきた。

 

「どうですか、珪子」

 

 ビクリと腕の中で肩を震わす珪子さん。

 彼女は耳を澄まさなければ聞こえないほどか細い声で「いいです」と呟いて、わたしの背に手を回してぎゅっと抱きしめ返してくる。 

 流石に暑い……。

 けれども、わたしは負けじと抱きしめる腕に力を籠めた。

 

「こういうことでしょうか?」

「そうだけど……。なんか違うわね」

 

 首を傾げる里香さん。

 

「恵利花が素直だからじゃない?」

「ああ、そうかも。もっとこう、純粋じゃなかったわね。もちろん悪い意味じゃないわよ」

 

 どうにも、わたしは純粋なまま育つことはできなかったらしい。

 いいかげん汗ばんできたので珪子さんを離そうとしたが、彼女はコアラのようにくっついて離れれない。

 さっそくで申し訳ないが2人に助けを求めると、快く彼女を引き剥がすのに協力してもらえた。

 剥がれた珪子さんの顔は熱でもあるのではないかというくらいに紅潮して、息もだいぶ荒くなっていた。目尻も少し涙ぐんでいる。

 わたしからしたこととはいえ、ちょっと怖い……。

 

「珪子にはあとで説教しておくから……。それと無理に自分らしくしようなんて思わなくてもいいのよ。気になるっていうなら止めはしないけどね」

「はい。でも……」

 

 興味であったり、記憶がないことの不安もあるけれど。

 

「皆さんに心配をかけてしまうのが申し訳なくて」

 

 理由としてはこれが一番大きい。

 場にそぐわないという感覚がとても息苦しいのだ。

 誰からどう見られているかわからないというのは、前が見えないまま歩かされているような恐怖に似ている。

 

「……そういうところは昔からなのね」

 

 嬉しいような、困ったような、曖昧な表情をする里香さん。

 彼女の声はスピーカーから流れる予鈴の音に被さったけれど、わたしの耳がそれを聞き逃すことはなかった。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 本日は夏季休暇明けの登校初日であったため、授業は午前中で終わりだ。

 なんというか、今日はとても疲れた……。

 本格的な授業は明日からなので勉強が大変というわけではなく、これは生徒達の好奇の目によるものだった。

 皆が知らないでいるというのも不便がかかるということで、わたしの容体は教師の口を通してクラスメイトの耳に届けられた。それが直接的原因なのかはわからないけれど、多くの人が押しかけてきて、休憩時間中はひっきりなしに質問攻めにあったのだ。

 明日奈さんと里香さんがいなければ今頃、あることないことを吹き込まれ、彼らの観賞動物にされていたかもしれない。

 終業のチャイムを後に多くの生徒が早足に帰宅していくなか、わたしはその2人に誘われて食堂へと足を運んでいた。

 わたしは持ってきていた弁当があったけれど、食券コーナーのささやかな誘惑に負けて杏仁豆腐を買っていた。こういう場所で買って食べるという経験が少ないのでちょっとした冒険気分に乗せられたのだ。

 食堂には同じように校舎に残った生徒が集まっており、ここでも大勢の生徒に囲まれるかと思いきや、意外に役立ってくれたのが珪子さんの存在。

 

「グルルルルルルル……」

 

 このように威嚇するため、番犬代わりに持ってこいなのだ。

 

「噛みつかないでよ」

「そんなことしませんよ!? ピナじゃないんですから!」

 

 どうだろう。手綱を離せば一目散に飛び出しそうだ。

 

「よ、よう……」

 

 そんな珪子さんに警戒しながら近づいてきたのは1人の男子生徒。

 わたしたちの中で一番背の高い明日奈さんよりも大きく、スポーツでもやっているのか半袖から見える日に焼けた腕は細いながらも筋肉の凹凸がしっかりと別れていて男らしい。

 

「がうっ!」

「だから噛みつかないの!」

「悪い。ホームルームが長引いてな」

「ううん。私たちも今来たところだよ」

 

 身体つきとは裏腹な中性的で整った顔立ちは、少々長い黒髪と相まって女性に見えなくもない。

 彼は初め、珪子さんの唸り声に眉をしかめて困ったように笑っていたが、わたしに視線を移すとそれとは違う憂いを秘めた笑顔に変わった。

 

「俺は桐ヶ谷和人。1つ下の学年で、恵利花とはSAOからの知人だったんだ」

 

 軟らかな声色で彼はそう言った。

 

「………………」

 

 長い睫毛の奥にある、薄く開かれた瞳が微かに揺れている。

 どちらかといえば可愛いと分類される顔付だけど、表情のせいか彼はとても大人っぽく見えて、格好良いと思ってしまう。

 

「どうしたの、恵利花?」

「――はっ!?」

 

 明日奈さんに目の前で手を振られてわたしは意識を取り戻した。

 

「和人に見惚れてた?」

「そ、そんなことはないです!!」

「「………………」」

 

 わたし以外の皆が目を丸くして言葉を詰まらせた。

 やってしまった。これはわたしでもわかる。

 強く否定すると逆に肯定と受け取られてしまう、あれだ。

 見惚れていたのは事実であるけれど、こうも注目されると恥ずかしさのあまりそっと両手で顔を隠してしまう。

 

「桐ヶ谷先輩! ここは女の子の花園です。男性はあっちで友達とご一緒してきてください!」

「けど色々と説明をだな……」

 

 さっそく噛みつく珪子さん。

 

「やっぱり恵利花は……」

 

 明日奈さんはなにかを考えるようにしながら小声で呟く。

 

「ビックリしたあ。記憶が戻ったのかと思ったじゃない」

「ええ!? 以前から和人さんに見惚れることがあったのですか?」

「そうじゃないわよ。そういうことをわざとやって場を掻き回すのが好きだったの」

「………………」

 

 今度は自分が理由で顔を覆い隠す。

 未来のわたしは純粋じゃないどころか、歪んで捻くれてしまっていたようだ……。

 

「本当に困るようなことはしてなかったから安心していいわよ。気の置けない間柄でのじゃれ合いみたいなものだったから」

「そうですか……。いろいろと、その、ごめんなさい」

 

 それから里香さんは珪子さんを猛獣使いのように容易く宥め、ようやく和人さんが席に着いて、わたしたちは昼食を始めることができた。

 食事中の話題はわたしの記憶について。

 先日記憶の大部分を失う前から、わたしはSAOでの記憶を失った状態であったのはかかりつけの医者から聞いていたことだ。

 ここで新たに得た情報はわたしと同じ症状の人の記憶が戻ったという事例と、その再現のために彼らとSAOのコピーゲームにわたしが挑戦していたということ。

 なんとなしに使っているオーグマーも十分現実離れした機械であったが、フルダイブと呼ばれる五感全てを電気信号でやり取りする機械も驚愕に値する。

 

「恵利花の家にもアミュスフィア――こういう機械があるはずだから、帰ったらダウンロードされてるアルヴヘイムオンラインってソフトを起動してみてくれ」

「それなら、この後恵利花の家にお邪魔してもいい? 隣にいればわからないことがあったとき便利だろうし」

「そうですね。お願いします」

「いいなあ。わたしも行きたいです!」

「あんた、アミュスフィア持ってきてないでしょ」

「じゃあ取りに帰ってすぐ行きます」

「明日奈は家が近いし、恵利花の両親も明日奈のことを知ってるからいいのよ」

「むむう……」

「今日のところは申し訳ありませんが珪子は……」

「あ、我儘言ってごめんなさい!」

 

 珪子さんは言うことは聞いてはくれる模様。

 里香さんを見習ってわたしも立派な猛獣使いになる必要がありそうだ。

 

「そうだ。恵利花が記憶をなくす前はどんな性格だったか皆に聞いてるのよ。和人から見たらどうだった?」

 

 和人さんと一瞬目が合うも、彼は順々にわたしたちの顔を見渡していった。

 

「ちなみに皆はどう答えたんだ?」

 

 彼女たちは一度答えた内容を再び口にしていく。

 最初に教えてもらったときは平気だったのに、彼にそれを聞かれるのはちょっと落ち着かない。

 記憶を失う前のわたしは彼に好意を持っていたとか、そういうことなのだろうか?

 それともこれは今のわたしだけが持ってる感情?

 

「――なるほど。なら俺は皆の言ってないところを言うか。恵利花は、そうだな……。俺と違って人付き合いが上手い性格だったよ。だから見ての通り、心配してくれる人がこんなにもいる」

 

 お世辞ではないのだと、説得力を見せつけながら彼ははにかんだ。

 

「参考になったか?」

「……はい。ありがとうございます」

 

 理想の自分にはなれなかったようだけど……。

 未来のわたしは、幸せな人間にはなれたみたいだ。




シリカ「グルルルルルルル……、がうっ!」


 ビーストテイマーというよりは、テイミングされるモンスターと化したシリカ。
 エリの記憶喪失からもうじき4カ月で、自責の念と夏休みで会えない期間が続いたせいで彼女のリミッターは壊れています。

 それと記憶喪失ながら大人びているエリですが、引き篭もる前の口調がこちらで、ネットゲームに1年半揉まれて出来上がったのがあの口調と性格です。


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63話 夕暮れの少女(3)

 ALOの遥か上空。

 今月のアップデートで実装されたばかりの新生アインクラッド22層に位置するコテージの傍らで、鳥の鳴き声に混じり刃が打ち鳴らされる音色が響いていた。

 22層はSAOの頃からフィールドにエネミーが出現しない特殊な階層であったらしく、それはALOに引き継がれてからも変化はなかったようだ。

 聞くところによるとここはSAOでわたしも思い入れのあった場所らしいのだけど、やってきても何かを思い出すことは残念ながらなかった。

 

 今戦っているのは和人さん――ではなくキリトさんとユウキさん。

 2人は攻守を目まぐるしく入れ替えながら、エフェクトの残像を残して駆け回る。

 優勢に見えるのは攻めの多いユウキさんだがこれまでの勝率は五分五分。

 彼女の電光石火な剣劇をもってさえ、キリトさんの掲げる黒猫の盾を崩すのは難しいらしい。

 彼らがデュエルをする理由は大抵同じで、今日のだっていつものそれだった。

 

「エリはスリーピングナイツのメンバーなんだから、ボクに師事するのが当然なんだよ!」

「ユウキじゃタンクの立ち回りは教えられないだろ。その辺り、エリから直接教わった俺が教え返すのが正しいってもんじゃないか?」

 

 鍔迫り合いの最中、詠唱の代わりに言葉を交わし、威力のない視線をぶつけて火花を散らす。

 

「うちにはテッチっていう優秀なタンクがいるもんね! それにボクだってこっちでエリに少し盾の扱いは習ったもん!」

「それならユウキも盾を装備すればいいじゃないか。今使わないのは自信がない表れだぞ」

「ムキー!」

 

 ユウキさんが装備しているのは黒曜石のような色合いの片手剣一本。

 対してキリトさんは幅広な片手剣と黒猫の描かれた盾を装備していた。

 ユウキさんは怒りを剣に乗せて、キリトさんを身体ごと弾き飛ばす。

 

「もらった!」

 

 腕を弓なりに引いた構えから繰り出されるのは、刺突の嵐『マザーズ・ロザリオ』。ユウキの必殺技ともいえる、オリジナルソードスキルだ。

 

「おっと」

 

 けれどキリトさんも散々それに煮え湯を飲まされてきたこともあって、事前モーションから間合いに逃げるくらいはやってのける。

 ユウキさんは彼が逃げ切れるのを確信していたようで、ソードスキルを発動させなかった。

 

「――――!」

 

 代わりに唱えたのは闇属性魔法の詠唱。

 キリトさんの身体が突如黒い霧に包まれ、速度低下のバフアイコンが追加される。

 減少したステータスはほんの少しだったけれどそこから戦況はひっくり返らず、ユウキさんの方が元々速いということもあり、動きを制限されたキリトさんは徐々に押されてついには敗北した。

 

「……いやいや。今のはなしだろ」

「ふふん! 魔法禁止なんて一言も聞いてないもんね」

「そうだけどさ。エリの師匠にどっちが相応しいかを決める戦いなんだから近接オンリーだろ」

「エリだったらこのくらいやるよ」

「確かに」

「そこでわたしに振られても……。でもちょっとずるいと思います」

「えー!」

 

 記憶を取り戻すためにALOへログインしたのがだいたい1カ月前。

 そんなわたしに当然ともいえる壁が立ち塞がった。それは実力不足という壁だ。

 こうして皆に教わってどうにかマシにはなってきているけれど、記憶を失う前のわたしに比べれば雲泥の差らしい。

 21層から24層までのフロアボスは手厚いサポートもあってどうにかなったが、それらとは一線を画すというクォーターポイントのボスはこのままでは不安が大きい。

 

「じゃ、次のデュエルはボクとだね」

「スピード系のユウキを相手にするのは苦手なのですけどね」

「25層のボスは後半からスピード系にシフトするぞ」

「うう……」

 

 重たい鎧を纏ったわたしではユウキさんに攻撃を掠らせることも難しい。

 かといってキリトさんにならいい勝負ができるかというとそんなことは全然ないのだけど、盾でも叩いている感触がある分落ち込まないで済むのだ。

 

「それにしても不思議だよね。剣の腕が落ちるならわかるけど、アバターの速度も下がるなんて」

 

 これは身体を動かし方が悪いとかそういうレベルの話ではないらしい。

 SAOの記憶を失う前まではユウキさんよりも速かったというのは俄かには信じられない。

 ALOは脳の反応速度でアバターの運動能力が決定されるらしいので、記憶にアクセスできないことで、フルダイブに最適化された脳内ネットワークにもアクセスできなくなっているのではという推測をキリトさんは言っていた。

 

「2人とも速くて羨ましいです」

「ない物ねだりをしてもしょうがないぞ」

「はーい」

 

 砕けた返事にキリトさんの表情が綻ぶ。

 彼だけでなく他の皆も敬語を使わないと喜んでくれるようだったが、突然やりだすと逆に気を使わせてしまうので今は少しづつ距離を縮めていっている最中だ。

 言葉遣いに対してだけでなく、他の趣向についてもキリトさんは特にわかり易い。

 食べ物はなんでも美味しそうに食べるけれど、ケーキに関しては毎回タルト。

 服の好みは寒色系。本人は黒をよく身に着けているが見る分には青が好きなようだ。……それとわたしの持っている服に寒色系が多いことが関係あるかどうかは誰にも聞けていない。

 あとは――香水? リアルの方で彼はいつも独特な甘い香りがする。あれはシャンプーとか消臭剤の香りではない気がする。

 

「さあ! ボクをボスモンスターだと思って全力でかかってきていいからね」

 

 力いっぱい手を振るユウキさんに、わたしは鞘から抜いた剣を向けて作戦を巡らせた。

 とりあえず、魔法での奇襲はありらしい。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 奇襲もあっさり見破られユウキさんにしばらくイジメられてると、空から複数の影がコテージへと降りてきた。

 彼らは全員顔見知り。

 わたしの記憶を取り戻すために協力してくれている人たちだ。

 

「やってるわねえ。調子はどう?」

「初めに比べて上達したよ」

「………………」

 

 喜びではなく疑惑の目でユウキさんを見るも、彼女は本心から言っている様子で、我がことのように小さな背丈で胸を張っていた。

 

「一対一ならリズともいい勝負になるんじゃないかな」

「ほほう。なら後で軽く揉んでやろうじゃないの」

「お手柔らかにお願いしますね」

「それで25層のボスはどうだった?」

「私はSAOで相手してないから違いはなんとも。でも、とんでもなかったわ……」

 

 ぐったりと肩を落としながら語るリズベットさんには、疲労の色が見える。

 コテージへやってきた他の皆もそうで、彼らはさっきまで25層のボスへ先行偵察に出向いていたのだった。

 

「詳しくはアスナかクラインに聞いて頂戴」

 

 ボス戦は事前に偵察隊を組んで行動パターンを洗い出し、それを元に作戦を決めて挑むのが定石らしい。49人ものプレイヤーが入り乱れる戦闘は、個々人の能力だけでなく集団の統率力が問われるとのこと。

 作戦もなしに突貫するのはSAOで数度あったけど、あのときは他人の命を預かってることもあって緊張で頭がおかしくなりそうだったとアスナさんは言っていた。

 なお、そのときわたしやキリトさんもその場にいたらしい。

 

「呼んだ?」

「ああ。ボス、どこまで行けた」

 

 問いかけるのはキリトさん。

 

「1本目は削れたよ。でも2本目は全然。フルメンバーできっちりモブを処理しないと詰んじゃうのは変わらないみたい。変更点は遠距離攻撃がいくつか追加されてたことくらいしかわからなかったよ」

「ならモブ処理に専属で3パーティーくらいは割くか」

「そうだね。ボスは範囲攻撃魔法ありだから、遊撃は遠距離持ちを集めようと思ってるわ」

 

 アスナさんは現場での指揮から作戦立案、各プレイヤーのスケジュール調整までやっている。その上作戦やボスデータを纏めた資料作りまでしているのだから、頭が下がる。

 細かい作戦の議論を始めた2人の邪魔をしては悪いと思いその場を後にすると、三々五々に固まっている人たちから目当ての人物を見つけてわたしは声をかけた。

 

「ユイ……」

 

 振り向いた彼女の表情が途端に笑顔へ変わった。

 

「どうしたんですか?」

「いえ、その……。25層のボスは強いと聞いているのですが、わたしにタンク役が務まるでしょうか?」

「大丈夫です。それにやれるかどうかじゃなくて、()()()()にやってもらわないといけません。そのためにわたしや皆さんが精一杯サポートしてるんですから」

「責任重大、ですね」

「話はそれだけですか?」

「あ……。なにか、アドバイスはありませんか?」

「………………」

 

 ユイさんから表情が消える。

 けれどそれは一瞬の出来事で、彼女は瞬きをしてすぐに笑顔を取り繕った。

 

「一撃一撃が重かったので、ガードではなく回避を優先させるといいですよ。だから防具はなるべく軽装に、斬撃よりも属性防御主体の装備がいいんじゃないでしょうか」

「装備、ですか」

「今からプレイヤースキルを上げろというのは難しいですから」

「それもそうですね。ではリズに後で相談してみます」

 

 彼女もタンク役で装備はわたしにとても似ている。

 メインタンクとサブタンクとして、ボスとの戦闘ではコンビを組んでもいた。

 でも声をかけたのはそれが理由ではない。

 

「……さっきの戦闘で少し疲れたので休ませてもらいますね」

「はい。ありがとうございます」

「感謝されるようなことではないです」

 

 そう言うなりユイさんは振り返らずに早足でコテージの中へと姿を消した。

 このコテージは彼女が所有する物件であり寝室も完備してある。なにもおかしなことはない。ないけれど。

 

「はぁ……」

 

 よろしくない所作だと知りながらも、溜息を吐いてしまう。

 彼女とはまだ仲直りが出来ていなかった。

 初めて会ったときに失礼な事をしてしまったわたしに非があるのわかっている。そのことについて一応謝罪はしたのだが……。

 謝ったからといって許してくれるかどうかは彼女次第。

 言葉の上では「気にしてませんから」と言ってくれはしたけれど、ユイさんが気にしているのは火を見るよりも明らかだ。

 ご丁寧に呼称まで徹底していて、その呼び方は刺々しい。

 

「いらないところまで似たわね……」

 

 いつの間にか隣にいたリズベットさんが溜息交じりに呟いた。

 

「ごめんなさい」

「私に言ってもしょうがないわよ。まあ、あんたが悪いわけじゃないけどね」

「……どうしたらいいのでしょう?」

「経験則から言わせてもらうと――」

「言わせてもらうと?」

「――どうしようもないわ」

「うっ……」

 

 リズベットさんは手の平を見せて降参のアピールをしてくる。

 わたしは辛辣な断言にバッサリ斬られて、胸を抑えた。

 そこから心臓の鼓動が伝わってきたりはしないのだけども。

 

「意固地になってるっていうより、譲れない部分だからなんでしょうけどね」

「………………」

 

 わたしの無くした、遠い過去を思い出すように目を細める彼女。

 

「そんだけあんたは愛されてたってことよ」

「早く、記憶を取り戻さないといけませんね」

 

 自分のためじゃなく、彼女や、協力してくれている皆のためにも。

 

「あの子も今頃罪悪感で潰されそうになってるだろうから、ちょっと様子見てくるわ」

「お願いします」

 

 そう言ってリズベットさんはユイちゃんの後を追ってコテージへと入っていく。

 身長はわたしと同じくらいなのに、彼女の背中はとても大きなものに見えた。

 

「エリー! テッチがタンクとしての心得を教えてくれるってよ」

「そこまで大げさな話じゃないですがね」

 

 手持ち無沙汰になったわたしに投げかけられたのはユウキの元気が詰まった声。

 声のする方向へ視線を向けると、そこにはユウキさんを含めたスリーピング・ナイツのメンバーが勢揃いしていた。

 

「今行きます!」

 

 この後皆に散々しごかれたのだけど、それはまた別のお話。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 先行偵察から一夜明けた、25層攻略当日。

 

「――では、作戦前の最終確認をします」

 

 凛としたアスナさんの声が屋外に響き渡る。

 美しくも力強い声色は一瞬にして弛緩していた空気を引き締めた。

 彼女の表情は鋭い。学校ではまず見せることのないその真剣な面持ちは、緊張など微塵も感じさせない威厳に満ちたものだった。

 

「目標である第25層フロアボスの名称は旧SAOと変わりなく『The Dual Giant』のまま。HPバーは1本減少して4本。弱点は打撃と氷属性。蛇の双頭を持つ鎧を着た巨人の姿ですが、実際は6体の蛇が寄り集まったものです」

 

 撮影クリスタルで記録されたボスの姿が映し出される。

 他のフロアボスと相対したときにも感じる頭痛が起こり、わたしはわずかに顔をしかめた。

 けれどそれはすぐに治まる。記憶を思い出しかけている兆候であるなら、治まるのが必ずしも良いことといえないのが悩ましいところ。

 

 ボスは邪神級エネミーに比べて特に巨大というほどでもないが、人型の中では大きい部類。手にはそれぞれ、身の丈に迫るほどの両刃斧が握られている。ゲームの中なので外観通りの威力が必ずしも発揮されるわけではないけれど、事前に渡された資料ではわたしと遜色のない装備のユイさんがノーガードで受けたダメージは1撃で4割。

 ハッキリ言って無茶苦茶だ。これでSAOのときから変化がないというのだから末恐ろしい。

 支援魔法で補強すればもう少し軽減できるようだが、ボスの側もここから強化されていくようなので効果は見込めない。

 

「出現するモブモンスターは牛、鼠、蛙の3種類。出現から一定時間が経過するかボスの攻撃に巻き込まれると死亡して、それぞれSTR上昇、AGI上昇、INT上昇のバフがボスに永続的に付与されます。すべて倒すのが望ましいですが、最優先すべきは鼠です。これだけは打ち漏らしの無いようお願いします」

 

 モブに関してはわたしの管轄ではないので片隅に留めておく程度にしておく。

 

「ボスフロアは遺跡風の戦場跡で、大型の蛇の死骸や武器防具が散乱しています。足元には注意してください。それではボスの基本情報に移ります。近接攻撃は戦斧によるソードスキルと、頭部による噛みつき、尻尾による薙ぎ払い。遠距離攻撃はプレイヤーを起点にした水属性の範囲魔法と、地属性の設置型攻撃魔法、それと自己強化モードによる斬撃エフェクトの延長です。それぞれの対処法について再確認を」

 

 わたしが注意しないといけないのは自己強化モードか。

 仲間の位置を確認して被害を出さないようにしないといけない。

 資料には範囲攻撃のターゲットにされたときは外周へ移動して周囲を巻き込まないようにすることと、設置型攻撃魔法は各パーティーでローテーションを組んで踏み抜くことで解除していく作戦が書かれていた。

 

「HPバーが2本目に突入してからはここにディスペルと広範囲麻痺の魔眼、高速モードが追加されます」

 

 ディスペルは他のフロアボスでも基本装備を言わんばかりに持ち合わせていた能力で、ヘイトトップのバフをすべて解除する魔法だ。魔法は当然のこと、ポーションどころか食事アイテムの効果さえ消えるため、わたしのアイテムストレージには簡易食料としてプリンが積まれている。

 戦闘中にユイちゃんと交代で早食いしなければならない絵面は、なかなかにシュールなものだ。

 魔眼は発動モーションとして数秒頭を上に伸ばして動きを止めるようだ。発動と同時にエリア全体に光を放ち効果を及ぼすが、そのとき目を瞑っていれば効果を受けないで済むらしい。これについてはアスナさんが注意を促す手筈になっている。

 最後の高速モードについては、バフのスタック数によって効果が上昇し、硬直モーションがキャンセルされるとのこと。発動中は魔法による全力支援で凌ぐことが赤字で書かれていた。

 

「おそらくですがHPバーが3本目となった段階で分裂すると思われます。その場合はエリがヘイトを取った対象へ近接攻撃を集中させて短時間で撃破を行います。これで再度合体しない場合は集めた他の分裂体を1体ずつ引き剥がして撃破していきます」

 

 わたしが受け持つもの以外はユウキが集めて誘導するようだ。

 選ばれた理由は足の速さから。彼女はタンクのように攻撃を受け止めて支えるのではなく、背後に引き連れてフロアの外周を駆けまわることを期待されている。

 

「最後の1本に入るとSAOのときは常時高速モードになりました。温存した魔法を集中させつつ、選出されたプレイヤーは攻撃に参加してください。このとき指揮はサクヤさんへ委譲。私も攻撃に加わります」

 

 リストアップされたのは異論が挟まれないほどのトッププレイヤーのみ。

 

「共有事項の説明は以上となりますが、質問はありますか?」

 

 真っ先に手を上げたのはユウキさん。

 

「その高速モードってどのくらい速いの?」

「バフのスタック数にもよりますが、最終的にはクラインさんでギリギリでした」

 

 名前を呼ばれて照れ隠しに後頭部を掻くクラインさんだが、他のメンバーは引き攣った笑みを浮かべることになる。

 なにせ彼はこのレイドパーティーで5本の指に入る強者だ。

 正直わたしでどうにかなるとは思えず、一緒に引き攣った笑みを浮かべることになる。

 

「他には?」

 

 その後の質問もアスナさんは丁寧に捌いて段取りを確認すると、わたしへアイコンタクトが送られて予定通りにスピーチをすることになる。

 集団の先頭に立ち全員の顔を一瞥すると深呼吸を少々。それから昨晩用意した原稿を諳んじる。

 

「今日はお集まりいただきありがとうございます。ここにはわたしの友人が集まってくれたと聞いておりますが、その記憶はなにひとつ思い出せません。ですがこれだけの人が集まってくれたのですから、きっとそれは掛け替えのない思い出だったのでしょう。だからどうか、失った記憶を取り戻すためにわたしに力を貸してください。――お願いします!」

 

 頭を深く下げると、拍手が沸き起こった。

 大勢の人々から送られる喝采は胸によく響き、身体の底から気力が漲ってくる。

 

 そうしてわたしたちレイドパーティーの本隊49名と、ダンジョンで消費するアイテムの運搬兼、攻略開始直前にバフをかけるため動員された補助隊7名の計56名が、25層のダンジョンへと足を踏み入れた。



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64話 夕暮れの少女(4)

 夜闇の中で光を灯すかのような、ソードスキルによるエフェクトの輝き。

 崩れかけてほとんど原型を残していない遺跡には、鋼の打ち鳴らす音と勇ましいかけ声、それから石床を砕く喧騒が轟いていました。

 辺りには、古戦場をモチーフにしたのか風化した刀や槍が突き立てられており、散乱しているのは巨人用に仕立てられた鎧の数々。

 ここは四方が壁で閉ざされた、次の階層へと続く架け橋、新生アインクラッド25層のボスフロアでした。

 

「エリさん。スイッチを」

 

 淡白な声色。

 自分の吐いた言葉に嫌悪感を覚えながら、わたしは25層ボス『The Dual Giant』の振り下ろす戦斧を左に躱していきます。

 勢いのままに叩きつけられた床は新たな窪みが作られ、飛び散った破片の舞い落ちる音がノイズとなって思考領域を掻き乱していくかのようでした。

 ボスエネミーの攻撃は遅く、回避が困難ということはありません。

 一般のプレイヤーであれば集中力というものを消費していくためどこかしらでミスが誘発されることもあるのでしょうけれど、わたしは人間ではないので、そのようなこと状況には陥りません。

 もっとも、想定されている速度にまで上昇した後は別の問題が起こりますが……。

 わたしを司るマシンスペックとは別に、このALO内で許されている処理能力――高位のクエストNPCと同等のそれでは、対応力が追いつけなくなる可能性は高いのです。

 キリトさんやユウキさんのように、アバターの運動性能が高いということはありません。

 わたしの能力とは、あくまでその程度に過ぎないのです。

 

「わかりました。……3、2、1、スイッチ!」

 

 彼女の声にも酷い不快感があります。

 同じ人物が発しているというのに、どうしてこれほどの違いがあるのでしょう。

 口調の違い。イントネーションの違い。……内面性の違い。

 それらをわたしが語るのはおこがましいと理解しつつも、やはり違うのです。

 エリさんの放ったソードスキルがボスの足の突き立てられるのを確認すると、わたしはアスナさんの率いる回復部隊の元まで撤退。

 ボスの相手をメインタンクであるエリさんに任せました。

 

「はあ……」

 

 不要な息遣い。

 呼吸というものが設定上存在するだけで、生命維持に必要であったことなど一度もないはずなのに、思わず口からこぼれたそれはまるで人間みたいで……。

 

「大丈夫、ユイちゃん?」

「いけます」

 

 声をかけたくれたアスナさんへ振り向くことなく返答を。

 急ぎポーションの液体を流し込んで減少したHPを治療すると、わたしはヘイトを稼ぐべくボスの側面に回り込んで攻撃に戻りました。

 AIであるとはいえ、スペックの制限された環境でのわたしは実力が高いとはいえません。

 タンクとしてのノウハウをお姉ちゃんから学んだという自負はあれど、運動性能の差は如何とも覆せず、サブタンクをするならわたしよりもキリトさんの方が適役だったでしょう。

 けれどもこれはボスを倒すことそれ自体が目的なのではありません。それは必要と思われる過程であって、求める報酬はレア装備でも莫大なユルド通貨ではなく、お姉ちゃんの記憶なのです。

 

「テッチさん、クラインさん、リーファちゃん、ターゲットされてます。外縁部へ退避!」

 

 ボスのHPバーはまだ最初の1本。

 範囲魔法が炸裂して毒の霧が散布されましたが、アスナさんの警告もあってかターゲットにされた3名は発動前に外縁部へと移動することに成功して被害を拡大させずに済んだようです。

 直径100メートルもあるボスフロアですが、このサイズを十全に活かさなければならない、過酷な難易度設定でした。

 

 設置型の攻撃魔法は熟練のプレイヤーが多く集まっているということもあって難なく処理しています。問題となるのは自己強化による遠距離モードでしょう。

 ソードスキルのエフェクトが射出され外壁部まで到達するようになるという能力は珍しいものではなく、他のフロアボスでも使用する例はありますが、この場合厄介なのは出現するモブエネミーに命中してしまうことです。

 ボスの攻撃が命中したモブエネミーは1撃で死亡し、ボスのバフを累積させていきます。

 攻撃エフェクトを盾でガードすることも試してみましたが貫通属性持ちで停止には至らず、防御系魔法でのみ、その進行を止められるようです。

 もっとも、その防御系魔法はMP消費が大きい魔法。バフの累積を抑えるためすでに使用していますが、後半でのMPはかなり苦しくなりそうです……。

 

「HPバー2本目注意!」

 

 ボスのHPは緩やかに削れて行き、ついに1本目がなくなるところ。

 最後の1本が本番。それまでは前哨戦と言われるのがフロアボスとのことですが、このクォーターポイントのボスは次の段階で解放される高速モードが鬼門でしょう。

 これをエリさんが対処できるかどうかは重要な要素です。

 

 エリさんの実力は低くはありませんでした。

 これまでの戦闘でボスの使ったソードスキルの直撃がないことからもそれは証明されています。

 彼女の戦闘スタイルは死中に活を見出すように、距離を詰めてボスのダメージ効率を発揮できない間合いで戦うというもの。

 キリトさんが教えたのでしょうか……。

 それはわたしもお姉ちゃんから教わったテクニックでした。

 

「シュルルルルル……」

 

 ボスがHPバーの1本目を失うと同時に不気味な唸り声をあげました。

 事前に聞いていた高速モードの開始合図。

 さらにヘイトはHPバーの喪失と同時にリセットされているはずなので、この状態ではどこに襲いかかるかは不明となっています。

 

「エリさん。来ます。ヘイトを」

「はい」

 

 エリさんがソードスキルを放ち、ひとまずのダメージ。

 ヘイトは彼女へ向いたでしょうがこの程度ではすぐに剥がれることが目に見えています

 ですがさらなる攻撃に打って出る前に、ボスの巨体が動き出しました。

 

 大地を揺るがすような突進。先程までと比べ物にならない速度ではありますが、バフが多く累積していないおかげかまだ素早いだけというレベル。エリさんも横に逸れて回避に成功。もう一本の腕に握られた戦斧が地面に突き立てられ、ソードスキルによる衝撃波エフェクトを撒いたためわたしもエリさんもガードを選択。

 足を止めさせられた彼女へは盾の上から蹴りが圧し掛かります。身体を沈ませて受け止めていますが、そこに続けて3連撃のソードスキルが襲いかかっていました。

 

「スイッチ!」

 

 わたしは彼女とボスの間に割り込んで攻撃を肩代わり。

 旋風が髪を揺らし、腕には重たい衝撃が伝わってきます。

 押し切られる。

 瞬時に結果を弾き出したわたしは、ソードスキル『震脚』を起動して物理演算を塗り替えます。

 ソードスキル後の硬直時間は刹那。

 それでも、ボスはその隙とも言えない時間の合間に攻撃を差し込んできます。

 薙ぎ払われる戦斧。

 ――それを受け止めたのは強力な水属性の障壁でした。

 

「ユイちゃん!」

 

 打ち合わせ通りとはいえ、絶妙なタイミングでの支援。

 この手の防御魔法でやりすごせるなら高速モードの対処もそう難しくは――。

 

「シィイイイイイイ!」

 

 耐久度はまだ残っていたというのに、ドーム状の青白い半透明の膜が消失。

 原因を突き止めるまえに振り払われた戦斧をしゃがんで回避。空気を引き裂く勢いに巻き込まれてバランスを崩しますが、追撃を地面に手を突き前転しながら切り抜けます。

 範囲攻撃の連打。こればかりは完全な回避とはならずHPがガードの上から減少。

 わたしのHPはイエローゾーンをとっくに過ぎ去り、3割となったところで回復魔法の支援が間に合い持ちこたえました。

 

「はあ。はあ。はあ……」

 

 効果時間が切れてボスは無防備に停止。

 この隙にダメージを重ねてヘイトを上昇させなければと、煮え立つ身体を引きずってアシストモーションに従いソードスキルを叩きつけます。

 小休憩ともいえる攻撃の最中、次々と浴びせられるスタータス上昇の支援魔法にわたしは先程の現象の答えを得ました。

 確認するとわたしが事前に受けていたバフのすべてが消えており、ボスがディスペルの魔法を使用したことは明白。

 どうやら上昇するのは身体の運動性能だけでなく、魔法の詠唱速度も含まれていたようです。

 

「エリさん。次は、お願いします」

 

 わたしでは持ち堪えられないからというだけでなく、これはかつての再現なのでなるべく過去の事例に近づけようという算段です。

 わたしが参加してくれている旧MTDの人たちと同じ、黒地に赤の鎧を着ているのもそのためでした。

 

「が、頑張ります」

 

 頼りない声。

 わたしはしかめた表情を隠すよう彼女から顔を背けてしまいます。

 こんなとき、お姉ちゃんだったら不敵に笑ってくれる場面なのです。

 同じ顔。同じ声。かつての面影を感じさせ、けれども決定的な違いを突きつけるエリさん。

 記憶がないだけで人はこんなにも違うのでしょうか?

 こんなにも苦しませる存在になるのでしょうか?

 だったらそれはとても皮肉な話で……。

 ――わたしという存在は、どれだけお姉ちゃんの心を苦しませていたんでしょうか?

 

「シャアアアアアアア!」

 

 ボスが鎌首をもたげ、周囲を見渡す動作は魔眼の合図。

 

「魔眼注意! 目を閉じて回避を!」

 

 瞼の上から感じる赤い禍々しい光を受け流すとすぐに攻撃を再開。

 けれども視界を閉じたことで連携が鈍ったのを読んでか、ボスは範囲攻撃魔法を放って陣形を掻き乱しにきました。

 泡立つSEはヒーラーの詰めている位置から聞こえ、振り向くとターゲットにされていたのはアスナさん。

 指揮官からの指示が途切れる中、高速モードのクールタイムは刻一刻と進んでいます。

 

「シュルルルルル……」

 

 ボスの本格的行動が再開。

 エリさんは間一髪で初撃を回避しますが、織り交ぜてくるのは範囲攻撃のソードスキル。足元を隙間なく覆う連撃を飛び退いて逃れようとしたところで、ボスは突進系ソードスキルに転換。

 連撃系にしか思えない攻撃の波は、実際のところ単発系ソードスキルを硬直時間を無視して発動させているだけなため、1回1回の振り下ろしから別のソードスキルに繋げることは理論的には可能です。

 

「ユウキ!」

「うん!」

 

 エリさんと擦れ違い、正面に躍り出たキリトさんとユウキさん。

 2人は片手直剣単発重攻撃の『ヴォーパルストライク』を重ねてボスの動きを少しだけ留めると、その間に体勢を整えたエリさんが突進してソードスキルを潜り抜けます。

 けれどもボスはモーションをキャンセル。ソードスキルを任意で終了させる仕様を使いますが、その場合も課せられるはずの硬直時間は起こりません。

 

「エリさん!」

 

 バックステップでエリさんに追随するボスは空中でソードスキルを発動。

 ありえない方向で飛来する衝撃波壁を彼女は盾で受けますが、足を止めた途端に連撃系のソードスキルでが叩き潰しにかかります。

 それを受け止めたのはまたしても防御魔法の障壁。ボスのディスペル。再度の攻撃。ガード。

 エリさんのHPが減少しているのか確認する暇も惜しんで、ヒールが湯水のように与えられそのエフェクトがオーラのように彼女の身体を包み続けていました。

 ディスペルは持続効果を解除するものであって決して魔法を打ち消すものではありません。

 ヒールは瞬発的にHPを回復するため、ディスペルをされても効果は如何なく発揮されます。

 これならばMPが続く限りエリさんがやられることはないでしょう。

 ――その楽観視は早々に打ち砕かれることになりました。

 

「――っ!?」

 

 立て続けに起こる爆発音。

 ボスの放った範囲攻撃魔法が、エリさん以外のプレイヤーに殺到したのです。

 詠唱時間も速度上昇の影響を受けているのは理解していましたが、あまりに理不尽な攻撃速度に退避の間に合わなかった彼らは周囲のプレイヤーごとモブエネミーにダメージを与え、ボスのバフが強化されていきます。

 たちまち加速したボスはDPSが上昇。今の魔法でヒーラーの一角が混乱している影響もあってか、回復魔法との均衡は崩れ始めます。

 わたしも即座に回復魔法を詠唱。

 彼女のサポートに回りますが、ついにガードが間に合わずクリーンヒットを受けてHPはレッドゾーンに追い込まれます。

 

「………………」

 

 そこで運よくボスの攻撃は止みました。

 エリさんのHPはギリギリ健在。死亡したところで残り火になるだけですが、SAOの再現ということもあってこれまでの攻略通り、それはどうしても避けたい事態でした。

 

「もっと高位の魔法を使って、範囲攻撃に巻き込まれていない人でローテーションしましょう。場所は分散。遠距離攻撃は自力で回避。アタッカーの回復はそれぞれのパーティーメンバーで対応。質問や代案、改善点はありますか?」

 

 ボスが停止している隙にアスナさんは混乱しているヒーラー部隊へ指示を飛ばします。

 それから続けて攻撃魔法が得意なプレイヤーを集めた遊撃隊に、高速モードに入ったら頻度を上げてモブの処理を徹底するように伝えていきました。

 それを小耳に挟みつつ、わたしにできることといえばポーションでMPを回復しながら、ボスのHPを削ることだけ。

 

 ……もっと、自分にはなにかができるのだと思っていました。

 レイドチームを結成するにあたって、サブタンクという重要なポジションを誰が務めるかという議論で真っ先に上がったのはわたし――ではなくキリトさん。

 能力的には申し分なく、お姉ちゃんとの付き合いも長いため適任だろうと。

 それに反対する形で自推したのがわたしです。

 口には出しませんでしたが、25層でなにがあったのかを知っていましたし、お姉ちゃんを助けるのはわたしの役目だと思っていたのです。

 

 結果は見ての通り。

 わたしは足手纏いにならないことがやっとで……。

 それどころか普段わたしが取る行動は酷いものでした。

 彼女は決して悪い人ではないのです。むしろ気質はお姉ちゃんよりも善人寄りでしょう。

 記憶を失っただけなら、そもそも昔のお姉ちゃんであるはずなのです。

 それでもわたしは、あの人をお姉ちゃんと認めるわけにはいきませんでした。

 肉体を持たないわたしにとって、同一性を証明する手立ては蓄積された記憶の有無であるからでしょうか。

 だからといって、まったく知らない人として接するにはあまりにも似ている彼女に、わたしの感情模倣機能は混乱をきたしていました。

 

 お姉ちゃんの命令で嘘を吐くことはできていたのに、エリさんのことは騙すことができないなんて。

 きっとこういうのを我慢の限界というのでしょう。

 わたしは度重なる負荷で、AIであるにも関わらず我慢の限界に達していたのです。

 思い返せばそもそも、お姉ちゃんに出会えた理由それでした。

 わたしはどうやら最初から我慢強く作られてはいなかったようです。

 

「HPバー3本目、注意!」

 

 出し惜しみをせずに魔法を使用したおかげで、その後3度あった高速モードはどうにか切り抜けることが出来ました。

 ボスのHPは行動不能になる度に一斉攻撃で大きく減少。アタッカーがモブを倒しているパーティーとローテーションを組むことで、ヘイトを抑えつつDPSを格段に上げたこともあって、ボスのHPはついに3本目に入る寸前でした。

 念のため遠距離攻撃で最後は削ると、ボスは戦斧を落として形を変えます。

 ボロボロと床に落下する巨大な鎧のパーツ。

 中から這い出た大蛇の頭上には『The Giant Eater』の名と1本のHPバー。

 その数はSAOのときとは変わらず6匹――?

 

「ええ!? うそぉ!」

 

 ユウキさんが戸惑いの声をあげたのもしかたがないこと。

 瓦礫の下からも同様の大蛇が6匹現れたのです。

 名前は同じですが、追加で現れた大蛇には損傷が多く見られ、傷口から覗く肉は腐っているようにも見えます。中には体に刀が突き刺さったままの個体まで。

 おそらくはアンデッドなのでしょう。

 

「どうするの、アスナ!」

「作戦続行。ユウキは敵を引きつけて!」

「わかった!」

 

 ユウキさんが闇属性の範囲魔法を使いますが、相性が悪いようでダメージは少量。

 ヘイトを集めて注意を引くことには成功していますが不安の残る値です。

 

「ユウキ。こいつを使え」

「ありがと」

 

 クラインさんはあえてエネミーに直接投げつけることはせず、炎属性の爆発を起こす消費アイテムをユウキに渡すと、彼女は集まった大蛇の大群を燃え上がらせてヘイトを増加させます。

 

「エリ、今!」

「はい!」

 

 アスナさんの合図で、エリさんは最後尾の大蛇にソードスキルで突撃。

 注意を引きつけると場所を中央に移して分断していきます。

 分断した大蛇は集中攻撃で撃破する計画。

 ユウキさんはその間、11体の大蛇に追われながら外周部分を走り続けなければなりません。

 

「お願いいいいい! 早くしてえええええ!」

 

 意外と余裕のありそうなユウキさん。

 とはいえモタモタしていられないので、アタッカーの攻撃を集中させていきます。

 大蛇の性能は見掛け倒し。このメンバーで苦戦することはないでしょう。

 

「アスナさん。この数どう思いますか?」

「……パーティーリーダー集合!」

 

 アスナさんは逡巡するとそれぞれのパーティーリーダーを招集。

 

「大蛇の数からボスの数が2体に増えると思います」

「俺も同意見だ。西と東で分けるか。東はエリに任せるとして、西はどうする?」

「タルケンさんにお願いできますか?」

「おう! 風林火山の意地、見せてやるよ」

 

 あのボスが2体に増えると聞いただけでALO組は驚愕を隠せなくなっていましたが、SAOで攻略組として長年戦い抜いた2人は極めて冷静なまま作戦を立てていきます。

 

「エリのところから片付けるとして、こっちにもヒーラーとサポートをそれぞれ1人つけてくれ」

「わかりました。サクヤさん。お願いします」

「任されよう」

 

 サクヤさんの率いるシルフプレイヤーから1名ずつ捻出することが決定すると、すぐに彼らは解散。それぞれのパーティーに通達へ回り出します。

 

「エリさん、スイッチを。通達があるので聞いておいてください」

「わかりました!」

 

 つつがなく彼女と交代。わたしが一度大蛇を引き受けることになります。

 ここまでは上手くやれました。

 ……いえ、上手くやれていないというのが正確なところ。

 お姉ちゃんの記憶は未だ戻っていないのですから、どれだけボスのHPを減らそうと同じことなのです。

 

 これで本当に記憶は戻るのでしょうか。

 ユナさんを信用しないわけではありません。でも24層までで上手くいかなかったのですから、楽観的にどうにかなるとは思えなくなってしまったのです。

 もしも、このまま記憶が戻らなかったら……。

 わたしはどうすればいいのでしょう?

 ずっとお姉ちゃんの記憶を取り戻す方法を探し続ける?

 それは想像したくない恐怖です。

 我慢強くないのがわたしなのですから、耐えられなくなるにきまっています。

 

 お姉ちゃんが記憶を失って1カ月半。

 SAOでの記憶を失ってから数えればもう5カ月以上経ったことになります。

 それはまだ短い時間でしょう。

 けれど日々積み重なっていく時間が、お姉ちゃんの温もりを過去へ過去へと追いやっていくようで、不安に苛まれない日はありませんでした。

 お姉ちゃんとの出会いはキリトさんやアスナさん、他のSAOサバイバーの皆さんに比べれば短いのです。けれどわたしにとっては生まれてから一番一緒にいた人なんです。

 この人を失って生きていくなんて、わたしにはできません。

 

「シュゥゥゥゥゥ……」

 

 大蛇の1体を撃破しても状況に変化はなし。想定通りの展開だったため、エリさんが新たな大蛇を引き連れて同じことを繰り返します。

 2体目を倒すと今度こそ大蛇が合体。

 巨人を模した集合体を2つ組み立てて、『The Dual Giant』の名と最後のHPバーを掲げます。

 

「シャアアアアアアア……」

 

 片方は落ちていた戦斧を拾い二刀流。

 片方は身体に刺さっていた刀を抜いて二刀流。

 どちらも緩慢な動作でわたしたちを品定めするように見渡しています。

 

「攻撃かい――」

 

 アスナさん声を遮るように、ボスの姿も掻き消え――。

 

「がっ!?」

 

 現れたときには味方の1人が刀で斬られた後でした。

 巻き起こる土煙の跡は、ボスの走り去った道筋を恐ろし気に物語っています。

 速い、とは全員が聞いていました。

 高速モードが永続化するものだとも。

 でもこれはあまりにも桁違い。まさか目で追うことさえできないなんて……!

 

 土煙から放物線を描いて弾き飛ばされてきたサラマンダーのプレイヤーはガードが間に合ったのかHPはイエローゾーンで留まっています。

 けれどそれも一瞬の間だけ。

 飛翔するソードスキルのエフェクトが彼を空中で捉えて撃墜。

 死体の代わりに、その場には残り火が矮小に漂うだけでした。

 

「うそ……」

 

 驚いている間に、ターゲットを変えたボスが新たな犠牲者を生みます。

 今度は連続した範囲魔法。2体のボスは連携するように攻撃を合わせて1パーティーを壊滅させながらもその動きは一向に止まることがありません。

 

「防御魔法を!」

 

 小細工など通用しないとばかりに強固な結界はディスペルで打ち消され、魔法を発動させたプレイヤーが残骸と化します。

 

「シュルルルルル」

 

 感情を表さない深紅の瞳がわたしを見つめたかと思うと、次の瞬間にはわたしの目前に迫って刀で振り払った後でした。

 咄嗟に盾を構えられたのは偶然です。

 身体は抵抗が間に合わず地面を転がり、遺跡の壁にぶつかってようやく止まります。

 血のように流れ出たHPは7割。魔法攻撃が命中しても死亡しかねない数値です。

 ここはALO。SAOと違って死んでもお終いではありません。

 彼らも蘇生魔法を受ければすぐに戦闘を再開できるでしょう。

 それはわたしも例外ではないのです。

 

 ああ……。でも……。

 もしもここでわたしが死んでしまったらお姉ちゃんの記憶は戻らなくなるかもしれない。

 可能性の話であってもそう考えると、ボスが握りしめる刀はわたしの心臓を貫く白木の杭であるかのようでした。

 

 お姉ちゃんにもう一度会いたい(死にたくない)

 

 わたしを撫でて。

 わたしを抱きしめて。

 わたしを励まして。

 わたしを褒めて。

 わたしを――、

 

「助けてよ……お姉ちゃん……」

 

 終焉をもたらす死神は、命を刈り取るように刃を振り上げていました。

 涙で霞む視界。

 盾を構える気力すら沸き立たず、無力感に苛まれた手は無為に虚空を彷徨うばかり。

 現実を直視することを拒んだ瞳は、雷鳴のような音を立てて降り注ぐ結末から目を逸らして、ついには硬く瞼を閉ざしてしまいました。

 

「………………」

 

 疾風が肌を撫で、辺り一面に響き渡った轟音。

 大地の揺れるような衝撃は、ダンジョンが倒壊するのではないかというほどのものです。

 けれど、いつまで経っても断罪の一撃はこの身を引き裂きませんでした。

 代わりに温かな感触がわたしの肩を抱いていて、恐る恐る目を開けるとそこにあったのは――。

 

「お姉、ちゃん……?」

 

 不敵な笑み。

 エフェクトの火花に照らされた光景は、まるで夜明けの輝きみたいで。

 

「助けに来たっすよ。ユイ」

 

 それはわたしを知る、世界で一番大切な人の横顔でした。



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65話 夕暮れの少女(5)

 かつて、SAOにはユウタという1人のプレイヤーがいた。

 見かけるたびに元気な声で挨拶をしてきて、よく私の後ろをついてくる、子犬のような可愛らしい印象の少年だった。

 彼が予備隊に所属する切欠になったのは私への憧れだったという。

 初めて出会ったのは私がMTDの新人教育イベントの引率をしていたときだったらしいが、そのときは別段気にするような出来事があったわけではないので記憶にない。

 ユウタ曰く、フィールドエネミーに苦戦していたところを手助けしてもらったとのこと。

 それから私のようになりたくてタンクに転向したり、レベリングへ積極的に参加し晴れて予備隊に配属となったらしい。

 

 私は空き時間にタンク向けの講習をやらされていたので、彼とはよく顔を合わせた。

 大人の男性ばかりに囲まれている環境は精神的な窮屈さがあり、そんな中自分よりも弱い年下の少年に懐かれるというのは悪い気がしなかった。

 だから私は彼をたまに食事へ連れていったり、贔屓目に指導をしたりしていた。

 当時はリズベットと一緒にいない間はユウタと時間を共有していたと思う。

 

 たぶん、それは恋愛感情ではなかった。

 私のはあくまで可愛げのある後輩といった感情。

 彼の方もきっと憧れの先輩というだけの関係で、そういう感情はなかった……はずだ。

 そう思いたい。だって私の本性は誰かに好意を持たれることが許されるような、立派なものではなかったのだから……。

 

 あのときだってそうだ。

 失敗することを前提とした25層のフロアボス攻略。命じたのはキバオウであったが、口を噤んだ私にも責任はある。

 それなのにも拘らず、彼は文字通り命を投げ打って私を庇ってしまった。

 彼の死について後悔はあったが、だからといって止まるわけでもなし。その後も罪のない人間を散々犠牲にしながら私はSAOを渡り歩いた。

 

 18の小娘が知ったっような口であるのは重々承知であるが、人生においてあのときこうしていればという後悔は往々にして付き纏う。

 ユウタの件もそうであり、最善の選択肢はどれであっただろうかと考えるのだ。

 彼の参加を止めていればよかった。

 キバオウ派に付かなければよかった。

 MTDに参加しなければよかった。

 あるいは茅場晶彦の説明を注意深く吟味して、しばらく街から出ないでいればよかった……。

 それは他愛もない妄想だ。

 

 でも――望んだのはこんなことではない。

 

 25層ボス、その片割れがユイに襲いかかる光景が彼の最期に被って見えた。

 彼女を庇って跳び込んだのはわたしであり、それは無意識での行動だった。

 刀と盾が派手なエフェクトをまき散らし、重たい衝撃がアミュスフィアと通して脳に直接伝達された瞬間、わたしの脳裏にかけられた硬い錠前が外れる音を聞いた気がした。

 濁流のように押し寄せる記憶に、幼き日のわたしは今も必死に抵抗している。

 こんなのはわたしではないと。

 わたしは皆から愛されるような人間であると。

 

「お姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃん!!」

 

 わたしの腕の中で、爪が肌に食い込むほど強く抱きしめ返してくるユイ。

 彼女の双眸は涙に濡れて、痛々しいほどの感情が現れていた。

 ……けれども。どうしてと問いかけたくなる。

 ユイはメンタルモニタリングシステムを通じて、おそらくだがSAOでの私を知っていたはず。ならば思い出さない方がいいとは考えなかったのだろうか? 考えてもこの結論に行きついたのだろうか?

 それは実に……我儘な話だ。

 そんなふうに考えてしまうわたしも相当に我儘なのだった。

 ああ、でも。妹とは姉に我儘を言うものだ。

 そういう意味では彼女は実に妹らしい行動を取ったといえるだろう。

 であれば、わたしも彼女に倣って正しく姉として振る舞うべきか。

 

「心配かけたっすね、ユイ。さあ、まずは目の前のことから片付けるっすよ」

 

 優し気な声色を思い出しながら囁くと、受け止めていた刀をわたしは盾で払いのける。

 ボスのSTR量はプレイヤーに比べて非常に高いはずであるが、それは奇妙なことに実現した。

 おそらく脳の反応速度によって決定されるアバターの運動性能が、ボスのステータスを上回ったのだ。なんともアンバランスな仕様である。

 今更こんな力があっても……。

 こんなことをしたってユウタが戻ってくるわけではないのに。

 確かにやり直したいと願いはしたが、これでは過去の罪を突きつけられただけだ。

 

「エリ、記憶が!?」

「……どうにもそうみたいっすね」

 

 アスナの声が伝播したのか、悪辣な最終形態を見せたボスに心が折られかかっていた仲間たちに火が灯る。

 わたし目の前には再び斬りかかってくる刀を持ったボスの姿。

 左右から襲いかかるそれらを盾と剣と使って捌きながら、視界の端でもう一方のボスの場所を確認。風林火山の面々が押さえているためいくらか持ち堪えてくれそうだが、手早く済ませるに越したことはない。

 あまりの速度のため、途切れることのないリズムを刻む連撃をステップで回避。石床との摩擦で幾重もの軌跡がエフェクトの残像を映し、空いたわたしの剣はボスの足を立て続けに引き裂く。その攻撃回数たるやボスのそれを上回るほどであった。

 目に見えてHPが削られていくボス。

 しかし有利なときほど慎重に。かつ徹底的にだ。

 

「――――!」

 

 SAOではないのだから馬鹿正直に剣だけで相手をしてやる必要もない。

 詠唱は刹那。選択したのはオブジェクト生成魔法。攻撃を防ぐための壁を作成する魔法であり、プレイヤーやエネミーの足元には原則使用不可能なものだ。

 だが何事にも例外があり、それを追求するのもゲームの醍醐味。

 今回でいえば生成途中になにかが上に乗った場合でも、この魔法はキャンセルされないという穴を突く。

 足場を狂わされ、ボスの巨体がバランスを崩す。そこに単発重攻撃のソードスキルで追撃。地響きを立ててボスは床に転がることとなった。

 

「今っすよ!」

「うぉおおおおおお!」

「はぁああああああ!」

 

 こちらにはチャンスを逃さない優秀なアタッカーが揃い踏みだ。

 キリトとユウキはその圧倒的ポテンシャルを持って、最大級のソードスキルを炸裂させた。

 片や片手直剣最上位ソードスキル『ノヴァ・アセンション』。

 片や片手直剣OSS『マザーズ・ロザリオ』。

 現在ボスは鎧を脱ぎ捨てた状態のため防御力は極めて減少している。その上2体に増量したこともあってHP総量も減少しているのかもしれない。

 2人の攻撃を前に最後のHPバーは残り6割。

 

「ユイ、フォローを!」

「はいっ!」

 

 攻撃に参加するのはわたしも同様。

 OSSはユウキの専売特許ではない。連撃回数であれば私の独壇場であるのだ。

 放つは対エネミー用に作成したALO最多の連撃回数を持つソードスキル。

 

 片手直剣専用OSS『スターバースト・ストリーム』。

 

 16もの斬撃は異常な速度に達したアバター性能に引っ張られ、ほんの2秒足らずの時間で終了。SAOの二刀流も真っ青なダメージを叩き出す。

 とはいえボスはHPを4割まで減らしつつも健在。ソードスキルの硬直中に起き上がって反撃までしてこようとしている。

 こちらは一刀流であるのに対して、相手は構うものかと二刀流。

 硬直時間のない反則級なソードスキルの連携は無限OSSの如く。

 

「させません!」

 

 ヘイトトップであろうわたしに向けて閃くそれを遮るのは勿論ユイだ。

 ガードの上からでもHPを削っていく馬鹿げた攻撃力。

 彼女を倒れさせまいと後方から回復魔法が雨のように降り注ぐが、それでもなお拮抗できずにHPは減少していく。

 

「スイッチ」

 

 ユイを退かせてわたしが前に出る。

 ユウタを殺した憎たらしい瞳と目が合う。

 

「シァ――」

 

 ほとんど直感の領域。

 ボスの概要は記憶を取り戻したからといって抜け落ちたわけではない。そこへ加わったSAOで得た経験。高速モードのAGI上昇はあらゆる行動に適用される。

 ならばこれは――全体麻痺の魔眼。

 魔法で石飛礫を放って右の頭部についている瞳を狙い撃ち。

 左の頭部へ跳びかかって横一閃にした剣でそちらの目を塞ぐ。

 果たして魔眼を停止できたのかはわからない。そもそも発動させようとしていたかどうかもハッキリしていなかった。

 けれど頭をのたうち回らせているのだからなにかしらの効果はあったのだろう。

 乱雑に振り回された刀が空中で殺到するも盾で受けつつその勢いを利用して着地。

 

「攻撃魔法、一斉掃射!」

 

 無理に攻め込む前に、号令と共に放たれた魔法の数々がボスのHPを焼いていく。

 残りHP2割。こうなればあとは当てるだけ。

 再びの高連撃ソードスキルによってボスのHPは空になる。

 

「シァアアアアア……」

 

 刀を持ったこちらのボスは撃破。あとは向こうのボスを処理すれば晴れて戦闘終了となり、こいつの顔も見なくて済む。

 ――と思っていたのだが撃破したはずのボスに死亡演出が発生しない。

 

「形態変化するっす!」

 

 判断は即座。

 ポリゴンに変わって飛散するのが通常演出であれば、そうならない場合も演出の一環。それはまだ死んでいないという演出であり、後に続くのはだいたいがボスの変化だ。

 まだ健在であったボスの方へ分裂して再統合した大蛇たち。

 元々6匹の蛇で構成されていた偽りの巨人は、ついに人型を模すことを放棄して大樹のような形となった。

 

 ――『The Quadruple Giant』。

 

 それぞれ4本に増えた手足に頭部。

 腕の代わりとなっていると思わしき部分には戦斧と刀が咥えられている。

 蛇は生命力の象徴ともされ、しぶといことにも定評があるが……。

 

「いいかげん死ねっす!」

 

 HPバーまで4本。

 ボスの厄介さに苛立ったように見せかけつつ、わたしは記憶を取り戻してしまった行き場のない恨みを乗せて剣を振るった。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

「エリの快復と25層の攻略を祝して――」

 

「「乾杯!!」」

 

 第7層に位置するカジノ街。

 その一角にある大規模なNPCレストランを貸し切ってのパーティーは盛大に執り行われた。

 なにせ三桁近い人数が参加しているのだ。

 それだけでもかなり賑やかであるというのに、くす玉や花束まで飾り、クラッカーまで鳴らしている始末。

 だがまあ、MMOプレイヤーなんて祭り好きばかりだ。

 現実のそれに比べて準備の手間がかからないことと、上位陣の領主たちまでが揃っていることを考えればこのくらいは常識の範疇なのかもしれない。

 

 あの後ボスはあっさり倒された。

 詰め込み過ぎて見かけが酷い有様になっていたが、4本のHPバーは頭部それぞれのHPであったりと、そのまま見かけ倒しに終わったのだ。

 一応それぞれの頭部が魔法を使用したり、魔眼を使おうとしてきたのだが、重くなりすぎて足回りが悪くなったのが弱体化の原因だろう。

 それでも十分ボスとしても高い性能なのだが、比較対象が悪ければ、揃えられたプレイヤー側のメンバーも悪い。

 なにせALOのトッププレイヤーを並べたオールスターチームだ。

 そのせいで新生アインクラッドのメインコンテンツたるフロアボスのリソースは、他のプレイヤーへ行き渡らずに喰い尽されていた。

 

「この度はありがとうございました」

「気にすることではない。こちらも十分な報酬は受け取っている」

「でも意外でした。まさかユージーンさんたちまで参加してくれるなんて」

「……実をいうと話を持ち掛けられたときはあまり乗り気ではなかったんだがな」

「それはね、ボクの頑張りの成果だよ!」

 

 いかに記憶を取り戻したことが()()()()()ことだとはいえ、それを顔に出すような真似ができるほど厚顔無恥でもない。

 なのでわたしは表面上では笑顔を絶やさず、記憶が戻って感謝していますよというアピールをして回らねばならなかった。

 積もる話もあるだろうから挨拶の順は交友の薄い方から。なのでまずはサラマンダー領の将軍たるユージーンからとしたのだが、ユウキが話に加わってきた。

 

「まあ、そうだな……。端的にいうとデュエルで決着を着けたのだ」

「勝った方が負けた方のレイドチームに参加するって約束したんだよ」

「去年まではALO最強の座は不動のものだったのだがな。お前たちが参入してからはすっかりチャレンジャーの気分だ」

 

 そうは言うものの、ユージンの表情は新しい玩具を与えられた子供のようだった。

 

「約定は25層までだったからな。次からはライバルとして戦わせてもらうぞ」

「それは、楽しみにさせてもらうっす」

 

 階層攻略を今後続けるかどうかもわからないが、とりあえずはそう答えておいた。

 

「ところで……重くないのか?」

 

 彼が怪訝な声色で問うているのは、わたしの背に張り付いた妖怪――もとい妹のことだろう。

 一度は剥がそうと試みたのだが、ユイはわたしから文字通り離れようとしないため断念した次第である。

 顔を伏せているため傍からは見えないでいるが、背に隠れた彼女の瞳からは今もまだ涙が流れ続けていた。

 

「いえ、全然」

 

 わたしが背負うべき重さに比べればまだ軽いくらいだ。

 

「そ、そうか……。いやまて。そういうトレーニングもあり、か?」

 

 頭が悪くなってきたユージンとの会話はそこそこに、次は沢山のプレイヤーに囲まれたサクヤとアリシャ・ルーの元へと向かう。

 今回多くの出資をしてくれたのが彼女たちらしい。

 商業同盟を除けば最大の領間同盟であるシルフとケットシーの領主だ。その関係はALO事件の頃から続いているわけだからざっと10カ月くらいか。

 

「この度はありがとうございました」

「そう畏まらなくていい。領主としては参加せざるを得なかった事情もある。なにせこれほどのプレイヤー集団だ。敵対するよりも協力した方が得だろう? それにOSの件でも同行したのでね。クエストは完了させていないと落ち着かない性質なんだよ」

「こっちは元々サクヤちゃんとは組むつもりだったしネ」

「そういうわけだ。ともあれ君の記憶が戻ってなによりだよ」

 

 領主という立場上、アインクラッドの攻略はぜひとも成し遂げたい事業であったわけだ。

 それにSAOの元攻略組にスリーピング・ナイツのメンバーまで揃えば領間の軍事バランスを崩壊させるには丁度いい駒になるだろう。

 逆に敵対して報復でもされれば目も当てられない被害が出かねない。

 なので彼女たちの参加は順当なものだったと言える。推測に過ぎないが、他の領主も一枚噛みたかったのではなかろうか……。

 

 わたしが彼女たちの次に向かったのは旧ALF集団。

 彼らはギルドマスターのシンカーを筆頭に、副官のユリエールも揃って壁際で談笑を繰り広げていた。

 

「この度はありがとうございました」

「君がしてくれたことに比べれば、お安い御用だとも」

 

 しでかしたことの間違いではないだろうか。

 ……いや、あながち間違いでもないのか。

 私のしたことを考えれば実に自業自得であり、まだまだ足りないというわけだ。

 もっとも彼には真実など知られていないだろうし、そうであることを祈るばかりだが。

 

「それとあらためまして。ユリエールさん、ご結婚おめでとうございます」

「ありがとう。貴女のおかげで彼と一緒にこちらへ帰ってくることができました」

 

 シンカーとユリエールが籍を入れたのは半年も前だったが、その頃わたしは彼らと連絡を取っていなかった。再び顔を合わせる切っ掛けになったのはわたしが記憶を失ったせいだ。

 彼らに思うところはないが、こんなことでもなければ会うことはなかっただろう。

 

「隊長……。ご無沙汰しております」

「隊長は止してください。もう治安維持部隊は解散したんすから」

「ではロールプレイの一環と思っていただければ」

「………………」

 

 他の連中と違いお前たちは知っていただろうに。

 恨みがましく睨んでやりたかったが、大勢が見ている前ではそうするわけにもいかず、わたしは終始笑顔の仮面を縫い付けられている。

 

「申し訳ありません」

「祝いの席でなに言ってるんすか。それに、ここはわたしが感謝するのが適当じゃないっすか?」

「……SAOでの話ですよ」

 

 言葉裏に多くの含みを持たせつつ、元副隊長の彼は話を続けた。

 

「私が不甲斐ないばかりに隊長には重責を負わせてしまいましたので。妥当であれば私が隊長職を引き継ぐべきでした。なので()()()、すみません」

 

 礼儀正しく頭を下げる彼。

 これは確信犯だろう。なんとも酷い話だ。もしもここがSAOで、治安維持部隊に宛がわれた本部であれば、容赦ない折檻をしてやっただろうに。

 そんなことを考えるわたしは酷い奴だった。

 

「皆さんはSAOでリアルの連絡先を交換してたんすか?」

「いいえ。こうして集まれたのはシンカーさんを遠してですね。彼はMMO to dayのサイトを通してSAOサバイバー向けのコミュニティを立ち上げていましたから。他の連中も同じ経緯です」

「ふうん。耳がいいっすね」

「鍛えていただきましたので」

 

 彼との会話を続けているとどこかしらでボロが出そうな気配があったため撤退。

 後は帰還者学校の面々とスリーピング・ナイツ、風林火山の彼らか。

 

「お互い災難だったな」

 

 空気を読んでのことか、クラインの方からわたしへ声をかけてきた。

 彼の後ろには風林火山が勢揃い。SAOの攻略組で唯一、1人の欠員も出さなかったギルドのメンバーたちだ。

 

「クラインも記憶が無くなってたらしいっすね」

「お前に比べればほんのちょっとの間だけだけどな」

 

 彼はユナのファーストライブで記憶を取り戻していたんだったか。

 わたしもそうであれば傷は浅く済んだものを……。むしろ永遠に思い出さないままでいたかったほどだ。

 記憶を無くしていた間のことはしっかりと憶えている。

 それは夢のような時間だった。ユイさえ悲しんでいなければ最高の時間だったといえよう。

 けれど今はどうだ。ユイこそ悲しんでいないもののわたしの気分は最悪だ。

 ……ユイならば記憶を戻さないよう助けてくれると信じていたのに。

 これを裏切りと感じてしまうのはわたしが変わってしまったせいなのか。それともユイが変わってしまったせいなのか。

 

「俺がユナのことを知らせたばっかりに。……すまねえ」

「関係ないですよ。遅かれ早かれ知る事にはなってただろうっすから」

 

 記憶を無くしたのは彼の責任ではない。

 もちろんノーチラスの責任でもない。

 わたしは望んだのだから責任を問うこと自体が間違いだ。

 

「ああ、そうだ。この度はありがとうございました」

「……おう」

 

 残すは2組。ユウキたちはALOプレイヤーたちと盛り上がっていたので、先に帰還者学校の方へ行くとしよう。

 

「皆さん、この度はありがとうございました」

「あんたはもう……。心配かけすぎよ」

 

 乱暴に頭を撫でてくるのはリズベット。

 彼女の表情は、ラフィンコフィンの討伐作戦後に見せたような不幸の砂漠に落とした幸運の砂粒を探し当てたようなものだった。

 

「22層であったことも思いだした、よね?」

「もちろん。わたしたち、友達じゃないっすか」

「よかったあ」

 

 胸を撫で下ろすアスナ。

 

「……あの、もしかして最近のあたしあんな感じになってました?」

 

 わたしの背中に張り付いたユイを指したのはシリカだ。

 

「なってたぞ。しかも俺に吠えかかってきたな」

「あわわわ!? ご、ごめんなさい!」

 

 客観的に自分の姿を見せられたような気になって恥ずかしくなったのだろう。彼女は真っ赤にした顔を両手で隠していた。

 ちなみに謝ったのはキリトに対してではなくわたしに対してだった。

 

「キリっち。約束すっぽかしてごめんっす」

「しょうがないさ。それに来年だって行くことはできるからな」

「それとは別に、今度花でも手向けに行くっすかね」

「そうしてくれると嬉しいよ」

 

 サチの墓参りにわたしは結局行けず仕舞い。

 申し訳ないとは思っているので、サチからの苦情であれば積極的に受け入れる所存である。

 

「あとは……」

 

 スリーピング・ナイツの彼らだけだ。

 

「この度はありがとうございました」

「敬語はもう止してくれよ」

「こんなこと言うのも可笑しな話ですが、おかえりなさい」

「あーあ。折角エリに勝てるチャンスだったのにな」

「これで無事全員集合ですね」

「よかったです」

 

 温かく迎えてくれるギルドの仲間たち。

 他の人達も同じように温かく迎えてくれていたのは理解しているけれど、ALO組とは繋がりが薄く、かといってSAO組では騙しているようで気が引けるため、スリーピング・ナイツの彼らと一緒にいるのが一番落ち着く。

 昔の私であれば、この程度は平気だっただろうに……。

 

 大勢の人たちに歓迎されるわたし。

 でもこれはSAO時代と同じ、嘘で組み上げた虚構の牙城だ。

 作り上げたのは私。

 けれど捕らえられたのもわたしだ。

 記憶が戻っても、望まれるがままにエリを演じることしかできない。

 空気が欲しかった。

 すべてを白日の下に曝け出してしまいたい。

 そんな破滅的衝動に溺れそうになってもがき苦しんでいるのだ。

 

「……エリ。どうかした?」

 

 ユウキの問いに内心ドキリとさせられる。

 それは背負われてるユイも同じだったようで、彼女の握る力が一瞬だけ強まった。

 

「なんでもないっすよ」

 

 平然を取り繕い、わたしはエリの仮面を深く深く被る。

 

「お姉ちゃん」

「なんすか?」

「……ありがとうございます」

「妹なんだから、お姉ちゃんに甘えていいんすよ」

「はいっ!」

 

 姉の仮面と妹の仮面。

 過去のわたしと未来の私。

 善人を演じるわたしの本当の姿は――人殺しだ。

 思い出したはずの自分がわからなくなる。

 2つに引き裂けそうな心を、わたしはそっと嘘で塗り固めた。




 実に14話ぶりの主人公。
 けれど記憶を無くしていた間も時間は進んでいたわけで……。
 何もかも元通りとは問屋が卸さないわけです。


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66話 夕暮れの少女(6)

 平日の昼下がり。

 わたしは仮想世界にあるロビールームで、積み上げた問題集の山を徐々に切り崩していた。

 こうしているとSAO時代に散々やっていた書類関係の仕事を思い出す。

 

 治安維持部隊の本部で使っていたのはこれとは違いダークブラウンに染め上げたデスクだった。壁にはアインクラッドの地図やALFの紋章が掲げられ、ボードにはいつも予定がびっしりと書き込まれていたはず。

 壁紙や装飾品は変更が容易なため気分転換がてらよく模様替えをしており、この場のような22層のコテージに似た、木目の柔らかい印象がするものを使った事もあったっけか……。

 

 採点ついでにコーヒーを一口。

 ユイの淹れてくれたものだ。

 

「………………」

 

 その彼女はというと、隣に座ってじっとわたしを凝視している。

 

「……ありがとう。美味しいっすよ」

 

 ユイは嬉しさを全面に出した。

 けれど彼女が味を気にして、わたしを見つめていたのではないことくらい理解していた。

 なにせコーヒーを淹れる前も、淹れた後も、合わせてかれこれ3時間はこうしていたのだから。

 

「そんなに見つめられると、その、気になっちゃうんすけど……」

「あ。ごめんなさい」

 

 顔だけは逸らしてくれたが、目線はわたしに向いたまま。

 わたしが記憶を取り戻してからすっと、彼女はこの調子だった。

 

「そろそろお昼にしませんか?」

「もうそんな時間っすか」

 

 不要な動作ではあるのだけれども、彼女はキッチンに立って昼食の準備を始めた。

 今頃、アスナやリズベットは学校でお弁当を食べているのだろうか……。

 わたしが本日学校へ行っていないのは、身体の不調が再発してしまったたためだった。

 以前使っていた医療用オーグマーは返却してしまったので、現在は歩くことさえできない状態に戻っている。

 現実の身体は病院のベッドで横たわったっている。

 ――もっとも、ユイが1カ月以内に新しいオーグマーを完成させて再び歩けるようにしてしてみせると言っていたので心配はなかった。

 1カ月という時間の根拠は、部品の製作や組み立てにかかる時間で、設計はすでに完成しているのだとか。

 件のオーグマーはオーダーメイド品ということもあって相当な値段がするのだが、その辺りはユイの財布から苦も無く支払われてしまった……。

 その資金の出所は彼女が開発したAR用の五感再生エンジンの特許使用料だ。

 元々は医療用プログラムの開発過程で作られたものだったが、オーグマーの普及もあってその価値は莫大なものになっている。

 わたしの自宅の隣に、同規模の家を即金で買うこともできるという話を聞いたときは、流石に肝が冷えた。

 

「お姉ちゃん」

 

 待っている間、ネットサーフィンをしているとユイの声がキッチンから投げかけられる。

 

「なにを調べてるんですか」

「………………」

 

 疑問というにはあまりにも確信に満ちた口調。

 わたしが開いていたのはユナのVRライブのチケット購入画面。

 彼女の立っている位置からは、決して見えないはずだった。

 

「……モニタリング機能、入れ直したんすか?」

「いいえ。お姉ちゃんに要らないって言われましたから、入れてません。それともやっぱりあった方がいいですか?」

「………………」

「おすすめサイトの表示機能ってありますよね」

「………………」

 

 閲覧傾向を機械学習させて、入力せずとも先に並べておく機能のことだ。

 つまり閲覧履歴を見られているのだろう。それもリアルタイムで。

 

「ユイはメールの通知やフィルタリングもしてくれてたっすよね?」

「はい。そうですけど」

「あれって、メールの内容まで見えるんすか?」

「………………」

 

 少し考えればわかることだった。

 

「閲覧履歴を見るのも、メールチェックも、もうしなくていいっすよ」

「ええ!? 皆やってることですよ!」

「都合の良いときだけAIって主張しても駄目なものは駄目っす」

「はーい」

 

 望んでいただろう言葉に、弾む返答がされる。

 そんなところで人間らしさを発揮しないでほしかった。

 

「それで、ユナさんのライブをどうして調べてたんですか」

 

 ……誤魔化しは通用しなかったようである。

 

「ちょっと聴きに行こうかと思っただけっすよ」

「1人でですか?」

「……わたしが前からユナのファンなの、知ってるっすよね?」

 

 そんな回答でユイを追い返そうとする。

 

「わたしも行きます」

 

 だが失敗。

 記憶が戻ってからというもの、ユイがわたしの傍を離れることは片時もなかった。

 離れる理由がないというのはある。

 ALOにログインするときは勿論、ロビールームにいるときや、寝るときも一緒にいるのは以前からのことでおかしくなことではない。……おかしなことではない。

 なのだが、プライベートな時間が一切ないのは、いくら妹が相手でも気疲れしていたのだ……。

 

「お姉ちゃん」

 

 キッチンの奥では、甘くとろけていそうな、蜂蜜色の眼球が妖しい輝きを放っている。

 

「思い出さない方が良かっただなんて、言いませんよね」

 

 わたしは息を呑む。

 

「そんなわけないじゃないっすか」

 

 ロビールームにそこまでの表現機能はないはずなのに、握りしめた手に汗が滲んでいるかのように感じていた。

 彼女がキッチンから運んできたのは半熟卵を乗せたトマトソースのパスタ。赤く染まったスパゲティの上で、彼女の瞳のような色をした黄身がドロリと崩れている。

 

「お姉ちゃん」

 

 椅子に腰かけていたため、普段と違ってユイがわたしを見下ろしていた。

 彼女の顔は照明の影になり曇って見えた。

 

「………………」

「………………」

 

 ユイがなにかを言おうとしたが、躊躇い気味に口を閉ざす。

 わたしはなにも言えなくなって、ただそれを黙って見ていることしかできなかった。

 

「……冷めないうちに食べましょう」

 

 そう言ってユイは腰を落ち着かせる。

 

「……そうっすね」

 

 口に運んだパスタは、酸味が利いていた。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

「チケットまで買ってもらっちゃって、ありがとね」

「用意したのはわたしじゃないっすから、お礼ならユイに」

 

 感謝の方は正当な持ち主に返しておく。

 

「ありがとう。ボク、こういうところ来るのは初めてだから、ドキドキしちゃった」

「わたしもです!」

 

 ユウキの感想にユイが同意を示す。

 わたしがユナのライブへ1人で行くことの許可はユイから下りなかった。

 さらには彼女だけが一緒に行くという方法も不安が残ったようで、最終的にはスリーピング・ナイツの面々を誘う流れとなったのだ。

 ライブは相変わらずの大盛況。1万人以上の人が集まる会場は圧巻であり、ノーチラスの姿を探すどころではなかった。

 それだけ人気であっても、チケットを直前に購入できたのは会場を拡張できるVRならではの恩恵だろう。

 ライブを聴き終えたわたしたちは会場で高まった熱気を吐き出すように、すっかり集合場所となったユウキのロビールームで談笑を繰り広げているところであった。

 

「皆はライブとか、聴きに行ったことってあるの?」

「アタシはたまに行ってたね」

「ワタクシも少々」

 

 答えたのはノリとタルケン。

 

「なんだい。あんたとだけ同じってのはちょっと癪だね」

「そ、そんなこと言われましても……」

「冗談だよ。それで、タルケンはどんなの聴くんだい? 今度一緒に行こうじゃないか」

「ええっと。ノリさんの趣味には合わないと思いますよ?」

「アタシがどんな曲聴くと思ってるんだよ……」

「ロック、とか?」

「そういうのも嫌いじゃないけどさ。ポップスなんかも好きだよ」

 

 ノリは姉後肌なイメージではあるけれど、趣味は意外と大人しい。

 

「むしろシウネーとかロック好きそうだよね」

「なんでですか!?」

「凄い声援だったじゃんかよ」

「そ、そんなことないですよ。私も初めての経験で緊張してましたもん!」

「………………」

 

 ジュンの言葉に猛抗議をするシウネー。

 ノリとは対照的に普段はお淑やかな彼女は熱せられるとすぐ燃える。

 他7人の声を足しても敵わない声量を出しながら、彼女が力の限りサイリウムを振り回していたのは視界の端で目撃していた。その勢いたるやALOでは前衛を務めるジュンが前列でボコボコにされていたほどだ……。

 

「まあまあ。それだけ素晴らしい歌でしたものね」

「ですよねっ!」

 

 そんな彼女を宥めるのはテッチの仕事。

 つまりスリーピング・ナイツは平常運転ということだった。

 

「エリはああいうところにはよく行ってるの?」

「ユナのライブなら何回かってところっすね……」

 

 今回のようなしっかりした会場でのものではなく、あくまでSAOでのエピソードだが。

 

「ふうん……。でも急だったね」

「迷惑だったっすか?」

「あ、そういうことじゃないよ! 凄く綺麗な歌声だったし。それにほら、ボクはだいたい暇してるからね」

「なら良かったっす」

 

 けれど不思議そうに首を傾げてるユウキ。

 

「あー……。最初は1人で行こうと思ってたんすけど、折角なんで誘ったんすよ」

「なるほど……。そっかあ」

 

 周りに聞こえないよう小声で打ち明けると、彼女はユイを一瞥した後、察したように頷いた。

 

「ユイ」

「はい、どうしました?」

「ちょっとエリを借りてくね」

「ちょっと借りられてくるっす」

「え、今からですか? だったらわたしも――」

「ユイはこっちな。シウネー、そっち持って」

「任せてください。ユイも一緒にイモムシになりましょう」

「ええーっ!?」

「シウネー、意外とクソゲー好きだよね……」

 

 スリーピング・ナイツの女性陣に捕まるユイ。流石の連携。流石の早業だ。

 彼女はこれからあのインセクサイトで理解の埒外な戦いに身を投じることになるのだろう……。

 

「ボクたちはALOでいいよね?」

「いいっすよ。――アリの大群には気をつけるんすよー」

「待って!? お姉ちゃんー!!」

 

 2人に担がれつつも身体をくねらせて抵抗を続けるユイ。彼女にはイモムシの才能があるかもしれない。……そんな才能はいらないだろうが。

 必死な叫びは聞かなかったことにして、ALOを起動するとユイの叫び声はすぐに聞こえなくなった。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

「ぷふっ!」

「あははははっ!」

 

 前回ログアウトした場所はどちらも新生アインクラッドの22層。

 月明かりの差し込む家主のいないにコテージに現れたわたしたちは、互いの顔を見るなり同時に笑いだしてしまった。

 

「ユイには悪いけど、助かったっす」

「ここのところベッタリだったもんねー」

「ユウキからもやっぱりそう見えるっすか……」

 

 どうやらわたしの気のせいではなかったようだ。

 このままだとオーグマーが完成して出歩けるようになっても状況は改善しないだろう。なにせ装着中はネットワークに接続しているわけだから、彼女の目が常にあると考えた方がいい……。

 なんとかしたいが打開策は思い当たらない。時間が解決してくれるだろうか?

 

「愛されてるのは嬉しいんすけどね」

 

 冗談めかして愚痴を言う。

 

「――ボクも好き、だよ」

 

 わたしの視線はユウキの綺麗な赤紫色をした瞳に吸い寄せられていた。

 なぜなら彼女の声色が、友達に言うような軽い調子のものではなく、艶やかで含みのあるものだったから。

 

「………………」

「………………」

 

 二の句を継げられず、無言が満たされていく。

 ユウキの表情にいつも通りの快活な笑顔はない。

 ともすれば自然と真剣なものに見えてしまい、少しだけ怖かった。

 彼女が強い足音で一歩前に出ると、わたしは弱腰に一歩後ろへ下がる。二歩三歩と続ければあっという間に追い詰められ、背が壁にぶつかった。

 

「エリ」

「ひゃいっ?!」

 

 ユウキが壁を突い音に鼓動が跳ね上がる。

 

「エリはさ……。ボクのこと、好き?」

 

 今度は不安気に紡がれる言葉。

 吐息が聞こえるほどの距離に彼女の唇があった。

 

「ああ、えと、そのっ……好き? ですよ……」

「それはどの好き? 友達としての好き? それとも……」

「――――んんっ!?」

 

 目を合わせていられず瞼を固く閉じてしまう。

 思考力は奪い尽され、とっくに混乱の状態異常。

 今のわたしはまな板の上の鯉だった。

 

 

 

 

「………………」

 

 

 

 

 ……しばらく、待った。

 

 

 なにも、起きない。

 

 

「ふふっ……。あはははは!」

 

 笑い声にそっと目を開けると、いつの間にかユウキは眼前から離れていた。

 

「ユウキー!」

「ごめんごめん。でもエリの表情が……あははははっ」

「笑いすぎっす!」

 

 お腹を抱えて笑うユウキに、ほっと一息。

 まだ心臓は早鐘を打っている気がする……。

 

「流石に性質悪いっすよ、もう!」

「だからごめんってば」

 

 悪びれもせずに謝るユウキ。

 

「ちょっと熱くなっちゃった。散歩しない?」

「いいっすけど」

 

 背を向けたままの彼女に続いて外へと出る。

 ALOはSAOと違って現実時間と完全な同期はしていないが、運よくこちらも夜だった。

 アインクラッド内であるため満点の星空とはいかないが、上層の底で光を反射する石が星々の代わりと言えるかもしれない。

 ユウキの後に続いてしばらく飛行していると、夜風は火照った身体をほどよく冷ましてくれた。

 

「………………」

「………………」

 

 わたしたちは無言で夜闇を進んでいく。

 目的地があるわけでもなし。気の向くままに飛び立った結果、何処に辿りつくわけもなく、22層の上空をただただ旋回していった。

 この階層はフィールドにエネミーが沸かないため、戦闘も起こらない。

 他にプレイヤーがいる様子もなく、この狭い箱庭が2人だけの物になったかのような気がした。

 眼下には夜の闇を映した巨大な湖。

 森の小道にはかつてアスナと和解した場所もあるだろう。

 だけど、それを話題にするのはなんだか2人だけの時間を壊してしまいそうで、わたしはずっと口を噤んでいた。

 

「エリはさあ!」

 

 風切り音に負けないよう、ユウキは声を張り上げる。

 

「デュエルトーナメントの出場申請はもうした?」

「どうだったっすかね……」

 

 正式名称は『第三回、アルヴヘイム統一デュエル・トーナメント』。

 公式が運営する個人戦のデュエル大会だ。新生ALOになってからは初の大会で、準決勝からはネット放送局『MMOストリーム』で生中継がされるんだったか。

 メールボックスを開くと、運営からのお知らせメールで時間などの詳細な連絡事項が記載されたものが送られていた。

 そういえば25層の攻略前にアスナと一緒に申請をしたんだった。

 

「してたっすよ。Fブロックっす」

「ボクはDブロック!」

 

 ブロック表を見る限り、ユウキと当たるのは決勝戦まで勝ち進まないといけないらしい。

 

「お願いがあるんだけど聞いてくれる?」

「いいっすよ」

 

 羽を傾け、湖畔の浮島に降り立つユウキ。

 彼女の様子がどこかおかしいことを薄々感じていたわたしは、嫌な予感がしていた。

 

「お願いっていうのはね……。ボクに勝ってほしいんだ」

「トーナメントで?」

「うん」

「それは……」

 

 確約しかねる願いだった。

 先日までなら客観的に考えれば可能だったと思う。

 だが25層でわたしたちが暴れ過ぎたせいもあって、全プレイヤーにはアバターの限界速度が課せられることになったのだ。軽量級種族を重量級種族が速度で圧倒するのは流石に駄目だったらしい。これにはカーディナルシステムもお怒りで、上位数名のプレイヤーがこれに引っかかり弱体修正を受けた。

 知る限りではキリト、アスナ、クライン、ユウキ、わたしの5名が修正済み。

 種族差を加味して、わたしやクラインは軽量級種族の他3人よりも遅くなっている。

 

「頑張ってみるっすけど、あんまり期待しないでほしいっす」

「勝てたらマザーズ・ロザリオを――ううん。ボクに勝って、マザーズ・ロザリオを受け取ってほしいんだ」

「………………」

 

 SAOでは剣こそがそのプレイヤーの魂ともいえる物だった。

 この新生ALOでならそれはOSSにあたるのだと思う。

 特にユウキがマザーズ・ロザリオに込める思いの丈は人一倍大きい。あれは彼女の人生の軌跡ともいえる技だ。

 

 どうして……。

 

 わたしはその言葉を語らない。

 口に出せば答えを知ってしまうから。

 

「これが、きっと最後のチャンスなんだ」

 

 けれど察しの良いユウキは、わたしの胸の内を読めたのか続けてしまう。

 

「もう、ほとんど時間がないんだ……」

「そんなっ! だって1年って……」

「余命宣告はあくまで予想だもん。伸びることもあれば縮まることだってあるよ」

「………………」

 

 あたりまえのことだ。そんなことは知っている。

 そしてこのタイミングで言うということは、本当にギリギリなのだろう。

 

「だから、最後に誰かにボクの生きてきた証を残したいんだ」

「スリーピング・ナイツにいる片手剣使いは確かにわたしだけっすけど……。でも、わたしじゃなくたって――」

「そういうんじゃない!」

 

 声を荒げて彼女は叫んだ。

 

「エリじゃなきゃ嫌なんだ! 君だけに、受け取ってほしいんだ!」

「………………」

 

 止めてほしかった。

 わたしはそんな重いものを背負えるような、背負っていいような人間じゃないから。

 彼女の輝かんばかりの剣技も、わたしの手にかかればたちまち陰るだろう。

 思い出を穢すような、そんな真似はしたくない。

 

「……前にした約束、憶えてる?」

「約束?」

「オーグマーのときのアレ。恩返ししてくれるんだったよね?」

「それは……。確かに言ったっすけど、わたしにできることしか無理っすよ」

「ボクはエリならできるって信じてる」

「期待が重いっす」

「ごめん」

 

 それでも取り消すつもりはないのだろう。

 彼女はわたしを真っ直ぐに見つめ続けていた。

 

「それとも、ボクの技なんていらない?」

「その言い方は卑怯っすよ……」

 

 全部、わかっててやってるんだろう。

 

「わかった。ここで答えを聞くのは止めておくよ。でもボクの気持ちは変わらないから。エリが受け取ってくれないなら、誰にも渡さない」

「……どうしてわたしなんすか」

「ボクに勝ったら教えてあげる」

 

 彼女の決意は梃子でも動かなさそうだった。

 動かせないなら、きっと死ぬまでそのままだ。

 

「そろそろ遅いし、もう落ちよっか」

「……そうっすね」

 

 そう提案するものの、彼女が諦めたわけではなさそうだった。

 フィールドだとログアウトしてからもしばらくアバターがその場に残ってしまうので、いくらエネミーが出ないといっても、ALOで培った常識がコテージに戻るよう促した。

 

「今日はありがとう。ユナのライブ凄く楽しかったよ。……もしエリに出会ってなければ、ボクはスリーピング・ナイツの皆とだけ冒険して、そこで終わりだった。このALOで沢山の友達ができたのはエリのおかげだね」

「ユウキが頑張ったからっすよ」

 

 にこりと笑うユウキに、わたしの否定はまるで届いていない。

 

「おやすみ、エリ」

「……おやすみなさいっす」

 

 コンソールを開いてログアウト処理をしていく。

 こんなふうに、彼女と一緒にいられる時間はあとどのくらい残っているのだろうか……。2人きりともなれば、もしかするとこれで最後かもしれない。

 拭い去れない不安の影がわたしの指を絡め取り、彼女を見送ることを選択させた。

 

「あ、そうだ! この台詞、一度でいいから言ってみたかったんだ」

 

 ログアウトする直前。

 ユウキは置き土産とばかりに言葉を紡いだ。

 

「――決勝で待ってるよ」



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67話 夕暮れの少女(7)

「――始まりました。第三回アルヴヘイム統一デュエル・トーナメント。準決勝へと勝ち進んできた猛者はこの4名です!」

 

 ALOでは文書や画像データの持ち込み、さらにはゲーム内でインターネットへのアクセスが可能である。

 わたしたちは熱気溢れる観客席に腰を下ろしつつ、動画サイトへアクセスしてMMOストリームの生中継を眺めていた。

 手元の映像パネルと同時に会場の上空に映し出されたのは見慣れた4人の顔写真。

 キリト、アスナ、ユウキ、……そしてわたしだ。

 

「女性プレイヤーが多く進出したようですね」

「メルヘンチックな世界観で、ALOは女性プレイヤーにも人気なのかな?」

「そうかもしれませんね。加えて前回の上位入賞者は軒並み敗退しているようです。これは春に行われた大型アップデートの影響でしょうか」

「以前の入賞者はシステムアシストなしで戦ってたから、その差が埋まっちゃったのかも」

「私もソードスキルを体験してみましたが、すぐ達人のように剣を振れましたからね。ですが熟達のプレイヤーから見れば違って感じるのかもしれません。その辺りをお聞きすべく、中継で前回の優勝プレイヤーであるユージーンさんに繋がっております」

 

 金髪の落ち着いた口調の女生と、青髪の快活な女性。そんな2人が並ぶ純白のスタイリッシュなデザインをしたスタジオには、ALOから中継でユージーンが映された。

 スタジオの背景にはコメントがリアルタイムで流れており、むさ苦しい顔立ちの彼が登場したことでブーイングが巻き起こっている。

 

「紹介に預かったユージーンだ。我々サラマンダー領は新たなプレイヤーの参戦をいつでも歓迎している」

 

 暴言に一切動じず、淡々と自領の宣伝を始めるユージーン。

 

「ずばり、ソードスキルについてどうお考えですか?」

「良いシステムだ。おかげで近接戦は格段にやり易くなっただろう」

「ですがそのせいで今回は敗退したのでは?」

「それを言い訳にはできんだろう。キリトには大型アップデート前に土を着けられてる」

「なるほど。では予選ブロックでユージーンさんを破ったユウキ選手についてもコメントを頂けないでしょうか?」

「俺を倒したからというわけではないが……、優勝するだろうな」

「ほほう。準決勝の相手キリト選手は、公式サイトで最強武器と言われていたエクスキャリバーを持ち出してきましたが、それでもユウキ選手の方が強いと?」

「俺のグラムを破ったのだ。エクスキャリバーを破れない道理はないだろうよ」

 

 先日キリトたちはデュエルトーナメントに向け、1パーティーを引き連れてヨツンヘイムエリアを攻略。そのクエスト報酬として最強武器を入手してきたらしい。

 予選ブロックでの映像記録をユイから見せてもらったが、エクストラ効果はおそらく防御無視。重装備のノームが盾の上から4連撃のソードスキルで撃破されている。

 わたしとの相性は最悪で、勝負になればまず勝てないだろう。そうでなくとも勝てるプレイヤーなどいないのではないかという破格の性能だ。

 けれども準決勝の組み合わせはキリトとユウキ、わたしとアスナだ。

 ……これでユウキと戦わなくて済むのなら悪い話ではない。

 

「なんかごめん……」

「リズのせいじゃないっすよ」

 

 キリトのヨツンヘイム攻略にはリズベットも参加していたそうで、彼女は申し訳なさそうに顔を両手で覆っていた。

 

「ユージーンはああ言ってるけども、2人の試合どうなると思う?」

「キリトの圧勝じゃないっすかね。ソードスキルでの戦いはキリトに一日の長があるっすし、武器に関しては破格の差。気力も満ち足りてる様子っすから」

「はあ……」

「リズはキリトに勝ってほしくないんすか?」

「勝ってほしいけどさ。もうちょっと対等な条件で戦ってほしかったなって」

「優秀な装備を揃えるのもプレイヤースキルの内っすよ」

 

 そうこう話していると歓声が沸き立つ。

 そろそろ試合が始まるようだ。

 

「Aブロック代表。準決勝まで勝ち上がった唯一の男性プレイヤー。伝説の聖剣を手に黒猫の剣士、キリト選手がついに入場だ!」

「月夜の黒猫団、ギルドマスター代理のキリトだ。今は亡き仲間のために優勝はもらって行く」

 

 黒い外套装備を棚引かせ入場したキリトの腰には黄金の剣。

 まるで彼が夜空で、剣が月の輝きであるかのようなコントラストだ。

 

「おおっと。これは堂々の勝利宣告! 聖剣が彼の自身を後押ししているのか!?」

 

 キリトが今大会負けないと思わせる最大の要因はこれだ。

 彼は本気だった。以前お遊びで剣を交えたときとは別人の風格を放っている。

 エクスキャリバーがなくとも、今の彼に勝てるかとと問われれば、わたしは否と答えるだろう。

 

「………………」

「………………」

 

 周囲に座っていたSAOサバイバー組のテンションと一緒に沈黙が下りる。

 

「対するはDブロック代表。前大会優勝者を含めた猛者を次々と破った期待の星、可愛らしい外見に騙されるな、彼女の剣は絶技の領域。ユウキ選手の入場だ!」

 

 ユウキのいたDブロックは激戦区だった。

 ユージーン、クライン、リーファ、エギル。これでもかというほど強豪プレイヤーが固まっていたのだが、そのすべてを彼女は倒してここに立っている。

 

「えへへ。ちょっと照れるな。スリーピング・ナイツ、ギルドマスターのユウキです。――キリト。今日だけは絶対に負けられない。だから君を倒す」

「2人はご友人のようだ。この因縁がどう結びつくのか。では準決勝第一試合の開幕だ!」

 

 一辺が20メートルの立方体状のバトルエリア。

 正方形と呼ばないのは、高度制限が設けられているためだ。それを表すようにフィールドには侵入禁止を示す半透明の膜があり、それは壁となっている。

 これは第一回の大会でフィールドを無制限にした結果、魔法の引き打ちで優勝者が決まったことに起因するらしい。

 ルールはアイテムだろうと魔法だろうと飛行だろうと、なんでもり。

 制限時間は10分。

 彼らの頭上で10秒のシステムカウントが始まる。

 

「………………」

「………………」

 

 黒と紫の剣士がそれぞれ切先を向け合う。

 ユウキは前傾姿勢で突進を狙い、キリトは盾を突き出しカウンターで応じようとしている。

 それが虚であるのか実であるのかは蓋を開けて見なければわからない。

 カウントダウンが刻一刻と進む中、2人は一切構えを変えようとしなかった。

 

 3、2、1……。

 

 最初に動いたのは予想通りユウキ。

 一瞬のうちにトップスピードに到達した彼女は、一直線にキリトの懐に飛び込む。

 ユウキの剣は盾に遮られエフェクトが迸る。

 そこへキリトのカウンターが――来ない。

 ユウキがフリーの左手を使ってキリトの右手を制している。

 組み付き状態は刹那で離された。キリトが手首の返しでユウキの首を狙ったのだ。だが剣は囮。本命は力強く振るわれた盾によるノックバックと、そこから繋げるソードスキルの連携だろう。

 ユウキは後退を余儀なくされたかに思えたが、それでも彼女は前へと進む。

 腰を落として剣を避け、盾の内側に入ってその先へ。

 すれ違いざまに刃はキリトの胴体を斬り裂き、HPの減少が起こった。

 それで終わりということは当然なく、体重移動をする間も惜しみユウキは腕だけを使って背後を追撃。キリトも同じく腕だけを動かし防御。ここで武器の性能差が現れた。受け太刀であるキリトが逆にダメージを与えたのだ。

 両者背中合わせに剣が噛み合い、鋸を引くようにしてようやく距離を取った。

 HPはクリーンヒットである分キリトの方が減少量は多い。だが刃を合わせればユウキが一方的に押し負けるという情報が渡ってしまった……。

 

 2人は振り向くと即座に距離を詰める。

 一歩も退かない。退いてなるものかという意思の表れだ。

 キリトの一閃。なんとしてでも躱さなければならない一撃を見せつけて、盾が堅実に体勢を崩そうと息を潜めている。

 ユウキはそれらを上に掻い潜り、上下を反転させつつキリトの首に迫った。

 寸前でガードが間に合うも恐ろしい一撃だ。

 ユウキは蝙蝠のような翼で姿勢を制御するとそのまま逆さの体勢でソードスキルを放つ。

 既存のものではなく、マザーズ・ロザリオでもない。しかし得意の突きを主体とした連撃に、キリトは盾の上からHPが削られていく。

 いかにエクスキャリバーが高性能であろうと、この次元のプレイヤーが放つソードスキルをノーガードで受ければHPなんて飾りにしかならない。

 バランス調整のために速度制限が課せられてもまだ、トッププレイヤーのスピードが算出する攻撃力は極めて高いのだ。

 ユウキの放った連撃が10回に到達したところでキリトが反撃を見せる。あれは単発系ソードスキル『ヴォーパルストライク』だ。

 ユウキはそれを11回目の攻撃、それに付随するバックステップで回避した。

 かつてわたしが使ったオリジナルソードスキルに似たその動きは、ソードスキルを移動手段に使うという理屈を体現していた。

 キリトが放つエフェクトの柱はユウキの身体を捉えていない。

 

「ど、どうなってるの?」

 

 リズベットはあまりにも素早い攻防が目で追えていないようだ。

 試合開始からは、まだ30秒と経過していない。

 

「キリト君が……押されてる……」

 

 唖然と呟いたのはアスナ。

 

「うそおー……」

 

 事前情報の予想からはかけ離れた試合展開。

 2人の剣での技量は僅差のはずだった。それにも関わらずキリトは一度も競り勝てていない。

 データ上で有利な側が普通はイニシアチブを握る。だがユウキはそれを押しのけ、相手の土俵で上回っていた。

 

「こりゃあキリトの負けだな」

 

 達観した口調でクラインが語る。

 

「……まだまだ逆転の目はあるっすよ」

「エリにしちゃあ珍しいな。お前が読み違えるなんてよ」

「………………」

 

 キリトのコンディションが悪いということは決してない。

 それどころかこの状況で焦らず堅実に戦えてる彼のメンタルは非常に安定している。

 だというのに、ユウキが負けるビジョンがまったく浮かばない。

 SAOやALOで多くの強豪プレイヤーを見てきたからこそ、ユウキのあまりにも隔絶した技量が信じられなかった。

 いや。これは隔絶しているのか?

 部分部分を切り取って見れば肉薄した戦いだ。ただそれらすべてにユウキが勝っているというだけでしかない。拮抗しているのにその差は開いていく。

 まるで薄氷の上を危なげなく渡りきるような矛盾した光景だった。

 

「――――!」

 

 戦況が大きく動いたのはキリトのHPがイエローゾーンに突入してからだった。

 攻め立てていたはずのユウキは突然上空に逃れると、魔法の詠唱を始める。

 発動したのはキャラクターの位置を対象とする必中系の闇属性攻撃魔法。キリトのHPが大きく減る中、彼は模範的対応策として幻惑魔法でいくつもの煙を生み出し、フォーカスロックを遮る。

 これのカウンターとしてあるのが自動追尾系の魔法。最も近い適性キャラクターを追尾するというもので、魔法使い系のプレイヤーが予選で多く使用していた。

 すかさずキリトは幻影の分身を魔法で生成。追尾する闇弾のターゲットを逸らしていく。

 論理的で高度な魔法合戦はユウキが有利である。なにせ幻惑魔法はこのような防御手段こそ優れるものの、攻め手には欠ける。

 視界不全のためMPが尽きるのを待つのは愚策。この隙にアイテムで少しでもHPを取り戻しておこうとキリトがクリスタルに手を伸ばした瞬間――。

 

「――なっ!?」

 

 いつの間にか隣に現れたユウキがキリトの身体に剣を突き立てていた。

 キリトはクリスタルを取り落としてその対応に追われる。

 今のでキリトのHPはレッドゾーン。もはやエクスキャリバーの攻撃力を持ってしてでも相討ちにできない状況だ。

 

「今のはなにやったの?」

「……たぶん、魔法のエフェクトに隠れて飛んでたっすね」

「………………」

 

 わたしも見逃したため、推測に過ぎないが……。

 それほどまでに彼女の飛行技術は洗練されていた。

 

 後がないキリト。だが彼の精神は揺らがない。

 むしろ研ぎ澄まされているかのようで、ユウキの刺突を丁寧にエクスキャリバーで打ち合ってダメージを稼ぎつつある。

 ユウキは自傷覚悟で魔法を打てば決着であり、それはすぐに行われた。

 必中の攻撃魔法のエフェクト。キリトを中心に闇が巻き――起こらない。

 

「い、今のは?」

「システムの追尾性を誤認させた……んだと思うっす」

「………………」

 

 キリトは必中攻撃をあろうことか回避してしまった。

 移動中のキャラクターを補足するための予測演算を極小のステップで誤作動させたのだろう。ALOの予測演算は高精度で騙すのはまず不可能だと思っていたのだが、現実として魔法の発生起点はずれ、キリトは健在だ。

 彼はエクスキャリバーで鍔迫り合いを申し込むと、ユウキのHPが黄色に変わる。

 武器のステータス差で押さえつけられるユウキ。魔法の詠唱にキリトは後退。

 幻惑魔法の煙が再度フィールドを覆い隠し――『Winner!』の文字。

 決着のゴングが鳴り響く。

 

 

 最後に立っていたのは……。

 

 

 薄紫の少女。我らがスリーピング・ナイツのギルドマスター、ユウキだった。

 彼女はピースサインを天に掲げ堂々の勝利宣言。

 大会の試合ではデスペナルティーが発生しないため、『Loose』の表示を掲げてキリトは床に尻餅をついている。

 敗者らしくばつが悪そうにしていたキリトの表情は張りつめた気配が霧散していて、年相応の少年らしくどこか愛嬌があった。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

「Fブロック代表。次々と突進で対戦相手を屠ってきた姿はタンクというより人間掘削機。盾ってそうやって使う物だっけ? エリ選手の入場だ!」

「………………」

 

 ……それが一番効率が良かっただけだ。

 盾を使った突進は攻撃同士の衝突で有利判定を得やすく、わたしの場合は速度もあって対処するのに相応の実力が必要となる。これ一辺倒になったのは相手が弱かったからでしかない。

 まあ、魔女よりはマシな通り名だろう。

 わたしは一応の礼儀で会場に手を振っておく。

 観客席には、わたしたちと入れ替わりで席に着いたユウキたちの姿が見えた。

 

「Iブロック代表はなんとヒーラー! しかしその荒ぶる姿はもはや狂戦士。綺麗な花いは棘がある。アスナ選手の入場だ!」

「………………」

 

 実況中継を睨みそうになるも、堪えて笑顔を振りまく姿は流石である。

 彼女のSAO時代の通り名は攻略の鬼だったか。狂戦士とどちらがマシなのだろう。

 

「本気で、戦おうね……」

「もちろんっすよ……」

 

 アスナが抜いたのは銀の細剣と枝のワンド。

 細剣の方は刃渡り100センチのロングレイピア。貫通属性を持つタンク殺し。

 ワンドは伝説級装備の『クレスト・オブ・ユグドラシル』で、確か風魔法と水魔法の消費MPを大幅に減少させる魔法使い垂涎の一品だったか。

 彼女はこの2つの装備を同時に使う()()()スタイルだ。

 

 わたしの方はというと対策として水属性と風属性の防御に偏らせた軽量防具を選択。

 あとは防御力の高さを誇る大盾と、重量級の片手直剣を持つ、慣れ親しんだスタイルだ。

 奇をてらったものはない。普段通りの実力でやるだけ。それだけだ……。

 

「彼女たちの間に火花が散る! では準決勝第二試合、行ってみよう!」

 

 頭上で始まる10カウント。

 互いの初期距離は10メートル。

 このカウントダウンは圏内戦闘と同じ処理で、開始を待たなければダメージは発生しないというもの。ALOではSAOのルールに加えて、魔法の詠唱判定が失敗になる処理も入っている。

 10秒のうちにゆっくりと歩み寄ってわたしは距離を詰める。

 アスナ相手に距離を取るのは愚策だからだ。

 彼女は下がらず構えを崩さない。受けて立つつもりだろうか。

 

 5、4、3、……。

 

 息と一緒に雑念を吐き捨てようとする。

 これに勝てば決勝戦。ユウキと戦わなければならない。

 わたしが勝たずともユウキの余命に変わりはないのだ。なら望みを叶えるのが筋ではないのか。

 理屈ではそうだ。だけどわたしは……。

 

「――っ!?」

 

 アスナの詠唱。反応が遅れた。回避行動。

 カウントは――ああ、クソッ。フェイントだ!

 

「――――!」

 

 今度は本命。彼女が唱えたのは遅延発動が可能な回復魔法だ。

 HPの総量で有利を取られたも同然。ただしこの状態では他の魔法も使えない。

 まずは回復魔法を消費させるべくわたしは斬り込む。アスナはカウンターを狙って横に一閃。飛び退き回避。再び斬りかかると今度はレイピアの細い刀身で受けられ、競り合いにもつれ込む。

 削れるアスナのHP。

 わたしは体重移動を利用し彼女を突き飛ばすと、最初の動きを再現するように突進。

 その勢いを利用されてアスナは大きく間合いを離すと詠唱を――失敗させた。

 回復魔法が発動していないことを忘れた凡ミスか。あるいはフェイントだったのか。

 すぐにアスナはHPを回復させて詠唱を再開するも遅い。

 わたしの剣がアスナを捉えるよりも前に、彼女の放ったソードスキルが弾き返してエフェクトを輝かせる。

 連撃を恐れてバックステップ。しかし予想に反して追撃は来ない。

 アスナのソードスキルは単発基本技の『リニアー』であり、読み違えたのだ。

 その隙に絶好のチャンスだった硬直時間は終了。

 アスナは水平にレイピアを構えると突進系の上位ソードスキル『フラッシング・ペネトレイター』を放つ。

 大盾に重い手応えを感じる。

 徐々に減少するHP。

 わたしは突進の進行方向を逸らしてさらなるダメージから逃れた。

 だがそれは反撃の機会を失うのと同義。

 フィールドの端から端へと駆け抜けたアスナに追いつくころには、彼女の体勢も立て直されているだろう。

 なので回復魔法で詠唱して失ったHPを補充することにした。

 タンクとして防御力を高めるために、わたしは自己回復と防御を念頭に置いた、聖属性と土属性の2種類の魔法が使用できる。

 MPこそ消耗したがHPは互いに最大値。

 戦況は振り出しに、とはいかなかった。

 

「――――!」

 

 開いた距離。その間を無数の魔法攻撃が殺到する。

 彼女の得意とするレンジに持ち込まれていたのだ。

 対抗魔法として土の障壁を生み出すがMP効率では俄然不利。呼吸の合間に上級のMPポーションを飲み干す。これで幾分か持ちこたえられるだろうが時間稼ぎにしかなっていない。

 アスナの種族であるウンディーネが得意とする水属性魔法に、わたしの土属性魔法は有利。

 ただしそれを補うため彼女は風属性の魔法も習得している。これに対して聖属性の防御魔法を選択すると純粋に水属性魔法の火力で押し切られるという寸法だ。

 打開するべく大技の防御魔法で詠唱の時間を捻出。HP回復の魔法とポーションを先んじて使い、盾の防御力に任せて弾幕の雨を突き進む。

 アスナは足を取ろうと魔法で沼のフィールドを生成。しかし飛行してしまえば無駄だ。

 

 重量と速度が存分に乗った一撃。

 アスナは防御の魔法を唱えた。

 水の障壁が刃の侵入を阻み、HPダメージがMPで肩代わりされる。

 本来なら大きく減るはずだが、これもMP消費をして処理されるためワンドの効果適応内。よって趨勢を決めるほどの結果にはならない。

 わたしの稼いだ速度が吸収され切ったのを見るや、魔法を解除してレイピアが閃く。

 盾で受け、剣を返す基本の型。

 アスナはステップでの回避ではなく依然としてガードを多用している。

 打ち合えばスペックが下のアスナがダメージを受けていくにも関わらず、だ。

 

「アスナ……」

 

 彼女は真剣な表情を()()()()()いた。

 そうでもしないと今にも剣を取りこぼしそうな脆さを彷彿とさせる。

 

「エリこそ……」

 

 言おうとしたことを先んじられて口を閉ざす。

 なにが本気で戦おうね、だ。――嘘吐きめ。

 

 絡み合った刃を引き剥がし剣の間合いから一歩だけ外れる。

 そこでわたしたちは足を止めた。

 今日のアスナは弱かった。まるで気迫というものを感じない。

 それは……わたしも同じだろう……。

 どちらも積極的に負けようとしているわけではない。ただ勝とうとしていないだけ。

 曲がりなりにも試合の形になっているのは、積み重ねた技量がそれっぽく見せていたからだ。

 

「いつも私相手には本気で戦ってくれないんだね」

「いつだって本気っすよ」

 

 アスナはキリトやクラインよりも弱い。

 それでもわたしが勝てないのは苦手意識によるものだった。

 自覚はある。だからといってどうにかできるものでもないのだ。

 今回の試合は、そこにユウキと戦うことへの葛藤が加算され、見るも無残な動きになっていることだろう……。

 どちらもこれでは攻略組の名折れである。

 わたしは最終的には攻略組ではなかったけれど。

 

「譲る気はないんすか?」

「…………ないよ」

「はあ……」

 

 どうして知っているのだろう。ユウキが話したのだろうか?

 気分は最悪だった。

 わたしは八つ当たり気味に剣を振り降ろし、アスナはそれを粛々と受け止めていく。

 見るものが見れば準決勝第二試合は酷いものだったとわかるだろう。

 これでは八百長と言われてもしょうがない。

 事実その通りなのだから。

 時間いっぱいそんな試合を惰性で続けて、わたしは決勝戦へと連行された。

 




49話とは逆の結果に。
それと原作と違い準決勝から生中継です。


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68話 夕暮れの少女(8)

「ついに決勝戦! なんと勝ち上がってきた両者は同ギルドのメンバー。大ギルドであればまだしも、スリーピング・ナイツは少数精鋭。たった8人で構成されているというのだから驚きだ!」

 

 実況者のコメントに会場の熱気が煽られていく。

 (つんざ)くような声援。客席では横断幕が掲げられ、友人たちが笑顔で手を振っていた。

 ――中には心配そうな視線を向けてくる者もいるが……。

 

 対してわたしの心は火傷しそうなほどに冷え切っていた。

 落ち着いているわけではない。むしろその逆。

 緊張に震え出してしまいそうで、それを隠すので手一杯な状態だ。

 一度剣を取れば、相手がどうであれ一様に戦える性質だと思っていたが、どうやらそれは勘違いだったらしい。

 SAOの最後、75層に同行するのを拒んだくらいなのだから当然といえば当然か。

 

「まずはギルドマスター。準決勝では聖剣さえ打ち破り、数々の技を見せてくれた天才剣士。ユウキ選手の入場だ!」

 

 色取り取りの花火が打ち上がる中、バトルステージへと上がるユウキ。

 その足取りは凛としていて隙が無い。

 

「………………」

「ユ、ユウキ選手。なにか一言ありませんか?」

「……言いたいことは沢山あるけど、それは剣で伝えることにする。だってここにいるのはエリと同じ、剣士のボクだから」

「流石はここまで勝ち抜いてきた剣士。言うことが違う!」

 

 ユウキの装備は準決勝から変化はない。

 いつも通りの武器。いつも通りの防具だ。

 ただしここ数カ月で彼女の装備は何度か更新されている。フロアボスから得られたリソースをふんだんに使用したそれらはリズベット謹製のエンシェントウェポンだ。

 軽量で魔法耐性が高めな防具は、白兵戦で何者にも後れを取らないという自身に裏打ちされている。事実彼女はその間合いでキリトを打ち破ってみせた。

 

「続いてギルドメンバー。誰も止めることのできない力の化身。しかし彼女の実力はパワーだけではない。準決勝で見せた華麗な魔法捌きにも期待が高まる。エリ選手の入場だ!」

 

 歓声が煩わしい。演出が煩わしい。期待が煩わしい。

 全部を放り捨てて、この場から逃げてしまえればなんと楽だったろうか。

 けれど今のわたしはデスゲームという檻からは解放されたが、肉体という檻に収容された囚人。

 なにかあればアスナたちは病院に駆けつけてわたしを問い詰めることができるし、わたしは都合の悪い人間を永久的に退場させることはもうできない。

 皮肉な話だが、あのSAOの日々に今だけは戻りたいとさえ思えてくる。

 

「………………」

「エリ選手。凄まじい殺気だ!」

 

 そんなわけがあるか。こんなものは殺気でもなんでもない。

 実況席の彼は本気の殺気を浴びたら泡を吹いて倒れるんじゃないだろうか?

 ……いや。大抵の人間はそんなものだったか。

 

「……エリ?」

 

 心配そうに声をかけるユウキ。

 深呼吸を一度。それからわたしは私を演じて剣を抜く。

 

「約束通り、ここまで来てやったっすよ」

「うん。――さあやろう! 君の本気を最後に見せて! ボクの剣を魂に刻み込んで!」

 

 ユウキは喜び勇んで漆黒の剣を構えた。

 なんて無邪気で、穢れのない剣だろうか。

 死期の迫った病人とは思えないほど、活力に満ち溢れた姿だったが、まるで星の終わりに輝くという超新星の瞬きのように見えてしまう。

 そのあまりの眩しさに、わたしの目は潰れてしまいそうだった……。

 

「熱い友情を交わすも勝者はただ1人。勝利の女神ははたしてどちらに微笑むのか!? お待たせしました! それでは開始の合図を始めましょう。では皆さんご一緒に! 10!」

「「9! 8! 7! 6! 5!」」

 

 会場が一体となってカウントダウンを叫ぶ。

 彼我の距離、10メートル。

 わたしの間合いに応じるつもりなのか、彼女は距離を詰めてこない。

 作戦は考えてきた。だからあとは実行に移すだけ。

 これが成功すれば彼女は――違うっ!

 ユウキが死んでしまうのはわたしのせいじゃない。わたしのせいじゃない。わたしのせいじゃない。わたしのせいじゃない…………。

 言い聞かせるほどに、それが嘘であるかのような錯覚に蝕まれていく。

 

「「4! 3! 2! 1!」」

 

 ああ、でも……。

 最後の相手に、マザーズ・ロザリオを託す相手にわたしを選んでしまったのは、わたしが着けてきた偽りの仮面のせいだ。

 だからこれはやっぱりわたしのせい――。

 

「「――0!!」」

 

 戦いの火蓋が切って落とされた。

 ユウキが姿勢を低くくして前身を開始する。

 逃げるようにわたしは後ろへ下がりつつ一息で魔法を詠唱。

 土魔法のオブジェクト生成によって巨大な壁が迫り上がり、彼女の進行を妨げようとする。

 

「エリィイイイイイイイイイ!」

 

 だが彼女の疾走は想像よりもずっと速かった。

 放たれた矢の如く駆け抜けた一歩が、石壁の縁を捉え、上空へと打ち上げられながらもユウキは壁を飛び越える。

 

「このっ!」

 

 落下の勢いを乗せて振り下ろされた剣閃。

 受け止めた盾が激しくエフェクトの火花を散らせ、身体ごと押されていく。

 彼女の左手に絡め取られないよう、引き腕から水平突きでカウンター。

 ユウキは大きく跳び退くと稼いだ距離を滑走路に、さらなる速度で襲いかかる。

 まるで彼女の全身が剣を振るための機構であるかのような一体感。

 防いだ盾は砕かれるのではないかという音で震えている。

 反撃がままならない。桁違いのパワーで動作を封じ込められているのだ。

 限界速度が定められたせいで彼女の出力は落ちているはずだが、身体の駆動を最適化することでこれほどの動きを可能にしているのだろう。

 

「――――!」

 

 手も足も出ないなら、口だ。

 魔法を詠唱。2つに割ったフィールドをさらに区切るように石壁を横向きに生成。

 ただでさえ狭い空間を今度は縦方向に狭める。

 ユウキの速度は驚異的だが逃げ場を無くし範囲攻撃で叩けば防御力の差で勝利を狙えるはずだ。

 

 範囲攻撃系ソードスキル『スネークバイト』が――発動する前に止められた。

 

 わたしのHPが1割ほど減っている。

 彼女の切っ先が腕を斬りつけ、手元を狂わせたのだ。

 反応速度ではない。読まれていた。

 予備動作の時点で崩された構えはソードスキルを不発にさせる。

 この距離でソードスキルを使うなんて愚策だったか。

 追い詰めたつもりが、追い詰められたのはわたしの方だったわけだ……。なんて滑稽で稚拙な作戦だろうか。

 研ぎ澄まされた彼女の剣に比べ、わたしの剣は酷く錆びついている。

 追撃を止めるべく刃を組むが所詮は一時凌ぎ。

 1つの作戦が失敗しただけなのに、次の一手が思い浮かばない。

 

「エリの実力はこんなもんじゃないだろ!」

 

 敵であるはずのユウキが叱咤を飛ばす。

 

「買いかぶりっすよ……」

「そんなはずない!」

 

 盾を振り回してユウキを離れさせる。

 これでソードスキルは放てるだろうが誘われているようにしか思えない。

 MPがあるうち手を変えよう。唱えるのは聖属性の範囲攻撃魔法。

 この距離ならば潰せたであろう詠唱をあえて彼女は見逃した。

 光の濁流が溢れ、それは7条の流星となって荒れ狂う。狙うはユウキそのものではない。作り出してしまった檻を手頭から壊すのだ。

 石壁はたちどころに崩落して粉塵を漂わせた。

 

 視界は不良。

 目ではなく耳を澄まして気配を探る。

 気流の乱れを感知。

 ――左か!

 

「やっぱりエリは凄いや!」

「無傷な癖によく言うっすよっ」

 

 崩落する天井にユウキは闇魔法を放っていた。それでダメージを免れたのだろう。

 だがそれを抜きにしても、この試合でわたしは彼女に一太刀も浴びせられていない。

 逆にわたしのHPはガードの上から消耗しており残り7割。1回のヒットで覆る差であれど、その1回が遠く果てしなく感じた。

 

「さあ、ボクの全部を受け止めて!」

「――っ!?」

 

 ユウキの左手には盾。

 以前手慰みに教えたことがあったのを思い出す。

 そのときスキルも習得していたのだったか。熟練度は隠れて上げてないのだとすれば大したことはないだろうが……。

 どちらにしろ装備の差でガードの上から叩き合えばわたしの有利。残りHPの差は戦闘時回復のスキルで補えるかもしれない。

 防御されようとお構いなしに振り降ろした剣が空を斬る。彼女は盾の後ろで半歩退き、当たる寸前で腕を引いたのだ。

 遠近感を狂わせる見事な盾捌きに歯噛みをする。

 ユウキの下段斬りをわたしは対照的にシールドバッシュで攻勢防御。

 なんとかして隙を作りたいが、リーチの差で僅かに剣が届かない。

 彼女が格闘スキルを併用してくる想定で武器を選んだのが仇となっていた。アイテムストレージには長物もあるが、取り出す暇などデュエルの最中にあるはずがない。

 あったとすれば崩落の合間であり、それを有効活用したのはユウキの方だった。

 

 わたしたちは息も吐けぬ差し合いに興じる。

 傍目には拮抗しているように映るかもしれないが不利なのはわたしだ。

 当たらない。

 掠りもしない。

 ガードさえ引き出せない。

 それだけでなく、最初は攻め返していたはずなのに、いつの間にか圧に負けて無意識に引き足になっていた。こうなれば反撃などできるはずもなく一方的に攻撃を浴びせ続けられるだけだ。

 後退ではない逃げの一手。

 ……隠しきれなくなったわたしの心は、剣へ如実に現れていた。

 

「………………」

 

 それが伝わってしまったのだろう。

 ユウキは唖然とした表情を浮かべて立ち止まってしまった。

 

「……どうして?」

 

 慌てて仮面を取り繕うも、もう遅い。

 彼女は確信していた。

 わたしが勝とうと本気で考えてはいないことを。

 

「約束したじゃんか……」

 

 くしゃりと、今にも泣き出しそうに彼女の表情が歪む。

 ……こんな顔をさせるつもりじゃなかった。

 

「応えてよ!」

「わたしはっ……」

 

 失望が怒りに変わる。

 ユウキの意思が剣へと宿り、苛烈な太刀筋を生み出していく。

 大振りな一撃をステップで避けていくも、動きと動きの繋ぎが凄まじく手が出せない。

 そうでなくともきっとわたしは……。

 そんな心の隙を許すつもりはないらしく、彼女が休むことなく追い立ててくる。

 フィールドの端まではあっという間だ。

 地面を離れ次は上空へ逃げる。

 

「逃げるなああああああああああ!!」

 

 ユウキがフリスビーのように盾を投げる。

 反射的に剣で振り払ったのは悪手。

 目の前に彼女がいた。

 

「がっ!」

 

 ユウキはわたしの首を守る鎧を掴むと振りかぶって頭突きを喰らわせてきた。

 視界が一瞬真っ白になり、三半規管が異常を訴え上下の感覚が麻痺する。

 格闘スキルにこんなのもあったっけか……。

 空中でふらついていると景色がグルグルと掻き回される。遠心力に気がついたのは、その力を使って放り投げられた後だった。

 わたしはフィールドの端の半透明な壁に叩きつけられ、跳ね返って石床に転がる。

 

 こんな有様になりながらも、所詮はゲームだ。

 ペインアブソーバによる不快感と、身体を揺られたことで眩暈はするが、痛みはない。

 ――ないずなのに、彼女の想いが痛々しいほどに伝わり、心臓を締め付けてくる。

 

「はぁ。はぁ。はぁ……」

 

 緩慢な動作で身体を起こして視界の端を見る。

 HPは――残念ながらまだ3割ほど残っていた。

 

「こんなんじゃボク、安心して逝けないよ」

 

 わたしが立ち上がるのを待っていたユウキが、拒絶の言葉を投げかける。

 

「ならずっと一緒にいてくださいっす……」

 

 そうすれば全部解決するのに。

 なんでいつもいつも、大事な人がこの手から零れて消えようとするのか。

 SAOは終わったんじゃないのか。

 どうしてこんな辛い現実がなくならないのか。

 

「我儘言わないでよ。そうしたいのはやまやまなんだけどね」

「我儘なのはユウキの方っすよ」

 

 自分の自己中心的な物言いに反吐が出る。

 ユウキにこんな顔をさせたくない。

 けどマザーズ・ロザリオを受け継ぐのも嫌。

 そんな二律背反の想いを抱えて、どっちつかずに剣を振るわたしの方が、よっぽど我儘だってことくらいわかっている。

 

 でも耐えられないのだ。

 また誰かを失うなんてこと、想像しただけで心が割けそうになる。

 わたしはあと何度失えばいい。

 次は誰だっ!? キリトか。リズベットか。アスナか。ユイか……。

 もう沢山だ!

 

「エリ」

 

 ユウキは様々な感情を――。

 

「信じてる」

 

 ――その一言に集約した。

 

 彼女は右手を引いた刺突の構えを取った。

 ソードスキルの前兆を表す紫色のエフェクトが、陽炎のように揺れながら輝く。

 

 『マザーズ・ロザリオ』。

 

 それで決着を着けようということなのだろう。

 あの技が並外れた速度を持っていたのは過去の出来事。

 そうでなくとも正面から放ってくるだけなら如何様にも対処できた。

 要はまともに打ち合わなければいい。それからソードスキル後の硬直時間を狙って大技を叩き込めば、彼女の防御力なら逆転さえ起こり得る。

 それくらいユウキもわかっているはずだ。

 つまり試されている。

 伸るか、反るか。

 委ねられたわたしは剣を中段に構えた。

 

「………………」

 

 対策に組んだオリジナルソードスキルはある。

 理論上はそれでマザーズ・ロザリオを正面から破れるはずだ……。

 ユウキの望みはおそらくそれで、わたしの望みはその反対。

 

 

 

 にじり寄るユウキ。

 

 

 

 空中に静止した点にしか見えない剣先が迫る。

 

 

 

 その刃をわたしは――払った。

 

 

 

 エフェクトが混ざり合い、混沌のグラデーションを描く。

 

 

 

 続く2撃目。

 

 

 

 ――払う。

 

 

 

 3撃目。

 

 

 

 ――払う。

 

 

 

 4、5、6……。

 

 

 

 払う、払う、払う……。

 

 

 

 重量差を物ともせず、止まることを知らないマザーズ・ロザリオ。

 

 

 

 煌めきは刹那。

 

 

 

 ユウキの想いを乗せた剣は――。

 

 

 

 

 

 

 わたしを貫いた。

 

 

 

 

 

 

 残り3割だったHPが急速に左端に向かい、空になる。

 

 

 

 試合終了のゴングが響く。

 会場全体が新チャンピオンの誕生を祝福し、喧騒に包まれた。

 実況者の声が遠くに聞こえる。ファンファーレに花火まで合わさって、あまりの熱狂に聴覚がおかしくなりそうだ……。

 わたしは腹を貫通している剣から視線を上げる。

 ユウキは今にも泣き出しそうな瞳でわたしを睨んでいた。

 別れとしては最悪の形。

 わたしの望まぬがままに成した結果がこれだ。

 どうすればよかったのか。

 そんな問いはもう遅い。彼女の命を懸けた戦いは、終わってしまったのだから。

 

「うそつき……」

 

 彼女の零した似つかわしくないその言葉は、喧騒の中にあっても聞き逃すことができなかった。



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69話 夕暮れの少女(9)

 優勝者が決まった後はインタビューもそこそこに、わたしたちは街へと繰り出して祝勝会と洒落こんだ。

 集まったのは25層攻略時に見た顔がほとんど。あとは物見遊山なプレイヤーが幾人か。

 前回はアインクラッドの店で開いたということで今回のパーティーはアルヴヘイムの地上側。様々な種族がいることも加味して最大の中立都市、『アルン』で行われた。

 ALOでの食事は満腹中枢を刺激するため食べ過ぎると現実側での夕飯が入らなくなってしまう。なので量より質がチョイスされた。

 もっとも、わたしは気分のせいで味なんてわからなかったが、雰囲気を壊さないためドリンクで無理に喉へと流し込む暴挙を実行している。

 

 なんだかんだと勝ち上がり、わたしの方はALO第2位の称号。

 準決勝、決勝、共々酷い試合をした自覚があるのだが、案外見ているだけでは伝わらないようで、結果的に多くの人達から持て囃されてしまった。

 ……あるいは、理解している者は触ないでくれているだけなのかもしれない。

 

 虚飾を褒め称えられるのはかなりの苦痛だ。

 本当に綺麗な物の価値さえ貶めてしまうかのようだから。

 こんなことなら上手く立ち回って予選リーグで負けておけばよかった。

 そうすればアスナやユウキと戦うことにもならず、関係はもっと良好なままこの日を迎えることができただろうに……。

 

「なにやってるんすかねえ……」

 

 決勝戦の最後、わたしはソードスキルを発動させ、失敗した。

 ソードスキルを途中で止めたのか、それとも彼女の速度に追随できなかったのかは自分でもわかっていないが、どちらにしても同じことだ。

 すべてはわたしの中に渦巻く感情がそうさせなかったということに帰結する。

 

「お姉ちゃん」

 

 服の裾を、ユイがぎゅっと握りしめた。

 手慰みに彼女の頭を撫でまわすと、仔猫のように目を細めて、されるがままでいてくれる。

 こんなわたしから離れていこうとしない彼女の温もりが、今はありがたかった。

 

 外が明るいため忘れがちになるが、ALOは現実時間と同期していないため実際には夜遅い。

 明日は仕事で早いクラインたち大人組が最初にログアウトしていき、それから徐々に人数が減って解散の流れが作られるのは見慣れた光景だ。

 

「エリ……」

「――っ!」

 

 話しかけてきたのはユウキだった。

 あんなことがあった後では目も合わせられず、わたしの視線が虚空を彷徨う。

 

「ついて来て」

 

 ユウキはわたしの手を掴んで言った。

 

「……今からっすか?」

「うん」

「もう遅いっすから明日じゃ――」

「………………」

 

 赤紫色をした彼女の双眸は真剣そのもので、わたしがなにを言ってもこの手を離すつもりがないのは明白だった。

 彼女が死ぬまで逃げ続ければ……。

 そんな薄汚れた考えが頭を過る。

 でもそれだって後悔を残すだろう。どの道辛いだけなら、思う存分ズタズタに引き裂いてくれたほうがマシかもしれない。

 それにこの場には帰還者学校に通う彼らがまだいる。

 来月にはあの学校に戻るのだから、話を大事にしたくない気持ちもあった。

 

「わかったっすよ」

 

 あっさり折れてしまうわたし。

 けれども折れない少女が張り付いたままだ。

 

「お願い。2人にきりにさせて」

「うう……。でも……」

 

 一歩も退かず、しばし2人は視線を交わす。

 

「ちゃんと戻ってくるっすから」

「本当ですか?」

「本当っすよ。それにALOは安全なんすよね」

「そう、ですけど……」

 

 ユイについて来てほしくなかったのはわたしも同じだった。

 今更ではあるのだけど、ユイには格好悪いところを見られたくなかったのだ。

 使っているアミュスフィアやALOの安全面はユイも一度調べて保証されている。だからオーディナルスケールのときのようなことは起きないはずだ。

 それでどうにかユイを言いくるめると、わたしたちはこっそりパーティー会場を後にした。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 ユウキに連れられてきたのは、先日約束を交わした22層の浮島だった。

 空は日の沈みかけた黄昏時。

 茜色の光が階層の隙間から湖畔を照らしているが、それももうすぐ終わる時間だ……。

 冷たくなった秋風がそよぎ、ユウキの黒髪が儚く舞う。

 彼女の表情は暗雲に満ちているのに、必死に自分の足で立ち向かっていた。

 わたしには到底得ることのできない強さが、そこにはあった。

 

「……もう一度やろう」

 

 諦めを知らないように、剣を抜くユウキ。

 けれどもわたしは首を横に振って戦いを拒む。

 

「何度やっても、結果は同じっすよ」

「どうしてっ!」

 

 必死な叫びを跳ね除けるために、わたしは淡々とした佇まいを崩さない。

 

「前に聞いたっすよね。なんでわたしなんすか?」

「それは……」

「答えてくれるなら、わたしだって答えてあげるっすよ」

 

 言い淀んだことから、そこを突けば引き下がるのではないかと、甘い期待をした。

 あるいは、そこを崩せば彼女も諦めがつくだろう、と。

 だけどユウキは止まらなかった。

 これで最後だという決意が、彼女の足を休ませないのかもしれない。

 

「エリのことが、その、えっと、――大好きだからだよっ!」

「わたしのことが?」

 

 意外な答えに呆気にとられる。

 思い返してみると、ユウキは最初会ったときギルドの他には友達がいなかった。

 周りに壁を作るような性格ではなかったが、境遇が故に一歩引いた視点を持ってしまったせいかもしれない。

 ……だからこんなことになってしまったのか。

 都合よく解釈するならば、わたしは彼女を外と繋ぐ架け橋のような役割を果たしたことになるのだろう。そんなことをユウキ自身も口にしていた。

 けど、それは……実に皮肉が利いた話だった。

 

「ぷっ。あははははははは……!」

「わ、笑わないでよ! ボクは真面目なんだから」

「ああ、ごめんっす。でも……。はぁ……。よりにもよって……。ユウキって、悪い男にコロッと騙されそうっすね」

「もうっ! そんなことないよ!」

「………………」

 

 現在進行形で騙されている。それも超が付くほどの極悪人に。わたしは男ではないけれども。

 

「今度はエリの番! ほら。教えてよ!」

 

 厄介なことになってしまった。

 それともこれは簡単なことか?

 彼女の理想を崩してしまえばいいだけなのだから、嘘を吐いて騙す必要はない。

 

「……わたしね。人を殺したことがあるんすよ」

「SAOの、ことだよね?」

「そうっすよ。自分のために人を殺した。だからマザーズ・ロザリオを受け取る資格がないんす」

「だって、それはっ! ……生きるためにしょうがなかったんでしょ?」

「食い下がるっすねえ……。ここで諦めてくれれば、お互い傷つかずに済むんすけど」

「ボクは……」

 

 ユウキもこれにはたじろいだ。

 なにせ言葉の刃はユウキではなく、わたしの喉元に向けている。

 これ以上近づけば斬る。そんな自刃の意思は彼女にとても効果的だろう。

 

 狙い通り、柄を握る手は白み、震え出した。

 付加された圧力の数値に、剣が悲鳴のような軋みを上げる。

 ゆっくりと切先は持ち上げられ、そして――ユウキはわたしに剣を向けた。

 泣き出しそうな顔で。それでも挑むことを止めなかったのである。

 

「たとえ嫌われちゃっても、エリの心を知りたい……。本当の君を……!」

「…………知ってどうするんすか?」

「わかんない。でもエリがどうしてそんなに苦しんでるのか、知らないままでなんていたくない」

「剥き出しの本性なんて醜いだけっすよ」

「それでもいいんだ! 綺麗なだけの人なんていない。――ぶつからなきゃ、伝わらないことだってあるよ!」

「………………」

「ボクはそれだけ真剣なんだ」

 

 ずっと隠してきた仮面の下を暴き立てようとするユウキに、怒りが込み上げてくる。

 まるで眠っていた溶岩が活性化して、血液と混ざり沸騰するような、煮え滾る感情だ。

 凍り付いた炉には炎。血管から溢れるそれが私の鋳型に注がれる。

 生み出されたのはアインクラッドの地下深くに潜んでいたかつての怪物。

 アイテムストレージを操作。鞘走りの響き。腰に下げた長剣の、血で錆びついた牙を研ぐ音色。

 ガリガリと。あるいは唸るように。哂うように……。

 

 姿勢を整えるために動かした私の一歩。

 それに反応したユウキがついに半歩、後ろへ下がった。

 

「どうしたんすか?」

 

 弾むような声色で問いかける。

 

「私と戦いたいって言いだしたのはユウキじゃないっすか」

 

 口角が吊り上がっていくのを自覚していた。

 積み上げたものを破壊する退廃的享楽と開放感。

 ああ、もう……。堪らない。

 

「うん……。やろう。――っ!?」

 

 地を這う剣先にユウキが出遅れる。

 甲高いSE。

 寸前で受けるも軸がぶれて隙だらけだ。

 焦らず丁寧に攻めて私は反撃の暇を与えない。

 彼女は重心を後ろに傾け回避を繰り返すも、浮島は決して広くはなかった。

 靴底が島の縁を捉えるタイミングで一振り。

 力を持って剣を叩き伏せる。

 

「アハァ……」

 

 計算通り摩擦力が足りず左足が水中に沈み、ユウキの肩には刃が喰いついた。

 さらには競り合いを生じさせ地の利を活かす。

 彼女は軽量級種族のインプ。私は重量級種族のノームだ。その数値に保障された筋力差は歴然で、小さなユウキの身体は拘束から逃れられない。

 

「デュエルチャンピオンは上品じゃない戦いがお嫌いっすかあ?」

「そうでも、ないよっ!」

 

 ユウキは身体を回転させて切口を最小限に、水辺に跳び込み窮地を脱する。

 飛行に移ろうとした彼女へ魔法で追撃。速度重視な光線系の魔法は、難なく闇魔法で迎撃されるが想定の範囲内。私も飛翔して彼女を追いかける。

 筋力では上回るが、スピードでは彼女が有利。

 正面からの勝負では分が悪く、ならばとアイテムストレージを弄り小細工を施す。

 

 前方を飛んでいたユウキが羽を広げて急停止。

 私の速度を利用して白兵戦を仕掛けてくる。

 軌道は刺突。重力から解き放たれた彼女は微細な姿勢制御で盾を潜り抜け、私の身体を深く突き刺した。HPが一度に4割ほど減少する大ダメージ。そのはずが、失われたHPがすぐさま9割の値まで回復する。

 左手にあった盾を捨て、隠し持った回復用のクリスタルを使用したのだ。

 そして右手の長剣は不格好ながらもユウキのHPを3割喪失させていた。

 

 ユウキは擦れ違いつつ加速。

 高度を速度に変換しながら必中の闇魔法を立て続けに唱えてきた。

 キリトのような超絶技巧などなくとも、必中の魔法への対処法なんて攻略サイトを見ればとっくに確立されている。

 詠唱するのは回復魔法。即ちダメージの相殺。

 回復魔法はMP効率が悪いが、必中魔法も同様に非効率的なのだ。

 開いたままのアイテムストレージから予備の盾をオブジェクト化すれば、もう心配はない。

 それは承知の筈。彼女の真の狙いは――クリスタルでのHP回復か。

 私は追尾系の魔法で牽制。しかし被弾したからといってユウキのアイテム使用を止めるには至らない。もっと近ければクリスタルを撃ち落とすことも選択肢に入っただろうが、この距離でユウキの手元をピンポイントに狙うのは流石に無理だ。見てからでも回避が間に合ってしまう。

 

 千日手、とまではいかずともアイテムを使い尽すまでは終わらない状況。

 拮抗を崩しに来たのはユウキの方から。

 必中魔法に織り交ぜた速度低下の重力系魔法。私はデバフのアイコンが表示されるや否や状態異常回復の魔法で打ち消すが、彼女が迫り白兵戦が始まった。

 踏ん張りの利かない空中戦では瞬発力が発揮できない。

 よって一度足を止めると小手先で剣を振る地味な戦いになってしまう。地味というのは見栄えだけでなく、ダメージという意味でもだ。

 

「私のミスでパーティーが全滅した! 注意深ければ、3人は死なずに済んだんすよ!」

「誰にだって失敗はあるよ! それはエリのせいじゃない!」

 

 予想通りの返しでは私に届かない。

 羽を小刻みに動かし、間合いギリギリで剣が触れ合うもすぐに離れる。

 浅い斬撃。微かな火花。

 こんなものではユウキを倒せず、私も倒れない。

 

「だってエリは望んでなかったんでしょ!?」

「望んで、なかった……?」

 

 ユウキはフェイントに騙され虚空を斬る。

 

「アハッ……! アハハハハハハハハ!!」

「エ、エリ?」

「それはいくらなんでも面白過ぎる勘違いっすよ! もしかして私を笑い殺す作戦っすか」

 

 ここ1年で一番笑えた。たぶんキバオウを殺した時より笑っているんじゃないだろうか。

 だって、そんな、()()()()()()()()だなんて。

 彼らのことについては確かにそうだったが、他はまったく別だ。

 その評価は私に対してあまりにも的外れだった。

 

「25層でなにがあったか知ってるっすか?」

 

 真実という獣が、奈落に通じる口でユウキを貪ろうとしていた。

 

「……エリのいたギルドの人たちがたくさん死んじゃったんだよね? でもそれだって――」

「偶然じゃないんすよ。ましてや準備不足でもないっす。あれは……最初から仕組んでいたことだったんす」

「どういう、こと……!?」

「彼らを殺したのは私っす」

「…………えっ?」

 

 一歩踏み込むように前へ。

 読み違えたユウキは袈裟切りにされて湖畔に墜落した。

 回復はさせない。追尾系の魔法を水中へ放出。飛沫を上げて人影が飛び出す。彼女はすぐさま回避運動に移るも1つ命中してHPは残り6割。

 距離を戻し今度は水面すれすれで剣を交える。

 

「ギルドマスターのシンカーを失墜させるための作戦だったんすよ。私はサブマスター派で事前にすべてを知らされていた。それどころか、上手く誘導して壊滅に導く役だった!」

 

 一合ごとに押されていくユウキ。

 シンカーとは彼女も交友があったはずだ。なにせ彼は先日行われたALOの25層攻略に参加していたのだから。

 

「なんでだよ! なんでそんなことっ!」

「理由ぅ? あー……。やっぱり地位っすかねぇ」

 

 シールドバッシュがユウキの顔面を捉える。

 視界を塞ぎ左右の装備を持ち替え。

 彼女が振るう剣は左手の剣でいなしつつ、私は盾を使って殴打を続けた。

 金槌で叩くかのような鈍い音がする。

 武器ではないため1撃毎のダメージは少ないが、パターンから抜け出すのに時間をかけ過ぎだ。

 ……ユウキのHPはあと4割しかない。

 

「嘘だ、なんて言わないでくださいっすよ。全部本心なんすから」

「………………」

「これで嫌いになってくれたっすよね」

「………………」

 

 彼女から剣線を外す。

 ユウキの(こころ)を折った確信があった。

 だからもう戦う必要もないだろう、と。

 

「………………」

「なんすか、その剣は?」

 

 ユウキは剣を下げなかった。

 涙を流す瞳が、私を見つめて離さない。

 

「いかげんにしろっす!」

 

 頑なになっているだけだと思った。

 あと一度剣を振りさえすれば、倒れるはずだと。

 私は剣を振る。

 下段から逆袈裟に、寸分の狂いもない正確で無慈悲な一閃を。

 

「なっ!?」

 

 腕が、止まる。違う。止められたのだ。

 剣が刃を合わせて動けずにいる。

 ユウキは先んじて動いていた。

 筋力差で彼女の剣を後退させていくが押している気配ではない。

 これは……。

 

「ボクは……。ボクは……」

 

 シールドバッシュ。

 しかし彼女の左手が完璧なタイミングで縁を捉え、動きを封じる。

 

「――それでも、エリがっ、好きだああああああああああああああ!!」

 

 それは耳を塞ぎたくなるような渾身の叫びだった。

 けれど私の両手は塞がれ、ままならない。

 拘束から逃れんとするも、盾が強引にこじ開けられて剣が迫った。

 狙い心臓。上体を逸らしながら後退。刃は鎧の上を滑り、火花が弾ける。

 私の剣には油断があった。

 その差か、ユウキの剣は――心臓に届いた。

 

 だが所詮は架空の肉体。

 クリティカルポイントでも即死には至らない。

 減ったHPはせいぜい3割。算出された速度や重量が圧倒的に足りていなかった。

 自身の行った後退の慣性に剣の衝撃が加わって吹き飛び、距離ができる。

 間髪入れず追いかけてくるユウキ。私は彼女から逃げるように飛ぶと、並走しながら剣を交える形に落ち着く。

 

「馬鹿なんすか!?」

「馬鹿でもいい!」

「私は……人殺しなんすよ!」

「わかんないもん!」

「わかんないって……」

「ボクはSAOにいなかったから、どうしてエリがそんなことをしたのか理解できない。悪いことだってのはわかる。でもエリが苦しんでることだってわかるんだよ!」

「私が苦しんでるって? ハハッ。むしろ楽しんで殺したっすよ。25層のギルドのメンバーだけじゃない。犯罪者なら消えてもバレ難いっすからね」

 

 もちろんそれだけじゃない。

 

「この手で殺した」

「それでも好きだ!」

 

「争わせて殺した」

「それでも好きだ!」

 

「命じて殺した」

「それでも好きだ!」

 

「片手間に殺した」

「それでも好きだ!」

 

「遊んで殺した」

「それでも好きだ!」

 

「利用して殺した」

「それでも好きだ!」

 

 離れては交じり合い、交じり合っては離れていく。

 交差するたびエフェクトが星のように22層の空で一瞬の輝きを見せる。

 

「殺した数なんて覚えきれないほど、殺してきたんすよ、私はああああああああああ!」

「それでも好きなんだあああああああああああああああ!!」

 

 等速なら私が有利なはずなのに……。

 彼女の剣が徐々に私に追いついてくる。

 障害物で判断力を鈍らせればどうか。

 私は森に誘導して、木々の間を潜り受けた。

 アスナと歩いた並木道を過ぎ、ユイと出会った木陰を横切り、サチと一緒に戦ったダンジョンの前を越えていく。

 その間もユウキの飛翔はまったく衰えない。

 

「好きって言葉を言い訳するなっす! この醜悪な怪物みたいな姿が本当の私なんすよ!」

「言い訳じゃない! どんなに否定されても。君がどんな人であっても諦めきれない。それが本当のボクなんだ!」

 

 ガードが間に合わない。

 だんだんと剣を受ける数が増えてきた。

 私は全力だ。モチベーションだって決勝戦に比べれば彼我の差。なのに、どうして……。

 ユウキの動きが予想できなくなりつつある。

 逆にユウキは私の動きをどんどん予測して立ち回っていく。

 SAOで培った経験が、純粋な才能に凌駕されたとでもいうのか?

 HPは徐々に削られていき、いつしか私もイエローゾーンに入っていた。

 

「まだわからないっすか! 私にはユウキから受け取る(愛される)資格なんてないんすよ!」

「だからどうしたっていうんだ! これはボクの剣だ。ボクの気持ちだ。ボクが渡したい。それだけで資格なんて十分なんだよ!」

 

 森の果てに辿りつき、遮る物のない平原が広がる。

 

「「この分からず屋っ!!」」

 

 同一のソードスキルが鏡映しに重なる。

 押し負けたのは私だった。

 武器重量で勝っているのは私だ。それは当然速度で上回れるような値ではない。ありえないはずの現象が起こっていた。ゲームがバグったとしか考えられない。

 どうしたカーディナル。いつものようにさっさと修正しろよ!

 

 祈ったってどうにもならないのは百も承知。

 無神論者な私が唱えるのは聖句ではなく、魔法を発動させるためのワードだ。

 私たちを隔てるように石壁を生成。大会の狭いフィールドではないのだから上や左右にいくらでも迂回ルートはある。

 この中からユウキか選ぶのは……。

 

「こんなものでボクが止められるとでも――」

「思ってないっすよ!」

 

 正面突破だ。石壁を真っ直ぐに突き破って彼女は直進してくる。

 勘が鈍ってはいたがこれだけだけは予測通り。

 

「がっ――!」

「これで減らず口も叩けないっすね」

 

 盾を投げて注意を逸らしつつ、私は粉塵に跳び込んで彼女の細首を捕まえていた。

 もがき苦しむ彼女の反攻を1つずつ潰すように、まずは利き腕を崩壊寸前の石壁に串刺しにして縫い付ける。

 

「私、友達を殺したことがあるんすよ……。ユナって名前でね。そう、あのユナのモデルになったプレイヤーっす。あのときは運がなかったっすねー。キヒッ。見られたら困る場面を目撃されたんで、口封じしちゃったっす」

 

 酸素は必要ないが、ユウキは喉が締められて思うように声を出せないでいた。

 力をさらに籠めるとミシミシと音を立てる。試したことはないが、この分だと握力だけで彼女の首を折れるかもしれない。

 

「もしもユウキがSAOにいたら……」

 

 そんな可能性は考えても無駄だろうが……。

 

「こうやって殺してたかもしれないっすね」

 

 笑いながらユウキの後頭部を使って石壁を削っていく。

 叩きつければ当然彼女のHPも減少してしまう。

 2割から1割へ……。

 血のような赤を滲ませて……。

 

「おっと」

 

 ユウキの左腕がソードスキルを放った。

 避けたのは失敗だ。あのくらいの攻撃では死亡しないのだから、ダメージを受けつつもキッチリ止めを刺してしまえばよかった。

 彼女は咳き込みながらも自由を取り戻した身体で剣を構えることをまだ止めない。

 呆れるほどの意固地さだ。

 

「いやあ、凄いっすねえ……。ユウキは好きな相手だったら誰にでもそんな頑張れちゃうんすかね? 私にはとても真似できないっすよ」

 

 皮肉をたっぷ塗って嫌味らしく言ってやる。

 

「自分でも驚いてる。ボクってこんなに頑張り屋だっけって」

「なんでっ。なんで私なんすか! いいじゃないっすか他の誰かだって。皆のこと好きでしょ!? 止めてほしいんすよそういうの! 私には受け止めきれないっす! もう……。なんで……。どうして……?」

 

 ユウキはボロボロの腕を引き絞った。

 紫色に輝くエフェクト。

 刺突11連撃『マザーズ・ロザリオ(聖母への祈り)』の準備モーション。

 

 私は大会では不発に終わったカウンターOSSを構える。

 漆黒に輝くエフェクト。

 対刺突12連撃。その名は『ダブルクロス(裏切り)』。私にもってこいの技名だ。

 

 

 

 踏み出したのは同時。

 

 

 

 足場がないため初速が遅い。

 

 

 

 だがそれは彼女とて同じ条件。

 

 

 

 大会の最後が奇しくも再現される。

 

 

 

 今度は葬るのだ。

 

 

 

 マザーズ・ロザリオを。

 

 

 

 そしてユウキを。

 

 

 

 計算通りの軌道を取った刺突が私の払いによって弾かれる。

 

 

 

 激しい閃光。

 

 

 

 私に迷いはない。

 

 

 

 だから必ず成功する。

 

 

 

「諦めるなんて出来ないよ。だってこれは――」

 

 

 

 泣きながら、すべてを吐露するユウキ。

 

 

 

 

 

 

「――ボクの、初恋なんだあああああああああああああああああああああああああ!!」

 

 

 

 

 

 

 その衝撃に、その力強さに。

 

 

 

 

 

 

「……………………えっ?」

 

 

 

 

 

 

 ダブルクロスはあっけなく砕かれる。

 

 

 

 

 

 

「ええええええええええええええっ!?!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――わたしは負けた。




Like(友愛)でもDear(親愛)でもなく、Love(恋愛)です。


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70話 夕暮れの少女(10)

『最期に皆と会いたい』

 

 そんなメールがユウキから送られてきたのはつい数分前の出来事だった。

 真冬の冷水に沈められたかのような悪寒がした。

 ユウキから聞かされていたもうすぐ死んでしまうという話。文面にある最期という言葉。

 そんなはずがない。

 そう叫ぶ感情とは裏腹に、私の冷静な部分が返事を送っていた。

 すぐに動けたのはどこかで予感していたからかもしれない。

 3日前に行われたデュエルトーナメント。そこで見たユウキの姿はそれほど必死だった……。

 ユウキへの返信とは別に、私はフロアボス攻略の際に作ったメールリストで方々に同じ文面のメールを送り、すぐALOにログインする。

 私が普段セーブポイントに設定しているはリズベット武具店。その奥にあるベッドで目覚めるや否や、転移門に飛び込んで22層にあるコテージへ全速力で向かった。

 歩けばそこそこの距離でも、飛行状態で突っ切れば時間はかからない。

 コテージに到着すると、私は無制限の入室許可をもらっているのをいいことに、ノックも忘れて木製の扉を開けた。

 

「ユウキ!?」

 

 リビングの揺り椅子に腰かけた小柄な人影を見つける。

 ユウキは力なく背もたれに体重を預けていて、目もうっすらとしか開けていなかった。

 まるで微睡んでいるかのようで、ともすれば寝落ちしてしまいそうである。

 

「寝ちゃ駄目だよ! 起きて、ユウキ!」

「来て……くれたんだね……。あんまり……遅いから……眠く、なっちゃった……」

「ごめんね」

「ううん……。嬉しい、よ……」

 

 メールを受けてからまだ10分と経っていない。

 ALOであれば合流に1時間などざらにある。今の彼女はそんな時間さえ持ち堪えるのに苦しむほど、衰弱しているようだった。

 あるいはもう、時間の感覚さえあやふやなのかもしれない。

 

「エリ、は……?」

「まだ来てないみたいだけど、きっと来るから」

 

 励ますつもりでそう言いはしたが、彼女が来るのかは正直自信がない。

 私がエリを最後に見たのは祝勝会のときで、あれから一度も彼女はALOにログインしていなかったからだ。それどころかロビールームに出入りした形跡すらないことから、一度もアミュスフィアを使っていないようなのだ。

 数日ログインしていないだけで騒ぎ立てるのは気にしすぎかもしれないが、彼女はフルダイブ空間で大半の時間を過ごしているはず。そうでない時間は寝ているときか、検査のときくらいだというのは容易に想像がつく。

 デュエルトーナメントの様子からして、2人の間になにかがあったのだろうか?

 それを今のユウキに問うてもいいものなのか。

 私は判断をしかねてつい口を閉ざしていた。

 

「そっか……。ねえ、アスナ……。ボク……行きたい、ところが……あるんだ……」

「何処へだって連れて行ってあげる」

 

 無茶は言わないだろうけど、もしユウキが望むのであれば、今からでも私はアルブヘイムの果てへだって連れ添ってみせるだろう。

 

「すぐ、そこの……小島に……」

 

 立ち上がったユウキの足取りは覚束ない。

 彼女は私の肩を借りながら、やっとの思いで湖に浮かぶ小島へ飛び立った。

 小島には小さな木が生えているだけで、それほど広くはない。

 ここは彼女にとってなにか思い入れのある場所なのだろうか……。

 ユウキが幹に寄り添って物思いに耽っている間に、私はゲーム内メッセージで位置を皆に添付して送っておく。

 他の面々が来たのはそれからすぐのことだった。

 飛翔音は私たちが飛んできたのと同じ方角から。空を見上げると妖精たちが綺麗な編隊を組んでこちらへ向かっている。彼らは――スリーピングナイツのメンバーだ。

 ……そこに、エリとユイちゃんの姿はなかった。

 

「ごめん、皆……。見送りは……しない、約束、だったのに……」

「気にすんなよ。僕たちのリーダーだろ」

「謝るのは私たちの方です。エリとユイの2人には連絡がつかなくて……」

「そっか……」

 

 メッセージリストに新着。差出人はキリト君だ。

 

「今、キリト君が病院の方に向かってるみたい。だから、あと少しの辛抱だよ!」

 

 彼の家が病院に一番近いとはいえ、到着までにどれだけの時間がかかるのだろう……。

 ユウキの体力がそれまで持つか。それだけが気がかりである。

 

「うん……。でも……もう、いいんだ……」

「ユウキは最強の剣士でしょ? そんな、諦めちゃ、駄目だよ!」

 

 エリはきっとくる。

 例え2人の間になにがあったとしてもだ。

 だって友達なんだ。

 彼女は、彼女たちは私の友達だ。

 私がエリを信じられなくてどうする。

 ユウキの手を握らずしてどうする。

 このまま会えないで終わるなんて、あんまりじゃないか……。

 スリーピングナイツの彼らにつられて、いつしか私の目じりからも滴が流れ出していた。

 

「もう、いいんだ……」

 

 ユウキは首を横に振ると淡く微笑み、噛みしめるように同じ言葉を呟いた。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

「ああああああ! フラれたああああああ!!」

 

 ボロボロと涙が溢れてくる。

 エリは結局、マザーズ・ロザリオによる11連撃を受けて木っ端微塵になった。

 ……いや、それは過剰な表現かもしれない。

 とにかくだ。彼女は今、HPがなくなって黄色い残り火に変わり果てていた。

 つまりデュエルはボクの勝ちで、エリにはマザーズ・ロザリオを――延いてはボク自身を拒絶されてしまったということだった。

 涙は枯れることなく流れ続けている。

 でもこのまま放っておくとエリは蘇生ポイントに行ってしまうため、アイテムストレージから貴重な消耗品タイプの蘇生アイテムを使用して彼女を復活させることにした。

 使用されたプレイヤーは効果を拒否できるはずだが、アイテムは正常な処理が行われたみたいで、炎が一瞬大きく燃え上がるとその中からエリのアバターが現れる。

 

「うぐっ。ひっく。うわあああああああん!!」

「………………」

 

 あんなことがあった後だ。

 顔をまともに合わせられず、ボクは感情のままに泣き喚いていた。――のだが、エリは一言も喋らない。

 泣いていれば慰めの言葉でもかけてもらえるかと期待していたわけではないが、どうしたのだろうかと恐る恐る彼女の方へ目を向ける。

 エリは……直立不動。

 もしやログアウトしてしまったのかと心配になったが、顔を見つめているとみるみるうちに赤く変色していったので、それは杞憂だったようだ。

 

「ユ、ユウキ……」

「ひゃい!?」

 

 名前を突然呼ばれたものだから、変な声が出てしまった。

 

「なんでユウキは私のことが……、その……、えっと……」

「好きなのかって?」

「………………」

 

 ちょっと睨むような視線を向けてくるエリ。

 

「……はい。さっき言った通り、私は碌な人間じゃないんすよ? ……あと、あれは嘘なんかじゃないっすからね」

「疑ってないよ。もちろん驚いたけどさ。あとボクの方だって嘘じゃないからね」

 

 エリの告白は聞いてて凄く悲しくなった。

 けどそれでボクの想いが消えるなんてことにはならなかった。

 エリの言う誰かを殺したっていうのが、どうしてそうなっちゃったのか上手く想像ができないっていうのもあるだろうけど……。

 きっと理解出来ても、この気持ちは変えられないところまできちゃっている。

 

「……エリの好きなところ、だっけか。えっとね。ボクのことを知っても、対等なままでいてくれたこととかかな」

 

 大抵の人はボクがAIDSだと知ると嫌悪感や哀れみを持って接してきた。でも、エリがボクに向ける感情はずっと、歳の近い友人のそれのままだった。

 

「他のメンバーも一緒じゃないっすか」

「勿論それだけじゃないよ。ボクを引っ張ってくれるところとか」

 

 今日は何をして遊ぶのか。そういう話題を持ってくるのはだいたいエリだった。もちろん他の皆だってたまには持ち寄るけど、考えて道標を置くのはエリの役目だった。

 エリがギルドに入る前はどうしていたのか思い出せないくらいに、スリーピングナイツでは当たり前のこととして浸透してしまったくらいだ。

 本当はギルドマスターのボクがするべきことなのだろうけど、肩の荷はいつの間にかエリが支えてくれていた。

 

「リーダーシップならアスナでもいいんじゃないっすか……」

「頑張り屋なところとか」

 

 エリは結構な努力家である。

 努力している姿を見たことはないけれど、努力は積み重ねれば実を結ぶと信じているのが普段の言動から滲み出ている。

 

「……負けるのが怖いだけっすよ。皆、大なり小なり努力はしてるじゃないっすか」

「ボクを変えて、外の世界に触れ合わせてくれたこととか」

 

 エリに紹介されて新しい友達が増えた。

 その輪を通じてまた新しい友達ができた。

 そうやってこの半年でボクの世界は見違えるほど広がっていった。

 エリと出会わなければ、ボクはずっとスリーピングナイツのギルドマスター以外の何者にもなれなかっただろう。

 

「ユウキの頑張りのおかげで、私は切っ掛けってだけっすよ」

「律儀なところとか」

 

 断り切れないで、約束を守ってくれようとしていたこととか。

 恩は必ず返そうとするところとか。

 

「………………」

「ボクを真っ直ぐ見て凄いって褒めてくれるところとか」

 

 エリは結構褒めてくる。身内贔屓ではないのがハッキリしていて嬉しい。

 

「……これいつまで続くんすか?」

「守ってあげたくなるところとか」

 

 これはエリはトラブルに巻き込まれやすいというか、中心にいるせいだ。

 OSの事件に巻き込まれ、記憶をさらに失なったときには凄い心配させられた。

 それだけでなく、SAO事件やALO事件の被害者でもあるのだから、ユイが目を離せないという気持ちもわからないでもない。

 

「ス、ストップっす!」

「こうして恥かしがり屋な――むぐっ」

 

 口を押えられてしまったが、まだまだ言い足りなかった。

 ボクは首を捻ってエリの手から逃れると話を続ける。

 

「ぷはっ! ――エリってそういう可愛いところあるよね」

「………………」

「あとね、距離感が近くてドキドキする」

「………………」

「いい匂いするし、お洒落だし」

「………………」

「優しいし、格好いいし」

「………………」

「それからそれからっ――!」

 

 ボクは結構な時間エリの好きなところを答え続けていたのだけど、マザーズ・ロザリオのことを思いだして徐々に気分が落ち込んできた。

 

「あーあ……。失敗しちゃったなあ。嫌われていいだなんて言ったけど、やっぱり辛いや」

 

 全力でぶつかったことに悔いはない。

 そのおかげで、エリのことをもっと知ることができたのだから。

 知らないままでいなくて良かったって、ボクは心から言える。

 でもそれとこれとは話が別だ。

 

「……嫌いなんて、一言も言ってないっすよ」

 

 その言葉にボクはしばし瞬きを繰り返した。

 それからだんだんと思考が纏まりを帯びてくる。

 

「え、えええええええええ!? そんなっ! あれ!? 本当だ! 言ってない!!」

 

 言われてみればそうだった。

 嫌いになったかと問われはしても、エリは一度もボクのことを嫌いだなんて言ってはいない。

 というかこれは……。えっ……? 脈ありってことでしょうか?

 そこのところはどうなのかなと、ボクは催促するようにエリと目を合わせる。

 

「はぁ……。ほら……」

「んん?」

 

 エリが差し出してきたのは右手。

 なんとなく握り返してみると、呆気なくボクの手は振り払われた。

 

「なにしてるんすか。マザーズ・ロザリオっすよ」

「……ボクに勝ったエリに渡したかったなあ」

 

 なんて言ってはみたけど、嬉しさのあまり止まっていた涙がこぼれてきた。

 

「無茶言うなっす。それにユウキ、勝つつもりで戦ってたじゃないっすか」

「だってエリならそれでも勝ってくれるって信じてたんだもん」

 

 弱体修正で速度は互角どころかボクの方が上になってしまったけれど、エリの強さはそういう部分じゃなかったし、それを抜きにしても、ボクに勝ったエリへ祝福して渡したかったっていう想いもあった。

 

「……もう一回やらない?」

「無理っす。何度やっても結果は変わらないっすよ。ユウキは私よりずっと強くなったんすよ」

「そっかあ……。ボクも強くなれたんだね」

「ALO最強のプレイヤーっすよ。どうやって勝てばいいんすか……。まったくもう……」

「えへへへへ」

 

 いつの間にか、姉ちゃんの身長を追い抜いたかのような気分だ。

 誇らしくて、でも少し寂しい。そんな気分……。

 ボクはアイテムストレージの奥にずっと大事に仕舞っていたスクロールを取り出すと、エリの手にそっと乗せる。

 今度は払い除けたりせず、エリは自分の手に握られたスクロールをしばらく眺めてからシステムメニューを開いて使用した。

 スクロールは青白い光に変わり、ボクの祈りがエリの中へと流れ込んでいく。

 

「………………」

 

 エリは抜いた剣を弓なりに構えた。

 刀身が夜闇のようなエフェクトを纏い、11の刺突が十字の軌跡を描いていく。

 彼女の瞳はかつてないほど真剣で、この技に対して、ボクに対して、誠実であろうとする心が剣にも現れていた。

 マザーズ・ロザリオの余韻に浸るように、ラストモーションの姿勢からゆっくり剣を鞘に戻すと、エリは困ったように笑った。

 

「ボクがいなくなっても、きっとその技がエリを守ってくれる」

「……ありがとう」

 

 考えていた通りにはならなかったけれど、マザーズ・ロザリオを渡すことはできた。これで心残りはない。……なんていうのは嘘だ。まだある。行ってみたかったところ。遊んでみたいゲーム。他にも色々だ。

 

「じゃあ勝者の権利を行使させてもらいます!」

「もう好きにしてくださいっす……」

 

 ボクはエリに一歩近づいて顔を合わせる。

 

「キ、キキキ、キスして!」

「ええっ!?」

「ほら早く!」

「それは、え、あ、待って……!?」

 

 慌ててる隙にエリの肩を掴んで逃げられないようにした。

 アバターの身長はエリの方が若干高いので、ボクはつま先立ちに。

 勢いのままに顔をぐっと近づける。

 エリは瞼をぎゅっと瞑り、顔は文字通り赤くなっていた。

 こうしているとかつてないほどに嗜虐心が刺激されていく……。

 ボクは呼吸さえ聞こえてくる距離で彼女の顔を見つめ続けた。

 

「…………ん?」

 

 恐る恐るエリが瞼を解いた瞬間――。

 

「んん!! …………あ、れ?」

 

 唇に感じたのは()()感触。

 うるさいアラートと一緒にボクの視界には倫理コードの警告文が並んでいて、それが接触を阻止していた。

 

「まあALOは全年齢版のゲームだしね」

「あ…………」

「本当にキスされると思った?」

「ユ、ユウキいいいいい! 揶揄ったっすね!?」

「あはは。いつものお返しだよ。……キスしたかったのは本当だけど」

「うぇっ!?」

 

 残念だけど、こればっかりはしょうがない。

 キスする寸前のドキドキ感を味わえただけでも良しとしておこう。

 それに愛情の表現はキスだけじゃないんだし。

 

「本当のお願いはね。ボクが死んでも引きずらないで前を向いて生きてってこと」

「………………」

「悲しんでくれたら嬉しいけどね。でもそればっかりじゃ、ボクも悲しいよ。だから立ち直って、自分の人生を歩んでください」

「…………はい」

「それから、ボクの分まで幸せになってください」

「それじゃあ2つじゃないっすか」

「2回勝ったんだから、その分だよ」

「それじゃあ、しかたないっすね……」

 

 沈む寸前の夕日に照らされて、キラキラと涙が輝いている。

 そんな光の滴を拭い去り、エリは笑ってくれた。

 泣いたり恥ずかしがってるエリも好きだけど、やっぱり笑顔でいるときの彼女が一番好きだ。

 ボクは大好きな人の、大好きな表情を最後の瞬間まで忘れないよう目に焼き付ける。

 

「ねえ、ユウキ」

「なに?」

「ユウキって肝心なときはヘタレなんすね」

 

 

 

 

 

 

 エリの髪が舞い、ボクたちの影が重なった。

 

 

 

 

 

 

 頬には温かな感触。

 

 

 

 

 

 

 熱っぽい瞳が間近にある。

 

 

 

 

 

 

「これは倫理コード的にセーフらしいっすよ」

 

 

 

 

 

 

 悪戯っぽく笑って誤魔化そうとするエリ。

 

 

 

 

 

 

 その頬に、ボクは唇を捧げた。

 

 

 

 

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 22層の空を妖精たちが覆っていた。

 様々な種族の羽ばたきが重なって、壮大な反響音を奏でている。

 ユウキの最期を聞きつけたプレイヤーたちがここに集まってきたのだ。その数はあまりに多くて数え切れない。ログインしているアクティブプレイヤーのほぼ全員がやってきたのではないかというほどだ。

 小島の周りを旋回しているのは見知った顔ぶれ。

 エリの記憶を取り戻すために共闘し、その過程でユウキとも絆を築いていった者たちだ。

 そんな彼らを見て、ユウキは感嘆の声の声を漏らしている。

 空に猛スピードで駆け抜ける黒い影を見つけた。

 スプリガンの翼。――キリト君だ。

 彼は妖精たちの間を器用に潜り抜け、1人で小島に降り立った。

 

「キリト君! エリは!?」

「……すまない。エリは、見つからなかった」

「ど、どういうこと!?」

「病院に行ったが面会謝絶だって言われたんだ。それにユイとも連絡が繋がらない……。どうなってるんだ……。クソッ!」

 

 歯を食いしばって、キリト君は行き場のない怒りを彷徨わせた。

 

「しょうが、ない、なあ……」

 

 ユウキは途切れ途切れの声で囁く。

 

「キリト……」

「どうした」

「1つ、忠告……。前を、見て……生きなきゃ……駄目だよ……」

「…………ああ」

「エリにも、言った、けど……。そんな顔……してたら、皆……心配しちゃう……」

「………………」

 

 ユウキの言葉は彼に届いただろうか。

 キリト君はいつもの遠い過去を見つめる瞳をしていた……。

 エリは一度記憶を失ってしまい、取り戻すために私たちは奔走したのだけれど、彼は逆にまったく忘れることができないでいる。

 正反対のことでありながら、それは同じ問題であるかのようだった。

 ……つまり、放っておけないのだ。

 強いけど脆い。そういうところも、私が彼を気にかける理由の1つかもしれない。

 

「それと……アスナ……」

「ここにいるよ」

「我慢……させて……ごめんね……」

 

 最初はなんのことかと思ったが、最近のことを思い出して合点がいった。

 たぶんユウキが言いたいのはデュエルトーナメントのことだろう。

 

「我慢なんてしてないよ。だって私が好きでやったことだもの」

「アスナは……優しいね……」

「そんなことないよ」

 

 友達を傷つけておいて、それを優しさだなんて、私は思えない。

 

「それも、優しさ……だよ……」

「ユウキ……」

 

 私は間違ってなかったのかな。

 ユウキがそう言ってくれるなら、自分を信じてみようって気になる。

 

「伝言……。お願、い……。ユイ、には……いつかは……姉、離れ……するんだよ、って……」

「うん」

「エリ、には…………。愛してる、って……」

「それは……。それは自分で伝えなきゃ駄目だよっ!」

 

 奇跡は起きない。

 エリが間に合って突然現れるなんて都合の良いこと、起こるわけない。

 そんなことはわかっている。

 SAOのせいで、私は嫌というほど現実の過酷さが身に染みていた。

 でもこればっかりは……。ユウキの口で伝えなければいけないことなのに……。

 

「もう、伝えたよ……」

 

 仲直り、できてたんだ。

 私はそれを聞いて、力が抜けてしまった。

 

「でも、もう一度、ね……」

 

 最後の力を振り絞って彼女ははにかむ。

 

「エリの……こと……だから……また……事件に…………」

「きっとそうだよ。そうじゃなかったら……会いに来ないわけないもの!」

「アスナ……」

「うん」

「任せた」

「うんっ……!」

 

 ユウキの目は虚ろだ。

 もう見えていないのか、視線の定まらない瞳が誰もいない虚空に向けている。

 

「最期に……会えなかったのは……残念だけど……。エリ……らしいし……しょうがないか…………」

 

 手が空へと伸ばされる。

 私はその手を取ることができなかった。

 私だけなじゃない。ここにいる誰もが触れることができないでいる。

 その光景を見て、私はまた泣いた。

 ……でもユウキは涙を流してなんかいない。嘆いてなんかいなかった。

 それどころか満足気で、幸せの絶頂にいるかのようである。

 

「ボクは……君に会えて……幸せだったよ……」

 

 ユウキの手が力なく地面に落ちる。

 彼女の短い生涯はこうして幕を閉じた。

 その人生は壮絶でありながらも、間違いなく幸せだったのだ。

 

 私は一生忘れることはないだろう。

 大切な人に感謝しながら終わりを迎えた、友達のことを。

 だから泣くのは止めだ。

 彼女の新たな旅路に涙は似合わない。

 

 

 

 でも……。

 エリがこの場にいれば最高だっただろう。

 

 

 

 ――ユウキの待ち人は、最後まで現れることはなかった。




 これにてマザーズ・ロザリオ編、『夕暮れの少女』は完結です。
 この章全体としてはエリが自分を取り戻す話だとか、『わたし』だったからSAO時代と違ってボロが出たのだとか、そういう細かい部分は置いておいて。
 結局のところは愛です。恋する女の子は最強!
 原作では「いつも自分じゃない自分を演じてた気がする」と語ったユウキ。
 そんな彼女の内側。仮面を外した結果が――これです。


 それと投稿速度が遅くなってしまい申し訳ありません。
 一応の目標として、アリシゼーション編のアニメが完結するまでにこちらも完結できればと考えておりますので、引き続きご声援のほど、何卒よろしくお願いします。


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ガンゲイル・オンライン編
71話 棺桶に感傷を(1)


――2025.12.01――

 

 

 ユウキの死から1週間が経った。

 横浜市で行われた彼女の告別式には多くのVRゲームプレイヤーが参列し、親戚筋の出席者が4名に対して参列者が100を超えるという賑わいを見せている。

 オーグマーで確認したところ今の気温は6℃と冷え込んでいるはずなのだが、集まった面々の熱気たるやクリスマスより先に春がやってきたのかと疑うほどだった。

 式が終わっても、集まった彼らは解散することなく、教会の前庭で三々五々に固まり思い出話に花を咲かせている。

 それに倣ったわけではないが、俺も友人たちとユウキの思い出話に浸ることで、彼女はもうこの世界のどこにもいないのだという実感を得て寂しさを募らせていた……。

 

「ユウキと会ったのは2月の頭だったよな」

「もうそんな経つのねえ」

「キリト君やリズはそうだろうけど、私は退院してからだからもうちょっと後かな」

「アスナはそれまでVR禁止だったんだからしょうがないわよ」

 

 リズと俺はすぐ一緒にログインできたが、アスナは親の目もあり苦労していたんだったか。

 だからといってアスナはユウキと付き合いが浅かったということはない。

 サチたちと過ごした時間を比べれてもわかる通り、一緒に過ごした時間が重要ではないのだ。

 

「お前ら仲良かったよな。しょっちゅうデュエルもしてたしよ」

「自慢のライバルだよ」

「最後はあんな武器まで持ち出したのに負けてたけどな」

「うるさいな。負けたのはクラインも同じだろ」

「へへっ。俺の方は純粋な実力勝負だったからな。傷は浅いぜ」

「うぐっ……」

 

 ユウキとはなにかにつけて競い合っていた。

 それは実力が拮抗していたというだけでなく、ギルドマスターという部分で俺の対抗心が刺激されたのもあるのだろう。

 あとはエリに揃って良いようにあしらわれていたことで親近感を抱いたのかもしれない。

 彼女には勝ち逃げをされてしまったな……。

 認めたくはないが、最後に剣を交えたときのユウキは今まで出会った誰よりも強かった。もしも彼女がSAOにいたなら、ヒースクリフを倒したのは俺じゃなくて彼女だったかもしれない。

 

「ユウキには色々助けられたよな。――助けられたって言い方は変か。助け合ったっていうか、背中を預け合ったっていうか、さ」

「そうだね……。ユウキたちがいなかったら25層もそうだし、100層ボスのときも、もっと勝てなかったかも」

 

 SAOでこそ一緒に戦えなかったが、ユウキは他の事件では肩を並べ合った戦友である。

 それらの戦いはSAOサバイバーに引けを取らない戦歴だ。

 

「――で、その事件の中心にいたエリはどこに行ったのかしらね」

「「………………」」

 

 今日この場に、エリの姿はない。ユイも同様だ。

 彼女たちの行方は依然不明のままであった。

 

「アスナ。エリの親御さんとは話、できたか?」

「うん……。でもお医者さんが言ってたのと同じで、容体が悪化したから面会謝絶だって。ユイちゃんの方は?」

「まったく連絡が取れない」

「やっぱりユウキが言ってたように、なにかあったんじゃないかな」

「だろうな……」

 

 ユウキが言い残したからというだけではなく、エリのことは調べてみればすぐその不自然さに行き当たる。

 彼女が全身不随になった原因は不明であったため、容体が急に悪化したという病院側の説明は一見筋が通っているようにも思えるが、それではユイと連絡が取れていないことの説明がつかないからだ。

 病院側が嘘を吐いているのか。

 それともユイは別件なのか。

 どちらにせよ、なにかが起こっているのは確実だった。

 

「俺の方でも調べてみたけどよう……。あいつの使うオーグマーのカスタム機は受け取り済みってことはわかったんだが、本人が受け取ったかどうかはわからん。あとはさっぱりだ」

 

 クラインは肩をすくめて見せる。

 

「キリト。お前、お偉いさんのコネは使えねえのか? ほら。菊岡誠二郎、だったか?」

「直接会いに行ったけど渡米中だって言われたよ」

「間の悪いヤツだぜ」

 

 携帯では電波が届かないか電源が切られているという定例文で返されてしまい、俺は一度千代田区にある情報通信局の役所に足を運んだ。

 そこの受付で菊岡の名刺をチケット代わりに交渉したのだが、「折り返し連絡をするよう伝えておきます」という、本気にしていいのかどうかわからない言葉でお茶を濁されてしまった。

 だが受付の人がしばらく時間をかけて確認を取ってくれたことと、渡米中という回答は、子供だから相手にされなかったという様子ではなかったので、これに関しては待つしかなさそうだ。

 

「他にわかったことや、思いつくことはないか?」

 

 一度全員の顔を見渡してみたが、誰もが芳しくない表情をしている。

 きっと俺も同じような表情をしているはずだ。

 

「だよな……」

「そんな暗い顔しない。今日はユウキの告別式なんだし、笑顔で送り出してあげようよ。エリのことは地道に聞き込みしていくしか今はないんじゃないかな。皆は病院関係者で知り合いとか心当たりはない?」

 

 アスナは空気を入れ替えるように、リーダーモードの明るい声で皆を励まそうとしてくれる。

 

「そういうのは、ちょっといないわね……」

「じゃあ病院関係者の知り合いがいそうな人に相談してみて。その人が駄目でも、知り合い伝手にたどっていけばあるいはってこともあるから」

「6次の隔たり、だったか?」

 

 友達の友達の友達……というように、6人の知り合いを介することで世界中の誰とでも間接的な知り合いになれるという仮説だったか。

 絶対的な法則ではなく、もし病院関係者の知り合いにたどりつけたとしても協力してくれるかどうかは定かではない、総当たり的な方法ではあるが……。

 

「なにもやらないよりは、ね」

 

 アスナも当然それを理解しているだろう。

 つまりは八方塞がりの状況であり、打てる手がそれくらいしか思いつかないということに他ならなかった。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 エリが見つからなくとも当然学校はあるし、俺は登校しなければならない。

 クラスメイトの友人連中はテスト明けの開放感や、冬休みが近づいてきたことで浮足立っていたが、俺はというと当然そういう気分にはなれなかった。

 できることなら今すぐ教室から飛び出したい衝動を抱えつつも、理性がそんなことをしても皆を心配させるだけだと言い聞かせてくるため、こうして椅子に縛り付けられ、先日行われた期末テストの返却を受けている。

 勉強をサボっていたつもりはないが、オーグマーのインターフェイスに表示された順位は前期テストよりも少し下がっていた。

 

 今日は俺の定期カウンセリングで、放課後になると近況の話題として成績についても聞かれた。もっとも、当たり障りのない程度にやんわりとだが。

 俺は折角の機会だからと、若い女性カウンセラーにエリについての質問を投げかけてみたが、「解るわ。あんなゲームの中に囚われて2年過ごした後だものね。でも心配のし過ぎよ。ここは平和な日本。だから彼女は大丈夫よ」などと共感するような言葉を使ったカウンセリングの基礎テクニックで返されてしまった。

 だが俺は経験則として、心配のし過ぎだと看過していれば大惨事に繋がった事件に幾度となく出くわしている。

 自分から動かず、事態の解決を他人に任せて安全な場所で待ち続けるということは、俺にとって最早恐怖以外の何物でもない。

 そういう部分こそカウンセリングを受けるべき箇所なのだろうが、矯正してしまうことを俺は避けていた。

 彼女の対応も、相手の視点で考えればしょうがないことだ。

 俺は2年間も死と隣り合わせの狂った環境に置かれた被害者で、それを一般人の鋳型に流し込んで社会に復帰されることはなにより正しいとされるのだから。

 けれども俺が今欲しいのは安寧ではなく情報。事件(クエスト)を完了させる解決策(キーイベント)である。

 

「すみません。用事があるので今日はこれで失礼させてもらいます」

 

 彼女とは話していても時間の無駄にしからない。

 こんなことをしていてはカルテの評価値が下がりそうだが、個人情報の守秘義務を守ってくれることを期待して、俺は無菌室めいたカウンセリングルームから一方的に出て行くことを選択した。

 

 俺は苛立ちを早足に変えて荷物を取りに向かう。

 教室の扉を開けるとそこにはクラスメイトの他に、担任でもある国語教師が残っていた。

 60代後半の彼だが、階段の上り下りが辛く職員室に戻るのが億劫になったというわけではなかろう。白髪で年齢を感じさせる顔立ちや丁寧な物腰とは打って変わって、趣味は登山というアグレッシブな人物であるのだから。

 何故という疑問が湧き上がるも、それはすぐに解消される。

 彼が俺を見つけると手招きをしたからだ。

 

「桐ヶ谷君。ちょっといいかね?」

「な、なんでしょう……」

「そんな畏まらんでいいよ」

 

 初めはテストのことで何か言われるのかと警戒したのだが、柔和な笑みを浮かべる彼の素振りが不安を払拭してくれた。

 

「ちと、頼まれごとをしてね」

 

 彼が取り出したのは素っ気ない茶封筒。3Dオブジェクトではなく実物のようだ。

 

「君に手紙だそうだ」

「誰から、ですか?」

「教えないでほしいとも言われている。それは聞かんでくれ」

「はぁ……?」

「それと友人を心配する気持ちは素晴らしいが、焦りは禁物だぞ」

「……すみません」

「謝らんでいいよ。悪いことではないのだからね」

 

 彼がふと視線を向けた先にはすっかり暗くなった空が広がっていた。

 だいぶ早くなった日暮れに、時間の流れを感じさせられる。ヒースクリフと決着をつけたのも冬の出来事だった。SAOをクリアしてから、もう1年も経ったのか……。

 

「では気をつけて帰るように」

 

 そう締めくくり、彼は教室から去って行った。

 残された俺は早速封筒を確認することにした。

 端を切り、中身を取り出すと、これまた味気のない紙が一枚だけ出てくる。

 折り畳まれた紙を開くと手書きで実に短い文章が綴られており、読み終えるのにかかった時間は10秒にも満たなかった。

 

『エリの情報を持ってる。東伏見駅前のバーガーショップで待つ』

 

 目にした途端、ついさっきの忠告はすっかり頭から抜け落ち、俺は廊下を全力で駆けていた。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 俺が通学に使っている西武線を1駅乗り過ごせば、そこはもう東伏見駅だ。

 けれども到着したバーガーショップには同じ制服の人間は俺だけ。こちらに来るくらいなら、もっと近場に系列店があるため、そちらに行くのが原因だろう。

 とはいえ帰還者学校の生徒がいないだけで、繁盛していないわけではない。

 こちらの店も仕事帰りのサラリーマンや、近辺の大学生らしき人物が多数やってきており、多少混雑している。

 その中から知っている顔を探そうと周囲に目を配らせていると――。

 

「おい。黒猫」

 

 背後から声と同時に、纏わりつくような薄気味悪い気配がした。

 振り返るとそこには小柄な青年が立っている。

 左手の中指と人差し指にはごつい指輪。服装は黒いコートに黒いパンツ。メッシュの入った長髪で、ジャラジャラとチェーンアクセサリーを身に着けた、ガラの悪そうな青年だ。

 

「まあ、座れよ」

 

 男にしては甲高い声。

 俺は周囲を警戒しながら、促された席に腰かける。テーブルには食べかけのポテトとバーガーの包み、それと紙コップが置かれていた。

 

「………………」

「………………」

 

 まるでデュエルのカウントダウンを待つような一触即発の空気。

 額に汗が浮かぶのは走ってきたからというだけではない。

 

「俺の名前は、そうだな……。ジョン・ドゥーとでも――」

「ジョニー・ブラック」

 

 俺はこの男が誰なのかを知っていた。

 

「なんでお前がここにいる」

「………………」

 

 無言で立ち上がり、ジョニー・ブラックは何処かへ去ろうとしたため、俺はやつの肩を掴んで逃げられなくした。

 ジョニーの身体つきは細い。OSのため今でもジムで鍛えている俺の方が身体つきは逞しく、筋力でやりあうなら負ける気はしない。

 

「おい待てよ! なんでお前がエリのことを知ってる!? なんで俺を呼び出した!?」

「はぁ……。お前こそなんで俺のこと知ってるわけ? 顔見せたことないよな」

「ユナのファーストライブでPoHと一緒にいただろ。監視カメラに映ってたんだよ」

「ああ、クソッ! ……やっぱボスみたいに上手くはいかねえか」

 

 顔を片手で覆い隠して悪態を吐くジョニーは、観念したのか席に座り直した。

 悪態を吐きたいのはこっちも同じだ。

 

「手紙の差出人はお前だな?」

「オフコース。ちなみに今回ボスはいねえよ」

 

 信用はできないが、少なくともあいつの影は店内に見当たらなかった。

 

「それで。エリは何処だ?」

「それが俺にもさっぱり」

「ふざけてるのか」

「そうカリカリすんなよ。俺だって本気じゃなきゃあんたを呼んだりしねえよ」

 

 ジョニーはドリンクをストローで音を立てながら飲み干すと乱暴な手つきでテーブルに置く。

 それからポテトを差し出して「食うか」と問うてきた。

 

「いらん」

「じゃあなんか買って来いよ」

「そんな気分じゃないんだよ。それにお前が逃げるかもしれないだろ」

「何処にも行かねえってば。こう見えて俺もテンパってるわけ。落ち着く時間が欲しいんだよ」

「………………」

「奢らねえぞ」

「そうじゃない」

 

 調子狂うな……。

 俺はジョニーから目を離さないようにしつつ、しぶしぶ適当なセットを注文して席に戻る。

 

「手紙に書いてたエリの情報ってなんなんだ?」

「その前にこれだけは約束してくれ。他言はなし。いいな?」

「……わかったよ」

 

 所詮は口約束。なんの強制力も働かない言葉を俺は唱える。

 

「エリになにがあったのか、知ってるやつを俺は知ってる」

 

 軽薄そうな外見とは裏腹に、ジョニー・ブラックという男は真剣な目をするやつだった。

 PoH――ウサグーもそうだった。

 こうして対峙していると、あの悪名高き殺人集団の印象からどんどんかけ離れていく。

 それがSAOで過ごした日々への裏切りに思えて、息が詰まりそうだった。

 

「そいつから聞き出すために協力してくれ」

「誰だ。PoHか?」

「いや……」

「ならザザか?」

「詮索も止めてくれ」

 

 ジョニーの反応は答えを言っているようなもので、そいつというのはどうやらもう1人の幹部であるザザらしい。

 PoHと違ってわかり易いのはありがたい。

 

「とにかくだ! そいつはガンゲイルオンラインってゲームの大会で自分に勝てたら教えてやるって言ってきたんだよ。バトルロイヤルの大会だから仲間がいれば勝率も上がるだろ? それであんたに声をかけたってわけだ」

「まず確認なんだが、そいつはお前ひとりで倒さなくても教えるって言ってきたのか?」

「丁度いいハンデだとさ」

「そうか。……で、ガンゲイルオンラインってのはたしか銃のゲームだよな? 俺は専門外だぞ」

「けどよう、SAOをクリアした勇者様だろ? なんとかなんねえ?」

「無茶言うな。プロだっているゲームだ。ぽっと出の俺じゃ、その辺のプレイヤーにやられるのがオチだぞ」

 

 俺が今までやってきた主なVRゲームといえばSAOにALO。ARも連ねればOS。どれも剣が通用したからやってこれたにすぎない。

 結局のところ、キリトというもう一人の俺は、黒猫の剣士という肩書通り剣士であり、魔法を多少使うようになったとはいえ、相変わらず飛び道具を使うのは苦手ということだった。

 

「じゃあ諦めんのかよ……」

 

 ジョニーは、暗に諦めたくないと言いたげだ。

 

「そうは言ってないだろ」

「なら協力してくれんのか?」

「1つだけ聞かせてくれ。――お前はなんのために戦うんだ?」

「友達のためだ」

「………………」

 

 散々殺しておいて、どの口が言うんだ。

 お前が殺したプレイヤーにも友達がいたんだぞ。それなのにお前はっ!

 

「都合の良い話だってのはわかってる。でもこれだけは譲れねえんだよ。頼む。黒猫」

 

 ジョニーは頭を下げた。

 そのあまりにも真摯な態度に、俺は面食らった。

 全部が作り話であればとさえ思うほどだ。

 手掛かりがない今、俺はこの話に縋るしかない。

 しかしこいつに協力するということは、話の一部であれ信用するということだ。

 膨れていく矛盾に、眩暈がしそうだった。

 

「……わかった。協力してやる」

 

 それを堪え、俺はジョニーの視線を受け止めた。

 

「ありがとよ」

 

 話の区切りがついたところで、ようやく頼んでいたバーガーセットが運ばれてくる。

 炭酸飲料で乾いた喉を潤しつつ、俺はオーグマーでインターネットの検索エンジンでガンゲイルオンラインについての概要を調べてみた。

 どうやらガンゲイルオンラインは銃主体のゲームではあるが、史実の戦争系ではなく、SFチックな世界観らしい。

 月額制で、PvEとPvPのどちらもある、スタンダートなMMOモデル。

 ザ・シード規格なのでコンバートも可能。

 特徴はゲーム内通貨を電子マネーに還元できることで、その逆は不可能のようだ。

 カジノ法に触れそうだが、VRゲームの法整備はだいぶ遅れているらしいので、グレーゾーンのまま放置されているのだろう。

 

「大会ってのはこのBullet of Bulletsのことか?」

「そう。それそれ」

 

 ホームページに記載されていたのは第3回Bullet of Bulletsの告知。

 優勝賞金は300万クレジット。日本円で3万。

 予選ブロックは1対1の総当たりで、決勝戦は30人のバトルロイヤル形式。

 日付は13日が予選らしいので、今日を含めてもたったの9日しか時間がない。

 

「なにか作戦はあるのか?」

「あるよあるよ。勿論あるよぉ」

 

 よくぞ聞いてくれましたとばかりにテンションを上げるジョニー。

 感情の起伏が激しいやつだ。

 

「ずばり、こいつだ!」

 

 ジョニーはオーグマーで開いているウィンドを共有表示にして、俺に見せつけてきた。

 

「理に適っちゃいるけど。でもなあ……」

「手段なんて選んでる場合じゃないっしょ?」

 

 そこに書かれていたのはリアルマネートレードの業者アカウント。

 ガンゲイルオンラインがグレーゾーンのゲームであるなら、こちらは完全にブラック。運営に報告されでもしたら即アカウントがBANされる手口だ。

 流石はレッドギルドの元幹部。

 ソロの大会に協力を求めることといい、ゲーマーとしての矜持さえかなぐり捨ててやがる。

 

「これで装備を整えて、レベルはコンバートで補う。どうよ。完璧だろ?」

「そうだなー……」

 

 悔しいことにジョニーの言葉は一理ある。

 毒を喰らわば皿までか……。

 預金通帳の残高を思い出しながら、俺は泣く泣く悪の道を歩く羽目になった。




ジョニー「あるよあるよ! 俺の出番あるよぉ!」

ジョニーとキリトの、GGO編スタートです!
――と行きたい所ですが、次回からはジョニー視点で語るSAOの過去編をやっていきます。
この章はGGO編とは名ばかりの、ラフコフ編になりますが、どうぞよろしくお願いします。


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72話 棺桶に感傷を(2)

 俺が金本敦(かねもとあつし)から、『ジョニー・ブラック』に生まれ変わったのはSAO正式サービス開始の翌日、2022年11月7日のことだ。

 

 すでにSAOでは数百人の死者が出た後。

 テレビを点ければニュースキャスターがナーブギアの危険性を繰り返し訴え、どの番組でもプレイ中のユーザーやゲーム機を発見次第電話するようテロップが流れていた。家の近所では警察かなんかがスピーカーで叫びながら回収作業に明け暮れ、登校すれば教師が注意を促すほどである。

 これだけ大々的に報じられていたわけだが、そのときはまだ、俺には関係のない出来事と一蹴して気にも留めていなかった。

 何故なら俺はたった1万本しか出回っていないSAOのソフトどころか、ナーブギアなんて馬鹿高い最新機器など所持していなかったからだ。

 ではどうやってSAOにログインしたかというと、それは自分の意思ではない。

 

 無理矢理やらされたのだ。

 

 所謂いじめの一環というやつである。

 いじめの原因は父親がいないことや、母親が水商売をしていることだった。

 もっとも、今にして思えば気の弱かった俺が格好の的だったというだけで、理由なんてなんでもよかったのかもしれない。

 しかしそのせいで俺は母親を恨み、逆に足枷になる俺のことを母親も恨んでいたようだった。

 

 居場所のない俺の日常は灰色どころか、暗闇を進むだけのものだった。

 当時のことは思い出したくない。

 楽しい記憶なんて何処をどう掘り起しても、埋まってないのだから……。

 

 

 

 けれどもあの日のことだけは別だ。

 放課後クラスメイトの家に呼び出された俺は、嫌な予感がしつつも断る選択は出来なかった。

 自分の意思というものを徹底的に奪われ、彼らの言いなりになる人形と化していたからだ。

 

 俺は部屋に入るなり、待ち構えていた複数の同級生に身体を押さえつけられた。

 それから彼らは気が済むまで拳や罵詈荘厳を浴びせると、SAOのプレイを迫ったのである。

 事件からまだ1日しか経っておらず、手が回っていなかったのだろう。彼らの手元にはテレビで見たのと同じヘッドギアの機械があった。

 俺は暴力に屈して、あるいは自暴自棄になり、ゲームを起動した。

 

 彼らには山ほど恨みがある。

 でもこの一件だけは感謝してやってもいい。

 おかげで俺は彼らと縁を切る事が出来たし、得難いものも得ることが出来たのだから……。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 SAOにログインして最初の3カ月くらいは俺も普通のプレイヤーだった。

 これでも初期の攻略組に名を連ね、自分より弱いやつや、孤立したり失敗したやつを見下しつつ、それなりに上手くやっていた時期があったのだ。

 そんな上流階級から転落したのは、なんてことはない……。

 人を殺すのが止められなくなったからである。

 

 切っ掛けは些細なアイテム分配のトラブルだ。

 俺の習得スキルが直接的な戦闘に向いていないから必要ないだろと言いだし、そいつらは事前の取り決めを無視してレアアイテムを渡そうとしなかったのだ。

 

 数は相手の方が多く、俺の反論は多数派の意見に黙殺された。

 その姿が同級生たちに重なって見え、えらく癪に障ったのを今でも憶えている。

 後から知ったことだが、アイテム分配で揉めて殺し合いに発展するのが一番多いらしい。

 俺もカッとなって手を出していれば、ありきたりなレッドプレイヤーの1人として監獄に繋がれていたか、返り討ちにあって死者の列に加わっていたことだろう。

 

 そうならなかったのは偏に、その場ですぐに殺すという愚行を犯さなかったからである。

 俺は一度怒りを抑え、しかし忘れることなくチャンスを窺った。

 あとは2人きりのときを見計らい、モンスターとの戦闘中に背中からグサリだ。

 

 そのとき感じた興奮は途方もなかった。

 虐げられる側から虐げる側へ転じるカタルシスは、なにせ初めて経験した快楽である。

 俺は生まれてから14年の歳月を経て、ようやく楽しいという感情を知り、生きる理由を得た。

 そうなれば止めるなんて無理な話だ。

 最初の殺人は正当防衛という作り話を他の連中らに信じさせることができたが、我慢が利かなくなるのは時間の問題だった。

 俺は逃亡の準備を整えると、残りの獲物を待ち伏せて、同じように殺害していった。

 

 犯行はすぐに知られることとなる。

 殺し過ぎたというのもあるが、どこかの情報屋と攻略組の連中が結託して証拠を掴まれたのだ。

 追手はすぐに差し向けられたが、隠密スキルを鍛えていた甲斐もあって俺は逃げ切る事に成功した。

 しかしこうなってしまえば街に出入りするのは難しい。フィールドやダンジョンの安全地帯でさえ安全とはいえなくなり、人目を避けながら各地を転々とする生活は非常に窮屈であった。

 

 溜まっていく鬱憤を解消するため俺は新たな犠牲者を見繕い、積み上げた屍が追手を近づける。

 悪循環でありつつも、俺を捕まえられない彼らの無能さは実に痛快で、殺人はエスカレートする一方だった。

 

 ――PoHと出会ったのは、そんな逃亡生活をしていた最中のことである。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 攻略組でなくなったとはいえレベルは必要だ。

 日中は隠し部屋なんかに身を潜めて休息を取り、人目のつかない深夜にレベリングをするのが俺の日課であった。

 俺はその日も効率の良くない狩場で、クマのモンスターを片っ端からから経験値に変えていると、どこからともなくそいつは現れた。

 

「Hell. Mr Johnny」

 

 男が流暢な英語で笑うように囁く。

 

「……あんた誰?」

 

 夜闇に溶けるような黒いポンチョ。顔はフードに隠れてわからない。腰には大振りの短剣が刺さっていて、右手は鞘に乗せられている。

 見るからに怪しげな男であったが、人のことは言えない。ぶっちゃけ俺も同じ格好だ。違いは背丈くらいだろう。

 問題は俺のことを知っているということである。

 俺はモンスターを始末したばかりの短剣をすぐに男へと向けた。

 

「待てよ。やりに来たわけじゃねえ。攻略組から人殺し(レッド)になったやつがいるって聞いてな。面白そうだから様子を見に来たんだ」

「見てどうすんだよ。連中に突き出して懸賞金をいただこうってか?」

 

 仲間をぶっ殺された恨みで、攻略組から俺に懸賞金が懸けられていたはずだ。

 

「10万コルだったか? そんな物に興味はねえよ」

 

 随分な金額を積んでくれたようだ……。

 男は興味がないと言うものの、正直にそれを信じるほど俺も馬鹿じゃない。

 まずは偵察スキルで周囲の索敵。他にプレイヤーの姿はない。

 ならついでに殺しておくか?

 ……いや。なんとなく嫌な感じがする。ここは撤退だ。

 

「先に誤解を解いておいた方が良さそうだな。俺もそっち側の人間、つまりレッドだ」

 

 短剣を向けたまま逃走ルートを考えていると、男が言葉で制してきた。

 

「レッド? あんたのカーソルはグリーンじゃねえかよ」

「カーソルのカラーを変えないで殺す裏技もあるのさ。例えば、モンスターに殺させるとかな」

「自分の手じゃビビって殺せねえチキンかよ」

「他にもデュエルモードなら殺してもカラーに影響は出ない。試したことは?」

 

 β版じゃそうだったって話は聞いたことがある。

 けど製品版でもそうなるか確認したやつはいなかったはずだ。

 

「俺はある」

「……嘘だね」

 

 口では否定をするが、俺はこの時点ですでにこいつが嘘を吐いていないと確信していた。

 そもそもだ。俺を人殺しと知りながらこうして会話をしてる時点でマトモじゃねえ。

 

「なら殺したプレイヤーの名前を上げようか。アリシア、キタロー、焼き鯖、ゲイル、ホーリーナイツって名乗ってたメンバー4人も俺の仕業だ。あとは――」

「待てよ。そいつはたしかザザってプレイヤーが殺したんじゃなかったか」

「俺もその場にいたんだよ。なら俺の殺した数に加えてもいいだろ?」

「………………」

「攻略組にもいくつか種は仕込んだぜ。レジェンドブレイスの詐欺。アインクラッド解放隊とドラゴンナイツブリゲードの対立。他にも色々だ」

「マジかよ……」

 

 男は次々に事件の舞台裏を語っていく。

 それらを作り話と断じるには、あまりに内容に精通していた。

 中には阻止されたものも多く存在していたが、失敗はこの際どうでもいい。

 そんなことが気にならなくなるほど、彼は事件を起こしていたのだから。

 彼の語りはまるで漫画にある冒険譚かなにかのようで、胸が沸き立つものばかりだ。スリリングで、時に喜劇的。しかし実際に起こった出来事である。

 俺もいくつかの事件に当事者として立ち会っていた。それがまた楽しさを引き立てるのだ。

 

「あんたさ、何者……?」

 

 彼が気前よく教えてくれるものだから、俺は思った疑問を自然と口に出していた。

 

「殺人も請け負うが、どちらかといえば殺す行為そのものを売りつける。――所謂殺し屋だ」

 

 芝居がかった言い回し。

 顔が見えずとも笑ってるのが伝わってくる。

 彼の一挙一動から目が離せなくなり、そのすべてが格好良く見えた。

 

「金取るの?」

「取るときもある。だがほとんどは無料だぜ。押し売りが好きなんだ」

「ははっ! じゃあ今日は俺に殺しを売りつけに来たのか!?」

「勘が良いな。その通りだ」

 

 俺の気分はさながら賢者によって勇者に抜擢されたかのようだった。

 実際のところはまったくの逆であるが、それはそれで趣がある。

 

「代金は?」

「死体の山」

「商品は?」

「まずはカーソルカラーをグリーンに戻そう。それだけで殺しの幅はグッと広がる」

「最高だぜ、あんた!」

 

 カーソルのカラーは好みだったが、付随する厄介ごとにはうんざりしていたところだ。

 特に安眠と程遠い生活は結構キツイものがある。他人に見つからない場所を探す方が、プレイヤーを殺すよりもずっと大変なのだということを俺は逃亡生活で思い知った……。

 それに街に入れるようになれば、呑気にしている獲物を見繕うこともできるようになる。

 願ってもない提案だ。

 

「他にもさ。殺しの裏技レクチャーしてくれよ」

「いいぜ。道すがら教えてやろう」

 

 彼と話したのはほんの少しの間なのに、すっかり俺は気を良くしていた。

 こんなに打ち解けたのは初めてかもしれない。

 攻略組の連中とはまったく気が合わなかったからなあ……。

 

「そうだ。あんたの名前、聞いてなかったよな」

「俺か? 俺はPoH。長いつき合いになることを祈ってる」

 

 彼から送られたフレンド依頼を承諾すると、ついて来いと言ってPoHは歩き出す。

 俺はそんな彼の背を追いかけ、薄暗い道を共に歩むのだった。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 それからしばらくして、PoHにザザを紹介された。

 ザザの名前は以前から知っていた。そいつは俺がまだ攻略組にいた頃、度々最前線に現れては死体を作っていく、イカレ野郎として有名だったからだ。

 ザザは長身のヒョロっとした男性で、素顔は顔を覆うマスク装備で隠されていた。

 誰に言われたわけでもないが、俺もその頃から顔を覆うタイプの装備を着けるようになっていた。フードでも隠せていたが、それだとPoHと特徴が被るためイメチェンをしたのだ。

 入手したばかりの布マスクがザザとお揃いにならなかったのは幸いだった。

 

 ザザと初めて一緒に殺しをしたときの印象は、クレイジーの一言だ。

 あいつは真正面からプレイヤーの一団に挑み、装備した大型の細剣で次々に逃げ惑う彼らを串刺しにしていったのだ。

 同行していた俺とPoHは逃げ出そうとした取りこぼしの掃除。

 ザザはその間も反撃を怖れず果敢にプレイヤーを攻め立てていった。

 彼の戦いっぷりからは攻略組でも上位に入るだろう強さを感じたが、それ以上にHPが残り3割になっても平然と変わらぬ様子で戦っていた姿にこそ恐怖を抱かざるを得ない。

 

 俺のスタンスはザザとは正反対。隠密からの一撃必殺か、モンスターとの戦闘中に不意を打って殺すというものだ。

 そのせいもあって上手くやれる自信がなかったのだが、話してみると意外と気の合うやつだということがわかった。手法は違えども、同じ穴の狢ということなんだろう。

 初めはPoHを含む3人で行動していたが、次第にザザと2人で狩りに出かけることも増えた。

 レベリング然り。殺人然りだ。

 殺しの方法は交代制。不意打ちと正面戦闘を交互にやっていた。

 

 今日の獲物は3人組のプレイヤー。

 最前線からは4つ離れた15層でレベリングをしている小集団だった。

 PoHがいないため人数では劣っている。

 手始めに1人をモンスターとの戦闘中にやってしまいたいが、生憎今回はザザに従う番で、そうしないことくらいは予想がついていた……。

 

「周囲に他の仲間はいないみたいだぜ」

 

 索敵スキルは使うなと言われてないので、俺は最低限の安全確保をする。

 場所は視界の悪い森の中。

 最悪の場合でも、AGIにほとんどのステータスを割り振っている俺なら、逃走するくらいはなんとかなりそうだ。

 

「わかった。行くぞ」

「俺も?」

「そうだ」

「はぁ……」

「嫌なら、俺が1人で、やる」

「そんなこと言ってないだろ。でも今度は俺の作戦でやるからな」

「いいだろう」

 

 ザザに続いて、俺は隠密状態を解き3人の前にノコノコ出て行く。

 彼らもまさかレッドプレイヤーとは思わず「やあ」と挨拶してくる始末。

 凄い間抜けな絵面だ。

 

「剣を抜け。お前たちを、殺す」

 

 ザザは細剣を突きつけ、低く擦れた声を発した。

 

「え? あの……。どなた?」

「ほらぁ。やっぱり微妙な反応されてんじゃん。さっさと斬りかかった方が絶対いいって」

「そうか……」

「だ、誰かと勘違いしてませんか?」

「違う違う! 恨みとかそういうんじゃないから。手頃なプレイヤーがいたから殺しに来ただけ。わかる? ドゥーユーアンダースタン?」

「はあ……?」

 

 駄目だ。全然伝わらない。

 というか、なんで俺がわざわざ丁寧に説明してんだろう……。

 

「ザザ! さっさとやっちゃってよ」

「ああ」

 

 ザザの細剣がソードスキルの前兆を示すエフェクトに包まれる。

 彼らの反応は未だに鈍かったがお構いなしだ。

 事態を呑みこんでくれたのは、先頭に立っていた両手槌使いの男が胸を貫かれた後だった。

 鎧の間を縫った一撃に男のHPは4割を失う。

 

「何やってんだ、お前らあ!」

 

 曲刀使いの男がザザに斬りかかるも、反応が遅かったためソードスキルの硬直時間は終了しており、ひょいと避けられてしまう。

 もう1人の得物は――片手直剣か。彼が3人の中では一番冷静だったようで、ソードスキルを使おうと準備モーションに入っている。

 

「ザザ。ソードスキル」

「わかって、いるっ」

 

 突進系ソードスキル『レイジスパイク』。

 ザザはその軌道を見切って『リニアー』でカウンターを狙った。

 発動は彼が、しかし命中はザザが先だった。

 突進の勢いをそのままに喉笛を貫かれた彼はバランスを崩し転倒。大げさに転がりザザの脇を通過していく。大木に衝突して停止すると、HPは半分もなくなっていた。

 だが今度の隙は見逃さず、曲刀使いのソードスキルがザザのHPを減らす。

 ダメージは3割といったところ。両手槌使いに参戦されると面倒だ。

 

「ヘイヘイ、こっちも始めようぜ!」

 

 残念ながら無防備ではいてくれない、か。

 柄で短剣が凌がれるも、懐に入り込めただけ良しとしよう。

 俺は持ち前のAGIを活かしてリズミカルに手を動かしていく。

 両手槌使いの動きは鈍い。まだ理性がブレーキをかけているのかもしれない。ならば好都合とソードスキルでダメージを重ねていった。

 

「こ、このっ!」

 

 両手槌が雑に振り回され、運悪く俺を掠める。

 

「ジョニー」

「えっ? うわおっ!?」

 

 後から片手剣使いの突進。

 背中を斬られ、痛みはないが不快な感覚が滲んでくる。

 

「そっちで2人相手してくれよ」

「都合よくは、いかない、らしい」

「だから嫌なんだよ!」

 

 俺は両手槌使いと片手剣使いに挟まれていた。

 一辺に相手とか無理なんだけど……。

 すぐに移動し、全員を視界に収めるよう位置取りをするも、逃がす気はないと言わんばかりに追いかけてくる。

 どちらも手負いだが、短剣のダメージでは時間がかかりそうだ。

 

「君たち、例のレッドプレイヤーだな」

「知ってんの? 嬉しいねえ」

「いい懸賞金が懸かってるらしいからな」

「うげっ……」

「今なら見逃してやってもいい」

「ふうん」

 

 足の速さではたぶん勝っているから、逃げるだけならいつでも出来るんだけどなあ。

 

「命乞いするのはそっちだろ」

「こっちは3人いるぞ」

「いつまで3人でいられるんだろうねえ」

「………………」

 

 彼の後ろではザザと曲刀使いが絶賛殺し合い中だ。

 流石はザザ。HPの残量はすでに逆転していて、曲刀使いがどんどん押されていく。

 

「なんでこんなことするんだよ。本当に死ぬんだぞ! お前ら頭おかしいだろ!?」

「傷つくなあ」

「こっちはいい。お前はあいつのフォローを――」

「じゃあこうしよう。向こうで戦ってるお前らの仲間が勝ったら俺は引き上げる。俺の仲間が勝ったらお前らは大人しく殺される。それでどうよ?」

「ふざけやがって!」

「お前さあ。俺に勝てる前提だよね? 俺はこの前まで攻略組にいたんだぜ。お前らよりも何倍も強いわけ。だからさあ。――そういうのムカつくんだよ!」

 

 ソードスキルを叩き込んでやろうとしたところで、向こうの2人に動きがあった。

 曲刀使いのHPがレッドゾーンに入ったのだ。

 それは戦闘が視界に入っていない2人にも何故か伝わっていた。

 そういやパーティーメンバーのHPは見えるんだったか。

 

「今助けにっ」

「させねえよ!」

「邪魔だあああああああああ!!」

 

 片手剣使いが再び突進系ソードスキルを使おうとしているが隙だらけだ。

 俺のタックルで姿勢を崩し援護は失敗に終わる。

 彼の視界の先では、丁度曲刀使いがザザの細剣に貫かたところだった。

 伸ばした手は虚空を滑り、地べたを転がり無様を晒す。絶叫が森に木霊するも、システムは人の形を無情にポリゴンへ変えるとガラス細工を砕くようにバラバラに飛散させた。

 

「残念でしたぁ!」

「殺してやる!」

 

 俺には目もくれず、片手剣使いが仇のザザに跳びかかる。

 けれど地力が違い過ぎた。今更必死になったところでなにもかも手遅れだ。

 ザザは軽々とソードスキルを躱しては、細剣を閃かせていく。

 片手剣使いが恨み言は吐きかけながら死んでいったのは、それからすぐのことだった。

 

「命だけは、命だけは見逃してくれ!」

 

 両手槌使いは懸命に戦った2人と打って変わって頭を地面に擦りつけるばかり。

 こういうのでいいんだよ。ハッキリしない態度取りやがって。最初からそうしてろよな。

 

「だってさ。どうする、ザザ?」

「戦え」

 

 ……ザザほどハッキリしろとは言わないけどさ。

 

「いやだあ……」

「期待外れだ」

「じゃあ俺がもらうよお」

 

 武器を取り上げると、俺は自慢の短剣で男を何度も浅く斬りつけ殺害した。

 森には静寂が戻り、立っているのは俺とザザの2人だけ。

 

「この瞬間がイイんだよ……」

 

 鳥が一鳴き。

 今日の狩りも絶好調だった。




おそらく、そのうちプログレッシブで登場するジョニーやザザとは違うでしょうが、このような設定でいきます。


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73話 棺桶に感傷を(3)

 最近はフィールドに出るプレイヤーが格段に増え、人目に付き易くなった。

 かといって人の少ない最前線はモンスターやトラップが手強く、攻略組の索敵スキルを絶対に誤魔化せる自信もないため近寄り難い。

 PoHに教わった犯罪者フラグ解消クエストを受けさせてくれるNPCには、プレイヤーによる見張りが交代で立てられるようになり、以前のようにカーソルカラーをグリーンに戻して圏内に潜伏することも出来ないでいる。

 おかげで趣味(殺人)に割く時間は減る一方。

 逃亡とレベリングにばかり勤しむ毎日だ。

 折角自由の身になったというのに、これでは本末転倒もいいところ。

 

 どうにかならないかと思っていた矢先、PoHから絶対に見つからない拠点を手に入れたという一報が届いた。

 俺だって隠れ家を探し回っているが、なかなかこれといった場所は見つかっていない。

 そんな場所が果たして本当に存在するのか。

 半信半疑のまま集合地点へ行ってみると、招かれたのは俺だけではなくザザも同じようだった。

 そこから移動は高価な転移結晶を使う警戒ぶり。

 連れてこられたのは薄暗いダンジョンの一角で、少し歩くと風景はじめっとした監獄に切り替わる。

 左右には空の鉄格子。蝋燭の灯りがうっすらと通路を照らし、索敵スキルにはモンスターの代わりにプレイヤーの反応があった。

 

「なあ。ここ何処なんだよ?」

「すぐに教えてやる。少し待て」

 

 PoHを先頭に俺たちは道なりに進んでいくと、重厚な石扉の前で立ち止まる。

 彼はノックをして名乗りをあげるとガシャリと鍵の開く音が反響した。

 このシステムは宿なんかで壁越しに会話するための機能だ。

 ダンジョンでもその機能があるのかと久々に攻略組らしい思考を呼び覚ましていると、俺はそこで待っていた懐かしい人物と邂逅を果たした。

 攻略組の二台巨頭。

 アインクラッド解放隊のリーダー。

 絢爛豪華な一室で、デスクチェアに深く腰かけた男は――。

 

「キバオウ?」

「久しぶりやな」

 

 攻略組を抜けて以来の再開だった。

 こいつは俺がいた攻略組派閥のトップだ。

 俺が攻略組に入ったのは彼に声をかけられたからであり、多額の賞金を懸けているのも半分は彼の仕業であった。ちなみにもう半分は攻略組の2台巨頭の片割れ、ドラゴンナイツブリゲードのギルマスであるリンドの支払いだ。

 

「黒鉄宮地下監獄ゾーンへようこそ」

 

 PoHは俺たちに振り向くと、仰々しい素振りでこの場所の名を口にする。

 

「オイオイ! どういうことだよ……!?」

 

 黒鉄宮地下監獄といえば犯罪者プレイヤーが収監される場所だ。

 まさか騙されたのかと、俺とザザはすぐさま腰に下げた武器に手を伸ばす。

 

「慌てるな。そういう話じゃない。木の葉を隠すなら森の中。犯罪者を隠すなら、檻の中だ。ここはとあるギルドが購入してな。プレイヤーゾーンになったんだよ」

「キバオウは?」

「ワイはそのギルドのサブマスやで。ここの提供者っちゅうわけやな」

「アインクラッド解放隊はどうなったんだよ?」

「自分、情報古いなあ。アインクラッド解放隊は吸収合併して、今はギルドMTDになっとるで」

 

 情報に疎いのは仕方がないだろ。おまえのせいで街にしばらく入れてないのだから。

 ……MTDは情報発信系のギルドだったか?

 βテスターがギルマスで、周囲の反感を上手く宥めて大御所になったとかいう話はだいぶ前に聞いたことがある。

 

「出入りは面倒だが、悪くない場所だぜ。追手は来ねえし、すぐ近くにはレベリング用のダンジョンもある。それになによりカーソルカラーをグリーンに戻すギミックもある」

「だけどなあ……」

 

 ちらりとキバオウを一瞥。

 

「なんや。ワイのことが気に入らん言うんか?」

「………………」

 

 端的にいえばそういうことだ。

 

「命令されるの好きじゃねえんだよ」

 

 キバオウは威張り散らして頭ごなしに命令をしていたため嫌いだった。

 殺す予定のブラックリストにも入れていた。

 こいつがまだ生きてるのは、攻略組のトップということで手が出せないでいたからに過ぎない。

 

「ザザもか?」

「そうだな。俺も、好きでは、ない」

「なら2人にはキバオウから命令はなしでどうだ」

 

 PoHは俺たちを仲間に加えたいのだろうか?

 他にもPoHには仲間がいるらしいから、そいつらに頼む手だってあるだろうに……。

 あ、違う。これは冷静に値踏みしている目だ。やべえ。断れば殺される。そりゃそうだ。秘密を知ってるやつは少ない方がいいに決まっている。

 この場から上手く逃げられるとしても、PoHまで敵に回すのは避けたい。

 それだけ彼の殺しのテクは並外れてやがる。

 あとPoHのことは嫌いじゃないってのも理由のひとつだ。

 

「いいだろう」

「しょうがねえなあ」

「………………」

 

 キバオウは不服そうにしている。

 その顔が見れただけでも良しとしよう。

 考えてみればキバオウ以外断る理由もないしな。

 

「わかったわかった。ここはあんさんの顔を立てたろやないか。ただしや。約束の仕事はきちっとしてもらうで」

「政敵を殺して欲しいんだろ? 安心しろ。そういう仕事は慣れてる」

「慣れてるって、あんさん何者なん……? まあええ。ワイとしては仕事して、こいつらの手綱しっかり握ってくれるんなら文句はなしや」

「契約成立だな」

 

 握手を交わすPoHとキバオウ。

 キバオウが命じる側であり、立場が上のように普通は思うだろうが、PoHに限ってはそんなことにはならないだろう。

 むしろ俺にはこれが悪魔の契約かなにかに見えて仕方がない。

 

「そういうことだ。攻略組にはあんまり手を出すんじゃねえぞ」

 

 ザザは嫌がるだろうが、俺は最初から返り討ちに合いそうな攻略組に手を出すつもりはない。

 俺は殺したいだけであって、殺される趣味はないのだから。

 

「了解、ボス」

「ボス?」

「俺たちのボスはそこのキバオウじゃなくてあんたなんだろ?」

「それもそうだ。だがまあ、お互い気楽にやろうぜ。所詮はゲーム。そうだろ?」

「いいね、そういうの」

 

 あんまりゲームやったことないけど、言わんとしていることは理解できる。

 こんな本当に死ぬゲームなんて作るやつが悪いのであって、中でHPを0にして回ってる俺たちが悪いわけじゃないってことだ。

 そもそも俺は望んで始めたわけじゃないし。

 責任は全部ここに押し込んだあいつらにある。

 ならどうしようと俺の勝手だ。

 

「攻略組を狩るときは声をかけてやる。ザザはそれでいいな?」

「わかった」

 

 ザザはしぶしぶといった表情――かどうかはマスクでわからないが、頷いた。

 

「俺にはなんかないの?」

「そうだな……。キバオウ。囚人借りるぞ」

「なにすんねん?」

「ちょっとした遊びだ」

 

 この後俺はPoHから囚人を使った遊びを披露してもらった。

 監獄ゾーンは圏内であるためHPは減らない。

 痛覚もソードアートオンラインはカットされるため痛みもない。

 けれども人の精神というやつは意外と脆く、簡単に壊すことができるという。

 所謂、拷問というやつだ。

 水を使って溺れていると錯覚させる水責め。

 目隠しをして大音量の音を耳元で永遠に聴かせる音責め。

 不安定な姿勢で拘束して眠らせないというものも教わった。

 これらの方法では死ぬことがないためエコロジーかというと、一度発狂してしまえば再利用もできないので、そうでもない。

 しかし普通に殺すよりも刺激的で楽しい。

 中でもお気に入りは、自分の手でやっている感覚が強い水責めだ。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 エリにゃんが加わったのはすぐのことだった。

 キバオウの紹介で、MTDから引き抜いた攻略組のタンクという触れ込みだった。

 大方、集まったメンバーが自分に従順じゃないことが嫌だったのだろう。

 彼女もこんなところに来るくらいだから神経の図太いやつだった。あと身体の方も太かった。

 ザザは殺しの趣味が合わないやつだが、エリにゃんは性格が合わないやつだった。

 なにせ仕切りたがりで、細かいことを一々気にして注意までしてくる。

 あまりの面倒臭さに思わず殺したくなるほどだ。

 攻略組のエースなのも鼻持ちならなかった。

 

 それでも彼女を尊敬している部分もある。それは殺しの方法についてだ。

 5人の中で一番好きなのは誰かと問われれば、自分の殺し方さえ抜いて、エリにゃんに軍配が上がるほどである。

 ザザは言わずもがな。

 キバオウは自分では決してやろうとはしない。

 PoHのも好きだが、いささかスマート過ぎる。

 対して彼女の殺し方は支配的で優越感に浸らせてくれるものだった。

 俺は試しに一度模倣してみたが、かつてない興奮に酔いしれることができたくらいだ。

 殺す際、楽しそうに笑うのも好感が持てる。

 

 惜しむべくはあまり殺しをしないことだろうか。

 彼女は当初、自分から殺そうとすることは全くなかったのだ。

 それが変わったのは25層でMTDが大敗を喫した後。ギルド名がアインクラッド解放軍になり、治安維持部隊が設立されてからだった。

 治安維持部隊とは名ばかり。

 隊長に就任したエリにゃんが育て上げたのは、PKKに特化した殺戮部隊というのだから皮肉が利いている。

 彼女は鎮圧活動と称して、裏で死体の山を作っては積み上げていた。

 

「エリにゃん。今度一緒に狩り行こうよ」

 

 あるとき、俺はそんな誘いをした。

 

「レベリングっすか? えー、嫌っすよ。背中任せたくないっす」

「違う違う。狩りってモンスターのことじゃなくてプレイヤーの方ね」

 

 彼女が披露してくれる殺しに憧れ、普段はどんな殺し方をしているのか興味がそそられたのだ。

 それにキバオウは殺しをしないので除外すると、この中で俺が同伴したことがないのは彼女だけということでコンプリートしたかったのもある。

 

「どっちにしろ嫌っす」

「いいじゃん。部下連れてきてもいいからさあ」

「一緒にいるとこ見られたくないんすよ」

「酷くない?」

「そういう意味じゃないっすよ。ただ、自分の置かれてる立場を今一度考えることっすね」

 

 そういえば俺、指名手配中だった。

 そして彼女はそういった人物を追いかける組織のトップだった。

 

「バレないようにこっそり行くからさあ」

「正直者っすねえ……」

 

 言われてみればその通りだ。

 黙ってついて行けばよかったのかもしれない。

 

「こっちの索敵スキルに引っかかったら部下に言い訳できないんすよ。そのときは黙って殺されてくれるっすか?」

「殺気出てるよ?」

「見せつけてるんすよ」

「やだ怖い」

 

 でもそれなら、彼女の部下から逃げ切れるならついて行ってもいいってことか。

 

「はぁ……。最近の戦闘記録があるんで、それ見るだけで満足してくださいっす」

 

 俺の考えを読んでか、エリにゃんが妥協案を持ちかけてくる。

 

「そういうのコレクションしてるんだ?」

「違うっすよ。部下がこっそり撮ってたのを押収した物っす」

 

 エリにゃんはもう一度溜息を吐いてから、映像記録結晶をアイテムストレージから取り出した。

 彼女は結構な苦労性だ。

 今もキバオウから頼まれたのであろう文書系アイテムを偽造している最中だったし、そうでなくとも治安維持部隊と攻略組を掛け持ちしている。

 俺だったら忙しさに辟易して、誰か殺すついでに抜けてるだろう。

 

「面白、そうだ」

「俺にも見せろ」

 

 聞いていたのか、PoHとザザが集まってくる。

 

「やっぱりなしで――あっ!」

「いいだろ。減るものでもないんだ」

 

 引っ込めようとした手から、PoHが素早くクリスタルを盗み取った。

 取り返そうとエリにゃんが手を伸ばすものの、身長差のせいで掲げられたクリスタルには届かないでいる。

 彼女はクツクツと笑うPoHを睨み付けたが、すぐに諦めて文書の改竄作業に戻って行った。

 

「ジョニー。食い物持ってこい」

「オーケー、ボス」

「ザザはドリンクだ」

 

 俺たちは並んでソファに腰かけると、スナック片手に鑑賞会を始めた。

 立体スクリーンに映し出された風景は最初、整然とした建物の中。

 10人くらいのプレイヤーが密集にしているにも関わらず、まだスペースがある大きな部屋だった。

 大理石の壁に掲げられているのはアインクラッド解放軍のギルドシンボル。集まっている男たちは黒を基調にした鎧姿であることからギルドのメンバーであるのは明白だ。

 巨体の男たちに囲まれているのは同じく全身鎧を身に纏ったエリにゃん。

 彼らは今か今かと獲物を待ちわびる、飢えた獣の群れであるかのようだった。

 

「隊長。今回のターゲットはレッド(殺人)ではなくオレンジ(窃盗)とのことですが、如何しますか?」

 

 エリにゃんの隣に立つ男が毅然とした姿勢と声で問いかける。

 

「なにか問題でも?」

「いえ。どこまでやって良いものかと」

「いつも通りっすよ。適当に残すように」

「つまり殺しても?」

「勿論。ただし周囲に一般プレイヤーがいた場合は厳禁っすからね」

「了解しました」

 

 彼女の回答に男たちが沸き立つ。

 これが治安維持部隊の本当の顔か。

 見ているこっちまで一緒になってワクワクしてきちまうじゃねえか。

 そこからしばらく画面に動きはなかったが、それがむしろ緊張感を煽る良い演出になっていた。

 固唾を飲んで凝視していると、突然部屋に青紫色の穴のようなものが開く。

 たしか回廊結晶の門だったか。遠隔地と空間を繋げる超高級アイテムだ。こんな代物を使って狩りができるなんて贅沢なやつらだが、これだけの大人数だと転移結晶よりは安上がりなのかもしれない。

 門が開かれるや否や、エリにゃんを先頭に彼らは一目散にその中へ跳び込んでいく。

 

 風景は変わってダンジョンの中に。

 天井の高い広大な空間は、もしかすればクリア済みとなったボスフロアなのかもしれない。

 ステンドグラス調の鮮やかな色彩に包まれたそこには、腰を落ち着けて食事をしていたプレイヤーたちが沢山。たぶん10人以上いる。

 

「全員動くなっす。逃亡を試みれば実力行使に出るっすよ」

 

 そんなつもりさらさらないだろうに。

 エリにゃんは下卑た笑みを浮かべながら、彼らに降伏を促していた。

 

「軍の連中か!?」

 

 盗賊一味が驚いている隙に、彼らは早足で彼らを取り囲むよう位置取りをしていく。

 足こそ速くはないが、迷いがない分早い。

 ガチャガチャと連中が武器を抜いたのは、周囲を完全に囲まれた後だった。

 

「転移――うわっ!?」

 

 誰かが転移結晶で離脱を計るも、すぐに小型のナイフが投擲されクリスタルを弾き飛ばされた。

 床に転がるクリスタルとナイフの渇いた音に、慌てていた彼らも一瞬で静まり返る。

 

「おやぁ? 折角警告してあげたのに。これは仕方がないっすねえ」

「違う! 今のはあいつが勝手に――」

 

 エリにゃんにつられてゲラゲラと不気味な笑い声が響き渡っていた。

 その異様な合唱にリーダーらしき男はすっかり気押されている。

 

「やれ」

「クソッ!」

 

 エリにゃんの淡白な号令。

 けれど彼らもオレンジとはいえ怯えているだけの子羊ではなかったようだ。囲まれながらも手にした武器で果敢に反撃を行う。

 両陣営10人以上。始まったのは今まで見たことのない、大規模なPvP(殺し合い)だった。

 人数はたぶん治安維持部隊の方が少ない。その上2人を近接戦闘ではなく、外周に配置して投擲での牽制に従事させているため人数差は広がる一方だ。

 撮影者もどうやらこの牽制要員の1人であり、おかげで戦闘の全体がよく見渡せる。

 彼は転移結晶を使おうとするプレイヤーを止めるための役割のようで、開幕で見せたようにクリスタルを狙い撃ちにこそ出来てはいないが、ダメージを受けるだけでも発動はキャンセルされるので問題はないみたいだ。

 

「リーダーから狙うのが常套手段っすよねえ!」

 

 乱戦の中でもハッキリ聞こえる張り上げた声。

 リーダーに斬りかかったエリにゃんは、逆に大勢のプレイヤーの注意を引いて襲われてしまう。

 

「隊長。援護は!?」

「結構。各員自分の役割を果たせ」

 

 なるほど。自分に注目させて人数差を部分的に覆すのが狙いだったようだ。

 彼らはエリにゃんの狙いに気がつけないのか、5人がかりで我武者羅に剣や槍を振り回す。

 確かにエリにゃんを殺せれば動揺が広がり逃げ出す隙も生まれそうだが……。

 彼らとエリにゃんの実力には大きな隔絶があり、傍目から見れば不可能なことはすぐに理解できる。

 そもそもこれほどの大人数で攻撃しても互いの武器が邪魔で上手く動けないだろう。頭に血が上ってそんなこともわからなくなっているのだろうか。

 いや。彼女が連携させない立ち回りをしているせいもあるようだった。

 エリにゃんは攻略組でタンクを務めるだけあって盾の扱いが絶妙だ。

 生半可な威力の武器では最前線の装備である大盾は崩しようがなく、大技のソードスキルを使えば同士討ちをさせて攻める気概を削られる。

 背後を取れれば最善だが、そこは足捌きと周りの戦闘状況を利用して容易には立たせないでいた。

 抜いた剣はほとんど振るわず、盾で殴りつけるだけで時間は浪費されていく。

 次第に他の連中が麻痺武器でオレンジプレイヤーたちを拘束していくと人数差は埋まってしまい、最後には合流した全員で5人は袋叩きにされた。

 

「Good game.流石はエリだ」

 

 PoHが拍手を送る。

 

「そうっすか? これだけレベル差があれば誰でもできるっすよ」

「……そこじゃない。俺が評価したいのは実力を周囲に知らしめてる点だ。部下を従わせるためにやってるんだろ。単純だが良い考えだな」

「それはどうも。同レベル相手にこんなことはしたくないっすけどね」

「したくはないだろうが、出来るんだろう?」

「さあ。相手によるっすよ」

「それもそうだ」

「なんか2人で頭良さそうな会話してる……」

 

 相変わらずエリにゃんは細かいところまで考えてんだな。それにPoHも。

 そうまでしないと人の上に立つのは無理なのだろうか? だったら憧れこそするが、俺にこういう戦法はできそうにない。

 

「つうかさあ。エリにゃんって実際どんくらい強いわけ?」

「んー……。かなり強いと思うっすよ。なんせ場数が違うっすから。対人戦の経験ならSAOでも随一じゃないっすかね」

「ああ。そりゃそうだ」

 

 俺も結構殺してきたと思うけど、日常的にレッドやオレンジプレイヤーぶちのめしに行ってるんだからそうなるのか。

 

「え。じゃあザザとエリにゃんどっちが上?」

「あー、そいつはなあ……」

「エリだ」

 

 PoHが言葉を濁し、ザザが断言する。

 

「なんかあったの?」

「この前ザザがエリに殺されかけたんだよ」

「うわぁ……。マジで?」

「襲撃されたのは私の方っすよ」

「俺が止めなきゃお前、ザザのこと殺してただろ」

「それはだって……。生かしておいたらまた来るかもしれないじゃないっすか」

「否定は、しない」

「ほらあ」

「ザザ、お前いい加減にしろよ」

「………………」

 

 俺のいないところで一悶着あったらしい。

 ザザならいつかやりかねないと思ってたけどもさあ……。

 

「もしかして次は俺の番?」

「その予定は、ないな」

 

 それはそれで釈然としないんだけど。

 

 ――映像はどうやら続きがあり、捕まったオレンジプレイヤーはジャンケン大会で殺される生贄を決めるという狂気の沙汰が始まっていた。

 大の大人が泣きながらジャンケンをする光景はシュールで笑い、首を跳ねられるのを焦らされている光景でもう一度笑えた。

 こんな素敵なショーなら何度も繰り返し見たかったのだが、エリにゃんが今度はしっかりとクリスタルを確保すると早業でデータを削除したため、鑑賞会はそれで解散となった。



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74話 棺桶に感傷を(4)

「――戦い方を教えて欲しいだ?」

 

 PoHの呆れ気味な声が響き渡る。

 

「い、嫌なら別にいいんだけどさ……」

 

 キバオウは上――黒鉄宮の地上部分にいることがほとんどで、エリにゃんもこっちに降りてくるのは仕事関係のときくらいだ。ザザはソロで狩りに出かけているので、今この場には俺とPoHしかいなかった。

 

「ほら。ボスと俺って使ってる武器同じだろ」

「そうだが。どうした、急に?」

「あー。俺って弱いじゃん? だから、さ……」

 

 キバオウは前線に出なくなって久しため俺より弱いだろうけど、俺の次に弱いのがザザという点で実力の差があまりにもかけ離れている。

 3人からすれば俺もキバオウも大きな違いなんてないだろう。

 PoHは面倒臭そうに溜息を吐くと、じっと俺を見てくる。

 相変わらずフードの影になって顔は見えないが、彼は今、俺の瞳を覗き込んでいるような気がした。

 

「そうか。……なるほど。わかった」

 

 見透かしたかのように語るPoH。

 

「今度な」

 

 彼はお決まりの断り文句を呟いた。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 などとあの時は思ったのだが、俺は現在PoHに短剣の使い方を教わっている。

 場所は黒鉄宮地下にある監獄、その先にある地下ダンジョンの入り口手前にある開けたスペースだ。

 監獄ゾーンは圏内であり、ダンジョンのすぐ傍といえども、ここもまた圏内。

 ダメージを発生させない模擬戦をするにはもってこいの環境で、それを活かした特訓をここのところ暇を見つけてはチビチビと続けていた。

 

「腰が退いてるぞ」

「クソッ!」

 

 PoHの短剣捌きは非常に速い。

 来ると感じたときにはすでに斬られている、といった場合がほとんどだ。

 見てから動いたのでは到底間に合わず、かといって先読みしようとしてもフェイントを織り交ぜてはいいように遊ばれるのがオチだった。

 結果、俺は武器の届く間合いに入れず、PoHの一挙一動にビビって後ろへ後ろへと逃げ続けることしか出来ないでいる。

 PoHは一度も俺に攻撃を浴びせていないにも関わらずだ。

 彼のフェイントはそれほど真に迫っていた。

 

「どうしろってんだよ!」

「誘ってんならともかく、そうでないならやり返す気概を見せろ。だから好き放題にされてんだ」

「このっ!」

 

 斬られたところでHPが減るわけでもない。

 ならばと俺は前に踏み込み、短剣を振るう。

 ソードスキルを使わないのは、特訓を始めた頃に散々注意されたからだ。我武者羅に使っても、技後の硬直時間で返り討ちにされるのを身体で嫌という程覚え込まされた。

 金属の打ち鳴らされた音。

 小さな火花を咲くものの、俺の攻撃はPoHの短剣によって容易く受け止められる。

 当然か。言われるがままにやっていたのでは防がれるのも道理だ。

 

「お前は単純だなあ……」

「ボスがやれって言ったんだろ」

「それもそうだ。よし、ならどんどんやれ」

「あーもうっ!」

 

 俺は次々に打ち込んでいくがどれも完璧にガードされてしまう。

 PoHの武器は同じ短剣カテゴリーではあるが重量級の大型ダガー。さらに俺はステータスのほとんどをAGIに割り振っているため、速度ではこちらが有利のはずだ。

 しかしまるで届かない。

 終始彼は慌てることもなく、悠々と先に動いては狙った地点にダガーを置いている。

 試しにフェイントを入れてみるが反応はなし。

 本命だけに反応する彼は、後出しジャンケンをする機械を相手にしているかのようでさえある。

 

「そろそろ攻撃、再開するぞ」

 

 攻撃させてもらえていたのも束の間。

 PoHは宣言通り短剣を閃かせたため、咄嗟に距離を取る。

 かろうじて回避に成功するも短剣は取り回しが良く、次の攻撃がすでに迫っていた。

 さらに一歩後ろへ。

 しかしこれはフェイント。

 俺が下がっている間にPoHは姿勢を整えて、次の攻撃に移れるようになっていた。

 こうなってしまえば再び一方的な戦いが始まる。

 俺が攻めに転じる余裕を失って壁際まで追いつめられるのに、時間は多くかからなかった。

 

「どうした。普段の威勢は何処に行った?」

 

 PoHが手を休め、俺が攻撃を再開する。

 今度はガードではなくステップを使った回避。

 俺の短剣は虚空を斬るだけで手応えを感じない。

 PoHが壁際まで俺よりずっと小さな歩幅で後退していくと、それから攻撃を再開して攻守を入れ替えさせてくる。

 

 壁から壁へ。

 何往復もしながら、PoHに従い短剣を振る。

 一度もクリーヒットは与えられず、稀にPoHの攻撃が俺の身体を斬り刻む。

 ダメージはないが不快感を受け、架空の肉体は徐々に疲れを訴え始めていた。

 

「休憩だ」

 

 俺が肩で息を始めてようやく休憩をもらう。

 けれどもおかしい。いつもなら、ここからが本番だと言って特訓を続けさせてくるのだが……。

 ふとPoHの視線――顔が俺に向けられていないことに気がついた。

 その方向に俺も目を向けると、なんてことはない。エリにゃんがやってきていたのだ。

 彼女の格好はラフな私服ではなく、黒を基調としたALFカラーの重装鎧。攻略の帰りか、それとも治安維持部隊で一仕事終えてからまっすぐこちらに来たのだろう。

 

「またやってたんすか」

「別にいいじゃん。ほっといてよ」

 

 茶化されるのは嫌いだ。

 俺は手を払うように振って何処かに行ってくれとアピールするも、その手に茶色い長方形の固形物を渡された。

 チョコレートだ。

 

「食べるっすか? 疲れに効くっすよ」

「……食べる」

 

 包み紙すらない剥き出しのチョコレートだったが、体温で溶けて手に付くということはない。

 ガリっと噛み砕けば、口の中に甘さが広がる。

 たしかにこれは疲れた身体に効く気がする。ただし飲み物が欲しくなるが……。

 

「ジョニーはもっと飽きっぽいと思ってたんすけど。意外とマメなんすね」

「ま、まあね」

 

 褒められたのだろうか……?

 エリにゃんはあんまり褒めることをしないので結構驚いた。

 意外とというのは余計なお世話だが、彼女の言う通り飽きっぽいというのは本当のことなので素直に受け取っておこう。

 

「俺にも寄越せ」

「まあいいっすけどね」

「……安物だな。こんなの食ってるのか?」

「文句言うなら食べるなくていいじゃないっすか。昔からの習慣なんすよ」

「不味いとは言ってないだろ」

 

 バリボリとチョコレートを貪るPoHの姿は、かなりシュールな光景だった。

 

「今度はもっとマシな物を持ってこい。そしたら俺もなにか用意しといてやる」

「いらないんで用意しなくていいっすか」

 

 相変わらず、すげない態度を取るエリにゃん。

 こんなやり取りは日常茶飯事なので、今更思うところはあんまりない。

 ……下手な事を言ってPoHに殺されるなんて末路はいくらなんでもごめんだ。

 

「…………それで、なんの用だ?」

「最近中層で起きてる連続殺人事件について情報ないっすか?」

「場所は?」

「32層っす」

「……ザザだ」

「「はぁ……」」

 

 2人は揃って深く息を吐いた。

 

「目撃者は?」

「いないっすよ」

「モンスターのせいに出来ねえか?」

「流石に立て続けで、違うモンスターの分布だから無理っすよ」

「なら替え玉だな」

「それしかないっすね」

「ザザには控えるよう注意しておく」

「お願いするっす」

 

 あっさりと別の人間を生贄にする事が決まる。

 これまた見慣れた光景だが、犠牲にされる側にいなくて本当に良かった。

 

「――それで、PoHの指導はどうっすか? なにか効果的な教え方があるなら、治安維持部隊でも参考にしたいんすけど」

「ボス……。正直に言っていい?」

「おう」

「あんまりわからない」

「ぷふっ! へえー……」

 

 エリにゃんは鬼の首を取ったかのように、厭らしく笑う。

 

「人に物を教えるのは苦手っすかあ」

「ジョニー。お前、偉くなったもんだな」

「待ってくれよボス」

「仕方ないっすねえ。特別にアドバイスの1つくらいはしてあげようじゃないっすか」

「………………」

「いや、うん……。ボスって強いじゃん。だから手も足も出なくってさ……」

「基礎をもっとやってほしいんすか?」

「そうなのかなあ……」

「素振りから始めるか? ジョニーちゃんよお」

「あー、違うかも……」

 

 腕を組んで少し考えを巡らせてみる。

 俺は何を求めているのか。

 何が足りないと感じているのか。

 ……PoHの教え方ではイマイチ強くなっている気がしないのだ。やっているのは模擬戦の繰り返し。時折アドバイスを挟んで、PoHは手を変えながら相手をしてくれている。

 強くは――なったのかもしれない。でも微々たる差ではないのか。ザザに勝てるようにとは言わないが、その辺の雑魚と同列という序列からは抜け出したい。

 

「手っ取り早く強くなれる方法ってない?」

 

 口に出して、これは流石に望み過ぎだと思った。

 あれば誰だってやっている。

 

「ほほう。そういうの得意分野っすよ」

「マジ?」

 

 予想外の回答に俺は思わず食いつく。

 

「数を揃えて囲んで殴る」

「俺強くなってないじゃん」

「冗談っすよ。まずは武器を良い物に変えるところからっすかね」

「そういうんじゃないんだけど……」

「でもほら。PoHもかなり良い物持ってるみたいっすよ」

「これか?」

 

 PoHの武器はたしかに見たこともないサイズの巨大なダガーだ。ダガーというか、刃先のない包丁のような形状である。以前使っていた武器を見ていなければ、これが短剣カテゴリーだと考えるプレイヤーは少ないだろう。

 

「『友切包丁(メイト・チョッパー)』。良い武器だぜ。なにせプレイヤーを殺すたびに攻撃力が増加する仕様だ」

「増加量にもよるっすけど、かなりの魔剣っすね……。なんでこんな物騒な代物がこいつの手にあるんすか……」

 

 短剣カテゴリーの武器は攻撃力が低い。

 それを覆せるのなら、とんでもない武器だ。

 聞いていて、俺が勝てないことにも納得しかけたが、そもそも勝てない理由が攻撃力云々ではないことを思い出して憂鬱になる。

 

「良い武器探してみるよ。でも、俺がそれより凄げえ武器手に入れても勝てる気がしねえんだけど」

「あとはレベル、スキル熟練度――」

「もっと、腕が上がるような特訓とかない?」

「贅沢っすねえ……」

「そこをなんとか頼むよお」

 

 エリにゃんが考える素振りをしたのは僅かな間。

 

「そもそもなんで短剣なんて使いにくい武器選んだんすか?」

「……格好良かったから?」

「正直に言うと弱いっすよ、短剣って」

「そ、そうなの?」

 

 でもPoHは強いわけだし。

 決して使えない外れ武器ではないはずだと、助けを求めるようにPoHを見る。

 

「そうだな」

「マジかよ……」

「対人戦なら両手剣か両手槍、あとはカタナ辺りが強いっすかね」

「たしかに。あんまり相手にしたくはないな……。でもエリにゃんだって片手剣だろ?」

「私は対人戦じゃなくてエネミー戦がメインなんすよ。それで、武器変えてみる気はあるっすか?」

「それもなあ……」

 

 これだけ使えば愛着湧いてるし。

 短剣使いとしてのプライドもある。

 

「まるっきり才能がないわけでもねえんだ。その話は俺がもう少し面倒見てやってからでもいいだろ」

「ボスぅ」

「情けねえ声出すな」

「ならスキル構成を変えるくらいしかないっすね」

「どういうこと?」

「短剣の装備条件を阻害しない、格闘スキルなんかを習得すれば戦い方に幅が出るってことっすよ」

「そいつは難しいんじゃないか? 下手に手札を増やしても使いこなせなきゃ、混乱するだけだぞ」

「そこは指導してやればいいじゃないっすか」

「しかたねえな……」

 

 PoHとエリにゃんはそれから、習得するスキルのことや、習得クエストをひっそりクリアするための段取りなんかを話し合い始めた。

 格闘スキルはどうやら習得にクエストを要求するらしく、拘束期間も長いらしい。

 けれどもエリにゃんがクリアの裏技を知っていたので問題は解消。

 あとはどのような戦闘スタイルを目指すか。練習方法はどうするのかなどを話に移り変わっていく。

 2人の会話は徐々にヒートアップしていき、ついていけない俺はほとんど置いてけぼりだ。

 ……でも悪い気はしない。

 

「――おい。どうした?」

 

 ぼんやりと眺めていたせいか、突然PoHが声をかけてくる。

 

「ん。なんかさ。こういうの楽しいなって」

「……ハッ。だったらもっと厳しくやっても大丈夫そうだな」

「それとこれとは話が別だぜえ!?」

 

 俺の悲鳴に笑い出す2人。

 つられて俺も笑ってしまう。

 帰ってきたザザも後から話に加わり、その日は皆でスキルや戦闘について熱い議論を、時間も忘れて交わし合った。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 ソードアート・オンラインが始まり2度目の新年を迎えたあの日。

 俺たちの集まりに名前が付いた。

 その名も『ラフィン・コフィン』。

 名前の由来は黒鉄宮の監獄エリアを棺桶になぞらえて、そこで哂う者たちという意味らしい。

 ラフィン・コフィンの名はただ名乗り始めたというわけではない。

 ちゃんとシステムに従ってギルド作成クエストを行い、エンブレムも作った。

 蓋の開いた棺桶に哂う顔、棺桶の隙間からは片腕が手招きするように出ているエンブレムだ。

 キバオウは勿論のこと、残念ながらエリにゃんもギルドには加入してくれなかったが、2人がALFから抜けると地下の集会所が使えなくなってしまうので泣く泣く断念。

 メンバーリストには連ならずとも、そういったメンバーも多く囲っているギルドなだけあって、2人は今でも仲間だと俺は思っている。

 

 俺はPoHがギルドを作ろうと言い出した時、心の底から歓喜した。

 今までずっと何処にも居場所がないと感じていた俺が、ようやく手にした居場所だったからかもしれない。

 実態を聞けば他人は顔をしかめるだろうが、それでも俺にとっては大切な仲間で、居場所だ。

 SAOにログインしたのがジョニー・ブラックに生まれ変わった日なら、あの日は俺が1人ではないのだと確信を得た日だった。

 

 ラフィン・コフィンの構成員はほとんどがPoHと協力関係のあったレッドプレイヤーたちだ。

 それ以外のレッドプレイヤーは、正月に起こした『ラフコフの産声事件』や、その前後で大胆に一掃していった。

 ついでにキバオウの邪魔になっていた連中も消してやったのは、キバオウからの依頼があったからとはいえ、俺たちなりの日頃の感謝の気持ちでもある。

 今まではPK扇動集団の頭目と噂されていた存在も確かではないPoHは、晴れてSAO最凶の殺人ギルドのギルマスに。

 俺とザザはPoHの両腕となり、俺はサブマスの地位を手にした。

 SAOで3大ギルドといえば、攻略組の要である血盟騎士団。所属プレイヤー最多のアインクラッド解放軍。そして殺人ギルドラフィン・コフィンと呼ばれるようになるまでに、時間はかからなかった。

 

 サブマスになった当初は俺も下っ端に愛想よく技術のレクチャーなんかをしてやっていたが、これは元来の飽き性が発露してすぐに止めた。

 結局のところラフィン・コフィンの名を得てからもやっていることは変わらず、気ままにPoHやザザと殺しの毎日だ。

 変わった事といえばALFの関係だろうか。

 エリにゃんは忙しさのあまり攻略組からドロップアウト。これは悪かったと反省している。

 それと以前はキバオウが上という関係だったが、死体の数が立場を逆転させていた。

 曰く、ラフィン・コフィンの恐怖によってALSに加わるプレイヤーが増えたとのこと。

 安全を保証することよりも、恐怖を蔓延させることの方が簡単かつ採算が取れるという計算がされたらしい。

 おかげで俺たちの活動は坂を転がるように、エスカレートする一方だった。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

「腕を、上げたな」

 

 久しぶりにザザと人狩り(遊び)に出かけた帰り、彼は普段通りの途切れ途切れな口調でそう語った。

 

「でしょでしょ!」

 

 今日の狩場は前線付近。

 攻略組ではなかったが、もう1歩か2歩で届くだろうという連中だった。

 主導はザザ。つまり正面戦闘であったが、俺も危なげなく1人を撃破している。

 これもPoHの指導の賜物だ。

 最近では稽古をつけてくれる頻度こそ減ったものの、完全になくなったわけではない。

 帰ったら頼んでみようかなと思いを巡らせながら、良い機会だからずっと抱えていた疑問を投げかけてみることにした。

 

「ザザはさ。どうしてそんなに強さに拘るのさ?」

 

 ザザは未だに強豪プレイヤーを狙っている。

 先日はついに縛りも解けて、攻略組の1人をヤったところだ。

 彼の強さは嫌というほど知っている。

 でも、いつか返り討ちにされるのではないかと俺は気が気でなかった。

 

「さあな……」

「教えてくれたっていいだろ?」

「俺にも、よくわからん」

「なにそれ」

「わからないから……、戦っているのかも、しれないな……」

「………………」

 

 スカルフェイス越しに彼方を見つめるザザ。

 

「お前はどうだ。何故、強くなりたい?」

「俺? あー、笑うなよ……」

「無論だ」

「――皆と一緒にいたかったんだよ」

 

 俺は自嘲気味に頬を掻く。

 

「弱かったら、捨てられるんじゃないかって。皆の隣にいられなくなるんじゃないかって思ってさ。……へへっ。努力の甲斐あって今じゃこうしてサブマスだぜ」

 

 我ながら大躍進したものだと胸を張りたい。

 

「お前は、ソロで動くのが、得意なはずだ。誰かと、組まずとも、十分やれる。……俺に、無理をして、付き合う必要も、ない」

「迷惑だった?」

「いや……。お前は良い腕を、している。そうでなくとも、組んで戦うのは、悪い気がしない」

「お。嬉しいこと言ってくれるねえ」

 

 いつもの軽い口調で流したが、俺はこのとき本当に嬉しかった。

 ザザの足手纏いになっていないかと気にしていたし、そうでなくともという言葉に俺は救われた。

 ズタ袋を被っているでザザからは見えなかっただろうが、すっかり表情がにやけていたに違いない。

 

「それってさ、友達ってことなのかな?」

 

 だから大胆にもそんなことを口走ってしまった。

 

「………………」

「あ、あれ? 違った?」

「……いいや。違わない」

「俺、友達なんて今まで1人もいなかったからさ……。嬉しいな、こういうの……」

「そうか。……俺もだ」

 

 そう言った彼の口から、微かに笑い声が零れた。

 ザザが戦闘以外で笑っているのは初めて見たかもしれない。

 

「いつまでも、こうしてたいな」

「それは、無理だ。すでに、半分が終わった。いずれ、終わりは訪れる」

 

 今の最前線は53層。徐々に攻略ペースが落ちてきていることを鑑みれば、クリアされるまでに残された時間は長く見積もってあと2年くらいか。

 大多数のプレイヤーが現実への帰還を願う中、俺は逆にいつまでもこのゲームが続けばいいのにと願っていた。

 

「じゃあ俺たちで攻略組の妨害してやろうぜ。そうすりゃもっと長く遊べるっしょ」

「いい考えだ」

「それにクリアされちゃっても、向こうで会えば良いだけだしな」

「………………」

「ありゃ。嫌だった?」

「……向こうで、か」

 

 SAOじゃリアルの話を持ち出すのはタブーとされていて、それはタブーを犯しまくってる俺たちの間でも共通の認識だ。

 でも、SAOが終わったらなにもかもなくなるなんて俺は嫌だった。

 失うくらいなら、現実に帰る前に死んじまった方がマシかもしれない。

 

「会えば、失望するぞ」

「俺もそんなんだよ」

「……気が向いたら、な」

「これ、俺の連絡先ね」

「………………」

 

 暗記していた携帯のアドレスをフレンドメールでザザに送る。

 ザザはしばらくメールを見つめてから、返信。

 書かれていたのは同じく彼のアドレスだった。

 

「よし! あとはボスとエリにゃんの連絡先もゲットして、ついでにキバオウのも聞いて、攻略組を蹴散らすだけだな」

「威勢がいいな」

 

 これで俺たちの友情に終わりはない。

 例えソードアートオンラインが終わりを継げようとも、この関係は永遠だ。

 

 

 

 そのときの俺は、純粋にそう信じていた。



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75話 棺桶に感傷を(5)

 イベントダンジョン後のインスタンスエリア。

 モンスターの再出現(リポップ)がなく、迷宮を移住スペースに改良したこの場所はメンバーからも好評だ。

 ラフィン・コフィンは黒鉄宮の他にもいくつかの拠点を持っている。というか、幹部メンバー――いつもの5人以外はあの場所のことを知らない。

 だから集会なんかをやるときは別の拠点を使うわけだ。

 

 俺が寝泊まりしている場所は日によって異なるが、大抵は黒鉄宮地下に用意された牢獄の一室だ。

 しかしメンバーから住んでいる場所を勘繰られないよう、わかり易い場所を用意しておけとPoHから指示されており、こちらにも私室を設けることになった。

 今日の任務はその私室のの飾りつけだ。

 盗まれて困るような大事なアイテムは置かず、住んでいると思わせる程度の家具は配置しておけと言われたので、ベッドやチェストボックス、ついでにクリスマスパーティーで使った道具なんかも置いてみた。

 

 すでにカレンダーは5月。

 季節感は滅茶苦茶だが、このダンジョンは青白い水晶のような壁をしている。

 それはさながら氷の城を思わせる幻想的な様相で、冬のイメージを彷彿とさせていた。だからあながちミスマッチでもないと言い訳をしておこう。

 

「ジョニー。いるか?」

 

 ノックの後にPoHの声が通路からした。

 

「なんか用?」

「ん。ちゃんとやってるみたいだな」

「ボス。いくら俺でも部屋の飾りつけくらい1人でできるぜ……」

「だろうな。いくらなんでもそんな心配はしてない。別件だ」

 

 PoHは部屋に入るなり、システムウィンドウを操作する。

 おそらく偵察スキルを使っているのだろう。

 ここは俺たちの拠点であるが、メンバーはアウトローの連中ばかり。

 そこかしこに馬鹿が潜んでいてもおかしくない。

 彼は周囲に盗み聞きをする不届きな輩がいないのを確認できたのか、話を続けた。

 

「最近エリの様子がおかしい。何か知らないか?」

「エリにゃん? そういやあんまし見ないね」

 

 黒鉄宮地下にまったく顔を出さないというわけではないが、言われてみれば頻度は最近少ない気がする。来ても淡々と事務的な確認作業しかしていないような……。

 忙しいのだろうか。

 でも攻略組は辞めたわけだし、ラフィン・コフィンも大きな事件は起こしてない。

 小さな事件は日常的にあるから、そのせいだと言われればそれまでだが。

 

「こいつに見覚えはあるか?」

 

 PoHが差し出してきたのは1枚のブロマイド。

 そこにはマイクを手にした女性が写っていた。

 栗色のセミロング。歳は成人していない程度。装備は全体的に白のカラーリングで統一されている。背景は夜空だが、強い光が当たっているようで不自然な方向から影が伸びていた。

 

「誰……?」

 

 どこかで見たような気もするが、思い出せない。

 

「名前はユナ。ストリートシンガーだったらしい」

「ストリートシンガーって、SAOで?」

「ああ」

 

 変わったことをするプレイヤーもいるものだ。

 

「エリとは親交があったようなんだが、そいつが死んじまってな」

「それが原因ってこと?」

「どうだろうな。そんなことは今までも何度かあったんだが……」

「ふうん」

 

 25層のことや、ラフィン・コフィンを作ったときに湧いた馬鹿な部下のことだろうか。

 俺は受け取ったブロマイドを角度を変えながら眺めていると、頭の片隅に閃くものがあった。

 

「あっ」

「どうした?」

「もしかしてこいつが死んだのって先月?」

「そうだ」

「……そんときいたかも。エリにゃんとバッタリダンジョンで鉢合わせてさ。トラップに嵌ってたプレイヤーをエリにゃんが始末したんだよね……。もしかしたらその子かもしんない。知りあいっぽかったし」

 

 たぶん、トラップにかかったプレイヤーを逃がそうとしたやつだ。

 救助されたプレイヤーは俺が直接ハイドアタックで殺したわけだが、彼女の方はエリにゃんがトラップレバーを使ってブチ殺した。

 そのときのエリにゃんは、すぐに他のプレイヤーがやってきている事を警戒して撤退を促すなど、冷静に見えたのだけど……。

 

「もしかして不味かった?」

「いや……。別に……」

 

 PoHにしては歯切れの悪い返答。

 フードに隠れた素顔は、今どんな表情をしているのか窺い知れない。

 

「話はそれだけだ」

 

 そう言うと彼は立ち去り、俺は家具の設置作業に戻った。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 それから1週間も経たないうちに、俺とザザはPoHに呼び出されていた。

 時刻は深夜。場所はフィールドの外縁部。

 見渡す限りの荒野で、モンスターの出現数は多くない。

 わざわざ黒鉄宮などの拠点ではなく、こんな場所を指定したのには些かの疑問があったものの、そこはPoHを信頼して黙って向かうことにした。

 偵察スキルを使っても他に人影はなし。

 隠密ボーナスのかかる木陰なんかもないことから、集まったのは俺たち3人だけであるのは間違いないだろう。

 

「ようやく来たか」

「時間通りでしょ?」

「そうだな」

 

 PoHの声は感情の起伏を感じさせない、淡白なものだった。

 冷たい風が一陣吹き荒び、背筋を凍らせる。

 夏も間近というのに妙な風だ。

 

「PoH。本題は、なんだ?」

 

 ザザが急かすように問いかける。

 そこでようやく、俺も異常な雰囲気を感じて気を引き締めた。

 

「情報屋が嗅ぎつけてる。そろそろ潮時だ」

「ラフィン・コフィンのこと? んー……。残念だけど仕方ないっか。まあ、また5人でやっていけばいいだけだしね」

 

 ラフィン・コフィンという名は気に入っていたけど、規模が大きくなりすぎて末端の構成員なんんてほとんど他人だ。

 ここらでごちゃごちゃした関係を清算してしまうのも悪くはない。

 

「黒鉄宮での集まりも終わりだ」

「…………え?」

 

 自分の耳を疑った。

 

「どういう、こと……?」

「ALFとの繋がりに勘付かれた。だから、長居は無用だ」

「なら新しい場所に移るんだよね?」

 

 俺の声は震えていた。

 彼が言おうとしていることは理解できていた。

 けれども問わずにはいられない。

 否定してくれと願わずにはいられなかった。

 

「いいや。俺たちの集まりは、これで終いにするって言ってんだ」

「なんでだよ、ボス!?」

 

 PoHに掴みかかるも、あっさりと振り払われて地面に転がる。

 彼は短剣捌きもさることながら、体術に関しても一流だ。

 でもそんなことは関係なく、力が抜けて震え出すほど動揺していたせいかもしれない。今の俺は、少し押されただけでも倒れるくらいに脆弱だった。

 起き上がれず、両手を突いてPoHを見上げる。

 その大き過ぎる影は暗雲を背に、世界の終焉を告げていた。

 

「丁度いい場所があったから身を寄せ合ってただけだろ。俺たちの関係なんて、所詮そんなもんだ」

「俺はっ……。俺はそうは思ってないよ……」

「………………」

 

 地面に染みが作られていく。

 ボロボロと降り注いでいる液体は、涙だ。

 ジョニー・ブラックの流す初めての涙だった。

 金本敦だった俺は辛いことも苦しいことも沢山経験してきたつもりだが、こんな胸が張り裂けそうになるほどの悲しい感情は味わった事がなかった。

 PoHを引き留めようと口を開くも、嗚咽が溢れるだけで言葉にならない。

 

「情報屋を、殺せば、いいだろ」

 

 ザザもPoHの考えに反対してくれる。

 彼もバラバラになるのが惜しいと感じてくれているのだろうか。

 

「相手も対策くらい立ててるさ。それに殺しちまえば話に真実味が出る。むしろ悪手だろうな」

 

 対してPoHは取りつく島がなかった。

 彼の中でラフィン・コフィンが、俺たちの集まりが、解散することはすでに決定事項なのだろう。

 もしそうなら、この話はどうにもならない。

 PoHは俺たちの中核だ。

 彼が抜けてしまえば俺たちは立ち行かない。技術やコネクション云々ではなく、集団として。PoHを欠いたまま再結集したとしても、それは最早別の集団だ。

 

「エリと、キバオウは、なぜ、ここにいない?」

「疑われてるのはエリだ。だから一芝居打って疑いを晴らす」

 

 疑いが晴れれば、また集まればいいじゃないか。

 だがなにかが駄目なのだろう。

 PoHにその気がないのは明白だ。

 

「それとこの件は2人は秘密にしておけ。寝首を掻かれるぞ」

 

 ……そう、だろうか?

 キバオウはまだしも、エリにゃんなら喜んで芝居に協力してくれる気がする。

 だってエリにゃんにデメリットはない。

 ならなんで隠そうとするのか。

 

 PoHの言動には違和感があった。

 ラフィン・コフィン、延いては俺たちの解散。

 エリにゃんには秘密の作戦。

 しかしエリにゃんのための作戦。

 ()()()()()()()()

 

 思い出したのは先日彼が訊ねてきた際の出来事。

 エリの様子がおかしいと心配していたことだ。

 それらが頭の中で一本の線となって繋がっていく感触がした。

 

「……もしかして、俺の、せい? 俺がエリにゃんの知り合いを殺させたから?」

 

 エリにゃんが俺の思っている以上にショックを受けていたのだとしたら。

 俺たちとエリにゃんを引き離すために解散だなんて言い出したのだとしたら。

 

 PoHがエリにゃんのことを好いているのはなんとなくだが察しがついていた。

 昔はキバオウからそれとなく庇う程度だったが、最近の行動は結構露骨だ。

 わざわざ彼女の部下から裏切りそうな不穏分子を炙り出していたし、俺の指導をしてくれたことやラフィン・コフィンの設立は、エリにゃんに過分に影響された結果だろう。

 エリにゃんはALFで教官役に抜擢されていて、部隊の隊長だからだ。

 他にも日々のちょっとした言動は、好意の裏付けにするには十分だった。

 俺は全員が平等に大切だけど、PoHはエリにゃんが1番で、優先順位があった。

 これはそういうことなんじゃないだろうか。

 

「……違げえよ」

 

 否定の言葉も、そう考えるとどこか嘘くさい。

 

「俺が悪いなら謝る。エリにゃんにだって頭下げる。だから考え直してくれよ!」

「違うって言ってるだろうが! それと余計なことはするな。いいか。わかったな?」

 

 声を荒げるPoHも、命令を強制するPoHもらしくなかった。

 けどきっと、これがフードに隠していた彼の素顔なのだろう。

 その顔はカリスマに溢れた天才シリアルキラーではなく、好きな女性のために必死になる普通の人間の顔だった。

 

「ザザ。お前はどうする?」

「エリも、殺せばいい。それで、解決だ」

「ほう。いい考えだ」

「……冗談だ」

 

 口先で肯定してみせたが、ザザが自分の言葉を撤回していなければ確実に殺していただろう。

 彼はそうやって殺す人間だと俺は知っている。

 

「ボス……。俺にはここしかないんだ。この先どうしたらいいんだよ……」

「どの道このゲームがクリアされたら散り散りになるんだ。それが早まったと思えばいい」

「SAOが終わっても、俺は皆と一緒にいたいよ」

 

 以前にもPoHに言われていたことだ。

 俺は意気揚々と皆にリアルの連絡先を聞いてみたが、返事は揃って拒否だった。

 仮にSAOがクリアされるまで生き延びることができたとしても、向こうに帰ればそれぞれの生活がある。それは決して交わらないし、SAOと同じようには振る舞えない。

 だから会えても不幸なすれ違いしか生まれないのだとPoHは諭すように俺へ語ってくれた。

 たしかに向こうでは人殺しなんて簡単に出来るものじゃない。

 でもそれを抜きにしたって皆と一緒がよかった。

 

「ジョニー。諦めてくれ……」

 

 PoHは俺に手を差し伸べた。

 その行為に俺はPoHの葛藤を感じた。

 あくまでPoHはエリにゃんが1番というだけで、俺たちに対して未練はあるのだと信じたかったからかもしれない。

 でもそうでなければ、こうして俺やザザを呼び出して説明などせずとも、勝手に1人でやってしまうことだって出来たんじゃないだろうか。

 だけど……。それでも……。

 PoHに俺は選ばせてしまったんだと思う。

 エリにゃんに辛い想いをさせるくらいなら、ラフィン・コフィンなんてなくなってしまえと。

 

 俺はPoHの手を取って立ち上がる。

 きっと、これは彼に手を取ってもらえる最後の機会なのだろう……。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 PoHの立てた作戦は2段階に分かれていた。

 1段階目はエリにゃんの誘拐。

 2段階目はエリにゃんを攻略組に奪還させるというものだ。

 エリにゃんには裏切られたと騙されてもらう必要があり、攻略組はエリにゃんが俺たちと組んでいなかったと騙す必要があるらしい。

 そういった作戦立案は俺もザザも不得手とする部分で、PoHの説明を聞き逃すまいと耳を澄ませる他なかった。

 

 エリにゃん誘拐に伴う問題点はいくつもあった。

 俺たちが彼女を裏切ることに不自然さを感じさせてはいけないこと。

 彼女を誘拐することが極めて難しいこと。

 エリにゃんが俺たちに誘拐されたと攻略組に伝えることなどだ。

 これらを一挙に解決する手立てとしてPoHは件の情報屋を利用することにした。

 情報屋を通してエリにゃんに偽情報を伝えさせて誘き出すという作戦だ。

 餌に、エリにゃんの旧友であるリズベットという鍛冶師プレイヤーが抜擢されたのは情報屋からの提案だった。情報屋も俺たちの拠点を知るため信頼を得ようと必死だったのだろう。

 

 エリにゃんがリズベットを助けず見捨てるような選択をした場合は、難癖をつけて戦闘に移行させるという多少強引なサブプランもあったが、そこはPoHの演技力でカバー。

 メインプラン通りにエリにゃんだけを回廊結晶の門に弾き飛ばして、拠点にしているダンジョンに隔離することに成功した。

 

「私よりアルゴを信用するんすか?」

「……お前の口車に乗せられる男に見えるか?」

「見えないっすね。命乞いするんで見逃してくれないっすか」

「ここまで来て、それはなしだぜ」

 

 俺とザザはボロを出さないようにするため極力喋らず、あくまでエリにゃんの拘束を手伝うだけという予定だったが、ここにきてザザが作戦にはない行動を起こした。

 

「エリ、俺と、デュエルしろ」

「ザザ、てめぇっ!」

 

 ザザが強豪プレイヤーを狙って襲撃しているのは周知の事実だ。

 それにエリにゃんを狙っていたことも。

 

「なあボス。俺からも頼むよ」

 

 でも俺はザザが本気でエリにゃんを殺そうとしているとは思いたくなかった。

 きっと彼は不器用で、こうするしか自分の感情を表すことができなかっただけなのだ。

 もしそうでなかったとしても、そのときは俺が止めるつもりでPoHに頼んだ。

 

「……クソッ。最後まで見てるだけかは保証しねえぞ」

「ありがとよ、ボス」

 

 PoHもそのつもりなのか、あるいはエリにゃんが負けるとは微塵も思っていないのか、ザザを渋々ではあるが戦わせてくれる。

 ザザがエリにゃんにデュエルを申し込み、これまで頑なに拒み続けていたそれをようやく彼女は承諾した。

 60秒という長々しいカウントダウンが表示され、2人は武器を構えて集中力を高めていく。

 

「エリにゃん。あんたは俺らのこと嫌いだったかもしんないけどさ。俺は……、楽しかったぜ。だからさ。あー、えっと……。ばいばい……」

 

 本当は謝りたかった。

 けどそれはPoHに駄目だと言われている。

 だから言えたのはほんの一部だ。

 一部だけど、それは紛れもない俺の本音だった。

 

 デュエルは俺では理解できないハイレベルな攻防が繰り広げられていた。

 2人は息を吐く暇も与えず、ギリギリの間合いで刃を交わし、躱し合う。

 どちらもSTRの方が高いはずなのに動きは桁外れに素早い。

 隠密状態で素早く移動すれば隠蔽率が下がって解除されてしまうのでついていくのもやっとだ。

 俺の役割は隠密状態でも使えるアイテムでエリにゃんを麻痺状態にさせること。これは俺の見つけた裏技で、自慢の必殺技だった。

 

 最初のうちは実力が拮抗しているようにも思えたが、エリにゃんの未知のソードスキルにザザの苦戦が徐々に明らかになってくる。

 彼女の見せた左右の剣を同時に扱うそのソードスキルは、1度確認しただけだが異常な連撃数だった。そうでなくとも、未知のスキルというのは対人戦のセオリーであるソードスキルの読み合いにおいてかなりのアドバンテージだ。

 それらのせいか、ペースを奪われてからは巻き返せずにエリにゃんの一方的な戦いに様変わりしてしまった。

 一度ザザの突進系ソードスキルが決まってヒヤッとさせられる場面もあったが、空中で放たれたソードスキルが勝敗を分かつ。

 

「下がれザザ。お前の負けだ」

「ああ。降参、だ」

 

 堰を切ったかのような怒涛の攻撃に、ザザは死亡する寸前まで追いつめられていた。

 間一髪でPoHが割り込んでいなければ、ザザも今まで俺が見てきた多くのプレイヤーと同じようにポリゴンに変わり爆散していただろう。

 

「エリ、お前も諦めろ」

 

 PoHは剣を合わせた体勢で語り掛けることによって時間を稼いでくれていた。

 俺はその隙に1秒でも早く麻痺が回るようにガスポーションを投げていく。

 けれども稼げた時間はほんの僅か。

 エリにゃんは刃を解くと、PoHに向かって獰猛な二刀流を披露する。ザザのHPを一瞬にして奪ったそれは、まだまだHPが残っているPoHさえも容易く殺しきることは想像に難くなかった。

 

 HPを回復したザザが加わり2対1の状況に持ち込むも、エリにゃんは苛烈さを増す一方。

 助けに入ったPoHさえあっという間に瀕死となり、しかし下がることさえ許されない。

 出来ることなら姿を現して2人の援護に回りたかったが、こうなったエリにゃんの前に10秒も立っていられる自信はなかった。

 だから俺は自分に任された役へ必死に没頭する。

 

「アハァッ……!」

 

 エリにゃんの恍惚とした表情は、獲物を喰い殺す際に見せるそれだ。

 傍から見れば最高のエンターテインメントでも、いざ向けられれば恐怖以外の何物でもない。

 思わず足が竦みそうになる。

 矛先に自分が入っていなくともそうなのだ。

 2人はどれだけのプレッシャーを感じているのだろうか。

 そう思うと俺は止まってなんていられなかった。

 

「ァァァアアアアア!」

「うぉおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 ここに来て、また未知のソードスキルが2本の剣から放たれた。

 輝く嵐のような連撃を、PoHは初見であるにもかかららず的確に相殺していく。

 残りの連撃数はわからない。でも直感的に手数が足りないことを感じ取る。

 ザザが駆けだしていたが回復も済んでない。

 このままでは2人揃って返り討ちだ。

 

 俺は、それでもガスポーションを投げ続けた。

 

 怖かった。

 でもそれが理由じゃない。

 俺は信じたのだ。

 PoHを。ザザを。――自分自身を。

 

「アァアアアアアア――――あっ……?」

 

 不意にソードスキルが止まった。

 エリにゃんは発動中だったソードスキルの慣性で床に転がる。

 作戦は、成功したのだ。

 

「どうにか間に合ったかぁ、な?」

 

 緊張のせいか、俺も肩で息をしたくなるほどの満身創痍だった。

 PoHの特訓もキツかったけど、こんなに頑張ったのは初めてだ。

 

「遅せえんだよ」

「ごめんごめん、ボス。でも俺だって必死にやってたんだぜ」

「ああ……。礼は言っておく」



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76話 棺桶に感傷を(6)

 エリにゃん誘拐から一夜明けた。

 作戦の2段階目は定例集会のタイミングで、攻略組にこちらを襲撃させるというもの。

 よもや攻略組が負けるということは起こらないはずだ。件の情報屋を通して日時や場所のリークが出来るため、あとはいかに上手く誘導して演出するかが肝心なのだとか。

 攫っておいて今更はいどうぞと、エリにゃんを送り返すわけにもいかない。

 

 PoHの作戦は少数の――できればソロで活動している、エリにゃんと交友のあるプレイヤーを集団から分断し、デュエルの景品として差し出すというものだった。

 そんな都合の良いプレイヤーがいるものなのかと思ったのだが、いるからこその作戦であったようで、キリトというプレイヤーに白羽の矢が立つ。

 攻略組の中でも彼は最古参かつ有数の実力者であり、性格も品行方正な部類。

 これでエリにゃんと交友があるというのなら、なるほどたしかに、託す相手としては信頼に足る人選だった。

 

 デュエルはPoHが直接行うよりも、誰かを殺させた方がわかり易く決着となり、疑われずに済むということで、下部メンバーの1人を生贄に選出。

 攻略組に潜り込んでいるクラディールというプレイヤーを使うことになった。

 もっとも、クラディールが使えなければPoHが戦うとのこと。

 ザザは攻略組とラフィン・コフィンの混戦を掻い潜りキリトの誘導を。

 俺はダンジョンのギミックを弄って、通路を組み替え、時間稼ぎをするよう任された。

 

 時間稼ぎだけしていればいいと簡単に言うものの、捨て石になるつもりはないため逃走経路はキチンと確保しなければならない。

 特に今回の相手は攻略組だけではなく、エリにゃん直轄の治安維持部隊も出てくる可能性がある。

 彼らを相手にするとなれば、素直に逃がしてくれるわけがない。

 普段ならAGIの差で振り切るところだが、今回ばかりはダンジョンの地形を把握して別の手を用意しておく必要があった。

 移動する床のルートを変更するスイッチを下見に行くと、案の定そこも空中に浮かぶ床の一角。

 小石を使って地面までの距離を測れば、落下で即死するだろう高さではあるものの、これなら逆に地面に着くまで転移が終了するはず。

 最終手段は投身自殺を装った転移に決まりだ。

 

 一応PoHにも助言を求めてみるかと、ダンジョン内を探すも見当たらない。

 彼の私室に訪れてみたが返事はなく、扉にも鍵がかかっていた。

 外に出ていないのだとすれば探していないのは最奥の元ボスフロアくらいか……。

 念のためそちらへ向かってみると、剣の打ち鳴らされる甲高い音色が聞こえてくる。

 慌てて大扉を開き中に入れば、目に飛び込んできたのはPoHとザザの姿。

 お遊びという雰囲気はない。

 2人はメインウェポンを持ち出して、全力の殺し合いに興じている最中だった。

 

「なにやってんだよ!?」

 

 俺の声は虚しく木霊した。

 ギリギリのデュエルに集中している2人は、余所見をする愚を犯せない。

 戦いはPoHの優勢。ザザのHPは残り3割。

 PoHは単発のソードスキルを放つと、硬直時間を狙ってザザもソードスキルを返す。

 細剣刺突5連撃『ニュートロン』。

 技の発生が非常に速いソードスキルであり、攻撃回数が威力を補う。

 PoHに次々と殺到する連撃は、しかし勝利を呼び込むものではなかった。

 短剣のソードスキルは硬直時間が非常に短い。単発ソードスキルともなれば尚更だ。

 最初の一撃以外は大型ダガーのメイトチョッパーによって綺麗にガードされ、今度はザザが無防備な姿を晒してしまう。

 その隙は彼の命を消し去るには十分な隙だった。

 PoHの構えは短剣の中でも最上級の連撃を誇る『アクセルレイド』のもの。

 9連撃のソードスキルはザザを殺して余りある威力を持っている。

 

 考えるより先に俺は2人の間に跳び込んでいた。

 腰の鞘から抜刀した短剣で、PoHと同じくアクセルレイドを放つ。

 STRと武器ステータスの差は絶大。

 一撃を受けるごとに手が痺れ、次の動作が大きく遅れていく。

 俺のソードスキルは度重なるノックバックの衝撃でキャンセルされ、最後の3回はガードもままならず、アバターを正面から斬りつけられた。

 最大まであったHPがその程度でなくなるはずもなく事なきを得たが、問題が解決されたというわけではまったくない。

 

「ジョニー。どけ」

 

 メイトチョッパーを向けるPoH。

 

「どか、ない……!」

 

 仮想の身体に存在しないはずの心臓が、早鐘を打っているかのようだった。

 殺されるかもしれない。

 でも、退けもしない。

 エリにゃんも、こんな気持ちで俺たちに剣を向けたのだろうか。

 

「わかるだろう? そいつは俺たちの信用を裏切った。この局面だ。裏切り者は排除しておくに限る」

「なら、俺も同じだろ……」

「………………」

 

 ザザと2人がかりならPoHを倒せると考えたわけではない。

 跳び込んだのは衝動的な行動だったが、冷静さを持ち合わせていても俺はこうしただろう。

 

「はぁ……」

 

 PoHは長い溜息を吐く。

 

「ザザ。ジョニーはこう言ってるが、お前はどうする? 剣を納めるか、俺にここで殺されるか。選ばせてやるよ」

 

 納めてくれと祈る反面、ザザの性格なら戦うことを選ぶだろうと予想していた。

 だから覚悟を決める。

 死ぬ覚悟だ。

 

「ただし。剣を納めてもう一度裏切ってみろ。そうしたらお前より先にジョニーを殺す。さあ、どうする?」

「…………わかった」

 

 しかし背後で聞こえたのは鞘を擦る納刀の響き。

 PoHは切先で俺にも剣を納めるよう促し、恐る恐る従うと、彼も腰の革鞘にメイトチョッパーを戻した。

 振り返っても、やはりザザは武器を構えてない。

 意外な結末に拍子抜けをするも、ブラフではないのかと疑念が過る。

 慌ててPoHに視線を戻すが、俺の無防備な背中に短剣は突き立てられていなかった。

 

「この話は終わりだ。忘れるなよ」

 

 PoHが部屋から出て行くまで俺は警戒を続け、ついに姿が見えなくなるとその場で尻餅をつく。

 

「勘弁してくれよザザ……」

「何故、庇った?」

「はぁ!? 友達だからに決まってんだろ!」

「俺が、死ぬのは、嫌か?」

「あたりまえじゃん」

「そう、か……」

「金輪際こういうのはナシにしてくれよ。俺だってまだ死にたくねえもん」

「……仕方が、ないな」

「仕方ないじゃねえよ! 本当にわかってる!?」

「ああ」

「次は助けないからね」

 

 俺、結構必死に頑張ったと思うんだけど、反応薄くない? ここはもっと感謝して友情にむせび泣くところでしょ。

 でもザザだしなあ……。

 仮面の下は嬉しさのあまり号泣してると、勝手に想像しておこう。

 

「ジョニー」

「なにさ……。PoHの次は俺とバトろうって? 流石に怒るよ」

「違う」

 

 俺だってラフィン・コフィンが解散するとかでいっぱいいっぱいなのだ。

 これ以上面倒事を増やされたらキャパオーバー、というかすでにオーバーしてる。

 

「ありがとう」

「………………」

 

 ぼそりと呟かれた言葉は、天変地異の前触れかなにかかと疑うほどのものだった。

 

「あークソッ! しょうがねえなあ。今度もお前がピンチになったら助けてやるよ」

 

 我ながら単純だ。

 けれどもこれでいい。

 

「でもやるなよ。いいか。絶対にやるなよ。いくら強くなったからって、俺はPoHどころかザザよりも弱いんだからな。終いには先に死んじゃうぞ」

 

 最初に比べれば格段に強くなったと自負しているけど、結局俺たちの中で強さの序列は変わらなかった。あえて変わったとすれば、PoHの上にエリにゃんが立ったくらいか。

 そのエリにゃんに一泡吹かせられたのは、俺の手柄ではなく、3人がかりだったからでしかない。

 

「そうか?」

「そうだよ」

「存外、お前みたいなのが、一番強いのかもな」

「煽ててもなんも出ねえよ」

 

 自分ことは自分が一番わかっているさ。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 黒鉄宮地下の拠点を失い、ラフィン・コフィンという一大組織を失い、交友も途切れがちになり早5カ月。

 改めて逃亡生活をしているわけだが、追手はそこまで熱心ではないようで、未だ俺は健在だった。

 1年半にも及ぶ経験で、逃げ隠れることに慣れたのもあるかもしれない。

 かといって大手を振って動けるはずもなく……。

 レベリングは滞りがちになり、今では中層に含まれるかつての最前線をコソコソ歩き回るくらいが関の山となっていた。

 

 直前にゴタゴタがあったものの、ラフィン・コフィン討伐作戦はどうにか上手くいった。

 世間的には、幹部メンバー3人を逃がしたものの組織としては完全な壊滅。逃走中の幹部メンバーもその後大きな動きを見せていないことから攻略組の完全勝利と報じられている。

 参加したメンバーの犠牲者数には目を逸らす形だ。

 PoHからしても当初の予定通り事が進み、成功と呼べるものなんじゃないだろうか。

 こちら側の失態があったとすれば、エリにゃんが予想以上にトラウマになって一線から退いたという話を噂に聞いたくらいか。

 いったいPoHはなにをしたのか……。

 知りたいようで知りたくない。

 

「イテッ。おい、お前。どこ見て歩いてんだ」

 

 考え事をしながら歩いていると、プレイヤーとぶつかりイチャモンをつけられる。

 

「クソッ――悪かったな」

「んだとテメェ」

「まあまあ。落ち着きなよ。うちのがごめんね。最近ドロップ悪くてイラついてるみたいでさ。お詫びにそこの店で一杯奢らせて」

「ふうん……。いらない」

「そう言わずにさ」

 

 ぶつかってきたプレイヤーは男の2人組。

 デカいやつとヒョロいやつ。

 胡散臭さが鼻に突く。おそらく詐欺系のオレンジプレイヤーだろう。

 面倒なことに話を大事にしたくないのは俺の方だ。おそらく彼らが詐欺で儲けるコルよりも、俺にかけられた懸賞金の方が大きいだろう。

 強引に逃げるなら、残り少ない転移結晶を無駄にしなければならないが……。

 さてどうしたものかと考えていると、丁度良く旧知の友人が姿を見せた。

 

「なんだツレがいんのかよ」

「………………」

 

 黒塗りの全身鎧を身に纏った上に防寒コートを羽織ったシルエット。

 腰に下げられた武器は昔とは別の物に差し替えられていたが、ジャンルは変わらず細剣カテゴリーのそれだ。

 

「獲物はもっと上手に見繕うんだね」

 

 捨て台詞を一言。

 彼らはいそいそと離れていき、俺は鎧姿の彼と歩みを共にする。

 

「久しぶり。元気してたぁ?」

「さてな……」

 

 懐かしい無愛想な声。

 顔が見えずともわかる。ザザだ。

 とはいえ、わかったのは会う約束をしていたからだが。

 でも久しぶりなのは本当のことだ。

 彼とはラフィン・コフィンが解散して以来、顔を合わせていなかった。

 

「とりあえずうち来なよ。何もないけどさ」

 

 泊まっている宿には事実なにもない。

 それでもザザは、文句のひとつもなくついて来てくれた。

 変わらぬ友情に乾杯したいところだが、酒も切らしていて格好はつかない。

 黒鉄宮地下のワインセラーが恋しくなる。

 宿はNPCの住宅を間借りしているもので、中は常に暖炉の火が灯され温かい。

 俺は雪避けのコートを壁にかけ、ザザも上着をメニューウィンドから解除して木椅子に腰かけた。

 

「おい。顔が、見えてるぞ」

「んあ? いいよ。ザザに隠す理由もないし」

「……そうか」

 

 ザザは兜を外して顔を露わにする。

 これまでドクロマスクに隠されていた彼の素顔は、痩せこけた垂れ目の青年のものだった。

 瞳孔には狂気の色はなく、むしろ純朴さを感じさせる。笑えばきっと愛嬌が出てくるだろう。

 想像からは大きくかけ離れていて、しばらく無遠慮にその顔を凝視してしまう。

 

「律儀に見せなくてもいいのに」

 

 俺が振り絞った言葉は、少し弾んでいた。

 

「俺も、お前に隠す必要が、見当たらない」

「そっか」

 

 それから俺たちは近況について語り合った。

 近況といっても派手な事はザザもしていなかったようで、すぐにネタが尽きてしまう。

 矛先が以前の仲間たちに向かうのは自然なことだった。

 

 PoHは完全に行方をくらましている。

 フレンドリストの名前が灰色になっていないことを見るに、生きているようだがそれ以上はわからない。ザザと会うにあたって、彼にもメッセージは送ってみたが返信はなかった。

 

 キバオウは変わらずアインクラッド解放軍のトップに君臨しているようだ。

 しかし最近の行動は荒が目立つ。俺はラフィン・コフィン解散後、一度はじまりの街に立ち寄ってみたのだが、あの地区の荒廃具合は酷いものだった。

 追手が差し向けられていないのは、そういった内部事情も関係していたのかもしれない。

 

 エリにゃんは長らく前線から退いていたことしか知らなかったが、ザザは持ってきた最近の情報によると74層のフロアボス攻略に参加して、撃破に成功したようだ。

 それに目をつけられ、血盟騎士団のギルマスからはデュエルを申し込まれたという。

 血盟騎士団のギルマスといえば最強のプレイヤーと名高いあのヒースクリフだ。

 エリにゃんが持っていた二刀流スキルは知られてしまったようで、神聖剣対二刀流の看板を掲げ大々的なデュエルイベントが開かれたらしいが、彼女は見事にすっぽかしたそうだ。

 元気そうでなによりというべきか、相変わらず波乱万丈というべきか……。

 

「気づいて、いるか?」

「なにを?」

「外だ」

 

 偵察スキルを使用してみれば、簡易マップ隠密状態だったプレイヤーが表示されていく。

 さっきの連中か。しつこいやつらだ。

 

「殺すか?」

「んー……。いいや。なんか気分じゃないし」

「………………」

 

 俺のカーソルカラーは、ラフィン・コフィンが解散した後にクエストでグリーンに戻して以来、変わっていなかった。

 カーソルカラーを変えず殺すテクニックも沢山知っているが、それらも使っていたわけでもない。

 PKはあれから一度もしてないというだけだ。

 

「ザザは今でもやってんの?」

「いや」

「意外だなあ」

「誰かに命は大事にしろと言われたからな」

「なにそれ」

「お前こそ、意外だ」

「……それもそっか」

 

 友情は変わらないが、俺たちは変わってしまった。

 SAOを震撼させたラフィン・コフィンの元幹部が揃ってこの様とは……。つい半年前の俺に、今の俺を見られたら、鼻で笑われることだろう。

 

「俺さぁ――。やっぱいいや」

「なんだ言ってみろ」

「いいよ」

 

 後悔してるだなんて、言えるはずがない。

 人を殺さなければよかったなんて。

 エリにゃんの友達を殺していなければ、今でもラフィン・コフィンはあのままだったんじゃないかって時々夢に見る。

 もしも当時のままでいられたなら、今頃はちょっと早いクリスマスパーティーの準備をしている時期だ。PoHとキバオウはギルド設立1周年のイベントを企画し、ザザはぶっきらぼうにエリにゃんへデュエルを申し込んでは断られる。俺はというとプレゼント選びに四苦八苦しながらも笑い、あるいは気ままにPKに赴いていたかもしれない。

 でもそんな日は永遠に来ない。

 俺が壊してしまったから。

 

 それにだ。

 人殺しじゃなければあの輪に招かれなかった。

 だから後悔なんて出来るわけがない。

 いつか起こり得る当然の帰結が、あのユナというプレイヤーを殺害した事件だったというだけ。

 けれどもそれに納得がいかず、これ以上、俺は人を殺したくもなかった。

 

「我ながらクズだなあって、ね」

「今更だな」

「今更だよ」

 

 こんなことをしていたって、取り戻せるわけじゃないのに……。

 俺は宿に備え付けられたアイテムチェストの中身をストレージに整理して、荷造りを始める。

 

「ここも潮時かな。俺は別のところに移るよ。ザザはどうする?」

「今日は、お前に、付き合うさ」

 

 転移結晶での移動は、追跡を振り切るのにこの上ない効果がある。

 それは圏内にある転移門に一瞬で移動できるだけでなく、アイテムに記録させた場所へ移動することも可能だからだ。

 SAOでレッドプレイヤーがなかなか捕まらないのは、転移結晶なんてアイテムがあるせいだろう。

 俺たちは転移結晶に設定してあったフィールドまで痕跡を残さず移動した。

 彼らもこうなっては追いかけてくるのは事実上不可能だった。

 

 風景は木造の民家から、背の高い木々に囲まれた寒空の下に変わる。

 転移結晶に記録させていたのは35層にあるフィールドダンジョンの場所だ。

 ランダムに地形の連結が組み変わる面倒なギミックで、特定の地図アイテムがなければあっという間に遭難してしまう物騒なエリアである。

 ここを狩場にする物好きはそういないだろう。

 

 冬の気象設定が降らせた雪道を、時折顔を見せるモンスターを蹴散らしながら当てもなく彷徨う。

 地図を持っていなかったという間抜けをやらかしたのではない。

 でもそれ以上の間抜けかもしれなかった。

 

 目的地がないのだ。

 俺もザザも、進むべき道を見失っていた。

 最初からそんなものは持ち合わせていなかったのかもしれないが、やりたいことくらいはあった。それさえ失って、後に残されたのは散々見下してきた自堕落なプレイヤーだ。

 元々持っていた大量のコルをすり減らしながら、攻略組が100層をクリアしてくれるのを待つだけの日々。

 これでは投獄されても変わらないのではないかとさえ思えてくる。

 

 どれくらい歩いただろうか……。

 ふとリンゴーン、リンゴーンと鐘の音がどこからともなく聞こえてきた。

 クリスマスベルにはだいぶ早く、しかも腹立たしいほどうるさい。

 空が赤い光を放っていることにそれでようやく気がつき、俺は上層の底を見上げた。

 目を凝らすとそこには『Waring』と『System Announcement』の文字。

 俺は久しぶりにここがゲームの中である事を思い出し、なにか大きなトラブルが発生したのかと、始めて目にする警告に不安を憶える。

 鐘の音はしばらく経つと鳴り止んだ。

 森には静寂が舞い戻り、しかし空は依然として気味の悪い赤のまま。

 

『ただいまより プレイヤーの皆様に 緊急のお知らせを行います』

 

 女性のものを元にした、機械的な音声。

 

『アインクラッド標準時 11月 12日 15時 24分 ゲームは クリアされました』

 

 今、なんて言った?

 クリアされた?

 ――世界の終わりはいつだって突然だ。

 金本敦としての人生がそうであったし、ラフィン・コフィンもそうだった。

 

『プレイヤーの皆様は 順次 ゲームから ログアウトされます。 その場で お待ちください。 繰り返します……』

 

「おいおいおいおい! マジか……。いつの間に100層まで行ってたんだよ!?」

「最前線は、75層のはずだ」

「どうなってんのさ。2周年記念?」

「そんなはず、ないだろ」

「わかってるよ、もうっ!」

 

 俺だって混乱しているのだ。

 落ち着きを取り戻すのにしばらくの時間を要し、その間、空にはスタッフロールが流れていく。

 性質の悪いドッキリではないのだろう。

 このゲームを作った茅場晶彦とかいう男は、これまでそんなジョークセンスを発揮していない。

 

「これで終わり?」

「らしいな」

「終わりかあ……」

 

 実感が胸の内から少しずつ溢れてくる。

 ここで過ごした2年という月日は俺を大きく変質させた。

 金本敦というスクールカーストの最底辺から、プレイヤーの期待を一身に背負った攻略組に。その肩書を捨てると孤独な殺人鬼を経て、PoHと出会い仲間を得た。名無しの集団はラフィン・コフィンと名乗り居場所も手に入れたが、それらはすべて残らなかった。

 辿りついた先は、人殺しでさえなくなった、ただの俺という個人だけ。

 

 ああ、いや……。

 残ったものが1つだけある。

 

「金本敦」

「ん……?」

「俺の名前だよ」

「そうか……」

 

 もうジョニー・ブラックではいられない。

 金本敦に戻るときが来たのだ。

 でも金本敦は昔の金本敦じゃない。

 今の俺には友達がいる。

 

新川昌一(しんかわしょういち)だ」

 

 仮面を脱ぎ捨てたザザ――昌一は、困ったように笑っていた。

 

「向こうに帰ったらさ。絶対会いに行くよ」

「ああ。待ってる」

「絶対だぜ!」

「ああ」

「約束だからな!」

「ああ」

「俺たち友達だよな!」

「ああ!」

 

 周囲に人がいないのをいいことに、俺たちは馬鹿みたいに声を張り上げた。

 

「またな、昌一!」

「またな、敦」

 

 空に浮かぶエンドロールは、スタッフだけではなくプレイヤーネームまで映し出されている。

 存命のプレイヤーは白色で。

 死亡したプレイヤーは灰色に。

 この中のどれほどの人数を俺は殺してしまったのだろう……。

 俺は直接この手で殺したプレイヤーの顔さえ、ほとんど憶えていない人でなしだ。

 それでも俺は生きている。

 生きて、この先に進んでいく。

 

 身体が転移のときと同じ光に包まれる。

 ログアウトの順番が来たようだ。

 この世界から消え去る最後の瞬間まで、俺は友人に手を振り続けた。

 失われた無垢な心を取り戻して、子供みたいに。

 あるいは、罪から一時目を背けるように。

 

 

 

 ――さあ。目覚めのときだ。



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77話 棺桶に感傷を(7)

 SAOがクリアされ、待っていたのはクソみたいな現実だ。

 寝たきりだった身体は面倒なリハビリなしじゃマトモに動かなくなっていたし、それが終わればうんざりするようなカウンセリングという名の尋問に襲われた。

 俺がアインクラッドの地を闊歩していた隙に、母親はSAOサバイバーに支払われる慰謝料を受け取って失踪。かつて暮らしていたアパートメントはとっくに引き払われていた。

 事件当時学生だった少年少女を集め、高校卒業資格まで授与する学校を設立するという話があったが、俺は当然断らざるを得ない。ジョニー・ブラックは素顔こそ知られていないとはいえ、SAOのことが話題に上がれば、上手く隠し通せるものでもないからだ。

 よって俺が選べたのは、政府の考えた社会人向けの支援プログラムに沿った社会復帰――つまりは就職という道だった。

 新たな住居と給付金を受け取り、ひとまずはフリーターとしてバイト先を探す日々。

 ザザに会いに行けるようになったのは、クリアから3カ月ちかく経った後だった……。

 

 俺は先月リハビリを終えたところだが、彼の方はかなり長引いていると、メールでのやり取りで聞いている。

 最近ニュースで取り正されているALO事件には巻き込まれなかったというが、少し心配だ。

 

 保谷から池袋線に乗り、スマホの地図を頼りに向かったのはザザが入院しているという()()()()()()()()()

 一際大きく、外観にまで清掃の行き届いた建物は探すのにさほどの苦労もなかった。

 内側はハイテクで、看護婦に面会の旨を伝えてしばらくすると通行パスなるものを渡され、セキュリティロックのされた病棟に案内される。

 こんなに立派な病院ともなれば、食事もさぞかし美味いのだろう。

 俺の収容されていた場所とは大違いだ。

 ――しかし、静謐な廊下を看護婦の後に続いて歩いているうちに、羨望は霞と消えた。

 

「新川昌一さん。ご友人がお見舞いに来ましたよ」

「どうぞ」

 

 懐かいくぐもった低い声が返され、看護婦がドアを開ける。

 ドアの向こうは1人部屋のようだったがかなり広く、装飾も凝らされていた。病室というよりも、ホテルの一室と言われた方が納得できるほどだ。

 けれどもベッドに横たわる人物の痩せ細った腕には、点滴のチューブが伸びて病人然としている。

 俺もSAOからログアウトしてすぐの頃は骨ばった身体をしていたが、ベッドの上の彼はそこから改善しているようにはまるで思えない。

 彼がこちらに向ける瞳は物憂げで、酷く卑屈に見えた。

 

「では、ごゆっくり」

 

 看護婦が去って数秒。

 俺たちは無言で見つめ合っていた。

 感動の再会というには、後ろめたい気持ちが混ざって濁りすぎている。

 ここにはSAOを震え上がらせた殺人鬼集団の幹部がいるのではない。

 こんな腕では剣を振るなんてもっての外だ。

 俺たちはもうただのひ弱なガキで、そんなガキが馬鹿みたいに顔を合わせているだけだった。

 

「や、やあ……」

「………………」

 

 空気が重い。こういうのは苦手だ。

 俺は意を決して肺に空気を取り込む。

 

「聞いてくれよザザ!」

 

 取り繕った明るい声。

 

「さっきそこの廊下で黒猫と擦れ違ったんだけど! どうなってんの!?」

「猫?」

「あ、違う違う! 黒猫って、あの黒猫の剣士様の方ね。攻略組の、キリトとかいう」

「ああ」

 

 羨望が霞と消えたというのは、つまりそういうことだった。

 素顔を知られていないおかげでどうにかやりすごせたが、いつバレるんじゃないかと気が気でない。

 時間の許す限りザザの見舞いに来てやるつもりだったが、その気も一気に失せかけていた。

 いや、来るけどさ……。

 

「めっちゃビビったんだけど」

「そうか」

「反応薄くない!?」

「いや」

「そう? まあいいけどね」

 

 相変わらずというか。ザザらしいというか。

 淡白な返答だ。

 

「で、どういうことなの?」

「知らん」

「えー……」

「嘘だ」

「んん?」

「なんだ、その顔は。俺も、冗談くらい、言う」

「わかり難いよ!?」

「そうか……」

 

 これは……、しょんぼりしている顔だろうか。

 全然表情が読めない。

 付き合いが長いっていっても、顔見るのはこれで2度目なんだよな。

 それで理解しろとは無理な相談だ。

 

「閃光と、エリが、入院している。その、見舞いだろう」

「マジかよ……。なんで魔窟になってんのさ」

「ここは設備が、整ってる、からな。2人も家が、裕福なのさ」

「じゃあザザの家も裕福なんだ」

「父親が、ここの院長だ。そういう関係で、な」

「羨ましいこった」

「存外、いいものでは、ないぞ」

「ふうん」

 

 これはわかる。

 嫌そうにしている表情だ。

 

「身体は大丈夫なの? リハビリ進んでる?」

「元より、この調子、だからな。どの道、ここから、出られはしないさ」

 

 ザザにつられて窓の外に視線を向ける。

 眼下に広がる中庭は、外の世界ではあれど区切られた人工的空間だ。

 SAOよりはるかに狭いそこは、囲むように建てられた病棟と相まって、まるで檻のように思えてくる。

 

「…………エリにゃんたちは?」

「2人は、最近まで昏睡状態だった、らしい。ALO事件、というやつだ」

「エリにゃん、呪われてんじゃねえの……」

 

 真面目にお祓いとか行った方がいい。

 きっと殺されたプレイヤーとかの呪いだ。

 そうなると、俺やザザも祓ってもらった方がいいのかもしれないけれど。

 

「てかエリにゃんの病室近くなんでしょ? ちょっと顔出してくるかなぁ」

「骨は、拾わんぞ」

「冗談だよ」

 

 今更どんな顔して会えというのか。

 SAOがクリアされたといっても過去が消えてなくなるわけではない。

 死人は蘇らないし、違えた道は交わらない。

 カウンセラーは俺のことを被害者だと言い、法律はゲームクリエイターの茅場晶彦にすべての罪を着せはしたが……。

 あの場にいた誰もが納得はしないだろう。

 もちろん、俺自身も。

 

「お前も、冗談は、わかり難いぞ」

「嘘だろ!? 俺のは絶対わかり易いって!」

「………………」

「なんか言えよ!?」

「本当に、わかり易いのか、考えていただけだ」

「はぁ。これでも俺って慎重派じゃなかった?」

 

 PoHやエリにゃんに比べれば格落ちも甚だしいだろうけど。

 ザザよりはかなりマシだし、他のレッドプレイヤーと比べてもかなり慎重な部類だったはずだ。

 臆病だったと言いかえてもいいだろうが、そのおかげで最後まで逃げおおせたのだから実績もある。

 

「そう、だったな。そんなお前を、よく、連れまわした、ものだ。――悪かったな」

「謝んなよ。俺だって好きでやってたんだしさ」

「お前と、弟くらいだ。見舞いに、来てくれるやつなんて」

「そいつは上々。俺なんて誰も来なかったんだぜ」

「すまん」

「いいって。俺の方は個室じゃなかったから、気にせず会話なんて出来なかっただろうしさ」

「そうか」

 

 そりゃあ、見舞いに来てくれてたら嬉しかっただろうけど。

 見舞いに行くのも悪いものじゃない。

 

「――お前は、そういうやつだったな」

「なんだよ、それ」

「さあな」

 

 楽しい時間というのはあっという間に過ぎるらしい。

 ザザとの面会時間もあっという間に過ぎ去った。

 俺は「また来るね」と言い残し、病院を後にする。

 クソみたいな現実も、友達がいればそう悪くはない。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 SAOで過ごした2年という月日は世間の科学技術を大きく押し進め、街に出るまでもなく時代に取り残されたかのような錯覚を受ける。

 ナーブギアも大概理解できない原理をしていたが、後継機として安全面を見直されたアミュスフィアというフルダイブ機器が開発され、懲りることもなく、いくつかのVRMMOのゲームが発売されているそうだ。

 その結果がALO事件であり、笑えない話なのだが、しかしそもそもにおいてスマートフォンどころかパソコンの原理さえよく理解しないまま使っているのが現代人の常だ。

 理解できない闇に危険が忍んでいたとしても、人間は利便性の前に目が眩み、麻薬のように科学に依存し逃れることは出来ないということなのだろう。

 アミュスフィアの販売台数は依然として好調で、事件の後もALOは運営会社のレクトこそ解散したものの、ゲームそのものはベンチャー企業に権利が売り払われサービスは続行。プレイヤー人口も大きな減衰には至らなかったというのだから度し難い。

 

 かくいう俺も、政府の支援委員会から送られてきた『オーグマー』という最新AR機器を使おうとしているのだから人のことは言えない。

 俺も立派な科学中毒者というわけだ。

 それだけではない。ナーブギアこそ取り上げられはしたが、アミュスフィアを使い俺やザザはVRの世界に再び身を浸していた。

 担当のカウンセラーが知る限りでは、SAOサバイバーでアミュスフィアを使っていない人間の方が少数派らしい。

 そう聞くと所沢の病院ではないが、仮想世界の何時何処ですれ違っているやも知れないと思い気が気でなかった。

 SAOを()()()()()ALOが帰還者の間で人気らしいので、一応そのタイトルだけは触れないでいるが、効果のほどは幸いなことにわからないでいる。

 

 そういった経緯から、オーグマーこそ使いはすれ、提携企業のサービスには魅力を感じるものの、初期インストールされていたアプリケーションゲーム『オーディナルスケール』には手を出さないつもりでいたのだ。

 なにせオーグマーはSAO帰還者に配られているというのだから、イベントバトルでうっかり鉢合わせになりかねない。

 

 ――俺の考えが変わったのは、一通のメールが切っ掛けだった。

 

『PoHだ。突然のメールで驚いているかもしれんが、単刀直入に聞く。ユナの情報はあるか?』

 

 送信元のメールアドレスは日本のものではない。

 検索にかけてみると、ドメインが中国のものであることがわかった。

 いや。問題はそこではない。

 彼が俺のアドレスを知っていることに不思議はないが、連絡をしてくるとは夢にも思っていなかった……。

 

 改めて読み返す。

 ユナという名前は忘れもしない。

 俺が殺してしまったSAOのプレイヤー。エリにゃんの友達で、ラフィン・コフィンが解散する原因となった人物だ。

 ラフィン・コフィン解散後に情報を集めてみたが、俺が知っていることは多くない。

 今更どうしてPoHが聞いてくるのか。

 俺にはさっぱりわからなかった。

 

『なにがあったの?』

 

 返信はすぐ。

 

『これはオーディナルスケールのイメージキャラクターだ』

 

 添付されていたアドレスは2つ。

 オーディナルスケールの公式サイト。

 それと有名な動画サイトのものだった。

 リンクをクリックしてみれば、キラキラとしたアイドルのプロモーションムービーが出る。

 白髪の少女が可愛らしい曲調で歌っているのだが、その声に俺はゾッとした。

 SAOでは録音クリスタルというものがあり、ユナの曲はそれを利用して転売されていた。

 俺はその1つを入手して聞いたのだが、声が一緒なのだ。

 声だけではない。記憶にある彼女のブロマイドとカラーリングこそ違うためすぐにはわからなかったが、造形は瓜二つ。

 これで名前まで同じというのはあまりに出来過ぎた話だ。

 

 死んでいなかったのか?

 いいやそんなはずはない。

 彼女がポリゴンに変わり無残に果てる姿を、俺はたしかにこの目で見届けた。

 画面越しに、踊り続ける姿は幽霊のごとき不気味さを感じさせる。

 外はようやく桜が咲き始めたばかりだ。

 怪談話をするには随分と早い。

 

 公式サイトを調べたところ、AIということだったが……。

 外見がそっくりなのは百歩譲っていいとしよう。

 所詮SAOで見てきたものは、現実と同じ顔形でこそあれ、単なるデータでしかなかったのだから。

 しかし動きに違和感がない。まるで誰かが操作しているかのような生々しさがある。

 AIってことはNPCと同じってことだ。世間じゃこんなに精度の良いNPCが作れるようになってたってことなのだろうか。

 

『どうする? 手を組むか。傍観するか。選べ』

 

 シンプルな二者択一。

 俺の答えは決まりきっている。

 

『手伝うよ』

 

 知らないままでなんていられない。

 これは俺の罪だ。

 金本敦に戻ったのだとしても、ジョニー・ブラックだった過去が消えてなくなるわけではない。

 それはきっとPoHも同じで、ラフィン・コフィンが消えてなくなっても、彼が俺たちのボスだったという過去を忘れたわけではないのだろう。

 

『わかった。俺も来週にはそっちに向かう。現地で落ち合おう。場所と日付は――』

 

 どうやらPoHは東京にはいないらしい。

 ドメインからして中国だ。日本にさえいないのかもしれない。

 謎の多い人物だとは思っていたが、中国人だったのだろうか。どちらかといえばアメリカンな印象だったのだけど……。まあいいか。それは重要じゃない。

 重要なのは違えたと思っていた道が再び交わったということだ。

 当然喜ばしいだけではないが、胸の奥に込み上げてくるものがある。

 

『連絡は密にしろ。この件、キナ臭さしかねえ』

『オーグマーはSAO帰還者全員に配られてるらしいよ。ひとまずオーディナルスケールのイベントバトルに参加してみる』

 

 付属のモーションコントローラーを弄りながら、PoHに返信。

 それからザザのことやエリにゃんについての近況もかいつまんで報告。

 ザザには逆にPoHからメールがあったことを伝え、『この様じゃ力になれそうにない』と残念そうな文面が送られてきた。

 あたりまえだが、エリにゃんに連絡はなし。

 キバオウはそもそも連絡手段がないので伝える以前の問題だ。

 

 ラフィン・コフィン再結成とはいかなかったが、PoHと肩を並べるのなんて1年ぶりくらいになる。

 俺は興奮しながらオーディナルスケールのチュートリアルを進めると、武器の選択にまで行きつく。

 近接と遠隔の大きなカテゴライズがあり、その中でさらに剣だったり槍だったり、小銃だったりロケランだったりと細かなカテゴライズがある感じだ。

 初期では選べないものもあるが、俺の望んだ物は運よく選択可能。

 ジョニー・ブラックといえばやっぱりこれだ。

 

 俺はオーグマーの見せるARオブジェクトの短剣にほくそ笑んだ。




ザザの父親が院長をしている総合病院に関しては原作で明確に何所かという描写がなかったので、所沢にあるアスナの入院していた場所にしました。
加えて、ザザの病弱設定に関しては原作より悪化。病院暮らしが長いです。

PoHはジョニーの連絡先を知っているため、ユナの件をネットで見かけて連絡。
中国から日本へ密入国の準備中。
エリがユナの情報を入手するのが遅い原因は、だいたいユイのせいです。

そして死んでることに気付いてさえもらえないキバオウ……。


あと、ジョニーはPoHと肩を並べるのは1年ぶりと語っていますが、正確には10カ月ぶりです。
ラフィンコフィン討伐作戦は6月。オーディナルスケール開始は4月です。


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78話 棺桶に感傷を(8)

 時計の針が夜の9時を指し示す。

 それを皮切りに、東京の街並みはたちまちゴシック式の摩天楼へと塗り変えられていった。

 空気は赤いスモッグ。

 灰色の石畳みは艶やかな大理石。

 東京タワーは古びた尖塔となり、巨大な月は妖しく緑の光を放っている。

 立ち並ぶ人々はファンタジックな甲冑から、SFチックな衣装まで多種多様。獣人フェイスや着ぐるみめいた者までいて、それぞれの手には仰々しい武器が握られていた。

 

 東京都港区芝公園。

 ここに集まったのはオーディナルスケールのイベントバトル参加者たちだ。

 その数は優に50を超え、数えるのも難しい。

 SAOのフルレイドが48人。それよりも格段に多いのは確かだった。

 彼らは提携企業のサービスに釣られたか、あるいはゲームを純粋に楽しみに来ただけか。

 どちらにしろ呑気なものである。

 もっとも彼らは正常なプレイヤーであり、いつだって異端であるのは俺の方なのだが。

 

「今日は来てくれてありがとう!」

 

 空に浮かぶドローンからエフェクトが降り注ぐ。

 光に導かれ現れたのは、ユナそっくりのユナ。

 彼女の隣には球体に羽と足を生やしたマスコットキャラクターがぷかぷかと漂っている。

 名前はアイン。ユナの公式サイトではそう書かれていた。

 

「足元には注意してね。それじゃあ戦闘開始だよ。ミュージックスタート!」

 

 荘厳な音楽と共に、寺院だった建物の正面で炎のようなエフェクトが渦を巻き、巨大なシルエットが内側で蠢く。

 炎が消え、残されたのは赤金色の肌を持つ二足歩行の怪物だ。

 右手には柄が骨の片刃斧。

 左手には円形のバックラー。

 頭は鋼兜で覆い、細長い耳が隙間からちょこんと伸びていた。

 

「――イルファングザコボルトロード!?」

 

 俺はこいつを知っていた。

 アインクラッド第1層ボス。

 俺がかつて攻略組にいたとき相対し、撃破したボスモンスターだ。

 何故? という疑問は喧騒に呑まれて消える。

 宣言通り戦闘が開始され、たった10分という短いカウントダウンが秒を刻み始めたからだ。

 

「グルォオオオオオオオオ!!」

 

 5メートルもあるボスの身の丈に、霰のごとく銃弾が殺到した。

 しかしそれで怯むことはない。

 ボスはバックラーでクリティカルポイントを防御しながら前進。近くにいたプレイヤーの集団をターゲットに、人間と変わらないサイズの斧が薙ぎ払われた。

 石畳は砕かれ、土煙が舞う。

 斬られたプレイヤーの何人かは尻餅をつき、無防備となったところを次々にやられていた。

 

 あのサイズ、あの勢いなら人間の体重程度吹き跳ばされてもおかしくはない。

 そうならないのは偏にここが仮想世界(SAO)ではなく、現実世界(OS)だからだ。

 当然HPが0になったプレイヤーはポリゴンとなって爆散することもない。

 身に着けていたARのアバターが剥がれ落ち、本来の姿に戻されるだけだった。

 

 どうやら近接武器は不利らしい。

 ソードスキルがなく、ステータスは肉体に依存する分しかたがないのかもしれないが、そもそもまともに立ち回れているプレイヤーがいない。

 SAOサバイバーからしてみてば、数こそ多いものの、連携は児戯にも等しかった。

 これなら威力が低くとも遠距離武器を使った方がまだダメージに貢献ができるだろう。

 

「いくぞおめえら! まずはボスを倒すぞ」

「「おう!」」

 

 ――いや。1組だけ極端に動きの良い連中が混じっている。

 赤の和風装備で統一した集団。

 彼らには見覚えがあった。

 攻略組主力ギルドの1つ。

 名前は風林火山で間違いない。

 

 彼らはカタナ使いを中心に据えて、ダメージを受けたタンクを交代させながらコンスタントに攻撃を加えていた。

 戦場を俯瞰しているかのような、有機的な連携を見せる彼らはSAOの生んだ一種の化け物だ。

 攻略組の古参ともなれば様々な武勇伝を持つが、風林火山が誇るのはメンバーが誰一人欠けなかったという、攻略組の羨望を集めて止まない武勇伝だ。

 個々人ならまだしも、集団である彼らには俺も手を出したくない。エリにゃんの率いた治安維持部隊の次くらいに怖いやつらだ。

 それにあのカタナ使い――おそらくギルドマスターのクラインとかいう男はかなりの武闘派らしい。

 攻略組について報道していた情報誌では、最強談義に上がるほどのプレイヤーであった。

 オーディナルスケールでもその実力に些かの衰えもないようで、他5人は小休憩のローテーションを組んでいるにも関わらず、彼は常に声を張り上げ陣頭指揮をしながらカタナを振り回している。

 単純計算でも2人分以上の働き。

 それを休みなくだ。

 

 などと観察をしていたら、不意にクラインがこちらへ視線を向けた。

 偶然だろうか。それにしては明確に周囲を探っている素振りがある。

 これだから攻略組は嫌なんだ。

 彼らのほとんどは超人だ。人間にはない第六感が備わっていても不思議はない。

 俺は気取られないよう自然体を装い、群衆に紛れるくらいが関の山だった。これだけの人混みであれば、顔を知られていないこともあって流石にバレはしないだろう……。

 

 その後はクラインに気取られた様子もなく、戦いは勝手に進んでいく。

 ボスのHPはSAOと違い表示されないものの、武器を野太刀に替えたから終わりは近いようだ。

 戦場に来てただ見ているだけというのはそこそこの忍耐を要するが、俺にとっては慣れたもの。

 こういうのは血の気の多いやつへ任せるに限る。

 

 カタナのソードスキルは特殊なコンボが特徴だ。

 単発系から連撃系のソードスキルに間断なく繋がった攻撃は、範囲が伸びたこともあってプレイヤーたちを次々と屠っていく。

 だが当然ながら攻略組にはまるで通用しない。

 機知のソードスキルというのは攻略方が確立されていて、知識があれば思いの外対処は簡単なのだ。

 オーディナルスケールではノックバックやスタンが発生しないことがそれに拍車をかけていた。

 代わりに威力は高めに設定されているようだが、範囲攻撃でスタンを与えてから連撃に繋げHPを10割持っていくコンボに比べれば手加減が過ぎる。

 一緒に出現する雑魚モンスターがローカライズの影響でいないのも、大きな弱体化だった。

 

 SAOでは死者を出したボスモンスターも、これだけ制限を課せられればご覧の有様。

 風林火山のメンバーがボスを逃がさないよう円陣を組み全方位から攻撃を仕掛けると、時間を半分近く残し討伐されてしまう。

 その散り際はオーディナルスケール特有の演出で、花火ように鮮やかであった。

 

「おめでとう! 今日のMVPは貴方ね」

 

 ユナがボスにトドメを刺したクラインの元へやってきて、顔を近づける。

 キスをしようとしているのかと思いきや、パッと顔を離してデコピン。

 

「また頑張ってね」

 

 これもゲーム演出の一環だろうが、NPC特有の無機質さはユナから感じられなかった。

 それが逆に不気味さを掻き立てる。

 クラインもその六感とやらでなにかを感じたのだろうか。

 彼がユナに向ける視線は怪訝なものだった。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 イベントバトルに参加してみたはいいが、収穫は大きくなかった。

 ポイントという意味でも、ユナについての情報という意味でも。

 わかったのはせいぜいがSAOのボスモンスターが出現したこと。

 それとSAOサバイバーがゲームに参加していたことくらいだ。

 前者はSAOのユナとの繋がりを濃厚にしてくれたが核心には程遠く、後者に関しては明らかなリスクであった。

 

 何度も遭遇して顔を憶えられたら面倒だ。

 顔を覆える装備をいくつか購入しておいた方がいいだろう。

 そんな算段を立てながらプレイヤーが解散した後の芝公園を歩いていると、目の前がぼんやりと明るくなる。

 視線を光の方向へ向けると、そこには立方体の輝く結晶が浮いてた。

 恐る恐る触れてみると、なんてことはない。

 ただオーディナルスケールのランキングポイントが加算され、順位が繰り上がるだけ。

 そういえばこういうアイテムが各所にランダムで出現すると、チュートリアルで説明がなされていたが……。

 視線の先にはアイテムがいくつも浮いていた。

 それも列を成すように。

 

 誘われているのか?

 

 SAOで培った経験はトラップの気配を敏感に察知した。

 だがトラップなんてものはオーディナルスケールには存在しないはずだ。

 HPが0になればペナルティとしてポイントが減少するが、あくまでそれはイベントバトルでの仕様。VRゲームのように突然隣にモンスターが出現するような理不尽さを、ARゲームは持ち合わせていない。

 

 どうせ死ぬことはないのだ。

 SAO以外のVRゲームに毒された油断もあって、俺は誘われるがままアイテムを追いかけることにした。

 これがなにかしらのイベントフラグである可能性もある。そうでなければ牛丼屋のクーポンがもらえるだけだ。

 アイテムの列は寺院の境内に続いていた。

 細い砂利の敷き詰められた脇道。

 月と街灯が僅かな光を届けるだけの薄暗い道だ。

 人気はまるで感じられない。

 

 ――いや。気配がする。

 背後を振り返ると、いつの間にか1人の青年が立っていた。

 紫色のSF系装備を身に纏った、片手直剣を握りしめるオーディナルスケールのプレイヤー。

 黄土色の髪で、身体の線は細い。

 歳は然程違わないように見えた。

 どうやら俺の勘は鈍っていなかったらしい。

 これはトラップであったようだ。

 しかも悪質なPK用のトラップである。

 

「あんた、誰?」

 

 青年は頭上のプレイヤーネームを指差す。

 そこには『Eiji』という名前と『2』という非常に高い順位が表示されていた。

 

「あなたには、実験に付き合って頂こうと思いましてね」

「へえ……。どんな実験?」

「それを知る必要は――ない!」

 

 エイジが一瞬にして間合いを詰める。

 人間業ではない、VRのような加速力。

 けれど砂利が巻き上げられたのも、一瞬で数メートルの距離を詰められたのも、現実だ。

 空気が裂ける。

 下段からの斬り上げ。

 軌道は片手直剣突進系ソードスキル『レイジスパイク』のそれだ。

 

「――っ!」

 

 閃光が瞬く。

 咄嗟に構えた短剣は激しいエフェクトと、聞き慣れた鋼の打ち鳴らす音を奏でた。

 それでも彼の剣は止まらない。

 直剣は短剣をすり抜け、視界に表示された俺のHPが減少を始めた。

 咄嗟に足で距離を稼いだのは防衛本能からだ。

 ソードスキルの軌道を取ったとはいえ、これはソードスキルではない。

 硬直時間などなしに続くエイジの連撃は、幸い俺の頬を掠めるだけで済んだ。

 

「少しは動けるようですが、こちらでの戦いはまだまだみたいですね」

「チッ……」

 

 彼の言う通りだ。

 俺はまだイベントバトルさえまともに経験していない。PvPなんてもっての外だった。

 咄嗟のことに短剣でガードを試みたが、あくまでこれは実体のないリアルな映像に過ぎない。武器がすり抜けるのは考えてみれば当然だ。

 そんなことよりも……。

 問題なのは彼から出ている殺気だろう。

 こいつの目はマジだ。

 SAOならまだしも、いつから東京はこんな物騒になったのだろうか。

 

「それでぇ? あんたは俺にどんな恨みがあんだよ。心当たりが多すぎて、ちゃんと言ってくれなきゃわかんないぜ」

「なんの話ですか?」

「あー……。なんだ、俺のこと知ってんじゃねえのかよ」

 

 考えてみれば今の俺はジョニー・ブラックという名前を馬鹿正直に使っていない。俺とジョニー・ブラックを結びつけるものはないはずだった。

 そもそもこいつがSAOサバイバーかどうかさえわかっていないのだ。

 現状では、通りすがりのサイコパス野郎って可能性もある。

 

「心配して損したぜ」

 

 短剣を翻し、俺は反撃に出た。

 ただ逃げ回るだけよりも、攻撃を交えた方が相手の集中力を削れるとはPoHの言だ。

 足の速さ(AGI)は段違いであるため、逃走という選択肢は最初から用意されていない。

 俺に出来ることといえば、せいぜい誰かが通りかかってくれるのを祈り時間を稼ぐくらいだが、日頃の行いは悪いため聞き届けられないだろう。

 情けない話だ。

 

 左半身を引き、右肩を突き出す。

 鞭のように腕をしならせた連撃は体重を乗せない分軽いが、体力には優しい。

 ただし何度繰り返そうと俺の攻撃はエイジに当たらなかった。

 技量の差を如実に感じる。

 およそ俺とPoHほどの差だ。

 

「あんたSAOサバイバー? ユナの知り合い?」

「ククク……。どうやら今日の僕は運が良い。ユナを知ってるなら良いサンプルになる」

「なるほど。ユナの関係者ってわけね」

「………………」

 

 腕は立つが、口の軽いやつだ。

 自分の代わりに俺の口を封じようと、彼は再び加速して剣を振るった。

 感情任せの単調な剣閃を見切るのは容易だが、ステップでの回避もすぐ限界が来る。逃げ回るための空間よりも体力が先に尽きそうなのだ。

 これならもっと身体を鍛えておくんだった。

 

 戦いは一方的な流れになっていた。

 PoHの教えを頑なに守ろうと反撃の糸口を探すが、隙なんてまるで見当たらない。

 結果、俺は逃げの一手となり、それがエイジの攻撃を助長させてしまう悪循環に陥る。

 エイジは調子に乗ったのか、大げさなモーションで垂直切りを行った。

 これならいくらなんでも隙が生まれるはずだ。

 そう思った矢先、切先が地面を抉ると煙幕のように土煙が舞い上がった。

 

 これがオーディナルスケールの仕様ってわけか。

 狙いは視覚だ。

 退いて予想される攻撃を躱すには、俺は重心を前に倒し過ぎていた。

 判断は刹那。

 即座に左の貫手を閉ざされた視界に放つ。

 体術系ソードスキル『閃打』を再現した一撃は、煙を掻き分けながら突き進んだ。

 

「フッ……」

 

 それは一瞬の攻防であった。

 俺の左手は、エイジに届かなかった。

 彼のスタイルも片手フリー。

 同じく左手で俺の手を払うと、その勢いのまま肘で喉を潰しに来たのだ。

 上体を逸らすが当たった個所は肺。

 SAOでは終ぞ感じなかった激痛が走り、酸素が手放される。

 視界は回り、砂利が肌に食い込んだ。

 

「ケホッ……。ケホッ……」

 

 地面に転がっていることに気がつくまで、俺はたっぷり10秒もかける。

 それだけの時間、彼は黙って俺を見下ろしていたらしい。

 緩慢な動作で起き上がるが、身体は麻痺を受けたように思い通りとならない。

 SAOで麻痺といえば、死亡の直前と言いかえてもいい。

 つまりはすでに敗北が決定した状態だ。

 

「因果応報、か……」

 

 トラップで誘因する手法も、麻痺で動けなくする手法も俺の手口だった。

 それにこいつはどうやらユナの関係者らしい。

 復讐の相手としては見られていないようだが、俺に引導を渡すならもってこいのやつだ。

 

「殺せよ……」

「あなたの命に興味はありません。僕が欲しいのは――記憶です」

 

 エイジはコンソールで何かを操作している。

 すると先刻見たボスモンスターの出現と同じエフェクトが彼の隣で発生した。

 現れたのは蛇の双頭をした鎧巨人。

 見覚えはないが、SAOに登場するモンスターを彷彿とさせるデザインだ。おそらくこいつは俺が戦った事のないボスモンスターなのだろう。

 双頭巨人は巨大な両刃斧を片手で振りかぶると、エイジの合図を待つようにチロチロと舌を出し入れさせている。

 

「さあ。しっかり見とけよ」

 

 片手で俺を掴み上げるエイジ。

 至近距離にある彼の瞳は、妄執と憎悪が(とろ)けてないまぜになっていた。

 

「ああ。クソッ……。悪りい……」

 

 いったい俺は誰に謝ってるのだろう。

 エイジか。ユナか。PoHか。ザザか。

 きっと誰かではない。全員に謝っているのだ。

 永遠に勝ち続けることなんてできない。

 そもそも俺は負ける側の人間だ。

 これは来るべき番が来たというだけ。

 ただそれだけのことだ。

 

 

 

 ――俺は、失敗した。




エイジがジョニーをSAOサバイバーだと見抜けていたのは、オーグマに搭載されているモニタリング機能でイベントバトル中の脳波を読み取っていたからです。


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79話 棺桶に感傷を(9)

 春の微風が桜の香りを届ける。

 カフェラウンジは木陰となっていて涼しいが、そうでなければ暑いくらいの陽気だった。

 代々木公園は平日の午前中だというのに、サイクリングやドッグラン、花見なんかで意外と賑わいがある。

 もっとも、俺がバイトのシフトに空きを作ってまでここに来たのは休暇を楽しむためではなく、メールで呼び出されたからに他ならない。

 

 差出人はPoHというハンドルネーム。

 SAOサバイバー。

 ザザとの共通の友人。

 海外在住。

 おそらく男性。

 そして――俺の記憶から消えた人物であった。

 

「Hey Johnny Black」

 

 突然背後からネイティブな英語が飛ぶ。

 振り返るとそこには、いつの間にか見知らぬ長身の男性が立っていた。

 彫りの深い漢らしい端正な顔立ち。細い目つきは肉食獣のようにギラつき、しかし口元に浮かべた笑みはどこか親しみと温かさを感じさせる。

 全体としては、どこか捉えどころがないという印象に落ち着く男だ。

 おそらく彼がPoHで違いない。

 彼の方は、俺をメールに添付した顔写真で判断したと思われる。

 

「どうした?」

 

 今度は日本語。同じ人物が話しているとは思えないほど流暢な言葉遣いだ。

 少なくとも会話に不自由する心配はしなくてよさそうである。

 

「え。あ、いやその……」

「これか? こっちじゃ顔を隠してる方が目立っちまうだろ」

 

 彼はフードの端を摘まむようなジェスチャーをする。きっと、SAOではそうやって顔を隠していたのだろう。

 そんな事さえ思い出そうとすると、霧がかかったように記憶は浮かばなかった。

 会えば何か思い出すかと一抹の希望を抱いていたが、どうやら駄目だったらしい。

 そもそもザザに会っても思い出せなかったのだから、当然の結果か……。

 

「昔と同じ格好して感動の再会がよかったか? そういうお前だって、あの趣味の悪い骸骨の仮面は着けてないだろうが」

「そうだよ、な……」

「おい。お前、本当にジョニーか?」

 

 親し気な雰囲気は一瞬で霧散する。

 ナイフのように鋭い質問は、心臓を抉るような実にクリティカルな話だった。

 この僅かなやり取りで、彼は俺の様子がおかしいことを看破したようだ。

 それほど俺と彼は親しい仲だったのだろうか。

 今の俺にはそれすらわからない。

 

「あー……。その、さ……」

 

 知っているはずの、初対面の彼。

 そんな彼にプライベートな問題を話すのは最初こそ抵抗があったものの、彼は非常に聞き上手で、俺は気がつくと洗いざらい記憶喪失についてや近況についてを喋っていた……。

 オーディナルスケールのイベントバトルに参加したこと。

 エイジというプレイヤーに襲撃されたこと。

 SAOでの記憶がなくなったこと。

 ザザとは最近でも会っており、SAO後の記憶は残っていること。

 彼は時折相槌を打って話を促し、一通りを聞くと考え込む素振りをした。

 

「――俄かには信じ難いな。お前がジョニーを騙る偽物と言われた方がまだ説得力がある」

「そう言うあんただって本物のPoHかどうかわからないだろ?」

 

 売り言葉に買い言葉。

 

「馬鹿じゃなくて安心した。その通り。つまりお互い一旦信じたことにするしかないってわけだ」

 

 旧知の間柄と会いに来たかと思えば、随分ややこしい話になってきた……。

 それはPoHも同じか。

 なんてたって記憶喪失だしなあ。

 

「差し当たっては、呼び名を変えるとしよう。SAOサバイバーに聞かれでもしたら、この名前は刺激が強すぎるからな。俺のことは、ウサグーとでも呼んでくれ」

「じゃあ俺はジョン・ドゥーね」

 

 記憶を失う前の俺が、オーディナルスケールのプレイヤーネームとして登録していたのがそれだった。意味は身元不明死体の呼称らしい。

 偽名としてはオーソドックスなもので、名前に悩み調べて出たのを、そのまま使った安直なものでしかないことは、SAO後の記憶であるため忘れていない。

 

「メジャーだが、皮肉が利いて良い名前だな」

「ありがとよ。ウサグーってどんな意味?」

「意味なんてないさ……」

 

 意味深に否定するPoH――もといウサグー。

 

「さて自己紹介も済んだことだ。歩きながら今後の予定を詰めるか」

「オーケー。でもなんで歩きながら?」

「その方が聞かれ難いんだよ」

「へえ。詳しいね」

「仕事柄な」

 

 そんな技術を要求される職場とは、いったいどんな仕事なのだろう。スパイとか?

 少なくとも俺みたいな、平々凡々なフリーターでないことは確かだ。

 

「ま、一番の理由はコイツだけどな」

 

 彼がポケットから取り出して見せたのは白い長方形の箱。中身は十中八九タバコだ。

 

「律儀に法律守るんだ。なんか歩きタバコとか吸ってるイメージなんだけど」

「普段はそうだが、日本は屋外禁煙で取り締まりも厳しいんだろ? 歩きタバコなんてショボい理由で捕まりたくはねえよ」

「ああ、言えてる」

「お前も吸うか?」

「吸える年齢に見えるのかよ?」

「お前の年齢は聞いたことがなかったからな」

 

 箱をポケットに戻して歩き始めるウサグー。

 含み笑いをする彼の横顔が、どこか俺を小馬鹿にしたように見えて癪に障る。

 

「……1本くれよ」

「ハッ。そうこなくっちゃな」

 

 その後、記憶している限り人生初となる喫煙で俺は盛大に咽て、結局ウサグーに笑われることになってしまった。

 だがそれは別段気にならず、不思議と楽しい思い出の1ページとして俺は数えていた。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

「――とまあ、そんなことがあったわけよ」

 

 日時も場所も変わって所沢にある総合病院。

 記憶を失ってからも、甲斐甲斐しく友人の見舞いに訪れる俺は人間の出来たやつだった。

 ザザに持ってきた土産話はウサグーとの一幕。

 ユナについての調査方針の相談結果は、裏方という名の戦力外通告だった。

 

 ウサグーはイベントバトルに参加してエイジという人物の動向を探るのを軸に、オーグマーやその周辺を調べる方針を立てた。

 ここで必要とされるのが、二次被害に遭わないだけの実力だ。

 俺は少なくとも1度エイジに敗北している。

 ではウサグーと2人がかりであればどうかということで手合わせを行ったのだが、彼の鮮やか過ぎる短剣捌きの前に手も足も出ず敗北を喫した。

 組めば2体1になるどころか、足手纏いが増えるだけと一蹴される始末。

 

 つい先日までリハビリ生活だったのだから、リアルバイタリティーを要求されるオーディナルスケールで弱いのは当然という抗議は、まったく受け入れられなかった。

 なにせウサグーも同じ立場であるのに、彼は非常にマッスルだったのだ。

 相手がこちらの事情をわざわざ汲んでくれるはずがないというのも大きい。

 身長差。年齢差。経験差。

 それ以外にも鍛え方が根本的に足りていないというのが彼の見立てである。

 日常生活が送れるだけのトレーニングしかしてこなかったのが祟ったというか、普通はそんなもんじゃないだろうか……。

 

 俺に示された道は筋トレか情報収取。

 後者を選んだのは面倒だったからというわけでなく、一朝一夕で身につくものでもないからという現実的思考によるものだと弁明しておく。

 

「そうか……」

「でもさあ。情報収集ってどうすりゃいいわけ?」

「俺に聞くな。お前の方が、得意だった、だろ」

「それも忘れてるんだってば!」

「そうだったな」

「あとウサグーはウサグーで探偵雇って、オーグマーとかの方を探らせてみるって言ってたからさ。本格的にやることが思いつかないんだよね」

 

 アマチュアどころか初心者(ニュービー)の俺が調査のプロに敵うはずもない。

 かといって記憶がない上に、SAOサバイバーの友人なんてザザしかいないため、ユナについて調べる術もない。

 ないない尽くしで、俺が手詰まりになるのはあっという間のことだった。

 

「ウサグー、か……」

「どうかした?」

「いや」

 

 ザザも一緒に考えてくれているが、本人の弁通りこういうことは苦手らしい。

 VRゲームの調子を見る限り、彼は切った張ったが得意なタイプということを俺は知っている。

 

「うーん……。オーディナルスケールの攻略情報を纏めるとか? それならネットで調べた情報を精査するだけだし、俺でもなんとかなるかな」

「いいんじゃ、ないか」

「ちゃんと考えてくれてる?」

「勿論だ」

 

 手始めにオーグマーでネットの海に漕ぎ出してみると、情報の荒波が怒涛のように押し寄せ、翻弄されてしまう。

 オーディナルスケールは突発的なイベントバトルの他にも、ボスモンスター以外の小型モンスターの出現や、提携企業の店舗でミニゲームを行ってポイントを稼ぐという手段があるようだ。

 これらのポイント比率はイベントバトルの報酬に比べれば微々たるものだが、安定感という面では大きく上回る。

 問題はどのミニゲームが一番稼ぎが良いかという点だろう。

 SNSに上がっている情報は信憑性が薄く、攻略サイトに載ったものは逆に混雑から効率が落ちるという本末転倒な状態になっているようだが……。

 そもそもポイントはオーディナルスケールを調べるにあたって重要なのだろうか?

 

「ザザ。これ、どう思う?」

 

 イベントバトルに主眼を置いて調べると、ボスモンスターがSAOに出現したものと同じという噂を見つける。

 正確にはALOというゲームの新作パッチで追加されたアインクラッドの階層ボスモンスターと同じだという噂だ。

 オーディナルスケールでの動画はネット上にアップされていたので、確認をザザに求めたが彼は首を横に振るばかり。

 

「俺は、SAOのボス攻略に、参加していない」

「そっか。じゃあ確認のしようがないか」

「だが、聞いていた外見と、このコボルトロードは、似ているな」

「他のはどう?」

「わからん。SAO、β版が出た、当時のログを探せば、当てには、なるかもな」

「流石! 頼りになるぅ」

「今の俺に、出来ることなど、所詮はこの程度だ」

「十分。俺なんて返り討ちにされただけだぜ」

「俺にも、自由な、身体があれば、昔みたいに、隣に、いられたのかもな……」

 

 彼の頬は病院で初めて見たときから変わらず、痩せこけたままだ。

 肌も病的に白く、手足は枯れ木のように細い。

 対照的に俺の肌は徐々に日に焼かれ色付いており、細身の部類であれど健康には問題なく見える程度に筋肉も増えている。

 俺たちの対比はまるで、ザザの時間だけが止まっているかのように見えた。

 

「リハビリは進んでる?」

「……終わった。それでも、俺の人生は、変わらない。この籠の中で、朽ちて行くだけだ」

「………………」

 

 愛嬌のあった彼の瞳が哀愁で寂しげに細められ、何も言えなくなる。

 どんな慰めの言葉も俺の口から出たなら空虚だ。

 彼の内に抱える苦しみを、記憶のない俺は理解してやれなかった。

 力になれない自分が嫌になり、その苦しみを味わうことしか出来ないでいる。

 ザザは俺の友達だ。

 けれどもそれはSAO後の記憶を頼りに紡ぐ弱い絆でしかない。

 彼にとっては違うのだろうか。

 俺にとっては違ったのだろうか。

 答えは深い霧の中にしかない。

 

「すまん。愚痴だ。聞き流してくれ」

 

 聞き流せるはずがなかった。

 失われたはずの記憶が、必死に胸の内で叫びをあげているのだから。

 俺はSAOの記憶を切望していた。

 それは俺にとってなくてはならないものだ。

 

「PoHは、俺のことを、なんて、言っていた?」

「ごめん。聞いてないや。次のとき聞いておくね」

「いや。聞かなくて、いい」

「うん……。わかった……」

 

 ジョン・ドゥーとはたしかに皮肉が利いていた。

 今の俺は偽りの名前が示す通り、誰であるのか定かではなかったのだから。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 書店に並んだSAO事件記録全集によれば、ジョニー・ブラックとは殺人鬼であるらしい。

 ゲーム初期からPKを繰り返し、殺した数はいざ知れず。判明しているだけでも10人。関与が疑われているものも含めれば20は優に超えていたが、それ以上だろうと解説には書かれている。

 ラフィン・コフィンという殺人ギルドの幹部でもあり、そこにはPoHとザザの名も連なっていた。

 

 記憶を失う前の自分が殺人鬼と知って、驚きはまるでなかった。

 ただ、なるほどという納得があるだけだ。

 人を殺したいと思った事は山ほどある。

 今でも瞼を閉じれば、殺してやりたいやつの顔がすぐに思い浮かぶのだ。

 それは中学の同級生であったり、バイトの先輩であったり……。

 勿論実行するつもりはない。

 でも、デスゲームという特殊な環境であればと思うくらいには、俺は俺を信用していなかった。

 誰だってそんなものじゃないだろうか。

 チクリと胸が痛んだ。

 この痛みは何だろうか。

 

 ラフィン・コフィンは結成から僅か半年で壊滅している。

 被害に業を煮やした攻略組の手によって、討伐作戦が決行されたのだ。

 しかし実際はアインクラッド解放軍幹部のエリというプレイヤーが捕らえられたことが原因で、彼女の奪還がこの作戦の目的だったようだ。

 討伐作戦では双方多くの死者を出しつつ攻略組の勝利で終わったが、幹部の俺たちは逃走に成功。ただし作戦目標だったエリは無事救助されていた。

 

 エリという名前はどこかで聞いた覚えがあった。

 ザザがいつか話していたような気がするのだが、SAOが絡むと最近のことでも記憶は曖昧だ。

 彼女の項には多くの経歴が記されていた。

 アインクラッド解放軍は複数の部署に細分化していたためだ。

 ギルドMMO to day結成メンバーに始まり、内部組織の攻略隊ではメインタンクを担当。ギルドがアインクラッド解放軍に名を改めると治安維持部隊の隊長に就任し、攻略隊解散後もしばらく攻略組に所属。正月事件でようやく最前線から退いた強者だ。

 中でも目を引いたのは『魔女』というふたつ名。

 これはPKKを行っていたことに由来する。

 彼女もまた、俺と同じように殺人に手を染めたプレイヤーだった。

 

「――おいジョン。聞いてんのか?」

「え? あ、ごめん。ちょっと考え事してた」

「こっちはお前のためにわざわざ説明してやってんだぞ。聞く気がないなら帰れ」

「だからごめんって」

「はぁ……。今度はちゃんと聞いてろよ」

 

 溜息を吐きつつ、ウサグーは最初から説明をしてくれる。

 情報交換はこれで3度目。といっても、すでに俺から提示できる情報は無きに等しい。

 当初は旧SAOボスの情報を纏めて送っていたが、イベントバトルに出現するボスモンスターが11層を越えたことでβテストの攻略ログは役に立たなくなったからだ。

 それでもウサグーの方から情報共有をしてくれている辺り、俺がジョニー・ブラックであるという信頼は得られたみたいだ。

 彼の方は現在SAOサバイバーと協力して、イベントバトルの攻略に乗り出しているそうだ。

 オーグマーの開発者である重村徹大。その娘を名乗る色違いのユナに遭遇し、彼女の父とエイジを止めて欲しいという話を信じることにしたというのが前回の情報交換の内容である。

 

「エイジがこっちに接触してきた。記憶を返して欲しければ、ユナのファーストライブに来いだとよ」

 

 SAOプレイヤーである故人のユナ。

 SAOサバイバーであるエイジ。

 2人は幼馴染だったようだ。

 そしてSAOのユナは重村徹大の娘である重村悠那だ。

 事件はこうして一本の線で繋がった。

 しかしながら警察は証拠不十分で動けないの一点張り。上の利権争いで身動きが取れないというのが実体らしい。

 

「その癖招待状は添え忘れたらしい。お前、チケット貰ったって前言ってたよな。そいつを寄越せ」

「…………俺も、行くよ」

 

 振り絞った俺の言葉に、ウサグーは頭の天辺から爪先までを値踏みするよう見渡した。次いで、彼は拒絶するような表情をする。

 

「鍛えた成果が出てるようには見えねえけどよ。足手纏いは脱却したか?」

「そうじゃないけどさ……。記憶を返すって言ってたんだろ? なら俺も行くべきだ」

 

 努力を続けられることも才能だという。

 情けない話だが俺はその才能が全然ない。

 筋トレなんて特に苦手で、役に立つのかどうかわからないと言い訳を並べ、ついつい楽な方へと逃げてしまう。

 よって俺のパラメーターはウサグーと再会したときから変わらず低レベルなままだった。

 虫の良いことを言っているのは理解している。

 だけれども――。

 

「俺は記憶を取り戻したいんだよ! このままじゃいられない。忘れたままだなんて、嫌だ」

 

 この気持ちは本物だ。

 本に書かれた知識では到底足りない。

 SAOが始まる前の俺は惨めなガキだった。

 それがどうやって今の俺になったのか、想像さえつかない。

 いったいSAOでどんなものを見て、どんなことを感じたのだろうか。

 俺は、俺が欲しい。

 築いた絆も。

 犯した罪も。

 余すことなく俺のものだ。

 これだけは逃げ出すわけにいかなかった。

 なにより、封じられた記憶の残滓が、今の俺を許そうとしない。

 

「罠だぞ。わかってんのか?」

「わかってる」

「記憶が取り戻せるとは限らねえ」

「わかってる」

「忘れてるのは楽しい思い出だけじゃねえぞ」

「それでもっ!」

 

 ウサグーは咎めるような視線を向けていなかった。むしろ彼は嬉しそうに、懐かしむように俺を見ていた。

 

「……転売屋から買い付けるしかねえか。高い出費になりそうだ」

 

 嘆息混じりの言葉とは裏腹に、喜んでいるのがよくわかる。

 

「じゃあ――!」

「来るなって言うわけにもいかねえだろ」

「ありがとう、ウサグー」

「ただしだ。お前を助けてる余裕はねえぞ。エイジの野郎、パワードスーツを使ってやがったからな。生身で相手するには骨が折れる」

「余裕があったら助けてくれたの?」

「クククッ……。そうだな。お前の言う通りだ。自分の身は自分で守れ」

 

 それが信頼の表れだとでもいうように彼は笑い、つられて俺も笑った。

 かつての俺もこうして笑っていたのだろう。

 それを取り戻すため、俺は行く。

 目指すは新国立競技場。

 ユナのファーストライブ。

 そこに答えがあると信じて。




自分では努力していないと思っているものの、SAOボスのデータをβ時代の攻略サイトや掲示板のログから漁って纏めたり、SAOの話を調べて記憶を取り戻すための努力はちゃんとしているジョニー君。


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80話 棺桶に感傷を(10)

 心奪われるとは、こういうことを言うのだろう。

 新国立競技場に集まった総勢8万人の観客は、紫に発光する揃いのサイリウムを振り上げながらユナの歌声に聞き惚れていた。

 かくいう俺も、これには耳を傾けざるを得ない。

 そんなことをしている場合ではないというのに、意識が引っ張られる。

 彼女の歌声は人間業とは思えないほどに魔的だ。

 

 実際のところ彼女は人間ではない。

 あくまでARの3Dアバターが表現する、0と1、プログラミング言語で綴られる高性能AIでしかないのは知っている。

 だから技術的な面で彼女が人間を凌駕することに不思議はないのだ。

 酸素を必要としないのだから肺活量など言うまでもなく、才能と努力によってようやく獲得できる音域や音感など、データを入力された瞬間得られる紛い物に過ぎない。

 

 しかしだ。

 この歌声には感情が伴っていた。

 無機質ではない、人間としての感情だ。

 それが心の奥底に伝わって、自分でも知らないような純粋な感情を呼び起こす。

 これも機械学習によって得た抑揚や微妙な仕草がそう錯覚させているだけなのだろうか。

 そうであるなら、感情を伝える手段とは人間特有の機能ではなくなってしまったということだ。

 仮に俺が彼女の背景を知らず歌声だけを聞いたなら、AIとは思わなかっただろう。

 照明によって照らし出された円形のステージ。

 そこで観客の声援を一身に受ける彼女は、まさしく人間だった。

 

 曲が変わる。

 次の曲はアップテンポの熱い曲だ。

 今にも走り出したくなりような高揚感があり、会場は一体となって盛り上がる。

 ユナもそれに合わせてマスコットキャラクターのアイン君に乗って、会場を文字通り飛び回るというARならではの演出をしてみせた。

 気持ちいいくらいの真っ直ぐな熱量だ。

 

 なのにどうしてだろう。

 彼女を見ていると心が痛かった。

 感動からではない。

 無論、恋なんかでもないのだ。

 そう呼ぶには、瞳から流れ落ちた滴はあまりにも冷たかった。

 これはむしろ……。そう……。

 後悔だ。自責の念が、胸を締め付けている。

 ああ。どうして。どうしてなのか……。

 霧の向こうで、記憶の欠片がうっすらと輪郭を覗かせていた。

 あと少し。手を伸ばせば、触れられそうな……。

 

 掲げていたサイリウムが力なく下げられる。

 まるで熱湯と冷水を左右別々に浴びせられたような混沌とした感覚。

 歌声は日の差す温かな方へ手を引くが、俺はそれを振り払って氷の向こう側へと落ちていく。

 

「ああ。楽しかった……」

 

 俺の言葉ではない。

 伴奏の終わったユナが、天を仰いで呟いたのだ。

 突如照明の光が途絶え、ユナの姿が消える。

 会場はたちまち暗闇に呑まれ、サイリウムの微かな灯りしか残らない。

 ライブの終了予定時間にはまだ早い。

 どよめきが漏れる中、自分の身体が青白い光に包まれ服装が黒マントに変化する。

 これは――オーディナルスケールのイベントバトル用コスチュームだ。

 

『FINAL EVENT』

 

 眼前に表示されるシステムメッセージ。

 現実感のない軽いSEが1度だけ鳴った。

 周囲では、同じように次々とオーディナルスケールが強制起動されて服装が変化していく。

 となれば次に起こることは容易に想像がついた。

 会場の各所で炎のエフェクトが舞い上がり、巨大なモンスターが我が物顔で現実と仮想の境界を跨いでいくのだ。

 イベントバトルで出現するモンスターは1体、多くても2体と攻略サイトの記事には書かれていたが、この場に揃ったのはその比ではない。

 10体。いや20体か。

 まだ増え続けている大群を前に、観客の1人が意気揚々と斬りかかっていった。

 制止する者はいない。それどころか我先にとモンスターに立ち向かっていく有様だ。

 

 このボスモンスターに倒されたSAOサバイバーは、SAOでの記憶を失う。

 俺も結果的にはそれで記憶を失ったわけだ。

 もう一度HPが0になれば、そのときどうなるのかはわからない。

 SAOの記憶はすでにないから平気なのか。

 それともSAOのように頭を電子レンジの要領で破壊されるのか。

 どちらにせよ試してみる気にはならないが。 

 

「クソっ……。なにが起こってんだよ……」

 

 俺の側にも、とうとうモンスターが現れた。

 赤金色の肌を持つ二足歩行のモンスターだ。

 腰のモーションコントローラー(短剣)へ手が伸びる。

 戦わなければ死ぬと肌で感じる。

 しかし身体は意思に反して恐怖に縮んでいた。

 ウサグーはこの場にはいない。

 彼はライブが始まる前に姿を消し、それっきりだ。

 

 逃げろと身体に命じる。

 だが足は床に縫い付けられたように動かない。

 呼吸と動悸が荒くなっていた。

 モンスターは恐怖を煽るようにジロリと狙いを定めると、右手に握っていた片刃斧を振り下ろす。

 

 

 

 鈍い音が耳に響いた。

 

 

 

 視界が一瞬明滅して、走馬燈のようにかつての戦いが思い起こされる。

 

 アインクラッド第1層フロアボス。

 

 その戦闘で散ったリーダー『ディアベル』の姿。

 

 彼は呆気なく死んだ。

 

 あれを見て、ここが真に人を死に至らせる世界だと理解したのだ。

 

 手にした短剣は麻薬のような薄暗い誘惑だった。

 

 これで喉を引き裂けばあいつらも死ぬんだ。

 

 お前らが生きていられるのは、俺がまだ殺さないでいるおかげなんだよ。

 

 大抵の人間はそこで立ち止まれるのだろうが、我慢の利かない俺はあっさり向こう側へと転がった。

 

 蘇るのは本能のままに甘い蜜を啜り続けた日々。

 

 そうだ……。

 

 ここにいる彼らも首を引き裂けば……。

 

「――黙れよ」

 

 現実に意識が戻る。

 短剣でガードしたのは経験による反射のおかげだ。

 身体が地面に沈むほどの重量を錯覚する。

 だがあくまでこれはAR。

 重さなんて存在しない。

 過去の記憶が押し潰そうとしているに過ぎない。

 

 振り払え。

 こんなところで死んでられるか!

 

 短剣用単発ソードスキル『ケイナイン』。

 

 下段から振り上げた刺突は、イルファングザコボルトロードの巨体を押し返した。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

「無事か?」

 

 PoHがやってきたのは俺がコボルトロードを倒した後だった。

 SAOに比べて低いHP設定と、周囲の観客が群がって攻撃を加えてくれたおかげだ。

 俺の非常に低いランキングナンバーも、ラストアタックボーナスのおかげで多少は箔がついた。

 

「そっちこそ……」

 

 彼も死闘を切り抜けてきたところなのだろう。

 PoHの左腕はあらぬ方向に曲がっていた。

 額には脂汗が滲み、顔色も青い。

 どう見ても無事な様子ではなかった。

 けれど彼は不敵に笑うだけ。

 それがどこまでも彼らしい。

 

「オーグマーは外しとけ。それでとりあえず無事でいられる」

「なんだ。外しても平気なのかよ」

 

 てっきりナーブギアのように外した途端――なんてことを想像していた自分が馬鹿馬鹿しい。

 俺は言われてすぐにオーグマーを剥ぎ取った。

 

「それで、どういう状況なわけ?」

「罠だ。見てわかるだろ。ここにいる連中をスキャンにかけて記憶を奪うんだとよ。スキャニングされたやつはナーブギアと同じで死ぬ。以上だ」

「マジかよ……」

 

 茅場もヤバかったが、重村とかいう開発者も相当ブッ飛んでやがる。

 

「わかったらさっさとここから――あの馬鹿が。お前は先に帰れ」

「なんだよ突然」

 

 PoHの視線を追うも何も見つからない。

 ARでなにか見たのかと思いオーグマーを着け直すと当たりだった。

 視線の先には青白く輝く不自然な場所がある。

 光は楕円状の膜を張っているようでモンスターが何体か押し寄せ攻撃を行っているが、侵入は阻まれていた。

 内側には巨大な盾を掲げたプレイヤーと、客席に座って動かない数人の集団が見える。

 

「野暮用が出来た」

「俺も手伝うよ」

 

 理由なんて知らないけど、そう答える。

 

「足手纏いはいらねえ」

「強がんなよ。俺ってばボスの右腕じゃん? 左腕は今日はいないけどさぁ。どっちにしろ腕に違いはないんだし、負傷した分の代わりくらいにはなってやるよ」

「お前、記憶が……」

 

 小さく頷いた俺に、PoHは口角を吊り上げた。

 

「そうかよ。行くぞ。ついて来い」

 

 片腕を庇いながらだというのに、彼の足取りは信じられないほど速い。

 襲い来るモンスターと不規則な人の波を潜り抜け客席を疾走する。

 平坦な道のりであれば違っただろうが、これでは俺の走る速度と遜色がない。

 謎の青白い空間まではあっという間だった。

 追い縋るモンスターは膜に阻まれ弾かれる。

 

 目的の場所にいたのは白いユナと、見覚えのあるSAOサバイバー達。

 黒猫の剣士に、閃光。鍛冶師のリズベットに、巨体の男はエギルだったか。ツインテールの少女は知らない。

 並んで座る彼らは意識がない様だ。

 ユナの他に唯一意識のある彼女が誰なのか、すぐにはわからなかった。

 しかし面影を感じる。

 思考を巡らせれば答えはすぐだった。

 だいぶ痩せているが間違いない。

 彼女は――エリにゃんだ。

 

「………………」

 

 言葉が出ない。

 今更なんて声をかければいいんだ。

 二度と会うつもりはなかったのに。

 

「何をやってる? そのくらいは教えてくれるんだろう」

「彼らは今、アインクラッドの100層ボスと戦っているわ。お願い。このままじゃ会場に来てくれた皆が死んでしまうの。あなたも手を貸して!」

「………………」

 

 興味はないと言わんばかりの態度を示すPoH。

 彼はすでにユナを見ておらず、エリにゃんへ視線を向けていた。

 

「あの。何処かで会ったことあるっすか?」

「…………記憶は、戻ったのか?」

「まだっすけど……」

「そうか」

 

 どうやらエリにゃんは俺と同じようにSAOでの記憶を失っていたらしい。

 そのことをPoHは知っていたようだが、俺には一切伝えられていなかった。

 

「それは外しておけ」

 

 自分のオーグマーを叩いて、外すよう促す。

 

「大丈夫っすよ。ほら、記憶もないっすから」

「話を聞いてなかったのか? ここでスキャンされると死ぬんだ。いいから外しておくんだ」

「あー……。でも……」

「彼らのことなら気にしなくていい。君がオーグマー外していて、安心することはあっても恨むなんてことはないはずだ」

「そ、それでも。私は信じてるっすから」

「はぁ…………」

 

 それはもう、長い溜息だった。

 

「言い争ってる場合でもないか。わかった。さっさと連れいってくれ。オーグマーでもログイン出来るんだろ?」

「ええ」

「なら早くしてくれ」

 

 PoHはエリにゃんから離れた椅子に腰かけると、ユナを急かす。

 俺も成り行きに任せ彼の隣に座って待つと、アミュスフィア同様のログイン画面が表示された。

 懐かしい、『ソードアート・オンライン』のタイトルロゴ。

 あとはリンクスタートの音声認識であの地に戻れるのだろう。

 

「あのさ。ボス……」

「リンクスタート」

「ちょ、ちょっと待ってくれよ。リンクスタート!?」

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 突然の浮遊感。

 ログイン早々大窓から吐き出されるという乱暴な登場を余儀なくされる。

 幸いにして落下ダメージはなかった。

 重力が軽い。フィールドの特殊設定だろうか。

 俺の姿はオーディナルスケールのものからSAOのズタ袋に変わっていく。

 懐かしい、ピタリと心と身体一致した感覚。

 だが感傷に浸っている暇はない。

 遠くではすでに前線に駆け付けたPoHが、巨大なボスモンスターの攻撃をソードスキルで相殺しているところだった。

 

「Hey Black cat.――It's showtime!」

 

 ああ、もう……。

 俺も並んで登場したかったのに。

 まあいいさ。俺はどうせ裏方がお似合いだ。

 正面切っての戦いなんて、得意なやつへ任せるに限る。

 調子に乗って先行した結果、記憶を失う下手まで打ったのだから流石に学んださ。

 

 フィールドを見渡せば羽の生えた変わり種が多い。ALOとかいうゲームのアバターだったか。

 何故SAOにいるのかという疑問は後回しだ。

 他にはSAOの攻略組が数人。

 ボスは巨人型で単独。

 雑魚モンスターはいないらしい。

 

 今さっきタゲられていたのは――あの少女か。

 黒い方のユナと同じ、黒と紫のアイドルっぽい衣装をした小柄な少女だ。

 彼女は壁面に樹木で拘束されて身動きが取れないようだ。

 攻撃すれば解除出来るのではと考え、壁に向かって『ウォールラン』を起動。

 ボスは細剣から武器を突撃槍に持ち替えソードスキルの待機モーションに入っている。

 なるほど。こいつは様々な武器とソードスキルを使ってくるようだ。

 

「俺のことも忘れないでくれよぉ」

 

 螺旋状になった通路の内側によじ登り、存在をアピールしつつ久々にシステムアシストを受けてソードスキルを発動させる。狙いは寸分狂わず樹木だけを破壊。支えを失い落下する彼女を空中で抱えると、地面に着地するや否やソードスキルの範囲外まで退避する。

 

「忘れてたのはテメエの方だろうが」

「そいつは言いっこなしだぜ、ボス。――ていうかボスこそ俺のこと忘れてなかった?」

「下らねえこと言ってんじゃねえ。それとお前は少し黙ってろ」

「へいへい」

 

 彼に従い下らない話もそこそこに。

 抱えていた少女を下ろしてやるが、彼女の方は感謝の言葉どころか見た目に似つかわしくない怪訝な表情を向けてきた。

 SAOで俺がしてきたことを考えれば当然の反応といえる。

 

「――っ! 攻撃っ! 攻撃を再開してください! 樹木の拘束は可能なら命中前に攻撃魔法で迎撃。ブロックでの拘束は付近の方が防御魔法で追撃のカバーに回ってください。リーファちゃん。ユイちゃんの護衛をお願い。ユイちゃん、バフはもう一度やれる?」

「やれます!」

「わかりました! 任せてください!」

 

 アスナ(閃光)が、立て直して指示を飛ばす。

 今助けたプレイヤーはユイという名前らしい。

 リーファと呼ばれた金髪の妖精にユイを明け渡すと、俺は隠密スキルを使って姿を消した。

 別に後ろから刺そうというつもりじゃない。

 ただ足手纏いになりたくなかっただけだ。

 それに、俺がピンチになっても助けてくれるとは限らないのだし。

 

 ユイがリーファに抱えられながら歌唱すると、HPバーの上には各種ステータスアップのアイコンが表示される。

 ボスはユイをしつこく狙い、目から熱線を放ち焼かれた壁面は遅れて爆発。

 指示を聞く限りバリアまで持っていて、再生するたびダメージか何かを発生させるらしい。

 さらにはプレイヤーを床ごと浮かび上がらせ、熱線で撃ち落としていくコンボも搭載。

 これに加えて武器の切り替え。ソードスキル各種。樹木の拘束攻撃もたぶんあるだろう。

 HPバーは驚異の10本。しかもまだ4本も残っていた。

 100層ボスというのは伊達ではないようだ。

 

 前線ではPoHとキリトが言い争いながらもバリアを破壊している。

 立て続けにプレイヤーが殺到してボスのHPは1本削りきって残り3本。

 例に倣えば能力の追加がくるはずだ。

 

「アアアアアアアア!」

 

 ボスは甲高い女性の声で叫び足元から大量の樹木が伸びる。

 その物量は地形を変えるほどで、フィールドの大半に緑が生い茂った。

 これには攻略組の名だたる面々も堪えきれず、僅かにソードスキルで迎撃していたものの、押し流されては壁面に縫い付けられていく。

 無事な妖精たちが魔法で樹木を破壊していく中、俺もPoHの救助に向かおうとするが、ボスは先程と違う大樹を作り出す。

 

「目標変更! ボスの動きを止めて!」

 

 アスナの強い口調に身体が反応した。

 大樹に空から日が差し込み、朝露のごとき滴が生まれる。

 迷ってる暇はない。

 左右それぞれ2本の短剣を掴むと、投擲系ソードスキルで一斉に発射。

 フォーカスターゲットは正確に滴を撃ち落とした。

 陽光のエフェクトは途切れ何も起こらない。

 どうやら成功したみたいだ。

 

「よっしゃ! どうよ! 俺の活躍見てくれてた?」

 

 一瞬の出来事だった。

 身体に鈍い衝撃。視界がブレる。

 気がつくと俺は上空にいた。

 眼下ではボスが両手斧を振り上げでいる。

 打ち上げられたのだと理解するも手遅れだ。

 ボスの瞳は輝き、避ける間もなく光の奔流に再び吹き飛ばされる。

 フィールドの特性も相まってか、かなりの飛距離を発揮しているがこれで終わりではないようだ。

 

「やばっ」

 

 ボスは両手斧で突進系ソードスキルを放つ。

 俺のHPは危険域。

 当たればまず助からない。

 最後となる自分の鼓動を意識するも――。

 

「でやぁあああああああ!」

 

 ――終わりは来ない。

 雄たけびを上げたキリトが、両手斧を盾で受け止めていたからだ。

 空中では盾が砕けるのではないかというほど激しい火花が散っていく。

 

「スイッチ!」

 

 止まらないと悟ったキリトが声を張り上げる。

 

「やるじゃねえか、黒猫」

 

 PoHがキリトに追いつき、ソードスキルを叩き込んで捻じ伏せた。

 攻撃はようやく止まり難を逃れる。

 

「ふう。助かったぜボス。……それに黒猫も」

「………………」

 

 キリトは見向きもせず、不愛想に攻撃へ戻った。

 PoHも後に続くが、彼は俺を一瞥してくれる。

 お互い過去を水に流したわけでもない一時的共闘なのだから、しょうがない。

 でも助けてくれるなんて思いもしなかった。

 それはキリトだけでなく、PoHもだ。

 

 彼は仲間だと今でも信じてる。

 それと同時に、仲間だからといって俺を助けてくれるわけではないと心の何処かで感じてもいた。

 これまでずっとそうだったから……。

 誰も助けてなんてくれなかったから……。

 けれど違ったのだ。

 全部俺の勘違いだったんだ。

 

「戦う気があるなら、回復してきて」

 

 前線で肩を並べて戦うキリトとPoHの背中を目で追っていると、近くにいたアスナに注意されハッとなる。

 難を逃れて呆けていたが、俺のHPはレッドゾーンのままだ。

 呑気にしている場合ではない。

 

「今は1人でも戦力がいるの」

「しょうがねえなぁ」

 

 彼女の言葉は本音だろうが嬉しくもあった。

 俺はつい憎まれ口を返して、回復に勤しんだ。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 アインクラッド100層ボス『An incarnation of the Radius』はついに倒された。

 HPバーが最後の1本になるとフィールドが割れたり、逃げ場なんてないような高範囲攻撃が殺到したものの、その辺は近くの妖精に魔法で対処してもらい事なきを得た。

 トドメはキリトとPoHのコンビが決めて、美味しい所を全部持っていかれたような形であるけど文句はない。むしろ誇らしいくらいだ。

 

 俺とPoHは勝利の余韻もほどほどに、強制ログアウトされて、新国立競技場の客席へと戻される。

 会場は未だ混沌の最中であったが、ボス討伐後にユイと呼ばれていた少女が語った言葉を信じるならたぶん大丈夫なはずだ。

 

「あのっ。どうなったんすか?」

 

 1人で帰りを待っていたエリにゃんが、不安気な声で聞いてくる。

 

「心配しなくていい。上手くいったさ。じきに彼らも目を覚ます」

「そうっすか。あ、それ。見よう見まねでやっただけっすけど……」

 

 彼女は安堵の息を吐くと、折れていたPoHの左腕を指さす。

 俺たちが戦っている間にやってくれたのだろう。左腕は雑誌と上着を使って応急手当が施され、首から吊り下げる形になっていた。

 

「ああ……、その……、ありがとう」

「これくらいしか出来ないっすけどね。早く病院行った方がいいっすよ」

「そうだな。そうさせてもらう。――行くぞ」

「え、もういいの?」

「………………」

 

 ARで顔は見えないが、たぶん睨まれている。

 

「わかってるよ。じゃあね。今度こそ、ばいばい」

 

 逃げ出すように、俺たちはその場を後にした。

 出入り口は先程まで閉ざされていたのか人で溢れ返っている。

 しかし背後で花火のような重低音が聞こえてくる頃にはロックも解除され、雑踏に紛れ無事に出ることが出来た。

 

 会場の外は太陽が傾きかけた黄昏時。

 茜色の空にはカラスが2羽飛んでいた。

 オーグマーを外して、敷地内にあった並木道をPoHの後ろに続いて歩く。

 しばらく彼は無言だったが、人気な無くなるとようやく愚痴のような溜息を吐いた。

 

「酷い目に遭ったぜ……」

 

 彼の腕を吊っているのは女性ものの上着だ。

 それが非常にシュールで笑いを誘うが、指摘すれば絶対に機嫌を損ねるので口にはしない。

 

「そう言う割には楽しそうだったじゃん」

「んなわけあるか」

 

 彼はタバコを取り出して火を点ける。

 

「歩きタバコはしないんじゃなかったの?」

「吸わずにやってられるかよ」

 

 俺は差し出された1本を受け取ると隣に並んで一緒に吸った。

 慣れない味だが、こうして同じことをしているのに意味がある気がしたのだ。

 煙を漂わせるPoHの横顔は満足そうだった。

 タバコも美味そうに吸っている。

 

「日本は懲り懲りだ。もう二度と来ねえ」

「そう言ってるとまた来る羽目になりそうだけど」

「止めてくれ」

 

 これは心底嫌そうに否定。

 

「お前とも会うことはねえだろうな」

「えー。つれないこと言うなよぉ。協力してやったじゃんか」

「お互い様だ」

「……ザザには会って行かないの?」

「今更会えるか。お前とだって会うつもりはなかったんだ」

「そっか……。寂しいな」

「俺は寂しくない」

「………………」

「ラフィン・コフィンはもう終わったんだ。わかってるだろ」

「うん……」

 

 もう決着の着いた話だ。

 俺も蒸し返すような真似はしない。

 どうにか出来るならとっくの昔にやっていただろうし、あんな終わりにはならなかった。

 だから今回の事件は、後始末みたいなものだ。

 

「ふう……。明日には日本を発つ」

 

 タバコを吸い終えたPoHが呟く。

 

「中国に帰るの?」

「聞いてどうすんだ」

「今度は俺から会いに行こうかなって」

「来んな。それに中国には戻らねえよ」

「そっか」

 

 嘘か本当かわからないけど、彼は律儀に返答はしてくれた。

 

「……一度しか言わねえからよく聞いておけ」

 

 前置きをして、躊躇い気味の間が空く。

 

「お前がいて助かった」

「………………」

「それだけだ」

「俺も。PoHが来てくれてよかった」

 

 PoHは口が非常に上手い。

 自然と嘘を吐くし、陰謀を巡らせてばかりいる。

 俺はまた騙されているんだろうか。

 それともこれは本心なのだろうか。

 どっちかわからないなら、信じたい方を信じる。

 つまりはPoHを信じるってことだ。

 

「Goodby Johnny Black」

「じゃあね。ボス」

 

 彼のシルエットがだんだんと遠ざかり、やがて見えなくなる。

 これ以上後を追いかることはしなかった。

 これでいい。

 俺には十分すぎる、夢のような時間だった。

 記憶を失ったり散々なアクシデントはあったけど、いつだってこんなもんだ。

 PoHの去った方角とは反対に踵を返し、俺もまた日常へと帰っていく。

 

 

 

 ――SAOから続くラフィン・コフィンの物語はこうして今度こそ終わりを迎えた。

 

 

 

 そのとき俺はそう思っていたのだ。

 それが間違いだったと気がつくのは、オーディナルスケールの事件から半年が経った後。

 すでに何もかもが手遅れとなっていて、あるいはまだ暗闇に一筋の光だけが残されていた。




お待たせしました。
これでオーディナルスケールまでの回想は終了。
次回からはガンゲイルオンラインの話です。


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81話 棺桶に感傷を(11)

 病院の面会出来る時間帯は限られていて、シフトの関係上頻繁に会いに行くというのは結構難しい。

 だから次第にザザとはリアルではなく、仮想世界で顔を合わせるようになっていった。

 

 大抵は一緒にVRMMOで遊ぶ。そこへ彼の弟も加わり、3人で行動することもあった。

 最近ハマっているのは海外製のタイトル『ガンゲイル・オンライン』。

 荒廃した世界を舞台に銃で戦うゲームだ。

 今まで近接戦ばかりしてきたため、俺はその広い戦闘距離に未だ慣れない。

 ただしザザは別だ。彼は早々ゲームに適応し、狙撃銃なんて扱いの難しい物まで使いこなしている。

 プレイ時間の関係もあり、俺たちの差はだんだん拡がっていく一方だった。

 しかし俺は気にすることもなく、死の危険もないぬるま湯のような世界を楽しんでいた。

 

 そんなある日だ。

 バイトが終わってオーグマーを装着するとメールが届いていた。

 差出人はザザ。

 内容はロビールームに呼びつけるものだった。

 帰宅後すぐにアミュスフィアを起動して、俺はロビーコードを入力する。

 いつもはゲーム内で会うため、彼のロビーへ行くのは久しぶりだ。

 

 エリアが瞬く間に変わると薄暗い空間に出る。

 目の前には入口と思われる巨大な石扉。

 振り返れば蝋燭に照らされた通路が続いていた。

 以前来たときはガンゲイル・オンラインの世界に似た近未来的な場所だったが、その面影はまったく残っていない。

 むしろこれは……。

 

 無制限の入室許可が与えられているため、俺はノックもせずに扉を開ける。

 シャンデリアにワインラック。

 豪華絢爛な調度品。

 血のように赤いカーペット。

 大型デスクが1つと、ソファーが2つ。

 壁にかけられた旗。

 刺繍されているのはALFの紋章。

 間違いようがない。

 これはかつてSAOに存在していた、黒鉄宮監獄エリア看守室の再現だ。

 

「来たか……」

 

 ソファーに腰かけていたのは、顔を骸骨の仮面で覆い隠したザザ。対する俺は顔も隠さず普通の服装をしていて酷く場違いに思える。

 まるで夢の中にいるかのような光景だが、頭の芯は冴えきっていた。

 これは現実。

 ――いや、仮想現実だ。

 

「なにかあった?」

「ジョニー。また一緒に、狩りをしないか?」

 

 夢現であるのは俺ではなく彼の方だった。

 顔はぼんやりと向かいの席に向けられ、赤い双眸が何を映しているのかは窺い知れない。

 ラフィン・コフィンの幹部として、あるいはそれ以前にPKとして恐れられていた彼は、たしかこのような男だった。

 

「いいよ。どこ行く? あ、でも。レア掘りって苦手なんだよねぇ」

「そうじゃない。人だ」

「PK?」

「違う」

「………………」

 

 嫌な予感がしていた。

 

「昔みたいに、また、人を殺そう」

「な、なに言ってんのさ……。そんなこと出来るわけないだろ……」

「出来る、出来ないじゃない。あの場所でも、そうだった。一歩踏み出せるやつが、人を殺せた。俺たちは、やれる人間だ。ならまた、やるだけだ」

 

 用意していたグラスに彼は液体を注ぐと、受け取るよう差し出した。

 これは毒の盃だ。

 HPが減ることはなくとも、飲めばたちまちのうちに身体は蝕まれ、金本敦は死ぬだろう。

 そうして残るのは毒の滴る毒使い、以前のジョニー・ブラックだけだ。

 

「俺の、好みからは、外れるが、計画だって、ある。お前向けの、計画だ」

 

 昔に戻りたい。

 そう願った事は何度もある……。

 あんな終わりがなければ。SAOが続いていれば。今でも俺たちは一緒にいた。

 

 もうじきクリスマスだ。

 飾りは一昨年の物を俺の部屋から引っ張り出してくるとして――。

 きっとPoHがまたなにか大きなイベントを考え、キバオウが渋々予算を調達してくる。エリにゃんは愚痴を言いつつも手伝い、俺とザザが実働に駆り出されただろう。

 この5人で行うパーティーの他に、ラフィン・コフィンの側でも催しをしたかもしれない。なにせ結構な大所帯だったから騒ぐ連中も多い。

 当時の俺は幹部としての立場に飽き飽きしていたが、今にして思えばもう少し頑張ってもよかった。

 

 あれから2年。たった2年だ。

 かつての居城は崩れ去り、手の平から零れ届かない場所にある。

 今の俺はどちらなのだろう。

 金本敦か。

 それともジョニー・ブラックか。

 ザザの持つグラスに、俺は手を――。

 

「受け取って、くれないのか?」

 

 ――伸ばしさえしなかった。

 俺には受け取れない。

 受け取る資格はないし、受け取るつもりもない。

 なかったことになんて出来ないんだ。

 

「……SAOは終わったんだ。俺たちはもう、ラフィン・コフィンじゃないんだよっ!」

 

 ザザの手から滑り落ちたグラスが、床で砕けて染みを伸ばす。

 

「そうか……。お前も、そうなのか……。すべてを忘れ、安穏に、生きるか!」

「忘れてなんかないさ」

「いいや。お前は、忘れた! ここにいるのは、ジョニー・ブラックじゃ、ない!」

「………………」

「俺は、お前とは違う……。忘れられない……。忘れる、ものか……。俺は今も、ラフィン・コフィンのザザだ……!」

 

 頭を抱え、彼は狂気に震える声を響かせた。

 これまで終ぞ俺に向けられることのなかった殺意が、肌を騒めかせる。

 SAOなら剣を抜くところだ。

 けれどそうはならない。

 ここはあくまで形だけを似せた、偽りの場所でしかないのだから。

 形だけで中身は空っぽだ。

 俺も。ザザも。ここに生は感じられない。

 

「………………」

「………………」

 

 無言をぶつけ合い、HPではなく時間だけが流れていく……。

 次第にザザの殺気は落ち着いていった。

 代わりに彼は自分のグラスを傾け、赤い液体を飲み干すと、空になったグラスを叩きつけ破壊した。

 消滅していく破片は、どこかSAOの死亡演出に似ていた。

 

「エリを、殺した……」

 

 嗤うような擦れた囁きは、エストックの切先の如く胸を貫く。

 

「な――」

「もう、後戻りは、できない」

「お前今なんて言ったっ!」

 

 底冷えするような寒気が激情に焼ける。

 

「手を取ってくれ、ジョニー」

 

 掴みかかった俺の腕はシステムの安全機構によって虚空で弾かれた。

 

「俺たちは仲間じゃなかったのかよ!?」

 

 今度は勢いを抑えると、システムに妨げられず触れることが出来た。

 俺は襟首を掴み上げ、彼の足が宙に浮く。

 

「あいつは、堕落した……。見たか? MMOストリームに映っていた、エリを。あの傍若無人なまでの力が、今や見る影もない……。俺はあんな姿、見たくなかった……。エリは、SAOで、死ぬべきだったんだ……」

「そんなのは関係ないだろっ!」

 

 投げ飛ばされたザザはバランス崩して、テーブルをひっくり返しながら尻餅を着いた。

 

「強いから俺たちは仲間だったのか? そうじゃないだろ。俺たちはただ! ただ、仲間だったんだ……」

 

 どうしてPoHが俺なんかを誘ってくれたかは今でもよくわかっていない。

 わからないけど、仲間だって信じられた。

 ザザだってそうだ。強いやつが好きなこいつが、どうして俺と一緒にいてくれたのかわからない。

 でも俺は信じてる。信じたいんだ。

 

「弱ければ仲間じゃないっていうなら、俺はどうだ? 初めから仲間でもなんでもなかったっていうのか!? 答えろよ、ザザ!」

「………………」

 

 なんでこんなこと……。

 いったい何処で間違えたのか。

 それはきっと最初からだ。

 俺たちは殺人鬼の集まりだった。

 だからいつか歯車が噛みあってしまえば、殺さずにはいられなくなる。

 俺がユナを殺してラフィン・コフィンを引き裂いてしまったように……。

 今度はザザが、エリにゃんを殺してしまっただけなのかもしれない。

 

「……自首してくれ。ここはSAOじゃないんだ。すぐにバレる」

 

 冴えたやり方なんて中々思いつくものじゃない。

 どうにかしてやりたかったが、俺に出来ることなんてこの程度が限界だ。

 

「そうか……」

 

 項垂れたまま、力なく指先だけを動かすザザ。

 彼の返答は――拒絶だった。

 突如身体が光に包まれ、視界が戻ると俺は自分のロビールームにいた。

 表示されているシステムメッセージは強制退出の処理を行われたことを告げている。

 もう一度ザザのルームに行こうとするが、当然ブラックリストに入れられており、無機質なプログラムが侵入を拒んでいた。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 翌日、ザザの病室を訪ねるも彼の方で面会を拒否されてしまい、会うことは出来なかった。

 エリにゃんの話が本当か嘘かはわからない。

 彼女の病室どころか、本名すら知らないため、病院で情報は得られなかったのだ。

 ガンゲイル・オンラインでザザの姿を探すもアクセス状態は非表示に出来るため、ログインしているかどうかさえ定かではない。

 こうなれば地道な調査と、粘り強く病院を訪問するくらいしか手段がなくなり、あっという間に蚊帳の外へと締め出されてしまう。

 

 事態が進展したのは1週間が過ぎてから。

 俺の方で何か手掛かりを見つけたということはなく、彼から連絡があったいうだけの話だ。

 保谷に借りているワンルームのアパートで、エリにゃんの映っていたMMOストリームを元にALOについて調べていると、電話がきた。

 発信元はザザの番号。

 テレビ電話ではなくボイスオンリー。

 

「警察には、通報、しなかったのか」

 

 聞き慣れた声は間違いなくザザ本人だ。

 

「仲間を売るような真似、出来るかよ……」

「甘いな」

「そっちこそ、全然会ってくれなかったのに、どういうわけ?」

「エリのことは、なにか、わかったか?」

 

 見透かされているようでドキリとさせられるが、考えてみればその発言は矛盾している。

 

「殺したんじゃなかったのかよ」

「俺も、腕が鈍った、らしい……。殺し損ねた、みたいだ」

「じゃあ!?」

「ただし、今も生きてるかは、知らないがな」

「どういうことだよ……?」

「知りたいか? なら、交換条件だ」

 

 彼の連絡してきた理由はこれか。

 額から嫌な汗が流れ、苛立ち気味にエアコンの設定温度を下げる。

 

「もうじき、GGOで、大会がある。そこで俺と殺し合いをして、勝てれば、教えてやろう。もちろん、お遊びの、ゲームじゃない。SAOと、同じだ。お前には、命を懸けてもらう」

 

 メールで送られてきたのは動画ファイル。

 開くとガンゲイル・オンラインの大会、『Bullet of Bullets』の前優勝者ゼクシードがMMOストリームで生放送のインタビューを受けているところだった。

 しかし不自然なことに動画はガンゲイル・オンライン内部で撮影されたものだ。

 どこかの酒場で映像パネルを見ている。

 視点撮影モードか。

 

「イッツ、ショー、タイム」

 

 声で察するに視点人物はザザのようだ。

 彼はPoHを真似た台詞と共にハンドガンをパネルへと放つ。

 周囲から嘲笑の声が漏れていたが、意気揚々と話していたゼクシードの様子が突然豹変するとそれらは鳴りを潜めた。

 彼は苦悶の表情を浮かべ胸を抑えると、数秒後にログアウト。それから動画は編集で継ぎ足されたMMOストリームの番組放送に変わる。

 番組の最後まで、ゼクシードが番組に復帰することはなかった。

 

「おい。まさか……」

「ああ。殺した。今度は、上手くやった」

「クソッ……!」

 

 楽し気に語るザザ。

 俺は思わず拳をテーブルに叩きつけるも、仮想世界のようにはいかず、リアルな痛みが走る。

 

「負ければ、この力で、お前も殺す」

 

 先日のセーフティに隔てられた殺意ではない。

 命に届く純然たる殺意が通話越しに向けられた。

 

「なら、俺からも条件がある」

 

 振り絞った俺の声は不格好に震える。

 

「言ってみろ……」

「俺が勝ったら自首しろ」

「いいだろう」

「それと――」

 

 こういう即興で頭を使うのは苦手なのだ。

 落ち着いて考える時間が欲しかったが、ここを逃がせば後はないだろう。

 こんなときPoHがいれば妙案の1つでも出してくれるのだろうが、いない人間を頼ってもしょうがない。

 いや待て。そうか。なら――。

 

「俺じゃお前には勝てない。だから仲間を呼ばせてくれ」

 

 オーディナルスケールでの失態は1人で動いたことが原因だった。

 PoHと合流してから動いていればもっと助けになれたかもしれない。

 あの一件で学んだのは、俺は弱く、仲間に頼るくらいで丁度いいということだ。

 ザザが提示した決戦の場は予選こそ1対1のデュエル形式だが、本戦はバトルロイヤルだ。共闘は不可能でない。

 

「俺は、そうは思わん。お前は強い」

「世辞言ってどうすんだよ。強いやつと殺し合いがしたいんだろ? ならとっておきを連れて行ってやるよ」

「好きに、しろ……。PoHが、相手だろうと、俺は負けん」

「交渉成立でいいんだな」

「お前こそ。命を懸ける、覚悟は、いいのか?」

「今更だろ。友達のためだからな。命くらいいつだって懸けてやるよ」

「………………」

 

 通話はそこで一方的に切られた。

 1人暮らしの安アパートに静寂が戻り、周囲の生活音が微かに聞こえてくる。

 俺はだらしなく床に背を着けると天井を仰いだ。

 短時間の会話だったが、デュエルでもしていたかのような疲労を脳が訴えていたためだ。

 舌打ちをしたり、意味不明な唸り声をあげて気分を落ち着かせること数分。

 溜息を吐いて起き上がると、BoBの概要に目を通しながら建設的な事に頭を使い始めた。

 

 我ながら上手く条件を引き出したとは思うが、実際のところ勢い任せであったことは否めない。

 アドレス帳に登録されたPoHの名前をタッチするが、文章は打たず再び閉じる。

 

「ボスのこと呼んでもなあ……」

 

 PoHがいれば十中八九ザザは倒せるだろう。

 しかしその後はザザ、俺の順に始末されるかもしれない。それでは本末転倒だ。

 騙し騙し協力を仰ぐというのも無理だ。

 彼を相手に舌戦や情報戦で勝てるはずがない。

 

「弱え……。弱過ぎるだろ……」

 

 いったいなんだったら勝てるというのか。

 悲しくなってくるが、泣き言を言っていてもしょうがない。

 

 ――ALOで行方不明のエリにゃんを捜索している連中の噂を聞きつけたのは、大会まで残すところ2週間となってからだった。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 SBCグロッケン総督府。地下20階。

 鋼鉄に区切られた半円形のドームとなっているここは、BoB予選待機スペースだ。

 最初こそ4桁近い人数のプレイヤーでひしめき合っていたが、試合が終われば1階のエントランスホールに転送されるので、今は残すところ数人しかいない。

 錆びた金網に背を預けながら試合の疲労を拭うついでに、他ブロックの様子をぼんやりと眺めた。

 

 頭上に取り付けられているホロパネルには試合結果やライブ映像が映されている。

 俺の割り振られたDブロックは64人。

 1つのブロックから2名の本戦出場者が選出されるため、本戦に出場しようと思えば最低でも5回の連勝を求められるわけだ。

 キリトやザザとはそれぞれ別ブロック。

 予選で当たっていれば計画がすべてご破算だっただけに、運には恵まれたらしい。

 彼らのブロックはすでに決勝戦を終えており、どちらも優勝で本戦に駒を進めている。

 俺はさっきので4勝目。

 実質、あと1勝すればいいだけだ。

 

「ケッ。この芋野郎が……」

 

 罵声を浴びせられて視線を向けると、そこには黄土色のマントとウェスタンハットを被った男性プレイヤーが立っていた。

 名前はダイン。得物はSG550という高性能なアサルトライフル。

 PKギルド(スコードロン)のリーダーで、この大会には2回とも本戦に出場している上位プレイヤーだ。

 彼とは知り合いではない。

 厄介な上位プレイヤーの情報を集めていた過程で、知っただけだった。

 

「どいつもこいつも、目が節穴だったんだろうぜ」

 

 俺はこれまでの試合、待ちに徹した戦法で勝利を収めていた。

 具体的には建造物に隠れてやり過ごし、時間経過で集中力を奪った上で、白兵戦に持ち込みナイフキルを取ってきた。そのせいで試合累計時間はDブロックがトップである。

 この手の戦法は嫌われる傾向があり、芋とかキャンプと言って罵るのは昔からの慣習らしい。

 俺からすれば、抜け道のあるシステムが悪い。

 

「その綺麗な頭に風穴開けてやるから覚悟しとけよ」

 

 対戦表を見る限り、次の相手は彼のようだ。

 なお、ガンゲイル・オンラインのアバターは完全ランダムの自動生成。ゲーム内でフェイスメイクやヘアタイプを変更出来るが、他は弄れない。

 SF世界なんだから整形手術や身長の伸び縮みくらいさせてくれてもいいだろうに……。

 そんな俺のアバターは小柄で中性的な少年だ。

 髪はリアルと同じように銀のメッシュを入れているが失敗だったかもしれない。

 格好良くはならず可憐な印象が強まっていた。

 それでもキリト――こっちでは偽名のブラッキー(Blacky)で登録している――よりはマシだろう。

 あいつは美少女に見えるアバターだった。

 俺たちはログインして顔を合わせるなり指差して笑いあったが、すぐに虚しくなり、以来外見で揶揄うことはしないでいる。

 

「ところでさあ……。お前、本当に男なの?」

「いいぜ、ぶっ殺してやるよぉ!」

 

 気分も紛れたところで俺たちの身体は青白い光に包まれ、待機エリアへと転送された。

 

 六角(へクス)パネルの足場以外なにもない暗闇の空間は、試合直前に与えられる準備のためのスペースだ。

 ホロウィンドウに表示されている文字は【John Doe vs ダイン】。

 その下にはカウントを刻む1分の準備時間と、フィールドの名称がある。

 予選の対戦フィールドは1キロ四方の正方形(スクエア)タイプ。地形や天候、時刻はランダムとなっている。

 得意ステージは市街地なのだが、最悪な事に選ばれたのは遮蔽物の少ない砂漠タイプ。

 絶対に勝たなければならないというプレッシャーの上に、苦手な地形、強豪プレイヤーが圧し掛かり頭が真っ白になる。

 

 落ち着け落ち着け落ち着け……。

 

 このくらいの逆境、跳ね除けられずにザザを倒せるものか。たかだか得意戦術が潰されたくらいだ。スナイパー相手なら別たが、幸い相手はアサルトライフル。詰められない距離では決してない。

 でも……射程が500メートル以上あった気が。

 いや。やるしかないんだ。

 

 腰に隠した短剣の感触を確かめる。

 残り時間は30秒を切っていた。

 手早く装備を砂漠迷彩に変更。

 メインウェポンや各種防具を取り付ける。

 サブウェポンは命中性と貫通力の高い『FNファイブセブン』。

 AGIにペナルティーがかからないギリギリまで投擲系アイテムを揃えるのが、俺のスタイルだ。

 SAOの名残で30メートルの距離なら銃を撃つより物を投げた方が良く当たる。

 それでも銃を持つのは、重量当たりのパフォーマンスが優れるためだ。

 投擲アイテムの配分は勘頼り。

 選び終えると同時にバトルフィールドへの転送が始まっていた。

 

 

 

 傾いた太陽が空だけでなく大地も桃色に染めていた。風は強く、フードの上から砂塵が横薙ぎに叩いている。

 ガンゲイル・オンラインの砂漠は遺跡とセットで数えられるが、今回指定されたフィールドにはそういった建造オブジェクトの存在はほとんどない。せいぜいが隅っこに小さな瓦礫の山を築いている程度で、遮蔽物に使うのが限界だ。それだって傾斜のある砂丘を使えば十分である。

 砂しかないが、起伏の激しい地形を利用すれば多少は目を欺けるかもしれない。

 あとは遭遇戦の運任せ。

 などと考えるが、すでに敵が視界に入っていた。

 

「なっ!? 嘘だろ、おい!」

 

 開始位置は500メートル以上の距離があるだけでランダム。つまり、遮蔽物の無い状態で開始することもあり得ないわけじゃない。

 

 すでにアサルトライフルの射程圏内。

 グレネードポーチから球体を遠投。

 弾道予測線に続いて銃口が火を噴いた。

 動き出したのは俺が先だ。

 弾幕を遮るように煙幕が壁を作る。

 放たれた弾丸は腰を低くして地面を滑る様に回避運動を行い、数発掠っただけ。

 

 HPは1割も減っていない。

 続いて白い煙の向こう側へとスモークグレネードを立て続けに投擲。

 視界を潰して動き回るための空間を確保する。

 あっという間に砂漠は煙に包まれ。互いの位置情報は白紙に戻った。

 

 俺は煙から煙へと身を隠しつつ距離を縮めていくが500メートルもの距離だ。

 グレネードにも限りがあり、直線で撒いていけば流石に位置がバレる。煙越しで正確な狙いはつけられずとも、ラッキーヒットが怖い。

 

 ダミーとして関係のない方角へ投げつつ、さらに持ってきたスタングレネードを混ぜて音で平常心を奪っていく。

 ガンゲイル・オンラインの射撃は心拍数に影響を受ける。鼓動によって弾道予測円が収縮を行うのだ。

 それを除いても長距離射撃というのは、いかに銃の性能が高く、DEXを上げていたとしても、最終的にプレイヤーの技量が要求される。

 こういった才能がないから、俺は長い射程を持つ銃を扱えない……。

 

 散発的に放たれる銃声は南西に向かっていた。

 南東には大きな傾斜があり、敵はそれに沿って移動していると思われる。

 敵は距離を取っているが逃げる気はないようだ。

 一度逃がせば、俺が不意打ち狙いで長々と潜伏するのを知っているからだろう。

 しかしその位置取りなら、俺は全力で逃走を決め込めば高いAGIも相まって仕切り直しを出来る。

 もっとも、敵の想像に反して砂漠での潜伏は視界が広くリスキーだ。

 俺もここで決めてしまいたい。

 

 一度引き返して大回りのルートを取り、傾斜を壁に背後へ迫る作戦を立てる。

 スモークに隠れていないとバレればすぐに傾斜の反対側を探すだろう。

 ひたすら時間をかけてきたこれまでの試合と打って変わって、スピード勝負だ。

 足場が悪く、だいたい1分弱はかかるか。

 狙い目はリーロードの隙。これに残りのスモークグレネードを合わせて時間を稼ぐ。

 

 

 

 俺は呼吸を整え、精神を研ぎ澄ませる。

 

 

 

 横薙ぎの掃射。

 

 

 

 HPを削られるが無視。

 

 

 

 途切れない銃声。

 

 

 

 薄れゆく白煙。

 

 

 

 スモークグレネードを逐次投入。

 

 

 

 残り5……4……3……。

 

 

 

 残弾のチキンレース。

 

 

 

 敗れたのは――彼の方だ。

 

 

 

 銃声が途切れた。

 ここだ。タイミングを見切り、地を蹴る。

 最後のスモークグレネードを投げつつ、白煙に紛れ傾斜の向こう側へ。

 視界に敵がいなくとも、無防備な姿を晒して走る行為に心臓は早鐘を打っていた。

 銃声が再開する。敵はスモークの中に俺がまだ身を潜めていると思い、見当違いの方向へ射撃しているようだ。

 おかげで位置がわかった。

 風を切り、残り100メートル。

 耳煩い銃声が止まり、またリロードに入ったかとほくそ笑んだが違った。

 傾斜の頂上からウェスタンハットが伸びていく。

 ポーチに残るのはフラググレネードとスタングレネードのみ。

 この距離ならどちらも届かない。

 対して彼の銃は当たるどころか外さない距離だ。

 ダインの視線がついに俺を捉え、弾道予測線が無慈悲に身体へ突き刺さった。

 

「――っ!」

 

 投げたのはスタングレネード。

 銃弾が肩を貫くが、続く弾道は少しだけ逸れてHPをそれほど削らない。

 有効距離外でも、強い光を発するスタングレネードを見れば視界を僅かに狂わせることは出来る。集中しているなら尚更だ。

 それでもほんの僅か。

 瞬き数回。せいぜい1、2秒といったところ。

 その間に詰めた距離がようやくフラググレネードを届かせる。

 タイミングをコントロールする暇はない。

 足元に落ちたそれに慌て、ダインが飛び退く。

 爆発によって散らばった鉄片は彼のHPに喰いつくが、撃破には至らなかった。

 

 ダインが銃を構える。

 俺の右手にはファイブセブン。

 トリガーと集中力を絞る。

 銃弾はどうにか彼の足を貫いた。

 けれど火力は足りない。

 アサルトライフルの連射が来る。

 距離はもう十分だ。

 横に動き予測線を振り切ろうとする。

 追い縋る銃口。

 

「しまった!?」

 

 薙ぎ払う銃弾は俺を捉えていない。

 ステップによるフェイント。

 読み違えさせ、俺は狙いと反対方向へ動いてた。

 

 『有利な時ほど慎重に』。

 

 5.7mm弾が、クリティカルポイントを貫く。

 倒れたダインは、ウェスタンハットごと脳天に風穴を開けていた。



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82話 棺桶に感傷を(12)

 BoB予選から一夜明け本戦当日。

 昨夜はキリトと予選のログを見て、作戦の練り直しに明け暮れた。

 

 ザザ――こちらではSterben(ステルベン)と名乗っている――の戦闘スタイルはスナイパー。長距離から一方的に攻撃するという、SAOとは正反対のスタイルだ。

 Aブロック決勝戦で彼は、前大会の準優勝者『闇風』を打ち破っている。

 闇風は短機関銃M900AをメインウェポンにしたAGI特化のビルドだ。

 その人間離れした速度を用いたジグザグ移動で間合いを詰めていったが、距離500メートルに入ったところでザザが1射。ヘッドショットによる幕引きとなった。

 俺も彼に近いステータス構成なだけに、順当に戦えば同じ末路を辿るのは間違いないだろう。

 

 対してFブロックを優勝したキリトはこれまでの常識を打ち破る戦法で勝ち抜いてきた。

 キリトはメインウェポンに近接武器を選択。カゲミツG4というフォトンソードを装備している。サブウェポンは俺と同じでFNファイブセブン。だが彼の最大の特徴は左手に持つ盾だ。

 宇宙戦艦の装甲板を素材に使ったそれは、7.62mmクラスの弾丸さえ容易に弾く。

 彼の戦法は盾を使い近づいて斬る。それだけだ。

 それだけだが、対策の目途が立たない異様な強さを発揮した……。

 手足を晒して被弾するミスは一切なく、背後を取ろうとすればフォトンソードで両断。グレネードで崩そうとしても、爆発前に盾で打ち返されるか回避される。機動性を使って退き撃ちをするにはステージが狭く、そもそもキリトが速くて逃げ切れない。

 唯一の()()()()は決勝戦の1発のみ。

 それだってアンチマテリアルの放つ50口径の威力を完全には無効化出来ず、ガードの上からダメージを受けただけに過ぎない。

 その試合もダメージを受けると理解した途端に、躊躇なく鉄壁の盾を投棄。防御を捨て回避に絞り、以降被弾することなくシノンというプレイヤーに勝利を納めた。

 そんなわけで試合時間の合計は計算するまでもなく俺が最長であり、キリトが最短だった。

 

 Fブロック決勝戦の結果を見る限り、キリトを狙撃で倒すのはザザといえど難しいだろう。

 しかしザザはキリトの盾と同じ素材のエストックをサブウェポンとして隠し持っている。

 近接戦が始まればどちらが勝つかはわからない。

 オーディナルスケール事件のときに見た実力は確かに高かったが、あくまで彼の専門はPvE。ザザはPvPがメインの武闘派だ。

 けれど俺が加われば2対1。数の有利でギリギリ勝利出来るだろう。

 厄介な狙撃はキリトがなんとかしてくれる。

 予測線なしの不意打ちであろうと、何故か彼はガードが間に合う。俺も索敵能力ならザザに勝っているだろうから、2人揃えば問題ないだろう。

 

 本戦のバトルフィールドは予選の10倍。直径10キロの円形をした、ISLラグナロクという名前の孤島が舞台だ。

 直径10キロといえばSAO最大の階層である第1層と同じ規模。

 そこにフルレイドより2パーティーも少ない30人しかいないのだから、いかに広いかよくわかる。

 普通に歩いているだけでは遭遇するのも一苦労だが、15分間隔にプレイヤーの位置情報を送信するサテライトスキャンが行われるおかげで探す手掛かりくらいにはなる。

 もっとも、あくまで手掛かり程度。

 スキャン後に移動していれば発見される可能性は低くなる。

 本戦も予選と同様時間無制限。

 SAOのような広範囲索敵スキルなどないため、隠れようと思えば徒党を組まれて探されない限り、いくらでも隠れていられる。

 優勝だけが目的なら持久戦に持っていき、寝込みを襲撃するという手が最適だ。

 あるいは遺跡などの閉所に陣取って、キリトの近接能力を頼りに迎撃していくのもいいだろう。

 だが今回の目的はあくまでザザを倒すこと。

 他のプレイヤーによもやザザが負けるとは思わないが、長期戦に持ち込むと時間制限で彼は勝負を降りざるを得なくなる。

 大会規定に時間制限はなくとも彼がログインしているのは病院だ。仮に夜間ログインを継続出来ても、朝になれば誰かが強制ログアウトをさせるだろう。

 同じような理由で待ちの戦法も難しい。

 あまりにこちらが有利な地形であれば、SAO時代の彼ならいざ知らず、今の彼では誘いに乗ってこないことは大いにあり得る。

 

 よって長々と議論した癖に、立てた作戦といえばせいぜいが合流してからザザをサテライトスキャン頼りに襲撃するという陳腐なものだった。

 合流場所はフィールドの中央に位置する都市廃墟地帯が、移動も待機も簡単で無難だろうという結論に至った。

 あとは固まって行動。

 所謂出たとこ勝負というやつだ……。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 ――なのだが。

 

「見つかんねぇ……」

 

 本戦開始から1時間。

 キリトとの合流はスムーズに行えた。

 フィールド西部の草原地帯に配置された俺は戦闘を避け慎重に中央へと向かい、南の山岳地帯に配置されたキリトは見つける傍からプレイヤーを蹴散らして到着。合流したときにはすでに参加者の半数近くが脱落しており、そのうち5人はキリトの手による撃破だった。

 

「サテライトスキャンに映らないなんてこと、有り得るのか?」

「砂漠にある洞窟がたしか、スキャン無効らしいけどさ……」

「流石にゲーム開始からずっと立て籠もってるなんてことはないだろ」

 

 行われたスキャンはすでに4回。

 そろそろ5回目が行われる。

 それら全てにステルベンの名前はなかった。

 撃破されたわけでも、不参加というわけでもない。

 敗退プレイヤーの中に彼の名前はなく、参加者はちゃんと30人揃っている。

 しかし生存者と敗退者の数を合わせれば29人。

 彼がなんらかの方法でスキャンから逃れている可能性は高い。

 

「ふむ……」

 

 5回目のスキャニングを見てキリトは考え込む。

 映っているのは前回から2人減って13人。

 廃墟地帯に徐々に集まってきているのが4人。

 ザザの姿は変わらず見つからない。

 なお、スキャンは建物内であろうと発見される。

 今まさに俺とキリトは崩れかけた廃墟の中でスキャン端末を操作しているところだが、場所と名前はハッキリと映されていた。

 

「ステルベンの居場所はたぶん東の田園だ」

「なんでそう思うんだよ?」

「砂漠は他のプレイヤーがいる。おそらく洞窟は探してるだろうから、ここにいるとは考え難い。それと前回東にいたプレイヤーが1人やられてる。付近にいるプレイヤーはさっきから動きのないこいつらだけで、不自然だ」

 

 キリトは手持ちの情報から推測を立てていく。

 

「なるほどね。田園地帯にも洞窟みたいにスキャンされないエリアがあったわけか」

「そういう噂はあるのか?」

「俺は聞いたことないけど……」

「ならステルベンはスキャンを無効化する装備を持ってるんじゃないか?」

「おいおい。そんなの有りかぁ? それこそ噂にも聞いたことないぜ」

「GGOはSAOの縮小版であるザ・シードで作られてるんだ。SAOにだってそんな理不尽な装備はゴロゴロあっただろ」

「なにそれ知らないんだけど。ザ・シードってそういう物だったわけ?」

「ああ、そこから説明しないといけないのか……。その話は後だ。ともかく、俺は理不尽な装備があってもおかしくないと思ってる」

 

 製作者不明のフリーソフト、ザ・シードの出所を何故キリトが知っているかは語らなかったが、彼の様子から不確定な情報でないことは読み取れる。

 

「その前提で考えるとしてさ。俺たちは田園地帯に打って出るわけ?」

「そうすると森林で睨み合ってるやつらが先に釣れそうなんだよな……。だったら西の草原地帯に進んでこの3人を倒して迎え撃つべきだと思う」

 

 キリトが指差すのはここから西に1キロ程度の距離まで詰めてきている3人のプレイヤー。

 彼らを排除すれば西から南にかけて大きな安全地帯を築けるが――。

 

「…………いや。南下しよう」

「それだと西と南東にいるやつらに挟まれないか?」

「西の連中は中央に向かってきてる。もうすぐここで戦闘が起こるだろうから、ステルベンが俺たちを追って来れば乱戦に巻き込まれて弾を消費してくれるかもしれないだろ。それに南はお前が掃除したおかげでプレイヤーがいないからな。南東のやつは1人だし、そっちを片付ければいい」

「うーん……」

「早く決めろよ黒猫。悩んでると俺らも乱戦に巻き込まれるぜぇ」

「わかった。こっちじゃ経験はお前が上だしな。従ってやる。あと今の俺はブラッキーだ」

「おっと。そうだったそうだった」

 

 わざとキリトを黒猫呼びして急かせると、俺は装備をチェックして外へと出た。

 廃墟地帯というだけあって倒壊した瓦礫が道を塞ぎ、周辺は迷路のように入り組んでいる。

 隠れる場所も多く、狙撃には適した環境だろう。

 建物の中を通るのは勿論のこと、俺たちは順路に沿わない地形を移動して不意打ちの可能性を減らしつつ南下した。

 やっぱり仮想世界は最高だ。

 これだけ走っても息ひとつ乱れない。

 それでも迂回と警戒で1キロの移動に10分くらいかかったが……。

 

「待て。先行してくれ。後ろを塞ぐ」

 

 廃墟地帯もじきに終わるというところで、キリトが警戒を強めた。

 彼とのコンビネーションは概ね良好。

 大会前の1週間でPKなどの予行演習した成果だ。

 

「オーケー」

 

 揃って路地を飛び出し、背中をキリトが守るよう列を組む。

 射線の通る直線の大通り。

 第六感など備わっていなくとも、経験から嫌な気配を俺も感じていた。

 視線を走らせるがプレイヤーの影はない。

 空振りかと思ったが。

 

「気づいていない振りをしろ」

 

 キリトは見つけたのか、警戒を解かない。

 言われるがまま、俺が背を向けて一歩を踏み出した瞬間。

 ――乾いた音が響いた。

 

「50口径じゃないな。来たぞ」

 

 キリトが俺を狙った銃弾を盾で防いだ音だ。

 振り向くと弾道予測線がピタリと俺の額に狙いをつけている。

 逆算すれば狙撃手の位置がすぐに見つかった。

 確認したはずのビルの3階。黒いマントでシルエットしか判別できないが、今大会のスナイパーは2人だけなのでザザで間違いないだろう。

 見落としたのか?

 いや。そうではない気がした。

 

「ここで決めるぞ」

「ガードは任せたぜ」

 

 キリトを壁に全力のダッシュで距離を詰める。

 盾が邪魔で前はまったく見えないが、スモークを焚かないで済む分非常に楽だ。

 

「動いた」

「方角は?」

「こっちに向かってる」

「上等!」

 

 予測線なしの1射目が外れたことで逃げに徹するかと思いきや、こちらに合わせてくれるようだ。

 キリトが盾を下げて視界を確保すると、ザザがビルの縁を足場に降りてきているのが見えた。

 狙撃銃であるL115A3はアイテムストレージに収納されてすでにない。

 代わりにあるのは針のような細身の刃。

 鈍い輝きを放つエストックと、紫色に発光するフォトンソードが十字路で交わろうとしたその時。

 

「――チッ!」

 

 キリトが横に弾き跳んだ。

 

「さあ、始めよう」

 

 ザザはキリトに見向きもせず俺に襲いかかった。

 腰から抜いたコンバットナイフがエストックの刀身を受けて火花を散らす。

 速い。それに重い。

 反撃は考えず、俺は立て直すことに注力する。

 

「狙撃だ」

 

 ガードが間に合ったようでキリトは無事だ。

 ザザから離れると、彼は追撃を仕掛けてこない。

 隣に退避したキリト。

 乱入者の攻撃がないことから、十字路が射程範囲であることがわかる。

 ならばザザは射程に立っていることになるが、それにしては警戒する様子がない。

 

「黒猫と、組んだか」

「そっちはスナイパーチームってわけか」

 

 受け答えをするキリト。

 

「察しが、良いな」

 

 なるほど。俺が仲間を呼んだから、ザザも仲間を用意したわけか。

 BoBはソロの大会だったはずだが、いつの間にかチーム戦になったようだ。

 

「俺が戻るまで時間を稼げるか?」

 

 ここは退くという手もあるが……。

 スナイパー2人から逃げ隠れするのはキツイ。

 かといってザザを片付けるには狙撃が邪魔だ。

 銃で撃ち合いをしてもザザが退けば狙撃の射程に入らなければならなくなる。

 

「当たり前だろ。俺だって剣士だぜ」

「死ぬなよ」

 

 盾を捨てたキリトが十字路に跳び込み、重たい銃声が轟く。

 だが予測線ありの射撃。当たることはない。

 ザザは追わずに十字路から出て、俺と斬り結ぶ。

 策にハメられ、折角準備したエースは早々俺の手から離れていった。

 

「らしくないじゃん」

「お前も、そうだろう」

 

 あるいは、らしい形に戻ったというべきか。

 

「短いね。使い難いでしょ、それ」

「ああ。だが、決着を着けるには、十分だ」

 

 ザザのエストックはせいぜい80センチ。

 SAOで彼が使っていたのは130センチもある長身かつ重量級の物だっただけに差は激しい。

 リーチは長ければ長いほど有利だ。

 懐に入り込めば短い方が有利というのは幻想に過ぎない。なにせその懐に入り込めないのだ。

 だからこそ短剣は弱いと言われていた。

 

 ザザが失ったリーチは実に50センチ。

 これだけ武器性能の差は縮まった。

 しかし現実は無情だ。

 俺の持つコンバットナイフはたった30センチしかない。さらには実力でもザザが勝る。

 これでは防御に徹するだけでも厳しい。

 

 怯えるな……。前に出ろ……。

 PoHに教わったことを思い出す。

 リーチの差は絶対的なものじゃない。

 ザザは強いが、PoHはそれよりも強かった。

 そのPoHに俺は戦い方を教わったんだ。

 

「ほう……」

 

 一歩前へ。

 いいや。フェイントだ。

 ザザの刺突が虚像を貫く隙に間合いを離す。

 リーチの差はエストックとコンバットナイフに限った話でしかない。

 左手でナイフを投擲の代わりにファイブセブンを抜き撃ちする。

 これはエリにゃんの教え。

 足りないなら別のもので補えばいい。

 

 果たして。

 銃弾は――ザザに届かない。

 

 外したわけではなかった。

 射撃下手でもこの距離ならそこそこ当たる。

 かろうじて目が捉えたのはエストックの軌跡。

 ザザはあろうことか、飛来する凶弾を斬り捨てて見せたのだ。

 

「面白い」

「ありかよ……!?」

 

 ザザが走り寄って、間合いは再び近接へ。

 動揺がコンバットナイフに伝わり反応が遅れた。

 肩には鈍い感触。HPはクリティカル部位でもないのに3割も減少する。

 ガンゲイル・オンラインでは近接武器の攻撃力は非常に高く設定されている。どんな物でも首か心臓を攻撃すれば即死するほどだ。

 ガードの上から削られたのもあって、HPはすでに残り半分のイエローゾーン。

 ザザはというと9割以上も残っている。

 これが俺とザザを隔てる実力の差だ。

 

 ダメージ交換にカウンター。

 しかし見え梳いた手が通用する相手ではない。

 ザザは上半身だけでコンバットナイフを躱すと、揺り戻しでエストックが閃いた。

 引き足。

 ステップ。

 牽制。

 ガード。

 場所を移しつつ時間を稼ぐも、俺は徐々に追い詰められていく。

 AGIでは上回っているはずなのに、剣速が足りない。いっそ振り切って仕切り直しを。いや駄目だ。背を見せれば狙撃銃を取り出して鴨打にされる。

 

「ここまでか……」

 

 言ったのは俺ではなくザザ。

 彼が突然動きを止めたことで、ようやくエストックの間合いから出られた。

 俺にとっては願ってもないチャンスだが、不可解な行動は嵐の前の静けさのようだった。

 

「あるいはと、思ったが……。やはり、お前では、力不足か……」

「そんなことくらい知ってるさ」

 

 だからといって諦めるつもりはない。

 ファイブセブンをホルスターに戻しつつ、俺は後ろ手に救急キットを使用する。

 配布アイテムのこれは180秒で3割しか回復しない代物だが、使わないよりはマシだ。

 グレネードは役に立たない。

 距離が近すぎるし、銃弾を斬れるのだから打ち返すくらい簡単だろう。

 

「黒猫が、戻る前に、終わらせよう」

 

 ザザが抜いたのは1丁のハンドガン。

 54式拳銃、黒星(ヘイシン)

 ヘッドショットでもされない限り、致命傷にはならないはずだが……。

 尋常じゃない殺気を彼から感じる。

 弾道予測線は頭部ではなく命中率の高い胴体に向けられていた。

 俺は動きながら銃で応戦。

 黒星はファイブセブンの半分以下しか装弾数がない。射撃の腕で劣ろうとも、まだこちらの方が勝負になるだろう。

 

 ヘッドショットを躱しつつ、狙いを定めるザザ。

 俺も当てるために胴体へと狙いを変える。

 嫌な感覚が拭えない。

 それとは裏腹にザザのHPがついに減った。

 

「さらばだ……。ジョニー・ブラック」

 

 当てたのではない。

 彼はあえて避けなかったのだ。

 HPの差分を利用してダメージ交換をするのが目的なのか、俺の太股には弾痕のエフェクトが血のように咲いていた。

 

「………………」

 

 すぐに瓦礫を盾にする。

 ザザは無駄弾を嫌ってか撃ってこない。

 

「………………」

 

 銃声は止み、荒い呼吸だけが聞こえていた。

 

「………………」

 

 ファイブセブンの弾倉を交換する。

 スキャンは1分前に行われた後だった。

 ザザから意識を逸らさずに端末を確認すると、キリトが例のスナイパーを倒したことがわかった。ただし距離は相当離されている。ここまで来るのに数分はかかりそうだ。

 

「…………なに?」

「どうしたんだよ」

「馬鹿な。なぜ、死んでいない」

「さてね」

 

 どういう意味かはわからないが、ザザの策を知らぬ間に破ったようだ。

 

「まあいい……。ならば剣で、倒すだけだ」

「そうかよ。けど時間をかけ過ぎだぜ」

「黒猫は、間に合わん」

 

 瓦礫から出て、俺はザザと向かい合う。

 距離10メートル。

 彼は低く重心を傾け、突進の構えを取っている。

 対して俺はコンバットナイフではなく、ファイブセブンを突きつける。

 弾道予測円は拡大と縮小を繰り返していた。

 緊張で鼓動が速い。

 トリガーに指をかけ、そして――。

 

「イッツショータイム」

 

 マズルフラッシュは通りの()()から。

 AK74の小口径高速弾がザザを十字砲火した。

 

「貴様ら、まさか――!?」

 

 ザザは驚愕に声を漏らす。

 

「我々の隊長に牙剥いたこと、後悔するといい」

 

 ジョーカーはこの手の中に。



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83話 棺桶に感傷を(13)

 剣にプライドを乗せる。

 ――なんてのは、SAO上位プレイヤーの中では当たり前の行為だった。

 命懸けの状況では大抵、諦めの良いやつから順番に死んでいく。つまりプライドとは生にしがみつくための楔なのだ。

 俺は決して上位プレイヤーではなかったが、欠片ほどのプライドは持ち合わせていた。

 それ故に、SAOから生還出来たのかもしれない。

 

 しかしプライドとは厄介なもので、時にそれが原因で命を落とす。ここに俺が立っている理由もそれだ。

 きっと敗ければ、ザザはどうにかして俺を殺すのだろう。警察に通報でもすれば、後は勝手に解決してくれた可能性は高い。昔のようにザザと組むという選択肢だってあった。

 それでも俺は逃げられないでここにいる。

 全部プライドのせいだ。

 

 ようはバランスが重要なのだ。

 踏み留まるのに必要な分と、前に進むために必要な分。軽過ぎては駄目で、重過ぎてもいけない。

 ザザは今回プライドの一部を売ってでも、関係のないスナイパーと手を組んだ。SAOの頃からすれば考えられない手段だ。それほど、この勝負に本気だったのだろう。

 対して俺はPoHではなくキリトと手を組んだ。それだけ俺も必死だったのだ。

 

 だがそれで十分だっただろうか?

 勝つためには邪魔なプライドが、俺にはまだ残されていた……。

 キリトがいればこのプライドを手元に残したまま勝てるだろう。けれどそれは最善ではない。

 捨てるには難しいが、ザザを止めるという目的と比べればちっぽけなプライドだ。

 ならば俺はこのプライドさえも捨てよう。

 

 キリトたちは、ALOでエリにゃんの行方について情報を探していた。 

 そう。キリト()()だ。

 その中にはかのSAOサバイバー――ALF治安維持部隊の精鋭メンバーもいた。

 ラフィン・コフィン討伐作戦で敵対して、俺は彼らとそれっきりだった。

 PvP最強の集団。エリにゃんとラフィン・コフィンの繋がりを知っており、尚且つエリにゃんの絶対的な味方。ザザと戦う上でこれ以上の適任はいないだろう。

 問題はラフィン・コフィン、延いては俺と彼らの間に確執があるだけ。

 騙して味方につけるというのはキリトの件で失敗すると学んでいる。

 ならば俺は彼らの良心に縋り、頭を下げて、全てを晒し頼み込むしかなかった。

 頭を下げるなんてのは、言葉にすればたったそれだけのことだが、かつての俺(ジョニー・ブラック)は頭を下げるくらいなら、殺すことを考えただろう。

 それこそがジョニー。ブラックの核。

 人を殺す理由だったのだから。

 ザザを止めるために、俺はジョニー・ブラックとしてのプライドさえも捨てた。

 

「来てくれないのかと思ったぜ」

「見捨てられるものなら、見捨ててしまいたかったのですがね……。今回は隊長の行方を知るために、仕方なくです」

「そうだそうだ!」

「ぶち殺す!」

 

 口を動かしつつも彼らは手を止めない。

 応援に現れた治安維持部隊のメンバーは西側に陣取っていた3人のみ。協力を頼んだメンバーは4人だったが、1人はあえなく予選で敗退している。

 

「これで終わりだ、ザザ」

「イイぞ……。それで、こそ、だ……!」

 

 ザザのHPは残り半分。

 さらには2人と1人に分かれた十字砲火で、物陰から動けずにいる。

 彼の装備は中距離の撃ち合いに弱い。

 人数差もあって勝負は決したも同然だった。

 リロードの合間を窺っているのだろうが、その手は通用しない。俺はグレネードをタイミングを計り投擲。瓦礫の向こうで爆発が起こる。

 呆気ない幕引き――にはならない。

 

「イッツ、ショウ、タイム……!」

 

 怨嗟のような声。

 隊員の1人が、突如として現れたザザに頭を貫かれ、断末魔さえ上げられず『Dead』のタグを回転させた。

 

 油断した!?

 しかしそれでも接近を見落とすわけがない。

 隙を突かれたのは、偏に彼が何も無い虚空から姿を現したせいだ。風景を滲ませ実体を露わにしていくそれは、一部の高レベルボスモンスターが持つ透明化能力『メタマテリアル光歪曲迷彩』に酷似していた。

 駆け巡る思考が、スキャニングに映らなかった理由を解明するも手遅れ。

 死亡した隊員の隣に立つ副隊長へ、ザザのエストックが翻される。

 

「ほう……」

 

 副隊長は死にはしなかった。

 彼は不意打ちであったにも関わらず、あの一瞬で状況を判断すると、AK74を盾にエストックを防いで見せたのだ。

 さらにそれだけでは終わらない。

 アサルトライフルは近接武器のように操られ、銃口がザザへと向けられる。

 3点バーストの発砲音。

 ザザは――無傷。

 黒星はすでにホルスターへ収められており、フリーの左手が銃口を制したのだ。

 

「撃て!」

 

 残った隊員が援護射撃を行うも2人の距離が入り乱れて当たらない。俺もファイブセブンを構えたが、狙いさえつけられい有様だ。

 副隊長は後方へ跳びつつ再び射撃。

 ザザは銃弾をエストックで弾き、物ともせずに距離を詰め直す。

 

「通常弾は効かないようですね」

「貴様では、俺を、止められん」

 

 ガードに使ったAK74が貫かれる。

 

「――あとは任せます」

 

 副隊長が武器を捨てるのと、ザザがエストックを引き抜くのは同時だった。

 両手を開けた副隊長が素手での組み技を試みる。それを読んだザザは一歩後ろに退がり、左手を前にしてカウンターの構え。不意に副隊長の手が自身の腰へ伸びると、ザザが前に出た。

 ワンモーションでその場に落ちたのは、1個のグレネード。

 安全ピンは抜かれている。自爆狙いの特攻だ。

 

 ザザの腕が鋭い軌跡を描いた。

 心臓を狙った一突き。副隊長が徒手空拳で逸らして、命中したのは左胸。HPはギリギリ残っているもエストックが力技で胴体を引き裂く。流石にこれではHPも残らない。副隊長は糸が切れたように動かなくなり『Dead』のタグが頭上に浮かんだ。

 でも起爆直前のグレネードは、プレイヤーが死亡したくらいで消滅しない。

 同士討ちの懸念がなくなり、残された隊員もアサルトライフルで乱射する。

 エストックで防ぐには膨大な量の銃弾。それでもザザのHPは減らなかった。副隊長の死体を盾として活用されたためだ。

 プレイヤーの死体は破壊不能オブジェクトとしてしばらくその場に残される。

 

 グレネードは起爆前に足蹴にされ有効範囲から外れた。放物線を描き俺へと襲い掛かるそれを、銃の一射で撃ち落とし空中で爆発。

 ライフルはリロード中。タイミングが悪い。

 彼を落とされれば再び1対1か……。隊員へと向かうザザを止められるのは俺しかいなかった。

 

「ザザァアアアアアア!」

 

 見え梳いた、大振りの一閃。

 躱されても構わない。

 カウンターを警戒してのフェイントだ。

 今は1秒でも時間を稼いで、援護を――。

 

「臆したな」

 

 横を、抜けられる。

 

「待てっ!」

 

 連撃に繋げるが遅かった。

 短い刀身ではザザの背に届かない。

 手を伸ばすように追い縋るが、俺たちの距離は遠退く一方だった。

 

「死ねえええええええ!」

 

 リロードを終えた隊員のアサルトライフルが火を噴く。

 それでもザザには通用しない。

 予測線がもたらす情報を的確に捌き、回避しきれないものだけを斬り払っている。相殺しきれないダメージはあるものの、HPの減少量など1割にも達していなかった。

 小口径の威力では足止めすらままならず、無為に費やされた弾丸が火花と変わって、尾を引くように近づいていく。

 

 隊員は距離がゼロになる前に銃を投げつけると、コンバットナイフを抜いた。

 互いに単発系ソードスキルのモーション。

 大気を震わせる鋼の音色。

 勝負は一合では着かなかった。

 技量は即座に敗れるほどの差はない。

 あるいは、ザザのHPを加味すれば上回れるのではないかと期待を持てるほどだ。

 

 2人掛かりなら勝てる。そう思ったのも束の間。

 ザザの抜いた黒星が俺の足を止めた。

 近接戦をしているのに凄まじい精度だった。

 中々弾道予測線を振りきれない。

 

 覚悟を決めろ。

 俺は弾道予測線にコンバットナイフを添える。

 銃声。閃光。衝撃。

 腕ごと弾かれるが弾丸は逸れダメージは軽微だ。

 

「あぐっ……!」

 

 だが幸運は続かない。

 続く2射目は捌けずに足が貫かれる。

 バランスを崩し、俺は地面を転がった。

 この隙をザザが逃すはずない。

 

「チィッ!」

 

 死を覚悟するも、目に映った光景は隊員が決死の抵抗を持ってザザを止めたものだった。代わりに彼はHPを全損して『Dead』タグが表示される。

 最後に残してくれた時間で俺は立ち上がると、握りしめたコンバットナイフをザザに振り下ろした。

 今度はフェイント抜きの本命。

 ザザは物ともせずにそれを避ける。

 

「さあ、どうする! 残すは、お前だけだぞ!!」

 

 人数の差は4倍もあったのに……。

 それを覆すなんて、理不尽にもほどがある。

 敗北の色は濃厚だ。

 こんなの勝てるわけがない。

 

「それでも絶対にお前を止める!」

 

 すでに策を練る段階は過ぎた。

 あとは力の限り戦うだけだ。

 作戦が通用せずとも、俺は諦めていなかった。

 諦めきれず、最後の一線で踏み留まっている。

 散々売り払ってしまったが、どうやらまだプライドは残っていたらしい。

 友達の為に戦うという、譲れないプライドが。

 

「ザザアアアアアアアアアア!!」

 

 感情が実力を覆すなんて、そんな都合の良いことは起こらない。

 

「ヌッ……!?」

 

 けれども――エストックは押し返されていた。

 普通ならこんなことはありえなかった。

 ゲームシステムに設けられたSTRの数値がそれを許さないはずなのだ。

 答えはザザのHPバーのすぐ上。そこに表示された基礎ステータスダウンのバフだ。

 ガードの上からでもダメージが完全に無効化出来ないように、状態異常もまた加算されてしまう。本来防御効果の薄い近接武器でなら、ほとんど素通しだっただろう。

 

 考えられるのはリロード後に放たれた銃弾。

 あれはおそらくPvEに使われる弱体化弾頭だ。

 たった数十秒の攻防で、彼らは弱点を暴き、仲間に繋いで、勝機を見出していた。

 俺が足を引っ張らなければきっと……。

 

「この程度で、勝った気に、なるなっ!」

 

 ステータスで一時的に上回ろうとも、勝ったことにはならない。

 彼の真骨頂はパワーファイトではなく、ましてや高速の突きでさえないのだ。

 

 ザザは身体を引いて攻撃を誘っている。

 カウンターか? 違う。黒星を抜いた。バフは瞬間効果の高い弾のせいで効果時間が短い。狙いは牽制による時間稼ぎ。それに加え銃ならステータス低下の影響が少なく、俺には銃弾を防ぐ技術がない。

 

 ――これだ。

 彼の真骨頂は、戦闘の流れを即興で構築する頭の回転速度にあった。

 

 黒星の装填数はたった8発。

 クリティカルポイントに命中さえしなければ、決して脅威にはならない威力のはずだ。

 それにもかかわらず、攻めきれない。

 弾道予測線が心臓に向くたび集中力を削られる。力技は通用せず、最小限のステップで回避主体に立ち回るザザはAGI以上に機敏だ。捉えたかに思えば銃弾が身体を押し戻す。閃くエストックは多少遅くなっても十分に早い。

 

 HPは双方残り3割。

 近接武器が当たれば倒れる瀬戸際の攻防。

 過剰な集中のせいか、頭が焼けるように痛い。

 まだだ……。

 まだ、倒れるわけには……。

 

「終わりだ」

 

 ザザを縛る拘束が解かれる。

 ステータスは元の値へ戻り、イニシアチブは簡単に奪い返されてしまった。

 弾けるような刃の旋律。

 火花と共に命の灯が散っていく。

 コンバットナイフで受けては駄目だと理解しながらも、他に術がない。

 戦いの幕が下りる。その寸前。

 

「「――――っ!?」」

 

 研ぎ澄まされた感覚に頭上からボスモンスターでも現れたのではないかというほどの重い圧を受けて、俺たちは反射的に距離を取った。

 降ってきたのは紫の閃光。

 黒いコートを棚引かせた1人のプレイヤー。

 黒猫の剣士――キリトだ。

 

 彼は落下の勢いのままザザが立っていたコンクリートの地面を熱で焼き斬ると、フォトンソードを瞬時に構え直す。

 

「エリの居場所を教えてもらうぞ。ステルベン。いいや、ザザ……!」

 

 キリトは盾を回収してこなかったようで、片手が空いている。そのおかげか非常に速く、彼は残像を残してザザへ迫った。

 たしか彼は元々片手直剣オンリーのスタイルだったか……。盾がないというのはまったくハンデにならないらしい。

 

 フォトンソードの刀身は実体がないため、エストックをすり抜けていた。それもあってか、あれほど圧倒的実力を見せていたザザが、今度は手も足も出ずに防戦を強いられている。

 黒星のトリガーが引かれるも、超至近距離の銃弾をキリトは即応して切断すると、間髪入れずザザへ襲いかかる。

 距離を取ろうとしてもザザは振り切れていない。

 まるで俺とザザの差を見ているかのようだ。

 このままいけば、すぐにザザは負けるだろう。

 あとは安全圏内で黙って見守っていればいい。

 そんな悪魔の囁きに、プライドが邪魔をする。

 

 俺がザザの友であるなら。

 ――金本敦(ジョニーブラック)であるなら勝って見せろ。

 一度は捨てたプライドを拾い集め、前へ進む。

 

 黒星が狙いを定めた。

 弾道予測線は正確に俺を捉える。

 同じ轍は踏まない。

 防御の難しい下半身への攻撃。

 腰を落とした俺は、コンバットナイフで今度こそ銃弾を防ぐ。

 

 ザザは地面を滑るようにキリトの斬撃を掻い潜る、足元の死体に触れようとした。

 盾にするつもりではない。

 彼が触れたのはポーチの中のグレネード。

 コンバットナイフを投擲。

 ザザの手が貫かれる。

 違う。彼の狙い通りだ。

 今のはフェイント。

 すでに迎撃の体勢が整っている。

 間合いの中だ。

 避けられない。

 コマ送りに映る視界。

 キリトはフォトンソードを振るう。

 ザザが死んでも攻撃が消えることはない。

 しかし剣先は頬を掠めただけ。

 キリトがフォトンソードの柄で払い除けたのだ。

 

「うぉおおおおおおおおお!!」

 

 

 

 武器は己の拳。

 

 

 

 ソードスキルはいらない。

 

 

 

 PoHに教わった格闘技術に乗せて。

 

 

 

 積み重ねてきた自分をぶつける。

 

 

 

 躱そうとするザザ。

 

 

 

 振り抜いた拳は――ようやく彼に届いた。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 ザザは『Dead』のタグを乗せて倒れている。

 よもやここから動き出すことはないはずだ。

 

「ブラッキー。後は任せた」

「ちょっと待てどういうことだ!?」

 

 今の状況を中継で確認しているはずの()へ向けてハンドサインを送ると、すぐに視界が暗転して、キリトの声は聞こえなくなった。

 溺れたかのような不快感に苛まれるも、次第に重力の感覚や、皮膚の感じる暖房の温かさを取り戻していく。瞼を開けば淡い照明と殺風景な部屋の天井が瞳に映った。

 荒い呼吸のまま、身体の気怠さを無視して上体を起こすと、取り囲んでいる4人の姿を確認出来る。彼らは大会でも協力してくれた治安維持部隊のメンバーで、ここは所沢駅から徒歩3分の距離にあるインターネットカフェの団体部屋だ。

 

 BoBの大会中は不正防止のためログアウト機能が一部制限される。

 こうして外部からアミュスフィアの電源を落とすなどしなければ、ゲームから出られないのだ。

 俺は手を借りて立つと、急ぎ部屋を飛び出す。

 向かったのはザザのいる総合病院。

 走ってもすぐ着く距離だが、時間が惜しい。

 隊員の1人が運転するバイクに跨ると、俺は凍えるような夜風を切った。

 

 信号待ちも少なくあっという間に病院に着くと、受付に事情を話して面会を求める。

 半信半疑であったが、馴染みのナースであったことが幸いして俺たちは通路を通してもらえた。もちろん警備の人間は同伴だ。

 

 ザザの病室は上層階。

 ゆっくりと進むエレベーターが煩わしい。

 扉が開くと同時に逸る気持ちで俺は駆け出した。

 背後から静止する声が聞こえるも止まれない。

 憶えている病室へ跳び込めば、大会は終わったのかベッドの上で起きていたザザの姿が目に入った。

 彼の手にはのっぺりとしたプスチック製の円筒が握られている。

 

「馬鹿野郎がっ!」

 

 それが何かはわからずとも、何をしようとしていたかは予想がついていた。

 夜の病院であることを気にも留めず、俺は声を荒げて彼に殴りかかる。

 GGOやSAOに比べれば貧弱なパンチだったが、それ以上に彼の身体は貧弱だ。

 殴られた衝撃で握られた凶器を取り落とすと、ザザは何故ここにいるのだと言わんばかりの視線を向けてきた。

 

「お前の考えなんてな、お見通しなんだよ……」

 

 彼はきっと死のうとしていたのだ。

 SAOと同じと言ったのだから、負ければ自分も例外にせず、死ぬつもりだという予感があった。彼はそういう人間だ。

 

「最後の、頼みだ……。逝かせてくれ……」

「嫌だ! 約束はどうすんだよ!」

「遺書が、ある。知っていることは、全部書いた」

「そんなものが欲しかったんじゃねえんだよ!」

「――金本さん!?」

 

 警備員に羽交い絞めにされ、引き離される。

 

「俺はなぁ……。ただ友達が欲しかったんだよ。それだけで十分だった。なのになんで皆離れていくんだよ! 俺が嫌いなのか!? 俺を……置いて行かないでくれよ……」

 

 俺は惜しげもなく涙を流し、感情を吐露した。

 誰がいようと関係ない。友達のために泣くことを、恥かしがる必要なんてないのだから。

 羽交い絞めにしていた警備員は力を緩めて俺は冷たい床へ手を突く。

 

「俺の、完敗か……」

 

 ザザは小さな声で諦めを言葉にした。

 

「お前は、強くなった。俺よりも、ずっとな……。俺は、お前のように、なりたかったのかも、しれないな……」

 

 俺だって……。

 ザザみたいに強くなりたかった。

 強ければ、もっと望むがままに出来たかもしれない。俺だけの手でザザを止めて。エリにゃんも助けて。PoHと並び立って。

 そんな風になりたかった。

 

「自由が、欲しかった……。いいや、違うな……。得られないから、何もかもを、壊してしまいたかったんだ……。お前も。ラフィン・コフィンも。俺自身の、ことさえな……」

 

 それが限界を試すように強者へ挑み続けた、SAOから続くザザの隠してきた核だったのだろう。

 けれど破滅願望を口にした彼は、憑き物が落ちたような表情をしていた。

 

「知るかよ。そんなこと……」

 

 流石の俺も、そこまで付き合ってやる気はない。

 

「そう言うと、思っていた」

 

 SAOの終わりに見た光景を思い出す。

 彼は笑顔は特徴的で、困ったように笑うのだ。




お待たせしました。BoBはこれにて終幕。
次回はエピローグでGGO編も最終回となります。
シノン好きの方には申し訳ない。
私もシノンは好きなキャラクターなのですが、彼女の出番はありません。


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84話 棺桶に感傷を(14)

「来たか……」

 

 アクリルガラスが隔てる面会室。

 対面に座っている痩せ細った青年は、重々しく口を開いた。

 彼はGGOで相対したステルベンであり、SAOで刃を交えたザザであり、本名を新川昌一という。

 

 彼のことはもっとギラギラした人物だと思っていたのだが……。

 これまで仮面に隠されて見ることの叶わなかった素顔は、想像よりずっと普通の人間だった。

 赤く輝いていたあの瞳も、酷く穏やかである。

 一度剣を交えれば相手の人となりが分かると聞くが、俺の感覚はどうやら当てにならないらしい。

 ウサグーのように。人というのは単純に割り切れるものではないのかもしれない。

 

 BoBで敗れた彼は、SAO後に行っていた違法行為を認め自ら警察へ出頭した。その中にはなんと弟と共謀して行った殺人まであったらしい。

 彼の身柄は現在留置所に拘束されており、俺とジョニーは一般面会の許可を貰い、こうして話を聞きに来ていた。

 

「黒猫か。まあいい。質問を、受けよう」

「聞きたいことは1つだ。エリを何処へやった?」

 

 本当なら他にも聞きたいことはある。

 何故ラフィン・コフィンはそこまでエリに執着するのか。PoHだけじゃない。ザザも。おそらくジョニーも……。敵対組織の隊長というだけではきっとないはずだ。

 その疑問を俺は呑み込んだ。

 聞いてしまえば後には退けない予感が、いつだってあったからだ。

 

「――菊岡誠二郎」

 

 ザザの口から出たのは、予想外の名前。

 

「そいつが、エリの行方を、知っている」

「誰だよ。そいつ」

「SAO事件対策チームの責任者で、今は総務省の課長だったはずだ」

 

 正確には総務省の総合通信基盤局・通信ネットワーク内仮想空間管理課の課長である。

 ALO事件やOS事件の際に協力してくれた人ではあるが、どこか掴みどころがなく、ともすれば彼は胡散臭い印象のする男だった。

 エリの行方を探る上で、俺が頼ろうとしたお偉いさんも菊岡だ。

 彼は現在渡米中という話だったが……。

 ザザの話を信じるのであれば、渡米中というのが本当かどうか、疑わしくなってくる。

 

「どうしてそこで菊岡の名前が出るんだ」

「見たのさ。あの日、俺は、エリを……殺すつもりだった。深夜、病室に忍び込んで、サクシニコルコリンを、注射した。過剰投与すれば、呼吸不全や、心停止を引き起こせる、薬品だ」

 

 ザザの言葉に、アクリルガラスがあることも忘れて殴りかかろうとしてしまう。

 その俺を止めたのは隣に座るジョニーだ。

 拳を握りしめたまま俺が上げた腰を椅子に戻すと、ザザは話を再開する。

 

「最初は殺したと、思っていた。だが死んだという話は、聞いていない。不審に思い、監視カメラのログを、覗いたんだ。彼らがその晩、病院に出入りしていた。大きな荷物を、運んでな。無関係では、ないはずだ」

 

 ザザはエリの入院していた病院の患者で、しかも院長の息子だったらしい。

 監視カメラを覗いたり、薬物を盗めたのもそういった背景が関係していたのだろう。

 

「彼ら?」

「菊岡と、その部下らしき男たちだ。そいつらの素性までは、知らん」

 

 菊岡は死体を集める酔狂なやつではないはずだ。

 つまりエリは生きている。

 けれども目的は依然として不明のまま。

 何故このタイミングで。何故エリなのか。

 隠しているということは、隠すだけの理由があるはず。ユイがこのことを知らないとは思えない。ならば口裏を合わせるに足る理由があるのだ……。

 

 ちらりと視界に入る立ち合いの警官が、面会を止めか悩んでいるような仕草を始めていた。

 事件内容を話すのはグレーゾーンだったか?

 あまり時間は残されていないようだ。

 

「他に知ってることは?」

「ない。……いや待て。オーディナルスケールの被害者データを――」

「そこまで。面会を打ち切らせてもらいます」

「ちょっと待てよ!」

 

 ジョニーが食ってかかるが、ガラス越しでは手も足も出ない。警官も彼を相手にしなかった。

 

「菊岡に、直接当たれ。俺も深くは知らん」

 

 ザザは警官に促されるまま、向こう側の扉へ連れていかれる。

 

「また来るよ」

 

 ジョニーの呟きは、彼に届いただろうか……。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 面会に行った俺たちは、その足で情報通信局の役所へ向かったが返事は変わらなかった。

 調査は振り出しとはいわないものの、僅かな前進のみで止まり、大きな壁が立ち塞がる。

 ジョニーとは、今度エリについて何かわかれば連絡を取り合うということを決めて解散した。

 これからもこいつと関係を持ち続けるとなれば気が重いが……。背に腹は代えられない。

 アスナやリズにはどうやって説明したものか。

 

 答えを出せないまま、気がつくと俺は川越の自宅へ辿り着いていた。

 部屋に戻ると意識するまでもなく、いつもそうしているように仏壇へ線香を供える。

 

「サチ……。俺は、どうしたらいい?」

 

 嗅ぎ慣れた甘い香り。

 

 照明も点けず部屋は暗いまま。

 

 俺は静かに手を合わせ、瞼を伏せた。

 

 繰り返し問うてきた言葉に返答はない。

 

 サチは、今日も無言だ……。

 

 現実に存在する桐ヶ谷和人は、何処にでもいる無力な子供でしかない。立場や権限なんてものを持ち出されれば容易く敗れる存在だ。

 でも、黒猫の剣士なら……。

 

 今までそうしてきたよう漆黒の剣を片手に、月と猫の紋章が描かれた盾を携え、事件を解決する。

 それが願望だと知りながらも、俺は信じることを止められなかった。

 

 ――だってそうだろう。

 

 周りの人間を救えないなら、俺だけが生き残ってしまった意味がないんだ。

 カーテンを閉め忘れた窓から、月が顔を覗かせている。その光は都会の輝きでくすんでいた……。

 

 線香も燃え尽きるという頃。

 唐突にインターホンが鳴り響いた。

 オヤジか母さんか、それとも直葉が帰宅したのかと思ったが、それならば自分で鍵を開けるだろう。

 だったら宅配便かと思い、俺は階下へと降りる。

 

「やあ。キリト君。久しぶりだね」

「菊岡っ……!?」

 

 扉を開けると、そこには探していた人物の姿が。

 

「お前、エリをどうした!」

「おっと。そこまで知られてるのか」

 

 悪びれる様子もない彼の顔は若干の疲れが見てとれる。飄々とした笑顔に内心を隠す彼にしては、珍しいことだった。

 

「今言えることは、話はここでは出来ないということだけだ。ついて来てくれるかな?」

 

 菊岡が視線を向けた先には黒いワゴン車。

 一見平凡そうに見えるが、後部座席の窓は濃いスモーク張りで中がまったく覗えない。

 

「行けば答えるんだな?」

「僕としても、君には聞いて欲しいんだ」

「………………」

 

 嘘か本当かはわからない。

 この男を俺はどうにも信用できていなかった。

 しかし乗らないという選択肢はない。

 俺はしぶしぶ鍵をかけようとしたところで――。

 

「そうだ。家の人に書置きを残していくといい。今日中に終わるような話ではないからね。あと電子機器の持ち込みは遠慮してくれ。これは安全上の都合でね」

 

 どうにも徹底している。

 裏を掻くべく何か持ち込んでやろうかという考えが頭を過ったが、最近冴え渡っている直感が嫌な気配を捉えたため、俺は素直に従うことを選んだ。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 車内は前後をカーテンで仕切られていた。

 後部座席には俺と菊岡の2人だけ。

 周囲の風景は一切見えない形だ。

 広いはずの車内だが、だいぶ圧迫感がある。

 

「飲み物でもどうだい?」

 

 車で揺られること数分。

 菊岡がペットボトルのジュースを勧めてくるが、俺は受け取らない。

 

「いいから話せよ」

「つれないなあ……。さて、どこから話そうか」

「エリは無事なのか?」

「もちろん無事だとも。……いや。無事なのかな。無事だと思うけど。微妙なところだ」

「どういうことだよ」

「そう怒らないでくれよ。僕たちにとってもこれは不慮の事故――事件? 人為的ではあるけど、人間のせいではないし……。うん。酷く哲学的だね」

「ハッキリ言ったらどうなんだ」

「君だって全容を聞けば、僕と似たような印象を持つと思うけどね」

 

 菊岡はジュースで喉を潤すと、話を続けた。

 

「やはり順を追って説明した方が良さそうだ。始まりは恵利花ちゃんが意識不明の重体で見つかったところからかな。容体が急変したのかと思ってたけど、まさか院長の息子が事件に関わっていたとはね」

「そのことなら聞いた。新川昌一だろ?」

「その通り。君にはまた借りが出来てしまったね」

 

 病院の管理体制はどうなっているのかと文句を言いたくなるが、彼に伝えたところで仕方がない。

 

「発見が遅れたのは新川君のせいでパルスオキシメータが切られていたからみたいだけど、それについては省こうか。発見されたときにはすでに、彼女の脳は低酸素状態によって神経細胞の一部が損傷していたんだ。治療困難なほどにね」

「あんたにはそれを治す手段があった。違うか?」

「ご名答。それこそ僕らが研究していた次世代型ブレイン・マシン・インターフェイス。その名も『ソウル・トランスレーター』だ」

 

 魂の通訳機とは随分大袈裟なネーミングだ。

 ナーブギアやアミュスフィアは多重電界によって五感にアクセスすると同時に、肉体との入出力をカットすることで電子世界にダイブさせるものだが、それがイコールで魂に接続していることだとは思えない。

 記憶を読み取ったとしても、それすら魂の本質には至らないだろう。

 

「これは脳細胞内にあるマイクロチューブ。そこを流れる光子を観測する――らしいんだけどね。僕も理論について理解出来ているとは言い難い。ともかくSTLは人間の脳が持つ量子場、その集合体を僕らは『フラクトライト』と呼んでいるんだけど、それを完全にデータ化することに成功したわけだ」

「つまり人間の脳を再現出来るってことか……」

「そういうことだね」

 

 ヒースクリフを前にした時でさえ感じなかったほどの悪寒が背筋を走る。

 倫理的には、どうなんだ……?

 あくまでそれは量子力場の情報でしかない。けれども同時に、それは俺の意思や記憶を決定している情報体だ。

 データ化出来るということはコピーも……。

 菊岡の表情に変化はない。

 そこでようやく確信に至る。こいつは須郷ほど外道でないとしても、茅場や重村ほどには倫理観の欠如した人物だ。

 

「僕らは観測したフラクトライトを使って研究を次の段階に進めた。完全なボトムアップ型AIの開発だ。これにはいくつか問題が出てね。解決策として抽出した精神原型を1からVRワールドで成長させることに――」

「待て。エリはどう関わってくるんだ?」

「おっとそうだった。ごめんごめん。話を戻そう」

 

 なんてことはないと言わんばかりに咳払いをする菊岡だが、俺の手は嫌な汗で湿っていた。

 

「彼女の損傷した脳内ネットワークも、このSTLを通した世界で賦活させれば、再生を促進させることが出来るんだよ。だから治療行為として招いたってことになるね」

「それだけじゃないんだろ。言っちゃ悪いが、あんたらがエリを助けるメリットがわからない」

「酷いなあ。僕にだって良心くらいあるよ。でもその通りだ。VRワールド、厳密にはSTLのニーモニック・ビジュアルに変換した仮想世界でAIを成長させる計画にも欠陥が出たんだ。そこでVR適性が非常に高い恵利花さんに協力を仰ごうというのが表向きの話」

「本音は?」

「ユイちゃんに協力を仰ぎたかったのさ。だから恵利花ちゃんのことは、交渉材料ということになっちゃうのかな」

「………………」

 

 そろそろ俺も頭を抱えたくなってきた。

 一発くらいこいつを殴っても許される気がするが、それは俺の役目ではないだろう。

 

「彼女はトップダウン型の最高峰だ。その演算能力は開発者である茅場晶彦の師である、重村教授に迫る――というか抜いてるんだろうね。彼女をチームに加えたらあっという間だったよ。こうして僕らは彼女に作り出した研究成果ごとVRワールドを乗っ取られたって寸法さ」

「ちょ、ちょっと待て! 乗っ取られた!?」

「そうだよ。乗っ取られたんだ」

 

 話の急展開ぶりに驚く俺へ、菊岡はしてやったりと意地の悪い笑みを向ける。しかしすぐにそれは自虐的な笑みに変わる。

 

「乗っ取られたって、外部から電源を落とすなり、GM権限でコントロールを奪うなり出来るだろ」

「普通はね。STLのメインシステムだってそれは例外じゃないんだけど……。原因はあれかな。FLA――『フラクトライト・アクセラレイション』」

 

 アクセラレイションというと加速させるのか?

 人の魂を読み取るだけでなく、次から次へSFチックな技術がよくもまあ出てくるものだ。俺の頭もとっくに理解の限界を超えていた。

 事実は小説より奇なりというが……。表沙汰にされない技術の最先端は、これだけ進んでいるということなのだろう。

 

「STLが見せる仮想世界は従来の物と違ってフラクトライトが記憶している情報を使った、簡単にいうとリアルな夢みたいなものなんだけどね。凄い長い夢を見ても現実ではほとんど時間が経ってない、なんてことがあるだろう? そういった主観的時間を決定する制御パルスに干渉して思考を加速させることが出来るんだよ。それがFLA。これを使って『アンダーワールド』――僕らの用意した仮想世界は現実の数百倍の速度で時間が流れてるんだ」

「おい。エリは大丈夫なのか?」

「まあうん。そこなんだよね」

「主観時間で、どれくらい経ったんだ?」

「……僕たちがモニタリング出来ているデータが正確かどうかは不明だ。けれども数字を信じるならおよそ200年」

「200年!?」

 

 裏返った俺の声が車内に響き渡る。

 

「落ち着いてくれキリト君。システムの主導は完全に掌握されている。これが示されただけの数字でしかない可能性は高いんだ。人間のフラクトライトはそれほど長期間の情報を保存できないはずだからね。それはユイちゃんも知ってる。おそらく何かの間違いと考えた方がいい」

「はぁ…………。とにかく最後まで話してくれ。これ以上驚くようなことはないよな?」

「それがね……」

「まだあるのか……」

 

 このペースだと菊岡への怒りよりも、疲労が上回りそうだ。

 

「FLAの加速倍率は理論上無限なんだ。一応限界加速として500万倍。リミッターとして1500倍を設定してたんだけどね。これもコントロールを奪われた今となってはどうなってるはわからない。それでね。僕らは大きなミスを犯したんだ。恵利花ちゃんに同行するため、ユイちゃんをアンダーワールドへダイブさせてしまうっていうミスをね」

 

 これまでの落差でマトモに聞こえる話だが……。それだけで終わることはなさそうだ。

 

「考えても見てほしい。トップダウン型AIは学習時間によって性能を向上させる。彼女は主観時間によって無制限の性能向上を可能としたんだ。さらにアンダーワールド内からインターネット回線に侵入の形跡も見られた。彼女の性能が現在どのレベルなのか。想像もつかないというわけだ」

「あくまでユイはユイ、だろう……?」

「そう。そこが盲点だったんだ。彼女の人格、というべきかな。それを僕らは計り違えた。彼女はね。アンダーワールドを停止させるなと、各国の機密情報を盗んで脅してきたんだよ」

「なんだって?」

 

 悪い夢でも見させられている気分だ。

 背もたれに体重を預けて天井を見上げるも、現実は変わらない。

 これならジョニーやウサグーと組んだときのほうがマシだった。

 

「ハッキングだよ。あらゆるコンピューターシステムを上回るなら、可能なんだろうね」

 

 聞き間違いであってはくれないらしい。

 

「他国に知られたら不味い情報だけじゃなくてね、ミサイルの発射コードまで送られてきたよ。ICBMまでは流石に撃てないと思うけど……。どちらにせよ致命傷だ。どの国にとってもね」

 

 菊岡が笑顔のままなのが不気味だ。

 それはどこか、企んでいるときのアスナやエリに通じるものがあった。

 

「SAOでは6000人。ALOでは300人。OSでは8万人。数々のVRテロを解決に導き、人命を救ってきたキリト君に頼みがある」

 

 そこで一拍置いて、彼は仰々しく言葉を繋ぐ。

 

「今度のGMはユイちゃんだ。君にはアンダーワールドにダイブして、日本人口の1億2千人。あるいは世界人口80億人を救ってもらいたい」




84話の後半はだいぶ説明が多くなってしまいましたが、大丈夫だったでしょうか?
原作を理解している方でしたら、ユイちゃんがアンダーワールドを占拠しているらしいという情報以外、あまり深く考えなくても構いません。

そしてこれでGGO編は完結。
エリにゃんどころか、キリトの出番さえほとんどありませんでしたがいかがたったでしょう?
次回からアンダーワールド編。
それではお楽しみに!


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