ゆきのんといっしょ (青木々 春)
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はじめまして。

上手くいってる。

 

そう、上手くいっているのよ。最近の私は。

まだ私が幼い頃。葉山くんともよく遊んで、姉さんとの関係も拗れることのなかった純粋なあの幼い頃。まるであの時の暖かい気持ちが、今蘇りつつある。

 

それはきっと、由比ヶ浜さんが。

そして誠に遺憾なのだけれど、目の腐った彼のおかげというのは間違いないだろう。

彼らに出会ってからいろんなことがあった。

 

何度彼らに情けない姿を見せたものか。

何度彼らに迷惑をかけたものか。

 

心では分かっているつもりだけど、上手く言葉に言い表せない。

もっともそれは私の問題であって、誰のせいという訳ではないけれど。

とにかくこの私、『雪ノ下雪乃』としてのイメージというか。キャラクターというか。

そんなものを気にしている時点でアレなのだけれど…そういったものが彼らによって崩されつつあるのだ。

 

いえ、もう崩されているのかもしれないわね…。

 

そしてそれを踏まえて思うことがある。一番に、私は変わった。

今までの自分が間違いだったなんて微塵も思ってないのだけれど、それでも環境が変われば人はそれに適応するため、変わっていくのが普通だ。

 

そして私はそれが大嫌いだ。

 

きっと『彼』もそう。そうやって人に合わせるようなこと、絶対にしたくないもの。

それでも私のナニカが少しづつ変わっていってるのは確か。いえ、問題はそこじゃない。

 

変わるのが悪いことのように話してしまったが、私はそうとは思っていない。

単純に考えてみなさい?より良い方向に変わっていった方が変わらないより絶対にいいでしょう?

それが進歩といい、進化というのだから。

 

それじゃあ私は何が不満なのか。

えぇそうね。私は自分が『変わった』んじゃなく、彼らに『変えられた』というのが気に入らないのよ。

 

一体私はどこまで染まってしまったのか。このままでいいのか。

 

最近はそんなことが頭に浮かぶ。私自身、自分の信じるものだけは曲げるつもりはない。

それでも今までの私と今の私じゃ決定的になにかが違う。

そうね、ぐにゃぐにゃ曲がった根性を持ったあの男に毒されたかしら?

冗談めかして言って、少しクスっとする。

 

こんなことで悩むことになるなんて、一年前の私は思いもしなかったでしょうね。

 

そう思いながらふと時計に目をやる。そういえばもうこんな時間なのね。そろそろ寝ようかしら。

つけっぱなしのパソコン。電源を落とさないと、バッテリーがもったいないわね。

ベッドから腰を上げ、パソコンへ向かう。その時、風が窓を叩く音がした。

 

「ニャ〜」

 

それと同時に、気の抜けた猫のような声も──

 

「〜ッ!?」

 

なんでいきなりパソコンの猫動画が再生されたのかしら!?い、いえ、でもそんな様子はないわね…。それじゃあなに?ね、ねねね、猫の幽霊的なあれかしら!?

 

いや、幽霊が怖いとかそういうのじゃないわよ?

そんな存在しているかどうかも曖昧な、いえ、存在していないものを怖がっても不毛じゃない。

そうよ、あんな非科学的なものいるはずがないのよ。今震えているのはただ寒いからであって、決して恐怖しているわけではないのよ?それにどこかの部屋のネコが私の部屋のベランダに紛れ込んだ可能性だって十分あるじゃない。

でも隣の部屋空き部屋なのよね…。いっ、いや、野良猫の可能性もあるわ!

でもここ結構上の階なのよね…。そっ、それじゃほんとに幽霊が…!?

いえ、だからといって別に怖いというわけではないのだけれど!だけれど!!

 

………いや、風の音ね。実際風の音も聞こえたし、その一部が猫の鳴き声のように聞こえたのでしょう。

 

急に聞こえた猫の声に思考をぐるぐる廻らせる。普段は猫好きの私だが、こんな夜更けにマンションのベランダから猫の声が聞こえてみなさい。ホラーでしかないわ。

それにしてもくだらない、こんなことでワタワタと。一体誰に言い訳しているのかしら私は。

 

「ふぅ、流石に夜更かししすぎたわね。もう寝ましょう」

 

額の汗をぬぐって、心を落ち着かせる。

全く、私は一人で何をやっているのかしら。情けない。

どうも最近は調子が出ない、今日だってそう。無駄に変なことを考えてしまう。

そして独り言も増えた気がする。

 

「ほんと、どうしたのかしらね…」

 

またボソッと独り言を呟く。

するとそれに返事をするように…………

 

「ニャ〜」

「ひゃうぅぅっ!?」

 

もうやめてぇ!!!

 

 

そろそろ日をまたぐかというほどの夜更け。

その街は既に眠りについていて、住宅地のこの辺りは静けさや穏やかさに包まれていた。

しかしこの少女、雪ノ下雪乃の心の内は全く穏やかではなかった。

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

「夜分遅くにごめんなさいニャ。ネコのトロですニャ」

 

「そ、そう」

 

夢でも…見ているのかしら?

突然ベランダから聞こえてきたネコの声。懐中電灯を武器に警戒しながらベランダを除くと、案の定そこにネコはいた。

そう、それだけなら良かったのだ。それだけなら私は全力でネコちゃんを甘やかした後、飼い主を探す。

ただそのネコ…そうね、あまり現実を直視したくないのだけれど…………立ってたのよ。

 

悲鳴をあげたくなった。泣き出したくなった。

 

正直いって私の気持ちはこうだった。しょうがないでしょう?二本足で立っている猫なんて初めて見たし…いえ、それ以上にそれ自体がありえないことなのだから、驚いたって仕方がない。

そしてほんとうに驚いたのはここからだった。

その怪しいネコを直感的に危険だと察知した私は、ゆっくりと後ずさりした。

今すぐ部屋に入り、ベランダの窓を閉め、鍵をかけてやろうと。そう思ったその時──

 

『こんばんはニャ〜』

 

そう、気の抜けた声で喋ったのだ。

……もう頭が痛くなってきたわ。そして今、目の前の喋るネコに丁寧に挨拶をされ困惑している私だけれど、これは通報したほうがいいのかしら?そもそも警察が相手してくれるのかしら?」

 

「ニャニャッ!?通報はダメニャ!トロは悪いネコじゃないんだから〜!」

 

あら、声に出てたかしら。

 

「あのね、あのね…トロ人間になるのがユメなのニャ。人間になる方法を探していたらここに辿り着いたのニャ」

 

気の抜けた声、気の抜けた顔で、トロと名乗ったネコは喋る。

その姿は、知っている言葉でなんとか頑張って会話をしようとする子供のようで、少し可愛く思えてしまう。

もうツッコムのも疲れたわ。まずはこのネコの話を聞くのが先決でしょう。

いえ、案外かわいいな〜って思ってじゃれてみたくなったとか、そういうのではないわよ?

 

「それで、飼い主はいるのかしら?」

 

まず聞くとしたらこれ。トロ自身は人間になる方法を探していると意味不明な供述をしているが、飼い主がいたら大変だ。今頃必至になって探しているかもしれない。

 

「今は居ないニャ…」

 

そう言いながら、トロは顔をションボリさせる。

何かまずいことでも聞いたかしら…。

 

「そ、そう。ひとまず行くあてはあるの?」

 

会話の雰囲気を変えるために、無理やり話を変える。

 

「君のお隣さん…えっと、君のお名前は?」

 

「そういえば名乗ってなかったわね。雪ノ下雪乃よ」

 

「ゆきの…ゆきの。よろしくニャ〜」

 

噛みしめるように私の名前を言った後に、嬉しそうに笑うトロ。

………少し可愛いわね。

なぜ喋れるのか。なぜ立てるのか。なぜ人間になりたいのか。直感的に聞くだけ野暮に感じた。

こんな小さな体で、何か大きなものを背負っているようにも感じた。

きっとこのトロというネコは優しいのね。出会って数分しか経っていない私でもそれが分かる。

彼…いや彼女なのかしら?とにかくトロに少し興味が湧いてくる。ただこのトロは………

 

「って、今お隣さんって言わなかったかしら!?」

 

「そうニャ。お隣の空き家に住まわせてもらってるニャ〜」

 

まさか隣の空き部屋に喋るネコが住んでいたなんて…。

でも大家さんに許可を取っているのかしら?いえ、取っているはずないわよね。

一応ここは家賃も高値がつくマンションだ。ネコに一部屋貸すなんてこと出来るはずがない。

 

「念のために聞くけど、マンションの管理人に許可は…」

 

「許可?許可ってなにニャ?」

 

あぁ、ダメだこれは。

まぁネコだもの。人間の常識なんて知るはずないわよね。

そうね…

 

「もし、もしよかったらだけど。私の部屋に来るかしら?」

 

仕方なく、だけれど。このままトロを空き部屋に住まわせたら、管理人さんにも迷惑がかかるし、トロも危険に晒されるかもしれない。でもトロが住みたくないのであればまた別だけれど。

別にネコを飼ってみたかったとかそういうのじゃないわよ?

 

「え、いいの!?やったー、やったーニャ〜!」

 

嬉しそうにぴょんぴょん跳ねるトロ。即答だったわね。なんだか悪い人に捕まらないか心配だわ。

でもよく考えてみれば、これからトロと生活するのよね。私の方も即決すぎたかしら?

 

「あのね、ユキノにいろんな言葉教えて欲しいニャ。それでもっと人間に近づくのニャ〜」

 

未だ嬉しそうに私に話しかけてくる。

私の独断で決めてしまったけれど、ずっと空き部屋に住まわせとくのもアレだし。

そう、別に間違ったことはしてないわ。ペット禁止のマンションじゃなければ、餌だってないわけじゃない。

母さんや姉さんにバレたら厄介だけれど。

 

「………はぁ、仕方ないわね」

 

それでも少し期待を胸に乗せながら、私は承諾する。

そう、ここから私とトロのデコボコな生活が始まったのであった。

 




プロローグなんで文字数少ないです。
地の文少なめ、緩く書きます。
時系列的には寿司屋の主人と出会った後です。


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おはよう。

ゆきのんの悩みを詳しく書いた回です。


朝。トロが私の家に住み込んでから何度目かの朝。

 

まだ指で数えられるくらいしか過ごしてないけれど、この数日の間。トロと過ごして分かった。

前にも言ったトロが背負っているもの。それはとても悲しいもの。

いつも無邪気に私の話を嬉しそうに聞くトロの顔が、たまに曇ることがある。

 

ふと私の母さんの愚痴を言った時。ふとトロの飼い主について聞いた時。

 

まずいことを言ってしまったかなと思うと、もう遅い。

トロは一瞬寂しそうな表情を見せて、すぐいつもの無邪気なトロに戻る。

そして私の胸もチクチクと曇ってしまう。

 

何が言いたいか。そう、私はまた変わった。いえ、『変えられた』。

今度はトロによって。昔の私ならこんなことで深く考えたりしない。

 

「どうしたの?」

 

こうして深く考えている間にも、いつもトロは観察してくる。

今私はどんな顔をしていたのだろうか。トロが心配そうに見つめている。

ダメね、なんだかおかしくなってるわ。最近の私。

 

「いえ、なんでもないわ」

 

心配そうに見てくるトロに素っ気なく返し、台所へ向かう。

そういえば朝ごはん、トロは何を食べるのかしら?

 

「あなたは何を食べるの?」

 

「トロ?トロは〜…お寿司のトロが好きかニャ〜」

 

「朝ごはんを聞いているのだけど…」

 

それにしてもトロがトロを食べるのね。

もしかしたらそれが名前の由来?だとしたら飼い主は相当単純な方なのね。

 

「朝ごはん?朝ごはんって胸キュン?」

 

「む、胸キュン…?いえ、朝ごはんは朝に食べるご飯のことよ」

 

「あぁ〜。ブレックファーストのことニャー」

 

「…………えぇ、そうね」

 

前の飼い主は一体どんな教育をしてたのかしら?

こういった会話は結構な頻度である。やっぱりこんなにスラスラと喋っていても、人間の言葉は難しいようだ。

たまに言葉がちぐはぐだったり、使い方がおかしかったりする。

それを一から訂正するんだもの。世の母親の大変さがわかった気がするわ…。

 

 

 

 

 

朝食を食べ終わって、学校の準備をしているところに、トロがトコトコと走り回る。

 

「そういえばトロ、今日は…」

 

「学校ニャー!」

 

「あら、覚えてたのね」

 

流石に覚えてきたわね。最初は私が学校に行こうとするとついて来ようとして大変だったわ…。

 

「覚えてるのニャ〜。平日は毎日学校!トロは寂しくお留守番…」

 

自分で言って少ししょんぼりするトロ。

やめなさいよその顔。甘やかしたくなっちゃうじゃない…!

そんな目をしてもダメよ!やめなさい、その上目遣いをやめなさい…!

 

…………

 

…………

 

…………

 

はぁ、分かったわよ。

 

「良い子にお留守番してたら、好きな絵本読んであげるわ」

 

「絵本…絵本!やったー!楽しみだニャー」

 

「その代わり良い子にしてるのよ?誰かきても部屋を出ないこと。いい?」

 

セキュリティがしっかりしているマンションだから大丈夫だと思うけれど、トロは警戒心がなくて困る。

もし、万が一にでも不審者が、そうね、目の腐った猫背のだるそうな不審者が私の家にきたら。

それこそ不審者の魔の手からトロを守らなければいけないわ。

 

「わかってるニャ。でももし悪い泥棒さんが部屋に入ってきたら…」

 

「来たら?」

 

「トロの必殺技でとっちめてやるニャ〜。…あぁ!でも泥棒さんがパンさんだったらどうするの〜!パンさんだったら可愛くてとっちめられないよ〜」

 

…頭が痛くなってきたわ。私も余計なことを教えるべきじゃなかったわね。

パンさんの可愛さを何時間にも渡って語ってしまった、ツケが回ってきたわね…。

 

「違うでしょ?泥棒が入ってきたら逃げること。いいわね?」

 

「わかったニャ」

 

本当に分かったのかしら…?相変わらず間抜けな顔で私を見上げてるけど…。

 

「まぁいいわ。行ってくるわね」

 

「バイバイニャ〜」

 

トロの見送りの声を背中に受けながら、少しの不安を胸に家を出る。

しっかりと戸締りしてからマンションを後にし、いつものように学校へ向かう。

今日も始まったわね…1日が。

早朝ランニングをしている中年のおじさん。犬の散歩をしているお爺さん。いそいそと会社に向かう会社員たち。

いつもと変わらない風景を眺めながら、その足は意識せずとも自然に学校へ進む。

 

そういえば今日は由比ヶ浜さんがお休みだったかしら?

 

お休みというのは学校の事ではなく、私が部長を務める部活、奉仕部のお休みだ。

依頼のない普段は何もしていないけれど、一言でいうならボランティア部のようなものだ。少し違うのだけれど。

ただ生憎最近は依頼が入る事もなく、由比ヶ浜さんがお休みでも特に問題はないでしょう。

 

でも必然的にあの男と二人きりになるのよね──ねぇ、

 

 

 

 

 

 

「比企谷くん」

 

「んあ?」

 

いつのまにか。ついさっきまで朝日を浴びていたかのような錯覚を感じるが、いつのまにか私の、私と比企谷くんのいる部室には赤い夕日が差し込んでいた。

 

今日も何もない日を過ごした。

 

いつも通り授業を受け、いつも通り一人で昼食を食べ、いつも通り一人で部室に向かう。

べ、別に寂しいわけじゃないわよ?最近は由比ヶ浜さんも三浦さんに付きっきりみたいで、お昼は部室に来てくれないけれど、決して寂しいとかそんなんじゃないわよ?それに今までも一人だったわけで今更…

 

「……おい、なんだよ。呼んどいて無視かよ。なに、新手のイジメ?」

 

そういえば居たわね、比企谷くん。完全に忘れてたわ。

と、心の中でしっかりと罵倒しておく。ただそれをぐっと飲み込んで

 

「…い、いえ。紅茶飲むかしら?」

 

「お、おう。頼むわ」

 

やはり由比ヶ浜さんがいないと静かすぎるわね。

いえ、うるさい…騒がしいのが好きなわけじゃないわよ?

ただやっぱり少し気まずいというか…いえ、今までもこんなことは何度もあったのに、今更気にする私の方がおかしいわね。

事実、比企谷くんは何の気なしにライトノベル…だったかしら?とにかくそれを読んでるのだから。

 

「今日は…マックスコーヒーじゃないのね」

 

「…………お、おう?」

 

…………。

 

「なんで疑問形なのかしら?」

 

「いや、なんつーか。…お前、今日どうした?」

 

怪訝そうに私の顔色を伺ってくる比企谷くん。

そんなにおかしなことを言ったかしら?

不思議そうに比企谷くんの顔を見つめると、気まずそうに目を逸らして口を開く。

 

「勘違いしないで聞いて欲しいんだが…。今日部室入った時も罵倒の一つもなかったし、それ以上に最近ほとんど罵倒してこないし、何故かよく話しかけてくるし、それに…「比企谷くん…………」

 

「お、おう。食い気味だな…」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………な、なんだよ」

 

 

 

 

 

 

「マゾヒスト?」

 

「おい、散々溜めてそれかよ。勘違いしないで欲しいと言ったはずだが?」

 

だってそれしか考えられないじゃない。

そんなに私の罵倒が欲しいならいくらでも言ってあげるのだけれど。

 

「ちげーよ。大まかに言うと、なんか変だって話だ」

 

『変』ね…。比企谷くんごときが随分な言い草ね。と言いたいところだけど、私も自覚しているので強くは言えない。

ここ最近はもちろんのこと、トロが来てから更に変わった。

変なことを深く考えるようになって、考えれば考えるほど意識してしまう。

そしていずれ自然というものが分からなくなって、そして今比企谷くんに不自然な対応をしている。

つまり…

 

「変なのは…主に貴方のせいなのだけれど」

 

「あ?なんだ?」

 

ボソッと呟いた私の言葉は、比企谷くんには聴こえてなかったらしい。

それでも何かを察したのだろう。比企谷くんは気まずそうな顔をしてそわそわしている。

 

「まぁ、その…なんだ。相談に乗れるなら乗ってやる。お前が嫌じゃなければな」

 

そう言ってそれ以上詮索しないとばかりに、わざとらしくそっぽを向き本に目を移す。

少し腹たつわね…。

この雪ノ下雪乃が比企谷くんに気を使われて、助けられようとしている。

いつだったか。『いつか私を助けてね』なんて恥ずかしい依頼をしたような気がするが、こういう事じゃない。

 

「比企谷くんの癖に…生意気よ」

 

それでも私はこの言葉しか言うことが出来なかった。

 

「…そうかよ」

 

また、気を使われてしまったわね…。

 

 

 

 

その後はしばらく沈黙が続いた。

聞こえるのはカラスの鳴く声と、紙をめくる音。

一枚、一枚とその音が聞こえてくる度に、部室に入ってくる夕日の角度は変わってゆく。

 

「なぁ、雪ノ下」

 

「………なにかしら?」

 

珍しく比企谷くんが話しかけてくる。

 

「この前、猫の餌について聞いてきたが、飼うのか?」

 

何故今その話なのだろう。そんなことはわかりきっている。

比企谷くんなりに会話を繋ごうと、何の気なしに聞いたことなのだ。

 

「そう、ね。でもそのネコは普通の猫とは少し違うみたいなの」

 

「違う?」

 

「えぇ、お寿司が好きで、自分で立つことが出来て、喋ることが出来る。そんなネコなのよ」

 

「…………なんだそりゃ」

 

一瞬驚いたように目を丸くして、そしてまた一瞬で取り繕うように笑いながら言葉を紡ぐ。

私がジョークを言ったとでも思ったのでしょう。

 

「ねぇ、比企谷くん。もしそんなネコがいたら、貴方はどうする?」

 

「え?あー、取り敢えず驚いてから、飼い主に返す…か?」

 

……ホント、相変わらずね。

比企谷くんは私とは違い、良い意味で何一つ変わっていない。

 

「まるで、驚く事も工程の一つかのような言い草ね」

 

「…まぁそうかもな」

 

私の言葉に当たり障りない言葉で返してくる。

でも、それが貴方らしさなのよ、比企谷くん。

卑屈で卑怯で捻じ曲がってて。いつも人の裏を読んで、欺瞞や偽善を見透かして。

 

それなのに『純粋』で。

 

終わらない関係なんてあるはずない。別れがない関係なんてあるはずない。

それでもずっとそれを欲している。

私だって随分前に見限ったというのに。

 

比企谷くんは結果以上に工程を重要視する人だ。

 

親しい友人がいるよりも、親しい友人を作るということ自体に重点を置いている。

物を作るという達成感より、物を作っている時を楽しむ人だ。

 

だからずっと今の状況が続いて欲しいって。彼はそう思ってる。

そんなこと、あり得ないのに…

 

 

本当に、誰よりも馬鹿な人…。

 

 

 

夕日のさす部室に、再び沈黙が訪れた。

そして私達はこれ以上言葉を発することなく、1日は終わっていった。

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま」

 

「ユキノ!ユキノ!お帰りニャー!」

 

私が帰ってくるや否や、トロが嬉しそうにぴょんぴょんと出迎えてくれる。

 

「ご飯食べてから、絵本の約束だったわね」

 

「うん!楽しみだニャ〜」

 

嬉しそうにはにかむトロを横目に、私はリビングに入る。

夕ご飯。何にしようかしら。基本トロはなんでも食べられるらしいけれど、折角だから好きなものを食べさせてあげたい。

そうね…納豆かしら?でも納豆を使った料理、なにがいいかしら。

 

私が試行錯誤している間、トロは楽しそうに私を眺めている。

 

トロが楽しそうならいいのだけれど、退屈してないかしら?

 

そんなことを思いながらも、私はフライパンに油を敷いて料理を始める。

私はこの時間が好きだ。

特に言葉も交わさず、静かな時間ではあるが、トロと、きっと私の表情も穏やかだ。

なぜなら、私が食材を切る音に合わせてトロは左右に体を揺すってみたり、鍋から香る匂いを嗅いでうっとりしていたり、私にとっても、トロにとっても癒しの時間だからだ。

 

ずっと…この時間が続いてくれればいいのに。

 

「あのね、あのね…ユキノは学校楽しい?」

 

ただ今日はその時間もあまり長くは続かないらしい。

 

「……なんでかしら?」

 

「だってだって、いつも寂しそうな顔して帰ってくるから。まるで考え事してる時みたいニャ」

 

心配そうにこちらを覗き込んでくる。

ダメ、ダメよ。この子にこんな表情させては。

この子はよく私のことを見ている。それはもちろん奉仕部について考えている時も。

 

「そ、そうかしら?」

 

違うのよ。最近少し変なだけで、普段は普通なの。

ただ自分が今まで突き通したものを、見失っちゃっただけなの。

だからこんな時比企谷くんならって、由比ヶ浜さんならって。人の事ばっかり気にしちゃう。

それこそ私を見失う事につながるっていうのに。

 

奉仕部に比企谷くんが来て、由比ヶ浜さんが入部して。

 

私の周りの環境はあの日から大きく変わっていった。

そう、そして私も変わっていった。変わることが悪い事だなんて思っていない。

でも、私は今まで真っ直ぐに生きてきた。自分の方法で。自分だけのやり方で解決してきた。

それ故に私の周りには人がいなかった。

 

だから私とは全く違う方法で、斜め上のやり方で問題を解消する比企谷くんに影響された。

 

心の底から人と接しているのに、世渡りが上手な由比ヶ浜さんに影響された。

 

そのせいで、私はぐにゃぐにゃ曲がっていった。

そして影響を受けた事を私のプライドが許さなくて…つまり全て自分の所為なのよ。

案の定比企谷くんにまで変と言われる始末。変になったのは貴方のせいなのに。

 

「それならいいけど…」

 

未だ心配そうな顔をしている。

ごめんなさい、全て私の我儘なの、だからお願い。いつものトロに戻って。

 

「さ、さぁ、ご飯が出来たわ。食べましょう?」

 

「………ニャ!!」

 

しばらく考えたような仕草をしたあと、トロは元気よく答える。

取り敢えず今はご飯を食べましょう。今はね…。

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ〜、美味しかった〜」

 

満腹とばかりにお腹をさするトロ。

そこまでたくさん食べてくれるのは、作り手としては嬉しいわね。

 

「それで、読みたい絵本はあるのかしら?」

 

「二つあって〜、どっちにしようか迷ってるニャ〜」

 

約束していた絵本を、トロは真剣に選ぶ。

基本パンさんの絵本しかないのだけれど、私が小さい時にディスティニー繋がりで買った絵本がここで役にたつとは思わなかった。

ふと窓から空を見上げると、満点の星空が広がっていた。

 

明日は晴れるのかしら…?

 

「決まったニャー!」

 

一つ絵本を嬉しそうに掲げてトロが叫ぶ。

 

「そう、なんの本かしら?」

 

「腹ペコイモムシさんニャ〜」

 

「パンさんじゃないのね…」

 

今日も一日が終わってゆく。

そしてまた明日が始まる。このジレンマから解放される日は、いつか来るのかしら?

でも、深く考えすぎないのが一番、よね。

 

そう、今はこれでいいのよ。これで。『今は』…ね。




会話に視点を置いて書いてみました。


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