【完結】神刀ノ巫女 (兼六園)
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胎動編
始まりの一閃




よろしくお願いします。




 

 

 

 日本各地に存在する刀使育成専門学校──通称伍箇伝。美濃関、平城、鎌府、綾小路、長船の五校それぞれから選出された二名の、計十名で行われるトーナメント戦。

 

 伍箇伝を纏めている刀剣類管理局局長兼、事実上のトップたる折神家当主──折神紫の御前で戦う二人を決める予選会場の室内。

 

 

 試合が始まる直前、二階の観客席とそこに繋がる階段付近で壁に寄り掛かる男が居た。

 

「──起きろ、試合が始まるぞ」

 

 

 男らしさを兼ね備えた雰囲気の少女が、明るい茶髪を揺らしてその男へと近づき肩を揺する。だが、立ちながら眠っている男は頑なに起きる気配を見せない。

 

「ここに来る前にも寝ていただろうに……」

 

 

 泥の底に沈んだような意識に、揺さぶりを掛ける声。芯の通った覇気のあるそれが耳元で響き、終いには頬への鋭い刺激が走ったことで、男はようやく意識を覚醒させる。

 

「起きろ勇人(ゆうと)!」

 

「ぶぇっ──うぅん……いや、寝てないっす」

「がっつり眠っていただろ」

 

 

 寄りかかっていた男は、起こすための頬への平手打ちの痕を擦りながら抗議した。

 

「あのなぁ真希(まき)、ビンタはやめろって。普通に起こせよな」

「普通に起こしても起きないじゃないか」

「……ちょっと寝不足でさぁ」

「大事な御前試合なのだから気を付けてくれ、親衛隊が寝不足で居眠りなんて笑えない」

 

 

 獅童(しどう)真希はそう言って静かに怒るが、それを余所に欠伸を漏らす。

 部屋の中央を見下ろせる仕切りに寄りかかった男──藤森勇人は、見下ろした先で腰部の帯刀用器具に刀を縦にして納め、背中側に固定し立ち会う二人の少女を視認する。

 

『第一試合。平城学館、十条姫和(ひより)。綾小路武芸学舎、山崎穂積。前へ!』

 

 

 審判の言葉に従い、白を基調にした制服の少女と緑の制服の少女が間にスペースを空けて向き合う。

 

『──礼。双方、備え。──写シ!』

 

 

 腰の鞘から刀を抜いた二人は、『写シ』という言葉を聞いて、その身を白い膜のようなモノで包む。

 

御刀(おかたな)』を扱う少女──通称『刀使(とじ)』は、御刀を用いて特殊な力を発揮できる。その一つが『写シ(うつし)』だ。

 

現世(うつしよ)』と呼ばれているこの世の実体と『隠世(かくりよ)』と呼ばれている別世界にある幽体を置き換える事で、致命傷等を肩代わりさせられる防御術だ。

 

「寿々花の後輩と、真希の後輩対決か」

「そうだね。ところで寿々花は?」

「知らん──お、あの御刀……」

 

 

 勇人が気になったのが、十条姫和の持つ御刀だった。峰の半ばから先端が両刃になっている特殊な形状をしているからだ。

 

「あれは────小烏丸(こがらすまる)だね」

「へぇ、あんな御刀があるんだ」

 

『始め!』

 

 

 審判の合図を聞いた直後、写シの白に包まれた体を一瞬だけ視界から消すように移動した姫和が、次の瞬間には相手の刀使──山崎穂積を切り裂いた。

 

 右から左まで大きく振り抜く袈裟斬りが穂積の体を捉え、余りある威力が写シの剥がされた生身を床に吹き飛ばす。

 

「迅移か。高い練度だ、速いな」

 

 

 勇人の言った『迅移(じんい)』とは、前述した隠世にアクセスし、隠世を流れる通常の流れとは違う速度の時間を利用して、現世の時間から逸する事で加速する攻撃術だ。

 

 今姫和の見せた迅移を一段階だとして、熟練の刀使は二段階、三段階とシフトチェンジの要領で速度を引き上げる事が出来る。

 

「俺でも一段階がやっとなのに、羨ましいね」

「君なんて写シの貼れる回数くらいしか取り柄が無いからね、平然と五回以上貼り直されると流石に驚くよ」

 

 

 写シは致命傷・身体欠損のダメージを肩代わりさせる刀使の生命線だが、並の刀使は一度貼るのもやっとであり、真希でも二度三度となると疲れが見えてくるだろう。

 

 それを五回というのは、些か異常だろう。

 

『第二試合。美濃関学院、衛藤可奈美(かなみ)。鎌府女学院、糸見沙耶香(さやか)。前へ!』

 

「お、次は……沙耶香ちゃんか。相変わらず物静かだこと」

「でも、十条姫和に勝るとも劣らない迅移の練度は目を見張るものがあるよ」

「あれ凄いよねぇ、俺七秒でぶった斬られたもん」

「君が弱いだけだろう」

 

 

 白をベースに、襟とスカートが紫の制服を着た白髪の少女、糸見沙耶香。折神紫を守る親衛隊である二人は、彼女の事を知っている。

 と言うのも沙耶香の通う鎌府女学院の学長・高津雪那が折神紫親衛隊に沙耶香を薦めてくる事があり、面識が少なからずあるからである。

 

 沙耶香の親衛隊入りは尽く却下され、その都度怨みを込めた顔を勇人に向けるのが様式美と化しているのは余談となる。

 

『──始め!』

 

 

 開始と同時に美濃関の刀使──衛藤可奈美は、沙耶香に迅移で姫和と同じように踏み込まれる。

 寸前で防ぎ体勢を整えるが、尚も続く迅移に辛うじて迅移で答え、会場の中央を駆け巡りながらの攻防を繰り返す。

 

「危なっかしい……けど、沙耶香ちゃんの迅移を良く見てるな。目が良いね」

「初見でアレに対応出来る辺り、美濃関代表なのは伊達ではないみたいだや」

 

 

 沙耶香の御刀をギリギリで避け、防ぎ、可奈美は一定の距離を取って()()()()()()()()

 そんな可奈美の悪癖が沙耶香の無表情の裏に焦りを生ませ、隙が作られる。

 

 僅かに大振りとなった上段の振り下ろしを避けながら反転し、再度反転しつつ、可奈美は沙耶香の御刀を握る腕を上へと斬り飛ばした。

 

 

 写シの腕ごと空を舞った御刀は床に突き刺さり、手元から御刀が離れたことで写シが強制的に解除され、沙耶香の敗退が決まる。

 

「まさか糸見沙耶香に勝つとは……」

「でも二人とも、本気は出してないね」

「──つまり?」

「沙耶香ちゃんは()()を使ってないし、美濃関の……可奈美ちゃんは明らかに手を抜いてた。あれは沙耶香ちゃんの剣術が見たかったのかな?」

 

 

 勇人が言う『アレ』こそが七秒で斬り伏せられた理由なのだが、あくまでも試合という事もあって本気を出せなかったのか。

 

 床に刺さった御刀を引き抜いて鞘に納める沙耶香の下に、近付いた可奈美がなにかを話している。可奈美が一方的に、且つ興奮気味な所を見るに沙耶香の剣術に興味が尽きないのだろう。

 

 あわや鎌府の待機スペースまで行くところだった可奈美を、もう一人の美濃関の少女が沙耶香に謝りながら引っ張り戻していった。

 

 

『第──試合。長船女学園、益子(かおる)。美濃関学院、柳瀬舞衣(まい)。前へ!』

 

「益子? ──うわ、でっか」

「……呆れる程に巨大だな」

 

 

 可奈美を連れ帰った少女と対戦相手の益子薫が前へと出る。

 薫の眼前に立つ舞衣は、上から見ている二人よりも驚いた顔をしているだろう。

 

 何故なら小学生とそう変わり無い低身長の薫の両手に握られているのは、全長三メートルを超える大太刀だったのだから。

 

「あんな特徴的な御刀は二つとない。あれが祢々切丸(ねねきりまる)か、適合した刀使とはいえ小さい身でよく持ち上げる」

 

「ねね……なに?」

『ねーっ』

「祢々切丸だ」

『ねねっ?』

「……今なんか言った?」

「……いいや?」

 

 

 真希と勇人は互いを見ながら、幻聴らしき声に首を傾げた。そんな上の二人の疑問を余所に始まった試合。薫の欠片のやる気も感じられない「きえー」という猿叫(えんきょう)と共に祢々切丸が叩き付けられた。

 ──当然の結果と言えば、当然の結果なのだろう。

 

 

 あっさりと一撃を避けた舞衣に、薫は祢々切丸を持ち直す余裕もなく斬られて写シを解除させられた。長船のもう一人である金髪の少女は、分かりきっていた結末に顔を手で覆う。

 

「まあ……そうなるよね」

「面と向かっての戦いで、しかもあんなもの単体では仕方ない。あの刀使が選ばれたのは恐らく、長船での選出の際に相手が受け止めようとして潰されでもしたんだろう」

 

 

 やがて長船の二人目、古波蔵(こはぐら)エレンと十条姫和の対決となった辺りで、真希の懐のスマートフォンが振動する。

 

「おっと、噂をすれば寿々花だ。すまないが僕は電話に出るから外すよ」

「はいはい」

 

 

 階段を降りていった真希を尻目に、勇人が一人で観戦することになったエレン対姫和の戦いが始まる。

 姫和は小刻みに発動した迅移で落雷の軌跡のように動くと、鋭い刺突をエレンに繰り出す。だが、エレンは御刀の柄でそれを受け止めた。

 

 驚きつつ一歩引いた姫和よりも早くエレンは踏み込み、返す刀で切り込むが、それを払いつつお返しのように踏み込み返す姫和。

 振り抜かれた小烏丸を避けると、再度踏み込んだ後に上段で振りかぶったエレンの御刀を、姫和は両手を広げて迎え入れた。

 

 自ら防御を捨てる行動に一瞬思考が鈍り、つい弱まった一撃が右手を左に振り抜く動きに乗った小烏丸に弾かれ、崩れた体勢を狙った薙ぎ払いがエレンの写シを両断する。

 

 

 そんな試合の様子を見ていた勇人の後ろから、誰かが背中にぶつかって来る。ポスンと衝撃が走って前のめりになった。

 

「おぉう……」

「えっへへぇ~。だぁーれだっ?」

 

 

 顔なのだろう感触が背中にあり、回された腕が腹にある。爪をマニキュアで緑がかった水色に塗られていて、首を回して後ろを見ると、淡紅藤の髪があった。

 毛先だけが薄い紫に染まった髪をサイドテールにしている様子がわかる。

 

「これは……夜見?」

「バカ」

「冗談だ」

 

 

 腕を離した少女は勇人の横に立つ。見栄を張った小学生のようでいて自信のある表情をした、勇人達と同じ親衛隊の制服を着た少女が、勇人のように仕切りに体を預けて見下ろす。

 

「それで、結芽(ゆめ)は何しに来たんだ?」

「なんかぁ、真希おねーさんが『勇人を一人にしたらまたサボられそうだから、あいつを見張ってろ』って」

「サボるのはお前もだろ……」

 

 

 自分の事を棚に上げている少女──(つばくろ)結芽は、鼻唄を奏でながら会場を見下ろすと勇人へと声をあげた。

 

「あ、次の試合始まるよ?」

「……はぁ。まあ、いいか」

 

『第──試合。 美濃関学院、衛藤可奈美。同じく美濃関学院、柳瀬舞衣。前へ!』

 

 

 祢々切丸を見たときよりも驚愕する舞衣に、悔しそうな顔をする可奈美。

 

 勇人が手元の内ポケットにねじ込んでいたトーナメント表の紙を広げると、そこには確かに、勝ち進めば二人がかち合うように名前が並んでいた。

 

「あーりゃりゃ、同じ学校同士なんて可哀想~」

「仕方ないさ」

 

 

『備え────始め!』

 

 

 開始の合図を聞いて、可奈美は右腕を肩まで上げて顔の横に柄を持ってくる構え──八双の構えを取る。対して舞衣は──

 

 

「わお、居合ってやつ?」

 

「ここで()()に入るか……」

 

 

 正座の体勢から膝を立てたような姿勢で、鯉口を切った御刀の柄と鞘に手を置く舞衣。

 

 同じ学院出身で、互いの技は知り尽くしている。だからこそ、今の舞衣にとっては()()が最善手なのだ。

 

 

 ぐっと覚悟を決めた顔で、舞衣に応えるように可奈美は舞衣に向かって走る。接触する直前で、迅移を用いて背後から左側へ走り────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────決勝進出は衛藤可奈美と十条姫和の両名となり、昼休憩を挟んでから白砂の広がる正殿へと場所を移すこととなった。

 

 






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ひとつの太刀

 

 

「ふーん、ふふんふーんっ」

 

「まあご機嫌ですこと」

 

 

 同じ親衛隊のお嬢様の口調を真似しながらも、勇人の顔色は普通だった。

 

 決勝戦の会場、正殿の周囲を歩く二人だが、先行してスキップを刻む結芽の背中を追って歩く様は、どこか犬の散歩に見えなくもない。

 

「みっけ、千鳥(ちっどりっ)のおねぇさーん!」

「へ? ……うわわっ!」

 

「あーあー、やんちゃなんだからなぁもう。怒られるの俺なんだぞ……」

 

 

 目的の人物を見付けた結芽が、走り寄って背中に飛び乗る勢いで突撃する。

 飛び付かれた少女──衛藤可奈美は、いたずらっ子のような顔でにんまりと笑う結芽に背後を取られて困惑していた。

 

「貴女は……親衛隊……?」

「おっ居合のおねーさんも居るじゃ~ん」

「そ、そろそろ降りてくれないかな?」

 

「こら」

「あうっ」

 

 

 背中にへばりつかれておんぶのような姿勢を取らされている可奈美から、結芽を剥がしつつ襟首を掴んで持ち上げる。

 

「まったく……いやぁ悪いね、うちのじゃじゃ馬が。準決勝の二人のアレを見て興味持っちゃってさ」

「あ、親衛隊の人と上で見てた人!」

「すごい覚えられ方だな」

 

 

 可奈美は結芽を猫の首をつまんで持ち上げるようにしている勇人との──その腰に帯刀用の器具を取り付け、背中へと縦に備え付けている御刀に興味を向けた。

 

 夜空を押し込めたような黒の混ざった濃い紺色に、星のように白と金の粒が散らばった鞘と、汚れ一つ無い純白の柄。

 美術品として展示されているモノをそのまま持ち出した、と言われれば信じてしまえる程に、その御刀は美しかった。

 

「えっと、ところでお二人は……」

 

「ああごめんごめん。俺は藤森勇人で、こっちの生意気な小娘が燕結芽。そっちは舞衣ちゃんと可奈美ちゃんだよね?」

 

「はい。あの、勇人さん! 御刀はなんて銘なんですか? 流派は!?」

 

「おぉう」

 

 

 本来なら先ず存在しない唯一無二だろう男の刀使に、可奈美はぐいぐいと近寄り興味津々で聞いてくる。

 結芽を持ち上げたまま後退りする勇人は、舞衣に落ち着けられている可奈美に対して一つづつ答えた。

 

「あー、名前は実は無いんだ。いわゆる無銘だよ。それと流派も特に無くてね、親衛隊同士での立ち会いで鍛えた我流になるかな」

 

「ふふっ。我流なんてカッコつけてるけど、おにーさんって私とか真希おねーさんに勝ったこと無いじゃん」

 

「えっ……そうなんですか?」

 

「そうなんだよねぇ、俺って弱いの」

 

 

 そう言ってカラカラと笑う勇人。

 呆れながらも勇人の手から逃れた結芽は、舞衣の敷いたものなのだろうレジャーシートの上で立ち上がっていた可奈美に近寄ると、その両手を握って爛々とした眼差しを向ける。

 

「だからさっ、えっと……可奈美おねーさんだっけ? 私と立ち会いしようよ! 試合が終わってからで良いからさ」

 

「へっ!? ──ほんと? 是非お願い、結芽ちゃん!」

 

「んふふ、私って親衛隊最強だからさ~。可奈美おねーさんくらい強そうじゃないとやる気でないんだよねぇ」

 

 

 舞衣と勇人を余所に勝手に指切りまで済ませてしまった二人に、勇人が代表して舞衣に謝った。

 

「……なんかごめんね」

「いえそんな、こちらこそすみません……」

 

 

 売り言葉に買い言葉で謝罪を繰り返す二人を見て、またもいたずらっ子のような顔をすると、結芽は舞衣に言う。

 

「──そうだ、居合のおねーさんも一緒にやろうよ! 楽しいよ?」

「共犯者を増やそうとするんじゃありません」

「えー! いーじゃん減るもんじゃないし!」

「そうだよ舞衣ちゃん、やろうよ!」

 

「えっ……えぇ……?」

 

 

 結芽の提案に、先の同校対決の悲劇は何処へやら。可奈美はその双眸を輝かせ、結芽と共に舞衣に迫る。勇人はそれを見て同情していた。

 

 大の剣術好きと、大の戦闘好きが合わさればどうなるか。そんな簡単な計算すら出来なかった勇人の不用意さか招いた混沌を、決勝の準備を知らせるチャイムと放送が救う。

 

「おっと、もう時間だからそろそろ戻らないとな。よし行くぞ結芽、真希にどやされる」

「えっ!? ちょっと! まだ居合のおねーさんとの約束してない!」

「舞衣ちゃんね。それじゃ、決勝頑張れよ」

「居合……じゃなくて舞衣おねーさーん!?」

 

 

 これ幸いと結芽を引き摺り走り去る勇人。舞衣と可奈美は、過ぎ去った嵐を見ているかのように、その背中を見送っていた。

 

「……可奈美ちゃんも、準備しなきゃね」

「そ、そうだね……」

 

 

 

 ◆

 

 

「──御前試合が終わったら、覚えておいてくださいますわよね? 勇人さん」

「悪かったとは思ってる」

 

 

 眼前を先導して歩く濡羽色の髪をした女性の後ろで、赤い髪を揺らす少女が勇人に言葉を向ける。耳元でカールした髪を指で弄りながらもやや苛立たしげに言ってきた。

 

「まったく……わたくしや真希さんが会場に居る間、紫様の付き人をするという任務を夜見さんと共に任されていながら、それを無視して真希さんと共に予選会場に居るなど……

 お陰でわたくしが貴方の代わりを勤めていましたのよ?」

 

「……結芽のワガママに付き合っててだな」

「それついさっきの事だよ~」

「裏切ったな……!」

 

 

 暇そうに歩く結芽にそう言われ、勇人が慌てる。赤毛の少女──此花(このはな)寿々花(すずか)がため息をつきながら額に手を当てた。

 

「というか結芽、今の言い方だと勇人に向けたのがワガママだって自覚してることになるじゃないか」

「……ひゅー、ひゅーひゅーっ」

 

『(下手くそ……)』

 

 

 そっぽを向いて掠れた口笛を披露する結芽は、真希たち三人から同時に同じ事を思われる。濡羽色の髪の女性の横を歩く鶴の翼を連想させる髪の少女が、小声でそれとなく聞いた。

 

「……止めなくても、よいのですか」

「構わん、会場に着けば嫌でも黙る」

「……承知しました」

 

 

 凛とした声が帰って来た鶴翼の髪色の少女、皐月夜見。無機質な声色の夜見は、真希と寿々花、結芽に三方向から言葉を投げつけられている勇人をちらりと見る。

 

 決勝戦会場の正殿に繋がる出口間際まで来た六人の内、後ろの四人は夜見から掛けられた声に意識を逸らされた。

 

「……皆様方、そろそろ私語を慎みください」

「いや俺は被害者では」

「元々は、勇人くんが私と共に付き人を任されていたのをサボったことが原因でしょう」

「──そうだけどさ」

 

 

 ぐうの音も出ない正論に黙らされ、勇人は夜見の横に立つ。観客と正殿に囲まれた決勝の戦場。正殿側の屋根の下に置かれた椅子に女性が座り、傍らに親衛隊の勇人等が控える。

 

 

 ──刀剣類管理局局長。折神家当主。二十年前の英雄。最強の刀使。呼ばれかたは様々ではあるが、女性の名を呼ぶならばこうだろう。

 

 ──折神紫(おりがみゆかり)

 

 

 紫の椅子の左側に夜見と勇人、右側に真希と寿々花が立ち、間に結芽が挟まれているのは余計な動きを制限するため。齢十二の少女に退屈な時間をじっとしていろと言うのは無茶ではあるが、そればかりは我慢してもらう他無い。

 

「ふぅ……なあ夜見、後で紅茶淹れてくれないか」

「はい」

「なら、頑張るかなぁ」

 

 

 小声の会話だが、すぐに切り上げ注意はされなかった。 数分置いて、決勝進出者の可奈美と姫和が現れると、数メートルだけ間を空けて均等に立つ。

 

 

 審判の言葉がつつがなく続き、二人はそれぞれ、可奈美が千鳥を抜き、姫和が小烏丸を抜く。

 

 可奈美が八双の構えを取り、姫和は左の肘で刀身を隠すように首の横で水平に構え切っ先を下げていた。

 

 

 勇人の知識には無いが、それは鹿島新當流の車の構えと呼ばれている。小烏丸を構えた姫和はそれこそ、小烏と言うよりはまるで爪を獲物へ向ける猛禽類のようであった。

 

 可奈美が発する相手への僅かな敵意を塗り潰すように、姫和がチリチリと殺気を放つのを感じ取る。不思議に思い、思案する勇人だったが。

 

「(可奈美ちゃんに向けるなら分かるが……なんで俺たちの方に向けるんだ──ああ、いや、なるほど。そう言うことか)」

 

 

 ちらりと姫和は開始の合図が来る直前に紫の方を見て、男性刀使の珍しさから微かに勇人へ視線を向ける。意図を察した勇人が小さく首を横へ振った事に目を見開いたが──

 

 開始の合図が響いた刹那、御刀を握っていた事で条件を満たしていた可奈美と、姫和に注意を向けていた勇人だけが姫和の発動した迅移を捉えた。

 

 夜見の腹を押して背後に倒すのと姫和の小烏丸による突きが紫の二振りの御刀に弾かれるのは同時で、一秒にも満たない時間の中で行われた複数の行動に、観客席の人達は反応できていない。

 

「──それがお前のひとつの太刀か」

 

「くっ──がッ!?」

 

 

 落胆したような声を出す紫から飛び退いて体勢を建て直そうとした姫和。その背中から、突如御刀の刃が伸びた。冷静に姫和の写シを剥がしたのは背後に回っている真希だった。

 

 へたり込んだ姫和の足は腰が砕けたように動かず、続けて上段から振り下ろされた真希の御刀に切り裂かれるのを待つようにまぶたを閉じる。

 

 

 だが、姫和の耳に届いたのは、己の肉を切り裂く音ではなく、御刀同士が衝突する耳障りな金属音だった。まぶたを開いた姫和が目にしたのは、御刀を抜き放ち寸前で真希の御刀を受け止めている勇人の姿。

 

「……やりすぎだ」

「紫様を狙った賊だ、当然だろう」

 

 

 カリカリと音を奏でて鍔迫り合いに持ち込む勇人だが、御刀を弾かれ、半歩下がった際に左腕を斬り飛ばされた。片手では真希の力強く振り抜く剛剣を受け止めきれず、階段横の柱に強かに叩き付けられ、写シを維持できず解除する。

 

「おっ、ぐ……」

 

 

 肺から酸素が押し出され、視界が明滅するが、まだ握れている御刀を使い隠世へとアクセスして二度目の写シを貼り直す。

 

 写シの再使用に要した時間はほんの二秒、されど真希からすれば動けない姫和に一太刀浴びせるのには充分すぎる。

 

「よせ!」

「──ふッ!」

「──はぁッ!!」

 

 

 再度、真希の御刀に割り込む金属音。

 

 その正体は、本来なら姫和と立ち会っていただろう可奈美と、その手に握られた千鳥だった。大きく後ろへと、真希の腕を御刀ごと弾き、今度は姫和へと手を伸ばす。

 

「迅移!」

「っ……!」

 

 

 手を握り、姫和は立ち上がりながら可奈美と共に迅移を使い加速すると、会場から逃げるべく走り出す。

 追おうとした真希に勇人が切り込む。力で負けながらも辛うじて剛剣を受け流す勇人に、真希は正しく獅子のように吼える。

 

「勇人! 何故十条姫和を庇った!」

「……一つはやり過ぎ、二つは──ちょうど良いから」

 

 

 峰に手を置いて水平に構えた御刀で真っ直ぐ振り下ろされる御刀を受け止めるが、支えきれず、瞬間的に増した筋力を以て勇人の肩から腰までを切断されて写シが剥がれた。

 その隙にと、うずうずしていた結芽が表情を歪め愉快そうに嗤いながら二人を追う。

 

「……あっはぁ!」

「結芽! ……紫様、僕も追います」

「────いや、お前は追うな」

「なっ……!?」

 

 

 あろうことか、真希は命を狙われた張本人の紫に、二人を追うことを禁じられる。

 

 ハッとして写シを剥がした筈の勇人に視線を戻せば、そこには既に勇人の姿がなかった。押して倒された夜見を起こす寿々花には頼れず、今逃げた三人を攻撃できるのは警備員と警備に配属された刀使、そして結芽だけであった。

 

「っ──何故です紫様!」

「…………」

 

 

 紫は答えない。

 ただ、じっと、結芽に弄ばれていように三人がかりで斬り掛かる勇人達を見ていた。

 

 

「(千鳥と小烏丸、幼い二羽の鳥よ……)」

 

 

 願わくば、再び会見(あいまみ)えるその時までに大きく育て。障害を乗り越え、高く──高く。

 それだけを願って、紫は静かに、その口角を歪めていた。

 

 

 

 ◆

 

 

「──あっはははっ!」

 

「当たら、ねぇっ……!」

 

「遅いよおにーさーん!」

 

 

 跳び、跳ね、斬り、蹴り飛ばす。手負いの姫和を庇う可奈美を更に庇い、走りながらの剣戟を繰り返し、門前まで近づく勇人は、真希に二回、結芽に二回と写シを剥がされ、五回目の写シも既にボロボロと所々が剥がれ落ちていた。

 

 天才的な腕を見せる結芽の三人の間をすり抜ける迅移は、勇人の脳と動体視力が反応するのだが、どうしても身体が追い付かない。

 

 

「勇人さん!」

「さっさと行け!」

「……姫和ちゃん、行くよ!」

 

 

 姫和を支え、可奈美は刀使の能力の一つである筋力増強の術、八幡力を発動して門を跳躍で飛び越える。それを見送った勇人は、背後からの袈裟斬りにとうとう写シを剥がされた。

 

「ぐ、おっ……!?」

「……相変わらず弱っちぃ」

 

 

 御刀の腹で手のひらで叩いて、結芽はつまらなそうにぼやく。逃げる姫和達を追うことを名目に可奈美へと御刀を向けたはいいが、勇人に割り込まれて不満だったらしい。

 

 警備員数名と警備配属の刀使数名。加えて結芽に囲まれた勇人は、脂汗を浮かべて御刀を構える。六回目の写シが貼られた事に警備配属の刀使達がざわめいた。

 

 

「ねえ、おにーさん。なんで庇ったの?」

 

「……そうしなきゃいけないと思った。それだけだ」

 

「────」

 

 

 呼吸を整えながら、勇人は言う。

 

 結芽はその言葉に聞き覚えがある。それはかつて、結芽が勇人に言われた言葉だった。

 

 制服の胸元を御刀を握っていない手で掴む結芽は、少し考えると、呆れたような──仕方ないとでも言うような顔で呟く。

 

「……わかった、行きなよ」

「…………は?」

「仕方ないから、見逃してあげる」

 

 

 にっこりと笑い、結芽がそんなことを言い放った直後、警備員と刀使達に向かって自身の御刀の峰を一瞬で叩き込んだ。

 

 迅移特有の高速移動が繰り返され、『秒数』として数える前に勇人を囲んでいたそれ等を地面に斬り伏せたのだ。御刀を鞘に納めて、結芽が振り返る。

 

 気まぐれにも程がある結芽の行動に眉を潜めるが、今も非常線を張られているだろう故に時間がない勇人が行える行動は一つのみ。

 

「礼は言わないぞ」

 

 

 可奈美と同じく八幡力で門を越え、向かいの屋根に着地する勇人。結芽は届かないと分かっていながら、ぽつりと呟いた。

 

「──言わなくていいよ。でも、逃げたからには……捕まえるのは私だけどね」

 

 

 結芽は「怒られるだろうなー」と言いながら、枯山水のような模様を描く地面を踏み鳴らして、紫の元へと歩いていった。

 

 






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逃亡の刀使

 

 

「いやはや、いつ以来かしらねぇ」

 

 

 刀剣類管理局局長室。折神家当主に相応しく程々に飾られたその部屋に、明るい口調で語らう女性が居た。

 

 内に何かを秘めていそうな糸目に着物という、上品な格好をしている女性は、同じ理由で呼ばれたもう一人の女性と局長室の主──折神紫に話しかける。

 

江麻(えま)ちゃんも紫ちゃんも、お久しぶりやねぇ」

「ええ、局長もいろはさんもお変わりなく」

 

 

 江麻と呼ばれた女性は、教師のようにキチッとした服装に身を包み、着物の女性──五條(ごじょう)いろはもまた暫く会っていなかった馴染みのある知り合いとの再開に表情を明るくする。

 

「いやぁほんまにお変わりないのは紫ちゃんと違う? 昔とさほど見た目が変わってない気がするわぁ」

 

「ここへは同窓会の為に呼んだのでは無い。単刀直入に聞くが、逃亡した二人の潜伏先に心当たりはあるか」

 

 

 いろはと江麻とは同年代の筈だが、制服を着させて学生だと言い張ればそれで通じるだろう見た目をした若い肉体年齢の紫。二人は紫の問いに、申し訳なさそうに答える。

 

「ごめんなさい、特には」

「同じく。すみません、何故こんなことになってしまったのか……」

 

「そうか、では質問を変える。平城学館学長、刀剣類管理局への届け出によれば、小烏丸は平城預かりの適合者なしとあったのだが?」

 

 

 返答によっては……と鋭い眼光が暗黙に告げる。飄々とした態度で、平城学館学長こといろははあっけらかんと答えた。

 

「伝え忘れていてすみませんねぇ。でも、()()()()あの子を選んだんです」

 

「十条は小烏丸、衛藤が千鳥。両名はそれらの御刀と適合している」

 

「小烏丸と千鳥……局長、私からもお聞きしたいのですが、あの男性は、なぜ御刀を──それも刀使としての力を振るえていたのですか?」

 

 

 江麻の言葉に紫は窓の外へ視線を逸らし、間を置いてから二人に振り返り言う。

 

「管理局……と言うよりは折神家にて、数年前まで私はとある御刀を管理していた。

 だがある日、厳重に封じていた筈の御刀は姿を消して、ここから遠く離れた地────秋田の中等部にて行われた適性試験に使う御刀の中の一本に紛れていたのだ」

 

 

 その言葉に疑問符を浮かべるいろはが、江麻に代わって聞く。

 

「それはつまり……紫ちゃんが鎌倉(ここ)で管理していた御刀が、独りでに動き出して秋田まですっ飛んでいった……と?」

 

「……さてな。そして、どういうわけかあの御刀は少年を刀使に選び、力を与えた。──あいつが十三の時だから……もう四年前の話だが」

 

 

 

 ◆

 

 

 

「────それで、俺は折神紫に『俺が刀使であることを世間から隠してもらう』代わりに、中学を卒業した後で折神紫に仕える事になったのさ」

 

「へぇ……そんな事があったんですね」

「……だから親衛隊『第五席』なのか」

 

 

 逃げ回り、走り回り、トラックの荷台に隠れては隙を見て逃げる。そんな事を続けていた三人は、御刀と制服を隠すための衣服や道具を買いに様々な店を見ていた。

 

「親衛隊の席は入った順だからね。だから、結芽は一番強いけど四席だし、俺は最後に入った事になってるから五席。ぶっちゃけ実力なんてサポート特化の夜見にすら負ける程度だけど」

 

「現に獅童真希に秒殺されていたからな」

「姫和を助けようとしたんだから、お礼くらいしてくれても良くないかな?」

「ふん」

「えぇ……」

 

 

 可愛くねえの。

 そう言って二人に倣って御刀と最低限の日用品を入れる為のギターケースを選ぶ勇人は、ギターケースでエアギターをしている所を姫和に叩かれて止められている可奈美を見た。

 

 あの時真希の薄緑から姫和を庇った可奈美には、姫和と勇人を助ける理由は無かった。本人は『決着が付いていないから』と笑ったが、その瞳の奥に有ったのは、単純な姫和への興味。

 

 可奈美程の剣術好きであれば惹かれて然るべきだろう、姫和の行った超高速の迅移とそれを利用した突き技。もしもあれを受けていれば、初見の可奈美は為す術無く負けていたはずだ。

 

 勇人は可奈美が姫和を助けた理由をなんとなく知っている。 ()()()()のだ。

 こんな凄い刀使が殺されるのは勿体無い。だから助けた。それだけである。

 

「……怖いねぇ」

 

 

 可奈美に興味を向けた事でガタリと揺れた御刀を、勇人は柄を小突いて止める。

 

「騒ぐな、宿を見つけたら磨いてやるから」

「何か言いました?」

「いやなんも。それより、お金貸すから下着とかタオルも買っときな。女の子はそういうの必要でしょ?」

 

 

 逃げて直ぐに口座から引き出した親衛隊としての給料の一部を可奈美達に渡す勇人。可奈美が断ろうとしたが、横から姫和が手を伸ばして掠め取る。

 

「えっそんな……悪いですよ」

「そうか、なら甘えるとする」

「って、姫和ちゃん!?」

「これから逃げて態勢を整えて、私は何としてでも折神紫を討たねばならん。貰えるものは何だって貰うし、利用できるものは使う」

 

 

 そう言いながら大型デパートの下着売り場に歩いて行く姫和は、直前に買った黒のパーカーを制服を覆い隠すように着込んでいた。

 同じような格好の可奈美は、勇人を見てから姫和を追い掛ける。

 

「もぉー! 待ってよ姫和ちゃーん!」

「……逃亡犯の名前を堂々と呼ぶなよ」

 

 

 当然のようにバレかけたせいで、女性用下着店に勇人が突入しなければならなくなったのはまた別の話。

 

 

 

 ◆

 

 

 ビジネス旅館の一室を借りることが出来た三人。勇人と姫和の資金を折半しつつ買ったコンビニ弁当を食べ進めていたが、姫和は勇人と初めて会話したときよりも明らかに不機嫌であった。

 

「ひ、姫和ちゃん?」

「あぁ?」

「ひぃ……お、怒ってる?」

 

 

 付け合わせの漬物を乱暴に放り込み咀嚼する姫和は、眉を潜めて可奈美に言い返す。

 

「当然だ! 学生だけ、しかも男女で泊まるなど余程の理由でなければ納得されない。だからと言って──」

 

 

 海苔で巻かれていない塩おにぎりを食べている勇人を睨むと、割り箸が折れそうな強さで握り拳を作り続けた。

 

「なんだよ」

「何故私とお前で兄妹の設定にしたんだ! お前のアホ面具合なら可奈美とで充分だろう!?」

「……アホ面……っ!?」

 

 

 塩おにぎり()()を食べている勇人は、密かにショックを受けている可奈美を他所に、それを飲み込んでペットボトルの緑茶を呷ってから言う。

 

「だって可奈美は茶髪だし、俺と姫和は同じ黒髪だしねぇ。そっちの方が信憑性があるじゃんか。可愛かったぞ? 録音すれば良かった」

 

「く、ぎぎ、ぎぃ……!!」

 

 

 親衛隊専用のスマートフォンは追跡防止で既に捨てているため、今手元にあるのは元々所持していた古いガラケーのみ。

 惜しいことしたな。と呟く勇人に飛び掛かりそうな程に苛立ちギリギリと歯を擦らせる姫和は、可奈美に羽交い締めにされている。

 

「落ち着いて姫和ちゃん! 私も可愛かったと思うよ!」

「フォローになっていない!!」

「(まあボイスレコーダーがあるんですけど)」

 

 

 受付にて制服にシワが出来る程に強く脇腹を掴み、顔を赤くしながら小さい声で『お、お兄ちゃん……』と言っていた姫和を思い出しながら、壁に背を預けて残りの緑茶を飲み干す。

 あの時のあの顔は、確かに年相応の子供のモノだった。 いつも辺りを警戒する怪我をした野良猫のような顔つきは、させるべきではないというのに。

 

「(年長者として……と言えたら良いんだが、御刀(こいつ)の力は使いたくないんだよなぁ~)」

 

 

 真横に立て掛けた御刀を横目で見る。 角度が悪かったのか、ずり落ちて柄が肩に落ちてきた。

 

「…………悪い、油が無いんだ」

 

 

 二人に聞かれないように小声で言った勇人の言葉に、拗ねた子供のように御刀はゴトンと音を立てて畳に落ちた。

 

「……ねえ勇人さん、その御刀って……勝手に動いたりするの?」

「可奈美、御刀が勝手に動くわけ無いだろう」

「だ、だよねぇ」

 

 

 頭を掻いて笑う可奈美。そろそろ寝ようか、と提案した勇人を前に、姫和は信じられないものを見たような顔で驚いた。

 

「勇人、お前……私たちと寝るつもりか?」

「俺で一つ、二人で一つな。はいお休み」

「はぁ!?」

 

 

 反論される前に、壁際に敷いた布団に潜り込んでしまう勇人。深くため息をついて、渋々、姫和は可奈美と同じ布団に入った。

 

「……寝相が悪かったら畳の上に転がすからな」

「失礼だなぁ姫和ちゃん、私の寝相が悪いわけないじゃん!」

 

 

 

 ────可奈美が友人の柳瀬舞衣に電話してしまった事で宿泊地点を嗅ぎ付けられ、逃げる事になった勇人達。明け方に飛び起きたとき、最初に視界に入ったのが畳の上に転がされて眠っている可奈美の姿だったのは言うまでもない。

 

 






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刀使と荒魂

 

 

 管理局の一室。ソファに体を預け、深くため息をつく真希の姿があった。

 

「────勇人と衛藤可奈美の逃亡幇助に、十条姫和の暗殺未遂……想定通りに端末は捨てられていたか……」

「お疲れのようですわね、真希さん?」

「寿々花…………と、夜見」

「お疲れ様です、獅童さん」

 

 

 疲れているらしい真希の元に訪れた二人。夜見の手にはティーカップが乗せられたトレーがあり、漂う穏やかな香りに真希の表情が和らぐ。

 

「夜見さんが紅茶を淹れてくださったので、一旦休憩としましょう」

「それは構わないが、結芽は?」

「燕さんなら紅茶は苦いから嫌だと」

 

 

 テーブルに三人分のカップとお茶請けの洋菓子を並べる二人を見て、真希は思い出したように夜見へと話し掛ける。

 

「そういえば夜見、確か君は勇人と紅茶を淹れる約束をしていなかったかい?」

 

「……ええ」

「それがどうかしまして?」

 

「あいつは確かに書類の仕分けを手伝おうとはしないし、結芽の立ち会いに付き合う名目でしょっちゅうサボるどうしようもない馬鹿だ」

 

 

 言い過ぎでは……と呟く夜見と寿々花を余所に、真希は紅茶で一息ついて続ける。

 

「でも、勇人が夜見との約束を破ったことは無かった。紅茶を淹れてくれとあいつから提案しておいて、僕達に反抗してまで十条たちの逃亡を手伝った事に、どうにも違和感があるんだ」

 

 

 それは、しっかりとした顔での断言だった。寿々花は真希に返すように、少し考えてから言う。

 

「であれば、あの時の勇人さんが言った『ちょうど良い』という言葉が気掛かりですわ。まるで、十条姫和とは別で紫様に御刀を向けようと考えていたと読み取れてしまいますもの」

 

「……どちらにせよ、三人を捕まえなければならないようだね。いずれ僕達にも指示が来るはずだし、それまでは待機していよう」

 

「まあ! あの直情径行の獅童真希さんにしては、随分と理知的な考えですわね?」

 

「僕は『親衛隊の』獅童真希だよ」

 

 

 紅茶のリラックス効果と仲間内での談笑で大分ストレスが無くなったのか、真希は穏やかな顔をしながらも語った。

 

「それに……余りにも元気すぎる結芽の事だ、自分から探しにいくと言われては堪ったものじゃない。夜見はそれとなく結芽を見ていてくれ」

 

「分かりました……後片付けは私が」

 

 

 

 飲み干されたカップと洋菓子を入れていた皿をトレーに移して、夜見は給湯室に向かうと、トレーを流しの横に置いてから背中を壁に預けて座り込んだ。

 ブーツのまま爪先で立ち、膝に肘を置いて、手のひらで顔を隠す。

 その顔は無表情で、それでもその声は、泣きそうな程に震えていた。

 

「──嘘つき」

 

 

 無造作に顔から手を離すと、無造作に左腕の袖を捲る。 そこから覗かれた色白の素肌の左腕には、()()()()()()()

 

 

 

 ◆

 

 

 柳瀬家の物らしい高級さがある車が扉の前を陣取る旅館の路地裏で、先日案内された部屋の窓からギターケースを担いで脱出し逃げおおせた三人は、ひっそりと顔を覗かせて様子を伺っていた。

 

「見付かるのが早すぎる。どういう事だ?」

「あぅぅ……もしかしたら私のせいかも……」

 

 

 串団子のように顔を上下に並べて路地裏から顔を出している三人のうち、一番下の可奈美が目尻を下げて涙目になる。

 一番上で姫和の頭に顎を乗せている勇人が、姫和に顎を乗せられている可奈美に聞いた。

 

「どうした、怒らないから言ってみろ」

「……舞衣ちゃんに心配させてるのがアレで、つい公衆電話でお話しちゃって……」

「そんな事だろうと思った。コンビニに行ったにしては、帰りが遅かったものな」

 

 

 路地裏の奥に向かい反対から出るべく歩く三人。姫和はしょげた様子の可奈美に言う。

 

「まあ、お前にも人を心配する学生らしさがあったと分かったのだから良いだろう。とにかく今はここから離れなければな」

「それなら人が多いところを目指すか。良いところに心当たりがあるぞ」

 

 

 勇人の提案に可奈美は首を傾げ、姫和は嫌な予感を覚えて顔をしかめていた。

 

 

 

 ◆

 

 

「──だからと言って、観光で来たわけでは無いぞ!」

「古来より木を隠すなら森の中と言うだろ? 休日で人も多いし、案外堂々としてるとバレないもんだ」

 

 

 原宿へと訪れた三人。パーカーのフードで顔を隠す姫和が通行人とすれ違いながら言う文句を聞き入れる勇人は、人混みに顔を輝かせる可奈美を引っ張りながら歩く。

 

「あっ、ねえ二人とも!」

「はい?」

「……なんだ」

「あれ食べない? 朝ごはん食べてないからお腹すいちゃって……」

 

 

 可奈美が腹をさすりながら行った提案で指を向けていたのは小さい喫茶店。

 看板メニューらしいフルーツサンドが気になるのか、ちらちらと二人を見てくる。

 

「……勇人」

「食べるか。フルーツサンドなら……コーヒーだな」

「えー、あれ苦いじゃん」

「子供舌だなぁ」

「子供だもーん」

「……どちらも子供じゃないか」

 

 

 楽しげに笑い、可奈美は店へと駆け寄る。苦笑いを溢す勇人とため息をつく姫和は、可奈美の言い分も考え付き合うことにした。

 コーヒーに挑戦した可奈美が最速で音を上げ角砂糖を何度も入れ勇人にとんでもないモノを見る顔をされたのは余談である。

 

 

 小雨が降りだした頃、バス停付近の屋根のあるベンチで雨宿りをしていると、不意にカタカタと勇人のギターケースが揺れた。それに気付かない可奈美と姫和は、座りながら語らう。

 

「そろそろ次の宿泊施設を探さないといけないな」

「昨日の所みたいな?」

「それ以外にも、漫画喫茶でも良いだろう。寧ろこの辺りならそっちの方が多そうだ」

 

 

 勇人が滅多に使わない給料を引き出していたお陰で資金はあるため、最悪の場合はホテルを使うことも視野に入れているなか、今度は二人の耳に届く大きさで姫和の荷物から音が発生する。

 

「姫和ちゃん、なにか音がしてない?」

「ん……私の荷物──これか」

 

 

 慌てて取り出された、中央をガラス張りにしたコンパスのような物体。その中には荒魂の元になるノロが数滴分納まっており、一定の方角へとその身を伸ばしていた。

 

 ノロはノロ同士で集まり結合しようとする性質があり、それを利用して荒魂の居る方角を知らせるのがこの旧型のスペクトラム計────要するに荒魂発見器なのだが。

 

 

 それが反応すると言うことはつまり──

 

「荒魂だな、この感じなら二体居る」

「分かるのか?」

「俺の御刀が分かるんだよ。ほら、行くぞ二人とも」

「そうだよ、姫和ちゃん!」

 

 

 ギターケースを担いで走ろうとする直前の二人に、姫和は苦々しく顔を歪めて言った。

 

「……いや、もうこの辺りを管轄している刀使が向かっているかもしれん。鉢合わせると厄介だ、混乱に乗じて逃げよう」

 

「なっ──なに言ってるの姫和ちゃん! 怪我人だって居るかもしれないんだよ!?」

 

「私にはやるべきことがある。それに……我々だけでは荒魂を倒せてもノロに戻して散らすだけで、その内また結合して荒魂になっての堂々巡りだ」

 

 

 逃げることを最優先とする姫和も、可奈美の刀使としての人助けも、どちらも正しい。だが、姫和の『ノロを散らすだけ』という考えを否定できる人物が二人の真横に居た。

 

「……いや、ノロなら俺がどうにか出来る。可奈美と姫和で先に行け、男の刀使だとバレたらそれこそ厄介だから、人払いが済んでから俺も戦おう」

 

「うん! ほら、行くよ姫和ちゃん!」

「待て、私は行くとは──」

 

 

 尚も渋る姫和。勇人はギターケースを開けて、親衛隊の制服の代わりに着込んでいる大人用のパーカーの中と背中の間に上手いこと御刀を隠すと姫和に話した。

 

「これからやる荒魂討伐と、お前がやろうとした折神紫の暗殺。()()()()()()()?」

「──お前、やはり……!」

「早く行けってば」

「……わかった」

 

 

 言いたいことはあるが、質問は後でも出来る。何か言いたげな姫和が可奈美を追って走ったのを見て、勇人は御刀の柄を撫でながら独りごちた。

 

「正義のヒーローに休みなし、ってね。刀使は辛いねぇ」

 

 

 人波に逆らいながら、勇人は御刀が示す反応の方向に向かう。ちょうど姫和がナナフシに鳥の翼を取り付けたような異形の怪物を追い込む姿を視認し、もう一体が居るはずの周囲を警戒する。

 

「行ったぞ、可奈美!」

「────八幡力ッ!」

 

 

 可奈美が筋力を増幅させる特殊能力を使って、御前試合の場から逃げ出した時のような跳躍を以て飛行型荒魂の上を取り、荒魂の翼の間を斬りながら一回転して着地した。

 

 墜落して力尽きた荒魂の横で難なく地面に足を踏み締める可奈美は、ドロドロの液体へと()()()それを見やる。

 

「……二人は大丈夫か。さてもう一体は──」

 

 

 勇人が何気なく林の奥を見た。

 ────瞬間。猪のような猛進で、車のように大きい獣型の荒魂が突撃してくるのを確認した。咄嗟に御刀を抜き写シを貼って盾のように構えた勇人の身体へと凄まじい衝撃が走る。

 

 

「ぐぉおおおおっ!?」

 

「勇人さん!」

 

 

 地面に爪先がめり込む程に強い衝撃。 御刀で顔の辺りの牙を受け止めなければ、写シの体に穴が空いていただろう。

 

「ぎ、ぐぅっ……!」

 

「勇人さん、いま助けに──」

 

「待て可奈美、様子見しよう」

 

 

 千鳥を構えて迅移で割り込もうとした可奈美を、腕で制止させる。姫和が小烏丸を鞘に納めながら荒魂と戦っている勇人を見て言った。

 

「こいつが荒魂相手にどれだけやれるかを確かめたい。危なくなるか追っ手が来そうなら、そこで介入する」

 

「だ、大丈夫かなぁ……」

 

 

 真希を相手にした時は即座に写シを剥がされていたが、それが荒魂だったならどうか。 今のうちに実力を確かめようとしている姫和を余所に、勇人は苦戦していた。

 

 写シは貼れるが、勇人の素の力では迅移は一段階、八幡力は辛うじて、しかも金剛身等は使えるはずもない。

 

()()に頼れば、一瞬で片が付くんだけど……まあ──なりふり構ってられないか……!」

 

 

 峰と柄に手を沿えて荒魂を押し留める勇人は、波紋が光を反射して蒼に輝く刀身に小声で語り掛ける。それでいて、その言葉に答えるように輝きを増した御刀を二人の目から隠すべく、わざと力を抜いて荒魂を横に弾く。

 

 すれ違う荒魂の脇腹を撫でるように御刀を差し込むと、するりとその黒い表皮を切り裂いた。痛覚があるのか勇人に斬られて怒ったのか、叫び声のような音を発して荒魂はUターンすると勇人に向かって走る。

 

「──確か……こうやって、こう」

 

 

 荒魂の巨駆で二人からは見られていないのを良いことに、勇人の御刀は、『蒼』から『紅』へと輝きを変える。

 

「……見えないな」

「ねぇ姫和ちゃん……そろそろ助けた方が──!」

 

 

 ザンッ、という切り裂く音。勇人と可奈美達の間に居た荒魂の頭から尻までを一閃の斬撃が通り過ぎ、上半分と下半分でズレた荒魂はノロに形を崩しながら倒れ伏した。

 

 ノロの塊の奥から現れた勇人は、()()刀身の御刀を持ちながら近寄る。

 

「あー……疲れた」

「大丈夫?」

「手伝ってくれても良いと思うんだけど」

 

「お前がどれだけ戦えるかを見たかっただけだ、足手まといを連れて歩く余裕は無いからな」

「結構言うよね姫和って」

 

 

 そんな話をしていると、倒された飛行型荒魂のノロが蠢き、再び結合しようとする。

 

「くっ、もう結合が始まっている……!」

「……任せろ」

「──勇人?」

 

 

 慌てて御刀を抜こうとした姫和を止めて、勇人が自身の御刀をノロへと突き刺した。

 

 直後、鮮やかなオレンジ色だったノロは御刀の反射光と同じ蒼に変色したかと思えば、元から存在していなかったかのように溶けて消えてしまう。

 

 

「──なっ!?」

「ノロが、消えた……?」

 

 

 原則、ノロは消滅させられない。 そんな常識を眼前の男に覆された二人は、二様の意見を脳裏に走らせていた。

 

「(馬鹿な……ノロを()()()()なんて……!)」

「(勇人さんの御刀が……ノロを()()()()()?)」

 

 






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真実と親友

 

 

 

「結芽」

「んー? どしたの、真希おねーさん」

 

 

 刀剣類管理局の廊下を歩く結芽は、待ち構えていたかのように真ん中で仁王立ちする真希に立ち塞がられた。

 

「聞き忘れていた事があったからね。 あの時、何故勇人を逃がす真似をしたんだい?」

 

「……なんのことかなぁ」

 

「とぼけるんじゃない。お前はわざわざ、警備員と配属された刀使を倒してから逃がしただろう。勇人に何か言われたか?」

 

 

 紫に行動を止められた真希と違って勇人達を捕まえられた筈の結芽が──それも強敵との戦いを良しとする、俗な言い方をすれば戦闘狂の結芽が戦いを放棄した挙げ句勇人の逃亡を手助けしたのだ。

 

 普通の事態ではない事は真希でもわかる。

 

「……恩を返しただけだよ。私が私でいられるのは、おにーさんのお陰だから」

「結芽が、結芽でいられる……?」

「身体が軽いこの感覚。当たり前な事が、こんなに嬉しいことだって、私は知らなかった」

 

 

 普段の狂暴さ、無邪気さからは想像できないしみじみとした大人しい表情の結芽。するりと真希の横をすり抜けて、振り返らずに真希へと一言告げた。

 

「それに、あのまま打ち合ってても私はおにーさんに絶対負けないけど、勝つのにも時間が掛かってたよ。 あの人時間掛けると()()()から」

「……なに?」

 

 

 真希が振り返る頃には、結芽はスキップ混じりに廊下を走っていった。

 結芽の言った意味を理解していないのは真希が勇人と戦う機会が有るにしても少ないからなのだが、そもそも日常的に結芽が勇人と立ち会うことがあるのは、勇人が真希達と共にすべき仕事をサボり結芽と居ることが多いからである。

 

「──慣れる……?」

 

 

 そう呟く真希が窓の外に視線を向けると、灰色の雲から小雨が降り注いでいた。

 

 

 

 ◆

 

 

 ノロを消し終えた勇人が御刀を鞘に納め、背中に御刀を回す。直後勇人の胸ぐらを掴み、姫和が顔を見上げながら叫んだ。

 

「お前……今なにをした!?」

「……さあ、なんでしょうねぇ」

 

 

 磨き上げられた刀身が、淡く蒼色を反射した。ノロの鮮やかなオレンジ色とは真逆の色が、不思議と姫和の心を落ち着ける。

 

「──こんな時にまで隠し事とはな。お前、少しは私たちに信頼されようとは思わないのか?」

 

「俺が姫和達を信頼してるんだから、今はそれで良いんじゃない? 少なくとも姫和は俺と可奈美を裏切らないでしょ?」

 

「なっ……」

 

「でもこれだけは言える。俺は姫和よりも先に斬ろうとして、失敗した」

 

 

 あっけらかんと言う勇人に、呆れたように口を開く姫和。仲良いなぁ、と呟く可奈美は勇人が倒した方の荒魂だったノロを見て言った。

 

「ねえ勇人さん、あっちのノロはどうするの?」

 

「あぁ……いや、あれは止めておこう」

 

「そうだな。荒魂騒ぎがあって、ノロの回収班が出ていない。にも関わらずノロが消えたとなれば怪しまれる」

 

 

 勇人の否定に姫和が付け加える。しかし放っておけばまた再結合して荒魂となる以上は、刀使の義務として回収班への連絡は必須。

 そうして悩んでいたとき、背後からの第三者の声が解決の糸口を示した。

 

「──回収班への連絡なら、私がしておきます」

「──誰だ!」

「えっ、舞衣ちゃん……?」

「あらら」

 

 

 三人が振り返ると、そこには可奈美と共に折神家の試合会場に訪れていた少女──柳瀬舞衣の姿があった。そして背中の鞘から御刀──孫六兼元(まごろくかねもと)を抜き放ち三人へと向けている。

 

「美濃関の追手か」

「待って姫和ちゃん! 舞衣ちゃんは私の親友で……って言うかなんでここに?」

「スペクトラムファインダーに荒魂の反応があったから。もう倒してくれたみたいだけど」

 

 

 スペクトラムファインダー。姫和のコンパス型を旧式とするなら、スマートフォン型の最新式が前述したそれである。言葉を交えながらも尚御刀を向ける舞衣に、同じように小烏丸を抜きながら姫和は可奈美に呟く。

 

「親友だと言うのなら、何故御刀を向けてくる」

 

「私は可奈美ちゃんの親友ですから、貴女達から救うためなら、躊躇いません」

 

「ちょ、ちょっと二人とも……!」

 

「なるほど。俺と姫和の凶行に、可奈美が巻き込まれてると思ってるんだな」

 

「事実……ですよね?」

 

 

 確かに第三者からすれば、あの場で行われのは大きく分けて姫和の暗殺未遂・親衛隊である勇人の反逆・可奈美の逃亡幇助だ。

 

 舞衣にとって、接点の少ない勇人と姫和を可奈美が助ける理由はまず無い。故に巻き込まれているないし脅されていると思われるのは仕方の無い事なのだろう。

 

「正解じゃないが、間違ってもないな」

「煽らないでよ勇人さん! ねえ、舞衣ちゃん! 姫和ちゃんも御刀を納めて……」

「向こうにはその気が無いらしい」

「聞いて可奈美ちゃん。羽島学長が約束してくれたの。 私と帰ってくれば、逃亡幇助の減刑に全力で手助けしてくれるって」

 

 

 ──美濃関学院学長のお言葉とあらば、無罪は不可能でも学歴や可奈美の人生に傷がつくような事態にはならないだろう。

 姫和が小烏丸を向ける横で、勇人が可奈美に助言する。

 

「俺と姫和の折神紫暗殺が失敗したときの為に、対戦者である可奈美を脅して逃亡を幇助させた……と言うことにすれば良い。ここまでだ、可奈美は舞衣ちゃんと帰れ」

 

「そう言うことだ、良い機会だろう」

「そんな……」

「────ですが、一つ条件があります」

 

 

 姫和と横の勇人に御刀の切っ先を向けて、舞衣は汗を頬に垂らして続けた。

 

「十条さん、藤森さん。あなた方には折神家に出頭して貰います」

 

「それは、困るな」

 

「──素直に従うとでも?」

 

 

 想定済みとはいえ、今戻るのは──捕まるのは不味い。 勇人が姫和と共に御刀を構えた二対一でも、舞衣の構えは解かれなかった。

 

「従う必要はありません、私が捩じ伏せるだけですから」

「そうか、後悔するなよ──!」

 

「じゃ、頑張れ」

 

 

 紫に斬りかかった時よりも劣るがそれでも速い迅移。舞衣もまた迅移を発動して速度を上げ、姫和の剣を受ける。

 

 ──勇人は微動だにしなかった。

 

「えっ?」

「……おい!?」

「だって二対一は……ねぇ?」

 

 

 孫六兼元と小烏丸での鍔迫り合いをしながら、姫和は背後で傍観を決め込んでいる勇人に叫ぶ。

 

「こんな時に正論のつもりか!」

「よそ見をしている場合ですかっ!」

「っ、ぐっ!」

 

 

 折神紫への視認できない迅移での突き。『ひとつの太刀』と呼ばれた刺突は、姫和がシフトチェンジと予備動作を一切行わず、且つ現状出せる最高速の三段階迅移での刺突なのだが──

 

 当然ながらそんな技を使えば反動も大きい。今の姫和は辛うじて写シを貼れて、辛うじて迅移を発動できるだけだ。

 舞衣の攻撃に防戦を強いられる動きから、舞衣は姫和のキレの無さを指摘する。

 

「試合で見せたキレがありませんよ、十条さん。それに──貴女の剣は可奈美ちゃんよりも真っ直ぐで往なし易い……!」

 

「っ……ぬおっ!?」

 

 

 姫和に届く寸前だった舞衣の剣は、横合いから割り込まれた可奈美の千鳥に遮られる。ついでとばかりに姫和は後ろから両脇に手を差し込まれ、勇人にひょいと持ち上げられた。

 

「はいストップ」

「可奈美ちゃん、なんで……」

「勇人! こら、降ろせ!」

 

 

 子供が猫を持ち上げる時のように勇人に持ち上げられ、ぶらぶらと左右に揺らされる姫和を余所に、可奈美は舞衣を前にして千鳥を納める。

 

「ごめん舞衣ちゃん、今はまだ戻れない」

「どうして……?」

「私、見ちゃったの。姫和ちゃんの剣を受け止めた時の御当主様の後ろに、目玉のようなモノが一瞬だけ現れて──」

「目玉……」

 

 

 後頭部で勇人の顔面に頭突きした姫和は、地面に降りて可奈美に近付くと言った。

 

「……やはり見えていたのか」

「うん。一瞬だったし、見間違えただけだと思った。でもあれは──確かに荒魂だった」

「荒魂!? そんな、あの方は折神家の御当主で、荒魂討伐の大英雄で……!」

 

「────違う!」

 

 

 遮るように姫和が叫んだ。

 御刀がカタカタと揺れる程に腕に力が入り、わなわなと唇を震わせて続ける。

 

「奴は、大英雄なんかじゃない。 奴は──奴は、折神紫の姿をした大荒魂だ!」

「……あ、そうなんだ」

「……は?」

 

 

 数秒、時間が止まる。

 再起動した姫和が烈火の如く感情を爆発させ、勇人の脛を容赦なく蹴りながら怒鳴った。

 

「なんなんだ貴様はァ! 折神紫が大荒魂だと知っていたから私を助けたんじゃないのか!? 知っていたから、既に斬ろうとして失敗したんじゃなかったのか!?」

 

「御刀の反応からして荒魂が折神紫の中に居るのは分かってたけど、反応が微弱だったから小型の荒魂が寄生してるとか──そっちの線を疑ってたんだよ! 蹴るのをやめろ!」

 

 

 なけなしの八幡力すら振り絞り、ガンガンと勇人の足を蹴り続ける姫和。混沌とした空間を前に、頭痛のような痛みから舞衣は孫六兼元を納めて額を抑えた。

 

「もしかして、悪い人達では……無い……?」

「……酷い形で誤解が解けちゃったなぁ」

 

 

 足の甲を踵で踏みつけながらも溜飲を下げたのか、姫和はようやく落ち着きを取り戻す。

 事の重大さを理解した舞衣は数分前に剣を向けた相手であるが、最も真実を有している姫和に問い掛けた。

 

「……それじゃあ折神家も、刀剣類管理局も、伍箇伝も……御当主様に扮した大荒魂に……?」

 

「そう言うことだ。あれらは全て奴に支配されている。この事を知ってる私と勇人が出頭したところで、待っているのは極刑だろうな」

 

 

 畳み掛けるような真実の濁流に、脳の処理が追い付かない。

 今まで信じていたものが崩され、舞衣は背筋に冷や汗が流れるのを感じた。そして、可奈美の声に決断を強いられる。

 

「お願い舞衣ちゃん、姫和ちゃんと勇人さんだけじゃ心配なの!」

「それは……分かる、けど……」

 

 

 勇人からはいまいちやる気を感じられず、姫和からは最早やる気しか感じられない。可奈美が居なければどうなっていたことか──と考え、舞衣は不安げに可奈美を見た。

 

「……本気なんだね」

「うん」

 

 

 これでもう『可奈美は脅されている』という可能性は消えた。 そして三人は、舞衣に、暗にこう言っているのだ。

 

 見逃せと。 折神家と管理局に嘘をつけと。

 

 舞衣は何かを言おうとして、口を開いて、それでも言えなくて、諦めたように肩の力を抜いた。

 

「────わかった。わかってる筈だったんだ。可奈美ちゃんは何をするにも本気で、全力なんだって」

 

 

 そう言いながら、舞衣は可奈美に包みを渡す。それは可奈美が食べそびれていた舞衣手製のクッキーだった。

 

「他の荷物は押収されて、これしか残らなかったの。作り直す時間がなくてごめんね」

「ううん、充分すぎるよ」

 

 

 クッキーの袋を受け取った可奈美の両手を己の両手で包む舞衣の心境がどれだけ複雑かは、舞衣にしかわからないが──

 

 可奈美を巻き込んだ責任だけは、取らなければならない。 ノロ回収班に連絡した舞衣は、その場を立ち去ろうとする勇人達に声をかける。

 

「十条さん、藤森さん。可奈美ちゃんをどうかお願いします」

「……善処はする」

「寧ろ世話になってる癖にぃ。姫和はまだ本調子じゃないでしょ」

「ならもう少しお前が気張れ」

「それは出来ない」

 

 

 舞衣の視界から三人が消えるまで、勇人は何度も姫和にふくらはぎを蹴られていた。

 

 

 

 ◆

 

 

 現場から離れた公園の遊具の中で雨宿りをしている三人。可奈美が食べていた舞衣のクッキーの包みから、折り畳まれた紙が顔を覗かせた。

 

「……ん、なんだろう」

「舞衣ちゃんが仕込んだんじゃないの」

「電話番号だ。困ったらここに連絡してだって」

 

「じゃあ掛けたら? あの子が可奈美に渡したものなら、多分信用できる」

 

「罠の可能性は?」

「舞衣ちゃんはそんな事しないよ!」

「……好きにしろ」

 

 

 勇人に対して暴れ疲れた姫和は、分かりやすいほどにグロッキーとなっている。

 

 早速と連絡をする可奈美と電話に聞き耳を立てる勇人に、狭い遊具の中で勇人の膝の間に収まる姫和。その口から出るため息は、何時までも尽きなかった。

 

 






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一時の平穏

 

 

 駅近くの階段の下。雨宿りも兼ねて立ち往生している三人の内、姫和は可奈美へと確認の質問をした。

 

「ここで合っているのか?」

「うん。電話したらここで、って」

 

 

 舞衣に渡されたクッキーを入れていた包みに混ざっていた紙に書かれていた電話番号に繋いで話した結果、かれこれ十数分待たされていた。

 

「……罠の可能性は捨てるな」

「疑り深いな、姫和は」

「お前が無警戒過ぎるんだ」

 

 

 歯軋りでもしそうな程に苛立っている姫和とその原因の勇人は、立ちながら辺りを見回す。ジャリ、と舗装された歩道の小石を踏む音が雨に混じって耳に届き、即座に勇人が前に出た。

 

 満足に眠れずないまま逃亡を繰り返し、荒魂との戦闘まであった二人は疲れている。

 そんな二人の盾になるよう、それでいて咄嗟に写シを貼れるようにパーカーで隠した御刀の柄をそれとなく触れながら、眼鏡を掛けたスーツの女性に向き合う。

 

「おー、おー。君が勇人くんかな?」

「……そうですが」

「で、そっちが可奈美ちゃんと姫和ちゃん? ごめんねー遅くなって」

 

 

 はいこれ。と言って三人の前に現れた女性は袋を差し出す。中から香る匂いから察するに、正体はハンバーガー等のジャンクフードだろう。

 

「あー……貴女が電話の?」

「そ、私は恩田(るい)。よろしくね~」

 

 

 姫和がそれを受け取り、三人は駐車してある累の車へと歩く。累の家に向かうまで、車の中で勇人達は手紙は羽島学長が書いたこと、累が美濃関出身であること、そもそもは羽島江麻が裏で手引きしていた事だと言うのを知らされていた。

 

 

 

 ◆

 

 

「ここが累さんのお部屋なんですか?」

「広くて良いでしょ、職場からはちょっと遠いんだけどね」

 

「……冗談でしょ」

 

 

 高い階層のマンションの一室。元刀使という事もあって、こういった部屋を借りることは雑作もないのだろうが──勇人の呟きの原因は部屋の汚れである。

 ゴミが散乱しているのではない。ビールの空き缶は机に並べられ、分別だけはされているゴミ袋が床に無造作に置かれている。

 

 累自身忙しいのだろう。ゴミを出す元気がない日もある。故に仕方ない。しかし折神家や特別祭祀機動部隊本部の小綺麗な客室等を定期的に寝室代わりに使っているのも相まって、勇人は今までで一番メンタルが削られていた。

 

「……掃除しましょうよ」

「いやぁ、えへっ?」

「うわぁ」

 

 

 適当に誤魔化した累に、黙っていた姫和が口を開く。

 

「美濃関出身と言いましたが、貴女も?」

「ええ、元刀使よ。とっくに引退してるし、御刀も返納しちゃってるけど」

「──まさか刀剣類管理局の……!」

「あはは、まっさかぁ。安心して、私は管理局とも折神家とも関係ないから」

 

 

 警戒をやめない姫和に代わり、可奈美は累の刀使時代の話に興味を持つ。

 

「累さんの流派ってなんですか? 御刀の銘は? 試合に出たことは!?」

「元気ねぇ……それよりお風呂入ったら? 着替え用意しとくから。それと食事もね」

 

 

 この子に付き合ったら長くなるな──と悟り、累は話を打ち切りつつ三人の濡れた衣服と湿気った髪を見る。

 

「それもそうですね」

「あ、ごめん勇人くん。流石に男物の着替えは無いから乾燥機回さなきゃ」

「着替えなら道中で買ってあるんでお気遣い無く。ギターケースに入れてたけど大丈夫かな……」

 

 

 撥水加工のギターケースとはいえ、心配になって中を探る勇人はふと気になったことを二人に聞いた。

 

「──俺は先に入った方が良いのか?」

「好きにしろ」

「私は後で良いですよ?」

「じゃあさっさと入っちゃうから待ってて」

 

 

 そう言って、勇人は着替えと御刀を入れたままのギターケースを持って浴室に向かった。可奈美は勇人が聞いてきた意味が分からなかったのか、頭に疑問符を浮かべる。

 

「なんで勇人さん、あんなこと聞いてきたの?」

「男が先に入った風呂に入ることに抵抗がある女子も居るからだろう。お前は気にしないのか?」

「別に? だってお父さんとお兄ちゃん居るし」

「──そうか」

 

 

 累に案内された部屋の畳に座る姫和は、可奈美の横で先の言葉を脳裏に反芻した。お父さんか──と。

 部屋の奥から聞こえてくるシャワーの音を聞きながら体育座りをした姫和は、うつらうつらと微睡まどろんでいる。

 ほんの数分と思いながら、泥の底に沈むように意識を暗く閉ざしてい。

 

 

 

 ◆

 

 

「──おーい、姫和ー」

「んぅ……」

 

 

 優しく肩を掴まれ、揺すられている。

 姫和はまぶたを開き、寝ぼけたまま視界を左右させ、意識を少しずつ覚醒させた。

 

「んん……?」

「眠いのはわかるが、可奈美がそろそろ出るから次はお前だぞ。今のうちに起きとけ、浴室で寝られたら困る」

「あ──あぁ、んー……」

 

 

 体育座りのまま器用に部屋の隅で寝ていた姫和は、ようやく眼前に勇人の顔があることに気付く。

 

「────うわっ!?」

「おはよーございます。もう夜だけど」

 

 

 ぎょっとした様子で体を後ろに下げようとして壁に突っかかる。累の使っているシャンプーやらを使ったせいで、何処と無く花の匂いが漂う勇人と、雨に濡れて冷えた体の姫和。

 文字通り温度差のある二人の動きは、可奈美が風呂から上がって戻るまで硬直していた。

 

「──おまたせ姫和ちゃん、お風呂空いたよ~!」

「あ、ああ。わかった」

「えぇ……御刀持ってくんだ」

「あの人が親切なのは分かったが、警戒は止めないでおくべきだ。お前だって持っていっただろう」

 

 

 ギターケースを手繰りよせ、中から小烏丸を取り出した姫和は勇人に言う。勇人はどう答えるべきかで悩むように頬を掻いた。

 

「あれは……ちょっとあってね」

「またそうやって隠すのか」

「時期が来たら話すよ。ほら、晩飯も食わないといけないしさっさと行きな」

 

 

 ひらひらと手をリビングの方へ向ける勇人。姫和もまた、御刀を片手に浴室へと向かった。

 御刀を持って行く姫和に若干呆れている可奈美は、不意に勇人から声をかけられる。

 

「……姫和は疲れてるみたいだから、風呂から戻るの遅かったら見に行ってあげて」

「え、なんで?」

「眠いらしくてねぇ。風呂で寝られたら、俺じゃどうにも出来ないし」

「あぁ、そっか」

 

 

 畳の目に沿って手を動かす勇人の手持ち無沙汰を見て、可奈美が勇人に言葉を返す。

 

「ねぇ勇人さん、親衛隊の人達とは仲良いの?」

 

「親衛隊? どうだろうな。結芽には懐かれていた節はあるし、夜見との仲も悪くは無いだろうが……寿々花は真希にゾッコンで、真希も弱い奴が嫌いだからなぁ」

 

「……辛くない?」

「──さあねぇ」

 

 

 あっけらかんとした様子でするりと相手の懐に潜り込む可奈美の瞳が勇人を映すも、勇人の顔は分からないでいる。

 

「──そっか」

 

 全てを見透かしたようにふにゃりと笑う可奈美に、勇人は一言も返すことが出来なかった。

 

 

 

 ◆

 

 

「さて、情報を共有するぞ」

「共有?」

「可奈美が見た目玉についてでしょ」

 

 

 風呂ついでに冷水でも浴びたのか、シャキッとした様子の姫和。三人で三角を描くように向かい合い、折神紫に斬りかかった際の話をしている。

 

「私が折神紫を斬ろうとした時、見えたのだろう?」

「ああ、うん。姫和ちゃんを睨む感じでギョロっとしてた」

「あれたまに見えるからなぁ」

「そういえば、お前も知っているのか」

 

 

 姫和のひとつの太刀を受け流した際、一瞬で握っていた二振りの御刀。腰の鞘から抜かれた訳ではないそれを取り出した時、可奈美は件の目玉を見たのだ。

 

「その目玉は……荒魂なのか?」

 

「一瞬で消えちゃったから詳しくは分からないけど、なんだろう、刀使が写シを貼るときみたいな感じで隠世に潜った……というか……」

 

「折神紫が隠世から御刀を取り出した時に、偶然見えてしまった──か?」

 

「そう、そんな感じ!」

 

 

 可奈美の見た目玉と、姫和の奥義を受け流した御刀の一連の動きは、勇人にとって二度目の経験である。 既に知っている事ゆえに、二人がどこまで理解しているかを確かめていた。

 

「それにしても、御刀を隠世から取り出す……そんなこと出来るの?」

 

「刀使の写シも、原理は隠世の浅瀬から自身の幽体を取り出しているんだ。御刀も同じように浅瀬に隠しておけても不思議じゃないさ」

 

「でもあの二振りってなんて銘なの? ご当主様の御刀は『大包平(おおかねひら)』と『童子切(どうじぎり)』だって聞いたよ?」

 

 

 大包平。天下五剣の童子切と並び称され、『日本刀の東西の両横綱』とも例えられている名の知れた御刀である。

 可奈美の問いに、勇人は指を立てながら返した。

 

「あれは『大典太(おおでんた)』と『鬼丸(おにまる)』。童子切と同じ天下五剣の内の二振りで、折神紫が結芽にちょっかい出されて打ち合う時に時々取り出して使っている得物だ」

 

「結芽ちゃん、なにしてるの……」

 

「そも、勇人が折神紫と荒魂の関係に気付いた切っ掛けはなんなんだ?」

 

「あぁ、結芽が執務室で斬りかかった時に死角が出来いてな……荒魂の反応が気になってちょっと不意打ちしてみたんだが──元から()えていたように避けられた挙げ句切り刻まれたんだよ」

 

 

 今でも思い出す異様な光景だった、鞘から大包平と童子切を抜くよりも早く取り出し振り抜かれた大典太と鬼丸で結芽をあしらう姿。隙だらけの背中に、静かに鯉口を切り抜刀する勇人(じぶん)

 

 次の瞬間には、勇人は机に背中を強かに叩きつけて数分気を失っていた。

 

「不意打ちを避ける予知に近い先読みに、御刀を隠世から取り出す力。あれは(まさ)しく人間業じゃなかった。なにより、正体に気付いてる俺を処罰しなかったのが余計に気味が悪い」

 

「ちょっと不意打ちって……」

 

「『折神紫の正体は荒魂だ』なんて言った所で、存在を隠していた勇人の言葉を信じる奴なんて居やしない。だから何もしなかったのだろう」

 

「あぁ、かもな」

 

 

 その時の紫の剣を思い出し、僅かに身震いする勇人は、咳払いしつつ話題を切り替える。

 

「一先ず、明日の事は明日考えるとして、今はゆっくり休もうか。温かい風呂に入って暖かい布団で眠って体を休めるのも、刀使の資本だぞ」

 

「それもそうだね、じゃあ寝よっか!」

「では横にもう一つ……あ?」

 

 

 流石に疲れが溜まり、再度眠気が訪れてきた姫和は押入れから三つ目の敷布団を取り出そうとしている勇人を寝室から押し出した。

 

「え、なに?」

「お前はソファで寝ろ」

「……えっ」

 

「宿泊施設のような仕方ない状況なら我慢できたが、それはそれだ。男女で同じ空間の中に眠るなど無理だ。普通に考えろ」

 

「それはまあ、そうだけど」

「では、お休み」

「……はい」

 

 

 

 そう言い終えると、姫和はピシャリとドアをスライドさせて閉めてしまう。

 

「……それは少し、困るんだけどな」

 

 

 リビングに暗闇が訪れ、勇人はソファに横になる。まるで廊下の奥から何かが迫ってくるような感覚に、冷や汗が垂れた。

 肌掛けで体を覆い、膝を丸めてクッションに頭を置いて、自身の心音を聞きながら眠りにつく。

 

 ガタリと御刀の収まった鞘が揺れ、ぞわりと言葉に形容出来ないざわめきが心を揺らす。

 

 

 

 

 ──今はただ、独りが恐かった。

 

 






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家事と奇襲

 

 

 

 

カラン、という音が鳴り、反射的に勇人は起きようとする。 だが一瞬の浮遊感の後に、先日ソファで眠ったことを思い出しながら床に落ちた。

 

「――――おぐぇえっ!」

 

 

挙げ句、ソファ前の床に置いていた御刀の帯刀ギミックと鍔が背中にめり込み、殺虫剤を掛けられた虫のように激痛に悶える。

 

「勇人さん!? だ、大丈夫……?」

「うご、うごごごご…………っ!」

 

 

御刀を寝転がっていたソファに置く勇人は背中へのダメージが想定外に大きいらしく、四つん這いのまま動けないでいる。

 

「なにがあった!」

 

 

『ひとつの太刀』を行い消耗した力が回復した姫和が、騒ぎを聞き付けて扉を開ける。

姫和の視界に入ってきたのは、四つん這いのような体勢でうずくまる勇人と、必死に背中を擦る可奈美の二人の姿だった。

 

「…………なにがあった。」

 

「その、泊めさせてもらったお返しに、掃除しようとしたんだけど……ソファから勇人さんが落ちて御刀が体に……。」

 

「なるほど、分からん。」

「だろう……ねぇ……っ!」

 

 

呻き声をあげる勇人に、背中と腰を擦る可奈美と姫和。 累が居たら、さぞや愉快そうに笑い転げながら写真を撮っている事だろう。

 

 

 

 

 

 

 

「―――勇人さーん、こんな感じー?」

「そーそー、ちゃんとパンッてやってから干してね。」

 

 

昼食を終え、姫和が皿洗いをしている横で、勇人は部屋のゴミを分別しながら掃除し、可奈美に洗濯物を干させていた。

 

伸ばさずぐちゃぐちゃのまま干そうとしたのを見て二人で慌てて止めたのも今は昔、制服を見せないようにしていたパーカーや下着をベランダに干している可奈美を横目に、勇人もまた掃除を終わらせる。

 

「ああ、ようやく落ち着ける……。」

「……潔癖の類いか?」

「ん? いや、親衛隊として特別祭祀機動隊本部なんかの客室を寝室代わりに使ってるんだけど、そういう部屋は基本的に綺麗だからさ。」

 

 

蛇口から流れる水の音を聞きながら、ゴミを仕分け終えた部屋を見渡して答える。

 

「姫和も意外と家事上手なんだな、親の手伝いとかしてたのか?」

「ああ、母の代わりに家の事をやっていた。 今ではもうやっていないがな。」

「…………ふーん。」

 

 

流しに向かって集中している姫和の、無意識で何気ない言葉。

 

父親の話題が出ず、母親との思い出を過去形で語る意味を悟り、勇人は姫和が折神紫暗殺未遂という無茶をした事に、静かに納得していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

特別祭祀機動隊本部にて、獅童真希は苛立ちを隠さず貧乏ゆすりを繰り返す。

 

「――ふぅ。」

「また、夜見さんに紅茶でも頼みますか?」

「大丈夫だ。 ……あぁ、高津学長には参るよ。」

 

 

折神紫を崇拝と言っても過言ではない忠誠を見せる、鎌府学長である高津雪那。 彼女は衛藤可奈美と十条姫和、そして親衛隊である筈の藤森勇人を捕らえられていない事実に憤慨していた。

 

やれ、親衛隊から逆賊を出すとは何事か。

 

やれ、うちの沙耶香なら簡単に捕まえられた。

 

 

徹底的に親衛隊の五人を下に見る態度が―――寿々花や結芽や夜見、勇人を『欠陥品』だと罵る雪那の事が、真希は嫌いだった。

 

「紫様への忠誠は結構だが、それは寿々花達を馬鹿にして良い理由にはならないよ。 あの態度、正直なところ僕は嫌いだね。」

 

「わたくしからは特に言うことはありませんが……夜見さんは何故あれだけ雑な扱いを受けながら、顔色一つ変えないのかしら。」

 

 

今度は、二人揃ってため息をつく。

 

「柳瀬舞衣には同情するよ、友人に逃げられた挙げ句に高津学長のアレは堪えるだろう。」

「せめて、勇人さんと連絡が取れたら良いのですけど。 あの人折神家支給の端末を捨てていますからね。」

 

「連絡か…………連絡?」

 

 

寿々花の一言に、真希はふと思い出す。 勇人は確か、古いガラケーを持っていた筈だ、と。

 

『――――あっ』

 

 

 

 

 

 

 

「…………獅童様?」

「急ですまない、僕の端末を機材に繋いでくれ。 藤森……逃亡者との連絡を図る。」

「えっ、あ、はい。」

 

 

機動隊本部内、真希は自身の端末をオペレーターの役員に頼んで繋がせ、勇人の()()()()()番号に連絡を入れた。

 

数回のコール音の後、端末越しに男の声が聞こえてきた。 作戦室のオペレーター達と真希、寿々花の心情は一致しただろう。

 

 

『あ、出るんだ』――と。

 

 

 

『あーい、もしもしー。』

「…………勇人。」

『真希か、なんか久しぶりな気がするな。』

「……そうだね。」

 

 

能天気に電話に出た勇人の声。 真希は無意識に、握りこぶしを作っていた。

 

何故十条姫和を助けた、何故僕と戦った、何故結芽に見逃された。 言いたい言葉が次々と脳裏に浮かび、深く呼吸をしてから切り出す。

 

「君は今、何処にいるんだ?」

『どうせそろそろ位置がバレてる頃だろうが……言うと思うか?』

「流石にそこまで馬鹿じゃないか、いや馬鹿なことに変わりはないが。」

『えっ、酷くない……?』

 

 

くつくつ、と笑う真希。 久しぶりの軽口に、ここ数日の重苦しい気分が解消される。

 

『ん、あーいや、そう、お前を後ろからぶっ刺してきた奴。 というかパソコンでなにして……ぶぇえ!』

 

「……どうした?」

 

 

端末を繋いだ機材のスピーカーから流れてくる勇人の独り言と乾いた破裂音。 言葉から真希は姫和と会話でもしているのかと思い、勇人に聞いた。

 

『電話しながら顔近づけるなって叩かれた。 まったく……姫和には参るよ。』

「…………随分と呑気だな、こっちの気も知らないで……。 そのガラケーまで捨てられない内に聞いておくが、どうして十条等を助けた?」

『――――それは、だな。』

 

 

電話越しの声が、一回り低くなる。 真希の喉が固唾を飲み、勇人の言葉を待つ。

 

『―――やっぱ良いや、どうせ何言っても信じられないだろうし。』

「…………は?」

『あとガラケーは捨てないよ、機種古すぎて位置情報バグってるからバレないし、重要な写真とかはこっちに保存してるし。』

「写真、だと……?」

 

『……んー、はいはい。 わかったよ。 …………もう電話切れってさ、あと写真の事だが覚えておいた方がいい、俺はお前の寝顔の写真を持っているという事をな。』

 

「なっ―――!?」

 

「あら。」

「まぁ……。」

 

 

よりによってオペレーターや紫に居残りを指示されている五條いろはと羽島江麻が居るときにそんな事を暴露される。 そんな勇人の畜生染みた笑い声をバックに――――突如として、電話の向こうからガラスが割れる音が響いた。

 

『うおおおおおおっ!!?』

「っ、勇人!」

 

 

続けて聴こえてくる金属同士の―――御刀を御刀で防ぐ音。 カリカリカリ、と擦れる音がスピーカーから奏でられ、勇人の怒号が発せられる。

 

『ぐぉっ……姫和、可奈美! 御刀取ってこい! あんたも奥行ってて!』

「勇人!? なにがあった! 誰と戦っている!?」

『ふっ、ふっ……ふぅーっ……。 聞こえてるかー、()()()ちゃん。』

「沙耶香…………糸見沙耶香か?」

『……聞こえてないか、『無念無想(むねんむそう)』してるし、なぁッ!?』

 

 

部屋中を駆け巡る音、剣戟の音、それらが重なり、やがて割れたガラス――――恐らく窓に残った枠組みを破壊する音を最後に、通話は途切れた。

 

「勇人! おい!」

「真希さん、どうしましたの!?」

「分からない、勇人との連絡が繋げられたのだが……襲われたらしく連絡が途切れた。 それに、糸見沙耶香―――?」

 

 

真希と駆けつけた寿々花が、高津雪那の独断で沙耶香を奇襲に向かわせたことを知るのは、あと数分先の話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――あい、っ変わらず、速い……!!」

 

 

虹彩をマゼンタに輝かせる少女、糸見沙耶香が()()()()迅移を発動し、残像に虹色を残して勇人を追尾する。

 

姫和がパソコンに向かって座っていた椅子、本棚、ベランダの物干し竿を切り裂く沙耶香の御刀――――妙法村正(みょうほうむらまさ)を、辛うじて行える一段階迅移を用いて避ける勇人。

 

 

「……『無念無想』か、あーあー厄介ですこと。」

「―――――。」

「会話しようぜ?」

 

 

返事は、躊躇いの無い鋭い袈裟斬りだった。 写シの色合いが変わり、虹彩がマゼンタに輝くそれを、勇人達は無念無想と呼んでいる。

 

 

通常、刀使の迅移というのは、一瞬の加速しか行えない。 僅かなインターバルの後に再度使用する事で刀使は高速で移動するのだが、沙耶香の行う無念無想はそのデメリットを無くせるのだ。

 

常に二段階迅移――――通常の時間の約6.25倍速で動き回る刀使、と言えばどれだけ恐ろしいかが分かるだろう。 勇人は接近に合わせて一段階迅移―――約2.5倍速の加速を()()()使う事で、なんとか斬られる事を防いでいた。

 

「勇人、無事か!」

「勇人さん大丈夫!?」

「来んのが遅い、って!」

 

 

逃げながら窓から地面へと落下していた勇人と沙耶香。 二人を追いかけて下へと降りてきた可奈美と姫和も同じように御刀を抜き、勇人に加勢しようとする。

 

「こいつ、鎌府の……。」

「私と戦った、沙耶香ちゃん……だよね?」

「今の沙耶香ちゃんには言葉は届かない。 常に加速する迅移を使う技で、無心状態になってるからな……っ!」

 

 

こちらの事情など知らないとばかりに、無言無表情で攻撃を続ける沙耶香。

 

ひとつの太刀の影響から全快した姫和が防御と回避に徹する勇人と沙耶香の間に割り込み、斬り込むついでに距離を離す。

 

「おい、こいつの対処法は知らないのか?」

「簡単だ、一回写シを剥がせば良い。 無念無(あれ)想を使ってるせいで、沙耶香ちゃんに写シを貼り直す力はないからな。」

 

 

そうか、と言い、姫和は獰猛に笑う。 そしてさも当然かのように勇人へと言った。

 

「糸見沙耶香より速くなれば良いのだろう?」

「そうなるな。」

「ならば――――二秒稼げ。」

「二秒……ね。」

 

 

二人で並んで御刀を構え、沙耶香と対峙する。 姫和の『小烏』というよりは『鷹』や『鷲』を思わせる笑みに、口角を歪めて勇人は答える。

 

「―――余裕!」

「ふ、行くぞ!」

「――――。」

 

 

同時に踏み込み、それぞれが一段階の迅移を用いて沙耶香に肉薄。 勇人は御刀を上段から振り下ろし、姫和が背後に大きく迂回しながら接近する。

 

二段階目に加速する姫和を視界の奥に捉える勇人の一段階迅移よりも格段に速い沙耶香の動きは、勇人の御刀を弾いて尚余りある時間を生み、返す刀が左腕を飛ばした。

 

 

両手で持つ防御が出来ない勇人は即座に右手の御刀を逆手に構え、高速の剣に対し数瞬のインターバルを置いて連続で迅移を発動。

 

一瞬だけ2.5倍に引き伸ばされる思考時間と反応速度で、辛うじて御刀が体の写シを引き裂くことから逃れる。

 

 

一人に対して三人では邪魔になるために見守っている可奈美は、勇人が沙耶香の攻撃とは別の意味で苦悶の表情を浮かべていることに気付いた。

 

迅移の連続発動のせいで元の時流ではまだ二秒が経過していない現状、カーブを描いて二段階から三段階へと迅移を移行させる姫和だったが――ふと、ぷつんと勇人の中で何かが切れる。

 

「……っ、う、ぶっ」

 

 

唐突に勇人の動きが止まった。 無心の沙耶香がそれを理由に止まる訳もなく、胸への刺突で可奈美の足元まで勇人を吹き飛ばす。

 

それと同タイミングで、三段階の階層に踏み込んだ姫和が更に迂回して沙耶香の左から勇人と可奈美の間に立ちふさがりつつ、二段階を上回る16.66倍速を以て逆袈裟斬りで空に浮かした。

 

 

着地するも、肩で息をする沙耶香を見て、体力の消耗が激しいことを理解した姫和。

 

時間稼ぎを見事果たした勇人を横目で見やる姫和は、声をかけながら目を剥いた。

 

「勇人、良くやっ…………。」

 

 

沙耶香に斬られ倒れていた勇人は可奈美に支えられていたのだが、その鼻から、つぅ……と血を流していた。

 

「勇人!」

 

「……大丈夫だ。 それより気を抜くな、写シが貼れないだけで無念無想はまだ続くぞ!」

 

 

慌てて駆け寄ってきた姫和は振り返った先にいる沙耶香を注視する。 全身を覆う虹色の写シは無いと言うのに、その虹彩にはマゼンタが輝いたままだった。

 

写シは貼れなくとも、無念無想による持続的な迅移は続けられる。 それを証明するように、沙耶香は再度姫和達へと肉薄し―――――。

 

「今度は私が相手だよ、沙耶香ちゃん!」

 

 

千鳥を抜いた可奈美が、沙耶香の村正と鍔迫り合いしていた。 鼻血を拭い、脳を締め付ける頭痛に苛まれながら、勇人が声を飛ばす。

 

「可奈美、沙耶香ちゃんの御刀を手から離させろ! 新陰流には()()があるだろ!」

「わかった!」

 

 

勇人を姫和に任せた可奈美は、絶え間なく続く剣戟を柔軟に受け止め流す。 可奈美は沙耶香の剣に違和感を覚え、難なく受け、かわしながらも眉を潜めた。

 

「(『何も(無念)わず、考えな(無想)い』 だからだ……沙耶香ちゃんの剣からは、何も伝わってこない。)」

 

 

加えて、沙耶香の剣には柔軟性が欠けている。 ただ速いだけの攻撃を、ただ真っ直ぐ。

 

真希の剛剣のようにそれを極めた剣ならいざ知らず、沙耶香の剣の長所はそこではない。

 

「そんな魂の込もってない剣じゃ――――。」

 

 

可奈美の踏み込みと同時に伸ばされた右手が、沙耶香の村正の柄を握る。

 

「――――何も斬れないッ!!」

 

 

そして、後方へと投げ捨てた。 カラカラと村正が地面を転がり、虹彩からマゼンタが消え、沙耶香の意識が表層に浮かび上がる。

 

「御刀を……!?」

「まさかマジでやるとは……。」

 

「―――あ、ぅ。」

「沙耶香ちゃん、私のこと覚えてる?」

「…………ん。」

 

 

疲れたのか、元からか、沙耶香は可奈美の問いに数拍間を置く。 こくりと頷いた沙耶香に、可奈美は笑って返した。

 

「あの時の試合、すっごくドキドキしてたんだ! また今度、私と試合してくれない?」

「…………ぅ。」

 

 

グイグイと来られて、大人しい性格の沙耶香は口ごもる。 だがその表情に、不思議と不快感は浮かんでいなかった。

 

「あー、くそ、頭いてぇ……迅移使いすぎた……。」

「……刀使なのに、迅移で何故鼻血が出るんだ?」

 

「身体全体の加速を思考と反応速度の加速に絞るとこうなるんだよ、脳に負担があるからあんまり使えないけどな。」

 

 

ポケットティッシュを鼻に詰める勇人は簡潔に姫和へ話し、マンションの出入口の陰からこっそり覗いていた累を手招きする。

 

「取り敢えず、ここから逃げないとな。」

「ああ。 ……というか、さっきの電話でバラしていないだろうな?」

「してませーん。 悪いんだけど累さん、車出してもらえませんか。」

「はいはーい。」

 

 

駆け足で駐車場に向かった累。 勇人は地面に落ちている正宗を広い、可奈美から質問責めに遭っている沙耶香から鞘を受け取った。

 

「もう戦う気は無いだろうけど、一応村正は預からせてもらうぞ沙耶香ちゃん。」

「――――藤森勇人。」

「はい?」

 

 

腰の帯刀ギミックを外して勇人に渡す沙耶香は、普段の癖で勇人をフルネームで呼ぶと、舌足らずの幼い声色で聞いて来る。

 

「……貴方は、どうしてそんなに強いの。」

「えっ、なに急に…………ギャグ?」

 

 

冗談のつもりではない、と。

沙耶香の瞳は暗に告げていた。

 

 






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長船と守護獣



お久しぶりです(5月3日現在)




 

 

 

 

累の車で現場から離れる勇人たち五人。 助手席に座り杖のように自身の御刀の柄頭を手のひらで押さえ、先を足元に差し込む勇人は、村正を姫和に任せて沙耶香と会話していた。

 

「―――で、なんだっけ。」

「……どうして、貴方は強いの?」

「俺が強いとか冗談、沙耶香ちゃんの無念無想が欠点だらけだからそう見えるだけだよ。」

「……欠点?」

 

 

そ、欠点。 と言って、ミラー越しに沙耶香を見ながら、勇人は人差し指を立てる。

 

「欠点その一、動きが単調。 良くも悪くも速いだけ。 だから俺ごときを倒すのに七秒も掛かるんだよ、真希とか結芽なら三秒も掛からん。」

「それは誇って良いことなのか……?」

 

 

呟くような姫和の声を聞こえないふりをしつつ、続けて中指を立てる勇人。

 

「欠点その二、なにも考えてない。 無念無想の特性上仕方ない事だけど、刀使として戦うなら、ちゃんと自分で考えて剣を握った方がいい。」

 

「……自分で、考えて。」

 

「――あーっと。 いい感じに話してる所悪いんだけど、君らそろそろ降りた方が良いかも。」

 

 

緩やかにブレーキを掛けて車を止める累。 フロントガラスの先で、警察の検問取り締まりが行われていることに気が付いた。

 

「そうだな。 というか、こいつはどうするんだ? まさか連れていくとは言うまい。」

「……私は任務に失敗した。 窓も割ってしまった。 警察に、話さないと。」

 

 

淡々とした声色で沙耶香は言う。 ハンドルを握りながら、累は苦笑をこぼした。

 

「律儀だなぁ、私の部屋を滅茶苦茶にした割には。 そんじゃあ私と一緒に行きましょうか。 どっちにしろ事情聴取されるだろうし、逃げるよりは自首した方が印象良いでしょ。」

「高津のおばちゃんカンカンだろうな…………あ、そうだ。 おーい沙耶香ちゃん。」

 

「……なに?」

 

 

車から降りた勇人と姫和、そして可奈美の三人。 姫和から村正を渡された沙耶香は、勇人に声を掛けられそちらを向く。

 

窓から顔を出した沙耶香に、勇人が耳打ちをする。 少しして、小首を傾げながらも沙耶香が頷いたのを後ろで姫和たちは見ていた。

 

「勇人さん、何を話したんですか?」

「んー……内緒。」

「えーっ」

「さっさと行くぞ。」

 

 

姫和が先を走り、可奈美と勇人が運転席の累に頭を下げた。 ひらひらと手を振って返した累と後ろに座る沙耶香は、今頃警察がごった返しているだろうマンションへと戻って行く。

 

夜道の車が走らない道路の脇を走る三人は、無言で検問から離れる。 ふと気になった可奈美が、姫和に目的地を聞いた。

 

「ねえ姫和ちゃん、何処に向かってるの?」

「石廊崎を目指す。 そこで待ち合わせている。」

「こっからだと遠いな、あとでタクシー呼ぶか。」

「ああ、だが一先ずはここを離れるぞ。」

 

「そうだね……それにしても、累さんと沙耶香ちゃん大丈夫かなぁ……?」

「累さんは被害者だけど、逃亡者を匿ったことがバレたら数日はお縄だろうな。」

 

 

そう言いながら走る勇人。 累の不運がこれからも続くことを、三人は知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長距離をタクシーで移動し、霧が濃くなってきたなか、サービスエリアで降りた勇人等は冷えた空気に僅かに身震いさせていた。

 

「ここからは徒歩で行くか、タクシーは目立つ。 欲を言えば干してたパーカーだけでも持っていきたかったんだけどな。」

「糸見沙耶香に真っ二つにされたがな。」

「あはは…………姫和ちゃん? どうしたの?」

「……可奈美。」

 

 

一歩後ろから二人を見ていた可奈美に、姫和は振り返りながら言った。

 

「お前は、どうするんだ。」

「えっ……な、なにが?」

「私を助けて、勇人を助けて。 それで、これからも私たちと共に戦うのか?」

「そんなの、当然だよ。」

 

「私のやることは大荒魂の討伐だ。 しかし、それは大荒魂に扮した折神紫を斬ることにもなる。 お前は人斬りの犯罪に加担しようと言うのか。」

 

「――――それ、は……。」

「ちょっと意地悪だぞ、姫和。」

「お前は黙っていろ。」

「はい。」

 

 

間に割って入ろうとした勇人を一喝して黙らせると、横を通り過ぎて、姫和は瞬時に小烏丸を抜刀して可奈美に斬りかかる。

 

「っ―――!?」

「……温いな。 それに、軽い。」

 

 

咄嗟に千鳥で受け止めたとはいえ、突然の行動に可奈美は驚きながらも焦った顔色で姫和を見る。 一瞬、それが捨て犬の瞳にも思えて目を逸らしそうになるが、姫和は吐き捨てるように言うと小烏丸を鞘に納めた。

 

「人斬りを守ろうなんてしなくていい、お前の剣は守る剣だ。 荒魂から人を守れば良いんだ。 二度は言わん、帰れ。」

 

「…………ゃだ」

「―――なんだ?」

 

 

だらりと千鳥を握る右手を下げ、顔をも俯かせる可奈美。 ぽつりと呟いたぼやきに姫和が耳を傾けると、目尻に涙を浮かべた顔を上げて慟哭のように叫んだ。

 

「やだ! 絶対帰らない!」

「なっ―――子供か!」

「子供ですー! それに姫和ちゃんは人斬りなんかじゃないもん! 姫和ちゃんを人斬りなんかにはさせないもん!」

「…………は?」

 

 

視界の端で笑うのを堪えている勇人を横目に収めながらも、姫和は頬を膨らませてあからさまに怒っている可奈美に怒鳴られる。

 

「私の剣が『守る剣』なら、姫和ちゃんを守る! 紫様……の中の荒魂だけを斬らせて、それ以外は斬らせない! だから私も一緒に行くの!!」

 

「ここに来てそんなワガママを……!?」

 

 

泣きそうに――――と言うよりは、もう泣いている可奈美と、その反応が想定外でどうすれば良いのかわからない姫和。 二人の挙動を眺めていた勇人は、くつくつと喉を鳴らして笑いつつハンカチを可奈美の顔に押し付けた。

 

「むぐっ」

「いやぁ、面白い。 姫和ぃ、可奈美は想像してたより頑固みたいだな?」

「勇人……わ、笑うな馬鹿者!」

「三人で行けば良いだけだろ? どっちにしろ、ここから帰そうとしたらめっちゃ金掛かるし。」

「切実な理由だな……。」

 

 

呆れたような、諦めたような。

 

しかし、口の端は確かに上がっていて、帰そうとしたのが単なる親切心からというのは簡単にわかった。 ――――その隣で可奈美がハンカチで鼻をかんでいたが。

 

「びーーーーーっ」

「あ゛ーーー!?」

 

 

大慌てで可奈美の肩をガクガク揺する勇人と我関せずの姫和。 目線を明後日の方向に向けながらベトベトのハンカチを返す可奈美。

 

「馬鹿野郎! お前、このっ……馬鹿野郎!」

「だって、渡されたしいいのかなって……。」

 

 

 

 

 

そんな和気藹々とした空気を眺めている目線が二つ――――と、()()。 黄色が目立つ、長船女学園の制服を身に付けた刀使が木の幹に隠れて何かを話していた。

 

「――――なーにやってんだあいつら。」

「さぁ? でも、楽しそうデスヨ。」

 

「これからもっと楽しいことになるけどな。 あーめんどくせぇ、なんでオレが確かめなきゃならんのだ。 孝子(たかこ)とか聡美(さとみ)で充分だろ。」

 

 

小学生と同等の背丈をした少女が、背中に巨大な御刀を携えて独りごちる。

 

対して、豊満な胸を支えるように腕を組む金髪の少女はいつもの様子の少女に返した。

 

「それについてはあの二人が忙しいのと、私たちがあの――――ユート、デシタカ? 彼以外の二人の戦いを見て、体験しているからデショウ。」

 

()()()は…………なんだっけ、ぺったんこの方と戦ってるんだろうが、オレが()ったのは美濃関のでけー方だぞ。」

 

「人を顔じゃなくて胸で識別するのはやめた方がいいデスヨ、()。 それで一回怒られマシタよね?」

 

 

さぁて、と言って誤魔化す薫。 首を鳴らして己の大太刀・祢々切丸を固定している専用器具からそれを外すと、身体に写シを張る。

 

「そんじゃ、先ずは一発ドデカイの行くか。」

「お願いしマスネ。」

『ねっねー!』

 

 

虚空から突如聞こえてきた謎の鳴き声。 慣れた顔で、薫は声の主に指示を飛ばした。

 

「ねねはあいつらの後ろに回り込め、オレがぶん投げたらパスしろ。 エレンはぺったんこと美濃関のを引き離せ、野郎はオレが相手する。」

「了解デース!」

『ねねっ!』

 

 

薫が言い終えるや否や、エレンは薫と同じく写シを張りタイミングを計る。

 

空間に発生した透明な()()が三人の元へ向かったのを確認してから、薫は祢々切丸を構えて八幡力を発動し――――。

 

「人の仕事増やしてんじゃねぇぞオラァ!」

 

 

―――全力を以て三人目掛けて投擲した。

 

 






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益子の提案

 

 

 

ゴウゴウと空気を切り裂いて、高速で回転する大太刀が三人に迫る。 最初に気が付いた勇人が、御刀を抜いて二人の前に立った。

 

「なに、それ……っ!?」

「は――――不味い、勇人! 受けるな!」

「もう遅い! 上に流すから写シ張っとけ!」

 

 

数歩前に出て、縦に回転しながら迫る大太刀に自身の御刀を水平に構えて向けると、()()()()()()()()()()()

 

二人の目に映るその『紅』は、蠱惑的でどこか妖しく、妙に惹き付けられる輝きを放っていた。

 

写シを張るために御刀を抜く最中の出来事だった為に分からなかったが、もし姫和が旧式スペクトラムファインダーを出していたらきっと、凄まじい反応を見せるノロを拝めたことだろう。

 

 

()()は無理、()()だとずれたら潰れる…………上にいなすには――――ああ、()()か。」

 

 

ぶつぶつと何かを小声で呟く勇人は不意に構えを変え、大太刀に対して御刀を叩き付けた。

 

瞬間的に言葉にすることも出来ない衝撃が全身を駆け抜けるが、順手から逆手に持ち方を変えると、受け止めていた自身の御刀の刃先を蹴りあげて大太刀の軌道を斜め上後方へと逸らす。

 

「うご、ごごっ……手が痺れる……っ!」

「なんて無茶を……。」

「今の御刀、もしかして御前試合の―――!?」

「どうした可奈美――――なんだ貴様っ!」

 

「えっ、なに? 姫和?」

 

 

手が痺れを訴える勇人の背後で聞こえた声が途切れ、不思議に思い振り返る。 だが、その視線の先に可奈美と姫和は居なかった。

 

「えぇ……?」

『ねねーっ!』

「はい?」

 

 

大太刀を弾いた方向から聞こえてきた奇妙な鳴き声がし、面を上げたその先を見やる。

 

――――さも当然のように、先程と同じように、凄まじい速度で大太刀が帰って来た。

 

「おあーーーーーっ!!?」

 

 

叫びながらも、どうにか今度は、手にダメージが入らないように()()()()()受け流す。

 

 

ガゴォ――――ン、と。

 

まるで鐘でも突いたかのような金属音が鳴り響き、ブーメランよろしくな軌道で飛び交う大太刀は、やがて振り返った勇人の数メートル後方に立つ少女の近くに突き刺さった。

 

「すげーなお前。」

「―――あ、舞衣ちゃんに負けた娘だ。」

「即座に煽ってくんじゃねぇよ。」

 

 

眉を潜めながら大太刀を引き抜き、峰を肩に置いて支える少女――――益子薫は、傍らに空間の(ひず)みから現れた生物を漂わせる。

 

「なにその……ゆるキャラみたいなの。」

「ねねだ。 オレのペット。」

『ねねっ!?』

 

「いや嘘でしょ、俺の御刀に反応出るのが遅かったけど荒魂じゃんか。」

「おう、そうだ。 でも良い荒魂なんだよ、益子家に関わってから穢れが無くなったらしい。」

 

『ねーねっ! ねっねー!』

「うわっ、なんだよもう……。」

 

 

ねねと言われ、ねねと鳴く生物は、勇人の周りをふよふよと漂い、やがて頭に降りる。 不思議と気に入られたらしい勇人は、ねねの見た目に様々な動物の要素が混じっている事に気付く。

 

「キメラ……いや、(ぬえ)か。」

「モデルはそれだな。 つーか、ねねが男に懐くなんて珍しいんだが……。」

「へぇ、そうなの?」

『……ねね?』

 

 

良く見えないが、髪に掴まっているのだろうねねに目線を向ける。 ねねは、知らんとばかりに疑問系の鳴き声を返した。

 

「って、そうじゃねえや。 なんで急に襲ってきたんだよ、可奈美と姫和はどこ行った?」

 

「あー、今頃エレンと戦ってんだろ。 ちょいと確かめてこいとお達しでな、あんたらをオレらん所に迎えても大丈夫かのテストしろってさ。」

「…………は?」

 

「どうせ後で他の二人にもするから説明は後で良いか? なんかもう面倒くさくなってきた。 あーあ、帰ってBlu-ray BOX一気見してぇ。」

 

 

完全にやる気が削ぎ落ちた薫は己の写シを解く。 『悪人じゃない(ねねが懐いている)』なら生身の刀使を斬ることは無いだろ、と考えていたのだ。

 

「君は……面倒くさがりだね?」

「ったりめーだろ、そもそも、お前らが逃げたせいでこちとら暫く折神家のあの場所から身動き出来なかったんだぞ。 責任取れこの野郎。」

「―――示談(おはなし)で勘弁してくれますかね。」

「示談……示談ねぇ。」

 

 

顎に指を当てて思案する薫は、分かりやすくニヤリと笑い、悪い笑みを浮かべた。

 

「おい、エレン達と合流するときに仲良し小好(こよ)しじゃ怪しまれる。 適当に戦ってるフリでもしながら向かおうぜ?」

 

「…………うわぁ。」

 

 

勇人の目線が、やけに心臓深くへと突き刺さった気がした薫だった。 薫と感覚を共有しているねねが呆れたのも、当然だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

木々の間をすり抜ける白い残像。

 

高速で迫り来る二つの残像を迎え撃つ金髪の少女は、前からの刺突を柄で受け止め、背後からの袈裟斬りを、己の体を黄金に染めて弾いた。

 

 

金剛身(こんごうしん)

 

ほんの数秒間、肉体を硬化させる事が出来る刀使の能力である。

 

使える者は数居るが得手不得手があり、エレンは金剛身が得意な部類だった。

 

「―――ふっふーん、この程度デスカ?」

 

「こいつ…………巧い。」

「姫和ちゃんと試合で戦った時は……手加減してたの……!?」

 

「アー、いえ? まあこちらにも色々とあるんデスヨ。 それにしても薫はまだ戦っているんデショウカ、やけに遅いデスケド。」

 

 

都合、十と数分。

 

それだけあっても、未だ姫和と可奈美の二人掛かりでも尚、眼前の刀使――――古波蔵エレンを仕留めるに至らないでいた。

 

荒魂との戦いが本分である刀使にしては、まるで対人戦に重きを置いているかのように、エレンは剣を人に向ける事に躊躇いが無い。

 

「ふん、あいつはしぶといからな。 それに大太刀使い一人に任せて、負けるとは思わないのか?」

「いえいえ、うちの薫は強いノデ。」

 

「……舞衣ちゃんに沙耶香ちゃん、今度は長船の二人なんて……変な縁だね、姫和ちゃん。」

「嫌な縁だ。」

 

 

小声で話す可奈美に、姫和は鼻で笑いながら返す。 そうやって話しつつもエレンへの警戒を怠らない二人に、エレンは悪印象を抱けなかった。

 

「(強さは上々、度胸もあって、油断も無ければ慢心もしない。 サナ先生が好きそうな人たちデスネェ~。)」

 

 

思わず口角が緩みそうになるが、今は()()()である。 まだ敵役を演じていなければならない以上、優しい顔はNGだろう。

 

「さあ、第二ラウンドと行き―――およ?」

 

 

エレンが自身の御刀・越前康継を八双の構えで掲げ、タイ捨流独特の構えにて両足を肩幅に広げる。 しかし、二人に迅移で突撃しようとした刹那、三人の間に何かが吹き飛んできた。

 

「なんだ!?」

「だ、誰……え゛っ」

 

 

地面をバウンドして上手いこと姫和達の足元に落ちてきたのは、脳が揺れたのか目の焦点が定まっていない勇人だった。 そして、勇人が飛んできた方から、肩に祢々切丸を担いだ薫が現れる。

 

「―――待たせたな。」

「遅いデスヨ薫! 予定ギリギリじゃないデスカ!」

「あぁ…………そいつが想定よりしぶとくてな。」

 

 

眼球だけを右往左往させ、一瞬言葉を詰まらせた薫はそう言い訳する。

 

まさか談合して戦ったフリをしてた、とはとてもじゃないがエレンには言えない。 何故なら長船の学長にチクられるから。

 

 

薫は知る由も無いが、エレンが直前の会話で勇人のしぶとさを姫和から説かれていた為に、薫を疑う者は幸運にも誰一人としていない。

 

「勇人さーん、大丈夫……には見えないけど、生きてるよね……?」

「…………死んでまーす。」

「よし、放っておけ。 これで二対二だ。」

 

「あいつの扱い雑じゃね……?」

「ヒエラルキーが見えマシタねぇ。」

『ねねぇ……。』

 

 

雑に見捨てながらも勇人の前に立ち、姫和は薫とエレンを阻む。 素直じゃないなぁ、と言いながら、可奈美も同じように姫和と並ぶ。

 

「我々にはやるべき事がある。 これ以上邪魔立てするなら、容赦はしない。」

「穏やかじゃないデスネェ、でしたらその……もうちょっと待ってくれマセンカ?」

「へっ?」

「えっと、あと5秒ホド……。」

 

 

可奈美のすっとんきょうな声の直後。

 

露骨な時間稼ぎの後に、エレンたちの背後に何かが降ってきたかと思えば、地面に突き刺さって土煙を巻き上げた。

 

「く、うぉ……っ!?」

「今度はなんなの!?」

 

 

爆風にも近しいそれを間近で浴びて視界を塞がれた姫和と可奈美は、咄嗟に腕で顔を守る。

 

不意に何かを思い付いた姫和は、可奈美の耳元で言った。

 

「可奈美! ――――――。」

「―――わかった!」

 

 

 

「お色直し完了デース!」

「アーマード薫、見参……って、あ?」

 

 

土煙が晴れ、姿を現した二人は、対荒魂殲滅用スーツ―――通称S装備(ストームアーマー)を身に纏っていた。 三人に対して明らかな過剰戦力だが、これは威嚇と()()を兼ねての行動である。

 

――――だが、当の三人は居なかった。

 

 

尤も、当然だろう。

 

可奈美達から二人が見えないのと同じように、二人からすれば三人も見えていない。 これ以上ないと言える逃げる為のチャンスであったのだ。

 

 

「おぉい!! 主役メカの活躍シーンだろうがよぉーーーっ!!」

 

 

――――そんな、悲痛にも程がある叫びが森の中に木霊していた。

 

 

 






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舞草と蝶々

 

 

 

「後頭部がめちゃくちゃ痛いんですけど。」

「すまない、足を掴んで引き摺っていた。 逃げるためだったんだ、許せ。」

「……まあ数分休めば治るから良いけどさ。」

 

 

鋪装された道路を挟んで森の中にある、元はコンビニだったのだろう廃屋。 ぐったりとした顔で壁に凭れて座る勇人は、後頭部から発せられる物理的な痛みに表情をしかめていた。

 

身長約175cm、体重約65kg。 そんな男を少女が担いで走れる訳もなく、可奈美と姫和の二人は薫とエレンから逃げる際に、勇人の両足をそれぞれで掴んで引き摺りながら遁走したのだ。

 

石や剥き出しの木の根にゴンゴンと頭をぶつけたのは、致し方ない――――のだろう。 ただし、勇人の毛根(あたま)へのダメージは度外視とする。

 

「あの二人、撒けたかな?」

「さてな。 だが外は雨も降っているし、止むまでは休憩出来るだろう。」

 

 

窓の外で降り注ぐ雨粒を見ながら、可奈美の呟きに姫和が返す。 ギリ、と奥歯を噛み締める姫和を、窓の反射で勇人だけが視認した。

 

「…………可奈美ー、ちょっと頭にコブ出来てないか診てくれない?」

「え、あぁ……はぁい?」

 

 

頭に疑問符を浮かべながらも、引き摺って連れてきた事実が罪悪感を煽ったのか。

 

可奈美は唐突な提案に特に違和感を覚える間も無く、勇人の後頭部を診る。 最初は真剣に指の腹で丁寧に髪を掻き分けていたが、特に問題ないと分かると、犬でも触るみたく髪をいじり始めた。

 

「おー……ふへっ、ゴワゴワしてる。」

「ええい、やめんか。」

「良いじゃないですか、減るものじゃないし。 やっぱり男の人の髪の毛って固いんですね~。 ちゃんとリンス使ってます?」

 

 

終いには両手でわしゃわしゃと掻き乱し始めた可奈美に、勇人はげんなりとした顔を惜し気もなく晒す。 「やーめーろーよ、やーめーろーよ。」「良いではないか~良いではないか~。」

 

そんな会話に対して渋い顔をしている姫和の胸に、ジクリと蝕むような痛みが走る。

 

 

『姫和の髪は、母さんに似てとても綺麗だね。』

 

そう、男は言う。

 

 

『もし、姫和が心を許せる相手が出来たら、その時は――――。』

 

その時は。

 

 

「――――。」

 

 

その時は…………なんだったのだろうか。

 

小学生の時の、褪せた記憶。 父の言葉の筈なのに、もう、声が思い出せなかった。

 

 

「姫和。」

「…………うわっ!?」

 

 

思考の海に沈んでいた姫和は、真横から顔を覗き込んできた勇人の接近に気付けなかった。

 

小烏丸の鞘に左手を添え、親指で鯉口を切った辺りで相手が勇人だと気付き、ようやく心臓の鼓動が鳴りを潜める。

 

「驚かすな、馬鹿者!」

「そんなに集中してたとは思わなくてさ。」

「……はぁ、そうか。」

 

 

カチリと鞘に納め直し、小烏丸を背中に戻す。 不意に勇人の顔を見やると、勇人はじっと姫和の紅い瞳を見ていた。 反して勇人の瞳は、黒――――と言うには明るく、かといって青と判別するには暗過ぎる。

 

なんとなく勇人の背にある御刀を見て、ようやく合点が行った。 そう、濃紺だ。 まるで雲が無い時の、月明かりが目立つ夜空のような紺色。

 

 

紺色の瞳が、姫和を見ている。

 

しかし不快には思わず、寧ろ()()には安心感があった。 どうしてか、無性に落ち着くのだ。

 

「か、可奈美、は……どうした?」

「ん? ああ、裏口があったら塞いでくるって言って奥に向かったけど。」

 

「……呼び戻してこい、話さないといけないことがある。 私が何故折神紫が大荒魂だと気付いたかについてだ。」

 

 

何故落ち着くのかわからず、それどころか間近で見る父以外の男の顔に、姫和の心拍数は加速する。 誤魔化しついでに、今まで黙っていた己の戦う理由を話す時期が来たと判断して、姫和は勇人に可奈美を呼び戻させた。

 

 

 

 

『その時は、この櫛を使わせてもいい相手かを、君が判断するんだ。』

 

『姫和が本当に、心から信じた人なら俺も安心できるからね。』

 

『相手が男だったら是非父さんにも紹介してくれるかい? 場合によっては一発――――いや、なんでもないよ。 うん。』

 

 

 

「……あぁ、そうか。 そうだったな。」

 

 

今は実家に置いてきてある、母の母、祖母から継いできた漆塗りの櫛。 父は『それで姫和の髪を櫛させてもいいくらいの信用できるパートナーを見つけろ』と言いたかったのだろう。

 

そして、その相手が男なら、きっと夜通し姫和の良いところを語り合ったりもしたのだろうか。 だがその願いは、終ぞ叶うことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そもそもの前提として、お前たちは二十年前のあの災厄を何処まで知っている?」

 

「えっと……相模湾岸大災厄、だよね。 今の伍箇伝の学長たちと当時の紫様の六人で、大荒魂を鎮めたっていう。」

 

「同文。 というか、逆に言えばそれだけしか俺たちは知らされていないんだよな。 なんというか…………妙に情報が少ない。」

 

 

うーん? と二人で首をかしげる。 姫和は、懐から一枚の手紙を取り出しながら言った。

 

「ああ。 それが正史であると言われているが、実際は違う。 あの戦いにはな、私の母も居たんだ。 母は大荒魂を鎮める役目を担っていた――――らしいが、それに失敗して今に至る。」

 

「どうして失敗しちゃったの? 誰かに邪魔をされた、とか?」

 

「いいや、邪魔は無かったが、半端に終わったんだ。 その結果、母の役目はヤツの力を削ぐだけに終わり、恐らくは、大荒魂は傷を癒す為に折神紫の体を利用しているのだろう。」

 

「姫和はどう思ってるんだ? 折神紫は体を乗っ取られているのか、それとも既に死んでいて、大荒魂が擬態しているのか。」

 

 

勇人の問いに、姫和の口は一文字に閉じられる。 目線だけが左右に揺れ、やがて口を開くと、あっけらかんとした言葉を紡いだ。

 

「知らん。」

「えぇ……。」

「どちらにせよ、私の目的は一つだ。 大荒魂を斬る。 それで人斬りの業を背負うことになるとしても、私は構わない。」

 

「――――あのなあ姫和。」

「なん…………むぐ」

 

 

ふと立ち上がった勇人の手が、姫和の頬を掴んだ。 手のひらを顎を支えるように添え、親指と残りの指で頬を挟み、むにむにと餅でも握るように指を動かす。 視界の奥で可奈美がクスクスと小さく笑っていて、姫和は苛立った。

 

「……にゃ()んだ」

「ここまで付き合ってきて、俺たちがお前を人斬りなんぞにさせると思うか?」

「そうだよ姫和ちゃん。 私言ったよね、人斬りになんかさせないって。」

 

 

手紙を握りしめる姫和の拳に手を添えて、可奈美は笑う。 先のモノとは違う、優しい微笑だった。 姫和の頬から手を離した勇人もまた、遠慮がちに二人の手に同じく右手を重ねる。

 

「――――私の母は……母さんは、年々体が弱っていった。 私に料理を教えてくれた次の年には立てなくなって、寝たきりになって、そして去年、長患いの末亡くなった。」

 

 

二人の顔を直視できない。

 

今の姫和には、少し眩しすぎる。 それでも、ぐっと堪えて、姫和の手を離そうとしない二人に、絞り出すように本心を表に出した。

 

「私の目的は、私怨での復讐だ。」

 

 

舌が乾く。 喉に言葉がつっかえる。

無意識に、顔を俯かせる。

二人の手が、熱いくらいに暖かかった。

 

「善意で復讐の手伝いなんて。」

 

 

声が震えて、視界が滲む。

 

「馬鹿だ、お前たちは。」

 

「あー、良く言われる。」

「……ねぇ、姫和ちゃん。」

 

 

勇人と姫和の手の間にある可奈美の手が、きゅっ、と姫和の手を強く握った。

 

「姫和ちゃんの重荷、私が半分持ってもいい?」

「――――勝手にしろ。」

 

 

吐き捨てるような言葉が、照れ隠しであることを、二人はちゃんと分かっていた。

 

「じゃあ俺も半分持つか。 俺と姫和で4分の1で、可奈美は残り全部よろしく。」

 

「私だけ50%!? ちょっとくらい勇人さんが負担してよ!」

「やーだー。」

 

 

うがーーー!! と叫んで、後ろからおんぶのように飛び付いて、腰に足を絡ませ首にヘッドロックを仕掛ける可奈美。 御刀はどうしたんだ。

 

そう指摘しようとしたが、見ていて面白いからやめる。 気づけば雨は止んでいて、姫和の心を蝕む痛みは、疾うに無くなっていた。

 

 

「おごごごごごごっ!?」

 

勇人は暫くの間、絞められた鶏のように呻いていたが、やはり面白かったので無視をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

頭頂部にコブを作りながらも溜飲が下り、どこか艶々している可奈美は、雨が止み、粒が葉から落ちる様を見ていた。

 

「いやぁ~これでようやく行動できるね!」

「次俺の首絞めてきたら命に関わるパンチするからな。」

「ご、ごめんなさい……。」

「ダメ。 暫く根に持ちます。」

「大人げない!」

 

 

やいのやいのと騒ぐ二人に、むっとした表情を向ける姫和が鼻を鳴らして言う。

 

「乳繰り合ってないで、さっさと行くぞ。」

「別に繰り合ってませんがね。」

「父?」

 

 

会話する三人の耳に、ふと、べちゃっ……という水音がした。 それが徐々に近付いてくる気配を感じ取り、それぞれが即座に意識を切り替え、御刀に左手を伸ばす――――――が。

 

「や……やっと、見つけマシタ……。」

「おめーら、ずりぃぞ……雨宿りしてやがったのかよ……っ。」

『ね゛ーっ』

 

 

ぜえはあと息を切らして木の幹に手を突く薫が、頭に毛皮の濡れたねねを乗せている。

 

エレンもまた、艶やかな金髪に水気を含ませ雫を滴らせていた。 山の天気は変わりやすいというが、急な任務ということもあって、二人は傘を持ってきていなかったのだ。

 

「しつこいぞ貴様ら! 私たちには行かなくてはならない場所が――――。」

 

「んっふっふ~。 ()()()なら、焦っても逃げたりしマセンよ?」

 

 

突如として第三者に目的地をピンポイントで言われ、姫和の腕の産毛が粟立つ。

 

余裕綽々のエレンの顔が、次いで姫和から勇人に向けられる。

 

「数日前まで親衛隊だったユートなら、舞草(もくさ)と言えばわかるデショウ?」

「舞草? 舞草……あー、舞草ね。」

 

 

言葉を反芻して、うんうん、と頷く勇人。

 

そしてポツリと呟いた。

 

「美味しいよね、舞草。」

「違うと思いマス。」

 

「……反・折神紫派の――――確かレジスタンスみたいな連中だろ? 折神紫が潰そうとしてるやつ。」

 

「デスデス。」

「ということは……なに、これスカウト?」

「ってよりは、お前らを連れてきても問題ないかの合否の判断を任された……だな。」

 

 

雑巾絞りのようにねねを絞って水気を飛ばしながら、薫は勇人の言葉に注釈を入れる。 ね゛ね゛ーっ!? という悲鳴は、聞かないことにした。

 

「つまり簡潔に分かりやすく言うと、『お前らごーかく』ってわけだな。 おめでとさん。」

「荒魂を使役する貴様の言うことを信用しろ、と?」

「こいつはオレのペット。 無害だ。 いやまあ、人によっては害か。 わはは。」

 

 

睨み付けてくる姫和の視線をのらりくらりとかわしながら、薫は挑発気味に返す。

 

「舐めた態度を取るなよ大太刀使い。」

「カァカァうるせえぞ小烏(こがらす)。」

 

 

片や、荒魂が憎い少女。 片や、荒魂(あいぼう)を敵視されてムカついている少女。 どちらが悪い、という訳じゃないのだが。

 

『こいつだけは気に入らねぇ』 ―――そんな感情が、ひしひしと二人の表情から滲み出ていた。

 

「……アー、ソーリー。 うちの薫がスミマセン。」

「喧嘩するほど仲が良いって言うじゃん、そのうち肩でも組みながら笑い合うさ。」

 

「誰がするか!」

「馬鹿言うなよ―――あれ、ねね?」

 

 

不機嫌そうに言う薫の手元から、いつの間にかねねが居なくなっていた。 辺りを見渡した薫は、ねねを胸に抱き笑う可奈美を見つけた。

 

「あははっ、くすぐったい!」

「……なんだ、今度はあいつに懐いたのか。」

「ねえ勇人さん! この子可愛いよっ」

「それにしては、妙に邪気的なモノを感じるんだけど。」

 

「やはり斬るか。」

「やだなぁ姫和ちゃんはそればっかり。」

「もー姫和ったら血の気が多いんだ。」

「は?」

 

 

デレデレした顔のねねは、勇人に頬を伸ばされながら自分を睨んでいる姫和を一瞥し――――視線を胸に移して、つまらなそうにため息をついた。

 

『ねねぇ……。』

 

「は――――!?」

 

 

ギン、と睨みを強くする。

わざとらしく可奈美の胸に体を押し付けるねねの行動を、エレンと薫が解説した。

 

「ねねはビッグなバストが大好きなんデスヨ。」

「んでもって、将来胸がでかくなる奴の可能性を嗅ぎ分ける。 可奈美の方は見込みがあるらしいが、お前は…………うん、ごめんな。」

 

「何故謝る…………!!」

「あいつ巨乳派なのか……。」

 

 

 

「……俺とは合わないな。」

 

勇人の呟きは、ねねの警戒する鳴き声に掻き消され、幸運にも姫和達に聞かれることは無かった。 その場の五人が森の木々の奥へと目を向けると、まるで獣が草木を掻き分けるような音がざわざわと――――森全体から聞こえてくる。

 

「この粘っこい気配…………そりゃそうか。 入り組んだ地形での索敵なら、お前が一番最適だもんなぁ。」

 

「勇人、何を言っている。」

「知り合いが来たらしい。」

 

 

感慨深いような、懐かしいような。 複雑な顔をして、勇人は背中に回していた御刀を鞘から取り出し、静かに写シを張った。

 

「――――折角、腕の傷、全部治したのにな。」

 

 

その言葉を皮切りに、森の奥から、雪崩のように荒魂の群れが湧き出した。 土砂降りの雨を真横に向けたような、小さな蝶々の荒魂群。

 

まるで意志があるかのような動きで、蝶々は我先にと勇人に群がり、そのついでとして他四人を飲み込む。

 

 

「おいちょっと待てなんで俺ばっか狙っ……まずっ、エレン! これを……ぬわーーーっ!!」

 

 

叫びながらエレンに何かを投げ渡した勇人の姿は一瞬で見えなくなり、それぞれはあっという間に分断されてしまった。

 

 

 

――――山狩りの夜が、始まる。

 

 

 






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獅子の山狩り

 

 

 

 

幼い少年は、数年歳上の少女と向き合っていた。 普段から老人かと疑う程にぼやっとしている少年が、珍しく少女に質問をしている。

 

「ねえきょーちゃん。」

「あん?」

「やりたいことがいっぱいあるとしてさ、自分はどれをやって、どれをやらないでいれば良いかわからない……とするじゃん。」

「おう……おう?」

「そう言う時って、どうすれば良いんだと思う?」

 

 

少しばかり精神が早熟気味だからか、歳不相応な質問をする少年。 少女は、くっくっと笑い、何故笑われたのかわからない少年のムスっとした顔を見て更に笑う。

 

「なんだよ、もう。」

「…………いや、いや。 お前もそういうので悩む歳なんだな、ってさ。 んなの簡単だろ。」

 

 

「――――――――。」

 

 

パクパクと口を動かす少女。 しかし、言葉がなにかわからない。 聞こえない。

 

これが夢であると気付いたのは、身体が訴える鈍痛で無理矢理意識が覚醒したその刹那であった。

 

 

 

 

 

 

 

「――――ぅ、お……。」

「なんだ、まだ意識があったのか。」

「お陰様でな……っ」

 

 

御刀を杖代わりに身体を支え、再度立ち上がる。 まるで爆弾でも落ちてきたかのように、文字通り獅子がごとき雰囲気を放つ少女を中心として、木々がへし折れ局地的な更地が出来ていた。

 

「……あいつのテレフォンパンチよりは軽いな。 ちゃんと飯食ってるか? 野菜も食えよ。」

「そんなに減らず口が叩けるなら、あと三回は切り刻むとしよう。 紫様には生かして連れ帰れと言われているんだ。」

「一文の中で即矛盾させるのやめない?」

 

 

獅童真希は、己の御刀・薄緑(うすみどり)を構えてスムーズに写シを張った。 呆れたタフさだ、そう呟くと、後ろで傍観を決めていた寿々花に話し掛ける。

 

「寿々花、君は参加しないのかい?」

「あら、してほしいのかしら?」

「……いや、僕だけで充分だ。」

 

 

驕り、等ではない。 真希の態度は、相応の実力に裏付けられたモノだった。

 

「(結芽はこいつが()()()と言っていたが……どういう意味なんだ。 僕は結芽ほど何度も戦ったわけではないし、教えてくれないからなぁ。)」

 

 

獅子は兎を狩る時だろうと本気で取り掛かるというが、今の真希の気迫を見るに、その通りなのだろう。 勇人もまた御刀を構え、刀身を紅くさせ――――る直前で踏みとどまる。

 

「(使わない方が良いよな……薫の御刀弾く時に少し力を使いすぎたし。 しかも、なにより、もう既に()()()()()()()()。)」

 

 

確認するように柄を握る右手をそのまま軽く振り、既に二度剥がされた写シを計算に入れ、あの場にいた誰かの助けを待つか、自分でどうにかするかの判断を即座に思考するが―――。

 

「(うん、だめそう。)」

 

 

上段の大振りを受け止めながら、勇人はそこまで考えて思考するのを止めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――ええ、はい。 勇人く…………藤森勇人らしき反応の刀使はお二人の元へ誘導させました、ポイントに急行してください。」

 

 

一瞬、僅かに、勇人の名を呼ぶ際に声を詰まらせた少女だったが、それも気のせいであるように振る舞い、電話を切る。

 

不気味。 と言われることが良くあった。 皐月夜見は何を考えているかわからない、戦っている姿を見たことがない。

 

 

故に不気味、と。

 

 

しかし、夜見は己の戦い方を他人には見せられない。 客観的に見て、夜見の力は、あまりにも異常過ぎるのだから。

 

「――――っ。」

 

 

鍔の無い御刀・水神切兼光(すいじんぎりかねみつ)を左腕に滑らせ、都合四度目の自傷行為を行う。

 

美しかったのだろう色白の肌に出来た赤い線から、鮮血が溢れ出す――――と言うことはなく、どういうわけか、腕から溢れたのは目玉だった。

 

 

目玉は一つ二つでは収まらず、表面張力で決壊していない水のように腕の上で膨らみ、やがてぶわっと溢れて宙に舞う。 鮮やかなオレンジを孕み、黒い骨格で閉じ込めているそれは、紛うことなき荒魂そのものだった。

 

これは勇人が真希と寿々花に鉢合わせる数分前の出来事である。 腕のジクジクと焼けるような痛みには慣れている筈なのに、どうしてか、腕を斬る度にそれとは違う痛みが走っていた。

 

 

「…………足りない。」

 

 

索敵、分断、誘導に使う荒魂の量か、はたまた荒魂の生成に伴い失った血液か。

 

或いは両方か。

 

恐らくどちらの事も指しているのだろう言葉を紡ぎ、夜見は懐からオレンジ色の液体と、気味の悪い固形が入っている、軍用の押し当てるだけでいい特殊な注射器を手に取る。

 

「――――うぁ」

 

 

首にそれを押し当てた夜見の耳に、プシュッという気の抜ける音がし、そして血管の中に喪失感が入り込んでくる。 先程まであった熱を伴う痛みが、それとは違う痛みが、無くなった。

 

――――その違う痛みが、罪悪感であるという事実も、無くなった。 急速に思考が冷めて行き、五度目の自傷を行おうとしたその時。

 

「とんでもないな、親衛隊。」

「――――貴女、は……。」

 

 

前方から聞こえてきた幼い声。

 

夜見が見やるとそこには、身の丈に合わない大太刀を担ぐ少女―――益子薫が居た。

 

「身体にノロぶちこんで、血と混ぜて荒魂を作成、か。 ぶっちゃけキモいぞそれ。」

「そうですか。」

「そっちのペットに、オレのペットが世話になったからな。 今、ちょいとキレてる。」

「……そうですか。」

 

 

語気が強い薫の声に、反して淡々とした声色の夜見は、一旦止めた五度目の自傷を行い、荒魂を生み出すと囁くように言った。

 

「戦うというのであれば、どうぞご随意(ずいい)に。 私はただ――――壊すだけです。」

 

「やってみろッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

濁流のように木々の間を埋めつくし、流れて行く蝶型の荒魂の群れ。 木の枝に登り、流されるのを回避していたエレンは、手元のスペクトラムファインダーの表示に顔をしかめていた。

 

「おかしいデスネ…………このファインダーは折神家からの官給品、これだけの荒魂を()()()()()()()()なんてありえないのデスが……。」

 

 

ピンッと湿気った前髪の一房を指で弾くと、一息吐いて続ける。

 

「やはり折神家は真っ黒という事デスか…………もう一押し、何か証拠が欲しいのデスがねぇ。 それに、これもどう使えば良いのか。」

 

 

ほんの数分前に勇人から投げ渡された物体を手のひらの上で転がす。 それはSDカードを入れるような容器に納められた、小指の先にも満たない大きさの、楕円形の何かだった。

 

「これは恐らくイヤホン……。 大きさから見て受信しか出来ないタイプデスネ。 なら、ユートからの通信を待つしかないのデショウが……。」

 

 

不意にエレンの脳裏に甦る、勇人が荒魂群に呑まれて行方を眩ます様。 今すぐ通信が入る、という事はあるまい。

 

「――――賭けに近いデスが、きっと、この手しかありマセンねぇ。」

 

 

薫なら止めるデショウね、と付け加え、エレンは一人で小さく笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「三人とも無事かなぁ……。」

「さて、な。 それにしてもあの荒魂……勇人に固執しているように見えたが、なんだったんだ。」

「勇人さんを好きな荒魂だったとか?」

「馬鹿言え。 荒魂にそんな意思なんかあるわけ無いだろう。」

 

 

森の中にぽっかりと出来た空間、川と岩が並び水流のお陰で涼しさがあるそこに、可奈美と姫和は逃れていた。

 

咄嗟に可奈美を引っ張った事ではぐれる事無く逃れられた姫和は、可奈美の『じゃあ』という言葉に顔を向ける。

 

「ねねちゃんは、意思のない存在なのかな。」

「あれは淫獣と呼ぶんだ。 何が巨乳好きだ、馬鹿馬鹿しい……。」

「でも、ああいうのを見ちゃうと荒魂にも『欲』があるんだ~って思わない?」

「…………欲があるなら、刀使を襲う荒魂にはどんな『欲』があると言うんだ。」

 

 

うーん? と言い唸る可奈美。

 

「そこまではわからない……けど、話せる荒魂ってなんだか面白そうじゃない?」

「いいや全く。 現に折神紫がそうだろう、だが、アレが話の通じる荒魂に見えたか?」

 

「…………姫和ちゃん、会話してると最初に否定から入るからつまんない。」

「は……?」

「あとすぐ『は?』って言うよね。」

 

 

唇を尖らせ、ツンとした態度を取る可奈美。 額に青筋を浮かべる姫和は、そんな事を言っている場合では無いと叱るか思案するが、可奈美の瞳が不安で揺れている事に気付く。

 

強く、賢い刀使だったからこそ忘れていたが、この場において可奈美は13歳。 最年少だ。 姫和の記憶には残っていないが、長船の二人も15歳である。 ――――可奈美は子供なのだ。

 

 

どうしようもなく子供なのだ。

 

友人を振り切り、逃げて、逃げて、逃げた先で、今度は荒魂の濁流に呑まれる。 不安にならなければ、逆におかしい。

 

今、可奈美は煽ってでも姫和に構われたいのだ。 少しでも不安が紛れるなら、なんだって良いのだろう。 小さい頃の自分も、体が弱い母や仕事で忙しい父にこうやって構ってもらいたがったな、と。 姫和は顔を背けて笑う。

 

「くくっ、なあ、可奈美。」

「なんですかー。」

「そう拗ねるな。 なんなら、手でも繋いでやろうか?」

「…………え゛っ!?」

「私も母が居たときは、不安になると、寝る時に手を繋いでもらっていた。 暖かくて、気がついたら朝になっているんだ。」

 

 

しみじみと呟く姫和に、何とも言えない顔をして、むむむと唸り可奈美はそっぽを向いた。

 

「~~~っ! もう、早く皆を探そう!」

「子供だな。」

「ふーん!」

 

 

口では不満を漏らしながらも、可奈美の口角は上がっていた。 だが、浅い川を越えて森に向かおうかと提案した可奈美に姫和が同意した瞬間、その森の奥から木が倒れる音が断続的に響く。

 

「っ、可奈美!」

「うん、わかってる!」

 

 

素早くそれぞれが小烏丸と千鳥を抜き、構えを取る。 自分達がいる方向へと木々を薙ぎ倒しながら迫る何かは、時折、甲高い金属音を奏でた。

 

――――それが剣戟の音であると最初に理解したのは可奈美で、それに伴い鼻を突く鉄錆の臭いがすると気づいたのが、姫和だった。

 

「これ、多分、御刀を打ち合う音―――こっちに来てるの……荒魂じゃない……?」

「それに血の臭いだ、刀使なら写シを張れる筈だが……どうなっている。」

 

 

警戒心を強め、御刀を握る手にも力が入る。 やがて、バキバキと枝をへし折りながら雑木林を薙ぎ倒して、所々に赤色を纏わせ、一人の男が吹き飛び川に落ちてきた。

 

今さら『誰だ』と質問をする必要すらない。 それは勇人だった。 写シの張れる刀使でありながら、全身には致命傷とは呼ばないが、それでも刀傷だろうと判断できる線の傷を負っている。

 

 

ドボンと水飛沫を立てて落ちてきた勇人が、川の一部に赤色を交わらせた。

 

ゆらり、と。 幽鬼めいた動きで立ち上がり、膝が崩れて足首程度の深さの川底に手を突き、御刀の切っ先を底へと刺す。

 

「――――う、ぉえ。 …………傷は治せても、造血までは出来ないとか…………このポンコツ野郎め……。」

 

「勇人さん!?」

「お前は……どうしてそう、何度も人の前に吹き飛んでくるんだ……?」

 

「…………んぇ?」

 

 

呂律が回っていない声と共に、背後の大岩の上に立つ二人に虚ろな目線を向ける勇人。

 

「おー……おう、さっきぶり。 数分前なのに、もう随分会ってない気がしてた所だ。」

「さっきの荒魂にやられた訳では無さそうだな、相手は刀使だろう?」

「……ああ、そもそも、さっきの蝶々の荒魂も、人間が作ったモノだしなぁ。」

「それについては後で聞く。 お前、誰にやられたんだ?」

 

 

「――――僕さ、十条姫和。」

 

 

大岩から降りた姫和に肩を借りて立つ勇人だが、不意に聞こえてきた第三者の声に、ぞわりと怖気立った。 とても人とは思えない獰猛な気配と、冷徹な声色。

 

テーピングされた柄と鞘に加え、ジャージを羽織る姿を見て、眉を潜めながら姫和は呟いた。

 

「……獅童真希。」

「馴れ馴れしく呼ぶな。」

「一応、わたくしも居ますわよ。」

「貴女は確か……此花寿々花さん?」

 

 

可奈美の言葉に、寿々花はにこりと笑う。 しかしその瞳は冷ややかで、この場の勇人たち三人を格下だと見下していることが窺えた。

 

「いくら勇人が裏切ったとは言え、写シを張れない相手を切り刻んだのか。」

「そいつは生半可な攻撃じゃ死にはしない。 本人がそう言っていたし、事実、僕は勇人に二度致命傷を叩き込んだが見た限り治っている。」

 

 

ちらりと姫和の視線が勇人に向かう。

 

確かに、背中に斜めに斬られた痕があり、腹にも一閃、深く斬られた痕があった。 だがみみず腫のようなそれは、まばたきの間に消えてしまう。

 

「まあ、腕が取れてもくっつけたら治るし……。」

「プラモデルかお前は。」

 

 

そう言いながらも、勇人が姫和から退いて一人で立つ。 今までの数分の会話で、既にある程度の回復が出来たらしい。

 

「いい加減君と戦うのにも飽きてきた所だ、十条姫和と二人で来い。 捩じ伏せてやる。」

「やってみろ―――ッ!」

 

「では、わたくしは衛藤さんを。」

「任せるよ。」

 

「可奈美、気を付けろよ。」

「それ私が言うべきなんだと思うよ……。」

 

 

五人が御刀を握る。

 

既に写シが剥がれ落ち、体力が尽きかけた勇人。 車の構えを取る姫和。 霞の構えを取る真希。 迅移を使い可奈美に接近する寿々花。 無形の構えをして寿々花を待つ後の先の可奈美。

 

 

雨が止み、雲が晴れ、夜空が照らす川。

 

「――――おぉオッ!!」

 

 

戦いの火蓋が、獅子の咆哮を以て切り落とされる。 バチャッと水を蹴り飛ばすように踏み込んだ真希の神道無念流の上段が、二人の背後にあった大岩の表面を、豆腐のように切り裂いた。

 

 

 






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鬼の角

 

 

 

―――そも、刀とは打ち合いには向かない剣である。 加えて、時代劇等のチャンバラに良くある鍔迫り合いなんかも、刀としてのリーチが潰れる行いだ。 愚の骨頂と言っても過言ではない。

 

刀を振れば、刀身が当たる。 そんなギリギリの―――――すなわち一足一刀の間合いこそが、刀使として保つべき距離であり…………。

 

 

「ぜぁ!!」

「おごぉ!?」

 

「こいつ……普通殴るか!?」

 

 

顎を砕く勢いで殴打を行う刀使が居たという歴史は、類を見ない。 真希の薄緑を握る方とは別の左手には、ベットリと、勇人の口から漏れ出し、吹き出た鮮血が付着していた。

 

八幡力で腕力を底上げし、片手で振るう薄緑で小烏を追い払いながら、獅子は牙の抜けた犬さながらの腑抜けにインファイトを仕掛ける。

 

「ちょっ、剣で来いよお前……っ!」

「刀使の武器が御刀だけなわけがあるか。」

「そりゃまあ、ごもっともで!」

 

 

真希の首を狙う水平斬り。

 

それを屈んで避けた真希は、がら空きの右脇腹に拳をめり込ませる。

 

肝臓に突き刺さる拳に押し出されるように、ごぼっと口から紅色を吐き出す。

 

「が、げ、ぇ」

「……これのどこが結芽の御眼鏡に適う相手なんだ。 弱すぎるぞ、嘆かわしい。」

「勇人! っ、貴様……!!」

 

 

完全に熱が冷めきった真希。 姫和の行う二段階でのひとつの太刀が、突き放された距離を縮める。

 

突如として放たれる凄まじい速度の突きで、勇人と真希の間に割り込み、反射的に下がった真希へと裏拳を放つように小烏丸を振った。

 

「君は厄介だな、両刃の御刀なら……そういう使い方も出来るのか。」

「しっかりしろ、逃げる算段を立てるぞ!」

「……ぞ、れなら、もうあ゛る……。」

「……なに?」

 

 

難なく小烏丸を薄緑で受け止めた真希は、勇人の元に下がる姫和をさせるがままにさせる。 そして密かに八幡力の段階を引き上げ、勇人に狙いを定めた。

 

赤い泡を吹きながら、刀身を()()輝かせ、ボディブローを叩き込まれた肝臓に神経を集中させつつ、勇人は姫和に小さな声で言う。

 

「…………俺が意地でも隙を作るから、可奈美と逃げろ。 賢いお前ならわかるだろ。 俺、今意識を保つのもやっとなんだよ。」

「勇――――いや、わかった。 死にはしないんだな?」

「折神家に連行されたらどうなるかはわからないが、今すぐ殺されるって事は、ない筈だ。」

 

 

確証は無い。 だが今現在、誰が一番弱く足手纏いかを、勇人は良く理解している。

 

「……わかった、わかりやすい合図を頼むぞ。」

「可奈美に加勢しろ。 ……行け!」

「――――ハァッ!!」

 

 

姫和の跳躍と共に、勇人は()()()()()()()()とわかっているうえで、八幡力を発動して段階を上げる。 直後、ぶちっと何かが千切れる音が、勇人の耳に届いた。

 

「ぶぇ……ぇう」

 

 

視界が赤く染まり、鼻からねばついた液体が垂れる。 膨れ上がる腕力を筋肉自体が支えられず、筋繊維が千切れ、爆発的に増した心拍が眼球と鼻の血管に負担を与え―――――そこまでして、やっと勇人は今の真希の半分にも満たない膂力を得た。

 

「とうとう限界か?」

「ぢげぇよ、ばーか」

 

 

これ以上戦ったら殺してしまうかもしれない。 そう考え、薄緑の峰を向けた真希だが、勇人の意識が背後の大岩に向いているのに気付き叫ぶ。

 

「なっ……寿々花!!」

 

「っ…………くぅっ!」

 

 

乱入してきた姫和を加えた二対一でも余裕をもって攻撃を捌いていた寿々花は、真希の声の焦り具合から、迅移を使って真希の側に撤退する。

 

それと同時に可奈美を小脇に抱き上げ、跳躍し木々の間に姿を消す姫和の背中を見届けた勇人は、下から掬い上げるように大岩に御刀を叩きつけ―――。

 

 

 

「――――ぉぉぉおぁああぁあアアアアアァァァァア゛ア゛ッ゛!!!」

 

 

 

地面から引っこ抜かれた大岩が、宙を舞った。 寿々花、可奈美、姫和が八幡力を使ったうえで何度も強く踏み込んでいたそれは、宙で瓦解すると砕けた石の雨霰となり降り注ぐ。

 

 

「馬鹿な……!?」

「ここから離脱しますわよ! 真希さんは勇人さんを抱えてください!」

「っ……やってくれるな、犬!」

 

 

ぎり、と歯軋りしつつも、逆袈裟に御刀を振り抜いたまま仰向けに倒れた勇人を拾い、二人はその場から迅移で消える。

 

後に残ったのは、川に流される血液と、無惨に砕けてガラガラと音を立てて落ちてくる岩だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………超いてぇ。」

 

 

全身の気だるさを我慢して、勇人は硬いベッドから起き上がる。 怪我人が抵抗など出来ないと判断されたのか、拘束されている訳ではなかった。

 

「……捜索隊のキャンプ、か?」

 

 

腕や胴体に包帯や湿布がこれでもかと貼り付けられていて、若干の動きにくさを覚えるも、勇人は御刀が当然として手元に無いことを悟る。

 

「今手にしてもまた負けるだけか。 それにしても何時だ……あれからどれだけ経ってる……?」

 

 

ヨロヨロとおぼつかない足取りでテントから出ると、タイミングが被ったらしく、拘束されたエレンが隊員に連れられている場面に出くわした。

 

「…………!!」

 

 

ボロボロの勇人を見て僅かに目を開くエレン。 しかし、自然な動作で耳を指で叩いた勇人の動きを確認して、小さく頷いてから隊員の後ろを歩いていった。

 

「――――藤森さん!? 駄目じゃないですか安静にしてないと!」

「…………誰でしたっけ。」

「私の事は良いですからとにかく戻って! 獅童隊長が連れてきた時、死ぬ寸前だったんですよ!?」

 

 

勇人がテントから出てきたのを発見した、長銃と頑丈な陸軍の装備を身に付けた、エレンを連れていった隊員とは別の男性。 大慌てで駆け寄ってきた男性は、手荒に出来ない勇人をやんわりとテントに戻そうとする。

 

「これね、あー、熊にザックリやられちゃって。」

 

 

まさか真希にやられたとは答えられない勇人は、適当にでっち上げながらテント内に入る。 男性はベッドに座った勇人を見て心底ホッとしたようにため息をつき、ヘルメットを脱いで対応した。

 

「熊……熊型の荒魂とかですか?」

「そんなとこ。」

「そのような報告は無いのですが……まあ良いでしょう、私は長船の――――古波蔵エレンさんを見張る任を与えられたので、これでお暇しますよ。」

 

「はいはい、お疲れさんでした。」

「はぁ……なんだか無性に疲れるんですよね、藤森さんと話してると。」

 

 

そう言いながらテントから出る男性。 再び静かになった空間に無音が広がり、数分してから、勇人は首もとの装置を弄る。

 

「首を斬られるのだけは死守できて良かったな。 お陰でエレンにメッセージを送れる。」

 

 

幸運にも腹と腕の治療だけで済んだ事もあって、勇人の首もとの検査はされなかったのだろう。 事実、キャンプに戻った真希達は直ぐにエレンと話し、勇人を専門の医者に任せ、やけに正確な位置への通報を聞いてキャンプから出ていった。

 

あともう少し時間があれば、破れかけた制服を脱がした事で、首の咽頭マイクの存在が気付かれていた事だろう。

 

 

完璧に治されたらまた動かれると判断した真希が治療を最低限で済ませて放っておくように、と言わなければ、計画は頓挫していた。

 

勇人は咽頭マイクにスイッチを入れて周波数を合わせてから、カチリと手を当てて声を発する。

 

「――――これは、エレンが受信用の小型ヘッドセットを耳に入れていることを前提として話している。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

軍用の装甲車に入れられ拘束されていたエレンが、拘束を解いて見張りを気絶させたのは、勇人が咽頭マイクを弄り始めるほんの十数秒前だった。

 

「…………流石に、女の子の谷間までは調べないデスよねぇ~。」

 

 

鼻歌混じりで制服のボタンを外し、胸元に指を差し込んで、勇人に投げ渡されたイヤホン――――耳に入れるタイプの小型ヘッドセットを入れたケースを取り出す。 連絡が取れない四人への不安も、勇人との予期せぬ再開で三人に減った。

 

一縷の望みに賭けてヘッドセットを耳に入れた刹那、ザーッという雑音の後に、男の声が耳に直接響いてくる。

 

『――――これは、エレンが受信用の小型ヘッドセットを耳に入れていることを前提として話している。』

「うひゃっ。」

 

 

男の声が耳元で聞こえる、ゾワゾワとした背筋への寒気。 それを我慢しながら、エレンは次の言葉を待つ。

 

『エレン、それは受信しか出来ない。 だからこれは一方的なメッセージになる。』

「はい、わかってマス。 ……ふふっ」

 

 

つい答えてしまった自分に笑いながらも、勇人の声を聞き入れる。

 

『舞草が反折神紫派ということは、なにか決定的な証拠が欲しいんだろう? なら、俺が居るのとは別の医務室として使ってるだろうテントを探せ。 そこなら間違いなく、夜見が補充に使うノロのアンプルがある筈だ。』

 

「……ノロの、アンプル……?」

 

『それと、エレンの御刀は俺の居る医務室の二つ横のテントだ。 裏から回ればバレないだろう。 何かアクションがあれば、俺も自分の御刀を取り戻して加勢する。 怪我については気にするな、()()()()()。』

 

「治せる…………デスか。」

 

 

時間と余裕が無い事もあり、捲し立てる勇人の言葉を、一つ一つ噛み締めるエレン。

 

『真希と寿々花は隊員を連れてどこかに行った。 多分だが、姫和達がデマでも流してくれたんだろう。 チャンスを無駄にするなよ、あと、夜見に見つかるな。 蝶の荒魂の群れを出した張本人と言えば、エレンなら厄介さが分かるだろ?

 

 

んじゃまあ頑張れ、俺はちょっと休憩する。』

 

「エッ。」

 

 

ぶっきらぼうに締めると、勇人は通信を切った。 エレンは知らないが、勇人は現在、辛うじて立てるだけなのだ。 実際は喋るのも辛いだろう。

 

「む、む。 少しカッコイイと思いマシタのに…………男の子はすぐこれなんデスから……。」

 

 

ふう、と一息。

 

「――――さて、始めマスか。」

 

 

 

 

 

装甲車から出てテントの裏に回ったエレンが、テント裏でサボっていた隊員に鉢合わせ、即座に顔面にハイキックを叩き込んだのは余談である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勇人と、勇人の使う御刀は、不可思議な繋がりがある。 薫…………厳密には益子家の刀使が、ねねという穢れの無い荒魂と、隠世の幽体同士で繋がっているように。 具体的な説明が出来ないとしても――――勇人は御刀と繋がっている。

 

何故少女でもなければ巫女でもない、そもそも男の自分が刀使になれているのか、その理由は単純明快である。

 

 

勇人が御刀自体に気に入られているのだ。

 

 

刀使が御刀を選ぶのではなく、御刀が刀使を選ぶ―――とは、誰の言葉だったか。

 

「…………そろそろ手元に戻さないと、怒り狂ってすっ飛んでくるな。」

 

 

呼吸のしづらさ、真希との戦い、敗北、怪我、敗北、敗北、負け――――――不意に、ドロリとした黒い感情が湧いてくる。

 

「俺がもっと力を引き出せば、真希に負けるなんてあり得ない。 結芽にも引けを取らない――――最悪折神紫にだって、刃を届かせられる。」

 

 

そこまで呟いて、ハッとした勇人は枕に顔を埋めた。

 

「…………駄目だ。 アレは、駄目だ。 アレは俺の力じゃない……必要以上に引き出せば、間違いなく人の道を踏み外す。」

 

 

しかし、使わなければ誰の隣にも立てない。 それがわかっているのに、勇人は、御刀の力を使うのが怖い。 傷を癒し、ノロを消し去り、最適な動きを再現出来る力は、使いすぎれば堕落する。

 

酷使した体が熱を持ち、意識がボヤけ始めたその時、外から金属をぶつけ合う音が聞こえてきて勇人は飛び起き――――痛みに硬直して硬い床に体を打ち付けながら倒れた。

 

「ぐえっ」

 

 

頭を振って痛みを我慢し、足を引きずりながら外へと出る。

 

数名残った隊員がざわめくなかで、エレンと夜見が、白い残像を残しながら御刀を打ち合っていた。 そのまま坂を登って森に向かった二人を追うために、勇人は手のひらを装甲車を挟んで奥にあるテントへと向ける。

 

「獅童隊長の連れてきた――――危険なので下がって! 古波蔵エレンは皐月隊員が追っています!」

「…………いや、ほんと、悪いね。」

「……はい?」

 

 

怪我人故に、連行すべき犯人であろうと、隊員は優しく接する。 だが勇人は、装甲車の更に奥へと意識を向けながら謝罪した。

 

 

ガン、ガン、ガツンという音が響き、隊員は勇人が手を向けている方へと視線を逸らす。

 

「これ場所的に装甲車ぶち抜くかも。」

 

 

――――直後、ボンッとエンジンを貫いて、装甲車の奥から、夜空を押し込めたような色合いの鞘に収まった白柄の御刀が、ひとりでに勇人目掛けて一直線に飛んできた。

 

体をよじって直撃を避けつつ、鍔と鯉口の間を掴むと、勇人の全身を、炎症の熱とは違う暖かさが包み込む。

 

「あー……写シ貼れるかな……。」

 

 

そう呟きながら、勇人は、唖然とする隊員の一人を横目に、二人を追って迅移を発動した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――セイッ!」

「っ、ぐっ……!」

 

 

適宜腕を傷付けては、荒魂を放出して距離を取る。 夜見は弱い。 勇人がただシンプルに剣術の才能が無いだけな事に反して、夜見は刀使としての適性が低かった。 しかしその代わりであるかのように、ノロへの耐性が高かった。

 

だからこそ何度もノロを体内に入れても、荒魂化するなんて事はなく、寧ろ己の力として荒魂を生成して使役できていた。 エレンの蹴りを水神切兼光の腹で受け止めながら、夜見は後退する。

 

「むむむ……厄介デスね、その力は……。」

「これだけが、私の取り柄なので。」

「荒魂を利用して、その配下となって、そうまでして、何故力を求めるのデスか?」

 

 

エレンの言葉に、不自然な程にピタリと夜見の動きが止まる。 能面のような無表情に、ピシリと亀裂が走ったように口角が歪んだ。

 

「――――勇人くんは、御刀に愛されています。」

「ハイ?」

 

「勇人くんが弱いと、獅童さんや此花さんは思っていますが、事実でしょう。 しかし力が無くとも、勇人くんは『好い人』でした。 私と同じように才能と力が無いにしても、私と違って勇人くんは、優しくて、好い人でした。」

 

 

水神切兼光を地面に突き刺し、両手の指に、ノロの詰まったアンプルを挟ませる。 合計八本のそれを、躊躇いなく首の血管に突き刺して注入した。

 

「力が無くても優しい―――それが長所なのが勇人くんです。 力が無くて優しくもなく、ノロに頼らねば貴女と斬り合う事も出来ないのが、私です。 ―――なのでもう、容赦は出来ません。」

 

 

遠回しではあったが、夜見の言いたいことはエレンに伝わっている。 夜見にはそれしか無かったのだろう。 夜見は、ノロを取り込んで、やっと並の刀使の力を手に入れていた。

 

「…………オーバードーズは命に関わりマスよ。」

「私の命を気にする人なんて、居ませんから。」

 

 

「――――ここに居るだろ、馬鹿野郎。」

 

 

エレンの背後から聞こえてきた男の声。 振り返ったエレンと、アンプルを無造作に捨てた夜見は、件の勇人が来たと理解する。

 

「ユート!?」

「……勇人くん。」

 

「夜見に褒めちぎられてて出ようにも出られなかった……とかじゃ無いからな。」

 

 

良く見れば、破れた制服のまま来ている勇人は、額に汗を滲ませ、未だ呼吸は荒い。 御刀を握っていても、写シが貼れていない様子から察するに、怪我を全て治せても体力と気力はどうにもならないのだろう。

 

「なあ夜見、俺さ、ずっと悩んでたんだよ。

任務に出ると腕を傷だらけにして帰って来て、高津学長には事ある毎に怒られて、周りの刀使からは気味悪がられて、なのになんの反論も、怒りもしないお前から、ノロを消すことが本当に幸いなのかって。」

 

 

話を聞きながらも、夜見の右目が変形し、角のように硬質化する。 まるで鬼のようなそれと、苦しみがあるのか歪んだ夜見の表情に顔をしかめながら、勇人は御刀を握る手に力を入れた。

 

「…………身勝手だと思われようが、もう知らない。 俺はお前に嫌われてでも、お前からノロを奪わせてもらうぞ。」

 

「ユート……。」

 

 

エレンの横に立ちながら、勇人は霞の構えを取る。 そんな勇人の顔を見て、エレンは静かに八双の構えを取りながら両足を広げた。

 

地面に刺した水神切兼光を手に取り、夜見は左目で二人を――――勇人を睨む。 勇人の御刀を睨む。 御刀から切り離され穢れとして扱われているノロを取り込み、その影響を受ける夜見は、叫ぶように吠えながら二人へと接近する。

 

 

「……これ倒せる?」

「啖呵を切ったのはユートでショウ!?」

 

 

 






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想い出と鬼退治

 

 

 

「お前さん、なにしてんの?」

「……オラ、その……迷子さなってしまっただ。」

「――――すまねぇロシア語はさっぱりだわ。」

「秋田弁だで。」

 

 

夏空の下を歩く少年は、黒髪に麦わら帽子を被せた少女が、田んぼの横で座り込んでいるのを見つけた。 秋田で育ってはいるものの、秋田弁を欠片も理解できない少年は首を傾げるが、『迷子』という単語だけは聞き取れたようで合点が行ったように頷く。

 

「迷子……迷子ねぇ。 じゃあ、こっから近いし、俺んち来る? まあ家じゃないけど。」

「……ええんだが?」

「は? ……あー、もう、帰ったら秋田弁勉強するか……。」

 

 

ガシガシと髪を掻き、ため息を一つに、少年は少女に手を伸ばした。

 

「俺は藤森勇人、今年で9歳。」

「……オラは皐月夜見だ。 ……7歳。」

 

 

夜見は勇人の手を取った。

 

夏の暑さも気にならないくらい、夜見の心臓の鼓動は早まっている。 勇人に引かれながら、そんな夜見はポツリと呟く。

 

「……あんだは、好い人だべ。」

「ははぁ……だろ? そう成れって言われて育ってるもんでね、俺以上の聖人なんてそうそう居ないからな。」

「……結構くっちゃべるだな。」

 

 

田んぼと林を挟んで、土を固めただけの道を歩く二人。 沈黙に耐えきれなかった勇人が、夜見にふと質問を投げ掛ける。

 

「夜見ちゃんは、大きくなったら何になりたいの?」

「オラか? オラは……刀使さなりたいだで。」

「刀使かぁ。 カッコイイよね、刀使。 ――――あんな力があれば……。 あんな、力が…………。」

 

「っ、いでっ」

「――――ごめん。」

 

 

思わず力強く夜見の手を握ってしまい、慌てて緩める。 夜見の手が離れそうになったが、今度は夜見から、おずおずと勇人の指に手を絡めてきた。

 

「む。 ……んー、あー。 あ、そろそろ昼飯の時間だけど、なんか食べたいものってある?」

「それだば、おむすびを。」

「お握りね、了解―――」

 

「おむすび。」

「………………。」

 

「おむすび。」

「…………はい。」

 

 

その目は、対応を間違えたら死ぬのではというほどに本気だった。 直後に顔を赤くして照れている夜見を見ながら、勇人は大笑いする。

 

「すたらさ笑わなくても……。」

「ふっ……ごめんごめん。」

 

 

濃紺の瞳を細め、愉快そうに笑う。 釣られて夜見も無表情を少しだけ崩して目尻を緩めたが、されども運命とは、残酷を極めていた。

 

命を削りながら互いの体を刻み合う戦いに身を投じることになろうとは、当時の二人には―――思いもよらなかった事だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――ォォオオオオオオオッ!!」

 

「――――ガァァアアアアアアッ!!」

 

 

果たしてこれは、刀使同士の戦いだと言えるのだろうか。 そんな事を思いながら、エレンは辺りに飛び散るノロと鮮血を間近で見ていた。

 

獣じみた咆哮が喉から絞り出され、殆どノーガードでお互いの御刀を体に受ける二人だが――――既に体が限界の勇人と、ノロの過剰投与で痛覚が鈍い夜見。 どちらが圧されているか等、比べるまでもなかった。

 

「っ―――動けマセン……!」

 

 

傍観するしか出来ないエレンの腹には、ノロを固めて出来た拘束具が巻き付き、木の幹にエレンを押さえつけるように貼り付いている。

 

「ふん! ぬぬぬ…………まさか、動けなくされるとは思いマセンでした……。」

 

 

腕ごとエレンの腹に巻き付いて拘束するノロは高熱を放ち、辛うじて手元に落ちていた越前康継に触れている現状、エレンの体は写シを焼き焦がされるだけで済んでいた。

 

しかし、気を抜けば写シを剥がされ生身を焼かれるだろう。 エレンもまた、動けないにしても夜見のノロと戦っている。

 

「ガァッ!! アッ、ガ、ゥウァアッ!!」

「……苦しんでるの、デスか?」

 

 

ギョロリと見開かれた、右目が変形して出来た角から覗かれる瞳。 蹴り飛ばされ地面から引き抜かれたように吹き飛ぶ勇人を他所に、左手で首を押さえる夜見は、荒々しく口を開いて大きく呼吸する。

 

「……時間が、ねぇ……。」

「ユート!」

「こいつを突き刺せれば良いんだが…………ちょっと、関節動かなくなってきた。」

 

 

錆びたマネキンのようにぎこちなく握りこぶしを作る勇人は、夜見がふらつきながら、拘束されたエレンに近づくのを見る。

 

「しまっ……夜見!!」

「……薫――――!」

 

 

三人の間に出来た空間は二メートルにも満たない。 だが、御刀での治癒を加えても勇人が立ち上がり夜見の攻撃を防ぐのには最低でも三秒、しかし、既に水神切兼光を振り上げた夜見がエレンの写シを切り裂く―――――。

 

 

 

「ッッッだらぁ!!!」

 

 

 

―――事なく、水神切兼光の縦の一閃は、横合いから伸びる大太刀に防がれた。

 

「か、薫!」

「よう、二人揃ってボロボロじゃねえか。」

「おーっす、かおる……。」

「うわ……。」

 

 

桃色の髪を揺らし、少女―――薫は祢々切丸で水神切兼光を押さえ、バットでスイングするように夜見を後方へと打ち込む。

 

ノロで拘束されたエレンと―――死ぬ寸前の勇人を見てドン引きする薫は、目を逸らすように夜見を見た。 遅れて茂みから出てきた可奈美と姫和が合流し、ようやく五人が揃う。

 

「勇人さん!」

「無事……ではないな。 酷い顔だ、生きていただけよっぽどマシか。」

 

 

肩を貸す可奈美と共に立ち上がる勇人は、姫和にハンカチで顔周りの泥と血を拭われる。 傷口に染みたが、放っておくよりはずっと良い。

 

「むぐぐっ……いだだだだ!」

「…………しかし、あれが手紙にあった人体実験とやらか。 あれは……人間と呼べるのか……?」

「人間デスよ、少なくとも今はまだ、ネ。」

「エレンは……なんだそれ、ノロ?」

 

 

エレンの前で屈み、薫は指先をノロに伸ばす。 ジュッ、と。 指先に熱が走って、続けて痛みが鋭く突き刺さった。

 

「あっづ!?」

「触らない方が……遅かったデスね。」

「くそっ、なんなんだこれ!」

 

 

薫とエレンに歩み寄る勇人が、右手の御刀を蒼く輝かせ、体を癒しながら話す。

 

「荒魂の体内を血流みたく流れるノロは、熱を持つんだよ。」

「ヨミヨミは今、オーバードーズで半荒魂状態デスから……。」

「……ヨミヨミって誰だよ…………!」

 

 

――――刹那、空間が気味の悪い色へと染まる。

 

ノロを取り込み過ぎた夜見が戻ってくる頃には、その右腕と水神切兼光がノロで覆われ、癒着していた。

 

「……俺が、や…………ごぼっ」

「勇人さんはじっとしてて!」

 

 

まだ残っていたのか、と自分でそう自虐しつつ、口から溢れた赤黒い液体を見て口角を吊り上げる。 勇人の行動に僅かな違和感を覚えながら、姫和は小烏丸を抜きつつ薫と並んだ。

 

「可奈美と勇人は下がっていろ、チビは私と来い。」

「誰がチビだ、この貧乳。 ……エレンにくっついてるノロ、どうにかしといてくれ。」

 

 

それだけ言い終え、二人は夜見に迫る。 最早刀使らしい動きすらしない獣さながらな動作に、姫和と薫は攻めあぐねていた。

 

「くそ、なんだこいつ……さっきオレが戦ったときと全然ちげぇ!」

「――――斬るしか、ないか……。」

 

 

回復した今なら、折神紫に行おうとした『ひとつの太刀』を発動できる。

 

だが、写シを貼っていない夜見にそれをすると言うことはすなわち、約16倍の速度を以ての刺突を生身に叩き込む事になるのだ。

 

 

間違いなく夜見は死ぬ。

 

しかしノロを体内に入れている時点で死ぬ覚悟はしている筈。 誰もやれないのなら、最悪自分がするしかない。 薫が夜見の相手をしている今ならば、車の構えから予備動作・シフトチェンジ無しの三段階迅移を――――。

 

 

「どいてろ、姫和……。」

「っ、勇人!? 馬鹿……そんな状態で動いたら死んでしまうぞ!」

 

 

突然肩を掴まれ、反射的に振り返る。

 

夜見に切り刻まれては体を癒し、体に負担となる八幡力や迅移を多用し、口どころか鼻や涙腺からも血を垂らす勇人が、姫和を押し退け前に出た。

 

 

更にその奥の二人、ノロを消してもらったエレンと勇人を押さえておけなかった可奈美に睨むような目線を向けるが、二人は姫和に『無理!』とばかりに勢い良く首を横へ振っていた。

 

「俺は死ねないんだよ……少なくとも、もっと早くに夜見のノロを、奪ってやれたら良かったんだ…………だからこれは……俺の罪と、償いなんだよ……。 だから、俺がやらないと……。」

 

 

うわ言のような――――否、事実、うわ言だった。 姫和の肩を掴んだが、姫和の事は視界に収まっていない。 ふらふら、ふらふら、と。

 

祢々切丸を水平に持ちながらバックステップで下がる薫の横をすり抜け、路上を歩く酔っぱらいのように、夜見の下へと歩く。

 

「…………ガ、ァ、ウ」

「腹へっただろ、なにが食いたい?」

「―――――!!」

「…………そうか。」

 

 

ゆらりと力なく振り上げた御刀を、夜見の強化された豪腕が弾き飛ばす。

 

夜見の後方、勇人の目線の奥にすっ飛んだ御刀を他所に、勇人の眼前で夜見が右手を引き――――――姫和と薫、可奈美とエレンが息を呑むのに、気づかないまま。

 

ぐじゅり、と。 トマトに包丁を突き立てたような感触が、夜見の手にじんわりと伝わった。 さも返事であるかのように、夜見から見てヘソの右側に突き刺さる水神切兼光。

 

 

刀身の半ばまで埋まり、切っ先は背中側から飛び出していた。 完全にその命を獲った。 そんな確信が、ぼんやりと夜見の思考に有り。

 

故に、勇人の左手が水神切兼光の柄と右手を纏めて掴んできた瞬間、夜見の思考は停止する。 バチッと、不意に勇人の濃紺の瞳と視線が交差して、暗闇の底から絞り出すような声が耳に届く。

 

「づぅが、まぁ、えたぁ……!」

 

「っ――――!!?」

 

 

理性が無いにも関わらず、夜見は()()()()

 

獣のような本能が、目の前の男は危険だと知らせていたのだが、死にかけた体のどこにそんな力があるのかと思う程に、勇人の左手は万力で締め付けられたように振りほどけない。

 

 

「―――ごめんな、夜見。」

 

ゆったりとした動作で勇人が右手を御刀の方にかざし、尚も夜見の右手を水神切兼光ごと掴む。 ()()()()()()()()、切っ先を夜見に向けた御刀は、一転して凄まじい速度で飛翔し夜見の体にお返しのように深々と突き刺さった。

 

寸での所で勇人に二本目が刺さるなんて事は無く、夜見の体に留まる御刀が遅れて蒼く発光したかと思えば、その光を夜見の全身に行き渡らせて行く。

 

「ガァアアアアアッッ!? アッ、ガアアア…………あぁ、ぅ、あ…………。」

 

 

蒼い輝きは、勇人の体を癒すときのように、夜見の全身からノロという不純物を消して行った。 角に変形した右目も戻り、水神切兼光と右腕を癒着させていたノロも無くなり、周囲を支配していた不穏な気配も消える。

 

やがて蒼の光が消えた時、残っていたのは、元の姿の夜見とその身を抱き抱えながら仰向けに倒れている勇人だけである。

 

「…………終わった、か。」

 

 

この言葉を最後に、勇人の意識はブレーカーを落としたように、ぶつんと途切れて闇に沈む。

 

果たして勇人は、刀使でも巫女でもない男は、ノロに頼らねば戦えもしない少女から、ノロを奪うという形で勝利したのだった。

 

 






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潜水艦と小休止

 

 

 

『御刀を握ってみろ。』

 

 

ある時、折神紫が事務机向けていた目線を勇人に向けてそう言ってきたことがある。

 

『えっ、ああ、はい……?』

『――――()()は、なんだ。』

 

 

立ち上がり御刀を鞘から抜いた勇人に近付き、紫が指で刀身を示すと、勇人は答える。

 

『そりゃあ、刀身ですよね。』

『……ならば、()()は?』

 

 

次いで、紫は勇人の腕を指した。

 

勇人は紫の言葉の真意に気づけないまま、当然のように、当然の答えを言う。

 

『腕。』

『――――そうか。』

 

 

残念そうに呟いて、紫は勇人に続けて言う。

 

『私が何を言いたかったのか、それに気づけたその時は、真希にも、結芽にも勝てるだろう。 お前に勝つ気があるのならな。』

『……はぁ、そうですか。』

 

 

話が終わったのか、紫はそれ以降、席に戻り机の書類から目を離さなかった。

 

疑問符を浮かべながらソファに座る勇人の腰にある御刀が、鞘の中でガタガタと揺れていたことには、()()()気付いてない。

 

 

これは、親衛隊が結成されて直ぐの話。

 

勇人が御刀の危険性に気付く、少し前の話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ――――か、ぁっ!?」

 

 

腹部に走る激痛。

 

勇人は病衣に包まれた体を起こし、その痛みに悶えるように元の体勢に横たわらせた。

薬品と金属の混じった匂いがする室内を目線だけで観察していると、壁際に自身の御刀が置かれていることに気付く。

 

「…………来い。」

 

 

右手をかざすと、御刀は意思を持っているかのように勇人の手に吸い込まれて収まる。 待ち構えていたような速さで蒼い輝きを放ち勇人を包み込むと、勇人の腹部の激痛はたちまち消えた。

 

腹に浮き出た不純物として体外に排斥された縫合の糸を抜き取り、完全に水神切兼光で貫かれた傷が塞がるのを確認して、糸をゴミ箱に捨てると着替えを探す。

 

「……どこだ、ここ……。」

 

 

机に置かれていたワイシャツとジーンズを拝借しつつ、ぼやけた思考を覚まそうと考え続ける。 一回りサイズが大きいことに眉を潜めるが、ベルトをキツく絞めて対処した。

 

「――――そうだ、夜見……!」

 

 

頑丈な扉を開こうとした瞬間、抜け落ちていた直前直後の記憶が戻る。 ギギギッと音を立てて開く鋼鉄製の扉を押して、勇人は廊下らしい構造の場所に出た。 そのまま宛もなくさ迷う。

 

「夜見、夜見…………よ、ヨミヨミ……? ……うご、うごごごご……。」

 

 

鋼鉄の空間――――潜水艦内で、誰とも遭遇しなかったのは、果たして幸運なのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………はぁ。」

「姫和ちゃん、ため息つくの35回目だよ。」

「……わざわざ数えていたのか。」

 

「だって暇なんだもん。 それにしてもビックリしたね、まさかエレンさんのおじいちゃんがファインマンだったなんて……。」

「そうだな。」

 

 

勇人と夜見が互いを串刺しにした数分後、到着したボートを使い、気を失った二人を連れて遁走した四人が目にしたのは、巨大な潜水艦だったのだ。

 

そこからは慌ただしいとしか言い様がなかった。 失血死寸前の二人を大慌てで医務室に担ぎ込み、それぞれの血液型に合う輸血のパックを血管にひたすら流し込んでは、勇人の腹部――――腸に空いた穴をどうにかする手術に時間を費やした。

 

 

そして待っている間に出会ったのが、累の部屋で話をした石廊崎で待ち合わせる予定をした存在、ファインマンことエレンの祖父であるリチャード・フリードマンだった。 二人の目にはフランクなおじさん、という印象だけが残ったのだが。

 

「エレンさんと薫ちゃん、どうしてるのかな。」

「舞草の一員なんだ、親衛隊との戦いも含めて、伊豆での情報を話し合っているんだろう。」

 

 

ちらちらと、扉を見る。

 

姫和は心ここにあらず、とでも言うことが適切な顔をして、36回目のため息をつく。

 

「……勇人さんのこと、心配?」

「…………別に。」

 

「―――あの男の寝てる部屋の前うろうろしてた奴がなぁにすっとぼけてんだよ。」

「なっ―――!?」

 

 

不意打ち気味に、姫和達が使っていた寝室を開け放つ薫がそう言いながら入ってくる。 その後ろから、包帯やガーゼ、消毒液等を纏めた箱を抱えてエレンが同じように入ってきた。

 

「エレンさん、薫ちゃん!」

「……ファインマン―――いや、リチャード・フリードマン、だったか。 話は終わったのか?」

 

「ハイ! グランパも、詳しい話は舞草の拠点に到着してからにするって言ってマシタから、今はユートとヨミヨミが起きるのを待ちマショウ。」

 

 

咳払いをして話を切り換える姫和に返したエレン。 しかし、その横で不満そうに薫が声を漏らした。

 

「…………おい可奈美。」

「なに?」

「お前、なんでエレンは『さん』なのにオレを『ちゃん』付けで呼ぶんだよ。」

「だって薫ちゃん、中等部の刀使でしょ?」

「ちっげぇよ! オレはエレンと同い年の15だ!」

 

 

ダンダンと地団駄を踏んで憤慨する薫。 感覚が同期しているねねもまた、怒りを感じ取って頭の上でねねねねーっ!と鳴いている。

 

「うーん……でも、『薫さん』とかは違和感あるよ?」

「じゃあ私もエレンちゃんが良いデース!」

「じゃあ!? 今どこから『じゃあ』が出てきた!?」

「まあまあ、良いじゃないデスか。」

「うん! 改めてよろしくね、エレンちゃん、薫ちゃん!」

 

「…………確定しちまったよ。」

『ねねぇ……。』

 

 

顔を覆って項垂れる薫は、ねねに慰められながら可奈美と姫和の座るベッドの向かいに座る。 エレンは手元の箱から手当て用の道具を取り出して地べたに座った。

 

「それじゃあカナミン、私の胸に包帯巻くの手伝ってくれマセンか?」

「あぁ……皐月さんのノロに拘束されてたんだっけ。 そんなに酷いの?」

「写シを貼ってマシタからダメージは無いのデスが、それ以前の戦いでちょっとダケ、ね。」

 

 

いやあ面目ない……。 そう言いつつ申し訳なさそうに笑うエレンを相手に、可奈美は相槌を打ちながら消毒と包帯を巻くのを手伝う。

 

 

「――――なんだ、あの大きさは……。」

「エレンはなぁ……たぶん長船で一番でけぇぞ。」

「やはり外国の血が混ざっているのも、影響の一つなのだろうか。」

「かもな。 エレンはアメリカ人との子供だが、例えばロシアの女は、誰も彼もがでかいらしい。」

「…………恐ろしいな。」

 

 

エレンの胸元――――ボールでも詰めてるのかと疑ってしまう程の大きさを誇るそれを見て、二人は身体をわななかせた。

 

「ん、一番大きい?」

「……んだよ。」

「なに、一番大きいのが古波蔵なら、一番小さいのはお前なのだろうなと思ったまでだ。」

「歳下の可奈美にすらどっかのサイズが負けてる十条姫和さん、今何か言いました?」

 

「…………やる気か、チビ」

「どうしたエターナル胸ぺったん女、もしかして図星突かれちゃったか?」

「はぁ……っ!?」

 

 

軽口を言い合える相手が長船に居る薫相手に、姫和は口撃の悉くで負ける。

 

手元に小烏丸があればそのまま抜刀しているだろう剣幕を前に、薫の表情は飄々としていた。

 

「二人とも仲良くなってるね~。」

「薫もヒヨヨンも、強気な所は似てマスからねぇ。」

 

 

この二人には、いったい何が見えているのだろうか。 ワイシャツをはだけさせたエレンの胸にサラシのように包帯を巻いていた可奈美の耳に、ふと出入口の扉を開ける音が入ってきた。

 

あまりにあっけらかんとした勢いに一瞬思考が鈍るが、開けてきた相手を見て更に硬直する。

 

「…………部屋間違えた。」

 

「……あっ、はい。 お構い無く。」

 

 

言い終えるや扉を閉めようとした男――――勇人の行動を見ていた他三人の内、最初に正気を取り戻した薫が可奈美に向けて叫ぶ。

 

「馬鹿野郎、怪我人が病室抜け出してんだぞ! 閉めさせんなとっ捕まえろ!」

「――――あーっ!」

 

 

閉まる直前の扉を開け返し、その先にいた勇人に飛び付く形で引き留める。

 

「待って勇人さん、間違えてないから!」

「――――――む。」

 

 

腹に巻き付くように引っ付き背中に腕を回す可奈美に、勇人は不自然に停止した。

 

「……わかったから、一旦離れて――――いや、やっぱり離れないで……。」

「えっ……うわわっ!?」

 

 

肩を押して離そうとした勇人が、突如として可奈美にもたれ掛かる。

 

足に辛うじて力を入れて立っているだけで、可奈美に預けた体からは力が抜けきっていた。 あまりの重さに姫和へと応援を要請する可奈美が、顔を勇人の胸元に埋めながら言う。

 

「もご、ひ、姫和ちゃん! 手伝って…………重い……!」

 

「なにをやっているんだ……。」

 

 

前のめりに倒れてきた勇人を支えて、弓なりに体を反らしながら受け止めている可奈美だったが、姫和が支えるのを手伝ってなんとか勇人の体をベッドに転がすことに成功する。

 

「…………すまん、助かった。」

「急にどうしちゃったの、勇人さん。」

 

 

ぐったりとした様子で、顔色も悪い。 仰向けに横になりながら、御刀をお守りのように腹の上に置いている勇人は、掠れた声で呟いた。

 

「……カロリーが足りないんだよ。 伊豆どころか、沙耶香ちゃんと戦ってから一度も、何も口に入れてないからな……。」

 

「そもそもあの親衛隊の御刀に貫かれての傷と失血でぶっ倒れたんだから仕方ねぇだろ。 まず血を入れなきゃならんかったし、栄養は二の次だ。 お前の御刀はその辺どうにかなんねぇのか?」

 

「俺の御刀(あばれうま)が出来るのは傷と病気を癒したり、ノロを消すことだけだ。 造血や栄養補給までは流石に出来ん。」

 

 

二段ベッドの下の段で天井を見ながらそう言う勇人。 薫が「へー……」と適当に返した所で、不意に勇人はしれっと起き上がろうとする。

 

「じゃ、夜見探すからもう行くぞ。」

「は? いや、寝てろよ。」

「……俺がやれたのはノロを消した事だけで、ノロが流れて傷付く血管や腕の外傷は治せてない。 良いから退け――――」

 

「――――おい。」

 

 

さしもの薫ですら止めに入ろうとした刹那、横合いから伸びた手が勇人の肩を掴んで無理矢理ベッドに体を押し付けた。

 

「いい加減にしろ。」

「……姫和、手を離せ。」

「お前は自分を、修理すれば直る機械か何かだと思っているんじゃないか?」

 

 

咄嗟に手を伸ばしていた薫が、先程の煽り合いの事すら忘れる程にギョッとしながら腕を戻す。 姫和は怒髪天を衝く形相で勇人を見下ろし、その瞳は瞳孔が開いている。 有り体に言えば、姫和は鬼の形相で怒っていた。

 

「どうせ治せる。 どうせ死なない。 そうやって無理をしたからこうなっていると理解しているのか?」

「……分かっているさ。」

 

 

自分でもそう思い、悩んでいる。 そんな言葉が漏れて聞こえてきそうな、消え入る声で力なく答える勇人に、姫和は風船に穴が空いたように怒りが頭から抜けて行くのを感じる。

 

「どうだか…………兎に角、疲れが抜けきっていないのに皐月夜見を探し回っていたのだろう? 今は眠れ、皐月夜見もお前も死んでいないのだから、話なら後で幾らでも出来る。」

 

「……眠くないんだけど。」

「なら眠らせてやろうか。」

「寝ます。」

 

 

む、む……。 と唸りながら、まぶたを閉じた勇人だったが、ものの数分で寝息を立て始める。 呆れた顔をして、姫和と勇人が居るベッドの向かいに座り様子を見ていた薫がため息をついた。

 

「はぁ……随分とお怒りだったな、エターナル。」

「ふん。 勇人は――――こいつは、何処かがおかしかった。 出会った当初から変だと思う所があったが、今ようやくわかった。」

 

 

くかー、と浅く呼吸する勇人の、汗で張り付いた髪を脇に避けながら続ける。

 

「勇人は人助けをしないといけないと思っている。 しかしそこに、自分の安否を保証する部分が入っていないんだ。 だから勇人は、己が傷付く事を避ける選択肢を取ろうとしない。」

「自分が死んででも誰かを助けようとして、でも御刀の変な力で治るから死ぬことはない。 その繰り返しってワケか。」

 

 

うげぇ、とぼやく薫を他所に、ワイシャツを着直したエレンが顎に指を当てて一人ごちる。

 

「……そもそも、御刀に傷を癒す力があるナンて不可思議デスね。 御刀そのものが特殊能力を持った武器なわけデスから、そこから更に違う力を……なんて、あり得るのデショウか?」

 

 

尤もな言い分に三人が黙り込むが、新たに現れた第三者がエレンの言葉に答えを返した。

 

「――――それについては、実は前例というものがあるのだよ。」

「ワッツ? …………グランパ!」

 

 

快活な顔をした、眼鏡を掛けた老人。 エレンの祖父ことリチャード・フリードマンが、得意気な顔をしてそう言った。

 

「よう爺さん、もしかしてこいつ探してたのか?」

「そうだね、勇人くんが医務室から居なくなったと聞いて、片っ端から開けられた扉を辿ってきたらここに着いた訳さ。」

「えぇ……。」

 

 

フリードマンはベッドで眠る勇人をちらりと見て、起こすべきかで思案する。

 

しかし、遮るように姫和の言葉が衝いて出た。

 

「勇人を起こすのは、待ってくれませんか。」

「……どうしてだい?」

「こいつは今、疲れてるんです。 戦い続けて疲れているんです、だからもう少し待ってくれませんか。」

 

 

姫和の手――――制服の袖を、勇人は眠りながら、つまむように握っていた。

 

訴えるような目がフリードマンを見やり、僅かな間を置いて、フリードマンは肩を竦めて笑う。

 

「ハッハッハ、なら仕方がない。 伊豆の一件は聞いているからね、さぞ苦労しただろう。 暫くは休憩時間として、皆には一息ついてもらおうじゃないか。」

 

 

孫に近い年頃の娘のワガママなら、聞かないわけにもいくまい。 脳裏でそう考えつつ、フリードマンは提案する。

 

「どうだね、皐月くんは麻酔で眠っているし、彼もまだ起きないだろう。 今のうちに、四人だけでも腹ごしらえしてはどうかな?」

 

「あの……勇人さん、栄養足りてないらしいんですけど。」

 

 

おずおずと、手を挙げて言う可奈美。 問題ないよ。 そう言ってフリードマンは、扉の奥から白衣を着た男女一組を呼び出す。

 

「眠っているうちに、勇人くんには点滴を打っておこう。 つい数時間前に輸血と手術が終わったばかりの身に、食べ物は辛いだろうし、ね。」

「そうですか! ……良かった。」

 

 

ホッと胸を撫で下ろす可奈美は、薫と共に立ち上がったエレンに声をかけられる。

 

「では、ランチタイムにしまショウ!」

「もう夜だけどな。」

「うん! あ、でも姫和ちゃんは……。」

「ここに残って勇人が起きるのを待つから、私は遠慮させてもらう。」

「……そう?」

「ああ。」

 

 

腕に針を通され、チューブを使って液体を流し込まれている勇人。 点滴を吊るすスタンドをちらりと見て、姫和は続けた。

 

 

「起きたとき、誰も居ないと怖いだろう?」

 

 

それはきっと、親を喪っている姫和だからこそ言える言葉であり――――。

 

()()()()()()()()()()からこそ、姫和の行動は、正解だったのだ。

 

 

 






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無表情の罪悪感

 

 

「そーいや、さっき勇人の御刀みたいな力は前例がどうたらこうたらって言ってたな。」

「その通りだよ薫くん。 赤羽刀(あかばねとう)というモノがあるのは、当然知っているだろう?」

 

 

赤羽刀。

 

荒魂の体内から時折見付かる錆びた御刀で、現状御刀を新たに製造できない事から、この赤羽刀を見つけることが刀使の戦力増加に繋がっていた。

 

「赤羽刀が御刀に戻ると、時折不思議な力をその刀身に纏わせている場合があるんだ。 所有者の膂力を上げたり、頑丈さを増したり。 勇人くんの御刀も、似たようなモノなのだろうね。」

 

「便利なもんだな。 そういう御刀が増えりゃあ、荒魂討伐も楽になるだろ。」

 

 

気だるげにサンドイッチを口に含む薫を見て、フリードマンは指を左右に振りながら否定する。

 

「残念ながらその手の力というのは、一定の期間で御刀から抜け出てしまうんだ。 まるで、錆びることで錆の内側に保護した刀身へと圧縮していたエネルギーを放出するかのようにね……。」

 

「……あ? どした、爺さん。」

 

自身の言葉に、フリードマンは疑問が解消されたような顔付きになる。 膝にねねを乗せて、ちぎったパンを食べさせていた可奈美が問う。

 

「フリードマンさん?」

「……いや、ああ、そうか。 なに、勇人くんの御刀の力の正体が分かったってだけさ。」

「それ、わりと重要じゃないデスか?」

 

 

エレンの小声にフリードマンも小さく笑う。

 

実はだね……と切り出して、食堂の椅子に座る三人に語り始めた。

 

「勇人くんの手術をする際、血液型を調べるついでにDNA配列や細胞の状態を調べたんだ。 そこでわかったのは、勇人くんの体にある細胞が異様に若すぎる、と言うことだった。」

 

「……それは良いことじゃないんデス?」

 

 

頭を振って暗に否定するフリードマンが、咳払いをして続ける。

 

「細胞というのは、否応なしに劣化してしまうんだよ。 そして人間に寿命があるのは、細胞の分裂回数が予め決まっているからなんだね。

 

彼の細胞は、17歳のモノにしては若い。 それこそ産まれて直ぐのような若々しさで―――――つまり、彼の身体は今になって『老け始めている』事になる。 全身の細胞をそっくりそのまま新しい細胞にすげ替えたように。 ……不自然だろう?」

 

 

可奈美たちの頭には疑問符が浮かぶ。 御刀一筋の可奈美は兎も角として、その手の知識が専門外の二人も同じように、話に追い付けていない。

 

「わかりやすく言うと、人が怪我をした際に治る理由は細胞が分裂・増殖して穴埋めをするからなのだけどね、そうしてもしなくても、人体の細胞は常に分裂、増殖、そして古くなっては体外に放出されるのを繰り返す。

 

だがもしも()()()()()()()()()()()()()

 

人が老いるのは細胞分裂に限界が訪れるからで、人が死ぬのは細胞が分裂できなくなってゆくからだ。 若い内から細胞を新鮮で何度も分裂させられるモノに出来たら、その人が死ぬのはずっと先になるだろうね。」

 

 

あっけらかんと言い放つフリードマンだが、要するにこう言いたいのだ。

 

「……ユートは、ある意味不老不死になれる……という事デスか。」

 

 

「と言うよりは、限りなくそれに近い――――ある一定の若さを保ったまま、100年なんて目じゃない寿命を手に入れる事は可能だ。

 

彼の御刀にはそう出来る力があるみたいだね。 僕はあの御刀の力を、『複製』や『再構成』と仮称している。

 

あの御刀が不思議なパワーで魔法みたく『怪我を治してる』のではなく、『新鮮な細胞を複製して穴埋めしている』んだとすれば、細胞の異様な若々しさにも納得が行く訳だ。」

 

 

 

 

 

『お前は自分を、修理すれば直る機械か何かだと思っているんじゃないか?』

 

「――――――っ。」

 

 

何気ない姫和の言葉が、ある意味で的を射ていた事に気付き、フリードマンを前にして三人の肌が粟立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………んー、んー。」

 

 

乾いた口内に貼り付いた舌を剥がしつつ、勇人のまぶたが開かれる。 ベッドに横たわっている自身の腰辺りのマットレスが沈んでいる事から、誰かが座っているのを理解した。

 

「……だ、れ……」

「――――勇人、起きたのか。」

 

 

濡羽色の髪に、緑の制服。 振り向いた少女の深紅の瞳が、ホッとしたように細められる。

 

「さっきは悪かった、少し言いすぎたな。」

「……良いさ、確かに、あれは俺が悪い。」

「少し待て、点滴を外してもらおう。」

 

 

潜水艦専属の医者を呼び、栄養を流し込み終えた点滴を外してから、ようやく自由になり始めた体を起こして立ち上がる。

 

「皐月夜見の所に向かうんだろう? 私も行こう。」

「俺が心配か?」

「念のためだ。」

 

 

御刀をそれぞれ腰に装着し、縦にする。 廊下に出て歩く姫和は、先のぐったりとした様子の勇人とは思えない速度の回復に驚いた。

 

「気分はどうだ? 顔色は良いようだが。」

「悪くないよ、なんだかいつもより夢見が良くてね。 姫和が近くに居たからだと思う。」

 

「――――――。」

「……今、変なこと言ったな。」

 

 

姫和は勇人にそう言われて、すぐさま早歩きになる。 姫カットで隠れている耳は、掻き分けて確認すれば真っ赤になっている事だろう。

 

「…………怒ってる?」

「―――怒ってない。」

 

 

遠回しに『姫和のお陰で安眠できた』と言われては、さしもの姫和でも勇人の顔を見られない。

 

故に勇人が、何故あんなことを口走ったのかを勇人自身が理解していないことを、姫和は知る由もなかった。

 

「…………さて、ここだ。」

「俺の居た部屋とは離れてるな。」

 

「怪我人同士とはいえ男女が同じ部屋でというのはな。それも生身で戦っていた二人だ、目覚めた片方が相手を殺そうとしないとも限らないのだから仕方ないだろう。」

 

 

ご尤も。 そう言って勇人は、自身が寝ていたのとは別の医務室の扉を無遠慮に開け放つ。

 

「……勇人。」

「どうせ寝てるだろ。」

 

「――――起きてますよ。」

 

 

扉の先の、清潔な白色の部屋。

 

そこに置かれているベッドの一つに、横になっている少女が居た。 右目を覆うように包帯を巻き、腕には勇人と同じように、それでいて複数の点滴が繋がれている。

 

「あー……気分はどうだ、夜見。」

「……悪くありません。 ですが、体から決定的なナニカが抜け落ちたのだろうという事だけは理解しています。」

 

 

まさか起きてたとは……と呟きながら、姫和を後ろに連れて近寄る勇人は扉の側の机から椅子を引っ張ってきた。

 

「俺がお前の体から、ノロを全部消したからな。 だからもうお前は戦えない。」

「……これで、紫様率いる親衛隊の戦力が貴方を含めて二人減った訳ですね。 そちらからすれば、喜ばしい事でしょう。」

 

 

夜見から見て右側、扉の方から来てそのまま側に座った勇人と壁際に立ちながら凭れる姫和。 二人を視野に収めるように顔の向きを変える夜見は、相変わらずの能面がごとき無表情だった。

 

「夜見。」

「……なんですか?」

 

 

諦めた、疲れきった声色で聞き返す夜見。 勇人は椅子に座ったまま、ベッドの縁に頭が当たりそうな位に顔を下げ、一言。

 

「お前の戦う力を奪って、すまない。」

 

 

――――無表情のままだったが、それでも驚愕していたのだろう。 第三者として立ち会っている姫和は、夜見が開き掛けた口を固く閉じるのを見た。

 

「……貴方が謝る必要が、どこにあるのでしょう。 私は自分から望んで、ノロという力にすがり――――貴方達を傷付けました。」

 

「結芽が戦える身体に戻りたくてノロを使った事は知っていた。 だから、夜見にも相応の理由があったんだろうとは思ってた。」

 

 

一度口を閉じ、深くため息をついて、勇人は一呼吸置いてから続ける。

 

「だから奪いたくなかった。 病気を癒せばノロにすがる必要の無い結芽とは事情が違う夜見からノロを奪うことが、正しいとは思えなくて、そうして悩んで……その結果がご覧の有り様だ。」

 

「……正しいことでしょう。

ノロを投与する非人道的実験に付き合ってきた我々冥加(みょうが)刀使に対するそのような優しさは、勇人くんが辛いだけですよ。」

 

「夜見はどうなんだよ。」

 

 

ぴしゃりと遮り、言い返す。

 

横目で姫和を見れば、好きにしろとばかりにまぶたを閉じて腕を組んでいた。

 

「ノロなんていう負の産物を体に入れて、その力を使うために腕を切り刻んで、そこまでやってようやく並の刀使の実力に追い付いたお前が――――辛くないわけないだろ、痛くないわけないだろ……っ!」

 

「……私にそのような権利は―――」

 

「ある。 あるんだよ、夜見。 お前も人間なんだ、痛かったら痛いって言えば良いし、辛かったら誰かを頼っても良い。 ……俺はただ、お前にそうしてほしかっただけなんだ。」

 

 

チューブが繋がれている右腕の手をそっと握り、本人以上に辛そうな顔をして、夜見を見ながら勇人は、それでも優しく夜見に語りかける。

 

「俺と一緒に少しずつ、罪を償っていこう。 その間に夜見(きみ)には、夜見(じぶん)を好きになって欲しい。」

「――――私が、私を……。」

「それに俺は、ノロを利用することが絶対に悪だ、とは言えないし思えない。」

 

 

ぴくりと眉を震わせ、僅かにまぶたを開ける姫和。 だが勇人の言葉がまだ続くと判断し、傍観に徹した。

 

「ノロが無ければ、結芽は病気を癒せる俺に出会わず死んでいたし……中学に上がる時に別れた夜見とも会えずじまいだったろうしな。」

「……思い出したんですか。」

「お前にグッサリやられた時に。」

 

 

腹の辺りをさする勇人は、大して問題とは思っていなさそうに笑う。

 

 

 

『勇人くん、その……お久しぶり、です。』

『…………どっかで会ったことある?』

 

 

 

一年前、一言二言の会話で、目の前が真っ暗になる。 それを比喩でもなく事実として味わったのは、あの瞬間が初めてだっただろう。

 

古い友人に忘れられていて、憧れの刀使になる夢は穢れを以て成し遂げ、自分は汚れきっている。 忘れられるのも仕方がないだろう、そう考えてなにも思わないようにしていたが。

 

「――――いつか、夜見が()()()時、聞こうと思っていた事があった。 それすら忘れてたけど、聞こうと思う。」

 

 

波の立たない海のように静かだった筈の心が、ざわめいて仕方ない。 穢れている自分に優しくしてくる勇人を、突き放したい。

 

「夜見()()()は刀使になれて、幸せ?」

 

「――――。」

 

 

ダムに亀裂が走ったように、感情と表情を隔てる壁が崩れて行く。 返答の為に夜見は左腕に力を入れ、ベッドの上で座る。

 

左目で捉えた勇人の濃紺の瞳は、あの頃と何も変わらなくて――――。

 

「……はい。 だって、また貴方に会えましたから。」

 

 

そこでとうとう、今まで抑え込んでいた激情が濁流のように流れ出た。 プツンと糸が切れ、倒れるように勇人に身体を預け顔を胸元に隠して、夜見は嗚咽を漏らして言う。

 

「……ごめんなさい、勇人くん。 傷付けて……ごめんなさい……。」

 

「全部――――全部、許すよ。 だって元から、怒ってなんか無いんだから。」

 

 

背中を優しく撫でる度に、ボロボロと、涙腺から涙が溢れて止まらない。

 

ぐり、と顔を押し付けて。

 

誰にも見られないようにしながら、夜見はゆっくりと――――その心を固めていたモノを、ゆっくりと、溶かしていった。

 

 

 

 

 

「(この二人は、もしや私が居ることを忘れているんじゃないだろうか。)」

 

気まずそうに気配を消す姫和は言葉に出さずにそう思っていたが、それでも目尻と口角は、慈しむように緩みきっていた。

 

 





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無念無想の刀使

 

 

 

その日、柳瀬舞衣は糸見沙耶香と会話をしていた。 可奈美と姫和、勇人の三人と戦った沙耶香に、可奈美たちの事を聞きたかったらだ。

 

 

三人が無事なこと、沙耶香が負けたこと、無機質な瞳を向けられながら、舞衣は沙耶香の言葉を一つ一つ聞き入れて行く。

 

会話が途切れた時、ふと、沙耶香は舞衣にこう聞いた。

 

「……名前。」

「えっ?」

「名前、知らない。」

「あぁ、ごめんね、私が沙耶香ちゃんを知ってるだけで……。 私は柳瀬舞衣。 改めてよろしくね?」

「ん。 …………柳瀬、舞衣……?」

 

 

舞衣の名前に反応を示した沙耶香が、襲撃時に勇人から言われたことを思い出す。

 

「……舞衣。」

「なぁに?」

「藤森勇人が言ってた。 『柳瀬舞衣を頼ればきっと助けてくれる』って。」

「藤森さんが……?」

 

 

柳瀬舞衣を頼れば、というフレーズに、不意に実家の『柳瀬グループ』が脳裏を過るが、それならば『柳瀬舞衣を』ではなく『柳瀬家を』と言う筈だろう。 ならば何故、舞衣個人を頼るように言ったのか。

 

「それ以外には、何か言ってた?」

「何も。」

「そ、そっか。」

 

 

ますます分からない、とでも言いたげに困ったように眉を潜めるが、沙耶香が悪いわけではないためすぐに表情を緩める。

 

「うん、わかった。 藤森さんがそう言ったのなら、なにか考えがあるのかも。」

「……そうなの?」

「うーん……さあ?」

 

 

ふふ、と笑い、舞衣は懐からスペクトラムファインダーを取り出す。 刀使たちの携帯としても使われるそれを沙耶香に見せると言った。

 

「よかったら、連絡先交換しよっか。」

「……荷物は無い。 御刀と一緒に没収されてる。 ここに居るのも、高津学長に居ろと言われているから。」

 

 

罰として監禁されている事を、他人事であるかのように沙耶香は語る。 異様な空気を感じとり、袖の中で舞衣の肌が粟立つ。

 

「じ、じゃあ、その……ここから出られたら、交換しよっ。 良い? 沙耶香ちゃん。」

「構わない。」

 

 

なんとなく、だが。

 

藤森勇人が自分に沙耶香の事を任せようとした理由が、不思議と分かったような気がする。

 

「――――あ、沙耶香ちゃん、ほっぺた怪我してる。 ちょっと待ってね。」

「……ん。」

「これでよし、と。 ごめんね、上の妹がこれ好きだから。」

「気にしない。」

 

 

可愛く花がデザインされたピンク色の絆創膏を沙耶香の頬の切り傷に張り付け、優しく押して接着させる。 絆創膏を張り付ける舞衣の、心から心配している顔を間近で見た沙耶香の心臓付近に、何かが灯った。

 

「……?」

「あとこれ、良かったら食べてくれる?」

「……クッキー。」

「感想聞きたいけど、黙ってここに来てるのがバレちゃうから、もう行かないといけないの。 また会ったら、その時に聞かせて?」

 

 

捲し立てて席を立つ舞衣は沙耶香の手にクッキーを詰めた袋を渡すと、外の音を聞いてからこっそりと扉を開く。

 

出て行く直前、振り返ると沙耶香に笑いかけて言った。

 

「次、可奈美ちゃんと戦うときは、思いっきり戦ってあげてねっ。」

「……ん。」

 

 

扉が閉まり、沙耶香はまた独りとなる。

しかし、手元の袋から出したクッキーをひとつつまんで食べてみると、熱くない筈なのに暖かくて。 甘すぎない甘さが、もう一度心臓の辺りに何かを灯す。

 

「――――。」

 

 

仏頂面の顔が小さく、柔らかく歪んだ事に、沙耶香自身も気付いていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なんだか不気味だったな。」

「まあ、失礼にあたりますわよ。」

「仕方ないだろう、あんな高津学長を見るのは初めてだったんだ。」

 

 

伊豆に向かった三人の内、戻ったのは二人だけだった。 皐月夜見を舞草に連れていかれ、挙げ句の果てには可奈美・姫和・勇人の三人に加えて、舞草のメンバーだろう確信に近い疑いを向けられているエレン・薫にも逃げられた。

 

しかし敗北と言っても過言ではない結果だけを持ち帰った真希と寿々花を、折神紫が責める事は無かった。

 

まるでそこまでが想定通りであるかのように振る舞うと、疑われていた可奈美と姫和の通う伍箇伝の二つ、美濃関と平城の学長と生徒を帰宅させるまで至った。 そんな時に現れたのが鎌府の学長・高津雪那だったのだが。

 

 

「糸見沙耶香に逃げられた、とはね。 飼い犬に手を噛まれるってやつかな。」

 

「それにしてもあの方、随分と覇気がありませんでしたわね。 もしかして糸見さんに逃げられた挙げ句に夜見さんが連れていかれたのが、思っていたよりもショックだったのかしら。」

 

「さあね。」

 

 

ぶっきらぼうに返す真希に、寿々花は口許を押さえて小さく笑う。

 

「どうかしたのかい?」

「いえ、勇人さんに逃げられたのがよっぽど癪なようなので。 まるで子供みたいに拗ねるのですね、真希さん?」

「……うるさい。」

 

 

ふん、と鼻を鳴らして抗議するが、寿々花にはあっさりと流される。 不機嫌そうに口をつぐむが、不意に思い出したように寿々花に問う。

 

「ところで、結芽はまだ客室で待機しているのかい? 姿が見えないようだけど。」

「さぁ……そういえば、確かに。 何処に居るのかしら――――。」

 

 

寿々花が見上げ、真希が見下ろす。 視線が交差して、同じ思考から言葉が放たれた。

 

「―――まさか……!」

 

 

慌てて結芽を待機させていた客室に走る二人。 だが、扉を開けた先に結芽は居なかった。 もぬけの殻と化した室内に、静寂が訪れる。

 

「ここのところ、勇人さんと遊ぶ機会がありませんでしたから……。 フラストレーションが溜まっていたのでしょう。」

 

「どうする? 僕たちはここから動けないが、結芽を放っておくのも不味い。」

 

 

二人が考えを巡らせる裏では既に一悶着起きているのだが、真希と寿々花は、そんな事を知る由もなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

刀使になった時から、もしくはなる以前から、沙耶香は空っぽだった。 何も考えず、何も感じず、しかし空っぽで居ることが楽で。

 

故に、生まれて初めて自分の意思で高津雪那に逆らった自分に、沙耶香は驚いた。

御前試合で負け、奇襲をしても敗けた沙耶香にナニカを入れようとした高津雪那が、途端に恐ろしく思えたからである。

 

 

しかし不思議と怒りは湧いてこなかった。 何故なら、沙耶香が逃げることが出来たのは―――。

 

「(高津学長、あの時一瞬、確かに()()()()。)」

 

 

ナニカが入った注射器を刺そうとした雪那は、不自然に動きを止めた。 だからこそ沙耶香は注射器を払い落として逃げることが出来たのだが、これからどうすれば良いのかがわからない。

 

自分の意思で雪那に逆らい行動したのは初めてで、半ば混乱したまま飛び出した沙耶香は咄嗟に舞衣に電話をするも、関係ない舞衣を巻き込む訳にもいかず直ぐに切ってしまっていた。

 

 

コンビニの脇の陰で膝を抱えて座り、腰に妙法村正を携えるその姿は異質だろう。 誰の目にも留まらないのは、今の時間帯が深夜故か。

 

「――――沙耶香ちゃん。」

 

「…………舞衣?」

 

 

突如として問われた名前に、俯いていた沙耶香は顔を上げて答える。 自分をそう呼ぶのは沙耶香自身が知る限りそういない為、まさか舞衣が来たのかと僅かな期待と共に声のした方を向き―――

 

「見ーつけた。」

「―――燕、結芽……。」

 

 

紫寄りの桃色の髪に、猫を模した大福のストラップが取り付けられた御刀。

自身と同じ12歳らしい眼前の少女―――燕結芽は、見下ろす形で沙耶香を見ていた。

 

「高津のおばちゃんが探してるよ~? 帰らないの?」

「……アレは、なんなの?」

「アレ? ……あー、おばちゃんアレ使おうとしたんだ。 いきなりじゃそうなるよねぇ。」

 

 

ロングスカートを翻し、踊るように回りながら結芽は言う。 注射器の中で蠢いていた鮮やかなオレンジ色に見覚えのある沙耶香は、結芽に聞いた。

 

「……あの注射の中身、もしかして、ノロ?」

「なんだって良いんじゃない? それよりさぁ、沙耶香ちゃんって天才って呼ばれてるんだよね。 ()()()()()()()。」

 

 

ぶつ切り且つ意図が掴めない会話に眉を潜め、沙耶香は視線を地面に移すが、視界の端でほんの一瞬煌めいた光に対して反射的に村正を抜いた。

 

「おー……やるじゃん、さっすがぁ……!」

「っ、なんで……っ!」

「『なんで』? 天才が二人いて、どっちも刀使なら、やることなんて一つだけでしょ!」

 

 

熊の顔を模した鍔とデコレーションされた鞘が特徴的な御刀、ニッカリ青江で斬りかかってきた結芽の一太刀を防ぎ、鍔迫り合いに持ち込む。

 

―――が、一瞬発動した八幡力で押し退けられ、首筋にニッカリ青江の切っ先がねじ込まれる。 後退りの要領で迅移を行い、沙耶香は辛うじて剣の間合いから逃れた。

 

「ん~。 まあまあだね、あの技は使わないの?」

「――――。」

 

 

したり顔でそう挑発されるが、沙耶香は意に介さない。 しかし次の瞬間、静かに文字通りに、眼の色が鮮やかな桃色に変わる。

 

――――無念無想。 持続的に迅移を行える、沙耶香だけの技であった。

 

「けっこー前に、おにーさん相手に使ったの見てたよ。 無念無想だよね。 それ使って良いからさ~、今度はそっちから来なよ。」

 

 

だが、沙耶香はその色を持続させる事は無かった。 透けるように霞んで消えた桃色を前に、結芽は眉を顰めて御刀を構え刃を水平に向ける。

 

「……この力は使わない。」

「―――なにそれ。」

 

 

舐めてるの?

 

そう続けた結芽は、写シを維持しながらも戦意を見せない沙耶香に御刀を振り上げた。

 

 






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夢想剣と燕の夢

 

 

 

 

「あっ、は、は、は―――!!」

「っ―――!」

 

 

呼吸が途切れる。

 

汗が滲む。

 

金属が擦れ、火花が散る。

 

「っ、く、ぁっ」

「まだ、まだ、まだァ!」

 

 

突き、薙ぎ、払い、薙ぎ、薙ぎ、刺突。 師に学び、実戦と立ち合いで鍛えた剣が眼前の少女に殺到した。 当たれば必殺の刃が無数に飛び交い、受けに徹する少女の細指が握る剣に衝撃が走る。

 

白い尾を引く迅移の残光が暗闇に映え、街灯と月の薄明かりが二人を照らす。

 

「ちょっとぬるいんじゃなーい?」

「……はぁーーっ、ふぅーー。」

 

 

片や、襟に紫色が宛がわれた白い制服と白髪の少女。 片や、茶色の制服を淡紅藤(うすべにふじ)色の髪で彩る少女。 どちらも弱冠12歳でありながら、天才と謳われている刀使同士であった。

 

じっとりと頬に冷や汗を垂らし、深く呼吸をする白髪の少女―――沙耶香は、かの刀匠が造り上げた名刀である自身の御刀、妙法村正を握り直すと、相手から隠すような構えを取る。

 

「高津のおばちゃんは沙耶香ちゃんの事を親衛隊に入れたがってたけど、これじゃおにーさんの方がまだマシだと思うよ。」

 

 

まばたきの瞬間、ほんの刹那の時間に出来たまぶたで塞がれた視界を利用して踏み込む結芽。 戦う意志が薄い沙耶香は、不意のそれを受け止めきれず、御刀を振り抜いた結芽に吹き飛ばされる。

 

「……やる気あるの? 無いならもう、鎌府に戻る時間だよね――――!」

 

 

振り上げられた御刀の刃が、街灯を反射し妖しく光る。 そのまま振り下ろされれば、沙耶香の写シを剥がし無力化出来るだろう。

 

御刀の凶刃から逃れようと、沙耶香は無意識にまぶたを閉じる。 しかし、遅れて聞こえてきたのは自身の写シを切り裂く音ではなく、御刀同士がぶつかり合う金属音だった。

 

「――――せぇあッ!!」

「おっとっとぉ……!」

 

 

どこか優しい、聞き覚えのある声。 あまり得意ではない八幡力をも利用した一撃が、ニッカリ青江を押し返した。

 

即座に結芽の御刀を押し返した自身の得物を鞘に納め、深く腰を落として半身を左にねじり、静かに親指で鯉口を切る。

 

「―――シィッ!」

 

 

結芽の前に立ち、沙耶香との間に割り込んだ者は、制服を揺らして刹那の内に抜刀した。 抜き放たれた御刀は浅い角度で左下から右上へと流れ、一切の油断なく首を切り落とす一閃を生み出したが、結芽もまた余裕の動きでそれを避ける。

 

「……あれぇ~? 舞衣おねーさんじゃん、何でこんなとこに居るの?」

「舞衣……!? ど、うし、て……。」

「ごめんね、遅くなっちゃって。 この辺りのコンビニ、全部見て回ってたから。」

 

 

摺り足で背後の地面に倒れている沙耶香に近付き、隣に立つ。 右手で御刀・孫六兼元を握り、左手を沙耶香に伸ばして掴ませ立たせる。

 

「……なんで、探したの……?」

「……ふふ、だって沙耶香ちゃん、助けてほしそうだったんだもの。 電話は途中で切れちゃったけど、言わなくてもわかるよ。」

 

 

弱々しく自身の手を掴む沙耶香の手を強く握り、結芽から遮るように後ろに立たせ、つまらなそうにしながらも律儀に話が終わるのを待っている結芽から目線を外さず続けた。

 

「私の妹もね、沙耶香ちゃんみたいに素直に助けてって言えないの。 でも分かっちゃうんだ、だって私は、お姉ちゃんだから。

 

……きっと藤森さん、こうなるって知ってたのかもしれない。」

 

 

それは沙耶香に危機が訪れることか、結芽とこうなってしまう事か。 或いは両方なのだろう、暇そうに鞘のストラップを指で弄る結芽は、退屈な顔でため息をついてから御刀・ニッカリ青江を星眼に構え水平に向ける。

 

「ねー、もう良いでしょ。 めんどくさいから二人まとめて来なよ、それでも勝つけど。」

 

「沙耶香ちゃん、戦える?」

「…………私は……。」

 

 

地面に落とした御刀・妙法村正を拾い上げ、写シを張る。 舞衣にそう問われたとき、不意に可奈美の言葉を想起した。

 

「……『魂の込もってない剣じゃ、何も斬れない。』 私には、何もなかった。 何も込めていなかった。 このままじゃ、舞衣も守れない。」

 

 

ふつふつと、心臓という名の炉心に火が点るのを感じる。 沙耶香はただただ、『何か』になりたいと思った。 そして、閉じられたまぶたが開くと、ぼんやりと薄明かりの下に桃色が灯る。

 

「なぁんだ、結局使うんだ。」

「沙耶香ちゃん……?」

「無念無想。 この力を、私の意思で使う。 燕結芽―――貴女に勝つ為に。」

 

 

無念無想―――――自己催眠で無心状態に陥らせる技能を使いながらも、沙耶香の思考は不思議とクリアになっていた。

 

ぼやけたまま剣を振るうあの感覚ではない、寧ろ爽快とさえ言える状態。

 

 

何も思わない『無想』とは違う。

 

どちらかと言えば、夢の中に居るような、自分を見下ろす俯瞰の視点。

 

 

自信満々の獰猛な笑みを浮かべる結芽に対し、舞衣の横に立つと、沙耶香は『夢想』のなか、剣を握って凛と佇み結芽を見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

刀使の能力には、攻撃と防御用以外の能力が存在している。

その二つが、明眼(みょうがん)透覚(とうかく)である。

 

そして、舞衣は珍しくも、中学二年でありながらその二つを高い精度で扱えた。

 

明眼による熱探知で筋肉が稼働し熱を持つ部位を見定め、透覚による集音で御刀が空気を裂く音を耳に拾わせる。

 

そうした要素を組み合わせた擬似的な予見を以て、舞衣は沙耶香と共に、結芽の攻撃を二人掛かりで辛うじて凌げていた。

 

 

 

――――辛うじて、である。

 

「―――あは。」

 

 

沙耶香が一歩前に出て、結芽と剣戟を結ぶ。 チリ、と脳裏を焼く痛みに眉間を歪めながらも、舞衣はそんな二人に追いつこうと迅移を行う。

 

結芽から見たら、二人はがむしゃらに自分と戦おうとしているように見えるだろうが、結芽の――――親衛隊の強さを知っている以上、なんの策もない戦いを舞衣が行うわけもなかった。

 

 

徐々に徐々に、自分が街灯の明かりも届かない神社の鳥居の奥へと誘われていることに気付いていない。 舞衣が自身の印象を残らせないよう、沙耶香のサポートに徹していることに気付かない。

 

「っ……。」

 

 

チリ、と脳裏が焼けるような痛みが走る。

 

ただでさえ集中力を必要とする明眼と透覚の同時使用を戦いながら実行する、というのは無茶なのだろう。

 

しかし、それは沙耶香を見捨て戦いをやめる理由には決してならない。 結芽から一歩下がる沙耶香と入れ替わり前に出る舞衣は腰を緩く曲げた低い前屈みのまま躍り出ると、自身の体を利用して隠していた御刀による居合を試みる。

 

「―――せァ!」

「二度も通じるわけ、無いじゃんっ!」

「そう、かな……?」

 

 

難なく避ける結芽の眼前を過ぎ去る舞衣の御刀は、初撃の軌跡をなぞるように逆袈裟斬りで結芽に食らいつき、返す刀で下から上へと垂直に振り上げられる。

三撃目の切っ先が写シで守られた制服を浅く掠め、さしもの結芽でも目を見開いた。

 

「……けっこーやるじゃん。」

 

 

余裕のあった笑みが消え、されど不敵に二人を見やる。 明眼と透覚の同時使用で疲労が溜まっている舞衣と、『無念無想』と同じ方法だがどこか違う技能にまだ慣れていない沙耶香。

 

ほとんど無傷の結芽が優勢である事に変わりはない事実が、あまりにも無慈悲であった。

 

「おねーさんも結構やる人みたいでびっくりしたよ~。 もう一人の方の逃げたおねーさんがダントツで強かったから無視してたけど、ちょっと馬鹿にできないかも。 だからもう手加減しないけど……いいよね?」

 

「―――しまっ、つぅっ……!?」

 

 

刹那の内に胸に突き刺さるニッカリ青江の刀身が、舞衣の発動しようとした明眼と透覚を中断させた。 写シにより軽減された刺突の痛みは無視できるものではなく、そのまま跳ねるように跳躍した結芽の前蹴りで地面を転がる。

 

「舞衣!」

「沙耶香ちゃんは後!」

 

「速い……がっ!?」

 

 

転がった勢いのまま立ち上がり、結芽が立っていた方に御刀を構えるが、体を撫でる斬撃は背後から発生する。 二段階以上の迅移を行える筈の沙耶香ですら追えない速度の動きで、結芽は舞衣の全身を切り刻んだ。

 

写シを維持できない程に切り払われ、疲労が積み重なり舞衣はとうとう膝を突く。

 

 

呼吸を荒くしてなんとか意識を保つ舞衣を一瞥した結芽は、攻撃的な動きで横合いから割り込みつつ結芽へと仕掛ける、桃色の虹彩を輝かせる沙耶香の村正を受け止める。

 

「燕結芽……っ!!」

「あは、良いよ良いよ……沙耶香ちゃん!」

 

 

舞衣を巻き込まないように結芽を後方へと御刀で弾き飛ばし、迅移で追いかける沙耶香。

 

考えながら戦うという慣れない事を即興でしなければならない現状、沙耶香の勝ち目は正直に言うと薄い。 だが舞衣の尽力を無駄に出来ず、負ければ鎌府に戻らされる事は必然だった。

 

 

徐々に暗がりに追いやられる結芽を見て、舞衣は写シを張らないまま暗さを利用して側面に回る。 たかが数回、ほんの数分顔を合わせて会話した程度の間柄だが、舞衣は結芽の強さに反した未熟さを見抜いていた。

 

結芽は強さを見せつけることに固執している。 故に、あくまでも殺そうとしている訳ではないのだ。 これで相手が獅童真希であったなら、容赦なく切り捨てられていたことだろう。

 

 

つまり、付け入る隙がある。

 

 

偶然にも蛍光灯が切れた街灯まで下がらされた結芽は、村正とぶつかり甲高い金属音を奏でるニッカリ青江を星眼に構え直し、手の甲に汗が跳ねる沙耶香に肉薄する。

 

しかし、不意に横から割り込む気配に振り向き、それが舞衣であると理解するや、結芽は呆れたようにため息をついた。

 

「また居合? 三回も通じると思って――」

 

 

二度目の写シを剥がし、沙耶香との戦いに集中しようと気だるげに意識を向けた結芽の視線の先に居た舞衣は、写シを張っていなかった。

 

咄嗟に振り上げたニッカリ青江を振り下ろすのをやめた結芽の躊躇いが生んだ明確な隙を前に、改めて二度目の写シを張った舞衣は御刀・孫六兼元を鞘から抜き放つ。

 

 

白く発光する幽体が照らす肉体に携えられた鞘を固定する器具に、鞘が納まっていないことに結芽が気付いた頃には、孫六兼元の一閃を身をよじる事で避けた結芽の脇腹に、同時に振り抜かれた逆手持ちの鞘が鈍い音を立ててめり込んだ。

 

「ぁが」

 

 

そして反射的に振り下ろしたニッカリ青江が舞衣の肩を袈裟斬りに裂いてその写シを剥がすのと、背後から飛び上がりながら落下の勢いを加えた沙耶香が村正を振るうのは同時であった。

 

「はぁああ――――ッ!」

「っ……舐めるなぁッ!」

 

 

右脇腹――すなわち肝臓を鞘で殴られる未知の体験と鈍痛に一瞬視界に星が散らばるが、結芽は振るったニッカリ青江を器用に反転させると、その身をも反転させ沙耶香の胴体を両断する。

 

「つ、ぁっ!?」

「沙耶香ちゃん……!」

「…………ふぅーーーっ」

 

 

写シが剥がれ地面を転がり、舞衣の傍らまで墜落する沙耶香。 それでも尚、二人の健闘は結芽の幽体から左腕を奪うという結果を残した。

 

写シを解除して五体満足に戻った結芽のニッカリ青江が、ゆらりと二人に向けられる。

 

「――――何をしている、燕結芽。」

 

 

だがその行動を止めたのは、背後の街灯の下から聞こえてきた、高津雪那の声だった。

 

 






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舞草の拠点

 

 

 

 カツカツとヒールを鳴らして歩み寄る高津雪那を前にして、結芽の口から重苦しい、面倒くさそうにするため息がついて出た。

 

「お前は下がっていろ」

「はいはい、わかりましたよ~っ」

 

 

 ニッカリ青江を鞘に納め、帯刀用の固定器具を使い背中に合わせて垂直に立てる。雪那と沙耶香たちの間に居た結芽は、その場から三人の間に立ちつつ距離を取った。

 

「沙耶香、おいたは終わり。帰るわよ」

「────嫌、です」

「……なんですって?」

 

 

 自分の言うことなら何だって聞いてきた沙耶香の明確な否定。雪那は眉をひそめると、小さくため息をついてから返した。

 

「……続けろ」

 

「──私は、ずっと、高津学長に言われるがままに剣を振ってきた。何も考えないのは、何も想わないのは楽だった。だけど、衛藤可奈美たちと戦って、燕結芽と戦って、胸に熱いものが灯って────」

 

 

 これを、無くしたくない。そう言った沙耶香の穏やかな笑みを見て、雪那はただ、そうか──と呟いてから間を置いて続ける。

 

「ならば、好きにしろ」

「…………えっ?」

「紫様の剣となる者に余計な感情など不要。戻りたくないというのなら、帰ってこなくて結構。ただし分かっているわね」

 

 

 沙耶香の隣の舞衣を一瞥し、雪那は言う。

 

「私の元を去るということは、自分の責任を自分で背負うということになる。私はもう貴女を守れません。そのうえで尚考えを改めないのなら、さっさと何処へでも行きなさい」

 

「え、あっ……」

 

 

 言うだけ言い終え、来た道を引き返すように歩き去る雪那を見て、見られておらず意味がないと分かっていながらも、沙耶香は腰を折って頭を下げた。

 

「──お世話になりました」

「沙耶香ちゃん……」

 

 

 その背中を擦り、雪那の背中を見送る舞衣は、横合いから近付いてくる結芽に意識を向けて警戒心を露にする。

 

「いやぁ、意外だったね~。 私も飽きちゃったし、そろそろ帰ろっかな」

「……燕さん」

「ああそうだ、舞衣おねーさん。もしもおにーさんに会ったら伝えてくれない? 『これで貸し借り無しだ』って」

「えっ……?」

 

 

 聞き返そうとした舞衣から離れ、雪那を追いスキップをする結芽。長いようで短い、少女たちの闇夜の激闘は、こうして静かに幕を下ろした。

 

 

 

 

 鋪装された石畳を歩く雪那と並んで歩みを進める結芽は、あっけらかんとした態度で雪那に言い放つ。

 

「おばちゃんが沙耶香ちゃんに構ってたのってさ、ほんとに紫様の剣にするためだけだったの?」

「────何が言いたい」

「ほんとは、他のわるーい大人に騙されないか心配だったんじゃない? だって、沙耶香ちゃんっていつもポケーっとしてるから」

 

 

 その言葉に、雪那は一瞬、ピタリと動きを止める。その脳裏にふと、二十年前に見た折神紫の後ろ姿を思い返す。

 

 高津雪那は折神紫のカリスマ性に惹かれていた。そして自分よりも遥かに才の有る刀使に、更には折神紫の付き人に嫉妬していた。

 

 ──きっと、成りたかったのだろう。そんな二人のような強く賢く優しい刀使に、成りたかったのだろう。

 

 

 だが結局、糸見沙耶香をそんな二人の代わりに側に置かせたところで、側に居るのは雪那ではなく沙耶香だ。──今になって、そんな簡単なことに雪那は気付いた。

 

「────私は、何をしていたのだろうな」

「……おばちゃんなんか言った?」

 

 

 ──さあ、な。そう言って、雪那は足早に立ち去る。結芽が追い掛ける頃には、視界の端から光が上り始めていた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「──舞衣ちゃーん!」

 

 

 伊豆某所。舞草の拠点として使われている里のとある道に停められた黒塗りの車から、二人の少女が降りてきた。坂道を駆け降りてその内の一人に勢いよく抱きついた衛藤可奈美は、友人──柳瀬舞衣との再開を果たす。

 

「可奈美ちゃん! 久しぶり、だね」

「うん! あ、沙耶香ちゃんも来てくれたんだ! 嬉しいよーっ」

「……うん」

 

 

 沙耶香の両手を掴み、大袈裟に握手を交わす可奈美。後から遅れてやって来た姫和と勇人が、舞衣と沙耶香の下に現れた。

 

「いやはや、まるで何ヵ月も潜水艦に押し込まれていた気分だな」

「確かに閉鎖空間では時間の感覚が狂うが、それはいささか盛りすぎだ」

 

 

 肩を押さえながら首を鳴らす勇人と、指摘する姫和は、舞衣と沙耶香にじゃれつく可奈美を見て苦笑をこぼす。

 

「久しぶり。二人とも元気だった?」

「藤森さん、お久しぶりです」

「藤森勇人……十条姫和……」

「累さんの家以来か。 大変だったそうだな」

 

 

 可奈美を引き剥がして勇人に会釈する舞衣。沙耶香は相変わらずの無表情のまま二人を見ると、小さい声で勇人へと言い放つ。

 

「……ん。燕結芽と戦った」

「えぇー、あぁ……まあ、予想はしてたよ。怪我は無い? あいつ、ハイになると手加減しないからさ」

「いえ……私も沙耶香ちゃんも無事です。でも、燕さんが藤森さんに伝えてほしいことがあると言っていました」

 

 

 珍しいな……と呟いて、勇人は舞衣に向き直ると聞き入る体勢に入る。

 

「──で、結芽はなんて?」

「これで貸し借り無しだ、と」

「貸し借り……ふうん、そういうこと。二人とも()()()()()な」

 

 

 舞衣たちの頭に浮かぶ疑問符と首をかしげる動きに答えようとした勇人と、それを見ていた可奈美と姫和の後ろから、更に数人現れた。それはねねを頭に乗せた薫とエレン。そして、舞衣たちからすれば敵側である筈の皐月夜見だった。

 

「ウェルカーム、我々舞草はお二人を歓迎しマース!」

「おーっす」

「……こんにちは。柳瀬さん、糸見さん」

「っ──親衛隊の、皐月さん……!?」

 

 

 丁寧に腰を折って会釈する夜見に、舞衣は反射的に御刀を引き抜こうとする。──が、間に割り込んだ勇人が慌ててそれを止めた。

 

「タンマタンマ、夜見は敵じゃないんだ──けど、情報量的に一言だと説明できない」

「ご安心を。私は勇人くんの味方ですので」

「ユートの、と断言する辺り()()デスねぇ」

 

 

 クツクツと笑うエレンが、咳払いを一つに視線を集めると、指を立てて笑みを浮かべて言う。

 

「さ、さ。立ち話もなんデスから、皆さんを泊めるつもりでもある奥の家に向かいマショウ! 是非とも会わせたい人もいるのでネ」

「会わせたい人って?」

 

 

 可奈美の問いに、ウィンクで答える。

 

「それは会ってからのお楽しみデスよ」

 

 

 

 ◆

 

 

「──頭が爆発しそうだ」

 

 

 畳張りの和室に座る勇人は、眉間を指で押さえながらも眼前の女性から語られた事の発端の全容をなんとか噛み砕こうとしている。

 

「あの、大丈夫ですか? まだ貴方に関するお話を残しているのですが……」

「んおぉ……大丈夫です、はい」

 

 

 二十年前に起きた相模湾岸大災厄の真実。十条姫和と衛藤可奈美の母親の真実。折神紫の正体。──そして、タギツヒメという大荒魂。

 

 数十分から一時間、女性の口から放たれた言葉の数々は、勇人やその後ろに居る少女たちを混乱させるには充分だった。

 

 眉間を揉んで深くため息をついた勇人は、話題を切り替えるように女性の名を呼ぶ。

 

「それで朱音(あかね)様。貴女は俺の御刀のことや、そもそもこれが何なのかを知っているんですよね?」

 

 

 傍らに置かれた夜空のような色合いの鞘に納められた御刀を指で突く。朱音と呼ばれた女性──折神朱音は、勇人の声に肯定する。

 

「えぇ。ですがそれを語るには、先ずは藤森勇人さんと──()()()()、加えて十年前のあの事件についてを話す必要がありますが……」

 

 

 あの事件。この言葉にピンとこない姫和たち少女等だが、勇人の斜め後方で座る夜見だけがびくりと正座のまま体を震わせる。

 

「あの事件……とは、なんのことを言っているんだ?」

「──十年前に秋田で起きた猟奇殺人事件」

 

 

 姫和の問いに、勇人はあっけらかんとした口調で答える。振り返らないまま、申し訳なさそうにする朱音を見据えながら。

 

「は……?」

 

「十年前、秋田の孤児院──今は保護施設って呼ぶものか。まあ孤児院で統一させてもらうが、ある時そこにいた十一人の孤児と、四人のスタッフが、たった数時間でなにかに殺されたんだよ」

 

 

 秋田()()の夜見は当然として、秋田()()の勇人もまた、その事件は記憶に新しい。

 

「なにか──犯人は、人じゃないの?」

 

 

 おずおずと、可奈美が更に問う。ふっ、と。勇人が鼻で笑ったのを可奈美だけが耳にした。

 

「死体はバラバラ、壁には大きな傷、机や棚は粉々。まるで荒魂の仕業のようだったのに、荒魂の目撃情報は愚かスペクトラム計の反応も無かったそうだ」

 

「お前、詳しいな。まるで──」

 

「当事者みたい……か?」

 

 

 薫の代わりに、精神が繋がっている頭上のねねが驚いた。勇人の静かな声色の裏で渦巻く激情に呼応して、御刀が畳の上でガタガタと揺れる。

 小さくため息をつく朱音は、一息置いてから言った。

 

「藤森勇人さんは、藤森某が経営していた孤児院で暮らしていた十二人居た孤児の内の一人です。当事者みたい、ではなく──彼は当事者にして被害者だったのですよ」

 

「俺は先生と一緒に外に出ていたから被害を免れたがな。あれからもう十年か……ああ、また本筋からずれる。朱音様、あの事件とこの御刀に、結局どういう関係があるんですか?」

 

 

 あ、と思い出したように朱音は声を上げる。

 

「……すみません。ですが、その、これを伝えたら、勇人さんが困惑すると思い……」

「どういうことですか」

 

 

 目線を右往左往させる朱音。やがて決心したかのように深く息を吸い、勇人の目を見て言った。

 

 

「──その御刀を貴方の手に渡るよう私に手を回させたのが、孤児院の院長であり貴方の父親代わりでもあった藤森先生だったのです」

 

「…………は?」

 

 






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御刀の真実

 

 

 ピリ、と空気が振動したような気がした。それは怒りの含まれた疑問。唐突に突き付けられた言葉に噛み付かぬよう、勇人はあぐらをかいた膝の上に置いた手を強く握り締める。

 

「──先生が、俺に御刀(こいつ)を?」

「はい」

「……折神家と、関係があったんですね」

「……はい」

 

 

 よりにもよって。そう呟く勇人の小声が静かな和室に響き、びくりと朱音がその身を震わせた。

 

「聞かせてください、俺はまだ冷静です」

「──藤森さんと我々の関係と、その御刀の話は、一つに収束します。ですが先ずは、御刀のことは置いて話をします」

「……構いません」

 

 

 一文字に口をつぐむ勇人だが、その口角は僅かに痙攣していた。カッと湧いた激情を押さえ込もうとして、更には呼応した御刀が傍らで揺れ動く。

 

「──始まりは、私と姉が母から聞かされた事が発端でした。母が数十年前に現役の刀使だった頃、秋田に赴いた際の任務で些細なミスから怪我をしてしまったらしいのです

 

 その時に怪我を診てくれたのが若い頃の藤森さんでした。藤森さんは父が経営していた孤児院を引き継いだ直後だったようで、それから藤森さんと母は友人になりました

 

 孤児院が経営難と知った母は藤森さん達への恩返しを兼ねて、最低限の金銭面での援助をしたらしく──それは私たちが刀使となり姉と篝さんの三人で向かった時も続いていました……」

 

 

 懐かしむようにしみじみと、朱音は優しい声色で語った。その声は勇人を落ち着かせるには充分であり、緩んだ目尻は朱音をも落ち着かせる。

 

「──私たちが向かったのは二十年前、相模湾岸大災厄の少し前の時期でしたから、当然ですが勇人さんはまだ産まれていませんね。

 母は藤森さんを『意外と頑固だ』と言っていましたが、歳を取れば性格も変わるのか、そこまで頑固には見えませんでした。

 

 ですが、あの孤児院で暮らしていた子供たちは楽しそうで──ちょうど引き取りに来たらしい人も、藤森さんが見極めているのか優しい方ばかりでした。しかしそれも十年後──今から十年前、あの事件が起きるまではの話です」

 

 

 相模湾岸大災厄が鎮まってから十年。朱音が大人になり、折神紫が当主となった後に起きた孤児院での虐殺事件。

 

「藤森さんと勇人さんを除くスタッフと保護されていた孤児の全員を殺害される事件は、恐らく調べればネットにも載っているでしょう。そこから数年後に藤森さんが持病で倒れて入院し、数日経ったある日──連絡が来ました」

 

「先生から?」

 

「はい。なにかあったときに折神家を頼るよう母に言われていたようで、貴方を折神家に預けたいという旨の相談を姉にしたらしいのですが──」

 

 

 ああ──と勇人は納得したように言う。御刀と適合したことが判明した直後に折神家が自分を匿った事に合点がいったのだろう。

 だが、次の朱音の言葉が勇人を更に混乱させた。

 

 

「姫和さんに手紙を送るよりも前、勇人さんが中学に上がる直前にこう言われました。

 ──折神家の蔵にある五振りの御刀の内、かつて妖刀と呼ばれていたモノを勇人さんの通う中学校に届くよう手回しして欲しいと」

 

 

 全員の目線が、自然と勇人の傍らに置かれた御刀に向く。夜空を押し込めたような、星の散らばる濃紺の鞘とそれに反した純白の柄。

 

 荒魂からノロを奪い取れて且つ人の傷を治せる御刀を、まさか妖刀と呼ぶのかと。その力を使うことが多い勇人や実際にノロを奪われた夜見は、朱音の言葉を信じられないでいる。

 

「妖刀……? なんで先生がそんな事を、そもそもなぜ俺と適合すると知って……」

 

 

 ギチ、と握り拳を作る指の骨を軋ませる。

 

「落ち着いてください。残念ながらその真意を知る人が誰も居ない以上、私は貴方に知ることを語ることしかできません。 ──話を続けても?」

 

「──続けてください」

 

 

 ふぅと深呼吸を挟む勇人が朱音を見る。その瞳に反射する勇人の顔は、酷いものだった。

 

「藤森さんは姉が姉ではない、違うなにかが折神紫の振りをしている事を、ある時姉が映ったテレビの映像から判別したようで……災厄の以前に渡した連絡先を通じて私に電話してきたみたいでした

 

 警視庁への出向中の隙を突いて折神家に戻った私は、その代の当主しか立ち入ることを許されていない蔵に侵入し──五振りの御刀を見つけたのです。その内の一つが……」

 

 

 これか。小さく言いながら、勇人の左手が御刀を掴む。こくりと頷いた朱音は尚も続ける。

 

「勇人さんの御刀は、それを打った刀匠が四振りの御刀を拵えた後の一品でして……何故その御刀が勇人さんと繋がってしまったのか、という謎に関しては分かりかねます

 しかしあの断言から察するに、それが貴方の力になることはわかっていたようです」

 

「……そうですか」

 

 

 時計の針の動く音だけが響く。朱音が藤森と折神の関係についての話を一旦終わらせると、今度は勇人の御刀の話題に切り替えようとするのだが──

 

「勇人さんの御刀についてなのですが、その──あまり人前では話せないと言いますか……話しづらいと言いますか」

「それはまたどうして」

 

 

 仕方ないとでも言いたげに深く呼吸を挟むと、朱音は勇人を見てハッキリと告げる。

 

「……その御刀は刀匠──星月式(ほしづきしき)が人を殺める為に打ち、怨嗟を込めて振るい続けたことで、妖刀へと変異した御刀だからです」

 

 

 瞬間、刀使たちの時間が止まった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 その日は忙しく、珠鋼という特殊な金属を用いた御刀とかいう稀有な刀数日掛けてを打ち終えたのち、荒魂なる怪物を斬り払う剣士を育てている神社に奉納する用事があった。

 

 刀匠・星月式は一人娘が待っている家に歩を進め、やがてたどり着き玄関を開けようとした。そして簡単に開いた事に違和感を覚える。

 

 

 護身用の脇差を懐から抜いた式が中に入ると、そこに居たのは────娘だったモノであった。

 

 はだけた着物に嗅いだことのある異臭。保管していた売り物の刀が幾つか無くなっており、泥が草履の形として残っている。

 

 

 ──盗人が家に居た娘を辱しめ、あまつさえ殺し、終いには刀を盗んでいったのだろう。光の無い瞳が天井を映し、見下ろす式が映ると、その頬には赤い雫が垂れていた。

 

 鬼の形相で血涙を流す式は踵を返すと草履のまま床を踏み、部屋の奥から余った珠鋼と、昔近辺に落ちてきたとされる月の欠片なる胡散臭い金属を繋ぎとして持ち出してくる。

 

 娘だったモノを再度見下ろす式の顔は怒りを通り越して虚無と化し、ただただ、盗人への殺意だけが満ちていた。

 

 

 ──それから一時間程で、式の家から金属を打つ音が響いていた。なんてことはない、いつも通りの仕事の一つ。

 強いて違うことを挙げるとするならば、その刀は歪だった。

 

 

 半端な量の珠鋼に月の欠片──隕鉄を混ぜ、更には砕いた骨を混入させていたのだ。肉を燃やし、骨を混ぜ、珠鋼と隕鉄の合金を無言で打ち続ける。徐々に刀身の形となって行くそれを、式は仕上げに血で冷やした。

 

 

 ボコボコと熱で泡立つ血の池で出来上がる一本の刃は妖しく輝き、式は淡々と刀身を柄や鍔と組み合わせ、一つの刀にする。

 

 刀身が反射する式の顔に、人としての情などは欠片も残っていなかった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

「──これが、その御刀……妖刀・贄磔(にえのはりつけ)が誕生した経緯です」

 

 

 その場の空気が、重く沈んでいる。勇人の背後で話を聞いていた少女達は顔色を悪くし、勇人でさえ眉をひそめて不快感を露にしていた。

 

「……こいつにそんな仰々しい名前があったとは思いませんでしたよ。俺からしたら、これは傷を癒すへんな御刀ですから」

 

「傷を癒す力があるのは、恐らく珠鋼と共に使った月の欠片……正確には月の隕鉄なのですが、それを混ぜたからでしょう。月の魔力──なんて言葉がある通り、月には不可思議な力が存在します」

 

 

 まあ、引力等のあれこれが原因なのですが。と茶化しながらも、式と妖刀の話をした本人の朱音もまた気分を悪そうにしている。

 

「私は妖刀(それ)を、勝手ながら『神刀』と呼んでいますけどね」

 

「さいで。 ……それにしても、随分と詳しいですね。星月式の過去をどうしてそんなにも知っているんですか?」

 

 

 勇人の言葉に、数拍置いてから返した。

 

「それは簡単です。先程の話に出てきた神社の管理者が、折神家の人間だったからですよ。蔵に妖……神刀と共に保管されていた他の四振りこそが、星月式の打った御刀・四季四刀(しきしとう)なのですから」

 

 

 あっけらかんと言い、朱音は咳払いをしてから尚も語る。

 

「……話を戻しますが、星月式はかつてその御刀を利用して、娘を殺めた盗人を探し求め──遂に復讐を成し遂げました。

 ですが問題はそこからです。式は御刀が持つ力に溺れ、娘が亡くなった事も相まって自暴自棄になり、ある時人斬りに堕ちました」

 

 

 そう言い終えると、朱音は懐から古ぼけた一冊の本を取り出す。パラパラと捲り、あるページを見ながら続けた。

 

「星月式の事は、当時の折神の人間が書いたこの本に記されています。しかし同時に、これを読み解いて行く過程で恐ろしい事実を知ってしまったのです」

 

「それは、どのような……?」

 

「式は御刀だけに限らず、力と長い命を求めました。皆さんにはこう言えば分かるでしょうか」

 

 

 

 ──星月式は、ノロを求めたのです。

 

 

 

 ハッと息を呑む音が、背後から聞こえた。勇人もまた真意を悟って目尻が強張り、無意識に妖刀であり神刀でもある二律背反の御刀の鞘を握り締めていた。

 

「……敵はタギツヒメだけではありません。星月式は今もまだこの世に荒魂として存在し、姿を誰にも見せずに当時からずっと生きているのです」

 

 






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刀使の修行

失踪二周年は免れたので初投稿です


 夜空を見上げながら、藤森勇人は舞草の屋敷の縁側でぼんやりと手元の携帯を玩んでいた。

 カコカコカコ、とやや古いガラケーのボタンを片手間に押してメモ帳に会話の内容を残していると、おもむろに背後の襖が開く。

 

 中から現れたのは、艶のある濡羽色の髪を腰まで伸ばした少女──十条姫和だった。

 

「──勇人、まだ起きていたのか」

「そっちこそ。姫和も夜更かし?」

「……眠れないだけだ」

 

 後ろ手に開けた襖を閉めると、姫和は勇人の隣に座り縁側から外を見やる。

 

「なにをしていたんだ?」

「ん、ちょっとメモをね。朱音様に色々と知らされて、正直頭がこんがらがってるよ」

「ああ、なるほどな」

 

 恐ろしい怪物である大荒魂──タギツヒメに憑依されている現当主・折神紫、その部下の一人であり孤児院出身の勇人は、現状の渦巻く問題の中心に近い場所に居た。

 

「まず孤児院の先生……藤森さんが紫様の親と交流を持っていて、いざとなったら折神家を頼る約束をしていた。そして先生は病気で亡くなる前に言われた通りにして、俺が折神家に向かうことになった。何故俺があの御刀に選ばれたのかはわからないし、紫様が何故俺を匿おうとしたのかもわからない」

 

「その御刀の力を危惧したからじゃないか? ノロを吸い取れる御刀だ、それがもし自分に使われたら──そう考えたのなら、目の届くところに置いておく方がコントロールしやすいからな」

 

「……なるほどね。もしその通りなら、俺はとっくに殺されてる筈だけど……気まぐれか、はたまた────、いや、待てよ」

 

 ──どうした? と聞き返して勇人を見上げる姫和は、思案に思考を割く勇人の言葉を待つ。

 

「さっきの朱音様の話が本当なら、俺たちはタギツヒメ以外にも大荒魂化しているだろう元刀匠・星月式の相手もしないといけない」

「ああ」

「……紫様──いやタギツヒメは、俺を星月式に対するカウンターとして、手元に置いておきたかったんじゃないか?」

「──そうか、星月式の打った御刀と適合したお前なら対抗できるかもしれないし、なにより一番狙われる可能性が高いだろう」

「そう。つまり……俺は星月式を釣るための疑似餌だったんだよ」

 

 勇人は自慢気にそう言って姫和と顔を見合わせるが、姫和はそれに呆れ顔で返した。

 

「…………なあ、勇人。自分から囮説を補強していて悲しくならないのか?」

 

 その質問に、勇人は答えなかった。ただただ悲壮感漂う背中を見せて用意された寝室に戻る勇人の後ろ姿は──あまりにも哀れだった。

 

 

 

 

 

 ──翌日、早速と舞草に訪れた勇人と姫和を含めた四人に、舞草のメンバーである古波蔵エレンと益子薫を含めた八人でのチーム戦の訓練を行っていた。衛藤 可奈美、柳瀬 舞、糸見 沙耶香、そして勇人と同じ折神紫直属の部下である元親衛隊・皐月 夜見が、舞草所属の刀使こと長船女学院の少女らと刃を交わらせる。

 

「荒魂との戦いはチームプレイだ! 攻撃手、遊撃手、指揮手はそれぞれがお互いの動きを良く見ながら動け!」

 

 そう告げられながら動く少女たちの傍らで、勇人と夜見は元親衛隊であるという理由から、先んじて二人一組の動きを確かめられていた。

 

「──っ、ふっ」

「……くっ……シィッ」

 

 勇人の御刀と夜見の水神切兼光が交互に振るわれ長船の刀使に迫るが、二つの刃を少女は巧みに受け流す。返す刀で振るわれる刀身を受け止めて流しつつ、さながら卓球のダブルスのように動く二人は攻め立てる──が。

 

「──そこまで!」

 

 数分の攻防はリーダー格の刀使の掛け声で終わった。勇人と夜見は兎も角として、慣れない戦い方を教わった姫和たち六人は疲労を見せる。

 

「一人一人はまずまずだが、やはり集団戦はこれからだな。それと──元親衛隊の二人、お前たちは連携は出来るのになぜ個人個人で戦うと途端に弱くなるんだ? 連携は出来るのに」

 

「そこ強調する必要ある?」

 

「……私たちは刀使の中では下の下です。勇人くんはまだしも、私はノロを体内に取り込んで強さを取り繕っていたに過ぎませんから」

 

 御刀を鞘に納めて背中に回す夜見は、そう言いながら涼しい顔をしてリーダー格の刀使──米村 孝子に視線を向ける。

 

「まあ、俺たちに限っては、下から数えた方が早いだろうな」

「……親衛隊は折神紫直属の部下なんじゃなかったのか?」

 

「あー……そうだな。そもそもその気概でやってるのは獅童 真希……親衛隊第一席くらいだと思うぞ。二席の此花 寿々花は真希をライバル視してるだけだし、三席は夜見だし、四席の燕 結芽は……忠誠心なんて無いだろうな、子供だし。

 でも親衛隊の中で一番強いのは結芽だから、戦うなら気を付けた方が良いぞ。ちなみに俺は立場的には第五席だが実力はお察しだ」

 

「親衛隊の順番、めちゃくちゃじゃないか」

「……私たちの番号は単なる入った順です」

 

 こいつらもしや相当アレなのでは──と言いそうになった孝子は、そっと口を閉ざした。

 

 

 

 

 

 ──夕方になる頃にようやく修行も終わり、解放された勇人と夜見は舞草の刀使を観察していた。そこにふらふらと歩く薫と、その傍らを歩く姫和と可奈美、舞、沙耶香が近づいてくる。

 

「だぁ~~疲れたー」

「お疲れさん」

「……お前らは疲れてねえのかよ」

「夜見はよく任務に出てるし、俺も真希とか結芽に立ち会いという名のサンドバッグにされてたからなあ。慣れだよ、慣れ」

「言ってて悲しくならねえのか」

 

 薫の指摘に勇人はそれとなく目を逸らした。それから可奈美の声に反応した。

 

「アレって前に山でエレンちゃんたちが着てたS装備だよね。お母さんたちの時代には、こんなものは無かったんだっけ」

「……あったら──」

「──君たちの母親は亡くならずに済んだ?」

 

 姫和の呟くような言葉を引き継いで、横合いから現れた老人──エレンの祖父・フリードマンが現れながらそう言った。

 

「写シや迅移といった特殊能力を使えるとはいえ刀使は生身の人間だ、この技術によって救われる少女たちは増えるだろう」

 

 刀使を強化するパワードスーツ、S装備を着込み何かの検証やらを行っている刀使を見て、フリードマンは更に続ける。

 

「隠世技術の開発が進めば文字通り世界は一新するだろう。僕の祖国のように、他人の庭に入ってでもこの技術に触れたい人間はいくらでも居る筈だ。しかし何故、折神紫はこの技術を広めたのか? その思惑を理解しようと、僕もまた日々研究し続けている。そして辿り着いたのは、とてもシンプルな結論だ」

 

 一拍置いて、彼は口を開く。

 

「アレはより効率的に、刀使にノロを回収させるための装置なんじゃないか、とね。折神紫──いや、タギツヒメにとって、この程度の技術はお茶を淹れるのとそう変わらないのかもしれない」

 

 フリードマンの考察に、神妙な顔つきをする可奈美たち。その横で、勇人はおもむろに思い付いたように独りごつ。それに反応して夜見が白い髪を揺らして顔を勇人に向けた。

 

「──お茶、ねぇ」

「……どうしましたか」

「いや、そういえばあの時、紅茶を淹れてくれる約束をしてたなぁと思って」

「…………バカ」

「え──っ」

 

 ──今思い出したのか、とでも言わんばかりに小さく罵倒して、夜見は珍しく表情を僅かに歪めるようにムスッとした表情を作る。

 

「うるせーぞバカップル」

 

 という薫の気だるげな声が、しかして鋭く二人にツッコミを入れていた。

 

 だが、これで終わりではない。かつて山で勇人たちを追ってきた親衛隊の内、夜見が使用していたノロのアンプルの一本。

 それを持ち帰ったエレンが長船の学長に託した所までは順調であった──が。

 

 想定外、否──想定出来るわけもなかったのだ。そんなたかがアンプル一本に入っているノロを通じて、折神紫(タギツヒメ)が周囲を観測できる事など。

 

 

 

 

 

 

 

「──見つけたぞ……朱音」



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祭りと祀り

 後日、朝の訓練を終えた姫和たちは、舞草の刀使・孝子の言葉を耳にする。

 

「それまで! まだまだ連携に甘いところはあるが、良くなってきているぞ」

「あれっ? もしかして私たち褒められた?」

 

 とぼけるように問う可奈美にエレンが返す。

 

「もしかしなくてもそうデスよ」

「孝子が褒めるなんて珍しい」

「調子に乗るなよ。お前たちはまだ1本も取れていないんだからな」

 

 げんなりした顔で続けた薫に、孝子は厳しく答える。そんな薫の横で、ふと姫和が口を開く。

 

「──ところで、勇人は何処に行った?」

「ああ……アイツなら先に風呂に入ってるぞ。女性の風呂は長いからな、そろそろ上がる頃だろうし……お前たちも汗を流してこい」

「ケッ、勇人の野郎……一人で風呂を独占とはいいご身分だな」

 

 朝からの訓練で疲れ気味の薫は顔をしかめながらそう言って、早速と風呂場に向かった。

 それに着いて行く姫和たちもまた、汗を流すためにと薫を追従する。

 

「…………」

 

 その背後で、夜見が暗い表情を作っていることには気づかないまま。

 

 

 

 

 

 ──風呂場に到着し、薫が脱衣場に繋がる扉をガチャリと開け放つ。中では上半身が裸の勇人が、その手にシャツを掴み、いざ着ようとした体勢で固まっていた。

 

「…………」

「────」

 

 男の半裸姿を見てピシッ、と固まった薫たちを一瞥して、ふと目が合った姫和を見ながら勇人は胸元を隠して続けざまに言う。

 

「きゃー姫和ちゃんのえっちー」

「──男のクセに胸を隠すな!!」

「というのは冗談として……ああ、訓練終わったから風呂浴びに来たのか」

「……おう。さっさと出ろ」

「言われなくても出るっての」

 

 早く風呂に入りたい薫に催促され、中断した動きを再開してシャツを着ると、脱衣場から出た勇人にふらりと夜見が近づく。

 

「……勇人くん」

「夜見、どうした?」

「……いえ、その……」

 

 夜見はそっと指をシャツ越しにヘソの辺りに這わせて、ざらりとした感触を覚える。

 勇人の脇腹にある刀傷。それは、ノロの過剰投与で暴走した夜見が負わせたモノだった。

 

「……傷、治せる筈では」

「この傷か。これは……まあ、気絶中に縫われちゃったのもあるけど、もう塞がってるし、無理に消す必要もないだろうからなあ」

「……そうですか。私の傷は、全部治すのに」

「女の子の柔肌とはまた話が違うでしょうよ」

「…………そうですか」

 

 夜見の見上げる瞳はじとっとしている。

 彼女はどことなくムスッとした表情で、そのまま脱衣場に入ってしまった。

 

「──負い目……ではなさそうなんだよなあ。乙女心ってのはわからん」

 

 やれやれとわざとらしくかぶりを振って、勇人はその場を後にする。それから暫くして、勇人が目にしたのは、制服ではなく浴衣を着こんだ少女たちだった。

 

 

 

「馬子にも衣装ってやつだな」

「…………ふん」

「勇人さん、なんでそんな的確に駄目な選択肢ばっかり選ぶの?」

「ちょっと違ったか」

「だいぶ違うよ……?」

 

 脛を蹴ろうとして、しかして浴衣のせいで脚を上げられない姫和は、鼻を鳴らして歩き去る。呆れた顔で指摘する可奈美は、勇人にそう言って彼女を追いかけていった。

 

 それぞれが好きなように祭りを楽しむ光景を見ながら、勇人は目立たないようにと竹刀袋に自身の御刀を入れて背中に回している。

 

 ふと、勇人の隣に歩を合わせる夜見が、ちらちらと窺うように見上げてきた。

 

「……どうですか」

「いいと思います」

「……そうですか」

 

 ──ぶつんと会話が途切れた。夜見の足取りが重くなったのを察して、勇人は続ける。

 

「──あー……あんまりこう、女性の衣服を褒めるっていうのは慣れてなくてだな」

「……はい」

 

 気まずそうに顔を逸らした勇人が言い訳をしながらも、足を止めて夜見と向き直る。そして、夜見の着ている紺色の浴衣を見て言った。

 

「似合ってるよ」

「……………………はい」

 

 シンプルだが、今はこれだけでいい──と、勇人からの褒め言葉を染み込ませるように、ゆっくりと間を置いてから夜見は呟く。

 

 

「──お二人サーン、グランパが今日のお祭りのメインイベントに招待したいそうデス」

 

 日が傾き始めた頃、エレンに呼ばれて集まると、そこには姫和たちが既に揃っていた。

 舞草の拠点がある村の人々が集まる場に混ざると──そこで巫女装束を着た先輩刀使の孝子と聡美が舞を披露している。

 

 飾られている御神体に背中の御刀がガタリと反応するように揺れて、勇人は中身を察しながらもフリードマンへと問いかけた。

 

「フリードマン、アレの中身はノロだな」

「わかるかい? その通りだよ」

「……折神家に回収されていないノロが、まだ存在していたのか」

 

 姫和がそう言って御神体を見やる。

 

「数は減ったがね、それでもこの国にはノロを祀る社が幾つも存在するんだよ。丁寧に敬い、祀るんだ。そうだな──可奈美くん、君はノロがどうやって生まれるか知っているかい?」

 

「えっと……」

 

 流石にそこまでは、という表情を作る可奈美に代わって、後ろに座っていた舞衣が答えた。

 

「御刀の材料である珠鋼を精錬する行程で、不純物として分離されたモノ……です」

「流石だ、舞衣くん。御刀になる程の力を持つ珠鋼から分離されたノロは、ほぼ御刀と同等の神聖を帯びているんだ。いまだに人の持つ技術では、それを消し去ることはできない」

 

 フリードマンの言葉に、可奈美が質問を返すように口を開き言った。

 

「でも、ノロを放置すると荒魂になっちゃうから、折神家が管理してるって……」

「ふぅむ。それは不正解だね」

「えっ!? ……あ」

「フッ、場所を変えようか」

 

 思わず声を荒らげた可奈美に、周りの事情を知らない民間人が視線を向ける。

 苦笑をこぼしながらのフリードマンの提案に頷いて、可奈美を筆頭に勇人たちが席を立つ。

 

 そして、フリードマンの解説は続き、ノロを巡る厄介な事情を知ることとなった。

 

 経済的な理由で社を減らしたがった政府がノロを纏めようとし、しかし一定以上のノロが集まればスペクトラム化して荒魂となってしまう。

 

 そうならないようにと、明治の終わり頃から当時の折神家が厳重にノロの量を管理していた。だが──戦争が近づき、国はノロの軍事利用を求めて、ついに(たが)が外れてしまったのだ。

 

「ノロが持つ神性──隠世に干渉する力を増幅させ、まさに君達刀使にのみに許された力を解明し、戦争に使おうとしたのさ。戦後、米軍が研究に加わったことでノロの収集は加速した。

 表向きは『危険なノロは分散させず一か所に集めて管理した方が安全だ』と言って、日本中のノロが集められていった。

 

 ──しかし、思わぬ結果が待っていた」

 

 一拍置いて、彼は言う。

 

「ノロの結合。スペクトラム化が進めば進む程、彼らは知性を獲得していったんだ」

「それってつまり……ノロを沢山集めたら頭のいい荒魂が生まれたってことですか?」

「簡単に言えばそういうことだね」

 

 フリードマンは可奈美の簡潔なまとめに教師のような笑みを浮かべ、それから真剣な表情に切り替えると勇人たちを一瞥する。

 

「今や折神家には過去に例がない程の膨大なノロが貯め込まれている。それが……」

「……タギツヒメの神たる所以か」

 

 姫和がギリ、と歯を噛み締めて呟く。

 その隣で、勇人が続けて言葉を発した。

 

「問題はそれだけではないぞ。もしその大量のノロが何かのはずみで荒魂に……いや、大荒魂になってしまったら、もう俺たちでどうにか出来るレベルを超えてしまう」

 

「それこそ、相模湾岸大災厄のようにね。あの大災厄はノロをアメリカ本国に送ろうと、輸送用のタンカーに満載した結果起きてしまった事故。つまり、人の傲慢さが引き起こした人災だ」

 

 当時その場に居たフリードマンは、「彼らの眠りを妨げてはならなかったんだ」と続け、改めて祀られている御神体を遠巻きに見た。

 

 

「ノロは人が御刀を手にするために、無理矢理生み出された……いわば犠牲者だ。

 元の状態に戻すことができないのなら、せめて社に祀り、安らかな眠りについてもらう。それが今の我々に出来る、唯一の償いなんだよ」

 

「──犠牲者、か」

 

 勇人の口からポロっとこぼれた言葉。その脳裏に過るのは、折神紫──タギツヒメ。

 

 荒魂が御刀を生み出す過程の犠牲者だとしても、それは人を襲っていい理由にはならない。災厄を起こしていいわけでもない。

 しかしそれでも──タギツヒメという荒魂は、獲得した知性で、何を考えてきたのだろうかと、勇人はふとそんなことを考えていた。

 

 

 

 ──真実を知った勇人が縁側で民間人たちの動きを観察していると、制服に着替えた可奈美と姫和が近づいてくるのを視界の端で捉えた。

 

 二人が勇人の横に並んで座ると、それぞれが自身の御刀を見て、可奈美が問う。

 

「──運命だったのかな。

 お母さん達が使っていた御刀を持つ姫和ちゃんと私が出会ったのって」

「────」

「ロマンチックだねぇ」

 

 照れ隠しのように、姫和は勇人の膝を小突いた。そして、おもむろに呟く。

 

「──行ったのだろうか」

「どこに?」

「お祭りだ。お前の母親と私の母は、一緒に、行ったのだろうか」

「……うん、きっとそうだよ」

 

 そう言いながらも、可奈美と姫和の表情は決心したように凛としている。

 勇人は小さくため息をつきながらも、傍らに横たわらせていた御刀の鞘を握った。

 

 

 

 

 

 ──拠点の室内で朱音とフリードマンに向き合う三人が、行動方針を伝える。

 

「では我々と行動を共にすると言うのですね?」

「はい。歪みを正し、刀使を本来の役目に戻すと言うのであれば、目的は同じです。

 私たちでその元凶、折神紫を倒す」

「俺が役に立つとは思わ────ん」

 

 ピクリと、勇人が反応したように立ち上がる。その理由を問うより早く、慌てた様子で孝子が御刀を腰に携えて部屋に入ってきた。

 

 

 その理由は、外にあった。村を──舞草の拠点を囲うように、本来なら刀使のサポートをするはずの部隊が構えていたのだ。

 

『こちらは特別機動隊です! この地域は特別災害予想区域に指定されました! 我々の指示に従い速やかな行動をお願いします!』

 

「折神家……!」

「妙な気配がすると思ったらこれか」

「でもなんでバレたんだろう?」

 

 姫和と勇人、可奈美の声に続けて朱音が立ち上がりながら言う。

 

「今はとにかく動きましょう」

「では、戦略的撤退と行きますか」

 

 フリードマンもまた続き、三人と孝子を連れて表に出る。外で薫とエレン、舞衣、沙耶香、舞草の刀使と合流しつつ移動すると、

 

「グランパ、これからどうするんデスか?」

「逃げるしかないが、やはり潜水艦だろうね。あれの所属はアメリカ海軍のままだから、警察組織の彼らが手を出せる相手ではない」

「仕方ないけど、だいぶズルいな……」

 

 勇人が呆れた様子で言い、背後では孝子と聡美が一言二言作戦を交わす。

 

「二手にわかれよう。私たちは朱音様を連れて桟橋に向かう」

「私の方で仲間と一緒に足止めをするわ」

「聡美、あとは任せた」

 

 孝子が可奈美たちを纏めつつ朱音とフリードマンを逃がそうとし、聡美が機動隊を迎え撃つ算段を整え──じゃあと勇人が声をあげた。

 

「俺も足止めに参加する」

「勇人さん!?」

「勇人、正気か?」

「正気ですが……」

 

 可奈美と姫和に驚かれながらも、勇人は腰の御刀に手を置いて理由を話す。

 

「この状況を楽しもうとするじゃじゃ馬が来るかもしれないからな。そうなったら……はっきり言って舞草の刀使は何も出来ない」

 

「……じゃじゃ馬…………あの方ですか」

 

 夜見が勇人の言う相手の正体を理解したのか、普段の無表情をわずかに歪める。

 聡美を含む舞草の刀使たちが『何も出来ない』と評されて眉を潜めるが、言い合う暇もないからと、勇人と夜見を連れてその場に残った。

 

 分かれた孝子率いる朱音たちが抜け道を通って潜水艦に向かい、その姿が見えなくなった頃、不意に上空からヘリコプターが現れる。──その中から何者かが飛び降りてダンッと着地すると、薄い紫色の髪を揺らして愉快そうに笑う。

 

「……あーあー、本当に来ちゃったよ」

 

 勇人の嫌そうな声を聞きながらも、少女は無視して声高らかに啖呵を切った。

 

 

 

「──折神紫親衛隊第四席、燕結芽。四席って言っても……一番強いけどねッ!」



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最強と最弱

 ──都合何度目かの『写シ』を張り直す勇人は、荒くなった呼吸を整える。

 写シの張り直しを待っていたかのように『迅移』を用いて高速で接近する刀使──燕結芽の御刀を受け止めると、手元に衝撃が伝わり、ガギッと金属音が響いた。

 

「っ……防御に徹すればなんとか「──なるって思ってるぅ?」──がっ!?」

 

 ──背後からの声に反応するよりも早く、勇人の写シは左腰から右肩へと逆袈裟で切り裂かれる。なんとか剥がれた写シを即座に張り直した勇人だが、振り返った先で既に二の太刀を振るっていた結芽の一閃に、新たに張った写シを再度剥がされながら地面を転がった。

 

「こんなとこでコソコソしてるから、おにーさんもちょっとはレベルアップしてるのかと思ったけど……ほんとにちょっとだけなんだね~」

 

 つまらなそうに御刀の峰でポンポンと手のひらを叩きながらそう言った結芽に、何度も写シを張り直したことで体力を浪費している勇人は吐き捨てるように返す。

 

「ちょっとで悪かったな」

「ホントだ、よっ!」

 

 弱々しく張り直される写シをもう一度剥がせば勇人を倒せるだろうと考えたのか、容赦なく結芽は御刀を構えて肉薄する。

 そこに、横合いから二人の少女──舞草の刀使・聡美と元親衛隊・夜見が割り込んだ。

 

「──はっ!」

「……ふっ!」

「おっとと」

 

 二人の振るう切っ先に当たる直前で急ブレーキを掛けた結芽は、急停止からの迅移による急加速で、聡美と夜見の意表を突きながらすれ違い様に切り捨てる。

 

「くあっ!?」

「…………っ!」

 

 続けて、連続で行う迅移で勇人の周囲を回りながら、過剰なまでに全身を切り裂く。

 勇人が反射的に振るった御刀は結芽の肩を僅かに掠めるだけに終わり、とどめとばかりに放たれた蹴りで二人の傍らに倒れ込んだ。

 

「うごごご……っ」

「その辺のおねーさん達よりはマシだけど、もう少し頑張りましょうって感じぃ?」

 

 あははと渇いた笑い声を上げる結芽は、境内に現れた特別機動隊の隊員に対して、勇人と夜見を見ながら一言だけ告げる。

 

「この二人は親衛隊だからこっちで預かるね~、そっちのおねーさん達は任せるよ」

 

 舞草の刀使を全滅させた実力のある結芽は、有無を言わさぬ物言いで締め括る。それから乗り込んできたヘリコプターに二人を乗せると、自分もまた中に入ってその場を後にした。

 

 

 

 

 

 ──ヘリコプターで折神家に向かっている最中、勇人と夜見は、結芽から折神家側で何があったのかを聞かされていた。

 身ぶり手振りと擬音混じりの語りを理解するには時間を要したが、なんとか話を聞き終える。

 

「まぁ~そんな感じ? 沙耶香ちゃんを連れ戻そうとしたのに、高津のおばちゃんがあっさり諦めててビックリしちゃった」

「それはまた、キツい性格してるわりには珍しいことをしてるな」

「……勇人くん」

「おっと、悪い」

 

 向かいに座る夜見が、勇人に声をかける。ノロを人体に投与するという人道を外れた実験をしていたとはいえ、それで力を得て刀使になった夜見からすれば、高津雪那──彼女は恩人なのだ。

 

「高津のおばちゃんもなんだかんだ夜見おねーさんのこと気に入ってるんじゃない? なんかおねーさんがそっち側に付いてから露骨に元気ないし。萎びたほうれん草みたいになってたよ」

「ふっ……ほうれん草」

「……高津学長」

 

 小さく笑う勇人の向かいで、夜見は複雑な感情を表情に浮かべる。

 高津雪那が上昇志向の気難しい性格であることを理解しているため、本当に自分を気にかけてくれているのかと疑問に思っていたのだ。

 

「まっ、これから折神家に戻ればあの人も元気になるでしょ」

「……そういえば、俺たちを連れ帰ることにしたのは真希か紫様の指示か?」

「んーん。私が勝手に決めた!」

「そっかあ」

 

 ──姫和たち元気かなあ。現実逃避気味に、勇人はそう思った。その直後。

 

「およ?」

「……これは」

「──どうなってる?」

 

 ヘリコプターの中で、三人の体が突如としてレイヤーで分けたかのように前後にブレた。

 三人が知る由もないが、時を同じくして潜水艦の中でフリードマンから聞かされているだろう姫和たちは、この現象が隠世で大きな変化が起きたことが原因ではないかと語られている。

 

 そして、そのあとに大荒魂が現れたということ。とどのつまり、この現象が起きたということは、大荒魂の復活が近いということになる。

 

「あ、戻った」

「……折神家に急いだ方がいいかもな」

「えー、なんで?」

「あとで真希と寿々花が揃ってるところで、全部教えてあげるよ」

 

 ──親衛隊は、折神紫の正体が大荒魂・タギツヒメであることを知らない。

 ゆえに、潜水艦組も折神家と戦うだろうと見越して先んじて敵陣のど真ん中に向かおうとする勇人と夜見だが、心配するべきは折神紫の強さに惚れ込んでいる真希にあった。

 

「あいつ絶対聞き入れないよなぁ」

「おにーさん、なんか言った?」

「いやなにも。結芽、悪いけどパイロットに急いでもらうように言ってくれないか」

「いーよっ」

 

 にひっ、と笑って、結芽は言われた通りにパイロットと話し込む。それを見ながら、夜見は不思議そうに勇人に問い掛けた。

 

「……燕さんは、どうしてそこまで勇人くんに懐いているんですか?」

「わからん。ああでも、こいつの病気を御刀の力で治したことがあるからそれが理由かも」

 

 ちらりと、傍らにある、厳重に封をされた御刀を収納する箱を見やる勇人。

 それはノロを取り込み、エネルギーに変換して所有者や他者の体に変化を与える力を持つ。

 

 事情により妖刀じみた出自の御刀は、傷を治したり、高い出力の八幡力に耐えられる肉体強度を得るだけではなく──体内の病原菌や悪い細胞を無害なものに変えることも出来たのだ。

 

「……ご病気、だったんですね」

「──うん? そーだよっ、なんとかっていう……こきゅーきけー? の病気だったの」

 

 幼さもあるが、今となっては完治している自身の病気には詳しくないのだろう。しかし間延びした言葉とはいえ、夜見は結芽の病気が呼吸器系の病だったのだろうとだけ察していた。

 

「折神家で顔合わせした時にすぐ気付いたよ、ほっといたらこの子死ぬなーってさ」

 

「だからって私と二人になった時にいきなり御刀で『グサッ!』は酷いと思うんですけどぉ」

 

「……勇人くん、流石にそれは……」

 

「いや、だってさあ、当時から病人だったのにめちゃくちゃ強かったんだぞ? 

 不意打ちでもないと避けられるし、刃が皮膚に刺さってないと効果発揮しないし……」

 

 手をまごつかせながら言い訳する勇人に、夜見はじとっとした目付きで続ける。

 

「……説明をすれば良かったのでは?」

「『この御刀の力があれば君の病気を治せるよ』って言われて信じると思うか?」

「……それは」

「ムリムリ。あの時の私も反射的に鞘に入れたままの『にっかり青江』で頭ぶん殴ったもん」

 

 傍らに立て掛けている御刀をちらりと横目で見ながら結芽が言う。

 それから一転、勇人の横に座っている結芽は、足元に目線を向けながら呟いた。

 

「……ねえ、おにーさん、治さない方がよかったんじゃないの?」

「何をだ?」

「私の病気。だってほら、そうしたら、あの村で私と戦わないで逃げられたかもしれないし」

 

 結芽は幼い。けれども刀使という戦う者として、譲れない理由があるから勇人たちが自分たちに歯向かってきていることを理解している。

 

 病気を治してくれたという恩もあってか、彼女は遠慮がちにそんな質問をしていた。もっと噛み砕いて言うのなら、『私は余計なことをしたのではないか』と、そう考えているのだろう。

 

「なんで紫様に敵対してるのかとかわかんないけど……真希おねーさんは御前試合の決勝の人を殺す気だったし、もしかしたら、このまま連れて帰ったらおにーさんも殺されちゃうのかな」

 

「────、なあ、結芽」

 

 そう呼ばれて上目遣いで勇人を見上げた結芽は──おもむろに両手で頭を撫で回された。

 

「んわわわわわっ!?」

「ばーか。ガキんちょが一丁前に余計な心配なんかするなっつーの」

 

 淡紅藤色の髪がわしゃわしゃと乱され、けれども嫌ではない感触に結芽の体は脱力する。

 隣に座っている勇人にもたれ掛かる結芽は、そのまま続けて言葉を投げかけられた。

 

「姫和たちはそう簡単に殺されないし、俺だってしぶとく生き残ってやるさ。それに、『子供の病気なんか治さなければ良かった』だなんて考えるやつはこの世に居ない。居てたまるか」

 

「…………うん」

 

「才能があって刀を振るのが好きな子が元気に動き回ってる。それで十分だろ、俺たちが境内に残ったのも、自分の意思だからな」

 

 ──それで捕まってちゃ世話ないがな、と締めた勇人に、夜見も呆れたように薄く笑みを浮かべる。そんな二人を見て、結芽は。

 

「じゃあ、私のこと、嫌いにならない?」

「ただちょっと普通より強くて小生意気なだけのやつを、嫌いになるわけないだろ」

「……ええ、そうですね」

「──ふぅん。そっか……あれっ、いま私のこと生意気とか言ったよね?」

「言ったっけ?」

「言ったでしょお!」

 

 誤魔化すように結芽の頭をぐわんぐわんと撫で回す勇人に、彼女は大型犬が飼い主に噛みつくように「うがーっ」と威嚇する。その様子を見ながら、夜見は物静かにその光景を見守ってた。

 

 

 

 

 

 

 

「…………ふふっ」

 

『嫌いになるわけないだろ』

 その言葉を反芻している結芽は、胸の内に暖かいモノが灯る感覚を覚える。ヘリコプターの中で暴れ終え、結芽は改めて窓の外を見る振りをしながら、ガラスの反射越しに勇人たち見た。

 

 若き刀使たちとタギツヒメの決戦が近づくなか、幼い最強の刀使は、幼いなりに小難しい悩みを抱えていたのだが──それをも受け入れた勇人に、結芽は小さく、小さく言葉を紡ぐ。

 

「立ち合いでは勝てないくせに、こういう時だけはカッコいい大人っぽいんだもんな~」

「なんか言ったか」

「なんでもないもーん」



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獅童と藤森

「──折神朱音が投降?」

 

「今更そんな事をして何になりますの? 先程の現象といい、何が起こっているのでしょう」

 

 特別祭祀機動隊本部にて、親衛隊第一席・獅童真希は、送られてきた情報をおうむ返しした。

 その隣で、第二席・此花寿々花が、刀使の間で起きた例の現象を思い返しながら呟く。

 

 眼前の画面には横須賀の海が映され、そこに朱音が潜伏している筈の潜水艦が現れた。

 中から上がってきた朱音は、横須賀に集まった野次馬、刀使、警備員、その場の全員へと、大荒魂の復活という危機が迫っている事への警告をせんと声高らかに語る。

 

 

 

「──たっだいまーっ!」

 

 すると、二人の背後にある出入口の扉が開き、そんな快活な声が聞こえてきた。

 声の主──第四席・燕結芽へと振り返った真希と寿々花は、結芽()()()()()()()()()人物を見て、表情を強張らせる。

 

「ああ、お帰り、結芽…………」

「舞草の方はどうでしたか……」

「見て見て、おにーさんたち拾った」

「ただいまー」

「……戻りました」

 

 あっけらかんとした態度で、藤森勇人はひらひらと手を振って二人に愛想笑いを向ける。

 その横では、申し訳なさそうに元々の暗い表情を更に暗くしている皐月夜見が立っていた。

 

 

 

 

 

 ──折神家の客室に集まった五人のうち、勇人と夜見は、御刀を別室に離されたうえでその両手を手錠で拘束されていた。

 

「十条姫和を庇った裏切り者が戻ってきて、なにもされないとでも思っていたのか?」

「なんだい、人が親切にも情報共有の為に戻ってきてやったってのに」

「……情報だと?」

 

 ガチャガチャと手錠を鳴らす勇人に、真希は苛立ちを隠そうともせず返した。

 

「何故姫和は紫様を斬ろうとしたのか、何故俺はあいつを助けたのか、舞草が──朱音さまが、何故紫様と敵対しているのか。

 どうせ姫和たちもこっちに来るんだ、その前に本当の事を全部教えてやる」

 

「──良いだろう、嘘偽りは語るなよ」

 

「ああ。先ず大前提として、俺たちが紫様紫様と崇めているあの人は人間じゃない」

 

「嘘偽りは語るなと言ったはずだが……?」

 

 ──言ってねえよ、と口を衝いて出そうになった言葉を噛み潰して、勇人は表情を歪める。

 

「お前が話を聞く気が無いなら寿々花に交代させるぞ。……ったく、続けるからな」

 

 真希が自身の御刀・薄緑の鍔に置いた手を離すのを見届けてから、勇人は続ける。

 

 折神紫が大荒魂・タギツヒメであること、ノロを集めているのは復活のためであること、舞草はその事を知っている折神朱音とフリードマンが反旗を翻す為の組織であること。その全てを、真希と寿々花と結芽に向けて話した。

 

 勇人が全てを語り終えた後、真希は言葉を脳裏に反芻させるように考え込む素振りを見せると、それでも尚、その意思を曲げるつもりはないとばかりに凛とした口調で言う。

 

「仮にそれが事実だとしても、僕は紫様の刃である意思は変えない」

「その行動が、大荒魂復活の片棒を担ぐことになるとしてもか?」

「当然だ」

 

 ──()()()()、という思考が脳裏を過る。

 強さに固執する真希は、圧倒的強者の折神紫の腕っぷしに惚れ込んでいるのだ。強さが第一である真希にとって、『大荒魂だから』というのは折神紫に逆らう理由にはならない。

 

「勇人、わかるか? 紫様のもたらした技術は僕たち刀使の力を向上させてきた。

 S装備(ストームアーマー)や、僕や寿々花のようにノロを投与された冥加(みょうか)刀使。この力で救える人は増え、死亡する刀使は格段に減ったじゃないか」

 

大荒魂(タギツヒメ)が復活して暴れたら、その救えた人や死亡率の下がった刀使がどうなると思ってるんだ。さっき説明しただろう、そのお前が言う強さとやらは、全てはタギツヒメが効率良くノロを集めるための駒に過ぎないんだぞ」

 

 手錠で動かしづらい手を床や壁に向けながら、勇人は飄々と言い返す。

 ざわ──と真希の圧が強まり、その体内から荒魂に似た気配が流れ出る。

 

「例え駒でも、僕はこの強さで荒魂を狩り、人を、部下を守ってきた。それの何が悪い!?」

「何が悪いか、なんて……そんなこと一つしかないだろ。()()()だよ」

「────」

「夜見の手前あんまり言いたくないが、ノロの投与というドーピングにまで手を出して、人の道を外れてまで手に入れたのが()()か」

 

 ソファに座る自分から見て斜め左下、床の奥にある別室に()()を確かめると、勇人は立ち上がり自分を見下ろしていた真希と視線を合わせるように真っ向から睨み合う。

 

 そんな時、不意に寿々花の手元にある携帯端末(スペクトラムファインダー)に着信が入った。彼女が通話に出ると、機動隊本部の女性スタッフがマイクを貫通する慌てた声で捲し立ててきた。

 

『寿々花さん! ストームアーマーのコンテナが潜水艦から射出されました!』

「なっ──予想着地点は!?」

『折神家に向かって飛んできてます!』

 

 その説明は、この場の五人を驚愕させるに充分だった。真希と睨み合っていた勇人は、苦笑を溢しながら遠くからの爆音を耳にする。

 

「……やっぱり来たな、いや流石にコンテナに乗り込んでくるとは思ってなかったけど」

 

「くっ……まさか即行動で本拠地に乗り込む選択を取ってくるとは……!」

 

「──さて、どうしますか真希さん。わたくしたちは乗り込んできた彼女たちを押さえたうえで勇人さんたちを見張らなければなりませんが」

 

 端末を懐に仕舞った寿々花は他人事のように軽い口調で語り、カールした髪を指で弄る。

 

「えー、私は見張りたくないよー。めんどくさいし、ほっといても何も出来ないでしょ」

「……私としましても、御刀が無いので、抵抗の意思はありませんが……」

 

 ちら、と、駄々をこねる結芽の隣で夜見は勇人に視線を向ける。当の本人は一拍間を空けると、思い付いたように結芽に声を掛けた。

 

「なあ結芽、御前試合の時に居た可奈美って子を覚えてるか? 決勝の時の黒髪じゃない方だ」

「あ~~~、うん、覚えてるよ」

()()()()()()()()()()

「────へぇ?」

 

 暇そうにしていた結芽は、一瞬で面構えを凶悪なモノへと変える。

 獲物を見つけた肉食獣もかくやと言わんばかりに八重歯を見せる笑みを浮かべると──

 

「じゃあちょっと見てこよ~っと」

「っ! 待て結芽、勝手に動くな──」

 

 真希の制止も届かず、結芽は御刀を手に部屋から素早く出ていってしまった。

 

「よし、この場の戦力一人減った」

「あら、まあ。やりますわね」

「……勇人くん、小狡いですよ」

 

 二人からのじとっとした視線をそれとなく無視しつつ、勇人は真希に向き直ると口を開く。

 

「俺としては姫和たちが紫様を倒すのを手伝わないといけない。お前はそれを止めないといけない。困ったことに意見が別れたわけだが」

 

「──まさかとは思うが、勇人、お前……僕と戦おうしているんじゃないだろうな」

 

「そうだな。いっちょ喧嘩でもするか、そろそろ勝ち星を挙げたい所だったんだ」

 

 勇人はそう言うと、薄緑を構えて鯉口を切った真希に対して、その場に立ったまま右手を左斜め下に向けて手のひらを床へと翳す。

 

「御刀も無いのに戦うつもりか? 言っておくが──殺すつもりでやるぞ」

「おいおい逸るなよ真希、具体的に言うとあと十秒だけ待ってくれ」

「……なんだって……?」

「ああ、そういえば言ってなかったし、見せたこともなかったな。実は俺の御刀は──」

 

 そこで区切ると、勇人が翳した手のひらの先、下の階の部屋から、何かがぶつかる音が断続的に聞こえてくる。そして──ドンッ! と轟音を奏でて、床を突き破って勇人の御刀が現れた。

 

「──呼ぶと独りでに飛んで来る」

 

 右手に柄が納まり、左手で鞘を握ると同時に八幡力を起動。御刀を通して発生した怪力で、手錠の両手首を繋ぐ鎖を引き千切りながら、そのまま鞘から刀身を抜き放つ。

 

「ぐっ──、勇人ッ!!」

「今回で一勝させてもらうぞ、真希!」

 

 反射的にだがそれでも冷静に薄緑を抜刀して、勇人の一撃を受け止めた真希は、彼の八幡力で押し込まれながら背中で窓をガラスを割って外の森へと揃って姿を消した。

 

 

「さて、わたくしはどうしましょうか」

「……此花さんは、獅童さんを手伝わなくてよろしいのですか」

「あら。それを言うなら、夜見さんも御刀を取りに行って加勢すればよろしいのでは?」

「……いえ、私では足手まといでしょうから」

 

 部屋に残された二人は、淡々と、静かに会話を交わす。どこか遠い目をした寿々花は、おもむろに呟くようにして夜見へと語り掛けた。

 

「勇人さんの言葉は真実なのでしょう。紫様の文字通り人並外れた実力やカリスマ性を鑑みれば、人ならざる何かしらが紫様の振りをしていると考えるとしっくり来ます」

 

「……貴女は、どうして」

 

「冥加刀使になったか、ですか? それは単純、真希さんに追い付きたい、勝ちたい、ただそれだけのこと。ですがまあ、あそこまで盲目的になられては、ライバルとは呼べませんから」

 

 ──ですので、と続けて、寿々花は懐から手錠の鍵を取り出して夜見の手首から手錠を外すと、柔らかく笑ってこう言った。

 

「一度、痛い目を見てもらおうかと」

「……ふ、ふ。そう、ですか」

 

 イタズラっぽく片目を閉じて、寿々花は夜見に語る。もうじき、決着が着くのだという、漠然とした確信だけが二人の間にあった。

 

 

 

 

 

 ──気がつくと、勇人は足元が真っ赤な水で満たされた空間に立っていた。

 

「真希と一緒に落ちて気絶でもしたか」

 

 こりゃ夢だな、という自覚。

 何故ならば、その空間には、もう一人──少女が立っていたからである。

 

「……ああ成る程、あんたが星月式の娘か。骨を球鋼と月の隕鉄に混ぜて、血で冷やした御刀……だったな。あー、初めまして?」

 

 勇人が近づき、少女に右手を伸ばす。握手を求めたが、少女は勇人をじっと見つめるだけで、それ以外の反応を示さないでいる。

 

「なんでこのタイミングなのかは知らないが、こっちの声が聞こえているなら聞いてくれ。

 俺はあんたの親父さん──星月式を止める為に、先ずはタギツヒメを倒さないといけない。その前に、真希にも勝たないといけない」

 

 少女は勇人をじっと見る。それはまるで、勇人が相応しいかを確かめるように。

 

「さんざん力を使っておいて、俺があんたに何を返せるかなんてわからない。

 でも、どうしても力になりたい相手が居て、どうしても勝ちたい相手が居るんだ」

 

 改めて右手を差し出すと、勇人は少女の紅い瞳を見据えて、力強く宣言した。

 

 

「──お前の(ぜんぶ)を、俺にくれ」

 

 あまりにも身勝手で、あまりにも都合のいい言葉。けれども何百回と燕結芽に、獅童真希に負けて負けて負けて負けた勇人にとって、次で引き寄せる勝利こそが、何よりも大事なのだ。

 

 それをわかっているからこそ、少女は──勇人の御刀は、差し出された右手を握り返した。

 

「……もうお前は、ただの御刀じゃない。妖刀でもない。名前を考えたんだ、お前は──」

 

 

 

 意識が浮上するなか、その名前を聞いた少女が、嬉しそうに笑った気がした。

 

 

 

 

 

 ──土埃を払って、獅童真希は離れた位置に落下した勇人を警戒する。写シを張って薄緑を構えると、少しして勇人が起き上がった。

 

「……さっさとお前を拘束して紫様の援護に向かう。構えろ勇人、これが最後だ」

「──ああ、そうだな」

「──っ」

 

 ゆらりと、鮮やかな蒼い光を放つ御刀を手に写シを張る勇人。その姿を木々の隙間から射し込む月光が照らし、真希は、雰囲気がガラリと変わった勇人に疑問が湧く。

 

「藤森勇人、唯一の男性刀使。お前はいったい──なんなんだ?」

 

 霞の構えを取り、真正面から真希を捉えた男に、そう問いかける。

 ゆっくりと瞼を閉じて、静かに鋭く切っ先を真希へと向けると、勇人は答えた。

 

 

 

「俺は元親衛隊・第五席、藤森勇人。

 

 ──朧月夜の刀使だ」



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朧月夜ノ刀使

「や~めた」

「──えっ?」

 

 姫和たちを先に折神紫の元へと向かわせた可奈美が相対していた少女──燕結芽は、『飽きた』と言わんばかりに構えを解いた。

 

 ()()()()()()()、そして敷地に侵入してくる大小様々な大きさ、形の荒魂の群れに視線を向けながら、結芽はしっしっと追い払うように手首をスナップしながら可奈美へと言い放つ。

 

「紫さま……じゃなくてタギツヒメ? と戦うんでしょ。こうも邪魔が入ると素直に楽しめないし、さっさと行きなよおねーさん」

 

「え、えーっと……いいの?」

 

S装備(それ)、時間制限あるんでしょ。ここで私と荒魂の相手をする暇無いじゃん」

 

 ──私は使わないから興味ないケド、と小さく付け加える結芽をよそに、可奈美は呼吸を整えるとその場を背にして駆けて行く。

 

「…………ありがとう。全部終わったら改めて決着! つけようねっ!」

 

 その言葉と後ろ姿を見送った結芽は、懐からワイヤレスイヤホンを取り出すと、おもむろに片耳に装着してスイッチを入れた。

 

「──もしもし寿々花おねーさん? 御前試合決勝の舞台の方に荒魂がすごい集まっててるんだけど~、これもしかしなくてもタギツヒメに引き寄せられてるってことだよね?」

 

『そうなりますわね。結芽、()()()()()()

 

「あは、誰に聞いてるの? こっちは私一人でじゅーぶんだから、他は任せるよ」

 

『わかりました』

 

 会話を切ってイヤホンを仕舞おうとして、結芽は『あ』と口を開いて寿々花に聞いた。

 

「ねえ、真希おねーさんとおにーさんはどうしてるの? どうせ喧嘩してるんだろうけどさ」

『そうですね……先ほど森林地帯の方に落ちて以降連絡がつきませんが、まあ大丈夫でしょう』

「ええ……まったくもー」

 

 はぁ、とため息をつきながら、結芽は御刀を構え直して迫り来る荒魂の群れへと向き直る。ギラリと鋭い眼光で睨み付け、口角を愉快そうに歪めて、星眼の構えで荒魂たちを迎え撃った。

 

 

 

 

 

 ──断続的に続く破壊音。木々を縫って駆ける勇人と真希は、御刀を衝突させ、時には大荒魂の復活が間近に迫る事からか折神家に引き寄せられている荒魂を片手間で両断していた。

 

「ォォオオオッ!!」

「──っちぃ……!」

 

 ダンッと力強く跳躍し、落下の勢いを加えた一撃を繰り出す真希の薄緑を、勇人は朧月夜で受け止める。接触の瞬間に八幡力を起動して膂力を更に増したことで、地面を滑るように後退させられ、勇人は背中を木の幹にぶつけた。

 

「ぐっ──不味っ」

 

 そこに、八幡力と迅移を織り混ぜた高速接近による一閃が煌めく。

 僅かに見えた刀身に反射した月光から、ほぼ勘で屈む勇人。その真上を通りすぎた真希の追撃は、背後にあった木を真っ二つに切断する。

 

 ズズンと音を立てて倒れる木を挟んで、真希と勇人は顔を見合わせる。

 ノロが体を流れている影響で瞳が紅く輝く真希と、反して朧月夜を鮮やかな蒼に輝かせる勇人。一拍置いて、直後──横合いから飛び出してきた荒魂を一太刀で斬り伏せ、そのまま二の太刀で互いの御刀を叩き付け合った。

 

「ハアアッ!!」

「がっ、ぐ……ぅうぉおお!!」

 

 迅移、八幡力、金剛身といった刀使の能力には段階──能力の倍率がある。

 しかし、真希の高い段階の八幡力に合わせて勇人もまた八幡力を起動しようにも、勇人の才能はその段階には並び立てない。

 

 ゆえに、朧月夜の力で体を改造す(つくりかえ)る。その辺に散らばる、今にも再結合を始めようとしているノロにすれ違い様に切っ先を掠らせて吸収し、それを燃料として朧月夜を酷使する。

 

 ──全身に激痛が走る。無視して御刀の衝突に合わせて八幡力を起動する。

 ──全身に激痛が走る。無視して迅移を同時に起動して高速移動を繰り返す。

 

 勇人の一挙一動が洗練されて行き、真希の攻撃が当たらなくなっている。

 能ある鷹が爪を隠していたのではない、むしろ真逆──勇人が戦いのなかで成長しているということを、嫌というほどに理解させられた。

 

「──勇人ぉおおお!!」

「──真希ぃいいい!!」

 

 写シによる白い残像が二つ、薄暗い森の中を高速で動いては何度も交差するように衝突する。途中、勇人の服を掴んだ真希が膂力に任せて木々に投げつけるが、勇人は空中で身をよじると幹に水平に着地して勢いを殺す。

 

 落下を始めるより早く迅移と八幡力を起動すると、勇人は幹を足場に真希に向けて跳躍する準備を整える。──次の一瞬で勝敗が決まると、二人は半ば無意識に悟っていた。

 

 ──なにか真希の意識を逸らせる一手があれば、勇人は迅移で加速した意識でそう考えて、足の裏で幹が軋む感触をギリギリまで感じ取りながらチャンスを待つ。

 

 相討ちにならもって行けるだろう。

 だが、それではいけない。勇人は真希に勝たないといけないのだ。真希の写シを朧月夜で切り裂く為の、最後のピースがまだ欠けている。

 

 

 

 

 

「────」

 

 それは偶然か、必然か。刹那、上空に──花火のような光が炸裂した。

 同時に、勇人と真希の双方の背中にぞわりとおぞましい気配が駆け抜ける。

 

「こ、こ、だ────ッ!!」

 

 ドンッ!! と木を爆破させたような衝撃。

 木の幹を足場に、真希の元に矢のような鋭さを以て接近する勇人に、彼女はほんの一瞬、ほんの一拍反応が遅れた。試合でもなければルールも無用、上空の光に意識を逸らした真希は、薄緑を振り上げるが──

 

「……俺の、勝ちだ!」

「ぐ……あっ」

 

 迅移と八幡力を推進力に使い、弾丸をも上回る速度ですれ違い、勇人は真希の写シを真っ二つに両断する。その勢いで後方に体を引っ張られた真希は、強く背中を地面に打ち付けていた。

 

 足元にブレーキ痕のような線を描いて止まった勇人が、遅れてやって来た疲労に汗を流しながら朧月夜を鞘に納めて真希を見下ろす。

 

「n敗1勝、先は長いな」

「…………負けた、か」

「今までさんざん俺に勝ってきたクセに、なぁにをしょげてるんだお前は」

 

 勇人は視線を上に向ける。真希共々、彗星のように流れて行く()()()光の塊を見届けていた。

 

「あれが、お前の言っていた大荒魂か」

「……だろうな。ってことは、可奈美たちは紫さま……もといタギツヒメに勝ったんだな」

 

 ──結局のところ、二人の戦いは、重要な局面の戦いではない。折神紫(タギツヒメ)が勝つか、可奈美たちが勝つか。それこそが重要であった。

 

 故にこそ、寿々花や結芽は、二人の戦いを喧嘩と言い切っていたのだろう。

 そんなことも露知らず、勇人と真希は、余計な疲労を溜めた体で会話を続ける。

 

「俺の言葉が事実で、折神紫は大荒魂で、その大荒魂は分裂してどっかに言ったわけだが……これからどうするよ」

「僕は……アレを追う」

「そういうと思った」

 

 呆れた表情で、勇人は朧月夜を抜こうとし、その動きを止めた。真希の体からノロを吸収しようとしたが、アレを追う真希にはノロが必要になるだろうと、内心でそう判断したからである。

 

「じゃあ、さっさと行った方がいいぞ。実は折神紫は敵でした……それを知った世間は親衛隊(おれたち)も敵視してくる筈だ。ここから離脱して、追うなら顔も隠せ」

 

「ああ。……勇人はどうするんだ」

 

「どうすっかねぇ。と言っても俺も帰るところとか無いからな……」

 

 ──どうしたものか、と独りごつ勇人は、おもむろにその思考と意識を折神家の方角に向ける。一瞬だけ、強いノロの反応があったからだ。

 

「────、消えた」

「……? どうしたんだ?」

「なんでもねーよ。じゃあ、ここらで一旦お別れだ。上手くやれよ、真希」

「……勇人もな。夜見を泣かせるなよ」

もう泣かせ……ああ、善処する」

 

 立ち上がった真希は、写シを貼り直すと、迅移と八幡力を合わせた跳躍でその場から姿を消す。静寂を取り戻した、荒れ果てた折神家敷地内の森の中で、勇人は重苦しく息を吐く。

 

「タギツヒメ……これで終わったわけじゃないだろうな、どうせ」

 

 

 ──決着がついたとは思っていない。むしろここからが、終わりの始まり。

 勇人は朧月夜の柄を指で撫でると、真希と同じようにその場をあとにするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──誰もいない折神家敷地内、大荒魂の復活の予兆に引き寄せられた荒魂の群れと彗星のような光により警備の薄れた一瞬を狙って、二人の少女が貴重品を納める宝物庫に訪れていた。

 

「ここかァ、ジジイの言ってた折神家の宝物庫は。……合ってるよな? あいつ方向音痴だし間違ってそうな気がしてきた」

「合ってます合ってます。ほら、早く四季四刀を回収しちゃいましょ」

 

 病的なまでに白い肌と髪をした少女たちは、堂々と不法侵入しながらも、扉の鍵を無理やりこじ開ける。それからギギギと錆が目立つ扉を開けた先の、御刀を納めるケースに目を向けた。

 

「あったな」

「ありましたねぇ」

 

 長身の少女と小柄の少女は、それぞれが四本の刀──刀匠・星月式の製作した御刀・四季四刀を回収した。

 二振りの打刀と二振りの小太刀をそれぞれが担ぐと、そそくさと宝物庫をあとにする。

 

「あーあー、命を拾われてやることがこそ泥ってのはなぁ……なんつーかなぁ」

「まあまあ。私たちにもこれが必要なんですから、仕方ないですよ。それに……言ってみればあの人の作った御刀を取りに来ただけなんですし、窃盗ではないのでは?」

「いや窃盗だろ。とっくの昔に人にあげたもんを盗んじゃダメだろ」

 

 長身の少女は相方の天然気味の発言に頭を痛くする。──今頃あいつも戦ってんのかねぇ、と、()()()にちらりと視線を向けた少女は、周囲の混乱と騒ぎに乗じてあっさりと逃亡に成功した。

 

()()()()()()、このあとはあの人とどこで合流するんでしたっけ」

「……あー、確か近くの神社で待機してるとか言ってたな。あと()()、名前を出すな」

「きょーちゃんもですよ……」

 

 そんな会話を交わしながら、二人は明らかに人間の身体能力を上回る動きで敷地の壁を飛び越すと、月光で輝く白髪を揺らして路地裏へと消える。人知れず動く第三者の影を、折神家も舞草も、勇人たちですら、把握できていなかった。




胎動編、完結。
波瀾編に続く。


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波瀾編
純白の襲撃者


 ──十条姫和、衛藤可奈美含む六人の刀使と戦い、敗北し幽世へと逃げたタギツヒメは、その身の一部を切り離し空高く打ち上げていた。

 後に「鎌倉危険廃棄物漏出問題」と呼ばれるこの出来事以降、関東一帯では、切り離されたノロが原因となり荒魂が頻出するようになった。

 

 

 

 

 

 ──そんな戦いから四ヶ月後、関東から遠く離れた土地、秋田の一角を二人の少女が歩いていた。一人は鶴の翼のような先端が黒い白髪を揺らし、一人は淡紅藤の髪を腰まで伸ばしている。

 

「ねぇ~夜見おねーさーん、まだ着かないのぉ~? もう疲れたんですけどー」

「あともう少しです」

「さっきも聞いたんですけどー」

 

 腰に御刀を携え、今となっては反逆者の証である折神紫親衛隊の隊服ではなく、それぞれの所属していた鎌府と綾小路の制服を着ている二人──皐月夜見と燕結芽。彼女たちは、秋田でかつて起きた事件の現場である、藤森勇人の暮らしていた孤児院に向かっていた。

 

「そういえばさぁ、夜見おねーさんとおにーさんって秋田出身なんだっけ」

「はい」

「家族って居るの?」

「……居ますよ。両親と兄が」

 

 それと、犬も。と続ける夜見。数十分どころか数時間歩いているにも関わらず汗ひとつ流れていないのは、故郷を歩いているが故の慣れか。

 

「夜見おねーさん妹だったんだ。言われてみれば妹~って感じカモ?」

「妹って感じ……ですか」

 

 ピンとこない表現に歩きながら悩む素振りを見せる夜見。そんな時、ふと、顔を上げた先に──廃墟と化した建物を見つけた。

 今や誰も興味の無い、とっくの昔に終わった事件として放置されている孤児院。

 

「ここがおにーさんが住んでた家?」

「……はい」

「──私たちなんでここに来たんだっけ」

 

 ふう、と呼吸を整えながら、結芽がおもむろにそう言って小首を傾げる。無表情を崩さずに、夜見はポツポツと説明を始めた。

 

「……現在、折神家の代表となった朱音様からの指示です。ごく少数にしか伝えられていない情報ですが、どうやらとある特殊な四振りの御刀──四季四刀なるモノが、あの日の戦いに乗じて紛失……恐らく盗まれたのだとか」

 

「盗まれたぁ~? そーゆーのって『管理がずさん』って言うんじゃないのー」

 

「……四季四刀を打った刀匠が造った御刀を持っている勇人くんに、亡くなる前、その御刀を渡すよう助言をした藤森先生。そして、この件で唯一存在している心当たりである孤児院に情報を探りに来た、ということです」

 

「あー、そうだったね」

 

 ──それはそれとして、元折神紫親衛隊への風当たりの強さから逃がすための避難先でもあるのだろうが、それを夜見が口に出すことはない。

 

 そんな会話をしながら、もはや意味を成していないバリケードテープの残骸を避けるように屈み、夜見と結芽は院内に侵入する。

 瓦礫、ガラスの破片、破けたベッドのシーツ。所々に生活の名残が見え、さしもの夜見でも、僅かに表情を悲哀に歪めていた。

 

「夜見おねーさん、平気?」

「……大丈夫です。さて、なにか四季四刀や勇人くんの御刀の情報が探れればとは思っていましたが……どこを探せばいいのでしょう」

院長(インチョー)室とかなんか隠してそうじゃない? こういうところって、デスクに資料とか隠してるもんじゃん。たぶん」

「────」

 

 ゲームか映画の『あるある』を口にしたのだろう結芽の言葉に、理解しつつもダメ出しはしない夜見。推理小説を逆から読むがごとき指摘に、どことなく、説得力のようなものはあったのだ。

 

 軋む扉を開け、廊下に散らばるゴミを避け──ふと、大人数で座れる食堂に視線が動く。そこには、おおよそ人間では不可能な、壁や床を抉った爪跡が刻まれていた。

 

「──爪、跡……!?」

「……? どうしたの、おねーさん」

「……いえ、でも、これは……」

「おねーさん?」

 

 ──藤森先生、及び藤森勇人を除いたスタッフ・孤児が皆殺しにされた凄惨な事件。

 嫌な思い出として、幼少期からそこで情報をストップさせていた夜見は、てっきり、()()()()()()()()()だとばかり思っていた。

 

 だが、これではまるで──

 

「荒魂に、襲われた事件だった……?」

「ん? あれ、そうじゃないの? 私ずっと荒魂が犯人の事件を調べてるんだと思ってた」

 

 あっけらかんとそう口にする結芽だったが、夜見は話し半分に思考を回転させる。

 

「……紫様……いえ、折神紫(タギツヒメ)は……事件の一連の内容を意図的に伏せていた……ということですか。

 だから、誰も、不自然なくらいにここでの事件を口にすることがなかったんですね」

 

 額に手を当てて、重苦しいため息をつく。それからかぶりを振って、夜見は結芽に言った。

 

「……院長室に行きましょう」

 

 

 

 

 

 ──ガチャ、とドアノブを捻る音が、静かな室内に響き渡る。中に入った二人は、目に見える資料や本を軒並み抜き取られたがらんどうの院長室を視界に納めていた。

 

「うわー、なんもないじゃん」

「……事件が起きてすぐに、警察が何度も来ていた覚えがあります。証拠らしい証拠は、もう既に存在していないでしょうね」

「でもデスクは残ってるし……」

「ゲームのやりすぎです」

 

 ぶぅ、と頬を膨らませる結芽は、デスクの引き出しを開け放つ。

 しかし上から順に開けて行くと、一番下だけに鍵が掛かっている事を理解する。

 

「──夜見おねーさん、鍵が掛かってる」

「……本当ですか?」

「うん。どうする? 開けちゃおっか」

「……どうでしょう、開けるにしても鍵はありませんから……業者に連絡、いえ朱音様に報告──「ちゃきーん、マスターキー」

 

 ガゴッ! という鈍い音。それは、結芽が自身の御刀・にっかり青江の切っ先を隙間にねじ込み、テコの原理でこじ開ける音であった。

 

「…………燕さん?」

「いいじゃん、どーせもう誰も使ってないんだしぃー。……ってあれ、なんだろ」

 

 御刀を片手に、結芽は壊れた引き出しの中から、封筒を見つける。表紙には、簡潔かつ達筆に、『遺書』とだけ書かれていた。

 

「い、遺書!?」

「……藤森先生の遺したものでしょうか。ひとまず、それを回収して今日のところは帰りましょう。燕さん、その封筒をこちらに──」

 

 すっ、と右手を伸ばした夜見。

 言われた通りにして封筒を渡そうとした結芽は、ふと、視界の端の窓ガラスに、()()()()()()()()()()が迸る光景を視認した。

 

「──っ! 写シ!!」

「……!」

 

 結芽が叫ぶと同時に、握っていた御刀で防御の構えを取る。

 反応が一拍遅れるも、空いた左手で御刀・水神切兼光の柄を握り、写シを起動した夜見は──結芽の御刀と電気が衝突する瞬間を捉えていた。

 

「う、づっ……!?」

「へぇ、いい反応速度だな」

「……貴女は」

 

 広くはないが狭くもない院長室に、突如として現れた女性。病的なまでに白い髪を背中で一房に纏めている女性は、パリパリと、その身と右手の御刀に、オレンジの電気を纏わせていた。

 

「アタシぁ……まあなんでもいいだろ。()()()()()()()()()が、お前よりは()()()()()だけだ」

 

「──! そういうことですか」

 

「誰だか知らないけど、横入りはやめてよねっ」

 

 たんっ、と軽やかにデスクを飛び越えながら、結芽は女性に御刀を向ける。

 容赦なく、的確に、首を捉えた軌道。だが、女性は口角を歪めるようにして笑うと──

 

「ノロマ」

 

「がっ──!?」

「ぐ、うっ……!」

 

 ──バチンと電気を爆発させたようにして、一瞬の内に結芽を叩き落とし、夜見を壁に叩き付けた。()()()()に攻撃された二人は、女性がいつの間にか封筒が握っていることに気付く。

 

「じゃ、こいつは貰っていくぜ。お前らに……いや、勇人のやつに読まれると不味いかもしれねぇからな。悪く思うなよ」

 

「……くっ……」

 

「──タギツヒメはまだ生きてやがる。世界が憎くてしょうがないアレを倒すのが最優先な以上……余計ことに意識を割いてほしくねーんだ」

 

 ひら、と封筒をうちわのように動かしながら、女性はそう言って辛うじて写シを解かないでいた夜見に語りかける。

 勇人の名前を口に出した瞬間から向けてくる強い敵意に、女性は「愛されてんなあ」と小声で呟くと、天井に顔を上げて叫んだ。

 

「──もういいぞ! ()()!」

「……!?」

「ま、そういうわけで勇人のことは任せとくぜ。あの無茶したがりは、どっかで絶対に、シャレにならん大怪我するからな」

 

 はっはっはっ、と乾いた笑い声を漏らして、女性がその場から瞬く間に姿を消す。空中に残ったオレンジの残光が薄れて消えた──直後、二人の居る部屋の天井がひび割れて崩壊する。

 

「燕さん!」

「っ──わかってる、っての!」

 

 混乱と困惑が混じるなか、二人は迅移を用いて院長室から脱出する。その勢いで外まで飛び出すと、まるで上から重機で『圧』を加えたように崩れて行く廃墟の光景が広がっていた。

 

「──あの女性は、こう言っていました。『お前らと似てはいるが、お前よりは純度が高い』と。この言葉が指す意味は一つだけです」

 

「……まさか……」

 

 夜見は完全に瓦礫の山となった孤児院を見ながら、先程の女性の姿と言動、持っていた御刀を思い出し、その正体を看破した。

 

「彼女は、我々と同じ体内にノロを入れた人間です。元冥加刀使の私たち以上の量を体内に保有していると見ていいでしょうね。

 そして──あの御刀が、盗まれた四季四刀のうちの一振りなのでしょう。使い手に電気を纏わせ高速移動を可能とさせる能力があるとは想定できませんでしたが」

 

「いやあ、無理無理。あんなの誰だって想定できるわけないって」

 

 制服の埃を手で叩いて払う結芽がそう言って、御刀を鞘に納めると、不満そうに言った。

 

「やられっぱなしでムカつくんですけど!」

「……そうですね」

「もういいもん、帰っておにーさんと立ち会いして発散するから!」

 

 そんな結芽に、夜見は淡々と告げる。

 

「……勇人くんは、十条さんのご実家に厄介になっていますから会えませんよ」

「えぇ~っ!?」



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新たなる戦い

 十条家の縁側を箒で掃いている姫和は、ふと、やって来た車の音を耳にする。

 

「──五條学長」

 

 中から出てきたのは、姫和の通っている学園・平城学館の学長──五條いろはだった。

 

 

 

 ──集められた落ち葉がパチパチと火の粉を散らし、それを見ながら、箒を傍らに立て掛けた姫和が縁側でいろはと会話を交わす。

 

「この家……私がいない間も、誰かが手入れをしてくれていたようですが」

「家は人の手が入らへんとすぐに痛むからね。朱音様が気を使ってくれはったんよ」

 

 そう言ったいろはが、少し迷うように口をつぐむと、おもむろに続ける。

 

「……なぁ姫和ちゃん、もしかして刀使辞めるか迷ってるん?」

「──岩倉さんから聞いたんですか?」

 

 いろはの問いで姫和の脳裏に過るのは、御前試合の時に置き去りにした、チームメイトである岩倉早苗の顔。

 

「早苗ちゃんが何か悩んだ顔してたから私が無理矢理聞き出したんよ。責めんといてあげてな」

 

「……20年前、私の母はタギツヒメを討ち損じました。折神紫に憑依したタギツヒメは刀使を使ってノロを集めさせ、その力を増していきました。それを知った母は、全ては自分の責任だと悔やみ続けた。この世を去るその日まで……」

 

 その手の中にある、姫和の母──十条篝に宛てたかつての手紙を、姫和は焚き火に放る。

 

「だから私は、母のやり残したことを成すと誓いました。折神紫を討つと」

「……一人でよう戦うたね」

 

 労うようないろはの声に、姫和は穏やかな表情でかぶりを振って否定する。

 

「一人じゃありません。多くの人に助けてもらいました。私が気付いてなかっただけで……それに、あいつにも助けられましたから」

「あいつ? ──ああ、藤森くんやね」

「…………ええ。まあ」

「そういえばあの子、今どうしてはるん?」

「…………そう、ですね」

「……?」

 

 なんと答えるべきか、とでも言いたげな顔で言い淀む姫和。

 不思議そうに首をかしげたいろはだったが、その原因が背後から声をかけてきた。

 

「──ただいま姫和。里山さんちの薪割り終わったぞー、あとそこの車誰の?」

「あら」

「…………せめてあと二時間は帰って来ないで欲しかったのだがな」

「酷くない……?」

 

 声の主──藤森勇人は、どこか古さの感じられる服を着て、刃にカバーを填めた斧を肩に乗せて柄を握り、腰には御刀が吊るしていた。

 

「……ああ、確か姫和のところの……えー、あー、すいませんここまで出てるんですよ」

「もう消化終わってる位置やね……」

 

 ヘソの辺りに指を差す勇人に、いろはは静かに指摘し、姫和は呆れながら助言をした。

 

「五條学長だ。名前くらい把握しておけ」

「いや、だって……折神家に居たときからあんまり関わったことなかったし。──ところでそんな学長さんがどうしてここに?」

「ほら、姫和ちゃんが刀使辞めるかも~って話があってな? 色々とお話ししたかったんよ」

 

 へえ、と言葉少なに返しつつ、勇人は箒の側に斧を立て掛けながら姫和に意識を向ける。

 

「まあ良いんじゃないか? 姫和の戦いは一区切りついたんだ。今までずっと緊張の糸が張り詰められてて、疲れちゃったんだろ」

「……タギツヒメ本体を討つまでは、続けるつもりではある」

 

 だが──と続けた言葉は尻すぼみする。続かない言葉に、いろはが付け加えた。

 

「どうにも身が入らへん、って所やな。それはそれでもええと思うよ。

 姫和ちゃんはもう十分戦うたんやから、一度よく考えてから返事くれる?」

 

「……はい」

 

「ゆっくりでええんよ、藤森くんも居てくれるんやから。……あ、いっそ寿退社でもする?」

 

「は?」

 

 いろはの表情はにやにやと、相手をからかうような厭らしい顔をしている。

 

「なんも誤魔化さなくてええよぉ。うんうん、姫和ちゃんも心を許せる相手が必要やんなあ。わかっとるわかっとる」

「わかってませんよね」

「いやあ、姫和ちゃんにも春が来たんやなあ。このままひっそり隠居……っていうのもええと思うんやけど、実は──おっとこれは秘密やった」

「わざとらしい……」

 

 口許を押さえてすっとぼけた顔をするいろは。勇人と姫和は顔を見合わせ、乗せられていると分かっていながらも質問をぶつけた。

 

「学長さん、お遊びは良いので、ちょっと真面目にお願いしますよ」

「……さっき、鎌倉の紗南ちゃんから連絡があってな。また姫和ちゃんの力を貸して欲しいって直々の御指名らしいけど、ちょっとややこしい事になっててな」

「というと?」

 

 いろはが一拍置くと、神妙な面持ちで言う。

 

「荒魂を討伐した後で、ノロの回収班が何ヵ所かで襲われてるらしいんよ」

「……荒魂に……ですか?」

「それが相手は刀使らしいんよ。フードを被った、所属不明の謎の刀使」

 

 ノロを奪う、所属不明の、謎の刀使。この3つの要素から、姫和は不意に、じとっとした目付きで勇人を見上げて呟いた。

 

「──勇人?」

「俺じゃないわ。あれから四ヶ月、毎日この家で暮らしてるんだから分かるだろ」

「あらあらあらあらあらあら!」

「『あら』が多い……!」

 

 幾つになっても、女性は恋愛話に対する嗅覚が鋭いのだろう。異様なテンションの高さを維持するいろはに、勇人はあっけらかんと返す。

 

「その謎の刀使が()()()()の可能性は?」

「──それは、まだわからないわ。逆に聞くけど何か知ってたりしぃひん? 例えば、何時かに連絡が来たことはなかった?」

「いや無いですね………………あ」

 

 顎に指を当てて考え込む勇人だったが、すっとんきょうな声を漏らして視線を斜めに上げる。

 目敏くその動きを見た姫和が、一歩近づいて指を胸元に押し当てながら問う。

 

「なにが『あ』だ。……おい、勇人、些細なことでもいいからきちんと話せ」

 

「はい。あのですね、一ヶ月くらい前に、夜中に突然電話がかかってきまして。寝惚けながら電話に出ようとしたら、出たときには通話が終わってましてね。非通知だったから……もしかしたら真希が公衆電話でも使ったのかなあ……と」

 

「…………。はぁ」

 

 指を擦り合わせて、これから叱られることを理解している子供のように視線を右往左往させる勇人。姫和は大きくため息をつくと、改めていろはに向き直り、決心したように口を開いた。

 

 

 

 

 

 ──鎌倉の一角に建てられた刀使の為の寮。そこの出入口付近で、折神紫(タギツヒメ)を倒した者の一人・衛藤可奈美が、綾小路の制服を着ている二人の刀使と話をしていた。

 

「またこっちに来たら一緒に戦おうねっ!」

「はい! 私綾小路に戻ったら、衛藤さんのことをみんなに自慢します!」

「私も、凄い刀使と知り合いになったって」

「うん! じゃーねーっ」

 

 手を振って二人を見送った可奈美の元に、また別の二人の人影が歩み寄る。

 

「──すっかり有名人だな」

「可奈美も今や大人気か」

「……ん? ──あっ!」

 

 振り返った可奈美が視界に納めたのは──平城学館の制服を身に纏った姫和と、折神紫親衛隊のワイシャツのみを着た勇人だった。

 

「今日からまたこっちに出向だ」

「しばらくは一緒だな。可奈美」

「勇人さん! 姫和ちゃん!」

 

 二人を見て朗らかに笑みを浮かべた可奈美は、二人に纏めて飛び付くように駆け寄りながら、心底待ちわびたように提案した。

 

「──立ち会いしよっ!」

「開口一番にそれ?」



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獅童真希と謎の刀使

 特別祭祀機動隊本部に案内された勇人、姫和、可奈美、そして沙耶香の四人は、夜間に行われた荒魂と刀使の戦闘の映像を見ていた。

 

「……これは?」

「昨夜遅く、愛知県内で撮影された映像だ」

 

 姫和の問いに、長船の学長・真庭紗南が答える。映像の中では、百足型荒魂と戦っていた刀使たちの前に、突如としてフードで顔を隠した者が現れていた。

 

「もしかして、この人がノロを奪ってるって言われてる……?」

「そうだ。知っているようだな……人の口に戸は立てられないか」

 

 可奈美が呟いた言葉に紗南はそう返す。

 ノロ強奪の件を五條いろは学長の()()()()で耳にした勇人と姫和は、横目で互いを見合って苦笑をこぼした。

 

 ──映像で繰り返される百足型荒魂の頭を切り上げる謎の刀使の動きを見て、おもむろに沙耶香が小さな声をあげる。

 

「……この人、御刀を持ってる」

「──なるほど、隠していた理由はこれか」

「どういうこと?」

 

 姫和の声に可奈美が反応し、腕を組んで立っていた勇人が顔を近づけて耳打ちした。

 

「上の連中は刀使の内部犯行の線で睨んでるってことだろ。あの時の事が事だからな」

「監理局の信頼も地に落ちたものだ」

「……まあ、そんなところだ。わかってるだろうがこの件は口外無用だからな」

 

 紗南が二人にそう言うと、当然の疑問を沙耶香が問いかける。

 

「……秘密なら、どうして私たちを?」

「この太刀筋を見てほしいからだ」

「──なるほど、本当に必要なのは剣術馬鹿(かなみ)だけだったか」

「勇人さん? ……まったくもう。えーっと、この動きは……神道無念流かな」

 

 あっけらかんとした顔で、あっさりと流派を見抜いた可奈美と、その呟きを聞いた勇人は、百足型荒魂をあっさりと倒せる程の実力者は一人しか居ないと判断する。

 

「……獅童さん?」「──真希か」

 

 首をかしげる可奈美と顎に指を当てた勇人が口を開くのは、全くの同時だった。

 

 

 

 

 

 ──沙耶香が遠征で田舎に行っている薫の応援に駆り出された数日後、鎌倉の施設の一角にある訓練所に三人の刀使が居た。

 勇人、姫和、可奈美は、お互いを敵とした一対一対一の三つ巴で立ち合いをしている。

 

 可奈美と御刀を打ち合う勇人の背後で、柱を迂回して姿を隠しながら接近する姫和。

 一瞬だけ八幡力を起動する器用な動きで可奈美を押し返し、勇人は振り返って、切っ先が両刃という珍しい造りの御刀・小烏丸を受け止めた。

 

 刃物が擦れ合い、カリカリという耳障りな音が響き──やがて二人は同時に力を抜く。

 

「……ふぃー、こんなもんか」

「なかなか耐えられるようになってきたな」

「勇人さん、今までは一回の立ち合いで五回は写シ剥がれてたもんね~。今日は三回?」

「二人が厳しすぎるんだよ」

 

 腰に付けた帯刀用の装備によって背後に垂直に立てられた鞘を手元に持ってきて、それぞれが御刀を鞘に納める。それから休憩後に機動隊本部の食堂に向かうと、見覚えのある金髪の少女がこちらに向けて駆け寄ってきた。

 

「かなみん、ひよよん! ただいまデース!」

「おっと」

「は──ぐえっ」

「むぎゅおっ!」

 

 すっ、と一歩下がった勇人がそれとなく二人を押すと、飛びかかってきた少女──仲間の刀使、古波蔵エレンに可奈美たちは抱き付かれた。

 

「ヘイ、ユートもカモン!」

「えー……はいはい、久しぶり」

 

 勇人は渋々といった様子で、エレンとハグをする。背中を二三度軽く叩くと、満足そうに笑みを浮かべた。エレンの異様なまでの人懐っこさに毒気を抜かれた勇人は、食堂の隅に集まっていた当時の仲間たちを見つける。

 

「見慣れたメンバーだな」

「おう勇人、久しぶり」

 

 薫が気だるげに反応し、その場に集まっている沙耶香と舞衣が意識を向けてくる。

 エレンを連れてやってきた可奈美と姫和も集まって話を交わし、暫く振りの日常的な会話を聞いて勇人は口許を緩めていた。

 

「はい、可奈美ちゃんの分の課題、預かってきてるからね」

「うえー」

「頑張れよぉ」

「薫、私たちの分の課題も長船から届いてるんデスからね」

「おいおい、散々コキ使ってるんだから免除してくれよ……」

「それとこれとは別」

 

 ピシャリと沙耶香に一括され、薫は机に突っ伏した。それからおもむろに顔を上げると、首をゴキゴキと鳴らしながら口を開く。

 

「……んじゃ、部屋行くぞー」

 

 

 

 

 

 ──勇人の分として用意された部屋に詰め込まれた七人のうち、沙耶香を中心にした六人は、『本日の主役』と書かれた襷を肩に掛けた沙耶香へと、クラッカーを鳴らしていた。

 

「誕生日おめでとう。いやまさか今日が沙耶香の誕生日だとは思ってなかった」

「オレが計画したサプライズパーティだ。どうだ驚いただろ」

 

 いそいそとクラッカーの中身を回収しながらそう言った勇人に続いて、発案者の薫がにやりと笑う。その横で、舞衣がケーキを箱から出して机に置いている。

 

「このケーキ、姫和ちゃんのおすすめの店で買ってきたんだよっ」

「やはりチョコミントケーキの方が良かったのではないか?」

「……これ沙耶香ちゃんのだから……」

 

 姫和の真面目な問いに、舞衣は苦笑をこぼしながら返す。ベッドに腰かけている薫は、真顔で姫和に向けて口を開いた。

 

「チョコミント好きなの、お前だけだから」

「そんなことない」

「誕生日に歯磨き粉食わされる沙耶香の身にもなれってんだよ」

「歯磨き粉ではない!」

 

 語気を荒らげる姫和を珍しいものを見る目で一瞥する勇人は、つつがなく行われた沙耶香の誕生日会を一歩引いた位置で見守る。

 全てが終わったあと、一転して真面目な空気になった中で、薫が一拍空けて切り出した。

 

「──例のノロを強奪してるフードの刀使だが、やはり正体は獅童真希だったぞ」

「そうなのか?」

「ああ。オレたちが向かった先で、部下がやられていて、ノロもなくなっていた。その場に居たあいつは間違いなく獅童真希だ」

 

 薫の任務の応援に向かってた沙耶香もその現場を見ているのか、頷いて肯定する。

 だが、その言葉に反対したのは、別の場所で謎の刀使に襲われていたエレンと舞衣だった。

 

「ちょっと待ってください! 私とマイマイも長久手でノロを奪ったフードの刀使と戦いましたが、あれはマキマキじゃなかったデスよ」

「うん。獅童さんって神道無念流だったよね。あの人は別の流派だったと思う」

「具体的には?」

「すみません勇人さん、そこまでは……。でも御刀は二振り、つまり二刀流でした」

 

 勇人の声に申し訳なさそうに返す舞衣。それを見て、パンと手を叩いた薫が締め括る。

 

「まぁ獅童だったら見ればわかるだろう。ということは、フードの刀使は一人じゃねえ。少なくとも二人居るってこった」

 

 それから、薫は心底面倒くさそうに、重いため息をついてから続けた。

 

「──しゃあねえ。紗南(おばさん)に聞くか」



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宗像三女神が一柱

 折神家局長代理・折神朱音を護送する車に乗る勇人、姫和、可奈美の三人は、前日の沙耶香の誕生日祝い後に問い掛けた質問の返答を脳裏に想起させていた。

 

『謎の刀使は、今の所確認されてるのは二人です。一人は獅童真希で間違いないでしょう。そしてもう一人は……そもそも刀使ではありません。タギツヒメです。

 ──今のタギツヒメは、人に取り憑いているわけではありません。驚くことに、荒魂自体が、人の姿で現れたのです』

 

 

 

 

 

 ──現在、市ヶ谷の防衛相に向かっている三人は、朱音からの言葉に耳を傾ける。

 

「これからとある重要な相手と面会します。正直なところ、何が起こっても不思議ではない。なので、あなた達に同行をお願いしたいのです」

 

「俺たちに、ですか」

 

 姫和を中心に、左右に座るうち、右側の勇人が向かいの朱音に返す。こくりと頷く彼女を見て、勇人は五ヶ月前に見た三つの光を思い返すと、まさかなと独りごちた。

 

 

 

 防衛相に到着し、朱音を先頭に中へと入る勇人たちは、銃器を装備した軍人と御刀を帯刀した刀使たちを視界に納める。

 

「なんかピリピリしてるね」

「軍人に、刀使まで居るのか──あれは」

 

 可奈美の言葉に姫和が続け、その中には、かつて舞草で世話になっていた先輩刀使の孝子と聡美も混ざっていた。

 

「孝子さん! 聡美さん!」

「あなたたちも来ていたのね」

「私たちは昨日付けで配属されたんだ。お前たちは朱音様の護衛だろう、気を付けろよ」

 

 そう言って持ち場に戻る二人をよそに、三人は朱音に連れられ施設の奥へと入って行く。厳重な扉の奥に通されると、そこには──

 

「……なんだここ、祭壇……?」

 

 広い空間に似つかわしくない階段と、その上に立てられた祭壇。ポツリと呟いた勇人は、自身の御刀・朧月夜を通して、不意に全身に危険信号が駆け抜けるのを感じとる。

 隣で同じように御刀が反応して構えた姫和と可奈美と同時に朧月夜の鯉口を切ると、祭壇の中からおもむろに人影が現れた。

 

「──構えを解いてください」

 

 朱音の言葉を耳にしても、三人は警戒を止めることが出来ない。その人影──目元を手のような形のお面で隠した白い女性を警戒しろと、剣士の本能が叫んでいる。

 

 それでもなんとか自制し、いつでも御刀を抜ける程度に構えを緩めた三人を尻目に、朱音は女性を見上げて口を開いた。

 

「拝顔を賜り光栄です。タギツヒメ」

「その名が指す者は別にいる」

「では、何と?」

「タキリヒメと呼ぶ事を差し許す」

 

 立ち位置としても話し方としても、他人を見下している言動の女性──タキリヒメは、お面で目を隠していながらも、それでも正確に勇人たちを見ながら言葉を返す。

 

「……承知しました。私の名は──」

「折神朱音、衛藤可奈美、十条姫和……藤森勇人」

「──タキリヒメ、率直に伺います。貴女は我々に仇なす者なのでしょうか?」

「質問は許さぬ。イチキシマヒメを我の前に差し出せ。お前達の手にあることは分かっている」

 

 タギツヒメ、タキリヒメ、そしてイチキシマヒメ。その名前の並びに、どこか覚えがある勇人は眉をひそめる。タキリヒメは更に続けて、淡々と言葉を紡ぐ。

 

「人にとって真の災いはタギツヒメ。そしてイチキシマヒメの理想に人は耐えられぬ」

「故にあなたに従えと?」

「我はタキリヒメ。霧に迷う者を導く神なり。人よ、我がお前達の求める最良の価値をもたらそう。タギツヒメは以前よりも力を得ているはず。時間は限られている」

 

 

 

 

 

 ──扉が閉まり、祭壇から離れた瞬間、崩れ落ちそうになった朱音を勇人が支える。

 

「大丈夫ですか」

「……ええ、大丈夫です。──姉様は一人でこんなものを抑え込んでいたのですね……

 

 額に汗を滲ませる朱音を連れて、三人は車まで戻る。窓の外の景色が流れて行く様子を横目に、勇人の横で可奈美は朱音に問い掛けた。

 

「朱音様! あの……何が一体どうなってるんですか!? 教えてください!」

「……わかりました」

 

 ここまでくれば隠し事は出来ない。そう考えて、朱音は真相を語り始める。

 

「姉の中に居た大荒魂があなた達に倒された後、3つに別れました。先程会ったタキリヒメ、各地でノロを集めてるタギツヒメ、そしてもう一つが、イチキシマヒメです」

「ああ……なんでしたっけ、宗像三女神(むなかたさんじょしん)?」

 

 ようやく合点の行った勇人の言葉に頷いて、朱音は一息つくと更に続ける。

 

「私達は考え違いをしていました。姉はただ大荒魂に体を支配されていたのではなく、その身をかけてずっと抑え込んでいたのです。それが今は、それぞれの目的を果たすために己の意思で自由に動いている……非常に危険な状態です」

 

「タギツヒメは災い、イチキシマヒメは……理想? で、タキリヒメは……あの態度からして支配を目的としていると見るべきですかね」

 

 鞘の切っ先の方を車内の底に立てて、肩に柄を乗せながら勇人は呟く。

 

「──政府の一部はタキリヒメを手放したくないようですが、それは難しいでしょう。あれは人がどうこうできるものではありません」

「イチキシマヒメがこちら側にあるというのは、本当ですか?」

「ええ。絶対に安全な所で保護しています」

 

 姫和の問いに、朱音は断言する。それから三人は、後日の防衛相の警備任務の日程を決め、解散することとなった。

 

「……タギツヒメ、ねえ」

 

 勇人は不意にそう呟いて、脳裏に折神紫の顔を思い浮かべる。自身を保護し、ここまで育て、御刀まで宛がったのは、紫なのかタギツヒメなのか。その真意を探るタイミングが掴めないまま、任務当日へと、時間は流れていった。

 

 

 

 

 

 ──勇人は呆れた表情で、端末の画面を見る。視界に収まっている画像には、見覚えのある顔をフードで隠した女性の姿があった。

 

「真希のやつ……隠れるの下手くそか」

「獅童さん、ここに来たってことは狙いはやっぱりタキリヒメなのかな」

「奴が何かしでかす前に止める必要があるな」

 

 可奈美と姫和の声に、勇人はそうだなと小さく返し、それから可奈美が姫和の表情を見ながら一拍置いて質問を投げ掛ける。

 

「まさかこんなことになるなんてね……姫和ちゃん、大丈夫?」

「正直なところ、まだ気持ちの整理がつかない。折神紫からタギツヒメを引き剥がしたことで、全て終わったと思っていた」

「……ねえ、姫和ちゃん。タキリヒメは斬らなきゃと思ってる?」

「そうだな。だが、お前はどうなんだ?」

 

 いまだ燃え尽きたように覇気のない姫和は、可奈美に同じ質問を返す。彼女は考えるように俯くと、ポツポツと言葉を漏らす。

 

「私……私は、昨日感じた事を思い出してみたんだけど……うまく言えないけど、あのタキリヒメは、前に戦ったあのタギツヒメとは違う感じがしたなって……」

 

「漠然としないな」

 

 ワイシャツとスラックスの上にチェスターコートを羽織り、その中に帯刀用装備で垂直に立てた御刀を隠す勇人がぼやく。

 ──その直後、突如として三人の端末に同時にアラートが鳴り響いた。

 

「──! 勇人、可奈美!」

「わかってる。──予測の対処法もな」

 

 御刀抜きながらそう言って、勇人は二人と共に迅移を発動して防衛相に急ぐ。

 軍人と刀使が突破され、門や入口のガラスが破壊されている光景を見つつ、悠々と侵入しているフードの人物を発見した。

 

「──シッ」

「ふん」

 

 即座に接近した勇人の袈裟斬りを両手の二振りで受け止め、流れるように切り刻み蹴り飛ばす。受け身を取って写シを貼り直す勇人を見ながら、謎の刀使──タギツヒメは、両側から挟み込むように斬りかかった可奈美と姫和の一撃を防ぐ。

 

「大典太と鬼丸……タギツヒメか!」

「千鳥と小烏丸……幾度と相まみえるとは、余程の縁と言える」

「黙れ、今度こそ貴様を討つ!」

「無駄だ、我には()()()()()()()

 

 ぼう……と怪しく、鮮やかな橙色の瞳が輝く。タギツヒメの能力──いわゆる未来予測は、その場の三人の動きを精密に計算する。

 予測通りに小烏丸を弾き、無防備になった姫和。それを庇うように動く可奈美と御刀を打ち合うタギツヒメは、心底不思議そうに口を開く。

 

「なぜお前達がタキリヒメを守る? 我らの間に人間風情が入ることは許さん」

「うるせえな……大量殺戮を起こしかねないやつを止めないわけにはいかないだろうが」

 

 背後からの首を狙った一閃。

 タギツヒメはあっさりと避けつつ、そう言って斬りかかる勇人の顔を見やる。

 

「──よう、タギツヒメ。俺に何をさせたくて力を付けさせたかは知らないが……その予測を上回らせてもらうぞ」

「ふん、面白い……出来ないことは口にするものではないぞ」

「どうだかな。お前の力は『予測』であって『予知』じゃない」

 

 御刀のぶつかり合う金属音が施設に響き、並の人間ではまず到達し得ない技量によって操られる二振りの御刀に腕を飛ばされ、胴体を両断される。それでもなお勇人は即座に体勢を整えると、迅移を織り交ぜて高速で動く二人に邪魔をされるタギツヒメへと、朧月夜を()()()

 

 八幡力を発動しながらの膂力で投擲されたそれは、槍投げもかくやと言わんばかりにタギツヒメを狙って飛来する。

 

「──ふっ、御刀を投げる刀使か」

 

 それを首を傾げるだけでかわすタギツヒメ。しかし、投げた姿勢の勇人は伸ばされた右手を引き寄せる動きを取ると──あらぬ方向へと飛んで行った朧月夜が回転しながら()()()()()

 

「っ、チッ」

 

 めったに使わないため勇人本人も忘れそうになるが、朧月夜──妖刀とも呼ばれていた御刀(それ)は、使い手の勇人が呼べば手元に飛んで来る。

 

 その動きを利用したブーメランのような一撃は、タギツヒメの御刀を押さえ込むように鍔迫り合いに持ち込んでいた可奈美と姫和のアシストも相まって、肩を掠めるように浅く切り裂いた。

 

 そのまま戻ってきた朧月夜を掴み、三度目の写シを貼った勇人は、二人を八幡力を起動して凪ぎ払ったタギツヒメと衝突する。

 

「お前の予測はあくまでも予測だ。もし未来予知なら、この場に俺たちが来ることを知っているはずだから襲撃をずらすだろう。

 でもそうではない。未来は読めないし心も読めない。ただ凄まじい思考能力で高度な演算をしているだけなら、弱点は二つある」

 

「────」

 

「一つはどうしても演算には限界があること。そしてもう一つは──」

 

 そこで一度区切り、タギツヒメの御刀に()()()斬られ写シを剥がされる勇人。

 彼は勢いを利用して下がりながら、着ていたチェスターコートを脱いで、ばさりとタギツヒメの眼前に広げるように投げる。

 

「目眩ましか」

 

 フードの奥で、タギツヒメは勇人の行動に嘲笑の表情に口角を歪める。しかし、ふと演算を行うも、姿が隠れた勇人は踏み込んでこないという結果を()て、反射的にコートを切り払い──

 

「弱点その二、第三者の乱入はどうあがいても計算できないから、乱入者の行動が()えない」

 

「────タギツヒメ!!」

 

 

 ──裂けたコートの奥から現れた獅童真希の薄緑が、タギツヒメの胸元に突き刺さった。



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折神紫とイチキシマヒメ

 獅童真希の突然の乱入により、タギツヒメは撤退の構えを取る。

 迅移を繰り返して近場の神社まで後退するが、背後に回った可奈美に一太刀入れられていた。

 

「──消えた!?」

 

 直後にタギツヒメはその場から姿を消し、辺りには静寂が訪れた。すると、おもむろに真希が防衛相の方へと顔を向ける。

 

「……これはっ──どういうことだ? タギツヒメがもう一体居る……!」

「止まれ!」

「真希、待て」

「退け」

 

 御刀を構える姫和の前に立ち、後ろ手に姫和を制しながら、防衛相に向かおうとする真希と向き合う勇人はため息混じりに言った。

 

「寿々花が今頃、舞草の連中に付き合って荒魂と人体に関する実験をしている」

「──なに?」

「夜見と結芽も別行動だが……お前の独断はさぞかし寿々花を苦労させてるだろうな」

「…………」

 

 瞳を紅く輝かせる真希は、その威圧感を潜ませると、握っていた御刀を鞘に納める。

 

「そんじゃあ、見舞いにでも行くか」

 

 朧月夜を鞘に納める勇人は、そう言ってから一拍置いて、着ていたコートを切り裂かれたことを思い出して小さく項垂れていた。

 

 

 

 

 

 ──室内にバチン! と乾いた音が響き渡り、思わず勇人たち三人は顔をしかめた。

 此花寿々花に平手打ちを食らった真希は、頬を痛々しく赤くして言葉をぶつけられる。

 

「たった一人で戦って……英雄にでもなるおつもりですかっ!!」

 

 返す言葉もない真希を見て、部屋に合流した折神朱音と長船の学長・真庭紗南が口を開くと寿々花に続けて声を投げ掛ける。

 

「獅童、此花も戦っていたんだ。人体と融合した荒魂を除去する研究に協力してくれた」

 

「おかげで研究は飛躍的に進みました。時間はかかるかもしれませんが、いつかあなた達の荒魂も除去できるでしょう。あなた達の戦いは、無駄にはしません」

 

「────そうか」

 

 真希はだらりと力を抜き、その手に握られた御刀に寿々花が自身の手を添える。

 

「まったく……この薄緑は我が鞍馬流に縁深い御刀。ですがこのようにされては、もうしばらく預けておくしかありませんわね」

「……ああ」

 

「──さて、突然で悪いがお前たちには明日、朱音様に同行してもらう」

「またですか」

「今度はどこへ?」

 

 紗南の言葉に呆れ気味の勇人に続いて可奈美が口を開くと、朱音は神妙な面持ちで返した。

 

「刀剣類管理局局長、折神紫の下へ参ります」

 

 

 

 

 

 ──潜水艦へと接近する中継に乗っている船の中。とある一室に纏められた元親衛隊の勇人ら三人は、適度に距離を空けている。

 

 僅かな気まずさを誤魔化すように、真希は勇人を見て、そのまま勇人も寿々花へと視線を飛ばす。そんなキラーパスを回された寿々花は、かぶりを振ると真希を見て言った。

 

「どのような顔でお目にかかればわからない、といった所でしょうか」

「……お見通しのようだね」

「お前が分かりやすいだけだろ」

「……そうかもね。僕は、紫様が荒魂を取り込んでいることは知っていた。けどそれが……タギツヒメだとは知らなかった」

 

 ──もし知っていれば、と続けた真希に、被せるように寿々花が言う。

 

「──斬っていた?」

「それはわからないが……少なくとも、荒魂を受け入れなかったとは思う」

「そういや、真希はなんで荒魂なんて体に入れようと思ったんだ?」

 

 自身の御刀──朧月夜を片手に、勇人は真希におもむろに問いかける。真希もまた手元の薄緑を見て、ポツポツと呟くように返した。

 

「戦い続けるための力が欲しいと思ったからさ。どんな光でも、やがては闇に飲まれ消えてしまう。膨大な闇に立ち向かうには、自らも闇を受け入れるべきだと思ったんだ」

 

「あら。親衛隊第一席ともあろう者が、案外臆病でしたのね」

 

「僕は自分の弱さを知った、だからそんな闇に立ち向かうことを決めたんだ。誰よりも先にタギツヒメを見つけ、この手で討つ。共に滅ぶのも辞さない覚悟でだ」

 

 力強く言葉を締めくくる真希だが、そんな彼女に寿々花と勇人は呆れた表情を浮かべる。

 

「はぁ……加えて愚か。極端なのですわ」

 

「そうだね、タギツヒメを討つどころか、周囲を混乱させてしまった。まさか3体に分裂して争ってるなんて想像もしなかったよ」

 

「下手したらお前も入れて4体扱いだぞ」

 

「それについては申し訳ないと思っているよ。……そういえば寿々花、君はどうして荒魂を受け入れたんだ? 聞いたことがなかったね」

 

「はっ──」

 

 わなわなと体を震わせると、寿々花は背凭れの方から真希の隣へと正座のフォームで飛び込む。その滞空時間の長さに一瞬勇人が目を見開くが、気にしなかったことにして視線を逸らした。

 

「気付いていませんでしたの。どうしても溝を開けられたくない方がいたからですわ!」

「たったそれだけのことで? そんなに想われる相手が羨ましいよ」

「………………鈍感」

「えっ」

「こいつマジか……」

 

 本当に気づいていないらしい真希に、寿々花と勇人は同時にため息をこぼしていた。

 

 

 

 

 

 ──潜水艦内部にて、真希と寿々花、勇人と可奈美と姫和、朱音とかつて逃亡を手伝っていた元刀使の恩田累、そして数ヶ月振りに顔を見る折神紫が一堂に会していた。

 

「……病院で療養中の局長が、まさか武装した潜水艦の中とは」

「医療施設を完備してますから、あながち嘘というわけでもないんですよ」

「紫様はもう荒魂じゃないんですよね?」

「ああ」

 

 姫和の言葉に朱音が答え、その横で可奈美が紫に問いかける。短く肯定した紫に続いて、累が可奈美たちに説明した。

 

「何度も検査しましたが、局長の体からは荒魂は検知されませんでした。肉体年齢はなぜか17歳で止まったままですが……」

「とんでもないアンチエイジングだな」

「ねー。いいよねー」

「累さんもう少し取り繕って」

 

 勇人のジョークに、累は恐らく本心だろう言葉を返す。そんな漫才をよそに可奈美は、さらに紫へと気になったことを問う。

 

「どうやって克服したんですか?」

「克服したのではない。捨てられたのだ」

「タギツヒメが自らの意思で局長を排斥したのではないかと」

 

 横合いから可奈美に情報を追加する累を見ながら、勇人が代わって質問をした。

 

「あのとき俺は真希と戦ってたんで、状況をよくわかってないんですけど……」

 

「……あの夜、タギツヒメと同化していた私は十条達に討たれた。諸共滅びる寸前だったが、奴はこの肉体を捨て隠世へと逃れた。荒魂を巻き散らしたのは、その後の追跡を攪乱するためだ」

 

「トカゲの尻尾切りですね」

 

 あっけらかんと、可奈美は言い切った。あんぐりと口を開いて驚愕する真希と寿々花をよそに、紫は小さく笑みを浮かべて言う。

 

「ふっ……そうだな、私は切り捨てられた尻尾だ。だがそうも言ってられない事態となった」

「三女神ですか」

「うむ。かつてタギツヒメだったものが3つに分裂した。各地でノロを奪取しているタギツヒメ……防衛省の手にあるタキリヒメ……残りのもう一体は──」

 

 紫に続けて、寿々花が呟く。

 

「──イチキシマヒメ……宗像三女神ですわね。荒魂が神を名乗るなんて」

「僕が向かったとき、タギツヒメはタキリヒメを狙っていました。なぜ同じ一つだったもの同士が争っているのですか?」

「それを説明する為にお前達を呼んだのだ」

 

「そして、あなた達に会わせたい者が」

「まさか、残りの3体目……イチキシマヒメがここにいるのですね?」

 

 真希の疑問を紫は中断させ、累が放った言葉に姫和が察する。早速と全員を案内する紫に先導されて潜水艦の奥へと向かう傍ら、背中に立てられた朧月夜が無反応なことに勇人が首を傾げた。

 

「タギツヒメの一角が居るのに朧月夜が反応しないのか。細工してたり?」

「そりゃねー、タギツヒメの目から隠す潜水艦よ。色々と細工をね~」

 

 そう言いながらハッチのハンドルを回す累は、扉を開けると邪魔にならないよう横へと動く。

 その部屋の中に居たのは──タギツヒメたちと同じ白い体を薄く発光させ、二人とは違い口許を妙な形のマスクで覆った少女だった。

 

「──衛藤可奈美、十条姫和、藤森勇人……そうか……我はここで滅ぼされるのか。我という個となり短い生涯だったが致し方ない」

 

「なにこのネガティブちゃん」

「短い生涯だった……短い……」

「滅ぼすつもりなら元より保護しない」

「紫さま、こいつ大丈夫なんですか?」

 

 くぐもった低い声で淡々と生きることを諦めている少女──イチキシマヒメに、勇人はなんともいえない不安感を覚えていた。



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宗像三女神の思惑

 ネガティブな言動のタギツヒメの分身、イチキシマヒメ。彼女を側に座らせた折神紫は、勇人たちを見て口を開いた。

 

「タキリヒメの所在が知られ、襲撃を受けた。よって我々はタキリヒメの防衛に当たる」

「そうか……お前達はタキリヒメ側につくのか。我はまた誰からも求められない」

「こいつ面倒くさいぞ」

「我々にとって好ましいのは3つに分かれた現状だ。できればこのまま維持したい」

 

 勇人のぼやきを誤魔化すように、紫はイチキシマヒメに諭すように言う。

 

「そうだな。本来はそうあるべきなのだろう、とはいえ、我は元々奴等に切り捨てられた存在なのだがな」

「タキリヒメはあなたを差し出せと言っています。あなたの力を欲しているのでしょう」

 

 イチキシマヒメの言葉に、紫に次いで朱音が答える。その言葉に、イチキシマヒメはくぐもった声で呟くように返した。

 

「我を差し出すのか。我を取り込めばタキリヒメの勝利は揺るぎないものになる。タギツヒメを倒し、この戦いには勝利するだろう」

「いえ。刀剣類管理局は、あなたをお守り申し上げる判断をしています」

 

 根気よく会話を交わす朱音に、おもむろに可奈美が質問を投げ掛ける。

 

「あの~……よくわかってないんですが、取り込むとか勝利とかってなんなんですか?」

「──それにはまず、彼女達が3つにわかれた理由を説明しなければなりませんね」

 

 朱音がちらりと視線を向けた先に立っていた累が、一歩前に出ると、全員に聞こえるように声色を高めて説明を始めた。

 

「──ノロのスペクトラム化。ノロは融合することで、脳のようなものを形成し、高度な知能を有していきます。その過程で感情が芽生え、ノロから荒魂となる。そんな全ての荒魂が最初に抱く感情は、喪失感と言われているわ」

「…………珠鋼から引き離されたが故の喪失感……ってことか」

「そう。珠鋼という神性を奪われた喪失感──この餓えにも似た喪失感を埋めるために、ノロは本能的に結合を求めるの」

 

 勇人の言葉に頷いて続けた累。そんな彼女に、荒魂を受け入れた身である真希が言う。

 

「荒魂を取り込んだ僕達には理解できる。あの乾きには、抗いがたい……」

「結合を繰り返し、より知能が発達すると、喪失感は怒りに変わります。自分の一部である珠鋼を奪った人間に対する怒りですね」

「そりゃ、荒魂も俺達に襲い掛かるわけだな」

「荒魂を鎮めるための武器が荒魂を生み出したそもそもの原因とは、皮肉なお話ですわね」

 

「そう。全てはお前達人が、強欲に神の力を盗み取ったのが原因だ」

 

 勇人と寿々花が続けて口を開くと、その会話にイチキシマヒメが割り込んだ。

 仕方ないとばかりに話の軌道修正をした紫は、そのまま彼女に視線を向ける。

 

「……話を戻す。私と一体化していた大荒魂が3つに別れた理由だが──」

「──(タギツヒメ)の知能は高度に進化し、やがて論理矛盾に陥った。人に対する思考が3つに別れ、それぞれに対立し始めたのだ。怒り、怨嗟といった原初の感情から生まれたのがタギツヒメ。奴は人への報復を望んでいる」

「シンプルだな」

 

 ちらりと勇人を見るイチキシマヒメは、眠そうな瞳を向けながら更に続ける。

 

「一方、人を支配管理し、導くことを望んでいるのがタキリヒメ。奴はこの世界に、一柱の神として君臨するつもりだ」

「──お前はどうなんだ」

 

 簡潔な姫和の問いに、イチキシマヒメは拘束具を思わせる衣服の下から両腕を伸ばしながら答える。姫和の傍で、勇人はそれとなく「腕あったんだ……」と呟いていた。

 

「我は、我がこの世界に存在する意味を求めた。我々荒魂はこの世界にとって不要な存在なのだろうか? 不要なものが存在する意味は? 模索し、やがて見つけた。人と荒魂を融合させる術を。人という種を進化させる術を」

 

「──ってことは、真希たちに荒魂を混ぜる方法はお前が考えたのか?」

 

「然り。……そして鎌倉での夜、紫と分離し幽世へと逃れた(タギツヒメ)は、もう修復不可能なほど深刻化した論理矛盾を解決するため、それぞれの思考を個として分離・独立させた」

 

 わざわざ伸ばした両腕を再度収納するイチキシマヒメ。彼女の隣に立っていた紫が、説明を締め括るように言った。

 

「三女神は勝利した者が敗者を取り込み、最終的に幽世にある本体を手に入れる」

「勝者が敗者を取り込み凶神(まがかみ)となれば、20年前を上回る危機が訪れます」

「まずはタキリヒメの防衛だ。海中にいる限りイチキシマヒメは安全だからな」

 

 紫と朱音の言葉に、勇人が返す。

 

「……で、守ってもらうためにイチキシマヒメは保護を求めてきたと」

「そうだ。我には頼る者がいない。かといって、自分が戦う気にもなれない」

「曲がりなりにもタギツヒメだったんだから強いとは思うんだが」

「──そこそこ強い。が、結果の分かり切ったことはしない。それよりも、藤森勇人。お前は我の側につく気はないか?」

「ないけど」

「……そうか」

 

 どこかしゅんとしたような顔をするイチキシマヒメに眉を潜めながら、勇人は朱音に問う。

 

「そういえば、防衛相のタキリヒメはともかくタギツヒメってどこで活動してるんですか?」

「タギツヒメはおそらく、綾小路を拠点としています。もしかしたら高津学長や相楽学長が付き従っている可能性が──」

 

「高津のおばちゃんと相楽学長が、ねえ」

「…………?」

「────」

 

 それとなく姫和の腕を引いて自分の後ろに隠しつつ、勇人は朱音に相づちを打ちながらイチキシマヒメに視線を向けていた。

 

 

 

 

 

「三女神で本質的に危険なのはイチキシマヒメです。とは言っても、当面の危険度で言えばタギツヒメでしょうけれど」

「まずは防衛省と連携し、タキリヒメ防衛にあたる。タギツヒメさえ討ち取れば、残りの二神とは対話による交渉も可能だと考えている」

 

 イチキシマヒメを残して別室に移った全員のうち、朱音と紫がそう言うと、可奈美が再度質問を投げ掛けた。

 

「あの、隠世にあるっていう本体を先に倒すとかは出来ないんですか?」

「隠世は理論上『無限』とされているからね。現世から座標を特定できる特別な繋がりでもない限り、存在の特定も難しいわ」

「なるほど。三女神と本体の間には、その特別な繋がりがあるということですわね」

 

 先と同じように累が答え、寿々花が続いて口を開く。その光景を見ていた紫が、おもむろに可奈美と姫和、勇人の三人に声をかける。

 

「──衛藤、十条、藤森。少し良いか」

 

 

 

 ──三人は小さな個室に通され、ソファに座らされる。狭かったため、紫の隣に勇人が、そしてその対面に姫和と可奈美が座った。

 

「今も私が許せないか?」

「──はい。あなたが荒魂に憑依されていた20年、母は全て自分のせいだと、亡くなるその時までずっと悔やみ続けていた」

「……十条、衛藤。すまなかった」

 

 凛とした声色だが、その表情には後悔が滲んでいる。紫は二人を見て、更に続けた。

 

「20年前、大災厄のあの日、特務隊の隊長を務めた私はお前達の母親と共に最後の戦いに臨んだ。私の役目は現世にしがみつくタギツヒメを、隠世へ押し込み穴を塞ぐことだった。

 そうすればタギツヒメは篝と共に隠世の底へ落ち、散り散りになって消えていた」

 

 一拍置いて、紫は言う。

 

「タギツヒメは消滅を免れる術を模索していた。そして、二人を助ける代わりに私と同化することを提案した。友人達を失いたくなかった私は、何千人もの犠牲者を出した荒魂を受け入れ……」

 

 そこで区切り、絞り出すように締めた。

 

「後はお前達の知っている通りだ。美奈都も篝も救えず、一人だけ死に損なったままでいる」

 

「でも、うちのお母さんは死ぬまで幸せそうでしたよ。死ぬまでってなんか変ですけど、剣術だっていっぱい教えてくれましたし、刀使の仕事を誇りに思うって」

 

「可奈美の……お母さんが?」

 

 しかし、そんな紫に、可奈美はあっけらかんとそう言った。姫和の呟くような言葉に頷いた可奈美を見て、紫はポツリと、そうかと返した。

 

「──篝と美奈都は刀使の力を半ば失い内側からタギツヒメを封じた。本来篝が背負うはずだった半分を美奈都が受け持ったのだ。

 その影響で、二人は現世と隠世、その同時に存在する稀な存在となった」

 

 ほんの少し、僅かに、憑き物が晴れたようにして、紫は二人の背にある御刀を見る。

 

「その際、お前達の持つ御刀、千鳥と小烏丸にも同じことが起こったのだろう」

「時々ある共鳴はそのせいなんだ」

 

 納得したように可奈美が言うと、姫和もそれとなく自身の御刀──小烏丸を見る。

 紫の隣で話を聞いていた勇人は、ふと、気になったことを紫に聞いた。

 

「そういえば紫さま、うちの先生と知り合いで、なにかあったら俺を引き取るようにって約束してたらしいですけど──」

「ああ、そうだな」

「それってつまり、下手したら…………紫さまが母親になっていた可能性があるってことですよね。しかも中身はタギツヒメ」

「…………そうだな」

 

 改めて考えたのだろう、紫の表情はどことなく苦々しく歪んだように見える。

 勇人もまた天井を見上げると──紫を見ておもむろに口を開いて問うように言った。

 

「────母さん?」

「藤森、後生だ。やめてくれ」

「すいません俺もちょっとキツいです」

 

「なにをやってるんだ……」

「あはは……私はいいと思ったよ?」

 

 何気ない一言で二人揃ってダメージを負っている光景を目の当たりにして、姫和と可奈美は、呆れたように苦笑をこぼしていた。



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タキリヒメと益子の守護獣

「──今一度お願いに上がりました。お力をお貸し願えませんか?」

 

 タキリヒメの祀られている空間に再度訪れた朱音。彼女が続けて放つ言葉に、タキリヒメは淡々と返した。

 

「我らの共闘が叶えば、それすなわち人と荒魂の共存。あなたの願いに近付くための、第一歩となりえましょう!」

 

「不遜。我がお前たち人に求めるのは、共闘ではなく隷属。イチキシマヒメを差し出せ、さすれば我が庇護下で生きる事を許そう」

 

「あなたはそれを共存と仰るのですか!?」

 

「然り、未熟な種は所詮虫や獣と同じ。それを我が良き方向へ導いてこそ真の共存と言えよう」

 

 タキリヒメの言葉は完全に人間を見下したモノでしかなく、朱音の護衛として付き添っていた姫和が、ため息をついてから口を開く。

 

「──ここまでです、朱音様。今確信しました。こいつも所詮はタギツヒメと同じ荒魂、共に在るなど叶わないのです」

 

 最初から期待をしていない姫和。だが、その横で可奈美がおもむろに言った。

 

「あの! タキリヒメさん! 私と剣の立ち会いをしませんか?」

「何のつもりだ、千鳥よ」

「あなたは一度も私達を見てくれてない。それじゃお互い歩み寄ることもできません!」

 

 一拍置いて、可奈美は続ける。

 

「それで、その……お互いをよく見れば、人間の事も荒魂の事も、よく知り合えるんじゃないかなって思って……」

「それには正面から御刀を合わせての立ち合いが一番手っ取り早い……と?」

「うん……」

剣術馬鹿(バトルジャンキー)め」

 

 朱音の問いに肯定する可奈美。ついでにぼそりと呟いた勇人は、見上げた先のタキリヒメの「下がれ」の一言に苦笑をこぼしていた。

 

 

 

「駄目だった……」

「当然だ。だが、可奈美らしいな」

「ええ。確かに突拍子の無い申し出でしたが、頷ける所もあります。何度でも足を運びましょう、彼女の人となりを見極められるまで──藤森さん、どうしました?」

 

 くすりと笑う朱音。彼女はふと、明後日の方向を見ている勇人を見てそう問いかける。

 

「んー? あ~~……わわわ忘れ物~」

 

 視線を下から後方に動かす勇人は、踵を返してタキリヒメの元に戻る。

 おい、と声を掛けた姫和の肩に手を置いて、朱音はかぶりを振った。

 

「……いいんですか?」

「大丈夫。彼もまた、刀使なのですから」

 

 

 

 

 

「──よく見る、よく知る……ん、出てこい」

『ねっ』

 

 タキリヒメの元に、透明化を解除した小さな荒魂──ねねが現れる。

 

「荒魂……いや、本来荒魂にあって然るべき穢れが失せている。荒魂であって荒魂でない。お前は何者か──説明しろ、藤森勇人」

「あ、バレた?」

 

 仮面を付けているにも関わらず、睨まれたのだろうという確信を得ながら、すだれを押し退けて勇人がタキリヒメとねねの前に訪れた。

 

「今自分で言ってただろ、長い歴史の中で穢れを失った荒魂だ。人と荒魂が共存する世界ってのは、こういうやつが居る世界ってことだよ」

「そうか。では去れ」

「やだよ」

「斬られたいのか」

「やってみろ」

「────」

 

 当然だが、ここで勇人を斬れば、折神紫と同化していた時の自分(タギツヒメ)を倒した可奈美と姫和の二人が相手になることを意味する。

 

「……ならば、こちらに寄れ」

「なんだよ────ぐえっ!」

 

 タキリヒメはおもむろに片手でねねをつまみ上げ、空いた手で無防備に近づいてきた勇人の首を鷲掴みにして引き寄せる。

 

「穢れがないとはいえ、人はなぜお前を放置している……?」

「おいもうちょっと力抜け……!」

 

 勇人の抗議を無視して、タキリヒメはねねの記憶に入り込む。タキリヒメと接触している勇人もまた、同じくして記憶を覗き見ていた。

 

 その記憶は古く、そして、どこかの村の一角から川へと流れる大量のノロから始まる。

 その大量のノロが結合して誕生したのが、何を隠そうねねであった。

 

「お前もまた、人の無知と愚かさによって生まれたか。だがなぜお前は穢れを持たない?」

「……続き見ようぜ」

「黙っていろ」

「ぐえーっ」

 

 勇人を黙らせながらも、タキリヒメの記憶の閲覧は続く。時間が過ぎて、ねねが暴れまわっていた頃まで進むと、そこに現れたのは──あの益子薫が所持している御刀・祢々切丸を構える当時の益子の刀使だった。

 

『派手にやってくれるじゃねぇか! 益子の縄張りででけぇツラしてんじゃねぇぞ荒魂野郎』

 

 そうして刀使と激突し、巨大なねねはやがて、祢々切丸を胸に突き刺されたたらを踏む。

 

『荒魂が……てこずらせやがって』

 

 刀使は息を荒らげながらも、髪を掻き分けて楽しそうに笑うと──

 

『そんなに暴れたきゃ、また相手になってやるからよ。またやろうぜ』

 

 ──そう言って、ねねを赦していた。

 

 

 

 何十年、何百年と時間をかけて、何代もの益子の刀使がねねに寄り添い、そうして今に至るまでのあいだに、ねねの穢れは失われていった。その光景を見て、タキリヒメは呟く。

 

「この者達が消したというのか? お前の中の穢れを……長き時をかけて……」

 

 胸元に潜り込むねねの頭を指で撫でるタキリヒメが、勇人の首を掴んでいた手を離す。

 

「穢れを祓うことなど決してできないはずだった、だが人は祓ってのけた。短命で、種として不完全な存在なのに……ただ共に生き続けるという単純な方法で。そのような事がありえるのか? そんな奇跡のような可能性が」

「ごほっ……あのなあ、()()()()()だろ」

「藤森勇人」

 

 首を擦りながら立ち上がる勇人は、タキリヒメと、胸元のねねを見て続ける。

 

「ねねとずっと付き合ってきたのが一人だけじゃないのは、人間だからこそだろうよ。もしも不死身の人間がずっとねねと居たからといって、今のねねみたいになるとは思えない」

 

「──なにが言いたい」

 

「縁だよ、縁。繋がりがあって、違う考えがあって……違うから、それがいいんだよ」

 

「…………」

 

 帰るぞ、といって、勇人はねねを引っこ抜いて部屋から出ようとする。その背中に、タキリヒメは、おもむろに言葉を投げ掛けた。

 

 

 

 

 

「──千鳥の娘を連れてこい」



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タキリヒメとタギツヒメ

「ねねちゃん、どこ行くの~?」

『ねっ』

 

 防衛相の施設内を歩く可奈美は、ねねの先導でタキリヒメの部屋まで通される。

 

 中に入った彼女は、暇そうに御刀の柄頭を手のひらで玩ぶ勇人と、祀られている部屋から表に出てきているタキリヒメを見つけた。

 

「っ──!」

「おー、来た来た」

「……抜かぬのか? お前は、我との立ち合いを望んでいたはずだ」

 

 反射的に自身の御刀を構える可奈美に、タキリヒメは淡々と問い掛ける。

 

「──はいっ!」

 

 ちらりと勇人を見て、それからどうぞと言わんばかりに肩を竦める彼からタキリヒメに視線を戻すと、可奈美は千鳥を鞘から抜いた。

 

 

 

「……よくもまあ、立ち合いとはいえタギツヒメの片割れ相手に戦えるもんだな」

 

 呆れ気味の勇人を前に、御刀を鞘に納めた可奈美はタキリヒメへと向き直る。

 

「あっ、ありがとうございます! おかげで見えた気がしました、あなたの事が!」

「我は初めからここにいる」

「そうじゃねえだろ」

 

 小声で呟く勇人をよそに、タキリヒメの言葉に可奈美は考えるように口を開いた。

 

「そうじゃなくて、えっと……なんか穏やかな海みたいだなって。大きくて広くて、何もかも受け入れてくれるような……それこそ人間も荒魂も。うまく言えないですけど」

 

 天才肌ゆえに感じ取った情報の言語化が苦手なのだろう、それでもなんとか言葉にして、可奈美はタキリヒメに質問を返す。

 

「あ……あの! 私の剣は、私は……どんな風に見えましたか?」

「千鳥の娘。貴様は……」

「────待て、二人とも」

 

 カタ、と勇人の御刀──朧月夜が揺れる。

 朧月夜(かのじょ)が外敵を知らせ、それを察した勇人は二人に声をかけた。

 

「勇人さん?」

「敵だ。たぶん、タギツヒメが荒魂引っ提げてカチコミに来たな」

「えっ──!?」

「……ふん、我を取り込みに来たか」

「だろうな。……ここに居ろよ」

 

 タキリヒメに釘を刺しつつ、勇人は可奈美を連れて隔離された部屋から出て行く。

 防衛相の外に出た二人が見たのは、黒いS装備(ストームアーマー)を身に付けた綾小路の刀使が襲い掛かって来ている光景であった。

 

「みんな、遅れてごめん!」

「遅いぞ可奈美、勇人!」

「状況は?」

 

 同じくS装備を着込んだ姫和たちと合流し、勇人が手短に問いただす。

 

「見ての通りだ、突然綾小路の連中が襲いかかってきた。市ヶ谷周辺に大量の荒魂が湧いたが、そちらは親衛隊の二人が対応しにいった」

「そうか……手が足りてないな、せめて結芽が居たら助かるんだが」

 

 ──あいつら秋田で休養中だからなぁ、と呟く勇人は、ふと可奈美に跳ぶように斬りかかった刀使を視界に納める。加勢しようとしたが、横合いから割り込んできた別の刀使に御刀を振りかぶられて、咄嗟にそちらの対応をした。

 

「あっ、ぶねぇ」

 

 逆手に持った朧月夜で鍔迫り合いに持ち込む勇人は、相手の膂力に違和感を覚えた。

 S装備を着込んでいるとはいえ、並の刀使がおいそれと出していいパワーではない。

 

 そして、()()()()()()()()

 明らかに正気ではないとわかる少女を前に、勇人の御刀が押しきられた。

 

「うぉ──ぐぇ……なんちゃって」

「は──うぁっ!?」

 

 不意に、ザンッと写シを切り裂かれ、勇人の体が生身に戻る。ぐらりとよろめいた動きに油断した少女は、そのまま再度写シを貼り直した勇人に返す刀で両断される。

 

「はいノロ没収~」

「ぐあっ」

 

 更に、勇人は倒れ伏す生身の少女に容赦なく朧月夜を突き刺す。端から見たら殺人現場だが、勇人の御刀は、()()()傷つけない。

 

 そうして体内とS装備のノロを朧月夜に吸収させた勇人だったが──うえっ、とえずいて表情を苦々しく歪めながら言った。

 

「気持ちわる。なんだこれ」

 

 朧月夜を通して感じ取ったノロは、あまりにも気持ちが悪い。不快感そのものを頭の中に流し込まれたような感覚に、反射的に全てのノロを吸収する前に少女から引き抜いて口許を押さえた。

 

 

 

 

 

 ──その後も新型のS装備と妙なノロによる強化を受けた刀使たちに押し込まれてきた勇人たちは、防衛相の室内まで下がりながら戦う。

 

「ピンチだひよよん、なんとかしろ」

「勝手なことを言うな」

 

 祢々切丸を大上段に構える薫の軽口に鋭く返す姫和。そんなとき、綾小路の刀使たちの中から、見覚えのある黒いフードの少女──タギツヒメが現れて口を開いた。

 

「久しいな、我が分身」

「は? ──あっ、タキリヒメ!? 出てくるなっつったろうが!」

「────ふん」

 

 自分達を無視してそう言ったタギツヒメの視線を辿ると、勇人は部屋から出て来ていたタキリヒメを見つける。勇人の怒号を無視して、タキリヒメはタギツヒメに斬りかかった。

 

「ほう……これが貴様の答えか」

「人の可能性、失うには惜しいと判断したまで」

「──愚かな」

 

 そして打ち合いを始めた二人。その場に混ざろうとした可奈美は、自身に異様に執着している少女にまたもや邪魔をされている。

 

「…………ちっ、クソっ!」

 

 一瞬、自分が行ったところで、と思考し、その考えを頭から振り落とすようにかぶりを振って駆け出す。敵の刀使と衝突する可奈美たちの隙間を縫って、勇人はタキリヒメに加勢した。

 

「タギツヒメ!」

「貴様では力不足だ、去ね」

 

 タギツヒメの冷静な言葉が冷徹な声色で放たれ、勇人は呆気なく二刀流に切り刻まれる。何度目かの写シを貼り直す彼をよそに、タギツヒメは打ち合いのさなかでタキリヒメの腕を落とす。

 

「本来であれば、我らの間に力の差は無い。だが人ごときを必要とした貴様と、不要とした我──それがこの結果だ」

「く、そっ!」

「──去ね、と言った筈だ」

「がっ」

 

 二人の間に割り込んだ勇人は、タキリヒメを貫こうとした御刀の刺突を受け止める。

 御刀同士がぶつかり合い、耳障りなカリカリという金属音が響き渡る。何度も何度も邪魔をする勇人に対し、苛立たしげに眉を潜めたタギツヒメは、即座に写シを切り裂くと────

 

「身の程を知れ、藤森勇人」

「なんっ──づぁっ」

 

 ──ひゅん、という風切り音。その後、不意に右腕から重量が無くなる。遅れてぼとりと何かが落ち、カランと続けて金属が床を叩く。

 視線を後ろに向けるとそこには──自身の右肘から先と、何が起きたか分かっていないかのように握られたままの御刀が一緒に落ちていた

 

「────ぁ」

「寝ていろ」

「ぉごっ!?」

 

 ドンッという衝撃が脇腹に走り、勇人は御刀と右腕から数メートル離れた壁際に叩きつけられる。結局守り通せないまま、掠れた視界の奥でタキリヒメはタギツヒメに斬られ、そしてノロを奪い取られていた。

 

「勇人さん……タキリヒメっ!」

「ああ……そんな顔をしていたのか。千鳥の娘、そして藤森勇人」

「ぐ、ぁ……タキ、リ……ヒメ」

 

 腕の断面から血が溢れる勇人はそれとなく左手を御刀に向け、呼応するように()()()()()()様子を確認する。その傍らで、目元を覆うマスクが切れ、初めて相手の顔を見たタキリヒメは、可奈美に言いそびれていた言葉を紡ぐ。

 

 

 

 

 

「衛藤可奈美。どこまでも飛ぶ姿が見えた。その刀のもう一つの名のように、雷すらも切り裂いて……。飛べ、人よ。速く、高く、遠く……」

 

 その言葉を最期に、タキリヒメは、その体を散り散りに崩して消滅した。



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敗北と会見

 タキリヒメを取り込んだタギツヒメ。彼女はまるで車の試運転でもするかのように、高速で動いて可奈美たちを一瞬のうちに切り捨てた。

 

「──うむ。中々に馴染む」

 

 満足げにしているタギツヒメは、腕を切り落とされた勇人すら視野に納めない。

 そんな折、ふと、タキリヒメの消滅を見ていたねねが震えだし──突如として巨大化した。

 

「ね、ねね……っ!?」

「ほう、これがタキリヒメの記憶にあったアレか。成程面白い」

『────!!!』

 

 薫の驚愕の声を掻き消すほどの咆哮を響かせ、ねねは腕を振るい強化刀使たちを薙ぎ払い、その剛腕をタギツヒメに叩きつける。

 

「驚いたぞ……これほどの荒魂が、人に飼いならされていたとは」

 

 二刀流で受け止めたタギツヒメは、返す刀でねねを滅多切りにする。巨体ゆえに捉えきれない速さで全身を切り刻まれるねねは、一手遅れてタギツヒメが居た場所を攻撃していた。

 

『────ッ!!』

「ねね! もうやめろ!」

「心ばかりの馳走、とくと味わえ」

「──づ、ぉおおっ!」

 

 とどめとばかりに振り上げたタギツヒメの御刀を、乱入者が受け止める。

 ──それは、切り落とされた右腕を()()()()()朧月夜を握る勇人だった。

 

「────。ふ、どちらが化物だ?」

「うる、せえ……よ……っ」

 

 不意を突くためにギリギリまで怪我を治さなかったせいで、出血多量で顔面も真っ青の勇人を前に、タギツヒメはそんな皮肉を吐く。

 

「小烏たちよ。タキリヒメと共に、貴様等は最善の未来を失った。せめて我がもたらす終末をゆるりと楽しむがよい」

 

 興が冷めたとでも言いたげな顔で鍔迫り合いをやめて下がると、そう言って綾小路の強化刀使たちを連れてその場から消える。それから巨大化したねねが元の大きさに戻るのと、血を流しすぎた勇人が膝を突くのは、ほぼ同時であった。

 

 

 

 

 

 ──タキリヒメの消滅と勇人たちの敗北から、早くも一週間が経過していた。

 一切のアクションを起こさないタギツヒメに対する不気味さを覚えながらも、刀使として発生した荒魂の対処をしなければならない。

 

「はあ、しんどい……おっ」

「……勇人くん」

「おにーさん、久しぶり~!」

 

 そんな時、不意に任務を終えて戻ってきた勇人がばったりと鉢合わせしたのは、秋田から帰ってきていた夜見と結芽だった。

 

「秋田はどうだった? ()()()()……はこっちで活動中か。会わないけど」

「……特に変化はありません。私の家族も……髪を見て『グレたのか』と心配された程度で」

「きりたんぽ美味しかった」

「そりゃよかった」

 

 ──はいお土産。と言ってパックに詰められた秋田産のきりたんぽを結芽から渡されながら、勇人は夜見を見て質問を続ける。

 

「そういえば、俺がいた孤児院が崩落したらしいな。なにがあったんだ?」

「──いえ、詳しい話はなにも。ただ、怪我人は出なかったそうですよ」

 

 夜見は一瞬、脳裏に白髪の女性の顔を過らせたが、あっけらかんとした顔で誤魔化した。

 

「……そうかい。んじゃ、真希たちと合流するか。元親衛隊勢揃いだ、タギツヒメに負けて以来のおめでたいイベントだよ」

「えー、おにーさんたち負けたのぉ?」

「ああ、負けた負けた。なんなら腕もげたし」

「──勇人くん?」

「あ、やべっ」

 

 

 

 ──食堂に集まった可奈美たち六人と親衛隊の五人。そのうちの一人こと勇人がげっそりした様子でテーブルに突っ伏しており、結芽が暇そうにつむじを指で押していた。

 

「……なにがあったんだ、こいつは」

「お気になさらず」

 

 勇人の隣に座る姫和の困惑した問いに、反対側の隣に座る夜見はしれっと答える。

 その光景を見ながら、タギツヒメの居所を隠す上司──学長である真庭紗南の態度にイラついた様子の薫がぼやくように呟いた。

 

「防衛省の襲撃には綾小路の刀使達が参加していた。タギツヒメは無理でも、あいつらの足取りなら簡単に追える。ならきっと、そこから地続きでタギツヒメまで辿り着いてるはずなんだ」

「日本の警察は優秀デスからねぇ」

 

 薫の言葉にエレンが肯定し、舞衣が持ち込んでいた自作のクッキーを齧る。

 

「──半年前は、紫様が肉体の自由を奪われながらも、内側からタギツヒメの力を抑えてくれていた。だが今は違う。タギツヒメは紫様という枷から解き放たれた」

 

 おもむろに口を開いてそう言った真希。彼女は淡々と、事実を述べていた。

 

「君達六人、いや僕たち元親衛隊を足して十一人でかかったとしても……」

「あら? そういう誰かさんは、たしか一人だけでタギツヒメを斬ろうとしていらしたのではなかったかしら。勘違いでしょうか?」

 

 真希の隣に立っていた寿々花が、彼女にそう言い返す。皮肉気味に表情を暗くして、真希は寿々花にさらに言葉を返した。

 

「ああそうさ。僕はあの時……刺し違えてでもタギツヒメを止めようとしていた。けれど、君に頬を撃たれて目が覚めたよ」

「──結構、ですわ」

 

 くすりと笑う寿々花は満足そうに頷いた。すると、ずっと結芽につむじを押されていた勇人が顔を上げると、渋い表情で二人に言う。

 

「人前でいちゃつくなよバカップルめ」

「お前は人のことを言えた義理か……?」

「あらまあ。カップルだなんてそんな」

 

 わざとらしくうふふと笑う寿々花と、勇人に向けて微妙そうな顔をする真希。

 そんな会話をしていたその場の全員は、不意打ちのように、食堂の壁に備え付けられていたテレビが生放送の記者会見に映像を切り替えているのを確認した。

 

「……なに、これ」

 

 代表するように可奈美が口を開く。その場の全員が思ったことを呟くと、傍らで真希と勇人が焦った様子で冷や汗を垂らした。

 

「──クソっ、やられた……!」

「タギツヒメの野郎……こいつ、表に出てこなかったんじゃない。()()()()()()()のために裏で行動してやがったな……っ!」

 

 記者たちが座る視線の先にあるすだれが上がり──中からタギツヒメが現れる。

 タギツヒメは記者たちを、そして画面の向こうの勇人たちを見て、テレビ越しに言った。

 

 

 

 

 

【──我の名はタギツヒメ。お前たち人間が言う所の、荒魂である】



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二分化と逃亡戦

 ──突如として記者会見を開いたタギツヒメ。彼女の十数分の発言は、それを聞いていた勇人たちを呆れさせるに充分だった。

 

「『こっちは穏便に済ませようとしたのに、向こうが暴力を振るってくるんです!』って、言ったもん勝ちの無敵の理論だよなあ」

「荒魂のクセに、悪知恵働くよね~」

 

 勇人の簡潔な纏めに結芽が同調する。その隣で、タギツヒメの部下として活動してしまっている高津学長を見ていた夜見のどことなくしゅんとした表情を一瞥すると、勇人は続けた。

 

「しかし高津のおば……学長、なんか元気がなかったな。本当にホウレン草みたいに萎びてて面白……ビックリしたぞ」

 

「あれ完全に沙耶香ちゃんと夜見おねーさんが居なくなったのがショックだった感じだよねぇ。慕ってた紫さまも居なくなったし、ヤケクソでタギツヒメに従ってるとかそんなんじゃない?」

 

「…………そうでしょうか」

 

 暗い表情の夜見はポツリと呟く。それから暫くして、放送が終わり一旦解散することとなったが、寮で別れる際、最後に勇人はもう一度夜見に質問を投げ掛けていた。

 

「なあ夜見、本当に、秋田の方で……なにもなかったんだよな?」

「──はい。なにもありませんでした」

「……そうか。ならいい、また明日」

「はい。お休みなさい」

 

 誤魔化すようにお辞儀をする夜見に背中を向ける勇人。そんな彼の後ろ姿を見ていた夜見は、隣から声をかけてきた結芽へと視線を動かす。

 

「あの白い荒魂人間みたいな人のこと、言わなくてよかったの?」

「……今はタギツヒメを倒さなくてはなりません。そんな時に、()()()()()()()()()()()()()かもしれないと知れば、勇人くんは動揺します」

 

 ──そりゃそーだけど。と返す結芽は、お目付け役とばかりに同室にされている夜見と共に部屋に戻りながら、お気に入りのいちご大福を模したキャラクターのストラップを指で揉んでいた。

 

 

 

 

 

 ──早くも三日が経過し、その間一切の放送を行わないタギツヒメを警戒しながらも、勇人たちはバスに乗り込む綾小路の刀使を眺める。

 

「あれから三日……綾小路の刀使たちは、全員京都に引き上げるようだな」

「綾小路の学長の命令だからね……仕方ないよ」

 

 姫和の言葉に舞衣が返す。その横で、可奈美がおもむろに呟いた。

 

「あの中にも、タギツヒメの近衛隊に入る人たちが居るのかな……」

「どうだかな。本人が嫌でも、じゃあタギツヒメに逆らえるかと言われたら微妙だ。──そういや、鎌府の方はどうなんだ?」

「わからない」

 

 勇人が続けて、そのまま沙耶香に質問する。高津学長がタギツヒメに着いている今、鎌府女学院の管理は誰がしているのか。

 現状を詳しく理解していない沙耶香は首を横に振り、その代わりに薫たちが答えた。

 

「鎌府なら心配ねえよ」

「サナ先生が学長を代行してマスからね!」

「……大変だな、あの人も」

 

 なんだかんだと多忙の真庭紗南。彼女の忙しなさを理解して、勇人は同情の念を込めた。

 そんな折、ふと、可奈美と沙耶香、勇人の端末がメールを受信する。

 

「おっと……俺たちの出番か」

「荒魂か?」

「ああ、世田谷区の公園付近に荒魂出現だと。ちょっと行ってくる」

 

 姫和が端末を覗き込み、勇人は答える。可奈美と沙耶香に視線を送り、頷くのを見てからソファに立て掛けていた朧月夜を手に取った。

 

 

 

 ──早速と到着した三人が見たのは、強化S装備に身を包み、大型荒魂を一刀両断する綾小路の刀使……否、タギツヒメの近衛隊だった。

 役目を終えて霧散するS装備の中から現れた可奈美たちを慕う少女──(あゆむ)が駆け寄ってくる。

 

「──衛藤さん、糸見さん! 遅かったじゃないですか! もうおわっちゃいましたよ!」

「あ、歩ちゃん……大丈夫なの?」

「え? なにがですか?」

 

 歩は据わった瞳を向けて、質問の意味がわからないと心底不思議そうな態度で聞き返す。

 

「沙耶香、この子誰?」

「可奈美に憧れている刀使」

「へえ……」

 

 後ろでそれとなく正体を聞く勇人は、沙耶香の言葉に短く返した。

 

「歩ちゃんたちは……ここで何を?」

「お仕事に決まってるじゃないですか! ()()()()()()()()使()()()()でしょう?」

「タギツヒメも荒魂じゃ──」

「タギツヒメ()は別ですよ! あのお方は神様ですから」

 

 一切疑う余地もなく、歩はあっけらかんとそう言い切った。強化刀使のノロから『気持ち悪さ』を感じ取った勇人は、タギツヒメ製のそれにより洗脳されているのだろうと察する。

 

「やめとけ可奈美」

「勇人さんっ」

「近衛隊もお勤めご苦労さん、その荒魂のノロは俺が回収するから気にするな」

「なにを────」

 

 歩が聞き返すよりも早く、即座に抜刀した朧月夜をひゅんっと空気を裂いて投擲する。

 近衛隊の間を縫って原型を失いドロドロに溶けた荒魂(ノロ)に突き刺さると、朧月夜は吸収して勇人の手元に弧を描いて戻って行く。

 

「じゃ、そういうことで」

 

 あっはっは、と悪役のような笑い声をあげ、勇人は可奈美と沙耶香を連れてその場から離れる。腕を引かれながら、二人は勇人に反論した。

 

「ず……ズルいやつ!」

「隙を見せた方が悪いよ、うん」

「……でも、向こうに取られるよりはマシ」

「沙耶香ちゃんも肯定派かあ……」

 

 そうして夜道を歩く三人だったが、おもむろに歩みを止めた勇人に違和感を覚え二人は振り返る。視線の先で、勇人は端末を見ていた。

 

「勇人?」

「勇人さん、どうしたの?」

「……んー、あー……ちょっと別件的な感じのやつ。房総半島に来いってよ」

「ここからだと遠いけど、誰から?」

 

 可奈美の疑問に、勇人は一拍置いて──

 

「内緒。デートのお誘いみたいなもんよ」

「いや、勇人さん相手いないじゃん」

「…………うん、まあ、うん」

 

 

 

 

 

 ──房総半島沖から離れた位置の鳥居付近に、人影が三つ。そのうちの一人、恩田累が、折神紫とイチキシマヒメに口開く。

 

「いや~地面が揺れないっていいですね~。私、船ってどうも苦手で……あ、あれは潜水艦か。──ともかく、私はここまでです」

「すまない。フリードマン博士にも伝えておいてほしい、お陰で脱出できたと」

 

 紫は累に礼を言いつつ、時間を気にして周囲を見回す。そんなとき、近くの陰から不意に誰かが現れた。一瞬警戒心で御刀を構えた紫だが、その人物は言う。

 

「──『荒魂イチキシマヒメの乗る潜水艦を房総半島沖で発見』……とんでもないニュースになってますよ、紫さま」

「遅いぞ──藤森」

 

 構えを解いた紫が、現れた人物──勇人にそう言った。勇人もまた、前日に送られてきたメールと()()()()を頼りにこの場に訪れ、累とイチキシマヒメにも目線を向けてから続ける。

 

「すみませんね、免許取りたてだったし、バイクにもあんまり乗らなかったもんで」

「私はここまでだけど、ここからは勇人くんに頑張ってもらいますからねっ」

「俺が役に立つかどうかは不明ですけどね」

「いやいや、自信持とうよ……」

 

 自虐的な勇人の言葉に累が呆れたように返し、言わずとも、紫が同じ考えを浮かべていた。



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折神紫と相楽結月

 勇人が紫と共にイチキシマヒメを連れて逃亡してから数十分。何度目かの襲撃により、二人はタギツヒメの近衛隊を対処していた。

 

 紫が二振りの御刀で近衛隊数人を撫で斬りにする傍らで、勇人が最後の一人の写シを剥がす。

 

「……つ、疲れた……っ」

「藤森、3分で息を整えろ」

「大人気のない」

 

 朧月夜を杖のようにしながら橋の手すりに体重を預ける勇人。その横で暇そうに座り込んでいたイチキシマヒメが呟くと、紫が返した。

 

「お前が数珠丸を抜けば藤森の負担も減るし、もっと容易に突破できるのだがな」

「一時の勝利など無意味。タキリヒメにもタギツヒメにも切り捨てられ、寄る辺なき現世にただ生きる。紫……我はもう疲れたのだ」

「俺たちに守られてそんだけ言えるなら歩けるだろ、ほらもう行くぞ」

「…………この鬼どもめ」

 

 イチキシマヒメのネガティブさを見て額の汗を拭った勇人が立ち上がる。

 それから動こうとしないイチキシマヒメを抱えて歩こうとしたが、「これは楽だ」と宣う彼女の言葉に、5分で地面に投げ捨てていた。

 

 

 

 

 

 ──逃げ続けた先にあった畑の小屋に避難した三人。紫の顔にも、疲労が浮かんでいた。

 

「流石の紫さまでも疲れますか」

「ああも立て続けに襲撃されては、な」

 

 断続的に襲われ、それの対処をし、疲労が積み重なる紫と勇人。そんな会話を交わす二人の間に座り込むイチキシマヒメが、おもむろに口を開くと気だるげな声で言う。

 

「あれら全てが、我をタギツヒメに捧げようとする者達。荒魂との融合によってより高みへ人を昇華させるが我が望みだったが……」

「また始まったよ」

「……ただ我の存在が不要でないことを示したかった。だが、高すぎる理想など誰も欲さぬ。ああ……我はもう疲れた」

 

 マスクのようなモノを口に着け、くぐもった声でそうぼやくイチキシマヒメ。すると、彼女に対して紫が不意に質問を投げ掛ける。

 

「諦めるのか?」

「周りが、我を許さぬのだ」

「──そうか、私の知った事ではないな。例え誰が許さなくても、私はお前を守ると決めたのだから。ああそうとも。誰も彼もが望もうとも、私は……私たちはお前をタギツヒメに渡さない」

 

 そう言ってイチキシマヒメに目線を合わせるようにして屈むと、そんな紫にイチキシマヒメは戸惑いを混ぜた声色で返した。

 

「……わからない。なぜお前は折れない? この20年、我らはお前と共に在った。

 だがお前は我らの侵食に耐え続けた。一体何なのだ? その強さは」

 

「知りたいか? ならば話をしよう。見ているだけで分かった気にならず、私たちと話をするんだ。何故ならお前の言う通り人は未熟、言葉にせずともわかるなど、ただの世迷言だからだ」

 

 紫はそこまで口にすると、立ち上がりながら小屋の扉に目を向ける。

 

「私も器用な方ではないが、人はそうして理解し合うのだ。とはいえ理解が過ぎるのも困りものだがな。ここまで私の行動をトレースできるのはお前しかいない──結月」

「──お前は分かりやすいからな。紫」

 

 ガチャ、とドアノブを捻り中へと入ってくる女性。綾小路学長──相楽結月であった。

 

「おや相楽学長。随分とピンポイントで近衛隊が来ると思ったら貴女の差し金でしたか」

「……藤森」

「結芽ならいつも楽しそうですよ──って、世間話はまたの機会にしますか」

 

 どうぞ、と紫に手のひらを向けて壁際に下がる勇人を見て、結月は紫に向き直る。

 

「久しい、というほどではないか。つい先日まで共に研究していたのだから。だが、純然なお前と最後に会ったのはもう20年も前か」

 

 20年。相楽結月が紫たちと共に江ノ島で戦ったのは、そんなにも昔だった。

 結月は人が簡単に死に、そして理不尽に才能を奪われる状況を何度も見てきた。

 

 綾小路に飛び級で進学した燕結芽が病に犯された当時、そこに現れたのがタギツヒメのもたらすノロの技術。

 理不尽に抗った刀使は、ついに心折れ、理不尽に抗う術が邪道と知りながら、果たしてそれにすがるしかなかったのだ。

 

「──正道に背を向け、邪道に手を染めようと、叶えたい願いがあった。

 しかし尊いと信じたその願いの正体は、醜くも歪んだただのエゴの極みだった。私は自分のエゴを……あの子らに押し付けた」

 

 ()()は、単純な『若い命に散って欲しくない』という願い。

 タギツヒメに洗脳され近衛隊として使われようとも、力を得た刀使は死亡率が下がる。

 正しい手段ではないと分かっているからこそ、相楽結月は紫たちの前に現れた。

 

「思い出話の為だけに、こんな手の込んだ真似をしたわけではないだろう?」

「ああ。お前たちなら近衛隊を退け、イチキシマヒメを守り抜き、私の前まで来てくれると信じていた。私を裁いてくれ、藤森、紫。私は……あまりにも罪を犯しすぎた」

 

 結月はそう言って、二人の前に立つ。斬られるべきだと考え、懺悔の果てに裁きを望む結月に、紫はかぶりを振って否定する。

 

「私に貴女を裁く資格などない」

 

「なぜだ……? 私はかつて、結芽に泡沫の幸福という残酷な夢を与えた。少女達の純粋な気持ちも踏みにじった。全ては私の弱さ故だ、だから私はあの子達に代わって──」

 

「……すいません、発言よろしいですか」

 

 ずっと黙り込んでいた勇人がおもむろに演技ぶった動きで手を挙げる。紫たちの視線を受けながら、勇人は咳払いをしてから口を開く。

 

「結芽は貴女の行いを恨んでない。俺が御刀で病気を治しちゃったけど、もし仮に病気を誤魔化しながら戦っていて、どこかで死んでしまったとしても……きっと結芽は後悔はしないですよ。

 ──だって貴女は、もう一度立ち上がるチャンスを与えたに過ぎないんですから」

 

「……そうだろうか」

 

「全部終わったら結芽に聞けばいいでしょうよ。たぶん『考えすぎ』って笑われますよ」

 

 さほど似ていない声真似を聞いて、結月はふっと口角を緩める。そして、勇人の言葉を継いで紫が続けて彼女に思いの丈をぶつけた。

 

「20年……いや、それよりも前から、私は貴女に頼ってばかりだった。そして貴女はそんな私に応えてくれた。貴女の弱さもまた私が預けた弱さ。ならば裁かれるのも私であるべきです」

 

「──紫さま」

 

 ふと、紫に声を荒らげる勇人。

 その声を耳にして即座に扉を蹴破るようにして外へと躍り出ると、畑の小屋は、大量の蝶の荒魂に囲まれていた。

 

「これは……夜見の荒魂」

「いや、夜見は俺がノロを吸収してから一度も注射していない。数を出せて索敵に使えるから、タギツヒメが真似をしたんでしょう」

 

 ピッ、と朧月夜を振るい切っ先で蝶を数匹斬りながらノロを取り込む。

 その嫌な感覚からタギツヒメのノロだと判断すると、勇人は低い声で苛立たしげに言った。

 

「──やってくれたな」



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雷神

 蝶型荒魂の群れを抜けた勇人たちは、疲れが抜けていないその足で工場地帯に訪れた。

 

「まるで迷宮だな。行くも戻るも難しい、先の見えぬ我に相応しい。さりとてここにあるものは、いずれも人の営みに欠かせぬものばかり」

「お前、本当によく喋るな」

「愚痴を溢したくもなる。こういった場は、ただ無用の存在の我とは大いに違う」

「さいですか」

 

 勇人が呆れた表情でイチキシマヒメのぼやきに反応すると、先導して歩く紫が、おもむろに背後の彼女に質問を投げ掛ける。

 

「戯れに聞くが私との再度の融合は可能なのか」

「不可能だ。一度我ら3人が抜けた以上、最早そなたは器にすらなれない」

「じゃあ俺なら?」

「貴様は馬鹿か」

「キレそう。……あっ、そうだ紫さま、聞きたいことがあるんですけど」

「なんだ」

 

 淡々と話を進める三人。その内の勇人が、ふと紫に声を向ける。

 

「なんで俺を呼んだんです? イチキシマヒメの護衛なら可奈美とか結芽の方が向いてるでしょう、俺じゃあ力不足ですよ」

「……お前のことは護衛のためだけに呼んだわけではない。別の目的がある」

「目的とは?」

 

 おうむ返しする勇人に、今度は紫ではなく、イチキシマヒメがあっけらかんと答えた。

 

「そんなもの、我を貴様の御刀に取り込ませて無力化する為以外にあるまい」

「……あー、なるほど。タギツヒメの完全復活を遅らせるなら、俺の朧月夜は適役ですねぇ。──最初からこの時のために俺を保護して御刀を握らせたとか、そんな感じ?」

 

 紫は小首を傾げてすっとぼけたように問う勇人に、珍しく表情を歪めて否定する。

 

「いいや。元々はお前の育ての親……藤森さんとの借りがあって、その借りを返すために行き場のないお前を保護しようとしただけだ。

 私の中にナニカが居ると悟った藤森さんの指示と朱音の手引きでお前が御刀を握ってしまったのは、そのナニカ──タギツヒメにとっては誤算だったのか想定内だったのかは知らないが」

 

 一拍置いて紫は続ける。

 

「……あくまでこの案は最終手段だ。少なくとも、保護した以上は、お前のことを守るのは私の義務でもある。藤森の身に何が起きるかわからない手段をやれとは言えない」

「お、お母さん……」

「それはやめろ」

 

 はははは、と笑う勇人だったが、それから不意に黙り込む。歩きながら考えるそぶりを見せて、数拍置いてぽつりと呟いた。

 

「俺のことを保護していたのは、時期的に見ても紫さまというよりはタギツヒメと言える……もしかしてあいつ、俺のことを──」

「藤森ッ!」

「……また我を狙う者たちか」

 

 勇人を思考の海から引き上げる紫の声。多数の気配を感じ顔を上げると、そこには──タギツヒメの駒たる近衛隊(とじ)が立ち塞がっていた。

 

「あらまあ」

「……来たか」

「おっ?」

 

 呆れ気味に朧月夜を腰から抜こうとした勇人は、紫が視線を向けた先に顔を逸らす。

 視線の先にある木々を飛び越えて、巨大な影──否、巨大化したねねとその背に乗っていた可奈美たち六人が颯爽と現れていた。

 

「遅くなりました、紫様! 勇人さん!」

「可奈美……姫和たちまで」

「よく耐えたな勇人、ここは任せろ」

 

 S装備を身につけた可奈美と姫和、舞衣と沙耶香、薫とエレンの六人が、逆に近衛隊に立ち塞がるようにして降り立つ。

 

「ここは私たちが押さえます、紫様と勇人さんはイチキシマヒメを連れて離脱をっ!」

「ここはオレたちに任せて先に行け! ──よし、今度は言えた……我が生涯に悔いなし!」

「突っ込んでる暇がない……頼んだ!」

 

 背を向けて、可奈美と薫の声を最後に勇人は紫とイチキシマヒメを連れてその場から離脱する。背後で聞こえてくるねねの暴れる音を耳にしながら、がむしゃらに走っていた。

 

 

 

 

 

 ──形振り構っていられずイチキシマヒメを抱えていた勇人は、整備された石畳の上に彼女を下ろす。いつの間にか神社に訪れていたらしく、紫とイチキシマヒメは口を開いた。

 

「鹿島神宮……雷神にして武の神タケミカヅチを出身とする土地か」

「そして、鹿島新當流発祥の地と言われている。篝と結月と訪れたことがあった」

 

 汗を拭って息を整える勇人は、どことなくしゅんとしているような目付きのイチキシマヒメに、なんとなく心配そうな声を掛ける。

 

「どうかしたのか」

「篝に結月……お前たちが必要としてる人間達だな。我には……」

「──なぜ私が20年も大荒魂を宿しながら己を保つことができたと思う? お前が、イチキシマヒメがいてくれたからこそだ」

「我が……?」

 

 紫は二人の会話に割り込むと、そのままイチキシマヒメを見て続けた。

 

「タギツヒメの苛烈さとタキリヒメの合理性に苛まれた私は、日ごとに人間らしさを失いつつあった。けれどお前が……慎重で臆病で、自己否定的なイチキシマヒメが中にいてくれたからこそ、私は人の域に留まれたんだ」

「……果たして、『ネガティブさに助けられた』って褒め言葉なのかね」

「そう言うな。……とにかく、お前は不要な存在ではないよ。誰よりもこの私が、お前を──いや、お前たちを必要としている」

 

 勇人とイチキシマヒメを見て、紫は言い切る。むず痒さに頬を掻く勇人は、隣にぼうっと立つイチキシマヒメが考え込むように視線を下げているのを一瞥し、それから森の奥を見やる。

 

「もうよいか?」

「空気読もうぜ」

 

 神社の敷地内に現れたタギツヒメは、既に抜き身の御刀を二振り両手に握っていた。

 すらりと朧月夜を抜きながらイチキシマヒメを背中に追いやる勇人と、同じく御刀二振りを抜いた紫が、タギツヒメに相対する。

 

「イチキシマヒメ、我のものとなれ。さすれば我が貴様に意味を与えよう」

「っ──イチキシマヒメ! お前は今すぐこの場を離れろ!」

「可奈美と姫和に保護してもらえ! 俺たちが食い止める!」

 

 そう言って勇人は隣に立った紫に目配せする。力不足の勇人とタギツヒメが抜けて力の衰えてきた紫では、タギツヒメを倒すのは不可能だろう。故にこそ、この場で行うべきは、イチキシマヒメが逃げるまでの時間稼ぎだった。

 

 ──だが。

 

「死に損ない共が」

「づっ、ぅお」

「ぐっ」

 

 タキリヒメを取り込んだタギツヒメの猛攻は熾烈を極めた。勇人の御刀を弾き、体勢を整える前に紫の眼前へと迅移を行う。

 二刀流と二刀流がぶつかり合い、すさまじい速度で金属音が辺りに響くも、剣戟の激しさはタギツヒメが優勢となり圧し始める。

 

「それでもかつて我の──いや、最早……ただの壊れた器か」

「──ォオオッ!」

「貴様も、()()が限界か? 違うな、もっと『上』があるだろう」

「っるせぇッ!」

 

 御刀二振りを叩き付けるようにして紫を引き離すと、今度は再度肉薄してきた勇人を鍔迫り合いに持ち込む。何もかもを見通しているかのように瞳を妖しく輝かせると、勇人は苦々しく表情を歪めて瞬間的に八幡力を起動し下がらせた。

 

「……ああ、そうか。その力を使いすぎたら、どうなるか分からぬから怖いのか」

「──ああそうさ。人間を辞めるつもりで全力を投じればお前に深手を負わせるくらいは出来る、だが怖いからやらん」

「素直だな。死なない程度であれば当然のように怪我を負う人間が、力に手を付けるのは恐れるとは……不可思議だ」

 

 タギツヒメに飛び掛かるように斬りかかり、二刀流による連撃を捌く勇人。それに続こうとした紫は、立とうとして膝をつき、その身から写シが自然に剥がれる感覚を覚えた。

 

「くっ……体力が、もう……!」

「ほう、紫はもう戦えぬか」

「紫さま……!」

「そうら、守ってみせろ、藤森勇人!」

「なん──不味っ」

 

 勇人の写シを剥がすように切り伏せ木に蹴り飛ばし、そのまま右手の御刀を振りかぶると、タギツヒメは紫に向けてそれを投擲する。

 咄嗟に迅移だけは発動できた勇人はそのまま紫の前に滑り込み──御刀がぐさりと腹に突き刺さった。慣れたくもない激痛が駆け巡り、チカチカと視界で星が明滅する。

 

「藤森!」

「ぐ、おっ」

「……それが出来てなぜ力は引き出さんのだ。まあいい、二人纏めてあの世に送っ──」

 

 御刀を振り上げながら迫るタギツヒメは、最後まで言いきる前に龍眼を起動する。そして、振り上げた御刀を防御に使うべく構えた。

 

「──二人に、触れるな……ッ!!」

「……ほう。人のために御刀を抜くか」

 

 とどめの一撃を防御に使わせたイチキシマヒメは、勇人が腹から御刀を抜いて朧月夜で傷を直す様子をちらりと見て、言葉少なに伝えてからその場から逃げるように消える。

 

「二人とも、しばし待て!」

 

「……が、げほっ……なにか秘策でもあるのか? ……まあいい、紫さま、立てますか」

「お前こそ無茶をするな藤森」

 

 立ち上がり、紫を庇うようにして写シを張り直す勇人が御刀を構える。

 

「──ふん」

 

 それを見て、タギツヒメは、ただつまらなそうにため息をついた。

 

 

 

 

 

 ──近衛隊の相手を舞衣たちに任せ、可奈美に憧れる刀使──歩を本人に任せた姫和は、一人で勇人たちに加勢するべく走っていた。

 そんなとき、向かいから慌てた様子でやって来たイチキシマヒメに眉を潜める。

 

「貴様、イチキシマヒメ……」

「お前の力を貸して欲しい……いや、我の力をお前に託したいっ!」

 

 そう言ったイチキシマヒメに、姫和は苛立つように声を荒らげる。

 

「ふ……ふざけるなっ! 貴様も元はタギツヒメの一部! 母さんを苦しめた大荒魂と同じだろうがッ! それがどうして……!」

 

「それでも我は、自分をお前に託したいのだ十条姫和。我は折神紫を……藤森勇人を救いたい。このままでは、二人が死んでしまう」

 

「────」

 

 そう言われた姫和の瞳は動揺して揺れる。もはや選択の余地はなく、そして必死の表情を取るイチキシマヒメが本気であると知り、姫和の脳裏には、勇人の笑みが走馬灯のように浮かんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ──イチキシマヒメが離脱して数分、写シを張れない紫と十数回目の写シを張り直した体力が無くなる寸前の勇人を前に、タギツヒメは余裕綽々の顔で仁王立ちしていた。

 

「さて……そろそろ死ぬか」

「殺らせ、ねえ、よ」

「ふ、じもり……」

 

 ぜえ、ひゅう、と掠れた呼吸を繰り返す勇人がせめてもの盾にと前に立ち──そして、その眼前で刹那の隙間を縫うようにして蒼が弾けた。

 遅れてキィ──ンという甲高い金属音と、静電気が弾けるようなパリパリという音。

 タギツヒメをその場から下がらせるだけの速度と威力を以て割り込んできた存在が、紫を庇う勇人を更に守るようにして立ち塞がった。

 

 

「──ひ、姫和……?」

「────」

 

 最後にようやく視界が蒼色の正体を視認し、それが、写シとはまた違う──()()()()()を纏う十条姫和であると理解する。

 ()()──その二文字だけが、勇人の頭にかろうじて残された思考であった。



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雷神と神刀の覡

 勇人の眼前でタギツヒメから庇うように立つ姫和は、その体に蒼白い雷を纏っていた。

 

「器に満たされたか……イチキシマヒメよ」

「──姫和ちゃーん! 紫様! 勇人さん!」

「…………!」

 

 そのまま一戦交えようとしたタギツヒメだったが、横合いから聞こえてきた可奈美の声に反応すると、勇人に投げた御刀を回収して消える。

 鹿島神宮の敷地に入ってきた可奈美は、朧月夜の力で腹の傷を癒す勇人とその近くに立つ姫和を見ると駆け寄ってきて口を開いた。

 

「何があったの、イチキシマヒメは……? 彼女はどこ? ねぇ姫和ちゃん、勇人さん──」

「藤森!」

「っ……!」

 

 後から追い付いたせいで状況を理解していない可奈美を、紫の声と共に勇人が抱えるようにしてその場から離れた。姫和から突き放すような動きに焦る可奈美へと、紫は端的に説明する。

 

「勇人さん!? ど、どういうこと……」

「今の姫和は危うい、迂闊に近づくな」

「衛藤、そこにいるのは十条姫和であり、同時にイチキシマヒメでもある。──大荒魂と同化したのだ、以前の私と同じように」

「どうして……?」

「イチキシマヒメの判断だろうな。あいつはタギツヒメじゃなくて姫和との同化を望んで、そして姫和はタギツヒメを退ける力を得た訳だ」

 

 可奈美を下ろしながらそう言って締めくくった勇人は、痛みが残った腹を押さえていた。

 

「……姫和ちゃん、詳しい事は後で聞くよ。だからみんなの所へ帰ろう?」

「──来るなッ!!」

 

 姫和へと手を伸ばし、優しく伝える可奈美。しかし帰ってきたのは、拒絶の声と共に振り抜かれ小烏丸だった。雷光が石畳を焼き、文字通り線引きするようにライン描く。

 

「……姫和」

「来ないでくれ……今も一瞬ごとに、可奈美や勇人と……何度も何度も打ち合い、切り刻んでいる光景が見えている……っ」

「龍眼による未来視だ。お前の中のイチキシマヒメが、可能性の未来を予測し見せている」

「ぐ、くっ────」

「姫和ちゃん!」

 

 蒼色に染まった龍眼(ひだりめ)を押さえ、呻くようにして後ずさる姫和は、雷と化してその場から消える。残された二人に、紫はそのまま続けて言う。

 

「追うな衛藤、藤森。お前たちは戻って、この事を紗南に報告しろ」

「でも姫和ちゃんが……っ」

「私が追う。お前たちが行った所で何もできない。今十条が必要としてるのは、荒魂の制御の仕方だ。私ならそれを教える事ができる。藤森、衛藤を連れて行け。いいな?」

「…………わかりましたよ」

「勇人さん……」

 

 心配そうに見上げる可奈美の肩に手を置いて、疲れきった様子で勇人は首を振る。

 放っておけば今にも倒れそうな勇人こそが、自分よりもずっと姫和を追いたい気持ちがあるだろうと察しているからこそ、可奈美は紫の言葉に従うしかなかった。

 

 

 

 

 

 ──海の見える平坦に均された土地に基地を設置した長船学長・真庭紗南は、情報をまとめてから可奈美や舞衣たちに急速を命じた。

 

「……お前たちは少し休め」

「私は平気です! 姫和ちゃんの捜索に加えてください!」

「駄目だ。休息を取って万全を保っておけ」

「ボス戦の前には回復しとくものだぞー。勇人を見ろ、あのだらけっぷりを」

「これはな、休んでるって言うんだ」

「お、おう……」

 

 並べたパイプ椅子の上で横になりながら濡れタオルで目元を冷やす勇人を指差す薫に、本人がそう言って返す。

 何日も徹夜したようなそのぐったりとした表情に既視感を覚え、薫は口をつぐんだ。

 

「少し、休暇だ。少し休んだら、姫和を探す」

「勇人……大丈夫なのか?」

 

 可奈美たちと協力している元親衛隊四人のうち、真希が代表で口を開く。

 勇人もまた、一拍置いて目元のタオルをずらして横目で真希を見ると返した。

 

「沖縄で一悶着起きた時に、すごい回数の写シを使える子が居ただろ? アレの真似はすげぇキツいってことがわかったよ」

「そ、そうか」

 

 

 

 ──それから数時間が経過し、仮眠を終えた頃、外で全員と集合した勇人は、どこかふっ切れたような表情の可奈美を見つけた。

 

「勇人さん、姫和ちゃんを絶対に連れて帰ろう」

「おう。……うーん?」

「可奈美ちゃんって前からそうなんです。寝て起きると、すごく元気になってる」

「へぇ、夢の中でも剣を振ってるのかもね」

 

 おおよそ()()()()()()()指摘をした勇人は、ふと聞こえてきた足音の方に顔を向ける。

 

「お────い……!」

「あ、累さん。生きてたんすね」

「マジ疲れた……あと殺すなお馬鹿……あのあと捕まってて、やっと釈放されたんだから」

「……大変でしたね」

 

 自分と可奈美と姫和に協力して家を破壊され、今度は紫とイチキシマヒメと共に居たせいで捕まり、釈放されてからもこの扱いとは──と、勇人は内心で同情した。

 

「あれ、姫和ちゃんは?」

「……あー、まあ、色々ありまして」

 

 勇人から手短に姫和の事とイチキシマヒメの決断を聞いて、累は頷いてから答える。

 

「そっか。私、イチキシマヒメとは結構気が合ったんだよね~……できれば無事に保護されてほしかったけど、そう決断したのかぁ」

「イチキシマヒメは、紫様を守ろうとして姫和ちゃんと一つになったんです」

「ああ、消えたわけじゃない。姫和と二人まとめて連れ戻しますから」

 

 可奈美と勇人にそう言われて、累は表情を緩めた。その後、サポートとして新型のスペクトラムファインダーを全員に支給すると、刀使組は数人ごとに区切って反応のある山へと向かう。

 

 舞衣を戦闘に山を歩く可奈美と勇人は、周囲を警戒しながら会話を交わした。

 

「──そんで、偶然知り合った綾小路の刀使の妹さんが病気だって知って、俺はついつい、御刀の力で病気を治してしまったわけだ」

「そうなんだ……でもきっと、その人も妹さんも感謝してるよっ」

「かもねえ。綾小路の刀使は殆どがタギツヒメの部下として洗脳されてるし、あの子も無事だといいんだけど。何て言ったっけな……」

 

 やま……山……? と呟く勇人は、舞衣がハンドサインで停止を指示されて可奈美と一緒に足を止める。視覚情報を補佐する刀使の能力・明眼を用いて遠くに視線を動かした舞衣は、山の一角で蒼白い雷光が迸る光景を視認した。

 

「──見つけた!」

「────ッ、先に行く!」

「勇人さん!? 待って!」

 

 がたりと震えた朧月夜の柄に手を添えて、勇人は即座に迅移を発動して山を縫うように駆けて行く。その胸に、一抹の不安を抱えてながら。

 

 

 

 

 

 ──山奥に入っていった勇人が見たのは、より禍々しさの増した気配を放つ雷神(ひより)の姿。

 

「……紫さま、何が……」

「──十条がタギツヒメを打ち倒した。そして全てをその身で受け止め、禍神となった」

「……勇、人」

 

 爛々と輝く瞳が勇人を射抜く。その背後で、紫が両手で二振りの御刀を抜きながら続けた。

 

「自我を保てるか、十条? お前がそれを抑え込めればこれで終わりだ。できそうにないなら、私と共に幽世の果てに行こう」

 

「紫さま、待って──」

 

「それもいいな……成程、全てを終わらせるとはそういう事か。あなたと私は裏と表、以前とはまるで逆の立場じゃないか。今度はあなたがその命を捨てて私ごと幽世に落ちようと言うのか」

 

「姫和っ、待て」

 

 ざり、と地面を踏みしめて近づく勇人に、姫和は鋭い眼光を向ける。近づけば斬ると暗に伝えるその目付きに勇人は一瞬たじろぐ。

 

「──いいか、お前がそれを抑え込めるならそれでいい。それが簡単でないことはよく知ってるからな。私には20年しか抑えられなかったが、お前ならあるいは……」

「この状態を20年……私には無理そうだ」

 

 じっとりと冷や汗を垂らして姫和は呟く。今にも決壊しそうななかでなんとか意識を保つのがやっとの彼女に、勇人は更に一歩踏み込む。

 

「姫和!」

「勇人……頼む、近づくな……」

「イチキシマヒメと一体化したなら俺が紫さまと居た理由も分かるだろ? 一人で受け止めるのがキツいなら、俺が半分背負ってやるから」

「私でも無理なら、お前でも無理だ」

「かもな。でも、俺なら御刀の能力をフルに使えばお前と同じように五段階の迅移で隠世の彼方に行くだけの力を使うことができる」

 

 姫和の目を真っ直ぐ見て勇人は言う。姫和もまた勇人を見上げて一瞬嬉しそうに緩めるが、その表情を苦々しく歪める。

 

「今にも決壊しそうなんだ。これが外に溢れ出たら20年前の……いや、それ以上の災いが起きる。それだけは確かだ」

 

「そうか。──そうか」

 

 噛み締めるようにそう言って、まぶたを閉じる。そして、ガタガタと怒りを見せるかのように震える朧月夜の柄に指を添えて。

 

「──なら、お前からノロを奪う」

「……なんだと?」

「俺が禍神(おまえ)に勝ってノロを奪って一人で隠世の彼方に行って紫さまに封じて貰う。簡単な話だ」

「────」

 

 指から手のひらに移し、ぐっと柄を握り、片方の親指で鯉口を切ると、音もなくすらりと引き抜いて切っ先を姫和に向ける。

 腰に装着する帯刀用装備ごと鞘を地面に捨てると、勇人は御刀に取り込ませたノロを燃料に、力を燃やして体を作り替えた。

 

 禍神に勝てる(ひよりをすくえる)だけの力を。体の中で負荷と治療が高速で行われている感覚を無視して、その意志だけを胸に姫和を見る。

 

「勇人、加減はできない。殺してしまうかもしれない。それでもやるんだな」

 

 パリパリと雷を纏い、禍神(ひより)は小烏丸に電気を走らせながら言う。

 

「やるさ。これから先、お前が居ない世界を生きるよりはずっとマシだ」

 

 ()()()()()()に、勇人は朧月夜を構える。

 

「──どうしてそこまで、私の世話を焼くんだ」

「なんでだろうな。まあ、簡単に言うなら……」

 

 ぐっ、と両足に力を入れ、互いに御刀を向けながら会話を交わす二人。

 勇人は姫和の顔を見ながら、ただ一言、あっけらかんとした言葉を口にして笑う。

 

 

 

 

 

「────姫和のことが好きだから」

 

 刹那、朧月夜に雷光が衝突した。



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朧月夜と雷神の剣

「…………これ、人間同士の戦いなんだよな?」

 

 現場に到着した可奈美たちのうち、薫が肩にねねを乗せながら上空を見上げながら呟いた。

 木々を縫うように蒼白い雷と白い光が移動し、衝突しては、おおよそ御刀を打ち合っているとは思えない轟音と衝撃が辺りに響き渡る。

 

 単なる動体視力では追えない速度を維持している勇人の動きに、舞衣が疑問を漏らす。

 

「ずっと迅移を使っている……?」

「沙耶香ちゃんの無念無想みたいな?」

「違う」

 

 可奈美が続けて言うが、当の本人である沙耶香は抑揚の無い声で返した。

 

「私の無念無想は持続的に迅移を使う技術。アレは多分、最初の迅移が終わった瞬間に次の迅移を途切れないように発動している」

「文字通り、人間業じゃないデスね……」

 

 沙耶香の解説に、エレンが苦笑をこぼした。──と、そこで、ようやく戦況が動く。

 

「──ガッ、ぁっ……!!」

 

 空中で発生した()()()()()が、4段階迅移を起動し高速移動していた勇人の姿を捉え、その体を地面に叩き落とす。

 ゴロゴロと落ち葉を巻き込んで転がる勇人は、体のあちこちに電気を帯電させて膝をつく。その場の全員は──荒い呼吸を繰り返す勇人が写シを張っていない事に気づいた。

 

「ばっ……お前なんで写シ張ってねえんだよ!」

「……ぐっ……づ、限界まで思考速度を加速させてるが……雷の速度に間に合わせる迅移と、禍神の力と打ち合える八幡力を適宜起動し続けながらだと、写シを張り直す方にまで意識を割けないんだよ……それに、この方が気合いが入る……!」

 

 薫の問いに言葉を返して、ぺっと血の混じった唾を地面に吐き、立ち上がりながら御刀を握り直す。眼前にふわりと降り立つ姫和は、写シの体に幾つかの切り傷を作っていた。

 

「──どさくさ紛れに、私の中からタギツヒメのノロを微量だけ奪っているな」

「……あ、バレた? 朧月夜の力はノロが燃料だからな。打ち合いながら相手からノロを奪い続ければ、俺は延々と戦える」

「ならば、さっさと背骨でも断つか。お前ならそれでも死にはしないだろう」

 

 ゆらりと幽鬼のように体を揺らし、姫和は即座に加速。反射的に朧月夜を盾にした勇人をそのまま後ろへと押し込み、背後の大木に弾く。

 木を足場にバックステップして姫和を釣ると、勇人は追ってきた彼女の小烏丸を朧月夜で弾いて足に力を入れ、迅移と八幡力の併用で瞬間的に凄まじい速度を得る。

 

 写シという名の残機を捨てて雷に追い付ける速さを獲得した勇人に追従する姫和が、蒼白い光の尾を残して接近すると、小烏丸に意識を向けて勢いよく振り抜かんとするように構えた。

 

「──? っ、マズッ」

 

 ──刹那、小烏丸を振るった軌道に沿って現れた複数の電気の塊が矢のように勇人に迫る。

 ほぼ脊髄反射で咄嗟に朧月夜を手放すと、電気の矢は全てが避雷針のように朧月夜に引き寄せられてバチリとスパークした。

 

「タケミカヅチの雷……隠世のどの階層から引き出してる力なんだよそれっ……!」

 

 自分から離れた位置で、自分と同じように落下を始めた朧月夜に手をかざして、勇人は手元に呼び戻す。不自然な動きで軌道を変えて勇人の手にすっ飛んできた朧月夜だったが──

 

「────墜ちろ」

 

 上から覆い被さるように降ってきた姫和が、再度落雷を発生させて勇人を地面に墜落させた。

 

「…………ぐ……ぉ……」

 

 途中で木々に体をバウンドさせて嫌な音を響かせながら落ちてきた勇人は、頭を打ったのかぐにゃりと視界が揺れる感覚に吐き気を覚える。

 先程はゆっくりと降りてきた姫和だったが、今度はダンッと力強く降りる。

 

 彼女はかぶりを振って立とうとする勇人を前にして、おもむろに車の構えを取り、地面を電気の高温で僅かに溶かしながら──勇人とすれ違いながらに小烏丸を振り抜いた。

 

「……俺じゃあ、無理……か」

「────くそっ……!」

 

 バツンと、まるで包丁で魚の骨を砕いた時と同じような感触が姫和の手に伝わる。

 いまにも決壊しそうなノロを抑え込みながらの戦いで、手加減出来なかったとはいえ。勇人にこの結末を迎える覚悟があったとはいえ。

 

 自分の事を好きだと言った相手を切り伏せた事実に、姫和は誰に見せるでもなく強くまぶたを閉じて激情を露にした。

 しかし、これでようやく、自分ごとタギツヒメを隠世の彼方に消えることができる。

 

「────」

 

 ──そう考えていた姫和の体が、地面に倒れ血を垂れ流す勇人の背後でドクンと跳ねた。

 そして姫和の背中から、さながら羽化のように、タギツヒメがずるりと現れた。

 

「──な、んだ、と……っ!?」

「謀っていたのは貴様らだけではない」

 

 そう言って、タギツヒメは、自分に姫和がしたのと同じように──彼女に大典太と鬼丸を突き刺して、ノロに変換して取り込んだ。

 

 一瞬の出来事に、その場の全員が絶句する。しかしその中で、一人だけ、勇人だけが、宣言通りに背骨を断たれながらも無理矢理膝に力を入れて立ち上がろうとしていた。

 

「テ、メ、ェ」

「ふん、()()を真っ二つにされてなお立ち上がるか。いい加減、死ぬぞ」

「うるせ────ぁ、ぇ?」

 

 ()()()()()()()()()()()()────朧月夜から力を引き出しながらそこまで考えて、ぶつ……っと。勇人の中で危険信号が途切れる。

 

「……ではな。次に眼が覚めたとき、世界は終わりを迎えているだろう」

 

 哀れなモノを見るかのように、まぶたを細めて、タギツヒメは多量の血を吐きながら血の海に倒れた勇人を一瞥して姿を消した。



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神刀の復活と贖罪の刀使

 とあるビルの屋上で、タギツヒメが天に伸ばした光が、()()と繋がる。

 髪のような部分と光を接続しているタギツヒメは、満足気にポツリと呟いた。

 

「──繋がった、ヒルコミタマに」

 

 そう言って天を見上げるタギツヒメに、背後で強化刀使を並べて待機していた女性──高津雪那が淡々とした口調で彼女を称賛する。

 

「お祝い申し上げます。二神を取り込み、隠世にある本体との繋がりを得られた今──姫が現世に覇を唱えるは最早必定」

「……ふ、心にもないことを」

「────」

 

 ぴくりと頬が痙攣する雪那に、タギツヒメは背後に視線を向けて続けた。

 

「貴様はもう、誰への関心も忠誠も無いのだろう? 紫の体を使っていた頃からのよしみで拾ってみたが……反逆する牙すら無いとはな」

「それを理解していながら、なぜ……」

 

 視線を前に戻して、タギツヒメは言う。

 

「政治やらには使える立ち位置だったから、とだけ言っておこう。──ゆえに、さっさと去ね。ここからは、荒魂の領分だ」

「………………そうですか」

 

 雪那は自身への興味を完全に失ったタギツヒメを前に、小さく会釈して、刀使たちを置いてその場から離れて屋上をあとにした。

 

 

 

「──最後の仕事は、しておくか」

 

 階段を降りながら独りごちる雪那は、懐から取り出した端末でメールを送る。

 

「……(やつ)れたな」

 

 途中、壁の金属に反射した自分の顔を見て、自虐するようにそう言った。

 

 

 

 

 

 ──時間が経ち、空にはヒビ割れたように光が広がる。誰に言われるでもなく、世間では、SNSでは、人々の間では、『世界の終わり』というフレーズが流れていた。

 

「────ぅ、あ」

「……ん?」

 

 ()()()()()で意識が覚醒した勇人は、天井の明るさに目が眩んで呻き声を上げた。

 

「…………ひ、ょ……り」

「およ、勇人さーん? 起きましたか?」

「……だ…………れ」

 

 ひょこりと顔を覗かせて、勇人を見下ろす少女が朗らかな口調で笑い掛ける。

 ボサッとした髪を乱雑にポニーテールに纏めた、()()()の制服を着た少女。

 

「あたしをお忘れですか? あたしは貴方のご恩は忘れていませんよ」

「…………水、くれ」

「あ、はーい」

 

 パタパタとスリッパを鳴らして離れると、少女は少しして紙コップに水を入れて戻ってくる。ベッドをリモコンで起こして勇人を座らせると、紙コップを渡して傍らのパイプ椅子に座った。

 

「なんで君がここに居るんだ──由依(ゆい)ちゃん」

「いやぁ、ちょっと前まで妹の快復祝いで旅行に行ってたんですよぉ。戻ってきたら綾小路(うち)の刀使はタギツヒメ? とかいう可愛こちゃんに洗脳? されてるとかで居なくなってるしで、もうなにがなにやらさっぱりです」

 

 身振り手振りで説明をする少女──山城由依に、勇人は呆れ気味に返す。

 

「…………ああ、そう。未久(みく)ちゃんは元気?」

「はいっ! ……それはもう、勇人さんと変な御刀お陰で、ついこの間まで入院してたとは思えないくらい元気いっぱいですよ」

「ならよかった」

 

 ──由依と勇人は、数ヶ月前の折神紫(タギツヒメ)との戦いのあとに出会ったことがあった。

 入院生活をしている妹の治療費のために戦っている由依とくだんの妹のためにと、彼は御刀の力を使って、燕結芽の時のように、病気を消してしまっていたのである。

 

「相楽学長は居ないし外の世界はあんなんだし、おまけに防衛任務で病院に来たら勇人さんは看護師さんいわく『部屋が足りてない』らしくて子供用の病室に転がされてますし」

「だから壁がファンシーな色合いなのか……」

 

 周りを見て自分の居る場所を察した勇人は、ふと()()()()()()()ことに違和感を覚えた。

 

「……なんで俺は生きてるんだ」

「いったい何があったんですか?」

「色々あって背骨を真っ二つにされた」

「──なんで生きてるんですか?」

「まあ……俺の御刀のせいだろうな」

 

 その言葉に反応するかのように、由依の大太刀と同じく壁に立て掛けられていた勇人の朧月夜が、独りでにガタンと床に倒れた。

 勇人が手をかざすと吸い付くような動きで手のひらに収まった朧月夜を見て、由依は困惑するように小首を傾げている。

 

「あー……今まさに世界が終わりそうなんだ、御刀だって独りでに動くさ」

「ナルホド」

 

 暗に『聞くな』と言われていると理解して、由依は追求しようとした口を閉じた。

 

「……なんでも、勇人さんの御刀は搬送されたときからずっと手元から離れなくて、傷の方も気づいたら塞がってたとかなんとか」

「そうか。まだ俺にやるべき事があるって言いたいのかい、お嬢さんよ

「はい?」

「気にするな」

 

 そうですかぁ、と言って左腕に巻かれたハンカチを落ちないように縛り直す由依だが、おもむろに思い出したような声を出して続ける。

 

「そういえば、私がここに来たのはさっきなんですけど、その前まで勇人さんを見てた人が居たんですよ。その人も刀使みたいでした」

「……どんなやつ?」

「こう……髪が()()()みたいな白と黒の、すっごい綺麗なお姉さんです」

「──夜見か」

「それで、あたしに『勇人くんが起きたら、助けないといけない人が居る』と伝えてくださいって言われてたんでした」

 

 いやあウッカリウッカリ、と髪を掻く由依に、勇人は逡巡するようにまぶたを閉じて。

 

「──由依ちゃん、俺の服ある?」

「確か、タンスに念のためにって看護師さんがワイシャツとスラックスを入れてましたよ」

「そうか」

「そうかってうわっちょちょちょっ!!?」

 

 勇人がベッドから降りて、タンスから服を出すと、そのまま病依を脱ぎ捨てる。

 反射的に顔を逸らした由依の前で着替えた勇人は、鞘に装着されたままの帯刀用装備を腰に回して固定すると由依に振り返った。

 

「俺もそろそろ行かないとな」

うわー腹筋見えちゃった……んぇ? えーっと、いったいどこに?」

「そりゃあ……」

 

 ちら、と窓の外を見てから、勇人は由依の問いにあっけらかんと答える。

 

「助けないといけない人が居るからな。あと、ついでに世界を救ってくる」

「──ですねっ! あたしもこの病院を、荒魂とタギツヒメから守らないと」

「しかしタギツヒメはどこに──ん?」

 

 由依の決意を前にそもそもの疑問が浮かんだ勇人だったが、仕舞われていた端末を起動すると、メールが一件届いていることに気がつく。

 そのメールを開くと、そこには──『屋上に行け』とだけ書かれたメッセージの下に、とあるビルの住所が羅列されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ──そこは、タギツヒメが居る所とは離れた位置にあるビルの一室。暗い室内で高津雪那は、扉を破壊して入り込む数匹の荒魂を前にして、諦めたように椅子に座っていた。

 

「……年貢の納め時、か」

 

 近づいてくる荒魂を見ながら、終には誰からも見放された自身の末路が()()かと思案する。

 

「──何がしたかったのだろうな、私は」

「──何がしたかったのですか、貴女は」

 

 不意に聞こえてきた、無機質ながらに怒気の籠ったような声色。その声に聞き覚えのあった雪那は、眼前の荒魂の背後から、それらを切り捨てながら近づいてくる人物を見て驚愕する。

 

「……夜見」

「ご無事ですか、高津学長」

 

 元折神紫親衛隊としての制服のあちこちは破け、腕や足、頭からは血が垂れている。

 ()()()()()()()()()ほどの連戦があったのだろうと察せる出で立ちに、雪那は目を逸らしながら言葉を返した。

 

「……ふん。沙耶香を手放し、紫様がタギツヒメだと見抜けず、そのタギツヒメからも牙すら無いと言われた私を助けて、お前に何かメリットでもあったのか?」

「…………本当に、しなびてますね」

「言うに事欠いてそれか貴様……」

 

 自身の御刀──水神切兼光を杖のように床について膝を突く夜見は、息を荒らげながらも、雪那を見上げて言葉を紡ぐ。

 

「……貴女に、ノロという力を与えられたことが、例え……実験の一環だったのだとしても……私にとってはこれ以上無い救いでした」

「────」

「貴女が私を見てくれないとしても、それでも貴女の力になりたかった。自分を傷つける戦い方の果てに、勇人くんにノロを奪われたとしても、力が前ほど無いとしても──」

 

 痛みと出血でぼうっとしてきた思考を振り絞り、夜見は雪那に言った。

 

「──ありがとうございました。貴女のお陰で、今の私があるんです」

「…………夜見」

「……では、戻りましょう……ここも時期に、荒魂の群れがやってきます」

 

 立ち上がろうとする夜見を、雪那は肩を掴んで静止する。ベッドに目線をやると──

 

「先ずは手当てだ、ベッドに座れ」

 

 そう言って、憑き物が晴れたような表情を夜見に見せて口角を緩めた。

 

 

 

 ──水神切兼光でベッドのシーツを裂き、簡易的な包帯を作り手足と頭を縛る雪那に、夜見は感心したように質問を投げ掛けた。

 

「……手慣れていますね」

「20年前の戦いでは物資が足りなくてな、こうして民家の布団のシーツで包帯を作ったり、カーテンと物干し竿で担架を作ったものだ」

 

 昔を懐かしむような声色に、夜見は不思議と心地よさを覚えて目尻を緩める。

 

「──私は、どうしようもなく馬鹿だな。ここまでされて、ようやく気付くとは」

「……高津学長なら、やり直せます。贖罪の意思があるのなら、私も……お手伝いします」

「物好きなやつめ」

 

 ──はい、物好きなんです。そんな夜見の言葉に、雪那は小さく笑っていた。



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奪還と決戦準備

 ──ビルの屋上で、三人の刀使がタギツヒメに立ち向かっていた。

 

 衛藤可奈美、折神紫、そして二人に合流して参戦した燕結芽だったが、最後の写シを剥がされた紫は屋上の床に倒れ、結芽もまたその隣まで写シを剥がされながら弾かれる。

 

「ぐっ……もう、写シが……っ」

「むーっ、刃が届かないよー」

「すまぬな。羽虫をあしらうのは、どうにも力加減が難しいのだ」

 

 ちらりと二人を一瞥するタギツヒメは、横合いから斬りかかる可奈美の猛攻を防いで言う。

 

「一度は我を殺して見せた貴様の技は、そんなものか?」

「づっ……姫和ちゃんを、返せ!」

「愚か」

 

 あっさりと可奈美を斬り捨てて写シを解除させるタギツヒメだが、可奈美は即座に次を張り直すと、尚もタギツヒメに御刀を振るう。

 

「返せ、返せっ……返せ──!」

「おねーさん、凄い集中力……」

「──十条姫和を想うが故か」

 

 先程とは打って変わって、逆にタギツヒメを押し始める可奈美。徐々にタギツヒメに足を引かせて行く可奈美だったが──ふと、その背後の奥から、何かが()()()()()のを視認する。

 

「────ん?」

「…………え?」

 

 片手で鍔迫り合いをしながら振り返ったタギツヒメが可奈美の視線を辿ると────

 

 

 

ぉぉぉぉぉぉおおおらァッ!!」

 

 ──藤森勇人が、着地と同時にタギツヒメの片腕を切り落とした。

『龍眼の未来視は、その場に居ない人間を含めた演算は出来ない』という弱点を突かれた形ではあるが──果たして誰が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()などと予測できようか。

 

「──貴様……!」

「うぇっ!? 勇人さん!?」

「可奈美、斬れ!」

 

 矢継ぎ早にそう急かす勇人に言われて、咄嗟に可奈美はタギツヒメへと御刀を向ける。

 鍔迫り合いしていた方の手で切り返そうとしたタギツヒメだが、その一撃は迅移で回り込んだ勇人の朧月夜で防がれた。

 

「帰って来て! 私たちはここにいるから! ──姫和ちゃん!」

「ぐっ──」

 

 返す刀を振りかぶった可奈美の千鳥が、タギツヒメの胸を斬る。その傷の奥でなにかが蠢くと──ぬるりと胸元から両刃の御刀が伸び、続けて姫和の体が排斥された。

 

「──はあぁーっ!」

「えっちょっ……うわぁはぁ」

 

 そのまま姫和は勇人に飛びかかる形で落ち、受け止めた勇人は尻餅をつく。

 

「……お前たちの声はよく響く」

「姫和ちゃんっ!」

「姫和……」

 

「ふん、感動の再会だな。さぞ嬉しいだろうが、これで終いだ──「させん……!」

 

 ノロを伸ばして落とされた腕を拾い、接続し直したタギツヒメは、目尻を細めながらそう言って両手の御刀を構える。しかし、それよりも先に、紫が自身の御刀で床を切り裂いた。

 

「うおっ……可奈美、掴まれ!」

「結芽、来い!」

 

 足元が崩れた直後、勇人は片腕で姫和を抱いたまま片手で可奈美の首根っこを掴む。落下が始まり、投げ出されたその体が文字通りの浮遊感を覚え、それからぼふんと何かに着地する。

 

「なん……うおっ、ねね!?」

『ねねー』

 

 それは、巨大化したねねの体だった。勇人たちの近くに結芽を小脇に抱えて着地した紫が勇人を見て、小さくため息をつく。

 

「なんですか」

「……いや、緊急事態だ。あとにしよう」

「はあ……」

 

 とん、と下の階に着地したねねから降りると、その場にはいつものメンバーである舞衣と沙耶香、そしてエレンと薫が揃っていた。

 

「よかった……間に合ったみたい」

「無事だったんデスねひよよん! ……って、なんでユートがここに!?」

「隣のビルからこう、ジャンプして」

「え~、そんなこと出来るの?」

 

 舞衣とエレンがそう言うと、エレンの問いに勇人が説明に困るように小首を傾げて返す。

 勇人の言葉を聞いて、おもむろに結芽が紫を見上げてそんな質問をした。

 

「……八幡力と迅移の併用で、瞬間的だが凄まじい跳躍力を得ることは出来る」

「へぇ、楽しそーっ」

「遊ぶなら全部終わってから、な?」

「はーい」

 

 窘めるようにそっと頭に手を置いた勇人にされるがままの結芽は、他のみんなの会話をぼうっと眺めている。空いた穴から屋上を見上げる可奈美に、姫和が言葉を返した。

 

「タギツヒメ、追ってこないね」

「タキリヒメとイチキシマヒメを取り込んだ以上、私を追う理由は無いからな」

 

「──おい可奈美、ちょっと休憩すっぞ」

 

 姫和の返しを聞いた可奈美は、ふと薫に声をかけられそちらに向かう。すると向かった先で、今度は姫和が声をかけられた。

 

「エターナル、受け取れ」

「む……?」

()()に反応したら駄目じゃない?」

 

 苦笑をこぼす勇人の横で、姫和は受け取った物の正体を確かめると、それはお菓子だった。

 

「これは……チョコミント味!?」

「薫ちゃん、もしかして姫和ちゃんのために?」

「いんや、そこから失敬した」

 

 つい、と指差した方を見ると、そこには複数の菓子類と貯金箱があった。それに顔を近づけて中身を見ていた勇人が口を開く。

 

「置き菓子? 無人販売所みたいな感じか」

 

「失敬した……って、それは、うーん」

「緊急事態だ、多目に見てもらえるだろ」

「泥棒はよくない」

「いい子ちゃんがよ……」

 

 可奈美と沙耶香にそう言われ、薫は渋い顔で舌を打つ。その様子を見ていた勇人がちらりと紫を見ると、彼女はため息をつきながら近くのメモ用紙とペンを拝借した。

 

「……ちょっと待っていろ」

 

 さらさらと何かを書いて、それを貯金箱に貼る。『請求は後日、折神紫まで』と書かれたそれに目を向けて、勇人たちは小さく笑った。

 

 

 

 

 

 ──お菓子での糖分補給をしつつ、チョコミント味の菓子類を紫に食わせている姫和を横目に、通話を繋いでいた端末から、真庭本部長たちの声が聞こえてきていた。

 

「──空が落ちてきてる……」

『ああ、こちらでも確認している。アレは15分ほど前から降下が始まった。23区に展開中の特別祭祀機動隊を含む全警察官及び自衛隊には、退避命令が出された所だ』

 

 沙耶香の呟きに続ける真庭紗南に、可奈美が更に言葉を投げ返す。

 

「アレが落ちてきたらどうなるんですか?」

『さぁな』

「さぁなてアンタな……」

 

 薫が呆れたようにおうむ返しすると、別の端末と繋いでいたエレンの祖父──フリードマンが会話に混ざって弁明した。

 

『彼女らをそう責めないでくれないか。君達には申し訳ないが本当に何もわからないんだ。

 何せレーダーを始め、あらゆる周波数の電波や音波、どのような手段を用いても、あれの向こうがどうなっているかなんてのはまったく観測できないんだからね』

 

「と言っても、ほぼ答えみたいなもんでしょ。ありゃどうみても隠世との境界だ」

 

『その通り。──そして彼我の境界は既に曖昧でノロが染み出している。けどそれは副次的なものに過ぎない。タギツヒメの目的は、隠世を現世にぶつけ境界を取り払うことにあるんだから』

 

 フリードマンはそう言うと、一拍置いて勇人たち全員に聞こえるように続けた。

 

『隠世というのは、可能性の数だけ存在している、数多の現世の影を全て集めたものなんだ。そして()()をこちらの現世にぶつけるという行為は、砂山に津波をぶつけるようなものだ』

 

「…………跡形もなく消え去る、と」

 

『正解。そうなったら現世は隠世に呑まれ、物理法則が通用しない時間も空間も不確かな混沌が訪れる。まさに、この世の終わりだ』

 

 簡単に言ってのけるが、その実そんな世界の終わりは目前に近づいている。

 だからこそ、あっけらかんとした態度で、薫が結論を口に出していた。

 

「そんじゃ、アイツを斬るだけだな」

「わー、わかりやすーい」

 

 ギラリと口角を歪めて、結芽が意見に同調するようにして獰猛に笑う。

 

『──お前達に撤退命令は出さん! 命じるのは、タギツヒメの討伐のみ! 全力をもって……あの凶神を討ってこい!』

 

「…………みんな~……バッテリー……持って、きたよ……ぉう」

 

 そうして、指揮官を担当している相楽結月が締め括ると、不意に勇人たちの階の扉に何者かがへばりついた。見慣れた人物──恩田累が、大きな荷物を背負って上がってきていたのだ。

 

「累さん!? なん、いやここ48階……」

「バッテリーなんか撃ち込んでこいよ……」

 

 驚愕する勇人と呆れ気味の薫がそう言うが、累は疲れきった顔でも満足そうに頭を振る。

 

「そうなんだけどね……座標とか計算するくらいなら、結局これが一番早いと思ったから」

 

 荷物から、紫と結芽、勇人、姫和以外が装着していたS装備のバッテリーを取り出して接続し、それから役目を終えた累は少ししてから踵を返して外へと下りていった。

 

 

 

 ──休息と準備も終え、遂に決着をつけるべく、可奈美たちは階段を上がって行く。

 

「…………む……」

「…………うーん」

 

「──あれ、おにーさん、喧嘩でもしたの?」

 

「違う……んだけどねぇ」

「……別に、喧嘩はしていない」

 

 最後に紫と結芽の後ろを歩いていた勇人と姫和は、顔を合わせては気まずそうに視線を逸らす。その違和感を指摘された二人は否定するが、訝しむ結芽は紫に顔を向けてもう一度問う。

 

「紫様~、なにか知ってる?」

「…………」

 

 結芽に聞かれて、紫はちらりと二人を見る。結芽の後ろで『なにも言うな』と言わんばかりに首を横に振る二人を一瞥して、彼女はしかたないとでも言いたげな表情で誤魔化した。

 

「……いや、知らない。結芽、先に上に行っていよう。二人も早めに上がってこい」

「え~、なぁんか怪しいですけどー」

 

 ぶうぶうと不満を漏らす結芽を連れた紫は、二人を残してさっさと屋上に向かった。

 

 

 

『────姫和のことが好きだから』

 

 

 

「……あのときの答えは、全部終わってからで良いから、とにかく集中しよう」

「そうだな。言われっぱなしは癪だが……下手に答えたらそのまま満足して死にそうだ」

「酷い言い分だな……」

 

 ふっと笑い、勇人は姫和に手を差し出す。

 

「大事な奴を救ったんだ、あとは……世界を救ってハッピーエンドだな」

「──ああ。そうしよう」

 

 

 

 姫和もまた、勇人に笑いかけて、差し出された手を握り返し──バチン! とスパークした。

 

「いっっっ────たいんだけど!!?」

「……すまない、雷神の力が残っているらしい」



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隠世の彼方へ

 屋上に上がった勇人たちは、視界の端で、隠世との境界にミサイルが撃ち込まれている様子を見た。タギツヒメは振り返ると、全員に向けて口角を歪めながら言う。

 

「人間共も再開を祝して花火を上げておるわ。のう? ──ふ、気合十分、といった顔だな」

 

 それから両腕を広げ、続けて言った。

 

「──さぁ! この世の終わりを共に見届けようではないか!」

 

「随分とまあ、人間みたいな言い回しだな。どうした、タキリヒメとイチキシマヒメを取り込んで、心境の変化でもあったのか?」

 

「お前も減らず口は変わらずか。死に損ないは大人しくベッドで寝ていれば良いものを」

 

 哀れむような表情をするタギツヒメに、やはり勇人は違和感を覚える。

 しかしそのことを追及するには遅く、手始めに舞衣たち四人が肉薄した。

 

「キェエエエエッ!!」

「────ふっ!!」

 

「遅い」

 

 背後に回った薫の大太刀──祢々切丸と、真っ正面に接近した沙耶香の御刀──妙法村正を、タギツヒメはそれぞれ受け止める。素手で刀身を掴んでいた祢々切丸ごと薫を投げ捨て、御刀の切っ先同士で衝突していた沙耶香を打ち払う。

 

「隙だらけデス!」

「浅はか」

「──ぐっ!?」

 

 入れ替わるように突きを放ったエレンのそれを容易く避けると──背後の舞衣に肘を入れた。

 二人を薫たちのように投げ飛ばすと、さらに五角形を描くように自身を取り囲む勇人と姫和、可奈美、結芽と紫を見て、タギツヒメは嗤う。

 

「──来い」

 

 直後、可奈美と結芽が弧を描いて迅移で接近し、凄まじい速度で打ち合う。

 一拍遅れて写シの上に蒼白い雷を纏った姫和が、二人に混じってタギツヒメに斬りかかる。

 

「ふん……イチキシマヒメの置き土産か」

「貴様はここで討つ!」

「やってみよ……!」

 

 禍神の頃よりも威力は落ちたが、速度は負けず劣らずの姫和が斬りかかり、僅かな隙を見つけては可奈美と優芽が打ち込む。しかし、まるで流水を斬るかのような手応えの無さ。すんでの所で避けられて、御刀を体に通すことができない。

 

「──紫さまっ!」

「ああ──ふっ!」

 

 ──と、そこで、後方から勇人が放った朧月夜を紫が自身の御刀で勢い良く弾く。

 いつぞやにやったようなブーメランめいた動きで飛来する朧月夜を、タギツヒメは忌々しい物を見るかのように横目で見て避ける。

 

「……チッ」

 

 横合いからの妨害で動きを制限される、という一瞬の『間』を利用して、続けざまに屋上の床に薫が祢々切丸を叩きつけて煙を蒔く。

 

 煙幕によって周囲の姿が見えないタギツヒメだが、その煙を突き破って接近するエレン────と、上から飛びかかる沙耶香を纏めて切り伏せ、後ろから迫る紫を頭突きで離し、写シを張り直したエレンの首を撥ねようとした一撃を可奈美が防ぎ、空を切る音で軌道を変えて戻ってきた朧月夜の位置を察知して、器用に足に挟んだ()()()()()()()()()()()()()を蹴り上げて迎撃する。

 

「──はっ!!」

 

 ものの数秒で行われた攻防のうち足を上げたことで出来た無防備な部分に、低い姿勢から、舞衣が鞘に納めていた御刀を抜き放つ。

 しかしタギツヒメは、それを床に突き立てた御刀で完全に振り切る前に塞き止めつつ、蹴り上げた足に挟んだままの御刀を踵落としのようなフォームで叩きつけた。

 

「させねぇっ!」

 

 舞衣を切り裂く寸前の御刀を、手元に朧月夜を呼び戻した勇人が受け止める。タギツヒメは床に突き立てた御刀から手を離し、足に挟んだ御刀を掴み直すと即座に勇人へと斬りかかった。

 上手いこと切っ先と柄で二刀流を受け止める勇人は、次の攻撃を横に飛び込むような前転で避けると、タギツヒメが手放した御刀を引き抜いてその場から離すように遠くへ放り投げる。

 

「これであと三本か。紫さまが持ってるのが童子切と大包平、今のがタキリヒメの使ってた三日月宗近……お前の手元にあるのは鬼丸と大典太、イチキシマヒメの数珠丸だけだ」

 

「なんだ、我から御刀を奪って戦えなくしようとでも? いい作戦だが──幕引きだな」

 

「あ? …………マジかよ」

 

 勇人の言葉に訝しむような表情のタギツヒメだったが、そう言って空を見上げる。

 釣られて上を見た勇人たちは、天に広がる隠世との境界が、降りてきていることに気づいて────その中に呑み込まれた。

 

 

 

 

 

 ──灰がかった空間に、黒い地面。つい先程まで居た屋上とは違う世界に居る勇人たちは、一瞬攻撃の手が止まる程の困惑に包まれた。

 

「ここは……」

「現世と隠世の狭間だ。我々がここに取り込まれたということは、境界が地上に到達するまで──おそらく、あと数分だろう」

「その通りだ。最早現世と隠世が交わるは必定、だが……決着をつけぬままお前達を隠世に飲ませてしまうのはいかにも惜しい。残された時間、最後の一瞬まで堪能させてもらうぞ」

 

 可奈美の疑問に答えた紫を前に、タギツヒメはそう言うと──姿を消す。

 

「迅移──結芽!」

「はーい、よっと!」

 

 即座に声を荒らげた勇人は、眼前で、優芽がエレンに斬りかかったタギツヒメの御刀を防ぐ光景を目の当たりにする。

 

「良く動く。だが次はどうだ?」

 

 タギツヒメは再度迅移を起動して、その空間──否、階層から姿を消した。

 

「段階を引き上げた……!」

「オレたちも続くぞ!」

 

 薫の声に続いて、その場から全員が消える。残った勇人が迅移を行う直前、振り返って紫と顔を見合わせると、ぽつりと粒やいた。

 

「──あとはお願いします」

「…………」

 

 それだけ言って、勇人は可奈美たちに続く。──景色が一転し、灰と黒の空間から、まるでオーロラの中に居るかのようなカラフルな空間に出る。一段階迅移の世界に突入した勇人は既に始まっていた戦いに混ざると、合わせて八人で器用にタギツヒメを攻撃した。

 

 中央で踊るような動きで八人の御刀を捌くタギツヒメはそれぞれ順手と逆手に持った御刀──大典太と鬼丸で舞衣の孫六兼元と結芽のにっかり青江を受けつつ、タックルの要領で肩で村正を逸らしつつ、肘で朧月夜の刀身を受け流す。

 

「さあ、次だ」

 

 そこから更にタギツヒメが迅移の段階を上げる。二段階以上の迅移が出来ない薫とエレンを置いてタギツヒメを追う勇人たちは、S装備すら着いてこられない──二段階迅移の世界に突入。

 

 八人から六人へ、攻撃の密度が僅かに減り、そして──徐々に押し切られて舞衣が写シを剥がされる。追撃を沙耶香が受け止めて、タギツヒメは愉快そうな声色で更に上へと迅移を行う。

 

 薫、エレン、そして舞衣を置いて三段階迅移の世界に入る五人は──宇宙のような濃紺の空間に躍り出ると並んで構える。

 

「ここまでで五人か。よく着いてこれた、いいぞ刀使共。こんなに心躍ったのは初めてだ」

「タギツヒメ、お前は俺をあわれむように見てくるが、気付いていないとは言わせないぞ。お前の心の奥底にある、深い孤独に」

「…………」

 

 ぴくり、と。タギツヒメは眉を跳ねさせて反応する。すると勇人の言葉に、姫和が続けた。

 

「お前は人と融合したことで、ノロの抱える根源的な孤独を知った。人は人と交わり子を成し、素質や宿命を連綿と受け継いでいく。私や可奈美がそうであるように」

 

 小烏丸を構えながら、姫和は言う。

 

「だがお前達は違う。ノロは繋がる輪から外れた、孤独な存在だ」

 

「……我らは唯一にして無二、時の呪縛をも超越している。そのような輪など──」

 

「そう、お前達は時間を恐れない。唯一恐れているのは御刀だ。御刀で知性が保てない程に斬り刻まれてしまえば、再び融合したとしても、それは最早お前ではない。

 ──記憶も性質も異なる別の荒魂。命あるものが恐れる、それこそ死にも等しい現象だ」

 

 オリジナルと全く同じパーツで作り直したそれは、果たしてオリジナルと言えるのか。テセウスの船に近しい問答に、勇人は口を開く。

 

「死の概念がありながら、命の輪から外れている。その孤独を癒したくて、いや……癒せないとわかっていて尚お前は……」

「寂しいから相手をしてほしくて暴れてたなんて、まるで子供」

「へぇ~、タギツヒメって構ってちゃんだったんだぁ~」

 

 沙耶香と結芽が続けてそう言い、タギツヒメは苛立たしげに返す。

 

「刀使が何を言う。その手にした御刀で、我らを斬り刻んできたお前達が……!」

 

「そう。私達にできるのはお前を斬り祓うことだけだ。お前を救う力などない」

「──だから俺たちが一緒に行ってやる」

 

 姫和と勇人の言葉を最後に、二人はタギツヒメにそれぞれの御刀で鍔迫り合いに持ち込み、そのまま四段階迅移で上の空間に跳ぶ。

 それ以上の迅移を行えない三人を残して上へと進んだ二人は、タギツヒメと相対して──

 

「とうとうお前たちだけになったか、小烏の刀使たち────がっ」

「……私の事、よもや忘れたわけではあるまい」

 

 

 ──突如として背後から現れた折神紫の二振りに、刺し貫かれた。

 

「行くぞタギツヒメ。共に奈落の底まで!」

「紫っ!!」

「紫さま!?」

 

 驚愕の声を上げる姫和と勇人に見守られながら、そのまま残された力を振り絞り、紫は折神の能力を限界まで酷使する。

 

「今度は私の番だ、十条! 私の討ったタギツヒメをお前が鎮めよ! それが……柊の力を受け継いだ、お前の役目だ!」

 

 光に包まれる紫に巻き込まれるタギツヒメもさしもの現状に焦りを見せるが──弱まる光を見て、彼女はおもむろに口角を歪めた。

 

「…………づ、ぐ、ここまで、来て……」

「紫……お前も人だ。20年の抵抗の影響は消し難いな──これは返しておくぞ」

「ぐ、ぁっ……!!」

 

 そう言ってタギツヒメは片手の御刀を取り替えると、イチキシマヒメの御刀である数珠丸を、紫の()()()()に突き刺した。

 

「写シを張る余裕すら無いとはな」

「くそっ、紫さま」

 

 紫の腹に突き刺した数珠丸から手を離し、再度二刀流になったタギツヒメは、紫を庇うように立つ勇人と姫和を前に構えを取る。

 

「十条……」

「ありがとうございます、紫様。しかしこれは、やはり、私の務めです」

「待て……っ」

 

 次が決着の一戦となる。そんな雰囲気を醸し出したその時、ふと──勇人と姫和とタギツヒメの上の空間が切り裂かれた。

 

「──姫和ちゃーん! うわわわわっ」

「なんかデジャ──うわぁはぁ」

 

 そして、降ってきた可奈美を勇人が受け止めて、押し潰されるように尻餅をつく。

 

「可奈美!? どうやってここに……」

「うーん……頑張って! 姫和ちゃんと勇人さんを追いかけてきたんだよ!」

「とりあえずどいて」

「あ、はい」

「よし……可奈美! 一緒にタギツヒメを──」

「──うん、助けよう!」

 

「……は?」

「なんて?」

 

 立ち上がるやいなや、可奈美は心底楽しそうな雰囲気で二人に言う。

 

「だって、さっきタギツヒメが言ってたでしょ、心が躍るって、それってつまり、楽しいってことでしょ? ──いくよ、タギツヒメ!」

 

「面白い奴だ。お前は、我を楽しませるために、永遠に近いこの刹那の牢獄で、いつまでも我と剣を合わせ続けるつもりか?」

 

「違うよ、私の楽しみのためだよっ! 剣が教えてくれるんだ、タギツヒメの事を!」

 

 それから千鳥を構える可奈美は、試合でも行うかのような気軽で、それでいて真剣な動きでタギツヒメと剣戟を繰り広げる。

 

「タギツヒメが、この斬り合いを楽しんでいると言うのか……?」

「うん! 同じだよ。御刀での斬り合いも、みんなとの立ち合いも、全部が全部、剣を通しての会話なんだっ!」

 

 今まで戦ってきた相手──エレンの剣を、舞衣の剣を、沙耶香の剣を、寿々花の剣を、結芽の剣を、受けるために使い、払うために使い、攻めるために振るって行く。

 

「……うーん、まあ……可奈美らしいというか、なんというか……」

「これも会話……か。ああ、これが、お前の剣なんだな。可奈美──」

 

 姫和は勇人と顔を見合わせて、応えるようにこくりと頷くのを見て──二人で同時にタギツヒメの体に御刀を突き刺す。

 

「ここでノロ吸い取って終わりにはしてやらねえよ、タギツヒメ」

「──馬鹿者が」

「すまない可奈美、お前には嘘をついた」

「……知ってたよ」

 

 勇人が、タギツヒメが、そして姫和と可奈美が、それぞれの言葉を紡ぐ。

 最後に可奈美がタギツヒメに御刀を突き刺して、五段階目の迅移を起動。

 

 

 

 四段階目とは比べ物にならない速度を生み出す力が空間を歪ませ────果たして、四人は、隠世の彼方へと至るのだった。



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親子

「貴様は馬鹿か」

 

「はい」

 

「この歴史的マヌケめ」

 

「はい」

 

 どこまでも同じ景色が続く空間を延々と歩き続けている勇人は、その横で延々と罵声を浴びせる少女──タギツヒメに言葉を投げた。

 

「……今、どれぐらい歩いてるんだ?」

「さあな。一週間か、一ヶ月か、一年か、十年か、それを知る術は無い」

「腹は減らない、尿意もない、眠くもならない。疲れもしないから歩き続けられるが……景色に代わり映えがないと、気が狂いそうだな」

「だからこうして、仕方なく、会話を続けてやっているのだろうが」

「罵倒は会話じゃないんだよ」

 

 いつの間にか腰に着ける装備が無くなっていた朧月夜を片手に握りながら、勇人はため息をつく。それを横目で見上げながら、タギツヒメは一拍置いて口を開いた。

 

「なぜお前までここまで来た」

「…………その場の……勢い?」

「馬鹿が」

「ちょっと待て話がループする」

 

 再び罵倒に入ろうとしたタギツヒメの言葉を遮ると、彼女は舌を打ってから続ける。

 

「……大荒魂シキが行動を起こさないことが気になっていた。だから我との戦いに巻き込まれたお前に相手させるため遠ざけようとしたというのに……何度見逃してやったと思っている」

 

「──ああ、だから不自然にとどめを刺そうとしなかったのか。悪かったな諦めが悪くて」

 

「全くだ」

 

 ふん、と鼻を鳴らして苛立たしげにするタギツヒメだったが──おもむろに動きを止めると、心底嫌そうな顔で眼前を見つめていた。

 

「…………面倒な」

「あん? どうした……お」

「──ん~?」

 

 ──不意に鉢合わせた女性が、小首を傾げて二人を見た。タギツヒメから勇人に視線を移し、それから握られている御刀を見て、彼女は合点が行ったように声をあげた。

 

「あーっ! あんたもしかしてタギツヒメ? そっちは……あれでしょ、勇人くん。()()()()()()()()()よ~、男の刀使が居るって」

 

「え?」

「…………」

 

 同じように片手に御刀を握っている女性は、そう言いながら勇人たちに近づきつつ、さも当然であるかのようにあっけらかんと言った。

 

「ねえ、手合わせしない?」

「はい?」

「私も戦ってみたかったんだよねぇ~! 男の刀使と、ちっこいタギツヒメと!」

 

 にやりと笑って、女性は御刀を抜く。横の少女をタギツヒメと知りながら、退治ではなく立ち合いを望む女性に、勇人はどことなく既視感を覚えて、ほぼ反射的に問いかける。

 

「もしかして……可奈美のお母さん?」

「……うーん、まあ、そんな感じ? いやまあ、私は学生の頃で止まってるから厳密には違うんだろうけど……その辺はその子の方が詳しいんじゃない? ねえ、タギツヒメ」

「──チッ」

 

 タギツヒメは嫌そうにしながらも、仕方ないとばかりにため息混じりに答えた。

 

「こいつは藤原(ふじわら)美奈都(みなと)……千鳥の刀使の親だ。お前が執心してる娘の親──(ひいらぎ)(かがり)も、この隠世の果てのどこかに居るだろうな」

「……? あれ、篝もこっちに居るの?」

「知るか」

「そう邪険にしないでよ、私だってここのことちんぷんかんぷんなんだもの」

 

 御刀の峰を肩にトントンと当てながら、美奈都は苦笑を溢す。その様子に、勇人が言う。

 

「でも可奈美のことは知ってるんですよね。話をしたことがあるんですか?」

「そうねえ、たぶん可奈美は寝てる間だけ私に会えるのかも。でも夢だから起きたら忘れてる。不思議だけど、ここでの立ち合いの経験は体が覚えてるらしいし……まあいっかな! って」

「あーこの感じまんま可奈美だ」

 

「──ふぅん」

 

 二人の会話を聞いていたタギツヒメが、納得したようにそう呟いて、それからしれっと勇人のふくらはぎ辺りを蹴りながら会話に混ざる。

 

「あだっ」

「恐らくだが、隠世のお前と千鳥の娘の夢が繋がったのは、その御刀がアンテナになっていたからだ。その千鳥とあの娘の千鳥は、お前と同じように半分ずつに分かれていたのだろう」

「私が……半分……?」

「……物理的にじゃない。分かれたそれらが隠世由来の何らかの物質で補い、その結果、同じ御刀が二つ存在する事態になったと考えろ」

 

 す──っと指を額から顎まで線を引くように動かす美奈都に、タギツヒメは呆れながらそう返した。美奈都のマイペースさにげんなりとしているような彼女は、ふと、ピクリと反応する。

 

「…………我はもう行くぞ」

「えっ、なんで?」

「噂をすればなんとやら、ということだ」

「可奈美が近くに来てるのか」

「ああ」

「いや、普通に居ればいいじゃないか。なんというか……ここまで来ちゃったら、今さら斬る斬らないの話にはならないだろ?」

「仲良しこよしは御免だ」

 

 勇人の顔を見て、それから視線を逸らすと、タギツヒメは背を向けながら続ける。

 

「我はやつらの親の仇でありお前たちが悩む問題の諸悪の根元だ」

「そりゃそうだが」

「……勇人くん、行かせてあげな」

「美奈都さん?」

「個人の意見は尊重してあげなきゃ」

「──ふん、我を個人として扱うか」

 

 タギツヒメが呟いて、そのまま歩いて行く。最後に、勇人へと忠告を残して。

 

「ここは時間の流れが違う。我の計算では、千鳥の娘がここに来るまでに一ヶ月程だ」

「…………え゛っ」

「藤原美奈都の相手は、お前だけでやれ」

 

 視界の果てに消えて行くタギツヒメを見ていた勇人は、肩を掴まれてぎこちなく振り返る。

 その先に居たのは、いい笑顔で御刀を握って自分を見てくる、美奈都の姿だった。

 

「あ、あいつ──それっぽいこと言って逃げやがった……!?」

「よーっし、可奈美が来るまで立ち合い立ち合い! ほら御刀構えてっ!」

 

 ──楽しそうな美奈都の声と嫌そうな勇人の悲鳴は、ついぞ誰の耳にも届かなかった。

 

 

 

 

 

 ──可奈美が隠世の果てで美奈都と勇人の二人と再開したのは、タギツヒメがその場をあとにしてから暫く経ったあとだった。

 

「……ゆ、勇人さん……大丈夫?」

「この世界、疲れないし眠くもならないんだけどさ、そのせいで()()()()()()()()()()んだよね。何が言いたいかわかるか?」

「……えーっと」

「体内時計が正しいなら、俺は一ヶ月と一週間くらい、ず──っと美奈都さんの相手をしてたんだよ。頭がおかしくなるかと思った」

 

 可奈美の両肩を押さえながらさめざめとそう答える勇人に、さしもの可奈美でも同情せざるを得なかった。いくら剣術馬鹿と言われていても、一ヶ月以上戦い続けるのは飽きるかもしれないと、頭の片隅でそう独りごちる。

 

「えー、私は楽しかったけどな。サイコーじゃない? ずっと立ち合いできるの」

「冗談はよしてくれ」

「…………あれ、勇人さん。タギツヒメは一緒じゃなかったの?」

「あいつは……どっか行った」

 

 美奈都の相手が嫌で逃げた、とは言わなかった勇人に、可奈美は表情を歪める。

 

「えぇ……姫和ちゃんも居ないし、手がかりになると思ったんだけどなぁ~」

「あいつの事だ、鉢合わせたタギツヒメとまた戦ってる……とかはないか。それならわかる」

「ねえ、私たちが意外と早く可奈美と会えたんだし、案外その辺に居るんじゃない?」

「おか──師匠、流石にそれは……」

 

 可奈美が美奈都の言葉を否定しようとしたその瞬間、彼女が持っている方の御刀──千鳥が、キィ──ン……と音を奏でる。

 

「──! 姫和ちゃんが近くにいる!」

「……マジ?」

「前にもこんな音が、すれ違った姫和ちゃんの御刀からも鳴ってた……だからきっと導いてくれる! 姫和ちゃーん!!」

 

 可奈美が虚空に声を飛ばすと、こだまするようにして響き渡り──それから数分して、よく似た二人の人影が姿を現した。

 

 

 

「……お前の声はよく響く」

「──姫和、ちゃん?」

「ああ。久しぶりだな」

 

 そのうちの一人、十条姫和。彼女が合流すると、可奈美は勢いよく飛び付いた。

 

「よかった……!」

「可奈美……」

「俺も抱きついた方がいい?」

「──いい、やめろ」

「あ、姫和ちゃん顔赤ーい」

「……黙れ」

 

 可奈美に抱きつかれながら指摘されて、姫和は鞘に納めた御刀を肩に担ぐ勇人から目をそらす。それらを見ながら、美奈都はもう一人の人物──姫和の母、柊篝に向き直る。

 

「おひさ、篝」

「……はい、美奈都先輩」

「──ふふ、見なよ。私たちに……あんな可愛い娘が出来るんだって、嬉しいね」

 

 しんみりとしながらも、その顔には穏やかな微笑が浮かぶ。感動の再開を見ていた美奈都たちだったが──その感覚は確かに、隠世が()()()()()()()ことに気がつく。

 

「これは……なんだ、流れてる……?」

「ここは隠世に漂う小さな隙間。それが徐々に、隠世の果てに呑まれてるのでしょう」

 

 勇人の疑問に、篝が返す。

 タイムリミットが近づいている事実を前に、可奈美が美奈都に言った。

 

「お母さん、最後に会えてよかった」

「は? 何言ってんの、あんた達は帰るのよ」

「ぅえっ!? そ、そんなのどうやって」

「……隠世の果てに行ってしまった人は、もう戻れないのでは?」

「誰がそんなこと言ったの」

 

 美奈都の疑問符を浮かべた顔に可奈美と姫和は困惑する。勇人の隣で考えるそぶりをしていた篝が、そんな二人の質問に対し言った。

 

「戻ったという前例はありません。ですがあなた達三人には肉体がある……私たちは無理でもあなた達なら。──そのためには」

 

 ──そのためには? 

 おうむ返しするように呟いた三人に、篝は真面目な顔で答える。その言葉を聞いて、勇人と姫和は眉を潜め、可奈美は苦笑を浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

「──やっぱこうじゃないとね~っ」

「──なんでこうなっちゃうんだろ」

 

 向かい合って千鳥を構える二人が、同時にそう言った。『可奈美さんは美奈都先輩と立ち合ってください』、篝に言われるがままに立ち合うことになった二人を前に、ふと現れた階段のような段差を椅子代わりにして三人は見学していた。

 

「できるだけ未練を断ち切っておかないと、戻る妨げになるかもしれませんので」

「未練って……」

「とか言いながら、ほんとは可奈美も私と戦いたくてウズウズしてるんでしょ?」

「あはは……わかる?」

「母はなんでもお見通しよっ」

 

 その言葉を最後に、二人は衝突する。その光景を見ながら、篝はおもむろに姫和に問う。

 

「私たちも、やった方がいい?」

「いえ、私は……」

「こういうところは、似てるのかもね」

「──あの、一つ聞きたいことがあります。あなたは……悔やんでますか?」

 

 姫和の言葉に、逡巡して。

 

「……姫和、あなたは今、幸せ?」

「──はい。辛い時、重たい荷物を一緒に持ってくれる大切な人が、仲間達がいてくれるから」

 

 ちら、と勇人を見て、それから篝に向き直って返す。篝は姫和を見て──

 

「そう。だったら何の悔いもないわ」

 

 と言って、笑みを浮かべた。

 篝はその後、可奈美と美奈都の立ち合いを眺めていた勇人に顔を向けて問いかける。

 

「えっと、藤森くん?」

「──え、ああ、はい」

「あなたは……藤森先生の孤児院の方、なんですよね?」

「……はい」

「その、一つだけ、頼みがあります」

「なんですか」

 

 手持ち無沙汰で柄を弄っていた勇人の顔を見て、篝は一拍置いて言った。

 

「──姫和のこと、お願いできますか」

「母さん?」

「はい、お任せください」

「おい勇人?」

「ふふっ、姫和も幸せ者ね」

「……いや、まあ、その…………はい」

 

 即答した勇人と、突然お願いをした篝を交互に見て、姫和は観念したように頬を染めながら呟く。くすくすと笑う篝は、視界の端で尻餅をついた美奈都を見て決着を悟った。

 

 

「──いったたた……負けた負けた」

「美奈都先輩はとんでもなく弱い時がある。そのムラが、美奈都先輩の剣なんです」

「ははは。だから大会でも勝てないんだよね~そんなわけで可奈美っ!」

「……は、はいっ」

 

 篝に手を引かれて立ち上がった美奈都は、ぴしっとした声で可奈美を呼ぶと、一転して──にっと笑いながらあっさりと言い放つ。

 

「おめでとう可奈美、免許皆伝っ」

「──あ、ありがとうございました」

 

 反射的に一礼をした可奈美。そんな彼女に、おもむろに勇人が背中をぽんと押した。

 

「──これが最後だぞ、甘えときな」

「────っ」

 

 勇人の言葉を皮切りに、それまで我慢していたものが溢れたかのように涙ぐみ、可奈美は美奈都に抱きついて嗚咽を漏らす。

 

「……っ、お、かぁさん……お母さん──!」

「……可愛い可愛い私の可奈美。できれば、ほんとの体で抱きしめてあげたかったけど……剣は私の全て。ぜーんぶ託せた」

 

 気恥ずかしさから自分のことを師匠と呼ばせ続けていた美奈都は、最後の最後で、可奈美を強く抱きしめ返す。本当の意味で母親の顔をした彼女を見て、続けて篝が姫和を前に腕を広げる。

 

「──姫和」

「……母さん、母さん!」

 

 可奈美と同じように篝に抱きついた姫和。そんな彼女を優しく抱きしめる篝を見て、羨ましいものを見るように目尻を細める勇人は、ゴキッと首の関節を鳴らしながらぼやくように言った。

 

 

 

「いい光景だな。俺たちもやるか?」

「──馬鹿を言うな」

 

「──! タギツヒメ……!」

「えっ、タギツヒメ? なんで……?」

 

 勇人が声をかけた方向から、ひょこりと体を出すタギツヒメ。それを見て、姫和と可奈美は驚いた様子で母から体を離した。

 

「結局戻ってきたのか。寂しかったんだろ?」

「……ふん」

「なあ、タギツヒメ」

 

 勇人はそこで言葉を区切ると、視線を合わせたタギツヒメを見ながら続ける。

 

「──お前、俺のことを息子だと思ってるだろ」

「────」

「その気持ちは、よくわかるよ。俺にとってあんたは母親なんだから」

「……紫の体を使って保護し、育てた()()()()()に過ぎん。それは屁理屈と言うんだ」

 

 ──そうだな。そう言いながら、勇人は朧月夜を水平に持って、タギツヒメの前に出す。

 

「屁理屈で結構。だけどさ、やっぱり……このままこれでお別れして終わりってのは……なんか嫌なんだよな。ようやく分かり合えたんだ、俺はようやく……あんたとの繋がりを持てた」

 

「……藤森勇人」

 

「俺と帰ろう。ノロとして俺の御刀の中に入って、俺と一緒に、色んな所を見て回ろう」

 

 苦い表情でそう言って、勇人はタギツヒメを見下ろす。見上げていた彼女は、憑き物が晴れたように表情を緩めて──

 

 

 

「……後悔するぞ」

「しない」

「お前の行動を褒めるものは居ない」

「わかってる」

「────馬鹿者が」

「そうだな」

 

 そっと、鞘越しに鮮やかな蒼い光を放つ朧月夜に手を重ねて、タギツヒメは小さく笑う。

 その顔には敵意も殺意も反乱を起こそうという気すら無く──ただただ、穏やかだった。

 

「……お前は本当に、馬鹿な息子だ」

「……ああ」

 

 タギツヒメの最期の言葉をしっかりと聞き入れて──勇人は、ただのノロとなった彼女を朧月夜に取り込んだ。

 この行動を咎める者は、この場には居なかった。その代わりと言わんばかりに、姫和と可奈美はそれぞれが勇人の片手を握る。

 

 姫和は朧月夜を掴む勇人の左手を右手でそっと包むと、呟くように言った。

 

「お前の選択に文句は言わん。私は──タギツヒメを信じたお前を信じる」

「姫和……」

「さあ、帰るぞ二人とも。私たちの世界に」

「うん、そうだね……姫和ちゃん、勇人さん」

 

 ぎゅ、と強く握る手に温もりを感じながら、三人は歩き始める。

 

「元気でねーっ!」

「お元気で」

「お母さんも体に気を付けてね!」

「……さようなら、母さん」

 

 ──いや、どう体に気を付けろってのよ。美奈都のそんなツッコミを背中越しに聞きながら、三人は歩を進める。今はただ、現世で帰りを待つ仲間達の顔を思い浮かべて。

 

 

 

 

 

 

 

 ──前例のない『隠世の果てからの帰還者』が三名現れた。刀使たちとその関係者を震撼させたニュースが流れたのは、年末の決戦から四ヶ月が経過した、桜が満開したとある日のことだった。




波瀾編、完結。
最終章、四季編に続く。


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四季編
春雷


 ──年の瀬に起こった世界が終わるか否かの瀬戸際の戦い。その際に、三人の刀使が隠世の果てに消えてから約四ヶ月。

 

「今日も平和だねぇ~っと」

 

 公園のベンチに腰掛ける青年は、缶コーヒーを啜りながらそう呟く。

 青年──藤森勇人は晴れた青空を見上げて、当時の夜空を思い返しながら言う。

 

「青い空、白い雲、相変わらず出現する荒魂、情報が全く集まらない大荒魂シキ……うーむ、四捨五入して実質平和とも言える」

『馬鹿か貴様』

「…………あーあぁ」

『ため息のつきすぎで、もはや逃げる幸せその物が無くなっていそうだな』

「そうだな」

 

 脳裏に響く少女の声に、勇人は何度目かのため息をついてから言った。

 

「──これで消えたはずの大荒魂(タギツヒメ)の幻聴が聞こえてさえ来なければ文句無しなんだけどな」

 

 ()()()()を画面を消した端末の反射で確認しながらぼやく勇人に、声の主──隠世の果てでノロとして吸収、消滅した筈のタギツヒメが返した。

 

『無茶を言うな。我とてなぜ貴様の頭の中に居るのかなど皆目検討もつかん』

「片目だけ蒼いと中二病だし、突然聞こえてくる幻聴に反応すればイカれてると思われる。俺がいったいなにをしたって言うんだ」

『我を取り込んでおいてなんの影響もないと思ったのは浅慮だと言わざるを得ないな。御刀越しなら問題ないだろうと油断した貴様が悪い』

「わっはっは、正論を言いなさる」

 

 辺りに人影が少ないからこそ堂々と幻聴(タギツヒメ)を相手に会話を交わせているが、これが知り合いの傍での行動なら間違いなく『隠世の果てでなにかあったのか』と疑われることだろう。そして、事実であるからこそ質が悪かった。

 

「あれから二ヶ月……合わせて半年経過したのに影も形もない。もしかして大荒魂シキってもう死んでるんじゃないか?」

『……仮にそうだとして、問題はそれだけではあるまい。皐月夜見から聞かされただろう、年の瀬より以前に、秋田の孤児院跡地で我のような白い刀使に襲撃された──と』

「大荒魂は……複数居るのか?」

『居はするだろうが、表に現れて暴れるような奴がこう短い期間にポンポン出てきてたまるか』

「だよなあ」

 

 飲み終えた缶コーヒーを手元で玩ぶ勇人は、ううんと悩むように唸り声をあげる。

 

「まあなんとかなるか。そんじゃあ、機動隊本部にでも行くか。親衛隊改め特別遊撃隊のリーダーになった薫を煽ってやろう」

『貴様そのうち刺されるぞ』

「さんざん俺を切り刻んだ奴のセリフか──」

 

 呆れた表情で立ち上がる勇人だったが、最後まで言い切る前に、眼前に()()()()()人物に意識を向ける。コートを着込み、目深にフードを被っているその人物は、身長と輪郭から少女であると確認できた。

 

「どちらさん? 悪いけどサインはお断り──「お前、タギツヒメのノロを取り込んだのか」

『──っ! 藤森勇人!』

 

 遮るようにそう言った少女の言葉に反応して、タギツヒメは声を荒らげる。

 

「……噂をすればなんとやら、か。まさかずっと探してた奴が向こうから来てくれるとは」

「──()()()を渡せ。そうすれば、殺さないでおいてやる」

 

 少女は頭を振ってフードを取りながら、そう言って勇人に言葉を投げ掛ける。

 白い髪にオレンジの瞳、そして病的なまでに色白の肌が、彼女が人間ではない証拠だった。

 

「大荒魂シキ──いや、刀匠・星月式だな。娘ってのは……俺の朧月夜のことか」

 

 隠世の浅瀬に仕込んでいた御刀・朧月夜を取り出す勇人。それを見て、シキは表情を変えないながらも、その声に怒気を含ませる。

 

「お前のものではない、俺の娘だ。なぜ男が適合できているのかは知らんが、返す気が無いなら……殺してから奪うだけだ」

「話し合いで解決できない?」

『無理だな』

「そこをなんとか」

『我を相手に値切るな』

 

 小声でタギツヒメと会話をする勇人を前に、シキは身をよじってコートを脱ぐ。すると、その体の異常さに勇人は驚愕して目を見開いた。

 

「……なんだ、そりゃ」

 

 ──シキの両腕が、付け根から指先まで存在していなかったのだ。

 まるで『元から無かった』かのように断面には滑らかな皮膚が存在し、華奢な体格と合わさって神秘性と畏怖が同時に表れている。

 

「構えろ、せめて剣士として死なせてやる」

 

 そして、シキがそう言うやいなや、彼女の背中──肩甲骨の辺りから4本の腕が伸びた。荒魂の甲殻のような黒い物体の隙間からは、鮮やかなオレンジの流体がマグマのように流れている。

 

「──【薫風】」

 

 シキは続けてそう言い、腕の代わりとして現れた『それ』のうちの一本に、虚空から現れた一振りの御刀を握らせる。

 勇人やかつての折神紫(タギツヒメ)と同じように隠世の浅瀬に仕込んでいたのだろう御刀を構えると──

 

「…………は?」

「死ね」

 

 ──その御刀が、シキの真上で数えるのも馬鹿らしくなるくらいの量に()()する。そして全ての御刀の切っ先が勇人に向くと、一拍置いて、凄まじい速度で降り注いだ。

 

 

 

 

 

 ──数分前、機動隊本部の廊下を歩く燕結芽は、隣を追従する糸見沙耶香に愚痴をこぼす。

 

「ねー沙耶香ちゃーん、今日もう仕事無いの暇なんですけど~」

「仕事がないのは荒魂が減って平和な証拠。悪いことではない」

「そうだけどさぁ、暇なものは暇なのー。隠世の果てから帰って来たおにーさんとか可奈美おねーさんと立ち合いしたいのにぃ」

「勇人はともかく、可奈美と姫和はこっちに戻ってくると言っていた。たぶん、このあと何度か立ち会う時間はあると思う」

「ほんとっ!?」

 

 あやすように言う沙耶香に、結芽は飛び上がらんばかりに気分を高揚させる。

 ──言わない方が良かった、かも。と独りごちる沙耶香だったが、不意に感じ取った気配に、結芽と同時にその方向へと反応した。

 

「──誰?」

「侵入者、かな?」

 

 コートとフードで体と顔を隠す二人の人物。そんな二人が()()()()()ことに、沙耶香は村正を構えながらも疑問を覚えた。

 

「……侵入者なら、おかしい。どうして()()()()()()()()()?」

「──そりゃそうだろ。アタシらは、たった今ここに来たんだからな」

 

 沙耶香の疑問に、あろうことか侵入者のうち背の高い方が答えた。そう返しながらコートを脱ぎ去る侵入者に──結芽は見覚えがある。

 

「──あー! あの時襲いかかってきた奴!」

「おいおい失礼な小娘だな。アタシには剣崎(けんざき)京子(きょうこ)っつーれっきとした名前があるんだよ」

「……人間……?」

「どっちかっつーと……半人間半荒魂? 荒魂モドキというか……荒魂人間というか」

 

 要領を得ない説明に眉をひそめる沙耶香と結芽は、京子と名乗る女性が、横に立っている少女に小突かれる様子を見ていた。

 

「なにベラベラと情報を明かしてるんですか。私たちの目的、忘れてません?」

「おう、おう。忘れてねえよ」

 

「目的ぃ?」

 

 にっかり青江を抜きながらそう呟く結芽に、京子はあっけらかんと答える。

 

「──ジジイが勇人から御刀を奪うまでおめーらの足止めするっていう目的だよ」

「へぇ……やってみなよ」

「結芽。油断は禁物、ここまで堂々としているからには、出来るだけの実力がある」

「その通り。──【春雷】」

「はぁ……。──【綿雪】」

 

 京子と少女は、そう言ってそれぞれが手元に御刀を呼び出す。バチリと鮮やかなオレンジの雷を纏って、京子は獰猛に笑った。

 

 

 

「こっから先は、まばたき厳禁だぜ?」



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薫風

 機動隊本部の廊下の真ん中で、オレンジの雷光と迅移による白い残像が入り乱れる。

 

「あ~~~も~~~っ!!」

「わっはっはっは」

「むき────っ!」

 

 結芽が御刀を振るい、京子が避ける。()()()()()()()()でそうする動きに、結芽は苛立ちを露にしながらも鋭い剣激を浴びせるが──

 

「あっ、たん、ないっ!!」

「さっきも言ったがアタシの役目は時間稼ぎだからなぁ、そりゃ面と向かって相手なんかしてやれるかって話だ。悪いな」

 

 パリパリと体のあちこちから電気を漏らしながらそう言って、京子は自身の御刀【春雷】の峰を肩に乗せる。

 

「まあそうカッカすんなよ、別に殺し合いがしたいわけじゃねぇし」

「……じゃあ、なんで今になって現れたワケ? それとタギツヒメが暴れてた時に姿を現さなかったのはなんで?」

 

 マトモに打ち合うつもりのないらしい京子ののらりくらりとした態度に呆れながらも、結芽は警戒を続けながら問いかけた。

 

「あー、どこまでなら話していいのやら。……簡単に言やあ、タイムリミットってやつだな。タギツヒメと一緒に暴れようとはしなかったのは……方向性の違い……的な?」

「はぁ?」

「少なくとも、今のジジイにゃあ本来荒魂にある攻撃性が無いってこったな」

 

 頭に疑問符を浮かべる結芽を見て口許に笑みを作る京子は、背後から聞こえてくる御刀を打ち合う音を耳にしてから言った。

 

「お真面目だねぇあいつら」

 

 

 

 

 

 ──この御刀を真っ向から受け止めてはいけない。頭の中で淡々と独りごちる沙耶香は、村正を相手に向けながら、ビリビリと痺れる片腕を振って感覚を取り戻す。

 

「……勇人の御刀を奪うまでの時間稼ぎ。それはつまり、こことは違う場所に居る勇人を大荒魂シキが襲い、あなた達は私達が来ないようにしている。それで間違いない?」

 

 再確認するように問うと、少女──九条(くじょう)(みゆき)は小太刀を構えながら答える。

 

「ええ、まあ、はい。だいたいそんな感じです。とはいっても……なにも殺そうとは思っていません。御刀を回収したいだけであって、()()()()に恨みはありませんから」

「ゆうくん……?」

「おっと」

 

 ──失言でした。そう続けて、幸は構えた小太刀を振りかぶりながら肉薄する。

 

「────っ」

 

 振るわれた小太刀の速度は早く、おおよそ金属の塊とは思えない軽やかさで沙耶香に迫る。

 それを村正で受け止めようとするが、前の一撃を思い返して、逸らすように小太刀の刀身の腹を打ち上げて──それでもなお、ズンッ! と()()()()()()が村正に襲い掛かった。

 

「……流石にもうバレてますか」

「──御刀を重くする、それが能力……?」

「正解。厳密には()()()()()、ですが」

 

 宙に放った小太刀の柄頭を指の腹に乗せてキャッチする幸は、パシッと素早く柄を握り直して逆手に掴むと一気に踏み込んで連撃を浴びせた。咄嗟に打ち合う形になってしまうが、沙耶香の意識は刀身の重さに向けられている。

 

「この小太刀──【綿雪】は、一瞬で重さを限りなく0に近づける事が出来れば、逆にとてつもなく重くすることも出来る。重くしすぎれば当然、私も持てなくなってしまいますが、こうして接触する瞬間だけ重くすれば……っ!」

 

「くっ、づ……!」

 

 ドンッ、ドンッ、ドンッ! と御刀から信じられない轟音が響き、その都度、まるで大型の荒魂を受け止めた時よりも重い衝撃が伝わる。

 ざざざっと足で床を削りながら後退する沙耶香を見て、油断なく【綿雪】を構えて。

 

「………………?」

 

 ふと、おもむろに幸はなにか違和感を覚えて小首を傾げる。沙耶香が想定よりも長く打ち合えていること、ではなく──

 

「──私達を回収するのが、やけに遅い」

 

 それは、シキと事前に打合せしていた作戦通りに事が進んでいないということだった。

『藤森勇人から御刀を回収し、時間稼ぎに機動隊本部に置いてきた二人をも回収して離脱』、これを手早く行う予定だったにも関わらず、もう既に10分は経過しているのは、些かおかしい。

 

「──! きょーちゃん!」

「なんだぁ?」

「今何分経過しました!?」

「そりゃお前……何分だ?」

 

「え、もう10分くらい経ってるけど」

 

 声を荒らげる幸にすっとんきょうな声を返す京子。つい反射的にそう言った結芽に対して、一拍置いて京子は焦りを見せて口を開いた。

 

「……いや、待て、流石に『まず対話から入る』っつー約束は守ってるはず……」

「でもあの人ちょっと記憶力落ちてますよ」

「……あー……」

「ねー、何があったの?」

 

 完全に戦う気力を無くしている二人に、結芽は質問を投げ掛ける。すると京子は、懐から携帯を取り出しながら【春雷】を下ろした。

 

「ちょっとタンマ、ジジイに電話する」

「えー……」

「────クソっ! あの機械音痴ポンコツジジイ電話に出やがらねえ!」

 

 勢いで携帯を床に叩きつけそうになりながらも平静を取り戻す京子を見つつ、結芽は呆れた表情を取りながらも伝える。

 

「もう時間稼ぎなら十分だろうしさあ~、こっちから会いに行けば?」

「…………う──ん、そうするか?」

「こっちに振られても困る」

「たぶん、ゆうくんと戦うのが楽しくなっちゃってるんでしょうね」

 

 双方で『なぜ敵同士でこんな空気になっているんだ』、という疑問が湧いているが、恐らく結芽と沙耶香は、京子と幸が()()()()()()敵であるとは思えていないだろう。

 

「そういえば聞きたいことがあったんだけど、なんであのとき廃墟で遺書を──」

 

 そのままの流れでそれとなく半年前の行動の意味を聞こうとした結芽は、自分と京子、沙耶香と幸で固まっていた空間のちょうど中間に突然現れた、肩甲骨辺りから荒魂の甲殻のような四つ腕が生えた少女を視界に納める。

 

「……ん?」

「お? やっと来たなジジイ」

 

 意識をそちらに割いた結芽の視線を辿って振り返った京子が、あっけらかんとそう言う。

 

「──行くぞ」

 

 両側に視線を向けた四つ腕の少女──シキは、その腕の一本に一振りの小太刀を握らせて、残り三本のうち二本で素早く京子と幸を掴んだ。

 

「あ、ついでにお前も来い。ゆき!」

「はい。沙耶香さん失礼します」

 

 それからシキがなにかアクションを起こそうとする寸前で、二人はそう言いながらそれぞれが近くにいた結芽と沙耶香の肩と腕に触れる。

 

「えっ」

「……なに?」

 

 反射的に振りほどこうとするよりも早く──その場から五人がまとめて消失した。

 

 

 

 

 

 ──頭上から降り注ぐ御刀の群れが地面に突き刺さり、土煙が舞う。

 それを突き破るように飛び出した物体──朧月夜を鞘から引き抜いて写シを張っていた勇人は、シキを捉えながらも分析する。

 

「御刀を分身させて操作する能力……こんな力が存在するのか?」

『いまだ人間が到達出来ていない、隠世のどこかにある階層の力を、ノロの負の神性を利用して引き出しているのだろうな』

「ああ、なるほど……つまり理論上は『いつか刀使が使える力』なわけだ」

 

 ゆらりと御刀を握る腕とは別の三本の腕に分身させた御刀を握らせるシキは、勇人の一人言に眉を潜めて、それから四つ腕を鞭のようにしならせながら殺到させた。

 

「俺の頭だと演算は何秒出来る?」

『5秒、それ以上は負荷で脳が()()()ぞ』

「怖いことを言いなさる────!」

 

 苦笑を浮かべながらも、勇人はぐっと目元に力を入れつつ集中する。──刹那、蒼い左目が淡く光り、勇人の脳裏には自分が四つ腕に切り裂かれる光景を思い浮かべた。

 

「──う、ぉおっ!?」

「……ほう」

 

 一本、二本、三本目を避け、四本目の握る御刀と打ち合いつつ上に逸らして下に空いた空間から横に抜ける。

 続けて()()()()降り注ぐ御刀を()()()避ける様を見て、シキは感心するように口を開く。

 

「未来でも見えてるのか?」

「……さて、どうだか」

「────」

 

 誤魔化すような勇人の返しに、シキは考えるそぶりを見せると、視線を左右に揺らしてから頭を振ってため息をつきながら御刀とその分身を消して、一振りの小太刀を取り出した。

 

「……いかんな、気が昂りすぎた。今お前を殺すのは都合が悪いのだった」

「はい?」

「場所を移すぞ」

「え」

 

 困惑する勇人を無視して、シキは即座に腕を伸ばして彼を鷲掴みにする。

 

「【黄落】」

 

 そう言って能力を起動したシキは──勇人と共に、その場から姿を消すのだった。

 

 

 

「──うべっ」

 

 御前試合決勝の舞台として使われる折神家の土地の一角に瞬間移動したシキは、無造作に勇人を投げ捨ててから姿を消す。

 

「……なんなんだ、まったく」

 

 それから僅かな間を置いて、再度その場に現れたシキは今度は四人の少女らを連れて来る。

 

「結芽、沙耶香!?」

「あ! おにーさん!」

「……勇人」

「お前らなにやってんだ……と、そっちは」

 

 見覚えのある少女二人──結芽と沙耶香を見て、もう片方の二人組を見る勇人は、その顔を見るやいなや驚愕に歪めた。

 

「──よう、勇人。久しぶり」

「ゆうくん。……その、どうも」

 

「きょーちゃん、ゆき……な、なんで……?」

 

 

 

 ──かつて孤児院で起きた事件により死んだとされた、当時の知り合いであった筈の京子と幸。二人との予期せぬ再会を果たした勇人の思考は、どうしようもなく、混乱を極めていた。



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黄落

「おーおー頭に『(はてな)』が浮かんでら」

「そりゃそうでしょうよ……」

「なん……いや、は……?」

 

 京子と幸を見て、勇人の思考は混乱し、考えが纏まらない。脳裏に響くタギツヒメの声も、今の勇人には届いていなかった。

 

「つーかジジイ、電話したんだから出ろよ。勇人と()り合ってて楽しくなっちゃったのか~?」

「……持ってきてない。あんなよくわからんモノ、急に爆発したら困る」

「しねーよ中華製じゃあるまいし。ったく……江戸時代ジジイめ」

 

 ふい、と顔を逸らすシキに京子は青筋を浮かべるが、そういえばと言って続ける。

 

「ちゃんと確認したのか?」

「…………」

「してねーんだな。お前が『本当に藤森姓なのか確認したい』って言うからこんな回りくどい手順で襲撃することになったんだが? 

 確認兼()()()()()として御刀を奪取するときの時間稼ぎをしてやってたんだが?」

 

「──なに?」

 

 京子の言葉に、勇人の思考がようやく元に戻る。それとなくハンドサインで、どさくさに連れてこられていた結芽と沙耶香を下がらせつつ、朧月夜を握り直して立ち上がると詰め寄った。

 

「俺の名前を確認? じゃあ顔を見るなり襲ってきたのはなんだったんだ?」

「オイ」

「反省してる」

「ったく。……あのな勇人、ここに藤森センセの遺書──っつーか、とある書類がある」

「…………」

 

 スパンとシキの頭をひっ叩くと、京子は懐から取り出した封筒を勇人の方へと器用に投げ渡す。以前に『それ』を奪われていた結芽が横で凄まじい表情を京子に向けているが、その事には気がつかないまま、勇人は中身を閲覧した。

 

「──これは、家系図……?」

「藤森勇人」

「…………なんだよ」

「お前は、()()()『藤森』勇人なんだな?」

「……厳密には先生が俺に名字を使わせてくれてるってだけだが、それがなんなんだ?」

「それを読めば、俺の言いたいことがわかる」

 

 シキはそれだけ言うと、四つ腕を縮めて黙り込む。はぐらかす言い方に小さく舌を鳴らしてから書類の中身である家系図を見た勇人は──確認すると同時に絶句した。

 

「────は?」

 

「俺の名字は『星月』だが、それは結婚してから変えた名字でな。元の名前は──()()式」

 

 紙から顔を上げてシキを見る勇人は、()()()()()()()()()表情のシキに続けて言われた。

 

「俺の姉が刀使だったんだ……お前には最初から、御刀を使う素質があったんだよ。──()使()()()()である、お前にはな」

「……なんの冗談「──藤森(なぎさ)

 

 シキは勇人の言葉に被せて言うと、その視線を家系図の書類に移す。勇人も釣られて家系図を見ると──その上の方に、言われた名前と同じ名前の人物が存在していた。

 

「渚は俺の姉だ。その下……最近の血筋の辺りに、お前の知ってる名前も必ずあるだろう」

「…………」

「お前が俺との間に血の繋がりがあるのなら、そりゃあ星月夜(むすめ)は力を貸すさ。人が御刀を選ぶんじゃなく、御刀が人を選ぶのだからな」

 

 家系図を上から一人ずつ確認する勇人にそう言うシキに、ふーんと鼻を鳴らして京子が問う。

 

「じゃあ場合によっては勇人以外の男も御刀を使えるのか?」

「そうだな。まあ、御刀の大半は『少女の神秘性』という概念的な部分がないと力を引き出せないないわけだが……アレには娘の血肉と月の隕鉄が混ざってるからその限りではないんだろう」

「御刀はロリコン……ってこと!?」

「とんでもない俗物じゃないですか」

「ろり……? ……そうなんじゃないか?」

 

 ──若者言葉か。と京子と幸の方を見ながら小首を傾げるシキだったが、おもむろに息を呑んだ勇人にちらりと視線を向けた。

 

 

「居たようだな」

「藤森……(あつし)……!?」

「誰だ?」

「藤森センセの名前」

 

 勇人が指を置いた所にあった名前の側に書かれている、『祖父』の文字。その下にある夫婦の名前を辿り──その更に下に、飽きるほど見てきた、()()()()()を発見する。

 

「──俺は……先生の孫で……シキと血の繋がりがある……血縁者、なのか」

 

 先生と呼び慕っていた男と眼前の荒魂と勇人の間にある、血縁者という繋がり。それを今になって嘘だと否定しようにも、勇人の頭は既に、その事実に納得してしまっていた。

 

「ふむ。潮時だな」

「……御刀、取らないんですか?」

「血縁者でもない、力も引き出せない、ということならお前たちを連れてくる前にそうしていたが……どうやらアイツは使()()()らしい」

「そう、ですか」

 

 どこかホッとした様子で返す幸に、シキは無表情ながらも目尻を緩める。

 

「そこで気ぃ遣えるなら最初から話し合いでどうにかしろポンコツジジイ」

「その部分が頭から抜けてただけだ」

「…………ボケが進んでねぇかお前」

「あ?」

 

 シキからでは見上げる形になるため、京子の苦虫を噛み潰したような顔は見えなかった。その言葉に疑問を覚えながらも、シキは四つ腕の一つに握らせていた小太刀──【黄落】を構える。

 

「……ふん。──警備隊と刀使が来る頃か、確認も終えたし今日のところは帰るぞ」

「あいよ。そんじゃな、勇人とガキども」

「もう来んなー!」

「んははは、またそのうち来るわ」

「……きょーちゃん、ゆき」

 

 ぐしゃりと紙を握り締めて、勇人はシキの四つ腕を掴む二人を見る。

 しかし三人はまばたきよりも早くその場から姿を消し、勇人たちは、遅れて到着した警備隊たちに無事を確かめられるのだった。

 

 

 

 

 

 ──後日、引退した折神紫に代わり、正式に立場を引き継いで当主となった折神朱音が作業している局長室で、勇人は心底疲れたようにソファに寝転がりだらけていた。

 

「──というわけです」

「そうでしたか……お疲れ様です」

「ねえ勇人さん、藤森先生と実は家族だった~っていうのは……嫌だったりするの?」

 

 テーブルを挟んで勇人の向かいに座っていた二人──可奈美と姫和のうち、年の瀬の一件から僅かに髪が伸びた可奈美が問いかけた。

 

「いや、そういうんじゃなくて……なんというか……複雑? 色々とありすぎてもう頭がぐちゃぐちゃなんだよ。そりゃ死んだと思ってた昔の孤児仲間が二人も生きてたのは良かったし、俺に血の繋がりのある誰かが居たことも、それが先生本人だったことも良かったさ」

 

「……いっぺんに起こりすぎて、整理できていないのか。その気持ちはわからんでもない」

 

 長い髪をポニーテールにしている姫和が、同情的な目を勇人に向ける。母に関わる因縁に長年苦しめられてきていたからこそ、勇人の抱える複雑な状況を察するのだろう。

 

「しかし、奴等の使う御刀は厄介極まるな。まさか四季四刀の全てに特殊能力があるとは」

「俺の朧月夜の『ノロを吸収し燃料(エネルギー)にする力』も大概だけどな、ありゃ反則だ」

「えーっと……『電気を纏っての高速移動』と、『御刀の分身とその操作』と、『瞬間移動』と、『重さの増減』だっけ」

 

 手元の資料を捲って、可奈美が確認するように言う。勇人および結芽と沙耶香が戦闘した際に確認した能力を纏めたその資料をテーブルに起き直し、彼女はうーんと唸った。

 

「電気は姫和ちゃんの静電気モードと同じだから対処はわかるけど……御刀の分身とか瞬間移動とか重さの変化はわかりづらいなぁ」

「静電気モード……」

「もうちょいマシな名前付けてあげなよ」

「そうそう。カッコいいので頼むぜ」

「しょうがないなぁ────ん?」

 

 突然割り込んできた第三者ならぬ四者の声に、可奈美が疑問符を浮かべて顔を上げる。

 声の主を探って起き上がった勇人もまた──背後からずしりとのし掛かる何者かに反応した。

 

「──きょーちゃん?」

「よっ。またそのうち来るって言ったろ? 

「……昨日の今日で来るやつがあるか」

 

 驚いている可奈美と咄嗟に小烏丸の鞘を掴む姫和を前に、勇人は顔を後ろに向ける。

 病的なまでの白い髪を後ろでひと房に纏めた女性──剣崎京子が、自分によりかかるようにしてソファの後ろに立っているのを確認して、勇人は悩みの種の襲来に重いため息をついていた。



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綿雪

 京子は我が物顔で空いてるカップにティーポットから紅茶を注ぐと、反射的に()()()を演算して慌てて起き上がった勇人の上半身があった辺りにドカッと座り込む。

 

 スティックシュガーを4本纏めて開け、紅茶にザラザラと入れながら彼女は口を開く。

 

「んで、質問は?」

「色々あるけど……まず、きょーちゃんとゆきが生きていた理由が知りたい。ここが引っ掛かったままだとどうにもモヤモヤする」

「それもそうか」

「……待て、勇人」

「姫和?」

 

 紅茶を一口啜る京子が答えようとすると、それを姫和が止める。座り直しはしたものの、警戒はやめずに小烏丸を手にしたまま、眉を潜める姫和は京子に問いかけた。

 

「お前は本当に勇人の当時の知り合いなのか」

「信じられねーってか?」

「当然だ、お前からはファインダーを通して荒魂と同じ反応が出ている。それにその見た目──印象だけならタギツヒメと同じだ」

 

 京子は「そうかぁ?」と言って身をよじる。それから一拍置いて、おもむろに勇人を見た。

 

「じゃあなんか質問してみ」

「えー…………当時七歳の俺に起きた不幸とは?」

「七歳……小1の頃か。確か孤児院で飼ってた年寄りの猫が、お前のベッドで粗相したやつだろ? お前がおねしょしたと疑われたやつ」

「──正解。あれのせいで二週間くらいからかわれたのまだ覚えてるからな」

「くくっ、あれほんとに面白かったな」

 

「────?」

 

 そう言った京子の横で、背もたれと体で隠しながら勇人は端末でメッセージを飛ばす。

 

【話を聞き出します。警備隊と刀使は呼ばないでください、気配を察知されたら逃げられる】

 

 受け取った折神朱音がそれとなく机の上に置いたまま画面を開くと、その内容にまぶたを細める。ちらりと勇人を見るが、返ってきたのは『信用しろ』と言わんばかりのまばたきだった。

 

 

「勇人、哀れだな」

「なんか可愛いかも」

「……はい第二問。その老猫の種類と名前は?」

 

 姫和と可奈美の小声に反応しながらも、勇人は更に続ける。京子は考え込むそぶりを見せると、過去を思い返すように遠い目をして言う。

 

「珍しいオスの三毛猫だったよな。老衰で死んで、木の下に埋めた。名前は──おこげ」

「…………ああ、そうだ」

「まだ疑うかァ?」

「いや。……姫和、大丈夫だ。こいつは俺の知ってる剣崎京子だよ」

 

 勇人にそう言われ、姫和は仕方ないと言いたげに重くため息をつくと言葉を返す。

 

「──勇人が信じるなら、私も信じよう。だがその思いを踏みにじるような真似をすれば、私はその荒魂人間を斬る」

「お前の彼女こわ~~」

「……私は彼女じゃない」

「え?」

「なんで可奈美が反応した?」

 

 信じられないものを見るかのような表情で姫和と勇人に交互に顔を向ける可奈美。

 その顔の意味を理解できないまま、勇人は改めて京子に質問した。

 

「それで、あの時いったい何が起きたんだ」

「んー……そうだなぁ、10……いやもう11年前か。あの日、勇人と藤森センセが買い物に出掛けてから少しして、孤児院に──()()が入ってきたんだよ。それも三人」

「────は?」

「全員クスリでもやってたらしくてなぁ、目の焦点合ってないし話も通じないしで、あの時は大変だったな。アタシら子供は恐怖で動けないし、スタッフは子供を守らないといけない」

 

 ──で、グサリ。自分の腹を指で突きながら、京子はあっけらかんと言う。

 

「アタシとゆきは最後に刺されて、まだ息があったんだ。そんで強盗が逃げたあと、そこに現れたのがジジイ……大荒魂シキだった」

「何故そこに……いや、そうか。シキはその時から『藤森』を探していたのか」

 

 姫和がそう言うと、京子は頷く。

 

「それからジジイは、アタシとゆきに失った血の分のノロを分け与えた。適合しなかったら死んでたんだろうが、アタシらの体は偶然にもノロを受け入れちまったワケだ」

「じゃあ京子さんは……荒魂なの?」

「さあ? 知らねえよ前例なんかないし。言うなれば……半人半荒魂か? まあ体内のノロは7割くらいを占めてるけどな。二人揃って出血多量で死ぬ寸前だったし」

 

 可奈美の疑問をバッサリと切り捨てる京子。そんな彼女に、勇人は気になったことを聞いた。

 

「きょーちゃん、二人が生きていたなら、どうして当時の警察は()()()()()()()()ことになんの疑問も抱かなかったんだ?」

「ああ、その辺は情報伏せられてんのか。……そりゃそうか、ジジイの証拠隠滅のやり方、流石にちょっとグロすぎたし」

「なに?」

 

 眉を潜めた勇人に、メッセージを見て以降ずっと静観していた朱音が口を開いた。

 

「……勇人さん、当時の事件現場は『まるで荒魂の仕業のようだった』と、舞草の拠点で当事者のあなたは言いましたね」

「──言いましたよ」

「遺体をバラバラにされた猟奇殺人事件として処理された当時の現場の状況を、勇人さんは、詳しく覚えていますか?」

「……いえ」

 

 朱音の言葉に、勇人は視線を斜めに上げながら、記憶を想起させて答える。その隣で、京子は紅茶を飲み干してからふと言った。

 

「覚えてないのも仕方ねえよ。当時のこいつは八歳だ、遺体が原形を留めていないくらいグチャグチャだったのを覚えてられるワケ無いわ」

「……現場を荒らしたのはシキで、死体を破壊したのもシキだったのか」

「そうだ。アタシとゆきを連れ出すためにはそうするしかなかったんだよ。DNA……血は残ってるが死体は全部グチャグチャ。

 警察が優秀でも、あの場でこう考えるやつなんか居やしない。──本当に数は合ってるのか? ……なんて、そんなこと考えるやつは居ない」

 

 

 

 そう言い切って、当事者の一人である京子は、誤魔化すように目を逸らすと続ける。

 

「そこまでやったジジイの本来の目的を教えてやる。アイツはな……もうじき死ぬ」

「……なんだって?」

「──大荒魂シキは死にかけてる。その前に、お前に殺して欲しいんだよ、勇人」

 

 そう言った京子に、勇人の頭はただ、疑問から来る困惑に包まれていた。

 

「……なんで???」



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星月

「──大荒魂シキは死にかけてる。その前に、お前に殺して欲しいんだよ、勇人」

「……なんで???」

 

 勇人の言葉に、京子は眉を潜める。

 

「アタシ今そんなに変なこと言ったか?」

「大分変だったが? シキが死にそうなのと俺が殺すのはイコールじゃないよ?」

「結果的に死ぬんならイコールじゃね?」

「全然違うけど……?」

 

 何を言ってるんだと言わんばかりに表情を歪める勇人は、咳払いをしてから改めて問い直す。

 

「……で、死にかけてるっていうのは」

「簡単な話だ、シキはこの国が江戸だった時に大量のノロを取り込んで大荒魂()()()()()になったわけだが──はいここで問題(もんだ~い)

「きょーちゃんもやるのかよ……」

 

 にこやかな態度で声だけを高らかにして、京子はパンと拍手を一つ。

 

「そんな『大荒魂みたいなモノ』である今のシキの意識は『星月式』なわけだが──その自意識が()()()()()()()()したら、残った体はどうなると思う? はい衛藤くん早かった!」

 

「えっ私!? まだ手上げてないけど……」

「きょーちゃんこういうノリ好きだから」

 

 ビシッと指を差された可奈美は一瞬驚きつつも、勇人にそう言われながら思案する。

 

「えーっと……大荒魂みたいなモノなわけだから、体はノロで出来てるんだよね? それで式さんの意識が無くなったら、残るのはノロだけ──!」

 

 そこまで言って、可奈美は一つの結論に至る。同じ考えなのだろう姫和を見ると、彼女は可奈美に変わって京子へと口を開いた。

 

「──星月式という意識が消えれば、(ノロ)は刀使がバラバラにした荒魂が結合するのと同じように、再度活動を始める可能性がある」

 

「いえーす。大荒魂と遜色ないジジイの体からジジイの意識が無くなったら、あとに残るのは膨大なノロを蓄えた死体なわけで。そこから荒魂が生まれたらどうなる? 答えは簡単」

 

 京子は背もたれに体を預けて、重苦しいため息をこぼしてから全員に向けて続ける。

 

「人間の理性すら無い、珠鋼から分離させられ人類への恨みを抱えた、新しい大荒魂シキの誕生だ。()()が暴れたらどうなるかなんて、お前らは去年嫌ってほど味わったからわかるだろ?」

『もう一度我と戦うようなものだな』

「うげぇ」

 

 黙りを決め込んでいたタギツヒメの脳裏に響く声に、勇人は小声で反応する。

 

「……だから、ジジイは勇人の御刀を──自分の娘を必要としていた。『ノロを取り込んで燃料に変える力』を持つそれなら、自分という荒魂を安全に無力化できるからだ」

「ならあのときそう言えば、そのまま終わってた話じゃないか。なんで襲ってきたんだよ」

「さっきも言ったがジジイは死にかけてる、()()()()()()()が終わりそうなせいか、あいつ最近ちょっとボケてきてるんだよな」

「えぇ……」

 

 ──現にあいつ言ったことうろ覚えだったし。と言って京子が呆れと憐憫を混ぜた表情でうつむく。勇人はそれを見て、ふと返した。

 

「……つまり殺してほしいというのは、シキに勝ったうえで、人としての意識があるうちにノロをこの世から消してほしいってことか」

「──そうだ」

「俺がシキと戦うとして、きょーちゃんとゆきはどうするつもりだ?」

「んー……一応はジジイの味方だからな。戦う以上はその時は敵だ、それはそれってことで、そっちの二人に喧嘩売るかもな」

「おい」

 

 巻き込むな、とでも言いたげな声色の姫和が短くそう言う。可奈美の方は特殊な力の御刀を持つ京子と幸と戦えるからか、ウズウズしている。

 

「さてと。話しておきたいことは全部言い終わったし、アタシはお暇させてもらうぜ。近いうちに戦う時間と場所を知らせるからよ」

 

 おもむろに立ち上がると、体を伸ばして関節を鳴らしながら京子は言う。

 勇人に応援を呼ぶことを止められていた朱音は、話が終わったのならと容赦なく手元の端末で警備員と刀使にメッセージを送信し──()()()()()()()()()かのようにニヤリと笑った京子が電気を迸らせて、その場から刹那の内に消えた。

 

「……追うか?」

「いや、それは誠実じゃない」

「わざわざ従ってやる必要があるか」

「こっちが約束を破るなら、向こうにも暴れていいという免罪符を与えることになる」

 

 パリ、と蒼い雷を纏った姫和に、勇人は窘めるように返す。不承不承といった様子で力を消す彼女に、勇人は、苦笑をこぼしながら呟いた。

 

「──忙しくなるなぁ」

 

 

 

 

 

 ──どこか遠くの山奥にある、誰からも忘れられた古い防空壕。人が住めるようにと四つ腕の熱と腕力で空気穴を開けたりと改築を重ねたそこに帰宅した京子は、古本を読んでいる幸と、夕食を作っているシキを視界に納めた。

 

「ただーいまー」

「お帰りなさい。ゆうくんたちにちゃんとした説明は出来ましたか?」

「したよ。本来ならこないだ会ったときにやるつもりだったから疲れたぜ、ったく」

 

 ちらりと台所に立つシキを恨みがましい顔で見る京子。見られている当のシキは、四つ腕を器用に使って野菜を切り、挽き肉を丸めている。

 

 その少女にしか見えない背中に、かつての孤児院の先生──藤森篤の姿を思い浮かべて、幸の横にドカッと座る京子はポツリと呟いた。

 

「…………このまま平穏に暮らせねぇかな」

「無理ですよ。式さん、さっき、()()()()()()()()()()()もの」

「……クソっ、そうかよ。なら早いうちに決着つけないとな、勇人たちにゃあ早めにスケジュールすり合わせしてもらわないと──」

 

 ため息混じりにそう言っていた京子だが、言葉を不自然に区切らせると、その体を丸めて、不意に襲ってきた激痛に耐える。

 

「──ぐっ、が、ぁっ……!」

「きょーちゃん!」

「大丈夫、だ……春雷(こいつ)の……出力が、少しばかり、高過ぎてなぁ……っ」

 

 傍らに置いた御刀──【春雷】を横目に、数分経って痛みの波が引いた体を起こして、それから自身の長袖を捲って腕を露出させる。

 星月式に時間が無いように、少なくとも、剣崎京子にもまた、戦い続ける力は無い。

 

 

 

 

 

「──うぇ、すげぇ真っ黒」

 

 ()()()()()()()()を見て、京子は、他人事のようにそう言って口角を歪めていた。



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朧月

 私服に身を包んだかつての仲間、皐月夜見の居る鎌府女学院付近の荒魂を狩り終えた勇人は、付いてきていた結芽と共に校内を歩く。

 年の瀬からの半年で髪が伸び、狐の尻尾のように先端だけが白い黒髪の夜見が、二人を見つけると会釈をしてから口を開いた。

 

「……勇人くん、燕さん」

「やっほー夜見おねーさん」

「よっ。久しぶり」

「立ち話もなんですから、こちらへどうぞ」

 

 学長室に通された勇人は、荒魂人間──剣崎京子からの情報を、室内に居た学長・高津雪那を含む三人に伝える。

 

「半人間半荒魂……か。夜見たちにやった実験よりも高濃度のノロと適合できた、奇跡の存在と言えるな。御刀の起動まで出来るとは」

「私の場合は投薬に近いからか、タギツヒメや彼女たちのような見た目にはなりませんでしたが……ある意味、上位互換なのでしょう」

 

 雪那と夜見がそう言い、席についた勇人と結芽が言葉を継いで話す。

 

「俺の相手はシキだから良いんだけど……あの二人の相手がなぁ~」

「私がやる! リベンジしたいし」

「一応結芽は候補の一人だよ」

「他にも居るの?」

「一番戦えそうなのが可奈美と姫和、その下に結芽と沙耶香、他に何人か──かねぇ」

「それもうおねーさんたちで確定じゃん」

 

 ムスっとした表情で唇を尖らせる結芽は、そういえばと夜見に向き直ると問いかけた。

 

「夜見おねーさん、御刀返上して刀使辞めちゃったんだっけ」

「はい」

「それで今はなにやってるの?」

「……次期鎌府学長候補として勉強を」

「へえ。夜見が学長ねえ」

 

 ちら、と結芽と二人で雪那の方を見れば、憑き物が晴れたような顔色で口角を緩めている。

 

「はい。高津学長を目指して、日々精進です」

「高津学長を目標にするのはやめた方が……」

「おばちゃんはやめといたら?」

「聞こえているぞクソガキ共。……そう言われるだけのことをした覚えはあるがな」

 

 一転して渋い表情を取る雪那に、夜見がそれとなくフォローを挟んだ。

 

「あまり責めないであげてください。今までの事を一番気にしているのはご本人ですから」

「貴様も言うようになったな……」

「いやまあ、過去は過去だし反省してるならそれでいいんですがね────ん」

「あ、また荒魂の反応だ」

 

 そう言った勇人は、不意に荒魂の気配を感じ取る。一拍遅れて端末(ファインダー)を覗いて荒魂の発見報告を確認し、結芽が立ち上がった。

 

「ほらおにーさん、荒魂倒しに行くよ!」

「わかってるよ。じゃあ夜見、学長、今日のところはこれで」

「お気をつけて」

「……達者でな」

 

 大荒魂シキと京子と幸という大きな障害はあれど、それはそれとして日夜現れる荒魂への対処もしなければならない。

 ──忙しくなるな。という何度目かも忘れた愚痴を脳裏で独りごちる勇人は、立て掛けていた朧月夜を握った際の絶妙な違和感に、ピクリと眉を跳ねさせるように反応した。

 

 

 

 

 

 ──夕方、可奈美と姫和が待機している機動隊本部に向かう途中のバスの中で、連戦を終えて眠っている結芽に肩を貸しながら、窓の外の景色を見る勇人にタギツヒメが話しかけた。

 

『御刀との()()()が切れかけているな』

「……やっぱり、そうみたいだな」

『貴様も歳だからな、単純に刀使としての寿命が近づいているのだ』

「まだ19の人間に歳って言うなよな」

『ふん。問題はそこではない』

 

 他に誰も居ないのを確認しつつ小声で会話する勇人は、傘のように足に挟んで立てている御刀──朧月夜に視線を向ける。

 

「つまり、この一件が、俺の最後の仕事になるってことか。……お嬢さん。君は──シキの為に、俺に力を貸したのかい?」

 

 その問いが返ってくることは、当然だがなかった。ため息をついて、勇人は呟く。

 

「ああ虚しい虚しい。御刀に語りかけたり幻聴と会話したり、いよいよ俺もヤバくなってきたな」

『……? 今までの貴様はまだ常識人であったかのような物言いだな……?』

「常識人ですが?」

『御刀の特性ありきの捨て身戦法を取るのが常識なら、同じ事を十条姫和にでも言ってこい』

「この話やめようか」

 

 形勢が悪くなり、会話を中断する勇人。

 脳裏に響く幻聴(タギツヒメ)は、そんな勇人にふんと鼻を鳴らしてから続けて言った。

 

『時に、貴様はいつになったら十条姫和と婚約するつもりなんだ』

「大荒魂がすげぇ俗っぽい話題振ってくるの面白いな。……今はそんなことしてる暇はないし、そもそも姫和はまだ15だぞ?」

『あのとき「惚れた弱み」がどうとか言っていたわりには変なところで怖じ気づくのだな』

「お前あれ聞いてたの……!?」

 

 小声で器用に驚く勇人は、ちらりと結芽が起きてこないことを確認すると、呆れ混じりにタギツヒメに言い返す。

 

「これからシキやきょーちゃんたちと戦うときに、余計な話をして気が逸れたらどうするんだ? それになあ、こういう時に結婚がどうとか口にしてると死ぬジンクスってのがあるんだよ」

禍神(ひより)に背骨を断たれても生きている時点でその言い訳は手遅れではないか?』

「まあ朧月夜があるなら背骨とか腕くらいならくっつければ治るしなぁ。流石に首撥ねられたら死ぬ……かも……? たぶん、きっと」

 

 そこまで言った辺りで、バスが到着して停車する。結芽と御刀二振りを抱え上げて降り、本部の客室に向かう勇人は、ソファに彼女を寝かせてやると静かに扉を閉めた。

 

『藤森勇人、気を付けることだな。御刀との繋がりが切れかかっているということは、もはや時間は残されていないということだ』

「わかってる」

『それに、御刀が使えなくなるということは──貴様はもう無茶はできない』

「ああ」

 

 勇人に言うべきことを言い切ったらしく、そこでタギツヒメの声は聞こえなくなった。

 ──ようやく大人しくなったか。と呟いて、勇人は自分の使っている部屋に戻る。

 

「少し休憩してから、可奈美たちと作戦会議するかぁ。紫さまにも相談した方がいいのかねえ」

 

 朧月夜の鞘を握りながら独りごちる勇人が、片手でおもむろにドアノブを捻り、ガチャリと扉を開けて、()()()()声をかけられた。

 

「お帰りなさい」

「うい、ただいま…………ん?」

「こんばんは」

 

 入ってすぐ視界に入るソファの上に、ちょこんと正座している少女が一人。

 病的なほどに白い髪を短く揃えていて、その膝には小太刀が乗せられている。

 

「……ゆうくん、入らないのですか?」

「……………………部屋間違えました」

 

 小首を傾げる少女──京子と同じ荒魂人間・九条幸を見て、勇人は扉を閉めるのだった。



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前夜

「いえ、間違ってませんよ?」

「なんで居るんだよ」

「シキさんの【黄落】で」

「ワープはズルじゃない?」

 

 廊下に視線を左右させてから、勇人は部屋に入って後ろ手に鍵を掛ける。

 眼前で自分を見上げて微笑を浮かべる少女──九条(くじょう)(みゆき)は、敵の前線基地に忍び込んでいるようなものである現状に対して、あまり危機感を抱いていないようだった。

 

「……もしかして行ったことがなくても座標が合っていればそこにワープできるのか?」

「ええ、そうですよ。まあ……これを盗みなどの悪事には使っていない、とだけ」

「さいで」

 

 ──九条幸。同い年だが生まれが数週間早いからとやたらと姉ぶるヤツ。箸より重いものは持てないひ弱。……()()()、と脳裏で思考を纏めながら、勇人は対面に座る。

 

 万が一を考えていつでも朧月夜を抜けるように傍らに置きつつ、視線を向けた先でソファにちょこんと座る幸の言葉を待った。

 

「や~~、ちょっと見ない間にゆうくんも立派になっちゃって。あれやこれやとやってるうちに大荒魂を倒した英雄ですよ、英雄」

「わざわざ世間話をしに来たのか?」

「あは。そうしたかったんですけれどねぇ……単刀直入に言いますと、シキさんの寿命が近いです。思っていたよりも時間がありません」

「────」

 

 ──ですので、と言って幸は続ける。

 

「昨日の今日で申し訳ありませんが、早いうちに戦いましょう。二日後の昼、御前試合決勝のあの舞台に、ゆうくんと──貴方が選んだ刀使を二人だけ、合わせて三人で待っていてください」

「……他に誰かが居るとわかった場合は?」

「そのときは誰にも見つけられないような遠くに逃げて、()()()()()()()()()が死んだあとに、『再結合した大荒魂シキ』を適当な街に放ちます」

「お前今とんでもないテロ予告したな」

「こちらとしてもそんなことはしたくありません。……信じていますよ、ゆうくん」

 

 そう言い終えると、幸はおもむろに立ち上がり窓に近づく。そんな彼女に、勇人は問いかけた。

 

「ゆき、お前、どうやって帰るんだ?」

「行きは直接ここに。そして帰りは…………徒歩です。走ります」「えぇ……」

 

 隠していたローブを纏いフードで頭まで覆い隠すと、重いため息をついてから言う。

 

「タギツヒメを見ていたでしょうからわかると思いますが、私たちの体って()()()()()してるんですよね。夜だと物凄い目立つからこうして隠さないといけないんです」

「──大変だな」

「まったくですよ」

 

 あーはーは、と乾いた笑い声を上げながら、幸は開けた窓から外へと飛び降りていった。闇夜に紛れるように走り去る背中を見送って、勇人はポツリと独りごちる。

 

「お前、微妙に発光してたな。そういえば」

『うるさい』

「……そういえば、荒魂人間なのに、あいつらって携帯端末(スペクトラムファインダー)には反応しないんだな」

『反応したのは戦っていた時だけ……だったな。ふむ、なるほど』

「なにかわかったのか?」

『──そのうち話す』

「なんだよ勿体ぶって」

 

 それから反応を示さなくなった幻聴(タギツヒメ)に対してやれやれと頭を振って、勇人は体を伸ばしながら独り言を続けた。

 

「可奈美たちには明日話すか……疲れたし、今日は早めに寝────」

 

 窓を閉めてベッドへと足を運ぼうとした勇人は、不意に聞こえてきたノックに絶句する。

 

「…………んんんもぉぉぉおお……っ!!!」

 

 顔を両手で覆いながら、くぐもった叫び声を出す。一拍置いて先程の幸に負けず劣らずのため息をつくと、改めて扉を開けた。

 

「はい」

「藤森。少しいいだろうか」

「…………紫さま?」

 

 スンとした表情の勇人が開けた扉の前に立っていたのは、前当主・折神紫だった。

 

「どうした、もしや先客が居たか?」

「いえさっき帰りました」

 

 

 

 

 

 ──カチャリと紅茶の入ったカップを置いて一息つきながら、紫は勇人の言葉を聞き終えた。

 つい先程まで幸が居たことは伏せつつ、シキとの戦いが二日後に控えていることと──朧月夜との繋がりが途切れ掛けていることを明かす。

 

「……そうか。お前も、刀使を辞める時期だったか。19歳まで続けられていたのは幸運か──いや、或いは、この時にシキと戦うために延命させられていたか……だな」

「朧月夜はある意味でシキの娘ですし、止めて欲しいと思って唯一の血縁者である俺に力を与えたのだと考えるのが自然でしょうねえ」

 

 背もたれに体を預けて天井を見上げる勇人は、視線を下げて目の前の紫を見据える。

 

「藤森先生……いや、藤森篤さんは、自分と俺とシキに繋がりがあることを知っていた。だから紫さまに俺を保護させつつ、妖刀と呼ばれていた頃の朧月夜を手元に置かせたかった」

「……だろうな。誤算があったとすれば、彼が頼った私がタギツヒメだったことだろう」

「どうでしょう、アイツもなんだかんだ俺で家族ごっこをやってた節はありますし、あの人の選択は決して悪くはなかったと思いますよ」

 

 無意識に蒼い片目の目尻に指を這わせる勇人は、ふっと口角を緩めて紫に言う。

 

「俺がシキを倒して、ノロを回収して、刀使としての最後の仕事を終えて引退。これ以上ないくらい分かりやすい目標で助かるくらいですよ」

「……ふっ、そうか」

「連れていく刀使も可奈美と姫和以外にはありえない。あとは二日後を待つだけで、正直やることがないまであるんですよお母さん」

「お母さんはやめろ」

 

 立場上は親と言っても過言ではない紫だが、部下としての付き合いの方が長いせいで、()()呼ばれることには慣れていない。そんな紫は、少しして、思い出したように声をあげた。

 

「どうかしましたか」

「……お前と衛藤、十条は立派な戦力として日本各地に遠征させていることが多いな」

「──あ゛」

「二日後までの間に任務が詰まっている。スケジュールを考えると……明日までに片付ければ三人を纏めることは出来そうだが……」

「他の人に割り振るのは」

「おそらく無理だ」

「ですよねえ~」

 

 

 

 ──俺がやるしかないのか。勇人のその呟きに対しこくりと頷く紫を見て、彼はただただ静かに、天井を仰ぎ見ることしか出来なかった。



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決戦

 約束の日の朝、局長室に呼ばれた勇人たち三人は、中に居た二人に顔を向ける。

 元当主・折神朱音と、その姉の紫。二人は三人を見ると、目配せで入るように伝えた。

 

「……今日の午後、お前たちには、大荒魂シキとその部下二人を相手してもらうことになった。それは理解しているな」

「今回三人の予定を合わせるために休み無しで西に東に遠征してめっちゃ疲れてるので後で30分くらい仮眠させてください」

「…………ご苦労だったな。藤森には特別手当ても検討しておく」

「お金はいいので寝かせて」

 

 どことなく(やつ)れている勇人を横目で見上げて心配そうにする可奈美と姫和だが、時間が押しているため会話を優先する。

 

「それで朱音様、どうしてこっちに呼んだんですか? 紫様も居るのは……」

「衛藤、そして十条に渡したいものがあったからだ」

「渡したいもの?」

「御前試合で優勝した刀使に、夏越の大祓の際に着てもらう特殊な衣装です」

 

 可奈美の言葉に紫が返し、姫和がおうむ返しすると、朱音が答えながら立ち上がり、傍らのビニールカバーに包まれた二着の服を取る。

 それぞれを受け取って開けた二人が広げたのは、巫女服をベースにした衣装だった。

 

「──祭祀礼装・禊。装飾に珠鋼を使っているため、着るだけで僅かに身体能力が上がる」

「すごい……けど、いいんですか?」

「今回は特例だ。大荒魂を藤森のみが、荒魂人間を衛藤と十条が相手取るのであれば、勝つための策は出来る限り使うべきだろう」

 

 赤い色合いの礼装を両手で広げる可奈美が問う。それにあっけらかんと答える紫を見て、姫和が自身の緑の礼装を握りながら口を開く。

 

「なら、ありがたく着させてもらおう。──おい、勇人」

「はい?」

「着替えるから部屋を出ろ」

「…………? あー、ああ、そうか」

「……ついでに客室で寝てこい、頃合いを見て起こすから」

「助かる」

 

 後ろで話を聞きながら左右に揺れていた勇人に出来るだけ優しくそう言うと、姫和に頷いてから部屋を出ようとする。それから不意に振り返ると、勇人は紫に問いかけた。

 

「そうだ、紫さま」

「なんだ」

「俺の分は?」

「…………無い」

「────?」

 

 苦々しい表情で絞り出すように答えた紫に、勇人は眉を潜めてから声を荒らげた。

 

「母さーん!? 俺の礼装は!?」

刀使(じょせい)用のみで男性用は無いんだ、すまない」

 

 

 

 

 

 ──午後、御前試合決勝の舞台である本殿白州に集まった勇人は、早速と祭祀礼装を着込んだ二人と共に御刀を手にして待機していた。

 

「勇人さん、ちゃんと寝られた?」

「ああ。だいぶスッキリしたよ」

「シキの相手は出来るんだろうな?」

「俺が負けたらまたタギツヒメの時と同じかそれ以上の災厄が起きるわけだからなぁ……責任重大だな、あっはっは」

「……大丈夫なのか、これで」

 

 乾いた笑い声をあげながらざっざっと白州の上を歩いて回る勇人をよそに、可奈美は口角を緩めて小声で姫和に話しかける。

 

「ところで姫和ちゃん、勇人さんから何か言われたりしてないの?」

「なにか……?」

「プロポーズとか。もうされた?」

「は────、はァ!!?」

「……うわー、まだされてないんだ」

 

 可奈美の問いに、一拍置いて反応した姫和は爆発したように顔を赤くした。

 

「な、ばっ、は!?」

「姫和ちゃん、落ち着いて聞いてね。勇人さんってまあまあモテるよ」

「!?」

「男性の刀使で、タギツヒメと戦って、隠世の彼方から生還した人。当然だけど注目されるし、皐月さんとかを見れば……わかるでしょ?」

「…………」

 

 ──言われてみれば確かに。という言葉が姫和の脳裏を過る。ちらりと勇人の方を見やると、爪先で砂利を掘り返していた勇人と視線がぶつかり、ふっと微笑を返される。

 何事かと小首を傾げる勇人に、姫和は赤くした顔が更に熱くなる感覚を覚えた。

 

「ていうか、今でも自宅で同棲してるのに進展してなかった事実に驚いてるよ」

「……家に居ない時間の方が長かったからな。その手の話をする機会はなかった」

「じゃあ今回がチャンスじゃんっ! 全部解決したら、ゆっくりお話してみなよ」

「────あ」

 

 可奈美に言われた言葉を耳にして、姫和は以前、タギツヒメと戦う直前にビルの中で交わした会話の内容を想起していた。

 

 

 

『……あのときの答えは、全部終わってからで良いから、とにかく集中しよう』

『そうだな。言われっぱなしは癪だが……下手に答えたらそのまま満足して死にそうだ』

『酷い言い分だな……』

 

 

 

「──ずっと保留にしていたままだった」

「なにが?」

「いや。改めて意識するとキツいな……」

 

 これから戦闘になるからと頭を振って切り換えようとする姫和。

 その隣で装飾のズレを直す可奈美は、暇そうに戻ってきた勇人と顔を合わせる。

 

「お帰り勇人さん」

「おう。あいつら、何時になったら来るんだか。詳しく時間の指定もするべきだったな」

「あはは……もうそろそろだと────」

 

 ──直後、突然の気配に可奈美は腰の御刀・雷切に手を添える。

 素早く朧月夜と千鳥を抜ける体勢を取る二人も同じ方向を向くと、十数メートル離れた位置の空間が一瞬歪み、件の三人が現れた。

 

「おーうおうおう時間通りだな」

「いやずっと待ってたわ。時間の約束をした覚えがないんだが?」

「……? 言った……よな?」

「聞いてないけど?」

「えっ?」

「えっ?」

 

 勇人と同じようなワイシャツにジャケットを羽織った京子の言葉に、二人揃って首を傾げる。その光景を見て、呆れた様子で幸が言った。

 

「なんで時間の指定までしてないんですか」

「いや……言った気になってたっつーか、まあゆきが顔見せに言ったんなら言うかなって」

「私はきょーちゃんが言ったと思っていたのでそんな話しませんでしたよ」

「えっ」

「えー」

「おい報連相も出来ない社会人共」

 

 ──延々続ける気か。と呟いて、勇人はため息をついてから、黙り続けている腕の無い少女・大荒魂シキに向き直る。

 

「それで、この後の予定は? まさかここで三対三のチーム戦でもやろうってのか」

「……ここでは戦わない」

 

 そういうや否や、シキは肩甲骨の辺りから二本のノロの腕を伸ばして、一瞬の不意をついて勇人の体を掴みながらもう一本に御刀を握らせる。隠世の浅瀬に隠していた一振り──【黄落】の能力を起動して、自分と勇人()()を飛ばした。

 

 

 

「ぬ、う、おっ」

「──俺とお前だけはな」

「ここは……建設中のマンション、か?」

 

 ぐわんと視界が歪み、エレベーターが上昇したときのような内臓が浮く感覚。

 それが一瞬だけ発生し、収まった頃には、勇人はコンクリートに囲まれた建設物の中に居た。

 

「京子が以前参加していた日雇いの仕事の延長で建設していた建物だ。どうやら問題が起きて中止になったらしいからな、数日後に解体作業が始まるここでなら全力を出しても被害はない」

「いやあるのでは? というかあいつ日雇いのバイトしてたんだ……」

『荒魂人間も所詮は人か』

 

 髪隠せばイケるのか……? と思案しつつ、勇人は朧月夜の鯉口を切る。

 シキもまた黄落を握るのとは別の腕に太刀──【薫風】を握らせ、残り二本の腕に二振りの薫風(ぶんしん)を握らせて変則的な構えを取った。

 

「では──参る」

「嘘つきめ」

 

 そう言って、シキは、さも当然かのように大量の御刀を生成して、両側の部屋になる予定だった空間から勇人を取り囲ませる。

 左目(りゅうがん)を輝かせる勇人もまた、それを見抜いて迅移を用いて前へと躍り出たのだった。



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京子

 折神家、本殿白州。そこに残された姫和と可奈美、そして京子と幸。

 四人は声に出すでもなく、しかし示し合わせたかのように、全く同時に抜刀していた。

 

「──タケミカヅチ」

「──【春雷】」

 

 即座に姫和と京子はそれぞれが蒼と橙の雷を纏い、姿が消えたと錯覚する速度で光の尾を引きながら疾走する。観客席や白州を縦横無尽に駆けずり回る二人を余所に、可奈美と幸は千鳥と綿雪を構えてジリジリと互いに距離を縮めていた。

 

「勇人さんとシキはどこに行ったの」

「……さて、『暴れても問題ない場所に移動する』とは言っていましたが、それが何処かまでは説明してくれませんでしたので」

「……なんだか説明不足過ぎない?」

「ええ、まあ、はい。否定はしません」

 

 ふい、と視線を逸らして呆れ気味にため息をこぼす幸。釣られて苦笑を浮かべた可奈美は────幸の小太刀を握る手がヒュンとぶれるのを捉えて千鳥を構える。

 

「づ……!」

「惜しい」

 

 視線を逸らしてその先を()()辿()()()()誘導、それにより出来た隙に綿雪を叩き込んだが、可奈美は防ぐ。だが衝突と同時に生じた凄まじい重さに、僅かに顔をしかめながら受け流した。

 

「もう既に特別遊撃隊の……あの子供達から情報は聞いているでしょう。私の御刀【綿雪】は、重さを変えることが出来ます」

「──振るときは軽く、当てるときは重く。言うのは簡単だけど……」

「その辺は慣れですよ」

 

 あっけらかんとそう言いながら、幸は綿雪を振りかぶって可奈美に肉薄。

 目で追うのも困難な軌道に、可奈美は一瞬だけ発動する迅移を思考速度の加速に利用して、綿雪の刀身に千鳥を合わせる。

 

 ガンッ! ガンッ!! とおおよそ刀がぶつかり合っているとは思えない重低音が響き、剣戟の速度は徐々に増す。順手、逆手、右手から放り投げた綿雪を左手でキャッチして突き、かわされるのを見越してタックルのようにぶつかる。

 

 咄嗟に受け止めようとした可奈美は、幸──が握る綿雪の重量操作により重さが加わったその体当たりで後方へと押し出された。

 

「うわっわわわっ……と…………?」

「流石は英雄。このくらいは対応しますか」

「────」

「おや、この呼ばれ方は嫌でしたか?」

「ううん、そうじゃ、なくて」

 

 可奈美はなにか違和感を覚えたようで、眉を潜めてそう返す。自分の体と、幸の体を交互に見て、それからおもむろに問いかけた。

 

「ねえ、貴女ってもしかして──」

 

 

 

 

 

 ──同時刻、蒼と橙の雷を交差させるように幾度も衝突する二人。姫和が小烏丸から矢のように電気を飛ばすと、京子は砂利を蹴り上げて一発を落とし、残りを体を斜めに逸らして避ける。

 

 姿勢を戻した体をパリパリと帯電させながら、京子は()()()()()()()()ながら口を開いた。

 

「──ふ、ぅ……。アタシは流石にそういうの出来ねえんだよなぁ。ズルいぞー」

「知るか。能力の系統は同じなんだ、貴様にセンスが無いだけだろう」

「辛辣だなあ、もしかしてまだ彼女扱いしたことに怒ってんのか?」

「うるさい」

 

 ピクリと眉を跳ねさせて、姫和は被せるように返す。京子もまたくつくつと喉を鳴らすように笑い、それから続けて彼女に問われる。

 

「……お前たちは、なぜシキの味方をする? 放っておけば人間として死に、荒魂として復活するとわかっているのなら、どうして我々に協力せず敵対の道を選んだ」

「んー、まあ~、そうだなぁ」

 

 とぼけるような声色でそう返し、一拍置いてから、京子はさらりと言った。

 

「──恩人だから」

 

 その声と表情だけは本心を語っていて、姫和は思わず斬りかかろうとした動きを止める。

 

「あのまま死んでたかもしれなかったんだ、多少人間を辞めることになっちまったが……助けられたのなら、恩は返さねえとな?」

「言わんとしていることは、理解できる」

「ま、アタシとしちゃあここで負けて死ぬのも仕方ないとは思ってるんだけどなぁ、お姉ちゃん的には勇人にゃ幸せになってほしくてな」

「そうか」

「もうちょいお話ししようぜ?」

 

 ──時間稼ぎをされている。

 

 そんな直感が姫和の脳裏を過り、()()()()()ように見える京子の表情にどことなく焦りを感じ取る。とにかく先ずは勝とうと、バチリと蒼い雷を迸らせ、姫和は深く踏み込んだ。

 

「はぁ……キツい」

 

 ぽつりと小声で呟きながら、京子もまた橙の電気を迸らせて対応する。

 龍眼による未来視は出来なくなってはいるが、姫和の雷神は禍神になっていた当時に負けず劣らずの出力をしていた。

 

 京子の【春雷】による電気もまた、姫和のモノと同じ系統の能力。御刀による能力か刀使が引き出す能力かで違いはあれど、根っ子は同じなのだ。だが、どこかおかしい。

 

「────」

 

 姫和の脳裏にちらつく違和感。京子の焦りと、時間稼ぎをするような会話。

 ただの疲労で片付けていいのかと思いつつ、自身と同等の速度を出せる相手であることに変わりはないため、油断は出来ない。

 

 ──それから都合数回打ち合い、春雷で小烏丸を受け流し、返す刀で逆袈裟に振り上げる動きを避け、再度返すように受け流された姿勢のまま峰側の刃を向けて振り抜く。

 

「っ──おっ、と、と」

 

 雷で強化された速度を辛うじて避けきった京子だったが──その疲労はわかりやすいまでに積み重なり、流れる汗は電気の熱に蒸発する。

 

「……どうしたぁ、かかってこいよ」

「貴様、なぜそこまで疲れている」

「あん? こっちにも色々あんだよ……」

 

 からからと笑う京子は、春雷を握り直して電気を流そうとして、体勢を崩して苦しんだ。

 

「──ァ、ぐ、ぅ」

「……なんだ……どうした!?」

「なん、でもねぇ……っ」

 

 胸を押さえて刀を杖のように地面に刺す京子を前に、姫和は流石に驚愕する。

 そして、その体を冷静に観察して、姫和はようやく京子に対する違和感に気づいた。

 

「……写シを張っていない……?」

 

 その体が、写シに変換されていない。電気と荒魂人間特有の微量な発光のせいでわかりづらかったが、京子の体には、刀使の必須技能である身代わり──写シが張られていなかったのだ。

 

 姫和はふと、荒唐無稽に近い、しかし真実なのだろうという確信めいた質問をする。

 

「……剣崎京子。お前たちはおそらく……体内のノロという負の神性で、御刀を半ば無理やり起動しているのだろう」

 

 口で荒く呼吸する京子は、そのまま横目で姫和を見る。何も言えない状況だが、表情を歪ませて笑う動きが答えになっていた。

 

 

 

「お前たちは、厳密には刀使ではないんだ。電気を纏う能力を写シではなく生身で使って、耐えられるわけがないだろう……!」

 

 姫和は、ちらりと見えた首もとの炭化した皮膚を見て、苦い表情でそう言った。



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刃竜

「大人しく投降しろ、それ以上は死ぬぞ!」

「……はっ、お優しいねえ英雄様は」

 

 小烏丸を突き付ける姫和に、京子はバチバチと戦意を剥き出しにした電気を纏いながら返す。ジャケットを肩の動きで手短に脱ぎ、【春雷】を握り直す彼女は袖や裾の隙間から炭化した皮膚を覗かせながらも汗を垂らして言う。

 

「死ぬはずだった命を拾われて、その恩を返す。その過程で死んだとしても、そりゃあ『仕方なかった』ってやつでしかねえ。延長戦(ボーナスタイム)の使い時が、偶然、今だったんだよ」

「……剣崎京子……っ」

「そんな顔すんなっつの。ああ、生身の人間を斬るのが嫌って言いたいなら安心しろ、アタシらの人間要素は3割くらいしかねぇから」

 

 からからと笑う京子に対し、姫和は歯を軋ませる程に噛み締める。

 それは生身は斬れないというだけでなく、()()()()()()()()()勇人の知り合いを斬ってもいいのか、という葛藤を含んでいた。

 

「──姫和ちゃん!」

「っ、可奈美……」

 

 ガキィンと甲高い金属音を奏でて、人影が京子の横に飛んでくる。それを追いかけてきた可奈美が姫和の隣に立ち、二人に向け千鳥を構えた。

 

「お、ゆき~」

「きょーちゃん、なんでそう追い詰めるような言動をとるんですか」

「軟派な奴には勇人を任せられねぇし……」

「小姑」

「!?」

 

 まぶたを細めて短くそう呟いた幸に、京子は驚愕の表情で固まった。その漫才を横目に、可奈美は姫和におもむろに言う。

 

「姫和ちゃん、この人たち、写シを張ってない。たぶん体内のノロ……負の神性を使って無理やり利用してるんだと思う」

「わかってる。わかっているが……」

「──姫和ちゃん、姫和ちゃんが斬れないって思ってる理由、わからない?」

「なに……?」

 

 ちらりと視線を向けて、可奈美は小さく笑みを浮かべると、あっけらかんと返した。

 

「知り合いが死んだら、勇人さんが悲しんじゃう。そう思っちゃったんだよね」

「────」

「ならさ、簡単だよ。死なせないようにしながら勝てばいい。だって倒さなきゃいけないのはシキだけだもん、二人を殺す必要は無いよ」

 

 わざわざ京子と幸に聞こえるように言いながら、可奈美はにっと笑う。

 ()()()()()()()()()と察した姫和は、呆れたように薄く笑みを浮かべて雷神(タケミカヅチ)を起動する。

 

「やる気があって大変結構。だがまあ、どうせ死ぬなら勝って死にてぇよなあ?」

「なんで私も死ぬみたいな流れになってるんですかね……別に一蓮托生でも構いませんが」

 

 さらりとそう言って、橙の電気を纏う京子と並んで【綿雪】を構え直す幸。

 恩を返すために死ぬことも勘定に入れて戦う京子と、勇人の家族でもある彼女を死なせるわけにはいかない姫和たち。

 

 目的も理由もバラバラの四人の戦闘は、佳境へと入って行くのだった。

 

 

 

 

 

 ──同時刻、建設途中のコンクリートが剥き出しになっているマンションの中で、勇人は大荒魂シキの猛攻に防戦一方であった。

 

『──右から、二秒後……跳べ!』

「く、ぉおっ!?」

 

 たんったんっと跳ねるように逃げていたその直後にだんっ、と踏み込んで跳躍した勇人の真下を、無数の無機質な御刀の群れが通り過ぎる。

 濁流のようなそれらが通り過ぎたあとのコンクリートの床に着地して、勇人は脳裏に響くタギツヒメの声に反応した。

 

『おい、早く写シを張り直せ』

「無茶言うなよ……この状況で一回解いてもう一回張り直すとか難しいって」

『だったら一旦隠れろ』

「じゃあ隠れようとする度に俺がサボテンみたいになる演算結果(みらい)を見せるのやめろよ!?」

『そのお陰で死んでいないんだろうが』

 

 

 

 

 ──あ、ありがた迷惑……。と呟いて、写シの()()()()()()()()まま片足だけで立ち上がる。

 

「……はあ、お早いご到着で」

 

 ふと視線を移せば、その先には肩甲骨辺りから荒魂の甲殻のような装甲の四つ腕を生やしているシキが立っていた。

 ブブブブ、と空中に無数の御刀の分身が生まれる光景を見て、勇人は口を開く。

 

「──写シ張り直したいから5秒待ってくれ」

「断る」

「ですよねぇ!」

『────、下だ、床を砕け!』

 

 ひゅんと【薫風】の分身が殺到するのと、勇人が指示通りに床へと朧月夜を叩きつけるのは、ほぼ同時だった。

 人ひとりがかろうじて滑り込める大きさの穴を穿ち、下の階へと落下する勇人は、着地からすぐその場を離れて壁に隠れる。

 

「あれなんなんすか」

『あれ、とは』

「【薫風】、だったか。あれの分身能力は常軌を逸してるぞ。姫和の雷神(タケミカヅチ)はまあ……いいとして、本当に『刀使がいつか到達しうる階層の隠世の能力』で一括りにしていいのか?」

 

 片腕片足の取れた写シを張り直す勇人に、脳裏でタギツヒメが言葉を返す。

 

『恐らくあれの本来の使い方は、あの『御刀の形状を模した金属に限りなく近い性質の神力由来の模造品』を操作して荒魂を縫い止めたりするためにあるのだろう』

「……それを大荒魂クラスの大量のノロとそれによる負の神性で使うと()()()()のか」

『我と今のお前の龍眼もそうだな。【薫風】の能力もだが、演算能力が大荒魂と人間では雲泥の差ゆえに、発揮できるスペックが違う』

「嫌になるぜ……ったく」

 

 疲労を見せつつ、よっこいしょ、と掛け声を口にしながら立ち上がる勇人だったが──ふと、その体に纏う写シが明滅し始めた。

 

「なん……な、ん、うおぉっ!?」

『どうした』

「あっなっ──体が電池切れ寸前の懐中電灯みたいに点滅してる!?」

『…………ふっ』

「笑ってんじゃねえよ!」

 

 チカチカと、写シが剥がれそうで剥がれない状態。朧月夜との繋がりが途切れかけていると察して、勇人は指の関節で峰をコツコツ叩く。

 

「ちょっ、朧月夜! もうちょっと頑張って! ここを乗り切るだけでいいから!」

『御刀を応援する刀使……』

 

 呆れた声色を向けられながらも、やがて体に写シが正常に張り直され、ふぅと焦りを見せた勇人は額の汗を拭う動きを取る。

 

「──遊びは終わりだ」

 

 その直後、真後ろに【黄落】でワープしてきたシキが現れ、四つ腕の内の一つで勇人の背中を掴みながら再度ワープしその場から消えた。

 一瞬景色が歪み、そのあとに目に映ったのは、シキと()()()()()

 

「なっ……空中!? まずい、姿勢がっ」

 

 首を曲げて背後を見れば、その先には無機質な建設途中のアパートの屋上部分。

 ワープで空中に投げ出された勇人は、真上で【薫風】の力を行使するシキを捉え──シキの更に上空(うしろ)で大量の分身剣が生成され、集まり、束ねられ、形を成して行くのを捉える。

 

刃竜(じんりゅう)

 

 それは、刀で形成された()()()

 

「おいちょっと待てそれは無しだ────」

 

 竜が蠢くと、勇人の脳裏を掠めた嫌な予感通りに、身動きのできない自身の体へとそれが降ってくる。焼け石に水でしかない防御も意味が無く、凄まじい質量に押し潰されながら、アパートの屋上を突き破って一階へと落ちていった。



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決着

 ガラガラと崩れる瓦礫。それを退かした勇人は、刃の竜に潰されて写シを剥がされた生身に突き刺さった御刀の分身を引き抜く。

 

「あっだだだだいでででででっ」

『手慣れたものだな』

「手慣れたくねぇよこんなの……今日で最後だ最後。決着……つけるぞ……!」

 

 肩とヘソの横辺りに刺さったそれを抜いて、朧月夜の力で傷を塞ぎ、再度写シを張って天井の穴から離れる。すると、一拍遅れてダンッと肩甲骨から四つ腕を生やしたシキが落ちてきた。

 

「…………ふぅ」

「お疲れのようだな。お互い、まるで寿命間近で全力疾走でもしてるみたいだ」

 

 視線を落として深く呼吸をするシキにそう言って、ぎしりと強く柄を握る勇人。

 シキもまた、顔を上げて、小太刀──【黄落】を握る腕の一本を除いた三本に【薫風】とその分身、合わせて三振りを握らせて構える。

 

「タギツヒメ、ダメージは朧月夜で治せる。脳の負担は考えるな、演算の限界を引き上げて、シキの四刀流と分身剣の動きを全部見せろ」

『……死ぬぞ』

「そのつもりは無い」

 

 断言する勇人に、頭の中の幻聴(タギツヒメ)はため息混じりに「わかった」と返す。

 シキはその会話を聞き終えると、少しずつ呼吸を深く長くし、目尻を細め、チリチリと敵意を高めて行く。そして、カランと瓦礫が落ちた。

 

「────!!」

 

 刹那、高速で振り回される四つ腕を、勇人は迅移を絡めた動きで捌く。

 一つを刃で迎撃し、そのままもう一つを柄頭で叩き、一つを足で蹴り上げた瓦礫にぶつけ、下から伸びてきた【黄落】を握る腕を踏んで、わざと撥ね飛ばされるようにして宙を舞う。

 

『分身が来るぞ』

「ぐ、っ、了解」

 

 ズキリと頭に走る痛みを無視して、瞳を通して映る未来(えいぞう)の通りに飛んで来た【薫風】の分身をちらりと一瞥。左足と脇腹を貫く二本は放っておき、腕を狙う一本を防ぎ、そのまま自由落下する勇人は【黄落】を握る腕目掛けて、両手で構えた朧月夜を上段に振りかぶる。

 

『合図で八幡力を起動しろ』

「わかってる……!」

 

 刀使の基礎能力──怪力を発生させる八幡力。大きく分類して5段階まで存在するうち、その最大である5段階八幡力は、起動時間が()()()()()しかない。それを行えるのは、勇人の知り合いでは薫と真希くらいだろう。

 

 ゆえにタイミングを演算し、発動を朧月夜で無理やり行う。写シでなければとっくに頭部が茹であがり出血しかねない負担が掛かりつつも、勇人の視界は極度の集中からスローになる。

 

 甲殻類のような装甲の隙間を視界に入れ、振りかぶった朧月夜が半ばまで空中を切り裂き、その刀身が僅かな隙間に接触する寸前──

 

『──今だ!』

「八幡力ッ!!」

「…………っ」

 

 ──ドンッ!! という破砕音。

 ノロで出来たその装甲のような腕が砕け、伸びた真ん中から切断され、勢い余って握られていた【黄落】が先端の手からこぼれ落ちる。

 

『【黄落】を使え! シキと同じように、朧月夜を通してノロの負の神性を利用しろ!』

「……! させるかっ!」

 

 タギツヒメの声は、当然だがシキには聞こえていない。けれども勇人が空中を回転して舞う【黄落】に手を伸ばす様子を見て、何をするつもりかを即座に悟って数秒前に受け流された残りの腕三本をしならせて体を引き裂かんとする。

 

「──うぉおおッ!」

「届か、せるか──!」

 

 朧月夜を握る右手とは反対の手に、【黄落】が滑り込むように収まる。【薫風】と分身を握る三本の腕のその手にある刀身が勇人の体に迫り、その身を切り裂く────ことはなく。

 

 

 

「俺の、勝ちだ」

 

 勇人は、そう言ってシキの眼前にワープすると、朧月夜を胸に突き刺す。

 刀身が背中から飛び出し、血のように、鮮やかなノロが噴き出す。左手の【黄落】で今度はシキ諸とも折神家の本殿白州に戻ると、ずるりと朧月夜を引き抜き体を横たわらせる。

 

「ごぼ……が……み、ごと」

 

 振り返ったその視線の先では、可奈美と姫和が立っていて──その足元に、倒れ伏す京子と幸の姿がある。勇人たちの気配を察知してそちらへと顔を向けた二人は、彼の勝利を喜ぶかのように、遠くからでもわかるくらいの笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 ──数分前、本殿白州にて、四人の激突はついに終わりを見せる。

 

「──ぬ、ぐ、くそっ、こいつやりづれぇ!」

「そりゃあ、姫和ちゃんで慣れてるからねっ」

 

 橙の雷光の尾を引いて高速移動する京子だが、その攻撃は全て可奈美に防がれる。

 天性の観察眼──『見る』ことにおいて、可奈美の才は他の追随を許さない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()動きに今さら苦戦する筈もなく──生身を感電させているせいで発生した僅かな硬直を見逃さず、可奈美は千鳥の刃を返して峰を脇腹に叩き込んだ。

 

「おぶぇっ」

「──生身は斬れないなら、峰打ちをすればいい……と、姫和ちゃん! そっちは?」

 

「もう終わった」

「あががががが!!?」

 

 器用に切っ先両刃である小烏丸の鍔側の峰を肩に押し当てて雷神による電気を流し込む姫和は、容赦なく幸の体を感電させていた。

 

「……あーあー、相手が変わるだけでこんなあっさり負けちまうのか」

「それはそうだろう。高速で動けるお前はともかく、(こいつ)は私の敵ではない。そして可奈美は高速()()は見切れるからな」

 

 脇腹を押さえて仰向けに倒れる京子は、ため息をつきながらもしかしどこか清々しい、憑き物が晴れたような表情で青空を見上げる。

 

「さて……あとは勇人とジジイの決着を待つだけか──お、噂をすれば」

 

 顔を横に向けると、その視線の先に、シキの胸から朧月夜を引き抜く勇人の姿があった。

 可奈美と姫和がそちらを見て、それから勝利を確信して笑みを浮かべる。

 

「勇人──勝ったようだな」

「うんっ、あっちに行こ……あ、肩貸そうか?」

「たのんまーす」

「すみません私も……体が、し、痺れ……」

「……やりすぎたか」

 

 可奈美が京子を、姫和が幸を支えて立たせ、勇人とシキの元に向かう。京子たちの表情が暗く沈んでいることには、気づかないまま。



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最終回

 右手に朧月夜、左手に【黄落】を握る勇人は、足元でドクドクと血のようにノロを流すシキを見下ろしている。

 その後ろから、京子と幸に肩を貸しながら近づいてきた可奈美と姫和が口を開いた。

 

「勇人さん!」

「……勝ったのか?」

「ああ、俺が勝った。御刀で胸を貫いたからな……シキはもう動けない」

 

 ごぽっと口から鮮やかなオレンジ色を吐き出すシキは、肩甲骨から生やした四つ腕が崩れて行く様を横目に、勇人を見上げて言う。

 

「…………さっさと、それで()()()()()()を取り込んで、終わりにしろ」

「ジジイ!」

「シキさんっ」

 

 可奈美たちの腕を振りほどいて、倒れるように両側からシキの方に体を倒す二人は、力を使い果たしたその身をよじってシキに近づく。

 

「京子、幸。俺は……正直に言うと、お前たちで、家族ごっこをしていたのだろう」

 

 ぽつりぽつりと声を漏らすシキ。彼は自身の感覚が、命が──人としての意識が終わりつつあることを理解して、静かに言葉を選ぶ。

 

「娘が殺されて……怒りに任せて血肉を御刀に混ぜて……終いには自分の体にノロを取り込んで、いっそ人間なんて皆殺しにしてやろうとさえ思った。だが……できなかった」

 

 目尻を細めて、肺から空気が漏れるようにひゅうひゅうと息を掠れさせながらも続ける。

 

「人への怒りを募らせる度に、娘の顔が過った。いつしか時代が流れ、四季四刀は保管され、御刀(むすめ)は管理局に持っていかれ、死にかけていたお前たちを拾い、御刀がこの男に渡り……」

 

 そこで言葉を区切ると、一呼吸置いて。

 

「──ここが終着点だと気づいた。俺が勝てば自分で自分を滅するつもりだったが……ここまでやって負けたのなら、悔いはない」

「シキ……」

「藤森勇人。姉さんの血を引いた刀使の末裔。俺の遠い遠い身内の一人」

 

 勇人を見上げるその顔には、もはや負の感情は無く、むしろふっと笑いかけるようにして、穏やかな口調であっけらかんと頼んだ。

 

「……やってくれ」

「──わかった」

 

【黄落】を姫和に渡して、逆手に持った朧月夜の柄を両手で掴むと、勇人は切っ先を下に向けて頭上まで持って行く。その先端を再度胸に合わせて、それからストンと抵抗無く、刀身を体に埋めるようにしてあっさりと貫いた。

 

 朧月夜のノロを取り込む力が発動され、刀身に流れ出たノロが取り込まれ、シキの体もまた、末端から徐々に消滅して行った。

 一滴も残さず全てを取り込み終え、大荒魂シキなど最初から居なかったかのように消し去ると──勇人の体にも変化が起きる。

 

「……勇人、お前……写シが」

 

 京子に指摘され、顔を傾けて体を見る勇人は、その身に纏っていた薄い光──写シが消えていることに気づく。

 解除したのではなく勝手に消えたことを察して、朧月夜に意識を集中させると、()()()()()()状況でおもむろに笑った。

 

「──ははは。どうやら、俺の刀使としての仕事は終わったらしい」

「勇人さん、もしかして……」

「ああ。写シが張れない。完全に、朧月夜との繋がりが途切れちまった。あーあ、意外と長い間刀使やったけど……終わっちまったな」

 

 そう言いながら朧月夜をカチリと鞘に納めて、勇人は体を伸ばして関節を鳴らすと、悩むように「うーん」と呟いてから首をかしげた。

 

 

 

 

 

「勇人、どうした」

「なあ姫和」

「……なんだ?」

 

 戦いが終わり、本殿白州に静寂が訪れる。神妙な面持ちで振り返り、【黄落】を返してもらいつつ、いざというときの為にと持っていた包帯で刀身を包むように巻きながら、勇人は何かを決意するようにして──ポケットに手を入れた。

 

「全部終わってから、改めて俺から言うべきだと思ったからさ、聞いてほしいんだけど」

「…………」

「一回だけ言うから、返事してくれ」

 

 ポケットから手を出して、中から取り出したモノを、ピンと指で弾いて姫和に投げ渡す。それは、簡素なデザインの小さなリングだった。

 

「これは──指輪?」

「シキが来なければ、もう少し早く渡すつもりだった。お前はまだ15だから1年待たないといけないけど──誰かに取られるのも嫌だし」

 

 視線を逸らして、一拍置いてから戻す勇人は、恥を混ぜた表情で続けて言った。

 

「だから姫和、結婚しよう」

「────」

 

「すっっっげぇ雑」

「もう少しムードを……」

「姫和ちゃん! 頑張れ!」

 

 後ろから三者三様のヤジを飛ばされながらも、勇人は自分なりに出来る限りの言葉を姫和に向けて、そうして数分返事を待つ。

 

「……少しでいいから、場所とセリフは格好つけてもらいたかったものだな」

「悪かったな」

「いや構わん。お前がそういう奴だということは理解してる。だから──まあ、そうだな」

 

 呆れたような声色で、しかして柔らかい表情を向けて、ポニーテールを風に揺らし──頬を桜色に染めて、姫和は勇人にこう言った。

 

「──喜んでお受けします」

 

 

 

 プロポーズが無事に成立し、おー……という声と共に、後ろからまばらな拍手が飛んでくる。振り返った勇人の陰に隠れる姫和をよそに、彼は「そういやあ」と言って続ける京子を見た。

 

「アタシらってこれからどうなるんだ?」

「さあ? ……流石に殺されはしないだろうよ、俺の方から紫さまと朱音さまに掛け合って、程々の待遇を確約させるつもりだ」

「そうですか。まあ殺しだけはしてないですし、荒魂人間として実験に付き合う……くらいはしましょうか。ねぇきょーちゃん?」

「うえ、めんどくさ」

 

 ダメージが回復しつつある京子が幸を小脇に抱えるようにして立ち上がる傍ら、可奈美はふと、手元を見ている姫和に視線を移す。

 

「姫和ちゃん? どうしたの?」

「……なあ、勇人」

「ん?」

「この指輪、薬指に入らんぞ」

「──マジ?」

「サイズを間違えたのか。小指になら入るな」

「じゃあ……とりあえず小指に。あとでちゃんとしたのを買い直そうか……」

 

 そうしてああだこうだと言い合っている勇人たちを見て、京子は締め括るように呆れ顔を隠すことなく口角を緩めながら言うのだった。

 

「締まらねぇなこいつら……」

 

 

 

 

 

【完】




途中2年ほど失踪したりとご迷惑をお掛けしましたが、感想・お気に入り・高評価などが励みとなり、グダグダでしたがなんとか完結まで辿り着けました。今までありがとうございます。

本作や他作品の応援を、これからもよろしくお願いいたします。


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