あいはとまらない (まなぶおじさん)
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出会い

 放課後になってゲーセンへ寄ってみると、ダンスゲームコーナーに人の目を集めているアイドルがいた。

 その動きは実に軽やかで、ゲーム相手に全力を出し切っているのがよくわかる。後ろ姿で顔は見えないものの、さぞ楽しそうな表情をしているはずだ。

 

 近寄る。外見から察するに、同い年くらいの女の子か。

 

 個人的(・・・)に注目した点は、その体捌きの良さだ。体を動かすのが好きなのか、足も腰も腕もよくよく踊らせている。正直、見ていてとても楽しい。

 時折コンボが途絶えることもあるが、慌てずにペースを整え直す冷静さも垣間見えた。そしてスキあらば、一回転してみせてギャラリーを沸かせてくれる。

 なるほど。物事に対して、しっかりと感情移入できるタイプか。

 両腕を組みながらで、藍川震(あいかわしん)はそう分析した。

 

 そして、曲が終わる

 最後のステップが、ゲーセン内で強く反響した。

 女の子は両肩で息をつき、背を向けたままでスコア判定を見届けていた。

 結果は――Aランク、曲名は「サニースマイル」。比較的むずかしめの曲だから、上級者といっても差し支えないスコアだ。

 女の子もそれを分かっているのだろう、「うし」と握りこぶしを作っている。ギャラリーも「やるじゃん」と湧いていた。

 そうして、女の子は無言で振り向く。最初こそクールそうな印象を抱いていたが――嬉しかったのだろう、女の子はにこりと笑っていた。花のヘアピンもどこか眩しい。

 男のギャラリーは、「おおー!」と歓喜する。女子高生らしいプレイヤーも、「やるねー」と気楽に微笑み返す。女の子はギャラリーにハイタッチし、ご機嫌そうに「次の人、どうぞ」とつぶやくのだ。

 ――よし。

 そう言われたからには、とことんやってやろうじゃないか。

 震は、わざとらしく腕まくりする。

 

「――お、キングじゃねーか。来てたんだな」

「おうよ」

 

 常連の一声に、周囲がざわめきだす。対して震は、あくまで気楽そうに笑って、心の内は実にいい気になっていた。

 キングと呼ばれている通り、地元では一番の音ゲーランカーとして名が知られている。

 

「SINよー、今のプレイ見てたか?」

「おうよ、すっげえ良かった。……初めて見る顔だけれど、他んところから来たんかな」

「どうだべ。まあ、可愛いから俺は大歓迎」

 

 ダンスゲーマーが増えるのは、実に喜ばしいことだ。仲間が増えれば増えるほど、ダンスゲーム人生が彩る。

 さて。

 左右を見渡し、誰もが「いいぜ」と筐体へ促す。震は「サンキュ」と返し、

 

「じゃ、今日も踊るかね」

 

 いつもの調子で言い、いつもの足取りで台へ歩んでいく。

 その時、例の女の子とすれ違った。一瞬だけ、目も合う。

 そのまま台に立ち、ワンコインを投入する。続けざまにゲームカードを認識させては、見慣れすぎたタイトル画面が筐体に映し出された。

 やっぱり、この瞬間がたまらない。あとはそのまま、曲セレクト画面まで進行させ、

 ――そうだな。

 サニースマイルは、本当に良い曲だ。

 ここ一ヶ月は、プレイしていない気がする。

 最近はボス曲ばかり踊っていたから、たまの気分転換も良いかもしれない。

 

 だから震は、サニースマイルを踊ることにした。ほんの軽い気持ちで。

 

 

 □

 

 

 Sランクだった、おまけにBEST SCOREをも獲得してみせた。

 だから震は、人差し指を本能的に掲げてしまった。上機嫌になると、ついこのポーズを決めてしまうのだ。

 常連仲間であるLotus(ロータス)が、「やっぱスゲーなあ」と賞賛する。褐色肌が眩しいAnemone(アネモネ)は、「脚さばきがやっぱりおかしいねー」と笑う。

 ――よし。

 賞賛の雨あられを受け、すっかり上機嫌になれた。今日は、良い一日となるだろう。

 そんなふうに思いながら、くるりと振り向いてみて、

 

 女の子が、歯を食いしばっていた。両拳まで作ってみせて。

 

 思わずビビってしまって、とっさの言葉すら出てこない。気のせいか何かだと思い込みたかったが、女の子の視線は明らかに震へと差し向けられていた。

 

「な、何か?」

 

 怖気づきながら、何とか声を絞り出してみせる。

 対して女の子は、怒りじみた表情を滲ませながら、

 

「……やるじゃない」

「へ? ど、どうも」

 

 そして女の子は、ポケットから財布を引き抜いて、

 

「決めた」

「え」

「本当は気分転換のつもりだったけれど……やるわ、ダンスゲーム」

 

 その決意表明に、ギャラリーから怯んだ声が漏れ出す。

 そして震は、その言葉を聞いて、間抜けにも「え」が漏れた。

 

「……な、なあ」

「なに」

「あ、あんた、音ゲー歴は?」

「今日がはじめて」

 

 ――マジか。

 それなのにこの女の子は、いきなり中堅どころの曲を踊り明かしていたというのか。

 恐ろしい、とは思った。けれども、歓喜めいた高揚が湧いてきたのも間違いなかった。

 

「……本当に、やるんだな? 極めるのに、時間はかかるぞ?」

「やる」

 

 女の子は、決意を譲らなかった。

 

「あんなプレーを見せつけられたら、やるしかないでしょ」

 

 そして女の子は、勝ち気な笑みを露にしながらで戦場へと歩んで、

 

「あ……ごめんなさい。順番は守らないと」

 

 けれどギャラリーは、どうぞどうぞと手で促す。女の子は、戸惑うように左右を見渡すが、

 

「ようこそ、音ゲーの世界へ。せっかく盛り上がっているんだから、是非ともプレイしてくれ」

「そうそう! あ、ゲームカードは作ったほうがいいかも」

 

 女の子は、きょとんとした表情になって、

 

「あ――ありがとうございます! ……カードの方は、後日に作りますね!」

 

 そして、どこまでも明るい笑顔に変わった。

 男どもは、「おお」と感嘆の声を漏らす。女性陣は、「かわい~!」と盛り上がる。正直、自分もそう思う。

 

 ――そして、ハナから勝ちに行くつもりなのだろう。その足取りは、実に実に自信に満ち溢れていた。

 

「……そうねえ」

 

 台に立った女の子は、そのままワンコインを投入して、一気に曲セレクト画面にまで移動する。

 そしてそのまま、サニースマイルを選択しようとし、

 

「待った」

「え、何」

 

 女の子が、ぎろりと振り向いてくる。実に不満そうな顔で。

 正直ビビリそうになったが、キングとして何とか持ちこたえつつ、

 

「同じ曲を立て続けにプレイするのは、正直ダレる。スコアアタックの時は特にそう」

「……そうなの?」

「曲調が変わらないダンスなんて、すぐ飽きるだろ?」

「む」

 

 女の子が、唇を尖らせる。けれども、反論はなかった。

 

「……そうね、一理あるわ」

 

 女の子の視点が、ふたたび筐体へ向けられる。そしてそのまま、不慣れな手つきで曲を選んでいき、

 

「あ、これいいじゃない。この曲にしよ」

「あ、それはっ」

 

 もう遅い。女の子は、「Rain」という曲をチョイスしてしまった。

 女の子は、「よーし」と腕まくりする。誰も彼もが、「おいおい大丈夫かな」と左右に目配りし始める。ここでキャンセル出来たら良いのだが、残念ながらここはゲーセン、そんな仕様は滅多に設けられていないのだった。

 

 ――その数秒後、デッドゾーンに入ってあっさり脱落した。

 

「……なにこれ……」

「……ボス曲……」

 

 喧騒な店内とは裏腹に、音ゲーコーナーは実に気まずそうな空気が蔓延しきっていた。

 賑やかだったはずのギャラリーも、今となっては沈黙を保ったまま。視線なんて、隣の常連客と目が合ったりして実に忙しない。

 D判定――その画面を見つめたままで、女の子の背はぴくりとも動かない。相当悔しがっているのがよく分かる。

 判定を下されて数秒後、「後ろのお客に譲ってください」の文字が映し出される。それでも少女は突っ立ったまま、ギャラリーも真顔で見守ることしかできていない。

 更に数秒後が経過して、チュートリアル画面が流れ出した頃。女の子はくるりと振り向き、ギャラリーは沈黙で反応し、そのまま台から降りては「どうぞ」と手でプレーを促す。

 できるはずがなかった。みんな、女の子の無表情に恐れをなしていた。

 やべえどうしよう、俺のせいなのかな。そう思考していると、女の子がずかずか歩んできて、

 

「わかった」

「え」

「あなたの言うことに従う。そうした方が、上達も早いだろうし」

「あ、どうも……」

 

 それならよかった。震は、ほっと胸をなでおろし、

 

「そしていつか、あなたに勝ってみせるわ!」

 

 2007年、冬。

 十五歳になって、なんだかすごい人と出会ってしまった。

 

 

―――

 

 

 放課後になって、震は今日も音ゲーコーナーにてその身を踊らせていた。

 高難易度の曲をセレクトして、その身で高いスコアを叩き出して、見慣れたギャラリー達が口笛でクリアを祝福する。表面上はあくまで普通に、キングらしく「こんなもんだな」とつぶやき、心の中では「これもダンスだよな」と歓喜に震えながら。

 これまでは、そんなふうに毎日を過ごしていた。

 

「あ、来た」

 

 Anemoneが、そそくさと道を開ける。他の常連客も「新入り」に気づいたのか、どうぞどうぞと手で促し始めた。

 ――そして、新入りと目が合う。偶然ではなく、明らかに意識されながら。

 

「や、やあ」

「どうも。今日は練習を重ねに来たわ」

「うん、それがいい」

 

 女の子は、素直に頷いて、

 

「見てなさい。必ずや、ゲームでも良いダンスをこなしてみせるんだから」

 

 ゲームでも。

 その言い回しが、震の思考に引っかかった。

 

「ダンス、やってるの?」

「ええ、一応は」

「……そうなんだ。だからあんなに、良いプレーが出来てたんだな」

「どうも。でも、良いだけじゃダメ、勝たなきゃ」

「えー……」

 

 だからといって、否定なんて出来やしなかった。だって震は、キングだから。

 

「ゲームでもダンスでも、勝負は勝負よ。私は、やるからにはトップをとりたいの」

「……まあ、その考え方はゲーマー向けだけどさあ」

「でしょ? ……えと、皆さんはプレイしないんですか?」

 

 そんなことが出来る勇者なんて、この場にいるはずがなかった。

 誰も彼もが、無表情でプレイを譲る気でいる。我先にとプレイしたがる、音ゲーマー全員がだ。

 ――空気を察して、女の子がにこりと微笑む。

 

「ありがとうございます。それじゃあ、いってきます」

 

 サムズアップとともに、女の子は(戦場)へ歩み寄っていく。満ち満ちたオーラのせいか、どこかスローモーにも見えた。

 そして、ワンコインを投入する。次にゲームカードを取り出して、「あれ、どこに当てるんだっけ」と女の子が首をかしげてしまった。

 

「ああ、それはほら、ここにカードのアイコンがあるだろ? そこへ軽く当てるだけでOK」

「ああ、ありがとう。……へえ、今のゲーセンは、こんなふうに記録できるのね……」

 

 まちがいない、この女の子は明らかに「初心者」だ。

 それなのにこの子は、中堅どころの曲相手にAランクをもぎ取ってみせた。

 

 それを成し得たのも、「リアルの」ダンスをこなしているからこそ、だろう。

 ダンスに生きていれば、身体能力や反射神経はおのずと磨き上げられる。そして、一番になりたいというメンタルも鍛えられていく。言動と負けん気から察するに、プロのダンサーになるつもりでいるのだろう。

 納得する。これはもしかしたら、玉座すらぶんどられてしまうかもしれない。

 

 そして、名前入力画面が筐体に映り込む。女の子は「そうねえ」と首を傾かせ、数秒後に「あ、そだ」と文字を打ち込んでいって、

 

 「AI」。それが、ゲーセンにおける女の子の名前になった。

 

「よーし、踊るわよー!」

 

 AIが、両拳を作る。心なしか、花のヘアピンが増えているような気がした。

 そして間もなく、ゲームセレクト画面が表示される。AIは「そうねえそうねえ」と曲を選んでいき、

 

「ねえ」

 

 振り向かれた。

 心臓が飛ぶかと思った。

 

「お、俺?」

「そう、あなた。……サニースマイルっていう曲はできるんだけれど、その次に難しい曲って何?」

「え? えーっと」

 

 すぐにでも答えられるはずなのに、気圧されてつい口ごもってしまう。

 頭を傾け、うんうんと唸るだけ唸って、ギャラリーに見守られながら、

 

「……『曇り空の下で』、かな」

「ん、ありがとう」

 

 AIはくるりと、画面へ目を向ける。そうしてお目当ての曲を発見して、「よーし」と声を上げて、

 

「ねえ」

「はいっ?」

 

 また振り向かれて、上ずった声が飛び出た。

 

「そういえばあなた、名前は?」

「え、名前?」

「そう。……目標となる人の名前は、覚えておかないと」

「え、ええ……俺、そういうやつなの?」

「そういうやつなの。さ、教えて」

 

 思わず、口を閉ざしてしまう。

 

 AIの言う名前とは、ダンスゲームにおけるプレイヤーネームのことを指しているのだろう。何も、本名を教えろと言っているわけではない。

 そもそもプレイヤーネームの教え合いは、古来よりゲーセンにて存在する交流の一つだ。音ゲーにしろ格ゲーにしろ、そうやってゲーセン仲間を作り出してきた。

 だから、AIは「当然」のことを聞き出そうとしているに過ぎない。

 けれど、ここでネームを言ってしまったら、何だか「引き返せない」領域へ足を踏み入れてしまう気がする。

 何せ相手は、あのAIなのだ。負けん気が強くて、ダンサーを目指していて、ゆくゆくはキングすら討伐しようとする、あのAIが相手なのだ。

 

 ネームを漏らしてしまったら、何だかこう人生すら変わってしまうような。そんな迫力じみたものが、AIからはひしひしと伝わってくる。

 ――曲セレクトのBGMが流れて、数秒が経った。

 ギャラリーに目をやる。いや俺に言われても、別にいいでしょ教えても、怒らせちゃアカンって、無言のメッセージを受信する。

 AIの瞳を見る。

 はやく教えなさい、そう射抜かれた。

 

「SIN、です」

「SIN、ね。わたしはAI、これからもよろしくね」

 

 そうして、AIからにこりと微笑まれた。

 ――それだけだ。

 それだけのことに対して、声にならない声がもれた。

 

「さあ、やるわよ!」

 

 何かを考える前に、己が手が心臓を抑えていた。

 ――なんだか、痛かった気がする。

 

 ――……D

 ――……そんなもんだよ

 ――……うん

 




ここまで読んでくださり、本当にありがとうござました。

よろしければ、評価やご指摘をしてくださると、本当に嬉しいです。


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相まみえる

 それからというもの、AIとはゲーセンでよくよく絡むようになった。だいたい、週に三回ほどのペースで挑戦をふっかけられている。

 正直なところ、AIの成長速度はとてもやばかった。最初の数回は失敗続きだったものの、持ち前の負けん気でCランクからBランクへ、そうして日を跨げばAランクにまで登りつめてしまうのだ。

 とにかく勢いで上達してしまうからか、AIの存在感はとても色濃い。自然と、ゲーセン仲間と交流するほどになった。

 本当にすげえ人だなと、素直に思う。

 

「……ふう」

 

 AIのダンスが終わる。曲は曇り空の下で、判定はAだった。

 

「流石」

「どうも。でも、Sランクじゃない」

「あと数回もプレイすれば、達成出来る気はするけどな」

「そう? まあ、キングが言うのなら間違いないわね」

 

 花びらのヘアピンが、なんだか増えた気がする。

 常連の間では、「あれって気分で数が変わるんじゃ?」ともっぱらの噂だ。

 

「――さ、次はあなたの番よ。見せて頂戴、キングのダンスを」

「あいよ」

 

 そうして震は、Rainに次ぐボス曲、THUNDERを迷いなく選択する。間もなくして、稲妻の如くアイコンが降り掛かってきた。

 ――今やキングとして名を馳せている震だが、成長速度そのものは「ごく普通」だ。毎日ゲーセンへ入り浸って、何度も幾度も失敗を重ねて、地道にランクを上げて、そうして今の自分がいる。

 自分の才能に関しては、正直なところ凡くさいと思っている。ここまで成り上がれたのは、単にキングへの執着心が強かったから、そして褒められるからだ。

 

「……なんて曲なの。こんなのを、あなたは踊れてしまうの?」

 

 だからこそ、天才型かつ超負けず嫌いなAIの存在は、本当に驚異的だった。

 単にダンスが上手いのは良い、そういう奴はちらほら見かけてきた。そうして壁にぶち当たった時は、何くそと上達しようとするか、「これが限界か」と悟ってしまうケースが多い。

 一方のAIは、何くそこのやろうと上達しようとする上に、敗因をも食い物にしてしまえるのが心底恐ろしい。はっきり言って、驚異そのものだ。

 ――けれど、

 

 THUNDERが終わる、結果はS判定。スコアに輝く、BESTSCOREの文字。

 ギャラリーが湧く、AIが「すごい」と口にする。

 ――確かに、AIの存在は驚異的だ。だからこそキングとしての焦りが、そして負けん気が再熱したのも事実だった。AIが現れなければ、BESTSCOREなんて取れやしなかっただろう。

 台から降りる。腕を組んだままのAIが、不敵そうに笑いかけてくる。

 

「流石ね、SIN。やっぱりあなたは、キングだわ」

「どうも。でもAIだって、かなり腕を上げてるじゃん」

「あの頃と比べたらね。でも、まだあなたのレベルには達していない」

「こだわるね」

「こだわるわ」

 

 こんなやり取りを交わしているが、何やかんやで表情そのものは柔らかい。

 

「ねえ、SIN」

「ん」

「今ね、すごく充実してるの」

「へえ、充実」

 

 常連のダンスを眺めながら、震が小さく頷く。

 

「この前、ダンスをしてるって言ったよね」

「ああ」

「まあその、ダンス自体は楽しいし、辞めるつもりはないんだけれど、」

 

 辞めるつもりはない。その言葉に、声にならない唸り声が漏れる。

 一方のAIは、両腕をうんと伸ばして、

 

「……行き詰まっちゃってね」

「ああ、よくある」

「何度やっても、同じ箇所でミスしちゃってさ。それを見かねた講師が、気分転換をしてこいって休みをくれたの」

「ああ、それでゲーセンに?」

「そ。ダンスゲーはいいわねえ、ワンコイン入れるだけで下準備が完了するし、色々な曲を手軽に体感出来るし、勝ち負けもあるしで」

「結局はそこに行き着くんですかい」

「別にいいじゃない。あなただって、そういう競技性があってナンボだと思ってるんでしょ?」

「……まーな」

 

 話を聞いて、AIは凄いんだなと思った。

 だってAIは、ダンスを続けるためにダンスゲーへ足を突っ込んだのだ。自分とは真逆だった。

 

「……ね」

「うん?」

「どうしたの? 何か、暗い顔してるけど」

 

 変な声が漏れた。

 つい、油断が生じてしまったらしい。

 

「いや、なんでもない。気にしないでくれ」

「そう?」

「そうそう。……で、どうだ、気分転換にはなったか?」

「ええ、お陰様で」

 

 声はあっさり気味だったが、口元はずいぶんと上機嫌そうに曲がっている。

 

「体全体で遊びきったお陰で、ダンスのことがもっと好きになったわ。キレも良くなったって、講師も言ってくれた」

「それは良かった」

 

 AIから、目を逸らす。

 

「……ま、あれよ、あれ」

「何」

 

 AIが、ふう、と息をついて、

 

「あなたのお陰、と言っておくわ。刺激を与えてくれて、その、ありがと」

 

 動揺のあまり、無思考でAIめがけ首をごきりと傾ける。

 AIはといえば、震と視線を合わせないように、はるか向こう側へと視線を投げ飛ばしていた。

 

「……ねえ」

「な、なに?」

「私、もしかしたら、ここに来れる機会が少なくなるかもしれない」

「――え」

 

 不満めいた声が、己が口から漏れたと思う。

 反対側へ顔を向けているせいか、AIの表情は伺い知れない。

 

「ああ、悪いことがあったんじゃなくてね。むしろ逆、いいことがあったから」

「……それは、ダンスが関わってる?」

「まあね」

「そうか。――まあその、良かったな」

「そうね。……でも、」

 

 そして、AIの視線がゆっくりと動き出す。

 ――その二つの瞳には、震の姿がはっきりと映っていた。

 

「まだ、あなたには勝てていない」

 

 そんなことを、AIは言って、

 

「あなたに勝つまで、私はずっとここに通い続けるわ」

「……どうして、そこまでこだわってくれるんだ」

「あら、決まってるじゃない」

 

 軽い調子で、AIが人差し指を向けてきて、

 

「ラスボスを倒すのが、チャレンジャーとしての義務でしょう?」

 

 とても楽しそうに、AIは笑ってくれた。

 

「……うん、まあ」

 

 対して震は、惚けた返事しかできていなかった。

 だって、思わず惚れそうになってしまったから。

 

 

―――

 

 雪が溶けてからは、AIとの交流は確かに減った。これまでは週三で会えていたのだが、今となっては一度か二度くらい、ギャラリーも「来ねえかなーAIちゃん」とよく言うようになった。

 震も物足りなさを、寂しさを露骨に抱いていたものだ。口には決して出さないけれども。

 ――それだけならまだいい。問題は、AIが順調に上達してくれるかどうか、この一点に尽きた。

 リアルのダンスを鍛えているからといって、ゲーム的なダンスに全て通じるとは限らない。経験者だからこそ、そのあたりはよく分かっているつもりだ。

 ゲーセンに来られる回数が減れば、その分だけ得られる経験点は減る。恐らく劣化はしないだろうが、上達するのに時間はかかってしまうだろう。

 そう、思っていた。

 

「やったぁ――――!!!!」

 

 そう、思い込んでいた時期があった。

 画面に映るは、「曇り空の下で」「Sランク」「BEST SCORE」。

 感情を叫び、人差し指を天高く掲げ、こちらに振り向いているAIの姿は――清々しかった、咲き誇っていた。そうとしか言いようがなかった。

 ゲーセン内の音楽だけが反響して、数秒が経つ。

 

「AIさんが、」

 

 最初に口を開けたのは、Lotusだった。

 

 そして、音ゲーコーナーで歓声がブチ上がる。

 男女問わず、誰も彼もが歓喜と賞賛を口にしていく。指を掲げたままのAIが、ただひたすらに笑顔で応え続ける。キングである震も、握りこぶしを作ってまで喜び惚けていた。

 そうしてAIは、仲間たちにハイタッチを交わし合っていく。やったな、すげえな、キングに追いつくな、成長したねえお母さんは嬉しいよ。

 そして、AIと震が対面する。何と言えばいいのか、ろくに言葉も見つからない。それでもAIは、本当にほんとうに嬉しそうな顔で、手のひらを向けてきて、ハイタッチをした。

 

「ああ、やった、やったわ……」

「ああ、本当にやってくれたな。こりゃあ俺も頑張らないと」

「ラスボスがレベルアップなんて、実に厄介ね」

 

 けれどAIは、歯を見せて笑いながら、

 

「ま、やりがいはあるけど」

「そうかい」

 

 歓喜は起これど、ゲーセンは今日も稼働し続ける。順番待ちをしていた男プレイヤーが、ゲームを開始する。

 

「なあ」

「うん?」

「お前、凄いよな。毎日入り浸っているわけじゃないのに、ここまで上達できるなんて」

「一応、ダンスしてますから」

 

 そう言うAIの顔は、とにかく明るい。踊り明かしたお陰か、汗が流れていた。

 そんなAIを見つめてみて、不快ではない気恥ずかしさが生じてくる。

 まただ。

 ご機嫌なAIの顔を目にすると、いつもこうなる。

 

「……なあ」

「うん?」

「ここんところ、忙しいのか?」

「うん。ちょっと、いいことがあってね」

「そうか。ま、俺はいつでも待ってるよ」

「サンキュ」

 

 感謝の言葉。それを耳にして、思わず、

 

「なあ、AI」

「うん?」

「俺さ、お前に感謝してるんだぜ」

「え?」

 

 間髪入れず、

 

「このあたりでは、俺は負け無しのランカーとして名を馳せてはいる。だからこそ、こう、上達しなきゃっていう危機感が薄くなっちまってたんだよ」

「ああ、そうなんだ」

「そ。ところがある日、キングを討伐しようとする天才プレイヤーが現れてくれた」

「へえ」

 

 AIが、にこりと笑う。

 

「せっかく手に入れた玉座を、AIに奪われてしまうかもしれない。そう思った俺は、気づけば必死こいてプレイしてた。……まるで、初心に還った感じだった」

「そうなんだ。……それは、よかったわね」

「ああ、本当にな」

 

 目の前で、コンボが積み重ねられていく。口笛が舞う。

 

「お陰で、ボス曲でハイスコアを叩き出せた。それもこれも、AIのお陰だ」

「ちょっと、大げさ」

「いいや、おまえのお陰だ」

「……ふうん」

 

 思わず、意固地になってしまう。

 どうしてもお礼を返したかったのは、ゲーマーの血を騒がせてくれたから。それはあると思う。或いは、ライバルへ敬意を払いたかったから。それもあると思う。

 

「ねえ、SIN」

「ん?」

「……もし、その、私が色々変わってしまっても、これからもわたしと戦ってくれる? 同じダンスゲーマーとして」

 

 AIが、不安そうな顔をする。瞳まで揺れ動く。

 そんなAIを見た震は、ゲーマーとして、ライバルとして、当然のように、

 

「――当たり前だろ。俺は、AIのラスボスなんだから」

「……そっか」

 

 そしてAIは、にこりと笑ってくれた。

 

 ――どうしてもお礼を返したかったのは、男として、AIのことが気になって仕方がなかったから。

 

 

―――

 

 2月――

 

『今月のベストアルバムは……アイアンフリルのFANTASTIC LOVERSです! このアダルティな曲調に惹かれ、CDを手にする人が続出しているとか!』

 

 朝食の手なんて、すっかり止まっていた。

 だってテレビに、見覚えのありすぎる顔が映し出されていたからだ。

 

『アイアンフリルは、いまをときめくアイドルグループとして絶賛活躍中です。どうやってトップまで登りつめられたのか、リーダーである水野愛さんに聞いてみました!』

 

 最初は、そっくりさんか何かだと思っていた。

 

『そう、ですね』

 

 けれどもその声は、至近距離で何度も聞いたもので。あの花びらヘアピンは、あまりにも特徴的で、

 

『失敗とか後悔とかを、全然ダメなことだと思ってないからですかね』

 

 その笑顔は、まちがいなくAIのものだった。

 

『それって絶対、次に繋がることですし』

 

 その姿勢は、AIの生き様を示していた。

 

『そういうのぜんぶ踏み越えた先に、誰にも負けない私がいると思ってるので!』

 

 間違いなく、まちがいなく、AIが、テレビの向こう側にいた。

 

そして、FANTASTIC LOVERSのPVが流れ出す。

アイアンフリルは、AIは、何も迷っていない真顔を自分達に映し出していて、曲が始まるとともに手を捻り、体を艶めかしく動かし、見覚えのあるキレでヒットソングと一つになっていく。

自分はただ、口を開けたままだった。

曲が流れていくたびに、心奪われた。

自分でもこうなのだ。この時間にテレビを見ている男なんて、帰りにCDを買いに行くだろう。女性だって、同性として何らかの刺激を受けるに違いない。

それだけの力が、美が、AIには確かに存在していた。

 

 ――味のしない朝食を食べ終える。部屋から学生鞄を引っ張り出して、死んだような足取りで家から出る。

 

 空は、嘘みたいに青い。通学路を歩み、同級生グループの談笑を耳にしながらで、震はAIの言葉を延々と思い出し続ける。

 

 ――失敗とか後悔とかを、全然ダメなことだと思ってないからですかね

 

 その一言で、AIという女の子のことを把握できたと思う。

 AIはどこまでも、前向きな努力家だった。失敗すらも食い物にしてしまえるような、そんな強かさすらも秘めている。

 そんな愛だからこそ、アイドルとして輝けたのだろう。そんなAIだからこそ、ダンスゲームにどこまでも熱くなれるのだろう。

 

 自分とは、まったくもって逆だ。

 

 ■

 

 ダンスを好きになったのは、特番のダンス番組をたまたま目にした時からだ。その衝撃といったら、夕飯の手を止めてしまうほど。

 ダンスへ一目惚れした震は、つぎの日からダンスの練習をこなしてみせた。そうしてダンス教室に通うようになって、少しずつ腕も自信も付いて、いつしかプロのダンサーになることを夢見ていた。

 だから、ダンスコンテストにも積極的に参加したのだ。一度や二度だけじゃなく、数回。

 ――結果は、鳴かず飛ばずの連続だった。

 一度目は予選落ち、二度目も同じく、三度目も振るわなかった、それ以上は思い出したくもない。

 悔しかった。

 この結果に納得出来てしまうからこそ、本気で悔しかった。

 予選を突破した同い年のダンサーは、みんな震よりも激しくて、そして間違いなく輝いていた。同じダンサーだからこそ、それが分かってしまう。

 こんな自分に、才能なんてなかったのだと実感した。

 だから震は、ダンスから逃げた。

 

 ダンスをやらなくなって、ずいぶんと空白の時間が増えた。ただ食って、ただ宿題をこなして、ただテレビを見て――ダンス番組だけは、避けていたが。

 そうしてある日のこと、気分転換とばかりにゲーセンへ寄ってみたのだ。久々だなあと思いながら、ゲーセン内をほっつき歩いてみると、

 

『おーやんじゃん! 上達したなーお前』

 

 賑やかな声につられてみると、そこは音ゲーコーナー、それもダンスゲームにギャラリーが湧いていた。

 それを目にした途端、自然と足が動いていた。この期に及んで、未練めいたものが刺激されてしまったのだ。

 歩きながらで、プレイしようかどうかと迷った。そうしてギャラリーの一人が震を発見して、

 

『君、これに興味があるのかい?』

 

 思わず、頷いてしまった。そこからはもう、後戻りなんて出来なかったと思う。

 ギャラリー達は快く道を開けてくれて、そうして台に立つ。最初の数秒ほどは沈黙したままで、ままよとワンコインを投入して、チュートリアルを拝見した後に「これがいいかな」と適当に曲をセレクト。

 ――割とむずかしめの曲を選んでいたことを知ったのは、数日後の事だった。

 

 初プレーの結果は、A判定。ギャラリーからは、「才能あるねえ!」の一言。「やってみないかい」の勧誘。

 だめだった。

 自分はころりと、ダンスゲームの虜になってしまった。

 そして気づけば、キングとしてふんぞり返っていた。

 

 ■

 

 AIとは、まったくの正反対だ。AIはダンスを続けるためにダンスゲームへ手を出して、自分はダンスから逃避するためにダンスゲームへ足を突っ込んだ。

 よく出来ているなと、なんとなく思う。

 

 ――それって絶対、次に繋がることですし

 

 AIは、そう信じているからこそ前に歩めている。

 自分は、それが信じられなくて逃げてしまった。

 

 ――そういうのぜんぶ踏み越えた先に、誰にも負けない私がいると思ってるので!

 

 俺は、君のことが羨ましいよ。 

 

 

―――

 

 

「いやー驚いたよなーマジで。まさか愛さんがなー」

 

 放課後、

 ゲーセン内の椅子に腰掛けながら、Lotusが「なー」という顔で話題を持ちかけてくる。対して震は、「だなあ」とぼんやり返答した。

 

「いやホント、いきなり過ぎたよな。……今までは、誰一人として愛さんの正体に気づけなかったわけだけれども、何でだべ」

「知名度の問題だろ」

 

 あっさりと答えてみせる。Lotusは「ああ」と頷いてみせ、

 

「そっか、それかあ。となると、何かこうスゲえよなあ、いきなりメジャーになるだなんて」

「いきなり、じゃないだろうよ」

「そうなん?」

「地道な努力を積み重ねてきたんだろう。曲も、ダンスも少しずつ磨き上げていって、そうして今のアイアンフリルが完成したんじゃね」

 

 震は、どこか遠い目をして笑う。

 

「俺ら音ゲーマーだって、下積みしまくってランクを上げていくだろ。それとおんなじじゃないか」

「あー、そっかー。だよなあ、愛さん頑張りまくるタイプだもんなー」

「な。それにお前、音ゲー以外のアーティストとかに興味あるか?」

「ねーなあ」

 

 ダンス中のプレイヤーを、じっくりと見つめる。

 目の前でダンスを繰り広げているのは、Cosmosという男性プレイヤーだ。年齢は同い年くらい。

 ここ最近になってボス曲へ挑むようになったのだが、それだって「いきなり」というわけではない。Cosmosだって壁にぶつかって、沢山のアドバイスを耳にしていって、長い時間を用いて上級プレイヤーへと成り上がった経歴がある。

 震は、それをずっと見届けてきた。

 努力は、決して人を裏切らない。

 

「あーあ、これから忙しくなるだろうなあ。もう来ねえのかなー、可愛かったのになー」

「さーなー」

「下剋上が見たかったのになー」

「俺の前でそれ言う?」

「えー、だめー?」

 

 苦笑しながら、首を左右に振るう。

 Lotusの言う通り、AIはこれから忙しくなるだろう。テレビ出演にレッスン、ライブに交流会と、色々と引っ張りだこになるに違いない。

 AIはゲーマーを卒業して、テレビの向こう側でこの先も輝き続けるのだろう。ゲーム仲間として、純粋にアイドル活動を応援するつもりだ。

 稲妻のように現れた君のことは、決して忘れはしない。

 頑張れ、AI。お前は、俺のようには、

 

「――あ!」

 

 常連の一声が、喧騒を貫いた。

 誰もがこぞって、「何」と顔をしかめる。常連が入口側へ指を差して、誰も彼もがそれにつられて、

 

「あ」

 

 間抜けな声が、出た。

 だって、信じられなかったから。時の人が、こっち(音ゲーコーナー)に歩み寄ってきているだなんて。

 

「あ、えと」

 

 変装のつもりなのだろう。その人はパーカーのフードを脱いで、物々しいサングラスを取り外した。

 

「こ、こんにちはー」

 

 その人は、気まずそうに笑う。ギャラリーも、どうしていいのか分からずに視線を右往左往し始める。

 無理もない。いま目の前にいる人は、銀幕のスターであり、今をときめくアイドルであって、おいそれと接触してはいけない人物なのだ。

 ――普通は、そう考える。

 

「あ、えと……やっぱり、ご迷惑、でしたか?」

 

 でも、

 その人はれっきとしたゲーマー仲間で、王を討ち果たそうとする挑戦者でもあって、

 

「おお、AI。今日も練習するのか?」

「あ」

 

 自分がもっとも会いたかった、ダンスゲーム好きの女の子だった。

 

「いやー、待ってたぜ? やっぱゲームには、ライバルがいないと張り合いが、なあ?」

 

 中指と人差し指でゲームカードを挟み込みながら、それをAIへ見せつけてみせる。

 AIは、しばらくはぽかんと口を開けたまま。ギャラリーも、固唾をのんで行く先を見守り続けている。ゲーセン内で反響する音楽が、どこか遠いように聞こえた。

 

「――そう、そうね」

 

 花のヘアピンが、増えたと思う。

 そしてAIは、「いつもの」鋭い笑みを浮かばせながら、ゲームカードを財布から引っこ抜いて、

 

「今日こそ、RainでSをぶんどってみせるわ。首洗って待ってなさい、SIN!」

 

 カードとカードが、銃のように差し合う。互いに、敵意むき出しの笑みを晒しながら。

 この瞬間、水野愛はAIへと成り代われた。

 

 いつものやり取りを交わした後に、AIが左右へ目配りして、

 

「えと。台、開いてますか?」

 

 AIは、マナーに関してはとても礼儀正しい。その姿勢は、ギャラリーからも高く評価されている。

 ――先ほどまでだべっていた常連達が、AIに笑いかけて、

 

「みんな、AIちゃんにプレイ権を譲ってもいいかー?」

「――おお、いいぜいいぜ」

「もちもち。……いやあ、さっきはごめんね。驚いてしまって」

 

 Anemoneが、「ごめんね」と手を合わせる。

 そんなAnemoneに対し、AIは「いえ」と微笑んで、

 

「わかりますよ。気を遣ってしまいますよね、どうしても」

「まあ、正直、ね。……でも、」

 

 女の常連客が、歯を見せてにっこり笑う。

 

「決めた。ココにいる限りは、あなたのことはAIとして触れ合うわ」

 

 だろ? そんな顔をしながら、女の常連客がギャラリーに同意を求める。

 もちろん、みんな頷いてみせた。

 

「あ――ありがとうございます!」

 

 AIは、深々と頭を下げた。

 震は、思わず前に出てしまい、

 

「まあまあ、そんな畏まらんでいい。いつも通りに、俺に挑戦をけしかけてくれよ、な?」

「……そうね、そうするわ」

 

 AIの顔が、ゆっくり、ゆっくりと持ち上がっていって、

 

「絶対に、あなたに勝ってみせるんだから!」

 

 その顔は、どこまでも明るかった。

 

 □

 

 6月の春頃、音ゲーコーナーは嘘みたいに静まり返っていた。

 

 AIがRainをプレイして、一体何度目になっただろう。少なくとも、十回はゆうに越えていたはずだ。最初はDに、何とかCまで食らいついて、いつしかBをモノにしてみせて、Aまで勝ち取ってみせて、そして、

 画面に凛然と輝く、「Sランク」「BEST SCORE」の文字。

 それだけでも、十分すぎたのだが、

 

「や、やりがった。キングのスコアを、越えやがった……」

 

 Lotusが、ぽつりと呟く。

 つまりは、そういうことだった。

 

「――ったぁ―――――ッ!!!」

 

 生の笑顔を共にしながら、AIが天高く指を突き立たせてみせる。感情が止まらないのか、ジャンプまでしてみせた。

 ――間、

 ――瞬間、

 どいつもこいつもが、無遠慮に叫びまくった。

 王の城壁が破られたことによって、ゲーマー達が大いに驚嘆する。AIが王を討ち果たしたことで、仲間達がやかましく祝福する。問答無用の笑顔に惹かれて、一緒になって喜びを感応する。皆が皆、AIめがけハイタッチをする。AIが、何度も何度も「ありがとう!」を叫んだ。

 ――やった、やったんだな。

 心の底から、そう思う。

 AIはようやく、実力を以て目標を達成できた。この瞬間から、AIはクイーンとして君臨せしめた。

 正直、少しだけ悔しいとは思う。

 けれど、やっぱり嬉しかった。相手がAIなら、これもいいかなと思えてしまえるのだ。

 寂しく、けれども笑いながらで息をつく。

 これで自分は、お役御免だ。

 これからはAIのことを、後ろから応援し続けようと思う。そしていつかは、女王のスコアを越えようと誓う。俺の戦いは、これから始まるのだ。

 

「ただいま、SIN」

「ああ。よくやったな、AI」

「ええ、やったわ。やってやったわ」

 

 本当に嬉しかったのだろう。AIの笑顔は、今もなお咲き誇ったままだ。

 それを目にして、心臓が痛くなる。触れ合える距離のせいで、意識が強張ってしまう。これって恋なのかなあと、身の程知らずの憶測が生じた。

 

「……ま、あれだ。本当におめでとう」

「ええ。これも、みんなのお陰よ」

「そうか、それはよかった」

「うん」

 

 そうして、AIは震の隣に移動する。

 二人の目線は、ゲームをプレイする常連客へ向けられた。

 

「……ねえ」

「ん?」

「その、さっきはありがとう。あなたが受け入れてくれたおかげで、いつものモチベーションでゲームに挑戦できた」

「ああ。あれはその、ゲーマーとして当然のことを口にしただけ」

「……そうだとしても、本当に嬉しかった」

 

 お礼を告げられるたびに、心が締め付けられる。踊り明かす以上に、体が火照っていく。

 

「ね」

「うん?」

「私ね、これからもダンスゲームを続けるわ」

「マジで」

「ええ、マジ。だって、こんなにも楽しいから」

 

 コンボが叩き出されて、ギャラリーから口笛が舞う。

 ――そうだよなと、震は共感する。そうでなければ、ここまで夢中になんてなれなかった。

 

「……そうだな、俺もそう思う」

「ええ。色々な曲調で踊れて、こうして仲間たちと喜びを分かち合えるだなんて、最高じゃない」

「ああ、そうだ。その通りだ」

 

 コンボが途切れる。けれどプレイヤーは、ダンスを絶やさない。

 

「……それにね、その」

「え、何」

「……あれよ、あれ。あなたというライバルと出会えたお陰で、いい刺激にもなったし」

 

 どこか素直じゃない声色に、心がくすぐったくなる。

 変な声を出さないように、握りこぶしをぎゅっと作った。

 

「俺も、その、AIのお陰で色々と精進できた。お互い様さ」

「そ、そお? そう」

「ああ。なんというか、その、俺もすごく楽しかった。ありがとう」

「う、うん。こちらこそ」

 

 間もなく、ゲームが終わろうとしている。次は自分の番ということで、一歩前に出て、

 

「さーて、やりますか」

「ええ、いってらっしゃい。キングのダンスを、拝見させていただくわ」

 

 AIに振り向き、「おいおい」とひと置き。

 

「何言ってんだ、AIは俺のスコアを越えただろ? 今の俺はキングじゃなくて、単なる平民。クイーンはお前」

 

 そこでAIが、「は?」と首をかしげる。

 

「……何言ってるの、あなた」

「え?」

 

 物々しい雰囲気を察したのだろう。ギャラリーが、AIに注目し始める。

 

「私はまだ、あなたに完勝していないわ」

「え?」

「あなた、THUNDERでSラン取れるのよね?」

「……まあ」

「ほれ見なさい。いい? 私はね? あなたの攻略したボス曲を全てクリアするつもりでいるの」

 

 はっきりと、指を突きつけられる。

 

「Rainクリアなんて、ほんの始まりに過ぎないわ。お次はTHUNDERでベストを勝ち取るつもりでいるから、それまで首洗って待ってなさい」

 

 そんな宣告を食らってしまって。震は、変な笑いがこぼれ落ちてしまった。

 

「……質問」

「どうぞ」

「もし、Rainのスコアを塗り替えちまったら?」

「決まってるじゃない。もう一度、私の手でスコアを上乗せしてみせるわ」

 

 瞬間、含み笑いが腹から出てしまった。

 だってAIは、これからも自分と遊んでくれるのだ。それが嬉しくてたまらなくて、もはや我慢なんて出来ようもなかった。

 

「AIさんよ」

「なに?」

「最高」

「でしょ?」

 

 そしてAIもまた、楽しげに笑ってくれるのだ。

 

「じゃ、キングっぷりを見せつけてやるよ」

「ええ。しっかりね、王様」

 

 そうして震は、振り向くこと無く台に立って、そのままワンコインを投入する。コインの転げ落ちる音とともに、見慣れたゲーム画面が表示された。

 曲はもちろん、THUNDERだ。

 

「頑張れよー、キングー」

「このままじゃお前、AIさんに負けちまうぞー」

「っせー、そう簡単にキングの座を明け渡すかっての」

「そうそうその意気よ。頑張りなさい、SIN!」

 

 様々なヤジが飛び交う中で、AIの声がいちばんよく聞こえた。

 

 自覚する。

 俺は、この人のことが好きだ。




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

よろしければ、ご感想やご指摘をしていただけると、本当に嬉しいです。


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逢い引き

 6月。

 ここ最近は、テレビをよく見るようになった。

 朝のニュースはもちろんのこと、特に夜の歌番組は決して見逃さない。そのお目当てはもちろん、

 

『いやあ、素晴らしいダンスでした。歌声も熱くて、本当に良いですね』

『ありがとうございます!』

 

 定番の歌番組にて、アイアンフリルのメンバーがはっきりと映し出されている。司会者の言う通り、歌もダンスもほんとうに素晴らしかった。

 

『アイアンフリルは、何事も本格的ですね。歌いながら、あそこまでキレキレのダンスが出来るなんて』

『はい。私達は、お客さんに良いものを見せたいという一心で、ここまで頑張ってきました』

『おおー、若いのに志が高いですねえ。さすが、今をときめくトップアイドルグループです』

 

 まったくだと、夕飯を口にしながらで頷く。

 一方の愛は、その賞賛に恥じらうこともなく、堂々とした表情をテレビ越しから見せつけていた。

 

『確かに私達は、トップであるかもしれません』

 

 味噌汁がうまいなあと、ゆっくり飲んでいって、

 

『ですが、超えるべき壁はいくつもあります』

 

 むせた。

 母が「あ、大丈夫?」と心配してくれた。

 

『それを乗り越えられるまで、私たちは前進を止めるつもりはありません』

 

 今度会った時に、真意を聞いてみることにする。たぶん、思った通りの答えが返ってくるのだろうけれど。

 気を取り直して、卵かけご飯をもりもり食べ始める。

 

『素晴らしいです、この調子でもっと輝いて欲しいところですね。……そういえば本日は、何やら重大発表があるそうですね?』

 

 何だ。卵にとろける米を、何度も何度も堪能する。

 ――愛は、「はい」と頷いて、

 

『この夏、アイアンフリルは全国ツアーを行います!』

 

 喉に詰まった。

 

 □

 

「――マジすか?」

「マジ」

 

 大マジな顔になりながら、AIがTHUNDERにカーソルを合わせる。

 Lotusも歌番組を視聴したらしくて、「すげえなーAIさんはー」と漏らしていた。

 

「てことは、忙しくなるわけか」

「ええ。しばらくは、ここに来れなくなるわ。本当、残念よ」

「――あ、でも、ゲーセン自体は全国各地にあるワケだから、練習は出来るんじゃねーかな?」

 

 名案を、言ったつもりだったのだ。

 けれどもAIは、不満を絵に書いたような表情を露にした。

 思わず、「え」の声が出てくる。

 

「な、なんだよ」

「……それじゃあ、意味ないでしょ」

「何が」

 

 AIが、びしっと人差し指を突きつけて、

 

「あなたに勝たなければ、何の意味もないの!」

「え、ええ……」

「あなたは壁なのよ。それを分かりなさい!」

「! あ、あの壁発言って、やっぱ俺のことだったのか!?」

「そうよ。何か文句ある?」

「いや別にねえけど……でも、恥ずかしいっていうか……」

「名前は出さなかったから、別にいいじゃない」

 

 ギャラリーが、くつくつと笑い出す。震は、げろげろな表情を垂れ流すほかない。

 

「分かっているでしょう。私は、アイドルもゲームも、トップを取るつもりでいるの」

「そりゃあ知ってるけどさあ。でも、ランカーは全国各地にいるもんだし……」

「そういう問題じゃない。私はSINに、あなたに勝ちたいのよ」

「なんで」

 

 その時、見逃さなかった。

 AIが、気恥ずかしそうな顔をして目を逸らしたのを。

 

「……ち、近くにいるからよ」

「ち、近くぅ?」

「そうよ、悪い? 遠くのライバルよりも、近くのラスボスの方が気になるのは、ゲーマーとして当然のことじゃない」

「ああ、それはわかる」

 

 口では平然と、心の中はすっかり沸騰していた。

 

「まあ、そういうわけだから。……いい? ツアーで私がいなくなっても、私のことは絶対に忘れないように! あなたを倒すのは、この私なんですから!」

「ああ、わかった。首洗って待っといてやるよ」

 

 誰が忘れるものか、好きな人からの挑戦状だぞ。

 思わず、上機嫌が顔に出そうになる。そこは、顎でぐっと堪えてみせた。

 ――その時、カウント音めいたSEが筐体から鳴り響いてきた。思わず、「あ」の声が漏れ、 

 

「なあ、AIさんや」

「なに」

「もう少しで、曲が強制的に決まっちゃうんですけど」

「え? あ! これこれ! これにするから!」

 

 ここ最近の音ゲームは、曲数がかなり多い。そのせいで「どこだっけ?」とボヤボヤしているうちに、時間切れとなってよくも分からない曲をプレイさせられることも珍しくはない。

 幸い、AIはあからじめTHUNDERにカーソルを合わせていたのだけれど。

 

 ――間もなく、曲が始まる。あと少ししたら、幾多もの譜面が殺しにかかってくる。AIは稲妻を受けきれるのか。

 

「頑張れーAIさーん」

「王なんてけちょんけちょんにしてくださいよー」

「ええ、わかってるわ」

 

 外界における愛は、触れざるトップアイドルだ。それは皆も分かっている。

 けれどAIは、ダンスゲームを愛する一介のゲーマーに過ぎない。だから、こんな軽口だって交わしあえる。

 

「……行くわよ!」

 

 □

 

 Bランクだった。

 AIは「ぐぬぬ」と歯を食いしばり、勢いのままで震の方へ振り向く。正直ビビったが、情けないところを見せたくないがあまり、何とか踏ん張る。

 

「……いい曲じゃない」

「そうだな、いい曲だな」

「うん……だいぶコツは掴んできたわ。次こそは必ず、Sを獲ってみせる!」

 

 ああ、この流れは。

 震は、AIめがけ「待った」と腕を伸ばす。

 

「なに」

「その……気分転換に、違う曲を選ぶのも良いぜ? 同じ曲ばっかだと、気が滅入るしさ」

「……まあ、そうなんでしょうけれど」

 

 思い出せる。AIが初めて、音ゲームに手を出したあの日のことを。

 

「……でも」

「ん」

「今のうちに、私はSランクでクリアしたいの。もう少しで、ツアーが始まってしまうから」

「その気持ちは、よく分かるよ」

「なら、」

「だからこそ、気分転換はするべきだ。……同じ曲調で踊り続けるなんて、プロでもダルいだろ?」

 

 AIからの反応が、返ってこない。ギャラリーも、沈黙を以て肯定してくれている。

 前に、AIは言っていた。リアルのダンスをする際に、何度も同じミスをしたことがあると。そんな悪循環を払拭するために、ゲーセンへ立ち寄ってみたということも。

 だからこそ、AIは何も言ってこないのだろう。表情が真顔になっているのも、音ゲーへの情熱が焼き焦げているからこそだ。

 だからギャラリーも、AIを見守り続けている。震も、これ以上の余計は口にしない。

 

「――そうね、あなたの言う通りだわ」

「AI」

「……そうよね、ゲームは楽しんでナンボよ。うん、なにやってたんだろ、わたし」

 

 AIが、両肩で息をついて、

 

「すみません、みなさん。変な空気にしてしまって」

 

 AIの、極めて生真面目な謝罪。

 対して常連は、ほんの少しの間とともに、含み笑いをこぼしあうのだ。

 

「いや、俺もそういう時期があったから。気持ちはわかるよ、AIさん」

「そうそう、ムキになっちゃうわよね。音ゲーマーあるあるだと思う」

「そうそう。だから、そんな暗い顔しないでくれよーAIちゃーん」

 

 この場にいる誰もが、AIの姿勢を「肯定」している。AIは、目と口を丸くしたままで、それらの言葉を耳にしているはずだ。

 

「AI」

「……あ」

「気にするなって。ここにいる奴らはみんな音ゲーマー、AIの気持ちにみんな共感しているから」

 

 たぶん、正しいことを言えたのだと思う。

 だってAIは、少しずつ、すこしずつ、顔を明るく染めていって

 

「……わかった」

 

 笑顔で、こう答えてくれたのだから。

 ――筐体に向き合い、「そうねえ」と曲をセレクトしていく。

 

「おい、SIN」

 

 Lotusに小突かれ、「んだよ」と悪態をつく。Lotusは「へへへ」と笑いながら、

 

「かっこよかったぜ」

「ああ? 何が」

「とぼけんなよ。いやーこれは、AIさんとの関係が楽しみですなー」

「な、何を言うてんだコイツは」

 

 Lotusめがけエルボーを食らわせている間、AIがいくつかの曲を視聴した後に、

 

「あ、これいいわね」

 

 選んだ曲は、「LOVE SONG」。難易度はそこそこで、AIならば気軽に踊り明かすことが出来るだろう。

 ――それにしても、ラブソングか。

 何だか、どきりとする。

 

 そして、曲が始まった。

 

 最初こそ、AIはゲーム的なダンスでスコアを稼いでいたのだ。そう難しくない曲であるから、AIならばフルコンボすら余裕だろう。

 ――ところがAIは、この曲に「慣れて」きたようで、

 

「踊った!」

 

 ギャラリーに、火が点きはじめる。

 それもそのはずで、AIは「本気で踊り始めた」のだ。緩やかに手を薙いで、歩くようにステップを踏んで、時には振り向いて、ウインクまでしてみせて、

 

「――私は恋しました。ケンカばかりしていたあなたに、恋をしてしまいました」

 

 そして、歌まで唄ってみせた。

 ギャラリーが歓喜の声を上げる、口笛が乱射される。エンターテイメントを前に、誰も彼もが笑顔に染まっていく。

 

「本心は言えないくせに、強い言葉ばかり口にして。ほんと私ってば、ばかね」

 

 歌番組と何ら変わらない歌声が、ゲーセンに響き渡る。ばかと言われて、男どもがやかましくなる。

 

「でも、いつか言うの。嫌われるまえに、言いたいの」

 

 女性たちも、AIの生み出す雰囲気に飲まれているのだろう。沈黙したまま、歌とダンスを見届けている。

 

「あなたに好きって、言いたくて」

 

 震は、笑っていなかった。ただただ真顔で、AIのラブソングを聞くことしか出来ていなかった。

 

「あなたに好きって、」

 

 その時、AIと目が合った。

 ――コンボが、途切れた。

 

「……言いたくて」

 

 ――曲が終わる。Sランク、高スコア。

 すこしの沈黙が、訪れたあと、

 

「すげえ」

 

 Lotusが、ぽつりと、感想を漏らした。

 

「すげえよ、AIさん。いいもん、見させてもらった」

「あ、ありがとう。いい気分転換に、なったわ」

 

 指を突き上げることなく、AIはとぼとぼと台から降りていく。

 そんなAIをよそに、ギャラリー達は未だ余韻から醒めきれていない。すごかったとか、可愛かったとか、一生モンだとか、やっぱりAIちゃんかわいいわーとか、男女問わずにすっかり虜にされていた。

 

「ああ、やっぱりプロは凄いわねえ。――うし、私もやってみようかな」

「おお、やったれやったれー!」

「オッケー。じゃ、簡単な曲にしようかなっと」

 

 そうして、ギャラリーの関心がAnemoneへ集中し始める。本気で「踊る」つもりなのだろう、Anemoneは簡単めの曲をセレクトした。

 ――AIが、震の隣に立つ。

 

「……うん。良い気分転換に、なった」

「それはよかった」

「その、ありがとう」

「いや、いい」

「……どうだった、私のプレイ」

「よかった、とても」

「どんなふうに」

「ぜんぶよかった」

「具体的に」

「まあ……その、」

 

 AIのダンスも、歌声も、震はよく覚えていた。言おうと思えば、すぐにでも答えられる。

 ただし、それらの感想にはフィルターをかけなければならない。ナマのままで言おうものなら、間違いなく告白めいた言葉が飛び出してしまうから。

 呼吸する。

 己が頭を、手のひらで軽くはたく。

 AIが、「わ」と小さく驚く。

 

「えと、なんていうのかな。歌にもダンスにも、気持ちが込められてた。曲と、馴染んでた」

「そ、そう。そうなんだ」

「いや本当、良かったよ。AIは、才能がある」

「う、うん。どうも」

 

 AIが、気恥ずかしそうに視線を逸らす。頬を、人差し指でこすりはじめる。

 

「……ねえ」

「うん?」

「あー、えと、その」

 

 物事をはっきり言うはずのAIが、言葉に躓いている。

 珍しいな、と思う。

 どこか赤らんだAIを見て、やっぱり可愛い人だなと想う。

 Anemoneが、バレンタインソングを歌い始める。常連達が、いいぞいいぞと囃し立てる。テーマがテーマなだけに、こっ恥ずかしさめいたものが膨らんでいく。

 

「……え、えーとね」

「あ、ああ」

 

 AIにも影響が及んでいるのだろうか。ちらちらと、女性プレイヤーのダンスへ視線を傾けている。

 ――いやいや、まさか。

 自意識過剰にも程がある。AIに「好かれる」ほどのタマじゃないことは、我ながら自覚しているところだし。

 

 俺はただのキングで、ラスボスだ。

 それ以上でも、それ以下でも、

 

「ねえ、SIN」

「何」

「――その。また、ああいうコトをやったら、SINはちゃんと見てくれる?」

 

 息を吸うことすら、忘れかけていたと思う。

 AIと目が合って、その瞳が泳ぎ始める。口元はへの字に曲がっていて、花びらのヘアピンは心なしか多い。近くにいるからか、AIの呼吸がよく聞こえてきた。

 

「……もちろん、見る。AIのやることなら、全部見届ける」

「あ――そう、そっか」

 

 AIが、小さくうつむく。まばたきを、忙しなく繰り返しながらで。

 

「……わかった。攻略に詰まったら、また、ああいうことをやる」

「楽しみにしてる」

 

 そうして、AIの顔がゆっくりと上がっていって、

 

「――ありがと」

 

 こんな至近距離から、AIは、俺に対して笑顔を分け与えてくれた。

 ――もう、だめだった。抑えきれそうに、なかった。

 

「なあ」

「なに?」

 

「このあと、時間あるか?」

 

 

 □

 

 喫茶店に入るだなんて、生まれてこのかた始めてだった。

 それだけならまだしも、客層は女性ばかり。一人で居る者から、談笑しあっているグループ、遠い目で外を眺めている人もいたりして、とにかく場違い感がすごい。

 けれど、「落ち着いて話せそうな場所」を求めたのは自分なのだ。だから、文句を言うなんて筋違い以外に他ならない。

 覚悟を決めろ。

 どうせ、興味なんぞ持たれはすまい。

 よし。

 振り向き、サングラスとフード姿のAIを見つめる。AIは、小さく頷いてくれた。

 改めて、店員へ目線を投げかける。それを合図か何かだと察してくれたのか、店員はにこりと笑って、

 

「お二人様でよろしいでしょうか?」

「は、はい」

「かしこまりました」

 

 よし、何とか切り抜け、

 

「お客様」

「は、はい」

 

 不意に声をかけられて、筋肉が強張ってしまう。

 もしかして、AIの正体に感づかれたのでは――握りこぶしまで作りながら、笑顔を浮かばせたままの店員を凝視する。

 店員は、実に嬉しそうににこりと笑って、

 

「後ろの方とは、お付き合いを?」

 

 意識がちょんぎれたと思う。

 

「いま、カップル応援キャンペーンを実施していまして。二人で食べる、ラブラブパフェがおすすめですよ」

「は、はい、そうなんですか」

 

 AIが、必死そうな声を絞り出した。

 

「それでは、お席にご案内します。その後にメニューをお渡ししますから」

 

 AIと、目と目を合わせる。

 その顔には、「どうしよう」が描かれていた。

 

 

 

 

「では、ごゆっくりー」

 

 ごとりと、ラブラブパフェがテーブルの真ん中に置かれた。

 名前とは打って変わって、かなりごつい音がしたと思う。

 よく見なくても、一人きりでは絶対に食い切れない。ハート形のチョコレートがクリームに突き刺さっていて、スプーンが二人分用意されていて、そもそもの名前がラブラブなあたり、完全にカップル御用達のスイーツだった。

 店員が去っていって、嘘みたいに静かになる。

 ここにはギャラリーもいない、客も関心の目を向けたりしない。完全な二人きりになってしまって、ろくに言葉すら紡げない。

 ちらりと、AIの方を見つめる。

 AIと目があって、思わず視線が泳いでしまう。

 

 ――こうなったのも、すべては己が勢いのせいだった。

 

 最初は、「ラブラブパフェかあ、ラブラブねえ」と苦笑いしたのだ。けれどもAIは、特に嫌そうな顔もせずに「い、いいんじゃない?」と促してきて、震十五歳は「そ、そうかな?」と舞い上がってしまって、店員からの「ご注文はお決まりでしょうか?」に押されて、「ラブラブパフェお願いします」と口にしてしまって、こうして現在に至る。

 ぎこちない沈黙が、二人の間に生じる。

 AIはただただ、スプーンをゆらゆら揺らしている。気恥ずかしいのか、視線なんてひと時も合わない。このまま時間を過ごすのは――

 AIの顔が、どこか苦しそうに見えた。

 いけない。

 誘ったのは俺なんだ。

 俺は、AIのことが好きなんだぞ。

 ひと呼吸つける、AIに目を合わせる。言うべきことを言うために、スプーンを手に取った。

 

「なあ」

 

 AIが、びくりと震える。

 

「よかったら、食べなよ。これは俺のおごり、遠慮しなくていい」

「え――どうして?」

 

 震は、気恥ずかしそうに「いやー」と声に出して、

 

「さっき、いいモン見せてくれただろ? そのお礼だよ、お礼」

「そ、そお? そう」

 

 そうそう。気楽そうに、震は二度うなずいてみせた。

 ――それを見て、AIの緊張がほぐれたのだろう。「そっか」と言って、表情が朗らかなものになる。

 

「そう言うことなら」

 

 AIは、慎重な手つきでパーカーを、サングラスを外した。

 

「じゃあ、いただきます」

「いただきます」

 

 ほぼ同じタイミングでスプーンがクリームに突き刺さり、ほぼ同時にクリームを口の中に入れて、

 

「うまいっ」

「あまいっ」

 

 二人して、本音を口にした。

 甘いものを一口入れようものなら、手はもう止まらない。甘味特有の柔らかい刺激に惑わされるがまま、クリームを一口、更にクリームを一口つけて、それでも飽きずにパフェを求めるのだ。

 うまい。うんうまい。

 言動らしい言動は、ほぼそれだけ。スイーツを味わおうものなら、人間は大抵こうなる。

 喜色満面の時を過ごして、いったい何分ほど過ぎて行っただろう。クリームの山も、そろそろ陥落寸前にまで差し掛かっている。

 自分はもちろん、AIもご機嫌そうに微笑んでいる。先ほどの緊張感なんて、もはや大昔の出来事だ。

 

「ふぃー」

 

 一旦、手を止める。流石に食べ過ぎたせいで、腹が少しだけキツくなってきた。

 そして、AIも似たような状態だったのだろう。ハート型のチョコレートを食べ終えたあとで、スプーンをグラスの中に置いた。

 

「……しっかし、全国ツアーかあ」

「ええ、本当に長かったわ」

「信じられない、と言わないあたりがAIらしいな」

「当たり前でしょ」

 

AIの口元が、不敵そうに釣り上がる。クリームが少しついていた。

 

「てことはあれか。このツアーも、単なる通過点でしかないとか、そんな感じ?」

「そうよ」

「はー、すっげえなあ」

「通過点だからって、手は抜かないけどね。私たちを観てくれるお客さんのために、常にSランクのライブを披露し続けるわ」

「さすが」

 

 ほんとうにそう思う。

 AIはこれからも、道なき道を歩み続けるつもりなのだろう。途中でくじけそうになっても、持ち前の負けん気で立ち直って。道が途中で崩れ落ちていようとも、それすらも飛んで乗り越えてしまうに違いない。AIとは、そういう人だ。

 ため息。

 対して自分は、なんだ。経験すべき失敗に打ちのめされて、嫌になって逃げ出してしまって、そうしてダンスゲームへ逃避してそれきり。

 ――この世で最も、ダンスゲームをプレイする資格がない男なのだ。おれは、そういうやつだった。

 

「ねえ」

 

 不意の声に、体がびくりと震えた。

 

「どうしたの? 何か、思いつめたような顔をして」

「え。き、気のせいじゃね?」

「いいえ」

 

 AIは、きっぱりと否定した。

 

「時折見るもの、あなたのそういう顔。いつも気になるんだけれど、聞けるタイミングがなかなか掴めなくて」

「く、くせみたいなモンだよ、うん」

「聞かせて」

 

 AIの表情が、いつもの凛々しさに早変わりした。

 

「何か、悩みがあるんでしょう? その、役に立てるかは分からないけれど、話すだけで楽になれると思う」

「AI」

 

 たぶん、聞くまで一歩も退かないつもりなのだろう。それが、AIという女の子だから。

 ――観念したように、頷く。

 いつか、誰かに話そうとは思っていたのだ。弱音を洗いざらいぶちまけて、聞くだけ聞いてもらって、それでダンサーとしての自分がエンディングを迎える。そういう腹づもりでいたのだ。

 けれど相手が、よりにもよってAIだなんて。

 けれども、AIで良かったと思う。AIのことが好きだからこそ、そう実感できる。

 未練を断つのには、あまりに贅沢なシチュエーションだった。

 一息、つく。

 

「俺な、元々はダンサー志望だったんだ」

「へえ……だから、動きのキレが良いんだ」

「そうかい? まあ、ダンスはもともと好きだったんだよ」

 

 苦笑い。

 

「でも、コンテストの結果は鳴かず飛ばずの連続。評価されるのは、ほかの同い年のダンサーだった」

 

 AIは、真顔のままで小さく頷く。

 

「それが嫌になっちまって、俺はダンスから逃げ出した……つもりだった」

 

 これから言うことを察したのだろう。AIが、「あ」と口にした。

 

「そう。気分転換にゲーセンに行って、そこで音ゲーをプレイしてみて……周りから、才能があるって、褒められたのさ。で、今に至るわけ」

 

 自虐的な笑みを浮かばせる。AIは、ずっとずっと真顔のままだ。

 

「俺は、失敗とか後悔に負けたんだ。AIのようには、なれなかったんだ」

 

 思う。

 こんな自分とAIとでは、まるで釣り合っていないんじゃないかと。こんな野郎に告白されたところで、AIを困らせるだけになるんじゃないのかと。

 頭が冷える。熱めいた衝動は、もうどこにもない。

 話せてよかったと思う。AIはどうか、こんなふうに腐らないで生きていて欲しい。

 

「……ねえ」

「うん?」

 

 愛が、パフェをそっと横に移動させた。

 愛の真顔が、冗談なんて通じない瞳が、震めがけ突き刺さる。

 

「あなたは、ダンスを辞めた後でキングになったのよね?」

「え? うん、まあ」

「その玉座を得るまでは、沢山の失敗や後悔を味わってきたんでしょう?」

「……そう、だな」

 

 最初の頃は、ただ踊れていればそれで良かった。

 けれどもゲーマーという生き物は、必ずと言っても良いほど上を目指すようになる。それが競技性の強いゲームなら、尚更だ。

 上を目指すのにも、色々な種類がある。全曲を制覇したいという目標、仲間内で一番を目指す熱意、世界一すら狙う意思――震は、世界一を目指すようになっていた。ほんとうに、いつの間にか。

 いまの震は、残念ながら世界一にはまだまだ程遠い。せいぜいが、地元で一番程度の腕前だ。

 しかしそれでも、震は「キング」だった。数えきれないプレイミスを乗り越えていって、確かに王の座を獲得したのだ。

 

「あなたがこうして輝けているのも、それらを次に繋げられたから。違う?」

「……違わない」

 

 失敗はする。けれども、失敗しないようにすることはできる。

 そうやって進歩するのは、そう簡単な事ではない。何度も同じミスを繰り返さなければ、震は一歩すら踏み込めなかった。

 失敗を積み重ねてきたからこそ、震は前へ歩み続けられた。

 

 

「そういうのを踏み越えてきたからこそ、あなたは誰にも負けないゲーマーになれた。……あなたには根性が、夢を果たせる力があるわ」

 

 言った。

 AIは、そう言い切った。

 ――震は、弱々しく「けどよ」と漏らし、

 

「ゲーム、だろ? 本物のダンスとはちが、」

「同じよ!」

 

 店内が、震えた。

 

「ダンスもゲームも、勝ち負けがある。練習だって強いられる。極めるのに時間はかかるけど、それを乗り越えられた瞬間にとても嬉しい気持ちになれて、自分のことがもっと好きになる。まったく同じよ」

 

 AIが、「はあ」と呼吸して、

 

「私も、そう思ってるから」

 

 それ以上の反論なんて、出てくるはずがなかった。

 だって自分は、ダンスゲーマー「AI」の生き様を見届けてきたから。

 

 これまでのAIは、ボス曲に翻弄され続けてきた。上手くいかないたびに唸って、ムキになってリトライしようとして、周囲から気分転換を勧められては笑顔を取り戻す、それの繰り返しだった。

 そしてAIが、Sランクをもぎとってみせた時――AIは、惚れてしまう笑顔を顔いっぱいに咲かせていた。歓喜で体が止まらないのか、人差し指を天高くにまで掲げてみせた。

 あの時のAIは、達成感でたくさんだっただろう。

 あの時のAIは、自分が好きで好きで仕方がなかっただろう。

 とにもかくにも無我夢中で、キングのポーズすら奪い取ってしまったのだ。AIは間違いなく心の底からゲームを楽しんでいた。

 

 沈黙が生じた。店内から、音が消えている。

 

「SIN」

 

 真剣味の溢れる顔は、もうどこにもない。

 あるのは、AIの穏やかな瞳だけ。

 

「私は、あると思うな」

「なにが?」

「ダンサーになれる、その素質が」

 

 うつむいて、しまう。

 

「ゲームだって、あなたをSランクのダンサーだと認定してる。それは結果だけじゃない、過程あっての評価よ」

 

 そうだ。

 ゲームは、人を裏切ったりはしない。

 

「……それにね」

 

 自分は、確かに聞こえた。

 

「わたしは、あなたに期待してるんだ」

 

 これまでに聞いたことがない、優しい声を。

 

「ゲームがすごく上手くて、ダンスもできて、これまで以上に活き活きとしてる。そんなカッコいいあなたを、私は見てみたい」

 

 自分は、確かに見た。

 

「私でよければ、なんでも言って! あなたからはゲームについて色々教えてもらったし、これでおあいこってことで!」

 

 これまでに見たことがない、輝かしい笑顔を。

 

「あ、AI、」

 

 醒めきっていたはずの理性が、だめになっていく。隠そうとした本音が、どうしても抑えきれそうにない。

 やっぱりおれは、AIのことが好きだった。

 想いだけは、どうしても伝えたくていっぱいだった。

 たとえ釣り合わなくとも、負けが決まっていても、しまい込むことだなんて出来そうになかった。

 

「AI」

「うん」

「ありがとう。おれ、決心がついたよ」

「うんっ」

「ダンサーになる。AIと同じくらいの、輝かしいダンサーに」

「うんうんっ」

 

 呼吸。

 

「……それで、もし、いつか、俺がプロのダンサーになれたら」

「うん」

 

 ここで、話の流れが鈍る。視線なんて下に傾いてばかりだったし、AIからは「どうしたの?」と心配されるし、つい頭を掻いてしまう。

 情けない男だな、そうは思う。けれども、口元はずっとずっと歪みっぱなしだった。ちらりとAIのことを伺ってみれば、心配そうに表情を困惑させているAIの姿が。

 ごめんな、AI。そんな顔をしたAIは、とても可愛い。

 

 うん、わかった。

 

「俺が、プロのダンサーになれたら」

「うん」

 

「俺と、付き合っていただけませんか?」

 

 やっぱり俺は、この人のことが大好きだ。

 

 言い終えた後で、身の程知らずだなあと実感する。相手はトップアイドルで、かたや自分はゲーマー、比べるまでもない。

 ほら見ろ。AIが、口元に手を当ててしまっているじゃないか。

 

「あ、あー、いやその、迷惑だった? いや、迷惑だよな。ああ、返事はしなくてもいい、言いたかっただけだから」

「そ、そんなことないっ」

 

 え。

 

「……どうしよう」

 

 AIの顔が、少しずつ赤くなっていく。AIの赤い瞳が、水面のように揺れ動いている。震はただただ、困惑することしかできない。

 手で口を伏せたままのAIは、「どうしよう」、「ええ」、「待って」、小さな声で狼狽し続けている。

 何か、声をかけた方が良いのだろうか。

 けれども今のAIは、あまりにも繊細な空気を身にまとっている。それに手を出すことなんて、恐れ多くて出来やしなかった。

 

「ああ、そんな、こんなことって……」

「AI、」

 

 そしてAIは、目を逸らしたまま、

 

「――先に、告白されちゃった……」

 

 ああ、そうなのか。最初はそう思った。

 え、いま何て言った。次に、そう思考した。

 あの、それって。そして、無謀な憶測が湧いて出てきた。

 

「……そう、だったんだ」

 

 怖いものでも見るかのように、おそるおそる、視線を合わせてきて、

 

「私のこと、好き、だったんだ」

「……まあ、ね」

「そう、そっか……」

 

 AIは、大きく大きく息を吐く。両肩が、上下にそっと動いていた。

 

「あのね」

「ああ」

 

 そして、AIからの言葉が途切れた。けれどもその瞳は、震のことをずっと映し出している。

 震は誓う。この目からは、絶対に逸らしたりはしない。一時でもAIを視界から外してしまえば、本当にAIが消えてしまうような気がしたから。

 AIは、音を立てて呼吸する。

 震は、じっとAIを見届ける。

 

「私、わたしね」

 

 そして、AIは、

 

「あなたのことが、あなたのことが、好きなの」

 

 決して忘れることのできない笑顔を、俺にくれた。

 ――理性なんて、吹っ飛んでいた。

 どんな間抜け面を晒しているのだろう、それを取り繕う余裕もない。それでもAIは、震に対してじっと微笑んでくれている。自分の返事を、ずっと待ち続けてくれていた。

 正直、ほんとうに死にそうになっている。

 最も言われてみたい言葉を、いちばん言って欲しい人が告げてくれたから。

 実感なんて、沸かなかった。

 だって、自分は、

 

「……AI」

「うん?」

「俺は、その、ただのゲーマーだぜ?」

「私だってゲーマーよ。ゲーマーがゲーマーに惹かれて何が悪いの」

「そ、そうだけどよお。でもAIは、トップアイドルだろ?」

 

 けれどもAIは、震のうじうじなんか意にも介さずににこにこし続けている。

 

「ねえ、SIN」

「うん?」

 

 AIは、テーブルの上に手を置いた。

 

「アイドルにとって、いちばん必要な能力って何だと思う?」

「え? ……なんだろう。諦めない心とか、かな?」

「うん、それも大事ね」

 

 人差し指が、とん、と動く。

 

「でも。アイドルにとって一番大切なのは、人を惹き寄せる力なの」

 

 納得した。

 だから、すぐにでも頷けた。

 

 アイドルとは人気商売だ、だから、ファンという他人が必要になってくる。

 そのファンを得るには、歌やダンス、精神力などが確かに必要となるだろう――けれど、だからといって、それで人が惹き寄せられるとは限らない。真剣すぎて、近寄りがたいと思われる可能性だってある。

 人から受け入れられるだなんて、そう簡単な事ではない。どうやったら「魅力」なんてものが磨かれるのか、自分には正直よく分からない。

 それでもAIは、アイドルとして生きていくのだろう。目には見えない道を、これからも歩み続けていくはずだ。

 ――ダンスから逃げた自分とは違って、AIは強かった。

 

「……あなたは」

「え?」

「あなたは、私と釣り合っていないと思っているから、迷惑だなんて言っちゃったんでしょ?」

 

 図星だった。

 言葉が、奥底に引っ込む。

 

「それは違う、違うのよ、SIN」

 

 え。

 縋るような声が、喉から出た。

 

「私は、あなたのプレイに刺激されて――魅せられて、ゲーマーになった」

 

 頭の中で、真っ白い稲妻が落ちた。

 そうだ。そもそものきっかけは――

 

「あなたは私を、トップアイドルの私を、惹き寄せてしまう力があるじゃない」

 

 頷けもしなかった。

 信じられないとか、うれしいとか、ありえないとか、本当かよとか、とにもかくにも感情がごちゃごちゃになってしまっていたから。

 

「あのね」

 

 AIは、そっとうつむいた。

 気恥ずかしそうに、頬が赤く染まっている。

 

「あなたがこれまでに攻略した全てのボス曲を、私の手でぜんぶ上書きできたら、」

 

 AIは、おびえるような上目遣いをして、

 

「あなたの隣に立てるゲーマーとして、王の妃として、想いを伝えるつもりだった」

 

 両目を、ほんのすこしだけつむって、

 

「私が、真のダンスゲーマーになれたら」

 

 少しずつ、少しずつ、笑みを取り戻していって、

 

「私と、わたしと、付き合ってください」

 

 精一杯の笑顔を、自分に向けてくれた。

 ――声が出てこない。

 けれども間違いなく、震の心は躍りきっていた。AIからそう言われて、霧がかった迷いなんてものは消え失せていた。

 

「AI」

「うん」

 

 もう、目なんて逸らさない。

 真正面から、AIの瞳だけを見据える。AIも、それに応えてくれる。

 

「待ってる」

「うん」

「ずっとずっと、待ってる」

「――うんっ」

 

 

 ラブラブパフェを食べ終えたあとで、震とAIは、電話番号とメールアドレスを交換しあった。

 もちろん、ふたりだけの秘密だ。




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

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和気あいあい

「でさ」

 

 Rainを踊り終えたLotusが、震のことを肘で気安く小突く。んだよと悪態をついてやるが、Lotusはへらへら笑ったまま、

 

「東京でのライブ、見にいくんだろ?」

 

 ンなもん、ハナから行くに決まってるだろ。

 

「え……まあ、行けたらいく」

「えー? AIちゃんの晴れ舞台だぞお、お前が行かなくてどーすんだよ」

「どういう意味だよ」

「とぼけんなよー」

「あんだよお前、意味がわからねえぞ」

 

 Lotusの思惑が理解できるからこそ、露骨に嫌そうな顔をするしかない。

 ――ゲーセンは、今日も日常的だった。

 大学生らしい女性プレイヤーが、今日も高難易度曲にチャレンジしている。この前クリアしたばかりで、今は高ランクに挑戦中だとか。エアホッケーコーナーからは、今日も軽やかな音が弾け飛んでくる。勝利したらしいのか、「っしゃあ!」という男の声がゲーセンに響いた。

 ダンスゲーマー二人組が、今日もスコアについてだべっている。スコアで負けた奴がおごりな、おーやってやろうじゃねえか。

 

「あ」

 

 そして、常連たちが気づいた。

 

「こんにちはー」

「こんちは、AIさん」

 

 グラサンを外したAIが、常連たちへ明るく穏やかに微笑む。AIに気づいた他の常連も、特に何事もなく「やあ」と手で挨拶するのだ。

 そしてAIは、そのままの顔をしながらで、震めがけ歩んでいって、

 

「――今日こそ、あなたに勝つわ。それまで首洗って待ってなさい、SIN!」

 

 表情が、勝気そのものに早変わりした。

 人差し指まで突き立てられた。

 対して震は、返すように口元を歪ませるのだ。

 

「……いいぜ。挑戦なら、いつでも待ってるからな!」

 

 ゲーセンは、今日も日常的だった。

 

 □

 

「次。AIさん、どうぞ」

「はい」

 

 AIが、腕を左右に広げる。肩を上下させながらで、深呼吸した。

 

「SIN」

「ん」

「今日から、しばらくはここに来れなくなる」

 

 震へ振り返ることもなく、AIは粛々とそう宣言した。

 誰もが声を飲み込む。筐体が、タイトル画面のBGMを再生し始める。

 

「だから、ここで決めてみせるわ」

 

 AIが、台の上に立つ。ワンコインを投入して、画面から「カードを認識させてください」と指示されて、AIは慣れた手つきでゲームカードを当てる。

 AIの顔は、決して伺えない。

 

「今日は」

 

 何も迷うことなく、ボス曲たる「THUNDER」を選択した。

 ――間も無く、譜面が稲妻のように降りかかろうとしている。幾多ものゲーマーを屍に追い込んだ災害が、AIを焼こうと牙を剥きはじめる。

 そして、曲が始まった。

 嵐の前の静けさが、ゲーセン内に訪れる。音楽が響くまで、あと少し。

 誰もが固唾を飲んで見守る中、

 AIは、

 

「私の、オンステージよッ!」

 

 凛然と叫び、それに応えるが如く攻撃的な音楽が飛びかかってきた。

 AIは、数えきれない稲妻へ踊り向かっていく。

 

 

 誰もが、見守っていた。

 AIは、四方八方から降り注ぐ譜面を決して見逃さない。ナイフのような気配を発しながら手をひらめかせ足を舞わせ、時にはアドリブすら駆使してコンボを繋ぎ合わせ続ける。何がなんでも稲妻へ食らいついてみせる。

 THUNDERはいつまでも落ち続けた。しかしAIは、あくまで天と戦い続けた。

 誰もが、沈黙している。

 いつも失敗していた箇所を、難なく踏み越えた。

 この瞬間を以て、次に繋げてみせたのだ。

 

 そして、王は確かに耳にした。

 AIが、歌い始めたのだ。

 

 THUNDERは英語の歌詞で構成されている。しかしそれでも、AIはいつまでも歌い続ける。雷鳴止まぬ舞台の上で、どこまでもその身を踊らせ続ける。経てば経つほど、AIの自由が広がっていく。

 そしていつしか、AIがスピンを展開した時、

 

 ダンスゲーマーの誰もが、怒涛の如く躍り始めた。

 

 緊張感なんて、もうどこにもない。

 AIのゲーセンライブに、誰もがダンスで参加している。年上の兄ちゃんも、年下の女の子も、Lotusも、THUNDERなんて食い物にして踊り明かしている。ためらい続けていた新人プレイヤーがいたが、AIのウインクを受けた瞬間に、新人もまた稲妻へ立ち向かうダンサーと化した。

 そしてキングは、AIの行く先を見届けるべき王は、ただのゲーマーとしてAIと遊んでいた。

 ――思う、実感する。

 やっぱりAIは、トップアイドルなんだ。

 

 そして、曲が終わりを告げる。

 稲妻が全て落ちて、結果発表という暗雲が立ち上る中、

 金色に輝くSランクの文字が、虹色に照らされるBEST SCOREの羅列が、燃えるFULL COMBOのログが、天をも貫くAIの人差し指が、感情のままを映し出しているAIの笑顔だけが、この場に残されていた。

 AIは、肩を揺らしてまで息をしている。ダンスゲーマーたちは、THUNDERフルコンボという結果を飲み込もうとしている。

 ――そして、みんなが現実を受け止めた瞬間、

 

「ったぁぁぁぁぁ―――――ッ!」

 

 Lotusが飛び跳ねる。女の常連客が黄色い声を上げる。年上の男プレイヤーが口笛を吹く。新人プレイヤーが両手でサムズアップした。キング以外の誰もが、それぞれの体で歓喜を表現し尽くしている。

 そう、SIN以外は。

 ――それを見たAIは、「はあ」と息をして、真顔へ元通りとなる。リザルト画面を背に、軽やかな足音を立てながらで、ついにSINの前に立った。

 数センチも離れていない距離で、震とAIは見つめ続ける。ただただ黙って。

 それはまるで、気高い邂逅のようで、王と天才に相応しい光景のようで、

 

「やったぁ―――――――ッ!」

「きたぁ――――――――ッ!」

 

 そして、ただのゲーマーとして絶叫した。

 とにかく二人は、感情という感情を声に出す、顔にも出る。

 すげえやったなと震は笑う、クリアできたとAIははしゃぐ。そのまま衝動的に手と手を取り合い、ウサギのように跳ねながらで「やった、やった!」を連呼し合う。AIのヘアピンの数なんて最高記録だ。

 そして、先に行動したのはどちらだっただろう。震とAIは、気づけば抱きしめあっていた。

 AIの体は、とても熱かった。踊り終えた命の鼓動が、体を通じて伝わってくる。AIの腕は、間違いなく震の体を求めていた。

 AIが偉業を成したのが、とにもかくにも嬉しい。ライブ前に未練を断ち切れたのが、すごく喜ばしい。妃として一歩歩んでくれたことが、あまりにも愛おしい。だから震は、AIの髪を撫でようとして、

 

「あ」

「あ」

 

 そして、二人して気づいた。

 ここは、ゲームセンターだということに。

 ――周囲を見る。

 ある者は、視線を逸らしたフリをしている。ある者は、ガン見を決め込んでいる。女の常連は、腕まで組んで満足げに頷いていた。Lotusに至っては、チラ見しながらで吹けていない口笛を吹いている始末。

 何事もなかったかのように、こっそりと抱擁を解く。現場を見られたくせに。

 

「……あ、続きどうぞ」

 

 Lotusを筆頭に、誰も彼もが目を逸らしてくれる。筐体が、早く二曲目を選べと指示してきた。

 この場にいる誰も彼もが、からかいの一つも飛ばさない。それがかえって恥ずかしくて、いてもたってもいられなくて、震はつい、

 

「なあ」

「ん」

「何か、こう、ねえの?」

「こう?」

「その……異議とか、ちょっと待ったとか!」

 

 Lotusが、くそ面倒臭そうな顔を浮かばせながら「なんかある?」と常連達に聞く。常連は、黙って首を横に振るう。

 

「あのな」

「ああ」

「SINとAIさん、二人はお似合いだって前々から思ってたんだからな。俺ら」

 

 AIが、頬に手を当てながらで仰天しつくしている。震は、あくまで「はあああ?」と食らいついて、

 

「な、何がお似合いだってんだよ」

「お似合いもお似合いだろ。キングに天才、これ以上の組み合わせがあるか?」

「そ、そんな乱暴な」

「ゲーセン的にはなーも不思議じゃないな」

 

 ゲーマーにとっての必殺を受けて、ダンスゲームキングは歯を食いしばることしかできなくなる。

 

「AIちゃん」

 

 その時、Anemoneからお声がかかった。

 先ほどまでの勇猛さはどこへいったのか。すっかり萎縮しきっているAIが、蚊の鳴くような声で「はぃ」と応える。

 

「可愛い!」

 

 サムズアップを食らったAIは、もはやしおしおになっていた。

 曲セレクトの制限時間が切れたのか、筐体がTHUNDERを選択する。Cosmosが、無言で代理プレイに勤しみ始めた。

 

「あ、あのな」

 

 AIの前に、震がなんとか立ちふさがる。

 

「AIと俺とは、そういう関係じゃないんだよ。AIに迷惑だろ」

「えっ」

「えっ」

 

 AIから絶句されて、震も硬直する。Lotusが、「な」と笑う。

 

「お、お、お似合いかもしれんけど!」

「う、うん」

 

 AIが、ここで同意する。

 

「でも、その、AIとはお付き合いしてないから!」

「まだ?」

「あ、ああ!」

 

 Lotusへの返答に対し、震が「あ」と真っ白になる。

 全否定がしたいのであれば、「付き合うとかそういうんじゃない」と口にするべきだったのだ。それなのに震は、「まだ」の箇所に脊椎反射してしまったのだ。

 Lotusが、これまた「な?」という顔をする。どう足掻いても反論できないからこそ、逆恨みが膨らんでいく。

 

「Lotusてめえ、さっきの口笛ヘッタクソだったぞ」

「は、はあ? いいじゃねえか別に、吹けなくとも。……そういうお前は吹けんのかよ、口笛」

「えあ? い、いやそれは」

「王様のくせに、口笛の一つも吹けないんですか?」

「王様関係あるか?」

「音ゲーの王様だろ、吹けて当然だろ」

「そうかあ? ……そうかもしれん」

 

 すっかり頭の中が茹だってしまっているせいで、ろくに思考力が働かない。だからLotusの口車に乗せられるがまま、口笛を吹いてみたのだ。

 乾いた吐息が、音ゲーコーナーにむなしく響いた。

 Lotusが、人差し指を差してまで笑っていた。

 

「……くっそ、くっそ! いつの日か必ず、吹いてやるからな!」

 

 常連の一人が、「おーがんばれよー」と口笛で囃し立ててくる。この一週間の中で、最もキレそうになったと思う。

 

「まあ、AIちゃん、あれよ」

 

 Lotusと震がバカをしている間、Anemoneはごくごく冷静な調子でAIに話しかける。

 

「みんなこんなんだけど、あなた達の邪魔は決してしないわ。王への挑戦も、SINとの交流もね」

「あ、ありがとう、ございます」

「いいのよいいのよ。私達はこれからも、AIちゃんのすべてを応援し続けるから」

「――は、はい!」

 

 ちらりと、AIの方を見る。

 口元が、自然と綻んだ。

 

「――ふう」

 

 そして、一息つく。

 もともと、AIとは一緒に居ることが多かったのだ。ましてやゲームランクもほぼ同等だからこそ、ゲーマーたる皆が「お似合い」と評するのも当然といえた。

 それに、それにだ。

 表向きは怒鳴ってはいるが、心の内ではくすぐったい気持ちになってしまっている。二人だからこそと言われて、決して表面に出してはいけない照れくささが生じているのも事実だった。

 ――そうだな。

 そろそろ、すべてを明かすべき時が訪れたのかもしれない。

 

「AI」

「うん?」

「……言っていいかな。俺の夢を、AIとの約束を」

 

 そしてAIは、柔らかく微笑みながら「うん」と頷いてくれた。

 AIの意思を確認した震も、小さく頷いて、

 

「みんな、聞いてくれ」

 

 決意めいたものが、顔にまで現れているのだろう。Lotusは「なんだ?」と言って、それ以上のことは示さなかった。

 CosmosがTHUNDERをBランクでクリアし、無言で首だけを振り向かせる。女の常連も、無言で聞き届けるつもりでいた。

 

「俺さ、実はその、夢があるんだ。その夢を叶えたら、俺は、その、AIと――」

 

 震は、プロのダンサーになるという夢を口にした。その目標を叶えたら、AIを幸せにすると誓って。

 そしてAIもまた、キングの全スコアを塗り替えた瞬間に、妃として生きていくことを皆に伝えた。

 

 みんな、朗らかに応援してくれた。

 

 □

 

 そろそろ暗くなってきた。

 大人組は居残ってプレイを続けるつもりだが、学生組はそろそろ帰宅しなければならない。学生利用可時間、というものがあるのだ。

 Lotusが、疲れたとばかりに背筋を伸ばす。Cosmosが、面倒そうに学生鞄を手に取る。Anemoneは、ああ楽しかったと帰っていってしまった。

 さて。

 自分も家に帰って、メシ食って、フロ入って眠ることにしよう。今日は色々とありすぎて、かなり疲れてしまった。

 大きく欠伸を漏らしながら、ゲーセンの出入り口まで足を運ぼうとして、

 

「ねえ」

 

 後ろから声をかけられ、「お?」と首だけを向ける。

 真面目な顔をしたAIが、震のことをじっと見据えていた。

 

「な、何?」

 

 思わず、声が震えてしまう。先ほどの件もあって、AIへの感情がどうにも高ぶって仕方がない。

 

「……その、これ」

 

 財布から、何かを引き抜いたかと思えば、

 

「こ、これ」

「うん。私の、ゲームカード。それを預かってほしいの」

 

 なんでまた。

 そんな顔をしてみれば、AIが気恥ずかしそうに「あー」と声を出して、

 

「そ、その……ツアー中に、他の店舗へ『浮気』しないように預かっていてほしいの!」

 

 プロの大声が、ゲーセン内によく鳴り響く。

 Lotusの耳にも届いたらしく、「マジか」と笑われる。一方の震は、実に困ったように首をかしげるしかない。

 

「ま、まあ、俺でよければ……でも、いいの? ゲームカードってば貴重なブツだぜ?」

「だから、あなたに預けるのよ」

 

 有無を言わさず、AIが「ん」とカードを押し付けてくる。不安を半分、嬉しさを半分覚えながら、おそるおそる手を伸ばして、

 AIがぐいっと手を伸ばし、カードをそのまま手渡してしまった。

 

「いい? なくすんじゃないわよ。あなたとの戦いは、これからなんだから」

 

 そう言うAIの表情は、とても明るくて、楽しそうで、やっぱり勝ち気が溢れんばかりだった。

 賑やかなゲーセンの中で、震もつい破顔してしまう。カードをひっくり返してみれば、「AI」がサイン文字で描かれていた。

 

「わかった。死んでも守り通すよ」

「よく言ったわ。じゃあ次の戦いは、ツアーが終わってからね」

「あいよ。挑戦なら、いつでも引き受ける」

 

 AIが、満足そうに頷いた。

 

「私がいないからって、ゲームもダンスもサボっちゃダメよ。あなたは、私のラスボスなんだから」

「わかってるよ」

 

 ハイタッチ。

 

「じゃ、いってきます」

 

 そうしてAIは、パーカーのフードを頭に被り、サングラスをかけて、一瞬にして水野愛へと変身する。

 そうして何事もなかったかのように、愛はゲーセンの自動ドアをくぐり抜けていった。

 

 愛の後ろ姿が見えなくなる。震は、いなくなった愛の軌跡をずっと見つめ続けている。




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2008年 8月4日

「はー疲れた疲れた」

 

 夏頃の夜はとても暑い。ライブの帰りとなると尚更だ。

 喉はカラカラで、体はビキビキ痛い。頭は余韻でクラクラしていたりと、久々に満身創痍になっている気がする。こんなの、初めてボス曲をクリアした時以来だ。

 疲弊している体を何とか引きずり、ゾンビのように歩みながら、何とか自室のドアを開ける。そしてそのまま、ベッドの上に転げ落ちた。

 

 けだるげな声を上げながら、これまでのことを思い起こす。

 

 ■

 

 アイアンフリルの全国ツアーは、まずは東京で行われることになった。

 震の家からはとても近く、それでいてAIが唄うのだから、震は当然ながら参加しようとした。トップアイドルのライブチケットなんて、そう簡単には手に入るはずが――入った。むこう数年分の運は使い果たしたと思う。

 

 翌日。

 バスを降り、日差しに苦しみながらもライブ会場へ足を踏み入れた瞬間――空気が、暑さから熱さへと変わった。

 そうとしか言いようがなかった。空き席なんてどこにもなかったし、年齢性別なんてとにかくバラバラ。そして、右を向いても左を向いてもアイアンフリルの話題だらけ。

 センターである水野愛についてはもちろん、他のメンバーに対する評価、魅力、逸話などが隙間なく飛び交うあたり、アイアンフリルが、水野愛がトップアイドルであることを実感させられる。

 ――なるほどな。こりゃあ、変装も必要になるよな。

 寂しい、とは思わない。誰もがアイアンフリルを、愛を求めている姿を見て、達成感すら覚える。

 そして、苦笑いが漏れた。

 自分は、プロのダンサーになるとAIへ誓った。あわよくば、AIの隣へ立てるような男になりたいと、そう思っていた。

 けれどその願望は、あまりにも無謀であるということを痛感する。やっぱり妥協しようかなと、そう考えていたフシがあったのだが、

 

 ――あなたがこれまでに攻略した全てのボス曲を、私の手でぜんぶ上書きできたら――

 

 そうだな。AIも、無謀な願望を抱えているんだったな。

 それなら、自分もやらねばなるまい。愛の為に無茶をするのは、男どもの専売特許だ。

 

 そして、時間が来た。

 会場内の照明が、ふっと落ちる。客のざわめきが、嘘みたいに消えた。

 永遠の闇が訪れようとした時、ステージには一筋の青い光が、一人の女の子が、堂々とそこに居た。

 間もなくして赤、黄、桃、白のスポットライトに点火し、四人のメンバーたちが映し出される。

 アイアンフリルだ。

 みんな、目をつむったままで動かない。

 ここにいる誰もが、アイアンフリルのことを見届け続けている。

 震は、ひたすらなまでにAIを見守っていた。

 

「――みんな」

 

 心まで震えたと思う。

 

「今日は、私達のライブを見に来てくれてありがとう」

 

 嘘みたいに、透き通った声だと思う。

 

「いつもお疲れ様。次へ繋げるために、みんなが戦い続けてきたことを、私たちは知っています」

 

 その言葉に、いつの間にか頷いていたと思う。

 

「だから、」

 

 AIの目が、音もなく開いた、

 

「今日は私達と一緒に、躍り明かしましょう!」

 

 会場の沈黙が、木っ端微塵に砕かれた。

 もはや遠慮なんてものは無い。男は叫び、女性は歓喜して、老人に至っては拳まで振り上げている。FANTASTIC LOVERSが大音量で鳴り響いた瞬間、震は青いサイリウムライトを片手に、その両足を軽やかに踊らせてしまっていた。

 いまの震は、ただのひとりの観客だ。

 これだけの客を前にして、アイアンフリルは明るく楽しげに踊り明かしている。それを見ている老若男女が、魅せられるがまま笑っている。そして、何の打ち合わせもなくサビの歌詞をシャウトするのだ。

 ――これが、トップアイドルなんだな。

 思う。快く、そう想う。

 ここまでたどり着くのに、かなりの時間をかけたのだろう。上手くいったこともあるだろうし、その逆だってあったはずだ。

 その積み重ねを次に繋げられたからこそ、いまのアイアンフリルが、愛がいる。

 

 ――♪

 

 愛が、見覚えのある「キレ」で一回転してみせた。

 観客が湧く、震はたまらず喜ぶ。

 ゲーマーとしての意地を貫いてきたからこそ、いまのAIがいる。ゲームは、大切なことを教えてくれるのだ。

 

 ――そしてあっという間に、FANTASTIC LOVERSが終わりを告げる。なのに誰もが、アイアンフリルへのラブコールを止めようとはしない。

 そしてそのまま、二曲目が始まる。こりゃあ死ぬなと笑いながら、震は青いサイリウムライトを握りしめた。

 

 ■

 

 これまでのことを、鮮明に思い起こせた。

 夢心地な気分に浸りながらで、「あー」と声を出す。部屋の天井をじっと見つめたままで、何もしない。

 今日は夕飯もとらずに、このまま寝ちまおうか。

 それほどまでに疲れ果てていた。満足しきっていた。

 

 音もなく寝転がり、何もない壁をじっと見つめる。嘘みたいに静かな部屋の中で、AIのことを考え始める。

 AIはトップアイドルで、時の人で、安易に触れてはいけない存在だ。改めてそう思う。

 だからこそ、二度と会えないんじゃないかと考え始める。これから忙しくなるだろうし、それに伴って行動だって制限されるかも。本人はゲーマーを続けるつもりだが、大人の都合がそれを許してくれるかどうか。

 けれど、でも、AIはそれをも織り込み済みでアイドルを選んだはずなのだ。

 すごいな、と思う。

 夢のために、自分はゲームをやめられるのだろうか、と思う。

 無理だな、と笑う。

 

 仰向けになって、小さくため息をつく。

 今頃AIは、あれやこれやと動き回っているのだろう。ライブが終わったばかりだというのに、大変だ。

 ならば自分は、部屋の中でささやかながら応援させてもらおう。

 そしていつしか、隣に立てるダンサーになれるよう頑張ろう。

 自己満足に浸りながら、震は両目をつむって、

 

 携帯から、FANTASTIC LOVERSの着メロが鳴り響いた。

 

 なんだよもう、人がせっかくすっきりしてたのに。

 半ば寝ぼけ気分で、携帯を開く。「着信:AI」の文字を見て、「AIか」と思考して、

 意識に火がつき、体が勝手に叩き起こされる。着信ボタンを親指で潰しては、電光石火の如く携帯を耳に当てた。

 

「はい! もしもし!」

『あっ、SIN? いま、大丈夫かな?』

「うんうん平気平気。どしたの?」

『あ、えーっと……その、ライブ、見に行ってくれた?』

 

 その声は、まちがいなくAIのものだったと思う。

 ライブとは違って、どこか遠慮がかった雰囲気をまとっていた。

 

「……行った」

『……どう、だった?』

 

 深、呼吸。

 

「……最高だった。死ぬかと思った」

『ど、どう最高だった?』

「ぜんぶ」

『具体的に』

「え、ええ? じゃ、じゃあー……」

 

 最初に思いついたのは。

 すこしだけ、躊躇して、

 

「……笑顔」

 

 言った後で、めちゃくちゃ恥ずかしくなる。

 部屋には自分一人しかいないからこそ、余計にそう感じる。

 

『そ、そう、なんだ』

「うん、まあ」

『ほ、ほかは?』

「え、まだ聞くの?」

『だ、だめ?』

「だめじゃねえけど……」

『じゃあ、言って』

「う――じゃ、ジャーマネさんとかに聞くのもアリだろ」

 

 切実な言い回しだった。

 AIへの想いをこれ以上口にしようものなら、震は間違いなく嬉死恥ずか死んでしまうだろうから。

 

『だめよ』

 

 でも、AIは許してはくれなかった。

 

『あ、あなたの口から聞かなきゃ意味がないの! キングとして、どう思ったの!?』

 

 大声を出されるものだから、携帯を少し離してしまう。いつもの意固地に、思わず口元が緩んでしまった。

 ――AIは、ぜんぜんなど変わっていない。決して遠くない場所に、AIは居る。

 

「わかった。わかったよ、AI」

 

 震の返事を聞いて、AIが沈黙する。

 

「そう、だな。ミスらしいところがまるで無かった、フルコンしてたよ」

『本当っ?』

「ほんとほんと」

 

 AIが、「そっかぁ」と言う。それはもう嬉しそうに。

 

「あとは、魅せプレイも完璧だった。ギャラリーは大盛り上がりだったよ」

『ゲーセンで鍛えてますから』

 

 互いに含み笑いをこぼした。

 

「あとは……そう、とても輝いてた。俺の心も、足も、躍ってた」

『……そう、なんだ』

 

 正しいことを言えたのかは分からない。AIはただ、自分の言葉を受け入れていた。

 ――ここからは、蛇足だ。けれども、いちばん言わなければいけない事でもある。

 だから震は、深呼吸した。それは、一人きりの部屋によく響いた。

 

「AI」

『うん』

「AIのダンスは、歌は、笑顔は、どれもすべてが最高だった。トップアイドルだった」

『うん』

「それを間近で見られて、俺は、俺は、」

 

 きっと、笑えていたと思う。

 

「AIに、心から見惚れてた」

 

 長く話し込んだせいで、携帯が熱くなっている。静かすぎるせいで、壁時計から音が聞こえきた。そろそろ夕飯であるはずなのに、親からの声は届かない。

 AIの吐息が、震の鼓膜を震わせていた。

 

『……ほんとう?」

「ああ」

『ほんとうにほんとう?』

「王に誓って」

 

 AIが、くすりと笑った。

 

『そっか。うん、今日のライブは大成功ね』

「だな。俺の方も、満足してるよ」

『やった、ランカーからのお墨付き』

「そんな喜ぶなよ、ハズいだろ」

『同じゲーマーでしょ? 感激して何が悪いのかしら』

 

しれっと正論を言われて、もはや笑うしかなくなる。

嬉しかったのだ。愛が、AIと共に生きてくれていることに。

 

「ほんと、すげえよAIは」

『どうも』

「――ほんとな。トップになるっていうのは、つまりはそういうことなんだろうな」

 

携帯を片手にしながら、震は仰向けになって倒れる。

 

「俺はあの会場に、立てる男になれるんだろうか」

『――なれるわ』

「諦めるつもりはないよ。ただ、怖いなって思っただけ」

 

 AIの隣に立てるような、プロのダンサーになる。震は確かにそう誓った。

 けれども今日のライブを見て、改めて思い知ったのだ。本物になることの難しさを、AIの男になるという途方のなさを。

 自分は、輝けるだろうか。見知らぬ誰かを、躍らせられるだろうか。あの台に、最後まで堂々と立っていられるだろうか。

 自分はダンスゲーマーとして、ギャラリーを湧かせてはいる。ダンサーになるために、ダンス教室で指導を受け続けている。それで多少の自信を身にはつけたが、やはり、本物は格が違う。

 AIのことを好きになっていなければ、今度こそ折れていた。

 

「……あ、」

 

 しまった。

 今日はとても良い日だというのに、何を愚痴ってしまっているのか。

 

「わりい、AI。このことは忘れ、」

『ねえ』

 

食い気味に声をかけられ、震の言葉が止まる。

 

『怖いのはよくわかる。私だって、本物のアイドルになれるかどうか、いつも考えてるもの』

「へえ。……そういやAIって、なんでアイドルになろうと思ったの?」

『私? 私はー……その、まあ、テレビで素敵なアイドルグループを見て、ああなりたい! って思ったからよ」

「おお、俺と同じ」

 

 互いに、気楽に笑い合う。

 

『で――私はまあ、見ての通り負けず嫌いで、誰よりも輝きたかったから、トップアイドルになれたんだけれどね』

「流石」

 

 ほんとう、AIらしい流れだと思う。Sランクのダンスゲーマーになれたのだって、元々は自分に対しての対抗心があったからこそだし。

 

『ね』

「ん」

『あなたは、キングは、どうしてSランクのプレイヤーになれたと思う?』

「それはやっぱり、みんなが評価してくれるから、かな」

『……評価、か』

 

 AIが、考え込み始める。

 ここで「俺なんかのために」なんてほざこうものなら、本気で怒られるだろう。AIとは、そういう人だ。

 ――間。

 秒針の動く音が、部屋に反響する。バイクのけたたましい轟音が、どこか遠くから聞こえてきた。

 

『ねえ』

「何だい」

『あなたの上達を評価してくれるのは、ギャラリーだけじゃないわよね』

「え? ――あ」

 

 呆けた声が、口から漏れた。

 

『そう、他でもない筐体ね。人の評価はどうしても主観が混ざるけれど、機械は正確無比の判断しか下さない。つまり、ダンスゲーマーとしてはこの上ない絶望に繋がってしまうかもしれないし、揺るぎないご褒美にもなる』

 

 その通り過ぎて、ろく反応を口にできない。

 

『ご褒美は、人の原動力よ。ましてやゲーマーとなると、その重要性はよく知っているはず』

 

 異論なんて口にできなかった。なぜなら震は、他でもないゲーマーだったから。

 どうしてゲームは長らく遊べてしまうのか、それは具体的な報酬が与えられるからだ。アクションならステージクリアという事実が、RPGならアイテムという結果が、レースゲームなら順位という優劣が、音ゲーなら筐体を通じての公式的なスコアが表示される。

 ゲームは決して裏切らない。だからこそ色目をつけたりもしない。AならAと、BならBと、筐体は必ず結果を突きつけてくる。

 そう、「必ず」だ。決してうやむやにしないからこそ、プレイヤーはランクを見て燃え上がったり、落ち込んだり、時には歓喜したりする。ゲームほど、他人に対して真摯に相手をしてくれるものもない。

 だから震は、キングになるまで必死になれた。AIもまた、Sランクを勝ち取るまでに負けん気を発揮してきた。数値として結果が表示されるからこそ、「次こそは」とゲームをプレイし続けられたのだ。

 

「……なるほど、ご褒美か。それは確かに、とても大切なものだな」

『でしょう? だからこそ、あなたがプロのダンサーになれた時には、何かご褒美をあげたほうがいいかなって』

 

 ――AIの言葉を理解した。

 

「いやいやいや、そういうのはいいから。AIに負担はかけさせたくない」

『は? あなたと私とは、もう他人じゃないのよ。別にいいじゃない、プレゼントの一つや二つ』

「そうかあ? ……まあ、そうだよな、他人じゃないもんな」

『うん、他人なんかじゃない』

 

 喫茶店での出来事を思い出しかけて、首を左右にぶんぶんと振るう。

 

「じゃ、じゃあさ」

『ええ』

「サイン入りハンカチでもいいぜ」

『だめ、安い』

「えー? 値段なんていいよ別に」

『駄目。トップダンサーになるっていうのはね、とても価値があることなの。決して、安く見てはいけないのよ』

「けどよお」

『頂点に達して、ご褒美がハンカチ一枚だなんてあんまりじゃない?』

 

 言われてみれば、確かにAIの言う通りかもしれない。

 けれどだからといって、AIに負担をかけさせたくなどない。死んでもゴメンだ。

 ――あ、

 

「ひらめいた。トップアイドルと、デートなんてどうだ」

『パフェ食べたでしょ』

 

 ああ、

 

「……思いつかねえっすよAIさん……」

『……そうね、ご褒美っていうのも中々難しいわね』

 

 そうして、話が進まなくなってしまった。

 震はうんうんと唸り続けるが、これといった閃きは生じない。対してAIは、深く考え込んでいるのか「デート……それ以上……」と呟き続けている。AIのことだ、思いつくまで一歩も退く気はないのだろう。

 震も大真面目に思考してはいるが、デート以上のご褒美なんてまるで思いつかない。ましてや告白まで受け入れられて、これ以上何を望めというのだ。

 今のままでも、自分は十分に満たされている。

 だから、このままダンサーを目指そう。ご褒美は、前借りしたと解釈するべきだ。

 だから震は、AIへ断りを入れようとして、

 

『あ』

「お?」

 

 どうやら、何かを閃いたらしい。発言権をあっさりAIへ譲って、このまま待機する。

 

『……あの、さ』

「う、うん」

『そ、その、えっと……』

 

 AIらしからぬ躊躇っぷりに、震の首が斜めに傾く。

 何だ。AIは、何を言おうとしている。

 

『あ、う~ん。でもなあ、これしか思いつかないしなあ』

「ど、どしたん? 何かこう、マズいことでも?」

『! いや、そんなことない、そんなことはないのよ! ただ、その』

 

 急かさないように、口を強くつむぐ。

 AIは、何か重要なことを言葉にしようとしている。それこそ、AIほどの人物が口ごもってしまうような。

 顔が伺えないから、どう予想して良いのかが分からない。震はただただ、AIの動向を見守ることしか出来なかった。

 そうして、幾分が経過しただろう。

 決意したのか、AIが静かに呼吸する。聞き逃すまいと、携帯を強く耳に当てる。

 

『あの、さ』

「ああ」

『そ、その、そのっ!』

「うん」

 

『あなたがダンサーになれたら、キスしてあげるッ!』

 

 鼓膜が、キーンと震えていた。

 理性が、キーンと凍っていた。

 

『……な、何? 何よ、キスじゃ、駄目!?』

 

 もう一度大声を出されて、脳ミソが目を覚ました。

 

「い、いや! ぜんぜん良い! それはいい! 好き!」

『そ、そこまで言わないで! 恥ずかしいから!』

「あ、悪ぃ」

『あ、いえ、喜んでくれているのなら、別にいいんだけれど』

 

 一悶着がすぎれば、後はしんみりと進行するだけだった。

 

「……で、いいの? マジ? いいの?」

『う、うん』

「信じるよ? それだけのために、ダンサー目指しちゃうよ?」

『だ、だめよ。ダンサーなんだから、みんなを盛り上げないと』

「それはそうだけど……ダメ?」

『……ダメじゃない』

 

 それを聞けて、震はくつくつと笑ってしまう。

 AIからは、「笑うな!」と怒鳴られてしまった。

 

「ごめんごめん。いやしかし、キスか、キスねえ」

『そ、そうよ。デート以上のご褒美といったら、これしか思いつかなかった……』

「いや、ぜんぜん良い。頑張るには十分すぎる」

『……そっか』

 

 AIもほっとしたのだろう。どこかすっきりしたような声が、携帯の向こう側から聞こえてきた。

 

「んじゃ、明日も頑張りますかね。トップアイドルのキスのために」

『ばか、そういう言い回しをしないでよ』

「……そうだな」

 

 小さく、咳をついて、

 

「AIとのキスのために、これからも踊るよ」

『……ばか』

「へへ。――なんつーか、その、ありがとう。俺のために、こんな約束までしてくれて」

『ううん。私も、あなたにはダンサーになってほしいから。だから、いいの』

「わかった」

 

 背筋を、うんと伸ばす。

 

「俺は、プロのダンサーになるよ」

『うん』

「でも、途中でつまづいてしまうかもしれない」

『……うん』

「その時はさ、一緒にゲーセンで遊ぼうぜ」

『うんっ』

 

 そうだ。

 いまの自分には、ストレスを発散できる遊びがある。共にダベりあえる仲間も居る。

 

『あ、でも』

「ん?」

『ゲーセンでは、私の挑戦を受けてもらうわ。なんてったって、あなたは私のラスボスなんですから!』

「――ああ、いつでも待ってるぜ」

 

 こうして、かけがえのない人が傍に居てくれる。

 だから自分は、ダンサーを目指すしかないのだ。上等だ。

 

『……あ、もうこんな時間ね』

「ああ、ホントだ。すまないね、こんなに話し込んで」

『ううん、かけたのは私の方だから。……じゃ、約束だからね』

「おうよ。妃のキスはいただきだぜ」

『ふふ、ばーか』

 

 今度は、互いに笑ってみせた。

 AIとは、ずっと友達だ。そしていつかは、堂々と添い遂げたい。これは自分の願いであり、夢だ。

 

『さて、それじゃあ』

「ああ」

 

『――またね、SIN』

 

 心の奥底まで、それは聞こえたと思う。

 そして、携帯がぶつりと切れる。しばらくは携帯を耳に当てたまま、寝転がりもせずにただただ沈黙するだけ。

 

 下から、夕飯を促す母の呼び声が聞こえてきた。

 

 

――

 

 8月――

 

送信者:AI

『今日のライブも大成功! みんな応援してくれた、笑ってくれた。それが本当に嬉しい。

 

SINの方はどう? ダンスの方は上手くいってる? まあキングであるあなたなら、上手くいくと思うけどね。

ダンスもいいけど、疲れたら気分転換にゲームをすること! 私も、ゲームがあったからこそ潰れずに済んだんだから。

そう思うと、あなたは恩人なんだかラスボスなんだかよくわからないわね。どっちもかな?

まあ、あれよ。お互い頑張りましょう。

それじゃあ、おやすみなさい』

 

 AIからのメールが、今日も届いた。

 ここ最近は電話をする暇もないのか、大抵は一日一通のメールでやりとりし合うことが多い。

 

『お疲れ様、AI。俺は今日もダンス尽くしだったよ。本物にゲームと、お陰で体が痛い痛い』

 

 けれど、それが寂しいなんて思わない。

 だってAIは、人々から求められているからこそ忙しないのだ。アイドルにおける暇ほど、不安になるものはない。

 ファンとして、震として、AIの現状を嬉しく思う。

 

『それでも俺は、明日も踊るよ。だって俺は、Sランクのダンサーになれる根性はあるらしいからね。ゲーム万歳だ』

 

 けれど、AIだって人間だ。疲れもするだろうし、荒むことだってありえる。経験者だからこそ、そのあたりはよく分かっているつもりだ。

 

『だからこそ、俺はゲームを続けるよ。こんなに楽しいものもないからさ』

 

 だからこそ、AIには、

 

『――だからAIも、疲れたりしたらゲーセンにおいでよ。挑戦ならいつでも待ってるからさ。

そんなわけで、俺の方は大丈夫大丈夫。AIも体に気をつけて、おやすみ』

 

 メールを送信し終えて、そのまま携帯をベッドの上に放り込む。

 震もそのまま、倒れ込んだ。

 外から、虫の音がよく聞こえてくる。夕飯を食べ終えたおかげで、じんわりとした眠気を覚える。横になりながら、意味もなく深呼吸した。

 AIは今頃、遠い遠いところにいるのか。

 すごいもんだな。俺も負けてられねえな。

 ――あくびが漏れた。

 今日はそろそろ、寝ようかな。

 歯を磨くために、緩慢に体を起き上がらせて、

 

 携帯が、震えた。

 

『ありがとう、SIN。私は大丈夫。

あなたの方もいつまでも元気で、そして前向きに生きて。

だってあなたは、私のラスボスなんだから!

 

それじゃあ、明日のサガライブへ向けて、いってきます』

 

――

 

 2008年 8月3日

 

 休日ということで、夕方までダンススクールにて基礎を学び、残り時間はゲーセンへハシゴしてダンス三昧。もちろん、常連達とはAIの活躍について語り合った。

 後はそのまま、痛む体を引きずりながらで無事に帰宅し、脱ぐもの脱いでひとっ風呂浴びる。身も心もすっきりさせた後は、待ちに待った夕飯だ。

 

「いただきまーす」

 

 母から「召し上がれ」と告げられ、早速ながら卵ごはんを箸で掴み取る。黄色にとろりと染まった米を目にして、震の腹が不意に鳴った。

 喜色満面を隠そうともしないまま、震は卵ごはんを口にする。出来たてほやほやだからか、熱が口の中をぐるりと回り、卵特有の甘さが舌に染み込んでいく。熱さで肌が少し痛かったが、勝てない食欲に煽られてまた一口、また一口と味わっていく。ここ最近は運動日和であるせいか、飯がいつも以上に美味い。

 そんな食べっぷりを見て、母はにこりと笑う。

 

「ねえ、震」

「ん」

「ここ最近は、よく笑うようになったわよねえ」

「そお?」

 

 心当たりがあるせいで、つい曖昧な反応を口にしてしまう。

 

「ええ。あなたはいつも明るいけれど、近頃は本当にいい顔をするようになって」

「そっかぁ」

「何か、いいことでもあった?」

 

 サラダを口にしながらで、母が機嫌よく質問する。

 震はといえば、当然ながら口ごもってしまい、箸の手を止めてまで返答に悩み、

 

「……まあ、一応は」

「そう」

 

 額面通りに受けとったのか、それとも何かを察したのか。母は、それ以上は言わなかった。

 やっぱり母は、息子の顔をよく見ているなあと思う。

 

「さて、と」

 

 母が、食卓の上のリモコンに手を付ける。いつものように、ほんの軽い調子で。

 震も、特に気にもせずに卵ごはんを飲み込んでいく。間もなく、リモコンから「ぴ」という音が漏れて、

 

『――本日のニュースです』

 

 馴染みのニュース番組が、テレビに映し出される。名前は覚えていない、いつもの男性ニュースキャスターと目が合う。

 ニュースキャスターは、大真面目な無表情を露にしながら、

 

『大人気アイドルグループ、アイアンフリルの、』

 

 箸の動きも、呼吸も止まった。

 

『メンバーである、水野愛さんが、』

 

 爆発的な緊張感が生じ、目と耳の神経が研ぎ澄まされ、

 

『サガでのライブ中に落雷に撃たれ、意識不明の重体。現在は病院に搬送され、治療中とのことです』

 

 

 

「ごちそうさま」

 

 箸を置く。呼吸が荒む。悪寒がする。

 

 

―――

 

 

 眠れないまま、次の日の朝を迎えた。

 ダンスで積み重なった疲弊など、もはやぜんぜん感じない。震はただただ、AIの無事しか考えられていなかった。

 時計を見る。間もなく朝の六時に差し掛かろうとした時、

 一階から、音が鳴った。

 同時に、布団を蹴っ飛ばしてまでその身を起き上がらせる。

 大急ぎで階段を降りて、途中で転倒しかけ、どうにか玄関口まで辿り着いては新聞受けを確認し、

 あった。

 新聞を勢いよく引っこ抜いて、AIに関するニュースをどうにか探し当てようと――

 

 手間なんてかからなかった。

 新聞の一面には、AIの死亡が書き記されていたから。

 

 詳細をなんとか読む。

 アイアンフリルは悪天候の中でライブを決行し、そして運悪く落雷が発生したのだという。それはAIに直撃し、そのまま意識不明の重体に陥って、病院へ搬送されたものの死亡が確認された、とか。

 すべての現実を、時間をかけて咀嚼する。

 落雷に打たれれば、人は○ぬ。だから、AIがいなくなった。AIと会えなくなった。AIの笑顔が見られなくなった。AIと踊れなくなった。

 

 落雷に打たれたAIは、つまり、死んだ。

 

 胃から熱いものが溢れ出そうになる。新聞を放り投げ、急いでトイレへ駆け込んで、便器のフタを乱暴に開けて、ぐちゃぐちゃのままに震は吐く。

 嘔吐はすぐに終わった。けれども喉のうずきは止まらない、心臓が嘘みたいに膨らんでいく、体が凍えていくのを感じる。

 その場で倒れ、両腕で体を抱き込む。寒気に覆われながら、震はただただ、AIとの思い出を頭の中でリピートさせていく。

 

 上から誰かが降りてきた。たぶん、母だろう。

 

 

―――

 

 

 布団に籠もって、もう数日が経った。

 

 熱は未だに冷めない。だから学校には行かず、ダンススクールにも通わず、ゲームセンターなんて行く気にもなれない。ずっとずっと、暗がりの部屋で引きこもりっぱなしだ。

 ――けだるく、ため息を漏らす。

 ベッドの上に放置されたままの、携帯電話を眺める。

 AIへは、何度か電話をした。メールだって数回ほど送った。けれども未だに、AIからの返事はない。

 忙しいんだろう。そう、思い込みたかった。

 

 そう思い込んでいるくせに、自分は何度も何度も「葬式」のことを考えるようになった。

 自分は「水野愛」の関係者ではないから、参列する資格などはないだろう。AIの最後の顔を、見届けることは決して叶わない。

 けれど、それで良かったと思う。

 AIの死を確認してしまったら、AIが戻ってこなくなる気がするから。そもそも、AIの死を受け入れるだなんて度胸もなかったから。

 だからこうして、布団の中で寝転がるのが正しいのだ。きっと、そうだ。

 

 母がノックし、そのまま入室する。朝食を運んできてくれたらしい。

 母には、「ショックなことがあって」と伝えてはいる。もちろん、「AIが死んだから」とは断固として口にしてはいない。

 最初こそ理由を問おうとした母だったが、自分ときたらよほどひどい顔をしていたのだろう。母はただ、「元気になってね」と告げてくれた。

 

 おかゆが置かれる。母は「何かあったら呼んでね」と言って、部屋から出ていった。

 ――目を閉じる。

 ずっと、この繰り返しだ。いったい何日が経ったのだろう、もしかしたらずっとこのままなのかもしれない。

 けれど、それはそれで良いかなと思う。横になってばかりの人生を送り続けて、眠るように死ぬのもありだと思う。

 

 もうダンスとか、ゲームとか、夢とかなんてどうでもいい。AIがいない世界なんて、何の意味もない。

 体の力が抜け落ちていく、何の意欲もなくなっていく。死んでもいいやと思いながら、震は眠りに落ちていった。



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哀悼

『SIN』

 

 名前を呼ばれて、思わず体が震えてしまう。

 慌てたままで左右を見渡せば、ここはゲームセンターで、隣にはAIが居て、

 息が詰まるかと思った。

 

『なに暗い顔してたの?』

『え? いや、その』

 

 AIを失ったから。

 けれども、いま、自分の前にいるのは間違いなく、

 

『そ、それよりも。生きて、生きてたんだな、AI』

 

 AIが笑う、気まずそうに。

 

『よかった』

 

 そっと、AIへ歩み寄る。

 

『無事だったんだな!』

 

 何も躊躇うことなく、AIを抱きしめようとした。二度と離さない、自分がその命を守り切る、そんな想いを投げかけながら。

 けれど、AIからはひらりとかわされた。

 震は、間抜け面を晒す。

 

『あなたのやるべきことは、私を求めるのではなく、』

 

 AIは、台へそっと指差す。

 

『これからも踊り続ける。そうでしょう?』

 

 その言葉に対して、震は左右に首を振るうしかない。

 

『だめよ』

 

 けれど、AIは一歩引いたままで、

 

『私のことを、想ってくれているのはわかる。……でも』

 

 それ以上、何も言わないで欲しかった。

 なのに声が出てこない、耳を塞げない。AIから目を逸らせない。

 

『いつまでも寝てばかりじゃ、夢は叶えられないでしょう?』

『……それは、そうだけど、』

『私がいなくても、あなたは踊り続けられる。だってあなたは、キングになれるほどのダンス好きなんだから』

 

 正しいことばかりを、口にしていた。

 

『でも、でも、もう無理だよ。辛いんだよ』

『わかるわ。でもあなたには、約束を果たして欲しいの』

 

 いまの自分なんて、とても情けない顔をしてしまっているはずだ。

 ――それでも、AIは、

 

『あなたがダンスで輝けるのなら、私はそれでいい』

 

 AIは、

 

『だから、あなたはみんなのために、私のために、何より王である自分のために、これからも踊り続けてほしいの』

 

 AIは、心静かに笑ってくれていた。

 

『……それが、それが、AIの望みなのかい?』

 

 AIが、こくりと頷いて、

 

『そして、あなたの願いでもある。そうでしょう?』

『そ、そんな、そんなこと』

 

 AIは、背を向ける。

 

『だって、この世界は、あなたの――』

 

 手を伸ばして、AIに触れられない。足を動かそうと、ぴくりとも動かない。

 振り向きもせずに、AIはゲーセンの自動ドアをくぐり抜けていって、

 

 目を、覚ました。

 

 ベッドからその身を起き上がらせ、冷静じゃないままで左右を見渡す――何の変哲も無い、自分の部屋がそこにあるだけだった。

 今まで見ていたものは、ぜんぶ夢だったらしい。それが分かるとなると、全身の力が抜けていって、首を折りそうになって、

 ――ひょっとしたら、ゲーセンに?

 夢には、無意味なものもあればその逆も存在する。いま見ていた夢はといえば、舞台がよりにもよってゲーセンで、他の誰でもないAIが自分に会いに来てくれたのだ。

 これは、予知夢めいた何かかもしれない。

 AIに、会えるかもしれない。

 そうだ。きっとそうだ、そうなんだ。

 

 嘘みたいに体が動く。気だるさなんてまるで感じられない。

 震は、財布を持っていつものゲーセン――「LOVE! GAME」へ突っ走っていった。

 

 

 ゲーセンの自動ドアを突っ切ると同時に、懐かしい喧騒と音楽が一気に耳へ入り込んできた。

 そしてそのまま、見向きもせずに音ゲーコーナーへと両足を走らせる。ダンスで鍛えられたからか、息切れすることはなかった。

 コーナーが遠い。

 AIと会えるかもしれないのに。

 だから震は、走り続けた。プレイしたことのないUFOキャッチャーを通り抜けて、3面しか突破できないガンシューティングとすれ違って、誰もいないエアホッケーを越えていって、

 

「AI!」

 

 ようやく、いつもの場所に辿り着いた。

 楽器を使う音ゲーが、いつものプレイ画面を流し続けている。元祖ともいえる音ゲーが、チュートリアル画面を表示する。そして俺たちのダンスゲームには、今日も誰かが台に立って踊っていた。

 ――常連たちが、一斉に視線を向けてきた。

 

「なあ」

 

 聞く。

 常連の顔は、明るくない。

 

「AIを、AIを、」

 

 聞くだけで、すべてが解決するはずなのに。

 それなのに、口が震えていた。聞きたくないと、本心が訴えていた。

 ――手を、握りしめる。

 

「……AIを、見なかったか?」

 

 その言葉に、誰もが無言で、うつむいて応えた。

 

 それが答えだった。

 他人から、「死」を証明された。

 ――ポケット越しから、財布を握る。その中には、AIのゲームカードがある。

 誰よりも死を受け入れていたのは、他でも無い自分だ。だから、夢にまで現実を教えられた。

 ぜんぶ分かっている。

 ぜんぶ分かっているくせに、AIを追い求めた。誰かに、AIは生きていると証明して欲しかった。

 今度こそ、AIはいなくなってしまった。

 だからもう、どうでもよかった。

 

「……すまない、邪魔をした」

 

 死に腐ろう。

 緩慢に、 ゲーセンを出ようとし、

 

「待てよ」

 

 Lotusから呼び止められる。強い声で。

 対して震は、「なんだよ」と吐き捨てるように返事をする。けれどLotusは、意にも介さずに「ん」と筐体へ指差すのだ。

 

「せっかく来たんだ、プレイしてけ」

「……できるかよ」

「やれ」

 

 即答だった。

 

「どうせお前、何もしないままで数日を過ごしてきたんだろ? 気持ちは痛いほど分かるけどな、そのままじゃあヤバいぞ、お前」

「なんでだよ」

 

 世にも情けない声が、漏れたと思う。

 けれどもLotusは、ごく真面目な顔をしたままで、

 

「お前の今の顔、死んでるぜ。ゾンビみてーだ」

 

 真剣に、そう言い切った。

 否定なんて、出来そうにもなかった。Lotusの言う通り、ほんとうにそんな顔を晒しているのだと思う。

 心当たりなんて、いくらでも考えつく。ろくにメシも取らず、日光も避けて、ただただ寝ることの繰り返し。これをゾンビと言わずして、他に何と言えば良いのか。

 Lotusの目を見る。

 お調子者のLotusは、いつまでも自分のことを馬鹿にしてくれない。有無を言わさぬ空気を纏いながら、親指で台を指し続けている。

 

「ほら」

 

 今度はAnemoneが、顎で台を指し示す。

 

「AIちゃんのこと、泣かせるんじゃないよ」

 

 それを言われた時、どうしようもない気持ちが溢れ出そうになった。

 そうだ、自分はAIと約束したのだ。プロのダンサーになってみせるって。

 それなのに今の自分ときたら、これだ。死へ縋り付いて、AIへの誓いを裏切ろうとしている。何とか踊ろうにも、抗えない倦怠感のせいで体がまったく動かない。

 ――その時、

 

「Cosmos?」

 

 そしてそのまま、手を掴まれ――ワンコインを、握らされた。

 

「お、おまっ、これは悪ぃよ」

「いいや、悪かねえな」

 

 常連の一人が、前に出る。

 

「それは代理プレイの貸しだ。……この前、AIさんがTHUNDERでフルコンボを獲った時に、二人して喜んでた時があっただろ?」

 

 すぐに思い出す。ボス曲をクリアできた時の、AIの笑顔を。

 そして、連鎖的に思い出が蘇ってくる。喜びのあまり、手と手を取り合ったあの瞬間を、歓喜のまま、AIと抱きしめあったあの日のことを。プレイするどころじゃなくて、代わりにCosmosがプレイ権を片してくれたことを。

 ここ最近の出来事であるはずなのに、どこか数年前の過去に思える。

 

「ほら、これで金銭面も問題ねえだろ。……プレイしてくれ、AIさんの為にも」

 

 Cosmosが無言で引き下がる。常連達も、道を開けていく。

 やるしか、ねえのか。

 力なく台へ歩み寄っていき、そのまま筐体の前へ立つ。気だるげに両肩で息をつかせながら、Cosmosから託されたワンコインを投入して、画面に映る「ゲームカードを認識させてください」の文字を目にしては「へいへい」とポケットから財布を取り出して、

 

 カードポケットには、ゲームカードが二枚あった。

 

 ――実感してしまう。これが、AIの形見になってしまったのだと。

 首を左右に振るい、自分の分のゲームカードを引っこ抜く。そのまま筐体へカードを認識させ、筐体からは「おかえりなさい」と告げられて、ようやくいつもの選曲画面が表示された。

 音ゲーのことなんて、忘れかけていたはずなのに。それなのに、選曲画面の曲すらそらで唄える。

 まったく。何だかんだいって音ゲー野郎なのか、自分は。

 まあいい。これがラストゲームだと思って、適当に踊ってやるさ。

 

 だから震は、決して明るくない曲を選択した。曲名は「Rain」、いまの自分にとってもお似合いの曲だ。

 ――そして、曲の読み込みが終了する。最初は無音が訪れて、いつしか雨の降る音が聞こえてきて、そうして譜面が無数に降り掛かっきた。

 

 ――15COMBO

 

 最初は、適当に終わらせるつもりだった。

 こんなことをしても意味は無いのだと、帰って寝たいと、そう思っていた。

 

 ――50COMBO

 

 けれど、体は動く。数日程度のブランクなどものともせず、譜面を踏み越えていく。

 

 ――130COMBO

 

 体が、勝手に動いちまう。雨が降れば降るほど、心が躍ってしまう。

 

 ――200COMBO

 

 ゲームに感情移入していた。ギャラリーが湧いていた。

 

 ――240COMBO

 

 死にたいのに、気持ちが高ぶっていく。負けん気が、ここぞとばかりに顔を出しやがる。

 

 ――300COMBO

 

 気づけば俺は、ボス曲と戦っていた。

 

 ――350COMBO

 

 たぶん、俺がゲーマーだから。

 

 ――380COMBO

 

 みんな、俺を見てくれているから。

 

 ――400COMBO

 

 体を動かすことが、こんなにも楽しいから。

 

 ――450COMBO

 

 だめだ。

 やっぱり俺は、ダンスが好きだ

 だから、こんなにも踊れるんだ。

 

 ――FULL COMBO

 

 なんだ。ちゃんと輝けてるじゃない。

 

 やっぱりおれは、AIのことが好きだ。

 だから、こんなにも躍れるんだ。

 

 曲が終わる。「Rain」、Sランク、BEST SCORE、FULL COMBO。

 そっと振り向いて、常連たちと対峙する。

 ――みんな、みんな、楽しげな顔をしていた。

 

「SIN」

 

 Lotusが、穏やかに笑いながら、

 

「やっぱお前、ダンサーを目指すべきだよ」

「……そうか?」

「ああ」

 

 手首を捻くらせながら、指を差してきて、

 

「いまのお前、むかつくぐらいイケメンだぜ?」

 

 いつものように、軽い調子で笑ってくれた。

 ――そうか。やっぱり俺は、こういう人生しか歩めないんだな。

 

「……あのさ」

 

 Anemoneが、どこか気恥ずかしそうに微笑んでいる。

 

「プロのダンサーに、絶対になりなよ」

 

 そして、どこか気まずそうに目を逸らして、頬を指で掻きながら、

 

「その、少なくとも私は、あんたのダンスが好きだから」

 

 常連の皆が、楽しそうな顔でAnemoneのことを横目に見る。

 いよいよ耐えられなくなったのか、Anemoneは「あーもう!」と怒鳴り散らし、常連たちは「ひえー」と逃げ出した。

 ――ふう。

 Anemoneが、心静かにため息をつく。

 

「……AIちゃんのために、あんたはずっと踊り続けなさい」

「ああ」

「もし疲れたりしたら、いつでもここに来なさい。待ってるから」

 

 その言葉で、もう十分だった。

 常連達の頷きで、満たされた。

 リアルのダンスから逃げ出して、ずいぶん長くなったと思う。けれどその先にはゲームがあって、仲間たちと出会えて、

 

 ――そしていつか、あなたに勝ってみせるわ!

 

「みんな」

 

 常連たちが、震を見る。

 

「ありがとう」

 

 その言葉に、誰もが無言で、笑顔で応えてくれた。

 それが答えだった。

 

「――おお、SIN」

「ん」

「曲が選ばれちまうぞ、また雨を浴びるのか?」

 

 あ。

 制限時間が近いのか、カウントダウン音が筐体から鳴り響く。忙しなく振り向いてはやべえやべえとゲームを操作して、ああでもないこうでもないと曲を選択し、

 時間切れになった。

 次の曲が決まった。

 マジかーと最初は思った。けれどその曲名を目にして、間が生じて、思い出がどうしようもなく膨らんでいって――「踊ろう」、そう決意する。

 

 サニースマイルが、これから始まろうとしていた。




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

次回、最終回です。


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 あの日から十年が経った今でも、私のやるべきことは変わらない。

 アイドルになるためのレッスンを重ね、そうして自信を積み重ねた後に客の前へ立つ。あとは唄いきって、踊り明かして、一目で客を魅せていくのだ。

 そうした実践は、確かに大切な事と断言できる。義務といってもいい。

 

 ――テレビを点ける。十年前からまるで変わらない歌番組が、映し出される。

 

 けれど、時流を読むのもアイドルの仕事だ。どんなダンスが求められ、どんな歌が好かれ、どんな人間がウケるのか、それを研究して損をすることはない。

 特に私は、十年分のブランクがある。たぶん、今のままでは時代遅れと評されてしまうだろう。それだけは避けねばならない。

 

『――Yellow Tulipさん、素晴らしいラブソングをありがとうございました。これからも、彼女たちには活躍してもらいたいですね』

 

 だからこうして、私は欠かさず歌番組を見るようにしている。視覚的にチェックできるから、研究資料にはもってこいなのだ。

 

『それでは、次の人に移りましょう。……今をときめく女性達といえばアイアンフリル、では男性は?』

 

 けれど、でも、今日はそれだけじゃなくて、

 

『それはもちろん、トップダンサーの藍川震さん! 今日は是非とも、お話を伺いたいと思います!』

 

 テレビから、大きな拍手が湧く。女性たちの黄色い声が、絶え間なく聞こえてくる。名物司会者の隣には、「あの」藍川震が座席に腰掛けていた。

 

『こんにちは、藍川震です。ダンサーしてます』

 

 藍川震(26)、テロップにはそう表示されている。

 私と、同い年だったんだ。

 

『いやあ、こうして藍川さんとお話できて光栄です。今や日本のダンサーといえば、藍川さんですからね!』

『ありがとうございます。こうしてこの番組に出演できて、僕も光栄です』

 

 あの人が、テレビの向こう側で照れくさそうに笑っている。謙虚ながらも、背筋は伸ばしきっていた。

 胸の奥底まで、ぎゅっ締め付けられる感覚に陥る。もう心臓なんて動いていないはずなのに。

 

『最近は、毎日のようにあなたの名前を耳にしていますよ。テレビでも、街中でも、そしてラジオでも!』

『頑張ったかいがありました』

『おおー、謙虚ですねえ。……知っていますか? ここ最近は、あなたの影響でダンスを始めた子が増えていることを』

『はい。僕をきっかけにダンスを始めてくれるなんて、本当に嬉しいです』

 

 彼はもう、どこまでもどこまでも遠い存在になってしまった。

 もう十年も経つのだ。いろいろと吹っ切れて、こうしてジャイアントステップを踏んでもまったくおかしくはない。それが寂しくて、そして嬉しく思う。

 

『ほんとう、良いことですよね。……よければ未来のダンサー達に向けて、何かアドバイスを!』

『分かりました』

 

 そして、彼が私と――カメラと向き合う。

 

『こんにちは、震です。皆さん、ダンスを始めてくれて本当にありがとう』

 

 言葉通りに、穏やかに笑う。

 

『皆さんがダンスを始めたきっかけはなんですか? それはどんなことでも良いんです。格好良くなりたいから、ダンスが好きでたまらないから、僕を越えたいから、好きな子に振り向いてもらいたいから。それで良いんです、僕もそうでしたから』

 

 好きな子に。

 その言葉が、私の思考を痺れさせた。

 

『きっかけあっての夢です。それ原動力にしていけば、いつかは僕のように……いえ、僕をも超えられる日が来るかもしれません』

 

 司会者が、『おおー』と声を上げた。

 

『……ですが、いつかは壁に当たる日がやって来るかもしれません。そういうものなんです、僕にも挫折していた時期がありました』

 

 私の思い出が、音を立てずに膨らんでいく。彼と出会えた冬のことを、昨日のように思い出した。

 

『そういう時は、一度立ち止まってみてください。そのままダンスを続けても、逆に嫌になっていくだけです』

 

 私は、心から頷いた。

 

『気分転換に遊んでも良いですし、甘いものを食べてリフレッシュするのもアリです。あとゲームも良いですね、近頃のダンスゲームはとても曲が豊富で、それでいて結果が必ず出てきますから、これが結構燃えるんですよ』

 

 観客が、『へー』と口にする。司会者が『ゲームが好きなんですか?』と質問してきて、彼は迷わずに『はい』と返事した。

 ――今も、やってるんだ。

 それがなんだか嬉しくて、口元が緩んでしまう。

 

『ダンスに行き詰まったりしたら、いつもゲームをしていますよ。……トップダンサーである僕ですら、こうして遊ぶんです。皆さんも無理をしないで、楽しみながら踊り明かしてくださいね』

『なるほど。いや、とても良いアドバイスでした』

『いえ』

『――あ、そうそう。さっきから気になっていたんですけどね』

『なんでしょうか?』

 

 司会者の笑みが、とても色濃くなった気がした。

 

『動機の話で、好きな子に振り向いてもらうってあったじゃないですか。――もしかして?』

 

 私の姿勢が、自然と前のめりになる。

 その言及に対して、彼は決して否定しないまま、

 

『ええ。いました、とても好きな子が』

『おお~』

『その子がいなければ、こうして踊り続けることは出来ませんでした』

『それほどまで、大きい存在だったんですね。……どうです、振り向いてもらえましたか?』

 

 彼は、少しだけうつむいた。

 観客も、司会者も、他の出演者も沈黙して、数秒が経って――

 

『まだ、わかりませんね』

 

 彼は、微笑んでいた。

 

『彼女とは、もう会えないと思います。ですが遠い遠いどこかで、僕のダンスを見てくれるのなら……それが、僕にとっての一番の幸せです』

 

 観客から、静かな拍手が溢れてくる。司会者も、無言で頷いた。

 

『一途ですね』

『はい。これ以上の恋なんて、出来そうにありません』

 

 ――その言葉に、私はうつむくしかなかった。

 

『素敵なお話をしてくださり、ありがとうございました』

 

 司会者が話を切り上げる。テレビ越しから、賑やかな拍手が湧いた。

 

『それでは、曲に移りましょう。今日は新曲を披露してくれるとのことですが?』

『はい。今回は、跳躍をテーマにしてみました。壁とか悩みとか、そういったものを飛び越えようという応援歌ですね』

『おお、いいですね』

『ありがとうございます。……それでは聞いてください、タイトルは『JUMP』です!』

 

 そうして、彼は台に立つ。沢山のバックダンサーを引き連れて、やはり背筋を伸ばしきったままで。

 スタジオが暗くなり、静かなイントロが流れ出す。多くの観客の目に晒される中、それでも彼は不動を貫いていて、

 新曲に火が点いた瞬間、彼は踊っていた。

 全身で曲を、己を表現していくさまは、間違いなくダンサーそのものだ。アイドル研究家として、理知的に「流石」と思う。

 

 ――けれど、でも、なんでこんなにも胸が締め付けられるんだろう。

 

 新曲であるはずなのに、そのキレには既視感を覚える。手首をひねるクセも、靴底がつい飛び上がる傾向も、意味もなく服を払う遊びも、そのどれもが懐かしく思う。

 なぜ、とは考えない。

 だって私は、彼の近くにいたから。

 だって私は、彼を打倒したかったから。

 

 そして私は、彼のことが好きだったから。

 

 なんでわたし、死んじゃったのかな。

 なんで彼は、今も追い求めてくれるのかな。

 よくないよ、そういうの。

 彼のことが好きだからこそ、絶対にそう思う。

 

 曲が終わる。司会者が『ありがとうございました! 素敵なダンスでしたねえ』と賞賛した。

 ――空気に一区切りがついて、私からため息が漏れる。

 今日は早く寝ようかな。テレビのリモコンを手に取ろうと、ふと視線を感じ取って、

 

 巽幸太郎の顔面が、どアップに映り込んだ。

 

「わ゛ひゃいッ!」

「おーどしたー? さっきから真剣な顔して。お陰で声もかけられなかったぞ」

 

 ソファから転げ落ちそうになるも、手足と歯を食いしばって何とか持ちこたえる。

 

「な、何よ! 別にいいじゃない! アイドルを研究するのは、とても大事なことよ!」

 

 沸騰した血の気に流されるがまま、私は幸太郎へ怒鳴りつける。

 けれども幸太郎ときたら、やっぱりニヤケ面を引っ込めようとしない。

 

「そうだなー、それは大事なことだな」

「でしょう!?」

「いやでもな~、さっきのお前ときたら、すごいシリアスな顔してたんだぞ~」

「え、どういう」

「そのまんま、俺ですら手ぇ出せないようなマジ顔」

 

 心当たりがない、なんて思えなかった。

 

「あれか?」

 

 幸太郎は、あくまでもどこまでもおちゃらけながら、

 

「ファンか?」

 

 別に。そう言えれば、この話はすぐに終わるはずだったのだ。

 けれども私は、安易な答えを口にすることが出来なかった。自然とうつむいてしまって、それは、えっと、なんというか。

 

「――ま、なんでもええわい」

 

 そして、この空気を断ち切ったのも幸太郎だった。

 

「入れ込むのも良いが、お前はゾンビィだ。そのことを、忘れないでくれよ」

「……わかってるわよ」

 

 そうだ。

 私は十年前に死んだ。だからこそ、誰かの未練になってはいけない。生きているみんなには、これからを歩んで欲しいと思う。

 ――あのひとの重荷になるなんて、わたしはいやだ。

 

「あと少しでサガロックだ。それまで、パーペキに仕上げておくんだぞ」

 

 そうして、幸太郎がリビングから立ち去っていく。

 私はテレビを消して、ソファの背もたれに身を預け、天井を眺めたままで沈黙に浸る。

 

 彼の未練に、重荷になんてなりたくはない。

 それでも、十年前から全く変わらない想いを聞くことが出来て、私は、

 

「――ありがとう」

 

 

 後に、彼がサガロックへ出演することを私は知った。

 もしもその時がやってきたら、私は、私は――

 

―――

 

 あの日から、もう十年が経過していた。

 ヒゲだって伸びるようになったし、背だってずいぶんと成長した。いつの間にか見なくなった常連もいたりして、環境は緩やかに変化していったものだ。

 けれど、自分は昨日も今日も踊りっぱなしだった。これだけは、いつまでも変わらない。

 ダンスコンテストを優勝するのに、数ヶ月が経った。ダンスゲームで新記録を叩き出すのに、何日もかかった。そしてプロのダンサーになるまで、数年はかかったと思う。

 

 自分の才は凡くさいから、ここまで来るのにそうとう苦労した。折れそうになった回数なんて、もう数えきれない。

 けれど自分は、そのたびに踏ん張れた。

 それもこれも、ゲーセンがあったから。常連が、「CD買ったぞー」と茶化してくれるから。そして筐体の前へ立った時は、必ず「FANTASTIC LOVERS」をプレイしていたから。時おり食べるパフェが、心身を癒やしてくれたから。

 ――楽屋の片隅にある、自分のケースへ目を配る。

 あそこには、あの人のゲームカードがある。それはお守りで、誓いそのものといってもいい。

 自分にはあの人が居てくれたからこそ、ここまで辿り着けたのだ。

 

 歌番組では、「これ以上の恋なんてできない」と言った。有名な女優から、「声」がかかったこともある。

 けれども自分は、この恋をいつまでも抱え続けるつもりでいる。あの人以上の存在なんて考えられなかったし、あの人への情熱を裏切りたくなどない。

 この恋だけは、死んでも手放すつもりはなかった。

 

 ――だからこそ、気になることがある。

 今回のライブには、「フランシュシュ」というご当地アイドルグループが参加するらしい。活動したばかりらしいが、その詳細はほぼ不明だ。携帯で調べてみても、出来たてらしいアナクロな公式サイトしか表示されない。

 詳細はともかく、注目すべきはメンバーだ。アイドルの名前に「1号」「2号」と名付けるセンスもまた凄いが、問題はその次、「3号」。

 その3号は、3号は、あまりにもあの人に似ていた。

 もちろん、何度も見返した。思い込んでいるのではないかと、気を静めたりもした。

 けれども3号というメンバーは、やはりどうしてもあの人にしか見えなかったのだ。ちょっと癖の入ったショートヘアも、たくさんの花びらヘアピンも、その瞳も、あの人そのものとしか言いようがない。

 本能が、「これはもしかして」と思った。

 けれども理性が、待ったをかける。

 公式サイトに掲載されている「はず」のあの人は、なぜ十年分も年をとっていない。どうして、当時のままの姿を保っているんだ。

 自分の顎を触る。ざらついたヒゲの感触が、指先から伝わってくる。

 こうなっているはずだよなあと、ため息をついた。

 ――やっぱり、生き写しか何かか。

 そのとき、ドアからノックの音がした。

 

「どうぞ」

 

 楽屋に、スタッフが入り込み、

 

「準備が終わりました。次、お願いします!」

「分かりました」

 

 それだけを伝えて、スタッフは楽屋のドアを締めた。

 ――両頬を叩く。

 さあ、踊ろう。俺の為に、皆の為に、あの人のために。

 携帯の電源を切り、頭の片隅で「フランシュシュか」と思いはしながらも、その両足は止まらない。

 楽屋のドアを開け、迷うこと無くメインステージへ向かう。そうして曇り空の下で台に立っては、沢山の客からありとあらゆるコールを浴びた。

 そんな中でも、自分は落ち着けている。

 自分はプロなんだなと、そう実感した。

 

 フランシュシュの事はとても気になるが、それは後でいくらでも考えられる。

 だから、今は、

 

「――みんな!」

 

 観客の声が、そっと消えていく。

 

「今日は忙しい中、サガロックへ来てくれてどうもありがとう! そしてお疲れ様! 色々大変だろうけれど、俺と一緒に壁なんか飛び越えようぜ!」

 

 JUMPのイントロが大音量で流れ、観客も負けないくらいに絶叫する。あまりの音量に身も心も震えるが、この瞬間が自分は好きだ。

 バックダンサー達が、後ろから横一列に並んでいく。自分は顔をうつむかせたままで、けれども口元は確かに笑いながら、

 

「――!」

 

 そして――

 このサガロックで、自分は自信を持って唄いきり、そして間違いなく踊り明かせた。客からの止まらない声援が、笑顔が、拍手が、何よりの証明だ。

 すべての人めがけ、「決めポーズ」であるサムズアップを示す。客も、同じように親指を掲げてみせた。

 全てをやり通せた時、自分は何度でも何度でも思う。やっぱり、ダンスはめちゃくちゃ楽しい。

 

 ――そのとき、頭上から唸るような音が聞こえてきた。そっと見上げてみれば、雨が、降りかかろうとしている。

 

 □

 

 雨が降りしきる中で、いよいよフランシュシュがダンスを披露しようとしている。ただ歌を重視しているのか、ダンス中心なのかは、分からないのだけれども。

 

 河童を着ながら、特設席にてフランシュシュの動向を見守る。リーダーであるらしい2号が、実に気合の入った自己紹介を終えて――

 そして、曲が物静かに流れ出す。最初から軽快な「JUMP」とは打って変わって、フランシュシュの「アツクナレ」は階段式にテンションが上がっていく感じだ。このまま音ゲーへ移植しても、何ら違和感はないと思う。

 メンバーの方だが、ダンスも歌も良い感じだと思う。4号の力強い歌声を耳にした時は、心がぞくりとした。

 

 そんな中で、3号の動きは明らかに鈍っていた。

 

 最初は、不慣れによる緊張かと思ったのだ。けれども他のメンバーは、しっかりと踊りきれているし歌えてもいる。震はただただ、首をかしげるばかりで、

 その時、雷が鳴った。

 3号が、頭を抱えていた。

 その瞬間を、震は決して見逃さない。3号は明らかに、雷に対してひどく怯えていた。ライブ特有の、高揚感の中でさえも。

 震の脳ミソが、制御不可能なまでに回り始める。あの人とよく似た3号と、雷とが組み合わさって、途端に8月5日の一面がフラッシュバックして、「あ」という声が出た。

 ――雷が怖いのか?

 首を横に振るう。

 それだけで判断するのは、いくらなんでも軽率が過ぎる。メインステージで己を表現している3号に失礼だ。

 けれど、拳を作ってしまう。不安と期待感のせいで、歯をも食いしばってしまう。

 

 そして数分が経って、「アツクナレ」が終盤へ差し掛かろうと、

 意識が、真っ白に覆われた。

 ――自我を取り戻した瞬間、メインステージめがけ落雷が突き刺さっていた。

 崩れ落ちるような轟音が耳をいつまでもつんざき、容赦の無い地響きが体を延々と振動させ、見たこともない強烈な光が視界をずっと奪い続ける。

 乱れ飛ぶ悲鳴の中で、これが落雷なのかと思った。こいつのせいであの人は死んでしまったのかと、強く思考した。

 永遠に続くかと思えた地獄は、やがて収まりをみせていく。誰もが姿勢を屈め、沈黙している中、震はそっと、メインステージへ目を向けて、

 

 フランシュシュは、3号は、光輝いていた。文字通り。

 

 嘘くさい、と思った。

 けれど、3号は確かに光を発している。その二本の足で、メインステージの上を立っている。

 メンバーの誰もが困惑しているのだろう。己が手を見つめている2号、観客へ目配りしている5号、自分の体をぺしぺししている6号、平然としている0号。3号と何か話をしている4号。

 フランシュシュだけが、この場の時間を動かしていた。

 それ以外は、ただただフランシュシュを見守ることしかできなかった。

 ――その時、曲がふたたび流れ出した。

 極めて前向きな曲調が、最初からかっ飛んできた。それでも震は、近くにいる出演者は、客は、呆然とそれを見届けることしかできない。まだ、雷による衝撃が抜けきれていないのだ。

 震はただただ、「おどってる」としか思っていなかった。口を半開きにさせたまま、フランシュシュを、3号のダンスを眺めていた。

 生きてる、マジで生きてる。そんな思考を垂れ流していると、

 

 フランシュシュが、指からビームを放った。

 

 え。

 マジで。

 極めてゲームめいた光景を目の当たりにして、ほんの少しの時間だけを用いて、

 

「おおぉぉぉぉぉぉ――――――ッ!!!!」

 

 震は十五歳児に戻っていた。観客達も、エンターテイメントを目の当たりにして歓声を上げていた。

 信じられねえ、すげえ、3号のキレがよくなってる、あの動きは後ろで何度も見たことがある、またビーム撃ってくれな、

 

「撃ったぁぁぁぁ―――――――ッ!!!!」

 

 トップダンサー藍川震二十六歳は、ただのゲーム好きの子供になっていた。光り輝く3号を見て、恋する少年へ還っていく。

 フランシュシュは、3号は、どこまでも高らかに唄う。もはや何も恐れることなく、メインステージで精一杯にダンスを繰り広げていく。観客も出演者も、感情のままにフランシュシュへ声援を送っていた。

 

 思う。3号のダンスを見て、心の底から思う。

 あの人はまちがいなく、まちがいなく――

 

 

 □

 

 

 フランシュシュの楽屋の前に立って、数分が過ぎた。

 フランシュシュ様と書かれた紙を、何回も確認した。

 間違いなく、ここにいる3号がいるはずだ。それなのに、ノックの一つもできない。度胸なんて、ライブで散々鍛えられたはずなのに。

 

 出たとこ勝負でここまで来てしまったが、どう話せば良いのだろう。ストレートに「あなたは水野愛さんですか?」と聞くべきか、遠まわしに証言を得るべきか。そもそも誰かに対して、故人に当てはめるだなんて失礼にも程がある。

 去れ。培った礼儀が、そう指摘する。

 けれど、恋が踏み止まらせる。

 己が拳を見て、まとまらない考えを引きずったままで、両目をつむって、今度こそ覚悟を決めて、

 

 扉が開いた。

 3号と対面した。

 

 あっさりすぎて、間抜けな「へ」が漏れた。3号も驚いているらしく、両目を丸くしながらで「え」が出た。

 

「――お?」

 

 状況に気づいたのだろう。サングラスをかけた男が、楽屋の奥から近づいてくる。

 

「こんばんは。藍川さん、ですよね? はじめまして、僕はフランシュシュのプロデューサーをしています、巽幸太郎です」

「あ……どうもどうも。僕は藍川震、ダンサーをしています」

 

 そして、巽幸太郎と真正面から対峙する。背がとても高くて、音もなく唾を飲み込んだ。

 なんとか笑えた震は、幸太郎へ手を差し出す。幸太郎も、その手を握り返してくれた。

 

「あなたのご活躍は、いつも拝見させていただいています。いつ見ても、あなたのダンスは輝いていますね」

「いえ。フランシュシュのダンスも、歌も、とても素晴らしかったです」

 

 そして、心の中で「ビーム最高でした」と付け加える。

 

「それで、私達に何か用件が?」

「え」

 

 やばい。

 なんと答えれば良いのか、まるで思いつかない。率直に言えば「3号さんと二人きりでお話をさせてください」なのだが、アイドル視線から考えたら一発でアウトだ。イメージダウンに繋がる可能性もある。

 ちらりと、3号のことを見つめる。

 3号の真顔が、震の視界に入る。

 いまの3号は、自分に対してどう思っているのだろう。楽屋の前に突っ立っていたせいで、不審がられているのかも。

 やっぱり、人の素性なんて暴くべきではないのかもしれない。

 ――でも。

 

「あの」

「はい?」

 

 背筋を正す。

 

「実は、3号さんに聞きたいことがありまして」

 

 ここに立っていられるのも、すべてはあの人と誓いあえたからだ。

 ここまで来れたのに、大人らしく引き返すだなんて。そんなの、今の自分には出来そうにもなかった。

 

「――なるほど」

 

 サングラスで、その表情は伺い知れない。

 幸太郎は、3号へ目配りする。何を思ったのだろう、3号はこくりと頷いた。

 ふたたび、幸太郎と向き合う。

 

「分かりました。……実は、3号はあなたのダンスが好きでして。これを機に意見交換ができるのであれば、プロデューサーとしても得るものが多いと考えています」

 

 好き。

 それを聞いた瞬間、心臓が高鳴りを上げた。

 

「それはそれは……ダンサーとして、とても嬉しいです。僕の方こそ、フランシュシュのダンスには見惚れてしまいました」

「おお、ありがとうございます。……今後もぜひ、あなたのご活躍を応援させていただきます」

「こちらこそ、フランシュシュのダンスをもっと見せてください」

 

 ふたたび、幸太郎と握手をする。

 

「――色々話すこともあるでしょう。自分は、楽屋に戻ります」

「お手数かけます」

「いえ」

 

 幸太郎が楽屋にまで下がっていき、扉を閉めようとして、

 

「3号」

「なに?」

「――待ってるからな」

 

 その言葉に、3号は小さく頷いた。

 

 そして、楽屋の扉が閉じられる。またたく間にしん、となる。

 数センチも離れていない距離で、自分と3号がじっと向かい合う。ろくな言葉が思いつかないが、視線はもう逸らさない。お膳誰をしてくれた、幸太郎の為にも。

 3号もまた、自分のことをずっと見据えている。嘘を見抜くような真顔を前に、やはり既視感を覚えざるを得ない。

 ――用事があると言い出したのは、自分なのだ。だから、先に口を開くべきは自分以外に他ならない。

 

「あの」

「あの」

 

 被った。

 3号の口が、気まずそうに緩む。自分も、似たような面をしてしまっているだろう。

 ――気を取り直して、

 

「えっと。3号さん、さっきのダンスはとても素晴らしかったです。まだ若いのに、これほどの才能があるなんて」

「い、いえ、そんな。藍川さんのダンスには、まだまだ及びません。あれだけ動いて、あれだけ唄えるなんて、とても凄いです」

「そう言っていただけて、踊ったかいがあります」

 

 そして、3号の口元が穏やかに曲がって、

 

「藍川さん」

「はい」

「ダンス、好きですか?」

「はい」

 

 即答。

 

「3号さんは、好きですか? ダンス」

「はい。むしろ、アイドル以外の自分なんて、考えられません」

「なるほど」

 

 そして震は、ポケットに手を触れた。

 

「トップアイドルを、目指していますか?」

「はい」

 

 3号は、すぐに答えてくれた。

 

「そしていつかは、あなたのようなトップダンサーになりたいと思っています」

 

 彼女は、そう告げてくれた。

 

「……そうですか。これは強力なライバルが現れましたね」

「そうですか?」

 

 3号が、くすりと笑う。

 ――相手は「3号」であるはずなのに、胸の内が熱くなっていく。

 

「ああ、ですが、ちゃんと気分転換はしてくださいね。踊ってばかりというのも、疲れますから」

「大丈夫です。あなたのインタビューは、しっかりと聞かせていただきましたから」

「あ、テレビ見てくれたんですね。これは嬉しいなあ」

「いえ。とても有意義なアドバイスでした」

 

 そして震が、3号が、互いに気楽そうに笑う。

 いつ本題を切り出そうかで迷ってはいるものの、ついつい語り合いを楽しんでしまう。相手が3号であるから、尚更だ。

 ――失礼な考えだ。ほんとう、そう思う。

 

「――あ、そうだ」

「はい?」

 

 ふたたび気を取り直す為に、握りこぶしを軽く作る。何事もなかったかのように、にこりと笑ってみせた。

 ――3号は、両目をそっとつむって、そして、

 

「あなたには……好きな人がいると聞きましたが、ほんとうですか?」

 

 3号も笑っていた。どこか、寂しそうに。

 それを見て、心が遠くなりそうになる。

 

「あ、ああ、インタビューの?」

「はい」

 

 震は、大きく息を吸う。

 これまで生きてきて、震は些細な嘘も、怒られるようなごまかしも口にしてきた。

 

「ああ、いる。いるよ、大好きな人が」

 

 けれど、このことだけは決して偽らない。あの人のことを、過去にしたくはなかったから。

 そして3号は、「そうですか」とだけ呟き、ほんの少しうつむく。どこか見覚えのある花のヘアピンが、少ない気がした。

 

「――その人は、」

 

 音もなく、そっと、3号が首を上げる。

 

「その人は、いま、どこにいますか?」

 

 目と目が合う。

 3号は、やはり脆い笑みを浮かばせている。対して自分は――やっぱり、同じような顔をしているのだと思う。

 

「遠い場所、かな。本当に、遠い遠い場所」

「……二度と、会えそうにはない?」

「そうだね」

「それでも、想い続けるんですか?」

「ああ。これ以上の恋なんて出来ないし、彼女への想いを裏切りたくはないから」

 

 あの人への想いを、全て伝えられたと思う。

 自己満足だし、やはり失礼極まりないが、3号にこのことを告げて本当に良かった。

 震は、心の底から穏やかに笑い、

 

「――もう、十分だと思いますよ」

 

 3号は、首を横にふっていた。

 とても、優しい笑みを浮かばせながら。

 

「一途な恋、それは素晴らしいものだと思います。ですけど、それに引きずられるのは、とても悲しいことじゃないですか」

 

 たぶん、きっと、根拠もないけれど、本心から口にしているのだと思う。

 

「藍川さんはまだ若いんですから、新しい恋を見つけて、それで幸せになっても良いと思いますよ」

「……そんな、そんなこと、ないよ」

 

 強がりを滲み出しながら、あくまで笑って答える。

 

「……あなたは、」

 

 3号は、こくりと頷いて、

 

「あなたは、恋のためならいくらでも頑張れるダンサーじゃないですか。それなら、今を生きる誰かと恋をしたほうが、ダンサーとしてもっと輝けると思います」

 

 赤の他人が言うのなら、きっと適当に受け流していただろう。

 けれど3号の前では、否定の言葉すらも出てこなかった。会ったばかりであるはずなのに。

 

「藍川さん」

「う、うん」

「私は、藍川さんのファンなんです。だからこそ、あなたには幸せになってもらいたいんです」

 

 その宣言を聞いて、3号がどこか遠いように思える。

 

「……それに、ですね」

「うん」

 

 そして、震は絶句した。

 

「あなたは、全てのダンサーにとってのラスボスなんです。ですから、未練を背負ったままでは張り合いが出てこないじゃないですか」

 

 3号が、見覚えのある勝ち気な笑みを浮かばせていたから。

 ――確信した。

 もう躊躇いなんてない、どうにでもなれとすら思う。今頃の自分ときたら、世にも情けない顔をしているのだろう。

 そっと、ポケットに手を入れる。そして、中身を取り出して、

 

「3号、さん」

「はい?」

 

 3号に――あの人に対して、ようやく、

 

「これ、返すよ」

 

 お守りを、誓いを、形見を、王への挑戦状を返すことができる。

 それがひどく嬉しくてたまらない、最後の夢が叶えられたと思う。これからも彼女とはゲームで競い合って、アイドルとして切磋琢磨しあって、いつかは一緒に――

 

「それは、私のものではありません」

 

 ただの無表情で、「それ」を拒まれた。

 震は、かすれた声で「え」としか言えない。

 

「一つ、聞きたいことがあります」

「……なんだい?」

「そのカードの、持ち主の名前は?」

 

 震は、あの人の名前を呟く。縋るように。

 けれども彼女は、表情を一つも変えず、

 

「なら、私は違います」

 

 見覚えのある鋭い目を、きっぱりとした声を発しながら、彼女は、

 

「私は、フランシュシュの3号です。AIには、決してなれません」

 

 何をも譲らぬ証明を、真っすぐから突きつけられた。

 

 ――今度こそ、受け入れざるを得ない。

 あの人は、間違いなく十年前に死んでしまったのだ。ダンスゲーマーの命であるゲームカードを拒まれたからこそ、本当にそう思う。

 そうか、そうなんだ。

 終わって、しまったんだ。

 

「……わかった」

 

 首を小刻みに揺らし、感情をなんとか整えようとする。

 そうして、みっともなく笑いかけながら、

 

「ごめんね、変な話をしちゃって。じゃあ、そろそろ……ね?」

 

 心の中で、あの人に――3号に対してお礼を言う。背中を押してくれて、本当にありがとう。

 そうして、逃げるように背を向かせ、

 

「――あの」

 

 振り向く。

 いつの間にか、至近距離には3号がいて、

 

「一つ、聞いても良いですか」

「……何だい」

「その、あなたの初恋の人は、おいくつぐらいですか?」

 

 君と同じだよ。そう言いそうになって、

 

「――十六歳ぐらい、かな。その時に、ちょっとね」

「なるほど」

 

 事情を聞くこともなく、3号は小さく頷く。

 

「では、私と同じくらいですね」

「……そう、なるのかな」

 

 なんとなく、そんな気はしていた。そうとしか、考えられなかった。

 3号とは、未だ近くで視線が交差しあっている。どちらとも目を逸らさず、離れようとはしない。

 

「――もし、私が『その人』だったら」

 

 ――!

 

「『私』は間違いなく、世界一の幸せ者だと思うでしょう。私のために、あなたはここまで頑張ってくれたのですから」

「……そう、なのかい?」

「はい。同年代だからこそ、その人の気持ちが手に取るように分かります」

 

 さっきから、疑問に思ってはいたのだ。3号は本当に、「3号」でしかないのかと。

 けれども3号は、あくまでもAIであることを否定し続けている。これは額面通りに受け止めるべきなのか、或いは「AIと名乗ってはいけない」からなのか、自分にはよく分からない。

 動きのキレも、声も、顔も、何もかもがAIと似ているのに。それなのに、AIとして触れ合ってはいけない気がするのだ。

 

「だからこそ、断言できます」

 

 その理由は、きっと、

 

「『私』は満たされました。だからこそ、どうか新しい恋を掴んで欲しい」

 

 AIが、死んでしまったから。

 ――それだけで、だからこそ、この距離感に納得するしかなかった。

 

「……本当に、それでいいのかい?」

「はい」

 

 それ以上、意見を求めることはしなかった。他でもない3号が、そう証明してくれたから。

 

「――ここからは、私個人の意見を言います」

「え?」

 

 背筋が、ぞくりと震えたと思う。

 3号が、もっともっと近くに寄ってきたから。

 

「あなたは『彼女』のために、Sランクの結果を残してくれました」

 

 ――あ、

 

「もう十分です。フルコンボを勝ち取った以上は、あなたは先へ進まなくてはならない」

 

 ――あ、

 

「トップダンサーとしてみんなを幸せにする前に、あなた自身が幸せにならなくてどうするんですか」

 

 ――、

 

「時間をかけてもいいですから、どうか次の愛を見つけてください。今度こそ、人生を完成させてください」

 

 3号は、真剣しか感じられない真顔で、

 

「迷いのあるラスボスを打倒しても、何の意味もないじゃないですか」

 

 そう、言われてしまっては。

 トップダンサーだからこそ、無言で、「うん」とうつむくことしか出来なかった。

 ――それで納得してくれたのか、3号はにこりと笑って、

 

「私達アイドルは、あなたに何度も何度も挑戦し続けます」

 

 不意に、3号の顔が視界一面に映り込む。

 何が起こった、最初はそう思った。

 

「……だから」

 

 3号は段々近づいてきて、呼吸すら聞こえてきて――3号の顔が、自分の顔とすれ違い、

 

「首を洗って、これからは前に進んでいってね」

 

 柔らかい冷たさが、首筋にそっと触れられた。

 

 3号が、足音を立てて離れていく。震はただただ、首筋に手を当てることしかできない。 

 そして、3号が楽屋の扉を後ろ手に開けて、

 

「――じゃあね、震」

 

 そうして、3号は扉の向こう側へと姿を消した。

 ――はあ、

 フランシュシュの楽屋の前で、震は、ゆっくり、ゆっくりと、深呼吸する。

 

 そうか。

 

 初恋は、これで終わったんだ。

 あの人が、初恋を幻想にしてくれたんだ。

 だからこそ、心の底から今を受け入れられる。新しい恋をしてみようかなと、なんとなく思える。

 ――いや、幸せになるべきなんだろう。フルパワーじゃないラスボスなんて、倒しがいがないんだから。

 

 見上げる。何もない天井だけが、目に入る。

 

 わかった、わかったよ、3号。俺はトップダンサーとして、これからの人生を踊り明かすよ。

 そしていつかは、愛しい人を見つけて、ラスボスとしてもっと輝いてみせるから。

 約束する、心から誓う。

 

 だから、最後にやるべきことをやろう。

 

 □

 

 外に出てみれば、空は嘘みたいな夕暮れ色に染まっていた。

 

 雷のせいなのか、或いはビームで引き裂かれたのか、雨雲なんて一つも見えない。先ほどのライブが、まるで昔のことのように思える。

 ――ちょうどいい。

 音の無い空を眺めながら、ポケットからあの人のゲームカードを取り出す。それを掲げ、しばらくはそのままでいて、いつしかカードを裏にひっくり返す。名前欄には、サイン文字で「AI」と描かれていた。

 

 それを眺めて、数分が過ぎた頃。震はスタッフから借りたライターを取り出し、そっとゲームカードへ近づけていって、そこでひと息つく。

 いろいろ、あったな。

 そして、ゲームカードへ火を点ける。カードは間もなく全体にまで燃え移り、熱で形がひしゃげていって、やがては真っ黒に染まる。そうして風が吹くとともに、カードはかけらとなって、遠い空へと消えていった。

 

 ――首筋を、拭う。

 

 これで、あの人の未練はなくなった。

 だからこれからは、お互いに新しい人生を歩もうじゃないか。

 それがいい、それが。

 それでいいんだ。

 ――でも、

 

 俺は、AIとの出会いを決して忘れない。

 俺は、AIと相まみえた日々を胸に刻む。

 俺は、AIとの逢い引きを記憶に留める。

 俺は、AIとの和気あいあいを心に残す。

 ――俺は、あの日の事をすべて受け止める。

 だから俺は、AIへの哀悼をここで終わらせる。

 

 けれど今だけは、今だけは、十年分くらい泣かせてほしい。

 心の中で、君への愛を、大好きを叫ばせてほしかった。

 

 

―――

 

 

 夜更けだからか、サガのゲーセンには人気が少なかった。賑やかであるはずの音ゲーコーナーも、今となってはずいぶんと寂しい。

 そんな中で、ダンスゲームに興じている一人のゲーマ―がいた。そのゲーマーは軽やかに両足を飛ばし、艶めかしく手首を捻り、楽しげに口元を曲げている。明らかに、踊り慣れていた。

 誰も見ていない中で、ゲーマーはすべての譜面を掴み取っていく。いわゆる「ボス曲」をプレイしているというのに、ゲーマーは軽快にプレイし続けていくのだ。

 そして、曲が終わる。

 筐体が「FULL COMBO!」と叫ぶと同時に、ゲーマーは天めがけ人差し指を突き立てていた。

 

 PLAYER NAME:GUEST PLAYER

 PLAY MUSIC:JUMP

 SCORE:100000 BEST SCORE

 COMBO:FULL COMBO

 RANK:S

 

 両肩で呼吸しながら、名もなきゲーマーはどこまでも笑っていた。それはまるで、花が咲き誇っているかのような。

 

 そして、ゲーマーはパーカーのフードをかぶる。物々しいサングラスを身に着けた後で、そのままゲーセンの自動ドアをくぐり抜け、姿を消した。




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
これで、あいはとまらないは完結です。

本当は短くまとめるつもりだったのですが、思った以上に長くなってしまいました。三題噺ということで、早く完結させたかったのですが……本当に申し訳ありません。

テーマをくださった銀羽織様、ヒノキの棒様、鈍一郎様、本当にありがとうございました。
これからも良いSSを書けるように、努力致します。


以下、おまけ解説です。

・サブタイトルは全て、「あい」がついています。

・キャラクターも、「あい」に関連したものです。
「藍」川震
Lotus=離れゆく愛
Anemone=はかない恋
Cosmos=恋の終わり

藍川「震」は、八卦から取りました。
始動する、前進する、という意味があります。
……これは意識していなかったのですが、雷の意味合いもあるそうですね。

・愛が攻略していった曲は、原作の流れに沿っています。
サニースマイル(晴れ)→曇り空の下で(曇り)→Rain(雨)→THUNDER(雷)



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誕生日企画
エンディング


『SIN』 

 

 名前を呼ばれて、思わずあたりを見渡してしまう。

 慌てたままで左右を見渡せば、ここは自分のアパートで、真正面にはAIが居る。

 

『なに暗い顔してたの?』

『あ、ああ……いや、なんでもないよ』

 

 震は、心の底から笑ってみせる。

 だって今日は、待ちに待ったオフの日だったから。

 

『箸、進んでない。……おいしく、見えなかったかな』

『そんなことない! すげえ美味そうだよ、というかAIの料理はいつだって最高最高、パーフェクト』

『ほんとぉ?』

『ほんとほんと。じゃ、いただきます』

『ふふ、めしあがれ』

 

 休日の朝日に照らされながら、震とAIはガラステーブルを挟んで互いを向き合い、そしていつものように朝食をとり始める。

 今日は白米にサラダ、そして味噌汁にサンマだ。どれも色鮮やかで、大したことのなかった食欲が急に湧いて出てくる。

 当初は失敗も多かったAIも、今となってはすっかり料理上手になった。これは負けていられないなと、夕飯担当として心の中で思う。

 

『……で、今日は久々のお休みなわけだけれど』

『ええ。どうしよっか?』

 

 AIが、実に実に楽しそうに口元を緩める。

 それにつられて、自分も似たような顔をしてしまった。

 かたやトップダンサーでかたやトップアイドル、ほんの一日だけのオフをつかみ取るのも大変だ。

 

『どこがいいかな……散歩もいいし、映画館もいい。あ、パフェは食べたいかな』

『俺もどこにしようかな……AIとならどこへでも行けるけど、やっぱり、』

 

 示し合わせたかのように、震とAIは歯を見せてにっこり笑い、

 

『ゲーセンは外せないわね』

『だよなー』

 

 サンマの一切れを口にする。脂身と醤油が、口の中でじわりと染み込んでいく。

 

『前は負けちゃったけど、今日こそは勝ってやるんだから』

『そうはいかない。今のところの勝敗は五分五分だから、ここでAIに負けると立場がない』

『わかってるわよ、だから勝つの』

『うひー、苛烈』

 

 今をときめくアイドルだろうとも、数年経って背が伸びようとも、AIの負けず嫌いはやっぱりちっとも変わらない。

 けれども震は、そんなAIのことが愛おしくてたまらない。自分のことばかり考えてくれるAIを、これからも愛し通そうと思う。

 

『……AI』

『なに?』

『幸せだよ』

 

 だから、感情のままに言葉を紡ぐ。

 

『私もよ、震』

 

 そして愛も、まばゆいばかりの笑顔を返してくれた。

 ――これは当たり前のやりとりで、決して飽きることのない交わりで、

 

 □

 

「――夢か」

 

 また、同じような夢を見た。

 肩を落としながら、目覚まし時計を手にとってみる。

 時刻は朝の七時。大きな雨音が、カーテンを伝わってしんと響いてくる。忙しない芸能界に馴染みきったお陰か、寝覚めだけはすこぶる良い。

 が、今日はオフだ。

 二度寝しちまおうかな、と思う。

 そうすればきっと、AIとまた――

 

 ベッドから起き上がり、寝巻から私服に着替える。

 自分は、AIと決別したのだ。「本人」の前で、そう誓ってみせたのだ。

 ここで停滞することは、他でもないAIを裏切ることになる。だから震は、これからは前向きに生きるように考えている。

 考えては、いる。

 

 □

 

 子供の頃と比べて、藍川震のライフスタイルはずいぶんと変わった。

 まずは、何といっても芸能活動。おかげで自由時間なんて皆無に等しいし、出歩くにしても変装用サングラスが必要になった。トップダンサーとは、自由に振る舞うことすら大変なのだ。

 雨が降りしきる街中で、震は傘を片手に両肩を落とす。

 久々の自由時間にありつけたというのに、ひどいひどい天気だ。

 道行く人とすれ違っていって、スクランブル交差点を渡っていき、蒸し暑さにあてられて「あついな」と呟く。そろそろ8月か、

 あ――

 今日は8月4日。水野愛の命日。雨。

 トイレで吐いた記憶が、フラッシュバックする。忘れようとしたのに、やっぱり鮮明に意識してしまった。

 

『さて、いま注目を浴びているご当地アイドルグループといえば?』

 

 ご当地アイドルグループ。

 その言葉を耳にした瞬間、視線が街頭モニターに飛び移る。

 画面にはCGで作られた日本地図が表示されていて、それきり画面がなかなか進行しない。もったいぶっているのだろう。

 

『それは、サガ生まれのフランシュシュです! 名曲と魅力以外はほとんど謎、メンバーの本名すらも謎! そんなミステリアスでロックでポップなアイドルグループの皆さんが、取材に応じてくれました!』

 

 興味を抱いたのか、数人の老若男女が街頭モニターへ首を傾ける。

 画面は日本地図から、サガのある土地めがけ拡大表示された。

 白いスクリーンを背に、赤いアイドル衣装を身にまとった2号が街頭モニターに映し出される。

 

『こんちはー! リーダーの2号です! いやあ、こういうインタビューは初めてなものでして……でも、がんばって応えます! 押忍ッ!』

 

 リーダーの2号が、トレードマークの笑顔をこれでもかと振りまく。数人の女子高生が、携帯で写真を撮り始める。

 

『いやー、まさかこんなに人気になっちゃうなんて……びっくりしてます! でも、それだけ私たちの想いが届いてるってことで、こう、すごく感謝してます!』

 

 一年前のサガロックから、フランシュシュの名前はじわじわと売れに売れてきた。

 とにかく名曲ばかり歌ってきたし、メンバー全員がとにもかくにもかわいい。アイドルグループとしての素質はまさに完璧だが――やはり「冬の蘇り事件」こそ、知名度向上へ大いに繋がっていったと思う。

 ちょうど、『冬の蘇り事件はすごかったですよね』というテロップが表示される。2号は、たははははと苦笑して、

 

『あれはー……死ぬかと思いました! でも、ああいうのを乗り越えられた時、すごい達成感があったんです。これで私たちは一人前になれたんだなーって、そう自覚しています』

 

 記憶が、一から十まで掘り起こされる。

 サガにある会館でフランシュシュのライブが行われた時、雪の重さが原因で会場が半壊してしまったことがあった。

 重そうな破片が舞台へ突き刺さっていって、震は迷わずメンバーの死を予感してしまった。あの日の落雷も、頭の中で駆け巡りながら。

 

 しかしフランシュシュは、文字どおり、ふたたびよみがえってみせた。

 

 神の悪戯すらも退けたフランシュシュは、3号は、破壊された世界の中ですべてを表現しきってみせたのだ。

 いまでも、いまでも思い出せる。

 震は、めちゃくちゃに笑った。ただの一ファンとして、歓喜した。3号推しとして、フランシュシュに負けないよう、この世界で踊り明かすと改めて誓った。

 ――そうして、2号の紹介が終わる。続けて0号がポーズを決め、1号が一生懸命に新曲の宣伝を行い、

 

『こんにちは、3号です』

 

 体が、びくりと緊張したと思う。

 

『こうした媒体に出演することができて、私自身、とても緊張しています。何分はじめてなもので、つたない宣伝になってしまうかもしれませんが……』

 

 そうとは思えないくらい、3号のトークはとても流暢で聞きやすい。視線だって泳いでいない。

 ――周囲から、「あの人、水野に似てるよね」というざわめきが湧いてきた。自分は、うなずきもしないし否定もしない。

 

『新曲ですが、今回はジャズに挑戦してみました。コンセプトは、何度も聞きたくなる、小気味いい、この二つです』

 

 3号が、手に持ったCDジャケットに人差し指を置く。

 

『歌詞の解釈などは、すべて聴き手の皆さまにお任せします。踊れる、しんみりする、考えさせられる、感じたものすべてが、正解です』

 

 踊れる――

 

『時間がある時、盛り上がりたい時、そして落ち込んでしまった時は、この曲を聴いてみてください。あなたの生きる意志を励ますことができれば、私は、とても嬉しいです』

 

 そして3号は、慣れたように一礼する。画面が切り替わるまで、手を振って笑顔を見せてくれた。

 周囲から、携帯のシャッター音が殺到する。

 サングラス越しに見える3号は、やはりどうしても、

 頭を振る。

 3号の言う通り、自分こそ、生きる意志を持つべきなのだろう。

 

 フランシュシュの番宣が終わる。そうして震は、ふたたび街中を歩み始める。

 向かう先は、もちろん――

 

 □

 

 ゲーセンへ寄ってみると、ダンスゲームコーナーに人の目を集めているアイドルがいた。

 その動きは実に軽やかで、ゲーム相手に全力を出し切っているのがよくわかる。後ろ姿で顔は見えないものの、さぞ楽しそうな表情をしているはずだ。

 

「お、SINじゃん。おひさー」

「よっ」

 

 サングラスを外すと、Lotusがいつも通りの調子で出迎えてくれた。

 

「新曲、買っといたぜ。いい曲じゃん、難易度高そうだし」

「だろ?」

 

 震とLotusが、肩を揺らしてひっひっひと笑いあう。

 トップダンサーになって、震のライフスタイルはずいぶんと変わった。けれどもゲーセン通いだけは、今後も変えるつもりはない。

 ――周囲を見渡す。

 兄ちゃんから姉ちゃん、そしておっさんが、ダンスゲームに興じているアイドルを注目している。現在のプレイ曲は「Over The Rainbow」、未だPERFECTを成した者がいないラスボス曲だ。

 そんな曲を相手に、紅いロングヘアが特徴的な女性プレイヤーがハイスコアを叩き出し続けている。周囲からは、プレイヤーを称賛する声が後を絶たない。

 もう一度、周囲を見渡す。

 女性プレイヤーのAnemoneは、寡黙なCosmosは、やっぱり今回も不在だった。

 

 そして、現在プレイ中のプレイヤーと目が合う。

 それが原因かどうかはわからないが、画面から無情のmiss表示が。それでもプレイヤーは動揺することなく、ひたすらに曲を踊っていく。

 ――それから少しして、曲が終わった。

 結果は文句なしのSランク。すごいものだと、震は、Lotusは、ギャラリーは、盛大な拍手をプレイヤーへ贈る。

 

 そしてSランクプレイヤーは、惜しみない称賛に囲まれながら、震のほうを見た。

 

「……え? 俺?」

 

 自分の間抜け面に、プレイヤーが小さくうなずく。その無表情からは、やる気らしいものがまるで感じ取れない。

 

「あなたがSINさん、ですね?」

「え、ま、まあ」

 

 靴音を立てながら、プレイヤーが一歩近づいてくる。

 有無を言わさぬ展開を前に、震はどうすることもできない。そしてプレイヤーは、そんな震の事情などお構いなしに、

 

「私のこと、知っていますか?」

 

 プレイヤーから差し出されたゲームカードを見た瞬間、声も、感覚も、すべて失いかけたと思う。

 ――拳をつくる。深呼吸する。現実を視る。

 

「いえ……Iさんのこと、いま知りました」

「……そーですか」

 

 Iが、気に入らなさそうに両肩をすくませる。紅いロングヘアが、ふわりと揺れた。

 身長は170ぐらい、年は自分と同じくらいか。赤を強調としたラフな私服、勝ち気な釣り目、雫のようなピアス――

 あの人とは、これっぽっちも似ていない。

 

「SIN、SIN」

「何」

 

 Lotusから耳打ちされる。

 

「あいつはI、音ゲー界隈でいま話題になっている有名ランカーだよ」

「そ、そうなの」

 

 仕事ばかりの日々を送っていたせいか、音ゲー周囲の情報にはずいぶんと疎くなってしまった。これが高校の頃なら、ランカーなんて当たり前のように認知していたのだけれども。

 

「悪い」

「いいですよ、べつに」

 

 顔をむすっとされても。

 

「それよりも。プレイしてくださいよ、OTRを」

「え」

「ですから、Over The Rainbowをプレイしてくださいって言ってるんですよ。スコア勝負がしたいんです、私は」

「そ、そうなの……?」

 

 プレイしていいのかな。

 困惑を隠さず、震はゲーマー一同を見渡す。若い女性は無言でうなずき、兄ちゃんは手でうながし、おっさんは両腕を組んで「やってみなさい」。

 Lotusの方を見てみたが、Lotusは無責任に笑いながら「乗ってやりな」と一言。これで大義名分は得た、逃げ場も失った。

 いちおう現役ゲーマーではあるが、仕事柄、あまりプレイはできない。

 体はちゃんと動いてくれるかなあ。そんなふうに思いながら傘をLotusへ預け、筐体へ1コインを投入し、ゲーマーカードを認識させ、OTRをセレクトする。

 背後から、突き刺さるような視線がいやでも伝わってくる。

 間違いなく、Iのものだ。

 ――曲がはじまる。

 明るいギターサウンドとともに、雨あられの譜面が落ちてきて、

 

 体が、勝手に動いていた。

 

 □

 

 ランクはS。スコアは、ミスは出たが僅差で震の勝ち。

 しかして、誰ひとりとして歓喜の声を上げたりはしない。みんなビビってしまっているからだ、うつむいているIに。

 

「……あ、あの」

 

 めちゃくちゃ悔しがっているのだろう。Iの握りこぶしが、見てわかるぐらい震えている。

 どうしていいか分からず、震は一歩踏み出し、

 睨まれた。

 数センチ飛んだ。

 

「やっぱり……あんたは……キング……」

「は、はあ」

 

 懐かしい名前で呼ばれた、気がした。

 

「さすがじゃん」

「ど、どうも」

「……決めた。あんた、今後も私と戦いなさい」

「――は?」

 

 目にもとまらぬ速度で、何かを突き付けられた。

 I、の携帯だった。

 

「電話番号、メールアドレス! 交換しなさい!」

「ほっ!?」

 

 変な声が出た。

 だって自分は芸能人で、トップダンサーなんだぞ。そんな奴から、こうもストレートに連絡先を交換しあうなんて――

 

「伝え合える方が、こうして合流しやすくなるでしょう。さあ早く、勝ち逃げなんて絶対に許さないんだから」

 

 Iの目は、世間を賑わせている震ではなく、SINのことしか見ていない。

 ゲーマーとしての競争心のみを、ひたすらなまでに燃やしている。

 ――口元が、躍った。

 

「わかった」

 

 キングは、いついかなる時も挑戦者を受け入れるものだ。

 震は、Iのプロフィール画面を注視し、

 

「……なに? どしたの?」

「あ、いや、なんでもないよ」

「そう。じゃあ早く」

「OK」

 

 そうして、登録を完了させる。震の方もプロフィール画面を表示させて、Iは「うんうんほうほう」とアドレスを登録し終え、

 

「――どうも」

「仕事に余裕があったら、いつでも対決するから」

「わかった」

 

 それで満足してくれたのか、Iはその場で腕をぐるんぐるん回し、

 

「んー、お腹空いた。ちょっと食べてくる」

「あ、はい」

 

 その時、救急車のサイレンが外から響いてきた。都会にとっては、特に何の珍しくもない場面。

 この場にいるゲーマーも、これといった反応を示さない。震は、過去のこともあってかほんの少し眉をひそめ、

 

 Iは、憂鬱げな顔をして、外の方を見つめていた。

 

「――Iさん?」

「あ、ああ、ごめん」

 

 そして、Iと向き合う。

 

「いい? 私はあんたに勝ちたいんだから、それまで長生きしなさい。特に火元には気を付けること」

 

 真顔だった。

 うなずく、しかなかった。

 

「そういうことだから。じゃ、ごはん食べてくる」

 

 そう言って、Iは手を振ってこの場から立ち去っていく。

 ――はあ。

 ゲーセンはいまも賑やかなはずなのに、ずいぶんと静まっている気がする。筐体から流れるデモプレイが、よけいに静粛さを引き立たせていた。

 

「……SIN」

 

 Lotusから、しんみりと声をかけられる。

 

「長い付き合いになりそうだな、あいつと」

「ど、どういう」

 

 Lotusは、得意げに笑って、

 

「あいつはな、消防士なんだ。それもSランク級の」

 

 聞き慣れない単語を耳にしたせいか、ぼやけていた意識が急に象られていく。

 

「そ、そうなの?」

「ああ。どんな炎が相手だろうと、救命活動は絶対に成功させるし、キッチリ生きて帰ってくる」

 

 雰囲気に一区切りがついたのか、兄ちゃんが筐体の前に立つ。1コインの転がる音が、軽やかに反響した。

 

「そんなあいつに、自然とついたあだ名は」

「ああ」

 

 Lotusは、いつものお気楽な調子を崩さないまま、告げた。

 

「不死身のI」

「――そっか」

 

 Lotusから、預けてもらっていた傘を受け取る。

 

 これから先は、もっと人生が騒がしくなるだろう。

 不死身のIとは何年も、何十年も付き合っていく気がする。自分が生きている限り、Iはずっと挑戦を仕掛けてくるはずだ。

 もう一度、携帯を見る。

 火山哀。それが、彼女の本名だ。

 

 ゲーセンの出入り口から、白い日光が射しこまれている。大雨なんて、もうない。

 

 □

 

 Iとの付き合いが始まって、しばらくが経ったころ、

 夢の中で、愛からにこやかに手を振られて、それきり彼女と会うことはなくなった。

 

 

 

 




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。


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