寂滅アケイディア (パラ峰)
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ChapterⅠ-The Lust-

 時は世紀末ーーを遙か昔に通り越して21XX年、技術革新とその浸透により、全人類の集合的無意識に『デジタル世界』という概念が植え付けられた頃。それらはひっそりと産声を上げた。

 デジタル・モンスター。人類が普遍的に抱いていた神魔ないし怪物を象った生命。出自は定かではないが、あらゆる方面へ事業を展開していた『B.E.E.L』という会社の社長ーーその正体は無価値の名を持つ堕天使を模したデジタル・モンスターであったーーそれが、人類がデジタル・モンスターを観測した最初の例だと言われている。

 そして現在、堕天使ベリアルを模したモンスター・自称『ベリアルヴァンデモン』が観測されて以降、デジタル・モンスターは着実にその数を増殖させていった。その方法は不明。その総数も不明。その能力も不明。何一つデジタル・モンスターについての理解を深められていない人類の中に潜みながら、彼らは着実に世界に浸透し始めていた。

 

 

○○○○○

 

 一寸先は闇、という言葉がある。それはあくまで比喩適評源に用いられるだけの筈だが、現状では端的すぎるほど端的に実状を表していた。

 前後不覚。右も左もわからず自分の指先さえ足場もおぼつかないような闇。しかし"ある"と思って闇と向き合えばそこに地面も方向も存在する。

 俺は前へ向かって歩みを進める。闇の中ある種の確信めいた何かを胸の裡に。そこに自分の意志は関係なく。しかし本当に自分の意志が関与していのかすらも分からない。単に自分で選択してその事実を忘れているだけなのかもしれないという疑念が常に付き纏う。

 

 しばらく盲目的に足を動かし、唐突に思い至る。俺は眠らなくてはならない、と。

 

 眠りを訴える自分の心とは裏腹に、足だけは追い立てられるように動き続ける。じきに明滅する死に掛けた蛍のような光が目に入る。光が視界に入ったと思った次の瞬間、目の前が闇の黒と唐突に現れた白い光で埋め尽くされて明滅を繰り返す。俺は思わず目を閉じて心地よい闇が再び自分を包み込んでくれるのを待った。

 辺りがほの暗くなったところで目を開くと、山羊の頭部を象った意匠の施された十字架と、そこに鎖で雁字搦めに磔られた女が認識できた。この場を形成する闇は十字架から、光は女から出ているように感じられた。よく見ると十字架からは三対の蝙蝠の羽根が生えており、それはまるで磔られた白い――肌も、髪も全体的に白い――女から生えているようにも見えて。

 そのミスマッチさに、しかし俺はどうとも思うことはなかった。ただ、ひたすらにこの場に倒れ伏して眠りたいとだけ思っていた。頭の中は惰眠を貪ろうとすることで一杯で、しかし状況は俺の入眠を許してはくれなかった。

 捻れて回転して上下に激しく振れた後、目の前の光景は一転、コミカルで巨大なぬいぐるみのようなモノが現れた。ぼんやりとした眼でそれを見つめていると、いつ変わったのか、ぬいぐるみの腕は毛深く獰猛さを滲ませるものに変わっていて。

 本来ならば奇怪な出来事に脳味噌が理性を鳴らすのだろうが。

 ぬいぐるみはやすらかな寝息を立てながらその太い腕を振りあげて。

 俺は眠気と脱力間に抗いきれず後ろを振り向くこともなく。

 剛腕の先端の鋭利な爪は俺に狙いを定めていて。

 回避行動を取る間もなく、俺は右腕を失った。断面から飛び散る砂塵のようなものを見つめながら、眠気からか失血からか、俺は意識を手放した。

 

○○○○○

 

「ヅ――、あっ、ハッ」

 

 鳥の声が聞こえるなんて有り得ないほどにけたたましく鳴り響く携帯のアラームを止めて、そこに表示された文字列を見ることなくその辺に放り投げて右腕の切断(されたと思しき)部を押さえる。

 またしてもこの夢だ。右腕に痛みが残っているような気はしないし、オカルトでよくあるような聖痕が出てきたりはしないのだが、近頃は毎朝この夢で目覚める。眠った気がしなくて――まあ実際それほど休めてはいないのだろう――昼間ずっと眠いと言うことを除けば、別段なんてことはない。余地夢だとか天啓だとか、確かにそんなものは存在していても構わないが――俺はそんなもの別段望んじゃいないし。

 何と言うべきか、俺は所詮そんな不思議ちっくなマジカルぱぅあーのある世界の住人じゃないし、自分でもそうだと思っている。どちらかと言えば、大人しく青春ラヴコメでも謳歌していたいと思う方だし、強いて言えばダーティなスパイアクションか何かの方がいいだろう。そういうのは先輩に――。

「あ、やべ……」

 そんな風に取り留めもないことを考えて5分ほどたったろうか。脳裏に一人の女性の姿が浮かぶ。それと同時に部屋の呼び鈴が鳴って――いや、鳴りまくった。

「はいはい、今出ますよ」

 取りあえず寝間着からは着替えてドアを開ける。やまないピンポン連打で俺を出迎えたのは高原 彩利(たかはら さいり)。ドイツから日本に帰化した数少ない俺の友人の一人であり先輩。同じアパートに住んでいるということもあり、結構親密な付き合いをさせて貰っている。偶然にも俺と先輩の両親は知己だったらしく、互いに助け合うように言い含められていたりもする。結構な――というか、大学のミスコンなんか出たら一位は確実であろうという顔立ちだし、性格とか才能とかを除けば、俺自身結構な役得だとも思っている。まあ現状一方的に助けられてばかりいるような気もするが。

「おはよう。後輩君」

「おはよーございます先輩」

 ホワイトブロンドとでも呼ぶべきであろう眉がつり上がっている。さっき携帯の画面に表示された文字をきちんとみていなかったのが悔やまれる。

「それで?何か申し開きはあるかね」

「弁解のしようもありません」

 今日は先輩が朝飯を作ってくれるということで、7時半までには鍵を開けて待っていろ、という話だった。知ってる。それは知ってる。時計はまだ7時25分なのだが。

「まあよかろう。ほら、台所を貸せ」

 今日は平日で大学もあるが、後1時間ちょっとある。結構ゆっくりする時間はあるだろうし、大人しく食卓で待たせて貰うとしよう。

「はいはい。じゃ俺は適当に待たせて貰いますね」

 ほどなくして朝食が運ばれてくる。トーストにハムエッグにサラダ。あと余り物か何かを挟んで作られたであろうミニサンドイッチ。なるほど。

「あんたドイツ人でしょーが」

「えげれす食も朝食なら許せる。そういう話だ」

「いやあ俺は許せませんね。ウナギゼリーでも食ってろっていうか?むしろフィッシュアンドチップスだけこっちに輸出してろよ的な?」

「所詮あんな島国に住んでるような英国紳士気取ってる奴らだからな。知ってるか?日本人とイギリス人は駅でぶつかった時に自分から謝るが、イギリス人はそもそも避けようとはしないらしいぞ。日本人の奥ゆかしさが分かるな」

「隣国ディス凄いですね」

「それほどでもにい」

 適当に無駄話をしつつ適当に朝飯を取りつつ適当にニュースでも流していると、よく知る市の名前が聞こえてきた。

 京都府香山市。俺達の暮らす町で、まあ京都といってもそれほどめぼしい何かがあるわけでもないこの町。程良くアミューズメントパークもあればルーブルを模したような美術館などもあり、唯一の観光名所としてちょっと大きな神社があるぐらい。

 そんな自分の町の名前が聞こえてきたら耳を傾けるのはまあ、当然の反応で。それで余り飯時に聞くべきではない話を聞いてしまったのは失敗だった。

「腐乱死体、ね。まったく、食事時に聞く話ではないな」

「すいませんね、気が利かなくて。ただまあ、俺らの通学路みたいなもんですし、今日は通らない方がいいですかね」

 このアパートから大学までの20分ほどの道のりで、その丁度中間ぐらいにある公園。そこで昨夜、腐乱死体が発見された、と。

『不可解なことに、発見された藤也 悟(ふじや さとる)氏は昨日まで目撃されており、死体の腐敗が一晩で進んだにしては早すぎる、との事です』

 別に死体が出てくるぐらい、多分俺も先輩もどうとも思わないだろうが、そんな不思議現象が起こっているんだったら俺は極力避けたい。だが、先輩はこういうのが大好きで、結構オカルト本とかも真面目に読んでる。途中で寄ってみるぞ、とか言われないよう機先を制した俺にジト目を向けてから、先輩は言い放った。

「……ま、そうだな。後輩が女性を守るナイトに成りたくないと言うなら、我慢してやるとしよう。……男の夢だと聞いたがな?」

「そういうのいいんで。ってかアンタ、俺より強いでしょうが」

 それもその筈、この先輩、細い成りしてムエタイやら八極拳やら色々手を出しているのだから。俺なんかが敵うわけもない。

 

○○○○○

 

「真原 針斗(しなばら はりと)ー」

「はい」

 大学に着いて先輩と別れ、一限の点呼を終えて90分ほど暇な時間が訪れる。まあ普段から真面目に講義を聴いてるわけでもないが最近は例の悪夢のせいで格別眠い。そういえば、あの張り付けにされてた女はどことなく先輩に似てた様な……主に白っぽさが。マジか。俺夢に見るほど先輩にゾッコンだったのか。よっしゃ帰ったらアタックしよう。

『おう針斗、遊び行かね?来んなら15分以内に裏門な。別に来なくても一人で行くけど』

 そんな風に一人でアホな決意――まあ悪夢の事なんて目覚めて1・2時間すれば忘れる――を固めていると携帯が震えた。差出人は別の講義を受けているはずの渡部 桐彦(わたべ きりひこ)。俺の数少ない友人の最後の一人であり、メールの内容から察せられるように真面目とは無縁の男。一時期は真面目だったのにどうした事やら。

 このまま眠って若い身空の一時間半を無駄にするのも癪だった俺は出欠の確認が全員分終わった頃を見計らって後ろの方から講義質を退室。そのまま裏門までメールを返信しながら歩いていく。

 裏門の柱にもたれ掛かって待っていたのが俺の――まあ、悪友。ピアスやらのいかにもなシルバーに、煙草なんてくわえた明らかにチンピラと言って差し支えない風貌。そのアッパーなテンションも相まってか、どうやら俺と先輩以外に大学では友達がいないらしい。はいそこ『人のこと言えない』とか言わない。まあもっとも、一時期ゾクの頭っぽいこともやっていたらしいが。

「おう、来たかい針斗。今朝もおアツかったんだって?」

「うるせーよバカ。そしてチンピラ。てめえ朝っぱらから講義さぼってんじゃねえぞ。あと俺今日帰ったら先輩に告白します」

「ヒョーウそいつは結構!針斗クンの次の挑戦に期待してください!ってか最早通い妻だししてねえ訳じゃねえだろ後そのバカに付き合ってサボってるお前だってバカだろバーカ」

「俺は要領良いから許されるんですーぅ。まあお前も同じ様なもんだしそもそも付き合ってるしなフハハハその辺の衆愚共の嫉妬の視線が心地良いぜ」

「んで何でいきなり告白するとか言い出したのよ」

「あー何でだっけ。そうそう最近よく同じ夢ばっか見るって話ししたじゃん?そこに出てくる女が何か先輩の様な気がして『あれ……この気持ち、もしかして、恋?』ってなった訳よ。トゥンクかっこハートみたいな感じ?」

「ファーーまじかよ針斗お前それ運命の赤い糸とか結ばれてる系じゃね?」

「オカルトとかファンタジー嫌いだけどさ、俺、この運命だけは信じてみたいんだ……どうよこれ?それっぽくね?」

「やべえやべえ超青春してるわお前クサいわ寒いわむしろ熱いわ」

「まあそれはそれとしてどこ行くんだよ」

 平日の朝っぱらから大声で騒ぎながら往来の(別に往来ないけど)ど真ん中を歩くまさにDQNど真ん中な行動を取りつつこれからの方針を相談する。桐彦はタバコを吐きつつ少しばかり思案して見せた。

「あー?特に決めてねえけど……まだ9時だし、1時間ぐらいその辺で暇潰してゲーセンでも行く?んで昼飯食ってカラオケにでも」

「オーライ。じゃあその辺の本屋で立ち読みでも――」

「――失礼。急いでいたもので」

 本屋に向かって方向を変えようとした時、壮年の男に肩をぶつけられた。その後の言葉遣いは慇懃だったが、一瞬こちらを観察しているようにも見えた上、通り過ぎた後どうにも"気持ち悪い"という印象を受けた。清廉潔白とでも言うのだろうか。必要以上に潔癖で、常に己を律しているようなそんな感じは、そのピンと伸ばされた背筋からも見て取れた。

「んだ、今の……悪ぃ、遊ぶ様な気分じゃなくなっちまった。今日は帰るわ」

 同じ様な印象を抱いたのだろうか。桐彦も渋面を浮かべていた。

 結局その場はお流れとなり、大学に戻るのも面倒になった俺はそのまま家に戻って二度寝を決め込むことにした。さっきは青春の無駄遣い的なことを言ったが、まあ家でキチンと寝るならそれは有効な利用法だろう。二度寝人生最大の快楽と言っても過言ではないし、そもそもまるであの夢の中の俺の様に眠くて仕方がない。家に帰った俺はそのままベッドに倒れ込み意識を手放した。

 

○○○○○

 

 ひたすらに空腹だった。俺は依然として眠気を抱えたままであったが空腹に耐えかねて寝床から跳ね起きた。

 

 ――足りない。満たされない。

 ――この身を蝕む倦怠感を押して動かねばならぬ程。

 ――我は偉大なるモアブの神。

 

 冷蔵庫には目もくれず俺は家を出た。その瞬間、これがいつもの悪夢とはまた違う夢であると気付いた。俗に言う明晰夢と言うものか。周囲の光景は見慣れたもので時計が正しい時間を示さない以外は別段おかしなところはない。とはいえ気付いたものの俺の行動に俺の意志は介在せず、例の腐乱死体が発見された公園を素通りし、さらにその先の美術館へと向かう。空から判断するに黄昏時、アフターファイブであろうにすれ違うような相手は誰もおらず、ただ俺の影だけが長く地面に伸びていた。

 

 ――我は渇いたり。我は飢えたり。

 ――不自由な足を動かし供物を求むる。

 ――我は偉大なるモアブの神。

 

 やめろ。行くな。行けば俺は止まれない。脳味噌はそう警鐘を鳴らすが歩みは止まらない。美術館に足を踏み入れると、窓から見えた空の色が暗転した。一際大きな絵が飾ってあるホールでは、その絵を見つめている女がいて。そしてその女は俺に気付いていなくて。失われた筈の俺の右腕は何故か毛深い剛腕になっていて。腕はその指の先の剛爪で、無防備な柔肉を切り裂いた。

 

 ――肉を求めたり。欲を求めたり。

 ――凶爪は肉を裂き罪科は我が礎と化す。

 ――我は偉大なるモアブの神。

 

 俺は殺した女の死骸を踏みにじり消滅させると、女の見ていた絵画に向き合った。便器に座った山羊頭の醜男が顔だけこちらを向いている絵。

 

『――我は偉大なるモアブの神』

 

 唐突に耳に入ってきた甲高い声に顔を顰める。絵の中の醜男が口元を歪めたと思うと、次の瞬間には見目麗しい女に変わっていた。

 

 そしてその姿は、俺の先輩、高原 彩利その人と瓜二つであった。

 

 

○○○○○

 

「おい、後輩。後輩。起ーきーろ」

 先輩の呼び声で夢の内から引き戻される。まさか鍵も閉めないまま寝てしまっていたとは思わなかった。見れば周囲は明るく、しかし時計を見ると午前8時。ほぼ丸一日寝ていたことになり、我ながらどれほど睡眠不足だったのかと戦慄を覚える。

「何ですか先輩。おはようございます」

「ああ、良かった。起きたか。いや何、昨日から音沙汰無くて心配してたんだよ。ベル鳴らしても反応がないから、鍵も開いてたし入らせてもらった」

 だからって男の部屋に無断で侵入するというのは如何なものか。近しい者であるとは言え先輩のモラルに一抹の不安を覚える。

「……どうも心配お掛けしたみたいで」

 しかし心配してくれていたのは本当なのだろう。先輩の表情には深い安堵が見られる。そこまで心配してもらえると、やはり嬉しくて頬が緩んでしまう。

「何だ、何を笑ってるんだ」

 結局訳の分からない夢ではあったが、まさか明晰夢の中でまで先輩のことを夢に見るとは思わなかった。どうせだしここでちょっとアプローチをかけてみようと言う、そんなイタズラ心が芽生えた。その裏にある悪夢への恐怖に、俺自身が気付けていたかは定かではないが。

「いや、先輩が俺のことをそこまで思ってくれてたことに吃驚しまして」

「なっ」

「吃驚って言うより、素直に嬉しいですね」

「ちょ、ちょ。今日はどうしたんだいきなり」

 頬を染めるとまではいかないが当惑する先輩。正直言おう。可愛い(確信)。暫くそうして先輩をからかっていたが、我ながららしくないとも思う。昨日桐彦にはああ言ったものの、不可解にも程がある。そしてそれは、目の前の彼女にとってもどうやら同じであったらしく。

「……しかし、どうした?お前らしくもない。何かあるなら、言ってくれよ?」

 見透かされているかのような気分に陥る、そんな深い碧眼が俺を覗き込んでくる。それを覗き返すと、何故か心が安らいだ。他人の心が覗ける訳ではないが、しかしこれほど深刻そうな表情を向けられてその真剣さに気付けぬ程俺は蒙昧ではないつもりだ。これ以上軽口で彼女を――いや、彼女と俺自身を煙に巻くべきではないと、そう感じた。

「……いえ、何でも。寝ぼけていたのかもしれませんね」

 だけどそこまでの決心が出来るという訳でもなく。だから俺はこう言った。

「寝ぼける、だと?あんなに魘されていたのに、信じられると思うか?」

 魘されていたところを見られてしまったことは確かに恥だが、だからと言って"悪夢を見て心細かったところに先輩が居てくれて嬉しかったんです"やら"このところ夢の中に先輩が出てきて恋心を自覚しました"やら、言える筈がない。まあ片方は自覚していない内容だったが。

「まあ、心配かけてすみませんでした。この通り俺は元気ですんで、着替えたいし一回部屋を出てもらえますか?」

「いや、待てお前――」

 引き下がりそうにない先輩を無理矢理にでも押し出し、速やかに着替えと洗顔を済ませる。しかし鏡を見た途端、俺の右腕に違和感を覚える。毛深く変質した鏡の中の右腕は、しかし一瞬で普通の腕にすり替わった。そして同時に、肉を引き裂いた嫌な感覚が蘇った。夢の中では何も思わなかったが、その感触は日本に暮らす若造が感じて平気でいられるようなものではなく。

「うっ、ゲ、ぇ――」

 俺はその場に蹲るように倒れ込み、中身の殆ど無い嘔吐物を辛うじて掴んだ洗面器にぶちまけた。倒れる際に大きく音を立ててしまったらしく、「どうした!?入るぞ!?」という先輩の声が聞こえた。

「ちょ、待って――」

「――大丈夫か!?」

 勢い良く洗面所の扉を開けた先輩は、立ちこめる胃液の臭いに一瞬だけ顔を顰め、しかし直ぐに俺の背を摩ってくれた。

「違、違うんです先輩。これは――」

「大丈夫。大丈夫だ。このくらい何とも思わん。落ち着いたら口を濯げ」

 流石に吐いてる所を見られるのは情けなく、動転して舌も上手く回らない。他の人間が動転していると逆に冷静になると言うアレなのだろうか、先輩はそんな俺に冷静に水を差し出した。

「――病気か?」

 呼吸を整えてうがいを済ませたところを見計らって、先輩が問うてきた。

「違う――と思います」

 むしろ心的な問題だろう。睡眠不足以外、健康状態に異常はないのは分かっている。

「ならいいが――まあ、お前が話してくれるまで待つとしようか。しかし、そんな風になるなんておかしいぞ。今日は一日休め」

 どうにも心因性のものであろうということも見抜かれていそうだが、少なくとも今日は出歩かない方がいいというのはその通りだろう。この状況で動き回るなんておかしな話ではある。先輩が大学に行ってからの話ではあるが

、精神病院の受診でも考慮に入れるべきかもしれない。

「ええ、そうします。ご迷惑お掛けしまして」

「構わんさ。夕方までには帰ってきてやるから安静にしておけ」

 それだけ言いながら、先輩は洗面器を片付けて踵を返した。先輩を見送って適当に横になるが、しかし24時間近く寝ていたこともあり正直眠気は飛んでいる。積んである小説を手に取って読んでいたが、30分としない内にインターホンが鳴った。扉を開けてみればそれは桐彦で。

「よう。聞いたぜ針斗。何かやべえんだってな?彩利先輩が心配してたぜ?いっつも『毒にしかならない』とか言ってる俺のことを寄越すぐらいに」

「お前か。別に大したことじゃねえよ。ちょっと気分悪くなっただけだ」

 そんなことを言いながら勝手にテレビをつけて持ってきた菓子を開け始める桐彦。俺は台所からグラスを二つ持って行こうとして、流れたニュースに絶句した。

「ちょっと待て。二つ前の番組、ニュースだ」

「あ、何よ?」

 ザッピングの手を取めこちらを訝しげに見てくるが、俺の目はテレビに釘付けになっていた。そのニュースでは『美術館』で『女性』が『首を切られ』て死んでいたという話だった。

「物騒な話だなぁオイ。どんな事態だよ――ってンだそんな蒼白な顔して?美術館に何かあンのか?ひょっとして知り合い?」

 余りにも夢での状況と似通っていて、暫く何も返答できなかった。信じ難いと言うべきか。俺の人生にこんなイベントは欲しくなかった。

「なあ桐彦。美術館までバイク出せるか?」

 もしかしたら、アレは夢などではなく、現実だったのかもしれない。俺は右腕を奪われ、新しい化け物の腕で誰かをを殺めてしまったのかもしれない。そうでなくとも、少なくとも何らかの余地夢の様な何かであったと考えるべきだ。あり得ない話ではあるし、普段の俺なら馬鹿馬鹿しいと一蹴していた話ではある。しかし、先程の幻覚や夢との類似点を考えると、そんなふざけた幻想が現実であると、その可能性を考慮しなくてはならないだろう。

「あ?まあいいけど――何だあれか?察するにお前のその表情の原因がそこにある訳だな?」

 否定も肯定もする間もなく、桐彦は勝手に自分一人で納得してどこかに電話をかけている。

「ああ俺だ。ちょっとお前今美術館周辺の奴ら集めて騒ぎ起こせ。居んだろ?警察とか野次馬とか。暫く注意引きつけとけ」

 一方的に向こうの相手に指示を出して電話を切り、桐彦は俺にさっさと行くぞと訴えかけてくる。そもそも今コイツはどんな立場にいるのだろうか。

「悪い。頼むわ」

「いいってことよ。保って1時間ちょいだ。さっさと行こうぜ」

 一抹の不気味さを覚えながら、俺は桐彦のバイクに乗って美術館に向かった。

 

○○○○○

 

 

「んじゃな……頑張れよ?」

「どういう意味だか知らねえけど、ありがとよ」

 バイクで移動すること10分。俺は美術館の中へ、桐彦は警察の陽動をしている仲間の所へと別れた。余り詮索されなかったのはいいが、勝手に納得されると何か見透かされているようでいい気はしない。

 立ち入り禁止のテープが張ってあったが構わず乗り越える。館内に足を踏み入れたことは無かったが、夢で見た通りの内装が待ち構えており、どちらに行けば例の現場に辿り着けるのかも理解していた。

「これか……」

 遺体こそ回収され白いテープがその跡を示しているだけだったが、そこには一際大きな絵画が飾ってあり、漂う血の香を――血の臭いなんてそう嗅いだことはないのに――俺は紛れも無く依然嗅いだことがあると認識していた。そしてその既知感に捕らわれていた俺は。

「やはり来たわね。ベルフェゴール」

「――誰だ、あんた」

「餌の臭いを漂わせれば目覚めると思っていたわ」

 人の居なくなったこのホールに響く足音に気付けなかった。足音の主は遊女の様な衣装に身を包んだ化粧の濃い女。女が現れた途端、辺りに立ち籠める血の臭いは腐臭に変わった。

「私が何者かは、貴方なら分かるはずじゃなくて?それとも――」

 腐臭を漂わせるその女は、瞬時に背中から羽根を生やし、その右腕を俺に向かって突き出してきた。

「――まだ、寝ぼけているのかしら!?」

「テメェ、何を――!?」

 身を翻して避けたが、背後から焦げた臭いがして振り向くと、巨大な爪が刺さった壁面がボロボロと崩れ落ちていた――まるで腐り落ちるかの様に。

「成程。公園の腐乱死体はあんたの仕業か」

 恐らく、あの爪に触れられたものは何であれ腐り落ちるのだろう。人間であれ無機物であれ。

「ええ。言ったじゃない。餌を撒けば貴方が目覚める、ってね?」

「餌?目覚める?何を言って――」

「茶番はさっさと終わらせましょう?待ちきれないのよ、私!」

 もう一度刺突が放たれる。視認して回避するのが精一杯の速度ではあるが、今度は爪のない左腕。これなら避けられる――そう思った矢先、女の腕がぐねりと曲がって俺の鳩尾を打った。信じられないような衝撃を受けて、俺の体は反対方向の壁へと突っ込んでいく。体内の空気を全て吐き出すような感覚で、寧ろどうして全身の骨が折れていないのか不思議に思う程だった。痛みで脳裏と視界にノイズが走るが、女は今度は右腕を前に突き出しながら突っ込んで来ていた。

 あれに触れてはいけない。しかし身体は一部壁に埋もれ込んでいて全く避けられそうにない。どうすればいい。考えろ、考えろ俺――!

「クソ、こんな所で――!」

 寸での所で首だけ動かして爪を回避、身体ごと突っ込んできたことから、こちらの腕は伸ばせまいと判断したためその肘を内側から全力で押してやる。

「……避けさせたやったのにこの程度なの?勘違いだったかしら」

 しかし女は微動だにしない。蝿が止まった程度にも思っていない風で、距離を取った後そのまま思案顔に至る。俺は手加減されていたことに憤る余裕もなく、ぼやけた視界でその女を見つめていた。

「違ったのならまあそれでいいわ。見逃すつもりもないけどね」

 女は俺に近寄り顔を覗き込んでくる。

「よく見れば可愛い顔してるじゃない。いいわ。貴方、私のアダムになりなさいな」

 そのまま左手で俺の頬をそっと撫でる。おぞましさに身が竦むが今度は物理的な理由でなく身動きが取れない。

「丁度良いわね。信仰も集めて帰ろうかしら。私はリリスモン。夜の魔女リリス。見ていなさい坊や」

 女――リリスモンが吼えると、美術館が一瞬で半壊した。戻り始めていた警察と野次馬は呆然とした目で俺達、否、リリスを見つめていた。リリスモンは衆目を集めたまま宙へ浮かび、両腕を広げて語り始めた。

「我が名はリリスモン。夜の魔女。誘惑するもの。闇の娘。さあ、我が名を心に刻み込め。我が姿を脳裏に焼き付けよ――ファントムペイン」

 リリスモンの口から紫の霧が吐き出される。それを浴びた男は皆膝を突いてリリスモンの名を呼び、刃物を持つ者は自ら首を掻き切り、警察官は皆頭を打ち抜いて倒れた。

 その場に残された女は何が起こったか理解できず、リリスモンが彼女らをその爪で腐らせ始めてから漸く悲鳴を上げる。助けを請う者、逃げ惑う者、暴漢対策の道具を握りしめ立ち向かう者。全て皆平等にリリスモンは腐らせてゆく。それはあまりにも過激なサバトで。彼らは正しく悪魔に捧げられた生け贄であった。

 俺はそれを目で追っていたが、そこに知った顔を見つけた。理解が追いついていないという風体でこの腐肉と血の臭い蔓延る惨劇を見つめていた彼女を視界に捕らえた途端、微動だにしなかった身体が何かに突き動かされるかの様に身体が動いていた。

「その人に……触れるなァ!」

「え……後、輩?」

 俺の右腕は変質し、リリスモンの腐爪を受け止めていた。そしてその腕は腐り落ちることはなく。それはリリスモンにとっても想定外だった様で。

 そして俺は、こんな状況だというのに不思議と落ち着いた気分で。身体に満ちる活力は今までに感じたことがないほど桁違いだった。

「な――こ、のォ!」

「先輩!早くここから離れて!」

「え――あ、分かった!」

 負けるはずがない、と、そう思いながら。湧き出る自信とともに俺はその腐毒を自らの剛爪で押さえ込み、もがくリリスモンを後目に先輩を避難させる。先程は理解が追いついていないようだったが、しかし少し落ち着けばこんな時でも飲み込みは早い様で直ぐに走り去っていく。

「教えて貰えるか?お前は何者で、この腕は何なのか。俺が最近見ている夢とどんな関係があるのか」

 先輩の足音が遠ざかったところで、リリスモンに問いを投げかける。リリスモンは先程までの余裕を欠片も見せず狼狽していた。

「貴方――ベルフェゴールじゃ、ないわね。貴方こそ答えなさい!ベルフェゴールを何処へやったの!?」

「知らねえよ。つか、質問してるのはこっちだ。質問事項一個追加な。その"ベルフェゴール"ってのは何だ」

 問いかけながら、腐爪を握る圧力を強めていく。リリスモンは顔を苦悶に歪めながら、その爪がミシミシと音を立て始めた頃に口を開いた。

「分かった!答える――答えるから離しなさい!」

 それに応じて腕を放すと、しかしリリスモンは突如として煙を吹きかけて来た。

「そう簡単に口を割ると思うなよ人間――!」

「チ――騙しやがったなこの!」

 先程男達を自害させた煙だが、今の俺には目眩ましに過ぎない。それどころか濃霧の中でもリリスモンがどちらへ距離を取ったのか明確に察知できた。今まではリリスモンの動きは目で追うのが精一杯だったが、今では簡単に追い縋れるだろう。

「逃がすか――!」

 両脚に力を込めると一足で距離を潰し――俺には格闘の心得などない――右腕を降り上げて叩き付ける。確かな手応えを感じると、俺の魔爪はリリスモンの腐爪を叩き壊していた。粉々になった右腕の破片が落ちた地面がたちまち湯気を上げて崩れていく。

「雄雄雄雄――!?」

 右腕を失いつつも撤退を続けるリリスモンに追撃を仕掛けるも、雄叫びを上げながら詰め寄る俺の身体は跡一歩と言う所で制止した。

「こ、の――覚えておれ!いずれベルフェゴールを呼び覚ましてくれる!」

 リリスモンの意に従うかのように、俺を影が縫い止める。右腕の魔爪を以てすれば影の拘束を引きちぎれるだろうが、身体の拘束を説いている間に奴は逃げ仰せるだろう。つまりは詰めを誤ったと。そういうことだ。

「クソ、待て――!」

 影の拘束を振り解いたところ、既にリリスモンは姿を消していた。戦闘態勢を解除すると共に俺の腕は通常の物に戻り――そして気が付いた。生き残った人達が俺を見る畏怖の視線に。

「あ――」

 俺が視線を向けると彼女らは怯え竦んで一歩後ずさる。それは当然の反応だろうし、俺自身このような頂上の現場に当事者でなく居合わせたのならばそうしただろう。故に彼女らを責めるつもりも彼女らに弁明するつもりもない。

 しかし今回に限っては俺は当事者で、第一俺自体この状況を全くと言って良い程理解できていない。むしろ先程までの俺自身に対して他でもない俺が恐れを為している。

「――兎に角行くぞ、後輩」

 自分の変貌と、場の空気に危うく気圧されて逃げ出してしまいそうだったが、いつの間にか戻って来ていた先輩が俺の腕を――それも右腕を――掴んで歩き出す。先輩、と言うより俺が近寄ると皆が恐れを露わにして離れて行くが、彼女に腕を掴んで貰っているというそれだけで、俺の心からは乱れが消え去っていた。またしても助けられたな、等とこの場にそぐわないことを考えながら、俺は先輩に付き従って死体の山をかき分けていった。



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ChapterⅡ -The Power-

 

 作意的に人払いの為された裏路地。リリスモンは怨磋の言葉を漏らしながら歩みを進めていた。左腕で庇う様にしている右腕は既に若干の修復を始めおり、砂塵の様な何らかの粒子が周囲に渦巻いていた。

「随分と派手にやられたようだな。色魔」

「――ッ!!」

 それは自分に手酷い傷を負わせた真原 針斗に対する怒り故か、或いは傷の修復に気を取られていた為か。何れにせよ彼女は、その人気の無さを疑問に思ってはいなかった。そしてそれは、先日針斗の肩にぶつかった壮年の男の接近を許す結果となった。

「何のつもり?スラッシュエンジェモン」

「いや何、彼らも見過ごす訳には行かぬが――先ずは君から仕留めようと思ってね」

 リリスモンが問うと、男は鎧を着込み、全身を刃で武装――否、全身が刃である――した姿に変貌を遂げる。頭部は兜で覆われ、目元を隠したその姿は無情な処刑人を思わせる。また身に纏う清澄な闘気は、しかし同時に僅かな綻びから崩れ去りそうな危うさも兼ね備えている。

「期せずして、君達が開戦の狼煙を上げてくれた。卑怯とは言うまいね?これも戦争だ。弱った所を狙い撃ちにされるのは、当然だろう?」

 スラッシュエンジェモン――能天使を模したデジタル・モンスター――は俯いたままのリリスモンを後目に続ける。

「既に蠅王と一戦やり合った後だが――問題はあるまい。私も、君と同じく我慢強い質ではなくてね」

 露出したスラッシュエンジェモンの口元がニヤリと笑う。

「このッ……パワー風情が――舐めるなァ!」

「アスモデウスの権能も取り込めていない君が、剣王としての識能を取り込んだ私に敵うとでも?」

 リリスモンの激昂と共に放たれる影を、刃が正確に斬り刻んでいく。ニ体のデジタル・モンスターの激突は、余波だけで辺り一帯を無惨な姿に変えて有り余るものであった。

 

○○○○○

 

 俺は先輩に連れられるまま十数分歩き続け、気付けば公園――リリスモン曰く、俺に対する"餌"を用意したというところ――に辿り着いていた。死体が発見されたばかりとあって、本来はそこそこ人気はあったはずだが、そうした野次馬根性を持った奴等は美術館の騒動に吸い寄せられたのだろう。もうすぐ昼になるような時間だというのに、人気は全く無い。

「後輩ッ!お前!私がどれだけ心配したと――!」

 太陽こそ照りつけているが晩秋の現在では少し肌寒いぐらいだと、俺はそんなことを考えていたが、先輩が俺の肩を掴んで怒鳴りつけてきたことで思考を引き戻される。

「貴女こそ、一体どうしてあんなところに――!」

 そう。一歩間違えば先輩もリリスモンに殺されていた。彼女を喪うことを考えると、それは俺自身の命が失われそうになった時の感覚よりも数段以上恐ろしく、何故か右腕が疼いた。

「後輩、お前また、その腕――」

 先輩の視線を追ってみると、俺の腕は再び怪物のそれに変化していた。しかしそれは、少しばかり怯えた様な彼女の顔を俺が認識すると直ぐに元に戻った。よく分からないが、今の所腕の変化は成るのも戻るのも先輩関連の出来事か、もしくは戦闘がトリガーの様だ。

「気の所為……ということはないだろうが、まあ戻せるなら良い。それで、どうして私があの場にいたか、だったか?」

 そこで彼女は言葉を切る。どうにも言い辛そうに視線を彷徨わせていたが、胸の前に手を遣って続けた。

「それは、その……渡部にお前が何をしていたか報告するように頼んでおいたから……」

 気まずそうに指先を弄ぶ先輩。ちょっと可愛いと思いや駄目だやっぱ怖えよ。アイツを寄越したのは唯の偶然か配慮かだと思っていた。……あまり先輩には逆らわないようにしよう。

「――そうだ、桐彦は」

 と、そこで桐彦の安否に思い至る。ここまできて漸くな当たり、やはり俺は冷静になれたつもりでいて未だに動転しているのだろうか。

「ああ、大丈夫だ。お前を送り届けて直ぐに離れたらしい。私が着いた時より五分ほど前だったから巻き込まれてはいないだろう」

「そうか、良かった――」

「――それよりも、だ。まあその腕やらあの状況やらの説明は求めん。顔を見るにお前も分かっていないようだしな。これからどうする。あの場に生き残ったマスコミはいなかったが、私もお前も生き残りに顔を見られている。全て忘れて今まで通り――何て行かないのは、確認するまでもないが、分かってるよな?」

 確かにその通りだ。人が死んでもカメラは残ってるだろうし、あれだけのことがあって――馬鹿正直にありのままが報道されることはないだろうが――俺の素性がバレないはずがない。それどころか、こんな風にちょくちょく変化してしまう腕を持ったままではまともな生活もままならないだろう。

「とりあえず、何処かに身を隠すしかないでしょうかね。ほとぼりが冷めるまで――まあ冷めるか分かりませんけど、こんなこと警察やら何やらでも対処できないでしょうし……」

 それにまたリリスモンが襲撃してこないとも限らない。あの口振りでは奴以外にも同じ様なのが居るのだろうし、安全を考えても一カ所に留まるのは得策ではないだろう。

 それに、先輩は才媛ではあるが、こんな化け物――俺自身そんな存在になってしまったということに少し目眩の様なものを覚えるが――同士の戦いに巻き込んでよい筈がない。先輩の身も案じての発言だったのだが、しかし。

「甘く見るなよ。私を置いて行くつもりか?確かに私では非力過ぎるかもしれないし、お前の足手纏いになるかもしれない――でもな?

 私はお前の先輩で、それ以前に恋人なんだから。お前の身を案じて付いていこうとするのは当然だろう」

 しかし彼女は付いて来てくれるという。そんな返事をどこかで期待していなかったとは言い切れないが、それはとても有り難く、そして思っていた以上に嬉しかった。

「でも先輩。実際問題こんな状況で――俺は貴女に着いてきて欲しくない。勿論その気持ちは本当に嬉しいですし、今にも感極まって泣きそうな程ですが……」

「いや……すまん。さっきの言い分はどうも違うな。こんな言い方は卑怯かもしれないが――」

 先輩は一歩俺に近付くと、そのまま俺の首に両腕を回してきた。肌寒い寒気の中で、その細い身体の温もりが感じられる。俺は思わず先輩を押し退けようとするが。

「ちょ、先ぱ――」

「――私を、側に居させてくれ……頼む……怖いんだ……」

 いつもと違うその声色。恐怖に満ち満ちたその声色は、確かに当然だ。あんな地獄に、それも俺みたいに妙な力を手に入れた訳でもなく放り込まれたんだ。

 俺の胸に預けられた彼女の身体は小刻みに震えていて。

「――大丈夫、大丈夫ですよ。一緒に来てくれますか?先輩の事は、俺が絶対に守り抜きますから」

 その痩身を抱き締めつつ、何の根拠もないのに俺はそう言った。

 そのまま彼女の震えが収まるまで抱き締め続けていたかったが、場違いな拍手の音に邪魔された。

「善き愛だ。嗚呼――やはり人間は美しい。卿等の行く先に幸有らんことを」

「何者だ」

 俺達の前に現れたのは、この世の者とは思えぬ美貌を持ち合わせた金髪の偉丈夫。俺は先輩を後ろに男の前に立ち塞がる。

「何、卿等に危害を加える心づもりはないゆえ、警戒することはない。安心し給え。加えてこの場には今、私が結界を張っている。私と卿等のみだよ。今この公園に存在している者は」

 芝居がかった口調。どうにも胡散臭い印象が拭えない偉この男だが、同時に脳裏にこれまでにない程――リリスモンに襲われた時以上に――警鐘が鳴り響く。

 これは条理の外に在る者。この世界に存在してはならぬ黄金の――混沌の施政者。堕ちた至高天。流石に神話なんかに詳しくない俺でも知っているビッグネームだが。何故この男がそれであると分かったのかは理解できない。

 そして、今の俺がコレに刃向かったとて、赤子の手を捻るよりも簡単に滅されるだろうと言うことも分かってしまった。一歩先に歩みを進めるだけで、俺が襤褸雑巾のように打ち捨てられる。そんな幻覚が鮮明に見て取れた。

 だが、この男が先程の宣言に反して先輩に危害を加えると言うならば、俺は立ち向かわねばならないだろう。

「ふむ。私が何者であるか、両者共に概ね理解できたようだな。だがその名はまだ胸の裡に秘めて置いてくれ給え。私のことは、ルイ――ルイ=サイファーと呼ぶが良い」

 俺の後ろで服が掴まれた感覚がある。そんな先輩を守ろうという決心を固めはしたが、ルイ=サイファーは何もしてこない。どうやら本当に俺達に危害を加えるつもりはないらしい。

「で、アンタ――」

「ルイだ」

「ルイは一体何なんだ。何の目的があって俺達に接触してきた。あの女と同類なのか」

「私の正体は卿等ならば理解していよう。あの女――リリスモンのことだろう?――とは、紛れもなく同類、デジタル・モンスターだ。そして今この場にいる目的は、卿等の疑問に答えるためだ。今回の狂演、私は積極的に動くつもりではないのでね」

 疑問に答える、だと?理解に苦しむが、ルイは気にも留めぬといった風体で続けた。

「卿等、今の3つの他に幾つも疑問があろう?その全てに答えてやろうというのだ。だが、この場では説明に幾ら時間があっても足りぬ。そこで――」

 ルイは懐から二枚の円盤上の何かを取り出すと、俺達に一枚ずつ投げて寄越した。その円盤には、見たこともないような不思議な文様が描かれていた。

「――護符の様なものだ。私に説明を求める事があれば、それを枕元に置いて眠り給え」

「な――おい、待て!」

「尤も、今の卿等ではまだ資格がない。せめて今日を無事に切り抜けるのだな――!」

 ルイは外套を翻して去って行った。去り際残した、こちらを試すかのような意図の言葉。それは俺の心に何か不吉な予感を残していた。そして、その予感は的中して。

 

 入れ違いのように、壮年の男が公園に入ってくる。男はまず俺を、そして次にその後ろにいる先輩を値踏みするように眺めてきた。

「先日の少年、か。君に用はない。退いてくれないか」

 暫く俺達の間に視線を彷徨わせていたが、どうやら先輩がこの男の目的の様だ。

 しかし解せない。未だ付近にも人気が感じられない以上、まだ先の男――ルイの結界とやらは機能しているのだろう。となると、この男もまた奴等の同類の筈だ。俺は兎も角、先輩がロックオンされる理由がない。

「これが当世の怠惰か。どうやら未覚醒の様だが都合がいい。悪く思うな少女よ。これも戦争だ。恨むなら裡のモノに目を付けられた不運を恨み給え」

「……どういう意味だ」

「アンタ、先輩に何かしよう物なら……」

 右腕が変質するのを感じる。ほう、と目を細めて男は俺の方に注意を向ける。その身体は銀を基調として青の装飾の施された鎧に包まれ、刃に変化した羽根と腕が目を引く。

「ふむ、仕組みは知らぬが、どうやら君が彼女のナイトという訳か。知らず利用されているのだろうが、その決意に敬意を表し名乗ろうではないか。

 我が名はスラッシュエンジェモン――能天使パワー!魔王ベルフェゴールをここで討つ!」

 先ずは一閃。刃が俺の首を落とそうと襲いかかってくる。常人ならば回避どころか視認すらできないであろう一撃。それを、何故か見て取れる俺は爪で弾き返す。軽い。

「流石に重いな――だが!」

 一撃一撃は軽いが、しかしどれも神速の早さで、しかも間断無く続く。向こうが両腕だけでなく羽根でも攻撃できるのに加えて、こちらは片腕だけ。迎撃が追いつかない。現状弾いてはいるがその場凌ぎに過ぎない。どの斬撃もこの右腕以外の生身で受ければ即死級の一撃である以上、避けるわけには行かない。後ろにいる先輩では1秒たりとも抵抗できないだろう。

「後ろが気になるかね?案ずるな。君を討つまで、彼女に手は出さぬよ」

「逆に言えば、俺が死んだら次は先輩だ、ってことだろ」

 スラッシュエンジェモンの剣戟は鋭さを増していく。嘗てのどこぞの剣豪が燕を切るために繰り出した、一太刀で三回同時に切るような剣があったというが、それが児戯にも等しく思える速度。同時に十太刀以上は切り込まれている。力量差は圧倒的で、このまま何も出来なければそのまま擦り潰されて終わるだろう。

 そして、俺が負ければコイツは恐らく先輩の首を取りに来る。

 それだけは、断じて認められない。

「ッ……糞が!」

 ああそうだ。認めてなるものか。守ると言ったばかりなんだ。ならば、何をしても守り抜かねばなるまい。

 だから、捌く。捌く。捌いて捌いて捌いて捌いて捌いて捌いて捌いて捌いて捌いて捌いて捌いて捌いて捌いてーー捌ききれない?それがどうした。

 刃を捌くのではなく全て受け止める。腕に少なくないダメージが入るが気にしている余裕はない。そのまま強引に振り払って敵に隙を作らせる。

「ぬっ――!」

「っらアアッ!」

 胸当てに向けて弓のように引き絞った右腕を放つ。スラッシュエンジェモンの表情は仮面で分からないが、恐らく驚愕していたのだろう。間一髪上空に退避されたが手応えはあった。見れば鎧は陥没している。急所に至っていなかっただけで、当たりさえすれば何とか通用するようだ。

「後輩!お前、なんて馬鹿な……」

「随分と無謀なことをする……」

 先輩と敵の、俺に対する呆れを含ませた言葉。当然だろう、刃を幾重にも受けた俺の右腕は肉が半分以上切られている。最早まともには動かないだろう。それだけに、先ほどの一撃を外したのは悔やまれる。

「しかし藍も変わらず凄まじい破壊力だ。片腕だけと侮るのは止めにしよう。我が全霊の一撃でもって貴様を討つ。受けよ!天軍の剣――ヘブンズリッパー!」

 上空に佇むスラッシュエンジェモンの周囲に所狭しと刃が出現する。律儀にも先輩は射程に含まず俺だけを狙っているようだが、それでもあれには防御が間に合わないと言うのだけは見て取れる。

 

 どうする?どうすればいい?

 捌く?無理だ、間に合わない。

 跳躍して殴りかかる?否だ、避けられる。

 防御する?耐えきれない。

 回避する?出来る訳もない。

 

 どうしようもないと言うのが結論だが、しかしそんな結論認めない。

 

 ならばどうするか。

 防御?

 回避?

 突撃?

 ――どれも否だ。無駄だ。不要だ。そんなもの、纏めて心底『面倒臭い』。

 

 嗚呼――まどろっこしい。邪魔だ。怠い。その様な小細工など必要ない。力だ。

 

 先輩を守る為に必要なのは何か――思考しろ。思索しろ。思え。不要な物を削ぎ落とせ。削れ。削れ。要らぬと。この想いさえあればいいと。想え。

 

 こんな訳の分からない力を手に入れた他人に畏怖された人殺しの俺を助けてくれた受け入れてくれた頼ってくれた認めてくれた彼女を先輩を守ると――強く、強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く!もう誰も、天地開闢より未来永劫、過去も未来も現在もこれより強い想いを抱く者などいない程に強く――!

 

『貴様が力を振るうとあれば是非もない。我はそれすら面倒だ』

 

 見上げれば、幾千の刃は俺をめがけて射出されている。しかし、コイツの、スラッシュエンジェモンの攻撃はこんなに緩慢だったろうか。

 生身で受ければ絶命必至の刃は全て恐るるに足りない。

 俺は、それを知っているかのように。正しくそれは自分が生まれた頃から慣れ親しんだ行動であるように、新しい力を、動かずして暴虐を解き放つ。

 背後の何もない空間から鎖を射出する。邪炎を纏った二本の鎖は絡み合い、ヘブンズリッパーの刃の波を抜けその主に絡み付く。俺の攻撃手段が近接攻撃だけだと想っていたのか、拍子抜けする程簡単に捕らえられた。

「ベルフェゴール、貴様!都合のいい覚醒を……!だが忘れるなよ!現界を果たしているのは私だけではない!いずれ高位天使が貴様を――」

「――もう良い。喚くな、『面倒だ』。この力もお前等の正体も意図も何だって良い。先輩を狙うなら俺が潰す。絶対にな――ランプランツス」

 鎖が纏う邪炎が極大の冷気を纏って膨れ上がる。その半径はヘブンズリッパーの攻撃範囲を全て覆い尽くして余りある。立ち昇る氷の火柱は刃を蒸発させ凍結させながらスラッシュエンジェモンまで到達。瞬く間に悲鳴ごと凍らせて消滅させた。

 鎖を引き戻すと、最早スラッシュエンジェモンがいた痕跡は塵一つ無かった。しかし俺自身消耗が激しく、右腕からの出血だけではないだろう原因の体力の喪失が全身の倦怠感を呼び覚ましている。

「後輩、お前、右腕は――」

 自分の命まで狙われているというのに、俺のことを真っ先に心配してくれる。ーーもう駄目だ。立っているのもやっとの状態だが、この場で言ってしまおう。

「先輩、俺は貴女の為ならどんな敵だろうと討ち滅ぼして見せます。今みたいな化け物でも、他の人間の悪意でも。それこそどんな犠牲を払っても。貴女さえ居れば俺にはそれで良い」

「後輩、何を――」

 こんな状態になってしまったのだ、二度と普通の生活には戻れないだろう。さっきまでは嘆いていたけれど、最早それでも別に構わない。この力で彼女を守れるのならば、彼女の側に居られるのならば、他は全て煩わしいだけだ。

「誓おう。貴女になら、手でも胸でも、命でも差し上げる。

 俺からも聞かせてください。これから先、俺はもっと化け物じみたモノになるという予感がある。それでも、貴女は俺を側に置いてくれますか?」

 普通の人間としてこれまで積み上げた物は全て無に帰すだろう。だから俺は、今ここで手に入れた物に、化け物としての命全てを捧げよう。生まれたての雛に刷り込みをしたようなものなのかもしれないが、それがどうした。彼女を愛しいと思う気持ちは紛れもなく本物だし、ならばそこにどんな弊害があろうと関係ない。

「馬鹿げたことを聞くな。私はお前を見捨てたりしないよ。私も誓おう、お前がどんなになろうと受け入れる。私だけは、お前を決して畏れない、排斥しない。安心しろ」

「そう、ですか……よかった……」

「取り敢えず帰ろう。な?それからのことは後で考えよう」

 俺は力尽きて倒れ込み、先輩に抱き止められながら意識を失った。

 

○○○○○

 

 目を覚ませば、名も知らぬ白い花が敷き詰められた大地に横たわっていた。

「知らない天井だ……」

 などどふざけている場合ではない。そもそも天井の様にも見えるほど黒一色で染められた天蓋には星の光すらない。起き上がって見渡す限り、天と地が黒と白に染められた光景が延々と続いていてこの空間が非現実なものであると否応無く理解させられる。

「お目覚めかね?夢の中でも眠るとは器用な男だな、卿は」

 目の前に音もなく降り立った金髪の偉丈夫。その男は先程公園で出会ったルイだった。

「枕元にあの円盤みたいなものを置いた覚えはないんだけどな」

「ふむ。そこは私の預かり知らんところではあるが……」

 この男は顎に手を当て思案するその動作さえ様になる。この白と黒の相反の風景に相まって、この男はいっそ神々しささえ感じさせる。

「まあよかろう。そら、卿、尋ねたいことがあろう?この短期間に位階を上げパワーを屠ったことに敬意を表し、卿の疑問に答えを与えられるような講釈をしてやろう」

 ならば、と。俺はルイに質問を投げかける。

「まず聞かせてくれ。ルイは明けの明星。ルシファーで違いないか?」

「然り。今では――いや、今生ではルーチェモンと名付けられている」

 今生では?何故か出会ったときから脳裏に浮かんでいたルイの正体よりも、その言葉の方が引っかかる。

「そうだ。時に卿、この様な世界をどのようなものであるか定義できるか?」

「……」

 白と黒で完全に染め分けられたこの世界。それが恐らく、ルイ=サイファー――ルシファーの領域であろうことは何となく理解できる。だが、それだけだ。この現実とは明らかに異なる世界は、結局のところ何なのか。

「卿は他にも一つ、似たような異世界を体験したことがあろう?」

 言われ、思考を巡らせるまでもなく思い当たる節はある。まるで彩利先輩の様な白い女性が張り付けにされていたあの夢の世界。

「思い至ったようだな。卿の考える通り、この世界は私の領域だ。そして卿の考えている世界は――まあ少々面倒なことになってはいるのだが――卿の領域と呼んで差し支えはなかろう」

 あれが俺の領域?そこにも驚くが、そもそも俺はこんなファンタジーな世界の一部を担うような質じゃないはずだ。

「そうか、それで?結局こういう類の世界は何なんだ?」

 話の続きを促すと、ルイは少々勿体ぶってから答える。

「夢さ――というと語弊があるがね。フロイトは御存知かな?人類が普遍的に抱く集合的無意識。それが我等デジタル・モンスターの根源であり、即ち神魔なのだよ。そして、この世界は神魔が集合無意識の海に産まれ出でた時、それぞれの神魔に付随して生成されたものだ。いわば我々の生誕地、故郷だな」

 とすると、枕元に護符を置いて眠ることで、集合無意識の中の、ルイの領域に潜り込むことができたという訳か。一人で納得していると、再びルイが語り始める。

「では、講釈の続きだ。神魔は人類の集合無意識によって生み出されたことは理解できるな?そして私、ルシファーや、卿が妥当したリリス・パワーなどはこの神魔に該当する。しかし我々は現在、デジタル・モンスター――それぞれルーチェモン・リリスモン・スラッシュエンジェモンと呼称される存在だ。この相違を如何に説明するか、だが」

 ルイが言葉を切る。その黄金の瞳は俺をしっかりと射ぬいていて、心身をあまねく暴かれているようにさえ感じて鳥肌が立った。

「我らも、卿も、遥かな昔に一度死んだのだよ。いや、こう言うと語弊があるな。卿、神魔の死を如何に定義する?」

「何だって?死んだ?じゃあ、今俺の目の前にいるお前は何なんだ」

「さて、それは私にも分からぬよ。今偉そうに垂れている講釈も、我が友が以前私に語ってくれたものをそのまま伝えているだけなので。その我が友――この世界ではベールと名乗っているが――によれば、神魔の死とは、忘れ去られることなのだそうだ」

「忘れ、去られること……?」

「そうだ。太古の昔、人間は我ら神魔を生み落とした。そして数万数千年に渡り、我らと人は共にあった。人は我らに親しみをも、畏怖をも感じ、我らは人に手を差し伸べた」

 語り続けるルイの金色の瞳には、俺如きの十数年の人生では計り知れないような色が浮かんでいる、ような気がした。窺い知れないその表情は、憤怒とも取れたし、憐憫とも悲哀とも取れた。

「そして人は、今日に至るまで文明を発展させ続けてきた。そしてな……人は我ら神魔を邪魔だと思うようになったのだよ。

 そこからは、我らと人類の生存競争の始まりだよ……。人は我らを駆逐せんと、我らを物語――フィクションの中に押し込めようとした」

「それが、現在存在する神話やらなんやらだと、そう言いたいのか」

「然り。物分かりの良い生徒だな、卿は。教職を担うのは初めてではないが、さて、我が友は私をどのような生徒だと思っていたのかと思ってしまうよ。

 そして、だ。子細は省くが、最終的に人類は我々神魔を駆逐することに成功したのだ――。我ら神魔は人を愛していたが、人はその愛を、要らぬと突っぱねた訳だな。既に父の庇護は要らぬと、そう猛った人類は実に美しかった――と、私は思っているし、今でも人類を愛しているがな。

 また話が逸れてしまったな。そうしてその存在を人類に忘れ去られた神魔は、再び人類の発展により蘇りを遂げる――デジタル・モンスターとしてな」

「……皮肉な話だな。人類に滅ぼされて、人類によって蘇るだなんて」

 気付けば、口をついてそんな言葉が出ていた。俺自身、そうした人間の一人である――ルイによれば、俺もその人間ではないということらしいが――にも関わらず、むしろ向こうの立場に沿ったような感情をもって。

「……。ここ数十年でデジタル技術というものが人類に浸透し、それが万民の意識の中に染み渡った。結果として、集合無意識にデジタル世界という概念が新たに産まれ落ちた。当然のことだが、新たに生まれた世界にはそこに生きるものが必要だ。しかし、神魔という者を駆逐して久しい人類には、嘗ての神魔のような者らを、全く新しく産み落とす能力は失われていた。

 故、以前彼ら自身が生み出した神話――それを元に、デジタル・モンスターという生命が生み出されたのだ。自然な摂理としてな」

 そこでルイは俺を再び見つめてくる。事態を咀嚼する時間をくれているつもりなのか、それとも何か俺の発言を期待しているのか。俺の意識のどこかから湧いてくる、ルシファーという存在の特徴から考えると、恐らく後者ではあるのだろう。

 確かに、今までの話を通して考えても、まだ明らかにされていないことがある。集合無意識に存在していた神魔

が人類に駆逐され、新たに成立したデジタル世界にデジタル・モンスターとして蘇った。そこまではいい。では何故、何故――。

「どうして、現実の世界にお前達が出てきているんだよ。この世界に、デジタル世界とやらに、自分の領域とやらに引き籠もってろ。話を聞くに、蘇れただけで奇跡みたいなものだろう。俺達人間の世界に出てくるんじゃねえ。あまつさえ、あんな風に大勢を殺したり、先輩を狙ったり――」

 どうやらルイが望んでいた問いを出せたらしく、奴は口を開けば止まらなかった俺の言葉を意に介さず破顔する。対して俺は、先程は神魔とやらに同情的な思いがあったにも関わらず、今は敵対的な思考になっていることに自分でも驚いていた。

「……。……自分の思考の取り留めのなさに驚く必要はないぞ?ここは集合無意識の海だ。長くいれば、そういった弊害も起こり始めるさ。今回は、卿の今の質問に答えるのを最後としよう」

 俺の思考を読みとったかのようにフォローを入れてくる。集合無意識の中だから、理屈など関係なく読心なんかもできるのかもしれない、などと思いながら、俺は薄れ、逆に覚醒してゆく意識の中で続く講釈を聞いていた。

「集合無意識に潜る素養のある人間が希にいる。何らかの相性か、縁か。何れにせよその中でも極僅かな人数が神魔、否、デジタル・モンスターの領域に辿り着く――着いてしまう。デジタル・モンスターの行動にも各々違いがあるが、大抵の場合は精神を『食われる』。食った人間として、デジタル・モンスターは現実世界に出ていくのだ。人を殺すものがいるのはな――新たな生を受けた彼らは、畏怖を受け信仰されたいだけなのだよ。在りし日の栄光を忘れられんから、人を殺す悪か、人を守る善か――どちらかになりたがる。リリスモンは前者で、スラッシュエンジェモンは後者だな。そして私は――」

 

○○○○○

 

 目を覚ますと、今度は漆黒ではなく蛍光灯の光が目に入ってきた。

「知ってる天井だ……」

「む、お目覚めか」

「……先輩?」

 さっきの夢のことを鮮明に覚えていたので(最後はある意味寝落ちしたが)、とりあえず遊んでいると若干デジャビュを感じた。あの世界でのルイの様な感じで声をかけてきたのは俺の最愛の人で、声は俺の頭の上から降ってきていた。

「あの後お前を背負って帰ってから、あの男――ルイから連絡があってな。この家の周囲に、あの公園と同じ様な結界を張っておいたから、警察や野次馬は気にせず過ごしても構わないそうだ」

 俺の頭を脚に乗せたまま先輩は続ける。胸が無いので可愛い顔がよく見えて眼福眼pやっべ睨まれたげふんげふん。

「心配、したんだぞ……後輩」

 唐突に頭を抱き締められた。別に苦しいわけではないし、もっと恥ずかしいことを公園で言った覚えもあるので、先輩の瞳から流れる涙に気付かぬ振り大人しく抱かれていたが、頭に何か堅いものが当たっていることには気付く。

「ちょ、先輩。なんか痛い。痛いですって」

「……すまん」

 スカートのポケットから先輩がごそごそと取り出したのは、ルイに渡されたディスクだった。

「これだな……今晩辺りにでも言われた通りにしてみるか?」

 俺は先輩の手の中の小さな円盤を見て溜息を吐く。

「先輩……俺、今さっきルイと色々話してたんですよ……」

 枕元とは言われたけど膝枕でも良いなんて聞いてねえぞアノヤロウ。

 



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