特に意味は無い (change)
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何気ない男の1日の昼間の出来事

タグ見て見にきた物好きの方には申し訳無いのですが、本当に何も無いですよ?それっぽく書いてるだけの何ならここの描写必要無いでしょっての沢山あるレベルですし。


青々とした木々、つんざくような日差しに止むことのない蝉の音。吸い込まれてしまいそうな程に真っ青な空を見上げ、昆布のようにつるつるした歩道でシャツの袖で頬を伝う汗をぬぐう。

見れば、道行く誰もがその照りつける日差しのシャワーを全身に浴びて、シャツが透けてしまう程に汗を掻いていた。

現在、2018年7月26日木曜日、正午を3分過ぎた東京は、黒蟻のように群れる人々と雲というフィルターを通さずに日光を降らす灼熱の太陽によって高い温度を記録していた。

 

「今日も暑いな、帰りにアイスでも買いに行くか」

 

そんな地獄のような環境下から、水気の多いさらっとした味わいを欲して辺りを見回してみると視界に雰囲気の良さそうなサ店が飛び込んで来た。

遠目からでもそこまで込み入っているようには見えない。これ幸いと駆け込み、窓際の席で店内の様子をそれとなく眺める。

 

「いらっしゃいませ、御注文はお決まりでしょうか?」

 

店内を見ることに没頭していた僕の思考を遮る老人特有の錆びた声に僕は少し適当に返す。

 

「いえ、まだ決まってません」

 

そう言ってやると60歳後半に見える男性は決まったら御注文下さいと言い、僕の座っていた窓際の席からレジの方へと戻って行く。見れば、店員はその男一人だった。お客のことを心から歓迎しているかのような雰囲気のするお店に対して店員は覇気のないまるで淡雪のようにいつか消えてしまいそうな雰囲気のお爺さん一人。それが何とも不釣り合いな気がして、不思議な魅力を感じさせていた。

 

店の窓は総ガラス張りでさえぎるものもなく、外の様子は無声映画のように伝わってくる。此方が見ていることなど気にもかけず、人々は今も歩き続ける。

 

黒いスーツの男が交差点を渡り終えるのを見届け、外を眺めるのを止めて何を注文しようかと、少しでもお洒落に見える撮りかたをしようと努力されたであろう料理の写真が貼られたメニューに手を伸ばす。

 

数分して何を注文するのか考えが纏まったので、注文をしようとお爺さんの方を向く。お爺さんは注文するのに気付いていたのか、静かな足音で再び窓際の席に注文を聞きに来ていた。

 

「御注文はお決まりでしょうか?」

「バニラ付きアイスコーヒーを一つと野菜サンドウィッチを一つ」

 

合計で1296円。僕の死にかけの財布に軽いジャブを入れる金額だ。これでは今日はどこかのお店に風のようにふらっと気まぐれに立ち寄ることは出来ないだろう。お爺さんは注文を聞き終えるとアイスコーヒーを入れに店の奥へと入っていった。いや、よく見ればレジの奥にドリップポットが置いてある。サンドウィッチの方かもしれない。

 

注文の品が来るまで僕はバッグに入れておいたスマホを弄くる。見ると、友人の青木からメッセージが届いていた。僕は久々の向こうからのメッセージに興味を持ち、少し感情を高ぶらせる。

 

青木:もしオススメの本があったら秘密の場所にその本持って来てくれ

 

メッセージはそれだけだった。それを見た瞬間、今まですっかり忘れていた事が、昨日のことのように鮮明に蘇る。そういえば、秘密の場所なんてあったなぁ、と思いながら、殆ど白紙のメモ帳を開き、今日の予定を確認する。重要な事以外書かれることのなかったメモ帳は、今日の予定欄を白紙の美で飾っていた。

 

僕は了解、とだけメッセージを送り返し、既読が付くのも確認せずにポケットにしまった。何故夜中に、それも秘密の場所という名の廃墟に本を持って来いと言われたのか全くわからないが、ただ一つ僕にわかったのは、蚊に刺されることになるな、ということだけだった。僕はどうにもならない不快感に襲われ、思わず重たい息を吐く。

 

「バニラ付きアイスコーヒーと野菜サンドウィッチです、ごゆっくり」

「どうも」

 

目の前に出されたのは宝石のように透き通るキューブ状の氷が入った黒茶色の液体と、その上に申し訳程度に乗っているバニラアイス。薄く切られたキュウリとトマトが挟まれた少し乾燥したサンドウィッチの方が美味しそうだ。僕は店員が戻って行くのを見ながら渡されたアイスコーヒーをストロー越しに一口飲む。冷たく苦味のあるアイスコーヒーを飲めるこの店は、灼熱地獄という名の砂漠を歩いて来た男のオアシスに違いなかった。

 

ふと、席の近く、一点を静かに見つめる。古い漫画や雑誌の入った小さな本棚が、まるで親の帰りを待つ子供のようにポツンと寂しげに置いてあったのだ。

白樺で出来た本棚には、『ドグラ・マグラ 下』『心の森』『ホモ・デウス 下』など、大小様々な種類の本が置かれていた。

僕は読書というものを久しくしていなかったことを思い出し、試しに何か読んでみよう、と本棚の場所まで向かい、脂気の少し残った手を伸ばす。

 

「『人喰いの家』」

 

何とも恐ろしげなタイトルに、口から自然と声が出た。

店内には僕とお爺さんの二人だけ。僕の呟きは何に遮られることもなく、お爺さんの耳に入った。

 

「興味がおありですか?」

「いえ、怖そうな小説だな、と」

 

そう思っただけだ、と伝えようとしたが、お爺さんと話しをしてみたいと思ってしまった僕は曖昧な返事をしてしまう。まるで、好きな女の子が居るのかと質問をされた片思い中の少年のような、そんな感じだった。

 

「『人喰いの家』は実家に戻ってきた主人公の美優が、近所の早瀬家が女性向けのシェルターをしていることを知ることから始まる非現実的な現代がモチーフとなったミステリー小説です」

「非現実的な現代作品、ですか」

 

それはライトノベルにある科学とSFを交えたミステリー、ということだろうか?

黒茶色の珈琲に1本の短く白い線が引かれる。

 

「非現実的な現代作品。それは確かに私達の住む現代でありながら、絶対的にルールの違う、全く異なる世界。それが魅せる世界は、どれもなかなか変わっていて、それぞれに作者の人生、思いの一端が刻まれている一つの哲学物語、それが私の考える非現実的な現代作品です」

「哲学物語、ですか」

 

お爺さんの口元の皺は、まるで別の生き物が蠢いているかのようにも見えた。

SF、サイエンス・フィクション。科学的な空想にもとづいたフィクション。しかし、SFとはそれ以外にも他の意味を持っている。スペキュレイティブ・フィクション。意味は、さまざまな点で現実世界と異なった世界を推測、追求して作られた作品。

お爺さんの考える非現実的な現代は、スペキュレイティブ・フィクションの中にあるものだろうか。

 

「つまり、この小説は作者の心や思い、総合するとその人の内面が描かれている・・・・・・ということでしょうか」

 

勢いの無い投球のように随分と自信の無い質問だ。しかし、お爺さんはそんな質問にも真摯に返事をする。

 

「ええ、隠されていますよ。一見、無いように思えてもどこかにあるものです。これに関しては非現実的な現代作品でなくとも有り得ることかと」

 

そういうものか、と一人納得する。確かに聞いたことはある。物語を書くというのはその作者の自慰行為と等しく、物語を読むというのはそんな作者の自慰行為を見るのと変わらない、と。

 

その物語が面白かったか面白くなかったかは別に、作者は物語が思いつき、その世界で自分の考えを書く行為に悦を見いだし、満足する。読者の反応はどう足掻いても2番目で、1番大事にすべきはその世界を見て自分が楽しく感じるか、なのだ。

 

そして、小説となるのはそこに「この考え方を広めたい」「もっと私を知って欲しい」と夢中になって物語を作った人の作品だ、と僕は思っている。

 

考え込んで話が変わっていたことに気付く。しまった、少々熱くなり過ぎてしまった。

 

気付けば、綺麗だった黒茶色の珈琲は、グラスを伝う白い線で少し白くなっている。

 

「おっと、申し訳御座いません。何分、珍しく御客が来たもので」

「ここはあまり客が来ないんですか」

 

失礼ではあるが、そうとしか思えない。これだけ雰囲気の良い店に、客が僕一人しか居ないのも、店員がお爺さん一人だけというのも不思議だったからだ。

 

お爺さんは肯定の意味でしんみりと頷く。昔は人で溢れていたのではないか、とどこかそう思わせるように。

 

「その本棚に入っている本は、昔ここに来た人達が置いていった物です」

 

成る程、道理で上下が揃っていないのか。

『ドグラ・マグラ』と『ホモ・デウス』は上下2巻構成だ。特に『ドグラ・マグラ』は下巻からは読めたものではない。文の始まりが上巻の文の途中からだからだ。

 

「そうですね、アナタは久し振りの御客様でした。私も久々に自分の考えを口に出来ました。御礼に、代金は必要ありません」

「そんな、それでは僕が困ってしまいます」

 

あまりに幸せそうな顔をしているお爺さんに、僕は急いでお金を渡そうとする。これでは僕の気が収まらない。楽しかったこと、嬉しかったことに、僕は感謝の意を示したいのだ。

 

「律儀な方だ。それでは、何時でも良いのでまたここに来て顔を見せて下さい。それでどうですか」

「分かりました。その時はちゃんと支払わさせて貰いますので」

 

そう言って僕はサンドウィッチを食べてアイスコーヒーを飲み、胃の中へ流し込む。この動作を数回続ける。最初は苦味のあったアイスコーヒーも、今ではアイスの甘味と混ざり、お互いを思いやっている出来立ての若い夫婦の優しさを凝縮したような味わいを感じさせられる。

 

あっと言う間に腹の中に消えていったサンドウィッチは、僕の空腹感という名のパズルの最後のピースとなった。精神的にも肉体的にも満足した僕は軽くなったアイスコーヒーを持ってゴミ箱へと歩いて行き、南極の氷の様に今もカップの中で溶け続けるキューブ状の氷を水と共に捨て、空の容器を自然と燃えるゴミの中へと捨てる。

 

「ありがとうございました」

 

お爺さんの謝礼に男も軽く会釈する。良い店だったな、と感慨深く思いながらアンティークなドアを右手で開け、堂々と店を出る。唸る様な暑さは再び男の体表面に汗を浮かばせた。

 

「そうだ、それが良い」

 

男は何を思ったか、帰路では無く書店へと歩いて行く。男はうろうろと御使いを任された子供のように歩き回り、やがてミステリーのコーナーを見つけると、男はそこで1冊の真っ赤な表紙の本を手に取った。

『このミステリーがすごい!』という帯を付けたその本を、男は迷い無く財布から金銭を出し、買って行ったという。



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