A.Q.U.A.R.I.A (Ирвэс)
しおりを挟む

第一章 始まる水の廻り
第0話 運命の一滴


初めましてИрвэсです。自分の処女作をこの度満を持して連載する事に決めました。拙い部分も多々有るでしょうけれど、何卒宜しくお願い致します。


 それは、とある昼下がりの事でした。

 蒼く美しい水の流れる川のほとりに中学生と思しき10代前半の少女が1人、ポツンと佇んでいました……。

 

 少女の目はとても澄んでいました。まるで摩周湖の様に澄み切ったその藍色の瞳には、一切の濁りや曇もありませんでした。

 ですが……彼女のその目は澄み過ぎる反面、何処か哀しげで…儚げで…まるで生きる事を

諦めたかの様な虚無感が見え隠れしていたのです。

 

 少女の直ぐ後ろには、彼女の物と思しき鞄が1つ置かれていました。

 けれどもそれは、鋭利な刃物で切り裂かれた様な痕が痛々しく刻まれ、中からぶちまけられた教科書やノートにも、聞くに堪えない様な罵詈雑言が表紙一杯に書き込まれていました。更に風が開いたそのページもの1枚1枚にもまた、同じ様な中傷の言葉が所狭しと刻み込まれていたのです。

 

 

 虐めと言う何処にでもある悲劇……。無情にも彼女に向けられたその悪意と敵意の爪と牙は、次は死神のそれとなり、容赦無く彼女を死へ誘おうと言うのでしょうか。

 けれど彼女の何処に死ぬ必要があると言えるのでしょう?

 虐めの原因は被害者にもあると、口さがない無情な現実主義者(大人)達は言うでしょう。

 然し、未だ年端も行かぬ子供にその責を求め、糾弾するのは余りに人の弱さを知らぬ愚か者の冷たい理想論ではありませんか!

 理不尽な現実に苦しむ者を、この上更に「お前が悪い」と責める愛も慈悲も無き残酷な世界は、さながら獰猛な鱶が蠢く冷たい海底……一切の弱さを認めないこの世界に、彼女の居場所は最早無いのでしょうか?

 

 

 最も澄み渡る藍色の瞳に映る世界……。それは彼女が生きるには適さぬ程に醜く濁り切った世界。

 まさしく『濁世(じょくせ)』と呼ぶに相応しいこの世界での生を、静かに終わらせようとする少女。

 その命を水に還そうと、蒼き奔流に足を踏み入れんとした……その時でした!

 

 「……待って!」

 

 突如後ろから自分を呼び止める謎の声。

 その言葉に少女はハッと我に帰ります。

 何事かと思って振り返ると、其処にはコバルトの服を身に纏った少し年上の少女の姿がありました。

 

 

 コバルトの少女は不意に音も無く近付いて来ると、くっ付きそうな程顔を少女に近づけ、その瞳を間近で凝視したのです。

 

 「な……何なの? 貴女、一体…?」

 

 少女が思わず後ずさると、其処は先程までその命を鎖さんと足を踏み入れた川。

 冷たく流れる水の感触を足で覚えながらも尚後ずさりする少女。

 其処へコバルトの少女が制止の言葉を投げ掛けます。

 

 「危ない!それ以上踏み込んでは―――――!!」

 

 「え…? あっ!」

 

 コバルトの少女が忠告するも虚しく、少女はそのまま深みに足を滑らせ、その体は忽ちの内に深い蒼の底に吸い込まれていきました。口や鼻から容赦無く流れ込む水、水、水……。

 

 (く…苦しい……い、息が…息が……ッ!私、死ぬの…このまま……?)

 

 空気を取り込む事の出来ぬまま、強くうねる力を以て無情に海へ向かう水の力に翻弄される少女は、いよいよ確かな現実味を帯びて差し迫る死の実感を思い知らされました。

 先程まで死の安寧を求めてこの奔流に飛び込もうとした手前、思った通りの展開になった物の、いざそれが現実になると込み上げて来るのは満足でも幸福感でも無い……恐怖と後悔だけだったのです。

 

 (嫌……、死ぬなんてやっぱり嫌!! 生きたい……、やっぱり生きたいよ!!)

 

 荒ぶる蒼い奔流に弄ばれながら少女が強い後悔の念と共にそう思うと、先程のコバルトの少女の声が頭に直接響きます。

 

 (死ぬのは嫌なのね?)

 

 突然響いた声に一瞬戸惑いましたが、息も出来ぬ水中で強い奔流に弄ばれる今のこの状態でその事を気にしている余裕は少女にはありませんでした。

 コバルトの少女の声は尚も彼女の脳に響きます。

 

 (だけど生きて戻ってどうするの?貴女の心は大小様々な傷を負い、その目は輝きを失っている。綺麗過ぎる水に魚は住めない。貴女にとってこの世界の水質は余りにも不適合。そんな世界でこれからどうやって生きて行くの?その覚悟が本当にあるの?)

 

 その言葉に少女は何も言い返せませんでした。何も言い返せぬまま、少女の心には過去から今へと現在進行形で続く忌まわしい現実の数々が頭を通り過ぎます。

 

 仕事で殆ど家に居無い両親―――――。

 都合の良い時だけ友達を自称して近付き、利用しようとして来る子供ながら根の腐った連中―――――。

 

 澄み過ぎた藍色の瞳は、そんな自分の都合しか考えない身勝手な人の有り様を嫌という程クリアに見せました。

 そしてその度にそんな人間しかいない世界の実態に、何時しか少女は幼いながら諦観を覚え始めたのです。

 人間への…、世界への失望は、やがて周囲を寄せ付けない孤独な空気を結界の様に少女の周りに作り出し、少女を孤独の淵へと追いやったのでした。

 

 そして始まった「虐め」と言う地獄の日々…。

 

 

 脳裏をよぎる走馬灯は、余りに多くの悲しい思い出に彩られ過ぎていました……。

 そんな過去がフラッシュバックすると、少女の心には再び死を選ぶ気持ちが湧き起ってきました。

 

 (やっぱり…私このまま死にたいよ…だって帰ってもどうせまたあの辛い毎日が待ってるから…でも……!!)

 

 死を受け入れる気持ちと共に少女の心に新たに浮かび上がって来たのは「悔しさ」でした。

 自分に力があったら…、戦って今を変える勇気と力があったら…、そして本当に変えられたら良いのに―――――!!

 そんな気持ちに応える様にコバルトの少女は語り掛けます。

 

 (ならば私が貴女に力を与えましょう。全ての濁りと汚れを洗い流す水の力を!!)

 

 その言葉が脳に強く響いた刹那、少女の視界が水色の光で埋め尽くされたかと思うと、気付いたら少女は元の川原にポツンと腰を下ろしていました。

 あの少女の姿も何処にも見えず、全てが川に足を滑らせ転落する前と同じだったのです。

 

 「(ゲホッ!ゴホッ!)夢……だったの?」

 

 肺に流れ込んだ水にむせながらそう呟く少女の言葉に対し、何処からとも無くコバルトの少女の声だけが響きます。

 

 (いいえ、夢ではないわ。全て現実で起きた事よ。それが証拠にほら…、貴女の周りを見てみなさい)

 

 脳に響く少女の言葉に従って周りを見るとどうでしょう。周囲がまるで水中に沈んでいるかの様に気泡が上がり、見た事も無い熱帯魚の様な魚達が泳いでいると言う非現実的な光景が広がっていたのです。

 

 (貴女、お名前は?)

 

 目の前の信じられない現実に対する疑問を口にするより早くコバルトの少女が尋ねてきました。

 

 「え?」

 

 (貴女のお名前を聞いてるの。)

 

 分からない事だらけですが、取り敢えず答えなければ何も進みそうも無いので、少女は答えます。

 

 「リラ……私の名前は汐月(しおつき)リラよ」

 

 (リラ……良い名前ね…)

 

 少女の名を確認すると、コバルトの少女も応える様に名乗ります。

 

 (私の名はテミス。この地球(ほし)の水のサイクルを司る水霊(アクア)。最初に会った時、その深く澄んだ水底の様な瞳の貴女を見て、ただならぬ何かを感じ話し掛けたの。若しかしたら私達の力になってくれるかも知れないと思ったから……だけど貴女は予想に反して死を選ぶ気持ちが強かった。このまま大人しく死を受け入れて川に飲まれ果てるのか、それとも未だ生きたいと願うか…それを確かめた上で私に協力して欲しいと思ったの。)

 

 それを聞かされて心癒は言葉に詰まりました。彼女はどうやら自分の自殺を止めるつもりで話し掛けて来たのではなかった様です。只自分に協力してくれる相手かどうか、リラの気持ちを見極めた上で判断したまでの事。川に落ちたのはテミスにとって想定外以外の何物でもありませんでしたが、値しなければどの道そのまま死んで命が水に還ろうとお構い無しだったし、理由や目的はどうあれ自分が九分九厘死ぬ運命に在ったのを救われたのは事実なので何も言い返せませんでした。

 

 テミスは尚も続けます。

 

 (私が与えたアクアリウムの力は物の汚れ、心の汚れ…その全てを清め、世界を掃除する為の物。そしてその魚達は水霊(アクア)の子供達……。)

 

 「アクアって…、貴女と同じ?」

 

 「って言うかアクアって何?」と聞こうとした時、目の前にコバルトブルーに光る水滴が集まって来たかと思うと、そのまま大きな水の塊となり次の瞬間、爆ぜて無数の飛沫となって飛散しました。

 すると其処から、今度はシクリッドかグラミーを思わせる姿の魚が姿を現したのです。

 

 (これが私の本来の姿。今この地球(ほし)の水には数多くの穢れが溢れています。そして生き物は皆体が水で出来ている。水の穢れは生き物の身を蝕み、心を腐らせます。だからこそその穢れを洗い流し、癒しを与える必要があるのです。)

 

 「その手伝いを私にして欲しいって事?」

 

 話の流れからリラはそう尋ねました。

 魚から最初の人間の姿になり、テミスは続けます。

 

 「水霊(アクア)は私以外にもこの地球(ほし)に数多く存在するわ。水と同じ数だけ水霊(アクア)は生きている。だけど、近年になって人間の中の水の汚れが深刻化し、私達だけでは手に負えない程の物になって来たの。貴女を苦しめるいじめも、同じ様に汚れ切った水を子供の内からその身に多分に宿した人間が増え過ぎた所為。だから……。」

 

 「言いたい事は分かった……。私は虐めを無くしたい。それで貴女はその原因になってる穢れって言うのを取り払いたいんでしょ?」

 

 要するに求める利害の一致だった訳でした。けれどリラにとって悪い話ではないのもまた事実。

 寧ろ今を変える切っ掛けになるのならそれに越した事はありませんし、彼女は思い切って承諾しました。

 

 「分かりました。貴女が手伝って欲しいって言うなら、私やります!」

 

 「有難う、海の瞳を持つ貴女ならきっと私達の力になってくれる……。今日から貴女は水と対話し癒す者……。そう、「水霊士(アクアリスト)」として生きるの。信じてるわよ、リラ……貴女のそのクリアな水の心を…」

 

 そう言うとテミスは水煙に姿を変えると、少女の瞳の中へと吸い込まれる様に入って行きました。

 気が付くと周りの魚や上昇する気泡は何時の間にか消滅しており、夕焼けの空の下、川のせせらぎだけが響く川原にリラは1人ポツンと佇んでいたのでした………。

 

 

 少女は…その後戦いました。自分を取り巻く理不尽な現実と……。

 勿論それは茨の道と呼ぶに相応しい厳しい道程でしたが、決して弱音は吐きませんでした。

 何故なら彼女はもう戦う力を手に入れていたから…。そして何より1人ではなかったから……。

 

 

 自分を虐めていた者達の心を洗い流し、その穢れを取り払い、リラは漸く居場所を手にする事が出来たのでした。ですが、この話はまた後程ゆっくりとお話しましょう。

 

 それから数年後、高校生となった藍色の瞳の少女・リラは進学先の高校が在る街、蒼國市に引っ越して来ました。

 大きな川と海で四方を囲まれ、至る所に水路が縦横無尽に張り巡らされた水の都を舞台に、地球(ほし)を浄化する水霊(アクア)に選ばれし少女が齎す新感覚の水と癒しの物語は此処から始まるのです!

 




取り敢えずプロローグです。いや~魚から力を貰って虐めと戦った部分はキンクリ。そしていきなり高校編からのスタートと言うのは些か超展開でしょうか?とは言え、この手の構成は昨今の創作物でも珍しくはないのでアリっちゃアリかな?
ともあれ、次回から本格的に物語は動き出しますのでどうぞ見守って下さい!


chapter:キャラクターファイル1

汐月(しおつき)リラ

年齢   15歳
誕生日  7月7日
身長   159㎝
血液型  A型
種族   人間
趣味   アロマ
好きな物 水族館

本編の主人公。深い水底の様に澄み切った藍色の瞳が特徴の少女。中学時代はいじめられっ子だったが、或る日いじめを苦に自殺しようとした処、水霊(アクア)であるテミスに助けられて人間を蝕む水の汚れを浄化する能力「アクアリウム」を授けられ、「水霊士(アクアリスト)」と呼ばれる存在になる。ボーっと物思いに耽り易くて空想癖が有るが、どんな時も何物にも染まらない純粋な心と優しさを併せ持ち、包容力のある性格。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第1話 流れ始める水の時間

此処から本編に突入します!


 青く流れる東の水の街―――蒼國市。張り巡らされた河川で周囲を囲まれ、それによって分断された陸地と陸地の間を多くの橋が繋いでいます。歩行者用の橋は勿論、電車が走る鉄橋も其処には含まれていました。

 川の上には電車と並ぶ交通手段としての渡り船が何本も航行し、夏等のイベントシーズンには当然ながら屋形船も多く海や河口に出ます。

 人々はそれ等の交通手段を空気の様な当たり前の存在として利用し、休日は川辺も多くのレジャー客で賑わう……。まさに水と共に生きる者達の楽園と言えましょう。

 

 

 この水の都に建つ学園『私立霧船女子学園』の校門を、1人の少女が通過しました。

 とても澄んだ藍色の瞳を持つ少女…、名を『汐月リラ』。学校指定の制服に袖を通し、今日は入学式です。

 

 『新入生、入場!』

 

 学園の教師のアナウンスと共に、霧船の制服に身を包んだ1年生達が大掛かりな列を組み、紅と白で彩られた体育館の会場へと入って来ました。まるで大きな湖沼に川の水が流れ込むかの様に……。

 因みにリラの教室は1年2組です。

 

 (此処から始まるのね―――私の新しい生活が。)

 

 めくるめく高校生活の幕開け――――それは少女にとっては未知なる新世界への処女航海。

 新入生代表の答辞が終わるまでの間、リラはずっとその藍色の瞳を希望に輝かせていました。

 嘗ていじめに遭い、自殺を考える程に追い詰められていた少女が、その眼差しを取り戻すのにどれだけ過酷な道程を経た事か……。

 水の力を以ていじめっ子達の心の穢れを洗い、その原因を清め、その魂と肉体を有るべき姿へとリセットする……。

 

 ご存知でしょうか?人間の身体の過半数――――数字にして凡そ60~70%は水で出来ています。丁度地球に於ける海の面積とほぼ同じなのです。

 それは見方を変えれば『人間とは1人1人が皆、人の形をした地球である』と言えるのでは無いでしょうか!?

 

 

 「心と身体は密接な繋がりを持つ」と言いますが、生き物の身体を形作る水とそれを司る水霊(アクア)を浄化する事は、その水の上に成り立つ肉体を持つ人間の心を救う事にも繋がるのです。

 一朝一夕では決して成し得ぬ業の完遂に奔走し、自分のみならず他者の水を清め救う。

 そんな決して語られる事の無い、密やかなる戦いの日々を乗り越えた水霊士(アクアリスト)の少女は今、弱者としての自分と言う冷たい深海より解き放たれ、温かな光の差すコバルトブルーの水面へとイルカの如く飛翔しようとしているのです!

 少女の新たなる生活に幸多からん事を…………と締め括りたい所ですが、遺憾な事に現実はそれを許してはくれませんでした。

 

 (新生活の場がこの水の街とは何と言う運命の巡り合わせでしょう)

 

 リラにアクアリウムの能力と、水霊士(アクアリスト)としての運命を与えし水霊(アクア)―――――テミス。

 入学式の会場の体育館の傍を泳ぎ、通りすがった彼女が窓から様子を眺めると、其処に居る新入生、在校生、教師陣問わず黒くくすんだ水煙が多かれ少なかれ揚がっているのが見えました。

 

 そう―――――これが『穢れ』です。不摂生やストレス、欲求不満や憎悪、怨嗟等、人の心身を損なう因子がその身に蓄積する事で生まれる水の汚れを、この街の住人達も少なからず抱えている様でした……。

 やがて式が終わり、教室に戻ったリラにテミスが語り掛けます。

 

 (リラ、聞こえるかしら?)

 

 (…テミス!?テミスなの?)

 

 (久し振りね。だけど直ぐに私は行かなきゃならないから手短に言います。良い、リラ?貴女の通うその学園にも穢れが多く漂っているわ。)

 

 「えっ!?」

 

 思わず立ち上がるリラ。担任の先生が話している最中だった事も有り、当然クラス中から奇異の目で注目されます。

 

 「どうした汐月?いきなり立ち上がって…」

 

 「あ、いや、ごめんなさい…何でも無いです……」

 

 リラはそう委縮しながら腰を降ろしました。校庭に張り巡らされた水路からは、尚も変わる事無く水が滔々と流れせせらいでいます。

 先生が話をしている間、リラはテミスから聞かされました。

 

 この霧船学園にも嘗て自分の居た中学と同じ様に穢れが満ちている事を。それはつまり、多くの人間が穢れをその身に抱え過ぎ、その内に宿せし水霊(アクア)では最早対処不能に陥っていると言う事でした。

 更にテミスの情報によると、この蒼國の街中も同じ様に穢れが充満しているとの事です。

 

 (本当なの、テミス?まさかこの街も…。)

 

 (リラ、私の言っている事が嘘だと思うなら、アクアリウムを発動させてみなさい。)

 

 テミスに促され、アクアリウムの力を促すと、リラの視界に飛び込んで来たのは黒くくすんだ水煙を挙げる生徒の姿と、それを避けて泳ぐ水霊(アクア)達の姿でした。更にその生徒1人1人に宿る水霊(アクア)も、さも苦しそうに彼女達の身体の中で暴れ狂っています。

 それも1人や2人では無く3人、4人、5人………教室だけでも10人近くいるのです。更に窓の外から遠くを眺めると、遠目からも黒い霧か靄の様な物が濛々と天高く昇り、まるで昭和に於ける工場地帯の大気汚染の様な光景が広がっていたのでした。

穢れの水煙は住宅街以上にビル群の辺りから多く出ている様です。

 余りに見ていて痛々しい光景に思わず能力を解除すると、リラの目に飛び込んで来るのは元の澄んだ青空でした。

 

 全く…、穢れを抱えた人間と言うのは何処にでも大多数存在する様です。もしかしたら悪人よりも遥かに……。

 

 

 HRの終了と共に校庭を出るとリラは1人、街に流れる川のせせらぎを聞きながら家路に就きました。暮らしているアパートの近くの水路を泳ぐ鯉や鮒、鯰等の魚達を横目に見ながら、リラは空を見上げて再びアクアリウムの能力を発動させます。

 尚も空高く立ち昇る穢れの水煙……。けれど、それでもその穢れを浄化せんと天空を泳ぎ駆ける水霊(アクア)の群れ。そしてそれを率いる一際大きな水霊(アクア)―――――――それはテミス以外の上級水霊(アクア)です。

 

 「汚れた水って、人間が居る所じゃ何処行ったってあるのね……。」

 

 誰に言うでも無くそう呟くと、リラはあの後テミスが去り際に遺した言葉を反芻しました。

 

 

 (忘れないでリラ、水は只流れ、器に従って形を変え、飲み込みたくない物や沈めたくない物、押し流したくない物までそうしてしまう。そして穢れが内に流れ込めば、抵抗出来ずにそれに染まるしか無い。私達水霊(アクア)は確かに下級から上級まで居るけれど、その性質に従って動くしか出来ないの。そんな私達の力を最大限に引き出し、より良い方向へと向けられるのは水を対話出来る水霊士(アクアリスト)だけ。この街の水を癒す。それが今の貴女の使命よ、リラ―――――!!)

 

 

 「……………。」

 

 深く深呼吸すると、リラは周囲を泳ぐ水霊(アクア)達に語り掛けます。

 

 

 「この街に流れる水霊(アクア)の皆、私は水霊士(アクアリスト)の汐月リラ。街の皆の水の汚れを浄化する貴女達の力になりたいの。どうか私を受け入れて頂戴!」

 

 すると紅、青、白、黒、マゼンタ、黄色、エメラルドグリーン……様々な色と魚のフォルムをした水霊(アクア)達がリラの元に集まって来ます。

 その遠くでは、あのコバルトブルーの水霊(アクア)―――テミスも見守っていました。

 

 

 澄み渡る藍色の瞳で色も形も多種多様な彼女達の姿を一通り見回すと、リラはフッと微笑みます。

 そんな彼女の内側から現れたのは、青白い輝きを放つグッピーの姿をした、彼女と同じ位の大きさの水霊(アクア)でした―――――。

 

 

 




キャラクターファイル2

テミス

年齢   無し
誕生日  無し
血液型  無し
種族   水霊(アクア)
趣味   無し
好きな物 澄んだ水

リラにアクアリウムの能力を与えた水霊(アクア)。計算高い所が有るが基本的には温厚で母性有る人格。シクリッドとグラミーを足して2で割った外見をしており、コバルトブルーのカラーリングが大変美しい。人間態はリラと同じ位の少女。

水霊(アクア)とはこの地球を廻る水の化身であり、全員が様々な魚の姿をしており性別も女性である。
そして固体、液体、気体、問わず周囲に存在する水其の物なので水在る場所には何処にでも現れるが、当然人間を始め、身体が水で出来た全生物の中にも存在している。
だが、ストレスや不摂生等、心身に負荷が掛かる荒んだ生活を送っていると水霊(アクア)は濁り穢れてしまう。それは宿主である人間の精神を苛めっ子や引き籠り、暴力魔等の悪しき人格へと変貌させ、最悪病人になって死に至る等の悪影響を及ぼす事となる。
水霊(アクア)はそんな穢れを浄化出来る存在だが、如何に力が有ろうとそれ単体では自身の浄化能力を活かし切れない為、自らの力を最大に引き出す水霊士(アクアリスト)は彼女達にとって貴重な存在なのだ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話 せせらぎの学園

此処からリラの友達が登場します。言うまでも無い事ですが、彼女達もまた今後のストーリーに深く関わるキーパーソンです。


 霧船に入学してから早2週間が経ちました。気の合う友達同士のグループが形成され、学校内の新たな人間関係が形成されるこの時期まで、リラは周囲の水霊(アクア)達を使って学園の人間達1人1人の穢れ具合を調べていました。

 すると何処のクラスにも強い穢れを持った生徒が、3人から多くて10人余り居る事が分かったのでした。職員室の先生方の中にも数名、穢れた水に身体を蝕まれている者が居ました。

 

 「学校だけでもこんなに居るのね……穢れを持った人って……。」

 

 穢れが発生する主な原因は、不摂生な生活やストレスによる身体の水の汚染。それは精神をも荒廃させ、更なる穢れをその身に呼び込む悪循環を生み出してしまうのです。

 身体に宿る水霊(アクア)達も、自身の浄化能力を上回る穢れが発生しては一堪りも有りません。赤潮等によって汚染された海中の魚達同様、地獄の苦しみを宿主が死ぬまで味わう事になります。

 そうでなければ自我を失い、他の水霊や人間を攻撃する魔物と化してしまう恐れだって有るのです。

 ともなれば、一刻も早く癒しを与えて苦しむ水霊達を救わねばならないのは自明の理。

 それは水霊士(アクアリスト)としての自身の努めでもあり、テミスとの約束でも有るのだから……。

 

 

 午前の授業を終えて昼休みを迎えた教室で、リラは意を決します。これからこの学園と言う水槽の穢れを掃除する事を……。

 

 「良しっ!それじゃあ早速…。」

 

 ですがそんな時でした。

 

 「ねぇ、汐月さん!」

 

 「っ!?」

 

 突然話し掛けられて声のした方を向くと、其処に立っていたのは3人のクラスメイトでした。

 1人は茶色いセミロングの髪の少女で2人目は紺色の髪をポニーテールで結ったメガネの少女。そして3人目はショートの黒髪にカチューシャの少女。

 名前はそれぞれ『五十嵐葵(いがらしあおい)』、『吉池深優 (よしいけみゆ)』、『長瀞更紗(ながとろさらさ)』です。

 

 「五十嵐さん、吉池さん、長瀞さん―――」

 

 急に話し掛けられた為、若干怯えて警戒しながらリラはそう返しました。無理も有りません。元々彼女はいじめられっ子。純粋な性格ですが反面騙され易く、内向的でメランコリックと、いじめられても仕方の無い人物特性を持っていたのです。

 アクアリウムの力を授かり、その力で戦って中学時代のいじめを乗り越えてからは多少は物怖じしない強さを身に付けましたが、それでも第一印象として他者から恐れられる相手か舐められる相手かと言われれば、やはり後者と受け取られても無理は有りません。

 

 「3人とも、どうかしたの?」 

 

 「良かったぁ!やっと話し掛けられた!」

 

 「ずっと話し掛けるチャンス無くて困ってたモンね~!」

 

 「汐月さん、何時も昼休みとか1人で何処か行っちゃうからね……。」

 

 どうにか平生を装ったリラのその返しに、葵達は口々にそう言葉を交わします。

 

 「一体何なの貴女達?」

 

 リラがそう尋ねると、3人のリーダー格と思しき少女である葵が待ってましたとばかりに言いました。

 

 

 「私達、これから3人でお昼食べるんだけど、汐月さんも一緒にどうかなって思ってさ!」

 

 「えっ―――――――!?」

 

 クラスメイトからのまさかの誘いに一瞬動揺したリラでしたが、直ぐに彼女はフッと笑みを浮かべてこう返します。

 

 「うん!良いよ!」

 

 

 学園の穢れを浄化するのも大事ですが、今は昼食の時間。昔から「腹が減っては戦は出来ぬ」と言いますし、此処は3人の誘いに乗る事にしました。

 

 そうして4人でやって来たのは学校の中庭。屋上から見下ろせば芝生と観葉植物の緑が幾何学模様を描き、その間を水路が縦横無尽に張り巡らされています。無論水路と水路の間には橋が完備され、テーブルや椅子も随所に設えられておりました。

 水のせせらぎを聴きながら昼食に舌鼓を打つのはさぞ贅沢な一時でしょう!

 同じ事は学年を問わず他の生徒達も考えていたらしく、広大な中庭の敷地内の随所で昼食を摂っている姿が散見されます。

 

 「それでさぁ、この前の日曜、深優と一緒にカラオケ行ったんだけど、もう深優ったら新曲100点叩き出して私凄っごい驚いちゃった!『何時から練習してたの~?』って聞いたら3日前だって言うから何気にハイスペックよねこいつって!」

 

 葵が先日の日曜日の事を語っていると、深優がその時の彼女の事を話します。

 

 「葵、帰りにハル君と会ったんだよね。あっ、ハル君って中学の時の同級生で、葵が片想いしてた男の子なんだけどさ、久し振りに会ってテンパってそのまま近くの川にドッボーンって……」

 

 「ちょっと深優!!」

 

 「モガガァッ!?」

 

 友人に恥ずかしい黒歴史をカミングアウトされた恥ずかしさから、葵が深優の口をおにぎりで塞ぎます。

 

 「2人って確か、同じ中学の出身なんだよね?」

 

 「えっ?あっ、うん、って言うか小学校3年生からの腐れ縁でさ…中学の3年間なんてずっと一緒のクラスだったし、高校に入ってからも一緒ってもう良い加減飽きて来たって言うか……。」

 

 「コラーッ!!飽きて来たって何よ、飽きて来たって!?もう勉強分かんないとこ有ったって教えてやんないぞーッ!!」

 

 「冗談だってもうそんなムキになんないでよ~~~っ!!」

 

 どうやら葵と深優は仲の良い幼馴染みの様子。キャーキャーと黄色い歓声を挙げて揉み合う2人の遣り取りを眺める更紗の顔は、まるでお母さんが遊ぶ子供を離れた場所で見守る様に微笑ましいそれでした。

 けれど、それとは打って変わってリラは、2人の様子を同じく近い場所に居ながら何処か遠く、寂し気な目で見ておりました。

 

 「良いな、五十嵐さんも吉池さんも仲良しで………。」

 

 「えっ?」

 

 近くに居た更紗は、リラが思わずそう漏らした事を聞き逃しませんでした。水のせせらぎが聴覚()と言う聴覚()を埋めつくす程に響いていた中で放ったリラの言葉は、そのせせらぎに掻き消されても可笑しくない程の音量だと言うのに、それを聴き取る更紗は意外と耳の良い子の様です。

 

 

 中学時代………、いいえ、遡って小学時代からリラは友達と呼べる人間が居ませんでした。

 幼稚園の時には仲の良い、友達と呼べる相手もそれなりに居ましたが、彼等は皆卒園して小学校に上がると共にバラバラになり、もう10年以上会っていません。

 小学時代にも、趣味や嗜好で誰とも話が合わぬまま、何時も孤独に図書館で読書をしながら過ごしていました。

 

 近くに寄って来る同級生は何時も、自分に後片付け等の面倒な仕事を押し付けてばかり。文句の1つでも言おう物なら、途端に自分が悪者の様に扱われる始末。

 幸いにも苛めとまでは行きませんでしたが、そんな日々を過ごして来たからか、小学校高学年へと上がった時にリラはこう達観し、悟っていたのでした。

 

 『人間には器と言う物が有り、その器も種類によって用途が違う』のだと……。

 

 人に好かれるにも、上に立つにも使うにも、それ相応の『器』と言う物が人間には備わっていなければならない―――――。

 人から使われるにしても、重要視されるか軽視されるかも、相手が自分の言葉に耳を傾けてくれるのかさえも、全てはその人の『器』の為せる業―――――。

 

 ならばその『器』で受け止め、その内を一杯に満たす物――――それこそが水の様に流れる人間の心なのでしょう。

 

 残念ながら自分は、其処まで人間に好かれて大勢の友達に囲まれるだけの器ではない。そして受け止めるのは何時だって、『人間の身勝手なエゴ』と言う濁った水だけ。

 それが自分と言う人間の『器』とその用途なのだと、リラは幼い子供ながらに悟っていたのでした。

 

 何より中学時代に散々受けたいじめの数々……。自分と言う人間の器は“汚染水の貯蔵庫”か、控え目に言って“尿瓶”や“おまる”の様な汚い排泄物の受け皿としての用途でしか無いのか?自身の器にこれ程までに絶望した瞬間を、後にも先にもリラは知りません。

 

 

 そんな自分が今こうして3人のクラスメイトと一緒に昼食を学園の校庭で摂っていると言うこの現状は、リラ自身が人間として少しは成長し、その器も僅かばかり形を変え、拡張さえした証なのでしょうか?

 仮にそうだったとしたら、自身の成長は他でも無い、テミスとの出会いと其処から経験したあの“戦いの日々”が有ったから―――――。

 

 「……月さん……汐月さん!!」

 

 アクアリウムを授けられてからの中学時代の記憶に想いを馳せ、心此処に在らずの状態だったのか、つい放心していたリラを更紗が名を呼んで現実に引き戻します。

 

 「えっ?何、長瀞さん!?」

 

 我に返ったリラが更紗の方を向くと、彼女は若干心配した様な顔で自分を見つめていました。葵と深優もそれは同様でした。

 

 「もう、汐月さんったらいきなりボーっとしてどうしたのよ!?」

 

 「急にフリーズするからどうしたんだろって思った!」

 

 「えっ?あぁ、ごめん。」

 

 それだけ言って気を取り直すと、リラはそれ以上何も言わずに昼食の弁当箱の中身をいそいそと平らげました。

 彼女相手に葵達3人も何か言いたそうな表情をしていましたが、早く水霊士(アクアリスト)としての使命を全うしたいと言う想いが先走り、無言で昼食の残りを全てを急いで平らげてしまいます。

 

 「はい、ご馳走様でした!じゃあもう直ぐ授業だから急いで教室戻るね」

 

 他の3人より先に立ち上がると、リラは1人でも多くの水を浄化しようとその場から立ち去ろうとします。処が………。

 

 「あっ、ちょっと汐月さん待ってったら!」

 

 水霊士(アクアリスト)としての彼女の思惑など、葵も深優も更紗も当然知る由も有りません。お近付きになりたくて昼食に誘ったクラスメイトの突然の離脱に、葵達3人は慌てて立ち上がってリラを追います。

 

 「待ってよ!」

 

 そう言ってリラの右手を掴んで葵は言いました。

 

 「ねぇ、次の授業まで未だ時間有るんだしもっと話そうよ!」

 

 「私達、汐月さんの話何も聞いてないんだからね!」

 

 葵と深優が口々にそう言うと、更紗がこれに続きます。

 

 「汐月さん、さっき言ってたよね?葵も深優も仲良しで良いなって……。」

 

 「えっ?汐月さん、そんな事言ってたの!?」

 

 「葵との言い合いに夢中でちっとも気付かなかった……。」

 

 自分達が聞き漏らしていたリラの想いに、2人は目を丸くします。更紗は真っ直ぐリラの方を向いて続けました。

 

 「汐月さん、もしかして中学校の時に友達とかいなかったの?」

 

 「長瀞さん……。」

 

 「ねぇ汐月さん、私達皆汐月さんと友達になりたくてお昼ご飯誘ったの。皆知りたいんだ。汐月さんの事を……。」

 

 3人に真剣な目で見つめられ、リラは思わず後退りしましたが、その後ろには橋など無い水路で他に逃げ場は無さそうです。水霊士(アクアリスト)としての使命が自分には有ると言うのに、こうなっては仕方有りません。

 何より高校に入って初めての友達が出来そうな今のこの状況。これを断ったらどうにも後腐れが残るでしょう。『親友』と呼べる物が作りたいと思っていたリラにとって、それは気持ちの良い物では有りませんでした。

 水霊(アクア)の事は伏せて、当たり障りの無い事だけを伝えて何とかこの場を乗り切ろう。そう判断し、リラは口を開きます。

 

 「うん、分かった。私は……」

 

 リラがそう言って自分の事を話し始めた時でした。

 

 

 

 突然背後に何かが落下した様な水音が響きます。振り返ってみると、水路に落ちていたのは上履きでした。しかも上履きの中に詰められていた白い靴下が水路に流されようとしています。

 

 「上履き?それに靴下までどうして……」

 

 慌ててリラがそれを拾い、何故そんな物が落ちて来たのか疑問に思うと、深優が直ぐに答えました。

 

 「それ、2階の階段から落ちて来たよ!一瞬窓から誰かが投げる手が見えた!」

 

 その言葉を受け、リラが2階の校舎の開いた窓と言う窓に目を向けます。アクアリウムの能力を発動させると、極僅かですがその内の1つに黒い穢れの残滓が見えました。上履きにも同様の黒いくすみが残っています。

 こうなると答えはたった1つです。

 

 

 (誰かが虐めに遭ってる……?)

 

 

 霧船の2階は、そのまま2年生の教室が有る場所です。と言う事は恐らく虐めに遭っているのは2年の先輩の可能性が高いでしょう。意を決したリラは、上履きと靴下を持って昇降口へと向かいます!

 

 「あっ、ちょっと汐月さん!!」

 

 制止する葵の叫びなど耳には入っていません。今のリラは、水の穢れを浄化する者“水霊士(アクアリスト)”としての使命で頭が一杯なのですから…。

 

 

 昇降口へ戻り、早速辺りを見渡した時です。

 

 「あっ、ねぇ貴女……」

 

 振り返ると、其処には如何にも気の弱そうなライラック色のセミロングの髪をした、眼鏡の少女が立っていました。中々に豊満な胸の膨らみが目に入りましたが、それ以上にリラが気になったのはその足元。靴も靴下も履いていない完全な裸足です。と言う事は……。

 

 「もしかしてこれ、先輩のですか?」

 

 リラがそう言って靴下と上履きを差し出すと、少女は若干乾いた笑みを浮かべて言います。

 

 「あぁっ、もしかして貴女が拾ってくれてたの!?有難う!」

 

 受け取った靴下を足に通す先輩の少女を見て、リラが尋ねます。

 

 「水路に落ちてたからちょっと濡れてますけど、大丈夫ですか?」

 

 「えっ、うん……大丈夫、平気よ。だって慣れてるから……。」

 

 そう言って曇った眼差しを浮かべ、諦観に満ちた表情でその少女は答えます。彼女の顔を見て、リラは言葉に出来ない様な嫌な気持ちが湧き上がって来るのを感じていました。

 嘗て中学時代、虐めと言う理不尽な暴力に虐げられていた自分と同じ雰囲気を先輩の少女は漂わせていたからです。現にアクアリウムの能力を発動して見ると、彼女の身体から黒くくすんだ穢れが滲み出ており、身体の中に宿る水霊(アクア)もさも苦しそうに彼女の身体で跳ね回っています。

 

 「有難う、じゃあ私はこれで……」

 

 「あれぇ飯岡~、あんた中庭行ったんじゃなかったの~?」

 

 上履きを履き直してその場を去ろうとする少女ですが、不意に彼女を「飯岡」と呼び止める声が昇降口前の廊下に響きます。「飯岡」と呼ばれたその少女が、思わず恐怖で縮み上がるのをリラは見逃しません。

 声のした方を向くと、同じく2年生と思しき少女が3人程、こちらの方を睥睨していました。

 3人とも悪意に満ちた邪悪な眼差しを浮かべています。アクアリウムの能力で見ても、身体から発する穢れは飯岡の比では有りません。水霊(アクア)も完全に死んだ様に動かなくなっています。

 

 

 飯岡の上履きを投げた張本人と思しき先輩3人を相手に、リラは嘗て自分を虐めた者達の姿を重ね合わせていたのでしょう。

 あれ程までに心地良い水のせせらぎが流れるこの学園に、弱者を虐げて心を踏み躙る者の存在など有ってはなりません。

 

 

 「他者を虐げる者を決して許してはおけない」と言う正義感と、「彼女達の中の水を癒す」と言う水霊士(アクアリスト)としての使命感の合成された強い眼差しで、リラは彼女達を睨み付けていました。

 

 




キャラクターファイル3

五十嵐葵(いがらしあおい)

年齢   15歳
誕生日  9月21日
身長   157㎝
血液型  A型
種族   人間
趣味   生き物を飼う事
好きな物 アクアテラリウム

リラと同じく霧船女子学園1年2組のクラスメイト。社交性が高く、誰とでも打ち解けるムードメーカー。吉池深優とは小学時代からの幼馴染み(と言うか腐れ縁)で、良く勉強も見て貰ったり一緒にカラオケに行ったりする程仲が良い。因みに能力値的には勉強も運動もカラオケも平均並みで、成績優秀枠の深優には頭が上がらない。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3話 Clarifying Spiral(前編)

今回は前後編になります。そして遂にリラのアクアリウムが発動!


 「飯岡」と呼ばれた先輩の少女の上履きと靴下を、2階の窓から投げ捨てた3人の先輩達。彼女達の姿を見た飯岡の怯えた表情から判断しても、この3人から飯岡が虐められていると見て間違いは無いでしょう。

 虐めっ子と思しき3人の先輩達を前に、リラは意を決して周囲の水霊(アクア)達へとテレパシーで呼び掛けます。

 

 (皆、あの3人の周りを取り囲んで!)

 

 彼女がそう呼び掛けると、周囲を泳いでいた小型の水霊(アクア)達が瞬く間にその場に集まり、虐めっ子の3人を包囲する様に泳ぎ始めました。その光景はまるで鰯の群れの様です。

 当然ながら虐めっ子の3人にはそんな水霊(アクア)達の姿など見えていません。

 

 (えっ?えっ……?何これ……。)

 

 ですがちょっと待って下さい。飯岡と呼ばれる先輩の少女には薄らと輪郭程度ですが、自分達の周囲に居る者達の姿が霊視出来る様ですよ?

 可笑しな光景に戸惑いを隠せない飯岡がリラに尋ねようと試みます。

 

 「ねっ、ねぇ、貴女!この魚みた……。」

 

 「ってかさ飯岡、そいつ誰?」

 

 「もしかして、そいつにでも上履き拾って貰ったって訳?」

 

 「ヒッ……!!」

 

 けれど、その言葉を言い終る前に虐めっ子3人の内2人が高圧的な態度で飯岡を問い詰めます。

 

 「そうですけど、だったら何だって言うんですか?」

 

 リラが負けじとそう言い返すと、3人のリーダー格と思しき女子がリラの胸倉を掴んでなじります。

 

 「てめぇ、私等のゲーム邪魔して何の心算だよ、おい!余計な事してんじゃねーぞ!!」

 

 そう居丈高な態度で罵るリーダー格の女子。すると取り巻きの1人が言います。

 

 「あれ?砂川、こいつ1年だよ?」

 

 「ふーん、そうなんだぁ……1年のヒヨッ子の癖に私等の“玩具”に手ぇ出そうなんて良い度胸してんじゃんさぁ?」

 

 取り巻きにリラが1年である事を指摘されるなり、砂川と呼ばれたそのリーダー格の女子は昏い笑みを浮かべてリラを睨み付けました。

 然し、リラは怯みません。何故なら、この様な修羅場は過去にもう幾度も潜って来たのだから……。

 ですが、それ以上にリラが怒りを覚えたのは“ゲーム”、“玩具”と言う単語でした。

 今し方出会ったばかりで、上履きを窓から投げ捨てる以外に彼女達が飯岡をいじめた現場をリラは目撃した訳では有りません。ですが、それでも先の2つの単語だけで確信出来てしまうのです。目の前の3人が、この飯岡と言う少女の事を人間(ヒト)扱いしていない事を……。

 そして弱者を虐げ、その心と身体を踏み躙り、苦痛で歪ませておきながら、それを『単なる遊び』で済ませると言う連中の腐り果てた性根を……!!

 

 「玩具……ですって?」

 

 怒気を込めた声でそう言うと、リラは力ずくで砂川の腕を振り解きます。他者を虐げるその腐った性根も、穢れの産物と言うのならば浄化しなければなりません。

 相手がサイコパスと呼ばれる様な反社会的な人格でもない限り、他者を傷付け、踏み躙るのは心と身体の水が穢れて優しさを失っただけなのだから――――――。

 相手を思い遣る優しさも、人を愛して慈しむ気持ちも、全ては穢れの無い水が身体の中を駆け巡り、例え穢れが発生しても、それを浄化する水霊(アクア)と言う濾過フィルターが正常に機能している状態から――――――!!

 

 「うおっ、てめぇ……!?」

 

 後ろにジャンプして距離を取ると、リラは右手に10体近い水霊(アクア)を集めました。すると、集まった水霊(アクア)達はコバルトブルーの光球へと変貌し始め、見る見る大きくなり出したのです。幻覚でしょうか?気付けば彼女の周囲の空間にも青いオーバーレイが掛かり、薄らと気泡の様な物も見え始めています。

 

 「ねぇ、ちょっと……何あれ?手品?」

 

 「いや、私が知るかよ!」

 

 「おい、砂川こいつちょっと変じゃね?周りにも何か魚みたいなの見えるし……。」

 

 「ねぇ、さっきから気になってたけど一体何なのよ貴方?」

 

 コバルトブルーの光の球を始め、リラに起こった現象はどうやら虐めっ子3人にも、そして飯岡にも視認出来る様でした。アクアリウムを発動すると、力の解放度に応じてリラを中心に周囲の一般人でも水霊(アクア)が見える様になるのです。現在リラの発動レヴェルは未だ5~6%程で、この程度だと半径3m以内の人間にしか見えません。4人に見えるのはその射程内に彼女達が居たからなのですが、何故飯岡にはリラが能力発動前なのに水霊(アクア)が薄らと見えたのでしょう?

 それは此処では割愛しますが、とうとうリラのアクアリウムの能力がその全貌を見せるか―――――と思われたその時でした。

 

 

 「あっ、居た!」

 

 

 不意に背後から響く更紗の声。何事かと思わず振り返ると、其処には葵と深優と更紗と言う3人のクラスメイトの姿が有ったのです。

 

 「えっ?皆、どうして……?」

 

 突然響いた更紗の声を受け、リラは反射的に能力を解除していました。先程まで見えた水霊(アクア)は忽ち消えてもう見えません。呆気に取られたまま葵達を見つめるリラを他所に、葵が虐めっ子3人の前に出て頭を下げました。

 

 「御免なさい!喧嘩してるみたいだったですけど、この子が何か迷惑になる様な事したなら謝りますから!」

 

 突然の葵の謝罪の言葉に、その場にいた虐めっ子3人組及び飯岡の先輩達は目が点になりました。当然リラもそれは同様です。

 

 「私達、落ちて来た上履きの持ち主を探しに来てただけなんです!それで……あっ、その濡れた靴下の跡……もしかして見つかったのリラっち!?」

 

 「リラっち!?」

 

 突然深優からそんな風に呼ばれ、リラは唖然とした表情を浮かべます。そんな彼女を横目に更紗は「良かった……」と呟き、続け様に砂川達に向けてこう言葉を紡ぎます。

 

 「兎に角、上履きの持ち主も見つかった事ですし、私達はこれで失礼します。もう直ぐ授業も始まりますしね……。」

 

 「ホラ、行こ!」と葵がリラの手を掴むと、そのまま3人は足早にリラを連れて1年2組の教室へと向かいます。因みに1年生の教室は校舎の3階に有りました。

 そして、その場に取り残された砂川達虐めっ子3人と飯岡は、只々呆然とした様子でその場から去って行く1年生4人の後姿を見送るだけでした。

 

 

 1年の教室の有る階段を駆け昇りながら、リラは3人に向かって文句とも取れる言葉を投げ掛けました。

 

 「ねぇ、いきなり出て来て何なの?先輩達と大事な話してたのに邪魔なんかして……」

 

 「邪魔って何よ邪魔って!?」

 

 リラの言葉に対し、葵がキッと睨み返してそう声を挙げました。

 

 「だってリラっち、あの状況どう考えたってヤバかったじゃん?」

 

 葵に続き、深優もそう言って続けます。

 

 「事情は良く分かんないけど、窓から訳も無く上履き飛んで来るなんて有り得ないでしょ?あれって2年生の中で起きた虐めじゃない?靴下まで中に入っててしかも水路に落ちるかも知れない中庭に放るなんて、遊びや悪ふざけで普通そんな事する?どう考えたって悪意100%の虐めでしょあれは!」

 

 「駆け付けた時に見たけど、もしかしてあの眼鏡の先輩が上履きの持ち主で、リラ以外の他の3人の先輩が上履きを投げた犯人なの?」

 

 理路整然と説明する深優の姿に、リラは「賢い子だな」と思いました。昼食を食べていた時に「もう勉強分かんないとこ有ったって教えてやんないぞーッ!!」と言っていた所からも、少なくとも葵よりは勉強が出来る様ですし、相応に頭は良いのでしょう。

 そんな深優に続く更紗の問い掛けに対しリラは答えます。

 

 「うん、昇降口に行った時にあの眼鏡の先輩―――飯岡って言う人が裸足で歩いて来たから間違い無いわ。そしてあの3人も、飯岡先輩の上履きを投げたのをゲームだって言ってた…。」

 

 リラがそう説明すると、真っ先に憤慨して見せたのは葵でした。

 

 「何それ酷い!先輩達にリラが絡まれてて「まさか」って思ったけど、やっぱり深優の通りあれって虐めだったんだ!!って言うか人を虐めてゲームだなんて許せない!!」

 

 ですが、それを真っ先に諭すのは当然と言うべきか、聡明な幼馴染みの深優です。

 

 「でも、そんな事先生に言ってどうなるの?どうせまともに相手なんてしてくれないし、下手したらあの3人から仕返しで酷い目に遭わされるだけよ?」

 

 「うぅ……そっか……」

 

 「悔しいけど、あの先輩達の事に首を突っ込むのは止めた方が良いよね……」

 

 そう言って肩を落とす葵と更紗。ですが、葵は直ぐに気を取り直してリラに向かって言いました。

 

 「でもあんな虐めっ子の先輩に絡まれてたんだもん。助けに入って正解だったよ。それを邪魔だなんて言い方無いじゃんリラ!!」

 

 「って言うかさっきから気になってたけど、皆私の事「リラ」とか「リラっち」って呼んでるけど何で?」

 

 至極真っ当な問い掛けをリラが発すると3人はキョトンとなり、「どうしてそんな事を訊くの?」と言わんばかりの表情を浮かべました。3人を代表して葵が言います。

 

 

 「え?だってリラ、もう『友達』でしょ?」

 

 

 (―――――――え?友達?)

 

 

 その言葉に、リラは自分の心臓が緊迫の内に大きく脈打つのを感じました。今まで自分の事を友達と呼んで近付いて来る人間はいましたが、皆自分の事を体良く利用するだけの上っ面の連中ばかりだったのです。

 だからリラは、その言葉に対して少なからず抵抗感と言いますか不信感と言いますか、そうした拒絶の感情を抱く様になっていたのです。

 

 「……そ、そんな……今日1日一緒にお昼ご飯に食べただけでしょ?それで友達だなんて……」

 

 「あれ?でも「同じ釜の飯を食う」って言うし、一緒に食事するってそれだけで仲良しの友達になる儀式みたいな物だって思うけどなぁ?」

 

 中学時代の虐めから、友達を作る事に対して臆病になっていたリラ。然し、葵と深優の言葉がその『心の壁』と言う名のダムを決壊させる小さな穴を開け始めていました。

 

 「直ぐにはそんな仲良くなれるなんて思って無いよ?これは言ってみれば『形から入る』とか、もっと近い言い方すれば『関係の前借り』って言うのかな?」

 

 そう言うと更紗はリラの顔を真っ直ぐ見つめ、そしてこう続けます。

 

 「形だけじゃなくって中身もちゃんとそれらしくする為にも、これから私達、貴方の事が色々と知りたいんだ。良いでしょ、リラ!」

 

 「そんな訳だからリラ、改めて宜しくね!」

 

 「私もリラっちと色々とお話したいな♪」

 

 一切の悪意が感じられない顔でそう言い放つ3人。恐る恐るアクアリウムの能力を発動して見ると、葵も深優も更紗も穢れの無い水で満たされていました。仮に穢れが有ったとしても、それは内なる水霊(アクア)が浄化してくれるでしょうけれど、その水霊(アクア)も決して弱くは無く寧ろ強い力を秘めている様でした。

 今まで色んな人間の事をアクアリウムの能力を通して観察して来た手前、彼女達に穢れが無いのは入学してから一週間の調査の中で分かっていましたが、実際話してその心に触れなければ、内なる水霊(アクア)の何たるかまでは判別出来ません。

 

 内なる水霊(アクア)の強さは、そのまま宿主たる人間の心や肉体の強さに比例します。『健全な肉体には健全な精神が宿る』と言いますが、健康的で力強い心身には強い水霊(アクア)も宿るのです。

 どうやら彼女達はリラの中で“当たり”の様でした。そして同時にリラの中での友達の条件も、『穢れの無い水霊(アクア)を内側に宿すか否か』に改めて定まりました。

 

 

 「うん……宜しくね、葵ちゃん!深優ちゃん!更紗ちゃん!」

 

 

 そう言って微笑み返すリラの顔を見て、3人も一際嬉しげな顔になりました。

 

 

 キーンコーンカーンコーン!!

 

 

 おっと、どうやら昼休みはもうこれで終わりの様です。急いで4人は元の1年2組の教室へと向かい、次の授業に備えるのでした――――――。

 

 (そう言えばあの場所に乱入した時、私がアクアリウムの力を顕現させてた所、3人は見てたのかな?)

 

 

 午後の授業の間、教室でリラは机に向かいながら、テレパシーでテミスに呼び掛けます。

 

 (テミス、貴女にお願いが有るの。)

 

 テミスが返します。

 

 (分かってるわ。あの飯岡と言う少女、そして彼女を虐めている砂川と言う少女とその取り巻きの2人に関してでしょう?)

 

 (流石テミス!水霊(アクア)達は情報が早くて良いわ!)

 

 水霊(アクア)は水其の物。そして水の惑星である地球では膨大な量の水が陸海空と、世界中の隅々まで液体、固体、気体と形態を問わず循環しています。

 水は空気と並んで地球誕生以来の全てを見て、知っていると言っても過言では無いのです。

 当然水霊(アクア)達はその全てを知っており、知りたい事を即座に検索及び即答が可能。その速さと情報の精度の高さは、人間の築き上げた情報網(インターネット)の比では有りません。

 

 (飯岡と呼ばれた少女―――――フルネームは飯岡潤。家は蒼國市のウォーターフロントに在るマンションの2階。両親と兄がいるけれど、親が共働きで家には殆ど居ないし、兄が大学に去年進学して家を出てから1人で過ごす事が多いわ。本人も何時もオドオドしてる気弱な性格よ。)

 

 テミスはリラの脳の中に虐められっ子の少女、飯岡潤の情報を映像付きで流しました。最初は具体的なプロフィールですが、次に流れてくる情報はリラが気にしている彼女の近況でした。

 リラから伝えられる潤の近況は悲惨の一語でした。砂川とそのグループによる虐めは、1年の2学期頃から始まっていたのです。「トロい」だの「胸がデカくて生意気」だのと言う罵倒に始まり机に画鋲、今回の上履きの様に私物を窓から校庭、時には通学路に流れる川へと投げ捨てられ、体操着に悪口の悪戯書きをされ、教科書にも同じく酷い落書き。

 挙句の果てには嫌がる彼女の胸を執拗且つ乱暴に揉みしだき、太腿を撫で回すセクハラ三昧と、それに対して嬌声を挙げれば殴る蹴るの暴行―――――。

 

 (何これ……?酷い……!!)

 

 聞くに堪えない悪口雑言……。目を覆いたくなる様な、悲惨な虐めの映像(ヴィジョン)……。リラは心を痛めると同時に激しい怒りを覚えました。虐めの手口もそうですが、家庭環境も嘗ての自分と何処と無く似た所が有る手前、余計に強い同情心と悲憤慷慨の念が込み上げます。

 

 (虐めはそう言う目に遭う人だって悪いなんて言うけど、どんな人にだって欠点も有れば駄目な所だって有るのに……。それをお互い認め合って補って、助け合って行くのが人の筈なのに……!!)

 

 リラがそう思った所で、哀しいかな世界と言う物は弱い者に対し、決して優しくないのが常と言う物です。

 

 この世界は、どんな理屈を述べようとも所詮は弱肉強食。弱い者は強者の糧であり慰み物以外の価値は無く、その価値すら無い物は死ぬしか無い。

 少なくとも野生の大自然は肉食獣、草食獣問わず餌に在り付けない者は生きる価値の無い無能者であり、特に後者は前者の脅威にすら怯えて生きねばならない。生存競争に落伍する者は即、死有るのみ!

 けれどそんな世界の摂理に逆らうが如く、人間は自身の非力さ故に他者への優しさ――――言い換えれば『心』を育み、文明社会と言う、弱者でもそれなりに生きて行けるシステムを作りました。然し、それだって敗北や落伍が直ちに死に直結しないと言うだけで、結局は強者から体良く奪われ、搾取され続け、死ぬまでの間ずっと底辺を這いずり回る事になるのが実態です。

 理想の上では人間社会と言うのは弱者救済、況してや近現代に於いては“基本的人権の尊重”と言う言葉の下、弱者が強者に痛め付けられず、見捨てられず、差別もされず、“生存権”とやらによって人間らしい健康且つ文化的な暮らしが営めるユートピアと言う事になっているのかも知れませんが、色々な格差を理由に虐げられ、差別される人間が少なからず存在する所からも、中々そうは行かないのが現状の様です。

 

 財力でも権力でも腕力でも何でも力の無い『非力』……。

 それと似ていますが、仮に力が有ってもそれを満足に活かせず、周囲の求める結果を出せない『無能』……。

 無知、無学で物の道理が分からぬ『愚かさ』……。

 形を問わず、他者が近くに居て不快と感じる多種多様な『悪性の性格』……。

 

 それ等の『弱さ』を、この世界は決して認めたりはしません。淘汰の名の下、そうした弱者は早晩滅んで行くだけです。忘れがちですが、人間だって動物。動物である以上、弱肉強食の摂理からは逃れられない。自然界に有る物を失敬し、加工して作った物を使って形成されている以上、所詮は文明社会もまた野生の大自然の一部であり、そのルールから逃れられないのは明白ではありませんか!

 先述した社会のシステムも、所詮は『人間の優しさ』と言う、世界のルールに反する感情故に生まれただけの物でしか無く、それ自体がこの世界、延いてはこの宇宙のルールと言う訳では決してないのだから当然の事でしょう?

 そもそも人類がこの世に現れてからの歴史は、地球全体のそれの中でも僅か1%にも満たない極小な物。然し、弱肉強食は地球誕生から46億年……いいえ、下手をしたらそれより遥か以前の宇宙誕生の時代より、この世界を支配し続けている[[rb:絶対の法 > 摂理]]なのです!

 地球の歴史の中に在ってポッと出のド新人でしかない人類が、幾等『弱者救済』などと言う正義の金看板(笑)を振り翳した所で、一体それが何程の物だと言うのでしょうか?どうにもちっぽけで、瑣末で、何の役にも立たない無意味で無価値な虚しい代物である事は分かり切っています。

 

 

 (リラ、貴女の悔しい気持ちは水霊(アクア)である私にだって分からなくも無いわ。だけど、私達の生き、存在する世界はそう言う物よ。弱者の存在に決して寛容じゃない。それは貴女が1番良く知ってる筈よ?)

 

 テミスその言葉に、先程まで憤慨していたリラは一転して遣る瀬無い気持ちになり、そのまま俯くしか出来ませんでした。テミスの言葉を聴きながらそれでも、教室の黒板に書かれているノートを書き写している辺りから、授業自体は真面目に受けている様です。

 

 (分かってる…。分かってるよリラ。でも…………。)

 

 折に触れて脳裏を過ぎる、あの虐めの忌まわしい記憶―――――。シャープペンシルを握った手が、やり場の無い怒りで震えます。

 

 (忘れないでリラ……貴女には力が有る。弱者の涙を拭い、内なる水を浄め、未来と言う大いなるうねりの中へと向かわせる。アクアリウムは、その為に存在するのだから……。少なくとも、その力のお陰で貴女は“弱者のまま”と言う流れ無き澱みから前へと進む事が出来たでしょう?)

 

 テミスの言葉に、リラは思わず目を見開きました。

 

 (確かに、人間は弱者が大半かも知れない。だけど、将来に希望の持てる者――――可能性の有る者もその中には多く居るわ。弱い事は決して罪じゃない。人間にとって1番の罪は、弱さに寛容な人の優しさに溺れ、自身の弱さと言う澱みの中に沈み、安住し、そのまま一歩も動こうともせず朽ちて行く事よ―――――。)

 

 そう―――先述した通り、人間は誰もが弱さを持っています。然し、其処は同じ人間。誰も決して、それ自体を罪と責めて頭ごなしに否定したりはしません。弱さを抱えている事自体に、決して罪は無いのです。

 テミスが言いたいのは、「決してそれに甘えては行けない」と言う事なのです!弱さに寛容な周囲の人間の優しさに甘え溺れ、弱者としての自分に安住しては行けない。何故なら、それは人間が社会を形成する過程の中で後付けで作った建前としてのロジックに過ぎず、宇宙其の物の元々のロジックでは断じてないからです。

 この宇宙のロジックが何処まで行っても弱肉強食であり、弱者が淘汰される運命に在る以上、好むと好まざるとに関わらず人は誰しも強くなる責務が有るし、有って然るべきなのは当然でしょう。少なくとも、その姿勢だけはしっかりと持たねばならないのです!

 

 (弱い自分のままじゃいられないから、人は強くならなくちゃ行けない。そう言いたいのね、テミスは……。)

 

 実際、いじめを乗り越えたリラはアクアリウムを授けられる以前と比べ、間違い無く強くなった。それだけは確かでしょう。そんな強い彼女だからこそ、こうやっていじめを許さないと怒る事が出来、潤と言う自分と境遇の似た相手の事を想う事も出来るのです。

 

 (その為の希望を…、強くなる為の一歩を先輩が踏み出せる様に、涙を拭いて背中を押してあげる……。それが今の私の使命……!!)

 

 改めて自分の水霊士(アクアリスト)としての在り方を再認識したリラは、テミスと周囲の水霊(アクア)達に命じます。

 

 (テミス、そして水霊(アクア)の皆!飯岡先輩とあの虐めっ子の先輩3人の事を監視しておいて!分かってると思うけど、皆穢れが酷いから迂闊に近付いちゃ駄目よ!)

 

 (リラ、飯岡潤について説明したけど、砂川と言う人間の事はどうするの?)

 

 (その先輩の事は良いわ。放課後に浄化しに行くから、位置情報だけ伝えてくれれば良いよ!)

 

 使命感に燃えるリラですが、その様子を離れた席に座っている葵、深優、更紗の3人は授業に気合を入れて取り組んでいる物と思い込み、勘違いながらも感心して見つめていました―――――。 

 

 

 




キャラクターファイル4

吉池深優(よしいけみゆ)

年齢   15歳
誕生日  10月15日
身長   154㎝
血液型  B型
種族   人間
趣味   同人活動
好きな物 ゲーム全般、女の胸揉み

リラの同級生兼クラスメイトにして五十嵐葵とも幼馴染の眼鏡っ子。ヲタクな趣味をしているが成績優秀枠で勉強も運動も無難にこなす等、地味にハイスペックなキャラクターである。葵もそんな彼女には頭が上がらず、腐れ縁に飽きたと言いながらも何だかんだで何時も一緒に居る様だ。
巨乳大好物の胸揉み魔の一面が有り、手を合わせてから「揉みしだきます!」と言って毒牙に掛ける淫獣でもあるらしい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4話 Clarifying Spiral(後編)

今回で第一章は終了!さて、次回からはリラの部活探しが始まる!?


 果たして午後の授業が終わった後、いよいよリラは潤と砂川の元へ急行すべく席を立ちました。、水霊(アクア)達の手で脳に流れて来る報告の映像によると、授業終了後に砂川達虐めっ子3人が潤を連れて教室を出て行ったそうなのです。

 早く助けないとどんな虐めに遭うか分からず、一刻の猶予も有りません。急いで向かおうとした時でした。

 

 「リラ!一緒に帰ろ!」

 

 当然の如く葵がリラの前に立ち塞がります。更に自分を囲う様に深優と更紗もやって来て、まるで、三角洲(デルタ)です。

 

 「リラっちと初めての下校かぁ!ねぇ、何処寄って帰る?」

 

 早くも帰宅途中の寄り道についてを葵に尋ねる深優ですが、更紗が口を開く前にリラが確認の言葉を発します。

 

 「ねぇ、3人に1つ訊きたい事が有るんだけど良いかな?」

 

 「えっ?」

 

 「何?何?」

 

 「訊きたい事?」

 

 突然の問いに思わず面食らう3人ですが、リラは気にせず問い掛けます。

 

 「昼休みに先輩達に絡まれてた時、何時3人は私の所に来たの?」

 

 「えっ?何でそんな話すんの?」

 

 「良いから答えて!」

 

 「え~~~っと、確か……。」

 

 昼休みに砂川達と対峙するリラの元へと乱入した時の事を、葵は記憶を振り絞って思い出そうとします。

 

 「リラっちがあの先輩達の前で身構えてた時ね。」

 

 ですが、それより先に頭の回転が葵より速い深優が回答。補足する様に更紗もこう語りました。

 

 「そう言えば、リラの手に何か水色のボールみたいなのが一瞬見えたけど気の所為かな?それと変な魚みたいな幻覚が薄ら見えたんだけど……。」

 

 「あぁそれ、私にも見えたけど何だったのかな?」

 

 「幻覚じゃない?最近部活の勧誘とか多くて疲れてたし、この学校水のせせらぎ良く聞こえるから。」

 

 どうやら3人とも見えていた様でしたが、幸か不幸か彼女達には顕現した水霊(アクア)達の姿は、部活の勧誘続きの疲れと学園に流れる水のせせらぎが見せた幻覚程度の認識の様子。水霊(アクア)を集約して作り出したあのコバルトブルーの光球もその類としか思われていません。ギリギリ秘密は知られていないらしく、リラはホッと胸を撫で下ろします。

 

 「あぁ、いや、気の所為、気の所為!分かった有難う!じゃあ私は急ぎの用が有るから先に帰るね!!」

 

 「あっ、リラ!!」

 

 「ごめん!一緒に帰るのは明日からね!!」

 

 そう叫ぶとリラは、大急ぎで現場へと向かいました。唖然とした表情で取り残される葵達。そんな彼女達の居る教室を後に、リラは大急ぎで階段を降りて昇降口へと向かいました。

 何時の間にか彼女の周囲には100匹近いグッピーやプラティ、モーリー系のメダカに似た、水霊(アクア)達が群れを成して彼女に付き従います。

 そしてリラの身体の中からも、あの青白い巨大なグッピー型の水霊(アクア)も姿を浮かび上がらせました。

 

 「もう直ぐ貴方の出番よ―――――『クラリア』!!」

 

 クラリアと呼ばれたリラの中の水霊(アクア)は、何も言わずに只コクリと頷くだけでした。

 

 

 さて、一方その頃――――潤はと言いますと……。

 

 「ねぇ飯岡ぁ、ちょっち頼み有んだけどさぁ~聞いてくれるよねぇ~?」

 

 定番と言えば定番ですが、人気の無い校舎の裏に砂川達によって連れ込まれていました。

 潤は恐怖の余り俯き、ガタガタと身体、特に膝を震わせ委縮するばかりで、とても声を発する所ではありません。

 

 「ねぇ飯岡ぁ、放課後皆とカラオケ行くんだけどさぁ、金欠で困ってんのよね~私等!」

 

 「だからねぇ、何時もみたいにお金頂戴よ♪ねっ?ねっ?」

 

 「私達“友達”でしょ~っ?友達のピンチなんだから助けんのが当たり前じゃん?」

 

 要はカツアゲでした。おまけに都合の良い時にだけ“友達”と言う言葉を使う辺り、何処までも見下げ果てた性根の腐り様。これが穢れによる影響だけなのか、大いに疑わしくなります。

 

 「あの……えっと…………。」

 

 「あぁ?何だよ!?」

 

 「出すのか出さねーのかハッキリしろよオラァッ!!」

 

 昼間の時と同じく居丈高に罵る砂川達に対し、潤は声を振り絞って正直に伝えました。

 

 「もう……お金なんて持ってないです……。」

 

 けれど、この返事は当然虐めっ子3人の神経を逆撫でし、火に油を注ぐ結果となるのでした。

 

 「はあぁぁあっ!!?」

 

 「使えねぇなぁこの豚ァァッ!!!」

 

 「あっ!!」

 

 そう言って砂川の取り巻きが潤を威圧し、1人が乱暴に彼女のブレザーの胸元をはだけさせます。たわわに実った果実と言わんばかりに、大きく膨らんだ彼女の双丘の谷間が姿を現しました。

 砂川はアイコンタクトを取り巻き2人と取ると、よろめく潤に対して追い打ちとばかりに、背後に回り込んで上着のブレザーを無理矢理はぎ取って背後から彼女の豊満な胸を乱暴に揉みしだき始めます。

 

 「金無ぇんだったら援交でも売春(ウリ)でもやって作って来いよこの愚図!!」

 

 「ひああぁぁぁああああっ!!?やっ……止めて………んん~~ッ……♥」

 

 「アハハハハッ!!相変わらず胸だきゃデカいよなぁ~!つーか前より膨らんでねこいつ?」

 

 「色気だきゃ生意気に有んだし、金位直ぐ作れんだろぉ?馬鹿な男一~~~杯釣ってさ!キャハハハハハ♪」

 

 「ねぇ砂川、次あたしにも揉ませてよ!あぁ~ん、柔らか~い!ムカついて殺したい位に♪」

 

 「お願いですから……もう、止め……ああんっ!?」

 

 「さっきから玩具が生意気に喋ってんじゃねーよッ!!」

 

 そう言って3人は彼女の胸を替わりばんこに揉みしだき、耳に息を吹き掛けたりうなじを舐めたりと、性的な嫌がらせ(セクハラ)を執拗なまでに浴びせ掛けました。

 そして嬌声を挙げたり何か喋ろう物なら容赦無く殴る、蹴る、太腿をつねる等の暴行―――――。彼女は去年の2学期以来、何時も砂川達からこの様な仕打ちをされていたのです。

 

 

 すっかり虫の息になってその場に倒れる潤に、砂川が止めと言わんばかりにカッターナイフを取り出します。近くの取り巻きも、意地悪そうな目で携帯を取り出し、一体何をする気なのでしょう?

 1兆%悪い予感しかしません…。

 

 「金が無ぇなら代わりに罰ゲームやんなきゃねぇ~……。」

 

 ドス黒い笑みを浮かべ、カッターの刃を不気味に光らせながら、砂川は言います。

 

 「服切り刻まれたあんたのあられもないエロ姿。ネットに拡散してやんよ飯岡!」

 

 その言葉を聞いた瞬間、潤の顔は恐怖と絶望に歪み、目に大粒の涙を浮かべながら魂の叫びと言わんばかりの言葉を張り上げます。

 

 「嫌!!止めて……それだけは止めて下さい!!」

 

 大きな涙の筋を頬に伝わせながら、潤は何とか立ち上がって逃げようとしますが恐怖の余り腰が抜けて思う様に動けません。

 

 「良かったじゃん飯岡♪あんた今日から有名人だよ!?一生表出歩けなくなるけどさ♪」

 

 「忘れんじゃねぇよ飯岡ぁ、お前私等の奴隷なんだからさぁ……奴隷は奴隷らしくご主人様にご奉仕してろっての!!」

 

 「止めて……お金なら持って来ますから……だから……!!」

 

 「バーカ、金なんかもうこの際どーだって良いんだよ!」

 

 必死の懇願も虚しく、砂川は先ず彼女のスカートに刃を突き立てようとします。

 

 「い……嫌あぁぁっ!!止めて!!助けてえぇぇぇぇっ!!!」

 

 「ホラ!!先ずはスカートから御開ちょ……」

 

 砂川がカッターで潤の制服を切り裂こうとした、その時でした!!

 

 

 「ゴボボッ……!?な、何だこの変な感じ……!?」

 

 

 突然周囲の色彩に青系のオーバーレイが掛かると同時に、空気が重くなった様な奇妙な感覚がその場にいた4人を包み込みました。

 息は出来るのに、まるで水の中にでもいる様な感覚……。それでいて肝心の呼吸も思った様に出来ず、重く息苦しい……。

 

 「こ、これって………お昼見た魚!?」

 

 口から気泡を吐きながら潤が近くに目を遣ると、其処には水色のグッピーかプラティを思わせるメダカ科の魚が数匹泳いでいます。

 得体の知れない魚達はそのまま数を増やしながら、まるで大海原を泳ぐ鰯の大群の様に旋回してその場にいる4人を取り囲みます。

 

 「な……何これCG!?昼休みも同じの見たけどさ!」

 

 「おい砂川!これ一体何なんだよ!?」

 

 「私が知るか!つーか…さっきから息が………苦し…………」

 

 「息が苦しいのは当たり前ですよ。」

 

 突然自らの身体を襲った異変に、思わずカッターナイフを落としてその場で首元に手を当てて苦しそうに蹲る砂川。すると其処へ昼間の女子の声が響きます。

 声のした方を向くと、無数の魚の群れがパックリ割れ、姿を現したのは潤の上履きを拾い届けた張本人の汐月リラその人だったのです。

 

 「貴女……!!」

 

 「てめ……ッ!昼休みン時の……。」

 

 「けど待て砂川…!こいつ何か…様子、変だぞ……?」

 

 「心配しなくても大丈夫です。私は先輩達に危害を加えに来たんじゃありませんから―――。」 

 

 「え……?」と目を点にする潤と、「はぁっ……!?」と挑発的なリアクションを取る虐め女子3人組。

 4人の反応を他所に、リラが両手を広げると、周囲を旋回しながら群泳する、水霊(アクア)達が左右それぞれに数十匹集まります。

 そして昼間の時にやったのと同じ様に、コバルトブルーの大きな光の球を作り出したのです。

 

 「おい…これって……。」

 

 「見間違いじゃじゃなかったんだ……。」

 

 昼間見た光景が現実の物だったと確信する潤と砂川。

 何時の間にかリラの身体は青のオーラに包まれており、周囲にも青白い気泡の様な物が立っています。

 この世の物とは思えない異様な光景ですが、不思議と恐怖は無く、寧ろ幻想的な美しさ……。気付いたら4人は言葉無く只々リラの姿をじっと見つめているだけでした。

 すると次の瞬間、リラはフッと笑みを浮かべて言いました。

 

 「私は癒しに来たんです。先輩達の心と身体を……。その為にも先ず、一杯汚れが溜まったその身体の水を綺麗にお掃除します!」

 

 (癒す……!?)

 

 (それって一体どう言う事……。)

 

 その言葉が終わるや否や、リラは両手の光球を前に突き出します。

 するとどうでしょう。両手の光球は忽ち線上に宙を流れるコバルトブルーの光の水流となり、4人を囲い込みます。

 囲い込んだ水流はそのまま面積を狭めて4人を一ヶ所に集めると同時に、上空へと伸びる二重螺旋を描き始めました!

 

 2つの光の水流が描く螺旋の中、4人の身体は宙に浮き、その意識は段々と遠のいて行きます。

 螺旋の中で宙に浮いた4人の身体は、波間に漂う流木の様にゆったりと揺れ動きながらその場を公転し始めます。

 

 (あぁ……何だよこれ……?全然訳分かんねーけど………凄く…気持ち良いじゃん……。)

 

 (まるでお母さんに優しく抱きしめられてるみたい……。)

 

 “1/f揺らぎ”と言う言葉をご存知でしょうか?潮の満ち引きや心臓の鼓動の様に、自然界に於いて一定のリズムで動いたり音を発している物でも、実は僅かばかり不規則で予測出来ない揺らぎが有ります。そしてこうした揺らぎには見る者、聴く者にリラックス効果を与える事が分かって来ました。

 その性質を活かし、最近ではココアを掻き回す動画がリラックス効果の為に作られ、視聴した被験者のストレス指数を最高で9割も減らしたと言う報告まで有ります。この様に揺らぎを含む回転運動には、見る者にストレスを軽減するリラックス効果が有る事が最近になって明らかになっていますが、リラの作り出した螺旋には見る者のみならず、実際にその中を廻っている者達にも効果が及ぶのです。

 現に今螺旋の中を公転しながら揺らぎの回転を体感している潤と砂川達の全身からは、既に余計な力がほぼ完全に抜かれており、今まで彼女達の心の中に積もり積もったストレスを消し去って行きました。

 更に、二重螺旋を描く光の水流も心地良い水のせせらぎを奏で、相乗効果で水の癒しを増幅させるのです。その証拠として、彼女達の身体から黒い穢れが次々と出た端から白く光る泡沫となって消えて行きます。

 

 穢れが浄化されて行くにつれ、彼女達の内側に宿る、水霊(アクア)達も少しずつ元気を取り戻し、活発に動き始めます。それが証拠に潤達の身体を光の魚のシルエットが泳ぎ回っているのです。

 

 「今よクラリア!貴方も行って!!」

 

 (任せて……。)

 

 言葉少なにそう返すと、リラの中の水霊(アクア)であるクラリアは周囲の水霊(アクア)達を率いて、4人を囲む二重の螺旋の中をなぞって泳ぎ始めます。

 彼女達が泳ぎ回る度に螺旋の内側の空間に温かで優しい光が白い泡沫状のエネルギーと共に満ちて行きます。この白い泡沫状のエネルギー体こそ、水霊(アクア)が泳ぎ回る事で生み出す浄化のそれなのです。

 彼女達の中から出て来た黒い穢れが変化したのと同じ物ですが、白い泡沫が水霊(アクア)達の浄化と癒し、愛等の正の意思と水の合わさったエネルギー体。そして黒い穢れは人間の中の憎しみや嫉妬、ストレス等の負の意思と水の合わさったエネルギー体と言う事で、本質は一緒と言う事が分かるでしょう。

 

 「さぁ、仕上げよ。クラリア!4人をそれぞれ二重の螺旋で貫いて!」

 

 リラがそう命じるとクラリアは2体に分身し、二重螺旋の内側に躍り出ると、揺蕩う潤と3人の虐めっ子を外部の螺旋より細い光の二重螺旋となり、4人の身体を泳いで貫通します。

 

 誤解無き様に言いますが、クラリアは水霊(アクア)であり水其の物。そして人間の身体も水である以上、水霊(アクア)は人間の身体を素通り出来るのです。貫通しても肉体には何のダメージも有りません。

 寧ろ、浄化と癒しの力をその際に行使するのですから、プラスにこそなれマイナスの影響など無いのです!

 

 この最後の工程によって4人の身体は眩い光に包まれ、そして――――――光が消える頃には4人ともその場に横たわっていました。

 然しその顔はとても安らかで、先程までの邪悪さもそれに怯える表情も一切が消えたのです。

 

 「さて、それじゃあ余計かも知れないけどおまけのサービスしないとね……。」

 

 そう言ってリラは、すっかり元気になった4人の身体の水霊(アクア)達を掬い上げると、それぞれの頭の中に放り込みました。

 お互いの過去から今に至る記憶を見せ合い、共有させ合う為です。1番知り合わせたいのは勿論、相手の痛み―――――。

 

 4人の過去は共に、形こそ違えど悲しみに彩られた物でした。

 

 

 潤は元々4人家族でしたが出来の良い大学進学で兄が居なくなってから、元々共働きで家に殆ど居ない親はますます自分に冷たくなり、何時も孤独に過ごしていました。

 勉強も何をやらせても並みな彼女が唯一好きだったのが水泳でした。然し中学に上がってから自分の胸が急激に大きくなった事で男子からからかわれ、それがトラウマとなって何時もビクビクオドオドする様になり、それがやがて高校に入ってから虐めに発展した様でした。

 

 砂川も、小さい頃から親から「お前って駄目な奴ね」だの「そんな事したら社会じゃ生きて行けないわよ」だのと、否定的な言葉ばかりを投げ掛けられて育ち、自己肯定感の持てない劣等感と周囲への憎しみを抱えて生きて来たのです。

 潤以前にも中学では同じ様に、他の自分より劣ると判断した人間をいじめる事で劣等感を打ち消して来たのでした。取り巻きの2人も、砂川に近い家庭環境で育った為に自ずと彼女に身を寄せ合う様につるむ様になったのです。

 

 

 水霊(アクア)を通してお互いの記憶を夢の中で見合った4人は、やがて目を覚ましました。

 

 「うぅ……何だったの今のは……?」

 

 「私以外の奴等の事が頭ん中に流れて来たみてぇだけど……って……。」

 

 起き上がった4人はそのまま、互いの顔を見合わせます。お互いの辛い過去を知り合った手前、4人が4人とも後ろめたい気持ちが込み上げて来ます。そして……。

 

 「ごめんなさい!砂川さん!我孫子さんに梶沼さんも!」

 

 真っ先に瞳を大粒の涙で潤ませて謝ったのは潤でした。散々虐めていた相手からの突然の謝罪に、3人は呆気に取られます。

 

 「わたし、3人から虐められてる間自分だけが1番辛いって思ってた!でも、3人だって凄く辛い想いして、それで……えっと…え~っと………!!」

 

 言葉に詰まった中、必死に続きを絞り出そうとする潤に対して、砂川は溜め息を吐いて言います。

 

 「…良いよ、もう。何が何だか分かんねーけど、私等だってあんたの事、何も知らないし知ろうとしないまま、ただ何となくトロくてウジウジしてムカつく奴だって思って虐めて来たんだし、お互い様だろ?」

 

 「変な夢だったけど、あれももしかしてあんたの仕業な訳?」

 

 取り巻きの1人である我孫子と言う女子がリラに尋ねると、リラは「はい。」と頷きます。

 

 「何なのよあんた?あんな力使うなんて魔法使いか何か?」

 

 「いいえ、私は水の癒し手・水霊士(アクアリスト)です!」

 

 梶沼の問いにマジレスと言っても過言では無い位ドストレートに答えると、砂川が不機嫌そうな顔をして言います。

 

 「どーだって良いよ。信じらんないけど、取り敢えずあんたがそー言う系の奴だってのは認めるしか無さそうね。つーか、折角良い気持ちで寝てたと思ったらあんな寝覚めの悪いモン見せやがって……。」

 

 「じゃあ先輩達はまた飯岡先輩の事虐めるんですか?」

 

 そう毒づく砂川ですが、彼女の中の水霊(アクア)は穢れる事無く元気に泳ぎ回っています。

 

 「もう飽きたよ。つーかこいつの事分かっちまったらもう、他人だなんて思える訳無ぇだろ。何つーの?自分の延長みたいな?そう言う奴虐めたって気分悪いだけだぜ。ドMじゃねぇんだからさ……。」

 

 「けどあんたも馬鹿よね。例え虐めは止めても私等別に改心した訳でも無いし、そもそもこんなになった家の問題だって解決しないじゃん?なのに私等の事癒して意味有ったの?」

 

 梶沼と呼ばれた先輩の鋭い言葉に、リラは何も言わず只黙っていました。確かに水霊(アクア)の力で水の穢れを浄化し、人の心を癒せても、穢れが身体に蔓延する原因となる家庭や職場、延いては社会の問題其の物が解決する訳でも解消する訳でも無いのです。

 それをどうにかしない限り、また彼女達は身体に穢れを溜めてしまう事でしょう。然し、リラは言います。

 

 「確かに、幾等人の心と身体を水の力で癒しても、1人1人が抱える問題までは解決しません。でも、先輩達はもう気付いてるでしょう?自分達がさっきまでと何処か違う事に…。」

 

 「言われてみれば確かに、私等の身体から何だか力っつーか元気が漲って来るのが感じるぜ。」

 

 「頭も何だかスッとなって、自分が何をしたいのかどうしたら良いのか、そう言うのがはっきりわかって来そう……。」

 

 潤や砂川達が感じている感覚こそ、アクアリウムの能力の副産物でした。身体の水を癒し、心を洗い流すと共に、肉体に明日を生きる活力を与え、思考をクリアにして自分の心=気持ちがハッキリ分かる様になる。つまり、自分を落ち着いて見つめられる様になるのです。

 

 「私がしてあげられるのは、心と身体を癒して中の水霊(アクア)に活力を与えるのともう1つ。自分の心の透明度を上げて、深く落ち着いて見つめられる様にする事です。自分の心が分かれば相手の心だって見る事が出来る筈だし、目の前の問題が有ったらどうしたら良いかだって落ち着いて考えられるから……。」

 

 「けどあたし等馬鹿だから答えなんて考え付かねーぞ?」

 

 「あの……分からなかったら誰かに相談すれば良いんじゃない…ですか?1人で悩んでないで…ってごめんなさい!私余計な事言っちゃって!!」

 

 砂川から睨み付けられて委縮する潤に対し、「やれやれ」と言わんばかりに溜め息を吐いて梶沼が言います。

 

 「全くね……。相談もしないでウジウジしていじめられっ放しだったあんたが言ったって説得力ゼロじゃん。」

 

 「けどさ、私等こうやって3人つるんでんだから一緒に考えりゃ良いんじゃね?ホラ、昔から良く言うじゃん?『三人寄ればもんじゃ焼き』ってさ!」

 

 「文殊の知恵ね。」

 

 我孫子の言葉に的確な突っ込みを入れる梶沼。すると砂川が立ち上がります。

 

 「まっ、何にしたって飯岡、こいつに免じてもうあんたの事虐めんのは止めてやるけどさ、何時までもウジウジしてたら許さねぇから。悔しかったら強くなりやがれバーカ!」

 

 相変わらず口の悪い砂川ですが、それは彼女なりの激励でした。

 

 「砂川さん達こそ、何時までも逃げてないで親とぶつかった方が良いって思う……よ。言いたい事言ってぶつかって……って私が言ったってしょうが無いよ~!」

 

 途中から尻すぼみする潤に呆れながら我孫子と梶沼が言います。

 

 「だったら先ずオメェから始めろよ。」

 

 「まっ、私等もぶつかって仲直り出来るならそれに越した事無いけど、駄目なら駄目でそのまま縁切るのもしゃーないって思ってるわよ。それじゃ……。」

 

 「待って下さい先輩方。此処での事は誰にも言わないで下さい。勝手な事言ってると思いますけどお願いします!」

 

 去って行こうとする3人に対し、リラはそう頭を下げて言います。

 

 「言わねーよバーカ。つーか、言ったってどうせ誰も信じやしねーだろ!んじゃ、礼は言わねーけどあばよ!」

 

 そう言って3人はリラと潤の前から居なくなりました。残った潤がリラに話し掛けます。

 

 「あっ、あのっ!貴女、名前は?」 

 

 「汐月リラ。リラで良いですよ?」

 

 「あっ、じゃあリラちゃん。今日は有難う。私の事、助けてくれて…。」

 

 「私は飯岡先輩だけじゃなく、あの3人の先輩方皆助けたんです。」

 

 「そ、そうだったね…えへへ……。でもリラちゃん、リラちゃんがさっき見せたあの魚みたいなのって何なの?」

 

 「それについては訊かないで下さい。まぁ、どうしてもって言うなら今度機会が有る時に話します。それより飯岡先輩、中学時代水泳やってたならまた始めたら良いじゃないですか?」

 

 「えっ?」

 

 「水泳って、身体使って運動するから筋力だって鍛えられるし、それ以上に心に凄く良いんですって。セロトニンって言うのが頭の中で分泌されて健全な心が育つみたいな話だから、先輩にピッタリだって思いますよ?」

 

 「へぇ、そうだったんだ。でも、胸が……」

 

 「此処は女子校だから何も気にする事無いんじゃないですか?他の子に触られたら恥ずかしいかも知れないですけど、そう言うのは虐めっ子じゃなかったら仲の良い人にしか普通はしないでしょうしね!」

 

 「そ、そうだよね……。じゃあ、やってみよっかな?また水泳……。」

 

 一頻りリラと言葉を交わすと、潤もその場からフェードアウトして行きます。心なしか、彼女の足取りは軽くなっていました。

 

 「じゃあねリラちゃん!明日また学校で♪」

 

 手を振ってその場を去る潤の姿を、同じ様に手を振って見送るリラ。その傍らをクラリアが仲間の水霊(アクア)達と共に∞の字を描く様に泳ぎ回っています。

 

 

 (リラ、此処での初仕事を無事終えた様ね……。だけど―――――。)

 

 

 ですがこの時、リラは気付いていませんでした。物陰から自分の事をこっそり眺めていた者の存在を―――――。

 そしてその存在に気付いているのは、後者の真上からリラを見つめるテミスだけでした―――――。

 

 

 「何なのあれ……?って言うかリラって……」

 

 

 おやおや、どうやらこの少女――――五十嵐葵は見てしまった様です。リラの秘密を……人間には知り得ない、水霊(アクア)達の生きる世界を……。

 

 




chapter:キャラクターファイル5

長瀞更紗(ながとろさらさ)

年齢   15歳
誕生日  6月30日
身長   166㎝
血液型  AB型
種族   人間
趣味   お世話(人やその他の動物問わず)、夜釣り
好きな物 小動物

リラの同級生兼クラスメイトにして五十嵐葵、吉池深優の友人。寡黙で落ち着いた性格をしており、1歩引いた所から相手を観察する一方で面倒見が良く、何かあるとお節介と言われようと世話を焼かずにいられない(早い話がオカン役)。
スタイルは3人の中で1番良く、胸揉み魔の深優からも何度も揉みしだかれているが、本人は後で「やり過ぎよ」と諫める程度で行為自体は咎めない。或る意味海の様に大らかな器量だが、その分許されざる行為には毅然と向き合う度胸も有る為、己自身の基準となる芯や軸、つまりは自分と言う物をしっかり持って崩さない強い娘である。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二章 流れる水のロンド
第5話 秘密を釣り上げて


此処から新章に突入します。主な内容はリラの入る部活動と其処から広がる人間関係です!

それではどうぞ!


 時の流れは少しだけ遡上します。

 それは、折角一緒に帰ろうと誘ったリラに振られ、少々残念な気持ちで3人が下校しようと昇降口から出た時でした。 

 

 「あーあ、リラっちも酷いよね。折角友達になって一緒に帰れるって思ったのに……。」

 

 「でも教室を出て行く時のリラの表情。凄い真剣だったわね。」

 

 「そんな大事な用事が有るなら言ってくれたら良か……」

 

 「あっ、あれぇっ……!?」

 

 深優と更紗がリラの事を話している横で、突然葵が声を挙げます。一体どうしたと言うのでしょう?

 

 「―――葵?」

 

 「何よ葵?どうしたの?」

 

 「ごめん深優、更紗!理科室にノート忘れ物したから取りに行って来る!」

 

 そう言って葵は大急ぎで1階の校舎裏に在る理科室に直行しました。

 リラ達の最後の5限目の授業は化学だった為、理科室で行われていました。その後、掃除と下校前のHRの為に彼女達は教室に戻っていたのでした。

 

 「全く、葵は高校生にもなっておっちょこちょいなんだから……。」

 

 そんな葵の後姿を、幼馴染みの深優は「やれやれ」と溜め息を吐きながら見守っていました。

 

 「有ったっ!!」

 

 机の中に手を伸ばすと、果たして其処に忘れ物のノートが入っていました。掃除の時間にこの場所を担当していたのは2年のクラスでしたが、幸運にも誰も届けなかった様です。

 只、ノートにはスイーツデコの痛い装飾がちりばめられていましたが…。

 

 「良し、皆のとこに……って、えっ?何……これ?」 

 

 ふと理科室の窓の方に目を遣ると、外の景色は何故か暗めの青のオーバーレイが掛かった色彩になっていました。それ所か、白い泡の様な物が上がっており、数匹の魚が泳ぐと言う信じ難い現象まで視界に飛び込んで来るのです。

 理解を超えた光景にその場でじっと思考停止(フリーズ)して立ち尽くしていた葵ですが、ハッと我に返って窓の外を見ると魚達が向かう先には5つの人影が有り、その内4人が光の二重螺旋に囲まれようとしていました。

 

 「何なのよ一体……?何が起こってるの?あれ?あそこにいるのって……?」

 

 果たして校舎裏で何が起こっているのか?怖い物見たさの好奇心に駆られた葵は、気が付けば理科室を飛び出して昇降口を駆け抜け、そのまま校舎裏へと向かって行ったのです。

 

 「あっ、葵お帰り……って、今度は何処行くのよ葵!?」

 

 「ごめん深優!もうちょっと待ってて!!」

 

 途中入り口で深優と更紗が当然待ち構えていましたが、謎の魚と怪現象の事で頭が一杯の彼女は深優の言葉にそう返すと、校舎裏へと全力疾走で急行します。再び待ちぼうけを喰らう羽目になった深優と更紗は、「信じられない」と言う表情でその後姿を見送っていました…。

 そして現在―――――。

 

 

 

 「何なのあれ……?って言うかリラって……。」

 

 

 

 とうとう葵は見てしまいました。入学してから2週間後の今日話し掛け、友達になったばかりのリラの正体を……。

 彼女が目撃したのは、丁度リラがアクアリウムの能力で浄化の二重螺旋を形成後してから数分後の癒しの過程でした。クラリアが最後の仕上げを行ってから先の一部始終。それを校舎裏に生えた木陰及び茂みに隠れながら様子を窺っていたのです。

 最初はその幻想的な光景に息を呑みながら、恍惚の表情でそれを見つめていました。その後のアフターケアを経て潤を見送ってから、暫くその場を泳ぎ回る水霊(アクア)達と、その中心に立っているリラだけになった時、漸く葵は我へと返りました。

 そんな彼女の心の中を満たすのはリラと言う存在に対する驚愕と、僅かばかりの恐怖心。

 言い方は悪いですが、リラに対する葵の気持ちは、宛ら得体の知れない未知の生き物を見て唖然となるのと同じでした。それこそ南極のヒトガタやニンゲン、カナダ沖のキャディの様なUMAをモロに見てしまったかの様な……。

 

 「ふあ~終わった終わった!さ~て、近くのスーパーでアロマでも買って帰ろ♪今夜はアロマテラピーでグッスリ快眠。ん~~楽しみ♥」

 

 能力を解除するとリラの半径50m以内の青のフィールドは消滅し、周囲の水霊(アクア)達も見えなくなりました。そしてそのままリラはその場を後にします。去り際にテミスは葵の隠れている茂みを一瞥しましたが、リラはそれに気付かず仕舞いでした。

 

 

 「あっ!葵、発見!」

 

 

 それから数分後、深優と更紗が遅れて葵の元に駆け付けて来ました。何時まで経っても戻って来ない為、待ちくたびれての行動でした。

 

 「葵、どうしたの?さっきから固まって……。」

 

 「もう、葵までフリーズしてどうすんのさ!」

 

 2人の呼び掛けで「ハッ!」と我に返ると、葵は乾いた笑みを浮かべながらこう返しました。

 

 「2人とも―――――ううん、何でも無い。忘れ物も持ったし、もう帰ろ?」

 

 そう言って葵は足早にその場を去って行きます。

 

 「あっ!ちょっ、待ってよ葵!!」

 

 深優と更紗が慌ててこれを追います。

 

 「待ってったら!そんな急いで帰る事無いじゃん!」

 

 「リラと一緒に帰れなかったのが残念なのは分かるけど、明日また誘えば良いでしょ?これからチャンスなんて幾等だって…」

 

 「ごめん更紗……悪いけど、今はリラの話をしないで頂戴…!」

 

 苦し気に絞り出されたその言葉に、深優と更紗は頭に大きな疑問符を浮かべました。あんなに1番リラと帰りたがってた葵が、どうしてそんな拒絶めいた発言を……?

 どうにも腑に落ちない澱んだ気持ちを抱えながら、3人は家路に就きました。

 

 (リラ……何者なのよ貴女……?分からない……何も分かんないよ!)

 

 

 そして翌日。心地良い水のせせらぎが響く霧船の校門を、何時も通りリラは潜ります。

 

 「お早う、葵ちゃん!深優ちゃん!更紗ちゃん!」

 

 「はよ~リラっち!」

 

 「お早う、リラ。」

 

 何も知らずに深優と更紗は愛想良くリラにそう返しますが、葵だけは違います。

 

 「お、お早うリラ……。」

 

 葵だけ何だか元気が有りません。それに昨日はあんなにフレンドリーに話し掛けて来たのに、今日はリラへの態度が妙に余所余所しいのです。

 彼女に対して視線を合わせる事無く俯いて、そのまま一言も言葉を交わす事無く席に着きました。

 

 「ねぇ葵、さっきからどうしちゃった訳?何時もの葵らしくないよ?」

 

 「リラと1番話がしたがってたの、葵じゃない?なのにどうして……?」

 

 「ごめん、今日はそんな気分じゃないんだ。それにほら、もう直ぐHRだから早く席座んないと……。」

 

 朝から様子の可笑しい葵の姿に深優と更紗は勿論の事、リラも少なからず疑念を感じていました。何事かと思ってアクアリウムを発動させるとどうでしょう。

 身体から少なからず穢れが出ており、内なる水霊(アクア)がその対応に追われてんてこまいだったのです。昨日アクアリウムで見た時にはとても綺麗な水の身体をしていた葵が、一体どうして?

 

 授業中、彼女はずっと葵の事が気になって離れた席から眺めていました。

 

 (葵ちゃん……どうして………?)

 

 するとテミスがその答えを間髪入れずに告げます。

 

 (それは貴女の所為よリラ。)

 

 「えっ?ちょっと何で!?」

 

 歯に衣着せずバッサリと言ってのけたテミスの回答に、リラは思わずそう叫んで立ち上がります。

 

 「汐月さん!?」

 

 「あっ、スミマセン……。」

 

 入学式の時と同じ失態を演じ、バツの悪い表情でリラは再び着席しました。深優と更紗が何事かと見つめる視線を他所に、落ち着いてリラはテレパシーでテミスに尋ねます。

 

 (教えてテミス。どうして私の所為で葵ちゃんに穢れが発生したの?)

 

 (理由は只1つ。昨日貴女がアクアリウムの能力で飯岡潤達を癒す現場を、あの子が目撃したからです―――――。)

 

 (えぇっ!?まさか葵ちゃんに見られてたの私!?)

 

 テミスからの答えにリラは驚きを隠せません。

 

 (そう。あの光景を見た葵さんは、当然の様に貴女に対して驚愕の感情を抱きました。同時に、理解を超え過ぎた未知の存在に対する恐怖の念も……。普通の女の子としての貴女だったら、彼女も友達になりたいと思った手前、色々と知って距離を縮めたいと思ったでしょう。だけど貴女は水霊士(アクアリスト)としての使命にかまける余り、折角1番友達になりたがっていた彼女の心を蔑ろにしてしまった。その哀しさと貴方への不信が今の彼女の姿なのよ。)

 

 (だって!早く飯岡先輩の事助けてあげたかったししょうが……)

 

 (言い訳は聞かないわ!そもそも貴女が癒す対象以外の人間に力を使っている事がバレる可能性を考慮していなかったから、こんな事態に発展したのよ?今の貴女がアクアリウムでブルーフィールドを展開すれば、100%で50m四方の水霊(アクア)を操る事が出来るわ。だけど、力を使うならその圏内に部外者が入る可能性をもっと考慮しなきゃ駄目よ!中学時代の貴女だったらそれ位気を配れた筈でしょ!?)

 

 リラの弁解に対し、テミスは厳しく叱咤の言葉を投げ掛けます。中学時代に虐めと戦っていた頃のリラは、人を癒す際はテミスの助言も有って第三者の目を警戒し、常に人気の無い所を選んで能力を発動していました。その時はご丁寧に、周囲に人影が居ないのをテミスを介して充分確認して行っていた物です。

 然し、自分の為に戦っていた中学時代と違い、今は純粋に世の為人の為、水霊士(アクアリスト)としての使命を全うする為の戦い。他者の為であって自分の為じゃない戦いと言う事実に、何処か気持ちが緩んでこんなケアレスミスを誘発してしまったのでしょう。

 

 (良い、リラ?これから彼女の穢れを誤解と一緒に取り払いなさい。水霊士(アクアリスト)としての使命に忠実なのは私としては喜ばしくて結構な事だけど、その為に身近な人間の心を蔑ろにし、それで穢れを生んでしまう様では失格よ?肝に銘じておく事ね。)

 

 テミスのその言葉に、リラは静かに頷きました。くすんだ穢れを断続的に吐き出し続ける葵の姿を、リラの中のクラリアは等身大のグッピーサイズになって見つめているのでした……。

 

 

 さて、1時間目の授業が終わった休み時間。リラは葵に話し掛けようとしますが、彼女は静かに黙ってその場に座ったままです。

 「私に近付くな」と言う拒絶のオーラを放つ為、癒すのは昼休みが妥当と判断したリラは、取り敢えず廊下の水飲み場で水を飲もうと廊下に出ました。

 水飲み場に立ったその時でした。不意に自分の手が何者かに掴まれる感覚が襲って来ます。 

 

 何事かと思って振り返ってみると、其処に居たのは思い詰めた様な表情を浮かべた葵の姿でした。

 

 「あ、葵ちゃん……。」

 

 「リラ、話が有るからちょっと付き合って……。」

 

 そう言うと葵は、リラの腕を引いて階段の所までやって来ました。何事かと思った深優と更紗も、こっそり尾行して階段前の物陰から2人の様子を見守ります。

 葵は言いました。

 

 「ねぇリラ、正直に答えて。昨日、私見たの。リラが変な魚達を連れて、魔法みたいな事やってるのを……。」

 

 (魔法みたいな事……?リラっちが……?)

 

 (葵、何を言ってるの?)

 

 物陰から聞こえて来る葵の言葉を2人が訝っていると、リラが答えます。

 

 「魔法?あぁ、アクアリウムの事ね!って言うか、まさか葵ちゃん見てたの!?あちゃ~、私もとんだうっかりさんだなぁ~♪」

 

 そうおどけて返すリラに、葵は呆気に取られた顔になります。当然でしょう。普通こんな事を訊かれたら、相手は嘘を吐いて誤魔化し否定したり適当にはぐらかしたりして、肝心の秘密については何も話そうとしない筈です。

 にも関わらずリラは自分の秘密を見られた事に対し、何の危機感も持たない所かあっさり肯定したのですから、葵も開いた口が塞がらないのは無理からぬ話ではありませんか。

 

 「…何なのよ?」

 

 「えっ?何が?」

 

 「何なのよリラ、あんたは!?って言うかアクアリウムって何!?あの魚と何か関係が有るの!?ねぇ教えてったらねぇッ!!」

 

 『予想外の返事』と言うカウンターパンチの前に言葉を失った葵ですが、どうにかそれを取り戻して反撃に転じます。リラに組み付き、剣呑に迫る葵の姿には陰で見ていた深優と更紗も「えっ?えっ?」と困惑するばかりで、まるで展開に付いて行けません。

 

 「ねぇ……答えてよ……お願い……。リラの事、知りたいの…じゃないと私、リラの事分かんな過ぎて怖くて仲良く出来ないよぉっ……!!」

 

 最後にはそう涙ながらに訴え、項垂れる葵の姿に溜め息を吐くと、リラは言いました。

 

 「うん、分かった。見られちゃった物は仕方無いよね。私の不注意だったし、葵ちゃんには全部話してあげる。アクアリウムの事も水霊(アクア)の事も―――――。」

 

 「私達にも話してくれないかな?その話―――アクアリウムって英語で“水槽”って意味だけど、水霊(アクア)って言うのと一緒に葵が何を見たのか気になるから…。」

 

 すると、先程から隠れていた深優と更紗の2人がリラと葵の前に姿を現します。真剣な表情で説明を求める深優の姿に、リラは目を閉じて言います。

 

 「うん、良いよ。私と友達になるなら2人にも知って貰わないとね。私の力も―――――水霊(アクア)達の事も!」

 

 然しその時でした。

 

 キーンコーンカーンコーン……。

 

 10分間の休み時間は、無情に鳴り響くチャイムによってその終焉を告げられました。4人は急いで教室へと引き返し、次の授業へと備えるのでした。

 

 

 果たして放課後、リラは3人を連れて学園近くのウォーターフロントへとやって来ました。遠い異国に最も近い海の玄関。商用私用問わず多くの船が出入りし、多くの川や水路が河口へと流れ出ており、釣り人の姿も多数散見されます。

 その中でも寄せては返す漣の音が心地良く響き、人の往来も少ない秘密の場所。蒼國に引っ越して来た初日に水霊(アクア)達の情報網で見つけた憩いの地に、リラは友達3人を連れて来たのです。

 

 「ほら、着いたわよ。此処なら邪魔が入らないでアクアリウムの事も話せるわ。」

 

 「漣の音が潮風と一緒に心地良い~♪リラっち、良くこんな場所見つけられたね?」

 

 「それも水霊(アクア)の皆のお陰なの。」

 

 「ねぇ!それで水霊(アクア)って何なの!?もう良い加減教えてよリラ!!」

 

 「落ち着いて葵。気持ちは分かるけどリラを困らせたってしょうがないでしょ?」

 

 放課後までずっとアクアリウムとリラの正体が気になって仕方が無かった葵は、収まらない強いモヤモヤに悩まされ続けていました。

 HRが終わった時にはもう勢い良く腕を掴んで、「今日こそは絶対逃がさないわよ!」と、若干ヤンデレ気味に迫って来た葵の姿にはリラ達もドン引きした物です。 身体から出て来る穢れの量も心なしか増えていました。

 いきり立つ葵を更紗が宥める中、漸く舞台が整ったと判断したリラは大きく深呼吸すると、改めて3人の顔を見渡して言います。

 

 

 「それじゃあ皆、今からアクアリウムがどんな物か見せてあげる!」

 

 

 そう告げるや否や、リラの身体がほんのり薄らとコバルトブルーの光を放ち始めました。これだけでも只ならぬ光景でしたので、葵、深優、更紗の3人はリラの様子を固唾を飲んで見守ります。

 

 次いでリラが指を鳴らすと、彼女を中心に突然周囲の空間が波紋を打った様に揺らめきました。思わず目を閉じて身構える3人。

 

 「大丈夫。皆目を開けてみて……。」

 

 リラに促されるまま3人が目を開けて周囲を見渡すと、宛ら水の底に居るかの様にあちこちから気泡が上がっています。そして見た事も無い様々な形の魚達が泳いでいるのです。それは、最初に入水自殺で川に落ちた所をテミスに救われた時にリラが見た光景と一緒でした。

 

 「凄い、まるで水の中に居るみたい……。」

 

 余りにも非現実的で理解を超えた光景を前に、深優は唖然としながらそう答えるしか出来ませんでした。普段口数の少ない更紗に至っては完全に沈黙し、そのまま周囲を泳ぐ水霊(アクア)達を見つめて観察するだけです。

 

 「ねぇ、葵が昨日見たのってこ…」

 

 「これよ!昨日私が見たのって!!ねぇリラ、リラの言ってた水霊(アクア)ってこの魚達の事なの!?この魚って一体何なの!?」

 

 深優が確認を求めるより先に葵はリラに詰め寄ります。けれどリラは平静な態度を崩す事無く説明します。

 

 「この子達はね、言ってみれば水の精霊なの。」

 

 「水の精霊?」

 

 普通なら誰も信じないであろう精霊の存在ですが、この人間の理解を超えた超常現象を目の当たりにすれば話は別です。葵と更紗が面食らう横で、深優だけが納得と言わんばかりの表情を浮かべていました。

 

 「そう。水霊(アクア)達はこの地球全体を循環する水其の物なの。海や川、池や湖、雲や霧、雨……それに人間を始めとした生き物の身体に有る全部の水の化身……つまりアバターみたいな物なの。」

 

 「じゃあ、この水の精霊……アクアって言ったっけ?それは私達人間の身体にも居るの?」

 

 「良いとこに気付いたわね更紗ちゃん。人間の身体だって70%が水で出来てるんだから、その水の中にも当然水霊(アクア)は宿ってる。葵ちゃんにも深優ちゃんにも更紗ちゃんにも――――私にもね!」

 

 そう言ってリラの身体の中から現れたのは、青白い輝きを放つ大きなグッピーの姿をした水霊(アクア)のクラリアです。

 

 「紹介するね。この子の名前はクラリア!私の中に宿る水霊(アクア)なの。そしてもう1匹―――――テミス、挨拶して!」

 

 リラがテミスの名を呼ぶと、海に発光したホタルイカを思わせるコバルトブルーの光が集まって来ました。集まって大きくなった光は、そのまま大きな水柱となって海中に飛び出し弾け、中から現れたのはシクリッドかグラミーを思わせる姿の魚でした。

 

 「あれは……!!」

 

 昨日見た水霊の姿に呆気に取られた葵は、そのまま口を鯉か金魚の様にパクパクさせるだけでした。テミスはそのままテレパシーでその場にいる3人に話し掛けます。

 

 「初めまして、私の名はテミス。リラを中学時代から見守って来た水霊(アクア)です。この子と友達になってくれて有難う、葵さん、深優さん、更紗さん…。」

 

 「いえいえ、こっちこそ、まさかリラっちがこんな綺麗なお魚さんと知り合いだったなんてビックリです!」

 

 普通にテミスと会話している深優の姿に、リラも更紗も驚きを隠せません。普通の人間なら「化け物」と恐れ、忌み嫌う様な存在をどうして彼女は自然に受け入れているのでしょう?

 

 「あ、あの…、深優……」

 

 更紗に話し掛けられ、「ん?」と振り返る深優に対して更紗は、この場に居る誰もが思うであろう至極真っ当な疑問を投げ掛けます。

 

 「どうして深優はこの人(?)と普通に話してるの?普通なら皆お化けとか言って怖がって逃げると思うけど……。」

 

 ですがそんな更紗の問い掛けに、深優はあっけらかんとこう答えました。

 

 「え?だって私、ゲームとか良くやるし漫画やアニメだって好きでこう言うファンタジー設定のも良く見てるから、多分そのお陰で順応出来てるんじゃないかな?」

 

 「そ…そうなんだ……。」

 

 「本当に頼れる幼馴染み持ったね、葵ちゃん……。」

 

 「あ、あはは……。」

 

 どうやら深優は中々にヲタクな趣味の持ち主だった様です。これにはリラも更紗も、先程まで面食らっていた葵も唖然とするしかありません。まぁ、化け物呼ばわりして排他的な態度を取られるよりはこちらの方が断然良いのでしょうけれど…。

 

すると突然テミスは再び自らをコバルトの水で包み込み、あの人間体の少女の姿になりました。葵達は当然ビックリして開いた口が塞がりません。

 

 「それはそうとリラ、『アクアフィールド』を展開したのだから次は『ブルーフィールド』を展開して葵さんを癒してあげなさい。」

 

 そんな3人を他所にテミスの繰り出す言葉に対し、「うん」と答えると、リラは再び体にブルーのオーラを立たせました。その澄んだ藍色の眼も神秘的な光を放っています、

 

 「リラっち、テミスさんの言ってるアクアフィールドとかブルーフィールドって何?」

 

 深優の問い掛けにはリラの代わりにテミスが答えました。

 

 「リラは今ブルーの方を展開する為に集中してるから私が代わりに説明するけど、先ずアクアフィールドは今貴方達が目にしている様に、一般人でも水霊(アクア)が見える特殊なフィールドを作り出すアクアリウムの能力の第一段階。そして――――――。」

 

 テミスがリラの方を向くと、彼女の周囲の空間は更にブルーのオーバーレイが掛かり始めます。

 

 「あっ、この青いのも昨日見た……!!」

 

 そう叫ぶ葵に対してリラが続けます。

 

 「そう、これがブルーフィールド。水霊士(アクアリスト)水霊(アクア)の力を100%使いこなす為の空間で、これを展開させるのがアクアリウムの第二段階って訳。」

 

 更にテミスが補足説明を加えます。

 

 「最初は1つずつ展開しなければならないけど、熟練の水霊士(アクアリスト)は2つ同時に展開させる事が可能になるわ。経験を積む度に水霊士(アクアリスト)が展開出来るフィールドは広がって行くの。今のリラなら100%で最大50m四方を囲えるわ。」

 

 「50m!?」

 

 「凄い……。」

 

 感嘆の声を漏らす深優と更紗を横目に、リラは周囲に集まって来た水霊(アクア)達を操って葵を囲い込みました。

 

 「えっ?何……?何するのリラ!?」

 

 「大丈夫。癒すだけだから何も怖くないわ――――。」

 

 リラがそう言うと、周囲の水霊(アクア)達は2つの列に分かれ、そのまま葵の周りを二重の螺旋状に下から上へとゆっくり泳ぎ始めます。

 すると水霊(アクア)達の身体は淡いブルーの白―――即ち白縹色の光の螺旋となり、葵の身体はその光に包まれました。

 

 光に包まれた葵の身体はそのまま宙に浮き、螺旋の中でその軌跡を上下になぞる様にゆったりと揺れ動くだけでした。

 

 「あぁ……何これ?凄く気持ち良い……。」

 

 螺旋から聞こえる優しい水のせせらぎの音も、その気持ちの良さに拍車を掛ける一因です。余りに心地良いその音と、揺られながら感じる優しい温かさに包まれながら、身体中から穢れが出て行くのを彼女は余計な力が抜けて行く物として感じていました。

 

 「凄く綺麗……それに、見てるだけで心が洗われそう……。」

 

 「あれ?葵の身体から何か黒いのが出て行ってるよ?」

 

 幻想的な光景に心を奪われながらも、深優は葵の身体から黒くくすんだ泡の塊の様な物が出て来るのを見逃しませんでした。

 

 「あれこそが穢れ。人間の負の感情や、不摂生によって体に溜め込んだ毒素がその正体よ。人間の内なる水を汚染し、心と身体を蝕む原因。私達水霊(アクア)は、それを浄化する為に存在する水の精霊なの。言わば地球の水の濾過機構である事こそが私達のアイデンティティー――――。」

 

 テミスの説明に深優が「へぇ、そう言う事……」と感心する中、葵を包む螺旋の中の光は一際強くなり、そのまま無数の白い飛沫となって飛散しました。

 次の瞬間、二重の螺旋とアクアリウムのブルーフィールドは全て解除され、其処には晴れやかな表情をした葵が立っていたのです。

 

 「はい、葵ちゃんの穢れはこれで全部浄化したよ!」

 

 リラがそう言うと、葵は胸に手を当てて答えます。

 

 「これが…アクアリウムの力……。さっきまでずっとやきもきして嫌な気持ちだったのに、それが綺麗に無くなってる……。それに何だか……」

 

 そう言って息を吸い込むと、葵は嬉しそうに叫びます。

 

 「とっても気分がスッキリして清々しい!!元気も一杯で何だか生まれ変わったみたい!!」

 

 身も心も全部綺麗サッパリ洗濯され、何だか命の瑞々しさすら葵は感じていました。

 

 「生物は皆水から生まれました。アクアリウムはその生命の水を完全に浄化する事により心と身体の穢れを全て除去し、更に全身の細胞所かDNAの細かな傷まで修復する事が出来るのです。」

 

 「マジ……?」、「何だか凄いね……。」と小並感全開な発言をする深優と更紗。

 そんな2人を他所に、葵はリラに抱き着いて言いました。

 

 「凄いよリラ!!アクアリウムってどんなんだろって思ってたけど、まさかリラにこんな凄い魔法みたいなのが使えたなんてね!!」

 

 「は、離して葵ちゃ……」

 

 「駄目!!離さない!!」

 

 家族以外の相手にギュッと抱きしめられるのが初めてのリラは、まさかの葵の好感度アップも有って思考が停止してしまいました。

 一頻りハグした後、葵はリラの顔を正面から向いて言いました。

 

 「最初にクラス一緒になった時から気になってたけど、やっとこれで私、リラとキチンと友達になれるよ。改めて宜しくね、リラ!!」

 

 「こ、こちらこそ宜しく、葵ちゃん……。」

 

 照れながら互いに見つめ合うリラと葵。それを微笑ましく見守る深優と更紗。何時の間にかテミスは何処かへ消えていました。

 

 (私はこれで退散するけど葵さん、深優さん、更紗さん。リラの事、お願いします。この子は何処か抜けてて心配な子だし、それに―――――)

 

 不意に4人の頭の中に、テミスからのテレパシーが響いて来ます。その最後の締めはこの様な言葉でした。

 

 (人の優しさや温もり、愛情を1番欲しがってる寂しい子だから、目一杯優しくしてあげて、味方でいてあげて下さい。何時でも、どんな時でも―――――。)

 

 数分の沈黙を置いてから、リラが恥ずかしそうにテミスに文句を言います。

 

 「もう、テミスったらお母さんじゃないんだから!!」

 

 「え~っ、どう見たってお母さんみたいだったじゃん、リラっちの!」

 

 そんな2人の遣り取りを、葵と更紗は笑いながら眺めていましたが、リラは何処か複雑そうな顔をしていました。

 

 

 下校途中、深優が好奇心からリラに話し掛けます。

 

 「そう言えばリラっち、リラっちの力で気になってたんだけど、あの場所を見つけたのも水霊(アクア)の力だって言うのはどう言う事なの?」

 

 リラが答えます。

 

 「あぁ、それは『アクアメモリー』って言って、水は地球全体を廻ってるからそれを司る水霊(アクア)達は地球の色んな事全部知ってるからそれで教えて貰ったの。インターネットよりも早くて精確な情報だから凄く便利で助かるわ!」

 

 「へぇ、じゃあ地球がどうやって生まれたかとか、恐竜が絶滅した理由とか何で明知光秀が信長を暗殺しようなんて考えたかとかも全部分かっちゃうの?」

 

 「多分分かるんじゃないかな?」

 

 「水霊士(アクアリスト)パないわねぇ……。」

 

 

 水の癒しの力のみならず、知りたい事は水に全部教えて貰える。ですが、水霊士(アクアリスト)の力は未だ未だこんな物ではありません。他にも色んな力が有りますが、それはこれから続々出て来るのでお楽しみに……。

 

 

 「ねぇ、水霊(アクア)が誰の中にも宿ってるってさっき言ってたけど、私達の水霊(アクア)ってどんなのか知りたいな…。」

 

 更紗がそう尋ねると、リラは「OK!」と尋ねて3人の周囲にアクアフィールドを展開します。

 3人の中から浮かび上がって来たのはそれぞれ葵が青灰色のエンゼルフィッシュ、深優が赤紫色のフラワーホーン、そして更紗が青い目をした白銀のアロワナでした。

 

 「これが私の水霊(アクア)……。」

 

 「結構可愛いじゃない」

 

 「とっても綺麗……。自分のだなんて信じられない……。」

 

 自分達の水霊(アクア)に三者三様の反応を示す葵達。それを見てリラがクラリアを顕現させて言いました。

 

 「3人とも凄く良い水霊(アクア)を持ってるのは実は昨日調べて分かってたの。だけど実際に見てみると予想以上ね!」

 

 クラリアは3人の水霊(アクア)達を前にすると、直ぐに近くを泳ぎ回ります。すると3匹も、それにつられて一緒に泳ぎ始めたではありませんか。

 

 「あはは、もう仲良くなってる!人間同士が友達なら、それに宿った水霊(アクア)も友達同士なんだね♪」

 

 葵がそう言って微笑む中、深優が再度リラに尋ねました。

 

 「確かにアクアリウムの能力って色々と出来て凄いけど、リラっちはどうやってこの力を手に入れたの?」

 

 何気無く深優が発した言葉に、リラは「え……?」と表情が曇らせました。深優は続けます。

 

 「ゲームとか漫画だと、こう言う力って神様みたいなのから貰うのが多いけど、やっぱり力をくれたのってテミスなの?」

 

 「う、うん。そうだけど……。」

 

 段々と表情が苦しそうになって行くのを更紗は見逃しませんでした。

 

 「やっぱり……。じゃあどうしてテミスはリラっちにアクアリウムの力なんてくれたの?って言うか、2人って何時何処で会っ……」

 

 「よしなよ深優。リラが嫌がってるのが分かんないの?」

 

 「あっ……」

 

 更紗に止められて苦しそうなリラの顔を見ると、深優は申し訳無い気持ちで一杯になりました。どうやら、何か悲しい事情が有る…。3人はそう察して、これ以上の追及は止めました。

 それでなくても、自分達は友達になってから未だ今日で2日しか経っていません。其処まで何でも打ち明けられる程の深く、親しい間柄では間違ってもないのです。

 

 「ごめんリラっち。少し調子に乗っちゃった……。」

 

 謝る深優を葵がフォローします。

 

 「言いたくないなら無理には訊かないわ。未だ其処までの仲でも無いしね。でもリラ、何時か話してくれるよね?」

 

 「葵ちゃん……。」

 

 葵の心遣いに一瞬目が潤みそうになるのを感じながら、リラは「うん!」と頷きます。

 そして4人は揃って一路、帰宅の途に就いたのでした。

 

 (葵ちゃん、深優ちゃん、更紗ちゃん……。3人と友達になれて私、とても嬉しい。)

 

 澄み渡る空と海に囲まれた水の街を見渡しながら、リラは決意を新たにします。

 

 

 (この水の街に、どれだけの穢れが溜まってるんだろう……?それは分からないけど、私のアクアリウムで囲える限り、皆の心と身体はきっと癒して見せる……。私こそが皆の水を浄める最後の濾過装置(フィルター)なんだから!)

 




キャラクターファイル6

クラリア

年齢   無し(強いて挙げればリラと同じ)
誕生日  無し(同上)
血液型  無し(同上)
種族   水霊(アクア)
趣味   他の水霊(アクア)と遊ぶ事
好きな物 リラの好きな物なら全部(特にアロマ)


リラの中の内なる水霊(アクア)。リラと同じ位の大きさの青白いグッピーの姿をしている。水霊(アクア)としてその姿を顕現したのは中学時代にリラがいじめと戦っていた頃で、彼女が水霊士(アクアリスト)として成長して行く過程の中で現身を手に入れた。極端に無口で殆ど喋らないが結構ノリの良い性格で、他の水霊(アクア)と一緒に遊ぼうとする。テミス同様人間態も有るが、それの登場は他の水霊(アクア)同様に今後のお楽しみである。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話 揺らめく水面に戯れる(序)

此処からリラの部活入部までの道のりが描かれます。


 あれから4月も終わりの第4週目に差し掛かるまでの間、リラは体験入部と称し、色んな部活動の見学に足を運んでいました。葵達もそれは一緒でした。

 バスケ、バレー、テニス、美術、陸上―――――ほぼ全制覇する勢いでしたが、全ては穢れを抱えた人間の下に近付き、癒す為です。

 葵達にもその為に協力してもらっていました。

 

 「あのっ!先輩、ちょっとお話が有るんですけど……。」

 

 コミュニケーション能力の高い葵に頼んで言葉巧みに人気の無い場所へと呼び出し、癒しの螺旋『クラリファイイングスパイラル』に包み込んでリラは穢れを取り払っていたのです。

 

 「うるっせぇな!気安く話し掛けんじゃねぇよ!!」

 

 ですが、相手によってはぞんざいに、時としてにべも無く突っ撥ねられる事も有ります。そんな時は、内なる水霊(アクア)もかなり穢れに苦しんでいる物。そんな相手に対してリラはどうするか?

 答えは多少乱暴ですが「荒療治」です。

 

 「力を貸して……『ドリス』!」

 

 (よっしゃ!ウチの出番やな!!)

 

 リラがドリスの名を呼ぶと、突然現れたのは関西弁を話す桔梗色の鯰の姿をした[[rb:水霊 > アクア]]でした。外見に付いてより厳密に言えば、“レッドテールキャット”と言う観賞魚としても人気の大型鯰です。

 このドリスは蒼國市に住み着いている中級水霊(アクア)の1体で、リラが呼べば直ぐにでも駆け付けて来ます。と言っても、水霊士(アクアリスト)が呼ぼうと思えば地球の裏に居る水霊(アクア)も直ぐに来れますが、やっぱり直ぐ近くにいる水霊(アクア)に比べると数分のタイムラグが生じる物。

 そう言う意味では、近くに居て強い力を持った中~上級の水霊(アクア)は1秒足らずで呼び出せる為、水霊士(アクアリスト)としても非常に使い勝手が良いのです。

 

 掌を翳してその上にドリスが躍り出ると、そのまま彼女は光を放って長槍(ランス)の様な形状に変化。其処へ無数のグッピーやプラティ等、リラが多く従えるメダカ型の下級水霊(アクア)の大群が集まってクラリファイイングスパイラルを形成します。

 そして――――――!!

 

 「え~~~いっ!!」

 

 癒しの槍と化したドリスを、勢い良くリラは穢れが重篤な相手の背後目掛けて投擲します。これが水霊士(アクアリスト)の使う荒療法の1つ『ハイドロスパイラルシュート』。

 クラリファイイングスパイラルを帯びた水霊(アクア)の槍を穢れに塗れた人間の体内、その中でも内なる水霊(アクア)目掛けて投擲する事で活力を送り込み、相手の穢れを浄化する荒業です。

 リラ自身、投擲スキルは決して高くはありませんが、それを周囲の水霊(アクア)達が超高性能の自動照準器の代わりになって補っている為、下手な彼女の腕でも確実に当てる事が出来ました。

 

 ドリスが身体に刺さると、そのまま穢れを抱えた少女の周りにはクラリファイイングスパイラルが発生。復活した内なる水霊(アクア)の力で内なる穢れは浄化されるのでした。

 そうして癒しの副産物で心が凪ぎ、相手が周りを拒絶しなくなった状態になった所へ、リラは偶然を装って近付き、心のケアを施しました。

 地球を廻る水霊(アクア)達の智慧を借り、心にまた穢れを溜めぬ様にどうしたら良いのか的確に助言をする。それもまた、水霊士(アクアリスト)の仕事です。

 

 「リラっち、お疲れ~♪」

 

 「周りには誰も人は来なかったから安心して。」

 

 勿論、部外者に見られない様にする意味でも場所と状況はしっかり選んで決行してましたし、葵と深優と更紗も協力者として人払いをやったりしていました。

 

 部活の体験入部を口実に水霊士(アクアリスト)としての活動を4月末近くまで一通り行い、霧船で穢れを抱えた生徒の内の過半数を何とか癒しましたが、その過程でリラの藍色の瞳は色々と見て来ました。

 彼女達が何を理由に穢れをその内に溜めるのか?有り体に言えばどんな悩みを抱えて苦しんでいるのかを………。

 

 

 先輩を中心に1番多かった進路、言い換えれば自分の将来への不安……。

 親からの過干渉……。

 恋愛への憧れと苦悩……。

 友達の出来ない孤独……。

 部活関連では自身の能力の伸び悩みや、レギュラーに選ばれない事等への懊悩……。

 

 

 蓋を開けてみれば「何だそんな事か」と誰もが思いそうな事でも、当人達にとっては切実な悩みである事に変わりは有りません。

 思春期と言う子供と大人の境界線で、少女達は迷いと悩みの激流に翻弄されながら生きているのです。苦悩や懊悩に戸惑い、時に周りに反発したり、けれど本当は寂しくて怖くて、助けて欲しい純粋な子供の一面も有る………。

 そんな女子高生達の心は、正しくサルガッソー海の様な物。

 バミューダトライアングルを含む北大西洋に位置し、海藻に絡み付かれて船が難破すると言う『魔の海の伝説』で恐れられているサルガッソー海ですが、本当は世界一透明度が高く、何と66.5mもの深い所までくっきり見える程澄んでいます。まさしく思春期の少女の心の様ではありませんか!

 何にせよ、現実の奔流の中に在って、それでも前に進もうともがく彼女達の問題は、本来1人1人が解決すべきそれ。故に、水霊士(アクアリスト)としては余り干渉すべき事ではないのかも知れません。

 然しその一方で、多感な時期の子供の心と言うのは非常に脆く、ともすれば暴走して有らぬ方向へ進んでしまう危うさすら孕んでいる物。余り相手が苦悩で根を詰め、ストレスで己自身を徒に追い詰めて穢れを溜め込まない様にする意味でも、その心を癒す存在と言うのはやはり必要でしょう。

 それこそが水霊士(アクアリスト)としての自身の役目とリラは定めているのでした。

 

 

 さて、延々とリラの営みを駆け足でお話して来ましたが、此処からが本題です。それは、4月も残り一週間を切り、生徒達がこれからゴールデンウィークに突入せんとしている時期の事でした。

 

 「ねぇリラ、皆の事頑張って癒してるけど、部活はもう決めたの?」

 

 「体験入部って事であちこち回ってたけど、そろそろ部活決めないと不味いんじゃないかな?」

 

 HRを何時も通り無事に終え、荷造りを始めるリラに葵と深優が話し掛けて来ます。

 

 「そう…だね。まぁ、私は別に帰宅部でも良いんだけど、折角の高校生活なんだから部活動で青春の汗を流す位はしたいよね。」

 

 「何その理屈?テンプレ過ぎない?」

 

  リラの言い分にそう苦笑いしながら深優が突っ込みを入れると、徐にリラは近くを泳ぐグッピー型の水霊(アクア)を手に乗せて呟きます。

 

 「あ~でもどうせだったら水に関係した部活動なら良いんだけどな…。」

 

 「この前の漕艇(ボート)部じゃ駄目なの?」

 

 「ボートも良いんだけど、やっぱり直接水に触れ合うのが私は1番楽しいって思うの。水霊士(アクアリスト)としては。」

 

 すると更紗が思い出した様に言いました。

 

 「――そう言えば、未だ回ってない部活が1つ残ってたよね?」

 

 更紗の言葉を受け、リラは重大な何かを見落していた事に気付いた様にハッとなります。

 

 「あぁっ、あれね。確かに水関係でリラにはドストライクかもだけど、あの部活ってもう少ししなきゃ始まんないんじゃ……ってあれ、リラ!?」

 

 葵がそう返し終わるか終わらないかの内に、リラは弾かれる様に教室を飛び出して行きました。アクアフィールドを展開していないから3人には見えていませんが、その部活の場所へと急行する彼女の周りには既にグッピーやプラティ、モーリーの様なメダカ型の下級水霊(アクア)の群れが随伴しています。

 テミスは今回は付き従っていませんが、リラの内なる水霊(アクア)であるクラリアは当然顕現し、随伴する下級水霊(アクア)達の先頭を泳いでいました。

 

 「着いた!此処だわ!」

 

 リラが立っている場所。其処は――――――――『霧船女子学園水泳部』の部室である更衣室でした。

 そう、未だリラが唯一見学していない部活動――――――それは水泳部だったのです。確かに水と直接肌で触れ合えると言う意味では、リラにとってこれ以上ない程ピッタリでしょう。然し、水霊士(アクアリスト)としてのスイッチが入った今のリラからはそんな思考は抜け落ちていました……。

 

 

 (―――――リラ、此処に強い穢れの残滓を感じる………。)

 

 クラリアの言葉を受けてアクアリウムの能力を発動すると、確かに大きな黒い染みの様な物が更衣室の扉に浮遊しているのが分かります。水泳部に所属する子の中に、強い穢れを抱えているのは確実です。

 それ以前にも他の部活動見学でリラは水泳部の更衣室の近くを何度か通り過ぎましたが、その度に嫌な感じを覚えていました。どうやらその直感は間違ってはいなかった様です。

 内なる水霊(アクア)であるクラリアがリラの心に働き掛けたからと言うのも有るでしょうけれど、リラ自身も水霊士(アクアリスト)としてそれなりに経験を積んで来たからこそ見抜けたのでしょう。

 

 「やっと追い付いた!」

 

 「も~~~う、リラったらいきなり飛び出してくんだもん!行くなら一言声掛けてよ!!」

 

 不意に背後から響く声。何事かと思って振り返ると、葵と深優と更紗の3人が追い付いて来たのでした。

 

 「ごめん。でもどうしても穢れを綺麗にしたくって……。」

 

 「穢れって……そんなに酷いの?」

 

 更紗に問いに対し、リラがアクアフィールドを3人の足元に展開すると、彼女達の視界に飛び込んで来たのは黒い雲の様な大きな穢れの塊でした。然し、それを下級水霊(アクア)達が集団で食べる事で浄化しています。

 

 「うわぁ、こんな汚い雲みたいなのが穢れなんだ…。」

 

 「凄く大きな綿埃みたいなのがあっちこっちに浮かんでるよ。何か嫌な感じ………。」

 

 「でも、水霊(アクア)の子達が綺麗にしてるから取り敢えずは良いんじゃない?」

 

 浮遊する黒い穢れを見て率直な感想を述べる葵達3人の一般人。然し、リラは最後の更紗の言葉に対して訂正の言葉を述べます。

 

 「駄目よ更紗ちゃん、確かにこの辺の穢れを今この子達が綺麗にしてるけど、これは“穢れの残滓”なの。そして穢れを生み出す原因は、人間の中にしか無い。この2週間で何度も見てるから分かるよね?」

 

 その言葉に対して返答したのは深優でした。

 

 「穢れの元になってる人の事を癒さなきゃ、根本的な解決にならないって事だよね。うん、それは分かってる。」

 

 「でも、これだけ凄い穢れを出す人って一体――――――?」

 

 想像しただけで葵はそこはかとない不快感を感じました。これだけの穢れを残滓として周辺に漂わせるとは、原因となっている人間の心は相当苦しくて追い詰められているに違いありません。

 ともすれば嘗てのリラ同様、自殺を思い立っても何ら不思議では無い位に―――――。

 

 

 「ちょっと貴女達、其処で何をしているの?」

 

 

 すると突然近くの廊下から、自分達4人に話し掛ける声が響きました。心なしか言葉には強い語気が含まれています。

 何事かと思って声のした方を向くと、170㎝は有ろう長身の女子が立っていました。モスグリーンの瞳に先端を結った茶髪のロングヘアーで、水泳には邪魔では無いかと思う程の大きな胸を大震災と言わんばかりに揺らしながらこちらに近付いて来ます。

 

 「うわ大っきい……90は有るかも―――――?」

 

 「えっ、あっ、いや、その私達は………。」

 

 深優がそう不謹慎な事を呟く中、突然話し掛けられて面食らうリラは上手く言葉を返せません。元々の性格も相まって、相手に強気に出られると委縮してしまうタイプなので無理は有りません。

 思わず更紗の陰に隠れてしまうリラの事を慮ってか、真っ先に口を開いたのは葵でした。

 

 「私達、水泳部に入りたくて来たんです!!」

 

 葵の出した助け舟に、リラは思わず彼女の顔に視線を落とします。口角を挙げてニッと微笑む葵のフォローを受け、リラも気を取り直して隠れるのを止めて続きます。

 

 「そ、そうです!取り敢えず体験入部だけでもと思ってッ……!!」

 

 リラの言葉を受け、背の高い女子は先程までの険しい表情から一転、穏やかな顔で答えました。

 

 「あら、入部希望者だったの?それなら話は早いわ。立ち話も何だし、一先ず部室に入りましょう?」

 

 そうして5人は更衣室に入ると、設えられた椅子に座って話をする事となりました。

 

 

 「私の名前は『前橋(まえばし)みちる』。3年生で水泳部の部長をしているわ。それで、貴女達は?」

 

 みちると名乗った水泳部部長の言葉に促され、4人も自己紹介をします。

 

 「わ、私は汐月リラ。1年生です!」

 

 「同じく1年生の五十嵐葵です。」

 

 「1年生で葵と幼馴染の吉池深優です!」

 

 「長瀞更紗。1年生です。」

 

 「汐月さん、五十嵐さん、吉池さん、それに長瀞さんね。宜しく。」

 

 名前と合致させるべく4人の顔を見渡しながらそう返すと、みちるは言いました。

 

 「入部してくれるのは嬉しいけど、見ての通りウチは未だ本格的なプール開きはしていないの。未だ後一週間はしてからじゃないとね。霧船じゃ毎年4月の末頃にプールの清掃が行われるんだけど、次の5月のGW明けじゃないと正式なプール開きにはならないの。」

 

 通常、学校でのプール開き、及びその為の清掃は早くても5月、遅くても6月初頭に行われる物ですが、末頃とは言え4月とは早い位です。これも人々が泳ぎに親しむ水の都たる蒼國ならではの特色でしょう。

 

 「えっ?じゃあ泳げるのは未だ先なんですか!?」

 

 残念そうにリラはそう返しますが、勿論これは未だ泳げないのが惜しいからでは無く、部員である女子の穢れを浄化する為に体良く近付く事が現段階で難しいからです。勿論、水霊士(アクアリスト)としてその穢れを抱えた女子を特定して近付く事も出来ますが、迂闊に近付いて能力を行使して前回の葵の様に第三者へと正体がバレても面倒なだけですからね。

 こうしたアフターケアこそが、リラの水霊士(アクアリスト)としての活動に於いて最も大変でやり辛い点である事は言うまでも無いでしょう。ただ、その点は葵達が上手い事補ってくれているから幾分やり易くはなっているのですが…。

 

 そんなリラの心中など気付く事も無く、その表情から相手を「早くウチで泳ぎたい位水泳に対して情熱の有る子」と思ったみちるは微笑みながらこう返します。

 

 「大丈夫よ。この蒼國は水の都なんだから、学校のプールが使用禁止の時でも水泳部員の子達は皆市民プールや安全な川辺とかで自主練してるわ。だから学校のプールが閉鎖されてたって平気。でもやっぱりホームグラウンドのプールの方が、私も皆も練習に身が入るのは事実だけどね♪現に今の私も、早く学校のプールで泳ぎたくてウズウズしてるもの!」

 

 未だプール開き処か清掃すらしていないのに、目の前の部長の少女はとても水泳に対して直向きで情熱のある先輩である様子。アクアリウムの能力をこっそり発動してみると、みちるの内なる水霊(アクア)はとても活発に動き回っています。因みにその姿はオウムガイの様な形。どうやら其処まで大きな穢れを抱えている様には見えませんでした。

 然し、水霊士(アクアリスト)であるリラの目は誤魔化せません。確かに大きな穢れこそ抱えていませんが、その一方で彼女の内から次々と湧き出る穢れの浄化にみちるの内なる水霊(アクア)はてんてこ舞いの様子。活発に動き回っていたのはその為でした。

 このままでは、何れみちるの内なる水霊(アクア)も止め処無く湧いて出る無尽蔵の穢れの前に、やがて力尽きてしまうでしょう。そうなれば、みちる自身も壊れてしまうかも知れません。

 

 「言われて見たら確かにこの街って泳ぐとこ一杯有りますよね!」

 

 「プールが使えなくても泳ごうとするなんて、流石は水泳部ですね。」

 

 みちるや未だ顔も知らない部員の子達の直向きさに、率直な感想を漏らす葵と更紗。因みに深優はみちるの顔を見ている様に見せ掛け、終始その豊満な胸に先程から視線を相手に気付かれない様送っていました。

 そんな中、意を決したリラは、みちるに尋ねました。

 

 「あの、前橋先輩……1つ訊きたい事が有るんですけど―――――。」

 

 「何かしら汐月さん?」

 

 不躾ながら自身に質問をしようとするリラですが、みちるは迷惑がる素振りを見せずにやんわりとこれを受け付けます。本題に入るべく、リラは口を開いて言いました。

 

 

 「先輩は悩み事とかは無いんですか?例えば“誰かの事”とかで―――――――」

 

 

 リラがその言葉を口にした途端、「なッ!?」と声を挙げると共に、先程まで穏やかだったみちるの表情が曇り始めました。まるで晴れた青空の海に、これから時化が押し寄せんとする前触れの様に………。

 その様子に葵、深優、更紗の3人は困惑しながら、リラとみちるの2人の顔へと交互に視線を送ります。

 

 「い、いきなり何を言い出すのかしら?別にそんなのは無いけど…。」

 

 努めて平静を装ってそう返すみちるですが、突然目を逸らして余所余所しい態度を取る彼女の姿勢にリラは確信しました。“どうやら穢れの大元の人物に心当たりが有る=鍵を握っているのはこの先輩で間違い無い”と言う事を―――――――!!

 有り体に言えば図星だったと言う事です。

 

 「ちょっとリラ、駄目だよ初対面の人にいきなりそんな事言うのは……。」

 

 「そうだよリラっち、そう言うのはもっと親しくなってから……。」

 

 慌ててリラを止めに掛かる葵と深優ですが、リラは御構い無しに続けます。

 

 「本当にそうなんですか?先輩は何か知ってるんじゃないんですか?私、力になりたいんです!悩みや苦しみを抱えて、穢れを溜め込む人の事を……」

 

 「良い加減にして!!何なの貴女!?初対面の相手に向かっていきなり『悩みが無いか』なんて訊いてどう言う心算よ!?入部希望者なら受け付けるけど、冷やかしだったら出て行って頂戴ッッ!!!」

 

 そう怒ってみちるが思わず豊満な胸を揺らして勢い良く立ち上がると、4人はそのまま彼女の剣幕に威圧されて言葉を失いました。深優はこんな時でも上下に大きく揺れる震源地をじっと見つめています。

 

 「……ごめんなさい先輩。いきなり失礼な事言っちゃって………。」

 

 そうしおらしくなったリラは頭を下げて謝罪します。

 

 「前橋先輩、この子には後で私からも言って聞かせますから許して下さい。それと、私達は冷やかしじゃ無いです。」

 

 「そうです先輩!私達、この2週間入る部活探して色々と見学してたんです!」

 

 「最後に残ったのがこの水泳部だったんですけど、前橋先輩の話聞いて私も水泳やってみたいなーって思う様になりました!」

 

 口々に弁解する更紗と葵ですが、深優の言い分は明らかに建前であると言うのは秘密にして置いて下さいね?

 

 「そう……私もごめんなさいね。つい大声出したりして……。其処まで入りたかったら入部届を出すと良いわ。私からも顧問の村上先生に頼んでおくから…。」

 

 みちるがそう言うと、4人は「では、失礼します!」と言ってそのまま更衣室を出ました。

 

 

 「悩み……か………。」

 

 

 4人が居なくなった後、1人俯いてそうみちるは呟きます。そうして立ち上がって窓を開け、解禁の時を待つ霧船のプールを彼女は見つめました。

 すると彼女の頬から、突如一筋の雫が伝い落ちます。気付けば身体も小刻みに震え、その目には大粒の涙が溜まっていました。

 

 

 

 「もう今年だけだよ……私達がこの学校で泳げるの……………?何時になったら帰って来るの…………?ねぇ………………『忍』―――――――――……!!」

 




と言う訳で、リラの入る部活は水泳部でした!……って水がテーマだから定番っちゃ定番かな?他にボート部や水球部ってのも有るだろうけど、やっぱり水にまつわる部活動の王道は水泳部!って感じで自己弁護してますけど、ともあれ水泳部の問題を果たしてリラは無事に解決し、スッキリ入部出来るのか!?乞うご期待下さい!


キャラクターファイル7

前橋みちる

年齢   17歳
誕生日  6月21日
身長   170㎝
血液型  B型
種族   人間
趣味   書店巡り
好きな物 カモメとの触れ合い(家の周りを良く飛び回る為)

霧船女学園水泳部の部長。女子としては長身の部類である170㎝もの背丈に加え、バスト90と言う明らかに泳ぐのに邪魔ではと思わざるを得ない程の豊満な胸を誇り、モスグリーンの瞳に先端を結った茶髪のロングヘアーが特徴で良く手を後ろ手に組む。また、その背の高さ故に手足も相応に長く、モデルにスカウトされた事も有る程の美少女である。包容力が有り、普段は穏やかだが怒ると怖く、他の部員をしてまるで海の様と言わしめる性格で、取り分けいきり立つと胸が大きく揺れる。
水泳部部長であるだけあって苦手な泳ぎは無く、1番得意なのは自由形。

因みに実家は世界的な大企業のトップであり、文字通り深窓の令嬢である。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第7話 揺らめく水面に戯れる(破)

 「もう、駄目じゃんリラ!初対面の相手に対して「何か悩み有りませんか?」なんていきなり訊いてさ!」

 

 「しかも強気で食い入る様な態度になるんだもん。しかも地味に穢れがどうとか言ってるし…。前からそうだけど、本ッ当リラっちって目の前の使命の事になると周りが見えなくなるよね!」

 

 更衣室を後にした4人は、そのまま廊下を歩いて教室へと一旦戻ります。然しその道すがら、リラは葵と深優から“水霊士(アクアリスト)としての自身の使命にかまけた周りの見えない言動”について叱責を受けていました。

 

 「ごめんなさい……3人とも。でも私、早く穢れに苦しんでる水霊(アクア)を助けてあげたくって………。」

 

 「気持ちは分かるけど、別にその人の中の水霊(アクア)って言うのだって死ぬ訳じゃ無いんでしょ?水が死ぬ訳無いもんね。」

 

 深優のこの的を射た発言に、リラは思わず目を丸くしました。確かに、水に死と言う概念等有る筈も有りません。それは固体、液体、気体と形を変えて絶えず流れ続けてこの星を循環し、生命の誕生と生育を齎す存在。

 そんな大自然の一部であり、生命の源足る物質である水に、本来生も死も無い。況してや水の精霊足る水霊(アクア)は、大局的な視野で見ればそんな大自然の意思が水と言う属性を以て具現化した物。

 例え穢れに苦しんだとしても、それは何千、何万、何億年と連綿と続く時の流れの中のほんの一時の事に過ぎないのです。時が経って宿主が死ねば、内なる水霊(アクア)も其処から解放されて自由になる。

 勿論、穢れがどうしようもない位に蔓延すれば苦しいでしょうが、そのまま活動停止に陥るだけで死ぬ訳では有りません。

 只、それでも活動停止して動けなくなっている間でも、別に意識が無くなる訳では無いのでやはり苦しい物は苦しいのですが………。

 

 「でも、普段大人しいって言うか引っ込み思案なのに、水霊士(アクアリスト)の使命になると急にアクティヴになって押しまで強くなるなんて、リラって面白いよね。」

 

 普段のリラの性格を間近で見て知っているだけに、更紗は水霊士(アクアリスト)として行動している時のリラとのギャップに対して素直な感想を述べます。

 

 「え?……いや、まぁね。水霊(アクア)を早く癒さなきゃって思ったら、居ても立っても居られないし、相手に強く出られたって負けちゃいけないって思うから……。」

 

 顔を赤らめながらリラがそう返す横で、深優が右手の五本指を屈伸運動させて言いました。

 

 「でもあの先輩大っきかったよね。水泳部に入ったら毎日あの先輩と一緒……う~~ん楽しみだなぁ♪」

 

 「えっ?何が?」

 

 「深優、あんた………。」

 

 突然それまでの話とかけ離れたそれをする深優に、リラは困惑するばかりでした。然し、葵は幼馴染みと言う事も有ってそれがどう言う事か直ぐに理解し、同時に呆れた目で深優を見遣ります。

 すると深優は突然リラの横から消えたかと思うと、不意に更紗の背後に現れて……。

 

 「えっ?消えた?」

 

 「何?」

 

 「だけど取り敢えず更紗からにするね!それじゃ、揉みしだきまーす♪」

 

 そう言うと深優は徐に更紗の脇の下から手を潜らせると、何とそのまま堂に入った手付きで彼女の高校1年生の女子にしては大きい胸の膨らみを容赦無く揉み始めたのです!

 

 「なッ!?ちょっと深優……何を……んんッ………!!止めてっ♥止め………んはああ~~~~~んッ♥」

 

 「う~~ん、教室で最初会った時から気になってたけどやっぱ更紗って大きいよね♪ずっと揉みたかったんだ~~~~♪前橋先輩の前に更紗の事一~~~~っ杯揉んであげる♥」

 

 「なッ、ななな何やってんの深優ちゃん!?ねぇ葵ちゃん、一体深優ちゃんどうしちゃったの!?」

 

 突然の出来事にリラは全く理解が追い付きません。思わず葵に尋ねると彼女は溜め息を一息吐いて説明します。

 

 「ごめんリラ…、それに更紗にも未だ言ってなかったわね。深優って“おっぱい星人”なの……。」

 

 「おっぱい星人!?」

 

 「…って何?ってあぁぁあはあああぁぁぁ~~~~~んッ♥……ウゥゥゥッ………♥」

 

 意味不明な単語に思わずリラと更紗に対し、葵は続けます。深優は依然更紗の胸揉みに夢中です。

 

 「簡単に言うと巨乳大好物の胸揉み魔。つまり胸の大きい子が好きで好きで仕方無くって、見つけると今更紗にやってるみたいに揉まずにいられないの。さっきみたいに『揉みしだきます!』って言ってね………。」

 

 「み、深優ちゃんにそんな癖が……。」 

 

 「癖って言うより重度の悪い病気ですねこれは……。まぁ命に関わる様な物じゃないから治さなくても良いのだろうけれど。」

 

 唖然とするリラを他所に、突然背後から響く声。何事かと思うと、深優が更紗の背後に回って抜けた間を通り抜け、テミスが現れました。

 

 「テミス!?」

 

 「えっ?テミスが居るの其処に!?」

 

 「うん、ちょっと待ってて……。」

 

 そう言ってリラがアクアフィールドをその場にいる自分以外の3人を包む様に展開すると、葵の目にもハッキリとテミスの姿が見える様になりました。4人の周囲にしかフィールドを展開していない為、他の人間にテミスは見えません。

 当然、周囲には泳ぐ大小様々な水霊(アクア)達の事も――――――。

 

 「あっ、ホラ深優!テミスが出て来たから止めて……。」 

 

 「えっ?テミス?あっ、本当だ!」

 

 アクアフィールドによってテミスの姿を視界に捉えると、深優は漸く胸揉みを止めて更紗から離れました。漸く解放された更紗は「ハァハァ…」と喘ぎ声を出しながら、その場に膝を折って蹲っています。

 

 「リラ、これから貴女はあの水泳部に蔓延する穢れの元を浄化しに行くのね。」

 

 「うん。その心算だけど?」

 

 人間態に変化したテミスの問いにリラがそう答えると、テミスは3人の友人の顔を一通り見回して言います。

 

 「これから貴女が浄化しようとしている者の穢れは、恐らく一筋縄では行かないわ。その子の心は絶望で頑なに閉ざされているから……。」

 

 「えっ、絶望で……?」

 

 「そう、絶望はあらゆる穢れの中でも最も除去が困難と言われているわ。水霊士(アクアリスト)がどれ程手を尽くしても、それだけでどうにか出来る程簡単じゃない。「クラリファイイングスパイラル」や「ハイドロスパイラルシュート」では難しいでしょう。」

 

 「そんな……じゃあ、一体どうすれば良いの?」

 

 何時もの得意技が通用しない程の穢れだと聞かされ、動揺を隠し切れないリラに対し、テミスは言います。

 

 「―――――1人で癒せない穢れでも、友達の力を借りればきっと洗い流せる。自分と友達の内なる水霊(アクア)の力を信じなさい……。」

 

 そう言い残すと、テミスはコバルトブルーの飛沫となって消えて行きます。

 

 「待ってテミス!そんなに酷い穢れの持ち主は何処へ行けば会えるの!?」

 

 リラの問い掛けに対し、テミスは答えます。

 

 「貴女の住んでいるアパートの直ぐ近所の家に住んでいるわ。アクアフィールドを展開すれば分かる筈よ…?」

 

 そう言い残すと、テミスは再び何処かへと去って行きました。気付けばもう時刻は17時半を回り、空はすっかりオレンジ色の夕焼けに染まっていたのです。

 

 「私達の内なる水霊(アクア)……クラリアだけじゃ駄目って事?」

 

 リラの内なる水霊(アクア)であるグッピーの姿をしたクラリアが顕現し、4人の周りを下級水霊(アクア)を率いて泳ぎ回ります。

 

 「じゃあ、私の水霊(アクア)……アンジュの力が必要な時が近いって事なのかな?」

 

 葵がそう言うと、彼女の中からエンゼルフィッシュの姿をしたアンジュが顕現しました。

 

 「えー?違うって!ブルームでしょブルーム!」

 

 負けじと深優が言うと、彼女の中からフラワーホーンシクリッドの姿をしたブルームが顕現します。

 

 「プラチナじゃない?」

 

 更紗の内なる水霊(アクア)であるアロワナの姿のプラチナも負けじと顕現し、悠然と4人の周りを泳いでその巨体を誇示しました。

 

 「3人とも喧嘩しないでったら!明日その人の所へ一緒に行こ?その時に3人の力借りるから!ね?」

 

 「リラがそう言うなら……」

 

 葵がそう返すと、そのまま4人は教室に一旦戻ると、学生鞄を手に職員室へと足を運びました。水泳部入部の為に必要な入部届を貰う為です。

 

 「お前等か。前橋が言ってた水泳部に入りたいって1年は?」

 

 マイペース且つ中性的な口調のこの人物こそ水泳部の顧問である『村上先生』その人。みちるのクラスである3年B組の担任で世界史の担当でも有る女教師です。歳は26で彼氏いない歴=年齢ですが、本人の前では禁句である様子。どう見てもそんな事気にする様な顔にも見えないのですけれどもね?

 何はともあれ、みちるはあの後先生に携帯で事情を話してくれていた様子。その甲斐有ってスムーズに入部届を先生から受け取ったリラ達は、 それから何時も通りの取り留めの無いガールズトークに花を咲かせながら家路に就いたのでした。

 やがて3人と別れて自宅のアパートに着くと、早速リラはアクアリウムの能力を発動させて周囲の民家を見渡しました。すると―――――。

 

 

 「もしかして……あの家?」

 

 

 リラの住むアパートの向かいから東に数軒離れた家。その2階の窓がまるで深海の様に真っ黒に染まっていました。穢れが酷く充満しているからか、窓の隙間からも微量ながら抜け出ています。

 穢れの濃度が余りに酷い為か、近くを泳ぐ水霊(アクア)達も避ける程です。

 

 「日浦……さん?」

 

 恐る恐るその自宅の表札を見ると、其処には『日浦』と書かれていました。テミスの話とみちるの言葉を総合すれば、この家に住む日浦と言う人は恐らくみちると仲の良い先輩で、それが何か大きな問題を抱えて今苦しんでいる―――――。

 そう考えるのが自然な流れでしょう。けれど、見ず知らずの自分が今堂々とこの家に上がり込む訳には行きません。

 然るべき手順を踏まなければ、いきなり上がり込んでも拒絶されてますます穢れを溜め込んでしまうでしょう。

 

 

 「う~~~ん、どうしよっか……。」

 

 

 何とか日浦と言う人に近付く為には、やっぱりみちるに取り入るしか無い。そして取り入る為には先ず、水泳部に入ってお近付きになるしか有りません。 

 だけど入ってからどうやってみちるに近付き取り入るか?残念な事に今の自分の頭では幾等考えても答えなんて出て来ません。

 

 「あ~もう考えんの止めよ!取り敢えず晩ご飯にしようっと。一緒にアロマも買って来なきゃ!」

 

 そう言ってリラは近くのスーパーへと、近くの川や水路から流れる水の心地良いせせらぎをBGMに、夕飯の材料を買いに出掛けて行きました。

 

 

 

 さて、当の日浦家では――――――。

 

 ツリ目に黒髪にショートヘアーが特徴のボーイッシュな少女が、部屋で1人で静かに学校の教科書に目を落として勉強していました。

 けれど、その目には光が無く、何処か満たされない、やり場のない鬱屈した感情を抱えているのがありありと伝わって来るかの様でした。

 その時、彼女の携帯にメールが届きました。

 

 「何だ?みちるから―――――?」

 

 ぎこちなく左腕を伸ばして携帯を掴んだその瞬間でした。

 

 「痛ッ……~~~~~~~ッッ!!!」

 

 不意に左肩に走る激痛に彼女は携帯を床に落としてしまいます。

 

 「糞ッ……もうあたしは一生このままなのかよ……?もうこのまま……ずっと……ずっと泳げないままなのかよ………!?畜生……畜生オオォォォォォッ!!!」

 

 目から大粒の涙を流し、苦悶の表情で自分の左腕を睨みながら、少女はその場に蹲って呻いていました。

 一方、当の携帯の画面には送られて来た1通のメールが送られて来ましたが――――――――。

 

 

 『忍……今年また新しい子が水泳部に入って来たよ?皆1年の頃の貴女みたいに目がキラキラしてた………。ねぇ忍、本当にもう駄目なの?皆と一緒に泳げるの、今年で最後なのに………。』

 

 

 市民プールからの帰りでしょうか?濡れた髪を風になびかせながら、自分の文面が綴られた携帯の画面を見ながらみちるは1人、寂しく家路に就くのでした―――――。

 

 

 次の日の放課後の事です。4人は昨日の内に記入の終わった入部届を、顧問の教師の所に提出しに来ていました。

 

 「んじゃ、これでお前等4人も晴れて水泳部の一員だな。宜しくな、汐月、五十嵐、吉池、長瀞。」

 

 必要事項の記入され、捺印の入った入部届を受理すると、気怠そうに顧問の村上先生は今年水泳部に入る1年の4人の新戦力にそう挨拶します。

 

 「はい、宜しくお願いします!」

 

 「宜しくお願いします!」

 

 「宜しくお願いします、先生――――――。」

 

 「頑張りますから先生の胸揉ませて下さい!」

 

 「駄目だ。」

 

 顧問の気怠げな挨拶とは対照的に、元気と若さに溢れた言葉でリラ達は挨拶を返します。尤も、最後の深優の請願は即刻却下されてしまいましたが…。

 すると村上先生は次の瞬間、リラにとって興味深い発言をしました。

 

 「然っかし今年は新しく入る奴が多いな。お前等4人の前に、2年からも新しく入るって奴が3日前に出て来たしよ。」

 

 「えっ?2年からもですか?それって一体――――――」

 

 リラが口を開くより先に葵が尋ねると、村上先生は答えます。

 

 「“飯岡”って名前の奴だよ。2年3組で出席番号4番の飯岡潤……ってお前等に言っても分かんねーか。」

 

 「やっぱり飯岡先輩だったんですか!?」

 

 先生の口から出た“飯岡”と言う単語に、思わず反応するリラ。然し、直後に周りの先生がさも迷惑そうに口元に人差し指を立て、無言で抗議をし始めた物ですからそのまま委縮します。

 

 「……ごめんなさい。」

 

 「何だ?お前、知り合いだったのか?」

 

 「はい、この前知り合ってちょっと話しただけですけど、あの人も水泳部に入るんだなって思うと何だか嬉しくって……。」

 

 そう、リラはとても嬉しかったのです。あのいじめられっ子だった潤が宣言通り水泳部に入って、これから入部すれば自分達と一緒に泳ぐ事が出来る―――――。

 やっぱり自分の入る部活は此処しか無いと、この時リラは改めてそう確信しました。

 

 「じゃあ前橋部長にも改めて挨拶しに行きますから、私達はこれで…。」

 

 「あぁ、待てお前等。」

 

 職員室から出て行こうとするリラ達4人を、不意に村上先生は呼び止めました。一体自分達に何の用が有って先生は自分体を呼び止めるのか?

 気になりながら再び村上先生の下に集まると、先生は言いました。

 

 「前橋と昨日会って話したそうだな?お前等、あいつの様子はどうだった?」

 

 「えっ?どうって言われても……」

 

 突然みちるの事で質問され、葵は困惑してどう答えたら良いか分かりません。

 そんな彼女に代わって口を開いたのは、意外にもリラでした。

 

 「はい、悩みが無いか訊いたら凄く怒ってました!」

 

 あっさりと昨日の事をぶっちゃけるリラの前に、友人3人と村上先生は目が点になりました。

 

 「…お前、いきなりそんな事訊いたのか?」

 

 若干ドン引きしながらそう切り出す村上先生に対し、リラは澱む事無く続けます。

 

 「はい。でも怒ってムキになって否定するなんて、何か訳が有るんですよね?」

 

 「ちょっとリラ!見ず知らずの相手にいきなりそんな事言われたって迷惑に決まってるって昨日言ったでしょうが!」

 

 昨日の事を蒸し返すリラを、葵が再び怒って一喝します。

 

 「でも葵ちゃん、本当に悩みが無いなら取り乱さないで面と向かってキッパリと『無い』って言う筈だし、有ったとしたって笑ってとぼける位の事はする筈でしょ?なのに尋ねた途端露骨に表情が変わって、しかもあそこまで怒るなんて、やっぱり人に言えない大きな悩みが有るんだよ。」

 

 「だから!そう言うプライベートな事はいきなり第三者が立ち入って良い事じゃないって!」

 

 深優も負けじとそうリラに抗弁する中、村上先生は先程からリラのその真剣な藍色の瞳をじっと見つめていました。

 

 (へぇ、こいつ中々綺麗な瞳してるな……。思わず吸い込まれそうな位に――――――)

 

 一点の穢れも無い、真っ直ぐ澄み切ったその目を見ていると、不思議と疑いや警戒心と言う物が意識の内から削ぎ落されて行く様です。

 

 「分かってる……分かってるけど、それでも私、前橋先輩の力になりたいの!だって先輩、優しそうに笑ってても何処か苦しそうだったから……!!」

 

 リラのその藍色の瞳は、人間の苦しみや悲しみ、それに見たくも無い様な汚い部分をクリーン過ぎる程鮮明に映して来ました。水霊士(アクアリスト)として水霊(アクア)と触れ合い、それを通して人と関わる内に、何時の間にか彼女の中の感度は強く研ぎ澄まされていたのです。

 だからこそ、リラは一目見た時にみちるの内奥にある“懊悩”と言う濁った澱を見落さなかったし、自分自身でもそれを取り除きたいと思うのでした。これは最初は水霊士(アクアリスト)としての使命からでしたが、今や彼女自身の信念となっていました。

 

 そしてリラは再三、村上先生の方を向いて懇願します。

 

 「お願いします先生!どんな小さな事でも良いです!前橋先輩に何が有ったか教えて下さい!!」

 

 そんなリラの言葉に絆されたのか、村上先生が不意に立ち上がって言いました。

 

 「ちょっとリラ!!」

 

 「先生だって迷惑そうだから謝った方が良いんじゃ……」

 

 そう警戒する葵と更紗ですが、村上先生からのリアクションは意外にもリラにとって好都合なそれでした。

 

 「分かった分かった。あいつの事知って何になるかは知らんが、其処まで知りたきゃ話してやる。話してやるから静かにしろ。五月蠅くて敵わんし他の先生方にもご迷惑だかんな…。」

 

 村上先生の教卓の近くで仕事をしている他の先生方が、再度迷惑そうに人差し指を口元に当ててこちらを睨んでいます。

 

 「あー…取り敢えず此処じゃ駄目だな。場所変えるぞ。ついて来い。」

 

 そう言って村上先生は、リラ達4人を連れて職員室を出て行きました。そうしてやって来たのは水路が縦横無尽に張り巡らされ、心地良い水のせせらぎが響くあの中庭でした。

 同じ長椅子に4人を座らせると、先生は話を始めました。

 

 「あいつには同級生の親友でライバルだった奴がいてな。名前を『日浦忍(ひうらしのぶ)』って言うんだ――――――――。」

 

 

 先生の話してくれた事はこの様な内容でした。

 

 この霧船には2年前(おととし)、未だみちるが1年生だった頃、彼女と並ぶ水泳部のエースがいました。名を『日浦忍(ひうらしのぶ)』。

 中学3年間の女子の水泳の大会で何度も優勝する程の天才的スイマーで、彼女とみちるが当学年のツートップ。バタフライが得意でその腕は国体に出る程でした。

 所が、一昨年の大会の最中、彼女は選手生命に関わる怪我を負ってしまったのです。エースの名に恥じない様に、絶えず彼女は自分に厳しい練習を課して来ましたが、その度重なる過剰酷使(オーヴァーユース)が仇になり、それがこの大会でとうとう故障と言う形で訪れたのでした。

 

 忍が負った故障―――――――それは「水泳肩(スイマーショルダー)」。バタフライ選手に多い怪我です。

 

 言うまでも無くバタフライは、腕の力が物を言う泳法。ですが腕を回す際、肩甲骨の靭帯と上腕二頭筋の腱が擦れ合う為、炎症が起こり易いのがこの泳法の難点なのです。

 そのまま炎症が悪化すれば、肩関節に痛みが生じる――――――それが忍を襲った悲劇でした。

 

 折角の大会の晴れ舞台も、忍が肩を壊して途中棄権した事で、全てが水泡と帰してしまったのです。それから彼女に待っていたのは、部活を休部してのリハビリの毎日と言う、本人にとって地獄の様な辛い日々。治ったと思ったらまた再発してリハビリ生活へ逆戻りと言う繰り返し―――――――そんな悪循環がずっと続いて大会にも出れぬまま、未だ復帰の目途が立っていないのが現状だったのです。

 霧船で水泳の出来る最後の1年に彼女と泳げない事をみちるは大層残念に思っていたし、同時に忍もまた、もう自分は水泳が出来ないし、出来たとしてもブランクが祟って周りに置いて行かれていると言う絶望から、すっかり心を閉ざしているのでした。

 

 

 「―――――とまぁ、これが前橋の抱えてる問題っつーか闇だな。一応日浦の肩は日常生活を送る分には支障は無いんだが、それでもちょくちょく痛むらしいし、もう大会に出れねぇっつってずっと塞ぎ込んでんのが現状だよ。前橋も心配で毎日メールして家にも度々足運んで見舞いに行って……」

 

 村上先生の話が終わらない内に、リラは立ち上がって何処かへ行こうとします。

 

 「っておいコラ、何処行くんだ汐月?未だ話は終わってないぞ?」

 

 「有難うございます先生。大事な事を話してくれて……。それだけ聞ければ充分です。」

 

 「充分って……何考えてんだお前?あいつと日浦の為に何が出来るってんだよ?日浦がまた五体満足に泳げる身体にでも出来るってんなら未だしも……」

 

 「『その通りだ』って言ったらどうします?」

 

 「何?」

 

 リラの言う事が全く理解出来ない村上先生はそのまま思考を強制的に凍結(フリーズ)させられ、銅像の様に硬直した状態で只々視線の先のリラの顔に視線を送るばかりでした。

 

 「私が日浦先輩の事、きっと癒して見せますから!」

 

 そう言い終ると、リラは鉄砲水の様な勢いでその場を駆けて行きました。

 

 「あっ!ちょっとリラ待ってったら!!」

 

 葵達3人も、彼女の背中をそれを追って立ち去ります。その場にポツンと残された村上先生はリラの言葉の意味を1%も理解出来ぬまま、中庭に心地良く響くせせらぎの音をBGMに、唖然とした表情で遠ざかる4人の後姿を見つめていました―――――。

 




キャラクターファイル8

アンジュ

年齢   無し(強いて挙げれば葵と同じ)
誕生日  無し(同上)
血液型  無し(同上)
種族   水霊(アクア)
趣味   葵を通して色々な人間や水霊(アクア)と交信する事
好きな物 葵の好きな物なら全部


葵の中の内なる水霊(アクア)。白に水色のストライプが走るエンゼルフィッシュの様な姿をしている。社交性の高い葵が宿主なだけに、彼女は穢れによって閉ざされた人間の心を開き、内なるを外に連れ出して浄化する事が出来る。
内なる水霊(アクア)を取り出す事の出来る水霊士(アクアリスト)でも、穢れが酷いとそれも難しい。葵の水霊(アクア)であるこのアンジュはそう言う人間相手だと非常に役立つ。おしゃまな性格をしているが葵同様に社交性に優れる…と言うより孤独が嫌いな構ってちゃんである。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第8話 揺らめく水面に戯れる(急)

 一方その頃、部長のみちるはと言いますと――――――。

 

 

 『部長、プール開きも近いですね。早くみんなと一緒に泳ぎたくて楽しみで仕方ないです!』

 

 『市民プールや水路、泳げる場所ならわたしたち、どこでだっていっぱい泳いで練習してきました!日ごろの成果、全部見せますから!!』

 

 『今度いっしょに泳ぎませんか部長?どれだけ速く泳げるようになったか見てほしいんです!』

 

 

 (漣、星原、濱渦―――――皆やる気は充分ね……。でも当たり前か。もう直ぐプール清掃、そして次はゴールデンウィーク明けのプール開きだもの………。3人ともそれに向けて一生懸命練習してる。)

 

 自身のスマホに送られて来たのは、2年生の後輩達からのメール。其処に書かれていたのは、今シーズンの水泳部の活動へ向けた強い意気込みでした。

 みちるもそうでしたが、その漣、星原、濱渦と言う3人の2年生達も、学校のプールが解禁されるまでずっと市民プールや安全な水路や川等の浅瀬で泳ぎの練習をしていました。

 当然ながら皆と一緒に練習する事も有りますが、独自に1人で練習する事だって多く、休日は勿論、放課後にも泳げる場所なら何処だって彼女達は利用して泳ぎます。

 これは霧船女子に限らず、蒼國に於いて水泳を嗜む者ならば老若男女問わず誰でもやっている事です。

 

 市民プールも1つや2つだけでなく其処かしこに多数点在しており、料金も非常に良心的で有名アスリートも練習の為にわざわざ利用しに来る程。

 まさしく水の都の面目躍如と呼ぶに相応しいでしょう!

 

 然し、そうした文面に自身のやる気を鼓舞される一方で、其処に書かれた違う文言に気が滅入る自分が居るのをみちるは感じていました。

 

 

 そう―――――『日浦先輩、もうダメなんじゃないですか?』、『わたし、忍先輩と中学一緒だったんですけどもう一緒に泳げないなんて悔しいです。』、『先輩がいなくたって、私達は絶対負けないです!がんばって優勝しましょう!』と言った、忍に関する文言に―――――。

 

 

 (気持ちは嬉しいけど、あんまり私の前で忍の話出すのは止めてくれるかしら……?あの子の泳げなくて凄く辛い顔を思い出しちゃうから……………)

 

 泣きそうになる気持ちを抑えながら、みちるは校庭の並木道を1人下校の途に就いて歩いていたのでした。4月末と言う事もあって桜の木はすっかりその花弁を散らし、若い緑の葉桜へと装いを変えていました。

 

 『みんな頑張ってるのね。これから私も市民プールに行くけど、今日は何処で泳ぐの?良かったら一緒に泳がない?』

 

 辛い気持ちをダムで塞ぎ、これからの為に今出来る事を精一杯やろう。その意味でも今日は、皆と一緒に練習して結束を深めよう。でも自分も皆も最近疲れが溜まってて身体が心なしか重いから、無理しないで自分のペースで軽く泳ぐ事。

 そう思って2年の後輩達へ、みちるが任意の市民プールへの集合と合同練習を持ち掛ける旨のメールを打ち始めた、その時です。

 

 「前橋先輩!」

 

 不意に後ろから自分に話し掛ける声がします。驚いて振り返ると、其処には昨日更衣室で出会った新1年生の4人組が立っていました。

 

 「貴女達は昨日の……」

 

 突然現れた4人に、みちるは面食らうばかりでした。因みにリラが彼女を見つける事が出来たのは、言うまでも無く周辺を泳いでいた水霊(アクア)達に居場所を聞いたからです。

 然し、何も知らないみちるからすれば、偶然自分を見掛けて声を掛けて来た認識なのでしょう。「どうして自分が此処に居ると分かったのか?」と言う疑問など最初から浮かぶ筈も無く、驚きこそすれ困惑はしていません。

 

 「今日は私に何の用かしら?私はこれから2年の子達と一緒に市民プールへ泳ぎに行く予定なの。話なら手短にして頂戴。」

 

 努めて平生を装いながら、何時も通りの柔らかな物腰でそう尋ねるみちるに対し、最初に口を開いたのは葵でした。

 

 「はい!私達、もう水泳部への入部届を出しました!今日から私達も先輩と同じ水泳部です!!」

 

 そう高らかに宣言する葵の言葉に、みちるは目を輝かせました。

 

 「本当に!?有難う!3日前に飯岡さんって子が入部するって聞いてたけど、新入生が4人も入ってくれるなんて嬉しい!!宜しくね、えっと名前は確か汐月さん、五十嵐さん、吉池さん!それから長瀞さん!」

 

 「はい!宜しくお願いします!!」

 

 天真爛漫に返す深優ですが、その心の内には女子の豊満な胸の膨らみを揉みしだく事に無上の喜びを覚える淫獣としての本性が、さながら大海獣(リヴァイアサン)の様にのたうっている事は内緒にしておきましょう。

 ですが今はそんな事はさて置き、リラが早速本題に入るべくこう切り出します。

 

 「それより前橋先輩、お話が有るんです。水泳部の部室まで来てくれませんか?」

 

 「えっ?話って……」

 

 「良いから来て下さい!」

 

 「あっ!ちょっと!!」

 

 「リラ!強引過ぎよ!!」

 

 戸惑うみちるの手を強引に引いて、リラは昨日の水泳部の更衣室へと入って行きました。ドアを閉める直前、入り口付近の廊下に人がいないのを確認すると、更にリラはテレパシーで近くの水霊(アクア)達に第三者が近付かないか監視の役目を頼んでから閉めます。

 

 「何なのよもう。いきなり部室に連れ込んで話って……。」

 

 これから2年の後輩達と練習しようと思ったのに、いきなり部室に連れ込まれて迷惑そうにみちるは尋ねます。『何と強引で、ともすれば話の聞かなそうな子』と言うのが、みちるの中での今のリラへの評価(レッテル)でした。本当のリラははもっと大人しくて内向的な性格なのですけれどね?けれど、現段階でみちるが見知っているのは始終“水霊士(アクアリスト)としてのリラ”の顔だけなので仕方無いと言えば仕方無いのですが…。

 

 「先輩の事、村上先生から聞きました。」

 

 「村上先生から?何の話を?」

 

 「先輩の抱えてる悩み―――――日浦先輩って人の事です!」

 

 「ッ!?」

 

 昨日訊いて来た事を、よりにもよって顧問の村上先生から聞き出したと聞き、みちるは驚きと共にリラに対して有らぬ感情を抱き始めました。

 それは恐れや不審と言った、穢れの元になりかねない負の感情―――――。

 

 「………聞いたの貴女?でも、何で………?」

 

 「だって先輩の身体から、数は多く無いですけど穢れが続け様に湧いてるからです。そんな人の事、私は放っておけません!」

 

 「“穢れ”って……何を訳の分からない事を言っているの?」

 

 確かに水霊士(アクアリスト)の事も水霊(アクア)の事も知っている人間は極端に限定されます。“穢れ”なんて言われたって、一般人のみちるに分かる道理は絶無です。

 みちるの中でリラに対する感情は段々と嫌悪のそれを帯びて行きます。

 そして次の瞬間、リラは自覚してかせずにか、それが爆発する一言を放ちました。

 

 

 「私になら、もしかしたら日浦先輩の心と身体を癒す事が―――――救う事が出来るかも知れないんです!」

 

 

 「忍を……癒す、ですって――――――?」

 

 その言葉を聞いた瞬間、みちるは無性に腹が立って仕方有りませんでした。忍を癒すなんて、何を馬鹿な絵空事を言っているのか?それは確かにそれが出来て、忍がまた元気に泳げる様になればどれ程幸せで、その為なら自分は喜んで何もかも投げ出したって良いと何度思ったでしょう?

 然し忍は、何度もリハビリを重ねて治ったと思ったらまた再発しての繰り返しで、秋の国体での落日から1年半余り経って遂に此処まで来てしまったのです。もう復帰だって見込めない状態で自分だって励ましてはいても内心もう九分九厘諦めているのに、その苦悩や絶望を、目の前にいる新入生のリラは何1つ知りません。

 それなのに自分なら忍を癒せる?救える?医者でも何でも無い只の一介の、ついこの前まで中学生の子供だった女子高生に一体何が出来ると言うのでしょう!?エイプリルフールなんてもうとっくに過ぎて間も無く5月だと言うのに、嘘ならもっと気軽な物にしろと言う気持ちで腸は沸々と煮え繰り返る。何かガツンと言い返してやらないと気が済まない!

 

 こんな大嘘吐きが今年の新入部員と言うのも業腹ですが、それ以上に忍を冒涜された様な気持ちで心身を支配される感覚が自身を形作る60兆個の細胞1つ1つに隈なく浸透して行くのをみちるは感じていました。

 

 「リラ!」

 

 「リラっち……」

 

 そんな相手の気持ちを察してか、葵と深優が咄嗟にリラに抗議の視線と共にそう叫んだ次の瞬間でした。 

 

 「昨日から一体何なのよ貴女……?初対面でいきなり悩みがどうとか無神経に訊いて来て、今度は忍を癒すですって?さっきから訳の分からない事ばっかり言って、人を馬鹿にするのも良い加減にしなさいよ!!貴女に何が分かるって言うの!?あの子がどれだけ苦しんで来たのかも………私があの子の身体を治してあげられたらって何度思ったかも何にも知らない癖にッッッ!!!!」

 

 再びみちるはバスト90の胸の膨らみを凄まじい勢いで揺らしながら昨日と同じ様に立ち上がると、リラへの怒りの言葉をまるで大津波の如く迸らせました。

 自分が治せる物なら喜んで治してあげたいのに、それが出来ない無力さともどかしさの中で生きて来たみちる……。

 そんな彼女にとって、自分が出来ない事を平気で出来ると口にする目の前の新入生のリラはどうにも許せない存在に映るのは無理からぬ話です。

 

 「水泳は……あの子にとって全てだった………。それが肩を壊して…、大会にも出れなくなって…、もう3年で来年卒業だって言うのに復帰の目途も立たなくって………、高校生の時代は今この瞬間しか無いのに、その一瞬を……あの子はもう泳ぐ事が出来ない……!!私も……もう………あの子と一緒のプールを泳げない………!!一体どんだけ辛い想いで私達が此処まで来たか、貴女に分かるって言うの………!?」

 

 励ます心算だったらもっとマシな言葉は無かったのか――――――?

 見当違い、筋違い、出鱈目……そんな間違いにも程が有る虚偽妄言の言葉でぬか喜びさせるのは止めてくれ―――――――!!

 それが怒りをぶちまけた後のみちるに残ったリラへの感情の残滓でした。

 

 「――――確かに、私は先輩とは昨日出会った赤の他人です。日浦先輩って人の事も、会った事無いから何も知りません……。だけど、さっきも言った通り、私は穢れを放っておけない。目の前にストレスや悲しみで穢れを内に溜め込んで、苦しんでる人がいるなら、私は……癒したい!!」

 

 然し、それでもリラは怯みません。普段のリラなら此処で委縮してともすれば泣き出すかも知れませんが、今のリラは水霊士(アクアリスト)としての信念の下に此処に居るのです。

 信念さえ有れば人は変われる―――――――リラはまさにそれを体現した様な人間でした。

 

 強くその言葉を放つと同時に、リラはアクアリウムの能力をみちるの前で発動!次の瞬間、みちるは水の中に引きずり込まれる様な感覚に襲われたかと思うと、気付けば周囲はまるで水中の様に気泡が上がっており、見た事も無い魚達が泳いでいるでは有りませんか。姿形としては、ペットショップで良く見かける熱帯魚に近い姿をしています。

 

 「何なのよ貴女……?って言うか何よ……これ………?いきなり魚みたいなのが出て来たけど、これってCGなの………?」

 

 突如自分を襲った不可解な現象に戸惑うみちるに対し、すっかり慣れた調子で葵が答えます。

 

 「CGなんかじゃないですよ、先輩。」

 

 「えっ?」

 

 「そうです。これは本物です!水霊(アクア)って言う、水其の物って言っても良い本物の精霊なんです。」

 

 葵に続いて説明したのは深優でした。

 

 「水霊(アクア)……?精霊………?」

 

 突然精霊なんてファンタジーな単語に思わず面食らうみちるに、更紗が最後の説明をします。

 

 「水霊(アクア)は水其の物。そしてそれを操るこの子は水霊士(アクアリスト)って言う存在なんです。」

 

 「水霊士(アクアリスト)……?何よそれ……?」

 

 至極真っ当な問いを投げ掛けるみちるに対し、リラはニッと口角を釣り上げて言いました。

 

 「水は生き物の身体を作る源。だったらそれを全部綺麗に癒して有るべき形に戻せば、日浦先輩って人の身体はきっと元通りになります!」

 

 「いきなりこんな事言われたって無理かも知れませんけど、どうかリラを信じてあげて下さい!水を操って人の心と身体を癒せるリラの力なら、その日浦先輩って人も助けられるかも知れないんですから!」

 

 リラの言葉を受け、葵がみちるに彼女を信じる様に懇願します。

 

 「で、でも……。」

 

 「信じられないなら証拠を見せます!」

 

 尚も戸惑うみちるに対してそう言うと、リラはアクアフィールドに続いてブルーフィールドを展開。すると更衣室全体が青く染まり、白い気泡が上がり始めます。

 

 「なッ!?今度は何?何が起こったの……?」

 

 青く染まった空間に、周囲を泳ぐ魚達と立ち昇る白い気泡。突然深い水の底に引きずり込まれた様な不思議な感覚が、容赦なくみちるを襲います。

 然し、みちるが驚くのはこれからです。

 

 「先輩の心の中の穢れを、私が癒します!」

 

 リラの言葉が響くと共に、彼女の周りに無数の下級[[rb:水霊 > アクア]]が集まり始めます。まるで鰯の大群の様に群がるシアンやマゼンタ、黄色等のカラフルなグッピーやプラティ達。

 みちるが幻想的な光景に呆然となって見惚れていると、何時の間にかリラの両手に生成されたコバルトブルーの光球が水流となってみちるを取り囲みます。

 

 「こ、これは……?」

 

 取り囲んだ水流はやがて天へ昇る二重の光の螺旋となり、みちるの身体はそのままゆっくりと宙に浮きます。そうして流木の様に螺旋で囲まれた宙をゆったり漂いながら公転するみちるの身体。

 水霊士(アクアリスト)の基本にして最大の奥義とも言うべき癒しの技『クラリファイイングスパイラル』です。

 

 螺旋から発せられる優しいせせらぎの音色と共にゆっくりと為される円運動の中、みちるの黒ずんだ焦りと懊悩の穢れは白い気泡となって消え、やがて仕上げとして内なるリラの水霊(アクア)のクラリアがその身を貫く事で、みちるの全身の穢れはすっかり癒されました。

 

 「………どうでした先輩?私の水の癒しは?」

 

 優しく包まれた白い光の中で一瞬意識が遠のきましたが、リラの言葉を受けて直ぐ正気に戻ったみちるは、自分の心と身体がまるで入念に洗濯でもされたかの様に真っ新な状態になっているのを感じました。

 

 「信じられないけど、認めざるを得ないわね。貴女の言ってる事が本当だって事………。忍の事でさっきまで気を揉んでいたのが嘘みたいにスッキリしてる。それに……何?この感覚は……」

 

 肩や足の筋肉が妙に軽い。此処最近、市民プール等での練習での疲れを感じてはいましたが、その全身に鉛を付けられた様な重い感覚が嘘の様に消えていたのです。全身に体力と気力が漲る感覚すらも感じます。

 

 「先輩、言いましたね?時間の許す限り市民プールや水路の浅瀬で練習してたって……。練習は良いですけど、身体もしっかりいたわらなきゃ駄目ですよ?心と一緒に身体も入念に癒してあげました♪」

 

 「そんな事まで出来るの貴女……?」

 

 ドヤ顔を決めてそう語るリラに対し、みちるは呆気に取られた様にそう零します。

 然し、得意になるのはリラだけでは有りません。彼女に穢れを癒された経験者の葵もそれは一緒です。

 

 「言ってたでしょう先輩?水霊(アクア)は水其の物だって―――――人間の身体が水で出来てるなら、この子は水霊(アクア)の力で身体の怪我や故障だって治せるんですよ?」

 

 「貴女達も知ってたの?」

 

 「何てったって私、リラに癒されたんですから♪」

 

 「おっ!流石は経験者だね♪」

 

 「まぁですけど、身体を癒す所を見たのは今日が私達も初めてですけどね?」

 

 そう補足する更紗の言葉を受け、4人は楽しそうに笑い合いました。そんな彼女達にも我関せず、水霊(アクア)達は更衣室を泳いでいます。

 然し、そんな彼女達を見て、自身の中に“1つの希望”が泉の様に湧き出るのを感じました。

 

 「……助けてくれるの?」

 

 「えっ?」

 

 真剣な表情でリラの澄み切った藍色の瞳を見て、みちるは尋ねます。

 

 「本当に忍の事、助けてくれるの?」

 

 その深い海の底の、無限に広がる青い世界の様な済んだ瞳を見ていると、みちるは不思議な感覚に襲われます。まるで母の懐に抱かれている様な優しくも温かい感覚を――――。

 

 「お願い!忍を―――――あの子を助けて!!私、もう見たくないの!!水泳が出来なくて辛そうにしてるあの子の顔なんて、もう………ッ!!」

 

 気付いたら子供の様に目から涙を流しながら、そうみちるは懇願します。それに対してリラは―――――。

 

 「勿論ですよ先輩。」

 

 「本当!?」

 

 心から嬉しそうな表情でそう返すみちる。

 

 「だけど、私1人で治す訳じゃありません。」

 

 それに対してリラは葵、深優、更紗の3人を見渡して口を開きます。

 

 「この子達と一緒に治してあげるんです!」

 

 そう言ってリラは葵と深優と更紗の内なる水霊(アクア)―――――アンジュとブルームとプラチナをそれぞれ顕現させました。

 

 「この子達もこんな……もしかして、五十嵐さん達も貴女と同じ……」

 

 「違いますよ。私達は普通の一般人です。」

 

 「そしてもう1人、先輩の力もお借りしたいんですけど良いですか?」

 

 リラはそう言うと、みちるの胸元に手を当てます。するとみちるの中から大きな純白の貝殻が現れたでは有りませんか!

 オウムガイに似た形の貝殻から金色の瞳が覗いたかと思うと、水色の触腕と手足が中から出て来ました。

 

 「何?私の中にもこんな精霊が―――――?」

 

 「水霊(アクア)は水の精霊で水其の物。だったら半分以上が水で出来た人間の身体にだって当然宿ってます!前橋部長の内なる水霊(アクア)の力だって、日浦先輩を癒すのに必要になるかも知れないですから!」

 

 「私の水霊(アクア)が…忍を………癒す?」

 

 その言葉を聞くと同時に、みちるの中に“或る想い”が強く湧き上がって来ました。そう―――――『自分が親友の忍を救うのだ』と言う強い想いが!

 

 「そう、分かったわ。だったら私もやる!いいえ……私にもやらせて!!あの子がまた元気に泳げるなら私、どんな事だってするから!!」

 

 「日浦先輩の穢れは相当深刻なのは先輩の話を聞いてて察しが付きます。多分私1人じゃ難しいんじゃないかって位……。でも、葵ちゃん達や前橋先輩の水霊(アクア)の力を借りれば、きっと癒せる。私はそう信じます!一緒に頑張りましょう!!」

 

 昨日テミスが言った言葉を噛み締めながら、リラは強くそうみちるに言いました。

 

 「決まりね、リラ♪」

 

 「ねぇ、貴女の名前は?」

 

 純白の殻に水色の身体をしたオウムガイの様な姿をした、みちるの内なる水霊(アクア)は答えました。

 

 

 (ノーチラス―――――私の名前はノーチラス!)

 

 みちるを水霊(アクア)の世界に引き入れたリラの姿を遠くから見て、テミスは微笑んでいました。

 

 

 (まさか前橋みちるを引き入れるなんてね―――――。だけど、彼女は本当に日浦忍を救う鍵になるのかしら?)

 

 

 さぁ、リラ達4人とみちるの5人の、忍を救う癒しの戦いが始まります!

 

 




キャラクターファイル9

ブルーム

年齢   無し(強いて挙げれば深優と同じ)
誕生日  無し(同上)
血液型  無し(同上)
種族   水霊(アクア)
趣味   人間観察
好きな物 深優の好きな物なら全部


深優の中の内なる水霊(アクア)。赤紫のフラワーホーンの姿をしている。同じく人懐っこくて賢い反面胸揉み魔な深優の内なる水霊(アクア)らしく、彼女もまた人懐っこい性格だが結構アグレッシヴ。
アグレッシヴな気質と言う事もあり、荒療治であるハイドロスパイラルシュートの投擲に最適。
鯰型水霊(アクア)のドリスも同様の用途で活躍するが、ブルームは秘めたる優しさや思い遣りの心を呼び覚ます効果が有るらしい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第9話 揺らめく水面に戯れる(離)

今回と次回で漸く水泳部入部編は終わりです。


 それは、みちるにとって忘れ難い悲劇でした。

 今から2年前―――――9月も中旬だと言うのに未だ夏の残暑が厳しい中、公益財団法人である日本水泳連盟の主催する国民体育大会水泳競技大会のシーズンが近付いて来ました。

 当時未だ高校1年でありながら水泳部で頭角を現したみちるは、自分以上のエースである忍と上の2年生と3年生の先輩1名ずつの4名で国体への参加を決めたのでした。

 

 「やったじゃねーかみちる!あたしとお前の2人が国体に選ばれるなんて嬉しいぜ!」

 

 「あら?私は兎も角、忍なら選ばれて当たり前だと思ってたわよ?」

 

 国体を始めとした主要な大会に出場する為には、連盟の定めた標準記録を突破せねばなりません。そしてその標準記録を超えた者の中から、更に厳正な審査によって参加選手は選ばれます。

 中学時代から大会での優勝経験が有ってそれなりに名が知れ、霧船にもその実績から推薦で入る程の選手だった忍は当然だとしても、まさか自分まで1年で選ばれるとは思っても無かったみちる。

 1年で自分達だけが選ばれた事を心から喜び誇った2人でしたが、思えばこれが彼女達2人にとっての“幸せの絶頂”だったのかも知れません…。

 

 「うっ……!」

 

 不意に右肩を襲う違和感。それは鈍い痛みとなって忍に降り掛かって来ます。

 

 「どうしたの忍?何処か具合でも悪いの?」

 

 「な、何でもねぇよ!それより来週が楽しみだな。」

 

 違和感は此処最近、それ以前にも何度か有りました。然し、忍は其処まで深刻には捉えておりませんでしたし、親友でライバルのみちるに余計な心配を掛けさせまいと騙し騙しやって来ていたのです。

 

 そして―――――運命の日。

 午前中の予選はみちるが無差別100m自由形、忍が無差別100mバタフライ、先輩方もそれぞれ背泳ぎと個人メドレーに参加。

 みちるは辛うじて勝利して午後の決勝に駒を進めるも、先輩2人は敢え無く敗退。残りは忍だけでしたが、この時のみちるは彼女なら予選を突破出来ると信じてました。

 然し……。

 

 「えっ?忍――――――」

 

 競技中に突然忍を襲った激痛。余りの痛みに彼女はそのまま悶絶して溺れ出したのです。異変を察知した救護の人達が助けた時、彼女の右肩は痛々しい程に腫れ上がっていました。

 医者からも「どうしてこうなるまで放っておいた」と言われる程に腫れ上がった忍の水泳肩。これではもう泳ぐ処では有りません。忍には当然、暫く水泳禁止の強いドクターストップが掛ったのでした。

 

 一方みちるは精神的に大きなダメージを負っていました。自分と一緒に予選を突破して決勝を共に戦えると思っていた忍が、選手生命に関わる大事で棄権したのだから当然です。

 そんなボロボロの精神状態で最高のパフォーマンスなど出来る筈も無く、午後の決勝で参加した少年A100m自由形では午前の時の精彩を欠いて最下位と、目も当てられぬ結果に終わってしまいました。

 

 親友と出場した夢の舞台は、最悪の形での幕引きとなってしまったのです。

 

 

 あの日の事を、みちるは片時も忘れた事が有りません。学校では普通にしていても秋以来、何処か表情に陰のある忍の表情をこの1年半余り見続けて来ました。

 何度リハビリを重ねても、治ったと思った途端に繰り返し繰り返し再発する水泳肩―――――。

 五体満足に泳げて練習を重ね、どんどん自分から水を空けて行くみちるや同級生、後輩やライバル達―――――。

 その絶望がみちるの内に、もう本人の内なる水霊(アクア)では浄化不可能な程の重く、有害な穢れを溜め込んでしまった事は想像に難く無いでしょう。

 

 

 「なぁ、みちる―――――あたし、ずっともう泳げないのかな?このまま永遠にみちると泳げないなんて、考えただけで怖いよ………!!」

 

 

 或る時、目から大粒の涙を流して忍が自分に言い放ったその言葉が、今でもみちる自身の胸に刺さったまま抜けません。

 「泳げない」と言う、死に勝る苦しみの生き地獄に堕とされ、自分の人生に絶望した忍の顔―――――。

 自分の胸に顔を埋め、声を挙げて泣いた忍の慟哭―――――。

 

 その1つ1つもまた、みちるの網膜と鼓膜にそれぞれ烙印の如く強く深く刻まれ、未だに取れずにいたのでした。

 

 

 「ねぇ、汐月さん―――――。」

 

 忍の家へと向かう道すがら、不意にみちるはリラに尋ねます。

 

 「貴女があの精霊って言うのを使って魔法みたいな事が出来るって言うのは驚いたけど、どうして汐月さんはそんな力が使えるの?それにさっきまでいたあの変な魚みたいな……確か水霊(アクア)って言うのももう見えなくなったけど……。」

 

 一般人としては至極尤もな問いですが、リラは面倒臭がらすに答えます。

 

 「水霊(アクア)達は私がさっきみたいなフィールドを展開しない限り、普通の一般人には見えないんです。でも、見えないだけで周りにはちゃんと居ますよ?水の有る所になら水霊(アクア)は何処にだって……。」

 

 そう言ってリラが再びアクアフィールドを展開すると、再びみちるの目には空高く立ち昇る気泡と、周囲を泳ぐ見た事の無い魚達が映りました。地面を見ると、更には海老や蟹、貝などの水生生物まで居ます。

 

 「うわぁ、本当だわ……。でもこうやって見ると、まるでこの街全部が海の底に沈んでるみたいな不思議な感じね………って汐月さん、さっきからあちこちで上がってるあの黒い煙みたいなのって何なの?」

 

 「あれが“穢れ”です。人の心の中のストレスや悪いマイナスの感情から湧いて出て来て、人間に病気や不幸を齎して性格まで捻じ曲げるとっても悪い物なんです。あれを浄化する為に水霊(アクア)達は世界中を水と一緒に廻ってるんですよ。」

 

 初めて目にする穢れに対し、みちるは生理的な嫌悪感を覚えました。ですが、直ぐに大小様々な水霊(アクア)達が寄って来てこれを食べたり攻撃したりして浄化して行くのを見ると、少し胸の空く想いでした。

 

 「先輩だってさっき私に対して怒った時とかだって、同じ様に強い穢れを抱えて、身体から出してもいたんですからね?」

 

 リラからの指摘に、みちるは思わず胸にナイフが刺さる様な感覚を覚えました。彼女に癒されるついさっきまで、自分は気付かない内にあんな黒い汚染物質を内側に溜め込んで、あまつさえ放出していた…。そう思うと空恐ろしい気持ちになるのも無理は有りません。。

 同時に、それを癒して綺麗にしようとするとするリラの気持ちも分からなくも無いと思う様になりました。こんなに穢れた物を抱えた人間が大勢目に付いて、自分にそれを綺麗に出来る力が有るならそうしたい。自分がリラと同じ立場なら、きっと同じ事をやっていたでしょうから…。

 

 「確かに、こんな黒くて汚い物が身体から出てるなんて思ったら、普通は何とかもう出ない様に綺麗にしようって言う風に思うわよね。私だって汚れとか目に付いたら洗って落とそうとするから……。改めて貴女にお礼を言うわ。どうも有り難う。」

 

 これから自分達が救いに行く忍は、きっと己自身や街で見掛けたのよりもっと酷い穢れを内側に抱えているに違いない。そう思うと早く彼女を癒し救わなければ…!!忍の家に近付くにつれ、みちるはそう決意を新たにしました。

 

 「それで汐月さん、そんな凄い力をどうして貴女は使える様に……」

 

 「あっ、見てリラ!あの家の2階から凄い煙みたいに黒いのが上がってる……!!」

 

 リラがどうやって水霊士(アクアリスト)としての力を得たのか?その「もう1つの問い」に対する答えをみちるが聞く前に、不意に葵が真っ先に声を上げた物だから5人の視線は当然其処へ向かいます。

 其処は前日リラが下見をした、「日浦」と言う表札が張られた普通の一般住宅。然し、その2階からは工場の煙突から濛々と上がる黒い煙の様に大量の穢れが天へと立ち昇っていました。

 余りに穢れの濃度が強過ぎる為か、周囲を泳ぐ水霊(アクア)達もおちおち近付く事が出来ません。

 

 「前橋先輩……あの家ですか?」

 

 「そう――――――あそこが忍の家よ!」

 

 改めて忍が酷い穢れを溜め込んで苦しんでいると認識させられ、みちるの心には泣きそうな気持が込み上げて来ます。

 

 さながらRPGに於ける魔王(ラスボス)の居城とも言うべき目的地を視界に捉えた5人。他の水霊(アクア)達すら簡単に近付かない程の場所となると流石に尻込みの1つもしてしまう物ですが、リラとみちるは『忍を癒し救う』と言う強い信念の下に来たのです。今更こんな所で引き下がる訳には行きません。

 あそこに居るのは倒すべき悪の魔王では無く、救うべきお姫様―――――そんな考えと共に、5人は改めて自分達の内なる水霊(アクア)を顕現させ、勇気を奮い立たせました。

 更に何時でもクラリファイイングスパイラルの準備が出来る様、リラは周囲の下~中級水霊(アクア)を何百匹と呼び寄せるのでした。

 

 

 

 (随分と深刻な穢れね。だけど、1人の人間の絶望だけでこんな巨大な穢れが出来るなんて事が有るのかしら―――――?)

 

 言い知れない不安を胸に抱きながらも、扉の前に向かって行く5人の姿を遠くからテミスは静かに見守っていました。

 

 

 玄関前の扉に立つと、先ず扉のインターホンを押したのは当然の適役足る忍の親友・みちるでした。

 

 「はーい、どなた……ってあぁ、みちるちゃんじゃない。こんにちは。」

 

 「こんにちは、忍のお母さん!」

 

 現れた忍のお母さんを相手に、何時も通りの柔らかい物腰で堂に入った応対をするみちる。然しそんな忍のお母さんの視線が次に向いたのは当然と言うべきか、みちるの背後に控えた見ず知らずの4人の少女達です。

 

 「あら?みちるちゃん、後ろにいるその子達は誰?」

 

 「この子達は今日水泳部に入ってくれた新入生です。」

 

 「そうだったの!今年は4人も部活に入ってくれた子がいて良かったわねぇ~♪」

 

 みちるの説明を受け、リラと葵と深優と更紗は1人1人お辞儀しながら自己紹介を始めます。

 

 「初めまして、汐月リラです!」

 

 「私、五十嵐葵って言います!」

 

 「吉池深優です。初めまして、日浦先輩のお母さん!」

 

 「長瀞更紗と申します。宜しくお願いします。」

 

 最初の3人が元気の良さをアピールするのに対し、最後に深々とお辞儀をする事で更紗は礼儀正しさをアピールします。

 

 「皆元気で可愛い子達ねぇ~。ウチの忍にも、昔はこんな時期が有ったのに………。」

 

 そう言うと忍のお母さんは、静寂に包まれた湖の様な物悲し気な目で二階へ続く階段の方に視線を一瞥しました。

 

 「お母さん、忍はあれからどうなんですか?」

 

 心配そうに尋ねるみちるに対し、忍のお母さんは浮かない顔で答えます。

 

 「普通に生活する分にはお医者さんも問題無いって言ってたけど、それにしたって水泳肩って言うのは1度なったらもう2度と治らない病気なのかしら?リハビリ自体はスポーツに詳しいお医者さんの言う通りキチンとやっているのだけれど、何だか前より痛そうになってるみたいだし……」

 

 (え……?)

 

 忍のお母さんの言葉に、リラは一瞬何かの違和感を感じました。そんな彼女の心中など知る由も無く、みちるが話を進めます。

 

 「――――取り敢えず、忍に新入生の子達を紹介したいから上がりますね!」

 

 みちるの言葉に促されて玄関でローファーを脱ぐと、リラ達はそのままみちるを先頭に忍の部屋の有る2階へと登って行きました。

 

 「忍!私よ。入って良い?」

 

 「みちるか……?あぁ、入れよ。」

 

 「うん!あっ、汐月さん達は此処で待ってて?私が合図したら入って来て頂戴。」

 

 ドアをノックして入室を求めると、忍は凡そ覇気の無い声でこれを許可。言質を取ったみちるはすかさず入室します。

 忍へのサプライズの心算なのか、その直前にリラ達に合図するまで入るなと小声で伝えて―――――。

 

 入室したみちるを待っていたのは、授業終了と同時に早々に帰宅して私服に着替えていた忍でした。パーカーの下にショートパンツと言うカジュアルな格好をしています。身長も171とみちる同様それなりに高く、脚も相応に長く伸びて綺麗な脚線美をしていました。

 然しその顔は如何にもつまらなさそうで、如何にも投げ遣りと言う感じの面持ちでした。

 

 「お邪魔しまーす♪ってもう、忍ったら相変わらず家じゃそんなつまらない顔して!」

 

 「今に始まった事じゃねーじゃん、ほっとけよ………。」

 

 故障でもう水泳の出来ない身体になってから、忍はすっかり覇気のハの字も無い虚ろな日々を過ごしていました。

 勿論最初はまた水泳が出来る日が来ると信じて希望を持ち、リハビリだって頑張っていたのですが…。

 学校ではそう言う素振りは極力見せてはいないのですが、そのギャップには最初の頃、みちるも胸が痛くなった物です。

 家に帰っても勉強以外特にやる事が無い為、忍の学校での成績は上位に入る方でしたが、やっぱり彼女には勉強してるよりプールで泳いでる姿が似合っている……。

 キラキラと光る水面の上を掻き分け、宝石の様な水飛沫を立てて楽しそうに泳ぐ姿が―――――。

 

 「ねぇ聞いて忍。今日ね、1年の子達が4人も新しくウチの部に入ったんだよ?」

 

 「はぁ?1年が………4人?」

 

 リラ達新入生が4人、水泳部に入った事を嬉々として報告するみちるですが、やはり忍は何処か他人事みたいにそう虚ろに返すばかり。

 そんな忍の事を敢えて無視するかの様に、みちるは今年入った1年の新入部員4人に入室を促します。

 

 「良いわよ皆!入って来て!」

 

 その言葉に促され、リラ、葵、深優、更紗の4人が「待ってました!」と言わんばかりに1人ずつ入室して来ます。

 

 「初めまして日浦先輩!私、1年2組の汐月リラです!」

 

 「同じく1年2組の五十嵐葵です!」

 

 「以下同文の吉池深優です!」

 

 「同じく長瀞更紗です。宜しくお願いします、日浦先輩。」

 

 先程忍のお母さんにしたのと同じ様に、忍本人に挨拶をするリラ達。まるでピチピチと活きの良い新鮮な魚の放つ命の輝きに、忍は思わず目を背けたくなる自分を感じました。

 

 「おいみちる、こいつ等か?新しい部員ってのは……」

 

 「そうよ忍。他にも3日前には2年生の飯岡さんも新しく入って、今年は5人も入ったわ!」

 

 尚も忍とは対照的に嬉々とした調子で語るみちるの姿に、忍は露骨なまでに不快感を覚えました。

 自分がずっと泳げなくて、肩の痛みで苦しんで1年以上も塞ぎ込んでるのに、目の前のみちるは自分のいない間もずっと練習して来てあの国体から腕を上げて来た……。

 おまけにこんな活きの良いフレッシュな1年生まで連れ込んで来るなんて、これではまるで………。

 

 そう思うと、自分の中にずっと抑えられ、燻り続けていたドス黒い感情が沸々と込み上げて来るのを忍は感じていました。

 

 「それでね、忍。今日は貴女に大事な話が有るの!貴女の肩の故障を……」

 

 「みちる、お前さぁ……」

 

 これからリラの話を出して忍を癒そうとした矢先、不意にみちるの言葉を遮って忍が口を開きます。

 

 「あたしの事虐めてそんな楽しいかよ?」

 

 虐めと言う言葉に、一瞬リラが反応しましたが、誰もその事には気付いていませんでした…。  

 

 「な、何を言ってるの忍?いきなりどうしたの?私がどうして貴女の事を虐めてるって思うの?」

 

 「じゃ何で、そんな嬉しそうな顔でこんな1年のヒヨッ子共自慢気に紹介なんてしてんだよ?」

 

 気が付いたら忍の腕はワナワナと震え、口元から覗かせた白い歯は怒りで軋む声を上げ始めていたのです。そして―――――。

 

 「何なんだよ………一体何なんだよお前!!?さっきから嬉しそうな顔で訊いてもねぇ事ゴチャゴチャゴチャゴチャ……あたしが泳げなくて1年半以上もずっと辛い毎日送ってるってのに心底楽しそうにしやがって!!!」

 

 「忍……?」

 

 訳も分からず突然キレる忍。その態度が気に入らないとばかりに口を開いたのは葵でした。

 

 「ちょっと先輩!幾等何でもそんな言い方…」

 

 「るっせぇんだよ黙ってろ1年のヒヨッ子がァッ!!」

 

 その剣幕に思わず気圧される葵を横目に、忍はみちるに食って掛かります。

 

 「違うわよ忍!私は……」

 

 「何が違うってんだよ!?お前は良いよな!!怪我も故障もしねーで3年間五体満足に水泳出来て大会にも出れてよ!!あん時と比べても速く泳げる様になったんだろ!?あたしって邪魔モンまで居なくなって、自分が晴れて霧船のエース!!おまけに1個下の2年には将来有望の後輩共まで侍らせて、今年はこいつ等かよ!?あたしが泳げなくてずっと惨めな想いしてんのに、そんな未来の無いあたしの前にこんなキラキラした奴等連れて来て自慢しやがって!!んな事されたってあたしが惨めになるだけだって分かんねーのかよ!?おまけに治る見込みなんざ無ぇってのに、何っ時も何っ時もムカつく文面のメールなんざ寄越しやがって!!励ます心算でもどーせ本当は「もう治んねーんだから無駄無駄www」って腹の底じゃ嘲笑ってたんだろあたしの事!?表向きはあたしの事想う振りしてさァッ!!これが嫌がらせ……いや、“虐め”じゃなかったら何だっつーんだよ!?あぁんッ!?」

 

 さながら過去1952年に観測中の海上保安官31名全員を死に追いやった海底火山である明神礁が大噴火するが如く、怒りに任せて言葉を迸らせる忍の剣幕に、みちるは気圧されるばかりでした。

 ですが、それ以上にみちるを襲ったのは“悲しみ”だけでした。男勝りだけどあんなに真っ直ぐで、一本気な性格だった忍が、そんな有る事無い事邪推して、あまつさえも自分が思い遣りの気持ちから出した励ましや応援のメールを、「どうせ治らないのに無駄」と嘲る悪意のそれと解釈する程に捻じ曲がっていたなんて……。

 気付いたらみちるの目からは大粒の涙が止め処無く溢れていました……。

 

 「忍………。」

 

 (虐め………。)

 

 その言葉に、リラは思わず目を伏せようとする自分を感じていました。自分を害そうと言う心算は無いにしても、心が捻じ曲がった人間は相手の善意を逆に悪意と受け取って、行き過ぎると「虐め」だとして敵扱いまでしてしまう……。

 アクアリウムの能力でこっそり忍を見た次の瞬間、突然視界がブラックアウトしました。彼女の内から湧き出る穢れは、この部屋其の物をすっぽりと覆い尽くす程に酷いと言うのでしょうか!?思わずリラも解除してしまう程です。

 

 (何も見えない……!!これがこの人の中に巣食った穢れだって言うの……ッ!?)

 

 「話を聞いて忍!!私は貴女の肩を治せるかも知れないから……」

 

 「あたしの肩を治すだァッ!?そんな事が出来んだったらもうとっくにやってんだよ!!けど幾等リハビリしたって全然治んねーじゃねーか!!!治ったと思ったってまた直ぐ再発して前より酷くなるし、もうウンザリなんだよ、そんな淡い希望なんか持って報われる見込みも無ぇ努力すんのはさァッ!!それに仮に治ったとこでどうだってんだよ!!?あたしにはもう1年半もブランク有んだぞ!?今更どんなに頑張ったってもう昔みたいには泳げねぇんだ!!!大会出れたって敗け……うッ!?くうぅぅ~~~~~~~~~ッ…………!!」

 

 尚も怒りの奔流に呑まれて罵詈雑言を吐き散らす忍ですが、突然彼女の右肩を容赦無く激痛が襲います。その時、リラは不意に何か強い違和感が襲いました。

 

 (前より酷く……?って言うかこの感覚…これってもしかして……!?)

 

 再び恐る恐るアクアリウムを発動させて忍を見ると、以前穢れでブラックアウトする視界の悪さの中にリラは信じ難い物を見たのです!

 

 (何、あれは……!?)

 

 余りに穢れが酷過ぎる為に直ぐに能力を解除しましたが、リラの目は薄らとですがしっかり捉えていました。

 

 忍の肩の周辺に吸い付く、『禍々しい気配の数体の下級水霊(アクア)』……。

 彼女に宿る、エイに似た姿の内なる水霊(アクア)とは別な水霊(アクア)の存在を……。

 

 「兎に角、今更あたしはもう水泳なんか出来ねーし泳ぐ気も無ぇんだ!!お前とだってもうダチでも何でも無ぇ!!目障りなんだよ!!!」

 

 みちるとの絶交宣言を吐き捨てながら、忍は尚も痛む肩に手を当てながら部屋を出て、そのまま外出してしまいました。

 

 「あぁ~~~怖かったぁ~~~~っ!!」

 

 「日浦先輩ってあんなに怖い先輩だったんですか前橋先輩?」

 

 「でも、幾等もう泳げないからってあの人、自分の事で頭一杯過ぎじゃない?」

 

 その場に残された者の内、葵3人は忍の荒み切った気迫に気圧されてすっかり腰が抜けていたのでした。

 

 「ごめんね?貴女達にまで嫌な想いさせちゃって……。あの子、本当はあんな子じゃ無かったのに……。」

 

 朝焼けに照らされた海の水面の様に、キラキラと光り輝いていた昔の忍の瞳を思い出すみちる。その余りの変わり様に、再び彼女の目には大粒の涙が大瀑布の様に溢れ出るのでした。

 

 「泳げなくて塞ぎ込んでる内にあんなに投げ遣りになるなんて……おまけに……ヒック……もう…ヒグッ……友達じゃ……ないって……ヒッグ、ウッ………ウアアッハアアアアア~~~~~~~~ン!!!」

 

 忍の去った部屋に、親友の慟哭が木霊します。然し、そんな中でリラは1人、黙っているだけでした……。

 

 「リラ……?」

 

 「リラっち……?」

 

 「さっきからどうしたの黙ったりして……ッ!?」

 

 3人がリラの表情を見ると、リラの表情には強い怒りの表情が浮かんでいました。それも初めて見る怒りの顔を……。

 

 「リラ、気持ちは分かるけど忍先輩だって本心で言ってる訳じゃ……。」

 

 てっきり忍の態度に対して怒っている物と思った葵ですが、リラの口から出た言葉はもっと意外な物でした。

 

 「私、何と無くだけど分かった気がする……。」

 

 「分かったって何を……?」

 

 恐る恐る深優が尋ねると、リラはこう返します。

 

 「ずっと日浦先輩を苦しめていた物の正体が……!!」

 

 「えっ?だってあの先輩は練習のし過ぎで肩を壊して、それからリハビリをやって来たのよ?お医者さんもスポーツに詳しい人で、キチンとしたやり方を教えて貰って……。」

 

 「其処よ更紗ちゃん。先輩のリハビリ自体は決して間違ってない。現にそれで治ったって皆最初は思ってたんでしょう先輩?」

 

 「えっ……えぇ、そうよ。でも治ったと思ったらまた再発して、しかも前より悪化する様に……。」

 

 “前より悪化”……?どんな故障でも自分の体をいたわり、正しいやり方でキチンとリハビリをしていれば治りこそすれ悪化する事は無い筈なのに……。

 自分の中で、全ての点が1つに繋がるのをリラは確信しました。

 

 「前橋先輩、私分かったんです………日浦先輩を今まで苦しめていた物の正体が!!」

 

 「えっ!?」

 

 「何ですって!?」

 

 リラの放った言葉に、4人全員が耳を疑いました。

 




キャラクターファイル10

プラチナ

年齢   無し(強いて挙げれば更紗と同じ)
誕生日  無し(同上)
血液型  無し(同上)
種族   水霊(アクア)
趣味   更紗日記
好きな物 更紗の好きな物なら全部


更紗の中の内なる水霊(アクア)。その名通りプラチナに輝くアロワナの姿をしている。小さな事に基本的に頓着しない大らかな性格の持ち主で、アロワナ自体が高いジャンプ力と焦らずゆったり泳ぐ魚だけに、如何にも更紗らしい水霊(アクア)と言えるだろう。
リラはそんなプラチナとクラリアの合体技とも言うべきアクアリウムの術法を編み出して行使しているが、他に高い跳躍力で機動力を確保すると言う、身体能力強化の使い道もあるらしい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10話 揺らめく水面に戯れる(結)

これにて水泳部入部編完結!


 一方その頃、素足にスニーカーを履いて家を飛び出した忍は、行く当ても無く蒼國の街を彷徨っていました。

 

 「クソッ……何やってんだあたし………もう泳げないからって、みちるにあそこまで当たる事なんて無かったのに………!!」

 

 海に面した大きな河川の橋梁に差し掛かり、その水面を覗き込みます。橋から水面までそれなりに高く、何よりもう日没の時間だった為、小さくてハッキリとは映りませんでしたが其処には自分の顔が映っていました。

 荒んでとても見られた物じゃない、惨めな顔の自分自身が―――――。

 

 「そうだよな……。こんな自分の事ばっかのあたしに、あいつの友達の資格なんて有る訳無いんだ………。周りも自分も見えないこんなあたしだから、肩が壊れるまで気付かなかったんだ……。だからあの時―――――――。」

 

 水面に映った自分を見て思い出されるのは、自他の事が見えずに間違ってばかりの自分の愚かさへの後悔でした。

 

 けれど、過去の事をどんなに想い悔いても、もうそれは未来永劫帰れはしない遠い郷愁(ノスタルジー)……。

 そして自分は水泳だけで無く、今度は友達すら捨ててしまった……。

 全ては自分のエゴばかりにかまけ、周りは疎か自分の事すら見えていなかった自分自身が招いた結果……。

 

 どうせこの先生きてたって……きっと………。

 

 

 目からハイライトを消した忍は、気付いたら橋のフェンスから身を乗り出し……そのまま………。

 

 

 ……と、その時でした。

 

 「忍―――――――――――――――――――――――――――――ッッッ!!!!」

 

 突然自身の名を呼ぶ声が聞こえたかと思いきや、突然数本の触手が伸びて来て身を投げようとしていた忍の四肢と胴体に絡み付き、不意に自殺を思い立った彼女を間一髪助けたのです!

 

 「みちる!?どうして此処に!?つーか、何であたしが此処に居るって分かった!?」

 

 「そんな事は今は良いわ!私が……いいえ……」

 

 「私達が先輩を助けてあげます!!」

 

 その言葉と共にみちるの前にリラ達4人が躍り出ました。ブルーフィールドを全開で展開すると、次にリラはドリスを召喚します。

 

 「ドリス!!」

 

 (よっしゃ!!行っくで~リラ!!)

 

 「深優ちゃん!ブルーム借りるね!」

 

 「OK!」

 

 ドリスとブルームを光球に変えて右手に宿すと、大きな長槍(ランス)の形になりました。

 

 「なッ……!?お前、何だよそれ……!?」

 

 「え~~~~~~~いッ!!!」

 

 驚く忍を他所に、リラは勢い良く長槍(ランス)となったドリスとブルームを彼女の右肩に放ちました。荒療治の『ハイドロスパイラルシュート』です!

 

 「おっ、おい、一体何の……うああああああ~~~ッ!?」

 

 ハイドロスパイラルシュートが忍の右肩に命中すると、凄まじい光の水飛沫が迸り、彼女の右肩周辺の穢れを洗い流します。これだけでも忍の中の痛みやストレスは和らぎましたが然し、リラの目的は其処では有りません。

 術法が肩に当たる直前、突然忍の右肩から6つの小さな影が散開して逃げ出すのを5人は見逃しませんでした。その6つの影は真っ黒にくすんでこそいますが魚の姿をしており、形状としてはヤツメウナギやハゼ等の口で吸い付くそれに近い姿でした。

 

 「リラ!もしかしてあれがリラの言ってた……」

 

 確認を求める葵のその言葉に対し、リラは大きく頷いてこう強く返します。

 

 「うん、間違い無い!あれが……“穢れ水霊(アリトゥール)”よ!!」

 

 

 時系列は此処で、忍が家から出て行った直後にまで戻ります。

 

 「穢れ水霊(アリトゥール)!?」

 

 初めて聞く言葉に目を丸くする葵と深優と更紗、そしてみちる。

 そんな4人に対してリラは続けます。

 

 「うん、テミスから聞いた事が有るの。水霊(アクア)の中には人間の出す穢れに呑み込まれて暴走して、人間に害を為す悪い水霊(アクア)がたまにいるって!それが穢れ水霊(アリトゥール)って言うの。」

 

 「へぇ~……そんなのが居るんだ。」

 

 「でも可能性としては無い話じゃないよね?」

 

 「人間だって汚い物を処理してたら、自分だって汚れて最悪健康を損なう事だって有るしね。」

 

 「それも驚いたけど汐月さん、テミスって誰?」

 

 リラの言葉に4人は驚きを隠せません。まさかリラが扱う魚の姿をした水の精霊達に、そんな危険な存在が居たなんて……。

 そんな中でみちるは1人、不謹慎にもテミスと言う人物が気になっていました。

 

 「先輩、私、一瞬だけど見えたんです。その悪い水霊(アクア)が日浦先輩の右肩に取り憑いてるのが!」

 

 「じ……じゃあ忍が幾等リハビリしてもずっと治んないまま今に至ったのは……。」

 

 「はい、穢れ水霊(アリトゥール)が原因です!リハビリ自体が間違ってないのに何時までもずっと治んない処か、まるで狙い澄ましたかの様に再発して前より酷くなるなんて、他に考えられません!」

 

 

 忍の右肩から離れた6つの小さな影………それはその身を黒くくすんだ穢れで覆われてしまった『穢れ水霊(アリトゥール)』と呼ばれる存在でした。

 通常、水霊(アクア)は地球を廻りながら水を浄化すると言う、『星の濾過フィルター』の役目を担う存在。

 然し、中には人間の内側から迸る穢れに当てられた水霊(アクア)や、元々は人間の内側に宿る水霊(アクア)だったのが、穢れを生み出す自身の有り様を省みる事の無い愚かな人間に見切りを付けて暴走し殺害。そうして無理矢理自由の身となった物の、その身を蝕む穢れの所為で自制が利かなくなり、無差別且つ通り魔的に人間に憑依して穢れを増大させて病魔や怪我のダメージを促進させたり、人格を醜く歪め、犯罪や虐待、いじめ等の反社会的な行為に及ばせると言った悪事を働く者まで居るのです。

 それこそが『穢れ水霊(アリトゥール)』。先程もリラがテミスの受け売りで語っていた通り滅多にではありませんが、こう言う存在も水霊(アクア)の中には居るのです。

 因みにアリトゥール(Alitur)はラテン語で、「下水、汚水」を意味しています。

 

 「あれが…あれが忍の事をずっと苦しめて来た元凶だったのね………。許さない………絶対に許さないわ!!」

 

 全てを知った時、みちるの中には彼女自身も人生史上感じた事の無い程の怒りが込み上げて来たのは当然の事。

 逃げようとする6体の穢れ水霊(アリトゥール)ですが、忍のリハビリの努力を無にし続け、その運命を狂わせて来た元凶をみちるが許す筈も有りません。

 

 「汐月さん!」

 

 「はい!!ノーチラス!!あの穢れ水霊(アリトゥール)達を捕まえて!!!」

 

 周囲のメダカの群れの下級水霊(アクア)達をリラがノーチラスに宿して力を送ると、ノーチラスは身体を白く光らせ、高速でその6つの触手を伸ばして穢れ水霊(アリトゥール)達を一瞬で捕獲しました。

 

 「更紗ちゃん!プラチナを貸して頂戴!!」

 

 「うん!」

 

 「行くよクラリア!!」

 

 (任せて―――――。)

 

 先ずクラリアとその仲間で300匹近いメダカ型の水霊(アクア)の大群を鰯のそれの様に高速で旋回させてな等身大の光の螺旋を作ると、その中に更紗の内なる水霊(アクア)である身体の大きなプラチナが入り込んで更にダイナミック且つフルスピードでその中を繰り返し旋回。

 それはやがて水飛沫を上げて地上を駆ける光の竜巻となり、勢い良く穢れ水霊(アリトゥール)へと殺到します!

 

 これが、対穢れ水霊(アリトゥール)用にリラが編み出した術法『トルネードクラリフィケーション』です!

 

 「行っけええぇぇ~~~~~~~ッ!!」

 

 普段大人しい姿から想像出来ない程の大声でリラがそう叫ぶ中、クラリアとプラチナの文字通りの合体技とも言うべき光の竜巻はノーチラスに捕獲された6体の穢れ水霊(アリトゥール)の穢れを瞬く間に遠心分離で消し飛ばして浄化し、元の正常な水霊(アクア)に戻しました。

 更にそれは、近くに居た忍を包み込むと、その内に堆積した穢れの半分をごっそりと浄化して行ったのです!只、残りの半分は忍にとって重く、深刻な物だった為に除き切れませんでしたが……。

 

 竜巻が終わると周囲は元の静寂を取り戻し、無数の水飛沫が周囲に飛び散った跡だけが残りました。然し、あれだけの水の奔流が周囲を駆け回ったと言うのに誰も濡れていません。

 そしてアスファルトの大地を濡らした水飛沫の跡も、程無くして消えて無くなりました。

 

 「忍!!」

 

 目に再び涙を溜め、みちるが忍に駆け寄ります。

 

 「みちる……?」

 

 忍も最初に見せた様な荒んだ顔では無い、優しく穏やかな顔になっていました。

 

 「良かった……。てっきりあのまま自殺するんじゃないかって思うと、本当に怖かった……ッ!!」

 

 忍に強く抱き着くと、みちるは静かに嗚咽を挙げて泣くばかりでした。

 

 「心配掛けて、ごめん……。あたし、みちるに酷い事言っちゃって……」

 

 「良いの。貴女が無事だったから……!!」

 

 申し訳無さそうに目を伏せてそう謝罪する忍ですが、みちるは慈しみ溢れる眼差しでこれを許しました。

 

 「そうだ!ねぇ忍、肩は?未だ痛む?」

 

 みちるの問い掛けに忍はハッとなり、再び右の肩に手を当てるとどうでしょう?もう痛みは嘘の様に完全に消えていました。それ処か寧ろ、身体にエネルギーが漲る様な感覚すら覚えます。

 

 「あれ?痛くない……?」

 

 「それって……治ったって事?」

 

 「ちょっと待って下さい前橋先輩!未だ日浦先輩は完全に癒せてません。」

 

 痛みがないと聞いて嬉しげな表情を作るみちるですが、其処に釘を差したのはリラでした。

 

 「日浦先輩……。」

 

 同じくリラの顔をじっと見つめながら、忍の尋ね返します。

 

 「お前、汐月って言ったか?さっきまであたしの前で起こってたのって何だったんだよ?つーか、お前って一体……?」

 

 「私の事は今は良いです。それより先輩、改めて貴女にお訊きします。」

 

 「あたしに?何をだよ?」

 

 「先輩の肩はもう私が癒しました。先輩はもう泳げます!だけど……」

 

 「だけど何だ?」

 

 一呼吸置くと、リラは改めて忍に尋ねました。とても大事な、『忍自身のこれから』についてを――――。

 

 「先輩はもう泳ぐ気は無いんですか?言いましたよね?『今更故障が治った所でもう1年半以上もブランクが有って、前橋先輩にも水を空けられて、大会に出ても振るわないで終わるかも知れない』って……それでも先輩はその五体満足な身体で泳ぎたいって思いますか?」

 

 「リラ……。」

 

 「リラっち……。」

 

 そう問い掛けるリラの姿を、葵と深優と更紗の3人は後ろから見守るばかりでした。

 

 彼女の放った言葉に、再び忍は沈痛な面持ちになりました。確かに忍自身の肩の故障はリラの手によって完治しました。医者でも自分でも治せなかった故障を、目の前の1年の後輩は治してくれた。その点ではリラに対してし切れない程の感謝しています。

 然し、もう1年半以上も自分は満足に泳いでいないのです。今更水に入るのも正直怖い……。そんな気持ちさえ有りました。

 散々新聞とかで自分を持ち上げてくれていた世間の連中も、自分が故障したと分かれば途端に掌を返して居なくなる始末……。

 大会にまた出た所で、どうせ成績も振るわず再び……いいえ、考え様によってはあの国体以上に惨めな想いを味わうかも知れない……。

 

 そう思うと、とても怖くて競泳水着も着れない……。

 それが、彼女の内に残る50%の穢れの正体でした。

 

 「忍……?」

 

 「ごめんみちる…あたし………やっぱ怖いんだ…。1年半以上も水泳から離れてた奴が、今更戻ったって………!!」

 

 少なからず怯えた調子で、忍はそう苦しそうに言葉を紡ぎます。みちるを握るその手は、小さく震えていました。

 

 「そんなッ…!!」

 

 折角右肩は治って自由に動くのに、忍はやっぱり水泳を辞めてしまう―――――そう考えると、みちるの目には悔し涙が再び滲みます。

 

 (本心で言ってるんですか?)

 

 すると突然脳内に響く声。リラ達の前に突然現れたのは、意外にもテミスでした。テミスは魚の姿から人間態に変化すると、みちると忍の前に近付きます。

 

 「何だ?魚が女の子に……」

 

 「誰なの……貴女?」

 

 初めて見る上級水霊(アクア)であるテミス。魚の姿から人間の姿に変化する様子と共に、彼女が放つ神秘的な存在感にみちると忍は呆然となるばかりでした。

 

 「初めまして前橋みちる、日浦忍。私は水霊(アクア)のテミス。リラにアクアリウムの力を与えたのはこの私よ。」

 

 「えっ……貴女が汐月さんに!?」

 

 初めて聞く衝撃の事実に戸惑うみちると忍を横目に、テミスはリラを呼びます。

 

 「来なさいリラ。貴女に教えたい術法が有ります。」

 

 「えっ、教えたい術法?」

 

 「その前に先ず、日浦忍の内なる水霊(アクア)――――『ヴァルナ』を外へと出しなさい。」

 

 「でもテミス、先輩の水霊(アクア)は―――――。」

 

 忍の内に宿る、エイに似た姿の水霊(アクア)のヴァルナは今の忍の心を体現するが如く、怯えて忍の奥に籠った切り出て来る様子を見せずにいました。

 

 「葵さんの内なる水霊―――――アンジュの力を借りてみなさい。社交性の高い彼女の水霊(アクア)ならばもしかすれば―――――。」 

 

 「成る程!葵ちゃん、アンジュを借りるね!」

 

 「待ってました♪」

 

 そしてリラは葵の内に宿る水霊(アクア)であるアンジュを、忍の内に放ちました。

 

 青白い優しい光を放ちながら、未だに穢れの残る濁った忍の内奥に隠れているヴァルナの下へと近付いて行きました。

 やがてその優しい光と温かいオーラに照らされると、それに導かれる様にヴァルナが飛沫を上げて遂に忍の内より姿を現しました。

 

 「何だ…?あたしの中から………エイ?」

 

 「綺麗――――――。」

 

 忍の中から現れたヴァルナは、ダークブルーの身体に白いスポットライト、金色の瞳と言う“マンチャ・デ・オーロ”なる淡水エイに似た姿をしていました。

 

 「リラ、ヴァルナに命じなさい。『日浦忍を映せ』、と…。」

 

 「えっ?うん、分かった。ヴァルナ、日浦先輩を映しなさい!」

 

 するとヴァルナは忍を数秒間見つめたかと思うと次の瞬間、光を放って何と「もう1人の忍」へと姿を変えたのです!

 

 「えっ!?あたし!?」

 

 「しっ、忍が2人!?」

 

 「凄い!何これ!?」

 

 「アクアリウムってこんな事も出来るんだ……。」

 

 目の前で実演されるアクアリウムの新能力の前に、一般人は唖然とするばかり。更紗も何も言わずに息を呑んで只事の成り行きを見守るばかりでした。

 

 「これがアクアリウムの発展技『アクアミラーリング』。内なる水霊(アクア)と宿主との対話。言うなれば『もう1人の自分とのカウンセリング』を実現させる術です。」

 

 そう言うとテミスは再びコバルトの飛沫となって消えました。

 

 「それではリラ、後は日浦忍次第よ――――――――――。」

 

 「日浦先輩次第……。」

 

 そう呟くリラを横目に、忍はヴァルナが化身したもう1人の自分と対峙していました。

 

 「これが、もう1人の……あたし……。」

 

 「忍―――――。」

 

 すると忍に化身したヴァルナが勢い良く宿主に掴み掛りました。

 

 「お前…、本当にそれで良いのかよ!?このまま一生泳ぎと無縁の暮らし送って、それで満足なのかよ!?」

 

 「えっ?」

 

 突然胸倉を掴んで自分を詰って来るもう1人の自分に、忍は只々面食らうばかりでした。

 

 「誤魔化すなよ!?あたしはお前なんだぞ!?ずっと17年間お前の事見て来たんだからあたしには分かる!!お前は本当は泳ぎたくて泳ぎたくて仕方無ぇんだよ!!けどお前は大会に出て、勝って、皆から評価されたいって気持ちで一杯で忘れちまったんだ!『心から水泳を楽しんでた自分』をよォッ!!!」

 

 その言葉を聞いて忍は頭にマッコウクジラから体当たりされた様な衝撃を感じました。同時に思い出したのです。初めてプールで泳いだ時の、あの水の感触を……。小学時代から中学時代……仲の良い友達と泳ぐのが楽しかったあの頃の気持ちを!

 それを思い出した時、忍の目からは涙が滲み出て来ました。

 

 「あたしは…本当は………」

 

 何時からでしょう?泳ぐ事を心から楽しいと思えなくなったのは……。

 

 「思い出せよ忍!水泳が楽しくて仕方無かったガキの頃を!!」

 

 何時からでしょう?周りからの評価ばかりを気にして練習に励む様になったのは……。

 

 「泳げよ!勝ち負けとかどうだって良いから思いっ切り!」

 

 今までのリハビリだって、「泳ぎたいから」と言うより水泳で負けるのが……「ライバルたちに引き離されるのが怖いから」その焦りで取り組んでいたのではないでしょうか……?

 勿論やり方自体は間違っていなかったから、そのまま頑張っていれば復帰出来たかも知れないのに、そんな体たらくだからあんな穢れ水霊(アリトゥール)なんて訳の分からない魔物に取り憑かれ、全てを棒に振ってしまった……。

 

 全ては、自分にとって本当に大事な事が何かを見失っていた、己の弱さが招いた事だった―――――――――!!

 

 「……たい…。」

 

 「あぁ!?何だって!?」

 

 「…ぉ……よぎ……た……い………。」

 

 「もっとデカい声で言え!!」

 

 「あたしだって……本当は泳ぎたいよ!!プールで一緒に…皆と……泳ぎたい………ッ……うぅっ…………。」

 

 気付いた時、忍の目には大粒の涙が溜まって今にも迸りそうになっていました。

 漸く自分の本心に気付いた忍の姿を確認すると、リラは再び周囲の下級水霊(アクア)達を集めてクラリアと共にクラリファイイングスパイラルを形成すると、それをヴァルナに纏わせます。

 

 「待って汐月さん、私の水霊(アクア)も使って!」

 

 「前橋先輩……。」

 

 みちるからの請願に対し、相手の真剣な顔をじっと見つめてリラはコクリと頷きます。彼女だって、忍を癒す力になりたい。その為に此処にいるのですから―――。

 

 「葵ちゃん、深優ちゃん、更紗ちゃん……。」

 

 3人の友人に対してリラは言います。

 

 「アンジュとブルームとプラチナ、もう1度貸してくれる?ノーチラスに力を送りたいから…。」

 

 その言葉に3人はフッと微笑むと共に、力強く頷きました。

 

 社交性と度胸のアンジュ、元気と優しさのブルーム、強さと逞しさのプラチナを光球に変えてもう1つのクラリファイイングスパイラルをリラは形成。そしてそれを今度はノーチラスに纏わせます。

 

 「ヴァルナ、ノーチラス―――――後はお願い!」

 

 その言葉に両者はフッと微笑んで頷くと、先ずはヴァルナが再び忍の内に宿り、その力で彼女の内に堪った残りの穢れの全てを浄化します。

 其処へ更に、ノーチラスが続いて忍の内に入る事により、彼女の心と身体は全て完全に癒されるのでした――――――――――――。

 

 

 「何だよ、これ………?」

 

 溢れ出した光の中、ノーチラスが体内に入り込んだ忍の目には、みちると自分との思い出が鮮明にフラッシュバックして映し出されました。

 同時に、自分の事をみちるが今までどれだけ心配し、どれだけ大切に想って今日まで過ごして来たのか、その悲しみや喜びや慈しみの感情の数々もしっかり伝わって来たのです。

 

 

 「み…ち……る―――――――――――――くっ…うっ……うぅっ……ああっ、あっ…………わあああああぁぁぁぁぁぁああああ――――――――――――――――――ッッッ!!!!!」

 

 

 海底温泉の様に内側から止め処無く湧き出て来る温かい気持ちに、忍の涙は止まりません。旧約聖書に有る“ノアの大洪水”の様に押し寄せる、「滂沱の涙」で顔中を濡らしながら、みちるは赤ん坊の産声以上に大きく声を上げて泣きました。

 そんな彼女をみちるは強く抱き締め、その胸に忍の泣き顔を埋めさせます。

 

 みちるの表情は、まるで母なる海の様に深い深い慈愛に満ち溢れた物でした―――――。

 

 

 

 ――――――数日後、霧船女学園のプールは学校の教員や、水泳部を筆頭とした有志の女子達の手によって1年振りに綺麗に清掃されました。無論、その有志の中にはリラ達も含まれていました。そうして水を湛えたプールは、心なしか輝いて見えます。

 

 それから5月のゴールデンウィーク明けと共に、水泳部に名を連ねる彼女にとっては心より待ち焦がれた瞬間がやって来ました。そう、プール開きです!

 其処には、競泳水着に身を包んだ部長の前橋みちるとエースの日浦忍の3年生2人を筆頭に 2年生の漣真理愛、星原縷々、濱渦水夏の4人が揃い踏みしていました。更に―――――。

 

 「こ、今年から水泳部に入りました。2年4組の飯岡潤です。水泳はちゅ、中学時代にやってました!1年間休んでましたけど、頑張って取り返して行きたいです!」

 

 中学時代に水泳部に入っていた、2年生の潤が競泳水着に身を包み、新入部員として穿破と後輩と同級生達に挨拶をする姿も有りました。

 豊満に膨らんだ乳房を大きく揺らし、羞恥心で顔を赤く染めながらも何とか挨拶を終える潤。

 彼女が1年のブランクを埋めてどう成長して行くのか、今後に期待ですね!

 

 そして今年は1年生が4人も新たに入りました。そう……、その4人とはズバリ、言わずと知れたあの子達です!

 

 「1年2組、五十嵐葵です!水泳は初めてです!一生懸命頑張ります!」

 

 「同じく1年2組の吉池深優!宜しくお願いします!」

 

 「1年の長瀞更紗です。頑張ります。宜しく……。」

 

 先輩達と一緒の競泳水着に身を包んで手を後ろ手に組み、三者三様の形で挨拶をする葵と深優と更紗の3人。最後は勿論――――。

 

 「1年2組、汐月リラです!水は苦手じゃありません。寧ろ大好きです。宜しくお願いします!」

 

 リラも水泳部に一緒に加入していました。澄み渡る藍色をした彼女の眼差しには、学園のプールがとても美しく輝いて見えました。

 それはまさしく、今の彼女の心を映す水鏡其の物でした。

 水泳部としてのこれからの活動に心を躍らせるリラ。

 

 

 彼女の澄んだ藍色の瞳に映るプールには――――――テミスと一緒に大小様々な、沢山の水霊(アクア)達が戯れているのでした。

 

 




リラ達が水泳部に入る前の活動は暫くしたら番外編で書きたいと思います。次回は学友である3人にフィーチャリングした話を書く所存です。

先ずは深優から!どうぞお楽しみに!


キャラクターファイル11

日浦忍(ひうらしのぶ)

年齢   17歳
誕生日  9月19日
身長   174㎝
血液型  O型
種族   人間
趣味   漫画描き
好きな物 真剣勝負

霧船女学園水泳部のエース。ツリ目に黒のショートヘアーが特徴で良く手を後ろ手に組む。
高校1年の時に国体に出場する程の名選手だったが、大会時に怪我を患ってそのまま1年余り休部していたが、リラのアクアリウム能力によって心と身体を癒させられたのを機に、再び水泳と向き合う様になる。
ボーイッシュで男勝りな性格だが面倒見が良く、みちると親友同士である一方で、家が近所と言う事もあってリラと絡む事も多く、彼女の姉貴分の立ち位置を担う。本人は無自覚だが、嬉しい時には胸を大きく揺らす癖が有る。
専門もリラと同じくバタフライであり、泳ぎを通じて良い師弟関係を築いて行く事となる。
因みにクラスはみちると同じで3年3組で、素足にスニーカーと言う珍しいスタイル。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11話 突如訪れるスコールライン

お待たせしました!それでは今回から葵、深優、更紗の3人にフィーチャリングしたエピソードをお送りしたいと思います!

それでは先ずエピソード深優からどうぞ!こちらは三部作となっています!


 5月――――――それは晩春と初夏の境界線に当たる月の廻り。

 爽やかな緑の薫風が大地を駆けるこの時期に、霧船水泳部は本格的な活動を開始します。

 

 「次!位置に着いて!」

 

 みちるのホイッスルの音が鳴り響くと共に、所定の位置に就いた部員4人が一斉に飛び込んで泳ぎ始めます。

 或る者は自由形で、また或る者は背泳ぎ、バタフライ、平泳ぎ―――――それぞれがそれぞれ思い思いのやり方で水面を蹴り掻き分け、四角い水のフィールドを真っ直ぐに進みます。

 

 「プハーッ!もう駄目……私もうこれ以上泳げない……。」

 

 「私ももう50m1回泳いだだけで疲れたぁ……。」

 

 「そう?私はまだまだ行けるけど?」

 

 蒼國市は日本でも水泳人口が五指に入る程多い街です。それこそ小さな子供から高齢者まで、誰もが水に親しんで生きています。以前アスリートまで練習に訪れる程水泳が盛んな街とお伝えしましたが、蒼國出身で金メダルを獲った水泳選手まで過去にはいる程です。

 体力作りの為に小、中学校でも体育の時間、春夏秋冬問わず市民プールで水泳をやらされるなんて珍しくありません。

 とは言え、水泳の経験が学校の授業以外決して多くない葵と深優は、50mを1回泳いだだけでもうバテてしまいました。只、素人で50mをキチンと泳ぎ切れる辺り、最低限の体力は2人ともあったのでその点は評価出来ましょう。やはり葵と深優も、曲がりなりにも水と共に生きる蒼國市民と言う事ですね!

 因みに葵は背泳ぎが得意で、深優は自由形とバタフライが得意。但し、深優はみちると一緒で苦手な泳法は有りません。

 

 一方、更紗は未だ元気で泳げる等、1年生の中ではかなりの体力お化けの様です。そして得意な泳ぎは自由形と平泳ぎです。

 

 「五十嵐、吉池―――――」

 

 2人の名前を呼んで近付いて来たのは部長のみちるでした。

 

 「部長―――――。」

 

 「2人とも、無理しなくて良いわ。暫く休んでなさい。それと吉池、貴女凄いわね。1年生の中じゃ貴方のタイムが今の所1番速いわよ?」

 

 「本当ですか!?」

 

 「五十嵐も決して遅くはないわ。寧ろ素人で良く此処まで泳げたなって思う。2人とも未だ1年生で未だこれからよ。時間はたっぷりあるから焦らず無理しないで頑張りなさい!」

 

 そうみちるがねぎらいの言葉を2人に掛ける中、次に泳ぐのは忍と潤と2年の漣真理愛(さざなみまりあ)、そしてリラです!

 

 「汐月。」

 

 「はい?」

 

 隣に立ったリラに対し、忍が不意に話し掛けて来ます。

 

 「この前は有難うな。あたしがまた泳げんのはお前のお陰だ。」

 

 「いいえ、私は水霊士(アクアリスト)として当たり前の事をしただけですよ。」

 

 先日、自分の中の穢れを癒し、また泳げる身体にして貰った事で、忍はリラに感謝すると共にお気に入りの後輩となっていました。喜色満面な顔で改めて礼を言われ、リラは思わず顔を赤らめます。

 

 「一緒に楽しもうぜ!」

 

 「はい!」

 

 一方、潤の隣に立った同じ2年の真理愛は彼女に対して敵愾心でも有るのか、キッと潤の顔を睨んでばかりいます。訳も分からず敵意を向けられ、潤は当然困惑していました。

 

 「位置に着いて……用意!」

 

 そんな中で再びみちるがホイッスルを吹くと、4人は一斉にスタートします!

 

 当然と言うべきか最初は忍が優勢でしたが、次第に2年生の真理愛がそれに肉薄して来ます。やはり1年半ものブランクは大きかったのか、忍との差はグングン縮まって行きました。

 けれど、潤も嘗て水泳の経験者であるだけ有って引き離されません。

 

 「凄い…ブランク1年以上も有ったけど日浦先輩やっぱ速いじゃん……。」

 

 「でも普通そんだけブランク有るのに一週間練習した位じゃ、あそこまで泳げる様になんてならないよ。多分、リラっちのアクアリウムが効いてるからじゃない?」

 

 確かに1年半のブランクの為に忍は全盛期の半分程の力も出せていません。けれど、肉体其の物のスペックは深優が指摘する通り、リラの手によって癒されると共に嘗ての水準の半分にまで回復していたのです。

 特に更紗の内なる水霊(アクア)であるプラチナの強さと逞しさをクラリファイイングスパイラルに仕込んだのが功を奏し、思った以上に早く回復出来たのは忍にとってもみちるやリラにとっても嬉しい誤算でした。

 後は彼女が如何に故障に気を付けながら嘗ての力を取り戻し、それ以上先の領域へと行けるかです。ゴールデンウィークの間中、リハビリを兼ねて忍は市民プールでみちると一緒に連日、それでいて筋肉に負荷を掛けない程度に無理無く練習を続けました。

 筋肉をしっかりとほぐし、泳ぎの感覚を取り戻す――――――その為だけに忍は泳ぎ続けて来たのです。大会に勝つとかそんな余計な事は考えず、純粋に楽しむ気持ちだけで―――――。

 

 (忍……あんなに楽しそうに泳いでる。遠くからでも分かるわ。貴方の泳ぎにはもう余計な気負いや焦りが無い。)

 

 「リラが最初に助けた飯岡先輩も、ブランクが有るけど漣先輩と良い勝負ね。」

 

 そして泳ぎの結果は忍が2年生2人と僅差で1着、2年生の潤と真理愛が同着で2位、そして彼女達に遅れてリラが最下位でした。

 

 「あーあ、やっぱリラ負けちゃったか……。」

 

 「水霊士(アクアリスト)としては水に強いのにね~。」

 

 「それと泳ぐ腕は別物って事ね。」

 

 葵達3人が率直な感想を述べている中、当人は先輩達とこんな会話をしていました。

 

 「凄いですね、先輩達は。やっぱり1年の私じゃ未だ勝つには早かったですか。」

 

 「何言ってんだよ?確かにお前あたし等より遅かったけど、そん代わり長く息止めて潜ってられんじゃん?」

 

 そう、リラは泳ぎのスキルは1年の中では葵と同じで並でしたが、今いる部員達全員の中で1番長く息を止めて潜っていられる肺活量と潜水能力が持ち味で、平泳ぎと其処から派生したバタフライが得意だったのです。

 特に息継ぎの問題から、多くの人間が敬遠するバタフライを並外れた肺活量でクリアしている点は、同じくバタフライが得意な忍も大きく評価していました。

 

 「確かに汐月さん、貴女の潜水能力の高さは折り紙付きね。それって水泳選手として凄い事だって思う。」

 

 「本当だよリラちゃん!リラちゃんさんなら絶対もっと上へ行けるって!!」

 

 「漣先輩……飯岡先輩……。」

 

 先輩達からもそのポテンシャルを認められ、リラはこそばゆい気持ちになります。

 すると其処へ、みちるがやって来て話し掛けます。

 

 「4人ともお疲れ様。忍、またタイム縮めたわね。」

 

 「まぁな!」

 

 「でも余り無茶しないでね?また故障するなんて私、絶対嫌よ。」

 

 「分かってるって。だから最後に何時も“あれ”やってんだろ?」

 

 忍はリラを一瞥してみちるにそう返しました。

 

 「汐月、練習終わったらまた“あれ”頼むわ……っておい、汐月?」

 

 「日浦先輩、リラならあそこです!」

 

 忍がそうリラに話し掛けた時には彼女は其処には居らず、葵が指差した方を向くと其処には水の中を潜水しながら縦横無尽に泳ぐリラの姿が有りました。

 

 「またあの子1人でプール中泳ぎ回ってる……。」

 

 「って言うか息止めるの長過ぎないあの子?良く溺れないわね……。」

 

 他の2年生の星原瑠々(ほしはらるる)濱渦水夏(はまうずみずか)の2人が手を後ろ手に組んだ姿勢で真理愛と共に呆れてそう呟くのも我関せず、リラはまるで広大な海を泳ぐ魚かイルカの様に楽しそうに泳ぎ回っています。

 何も知らない一般人の子はその様を呆れて眺めていますが、彼女の正体を知る者達は皆知ってるし分かってもいました。

 

 (水泳部の活動は楽しそうね、リラ。)

 

 (うん、勿論だよテミス。私、今まで生きて来てこんなに毎日が楽しいって思った事無い!)

 

 そう、リラがプールに群がる無数の水霊(アクア)達と楽しく交流していると言う事を――――――。

 

 「リラ、もしかして水霊(アクア)達とお話してるのかな?」

 

 「もしかしなくたってそうだよきっと。」

 

 「リラにとって水泳部って、そう言う意味じゃ役得なのかもね。」

 

 「役得なのはぁ、私も同じだけどねっ♪」

 

 そう言って深優は突然更紗の背後に回り込むと、また何時もの様に彼女のバスト86も有る胸を揉みしだきます。

 

 「あっ、ちょっと……んん~~~~~っ♥」

 

 深優と更紗がふざけ合っている中、みちると忍の2人もプールの中を潜水しながら泳ぎ回るリラを見て言葉を交わします。

 

 「やれやれ、あいつまたあの水霊(アクア)ってのと遊んでんのか?」

 

 「全く、あの子も仕方無いわね。」

 

 困った笑みを浮かべながらそう言うと、リラをプールサイドに連れ戻すべく、みちるがプールに飛び込みます。

 

 (リラちゃん、あんなに沢山の魚達と一緒に楽しそうに泳いでる……良いな、わたしもあんな風に………)

 

 あれ?ちょっと待って下さい。以前リラに助けて貰った時、彼女のアクアリウムの能力を間近で見た潤の『リラと同じ藍色の瞳』には見えている様ですよ?

 リラと同じく、“水霊(アクア)”が――――――――。

 

 「~~~~~~~~~ッ!!」

 

 反面、自分の事を見ていない潤を、真理愛が何やら面白く無さそうに睨んでいる事に潤本人は気付いていないみたいですけど……。

 

 

 それから練習が終わった後の事です。

 

 「んっ……あぁっ!!」

 

 クラリア達メダカ型の水霊(アクア)の大群による簡易版のクラリファイイングスパイラルに包まれ、忍は肉体の損傷のメンテナンスを行っていました。

 彼女はリラに肉体を癒して貰ってから、練習の度にみちるや葵達の立会いの下、アクアリウムの能力で癒して貰っていたのでした。

 

 「はい、先輩。今日は此処までです。」

 

 「フゥ……何時もありがとな汐月。」

 

 施術が終わると、そう礼を言って忍は軽く腕を伸ばしてストレッチします。

 今更だとは思いますが、アクアリムは水の精霊の力を借りて術を行使する能力である為、施術されれば当然素肌も着ている服も濡れます。

 然し、濡れるのは一瞬で術式が完了すれば衣類に浸み込んだ水も、顔や手足に掛かった水も、況してや周囲の地面や壁に飛び散った水も直ぐに気化して無くなる為、何も問題は有りません。

 寧ろ、雨が降った後の様な綺麗で清々しい空気が全身に纏わり付き、肺を満たしてくれる為、心身揃って非常に爽快な気分になるのです!

 因みにリラは水霊士(アクアリスト)としての力で素肌や衣類に浸み込んだ水を濡れる度に除去している為、身体を拭いたり服を洗濯したりなんてしません。

 

 

 「いいえ、私も先輩には学校の勉強や水泳とか教えて貰ってるからお互い様ですよ!」

 

 「フフッ、貴女達2人もすっかり仲良しさんね、忍、汐月♪」

 

 2人の様子を、微笑ましく部長のみちるは見つめていました。

 

 ―――――と、この様に水泳部に入部したリラ達4人は、部長のみちるやエースの忍、そして2年生の潤達と共に水の青春を謳歌していたのでした。

 

 

 (良いなリラっちは……あんな漫画やラノベやアニメみたいな事が出来て―――――)

 

 そんな中、深優はリラの事を羨ましいと思っていました。水霊士(アクアリスト)としてその力を駆使し、水の精霊足る水霊(アクア)達と対話をするリラの姿を―――――。

 

 

 前置きが長くなりましたが今回は、そんなリラの力に憧れる深優のお話です。

 

 

 「ちょっ、待って深優!其処は……あーーーーーーーーーッ!!!」

 

 「やった勝ちーッ!!って言うか葵弱過ぎ!」

 

 或る日の昼休み、深優は葵と携帯ゲームで対戦していました。結果はどうやら深優の快勝だった様です。

 

 「もーう、あれから練習して強くなったって思ったのにぃ……。」

 

 負けて素直に悔しがる葵ですが、無邪気に笑う楽しそうな幼馴染みの顔を見ると何故か憎めません。

 人懐っこくて元気っ子な一方、勉強も運動も高い水準でこなす深優ですが、意外にもヲタクな趣味を持ち合わせていたのでした。

 

 「2人とも楽しそう……。」

 

 「幼馴染みだもんね葵と深優って。私達より積み上げて来た時間が長いから。」

 

 そんな2人の様子を友人のリラと更紗は羨ましそうに見つめていました。霧船に入って出会い、友達になった4人ですが、やはり積み上げて来た時間の長さから来る葵と深優の2人の世界は、割って入れないと思う程の距離感を感じます。

 

 「そんでさぁ、昨日観たアニメの話なんだけどー……」

 

 「あぁ、魔法少女ホワイトビッキー800ね……」

 

 ヲタク趣味に精通した深優も随分ですが、そんな彼女の趣味や嗜好を理解した上で、自分をそれに難無く合わせて的確にコミュニケーションの取れる葵もまた大した物。リラから見て、そんな葵の姿はまるで深優と言う器に柔軟に収まり切る水の様でした。

 同時に深優もまた、葵と言う『自身の手綱を完璧に握ってくれる存在』が居るからこそ有りのままの自分は曝け出せる事を良く理解しています。同時に、そんな葵と巡り会えた自分が如何に幸せ者であるかと言う事も―――――。

 

 

 時と場所が変わって放課後の部活動の時間がやって来た時も―――――。

 

 「次!」

 

 みちるのホイッスルの音色と共に飛び出す深優。やはり持久力が未だ心許無い物の、最下位とは言え2年の先輩相手にもどうにか引き離される事無く泳ぎ切るそのポテンシャルには、忍とみちるも感心していました。

 

 「あいつ、やっぱり大した奴だな。こりゃ2年もうかうかしてられねーぞ。」

 

 「そうね。1年の中で1番タイムが着々と伸びてるのはあの子だし……。」

 

 「大会まで何処まで伸びんのか、見物だな―――――。」

 

 「そうね―――――。」

 

 まるで鴛夫婦の様に、忍とみちるは深優の今後の成長を見守るのでした。

 

 「あんた、吉池って言ったっけ?凄いわね。私達相手に引き離されないなんてさ。ビリでもそんなに差は無いわよ?」

 

 「私も小学生の頃からずっと泳いで来たけど、油断してたら追い越されそう……。」

 

 「下手したら私よりも……って、はああんっ♥んぅっ、……ちょっ、何するの吉池さ……あああぁぁ~~~~~んっ♥」

 

 一緒に泳いだ2年の水夏と瑠々と潤が思い思いの感想を述べる中、隙だらけの潤の背後に回って脇の下に両手を潜らせると、胸を執拗且つ思いっ切り揉みまくります。

 

 「う~~ん、やっぱり2年の先輩も揉み応えがある人ばっかりで嬉しいです♪それじゃ揉みしだきまーすっ♪」

 

 「もももう揉んでるじゃ……んんんああぁあ~~~~~~ッ♥」

 

 「コココ……、コラ吉池さん!あああああ貴方、先輩に一体ななッ、何をやっているの!?」

 

 慌てて2年生のリーダー格と思しき真理愛が注意すると、深優は彼女の胸の膨らみに目を落とすなり、突然潤から離れました。そうかと思えば今度は、真理愛の胸を背後から揉みしだきます。

 

 「じゃあ先輩なら良いんですねっ♪」

 

 「ああっ、コラッ!!そんな訳なああああぁぁぁ~~~~~いゎょんッ♥」

 

 そんな彼女の様子を、離れた場所でリラ達は苦笑いしながら見つめていました。将来有望な水泳選手なのは認めますが、あの病気だけは本気で何とかならないのでしょうか?

 キントキダイの様に顔中真っ赤に羞恥心で赤らめつつも、潤はみちると同じバスト90もの大きさを誇る両胸を両手でガードしながら、自分の身代わり人形(スケープゴート)となった真理愛の様子を見守っていました。

 

 「またやってるよ深優ちゃん……。」

 

 「毎回毎回飽きないね……。」

 

 「後で先輩達にまた謝っておかないとね………。」

 

 すると其処へ、見かねた忍が助け舟を出して来ました。

 

 「おい吉池!もうその辺にしとけ!!他の奴等の練習の邪魔になるだろ!」

 

 「は~~い……。」

 

 忍に釘を差されて渋々止めると深優はリラ達の所へ戻って行きました。

 そして次にホイッスルが響く時、水面を蹴って泳ぐのはリラとみちるでした―――――。

 

 

 そして練習が終わって下校する時の事です。

 

 「あの、部長から聞きましたけど、日浦先輩って漫画描くのが趣味なんでしょう!?」

 

 人懐っこい雰囲気を纏って目をキラキラと輝かせながら、興味津々と言わんばかりに深優がそう尋ねると、忍が言います。

 

 「えっ?あ、あぁ……まぁな。けど、それがどうかしたのかよ?」

 

 「じゃあ今度、一緒に新刊描いてコミケ出ませんか?私、同人活動もやってるんですよ!」

 

 そう言って深優は鞄の中から自分の描いた同人誌を出して見せ付けました。

 

 「深優ちゃん、同人誌なんて描いてたんだ……。」

 

 「深優の奴、ゲームやアニメだけに飽き足らずあんなの中学からやってるのよね。」

 

 「へぇ……意外な趣味持ってたんだね。」

 

 三者三様に深優の趣味への感想をリラ達が漏らす中、忍は半ば呆れた調子で溜め息を吐いて返しました。

 

 「お前なぁ……あたしは3年で来年受験なんだよ。おまけに夏の大会も有んだしお前の趣味にまで付き合う暇なんて有る訳無ーだろ。」

 

 「ですよねぇ~~……。」

 

 至極真っ当な答えを返されてガッカリする深優ですが、此処でツンデレ振りを発揮して忍が言いました。

 

 「―――まぁ、勉強や練習の片手間の息抜きにだったら描いてやっても良いぜ。つーかお前の絵、下手糞だな!あたしの方が絶対上手く描けるっての!」

 

 「本当ですか!?有難うございますぅ日浦先輩!!」

 

 すると深優は欣喜雀躍して忍に抱き着くと、此処でも流石と言うべきか彼女の脇の下から手を伸ばして忍の、更紗と同じで決して小さくないバスト86の胸を懲りもせず揉みしだきます。

 

 「なッ!?コラ止せって……んああああ~~~~~~~~ッ♥」

 

 「忍!?」

 

 「もう!深優ったら良い加減にしなよ!!」

 

 遂に3年生まで、深優はその毒牙に掛けました。

 慌ててみちるが止めに入り、何とも愉快な下校風景がせせらぎの響き渡る黄昏の水の都で繰り広げられるのでした。

 自分の良き理解者と心からの友人、慕うべき先輩達に囲まれ、自身の持って生まれた才覚をフルに活かして人生を心から楽しんでいる深優。

 

 虐めと言う辛い過去を乗り越えて来たリラ以上に、この学園でのスクールライフを謳歌しているのが他でも無く彼女自身である事が、これだけでもお分かり頂けるでしょう。

 

 

 

 然し、深優にはこの時知る由も有りませんでした、これから自分自身に大きな嵐が差し迫っている事に……。

 

 それから数日後の昼休みでした。

 葵が再び対戦ゲームで深優にリベンジしようとしていました。

 

 「勝負よ深優!私もあれからまた一杯練習したもん!今度は絶対負けないんだから!」

 

 「フフン、掛かって来給え♪返り討ちにしてあげるから!」

 

 何時も通りまたゲームで対戦しようとした……その時でした。

 

 『生徒の呼び出しをします。1年2組、吉池深優さん。至急職員室まで来て下さい。』

 

 突然学園に流れる、深優を呼び出す放送(アナウンス)

 

 (吉池……?)

 

 (あの子どうしたのかしら?)

 

 突然流れ出した後輩を呼び出す放送に、忍やみちる達水泳部の面々が怪訝な顔を浮かべる中、当の1年2組の教室では――――――。

 

 「深優、あんた何か有ったの?」

 

 「さぁ?何だか分かんないけど、兎に角行ってみる!」

 

 心配そうに尋ねる葵を背に、深優は職員室へと向かって行きました。

 それから昼休みが終わっても、どうした訳か彼女は戻って来ませんでした。

 

 「深優ちゃん、チャイム鳴ったけど戻って来ないね?」

 

 「本当にどうしたんだろうね深優……?」

 

 (深優……。)

 

 リラと更紗が言葉を交わす中、葵だけが何も言わずに黙って深優の事を案じていました。

 何時までも深優が戻って来ない事に対して一抹の不安を覚えながら、次の授業の準備に入ろうとすると、突然自分達の携帯の着信音が鳴りました。何事かと思って画面を見ると、深優からのメールです。

 

 『みんなゴメン(≧≦) 今日は学校早退します。でも明日は部活ちゃんと出るから許してって先輩に伝えといて!』

 

 突然告げられた深優からの午後の早退。

 あの深優が突然どうして……?

 

 まるで小川の水が流れ流れて巨大な海になる様に、一抹の不安は言い様の無い巨大な胸騒ぎとなって3人の心を呑み込みます。

 お陰で午後の授業も何処か上の空で全然頭に入って来ません。そして部活でも―――――。

 

 「あれ?貴女達、今日は3人だけ?吉池はどうしたの?」

 

 「それが―――――。」

 

 葵が深優の早退の事を話すと、みちるは昼間のアナウンスで深優が呼び出された事を思い出しました。

 

 「そう、あの呼び出しの後、吉池は早退してたのね……。」

 

 「あたし等も気になっちゃいたけど、一体あいつどうしたんだろうな?」

 

 曲がりなりにも忍にとっては恩人の1人であり、みちるにとっては彼女を共に癒す戦友でもあった深優が早退していたと知り、2人も心配な様子でした。

 

 「先輩達、あの子の事が気になるのは分かりますが、今は練習に集中しましょう!ホラ、汐月さん達も準備体操始めるわよ!」

 

 そんな中、3年の2人や1年のリラ達と違って深優とも距離の有る、2年生の先輩の真理愛が代わりに陣頭指揮を取ってその日の練習はスタートするのでした。

 

 

 翌日の事です。

 

 「お早う深優!」

 

 「うん、お早う……。」

 

 何時もの様に通学路で葵が幼馴染みの深優に話し掛けますが、深優はそう素っ気無く返すだけです。昨日までの元気印が、嘘の様に鳴りを潜めたその様子に葵は只々戸惑うばかりでした。学校に着いてもそれは変わらず、葵がどうしたのか訳を訊いても、全く相手は答えてくれません。

 

 

 彼女の突然の変化は、水泳での練習にも如実に出ていました。

 

 「次!」 

 

 みちるのホイッスルと共に、他の部員と一緒に泳ぎ始める深優ですが、泳ぎに全く精彩が有りません。先輩は兎も角、同級生相手にも最下位になる始末です。

 

 「どうしちゃったんだろう、深優ちゃん?」

 

 「さぁ………?」

 

 リラと更紗が深優に対して疑問を抱く中、忍が深優を詰りに掛かります。

 

 「おい吉池、何だ今の泳ぎは?」

 

 「はい、ごめんなさい……。」

 

 けれど、深優は相変わらず絶不調でまるで振るいません。おまけに何時もだったら他の部員の胸を嬉々として揉みしだきに掛かる所を、まるでそうしないのです。

 

 (深優……一体どうしちゃったのよ?何で何も言ってくれないの……?)

 

 「吉池、一体どうしちゃったのかしら?」

 

 「昨日呼び出されてから早退してたみたいだけどよ、それが何か関係してんのか?」

 

 幼馴染みの葵が心配し、みちると忍が突然の深優の変わり様に疑念を抱く等、釈然としない空気のまま、その日の練習は終了しました。

 

 

 練習が終わって家路に就いた後、リラはアクアリウムの能力で、そして葵はLINEで深優に何が有ったかを探ろうとしました。

 然し、リラが水霊(アクア)達から地球で起きた出来事を音や映像付きで脳に流して貰う術である『ストリームメモリアル』による情報開示を求めても、テミス達は答えようとしません。

 

 (残念だけど、それは話せないわ。友達だからこそ知って欲しい事も有れば、知って欲しくない事だって有る。今回の深優さんの事は、貴女にとっては後者のそれ。彼女が自分の口から話してくれるのを待ちなさい。)

 

 (でもテミス、話してくれなかったらどうするの?)

 

 (その時は残念だけど、触れないでいてあげなさい。貴女だって、自分の全てを葵さん達に話している訳じゃ無いでしょう?それはお互い様。多少秘密が有った所で揺らぐ程、人間同士の友情や絆は脆い物でも無いんだし―――――。)

 

 (それはそうかも知れないけど、でも――――――)

 

 テミスからそう返されても、やっぱりリラは納得出来る物では無く、胸にモヤモヤとした気分を抱えたままその日は就寝と言う運びとなりました。

 周りに打ち明けられない程と言う事は、相当大きな事を深優が抱えているのは想像に難くありませんが、実態が分からない以上リラにはどうする事も出来ません。

 葵の方も葵の方で、幾等LINEで深優に何が有ったか尋ねても、相手は無言で全く返す気配が有りませんでした。

 

 「どうしちゃったのよ深優……?お願い…返事してよ………!」

 

 昨日まであんなに仲良しだったのが、まるで嘘の様に冷たくなった――――それが今、葵が深優に対して抱いた気持ちでした。今までこんな事、只の1度も無かったのに……。けれど、葵にはどうする事も出来ません。スマホの画面を一頻り見つめた後、葵は諦めて部屋の電気を消し、ベッドの布団にくるまるのでした。

 

 明日には、幼馴染みが元に戻っていると信じて――――――。

 

 

 然し、深優の様子は昨日を含め、3日連続で変わりませんでした。

 相変わらず授業の時も部活の練習の時もずっと元気が無く、何処か鬱屈として塞ぎ込んだままだったのです。アクアリウムでリラが確かめると、彼女の中は依然濁ったままでした。

 

 「深優ちゃん、本当にどうしたの?何か有ったの?」

 

 「吉池!悩みが有んなら黙ってねぇで何とか言えよ!!」

 

 「お願い深優!良い加減話して!」

 

けれど、周りが幾等問い質しても深優は何も答えようともしない為、ますます深優と周囲の人間関係は拗れて行く一方でした。リラだって、無理矢理癒した所で原因が分からなければ、また穢れを溜め込むだけなので迂闊にアクアリウムも使えません。その原因だってテミスに訊いても、相手は黙ったままで何も答えてくれないのです。

 

 深優の事で進展が有ったのは、更に翌日の4日目の事でした。

 

 4日目の翌朝、リラが登校の為に校門にまで足を踏み入れた時でした。

 

 「待ってよ深優!」

 

 リラの視界に飛び込んで来たのは、自分と同じく登校して来た深優と葵でした。何時もの様に深優から訳を聞き出そうと、性懲りも無く葵が追い掛け回していたのです。

 必死で走って逃げる深優を葵が後ろから追い掛けると言う、普段仲良く登校している2人の姿からはおよそ掛け離れたこの光景も、4日連続で見せ付けられてはリラも慣れてしまっていました。呼び出されて早退した翌日は信じられない光景として呆気に取られていたのに……。全く、慣れとは恐ろしい物です。

 

 自分の目の前を横切る深優と、不意にリラは視線を合わせました。その目は何故か悲しげで、助けを求める子供のそれでした。

 

 (深優…ちゃん………?)

 

 そのまま海を泳ぐ魚の様にリラの目の前を通り過ぎると、深優は校門の昇降口へと消えて行きました。

 擦れ違い様に見せた深優のあの表情―――――あんなに悲しそうな顔の彼女は今まで見た事が有りません。

 何か、仲の良い相手にも言えない様な悲しい出来事でも有ったのでしょうか?

 

 (友達だからこそ知って欲しい事も有れば、知って欲しくない事だって有る。今回の深優さんの事は、貴女にとっては後者のそれ。)

 

 昨日のテミスの言葉が、リラの脳内を落ち着き無く泳ぎ回る金魚かコリドラスの様に縦横無尽に駆け巡ります。

 

 「ハァ……ハァ………深優……どうしちゃったのよ、一体………?」

 

 仲の良かった幼馴染みの突然の変わり様に、葵は悲しみを禁じ得ませんでした。

 アクアリウムの能力で葵を見ると、彼女の中が薄らと濁り始め、穢れの温床が出来上がりつつ有りました。

 

 「葵ちゃん、気持ちは分かるけど、今はそっとしておいてあげようよ。」

 

 「リラ……。」

 

 再び穢れを溜め込ませまいと、リラは優しい言葉でそっと葵を諭しに掛かりました。

 

 「幾等仲の良い幼馴染みだからって、言いたくない事だって有るわ。深優ちゃんが話そうって思うその時まで、私達は何も訊かないでいてあげようよ。それが今のあの子にとって大事だって思うから―――――。」

 

 リラが葵をそう優しく諭すと、遅れてやって来た更紗が言葉を続けます。

 

 「確かにそれが良いかも知れないね。何が有ったか知らないけどきっと深優、3日前に職員室の先生から聞かされた事が自分の中で余りに大き過ぎて、気持ちの整理が付いてないんだと思う。」

 

 そう……今彼女に必要なのは時間―――――――。

 ならば今暫くはそっとしておいて、彼女が話したいと思った時に聞けば良い。

 リラと更紗が優しく宥める事により、葵の中の濁りが薄れて行くのをリラは確認しました。取り敢えず彼女がまた穢れの温床になる事を防げて一安心です。

 

 気が付いたら学校のチャイムが始業の時を高らかに告げた為、残る3人も急いで教室へ急行するのでした。。

 学校では何時も通り授業を受けている深優ですが、どうした事でしょう。何かに付けて席の離れた場所にいるリラの方を向いて、彼女と視線が合うと途端に引っ込める……。

 その鼬ごっこの繰り返しでした――――。

 

 

 それから午前中の授業が終わった昼休み。

 リラ達が何時もの様に中庭で昼食を終え、教室へ戻ろうとした時でした。

 

 「リラっち、ちょっと良いかな……?」

 

 「深優ちゃん?」

 

 「2人で話したい事が有るんだけど……。」

 

 「何よ深優?私達は聞いちゃいけない事なの?」

 

 「あぁ、いや……水霊(アクア)の事でリラっちに訊きたい事が有るからさ、ね?」

 

 そう言って眼鏡を外して目を擦ると、深優はリラの腕を引いてその場を足早に立ち去ります。

 

 「えっ?あっ、ちょっと深優ちゃん!?」

 

 「2人は先に教室帰ってて!」

 

 戸惑うリラの腕を引っ張って遠ざかって行く深優の背中を見送る葵と更紗ですが、幼馴染みの目は誤魔化せません。

 

 (怪しい……何が「水霊(アクア)の事でリラに訊きたい事が有る」よ?見え透いた嘘なんか吐いて!!深優の奴、そんなに私に言いたくない事隠してるの!?)

 

 人間は嘘を吐く時、何かしらの仕草を無意識に行う物です。

 先程深優は眼鏡を外して目を擦っていましたが、それが『彼女が嘘を吐く時に出る癖』である事を、葵は長い付き合いで良く知っていました。

 

 

 一方、深優はリラを人気の無い理科室に連れ込んで2人きりになったのを確認すると、念の為に戸をしっかり閉めます。

 

 「あのさぁ深優ちゃん、水霊(アクア)の事が知りたいならそれで良いんだけど、それってわざわざ2人だけでする話なの?」

 

 すると深優は自ら閉めた戸の方を向いたまま、リラに対して背を向けて言いました。

 

 

 「………嘘なの。」

 

 

 「え?」

 

 “嘘”と言われて困惑するリラですが、深優は気にせず続けます。

 

 「本当はね………リラっちにお願いしたい事が有ったの。葵やサラサラには頼めない大事な事だから………。」

 

 そう語る深優の身体は、静かに小刻みに震えていました。リラが恐る恐るアクアリウムを展開すると、深優の身体が黒くくすんで午前中の葵以上に濁り、穢れの温床がすっかり出来上がっていたのです。

 

 「深優ちゃん!?」

 

 すると突然深優は俯きながら踵を返し、そのままリラ目掛けて走って来てしがみ付くと、顔をガバッと上げて目に大粒の涙を浮かべながらこう叫びます!

 

 

 「お願いリラっち…パパを………パパを助けて!!」

 

 




キャラクターファイル12

ノーチラス

年齢   無し(強いて挙げればみちると同じ)
誕生日  無し(同上)
血液型  無し(同上)
種族   水霊(アクア)
趣味   瞑想
好きな物 忍を観察する事


みちるの中の内なる水霊(アクア)。純白の殻に水色の身体をしたオウムガイの様な姿をしている。
頑丈な殻の中に大量の穢れを取り込んで浄化する事が出来る他、50mもの長い射程を誇る触手で相手を拘束したりも出来る。
家を飛び出して自殺を思い立った忍の行動を阻止すると共に、彼女に取り憑いていた穢れ水霊(アリトゥール)達を捉えて動きを封じる等の活躍を見せた。
口数自体は多くないが、宿主のみちると同じで慈悲深い性格。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第12話 悲嘆の底に沈む

此処から話が重くなります。


 「お願いリラっち…パパを………パパを助けて!!」

 

 「えっ……?」

 

 突然深優の口から告げられたその言葉に、リラは更なる困惑を覚えるばかりでした。

 ですが無理も有りません。

 

 4日前の早退以来、仲の良い葵ともロクに絡まない―――――。

 授業中でも時々キョロキョロと自分の方を向いて視線を投げ掛ける挙動不審振り―――――。

 葵と更紗も見ている前で嘘を吐いて自分をこんな所に連れ込む始末―――――。

 

 そして此処へ来て最後のおまけに「父親を助けて欲しい」と懇願―――――。

 相手に関する情報が圧倒的に少ない状態でこんな不可解な言動を延々と取られたら、リラで無くても訳が分からず困惑します。

 ですが、取り敢えず深優の中の穢れの温床を何とかするのが先決。そう判断したリラは深優に対し、朝の登校時に葵にした様に優しく諭しかけます。

 

 「落ち着いて深優ちゃん。先ずはゆっくり深呼吸して、気持ちに整理が出来てから順番に話して頂戴。ね?」

 

 「う、うん…ごめんねリラっち………。」

 

 リラに促されて大きく深呼吸をすると、深優の表情は先程と比べて幾分落ち着きを取り戻しました。穢れの温床足る濁りも、少しは薄らいだ様です。

 

 「じゃあ深優ちゃん、改めて詳しく話してくれない?『パパを助けて欲しい』って言ってたけど、お父さんに何か有ったの?」

 

 改めて「父親の事を助けて欲しい」と言う懇願の中身を尋ねると、深優は目に涙を浮かべて再びリラの腕に縋り付いてこう言い放ちます。

 

 「そうなのリラっち……パパを助けて欲しいの。私のパパ、4日前にガンで倒れて入院したの!!」

 

 「深優ちゃんのお父さんが…ガンで………。」

 

 

 深優の口から飛び出した衝撃的な言葉に、リラは驚愕を禁じ得ません。まさか彼女のお父さんが昨日ガンで倒れていただなんて……。

 ですが自分の身内が命に関わる病に倒れたら、誰だってショックで取り乱すのは当たり前です。

 同時にリラもこれで得心が行きました。4日前の彼女の呼び出しが、深優にこの出来事を告げる為の物だったと言う事を……。

 

 「だから4日前のお昼…先生に呼び出された後、あのまま早退したの………?お父さんの運ばれた病院に行く為に………。」

 

 リラがそう指摘して尋ねると、深優は黙ってその154㎝の小さな体を震わせたまま、苦しそうにコクリと頷きました。

 

 「職員室でお婆ちゃんから電話が有って、それで倒れたって聞いてそのまま病院へ行ったの……。そしたらお医者さんが病気の検査の為に3日間入院する様にパパは言われてた。そして昨日の夜、『スキルス性の胃ガン』で……『もう余命1年しか無い』ってお医者さんからパパ宣告されて…………私……どうしたら良いか分かんなくて………。この前まで、あんなに元気だったのに……!!」

 

 

 スキルス性胃ガン―――――それは胃ガンの中でも最悪と言っても過言では無い疾患です。通常の胃ガンが粘膜から発生して隆起を繰り返しつつ粘膜下層、筋層、漿膜と浸潤して行くのに対し、此方は粘膜の下を這う様に広がって行くのが特徴。この為に早期発見が難しく、初期では無症状である場合も多い。その上進行が早くて転移し易いと言う極めて厄介な性質を三拍子で揃えています。世界的に見ても日本人が最も罹り易く、当然、治療成績も芳しくありません。

 「昨日まで元気だったのに」と深優はお父さんの事を語っていた所から、恐らく倒れるまで症状が出なかったのでしょう。

 

 「……そう……つまりこう言う事だったのね深優ちゃん。」

 

 深優の真実を知り、リラは漸く全てを理解しました。彼女がどうして葵や更紗を除いて、自分と2人だけでこんな話をしたのかを………。

 

 「水霊士(アクアリスト)としての私の力――――アクアリウムでなら、お父さんのガンも治せるかも知れない。そしてそれは私にしか頼めない事だったから、葵ちゃんと更紗ちゃんより先に私だけ呼び出して伝えたのね?」

 

 再びリラが指摘すると、深優は目から涙を流しながら無言で大きく頷きました。

 

  「でも深優ちゃん、葵ちゃんや更紗ちゃんだってこの3日間ずっと貴方の事、心配してたんだよ?『余計な心配を掛けさせたくなかったから』じゃ、今更私だけに言って2人に伝えない言い訳にはならないと思う。それに前橋部長と日浦先輩だって深優ちゃんの事、ずっと気に掛けてたんだからね?」

 

 「分かってるよそんなの………。2人や先輩達にも、後でちゃんと話すから……」

 

 そう言うと再び深優はありったけの泣き顔を作ってリラに懇願します。

 

 「だからお願いリラっち……パパを死なせないで!!リラっちのアクアリウムならパパのガンだって治せるでしょ!?日浦先輩の肩を治して、あそこまで元気な身体に出来たんだもん!!リラっちなら絶対出来るって信じてるから!!だから……だから…………!!」

 

 一頻り強くそう言った後、深優はその場に崩れ落ち、顔を両手で覆って泣き出しました。

 

 (深優ちゃん、本当にお父さんの事が大好きなんだね……。)

 

 深優にとってお父さんが如何に大事な存在であるかを、先程の言動からリラは察しました。ですが彼女は只黙ったまま、泣き崩れる深優の様子を見つめる事しか出来ませんでした。

 

 

 やがてチャイムが鳴り響いたので、2人はそのまま教室へと戻りました。当然、後から葵に捕まって事情聴取されそうになりますが、更紗が咄嗟に宥めて事を収めるのでした。

 

 

 それから放課後、部活動の時間になり、深優は何時も通り水泳部に顔を出していました。然し―――――――。

 

 「吉池、今日も調子悪いわね?またタイム落ちてるけど………。」

 

 「あたしみたくどっか怪我で故障した訳でも無さそうだしな………。」

 

 やはり泳ぎに切れがまるで有りません。結果がまるで振るわないのもそうでしたが、あんなに元気そうで明るいムードメーカーな雰囲気なのがあんな暗い感じになれば、みちると忍が心配になるのも無理は有りません。

 

 「でも、全然胸を揉んで来ないのは良いんですけどね……。」

 

 「あー、それは確かに。」

 

 「平和なのは良いんだけど、元気の無いあの子を見てると何だか私達も張り合いが無いわね……。」

 

 毎回深優の被害に遭ってる潤の言葉を、2年の先輩の瑠々と水夏は納得と首肯する一方でやはりつまらなさそうです。入部して一緒に泳ぎ始めてから一週間経つか経たないかなのに、何時の間にか深優の存在は同じ1年で同じクラスのリラ程では無いにしても、2年と3年の中でも決して無視の出来ない存在になっていた様です。

 良くも悪くも水泳部に於いて、1年の中で最も頭角を現していたのは深優である事が分かります。

 

 「浮かない顔してるっつったら、吉池以外もう1人居るよな?」

 

 そう言って忍が目を向けた視線の先には、深優から事情を聞いてもそれを誰にも話さずに黙ったままのリラでした。

 

 (どうしよう……凄く気不味い……!!)

 

 (リラ……深優から何か聞かされてんでしょ?なのにどうして何も言ってくれないのよ!?)

 

 昼休みが終わって教室に戻ってから、葵はずっとリラと深優の2人だけの秘密について気になっていました。本来なら無理矢理にでも聞き出してやりたい所でしたが、『リラにしか言えない重要な話だった』として更紗が詮索を控える様に彼女を抑えていたからこそ、リラと深優は何とか秘密を守れている状態でした。

 とは言え、当たり前ですがそれも何時までも隠しておける物ではありません。何れは葵や更紗にも話さねばならない事なのですから……。

 

 然し、これから話すとしても、その前に何としてもリラは水霊士として癒さねばならないのです。深優のお父さんの死病を………。

 

 (深優ちゃんのお父さんの病気、何とかしてあげたいけど……でも………!!)

 

 リラは苦悩していました。

 今まで水霊士(アクアリスト)として、癒して来たのは人間の荒んで鬱屈した心ばかりでしたし、身体にしたって癒して来たのは精々命に別状は無いレヴェルの怪我や病気程度……。

 そもそもアクアリウムは水の穢れを浄化して肉体を癒すだけの能力であり、其処から病気や怪我が治るかどうかはその相手の生命力の為せる業。

 命に関わる程に重篤な、例えばガンや心臓病等の死病や、意識不明で一命を取り留めても植物状態になる様な怪我を治す力などは本来有りません。それは癒しを施す相手の生命力、言い換えれば「生きたい」と言う想い次第なのであって、其処まではリラにはどうする事も出来ないのです。

 病気や怪我の治癒は、あくまで水の穢れを癒したおまけの副産物の様な物。

 それ自体を治す為の力では無いし、仮に治せるとしてもリラにそんな経験は1度も有りません。

 

 もし自分に出来るとしたら、テミスの様な上級水霊(アクア)や、未だ出会った事は有りませんがそれ以上の最上級水霊(アクア)の力を借りるしか無いのです。

 心と身体、命其の物を蝕む死の穢れを完全に浄化し、水で出来た遍く命達に癒しと活力、時に若さすら与えると言う、或る意味神に近い存在。それが上級及び最上級水霊(アクア)です。

 けれど、今のリラには上級水霊(アクア)でさえ満足に使いこなせる自信が無かったのでした。

 

 (無理だよそんなの……命に関わる様な重い怪我や病気なんて私、治した事無いし多分治せないよ………。ごめん深優ちゃん……悪いけど、お父さんは諦めて………。)

 

 早くも深優に対して「出来ません」と断る為の、体の良い言い訳の言葉を探すリラ。そんな彼女の様子を、テミスはプールの水から見守っていました。

 

 

 霧船に入って出会った、心から友と呼べる存在の葵に対して隠し事をする後ろめたさ―――――。

 水霊士(アクアリスト)としてぶつかった巨大な、それでいて深優の為にも何としても乗り越えなければ行けない限界の壁―――――。

 

 その2つの間での板挟みと言う、大きなジレンマの渦の中にリラは巻き込まれていたのでした。

 或る意味、深優以上に苦しい立場です。

 

 「――――月、おい汐月!」

 

 そんな彼女に話し掛けて来る声がします。

 

 「聞いてんのか汐月!」

 

 突然目の前に現れた忍に俯いた頭を起こされ、彼女の顔を直視せざるを得なくなったリラ。藍色の瞳に映し出された忍の眼差しは、最初に出会った時と違って真っ直ぐ澄んでいました。

 

 「さっきからずっと浮かない顔して変だぞ?お前も吉池も!」

 

 そう言われてリラはハッと我に返ります。忍はリラと深優の2人に交互に視線を向けながら言います。

 

 「何が有ったか知んねーけどな、今は練習に集中しろ!吉池、お前もだ。今までは我慢してたけど、仏の顔も三度までっつーだろ?やる気が無いなら辞めちまえ!」

 

 「ごめんなさい……。」

 

 「日浦先輩、ごめんなさい。」

 

 そうしおらしく謝罪すると、リラと深優は気を取り直して練習に励みました。尤も、2人のタイムの方は相変わらず芳しい物ではありませんでしたが……。

 

 

 「それじゃあ今日の練習は此処まで!解散!」

 

 「お疲れ様でした!」

 

 練習が終わり、みちるの号令に対して皆で挨拶をして解散する水泳部の面々。すると1人、真っ先に飛び出して行く女子が居ました。言うまでも無く深優です。

 

 「ちょっと、深優!待って!!」

 

 更衣室へと走って行く深優の背中を、葵は慌てて追います。

 

 「吉池……昨日から様子が可笑しかったけど、やっぱり………」

 

 「あぁ。そんでその鍵を握るのは恐らく………」

 

 同じく気になっていたみちると忍は、リラに目を向けます。

 

 「汐月!」

 

 2年生の子達が遅れて更衣室に向かうのを確認すると、忍はリラを呼び止めます。

 

 「また何時もの頼むわ。今日は飛ばし過ぎたから『入念』にな。」

 

 「えっ?あっ、はい!」

 

 リラが足を止めてそう返すのを尻目に、2年の真理愛達は忍が練習後にリラに頼む“何時ものあれ”についてヒソヒソと道すがら話し合っていました。

 

 「“何時もの”って何かしら?私達2年が先に帰ってからだけど、もしかして運動の後のマッサージとか?」

 

 「だったら自分でやるか部長にお願いすれば良いのにわざわざ1年の子にやらせるなんて……。」

 

 「てか部長もそうだけど日浦先輩、今年入った1年の子達と妙に仲良いよね。何か有ったのかな?」

 

 (あれ?リラちゃんの周りにあの魚の幽霊、また見える――――――。)

 

 2年のリーダー格である真理愛と、瑠々と水夏が本人に聞こえない声でそう言葉を交わす横で、潤はリラの周りを回遊している魚の幽霊が見える事に困惑しているのでした。

 

 一方その頃、更衣室ではと言いますと―――――。

 

 「待ってよ深優!」

 

 既に制服に着替え終え、乱暴にドアを開けて足早に更衣室から飛び出す深優の背に向かって、未だ競泳水着の姿のままの葵が入り口から呼び止める姿が有りました。

 けれど、深優は頑なに口を閉ざして何も話さず、そのまま昇降口へと走り去って行くだけでした。

 

 「どうして何にも言ってくれないの!?何か悩んでるならお願いだから答えてよォォッ!!」

 

 この遣り取りを今日で3日連続で続ける事になるとは、葵も可哀想としか言い様が有りません。

 目に涙を浮かべた葵の悲しい叫び声だけが、今日も更衣室の廊下に響きました―――――。

 

 

 「それじゃあ部長、先輩、また明日――――。」

 

 それから少しして、全員が元の制服に着替え終えて2年生全員が帰宅の途に就くと、リラは早速忍にアクアリウムによる施術を施しました。

 忍から「入念に」と言う言葉通り、自身の内なる水霊(アクア)であるクラリアの他にも、中級水霊(アクア)としてドリスや緋色をしたピラルク型の『ユナーシャ』、甕覗(かめのぞき)色をしたアリゲーターガー型の『エフィア』と言う、蒼國に回遊して来た大型の水霊(アクア)達を2体召喚し、彼女達3体によるクラリファイイングスパイラルによって忍の肉体の負荷を、頭から足の爪先まで丁寧に取り払いました。

 

 「ハァ……ハァ……終わりましたけど疲れました。もうこれ以上は無理です……。」

 

 心を通わせた葵達の内なる水霊(アクア)や、地元の蒼國で仲良くなったドリスと違い、地球中を回遊して時折蒼國にやって来るユナーシャとエフィアは使い慣れないのか、10分間アクアリウムを行使しただけでヘトヘトになってしまいました。況してや今日、忍は深優とリラのネガティヴな空気に当てられたからか、胸のモヤモヤを取り去る為に普段より筋肉を酷使していた為に何時もより負荷が有りました。疲れるのは当たり前です。

 ユナーシャとエフィアは南半球を中心に回遊する中級水霊(アクア)ですが、時々北半球にもやって来て蒼國等の水の豊富な土地に滞在します。リラも3日前に出会ったばかりなのですが、彼女達は今の水霊(アクア)達の中では新たな上級水霊(アクア)に最も近い有力候補と目される存在。そんな彼女達をキチンと操れれば上級水霊(アクア)だって使役出来る。

 そう考えて今回この2体をドリスと一緒にチョイスしたのですが、たった10分しか操れない様ではとてもじゃないですけれど、上級水霊(アクア)なんて満足に扱える筈も有りません。そして上級水霊(アクア)が扱えない様では、深優のお父さんのガンを癒す事なんて出来ない………そう考えていたリラにとって、それは悔しい結果にしか映りませんでした。

 

 何処か悔しそうな顔をするリラを一瞥すると、ユナーシャとエフィアはそれぞれ緋色の飛沫と甕覗(かめのぞき)色の飛沫になってその場から消えました。

 疲れが相当溜まったのか、ブルーフィールド共々アクアフィールドも解除され、部室は電気の付いた黄昏の更衣室と言う装いを取り戻しました。

 

 「ふーっ、ありがとよ汐月。お陰で楽になったぜ。けど何か、体力と気力が余って仕方無ぇなぁ~。もう一泳ぎしてきたいぜ!」

 

 「……ごめんなさい。今の大きな2体……ユナーシャとエフィアはテミス達上級に近い中級なんです。だから効き過ぎる位効いちゃうんです。」

 

 身体を癒して貰ったのは良いですが、効き過ぎた所為で体力と気力を持て余したと言う忍に対し、リラは謝罪しました。

 

 「テミスって、汐月を水霊士(アクアリスト)にしたって言うあのコバルト色の――――。」

 

 「水霊(アクア)の事なんて一般人のあたし等にはサッパリだがよ、さっきのデカい2匹より凄ぇのかよあのテミスって奴は―――――。」

 

 みちると忍がそう言葉を交わす中、その場に立ち会っていた葵はずっと浮かない顔でリラから目を背け、そんな彼女の様子を更紗も同じく心配そうに見つめていました。

 

 (コラーッ!ウチかてそないに小さくあらへんやろがーッ!!)

 

 ドリスがそう声を大にしてノリ突っ込みを入れていますが、リラが能力を解除して誰も見えていない為にパーフェクトスルーです。

 

 「じゃあ前橋部長、日浦先輩、お疲れ様でした。私達はこれで―――――。」

 

 そう言って葵と更紗が入り口で待つ中、挨拶をして部室を出ようとしたその時でした。

 

 「待て、汐月。話は未だ残ってる。こっち来て座れよ。」

 

 「え?でも……。」

 

 「良いから座れっつってんだよ!先輩命令だ!!」

 

 突然忍に呼び止められてリラは戸惑いました。更に訳も分からぬまま先輩命令とまで言われた物ですから、元々気の弱く内向的な彼女はビクッと怯え、言われるままにみちるの用意した椅子に座りました。

 

 「先輩、リラ呼び止めて何の話するんだろう?」

 

 「さぁ……?」

 

 いきなりリラの事を呼び止めて何だろうと思い、葵と更紗が固唾を飲んで見守っていると、忍はこう言葉を投げ掛けました。

 

「今日の練習での泳ぎっ振り見てて思ったんだが、お前までどうしたんだ?吉池と良い勝負の酷ぇ泳ぎだったじゃねーか!あいつが可笑しくなったのは4日前に職員室呼び出されて、そのまま早退してからなのは分かるけどよ、お前はお前で何か有んのか?」

 

 忍からの思わぬ尋問に、リラは怯えて声もありません。まるでシャチの群れに包囲されたアザラシの様な気分です。

 

 「えっと……それは……その………」

 

 「言えよ!んな何か問題抱えられたまま一緒に練習されたってあたし等だって困るんだよ!」

 

 そうがなり立てて剣呑に迫る忍の勢いに、リラは完全に言葉を失い委縮してしまいました。こうなってしまってはさしものリラも元の内気で臆病な虐められっ子其の物。これでは百戦錬磨の水霊士(アクアリスト)も形無しです。

 無意識に上半身の肩に力を込め、手を握ってグーにして口元に手を当てる始末……。前者の2つは相手に対して警戒すると言う防衛本能から、後者は不安や緊張から為される仕草です。

 気付いたらおまけに心臓も早鐘を打ち始めていました。忍も手を後ろ手に組んで威圧的な空気を醸し出しています。

 

 「ちょっと忍、気持ちは分かるけどもう少し言い方考えなさいよ。汐月も怖がってるじゃない。」

 

 すると其処へ助け舟を出したのは部長のみちるでした。

 

 「なっ、みちる!?別にあたしはそんな心算じゃ……」

 

 「汐月、私達は知りたいの。吉池と貴女に一体何が有ったかをね。吉池が今日もあんな感じなのは、4日前に先生に呼び出された事を今でも引き摺ってるからなのは分かるわ。でも、だからって貴女まで一緒になって浮かない顔して調子が出ないなんて可笑しいと思うの。吉池の事はあの子が話してくれないから分からないけど、貴女も貴女で何か悩みでも有るの?」

 

 そう優しく話し掛けて来るみちるの雰囲気に、リラは安堵の表情を覚えました。リラの肩に手を乗せ、顔を真っ直ぐ見つめながらみちるは続けます。

 

 「貴女達にそんな苦しそうな顔をされたら、一緒に練習してる私達まで嫌な気持ちになるの。それじゃあ折角の水泳だって楽しくなくなっちゃうわ。折角5人も新入部員が加わって、忍まで復帰して弾みが付いたのにそれが駄目になるなんて嫌よ。だから先輩として、私達が貴女の悩みを訊いてあげるの。部長なんだから、その権利位は有るでしょう?ホラ汐月、誰にも言わないから話してご覧なさい?何を貴女はそんなに悩んでいるの?」

 

 「前橋部長……。」

 

 こちらは未だ優しくて包容力が有る為、忍より話し易そうです。みちるの優しさにほだされたリラは一瞬葵の方を一瞥すると、覚悟を決めて言いました。

 

 

 「私……ずっと深優ちゃんの事で悩んでたんです。」

 

 

 その言葉を聞いて、葵と更紗は大きく目を見開きます。

 

 「吉池の事だと……。」

 

 そう忍が呟くや否や、咄嗟に葵が割って入ります。

 

 「やっぱりお昼に呼び出されて深優から何か大事な事聞かされたのね!!教えてリラ!!あの子、何て言ってたの!?水霊(アクア)の事って言ってたけど、あれは嘘で本当はこの前何で職員室に呼び出されて、それから何が有ったか話してたんでしょ!?お願い、答えてリラ……」

 

 「葵、落ち着いて!」

 

 「落ち着きなさい五十嵐。汐月だって困ってるじゃない。警察の取り調べじゃないんだから……。」

 

 激しく取り乱した調子でリラを問い質す葵ですが、直ぐに更紗とみちるに取り押さえられます。

 

 「……ごめんなさい。」

 

 「で、吉池の事で何悩んでたんだ?」

 

 さっきとは打って変わり、凪の海の如く努めて穏やかに忍が話し掛けると、リラは意を決して答えました。

 

 

 

 「深優ちゃんのお父さんがスキルス胃ガンで後1年しか生きられなくって……私のアクアリウムでお父さんの病気を治して欲しいって頼まれてたんです――――――。」

 

 

 (パパ……!!)

 

 一方その頃深優は逸早く帰宅すると、直ぐに海水浴場の有る地元の蒼國海岸に隣接した、海宝総合病院の病棟1階の病室に入院する父のお見舞いに向かっていました。

 

 

 「嘘………………。」

 

 更衣室に30秒近く流れた沈黙を破ったのは、他でも無い葵の言葉でした。

 

 「深優のお父さんが……余命1年だったなんて………。」

 

 明かされた事実に、流石の更紗も驚愕するばかりです。

 

 「4日前に職員室に呼び出された後に早退したのも、お婆さんから倒れたって聞かされて直ぐに病院に向かったからだったんです…。それから今日も含めて3日間、ずっと元気が無かったのだって、お父さんの病院での検査の結果が気になってて……余命1年って聞かされたのは今日の朝だって、深優ちゃんはそう言ってました…。」

 

 「~~~~~~ッ!!成る程、そう言う訳だったのかよ。道理で吉池の奴、此処何日も練習ン時あんな浮かない顔で辛気臭かった訳だぜ!親父の事で“心此処に在らず”状態だったから、あんな泳ぎしか出来なかったのか!」

 

 「でもお父さんが倒れて、然ももう直ぐ死ぬって聞かされた昨日の今日じゃ無理も無いわ。寧ろ良く来る気になったって思う。汐月、勿論貴女もね。」

 

 リラの説明に対し、遣る瀬無い気持ちになる忍と、苦しい気持ちの中でそれでも練習に来てくれた事を褒めるみちる。

 

 「水霊(アクア)の事で話が有るって言って深優がリラを呼び出したのも、あながち嘘じゃ無かったのね。驚いて心配するだけで何の力にもなれない私達より、アクアリウムって言う癒す力の有るリラに話す方が合理的だって、深優はそう考えたから真っ先にリラに打ち明けたんだ……。」

 

 「確かに、あんな穢れ水霊(アリトゥール)とか言う奴等の所為だったとは言え、1年半以上も治んなかったあたしの腕の故障をこないだたった1日で治して、また泳げる身体に戻したもんな汐月は…。」

 

 全ての点が繋がって1本の線になり、漸く皆は納得しました。たった1人を除いて―――――。

 

 「………何で?」

 

 「えっ?」

 

 「おい、五十嵐?」

 

 真実を聞いて、先程からずっと凍結していた葵は、先程の言葉を皮切りに一気にリラの肩を揺らして食って掛かります。

 

 「何でそんな話を私じゃなくてリラにするの!!?私達幼馴染みじゃなかったの!!?小学3年生の頃から6年間ずっと一緒だったのに、何でそんな大事な事私に言ってくれないのよ!!?」

 

 「ああああああああ葵ちゃん、止めてッ…!!」

 

 さながら南極の棚氷が大崩壊するが如く、凍り付いたままだった葵は物凄い勢いでそう言葉をまくし立てます。その姿に、リラは再び困惑の渦へと引きずり込まれました。

 けれど、リラは直ぐに気付きました。自分に掴み掛る葵の目に、大粒の涙が浮かんでいた事を……。

 

 「葵!気持ちは分かるけど落ち着いて!」

 

 普段は寡黙でクールな印象の更紗が、珍しく声を上げて葵をリラから引き離します。同じ1年のクラスメイトで友人と言う事だけあって、四六時中それなりに長く彼女の事を見ている葵とリラは呆気に取られました。

 同時に忍が葵を一喝します。

 

 「馬鹿野郎!そう言う事は汐月じゃなくて吉池本人に言いやがれ!!それに幼馴染みだからって、何でもかんでもてめぇに打ち明けなきゃ行けねぇ決まりなんざ無ぇだろうが!!」

 

 「分かってます……分かってますそんな事………。でも……でもおぉッ………!!」

 

 そう言いいながら葵はその場に膝を付くと、俯いたまま尚も続けます。

 

 「リラ、深優はね……小学2年の時にお母さんが死んじゃってたんだよ………?」

 

 再び明かされる深優の真実に、リラは目を大きく見開きます。良く見ると、俯く葵の顔から涙の雫が止め処無く溢れ出ているのが分かりました。

 

 「お父さんとお婆ちゃんと3人暮らしで………お父さん……お婆ちゃんと一緒に死んだお母さんの分まで一生懸命頑張って育ててくれて、深優はそんなお父さんが大好きだったの……。漁師として海で朝から晩まで魚を獲って、漁協の組合員までやってるお父さんの姿を尊敬してたの……。私も会った事有るから分かるの……。あんなに優しくて強い人がお父さんで羨ましいって思った……。あの大きな手で頭を撫でられてる深優の顔、とっても嬉しそうだった……。そんなお父さんが死んじゃうなんて………お母さんが居なくなった次に居なくなるなんて、それじゃあ…………深優が……深優がああっ…………」

 

 そして息を大きく吸い込むと、一際大きな声でこう叫びます!

 

 

 「それじゃあ深優が可哀想だよオォォォ――――――――――――――――――――――――――――ッッッ!!!」

 

 夕闇が空を覆い、街が深い闇の底に沈む頃、霧船の更衣室に葵の慟哭が響き渡りました。そして葵は両手でその顔を覆うと、昼間の深優の様に咽び泣くのでした。

 そんな更衣室での様子を、窓から2体の大きな魚の影が覗いていたかと思うと、直ぐに2体は何処かへ泳ぎ去って行きました―――――。




次回のカタルシスに向けてとは言え、書いてて自分も何か悪しき物に蝕まれる感じがしますね…。

キャラクターファイル13

ヴァルナ

年齢   無し(強いて挙げれば忍と同じ)
誕生日  無し(同上)
血液型  無し(同上)
種族   水霊(アクア)
趣味   みちる日記
好きな物 忍と泳ぐ事


忍の中の内なる水霊(アクア)。ダークブルーの身体に白いスポット、そして金色の目をしたエイの様な姿をしている。
宿主である忍同様、強そうに見えて本当は臆病で繊細な性質をしているが彼女の事を生まれた時から知っている為、リラのミラーリングアクアリウムで忍本人と向き合った時には彼女の本当の気持ちを打ち明けて叱咤激励し、忍の水泳部復帰への最後の一押しと言う重要な役目を担った。
他の能力としては、口から浄化の高圧水流を噴射したり、周囲を旋回する事によって浄化の螺旋を形成出来る。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13話 Salvage Of Life

今回でエピソード深優は終了です!


 「じゃあパパ、また明日来るからね。」

 

 「あぁ、気を付けて帰れよ、深優……。」

 

 帰る旨の言葉を言うと、深優は病院のベッドに横たわっている最愛のお父さんの病室を後にしました。お父さんの入院している病室は1階に有る115号室で、入り口の名札には水性マジックで『吉池航』と言う名が書かれていました。

 海宝総合病院は水の都である蒼國らしく、海に面した場所に建てられた病院。入院患者を収容する病棟も、当然それは一緒です。病室の窓を開ければ、蒼國の海から心地良い潮騒が聴こえて来ます。

 勿論、海は時として嵐や暴風を伴い激しく荒れる日も有る為、常に穏やかとは限りません。只、それでも穏やかな日に聞こえて来る潮騒の音色は治る見込みが有って退院出来る者、そのまま死を待つ運命に在る者を問わず心を癒し、安らぎを与えるには充分な旋律でした。

 

 深優の父である航が倒れたのは今から4日前、深優が学校へ行き、自分も漁協へと出勤して直ぐの午前8時頃の事でした。突然ドス黒い血を吐いて漁師仲間達の前で倒れ、顔中酷い冷や汗を掻いて苦しそうにしていたのです。

 それから同業者の人達が119番通報をして救急車を呼び、そのまま病院へと搬送されて其処で航は漸く容態を持ち直しました。航が倒れた知らせはその後直ぐに祖母の元へと届き、其処からお昼頃に職員室を通して深優に伝わったのでした。

 『余命1年のスキルス胃ガン』と言う宣告が下されたのは、倒れた日を含めて3日間に亘って入念に検査をした結果であり、4日目に深優がリラに真実を伝える前日の夜中の事だったのです。

 

 病院では通常、ガンで入院したからと言って直ぐに手術や抗ガン剤治療等の措置を行う訳では有りません。手術にせよ延命にせよ、患者の意思を尊重した上でどうガンと向き合って行くのかを考えねばならないからです。その為に最初に行われるのは、担当医による問診と診察です。

 倒れた日を含めて3日間、航は主治医と問診もしましたし、検査も繰り返し入念に行って結果は出ている為、今度は病期の判定と治療法を決める段階に入っていると見て間違い無いでしょう。

 

 現時点で深優のお父さんはどうするのか、未だ明確な決断を下してはいません。娘の事で色々と思う所が有るからでしょう。ですが、どちらにせよ間も無く航が決断を下す時が迫っているのは火を見るより明らかであり、時間が無い事に変わりは有りません。

 

 

 (自分が水霊士(アクアリスト)だったら、お父さんの病気だって治してあげられるのに……どうして私には何の力も無いの……?)

 

 

 病院からトボトボと、普段の彼女を知る者からは想像出来ない程に暗く、元気の無い姿で家路に就く深優。

 最愛の家族の命が掛かっている時に、何も出来ない自分の無力さに彼女は打ちひしがれていたのです。

 そんな深優の頭の中には、在りし日の航の姿が走馬灯の様に駆け抜けていました。

 

 

 「うわぁ!何処まで行っても真っ青……!!」

 

 「ホラ深優!見て見ろよ!海ってこんなに大きくて広いんだぞ!!」

 

 自分の乗っている船で沖へ出て、その海の青さと大きさを教えてくれた航―――――。

 

 

 「深優、どうして俺がお前に『深優』って名付けたか分かるか?お前にはこの海の様に、深い優しさと思い遣りの心を持った子に育って欲しいからなんだ!」

 

 生まれた時からずっと見て来た青くて美しい海に擬えて、自分に『深優』と言う素敵な名前を付けてくれた航―――――。

 そんなお父さんから貰った自分の名前が、深優は大好きでした―――――。

 

 

 「どうだ深優!でっかいのが釣れたぞーッ!!」

 

 漁から帰った時、185㎝と言う自分の身長の倍近くは有る大きなカジキを釣り上げた事を誇る航―――――。

 出迎えに向かった自分をその丸太の様な腕で、力強い印象にも関わらず優しく抱き締めてくれたあの温もりは今でも忘れません―――――。

 

 

 「葵ちゃん、深優とずっと仲良しでいてくれよ?大人になってもずっとな!」

 

 「もう!パパったら何言ってんのよ!?葵の前で恥ずかしいったら!」

 

 幼馴染み同士で遊ぶ中で言われた言葉に反発する深優と、それを笑って誤魔化す航――――――。

 

 

 お母さんが死んでから、お婆さんと一緒に一生懸命育ててくれた航の記憶は、深優の中ではどれも珊瑚や真珠よりも美しく光り輝いていました。

 記憶が蘇るその度に、深優の目には再び大粒の涙が浮かんで来るのでした。

 

 

 すると深優の目の前に、突然2つの人影が立ちはだかりました。リラと葵の2人です。

 

 「葵……?リラっち……?」

 

 仲の良い2人の友人からの思わぬお出迎えに、深優は思わず目を見開きます。

 

 「2人とも、どうし……ッ!?」

 

 驚く深優を目掛け、勢い良く葵が抱き締めに掛かります。まるで近付いた獲物に勢いよく飛び付くアンコウの様です。

 

 「馬鹿ぁッ!!」

 

 それが力任せに抱擁しながら葵が開口一番に発した言葉でした。深優は訳も分からず困惑するばかりです。

 

 「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿ぁッ!!深優の馬鹿ぁッ!!お父さんが昨日病気で倒れて入院してたなんて、そんな大事な事何で幼馴染みの私じゃなくてリラに先に言うの!?順番逆でしょこの馬鹿深優!!!」

 

 目から大粒の涙を浮かべてそう叫ぶ葵の言葉を受け、深優は理解しました。『リラが葵に自分の事を話したのだ』と言う事を。そうでなければ、リラは兎も角葵まで一緒にこの場にいる事の説明が付かないからです。

 

 「ムガムガ!!離して葵!!痛いし息が苦しいから!!」

 

 幼馴染みの言葉を受けて漸く葵は深優を解放しました。胸を顔面に押し付けられて苦しかったからか、深優はハァハァと荒く息をしています。

 

 (って言うか葵、水泳部で着替える時に見てるから分かるけど小さくないね。寧ろ81で大きい方じゃん……。)

 

 そんな不謹慎な事を考えながら、葵から揉みくちゃにされた時にずれた眼鏡を掛け直すと、深優は改めてリラの方を向いて言いました。

 

 「リラっち、葵が此処に居るって事はまさか……」

 

 「そうよ!リラが全部話してくれたの。更紗だってもう知ってるからね!」

 

 「やっぱり……でも、どうして?」

 

 「どうしてって、深優ちゃん別に『誰にも言わないで』なんて一言も言ってなかったしそれに―――――。」

 

 途中まで言い終ると、リラは目を閉じて胸に手を当ててこう言葉を紡ぎました。

 

 「今日練習で泳いでる深優ちゃんの事、前橋部長と日浦先輩もらしくなくて心配だったから何が有ったのか聞かせて欲しいって言うから話したの。私は先輩命令に従ってそうしただけよ。」

 

 「じゃあ……部長と日浦先輩ももう知ってるの?」

 

 「それだけじゃないよ深優ちゃん。此処にいない更紗ちゃんや先輩達から私、預かってる物が有るの!」

 

 「預かってる物」と言う単語を聞いて、深優が頭に疑問符を浮かべていると、リラは驚くべき物を出しました。

 何とそれは、今此処にいない更紗とみちると忍の内なる水霊(アクア)であるプラチナとノーチラスとヴァルナの3体だったのです!

 

 「リラっちそれって、全部サラサラと先輩達の……?でも、どうして……?」

 

 至ってご尤もな深優の問いに対し、リラは答えました。

 

 「そんなの決まってるよ。更紗ちゃんと先輩達から借りて来たの!」

 

 

 此処で時系列は女子更衣室でリラが真実を打ち明けた所まで遡ります。

 一頻り泣きじゃくった後、葵は立ち上がってリラに縋り付くと、目に大粒の涙を浮かべて言いました。

 

 「私からもお願い……!!リラ………深優のお父さんを助けて!!」

 

 ですがそれに対し、リラは申し訳無さそうに俯いて目を逸らし、こう弱々しく返すだけでした。

 

 「ごめん……悪いけど無理……。」

 

 「そんなッ……!!」

 

 葵の表情は絶望に歪みます。

 

 「リラ……!!」

 

 「汐月、てめぇッ!!」

 

 リラの返答に対し、忍が胸倉を掴んでいきり立ちます。更紗も思わず怒気を含んだ声で叫びました。

 

 「どうして駄目なの?貴方、忍の事だってこの前救って見せたじゃない!このままじゃ吉池、お父さんが死ぬまでの1年間ずっとあんな調子で過ごす事になるかも知れないのよ!?」

 

 みちるも悲しい目をしながら、一緒になってそう続きます。

 

 

 「………どうしてなんですか?」

 

 

 尚も俯いたまま、リラはポツリと問い掛けます。

 

 「葵ちゃん達は兎も角、どうして先輩達まで深優ちゃんの事でそんなに怒ってるんですか?先輩達と私達は4月の終わりに出会ってから、未だ1~2週間しか経ってないんですよ?学年だって違う分、私達より深優ちゃんと一緒に過ごす時間だって短いから私達程親しくも無いのに、どうして其処まで怒れるんですか?『水泳部の一員として部員の問題を解決したいから』ってだけで、別に深優ちゃんの気持ちなんて本当はどうでも良いんじゃないですか……?」

 

 普段純粋な性格のリラからは想像も出来ない様な斜に構えた問い掛けに対し、みちると忍は思わず黙ってしまいました。そう――――確かに同じリラと葵と更紗は深優と同じ1年生で同じ2組の生徒。出会って未だ1ヶ月余りとは言え、それなりに友人関係を築いて来ました。対してみちると忍は同じ部活、延いては同じ学校の先輩、後輩と言うだけの関係で学年も違えば教室も違います。部活動以外でリラ達と絡む機会なんて基本的に余り有りません。

 どうにも浅い繋がりでしか無いのに、何故そうまでしてみちると忍は深優の為に其処まで感情的になれるのでしょう?

 

 「……お前、あたし等の事馬鹿にしてんのか?」

 

 数十秒の沈黙を置いた後、忍が口を開きます。

 

 「確かにお前等とあたし等は4月の終わりに出会ったばっかりで間が無ぇよ。けど出会ったばっかで間が無ぇっつー意味じゃ、4月に学校入ったばっかのお前等だって同じだろ?1ヶ月ちょっとでも2週間其処等でも、あたし等にとっちゃ大して差は無ぇよ。時間だけ見りゃどっちだって浅いぜ。大事なのはどんなに短い時間でも、そん中で『どれだけ相手の事を見て、分かろうとしてるか』だろ!?少なくともお前は水霊(アクア)の事になると周りの見えねぇ馬鹿だけど、あたしやみちるの事を癒し救ってくれた心の優しい恩人だってのは知ってる!そんでその為に、五十嵐や吉池、長瀞はみちると一緒になって力を貸してくれて、一緒の水泳部に入ってくれた義理堅い奴等だって事もな!お前や吉池の為に心砕いてやる理由なんて、それで充分だろ!」

 

 忍の言葉に、リラは目から鱗が落ちた様な感覚になります。次に言葉を紡ぐのはみちるです。

 

 「部長として、先輩として後輩の事を想ってその問題を何とかしたいって言うのは貴女の言う通りよ。部員全体の士気に関わるから……。だけどそれ以上に、私達はもう水霊(アクア)を通して繋がった仲間でも有るの!仲間がピンチなのに見て見ぬ振りなんてする程、私達は程度の低い人間じゃないわ!」

 

 改めてアクアリウムを展開して見ると、2人の内なる水霊(アクア)であるヴァルナとノーチラスは強い命の輝きを放っていました。特にヴァルナは先程のユナーシャとエフィアの癒しも有ってか、一段と強い輝きです。然しこれは肉体的な生命力のみから来る輝きではありません。宿主である人間の強い心の力が、その輝きを増幅させているのです!

 

 「リラ……先輩達も深優の事想って言ってくれてるのに、それでも駄目なの?」

 

 「来年お父さんが死ぬまで、深優がずっと苦しいままでも良いのリラ?って言うか、どうして無理なんて……。」

 

 再び葵と更紗が祈る様な目でリラに対してそう問い掛けると、リラは「出来ない理由」を語り始めました。

 

 「理由は簡単よ。私は今までそんな死ぬかも知れない様な病気や怪我を今まで1度も治した事が無いの。仮にそれがアクアリウムで出来るとしても、その為には中級以上の……それこそテミスみたいな上級水霊(アクア)や最上級水霊(アクア)の力が無いと根治させるのは難しいわ。でも今の私は中級水霊(アクア)を数体操るだけで精一杯なの。下級水霊(アクア)なら幾等でも操れるけどね。」

 

 そう言うと再びリラはアクアフィールドを展開し、更衣室中をグッピーやネオンテトラ等、メダカ型やカラシン型を中心とした下級水霊(アクア)の大群で埋め尽くして見せました。更にドリスも近くに呼んで見せます。

 

 「勿論中級だけでも治せなくもないけど、完全になんて治し切れない。また直ぐ再発するだけよ。それじゃ深優ちゃんに無駄なぬか喜びをさせるだけでしょ?完全に治すにはさっき言ったみたいに上級水霊(アクア)の力を借りるしか無いけど、さっき日浦先輩を癒すのに使った大っきな2匹―――――エフィアとユナーシャって言う上級に近い中級2匹を操っただけでもうヘトヘトになったでしょ私?なのに上級水霊(アクア)を操ってガンを治すなんて、今の私じゃとても無理だって分かるじゃない?」

 

 この幻想的な光景を葵達は呆然と眺めていましたが、同時にこれだけの芸当が出来るリラにも出来ない事が有ると言う事実に、只閉口するばかりでした。

 

 「それに皆誤解してるみたいだけど、私のアクアリウムはあくまで『水の穢れを浄化する』だけの力なの。つまり水を綺麗にするのがアクアリウムの本質なの。怪我や病気が治るのはそうやって生き物の身体の汚い水を綺麗にした結果、免疫力や自然治癒力みたいな身体本来の“生きようとする力”が活性化してそうなったってだけの話であって、ゲームで状態異常を治す為の魔法やアイテムみたいにそれ自体が目的じゃないのよ。幾等水を綺麗にした所で、進行したガンや心臓病みたいな死の病気を治せるかどうかはその人の生命力次第。それだけは私じゃどうしようも無いわ。だから……」

 

 それだけ言うと、リラは申し訳無さそうに力無く俯くだけでした。

 

 「ごめんね葵ちゃん。私、明日深優ちゃんには無理だって伝えるわ。残りの1年、後悔の無い様にお父さんと一緒に過ごして欲しいって説得するから……。」

 

 今此処で治ろうと治るまいと、人と言うのは皆必ず死ぬ物です。生き物である以上、それは何人も覆せない絶対の自然の摂理。深優のお父さんである航の命が水に還る時が1年後と言うのなら、受け入れるしか有りません。

 

 「先輩、深優ちゃんがあんな調子なのはお父さんが死ぬ事を受け入れられないからだって思います。説得して受け入れてくれれば、また元の様に泳げる様になる筈ですから、それじゃあ……。」

 

 

 「見損なったわリラ……!!」

 

 不意にそんな言葉が耳に飛び込んで来たかと思うと、突然葵がリラの腕を掴んで無理矢理振り向かせると、容赦の無い平手打ちを喰らわせます!

 

 「貴女、日浦先輩を癒しに行く時言ったわよね!?『私は穢れを放っておけない。目の前にストレスや悲しみで穢れを内に溜め込んで、苦しんでる人がいるなら、私は……癒したい!!』って!!深優は今、お父さんの事で穢れを溜め込んで苦しんでるのよ!?穢れが病気の原因になるって言うなら、深優のお父さんのガンだって穢れを溜め込んで出来た物なんじゃないの!?だったらそれを癒せば治るんでしょ!?再発の恐れが有ったって、治せなくも無いんでしょ!?もしそうなったら何回だって癒せば良いじゃない!!」

 

 葵のその強い言葉に、リラは再び大きく目を見開きました。

 

 「葵ちゃん……。」

 

 「1人じゃ超えられない限界でも、皆と一緒なら超えられるんじゃないの?」

 

 そう言うと更紗の中からプラチナが姿を現しました。

 

 「何ならあたし等の水霊(アクア)だって貸すぜ?なぁみちる!」

 

 「ピッチピチの女子高生4人分の生命力さえ有れば、病気で死にそうなおじさんだって1発で元気になるでしょ?」

 

 みちると忍の中からもノーチラスとヴァルナが姿を現します。

 

 「更紗ちゃん、部長、先輩……。」

 

 (リラ、貴女は進まねばなりません。水霊士(アクアリスト)としての更なる高みへ。)

 

 突然頭上にテミスが現れて言いました。

 

 「テミス?」

 

 (リラ、余り私を舐めないで頂戴。地球を廻る水である私には、貴女の事が全て分かるの。今の貴女自身の力量も限界も……。それを考慮した上で、私が的確に力をどう使えば良いかを指示するから。)

 

 「えっ?それって……?」

 

 

 (そう……私も力を貸すわリラ!上級水霊(アクア)の力、今こそ貴女に授けましょう!!)

 

 

 「じゃあ、サラサラと先輩達だけじゃなくって、テミスまで一緒に協力してくれるの?」

 

 「勿論よ深優さん。リラには水霊(アクア)として、これからもっと成長して貰わないと行けない。この星に蔓延する穢れを癒す為にもね!」

 

 突然人間態のテミスが現れ、深優に対してそう告げました。

 テミスに続いてリラも一緒に、それでいて力強くこう伝えます。

 

 「深優ちゃん、最初は私も、命に関わる怪我や病気を治した事が無いのを言い訳に断ろうって思ってた。でもそれは只単に、経験と自信の無さを言い訳に逃げてただけだって気付いたの。今はこんなに沢山の水霊(アクア)やテミスが付いてるって分かったし、此処にはいないけど更紗ちゃんも前橋部長も日浦先輩も、皆深優ちゃんの為に祈ってくれてる。そうする事でプラチナ達に力を送ってるよ?1人じゃ駄目でも、皆と一緒なら限界だって超えられる!私、絶対に深優ちゃんのお父さんを助けるから!」

 

 「リラっち………。」

 

 その決意の言葉を待っていたと言わんばかりに、深優の目には大粒の涙が堰を切って溢れ出し、大瀑布の如く零れて流れ落ちます。

 

 「あ゛りが……グスッ……有り難うリラっち………!!わ、わだじ……ヒック!……信じてる………ヒック!……リラっちならヒグッ!!でぎるっでえぇぇっ………!!」

 

 リラの懐にしがみ付き、そう声を挙げて泣く深優の姿を見て、葵は少しだけ嫉妬するのでした……。

 

 

 絶対に深優のお父さんの死の穢れを癒して見せる!その強い気持ちと共に、リラはどうやって航を癒すのかをテミス達と話し合いました。勿論夕暮れ時でしたので、1度自宅に帰ってから夕飯を食べてから再び病院前の蒼國海岸で落ち合う約束を交わしました。

 

 

 さて、時刻はPM19時30分。リラ達は海宝総合病院の館内案内までやって来ると、深優のお父さんである吉池航の面会の手続きを行いました。この病院では面会の受け付けから退去までPM21時が刻限(タイムリミット)。それまでの間に何としてもアクアリウムで航を癒さねばなりません。

 面会許可証を受け取って看護師の女性2人に案内され、航のいる115号室の部屋まで行くと、不意に看護師2人の内1人が言いました。

 

 「それでは少々お待ち下さい。」

 

 そうしてドアをノックして「吉池さん」と航の名を呼ぶと、そのまま病室へと入って行きます。

 それから数分すると再び看護師が出て来ました。すると人間態になっているテミスが言いました。

 

 「エフィア、首尾はどう?」

 

 すると看護師の身体から甕覗色の水飛沫が出て来たかと思うと、それはやがて4mは有ろうかと言う大きなアリゲーターガーを思わせる姿の水霊(アクア)―――――エフィアが現れました。

 エフィアが肉体から出た看護師は、その場にゆっくりと倒れました。

 

 (大丈夫だよテミス!吉池ちゃんのお父さんなら私の力で眠らせておいたからさ♪)

 

 楽天的でノリの良い口調でエフィアはそう返しました。エフィアの能力は副交感神経に干渉する事で、あらゆる生き物の肉体を強制休眠させると言う物でした。その力で航を眠らせたと言うのです。

 

 「それじゃあ、此処からが本番ね。ユナーシャ、出て来て!」

 

 リラがそう言うと、2人の看護師の内のもう1人の方の身体から緋色の水が流れ出し、それがやがて空中で形を形成してピラルク型の水霊(アクア)のユナーシャが現れました。

 2体はあの後、テミスからの要請を受けてリラの成長と深優のお父さんの救命に協力すべく、一足先にこの2人の看護師に憑依して待っていたのでした。

 ユナーシャが抜けると、彼女が宿っていた看護師はハッと我に返って倒れたもう1人を起こします。

 

 「ちょっとあんた何寝てんのよ?早く起きなさい!」

 

 「看護師さん、パパの病室へ案内してくれて有難うございました!」

 

 「えっ?あっ、はい……」

 

 深優がそう元気に礼を言って115号室の戸を閉めると、看護師2人は狐に摘ままれた様な気分で元の職場へと戻って行きました。

 病室に入ると、早速深優はベッドの上で眠りに就いている父の元に駆け寄ります。

 

 「パパ、絶対に助けるから……。」

 

 父の手を強く握り締めた後、深優は再びリラの元へと歩み寄りました。葵は室内の備品である椅子に腰掛け、2人から離れた位置で両手を合わせて祈っていました。

 それは今此処に居ない更紗と忍とみちるも一緒でした。遠く離れた自宅から、窓を開けて3人は強く祈っていました。

 

 他でも無い、友人と後輩の家族の生還を――――!!

 

 

 「じゃあ深優ちゃん……行くよ!」

 

 リラの言葉に深優が頷くと、先ずリラはブルーフィールドを展開。そして自身の内なる水霊(アクア)であるクラリアを顕現させると、それを何と深優の身体に宿したのです!

 

 「うっ……あぁっ!!」

 

 全身を青白い光が包み込んだかと思うと、深優の瞳の色が何と藍色の輝きを放ちました。そう、リラの目と同じ様に……。

 それを確認すると、リラは周囲の水霊(アクア)達を取り込んで自分に背を向けた深優の肩に手を当ててると、水霊(アクア)達の力で増幅された自らの生命力を送り込みます。

 するとどうでしょう。深優の両手に紅い光の球が現れたでは有りませんか!まるでアクアリウムの能力を発動させ、クラリファイイングスパイラルを行使している時のリラの様に!

 

 良く見ると深優の内なる水霊(アクア)であるブルームは何と、リラのそれであるクラリアと合体していたのです!

 

 (成功よリラ!先ずは第一段階―――――『ポゼッションアクアリウム』の発動はクリアしたわ。)

 

 近くでテミスがそうリラに“第一段階の成功”を伝えました。

 

 

 第一段階と言われても何の事かと分からない皆さんの為に説明しておきましょう。

 1度自宅に帰ってリラ達が夕飯を食べ終えた後、蒼國海岸で再び落ち合った時、テミスは航を癒す為のプランを予め立てていたのです。

 その内容とは以下の通りでした。

 

 

 1、先ずはリラの内なる水霊(アクア)であるクラリアを深優に宿し、ブルームと一体化する事によって深優にリラのアクアリウムの能力を一時的に貸与する『ポゼッションアクアリウム』を発動させる。

 2、深優の父を救いたいと言う強い想いをエネルギーに変えてプラチナ、ノーチラス、ヴァルナの3体でクラリファイイングスパイラルを発動させ、これによって航の身体を蝕む穢れを除去。弱った航の肉体に活力を送り込み、ガン細胞の動きを停止させる。

 3、最後にリラが上級水霊(アクア)のテミスをリラがその身に宿し、その力で航の体内の全身のガン細胞を根こそぎ食らい尽くす。

 

 

 これが航を癒す為のプラン。そして今、リラは自らの内なる水霊(アクア)であるクラリアを深優に貸し与えてブルームと融合させる事により、深優に水霊士(アクアリスト)としての力を一時的にですが貸与する高等秘術『ポゼッションアクアリウム』を発動させたのです。

 水霊士(アクアリスト)と貸与する人間の心が1つにならなければ絶対に成立しない難しい高等秘術でしたが、「深優のお父さんを癒し救う」と言う2人の強い想いが成功へと導いたのでした。

 

 さぁ、問題は此処からです。次はアクアリウム能力を貸与された深優に、無事にクラリファイイングスパイラルを発動させられるかどうか?

 

 「深優ちゃん行くよ……プラチナ!ヴァルナ!ノーチラス!私を通して深優ちゃんの中に!!」

 

 リラの言葉と共に、更紗達の強い祈りで一時的にとは言えパワーアップしたプラチナ達がリラの体内に入り込んだかと思うと、それは深優の体内へと流れ込みます。

 

 「うぐッ!?はあぁぁあああぁぁ――――っ!!」

 

 ですが、パワーアップしたプラチナ達の力は水霊士(アクアリスト)では無い一般人の深優には負担が重過ぎたのでしょうか?只でさえポゼッションアクアリウムだけで一杯なのに、その上強化された中級に匹敵する水霊(アクア)3体では無理も有りません。

 

 「深優ちゃん大丈夫!?頑張って耐えて!!」

 

 「分かってるよリラっち………私だって………やる時はやるんだから!!サラサラ!部長!日浦先輩!3人の想い………受け取ったよ!!」

 

 深優の身体に掛かる負担を少しでも軽くしようと、リラは的確にアドヴァイスします。

 

 「落ち着いて深呼吸して!自分の中の水の流れを無理に堰き止めないで!自分の腕を水路、掌をその出口だと思って、其処へ水が流れて出るのをイメージするの!!後は私が何とかするから!!」

 

 全身を暴れ馬の様に駆け巡る水霊(アクア)のエネルギーの前に、ともすれば自分を見失いそうになるもリラの言葉で何とか理性を保ちながら、深優は驚異の学習能力で全身を流れるエネルギーを操って両手から掌の上に紅い光球として集約させ、どうにかリラが何時もやっている所まで漕ぎ付けました。

 

 「クラリア!深優ちゃんの頭の中にイメージを伝えて!私がクラリファイイングスパイラルを作るイメージを!!」

 

 (了解―――――。)

 

 すると次の瞬間、深優の脳内に一瞬ですがリラがクラリファイイングスパイラルを発動させる時に何を思い、どう発動させているかがダイレクトに伝わって来ます。

 

 「えっ?リラっち、今のって………?」

 

 「私がクラリファイイングスパイラルを作る時どうしてるかを、クラリアを通して貴女の頭の中に送ったの!深優ちゃんなら1回見ただけで出来るよね!?」

 

 「リラっち……当ったり前でしょ!?私を誰だって思ってるの!?コツなら何とか掴んで来たから……!!」

 

 「じゃあ深優ちゃん……大切な人を癒したい、救いたいって強く想いながら螺旋を描いてみて!」

 

 抽象的な説明ですが、勉強もスポーツも高い水準でこなす深優は見事にクラリファイイングスパイラルを見様見真似とは言え、高いレヴェルで再現!

 紅い光の奔流は航へと流れ込み、やがて螺旋となって包み込むとそのまま安らぎを生む回転運動と、心地良い水のせせらぎと共に癒しのエネルギーを航の体内へと送り込みます。

 

 

 (お願いパパ……死なないで!!生きて……生きて!!)

 

 「深優……?」

 

 

 光の螺旋に包まれてその場を漂う中、航は深海より深くて暗い意識の底で深優に呼ばれている声を聴きました。

 プラチナ、ヴァルナ、ノーチラスが三位一体となって作り出す命の螺旋は、宿主である少女達の若さ溢れる生命力を癒しのエネルギーに変え、航の肉体の穢れを洗い流して行きます。

 

 「深優……何処だ?何処に居るんだ?」

 

 「パパ……。」

 

 螺旋に包まれたまま夢の中で自分の名を呼ぶ航の姿に、深優は涙が溢れて来ました。

 

 「深優ちゃん!泣くのは未だ早いわ!さぁ、仕上げよ!」

 

 「うん!ブルームお願い!」

 

 (待ってた!)

 

 そして最後にクラリアと合体したブルームが航の身体を貫く事で、彼の中の穢れは全て取り払われました。航の肉体にプラチナとブルームが活力を与え、身体中に転移していたガン細胞も、ヴァルナとノーチラスの力によって完全に動きを停止させられました。

 

 (おめでとうリラ、深優さん。これで第2段階は成功よ!ガン細胞を包み守ってたお父さんの身体の穢れは全て取り除かれた!)

 

 「ふぅ~~~きつかった……。リラっちってこんな大変な事やってたんだね………。」

 

 ポゼッションアクアリウムを解除し、自分の役目を全て終えた深優はその場にへたり込みます。疲れたのか、息も荒くなっていました。

 

 「深優!」

 

 その場に葵が駆け寄って来て深優を優しく抱きしめました。

 

 「葵……。」

 

 「お疲れ様深優……凄かったよ……。」 

 

 まるで姉の様に優しく抱擁しながら、葵は世界で1番の幼馴染みをそう賞賛します。

 

 「深優ちゃん、私、正直失敗するんじゃないかって心配だったけど全然そんな事無かった…。初めてであれだけ出来てコツまで掴むなんて、やっぱり貴女って凄いね!」

 

 そう言いながらリラは疲労回復の為に持って来たチョコレートを頬張っていました。

 

 「もう何言ってんの?こんな事何時もやってるリラっちの方がもっと凄いよ。」

 

 すっかりヘトヘトになりながら、深優は改めてリラの凄さを実感していました。

 水霊士(アクアリスト)と言うのがどれ程大変か、自分で体験して改めて理解した友達の凄さを深優は、そして初めて水霊士(アクアリスト)としてアクアリウムを体験したにも関わらず、持ち前の学習能力でそれをこなして見せた友達の凄さをリラはそれぞれ知り、2人の間の絆がより深まった瞬間でした。

 

 「じゃあ、残りは私がやるから……。深優ちゃんは其処で見てて!」

 

 お父さんを救いたいが為に、此処まで頑張った深優の想いを決して無駄にはしない!その想いでリラは水霊士(アクアリスト)としての誇りを賭け、己の限界に挑みます!

 深く息を吸い込み、精神をまるで風1つ無い凪の海の様に落ち着けると、とうとうリラはその名を呼びました。

 

 「行くわよ………テミス!!」

 

 (覚悟は良いわね……リラ!!)

 

 水霊(アクア)の姿になったテミスがリラの身体に宿ると、リラの身体に変化が起こりました。

 リラの全身がコバルトブルーに変化したかと思うと耳が水掻きになり、肩や肘に鰭が生えて下半身が魚の尻尾に変化し、まるで人魚の様になりました。

 

 「えぇ~~~~~っ!?」

 

 「リラっちが……人魚みたいになった!?」

 

 「これが……テミスの力……うっ……ううううううあぁぁぁぁあああ~~~~~~~~~ッ!!」

 

 先程の深優の身体を巡っていたプラチナ達の比では無い程のエネルギーがリラの体内を駆け巡ります。自分の細胞が内側から爆発して砕け散りそうな苦痛がリラの全身を支配します。

 

 「リラ!」

 

 「リラっち!!」

 

 (落ち着きなさいリラ!1度に私の力の全てを制御しようとするからそうなるの!先ずは力の出力を10%に留めなさい!)

 

 テミスに言われて力を抑えると、下半身が元の人間の足に戻り、耳の水掻きと四肢の鰭だけの外見に薄いコバルトブルーのオーラを纏った姿になりました。それと同時に痛みも漸く軽減され、何とか力を行使出来る状態に落ち着きました。

 

 (それだけでも充分深優さんのお父さんは癒せるわ。無理無く力を行使しなさい。)

 

 「うん……分かった!」 

 

 そう言うとリラは右腕にコバルトブルーのクラリファイイングスパイラルを形成すると、それを指先に集約してレーザーの様に航の鳩尾へと照射します。すると航のガンで蝕まれた胃の中にコバルトブルーの水滴の様な物が現れたかと思うと、それは無数のテミスとなって胃の中のガン細胞を喰い尽くし始めたのです。

 テミスの行使するこのクラリファイイングスパイラルを、水霊(アクア)達は『ブルースパイラルビーム』と呼んで特別視していました。

 全てが喰い尽くされると同時に、胃の細胞を正常なそれに戻して行きます。

 

 (良し!これで本丸の胃は完全に癒された!後は全身に転移したガン細胞を駆逐するだけよ!最後まで気を引き締めなさいリラ!)

 

 「うん……!!」

 

 一見簡単に見えますが、実際テミスをその身に宿しての術式は想像以上にリラの肉体に負荷を掛けていました。発病の発端となった胃を癒した時点でもう既に限界でしたが、この上更に転移したガン細胞を駆逐せねばならないのです。

 テミスに指示された箇所にブルースパイラルビームを照射して行くリラ。転移が見られた箇所は何と7ヶ所も有りましたが、何とか5ヶ所は攻略出来ました。

 

 「さぁ、次は6ヶ所目……うっ……うああああああ痛い!!痛いイイィィィィィ!!!」

 

 然し、限界を超えて酷使し続けた身体はもう悲鳴を上げ始めていました。全身に今まで味わった事も無い激痛が走り、リラはその場に崩れ落ちそうになります。

 

 「リラ!!」

 

 「リラっち!!」

 

 すると其処へ飛び出して来たのはエフィアとユナーシャの姿でした。2体はリラに言います。

 

 (リラ!私達をクラリファイイングスパイラルに変えて自分を包むんだ!)

 

 (そうすればテミスの力による負荷はあたし達が抑えられる!!もう一息だよ頑張りな!!)

 

 「エフィア……ユナーシャ……うん!」

 

 心配そうな表情を浮かべる深優の顔を見て、最後の気力を振り絞ったリラは一旦テミスの憑依を解除。2体を光の球に変えてクラリファイイングスパイラルを形成して自らを癒すと、再びテミスを憑依させて術式を再開。続く6ヶ所目にブルースパイラルビームを照射してガン細胞の消滅を確認すると、最後の7ヶ所目に照射しようとします……が!

 

 「もう…限界……あぁっ!!」

 

 激痛に耐えかねてその場に崩れ落ちそうになるリラ。然し其処へ、不意に自分を支える感触を感じます。振り向くと其処には葵とリラの姿が有りました。

 

 「葵ちゃん……深優ちゃん………。」

 

 「頑張ってリラ!!あとちょっとなんだから!!」

 

 「リラっちがもう立てないなら私達が支えるよ!!だから……!!」

 

 「2人とも……。」

 

 すると未だその場に残っていたプラチナとノーチラスとヴァルナがクラリファイイングスパイラルの中に加わり、彼女の体力と気力を小回復させます。

 

 「更紗ちゃん……前橋部長……日浦先輩………。」

 

 友達でも先輩でも、虐められていた頃からは想像の出来ない素晴らしい出会いに恵まれた事を実感させられたリラは、再び立ち上がります。

 

 「負けるもんか……私は1人じゃない……!私は皆が付いてる……!!」

 

 (リラ!力を振り絞りなさい!)

 

 「深優ちゃんのお父さんは………私が癒す!!ええぇぇ~~~~~いっ!!!」

 

 テミスの叫びと共に、リラは最後の7ヶ所目に渾身のブルースパイラルビームを照射!これにより、遂に航を蝕むガンは完全に消滅し、同時に彼の肉体に生きる為の体力と気力が戻って来たのです!

 全てが終わった後、リラはとうとう力尽きてその場に昏倒しました。然し、リラの顔は全てをやり切り、水霊士(アクアリスト)としての自分の成長を実感出来た充実感が浮かんでいたのでした―――――。

 

 

 「それじゃあ私達、これで帰りまーす!」

 

 「有難うございました。」

 

 力尽きて足元もおぼつか無いリラの肩を葵と一緒に担ぎながら、嬉しそうな表情で帰宅する深優の顔を見て、受付の看護師達は怪訝そうな顔を浮かべていました。

 何故って?余命1年を宣告された115号室の患者の娘さんが、本日1度目の面会時は深い悲しみに打ちひしがれながら帰って行ったのが、2度目の面会ではやけに嬉しそうだったのですから――――――。

 と言うか、夕方2度に渡ってお父さんの面会に来るなんてどれだけお父さんが大好きな子なのでしょう?それが看護師2人の深優に対する印象でした。

 

 

 すっかり時刻はPM20時半を回り、夜の帳に街中が閉ざされる中、遠く響く潮騒の音をBGMに深優はリラに話し掛けます。

 

 「リラっち、今日は本当に有難う!私、リラっちと出会えて本当に良かったって思う。」

 

 満身創痍になりながら、リラは深優に返します。

 

 「私も……蒼國に来て良かったって思ってる………深優ちゃんと葵ちゃん、更紗ちゃん、前橋部長や忍先輩と会えたんだもの…………。」

 

 高校生活がスタートしてからまだ1ヶ月と数週間しか経っていないのに、素晴らしい出会いに恵まれた今の自分はやっぱり幸せなんだと心からリラは感じていました。

 それこそあんな虐めなんて辛い過去が有った頃と比べると、まさしく『天国と地獄』と言っても過言では無い位に……。

 

 気付けばプラチナとヴァルナとノーチラスは水飛沫となって飛散し、それぞれの宿主の元へと戻って行ったのでした。アクアリウム手術の成功と言う吉報と共に―――――。

 然しテミスとエフィアとユナーシャは周辺を回遊しながらも、リラ達3人を遠目から見守ってるのでした。

 

 「でも驚いたな。まさか深優がリラみたいな水霊士(アクアリスト)になっちゃうんだもんね!」

 

 病室でのポゼッションアクアリウムの事を思い出し、葵はそんな小並……もとい、率直な感想を述べました。

 

 「ポゼッションアクアリウムね。それは私も確かに驚いたわ。まさかそんな術法が有ったなんて…。でも、自分の中で水霊士(アクアリスト)としての可能性が広がったって感じられたし、色んな収穫が有って良かったかな………?」

 

 水霊士(アクアリスト)としての自身の可能性の広がりを実感しながらそう言うリラに対し、不意に深優が言いました。

 

 「私、ずっと憧れてたんだ。アクアリウムで皆を癒して救うリラっちに♪」

 

 深優からの突然の好感度アップの言葉に、リラは当惑します。

 

 「今回の事で私も思ったの。水霊士(アクアリスト)が自分の中の水霊(アクア)を相手のと合体させる事でその人を水霊士(アクアリスト)にならせるなら、水霊士(アクアリスト)になれる人の条件って何なのかなってさ!」

 

 「何よ深優?もしかしてあんたも水霊士(アクアリスト)になれるんじゃないかって思った?」

 

 葵がそう問い掛けると、不意にリラが口を開きます。

 

 「その条件はテミスみたいな上級水霊(アクア)に選ばれる事だけど、そんなのならない方が良いと思うよ。」

 

 「えっ?」

 

 突然のリラのカミングアウトに葵と深優が戸惑う中、リラは急に2人の腕を振り解くと、そのまま1人で歩いて行きます。

 

 「ねぇちょっと待ってよリラ!」

 

 「リラっち、怒ってるの?」

 

 「深優ちゃん、憧れるのは勝手だけど、これだけは言っておくね。ゲーム感覚で務まる程、水霊士(アクアリスト)の使命は甘くないの!穢れを癒すのがどれだけ大変か、自分でやって見て良く分かったでしょ?」

 

 そう言って去って行こうとしますが、やはり疲れが残っている所為でその場に倒れ込みそうになって深優と葵に支えられながら帰宅するのでした。

 

 

 リラと深優が航を癒した2日後の朝の事でした。

 

 「先生、115号室の患者さんのMRIの検査結果が出ました。出ましたけれど……」

 

 若い看護師の女性が航のMRI検査の結果画像を片手に、慌てて彼の治療を担当する医師の下へと急行して来ました。

 前日、何故か良く分からないけれど急に体に元気が漲り、つい昨日まで病人だったのが信じられない位の回復振りだったとして、航は再び主治医に頼んでMRIの検査を依頼していたのです。

 

 「それで、彼のガンはどうなっていたんだ?」

 

 昨日の今日で急に良くなる筈も無いのですが、患者の意思を尊重する手前、不承不承検査をしてみた訳ですが果たしてその結果は……。

 

 「それが………、無くなってるんですよ。身体中からガンの腫瘍が跡形も無く!!」

 

 「何!?」

 

 驚いて航の担当医が検査結果を確認すると、其処にはガンなど影も形も全く無く、寧ろ健康体其の物と言っても過言では無い航の肉体のMRI画像が有りました。

 

 「信じられん……!!まさかこんな事が現実に……!?」

 

 「でも本当なんです!今日患者さんの所へ行ってみたら、入院する前と比べて凄く元気になってて、これから直ぐにでも退院手続きをしたいって言ってるんですよ!」

 

 「と、兎に角、私がその患者の所に行って話をして来る!退院するかどうかは主治医であるこの私が決める事だ!」

 

 その後、主治医との面談の結果、航は念の為にもう1日検査入院として病院で過ごす事が決まりました。無論入院している間、毎日深優はリラを連れて見舞いに訪れ、航を眠らせてからのポゼッションアクアリウムの術法でアクアリウム能力を行使。

 2度と再発する事の無い様に入念に航の身体をケアしていたのでした。因みにエフィアとユナーシャの2体はそれに付き合った後、流れる雲と共に既に蒼國から違う土地へと去って行ってました。

 

 そうして3日目で航は晴れて退院。漁師として復帰してから、より精力的に働く様になったのでした。勿論、2度と深優を病気で悲しませる事の無い様、健康には充分気を配って無理の無いワークスタイルを心掛ける様にもなりましたがね!

 

 「じゃあパパ!行って来まーす!」

 

 「あぁ!今日も楽しんで来いよ!」

 

 「私は何時だって楽しんでるよ♪」

 

 最愛の父とそんな遣り取りをしながら、今日も深優は何時も通りの元気な調子で家を出るのでした。

 

 

 さて放課後、霧船女学園水泳部では―――――。

 

 「次!」

 

 みちるのホイッスルと共に、一斉に水面を駆ける水泳部の人魚(マーメイド)達。その中に、一際元気に泳ぐ深優の姿が有りました。

 今回はリラ、葵、深優、更紗の1年生4人で50mの泳ぎを自由形で競っていたのです。

 

 「1位、吉池27.5。2位、長瀞28.0。3位、汐月29.0。そして最後に五十嵐の30.4!」

 

 「やったね!私が1位だ!!」

 

 みちるが読み上げたタイム記録が1番だった事を受け、深優は欣喜雀躍でした。

 27秒台は、全国大会に於ける女子50m自由形の毎年の標準記録に当たるタイム――――。

 つまり、自由形に関して深優は今居る霧船の1年の中では、全国に1番近いと言う事なのです!

 

 「あーあ、やっぱり深優には敵わないなぁ。」

 

 「でも、深優が元気になって良かった……。」

 

 口々にそう呟く葵と更紗ですが、2人とも憑き物が取れた様に晴れやかな顔でした。然し、それはリラも同じです。

 大きな試練を乗り越え、水霊士(アクアリスト)としてまた大きく成長出来た事を実感出来たのだから……。

 

 「何が何が!?私は何時だって元気だけど♪」

 

 「あっ!!コラ深優いきなり何す……んあ~~~~~~~ッ♥」

 

 「ビリの罰ゲームよ罰ゲーム♪たまには葵の胸も揉んであげなきゃ可哀想だからね♪」

 

 「よ、余計なお世話だってノオオォ~~~~~~~ン♥」 

 

 葵の胸を嬉々として揉みしだく深優の姿を見て、「やれやれ」と言わんばかりに一息吐いて忍が言いました。

 

 「吉池、漸く調子を取り戻したな……。」

 

 「4人とも、早く上がりなさい!次!飯岡と星原と濱渦、そして漣の番よ!」

 

 次に泳ぐ番に2年生全員を指名するみちるですが、既に泳ぎ終えてプールサイドに上がる1年の後輩4人の成長を忍と嬉しく思うのでした……。

 そうして2年生の4人が泳ぎ終わると……。

 

 「お疲れ様でした。それじゃ飯岡先輩、揉みしだきまーすぅッ♪」

 

 「ちょっ、ちょっと吉池さん止めっ……、んん~~~~~~~っ♥んはあ~~ああ~~~~~~~~っ♥」

 

 「コラーッ!!吉池さん良い加減にしなさ~~~~~~いッ!!!」 

 

 

 放課後のプールサイドには、何時も通り練習もそこそこに同級生や先輩の胸揉みに興じる深優の姿が有りました。

 

 

 




次回はエピソード更紗。深優と違ってこっちは二部作になるかな?


キャラクターファイル14

ドリス

年齢   無し
誕生日  無し
血液型  無し
種族   水霊(アクア)
趣味   食べ歩き
好きな物 タコ焼き(人間態になった時に大阪で食べた)


中級水霊(アクア)で紺桔梗色の鯰(種類はレッドテールキャット)の様な姿をしている。蒼國の街で活動している水霊(アクア)の1体で、リラのアパートの部屋にも良く顔を出す。何故か関西弁を喋るノリの良い性格だが、それは元々彼女が同じ水の都である大阪のウォーターフロントに暮らしていたからであり、上半期と下半期で蒼國と大阪とで棲み分けている様だ。
主にハイドロスパイラルシュートと言う術法の投擲でリラから活用され、秘めた想いや感情を奮い起こす効果が有る。また、穢れに対する耐性も高く、更に激しく暴れ狂う事によって強力な水の波動を起こして何もかもを破壊したり洗い流したりも出来る等、ユーモラスな外見と性格に似合わず中級水霊(アクア)の中でも相当な実力者。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第14話 行く川の流れは絶えずして

此処からエピソード更紗に入ります。


 それは、5月も中旬から下旬に差し掛かろうとしていた第3週目の日曜日の事でした。

 リラは珍しく電車に乗って遠出しようと、街のランドマークである蒼國総合文化センターの傍の蒼國駅へと出掛けました。

 

 

 蒼國市は東京からも決して遠くなく、寧ろ近い場所に位置した関東の港町であり、蒼國駅は小田電鉄の系列に属する駅。暫く乗って小田原線と合流すれば、そのまま新宿にも行けるのです。

 切符を買って快速線に乗り、東京に有る目的地に行こうとした時でした。

 

 「………リラ?」

 

 「えっ?更紗ちゃん?」

 

 偶然にも同じ電車に乗ろうとしている更紗の姿が、リラの視界に飛び込んできました。直ぐに一緒の座席に2人並んで座ると、快速線の列車はそのまま最終目的地である新宿を目指して走り出します。

 尤も、2人の目的地は新宿ではありませんが……。

 

 

 車窓から流れる景色を見ながら、2人はこんな会話を繰り広げていました。

 

 「でも驚いたわ。まさかリラまで電車に乗って東京まで遠出なんて。」

 

 「それはこっちの台詞よ。更紗ちゃん、何処まで行くの?何の用事?」

 

 リラがそう尋ねると、更紗は黙ったまま暫く彼女の顔を見つめた後でこう答えます。

 

 「……お祖母ちゃんに会いに行くの。下北沢に有る特別養護老人ホームにね。」

 

 「下北沢に?」

 

 「そう、下北沢に有る『まつばら』って言う所―――――。」

 

 遠い目をしながらそう返す更紗の姿を見て、リラはそれ以上の詮索はしませんでした。

 すると今度はお返しとばかりに、更紗がリラの目的を尋ねて来ます。

 

 「リラはどうなの?電車に乗るなんて珍しいけど、何処かに用事が有るからこうやって乗ってるんでしょ?」

 

 予想のしていた問い掛けとは言え、リラは言葉に詰まってしまいました。何故ならこれから彼女の為しに行く用事は、周りからしたらそれ程大した事ではないにしても、本人にとっては切実な物でしたから……。

 

 「そうだけど……別に大した事じゃないよ。パパッと行ってササッと帰る簡単な用事だから……。」

 

 「そ、そうなんだ……。」

 

 当たり障りの無いリラの回答に対し、目が点になる更紗でしたが自分だって必要最小限の事しか相手に話していない手前、深い詮索は野暮だと判断したのでしょう。それ以上の追及はしませんでした。

 そうして2人は列車が目的地に着くまでの間、他愛の無いガールズトークに花を咲かせます。尤も、2人とも葵や深優に比べて感情を表に出すタイプではない為、それ程盛り上がった話は出来ませんでしたが……。

 快速列車はやがて小田原線と合流。そのまま町田、新百合ヶ丘、登戸、成城学園前を通過して下北沢に到着するのでした。

 

 

 列車から降りて改札の方へと向かって行くと、休日と言う事もあって多くの人達が改札の向こうからこちらへと流れ込んで来ます。

 リラがアクアリウムを発動すると、やはりこの周辺にも多くの水霊(アクア)達が沢山縦横無尽に泳ぎ回り、同じくやはり其処かしこに発生した穢れを取り除いているのでした。

 

 (当たり前の話だけど、やっぱり穢れって何処にでも在るのね……。)

 

 水の都である蒼國市と同じ様に、下北沢にも蔓延している穢れ。然し、この街の穢れはこの街の水霊(アクア)達が綺麗にしてくれるでしょう。

 自分が水霊士(アクアリスト)として為すべき使命は此処には無いと判断したリラは改札を済ませると、気を取り直して目的地の有る調布に行くべく、京王井の頭線に乗り換えようとします。

 

 「リラ、待って!」

 

 不意にそう言って更紗がリラの手を取って制止したではありませんか。

 

 「いきなりどうしたの更紗ちゃん?私達此処から別行動なんじゃ……。」

 

 困惑と共に振り向き様に尋ねると、更紗は真っ直ぐリラの顔を見つめて言いました。

 

 「お願いが有るの。」

 

 「えっ!?お願いって……?」

 

 突然そう言われ、リラは戸惑いを隠し切れません。自分を真っ直ぐ見つめて来る更紗のその姿には、普段が普段だけに威圧感さえ覚えてしまいます。

 

 基本的に更紗は口数が少なく、余り多くを語るタイプでは有りません。リラや葵、深優の様な仲の良い友達相手にもそうですが、そうでない相手に対しても基本的に必要最低限の言葉しか喋らない為、何を考えているのか分からない場合が多いのです。

 加えて身長も166cmと、女子としては背も高い方ですし感情の起伏も少ないですから、相手によっては威圧的な印象すら与えかねます。まさしく海底に鎮座するクエの様な「大型の底魚」其の物と言っても良い佇まいです。

 

 尤も、面倒見が良くて世話焼きな性格ですから大概の場合、威圧的な第一印象はそれで撤回される事も多いですがね。

 

 

 「私と一緒に来て欲しいの。お祖母ちゃんのいる所へ……。」

 

 突然更紗に自身の祖母の居る老人ホームへの同行を求められ、リラは呆気に取られた表情を浮かべましたが直ぐに問い返します。

 

 「何で急にそんな事……って言うか、どうして私が一緒に行かないと行けないの?」

 

 至極真っ当な疑問ですが、更紗は淀み無く答えます。

 

 「この前遊びに行った時に皆で写真撮ったでしょ?それを私、お祖母ちゃんの所にメールして送ったの。私のお祖母ちゃん、5年前から体調が思わしくなくって、特別養護老人ホームに送られてたの。後何年生きられるか分からない位弱ってて……。だからせめて、私が皆と仲良くしてる所を写真で送って元気付けようって思って……。」

 

 (更紗ちゃん……。)

 

 話してる内に寂しさと悲しさが込み上げて来たのか、途中から言葉のリズムとテンポが次第に弱くなって行くのを感受性の豊かなリラは聞き逃しませんでした。

 同時に更紗の言葉の中に有った“5年前”と言う単語を耳にした瞬間、リラの脳内に悲しい記憶がフラッシュバックしました。

 

 

 そう………『最愛の祖母との死別』と言う記憶が―――――――。

 

 

 そんなリラの心中など気付く由も無く、更紗は続けます。

 

 「それでこの前、お祖母ちゃん私に電話して来たの。『更紗の友達に……特にリラって子に会ってみたい』って―――――。何を考えてそんな事言ったか分かんないけど、リラが一緒に電車で遠出してくれてラッキーだったから……。」

 

 そして手を合わせると、更紗は改めてリラにお願いします。

 

 「お願いリラ、私と一緒にお祖母ちゃんのお見舞いに来て!リラも用事有るって聞いたけど、直ぐに終わって帰るだけなら少し位私に付き合ったって平気でしょ?」

 

 友達から其処まで真剣に頼まれればリラも、黙って引き下がる訳には行きません。

 嘗ての中学時代、そうやって友達面して近付いて来る様な狡い人間の頼みを聞いて損な役回りを何度も担った手前、他人から何か頼まれると弱い自分の性分を何度疎ましく思ったか……。

 然し、出会ってから未だ2ヶ月程度でも、水霊(アクア)の事で強く深く繋がった絆で結ばれた更紗の頼みならば―――――。

 

 「……そうだね。私の用事なんて、別に今直ぐじゃなきゃ駄目って言う様な物でも無いし……。良いよ更紗ちゃん。一緒に付いて行ってあげる!」

 

 「有り難うリラ!じゃあその代わり私もリラの用事に付き合うね!」

 

 リラとしては別に無理して自分に付き合わなくても良いのですが、これも“お互い様”の精神なのでしょう。そんな殊勝な言葉に、思わず嬉しそうに首を縦に振るのでした。

 

 駅を後にした2人は、そのままスマホの地図を頼りに南へ2キロ程歩いて行きます。

 そうして見えて来たのは3階建ての校舎の様な白い建物。この施設こそ更紗の目的地である『特別養護老人ホームまつばら』です。

 

 

 施設の自動ドアを潜った2人は早速、受付窓口へと足を運びました。

 

 「長瀞しず枝さんのお孫さんですね。少々お待ち下さい。」

 

 テンプレートな営業スマイルでそう応対すると、看護師が更紗のお祖母さんの入居している部屋へ続く廊下を歩いて行きます。その背中を見送った後、近くの長椅子に2人で座って待つ事にしました。

 

 (それにしても、更紗ちゃんのお祖母ちゃんってどんな人なんだろう?写真で私の顔を見て会いたがるなんて………。)

 

 予期せずしてこれから出会う事になる更紗の身内に対し、リラが疑問と共に想いを馳せていると不意に更紗が声を上げます。

 

 「お祖母ちゃん……。」

 

 「えっ……?」

 

 思わず更紗の向いた視線の先に顔を向けると、其処には車椅子に乗ったまま看護師に連れられた老婆の姿が有りました。

 すっかりやせ衰えて点滴に繋がれており、顔にも皺や弛み等、時の浸食の痕跡が相応に刻まれてはいましたが、何処と無くですがその顔立ちは更紗の面影を感じさせます。やはり彼女が紛う事無き更紗のお祖母さんであるのは確かな様でした。

 

 「更紗、来てくれたのですね………。」

 

 駆け寄る更紗に対し、老眼鏡を掛けた目でその顔を覗き込んでお祖母さんは言いました。

 

 「お祖母ちゃん、連れて来たわよ。リラの事―――――。」

 

 「貴女が、更紗ちゃんのお祖母ちゃんですか?」

 

 恐る恐るリラが目の前の老婆に尋ねると、彼女は弱った顔を微笑ませて答えます。

 

 「えぇ、そうよ……。私の名前は長瀞しず枝。貴方のお祖母さんの水森ユラとは高校時代お友達だったの。」

 

 車椅子に乗って点滴に繋がれる等、大きく弱ったその身体では笑顔を作るだけでも大変そう。彼女の姿に、リラはそんな印象を受けました。

 けれど、しず枝の言葉にはそれ以上にリラは驚きを隠せません。まさか更紗のお祖母さんが自分の祖母と友達同士だったなんて―――――。

 更紗も同じ事を思っていたらしく、しず枝の隣で大きく目を見開いて2人の顔を交互に見つめていました。

 

 因みにリラの祖母であるユラの苗字は水森で、リラ自身の苗字は汐月ですが、これはユラの娘が汐月姓の男性と結婚して変わったからです。

 つまり、ユラはリラにとって『母方の祖母』だったのでした。

 

 「リラちゃん、もう少し私の近くに来て顔を見せて頂戴……。」

 

 殆ど生気の感じられない中、漸く振り絞った声でしず枝はリラを呼びます。

 その言葉に促され、リラがしず枝の近くに来て、車椅子に座った彼女の目線までかがむと、しず枝はその藍色に澄んだ瞳を見て感慨深げに言います。

 

 「………本当にユラに似てるわね貴女。5年前に死んだって聞いた時、もう2度と会えないって思っていたのだけど、まさか代わりにそのお孫さんに会える日が来るなんて……。」

 

 痩せ衰えたその震える手で、優しくリラの頬に手を当ててそう話すしず枝の顔には、懐かしさと寂しさが入り混じった複雑な表情が浮かんでいました。

 水分が抜け、すっかりしなびて皺と言う皺が刻まれたその顔の目に浮かんだ涙は、砂漠に湧いて出た雀の涙程の湧き水の様です。

 

 「5年前に友達が亡くなったって聞いてお祖母ちゃん、凄いショックで元気無くなってたけど、それってリラのお祖母ちゃんだったの?」

 

 「そうよ更紗………ユラは私にとって、1番の親友だった。将来の夢について話しても、ユラだけは馬鹿にしないで応援してくれた……。彼女がいたから私は夢を叶えられて、今此処にいるの………。」

 

 そう更紗と話すしず枝の姿を前に、リラは生前の自分の祖母の事を思い出していました。

 

 

 「ホラ、泣かないでリラ。お前が悲しんだら、私まで悲しくなるから……だけどね、もしお前が笑ってくれたら私だって嬉しくなるわ!」

 

 何時も仕事で家に居ない両親の代わりに、自分に構ってくれたのは他でも無いユラでした―――――。

 学校で嫌な事や悲しい事が有った時、自分を励まして慰めてくれたのもユラでした―――――。

 老体に鞭を打って、幼かった自分を色んな場所へ連れて行って、様々な世界を見せてくれたのもユラでした―――――。

 

 

 その1つ1つを思い出す度に、自然とリラの目からは大粒の涙が浮かび始めます。

 

 「しず枝さん………。」

 

 気が付いたらリラは、自分の顔をくっ付きそうな程しず枝のそれに近付けて言いました。

 

 「私のお祖母ちゃんはしず枝さんから見て、どんな人だったんですか?私と更紗ちゃん位の時、どんな女の子だったんですか?私、知りたいんです。お祖母ちゃんの事をもっと!」

 

 その言葉にしず枝は呆気に取られましたが、直ぐに近くに居た看護師の方へ顔を見遣ります。看護師は手に携えていた祖母のカルテを見ると、問題無いと判断したらしくニッコリ笑って頷きます。

 

 「そうね………看護師さんも大丈夫だって言ってるし、今日は私も調子が良いから教えてあげましょう。私の1番の友達だったユラの事を―――――。」

 

 そう言うとしず枝は語り始めます。リラに対してしず枝から見たユラがどんな人物だったのかを――――――――――。

 

 

 そうして1時間後、話しが終わってしず枝は自室へと戻って行きます。これから身体の検査をしなければならないからです。看護師に車椅子を引かれて行く祖母の背中を見送った更紗は、同じく世代を超えた友人であるリラを連れて施設を後にするのでした。

 

 

 まつばらを後にすると、2人は元来た道を引き返して下北沢駅へと歩いて行きました。リラと更紗の話題に真っ先に上ったのは当然、自分達の祖母の関係です。

 

 「でも驚いたな。まさか私のお祖母ちゃんがリラのお祖母ちゃんと親友同士だったなんて――――――。」

 

 「知らなかったよ私も……。でも、こうやって私と更紗ちゃんが巡り会えたのって、もしかしたら神様のお導きだったのかもね!」

 

 「そうだね。お陰で私達もこうやって仲良くなれたんだから……。」

 

 フッと笑みを浮かべて更紗がそう言うと、リラも心なしか嬉しくなります。

 

 人と人とが廻り会う―――――それは当たり前の様で実は最も尊い奇跡の産物。

 その確率は天文学的確率で低い物なのです。

 今回のリラと更紗の様に、人生を80年として一生の内、何らかの接点を持つ人と出会う数は凡そ3万人程度であり、その確率は何と24万分の1とされています!

 因みに同じ学校や職場、近所の人との出会いは3000人、親しく会話を持つ人が300人、友達が30人、そして親友は僅か3人!

 その確率も学校や職場、近所の人は240万分の1、親しく会話を持つ人は2400万分の1、友達は2億4000万分の1、そして親友は何と24億分の1!

 

 勿論これは環境等の要因でその数にも変動は有りますが、何れにせよ、如何に人と人との出会いが紛う事無き大いなる奇跡であるかが分かるでしょう。

 

 今まで虐めに遭っていたリラは、その確率に恵まれなかっただけであり、その不幸を乗り越えた今、葵や深優、更紗、みちるや忍、それに潤の様な仲の良い親友や先輩と廻り会えた!

 まるで神様がリラに与えてくれたご褒美の様です。

 

 

 「じゃあ、次は私がリラに付き合う番ね。リラ、今日は一体何処へ行って何をする気だったの?」

 

 表情には余り表れていませんが、本人的には嬉しい口調で更紗がそう言うと、リラは微笑みながら言いました。

 

 「お祖母ちゃんのお墓参り。今日が命日だから、その為に調布に有るお祖母ちゃんのお墓に行くの!」

 

 澱みも濁りも無い澄んだ声でリラはそう返しました。その澄み渡る藍色の瞳が太陽の光を反射し、まるで光る海の水面の様です。

 同時に更紗も、話を聞いた時には呆気に取られて驚きました。まさか今日がリラのお祖母さんの命日だったとは……。

 これ程までに運命と言う物を感じた瞬間は、更紗の16年近い人生の中で1度も有りません。

 

 「―――――そっか!」

 

 ですが、丁度自分のお祖母さんと友達のお祖母さんとの関係を知った手前、リラの用事は更紗としても決して他人事ではありません。

 自分のお祖母さんの友達のお墓参りに付き合うと言うなら、改めて大歓迎です。

 

 早速2人はお墓参りの準備をすべく、駅前の商店街を目指しました。

 その道すがら、更紗はふと興味深い言葉を漏らします。

 

 「あーあ、自分の声をもうユラさんに聴かせてあげられないって知って、お祖母ちゃん相当悲しそうだったよ。お祖母ちゃん、何十年もの間ずっと自分の1番のファンだって言う人から届いた何百通ものファンレターを今も捨てないで大事に取ってあるけど、それってユラさんからのだったんだねぇ………。」

 

 ファンレター?自分のお祖母ちゃんがしず枝のファン?一体何の事でしょう?

 当然の如くリラは更紗にどう言う意味か尋ねます。

 

 「更紗ちゃん、私のお祖母ちゃんがしず枝さんにファンレターって、何言ってるの?まるで有名人みたいな言い方してるけど……。」

 

 すると更紗は次の瞬間、意外過ぎる爆弾発言を繰り出しました!

 

 

 「え?だって私のお祖母ちゃん、『声優』だよ?」

 

 

 その言葉に一瞬、目が点になるリラ。そして――――――。

 

 「えっ………?えええええええ~~~~~~~~~~~~~~ッ!!!?更紗ちゃんのお祖母ちゃん、声優だったの~~~~~~~~~~~~~ッ!!?」

 

 「シッ!声が大きいよリラ!」

 

 更紗の口から出た言葉に、リラは驚愕するしかありませんでした。まさかしず枝が声優であり、自分の祖母であるユラがその大ファンだったなんて、余りに予想の斜め上を行き過ぎる真実でしたから……。

 

 (でも良く良く思い出してみたらお祖母ちゃん、小さい頃からちょくちょくアニメなんか正座してじっと食い入る様に見てたし、ラジオだって良く聴いてたっけ……。そう言えばその時に聞こえて来た声って何処と無くしず枝さんっぽかったけど、まさか本人だったなんてね………!!)

 

 余りに信じ難い、そして生前の知られざる祖母の一面を知り、リラは只々唖然となるばかりでした――――――――――――。

 

 

 気を取り直して商店街へと梯子すると、早速リラは更紗はお墓に供える花束を2人でお金を出し合って買いました。

 更紗まで花にお金を出してくれたかと言いますと、それは自分に付き合ってくれたお礼であり、『しず枝の代わりに孫の自分がユラの墓参りをしてあげる』と言う意思表示から。

 

 そして京王井の頭線に乗って明大前に辿り着くと、其処から京王快速線に乗り換えて調布まで直行するのでした。

 

 「此処も変わってないな……。」

 

 道行く中学生位の女の子達の姿を見て、リラは何処か悲しそうな眼差しでそう呟きます。

 

 「……リラ?」

 

 「……何でも無い。」

 

 調布駅を降りてから、リラはずっと浮かない顔で道を歩いていました。

 さっきからリラの脳裏を過ぎっているのは、虐めと孤独に彩られた辛い思い出ばかり。

 そう、此処はリラの地元だったのです。然し、友達である更紗にそれを悟らせまいと、リラはずっと黙っていました。

 

 そして遥か遠くを見通せば、其処には調布市と稲城市を分かち、東京でも指折りの一級河川である『多摩川』が流れています。

 あの川の畔で今から2年前――――当時中学2年生だったリラは、虐めを苦に自殺を図ったのでした――――――。

 

 

 「―――――ラ!ねぇリラ!リラったら!」

 

 調布市と稲城市を繋ぐ多摩川原橋を遠くに一望しながら、封印して忘れ去りたい過去を思い出していると、更紗の声がします。

 ハッとなって声のした方を向くと、更紗が呆れた表情でこちらを見ています。

 

 「もう、リラったらどうしたのよ?いきなり立ち止まってボーっとして……。」

 

 「えっ?あぁ、ごめん更紗ちゃん。ちょっと考え事して……。」

 

 昔を思い出していたなんて、そんな事はとても更紗には言えません。あんな辛い過去を話して更紗に悲しい想いをさせても仕方無いですし、何よりそんな自分の過去を打ち明けられる程、リラは更紗にも……そして葵や深優にも心を許していませんでしたから…………。

 

 「またなの?もう、リラって時々空想に耽ってボーっとする事有るよね。水霊(アクア)の事になると周りだって見えなくなるし……。」

 

 「あはは、ごめんね………でもそんな私と仲良くしてくれるから、更紗ちゃんの事私は好きだよ?」

 

 「持ち上げたって何も出ないよ。ってあっ、見えて来たよリラ。」

 

 2人の視界に飛び込んで来たのは、ユラの魂の眠るお墓の有る調布のメモリアルガーデンです。

 

 

 早速入園すると、2人は早速ユラの墓前にやって来ました。更紗が優しく見守る中、リラはユラの墓前に花を供え、両手を合わせて彼女の冥福を祈るのでした―――――。

 

 (ユラお祖母ちゃん―――――今日ユラお祖母ちゃんの友達だった人に会ったよ。今近くに居る私の友達のお祖母ちゃんがその人だって知って私、凄く驚いた。その孫の私達まで一緒にこうやって出会って仲良しの友達になるなんて、人の縁って不思議だね――――――。)

 

 目を閉じ、手を合わせて祈る事でユラの魂に語り掛けていると、リラの頭の中をお祖母さんとの思い出がフラッシュバックしました。

 

 

 家に殆ど居ない両親の代わりに自分の面倒を見てくれたユラ―――――。

 低学年の頃、校門を潜れば迎えに来てくれたユラ―――――。

 色んな事を知っていて、自分にその知識を授けてくれたユラ―――――。

 

 

 藍色の瞳に映ったユラは何時も優しくて、時に厳しくて、まさにリラにとっては母なる海を体現した様な存在でした。

 そんな彼女が5年前の或る日、奇しくも自分が自殺を図ったあの多摩川で倒れ、そのまま「さよなら」を告げずに死んだ事をリラは一生忘れないでしょう。

 

 その時の記憶が蘇って来た時、リラの目からは大粒の涙が溢れ出て、気が付けば嗚咽すら漏らしていたのでした。

 

 「お祖母ちゃん………どうしていきなり死んじゃったの―――――――?私がどんな想いで、あの場所で自殺しようとしたと思ってるの――――――――――?」

 

 (自殺……?)

 

 リラが思わず零した「自殺」と言う単語が更紗の心に引っ掛かりましたが、今の彼女にそれを問い質す事は出来ません。

 今の彼女に出来る事は、只黙ってリラの様子を見守る事だけでした。

 

 尤も、リラの事を見守っていたのは更紗だけではありません。2人の真上から、テミスが何やら複雑な表情でリラの事を無言で見つめていました。

 

 

 亡き祖母であるユラの墓参りを終えると、リラは更紗から手渡されたハンカチで涙を拭いて調布駅へと帰還。そのまま元来た路線を乗り換え乗り継ぎ、ホームグラウンドである蒼國へと帰って行きました―――――。

 

 

 




キャラクターファイル14

エフィア

年齢   無し
誕生日  無し
血液型  無し
種族   水霊(アクア)
趣味   雲の中を散歩する事
好きな物 ジャンボサイズの食べ物全般(人間態になって食べ歩く)

甕覗色のアリゲーターガーの様な姿をした中級水霊(アクア)。ユナーシャと共に南半球を雲と共に主に回遊しているが、雨となって日本にもやって来る。
現段階で上級水霊(アクア)に近い存在と目されており、その癒しの力は中級水霊(アクア)の中ではユナーシャと並んでトップクラス。
深優の父である航のガンを癒して根治させるべく、初めて扱う上級水霊(アクア)であるテミスを行使する事で生じるリラの肉体の負荷をユナーシャと共に防いだ。
楽天的でノリの良い性格である。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第15話 今日の水≠昨日の水

 数日後、5月も終盤とも言うべき第4週目の金曜日の事でした。

 折しも高校では中間テストのシーズン。霧船女学園も例外では無く、今週の水、木、金の3日間連続で試験は行われました。

 今日はその最終日で、試験の全過程は午前中を以て全て終了していました。

 

 これは、ホームルームとその後の清掃を終えた放課後の事です。

 

 「はぁ~~~っ……古典と英語駄目そう………。」

 

 「私は化学が自信無いかな……。」

 

 帰り支度をしながら、葵と更紗が自分の苦手な教科の成績に嘆息していると、深優が葵に話し掛けて来ました。

 

 「何?また葵古典と英語駄目だったの?」

 

 「あんたは良いわよね。何時も成績トップでさ………。」

 

 其処まで勉強の出来る訳でも無い自分と違って成績優秀枠である深優に対し、葵はもう何度目かと言わんばかりに羨望の眼差しを向けます。

 

 「じゃあ明日はみっっっっっちり特訓しないとね葵♪」

 

 嗜虐的な笑みを浮かべてそう葵に言い掛けると、当の相手は先程げんなりしていたのが信じられない位の脱兎の速さで教室から飛び出して行きました!

 

 「ヒッ!か、勘弁して~~~~~~ッ!!」

 

 「あっ!コラ葵待て~~~~~~~ッ!!」

 

 それを猛然と深優が追い掛ける中、教室に未だ残っているリラに対して更紗が尋ねます。

 

 「この3日間のテスト、リラはどうだったの?」

 

 「えっ?う~ん、数学がちょっと心配だけど、他は皆大丈夫かな?」

 

 意外にもリラは学力自体は決して低くなく、寧ろ高い方でした。通常、虐められっ子の学力は平均かそれより下とされている様ですが、少なくともリラに限ってはそれは当て嵌まりません。

 身体能力も決して低くは無いのですが、如何せん元々の彼女は気が弱くて相手に強く出られると言い返せません。結果、何時も非難や暴力を受けてもそれに甘んじるだけの弱い人間だと思われてしまいがちです。

 また、妄想や空想に耽る癖が有る為、それが悪い方向に作用してネガティヴな考えや被害妄想に繋がり、結果として空気が読めず冗談の分からない人間と受け取られ易く、それも虐められる原因になっていたのでした。

 

 社会と言う物が、能力以前に自分を周囲が如何に思っているか、その評価が大切であるかがそれだけでも良く分かります。

 虐められたくなければ周りに取り入れず、戦う事の出来ない、そして己の意見を持たぬ我の弱い弱者だと、表向きだけでも思われない様に努めねばなりません。

 要は自分と言う物をしっかりと持った『強者の仮面(ペルソナ)』を、好むと好まざるとに関わらず被らねばならないのです。

 

 学校ならその学校の模範に即した行動の出来る生徒、会社ならどんなに下手でもサラリーマンとして必要最低限それらしく振舞える人間と言う様に、社会とはその場の人間に相応しい人物像を無理無く演じられる者しか受け入れて貰えない様に出来ている物なのですから当然でしょう?

 

 有りのままの弱くてだらしない自分を、そのまま受け入れて存在を許してくれる程、社会は決して寛容では無いのですから………。

 

 アクアリウムの力を得て、虐めとの戦いを乗り越えてリラは変わりました。然し、今この場でその話をする事は出来ないのでそれは次の機会に回しておきましょう。

 

 

 「そっか……じゃあ私もリラから化学、教えて貰おっかな?」

 

 「うん、良いよ。じゃあ明日の土曜日……は水泳部の練習が有るから、明後日の日曜日にね!」

 

 「離~な~し~て~……深優~~~~許してぇぇ~~~~~っ………」

 

 すると其処へ、葵の腕を掴んで連行して戻って来る深優の姿が視界に入って来ました。

 

 「じゃあさじゃあさ、勉強するなら蒼國図書館行かない?」

 

 「蒼國図書館?」

 

 初めて耳にする言葉にリラは首を傾げました。そんな彼女に葵と深優が言いました。

 

 「あぁ、リラは蒼國に引っ越して来たばっかりで知らないんだったわね。」

 

 「駅前の蒼國総合文化センターに有る図書館だよ。あそこは色んな本が漫画も合わせて一杯有るし、勉強するスペースも広いから丁度良いよ♪」

 

 すると突然、更紗の携帯に着信が入ります。画面を見ると、彼女の母親からです。

 

 「お母さんから……?」

 

 何事かと思って更紗が電話に出ます。

 

 「もしもしお母さん………えっ?お祖母ちゃんが………?」

 

 お祖母ちゃん―――――その言葉がリラの心にダツの様に突き刺さります。

 更紗のお祖母さん―――つまりしず枝に何か有ったのでしょうか?

 

 「うん、分かった。じゃあ、明日―――――。」

 

 「どうしたの更紗?お母さんから電話が有ったみたいだけど…?」

 

 心配そうに葵が尋ねると、更紗が数秒の沈黙を置いた後で答えます。

 

 「――――お祖母ちゃんの容態が急に悪化したって………。」

 

 「えぇっ!?」

 

 真っ先に反応したのはリラでした。

 

 「明日、ううん……今直ぐに家族皆でお見舞いに行かなきゃ行けないって………。」

 

 明らかに更紗は動揺しています。傍から見れば口調こそ何時も通り感情の抑揚の少ない落ち着いた雰囲気ですが、声が微かに震えており、身体はそれ以上に断続的に震えていました。

 

 「ごめん………私、今日はもう帰る!」

 

 そう3人に言い放つと、更紗は大急ぎで教室から走り去ります。

 そのまま何処へ行くのか、リラは直ぐに察しが付きました。

 

 

 言うまでも無く、あの下北沢に有る特別養護老人ホームまつばらです。

 

 

 最終日とは言え、テスト期間である事に変わりはない為、この日は部活動が有りませんでした。勿論、リラ達の水泳部も例外では有りません。

 尤も、其処は蒼國市民。忍やみちる、それに下の2年生の子達は自主的に市民プールや、流れが緩やかな程良い深さの水路や川で練習するのですがね。

 突然自分達のスマホに鳴り響いた着信音。それを受けてリラ達が画面を見ると、其処には部長のみちるや忍から市民プールで練習しないかと言うお誘いでした。

 

 『私と忍はこれから蒼國市民プールで練習するわ。2年の子はみんな来るって言ってるけど、あなたたち1年も一緒にどう?』

 

 みちるからのメッセージに対し、リラと葵と深優は同意の返事を出しました。然し、当然ながら更紗は家庭の都合で来れない旨のメッセージを伝えましたが……。

 

 一方その頃、更紗は家族を連れて下北沢へと続く小田電鉄の快速車輛に乗って一路下北沢を目指していました……。

 因みに更紗の家族構成は老人ホームに居る祖母のしず枝を含め、父、母、弟、妹に自分を入れた6人家族です。

 

 (お祖母ちゃん……。)

 

 線路の上を揺れながら走る列車の音をBGMに、更紗は自身のお祖母さんの安否を気に掛けているのでした―――――。

 

 

 さて、それから時間も幾分経ったPM17時頃、練習が終わったリラ達は市民プールを後にして先輩達とも別れ、それぞれの家路に就いていました。

 

 「ふーっ、久し振りに思いっ切り泳げで凄っごく気持ち良かった♪今までテスト期間であんまり泳げなかったし!」

 

 「先輩達の胸も良い感じに触れたしね♪」

 

 「水霊(アクア)の皆とも楽しくお話し出来たし、やっと解放されたんだって改めて感じる。」

 

 此処最近、テスト勉強で忙しかった事も有って部活で泳ぐ時間も自然と短くなってましたし、試験も間近ともなれば原則的に部活動もストップしてしまう物です。

 その縛りから漸く解放されて泳ぐプールと、その際に触れる水の感触はリラ達にとって格別でした。同じ事は忍や潤と言った上の学年の先輩達も思っていたでしょう。

 入部して間も無いとは言え、泳ぐ事に快感を覚える旨の発言をしている所から葵もすっかり水泳の楽しさに目覚めていた様です。

 

 「でも、更紗も一緒ならもっと良かったのにね……。」

 

 「いきなりお祖母ちゃんの容態が悪くなったなんて言われて、そのまま飛び出してっちゃったもんね……。」

 

 此処にはいないもう1人の友達の事を話す葵と深優の顔には、遺憾の表情が鮮明なまでに浮かんでいました。

 

 「この前は私のパパがガンで倒れて、今度はサラサラのお祖母ちゃんかぁ……。本ッ当悪い事って良い事と同じで立て続けに起こる物なんだってつくづく思うよ……。」

 

 一週間前に起きた深優のお父さんのガンの話が記憶に新しい中、今度は更紗のお祖母さんであるしず枝が生きるか死ぬかの瀬戸際。

 “泣きっ面に蜂”だの“弱り目に祟り目”だのと論う訳では有りませんが、狙い澄ました様に立て続けに友人に降り掛かる身内の不幸は、「神の悪戯」と呼ぶには余りに悪質過ぎます。

 然し、だからと言ってリラに出来る事はと言っても………。

 

 「ねぇリラ、深優のお父さんの病気治せたみたいに、更紗のお祖母ちゃんの事もアクアリウムで何とかならないの?」

 

 「そうだよ、パパを治せたリラっちなら出来ると思う。」

 

 一般人の感覚なら至極真っ当な考えを口にする葵と深優ですが、それに対するリラの答えは無情な物でした。

 

 「無理言わないで2人とも……。アクアリウムには死んだ人を生き返らせる力なんて無いし、水霊士(アクアリスト)は水を癒せても人の寿命まではどうする事も出来ないの。命は水に生まれて水に還る物だけど、『その時まで生きたら水に還ろう』って言う命の意思が決めるのが寿命なの。その命の意思だけは水霊士(アクアリスト)にも変えられない。受け入れるしか無いわ。」

 

 リラのその言葉に、葵と深優は何も言わずに俯くだけでした。リラは続けます。

 

 「仮にそれが出来たって、1つの命を死の淵から救うのがどんなに難しいか、私と一緒にお父さんのガンを治した深優ちゃんだったら良く分かるでしょ?命に関わる病気でさえそんななのよ?死んだ人を生き返らせるなんて限り無く無理に近いって、ちょっと考えれば分かるじゃない。」

 

 気が付けばリラの身体は震えていました。それは1つの命がこれから喪われるかも知れないと言う現実を前に、何も出来ない無力な自分への遣る瀬無さから来る震えでした。

 

 「ごめんリラ……何も知らないで都合の良い事言って………。」

 

 「でもリラっちには本当に感謝してるのよ?パパがまた元気になったのだって、リラっちが居てくれたから……。」

 

 震えるリラの左右からそれぞれ手を繋いで、葵と深優がそう言いました。

 

 「2人とも………。」

 

 ともすれば深海の水圧の如く自分を押し潰そうとするリラ自身の弱さを、この2人は受け止めようと言うのでしょうか?

 その時手に感じた温もりが、自身の記憶に深々と刻まれて行くのを、リラは本能的に感じ取っていました。

 

 今まで誰かと手をまともに繋いで歩いた記憶なんて、祖母であるユラ以外無かった物ですから……。

 

 

 「でも、更紗今頃どうしてるかな?」

 

 「お昼に出てってからもう5時間も経ってるけど、お見舞い終わって帰ったんじゃない?」

 

 「確かにそれは気になるよね……あっ、そうだ!テミス!!」

 

 2人が更紗の事を気に掛かける中、同じ気持ちのリラは何を思い立ったのか、徐にテミスの名を呼びました。

 気付けば辺りにはすっかり夕闇が立ち込め、人の通りもまばらになり、水のせせらぎだけがその場に響いています。遠くに一望出来る海は、今にも沈もうとしている夕陽の輝きを受けて朱色に輝いていました。

 けれど、リラが呼んだにも関わらずテミスは現れません。何時もなら直ぐにでも姿を現すのに………。

 

 「どうしたの?どうして出て来てくれないの?テミス!テミス―――――――ッ!!!」

 

 すると数秒のインターバルを経てコバルト色の水滴が周囲に集まり始め、シクリッドとグラミーを掛け合わせた様な姿の魚が姿を現しました。テミスです。

 

 「テミス、お願いが有るの。更紗ちゃんが今どうなってるのか教えて頂戴!」

 

 地球を廻る水霊(アクア)達の情報網なら、地球全土でリアルタイムで起きている出来事が新たな情報として累積、更新されて行きます。それを脳内に流して貰う事で知りたい情報を逸早く掴む、『ストリームメモリアル』と言う術法で更紗の同行を知ろうと言うのがリラの意図でした。

 けれど、テミスは何も言わずに只黙っているばかりです。リラは言いました。

 

 「どうしちゃったのテミス!?早くストリームメモリアルを私達に流して!何時もだったら直ぐにやってくれるのに何で!?」

 

 リラがそう叫んでも、テミスは何も言わずにリラの顔をジッと見つめるばかりでした。しず枝の老人ホームの訪問とユラの墓参りに出掛けたあの日から数日、テミスは何やら様子が可笑しいのです。

 何やら考え事でもしているのか、リラが話し掛けても何も言わずに黙っている事が多くなりました。しず枝かユラの事で何か思う事でも有るのでしょうか?その事でリラが尋ねても―――――。

 

 

 「貴女には知る必要の無い事よリラ。」

 

 

 ……とにべも無くそう突っ返すだけで、肝心な事には何1つ答えてはくれません。その事も有って、リラはテミスの事が心配でなりませんでした。

 

 「ねぇお願いテミス!どうして何も言ってくれないの!?更紗ちゃんとしず枝さんの事だって心配だけど私、テミスの事はもっと心配だよ!!」

 

 その言葉に漸く絆されたのか、テミスはリラに対して小さく頷くと同時に人間態になってこう返しました。

 

 「……分かりました。だけどリラ、ストリームメモリアルを流せるのは水霊士(アクアリスト)の人間だけ。普通の人間に流すと余りの情報の奔流に脳が破壊される恐れが有るわ。」

 

 「え……?」

 

 ストリームメモリアルの致命的欠点を聞いて、リラは唖然としました。水霊士(アクアリスト)としてそれなりに時間は経つし、経験も相応に積んでは来ましたが、まだまだ水霊士(アクアリスト)の事もその術法の事も、リラには知らない事が多過ぎるのです。

 テミスが術法を教えてくれるのは、必要に迫られた時だけ。以前忍を癒した時のミラーリングアクアリウムも、深優のお父さんである航を癒した時のポゼッションアクアリウムも、その時になって初めて知らされた物ばかりでした―――――。

 

 「アナログなやり方にはなるけれど、葵さんと深優さんにも同じ情報を共有させるなら他に良い手段が有るわ。近くに丁度に大きめの川が有るから私について来なさい。」

 

 テミスに促されるまま、リラと葵と深優は近くの土手を降りて川の畔にまで歩いて行きました。

 するとテミスは川の水面を歩き始め、3歩進んだ辺りでしゃがみ込むと、コバルトブルーの輝きで足元の水面を染め上げました。

 気付けば周囲にも同じ色の光の粒子が漂い始めまています。

 

 「綺麗……。」

 

 「あっ、水面が!」

 

 葵と深優がその幻想的な光景に見惚れる中、テミスがその場からバックステップで飛び去ると、やがてコバルトブルーの輝きを放つ水面に何かが映り始めます。

 水面に映ったのは更紗の顔でした。目に涙を浮かべた悲痛な表情をしています。

 

 「更紗ちゃん!」

 

 「更紗!」

 

 「サラサラ!」

 

 やがてハッキリと、クリアなまでに水面に映し出された映像(ヴィジョン)に、3人は思わず声を挙げずにはいられません。

 何故なら其処に映し出されているのは、ベッドでチューブに繋がれて点滴を受けたまま、意識不明のしず枝の手を、孫の更紗がギュッと握って涙ながらに呼び掛けている姿だったからです。

 幸いしず枝のベッドに設えられた生体情報モニターの各数値はは未だ0を記録してはいませんし、心電図も辛うじてその波形を維持していますが、それももう風前の灯と言って良い状態でした。

 映像だけなので音声までは聴こえませんが、その悲痛な表情と口の動きを見れば更紗が何と言っているのか容易に想像が付きます。そう―――――。

 

 「お祖母ちゃん!しっかりして!!」

 

 「嫌だ!目を開けてよお祖母ちゃん!!」

 

 そんな悲痛な叫びが、白黒では無くカラーと言う違いは有れど、昔ながらの無声映画(サイレントフィルム)さながらの映像からもハッキリ伝わって来る様です。

 普段クールで大人びた雰囲気の更紗からは、到底想像も出来ない様な表情に3人は言葉も有りませんでした。

 

 「……リラ。」

 

 「リラっち………。」

 

 重い沈黙を破って葵と深優はリラの名前を呼ぶや否や、真っ先に彼女に縋り付いてこう叫びます!

 

 「お願いリラ!!更紗のお祖母ちゃんの事何とかしてよ!!これじゃあ更紗が可哀想だよ!!」

 

 「人間何時か死ぬのはしょうがないって分かってるけど、それでも私、目の前で死にそうになってる人放っとくなんて出来ないよォッ!!」

 

 「そっ、そんな事私に言われたって……!!」

 

 散々2人にせっつかれ、リラはどうしたら良いか分かりません。口では人の生き死には水霊士(アクアリスト)にもどうする事も出来ないとは言いましたが、リラだってやっぱり人間。助けられる物なら今直ぐに行ってどうにかしてあげたいと考えるのは、極めて自然な考えです。

 そんな3人の様子を眺めながら、テミスは“或る事”を思い出していました。『遠い昔に封印した記憶』の断片を―――――。

 

 

 「嫌だよお祖母ちゃん!!目を開けてよ……お祖母ちゃアァァァ―――――――――ん!!!」

 

 

 河原で倒れ、運ばれた先の病院で帰らぬ人となったユラの亡骸の前で慟哭する、まだ小学生だった頃のリラの記憶………。

 その時のリラの姿と、今水鏡の向こうで泣き叫ぶ更紗の姿とテミスの中で被って見えたのです。

 

 「………ッ!!」

 

 意を決したテミスは何を思ったのか、突然リラの前に飛び出して来ると、不意に彼女の胸に手を突っ込みます。

 

 「リラ、少しの間だけ眠ってて!」

 

 「えっ!?ちょっと、テミス……うッ!?」

 

 困惑するリラの事など御構い無しと言わんばかりに、テミスはリラの体内に手を突っ込んで中からクラリアを取り出すと、本来の魚の姿になって遥か空の彼方へと物凄いスピードで泳ぎ去って行きました。

 同時に、リラがその場に倒れて気絶します。

 

 「えっ!?ちょっとリラどうしたの!?」

 

 「リラっちしっかりしてよ!!」

 

 慌てて葵と深優が倒れたリラを介抱すると、突然リラは目を覚まします。

 

 「大丈夫。リラなら今、テミスの所だから―――――。」

 

 目を覚ましたリラが急に無表情且つ淡々とした口調に変わり、2人は唖然となるばかりでした。

 

 

 一方、場所は変わって下北沢の特別養護老人ホームまつばら。

 更紗の必死の訴えも虚しく、とうとうモニターの各種生体情報はどれも0の数値を記録し、心電図も連続した点が流れて行くだけになっていました。事実上の御臨終です。

 

 「うっ……うぅっ………お祖母ちゃん……………!!」

 

 「うええぇぇぇ~~~~~~ん!!お祖母ちゃんが……お祖母ちゃんがあぁぁ~~~~ッ!!」

 

 「あああぁぁぁ~~~~~~~~ん!!!」

 

 とうとう帰らぬ人となったしず枝の亡骸にしがみ付き、更紗はめそめそとすすり泣くばかりでした。更紗の傍らでは、同じ様に弟と妹も慟哭の声を上げています。

 

 「もう諦めなさい3人とも!」

 

 「そうだ!お祖母ちゃんはもう……。」

 

 深い悲しみに打ちひしがれる更紗とその弟と妹を、両親は何とか宥めようとします。しず枝の死亡が確認されたのを受け、既に看護師達は末期の水の準備の為に部屋を出ていました。

 

 

 然しその時、更紗達には見えていませんでしたが部屋の中にテミスが立っていました。

 テミスは一緒に連れて来たクラリアに言います。

 

 (リラ、起きなさい。)

 

 テミスの言葉を受けてクラリアが目覚めると、突然彼女は自身の変化に驚きました。

 

 (ん………テミス?って、えぇっ!?どうなってるの?私、クラリアになっちゃったの?)

 

 何と、リラの人格がクラリアの中に入ってしまっていたのです。逆にリラの肉体にはクラリアの意識が入り込んでいたのでした。テミスは言います。

 

 (強引なやり方だったけど、これは『ストリームマインド』。自らの意識を水霊(アクア)に宿す事で、その水霊を遠隔操作出来る術法なの。宿せる相手は周りの水霊(アクア)でも誰かの中の内なる水霊(アクア)でも可能で、発動中は元の内なる水霊(アクア)の人格が肉体を守るわ。尤も、多くの場合は術者の内なる水霊(アクア)に使うのが鉄則ですけどね。)

 

 (じゃあ、テミスは私の意識をこのクラリアの身体に無理矢理宿してこんな所まで連れ出して、私の元の身体には今クラリアの意識が入ってるって事?)

 

 クラリアと化したリラがテミスに尋ねると、テミスは頷いて言います。

 

 (その通りよ。さてリラ、早速だけど私と一体化して頂戴。)

 

 (えっ?)

 

 一体化と聞いてリラの頭の中に浮かんだのは、深優のお父さんを癒した時にテミスと一体化した時の事でした。まさか、あの時と同じ様な事になるのかと思わず警戒します。

 

 (心配しなくても貴方の想像している様な事にはならないわ。只、私の中で少し眠るだけよ。考え様によっては懐かしい夢が見られるかも知れませんよ?)

 

 (懐かしい夢って……あっ!ちょっとテミス―――――――)

 

 有無を言わさずテミスの手によって青白い光球に変えられると、そのままリラは彼女の中に取り込まれて意識が深海の様な闇に溶けて行きました。

 クラリアとなったリラを取り込むと、テミスは更に更紗の中から密かにプラチナを取り出してこれも内側に取り込みます。

 そしてそのまま何と、しず枝の亡骸目掛けてダイビングしたのです!

 

 (しず枝―――――しず枝―――――――!!)

 

 肉体の死を以て深海の様な闇に閉ざされたしず枝の心象風景の中を、テミスは彼女の名を叫びながら泳いで何かを探し続けました。

 やがてテミスは、闇に蠢くしず枝の内なる水霊(アクア)の姿を見つけました。形としてはスズメダイに似ていますが、それが向かう先には今にも消えそうな一筋の白い光が有りました。しず枝の魂です。

 肉体の死を以て其処から出る前にしず枝の魂を呑み込もうと言う、彼女の内なる水霊(アクア)に先んじられては堪りません。

 テミスはコバルトブルーの閃光となり、その光を目指して全速力で向かって行きます!

 

 (待ちなさいしず枝!!)

 

 白い光とコバルトブルーの光がぶつかり、しず枝の心象風景を黒く覆う闇を眩く照らしました――――――。

 

 

 「此処は……?」

 

 目を覚ました時、しず枝が立っていたのは大きな海が目の前に広がる浜辺でした。

 頭上には何処までも澄み渡る青い空と白い雲。

 足元には緑の草原と海に面した白い砂浜。

 まさか、此処が俗に言う“三途の川”なのでしょうか?

 

 「私は確か、病院のベッドで意識が無くなって………と言う事は………。」

 

 自分の姿も、何時の間にか15~6歳の少女になっている事にしず枝は気付きました。服装も学生時代のセーラー服です。

 

 「そっか、私は死んだのね………。」

 

 意識が闇に溶ける直前、孫の更紗が自分の名前を涙声で必死に叫んでいた気がしますが、今となってはどうする事も出来ません。

 

 「ごめんね更紗……でも、私はもう耐えられないの。これ以上、ユラのいない世界で生きてたって………。私を1番応援してくれたあの子のいない世界なんて………。」

 

 思えば、しず枝の生命力が急に衰えたのはユラが死んで少ししてからでした。

 実を言うとしず枝は、ずっと後悔していました。今から5年前の昨日、78歳で死んだユラの訃報を聞いた時、既にベテラン声優として知名度も相応に高い存在になっていた自分が、幾等高校時代に親友だった所で名も無き一般人の葬式に出るなんて出来ないと言う考えから、ユラの葬式に参加してあげられなかった事を………。

 それは83歳になった今も尚、絶えずしず枝の心に影を落としていたのです。

 長い人生の中で、これ程までに深く後悔した事は彼女の中では有りませんでした。

 

 「待っててユラ、私もこれから貴女の所に行くわ!貴女に会って謝らなくちゃ……お葬式に出てあげられなかった事………!!」

 

 「何言ってるのしず枝?私なら此処に居るけど?」

 

 不意に聞こえた懐かしい声に思わず後ろを向くと、其処には自分と同じく15~6歳で、自分が着ているのと同じセーラー服に身を包んだ少女の姿が有りました。

 

 「ユラ!!」

 

 その姿にしず枝が驚いたのも無理は有りません。何故なら目の前に立っている少女こそ、紛う事無き自分の1番の親友だったユラその人だったのですから。

 もう現世では永久に会えないと思っていた親友の姿を目にし、しず枝は目に大粒の涙を流してユラに飛び付きます。

 

 「ユラァァァッ……会いたかった……会いたかったよユラァッ!!」

 

 あらんばかりの腕の力でユラを抱き締めるしず枝ですが、直ぐにユラはしず枝を強引に引き離します。

 

 「もう!いきなり抱き着いて来て何よ!?久し振りに会えて嬉しいのは分かるけど、急にこんな事されたら私だって迷惑なんですけど!」

 

 「ごめんなさいユラ……でも、久し振りに会えたのが嬉しくって……。」

 

 そう謝るしず枝に対し、ユラは表情1つ変える事無く単刀直入にこう言い放ちました。

 

 「そんな事よりしず枝、貴女の大事な孫が呼んでるわよ。あの子の為にも早く戻って!」

 

 その言葉に、しず枝は困惑せざるを得ませんでした。折角会えた親友ともうお別れなんて、そんな事出来る訳が有りません。

 

 「えっ?でも私はもう死んだのよ?もう戻れないわ。だからこれからはずっとユラと一緒に……」

 

 「馬鹿ッ!!」

 

 自分の言葉を遮って発せられたユラの怒声に、しず枝は思わず怯みます。ユラは続けます。

 

 「私は未だ小学生だったリラを置いて死んだの!!本当はあの子が二十歳になって、それから結婚する所を生きて間近で見たかった……でもそれももう叶わないの!だけど貴方は違うでしょ!?私と違って貴方には、未だ必要としてくれる人が何人もいる!!更紗ちゃんや貴女の声を待ってる人が残っているなら、その人達の為に命を振り絞って!!」

 

 「ユラ……でも私、貴女が死んだ時、お葬式にも出てあげれなかった………。声優界の大御所なんて立場の所為で………本当にごめんなさいユラ!!こうやって死んだのも、貴女からの罰だって受け入れてるから……。」

 

 大御所声優と言う世間体に縛られ、自分の1番大事な友達を弔ってあげられなかった後悔の念を、この場を借りてユラにしず枝は謝罪と共に打ち明けました。

 然し、ユラはそんなしず枝を見て口元にフッと笑みを浮かべたかと思うと、怒る処か溜め息を吐いてこう言い放ちます。

 

 「何言ってるのよ?私はそんな事、ちっとも怨んでない!それに許すも許さないも無いわ。貴女は私にとって1番の親友で、私は死んでもずっと声優『長瀞しず枝』のファン!それ以上でも以下でも無いから!!」

 

 その言葉に、しず枝はハッとなり、目を大きく見開きます。

 

 「私の事で後悔してるなら、貴女を待ってるファンの人達の為に残った命を使って頂戴。そして私が出来なかった分まで、孫の更紗ちゃんの傍にもう少し居てあげる事!良いわねしず枝?」

 

 「………うん、分かった!有り難うユラ!もう1度会えて良かった!!」

 

 涙を浮かべた目でしず枝がユラの手を握ってそう言うと、ユラは満足そうな笑みを浮かべました。

 すると突然ユラの身体からコバルトブルーの大きな魚が現れて光の奔流を放ったかと思うと、しず枝の全身はその光の中に包まれ、意識と共に溶けて行きました―――――。

 

 

 「う……ん………。」

 

 目を覚ました時、自分が元の部屋のベッドの上に居る事にしず枝は気付きます。自分の家族全員が看護師の立会いの下、これから末期の水を行おうとしていた事に。

 

 「貴方達、一体何をしているの……?」

 

 「え………?」

 

 家族達が一斉に声のした方を振り向くと、其処にはついさっき死んだ筈のしず枝が上半身を起こして更紗達を見つめていたでは有りませんか!

 ベッドに設えられた生体情報モニターはしず枝の心電図、呼吸、非観血血圧や体温等の各コンディション全てが正常値に戻っている事を告げています。

 

 「うわあああぁぁぁぁあああ―――――――――――――ッ!!お袋が……お袋が生き返ったアァァ―――――――――――ッ!!!」

 

 「嘘でしょ!?お義母さん、さっき死んだのに……!!」

 

 当然ながら更紗の両親は驚愕しました。

 

 「信じられない」

 

 「まさか……バイタルだって0になってたのに………。」

 

 同じ事は看護師達も思っていました。まさかついさっき死んで意識の無くなった人間が突然復活するなんて、普通は絶対に有り得ない事なのですから……。

 

 「お祖母ちゃん……!!」

 

 祖母が死の淵から生還した事を驚きながらも、嬉し涙で歩み寄る更紗にしず枝は優しく微笑み掛けます。

 

 「更紗、私ね、夢を見ていたの。夢の中でユラに会ったのよ―――――。」

 

 意識を取り戻したしず枝は、目に涙を浮かべる更紗の頭を撫でながらそう語り掛けるのでした―――――。

 

 

 一方その頃、しず枝を死の淵から無理矢理呼び戻したテミスはそのまま元の蒼國へと戻るなり、ストリームマインドを解除してクラリアとリラの意識を元に戻しました。

 

 「ハッ!!」

 

 意識を取り戻したリラは、直ぐにテミスの方を向いて尋ねました。

 

 「テミス、さっきのは一体どう言う事なの?ストリームマインドがどうとか言ってたけど、私が寝てる間に貴女、一体何をしてたの?」

 

 どうやらリラは自分の身に何が起こったのか、未だ理解が出来ていない様でした。テミスにクラリアを抜かれてからの記憶がまるで曖昧で、何が何だかさっぱり分かりません。

 

 「あ~~~もう、クラリアが私で私がクラリアで、何がどうなってるの~~~~~~ッ!?」

 

 幾等尋ねても、テミスはフッと微笑むばかりで何も答えてはくれません。

 さながら苔塗れになって緑一色になった水槽の様な圧倒的なモヤモヤ感に、リラは頭を抱えてそう叫ばざるを得ませんでした―――――。

 

 

 その後、テミスの力が効いたしず枝の生命力は右肩上がりに回復し、車椅子に座っていた頃とは打って変わって生命力に溢れていました。

 それから1週間が経ち、5月も残り僅かになった頃、リラが葵と深優を連れて更紗の家に遊びに言ってみると、其処には何としず枝の姿が有りました。

 

 「こんにちは、リラちゃん。」

 

 「えっ?しず枝さん!?どうして……?」

 

 東京の老人ホームに居る筈のしず枝が何故、更紗の家に居るのでしょう?その疑問に答えたのは、当然と言うべきか更紗本人でした。

 

 「お婆ちゃん、老人ホームを引き払ったの。」

 

 「引き払ったってどう言う事なの?」

 

 更紗は答えます。

 

 「東京から蒼國の私達の家に引っ越して来て、私達と最期まで暮らすって。」

 

 しず枝にとって蒼國は、親友だったユラと共に青春時代を過ごした思い出の場所。彼女にとってもとても感慨深い場所だったのでしょう。

 其処で家族と楽しく暮らして、最期は笑って逝く―――――。苦しまない様に安らかに他界させる――――――。

 それが生死の境を彷徨っていたしず枝の意識に対し、テミスがユラの亡き魂を介して交わした約束でした。

 

 因みにしず枝は今、声優としての本業にも奇跡的に復帰。精力的に地元のTV番組やラジオのナレーターとして活躍する様になり、往年のファンを歓喜させるのですが、それに関して言及する必要は無いでしょう。

 

 「ユラが私に言い聞かせてくれたのですよ。『更紗ちゃんの為にもう少しだけ生きてあげて』って。もう5年前に旅立ったのに、貴女達位の女の子の姿になって現れて私も驚いたわ………。」

 

 「私のお祖母ちゃんが……しず枝さんを?」

 

 まさか、テミスが自分の意識をクラリアに宿して連れ出したのは、自発的にしず枝を助ける為だったのでしょうか?それに気付いた時、リラは開いた口が塞がりませんでした。

 水の穢れを癒す水霊(アクア)達は、基本的に神様と同じく人類の事には終始一貫して傍観者の立場を貫く物の筈。なのにそれが特定の人間一個体に対してそんな肩入れをするなんて、リラにとっては信じられない話でしたから無理も有りません。けれど、一体何故テミスが自分の意識をクラリアに宿し、更にその内に取り込んだのかまでは遂に分かりませんでした。

 ともあれ夢とは言え、生きてもう会えないと思っていた親友と会えた嬉しさからか、目に薄らと涙を浮かべてそう言うと、しず枝はリラに自身の学生時代の写真を自室の棚から取り出して見せました。

 

 「ホラ、この子ですよ。この子が私の1番のお友達のユラ――――――。」

 

 「えっ!?これって―――――――――。」

 

 指差した先に映っていた、学生時代のしず枝の友人だったユラと言う女生徒の顔を見てリラは驚愕するしか出来ません。

 そしてそれは、一緒に見た葵、深優、更紗の3人も同じでした。

 

 

 

 何故なら―――――――其処に映っていた少女時代のユラの姿形は、顔まで含めてテミスの人間態と酷似していたのだから……。

 

 

 

 

 




次回はいよいよエピソード葵!だけどこちらは1話完結で終わりの予定です。
それが終わったらいよいよ次章に突入します!

キャラクターファイル16]

ユナーシャ

年齢   無し
誕生日  無し
血液型  無し
種族   水霊(アクア)
趣味   下級水霊(アクア)のお世話
好きな物 元気で強い心身の持ち主

緋色のピラルクの様な姿をした中級水霊(アクア)。エフィアと共に南半球を雲と共に回遊しているが、雨となって日本にもやって来る。
現段階で上級水霊(アクア)に近い存在と目されており、その癒しの力は中級水霊(アクア)の中でエフィアと並ぶツートップ。
深優の父である航のガンを癒して根治させるべく、初めて扱う上級水霊(アクア)であるテミスを行使する事で生じるリラの肉体の負荷をエフィアと共に防いだ。
肝っ玉母さんを地で行く性格をしている。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第16話 濾過フィルターはディアフレンド

お待たせしました!エピソード葵開始です!一話完結ですが!!


 「じゃあ更紗ちゃん、私達もう帰るね。」

 

 「バイバイ更紗!」

 

 「サラサラ、また明日ね!」

 

 そう言って更紗の家を後にしたリラ達3人は、一路帰宅の途に就きました。

 道すがらガールズトークに興じる3人。話題に上ったのは言うまでも無く、テミスの事でした。

 

 「それにしても驚いたよね。まさかテミスがリラのお祖母ちゃんの高校時代の頃にそっくりだったなんてね。」

 

 「この世の中って自分とそっくりな人が3人居るなんて言うけど、あれはそっくりなんてレヴェルじゃないよ。まんまテミス其の物って感じだった。」

 

 「いや、私のお祖母ちゃんがテミスそっくりなんじゃなくって、テミスがお祖母ちゃんそっくりなんでしょ?逆じゃない深優ちゃん?」

 

 しず枝の一件が片付いてから、テミスはまた元の調子を取り戻し、リラが何か有った時の相談役として元通り機能する様になりました。

 

 「でもこうやって見ると、リラが困った時に色々教えてくれるテミスってまるで“お婆ちゃんの知恵袋”だよね。」

 

 「葵も随分と古い言葉知ってるね~。」

 

 IT全盛のこのご時世、お年寄りなんかに頼らなくても知りたい事はネットで検索すれば、簡単に知る事が出来ます。長く生きた老人固有の知識も経験も、急流と化した時代の変化の中では、その継承の必要もほぼ無くなって久しい。

 況してや平均寿命が伸び過ぎ、能力が衰えても簡単に死ねない年寄りが増えた現代で、彼等が尊敬される事なんて先ず有り得ません。辛辣なまでに口の悪い人間からすれば「老害」だの、「さっさと死ね」だのと毒づかれても仕方の無い存在に成り下がったと言えるでしょう。

 老人の価値が下がり、尊敬される時代が終わったとされる今の世の中、葵の口にした“お婆ちゃんの知恵袋”と言う言葉も、そうした意味では時代遅れの死語と言っても過言では無いのかも知れません。

 そんな中でテミスの力添えのお陰とは言え、80を過ぎて尚声優として精力的に活動を続けて支持されるしず枝は、まさしく稀有な存在と言えましょう。

 

 (でも、考えてみれば私、テミスの事を何も良く知らない……。水霊士(アクアリスト)としての私の活動であれこれ言って来ても、それ以上の事は何も話してくれないから………。)

 

 葵と深優の話を聞きながら今回の事を受け、リラは改めてテミスと向き合う決心をしました。水霊士(アクアリスト)としてこれから更に活動して行くにも、テミスの存在はリラにとって欠かせないそれ。

 然し、素性も何も詳しく知らない相手を受け入れて一緒にやって行く事など到底出来る筈も有りません。

 テミスの事を理解する第一歩目として、先ず彼女とユラの関係をしっかりと知らなければならない。

 

 そう判断したリラは、思い切ってテレパシーでテミスに呼び掛けました。

 

 (テミス!)

 

 直ぐに相手からの返事が来ます。

 

 (どうしましたか、リラ?)

 

 更紗の家で知った疑問を、リラはテミスに堂々とぶつけます。

 

 (貴女とお祖母ちゃんって一体どう言う関係なの?)

 

 テミスから返って来るのは沈黙だけでした。然し、リラは怯まずに続けます。

 

 (お祖母ちゃんの高校時代の姿、テミスにそっくりだった!それに何よりこの前、お祖母ちゃんの親友だったしず枝さんが死んだ時だって、力尽くでも助けようとしたでしょ?どうしてそんな事したの?)

 

 其処へ漸くテミスからの返事が返って来ました。

 

 (只の気紛れよ―――――。)

 

 (嘘よ!気紛れにしたって色々出来過ぎてる!こんなに色々偶然が重なって、本当にお祖母ちゃんと何の関係も無いなんて信じられない!)

 

 テミスからの返事の言葉を否定し、リラは尚も食い下がります。

 

 (ねぇ答えてテミス!私、テミスの事もっと良く知りたいの!貴女の事何にも知らなかったら、私だってテミスの事怖くて信じられないよ!)

 

 その言葉に、テミスは自分の中で何かがさざめくのを感じました。同時にリラに対する認識も少し改めました。

 そう―――――『彼女はもう、人形宜しく自分の言う事を聞いてその通り盲目的に従うだけの人間では無く、自ら考えて動くだけの“自分”を持ち始めている』、と。

 

 (―――――残念だけどリラ、その話は貴女には未だ早いわ。時期が来たら話してあげるから、今は我慢して水霊士(アクアリスト)としての使命を遂行しなさい。)

 

 然し、テミスは敢えて心を鬼にすると、そう返し突っ撥ねるだけでした。

 

 (そんな、どうして………?)

 

 納得の行かないまま、リラは愕然とその場に立ち尽くすしか出来ずにいました。折角の決心を挫かれたリラは、只その場に茫然となるだけです。

 

 「リラ、一体どうしたの?さっきからずっと黙ったままだけど?」

 

 ずっとテミスとテレパシーで会話して、自分達の話に参加して来ないリラの事を心配した葵がそう話し掛けて来た為、リラはどうにか気を取り直して葵と深優と3人、取り留めの無い話をしながら自宅アパートへと帰って行きました。

 

 

 それからもリラは諦めず、他の水霊(アクア)達にユラとの関係を始め、テミスに関する事柄を訊ねて彼女の事を聞き出そうとしますが、テミスが予めリラに自分の事を話さない様に仲間達に触れ回った為か、誰も何も話してはくれませんでした。

 どうして其処までしてテミスがリラに自分の出自を話したがらないのかは分かりませんが、此処まで箝口令(オフレコ)を徹底するその姿勢は、逆にテミスが自分に対して極めて重要な秘密を隠している事の証明に他なりません。

 

 「どうしてなの?何で誰もテミスの事教えてくれないの?」

 

 その問いに対して、水霊(アクア)達が返すのは決まってこの言葉です。

 

 (リラ、テミスを信じてあげて――――――――――――。) 

 

 

 テミスに対する疑問が払拭出来ないまま5月は過ぎ去り、とうとう暦の上では6月を迎えました。

 

 「あ~めあ~めフレ♪フレ♪気持ち~はケロ♪ケロ♪」

 

 5月31日を皮切りに、蒼國はすっかり梅雨入りしていました。けれど、こんな雨の絶えない時期にも関わらず、水を友とするリラはそれすら楽しんで登校していました。

 

 「リラ、楽しそうだね……。」

 

 「雨の中、傘も差さないであんな楽しそうに歩く子なんて初めて見たよ……。」

 

 「水霊士(アクアリスト)だからなのかな?」

 

 一緒に登校して歩いている葵、深優、更紗の3人は、自分より数歩先を上機嫌でステップすら踏んで歩いているリラに対して思い思いの感想を述べています。

 リラが楽しそうなのは更紗が指摘した通り、水霊士(アクアリスト)として降って来る雨の中の水霊(アクア)達との楽しい対話に耽りしながら歩いている為と言うのも勿論有りますが、実はそれだけではありません。

 

 何と、元々リラは『雨其の物が好き』だったのです!

 雨が降った時、優しく洗われた清新な空気が肺の中に満ちて行く感覚が、リラは堪らなく好きでした。

 降り注ぐ雨によって、大地の木々や草花が成長して行く姿を見るのも、雨上がりに新緑が鮮やかに生える様も、リラの心を嬉しくさせました。

 勿論土砂災害や、全身がずぶ濡れになる様な過度な土砂降りは流石に頂けませんが、そうでないなら冷たい雨に濡れても良い――――そんな考えをリラは持っていたのです。

 

 水霊士(アクアリスト)として覚醒して以降、水霊(アクア)の力を借りて傘すら差さずに全身を天から降り注ぐ雨に晒し、プールで泳ぐ時と同様に水霊(アクア)達と対話して歩く様になりました。

 そんなリラにとって、雨の雫は空からの涙では無く、雨音も悲しみの声でもありません。寧ろその逆で前者は水霊(アクア)達からの祝福、そして後者は水霊(アクア)達の喜びの歌なのです!

 

 「ねぇ、リラって雨が好きなの?」

 

 学校に着いた時に葵がそう尋ねると、リラは大きく頷きました。彼女は言います。

 

 「うん!だって雨って水霊士(アクアリスト)に似てるから♪」

 

 「雨が水霊士(アクアリスト)?」

 

 深優が首を傾げると、リラが答えます。

 

 「雨は地上を綺麗にしてくれるでしょ?空気を綺麗に掃除して、乾いた地面を癒して水の恵みを与えてくれるでしょ?そんな雨は、水霊士(アクアリスト)其の物だって思うわ。」

 

 「成る程ね……。」

 

 納得とばかりに更紗がそう答えると、リラは尚も雨の降り続く窓の外の景色を眺めながらこう内心で呟きました。

 

 (そう………私も、そんな雨みたいになりたいって思う――――――。)

 

 

 夕暮れのPM18時、部活動が終わって何時もの下校時間がやって来ました。雨は午後の昼下がりに上がり、空は素晴らしい程に美しいオレンジ色の夕陽で彩られています。

 

 「あぁ~今日も一杯泳いで気持ち良かった♪」

 

 「もう、リラったら何時もそれよね!」

 

 「でも気持ちは分かるよ。水霊士(アクアリスト)にとって水泳って本当に相性良いみたいだし、リラっちにとって入って正解だったね♪」

 

 「それは深優も一緒なんじゃ……。」

 

 顔を赤らめて胸元を両手で押さえながら、若干迷惑そうに更紗がそう突っ込みます。どうやら今日も更紗は深優の毒牙に掛かった様でした。

 4月末に入部して以降、ゴールデンウィーク明けのプール開きまで市民プールで本格的に先輩達と泳ぐ様になり、本格的なプール開き以降はそちらを主な活動場所としてずっとリラ達は泳ぎの練習に励んで来ましたが、深優は何とその1ヶ月間で忍とみちる、真理愛と潤と瑠々と水夏、そして葵と更紗と何とリラまで全員の胸を揉みしだいていました!

 当然他の子達からは迷惑がられていますが、深優は全く懲りる気配が無いので台風の様な物だと思って皆半ば諦めているのが現状でした……。

 

 「いやいや♪先輩達もリラっちも葵もサラサラも成長してて私超嬉しいよ♪タイムも胸も♪」

 

 「コラァッ!!調子に乗るなこの馬鹿深優~~~~~ッ!!」

 

 深優のやや上から目線な物言いにカチンと来たのか、葵は怒って意趣返しとばかりに深優の胸を揉み返します!

 

 「あっ!葵何すん……ひやああああぁぁっぅううんッ!?」

 

 「ちょっと葵ちゃん!他人が見てるかも知れないのにこんな……」

 

 すると其処に、聞き慣れない男の声が耳に飛び込んで来ました。

 

 

 「ん?あれ、五十嵐?」

 

 「えっ?」

 

 「あっ!」

 

 思わず葵と深優が声のした方を向くと、其処にはリラと更紗の知らない見知らぬ黒髪の高校生男子の姿が有りました。運動部の練習で走っているのか、上も下もジャージ姿です。

 

 「ハ、ハル君!?」

 

 「久し振り!龍洋行ったみたいだけどまさかこんな所で会うなんて!」

 

 不意に遭遇したその男子に対して葵と深優が話し掛けると、相手も懐かしさからこう返します。

 

 「あぁ、吉池も久し振りだな!2人とも元気そうで何よりだよ。」

 

 突然現れて葵から「ハル君」と呼ばれた男子の存在に、リラと更紗は驚き戸惑いましたが、意を決してリラが深優に尋ねます。

 

 「ねぇ深優ちゃん、この人誰なの?」

 

 「あぁ、リラっちとサラサラは知らないんだったね。私と葵の中学時代の同級生で、名前は『陸奥春馬(むつはるま)』君だよ。葵や私はハル君って呼んでる。前に1回話したけど忘れちゃった?」

 

 「そっか、彼が前に話してた「ハル君」だったんだ……。」

 

 深優からそう説明されて、リラは漸く思い出しました。最初に3人と中庭で昼食を摂った時に少しだけ話題に上った人物で、確か葵が片想いしており、久し振りに出会った際にテンパった挙句近くの川に落っこちたとか……。

 その件の人物がまさかこんな目の前に思いがけず現れるとは、何と言う偶然の廻り合わせでしょう!改めて葵を見ると、片想いと恥じらいのジレンマの中で顔を赤らめてそわそわするばかりでした。

 

 「何だ、新しい学校の友達にはもう話してたのか……まぁ良いや。改めて名乗るけど、俺の名前は陸奥春馬(むつはるま)。五十嵐と吉池の2人とは同じ中学に通ってて今は龍洋で陸上部やってるぜ!えっと、君達2人は……」

 

 さっき深優から説明されたのに改めて自己紹介をする所からも、陸奥と言う男子は礼儀正しい青少年と言う印象を受けました。片想いとは言え、葵が恋愛感情を抱くのも頷けます。

 此処までされて自分達も自己紹介しない訳には行きません。男の人には女子以上に免疫の無いリラですが、勇気を出して名乗りました。

 

 「あっ……いや、わ、私の名前は汐月リラです。霧船の1年生で、葵ちゃんと深優ちゃんと一緒に水泳部……です。」

 

 「私は長瀞更紗。葵と深優と同じクラスの友達よ。」

 

 「汐月と長瀞か。宜しくな!」

 

 そう爽やかに返すと、改めて陸奥は葵の方を向いて言います。

 

 「けど驚いたぜ五十嵐。中学ん時は陸上でマネやってたのに、高校入ったら水泳だなんてさ。てっきり高校でも陸上だって思ったんだが…。」

 

 何と、葵は中学時代は陸上部に所属してマネージャーをやっていた様です。彼女が陸奥に惚れたのも、そんな彼の姿を間近で見ていたからなのでしょう。

 

 「えっ?あっ、そうだねハル君!普通そうだよね!中学の時と高校で違う部活なんて、やっぱ可笑しいよね!」

 

 意中の男子が不意に近付いて来る為、葵はどぎまぎして思わず後退りしてしまいます。

 

 (あ、これってまさか……。)

 

 この展開のオチが読めたのか、深優は苦笑いを浮かべて事の成り行きを見守るだけでした。

 

 「いや、別に可笑しいとかそんな事は無いと思うけど……って言うか何後退りしてんだよ五十嵐?」

 

 「そ、そんな事わあああぁぁぁ~~~~~~~~~~ッッ!!!」

 

 

 ドッボ―――――――――――――――ン!!!

 

 

 歴史は繰り返すとは良く言った物です。意中の男子との思わぬ再会にテンパった挙句、葵はそのままうっかり近くの水路に足を滑らせて転落してしまいました。

 

 「葵ちゃん!?」

 

 「葵!?」

 

 (あちゃ~…やっぱりこうなったか……。)

 

 思わぬハプニングに声を上げるリラと更紗ですが、展開が読めていた深優は別段驚く事も無く、相変わらず苦笑いしながら幼馴染みの醜態を傍観しているだけでした。

 

 「ハァ~~ッ……何やってんだよ全く………。」

 

 溜め息を吐きながらやれやれと手を差し伸べて葵を助けると、陸奥は持っていたタオルを貸し与えました。

 

 「あ、有り難う……ハル君………。」

 

 「良いよ別に……タオルは後で返してくれて構わないぜ。じゃあ俺は練習残ってるからまたな!」

 

 そう言い残すと、陸奥はそのまま走り去って行きました。遠ざかる彼の後姿を、葵は赤らめながら何時までも見守っていました。

 

 

 遠ざかる陸奥を見送った後、リラ達は葵の家に立ち寄りました。自宅に着くなり、葵はいの一番に制服からジャージ姿に着替えます。靴下もずぶ濡れになったので、当然脱いで足は素足です。

 

 「『エナ』、葵ちゃんの制服から水を抜き取っておいて。」

 

 (ほいほ~い♪)

 

 チョウザメに似た、エメラルドグリーンの中級水霊(アクア)であるエナに、水路に転落してずぶ濡れになった葵の制服と靴下の脱水をリラは依頼しました。

 エナが仲間である他のチョウザメ型水霊(アクア)達を呼び寄せ、葵の制服にたっぷり浸み込んだ水分を吸収している間、リラ達は葵の自室に足を運びます。

 その後、葵が3人の為にジュースとお菓子を持って遅れてやって来ると、それを床の卓袱台(ローテーブル)の上に置き、設えられた座布団にリラと更紗を座らせました。

 

 「ふふっ♪私の部屋へようこそリラ、更紗!まさか2人をお招きする日がこんなに早く来るなんてね♪」

 

 そう言ってリラと更紗を歓迎する葵の言葉を受けて、2人は気付きます。『自分達は今日、初めて此処に来たのだ』と言う事実に―――。

 

 「そう言えば、葵ちゃんの家に来て部屋にまで入ったのって今日が初めてだよね。」

 

 「あぁ、確かに……。」

 

 葵の部屋は中々に小綺麗で、ぬいぐるみ等の如何にも女の子らしいインテリアが設えられていました。

 

 「ねぇ、でもあれって……。」

 

 ですが本棚を見ると、少女漫画の他にも何故か同人誌まで置かれており、他にも深優と一緒に遊んでいる物を含めた色んなゲームまで有りました。

 

 「あぁ、その同人誌や漫画は私が貸してるんだよ?んで、ゲームだって葵と一緒に遊ぶ為に一緒に買いに行った奴ね♪」

 

 「やっぱり深優ちゃん絡みだったんだ……。」

 

 「幼馴染みの趣味に一々付き合うなんて葵、無理してない?」

 

 「え?別にそんな事無いよ?普通に面白いって思うから。」

 

 改めて葵が深優と言う水質に見事に適応出来ていると言う事実を、リラと更紗は再認識させられました。無駄にコミュ能力が高く、相手の趣味、嗜好に苦も無く合わせられる。

 やはり葵はどんな器にも収まる水の様な柔軟さの持ち主なのだと言う事実を、リラは此処でも実感させられたのです。然しそうでなければ、こんな一歩間違えば相手からドン引きされる様な趣味を持った子と幼馴染みとして、長年付き合える筈も有りません。

 

 「葵~ッ!!やっぱそう言ってくれるのって葵だけだよ~ッ!!」

 

 「わッ、コラ深優!どさくさに紛れて胸触んないでったら!!ホラ、もう其処座んなさいよ!!」

 

 思わず抱き着きながらセクハラを働く深優の腕を振り解くと、葵は床に敷いた座布団に彼女を正座させました。

 こんな目に遭いながらも上手い事深優の手綱を握る葵はやっぱり大した物だと、2人は感心するばかりです。

 一生の中で親友と呼べる人との出会いの確率は“24億分の1”とされていますが、2人はまさにそんな天文学的な確率で巡り会えた奇跡のコンビなのでしょう!

 

 「それで葵ちゃん、さっき帰り道で会った男の子、陸奥君の事だけど……。」

 

 恐る恐るリラが本題として、先程出会った陸奥と呼ばれた少年の事を切り出しました。

 

 「へっ?ハ、ハハハッ、ハル君が、どどど、どうかしたの!?」

 

 思わず顔を赤らめてどぎまぎしながら葵がそう返すと、次に口を開いたのは更紗です。

 

 「同じ中学出てて、前に片想いしてたのは前に話して貰ったけどまさか葵、元々陸上部だったなんて意外……。」

 

 「陸上部って言ってもマネージャーだけどね。因みにハル君は短距離走のエース。」

 

 「ちょっと深優!私が話すから勝手に喋んないでったら!!」

 

 バツが悪そうにそう言って深優を制止すると、葵は一呼吸置いてから自分と陸奥の関係について話しました。

 

 「ハル君がちょっとだけ言ってたけど、私は中学の頃は陸上部のマネージャーをしてたの。皆の為にスポドリ用意したり、練習器具準備したり、それに皆のタイム図ったり掃除したり――――」

 

 「他にも怪我や体調悪くなった選手のケアや備品の片付けと補充、グラウンドや砂地の整備、それに大会じゃ場所取りやお茶やスポドリの準備、大会の栞やお弁当の確認………やる事一杯有ったよね。」

 

 それだけ仕事内容を列挙されると、陸上部のマネージャーと言うのも結構ハードな役目である事が実感させられます。

 

 「葵ちゃん凄いね。それだけの仕事1人で………。」

 

 「いやいやいや!そんな訳無いから!!私1人でそれ全部やったら過労死するから!!私以外にも先輩後輩に後2,3人は居たわよ!!」

 

 「何だ、他にもマネージャー居たのね……。って言うか過労死は大袈裟なんじゃ……。」

 

 更紗が冷静な突っ込みを炸裂させる中、深優が2人の為に解説を入れます。

 

 「そんなの当たり前でしょ?でも一応葵の名誉の為に言っておくけど、葵はマネージャーとしては優秀な部類で仕事自体はテキパキこなしてたからね!」

 

 コップに入ったジュースをグイっと一飲みして喉を冷やすと、葵は咳払いをして改めて説明をします。

 

 「(ゴホン!)話を戻すけど、私と深優の居た蒼國第一中学校って陸上強くってさ、全国でも上位入賞の常連で、過去に1回優勝した事有る程なの。だから部員もそれなりに結構多かったの。」

 

 (そんな中でマネージャーとして皆の面倒キチンと見てたなんて、やっぱり葵ちゃんって凄いんだ……。)

 

 葵の言葉を受けてリラが内心そう感心します。

 

 「そんな中でハル君は短距離走じゃぶっちぎりのエースでさ、1年の頃から一目置かれてたの。2人も見た通り彼、爽やかでカッコ良かったでしょ?そんな彼を間近でマネージャーとしてお世話出来るってだけで、私は幸せだった……。」

 

 顔を赤らめて若干、陶酔気味に語る葵に対して深優が言います。

 

 「良く言うよ葵。ハル君の前じゃ何っ時も真っ赤になってまともに話す処か顔も見合わせられなかった癖に……。それでさっきみたいにすっ転んだりタイム測り損ねる事だって有ったじゃん……。」

 

 「ちょっ、恥ずかしい事バラさないでったら!!」

 

 「要するに彼の前だと失態演じる事が多かったって訳?」

 

 「そ!」

 

 「コラ~~~~~ッ!!」

 

 更紗の的確な指摘を深優は大々的に肯定した物だから、葵は顔を赤らめて声を張り上げます。

 

 「葵姉、五月蠅いよ!」

 

 「ごめんっ!!」

 

 突然ドアが開いて妹と思しき少女が抗議の声を上げた為、葵は思わず条件反射で謝罪しました。

 

 「深優ちゃん、それに葵姉のお友達ですか?不束な姉で申し訳有りません。これに懲りずに葵姉と仲良くしてあげて下さい!」

 

 「余計なお世話よ!!」

 

 そう言ってリラ達に頭を下げて謝罪すると、妹はドアを閉めました。

 

 「…まぁ、取り敢えず良く出来た妹だね、葵ちゃん……。」

 

 「有り難う……。」

 

 そうリラからフォローされると、バツの悪い表情で俯きながら葵はそう返すだけでした。

 

 「でもハル君も鈍いよね~。何時も葵が顔赤くしてドジ踏んでばっかだからって、『俺、何か五十嵐から嫌われる事やったの?』なんて訊いて来るんだもん。あの時は私だって『無下に扱っていないからそれは違うから!』なんて答えてフォローしたけどさ、あんだけ自分を前に顔赤くしてたら気が有るんだって気付きそうなモンなのに。男って基本、言わなきゃ分かんないニブチン揃いなのかしら?」

 

 陸奥の事を思い出して話す深優ですが、その表情と口調には記憶に蘇る彼の鈍感さに対する呆れの感情が滲み出ていました。

 

 「葵ちゃんがそのハル君の事が好きなのは何と無くだけど分かったわ。だったらさぁ……」

 

 不意にリラが手を挙げて言います。そう―――――。

 

 

 「思い切って告白したら良いんじゃないかな?」

 

 ……と。超特大の核爆弾にも匹敵するリラの爆弾発言に、周囲は凍り付きました。

 

 「えっ!?えぇぇぇぇええぇぇぇっ!!?ちょちょちょちょっとリリリリラ!!そ、そんな告白なんて!!深優!!更紗!!2人も何か言ってやってよ!!」

 

 再び顔を赤らめ、先程よりも取り乱した調子で葵がそう抗議すると、深優と更紗も賛同の声を上げました。

 

 「ごめん、葵。私も今回ばかりはリラっちに賛成だね。」

 

 「どっ、どうして!?」

 

 「中学の時、葵以外にもハル君の事狙ってる子って結構居たんだよ?ハル君は鈍いから気付かないで終わったけど、高校行っても彼女がいないって保障は何処にも無いでしょ?」

 

 深優から指摘されて葵はハッとなります。確かに、あれだけ爽やかで整った顔立ちで、陸上でも1年で頭角を現すエースだった彼の事を慕う女の子は中学の時、何人も見掛けました。

 自分が陸奥の世話をしている光景を良く思わない処か、失態を演じて迷惑を掛ける場面で露骨に非難して来る相手もいました。

 そう言う子と敵対した時には幸運にも陸奥が庇ってくれましたが、その事もまた吊り橋効果となり、却って葵の中で陸奥への好感度の上昇に繋がりました。

 

 けれど、何も言えぬまま卒業して陸奥は龍洋、葵は霧船に進学してしまったのです。彼女がその事を悔やんでいたのは想像に難く無いでしょう。

 

 「折角タオルを返すって口実まで出来たんだし、勇気を出して気持ち、伝えて見たら?私達も応援する!」

 

 「深優――――更紗―――――よ、良ーーーし!皆が其処まで言うならこここ、告白しちゃおうかな!!」

 

 2人からも背中を押され、葵はその気になりました。

 すると其処へエナ達がドアの隙間から入って来ました。どうやら葵の制服の完全脱水が終わった様です。

 

 「あっ、葵ちゃんの制服の脱水終わったみたい。」

 

 その言葉を聞いて、葵はアイロンを掛けるべく、洗濯物置き場に置かれた制服を取りに行きました。

 時刻も丁度18時45分を回る頃だった為、リラと深優と更紗は帰宅しました。

 

 「いや~漸く葵もハル君に告白かぁ!葵、これで吹っ切れれば良いんだけど!」

 

 「2人がカップルになれたら良いね。」

 

 深優と更紗がそう話して帰る中、不意にエナがリラの耳元に囁きます―――――。

 

 (リラ、この子達の話についてだけど―――――――。)

 

 (え?それって――――――。)

 

 

 次の日の放課後、部活動が終わってから4人は、陸奥が何時も自主練のランニングを行うコースに入っている、近くの川で待ち受けていました。

 水霊(アクア)達から陸奥の居所と、これから何処へ向かうのかを予め教えて貰っての先回りでした。

 そして――――――。

 

 「来たよ!」

 

 「葵!」

 

 「う、うん!」

 

 オレンジ色の美しい黄昏の空の中、陸奥が沈む太陽を背に走って来ます。夕陽の中の告白とは何とも乙なシチュエーションでしょう!

 葵は意を決すると、昨日借りたタオルを手に陸奥の前に躍り出ます。

 

 「ハ、ハル君!」

 

 「五十嵐!?何で此処に?」

 

 昨日と同じ時間帯に、2日連続で突然現れた中学時代の同級生に陸奥は戸惑います。葵以外の3人は彼女から離れた場所で様子を見守っていますが、リラだけが浮かない顔をしていました。

 

 「……あ、あのねハル君、き、昨日は有り難う……こ、これ、返すね!」

 

 そう言って昨日借りたタオルを返します。

 

 「お、おう……。」

 

 (良いよその調子!)

 

 (頑張って…葵!)

 

 2人が応援する中、遂に葵が陸奥に告白しようとします。

 

 「そ、それでねハル君、わ、わた……私……」

 

 所が―――――その時でした!

 

 

 「待ってよ、春馬君!」

 

 突然、陸奥の背後から走って来る1人の女子の姿が有りました。青銀色の美しい髪をポニーテールで結い、同じく龍洋指定のジャージにショートパンツの女子が走って来ました。

 

 「遅いぞ珠得(ジュエル)!」

 

 「ごめんごめん、マネージャーの仕事長引いちゃってさ!」

 

 マネージャー?何の事でしょう?

 突然現れた得体の知れない女子の姿に、葵の脳は混乱するばかりでした。

 言うまでも有りませんが、深優と更紗の思考もこれには強制停止せざるを得ません。

 間近で見た女子の顔は実に端正で、見ていて知性の高さや品格すら感じさせます。

 更紗程ではありませんが背が高く、ショートパンツから下のスラっと長く伸びた白磁の様な透明感の有る脚は、太腿から脹脛、踝まで見事な脚線美を描いていました。

 更に走っている時に揺れるだけの胸の膨らみも完備しているのを、深優は見逃しませんでした。

 

 (こう言う事だったのね……エナの言ってた事って………。)

 

 只1人、リラだけは全てを知っていました。昨日エナが話していたのはこの様な内容でした。

 

 (リラ、この子達の話についてだけど、五十嵐葵が好意を抱く陸奥春馬にはもう意中の相手が居るよ。その名は藤本珠得(ふじもとジュエル)―――――!)

 

 当然、リラも何故こんなタイミングでバラすのか問い詰めましたが、エナ自身は何れ全て分かる事だから同じ事とまるで他人事の様に言う始末ですから閉口してしまいました。

 水霊(アクア)は元々人間とは違う存在。人間を宿主に生まれた内なる水霊(アクア)なら兎も角それ以外の、語弊を恐れずに言えば野良の水霊(アクア)には人間の心の機微や情緒の理解は先ず出来ません。何時ぞやのエフィアやユナーシャ、それにドリスは未だ幾分それが出来る部類ですが、残念ながらエナはそれが出来ない“その他大勢”の1体なので、「仕方無い」と割り切るしか無いのです。

 かと言って折角告白を決意した葵に言う事も当然ながら出来ません。遺憾でしょうが、流れに身を任せてなる様になるしか無いのです。

 

 「えっ?えっ?あ、あのハル君……その子は―――――。」

 

 全身を微妙に痙攣させながら葵が陸奥に尋ねると、相手はそんな葵の心中など御構い無しに答えます。

 

 「あぁ、こいつは『藤本珠得(ふじもとジュエル)』。俺と同じ龍洋の陸上部員で俺と一緒の短距離選手だ。ついでにマネージャーまでやってるぜ!」

 

 何と、突然現れた美少女は嘗ての自分と同じ陸上部のマネージャーで、あまつさえ陸奥と同じ短距離選手!完全に自分の上位互換と言うべき存在にポジション処か、想い人其の物を奪われて葵は立つ瀬が有りません。

 

 「初めまして、えっと貴女は――――?」

 

 「あ、葵です。五十嵐葵……ハル君とは同じ中学の………。」

 

 「あ、そうだったんだ!宜しくね五十嵐さん!」

 

 一切の悪意も無く、陸奥に負けぬ劣らぬ清涼感溢れる声で握手を求める珠得に、葵はつい他人行儀となってしまいました。それと同時に、思わず手を伸ばさざるを得ませんでした。

 そうして握手を交わし終えると、陸奥は言いました。

 

 「さて、そんじゃ一緒にもうひとっ走りするか!」

 

 「うん!」

 

 そう言葉を交わすと、龍洋陸上部の男女2人は再び暮れなずむ夕陽の中を走り出します。

 

 「待ってハル君……!」

 

 思わず葵はそう叫んで2人を呼び止めます。

 

 「2人って……一体どう言う関係なの?」

 

 葵の問いに対し、陸奥は間を置かずにこう答えました。

 

 

 「いや、どうって言われても、珠得は俺の彼女だけど?」

 

 

 それは葵が1番聞きたくなかった答えでした。陸奥は続けます。

 

 「俺、ずっと五十嵐の事気になってたんだ。けど、話そうとする度何時も目逸らしたりテンパったりしてたじゃん?タイムだって測り損ねたりするしさ、もしかして俺の事嫌いなんじゃないかなって思って、正直やり辛かったんだよ。」

 

 意外過ぎる真実でした。どうやら陸奥は中学時代、葵の事が気になって仕方無かった様です。けれど、普段の言動が言動だけに彼自身、まるで踏み切れなかったのでした。

 

 「其処へ行きゃ珠得は違ったよ。こいつは俺に対して物怖じしないで話し掛けてくれたぜ?俺としても女子の中じゃ気安く話せる相手だったし、だからこうやって付き合う様になったんだよ。」

 

 (不味い……葵ちゃんが……!!)

 

 まるで皮膚を喰い破って体内に侵入するカンディルの大群の如く、陸奥の言葉は葵の耳から心臓へと容赦無く流れ込んで深々と突き刺さります。

 呆然とその場に背を向けて立ち尽くす葵の中に、急速に穢れが溜まって行くのをリラは見逃しませんでした。

 

 「五十嵐、本当は今まで俺の事嫌いなの我慢して相手してたんだろうけど、霧船は女子校なんだからもうその必要も無いだろ?向こうじゃ確か水泳やってんだってな?頑張れよ!お前ならやりゃ出来んだからさ!!」

 

 それだけ言い残すと陸奥は、相方と共に夕陽の中を颯爽と走り去って行きました。

 

 

 「……………。」

 

 2人が走り去った後にポツンと1人、その場に取り残される葵。

 

 (違う、そうじゃない―――――。違う……違うのハル君、私は―――――――――!!)

 

 喉の奥から出そうで出ないその言葉が、脳内で何度も何度も水槽の水の様に循環します。

 

 「葵!」

 

 「葵ちゃん!」

 

 咄嗟にリラ、深優、更紗の3人がその場に走り寄ります。

 

 「葵ちゃん、残念だったね……。」

 

 リラが嘘偽りの無い憐れみの表情で葵に対してそう言うと、葵は答えます。

 

 「リラ………あんた、本当は知ってたんでしょ?」

 

 「え……?」

 

 「本当は全部知ってたんでしょ!?ハル君にもう彼女が居るって事、水霊(アクア)の皆から教えて貰って知ってたんでしょ!!?何が告白よ!?知ってて私にこんな恥掻かせる様な事昨日言ったんでしょ!?」

 

 「そ、それは帰った後でエナから教えて貰って………。」

 

 「ホラやっぱり!!全部分かってて私にあんな恥掻かせて酷い!!酷いよリラ!!リラの事、友達だって思ってたのに!!!」

 

 目に大粒の涙を浮かべ、怒り……いいえ、憎しみに任せて言葉を迸らせる葵からは、今までの比では無い程の膨大な穢れが生じてしまっています。アンジュも死んだ様に動きません。

 確かに「告白しよう」と言い出したのは自分だけど、陸奥の真実はその後エナから教えて貰って初めて知ったのです。葵に黙っていた事自体は確かに問題だったでしょうけれど、だからと言って決してリラ自身に落ち度が有ったかと言えばそれも違います。

 

 「深優と更紗もそうよ!!昨日一緒に帰った時、リラから本当の事全部教えて貰ってたんじゃないの!?さっきだって、皆してグルになって私の事恥掻かせて弄んで楽しんでたのね!!?」

 

 「そんな事無いよ葵!!リラっちは兎も角、私もサラサラもそんな事全然……」

 

 「何が水霊士(アクアリスト)よ!!?最低だわ!!あんた達なんて今直ぐ絶こ………」

 

 その言葉が言い終らない内に、深優が勢い良く葵の頬に平手打ちを喰らわせました!

 

 「深優………?」

 

 「リラっちの所為じゃないよ葵!!って言うか葵、自分が今何て言おうとしたか分かってんの!?頭冷やしなよ!!」

 

 深優の平手打ちと一喝が効いたのか、葵の中の穢れの発生が緩やかになりました。尤も、相変わらず内なる穢れは未だ残って予断を許さない状況は続いていますが……。

 葵の怒りが収まったのを確認すると、深優は葵の肩を抱いてこう諭します。

 

 「確かにリラっちは水霊士(アクアリスト)で、水霊(アクア)達から色んな事聞いて知ってるのは間違い無いよ。ハル君の彼女の事だって帰ったあの後知ったみたいだけど、その事は葵だけじゃなくって私やサラサラにも言ってなかったんだよ?」

 

 「私も、まさか彼にガールフレンドが居たなんて今初めて知った……。嘘じゃない。」

 

 葵が2人の顔を見ると、どうやら本当に何も知らなかった様です。

 

 「じゃあどうして……?どうして教えてくれなかったのリラ?」

 

 先程の言葉に委縮したのか、若干オドオドした何時もの調子でリラは言います。

 

 「あ、あのね葵ちゃん、私だってエナから聞いた時は驚いたよ。話した方が良いかも水霊(アクア)達に相談したけど、皆言ってたよ。『何れ分かる事なんだから何時話しても同じ事だ』って……。私も、葵ちゃんなら乗り越えられるって信じてたから、敢えて何も言わなかったんだよ……。」

 

 リラの弁明に続き、更紗が言います。

 

 「最低だなんて言わないでよ葵。リラと私達が出会って未だ2ヶ月ちょっとしか経ってないけど、リラが私達の為にどれだけ心を砕いて頑張って来たと思ってるの?前橋部長や日浦先輩、飯岡先輩、深優のお父さん――――葵だって前に1回癒して貰ったでしょ?皆の心と身体を癒す為に頑張って来たリラをそんな風に言うなんて、この私が許さないよ?」

 

 「リラ………更紗…………。」

 

 2人の言葉に、葵の中の穢れは少しずつ減衰を始めました。今がチャンスとばかりにリラが周囲の下級水霊(アクア)達を集めてクラリファイイングスパイラルを形成しようとした時でした。

 

 「リラっちを責めないで葵!リラっちだって人間なんだよ?間違いだって有るし失敗だってする………今回のこれは、黙ってたのが裏目に出ただけ!」

 

 そう言って深優は徐に葵を抱き締めて言います。 

 

 「それにさ葵、ハル君言ってたじゃん?『気になってたんだけど、何時も目を逸らしてテンパってたから嫌われてたって思ってた』って……。葵が普段からもっと勇気を出して、普通に話せてたらハル君だって今頃葵の事選んでたかも知れないんだよ?なのに葵ったら自分を保つ=自分の事ばっかりで、相手の事全然見ようとしなかったでしょ?それで相手に自分の気持ち分かって貰おうなんて、思う方が間違いなんだよ。言っても無い事や伝えても無い気持ちを分かって貰おうとか、気付いて貰おうなんて甘えちゃ駄目だよ葵!相手に自分を分かって貰いたかったら、相手が気付くのを期待する前に自分から分かって貰う努力をしなきゃ駄目なんだよ!」

 

 深優がそう言葉を紡ぐ毎に、葵の瞳からは大粒の涙が止め処無く溢れ出て、やがて―――――。

 

 「分かってる……そんな事、分かってるよぉぉ………でも…ヒック、でもヒック!しょうがないでしょ………自分でもヒグッ、どうにもならないんだから………ずっとヒック……ずっと好きだったのに……ハル君の事………うっ……うぅっ……………」

 

 迸る想いはやがて、葵の理性のダムを崩壊させ、滂沱の涙を以て彼女の感情を完全解放へと導くのでした………。

 

 「わああああああああああああああああああああああああああァァァァァァァ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――ッッッ!!!!!!」

 

 気が付けば、既に周囲には夕闇が立ち込めていました。河原に響く葵の慟哭を、幼馴染みの深優は一心に受け止めました。リラがアクアリウムを発動させて葵の様子を見ると、何と驚くべき光景が目の前に広がっていました。

 

 (えっ……これは………!?)

 

 何と深優の内なる水霊(アクア)のブルームが、葵の内なる水霊(アクア)アンジュの穢れを取り込んで浄化し、そのまま2体が協力して葵の穢れを完全に取り除いて行ったのです!

 水霊士(アクアリスト)としての自分の出る幕の無さに、リラは呆気に取られました。

 

 (信じられない。こんな事が有るんだ―――――!!)

 

 例え1人の内では処理し切れない穢れを抱えても、他の誰かの優しさや思い遣りが有ればアクアリウムの力など借りずとも、その穢れを浄化出来る事が有る――――。

 リラはその事実に只々呆然と立ち尽くしながら、抱き合う葵と深優の2人の姿を見守るしか出来ずにいました。

 水霊士(アクアリスト)として、今まで多くの穢れを癒して来ましたが、こんな例は初めてでした。

 

 然し同時にリラはこの事実を前に悟りました。人間とは本来、多少の穢れに負けない強さを持った生き物なのだと言う事を―――――。

 勿論、不摂生等から来る肉体の穢れはアクアリウム抜きには癒すのは難しいでしょうが、怒りや憎しみ、悲しみや苛立ち等のストレスから来る心の穢れならば、水霊士(アクアリスト)以外の人間でも癒して浄化出来得る。

 

 そう考えた時、リラの心の中に1つの大きな疑問が生まれて来ます。

 

 

 そう―――――「水霊士(アクアリスト)は何の為に在るべきなのだろう?」と言う疑問が……。

 

 

 あくる日の放課後、何時も通り水泳部での練習を終え、忍の身体のメンテナンスの為にクラリファイイングスパイラルを発動させて彼女の心身を癒す一方で、リラは内心その答え無き疑問に思考を廻らせていました。

 この街の最後の濾過フィルターとしての自身の在り方を、今更リラは曲げる気は有りません。然し、それでも一般人でしかない深優が葵の穢れを浄化して見せた事は、リラにとって今後の自分の在り方を改めて考えさせる切っ掛けとなったのは言うまでも無いでしょう。




はい、と言う訳で各友人にフィーチャリングしたエピソード3人分目出度く書き切りました!同時に第二章はこれにて閉幕し、次回から新章突入です。2年生も巻き込んで新たなドラマが開幕されますのでお楽しみに!

キャラクターファイル17

エナ

年齢   無し
誕生日  無し
血液型  無し
種族   水霊(アクア)
趣味   お洗濯
好きな物 よもやま話

中級水霊(アクア)。エメラルドグリーンのチョウザメの様な姿をしている。主に蒼國の街で活動している水霊(アクア)の1体だが、他にも東北や北海道、時にはロシア方面まで北を幅広く回遊する。
趣味がお洗濯であるだけに、今回のエピソードの様に衣類などの汚れを落として綺麗にしたりする。水霊士(アクアリスト)には忠実だが、人間の感情の機微には疎くて事務的な思考しか出来ない所が有るのが玉に瑕。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三章 水と時間は螺旋の様に
第17話 注がれし新たな一滴


今エピソードから新章に突入!そして“あの子”が覚醒の道を辿ります!


 梅雨が真っ盛りで紫陽花が其処かしこに咲き乱れる6月、霧船女学園水泳部の面々はより一層練習に力を入れて励む様になっていました。

 彼女達は雨の降らない日は学校のプールで泳ぎますが、曇って肌寒かったり雨が降ったりした日は市民プールで練習しています。

 

 「さぁ、どんどん行くわよ!次!」

 

 みちるの号令と共に、一斉に部員達はプールに飛び込みます。彼女達1人1人の泳ぎには、何時に無く気合が入っていました。

 

 然しそれも無理は有りません。今月の下旬には高等学校総合体育大会水泳競技大会が開催されます。この大会は同時に関東高等学校水泳競技大会への切符を賭けた県の予選会でもあるのです。

 更に翌7月上旬には国民体育大会県予選会、下旬には関東高等学校水泳競技大会、そして8月下旬には高校生選手達の晴れ舞台とも言うべき全国高校総体兼日本高等学校選手権大会水泳競技大会がそれぞれ開催され、更に9月には国民体育大会まで有ります。

 けれど総体及び国体に出場する為には先ず、予選会で標準記録を突破し、上位入賞を果たさなければ切符は得られません。

 彼女達が、より練習に精を出すのも当然の事でしょう。

 

 因みに霧船は5月のプール開きと共にリラ達全員の選手の登録作業を完了させ、県高校総体兼関東大会県予選会への参加にも申込済みです。

 

 (水霊(アクア)の皆、見ててよ!)

 

 数多の水霊(アクア)達が見守る中、みちるの合図と共に、リラは水面に飛び込んで泳ぎ始めました!先ずは総合体育大会兼関東大会予選会での勝利を見据え、リラは力の限り水を両手の膂力で掻き分け、水面を蹴り続けます。

 大会は純粋に自身の身体能力が問われる場所なので当然ですが、リラはアクアリウムの力を一切封印して臨みます。

 この2ヶ月間で、自分に何処までの実力が付いているのか、正直リラでも見当が付きません。

 ですが4月末に水泳部に入学して以来、リラはずっとGW中から怪我から復活した忍やみちると一緒に泳ぎ続けて来たのです。それは葵や深優、更紗も同じでした。

 

 そのハイスペック振りから、1年で早くも頭角を現して来た深優―――――!

 フィジカル面に大きく恵まれ、1年の中では100m以上泳げるだけの体力を誇る更紗――――――!

 2人に比べたらスペックはそれ程高くは無い物の、他人の2倍も3倍も頑張って齧り付いてタイムを縮める急成長中の葵―――――!

 

 そして並外れた肺活量と潜水能力から、平泳ぎの名手として同じ泳ぎを得意とする忍に迫る勢いで急成長中の我等が水霊士(アクアリスト)リラ―――――!

 

 果たして彼女達が6月下旬の関東大会予選を兼ねた総体までに、何処まで成長出来るか目が離せません。

 

 「凄いわね、あの子達。50m自由形じゃ汐月も五十嵐も28秒台にまで縮まってる。吉池と長瀞なんて余裕で27秒台だわ。」

 

 「身体鍛えただけじゃこんだけの成長は有り得ねぇだろ。5月から6月頭まであいつ等、色んな事が有ったみてぇだが、それを乗り越えてメンタルが鍛えられて一皮剥けたんだぜきっと―――――。」

 

 忍の言う通り、深優も更紗も葵も家族や恋人の事で逆風に立たされた所を乗り越えて今此処に居ます。

 更紗と葵に関してはリラが直接水霊士(アクアリスト)として手を下した訳ではありませんが、それでも深優と更紗は愛する家族と一緒に同じ時間を生きていられる事に感謝と幸福の念を抱き、それを明日への原動力として今と向き合う様になりました。

 葵は不戦敗とは言え失恋を経験し、その中で嘗て想いを寄せていた相手に憶病になっていた自分の弱さに打ちひしがれました。然し、幼馴染みの深優の友情によって立ち直り、『自分の心と身体を強く鍛える』意味で水泳にも精を出す様になったのです。

 リラも、自分の水霊士(アクアリスト)としての在り方とテミスへの疑問に悩まされながらも、彼女を見守る水霊(アクア)達に支えられて前に進み続けています。

 

 「日浦先輩!私、一緒にバッタで泳ぎたいです!」

 

 「あたしとか?フッ、良いぜ!」

 

 同じバタフライを得意とする者同士、リラと忍はグングンと距離を縮めて行きます。因みに今回競う距離は100mです。

 

 「忍1:12.37!汐月1:19.23!」

 

 「1:12かぁ…まだまだだな………。」

 

 「でも忍、昔の調子だいぶ戻って来たじゃない?汐月のお陰で♪」

 

 みちるの測定したタイムの結果に、忍は若干のしょっぱさを感じていました。リラのアクアリウムによるアフターケアと、自身の日頃の鍛錬によって2年前に故障する前の実力の75%程度は出せる様になりました。

 けれど、故障する前は100mを全力で泳いで1:10秒、普通に泳いでも1:11秒台は余裕で出せたのに、それには未だ届いていないのです。

 6月下旬の総体までにはこれも何とか1:11秒台にまで縮めたい所であります。

 

 「日浦先輩、焦らないで下さい。まだ6月は始まったばかりじゃ無いですか。1ヶ月で此処まで昔の調子を取り戻すなんてそれだけでも凄いですよ!」

 

 焦りで顔が引き攣る忍に対し、リラが励ましの言葉を投げ掛けます。

 

 「ヴァルナからも言われたでしょう?勝ち負け以上に泳ぐの楽しまなかったら駄目だって……。それが出来たら、きっとヴァルナだって忍先輩に応えてくれますよ!」

 

 リラがそう言って励ますと、忍はフッと笑みを浮かべて言いました。

 

 「あぁ、そうだな!有り難うよ汐月!つーかお前、今あたしの事苗字じゃなくて名前で呼んだろ?」

 

 「えっ?あっ、いや!ごっ、ごめんなさい……。でも私、日浦先輩って言うより忍先輩って言う方が呼び易いし親しみ易いって言うか……だってだって、何時も私や葵ちゃんの練習にも付き合ってくれて、もう他人とは思えないって言うかそのぉ~………。」

 

 顔を赤らめて弁解するも、後から段々としどろもどろになって行くリラに対し、忍はやれやれと言わんばかりに溜め息を吐いて言いました。

 

 「分かった分かった。好きに呼べよ。」

 

 「じゃあ、じゃあ!私達も「忍先輩」って呼ばせて下さいっ!!」

 

 「同じ水霊(アクア)で繋がった仲間同士なんですし、良いですよね?」

 

 突然離れた場所で練習している筈の葵と深優と更紗が集まって来て忍に詰め寄ります。3人に気圧され、顔を赤らめて忍は叫びます。

 

 「だ~~~っ、もう勝手にしろ!」

 

 「じゃ勝手にそうします♪改めて宜しくお願いします忍先輩っ♪」

 

 そう言うと深優は何時の間にか忍の背後に回り込むと、その脇の下から両手を潜らせて彼女の胸を堂に入った手付きで揉みしだきます!

 

 「あっ!コラ何しや、んにゃああぁぁぁぁ~~~~~~ッ♥」

 

 「コラ吉池!此処は市民プールなのよ!公衆の面前でそんな事止めなさい!!」

 

 咄嗟にみちるが止めに入ると、深優は言いました。

 

 「折角ですから前橋部長も「みちる部長」って呼んで良いですか?」

 

 「えっ?」

 

 「あぁ、それ良いかもね!忍先輩だけ名前で呼んで部長だけ苗字って言うのもどうかって思うし!」

 

 深優の提案に対して真っ先に乗ったのは葵でした。葵の言葉に更紗とリラも首を縦に振ってこれを首肯します。

 

 「ま、まぁ、お互い水霊(アクア)で繋がった仲間だし、こうやって水泳部に入ってくれて忍の事でも貴方達には借りが有るから………良いわよ?」

 

 「有り難うございますみちる部長!!」

 

 みちるが首を縦に振った事を受け、1年の4人は餌に集団で群がる魚の様にみちるに抱き着きに掛かります。

 

 「あっ、コラ止めなさい…ってちょっと吉池、何処触ってるの!?もう時間が無いんだから練習続けるわよ!!」

 

 

 そんなじゃれ合いの様子を、遠くから2年の4人は羨ましそうに見ていました。

 

 「1年の子達、忍先輩やみちる部長と随分仲良くなったよね……。」

 

 「ねぇ、何時の間にかあの2人を名前で呼んでるんだもん。」

 

 瑠々と水夏の2人がそうぼやく横で、潤はリラの周囲を取り巻く“或る存在”が視界に入るのが気掛かりでなりません。

 

 (良いなぁ、リラちゃん。あんなに楽しそうで……でも、今日もまた一杯見えるあの魚みたいなのって、一体何なのかしら?)

 

 そんな中、2年の代表格で副部長である真理愛が3人に発破を掛けます。

 

 「ホラ!部長だって時間が無いって言ってるんだから皆練習に集中して!」

 

 

 気を取り直し、総体へ向けて練習に精を出す霧船女子達。基本の50mは勿論ですが、更紗やみちる、瑠々や水夏と言った体力に自信の有る者は更に100m、200m、果ては400mと言う距離にも挑みます。

 怪我からの回復等でブランクの有る忍や潤も、当初の限界であった50mから100mの壁を一ヶ月で破り、それ以上長く泳ぐ練習も始めていました。無論、それはリラ達も同じで、1万mの泳ぎ込みにすら挑む勢いです。

 

 (どうして漣さん、わたしの事ジッと睨んでるんだろう――――?)

 

 けれどそんな中、練習に励む傍らで自分を睨む真理愛の視線が、潤は気になって気になって仕方無いのでした―――――。

 

 

 練習が終わった後、リラ達1年生4人と3年生コンビの6人は2年生の4人と別れました。何処か人気の無い場所で、忍にアクアリウムを施す為です。

 

 「ごめんなさい汐月、私にも貴女のアクアリウムお願い出来るかしら?今日は張り切り過ぎたから……。」

 

 「あ、ごめんリラ、私もお願い……。」

 

 すると其処へみちると葵も一緒にアクアリウムを所望して来ました。

 

 「良いですよみちる部長。葵ちゃんにも新しいアクアリウムの癒しを体験させてあげるから♪」

 

 「けど汐月よぉ、あたし等の事何時も癒してくれんのは良いけどさ、お前は平気なのかよ?」

 

 忍がそんな率直な疑問を投げ掛けた時でした。

 

 「大丈夫ですわ。私が近くで癒してるから。」

 

 突然何処からともなく人間態になったテミスが現れて答えます。

 

 「うおっ!こいつ、何時の間に!?」

 

 「テミス!?」

 

 まさかのリラの保護者の出現に、水霊仲間(アクアメイト)達は思わず驚きます。

 

 「あれ?周りには魚も何も見えないから汐月はアクアリウムを使ってないけど、どうして私達はこの子が見えるの?」

 

 「みちるさん、人間を含めて形ある生き物に化身すれば、私達水霊(アクア)水霊士(アクアリスト)以外にも見える様になるの。そもそも水に形は無いでしょう?だから私達は人間以外に犬でも猫でも何にでも化身出来るのです。」

 

 「そ、そうなんだ……。」

 

 苦笑いしながらみちるがそう返すと、テミスは改めて説明します。

 

 「兎に角、リラは上級水霊(アクア)である私の加護を受けているから、肉体に多少のダメージや疲労が蓄積しても、私の手でその都度元通り回復しているの。他人を癒すなら、先ず自分がしっかり心身共に癒されてなきゃ駄目でしょう?」

 

 「水霊士(アクアリスト)って、奥が深ぇんだな。まぁ、一般人のあたし等には知り様の無ぇ事だけど……。」

 

 忍の小並感溢れる感想に対して周りが苦笑いを浮かべていると、リラが不意に声を上げました。

 

 「アハハ……、あっ先輩!あそこでやりませんか?」

 

 リラの指差した先には誰もいない寂れた小さな公園が有りました。幸い周りには誰も居ないし木々もそれなりに多いから遠目には分かり辛いし、3人分は座れるベンチも有ります。

 確かに其処は忍達にアクアリウムを施すのにお誂え向きな場所です。満場一致で6人は、早速其処へ足を運ぶのでした。

 

 

 此処で時は数分前に遡ります。

 

 「ねぇ瑠々、前から気になってたんだけどさー……」

 

 「何よ水夏?気になってる事って?」

 

 「最近私達、妙に除け者感半端無くない?」

 

 「言われてみれば確かにね……。」 

 

 瑠々と水夏の遣り取りに、真理愛は納得とばかりにそう相槌を打ちます。4月の終わり頃、ゴールデンウィーク明けのプ―ル開きに向けてプールの清掃が行われましたが、その時にリラ達は有志で参加して瑠々達と出会いました。

 その時は自分達にも可愛い後輩が出来たと素直に喜んだのですが、問題は学園で本格的にプール開きが行われてからです。瑠々達は忍にくっ付いて練習する事の多いリラや、みちる達と妙に馴れ馴れしく接する葵達の姿が多く目に付くのが気になって仕方無かったのでした。

 

 「最近汐月達、部長や忍先輩と急接近し過ぎだよね。わたし、忍先輩とは同じ中学だったけど、名前で呼ぶのは2年生の終わりになってからだし、部長の事だって名前で呼ぶ様になったのだってつい最近だし……。けど其処まで距離縮めんのに時間掛かったのをあの子達、この数ヶ月であっと言う間に縮めちゃったじゃん?」

 

 「それ以前に先輩達とゴールデンウィークで一緒に練習しようと思ったら、もう2人とも1年の子達と一緒だったじゃない?ランニングしてた時も忍先輩と汐月さんが一緒に走ってるとこ何度も見てるし、もう4月の終わり頃にはもう仲良くなってたとしか思えない…。」

 

 1年生の後輩と3年生の先輩の距離が急接近している現状を整理する瑠々と真理愛の言葉を受け、水夏はリラと忍に関する疑問を投げ掛けます。

 

 「確かにね。しかも日浦先輩、練習の後に汐月にマッサージなんて頼んでるけど、あの子そんなにマッサージの腕良いのかしら?」

 

 「でもさぁ、だったら何で人目忍んでコソコソやる訳?別に皆の前でやったって良いじゃん。どうもわたし達の目を盗んでやってる感有りまくりなんだよねぇ……。」

 

 リラ達に対して深まる謎に誰もが頭を抱える中、その空気を変える声が上がります。

 

 「あの~…星原さん、濱渦さん………。」

 

 「何よジュンジュン?って言うかそんな他人行儀じゃなくて良いって。普通に瑠々で良いよ!」

 

 「私も水夏って呼んで欲しいな。ね、潤?」

 

 「じゃあ……瑠々ちゃん、水夏ちゃん、そんなに気になるならわたしがリラちゃんと先輩達の事、見に行ってあげよっか?」

 

 思い掛けない潤からの提案に、瑠々と水夏は目が点になります。そんな潤の様子を、先程から真理愛はジッと無言で睥睨しているばかりでした。

 

 「えっ?良いのジュンジュン?わたし達の代わりに先輩と1年の子達の事、確かめに行ってくれるの?」

 

 「うん、わたしもずっと気になってたし、良い機会だから確かめてみるね!」

 

 そう言い終るが早いが、潤は元来た道を引き返します。同じ水泳部員としてリラの事を何時も間近で見ていた事も有り、潤は知っていました。リラの周りには決まって「魚の幽霊」が密集している事を……。同時に其処から確信していました。それを見つければ其処に彼女の元へ辿り着けると―――――。

 

 

 さてその頃、人気の無い公園では―――――。

 

 「うっ……ああぁぁぁッ……今日は一段と効くぜ………!!」

 

 「本当ね……だけど、身体が温かくなって元気が出て来るわね。まるで温泉の中で洗濯されてる気分………。」

 

 リラがクラリアと周囲の下級水霊(アクア)を集めて形成したクラリファイイングスパイラルに包まれ、その中で忍とみちるは揺られながら全身の疲労と穢れの残滓を洗い流されているのですが、今回は違います。

 何と、人間程もある巨大なパールブルーの色をした、テナガエビに似た姿の水霊(アクア)がその長い前肢を器用に操って2人の身体のツボを軽快なリズムで的確に突き、肩や四肢の筋肉を揉む等の見事なマッサージを施していたのです!

 クラリファイイングスパイラルを纏ったその腕から繰り出されるマッサージは、最高に気持ち良さそうです。

 

 それだけではありません。

 

 「うああッ……!リ、リラアァァァッ………し、痺れびれびれびれ…………!!」

 

 葵の身体を覆うクラリファイイングスパイラル。二重螺旋を形成する2本の内の1本からは、何と其処からは微弱ですが電気が発せられています。

 もう片方がネオンテトラ等の無数の小型カラシンの姿をした水霊(アクア)達の集合体ですが、電気が発せられている方は何と1体の中級水霊(アクア)で構成されている様です。

 

 「うわぁ、確かにこれは新しいね。葵の身体を電気でマッサージしてるのってデンキウナギみたいだけど、先輩達はテナガエビなんだ。」

 

 「でもどっちも気持ち良さそう。」

 

 「『ノアリリア』、『マヌンダ』、もうそろそろ仕上げにしよ?」

 

 (分かった。)

 

 (OK!)

 

 リラの合図を受けてデンキウナギとテナガエビに似た姿の2体の中級水霊(アクア)はそう答えると、最後の仕上げとして葵の中のアンジュ、みちると忍の中のノーチラスとヴァルナにそれぞれ電気ショックと乱れ突きを浴びせて気付けを施しました。

 漸く解放され、3人の身体からは先程まで溜っていた疲労と倦怠感が嘘の様に消えています。そればかりか、全身を細胞1個1個、そしてDNAのミクロのレヴェルまで完全に修復された様な命の瑞々しさ、身体の悪い成分が根こそぎ体外に排出された感覚が全身を支配しました。

 

 「ふぅ~っ……今日は特に念入りにやって貰って嬉しいぜ。何時もありがとよ汐月!」

 

 「私もこれで2回目だけど、やっぱり心も身体も元気になるこの感覚……素敵ね!」

 

 「あぁ、全身ビリビリで痺れちゃった。でも疲れは無くなったから許すねリラ!」

 

 3人からの感謝の言葉を受け、リラは嬉しくなります。水霊士(アクアリスト)がいなくても、彼女達はこの前の深優同様、皆自分の力で穢れと向き合ってそれを浄化出来るだけの強さを持っています。葵も前回は深優に、そして今回は自分に癒される側でしたが、これから他の誰かに同じ事をしてあげられるだけのポテンシャルをアンジュから感じます。

 けれどそれでも、自分の力を必要としてくれる者が居るなら、リラはその力を存分に振るおう―――――その想いが有るからこそ、リラはこうやって水霊士(アクアリスト)としての己の使命を遂行し続けるのです。

 

 「良し、それじゃ帰るか!」

 

 「はい……って、あっ……!」

 

 忍の声を受けてこれから帰ろうとする一同ですが、リラが不意に崩れ落ちそうになった為、忍がこれを支えます。

 

 「おっと!大丈夫かよ汐月!」

 

 「大丈夫です、忍先輩……慣れない中級水霊(アクア)を使ってちょっと疲れただけです………。」

 

 すると不意に背後からテミスが現れてリラの背中に手を当てました。掌から発せられるコバルトブルーの光は、優しくリラの中に浸透して行きます。

 

 「テミス……貴女………。」

 

 葵がその様子を呆気に取られて眺めていると、テミスはフッと微笑んで言いました。

 

 「リラ、貴女はもっと自分をいたわらなきゃ駄目よ?自分をキチンといたわれない人間に、誰かを癒していたわる事なんて出来ないのは当たり前の話なんだから……。」

 

 (お祖母ちゃん………?)

 

 背中に感じる温もりと、テミスの慈しみ溢れる顔。リラは其処に、今は亡き自分の祖母であるユラの温かさを感じていました。

 

 (リラ、無理しないの。)

 

 (私達だってついててあげるから!)

 

 そう言うとノアリリアとマヌンダの2体も水飛沫となってリラの体内に入って行きました。内側からリラの身体を癒す為です。

 程無くして身体のあちこちから心地良い電気の刺激と、身体の凝りがほぐれてポカポカと温かくなって行く感覚をリラの肉体は覚え始めます。

 

 「全く、水霊(アクア)達から慕われてて幸せね、汐月も―――――。」

 

 微笑ましくそう呟くと、みちるも忍と一緒になってリラの身体を支えました。

 葵と深優と更紗は、そんなリラの様子を優しく見守っています。

 そうして彼女達は、改めて6人仲良く帰宅の途に就くのでした。

 

 然しこの時、テミスを含めた水霊(アクア)達以外は誰も気付いていませんでした。公園の裏に回り込み、其処からリラ達の様子を窺っていた人物が居た事を……。

 

 

 「何?何なの今の?」

 

 おやおや?リラがブルーフィールドを展開していたのは公園の中だけだったのですから、その外側から水霊(アクア)を見える人間はいない筈なのに、彼女は見えてしまった様ですよ?

 

 

 「あんな海老や鰻の幽霊とまで友達なの?リラちゃん――――――?」

 

 

 飯岡潤―――――入学したての時にリラからアクアリウムで癒して貰った最初の人物で、一般人の筈なのに水霊(アクア)を見る事が出来る少女。6人の秘密を探るべくこっそり尾行して来た彼女の運命が廻り出す瞬間が、刻一刻と迫っていたのでした―――――。

 




キャラクターファイル18

ノアリリア

年齢   無し
誕生日  無し
血液型  無し
種族   水霊(アクア)
趣味   電気の食べ歩き
好きな物 水力発電所

中級水霊(アクア)。ルネッサンスブルーのデンキウナギに似た姿をしている。太平洋を中心に世界を廻っている水霊(アクア)の1体で、蒼國にも良く出没する。通常の電気鰻は2.5m程の体長だが、こちらはその3倍の7.5mもの長さを誇る。
その外見に違わず高圧電流を操り、雷雲をも創り出す能力を持つ。通常、クラリファイイングスパイラルは二重螺旋で運用され、多くの場合はその2つの螺旋を多くの水霊(アクア)達が集まって形成するが、彼女1体だけでクラリファイイングスパイラルの二重螺旋の1つを担う事が出来、エフィアやユナーシャに匹敵する力を誇る。
彼女のクラリファイイングスパイラルは程良い電気ショックを与える事で筋肉を刺激して凝りを解消。更には血行をも促進する等、電気風呂と同じ効能を与えられる。
性格は至ってクールだが、怒らせると感電死必至の高圧電流を流し込んで来る為、扱いには注意が必要。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第18話 合流する4本の河川

今回のエピソードで2年の子達も水霊仲間(アクアメイト)に加わります!彼女達の日常が少しだけど大きく変化する瞬間をご覧あれ!


 (何だったの?リラちゃんの周りにいた、あの大っきな海老や鰻の幽霊みたいなのって―――――?)

 

 リラがアクアリウムで忍達を癒す場面を目撃した帰り道、潤はその時の光景を思い出していました。

 

 (って言うか五十嵐さんや日浦先輩達が包まれてたあの光の螺旋みたいなの、この前わたしが砂川さん達と包まれてたあれと一緒だった。)

 

 

 この学園に入って来て、最初に出会った1年の子である汐月リラ―――――思えばあの奇妙な魚の幽霊が見える様になったのは、彼女との出会いからでした。

 それから何か有る度に魚の幽霊が直ぐ後ろや近くにいる事を同じクラスメイトに指摘しても、誰も何も見えないと言って変人扱いする始末。

 4月の末頃、リラに癒された時に自分と一緒に魚の幽霊が見えた筈の元虐めっ子の砂川、安孫子、梶沼の目の前をその魚の幽霊が通り過ぎた事が有りましたが――――。

 

 「あっ!砂川さん!!魚の幽霊が其処に!!」

 

 「はぁ?何処に居んだよ?全然姿見えねーじゃねーか!」

 

 潤の指摘に対して返って来たのは、「姿が見えない」と言う返事でした。

 

 「見えない?嘘……、リラちゃんに会った時は見えてたのに何で……?」

 

 「いや、知らねーよ!つーかリラ?あぁ、あの汐月とか言う変な魔法だか手品みたいな事やって私等の事癒したっつーあの訳分かんねー1年か。」

 

 砂川がリラの事を思い出すと同時に、安孫子と梶沼の2人もその時の事を思い出します。

 

 「今でもマジで信じらんないよね。あれが本当に有った事なのかさぁ……。」

 

 「けど飯岡やあたし等3人の事、今でもハッキリ頭の中に残ってるし、あの変な光の渦みたいなのに包まれてマジ気持ち良かったのだって覚えてる。だからあれが夢じゃねーっては確かだよな……?」

 

 夢じゃないと言うのは3人とも認めている様です。リラが潤と砂川達の内なる水霊(アクア)を取り出し、相手の脳にそれぞれ挿入する事でその記憶を見せる追憶の術法『アクアレミニセンス』で4人はお互いの事を知り合いました。

 当然、その痛みも苦しみも弱さも………。だからこそ、嘗て潤を虐めていた砂川達は彼女の事をどうでも良い赤の他人としてでは無く、自分の延長としてしか捉えられなくなった為、もう虐めはしなくなったのでした。

 

 「そんな……わたし、あれからハッキリ見える様になったのにどうして?」

 

 「んなモンあたしが知るか馬鹿!あの汐月って1年に絡まれて可笑しくなったんなら、直接あいつに訊きゃ良いだろ!」

 

 

 砂川からそう諭されて以来、潤はリラに真実を聞き出そうと思っていました。所が、潤は元々リラと同じか下手をすればそれ以上にオドオドした内気な性格。近付いた所で気軽に尋ねられません。

 水霊(アクア)の事に関しても、精々話題に触れたのは入部してから近況を訊かれた時程度です。

 

 「嬉しいです飯岡先輩、先輩も一緒に水泳部に入ってくれて!」

 

 「え、えぇ……む、胸を他人に見られるのは恥ずかしいけど………。」

 

 後ろからジロジロと眺めている深優や、何故か自分を睨んでいる真理愛の視線を意識しながら、潤は顔を赤らめてそう返しました。

 

 「それで、あれからどうです?また虐められたりしてませんか?」

 

 「い、虐め?あっ、あぁ大丈夫、大丈夫だから……!砂川さん達も、もうわたしには何もしなくなってくれたから!」

 

 「良かった……また穢れを内側に溜め込んだら私、何時でも先輩の事癒してあげますからね!」

 

 そう満面の笑みで答えると、リラはそのままプールサイドへと向かって行きました。

 

 「あっ、ちょっと待ってリラちゃん………!」

 

 慌てて呼び止めるも時既に遅し。リラはそのまま自分から遠ざかって行きました。

 その後も何度も何度も潤はリラに話し掛ける機会を5月の間中、ずっと窺っていたのですが如何せんリラは同じ1年の葵達や、どうしてかは知りませんが何時の間にか3年のみちるや忍達とも仲良くなって良い雰囲気を作っていたのです。

 基本的に1人ぼっちで臆病な潤にとって、リラと彼女を取り巻くその良き隣人達の醸し出す空気はさながら分厚い結界の様。とても割って入る余地など有りません。

 自分の様な部外者が無理矢理入り込んでその空気を壊す様な素振りを見せたら、忽ち嫌われて酷い目に遭わされる可能性すら有ると思うと、潤はますます敬遠して遠くから眺めるしか無くなってしまうのでした。

 

 (リラちゃん、友達や先輩に何時もあんな事してるんだ……。と言う事は、五十嵐さん達も前橋部長も日浦先輩もリラちゃんの秘密、もう知ってるって事だよね?皆わたしがされたみたいに、あの魚の幽霊みたいなのの力で身体と心を皆陰でこっそり癒して貰って………。でも確かにそんな事、普通他人には言えないよね。)

 

 リラ達の秘密を陰で目の当たりにし、漸く自分の中で全ての点が繋がって線に変わって行くのを潤は感じていました。然し此処で、1つの疑問が潤の中に浮かんできます。

 

 (五十嵐さん達や先輩達、まさかあの魚の幽霊が見えるのかな?でももしかしたら砂川さん達と一緒で本当は見えてないかも知れないし………。)

 

 どちらにせよ、リラと葵達はあの魚の幽霊で繋がっているのは間違いない様子。ならば付け入る隙は其処しか有りません。明日になったら、思い切ってリラに全てを問い質そう。潤はこの時、そう決心しました。

 すると其処へ、潤の携帯のインスタにメッセージが届きました。それは瑠々からの物でした。

 

 『ジュンジュン、汐月と忍先輩の事何か分かった?』

 

 それを見て潤は思い出しました。リラと忍が自分達に隠れて何をしているか、自分が見に行って確かめて来ると言って、瑠々達と別れた事を………。

 魚の幽霊の力を使って忍達を癒していた事は、自分も同じ経験が有る手前分かっていましたが、砂川達の話からも何も知らない一般人が信じてくれるとは思えません。

 

 『リラちゃん、日浦先輩と前橋部長、それと五十嵐さんに凄く上手にマッサージしてた。皆気持ち良さそうだったよ!』

 

 返答に困った潤は止むに止まれず、そう当たり障りの無い返事しか出せずにいました。

 

 『マジで!?じゃあ今度わたしもやってもらおっかな♪』

 

 (ごめんなさい瑠々ちゃん……半分嘘吐いちゃって………。でも、本当の事を確かめたらその時はキチンと言うね?)

 

 本当の事を言わない後ろめたさを感じながら、潤はそう決心して自宅のマンションへ続く道を歩いて行きました。

 

 「飯岡さん、ちょっと良い?」

 

 その時、突然目の前に真理愛が現れました。相変わらず自分を睨み付けて来る為、どうにもやり辛い相手として潤は彼女に苦手意識を持っていました。

 

 「さ、漣さん?どどど、どうしたの?」

 

 因みに余談ですが、潤は2年3組で真理愛は2年1組、そして瑠々と水夏は2年5組に在籍しています。

 

 「前から言おうと思ってたけど、どうして今更水泳なんてやってるの?」

 

 真理愛のその言葉に、潤は呆気に取られました。まるで自分が水泳をしてはいけないみたいな口振りです。

 

 「えぇっ?そ、そそそ、それは、その………」

 

 「ねぇ、どうして其処で言葉に詰まるの?」

 

 相手の強い語気に圧された潤は顔を赤らめたまま俯き、そのままモジモジするしか出来ずにいました。そもそも彼女が辞めた切っ掛けは、自分の胸の発育の良さを男子にからかわれた事が切っ掛けでその羞恥心からです。

 ですが潤としては当然、そんな事は恥ずかしくてとても言えた物ではありません。元々気が弱くて内気だった潤は、真理愛から何を訊かれても沈黙を守るのが精一杯です。

 

 「………言いたくないなら良いわ。でもね、これだけは言っておくわ。私は貴女の事を許さないから!勝手に水泳を辞めて逃げた貴方の事だけは……絶対に!!」

 

 尚も強く、それでいて高圧的に言い捨てると、真理愛は踵を返して去って行きました。その後ろ姿を潤は、只々黙って見ている事しか出来ません。

 

 (漣さん、どうしたんだろう?怒ってる筈なのに、何だか泣いてるみたい………。)

 

 リラと同じく澄んだ藍色の瞳は、遠ざかって行く真理愛の背中をそんな風に映し出していました―――――。

 

 

 翌日、学校のプールで何時もの様に霧船女子は練習に励んでいました。リラも例外では有りません。何時も通り練習に精を出す傍ら、プールの水霊達と戯れるリラの姿を、潤は何時に無く真剣な目で見つめていました。

 尤も、そんな潤の事を更に真理愛は相変わらず目の敵と言わんばかりに睨んでいましたが……。

 

 「今日は此処まで!練習もそうだけど、皆しっかり身体をいたわって。それじゃあ解散!」

 

 「お疲れ様でした!!」

 

 やがて空が黄昏の色へと染まる頃、みちるの締めの言葉と共にその日の練習は恙無く終わりました。

 

 「ふーっ、今日も一杯泳いで疲れちゃった。」

 

 「汐月、また宜しく頼むぜ!」

 

 「はい!任せて下さい!」

 

 みちると忍に頼みを、リラは何時も通り快諾します。すると其処へ思い掛けない相手からの声が掛かりました!

 

 「じゃあさじゃあさぁ汐月、私にもマッサージやってくれない?」

 

 突然瑠々が自分にもマッサージをやってくれと頼んで来た物だから、リラはビックリすると同時に困惑しました。マッサージ?一体何の事でしょう?

 瑠々は手を後ろ手に組んだ姿勢で、期待の眼差しで目をキラキラさせながらじっとリラの顔を見つめています。

 

 「…あの、星原先輩……マッサージって何の事ですか?」

 

 数秒の沈黙の後、瑠々からの不意討ちに対して言葉の出ないリラに替わって尋ねたのは葵でした。

 

 「だって汐月、何時も忍先輩に練習の後やってんじゃん?何時も部長や五十嵐達と着替え終わった後にどっか行っちゃってたからずっと気になってたんだけど、忍先輩が故障しない様にしっかりマッサージして身体の調子整えてあげてんでしょ?ついでに部長や五十嵐達もさ!」

 

 その言葉を聞いて、水霊(アクア)関係者全員の顔に無意識の内に苦笑いが浮かびました。確かにリラが忍にアクアリウムを施す時は、決まって2年の先輩達の居ない場所でやってましたし、その時はみちるや葵達も付き添います。特に6月に入ってからは総体へ向けてより練習に力を入れて取り組んでいる為、忍以外にもアクアリウムを施す事も多くなりました。

 ですがそれでは一般人の2年生からすれば蚊帳の外にされていると思われ、怪しまれるのも無理は有りません。

 

 「ジュンジュンが昨日、練習帰りに偶然皆の事目撃したんだけど、教えてくれた時には『やっぱりね!』って思ったよ!写真が有ったらもっと良かったけど!」

 

 「私も後で瑠々からLINEで教えて貰ったけど驚いたわ。汐月、貴女がマッサージが上手って言うのは本当みたいね!」

 

 続く瑠々と水夏の言葉に、リラ達は呆然となったのは言うまでも有りません。その言葉と同時に、6人の視線は一気に潤の方へと向かいます。まさか彼女に目撃されていたとは……。

 

 「…………取り敢えず飯岡先輩、更衣室行って着替えましょ?話はそれからで良いですよね?」

 

 暫くフリーズしていたのから漸く立ち直ると、リラは何とか喉からその言葉を絞り出しました。

 その間も真理愛はずっと潤を不機嫌そうに睨み付けていましたが、それに気付いていたのは視線を感じていた潤だけでした―――――。

 

 

 更衣室に戻って制服に着替え終わると、瑠々は早速リラにマッサージをせがんで来ます。

 

 「ねぇ汐月、忍先輩が終わったら次わたしにもやって頂戴♪身体が重たくて重たくて仕方無いから、ね?」

 

 するとリラは他の葵、深優、更紗、みちる、忍の5人と一瞬アイコンタクトを取ったと思うと、直ぐに口を開いてこう言いました。

 

 「その前に私、飯岡先輩に話が有るんです。漣先輩と星原先輩と濱渦先輩はちょっと外へ出てて貰えませんか?」

 

 「えっ?どうして?」

 

 「良いから飯岡以外は表出ろ!あたしが良いっつーまで入って来んなよ!?」

 

 「ホラ、分かったら早く出る!」

 

 急に潤以外は出て行けと急に言われ、真理愛達は困惑しました。然し、忍とみちるの手によって潤を除く2年生3人は、そのまま更衣室から追い出されてしまいます。

 

 「何で急にわたし達の事追い出す訳?」

 

 「此処に来てまた除け者なんて酷くない?」

 

 瑠々と水夏が口々にそうぼやく中、真理愛は何も言わずに黙ったまま、依然険しい目で扉の向こうを睨んでいました。いいえ、正確には扉の向こうの潤の事をずっと――――――。

 さて、更衣室でリラ、葵、深優、更紗の1年生4人組と部長のみちる、エースの忍の6人に囲まれ、潤は思わず委縮してしまいます。

 完成された仲良しグループのコミュニティに、部外者の自分1人が割って入るなんて物凄い後ろめたさです。自身が完璧に場違いな異分子なのは痛い位自覚している手前、早くこの場から居なくなりたい気持ちで一杯でした。

 けれど、リラの事でどうしても訊かなければ行けない事があるのもまた事実です。

 

 (本当だったらリラちゃんと2人っきりで話がしたかったのに、何で……?何でわたし、こんな状況になってるの――――――――――――!?)

 

 無数の獰猛な(ふか)が犇めき合う冷たい海底へと、1人投げ込まれた様な恐怖と心細さに潤の心は支配されていました。

 そんな中、先に口を開いたのはリラでした。

 

 「本当なんですか飯岡先輩?昨日私がアクアリウムで先輩達と葵ちゃんを癒してた所を見掛けたのは?」

 

 自分と同じ澄んだ藍色の瞳を真っ直ぐ己の顔へと向け、そう尋ねて来るリラに対して潤は答えます。

 

 「え、えぇ………本当よ。リラちゃんが魚の幽霊と海老と鰻の幽霊を使ってわたしにしたみたいに、先輩達を“癒して”たんでしょ?良く分からないけど……。」

 

 「魚と海老と鰻の幽霊?もしかして、水霊(アクア)達の事言ってんのか?」

 

 潤の言う幽霊の正体について忍がそう推測すると、みちるも潤に尋ねます。

 

 「『わたしみたい』に?それってつまり、飯岡は汐月からアクアリウムで癒されたって事なの?」

 

 「は、はい……。」

 

 「みちる部長、忍先輩、実は飯岡先輩って、リラがこの学校に入学して初めて癒した相手なんです!」

 

 そう言って葵と深優と更紗が事情を説明しました。

 4月の入学式から2週間後に初めてリラと友達になり、中庭で昼食を摂っていた時に窓から上履きを放り投げられる等の虐めに潤が遭っていた事―――――。

 そしてその虐めっ子だった3人の女子と一緒に、潤自身もアクアリウムでリラに癒されてもう虐められなくなった事実―――――。

 同時にその場面を葵が目撃した事を機に、深優と更紗も芋蔓式にリラの秘密を知って共有する様になった事を―――――。

 

 今までの一連の出来事を話した時、みちると忍の顔には納得の表情が浮かんでいました。

 

 「成る程ね。水泳部に来たのも、元は学園の穢れの掃除の一環だったんだ―――――。」

 

 「けど、そのお陰で結果としてあたしは救われた訳だし、こいつ等も飯岡も水泳部に目出度く入ってくれたんだし良いじゃねぇか!」

 

 「そうね。切っ掛けはどう在れ、汐月達には色んな意味で感謝してるわ。お陰で私達、こうやって水霊(アクア)で繋がった仲間同士お近付きになれたんだし♪」

 

 そんな遣り取りをしている2人に対し、先程から黙って話を聞いていた潤は唖然としながらこう言いました。

 

 「先輩達とリラちゃん達が仲良しになってたのって、そう言う理由が有ったんですね……。あの魚の幽霊―――アクアって言うのが切っ掛けで繋がれたんだ………。」

 

 潤がそう呟いていると、リラは漸く本題に入りました。そう、自分達の昨日の様子を潤が目撃した事に関してです。

 

 「飯岡先輩、私がアクアリウムで先輩達を癒してたのを見掛けたのは公園の外でなんですよね?」

 

 「えぇ、そうよ。それがどうかしたのリラちゃん?」

 

 潤の言葉を受け、リラは怪訝そうな顔で返します。

 

 「でも可笑しいですね。水霊(アクア)って普通、水霊士(アクアリスト)がアクアリウムの力で展開するアクアフィールドやブルーフィールドの範囲内に入っていないと一般人には見えない筈です。そして昨日私がそれを展開したのはあの公園の中でも先輩達と葵ちゃんが座ってたベンチの周りだけ。公園の外からは絶対に見えない筈なのに……。」

 

 リラがそう言い終るや否や、潤はハッと目から鱗が落ちた様な気になりました。砂川達が見えていないのは、アクアリウムの能力の適用範囲外では一般人は水霊(アクア)を見る事が出来ないから!ならば自分は何故あの日以来、水霊(アクア)を見る事が出来る様になったのか、その鍵はリラに訊けば分かると言う確信を得たのです。

 待ってましたとばかりに潤は、声を大にしてこう叫びました。

 

 「それなんだけどリラちゃん、わたし見えるの!リラちゃんからアクアリウムで癒されてから、その水霊(アクア)って言うのがあちこち泳いでる所が!!」

 

 爆弾発言とも言うべき彼女の言葉に、忽ち更衣室には数秒の沈黙が流れました。やがて――――――。

 

 

 「…………………………えっ?えええええええぇぇぇぇぇぇぇ~~~~~~~~~~~ッ!!?」

 

 

 更衣室中に驚愕の声が上がります。

 

 「何か更衣室の中、五月蠅くない?」

 

 「潤、あの6人と何を話してるんだろうね?」

 

 退屈そうにスマホを弄りながら瑠々と水夏がそうぼやいていました。真理愛は依然険しい目で扉の向こうを睨んでいます。

 

 

 「ア、水霊(アクア)が見えるって……。」

 

 「マジかよ……?」

 

 葵と忍が信じられない表情でそう呟くと、リラも気を取り直して尋ね返します。

 

 「ほ、本当なんですか?飯岡先輩……?私、今アクアリウムの能力使ってませんけど、本当に水霊(アクア)がアクアリウム無しで見えるんですか?」

 

 念の為にリラが尋ねると、潤は早速それを証明せんとするが如くあちこちを指差してこう言いました。

 

 「本当なの。リラちゃんの近くにコバルトブルーの大きな魚が泳いでて、更衣室中のあちこちをグッピーやエンゼルフィッシュやディスカスみたいな魚が一杯泳いでて、窓の外には昨日見た大っきな海老と鰻、それから日浦先輩の足元にも大っきな鯰が居るわ!あっ、それとロッカーの陰には小っちゃい蟹やヤドカリみたいなのも居る!」

 

 恐る恐るリラがアクアリウムの能力を発動して一般人でも水霊(アクア)が視認可能な状態にすると、潤の言った通り本当に更衣室の周囲にはテミスを始め、グッピーやエンゼルフィッシュ、ディスカス型の下級水霊(アクア)達が泳ぎ回っているではありませんか!

 更に窓の外には昨日お世話になったノアリリアとマヌンダの2体、忍の足元にはドリス、そしてロッカーの陰にも確かに水棲甲殻類型の下級水霊(アクア)が蠢いています。

 

 「うわ、先輩の言った事、全部当たってる……。」

 

 「信じられないけど、見えてるのは本当なんだ……。」

 

 リラ以外に水霊(アクア)を素で見られる一般人の登場に、深優と更紗が唖然とそう呟きます。周りの子達も声も有りません。

 けれど、リラはそんな中で落ち着いて尋ねます。

 

 「飯岡先輩、私ビックリしました。まさかアクアリウムを使わないで水霊(アクア)が見える人が私以外に居るなんて……。一体何時からそんな事が出来る様になったんですか?」

 

 その問いに対し、潤は徐にリラの両手を握ると、待ってましたとばかりにこう答えました。

 

 「リラちゃん、貴女がわたしを助けてくれたあの時から、いいえ、貴女がわたしと最初に会った時からよ。」

 

 潤の口から出た答えに、リラは再度驚愕するしかありませんでした。まさか最初から水霊(アクア)が見えていたなんて―――――!!

 けれど彼女の瞳を良く見ると、自分と同じ藍色の瞳の色をしています。もしかして彼女は自分と同じ水霊士(アクアリスト)なのでしょうか?いいえ、水霊(アクア)の存在を知らなかった所からそれは違うでしょう。

 再び頭の中が混乱しそうになると突然、近くを泳いでいたテミスが人間態になって現れて助け舟を出しました。

 

 「それはねリラ、この子が水霊士(アクアリスト)の素質を持った人間だからよ。」

 

 テミスから発せられたその言葉に、再びその場にいる全員が驚愕に凍り付きました。

 

 「嘘……?」

 

 「飯岡先輩が……」

 

 「水霊士(アクアリスト)の……素質を持った人間?」

 

 「じゃあ、こいつもこれから汐月と同じになるかも知れねぇって事か?」

 

 「でも、さっきからの話の流れからしても、それ以外考えられない……。」

 

 周囲がそれ以外の言葉を失って呆然とする中、リラが気を取り直して尋ねます。

 

 「そんな大事な事、どうして黙ってたんですか先輩?」

 

 潤は言います。

 

 「だって……リラちゃん五十嵐さん達や日浦先輩達と仲良しそうだったし……その輪の中に今更割って入るのもどうかって思うし……。それに、リラちゃん以外の皆が水霊(アクア)の事知ってるなんて思わなかったから、いきなりそんな事言われたって信じて何て貰えないだろうって遠慮して……。で、でもわたしだって、リラちゃんと2人っきりになれたら話せてたんだよ?なのに、そのチャンスが全然無くって………。」

 

 その言葉に、漸く一同は納得しました。

 

 「要するに、お互いがお互いを良く知らなかったのと、飯岡の私達への敬遠が招いた擦れ違いだったのね……。」

 

 「まっ、普通水霊(アクア)なんて言われたって汐月以外誰も信じる訳無ぇだろうしな。あたしだって汐月と会って癒して貰わなかったらずっと知りも信じもしなかった訳だし……。」

 

 「ごめんなさい、飯岡先輩。私がもっとキチンと先輩の話を聞いてれば良かったのに……。」

 

 「良いのよリラちゃん。お陰でずっと胸に閊えてた物が取れてわたしもスッキリしたから!」

 

 そんな遣り取りが更衣室の中で延々と繰り広げられていたその時でした。突然ドアが開いて瑠々達が乱入して来ました!

 

 「ねぇ汐月!何時まで話してんの?もう良いでしょ!早くマッサージしてよ!」

 

 「ちょっと瑠々!まだ先輩達入って良いって言って無いでしょ!?」

 

 「ごめんなさい汐月さん。みちる部長、忍先輩、後で瑠々には言って聞かせますから!」

 

 真理愛の謝罪を受け、みちると忍はやれやれと溜め息を吐いて言いました。

 

 「良いわ。もう話は終わったから。」

 

 「つーかお前等、そんなにこいつから癒して貰いたいのかよ?」

 

 忍の「癒す」と言う言葉に、その場にフェードインした潤以外の2年生達は目が点になりました。

 

 「汐月、1年のお前等と3年のあたし等だけ全部知ってて2年のこいつ等除け者にすんのも可哀想だ。話しても良いだろ?」

 

 忍がそう言うとリラは一瞬驚きましたが、直ぐに改めて頷きます。

 先に司会進行役を買って出たのはみちるです。

 

 「良い皆、先ずは落ち着いて話を聞いて頂戴。汐月は―――――」

 

 そうして葵達は瑠々達にも説明しました。

 リラが水霊(アクア)と呼ばれる水の精霊を使役するアクアリウムと言う特殊能力を使い、人々の身体を構成する水の穢れを取り除く事で心身を癒し、病気や怪我や疲労を回復させる水霊士(アクアリスト)である事を―――――。

 同時に自分達もまた、リラのアクアリウムを身を以て経験した者達であると言う事を―――――。

 

 「し、汐月さんが水を癒す水霊士(アクアリスト)って……。」

 

 「そ、それって漫画か何かのフィクションなんですか?」

 

 「ぶ、部長や先輩まで一緒になって何を言ってるんですか?」

 

 当然と言うべきか「信じられない」と言う表情でそう返す瑠々達に対し、葵がこう返しました。

 

 「信じられないかも知れないけど本当なんです。嘘じゃない証拠だってキチンと有ります。リラ、アクアリウムを見せてあげて!」

 

 「ついでに実演してやれよ。練習の後にお前があたしにやってる“何時ものあれ”をな!」

 

 「はい、忍先輩!葵ちゃん!」

 

 葵に促されてリラがアクアリウムを展開して周囲を泳ぐ水霊(アクア)達を見せる事で、瑠々達は漸く信じる気になりました。

 そうしてリラは水霊(アクア)達を操り、クラリファイイングスパイラルで忍を包み込むと、その力で彼女を癒してみせます。

 更に窓の外に居るノアリリアとマヌンダの2体を呼び寄せると、彼女達の力を借りてマッサージを希望していた瑠々と水夏の2人の身体を癒しました。

 

 「ふぅ、ビリビリに痺れたけど気持ち良かった。忍先輩、汐月からこんな風に身体メンテして貰ってたのね。」

 

 ノアリリアに癒された水夏が納得と言わんばかりにそう言うと、それに続くのはマヌンダからクラリファイイングスパイラル入りのマッサージを受けた瑠々です。

 

 「そりゃ一般人のわたし達には言えないよね。って言うかまさか海老からマッサージされる日が来るなんて、夢にも思わなかったよ。って言うかジュンジュン、あんたがメールで言ってたのってこれだったの?」

 

 「え、うん。でもわたし、嘘は言ってないよ。本当にマッサージで癒してたのは本当だし、それがこんな水霊(アクア)の力でやってる物だって言ったって信じてくれる訳無いから……。」

 

 「それはそうよね。デンキウナギとテナガエビから身体の疲れを取って貰いましたなんて話、言ったって誰も信じる訳無いし。」

 

 2年生女子の4人が口々にそう言うと、更にリラが言いました。

 

 「折角ですから先輩達も見て見ませんか?自分の内に宿る水霊(アクア)がどんな物かを。」

 

 「えっ?何々?内に宿る水霊(アクア)って何なの?」

 

 そう言い終ると共に、突然4人の中から何かが飛び出して来ました。それは2年の子達の内なる水霊(アクア)です。

 4人の内なる水霊(アクア)はそれぞれ潤がダークブルーの身体に白いスポットのアグア・プレコ、 真理愛が白地に黒いグラデーションの入った身体に、赤と青のオッドアイをしたロリカリア、瑠々が青紫のベタ、そして水夏が金色のラインが入った青黒い鰻でした。

 

 「凄い、こんなのが私達の中に居るんだ……。」

 

 「へぇ、わたしの水霊(アクア)って言うの、中々カッコ良いじゃない!」

 

 水夏と瑠々が小並……もとい、率直な感想を述べると、4人とテレパシーで対話していたリラが言いました。

 

 「4体の名前ですけど、先ず飯岡先輩の水霊(アクア)は『ステラ』、漣先輩の水霊(アクア)は『シュトラーセ』、星原先輩の水霊(アクア)は『シュロ』、そして濱渦先輩の水霊(アクア)が『レイン』です!」

 

 

 同時に葵、深優、更紗、みちる、忍のそれぞれの内なる水霊(アクア)であるアンジュ、ブルーム、プラチナ、ノーチラス、ヴァルナ、そしてリラの内なる水霊(アクア)のクラリアと彼女の保護者とも言うべき上級のテミスが一堂に介すると言う何とも壮観な風景が、霧船女学園水泳部の更衣室には広がっているのでした。




キャラクターファイル19

マヌンダ

年齢   無し
誕生日  無し
血液型  無し
種族   水霊(アクア)
趣味   健康体操(ヨガ等)
好きな物 手芸

中級水霊(アクア)。パールブルーのテナガエビに似た姿をしている。ユーラシアから北アメリカまで、北半球を中心に循環する水霊(アクア)で、日本にも良くやって来る。
手先が非常に器用で、寄せては返す大小も強弱も様々な波の様にその長い手を駆使して様々な作業や工作を行う。水霊士からはマッサージ要員として重宝され、クラリファイイングスパイラルを両手に纏っての肩揉みや指圧、整体マッサージは折り紙付き。
ノアリリアと共に蒼國にも良くやって来る上、性格も温厚な為、リラも御用達の存在である。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第19話 New Aquarium

今エピソードで遂に潤が覚醒します!


 部活も終わり、2年の先輩達にも水霊(アクア)の世界を知って貰ったその日の帰りの事です。

 

 「汐月、面白いの見せてくれて有り難ね!勿論、忍先輩の肩治してくれた事もだけど!」

 

 「アクアリウムと水霊士(アクアリスト)だっけ…未だ信じられないけど、でもこれでやっと納得出来た。もう2年生(私達)の事、除け者にはしないでよ?」

 

 そう言って瑠々と水夏の2人は、自分達の家が有る方へと別れて行きました。それまで何も知らされず蚊帳の外だったのが、今回秘密を教えて貰ってまるで憑き物が取れた様な晴れやかな気分でした。復帰が絶望的だと思われていた忍が復活すると同時に、リラ達が彼女と急接近した理由に納得が行ったのも理由の1つなのは言うまでも有りません。

 

 「星原先輩、濱渦先輩、この事は水泳部(私達)だけの秘密ですから、他の誰にも喋らないで下さいね!」

 

 葵が遠ざかる2人にそう叫んだ数秒後、突然彼女の携帯に着信音が響きました。

 何事かと思って画面を見ると、2人からインスタでメッセージが届いていたのです。

 

 『分かってる!わたし口堅いんだから心配しない( ー̀ωー́ ) 』

 

 『言ったって誰も信じないと思うけど、みんなが秘密にしたいならそうしといてあげる( ̄ー ̄)』

 

 秘密は水泳部だけで共有すると言う確かな意思表示が、其処には刻まれていました。

 それを見てホッとする一同ですが、依然真理愛は潤の事を敵愾心から睨み付けています。

 最初は潤しか気にする者はいませんでしたが、同時にリラもそれに気付く様になりました。

 潤が自分と同じ水霊士(アクアリスト)になり得る存在と知ったリラに、そんな彼女の事を意識するなと言う方が無理な話。潤を意識して見る様になれば、嫌でもそれを睨む真理愛の存在にも気付かざるを得ません。

 

 「さて、んじゃあたし等も帰るか!」

 

 忍の言葉を受け、彼女と残るリラ、葵、深優、更紗、みちる、潤、真理愛の8人は一斉に家路に就こうとします。

 けれど、その時リラの頭の中に有ったのは、「同じ水霊(アクア)になり得る潤と2人だけで話がしたい」と言う気持ちでした。

 

 「ごめん、葵ちゃん。今日は私、一緒に帰れない。」

 

 「え?」

 

 「リラっち?」

 

 突然のリラのフェードアウト宣言に、葵と深優と更紗は思わずキョトンとなります。

 

 「忍先輩も、家が近いから何時もは途中まで一緒ですけど、今回は外させて下さい。」

 

 その言葉に忍も怪訝な顔を浮かべましたが、今日の話の流れからリラが何を想っているのか大凡読めました。

 

 「………成る程、飯岡と2人っきりで話がしたいんだろ汐月?水霊(アクア)関係で。」

 

 忍の言葉に、周りは納得の表情を浮かべました。真理愛を除いてですが……。

 

 「有り難うございます、忍先輩。話が早くて助かりました。それじゃあ飯岡先輩、私と一緒に来て下さい………。」

 

 「えっ?ちょっとリラちゃん!?」

 

 困惑する潤の手を引いて、リラはそのまま蒼國海岸の方へと歩いて行きました。

 その後ろ姿を、どうにも腑に落ちない表情で真理愛は遠く見守るのでした。

 

 

 2人を見送った後、残りの水泳部のメンバー達は改めて家路に就きます。

 

 「あの2人、これからどんな話するのかな?」

 

 「多分同じ水霊士(アクアリスト)になって下さいって話じゃない?」

 

 「でもリラっち、前にパパの事助けて貰った時言ってたじゃん、『そんなのならない方が良いよ』ってさ?そんな事言っといて、水霊(アクア)が見える以外一般人と変わんない飯岡先輩に水霊士(アクアリスト)になって欲しいなんて言うとは思えないなぁ……。」

 

 リラと潤とのこれからの遣り取りについてそんな風に議論をする3人の1年生達。

 彼女達の話を受け、忍とみちるも色々と考え事を始めました。

 

 「ってかそもそも何であいつ、あんなアクアリウムなんて魔法みたいな力使えるんだろうな?」

 

 「汐月は『訊かないで欲しい』って言ってたけど貴女達、あの子からは今も未だ何も聞かされてないの?」

 

 「はい、リラからは何も聞いてません。教えてもくれません。」

 

 「依然、黙秘権を行使してるって訳ね…。」

 

 みちるの問い掛けに対し、葵はそう返すしか有りませんでした。

 其処へ更紗が、何時ぞや調布まで行った時の事を思い出してその時のリラの様子を口にしました。

 

 「あぁ只……この前調布にリラのお祖母ちゃんのお墓参りに行った時、私も偶然一緒に連れ添ったんですけど、その時リラ、何だか悲しそうな顔してました。」

 

 「調布に行った時?もしかしてその死んだお祖母ちゃんの事を思い出して悲しかったからじゃないの?」

 

 「ううん、そんな単純な悲しさじゃなくって………」

 

 葵の言葉に対し、更紗は首を横に振って否定の言葉を切り出すと、何処か遠くを見る様な目でそっと言い放ちます。

 

 「上手く言えないけど、他に何か凄く辛くて嫌な事を思い出して、こんな所に1秒でも長く居たくないって思う様な、そんな針の筵みたいな感じの悲しさだった。現にリラ、お墓参りが終わった途端、まるで其処から逃げるみたいに駅まで走ってそのまま電車に飛び乗ったもの………。」

 

 それにリラが一瞬だけ口にした「自殺」と言う単語(ワード)………それだけがどうしても更紗の中に引っ掛かって取れません。

 リラとアクアリウムに関して深まる謎に頭を抱えながら、葵達は家路に就きました。

 

 

 ですが……おや?ちょっと待って下さい。彼女達のグループの中から、何時の間にか1人が抜けていなくなってますよ?そう、潤の事が気になって仕方の無い真理愛が―――――。

 

 

 さてその頃、未だ6月で海開きされていない蒼國海岸の砂浜では、リラと潤が水霊(アクア)の事で話をしていました。

 何処までも広がる砂浜に腰を下ろし、寄せては返す波の調べに耳を傾けながら―――――。

 

 「本当に今日は驚きました。最初に出会った時から飯岡先輩に水霊(アクア)が見えた事もそうですけど、まさかそれが水霊士(アクアリスト)の素質を持ってる事を意味してたなんて……。」

 

 周囲を泳ぐ水霊(アクア)達の存在を気にしながらも、リラの言葉に対して潤は答えます。

 

 「うん。でも見えてるって言っても、最初はほんのちょっと輪郭が見えるだけだったけどね……。砂川さん達にも見える様に、ブルーフィールドって言うのをリラちゃんが張る前から、周りを何かが泳いでるのは分かってたの。」

 

 確かに砂川達を包囲する様に呼び掛けたあの時、リラは未だアクアフィールドすら展開はしていませんでした。にも拘らず輪郭程度でも見えていた辺り、潤の言っていた「最初から」と言う言葉に間違いは無い様です。

 潤は続けます。

 

 「今みたいにハッキリ見える様になったのは、わたしがリラちゃんに助けられてからよ。それから日に日に少しずつだけど、いきなり出たり消えたりする水霊(アクア)の姿が見える様になったの。でもどうしてか分かんないけど、リラちゃんが近くにいる時は安定して見えるわ。」

 

 その言葉にリラは驚きを隠せません。潤の口振りからすると、最初は輪郭が見える程度だったのがリラのお陰で不安定且つ少しずつながらも、くっきりと見える様になっていたとの事でした。

 話を聞く限り、リラが潤の力を偶然ながら呼び起こしたとしか考えられません。そして次の瞬間、テミスが2人の前に現れてそれを裏付ける言葉を放ちます。

 

 (潤、貴女のその水霊士(アクアリスト)としての素質は、リラの力に触れた影響で目覚め始めたみたいね。)

 

 「テミス!?」

 

 「テミスさん!?」

 

 テミスからの言葉に、リラと潤は思わずそう声を上げます。彼女の突然の出現に呆気に取られる2人を他所に、テミスは潤に言います。

 

 (潤、もう分かっているとは思うけれど、貴女には水霊士(アクアリスト)としての才能が有ります。そしてそれは、私達上級水霊(アクア)が『水霊力(アクアフォース)』を移植する事によって開眼させられるのです。)

 

 「水霊力(アクアフォース)……?」

 

 「何ですか、それって……?」

 

 初めて耳にする言葉を受け、リラの頭には疑問符が浮かびました。それは潤も同じです。

 テミスが説明をします。

 

 (水霊力(アクアフォース)とは、その名の通り私達水の精霊が持つ力の事よ。この世界には貴女達人間では探知し得ないけれど強力な超自然的エネルギーが存在するわ。別名を“マナ”と呼ぶそうしたエネルギーの中で、特に水の属性を持った物こそ水霊力(アクアフォース)なのです!)

 

 余りに突拍子も無い話をされて、2人の頭は理解が追い付きませんでした。そんな得体の知れない力の話は、完全に漫画やアニメやゲーム等の創作物の世界のそれ。自分よりそうしたジャンルに明るい深優の方が良く分かると言う物です。

 

 「つ、つまり私のアクアリウムの能力も、元はその水霊力(アクアフォース)って言うのをテミスから与えられて使える様になった力って事だったの?」

 

 (その通り。大自然に於ける水の精霊、即ち水霊(アクア)の存在を認識し、心を通わせる――――それが水霊士(アクアリスト)の素質であり、人の身で水の精霊の力を内に宿し、その力を行使する能力こそアクアリウムの本質。そしてその為に必要な触媒こそ水霊力(アクアフォース)!)

 

 テミスからそう説明された時、リラはハッと思い出しました。中学の頃に自殺を思い立って川に飛び込んだ際、テミスに命を助けれられた時の事をです。その時に自分の視界がコバルトブルーに覆われた後で元の川辺に戻されると同時に、アクアフィールドが発生して水霊(アクア)達が見えていましたが、あれは助けられた時にテミスが自分に水霊力(アクアフォース)を移植した為に起きた現象だったと気付いたからです。

 そんなリラを横目に、テミスは人間態へとその姿を変えると、右手にコバルトブルーに輝く光のエネルギー球を取り出しました。球のサイズは丁度水球で使うボール程度の大きさでしたが間違い有りません。自殺を思い立って川に落ちた時に見えたのと同じ輝きです。

 

 「あっ……!」

 

 「テ、テミス、一体何を……!?」

 

 そして潤の胸に手を突っ込み、彼女の内なる水霊(アクア)であるステラを取り出して言いました。

 

 「潤、これから貴女の内なる水霊(アクア)であるこの子……ステラに私の水霊力(アクアフォース)を移植します。これで貴女も晴れてリラと同じ水霊士(アクアリスト)の仲間入りが出来るわよ?」

 

 「えっ……わ、わたしが、リラちゃんと!?」

 

 テミスの発したその言葉に対し、潤は驚きを隠せません。けれど、果たして彼女の言葉は潤にとって神からの福音なのか、それとも悪魔からの囁きなのかは当人にしか分からない事です。

 

 「ちょっとテミス!水霊士(アクアリスト)になるのは私だけで十分でしょ!?それなのに、飯岡先輩にまで水の穢れを掃除する役目を背負わせるって言うの!?」

 

 リラからの抗議の言葉に対し、テミスは言いました。

 

 「リラ、これから貴女が癒さなければならない穢れは、この地球に70億余りも居る人類から出て来る物です。それを貴方1人の力でどうこう出来ると思うのかしら?」

 

 「そっ、それは……。」

 

 確かに、地球と言う星は1人の人間の手には余り過ぎる程に広大です。そんなスケールの大きい世界に生きる、70億余りと言う途方も無い数の人間達1人1人を癒すなんて、1人の水霊士(アクアリスト)には天地が引っ繰り返っても絶対に不可能なのは至極当然です。

 水とそれを入れる器で例えるなら、全人類はまさに地球上に有る全ての水の総量である14億㎦!対する水霊士(アクアリスト)はコップ一杯分の容量である200ml程度の器!全て汲み尽くせる道理なんて有る筈も有りません。

 その意味でも、同じ水霊士(アクアリスト)として助けになってくれる相手は1人でもより多いに越した事は無いと言えるでしょう。

 

 「どんなに力が有っても、人間1人の力なんて高が知れています。1人では癒し切れない穢れも、それ以上の人数なら癒す事が可能になるわ。何よりこの子と貴女は似た者同士。虐めを苦に生きて来たのも、両親が居らず孤独なのもね。」

 

 「テ、テミス!そんな事バラしちゃ駄目!!」

 

 (リ、リラちゃんが……虐め?わたしと同じで……独りぼっち?)

 

 触れて欲しくない地雷ならぬ水雷にテミスから触れられ、リラは取り乱した調子でそう叫びます。同時に潤は、そんな彼女と自分が似た者同士であると言う意味深なテミスの言葉に、疑念を抱かざるを得ませんでした。

 

 「あのっ!教えて下さい!リラちゃんに何が有ったんですか?虐めとか独りぼっちとか、一体どう言う事なの!?」

 

 ステラにコバルトブルーの光の球を近付けながらテミスは言います。

 

 「私の口から答えるのは簡単だけど、それじゃあ意味が無いわ。話はリラに聞きなさい。彼女が話す気になる時が来ればの話だけれど………。だけど1つだけ、私から言える事が有るわ。」

 

 そう言い終ると同時に、テミスはステラに水霊力(アクアフォース)を埋め込みます。コバルトブルーの輝きをステラが放つと同時に、その全身に凄まじい程の力が漲って来るのを潤は感じました。

 まるで満潮で溢れる海水が全身を覆い尽くし、喉がその塩辛い味で焼け付く様な感覚です。同時に潤の頭の中には、クラリファイイングスパイラルを形成する水霊士(アクアリスト)のイメージが流れ込んで来ます。

 

 「うぐぅっ……あああぁぁぁ熱い……の、喉が……喉が焼けるウゥゥゥッ!!」

 

 「先輩!」

 

 思わず声を上げるリラを横目に、テミスは続けます。

 

 「今地球中から出ている穢れは、やがて多くの命を蝕み、ともすれば不幸では片付けられない様な、取り返しの付かない大きな禍を齎すでしょう。その禍根足る穢れを癒す希望に、リラと一緒になって欲しい。そしてこの子を支えて欲しい。それが私の願いよ、潤―――――!」

 

 その感覚は、ステラの放つ輝きの色がコバルトからインディゴへと変化すると共に、やがて潮の様に引いて無くなりました。どうやらテミスの与えた水霊力(アクアフォース)が、彼女に馴染む様に最適化(フィッティング)された様です。そしてそのまま水飛沫に変わると、潤の瞳の中へと吸い込まれて行きました。

 気が付けば周囲を泳いでいた水霊(アクア)の姿はもう見えなくなり、すっかり水平線の向こうに夕日が沈んで暗くなった海の浜辺に、潤は膝から崩れ落ちて喘ぎ声を上げていました。何時の間にかテミスも姿を消しています。

 

 「だ、大丈夫ですか飯岡先輩?」

 

 「ハァ……ハァ……だ、大丈夫よリラちゃん………。もう平気………痛みも凄く塩辛いのも、もう引いたから…………。」

 

 心配させまいとそう返す潤の姿を、リラが不安そうに見つめていると、テミスの声が2人の脳内へと響きます。

 

 (潤、アクアリウムの能力を駆使する基本は、貴女の頭の中にイメージ映像として流し込んで記憶しておきました。後はリラと一緒に経験を積みながら、その技術を磨きなさい!)

 

 

 逢魔が時の海辺にポツンと取り残された2人の姿を、彼女達が気掛かりでやって来た真理愛が離れた場所から見守っていました。

 

 

 それから数分後、宵闇がすっかり空を覆い尽くす頃、水霊士(アクアリスト)となった潤とリラのコンビは一緒に家路に就きました。

 

 「ねぇ、リラちゃん…………。」

 

 何処か余所余所しく他人行儀な雰囲気を纏いながら、潤がリラに尋ねます。

 

 「テミスさんがさっき言ってた、虐めとか独りぼっちって一体何の事なの?リラちゃん、昔何か辛い事でも有ったの?」

 

 「それは………。」

 

 そう言い淀ませながら、リラは俯きました。とても悲し気に揺れる藍色の瞳を見て、潤は直ぐに察しました。「目の前の後輩は自分以上に辛いを想いをして生きて来たのだ」と言う事を―――――。

 

 「言いたくないなら、今は無理して言わなくて良いよ?でもねリラちゃん、わたしだってリラちゃんの先輩で、同じ水霊士(アクアリスト)の仲間になったんだよ?頼りないかもだけど、一緒に頑張ろ?ね?」

 

 「………ごめんなさい。テミスはあんな事言ってたけど、やっぱり私……自分以外の水霊士(アクアリスト)なんて未だ受け入れられないし、自分の過去だって未だ話せません。水霊士(アクアリスト)って、人間の汚いとことか、醜いとことか一杯見えちゃうから………私みたいに損な役ばっかりの人間じゃないと、務まんないって言うか………。」

 

 力無く尚も俯いたままその口から絞り出された言葉は、とても重く苦しそうに響きました。

 

 「良いよ別に。もう訳の分かんない魚の幽霊をもう見ないで済む様になったならそれで♪わたしはアクアリウムなんて使わないし、皆を癒すなんて事はリラちゃんに任せるよ!」

 

 俯く自身とは対照的にそう明るく言い切る潤の言葉に、リラは思わず顔を上げます。

 

 「先輩………。」

 

 すると2人の目の前に、突然真理愛が姿を現しました。険しい目で2人を……いいえ、例によって潤の事を睨んでいました。

 

 「さ、漣先輩……?どうして………?」

 

 「漣さん、もう帰ったんじゃ………?」

 

 すると真理愛は、2人の思いも寄らない言葉を口にしました。

 

 「貴女達2人が……特に飯岡さんの事が気になってね。」

 

 その言葉に2人は衝撃を受けました。もしかして、先程テミスから潤が水霊力(アクアフォース)を移植される事でアクアリウムの能力を与えられ、水霊士(アクアリスト)として覚醒する場面を見られたのでしょうか?

 

 「そ、それってもしかして、わたし達の事見てたって事?何時から?」

 

 「2人の前に変な女の子がいて、その子の手元が青く眩しく光ってた所からよ。」

 

 何と言うドンピシャなタイミングでしょうか!図らずも真理愛は潤の水霊士(アクアリスト)覚醒の瞬間をその目で目撃してしまっていたのです。

 とんだ場面を見られたと思った2人でしたが、真理愛は意外な言葉を発しました。

 

 「大方水霊(アクア)って言うあの魚のお化けの事で何か話してたんでしょ?でも別に私は水霊(アクア)なんて見えないし、他の子や先輩達と違って何の興味も無いから、貴女達2人の事情だって詮索する気は無いし誰にもバラしたりしないわ。でもまぁ2人とも、何が有ったのかだけは明日皆に話した方が良いと思うわよ?先輩達も1年の子達も気にしてたから。」

 

 真理愛のその言葉に、リラと潤は見事なまでの肩透かしを喰らいました。然し、考えてみれば彼女は一般人。水霊(アクア)なんて見える訳が無いし、具体的に何をしていたかだってこちらが言わなければ何も分からないでしょう。

 それでなくてもアクアリウムで癒して貰って楽しそうにしていた瑠々や水夏と違い、彼女はその様子を信じられないと言う表情で呆然と眺めていただけ。驚きこそすれ、興味を持っていたかどうかは疑わしかったのですが、それが無いと言うのであれば好都合です。

 

 「それより飯岡さん!此処に来る前に貴女が魚のお化けが見えて、それを操る水霊士(アクアリスト)になるかも知れないとか何とか先輩や五十嵐さん達が話してたけど、今言った通りそんな事は私にはどうだって良いわ!明日の部活、私と勝負しなさい!!水泳から逃げた貴女だけは絶対に許さない!!貴女と私、どっちが速く泳げて水泳選手として上か、総体の前にハッキリさせてやるわ!!」

 

 腰に手を当ててビシっと指を差すと言うテンプレートなツンデレのポーズを取り、そう高らかにライバル宣言すると、真理愛は踵を返して去って行きました。

 その様子を、2人は只口をあんぐりと開けて見送る事しか出来ませんでした―――――。

 

 

 翌日、その日は土曜日で学校は休みですが、運動関係の部活動に所属している子達には大して関係有りません。大多数の子達が練習の為に思い思いの場所に集まり、己の心技体を錬磨するのですから―――――。

 今回霧船の水泳女子達が泳ぐ場所は、ホームグラウンドと言うべき何時もの学校のプール。25mが5コース有る四角い水のフィールドで、今日も今日とでリラ達は練習に励む訳です―――――が!

 

 

 「昨日言った通り、勝負よ飯岡さん……いいえ、飯岡潤!!」

 

 「さ、漣さん……。」

 

 

 入部した時からずっと潤に敵愾心を剥き出しにしていた真理愛と、その敵意の矛先に晒されていた潤とが雌雄を決する日が、図らずもその日やって来たのです。

 

 「ねぇリラ、一体何でこうなっちゃったの?」

 

 「それが、私達が話し終わって帰る途中、いきなり漣先輩が現れて勝負しろって飯岡先輩に………。」

 

 「あぁ、昨日皆で帰ってたら漣先輩、何時の間にか居なくなってたって思ったらリラっち達のとこに行ってたのね。」

 

 「それで、一体何の話をしていたの?」

 

 1年生同士で昨日の話をしていた時です。不意に忍が声を上げて彼女達の私語を制止します。

 

 「お前等、私語は慎め!みちる!」

 

 「了解。2人とも、位置に着いて……用意!」

 

 今にも雨が降り出しそうな程にどんよりと雲で覆われた曇天の空の下、みちるのホイッスルが天高らかに響きます!

 

 ザッバアァァァ―――――――――ン!!!

 

 ドッブウゥゥゥ―――――――――ン!!!

 

 それと共に2人はプールへと一斉に飛び込みます。激しい水音を立てて泳ぎ出す2年生女子4人の片割れ達。

 真理愛と潤は今回、50mの距離を自由形、バタフライ、背泳ぎの3本勝負で競います。

 

 (負けない……絶対にこの子にだけは!!!)

 

 真理愛が此処まで敵愾心を潤にぶつけるのには訳が有りました。

 真理愛は小学時代から水泳が好きで、中学時代には大会でも何度も入賞した事が有る程の実力者だったのです。特に、潤の事は違う学校に通っていた事も有ってライバルとして強く意識しており、この子に勝ちたいと何度も思っていました。

 一方潤も、中学2年生までは泳ぐのが好きで、その実力も真理愛を差し置いて優勝した事も有る程の実力者だったのでした。

 所が、中学2年の終わり頃から彼女が胸が急激にどんどん大きくなり過ぎ、それを男子にからかわれた所為で羞恥心とコンプレックスから水泳部を辞めてしまっていたのです。それ故に彼女は中学最後の大会に不参加だった為、真理愛は勝ちたかった相手にも勝てぬままと言う不完全燃焼な気持ちでその年の大会を優勝してしまっていたのでした。

 その後、水泳部での実績を買われて真理愛は霧船に推薦入学。潤は普通に受験して進学しました。

 この時潤は、今尚成長を続けてバスト93にまで膨れ上がった自身の巨乳に対するコンプレックスと羞恥心から周囲の視線を避ける様になり、そのままオドオドと内向的な性格へと変わって行きました。水泳以外、勉強も何も大して取り柄らしい取り柄の無い潤にとって、そうやって過ごした時間程惨めなそれは無いのは想像に難くないでしょう。

 嘗て砂川達に虐められた原因も、元を辿れは其処に在った訳です。因みに真理愛の方も真理愛の方で、霧船で潤と再会した時には一方的に自身の怒りと失望の感情をぶつけてそのまま口も利かず、彼女が虐めに遭ったと知っても自業自得と見て見ぬ振りをしていたのでした。

 

 あれから1年、忍や潤が不在の間、彼女はみちると共に国体にまで出場する程の実力を備えた名選手となっていました。2年生女子の中で真理愛がその筆頭格と目されるのは当然です。それは彼女自身も自覚しており、相応にプライドも有りました。

 理由はどう在れ、自分との勝負を放棄して水泳から逃げた落ち武者がまたこうやってのうのうとプールに戻って来るなんて、真理愛からすれば水泳選手としてのプライドからどうしても許せない事なのも無理は有りません。

 

 況してや真理愛は自由形が得意な選手。同じ50mの自由形で、自分が負ける要素など有る訳が無いと信じて疑いません。

 

 死に物狂いで目の前の水を掻き分け、両足で水面を蹴り続け、真理愛は見事に向かいのプールの壁にタッチしました。

 勝った―――――そう確信して潤のコースの方を向いた時、潤も遅れて漸くゴールしました。

 

 「みちる、タイムは?」

 

 「飯岡27.95、漣27.24!」

 

 当然の結果と言わんばかりに、真理愛はドヤ顔を決めました。最初に練習で忍とリラと潤との競った時には、専門でも無いバタフライで泳いだ為に潤と同着2位になりましたが、それだって真理愛の中では屈辱でした。

 然し今回は自分の得意で最も速い泳法とされる自由形……それで潤に負ける道理なんて有る筈が無い!!

 

 「いやぁ、凄いね漣さん!流石ずっと練習して来ただけの事は有るよ!」

 

 所が潤は悔しがる処か、寧ろ嬉しそうな表情で真理愛の勝利を祝福して来たのです。これでは勝っても意味は有りません。

 

 「何よ………何よ負けたのに馬鹿にして!!」

 

 それからも真理愛は続くバタフライで彼女に挑みましたが、最初の勝負で1番得意な自由形で体力の半分を消耗してしまったのか、精彩を欠いた泳ぎしか出来ません。次第に潤に引き離されて惜敗。

 最後の背泳ぎに至っては潤の得意な泳ぎであった点と、先の2本勝負で大幅に体力をロスてしまった点、そして2本目に負けたと言う屈辱感から平常心で泳げなくなってしまった点から惨敗を喫してしまい、この3本勝負は真理愛の1勝2敗と言う結果に終わりました。

 

 「この勝負、飯岡先輩の勝ちで終わったね……。」

 

 「飯岡先輩が勝ったって言うより、漣先輩の方がペース配分間違えて自滅した感じだけどね……。」 

 

 葵と深優の2人がそう呟く視線の先には、屈辱感で顔を歪ませてプールのゴール地点の壁際に佇む真理愛の姿が有りました。

 

 それ以前にも何度も何度も練習で潤と泳ぎ続けて来ましたが、自分が先にゴールして勝っても、潤は全く悔しそうな素振りを見せずに無邪気な顔で賞賛していました。

 自分が見たいのはそんな顔じゃなくてもっと悔しがる顔が見たかったのに……、自分に対して屈辱感とか劣等感を募らせる顔が見たかったのに!!

 ずっと超えたかったライバルはもう何処にもいない………目の前に居るのはライバルでは無く、自分との勝負を放棄して水泳から逃げた単なる裏切り者。

 やり場の無い鬱屈した感情が自分の中に蓄積して行くのを、真理愛は抑え切れませんでした。

 

 「どうしたの漣さん?最初の自由形では勝てたのに、後の勝負で急に振るわなくなったけど、全然らしくないよ?」

 

 心配そうに潤が話し掛けて来ると、真理愛は溜め込んで来た憤りを遂に爆発させました。

 

 「………何で逃げたの?」

 

 「えっ?」

 

 潤の問い掛けに対し、真理愛はシャチかホオジロザメが襲い掛かるかの様な勢いで彼女に掴み掛ります。

 その様子に周囲はどよめきました。

 

 「どうして水泳から逃げたの!?2年近くもの間、一体何してたのよ貴女は!?」

 

 「………そ、それは……ハッ!」

 

 潤は何も言えず、とても苦しそうな表情を浮かべて黙るしか有りませんでしたが、直ぐに真理愛の異変に気付きました。そう、彼女の中から物凄い量の黒い煙かヘドロの様な物が迸り、天へと立ち昇っている事に……。

 

 (何……これ?まさか、これがリラちゃんの言ってた穢れなの?でも、どうして急に……?)

 

 そんな疑問に答えたのは、彼女の内なる水霊(アクア)であるステラでした。

 

 (潤、貴女の中に有る水霊士(アクアリスト)としての力が、強い穢れを前に無意識に反応したからだよ。)

 

 (えっ、ステラ?でも言われて見たらまた周りに水霊(アクア)が見える様になったけど、これがアクアリウムの力なんだ………。)

 

 (どうする潤?貴女の力でこの子を癒してみる?)

 

 (で、でもそんなの無理だよ。わたしには――――)

 

 (『でも』じゃないよ。この子がこんなに穢れを溜め込んだのは、元はと言えば潤がつまらない理由で水泳から逃げたからでしょ?だったらそれを清算する責任は潤に有る!違う?)

 

 (ステラ――――――うん!分かった。リラちゃんみたいに出来る自信なんて無いけどわたし、やってみるよ!)

 

 一方その頃、リラも既にアクアリウムで真理愛の内側に憎しみと言う強い穢れが迸っているのを感知していました。

 

 (行けない!早く漣先輩を癒さないと!)

 

 咄嗟に立ち上がって潤と真理愛の元へ行こうとした時です。

 

 「待ってリラ!忍先輩が――――」

 

 「えっ?」

 

 葵から制止されて忍の方を見ると、既に彼女がプールの中に入って潤と真理愛を止めに入ろうとしていました。

 

 「コラ漣!この勝負はお前の負けだろ!?なのに何時までも飯岡に突っ掛かりやがって好い加減にしろ!!」

 

 「でも先輩!私……」

 

 そう忍に対して真理愛が抗議しかけた時でした。

 

 「胸が大っきくなって恥ずかしかったからだよ………。」

 

 ポツリとそう、呟く様に潤は言いました。

 

 「えっ?」

 

 呆気に取られる真理愛に対し、潤はなけなしの勇気を振り絞って言いました。

 

 「わたし、中学2年の大会の後、胸が急にどんどん大きくなって、その事で男子にからかわれて恥ずかしかったから……だから水泳辞めたの!」

 

 思わぬ潤からのカミングアウトに、真理愛とその周囲の部員達は思わず凍り付きました。

 暫くして彼女達の頭の中に浮かんで来たのは、「マジ?」、「そんな事で?」、「意味分かんない。」と言った突っ込みでした。これには葵も深優も更紗も開いた口が塞がりません。リラも目が点です。

 特に水泳選手として中学時代から名を馳せていた手前、忍もみちるも瑠々も水夏も選手としての潤の事は知っていましたが、まさかそんな理由で辞めていたと知り、開いた口が塞がりません。

 

 「そんな事で………」

 

 潤の言葉を受け、真理愛は再度身体中をワナワナと震わせて怒りを蓄積させて行きます。リラと潤の目には、先程以上にドス黒い穢れが出ているのが分かりました。

 

 「そんな下んない事で水泳から逃げたのあんたは!!?私はずっと水泳選手としてのあんたの事を目標に頑張って来たのよ!!?ずっと超えたいって思って、その一心でずっとずっと練習して来たの!!なのに中学3年の大会の時には居なくて……この学校入った1年の時に、また会えたって思った時には『もう水泳やらないから』なんて言ってた癖に………何で………何でまた私の前に現れて水泳なんてやってんのよオォッ!!!!!」

 

 ずっと超えたかったライバルに裏切られた怒りと憎しみに任せ、さながら南海トラフ地震の津波の如く真理愛は言葉を迸らせました。

 潤は何も言わず、只目を閉じて黙って彼女の言葉を受け止めるだけでした。

 

 「久し振りに会ったあんたはもう……私に同着に並んでもそれ以上速くなんて泳げない………。私は勝ちたくて泳いで来たのに、あんたは負けたって悔しがる素振りすら見せない…………。そんなあんたに勝ったって、何も嬉しくない………。」

 

 「漣さん………。」

 

 先程まで迸らせていた怒りが嘘の様に下火になったかと思うと、彼女の顔は次第に無気力とも取れる表情へと変わって行きます。

 

 「もう良いわ………。私もう水泳辞める………。貴女は精々卒業まで楽しく泳いでなさいよ………。」

 

 すっかり投げ遣りになった調子で、真理愛は潤に背を向けたままプールから上がると、そのまま更衣室の方へ歩いて行こうとしました。

 

 「漣さん!?」

 

 「そんな!?」

 

 「おっ、おい本気か漣!?」

 

 アクアリウムを発動させたリラと潤の視界に映る真理愛の中では、穢れが迸るのを止めて凍結を始めていました。穢れは凍結すれば、ずっと死ぬまで怒りや憎しみ、怨嗟等の負の感情のしがらみに囚われ続ける恐れが有るのです。そうなっては、水霊士(アクアリスト)でも癒すのは困難になります。

 慌ててリラがアクアリウムを発動してプールサイド全体をブルーフィールドで覆い、周囲の水霊(アクア)達を集めてクラリファイイングスパイラルを形成する準備を始めた………その時でした!

 

 「待って漣さん!!」

 

 不意に潤が背後から真理愛を強く抱き締めて拘束しました。その時潤に起こった変化を、葵達は見逃しませんでした。

 何と、リラのブルーフィールドで青のオーヴァーレイが掛かった空間の中、更に潤の周りだけ更に濃い青のオーヴァーレイの掛かったフィールドが、円柱水槽の様に形成されていたからです!

 

 「あっ、あれ!?飯岡先輩の周りだけ、何だか余計青くなってない?」

 

 「えっ!?」

 

 「あれって、リラのアクアリウムと同じ!?」

 

 それは彼女の周囲にしか展開されていませんが間違い有りません。水霊士(アクアリスト)がアクアリウムの能力を発揮出来るブルーフィールドです。

 円柱水槽の様な青い空間の中に、大小様々な水霊(アクア)達が少しずつ集まり出しているのが見えます。

 リラのブルーフィールドが明るい感じの青なら、潤のブルーフィールドはやや濃い目の青でした。

 

 「えっ?それじゃあまさか飯岡も―――――!?」

 

 「やっぱ汐月と話した後で―――――!?」

 

 驚愕するみちると忍に対し、リラが説明します。

 

 「はい、飯岡先輩はあの後、テミスからアクアリウムの能力を授けられて水霊士(アクアリスト)になりました……。」

 

 何処か暗い感じの表情での説明でしたが、その時の彼女の心境に気付く者はいませんでした。誰もが潤が水霊士(アクアリスト)に覚醒したと言う目の前の事実に驚愕し、その事で頭が一杯でそれ以外何も見えなくなっていたからです。

 

 「マジで!?ジュンジュンもあの魚を……水の精霊を使える様になったんだ……。」

 

 「それは凄いけど、汐月と比べて初心者の潤に扱えるの?」

 

 瑠々と水夏がそんな感想と疑問を呟くと、突然テミスが現れて言いました。

 

 (それは潤次第ね。)

 

 「うわっ!!ビックリした!!」

 

 急なテミスの出現に瑠々と水夏が驚いている中、リラ達は固唾を飲んで潤の様子を見守っていました。

 

 

 「離して!!離しなさいよ!!!もう私には水泳やる意味なんて無いの!!!」

 

 「離さないよわたし、絶対に!!漣さん、わたしが逃げた後もずっと頑張って泳ぎ続けて来たんでしょ!!?去年だって国体出たって聞いて本気で驚いた!!それだけ頑張って来たのを捨てるなんて勿体無いよ!!それにわたし、悔しかったんだよ!!?」

 

 「えっ……?」

 

 その言葉に、真理愛は思わず身体の動きを止めました。気が付くと潤の周囲には沢山の水霊(アクア)達が密集しているではありませんか!

 

 「漣さんが、わたしが逃げてる間に国体行けるだけの実力を付けてたって聞いて、TVで泳いでる所見た時は素直に悔しいって思った!!『本当だったらわたしだってあそこにいる筈なのにどうして!?』って!!わたし、勉強も何をやらせても並で……、そんなわたしが唯一好きなのが水泳だったのに、自分の胸が急激に大きくなった事で男子からからかわれて、それがトラウマになって何時もビクビクオドオドする様になって………それで水泳から逃げたの!」

 

 そう叫ぶ潤の中に、やがて沢山の水霊(アクア)達が潤の身体の中に入り込みます。

 

 「でもそれって狡いよね………。わたしは本当は只楽しく泳げれば良かっただけで、漣さんみたいに全てを賭けて打ち込みたいって思うだけの覚悟も情熱も無いのに、ちょっと上手く泳げるからってだけで調子に乗って、努力してる漣さん達の心を無自覚に踏み躙って……。貴女みたいな気持ちが有ればわたしだって、男子からからかわれた位で水泳も辞めてなかったのかな……?そしたら貴女の目標でいられたのかな……?わたしには最初っから貴女のライバルでいる資格なんて無かったのに………ごめん……本当にごめんなさい!!」

 

 潤の口から溢れ出る言葉を間近で聞いている内に、真理愛の目からは大粒の涙が滂沱のそれとなって流れ出て来ました。

 

 「あれは………!?」

 

 リラが大きく目を見開いた先に映っていたのは、大量の水霊(アクア)を内に取り入れた潤の身体が、巨大なクラリファイイングスパイラルを纏って光り輝いている姿でした。

 心を洗い流す優しい水のせせらぎが、真理愛の耳にゆっくりと流れ込みます。それだけでも充分心を癒すには足りますが、更に彼女が感じていたのは自分を背中から強く抱擁している潤の温もりでした。

 まるで生まれた時に母親の懐に抱かれているかの様な、不思議な優しさと温かさと安心感が真理愛の全身を支配して行きます。

 

 「じゅ……潤………わ、私……私は…………あっ、あぁっ……あっ……………!!」

 

 「漣さん………今更許してなんて言わない。でも、我が儘を承知でお願いが有るの。貴女をわたしの目標にさせて!2年のブランクが次の総体までに何処まで埋められるか分かんないけど、貴女に追い付いて国体で一緒に泳ぎたいの!わたしを国体に連れて行ってくれる?ねぇ――――“真理愛”ちゃん!」

 

 目から滂沱の涙を流す真理愛。そんな彼女と正面から向き合い、潤は真理愛をより強く抱き締めます。

 

 「うっ…うんっ………うっ、あぁっ………うああああぁぁぁぁああ―――――――――――――――――ッ!!!!」

 

 豊満な胸に顔を埋めたまま潤の言葉に頷くと、真理愛は子供の様に声を上げて泣きました。クラリファイイングスパイラルを身に纏った潤の身体はより強い光を放ち、真理愛の穢れを跡形も無く消し去り癒したのでした。

 その光景を、葵やみちる達は只々黙ったままずっと見つめるばかりでした。

 

 (テミス、あれって………。)

 

 (『マーシーハグ』―――――その身に穢れ無き水霊(アクア)を大量に宿した状態で、穢れた相手を優しく強く抱擁する事で対象を癒す。まさに物理的に応用されたアクアリウムの術法です。然し、偶然とは言え潤は、誰にも教わらずにそれを編み出しました。)

 

 テミスの解説を受け、リラは改めて気難しい表情を浮かべます。

 

 (リラ、これでも未だ潤の事を認めたくないと言うのですか?少なくとも潤にだって、海の瞳を持つ水霊士(アクアリスト)としての素質が充分に有る事がこれで分かったと思うのだけれど。)

 

 母なる海の様な慈しみ溢れる眼差しで泣きじゃくる真理愛を見つめる潤の姿を見せ付けられ、リラはその意固地な考えを軟化させざるを得ませんでした。

 

 

 「みちる部長、忍先輩、瑠々、水夏、それに汐月さん、五十嵐さん、吉池さん、長瀞さん、お騒がせして済みませんでしたッ!」

 

 退部宣言をして周りを騒がせたとして、真理愛は頭を深々と下げて自分の勝手を謝罪しました。

 

 「顔上げろよ漣。」

 

 忍に促されて顔を上げた真理愛の顔は、憑き物が落ちた様な優しい凪の海の様な顔になっていました。

 

 「漣、貴女良い顔になったじゃない?」

 

 「えっ?そっ、そんな事は―――――。」

 

 次いでみちるからそう言われ、真理愛は戸惑います。

 すると潤がニッコリと笑顔で彼女に話し掛けます。

 

 「漣さん、わたしの事“潤”って呼んで良いから、貴女の事も名前で呼んで良い?」

 

 「何言ってるの?2人ともさっきお互いの事、思いっ切り名前で呼んでたじゃない?」

 

 みちるからそう指摘され、2人は思わずハッとなります。無意識とは言え、咄嗟にお互いの事を名前で呼んでいたなんて、2人は案外魂で強く繋がった関係なのかも知れません。

 

 「そ、そうですね……。それじゃあこれからはそう呼んで頂戴――――潤!」

 

 顔を赤らめたまま、後ろ手に手を組んでモジモジしながらそう言うと、真理愛は勇気を出して右手を差し出します。

 

 「じゃあ宜しくね、真理愛ちゃん♪」

 

 ニッコリ笑って潤がそう言うと、2人は友情の握手を交わします。只、真理愛は依然恥ずかしさからか以前顔を赤く染めておりましたが…。

 

 「でも驚きました!まさか飯岡先輩まで水霊士(アクアリスト)になってたなんて!」

 

 「凄かったです!漣先輩の事癒して見せてる飯岡先輩、まるでママみたいでした!」

 

 「えっ?いや、さっきはがむしゃらで何が何だか……。」

 

 尊敬の眼差してそう叫ぶ葵と深優の姿に、潤は戸惑うばかりです。

 すると其処へリラが潤の傍に近付いてきて言いました。

 

 「私、正直未だ自分以外の水霊士(アクアリスト)を受け入れる勇気は無いです。でもさっきの飯岡――――いいえ、潤先輩見てたら気が変わりました。」

 

 「リラちゃん、それって――――。」

 

 「はい。潤先輩、私も教えてあげます。水霊士(アクアリスト)の事、私の知ってる限り―――――。」

 

 「本当に!?有り難うリラちゃん!!改めて宜しくね!!」

 

 バスト93もの豊満な胸の圧力に掛けられてはリラも堪りません。息が出来ない苦しみから逃れようともがくばかりでした。

 

 「あっ、ちょっと潤先輩!?くくっ、苦しいぃィィィィィッ!!!」 

 

 「あ~っ!リラっちばっかり狡い私も!!」

 

 リラの事を羨ましがる余り、潤の胸を揉みしだこうとする深優とそれを止める葵。

 

 「ちょっと深優まで何やってんのよ!?」

 

 そんな何時も通りの光景に、周りは呆れながらも笑うしか有りませんでした。

 

 「お前等、じゃれ合い(キャットファイト)も其処までにしとけ。さっ、雨降って地固まった所だし、また練習再開すっぞ!」

 

 忍の号令と共に、再び霧船女子の水泳部は来たるべき6月下旬の総体兼予選会へ向けた練習に励みます。

 

 

 「潤……次の総体、絶対勝とう!その次の国体でも一緒に泳ごう!」

 

 「………うん、真理愛ちゃん!」

 

 真理愛の言葉に対し、潤は強く頷きました。みちるのホイッスルの音が響くと同時に、共に水泳を愛する2人の身体は、一斉にプールの水へと勢い良く飛び込んで行くのでした―――――。

 

 

 




キャラクターファイル20

飯岡潤(いいおかじゅん)

年齢   16歳
誕生日  3月11日
身長   168㎝
血液型  O型
種族   人間
趣味   イラストと手芸
好きな物 森林浴

ライラック色のセミロングの髪にリラと同じ澄んだ藍色の瞳、そして眼鏡が特徴(眼鏡は伊達で掛けてるだけで近視では無い)。
蒼國市のウォーターフロントに在るマンションの2階に住んでいるが、リラと同じで親が共働きで家には殆ど居らず、兄が大学に去年進学して家を出た為に1人で過ごす事が多い。
引っ込み思案で何時もオドオドしており、その所為で同級生の砂川達に1年の時からずっと虐められていた。上履きを靴下と共に中庭に投げ込まれ、それを偶然其処に居合わせたリラに拾われた事が切っ掛けで彼女の運命は変わる事となる。
アクアリウムで自身の内なる水を癒され、穢れを浄化されたのをきっかけに彼女は変わる決心をし、その為に中学以来辞めていた水泳を再開した。元々水泳は全国へ行けるだけのレヴェルだったが、どんどん成長する自身の胸を同級生の男子にからかわれた事がトラウマになって辞めていたらしい。
再び競泳水着に身を包んでプールに立つ事にした彼女だったが、同じ2年の真理愛からは中学時代にライバル視されており、突然水泳を辞めた事を根に持っていた。然し、折しも彼女もまたリラ同様水霊(アクア)が見えると言う衝撃の告白から潤自身が水霊士(アクアリスト)の素質が有るとされ、その力をリラによって開眼させた彼女は真理愛を癒し、わだかまりを解消した。因みにクラスは2年3組で得意な泳ぎは平泳ぎと背泳ぎである。蛇足だが恥ずかしがったりして照れると、無自覚に胸を大きく揺らす癖が有る。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第20話 水槽になる世界

今回で水泳部の1年のあの子と2年のあの子、そして1年のあの子と2年のあの子が急接近!


 「じゃあ潤先輩、やって見て下さい。」

 

 「う、うん……分かった。」

 

 日も落ちて空が闇の帳に覆われ掛けた夕刻、自宅アパートの近くを流れる川辺で、リラは先輩水霊士(アクアリスト)として、潤にアクアリウムの力を使いこなす為の指南を行っていました。

 精神を集中させてブルーフィールドを展開すると、潤の元に1体、また1体と水霊士(アクアリスト)達が集まって来ます。けれど、グッピーやプラティ、モーリー等のメダカ型の水霊(アクア)や、ネオンテトラの様なテトラ系をメインとしたカラシン型の水霊(アクア)が主に集まって来るリラに対し、潤に集まって来るのは決まってプレコやコリドラス、ロリカリアと言った熱帯に棲息する鯰型の水霊(アクア)がメイン。当然と言うべきか、レッドテールキャットと言う鯰型のドリスもその場にやって来ていました。

 

 (潤先輩がアクアリウムを使うと、鯰系の水霊(アクア)が集まって来るんだ……。同じ水霊士(アクアリスト)なのに何だか面白いかも。)

 

 周りに自分と違う種類の[[rb:水霊 > アクア]]が潤の周囲に集まる光景を眺めて内心そう呟くと、リラはグッピーやプラティ型の水霊(アクア)達を周囲に集めます。そうしてリラは、両手に何時もの様にコバルトブルーの光球を形成します。

 

 「じゃあ先輩―――――始めますよ!」

 

 その言葉と共に、リラは水霊士(アクアリスト)としての術法のデモンストレーションを始めました。

 

 クラリファイイングスパイラル、ストリームメモリアル、ハイドロスパイラルシュート、アクアレミニセンス、トルネードクラリフィケーション、ミラーリングアクアリウム―――――そうした術法の数々の練習に加え、普段は余り使う機会の無いポゼッションアクアリウムやストリームマインドについてもリラは教えていました。

 

 特に基本の術法であるクラリファイイングスパイラルに関してはその螺旋を大きく形成、尚且つ長時間持続出来る様にみっちりと練習を積んでいました。

 この数日間、部活動が終わってから下校する際、リラは良くこうして潤のアクアリウム特訓に付き合う様になっていたのです。

 最初はテミスから頼まれたからと言うのも有りますが、彼女が同級生の真理愛の水をその力で癒した所から、潤の水霊士(アクアリスト)としての確かな才能を認めたからと言う点が今では大きい。

 

 「ハァ……ハァ………疲れた………。」

 

 練習の疲れの為に集中力が切れたのか、潤は徐にブルーフィールドを解除してその場にへたり込んでしまいました。

 

 (いや~、あんた水霊士(アクアリスト)としては新米やって聞いとったけど、ホンマにええ筋しとると思うで!)

 

 するとドリスが近付いて来て潤の背中に鼻先を当てて擦り付けながらそう励まします。尤も、潤はブルーフィールド処かアクアフィールド其の物を解除してしまっていた為、ドリスの声など聴こえていませんでしたが…。

 

 「先輩、また少し上達しましたね。お腹も空きましたし、今日は此処までにしますか?」

 

 リラの言葉と共に鳴り出す腹の音に、潤は思わず顔を赤らめます。川のせせらぎの音を以てしても誤魔化し切れない程の音だった為、リラも苦笑いを禁じ得ません。

 

 「そっ、そうだねリラちゃん!じゃあ、これからわたしの家来る?何時も練習に付き合ってくれてるからそのお礼に♪」

 

 「えっ、良いんですか!?」

 

 まさかの潤からの夕飯の誘いに、リラは思わず嬉しくなりました。そうして2人は、少し離れた場所に有る潤の自宅マンションへと夕飯を食べに向かって行くのでした。

 

 

 「水泳の練習が終わった後だってのに、あいつ等無駄に元気だよな………。」

 

 そんな2人の様子を、離れた場所から見守りながらそう呟くのはリラのアパートの近所に住んでいる忍です。彼女はアクアフィールド圏外の離れた場所で2人の様子を眺めている為、挙動不審な事をやっている女子高生の後輩2人の姿にしかリラ達が見えませんでしたが、水霊仲間(アクアメイト)として事情を知ってる手前、苦笑しながらもその様子を微笑ましく見守っているのでした―――――。

 

 

 翌日の事です。放課後の部活でリラは、何時もの様に練習もそこそこに今日も水霊(アクア)と一緒に楽しそうに泳ぎ戯れていました。

 

 「何だ、あいつまた水霊(アクア)と遊んでんのか?」

 

 「もう直ぐ総体も近いって言うのに……。」

 

 忍とみちるが呆れてそう呟く横で、水霊士(アクアリスト)として覚醒した潤が微笑ましくそれを見つめながら零しました。

 

 「でもとっても楽しそうですよリラちゃん。テミスや他のグッピーやネオンテトラ、それに色んな魚の姿の水霊(アクア)達と楽しそうに泳いで……。」

 

 「あぁ、水霊士(アクアリスト)って言うのになった潤は見えるんだったわね。その水霊(アクア)って言う魚のお化けみたいなのが――――。」

 

 潤の言葉に対し、真理愛が納得と言わんばかりにそうコメントしていると、リラがプールから上がって来ます。

 それを受けて瑠々と水夏がリラに絡んで来ます。

 

 「ねぇ汐月、あんた何時もプールで泳ぎ回ってるけど、それってあの水霊(アクア)って言うのと遊んでんのよね?」

 

 「えっ?遊んでるって言うか、一緒にテレパシーでおしゃべりしてるって言うか……。」

 

 「でもそれって見えない私達からすれば不謹慎よ?大会だって近いのに1人で遊んで迷惑だって思わないの?」

 

 「ごめんなさい……。皆が楽しそうに話し掛けて来るからつい………。」

 

 水夏に咎められ、リラは思わず俯き様にそう返します。分かってはいても、水霊士(アクアリスト)として水霊(アクア)が見えて彼女達と言葉を交わせる以上、水の中を泳ぐ瞬間はリラにとって水霊(アクア)達と肌で触れ合える至福の時間。

 然し、水霊士(アクアリスト)である潤を除いて他の一般人には水霊(アクア)は見えません。水霊仲間(アクアメイト)として自分の秘密を知る葵達同級生や上の2,3年の先輩達とて、それは例外では無い。

 

 「ねぇリラ、水の有る所なら水霊(アクア)は一杯居るみたいだけど、それってこんなプールも一緒なの?」

 

 葵が今更と思う様な問い掛けを投げ掛けると、リラは言います。

 

 「うん、消毒の為の塩素(カルキ)が入ってたって水は水だから、水霊(アクア)達はプールにも出て来るよ。」

 

 すると今度は深優がとんでもない発言をしました。それもリラにとっても目から鱗と言っても良い発言を―――――。

 

 

 「でもさー、何とか一般人の私達でも水霊(アクア)見れる様になったら良いのにね。リラっちや飯岡先輩みたいな水霊士(アクアリスト)のアクアリウムで一々見せて貰わなくても、見たい時に見れる様に。」

 

 

 「えっ……?」

 

 この深優の発言を受けてリラが目を点にする中、真っ先に口を開いたのは忍でした?

 

 「あぁ、そりゃ確かにあたしも思ったわ。一々汐月、それに飯岡から見せて貰うよりあたし等が見たい時に見れた方が、何か有った時に力になれるだろうしな。」

 

 「まぁ、水霊士(アクアリスト)でも無い一般人の私達に出来る事なんてあんまり無いかもですけど、葵が好きな相手にフラれて穢れが溜まったのを深優が何とか癒した事が有りましたしね。」

 

 「へぇ、そんな事が有ったのね……。」

 

 「ちょっと更紗!恥ずかしい事バラさないでよ!!」

 

 更紗の補足説明に興味深く相槌を打つみちるに対し、余程思い出したくない黒歴史だからか、葵が顔を赤らめてそう叫びます。

 そんな中でテミスにリラがテレパシーで相談します。 

 

 (ねぇテミス、一般人でも水霊(アクア)が見れる様にする方法なんて、そんなの有るの?)

 

 テミスは直ぐに返事します。

 

 (有るには有りますよ。水霊士(アクアリスト)が自身の中で熟成された水霊力(アクアフォース)を他の人間の内なる水霊(アクア)の中に分け与えてあげれば、その宿主が『見たい』と念じた時に見える様になるの。)

 

 (へぇ、そう言うのも有るんだ……。)

 

 内心そう相槌を打つリラに対し、深優が不意に話し掛けて来ます。

 

 「ねぇリラっち、さっきから何じっと黙ってんの?」

 

 その問いにリラの代わりに答えたのは潤でした。

 

 「リラちゃんね、テミスとテレパシーでお喋りしてたの。さっき吉池さんが言ってた事について質問してたよ?そしたら皆も見える様になる方法有るって!」

 

 「あっ、ちょっと潤先輩!」

 

 咄嗟に潤を制止しようとするリラですが時既に遅し。他の水霊仲間(アクアメイト)の先輩や同級生達は突然の俄か雨の様に色めき立ちます。

 

 「えっ、本当!?」

 

 「マジか!」

 

 「私も見れる様になりたい!」

 

 此処まで皆にせがまれては元来、気弱な位に内向的で押しの弱いリラとしては根負けせざるを得ません。

 

 「………分かりました。」

 

 そう言うとリラはブルーフィールドを展開。右手にコバルトブルーの光の球を発生させます。

 

 「熟練の水霊士(アクアリスト)水霊力(アクアフォース)を葵ちゃんや先輩達の内なる水霊(アクア)に分け与えれば、皆にも見る位は出来る様になるってテミスは言ってました。」

 

 熟練ですので、未だ覚醒したばかりで日の浅い潤にそれは務まりません。この場に限って言えば、それは経験者であるリラにしか出来ない事でしょう。

 水霊力(アクアフォース)の光球をを小さく拡散させると、それを葵達の内なる水霊(アクア)――――即ちアンジュ、ブルーム、プラチナ、ノーチラス、ヴァルナ、シュトラーセ、シュロ、レインへとリラは宿しました。

 

 「じゃあ葵ちゃん、深優ちゃん、更紗ちゃん、部長に先輩の皆さん、『水霊(アクア)が見たい』って強く念じてみて下さい。」

 

 リラに促されて潤以外の8人がそう頭で強く想うとどうでしょう。

 

 「……あっ!見える!テミスが向こうで泳いでるのが!」

 

 「うわっ!ジュンジュンの足元にデカい鯰!」

 

 葵が指差したプールの先では、ゆったりと泳ぐテミスの姿が有りましたし、瑠々の視界の先にも確かに潤の足元を泳ぐドリスの姿が有りました。

 それは最初は半透明で薄らとでしたが、次第にくっきりと見え出します。気が付けばプールの周りを大小様々な、見た事も無い沢山の魚が群れや単独問わず泳ぎ回る光景が広がり、さながら海底に沈んだ街の様な錯覚が水泳部のメンバー全員を支配するのでした。

 

 「凄いわね……グッピーやクマノミやツノダシみたいなのまで一杯泳ぎ回ってる……。」

 

 「汐月、お前何時もこんな景色の中で泳いでたのか?」

 

 忍がリラにそう尋ねると、突然プールに水飛沫が上がります。

 何事かと思って音のした方を向くと、真理愛がプールに飛び込んで水霊士(アクア)達に囲まれながら泳ぎ出していたのです!

 水霊士(アクアリスト)が力を与えれば一般人でも使えて水霊(アクア)が霊視出来るこのアクアリウムの術法こそ、『アクアヴィジョン』です。

 

 「何これ、とても素敵だわ!沢山の綺麗で可愛い魚達と一緒に泳ぐなんて楽しい!」

 

 最初は水霊(アクア)に対して興味を示していなかった真理愛も、こうなると話は別です。一発でその世界の美しさの虜になってしまいました。

 然し、それは彼女がより楽しく水泳を行う上での良い刺激となったので結果オーライでしょう。

 

 「あっ!真理愛ちゃんだけ狡い!」

 

 潤がそう叫ぶ横でリラがアクアフィールドをプールに展開すると、次は水霊(アクア)達の声が聴こえて来ます。

 

 (遊ぼ!)

 

 (皆どうしたの?一緒に泳ごうよ!)

 

 (私達、泳いでる皆の姿が見たいの!)

 

 彼女達の声を受け、プールサイドに佇んでいた真理愛以外の部員達も自らの内に俄然やる気が出て来るのを感じました。

 

 「何これ?」

 

 「汐月、これってあの水霊(アクア)達の声なの?」

 

 みちるがリラに尋ねると、リラは答えます。

 

 「私は先輩達に水霊(アクア)達の姿を見れる様にしましたけど、声はアクアリウム無しでは聞けません。」

 

 「まっ、確かにこんだけ沢山の奴が騒ぐ声が日常でも聞こえたら、とても生活処じゃねぇわな。」

 

 忍が苦笑いしながらそう頷くと、プールで真理愛が声を上げて言います。

 

 「何やってるんですか先輩!?それに皆も!早く一緒に練習しましょう!水霊(アクア)達も一緒に泳ぎたがってるし、これ以上のモチベーションって無いと思います!」

 

 真理愛の言葉を受けて、瑠々と水夏もやる気満々と言わんばかりにこう言います。

 

 「言われなくたってそうするよ真理愛!」

 

 「水霊(アクア)は水其の物だって汐月言ってたけど、『水は私達の友達』だって、あの子達の言葉で良く分かったから……!!」

 

 「良し!漣、一旦上がりなさい!それじゃあ吉池、長瀞、星原、濱渦!自由形100m行くわよ!」

 

 「はい!!」

 

 総体を前に水霊(アクア)達からの応援の言葉を受け、更なる弾みが付いた霧船女学園水泳部は、最後の調整に向けて再び練習を再開するのでした。

 

 

 水霊(アクア)を見たい時に見られる様になった事は、彼女達のスクールライフ其の物の装いと彩りを変えたのは言うまでも有りません。

 授業の合間や休み時間等、隙を見つけてはアクアヴィジョンで周囲を泳ぐ水霊(アクア)達を眺めてはその様子を楽しむ様になったのです。

 

 (うわぁ、色んなカラフルの魚が泳いでて綺麗……。)

 

 (おぉっ、でっかいのが窓の向こうでゆったり泳いでる!)

 

 教室の中や校舎の周りを時にゆったりと、時に忙しなく、群れたり単独で泳ぐ様々な色と姿の魚達の姿に、葵達は不思議と心を癒されます。然し、これは何も不思議な事ではありません。

 熱帯魚と水草で彩られた水槽は、現実に於いても『アクアリウムセラピー』と言って癒しの効果が有る事が分かって来たからです。

 

 最近の研究で、観賞魚には人間関係が出来上がり、新しい環境に慣れるまでの間のストレスを緩和する可能性が有る事が分かって来ました。

 それは睡眠と覚醒の中間の状態に有る浅い眠り――――即ちレム睡眠と言う夢心地の状態に有る時に脳から発せられるシータ波の発生を促し、治癒力を高めるセラピー効果を齎すのです。

 当然それはストレス軽減の効果も有ります。病院で熱帯魚の水槽が置かれているのを目撃した事の有る人も少なからず居るでしょう。あれは患者の精神的な苦痛や不安、退屈を緩和させる為なのです。

 研究者の話では、水槽の中を観察する事で子供の痛みの知覚が軽減したり、血圧が下がったりする効果も有る様です。歯科治療の前にアクアリウムを観た患者は、それだけでも緊張が解けるとまで言われています。

 

 更に言いますと、海外でもアメリカのインディアナ州に有るパデュー大学で、アルツハイマーの患者に水槽で泳ぐ色取り取りの魚を見せると落ち着いて意識もしっかりし始めたという研究結果が発表され、認知症に対しても精神の安定の為にアクアリウムセラピーが実践されているのです!

  

 リラのクラリファイイングスパイラルでなくても、泳ぐ魚達の姿は眺めているだけでも十分な癒しの効果が有り、それが更に教室や街の中や空の上を泳ぐと言う非日常の光景は、葵達の心を癒して穢れを浄化するのに充分でした。

 

 「おい五十嵐!何ボーっとしてるんだ!?」

 

 「……はっ、はい!」 

 

 けれど、偶にボーッと見つめてて先生から注意されるなんて事も有る為、余り長い間眺めているのはお勧め出来ないのですけどね?

 

 

 さて、そんな或る日の昼休みの事です。

 

 「あれ、汐月達じゃん?」

 

 「奇遇………。」

 

 「えっ?」

 

 「星原先輩!濱渦先輩!」

 

 昼食を摂ろうとリラ達4人が校庭に足を運ぶと、其処には偶然瑠々と水夏の2人の姿が有りました。先陣を切って葵が尋ねます。

 

 「先輩達もご飯ですか?」

 

 「そうだけど、もしかしてあんた達も?」

 

 「じゃあ一緒に食べませんか?」

 

 「良いよ。皆とも1度話がしたいって思ってたし。瑠々も。」

 

 「なっ!?恥ずかしい事言わないでよ馬鹿!」

 

 2人の遣り取りを前に、4人は顔を見合わせて「フフッ」と笑うと、2人の傍に腰掛けて一緒に昼食を摂りながら先輩後輩でのガールズトークに興じます。

 

 「へぇ、先輩達って幼馴染みだったんですか!私と深優と一緒なんですね!」

 

 「わたしもあんたと吉池仲が良いからもしかしてって思ったけど、やっぱ幼馴染みだったのね。」

 

 お互いがお互いを幼馴染みと知り、葵と瑠々は驚きと共に親近感の眼差しで互いを見遣ります。

 

 「でも吉池、お互い相方が馬鹿だし喧しいし苦労するわね。」

 

 「本当ですよ!葵ったら何時も何時も世話が焼けるんだから……。」

 

 「ちょっと深優!それどう言う意味よ!?」

 

 「ってかわたしに言わせりゃ世話焼けんのはあんたでしょ水夏!!何時も何時もボーッとして天然ボケで!!」

 

 瑠々の突っ込みに対して水夏は数秒の沈黙を置いて返します。

 

 「………何時もテスト前や連休明けに宿題の事で泣き付いて来る癖に。」

 

 「なッ!?」

 

 水夏からバッサリ切り返され、瑠々は言葉も有りません。追い打ちを掛ける様に深優もこれに続きます。

 

 「うんうん。葵もそうでした。」

 

 「何よ~ッ!?悪かったわねあんた程頭良く無くて!!それよりあんたもう他人の胸揉みまくるの良い加減止めなさいよ!皆迷惑してんだから!!」

 

 「死んでもイ・ヤ・よ!!」

 

 そう言って深優は正面から葵の胸の膨らみに両手を押し当て、思いっ切り握り締めます。

 

 「ひやああぁぁあんッ♥」

 

 そんな4人の遣り取りを、リラと更紗の2人は苦笑いしながらずっと無言で見つめるしか出来ずにいました。

 今回の会食を機に成績優秀枠の深優と水夏、明るいムードメーカーの葵と瑠々の4人は、それぞれがそれぞれで共通点を持つ幼馴染み同士である事を知り、同時に先輩後輩の垣根を超えて互いの距離が縮まったのは言うまでも有りません。

 

 

 さて、それから時は流れて放課後、何時もの部活での事です。

 

 「個人の部は誰がどれに出場するかは決まったけど、残りのリレーは誰が出るかしら?」

 

 総体を前に控え、未だ出場者の決まっていない400mメドレーリレーに誰が出るか、みちる達は決めようとしていました。

 因みに個人戦に於いて誰がどの種目に参加するかの内訳は以下の通りです。

 

 先ず1年はリラが100mバタフライ、葵が100m背泳ぎ、深優が100m自由形、更紗が200m自由形にそれぞれ参加。

 続く2年は潤が100m背泳ぎ、瑠々が400m自由形、水夏が200m平泳ぎ、真理愛が200m自由形。

 そして最後の3年はみちるが400m個人メドレー、エースの忍が100mバタフライとなります。

 

 さて、残る団体戦である400mメドレーリレーには誰が参加するのでしょう?

 

 「はい!わたし、自由形(フリー)で出ます!」

 

 「じゃあ私は平泳ぎで。」

 

 先ず志願したのは瑠々と水夏の2人でした。

 

 「まぁ、お前等2人は順当だな。」

 

 「星原と濱渦は去年もリレー出てたからね。」

 

 因みに後の2人はみちると真理愛の2人でした。尤も、地区予選は突破出来た物の、関東大会では惜しくも敗退しましたが……。

 その代わり個人の部でみちると真理愛、そして卒業した先輩が無事に全国大会へと駒を進め、昨年は全国3位に辛うじて上り詰めました。

 言い忘れてましたが、霧船女学園水泳部は部員こそ毎年10人前後で決して多くは無い物の、それでもほぼ毎年全国大会へ出て上位の記録を残す常連だったのです。同年9月には国体にも出ました。

 多くの人が水泳に親しむ水の都である蒼國に在って、並み居る地元のライバルを毎回押し退けての全国出場――――男子の居る学校が加わればまた事情は変わりますが、それでも霧船女学園は実績だけを見れば、充分強豪を謳うのに足る名校なのです!

 

 「わ、私も背泳ぎで出ます!」 

 

 「それじゃあ最後は私もバッタで出ます!」

 

 「良し、じゃあ残る2人はお前等な!」

 

 更に葵と深優も同時に志願すると、忍は首を縦に振ってこれを承認します。5月からの練習の過程で、みちるも忍も2人の成長は身近で見て来ました。幼馴染み故の息の合った動きも。

 取り分け葵は1年の中では未だ実力的に心許無い所が有りますが、忍や真理愛のお陰で1番得意な背泳ぎ以外、一通りの泳ぎがこなせるまでに上達して来ました。

 後は実際の大会に於いて場数を踏んで経験を積むだけ。そう判断しての承認でした。

 

 「それじゃあ総体まで後2週間……気合い入れて行くわよ!」

 

 みちるの号令の下、何時もの様にリラ達は練習に励みます。水霊達に見守られながら―――――。

 

 

 個人戦に加え、団体戦に於けるリレーの練習に日々取り組む先輩、後輩の2組の幼馴染みコンビ。葵が背泳ぎ、深優がバタフライ、瑠々が自由形で水夏が平泳ぎで泳ぎます。

 尤も、個人で泳ぐ距離が200mや400mと長いだけの瑠々や水夏としては、特別練習でやる事など有りません。それぞれ個人と同じ泳法で、より短い100mを泳ぎ切るだけです。

 それは個人でも100mを背泳ぎで泳ぐ葵も例には漏れません。唯一勝手が違うのは、個人で自由形なのに対してメドレーリレーでバタフライを泳がねばならない深優だけです。

 プール開き以来、自由形以外で泳いでいる所を見た事が無い葵以外の部員達は内心心配でした。

 

 そんな彼女達の心配を他所に、練習開始と共に深優はリラと忍にバタフライで一緒に泳ぐ事を持ち掛けて来ます。

 

 「それじゃあリラっち、バッタで泳ご?忍先輩も良いですよね?」

 

 「え?うん、良いよ深優ちゃん。」

 

 「リレーの練習か?自由形(フリー)以外で泳いでるとこあんまし見ねぇが、本当にバッタ出来んのかお前?」

 

 忍の問い掛けに対し、深優は得意気に答えます。

 

 「大丈夫ですよ先輩!霧船入るまで長い間ご無沙汰でしたけど、私、バッタも平泳ぎも背泳ぎも皆得意なんですから!2週間も有れば勘なんて十分取り戻せますって♪」

 

 そしてその言葉は、確かな説得力を以てその場に居る物全てを納得させる結果となって現れました。

 みちるのホイッスルの音と共に、一斉にバタフライで50mプールを往復。合計で100mを泳ぎ始めるリラと忍と深優。果たして結果は―――――。

 

 「――――忍1:07.32、汐月1:17.64、そして吉池が………1:10.92!?」

 

 

 流石に忍には及ばなかった物のそれでもリラ以上の好記録!これには他のプールサイドで眺めていた部員達も感嘆の声を上げます。

 

 「吉池凄いじゃん……。」

 

 「吉池さん、バッタでもあんなに速く泳げるんだ……。」

 

 「只者じゃないって思ってたけど、本当やるわねあの子……。」

 

 瑠々と潤、そして真理愛が改めて深優のハイスペック振りに感心する中、1年の更紗も同じ様なコメントをします。

 

 「本当に凄いよ深優……忍先輩が3年のエースなら、私達1年のエースはやっぱ深優だよね……。」

 

 「まっ、あれ位あいつならやれるわよね。」

 

 幼馴染みと言う事も有ってか、深優の実力に関して葵は然程驚いてはいない様でした。

 3人がプールから上がると、今度は他のメンバー達が入れ替わりに思い思いのやり方で泳ぎ始めました。

 尚、霧船のプールのコースは全部で6つ有りますが、その内半分の3コースは200m以上を泳ぐメンバーが、残りの半分は100mを泳ぐメンバーが利用して泳いでいます。

 

 「じゃあ更紗、あんた終わったら次私ね?」

 

 ですが待って下さい。葵が更紗に200mを自由形で泳いだ後、自分にバトンタッチする様に頼んで来ました。

 

 「星原先輩、次は私に泳がせて下さい!」

 

 同じ事は瑠々に対する深優も口にしていました。

 

 「良いけど葵、あんまり無茶しないでよ?」

 

 「けどあんた達大丈夫?6月入ってから1度に1000mも泳ぐなんてさ。」

 

 更紗と瑠々がそう心配そうに2人に言うのも無理は有りません。水夏とみちるも黙ってはいましたが気持ちは同じです。

 元々瑠々や水夏、それに更紗やみちるがが200m以上を日常的に泳ぐ長距離選手なのに対し、葵と深優はどちらかと言えば50mが基本で幾等長く泳いでも100mが限界の短距離選手。幾等100m泳いで後続の選手に交替するリレー形式とは言え、途中で速度が落ちてしまっては不利です。

 それに繰り返しになりますが、葵も深優も中学の体育以外で水泳は御無沙汰だった為、技術面は兎も角、体力面ではどうしても長距離選手達から見ても心許無い。

 何より6月も1週目が過ぎて総体まで残り2週間しか有りません。それまでも2人は100~200m以上泳ぐ練習を、体力作りの一環でランニング等と並行してやっていましたが、それ以上に基本50mの短距離を得意とする2人は、生温い練習では駄目だと6月に入ってから500m~1000m、時にはそれ以上の距離を週に数回泳ぐ様になりました。行く行くは1万mの泳ぎ込みが出来る様になる様に……。

 

 

 「平気です!って言うか、先輩達の足を引っ張んない為にも私達、体力付けなきゃ行けないですからそれ位で泣き言なんて言ってられません!」

 

 そうして葵と深優は自身の肉体に鞭を打ち、己が限界に挑むべく1000mの距離を泳ぎ始めます。

 

 「あの子達もすっかり水泳のアスリートね……。」

 

 「その内1万m泳ぎ込みが出来る様になりゃ良いな。」

 

 個人メドレーの練習の為の泳ぎを終え、プールサイドに上がったみちるは、直ぐ傍の忍の横でやれやれとばかりにそう呟き、1年の幼馴染みコンビの泳ぐ姿を見つめるのでした。

 勿論、モチベーションの為に水霊(アクア)を霊視してやる気を上げる事も忘れていません。

 

 「ふぅ~、もうクッタクタに疲れたぁ~………。」

 

 「リラっち、アクアリウムお願い……。」

 

 先輩達の足を引っ張るまいと、深優と葵はより懸命に練習する日々。練習が終わったらリラに頼んで忍と共にクラリファイイングスパイラルで癒して貰っていたのでした。

 

 「潤先輩、私は忍先輩と葵ちゃんと深優ちゃんを癒しますから、先輩は他の人達をお願いします。」

 

 「任せて!」

 

 勿論、潤も経験を積む一環でアクアリウムを行使していました。クラリファイイングスパイラルを形成する潤ですが、此処から彼女は独自のアレンジを加えます。

 

 「じゃあ瑠々ちゃん、水夏ちゃん、始めるよ?」

 

 そう言って潤が行ったのは何と、『クラリファイイングスパイラルを腕に纏っての指圧』でした。

 当初はリラと同じ様に光の螺旋を形成してその中に相手を包み込んで癒していまた潤ですが、彼女はマーシーハグで真理愛を癒した経験から、其処から自身の身にクラリファイイングスパイラルを纏って物理的干渉を伴う癒しの手段を編み出していたのでした。

 特にマヌンダのやり方にインスピレーションを受けたのか、その手でマッサージを施すやり方の方が性に合っていた様です。

 

 「ああぁぁっ、良いよジュンジュン、凄く効くうぅぅぅぅっ……!!」

 

 「本当に、水霊士(アクアリスト)2人も居てくれて助かるわぁ………。」

 

 (テミスとマヌンダの協力が有ったとは言え、この数日間で自分に合った癒し方を編み出すなんて、潤先輩って意外と凄いかも……。)

 

 マヌンダ宜しくクラリファイイングスパイラルを纏った腕で2人を癒す潤の姿に、リラは感心するばかりです。肝心の潤の腕ですが、疲れて出先から帰って来た兄のマッサージを良く行っていた事も有り、その腕は見事な物でした!

 

 「でもやっぱり、1番癒されるのって、この水霊(アクア)達が泳ぎ回ってる所を眺めてる瞬間よね。」

 

 「あぁ、そうだな……。」

 

 クラリファイイングスパイラルに包まれながらみちると忍がアクアヴィジョンを発動させて眺める先には、カラフル且つ様々な姿形の水霊(アクア)達が楽しそうに更衣室内を泳ぎ回ると言う、見ているだけで癒される幻想的な光景でした。

 例え厳しい練習でヘトヘトになっても、自分達の姿を見守る様に泳ぎ回る水霊(アクア)達の姿を見ると、彼女達の中には不思議と元気が湧いて来るのでした。

 

 プールで泳いでいる時も、更衣室に戻る時も―――――。

 

 

 そうして更に翌日の事です。

 

 「あ~~っ!また理科室に教科書とノート忘れた!!」

 

 「またなの?全く、葵は相変わらずそそっかしいんだから……。」

 

 何時もの昼休みですが、どうやら葵がうっかり理科室に忘れ物をしたので取りに向かいました。幼馴染みの手前、付き合いの良い深優もそれに同伴します。

 

 「有った有った!」

 

 「んじゃ、戻ろっか葵。リラっちとサラサラ、待ってる間、今頃何やってるかな?」

 

 「少なくともあんたみたいにゲームはしてないと思うけど?」

 

 そう皮肉を言いながら、葵が深優と一緒に1年の教室が有る3階を蹴り昇って行った時です。

 

 「でさー、昨日帰ってから観たドラマで―――――。」

 

 「あぁ、それ観た観た。主人公役の――――――。」

 

 不意に2年の階段近くの廊下で、2人の女子の話し声が聴こえて来ました。聞き覚えの有る声だった為に陰から覗いてみると、話をしていたのは水泳部の先輩の瑠々と水夏でした。

 

 (星原先輩?濱渦先輩?)

 

 思わず足を止めて2人の会話に聞き入っていると、深優が彼女に小声で注意の言葉を投げ掛けます。

 

 「ちょっと葵!他人の立ち話陰で盗み聞くなんて駄目だよ!早く3階行こうってば!」

 

 「ごめんごめん。」

 

 そう返してから改めて階段を昇って行こうとした時でした。

 

 「それとさ水夏、五十嵐の事なんだけど―――――。」

 

 (えっ――――――?)

 

 瑠々が口にした「五十嵐」と言う苗字に、葵は思わず足を止めます。同じクラスの違う人の苗字の可能性も頭を過ぎりましたが、相手が相手だけに自分の事を言っている可能性が高い。

 そう思うと、葵は2人の会話に嫌でも耳を傾けざるを得ません。同じ事は条件反射で深優も無意識に行っていました。

 

 「あの子がわたし等と一緒にリレーに出んの、あんたはどう思う?」

 

 「別に私は良いと思うわよ?1年なんだし、経験積ませて成長させる意味でも。潤以外の新入部員の中じゃタイムは1番下だけど、それでもちょっとずつだけど縮めてるんだし?」

 

 「けどもう総体まで2週間も無いのよ?吉池があんな早く上達してんのに比べて、五十嵐遅いじゃん。あんなんで本番間に合うのかしら?」

 

 「まぁ、気持ちは分かるわよ。潤は兎も角、私や瑠々は真理愛と違ってA決勝で上に残んのは難しいからね~。去年私、結局A決勝6位で標準届かなかったしさ……。代わりにあんたと部長と真理愛の4人でのリレーで何とか決勝4位で進出出来たから……。」

 

 「わたしも予選突破したのに決勝5位だったけど、標準に届かなくて関東大会出れなかったし……。」

 

 何と、瑠々と水夏は個人戦で関東大会出場を逃すと言う苦い経験を味わっていたのです。通常、競泳では先ず予選を勝ち抜いた8人が選ばれ、優勝者を決める決勝が行われます。霧船がこれから参加する総体では、決勝で4~8位の者は地方大会の標準記録を突破しなければそれに出場する事は出来ない訳ですが、悲しい事に瑠々と水夏はA決勝まで進出したにも関わらず、標準記録を突破出来ずに関東大会の選抜に落ちていた訳でした。只、それでも並み居る蒼國の猛者が犇めく予選を勝ち抜き、A決勝に進出出来ただけでも2人の実力は決して低くない事は確かでしょう。

 

 とは言えそんな彼女達にとって、みちる達と一緒に全国の舞台へ立つ為には個人戦より、団体戦である400mメドレーリレーの方がそう出来る確率としては高いと言うのが、彼女達の見解の様でした

 

 ですがこの時、瑠々は近くで葵が自分達の会話を聞いている事など露知らず、とびっきり無神経な発言をしてしまうのでした……。

 

 「あ~~~っ、どうせだったら五十嵐以外の誰かだったら良かったのに!あの子と一緒に泳いで負けて、わたし等だけ全国行けなかったら超ショックなんですけど!」

 

 (―――――――――――ッ!!)

 

 (葵……!?)

 

 瑠々のその言葉に、葵がショックを受けたのは言うまでも有りません。まさか自分が足手纏いだと、一緒にリレーを泳ぐ仲間から本心でそう思われてたと知って動揺しない者など居る筈も無いのですから当然です。

 

 「良く言うよ。リレーで地方出れても、結局予選落ちして全国行けなかったじゃん私達……。」

 

 「だから勝てる子と組んでリレー出たいんじゃん!!」

 

 瑠々がそう強く水夏に反論した時です。

 

 キーンコーンカーンコーン………。

 

 無情に鳴り響くのは昼休みの終焉と、午後の授業の始まりを告げるチャイム。瑠々と水夏はそのまま葵と深優の事になど最後まで気付かず、そのまま教室へと戻って行きました。

 

 「何よ、星原先輩ったら無神経過ぎでしょ……。」

 

 瑠々の発言にそう憤慨しながらそう呟く深優。ですが、今は先生が来る前に教室に戻って次の授業に備えねばなりません。

 

 「でも今は教室に……って葵?」

 

 気を取り直して教室に戻ろうとしますが、葵はそのまま呆然とその場に無言で立ち尽くすばかりで動こうとしません。まるで海底に降ろされて鎮座する錨の様です。

 

 「もう!何時までボーッとしてんのさ葵!?授業始まるから行くよ!!」

 

 「ハッ!!ご、ごめん深優……。」

 

 自身のシャウトで葵が我に返ったのを確認すると、直ぐに深優は葵の手を引いて一路自身の配属先である1年2組へと戻って行きました。

 

 

 そうして放課後、例によって何時もの部活の時間になってからの事です。霧船水泳部の本日の練習は、市民プールで行われる運びとなりました。

 何時もの様に、各々の得意な泳法で100m、200mと言う距離を泳ぐリラ達。長距離選手のみちる、瑠々、水夏、更紗もそうですが、短距離選手の葵と深優も体力作りの意味で今日も1000m以上を目標に泳いでいるのですが―――――。

 

 (頑張らなきゃ……もっと速く泳げる様にならなきゃ……!!)

 

 心なしか葵の泳ぎに、何時も以上の必死さが垣間見えます。もっと速く、もっと速くと、まるで今の遅い自分じゃ駄目だと言う強迫観念に駆られて焦っている様子がありありと伝わって来るかの様です。

 

 「ねぇ吉池、五十嵐の様子、何時もと違くない?」

 

 真っ先に違和感に気付いたのは部長のみちるでした。そう言って深優に尋ねると、彼女も同じ事を思っていたのか、こう答えます。

 

 「はい、確かに……。」

 

 何故葵がそうなってしまったのか、深優には見当が付いていました。葵があぁも必死で泳ぐ理由――――それは言うまでも無く瑠々の言葉が原因です。

 瑠々は自分の実力を信じていない………それを知らず知らずにとは言え聞いてしまったのですから焦るのも無理は有りません。

 

 (星原先輩や深優達の足を引っ張んない為にも――――私がもっと上に行かなきゃ!!何時までも皆の中でタイムが1番ビリのままなんて………それだって嫌だから!!)

 

 然し葵自身、瑠々に言われるまでも無く自分が1年の中でタイムが最下位であり、誰にも勝てていない事に対し、少なからず焦りや劣等感を感じていました。

 元々天才肌な幼馴染みの深優や、フィジカル面に恵まれた更紗。そして驚異の肺活量と水を愛する心でグングンと伸びて行くリラ。同じ1年の彼女達と比べて、自分の成長は遅くて微々たる物。

 圧倒的な持つ者と言うべき3人の同期を前にすれば、『置いて行かれる』と言う焦りは嫌でも葵の心を支配しに掛かるのも当然でしょう。彼女の心は今、津波の如く押し寄せる焦燥に呑まれ、まさしく沈む一歩手前に在ったのでした。

 

 (葵……。)

 

 その様子を心配そうに深優は遠目から見守っています。こうなって来ると彼女も練習処では有りません。

 漸く1000mを泳ぎ切ってプールを上がる葵を見て、深優が思わず彼女の下に駆け寄ります。

 

 (えっ?深優ちゃん、葵ちゃんのとこへ行ってどうしたの?)

 

 先程から自身の練習に取り組んでいたリラですが、不意に視界に入った葵と深優を怪訝そうに見つめます。

 すると、プールに居合わせた青鈍色のカブトガニ型の水霊(アクア)である『エウナド』がリラの元にやって来て囁きました。

 

 (リラ、あの少女は―――――)

 

 (汐月の奴、あのカブトガニみたいなのと何話してんだ?)

 

 その様子を、リラから水霊(アクア)を見られる様にして貰った忍がその傍で訝し気に眺めていました。2人は同じバタフライの選手である為、一緒に練習すべく泳いでいたのでした。

 

 「ハァーッ……ハァーッ………」

 

 「葵!」

 

 「深優……。」

 

 「大丈夫、葵?凄いヘトヘトだけど、無理し過ぎじゃないの?」

 

 心配そうに話し掛けて来る深優に対し、葵は何も言わずに無言で立ち上がると、再びプールへと飛び込んで泳ごうとします。

 

 「葵!?」

 

 再び背泳ぎで泳ぐ葵。恐らくまた1000mを泳ぎ切ろうと言うのでしょう。然し、元々短距離選手である葵は本来、200mが無理無く泳ぐ限界です。500mも泳げば疲れが全身に溜まるのに、その倍の1000mともなれば全身が悲鳴を上げてガタが来るのは必定。

 幾等体力作りの為とは言え、身体を壊しては元も子も有りません。 

 

 「駄目だよ葵……うっ……!」

 

 慌てて深優が彼女を止めようとしますが、自身も先程自由形で1000m近い距離を体力作りの為に泳いでいた身。その反動でヘバったのか、身体に力が入りません。

 自分だってそうなっているのですから、況や葵だって今日はもう限界の筈。早く止めないと身体が壊れたら取り返しが付かない事になる。早く彼女を止めないといけないのに……!

 そんな彼女の傍に、近付いて来る影が有る事に深優は気付きませんでした。

 

 (頑張らなきゃ……!!頑張らなきゃ……!!)

 

 尚も身体に鞭打って必死に背泳ぎでコースを往復しようとする葵ですが、不意に自分の身体を掴まれる感触を彼女は覚えました。甲殻類かイソギンチャクに捕獲される魚類と似た気分。それがその時の葵の心境でしょう。

 

 「リラ!?」

 

 自身の身体を掴んだのはリラでした。

 

 「葵ちゃん、無理しちゃ駄目。さっきエウナドから聴いたけど、もう葵ちゃんの身体凄く疲れてるよ?これ以上無理して泳いだら身体壊れちゃうって……。」

 

 「エウナドって……もしかして水霊(アクア)?」

 

 リラの口にした水霊(アクア)の名前を受け、アクアヴィジョンを発動させるて見ると、彼女の傍にカブトガニに似た水霊(アクア)が居ます。これがそのエウナドなのだと葵は直ぐに理解しました。

 

 「リラっち!葵!」

 

 直ぐに後ろから深優が駆け付けて来ます。近くには更紗も一緒です。

 

 「深優、更紗……。」

 

 「葵、話は深優から聞いたよ。無茶な泳ぎ方して凄く疲れてるって……。」

 

 「焦る気持ちは分かるけど葵、無茶して泳ぐのは良くないよ!それで身体壊しちゃったら総体だって出れないよ?」

 

 心配そうにそう言う更紗と深優ですが、葵は俯き様にこうポツリと呟きます。

 

 

 「放っておいてよ……。」

 

 

 「えっ?」

 

 リラが思わずそう口を開くと、葵は声を大にして言い放ちます。

 

 「だから放っておいてってば私の事なんて!!私はあんた達みたいに天才じゃないの!!皆の倍頑張んなきゃ駄目なの!!」

 

 そう叫ぶ声に、リラと深優と更紗は気圧されるばかりです。気が付けば何事かと、近くにいたみちるや瑠々と言った先輩の女子達数人も視線を向けていました。

 

 「葵ちゃん……って、あっ!?」

 

 気が付くと葵はリラの腕を振り解いて再び背泳ぎで泳ぎ始めます。所が―――――。

 

 「うっ……あぁっ!!ゴボゴボゴボゴボ…………」

 

 不意に葵の足を襲う激痛。どうやら無茶な練習が祟って足を攣ってしまった様です。痛みでバランスを崩した葵は、そのままプールの水の中に沈んで行きます。

 

 「葵ちゃん!?」

 

 悲鳴に近い叫び声を上げるリラ。 然し、其処へみちると忍の2人が駆け付けると、程無くして葵の両肩を抱いて浮上して来ました。

 

 「プハーッ!……ハァ、ハァ………」

 

 「全く、無茶し過ぎよ五十嵐。」

 

 「汐月達が折角心配して言ってんのに話位聞けっての!」

 

 

 休憩室に入ると、早速リラはアクアリウムを施し、その場で葵の足を癒して尚且つ体力を回復しました。今日も今日とで身体に負荷が溜まっていた為、クラリファイイングスパイラルで癒すのは相当時間が掛かりましたが、何とか彼女の足を元のコンディションに戻す事は出来た様です。

 因みに周囲の利用客には見えない様に、リラは自分の半径10㎝以内にしかブルーフィールドを展開していません。ほぼゼロ距離でのクラリファイイングスパイラルでした。蛇足ですが、葵の足はエジプト型の形をしています。

 

 「有り難う、リラ。」

 

 「もう、『有難う』じゃ無いよ葵!其処は『ごめんなさい』って言うとこでしょ!」

 

 自分の足を癒してくれたリラに対してお礼を言う葵ですが、深優は其処で言うべきは謝罪であると咎めます。同じ事は更紗も思っていたらしく、深優に続いて諫めに掛かりました。

 

 「そうだよ葵。体力作りの為に1000m以上泳ぐのは良いけど、もっとペース配分とか考えなかったらあっと言う間にバテるし、休憩だってしなかったら身体だって壊すんだからね。」

 

 「ごめん、皆――――。」

 

 2人に諭されてしおらしくなる葵に対し、口を開いたのは忍でした。

 

 「で、何であんな足が攣る様な無茶な泳ぎ方したんだよ?お前、昔のあたしみたくなっても良かったのか?」

 

 嘗て無茶な練習で肩を故障した忍の言葉は、光すら届かぬ深海の底に沈める程の圧を以て葵の心に重く響きます。

 

 「忘れないで五十嵐。1年生とは言え、貴女だって霧船の大事なメンバーであり戦力なの。それがもう直ぐ総体だって近いこの大事な時に、怪我で出られなくなったなんて事になったら私達だって困るわ。」

 

 「はい――――。」

 

 「それで、どうしてこんな無茶な泳ぎしたの?」

 

 みちるの言葉を受けて反省したのか、項垂れる葵に対して真理愛が改めて彼女に尋ねます。葵は言いました。

 

 

 「――――皆の足を引っ張りたくなかったんです。」

 

 

 葵の言葉に目が点になる部員達。

 

 「えっ?」

 

 「何?」

 

 「どう言う事?」

 

 葵は続けます。

 

 「私、今年入った子達の中で1番タイムが遅くって、どんなに練習したって深優や更紗やリラみたいになれなくって、でも総体までもう後2週間しか無いから、何とか皆に追い付こうと必死だったんです。特に、リレーで星原先輩と濱渦先輩の足引っ張って、私の所為で予選落ちしたらッて思ったら、今のままじゃ駄目だって思って……。」

 

 その言葉に反応したのは瑠々と水夏でした。

 

 「えっ!?」

 

 「私達の足を引っ張りたくなかったからって……。」

 

 すると深優が補足の為に言いました。

 

 「私と葵、今日の昼休みに教室に向かう途中偶然聞こえたんです。星原先輩と濱渦先輩が、葵が中々伸びなくて総体でのリレーが心配みたいな事を話してるのを……。」

 

 その言葉を聞いて2人はハッと思い出しました。確かに今日の昼休み、瑠々がそんな事を口走っていた事を――――。

 

 「ま、まさかあんた達、あの話聞いてたの!?」

 

 動揺しながら瑠々が言うと、2人は頷きます。

 

 「特に星原先輩言ってたじゃ無いですか。『あ~~~っ、どうせだったら五十嵐以外の誰かだったら良かったのに!あの子と一緒に泳いで負けて、私等だけ全国行けなかったら超ショックなんですけど!』って。葵がこんなになったのは多分その所為で焦ったからですよ。」

 

 深優がそうぶっちゃけると、他の部員達は当然怒りの視線を瑠々へと向けます。

 

 「ほォォ~しィィ~はァァ~らァァァ~~~~ッ……!!」

 

 「星原先輩……!!」

 

 「瑠々ちゃん……!!」

 

 「瑠々………!!」

 

 「だ、だって、まさかわたしと水夏の話聞いてる子が居るなんて思ってもみなかったから……ねぇ、水夏も何とか言っ……」

 

 咄嗟に弁明しようとする瑠々ですが、その言葉が言い終らない内に彼女の頭に痛みを伴う衝撃が容赦無く襲って来ます。

 

 ゴチン!!

 

 「痛ったあぁァァァ~~~~ッ!!」

 

 弁護を求めた水夏からのまさかの鉄拳制裁です。

 

 「あんたは何時も一言余計なのよ。」

 

 「っつ~~~~~ッ!!何よーッ!?あんただって五十嵐の泳ぎ信じられなかった癖に1人だけ良い子ちゃんぶって!!」

 

 「あれぇ~そうだったっけ~?ま、仮にそうだったとしても、私は瑠々みたいに『リレーのメンバー違う子になって欲しい』なんて全然言っても思ってもい~ませ~んよぉ~~だ!」

 

 「ムッカ―ッ!!何ですってこいつ……!!」

 

 幼馴染み同士で仲間割れをする瑠々と水夏ですが、其処へ突然深優が瑠々の背後に回り込み、そして……。

 

 「星原先輩、幼馴染み同士で喧嘩するなら後でして下さい。それより私の幼馴染みの心煩わせた慰謝料の代わりはたっぷり貰いますから!!」

 

 脇の下を潜らせた両手を競泳水着の内側に潜り込ませると、深優はそのまま瑠々のバスト87も有る生の胸の膨らみをたっぷりと堂に入った手付きで揉みしだきます!

 

 「ちょっと吉い……んんああぁぁ~~~~~~んッ♥」

 

 「う~ん、星原先輩も結構大っきいですね~♪みちる部長や忍先輩程じゃ無いけど揉んでて楽しいっ♪」

 

 「コラ吉池!公共の場でんな事止めろオォォ――――――――ッッッ!!!」

 

 他の部員達が呆れてドン引きする中、忍の怒声が休憩室に木霊します。室内に他の利用者が居なかったのがせめてもの救いでした―――――。

 

 

 それから夜中の19時、何時もより長い練習が終わり、メンバーは何時も通り帰宅の途に就きました。

 それぞれがそれぞれの家の有る道で別れる中、意外な組み合わせが残りました。

 葵と深優、瑠々と水夏の1年と2年の2つの幼馴染みコンビです。

 

 「五十嵐、今日のお昼ごめんね。あんた達が居るのも気付かないで、あんな無神経な事言ったりして……。」

 

 「いいえ、良いんです。自分だって皆の中じゃ1番のビリなの分かってますし、言われて当たり前です。そんな足手纏いな子とリレー組むなんてなったら誰だって嫌だろうし……。」

 

 瑠々の謝罪の言葉に、葵は俯いてそう返します。するとそんな葵に苦言を呈す者が有りました。

 

 「五十嵐、貴女、自分の事本気で出るべきじゃない足手纏いだって思ってるの?もしそうだったらとんだ馬鹿だよ。」

 

 思わぬ水夏の言葉に、葵と深優は怪訝な表情を浮かべます。

 

 「濱渦先輩?」

 

 「大会に出て勝とうって思うのは大事だけど、それ以上に自分に出来る最高の泳ぎをするのが選手としてはもっと大事。違う?」

 

 「それは、そうですけど―――――。」

 

 唖然とした表情でそう返す葵に対し、水夏は続けます。

 

 「私のお母さんは言ってた。『人生で若い内に大事なのは、勝って嬉しい気持ちや負けて悔しいって気持ちを一杯味わう事だ』ってね。其処から色んな事を学んで経験して、これからの人生の糧にして行く事が、楽しく生きる為に欠かせないの。これからの大会、もしかしたら勝つかも知れないし負けるかも知れない。でもね、そんな事で人生決まる訳じゃ無いんだから、思いっ切りやり切れば良いのよどんな事でも。人生で大事なのは結果じゃなくって、目の前の現実に対して何をどう考えてどう行動したか……言い換えれば“どう生きたか”でしょ?結果なんて、その行動のおまけでしか無い――――。」

 

 哲学的な水夏の言葉を、葵と深優は「へぇ~」と感心しながら聞き入るばかりでした。

 

 「それに、私達は未だ2年で貴女達は1年。今年が駄目でも来年が残ってるんだから、その時負けない様に頑張れば良いでしょ?焦らないで自分のペースで1歩1歩成長して行けば良いの。」

 

 「……有り難うございます、先輩。」

 

 「濱渦先輩も良い事言うね、葵。」

 

 すると先程から黙っていた瑠々が口を開きます。

 

 「全く、普段マイペースで何考えてるか分かんない癖に、こう言う時だけカッコ付けて先輩ぶっちゃってさ!」

 

 「何よ?悔しかったら瑠々こそもっと頑張って先輩ってとこ五十嵐達の前で見せたら良いじゃん。」

 

 「はぁ!?何よあんた喧嘩売ってんの?」

 

 「ちょっ、ちょっと星原先輩止めて下さい!!」

 

 「濱渦先輩も落ち着いて!」

 

 そう言っていがみ合おうとする2人を咄嗟に宥める葵と深優。同じ幼馴染みで似た者同士の葵に止められて、瑠々は思わず吹き出します。

 

 「プッ……アハハハハッ!!まさかあんたに止められるなんてね五十嵐。いやぁ参ったな!」

 

 「星原先輩?」

 

 「足攣ったあんた見て私、思い出しちゃった。みちる先輩と一緒に去年国体出れて、それで浮かれて張り切り過ぎてわたしも足攣ったんだっけ……。」

 

 恥ずかしそうに頭を掻きながら、瑠々は自分の過去を暴露します。どうやら全国は逃しても、国体の選抜に瑠々は残れた様でした。

 

 「先輩、そんな事が……。」

 

 「全く、あの時の瑠々には困った物だったわ。お陰で瑠々は出場辞退して、私と真理愛とみちる部長だけしか出れなかったんだから……。もうあんな事は2度としないでよ?あんたと一緒に泳げなくって、私がどんだけ寂しかったか……。」

 

 「分かってる。やっと忍先輩も復帰したんだし、真理愛も一緒に泳ぎたかったジュンジュンがまた戻って来た訳だけど、一緒に泳ぎたかった相手とこうして同じチームで泳げるのって、もう今年しか無いんだよね……。」

 

 何処か遠くを見る様に、瑠々は夜の帳の降りた空を見上げて言いました。気が付くと夜空には北斗七星が浮かんでいます。

 そうして瑠々は言いました。

 

 

 「ねぇ五十嵐、吉池――――水夏が言った通り、今年の大会が駄目でも、わたし達には未だ来年が有る。焦んないで一杯練習して速く泳げる様になれば良いわ。でもね―――――我が儘を承知で言うけど、それでもわたしは行きたいの。今年(いま)だけのメンバーで、1人も欠ける事無く全国(インハイ)へ―――――!!」

 

 

 その言葉を聞いて、葵と深優は言葉を失いました。まさか瑠々がそんな想いを持っていたとは―――――。

 

 「わたし達の話、聞こえてたんなら分かると思うけど、わたしと水夏、去年の総体の個人戦じゃ標準破れなくて落ちて、代わりのリレーでやっと関東大会行けたんだ。まっ、結局予選落ちして全国は逃したけどね……。もしかしたら今年は個人戦で敗退も有るかも知れない。下手したら決勝の前に予選落ちするかも……。わたしも水夏も、真理愛やみちる部長、それに忍先輩と比べたって其処まで才能無いからさ……。」

 

 寂し気な雰囲気をそこはかと無く漂わせながら、瑠々は流し目で自分の弱さを吐露します。

 成る程、確かに去年の大会に於いて個人の部で関東大会出場を逃すと言う辛酸を舐めたのなら、それはリレーに賭けたいと強く思うのも当然でしょう。となれば、やはり葵が不安要素だと感じて、あんな事をつい漏らてしまうのも無理からぬ話です。

 

 「先輩……。」

 

 「瑠々……。」

 

 不安そうに見守る1年生の幼馴染みコンビと相方の水夏の視線を一点に集めながら、瑠々は握り拳を作ると、再び空を見上げて言います。

 

 「それでもわたし、皆と全国(インハイ)出たいの!今居るメンバー全員で!まぁ、1年のあんた達が全員予選通過出来るかだって、これからやって見なきゃ分かんないけど、それでも1位じゃなくても優勝じゃなくってもわたし、誰も欠けないで全国行きたい!」

 

 そう言葉を紡ぐ瑠々の赤紫の瞳には、海底火山のマグマの様に尽きない闘志と、巨大な海底山脈の様に揺るがない不動の決意と覚悟が宿っていました。

 彼女の水泳に対する“秘めたる想い”と言う名の本音を聞けて、葵と深優は瑠々の中の評価をまた1つ改めました。

 

 そう――――『星原先輩は自身の弱さを自覚しながらも、自らが同士と認めた者達と共に勝利を目指して前に進もうとする、とても仲間意識の強い人なのだ』と……。

 

 「……な~んて意識の低さだからわたし達、善戦マンで終わっちゃうんだけどね♪やっぱ思い切って『目指せ優勝!!』って位の気構えが無いと駄目かな?」

 

 大言壮語の後におちゃらけた調子でそう続ける瑠々を前に、葵と深優はフッと笑って答えます。

 

 「別にどっちでも良いんじゃないですか?」

 

 「そうですよ!でもやっぱり目標は高い方が、例え駄目でも辿り着ける場所の可能性は広がるって思いますけどね。」

 

 「そう?そりゃどうも有り難う。でもあんた達って本当良い子ね~!妹にしたい位だわ♪」

 

 冗談交じりに2人に抱き着いてそんな事を言う瑠々に対し、葵はこんな頼み事をします。

 

 「星原先輩、もし良かったら先輩の事、名前で呼んで良いですか?」

 

 「私も濱渦先輩の事、水夏先輩って呼びたいです。」

 

 1年生の幼馴染みコンビに名前で呼ばせて欲しいと頼まれた2年生の幼馴染みコンビ。それに対して2人は思わず目を見開きましたが、直ぐに口元に笑みを浮かべて答えます。

 

 「良いわよ。好きに呼びなさい。」

 

 「じゃあその代わり私達も貴女達の事、葵と深優って呼んで構わないわね?」

 

 「はい、喜んで!」

 

 「瑠々先輩、水夏先輩――――皆で一緒に総体、頑張って標準記録突破して関東大会出ましょう!」

 

 そう言って学年違いの幼馴染みコンビは、改めて握手を交わします。総体へ向け、4人の繋がりが深まった瞬間でした。

 

 




キャラクターファイル21

星原瑠々(ほしはらるる)

年齢   16歳
誕生日  12月1日
身長   167㎝
血液型  O型
種族   人間
趣味   旅行
好きな物 ASMR動画、裸足になる事

ポニーテールで結った青いロングヘアーに赤紫の瞳が特徴で良く手を後ろ手に組む。
アクティヴな性格で細かい事に拘らず良く言えば大らか、悪く言えば大雑把である。父が深優と同じく蒼國の海で漁師をしており、母は養殖業を営んでいる。
水夏とは性格こそ真逆だが何かと気の合う幼馴染みで、何時も一緒に居る事が多い。クラスは水夏と同じ2年5組。
自由形の泳ぎを得意とし、内に秘めたる水霊(アクア)はベタ型の水霊(アクア)で名をシュロと言う。
総体前に自分と水夏が幼馴染みである事を葵と深優に告げた後、紆余曲折を経て互いに名前で呼び合う仲になった。去年の大会の際、個人の部で予選敗退した過去から己の能力不足を自覚しつつ、それでも総体を1人も欠ける事無く皆で予選を突破したいと思っている所からも人としての芯は勿論、仲間意識の大層強い少女である。
余談だが練習後に元の制服へ着替える際、靴下を履かずにローファーを素足履きか、時にはそのまま手に持って裸足で歩く程の裸足好きで、教室や体育館問わず直ぐに裸足になる為、水夏からは「履物嫌い」と揶揄されている。更にやる気スイッチが入ると胸を大きく揺らす癖が有る。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第21話 蒼きハルモニア

 総体まで残り1週間を切り、霧船の水泳部もより一層奮起して練習に励んでいました。

 勿論この練習に最終調整と言う意味が込められているのは言うまでも有りません。

 

 バタフライのリラと忍─────。

 背泳ぎの葵と潤─────。

 自由形の深優、更紗、瑠々、真理愛─────。

 平泳ぎの水夏─────。

 個人メドレーのみちる─────。

 

 個人戦に於ける自分達の得意な泳法に徹底的に磨きを掛けるのに加え、団体戦であるメドレーリレーに参加する1、2年それぞれの幼馴染みコンビである葵&深優、瑠々&水夏の4人はリレーで泳ぐ順番と、自分の前に泳ぐ相手の速さを考慮した上で、如何にバトンタッチのリズムとタイミングを見極めて飛び込むかを模索していました。

 特に葵と深優は瑠々と水夏の足を引っ張らぬ様に、自分達の泳法以上に基礎となる体力を付ける事に最も力を注いでいました。

 

 然し、忘れては行けません。蒼國に有る高校は何も霧船だけでは無い事を―――――。

 この水の都“蒼國”に所在地のある高校は、水泳に関して何処も並み居る強敵揃い!

 

 葵の中学時代の同級生だった陸奥の進学した龍洋高校を始め、蒼國学園、春湊高校、蒼國女子学園、希望ヶ浜高校、水月高校、海燕大学付属高校、蟹淵学園、北静湖女学院他14校が存在しており、強豪とまでは行かない学園でも水の都である蒼國の環境に揉まれた手前、一筋縄では行かない学校ばかり。

 蒼國以外にも県の各地区に存在する学校の水泳部の数を合わせれば、競争相手は決して少なくありません。寧ろ多いと言った方が良いでしょう。それこそ“レッドオーシャン”と呼ぶに相応しい位に……。

 

 

 龍洋を始めとした各校のライバル選手達も当然、リラ達霧船女子と同じ市民プールを練習の場として利用する事だって有ります。そして彼女達の間で台風の目となっているのがエースの日浦忍と、中学時代に有名選手だった飯岡潤と漣真理愛でした。

 然し真理愛は兎も角、忍は肩を壊して2年近く泳げずにいましたし、潤も嘗てはエースだったのに胸がデカくなった恥ずかしさから2年余り水泳から逃げてブランクの有る身。

 それを知っているとなれば彼女達は当然思うでしょう。そう―――――「日浦忍は終わった」、「2年も水泳から逃げて、今更ノコノコ戻って来た腰抜けの飯岡潤など敵では無い」と……。そうやって本選に出ても恐るるに足らないと高を括っていたのでした。

 

 だが、他校の選手達は知る由もありませんでした。リラの日々のアクアリウムによる癒しと、自身の努力によって、忍がこの頃には完全復活していた事を―――――。

 そして潤も、持って生まれた水泳選手としての勘を取り戻し、真理愛と言う共に切磋琢磨し合う相手を得て、この数週間で嘗てよりも進化している事を―――――。

 同時に周りのライバルの存在を知っているからこそ、エースの忍は未だブランクが響いている振りをして実力の半分程度でしか泳いでおらず、潤もなるだけ力をセーブして泳いでいたのでした。諺に在る『能ある鷹は爪を隠す』と言う訳です。勿論、練習自体は決して手を抜いていませんがね。

 

 

 (来週はいよいよ地区総体かぁ……緊張するなぁ……。)

 

 その日の帰り道の事です。来たるべき総体へ向け、リラは想いを馳せながら歩いていました。家が近所に在る為、当然ながら忍も一緒です。

 

 「何だお前?総体もう直ぐなモンだから緊張してんのか?」

 

 忍が苦笑いしながらそう言うと、リラは答えます。

 

 「だって人生初めての大会ですよ?私、1度もそう言うの出た事無いからドキドキが止まりません!」

 

 そう返すリラの言葉に対し、忍は溜め息を吐くとこう助言します。

 

 「ならイメージしろよ。自分が選手として大会に出て見事1位の泳ぎをして優勝する姿をよ!」

 

 「優勝?私が水泳の大会で!?」

 

 「自分が勝つ姿をイメージ出来りゃ、後はそれを目指して行動有るのみだろ?」

 

 彼女の言葉に促され、リラは早速色々とこれからの総体と次の関東大会、そしてそれを制した後の全国大会(インターハイ)で活躍する姿を夢想します。

 鍛え上げたバタフライで並み居る強豪達を下し、見事表彰台に立って金メダルを授与され、周囲から称賛の声を浴びる自分―――――。

 

 「うへへぇ~……恥ずかしいけど素敵かもぉ~~♥」

 

 妄想力全開で自分が活躍する姿をあれこれ夢想すると、リラは顔がこれでもかと言わんばかりにニヤけ、涎すら口元からじゅるりと覗かせます。

 

 (………あたし間違った事言ったかな?つーか何気に妄想力逞しいなこいつ……。)

 

 リラの妄想癖を侮った忍は若干ドン引きしましたが、直ぐにリラは忍の手を握って言います。

 

 「忍先輩!私、総体が楽しみになって来ました!絶対予選突破して関東大会一緒に出ましょうね!」

 

 「あ、あぁ……そうだな……。」

 

 その気迫に圧され、忍はそう返すしか出来ませんでした。普段は大人しくて内向的な癖に、水霊士(アクアリスト)の使命と妄想してる時だけは妙に活き活きし出すなんて、我ながら変な後輩を持った物だと忍は実感していました。

 

 「良し、テミス!これから残りの練習で私、何を鍛えたら良い?」

 

 「何を鍛えたら良いかですって?そうですね――――――。」

 

 テミスの名を呼ぶと、人間態となったテミスが突然現れてリラにあれこれ助言をし出します。

 

 (ま、良っか……。どうせこいつは1年だ。結果はどう在れ、今はそうやって思いっ切り頑張りゃ良いさ。)

 

 その姿を背中に見ながら忍は苦笑しつつも、先輩として生温かい目でリラの後姿を見守るだけでした―――――。

 

 

 さて、総体前の最後の日曜日の事です。

 

 「あっ、潤先輩……。」

 

 「リラちゃん!」

 

 リラが行く先も決めずに水霊(アクア)達と街を散歩していると、潤と偶然出くわしました。因みにリラが散歩のお供に連れているのは自身の内なる水霊(アクア)であるクラリア以外、お決まりのグッピーやプラティ、モーリーと言ったメダカ型の下級水霊(アクア)達です。

 

 「それでねリラちゃん、昨日の昼休みに真理愛と―――――」

 

 「葵ちゃんと深優ちゃんなんて―――――」

 

 クラスでの日常と言う他愛の無い四方山話を交わしながら街を歩く2人は、気が付いたら海水浴場の有る蒼國海岸から少し離れた磯場にまで来ていました。

 岩場に周囲を囲まれ、所々に海水の溜まった大小様々な窪み。

 そしてその窪みには蟹や海老やヤドカリ、海星やウミウシ、カメノテにフジツボ等、種類も様々な水生生物が豊富に生息しており、それが目当てと思しき親子や大学のサークルの学生達の姿まで有ります。

 

 「先輩、蒼國って海開きは未だなんですよね?」

 

 「うん。7月にならないと海開きしないけど、この辺の海には色んな魚が泳いでるから、海釣りに来る人もシーズン通して一杯居るよ?」

 

 成る程、潤が指差した先の岩場の玄関では青年、壮年、老年問わず何人もの太公望(つりびと)が竿から糸を垂らし、眼下の野生との戦いに興じていました。

 決して底の見通せない、蒼き海の世界に蠢く魚を針に掛けて捕らえる為に―――――。

 

 「蒼國(ここ)の海じゃね、キスやメジナ、カワハギに黒鯛、鱸やアオリイカが年中釣れるの。冬にはカサゴやメバルだって釣れるのよ?それに凄っごく稀だけど、エイが釣れたなんて言う話まで有るわ!」

 

 「エイまで!?凄いですね。色んな魚が釣れるなんて流石、水の都!って言うか、そう言うのに詳しい潤先輩はもっと凄いですけど。」

 

 地元民である先輩()の説明に対し、リラが感心しながらそう返すと当人は得意になってこう返しました。

 

 「えへへ、小さい頃は良くお兄ちゃんと一緒に釣りでこの辺に来てたから♪って言うか、この街じゃ釣りやウォータースポーツ、マリンスポーツなんて皆やってて珍しく無いしね。あっ、そうだ!リラちゃんに取って置きの地元情報教えちゃうよ♪」

 

 「取って置きの地元情報?」

 

 リラが首を傾げる中、潤がスマホを取り出して弄り始めます。

 

 「じゃーん♪これよ!」

 

 数秒後、彼女がそう言って高らかに見せ付けたスマホの画面には、青いドラゴンを思わせる謎の軟体生物の画像が映っていました。

 形状的にはアオミノウミウシに近いですがこの生物は一体―――――?

 

 「何ですか先輩?アオミノウミウシにも似てるけど全然違うこの青い生き物って―――――。」

 

 「これはねリラちゃん、『ソウリュウウミウシ』って言う蒼國で最近発見された新種のウミウシなの!」

 

 その言葉にリラは驚きました。青くて何処か神秘的な印象すら受けるこの龍に似たフォルムのウミウシが、この街の磯場で発見されていたなんて―――――。

 だけど街の名産品売り場では、これに良く似た縫いぐるみや玩具、絵に描かれたタペストリーやスリッパと言ったグッズが売られているのを良く見掛けていた為、リラはそれで得心が行きました。

 あのグッズの数々が、このウミウシに因んで作られた物なのだと言う事を―――――。

 尤も、幾等新種の生き物が地元で発見されたからって此処までするかと言う気がしないでも有りませんでしたが………。

 

 「水夏ちゃんから聞いたんだけど、あの子ってこう言う水の中の生き物が大好きなんだって。だから生き物の観察や新種探しに良く此処に来るみたいよ?」

 

 「観察は兎も角、新種探しって……。」

 

 水夏の意外な趣味に、リラは苦笑いするしか出来ませんでした。そうして時折、窪みの海水溜まりに蠢く蟹やヤドカリ等の生き物達を観察しながら海の岩場を歩いていた時です。

 

 

 「あれ先輩、何か聞こえませんか?」

 

 「えっ?」

 

 潮風に乗って聴き慣れない音が、寄せては返す波音とは別に2人の鼓膜へと流れ込んで来ました。

 

 

 「♪~~~~~~♪♪~~~~~~♪♪♪~~~~~♪~~~~~♪♪~~~~~~~~~………」

 

 

 「先輩、これって……この音って………。」

 

 決して大きくなく、寧ろ小さい音量─────。

 それでいて音域が高い為に耳に残り易く、まるで鳥の鳴き声を思わせる音色─────。

 これは――――――。

 

 「フルート……?でも、一体何処から………。」

 

 何処からとも無く聴こえて来たフルートの音色。注意深く耳を澄まして音のする方へと向かってみると、意外な人物が2人の視界に飛び込んで来ました。

 

 「えっ―――――!?」

 

 「真理愛!?」

 

 何と、フルートを吹いていたのは真理愛だったのです。海の方を向け、多くのカモメが飛び交う中、彼女はその旋律を海へと奏でていたのでした。

 アクアリウムを展開させるとツノダシやクマノミ、スズメダイや鮫、河豚、烏賊、蛸、海月、海亀にイルカ―――――実に多くの海洋生物型の水霊(アクア)達が真理愛の旋律に耳を傾けていました!

 

 「―――――――あら潤、汐月さん?」

 

 リラと潤の声に気付いて演奏を止めると、真理愛は2人の方を向きます。

 

 「珍しいわね。2人がこんな海岸の岩場に来るなんて。」

 

 「私も驚きました。まさか漣先輩がこんな所でフルート吹いてるなんて……。」

 

 リラのその言葉は、フルートを海へ向かって吹く真理愛の姿に対して当然の反応でしょう。無論、同じ事は潤も思っていたらしく、彼女も真理愛に尋ねます。

 

 「真理愛ってフルート吹けたのね……初めて知ったわ。凄く上手だったけど、何時もこんな所で吹いてるの?」

 

 水泳が好きで、小学時代から金メダルや銀メダル、トロフィーを良く受賞し、去年は国体でも見事に活躍した高校女子水泳の期待の星である真理愛。

 そんな彼女の意外な特技がまさかフルートだったとは、これには潤も驚きを隠せませんでした。

 

 「―――――毎週日曜日は何時も私、此処でフルート吹いてるの。お父さんの安全を祈ってね。」

 

 お父さんの安全?一体何の事でしょう?その単語を受けてリラの脳裏を、何時ぞやの深優の父の航のガン騒ぎが過ぎりました。

 

 「お父さんの安全って……漣先輩のお父さんって何してる人なんですか?」

 

 リラがそう質問をすると、真理愛は目を閉じて2人に背を向けました。そして蒼國の海岸から遠く、太平洋まで広がる蒼い海を見て答えます。

 

 「私のお父さんはね、自衛隊員なの。海上自衛隊に務めてるわ。」

 

 「海上自衛隊?」

 

 その言葉にリラと潤は大きく目を見開きます。まさか真理愛のお父さんがそんな仕事に就いていたなんて―――――。

 

 「お父さんね、『いずも』って言う(ふね)に乗ってるの。私も詳しくは良く分かんないけどお父さんの乗ってる「いずも」はね、護衛艦って言う戦う為の軍艦だったのが改造されて、空母って言う戦闘機が離着陸出来る(ふね)にこれからなるみたい。戦後初の空母なんて言われても私にはピンと来ないけど、そんな凄いのに乗って日本の海の平和を守るお父さんは立派だって思う。」

 

 「へぇ……先輩のお父さんって凄いんですね。日本の平和を海から守る為に頑張ってるなんて!」

 

 「えぇ!本当にね。って言うか真理愛、そんなお父さんの為に海に向かってフルート吹いて無事を祈ってるんだ……。」

 

 得心の行った潤の言葉に対してコクリ相槌を打つと、真理愛は何処までも蒼く澄み渡る空と海を遠い目で見つめて続けます。

 

 「海自の人って、普段(ふね)の上で生活してて滅多に陸に戻らないの。お父さんも偶にしか家に帰って来ないのよ。だから私、お父さんがまた家に戻って来れる様に無事を祈って、休みの晴れた日にこうやって海辺でフルート吹いているの。お父さんが『凄く上手だ』って褒めてくれたフルートの音が届く様にって―――――。」

 

 真理愛の言葉に、リラ潤は思わず微笑ましさに顔を綻ばせました。普段の水泳選手として水泳にストイックに打ち込む以外の、真理愛の新たな一面を知る事が出来たのだから―――――。

 深優と一緒で、真理愛も父親の事を尊敬して大事に想っている。そうでなければこんな風に、遠い海に浮かぶ艦の上で仕事に励む父の為にフルートを海に響かせるなんて事が出来る筈も有りません。

 

 「真理愛、アクアヴィジョンで海の方を見てみてよ。」

 

 「えっ?」

 

 フッと微笑んだ潤に促され、アクアヴィジョンで真理愛が蒼國の海を見ると、様々な海洋生物の姿をした水霊(アクア)達が大勢集まって彼女を見つめています。

 

 「うわっ!?こ、こんなに一杯水霊(アクア)が!?」

 

 「フフッ♪皆、先輩のフルートの音色が凄く綺麗だから気に入ったんですよ。」

 

 改めてリラがアクアリウムを展開すると、彼女達の声が聴こえて来ます。

 

 (素敵な音色だったわ!)

 

 (ねぇ、もっと聴かせてよ?貴女の音色を―――――。)

 

 (何時も何時もこの海辺で素敵な音楽を聴かせてくれて有り難う!)

 

 (人の子よ、今一度その音色を聴かせておくれ。然すれば遠い海で戦う貴女の父へその想い、届けてあげよう!)

 

 「皆―――――。」

 

 まさかこれだけ大勢の水の精霊達に自分のフルートを絶賛されるなんて、真理愛は夢にも思いませんでした。

 本当に美しい音色は、人間も精霊も問わず魅了する――――――真理愛と同じく、リラと潤もその事を実感していたのです。

 

 大海原を行く水霊(アクア)達のお墨付きを貰い、改めて真理愛がフルートを吹こうとした………その時でした。

 

 

 「ちょっと待って皆!」

 

 突然リラが海の水霊(アクア)達に制止の言葉を投げ掛けます。これには潤と真理愛も呆気に取られました。

 

 「リラちゃん?」

 

 「いきなりどうしたの汐月さん?」

 

 「潤先輩、漣先輩、あれを見て下さい。」

 

 リラが指差した先を見ると、近くの浜辺に遠目でも分かる程に出来た人だかりが2人の視界に飛び込んで来ました。

 

 「おい、海辺に何かデカいのが打ち上がってるぞ!」

 

 「何だありゃ!?鯨か!?」

 

 「他にもイルカまで流れ着いてるけど……。」

 

 「これって死んでんのか?」

 

 何事かと思って砂浜へ行ってみると、其処には浜辺に打ち上げられたマッコウクジラ1頭と、4頭のバンドウイルカ達の姿が有りました。この珍事件を受け、当然ながら地元TVの取材班が既に蒼國海岸へと駆け付けていました。更に周囲にも多くの野次馬達が集まっています。

 

 「何あれ……?」

 

 「マッコウクジラとバンドウイルカが浜辺に打ち上げられてるなんて………。」

 

 「バンドウイルカは蒼國の沖合でも良く見掛けるけど、マッコウクジラなんて珍しいわね。」

 

 リラと潤と真理愛が目の前の光景に唖然となりながら立ち尽くしていると、不意に葵の声が耳に飛んで来ました。

 

 「リラ!」

 

 咄嗟に声のした方を向くと、其処には葵と深優と更紗の何時もの3人が立っていました。どうやら彼女達も、行き掛けにこの珍事件を間近で一目見ようと浜辺にやって来た様でした。

 

 「葵ちゃん、深優ちゃん、更紗ちゃん……。」

 

 「あれリラっち、飯岡先輩と漣先輩の2人と一緒なんて珍しいじゃん!」

 

 「え?いや、ちょっとね……。」

 

 そう困惑するリラを横目に葵は浜辺に打ち上げられ、ピクリとも動かないマッコウクジラ達を見て言いました。

 

 「あの鯨達可哀想……どうしてあんなになっちゃったんだろう?」

 

 葵の疑問に対して答えたのは深優でした。

 

 「鯨があんな風になるのは色々説が有るけど、1番有力なのは地震説ね。」

 

 「地震?」

 

 更紗が首を傾げると、深優は説明します。

 

 「うん、鯨やイルカって身体に磁場を探知して道筋を知るカーナビみたいなの持ってて、人間が地図を持って歩く様に鯨達も磁場を見て泳いでるって言われてるの。だからどんなに海が広くても迷子にならないで同じ場所を回遊出来(まわれ)るみたい。でも、それが地震の所為で狂っちゃって、そのまま変な方向へ進んで陸に乗り上げちゃうって言うのが有力な説らしいよ?」

 

 「へぇ、そうなんだ……。」

 

 「鯨ってそんな便利な能力が身体に有るのね。知らなかった……。」

 

 「1年の中じゃ1番優等生って聞いてたけど、吉池さんやっぱ凄いわね。」

 

 理路整然とした深優の説明には、更紗も潤も真理愛も感心して舌を巻くばかりでした。彼女の説明はまだまだ続きます。

 

 「葵、リラっち、サラサラ、磁場が狂う原因は、他にも太陽から吹く強力なプラズマの嵐って言われてるんだって。後はイルカやゴンドウクジラみたいに群れで暮らす鯨達に当て嵌る説で、方向音痴の仲間を追っ掛けてる内に一緒に陸に上がっちゃうって言うのや、鯱みたいな天敵に襲われて逃げてる内に打ち上げられる説も有るみたいですよ先輩。」

 

 深優の説明について少し補足しますと、マッコウクジラの中で今回の様に座礁するリスクが高いのは雄の方だとされています。

 現に北海で起こるマッコウクジラの大量死ですが、犠牲となるのは決まって雄ばかり。そしてその理由は雌雄の生態の違いに在るそうです。

 マッコウクジラは赤道の海で繁殖し、子供は母親と数年其処で暮らします。やがて独り立ちした雄はグループを形成して故郷の海から遠く離れ、イカを求めて北上するのですが、問題は南へと戻る途中に北海で迷子になり易い点です。

 通常、雄の群れはスコットランドとアイルランドの辺りを通過して大西洋へと戻ります。然し途中で南下を早め過ぎたり、急な方向転換で曲がり過ぎてそのまま北海へと進入してしまうのです。そして北海周辺の海域には砂が堆積した入江があり、潮汐も激しく、深い海で暮らすマッコウクジラが生活するには全く不適切な環境。

 まるで人が山の中で遭難するかの様に混乱し、右も左も分からずパニックを起こした挙句座礁してしまうと言う訳です。

 

 今回のマッコウクジラが北海では無く日本の海に座礁してしまった理由は定かではありませんが、恐らく方向音痴の個体が北上している途中で右も左も分からずパニックを起こしてこうなってしまったからでしょうか?

 イルカ達も、恐らく方向音痴の個体1頭を追って残る3頭まで道連れになってしまったからなのでしょうか?

 

 「後は――――人間の所為って言うのも有ります。アメリカ海軍が海で演習やった時の爆音やソナーの影響で鯨やイルカ達が方向感覚を狂わされて、怪我して脳出血まで起こして、そのまま陸に打ち上げられて大量死したなんて話も有りますし、ドイツじゃ胃袋がプラスチックのゴミや自動車部品で一杯になって打ち上げられた鯨まで居たみたいですしね………。」

 

 最後にそう説明する深優ですが、その表情は当然と言うべきか悲し気なそれでした。

 

 「そうなんだ……。人間の所為で鯨達がそんな迷惑を………。」

 

 深優の言葉を受け、リラは彼女以上に心を痛めました。水霊士(アクアリスト)が浄化する穢れは、何時だって人間の内から出て来る物。ですがその人間は、同じ人間のみならず海に生きる鯨達まで海洋汚染で不幸にしてしまう。

 自分や周りの命を己のエゴで穢して不幸にし続ける人間の未来に、一体何が待っていると言うのでしょう?破滅の二文字しか見えないと言うのなら、余りに悲し過ぎます………。

 

 「ねぇリラ、深優、話してるとこ悪いんだけどさ、原因が分かんないならテミスに訊けば良いんじゃない?」

 

 「あ………。」

 

 葵から至極真っ当な指摘をされ、リラ達は思わずポカンと口を開けて黙り込んでしまいます。

 そうこうしている間に浜辺では既に警察や市役所に連絡が行き、対策チームが結成されて事に当たろうとしていました。

 

 「だ、駄目よ……訊いてる暇なんて無いわ。あんな市役所や警察の人達に任せててあの子達が助かるなんてわたしには思えないよ!」

 

 先程から鯨達を眺めていた潤が若干とは言え、狼狽気味にそう言うものだからリラ達も考えを改めました。

 

 「そうですね。あの子達がどうして陸に上がったのかなんてこの際どうでも良いです。兎に角今はあの鯨達の身体を癒さないと!」

 

 そう言うとリラと潤はアクアリウムを発動し、クラリファイイングスパイラルの準備をしようとします。

 

 「ちょっと待って下さい飯岡先輩!リラも待って!」

 

 「えっ?」

 

 「五十嵐さん?」

 

 突然の葵の言葉を受け、咄嗟に能力を解除するリラと潤。すると真理愛が葵の言葉を代弁して言いました。

 

 「確かに、今此処でアクアリウムを使ったら皆に正体がバレて色々と大変な事になるわね。先ずはあの人達をこの場所からどかさなきゃ。」

 

 真理愛がそう言うと同時に、深優も心配そうにマッコウクジラとバンドウイルカ達を眺めてこう漏らします。

 

 「でもその前にあの鯨とイルカ達、生きてるのかな?さっきから全然ピクリとも動かないけど死んじゃってるんじゃ………。」

 

 確かにそれも問題です。幾等クラリファイイングスパイラルで癒した所で、肉体が既に死んでいてはそれは無駄な徒労で終わるだけ。“癒し”とは、未だ命を失っていない生有る者に施してこそ意味の有る物なのですから……。

 一体どうしたら良いのか分からないまま、大人の人達が晴れた日差しの中で鯨の体力が低下しない様、水を掛けたり日陰を作ろうとしたりと行った懸命の活動を、手を拱いて見ているだけしかリラ達には出来ませんでした。

 

 

 「皆さんお困りの様ね。」

 

 すると其処へ助け船が現れました。言わずと知れたテミスの人間態です。

 

 「テミス!?」

 

 「何時の間に!?」

 

 「この子がテミスなの?」

 

 相変わらず神出鬼没のテミスに対して驚く葵と潤、そして初めて人間態のテミスを見る真理愛。

 そんな彼女達を横目に、テミスはリラにこう進言します。

 

 「私の知り合いの上級水霊(アクア)に頼んでとびっきりの大雨を降らせてあげましょう。あの子なら、この辺の砂浜を水で満たせるだけの雨を一瞬で降らせられますからね。そうすればあの人間達は撤退せざるを得なくなるでしょう。」

 

 「テミス以外の上級水霊(アクア)!?」

 

 「何よリラ?もしかしてテミス以外にそう言うの会った事無いの?」

 

 葵の率直な問いにリラは首を縦に振って頷きました。

 

 「リラっちも会った事の無い上級水霊(アクア)かぁ……それは私達も会ってみたいかも♪」

 

 「って言うか雨を降らせるなんて、如何にも水の精霊って感じで凄いわね。」

 

 深優と真理愛が感心する中、テミスは本来の姿に戻ると、身体をコバルトブルーに光らせて蒼國の海から遠くの太平洋へと呼び掛けます。

 彼女が元の姿に戻る所作を受け、リラと潤は再びアクアリウムを展開して葵達に水霊(アクア)達の声が聴こえる様にしていました。

 

 (『セドナ』、貴女に頼みたい事が有るの。私以上に強力な貴女の水霊力(アクアフォース)で蒼國の海岸を水で満たして頂戴!)

 

 「セドナ?」

 

 「それがテミスと知り合いだって言う上級水霊(アクア)の名前?」

 

 葵と深優がそう言葉を発した数秒後、突然それまで晴れていた空が嘘の様に分厚い雲に覆われ、瞬く間に激しい雨が地上に降り注ぎました。

 その日の降水確率は5%程度と天気予報で報じられていた事も有り、多くの人間が傘やレインコートなど用意して居なかった為、予想外のゲリラ豪雨を前に蜘蛛の子を散らす様に野次馬や市役所の職員達はその場から走り去りました。

 雨は更に激しさを増し、浜辺に押し寄せる波も次第に成長しながら、マッコウクジラ達の身体を揺り動かして海へ攫おうとさえします。

 

 「うわぁ、あっと言う前に凄い大雨になっちゃった……。」

 

 「波もあんなに穏やかだったのに、もう砂浜すっぽり覆っちゃう程大きくなってる……。」

 

 その一部始終を呆然と佇みながら深優と更紗がそう漏らす横では、リラと潤がアクアリウムの結界によって押し寄せる波とその飛沫や、降り注ぐ雨から水霊仲間(アクアメイト)達を守っていました。

 

 「でもアクアリウムの能力って本当に凄いわね……。水の精霊達の力を借りて魔法みたいな事が出来る他にも、こうやって濡れない様に出来るし濡れても直ぐ乾かせるから……。」

 

 リラと潤の使う水の異能力であるアクアリウム。最初は興味を示さなかった真理愛ですが、練習で疲れた身体を癒して貰ったり濡れた身体と競泳水着を乾かして貰ったり、果てはアクアヴィジョンで水霊(アクア)を見える様にして貰ったりしている内に、その凄さを認めて感心すらする様になっていました。

 

 「そう言ってくれるとくすぐったいな。でも、わたし未だ目覚めたばっかりでリラちゃん程上手には使えないけど……ってあれ?遠くの海が光ってる!?」

 

 「えっ?」

 

 潤の叫びを受けてリラ達が蒼國の海に目を向けると、浜辺に押し寄せる荒波の向こうの方の海が瑠璃紺の光を放っています。

 

 「潤先輩の言った通りだわ。もしかして、あれって……。」

 

 リラが大きく目を見開いて漆黒の嵐の海の中で瑠璃紺に光る水域を葵達と共に見つめていると、突然同色の巨大な水柱が起こりました。

 

 (来たわね……。)

 

 テミスが内心そう呟いていると、まるでバベルの塔の様に上空の雲の上まで高く聳え立つ水柱の中を泳ぎ昇る、1つの大きな影が現れます。

 リラ達の見守る前でその影を内包した瑠璃紺の水柱が一際眩い光を放つと、次の瞬間水柱は一瞬で消滅。そして現れたのは濃藍の巨大な鯱に似た姿の水霊(アクア)でした。

 

 「あれがセドナ……テミス以外の上級水霊(アクア)………。」

 

 「あの姿、まるで鯱ね……。」

 

 リラと潤の水霊士(アクアリスト)コンビが呆然としながらそう呟くと、セドナはテミスの方を向いて言いました。

 

 (久しいなテミス。まさかお前が私に頼み事をして来るとは思わなかったぞ?)

 

 (私は今貴女がした様に、大きな波と集中豪雨を操って海岸を水没させるだけの力は有りませんからね。) 

 

 (フッ、良く言う。“ブルースパイラルビーム”などと強大且つ精緻極まる技を持つお前が私より劣る訳が無いだろう?それより―――――)

 

 そうしてリラ達の方を向いてセドナは続けます。

 

 (あの娘か?お前の育てている水霊士(アクアリスト)――――汐月リラと新米水霊士(アクアリスト)の飯岡潤と言うのは?)

 

 「わ、わたし達の事、知ってるんですか?」

 

 初対面の筈なのに自分の名前まで知っているセドナの口振りに、潤が驚いて尋ねたのに対してリラが説明します。

 

 「潤先輩、水霊(アクア)達は地球全体を流れる水其の物だから色んな情報を知ってるんです。私達の事だって、もう水霊(アクア)達には皆知られてるって考えるのが妥当ですよ。」

 

 「そ、そっか。そうだったっけ……。」

 

 リラに諭されてバツが悪そうに顔を赤らめて潤がそう返すのを横目に、当の本人は改めて周囲にメダカ型の下級水霊(アクア)達を集めてクラリファイイングスパイラルの準備を始めます。

 

 (待ってリラ。あれだけ巨大な鯨達を包んで癒すのは時間が掛かるし、貴女にとってもかなり負荷が掛かるでしょう。もっと良いアイディアが有るわ。)

 

 「えっ?良いアイディアって――――――――」

 

 リラがそう尋ねるが早いが、テミスは不意に真理愛の持っているフルートを見て意外な発言をしました。 

 

 

 (真理愛さんの持っているフルートに水霊(アクア)を宿し、その音色を奏でてあの鯨とイルカの子達を癒すのです!)

 

 

 「えぇっ!?」

 

 「フルートに水霊(アクア)を――――?」

 

 「アクアリウムってそんな事まで出来るの!?」

 

 「信じられない……。」

 

 テミスの発言にリラと真理愛と葵と更紗は唖然とした調子でそう反応を返すばかりです。

 するとセドナがテミスに対して怪訝そうな口調で言いました。

 

 (本気で言ってるのかテミス?水霊(アクア)を人間が無生物と定義する物体に宿すなど、並の水霊士(アクアリスト)には難しい高等技術だぞ?2年余りの経験の有る汐月リラでも出来るかどうか疑わしい。)

 

 けれどテミスはそう指摘されるのを想定していたのか、落ち着き払った調子でセドナに言い返します。

 

 (あら?その点は何も問題有りませんわ。媒介に使うのは真理愛の魂の籠もった彼女のフルート。そしてそれへ宿すのは彼女の内なる水霊(アクア)であるシュトラーセと、真理愛と繋がりの強い水霊士(アクアリスト)である潤のステラ。これならば未だ稚魚同然の水霊士(アクアリスト)でも成功確率は大幅に上がる。そうでしょう?だからあの鯨とイルカの子達を癒す役目は潤と真理愛に任せます!)

 

 テミスの理屈(ロジック)に周囲―――――特に潤と真理愛は驚嘆するしか有りません。それは自分達があの鯨達を癒す大役を与えられたからである事もそうですが、まさか互いの魂の結び付きを水霊(アクア)から強いと認められた事もそう。

 

 「わ、わたしと真理愛の水霊(アクア)を…真理愛のフルートに……?」

 

 「それなら初心者の潤でも上手く行き易いって………。」

 

 ともすれば暴論とも言うべきテミスの言い分に、2人は返す言葉も有りません。然しそんな中、リラが先ず潤の顔を見て言いました。

 

 「潤先輩────私は未だ正直、先輩の事を水霊士(アクアリスト)として完全には認めてません。本当に水霊士(アクアリスト)としてこの先やって行きたいなら、それ位の事は出来なくってどうするんですか?」

 

 「リラちゃん………。」

 

 何時に無く真剣な表情でそう言うリラの調子に、潤は気圧されるばかりです。

 

 「厳しい言い方だけど、リラが言うと説得力有るわね……。」

 

 「リラっち、パパを助ける為にテミスの力を10%だけでも借りて何とか癒したもんね。」

 

 「水霊士(アクアリスト)としての限界を超えたリラだから言える事なんだろうね……。」

 

 葵と深優と更紗が納得と言わんばかりにそう呟くのを横目に、リラは次いで真理愛の方を向いて言います。

 

 「漣先輩、これは潤先輩の水霊士(アクアリスト)としての成長の試練なんです。どうか協力お願いします。もしも出来ない様でしたら、私がテミスのブルースパイラルビームで何とかあの子達を癒しますから心配しないで下さい!」

 

 「汐月さん……。」

 

 (やれやれ、リラも随分と生意気な口を利く様になったじゃない……。)

 

 (お前も下級時代はそうだっただろうが。)

 

 (そんな超大昔の事なんて忘れました~!)

 

 リラと真理愛の様子を見て、テミスとセドナがそんな掛け合いを行っていると、意を決した様に潤がプレコに似た内なる水霊(アクア)のステラを顕現させて真理愛の元へと歩み寄ります。

 気が付くと浜辺は既に海水ですっぽりと沈み、マッコウクジラ達の身体の4分の1が水に浸かっていました。 

 

 「真理愛、わたしやってみる!だからお願い、力を貸して!」

 

 すると真理愛の中からロリカリアに似た内なる水霊(アクア)のシュトラーセが現れます。

 

 「………分かった。私の水霊(アクア)とフルート、貴女に預けるわ……潤!」

 

 そうしてステラとシュトラーセを2つの光球に変えると、潤はそれ等を合成して白と藍色の輝きを交互に放つ1つの光球にしました。

 

 (ほほう、もし2体の波長が合わなければ拒否反応を起こして合成など出来ない所だが、これはもしや―――――?)

 

 ステラとシュトラーセが合わさった光球を真理愛のフルートに込めると、フルートは白い光を放ち、藍色の螺旋に包まれたでは有りませんか!

 

 「これって……成功したの?」

 

 葵がそう零した直後、フルートの光は次第に弱まり、螺旋も消え掛け始めます。

 失敗の気色が強まっているのは誰の目にも明らかです。

 

 「あぁ、やっぱり駄目そう……。」

 

 更紗がそう言い出した時、不意に真理愛はフルートを口に当て、徐に演奏を始めました。

 

 

 「♪~~~~~♪♪♪~~~~♪♪~~~~~~♪♪♪♪~~♪~~~~~♪♪~~~~~~~………」

 

 

 真理愛が演奏し始めるとどうでしょう。それまで消え掛かっていたシュトラーセの白い輝きが強まり始めたでは有りませんか。

 宿主自身の魂がシュトラーセに力を与えたからこそ、弱まり始めた輝きが戻ったと見て間違いは無いでしょう。

 そしてそれは真理愛と結び付きの強い潤の魂にも影響を与えたのか、ステラのと思しき藍色の光の螺旋も強さを取り戻し、大きく鮮明に輝き始めました。

 

 「やった……成功した!」

 

 「でも先輩、どうして急に吹こうなんて……?」

 

 深優がそう感嘆の声を上げる横で、リラは咄嗟の真理愛の行動に疑問を呈します。

 演奏を中断して真理愛が答えました。

 

 「さぁ、どうしてかしら?多分それはこのフルートが、私にとって魂の宝物だからかな?」

 

 「魂の宝物?」

 

 抽象的な答えを発する真理愛に対し、潤が尋ねます。

 

 「このフルート、私が8歳の頃にお父さんに買って貰って、10歳の頃に県のコンクールで金賞を取った私の大切な宝物なの。水霊(アクア)の事は良く分かんないけど、内なる水霊(アクア)ってつまりは、その人の中の魂と一緒な存在なんでしょ?私の想いが籠もった宝物に私の水霊(アクア)=私の魂が宿らないなんて、自分の今までを否定されたみたいで嫌だって思って……それで気付いたら吹いてた。上手く言えないけどそんな感じかしら?」

 

 その言葉に真理愛以外の全員は呆気に取られました。然し、リラと潤は妙に得心が行った気がしました。

 神道の九十九神思想や19世紀後半、イギリスの人類学者であるE・B・タイラーが提唱したアニミズムに在る様に、万物には遍く魂が宿る物とされています。

 尤も、人間の使う道具に関して言えば、宿るのは使い手の魂なのか或いは別のそれなのかは分かりません。

 然し、少なくとも真理愛にとって父の無事を祈るフルートは、まさに彼女の魂の強く籠った代物。そして真理愛の魂を内包した内なる水霊(アクア)であるシュトラーセがそれに宿れない筈は無い。

 

 「成る程、シュトラーセの宿主である漣先輩自身が心を込めて演奏したからこそ、フルートに宿った先輩の魂はシュトラーセを受け入れたんですね。」

 

 「じゃあ、わたしのステラが一緒に真理愛のフルートに宿れたのってどうして……」

 

 (それは真理愛が貴女を心から友と認め、受け入れたからこそでしょうね。)

 

 間髪入れずにテミスが潤の疑問に答えるます。

 

 「テミス……そっか………真理愛はわたしの事、受け入れてくれてたんだね。私の(こころ)を………。」

 

 瞳を涙で潤ませながら、ステラとシュトラーセの宿るフルートを持った真理愛の顔を潤は真っ直ぐ見つめます。

 依然降り注いでいる雨は止む気色を見せず、更なる水嵩を増して蒼國海岸をマッコウクジラとイルカ達共々水の底へと沈めていました。

 

 (さぁ真理愛!ステラとシュトラーセの癒しの力を旋律に乗せて、あの鯨の子達に届けなさい。)

 

 「えっ?はっ、はい!」

 テミスの声に促され、真理愛は直ぐ様フルートを口に当てて再び演奏を始めます。

 

 「♪♪♪~~~~~~~♪~~~~~♪♪~~~~~~………」

 

 するとどうでしょう。フルートを吹く真理愛の身体を中心に、青白い波紋が見る見るうちに周囲へと広がって行きます。

 それと同時にテミスは徐に蒼國の海岸を満たす海水を、まるでモーセの海割りの様に2つに分けてリラ達の居る岩場とマッコウクジラ達の居る場所とを繋ぐ道を作りました。

 

 (真理愛、演奏しながらで良いからその道を通って来なさい。鯨達の傍で貴女の癒しの旋律―――――『リップルメロディー』を聴かせてあげるの。)

 

 突然テミスの起こした現象にリラ達と共に真理愛は目を見開きましたが、水の精霊のやる事なので今更特に驚くに値しないと思ったのか、只コクリと1度頷いただけでした。

 そうしてテミスに促されるまま、真理愛は割れた水の道を真っ直ぐ歩いて鯨達の前へと躍り出ます。

 

 (凄い。漣先輩、水霊(アクア)には興味無いって言ってたのにもうテミス達が何をやっても動じない処か、あっさり順応してる………。)

 

 葵とは別な意味でどんな器にも馴染む水の様な柔軟さを持つ真理愛の適応力に、リラは只管感心するしか出来ずにいました。

 フルートの旋律と共に真理愛から広がる癒しの波紋は、瞬く間に鯨達の身体を癒し、生命力を回復させて行きました。マッコウクジラもバンドウイルカ達も、身体を激しく揺すって何とか海へ戻ろうともがき始めます。

 

 (頃合いね、セドナ。)

 

 (あぁ、では仕上げと行こう。)

 

 そう言葉を交わすと、テミスとセドナの2大上級水霊(アクア)は力を合わせて何と鯨達の真下から巨大な水柱を発生させ、その力で勢い良く彼等を海へと押し飛ばしたのです!

 激しい水飛沫と共に着水すると、1頭のマッコウクジラと4頭のバンドウイルカ達は悠然と沖へと泳ぎ帰って行きました。

 

 「凄いね……テミスもセドナも雨を降らせたり、あんな水柱まで起こして鯨達を海まで飛ばすなんて………。」

 

 「これが上級水霊(アクア)……テミスってこれだけの力を持ってたんだ………。」

 

 深優とリラが唖然となる中、葵が的を射た疑問を投げ掛けます。

 

 「でも、あの子達無事に元の仲間の場所に帰れるの?方向が分からなくなってこんなとこに座礁したんだし心配だよ……。」

 

 するとその問い掛けに答えたのはセドナでした。

 

 (案ずるな。彼等の脳内にはこの周辺の海域の情報と共に、仲間達の居所も己の帰る場所もバッチリ流し込んである。もう迷って座礁する事も有るまいよ。)

 

 「そっか、良かった………。」

 

 セドナの答えに対して更紗がそう安堵の声を漏らします。気が付けば空の雨は既に止んで元の快晴となっており、蒼國の海岸は元の白い砂浜へと戻っていました。

 浜辺の砂は、波の寄せて返す場所を除いて一切の水分を含んでおらず、まるで最初から何事も無かったかの様な装いを見せていました。

 こうして、蒼國の海岸で起きた鯨の座礁騒ぎは海から来た水の精霊と、その使い手達の活躍によって人知れず解決したのでした―――――。

 

 

 「あぁ、良かった!あの鯨とイルカの子達が無事に海に帰れて!真理愛のフルートも素敵だったわ!」

 

 「そう?気に入ってくれて嬉しいわ潤。」

 

 無事元気に海へと帰って行く鯨達を見送って一安心した潤は、真理愛のフルートの演奏に改めて賛辞を送りました。

 するとリラが徐に潤の方を向いて話し掛けて来ます。

 

 「潤先輩……。」

 

 「どうしたのリラちゃん?」

 

 リラは真剣な表情で潤の顔を数秒見つめていましたが、直ぐに口を開いて言いました。

 

 「漣先輩の魂が籠ってたから難易度低めだったみたいですけど、それでも物に水霊(アクア)を宿すなんて事をやって見せるなんて、私も驚きました。未だ経験は浅いですけど、潤先輩も水霊士(アクアリスト)としての素質は充分に有るんですね。」

 

 「リラちゃん……。」

 

 その言葉は潤の水霊士(アクアリスト)としての素質をリラが認めた証でした。すると真理愛がリラに対して言いました。

 

 「何言ってるのよ汐月さん。潤は水霊士(アクアリスト)として目覚めてから、あの光の螺旋を腕に纏い付かせて何時も私達の事マッサージしてくれるじゃない!貴女でもやらない事がやれるんだから充分凄いと思うけど?」

 

 「えっ、いや……それ位私だってやろうと思えば出来ますけど………。」

 

 そう言ってリラはクラリファイイングスパイラルを腕所か、右手の5本の指先に纏い付かせてアピールして見せます。

 

 「へぇ、凄いじゃんリラ!じゃあ今度それでマッサージしてよ!」

 

 「葵ちゃん!?何言って……」

 

 「もう、リラっちったら相変わらず水霊士(アクアリスト)の事になると堅いんだから!私からしたらリラっちも潤先輩、どっちも私達(みんな)に必要な立派な水霊士(アクアリスト)!それで良いでしょ?」

 

 「もしかしてリラ、『水霊士(アクアリスト)は自分1人だけで充分だ』なんて思ってるの?それって傲慢じゃない?」

 

 「そ、それは……。」

 

 深優と更紗からの言葉を受け、リラは言葉に詰まってしまいます。

 

 (リラ、良い加減認めなさい。潤も充分な素質を秘めた水霊士(アクアリスト)。経験を積めば未だ未だ伸びて行くわ。一緒に手を取って頑張りなさい!)

 

 「テミス……分かったわ。認めるわよ、潤先輩の事―――――。」

 

 真剣な眼差しでそう言い放つテミスに気圧され、不承不承リラは頷きました。

 

 

 そんな人間の彼女達の様子を遠目に見ながら、セドナはテミスに尋ねます。

 

 (お前の選んだ水霊士(アクアリスト)の子達だが、今回は潤のポテンシャルしか見れなかったな。まぁリラの活躍は以前から知っているから別に良いが、どっちも潜在的に充分な力を秘めているな。)

 

 セドナの問い掛けに対し、テミスは答えました。

 

 (当然ですわ。あの子達にはこれからやって貰わなきゃならない事が有るの。この星で最近多くなって来た穢れ―――その大元を正す為にも―――――。)

 

 リラと潤を一瞥し、テミスは続けます。

 

 (例え“海の瞳”の持ち主でも、素質の無い者にアクアリウムを与える程、私の選定は甘くないもの―――――。)

 

 (フッ、そうだったよな。そうした意味ではお前の目に間違いは無い。)

 

 そう言ってセドナは遠くの海を見遣って言います。

 

 (だが分かっているだろう?時間は決して多くは無い。一刻も早く“あいつ”を救ってやらなければこの世界に生きる人は―――――。)

 

 (大丈夫です。それまでには何が何でも間に合わせます。彼女を癒し救う為にも―――――。)

 

 

 一方、そんな上級水霊(アクア)達の遣り取りなど何処吹く風なリラ達はと言いますと―――――。

 

 「あっ、もう12時だわ。ねぇ、皆でお昼一緒しない?先輩達も一緒にどうですか?」

 

 スマホの画面を見て現時刻を知った葵は、昼食に潤と真理愛を誘います。

 

 「良いの?それじゃあ私達も一緒に――――」

 

 (待て!)

 

 葵の誘いに真理愛が答えようとした時、不意にセドナがリラ達を呼び止めました。

 

 「セドナ?一体どうしたの?」

 

 リラが恐る恐る尋ねると、セドナは答えます。

 

 (漣真理愛……と言ったな。)

 

 「は、はい。」

 

 先程凄まじい雨を降らせ、巨大な水柱でマッコウクジラ達を海へと押し飛ばす程の力を持った水の精霊に自分の名を指名され、真理愛は恐怖と緊張の感情を内包しながら前へ出ます。

 寄せては返す波の音が海岸に響く中、気まずい沈黙の空気が数秒流れた後でセドナは言います。

 

 (お前の奏でていたリップルメロディー……実に素晴らしかったぞ。上級水霊(アクア)であるこの私の心にすら響く程に―――――。)

 

 「えっ?そ、そうですか?それはどうも有難うございます……。」

 

 「真理愛……。」

 

 他人行儀に畏まってセドナにそう返す真理愛を、潤はその後ろから心配しながら見つめるしか出来ません。

 するとその時です。不意に人間の少女達の耳に、潮騒とは別にさざめく無数の声が聴こえて来ました。

 

 (素敵だったよ、貴女のメロディー!)

 

 (ねぇもっと聴かせてよ!)

 

 (私達未だもう少しだけ聴いてたいの!)

 

 (アンコール!アンコール!………)

 

 

 そう、真理愛の演奏に聴き惚れた無数の海の水霊(アクア)達がセドナの周囲に集まって来たのです!

 

 「ア、水霊(アクア)達がこんなに沢山……!!」

 

 「そんなに漣先輩のフルートって水霊(アクア)達に好評だったの?」

 

 「あぁ、葵ちゃん達は知らなかったわね。」

 

 リラは友人3名に説明しました。先程磯の岩場で海へ向かって真理愛が父の無事を祈ってフルートを吹いていた事を―――――。

 そしてその旋律が海で活動する数多の水霊(アクア)達に大受けだった事を―――――。

 

 「へぇ、漣先輩のフルートってそんなに凄いんだ……。」

 

 「って言うかお父さんの為にフルート吹いてるなんて私、漣先輩への好感度ドアップだよ。」

 

 「深優はお父さん大好きっ子だもんね。」

 

 真理愛の真実を知り、深優は徐に彼女へと歩み寄って言いました。

 

 「漣先輩、先輩の事名前で呼んで良いですか?私の事も深優で良いですので!」

 

 「先輩、良い機会ですし私達もお互い名前で呼び合いましょうよ。良いでしょう?」

 

 リラからもそう進言され、真理愛は数秒黙っていましたが、直ぐにこれを快諾しました。

 

 「………そうね。お互いもう知らない仲でも遠い関係でも無いしね。良いわよリラ、葵、深優、更紗!」

 

 「有り難うございます!」

 

 そう言って頭を下げるリラ達の姿を見てフッと微笑むと、真理愛は改めてセドナ達の方へと向き直ります。

 

 (お前が何時も遠い海で艦に乗って仕事に明け暮れる父を案じ、その旋律を届けている事はとうに知っている。どうだ?お前が演奏してくれるのなら、私はお前の父へとその想いを旋律と共に届けてやろう。悪い話ではないと思うが?)

 

 「えぇっ!?」

 

 話の流れからこの展開は予想していましたが、まさか父に自分の想いをセドナが届けてくれると言う取引を持ち掛けられた事は真理愛にとって驚くべき事柄でした。

 然し、これは彼女にとっても願っても無い事です。答えは真理愛の中で一瞬で出ていました。

 

 「………分かりました。それが出来るって言うなら私、演奏します!」

 

 セドナからの申し出を快諾した真理愛は、潤に頼んで再度ステラとシュトラーセをフルートに宿すと、改めて蒼い波紋を描くリップルメロディーを奏でました。

 美しい旋律を聴きながら、セドナは身体を瑠璃紺に光らせます。

 

 

 一方、海上自衛隊の護衛艦いずもでは―――――。

 

 「この音は―――――!?」

 

 仕事の合間に食堂でカレーを食べていた真理愛の父の脳内に、彼女のフルートの音色が突如として流れ込んで来ます。

 

 『お父さん、何時も私達の為に頑張ってくれて有難う―――――。また元気で私達の所へ戻って来て下さい――――――!!』

 

 真理愛の心の声がフルートの旋律と共に脳内に響き、気が付いたら真理愛の父の目には涙が浮かんでいました。

 

 (真理愛、お前は――――――――――――)

 

 

 潤の魂の水霊(アクア)とも言うべきステラと、自身の魂の水霊(アクア)足るシュトラーセを宿した真理愛のフルートの音色は、セドナを筆頭とした海の水霊(アクア)達が見守る中、瑠璃より蒼く輝く蒼國の海原に何時までも響くのでした―――――。

 

 




キャラクターファイル22

濱渦水夏(はまうずみずか)

年齢   16歳
誕生日  4月26日
身長   171㎝
血液型  O型
種族   人間
趣味   水生生物の飼育と観察&新種探し
好きな物 変わった魚

カチューシャを付けた紅茶色のセミロングの髪に、緑の瞳が特徴で良く手を後ろ手に組む。
大人しい性格だが非常に芯が有り、いざと言う時には大胆なまでの行動力を発揮する。両親が蒼國水族館のオーナーとドルフィントレーナーの為、自身も将来海洋生物に携わる仕事がしたいと思っている様だ。
瑠々とは幼馴染みの関係で、同じく幼馴染み繋がりの深優と葵の2人とも良い話し相手になっている。クラスは瑠々と同じで2年5組。ともすれば暴走しがちな彼女の手綱を握れる唯一の人物で、瑠々のボケに辛辣な突っ込みを入れるのは様式美。忍同様、嬉しい時には無自覚に胸を揺らす癖が有る。
平泳ぎと背泳ぎが得意で、レインと言う名のウナギ型の水霊(アクア)を内に宿す。
深優と同じで何事も無難にこなす天才肌と思われるが、実際は途轍も無い努力で己を磨き上げて来た類稀な努力家であり、母を始めとした古今東西の尊敬する偉人の言葉を引き合いに出す等の有学振りを見せ付ける。
将来、未だ誰も知らない新種の魚や水生生物を発見したいとも思っている。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第22話 水は我が友(起)

大変長らくお待たせ致しました。ここから水泳地区予選を四部作でお送りします!
……と言っても余り競技の内容は期待しないで下さい。この作品のテーマは水泳ではないので(汗)。


 リラが4月に霧船に入学してから早2ヶ月が経ち、もう直ぐ3ヶ月目を迎えようとしている6月第4週の事でした。

 すっかり着慣れた霧船女学園水泳部の競泳水着に身を包み、リラ達は何時もの様に学園のプールで練習に励んでいました。

 

 「相変わらず吉池は1年の中じゃトップクラスね。長瀞もかなりの距離泳いでも平気だし、それでいてタイムも縮まって来てるわ。」

 

 「そうだな。けど汐月だって、あたしと一緒に泳いでる内にだいぶタイムも縮まって来たぜ。勿論、五十嵐もな。」

 

 「大会で通用するかどうかは未だこれから出て見なきゃ分かんないけど、何事も経験。あの子達は肩の力抜いて、思う様に泳げば良い。そうでしょ?」

 

 みちるの言葉に対し、忍は口元にフッと笑みを浮かべながら頷きます。

 

 汐月リラ、五十嵐葵、吉池深優、長瀞更紗―――――。

 

 入部したての1年生で新入部員だった彼女達の泳ぎも、水の都である蒼國で揉まれて来た事も有って少なからず洗練されて来ました。

 今回の総体で、果たして何人が標準記録を上回り予選を通過出来るかも大事ですが、新人の彼女達には思いっ切り楽しんで泳いで欲しい物です。

 

 「真理愛、やっぱり貴女って凄いね。2年も逃げてたわたしと違って……。」

 

 「何言ってるの?本気の私の泳ぎに、此処まで付いて来れたのは貴女が初めてよ潤。」

 

 そして2年生もずっとストイックに取り組んで来ていた真理愛は勿論、2年のブランクが有った潤も好敵手である真理愛の存在が刺激となり、勘を取り戻してその先の扉を開けつつありました。 

 

 「全く、2人とも速過ぎ!」

 

 「潤、ブランク完全に埋まったわね。」

 

 2人の独壇場と化したプールで、潤と真理愛の後塵を拝していた瑠々と水夏。然し、そんな彼女達も去年と比べてタイムがまた数秒縮まり、予選突破の射程圏内へと足を踏み入れていました。

 

 「ッ!?は、速い!?」

 

 「あっと言う間にゴールに!?」

 

 (凄い……もしかして忍先輩、故障する前のレヴェルに戻ってるの?ううん、下手したらそれ以上かも……)

 

 最後に3年生。総体や国体と言う戦場を何度も経験して来た百戦錬磨の部長であるみちるは言わずもがな、リラのアクアリウムの癒しも手伝い、2年の沈黙を破って復活したエースの忍は間違い無く今季の台風の目となりましょう。

 それが証拠に、先程も肩を故障する前の自己ベストに大きく肉薄する記録を叩き出して葵と深優の度肝を抜きました。リラもその泳ぎっ振りには心から感心させられます。

 

 「それじゃあ本日の練習は此処まで!」

 

 「有り難うございました!!」

 

 何時もの様に練習を終えて締めの挨拶を行う水泳部の一同。ですが、今回はそのまま解散と言う訳には行きません。何故なら―――――。

 

 「皆、分かってると思うけど、今週の金、土、日はいよいよ総体よ。今まで積み重ねて来た自分の泳ぎを信じて、最後まで戦い抜きましょう!」

 

 そう、明日から3日間の週末はいよいよ待ちに待った高等学校総合体育大会水泳競技大会―――通称“総体”の開催日。関東高等学校水泳競技大会―――これも縮めて“関東大会”への切符を賭けた県の予選会を兼ねた大事な3日間なのです。

 水泳部で己を鍛え続けて来た者達にとって、『全国への最初の通過点』とも言うべき大会が直ぐ明日、正確には24時間にも満たない十数時間後に関東の専用ステージで行われる。その事実に、一同の顔は一層の引き締まりを見せます。 緊張からか、思わず拳を握り、背筋すら伸ばして見せる者もいました。

 この6月第4週の金、土、日と3日に掛けて行われる大会ですが、先ず1日目は瑠々が400m自由形、水夏が200m平泳ぎに参加し、次いで2日目は更紗と真理愛が200m自由形、リラと忍が100mバタフライ、葵と潤が100m背泳ぎ、みちるが400m個人メドレー、そして葵、深優、瑠々、水夏の4人が400mメドレーリレーにそれぞれ参加。最後の3日目に深優が100m自由形に参加します。

 

 水泳を学校の部活で嗜んだ事の有る人ならご存知でしょうが、競泳は先ず選手をそれぞれ8人ずつに分けて泳がせる予選を行い、これを突破した8名のみが上位入賞者を決める決勝へと出場出来るシステムです。但し、大会によっては1位~8位を決めるA決勝と、9位~16を決めるB決勝の2つが行われてその為にAとBで各16名が選ばれる事も有ります。リラ達がこれから出場する総体にはこのB決勝が有りました。

 予選突破の方式も、8人ずつ分けられた各組の中でどれだけ先にゴールしたかではなく、より早い時間で泳いだ者が選ばれる“タイムレース方式”が採用されており、この中からより早いタイムを叩き出した者16名がA決勝、B決勝へと進めるのです。因みにB決勝で如何に好タイムを叩き出そうとも、あくまで9位~16位の決定戦ですのでA決勝の選手達の順位に割り込む事は出来ません。

 こう言われると1位や2位の上位先着の選手の方が早いタイムだから、やっぱり先にゴールした方が勝ちだと思われるかも知れませんが……甘い!例えA組で1位になったとしても、B組やC組で3位や4位、極論最下位である8位の選手の方がA組で1位になった選手より早いタイムならば、残念な事にA組で1位になったその選手はエントリーした選手全体の順位としては下となってしまう。タイムレース方式とは、極端に言えばそう言うシステムなのです。

 勝負が決まるのはごく短い時間。そして同着でゴールした様に見えても、タッチの瞬間が100分の1、1000分の1秒と言う刹那の時間でも違えばそれが勝敗、延いては予選落ちや優勝を分かつ決定的な差となる………。それが競泳の世界なのです!

 

 尚、霧船女子の目指す関東大会出場の条件としては、各種目の決勝で8位までに個人、団体問わず入賞する事が条件ですが、4位~8位の選手は更に関東大会の標準記録を突破する事が条件となります。然し予選、決勝を問わず全国大会の標準記録を個人、団体問わず突破した者は主催団体の推薦を経て、その種目への出場を申し込めるのです。

 

 水の都と言う事も有り、水泳人口の多い蒼國の選手が多くせめぎ合うこの総体。B決勝は勿論ですが、それ以上にA決勝を泳ぐ上位8名に選ばれるのが如何に至難の技である事は想像に難くないでしょう。

 無論、蒼國以外の地区の高校の選手も多く参加しますが、やはり蒼國の選手達の多くは余所者など眼中に無く、同じ蒼國の学校の選手をライバル視する傾向が有る様です。

 

 「やれる事はやったんだ。勝つとか負けるとか、んな事はどうだって良い。思いっ切り楽しんで泳ごーぜ!」

 

 然し、勝ち負けに頓着しない忍の言葉に、思わずリラや葵達、それにみちるの顔に笑みが浮かびました。何時かの忍の内なる水霊(アクア)であるヴァルナが彼女に叱咤激励した時の事が思い出されて、嬉しくなったからです。

 勿論、その事情を知らない2年の子達も、そう無邪気に言い切る忍の表情に思わず緊張を解きます。

 

 当然、後でリラと潤がアクアリウムで全員の心身を入念に癒し、ベストなコンディションへと整えたのは言うまでも有りません。

 

 (さぁ、明日は心行くまで泳ぎまくってね?)

 

 テミスを筆頭にした水霊(アクア)達も、水霊士(アクアリスト)の少女2人の心身の疲労を洗い流し、存分に泳ぎ回れる様に陰ながら支援するのでした―――――。

 

 

 そして翌日、遂に関東大会予選会を兼ねた地区総体が、街の外れに位置する蒼國総合スポーツセンターにて開催されました。

 蒼國(じもと)は勿論の事、県内中で水泳部を擁する高校の選手達がバスに乗って次々と集まって来ました。

 バスから降りて会場へと向かう水泳の選手達の様子は、さながら海から生まれ故郷の川へと遡上する鮭の大群か、竜門なる大瀑布を泳ぎ昇って龍にならんと集まって来る鯉達と言った所でしょうか?

 

 「此処が蒼國総合スポーツセンター……私達がこれから戦う場所………。」

 

 バスから降りたリラ達の視界に先ず真っ先に飛び込んで来たのは、この街に来て初めて立ち寄った大きなスポーツセンターです。

 水泳の為のプールは勿論ですが、陸上競技や球技、果てはスケートやカーリング等、あらゆるスポーツの練習場として蒼國市民処か、県の内外問わず多くの人から利用されています。有名なアスリート達まで多く利用し、室内の受付には幾つもの彼等のサイン色紙で飾られる程です。

 尚、蒼國に在る学校のアスリート、その中でも特に水泳の選手達の間では暗黙の了解として、練習目的でこの施設は利用せず、するとしたらそれは今回の様な大会の時だけと言う不文律が有りました。それだけこの施設のプールは、蒼國の水泳選手達にとって神聖な場所と言う事なのでしょう。

 

 それを分かっている為か、バスから降りた瞬間には既に部長のみちるもエースの忍も、瑠々も水夏も真理愛も潤も、そして新入りの葵も深優も更紗も皆緊張の面持ちで眼前に聳え立つ戦いの場を目に焼き付けんとする勢いでじっと見つめています。因みに全員、体育で着用する霧船指定の紺色のジャージに身を包んでいました。

 

 「あー、やっと着いたか………。」

 

 そんな彼女達の心中などナノミクロ程も気に掛けない気怠げな声で、顧問の村上先生が選手達に遅れてバスから降りて来ました。 

 

 「もう、先生遅いですよ!こう言う時位ビシっとして下さいって!」

 

 「ッたく、相変わらず先生は緊張感無ぇなぁ……。」

 

 みちると忍が呆れてそう言うと、村上先生は何時も通りの調子でこう言い返します。

 

 「馬鹿かお前等?私は顧問であって選手じゃねぇ。私が戦う訳でも無いのに緊張する理由が何処に在んだよ?」

 

 確かに彼女は選手でも何でも無い只の顧問(つきそい)。別に選手の様にこれからの戦いに緊張を漲らせる必要なんて有りません。

 

 「つーか前橋、そう思うなら私の分までお前がビシッとしろよ。部長のお前は日浦と一緒にチームの心の支えなんだからな。ついでにこいつも言っとくが、私は別にお前等がこれから勝とうが負けようが、別に気にはしねぇよ。つーかどうでも良い。薄情な様だが、そう言う結果を受けて其処からどうするかはお前等1人1人次第であって、私が偉そうにあれこれ言う事じゃないからな。2年と3年のお前等なら良く分かるだろ?」

 

 その言葉にみちると真理愛を筆頭とした先輩達が苦笑いする一方、リラ達は村上先生の放任主義振りに呆れの感情を抱いていました。

 以前から気怠く面倒臭そうな雰囲気を漂わせ、部活の事を部長のみちるを始めとした部員達に丸投げしている事は以前から知ってはいましたが、まさかチームの勝ち負けにすら無頓着とは……。

 これがウチの部活の顧問だと思うと、心なしか嘆かわしくなって来ます。 

 

 「けどまぁ……どんな結果になろうと、それは過程と一緒に大事にして忘れんなよ?そう言う積み重ねが有って今のお前等が有るんだから、否定したら罰当たるぞ。それと―――――」

 

 そうして村上先生は、忍と潤を一瞥してこう締めます。

 

 

 「一緒に泳ぎたい奴とチームで泳げるってのは、選手にとって幸せな事だろ?それが1分でも1秒でも――――1日でも長く続く様に頑張って来い。後悔だけはしない様にな……。」

 

 

 気怠く言い放つ先生の言葉。然しそれは、リラ達の胸に不思議と強く刺さります。

 その中でも特に葵と深優、瑠々と水夏と言う幼馴染みコンビ2組の心を奮い起こしたのは言うまでも有りません。

 『1人も欠ける事無く予選を突破して、今のメンバー全員で全国へ出場する』―――――――その想いで彼女達はずっと練習して来たのですから。

 

 「はいっ!」

 

 先生の言葉を強く胸に刻んで選手達がそう頷く中でリラは内心、自分の中での先生への評価の最終判断を下していました。

 

 (全く……掴めない先生だわ……。)

 

 普段は気怠い雰囲気を漂わせているけれど、実際面倒臭がり屋で他人の事には基本ノータッチ。部活の事も部員達に丸投げして無頓着。

 けれど、少なくとも部員の名前と出席番号を一々覚えており、忍の肩の故障も気に掛ける等、何だかんだで相手の事はキチンと見ていて決して他人に無関心では無く、不器用ながらも相手に寄り添う言葉を投げ掛ける……。

 嫌いになれそうでなれないばかりか、人によっては親近感すら覚えそうな不思議な人――――――それがリラの中での村上先生の評価(レッテル)でした。

 尤も、先生への評価(レッテル)に関して言えば、他の部員達もリラと似たり寄ったりのそれを下していましたが……。

 

 

 そうしてみちるがメンバーに号令を掛けます。

 

 「……それじゃあ皆、行くわよ!」

 

 

 そうして会場の入り口へと足を運ぶ霧船女学園水泳部の面々。

 すると葵が同じ1年のリラと深優と更紗に村上先生の事に関して、当人に聞こえない様小声で話し掛けます。

 

 「ねぇリラ、相変わらず先生って面倒臭がり屋だよね。」

 

 「うん、そうだよね……。」

 

 「ぶっちゃけ私達の結果にすら興味無いって、顧問としてどうなのかな?」

 

 「何であんな人が水泳部の顧問なんだろうね……?」

 

 すると彼女達の遣り取りが近くで聞こえたのか、忍が1年の後輩達に向かって意外な情報を伝えました。

 

 「そう言うなよ。あの人だって曲がりなりにも蒼國じゃ有名な水泳選手だったんだぜ?」

 

 「えっ!?」

 

 あの村上先生が蒼國で名を馳せた水泳のアスリートであると忍から告げられ、当然の如くリラ達は唖然となります。忍は続けます。

 

 「学生時代は何度も国体出て、3回も優勝した事が有るっつー程の猛者だったんだとよ。然も日体大卒業でおまけに付いた仇名が“ナマケモノ”!」

 

 先生の意外な経歴に、1年のヒヨッ子4名は言葉も有りません。普段面倒臭がり屋で気怠そうにしてるあの先生が、まさかそれ程凄い人物だったとは……。

 “人は見掛けによらない”とは良く言った物です。

 

 「凄い人なのは分かりましたけど、仇名がナマケモノって……」

 

 「知らないの葵?ナマケモノって実は凄く速く泳ぐんだよ?」

 

 「嘘、マジで……!?」

 

 深優からの指摘に目が点になる葵ですが、相手の幼馴染みは構わず続けます。

 

 「ナマケモノって言ったら1日中樹の上にぶら下がってて殆ど動かないってイメージ強い動物だけどさ、種類的にはミツユビナマケモノとフタユビナマケモノの2つだけよ?泳ぎが凄く上手なのはミツユビナマケモノって呼ばれる方の種類で、泳ぐのが上手なのはアマゾン川のジャングルで暮らしてるからなんだって。因みに殆ど動かなくって鈍臭い印象の有るナマケモノだけど、それでも歩く速さは時速120mって言われてるよ?泳ぐとなると更にその2~3倍以上のスピードが出せるみたい。これだけ言えば、嫌でも村上先生の仇名に相応しいか分かるんじゃない?」

 

 「成る程……確かに先生らしい仇名ね……。」

 

 深優の説明に対し、葵が苦笑しながらそう返した時です。

 

 

 「あれ?日浦じゃん!」

 

 不意に霧船女子達の前に近付いて話し掛けて来る者がいました。忍の苗字を口にしたと言う事は、少なくとも彼女に縁の有る者と見て間違いは無いでしょう。

 

 「お、お前……井澤!?」

 

 忍が目を見開いて井澤と呼んだ女子は、漆黒のセミロングヘアに青紫色の瞳が特徴で身長が何と175㎝でバスト88と言う大柄な女子でした。

 霧船より明るい青系のジャージに身を包んで居る所から、ライバル校の女子である事はリラも直ぐに分かりました。井澤と呼ばれた女子の後ろには、彼女と同じ服装の女子が20人近く居ます。

 

 「あんたの事、市民プールで霧船が練習してるとこは前から見掛けてたから『肩治ったのかな?』って思ってたけど、こうやって出て来てるって事はやっぱそう言う事なんでしょ?」

 

 「あぁ、お陰様でバッチリ治ったぜ!」

 

 「やっぱそう言う事!」

 

 忍からそう返され、井澤と呼ばれた女子はぱぁっと明るそうな表情で応じます。忍の復活に関しては後ろの部員達にとっても思う所が有るのか、皆驚きで目を見開いてヒソヒソとその事で内緒話を始める者まで何人も現れました。

 周りに居合わせた他校のライバル達にとっても忍が復活してこの場に居る事は意外だった様で、あちこちから少なからぬどよめきが起きていました。特にバタフライに参加する選手達にとっては、まさかの強敵出現と言う事で気が気では有りません。

 

 「部長、誰なんですかこの人?」

 

 リラがみちるに尋ねると、彼女は小声で説明しました。

 

 「彼女の名前は井澤八尋(いさわやひろ)。希望ヶ浜高校水泳部の部長でエースよ。得意な泳ぎは忍と同じでバタフライ。因みに希望ヶ浜は龍洋と並んで蒼國(じもと)でも全国大会出場率トップで優勝経験も有る強豪校。」

 

 「バタフライが得意って事は……忍先輩とはライバルって事ですね!」

 

 納得の行った調子でリラがアクアリウムをこっそり発動して八尋を見ると、彼女の内なる水霊(アクア)は巨大なホオジロザメの姿をしています。宿主が宿主だけにとても力強い水霊(アクア)を宿していると言えましょう。

 

 「でも、あんたが怪我から復帰した所であたしは負けないからね。あんたが大会出れないでいる間、あたし等は色んな大会出て優勝までして来たし、前よりずっと速く泳げる様になったんだから。怪我から治ったって言ってもブランクの有るあんたじゃ相手にならないと思うけど?」

 

 やはりと言うべきか、怪我から復帰したとは言え、2年もブランクの有る忍は周りからそう思われても仕方の無い存在でした。気付けば周りの選手達もホッと安堵して、取るに足らない相手と露骨に侮蔑の目を向ける者まで居ます。

 

 「そうだっけ。もう日浦忍は終わったんだった!」

 

 「昔は凄い選手だったみたいだけど、2年もブランク有るんじゃ大した事無いよね!」

 

 「今更何しに出て来たの?恥掻いても良いから記念出場で思い出作り?黒歴史になるだけだと思うけどな~♪」

 

 その周囲の態度に対し、憤りを覚えたのはリラでした。曲がりなりにも水泳の選手である以上、スポーツマンシップ位有って然るべき筈なのに周りは忍の事を馬鹿にして軽んじています。

 これが自分と同じ水泳のアスリートなのかと思うと嘆かわしい。そんな感情が自身の内から間欠泉の様に沸々と湧いて出るのをリラは感じていました。

 

 「……本当にそう思うかよ?」

 

 そんなリラを尻目に、忍は口を開いて返します。

 

 「は?何がよ?」

 

 思わぬ反論に呆気に取られる八尋に対して忍は言います。

 

 「確かにあたしは怪我の所為で2年近く大会には出れなかったよ。けど、怪我を乗り越えた今のあたしはあの頃より速いぜ!お前なんかよりずっとな!」

 

 その言葉に八尋を中心に他の部員達はポカンと口を開けるも、直ぐに腹を抱えて笑い始めました。

 

 「アハハハハッ!!何それハッタリの心算!?怪我が治ったのって最近でしょ!?そんな昨日の今日で幾等練習したって、昔より速く泳げる様になんてなる訳無いじゃんさ!?」

 

 一頻り笑うと、八尋は同じ希望ヶ浜のメンバーを連れて会場の入り口へと歩み始めます。

 

 「まっ、あんたがそう言うならこれから見せてみてよ?その“前よりもあたしよりも速い”って言うあんたの泳ぎをさ!」

 

 そう宣戦布告すると、希望ヶ浜の選手達は一足先に会場へと入って行こうとします。

 

 「あっ、部長!ちょっと待って下さい。」

 

 すると同じ希望ヶ浜の女子の1人が八尋に断りを入れると、今度は瑠々と水夏の所へ歩み寄って来ます。

 白と紺色のグラデーションが掛かったセミロングが特徴の子です。

 

 「久し振り、瑠々!水夏!」

 

 「あっ、麗湖!」

 

 「麗湖こそ久し振り。」

 

 そうして瑠々と水夏の幼馴染みコンビは相手校の女子の手を握ります。すると葵が瑠々に尋ねました。

 

 「瑠々先輩、その人は?」

 

 瑠々は答えます。

 

 「あぁ、こいつの名前は真宮寺麗湖(しんぐうじれいこ)。わたしと水夏とは同中だったの。」

 

 「中学時代の友達だったんですか……。」

 

 深優が納得した様子で頷くと、麗湖は2人に話し掛けます。

 

 「瑠々も水夏も元気そうで何よりだわ。市民プールで練習してたの良く見掛けたけど、相当頑張ってたわよね?」

 

 「何だ、あんたも私達と同じ市民プールで練習してたの?だったら話し掛けても良かったのに……。」

 

 水夏がそう言うと、麗湖は首を横に振って言いました。

 

 「出来る訳無いでしょ?2人ともメッチャ真剣に練習に取り組んでたんだから。って言うかそれ言ったら瑠々達だってそうじゃない?けど代わりにLINEにメッセ送ってたから良いでしょ?」

 

 「まぁ、確かにそうね……。」

 

 麗湖から指摘され、2人は練習帰りにスマホでLINEの遣り取りをしていたのを思い出していました。

 

 「2人が凄く頑張ってるのは分かる……けど、勝つのは私達だからね?」

 

 「上等!わたしも水夏も絶対に負けないから!」

 

 「今年は皆1人も欠けないで全国へ行くよ?」

 

 運命の大会を前に、改めてライバル宣言をする麗湖に対して火花を散らす瑠々と水夏。リラと潤がアクアリウムを展開して見ると、麗湖の内なる水霊(アクア)は漆黒のエレファントノーズ型の水霊(アクア)でしたが、かなりの力を感じます。

 

 (あの人、出来る。井澤って人にも負けない位……!!)

 

 内なる水霊(アクア)が強力であればある程、宿主である人間のポテンシャルも高い。色んな人間の水霊(アクア)を見て来たリラだからこそ分かる、経験則からの判断でした。

 

 「おーい、真宮寺!何時まで話してんのさ?さっさと来なよ!」

 

 「はーい!それじゃあ瑠々、水夏、会場でまた……。」

 

 遠くから八尋の呼ぶ声を受けて元のグループに戻ると、麗湖はそのまま蒼國総合スポーツセンターの入口へと消えて行きました。

 

 「忍先輩……。」

 

 希望ヶ浜のライバルに因縁を付けられた忍に対し、心配そうにリラは話し掛けます。

 

 「何だよ汐月?あたしの事、心配してんのか?」

 

 確かに忍はリラのアクアリウムのお陰で本来なら相当な時間が掛かる所を、物の2ヶ月で肩を故障する前まで回復させる事が出来ました。けれど、だからと言って『昔より速く泳げる様になった』なんて言うのは幾等何でも苦し紛れのハッタリにしか見えません。

 同じバタフライの選手として、実際に泳いでいても自分では敵わない実力を忍は持っていましたが、相手は忍が肩を壊して大会に出れない間に何度も全国の舞台を経験した百戦錬磨の猛者。嘗ての忍より先を行っているのは水霊(アクア)達から教えて貰わなくても明白です。

 いいえ、リラは敢えてライバル校の選手と、自分の所属する霧船との彼我の実力差については敢えて知ろうとはしませんでした。ライバル選手達のタイムを知った所で、自分達に何が出来る訳でも無いのですから……。

 仮に出来る事が有るとしたら、それは精々大会へ向けて鍛えるべき物が何かを知り、よりタイムを縮めるべく己の力を伸ばす事だけ。結局水泳とは、つまる所は己自身との戦い―――――有名パラリンピック選手の言葉ですが、まさにその通りでしょう。

 

 「大丈夫だ。あたしは負けないから♪それにお前がヴァルナ使って教えてくれたんだろ?楽しく泳げさえすりゃ勝ち負けなんてどうだって良いってさ。あたしの事は良いから、お前は自分の泳ぎをしろよ!」

 

 「忍先輩……!!」

 

 そう笑って返す忍の姿を見て、リラは自身の口端に笑みが浮かぶのを感じました。それはみちるも一緒でした。大会に出れなくて塞ぎ込んでいた忍が、昔以上に良く笑う様になった。彼女の事を誰より間近で見て来た者として、これ程みちるにとって嬉しい事は無いでしょう。

 

 「それじゃあ皆……改めて行くわよ!」

 

 みちるの言葉に促され、霧船女子の御一行様も会場の受付へと歩を進めます。

 そんな彼女達の姿を、希望ヶ浜同様に他校のライバル達が見つめている事も露知らずに―――――。

 

 

 そうして時計の針が9時30分を廻る頃、選手達は蒼國総合スポーツセンターのプールの前に学校毎に整列して入場して来ました。

 霧船女子、希望ヶ浜、龍洋、春湊、水月、海燕大付属、蟹淵、北静湖―――――蒼國を中心に県内から実に多くの高校の水泳部の選手達が一堂に介する中、公益財団法人である日本水泳連盟、次いで同じく公益財団法人の全国高等学校体育連盟から出席したお偉いさん達の挨拶、優勝旗の返還、そしてあの希望ヶ浜から井澤八尋が登壇し、選手宣誓を行います。

 八尋は昨年の全国大会は元より、国体でも好成績を収め、地元でも有名な選手。この蒼國の街で行われる水泳の大会で選手宣誓を行うのに、これ以上相応しい人物はいないでしょう。

 

 『宣誓!我々選手一同は、日頃の練習の成果を十分に発揮し!水を友として!全力で最後まで泳ぎ切る事を此処に誓います!!』

 

 マイクの前で立ち、右手を上げて高らかに八尋が宣誓し終えると、参加選手達から拍手が起こります。

 リラがこっそりアクアリウムを発動させて見ると、周囲は無数の水霊(アクア)達が楽しそうに泳ぎ回り、さながらクレートバリアリーフの珊瑚礁の様な素敵な空間が広がっていました。

 こんな場所でこれから泳ぐのだと思うと、リラは今から楽しみでなりませんでした!

 

 

 開会式が終わるともう直ぐ午前10時、いよいよ本格的に競技が開始される時間です。

 

 「良っし!それじゃあわたし、頑張って来ますね部長、忍先輩!」

 

 最初に開催されるは女子の400m自由形。参加するのは2年の星原瑠々!

 

 「あぁ、行って来い星原!」

 

 「1番最初に出るんだもの。星原には何としても決勝で4位以内には残って欲しいわね。」

 

 「負けないでよ瑠々?去年6位で標準記録届かなかったけど、今のあんたなら狙えるって信じてるから。」

 

 先輩2人と同級生の幼馴染みに続いて、この数ヶ月で距離を縮めた後輩の幼馴染みコンビが言います。

 

 「瑠々先輩、皆1人も欠けないで全国行くって言ってたんですから絶対負けないで下さいね!」

 

 「約束破ったら覚悟して下さいね?」

 

 葵が鼓舞する横で、深優が両手を出してワキワキと揉みしだく仕草をして見せます。 

 そんな彼女達の様子を退屈そうに欠伸をしながらも、村上先生は無言で口元に笑みを浮かべて見守っていました。

 

 「分かってる!言い出しっぺはわたしだもん。1位になれなくたって標準記録位は突破して見せるから!」

 

 そう笑って返すと、競泳水着に身を包んだ霧船1番手の瑠々は多くの観客が待ち受ける試合の場へと赴きます。

 広い会場一杯に響く歓声―――――。

 鼻から肺へと充満する、プールに溶かし込まれた塩素(カルキ)の香り―――――。

 そして、霧船(じぶんたち)とは違う競泳水着に身を包んだライバル達―――――。

 

 (うわぁ~、分かってたけどいざ出るとやっぱ緊張するなぁ~……。)

 

 大会には中学の時から何度も出ているので場数はそれなりに踏んでいる瑠々ですが、やはりこの大観衆の見ている前に立つ瞬間と言うのは中々慣れる物では有りません。

 背後からデンキウナギがデンキナマズでも微弱の電流を流しているのかと錯覚する位に、瑠々はその身を無意識に震わせます。

 

 (ハッ、そうだ!こう言う時位はあれ使っても罰当たんないよね?緊張ほぐすだけだし……。)

 

 果たして瑠々は何を思い付いたのでしょう?その答えは直ぐに出ます。

 

 (やっぱりこの子達見てると落ち着くわ。って言うか右見ても左見ても水霊(アクア)だらけじゃん……。)

 

 そう、アクアヴィジョンで周囲を泳ぎ回る水霊(アクア)の姿を眺める事によって精神をリラックスさせると言う物でした。リラや潤達水霊士(アクアリスト)のアクアリウムを介さなければ声は聴こえませんが、それでも楽しそうに泳ぐ水霊(アクア)達は自分達に「遊ぼう!」、「一緒に泳ごう!」と誘っている事は瑠々にもその様子からありありと伝わって来ます。

 

 (そうだ……わたしは1人じゃないんだ………。部長や忍先輩―――――水夏、ジュンジュン、真理愛―――――それに葵と深優と汐月と長瀞が見守ってる!そして水霊(このこ)達が一緒に付いててくれる!何も怖い物なんて無いんだ!)

 

 改めて勇気を奮い起こした瑠々の前に現れたのは、希望ヶ浜に進学した友人の麗湖でした。

 

 「まさかいきなり貴女と泳ぐ事になるなんてね、瑠々。」

 

 「麗湖……そうだったわね。400m自由形(フリー)、去年もあんた出てたっけ……。」

 

 目の前に立ちはだかる親友でライバルの麗湖に、瑠々は去年の事を思い出していました。去年の総体でのA決勝、瑠々は標準記録に届かぬ6位で終わったのに対して、麗湖は4位入賞でしかも標準記録を破っていました。標準記録を破れず予選落ちした自分と、並み居る水泳の猛者達を追い落として4位に滑り込み標準記録も突破。そのまま関東大会、延いては全国に行った麗湖。

 代わりにメドレーリレーで何とか決勝を3位入賞で辛くも突破出来た物の、結局関東大会で予選落ち。全国を逃しただけでも悔恨の一語に尽きますが、やっぱり瑠々としては個人戦の自由形でキチンと麗湖と全国の舞台で戦いたかった事でしょう。喉を焼き尽くすかと思わせる程に塩辛い大量の海水を、一気にがぶ飲みさせられる様な気分を、当時の瑠々は味わった物です。

 

 「…去年は確かに関東大会じゃ個人で泳げなくって悔しかったし、リレーだって予選落ちして全国行けなかったけど………わたしだってもう昔のわたしじゃないわ!絶対皆で全国行くって決めてんだからね!」

 

 気を取り直し、何時もの強気でそうビシッと麗湖を指差し、ついでにバスト87の胸の膨らみを揺らして瑠々は宣言します。

 

 「フフッ、じゃあ頑張って私を追い越して見なさいよ?」

 

 程無くして鳴り響く長いホイッスルの音と共に、麗湖は口元に不敵な笑みを浮かべて自分のコースの上に立ちました。当然ながら瑠々も、直ぐ隣りのコースに立ってスタートの合図を待ちます。これから泳ぐ為、皆水泳帽と水中眼鏡を忘れずに着用していました。

 

 「用意……。」

 

 スターターの号令と共に泳ぐ体勢に入る選手達。霧船の仲間達やテミス達が見守る中、遂にスターターピストルから合図の音が発せられ、瑠々達選手は一斉にプールに飛び込んで泳ぎ始めます。

 懸命に左右の手を動かして身体を前へ前へと推進させる瑠々。隣りで泳いでいる麗湖は気付けば自分を引き離し、グングンと先に泳いで行きます。

 然し、瑠々は決して焦りませんでした。何故って?瑠々は知っていたからです。“水泳が自分自身との勝負なのだ”と言う事を。例え自分より速く泳ぐ相手が居た所で、出来る事は只自分に出来る最高の泳ぎをするしか無い。それが分かっている瑠々は、やはり一端の水泳選手でした。

 

 (絶対行くんだ……皆で1人も欠けないで全国へ……!!)

 

 その強い想いで水を掻き分け、足をバタつかせて泳ぐ瑠々。その時、不思議な事が起こりました。

 

 (えっ……?何?シュロ?)

 

 何とアクアヴィジョンを発動していないのに、瑠々の眼前の視界にはプールを自分と共に悠然と泳ぐシュロの姿が映ったのです。幻でも見ているのかと錯覚しましたが、只がむしゃらに泳ぐだけの瑠々にはそんな事であれこれ考えている暇は有りません。そんな瑠々の事などお構い無しに、彼女の内なる水霊(アクア)であるシュロは宿主の目の前をグングンと泳いで先に進むと、時折振り返って瑠々の方を見つめているのです。

 まるで自分に早く此処まで来る様に誘っているかの様でした。

 

 (何よ……?わたしと鬼ごっこでもしたいの?だったら待ってなさいよ!直ぐそっちに行ってやるから!)

 

 そうして瑠々は一際力強く水面を蹴ると、持てる力でシュロ目掛けて泳ぎ始めました。然しこの時、彼女は気付いていませんでした。自分自身が一際速く泳いでいた事を!

 そうしてどれ位の時間が経ったでしょう?気が付けば自分は400mを泳ぎ切り、既にゴールへと上がっていたのでした。

 因みに自身の組の中では瑠々は2位、1位は当然と言うべきか麗湖でした。

 

 「やった!瑠々先輩2位だよ!」

 

 「五十嵐、予選なんだから未だ喜ぶのは早いわ。順位で勝っても大事なのはタイムなんだから。」

 

 浮かれる葵を制するみちるですが、モニターから瑠々を見守る彼女の目は慈愛に満ちていました。

 そして同じ女子400m自由形にエントリーした選手達が泳ぎ終え、発表されたタイムの結果から、麗湖が4位で瑠々が6位と辛くも決勝に進出しました。

 

 続く女子200m平泳ぎの予選でも水夏は5位で予選を突破。そして午後に開催された決勝で、瑠々は去年の結果を上回る4位に浮上して麗湖は2位に浮上します!

 これは来たるべき決勝に向け、予選でのペース配分に気を配ったのと、その後の体力の回復に努めた結果でした。

 

 言うまでも無く競泳の試合はタイムで勝敗が決まってしまうので、予選の時から全力で泳ぐ選手もいます。瑠々が決勝で負けたのはこれが原因だったのです。だからこそ彼女は前回の反省を活かし、予選では一見力強く泳いでる様に見えてその実、ペース配分に気を配っていたのでした。

 無論、体力の回復が間に合わない場合、次の試合で実力を発揮出来ない可能性も有りますが、これも自身の参加する女子400m自由形が最初に行われた為、何とか回復を間に合わせる事が出来たのです。そうした意味では瑠々は幸運だったと言えましょう。

 

 当然ながら全ての参加選手は決勝戦に於いて、トップでゴールする事を目標にトレーニングを積んでいる物ですが、試合と言うのは何が起こるか分からない物。

 実力が伯仲して同タイム且つ同着の選手が出た場合、再試合を行って他者より余計に泳ぐ事も有るし、体力を温存したまま最終戦まで進める事も有り得ます。そうしたあらゆる状況を予測して、コーチとも相談をしながら練習メニューを組み立てて試合に備える事も、競泳のアスリートには必要な事であり戦いの1つなのです!

 瑠々も水夏も、みちるや村上先生達と相談した上で今回この試合に臨んだ訳ですが、正直去年が去年だっただけにまさかこんな結果が出るとは思っていなかったでしょう。

 去年から積み上げて来た練習の日々は、本人達が気付いていなかっただけで瑠々達を予想以上に大きく成長させたと言えましょう。

 

 因みに今年度の関東大会出場の為に破るべき、誰もが気になる女子400m自由形の標準記録ですが、それは4:42.63!

 内訳も瑠々の4位の結果は標準を2.50秒上回った4:39.13、対して麗湖の4位は4.72秒上回った4:37.91。どうにか瑠々は決勝進出を決めたのでした。

 

 

 そして水夏の女子200m平泳ぎですが、彼女も瑠々と同じく結果は4位で、タイムも標準記録の2:52.33を2.95秒上回った2:49.48。辛うじて滑り込んで見事に関東大会への進出が決まりました。

 尚、水夏も泳いでいる時、瑠々と同じく自身の内なる水霊(アクア)であるレインの幻が見えたそうです。一体、彼女達に何が起きたのでしょうか―――――?

 

 




キャラクターファイル23

(さざなみ) 真理愛(まりあ)

年齢   16歳
誕生日  8月19日
身長   169㎝
血液型  A型
種族   人間
趣味   フルート
好きな物 海辺の散歩

ダークブラウンのロングヘアーに赤い瞳が特徴。
小学時代から水泳が好きで、中学時代には大会でも何度も入賞した事が有る程の実力者だったが、特に潤の事は違う学校に通っていた事も有ってライバルとして強く意識していた。
だが、彼女が胸が大きくなり過ぎたのを男子にからかわれた所為で中学最後の大会に不参加だった為、不完全燃焼なまま霧船に進学。其処で潤と再会した時には怒りと失望の感情をぶつけてそのまま1年間口も利かず、彼女がいじめに遭っていても自業自得と見て見ぬ振りをしていた。
リラのアクアリウムで癒された潤が水泳部に入りたいと言って来た時には無論、驚きと共に「何を今更」と言う怒りの感情から彼女を拒絶していた。だが、その怒りの感情から生じた穢れを潤から癒されたのを切っ掛けに和解。
その後、プール開きと共に2年生のエースとして、2ヶ月でブランクを埋めた潤と共に精進の日々を送っている。無論、2人の関係が親友のそれとなったのは言うまでもない。得意な泳ぎは自由形でクラスは2年1組。潤と同様、照れると胸を大きく揺らす癖が有る。
蒼國海岸の近くでフルートを良く演奏しているが、それは父が海上自衛官で、仕事柄艦上で暮らして滅多に陸に戻って来ない為、彼の無事を祈っての事。因みに母は蒼國市役所の職員である。
水霊(アクア)に関しても最初は興味を示さなかったが、潤から穢れを癒して貰ったのと、リラから水霊(アクア)を見える様にして貰ったのを機にすっかりその美しさの虜になっている。或る意味、霧船女子の中で最もアクアリウムの恩恵に与っている人物と言えるが、本人の性格は至って常識人のしっかり者。
内に秘めたる水霊(アクア)はロリカリア型の水霊(アクア)で名をシュトラーセ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第23話 水は我が友(承)

今エピソードから他の子達のライバルキャラが登場します……と言っても水泳で活躍させる描写は無いけどね(苦笑)。代わりに今後の水霊(アクア)関係のエピソードで活躍して貰う予定なので、今回は顔見せと言う事でお許し下さい。


 A決勝で瑠々が見事4位に躍り出、関東大会の標準記録を打ち破った時の事でした。

 

 「やった…破れた……標準記録………!!」

 

 会場の電光掲示板に大きく映し出された、4位の座に刻まれた自身の名前と、女子400m自由形の標準記録4:42.63を2.50秒も上回った『4:39.13の記録』。

 去年超えられなかった壁を乗り越え、見事自分の力で関東大会に於ける個人戦の切符を手にした瑠々の目には、感涙の涙が浮かんでいました。

 

 「やったッ!!瑠々先輩、地方進出だよ!!」

 

 「あぁ、そうだな。」

 

 葵と忍がそう言葉を紡ぐ中、みちるは黙ったまま優しい眼差しでモニターに映った瑠々の姿を見つめていました。

 

 (おめでとう、星原。貴女は見事に限界を打ち破ったのよ─────。)

 

 そんなみちると同様に、幼馴染みの水夏もまた瞳を潤ませながら自分の相方を見つめていました。同時に彼女も強く決意します。『自分も彼女に続く』と言う決意を─────。

 

 (瑠々─────負けるもんか!私だって絶対に!!)

 

 その瞳が強く輝いた時、水夏の中で彼女の内なる水霊(アクア)であるレインが蠢きました。ですがこの時、宿主の水夏は勿論、リラや潤達水霊士(アクアリスト)も気付いていませんでした。水夏の中で、レインがより太く、大きく成長していた事を─────。

 一方、関東大会進出を決めた瑠々に対して麗湖が歩み寄って来て言いました。

 

 「結局決勝でも私の勝ちだったわね、瑠々?」

 

 「麗湖……。」

 

 ともすれば嫌味とも皮肉とも取られかねない言葉ですが、瑠々は目を閉じながら首を振って言いました。

 

 「別にわたしはあんたと勝負してた訳じゃ無いわ。只、今いるメンバー皆と一緒に地方、それから全国に出たいだけ。そんで、その為に標準記録破ろうって必死だったってだけよ。」

 

 「………。」

 

 あれだけ啖呵を切っておきながら、まるで自分なんて最初から眼中に無かったと言う物言いにムッと顔を顰める麗湖。

 そんな彼女に対して瑠々は続けます。

 

 「去年駄目だったのだって、『あんたに負けない』だの『絶対勝つ』だの、下手に意識した所為で余計な力が入って、そんでペース配分間違えたからだったからね……。でもそんなわたしだから分かる。水泳は自分との戦い!他人に勝とうなんて考える前に、先ず昨日の自分を超えなきゃ駄目だって思ってやって来た。その結果がこれなら納得だわ。」

 

 そうして背を向け、手を後ろ手に組みながら瑠々はこう締め括ります。

 

 「麗湖、わたしはあんたの事、友達だって思ってもライバルだなんて思わない。だけど、あんたの見てる世界に興味が有るからわたしは頑張って付いてくだけ。関東大会であんたと一緒に自由形(フリー)泳げば、また違う景色が見れるかな?」

 

 その言葉に対し、麗湖はフッと笑みを浮かべて答えました。

 

 「だったら頑張ってまた私に付いて来なさいよ。でも、モタモタしてたら置いてっちゃうから其処だけ注意してね?」

 

 会場からフェードアウトして行く友人の背中に対してそう声を掛ける麗湖。一方、背を向けたまま手を振って返す瑠々の顔には、『今日為すべき事をやり切った』と言う笑みが薄らと浮かんでいました─────。

 

 

 さて、その日の日程を終えて村上先生が仕事で学校に戻り、霧船女子一同が帰宅の途に就いた時の事です。

 

 「瑠々先輩、水夏先輩、今日はお疲れ様でした!2人とも関東進出おめでとうございます!」

 

 「其処まで才能無いって言ってたのに、練習の時より速く泳いでましたよね2人とも。」

 

 1年の幼馴染みコンビである葵と深優の2人がそう言うと、瑠々と水夏はこう答えます。

 

 「有り難う、葵、深優。わたしだって信じらんないよ。まさか標準記録破れて、個人戦で関東出れるんだからさ。」

 

 「1年間の努力が報われて良かった……。」

 

 「そうだな。星原も濱渦も、間違い無く進化してたぜ。2年間近く、怪我であたしが水泳から離れてた間もずっと頑張ってたのが分かる泳ぎだった!」

 

 『1人でも欠ける事無く全国へ行く』────自分達2人がその目標を果たす嚆矢となれたとして、瑠々と水夏の目には嬉し涙が薄らと浮かんでいました。

 そんな2人の言葉に対し、忍が頷きながらその成長を祝福する言葉を投げ掛けると、次に口を開いたのはみちるです。

 

 「でも本当に驚いたわ。星原も濱渦も、予選の時もそうだけどA決勝でも凄い泳いでた。まぁ泳ぎ終わった時に相当疲れが溜まってたみたいだったから、後で汐月からアクアリウムで癒して貰ってたみたいだけど、まさかあれだけの力を秘めてたなんて驚きね!」

 

 総体1日目を泳いだ瑠々と水夏────2人が自身の内に秘めたる力を解放し、まさか4位に浮上して標準記録を打ち破れる程の実力を発揮した事実に、みちる今でも興奮を隠し切れません。此処までバスト90も有る胸がときめいたのは、忍と一緒に泳いだ時以来でしょうか?

 一緒に帰宅の途に就いていたリラと更紗、潤と真理愛も感慨深げに相槌を打って2年の幼馴染みコンビを見つめていました。

 

 

 「その事なんですけど……」

 

 すると瑠々が神妙な面持ちで語り始めました。予選と決勝の時、自身に起きた出来事を─────。

 

 「最初は『負けるもんか!!』って……『絶対皆で全国行くんだ!!』って気持ちで思いっ切り泳いでたんです。でもそしたら、いきなり目の前にわたしの中の[[rb:水霊 > アクア]]────シュロが現れたんです。「アクアヴィジョン」も使って無いのに……。」

 

 「え!?」

 

 「どういう事!?」

 

 「星原先輩の中の水霊(アクア)が……!?」

 

 これにはリラも驚かざるを得ません。競技中、リラはアクアリウムを封印すると決めていたので彼女は何もしていません。使うとしても全てが終わった後です。それが証拠に、予選が終わった後に瑠々と水夏にリラはアクアリウムを施していませんでした。それは同じ様に身体を疲労させながら泳いだ他の選手への冒涜になると考えたからです。

 況してや瑠々はアクアヴィジョンで水霊(アクア)が見えるとは言え、それ以外は特に何の異能力も無い一般人です。そんな彼女の目の前にシュロが姿を現した?一体どう言う事なのでしょう?

 

 「いきなり出て来て、わたしの前をグングン泳いで先に行ったって思ったらシュロの奴、わたしの方を振り向いてまるで「早く来い!」って誘ってる様に8の字にグルグル泳いでたんです。それを見たら勝ち負けとかそう言うのが頭から飛んで、気付いたらシュロを追っ掛けて全力で泳いでました。標準破れたのだって、そうやって夢中で泳いだ結果って感じですね。」

 

 瑠々の口から語られた事実に、皆開いた口が塞がりません。まさか内なる水霊(アクア)が宿主の中から出て来てそんな事をしたのでしょうか?その時アクアリウムを封印して、意図的に水霊(アクア)を見れなくしていたリラにはテミスに問うか、明日自身の目で確かめる以外に真実を突き止める術は有りません。

 すると不意に水夏も手を挙げて、みちると忍に言いました。

 

 「あの……私も同じ事が起きました。」

 

 その言葉に、彼女以外の霧船水泳部のメンバー全員が水夏の顔へと視線を向けます。

 

 「えっ?まさか……水夏まで!?」

 

 残るメンバーを代表して口を開いた瑠々の言葉を受け、水夏はコクリと頷きつつ訳を話しました。

 

 「そう……私が200m平泳ぎで瑠々と一緒に『絶対全国に行くんだ』、『瑠々の為にも絶対標準破るんだ』って気持ちで泳いでたら、目の前にレインが現れて私と一緒に泳ぐのが見えたんです。レインが私からどんどん遠ざかって行こうとしたのを必死で追っ掛けてたら、もうゴールしてしかも標準破ってました。瑠々と一緒でアクアヴィジョンなんて使って無いのに……。」

 

 その言葉に一同は只々唖然とするしか出来ません。まさか水夏まで同じ事を経験していたなんて……。

 

 「あの、星原先輩、濱渦先輩、1つお訊きしたいんですけど、本当にアクアヴィジョンは使って無いんですよね?自分の中の水霊(アクア)以外、他の水霊(アクア)の姿は見えませんでしたか?」

 

 「そ、そうだよ2人とも!アクアヴィジョンを使ってるんだったら自分の中の水霊(アクア)だけじゃなくって、プールとか周りを泳いでる沢山の水霊(アクア)達が見える筈だけど?」

 

 不意にリラがそう尋ねると、潤もそれに続きます。

 2人に対する瑠々と水夏の答えはこうでした。

 

 「え?ううん、シュロ以外の水霊(アクア)は見えなかったわよ?」

 

 「私も、レイン以外の水霊(アクア)の姿はプールじゃ見えなかった………。」

 

 これには水霊士(アクアリスト)のリラと潤は呆気に取られるしか出来ません。まさか2人の内なる水霊(アクア)だけしか都合良く見えないなんて、そんなアクアヴィジョンが有るのでしょううか?仮に有ったとしても、水霊士(アクアリスト)ですらない2人にそんな芸当が出来る筈は無いのですが……。

 

 「……こりゃあたし等が泳いで確かめるしか無さそうだな。」

 

 2人の答えに対して周りが呆然となる中、口を開いたのは忍でした。

 

 「丁度明日2日目はあたしとみちると飯岡と漣、それと汐月と長瀞と五十嵐の番だしな!あ、ついでにリレーで星原と濱渦もまた出るんだっけ?」

 

 「そうね。リレーには五十嵐と吉池の2人も出るわ。まぁ吉池の方は最終日の女子100m自由形にも出るけど、実質明日はオールスター総出演よ!」

 

 そう言葉を発する忍とみちるの顔には不敵な笑みが浮かんでいました。忍に至っては右掌に左拳を当てる抱拳を行い、闘氣を漲らせています。

 

 「詳しい事はテミスに訊かなきゃ分かんないけど、多分わたし達が夢中で泳いだら自分の中の水霊(アクア)が力を貸してくれるんだって思う。これから確かめて見なきゃ分かんないけどね!」

 

 「きっとそうよ。2人の話を聞く限り、私もそれが1番妥当な答えだって思う。」

 

 さながら海底の岩盤から漏れ出る海底温泉の如く、同じ様に2年の潤と真理愛も熱い闘志をその身体から立ち昇らせます。リラがアクアリウムを発動させて見ると、2人の中のステラとシュトラーセが蛍光色の光を放って輝いていました。言い忘れましたが同じ事はみちるのノーチラスと忍のヴァルナにも言えます。

 因みに暗闇で光る魚は遺伝子組み換えによって実際に作られており、アメリカでは遺伝子操作を施した水生生物の扱いを2003年に禁じたカリフォルニアを除く全ての州に於いて、何とたったの5ドルで購入出来るそうです。

 

 「私も……明日は頑張らないとね!」

 

 「皆と一緒に全国行くって決めてんだもん!足引っ張んない様に頑張んなきゃ!」

 

 「おっ、葵ったらやる気満々だね♪」

 

 「何言ってんの?あんたもリレー出るんでしょ!」

 

 同じく深優を除いて2日目の種目に参加する更紗と葵の2人の中のプラチナとアンジュも、彼女達の想いに合わせて光をその身から放ち始めていました。

 

 「先輩達も葵ちゃん達もやる気満々ね。良し、じゃあ明日は私も頑張ろ!」

 

 リラも無数のグッピーやプラティやモーリー型の[[rb:水霊 > アクア]]達を呼び集め、クラリアと共に自身の周囲を公転させます。

 明日の競技に向けて闘志を漲らせる霧船女子ですが、彼女達は知る由も有りません。これから彼女達の前に、それぞれ縁の有るライバル達が立ち塞がる事になるとは………。

 

 

 彼女達がそれぞれの家路に就いた時でした。

 

 「星原も濱渦も頑張ったんだし、私も明日の個人メドレー……皆の為にも頑張って結果出さないとね!」

 

 今日の後輩達の頑張りを見て、部長のみちるはそれに応えるべく明日は何としても関東大会への切符を掴まなければならない。

 予選を突破するのは当然だけど、肝心の決勝でその為の標準記録である5:35.13を何としても破る必要が有ります。

 けれど、百戦錬磨のみちるは焦ってなどいません。この程度の死線を彼女は何度も潜り抜けて来たのです。自分だってその水の都の並み居る猛者の1人なのだから─────。

 

 暫く歩いて家が近くなって来ると、行き付けの喫茶店がみちるの目に飛び込んで来ました。『水底の森』と言う店名のその喫茶店で出されるミルクティーがみちるは好きだったのです。

 

 「……リラックスも必要だし、寄ってこっか……。」

 

 そうして店内に入ると、みちるは顔馴染みである店主のおばさんにミルクティーとミルフィーユのケーキセットを注文します。

 

 「はいみちるちゃん、お待たせ!」

 

 そうして運ばれて来た嗜好品に舌鼓を打っていると、不意にみちるに話し掛ける声が有りました。

 

 「あら、みちるさん────?」

 

 「えっ?」

 

 声のした方を向くと、近くの席には自分と同じく体操着に身を包んだ、紺色の髪に黄色い瞳が特徴の少女が座っていました。アイスブルーのカラーリングと胸のオーロラと白鳥を象った校章のジャージ─────それは北静湖女学院指定の体操服です。

 どうやらチェリータルトを食べている途中の様でした。一緒に頼んだドリンクのティーカップには、みちると一緒のミルクティーが半分程残っています。

 

 「玉藻!?こんな所で奇遇ね!」

 

 おやおや?どうやら「玉藻」と呼ばれたこの北静湖の女子は、みちると旧知の仲の様です。

 

 「この様な所で出会うなんて本当に奇遇ですわね、みちるさん。まさか貴女もこのお店の常連だったなんて……。」

 

 礼儀正しいお嬢様然とした振る舞いのこの少女の名は『[[rb:氷見野玉藻 > ひみのたまも]]』。先述した通り、蒼國でも北の外れの方に存在する北静湖女学院の3年生で、みちると同じく水泳部。但し、玉藻は部長では有りません。その代わり泳ぎの実力は彼女の方が上です。

 

 「私達が泳ぐのは明日ですけれど、貴女も出場なさるのでしょう?去年と一緒で400m個人メドレーに。」

 

 「えぇ、勿論その心算。去年は貴女に1秒差で負けたけど、今年は違う結果を見せてあげるから覚悟しておいてね、玉藻?」

 

 「────喜んで受けますわみちるさん。貴女との勝負を。」

 

 たかが1秒されど1秒。競泳の世界ではその差が勝敗を分かつ、決定的なまでに分厚い紙一重のそれになる事が往々にして有ります。

 その差が2人の身体能力のそれなのかメンタルのそれなのかは今の所定かでは有りませんが、去年とは違うみちるの闘志を帯びた眼差しに、玉藻はフッと笑みを浮かべてそう返すのでした。

 みちるがアクアヴィジョンを発動させて見ると、何の因果か玉藻の内なる水霊(アクア)は自身のノーチラスに似た、漆黒の殻に紅い身体を持つアンモナイト型の水霊(アクア)でした─────。

 

 

 一方、所変わって今度は、海に面した蒼國の一級河川である『神船川(みわふねがわ)』を帰宅途中に歩いていた潤と真理愛です。

 

 「ねぇ潤、昨日お父さんからメールが届いたの。何でも、私の演奏するフルートが何処からとも無く聴こえたみたい。」

 

 「えっ?それってもしかしてこの前の鯨の事件の後の事?」

 

 「もしかしなくたってそうよ!あのセドナって言う鯱の水霊(アクア)が本当に私の演奏を遠くの海の上にいるお父さんに届けてくれたのよ!」

 

 先日の蒼國海岸で起きた事件の後、セドナに自身のフルートの演奏を聴かせた真理愛ですが、この時セドナはお礼として、彼女の父へとその演奏と真理愛の父への想いを届けてくれていました。

 それは果たして、本当に遠い護衛艦いずもの乗員として勤務する父の中に届いていたのです。普段仕事で忙しく、中々連絡も取れない父がわざわざメールで真理愛にその事を伝えてくれた。

 真理愛にとって、これ程嬉しい事は有りません。

 そうして他愛も無い話に花を咲かせながら、潤が真理愛と歩いていた時でした。

 

 

 「ねぇ、真理愛!真理愛でしょ!?」

 

 

 不意に2人の後ろから真理愛を呼ぶ声がしたので振り返って見ると、其処には2人と同じ位の身長で、ベージュの髪にエメラルドグリーンの瞳が特徴の少女の姿が有りました。白いセーラー服に水色のリボンの制服は春湊高校の制服です。

 

 「サリア?サリアじゃない!どうして此処に?」

 

 突然現れた少女を「サリア」と呼ぶ真理愛に対し、潤は相手が何者か尋ねます。

 

 「真理愛、誰なのあの子?」

 

 「『貝塚(かいづか)サリア』。私と一緒の中学の同級生で水泳部のメンバーだった子よ。」

 

 「貝塚さんって……あぁっ、去年国体で200m自由形に真理愛と一緒に出てたあの……。」

 

 真理愛が潤に相手の事を説明すると、彼女は直ぐに相手が誰か思い出しました。どうやら地元でも有名な選手だった様です。そんなサリアが、嘗ての旧友の元に歩み寄ります。

 

 「久し振り真理愛!今日会場の入り口で見掛けたけど、話す機会が無くってさ……。」

 

 けれど、そう言い掛けた時でした。

 

 

 「見つけたわよ飯岡潤!!此処で会ったが1億年目!!」

 

 

 すると近くの茂みから突然誰かが飛び出して来たかと思うと、その人影は電光石火の速さで真理愛と潤の前に躍り出ます。これには先程現れたサリアも開いた口が塞がりません。

 相手の女子は桜色のジャージに身を包んでいますが、これは蟹沢学園指定の体操着です。少女の外見的特徴としては紅い髪に紫の瞳の釣り目でした。

 

 「えっ?貴女もしかして……かすりちゃん!?」

 

 「だから私をちゃん付けで呼ぶなアァァ~~~~ッ!!!」

 

 突然乱入して来たかと思えば潤からちゃん付けで呼ばれて声高に逆上して叫ぶハイテンション少女に、真理愛もサリアは言葉も出ません。

 

 「ねぇ潤、もしかしてこの子、貴女と同じ潮中の……」

 

 「うん。確か『(あぶみ)かすり』ちゃんって言う子。確かあの制服も蟹沢のだったと思うけど……。」

 

 「やっぱりね……。」

 

 「ちょっと!!『確か』って何よ『確か』って!?って言うか中学卒業してから暫く経ってるけど、あんたの中でどんだけ私は曖昧な存在になってんの飯岡潤!?」

 

 目の前の「かすり」と呼ばれた少女の事を真理愛が知っていると言う事は、少なくとも彼女も中学時代からそれなりに名の知れた選手なのでしょう。

 

 「もしかしてかすりちゃんも明日の競技に出るの?」

 

 恐る恐る潤が尋ねると、かすりは得意気になって応えます。

 

 「フッ…当然よ!あんたの得意な背泳ぎでボコボコにしてやるわ!胸がデカくなったからって男子からからかわれただけで、水泳から逃げた腰抜けのあんたを今日の午前中、会場前で見掛けた時は驚いたけど、同時にまたと無いチャンスだって思ったわ。中学時代、潮の真のエースが誰なのか?そして高校に入った今この瞬間、あんたと私どっちが上かハッキリさせなきゃ行けないからね!!」

 

 かすりの発した『胸がデカくなったからってだけで、水泳から逃げた腰抜け』と言う言葉を聞いた途端、潤は思わずかすりから目を逸らしてしまいます。悔しいですが、彼女の言っている事は間違いでは有りません。

 胸の大きさがコンプレックスで水泳を逃げたのは、確かに潤自身にとって切実な弱さですが、周りから見たらどうしたってちっぽけで愚にも付かない物と思われてしまうのでしょう。その所為で真理愛処か、自分の旧友にまで敵愾心を持たれるなんて……。

 

 「絶対に200m背泳ぎであんたから1位の座を奪って見せるから!!まーブランクの有るあんたを蹴落としても面白くないけど、勝負の世界は……」

 

 「あのー……」

 

 かすりの力説に対して潤が弱々しく手を挙げて話の腰を折りに掛かります。

 

 「何よ、飯岡潤?もしかして怖じ気付いたの?」

 

 「わたし、200m背泳ぎには参加しないよかすりちゃん?」

 

 「はぁっ!!?」

 

 この言葉に思わずかすりは口をあんぐりと開けて呆然と立ち尽くすばかりでした。補足とばかりに、真理愛がこれに付け足します。

 

 「本当よ。潤は明日の100m背泳ぎに参加するの。って言うか200m背泳ぎは明日じゃなくって明後日の最終日よ?」

 

 至って良識的な回答ですが、真理愛のその言葉を聞いた瞬間かすりは、さながら褐虫藻が抜けて白化した珊瑚の如く真っ白になりました。

 

 「嘘……マジで?」

 

 「マジなの……。」

 

 その言葉にコクリと頷く潤。

 

 「って言うか貴女、大会スケジュールの日程と相手選手が何処に参加するか位事前に調べておきなさいよ……。」

 

 呆れながらそう突っ込みを入れる真理愛ですが、すっかり意気消沈したかすりはそのまま体育座りしてブツブツと、悔やみ事を口走りながら落ち込んでしまいました。

 

 「かすりちゃん、そう言う無鉄砲で後先考えない所は相変わらずだね……。」

 

 嘗ての旧友に対してそう苦笑いしながら言葉を投げ掛ける潤ですが、不意に違う所からも同様の悲し気な声が聴こえて来ます。

 

 「酷いよ真理愛、折角久し振りに会えたのに後からいきなり出て来た子の相手なんかして私の事忘れるなんて……」

 

 何事かと思って声のする方を再度向けば、かすりの登場に自身の存在を丸ごと喰われたサリアがかすり同様、体育座りをしてブツブツと何やら早口で独り言を宣いながら落ち込んでいます。

 

 「ちょっとサリア!貴女まで何やってんのよ~~~~ッ!?」

 

 「2人とも何しに出て来たの……?」

 

 一応2人はライバルとして試合前の挨拶にでも来た心算なのでしょう。然し、普通に真理愛に会いたくて来たサリアは、後から現れたかすりの盛大なズッコケに出番を食われてしまい、結局有耶無耶になってしまうのでした。

 尤も、後で近くのもんじゃ焼きのお店で同じ釜の飯を口にした後、他愛の無いガールズトークを交わしてそれぞれの家に帰宅しましたけどね。

 因みに真理愛と潤の2人がアクアヴィジョンで2人の内なる水霊(アクア)が何か気になって覗いてみると、サリアの水霊(アクア)は桜色の身体にシアン色の水玉をしたハコフグ型、かすりの水霊(アクア)は紫色の身体に紅い鰭と瑠璃色のストライプが入ったフレームエンゼルでした―――――。

 

 

 そして最後にライバルからの宣戦布告は彼女の元にも来ていました。

 

 「忍先輩、スマホ鳴ってますよ?」

 

 「あぁ、けど誰からだ?」

 

 不意に鳴り響くスマホからの着信音。リラの指摘を受けて忍が着信画面を見ると、其処にはこう書かれていました。

 

 『いよいよ明日ね日浦。怪我で泣いてた空っぽの2年と私の2年、どっちが上か思い知らせてやる!』

 

 「先輩、もしかしてこれって……。」

 

 「井澤の野郎、あたしに喧嘩売ってんな……。」

 

 挑発的な文面でしたが、相手はホオジロザメなんて攻撃的にも程が有る魚の水霊(アクア)を宿した人間。こんな事して来ても可笑しくは有りません。

 

 『上等!入念に首洗って待ってやがれ!』

 

 八尋に対してそう返し、忍は帰り道が一緒のリラが見守る中、2人で帰宅の途に就くのでした。

 道すがら、リラの内なる水霊(アクア)のクラリアが、忍のヴァルナと何やら話をしていました。

 

 その夜、眠りに就いた忍は或る夢を見ました。

 

 (何だよ此処?まるで真っ暗な海の底みたいじゃん……。)

 

 右を見ても左を見てもダークブルーの世界。時折立ち昇る気泡から、其処が深い海の中だと言う事が分かりました。

 すると不意に、目の前を1匹のエイが泳いでいました。その姿はどう見ても忍の内なる水霊(アクア)のヴァルナでした。

 

 (ヴァルナ?けど……何だよあれ……?)

 

 忍の見ている前で、ヴァルナは光に包まれたかと思うと、何と其処からマンタの様な姿の水霊(アクア)が現れ、そのまま2体の水霊(アクア)はゆっくり静かに海面へと浮上して行くのでした─────。

 

 

 さて、それぞれの因縁の相手から明日の試合前の宣戦布告(あいさつ)を受けた翌日、総体2日目の朝がやって来ました。

 午前9時45分から競技が開催される2日目、最初に霧船が出場する種目は100m背泳ぎの予選。参加者は葵と潤でした。

 

 「じゃあ、行って来ます!」

 

 「葵、頑張ってよ!」

 

 「潤、貴女もしっかりね!」

 

 「トップバッターなんだから2人とも、しっかりやりなさいよ!」

 

 深優と瑠々の声援を受け、試合会場のプールに向かう葵と潤。

 

 「葵ちゃん、今日は頑張ろうね!」

 

 「はい、飯岡先輩!」

 

 「フフッ、わたしの事ももう潤で良いよ葵ちゃん♪」

 

 そんな遣り取りを交わす2人の前に、不意に話し掛ける声が有りました。

 

 

 「あれ?貴女、もしかして五十嵐さん?」

 

 「えっ……!?」

 

 

 声のした方を向いた時、葵は驚きに目を見開きました。何故ならプールサイド前で葵に話し掛けて来た相手は何と、この前苦い失恋を経験した片想いの男子である陸奥春馬のガールフレンド“藤本珠得”に瓜二つの少女だったからです!

 

 




キャラクターファイル24

シュロ

年齢   無し
誕生日  無し
血液型  無し
種族   水霊(アクア)
趣味   無し
好きな物 仲間の水霊(アクア)とのタイマン

瑠々の身体に宿る内なる水霊(アクア)。青紫のベタの様な姿をしている。
闘魚らしく、穢れを体当たりや尻尾攻撃等で殴打する様に浄化する。その他にも口から無数の泡を放射して穢れ水霊の動きを封じて浄化する他、泡の巣を作る事で穢れの侵入をシャットアウトすると共に中に入った者を癒す事も可能。
瑠々以前にも多くの人間の宿主を渡り歩いて来たらしく、多くの水霊(アクア)と知り合いらしい。位は中級水霊(アクア)で、その中でも中堅程度の実力。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第24話 水は我が友(転)

此処で少し波乱が起こります。が、別に運命には大した影響は有りません。


 「そんな……どうして貴女が………?」

 

 

 突然現れた“藤本珠得”に瓜二つの少女の姿に、葵は言葉も有りませんでした。

 

 「ハル君と同じ…陸上部だったんじゃ………?」

 

 唖然となりながらも何とか言葉を口から絞り出す葵に対し、彼女は答えます。

 

 「もしかして珠得の事を言ってるの?」

 

 「えっ?」

 

 まるで自分は珠得ではないと言うニュアンスの言葉を前置き、そっくりさんの少女は続けました。

 

 「私の名前は『藤本美珠(ふじもとビジュ)』。藤本珠得は双子の妹よ!」

 

 「ふ、双子の妹!?」

 

 と言う事は何と、美珠と名乗る少女は必然的に珠得の“双子の姉”と言う事になります。良く見れば髪の色も銀髪だった珠得に対して金髪、おまけに瞳の色も赤紫に対して緑と言う色相環図の補色関係と言う差異が有りますが、それを以外声も背格好も何から何まで一緒でした!

 双子である事が嘘偽りや疑いの余地の存在しない真実である事は、幼馴染の深優と比べて然程賢くない葵の頭でも即座に理解出来ました。

 

 「貴女の事は珠得やハル君から聞いてるわ。五十嵐さんって、ハル君と同じ中学校だったのよね?」

 

 「えっ……えぇ……そうだけど………。」

 

 何の悪意も無いにこやかな顔で良く言えばフレンドリー、悪く言えば相手との距離のキョの字も考えない馴れ馴れしい態度で話し掛けて来る美珠に、葵は困惑するしかありませんでした。

 そんな彼女にとって救いと言うべきか、競技開始のアナウンスが流れます。

 

 「それじゃあ五十嵐さん、後でまたお話しましょ?珠得も陸上でハル君と頑張ってるんだし、私も頑張って予選突破しなきゃ♪」

 

 そう言って意気揚々と自分の泳ぐコースへと向かう美珠の後姿を見送る葵ですが、彼女の胸中は時化の海の様に荒れ始めていました。

 

 (何で……何でハル君の彼女のお姉さんがこんなとこにいるの……?)

 

 あの苦い失恋の記憶が葵の中でフラッシュバックします。

 

 『俺、ずっと五十嵐の事気になってたんだ。けど、話そうとする度何時も目逸らしたりテンパったりしてたじゃん?タイムだって測り損ねたりするしさ、もしかして俺の事嫌いなんじゃないかなって思って、正直やり辛かったんだよ。』

 

 自分を差し置いて、既にガールフレンドを作っていた陸奥─────。

 そんな彼と仲睦まじげに練習で走る珠得─────。

 

 『五十嵐、本当は今まで俺の事嫌いなの我慢して相手してたんだろうけど、霧船は女子校なんだからもうその必要も無いだろ?向こうじゃ確か水泳やってんだってな?頑張れよ!お前ならやりゃ出来んだからさ!!』

 

 思い出したくなかったのに……出来る事なら忘れ去りたかったのに……相手が珠得本人でないとは言え、あの顔を見れば自分から好きな人を奪った相手が、今度は同じ水泳の舞台でも自分の前に立ちはだかる様に思えてやり切れない気持ちになる……。

 

 「──ちゃん、葵ちゃん!」

 

 「ハッ、飯……じゃなかった潤先輩?」

 

 心の中で再びあの苦い想いが再燃し始めましたが、潤の言葉が現実に引き戻してくれたのでした。

 

 「誰だったの、今の子?龍洋の水着着てたけど、もしかして龍洋に友達がいたの?」

 

 「い、いいえ……そんなんじゃないです………。それより早く行きましょう!」

 

 心配そうに話し掛ける潤から思わず目を背け、戦いの場へと早足で向かう葵でしたが、やはり晴馬を自分から奪った泥棒猫が競泳の場でも立ちはだかるみたいで堪らない気持ちは拭えませんでした。

 

 (負けたくない……私からハル君奪っておいて、また私の前に立ち塞がるなんて!!)

 

 アクアリウムの能力を封印していたリラや潤もそうですが、アクアヴィジョンの能力を他の霧船の子達は誰も使っていなかったので気付いていません。けれど、この時葵の心には穢れが結構な濃度で発生していたのです。

 こんな平常心を欠いた状態で、自分の力を満足に発揮出来る人間がいるでしょうか?答えは当然NOです。

 

 

 100m女子背泳ぎ、葵のタイムは6位で予選敗退となりました………。

 一方、美珠は2位で見事に予選突破です。因みに1位は潤でした。

 

 「葵ちゃん……。」

 

 負けて俯く葵に対し、再三心配の表情で歩み寄る潤ですが、彼女にどう言葉を掛けたら良いか分かりませんでした。

 

 「五十嵐さん、頑張ったのに惜しかったわね。」

 

 嫌味など一切無い、100%の本心で予選敗退を残念がる美珠ですが、今の葵には傷口にバスタブ一杯分の海水を浴びせ掛ける行為以外の何物でもありません。

 

 「~~~~~ッ!!」

 

 「五十嵐さん!?」

 

 「あっ、待って葵ちゃん!」

 

 何も言い返さず、そのまま葵は美珠に背を向けて会場を出て行ってしまいました。潤も当然その後を追い、美珠だけがその場に取り残されたのでした。

 

 

 「五十嵐………。」

 

 霧船の控室に戻った葵を待っていたのは、当然ながら彼女の予選落ちを残念がるチームメイト達でした。

 メンバー全員で関東大会出場を目標とし、その為に瑠々と水夏が昨日、折角標準記録を破って関東大会出場を決めたのに、まさか今日此処でそれがご破算だなんて……。

 唯一の救いは潤が無事に決勝へ進出出来た事位でしたが、それも葵の敗退の前には霞んでしまいます。

 

 「先輩達、それにリラ、深優、更紗……御免なさいッ!」

 

 目に悔し涙を浮かべながら、葵に出来る事は自身の敗退を謝罪するだけでした。

 

 「折角あんなに練習したのに、私………!!」

 

 体を震わせながら俯く葵の姿を受けて、リラは直ぐに勘付きました。

 

 (この感じ────もしかして葵ちゃん、穢れが!?)

 

 彼女の中に穢れが発生しているだろう事はアクアリウムの能力を封印していても、水霊士(アクアリスト)としての経験から直ぐに分かるのです。

 

 (確かに心に穢れを抱えて平常心を失ってたら、自分の力なんてとても出し切れない。アンジュの加護だって機能しない。でも、どうして葵ちゃんに─────?)

 

 答えの出ない問いを前に、リラの思考は同じ場所を泳ぎ回る水槽の熱帯魚の様に逡巡するばかりでした。アクアリウムの能力で周囲の水霊(アクア)達に訊けば直ぐにでも答えは分かるでしょうけれど、この神聖な競技場ではアクアヴィジョン以外一切の能力を使うまいと決めていた手前、葵の心中に起こった出来事に対する答えなど出る筈も有りません。

 

 (あれ?リラちゃんが凄く難しそうな顔してるけど、もしかして葵ちゃん──────)

 

 潤もアクアリウムを封印していましたし、それ以前にリラと比べて水霊士(アクアリスト)になりたての為に一目見ただけでは分かりませんでしたが、葵の中から穢れが出ているだろう事は何となく分かりました。どうにかしてあげたいですけど、心身をアクアリウムで癒すなんてドーピング紛いの事をするのは潤もアスリートとして出来ません。只何もしてやれない自分に悔しさを覚えるだけでした………。

 

 「……終わっちまった事悔やんだって仕方無いけどよ、それでも1つだけ訊かせろ五十嵐。」

 

 申し訳無さそうに首を垂れる葵に対し、忍が口を開きます。

 

 「忍先輩?」

 

 「お前の泳ぎずっと見てたが、あの泳ぎは何だったんだよお前!?全然お前らしくなかったぞ!?この前の練習で無理して足攣った時みてーな酷い泳ぎ方しやがって!」

 

 「忍、落ち着いて!」

 

 いきり立つ忍をみちるが宥めます。

 

 「次の競技は100mのバッタで忍と汐月の番でしょ?ホラ、2人とも早く準備しないと!」

 

 「あっ、そうだった!次って私と忍先輩が泳ぐ番だったっけ!」

 

 みちるの言葉を受けてハッとなるリラ。

 

 「~~~~そうだな。五十嵐、訳は後で訊くからな!」

 

 忍もそう言って試合会場であるプールへと出て行こうとします。

 

 「……ついでにお前、まだ星原達とのリレー残ってんだろ?諦めんのはまだ早いんじゃねぇか?」

 

 「ッ!!」

 

 去り際に言い残した忍の言葉に、思わず葵は俯いていた顔を思いっ切り上げました。そして、自分を心配そうに見つめる深優、瑠々、水夏の3人の顔を見渡すのでした。

 

 

 「所で潤、貴女は見えたの?泳いでた時に自分の中の水霊(アクア)が────。」

 

 不意に自分に話し掛ける真理愛に対し、潤は答えます。

 

 「えっ?えぇ、見えたわ。泳いでたら突然、わたしの横をシュトラーセが横切って行くのが………。」

 

 「えっ!?ジュンジュンも!?」

 

 潤の言葉に瑠々は思わず目を見開きました。まさか自分と水夏以外のみならず、潤まで経験するなんて……。

 

 「葵、あんたはどうだったの?」

 

 水夏が恐る恐る葵に話し掛けると、葵は黙って首を横に振るだけでした。

 

 「アンジュ、見えなかったの?」

 

 深優が尋ねると、葵は何も言わずに頷きました。

 

 「飯岡には現れたのに五十嵐には見えかったなんてね……。」

 

 「ねぇ葵、忍先輩じゃないけど一体何が有ったの?私でも分かるよ。あの泳ぎが葵らしくないって事位────。」

 

 

 控室に残された霧船のメンバーが葵に何があったか詮索していたその頃、リラと忍はと言うと────────。

 

 「いよいよ私にとって、初めての大会かぁ~……」

 

 「肩の力抜けよ汐月。落ち着いて何時も通りやってりゃ大丈夫だ。練習始めてからお前の伸びしろは結構なモンだったし、自信持て。」

 

 「……はい!」

 

 そうして遂にリラは忍と一緒に会場のプールサイドにやって来ました!アクアヴィジョンを展開して見ると、無数の水霊(アクア)達が楽しそうに周囲を泳ぎ回っています。

 彼女達が自分達に「遊ぼう!」、「一緒に泳ごう!」と囁いているのを聴いて、リラは能力を解除。再び気持ちをこれから泳ぐ事に集中させました。

 

 「来たな!」

 

 不意に自分に話し掛けて来る挑発的な声。振り向くと其処には競泳水着に身を包んだ井澤八尋の姿が有ったのです。

 

 「井澤……。」

 

 「待ってたぜ、あんたと一緒に泳げるこの瞬間をさ!」

 

 「そうかい。じゃあお互い先ず、決勝出れる様に頑張ろうじゃねーの?」

 

 八尋に対して不敵な笑みを浮かべて返す忍の姿を、リラは黙って見守るだけでした。

 間も無く競技開始の時間となり、リラ達は所定のコースに立って今まさにプールに飛び込まんとする勢いです。

 

 

 「用意………。」

 

 

 鳴り響くスターターピストルの音を受け、一斉に飛び込んでバタフライを泳ぎ始める選手達。

 リラも周りから離されまいと懸命に水を掻き分けて進みます。

 

 (分かってたけど、やっぱりあの2人は周りとは違うわね────!)

 

 周りの選手は元より、リラをも引き離してグングンと泳ぎ進んで行く2つの魚影ならぬ人影。

 100m女子バタフライの行われるプールは、他の選手より頭1つ抜きん出た実力を持つ日浦忍と井澤八尋の2人だけの舞台と化していました。

 それが証拠に、会場からは2人を応援する歓声が割れんばかりに起きていたのです。

 

 「行っけ~~~~~~井澤!!」

 

 「日浦先輩、頑張れ!!」

 

 然し、幾等ブランクを埋めるべく懸命に練習を積み、リラがアクアリウムで負傷する前の自分の領域にまで衰えていた実力を回復する手伝いを行った所で、八尋は嘗ての忍以上の実力の持ち主です。

 

 (へぇ、嬉しいねぇ。プールとかで練習してるとこ見掛けたから怪我は治ったみたいだし、ブランクだってだいぶ埋めてたみたいだな。けど!!)

 

 コースの半分を泳ぎ切った瞬間、突然八尋は泳ぐスピードを一気に上げて忍を引き離します!

 

 (あんたが怪我で休んでる間、私はもっと上の高みへ行ってんだ!もう昔みたいに互角じゃねぇよ!!)

 

 あっと言う間に距離を離される忍ですが、彼女はまるで動揺などしていません。寧ろ、この状態すら“楽しんでいる”かの様に口元に笑みを浮かべていました。

 

 (良い……やっぱ良いなぁ。自分以上に強ぇ奴との勝負ってのはさ─────────。)

 

 ストロークの最中、忍は遠ざかって行く八尋を見て嘗ての自分を思い出していました。

 蒼國市民にとって、水は最も身近な友であり遊び相手である事は以前にもお話ししましたが、生まれも育ちも蒼國である忍もそれに漏れません。

 初めて泳いだのが5歳の時。両親と兄の衆人環視の中、安全な水路で思いっ切り体を動かして泳いだのですが、この時忍は不思議な声を耳にしました。

 

 そう……「一緒に遊ぼう!」、「もっと泳ごうよ!」と言う声を─────────。

 

 それが水霊(アクア)の声だったのか、幼少期の子供の見る幻とされる“イマジナリーフレンド”だったのかは定かではありませんが、その体験がきっかけで彼女は水泳にグングンとのめり込んで行ったのでした。恐らくは泳ぐのが好きな他のどの蒼國市民よりも──────。

 

 (あいつともっと勝負したい!!もっと一緒に泳ぎたいぜ!!)

 

 忍が強くそう思った……その時でした!

 

 

 (何だ!?)

 

 

 不意に忍の前にヴァルナが現れたのです。彼女の真下を通り過ぎる様に視界にフェードインしたと思うと、ヴァルナは長く伸びた尻尾の先端をまるで手招きするかの様に器用に動かしていました。

 

 (まさかこれって、星原と濱渦が見たのと同じ奴か?ってかあいつ、あたしに「来い」っつってんのか?)

 

 八尋と並走して泳ぎながら尻尾で手招きするヴァルナの姿に、忍は改めて闘志を燃やします。

 

 (上等!待ってろよ!!)

 

 そうして負けじとヴァルナを追って再び水を掻き分けて忍は泳ぎ進みます。本人は気付いていませんでしたが、その時の忍も瑠々や水夏と同様に普段以上のスピードで泳いでいたのです。然しそれでいて、彼女は自らの身体への負荷を極力減らす工夫をこらしていました。

 経験者ならご存知でしょうが、バタフライで大事なのは『腕の動き』です。入水する際のエントリーに始まり、キャッチ、スカーリング及びプル、そしてリカバリーと言う一連の動作が有りますが、その中で最も力の抜き所とされるリカバリーに気を付けて忍は練習していました。

 よりリラックスしたリカバリーの他にも、体重移動やドルフィンキック等、無理無く泳ぐ為にストローク全体を見直す。それが大会へ向けた忍の練習の方針だったのです。

 

 

 (忍先輩の動きが格段に良くなった!?おまけに速い!?でも何で……ってえっ?)

 

 

 遠ざかって行く八尋と、それを猛追する忍の姿を横目に見ながらも自身も負けじと泳ぐ事を忘れないリラ。すると彼女の前にも忍と同じ事が起こりました。

 

 (クラリア……どうして?)

 

 何と、アクアリウム能力を発動している訳でもないのに自分達の前にクラリアが現れて自分に追い付けと誘っているのです。

 

 (何が何だか分かんないけど……貴女が誘うなら私も乗るわ!)

 

 そうしてリラも、負けじとクラリアを追って残りの距離を完泳すべくスピードを上げました。

 一方その頃、トップを独走する八尋は、引き離した筈の忍がほぼ自分の隣に並んでいるのを、彼女のコースから響く水音が大きくなって来る様子から感じていました。

 

 (まさか日浦の奴、もう追い付いて来たのかよ!?)

 

 (まだ終わってねーぞ井澤ァッ!!)

 

 そうして最後のデッドヒートの末、遂に2人はゴールを決めたのです!

 結果は組の中では八尋がギリギリ1位、忍は見事に2位に躍り出ました。因みに全てのブロックの選手が泳ぎ終えたタイムでも、1位と2位はそれぞれ八尋と忍でした。そのタイムは実に0.1秒程度の僅差。

 尚、リラは組の中では4位でタイムの上では6位。ギリギリで予選を突破しました。

 

 

 「やった!忍先輩が2位だ!」

 

 「リラっちも初出場で6位なんて凄いよ!」

 

 「2人とも決勝進出か。良かった!」

 

 「おめでとうリラ……忍先輩………。」

 

 瑠々と深優とみちるが口々にそう喜びの声を挙げる中、目を潤ませながら葵は只1人ポツリと呟くだけでした。

 

 

 「ハァ…ハァ…、ぶっちぎりで1位になる心算だったのに、まさかこんな事になっちまうなんてな……。」

 

 「ハッ、あたしを舐めんなよ井澤。予選じゃ負けたが決勝はこうは行かねーぞ!」

 

 互いに睨み合いながらそう言葉を交わす忍と八尋ですが、負けた方の忍に悔しさは無く、勝った方の八尋もその気がまるでしませんでした。まるで波も風も無い凪の様です。

 

 「フンッ、言ってろ!決勝じゃ今度こそ叩きのめすからな。」

 

 そう吐き捨てて去って行く八尋の姿を見送りながら、リラは忍に話し掛けます。

 

 「忍先輩……。」

 

 「あん?何だよ汐月?」

 

 「凄かったです忍先輩。まさかあの人と互角に泳ぐなんて……。怪我する前の頃の先輩に戻れたんですね。」

 

 「はぁ?何言ってんだよ馬鹿。あたしはあの頃より進化してんだよ!あたしの本気はまだこんなモンじゃねーぞ!それよりお前こそどうだったよ汐月?初めてこんな晴れ舞台で戦った感想はさ。」

 

 「フフッ、最初は恥ずかしかったですけど、[[rb:水霊 > アクア]]達が見守って祝福してくれてるって思ったら勇気と元気が湧いて来ました!」

 

 「だな!」

 

 お互いにそう言葉を交わし、改めてアクアヴィジョンで会場を見渡すと、無数の水霊(アクア)達が再び視界にフェードインして来ます。皆優しげな顔でリラ達を見つめながら周囲を泳ぎ回っていました。

 その姿を見るだけで、リラも忍も先程まで思いっ切り泳いだ疲れを忘れるのでした。

  

 控室に戻ると、既に更紗と真理愛が200m自由形の為にスタンバイを始めていました。其処へリラと忍が戻って来て言います。

 

 「真理愛先輩、いよいよですね。それと更紗ちゃんも……。」

 

 「あたし等も何とか決勝進出だ。お前も絶対続けよ、漣、長瀞!」

 

 「えぇ、勿論です!」

 

 「じゃあ、行って来ます。」

 

 2人の言葉を受けて更紗と真理愛はフッと口元に笑みを浮かべてそう返すと、そのまま会場へと向かって行きました。

 更紗と真理愛が出て行った後、改めてリラは忍と共に葵の方へ向き直ります。どうした訳か、葵の直ぐ真後ろで何も言わずに俯いたままの瑠々の姿が有りました。心なしか小刻みに身体を震わせていましたが、取り敢えずはスルーです。

 

 「葵ちゃん……。」

 

 「やったね、リラ。決勝出れて良かったね……。」

 

 「う、うん。有難う。」

 

 「忍先輩も凄かったです。2年も怪我で出れなかったのに、井澤選手にあそこ迄追い縋るなんて、もう完全復活!って感じでした……。」

 

 2人の決勝進出を祝福する葵でしたが、その表情には未だ何処か翳りが見えました。無理も有りません。予選で敗退した自分が、予選を突破した相手と同じ目線で話をする─────これ程引け目と言いますか、負い目と言いますか、そうした後ろめたさを感じる事はそうそう無い事ですから……。

 

 「それは良いがよ五十嵐、問題はお前だよ。後で訊く心算でいたが何でお前、あんな酷ぇ泳ぎ……」

 

 「自分の恋敵のそっくりさんがいたからですって!」

 

 忍が言い終わる前に、みちるが素早くその答えを告げます。

 突然のみちるの即答に、当然と言うべきかリラと忍は呆気に取られた表情をしました。

 そんな2人に対し、次に口を開いたのは深優でした。

 

 「リラっちなら知ってるでしょ?葵がこの前、中学の頃に好きだった陸奥君にフラれたの。その時に陸奥君と一緒に居た彼女─────藤本さんの双子の妹が、葵と同じ種目に出てたんだって……。」

 

 「あぁ~……成る程、そう言う訳だったの………。」

 

 「ハァ~ッ……姉妹だろうが何だろうが、最近フラれた野郎の彼女にそっくりな奴が居りゃあそりゃ平常心で泳げねぇわな……。」

 

 深優からの説明に、リラと忍は漸く得心が行った表情をしました。それは確かに、今回予選敗退してしまったのは葵にとっては悔恨の極みでしょう。全員1人も欠ける事無く関東、延いては全国に出たいとは思ってた手前、この結果は余りに受け入れ難い。

 然し、勝負と言う物は何が起こるか分からないし、それで無くても世の中、もっと言えば人生と言うのは得てして思い通りには中々行かない物。どれだけ努力を真摯に積み重ねても、方法論が間違っているのは勿論、運が無ければ上手く行く物も失敗するのは自明の理です。

 けれど、それでも葵は未だ今年入学したての1年生。今年が駄目でも来年、再来年が未だ残っているのです。それを受けて忍は、葵の肩に手を置いて言いました。

 

 「先輩……?」

 

 「五十嵐、気持ちは分かるが気ィ落とすなよ。今回は偶々運が悪かっただけなんだからさ。お前未だ1年だろ?来年また頑張……」

 

 「来年じゃ駄目なんですよ!!」

 

 するとそんな忍の声を遮って声を張り上げたのは、先程から俯いたまま身を震わせていた瑠々でした。

 突然の瑠々の叫びに、真理愛が去った控室は沈黙に包まれます。一同はさながら、テッポウエビの鋏から繰り出される破裂音を喰らった気分です。

 

 「ほ、星原先輩、何を……?」

 

 「瑠々先輩……?」

 

 「おい星原、いきなりデカい声出して何だよ……?」

 

 数秒の沈黙を破って声を挙げるリラと葵と忍ですが、其処へ競技開始のアナウンスが流れたので、水泳部メンバーの視線は自然とモニターに向かいます。

 ですが瑠々だけは違いました。

 

 「葵、話が有るからちょっと来なさいよ!」

 

 「えっ?ちょっと、瑠々先輩!?」

 

 「瑠々!」

 

 「葵!?ちょっと瑠々先輩、葵連れて何処行くんですか!?」

 

 不意に瑠々は葵の腕を掴むと、そのまま半ば乱暴に控室の外へと出て行きました。水夏と深優の2人も思わず後に続いて出て行きますが、この4人は午後のメドレーリレーに参加する顔触れでした。

 

 「あっ、瑠々ちゃん!真理愛と更紗ちゃんの試合観なくて良いの……ってもう行っちゃった………。」

 

 「まぁ、漣と長瀞なら予選突破出来るって分かってるから、改めて観る必要無いんでしょうね……。」

 

 「そう言う物なんですか?」

 

 葵を連れて不意に出て行った瑠々の事で、潤とみちるがそう言葉を交わす姿に突っ込みを入れるリラですが、気を取り直して真理愛と更紗の泳ぐ雄姿を観戦します。

 リラが少しだけアクアヴィジョンを発動させて見ると、プラチナとシュトラーセは身体から水霊力(アクアフォース)の輝きを迸らせており、既にそれぞれの宿主である更紗と真理愛共々やる気十分の様でした。これなら自分と忍も今日体験したあの“ゾーン状態”に入るのは確実でしょう───────。

 

 




キャラクターファイル25

レイン

年齢   無し
誕生日  無し
血液型  無し
種族   水霊(アクア)
趣味   アクア団子の生成
好きな物 エネルギーを生み出す物全般

水夏の身体に宿る内なる水霊(アクア)。金色のラインが入った青黒い鰻の様な姿をしている。
体内に強力な水霊力(アクアフォース)発生装置(ジェネレーター)を持っており、それによって作り出した団子状のエネルギー球を『アクア団子』と呼んで周りの水霊(アクア)に分け与えて精力を増強したり、自身の浄化の力に使う事が出来る。まさしく途轍も無いエネルギーを内に蓄え生産すら出来るエネルギー供給役であり、身体を巨大化させる事で同じく巨大なクラリファイイングスパイラルを形成し、家一軒分の広範囲を浄化する事が可能と言う途轍も無いポテンシャルを秘めている。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第25話 水は我が友(結)

今回は短いです。


 女子200m自由形において、真理愛と更紗の2人は見事に予選を突破しました。最初は並入るライバル達に負けそうになりましたが、決して挫ける事無く最後まで泳ぎ切ろうと言う強い意志に内なる水霊(アクア)が呼応。その導きの下、ゾーン状態に突入する事で自身の秘めたる力を解放する事で結晶への駒をどうにか進める事が出来ました。

 結果として真理愛は1位で更紗は4位。これは先にゴールした順位であると同時に、タイム上でのそれでも有りました。蛇足ですが真理愛の知り合いである貝塚サリアは2位。

 因みに午後の決勝でも、真理愛と更紗はまた同じ1位と4位の結果で標準記録を破り、関東大会への進出を決めたのでした。

 

 

 さて、2人が決勝に駒を進めていた時の事です。葵は瑠々に連れられてテンプレと言うべきか、蒼國総合スポーツセンターの裏側に連れて来られていました──────。

 

 「あんた何やってんのよ!?この前皆1人も欠けないで地方出るって約束したのに!!」

 

 瑠々に乱暴に壁の方へと追い遣られ、厳しくなじられた葵は申し訳無さそうに目を逸らし、俯く事しか出来ませんでした。

 

 「ごめんなさい、瑠々先輩――――でも……」

 

 「“でも”も何も無いでしょ!?あんたがあの藤本って奴と何が有ったって、そんなのはわたし達にも大会にも何の関係も無いんだから!!」

 

 折角水霊仲間(アクアメイト)となったのを機に互いに距離を縮め、あまつさえ『1人も欠ける事無く関東大会、延いては全国に進出する』と誓い合ったばかりなのにこの体たらく……。

 瑠々の瞳には、失望と怒りがメイルシュトロームの如く激しく渦を巻いていました。

 

 「瑠々、気持ちは分かるけど葵は未だ1年なのよ?私達と比べてもメンタル的に未熟なとこが有ったってしょうがないじゃない。」

 

 「そうですよ瑠々先輩。葵だって辛かったんですから……。」

 

 「あんた達………。」

 

 それぞれの相方の深優と水夏に弁護され、怒れる瑠々の震えはほんの僅かですが緩和されました。ですが、やはりどうにも腑に落ちない所が有り過ぎる位有り、故に表情は未だ険しさを残していました。

 尚も険しい表情の瑠々をどかし、水夏が葵に話し掛けます。

  

 

 「葵、その藤本って子は貴女にとって何?自分から好きな男子を奪った、憎たらしい泥棒猫なの?」

 

 改めて水夏から問われ、葵は黙ってしまいました。確かに珠得(ジュエル)は自分が好きだった陸奥が、彼の進学先の龍洋で何時の間にか恋仲になった子です。

 然し、だからと言って葵に彼女を責める資格なんて有りません。本人もその気が有った筈なのに結局自分から想いを伝えようともせず、また、知らず知らずの内に彼から想いを伝える気を奪っていた原因は自分に有ったのです。

 結局、彼に対して何時もテンパって正面から堂々と向き合えなかった自分の弱さが原因で今のこの結果になったのに、珠得を責める資格なんて葵に有る筈も無い訳です。

 

 「………そんな事は無いです……。全部、全部ハル君に気持ち伝えられなかった私が悪いんです……。」

 

 「じゃあ今日会ったその藤本って子のお姉ちゃんはどうなの?貴女が藤本に苦い想いを持っていても、姉の方には何の関係も無い筈よね?それなのにそんな勝手に取り乱すのは可笑しいんじゃない?」

 

 「それは……あの子が…珠得って子が……今度は水泳でも私から何もかも奪ってくみたいに思えて…」

 

 「あんた馬っ鹿じゃないの!?」

 

 葵がそう言い終わる前に瑠々が再び口を開きました。

 

 「さっきから黙って聞いてりゃ、それって結局あんたの勝手な被害妄想じゃん!惚れた男に向き合えなくって他の女に取られた弱さを認められなくて、その姉なんて分かり易い奴の所為に都合良くして逃げてただけでしょ!?そんなんだからあんたあんな酷い泳ぎしたのよ!!分かってんの!?お陰でわたし達も良い迷わ……」

 

 「もう其処までにしてあげて下さい瑠々先輩。」

 

 口々にそう厳しく詰る瑠々の言葉を深優が中断させると、改めて彼女は自身の幼馴染と向き合って言いました。

 

 「葵、瑠々先輩も言ってたでしょ?“水泳は自分との戦い”だって……。過去がどうで周りがこうとか、そんなの関係無いよ。水泳って、そう言う昨日の自分を追い越す為に1番手っ取り早いトレーニングなんだよ。少なくとも蒼國市民(ジモティー)として私はそう思うよ?」

 

 「深優……。」

 

 「だから葵、この大会で乗り越えよ?今この瞬間しか出来ない、『葵らしい泳ぎ』で昔の駄目な自分を超えるの。その為に葵は泳ぐべきだって私は思う。」

 

 この幼馴染の言葉に、葵はハッとなりました。今まで自分はこの日の為に練習して来た。深優と更紗とリラ、瑠々と水夏と真理愛と潤、そしてみちると忍と一緒に全国大会(インターハイ)に出る為に頑張って来たのに……。

 終わった男の幻影をまだ心の何処かで引き摺ってた弱さが、この土壇場で出てこんな失態を犯してしまった―――――。

 珠得の姉の美珠(ビジュ)の存在はその切っ掛けでしか無いのに、彼女を通して自分の弱さと敗北を藤本の所為にしようとした―――――。

 でも、こんなのは“逃げ”でしか無い。そんな事ではこの先自分に成長も進歩も未来も有る筈が無い―――――。

 

 「深優、お願い……私の事、思いっ切り引っ叩いて!」

 

 葵の言葉を受け、コクリと頷いた深優は彼女の右の頬に強烈なビンタを喰らわせました。1年生の幼馴染コンビの突然の行動に、瑠々と水夏の2人は思わず目を丸くします。

 

 「どう、葵?目、覚めた?」

 

 「うん……スッキリ覚めた!」

 

 その目には薄らと涙が浮かんでいましたが、葵のその眼差しにはもう、先程の澱みは見られませんでした。まるで流れる清流の様な澄んだ眼差しに戻っていました。

 

 「瑠々先輩……水夏先輩………本当にごめんなさい!でも私、メドレーは絶対に足を引っ張りません!2人の所まで私がバトンをきっと繋ぎますから!」

 

 澱みが無くなっていたのは眼差しだけではありません。彼女の言葉も力強く、その声もハッキリと澄んでいたのです。瑠々と水夏がアクアヴィジョンで葵を見てみると、彼女の内なる水霊(アクア)のアンジュが強いオーラを放っているのが見えます。

 まだこれから本番にならないと分からないけれど、この分ならきっと大丈夫――――――葵の様子から2人の脳裏には、メドレーを勝ち進む自分達の未来像(ヴィジョン)が浮かんでいたのでした―――――。

 

 

(五十嵐さん……)

 

一方、そんな葵の様子を物陰から美珠は眺めていましたが、自分が出て行ったら何かまた拗れると本能的に察したのか、彼女は何も言わずにその場を去るのでした……。

 

 

 4人が戻って来ると、既に真理愛と更紗が予選の女子200m自由形を見事に泳ぎ切った後でした。

 

 「やっぱり2人とも予選突破したんですね!」

 

 「まっ、真理愛もそうだけど長瀞も遣ると思ったわよ!」

 

 2人が無事に予選を突破した事を知った4人ですが、葵と瑠々の言葉には確信が満ちていました。

 

 「それは良いが五十嵐よぉ、お前はもう大丈夫なのか?」

 

 エースの忍の問い掛けに対し、葵は力強く頷きました。改めて皆がアクアヴィジョンで葵を見ると、彼女の内に穢れは一切見当たりません。それ処か、内なる水霊(アクア)のアンジュは尋常ならざる水霊力(アクアフォース)を滾らせています。

 これなら葵も大丈夫だと、リラ達も皆思いました。

 

 「じゃあ…行って来るわね?」

 

 「おう!行って来いみちる!」

 

 「信じてますからみちる先輩!」

 

 続くみちるも予選の400m個人メドレーを見事に泳ぎ切り、ライバルと目されていた氷見野玉藻を抑えて1位で決勝進出を果たすのでした。

 因みに結果は標準記録の5:35.13を上回る4:40.72。充分に国体でも通じるレヴェルのタイムでした。因みに決勝でのみちるの記録は4:39.11で、見事に関東大会に進出です。

 そして―――――。

 

 

 「良し!行くわよ皆!」

 

 

 とうとう葵、深優、瑠々、水夏4人による400mメドレーリレーの時がやって来ました。 

 審判のホイッスルの音と共に先陣を切って飛び込んだのは深優でした。

 

 (負けるもんか……絶対に葵に繋ぐんだ……っ!?)

 

 そう強く想って水面に手を滑り込ませて前へ前へと進もうとする深優。すると彼女の前に現れたのは深優の内なる水霊(アクア)のブルームでした。

 

 (えっ?ブルーム……?)

 

 ブルームは深優の目の前で誘う様にレーンの先を泳いで行きます。まるで自分に追い付いてみろと言う様に―――――。

 

 (これが先輩やリラっちやサラサラの言ってた奴なのかな?良ーし!)

 

 深優はブルームの誘いに乗って何処までもレーンを泳ぎ、気付けばもう葵の所まで泳ぎ切っていました。

 

 「葵!!」

 

 「うんっ!!」

 

 そうして深優からのバトンを受け継いだ葵はそのまま背泳ぎで何処までもレーンを進んで行きます。すると彼女の目に飛び込んで来たのは、アクアヴィジョンも使っていないのに仲間のエンゼルフィッシュ型の水霊(アクア)達を率いて泳ぐアンジュの姿でした。

 

 (何よアンジュ……私にこの子達と一緒に泳げって言いたいの?)

 

 葵の問い掛けに応じる科の様に、アンジュは眷属の水霊(アクア)達と共にどんどん先へ進んで行きます。

 

 (あっ、コラ!待ちなさいよ~ッ!!)

 

 そうして気付けば葵は深優の勢いを落とす事無く、4位で何とか瑠々に繋ぎました。

 

 「瑠々先輩!」

 

 「任せろ!!」

 

 そうして瑠々と水夏も見事に泳ぎ切り、結果は3位でタイムの上では4位。どうにか彼女達は決勝に進出出来たのです!

 これには葵も目から涙を流して喜びましたが、それは観戦しているリラ達も一緒でした。

 

 

 午後のオープン決勝でも、同じ様に彼女達はそれぞれの種目を見事に泳ぎ切り、“余裕で”或いは“辛くも”全員が標準記録を破って地方進出を決めました。

 2日までの結果は以下の通りでした。

 

 1年のリラがバタフライ5位、更紗が自由形4位で地方進出。葵は背泳ぎ6位で予選敗退。

 2年は瑠々が自由形4位、真理愛が平泳ぎ3位、潤が背泳ぎ4位で地方進出。

 そして3年では忍とみちるがそれぞれでバタフライと400m個人メドレー共に1位で共に地方進出でした。尚、忍といがみ合っていた井澤はライバルだった忍相手に入れ込み過ぎたのか、ペース配分に狂いが生じて2位に転落してました。

同時にこの時、忍の中に“とある変化”が起こっていたのですが、それを話すのは次の機会に譲りましょう。

 

 残る団体でも400mメドレーで葵、深優、瑠々、水夏の4人が個人の部で振るわなかった分、予選以上の底力を発揮して決勝では2位入賞と、深優以外のメンバー全員が何らかの形で地方大会へ進出する運びとなりました。

 そして3日目の最終日、最後に残った深優も女子100m自由形で午前の予選を余裕で突破し、続く午後の決勝も4位でしたが難無く標準記録を破り地方進出。

 

 こうして瑠々の望み通り、霧船女子全員が一応何らかの形で関東大会に駒を進めると言う目的は達せられたのです!

 

 




はい、と言う訳で水泳大会の地区予選はこれにて終了!同時にこの四部作が令和初の投稿と相なりました!次回はまた水霊(アクア)達との日常パートの中でのリラの癒しを描いて行きたいと思います!

そしてそれを一通り書き終えたら次はいよいよリラの忌まわしい過去と、途轍も無い大事件を描いて行きますので乞うご期待!

キャラクターファイル26

シュトラーセ

年齢   無し
誕生日  無し
血液型  無し
種族   水霊(アクア)
趣味   人間の音楽の鑑賞
好きな物 真理愛の奏でるフルートの音

真理愛の身体に宿る内なる水霊(アクア)。白地に黒いグラデーションの入った身体に、赤と青のオッドアイをしたロリカリアの様な姿をしている。
複数に分身する事で一斉に浄化対象に吸い付き、穢れを吸い込み内側で浄化する。
潤の力でフルートの内側に宿る事によって、彼女の内なる水霊(アクア)のステラと共にリップルメロディーを奏でて広範囲の穢れを浄化して多くの命を癒す事が出来る。
真理愛の中で生まれた水霊(アクア)だが、彼女の強さと優しさと厳しさを持った気高い魂に磨かれて成長して来た為、その力は中級水霊(アクア)クラスである。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第26話 広がり深まる心の海

今回は総体の後日談。水霊(アクア)の新たな生態が明かされます。
同時に最後、あの子とあの子のキマシタワーが建ちます!タグにも有るガールズラブの要素もしっかり入れて行かないとね。


 総体を何とか勝ち残り、リラ達霧船女子が皆何らかの形で関東大会に進出を決めたその日の帰りの事でした。

 

 「いや~何とか皆関東出れて良かった……ッ!」

 

 「何だか嬉しそうね星原。」

 

 「そりゃ『1人も欠けないで関東大会に出るんだ!!』なんてってあれだけ言ってたんですから、目的が何とか果たされて嬉しいのは当たり前でしょうね。」

 

 みちるの言葉を受け、喜ぶ瑠々の様子をそう分析する幼馴染の水夏ですが、此処で忍が瑠々に釘を差します。

 

 「星原、気持ちは分かるが落ち着け。お前の目標の全国(インハイ)行きが決まった訳じゃ無ぇんだから、浮かれるのは未だ早いだろ?」

 

 「それはそれ!これはこれですよ忍先輩♪」

 

 「ったく、口の減らねぇ後輩だぜ…。」

 

 そんな様子を傍で笑いながら眺める他の霧船女子のメンバー達ですが、そうした遣り取りにリラが参加します。

 

 「でも皆凄いですよね。予選や決勝で先輩達も……深優ちゃんや更紗ちゃん、メドレーでの葵ちゃんも皆泳いでて水霊(アクア)が現れて、凄く良く泳ぐんですから。」

 

 リラがそう言うと、忍が返します。

 

 「何言ってんだよ汐月?お前だって予選でも決勝でもクラリア見えたんだろ?地元蒼國じゃねぇのに其処まで集中して泳げるお前も大したモンだと思うぜ?」

 

 「忍の言う通りよ汐月。貴女もそうだけど、皆が体験したあれって、もしかしたら水霊(アクア)の“ゾーン”だったのかも知れないわね。」

 

 「水霊(アクア)の……ゾーン………?」

 

 忍に続くみちるの言葉にリラはキョトンと首を傾げます。それは葵や深優、更紗、それに潤や真理愛達も一緒でした。

 

 

 ゾーンとは、一言で言えばスポーツ選手達が体験する極度の集中状態です。この状態に入ると、他の全てを忘れて競技に没頭する特殊な感覚を覚えます。そして優勝込みで最良の結果を残す一流のアスリートでこの状態に入ったと言う話は多く聞きます。

 

 リラックスと極度の集中の同居―――――。

 自身が試合(ゲーム)を支配している感覚になり、敗北など意識の外―――――。

 心身の完全なる融合と、それに伴う浮遊感―――――。

 そしてそれ等を含めて最高に絶好調でワクワク感すら有る―――――。

 

 リラ達が泳いでいて体験した内なる水霊(アクア)との追い掛けっこは、まさしく水霊(アクア)の力を大なり小なり内に持った彼女達の身に起きたゾーンの1つの形だったのかも知れません。

 

 「わたしも泳いでる時、あれはゾーンだったって思う様な事は何度か有りましたけど、あんなゾーンは初めてでした。」

 

 「でも何だか楽しかったわよね。本当に子供の頃にキラキラ光る水の中を泳ぎ回ってたあの頃みたいな気持ちが蘇って来てた―――。」

 

 潤と真理愛が口々にそう告げると、他のメンバーも納得と言わんばかりに頷きます。だけど、此処でリラに1つ疑問が生じます。

 

 「あれ?でもゾーンってそう何度も入れる物なんですか?私もそうですけど他の皆だって予選や決勝で入ってましたけど……って言うか星原先輩、予選じゃゾーンに入ってなかったみたいでしたよね?」

 

 確かに自分も含めて2日目以降、リラ達は皆予選や決勝で内なる水霊(アクア)達によるゾーン体験をした結果、何とか標準記録を破って関東への進出を決めました。然し、ゾーン体験とはそう都合良く何度も体験出来る物ではありません。どんなに厳しい練習を課したアスリートでも、そんな極限の集中状態には常に入れる訳では無いと言うのに、何故自分達はこんな状態に入れたのでしょう?

 然し、リラのその疑問は次の瞬間、あっさり瓦解しました。

 

 

 「多分あたし等が蒼國市民だからだろ?」

 

 「え………?」

 

 

 蒼國市民?どう言う事でしょう?みちるが解説します。

 

 「だって私達、生まれた時からずっと水泳やって来たのよ?小さい頃からそうやって鍛えて来たんだから、他所の人達よりかは体力に自信が有るわ。」

 

 「ゾーンって極限の集中力だろ?そして体力=集中力だ。地方や国体に手が届くだけのポテンシャルの蒼國市民(あたしら)なら、体力とそれに裏打ちされた集中力だって他より有る方だぜ?」

 

 「まぁ、それを言ったら私達だけじゃなくて他の井澤や玉藻みたいな選手の子達だって同じだけどね♪」

 

 みちると忍の回答で最初の疑問はあっさり解消。続く瑠々の疑問も水夏があっさり答えます。

 

 「それはね汐月、瑠々がペース配分下手糞で、予選で余計な体力使って泳いで決勝まで続かないから、何とか予選を或る程度余裕以て突破出来る様に練習した結果よ。つまり予選はゾーンに入る程集中してなかったの。まぁ、それでも結構ギリギリだったからあの時は肝を冷やしたけどね。」

 

 「るっさい!てか悪かったわねペース配分下手で!!」

 

 突っ込みを入れる瑠々に苦笑いしながらも、それだけの事で片付いてしまうのかとリラは思いました。然し蒼國市民では無いにしても、考えて見ればリラも体力は人より有る方でしたし、水霊士(アクアリスト)としてクラリファイイングスパイラルを形成する為にかなりの集中力を培って来ました。そんな自分が水泳で少し自分の心身を鍛えれば、ゾーンにだって入り得る。

 先程ゾーンはどれ程自身に厳しい訓練を課したアスリートでも常に入れる物では無いと述べましたが、考えて見れば別にゾーンはアスリートでなくても普通の一般人だって入れる物なのです。

 勝ち負け等の結果に拘泥せず、その活動の中に感じる喜びを感じる事。そして自分のやる事への本質的な価値を見出している事。そうした境地こそゾーンに入る要です。

 そして今回、リラは忍に言われた通り、初めての大会の舞台に対して変に気負わず、勝ち負けに拘泥せず思い切り楽しもうと言う気持ちの下、目の前のレーンを思いっ切り泳ごうと言う気持ちで取り組んだからこそ、クラリアはそれに応えたのでしょう。他の忍やみちる達も同じ理由からだとすれば納得です。

 

 (葵ちゃんは藤本さんへのしがらみから、『絶対勝とう』なんて余計な気負いに囚われた所為でゾーンから遠ざかっちゃったのね…。)

 

 本人に気付かれない様、リラは葵を見てそう自己完結しました。

 とは言え、先程みちるが答えた通り、何も霧船女子以外の蒼國の水泳選手だって幼少から水と親しんで来た水の民で泳ぐのはお手の物。それをスポーツで真剣に打ち込んでいるならばその多くがゾーンに入り得るのです。

 それでも内なる水霊(アクア)と通じ合う術を得た忍達霧船女子は、他の選手達と比べても水泳への集中力が高まり、より深いゾーンへ入る事が出来る様になっていたのは間違い無いでしょう。

 けれど全員が全員1位になれなかったのは、やはり個人の技量や練習量における彼我の多寡である為、今後はそれを如何に埋めて行くかが鍵だと彼女達は納得していました。それは幾ら標準記録を突破したとは言え、余り芳しくない結果に終わった瑠々の『わたしならもっとやれた筈!』と言う表情や、個人の背泳ぎで予選落ちした葵の悔しげな表情からも窺い知れます。

 

 「潤先輩、同じ背泳ぎの選手として私、悔しいです……!!」

 

 「じゃ明日から一緒に練習しよ?葵ちゃん!」

 

 「はいっ!」

 

 「やっぱ悔しいよな五十嵐……おっし、あたし等も関東目指して気合い入れて練習すっぞ!」

 

 「皆、分かってるけど明日から練習もっと激しくなるから、今日はゆっくり休まないと。良いわね?」

 

 みちるの言葉に一斉に『はいっ!!』と答える一同に、リラは感心させられっ放しでした。ゾーンは極限にまで集中しなければ入れない状態ですが、それでも常に入れる訳では無い気紛れな物。然し殊水との触れ合いの場である水泳でなら、内なる水霊(アクア)の働き掛けで彼女達は幾分入り易くなりました。尤も、あくまで入り易くなっただけであり、勝つ為にはより練習に身を籠め、自身の肉体強く鍛え、体力とそれに裏打ちされた高い集中力を付けなければならないのです。

 蒼國市民…いいえ、水泳選手として彼女達は大事な事が良く分かっているなとリラは感心させられます。高校に入るまで水泳から離れていた葵達ですら、1回の大会を経てもうそこまでの心境になっているのだから猶更です。

 

 (凄いな、皆…先輩達も葵ちゃん達も、水霊(アクア)の力でゾーンに入れる確率が上がってもそれに頼んないで自分の泳ぎに磨きを掛けようとしてる……。)

 

 

 「所で汐月、お前に1つ訊きたい事有んだけど良いか?」

 

 リラが霧船の仲間達に感心していると、不意に忍がリラに話し掛けて来ました。思わず面喰らうリラですが、間髪入れずに尋ね返します。

 

 「えっ?何ですか忍先輩?」

 

 「昨日、決勝で井澤と泳いだ時の事なんだがよ――――」

 

 (決勝での井澤との試合…?)

 

 みちるを始め、他のメンバーが脳内に疑問符を抱く中、忍が話し始めたのは昨日の午後の決勝の事でした。再び井澤とバタフライで競っていた忍ですが、やはり予選と言う事もあって井澤は80%程度の力でしか泳いでいなかったらしく、忍をあっと言う間に引き離して行きました。恐らく井澤もゾーンに入っていたと見て間違いは無いでしょう。

 予選では幾等ブランクを埋め、ヴァルナの導きも手伝ってゾーンに入り、ギリギリ2位に躍り出た所で肝心の井澤自身はゾーンに入っていなかった。それが決勝で忍を叩き潰す為にゾーンに入ったのですから、さしもの忍もどうしようもない位引き離されるのも無理からぬ話でした。

 

 (ハハッ、やっぱ井澤の奴、予選じゃ本気じゃなかったんだな……!)

 

 引き離されているのに、忍は妙に嬉しそうでした。何故なら彼女はもう勝ち負けなんかに固執せず、相手との勝負を思いっ切り楽しもうと決めていたからです。

 

 これが今、自分が超えたいと思った相手の本気―――――だったらそれに全力で応えたい!

 また身体を壊す心算は無いが、明日はもうバテにバテて動けなくなっても良い!

 寧ろそれは最高に気持ちの良い疲労だし、後でまたリラから癒して貰えば良い!

 過去の自分を乗り越えて前に進む為、今は多少無茶してでも限界を超え、自分の中で最速で最高の泳ぎをしたい!

 何より一緒に泳いでいるリラの為にも、自分を信じて応援してくれる親友や可愛い後輩達の為にも、過去の自分に決別してより強い自分に生まれ変わりたい!

 

 そうした想いの1つ1つを練習の時から今この瞬間まで、リアルタイムで堆積させながら忍は今日まで泳ぎ続けて来ました。今こそその真価が問われる時なのです。元々負けず嫌いな所の有る忍ですが、負けるのが怖いのは井澤よりも自分の弱さである事を彼女は良く分かっていたのでした。

 

 (けどあたしは白旗なんか降らねぇ!汐月の為にもみちる達の為にも…あたしは……あたしはぁっ!!過去(きのう)自分(あたし)を超えるんだアァァァァァ――――――――――ッ!!!)

 

 忍自身は気付いていませんでしたが、そう強く想って水を掻き分けていた彼女の集中力は予選の時以上の深さでした。再び彼女の目の前に予選の時と同様、ヴァルナの姿が浮かび上がって来たのです。

 

 (えっ?ヴァルナ――――?)

 

 アクアヴィジョンを使っている訳でも無いのに、再び泳ぐ忍の眼前に姿を現した自身の内なる水霊(アクア)のヴァルナの幻視(ヴィジョン)。しかし、ヴァルナの様子が何か可笑しいのです。みるみる自分から遠ざかって行くヴァルナですが、予選の時より速く遠ざかるヴァルナに忍は付いて行けません。

 

 (駄目だ、追い付けねぇ!つーか何だよ?急に身体が鉛みたく重たくなって来やがった!?クソッタレ、これじゃあ―――――)

 

 それ処か、体を襲う妙な重い感覚。これではヴァルナに追い付く処か、井澤すら捉える事は出来ません。それ処か、リラや他の選手達にすら抜かれて無様に敗退しかねない。この土壇場で万事休すかと思った時、遠ざかって行くヴァルナが不意に身体から眩い光を放ち始めました!

  

 (なッ、何だ!?急に光り出して―――――)

 

 その刹那、遠ざかって行くヴァルナの身体から浮かび上がる様に出て来たのは、昨日の夢に出て来たマンタの姿をした新たな水霊(アクア)でした。

 

 (こ、こいつは昨日夢で見た――――!?)

 

 泳ぐ忍の前からグングン遠ざかって行くヴァルナでしたが、逆に今度はマンタ型の水霊(アクア)が忍の方に泳いで来ます。そうして忍の中に入って1つになったかと思うと、不意に忍は自身の身体に異変を覚えます。

 

 (か、軽い!?つーか重さを全然身体が感じてねぇ!?)

 

 さながら身体の余計なリミッターが全て外れ、水の抵抗が一切無くなったかの様に身体が軽くなった様な感覚に忍は包まれました。

 これなら行ける―――――そう確信した忍はヴァルナを追い、再度夢中で水を掻き分けてレーンを先程の比では無い程の速度で大驀進!スーパーキャビテーションを施された魚雷の如き忍の泳ぎに、会場は思わず目を奪われます!

 そして気付いたら自分は既にゴールであるレーンの向こう側の壁をタッチしており、井澤がゴールしたのは何とその3秒後の事でした。

 

 

 「えっ?し、忍先輩、あの決勝の時にそんな事が有ったんですか!?」

 

 

 昨日忍に起こった出来事を聞き、リラは驚きました。然し、それも無理からぬ話です。

 その時一緒に泳いでいたリラは、全てが終わった後に井澤と言葉を交わしていた忍との遣り取りを横目に、ギリギリでも何とか関東への切符を手に出来た自分の成功体験に酔っていた事もあり、水を差すのも野暮だからと知ろうとも訊こうともしませんでした。それ以前に試合が終わるまではアクアヴィジョンで水霊(アクア)を眺める例外を除き、アクアリウム自体を封印していたのですから水霊(アクア)関係にはノータッチの姿勢でいたのです。忍自身も、そんなリラの心中を察してか、総体が終わるまでは水霊(アクア)の話はすまいと思っていたのでした。

 

 「あぁ。けどお前は基本アクアリウム封印してたみたいだったし、自分が水霊士(アクアリスト)だって事忘れて、一選手としてこの3日間過ごすみてぇだったから余計な事は言わない気でいたんだよ。全部終わった今なら話せると思って話したまでだ。」

 

 「でもさっきの話、本当なんですか忍先輩?」

 

 「忍、本当にマンタの水霊(アクア)を見たの?」

 

 リラに説明する忍でしたが、葵とみちるは信じられないと言わんばかりにそう口を開きます。他の2年生の面子も忍に視線を向けてまじまじと見つめます。

 

 「いや、気になるならアクアヴィジョンで見た方が早くないですか?」

 

 深優からの的確な指摘に一同が「あ…」、「確かに…」と納得した様に返します。

 気を取り直してリラ達がアクアヴィジョンで忍を見ると、確かに忍の内側にはヴァルナ以外にもマンタ型の水霊(アクア)が存在しているではありませんか。

 

 「うわっ、本当にマンタみたいなのが忍先輩の中にいる…!」

 

 「先輩の言ってた事、本当だったんだ………。」

 

 「リラ、人の中から新しく水霊(アクア)が生まれるなんて事が有るの?」

 

 「えっ?そ、それは…」

 

 1年生の葵、深優、更紗が口々にそう言ってリラに尋ねますが、リラは言葉に詰まってしまいました。今まで水霊士(アクアリスト)としてそれなりに経験は積んで来ましたが、人間が内なる水霊(アクア)を新たに生み出すなんて話は今まで聞いた事が無かったのです。

 

 「もしかしてリラちゃんも知らないの?」

 

 「は、はい。恥ずかしいですけど………。」

 

 潤からそう指摘されたのに対し、恥ずかしそうに首を垂れてリラがそう返した時でした。

 

 

 「その問いには私が答えましょう。」

 

 

 突然人間態を取って現れたテミスの姿に、霧船女子一同は思わずビックリしました。

 

 「テ、テミス!?」 

 

 「久し振りに見た……。」

 

 「3日間会ってないだけなのに妙に懐かしいわね…。」

 

 リラと葵とみちるが口々にそう言いますが、テミスは無視して言います。

 

 「リラ、それに霧船の皆さん、取り敢えず地区総体お疲れ様。そして関東大会出場おめでとう。これで次の全校朝会では胸張って報告出来るわね。」

 

 「えっ?まぁ取り敢えず有難うテミス……。」

 

 たどたどしくも一応礼を返すリラを横目に、テミスは忍の前に歩み出て続けます。

 

 「忍さん、貴女も大した物ね。まさかこの大会で人間として強く成長し、貴女本来の水霊(アクア)を生み出すに至るなんて――――。」

 

 「あ、あたし本来の水霊(アクア)!?どう言う意味だよ!?」

 

 「テミスどう言う事?このマンタが忍先輩本来の水霊(アクア)なら、先輩が生まれた時から内なる水霊(アクア)として忍先輩の中にずっと居たヴァルナは何なの!?」

 

 「一体どう言う事なんですか?説明して下さい!」

 

 リラ達の疑問は尤もでした。普通内なる水霊(アクア)はその人間が生まれてから死ぬまでの間、ずっとその人間の内側に宿り続ける物の筈。

 それは間違い無くその人固有の、そしてその人本来の水霊(アクア)では無いのか?

 そもそも人が水霊(アクア)を生み出すなんて事が有り得るのか?

 

 水槽のボウフラの様に次々と湧いて出る水霊(アクア)への疑問。然し、テミスは至って平常運転で答えます。

 

 「落ち着きなさいリラ、潤、そして水霊(アクア)の世界を知った人間達よ、貴女達の問いに特別に答えてあげよう。だけど此処じゃ人目に付くから一旦近くの公園に行くわよ?」

 

 「え、えぇ……。」

 

 

 テミスに先導されて人気の無い公園に霧船女子は向かいます。近くのベンチや遊具に腰を下ろすと、リラ達は改めて衆人環視でテミスに視線を向けました。

 周囲に誰も来ない事を確認すると、さっそくテミスは忍の中のヴァルナとマンタ型の水霊(アクア)を取り出し、声高らかにこう回答しました。

 

 「確かにリラ、貴女が良く知る様に、人間の内に宿る水霊(アクア)は本人が生まれてから死ぬまで存在し続ける物です。だけど、実はこれにも2種類のタイプが居るの。」

 

 「2種類のタイプ?」

 

 首を傾げるリラに対してコクリと頷き、テミスは続けます。

 

 「そう、1つはこのヴァルナや此処に居る子達を始め、多くの人間の中の水霊(アクア)同様、宿主となる人間の誕生と共にその内に宿り、宿主の成長と共に力を付けて進化、その死と共に身体から出て行き次の宿主を探す『渡りタイプ』。そしてもう1つが今回忍さんが生み出したマンタ型の水霊(アクア)、つまり宿主が誕生すると共に、その身の内に確固として存在する『原生タイプ』の2つのタイプが内なる水霊(アクア)には存在するの。」

 

 「わ、渡りタイプと……」

 

 「原生タイプ?」

 

 聞きなれない単語(ワード)を諳んじるリラと潤の2人の水霊士(アクアリスト)。他の一般人の水霊仲間(アクアメイト)の子達は余りに理解を超えた答えに唖然となるばかりです。

 そんな彼女達の心中を察してか、テミスはより詳細に説明します。

 

 「渡りタイプは貴女達以前にも様々な人間の内に誕生と共に宿り、その人間と共に成長して力を付け、その死と共に骸から出て違う宿主の人間へと新たに宿るタイプの内なる水霊(アクア)ですわ。」

 

 「じ……じゃあ忍先輩のヴァルナや私のクラリア、それに他の葵ちゃん達の中のアンジュやブルームやプラチナ達も、元は違う人間の中に宿ってた水霊(アクア)って事なの?」

 

 「そ、それでその人が死んでまた新しい人に宿って、その人が死んだらまた違う人に宿って、今度は皆葵ちゃん達を宿主に選んだって訳なんですか?」

 

 恐る恐るリラと潤がテミスに対してそう答えます。仮にそうだとしたら時間、いいえ、更に言えば歴史的に見て何とも途方も無いスケールです。葵達も葵達で何時の間にか自分達の内なる水霊(アクア)に対し、まるで悠久の大自然の光景を見る様な畏敬の眼差しを向けていました。

 

 「葵さんと更紗さん、瑠々さんと水夏さんの水霊(アクア)、そして忍さんのヴァルナはそうね。だけどリラ、潤、そして深優さんと真理愛さんとみちるさんと、今忍さんが新しく生んだ水霊(アクア)は原生タイプよ。」

 

 「えぇっ!?クラリアは違うの!?」

 

 「てか何だよ原生タイプって!?勿体ぶってねぇで早く教えろよ!!」

 

 自身の水霊(アクア)を取り出されて気が立っているのか、忍が思わずそう声を荒げますがテミスはさらさらと流れる小川の流水の如く華麗に流して答えます。

 

 「原生タイプとは、その人間を原産として生まれる水霊(アクア)。言い換えるなら、その人間の中で生まれたその人間固有の真の内なる水霊(アクア)の事です。」

 

 「し、真の内なる水霊(アクア)ですって……?」

 

 テミスの言葉に周囲が唖然となる中、一同を代表して部長のみちるがそう声を挙げました。

 

 

 「原生タイプの内なる水霊(アクア)を宿すと言う事は、その人だけの素晴らしい才覚を持った人間の証なの。唯一無二の個性を持ち、天才肌とされる人間の多くは、この原生タイプの内なる水霊(アクア)をその身に宿す人間と見て間違い無いわね。だけど勿論、多くの人間を遍歴して来た渡りタイプの水霊(アクア)を宿す人間にも素晴らしい才能を持つ者は居るわ。前者が天才なら、後者は秀才と言った方が良いかしら?それと、水霊士(アクアリスト)となる人間の内なる水霊(アクア)は例外無く原生タイプよ。」

 

 

 テミスの説明に、リラ達は再度愕然となりました。確かに深優は何やらせてもハイスペックな天才肌だから原生タイプなのは納得だし、こんな水の精霊と交信してアクアリウムなんて魔法みたいな力を使うリラや潤の様な特別な才能を持った人間の内なる水霊(アクア)が、原生でこそあれ渡りだなんて天地が覆っても有り得ない。真理愛も水泳でも見事な才能を持ってましたが、フルート奏者としての才能も認められているマルチな才の持ち主だし、みちるも忍同様に水泳では国体に出る程の実力で大学からもオファーが来始めています。

 天才か秀才かの違いは内に宿した水霊の違いで決まる―――――遺伝子上、世界的天才科学者と知的障害を抱えた子供の違いは僅か0.1%で納得行かないでしょうが、この違いなら納得と言う物です。どんなに頑張っても、自分固有の原生タイプの水霊(アクア)じゃない渡りタイプの水霊(アクア)の持ち主じゃスターにはなれない。葵や更紗、瑠々や水夏の4人は少しショックでした。それは自分の才能を始めとした資力の限界を突き付けられた様な感じなのもそうですが、他の6人がそんな天才肌で肩身が狭いと感じたのもそうです。

 

 「そっ、そうだよね……リラもそうだけど深優だって私とは大違いだって思ってたけど、やっぱ水霊(アクア)が違うからこんなに凄いのね。」

 

 「なっ、何言ってるの葵!?」

 

 半ば自嘲気味にそう切り出す幼馴染に深優が口を開きますが、瑠々と水夏も止まりません。

 

 「まっ、そりゃそうよね…。世の中、皆が皆スターになれる訳じゃないわよね。幾等頑張ったって人より上手い人止まりで、それ以上上に行けない人の方が多いのは当たり前か……。」

 

 「別に良いじゃん瑠々?世の中その人より上手い人にすらなれない人だって大勢いるんだから……そう言うのは原生タイプの人に任せて、私達みたいな人よりちょっと何かが出来るだけの凡人は、普通の暮らしをどう楽しく過ごすか考えて生きるのが1番よ。」

 

 乾いた笑みを浮かべながら、同じく自嘲気味にそう笑って言う瑠々と水夏を見て、更紗も無言のまま俯き、3人と同じ様な気持ちになりかけます。結局人生なんて、持って生まれた物だけが全ての出来レース。スポットライトの光を浴びるスター街道を歩み、周りから持て囃されて生きる。世界を変えたり、歴史にその名を刻む活躍をして見せる。そんなのは原生タイプの水霊(アクア)をその身に宿し、才能や環境の全てに恵まれた人間だけで勝手にやれば良い。そう言うのが無い持たざる者は、如何に自分の人生を楽しく生きるかだけ考えて生きれば良い。皆が皆凄い可能性を秘めている訳では無いのだから、身の程を弁えぬ野心や欲なんて持たず、収まるべき場所に収まって分相応、身の丈に合った道を歩むだけ。それこそが社会に於ける人間1人1人の正しい在り方と言う物でしょう。

 然し、そこへテミスが鋭く切り込みます。

 

 「葵さん、更紗さん、瑠々さんに水夏さん、私の話を聞いて少しガッカリしてるみたいだけどね、貴女達のアンジュ、プラチナ、シュロ、レインは多くの人間を渡り歩き、今生で貴女達に宿った時にはもう中級としては充分上級に近い所に居る水霊(アクア)なのよ?」

 

 予想外のテミスの言葉に、思わず葵達は顔を上げて食い入る様に目の前の上級水霊(アクア)の顔を見つめます。そんな彼女達の視線など、気にも留めずテミスは続けました。

 

 「まぁもっと上級に近い中級なら他にも居るけどね、それでもそんな十分強い力を持った水霊(アクア)を宿す貴女達の資力や可能性がちっぽけな訳が無いわ。人間の貴女達が自己成長の為に何の行動も精進も投資もしない様なら、渡りや原生関わり無く水霊(アクア)は成長しないし、将来の可能性も無いに決まってる!」

 

 その言葉は、4人の胸にダツの如く突き刺さります。いいえ、葵達渡りの水霊(アクア)を宿した子達だけではありません。リラや深優達原生タイプの水霊(アクア)を宿した子達もそれは一緒でした。

 

 「それ以前に、例え原生タイプの水霊(アクア)を宿してても、切っ掛けが無かったらその才能を目覚めさせる事は絶対に出来ずに普通の一生を送る事もあるわ。リラや潤がそうであった様にね。」

 

 テミスの説明を受けて、全員がリラと潤に目を向けます。確かにリラと潤の水霊士(アクアリスト)としての才能は唯一無二の物であり、一般人の彼女達からすれば一生死ぬまで無縁の代物です。それに水霊士(アクアリスト)でなければ彼女達は、人より勉強等の諸々の事が多少出来る程度の一般人。葵達と何も変わりません。

 

 「更に加えておくとね、原生タイプはどんな人間の中にも宿ってる!!生まれた時に渡りタイプが宿った際にそれに取り込まれただけで、確かに存在し続けてるの。今回の忍さんの様に自分自身の成長に伴い、渡りタイプに取り込まれたその人間本来の原生タイプを切り離して再誕させるケースだって、稀にだけど有るの!」

 

 次々と繰り出される言葉に、リラ達は返す言葉も無く只押し黙ってテミスの言葉を噛み締めるしか出来ませんでした。普通の人間が口にしても綺麗事だの理想論だのと一蹴し、まるで説得力が無い言葉達ですが、水として多くの人間を見て来た人ならざる精霊のテミスが言うと、それはマリアナ海溝の水圧の如き重みを以て彼女達の心に圧し掛かって来るのです。気付けば葵や瑠々の目には薄らと涙が浮かんでました。

 すると次の瞬間、彼女達の沈黙を打ち破ってヴァルナの身体が眩く光り始めました。

 

 「なっ、何だ!?」

 

 「テミス、忍先輩のヴァルナが変よ!?」

 

 思わず声を挙げる忍とリラですが、テミスは静かに告げます。

 

 「忍、ヴァルナは貴女から解放されようとしているの。」

 

 「か、解放だと!?」

 

 再び訳の分からない言葉に再び一同は呆気に取られます。

 

 「内なる水霊(アクア)が人間から解放されるのはその人間が死んだ時だけ。ですが1つだけ例外が有ります。それはその内なる水霊(アクア)が渡りタイプで、宿主の人間が成長と共に原生タイプを生み出した時、その原生タイプを新たな宿主とする事で肉体から解放されるのよ。」

 

 「つ、つまり今回忍は昨日の大会でこのマンタみたいな水霊(アクア)を生み出したから、それまでずっと忍の中にいたこのヴァルナって言う水霊(アクア)は晴れて自由の身になれるって事?」

 

 みちるの問いに対し、テミスはコクリと頷きます。そしてテミスはヴァルナを水の球体に変えると、そのまま忍の頭部に埋め込みます。

 

 「あっ!あれって……アクアレミニセンス?」

 

 そう、それはリラが入学と共に砂川達に虐められていた潤を助けた際に使った術と同じ物でした。水霊(アクア)を相手の脳に埋め込む事で、その水霊(アクア)の情報を脳に直接流し込むと言うアクアリウムの術法。

 忍の脳内に流れ込んで来たのは、ヴァルナがこれまで宿って来た人間達の記憶でした。或る時は戦国時代の侍でまた或る時は中世ヨーロッパのキリスト教の司祭、また或る時は屈強な漁師でまた或る時は人間魚雷で特攻したイタリア兵と、ヴァルナが如何に男勝りな忍の性質に通底する人間に宿って来たかが分かる追憶でした。

 

 (ヴァルナ、お前、こんなに沢山の人の中で―――――)

 

 頭の中でそう呟く忍に対し、ヴァルナはテレパシーで答えます。

 

 (忍、あたしはお前の前にも色んな人間に宿って来た。お前に宿った時にはもう、あたしは中級としては既に十分な力を秘めた。生まれた時のお前の身体を依り代に選んだ時、あたしは知ってたよ。忍が水泳に対してかなりの才能を持ってて、それを開花させて来た事を。でも――――)

 

 (でも?)

 

 (お前が成長と共に自分の能力を伸ばしてく一方で、あたし自身が忍の成長に蓋をする存在になっていた事に気付いたんだ。だけど今回、リラとの出会いでお前は自身の内面と向き合い、その偽りの無い魂を以て水泳に臨んだ。だからこそこの子――――サラキアがお前の中で生まれた。あの決勝での最後の泳ぎは、まさしく忍が鍛えて来た本来の力の覚醒であり、完全解放だったんだよ!)

 

 そう言い残した次の瞬間、忍の視界がホワイトアウトし、気付けば忍の周囲は元の公園に戻っていました。近くには忍の新たな水霊(アクア)のサラキアが泳いでいます。

 

 「あっ、サラキア……。」

 

 「忍先輩、サラキアって……?」

 

 「まさかこの水霊(アクア)の名前ですか?」

 

 リラと葵の問い掛けに対し、忍は思わずコクリと頷きます。然し次の瞬間、突然頭上からダークブルーの飛沫が降って来たかと思うと、そのままヴァルナが何処へとも無く飛び去って行く姿が視界に飛び込んで来ました。

 

 「ヴァルナ!!」

 

 (お別れだ忍。あたしは新たな人間の宿主を見つけて、穢れに負けない強い水霊(アクア)へと進化し続ける。お前はサラキアと共に、自分だけの海路を征くんだよ!)

 

 空の彼方、方角的に太平洋へと続く蒼國海岸の方へと消えて行くヴァルナの姿を、忍は目に涙を滲ませながら見つめているのでした。

 ですが、直ぐに自身の新たな内なる水霊(アクア)であるサラキアを抱き、忍は誓います。

 

 「あたしは今まで、ヴァルナから守って貰って生きて来た……でも、これからは自分の中の穢れには自分で打ち勝たないとな!」

 

 ヴァルナが巣立った後、忍の内なる水霊(アクア)として彼女の中の穢れを浄化するフィルターの役を担う彼女の原生水霊(アクア)・サラキア。嘗てのヴァルナ同様、ダークブルーの輝きを纏うサラキアは、忍の周りを旋回しながら彼女をクラリファイイングスパイラルで包むと、再び彼女の内に入って行きました。

 

 「宜しくな、サラキア―――――!!」

 

 そんな忍の様子を、リラとみちるは微笑ましそうに見つめているのでした。気付けば空はすっかり黄昏の色となり、闇の帳が静かに降りようとしていました。

 

 

 その後、解散した霧船女学園水泳部の面々はそれぞれの家路に就きます。

 ですが彼女達の内、葵、更紗、瑠々、水夏の4人は同じ事を考えていました。

 

 (テミス言ってたな。原生タイプの水霊(アクア)は誰の中にも生まれる可能性が有るって………。)

 

 (でも、それってどうすれば目覚めるんだろう?)

 

 (少なくとも忍先輩みたいに水泳普通に頑張ってたってわたしのは目覚めないだろうし……。)

 

 (水泳じゃなくても、自分が本気で一生捧げたいって位好きな何かに打ち込めればもしかしたら……!?)

 

 何時の日か、自分だけの水霊(アクア)が生まれる瞬間を夢想しながら家路に就く4人。

 

 (でも今は私、アンジュと一緒が良いな……。)

 

 (プラチナ、貴女が私の水霊(アクア)で良かった……。)

 

 (何時か自分だけの水霊(アクア)が生まれる日まで、改めて宜しくシュロ!)

 

 (今はレイン、貴女と一緒の時間を大事に自分の道を極めて行くだけ!)

 

 然し今の彼女達にとって、渡りタイプとは言え16年前後の時間を共有して来た自身の内なる水霊(アクア)が大事なのもまた事実です。

 何れ自分だけの原生タイプの水霊(アクア)を生み出す日まで、葵達は自身の渡り水霊(アクア)と共に歩む事を誓うと共に、「それまでの間宜しく」とスキンシップを取るのでした―――――。

 

 

 さて一方、同じ家路を行くリラと忍はと言うと……。

 

 「まさか忍先輩が新しい水霊(アクア)を生むなんて私もビックリです。本当におめでとうございます。」

 

 「何だよ汐月?お前今までそう言うの見た事無ぇのか?」

 

 「はい。そう言うの実際に見るのは今日が初めてです。それと、その最初の相手が忍先輩なのも嬉しいです!」

 

 2人きりになり、改めてリラは忍の中に新たな水霊(アクア)・サラキアが誕生した事を祝福していました。初めて原生タイプの水霊(アクア)を生み出すのを目の当たりに出来たのか、リラの声も心なしか弾んでいます。余り感情を剥き出しにしないリラなりのハイテンションなのでしょう。

 

 「そうかい、そりゃ良かったな…けど持ち上げたって何も出ねぇぞ?」

 

 そう返す忍ですが、その声音は上機嫌でした。自身が人間として、選手として、色んな意味で一皮剥けて成長出来たのですから当然でしょう。内心はとても嬉しいのです。するとリラは徐に走り出して忍の前に出ると、手を後ろ手に組んで微笑みながら言いました。

 

 「いいえ、先輩には私の方からお祝いのプレゼントをしたい位です。」

 

 「は?プレゼントだと?」

 

 「はい!どうぞ受け取って下さい♪」

 

 突然プレゼントと言われて首を傾げる忍の目の前で、リラは何故かアクアリウムを展開。全身から高濃度の水霊力(アクアフォース)のオーラを漂わせました。

 

 「おい、いきなりアクアリウムなんざ展開して何の真似だよ?つーかこれも何だか久しぶりに見た気がするぜ……。」

 

 総体の期間中、リラはアクアヴィジョン以外ずっとアクアリウムを封印していた為、それが今この瞬間に解禁された時にはもう忍も懐かしさを覚えていました。ですが、そんな彼女の事など御構い無しに目の前のリラはクラリファイイングスパイラルに使う水霊力(アクアフォース)の光球を、普段より一回り大きく生成。クラリアに注ぎ込みます。

 

 「忍先輩、直ぐ終わりますからどうか目を閉じてて下さい。」

 

 「目を閉じろ………?分かったよ。」

 

 訳も分からぬまま目を閉じるのを確認すると、リラはクラリアを口に含んで忍に駆け寄り、何とそのまま抱き着いて彼我の唇を重ねました!有り体に言えばキスです!

 

 「んぐッ!?ンンンン~~~~~~~~~~~ッ!!!!?」

 

 突然唇を奪われた為に当然ながら忍は大混乱!咄嗟に暴れて引き離そうとするも、アクアリウムの力による物なのか、身体に力が入りません。

 顔中がクマノミより赤く紅潮し、心臓も激しく脈打つと共に体温が急上昇して行く感覚に襲われる忍でしたが、次の瞬間その嵐の様な感覚は過ぎ去り、気が付くとまるで凪の海の様に穏やかな気分になって行きました。意識が遠のき、視界が暗転して行くのを忍は感じていました。

 

 暗転する意識の中、忍の目に浮かんで来たのはコバルトブルーの輝きに身を包んだクラリアがサラキアと一体化する様子でした。そうして一回り巨大化したかと思いきや、全身を光らせて天高く伸びる光の二重螺旋を展開。それは現実の忍の身体にもフィードバックしており、青白くも優しいクラリファイイングスパイラルの光が彼女を包み込みます。

 やがて光が消滅すると共に忍が瞼を開けると、周囲は元の夕闇に覆われて川のせせらぎだけが聴こえる何時もの景色が広がっていました。

 

 「汐月………。」

 

 「どうでした忍先輩?これがわた…」

 

 そう言い終わる前に忍は顔を赤らめながらリラに掴み掛ってがなり立てます。

 

 「てめぇ、いきなりどーゆー心算だよ!?何がププ、プレゼントだ!?ああああたしのくくく、唇なんか奪いやがってぇ~っ!!」

 

 それだけ言い終わると、忍は恥ずかしさの余り忍はリラに背を向け、そのまま顔を真っ赤にしてしゃがみ込みます。無論、両手を頬に当てて……。

 

 「あぁ~~~~!!気持ち良かったけど超絶恥ずかし過ぎだろこれぇッ!!」

 

 どうやらこれが彼女にとってファーストキスだった様です。するとリラは忍に対し、何故この様な行為に及んだのか説明します。

 

 「先輩、私は忍先輩の中のサラキアにクラリアを通して、私の水霊士(アクアリスト)としての力・水霊力(アクアフォース)を送り込んだんですよ。」

 

 「は?お前の力をサラキアに?」

 

 キョトンとする忍に対してリラは言います。

 

 「そうです。サラキアは新しく生まれたばっかりで未だヴァルナ程の力は無いです。だからそれを補う為に、クラリアから私の水霊力(アクアフォース)を送り込んで少しだけ成長のお手伝いをって思いました。」

 

 「成長のお手伝いねぇ……。」

 

 未だに顔を赤らめた忍は、半ば信じられない気持ちでアクアヴィジョンを発動し、自身の内のサラキアを見てみました。するとサラキアは最初の時より大きくなっており、最低でも人1人乗せられる程度のサイズになっているではありませんか。

 

 「マジかよ?本当にさっきよりでっかくなってやがる……。」

 

 「フフッ、そうでしょ?でもそれだけじゃないと思いますよ?」

 

 「何?どう言う事だ?」

 

 “それだけじゃない”と言う言葉に疑問符を浮かべる忍に対し、リラは言います。

 

 「上級水霊(アクア)のテミスが潤先輩のステラに水霊力(アクアフォース)を注いだ事で、先輩は水霊士(アクアリスト)になりました。私が皆の水霊(アクア)に少量の水霊力(アクアフォース)を注いだら水霊(アクア)が見える様になりました。だけどもう少しだけ注いだらどうなるかなんて私もやった事無いから分からないんです。変わってないかも知れないし、もしかすると先輩に何か水霊(アクア)由来の力が身に付くかも知れません。あ、勿論私みたいな水霊士(アクアリスト)になる訳じゃないですけどね?それは上級水霊(アクア)じゃないと無理ですから。」

 

 「ふーん、水霊(アクア)由来の力ねぇ……。」

 

 忍が手を見ても何の変化も有りませんが、サラキアは身体からダークブルーとコバルトブルーの光を放ちながら嬉しそうに忍の周りを泳いでいました。

 

 「それと先輩、さっきは御免なさい。いきなりキスしちゃって。そんな事されたらビックリしちゃいますよね…。」

 

 申し訳無さそうにそう詫びるリラに対し、改めて忍は声を上げて再び抗議の声を上げます。

 

 「たりめーだバーロー!悪いと思ってんなら最初っからすんな!!あたしの初めて奪いやがって!!」

 

 するとリラは顔を赤らめながら言いました。

 

 「…でも私、他人にキスするの初めてだったから結構勇気振り絞ったんですよ?その相手が忍先輩で良かったです。先輩の方も初めてだって知ってもっと嬉しかった!」

 

 一切の悪意の無い、透明度1000%の笑顔をしたリラからそう言われ、忍は怒る気力が一気に萎えてしまいました。そればかりか、肉体的にも精神的にもこれまでにない充実感と快感を思い出すと、顔を赤らめつつ手を後ろ手に組んでモジモジしながらこう返します。

 

 「……ま、まぁ、最初に変な糞野郎から奪われる位なら、お前からされた方が億倍マシだよな。それにアクアリウム込みのキスってだけあって凄ぇ気持ち良かったし、色んな意味で良いプレゼントだったよ…その………有難うな。」

 

 最後にお礼をボソッと呟く呟く忍でしたが、それをリラは聞き逃しませんでした。

 全身を発光させる深海魚よりもパァッと顔を明るくさせると、リラは忍と腕を組んで言いました。

 

 「本当ですか!?やっぱり私達、良いパートナーになれると思います!!」

 

 「はっ、はぁっ!?何言って……」

 

 「私、忍先輩の事が大好きです!!これからも宜しくお願いします!!それと今回の総体、本当にお疲れ様でした!!」

 

 リラの口から迸る言葉の数々に、忍は顔は再びクマノミ以上に深紅に染まって行きます。心臓が早鐘を打つと同時に、バスト86の胸も揺れ動く始末です。

 

 「だ~~~~~ッ!もうッ!!余計な事駄弁ってねーで帰るぞ汐月ッ!!」

 

 数秒の沈黙の後、照れ隠しの心算なのか、忍はリラの言葉をスルーするが如くそう言い捨てて歩き出します。ですが、その一方でリラの手を忘れずにしっかりと繋いで強引に引っ張っていました。突然歩き出す忍の反応にリラも一瞬面食らいましたが、直ぐに微笑みを浮かべながら家路を急ぎます。

 

 それから別れて自宅アパートに帰宅した後、寝る前に忍は携帯にメールを送信して来ました。内容は以下の通りです。

 

 

 『バレンタインとかで他の女子からチョコ貰った事は何度か有ったし、告られた事も有ったがよ……此処まであたしをドキドキさせたのは汐月、お前が初めてだぜ?つーかお前、放っとくと色々面倒な事になりそうだからな。卒業するまで…いや、蒼國に居る限りあたしが監視してやる!逃げられると思うなよ?あたしの唇奪った罪の重さ、たっぷり分からせてやるから覚悟しろ!』

 

 意訳すると「あたしもお前の事大好きだぜ!どんな時でもあたしの傍に居ろ!絶対離れんなよ!?」と言った意味合いでしょうか。これを見たリラは、或る意味人生で1番幸せな笑顔になっていました。その頃忍は再び顔を赤らめ、ベッドで悶絶してましたとさ。めでたしめでたし♪

 




☆おまけ

忍とリラがすぐ自宅に戻って来た時の事でした。

忍&リラ「あっ……ヴァルナ?」

ヴァルナ(よぉ、2人ともお帰り!)

何とヴァルナが2人の自宅近所に流れる水路に悠然と佇んでいるではありませんか。

リラ「何で貴女が此処に居るの!?」

忍「お前、あたしから出てってそのまま遠く行ったんじゃなかったのかよ?」

ヴァルナ(蒼國の街は住み心地が良いからあたしはもう少し此処に居るぜ)

忍&リラ(えぇ~~~~っ………。)

折角歯切れ良く別れたばかりなのにこれじゃあ台無し――――2人は呆れて言葉もありませんでした。

END


キャラクターファイル27

ステラ

年齢   無し
誕生日  無し
血液型  無し
種族   水霊(アクア)
趣味   潤の乳房を吸う事
好きな物 吸い付き甲斐の有る流木

潤の身体に宿る内なる水霊(アクア)。ダークブルーの身体に白いスポットのプレコの様な姿をしている。
穢れを吸い込み内側で浄化する水霊(アクア)で、潤は同じタイプ=ロリカリアやプレコ、ドクターフィッシュ等の掃除屋系水霊(アクア)を集め、穢れを食べて癒すスタイルのアクアリウムを確立した。
更に真理愛のフルートの中にシュトラーセと共に宿る事によって、広範囲の穢れを光の波紋で浄化する癒しの旋律であるリップルメロディーを奏でる。
潤の中で生まれた水霊(アクア)で、未だ其処まで大した力は無かったが、宿主の潤が水霊士(アクアリスト)として覚醒して成長し始めた為、爆発的に力を付けて中級水霊(アクア)の中でも中堅の実力を一気に身に付けた。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第27話 流れし水に潜む怪異

今エピソードでは水霊(アクア)に次ぐ新たな存在が出て来ます。ちょっとしたマスコットキャラだと思って下さい。


 「じゃあ皆、今日は此処まで!」

 

 「お疲れ様でした!!」

 

 総体が終わって3日後の事でした。霧船女子学園水泳部は何時もの練習を終え、部員1人1人がそれぞれの帰路に就きました。リラも葵、深優、更紗の何時もの3人と言うお決まりのグループでの帰宅です。

 

 「ふぅ~、分かってたけど今日も練習大変だったねぇ~……。」

 

 葵がそう言うと、リラと深優と更紗は「うんうん」と頷きます。然しそれも当然と言えば当然です。総体を突破した霧船女子学園水泳部、次の目標は地方の関東大会。当然地元神奈川の地区だけで無く東京、埼玉、千葉、茨城、栃木―――――関東各県の選手達を相手に戦わなければならないのです。

 

 「瑠々先輩、全国に拘ってたし、皆もその第一歩で総体に集中したかったから敢えて触れないでいたけど、9月の国体の予選へ向けても頑張んなきゃ駄目なんだよね……。」

 

 「もう7月頭に予選が有るのよね?総体終わったばっかなのにキツくない?」

 

 然し霧船女子学園の目標は何もそれだけではありません。今まで関東大会を目標に総体へ向けて頑張っていた手前、余計な気負いを持たぬべく敢えてスルーしていましたが、彼女達は9月に開催される国民体育大会、通称“国体”への出場も目指していました。その為にも、7月上旬に開催される国民体育大会県予選会を勝ち抜かなければならないのです!

 総体が終わった昨日の今日で一層練習に力を入れなければならない現実は、3年生や2年生と比べても心身共に未熟な1年の彼女達に疲労とストレスの波濤となり、日々容赦無く押し寄せて来ます。葵と深優の2人が思わず愚痴りたくなるのも無理は有りません。

 

 「…確かに国体も目指さなきゃ行けないのは大変だけど、別にやる事は一緒じゃない?限られた時間の中で一生懸命自分の体を鍛えて、自分の泳ぎに磨きを掛けて、そうやってタイム伸ばすだけなんだから。」

 

 「そう…だよね。更紗ちゃんの言う通り、頑張ってタイム伸ばすのが大事だよね!皆だってあれからちょっとずつだけど速くなってるし!」

 

 疲れた自分を無理矢理奮い立たせ、葵と深優をリラは鼓舞します。実際、リラは忍と一緒に泳いでいる内に100mバタフライの記録も1:18秒台に安定して乗る様になり、時速数㎝しか動かないイソギンチャク並みに微々たる進歩でも確実に1:17秒台に近付いているのです。

 かの実業家の松下幸之助は言いました。『磨いて光らぬ人はいない』と――――人間は磨いても価値の無い路傍の石ではなく、それぞれがそれぞれの方面で光る物を持つダイヤの原石なのです!

 水を友とするリラだって水霊士(アクアリスト)としてだけでなく、水泳の選手としてもその才は確かに有る。未だ1年生でも、これから時間を掛けて磨いて行けば彼女だってきっと輝くでしょう。実際、泳いでいる時のリラは水霊(アクア)との交流抜きでも十分に楽しんでいました。忍と競う度にもっと速く泳ぎたいと思う様になりました。

 無論それは、“水の民”とも言うべき蒼國市民である葵も深優も更紗も一緒なのです。

 

 「国体かぁ……忍先輩、1年のあの故障からリベンジって意味でもずっと出たがってたし、みちる先輩も一緒に忍先輩と泳ぎたいって言ってたっけ……。」

 

 「うん………。」

 

 ふと昨日の練習の後のみちると忍との遣り取りを葵と深優は思い出します。

 

 

 「みちる先輩、忍先輩、次の7月にある国体予選も頑張らなきゃですよね?」

 

 制服に着替え終わったリラがみちるに尋ねると、彼女は何処か感慨深げに言いました。

 

 「そうね……忍と一緒にこの霧船で国体に出れるのはもう今年が最後だから―――――。」

 

 するとリラに遅れて制服に着替え終わった忍も言います。

 

 「1年の故障ン時からずっと、もう1度国体に出たいってあたしも思ってた――――。」

 

 そう言って右手の拳を強く握り締めると、忍はこうも付け加えました。

 

 「こないだの総体であたしは昔の自分を超えたって思う。けど、あたしが本当に前に進む為には、もう1度国体に出て優勝する位にまで行かなきゃ割に合わねぇ…!!」

 

 穢れ水霊(アリトゥール)によって失われた時間を想うと、忍の言葉にリラは思わず胸を締め付けられそうな感覚を覚えました。

 同じ気持ちになっていたのは瑠々、水夏、真理愛の3人だってそうでした。彼女達が尊敬するみちると忍と一緒に泳げるのは今年だけなのです。

 それは関東大会、全国大会(インターハイ)だけでなく、国体だってそう……。

 だからこそ、1日でも多く、長く忍とみちるの2人と一緒に同じ舞台に立って泳ぎ続ける為にも、霧船女子(彼女達)は歩みを止める訳には行かないのです!

 

 

 「私達1年で、忍先輩やみちる先輩とは付き合い短いけど、それでも素敵で尊敬出来る先輩だって言うのは分かるよ…。って言うか人って短い時間でもこんなに深く繋がれるんだね……。」

 

 4月の末に体験入部と称して水泳部の更衣室の門を叩いて以来、そこから水霊(アクア)関係でなし崩し的にどんどん関わって行って、何時しか水霊仲間(アクアメイト)としての確固たる絆が其処には生まれていた―――――。

 たった3ヶ月だけど、今まで生きて来た中で1番密度の濃いそれだった事を実感しながら、深優は目を閉じてその事実の重さを自身の中で反芻します。

 

 「確かに練習は大変だし、国体まで出れるか分かんないけど、私だって先輩達の事好きだもん!皆と一緒に泳いで一緒に笑える時間が長く続く様に、私も頑張る!」

 

 「おぉ、立派だね深優。」

 

 先程まで疲れてヘトヘトだったのが嘘だったかの様にそう宣言する深優に感心する更紗ですが、葵がジーッと半眼で深優の事を見つめて言いました。

 

 「……とか何とか言って、本当はもっと先輩達の胸モミモミしたいだけでしょ?」

 

 「ハァッ!?んな訳無いじゃん馬鹿葵!!だったら葵の胸で私の練習疲れ吹っ飛ばして貰うから!!!」

 

 「あっ、コラこんな所で……ああぁぁ~~~~んっ♥」

 

 「もう2人とも、公衆の面前だよ!?」

 

 「アハハ、やっぱり2人はこうでないとね♪」

 

 幼馴染に勘繰られて逆ギレした深優がバストマッサージを葵の双丘に炸裂させる様子にリラが突っ込み、更紗が微笑ましく笑って見つめている――――。

 黄昏の空の下、何時もの様式美な日常の光景が戻って来た事を実感させられる瞬間でした。

 

 

 さて、そんな空がすっかり昏くなった逢魔ヶ時、4人は下校の道すがら神船川に差し掛かっていました。

 橋を渡って歩きながら、何とはなしにリラが橋の下を見下ろした時です。

 

 「えっ?何なの、あれ?」

 

 思わず橋の欄干に寄り掛かり、眼下に流れる水面へと視線を落とすと、まるでカモノハシとラッコを足して2で割った様な姿の奇怪な生物が、身体を仰向けにして浮かんでいたのです。

 

 「どうしたのリラ?橋の下に何かいるの?」

 

 「魚とか別に見えないけど?って言うかもうだいぶ暗くなって来たし……。」

 

 葵と深優が尋ねますが、どうやら彼女達には見えない様です。恐らく水霊士(アクアリスト)でないと普通に見る事の出来ない存在なのでしょう。と言う事は水霊(アクア)の仲間なのでしょうか?

 

 「3人とも、アクアヴィジョンで見てみて!」

 

 「うん……って、えぇっ!?何あれ!?ラッコ!?カモノハシ!?」

 

 葵達がアクアヴィジョンを発動させて川の下を覗き込むと、その怪生物が川の波間に漂っている様子が3人の目にも確認されました。無論、周囲には大小様々な夥しい数の水霊(アクア)達も泳ぎ回っていますが、どう言う訳か誰も件の怪生物に近付こうとはせず、寧ろその周囲だけ『モーゼの奇跡』で海が割れる様に避けて泳いでいました。

 

 「リラっち、アクアヴィジョンじゃないと見えないって事は、あれも水霊(アクア)なの?」

 

 「でも変じゃない?本当に同じ水霊(アクア)の仲間ならもっと近くを泳いでても良いのに、皆あのラッコを避けてる様にしか見えないわ。」

 

 「私だって水霊(アクア)の全部を知ってる訳じゃ無いけど、あのカモノハシみたいなのは確かに変だわ。何て言うか……他の水霊(アクア)達から感じる様なクリアな水って感じじゃなくって、どっちかって言うと濁ってるって言うか淀んでるって言うか……。」

 

 先程から自身を支配している感覚を、リラがそう抽象的に形容した時でした。

 怪生物はそのつぶらな目をパチッと見開いたかと思うと、こちらの気配に気付いたのか、リラ達の方に視線を向けると同時に突然川に潜ったのです。

 そして川底から勢いを付けてまるでアロワナかハクレンの様に力強く水中から飛び出し、そのままリラ達の目の前に着地しました。 

 

 「とっ、飛び出して来た!?」

 

 驚くリラですが、謎の怪生物は別に何もして来ません。全身の体毛から水を滴らせながら、無言でこちらを見つめているだけでした。

 大きさとしては深優の膝程しか無く、全体的に丸々とした身体に愛らしいつぶらな目。頭頂部から背筋に沿って(フィン)の様な物が付いていました。

 

 「か、可愛いぃ~♥」

 

 「ちょっと葵!」

 

 ビジュアル的に愛らしい為か、可愛い物好きの性を発揮した葵が思わず両手を広げて近付こうとします。そのまま抱き着く心算なのでしょうか?

 気付くと周囲に無数の水霊(アクア)達が集まり、自分達と怪生物の周りを包囲しているのにリラは気付きました。

 只ならぬ状態を受け、思わずリラが葵を羽交い絞めにします。

 

 「待って葵ちゃん!あれに近付いちゃ駄目!!」

 

 「え~何で!?可愛いんだから頼めば抱っこさせてくれるって……」

 

 「行けません!!」

 

 すると突如テミスが人間態の姿でリラ達4人の前に現れ、厳しい言葉と共に制止を促しました。並々ならぬ怒気を孕んだ言葉に、リラ達は思わずビクッと委縮してしまいます。目の前のあの生き物は水霊(アクア)ではないと言うのでしょうか?

 4人を制止させると、テミスは改めて目の前のカモノハシともラッコとも付かぬ生き物について触れました。

 

 「貴女達、どうして水妖(フーア)なんかに関わろうとしたの?」

 

 「フ、フーア……?何それ?」

 

 聞きなれない言葉にリラは目が点になります。険しい顔で相手を睨み付けるその様子から、どうやら目の前の生物は水霊(アクア)では無く、水霊士(アクアリスト)のリラですら知らない未知の存在の様です。

 自分達は下手な海難事故よりも遥かに恐ろしい、尋常ならざる異常事態の渦中に居る――――周囲の水霊(アクア)達がこの場を包囲して睨みを利かせる状況から、一般人の葵達はそれを察して思わず身構えます。

 こんな事態でも神船川が変わらぬせせらぎの音を発する中、テミスは一息溜め息を吐いて説明します。

 

 「フーアって言うのはね、私達水霊(アクア)とは異なる水の存在。卑近な例で言えば河童や人魚、セイレーンや船幽霊みたいな妖怪であり魔物よ!」

 

 「み、水の妖怪!?あれが……!?」

 

 水霊(アクア)とは違う水の存在に、リラ達は絶句します。無理も有りません。水霊(アクア)なんて精霊だけでも十分超常的で普通に生きていたら一生関わる処か、お目にすら掛かる事の無い存在なのに本格的な妖怪に出会う日がまさかやって来るとは思いもしなかったからです。

 

 因みにテミスの言葉を補足しますと、フーア(fuath)とは元来スコットランドのハイランド地方に住むゲール民族の言葉で「憎悪」や「嫌悪」を意味する言葉で、彼等の民間伝承では水に関する凶悪な魔物の総称を差します。複数形はフーハン(fuathan)で別名をアラハト(Arrachd)、或いはフーア・アラハトです。

 

 

 「私達水霊(アクア)は基本的に人格は女だけですが、彼等は男女両性で外見も能力も私達以上に千差万別。そして私達水霊(アクア)と違って、彼等には別に地球の水の穢れを浄化する役割も何も無く、各々で自由に生きているわ。そして此処からが大事だけど、彼等の中には極稀に人間を襲って捕食、殺傷する危険な者も存在しているから、絶対に関わってはいけないの!」

 

 

 テミスの言葉に、4人は改めてバスタブ一杯に頭から冷水を浴びせられる様な感覚を覚えました。まさか人間を襲って殺しかねない危険な魔物と遭遇するなんて、それこそ海でホオジロザメに襲われるより遥かに低い確率の不幸です。然し、一度遭遇したからにはもう死と限り無く同義であるその不運は通常なら嘆く以外有りません。

 

 「さぁ、早く私の後ろへ!」

 

 「え?うっ、うん!」

 

 然し、不幸中の幸いとして今のリラ達には上級水霊(アクア)のテミスが付いているのです。その事実を再認識すると共に、改めて4人はテミスの背後に回ります。

 そうしてテミスが身構えた時です。

 

 〔へぇ~、驚いたナァ~。まさかこんな凄い精霊が味方する人間がいるナンテ。〕

 

 何と目の前の魔物は、周囲の緊迫した空気を真っ向から掻き消す様にそう気の抜けた言葉を発しました。

 

 「し、喋った……!?」

 

 初めて言葉を発した所を見て唖然となるリラ達人間の少女達。するとカモノハシに似た水妖(フーア)は妙にフレンドリーな感じでこちらに近付いて来ます。

 

 〔別に身構えなくて良イヨ~?オイラは人間を襲う様な趣味は無いカラネ♪それにオイラ、フェミニストだから女には手を出さない主義ナンダッ!〕

 

 「近付くなッ!!リラには手出しさせない!!」

 

 「テ、テミス……ッ!?」

 

 別に危害を加える心算は無いと言う魔物ですがテミスは信用していないのか、全身から水霊力(アクアフォース)のオーラを放ち、一層険しい表情で叫びます。その語気の強さに驚くリラですが、同時に奇妙な感覚をテミスから感じました。

 

 (あれ…?テミスから感じるこの感覚……。)

 

 それは何だか懐かしい感覚でした。まるで今は亡き自分の祖母ユラが近くにいる様な―――――。

 

 〔リラって言うんダネ、その人間の子ハ?上級水霊(アクア)のお前しゃんが肩入れするって言う事ハ、きっと並々ならない存在って事カナ~?〕 

 

 「お前には関係の無い事だ!!速やかにこの場から立ち去れ!!」

 

 先程からのテミスの塩辛対応に魔物は溜め息を吐くと、橋の欄干の方へと歩いて行きます。丸っこいフォルムでポテポテ歩く姿は愛嬌が有り、思わず葵も見入っていました。

 

 〔ヤレヤレ、オイラの言う事が信用ならないなんて悲しくなっちゃうナ……。父ちゃんから聞いてた精霊使い、ずっと会って見たかったノニ……。〕

 

 「精霊使い……?待って!」

 

 「リラ!?」

 

 橋の欄干によじ登って再び川に飛び込もうとした魔物の呟きに反応したリラは、思わず彼を呼び止めます。リラの言葉を受け、魔物は欄干から降りて再度彼女の方を向き直りました。

 そうしてテミスの横に立ち、リラは尋ねました。

 

 「精霊使いって、もしかして水霊士(アクアリスト)の事?それにお父さんから聞いてたって言ってたけど、貴方は一体何者なの?教えて!」

 

 「リラ!そんな事を聞いて何に……」

 

 〔良イヨ~。教えてアゲル。精霊使いの事も、オイラの事もネ!ホラ、(チミ)もこっち来て座りなヨ?〕

 

 そう言って魔物は腰を下ろしてリラに自分の手前に来る様に促します。リラはテミスと向き合い、コクリと頷くと直ぐに魔物と対面します。

 尚、テミスは水霊(アクア)の姿になると同時に魔物の直ぐ真横に陣取り、眷属の水霊(アクア)達と有事の際に即応出来る態勢を取っていました。無論、背後では葵と深優と更紗も緊迫した状態で事の成り行きを見守っています。

 同時にリラはアクアフィールドを展開し、3人にオープンチャンネルで水霊(アクア)達と目の前の魔物の言葉が耳に入る様に図らいました。

 

 (良い?少しでも妙な真似をすればどうなるか分かってるわね?)

 

 何時でも伝家の宝刀である“ブルースパイラルビーム”を照射出来る状態のテミスに対し、魔物は改めて溜め息を吐いて言いました。

 

 〔それが噂のブルースパイラルビームなんダネ。確かに喰らったらオイラ殺されちゃうから怖いナ………さて、じゃあ先ずオイラの事から話すヨ―――――。〕

 

 そう言って魔物は目を閉じて言いました。

 

 

 〔オイラはネェ……オーストラリア帰りの河童ナンダヨ!〕

 

 

 「えっ……えええぇぇぇ~~~~~~~っ!!!?」

 

 

 何と、目の前にいる魔物の正体はまさかの河童!突然のカミングアウトを受け、リラ達の絶叫が神船川に木霊します。

 

 「ううう、嘘でしょ!?こんなカモノハシみたいなのが河童だなんて話、私聞いた事無いよ!?」

 

 「普通河童って、頭にお皿が有って亀っぽい姿をした半魚人でしょ!?イメージしてたのと全然違う!!って言うかオーストラリア帰りって何!?」

 

 「私達人間の河童に対するイメージって間違ってたのかな?」

 

 一般に河童と言うのは亀を擬人化した姿の説や、毛深い猿人の様な姿の説が有りますが、両者に共通して言えるのは頭部に水を湛える皿や窪みが有り、それが命綱であると言う事です。然し、目の前にいるこの自称河童の魔物の頭にはそれらしい物が何処にも見当たりません。

 そもそも河童と言う妖怪の起源は中国の“河伯”と言う神様にあり、その伝承が日本に伝わる過程で生まれた物とも、同じく中国の水妖である“水虎”が起源ともされてますが、何れも頭部に皿らしき物は無く、起源自体今一つハッキリしていません。それこそ皿の由来は宣教師の髪型である“トンスラ”の見間違えと言う俗説まで出回る程あやふやです。

 離れた所で姦しくしている3人のリラの友人達を見て、魔物はフッと笑うなり説明を続けます。

 

 〔今の時代、人間達の間で国際(グローバル)化が叫ばれてる位なんだから、オイラ達妖怪や魔物、精霊だってそれにつられて他所の国に出入りしたって可笑しくないジャン?〕

 

 「そ…そう言われると妙に説得力有るわね……。」

 

 魔物の言葉に思わず納得してしまうリラ達。然し、仮にもしそうだとしたらそれはそれで問題では無いでしょうか?海外から危険な魔物が日本に入って来るとなれば、日本の妖怪とだって抗争が起きかねません。危険な外来種との縄張り争いは、そうした怪異の存在の間でも日常的に起こっているのでしょうか?

 

 〔話を戻すヨ?オイラの父ちゃんはこの川に800年前から住んでる河童でサ、今から50年位前に川の向こうが見たいからって言って泳いで行って、そのままオーストラリアに辿り着いたんダ。〕

 

 「オーストラリア辿り着いちゃうの!?って言うかそれ思いっ切り太平洋横断してるよね!?」

 

 魔物に対して深優がそう突っ込みます。イギリスのドーバー海峡は人間の泳力でも横断は可能ですが、人間よりも遥かに泳ぎに特化した河童ならばそれ位出来なくも無いと言う事なのでしょうか?全く、人ならざる魔物は人間の理解を超えています。

 人間としてはこれだけでも十分驚愕すべき事ですが、更に魔物は続け様にとんでもない爆弾発言を投下します。

 

 

 〔そんで、オーストラリアのカモノハシの母ちゃんと父ちゃんがくっ付いて生まれたのがオイラだって訳サ♪〕

 

 

 「え………………?」

 

 魔物の発言を受け、リラ達の思考は完全に停止。4人はまるで白化して骸と化した珊瑚の如く真っ白になりました。

 河童がカモノハシと交わって生まれたのが目の前にいるこの魔物?意味不明過ぎて全く理解が追い付きません。これでは思考停止も止む無しです。

 宵闇の立ち込め始めた逢魔が時の神船川に数分間、せせらぎの音のみが響き渡った後―――――

 

 「ええぇぇぇ~~~~~~~~~っ!!!?」

 

 分かり切った展開ですが、再度4人の絶叫が橋の上に木霊します。こんな状態でも神船川の水は変わる事無くそのせせらぎを周囲に響かせていました。

 

 「河童がカモノハシと結婚~~~~~っ!!?」

 

 「国際化にも程が有るじゃん!!!」

 

 「まぁでも、妖怪なんて人間の理解を超えた存在なんだし、それで納得するしか無いのかな?」

 

 驚愕と共に口々にそうリアクションの言葉を発する葵と深優と更紗ですが、リラは少し興味深そうに話し掛けました。

 

 「す、凄いね。お伽話とかで人間が人じゃない種族と結婚して子供を作るって言うのは聞いた事が有るけど、人間以外の動物と子供を作るなんて話初めて聞いたわ!」

 

 確かにリラの言う通り、ファンタジーではそうした異類婚姻の話は然して珍しい話では有りません。陰陽師の安倍晴明も人間と狐のハーフだと言われてましたし、犬や蛇や雪女の間に生まれた子供の話も有ります。変わり種ではライオンと蟻の間に生まれたミルメコレオと呼ばれる怪物の話も有る位ですし、河童がカモノハシと結婚と言うのも、組み合わせは兎も角として何等不思議では無いでしょう。

 小並感……もとい月並みな感想を述べたリラに対し、魔物はリラの藍色の瞳をじっと見つめながらこう返しました。

 

 〔凄いのは(チミ)の方ダヨ。人間がまさかこんな凄い力を持った上位の水の精霊を従えてるなんて、オイラも最初見た時ビックリだっタナ。〕

 

 (別に私はリラに従ってる訳では無い。寧ろ私の方がこの子を育てて指導する立場に有るわ。)

 

 半ば不機嫌そうにテミスが訂正の言葉を発しますが、魔物はニコニコ笑ってリラに言いました。

 

 

 〔父ちゃんが言ってタ。昔は火や水や風、土――――そう言う自然を司る精霊と心を通わせ、その力を操る「精霊使い」って言う人間が何人も居たッテ。でも人間が段々科学なんて物に走る様になってから、そう言う精霊使いもどんどん減っちゃって今じゃ絶滅危惧種だっテネ。(チミ)は水の精霊使いで水霊士(アクアリスト)なんて言われてるけど、ずっと精霊使いの人間にオイラ会ってみたいって思ってたから会えて超ラッキーダヨ♪〕

 

 

 「精霊使い」―――――その言葉はリラの耳に強く残りました。言われてみれば確かにテミス達水霊(アクア)は水の精霊であり、この地球を循環する水の具現とも言うべき存在です。そうした存在を使役する水霊士(アクアリスト)も、当然ながら精霊使いのカテゴリーに入る事でしょう。

 

 「私だけじゃないよ。他にもウチの学校の潤先輩も最近水霊士(アクアリスト)になったばかりだから、この街には貴方の言う水の精霊使いは2人いる事になるわ。」

 

 〔ヘェ~、そうなんダ。じゃあそっちの3人の子はどうナノ?(チミ)程じゃないけど水の精霊の力を感じるヨ?オイラが此処に来たのはそれを確かめる為ナンダ。〕

 

 「葵ちゃん達は私から水霊力(アクアフォース)を中の水霊(アクア)に移植されて、水霊(アクア)や貴方が見える様になっただけの一般人よ?別に水霊士(アクアリスト)の力なんて持ってないわ。」

 

 〔一般人だったンダ。でも精霊が見える様にして貰ってる辺り特別ダネ。〕

 

 葵に対してリラがそう説明し終えた時でした。不意に葵が近付いて来て言いました。

 

 「ねぇリラ、その子、別に危なくないんだよね?」

 

 「ちょっと葵!」

 

 「えっ?うん、そうだけど?」

 

 深優が思わず制止の言葉を発する中、リラがそう返した次の瞬間でした。

 

 

 「あ~~~ん~~~ッ♥可愛い可愛い可愛い~~~~~~~ッ♥♥♥何このモフモフ感!?今まで抱いて来たどのぬいぐるみよりも肌触り良過ぎ~~~~~ッ♥♥」

 

 

 ずっとカモノハシに似た可愛らしい外見の魔物を見て、彼女はスキンシップがしたかったのでしょう。フェミニストで人畜無害だと知るや否や、葵は勢い良く魔物に抱き着いて頬をスリスリし始めたのです!これには魔物も堪りません。

 

 〔なッ!?こここコラッ、ヤメロ……ヤメロ~~~~~~~ッ!!!〕

 

 (行けません葵さん!!)

 

 咄嗟にテミスが周囲の水霊(アクア)に命じると、水霊(アクア)達は真っ先に寄り集まって蔓の様に変形して葵を引き離します。そして同時にテミスも魔物に体当たりをして彼を吹っ飛ばしたのです。

 吹っ飛ばされた魔物はそのまま川へと落下しました。

 

 「テ……テミス!?」

 

 思わず呆気に取られるリラですが、再び魔物は勢いを付けて川から飛び出して来ます。魔物は何も言いませんでしたが、その身体からは何やら不穏な妖気を発しています。明らかに怒っているとしか思えません。

 

 「あ……あの……」

 

 再び自身に降り掛かる死の恐怖に、4人は声も有りません。そんな中で勇気と声を振り絞り、ビクビク震えながらも恐る恐る話し掛けるリラに対し、魔物はこう返します。

 

 〔…オイラはフェミニストだから、別にこの程度じゃ怒んナイヨ。その子もオイラとスキンシップしたかったからそうしたんダヨネ?〕

 

 すると葵は必死でコクリコクリと激しく首を縦に振ります。

 

 「葵!あんたが悪いんだから謝りなよ!」

 

 「そうだよ。謝れば許してくれるよ多分!」

 

 「う……うん!あのっ、ごめんなさい!貴方が可愛かったからつい出来心でそうしたんです!もうしませんから許して下さいッ!!」

 

 深優と更紗に促されて、葵がそう声を挙げて謝ると魔物は言いました。

 

 〔良いヨ。許してアゲル。そこの精霊達もオイラが(チミ)を殺すんじゃないかって警戒してこんな事したんだから別に責めたりシナイヨ?でもネェッ―――――〕

 

 そう言うと魔物は両手から鋭い爪を出したかと思うと次の瞬間、物凄いパワーでアスファルトの地面に大きく抉り、深い爪痕を刻み付けました!

 更に両手を翳すとそこから自身の顔位は有る水の球を発生させ、それを橋の向かい側のコンクリートの壁に投げ付けたのです。鈍い打撃音と共に大きく水煙が上がったかと思うと、コンクリートの壁には鉄球でも叩き付けた様な破壊の痕が残っていました。

 テミスはその様子を受けて目を一層険しくし、魔物の一連の行動を睥睨していました。

 

 

 〔…相手がもし男だったりオイラの(ねぐら)汚す様な奴だったら容赦無くこんな目に遭わせてたし、最悪尻子玉ブッコ抜いて殺してたって事だけは覚えといテネ………?〕

 

 

 先程のフレンドリーさとは打って変わって淡々とした調子で禍々しい言葉を語る魔物の姿に、人間の4人は恐怖と共に腰を抜かしてそのまま激しく首を縦に振る事しか出来ませんでした。

 そんな4人に対し、テミスは駄目押しでこう釘を差しました。

 

 (貴女達もこれで分かったでしょう?あれこそが水妖(フーア)の本質よ。どんなにフレンドリーでも性質は残酷。気に入らない相手は容赦無く殺してその肉や魂を喰らうわ。人間は間違っても関わっちゃいけない存在なの!良く覚えておきなさい。)

 

 テミスの言葉に、4人は押し黙る事しか出来ませんでした。どんなに親しみを持った所で、人間は虎やライオン、熊や鰐の様な猛獣とは絶対に仲良くはなれないし関わっては行けない。野性を生きる猛獣のパワーに、文明の利器が無ければ暑さ寒さにも弱く、トラックの衝突にも耐えられず、敵を弑する爪も牙も持たない脆弱な人間が釣り合う訳が無いのです。

 魔物とは人間にとって、まさしくそうした猛獣の延長!決して関わらないのがお互いの為でしょう。然しリラは、例えテミスにそう言われても目の前の相手が其処まで悪い相手には見えませんでした。

 

 〔心配しなくても良イヨ?オイラはもうこのまま帰るカラ。(チミ)達みたいに水の精霊と仲良く出来る人間と会えて、今日は楽しかっタヨ。ジャアネ!〕

 

 「待って!」

 

 欄干からよじ登って川に飛び込もうとした魔物を、リラは思わず呼び止めました。先程釘を差したばかりのテミスは思わず声を挙げます。

 

 (リラ!?)

 

 〔……未だ何か用?〕

 

 魔物がそう尋ねると、リラは自分の名前を名乗ります。

 

 「私の名前はリラ!汐月リラって言うの!貴方の名前は!?」

 

 まさかの自己紹介に思わず目が点になりますが、魔物は答えました。

 

 〔無いヨ。オイラには名前ナンテ……。〕

 

 すると今度は深優が声を挙げます。

 

 「じゃあ貴方の名前……カモノハシの英語訳の「plutypus(プラティパス)」から取って『プラちん』はどう!?」

 

 「深優!?」

 

 「深優ちゃん!?」

 

 先程まで恐怖で震えていたのが嘘の様に立ち直って名前を付ける深優の胆力に、リラと葵は思わず声を挙げます。更紗も目を見開いて感心していました。

 

 「前に言ったじゃん?私、こう言うのは漫画やゲームで慣れっこだって!そりゃ最初は驚いたけど、女の子に手を出さないなら其処まで怖がる事無いでしょ♪」

 

 そう言えばテミスの姿を見た時、リラ以外の3人の中でいの一番に普通に話していたのは深優です。水霊(アクア)と違って危険を伴う魔物相手でも、女の子に手を出さないと分かれば一般人で真っ先に歩み寄るのは深優なのは間違い有りません。

 そんな彼女の姿に呆気に取られるテミスを横目に、プラちんと呼ばれた魔物は溜め息と共にフッと微笑んで言いました。

 

 〔『プラちん』かぁ~……良い名前ダネ♪気に入っタヨ!〕

 

 「じゃあプラちん、葵ちゃん達以外にも私の学校の水泳部の先輩達は皆水霊(アクア)が見えるの!皆に危害を加えないって言うなら、今度紹介してあげるけどどうかな?」

 

 深優の言葉を受けて先程までの魔物への恐怖が緩和したのか、リラはプラちんに対してそう尋ねると、プラちんは――――

 

 〔それは面白いヤ。じゃあ今度(チミ)達に会う事が有ったらネ!〕

 

 そう答えて再び川へと飛び込んで行ったのでした。プラちんが去った後、再び人間態になったテミスはやや不機嫌な表情で言いました。

 

 「貴女達ねぇ~……自分が何言ったか分かってるの?相手は水霊(アクア)と違って人畜有害な魔物ですよ!?そんな相手と関係を持ってどうなっても知らないわよ!?」

 

 するとリラは言いました。

 

 「大丈夫でしょ?プラちんは女の子は襲わないし、また会う時は今日みたいにテミスが見張ってれば問題無いと思うわよ♪」

 

 「うん……そうだね!」

 

 「確かにテミスが居たら安全だね♪」

 

 「またあぁ言うのに会ったらお願いします。」

 

 4人から厚い信頼を寄せられ、テミスは返す言葉も有りません。

 

 「も~~~~~う、勝手にしなさいッ!!」

 

 気付けばもう時刻は19時を過ぎており、4人は大急ぎで帰宅の途に就きました。

 

 

 さて翌日、霧船のプールで来るべき国体予選及び関東大会へ向けて一層練習に励むリラ達の姿を、プラちんは同様の姿をした仲間の河童(?)3匹と共に離れた木の上から眺めているのでした―――――。




キャラクターファイル28

プラちん

年齢   不明

誕生日  不明

血液型  不明

種族   河童(水妖(フーア)

趣味   相撲(河童らしく)

好きな物 オーストラリア産の巨大キュウリ

神船川を漂う水妖。カモノハシとラッコを合わせた様な姿をしているが、これでも河童らしい。大きさは深優の膝程度。一人称は「オイラ」で性別は♂。名付け親は深優である。
本人曰く『オーストラリア帰りの帰国子女』らしく、オーストラリアに渡った日本の河童が地元のカモノハシと結婚して生まれたのが自分だと言う。似た様な姿の仲間が3体いるが、兄弟かは不明。水霊(アクア)と違って任意で人の目に姿を映す事が出来る。
見た目は可愛らしいが本人は切っ風の良い性格で、自称『漢の中の漢』。女性には優しいフェミニストらしい。故に葵から思わず可愛いと抱き着かれても、本人は「止めろ」と嫌がって抵抗するだけで特にそれ以上何もしない。
だがそこは河童らしく水を操ったり、鋭い爪で鉄をも切り裂き、尻から生命エネルギー(尻子玉)を奪う等の能力を持つ為、まともにやり合うと丸腰の人間では先ず太刀打ち出来ない。

全国を賭けた水泳の地区予選を終えたリラ達の前に偶然姿を現わした後、水霊士(アクアリスト)の存在に興味を持つと同時に彼女達のいる霧船女子のプールにも仲間と足繁く通っては彼女達を見守っている。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第28話 海底みたいな夜に

お待たせしました。今エピソードで水霊(アクア)の世界の一端とアクアリウムの真実が明らかになります。


 リラ達1年生の4人が下校中、神船川でプラちんなる河童と遭遇したその日の夜の事でした。

 

 「眠れない……。」

 

 アパートに帰宅したリラは用意した夕飯を食べ、何時もの通りアロマの香りに満たされながら予習と復習を一通り行って入浴。そのままベッドに就いて寝ようとしたのですが、いざベッドの布団を被って目を閉じれば、思い出されるのはプラちんと遭遇してからの諸々の出来事ばかり。色々と衝撃的な情報が洪水の如く脳内に押し寄せ、その熱も冷めやらぬ状態なのにどうして安眠など得られるでしょうか?

 先述の予習及び復習の時も、リラはこうした出来事が脳内で逡巡した為に悪戦苦闘していましたが、その点を鑑みても彼女にとって今日の出来事が如何に衝撃的だったかが分かると言う物です。

 水妖(フーア)との出会いも衝撃的なら、水霊(アクア)及びアクアリウムに関しても衝撃的でそれまで知り得なかった事を多く知った手前、それらの情報がモスケンの大渦巻(メイルシュトローム)の様に激しく逡巡してとても寝付けません。

 

 「あぁ~~~んっ!もう駄目!寝られない!」

 

 今日の出来事をゆっくり整理する為、リラはそのままパジャマ姿で散歩に出る事にしました。折しも季節は7月に差し掛かったばかりで水の都たる蒼國市と言う事もあり、外の空気は水分がたっぷり含まれて結構ジメジメしていました。とは言え気温自体は其処まで高くなく、蒸し暑さが無いのが不幸中の幸いでした。

 水霊士(アクアリスト)として、水の力を或る程度操れるリラは周囲の空気の水分を操作し、不快指数を下げた上で快適に夜の街を歩きます。近くの水路や川の流れが織り成すせせらぎの音が何時もながら耳に心地良く、多少は心が落ち着きます。

 

 一方、近所である忍の家では、当の彼女がその日やるべき事を一通り終え、これから眠りに就こうとしていました。

 

 「さて、風呂も入ったしもう寝るか……って、ん?」

 

 ベッドに乗っかった際、何とはなしに窓の外を見た忍の視界にリラの姿が飛び込んで来ます。

 

 「何だ?汐月の奴、こんな遅くに……。」

 

 

 そんな事は露知らず、リラは近くの水路に面した石段に腰を下ろし、静かにそのせせらぎの音に耳を傾けていました。河口に繋がり、そのまま海へと向かう川の向こうを見ながら、リラは今日テミスから言われた「或る言葉」を思い出していました。

 

 「精霊使い……水霊士(アクアリスト)………。」

 

 プラちんから告げられた、大昔に大自然の精霊と心を通わせる事の出来た人間、即ち「精霊使い」の存在―――――。

 その中でも水の精霊と深く絆を結び、その力を行使する「水霊士(アクアリスト)」―――――。

 出会った自分以外の水の精霊の使い手が、現段階では未だ潤1人だけであるリラは、他の火や風や土と言った精霊やそれと心を通わせる精霊使いの人間の存在に想いを馳せていました。

 一体、この海の向こうの遠い世界には、自分の知らない精霊がどれだけ存在し、自分と同じくそうした精霊達と心を通わせられる人間がどれ位いるのだろう?数キロ離れた河口へと続く水の道の彼方をボーっと眺めながら、リラは世界の精霊とその使い手達に関する取り留めも無い空想や妄想を頭に描いていました。

 

 サラマンダーの様な灼熱のドラゴンやイフリートの様な魔人―――――。

 クラーケンやリヴァイアサンの様な海の魔物―――――。

 ノームやドワーフの様な大地の妖精―――――。

 シルフやハルピュイア、ペガサスの様な天翔ける風の幻獣―――――。

 そうした存在を操る、何かのRPGに出て来そうな魔導士風の衣装に身を包んだ人間達―――――。

 

 (こんなのが本当に居たら面白いんだけどなぁ~……?)

 

 考えただけでドキドキやワクワクが止まらず、リラは思わず口元から涎を垂らしながら自分の空想の世界に陶酔します。如何にも空想や妄想が好きな彼女の面目躍如の瞬間が其処にはありました。

 

 「――――月!おい、汐月!!」

 

 ですがそれは直ぐに後ろから聞こえた声に儚くも掻き消されてしまいます。不意に背後から響いた、自分を呼ぶ声に驚いて恐る恐る後ろを向くと、其処には手を後ろ手に組んで佇む忍の姿が有りました。

 リラと同じくパジャマ姿でしたが、薄いブルーに長袖のパジャマを着て足元にクロックスを履いたリラと違い、忍は紺色の半袖で下はショートパンツの様に短く、太腿から足の爪先まで余す所無く露出しており素足にサンダル履きでした。蛇足ですがリラの足の形はスクエア型で忍はギリシャ型です。

 

 「忍…先……輩………?」

 

 まさかの忍の登場に思わず面喰うリラでしたが、忍は気にせず話し掛けて来ます。

 

 「どうしたんだよ、こんな夜更けに外出歩いて?もしかして眠れないのか?」

 

 「え…?あっはい、そうですけど………。」

 

 しどろもどろになりながらそう返すリラですが、忍はやれやれと言わんばかりに溜め息を吐いて彼女の元に歩み寄ります。

 

 「隣、良いか?」

 

 「―――どうぞ。」

 

 そう返すが早いが忍はリラの直ぐ隣に腰を下ろしました。石段の上に投げ出された忍の両脚を、青白い月が照らします。毎日出会ってるので分かっていましたが、忍は身長が171㎝と、日本人女子の平均より高身長の忍の脚は長く伸びており、それでいて水泳で筋肉が良く引き締まっている為に見事な脚線美でした。その健康的なエロスには、隣に座ったリラも思わず目を奪われます。

 ですが、何時までも黙ってばかりではいられません。忍が何故こんな所に来たのか、尋ねなくてはならないのです。若干あたふたしながらも、リラは何とか言葉を発します。 

 

 「あの、えっと……し、忍先輩、どうして此処に?」

 

 「どうしてって…これから寝ようとして窓の外見たら偶々お前の姿見掛けてな。何かあったのか気になったんだよ。」

 

 「そ、そうですか……。御免なさい。でも、私の事を気に掛けてくれて嬉しい…です!」

 

 自分の所為で忍が今此処に居ると分かり、リラは申し訳無い気持ちになりましたが、同時に大好きな忍が自分を気に掛けてくれていたと分かり、嬉しくもなりました。

 

 「かっ、勘違いすんなよ!?あたしはあくまで先輩としてお前に悩みとか有んなら聞いてやろうって思ったまでだかんな!?」

 

 先日の事を思い出したのか、忍は顔を赤らめながらそう返します。そんな忍の様子を、リラは微笑ましく見つめていました。

 

 「有り難うございます。でもその前に今日、みちる先輩と一緒に受験勉強してたんですよね?こないだ模試有りましたけど、今日来た結果どうだったんですか?」

 

 「あぁ?A判定だったよ。あたしとみちるの行きたい大学(とこ)はさ。」

 

 まるで今日、一緒に帰れなかった事への未練を体良く吐き出すが如きリラの言葉でしたが、忍は努めて平静を装いながらそうあっさり返しました。

 

 「Aって凄いですね。それで先輩達って来年何処受けるんですか?」

 

 「『海応大』だよ。つってもあたしとみちるは学部違うけどな。」

 

 『海応大学』とは、日本でも多くの有名水泳選手を輩出している東京の名門大学でした。泳ぎに定評の有る蒼國市民の中でもこの大学に進学する者は多く、忍とみちるも例に漏れません。蒼國からのアクセスもそう遠くないので、卒業したらもう簡単に会えなくなると言う心配は無いでしょう。

 

 「そんでみちるの奴、あとちょっとのとこでAに届かずB判定だったモンだから、悔しくて今回あたしに勉強教えてくれって頼んで来たんだよ。」

 

 此処まで来ればもうお判りでしょうが、今回みちるが忍と一緒に帰った理由は、次の模試でA判定を勝ち取るリベンジの為の勉強会だったのです。そして忍のこうした補足説明を受け、リラは「あはは……」と苦笑いするしか出来ませんでした。みちるも決して勉強が出来ない訳では無く、寧ろ学年では上位でしたが成績自体は実は忍の方が上だったのです。肩を故障していた間、忍は他にやる事が無かった手前、空白の2年近くは勉強に打ち込んでいました。お陰で学年での成績は常に忍が上位でしたが、彼女自身にとっては別段楽しくも何とも無く、鬱屈していたと思うと何とも遣る瀬無い。況してやそれが結果としてみちる以上に高い学力を忍に齎していたと言うのは皮肉な話です。

 

 「忍先輩、学校でも成績トップクラスですからね。みちる先輩が頼りにするのも分かりますよ。私だって水泳以外に勉強でも、分かんないとこ教えて貰って凄く助かってますから!」

 

 納得した様子でリラがそう言うと、忍はフッと一息吐いて言いました。

 

 「みちるの奴、あたしから分かんないとこ教えられた時凄ぇ真剣な顔でノート取ってたけど、Bだったのが相当悔しかったんだろうな。まっ、つってもあいつの方があたしよりも成績良かった教科だって有った訳だから、お互い良い意味で刺激し合えたと思うぜ――――。」

 

 一緒に勉強すると言うと、お互いにその心算になってつい遊んでしまったり、相手と比べて劣等感を刺激されてやる気を失って逆効果だったり、自分1人で勉強する時間の管理能力が鈍ったりと言うデメリットが有ります。“個々の思考が疎かになる”と言う集団のデメリットは、勉強においても通底すると言う事でしょう。

 然しその一方で、お互いに見られていると言う相互監視の緊張感や、相手の学習のペースを知る事に対するショックと言う良い意味での刺激が得られて自身の向上心に繋がります。また、人に教え合う事はお互いの学びの知識の整理に繋がり、よりそれ等を定着させる事となるのです。互いの会話だって適度な息抜きとなるでしょう。

 勿論、友達と一緒ではなく1人で勉強するのが性に合っている者もいますし、応援や期待がウザくてムカついて煩わしい者もいます。成績向上の為の勉強のスタイルは生徒の数だけ存在する物ですが、少なくともみちるにとって忍と一緒の勉強は彼女にとって大いにプラスだったのは間違い有りません。

 

 「んで、みちるンとこから帰って風呂入って歯ぁ磨いて、これから寝ようって時に窓の外見たら偶然お前の姿が目に入ってな。気になってこうやってお前のとこ来たってただそんだけの話だよ。」

 

 「そうだったんですか。御免なさい。これから寝ようとしてたの邪魔しちゃって…。」

 

 改めて事の一部始終を聞かされ、リラは申し訳無い気持ちで一杯になりました。

 

 「気にすんなよ。正直あたしも未だそんなに眠くねぇんだし、お前と話してると良いストレス解消になるかんな♪」

 

 (忍先輩、可愛い……。)

 

 そう言ってニッコリ笑って見せる忍の表情は、リラの目には心なしか実年齢よりも幼く見えました。頬を赤らめつつ、そんな彼女の顔に見惚れていると、忍は不意にリラの両肩に手を置き、改めて尋ねます。

 

 「んで汐月、眠れなくてこんなとこ散歩してたみてぇだが、何か有ったのか?あたしで良かったら訊くぜ?」

 

 「はい、実は――――」

 

 忍の言葉を受け、リラは今日自分の身に起きた出来事を話しました。先ずは今日出会った水妖(フーア)のプラちんの事です。

 

 

 「―――は?カモノハシみてぇな河童に会って?しかもそいつ水霊(アクア)じゃなくって水妖(フーア)って意味分かんねんだけど…。つか何だよ『プラちん』って?吉池の奴良いセンスしてんな……。」

 

 黙って聞いていた忍は目が点になりました。然し水の精霊足る水霊(アクア)だけでも充分非日常で信じ難い存在なのに、この上更に河童なんて水の妖怪で然もカモノハシの姿をしたそれと出会ったと聞かされて、呆気に取られるなと言う方が無理な話です。

 けれど、リラにとって大事なのは其処ではありませんでした。

 

 「そうですよね。深優ちゃん、ゲームとかでファンタジー慣れしてるのは知ってましたけど、あんな河童相手に咄嗟に名前まで付けるなんて凄いですよね。でも、それより驚いたのはアクアリウムの事です―――――。」

 

 そしてリラは漸く本題に入ります。プラちんとの出会いの後、テミスから聞かされたアクアリウムと精霊の真実について―――――。

 

 

 話はプラちんが神船川に飛び込んでいなくなった後に遡ります。

 

 

 「全く……偶々人間の女の子に無害だからって仲良くしても良いなんて、呆れて物も言えないわ。」

 

 プラちんと関わる事に対して反対しているテミスは、リラ達4人に対して溜め息と共に愚痴ります。

 

 「だけどリラ、水霊士(アクアリスト)としての本分だけはこれからもしっかり全うして貰いますからね!この星の水の穢れを浄化する水霊士(アクアリスト)として、貴女には潤と一緒に今以上に成長してくれないと困るの!それこそ上級水霊(アクア)のアクアリウムを満足に扱える位に!!」

 

 愚痴から一転してリラにそう説教するテミス。すると此処で、不意にリラが口を開きました。

 

 「そう言えばテミス、アクアリウムの事で1つ訊きたいんだけど?」

 

 「何ですリラ?アクアリウムに関する質問とは珍しいわね。今まで必要に応じて私が術法を教える事は有っても、そっちから訊いて来る事は無かったのに…。」

 

 今までハイドロスパイラルシュートや、ミラーリングアクアリウム、ポゼッションアクアリウム等、必要に応じて術法をテミスは教えて来ましたが、普段のリラはアクアリウムの基本であるクラリファイイングスパイラル以外は先ず使いません。行使する水霊(アクア)の種類によって多少の応用は利かせますが、それ以上の術法に走らない―――――良くも悪くもリラは『基本に忠実』な水霊士(アクアリスト)と言えました。

 

 「さっきテミス、プラちんに対してブルースパイラルビームを向けてたでしょ?テミスのクラリファイイングスパイラルって呼ばれてるあの術を――――。」

 

 「えぇ、向けてたわね。だけど、それがどうかしましたか?」

 

 テミスの言葉に対し、リラは葵達3人を一瞥して尋ねました。

 

 「テミスのあのブルースパイラルビームって言うの、確かに凄かったよね?深優ちゃんのお父さんのガンだって完璧に治しちゃう位に……。」

 

 「リラっち?」

 

 「ブルー何とかって、もしかしてさっきテミスがプラちんに向けてた奴?」

 

 「う、うん。その時更紗いなかったけど、テミスと合体してリラが深優のお父さんの病気治すとこ、私と深優一緒に見てたよ?確かに凄かったけど―――――」

 

 突然この前の深優の父の航の病気の件で話を振られ、困惑気味の葵達ですが、テミスは少し目を尖らせてリラと向き合います。

 これに対し、リラも負けじとその口から滔々と言葉を放出させました。

 

 

 「プラちん言ってたよね?『確かに喰らったらオイラ殺されちゃうから怖いナ』って……ブルースパイラルビームって、その気になれば人殺しにも使えるの?って言うか―――――――」

 

 

 そうして一呼吸置くと、リラは自身の抱いた疑問の本質をテミスにぶつけます。

 

 

 

 「アクアリウムって水を癒やす為の術じゃなかったの?」

 

 

 リラがその言葉を発した時、数秒間の沈黙がその場を支配しました。 

 

 「アクアリウムって水を癒やす為の力なのに、それでいざって時にプラちんを撃ち抜いて殺そうとするなんて可笑しいわよね!?確かに深優ちゃんのお父さん癒やす時、テミスと一緒になった時に私も使ったけど物凄くキツかった!でもあの力って本当は命を癒す為じゃなくって誰かを殺す為の力だなんてそんなの私、嫌よ!」

 

 「リラ……。」

 

 「リラっち……。」

 

 「言われてみれば確かにそうだよね……。」

 

 昨日まで何の疑いも無く穢れの浄化と、それによる癒しの為に使って来たアクアリウム。それを魔物とは言え、命有る存在であるプラちんを殺す為に発射態勢に入っていたテミスの姿に、リラは疑問を抱かざるを得ませんでした。

 するとテミスは溜め息を吐くと、改めてリラに真実を告げます。

 

 

 「残念だけど、私のブルースパイラルビームはその気になれば相手を殺す事の出来る高度な攻撃の術でも有るの。」

 

 

 

 「嘘………!?」

 

 この言葉に、リラは大変なショックを受けたのは言うまでも有りません。いいえ、リラだけではなく葵、深優、更紗の3人もそうです。全員絶対零度(−273℃)で凍り付いた様に動きません。テミスは続けます。

 

 「事実よ。深優さんのお父さんである吉池航に照射した時、彼の体内で何が起こったか教えてあげましょうか?私の分身を大量に彼の体内に送り込み、それによって彼のガン細胞を残らず食い尽くしたの。そしてその上で私の水霊力(アクアフォース)で身体の組織を修復した上で生命エネルギーを活性化させたのよ。だけど本来は相手をカンディルの様に内側から食い破って殺す事も出来るし、普通にレーザー光線として貫通して殺傷する事も可能なの。言っておくけど、私のブルースパイラルビームだけじゃないわ。そもそもアクアリウム自体、本来は癒し以外にも攻撃や防御、肉体強化みたいに、それこそ貴女達人間がRPGのゲームで良く知ってる様な幅広い用途の魔法に限りなく近い水霊(アクア)達の術の数々で、大昔の精霊使い達は水に限らず火や土、風等の精霊の術を戦闘や医術、農耕や灌漑等にも使っていたのよ。」

 

 何と、アクアリウムは本来癒しの為の能力ではなく、水の精霊の力を行使する術一般を差していたのです。と言う事はあのハイドロスパイラルシュートも、元は戦闘で水の槍を相手に投げて貫通させる攻撃の術と言う事になります。ミラーリングアクアリウムも、戦争では影武者として使えるでしょう。特に前者は槍を相手に投擲すると言う、癒しと掛け離れた行為だっただけに嫌でも納得せざるを得ません。プラチナによるトルネードクラリフィケーションだって、本来は水の竜巻を起こして全てを粉砕する術と言う事になる。

 自分の中でアクアリウムの実態がどんどん線で繋がって行くのをリラ達が実感する中、テミスは続けます。

 

 「水霊士(アクアリスト)達はね、その中でも水の精霊の力であるアクアリウムを癒やす事専門に使っていた精霊使いに過ぎないの。でも水霊士(アクアリスト)達だって、その気になればアクアリウム=水霊(アクア)達の力を破壊や殺傷に使えるのよ?と言っても安心しなさいリラ。貴女のアクアリウムには人を癒やせても、殺す力は決して無いわ。」

 

 「えっ?」

 

 先程アクアリウムが人殺しにも使える危険な力と聞いてショックを受けていたリラでしたが、次の瞬間テミスから否定されて面喰います。

 

 「文明の発展に伴って人間達が科学の力とそれによって生み出された武器に頼る様になったから、そうした精霊の力を戦いに使う者自体先ずいない。それでなくても私達上級水霊(アクア)達が地球の全水霊(アクア)達に働き掛けて、リラや潤達現代の水霊士(アクアリスト)達には癒しの為にしかアクアリウムを使わせない事にしたのです。本来攻撃や破壊の為に使う術もその威力を失くし、逆に穢れの浄化と心身の癒しを齎す物へと変えたの。だから貴女のアクアリウムが誰かの命を奪う事は断じて無いわ!」

 

 その言葉を聞き、リラはホッとしました。最初にブルースパイラルビームの真実を聞いた時はデンキウナギによる感電を超えるショックでしたが、今ではすっかり心は凪の海と同じく穏やかに戻りました。

 

 「何だ。そうだったんだ……。」

 

 「証拠だって見せてあげましょうか?私達水霊(アクア)の攻撃の術が癒しのそれに変わっている分かり易い例を――――。」

 

 そう言ってテミスが右手を翳すと、周囲の水分が集まって水の剣が生成されました。そしてその剣を手に近くの木の枝をジャンプして切断して見せます。それなりに太い枝だったのがいとも容易く斬れたのを受け、4人は呆気に取られました。

 

 「さて、それじゃあこの剣を葵さん、貴女に刺したらどうなるか―――――」

 

 「えっ!?何で私!?」

 

 「ちょっ!?何言ってるのよテミス!?やめっ―――――」

 

 葵の表情が恐怖で歪み、リラが咄嗟に止めようとしましたがテミスは物凄いスピードで葵との距離を詰め、先程の剣で何と葵の心臓を一突きにしました!

 

 「うッ……!?」

 

 葵の胸元に水で出来た剣を深く突き立てるテミスの姿に、リラ達は顔面蒼白となってそのまま呆然と立ち尽くしました。傍から見れば殺人事件の光景なのですから当然と言えば当然でしょう。深海の様に冷たい空気がその場を支配します。

 

 「あ……葵………ちゃん…………?」

 

 「あ…葵………?」

 

 「そ…そんな………」 

 

 ショックで青ざめる3人。ですが、当の葵からは意外な言葉が返って来ました。

 

 「あれ?私、痛くない?って言うか何、この感覚?身体が軽い………?」

 

 何と、葵の胸元は制服が水で濡れただけで血は全く出ておりませんでした。それ所か先程までと打って変わって身体が軽く、疲労が完全に吹っ飛んでいたのです。

 

 「えっ!?葵、本当に何とも無いの!?」

 

 深優が呆気に取られる中、テミスがリラに告げます。

 

 「分かったわねリラ?私達水霊(アクア)の力は、同じ術でも攻撃や破壊にも癒しや回復にも使えるのです。」

 

 「そ、そうみたいね………。って言うか脅かさないでよテミス!本当に葵ちゃんの事殺したんじゃないかって思ったじゃない!」

 

 納得はした物の、心臓に悪い光景を見せ付けられた事に対してリラは抗議します。

 

 「だから“証拠を見せる”って言ったでしょう?それとも信じられなかったのですか。付き合いだってそれなりに長いのに心外ですね……。」

 

 溜め息を吐いてそう返すと、テミスは改めて説明を続けました。

 

 「――――話を戻すわ。その気になれば貴女も水の剣を生成して今私がやったのと同じ事が出来るけど、絶対に破壊や殺傷に貴女は使えない。私達水霊(アクア)の力は、これからも癒しの為のみにしか貴女には使わせない。その事を良く覚えておきなさい。」

 

 「う、うん。分かった!」

 

 テミスの言葉に納得したリラは、そう強く頷くのでした。

 気付けばもう時刻はもう19時近く。時期的には7月なので未だ完全に夜の帳は下りていませんが、それでも空はだいぶ暗くなっています。

 

 

 「じゃあ、私達はこの辺で―――――」

 

 

 そう言って葵達が去って行った後、リラは1人家路に就きました。その傍には水霊(アクア)としての姿に戻ったテミスが泳いでいます。

 アパートまでの道中、不意にリラはテミスに話し掛けました。

 

 「ねぇテミス、アクアリウムもそうだけど、水霊(アクア)についてもう1つ訊きたい事が有るの。良いかな?」

 

 (良いけど話せる事と話せない事が有るわよ?)

 

 「話せる事かは分かんないけどさ、さっきのプラちんみたいな水妖(フーア)水霊(アクア)について知りたいの。」

 

 先程の水妖(フーア)の話を受け、テミスの周囲からやや不機嫌そうに水煙が上がるのをリラは見逃しませんでした。

 

 (……どんな事が訊きたいの?)

 

 ですが、テミスが発言を許可した為に思い切ってリラは尋ねました。

 

 「プラちん言ってたわよね?テミス達水霊(アクア)を『水の精霊』って…。それってプラちん達水の妖怪とテミス達が全くの別の存在みたいな感じだけど、私達人間からしたら精霊も魔物や妖怪と一緒にしか見えないわ。なのにどうして水霊(アクア)だけ特別別物みたいに言われてるの?」

 

 リラの問いを受け、テミスは内心「何だそんな事か」と思いました。同時に彼女自身、何処か不機嫌と言うか遣る瀬無い気持ちが湧き水の様に染み出て来るのを感じていたのでした。

 自分達水霊(アクア)が、人間からあんな猛獣の延長みたいな野蛮な魔物と同じに見られるなんて心外の極み。まぁ人間にとってはどちらも自分達の理解、即ち人知を超えた存在なのだから一緒にされても仕方無いと言えば仕方無い事だが、あからさまにそれを人の口から告げられるのはやはり不愉快極まりない――――!

 そうした嫌悪の気持ちを包み隠さずにテミスは言いました。

 

 (良いリラ?さっきも言った通り、私達水霊(アクア)は地球を循環し、命を育み、潤いを与え、穢れを洗い流す水の具現とも言うべき存在なの。そして私達はそんな命の素足る水としての自身の在り方に強い誇りを持ってるわ。他のウンディーネやルサールカと比べても、水の精霊としての斯く有るべき模範と自負すらしている!あんな河童や牛鬼や影鰐、ケルピーやリュムナデスやヴォジャノーイにペグパウラー、ナックラヴィーの様に人間を襲って水に引きずり込んで殺したり、その肉を喰らう様な下等な獣同然の水妖(フーア)共と一緒になんてされる筋合いは無い!!)

 

 そう一気に言うと、物凄いスピードで前方へ泳ぎ、そのままリラへとUターン。顔がくっ付きそうな位近くへとテミスは迫りました。突然の出来事にリラは驚いて思わず後ずさりました。

 元々気が其処まで強い訳では無いリラには若干怯えの表情が浮かんでいましたが、テミスは御構い無しに続けます。 

 

 (なのに近頃では、人間による穢れと水の汚染が地球レヴェルで目に余る様になり、穢れ水霊(アリトゥール)なんて気高き水の精霊からそう言った只の水の魔物に成り下がる子達が急増している!同じ水霊(アクア)として実に嘆かわしい!だからこそ、穢れた水を浄化する水霊士(アクアリスト)を1人でも多く増やし育てるのが私達の急務なのです!そう言う意味でもリラ、貴女にはこれからもっと力を付けて貰わないと困る!!これで納得出来ましたか?)

 

 「う……うん………。あ、後…最後に1つだけ………」

 

 (最後?まだ何か有るのかしら?)

 

 怯みながらも最後にもう1つだけ質問をしようとするリラの姿を見て、テミスは内心感心していました。昔のリラなら此処まで強く威圧的に迫られたら、完全に委縮してしどろもどろになって何も言葉を発する事が出来なかったのに、今不機嫌な態度で半ば圧を掛けて迫る自分に対して怯えながらも質問をしている。拙いながらも彼女の中の勇気が育まれている様子を、彼女の身体から出たり消えたりしている小さなモーリーやグッピー、プラティの水霊(アクア)の影からテミスは感じ取っていました。

 

 (…良いでしょう。貴女の勇気に免じて特別に答えてあげます。)

 

 「えっと…あの……ア、水霊士(アクアリスト)って……精霊使いって、私や潤先輩以外、地球に今どれ位居るんですか!?」

 

 まさかその質問をするのか――――テミスはそう思いました。然し、あのプラちんの質問を受けてリラがこんなグローバルな視野から物事を考える様になったのは何の功名でしょうか?

 何れ“彼女”を癒やす為にも、世界中の水霊士(アクアリスト)の力も必要になるかも知れないから、テミスは答えてあげる事にしました。

 

 (今現在、地球上には70億余りの人間がいるけれど、その中でも水霊士(アクアリスト)は地球中見渡しても僅か十数人程度よ。更にその中で上級水霊(アクア)を満足に扱える者は指折り数えられる程更に少ないわ。)

 

 「そ、そうなんだ………。」

 

 (これで満足したかしら?じゃあリラ、改めて地球の水の穢れを癒やす為にも、これから水霊士(アクアリスト)としてもっと成長して頂戴!私の事も100%扱える様に!!じゃあ私はこれで失礼するわ。)

 

 そう言うとテミスはコバルトブルーの飛沫となり、そのまま雲散霧消して消え去るのでした―――――。

 

 

 リラの一連の話を聞いた後、忍は伸ばしていた両脚の片方を折り曲げると、曲げた片足の膝に両腕を掛けて呟きます。

 

 「――――ふーん、成る程。あたしがみちるンとこ行ってる間にそう言う事が有ったのかい…。」

 

 そんな忍の様子を見つめながら、リラは続けます。

 

 「水霊士(アクアリスト)が精霊使いの一種で、世界には未だ私の知らない精霊使いの人達がいるって思ったら凄いなって思って、それにアクアリウムがまさか水の精霊の力を借りた戦いの力で、元々癒しの為の物じゃないって聞いて、おまけに世界の水の穢れを何とかする為にも頑張んなきゃ行けないなんてテミスからも言われて……もう凄い色々と有り過ぎて、頭の中グルグルで全然寝られなくって、だからこうやって散歩してたんです!」

 

 頭を抱えながら悶々と話すリラですが、対する忍は真顔でそれを聞いているだけでした。

 リラの話を一通り聞いて「成る程、そう言う事か」と思った、忍は大きく深呼吸をしてからこう答えました。

 

 「まっ、水霊(アクア)の世界の事なんざ一般人のあたし等には分っかんねぇ。つーかそれ以外の精霊の事なんざもっとチンプンカンプンだ。普通の人間に見えない奴等の事なんざあたし等にはカンケーねーしキョーミだってねーし?ついでに地球規模の水の汚染の問題なんて途方も無ぇ事言われたって、今直ぐあたしやお前に何が出来る訳でもねーんだ。考えるだけ無駄ってモンだぜ。」

 

 気の抜けた緩い調子でそう返す忍に対し、リラは思わず面喰いました。自分の心は潮の流れの激しい灘の海の様に混乱してて、その気持ちを忍に少しでも共有して貰えればと思っていたのに、対する忍はまるで凪の海の様な穏やかさで、しかもその調子をちっとも崩していませんでした。

 

 「お前さぁ、水霊士(アクアリスト)としての自分の使命っつーか在り方に囚われ過ぎなんだよ。んな精霊がどーとか水霊士(アクアリスト)だの精霊使いだの言ってねーで、てめぇに出来る目の前の事だけ頑張ってりゃ良いじゃねーか。幾等何考えたって、人間それしか出来ねぇんだしよ!んな訳分かんねーモンより、水泳でも何でも目の前の事思いっ切り楽しみゃ良いだろ?その方が余っ程有意義だぜ?」

 

 含み笑いと共に忍の口から放たれるその言葉に、リラは目から鱗が落ちた気分になりました。確かに彼女の言う通り、“水霊士(アクアリスト)として世界の穢れを癒やす使命”だの“世界の精霊とそれを操る精霊使い”だの、今そんな事を考えたってリラに何が出来る訳でもありません。考えても仕方の無い事に思考を廻らせるなんて、時間の無駄でしか無いのです。

 そんな事考えて使命だ何だと鯱張るより、忍の言う通り学校での勉強や部活の水泳、それに葵や深優や更紗の様な友人達や潤の様な仲の良い先輩との交流―――そうした目の前の1つ1つに心を込めて取り組む方が人生で大事なのは確かでしょう。

 

 「つっても、水泳に関しちゃついこないだまで肩の故障で苦しんでたあたしが言っても説得力無ぇけどな♪けどこれだけは言えるぜ。あたしはもう自分の中に穢れだけは絶対に溜め込まねぇし、そんな無茶だってしねぇ!目の前の事に誠心誠意心込めて取り組むのは大事だが、それ以上にもっと自分の心と身体大事に生きてく!それはお前があたしに気付かせてくれた事だぜ、汐月?」

 

 「忍先輩……。」

 

 忍の言葉に、リラは思わず感動している自分を感じていました。月明かりの中、薄らと目に涙が浮かんでいましたが、忍は気にせず続けます。

 

 「アクアリウムだってまぁ、確かにあたしの穢れ癒やした時、お前が鯰を槍に変えてこっち投げ付けて来た時ゃこちとら『ヤベェ殺される!』って思ったぜ?あれが元々癒しじゃなくて殺傷目的の術だってんならそりゃ納得だよ。水の竜巻まで起こるし、今思えば『何のバトル漫画だ?』って話だわ…。」

 

 そう言って深呼吸をすると、忍はリラの顔をじっと見つめながらこう結論付けます。

 

 

 「けどな、そう言う相手を殺しちまう様なおっかねぇ力を、逆に相手を癒やして命まで救うそれに変えて使うってのは凄ぇ事だって思うよ。水や電気や火だって、あたし等の生活支えて便利な力だが、その一方で人の命奪う様な災いにもなっちまうだろ?どんな力だって存在自体に罪は無くって、大事なのはその使い方だってお前見てて思うよ。話聞いてる限りテミスはお前に水霊(アクア)の力を殺傷には使わせないって聞いてたが、そうじゃなくてもお前にそんな使い方、出来る訳が無ぇ!お前は優しい奴だからな。これからもそのアクアリウムはあたしやみちる、五十嵐、吉池、長瀞、飯岡や星宮、濱渦や漣………色んな奴等を癒やす為に使えよ!先輩命令だぜ、これは?」

 

 

 本人に自覚は有りませんでしたが、その時の忍の表情はさながら母なる海の様な慈愛のそれになっていました。そしてそんな忍の言葉に、リラは思わずその藍色の瞳をより大きな涙の雫で潤ませました。形こそ命令ではあっても、それは水霊士(アクアリスト)としてのリラの在り方を全面肯定する物であり、彼女の背中を押すのに十分な重みのある言葉だったからです。同時に先程まで感じていた胸のざわめきも、気付けば忍へのトキメキに変わっていました。

 その様子をテミスは遠くから眺めていましたが、付き合いが長いとは言え人間ではない自分よりも、例え出会って間が無くても心を通わせた人間の忍の言葉に心を大きく動かされ、惹かれてすらいるリラの様子を見て、自身のリラに対する考えを改め始めておりました。

 一方、忍はリラに密着寸前の所まで近付くと、再び彼女の肩に手を置いて言いました。堪らずリラは顔を金目鯛の様に赤くします。

 

 「良いか汐月、使命に熱心なのは良いが無茶だけはするな。それにばっか囚われんな。水霊士(アクアリスト)の前にお前だって人間なんだからよ。てめぇの弱ぇとこも情けねぇとこも受け止めた上で、自分もっと大事にしろ。あたしだってこれからはそうすっからさ………。自分大事に出来ねぇのに、他人を癒やすも何も無ぇ。そうだろ?」

 

 「先輩………はいっ!!」

 

 自身に対してそう労わりの言葉を掛ける忍に対し、何時しかリラは学校の先輩処かそれ以上の――――――そう、実の姉の様な親しみを覚えていました。

 今まで一人っ子で、兄弟姉妹の居なかったリラにとって上の兄姉は憧れの存在でした。況してや家が近所で良く会う手前、男勝りで口は悪いけれども叱咤したり励ましたりしてくれる忍に対して単なる学校の先輩以上の特別な感情を抱くのは無理からぬ話です。

 リラにとって忍は、まさしく水族館でアシカや海豚を調教するトレーナーであり、餌を与えたり水槽を掃除してくれる飼育員其の物と言っても過言では無い存在でしょう。仕事以上に水の生き物に対する愛情が無ければ、そう言った仕事は先ず務まらない所からもそれは明白です。前者が水泳部の先輩後輩としてなら、後者は水泳抜きのプライベートでのそれと言えましょう。

 

 

 〔いや~、仲良しだね二人トモ♪〕

 

 

 突然耳に飛び込んで来た声。思わず2人が前を向くと、何とプラちんが水路の中に浮かんでいました。無論事情を知っているテミス達ですが、向こうの「人間の女の子は手を出さない」と言う言葉に嘘偽りは無さそうだったので取り敢えず静観していました。尤も、何か動きが有れば即座に駆け付ける気満々でしたが………。

 

 「お、おい汐月……あたし今アクアヴィジョン使ってねぇけど、あれがお前の言ってた例の河童か?」

 

 「は、はい。あれがプラちんです……って、えぇっ!?忍先輩、プラちん普通に見えるんですか!?」

 

 何と、アクアヴィジョンを使っていないにも関わらず忍の目にはプラちんが普通に見えるのです!これには水霊士(アクアリスト)として、水霊(アクア)水妖(フーア)の様な水属性の超常存在が日常的に見えるリラも驚かざるを得ませんでした。

 

 〔何だ、知らなかったノ?オイラ達はその気になれば認識阻害の術を解除して、誰にも姿を見れる様に出来るんダヨ?〕

 

 「えっ?そうなの?」

 

 「マジかよ。UMAがあちこちで目撃されてんのに正体が掴めねぇのも納得だぜ…。」

 

 水霊(アクア)水霊力(アクアフォース)を持った人間じゃないと霊視出来ないのに対し、どうやら水妖(フーア)は認識阻害の術を操り、気紛れに人の前に姿を現してやる事が出来る様です。

 河童もそうですが、ニンゲンやヒトガタの様な水棲系のUMAも、もしかするとこうした水の世界の魔物が偶然人間に目撃されて噂だけが出回り、それが長い時間を掛けて伝承、そして伝説として語り継がれた勘違いの賜物なのでしょうか?

 その真偽の程は残念ながら我々人間に窺い知る事は出来ませんが、取り敢えず忍は初めて目にする河童を食い入る様に見つめていました。イメージとは凡そ懸け離れた存在ではあっても、葵が愛でる程の可愛らしい外見だった為、一応女の子である忍もポーッと顔を赤らめながらじっと眺めています。

 

 然し、プラちんはそんな忍の様子など我関せずにリラの方を向いて意味深な発言を繰り出します。

 

 

 〔(チミ)はまるで、川に落ちて溺れそうな子供ダネ。〕

 

 

 出し抜けにプラちんの発した言葉ですが、リラは一瞬心を抉られる感覚に襲われました。中学の頃、虐めを苦に川に身を投げて入水自殺を図ったのですから当然の事です。無情に海へと向かう冷たい水。その流れる力に翻弄され、息も出来ずに身体を冷却されながら自身が死に近付いて行く感覚は、トラウマとまでは行かずとも今思い出すだに恐ろしい物です。

 そんなリラの心の波の揺れ動きを、テミスは決して見落としませんでした。気付けばリラの身体は震えており、忍も直ぐにそれに気付きます。

 

 「汐月?おい汐月!」

 

 心を抉られる感覚に我を忘れて震えるリラでしたが、忍の言葉が彼女を現実に引き戻してくれたお陰で震えも収まりました。突然残酷な言葉を投げ掛けるプラちんに対し、改めて恐れと警戒を抱くリラでしたがプラちんは気にせず言います。

 

 〔(チミ)は自分に課せられた現実を重く考えてるけどサ、深いと思ってる川が実は浅い事だって有るし、仮に深くても(チミ)の浮袋になってくれる存在は幾つもあるンダヨ?(チミ)が怖いって思ってる物なんて、本当は其処まで怖くナイヨ。〕

 

 「……何言ってるか良く分かんねーけど、要は汐月の事励ましてんのか、お前?」

 

 プラちんの放つ言葉は悪意の無い、寧ろ優し気な声音を帯びていました。そして忍の指摘に対し、プラちんは波間から出た頭をコクリと縦に振って頷きます。どうやら図星の様です。

 

 「ず、随分分かったみたいな言い方するわね貴方……。」

 

 〔オイラだってかれこれ50年も生きてるんだゾ。その分人間の事は観察して来たからそれ位は分かるサ!〕

 

 「そ、そうなんだ…。」

 

 〔あのテミスみたいな水の精霊の前に、(チミ)はもっと目の前の人間と一緒に過ごす時間を大事にネ!〕

 

 唖然とするリラに対してそれだけ言うと、プラちんは水の中に潜っていなくなりました。

 

 「結局何しに出て来たんだよ、あいつ………?」

 

 2人は呆れながら水路を流れる水のせせらぎに耳を傾けていました。同時にテミスは忍の事を遠くからじっと眺めていましたが、彼女の眼差しには「或る種の決意」が浮かんでいるのでした――――。

 

 

 「じゃあ忍先輩、お休みなさーい!」

 

 「あぁ、お休み!」

 

 その後、忍は気分直しにリラと二言三言と他愛の無い学校での四方山話を交わしました。そうしてリラの心が落ち着くと同時に、彼女に眠気が訪れたのを見計らって2人は解散。就寝の為に帰宅します。リラと別れ、忍が自室に戻った時でした。

 

 

 「お帰りなさい。待ってましたよ忍さん。」

 

 「なッ、テミス!?何であんたが此処に居んだよ……!?」

 

 

 部屋のドアを開けて中に入ると、忍を待ち受けていたのは何と人間態のテミスでした。意外な人物との遭遇に再び面喰う忍でしたが、直ぐに気を取り直して身構えます。

 普段リラとしか絡まない相手が、寄りにも寄って自分に用が有って現れ話し掛けて来たのですから、絶対に何か有ると見て間違いは有りません。それこそ悪い意味でとんでもない何かが―――――。

 そう思って身構える忍に対し、自身を警戒しているのを察したテミスはフッと笑みを浮かべて優しくこう切り出します。

 

 「身構えなくて大丈夫です。今回私は貴女にお願いが有って来ました。」

 

 「あたしに“お願い”だって?一応あんた汐月の保護者役みてぇだけど、そんなあんたがあたしに何を頼むってんだよ……?」

 

 突然“お願い”と言われて怪訝な表情を浮かべる忍に対し、テミスは単刀直入に答えます。

 

 「リラの良き隣人として、あの子の事を支えて欲しいのです。」

 

 「あいつを支える?どう言う事だ?」

 

 突然リラを支えて欲しいと頼まれ、忍は更なる困惑を覚えました。テミスは言います。

 

 「詳しい事は今は話せません。然しこれだけは言えます。あの子はこれから深海より深い人間の闇に挑む事になるでしょう。確信を持って言いますがその時、葵さん達の様なお友達だけではリラを支え切れないわ。貴女の様な先輩の年長者の支えだって、あの子には必要なのです。どうか受け止めてあげて下さい。あの子の心の闇を―――――リラには葵さん達の様な横の友人とは違う、縦の立場からの愛情も必要なのですから。どうか、私の分までリラの心を優しさと愛情で満たしてあげて下さい。それが出来るのはあの子に近しい人間だけなのです。どうかお願いします!」

 

 そう言って頭を深々と下げるテミスの姿に、忍は返す言葉も有りませんでした。まさか上級水霊(アクア)なんて人知を超えた存在で、口の悪い人間からは化け物と呼ばれても仕方の無い相手から頭を下げて物を頼まれるなんて、18年近い人生の中で初めての事でしたから……。

 ですが、それ以上に忍の中に海底から立ち上る泡の様に浮上して来るのは、リラに対する疑念でした。

 

 (汐月の心の闇?そう言や長瀞の奴、前に汐月の墓参りに付き添った時にあいつの口から『自殺』なんて物騒な言葉が出たっつってたな………。それと何か関係有んのか?)

 

 “リラの心の闇”と言われて、真っ先に忍の脳裏を過ったのは何時かの更紗からの言葉でした。更紗から聞いた時には確かに気にもなりましたが、リラにはリラの事情があるからと、その時の忍はノータッチの姿勢でいました。

 然し、リラが自分達には言えない重い何かを抱えている事だけは感じていました。下手をしたら自分以上に辛い何かを―――――。

 そして今回、テミスからリラの事を頼まれると同時に忍は、嫌でもリラへの疑問と向き合わざるを得ない状況に立たされていたのでした。

 

 (そう言やあたしは汐月の事何も知らねぇ。つーか知ろうともしなかったな。今までアクアリウムなんて魔法みてぇな凄ぇ力が使える以外、どっか浮世離れした変な奴としか思って無かったが、あいつはあいつで今何かデケェ問題抱えてて、それが今圧し掛かろうとしてるってのか?もしそうだってんなら―――――)

 

 とは言え忍自身、リラの事を未だ良く知りません。ですがそれでも、忍の知っているリラの姿だって、充分彼女の脳裏に焼き付いていました。

 

 アクアリウムで自身の心と身体を癒やしてくれたリラ―――――。

 水泳部の後輩として楽しそうにプールで水霊(アクア)達と戯れながら泳ぐリラ―――――。

 そして今夜、自分に対して悩みを打ち明け、頼って来てくれたリラ―――――。

 

 他にも色々有りますが、その時々のリラの表情の1つ1つを思い起こすと、俄然先輩としても、1人の人間としてもリラの為に一肌脱いでやろうと言う気持ちが湧き水の様に起こり始めます。

 忍自身、口は悪いですが面倒見の良い性格であり、自身を頼る相手を無碍に突っ撥ねる様な不義の徒では断じてありません。“義を見てせざるは勇無きなり”と言う言葉を地で行く側面がキチンと備わっている子でした。

 況してや如何に人間で無いとは言え、相手はリラの保護者的な立ち位置にある存在で、何より折角自分を頼って頭まで下げて来たのです。ならば忍のやる事は1つ!

 

 「顔上げろよ。」

 

 忍に言われるままに顔を上げたテミスの視界に飛び込んで来たのは、真剣な目をして自身を見つめる忍の表情でした。

 

 「あいつの…汐月の心の闇なんて言われたってあたしにゃ何のことかさっぱりだが―――――」

 

 そう前置いた上で、忍は一際力強い声でテミスにこう告げました。

 

 「あいつはあたしの可愛い後輩であり恩人でもあるんだ。そいつがこれから何か壁にぶつかる時が来て、五十嵐達だけじゃ支え切れねぇってんなら、喜んで力になってやるさ!未だあたしだって、あいつに恩返し出来てねぇしな……!」

 

 その言葉を受け、さも嬉しそうな表情を浮かべたテミスは忍の両手を握って言いました。

 

 「忍さん―――感謝します!流石リラが見込んだ大好きな先輩であるだけの事は有るわね!」

 

 「“あいつが見込んだ”だなんて大袈裟だろ……。つーか“大好き”ってお前………。」

 

 口では後輩と言いましたが、忍自身は気付いていました。何時の間にか忍にとってリラはそれ以上の存在になっていた事を―――――。

 

 「貴女はリラの事、どう思うんですか?嫌では無いのでしょう?」

 

 改めてリラとの関係性を問われた忍は、先程の“大好き”と言う言葉も有って再び顔を赤くします。

 

 『やっぱり私達、良いパートナーになれると思います!!私、忍先輩の事が大好きです!!』

 

 同時にこの前リラから言われた言葉の数々が脳裏に蘇り、再び胸が激しくドキドキするのを忍は感じていました。

 

 「……まぁ、あいつがどっか危なっかしくて、何か問題抱えてそうな奴だから放っとけねぇってのはあたしも前から思ってたよ。で?あいつ一体どんな問題抱えてんだ?ってか、あいつの過去に一体何が有ったってんだよ?」

 

 両手を後ろ手にモジモジしながらも早速本題に入る忍ですが、当のテミスは本来の水霊(アクア)の姿になってこう告げるだけでした。

 

 

 (ごめんなさい。詳しい事は私の口からは言えないわ。だけどね、これだけは教えておきます。リラは――――あの子はずっと独りぼっちだった。自殺しようかと思う程の辛い目にも遭った!そんなあの子の事を想えば、貴女の様な人間が必要なのは無理からぬ話でしょう?)

 

 

 「なッ!?あいつが自殺だって!?一体どう言う事だ!?」

 

 テレパシーで脳に流れ込んで来るテミスのその言葉を受け、忍は驚きました。更紗も「自殺」のワードは口にしていましたが、まさか本当にリラが自殺を思い至る様な経験をしていたとは夢にも思わなかったからです。そして聞けばリラは霧船に進学した際、アパートを借りて一人暮らししているそうですが、それも独りぼっちと関係有るのでしょうか?

 リラに対する謎がますます深まる中、コバルトブルーの水飛沫になってテミスはその場から消え去りました。去り際に忍の脳へ、まるで置手紙の如くこう告げて―――――。

 

 (それは時が来たらリラの口から直接聞いて下さい。そしてその時まで忍さん、どうか貴女はこれからもあの子の良き先輩…いいえ、愛すべき隣人として普段通り接してあげて下さい。リラの事、これからもどうか宜しくお願いします!)

 

 上級水霊(アクア)なる人知を超えた存在からリラの存在を頼まれると言う話も然る事ながら、当のリラも水霊士(アクアリスト)と言う非現実的な存在である事を除けば何処にでもいる女子高生に過ぎない筈なのに何か大きな問題を抱えている―――――。

 穢れ水霊(アリトゥール)に取り憑かれて人生を狂わされた時から、忍自身も自分が水霊(アクア)の世界にどんどん近くなって行くのを感じていましたが、リラが一緒なら別にそれも満更悪くはないと忍は思っています。何れにせよ、デカい恩を幾つも作ってるリラの事を、今度は自らが支えねばならない―――――。

 同時に忍は感じていました。自分が今、何やらとんでもない運命の奔流の中に呑み込まれようとしていると言う事を――――!!

 

 「何だってんだよ全く―――――けど、別に気にする必要は無いよな。テミスも言ってた通り、今まで通りやってりゃ取り敢えずは―――――。」

 

 然し忍は狼狽えませんでした。先程リラに対して「使命に囚われるな」と熱弁した手前、忍自身もリラと水霊(アクア)の世界に囚われる余り、振り回されては示しが付かない。それにテミスも言ってた通り、幾等リラの事が気になったって彼女が話したくなった時に話を聞けば良いだけなのだから、今気を揉むのは時間と神経の無駄と言う物です。

 

 「さーて、もう寝るか……。」

 

 そして今の忍がやるべき事は、明日に備えて眠る事だけ。眠って明日を生きる体力と気力の充実化を図る。それが今の忍に出来る事だからそれをやる。只それだけです。

 

 (汐月…あたしだってお前の―――――)

 

 斯くして夜は明け、何時もの日常が蒼國にやって来るのでありました。

 




キャラクターファイル29

サラキア

年齢   無し(強いて挙げれば忍と同じ)
誕生日  無し(同上)
血液型  無し(同上)
種族   水霊(アクア)
趣味   忍の観察
好きな物 泳ぎ回る事

忍の中で生まれた水霊(アクア)。ダークブルーの身体に白い腹部、そして身体の左右に3本ずつコバルトブルーのラインの模様、背面中央に青紫色の大きな宝珠の有るマンタの姿をしている。
水霊(アクア)としての能力は高速での飛行と、それに伴う浄化の螺旋を纏った切り揉みで相手の身体を貫きつつ穢れを清めると言うアクロバティックな荒療治を得意とする。勿論、螺旋はヴァルナ同様旋回して泳ぐ事でも形成が可能であり、形成後にその渦の中心目掛けて大気圏までジャンプしてダイビングする事で凄まじい浄化のエネルギーを迸らせて渦の中の対象処か、周囲の穢れを広範囲で一掃出来る。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第29話 私が船なら貴女は帆(前編)

今回、リラの交友関係がまた1つ明かされます。


 突然ですが、リラ達の在籍する霧船女学園水泳部は、水の都である蒼國市各校の水泳部の中でも、況してや全国の高校水泳の中でも決して弱小ではありません。それは確かに全国大会や国体で優勝した事も無ければ、年によっては関東大会止まりの時も有りますが、それでもそうした大会にはほぼ毎年出ており、国体でも何人かは必ず出場していると言う常連―――見方を変えれば“隠れた強豪”と言うべき学校なのです。

 部員数も毎年3学年合計しても何時も十数名程度ではありますけれど、それでも少数精鋭な所が有って1人1人の泳ぎの能力は高い方ですので、人気、知名度の高いその他の名門校には及ばぬ物の、それ相応に評価されています。

 

 蒼國の人間は皆泳ぎが上手です。然しそれは彼等の中では当たり前で特に自慢すべき事でもなく、競泳でわざわざ泳ぎを競うのは三度の飯より泳ぐのが好きと言う余程の物好きか、抜きん出た実力を持つ者ばかり。

 以前にも蒼國を自身の練習場に選ぶ水泳のアスリートは多く、金メダリストも御用達の環境だと述べた事が有りましたが、そうした蒼國市民の間で揉まれればその中から金メダリストが生まれるのも改めて納得と言う物でしょう。

 

 然し、そうした物好きや泳ぎの天才は他の龍洋や希望ヶ浜の様な部員の多く、レギュラー争いの激しい所謂「強豪校」に流れてしまいます。それ故に霧船女子に入って来る部員は毎年少なく、3学年併せても部員数の平均が十数名程度と言うのはそうした理由からでした。

 にも拘わらず彼女達の泳ぎの腕は、決して蒼國の中でも並みのその他大勢のレヴェルではありません。それ処か強豪校とも渡り合えるポテンシャルを有した者が、どう言う訳か例年入って来るのです。

 どうも『周りに流されずに自分だけの泳ぎを極める』と言う伝統が霧船女子には不文律として存在するらしく、その自分の泳ぎを周囲と競うでも無く追求し続けた姿勢により、結果論ではある物の毎年関東大会、年によっては全国に出場したり、国体に至っては常連と言うのですから大した物でしょう。

 水泳とは常に己との戦い……故に己の泳ぎが何か向き合い、極めんと日々精進するのが霧船女子擁する人魚達の原点であるならば、葵が美珠相手に心乱して敗退したのも、忍が故障したのもそう言う大事な原点から逸脱した結果なのかも知れません―――――。

 

 

 さて、些か前置きが長くなったが此処から本題に入りましょう。そんな水泳部と並んで霧船女子が誇る部がもう1つ存在します。それはズバリ、漕艇(ボート)部です!

 もうお分かりかと思いますが、今回は漕艇(ボート)部に籍を置く少女とリラの心の交流のお話をしましょう。

 

 

 此処で時系列はほんの少しだけ遡ります。それは6月の下旬、霧船女学園水泳部が総体を勝ち抜いた翌日の事でした。

 

 「ごめん葵ちゃん、私寄りたい所在るから先に行くね?」

 

 一足先に制服に着替えたリラは、そう言うと共に葵達より逸早く更衣室を出て行こうとします。因みに霧船女子の中で、1番早く制服に着替え終わるのは他でも無いリラなのです。水霊士(アクアリスト)としての力を使い、リラは身体と競泳水着の水を全て瞬時に取り払い、その上に制服を羽織って靴下を履けば良いのですから当然です。蛇足ですがリラは他の水泳部の女子の例に漏れず、下に競泳水着を着て登校してますが、行きも帰りも下に競泳水着を来ているのは彼女位の物です。尚、水霊士(アクアリスト)になった潤にも同じ事は出来ますが、未だなりたての彼女はリラ程素早くは出来ません。

 

 「えっ、リラ!?」

 

 「リラっち何処行くの!?」

 

 面喰う葵を横目にそう尋ねる深優に対してリラは答えます。

 

 「漕艇(ボート)部が練習してるとこ!」

 

 それだけ言ってリラはさっさと出て行ってしまいましたが、漕艇(ボート)部と聞いた葵達は「あぁ~……」と得心の言った表情でした。

 

 「ボ、漕艇(ボート)部?」

 

 「何だ?汐月の奴、漕艇(ボート)部に誰か知り合いでも居んのか?」

 

 「葵ちゃん、知ってる?」

 

 漕艇(ボート)部と聞いて先輩達が疑問符を浮かべる中、忍と潤が葵に尋ねます。葵は直ぐに口を開いて答えました。

 

 「あっ、はい潤先輩、忍先輩。同じ1年でウチのクラスの―――――」

 

 葵の口から出た知り合いの名を聞いた時、1番反応したのは意外にも瑠々でした。

 

 「えっ?その子って――――」

 

 「瑠々先輩、知ってるんですか?」

 

 葵達が驚いて瑠々と言葉を交わす中、当のリラは一目散に漕艇(ボート)部が練習している場所へと向かっていました――――。

 

 

 そうしてリラが向かった先は、嘗て彼女が葵達にアクアリウムを披露したウォーターフロントの河口付近でした。其処は蒼國でも一際大きな一級河川で、名を『龍涯川』と言いました。

 この川にはその昔、天から巨大な龍の亡骸が落下して出来たという伝説が有り、リラ達の通学路にある神船川もこの川の傍流でした。伝説を裏付ける様に、街外れの上流にある『蒼溟神社』には『蒼龍玉』なる藍色の宝玉が御神体として納められているそうです。

 無論、龍涯川以外にも多くの河川や水路が蒼國には存在しており、それぞれがそれぞれで河口へと繋がってますが、霧船女子を始めとした多くの学園の漕艇(ボート)部が龍涯川河口を練習スポットとして利用しています。

 

 「――――居た!」

 

 龍涯川の河原を訪れたリラの視界に飛び込んで来たのは、他の部員達が帰り支度を始めている中、1隻だけで練習している漕艇(ボート)部の少女でした。

 霧船指定の1艘のシングルスカルのシェル艇を漕ぐその少女こそ、リラのクラスメイトの少女で、名を『三河(みかわ)ヤマメ』と言いました。

 

 「あれ?あんた確か三河の知り合いの―――――」

 

 「はい!ヤマメちゃんのクラスメイトの汐月リラです!」

 

 先輩の1人から話し掛けられたのに対しリラがそう答えると、彼女は改めて川の向こうに居るヤマメに声を掛けました。

 

 「お~~~~いヤマメちゃ~~~~ん!!」

 

 リラの姿を遠目に確認すると、ヤマメは徐にボートの舳先を方向転換すると、そのまま岸へと戻って来ました。

 

 「リラ、どうして此処に?」

 

 戻って来たヤマメに対し、リラは答えます。

 

 「どうしてって、ヤマメちゃんに未だ言って無かったから……。」

 

 「何が?」

 

 「ヤマメちゃん、全国進出おめでとう!」

 

 一般的に漕艇(ボート)部は5月に県総体が行われ、更に6月に関東大会及びインターハイ県予選が有ります。そして7月に各地方毎に国体のブロック大会が行われ、8月にインターハイ及び1年生大会、9月には新人戦、10月に国体、11月に関東選抜大会、翌年の3月に全国高校選抜大会が有ります。特に3月のは『ボートの甲子園』と言っても過言では有りません。

 その大いなる第一歩として、ヤマメは総体を見事勝ち抜き、6月の県大会も同様に突破し、更にはインターハイ県予選も勝ち抜いて見せたのです!リラと同じで未だ1年生なのに何と言う卓越した才でしょう!

 

 「有り難う。リラ達も関東大会進出で来て凄いわ!」

 

 リラからの祝福の言葉を受け、対するヤマメもフッと微笑み返します。

 

 

 此処で更に時間を遡り、リラが未だ体験入部の為に部活動廻りしていた頃のお話をしましょう。

 それは何時もの様にリラ達が入る部活を決めるべく、アクアリウムで女生徒達の穢れを癒やす目的でバスケ、バレー、テニス、美術と体験入部を繰り返し、部活動廻りしていた時の事でした。

 

 「次の部活、此処にしよっか?」

 

 そう言ってリラ達が立ったのは漕艇(ボート)部の部室の前の扉。すると其処には、既に入部を決めていたヤマメの姿がありました。

 

 「あれ?汐月さん、五十嵐さん、吉池さんに長瀞さんまで……。」

 

 「あっ、三河さん……。」

 

 まさか同じクラスメイトのヤマメが既に入っていたとは思いませんでした。元々4人とヤマメはクラスが同じと言うだけで別段仲が良い訳でも無かった為、相手の事情にもノータッチで知らなかったのも無理からぬ話です。

 ですが、リラだけは事前に知っていました。この部活で穢れを抱えた者が誰なのかを――――――。

 

 「どうしたの?もしかして友達?」

 

 「えっ?あっ、いや、只のクラスメイトです。」

 

 2年の先輩に関係を問われるも、そう答えるだけのヤマメでしたが、リラの藍色の瞳はそんな彼女をジッと見つめていました。アクアリウムをこっそり発動させると、ヤマメから薄らと小さな黒い泡の様な物が断続的に出ているのが分かります。穢れです。

 そう、彼女が此処に入ったのも漕艇(ボート)部の人間の穢れを癒やす為だったのです。とは言え、今は体験入部の真っ最中なので、お試しではあっても漕艇(ボート)部の練習に参加せざるを得ません。

 ですが、リラ達を待っていたのは肉体的にもかなりハードな練習メニューでした。彼女達にとっての不幸は、その日の天候が生憎の雨だった事です。

 

 「うあぁキッツゥ~~~ッ!!」

 

 「1回回すだけでも一苦労じゃんこれ………。」

 

 「これがエルゴメーターなんだね………。」

 

 「漕艇(ボート)部って言うからボート漕げるって思ったのに……。」

 

 葵と深優が音を上げ、更紗とリラがげんなりしながら取り組んでいるのはエルゴメーター、通称“エルゴ”と呼ばれる機器を使った室内練習でした。この機器は冬の間や悪天候でボートが漕げない時にもボートを漕ぐ練習が出来ると言うバーチャルな代物で殆どの漕艇部、更には高校野球の練習にまで取り入れられており、1人乗りボートのシングルスカルは勿論、2人で漕ぐダブルスカル、4人で漕ぐクォドルプルに於けるチームメイトとの連動した動きも可能。体幹や股関節周りの筋肉を鍛え、素早く漕ぐ等の速さを磨くトレーニングにも最適。そして最大酸素摂取量の底上げも出来ます。

 

 「(ゼーゼー)も、もう駄目……。」

 

 「(ハーハー)私も……これ以上無理………。」

 

 肺活量まで鍛えられるのは大いに結構なのですが、それの向上ともなれば肉体に掛かる負荷がどれ程の物かは推して知るべしでしょう……。10分経つか経たないかの内に4人が余りの疲労感に肩で激しく息をする中、リラの視界に入って来たのは、殆ど表情や呼吸を乱さずに黙々と漕ぐヤマメの姿でした。

 

 「す、凄いね三河さん……こんなキツイ練習に音を上げないなんて………。」

 

 疲労で尚も弱音を吐く葵と深優。更紗は比較的体力がある方だから其処まで苦しそうでは有りませんでしたが、やはりキツいのか肩で息するだけで喋っていません。リラはテミスのバックアップのお陰で疲労を現在進行形で回復しており、疲れてはいても3人より幾分余裕が有りました。

 疲れに参っている3人を横目にリラがそう感心していると、近くにいた1年生が意外な言葉を発します。

 

 「そりゃそうでしょ。あの子……ヤマメは中学の頃からずっとボート漕いで来たんだから。」

 

 中学の頃の彼女を知っていると言う事は、その1年の女子はヤマメと同じ中学出身なのでしょう。続いて近くに居る3年の先輩も口を開きます。

 

 「聞けばあの子、三河部長の妹みたいだし?あれ位は出来て当然よ!」

 

 聞き慣れない人物の名を耳にしたリラは当然質問します。

 

 「“三河部長”って……?」

 

 「ウチの漕艇部、去年全国で優勝したんだけどその立役者こそ『三河桜(みかわサクラ)』先輩なの!そんで、あの子は三河先輩の妹って訳。」

 

 「まっ、今年3月に卒業した人だし、4月に入って来たばっかの貴女達が知らないのも無理無いけどさ。」

 

 先輩達の言葉を聞いて4人は唖然となります。まさかヤマメがそんな凄い子だったとは夢にも思わなかったのですから当然です。とは言え、中学時代のヤマメを知っていると思しき先程の子を含めた1年生の新入部員達は、既にヤマメの姉の事も知っていたのか、別段驚いてはいませんでした。

 何れにせよ、漕艇に於ける有名人の妹としてボートに打ち込んで来たのであれば、あんな拷問器具(エルゴメーター)での練習に耐えられるのも納得と言う物です。

 ですが、それを踏まえてもリラにはどうにも腑に落ちません。そんなボートのサラブレットみたいな子がどうしてあんなに苦しそうに練習してるのでしょう?肉体的にキツイからとか、そんな次元の話では無い気がしてなりません。アクアリウムで見ても、未だヤマメからは沸々と黒い泡が出ています。

 

 「へぇ、三河さんって凄い子だったんだ……。」

 

 葵がそう何とは無しに口にすると、2年の先輩が口を開いて言います。

 

 「そうね。あんな凄い人の妹なんだもん。優勝するとこまで行って貰わなきゃ示し付かないでしょ?」

 

 「でもさー、桜先輩が凄かったからって妹までそうとは限んないじゃん?」

 

 すると部長と思しき3年の先輩も続きます。

 

 「まっ、どっちにしたってあの三河部長の妹なんだもん。どんだけ出来るかに期待ね!」

 

 こうした先輩達の言葉を受けてリラは何と無くですが悟りました。姉であるその桜と言う人の存在がヤマメにとっては重荷であり、周囲の期待が深海の水圧の様に圧し掛かって苦しい。それが彼女の穢れの原因だと。

 然し、それを分かった所で今は練習中の身。今直ぐにどうこうは出来ません。海底の砂に潜って獲物を待ち受ける鮃か鰈の様にじっとチャンスを待つしか無いのです。

 

 すると折しも雨が止んで空が晴れました。その様子を受け、急遽予定を変更して学校の近くの龍涯川でボートを繰り出して漕ぐ事となりました。

 無論、先程まで雨が降っていた手前、川の水嵩が増して流れも少し急になっているかも知れませんが、基本的に河口は川の中でも下流に位置しており、水も多くて緩やかな物。多少急になろうが水嵩が増そうが大した変化は有りません。

 とは言え、それでもリラ達はボートに関してはずぶの素人。ライフジャケット着用及び先輩と顧問教師の監視の下、ダブルスカルで慎重に漕ぐ事となりました。組み合わせは先程のエルゴと同じく葵と深優、リラと更紗です。

 

 「うわ、ボート細っ……。」

 

 「バランス崩したら即ボチャンだよね……。」

 

 「馬鹿ね、あんた達素人にシェルは早いわよ。乗るのはナックルの方だから安心なさい。」

 

 漕艇で使われるボートには主に『シェル艇』と『ナックル艇』の2種類があります。後者はオーソドックスな大きさのボートで安定性が有り、沈みにくい為に初心者向けのボートと言えます。一方、前者のシェル艇は細長く、水との摩擦を軽減して早く動ける様に設計されたボートですがバランスを取るのが大変で、十分技術を磨いた経験者向けのボート。

 てっきり細長い方のシェル艇に乗る物とばかり思っていた葵と深優でしたが、直ぐに3年の先輩から程良い大きさのナックル艇を宛がわれたので4人はホッとしました。

 

 とは言え、やはり初めての船出は難しい物です。漕艇競技(レガッタ)の基本姿勢として、先ず自分の向いてる方向と逆方向にオールを漕いで前進するのが大原則です。

 更にオールで水を漕ぐ際も色々と大変で、先ずはオールの先端にある「ブレード」と呼ばれる平たい部分を水面と垂直にして水中に入れる『キャッチ』。

 次に着水したオールをなるべく一定の深さのまま引かねばなりませんが、その為には先ず脚を伸ばし、伸ばし切ったら上半身を後ろに振って最後に腕を引き、引き切ったら素早くオールを水中から引っ張り出す『ソー』。

 最後は先程とは逆に腕を伸ばし、上半身を前に倒して脚を曲げます。そして再びキャッチ、続いてソーと繰り返す………この一連の所作を『ロー(raw)』と呼びます。

 

 「ホラ、声出して!キャッチ、ソー!キャッチ、ソー!!」 

 

 「は、はい…キャッチ、ソォ~!キャッチ、ソォ~~ッ!」

 

 監視役の先輩から促され、リラ達はそう掛け声を上げながら下手なりに何とかオールを漕いで進んで行きます。

 リラの場合は何とか更紗が頑張ってくれたのと、周囲の水霊達が楽しそうに泳ぎながら話し掛けて来る為、大変でも遣り甲斐を感じて何とかオールを動かす事が出来ました。一方、葵と深優の歩みは遅く、余り前に進めていませんでした。

 ですが、自身の問題以上にリラが気になっていたのはヤマメです。経験者である彼女は1年の中では唯一シェル艇に乗り、しかもシングルスカルでグングン前に進んでいるのですが、遠目から見ても彼女が何処か苦しそうで楽しんでいない様に見えてなりません。それが証拠に依然としてヤマメの身体からは穢れが立ち昇っています。

 

 (三河さん……。)

 

 リラが心配そうに前を行くヤマメのボートを眺めていると、更紗から声が掛かります。

 

 「ちょっとリラ!何後ろ向いてんの!?それとちゃんと声出して!!」

 

 「あっ、ごめん!キャッチ、ソー!キャッチ、ソー………」

 

 更紗の言葉で現実に引き戻されたリラが再び目の前の作業に集中している時でした。

 

 (頑張らなきゃ……!お姉ちゃんみたいにならなくちゃ………!!)

 

 ヤマメの心には、姉に対するコンプレックスが鳴門海峡の様に渦を巻いていました。去年霧船を優勝に導いた姉の桜……彼女の背中に追い付き追い越そうと頑張ってるのに、全然追い付けてない自分への苛立ち―――――。

 ボートだけに限らず、姉は日常でも色んな事を卒無くこなしているのに、不器用な自分は姉の様に出来ない―――――。

 憧れの姉に追い付くべく漕艇(ボート)部に入って頑張ろうと思っていたら、待っていたのは桜を知る先輩達からの『昨年部を優勝に導いた英雄の再来』と言う期待と羨望―――――。

 色んな物が海底に沈殿して行くヘドロの様にヤマメの心に堆積し、苦しめていたのが穢れの正体でした。

 

 ヤマメがこれから岸に戻ろうとしたその時です。不意に風が強く吹いたかと思うと、ヤマメのボートはバランスが崩れてグラグラとフラ付き出しました、それ以前からヤマメは室内練習での疲労も十分取れていないまま、ペース配分を考えずに漕いでいた為にバテていた為、何とそのままボートは横転してしまいました。

 

 「えっ、あっ、あぁ~~~~~ッ!!」

 

 突然響いたヤマメの悲鳴に、リラや漕艇(ボート)部のメンバーが声のした方を向くと、視界に飛び込んで来たのは横転した1艘のシェル艇でした。

 

 「えっ!?」

 

 「三河さん!?」

 

 「ちょっ、嘘でしょ!?」

 

 突然のアクシデントに現場は騒然となりました。まさかボートが横転する事故が発生するとは夢にも思っていなかったのですから当然です。

 幸い彼女は蒼國市民で泳ぎは得意だったし、ライフジャケットを着ていた為に溺れる心配も無く、直ぐに顧問の先生が駆け付けて自らのボートの上に乗せた為に事無きを得ました。

 

 

 「全く……何を考えてるんだお前は!?」

 

 岸へ戻った時、ヤマメを待っていたのは顧問教師からの叱責でした。

 

 「風や波を読まず無茶な漕ぎ方するからそんな事になるんだ!去年部を優勝させた三河の妹だって言うから期待したが、そんな姿を見たらあいつだって泣くぞ!?」

 

 その言葉を聞いたヤマメの心は、悔しさと劣等感で時化の様に荒れ狂い始めました。リラがこっそりアクアリウムで見ると、既に穢れが激しく迸り始めていました。彼女の中の内なる水霊(アクア)もさも苦しく転げ回った末、死んだ様に動かなくなりました。

 

 (あれは不味い!早く癒さないと……!!)

 

 「あーあ、三河部長の妹だって言うからどんだけ凄い子だろって思ったんだけどなぁ~…。」

 

 「姉は姉で妹は妹か。まっ、片っぽ優秀で片っぽ出来損ないなのは兄弟姉妹(きょうだい)あるあるだから仕方無いよね。」

 

 口々に先輩達が失態を犯したヤマメの事でそう野次ると、当のヤマメは俯いたままワナワナと身体を震わせます。

 

 「ちょっと先輩達!幾等何でもそんな言い方……」

 

 此処で葵が抗議の言葉を上げた瞬間、追い詰められたヤマメはその場から逃げ出してしまいました。

 

 「あっ、三河さん!?」 

 

 「待って!」

 

 咄嗟にリラ達4人がヤマメを追って走り出します。

 

 「……どうする?」

 

 「放っとけば?あれで逃げ出す様ならそれまでの子なんだし!」

 

 「そうだね。放っとこ。あんな1回ミスした位で逃げ出す様な子なんて…。」

 

 精神的に追い詰める切っ掛けを作ったのを棚に上げ、冷たい態度を取る3年の先輩達ですが、顧問の先生は御構い無しに練習の続行を促します。

 

 「安藤の言う通りだ。さっ、皆気を取り直して練習の続きだ!」

 

 「はいっ!」

 

 (三河……本当にお前はこれで終わりか?違うよな?お前はあいつの妹なんだから……!)

 

 ですが先生は信じていました。ヤマメなら必ず再起すると……!

 

 

 一方その頃、ヤマメは部室に戻り、帰り支度を始めていました。

 

 「ごめんお姉ちゃん……やっぱり私、お姉ちゃんみたいには………!!」

 

 今回の失態の所為で周囲からの評価が下がり、やり切れない思いのヤマメはそのまま辞めようかと追い詰められていました。部室に飾られた、在りし日の姉の写真を見ると、ヤマメの目からは悔し涙が決壊したダムの水の様に溢れ出します。

 

 「三河さん!!」

 

 そこへ現れたのは我等が水霊士(アクアリスト)のリラです。後ろには更紗、そして疲労の中で遅れて葵と深優も駆け付けました。

 

 「汐月さん達、どうして此処に?練習は?」

 

 突然現れたリラの存在に面食らうヤマメに対し、リラは答えます。

 

 「練習よりも三河さんの穢れの方が私には大事よ!」

 

 「穢れって……何の事?」

 

 聞き慣れない「穢れ」と言う単語(ワード)にヤマメがキョトンとするが早いが、リラはアクアフィールドを展開。忽ち部室は水中の様に泡が立ち昇り、魚を始めとした水生生物が泳ぎ回る空間に早変わりです。

 続いてリラはそのままブルーフィールドを形成。周囲の色彩に青色のオーバーレイが掛かり、いよいよ深い水の底にいる様な奇妙な感覚がヤマメを襲います。

 

 「なっ…何なのこれ?って言うか息が……苦しい……?」

 

 「息が出来ないのは当たり前よ。だって三河さん、心と身体に穢れを抱えてるから……。」

 

 リラがそう言って両手を広げると、無数のグッピーやプラティ、モーリーと言ったメダカ科の熱帯魚を思わせる水霊(アクア)の大群が一斉に部室を埋め尽くしたかと思うと、その内の数割がリラの両手に集合するとコバルトブルーの光の球を形成します。

 

 「リラっち、外の様子は私達が見てるね?」

 

 「うん、お願い!」

 

 深優の言葉を受け、第三者が来ない内に早く癒そうとリラは両手の光の球を前に突き出します。

 球は光の水流へと変わってそのままヤマメを取り囲んだかと思うと、そのまま二重の螺旋を形成。螺旋の中でヤマメの身体は宙に浮き、さながら波間に漂う流木の様にゆったりと公転し始めました。アクアリウムの基本の術『クラリファイイングスパイラル』です。

 光の螺旋からは非常に心地良いせせらぎの音が発せられ、“1/f揺らぎ”との相乗効果でヤマメの中からストレスによる毒を消し去って行きます。

 

 「さっきから…訳が分かんないけど……何だろう………?とっても温ったかい…………。」

 

 朦朧として行く意識の中、ヤマメの身体から出て来る黒い穢れの泡は白い光の泡になり、彼女の中の水霊(アクア)も復活して活性化。

 最後にクラリア達が彼女の身体を光の二重螺旋となってヤマメを貫き、彼女の内なる水は完全に癒されました。

 

 「んっ……!」

 

 くぐもった声と共に目を開けると、ヤマメの視界にはリラの姿が飛び込んで来ました。

 

 「汐月さん……?」

 

 「気分はどう、三河さん?」

 

 リラに話し掛けられ、ヤマメは気付きました。先程までの懊悩や劣等感、苛立ち――――そう言った負の感情が自分の中からすっかり消えており、代わりに体力と気力が練習に臨む前…いいえ、それ以上に回復していた事に――――。

 

 「不思議……心も身体もスッキリして、元気が湧いて来るみたいな感じ………。」

 

 「良かった!」

 

 ヤマメのリアクションに対して喜色の表情を作ると、リラは続けます。

 

 「あのね三河さん、実は私は―――――」

 

 リラは説明しました。

 自分は水霊(アクア)と呼ばれる水の精霊の力を使って穢れた水を浄化し、人の心と身体を癒やす水霊士(アクアリスト)である事を―――――。

 そして今回の体験入部は、ヤマメの穢れを癒やす為に参加した物であった事を――――。

 

 「そうだったの……。水の精霊なんて言われたって信じられないけど、さっきの汐月さんを見る限り信じるしか無いわよね………。」

 

 「三河さん、それとこれが貴女の中に宿る水霊(アクア)よ。ホラ!」

 

 そう言ってリラがヤマメの胸元に手を伸ばすと、中から出て来たのはメンダコの様な姿をした水霊(アクア)でした。黄肌色の身体の円周上に青や紫の宝珠が付いています。

 

 「やだ、可愛い……。」

 

 自身の中に宿る水の精霊の姿を見て、思わずそう声を漏らすヤマメでしたが水霊(アクア)は直ぐに彼女の中に戻ってしまいました。

 

 「あっ、戻っちゃった。ねぇ、名前何て言うの?」

 

 (ブレラ………私はブレラだよ…………。)

 

 リラの問い掛けに対し、ヤマメの内なる水霊(アクア)は恥ずかしそうな声で『ブレラ』と答えました。どうやら余り表に出たがらないシャイな性格の様です。

 

 「ブレラか……ねぇ三河さん、もしかしてお姉さんの事で何か嫌な事でも有ったの?」

 

 リラが優しくそう尋ねると、ヤマメは俯いたまま口を開いて言いました。

 

 「違うの……私にとってお姉ちゃんはずっと憧れだった………。ボートに乗ってるお姉ちゃんはカッコ良くって、料理も裁縫も勉強も出来て………でも私はお姉ちゃんみたいに上手に出来なくって………なのに皆からまるでお姉ちゃんの代わりみたいに期待されて………それに応えようとしたらどんどん苦しくなっちゃって………。」

 

 気付けばヤマメの目から再び涙が滲んで来るのが見えました。すると葵が言いました。

 

 「本当にそれだけなの?」

 

 ヤマメは答えます。

 

 「お姉ちゃん……高校出た後に海外の大学に行っちゃって………寂しかった………一緒にボート乗れなくなって、教えて貰いたい事だって色々有ったのに………うっ、うぅっ………!」

 

 そう言ってヤマメは両手を覆って静かに啜り泣きを始めました。そんな彼女の姿に、リラは孤独な自分の身の上がダブって見えたのか、悲しそうにヤマメの姿を見つめるしか出来ませんでした。

 

 (リラ………。)

 

 窓からリラの様子をテミスが見守る中、当の彼女は暫しの沈黙を破り、ヤマメの両肩に手を置いて言いました。

 

 「…三河さんはどうしたいの?」

 

 「えっ……?」

 

 「三河さんはボートに乗るの楽しくないの?お姉さんがどうとか、そんな事の為に頑張ってるの?」

 

 このリラの問い掛けに対し、ヤマメは沈黙せざるを得ませんでした。

 

 「1回お姉さんとしっかり向き合って話をしたらどうかな?ボート続けるかどうかは、そうやって自分の気持ちを見直してから決めようよ?それが今の三河さんに必要な事じゃないかしら?」

 

 透き通るリラの藍色の瞳に見つめられ、ヤマメは暫く言葉を失っていましたが、直ぐに頷きました。

 

 「有難う、汐月さん……。」

 

 「私の事はリラで良いよ。こっちも貴女の事はヤマメちゃんって呼ぶね!」

 

 「うん……リラ!」

 

 その後、ヤマメは海外にいる桜に電話で自身の苦しみを打ち明けました。妹に対して桜は、「ヤマメはヤマメらしく頑張りなさい。焦らないで自分を信じて!」と優しく励まし、その言葉に吹っ切れたヤマメのボート捌きは見違える様に上手くなり、徐々に頭角を現して行ったのです。それにつれて周囲も、そんなヤマメの事を少しずつ認め始めたのでした。

 一方、リラはボートの上で水霊(アクア)と対話するのは楽しいけれど、やっぱり直接水と触れ合うのが1番と言う事で漕艇(ボート)部への入部を見送り、その後、紆余曲折を経て水泳部への入部を考えて今に至ったのでした。

 尚、今回の件でリラの正体と水霊(アクア)の事を知ったヤマメは、自身が姉への劣等感を脱して一皮剥ける切っ掛けを与えてくれたとして、リラやその延長として葵達ともその後の学校生活での交流を経て親しくなり、水霊(アクア)の秘密を共有する仲となりました。言うなればヤマメも水霊仲間(アクアメイト)なのです。

 余談ですが、彼女が5月の総体で見事に結果を出せたのも、やはりリラのアクアリウムとその後のアフターケアが彼女の心を癒やし、より大きく成長させたのも理由の1つでしょう。これが続く6月の関東大会及びインターハイ県予選にも繋がっていると思うと、リラとしても感慨深いのは確かです。

 

 

 さぁ、水泳部入部前にリラに起きた出来事について一通りお話して来ましたが、次からは現在進行形の話の流れを辿って行きましょう!




キャラクターファイル30

三河ヤマメ

年齢   15歳
誕生日  6月14日
身長   159㎝
血液型  B型
種族   人間
趣味   ハーブの栽培
好きな物 屋形船

霧船女学園1年生でリラのクラスメイト。リラ達と違って漕艇(ボート)部に所属している。
家は造船所を営んでおり、競艇やレガッタに使われる様なボートからイベントに於ける屋形船のレンタルまで幅広く扱っている。その関係か、家が漁師と養殖業を夫婦で営んでいる縷々とは顔見知りの仲であり、同時に彼女とは同じ中学出身である。
リラ達4人とは仲が良く、漕艇(ボート)部に4人が体験入部に来た際にリラに癒された所から確かな縁が生まれ、その後の学校生活の中で彼女と確かな友人関係へと発展して行った様だ。
嘗て霧船のボート部には自分の姉の『三河 桜』が在籍しており、彼女はその卓越した腕とリーダーシップでチームを纏めて前年霧船を優勝に導いた才媛であった。ヤマメも妹としてそんな桜を尊敬していたが、同時に姉の様に上手く出来ない自分に対してコンプレックスを抱いていた。
桜を知る先輩達からの色眼鏡も有って上手く漕げず、そのままうっかりボートを横転させると言う失態を演じて穢れを生じさせたのをリラから癒されたのを機に、姉に弱音を打ち明け、励まされてからは自分らしい漕艇を追求すべく日々精進している。
ボート自体は中学の頃からずっと漕ぎ続けて来た為に決して初心者ではなく、それ処か天才的なボート乗りの姉から教わって来た為に腕は高校1年にして頭角を現す程高く、その性格も一途な努力家である。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第30話 私が船なら貴方は帆(後編)

此処からはプラちんも活躍します!


 ヤマメがインターハイ県予選を勝ち抜いた事をリラが祝福すると、当の彼女は先輩達に対して言いました。

 

 「済みません、この子と…リラと話が有るので先に帰ってて下さい!」

 

 「分かった!」

 

 「余り遅くなるなよ?」

 

 そう言って先輩達と顧問の先生、そして一緒に入部した1年の女子達が一足先に学校へボートを担いで戻って行く中、ヤマメはリラに対して告げました。

 

 「リラは全国に出れる事喜んでくれたけど、出れるのは1年じゃ私だけよ?後は2年の先輩からクォドとエイトで1組ずつ、3年からはダブルで1組出るけど。」

 

 「えっ、1年はヤマメちゃんだけなの?それでも結構凄いじゃない!」

 

 漕艇(ボート)部に於けるインターハイ予選では、各種目で1位の成績を収めた者だけが8月の全国大会へ出場する事を許されます。それ以下は許されない、極めて厳しい狭き門です。

 

 「確かにシングル1位で何とか私は全国に出れた。でもギリギリだった……現役の時のお姉ちゃんはぶっちぎりだったのに……比べたってしょうが無いのは分かってても、やっぱり悔しくって素直に喜べない!」

 

 そう言って右の拳を強く握るヤマメを見て、リラは同情よりも何故か嬉しさを感じていました。何かに真摯に打ち込んでいれば、「悔しい」とか「もっと上へ行きたい」って思うのは人間らしい正直な姿です。美しさすら感じる気高い感情です。今はその感情が辛くても、それはきっと後でヤマメにとって大切な糧になる。この子も素敵な青春の時間の真っ只中にいる!同情なんてするのはそれこそ野暮と言う物でしょう!?

 

 「…分かるよ。私だって何とか勝ち残れたけど、それでもギリギリだった。もっと速くなりたいって、競泳やってて本気で思った!」

 

 「全国はあれよりもっと上の選手達と戦わなきゃいけない……だから皆が帰った後も1人で残って練習してたの。」

 

 「私だって毎日頑張ってるよ。全国や国体に1人も欠けないで参加したいって言う星原先輩の願いを叶える為に!」

 

 「えっ?星原先輩の!?」

 

 すると、ヤマメは“星原先輩”と言うリラの言葉を受けてさも驚いた様なリアクションを見せます。同時にヤマメはフッと笑顔を浮かべて言います。

 

 「1人も欠けないで皆で大会に………そっか!先輩らしいな!」

 

 「あれ?ヤマメちゃん、星原先輩の事知ってるの?」

 

 「知ってるも何も星原先輩は……」

 

 「あんたと同じ中学の出身!そうでしょヤマメ?」

 

 不意に第三者の声が聞こえたかと思って振り返ると、其処には瑠々の姿がありました。葵と深優と更紗、水夏も一緒です。

 

 「えっ?先輩!?それに葵ちゃん達も何で……?」

 

 「ヤマメの事を皆に話したら瑠々先輩が1番反応しちゃってさ……。」

 

 苦笑交じりに葵が言うのを他所に、瑠々がヤマメの肩に手を当てて言います。

 

 「この子はね汐月、わたしや水夏と同じ蒼國二中から霧船入ったの!」

 

 「星原先輩……。」

 

 「ふ、2人が知り合いなのは分かりましたけど、どう言った関係なんですか…?」

 

 突然瑠々が現れた事を受けて困惑するヤマメの様子を見て、リラは思わず質問をします。それに答えたのは意外にも葵でした。

 

 「ヤマメの家って、蒼國(じもと)でも大きい造船所やってるの。」

 

 「えぇっ!?ヤマメちゃんの家って船造ってるの!?」

 

 葵からのまさかのカミングアウトに驚くリラでしたが、それと瑠々と一体どう言う関係が有るのでしょう?

 その答えを告げたのは当然と言うべきかヤマメ本人でした。

 

 「うん、それで星原先輩の家はお父さんが漁師やっててお母さんが養殖業やってるの。」

 

 「その関係でヤマメの家には船の事とかで色々とお世話になってるし、わたしも漕艇競技(レガッタ)じゃないけどボートや屋形船とかで出入りしてるから、その関係で親しくなったって訳♪」

 

 「まっ、同じ中学で瑠々とは幼馴染でも、別に私は三河さんとは接点無かったけどね……。」

 

 「あぁ~成る程。そう言う訳ですか。」

 

 最後を締め括った瑠々の説明により、リラは漸く得心が行きました。最後の水夏の説明は余計でしたが……。

 

 「それより見たわよヤマメ!動画であんたがボート漕いでるとこ!お姉さんに負けず劣らずカッコ良かったわよ?」

 

 「あの、星原先輩……」

 

 先程薄氷(ギリギリ)の1位で終わったのを悔しく思っていたヤマメの姿を知っていた手前、何も知らずに蒸し返す瑠々の姿は野暮以外の何物でも有りません。

 悪意ゼロで無自覚にヤマメの傷に海水を掛ける瑠々の言葉に、思わずリラが声を挙げようとした時です。

 

 「未だ足りないんです!」

 

 不意にヤマメが声を挙げました。突然の出来事にその場に居合わせた者達は凍り付きます。肩で息しながら苦しそうな表情でヤマメは続けます。

 

 「リラから聞きました!星原先輩達は1人も欠けないで全国出たいって!!私だってボート乗りとしてもっと上に行きたいんです!!今のままで全国通用するのかなって思ったら、不安で怖くてしょうがないんです!!」

 

 すると水夏が不意に瑠々の傍に歩いて来ると、乱暴に彼女の耳を引っ張ってそのまま強引にヤマメから引き剥がします。

 

 「事情は良く分かんないけど、あんたが余計な事言ったのは確かね。一言多いのよ、何時もあんたは!」

 

 「痛だだだだだだッ!?ちょっ、何すんのよ水夏離しなさいよォォォ~~~~~~ッ!!」

 

 そう言って2人がフェードアウトして行くのを苦笑いしながら見届けると、リラが言いました。

 

 「大丈夫ヤマメちゃん?またアクアリウムする?」

 

 「有難う…でも平気。もうこんな事で穢れって言うのを溜め込む程、私だって柔じゃ無いから……。」

 

 「こっちは柔らかいけどね♪」

 

 「ひやあぁぁぁんっ♥」

 

 「止めなさいよ馬鹿深優!!」

 

 「あぁんっ、コラ!は~~な~~~せぇ~~~~ッ!!」

 

 不意に深優が背後に回り込んでヤマメの胸に手を掛けた物だから、思わずヤマメは嬌声を挙げて驚きます。すると葵が深優を引き剥がして同じ様にフェードアウト。河原で瑠々と水夏、葵と深優と言う幼馴染コンビ2組がそれぞれで騒ぎながら喧嘩漫才(キャットファイト)を繰り広げると言う光景が広がっていました。

 そんな彼女達の姿に、3人は「アハハ……」と呆れながらも笑うばかりです。全くこの4人は一体何しに来たのでしょうか?

 そんな中、口を開いたのは更紗でした。

 

 「気持ちは分かるけどヤマメ、焦っちゃ駄目よ?私も水泳やってて思ったけど、ボートだって何だって勝負って言うのは結局、自分との戦いだって思うから……。」

 

 「まぁでも、また辛くなったら何時でも声掛けてね?その時はまた私が癒やしてあげるから!」

 

 更紗に続いてリラもアクアフィールドを展開し、近くを泳ぐグッピー型の水霊(アクア)達を近くに纏い付かせて言いました。

 

 「…有り難う。皆のお陰でまたやる気出て来た!じゃあ私はこれで!」

 

 そう言ってヤマメが去って行こうとした時です。

 

 「待ってヤマメちゃん!」

 

 不意にリラに呼び止められてヤマメが振り向くと、リラは徐に彼女の中に宿る内なる水霊(アクア)のブレラを取り出して言います。

 

 「あれって、ヤマメの中の水霊(アクア)?」

 

 「えっ?あれが!?」

 

 「メンダコみたいで可愛い……。」

 

 リラがヤマメの内なる水霊(アクア)を取り出す様子をアクアヴィジョンで更紗が見たのを受け、先程までキャットファイトしていた瑠々と水夏もアクアヴィジョンでブレラの姿を確認します。

 

 「リラっち、ヤマメンの水霊(アクア)……ブレラなんて出してどうするの?」

 

 「あんた良く名前覚えてたわね……。」

 

 同じくさっきまでじゃれ合いっていた深優と葵も一緒になってアクアヴィジョンでブレラの姿を眺める中、リラはブレラに言いました。

 

 「ブレラ……ヤマメちゃんを映して!」

 

 するとブレラは忽ちヤマメの姿になりました。何時か忍に施した『ミラーリングアクアリウム』です!

 

 「えっ、私!?」

 

 突然自身の中の水霊(アクア)が自分と瓜二つになったのを見て、ヤマメは困惑します。

 

 「もしかして汐月、あれやる心算?」

 

 「多分そうだと思う…。」

 

 忍の時に1度見ていた為に葵と深優と更紗の3人は特に何の感慨も無く見つめていましたが、何故か初見である筈の瑠々と水夏が特に驚いた様子も無くその光景を見届けているのは何故でしょう?

 

 「ヤマメ、貴女の事を中からずっと見て来た者として言っておくね………。」

 

 ヤマメの姿を映したブレラは宿主の彼女に対して告げました。彼女がこれから漕艇競技(レガッタ)で上に行く為、何が足りなくてそれをクリアするにはどうすれば良いかを――――。

 その助言の1つ1つは今のヤマメの在り様を全て如実且つ完璧に表しており、多少厳しい事でも納得せざるを得ませんでした。

 因みにこうしたミラーリングアクアリウムによる内なる水霊(アクア)とのカウンセリングは、総体が終わった後の霧船女子のメンバー全員にもリラは行っていました。瑠々と水夏が別段驚いていなかったのはその為です。勿論最初は驚きましたが、2度目からは普通に見慣れた物として受け止めています。

 どんなコーチよりも、もう1人の自分自身とも言うべき内なる水霊(アクア)以上に優れたコーチは存在しません。それは内なる水霊(アクア)達が1人1人生まれた時から自身の中に宿り、その成長を見守って来た存在であり、同時に当人の事を当人以上に知り尽くしているからです。更に水霊(アクア)として、あらゆる知識を水を通して知っていると言うメリットも大きい。

 そんな内なる水霊(アクア)から今後の自身の能力、技術の向上についてカウンセリングされれば、それは無量大数%的確な“答え”となります。ならば後はそれに則って練習するだけ!

 彼女達の内なる水霊(アクア)を1人1人の専属コーチとして助言を仰ぎ、残り少ない時間の中でそれぞれどう練習して己を磨けば良いかを伝える事で、リラ達は来るべき次の大会へ向けて明確に定まったベクトルの下に練習して来たのでした。故に、今更ヤマメに同じ事をリラがしているのを見た所で葵達は然して驚きはしません。

 

 

 「必要な事は伝えた……後は自分を信じて頑張るだけだよ………。」

 

 そう言い残すと、ブレラは元の姿に戻ってそのままヤマメの中に戻って行きました。黄昏の潮風がその場にいた彼女達の頬を撫ぜます。

 

 

 「ホラ皆、キャッチ、ソー!キャッチ、ソーッ!」

 

 次の日も漕艇(ボート)部の子達は1年から3年まで練習に励みます。6月の関東大会及びインターハイ県予選を突破した者は全国へ向けて練習に励み、それ以前の大会で敗退しても未だ次が有る者は次の勝利の為にオールを漕ぎ、より速く水の上にボートを走らせます。

 その中でもヤマメは1人シェル艇に乗り、一層精を出して練習に励んでいました。より真剣な表情で、自分の事を自分以上に知る内なる水霊(アクア)の言葉を信じ、力強くオールを水面に切り込ませ、そして引っ張り上げる。

 

 「どうしちゃったの三河の奴?」

 

 「昨日同じクラスの子と話してたみたいだけど、あれから雰囲気変わってない?」

 

 「でも、三河さんのあんな頑張ってる姿見たら、私も負けてられないって思うな……。」

 

 「えっ?」

 

 姉の呪縛を断ち切り、自分を信じ、自分らしく前に進む――――それをモットーに練習に励むヤマメの姿には、それ以前からも同級生は勿論、2年や3年の先輩達にとっても不思議とやる気や熱意を奮い起こさせる物が有りました。

 内から発せられる穢れは周囲の水霊(アクア)を蝕み、周囲の人間関係を損ねますが、人間の内から発せられる物は何も穢れ等と言うマイナスな物だけでは無い筈です。何かに対して強く、直向きに向き合い、臨み、挑むそのプラスの想いだって存在します。

 以前にもお話しましたが、70%の水で覆われた地球同様、人間の身体も70%の水で出来ています。それは人間がまさしく人の形をした地球其の物と言う事!

 そして地球の海に生まれる海流は、海水に於ける表層循環や深層循環から生じるとされています。特に後者の深層循環は、海水内の温度や塩分の数値の変動によるそれ等の密度の不均一で起こる為に別名を熱塩循環と言います。

 何かに対する人間の思い入れや熱意、その変動は、海流に例えるならばまさしくこの熱塩循環でしょう。同時にこの海流の循環は地球の気候変動にも影響を及ぼしますが、周囲の先輩や同級生の心の気候にも影響を及ぼす程のヤマメのボートへの情熱は、まさしく彼女の中の熱塩循環其の物と見て間違い有りません。

 

 「あいつのあんな姿見てたら、もう1回頑張ってみよっかなって思っちゃうよね……って言うか思わずにいられないわ!」

 

 「はい、先輩!」

 

 「私達、今年は駄目だったけどヤマメとなら行ける気がします!」

 

 確かなボートへの才覚と信念を持って打ち込むヤマメの姿に、総体や関東大会で敗退してしまった1年生の子達や、未だ後1年残ってる2年生の先輩達は自ずと触発され、次の大会に向けてヤマメに遅れを取るまいと今日も練習に励みます!

 今日も霧船女学園漕艇(ボート)部の乙女達は、「キャッチ、ソー!」の掛け声を龍涯川に響かせながらシングルスカル、ダブルスカル、クォドルプル、エイト問わず各々のボートを駆り、より速く、より優雅に水面を駆け抜けて行くのでした。

 

 

 それから数日、リラ達がプラちんと遭遇してからの事です。

 

 「次!」

 

 何時もの様にリラは練習に励んでいました。みちるのホイッスルの音と共に、忍とバタフライで100mを泳ぎ切ります。自身にも課したミラーリングアクアリウムでクラリアから受けた指導を下に練習を重ねた結果、タイムもあれから更に縮まって1:16秒台となりました。

 忍に至っては1:07:49秒と、6月と比べても5秒近くにまで縮まりました。普通の泳ぎでこれなのですから、ゾーン状態ともなれば最高で1:02秒台に迫る程の速さが見込めるでしょう。

 

 「忍先輩、また速くなりましたね!」

 

 「たりめーだろ?全国もそうだが国体だって控えてんだからよ!日々是精進だぜ!お前だってそうだろ汐月?」

 

 「……はいっ!」

 

 そんな遣り取りを遠目から他のメンバーも微笑ましく眺めます。

 

 「汐月もすっかり競泳の選手ね♪忍も楽しそうで何よりだわ。」

 

 「わたしもあの2人を見てるともっと頑張ろうって思います!」

 

 みちると潤がそんな言葉を交わしていた時でした。俄かに空が曇り、強い風が吹き始めたのです。小雨もパラ付き出したかと思うと、直ぐに雨脚も強まり始めました。

 

 「不味いわね。降って来たわ!皆、練習は中断よ!」

 

 突然の雨を受けてみちるは練習の中断を発表。リラ達は更衣室に戻ります。雨と風は更に勢いを増し、ともすれば嵐の一歩手前と言う程の荒れ模様です。

 

 「酷ぇ雨だな……。」

 

 「そう言えば漕艇(ボート)部の子達は大丈夫かしら?」

 

 「安藤さんや秋穂達、大丈夫かな?」

 

 突然の悪天候の仲、忍とみちるは龍涯川で練習している漕艇(ボート)部の面子を心配していました。真理愛に至っては、クラスメイトや友人と思しき部員の名前まで出してその身を案じる程です。

 

 「多分、皆もう練習止めて岸まで戻ってる頃だとは思うけど……。」 

 

 「って言うか天気崩れるなんて予報聞いてないんですけど……。」

 

 瑠々と水夏がそう呟いた時です。不意にコバルトブルーの水滴が更衣室の中心に集まって来たかと思うと、飛沫が弾けて人間態となったテミスが現れました。

 

 「テミス?」

 

 「リラ、大変よ!このままじゃ漕艇(ボート)部の子達が危ないわ!!」

 

 「えっ!?大変ってどう言う事!?」

 

 テミスの話によると、何時もの様にヤマメ達漕艇(ボート)部が龍涯川で練習していたら、それまで晴れていたのが突然の悪天候で川が荒れ狂い出したそうです。

 既にヤマメ達霧船女子は勿論、他の高校や大学の漕艇(ボート)部も練習を中断して岸に戻ったのですが、未だ岸に着いていないヤマメの同級生の子達の乗るボートが波に煽られて転覆する事故が発生したのでした!

 

 「何ですって!?」

 

 「マジかよ……!!」

 

 まさかの事故に驚愕する霧船女学園水泳部の水霊仲間(アクアメイト)達。彼女達を代表してみちると忍の3年生コンビがそう声を挙げるや否や、リラは直ぐに立ち上がって言いました。

 

 「た、大変だわ!!今直ぐ助けに行かないと!!」

 

 既にアクアリウムの能力で身体の水を取り除いていたリラは直ぐ様制服に着替えると、大急ぎで更衣室を出ました。

 

 「汐月!?」

 

 「リラ!?」

 

 「リラちゃん、今から学校出て行って間に合うの!?」

 

 瑠々と葵と潤が口々にそう叫ぶと、テミスがリラの手を掴んで言いました。

 

 「落ち着きなさいリラ!先ずはプールサイドに行って頂戴!最短ルートで現場へ向かわせてあげます!」

 

 言われるままにリラがプールサイドに向かうと、テミスが無数の水霊(アクア)達を集めて何と蛇か龍の様にうねるチューブスライダーの様な水の道を作っていたのです。

 外は依然として土砂降りでしたが、リラはアクアリウムの力で一切の水を寄せ付けない為に全く濡れていません。

 

 「おいおい、何だよありゃ?」

 

 「えっ?テミス、もしかしてこれを通って行くの!?って言うかこんなの作って誰かに見られたらどうするの!?」

 

 忍が唖然としている中でリラがそう尋ねると、テミスは水の道の根元を指差します。其処に居たのは何とVサインをするプラちんです。然も仲間と思しき同じ姿の個体が3匹もバックに立っています。

 

 「プ、プラちん!?」

 

 「やだ!何あれ可愛い!!」

 

 名付け親の深優が驚く横で、プラちんを初めて見た瑠々が葵の時と同じ小並感…もとい女の子らしい正直で素直な感想を述べる中でテミスが説明します。

 

 (心配しなくてもこの水妖(フーア)達の認識阻害の力で私達の水の道も、その上を移動する貴女の姿も葵さん達以外誰にも見えないわ。さぁ、これを使いなさい!)

 

 そう言ってテミスは何処から出したのか、サーフボードをリラに手渡します。意図を察したリラがサーフボードを持って水の道の近くに来ると、プラちん達がリラからサーフボードを受け取り、そのまま下から支える形で水の道に飛び込みます。

 更にテミスがリラをボードの上に仰向けに寝かせて言いました。

 

 「しっかり掴まりなさい!」

 

 「大丈夫、分かってる!」

 

 テミス達の意図を完全に理解したリラは強く頷くと、そのままサーフボードを握り締めます。アクアリウムを発動すると、リラの周囲には無数のグッピーやプラティ型の水霊(アクア)達が集まって来ます。或る者はボートの左右の側面に、また或る者はボードの後ろ側にそれぞれ密集し、更にテミスが自らコバルトブルーの水のカーテンとなってリラの正面を覆うバリアとなり、彼女を衝撃から守る準備を整えました。

 プラちん達河童も、先ずサーフボードの舳先の下にプラちん、左右の側面と後ろ側の真下に残る3匹がそれぞれ位置に就き、下からリラを支えながら泳ぐ態勢を整えます。

 準備が出来たのを見計らい、真下からボードを支えるプラちんが同族3匹に号令を出します。

 

 〔じゃあ皆、行くゾッ!!〕

 

 そしてボードにしがみ付いたリラは葵達が見守る中、水霊(アクア)達によるフルパワーの水のジェット噴射と、プラちん達の圧倒的バタ足による凄まじき推進力により、そのまま高速でテミス達が作った水の道を大驀進!一気に現場へと向かって行きます!

 街の中空に作られたこの水の道も、水妖(フーア)のプラちん達の認識阻害の力が働いている為にリラも含めて誰の目にも認識されず、全てが終わった後の余計な混乱も起こりません。リラはそうしたテミス達の意図を分かった上でこのウォータースライダーに臨んだのでした。

 

 

 一方、こちらは龍涯川で練習をしていた霧船女子の漕艇(ボート)部です。

 

 「どどど、どうしよう……千川原さんと阿部さんが………!!」

 

 「荒巻!三原!鈴木!義武―――――ッ!!」

 

 引き返すのに遅れて強風、そして“一発波”と呼ばれる通常の倍近い大きな高波に襲われ、ダブルスカルとクォドルプルの部員6人が投げ出された事を受けて霧船女子の部員達は混乱していました。彼女達とて曲がりなりにも蒼國市民で泳ぎも得意だし、こうした事態に備えてライフジャケットだって着用していますが、こんな激しい暴風と荒波が渦巻く海の入り口に投げ出されたら命の保障なんて有りません。

 加えて河口にはそのまま“河口流”と言って、河川の水流と波の働き、そして潮の干満によって発生する海潮流が複雑に入り混じる事で生じる、速くて危険な流れも存在します。

 更にこの激しい雨による河川の増水ともなれば、その流れは沖合にまで達する恐れだって有るのです。こんなのに呑み込まれたが最後、放り出された部員達に待っているのは沖合にまで流され、そのまま溺死すると言う最悪の運命だけ!

 

 「と、兎に角急いで海上保安庁に連絡を……それと救急車にも……!!」

 

 居合わせた顧問の教師がスマホを取り出して電話を掛けようとした時です。突然その場に居合わせたヤマメ以外の漕艇(ボート)部の部員達や、更にその場に残っていた他校の漕艇(ボート)部のメンバーを含めた一般人達が次々と昏倒して行ったでは有りませんか!

 

 「な、何が起こってるの……?って言うか先生、どうしたんですか!?早く電話を……」

 

 「お待たせヤマメちゃん!」

 

 「リラ!?どうして此処に!?って言うか皆が寝たのって、リラの仕業!?」

 

 そう、ヤマメ以外の一般人達が次々と昏倒したのはリラのアクアリウムによる物だったのです。水其の物である水霊(アクア)達を、降り注ぐ雨の水や大気中の水分を介してヤマメ以外の一般人達の体内に侵入させ、副交感神経に強烈に干渉する事で相手を強制的に昏睡状態にする――――これぞアクアリウムの術法の1つである『ヒュプノハイドロジェン』!他のアクアリウム同様、霧でも雨でも、水さえ有れば何処でも使える汎用性の高い術法です。とは言え、基本的にリラは他人を癒やす目的にしかアクアリウムを使わない為、流石に夜に眠れない時に自分に使う様な事はしませんがね。

 更に気付けば先程まで降り続いていた土砂降りの雨も、龍涯川周辺だけ降り止んでいました。そして周囲の景色にも、何時かの様に青いオーバーレイが掛かっています。リラのブルーフィールドです。

 

 「取り敢えず他の人達には眠って貰ったわ!雨もテミスがこの辺だけでも止めてくれた!さぁ、力を貸してヤマメちゃん!逃げ遅れた子達を助ける為に!!」

 

 「皆を助けるって、そんな事リラに出来るの!?って言うかテミスって……」

 

 「詳しい説明は後!あっ、丁度良い所にナックル艇が有るわ!あれ借りよ?」

 

 何が何だか訳が分からない中、取り敢えず先程までの現象がリラのアクアリウムと呼ばれる魔法みたいな力による物である事はヤマメも理解しました。とは言え、こんな海と川の境界線に投げ出され、最悪沖まで流されてるかも知れない部員達を助ける事が出来るかと言われても、葵達程深く水霊(アクア)と関わっていないヤマメには俄かに信じ難い話でした。

 ですが、今のヤマメにはリラを信じて動く以外に道は有りません。

 眠った周囲の一般人達が、彼等の身体に憑依した水霊(アクア)達に肉体を操られる形で土手の斜面まで運ばれている頃、2人は近くにあったナックル艇のボートを抱えて川辺に浮かべます。

 

 「ねぇリラ、本当にボート漕げるの?私、リラが更紗と体験入部の時にダブルで1回漕いだ所しか見た事無いわよ?それにオールだって付いて無いし、第一こんなので皆を助けに行けるの?」

 

 確かに体験入部の時、ヤマメはリラが更紗が初心者向けのナックル艇を漕いでいる所を1回見ただけで、それ以来リラがボートを漕いでいる所なんて見た事が有りません。技術的に未熟な子を相方を乗せても仕方無いですし、何よりこんな人力で漕ぐ様なアナログなボートで既に沖まで流されたかも知れない子達を救助出来るなんて到底考えられません。それ以前に漕ごうにもオールだって無いし、ヤマメからしたら不安しか無いのも無理からぬ話でした。

 

 「…そうね。普通に考えたら確かに無理だけど、水霊士(アクアリスト)としての力が加われば話は別よ!皆、お願い!」

 

 リラがそう言うと水霊(アクア)達がボートの底部を覆い、プラちんとその同族3匹もボートの先端と左右側面、そして後部を支えます。

 

 「こ……これってもしかして、リラの言ってた水霊(アクア)!?」

 

 「先ず行きは私達がボートを漕ぐ必要は無いの。水霊(アクア)とプラちん達が連れて行ってくれるから!時間が無いから急ぎましょ!それと、乗ったらしっかり掴まってて!」

 

 「う、うん!!」

 

 リラに促されるまま、ヤマメは彼女とナックル艇に乗り込みます。因みに先頭にはヤマメが乗って後方はリラです。するとテミスを含めた水霊(アクア)達と、プラちん達河童がそれを持ち上げたかと思うと、ボートは水霊(アクア)達の水のジェット噴射とプラちん達のバタ足による推進力による猛スピードで龍涯川を疾駆します。人力で漕ぐ漕艇競技(レガッタ)用のボートがまるでジェットスキーの様です。

 

 「す、凄い……こんな事が出来るなんて本当に凄いよ!リラのアクアリウムって……!!」

 

 「もう直ぐ皆が流された辺りに辿り着くわ!ヤマメちゃん、ブレラを借りるね!」 

 

 そう言ってリラがヤマメの中からブレラを取り出すと共に、水霊(アクア)達とプラちんに操られたボートは部員の子達の居る地点に辿り着きました。其処はもう既に龍涯川から離れて沖合に出るか出ないかと言う危ない場所でしたが、時速90㎞に迫る猛スピードでリラ達はあっと言う間に現場に駆け付けたのです。

 

 「あっ、見つけた!千川原さん達だわ!!」

 

 「良し!皆、ストップ!ブレラ、貴女の出番よ!漕艇(ボート)部の皆を助けて!!」 

 

 するとリラは同伴していた水霊(アクア)達をブレラに吸収させます。するとブレラは巨大化し、UFOの様に宙に浮いたかと思うと、そのまま流された部員の子達を体内に吸い上げました。まるでキャトルミューティレーションです。

 更にプラちん達も散開し、離れた場所に流されていた部員達を拾ってブレラの真下に運び込んで吸い上げさせます。ついでに彼女達のボートも回収しておきました。

 

 「皆……。」

 

 同じ部の仲間達が助け出されると言う目の前の光景に、思わずヤマメは涙が出ました。況してやそれが自分の内なる水霊(アクア)の力ならば猶更です。

 吸い上げられた部員達はそのままブレラの中でクラリファイイングスパイラルによる癒しを受け、気こそ失っていた物の心身共に快癒して行きました。それが証拠に先程まで冷たく白くなり、血の気が無くなっていた肌にも温もりの色が戻って来ています。

 

 

 「さて、じゃあ帰ろっか。ヤマメちゃん、一緒に漕ご?」

 

 「行きはジェットスキーなのに帰りはアナログで漕ぐの?って言うかオール無いのにどうやって…?」

 

 「有るよホラ!水で出来たオール!」

 

 「何でも有りねアクアリウムって……。」

 

 全てが終わった後、リラは水で生成したオールをヤマメに手渡し、自身も同じ物を持って一緒にナックル艇を漕ぎました。因みにボートには救助した部員6名全員も同じ様に2人で乗って来たボートに乗っています。

 彼女達の身体には他の水霊(アクア)達が憑依しており、一緒にオールを漕いで岸へと帰りました。無論、プラちん達も真下からボートを支えてバタ足で岸へ誘導しますが、先程までの緊急時と比べてゆっくり程良い速さでした。因みに回収したボートはプラちんの同族2体がそれぞれ運んでいる為、リラ達の乗るナックル艇は先端部をプラちんが支えて後部を残る同族1体の合計2体で支えて泳いでいます。

 帰りの道すがら、ヤマメとリラはこんな会話と繰り広げていました。

 

 「やっぱり漕ぐの下手ね、リラは。」

 

 「ごめんね~、ヤマメちゃんと違って私素人だから。」

 

 「……ねぇ、皆が事故に遭った時、どうしてリラは此処に駆け付けられたの?その時リラも部活の練習中だったんでしょ?」

 

 「全部水霊(アクア)達のお陰!テミスって言う水霊(アクア)から事故の事聞いた後、急いで制服に着替えたの。水霊士(アクアリスト)水霊(アクア)の力を借りて水を操れるから、それで濡れた体の水分も直ぐに取り除いたの。それと、水霊(アクア)達がプールのウォータースライダーみたいな水の道を作ってくれて、プラちんって言う其処に泳いでる河童の子達が此処まで連れて来てくれたのよ。」

 

 「えぇっ!?このカモノハシみたいなのって河童だったの!?」

 

 「驚くの其処!?…まぁ良いけどその子、水の精霊の水霊(アクア)と違って妖怪なんだって。って言うかテミスは嫌いみたいだけど、良く一緒に協力出来たって思う。」

 

 リラの最後の言葉を受け、テミスが姿を現して説明します。

 

 (其処の水妖(フーア)とは利害の一致で今回手を組んだだけです!)

 

 「うわっ、出た!」

 

 突然シクリッドとグーラミーを足して2で割った姿をした、大きなコバルトブルーの水霊(アクア)の出現にヤマメは驚きました。

 

 「あの…えっと……貴女がリラの言ってたテミスさん…ですか?」

 

 (改めて初めましてヤマメさん。その通り、私がテミスよ。水霊(アクア)の中でも上級水霊(アクア)と呼ばれる存在で、リラの保護者役を担っているわ。)

 

 「そ、そうなんですか……。」

 

 ヤマメがそう唖然としながら答えると、次に口を開いたのはプラちんでした。

 

 〔オイラ達、其処のリラって言う精霊使いの子に興味が有ったから、今度一緒に何かやりたいな~って思ってたンダ。そしたら今回の事件が起きて、それで協力したンダヨ!〕

 

 「だからあの時プールに居たのね……知らなかったわ。」

 

 あのウォータースライダーや今回のジェットボートでプラちんが何故協力してくれたのか、リラは気になっていましたがその謎が漸く解けて彼女も得心が行った様です。

 何だかんだ言ってテミスもプラちん達とお互い上手くやって行けるんじゃないか?そんな風にリラは思いましたが、それが泡沫の泡の様に儚い期待である事を次の瞬間、テミスが思い知らせに掛かります。

 

 (確かに其処の水妖(フーア)はリラ、水霊士(アクアリスト)の貴女に興味が有ってしかも悪意の手を出さない奇特な存在だから、この先も何か有ったらこちらから手を借りるのは良いでしょう。但し!幾等持ちつ持たれつの関係を築いた所で、それでも私は水妖(フーア)等と言う獣の延長の様な存在と馴れ合う心算は有りません!同じ事は他の水霊(アクア)達も考えてるから、それだけは忘れないで頂戴ね!?)

 

 〔フン、何ダイ!オイラ達は別にあんた達と敵対する気は無いってのにサ!まっ、別に良いヨ~ダ!それはこっちだって同じダカラ!〕

 

 互いに反目し合うテミスとプラちんを見て、人間の2人は「やれやれ」と言わんばかりに溜め息を吐くしか出来ませんでした。

 

 「何か、精霊とか妖怪って言うのも色々有るのね。事情は良く分かんないけど……。」

 

 「信用は一応しても、仲良くする心算は全然無いのね……。」

 

 有事の時に協力する事は有っても、水霊(アクア)水妖(フーア)は絶対に相容れず、お互いに馴れ合う心算は顕微鏡でしか見えないプランクトン程も無い様です。どちらも水に関する存在の筈なのに、両者の関りがこうも利害の一致によるビジネスライクな付き合いでしか無いとは、何とドライで水のミの字も無い関係でしょう。皮肉も極まる所です。

 

 

 そんなこんなで漸く岸へ着くと、救助された部員達の身体から憑依していた水霊(アクア)達が抜け出します。程無くして部員達は重い瞼を開けて目を覚ましました。

 

 「んっ……!あれ、此処は……?」

 

 「良かった!千川原先輩も阿部先輩も無事で!」

 

 「えっ?三河?」

 

 「結も朋美も今日子も麗良も無事で良かった……!!」

 

 「もしかして私達、助かったの?」

 

 突然起きた一発波に呑まれ、それから訳も分からず水中で意識を失っていた為、彼女達は自身の身に何が有ったのか全く知りません。

 助かったクォドルプルの1年の子達に抱き着き、ヤマメは言いました。

 

 「本当に良かった……私、皆ともう2度とボートに乗れないって思ったら怖くて…怖くって……!!」

 

 すると助けられた部員の1人が言いました。

 

 「そう言えば私、薄らとだけど覚えてるわ。意識が真っ暗で冷たい海の底に沈んで行くみたいな感じだったのに、急に明るくなって温かくなって、それでヤマメの声が聞こえたの。『皆生きて!!』、『頑張れ!!』、『一緒にボート乗りたい!!』って……。」

 

 「あっ、それ私も夢の中で聞いた!三河の励ます声が有ったから頑張れた気がした!」

 

 「えっ、先輩も!?私もなんですけど……。」

 

 どうやら救い出された彼女達全員、ブレラに助け出された時の感覚を同じ夢で捉えていた様です。

 すると不意に千川原と呼ばれた2年生の先輩がヤマメに言いました。

 

 「三河……ごめんっ!!」

 

 突然の謝罪にヤマメは面喰いますが、相手は気にせず続けます。

 

 「私達、1年の時から結果出せなくって、自分なんてどうせ頑張ったって駄目なんだって思って、練習も良い加減にやってた!あんたは三河部長の妹だから全国行けて当たり前だって思って、ずっと諦めてた!!」

 

 次いで口を開いたのは1年の同期達でした。

 

 「私もヤマメに嫉妬してた!中学の時からボート乗ってて、ボートの凄いお姉さんまで居て狡いって思ってた!ヤマメに比べたら私達なんて駄目でもしょうがないって言い聞かせてた!!自分の努力不足を棚に上げて……!!」

 

 「でも、ヤマメが私達と一緒にボート乗りたいって気持ち、意識が朦朧としてた時でもハッキリ耳に響いたの!大事なのは結果じゃないって!漕艇競技の選手としてベストを尽くす事だって……勝っても負けても皆と一緒に高め合って進化して行くのが大切だって!!」

 

 実際、ヤマメは経験者として1年の同級生達に対して言える範囲でアドバイスしたりしていました。それと同時にヤマメは笑ってこう告げた事もあります。

 

 

 「私、このチームで強くなりたいの!勝っても負けても皆ボートをもっと好きになって、今よりもっと強くなれたら最高だって思う!!」

 

 

 そう真っ直ぐな眼差しで語るヤマメの姿を、その時の1年の彼女達は凄いと思う一方で妬ましく、同時に疎ましくも思っていました。そんなのは才能も有ってキチンと努力出来る人間の言う事だと言い聞かせ、練習もそこそこに怠惰の微温湯に浸かる。だけどそれは才能とかそれらしい物事を言い訳に、漕艇に対する自らの愛とか情熱と向き合えない自分の臆病さへの腑抜けた免罪符に過ぎません。

 ですが今回の事故でヤマメの水霊に助けられた時、朦朧とした意識と共にブレラの中でクラリファイイングスパイラルに包まれ微睡んでいた時、彼女達が耳にしたのはブレラの中に宿るヤマメの強い想念でしたが、それはハッキリと彼女達の心に強く響き、伝わったのです。

 救助された彼女達が此処まで素直になったのは、知らぬ間に穢れが堆積していたからでしょう。それが今回癒やされ、浄化された事によってヤマメの言葉を捻くれずに受け止める事が出来た。自分の漕艇を好きと言う気持ちと向き合い、再認識することが出来た!ならば彼女達が其処からやる事は決まっています。

 ヤマメに謝って、漕艇が好きと言う気持ちと逃げずにこれから向き合い続ける事です!

 

 「皆、私達未だ未だこれからじゃない!8月には1年生大会、9月には新人戦だって有るし、それを勝ち抜けば11月には選抜大会、来年3月には『ボートの甲子園』だって有るの!これからやる事一杯有るんだから、その1つ1つに向けて精一杯ベスト尽くそ?今より自分が大きく成長する為に!!」

 

 その言葉に、救助された1年の子達も、未だ来年が有る2年の先輩も力強く頷きました。程無くして河原の土手で眠っていた部員と顧問の先生が目を覚まして、波に攫われた筈の6人がピンピン無事だったのを受けて大騒ぎする様子を、リラはフッと微笑みながら遠くから眺めていました。足元にプラちん、そして左頭上にテミス、そして上半身の周辺にグッピーやプラティ型の水霊(アクア)達を纏い付かせながら……。

 ヤマメの様子を見てリラは思いました。人間はそれぞれの人生の海路(みち)を征く船であると同時に、風を受けて誰かの背を押す帆にもなるのだと。諺でも“船は帆でもつ 帆は船でもつ”と言いますが、今回リラはヤマメにとっての帆になれたのでしょうか?少なくとも今はなれたと信じたい――――その気持ちを胸に抱きながら、リラは静かに葵達の居る場所へと戻って行きました。帰り掛け、リラのスマホにヤマメからのメッセージが届きましたが、その文面は以下の通りです。

 

 

 『今日は有り難う。リラ、国体予選と関東大会頑張って!私、応援に行くから!今度は私がリラの帆になるよ!!』

 

 

 さて、その週の終わりにリラ達は遂に国体予選に挑み、3年と2年は皆上位の成績で予選を通過。1年は深優と更紗が上位で、葵とリラも中の中若しくは下と、ほぼ危なげの無いのタイムで国体に進出する事が出来ました。これもミラーリングアクアリウムによって自分達の泳ぎの向上に必要な“答え”を授かった結果でしょう。続く下旬の関東高等学校水泳競技大会へ向け、霧船女子は気持ちを新たにするのでした。

 一方、リラ達の水泳部より早くヤマメ達の漕艇(ボート)部も、中旬に開催される国体関東ブロック大会を勝ち抜き、ヤマメはまたも3位の成績で国体へ出場が決まりました。順位こそ変わりませんでしたが、タイム自体は関東大会インターハイ県予選の時よりも短くなっており、ヤマメは自身の成長を感じながら全国へ向けて出発するのでした。更に関東大会で敗退した先輩の中からも、それからの頑張りの中で国体の切符を掴む者が出て来たのもまた、ヤマメにとって救いだったのは言うまでも有りません。




何とかタイトル回収出来ました。さて、後数話したら物語は急転直下の新展開を迎えます!

キャラクターファイル31

ブレラ

年齢   無し(強いて挙げればヤマメと同じ)
誕生日  無し(同上)
身長   無し(同上)
血液型  無し
種族   水霊(アクア)
趣味   隠れんぼ
好きな物 深海散歩

ヤマメの身体に宿る内なる水霊(アクア)。黄肌色の身体の円周上に青や紫の宝珠が付いたメンダコの様な姿をしている。
内気な性格で滅多に表に出ては来ないが、一度動き出すとUFOの様に高速且つトリッキーな動きで泳ぎ回り、相手の真上を取ってクラリファイイングスパイラルを下へ放出して一気に穢れを浄化する他、まるでキャトルミューティレーションの様に直接体内に取り込んで癒やすと言う荒業も出来る。また、宝珠からもクラリファイイングスパイラルのレーザーを発射する事が可能。
また、自身の分身を大量に作り出す事が出来る。ヤマメ以前にも人間の宿主を渡り歩いて来た為、実力もそれなりに高い中級水霊(アクア)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第31話 7月の水族館

久し振りに投稿します!長い事お待たせして誠に申し訳ありませんでした。
今回はテミスは登場しませんが、代わりに今後の物語に関わる要素を終盤に散りばめました。

それではどうぞ。


 「忍先輩!待ち合わせまで後10分ですよ~!」

 

 「分かってるよ。てか直ぐ近くなんだからそんな急がなくたって良いだろ。」

 

 国体予選の在った7月1日の日曜日から3日経った7月4日の朝の事でした。リラは忍と共に街の噴水公園に向かっていました。

 

 「だって私、楽しみなんです。水夏先輩のお父さんとお母さんがやってる水族館に行くなんて!」

 

 そう、リラは今日、水泳部の皆と一緒に水夏の父親が経営し、母がドルフィントレーナーとして働く地元の水族館へ出掛ける約束をしていたからです。

 世間的には平日ですが、この日は創立記念日で霧船女学園は休校。そんな空いた時間を使っての束の間のオフでした。土日の休日でしたらもっと人は多かったかも知れませんが、平日ならば人の往来はそれより少ない為、混雑に煩わされず思いっ切り楽しむには良いチャンスでしょう。

 

 「あれ?葵ちゃん達は?」

 

 「未だ来てねぇみてぇだな。やっぱ早く来過ぎたんじゃ…」

 

 「お~~い、リラ~~!忍先輩~~~!」

 

 周りに自分と忍以外誰もいなかった為に少々困惑しましたが、直ぐに2人の耳に飛び込んで来たのは葵の声。

 音源の方を向くと、其処には葵の他にも深優と更紗の1年生トリオと一緒に瑠々、水夏、潤、真理愛の2年生4人組、そして部長で3年生のみちると言う何時もの霧船女学園水泳部の面々の揃い踏みが視界に入って来ます。その姿を見るだけで、リラは無意識の内に笑顔を作っていました。夏と言う事もあって皆半袖やノースリーブの夏服に身を包み、胸の谷間すら大胆に覗かせる子もおり、下は短めのショートパンツやミニスカートで太腿から下をこれでもかと言わんばかりに露出。足元は皆素足にサンダル履きと、開放感溢れる出で立ちでした。

 リラにとって、葵達も忍も同じ学校の部活動の先輩後輩と言うだけでなく、その枠に囚われないプライベートでも親しい間柄になれたのは、ひとえに彼女達が水霊(アクア)の秘密と世界を共有する水霊仲間(アクアメイト)だからに他なりません。

 

 「葵ちゃん!潤先輩達も!」

 

 「遅ーぞお前等!遅刻して来るなんざ良い度胸してんじゃねーか!」

 

 「あら?これでも私達、待ち合わせの時間まで3分早く来たんだけどそれで“遅い”は無いんじゃない?」

 

 忍に対してそうみちるが鷹揚に返すと、丁度時刻は午前9時を回り、心地良い音楽と共に噴水が勢い良く噴き出し、水飛沫が虹を作り出します。

 

 「おっ、丁度9時になったな。んじゃ行くか!」

 

 「そうね。」

 

 「久し振りの蒼國水族館、わたし楽しみ!」

 

 「うん、一杯楽しんでってよ。ウチの水族館、先月改装が終わって見所メッチャ増えたんだもの。」

 

 「私、蒼國(こっち)来てから1回も行った事無いからワクワクします!」

 

 「リラっち、あそこ行くの初めてだもんね。」

 

 口々にそう言葉を交わすと、霧船女子の水霊仲間(アクアメイト)達は公園近くのバス停からバスに乗り、蒼國海水浴場から少し離れた岬に建っている蒼國水族館へと向かって行きました。

 

 

 此処で時系列は昨日に遡ります。何時もの様に練習を終えて制服に着替え終わると、仲間内で明日の学園創立記念日の休みに皆で何をして過ごすかと言う話になりました。

 

 「ねぇリラっち、葵、サラサラ、明日の休み何かしたい事ある?」

 

 「えっ?急ね深優……そんな事言われたってパッと直ぐには思い付かないわよ。」

 

 「御免、私もまだ考えてない。」

 

 「そっか…じゃ瑠々先輩は?」

 

 「えっ?わたしは別に予定無いけど皆は……?」

 

 深優に話を振られた瑠々が更に周りに尋ねるが、特に予定は未だ考えていなかった模様。ですが其処へ突然、水夏が一石を投じて来ました。

 

 「じゃあ皆、私の親がやってる水族館に行くってどう?」

 

 「えっ、水族館!?って言うか水夏先輩の家って水族館やってるんですか!?」

 

 「わたしも知らなかった……。」

 

 「私もです。」

 

 その言葉に真っ先に反応したのはリラと潤と更紗でした。因みにこの頃にはもう、リラは瑠々と水夏の事も名前の方で呼ぶ様になっていました。

 

 「あぁ、あんた達知らなかったっけ?」

 

 「リラっち、水夏先輩のパパはね、蒼國水族館のオーナーなんだよ。それでママの方はイルカのトレーナーさんなんだって。」

 

 「えっ?蒼國水族館って、あの大っきい水族館よね!?この街の1番の目玉だって言う………。水夏先輩のお父さんが其処のオーナーだったなんて私、そんなの全然知らなかった!」

 

 瑠々と深優の言葉を受けてリラが呆気に取られる中、葵も既に水夏の家の事を知っていたと残りの2人に告げます。

 

 「私も深優も瑠々先輩と水夏先輩からとっくに聞いて知ってたの。」

 

 「そ、そうだったの……。」

 

 「な、何かわたし達だけ取り残されてるみたいで哀しいわね……。」

 

 「因みにあたしとみちると漣はとっくに知ってたけどな。」

 

 忍から止めの言葉を投げ掛けられ、3人は思わずガックリ項垂れました。まさか自分達だけそんな大事な情報を共有出来ていなかったなんて、まるで村八分にでも遭ったかの様です。

 特にリラの受けた衝撃が余りに大きかったのは想像に難くありません。以前、潤から水夏が変わった魚を探すのが趣味で将来、新種の魚を見つけるのが夢だと聞かされていましたが、まさか彼女が街の目玉の水族館オーナーの娘だっただなんて、リラの中では一発大波(フリークウェーブ)級の衝撃でした。

 

 「あの、それで蒼國水族館ってどんな感じの場所なんですか?私、この街に来てから未だ1回も行けてなくて……。」

 

 「あぁ、汐月は初めてだったのか。あそこ行くの……。」

 

 「濱渦のお父さんとお母さんがやってる水族館は正式には『パンタラサ蒼國水族館』って言って、色々と世界有数の大きさを誇ってる日本屈指の水族館なの。私と忍もあそこの常連で、年間フリーパスも持ってるわよ?」

 

 「せ、世界有数って凄いですね。私、水夏先輩の事見直しちゃいました……。」

 

 「別に私は凄くないわよ。凄いのは水族館とそれを経営してる父親と母親の方だから……。」

 

 照れ臭そうに俯きながら水夏が返すと、幼馴染の相方の瑠々が助け舟を出します。

 

 「まぁ兎に角、水夏が折角誘ってくれてるんだし、明日皆で行くってのは確かに良いわよね!」

 

 「はい!未だ行った事無いですし!」

 

 「私も久し振りに水族館行きたかったですから丁度良いです!」

 

 「葵が行くなら私も行きます!」

 

 二つ返事で了承するリラと葵と深優と無言で頷く更紗。潤と真理愛も勿論快諾します。

 

 「やれやれ、現金な奴等だな。んじゃ折角だからあたしも付き合ってやるぜ!」

 

 「どの道私は明日行く心算だったけど、皆で行けばもっと賑やかで楽しくなるわね!」

 

 話は満場一致で纏まり本日、霧船女子の水泳部は皆で水族館へと向かう運びとなったのでした。

 

 

 さて、バスに乗って5分近く経った頃、一行は漸く水族館の建っている蒼國の岬に到着しました。

 多くの場合、水族館と言うのは海に面した場所に建っている物ですが、水夏の両親が経営する蒼國水族館もその例に漏れません。因みに彼女の住んでいる家自体は蒼國市街地の方に建っており、幼馴染である瑠々の家もその近所に有ります。

 

 

 「うわぁ~、凄っごい大っきくて広い!」

 

 入場券を買って受付の門を潜った直後、早速リラの目を惹いたのは敷地と建物の大きさでした。

 先ず敷地の広さですが、このパンタラサ蒼國水族館は延床面積が凡そ4万㎡!これは日本でも2位に迫る広大さです。因みに日本最大の水族館とされる名古屋水族館の延床面積は41529㎡で、3番目は大阪の海遊館の31044㎡。こうして見ればこの水族館の広大さが伝わるでしょう。

 世間的には平日ですが、それでも海外からの観光客や大学での講義の無い学生達が多く闊歩しており、それもこの水族館の人気さを如実に物語っていました。

 

 「こんなに大っきいレジャー施設なんて、小さい頃行った浦安以外で初めてだわ!」

 

 

 「凄いのは敷地の広さだけじゃないよリラっち。見てよあの建物。」

 

 敷地内の広さだけでもリラにとって圧巻でしたが、深優が指差す方角に目を遣ると、とても巨大なドーム状の建物が視界に飛び込んで来ました。

 

 「えっ?何あのドーム?」

 

 「見て分かんない?あそこでお昼からイルカやアザラシやシャチのショーをやるの。凄くダイナミックで圧巻よ。」

 

 「因みにあのドームの野外水槽は世界でも指折りの大きさだからね!」

 

 「せ、世界指折りの大きさなんですか、あれ!?って言うかこの水族館、シャチまで飼育されてるんですか!?」

 

 「シャチがいる水族館なんて、日本じゃウチを除けば他は名古屋水族館と鴨川シーワールドだけよ。」

 

 「超凄いです!今から楽しみになって来ました!!」

 

 何時にも無くハイテンションではしゃぐリラですが、1番驚きを隠せなかったのはその場にいる水霊仲間(アクアメイト)達でした。

 

 (こんなにはしゃぐリラなんて、初めて見た……。)

 

 (リラちゃん、普段は何処か浮世離れした感じなのに、水霊(アクア)の事になって急にスイッチ入って強気になって掴めない感じの子なのに……。)

 

 (何だ、こいつもこんな風にはしゃげるんじゃねぇか。少しホッとしたぜ……。)

 

 普段は感情を表に出す事も無く、時折厭世観を感じさせる雰囲気のリラが年相応にはしゃぐ姿を初めて目の当たりにし、葵達も呆気に取られるばかりでした。

 

 「ま…まぁ汐月、取り敢えず『七洋館』を順にゆっくり見て行きましょうよ?ショーは10時と13時と15時にあるけど、7ヶ所全部見終わって15時からの方が良いわ。楽しみは最後に取っておいた方が良いでしょ?」

 

 その場の空気を変えるべく、どうにか言葉を絞り出したのはみちるでした。

 

 「はい…って言うか何ですか、七洋館って?」

 

 「地図見てみ?」

 

 みちるに対してリラが質問すると、忍が真っ先に受け付けで渡された地図を見る様に促します。言われた通りにリラが地図を見ると、目の前にあるドーム状の施設である『海の神殿』を取り巻く様に七つの展示施設が存在しているのが分かります。

 7つの施設はそれぞれ北太平洋館、南太平洋館、北大西洋館、南太平洋館、インド洋館、そして北氷洋館と南氷洋館とそれぞれ呼ばれており、それぞれの海洋に棲息する魚介類が深海生物込みで展示されているのです。

 水族館の正式名称にあるPanthalassa(パンタラサ)とは、ギリシャ語で「全ての海」を意味しますが、現代における“七つの海”に生きる生物を網羅したこの水族館が冠するに相応しい名でしょう。

 因みに今でこそ“七つの海”とは遍く地球の各大洋の南北とインド洋を指す言葉ですが、元々は中世アラビア人が帆船で航海した大西洋、地中海、紅海、ペルシャ(アラビア)湾、アラビア海、ベンガル湾、南シナ海がそのカテゴリーでした。

 

 「へぇ、じゃあこの七ヶ所1つ1つ回れば、その海の魚達に会えるんですね!」

 

 「深海魚もいるし、他にはペンギンやマナティ、それに淡水に棲む魚もいるよ!」

 

 「えっ、そんな所まで!?じゃあ早速あそこから行ってみるね!」

 

 「あっ!ちょっとリラっち!?」

 

 「ったくしょーがねーな……!」

 

 葵から補足されると同時に、リラは居ても立ってもいられなくなりました。そして早速と言わんばかりにリラは北太平洋館から順番に各館を見て回る事にしました。

 本当なら他のメンバーも散開して、各自思い思いに好きな館から見て回る所ですが、蒼國水族館初心者のリラに楽しみ方を教える意味でも今回は彼女に随伴しての団体行動を取るのでした。

 

 

 「うわぁ~綺麗……あっ、あそこにマンボウがいる……!」

 

 

 七洋館に足を踏み入れたリラ達の視界に飛び込んで来たのは、数多くの魚介類が優雅に泳ぎ回る姿でした。普段の学校でもアクアヴィジョンによって水霊(アクア)達が縦横無尽に周囲を泳ぎ回る幻想的な光景は見て来ましたが、この瑠璃紺の空間で繰り広げられる魚達の舞い踊る様はそれすら凌駕する物が有りました。それこそこの世に顕現した竜宮城と言っても過言では無い位に―――――。

 各館の魚達も、リラの言うマンボウ以外にジンベエザメやピラルクと言った世界最大級の海水魚や淡水魚、更にはダイオウグソクムシや色取り取りのクラゲやペンギン、果てはマナティやセイウチと言った多種多様過ぎる程の様々な海洋生物と、とても1時間足らずでサクッと回れる場所ではありません。

 然も内部もさながら海底トンネルの様な作りになっている為、あたかも自身が海底を歩いている様な気分になります。流れて来るBGMも母なる海を連想させる優しく、穏やかな音楽ばかりと癒し効果抜群。全ての命は海から生まれましたが、そんな遠い先祖の記憶からか、館内を見て回るリラ達は不思議な安心感すら感じました。

 時に皆さんは、『タラソテラピー』と言う物をご存知でしょうか?19世紀後半にフランス人の医師であるラ・ボナディエール博士によって確立された自然療法で、海辺に滞在して海由来の物を使って心身を治癒するそれです。ギリシャ語で「海」を意味する「タラサ(thalassa)」に「療法」を意味する「テラペイア(terapie)」を掛けた造語で、日本語では「海洋療法」と訳されています。

 加えて熱帯魚と水草の入った水槽には『アクアリウムセラピー』と言う癒しの効果が有りますが、疑似的な海の底が再現された巨大な水槽の中を歩くこの感覚は、まさに両者の融和と言えるでしょう。その癒しの相乗効果(シナジー)はリラの中でかなり大きく、内なる水霊(アクア)のクラリアも最高に調子が良くなっています。

 

 (リラ……何だか、凄く気分が良い………!)

 

 「クラリア……あっ、そうだ!ねぇ、皆――――」

 

 何気無しにアクアリウムの力でクラリアの声を聴いたリラは、徐に館内でのアクアヴィジョンの使用を閃きました。

 

 「うわぁ~、何これ……!?」

 

 「凄い幻想的で素敵……。」

 

 リラ達が水族館内でアクアヴィジョンを発動すると、とても素敵な光景が広がりました。沢山の魚達に交じって、カラフルな色や多種多様な形をした水霊(アクア)達が周囲を泳ぎ回り、水槽内のレイアウトや通路のあちこちを歩き回る光景が広がっていたのです!

 自分達は今、世界一贅沢な時間を過ごしていると言う実感を感じずにはいられません。

 

 七大洋館を半分回る頃、時刻は既に12時過ぎ。館内のレストランで食事を摂ると、リラ達は改めて残る半分の館を踏破。

 次はいよいよ海獣ショーが開催される野外水槽のある中央の施設―――通称『海の神殿』です。

 

 「次はいよいよショーですね!私、楽しみです!」

 

 「待ってリラ!まだ30分有るわよ?」

 

 葵に制止されてリラが時計を見ると、確かに時刻は14時25分を過ぎた辺り。ショーまで未だ時間が残ってます。

 

 「じゃあさリラっち、それまで地下の海の資料館で時間潰そっか?」

 

 「海の資料館?」

 

 「そ!『海の神殿』はね、ショーの野外水槽だけじゃないの。地下には海の生物の進化の歴史や海にまつわる伝説及び神話が描かれた一大資料館となってるんだよ♪」

 

 「お土産屋のコーナーも入り口に有るからね。」

 

 「へぇ~そんな所が有るんだ……。」

 

 深優と更紗の説明を受け、リラ達は資料館で時間を潰す事にしました。と言っても皆が皆興味が有る訳では無く、瑠々や水夏、みちるや忍達はお土産屋のコーナーを見て回ったりしていましたけどね。

 一方、遥かな生命の進化の歴史にリラが想いを馳せていると、突如室内にアナウンスが流れました。

 

 『館内へお越しのお客様にご連絡です。間も無く時刻は15時。皆さんお待ちかね、海獣ショーの開始の時間になります!』

 

 その言葉を受け、リラ達は早速会場へと向かいます。席は平日でもそれなりに客が多く座っており、今か今かとショーの開宴を待ち構えていました。

 するとショー開始の音楽が流れ、最初はアシカ、続いてペンギンと言う順番で可愛らしいショーが繰り広げられました。

 

 「か、可愛いぃ~~~っ♥」

 

 「あのアシカ、頭良いね!」

 

 前座のショーとは言え、リラも葵もその可愛さに思わず心を奪われます。そして次はいよいよイルカショーです。

 

 「ママ……!!」

 

 「えっ!?あれが水夏先輩のママなんですか!?」

 

 「そ!惚れた?」

 

 「黙って見てろよお前等…。」

 

 リラと瑠々の私語を忍が制す中、水夏の母はアクロバティックな動きで海面を縦横無尽に跳ね回るイルカを巧みに操る雄姿を見せ付けます。その種族を超えた阿吽の呼吸は流石の一語に尽きました。観客席まで飛ばす水飛沫も心地良く、誰もが夢中になる瞬間です。天井の装置から青白い光と共に降り注ぐ螺旋状の水柱の中、身体を旋回させながら勢い良くジャンプするイルカの姿はカッコ良さと幻想的な美しさを醸し出していました。

 さぁ、次はいよいよ当水族館の目玉であるシャチのショー。イルカ達が専用水槽に帰還した後、入れ替わるが如く海面にシャチ達がその姿を現します。

 

 「うわぁ…本当にシャチが出た!」

 

 「英語で“killer whale”って言うけど、鯨其の物って感じだね。」

 

 「生で見ると段違いの迫力だわ…。」

 

 葵と深優と更紗が思い思いの感想を並べる中、リラは食い入る様にその様子を見つめていました。

 彼女の目の前でシャチ達は体長6m、体重5tと言う巨体に裏打ちされた膂力による強靭なジャンプでトレーナー達と共に力強く、華麗に海面を舞います。

 イルカとは比べ物にならない程の凄まじい水飛沫が会場へ押し寄せますが、リラ達はそれ以上の興奮とときめきを以て海の王者の力強いパフォーマンスを見つめていました――――。

 

 さて、楽しい時間は瞬く間に過ぎ去り、時刻は16時過ぎ。ショーを見終えたリラ達は水族館を後にします。

 

 「いやぁ凄かったよね!海獣ショーも水族館に展示してる魚も皆♪」

 

 「何よリラ?水族館気に入ったの?」

 

 「そう言ってくれれば私も嬉しいし、親も喜ぶけど……。」

 

 興奮冷めやらぬリラに対して葵と水夏がそう言葉を投げ掛ける中、真理愛と潤も感想を述べます。

 

 「久し振りに見たけど、こうやって皆で一緒に見たからもっと楽しめたって言うのは有るわね。」

 

 「そうよね真理愛。わたしもこうやって皆で一緒に何かやるって事、余り無かったから……。」

 

 更に深優と更紗も――――。

 

 「今日の事、私絶対忘れないかも!」

 

 「出来たらまた、皆で来たいわね。」

 

 今この時の時間はこの瞬間だけにしか有りません。来年になったらみちると忍は卒業してこの学園を去るでしょう。

 ですが、その前にもう1度皆で此処に来られる物ならまた来たい……。人の想いは時と共に変わって行きますが、少なくとも今だけはそう思っていたいだけの愛おしさが、自分以外のこの水霊仲間(アクアメイト)達には有る―――。深優と更紗はそう感じていました。

 

 

 「じゃあ皆、また明日学校でね!」

 

 「バイバ~イ!」

 

 再びバスに乗って待ち合わせ場所だった噴水広場で降りた一同は、その場で解散となりました。リラも夕暮れの中、一路帰宅の途に就きます。時計の針は既に17時過ぎです。家が近所と言う事もあり、忍も道中を共にしていました。

 

 「忍先輩、今日は楽しかったですね!年間フリーパス持ってるって言ってましたけど、何時もあんな面白いの見てるんですか?」

 

 「まっ、一応な。つっても此処1年はあんな胸糞な事が有って行けてなかったが、久し振りに良いモン見れたって気がすんのはお前のお陰だよ。」

 

 穢れ水霊(アリトゥール)の所為で怪我からずっと復帰出来ず、大好きな競泳も出来ず苦しんでいた忍に、あんなアトラクションを楽しむ余裕が有るとは確かに考えにくいでしょう。彼女に何かを楽しむ心と余裕を取り戻させてくれたのは他でも無い、水霊士(アクアリスト)のリラ自身。

 

 「そ、そう言われると私、照れ臭いです………。」

 

 思わず顔を赤らめて返しながら、見慣れた街の通りを歩いていた時の事でした。

 

 

 「ねぇ、其処のあんた。」

 

 

 不意に自分に話し掛けて来る声がします。聞き慣れない声のした方を振り返ると、其処に立っていたのは蒼國周辺のどの学校のとも違う制服に身を包んだ、見ず知らずの少女でした。

 少女は灰色のセミショートが特徴の高校生位の年恰好をしており、オレンジと黄緑のオッドアイをしています。

 

 「えっ?いや、あの……だ、誰ですか?」

 

 相変わらず見ず知らずの相手に突然話し掛けられてあたふたするリラの姿に、忍は内心やれやれと溜め息です。

 

 「あたし?こう言うモンだけど?」

 

 そう言って少女は、自分の名刺と思しきカードを手渡します。カードには『浅木君枝(あさぎきみえ)』と書かれており、路上で占い師をしている女子高生の様です。生年月日を見るとリラと同い年、つまり同じ高校1年生でした。因みに文京区在住の様です。

 

 「“浅木君枝”……ってあぁっ!葵ちゃんから聞いた事有る!最近ネットで有名な天才占い師で東京や千葉、神奈川みたいな関東のあちこちで路上占いやってるって言うあの……!!」

 

 「あたしは別に占いには其処まで興味無ぇが、名前だけはみちるの奴から聞いた事有るぜ。もし会ったら占って欲しいとか言ってたな。」

 

 すると君枝は不意に忍の方を向き、ジッとその顔を見つめます。

 

 「な、何だよ?」

 

 「へぇ、貴女があの日浦忍さんね。活躍ならニュースで見たけど、良く怪我から完全復活出来たわね。総体の結果と併せて二重の意味で大した物だわ……。」

 

 「そうかい、そりゃどうも……。」

 

 「貴女、これから色んな意味で大きな飛躍を遂げそうよ。自分だけじゃなく、身近な人の為に出来る事を頑張るのが運気を上げる鍵ね―――――。」

 

 忍の顔を見つめるオレンジと黄緑色の君枝のオッドアイは、神秘的な光を放っていました。まるで自分の内面とこれからを本当に見透かされる様な気分です。

 

 「さてと……」

 

 気を取り直した君枝は、改めてリラの藍色の瞳をそのオッドアイでじっと見つめて来ます。リラはまるで蛇に睨まれた蛙の様に動けなくなり、気付けば息すら止めていました。

 そして次の瞬間―――――。

 

 

 「あんた、注意した方が良いわ。近々巨大な運命の波が押し寄せて来るから。」

 

 「――――えっ?」

 

 “巨大な運命の波”と言う抽象的なワードに思わず面喰うリラですが、同時に胸が重苦しくなる様な気持ちになりました。水圧の強い深海へと引き摺り込まれる様な気分です。

 

 「それも下手したらあんた自身や、あんたの身の回りの奴等だって危なくなる程のでっかい運命がこれから迫ってるって言ってるの。けど安心なさい。あんたにはそれに沈みそうになっても支えてくれる存在がいる。そしてそれを乗り越えた時こそ、あんたの人生が輝く時よ。それだけは覚えておいて―――――。」

 

 それだけ告げると、君枝は近くにあった自分の占いの看板と椅子を片付け、そのまま蒼國駅まで去って行きました。突然の出来事に、リラと忍は呆気に取られるばかりです。

 

 「何だよあいつ?気取りやがって…。」

 

 遠ざかって行く君枝と言う少女の背中を一瞥しながらそう言い捨てる中、気を取り直したリラは素早くアクアヴィジョンで君枝をの後姿を観察しますが、次の瞬間更なる驚愕がリラを襲います。

 

 

 (えっ!?嘘――――あれって――――――上級水霊(アクア)!?)

 

 

 何と、君枝と言う少女の内なる水霊(アクア)は上級のそれだったのです!その姿は約3億6000万年前のデボン紀の北アメリカに生息したとされる、大型の肉食性淡水魚である巨大な『ハイネリア』其の物!加えて同じハイネリアの姿をした中級水霊(アクア)が複数、その近くを周遊していたのです。

 これ程強大な水霊(アクア)を内に宿した人物が大物じゃない筈がありません。上級水霊(アクア)の宿主である時点で、君枝は掛け値無しに本物の天才と見て間違い無いでしょう。少なくとも天才占い師として、ネット界隈を賑わせている点はその片鱗を証明するのに十分過ぎる根拠です。

 

 そんなリラの心中など知る由も無く、忍はリラに話し掛けます。

 

 「気にすんな汐月。昔から良く言うだろ?占いなんざ昔から『当たるも八卦当たらぬも八卦』ってな。どうせ良くある出任せなんだから…」

 

 「出任せじゃないかも知れません……。」

 

 「は?」

 

 突然リラが発する否定の言葉に一瞬面喰らう忍ですが、リラは構わず続けます。

 

 「さっきアクアヴィジョンであの子を見たんですが、とっても大きな“ハイネリア”って言うシーラカンスっぽい姿の魚の水霊(アクア)が中に宿ってました。然もあれはテミスと同じ上級水霊(アクア)です!」

 

 「何ッ!?上級って、この前海辺に打ち上げられた鯨とイルカをテミスと一緒に海に押し戻したセドナって奴と同じか!?漣と飯岡から話は聞いたが……。」

 

 「おまけに同じ姿の中級水霊(アクア)まで周りには群がってました。水霊士(アクアリスト)って訳じゃ無さそうですけど、もしそうなら一般人であんな凄い水霊(アクア)を持ってるなんて絶対に只者じゃありません。」

 

 「マジかよ……けどまぁ、天才占い師なんて言われる様な凄ぇ奴ならそりゃ内に宿る水霊(アクア)だってそん位凄くて当然だわな…っておい、汐月?」

 

 多少は驚いていた忍ですが、動揺自体は其処までの物は無く、月並みな感想しか述べませんでした。彼女は所詮水霊(アクア)……と言うより精霊なんてオカルト染みた存在に関しては全くの門外漢。精霊使いでも無ければ、オカルトマニアの様なその筋に詳しい一般人でもありません。そもそも興味自体がそんなに無いのですから当然です。おまけに占いが好きで嵌り易い女性と言う生き物の中では、其処まで好きでも信心深い質でもありません。けれどだからこそ、突拍子も無い事を言われても忍は多少の事では動じない。

 然し、忍と違って感受性が豊かなリラはそのまま押し黙り、君枝の事で思考の渦を巡らせていました。

 

 (一体何者なの、あの子――――?上級水霊(アクア)を内に宿す様な人なんて私、今まで会った事無いのに………。)

 

 これまでに会った事の無い、上級水霊(アクア)の宿主たる人間たる少女・浅木君枝――――ネットで知る人ぞ知る天才占い師として名が通っている様ですが、上級水霊(アクア)を内に宿す程の人物ともなれば納得です。そのお告げも、間違い無く信憑性が高いと見て間違い無いでしょう。

 

 (ううん、それよりあの言葉の意味ってどう言う事!?何か大きな運命の流れが津波みたいに押し寄せるって……!?何か……何かとんでもない事がこれから起こるって言うの!?じゃあ私、これからどうしたら………)

 

 君枝から告げられた言葉は、リラの心に大きな不安の波紋を広げていました。一抹の不安を胸に抱くリラでしたが、不意に忍がリラの背中を叩いて言います。

 

 「馬ー鹿!先の事なんざ誰にも分かんねーってのに、んな一々難しい顔してんじゃねーよ。こっちまで辛気臭くなるぜ!」

 

 「忍先輩……。」

 

 「何でも特別っつーか深刻に考え過ぎなんだよお前は。妄想好きも程々にしねーと、被害妄想に陥った時に苦しくなるだけじゃねぇか!つーか前にも言ったろ?水霊士(アクアリスト)の使命にばっか囚われんなってよ。」

 

 相変わらず色々と危ういバランスの上に立って歩くリラに対し、忍は溜め息交じりで続けます.

 

 「ゴチャゴチャ余計な事考えてねぇでもっと能天気になれよ。お前、今日の水族館で何も考えねぇで、アホみたく楽しそうにはしゃげてたじゃねぇか。それで良いんだよ。んな先の事みたく途方も無くて分かんねぇ事考えるより、目の前の1つ1つの事心込めてこなしてくだけ!只、その先てめぇがどうなりてぇかだけは見据えてな。人間なんざそれで十分だろ?」

 

 全く、自分がまさか年長者として此処まで言う日が来ようとは………。諭しながら忍は内心そう思っていました。この前テミスからリラが自殺を思い立ったなんて聞かされてましたが、此処まで頭の中が面倒臭い奴となればふとした切っ掛けで考えがあらぬ方向に傾き、結果としてそうなるのも無理からぬ話です。同級生として一緒にいる葵達の苦労が思い遣られます。

 ですが、忍の言葉がリラの中で或る種の福音となっていたのもまた事実。少し吹っ切れた気持ちになったリラは、アクアリウムで周囲の水分を集めて掌サイズの水球を形成すると、それを徐に自分の顔にぶつけました。夏の暑い空気の中で浴びる冷たい水の衝撃は、リラの目を覚まさせるのに十分でした。

 

 「御免なさい、忍先輩。でも私……先輩のお陰でまた少し吹っ切れました!」

 

 そう言って晴れやかな表情を見せるリラ。顔は濡らす水滴はもう消滅して無くなってました。

 

 「そうかい。つーか、お前の能力(ちから)ってのは濡れても一々拭いたりしなくて良いから便利だよな。」

 

 フッと笑って何時もの軽口を叩く忍の表情を確かめると、気を取り直してリラは彼女と共に家路に就きます。他愛も無い2人の遣り取りに花を咲かせながら―――――。

 ですが、リラと忍は気付きませんでした。そんな自分達を見つめる人物の存在に――――。

 

 

 「良いなぁ、あの子達……毎日楽しそうで――――」

 

 自宅へ向かうリラ達の様子を、スーツ姿の1人の青年が川の向かい側から目撃していました。その目はリラと同じ藍色でしたが、何処か翳りを帯びており、濁ってすらいる様に見えます。

 

 「俺にも昔、あの子達みたいな時期が有ったっけ。あの頃に戻れるモンなら、今直ぐにでも戻りたいよ………。」

 

 溜息交じりにそう呟きながら、青年は凡そ生気の無い幽霊の様な足取りでフラフラと歩き去って行きます。後にこの青年は今後起こる、あの大事件に関わって行く事になるのですが、それに関してはもう少ししたらお話ししましょう。

 ともあれ、リラの長い長い7月は未だ始まったばかりです―――――。




キャラクターファイル32

浅木君枝(あさぎきみえ)

年齢   16歳
誕生日  10月28日
身長   171cm
血液型  AB型
種族   人間
趣味   占い
好きな物 面白い小説や学術書

東京都文京区に住む女子高生で、灰色のセミショートヘアーにオレンジと黄緑のオッドアイが特徴と、神秘的な雰囲気を漂わせる。
占いが得意でその腕はプロレヴェルと専らの評判らしく、ネットでも“天才占い師”と囁かれる程。
常人よりも博識で、天才的な能力の持ち主らしいが詳しい事は一切不明。
分かっているのはハイネリア型の上級水霊(アクア)を内に宿した、途轍も無いポテンシャルを秘めた事だけである。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第32話 お嬢様と海渡り

今回はみちる部長の素顔に迫ります!


 突然ですが、前橋みちるは霧船女学園水泳部部長の3年生です。

 普段は穏やかで心優しい性格ですが、怒るととても怖い―――。

 お淑やかですが、それでいて芯が強く、厳しく当たるべき時には毅然とした態度で臨む―――。

 部長を務めるだけあり、エースの忍に比肩する泳力を誇る―――。

 

 今回は、そんなみちるについてお話させて頂きましょう。

 

 

 「さぁ、皆!今日はあの島を目指して遠泳よ!」

 

 その日、我等が霧船女子は蒼國の海辺に来ていました。今回の練習は何と、持久力を付ける為に蒼國海岸から少し離れた場所にある島『羽道島(はどうじま)』への遠泳と言う何ともハードな物でした。似た様な練習は霧船に限らず他校でもやっている所は有りましたが、数自体はそれ程多くは有りません。また、大抵の場合は向こうの島まで泳ぎ切ったら休憩し、時間と体力に余裕が有るならそのまま往復して泳ぎ帰るか、そうでなければ船で乗って帰ります。

 制服等の荷物を管理するマネージャーや顧問の先生が船に乗って監視する訳ですが、帰りの船と言うのがまさにそれ。然し、彼女達の顧問の村上先生は面倒臭がり屋と言う事もあって渋ってました。然し、其処へ我等が水霊士(アクアリスト)・汐月リラ擁する霧船は急遽保護者を立てていました。

 

 「全く……どうして私が人間の手伝いなんか――――。」

 

 「ごめんね、テミス!他に頼めそうな人いなかったから……。」

 

 愚痴るテミスに対し、既に競泳水着に身を包んだリラがそうお詫びを入れます。そう、人間態の彼女こそが今回、リラが霧船女子達の為に急遽立てた保護者役だったのです。因みに村上先生には“リラの親戚で大学生のお姉さん”と言う事で話を通した訳ですが、リラ自身と変わらない年恰好だとして訝られたのは言うまでもありません。然し、元来面倒臭がり屋で放任主義の彼女は…

 

 『まっ、キチンと生徒の身の安全を保障してくれるなら別に誰でも良いがな。』

 

 …の一言であっさり了承しました。無論、テミスも含めて一同は「それで良いのか?」と半ば呆れてましたが、一応日没までは戻って来る様に釘だけは差していたので、その辺はキチンと教師やってると言う事でそれなりに納得はしていました。

 ご丁寧にテミスに頼んで彼女達の制服や荷物をわざわざ預かって貰い、改めてリラ達は羽渡島を見据え、蒼國の海に足を踏み入れます。足から胴体と浸かるにつれ、肌に伝わる心地良い温度の水の感触が、鼻先を抜ける潮の香りと共に霧船女子を出迎えました。

 その日は7月上旬と言う事もあって気温も相応に高く、何より風も波も穏やか。遠泳には持って来いの気象条件だと言えましょう。寧ろこう言う条件が揃っている事を分かった上で、みちるはこの日の練習メニューを遠泳と決めたのでした。

 後、彼女が気にする事はと言えば――――。

 

 「それでテミス、最後に一応確認するけど、鱶はこの辺にいないわよね?イタチザメとかホオジロザメとか…。」

 

 周辺海域に人を襲う危険な鮫がいないかどうか。それがみちるの懸案事項でした。海での遠泳だろうとレジャーの海水浴だろうと、遊泳者の身の安全を脅かす鮫の存在は在ってはならないので当然でしょう。

 するとテミスはあっさり答えました。

 

 「大丈夫よ。あの島までの周辺海域に今の所鮫はいない。遠泳するなら今がチャンスよ。」

 

 水霊(アクア)は地球を廻る水其の物である為、この星のあらゆる物事を知っています。当然ながらリアルタイムで周囲の状況がどうなっているのかも直ぐに分かるのです。現在の海の気象状況や各種生物の位置情報を知るなんて造作もありません。

 鮫がいないと分かるや、みちるは安堵と共に口元に笑みを見せ、改めて一向に号令を掛けます。

 

 「分かった。有り難う。それじゃあ皆、行っくわよぉぉ~~ッ!用意……スタート!!」

 

 みちるの号令と共に、リラ達は一斉に羽道島を目指して蒼國の海を泳ぎ始めます。

 口に入って来る海水の塩辛さ―――――。

 時折厳しく打ち付ける波―――――。

 そして10分も経つ頃、次第に四肢に降り掛かって来る疲労感――――。

 何より力尽きればmそのまま沈んで水死体となるのではと言う恐怖感!

 特に最後の恐怖感に関しては、水の民である蒼國市民も滅多に無い事とは言え自覚はしています。普段から水に親しみ、川や海を通して泳ぐ事で全身の筋肉と体力が鍛えられていても、水死する事が全く無い訳では無いのです。川で入水自殺しようとしたリラもそうでしたが、他の葵達も大なり小なり息の続かない水の中で苦しい想いを味わった事はあります。

 実家が漁師の深優を始め、海を身近に感じながら生きている蒼國の人々はその恐ろしさを良く知っています。海は穏やかな時もあれば強風、濃霧、激しい高波や大時化等、様々な形で容赦無く牙を剥く魔物の側面が有るのですから、みちるが部員全員の持久力の底上げの為とは言え、遠泳による海渡りを考えたのは相当考えての事なのは明白と言う物です。

 

 「はぁ……はぁ……島まで後どれ位なんだろ……?」

 

 「まだ半分…てか黙って泳ぎなよ葵。喋ったら余計バテるよ?」

 

 半ばヘトヘトになりながらそう呟く葵を深優がそう注意します。そんな2人を横目に、リラは必死で羽渡島を目指して水を掻き分け、足を上下にバタつかせて進んで行きます。

 

 (でも凄いな。忍先輩もそうだけど、みちる部長も―――――!)

 

 リラの視線に映るのは1年生は元より2年生すら引き離し、ぐんぐんと遠ざかって行くみちるの姿でした。無論、それに負けじと付いて行く忍も忘れていません。練習の後のアクアリウムの癒しで肉体の負荷を取り払き、負傷する前の状態へと復活した忍は確かに嘗て以上の成長を見せました。然し、やはりスタミナ面では故障している間も練習を重ねて来たみちるには敵わないのか、後塵を拝しています。

 尤も、同じく自身が故障中も練習を重ねていた真理愛達よりかは上ですが………。

 

 「ホラ皆、モタモタしてると置いてっちゃうわよ!?」

 

 首位を独走して泳ぐみちるの目は、何時も以上に生き生きしていました。因みにその右腕には黒いゴムバンドが巻かれており、何かの鍵が付いています。

 

 

 「ふぅ~~~~もう疲っかれたぁぁ~~~~~~ッ………!!」

 

 「小中の時に授業で海泳がされた事は有ったけど、島まで遠泳なんて初めて………。」

 

 「本当だね。でも鍛えられてる実感はするかな…?」

 

 何とか蒼國海岸から離れた場所にある羽道島まで泳ぎ切った一同ですが、葵達は入り江に上陸すると共にすっかりヘトヘトになってました。その近くには小さな小屋が建っています。

 一応リラも含めて4人とも大地に膝を付く事無く立っていますが、それでも辛うじて立っていると言う様子でした。因みにリラは一緒に到着したテミスの加護によって直ぐに回復しましたのでノーカンです。

 

 「もう、この程度であんた達情けないわよ?」

 

 「立ってるだけでも立派でしょ?特に長瀞は大した物ね。」

 

 「潤って遠泳初めて?ブランク有ったのに結構泳げてたけど。」

 

 「うーん…中学の時に1回やってそれっきりだったけど、意外と泳げて自分でもビックリね。でも流石に帰る分にはキツイかな?」

 

 更紗を除く1年の子達と違い、2年生はそれ程疲弊している様子は見えませんでした。

 

 「取り敢えず皆、身体乾かしてアクアリウムしよっか?」

 

 「うん、お願いリラ…!」

 

 既にアクアリウムの力で濡れた身体から水分を取り払っていたリラが提案すると、葵達は直ぐに快諾します。これから戻りも泳いで帰らねばと思うと猶更です。

 クラリファイイングスパイラルの二重螺旋に包まれ、その揺らぎの中で葵達は身体の疲れとストレスの穢れを取り払われました。ついでに濡れた身体も水分を取り払われ、遠泳前と同じコンディションを取り戻しました。

 

 「ん~~~っ!元気一杯って感じ!」

 

 「これでまた海岸まで泳いで行けるね!」

 

 すっかり回復した葵達は軽く背伸びやストレッチをしながら、元通り自身の肉体に体力と気力が充実した事を噛み締めます。一方の2年生も潤が瑠々達にアクアリウムを施した為、3年生以外皆フル回復です。

 

 「あれ?でも部長と忍先輩は?」

 

 「そう言えば2人とも姿が見えないよね…。」

 

 先程から3年生の2人の姿が見えない事を真っ先に指摘したのは瑠々でした。彼女の言葉を受けて水夏も周りを見渡します。

 

 「近くに小屋が有るから尋ねれば分かるんじゃない?」

 

 入り江の直ぐ傍に建てられて小屋を指差し、真理愛はそう提案します。誰か人がいるのか、小屋はのドアは半開きになっていました。みちるが忍と一緒に中にいるのでしょうか?兎に角確かめてみる価値は有るとして、一行は早速向かおうとします。

 ですがその時でした。

 

 「クークーッ!」

 

 「ニャアァ―――ッ!!」

 

 不意に少し離れた場所から響くのはけたたましいまでのカモメやウミネコと言った海鳥達の鳴き声。しかも鳴き声は1つや2つでは無く、10以上は聴こえてきます。

 

 「何よ、この音!?煩いんだけど!?」

 

 「何で急に海鳥達がこんな騒いでんの!?」

 

 思わず耳を塞ぎつつ葵と瑠々が声を上げると、同じ様に耳を塞ぎながらリラが鳴き声の出所に目を向けます。すると彼女達が上陸した入り江から少し離れた磯の岩場に、沢山のカモメ達が群がっているではありませんか。

 

 「えっ……!?みちる部長!?」

 

 何と、カモメ達の中心に立っているのは先に上陸していたみちるでした。その傍には忍も手を後ろ手に組んで佇み、「やれやれ」と言わんばかりの表情で彼女を見守っています。

 

 「アハハッ、可愛いわね貴方達♪」

 

 餌を与えながら肩に乗ったり、周りに群がるカモメ達に目を配りながら、みちるは彼等と戯れていました。すると其処へリラ達がやって来ます。

 

 「みちる部長、何やってるんですか……?」

 

 「おっ、お前等もやっと来たか!」

 

 リラが声を掛けたのを受け、忍がそう返すと、みちるは周囲にカモメ達を侍らせながら振り返って言います。

 

 「何って見て分からない?早く着いたから皆が来るまでこの子達と戯れてたの。」

 

 右手の拳と両肩にカモメを乗せながら答えるみちるに対し、葵は尋ねました。

 

 「部長ってカモメ好きなんですか?」

 

 「えぇ。海だけじゃなく、時々近くの街まで飛んで来るカモメ達の姿を見てると何だか自由って感じがして好きなの。観察していて飽きない位よ♪ついでに言っておくと、この島の由来は飛んで来るカモメ達の羽根が海に浮かんで、島への道みたいになったって伝説から羽根の道って事で『羽道島』!分かり易いでしょ?」

 

 「は、はい。そうですね……。」

 

 嬉々として島の由来込みでカモメ愛を語るみちるの回答を受け、1年生達は呆気に取られました。まさか彼女にそんな一面が有るとは思わなかったからです。

 然し、1年分付き合いの長い瑠々と水夏と真理愛の3人や、同級生の親友である忍は違います。

 

 

 「1年のお前等は知らねぇ……つーか未だ話してねぇから教えとくが、この島みちるん家の土地だぜ?」

 

 「えっ………!?」

 

 「ついでに別荘のおまけ付きだ。」

 

 

 忍の言葉を受け、リラ達は一瞬目が点になりました。海底でじっと動かない底生魚の様に数秒間固まったかと思うと、次の瞬間には……

 

 

 「ええぇぇぇ~~~~~~~ッ!!?」

 

 

 まさか島なんか所有するブルジョワがこんな間近に居たなんて、到底想像し得なかった事でしょう。4人は驚愕の声を張り上げました。 

 

 「あっ…!」

 

 驚きの余りに4人が張り上げた声に驚き、カモメ達が飛び去って行ってしまいました。みちるは少し残念そうです。

 

 「声でけぇよお前等……。」

 

 半眼で呆れる忍を横目に、リラ達は先輩達にみちるの事で詰め寄ります。

 

 「みちる部長ってそんなお金持ちのお嬢様だったんですか!?」

 

 「瑠々先輩達は知ってたんですか!?みちる部長が別荘付きで島持ってる程のブルジョワだなんて!!」

 

 「てゆーかてゆーかてゆーかッ!知ってるんだったら何で教えてくれなかったんですか!?」

 

 「貴女達、落ち着きなさい!!」

 

 海鳥もビックリな程騒がしい後輩達に気圧される2年生と3年生ですが、直ぐに部長のみちるがバスト90超えの胸を大きく揺らしながら一喝して黙らせます。その威圧感を前に4人が静まったのを見て、改めてみちるは説明に入りました。

 

 「“訊かれなかったから”って答えたらそれまでだけど、この島への遠泳は単なる練習の一環じゃなくって、1年の貴女達へのちょっとしたサプライズよ。これから全国や国体の合宿で利用する事になるから、その紹介も兼ねてと思ってね。」

 

 そうみちるが説明すると、今度は瑠々達がその補足に掛かります。

 

 「部長の別荘にはわたし達も去年来たから特に驚きはしなかったけど、遠泳で泳いで来たのは今回が初めてよ。去年は部長のお姉さんに船で乗せてって貰ったから…。」

 

 「ついでに言うとこの船の別荘と土地はそのお姉さんが管理してるんだって。」

 

 「私達以外にもこの島利用したいって人は何人も来るから、その人達からお金取ってるそうよ。大きな会社からも依頼が来た事有るって部長言ってた。」

 

 「へぇ~、みちる部長ってお姉さん居るんですね……。」

 

 彼女達の説明を受け、去年水泳部に居なかった潤と今年入部した1年生4人は、脳内に於けるみちるに対する認識を改めつつありました。蛇足ですが、葵もみちるが下の妹と知って目が点でした。

 とは言え、完全に納得するには決定的に足りない材料が1つ有ったのでその解消の為、5人を代表してリラが質問をします。

 

 「あの、みちる先輩……先輩の家って仕事何やってるんですか?お姉さんが島の管理人なんて言ってますけど……。」

 

 そう、みちるが島を買えるだけの財力を有した家のお嬢様と言うなら、当然その家は相応に大きな事業(ビジネス)に携わっていて然るべきです。

 

 「別荘案内する時に説明しようって思ってただけど、まぁ良いわ。今教えても同じだろうしね。」

 

 テミスが黙って見ている中、みちるは両手を後ろ手に組みつつリラの質問に対してこう答えます。

 

 

 「――――私の父はね、『前橋グループ』の会長なの。」

 

 

 みちるからの回答に、含めたリラ達1年生と潤の5人は再び凍結(フリーズ)しました。

 

 「「「「「お……お父さんがあの前橋グループの会長ォオォ~~~~~~ッ!!!?」」」」」

 

 ですがやがて、一際驚きの声を張り上げます。海鳴りや打ち寄せる大波すら生温い程の轟音が島一杯に響き渡りました。

 

 「ままま、前橋グループって、あの世界的に有名な海商のグループだよね!?」

 

 「前橋海運を前身に、船舶やリゾート関係だけで200社も子会社や関連会社を率いてるって言うあの一大企業集団じゃん!」

 

 「確かヤマメの家の造船会社もその下請けって話だったよね……。」

 

 「ぜ、全然知らなかった……。」

 

 「わたしも初めて知ったかも……。って言うかブルジョワってこんな身近に居たのね………。」

 

 みちるが世界的に有名な大企業の令嬢だった事は、リラ達にとって余りに衝撃的でした。それはさながら、島を飲み込む程の超特大の大津波の様に強烈なインパクトを以て彼女達の脳内に刻まれました。

 初めて知った事実を前に葵と深優と更紗が口々に言葉を交わし、リラと潤が唖然となりながら呟く中、不意にテミスが前に出て来て言います。

 

 「はいはい貴女達、気持ちは分かるけどお喋りは其処までにしなさい。皆あくまでも此処には練習に来てるんでしょ?」

 

 「そ、そうよねテミス……。」

 

 収拾が付かなくなりそうになった所へテミスが助け舟を出してくれたお陰で、リラ達はどうにか落ち着きを取り戻しました。その様子を見てみちるはホッと胸を撫で下ろすと、改めて口を開きます。

 

 「有り難うテミス。保護者役を貴女に頼んで正解ね。」

 

 取り敢えずテミスに礼を告げてみちるは言います。

 

 「だけどさっきも言った通りこの島には今年初めて入った子達に、これから合宿で使う私の別荘の紹介とその下見をする目的も有るの。往復はその後。じゃあ皆、一旦制服着に替えて頂戴。テミスも預かってた制服を皆に返してあげて!それと汐月、私と忍にもアクアリウムをお願い。ついでに余計な水分も取っ払ってくれる?」

 

 「えっ、はい!」

 

 「わ、わたしも手伝うよリラちゃん!」

 

 リラが潤と一緒にアクアリウムでみちると忍の身体を癒すと、その場にいた全員はテミスから制服を返却されてそれに身を包みます。全員競泳水着姿だった為、当然ながらその上に着るだけ。然も事前にリラから身体の濡れた分の水分を取り払われ、日光で乾燥している為に嫌なジメジメ感は有りません。

 

 「じゃあ皆、付いて来て!」

 

 全員が着替え終わると、みちる達は今年入った部員達を案内しました。先ずは入り江に建っている小屋です。

 

 「皆も最初に見たこの小屋はね、姉様がお客さんに島を解放するシーズン中に滞在する管理人用の小屋よ。因みにシーズン開始は毎年7月第二週から10月の第二週までで、今年は今週の第二土曜日からになるわね。」

 

 「そうなんですか…それで、みちる部長の手首の鍵って此処の鍵だったんですね。」 

 

 「そう!さっきのカモメの餌も此処に置かれてる物よ。因みに来たお客さんには釣り竿やスキューバダイビング器材のレンタルも行ってるの。ついでにさっき私がいた岩場の直ぐ傍を入れて3ヶ所に船着き場も有るわよ。」

 

 シックな木造建築ですが、その部屋の中はまるで南国風の木造建築でした。そして管理人の仕事場らしく受け付けのカウンターや、みちるの言う釣り竿やスキューバダイビング用のウェットスーツ等が完備されています。そして先程みちるがカモメに餌付けをしていた磯の近くにも小さな船着き場が有りました。残念ながら大型の船舶は停留出来ませんが、漁船1隻位なら留められそうです。

 小屋を出て舗装された石畳の先を辿り、島の奥へと10分程歩くと其処には『関係者以外立ち入り禁止』の立て札があり、更に其処から先には立派な建物が見えてきました。まるで軽井沢に建ってる別荘の様な邸宅です。

 

 「はい、着いた!此処が私の別荘よ。」

 

 「へぇ~此処が……。」

 

 「これがみちる部長の別荘……。」

 

 建物の立派さに目を奪われた新入部員を代表してリラと潤がそう零すと、みちるは更に説明を付け加えます。

 

 「私の姉様は普段、勇魚(いさな)義兄様と蒼國にある前橋ブルーリゾートの経営に携わってるわ。シーズン中には姉様はこっちで管理人の仕事してるけど、テレワークでリゾートの業務も並行してやってるから本当に凄いって思う。」

 

 「えぇっ!?あのリゾートホテルって部長の実家が経営してるんですか!?同じ“前橋”って付くからまさかって思ってたけど本当にそうだったんだ!!」

 

 「って言うか“勇魚”って誰なんですか?」

 

 深優が驚嘆の声を上げる中、リラの発した質問にみちるは答えました。

 

 「姉様の旦那様でさっきも言った通り、ウチが経営してる前橋ブルーリゾートの代表取締役を任されてる前橋グループのビジネスマンよ。因みに婿養子で旧姓は“神崎”って言うの。」

 

 「へぇ~、部長のお姉さんって結婚してるんですね!こんな別荘や島を管理するだけじゃなく、夫婦揃ってホテルまで経営するなんて、部長にとっても自慢のお姉さんじゃないですか!」

 

 「……まぁ、そうね。」

 

 リラの言葉に面映ゆい気持ちになるのを抑えながら、みちるは先程の道中を指差して言います。

 

 「他にも紹介したい所は有るけど、もう日も傾いて来て時間が無いから今日は此処までにするわ。最後にあれだけ見て帰りましょう。」

 

 その指差した先へ歩いて行くと、別荘へ続く道の外れに一軒の祠が建っているのが見えました。だいぶ時代を感じさせる古めかしい祠で、その左右には龍の石像が狛犬の様に向き合っています。

 

 「あの、部長…あの祠って何なんですか?来る時にちょっと気になってたんですけど……。」

 

 リラが尋ねると、みちるは言います。

 

 「私の父がこの島を買った時から既に有った物みたいだけど、詳しい事は分からないわ。ただ、あの祠には蒼溟神社(そうめいじんじゃ)蒼龍玉(そうりゅうぎょく)に良く似た青い宝玉が安置されてるの。歴史的に価値が有るのは間違い無いわね。」

 

 “蒼溟神社”と“蒼龍玉”と言う聞き慣れない単語を受け、リラは手を挙げて質問をします。

 

 「はーい、質問ですけど、その“蒼溟神社”と“蒼龍玉”って何ですか?そんなに有名な物なんですか?」

 

 するとみちるに代わって深優が答えます。

 

 「そう言えば他所から来たリラっちは知らなかったっけ。この辺りじゃ有名な伝説だよ?」

 

 「有名な伝説?」

 

 首を傾げるリラに対して次に説明するのは潤です。

 

 「そう。今から千年以上前、蒼國の有った辺りに巨大な龍の亡骸が落下して来て、その衝撃で出来上がった川がボート部も練習に使ってる龍涯川(りゅうがいがわ)なんだけど、その龍の口から吐き出された瑠璃みたいに真っ青な宝玉こそ“蒼龍玉”って言うの。」

 

 「この辺りの地元民だったら誰でも子供の頃に聞かされた有名な話よ。」

 

 「まっ、わたしは興味無いからあんま覚えてないけど、確か神社の本殿にはその龍の頭蓋骨が安置されてるとかされてないとかって話が有るわ。」

 

 水夏と瑠々の言葉を受けてリラは興味が湧いたのか、祠の中の玉を一目見ようと近付きます。ですが、その様子をテミスは少し目を細めて眺めている事に気付く物は誰もいませんでした。

 

 「へぇ、青い宝玉が……。」

 

 そしてリラが社の中を覗き見ると、確かに掌サイズの青い宝玉が龍神の像に抱えられる様に鎮座していました。何やら神秘的な雰囲気を漂わせています。

 

 (綺麗…でも何だろう、この感じ?まるでテミスみたいな強い力を持った水霊(アクア)が傍に居るみたいな気分………。)

 

 リラが宝玉に奇妙な感覚覚えていると、突然テミスがリラの間に入り、厳しい口調で叱り付けて無理矢理引き離そうとしました。

 

 「駄目よリラ!これ以上この宝玉を見る事は許しません!」

 

 「えっ!?ちょっとテミス……!?」

 

 「皆ももうさっさと帰るわよ!ホラ、練習は未だ終わって無いでしょ!?入江から元の海岸まで泳がなきゃいけないんだから!!」

 

 訳も分からぬまま強引にリラを祠から引き離すと、テミスはそのまま強い口調で元来た入江まで引き返す様に号令します。

 

 「えっ?でも……」

 

 「もう陽だって傾いて来てるでしょ!?日没に泳ぐのは禁じられてるんでしょ!?まだ陽の有る内に泳がなきゃ練習にならないじゃない!!」

 

 「そ、それもそうね……じゃあ皆、入江まで急ぐわよ?」

 

 「は、はいっ!」

 

 「お、おう!」

 

 一瞬躊躇うも、テミスの強い語気に圧されたみちるは改めて部員達に入り江に急行する様指示を出します。突然のテミスの変貌に違和感を覚えたまま、一行はダッシュで羽道島の砂浜へと再び戻ると、改めて競泳水着姿になります。無論、制服は再びテミスに預けました。因みに鮫に関してはテミス曰く、『事前に水霊(アクア)達に頼んで周辺海域から遠ざけた為、襲われる心配はゼロ』との事です。

 

 「じゃあ皆、帰りの遠泳行くわよ!」

 

 そう言ってみちるが号令のホイッスルを吹くと、再び霧船女子は海に飛び込んで一路蒼國海岸目指して往復の遠泳を始めます。

 もう日が傾き始めていた為、水温は行きの時と比べても幾分低くなっていて冷たくなっていましたし、心なしか波も強くなっていました。

 ですが、水の都である蒼國で育った葵達はこの程度では負けません。忍も負けじとみちるの背中に肉薄し、力の限り足をバタつかせて波間掻き分け海岸を目指します。

 

 「はぁ……はぁ……行きもそうだけど戻りもキツイ………。」

 

 「だから葵、喋ったら余計疲れるから駄目だって……。」

 

 葵と深優が泳ぎながらそう言葉を交わす中、リラの脳内では先程から2つの想いが双魚の様にグルグルと廻っていました。1つは言うまでも無くみちるへの想いです。

 

 (今日はみちる部長の事、色々と知れて良かったな。みちる部長、最初に会った時から感じてたけど、本当に素敵な人だった。もっと知りたいな、忍先輩と一緒に部長の事――――!)

 

 みちるの知られざる一面を知る事が出来、自身の中でのみちるへの好感度が上がって行くのをリラは感じていました。然し、リラは気付いていませんでした。彼女にとって忍、そしてみちるの2人の存在が、仕事で殆どいない両親以上に両親らしいそれになっている事を――――!

 残りの1つの想いとはそう、あの島の祠に安置されていた謎の宝玉への疑問でした。

 

 (あの宝玉って一体何だったんだろう?テミスは「触るな!」なんて言ってたけど、あれって水霊(アクア)と何か関係有るのかな?そう言えば未だ行った事無いけど、蒼溟神社って言う所にも同じ様な玉が置いてあるって話だったし、今度行ってみるか―――――。)

 

 そんな事を考えながら、リラは蒼國海岸を目指して泳いで行きました。

 

 

 「ハァーッ…ハァーッ……、やっと着いた……ッ!!」

 

 「海岸から近いって行っても、やっぱ距離有ってキツイよね………。」

 

 「けど、だからこそ鍛えられてるって感じはする…。」

 

 太陽がすっかり水平線の向こうに沈み掛ける頃、漸く霧船女子達は蒼國海岸へと帰還しました。するとみちるがメンバー全員に労いの言葉を投げ掛けます。

 

 「皆、今日はお疲れ様!これからは海でもこうやって練習する機会は有ると思うけど、他所の学校に負けない様に頑張って行きましょうね!」

 

 「はいッ……!!」

 

 みちるの言葉に1年と2年の全員が返すと、忍がリラに言います。

 

 「んじゃ汐月、それと飯岡も早速で悪いがまた頼むわ。」

 

 「アクアリウムですね。」

 

 「分かりました!」

 

 2人の水霊士(アクアリスト)は周りに誰もいない事を確認すると、アクアリウムで近くに居た中級水霊(アクア)達を呼び出して癒しを施します。

 ノアリリアの電気ショックやマヌンダのマッサージに始まり、ドリスも口から無数の分身を吐き出して彼女達の体内に侵入させて身体の内側から傷んだ筋肉の超回復を促しました。

 加えて周囲の大小様々な下級水霊(アクア)達も集まっては身体中の疲労やストレスの穢れや老廃物を喰らい、吸い出し、物の数分であっと言う間に全員のコンディションを完全回復させたのです!

 無論、濡れた身体も元通り水分が抜かれて乾き切っています。

 

 「ふぅ~生き返ったぁ~ッ!!」

 

 「やっぱ凄いよね、汐月と潤のアクアリウムってさ!」

 

 「今に始まった事じゃねーだろ?まっ、気持ちは分かるがよ!」

 

 肉体に瑞々しいまでの生命力が溢れる葵と瑠々がそう声を上げると、忍もそれに同意の言葉を投げ掛けます。

 

 「フフッ……じゃあ今回は制服にまた着替え終わった子から解散ね!」

 

 「みちる部長……。」

 

 すると突然い、リラがみちるに話し掛けて来ます。リラの藍色の瞳は、真っ直ぐみちるの顔を捉えていました。

 

 「どうしたの汐月?今日の事で何か有ったの?」

 

 「はい……1つ、部長にお願いが有るんです………。」

 

 「お願い?一体何なの?」

 

 顔を赤らめつつ、少しモジモジしながらリラは、みちるに対して思い掛けない言葉を投げ掛けます。

 

 

 「今度の日曜、先輩のお家に遊びに行っても良いですか?」

 

 

 「え――――――?」

 

 リラの発した言葉を受け、みちるは思わず面喰います。今まで忍位しか家に来た事が無かった手前、後輩の子達が訪ねて来るなんて1度も無かったからです。

 

 「あっ!リラだけ狡ーい!私もみちる部長がお嬢様だって言うならどんなとこ住んでるか見たいです!」

 

 「私も見てみたいかも!」

 

 葵と深優までそう言い出し、更紗も無言で頷きます。どうやら彼女達も同じ事を思っていた様です。彼女達の様子を見てみちるは若干、引き攣った笑みを浮かべましたが、同時に嬉し恥ずかしい気持ちが熱水噴出孔から出る熱水の如く噴き出して来るのを感じていました。

 

 「貴女達……。」 

 

 「私達、今日またみちる部長の事が知れて嬉しかったです!私達、もっと部長の事が知りたいです!だって私、部長の事が忍先輩に負けない位大好きだからです!!」

 

 「私も!」

 

 「はいはい私も~!」

 

 「私もです、部長……。」

 

 後輩達から発せられる言葉の数々に、みちるの顔はクマノミの様に赤く紅潮して行きました。

 只単に合宿場所の紹介を兼ねた練習の心算が、思わぬ1年達からの好感度アップに繋がるとは当人も夢にも思いませんでしたが、同時にみちるの中では嬉しさが更に急上昇です。これも水霊仲間(アクアメイト)の絆の為せる業なのでしょうか?

 

 「何だ何だぁ?みちる、お前1年のヒヨッコ共にモテモテだな♪」

 

 「ちょっと忍……!!」

 

 頭の後ろに手を回しながらニヤニヤ笑って忍が茶化す中、リラは言います。

 

 「みちる先輩って、優しくってしっかりしてて、背も高いし身体つきも凄くエロいし泳ぎも忍先輩に負けない位上手いし、実家だってお金持ちだし水霊(アクア)のノーチラスも良い子だし最高です!私、そんな人が忍先輩と一緒に傍に居てくれて、今までの人生で一番幸せだし誇りに思ってますから!!」

 

 繰り出されるリラの言葉の中に何処か引っ掛かる物を感じながらも、みちるは顔を赤らめながら叫びます!

 

 「汐月ったら………もうッ!褒めたって何も出ないから!って言うか、来たかったら来て良いわよ!いいえ、寧ろ是非とも来て頂戴!!貴女達にも色々と水霊(アクア)とかの事で聞きたい事有るし!!」

 

 「うわぁ!有り難ぉ~部長!!嬉しいです!!」

 

 そう言うと深優は徐にみちるの背後に回り、例によってその豊満な胸を揉みしだこうとします。

 

 「あっ、コラ吉池止めッ…んんッ、あぁんッ♥」

 

 「ちょっと止めなさいよ深優!!」

 

 深優の手でバスト90超の乳房全体に快感を与えられて悶えるみちる。そんなみちるから強引に深優を引き剥がそうとする葵。更紗も無言でそれに協力します。

 そんな騒がしい1年生と3年生の遣り取りを、2年生は半ば呆れながらも楽し気に眺めていました。

 

 「相変わらず仲良いわね、汐月達と部長。」

 

 「水霊(アクア)の事で忍先輩の故障治して貰ったんだし、あそこまで急接近するのも当たり前よね。」

 

 「一緒の時間は私達の方が長いのに、あの子達には本ッ当に嫉妬しちゃうわ……。」

 

 (凄いなリラちゃん達……短い間にあんなに部長と深く結び付いて………。)

 

 手を後ろ手に組みながら瑠々と水夏と真理愛がそう感想を漏らす中、潤が何とは無しにアクアリウムを発動させると、みちるの中のノーチラスが活発に動き回る処か大きく成長しているのが見えます。気付けばみちるの周りには、同じ様なアンモナイトやオウムガイの仲間の姿をした下級及び中級水霊(アクア)達が泳ぎ回っていました。

 

 (周りの水霊(アクア)達まであんなに部長に…リラちゃんや日浦先輩………魅力とか才能とか、そう言う凄い何かを持ってる人の周りって、あんな風に水霊(アクア)まで集まって来るのかな?)

 

 そうして1年生の後輩達相手にキャッキャウフフと戯れた後、みちるは改めて制服に着替えて家路に就きます。リラ達も既に制服に着替え終わって解散していました。

 

 

 帰宅した後、みちるは何時もの様に食事をして明日の予習と復習、そして風呂に入って受験勉強に取り組みます。そして夜中の23時、就寝前に夜風で涼もうと自室の窓を開けました。すると心地良い海風が彼女の頬を撫で、それと同時に今日の出来事を静かに思い出します。

 

 「“私の事が知れて嬉しかった”、か………。」

 

 リラに言われた事を思い出しながら、同時にみちるは彼女の事に想いを馳せていました。

 

 「そう言えば私も汐月の事、良く知らないのよね。どうしてあの子はあんなアクアリウムなんて魔法みたいな力が使えるの?まぁ、飯岡もそうだけど――――。」

 

 確かに、アクアリウムとか水の精霊の水霊(アクア)とか、それを使う水霊士(アクアリスト)なんて余りに非現実的過ぎます。そんな力を何故リラや潤が使えているのか、一般人としては謎としか言い様が有りません。然し、それ以上にみちるの脳内では、リラの或る言葉が引っ掛かっていました。

 

 『私、そんな人が忍先輩と一緒に傍に居てくれて、今までの人生で一番幸せだし誇りに思ってますから!!』 

 

 今までの人生で一番幸せ――――その言葉からは、まるでこれまでの彼女の人生が不幸なそれだった様に感じ取れます。其処から更に、もっと根本的な疑念がみちるの脳内に渦を巻き始めていたのです。

 

 

 「汐月―――――貴女って一体何者なの?今までどんな人生送って来たの?」

 

 

 思わず呟くみちるですが、答えは当然返って来ません。遠くから聴こえる波音と、それに揺れる木立の音だけが、夜の静寂に何時までも木霊していました。

 只、窓から夜空を見上げながらリラに想いを馳せるみちる様子を、屋敷の庭の上空からテミスが窺っていましたが、果たして彼女はそんなみちるに何を思うのでしょうか―――――?




取り敢えず今回で第三章の物語は凡そ終了。次回から学年毎3話分に分けてリラと水霊仲間(アクアメイト)達の交流のドラマを描き、其処から新章に突入します!


キャラクターファイル33

セドナ

年齢   無し
誕生日  無し
血液型  無し
種族   水霊(アクア)
趣味   無し
好きな物 美しい音楽

テミスと同じ上級水霊(アクア)。濃藍の巨大な鯱に似た姿をしており、テミスとは対照的に威厳のある言動を取る。
上級であるだけあってその力は絶大であり、自在に天候を操って雨や雷を降らせる能力を持つ。無論、水の精霊であるだけあって水も自在に操る事も出来、巨大な鯨ですらも水柱で吹っ飛ばしてのける。

かなり大昔から存在しているらしく、テミスが未だ下級だった頃から既に彼女より上の等級の存在だった模様。普段は太平洋から大西洋、インド洋まで幅広く回遊している。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第33話 廻る水が育む物~3年生編~

では前章同様、第三章の最後も交流三部作で締めたいと思います。今回は3年生との交流から。ではどうぞ!


 リラが4月に蒼國に来てから早い物でもう3ヶ月になろうとしています。

 嘗て彼女は中学時代、虐めを苦に自殺を図ろうとした所を水霊(アクア)・テミスに救われ、人々の穢れを癒す水の異能である『アクアリウム』を授かり、その力で虐めの苦難を乗り越えました。

 そして高校生になり、独り暮らしの為に進学先の霧船女子学園の在る蒼國市に来たリラは1年生の葵達と出会い、やがて水泳部の3年生の先輩達の穢れを癒すと共に同部活動へと入部。その中で同級生や先輩達と、一般人の到底知り得ない水霊(アクア)の世界を共有する水霊仲間(アクアメイト)としての繋がりを築いて来たのです。

 

 今回は、そんな彼女とその周囲を取り巻く水霊仲間(アクアメイト)との人間ドラマの一端をお伝えしましょう。先ずは3年生の先輩との触れ合いをどうぞ。

 

 

 ◇File.01:日浦忍との師弟愛

 

 それは忍を癒した直後の事でした。

 

 「みちる、あたしまた泳ぐよ。国体処か全国も怪しいだろうけど、それでも泳ぎたいんだ!」

 

 「忍……。」

 

 再び水泳と向き合う様になった忍に対し、リラが言いました。

 

 「でしたら先輩、私が練習の後に日浦先輩の身体をアクアリウムで癒します!故障する前に1日でも早く戻れる様に、そのお手伝いをさせて下さい!」

 

 「……そう言や未だちゃんと名乗ってなかったな。改めて名乗るがあたしは日浦忍だ。お前は?」

 

 「私は汐月リラ。水の力で皆を癒す水霊士(アクアリスト)で今年入った1年生です。」

 

 「汐月リラ…か。良い名前してんな。」

 

 すると葵と深優と更紗もつられて自己紹介します。

 

 「私、リラと同じ1年でクラスメイトの五十嵐葵って言います!」

 

 「私も同じくクラスメイトの吉池深優です!」

 

 「長瀞更紗って言います。私も皆と一緒です。」

 

 幼さの残る初々しい顔付きの3人を見て、忍は朝焼けの海に反射する光の如き眩しさを覚えました。自分にもこんな時期が有った事を思い出していたのです。

 

 「そうか。最初会った時は御免な。みっともねぇとこ見せちまって…。それとお前等も有り難うよ……。」

 

 今年の水泳部の新入部員になってくれる4人の顔と名前を改めて記憶に刻むと、改めて忍はリラに向き合って言います。

 

 「それで汐月、部に入ってくれんのと癒してくれんのは良いが、何でお前はそんな魔法みたいな力が使えるんだ?それだけ気になって仕方無ぇよ。」

 

 「私もそれ気になってた。ねぇ汐月さん、改めて話してくれるかしら?」

 

 するとリラは首を振って答えます。

 

 「御免なさい日浦先輩、前橋先輩、今は未だ答えたくないんです。嫌な事思い出すから………。」

 

 そう言って表情を暗くするリラの様子を見て、2人は言いました。

 

 「…仕方無ぇな。言いたくねぇ事なら無理して言わなくても良いぜ。あたしも訊かねぇから。」

 

 「でも答えたくなったらその時は是非教えて頂戴。同じ学校の生徒としてだけじゃなく、これからは部の一員としても一緒の秘密を共有する仲間なんだから!」

 

 リラの様子から並々ならぬ事情を察した2人は、そう微笑みながら返します。

 

 「有り難うございます……それで日浦先輩、1つお願いが有るんです。」

 

 「お願い?」

 

 安堵の表情と共にリラが発した「お願い」と言うワードに、忍は首を傾げます。

 

 「はい!どうか私の泳ぎのコーチになって下さい!」

 

 「何っ?」

 

 その言葉に忍は眼を見開きました。まさかこんな自分に教えを請う相手が現れるとは思ってもみなかったからです。

 

 「先輩、1年半も水泳離れてましたけどそれでもエースだったんですよね?そんな人から泳ぎを教わりたいって思うのは当たり前じゃないですか。私は先輩と一緒に上達して行くし、先輩もそんな私に負けまいと頑張って自分の泳ぎを磨いて、然もどんなに泳いでもアクアリウムで身体の故障も無くせる訳ですから、お互いにとってプラスになるって思います!」

 

 藍色の澄んだ目を輝かせながら言うリラの言葉に、忍の心は大きく揺れました。水に触れて泳ぐのが好きで仕方無かったあの頃の自分と、同じ輝きを放つリラ。そんな彼女の姿を他人とは思えません。何より此処まで言われたらもう反対する理由も有りません。

 自身の肩を癒す程のリラの力が有れば、昔の自分に追い付く為に多少無理はしても大丈夫でしょう。尤も、先程のヴァルナとの言葉の下、勝ち負けに拘らず楽しく泳げれば良いと言う気持ちを覆す気は有りませんが、それでもやっぱりこんな可愛い後輩の見本である為にも昔の自分位は超える必要が有るでしょう。そうすれば、きっと水泳もこれまで以上に楽しく想える様になる筈!

 

 「良かったわね忍。早速良い教え子が出来て♪」

 

 「からかうんじゃねぇよ、みちる……分かったよ。じゃあ…これから宜しくな、汐月!」

 

 「はい、こちらこそ宜しくお願いします!」

 

 みちるが微笑みながら見守る中、お互いに握手を交わすリラと忍。これが2人の師弟関係の始まりでした。

 

 

 「下手糞!お前は五十嵐達と比べて基本姿勢(ストリームライン)からなってねぇんだよ!!」

 

 プール開きまでの間、適当な川で泳ぎの練習をしていた時、リラは基本のストリームラインが覚束ない事を叱咤された事も有りました。

 シンクロや古式泳法は兎も角、競泳で大事なのは抵抗の少ない姿勢で如何に推進力を上げるかです。如何に基礎的な筋力が鍛えられていても、基本の姿勢(フォーム)がなっていなければ満足に活かせず意味が有りません。

 

 「良いか?さっきのお前はこうだったけどよ、こうすりゃもっと抵抗が減って泳ぎ易くなるぜ!」

 

 自身も相手の身体に実際に触れて姿勢(フォーム)の矯正に掛かる等、忍が出来る範囲で指導をしてくれたお陰で、リラはプール開きの前にどうにか泳ぎの上での基礎中の基礎をキッチリ固められました。

 無論、此処からバタフライ等の泳ぎも一通り教わっています。

 

 

 「ホラどうした汐月?息が上がってんぞ?」

 

 水泳部の練習は何も泳ぐだけではありません。陸上トレーニングだって大事です。今まで言及して来ませんでしたが、リラと忍と2人で一緒にジャージに身を包んでのランニングも日課で行っていました。朝にやる事も有りますが、健康面から考えると夜にやる事の方が多いです。朝に走る際は副交感神経が交感神経に切り替わる様に起床時間を調整したり、事前のストレッチもしますし水分補給もします。無論、朝食のタイミングも抜かりません。どのコースを走るかにも因りますが、他の学校の選手と鉢合わせする事も有るし、他の霧船女子の生徒と遭遇する事もあります。

 無論、体幹や僧帽筋等の泳ぎに必要な筋肉の鍛錬も欠かしません。

 更に泳ぎに慣れて来ればスタミナ増強の為、リラは忍と1万mの泳ぎ込みをする事も有りました。無論、身体に負荷を掛けない様にしっかり身体を労わりながらです。因みに最初は他のメンバーと比べて体力の少なかった葵も、7月になる頃には辛くも1万m泳ぎ切れる様になっていました。

 

 

 「おい!今のフォームじゃお前、腰痛めるぞ!?」

 

 リラと忍が得意とするバタフライは腰を痛め易い泳法です。当然ながら忍も選手生命を長く維持する為、速く泳ぐだけでなく故障のリスクを小さくする泳ぎ方の追求に余念が有りません。

 そんな彼女の指導の下、リラは短い期間でありながらメキメキと実力を付けて行ったのでした。

 

 

 「汐月もだいぶ仕上がって来たな。これからが楽しみだよ♪」

 

 夏が近付くにつれて堂に入った泳ぎをする様になり、肉体的にも鍛えられて来たリラに対し、忍はそんな労いの言葉と共にスポーツドリンクを差し入れる事も有りました。

 

 然し、当然ながら2人の関係は何も部活動だけに留まりません。プライベートでも大事な隣人同士であり、姉貴分と妹分です。

 家が近所であるだけ有り、リラは足繁く忍の家に通う様になり、勉強を教わったり他愛も無いガールズトークに花を咲かせたりもしました。

 これも或るテスト勉強の時の出来事です。何時もの様にリラが忍の家に上がって、彼女に勉強で分からない所を教わっていた時でした。

 

 「そっからこの公式使うと良いんだよ。分かったか?」

 

 「はい、大丈夫です!」

 

 漸く今日の分の勉強が終わり、肩の力の抜けるリラ。机に置かれたミネラルウォーターを飲んで一息吐くと、部屋に掛けてあったカレンダーを一瞥した後で忍の顔を見て言いました。

 

 「…先輩、いきなり変な事訊くみたいですけど、ご家族の事どう思ってるんですか?」

 

 「家族の事?何だよ急に……?んな事お前が聞いてどうすんだよ?」

 

 「私、お父さんとお母さんも仕事で殆ど家に居なくって、蒼國(こっち)にも東京から独り暮らしの為に引っ越して来たんです。2人に甘えた記憶が私には余り無くって…一緒に居てくれたお祖母ちゃんは10歳の頃に死んじゃって、それからずっと1人ぼっちで寂しくって………。先輩はそう言う事無くって羨ましいって思って……!!」

 

 昔の辛い過去を思い出したのか、リラの目には薄らと涙が滲んでおり、声も何時しか涙声に変わり掛けていました。

 

 「汐月…お前………。」

 

 リラのその姿に、忍は憐憫の情を禁じ得ませんでした。彼女の知られざる一面を知ると同時に、その想いを汲み取るかの様に答えました。

 

 「そうだな。母さんはずっとあたしの事、気に掛けてくれてたし、何か有った時に一緒に泣いたり笑ったりしてくれたよ。父さんだって口数は少ないけど、あたしや兄貴が進学や就職した時にはプレゼントみたいな粋な計らいをする人だぜ。兄貴もあんま頭は良くねぇし時々暑苦しいのにハートだけはタフで、男らしい奴だって思うよ。まっ、3人ともあたしは嫌いじゃない……って、汐月?」

 

 気付くとリラは俯いたまま、静かに震えていました。その目に大粒の涙を浮かべながら――――。

 

 「おっ、おい汐月!?家族の事思い出してそんなに辛かったのかよ?」

 

 「先輩、私…この前更紗ちゃんとお祖母ちゃんのお墓参りに行って来たんです。あの時からずっと…昔のトラウマが何かに付けてフラッシュバックして辛いんです………。」

 

 「昔のトラウマだと?」

 

 一体何の事か見当の付かない忍ですが、其処へテミスが現れて言いました。

 

 「忍さん、リラを抱いてあげて下さい。」

 

 「うおっ、テミス!?」

 

 突如現れたテミスに驚かされる忍ですが、そんな相手の様子など御構い無しにテミスは頭を下げ、忍に要請します。

 

 「この子は昔、この時期に心に深い傷が残る様な辛い出来事を経験したのです。と言ってもそれはリラが自分から話す機会が来るまで訊かないでいて欲しいのですが、どうか今だけは、この子の中に溜まった涙を吐き出させてあげて下さい。」

 

 「辛い過去ねぇ……。」

 

 テミスからそう告げられた上、頭まで下げられたとあっては無碍にする訳には行きません。忍は溜め息を吐きながらも目の前で今にも泣きそうなリラの顔を真っ直ぐ見据えると、優しい眼差しでリラに声を掛けます。

 

 「……分かったよ。汐月、昔何が有ったか知らねぇが、泣きたきゃ泣いたって良いんだぜ?ずっと我慢してたんだろ?今此処で全部吐き出せよ。」

 

 忍のその言葉が、今のリラにとって福音以外の何物でも無いのは火を見るよりも明らかでした。既に頬を伝う程の量の涙を両目に湛えたリラは、忍を真っ直ぐ見据えます。そして彼女の懐に、勢い良く飛び込んで行きました。

 

 「忍先輩………ありがっ……うっ、あぁぁっ………!!」

 

 みちる程では無い物の、十分豊満な先輩の両胸に顔を埋めて泣くリラ。その様子を見つめる忍の顔は、女らしく慈愛に満ちた物となっていました。

 

 

 「全く…これがこの前あたしの肩治した奴とは思えねぇな。つーか、妹のあたしが言うのも何だけど、“姉”ってのはこう言うモンなのかよ?」

 

 

 忍が優しく見守る中、リラは声を上げて泣き続けました。本来甘えるべき両親にも心配を掛けまいとして甘えられず、ずっと心に悲しみを溜め込んでいたリラですが、漸くそれを吐き出せる相手と廻り会えた。それこそが他でも無い忍だったのです。

 リラにとって忍はただの師弟に非ず、両親以上に心から甘えられる初めての年長者となっていたのでした。

 

 

 ◇File02:前橋みちるは母の様に

 

 6月の或る日曜日の事です。その日は梅雨の中休みらしく、この時期にしては貴重な晴れの日でした。 

 そんな蒼國の街に1人、みちるは繰り出します。白いオフショルダーのワンピースに身を包み、素足にサンダル履きと言う瀟洒な出で立ちをしており、お洒落な鞄を肩から提げて今日は趣味の書店巡りです。

 

 「有った、今日発売のレイチェルの小説!」

 

 手に取ったのは海外の新進気鋭の若手作家であるレイチェル・N・フェノロサの小説でした。19歳で国際的な賞を受賞する程の天才作家で、みちるは作品込みでそんな彼女のファンだったのです。

 会計を済ませて店を出ると、他の目新しい書物との出会いを求めて次の書店へと足を運びます。

 

 「あれ?みちる先輩?」

 

 すると店内で偶然リラとパッタリ出くわしました。因みにリラは青いセーラー服を思わせる上着に白いミニスカート、そして素足にサンダル履きと言うガーリィな服装をしています。

 

 「えっ?汐月?どうして貴女が此処に?」

 

 思わぬ相手との出会いに驚くみちるでしたが、直ぐに気を取り直してリラに尋ねます。

 

 「どうしてって、久し振りに晴れたから街を散歩してたんですよ?部長はどうなんですか?」

 

 「私も貴女と同じよ。此処最近雨ばっかりだったのが久し振りに晴れたから書店巡りでもしようかなって思ったの。」

 

 「へぇ、部長って書店巡りが好きなんですね!」

 

 「好きって言うか、趣味って言った方が良いかしら?」

 

 2人でそうした遣り取りをすると、みちるは店内を歩きながら自身の趣味について説明します。

 

 「今の時代、電子書籍の台頭でペーパーレス化が進んでるけど、私はアナログな書店が好きなの。こう言う店の中の雰囲気とか空気とか、後どんな本が陳列されてるかとか、そう言う人間らしさが味わえるからね。まるで宝探しでもしてるみたいな楽しみだって有るし、意外とハマる趣味だって思うわよ?まぁ斯く言う私もその1人だけど♪」

 

 一通り店内を散策すると、そのまま店を出て次の店へと渡り歩くみちる。リラも特に行く宛てが無い為、彼女に同行していました。

 蒼國の街は海に面した港町である為、異国から数多くの船がやって来ます。それは交易品の1つとして、様々な本が海を越えてやって来ると言う事である為、何処の書店も奇抜なデザインや内容が盛り込まれた海外の書籍が並んでいました。日本語訳の本も有れば、外国語の原文のままのそれも有り、まさしく千差万別です。

 

 「本当に面白いですね先輩!お店の雰囲気も1軒1軒違ってて素敵ですけど、ちょっとした世界旅行みたいで楽しいです♪」

 

 「読書ってね、それだけで心の旅行なのよ。本に書かれた世界へと、意識が身体を離れて旅をする空想旅行とでも言うのかしら?最後のページまで読み終えて閉じる頃、旅を終えて一回り価値観(こころ)が磨かれてる――――そう言う物だって私は思うわ。そうした本を廻って街を探検するって意味じゃ、書店巡りもちょっとした旅行ね。どっちにしても、本は人を旅に誘う素敵なツール。そうは思わない?」

 

 「はい。言われてみれば確かにそうですよね。」

 

 口ではそうとだけ返しましたが、リラは内心みちるに感心していました。趣味と言えばそれまでの事でも、此処まで深い考えで当たっていたのですから――――。

 気付けば街の時計は既に正午を回っており、そろそろ昼食の時間が近付いていました。蒼國総合文化センター同様、街のランドマークである港の蒼國クロックタワーの鐘が高らかに街に鳴り響きます。

 

 「あっ、もうお昼ね。何処かでご飯にしないと……。」

 

 「そうですね。でも何処で…」

 

 「それなら良い場所へ案内しましょうか?」

 

 すると突然2人の背後にテミスが現れて言いました。何故か両手にはクロッシュが乗った皿を持っています。

 

 「テ、テミス!?」

 

 「どうして此処へ!?って言うかそのお皿は何なの?」

 

 何時もながら突然現れるテミスの神出鬼没さには、やっぱり何時も驚かされます。悪い相手ではないと分かっていても、テミスのこう言う所は慣れた物ではありません。

 

 「今日はねリラ、貴女に新しいアクアリウムでも教えてあげようと思って来たの。」

 

 「新しいアクアリウム?」

 

 「そう。出て来なさい『メリテ』。貴女の力をリラに見せてあげるの。」

 

 テミスがそう言うと、彼女の横に近くに無数の泡が発生。それはやがてリラとの身長の半分位のサイズまで膨れ上がったかと思うと、突如吹いた風で剥がれ飛びます。

 すると其処に立っていたのは、臙脂色の大きな蟹でした。外見的にはタスマニアキングクラブに近いですが、本物がシオマネキ同様に両の鋏が左右非対称の大きさなのに対し、こちらの水霊(アクア)はどちらも同じ位巨大な鋏でした。

 

 「えっ?蟹?」

 

 アクアフィールドを展開し、その姿を捉えたリラとみちるは呆気に取られました。まさか蟹型の水霊(アクア)を紹介されるなんて思わなかったからです。

 

 (おっ、何や何や?この幸薄そうなんがあんたの言うてた水霊士(アクアリスト)かい、テミス?)

 

 「幸薄そうって……。」

 

 「この水霊(アクア)、意外と毒舌ね…って言うかドリスって言う鯰と一緒で関西人なの?」

 

 ごつい外見に違わずドリス同様ノリの関西弁を話す物の、毒舌な一面を持つ蟹――――それが2人のメリテに抱いた第一印象でした。

 するとテミスは不敵に笑って言います。

 

 「侮るって貰っては困るわよメリテ。この子は命を投げ出す様な辛い過去を乗り越え、何人もの穢れを癒して来た水霊士(アクアリスト)なの。貴女も知ってるでしょう?」

 

 (そら知っとるよ。せやけど、情報で知っとるんと実際に見るんとじゃ大違いやろ?アタイは自分の目で確かめたモンしか信用せんさかいな。)

 

 毒舌かと思いきや、実際に自分の目で確かめない事には納得しない――――案外抜け目の無い印象を受けるリラですが、みちるだけは違いました。先程テミスの口にした、リラの“命を投げ出す程の辛い過去”と言うワードが気になっていたのです。

 

 (どう言う事なの?汐月が命を投げ出す?それって自殺って事?)

 

 ですが、それをリラに尋ねる訳には行きません。本人が話そうと思わない限り、決して訊かないのがリラとの約束だからです。

 

 「じゃあリラ、この子を身体に宿してみなさい。」

 

 「う、うん!」

 

 みちるの中で疑問が置き去りにされたまま、テミスに促されたリラはメリテを光の球に変えると、そのまま体内に宿します。

 

 「良いわ。次は大きなシャボン玉を膨らませるイメージを思い浮かべながら両手を翳すの!」

 

 「シャボン玉?良く分かんないけどやってみるね。」

 

 言われるままにリラが両手を翳し、頭の中で自分がシャボン玉をストローで吹いて大きく膨らませるイメージを浮かべるとどうでしょう。彼女の翳した両腕に人が入りそうな程巨大な泡の球が生成されます。

 みちるが息を呑んで見守る中、リラが作り出した泡の球は本人と傍に居たみちるの2人を包み込んだのです!

 

 「えっ?私達、シャボン玉みたいなのに包まれちゃった!」

 

 「これが新しいアクアリウムの術なの、テミス?」

 

 思わぬ事態にみちるが戸惑う中でリラがテミスに質問すると、当人は本来の水霊(アクア)の姿に戻って言います。

 

 (そう、これが新しいアクアリウムの術法で『ワンダリングバブル』。さぁ、2人を楽しい海底ピクニックにご招待♪)

 

 「海底ピクニックって……キャアァ――――――――――――ッッッ!!!」

 

 テミスはそう告げると同時に、念動力で2人の入った泡を持ち上げ、そのまま近くの蒼國の海底へと運び込むのでした。悲鳴を上げる2人の事などまるで御構い無し。全く…こう言う強引な所が有るのもまたテミスの困った所です。

 

 

 「何よこれ?私達、泡に包まれたまま海底に来ちゃったんだけど!」

 

 「お昼ご飯にしたいのに海底ピクニックって何なのテミス?訳分かんないわよ!」

 

 自分達は只昼ご飯にしたいだけなのに、アクアリウムの術法の伝授の為にこんな訳の分からない海底に連れて来られ、2人は困惑するばかりです。

 すると人間態のテミスが泡の中にクロッシュの乗った皿を持って再び現れます。

 

 「お昼なら私が用意しました。どうぞ召し上がれ。」

 

 右手の皿のクロッシュを開けると、中から出て来たのはロブスターやサーモン、ツナサラダやレタスの様な厳選された具材を挟んだシーフードサンドでした。

 然も彼女の使いと思われる水霊(アクア)達がティーポットとティーカップまで用意しては、摘み立てのダージリンを注いでくれます。

 気付けば2人の足元には何処からか用意した絨毯まで敷かれており、至れり尽くせりです。

 

 「あ、有り難う……。」

 

 サンダルを脱いで絨毯に腰を下ろした2人は、テミスの用意したシーフードサンドに舌鼓を打ちます。更にテミスが持っている左の皿のクロッシュの中身は、瑞々しい果実をふんだんに使ったフルーツタルトでした。こちらもかなりの絶品です。

 

 「サンドイッチもそうだけど、このタルト凄っごく美味しい!これもやっぱり全部テミスが作ったの?」

 

 「そうだけどそれが?」

 

 「本当に凄いね。帰ったら何時もテミスが私の食事用意してくれてたから、本当に感謝しか無いわ。」

 

 「と言うより汐月の夕飯って、何時もテミスが用意してたんだ…。水霊(アクア)が料理するとこ自体、想像が付かないから意外過ぎるわね。」

 

 まさかテミスがリラの食事を作ってあげてたとは、余りにも意外過ぎる真実です。改めてテミスがリラにとって保護者的な存在である事が分かる瞬間が其処には有りましたが、それが信じられないみちるのコメントに対し、テミスは少し不機嫌そうな顔で抗弁しました。

 

 「失礼ね。料理と言う概念だって水霊(アクア)は持ち合わせてるわよ。まぁ、確かに率先してやろうとする子はそうそう居ないのは事実ですけどね。因みにそのタルトのフルーツは海洋深層水で育ててあるからミネラル分もたっぷり入ってるわ。」

 

 「素材にまで拘るなんて大した物だわ……。って汐月、口元汚れてるわよ。ホラ、拭いてあげるからジッとしてて……。」

 

 「あ、有り難うございます……。」

 

 そうして食事を終えると、2人は改めて連れて来られた海の底を見回します。緑色の海藻が青々と生い茂り、様々な魚達が泳ぎ回っていました。

 

 「綺麗……。私達が住んでる蒼國の海って、魚達の楽園なのね。」

 

 「本当ですね。こんなに綺麗な世界、汚して駄目にするのは勿体無いし哀しい事だって思います……。私も守らなきゃ……って、うっ!」

 

 「どうしたの汐月?」

 

 美しい海の原風景を眺めながらそう2人で言葉を交わしていると、不意にリラを奇妙な感覚が襲います。少し離れた場所に、さながらテミスの様な上級水霊(アクア)の存在を思わせる何かを感じるのです。その正体は分かりませんが、それが放つ波導の影響からか、リラは軽い目眩を覚えました。

 

 (何なの…?あの遠くの岩場の向こうから何か大きな力を感じる……!)

 

 その存在を確かめずにはいられないリラが思わず立ち上がった時でした。

 

 「キャッ!」

 

 「あぁっ!!」

 

 目眩を覚えた中で無理して立ち上がった為、そのままリラはみちるの方へ横転してしまったのです。

 

 「痛たぁ…もう、汐月………って何処触ってんのよ!?」

 

 「ご、御免なさ~~~い!!」

 

 その場に押し倒されたみちるは痛がると同時に、自身の左胸が同じく倒れたリラの左手に圧迫されているのに気付き、顔を赤らめて声を張り上げました。その声に反応したリラは瞬時に立ち上がってみちるから離れて謝罪します。

 

 「本ッ当に御免なさい部長!ワザとじゃないんです!!」 

 

 「私も分かってるから良いわよ。今回は不可抗力って事で目を瞑るわ。」

 

 (でも部長のおっぱい、凄く柔らかかったな…。ずっと触ってても飽きない位―――――。)

 

 何とかその場は許して貰えましたが、偶発的とは言え触ったみちるの胸の感触はリラの左手に強く記憶として焼き付いていました。まるで雲かマシュマロの様に柔らかく、それでいて蛸か烏賊の吸盤の様に吸い付いて来る感触――――乳揉み魔の深優の気持ちを、リラは少しだけ理解出来ました。世界一硬いと言えば皆は「ダイヤモンド」と答えるでしょうが、逆に世界一柔らかい物が何かは定義が曖昧の為に良く分かっておらず、ハッキリと答えられる者はいません。然し、今のリラなら「女性のおっぱい」と迷わず答えてしまいそうな境地でした。

 

 (食事は済んだみたいやな。)

 

 すると突然現れたのは先程の中級水霊(アクア)のメリテでした。リラは早速メリテに遠くに感じる力の正体についてを尋ねます。

 

 「ねぇ、1つ訊きたいんだけど、向こうに何か強い力を感じるの。それって一体何か分かる?」

 

 「変な力?」

 

 「はい、その力がこっちにも伝わって来て、それでさっき目眩を起こしたんです。」

 

 「そう言う事…じゃやっぱり今のは不可抗力ね。」

 

 事情を説明して納得した所で、改めてリラはメリテからの回答を待ちます。するとメリテは答えました。

 

 (そっか……ヒヨッ子やと思ってたけど、向こうの“あれ”を感じるちゅう事はどうやら本物(ホンマモン)水霊士(アクアリスト)なんやな………。)

 

 自身の中で得心が行った事を呟くと同時に、メリテは続けます。

 

 (せやけど済まん。“あれ”に関してはまだあんたに説明する事は出来ん。テミスからも箝口令(オフレコ)が出とるからな…。そん時が来たら教えたるさかい、今は海中散歩でも楽しみや!)

 

 「そう……分かった。でもこの泡、どうやって動くの?」

 

 (この泡はあんたがイメージした通り動くんや。「上行け」思うたら上に行くし、右でも左でも「行きたい」と思うたらそっちに進む。試しにやってみぃ!)

 

 「有り難う!」

 

 (但し、力の波動感じたとこには行くなよ?あんたが行くには未だ早過ぎるで。)

 

 早速教えられた通り、浮くイメージを浮かべると確かに2人の入った泡は浮きました。直進しようと思えば真っ直ぐ進むし、本当に自由自在です。

 

 「あぁっ、本当に動いた!」

 

 「確かにこれなら海の中も散歩出来るわね。」

 

 すっかり気を良くしたリラとみちるの2人は、この新たな術法である『ワンダリングバブル』の力で蒼國近海の海を散策しました。魚の巣になっている沈没船や、時折遭遇するイルカに鯨。真上を航行する船の様子等、陸上で生活する分には先ず見られない光景が広がり、リラとみちるの心を打ちます。

 

 「凄い…凄いわ!潜水具も付けない生身で海の底を散歩する日が来るなんて夢みたい!ねぇ汐月、海の底って本当に広くて素敵な場所ね!」

 

 「そ、そうですね……。って言うか先輩、苦しいです……。」

 

 興奮気味にみちるから抱き着かれた挙句、バスト90の巨乳を顔に押し付けられてリラは困惑していました。それでなくともこの術法は維持するのに並々ならぬ精神力が要るのか、2時間程散歩する頃にはリラにも疲れが見え始めました。

 

 (どうやらこの辺が潮時みたいやな。)

 

 「メリテ……。」

 

 (あんたはもうヘトヘトや。これ以上此処いたら力尽きて仲良う水死体(どざえもん)になってまうで。アタイが近くまで送り飛ばしたるから今日はもう帰りぃ。ほなさいなら!)

 

 そう言うなりメリテは自身の念動力によって2人の入った泡を動かし、そのまま蒼國海岸の近くの岬に有る公園へと移送します。

 

 「あれ?先輩、此処って…?」

 

 「汐月は初めて?此処は『海風岬公園』って言って、蒼國でも指折りの癒しのスポットよ。」

 

 「へぇ、此処が―――――。」

 

 その公園は緑の木々と芝生に覆われており、蒼國の海や遠くの港町まで幅広く一望出来る場所でした。これだけでも十分絶景スポットとして機能していますが、更にこうした穏やかな日には心地良い海風が吹き、優しい波の音が聞こえる為、絶好の癒しのスポットと言う訳です。

 

 「私は前に来た事有るけど、それも小学校の遠足以来だから10年振りかしら?昔と変わってなくて懐かしいわね……。」

 

 「でも良かった。公園には私達以外誰も人が来てないみたいで………。」

 

 確かに、アクアリウムの力は一般人に見られるのは余り好ましい事ではありません。相手に披露するにしても、それは第三者の目の無い場所限定であり、言っても誰も信じない状況を作り出してリラは行使しています。何処かで動画撮影等を行う者が居たら目も当てられないでしょうからね。

 ともあれみちるは公園の芝生に座ると、海から吹く6月の心地良い風を浴びながら今日の出来事を思い返していました。

 

 読みたかったシリーズの小説が買えた事―――――。

 色んな書店の雰囲気を可愛い後輩と一緒に廻って共有出来た事―――――。

 そして彼女と一緒に非日常の海底散歩―――――。

  

 そうした経験のお陰で、今日は何時もより素敵な1日になった!みちるはそう実感していたのです。同時に、それを図らずも実現させてくれたリラに対して感謝せずにはいられませんでした。

 

 一方、そうとは知らないリラはと言いますと……。

 

 「ふわあぁ~~っ……先輩、初めてのアクアリウムで力使い過ぎた所為で眠くなっちゃいました。」

 

 するとみちるはフッと笑みを浮かべて言います。

 

 「あらあら、じゃあ横になれば良いじゃない。こんなに風も気持ち良いからきっと良く寝れるわ。」

 

 「はい、じゃあそうしま……」

 

 「でもちょっと待って!」

 

 言われるがままに芝生に寝そべろうとするリラを制止すると、みちるは何と自身のその太ももの上に彼女の頭を乗せたのです。そう、俗に言う“膝枕”と言う物でした!

 

 「あの…みちる先輩?」

 

 突然の事に戸惑うリラですが、御構い無しにみちるは鞄から更に耳掻きを取り出します。

 

 「1度こう言うの、やって見たかったのよね♪汐月、貴女幸せよ?忍にさえこんな事した事無いんだから―――――。」

 

 「そ、そうですか?」

 

 「ホラ、横を向きなさい。あぁっ、やっぱり結構溜まってるわね。これは掃除のし甲斐が有りそうだわ!」

 

 「…部長って、まるでお母さんみたい。」

 

 「お母さんだなんてそんな、持ち上げても何も出ないわよ♪」

 

 そんな会話のキャッチボールを繰り広げた後、みちるはリラの耳の中に溜まった耳垢をゆっくり優しく取り除いていきました。

 昼下がりに吹く、心地良い6月の風がみちるの髪を揺らし、頬を撫ぜます。気付けばリラはすっかり眠りに就いてました。エース級の水泳選手であるみちるの鍛え抜かれた太ももは、余程気持ちが良かったのでしょう。

 

 

 「全く……貴女が来てから毎日が退屈しないわね―――――。」

 

 自身の膝枕で眠るリラを見つめるみちるの表情は、まさしく姉処か実母の様に優しく、慈しみ深いそれだったのでした。




今回は此処まで。次は2年生編です。

キャラクターファイル34

メリテ

年齢   無し
誕生日  無し
血液型  無し
種族   水霊(アクア)
趣味   料理
好きな物 食道楽

臙脂色のタスマニアキングクラブに似た姿をした蟹型の水霊(アクア)。普段は東南アジアからオーストラリア近海を巡回しているが、テミス達上級水霊(アクア)の呼び掛けが有れば何処にでも駆け付ける。
ドリスと動揺に関西弁を話すが毒舌気味。蟹型の水霊(アクア)は泡を飛ばす能力を使う者が多いが、彼女の泡は穢れの浄化は勿論、頑丈で様々な用途に使える優れ物。取り分け任意の物体を包んで動かす乗り物として重宝される。また、防御力もその外見に違わず相当高い為、外部からのストレス要因をシャットアウトする事も可能。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第34話 廻る水が育む物~2年生編~

お待たせしました。今回は2年生編です。それではどうぞ!


 リラにとって、2人しかいない3年生の忍とみちるはまるで優しくも厳しい父と母の様な存在でした。ならば、水霊仲間(アクアメイト)への合流が最も遅かった2年生の子達は彼女にとってどう言った存在なのでしょう?

 1年の葵達や3年生の2人に比べると割と縁遠い感じに見えますが、意外にもリラは彼女なりに深い繋がりを築けていた様ですよ?

 

 水霊(アクア)の世界を知る前からも、そして知った後でも―――――。

 

 

 ◇File.03:星原瑠々、濱渦水夏との絆

 

 ゴールデンウィークの連休初日の事です。何時もの様にリラが忍と一緒にランニングをしていると、偶然にも同じコースを走る瑠々と水夏の2人と遭遇しました。

 

 「あっ……!」

 

 「おっ、星原と濱渦じゃねぇか!」

 

 「忍先輩、それにえっと…汐月まで!」

 

 「最近2人が一緒にいるとこ良く見掛けますよね。何時からそんな仲良くなったんですか?」

 

 学校のプールでの自己紹介…いいえ、それ以前に教職員や有志の女生徒達と一緒に行うプール清掃の時に、既にリラ達は瑠々達と出会っていました。この時はこれから自分達にも同じ部の後輩が出来るとして瑠々達も喜んでいましたが、2人で一緒に帰ったり今回の様にランニングする光景が目に付く様になった為、彼女達は少し気になっていたのでした。

 

 「ねぇ、前から思ってたけど、あんたと忍先輩ってどーゆー関係なの?水夏みたく同じ中学の先輩、後輩って訳でも無さそうだし。」

 

 「えっ?どうって……その…あの……えっとぉ………。」

 

 瑠々から忍との関係性を問われ、リラは答えに窮してしまいます。アクアリウムで忍の故障を治し、その縁故でこうしてお近付きになれたなんて一般人からすれば意味不明で信じられた物ではありません。実際、忍が復帰する際も村上先生は「信じられない!」と言わんばかりの表情で驚いてましたし………。

 

 「実はこいつ、あたしの近所に最近引っ越して来たんだよ!そんで、五十嵐達と一緒に入部するってみちるに言った時、あたしの事を知って興味持ってくれたこいつはあたしに弟子入りしたいって言ってくれたからそうしたって訳だ!怪我だって実はもう治ってたけど、お前等の事驚かせようって思ってずっと隠してたんだよ!いや~心配掛けて悪かったな!」

 

 「ほ、本当ですかそれ?」

 

 「近所に住んでるのは間違い無いけど、何かフィクション混じってる感じがする……でもまぁ、忍先輩が言うなら取り敢えずそう言う事にしとこう瑠々。」

 

 彼女の助け舟を出すべく、忍は苦し紛れに嘘と本当を巧みに織り交ぜた弁明を並べ立てます。当然ながら疑念を完全に払拭する事は出来ず、瑠々と水夏には半信半疑な印象を与えてしまった物の、どうにか2人を引き下がらせる事には成功しました。時間が惜しい為、それ以上追求する事無く彼女達は元通りランニングを再開。暫く同じコースを走った後で別れたのでした。

 

 

 さて、朝の鍛錬を一通り終えて忍とも別れた後、リラは宛ても無く蒼國の街を散歩します。服装は白いブラウスに紺のスカートと言う清楚な物で、足元は白い靴下と黒いローファーでした。ふと近くの蒼國駅に通り掛かると、久し振りに電車で旅でもしようかと思って改札口へと向かいます。

 

 「あれ?汐月じゃん?」

 

 「星原先輩……何で?」

 

 「私も居るわよ。」

 

 現れたのは瑠々と水夏でした。どうやら彼女達も電車で何処かへ出掛ける予定だった様です。因みに瑠々は「BLUE WATER」と書かれたロゴと青い魚の絵がプリントされたTシャツの下にタンクトップ、下は黒いホットパンツに細い胴を締め付ける紺色のベルトで素足にサンダル履きと言うラフな物。水夏もノースリーブのセーラーワンピースに身を包んで同じく素足にサンダル履きと言う出で立ちでした。2人とも足の爪にはペディキュアが塗られており、瑠々はシアンで水夏はマゼンタ。蛇足ですが瑠々の足はギリシャ型で水夏はエジプト型です。

 

 「先輩達も何処か行くんですか?」

 

 「まぁね。久し振りに高尾山までハイキングにでも行こうと思ってさ。汐月は何処か行く宛て有るの?」

 

 「いいえ…そう言うのは特に無いです。」

 

 未だ出会って間も無ければ碌に話した事も無い相手だった為、リラは委縮してしまいます。元々内向的な性格でグイグイ行くタイプとは真逆のキャラである為、こう言う瑠々みたいな活動的なキャラは苦手でした。

 

 「じゃあ一緒に行かない?頂上まで登ると気持ち良いわよ!」

 

 「えっ?でも……」

 

 「良いでしょ汐月!私達、あんたの事もっと知りたいの!あの忍先輩と何時どうやって知り合ったのかとかさ!」

 

 「そ、それはその……」

 

 真逆のキャラである瑠々から迫られ、リラは逃げ出したい気持ちで一杯でした。

 

 「ていっ!」

 

 「いだっ!?何すんのよ水夏!?」

 

 「落ち着きなさいよアホ瑠々。汐月困ってるじゃん。無理して訊く事でもないんだし………って言うかさっさと切符買うわよ?」

 

 ですが水夏が助け舟を出してくれたお陰で、リラは何とかその場を凌ぐ事が出来ました。呆気に取られるリラに対し、水夏はフッと微笑み掛けて言います。

 

 「汐月、こいつは私が抑えるから貴女も一緒に来てくれると嬉しいな。」

 

 蒼國から出る列車で下北沢まで行くと、其処から高尾山口行の切符を購入。京王井の頭線で明大前まで行くと今度は特急に乗り換えて一行は高尾山口へと向かいました。

 

 「うわぁ!船って遠出すんのも良いけど、電車に乗って旅すんのもやっぱ良いわね!」

 

 電車から流れる景色を、瑠々は目を輝かせながら眺めていました。リラは恐る恐る話し掛けて見ます。

 

 「星原先輩は電車に乗るのが好きなんですか?」

 

 「電車って言うよりわたし、旅行其の物が好きなの。小さい頃から船に乗ってあちこち行った事有るけど、電車に乗って地続きの道を旅するのもワクワク感が有って良いからね♪」

 

 「時々乗り間違えて明後日の方向に行ったりするけどね。」

 

 「ちょっ、後輩の前で余計な事言うなーッ!!」 

 

 「アハハッ……2人って仲良いんですね。」

 

 電車内で葵と深優に負けず劣らず仲の良い掛け合いを繰り広げる2人を見て、リラは苦笑いするしか出来ませんでした。

 

 「あっ、汐月あんた今笑ったでしょ?」

 

 「ごっ、御免なさい!私そんな心算じゃ……!」

 

 苦笑いとは言え、思わず笑ってしまった事を瑠々から指摘されてリラはまた委縮してしまいます。虐められっ子だった頃の記憶から、人前で泣きたい時に泣けず笑いたい時に笑えない人間になってしまっていたリラ。

 もしかしたらぶたれるかも知れない………。 罵詈雑言を投げ掛けられるかも知れない………。

 そうした恐怖がリラの心を支配します。ですが……。

 

 

 「汐月、やっとわたし達に笑ってくれたね!」

 

 

 次の瞬間に瑠々が発した言葉は、リラにとって完全に想定外な物でした。まさか先程の遣り取りを笑われて怒っているとばかり思ったのですから……。然し、目の前の2人はまるでそんな素振りを見せず、寧ろ嬉しそうなのです。

 

 「汐月、私達に笑ってるとこ見せた事無いから、少しホッとした。」

 

 「まぁ確かに同じ1年の五十嵐達や、どうやって仲良くなったか知らないけど忍先輩と違ってわたし達は会って間も無いわ。余所余所しいのもしょうが無いでしょう。でも、これから同じ水泳部としてわたし達が卒業するまでの付き合いなのに、心閉ざされるのはやっぱり哀しいよ。」

 

 2人の発する言葉に、リラは葵や深優、更紗と同じ雰囲気を感じていました。アクアリウムで2人を見ると、それぞれの内に宿るベタと鰻の水霊(アクア)達が彼女達の内側で舞い踊っています。

 アクアリウムを使えば内なる水霊(アクア)の存在を確認する事は出来ますが、それがどんな水霊(アクア)かは1度でも相手と話したりしてその言動を確かめない限り識別は出来ません。

 今回2人と話してその内なる水霊(アクア)の何たるかを知ると同時に、彼女達が穢れと言う物と凡そ無縁の状態にある事が分かり、リラは2人への認識を少しだけ改めました。

 

 

 そうこうしている内に列車がとうとう高尾山口へと着いた為に3人は下車。早速ロープウェイ乗り場に向かいました。時間的にはもう直ぐ午前10時になるかならないかの時刻でした。

 

 「此処が高尾山……。」

 

 嘗て調布市近辺に住んでいたリラですが、高尾山には今まで行った事が無かった為、駅から見る山に囲まれた風景は新鮮でした。

 

 「ホラ汐月、手繋ごうよ!」

 

 「せ…先輩?」

 

 「良いからホラ!」

 

 「えっ、ちょっと、そんないきなり…!」

 

 強引に自身の手を取る瑠々の姿に、リラは困惑するばかり。其処へ一緒に手を繋いだ水夏がまた助け舟を出しました。

 

 「瑠々が馴れ馴れしくて御免ね汐月。でもこいつ、仲間意識が強いの。特に自分のコミュニティに居る奴とは皆と仲良くしたいって思ってるから……。」

 

 「濱渦先輩……。」

 

 水夏の言葉を受け、リラは改めて瑠々の方を向きます。すると相手はニッコリ笑って「んじゃ、行こ!」とだけ言って一路山の麓のケーブルカー乗り場を目指します。

 駅から歩いて徒歩5分。漸くスタートラインが見えて来ました。これから登る山を前にやる気とテンションが高揚したのか、瑠々の胸が大きく揺れます。

 

 「とうとう来たわね高尾山!超久し振りだわ!」

 

 「星原先輩、前に来た事有るんですか?」

 

 「中三の時から2年振りにね。私も強制参加させられたわ。」

 

 「アハハ、強制だったんですか……。」

 

 「ちょっと水夏、聞こえてるんですけど!」

 

 高尾山――――それは、東京都八王子市にある山で、標高は599m。天狗伝説で名高く、古くから修験道の霊山とされた東京の観光名所です。

 多くの観光客や登山者が訪れる事で知られており、その数は年間で約260万人!何を隠そう、これは世界一の登山者数なのです。

 

 早速3人はケーブルカーに乗って道中をショートカットすると、先ずは天狗屋の近くの柵から東京都内を眺望しました。何処までも澄み渡る空の下、都心のメトロポリスを眺めていると心が洗われる様でした。

 

 「わぁ…良い眺め……。」

 

 「汐月、此処から眺める景色も良いけど、頂上登ってから見る方がもっと絶景だよ!」

 

 思わず足を止めて見下ろす東京の街並みに心奪われるリラを制し、瑠々は山頂を目指す様促します。そうして3人は石畳の道を踏み締め、只管頂上を目指しました。

 

 「この時期に食べるかき氷も良い物でしょ?」

 

 「はい、冷たくて美味しいです。」

 

 「うッ!頭キーンと来たアァァ~~~~…………!」

 

 「急いで食べるからよ馬鹿……。」

 

 途中に建ってる茶屋に寄って食べるかき氷に舌鼓を打ち、歩きながら深呼吸で山の清浄な空気を肺一杯に吸い込み気分をリフレッシュ!時折、道中で見掛ける野生動物に目を奪われながらも3人は進んで行きます。

 水の癒しを身上とするリラにとって、山の自然の癒しが新鮮で刺激的な物だったのは言うまでもありません。切っ掛けこそ瑠々による強引な誘いだった物の、結果論として言えば「来て正解」。今のリラはそう思っていました。

 暫く道を歩いて行くと、視界に飛び込んで来たのは由緒ある其処には立派な寺院。門を潜ると共に厳めしい天狗の像が出迎えるこの建物こそ、関東三大本山の1つと名高い『高尾山薬王院』です。

 

 「立派なお寺……。」

 

 「折角だからお参りしてこっか!」

 

 「置くと合格(オクトパス)祈願も面白いかもね。」

 

 お賽銭を投げ入れてお参りを済ませると、一行は更にその先の頂を目指します。もう暫し歩いた先で目に入ったのは『高尾山頂』と書かれた標識。とうとうゴールに到達です!

 

 「うわぁ、凄い人だかりですね。」

 

 「まっ、ゴールデンウィークだからこんなモンでしょ!」

 

 「此処が標高599m。案外高くない物ね。」

 

 取り敢えず近くの店でドリンクを購入して喉の渇きと疲れを癒すと、3人は洪水の如く溢れる人波を掻い潜り、都内を一望出来る所まで行きました。

 

 「あぁっ、凄い!富士山が遠くに見える!」

 

 「秋や冬の方が空気が澄んで良く見えるけど、晴れてればこの時期でもハッキリ見えるわ。あんた運が良いわね!」

 

 「これだけでも十分、今までの苦労が報われた感じね。」

 

 東京からでも富士山が見える場所は数多く有りますが、リラは今までそう言う場所に行った事も無いし、見ようとも思いませんでした。山登り自体、これまでの人生を振り返っても記憶が有りません。

 ですが今回、瑠々と水夏に連れられて世界一登山者の多いとされる高尾山に登り、山の澄み切った空気を肺一杯に吸い、都心のメトロポリスを高みから見下ろし、こんな見事な富士山を遠くから眺める―――――。

 今日の経験は、それまでの孤独な日々に加えて虐めと言う理不尽な現実に打ちひしがれて来た彼女の心境に変化を齎しました。

 

 

 そう――――『自分は今まで、何て狭い世界の中で生きて来たのだろう』と……。

 

 

 この何処までも広がる空と、眼下に広がる東京の大地――――。世界はこれよりもっと広く、多くの人がいる。多くの未だ見ぬ美しい物や素敵な物、新しい発見が在る!何時かその1つ1つと出会いたいし、知りたい。この目で確かめたい!

 こんな世界の大きさに比べたら、自分の味わって来た苦しみや悲しみは瑣末な物だ。そんな気持ちが、リラの中で少しだけ湧いて来ました。

 両目合わせて120度の視界に映る広大な世界を前に、リラの目からは自然と涙が零れ落ちます。

 

 「ちょっと汐月!どうしたの!?何泣いてんのよあんた!?」

 

 「何か悲しい事でもあったの?」

 

 「えっ……ち、違うんです!世界って、本当に大きくって綺麗だって思って感動しただけです!」

 

 咄嗟にそう言い訳するリラの言葉に、2人は顔を見合わせましたが直ぐに「プッ!」と噴き出し、やがて「アハハハハッ!!」と声を上げて笑い始めました。

 

 「なっ、何が可笑しいんですか!?」

 

 リラがそう尋ねると、瑠々が笑いながら答えます。

 

 「御免御免!でもあんたが余りにも当たり前過ぎる事言うのが可笑しくって可笑しくって、フフッハハハッ!!」

 

 「笑い過ぎよ馬鹿瑠々!!プッククク……でも汐月、今日だけでも泣いたり笑ったり、そう言う所が見れて私も嬉しい……ックククッ!」

 

 その言葉を聞いた時、リラは只々呆気に取られていましたが、同時に口元に笑みを浮かべていました。目元に残った涙が頬を伝い落ちるのを感じると共に、彼女は確信しました。

 目の前の先輩2人も、水霊士(アクアリスト)としてじゃない素の自分を受け入れてくれた葵達と同じだと―――――。

 

 「まぁ兎に角、今日あんたと一緒に此処に来れてわたし達は嬉しいよ!連休も未だ始まったばっかだし、またどっか出掛けるなら一緒に行こ?」

 

 「馬鹿。水泳部の練習だって有んのにそんな暇あんま無いでしょ!」

 

 「あぁ~~~それもそうよねぇぇ~~~~………!!」

 

 「プッ、アハハハハッ!やっぱり2人って仲良いんですね!」

 

 仲の良い夫婦漫才を繰り広げる瑠々と水夏の2人の様子にだいぶ心を開いたのか、リラはハッキリ声を上げて笑いながら彼女達を見つめていました。

 

 「そんな訳だから、改めて宜しくね汐月♪」

 

 瑠々と水夏と言う動静コンビとの距離を縮めたリラは来た時と同様、3人と手を繋いで京王線から小田原線へと乗り継いで蒼國へと帰って行きました。

 これから2年間の付き合いになる瑠々と水夏―――凸凹だけど葵や深優と同じ位通じ合ってる二人は、図らずも虐めで凍り付いた彼女の心をまた1つ、溶かしてくれた存在でありました。

 

 

 ◇File.04:漣真理愛、飯岡潤との可能性

 

 真理愛がセドナの頼みを聞き入れ、蒼國の海を回遊する水霊(アクア)達にフルートの音を奏でた後の事でした。

 葵達と共に近くの喫茶店で昼食を済ませたリラは彼女達と別れ、2年生である真理愛と潤の2人と一緒に行動していました。

 

 「それにしても凄かったよね。確かセドナって言ったかしら?テミス以外の上級水霊(アクア)なんて初めて会ったし、何よりそのセドナから認められる程真理愛のフルートだって素敵だったし、もう色々有り過ぎる位!」

 

 潤がそう言うと、リラと真理愛の2人も二者二様にこう言葉を返します。

 

 「潤先輩もお見事でした。『相手が真理愛先輩だから』って言う補正が有ったとは言え、テミスも凄く難しいって言ってた術法をまさか成功させちゃうんだから大した物です。」

 

 「水霊(アクア)の事は最初リラさん達から聞いた時、正直そんなに興味無かったけど、潤の成長に一役買えた上にセドナなんて凄い水霊(アクア)からも自分のフルートが絶賛されるなんて色々嬉しくなるわね。私もすっかり水霊(アクア)の世界の一員になったみたい。」

 

 真理愛がそう言うと、潤がニッコリ笑って彼女に言いました。

 

 「わたしもそれ思った!って言うか、下手したら真理愛が1番水霊(アクア)の世界の深い所に居るんじゃないかな?」

 

 「なッ……!?べ、別にそんな訳無いでしょ!?さっき言ったじゃない…わ、私は其処まで水霊(アクア)に興味が有る訳じゃないのに…そんな………。」

 

 「でも真理愛、何時もアクアヴィジョンで近くを泳いでる水霊(アクア)達を眺めてウットリしてるでしょ!」

 

 「~~~~~~~~ッ……!」

 

 潤にそう指摘されると、真理愛はバツが悪そうに顔を赤らめ、胸を揺らしながら押し黙るしか出来ませんでした。それは確かに葵達1年生や忍達3年生と比べ、自分達2年生は遅れて水霊(アクア)の世界に入りました。ですが、未知の存在に心を奪われる瑠々や水夏達と違い、水泳でもフルートでも自分の決めた事を第一に自己研鑽を積む真理愛にとって水霊(アクア)など、存在を知った所で何の関係も有りません。勿論、存在を知った時には素直に驚きましたが、元々周囲に当たり前の様に居て、尚且つ実害の無い存在なら知った所で別にどうだって良い。

 忍を救ってくれた事やアクアリウムによる癒しも有り難いですが、後者に限っては本音を言えば自分には必要の無い無用の長物。己の身体位己で労わり、管理出来なければアスリート失格ですからそんな物に頼る事自体ナンセンス。更に冷たい言い方をすれば、忍が復活出来ようが出来まいが真理愛にはまぁどうだって良い話。己の泳ぎを専一に磨いて大会を勝ち進むだけなのだから、リラのアクアリウムなんて有ろうが無かろうがやっぱりどっちだって良い。

 最初はそんな風に思っていた真理愛ですが、此処最近の出来事を経て、真理愛の中では大きな心境の変化が起こっていました。

 

 (悔しいけど、認めざるを得ないわよね……。リラさんのアクアリウムが無かったら、今こうやって潤と仲良くなる事は出来なかったし、今日のあの鯨やイルカ達だって助けられなかった。全部、水霊(アクア)水霊士(アクアリスト)が居てくれたから―――――。)

 

 顔を赤らめながらも、真理愛はそう思い返していました。今に至るまでの全ては、リラが潤をアクアリウムの力で虐めから救った事が始まりでした。其処から潤が水泳をまた始める様になり、やがて紆余曲折を経て彼女が水霊士(アクアリスト)になった事によって、自分の中に今まで堆積していた穢れ=わだかまりも解消されました。お陰で水泳の練習も俄然楽しくなってより一層身が入る様になり、タイムだって伸びて、潤と共に切磋琢磨し合う時間が愛おしく感じられる様になった。

 全てはアクアリウムが有ったからこそ実現出来た奇跡であり、それによって今の自分が在る。アクアリウムの存在しないIFの世界線での漣真理愛と比べたら、今の漣真理愛の方が遥かに良い!それは否定し様の無い事実です。

 

 只、それを踏まえても水霊(アクア)の世界にそれ程興味の無かった自分が、まさか3年生コンビや瑠々と水夏より先にセドナと言うテミス以外の上級水霊(アクア)とご対面し、彼女にその演奏を気に入られた上、潤と共に鯨達を救う立役者となるとは何と皮肉な話なのでしょう。アクアヴィジョンを発動すれば多くの水霊が自分の周りに集まって来るのが見えますし、自分には水の精霊に好かれる素質が有るのかと疑ってしまいます。

 その証拠に次の瞬間、思いも寄らぬ珍客が彼女の元に現れます。

 

 (ねぇ、其処のお嬢さん達!)

 

 「えっ?」

 

 「何々?」

 

 不意にリラと潤の脳裏に響く声。どうやら自身に話し掛ける水霊(アクア)が近くに居る様です。突然首をキョロキョロさせる2人のリアクションを受け、唯一水霊(アクア)の声が聞こえない真理愛が尋ねます。

 

 「どうしたの2人とも?」

 

 「急に頭に響く声がしたの。水霊(アクア)じゃないかとは思うけど…。」

 

 「取り敢えずアクアヴィジョンで見てみましょう。」

 

 リラに促されてアクアヴィジョンを発動すると、先程セドナが降らせた雨でアスファルトに出来た複数の水溜まりから不自然な波紋が出ています。周囲の水霊(アクア)達を見回しても、皆リラ達の事など我関せずと泳いでいる為、声の主はあの水溜まりに潜む水霊(アクア)の可能性が高いでしょう。

 更にアクアフィールドを展開して真理愛でも水霊(アクア)の声を聴ける様にすると、改めてリラが尋ねます。

 

 「ねぇ、さっき私達に話し掛けて来たのって貴女なの?」

 

 (そうだよ。他に誰が居るの?)

 

 (僕の声が聞ける奴等なんて君達しか居ないんだから当たり前でしょ?)

 

 (まっ、用が有るのは正確には君達水霊士(アクアリスト)だけじゃなくって、其処のフルート持ってる子もなんだけどね!)

 

 「えっ?私も?」

 

 まさか自分に用が有ったとは思わなかった為、真理愛は思わず呆気に取られました。

 

 (うん。僕ね、君達に用が有って来たの!)

 

 (でも取り敢えず水霊士(アクアリスト)さん達に挨拶しなきゃだね!)

 

 その言葉と共に周囲の水溜まりから現れたのは、何と白地にシアンの縞模様や斑点模様の付いた数体のチンアナゴ達でした。

 

 「チ、チンアナゴ!?」

 

 (初めまして水霊士(アクアリスト)さん達。僕の名前はリップリス。見た目は複数体居るけどどれも意識を共有した僕自身だよ♪)

 

 「へ、へぇ…複数で1体なんて珍しい水霊(アクア)がいるのね…。」

 

 リラがそう感心しながら言うと、今度は潤が尋ねます。

 

 「それで、わたし達に一体何の用が有って来たの?」

 

 するとリップリスは「待ってました!」と言わんばかりに3人の顔を見回して言います。

 

 (それはねぇ、君達に癒して欲しい相手が居るんだ。)

 

 「癒して欲しい相手?」

 

 「だから水霊士(アクアリスト)のわたし達に頼って来たの?」

 

 (うん。勿論そっちの人間のお嬢さんの力も必要だからね。)

 

 「えっ?何で私まで?」

 

 至極尤もな反応をする3人に対し、リップリスは答えました。

 

 (詳しい話は現地に行った時に伝えるから、取り敢えず3人とも水溜まりに入って!)

 

 現地に行くのは良いですが、何故その為に水溜まりに足を踏み入れなければならないのでしょう?まぁ3人ともオープントゥのサンダルを履いているから濡れても問題有りませんし、それ以上に水霊士(アクアリスト)のリラや潤の力が有れば水に浸っても濡れずに済むから良いのですが………。

 取り敢えず悪意は感じられない為、3人は言われるがままリップリスが顔を出している水溜まりに足を踏み入れます。

 

 (じゃあ行くよ?『パドルワープ』!)

 

 「うわっ、眩しい!」

 

 リップリスがそう叫ぶや、突如水溜まりがシアンの光を放ちます。思わず3人が眩しさに目を塞いだ次の瞬間、リラ達の姿はもうその場から消えていました―――――。

 

 

 「あれ?此処は―――――」

 

 そして気が付くと、3人は何処とも知れない場所に来ていました。どうやら蒼國では無く、何処かの森の中の様でした。

 

 「森の中……だよね?」

 

 「でも、一体何処の森なの?日本?それとも外国?」

 

 至極真っ当な疑問を抱く潤と真理愛の2人に対し、突如人間態のテミスが現れて答えます。

 

 「安心しなさい。此処は日本よ。正確には甲州の森の中。」

 

 「あっ、テミス。」

 

 自身の保護者に当たる存在が現れ、リラを始めとした3人の表情は取り敢えずの安堵のそれになりました。

 すると森の周りに出来た水溜まりの中から複数の頭を出しながらリップリスが現れて言いました。

 

 (どう?驚いたでしょ水霊士(アクアリスト)さん達?これが僕の能力だよ♪)

 

 「そうね。確かに驚いたわ。まさか水溜まりから別な場所へ私達をワープさせるなんて……」

 

 思いも寄らぬ水霊(アクア)の能力の前に、3人はその奥深さを実感するばかりでした。

 

 「もうご存知だとは思うけど、私達水霊(アクア)は水其の物。水の有る所なら何処へでも現れるわ。だけど、他の物体を別な場所へテレポーテーションさせられる者は限られています。このリップリスは、未だ中級だけどそれが出来る数少ない1体です。」

 

 (エへヘッ、上級水霊(アクア)に褒めて貰えるなんて光栄だな♪)

 

 すっかり得意になるリップリスを横目に、リラは改めて尋ねます。

 

 「それでテミス、私達が癒さなきゃ行けない相手って何処に居るの?」

 

 「って言うか、貴女が一枚噛んでるって事は、これもリラさんや潤を水霊士(アクアリスト)として成長させる為の試練って事ですか?だったらどうして私まで……?」

 

 真理愛もどうして自分まで一緒に連れて来られたのか、今のままでは分からず得心が行かない様子。少なくとも何の意味も無く巻き添えで連れて来られた訳では無いとは思うのですが……?

 するとテミスは何時もの大人の女性と言うべき、落ち着いた口調と雰囲気で言いました。

 

 「――――知りたかったら付いて来なさい。」

 

 言われるままに付いて行くと、3人の視界に飛び込んで来たのは青く澄んだ美しい湖でした。湖面に魚が飛び跳ね、水鳥が闊歩する等、命溢れる世界が眼前に広がっています。

 

 「綺麗―――――。」

 

 「海の蒼も良いけど、山の青も美しいわね……。」

 

 感嘆の声を漏らす潤と真理愛ですが、リラだけは違っていました。先程から身体を震わせながら、無言で湖を見つめています。

 

 「リラちゃんどうしたの?」

 

 「さっきから震えてるわよ?」

 

 するとリラは緊張を帯びた声で答えました。

 

 「真理愛先輩は兎も角、潤先輩は感じないんですか……?」

 

 「感じないって何を?」

 

 言葉の内容からして、水霊(アクア)関連の何かがこの湖には潜んでいると言う事なのでしょう。然し、水霊士(アクアリスト)として未だ未熟な潤ではリラの様に敏感に感じ取れていない様です。尚も声を震わせながら、恐る恐る湖の向こうを指差しつつリラは告げました。

 

 

 「この湖には―――――上級水霊(アクア)が眠ってるんですよ?然も物凄く大きいのが!」

 

 「え――――――」

 

 余りに信じ難いリラの発言を受け、2年生コンビは動揺を隠せません。まさか今日だけで2回もテミス以外の上級水霊(アクア)を目にする事になろうとは思わなかったからです。

 恐る恐るアクアヴィジョンを発動させて見ると、湖の中央には何と小さな島位は有ろうかと言う物凄い巨体を誇る漆黒の亀の水霊(アクア)が鎮座していたのでした。

 

 「嘘―――大きい!」

 

 「大きいだけじゃないわ……リラちゃんの言う通り、其処に居るだけでこっちがビリビリする様な物凄い力を感じる。これだけ大きな力、午前中会ったセドナに負けない位強いわ……!」

 

 その力の大きさと圧倒的存在感に気圧される3人でしたが、その一方でリラは奇妙な違和感を目の前の上級水霊(アクア)から感じていました。黒くて分かり辛いのですが、目の前の上級水霊(アクア)からは何と穢れが立ち上っていたのです。然も信じられない程の高濃度の………。

 

 (何?あの上級水霊(アクア)、身体から穢れを出してる――――?)

 

 「ねぇリラちゃん、わたしの見間違いだって思うけど、あの大きな亀みたいな水霊(アクア)…穢れで苦しんでるんじゃないの?」

 

 流石に潤も気付いたらしく、身体のあちこちから黒くくすんだ煙の様に立ち上る穢れを見て目の前の上級水霊(アクア)の異変に察知した様でした。

 

 「ご名答。未熟とは言え、流石に目で見て気付かない程の節穴と言う訳では無いみたいね、潤。」

 

 正解を告げると共に、テミスは改めて今回彼女達を呼んだ訳を目の前の同胞の情報込みで説明します。

 

 

 「改めて紹介しましょう。彼女の名は『ゲンム』。今日午前中に会ったセドナや私と同じ上級水霊(アクア)です。そして今回貴女達を呼んだ理由は只1つ。この状況からお察しだと思いますが彼女を……ゲンムの穢れを癒して下さい。」

 

 

 「わ、私達が……。」

 

 「あの上級水霊(アクア)を……」

 

 「癒す…ですって………?」

 

 テミスから告げられた難題を前に、3人は唖然となるばかりでした。真っ先に反論したのは当然と言うべきか潤です。

 

 「ちょっと待ってよテミス!リラちゃんは兎も角、水霊士(アクアリスト)になりたてのわたしにあんなの癒すなんて無理だよ!」

 

 「って言うよりそもそも水霊士(アクアリスト)じゃない私までどう力になれって……まさか!」

 

 それに便乗して一緒に抗議の声を上げる真理愛ですが、此処に来て彼女はどうして自分まで呼ばれたのか直ぐに気付きました。思わず手に持ったフルートのケースに目が行きます。

 

 「その通り。潤と真理愛さんはリップルメロディーの力で彼女を癒すのです。1度身に付けたその力でも、その場限りの付け焼刃で終わっては困ります!考え様によっては2人の力はこの先、重要な役目を担う事になるでしょうからね。」

 

 テミスから発せられた言葉を受け、2人は一瞬納得しそうになりましたが、同時に覚えた違和感にそれを阻まれました。この先、重要な役目を担う……?一体何の事なのでしょうか?上級水霊(アクア)の考える事は、人間の自分達では理解し得ません。

 ですが、付き合いの長いリラだけは直ぐに彼女の意図を察知して言いました。

 

 「―――やっぱり、これは私や潤先輩を水霊士(アクアリスト)として成長させる為の試練って事なのねテミス?」

 

 リラの言葉を受け、2年生コンビの表情は心なしか緊張で引き締まりました。そんな2人の心情を知ってか知らずか、リラは潤と真理愛が1番知りたい事をテミスに尋ねます。

 

 「あのゲンムって言う水霊(アクア)を癒せって言うのも、これから何か大きな穢れを癒す事になるだろうから、その為にも上級水霊(アクア)位浄化出来なきゃ駄目って訳なんでしょ?だから今回、私達を此処へ連れて来た。真理愛先輩も連れて来たのは、未だ未熟な潤先輩の力を引き出す鍵になるって、午前中の鯨の件で分かったから――――そうでしょ?」

 

 滔々と口から流れ出るリラの言葉に対し、テミスは2年生コンビを一瞥すると同時に無言で頷きました。それと同時に此処に来て、漸く潤と真理愛は納得しました。とは言え、如何に水霊士(アクアリスト)でも所詮は一般人でしかない真理愛まで巻き込むのは如何な物かと言う気はしますが……。

 

 「そう言う事だったのね……。」

 

 「でも、幾等水霊(アクア)が宿ったフルートを吹けたからって私まで巻き込まないで欲しいわね……。」

 

 だけど呼ばれたからには仕方が無い。どうせ今日はあの後、別に行く宛てもやる事も特に無かったので、良い時間潰しにはなるでしょう。諦観と共にそう割り切った2人は、意を決して再びリップルメロディーの準備に取り掛かります。

 初めにブルーフィールドを展開した潤が自らの内なる水霊(アクア)のステラに力を込め、真理愛の内なる水霊(アクア)であるシュトラーセと合体させた上で彼女のフルートに込めます。そして周囲のロリカリアやコリドラス、プレコやクーリーローチ、アルジイーターや鰌と言った掃除屋の水霊(アクア)達を呼び寄せてクラリファイイングスパイラルを形成。その螺旋の中に真理愛を立たせる事で、癒しの力を増幅させる準備を整えます。これは潤の中のステラが直前に彼女の脳内に伝えた、アクアリウムの応用の1つでした。

 さて、残るリラはと言うと―――――。

 

 「リラ、貴女は私と1つになるの。深優さんのお父さんを癒した時の様に!」

 

 「まっ、またあの姿になるの!?」

 

 深優の父・航のガンを完治させた時、リラは初めて上級水霊(アクア)であるテミスをその身に宿し、彼女の力を行使しました。確かに強力無比の癒しの力でしたが、反面肉体への負荷はとても大きい。

 

 「あの時から貴女は忍さんと毎日ランニングや泳ぎ込みをやって来たでしょう?精神と肉体がより鍛え上がった今なら、私の力ももう少しマシに使いこなせる筈よ。自分を信じなさいリラ!」

 

 肩に手を当ててそう諭すテミスの姿に、まるで今は亡き祖母のユラから励まされている様な感覚をリラは覚えました。何故人間態のテミスが少女時代のユラに似た姿なのかは知る由も有りませんが、この力を穢れに苦しむ多くの命を癒す為に使うと決めたリラは迷いません。その対象は水霊(アクア)とて例外では無いのです。

 

 「…分かった!やってみる!」

 

 そしてリラ自身もサンダルを脱いで裸足になると同時にブルーフィールドを展開、その身にテミスを宿します。瞬く間に全身がコバルトブルーに変化すると同時に耳が水掻きになり、肩や肘に鰭が生えて来ます。ですが、此処からの変化は深優の時と違いました。更に全身が鱗に覆われると同時に、お尻からも長く伸びた魚の尾が形成され、さながら半魚人の様でした。

 

 「リ…リラちゃん!?」

 

 「上級水霊(アクア)を宿すとあんな風に姿が変わるのね……。」

 

 初めて見る上級水霊(アクア)とリラの合体に、思わず目を見開く2年生コンビ。そんな彼女達を他所に、リラは勢い良くジャンプして湖に飛び込むと、勢い良くゲンムの元へと向かいます。

 相変わらず身体が爆発しそうな程の強いエネルギーが全身を駆け巡り、全身が焼ける様に痛いですが以前程の激しい疼きではありません。これも忍との鍛錬による賜物なのでしょう。

 

 そのままリラは物凄いスピードでゲンムの真下に潜り込むと、両手にありったけの水霊力(アクアフォース)を集約。高出力のブルースパイラルビームを発射し、ゲンムの身体を貫きます。

 

 (グギャアアァァァァァ――――――――――――――――――ッッッ!!!!!)

 

 コバルトブルーの螺旋がゲンムの身体を貫くと、彼女の体内では全身を蝕む穢れとそれを浄化せんとする水霊力(アクアフォース)が激しくせめぎ合い、その影響から来る苦しみから激しく暴れ出します。丁度我々人間の身体も、ウイルスと免疫のせめぎ合いによって炎症が起これば苦しい様に……。

 更に同時に彼女が暴れ出した影響により、周囲の木々が倒されかねない程の凄まじい突風が起こり、湖面の水も激しく波打ち、何より先程まで晴れていた空が黒雲に覆われてそのまま激しい雨が降り始めました。水面近くを泳いでいた魚達は当然ながら湖の底まで逃げ、水鳥達も飛んで逃げ出します。

 

 「やっぱり凄いわね上級水霊(アクア)…。セドナみたいに天候まで変えちゃうんだもん………。」 

 

 「真理愛、感心してないでわたし達も行くわよ!」

 

 「そっ、そうね!潤、しっかり支えてて!」

 

 真理愛の言葉に強く頷くと、潤はありったけの水霊(アクア)でクラリファイイングスパイラルのステージを形成し、真理愛とそのフルートに宿るステラとシュトラーセに力を送り込みます。その力を受け、真理愛は苦しむゲンムを想いながら優しい旋律を奏でます。

 

 

 「♪♪~~~~♪♪♪~~~~~~~~♪~~~♪♪~~~~~~~~~~♪♪♪♪♪~~~~~~~♪♪………」

 

 

 青白い輝きを放つフルートから発せられる旋律と共に、真理愛の身体からも同じ色の波紋が大きく広がって行きます。癒しの旋律はやがてゲンムの体内に浸透し、内側から少しずつ黒い穢れを白く浄化して行きます。

 リラも負けじとゲンムの周囲を泳ぎ回りながらブルースパイラルビームを発射し、その体内の穢れを消し去って行きます。

 

 「ハァ……ハァ………やっぱり上級水霊(アクア)の力って使うの大変。正直私1人じゃもう限界だったわ……でも…………!」

 

 リップルメロディーの影響は何もゲンムだけが受けている訳ではありません。その周りを泳ぎ回りつつ浄化に奔走するリラもまた、真理愛の旋律によって肉体及び精神双方の負荷を取り払って軽減して貰っていたのです。後方支援としてこれ以上のサポートは有りません。

 

 「潤先輩、そして真理愛先輩の2人が支えてくれるから……私は未だ頑張れる!!」

 

 そう叫ぶなり今度は大胆にもリラはゲンムの体内に侵入。未だに夥しく残る穢れをブルースパイラルビームで掃除して行きます。

 

 (ガアアァァアアアア―――――――――オオォォォ―――――――――――――――――――ッッ!!!)

 

 尚も苦しそうに暴れ狂うゲンムでしたが、少しずつその動きは鈍くなって行きます。演奏が終盤に差し掛かる頃には苦しみも幾分和らいだのか、ゲンムはほぼ動かなくなりました。

 そして―――――。

 

 (うぅ……ああァッ………我は………)

 

 漸く言葉を発するだけの余裕を取り戻したゲンム。此処まで来れば浄化ももう一息です。

 ゲンムの体内から飛び出すと、リラは周囲の湖に居る全ての水霊(アクア)を体内に取り込み、これまでで最も大きい特大のブルースパイラルビームを発射!リップルメロディーの旋律による相乗(シナジー)効果によってゲンムの体内の穢れは全て取り払われました。

 

 

 (水霊士(アクアリスト)の少女達よ、礼を言おう。お主達のお陰で我の穢れは全て清められた。)

 

 

 「それは…良かっ……」

 

 「リラちゃん大丈夫!?」

 

 「しっかりしてリラさん!」

 

 自身を癒された事に感謝の言葉を述べるゲンムですが、上級水霊(アクア)の力を長時間使用し続けた疲れからか、リラは力無くその場に倒れそうになります。尤も、咄嗟に潤と真理愛の2人に支えられてくれましたが…。

 するとゲンムの前にテミスが現れて言いました。

 

 (ゲンム、ご快癒おめでとうございます。)

 

 (テミスか。お主の育てた水霊士(アクアリスト)達のお陰で助かった。1人だけ普通の人の子が混ざっておる様だが、水霊(アクア)の力を宿した笛で此処までの癒しの旋律を奏でようとは思わなんだ。実に美しい旋律であったぞ。)

 

 「えっ…あっ……その…あ、有り難う…ございます………。」

 

 セドナだけでなくゲンムにまでフルートの音色を絶賛され、真理愛は顔を赤らめます。それと同時に彼女の胸も大きく波打って揺れました。

 そんな彼女を横目に、リラはテミスとゲンムに尋ねます。

 

 「ねぇ、1つ訊いて良い?」

 

 (何ですかリラ?)

 

 「穢れに蝕まれた上級水霊(アクア)なんて私達、初めて見たんだけど、此処まで上級水霊(アクア)が穢れに蝕まれるなんて相当だわ。穢れ水霊(アリトゥール)にはなってなかったから良かったけど、ゲンムを蝕む程の穢れの原因って一体何なの?」

 

 リラの問い掛けに対し、2体は険しい顔で沈黙するばかりでした。ですが、リラや新人水霊士(アクアリスト)である潤は元より、一般人の真理愛もその様子から直ぐに察します。

 嘗て無い程のスピードで地球の穢れが深刻化しており、それを何とかする為に水霊士(アクアリスト)なる存在が必要――――その言う話はテミスからリラも潤も聞かされてましたし、他の水霊仲間(アクアメイト)達も日常でのガールズトークの中で2人から聞いて知っていました。無論、穢れの事も穢れ水霊(アリトゥール)の事もです。こうした点を総合すればゲンムを蝕む程の穢れの原因こそ、『テミス達が1番何とかしたいと思っている問題』であると言う事は想像に難くありません。

 ですが今この段階で敢えてそれを喋らないと言う事は、未だ話すべき時ではないと言う事なのでしょうか?何れにせよ、この事案は水霊(アクア)達の中では最大級のトップシークレットである事は確かでした。

 

 (―――――残念ですが、今は未だ貴女達に話す訳には行きません。ですが、これだけは覚えておいて下さい。このゲンムは上級水霊(アクア)の中ではセドナと並んで強大な力を持ち、最上級水霊(アクア)に最も近いとされる存在!そんな彼女を穢れで蝕める程の存在が、これから動き出そうとしているの。)

 

 「えぇっ!?」

 

 「って言うか最上級水霊(アクア)って、テミス達よりもっと上の水霊(アクア)が居るの!?」

 

 「もう話が無暗に壮大になって来たわね……。」

 

 ほんの一端とは言え、余りに途方も無いスケールの話に3人は唖然となるばかりです。先程のテミスの言葉の流れからすれば、『これから自分達でその穢れの大元を浄化しろ』と言う話なのでしょうか?

 

 (だが安心するのだ。今は未だ“あの者”は動き出す様子は無い。時間的猶予は未だ残っておる。今の内にお主等は水霊士(アクアリスト)としての力を付け、来たるべき時に備えるのだ!)

 

 ゲンムから檄を飛ばされ、3人は背筋を嫌でも伸ばさざるを得ません。ですが、それでもやはり不安が無いと言えば嘘になります。こんな強大な存在を蝕む悪しき存在ともなれば、下手をすれば世界を滅ぼし得る程のそれ!不安を通り越して恐怖しか有りません。

 そんな彼女達の心情を察してか湖の湖面からリップリスが十数体分の顔を出して言います。

 

 (大丈夫だよ!お嬢さん達なら絶対に何とか出来るって!)

 

 その言葉に、リラ達の中の緊張は少し和らぎました。リップリスは続けます。

 

 (だってリラと潤のお嬢さん達、今日はこのゲンムって言う上級水霊(アクア)を癒したんだもん!実績としては十分じゃん!もしかしたらこの先、本当に穢れ水霊(アリトゥール)化した上級水霊(アクア)が出て来るかもだけど、お姉さん達なら絶対癒せる!自信持って!)

 

 言われてみれば確かにそうです。今日リラ達が上級水霊(アクア)を癒したと言う事実は、彼女達なら十分この先も水霊士(アクアリスト)としてやって行ける自信の根拠となるでしょう。折れない自信とは、自分の決めた分野を極端な所まで追求する事で生まれる物。山登りが好きならエベレスト登頂、営業が好きなら営業成績トップ、カードゲームが好きなら大会で優勝と言う様に、極端な所まで追求した結果として築かれる実績こそが自信の源泉となるのです!

 今回ゲンムを浄化出来た事により、リラは上級水霊(アクア)の力の運用能力が格段にアップ!潤も複数の水霊(アクア)を操っての後方支援能力が向上し、真理愛とのリップルメロディーの精度もより洗練されました!

 

 (真理愛のお嬢さんも、潤のお姉さんに支えられて奏でるリップルメロディーは凄い綺麗だった!これだけの旋律ならきっと水霊士(アクアリスト)達の力になれるよ!)

 

 そう言われると真理愛もこそばゆい気持ちになります。水泳の片手間にやってただけのフルートが、まさかこんな形で重宝される事になるとは夢にも思いませんでしたから当然でしょう。

 

 (皆、今日は本当に有り難う!じゃあ3人とも、蒼國に帰してあげるから湖に飛び込んで!)

 

 リップリスがそう言うと、湖の湖面が再びコバルトブルーの光を放ち始めます。どうやらパドルワープの能力を発動した様です。3人は互いに表情を見合わせると、改めて湖にジャンプ!溢れ出した光に包まれたかと思うと、3人の姿は湖から消えていました。

 

 

 気付けば3人は元通り蒼國の街中にいました。どうやら無事に帰って来れた様です。気付けば時計の針は午後3時を回っており、すっかり昼下がりの時間帯となっていました。

 

 「此処って――――蒼國?」

 

 「どうやらわたし達、戻って来たのね…。」

 

 「その様ね…。」

 

 海から吹く優しい潮風――――。

 街中に張り巡らされた水路から流れる水のせせらぎの音―――――。

 行き交う車の音と人々の喧騒に、飛び交うカモメ達の声―――――。

 さながら満ち潮の如く3人の心に流れ込む“実家の安心感”に、リラ達は安堵感を覚えました。

 

 「わたし達、これからどうなるのかな……?」

 

 「あんな上級水霊(アクア)を蝕む程の穢れをこれから癒す事になるなんて、考えるだけで憂鬱ですね………。」

 

 同時にこれから自分達に津波の如く押し寄せるであろう不安に、潤とリラは暗澹たる気持ちになります。まさしく月も星も出ていない暗黒の海に船出する様な気分です。

 

 「何言ってるのよ2人とも!」

 

 然し、そんな2人の肩を叩いて真理愛は言います。

 

 「確かにあんな事が有って不安になるのは分かるけど、今私達にとって大事なのは其処じゃないでしょ?」

 

 その言葉にハッとなるリラと潤に対し、真理愛はこう続けました。

 

 「今私達がやらなきゃ行けない事は、次の総体を頑張る事じゃない!瑠々も言ってた通り、今は皆で全国(インハイ)行ける様に練習でも何でも自分に出来る事、精一杯やりましょう!」

 

 言われてみれば確かにその通りです。我々人間はどんなに先の事を憂いても、結局今この瞬間にしか生きられません。そして今のこの瞬間に己の出来る事やすべき事を積み重ね続ける事でしか、自分の望んだ未来への道は拓かれないのです。

 

 「そう……ですよね。結局それしか無いですよね!」

 

 「確かに先の事考えたってしょうが無いわよね!今は取り敢えず大会へ向けて出来る事頑張らないと!有り難う、真理愛!」

 

 先程まで憂鬱だった表情が一転して明るくなったリラと潤。その様子を見て「フフッ!」と笑みを浮かべつつ真理愛は締めの言葉を放ちます。

 

 「潤…それにリラさんも来週の総体、悔いの無い様に頑張りましょう!」

 

 真理愛の言葉を受け、潤とリラは力強く頷きその場は解散となりました。リラと潤は水霊士(アクアリスト)としてそれぞれレヴェルアップを果たし、同時に水霊(アクア)への知見と真理愛との繋がりも深まった。それだけでも十分過ぎる位の収穫でしょう。今日と言う日が、リラにとって非常に充実した日曜日となったのは言うまでも有りません。




はい、如何だったでしょうか?

1番最初の瑠々&水夏コンビとの触れ合いのドラマに水霊(アクア)が無関係である事について解説しますと、今後の展開を考えた時にリラと2年生の間には『アクアリウムが無しでも互いに深く繋がれる関係』、言い換えるなら『素のリラと2年生との間に深い絆が芽生えている事』を印象付けるのが必須だと判断しての事です。

ネタバレしますとリラが虐めの過去を明かす事で水霊仲間(アクアメイト)達はリラをより深く受け入れ、その距離を大幅に縮めます。同時にそうする事で両者の間に海より深い友情や師弟愛、姉貴分と妹分の愛情と言った繋がりが育まれ、その影響によってリラの心の底の穢れは一気に取り払われるのです。その結果、彼女は今回以上に上級水霊(アクア)をも問題無く操れるだけのポテンシャルを覚醒させる――――これが次の章の流れとなります。

さて、次はいよいよ最後の1年生編。同級生で最もリラに近しい彼女達との絆は、三ヶ月でどれだけ深くなったのか?それを端的に示すエピソードを次回はお届け致しましょう!

キャラクターファイル35

リップリス

年齢   無し
誕生日  無し
血液型  無し
種族   水霊(アクア)
趣味   街の観察
好きな物 柔らかい土や砂

白い身体にコバルトブルーのストライプや斑紋等の模様が付いた、複数のチンアナゴの集合体と言うべき姿の水霊(アクア)。その総数は不明だが全員が全員で1つの意識を共有している。これだけでも十分他の水霊(アクア)と比べても特異な存在だが、更なる彼女の特異性を語る上で欠かせないのが水溜まりから水溜まりへとワープする『パドルワープ』と言う特殊能力。この能力を使えばリップリスの位置座標を中心に、何と150㎞範囲の水場になら何処にでもワープが可能である。
チンアナゴの様に水溜まり等から顔を出して、賑やかな街並みを観察するのが好き。
因みに主なテリトリーは日本近海。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第35話 廻る水が育む物~1年生編~

これにて第3章は完結です。


 3年生の忍とみちるがリラにとって両親の様な存在なら、2年生の瑠々と水夏、そして潤と真理愛の各コンビは遠過ぎず、近過ぎずの絶妙な距離と各者各様の立ち位置でリラと触れ合う姉の様な存在でした。

 

 さて、それでは同じ年代に生まれ、同じ青春を共に生きる葵達1年の同級生達とリラとの友情の輪は、この3ヶ月でどの様に変化して行ったのでしょうか?

 

 

 ◇File04:Trinity Friendship

 

 数学の授業での事でした。

 

 「それではこの不等式を――――汐月に解いて貰おうか。」

 

 「はい。」

 

 先生に指名されて立ち上がると、リラは問題として提示された不等式「x+5<3x-7」をジッと見て答えます。

 

 「……x>6です。」

 

 「うむ、正解だ!」

 

 事も無げに正解し、元通り席に着くリラ。その姿に葵と深優、そして更紗も「流石!」と言わんばかりの表情です。無論、同じクラスメイトのヤマメも同じでした。元々勉強は苦手ではありませんでしたが、忍の家庭教師のお陰も有って成績は右肩上がり。5月の中間テストでも深優や更紗と共に上位20位に入っていました。

 勿論、磨かれていたのは学力だけではありません。肉体面でも同じ事は言えました。同日の体育の時間に行われたバスケットの試合の時です。

 4人はそれぞれリラと更紗、葵と深優で各チームに分かれて競っていましたが、更紗がドリブルで葵達のチームのゴールに進撃すると、当然の如く葵と深優がヤマメと3人でマークに掛かります。

 

 「更紗ちゃん、パス!」

 

 隣を横切るリラが擦れ違い様に更紗にパスを出す様に指示すると、彼女は素早くボールをリラ目掛けて放ります。間髪入れずにキャッチしたリラは、そのままゴール目掛けて3Pシュート………したのですが、残念ながらボールはゴールに入らずに弾かれてしまいました。

 

 「リバウンド!!」

 

 葵がそう叫ぶと同時に敵チームの女子達がゴールから弾かれたボールを取ろうとその下へ向かいますが、何時の間にかリラは相手の誰よりも先にゴール下に到着しており、そのままボールをキャッチして改めてシュート!見事2点を獲得し、僅差で自軍のチームを勝利に導きます。

 

 「流石ね汐月さん!」

 

 「最初チーム組んだ時はあんま頼りなかったけど、此処最近で見違えたよねリラ!」

 

 忍とのランニングや泳ぎ込み、筋力トレーニングやストレッチ等、泳ぐ為に必要な鍛錬をこの数ヶ月でこなして来たリラは、身体能力も4月に入学した頃から格段に跳ね上がっていました。無論、同様の練習ならば一緒の水泳部員である葵も深優も更紗もこなしていましたし、ボート部のヤマメもそれに負けないだけの鍛錬を積んでいました。

 単純な身体能力では更紗の方が上だし、忍達程ではないにしても蒼國市民として泳ぎに親しんで来た葵や深優、ヤマメはリラと同等かそれより少し上の体力と敏捷性の持ち主。

 ですが、水霊士(アクアリスト)として虐めと戦い、乗り越えたリラの物怖じしない強さは、この頃にはクラスの誰よりも強い胆力に変わっていました。何より虐めとの戦いの経験が結果として駆け引きや戦略眼と言う形で生かされる様になったのです。加えて想像力もあれこれ妄想する程度には豊かですから、プロの選手の動画をスマホで休憩中に見てはイメージトレーニングする事で、様々な小技をラーニングしていました。何れにせよ、過去の経験と学んだテクニックを活かせる様になったのは、やはり忍との鍛錬が有ったからこそでしょう。

 膂力で劣る分を、過去の戦いの経験と他所から見て学んだテクニックで補う―――――それがリラのスタイルでした。もしこれから鍛錬を誰よりも積んで膂力面でも更紗に比肩する様になれば、間違い無くエース級の逸材へと化けるでしょう。

 

 虐められっ子だった中学時代、リラは内向的でメランコリックで、図書館での読書以外では漫画やネットの動画等でカッコ良いヒーローやプロのアスリート達の姿を眺めては、「自分もこんな風になれたら」と妄想しては自分を慰め、生きていました。言うまでも無くそれは仕事で両親が殆ど不在の中、自身の寂しさを埋める手段でした。

 ですが今は違います。何時ぞや恐れられる相手か舐められる相手かで言えばリラは後者と言いましたが、今の彼女はそのどちらでもありません。少なくとも未だに恐れられる存在は性格的に縁遠いですが、それでももう侮られる事は無い。

 

 繰り返し言いますが、リラは変わりました。自分を受け入れてくれて、水霊(アクア)の秘密まで共有出来る仲間達や、そんな彼女達と水泳で切磋琢磨して行く過程で鍛えられた心身と言った要因によって、岩陰に隠れて怯える小魚の様な臆病さや卑屈さはすっかり鳴りを潜めたのでした。

 

 「あぁ~、やっぱり未だ更紗ちゃんには勝てないかぁ~……。」

 

 「でも今の動き、サラサラじゃなかったらこっちが負けてたよ?」

 

 「そうだよリラ!この前やった時よりだいぶ強くなってる!」

 

 今度は互いのチームメンバーである更紗と葵を交換して試合を行いましたが、今度は惜しくも惜敗した模様。ですが、相手チームの深優やヤマメに励まされてリラは言います。

 

 「深優ちゃん、ヤマメちゃん、有り難う!良~~し、次は誰と組んでプレイしよっか!?」

 

 素直に相手に感謝を伝え、屈託のない笑顔で返事を返すリラ。自分を取り巻く世界が良い意味で様変わりすると同時に、彼女は以前にも増して周りに心を開く様になっていたのです。今は亡き祖母のユラが見たらきっと喜ぶでしょう。そうやって周囲と楽しそうに明るく振る舞うリラの事を、テミスも離れた場所からカラフルな水霊(アクア)達と共に微笑ましく見守っていました。

 

 

 さて、体育の授業も終わって制服に着替え終わった昼休み、リラは葵達3人と中庭で昼食を摂っていました。周囲の水路を流れる水のせせらぎが、彼女達の耳に心地良く響きます。

 

 「それでさぁ、昨日You Tubeでシンジュウカルテットの新着上がってるの見たんだけど~、ライカと廻の侍VS武道家のバトルメッチャ凄かった!」

 

 「あっ、それ私も見た!一瞬『何これ?映画のワンシーン?』って思ったよ~!」

 

 何時もの様に食事をしながら葵と深優の幼馴染コンビがガールズトークに花を咲かせ、その様子をリラと更紗が笑って眺める。そんなテンプレートな構図が繰り広げられる中、リラは遠い目をしながら、此処にはいない家族の存在に想いを巡らせていました。

 彼女にとって幼馴染の2人の掛け合いは、まるで仲の良い姉妹の様に感じられたからです。と言っても所詮は血の繋がりの無い他人同士ですが、相手と血よりも強く繋がれる物と言えばやはり魂でしょう。少なくとも、2人の関係性はそう言う風にリラには見えて何時も嫉妬させられます。

 すると不意に深優がこの前参加した大会について触れました。

 

 「でもこの前の総体と国体予選、本当に良かったよね~。瑠々先輩の望み通り、私達皆次に行けるんだから!」

 

 深優がそう言うと、残る3人も感慨深く頷きます。6月中旬の地区総体では惜しくも背泳ぎで敗退した葵も、メドレーリレーではどうにか勝ち進めて7月下旬の関東高校水泳競技大会に無事に進出出来ました。更に同じく6月下旬の国体予選でも背泳ぎで国体への参加がギリギリ実現した為、葵当人は元より周りの部員達もホッと一安心。無論、それはリラも同じです。自分達に足りない部分や必要な物をみちるや忍、それに内なる水霊(アクア)から分析及び指摘され、それに基づいて鍛錬を積んで来たお陰で首位とまでは行かずとも、結果を残せる程度には急ピッチで仕上がって来た霧船女子。

 然し、次に駒を進めると言う事は当然篩に掛けられた分、より手強い選手が犇めいていると言う事です。泳ぎに慣れ親しんだ蒼國市民すら凌ぐ程の猛者が……。

 

 「リラっちには感謝しか無いよ。パパもガンが治って転移の心配も無いし、何より大会で私が華麗に勝ち進む姿だって見せる事が出来たし、良い父の日のプレゼントになって良かった!パパを助けてくれて、本当に有難ねリラっち!」

 

 言われてみれば確かにそうです。リラのお陰で深優の父・航はガンによる死の淵からこの前生還し、元気に漁師を行えています。大会の当日、地区総体及び国体予選を上位の記録で勝ち進む雄姿を見せられた航は後日、娘の事を漁協でも自慢していました。

 深優から改めて感謝の言葉を投げ掛けられ、思わずリラは顔を赤らめながら頷きます。すると次に口を開いたのは更紗でした。

 

 「私も、家族に自分の全力の泳ぎを見せられて良かったって思ってる。特にお祖母ちゃん、私の事“カッコ良かった”って言って褒めてくれてた。お祖母ちゃんが生き返ったのってテミスのお陰だったみたいだけど、リラも関わってたんでしょ?じゃあリラにも有り難うだね。」

 

 「え…いや、そんな、私は別に………。」

 

 直接間接問わずそれぞれの家族をアクアリウムの力で救った事で深優と更紗から改めて礼を言われ、リラは顔を赤らめます。咄嗟に話の流れを変えるべく、リラは葵の家族について言及します。

 

 「で、でもこの中で葵ちゃんだけだよね?2人と違って家族の誰も水霊(アクア)やアクアリウム絡みの事が無い、極普通の家庭って。そう言うの、“当たり前の幸せ”って感じで何だか羨ましいな……。」

 

 確かに葵の家庭は両親と妹の4人家族であり、深優の様に母親が急逝した訳でも無ければ、更紗の様に祖母が声優と言った特殊性も無い普通の一般家庭です。然し、それ故に彼女が最もこの4人の中で人並みに『幸せな家庭』を謳歌していると言えるでしょう。

 すると葵が逆にリラに対して尋ね返します。

 

 「って言うかリラこそ逆に訊くけど、リラの家族ってどんな感じなの?前にお祖母ちゃんが死んだって聞いてたけど?」

 

 葵にとっては何気無い質問の心算でも、それがリラにとって地雷…いいえ、予期せぬ水雷攻撃だったのは言うまでもありません。

 

 「あっ、それ私も気になってた!ずっと聞いてなかったし!」

 

 「ねぇ、リラの家族ってどう言う……ってリラ?」

 

 追い打ちを掛ける様に深優と更紗もリラの家族の事を追求しようとしますが、当のリラは俯いたまま答えようとしませんでした。その表情も先程の明るかったのから打って変わって暗くなり、まるで一気に水面から深い海底へと沈むかの様です。

 それが分らない程、3人も馬鹿ではありません。何やら自分達よりも酷い家庭の事情を抱えていると言うのは、直ぐに想像が付きました。もしかして、虐待や育児放棄(ネグレクト)でも受けていたのでしょうか……?

 

 「リラ、どうしたのよ?もしかして家族と上手く行ってないの?」

 

 「まさかリラっち、虐待でもされてるとか?ってか言いたくないなら無理して言わなくたって良いよ………?」

 

 心配そうに葵と深優がそう尋ね、更紗も無言のまま同様の表情でリラの事を見守ります。するとリラは身を震わせながら前を向き直り、3人の顔を見渡します。その澄んだ藍色の瞳がとても寂しげだったのは、その場にいる誰の目にも明らかです。

 

 「私にはね、お父さんとお母さんがいるの。でもお父さんとお母さん、小学生の頃から何時も仕事で家にいなくって……一緒だったお祖母ちゃんも5年前に死んで、それからはずっと独りぼっちだった………!」

 

 おまけに中学に上がる頃には理不尽な虐めの標的にされ、身も心もボロボロにされて、だけど両親にも誰にも打ち明けられず、そのまま追い詰められて川へ入水自殺する程に追い詰められ………。

 そんな辛い過去を生きて来たリラだからこそ、水霊士(アクアリスト)として目の前の汚れを浄化し、荒んだ人々の心と身体を癒す濾過フィルター足ろうと思って今日まで生きて来ました。人間の弱さや醜さ――――穢れを奇麗にするには、そうした人間の汚い部分と向き合わねばならない。何時ぞやリラが潤に言った事はまさにその通りであり、故に同時に誰にも愛されない様な不幸な人間でないと務まらない。そう言う後ろ向きな自負がリラの心には有りました。同時にこれが、彼女が水霊士(アクアリスト)として今日まで戦って来れたモチベーションだったのです。

 

 「リラ………。」

 

 悲しそうな表情で自身を見つめる葵達の様子を受け、リラは直ぐに取り繕う様に続けます。

 

 「あぁ、でも大丈夫。今の私にはテミスがいるし、水霊(アクア)達だっているから!水霊士(アクアリスト)になってからやっと私は独りぼっちじゃ無くなって……」

 

 ですが、言い終わる前に彼女の言葉は突然の葵の抱擁に阻まれてしまいました。突然の出来事にリラが困惑したのは言うまでもありません。

 

 「あ、葵ちゃん………?」

 

 「リラ…やっと話してくれたね。リラ自身の事…。」

 

 「えっ……?」

 

 自分の事を話したのがそんなに良かった?一体どう言う事?それが彼女の中に有る想いでした。すると深優と更紗も距離を詰め、真っ直ぐ自身の顔を見据えて言いました。

 

 「私達、ずっとリラっちの事が知りたいって思ってた。けどリラっち、何時も話してくれなかったじゃん?」

 

 「リラに昔、何か辛い過去が有ったって言うのは分かるよ。でも、やっと私達に話してくれる所まで来たんだって思うと嬉しくってね……。」

 

 2人の表情は、とても慈しみに溢れていました。何時ぞや自分を膝枕してくれたみちるや、自身に優しく教え諭す時の忍と同じく、さながら黒潮の様な暖かい雰囲気をリラは感じ取っていたのです。

 

 「皆……。」

 

 すると葵がリラを抱擁(ハグ)から解放して言いました。

 

 「リラに昔何が有ったかまでは良く知らないわ。何でそんなアクアリウムなんて魔法みたいな力が使えるのかも……。でも、これだけは忘れないでリラ!」

 

 真っ直ぐリラの藍色の澄んだ瞳を見据え、両手を握り締めながら葵はこう告げます。

 

 

 「どんな過去が有っても、リラはリラ!私達の大事な友達で、同じ秘密を共有する水霊仲間(アクアメイト)なの!だからもう、自分が独りぼっちで寂しいなんて思わないで……!」

 

 

 その言葉が、リラにとってどれ程の救いだったのかは想像に難くありません。祖母を失い、虐めや家での孤独に打ちひしがれながら、誰からも肯定される事無く生きて来たリラ。

 同じ年代の子達から投げ掛けられるその肯定の言葉は、先輩の忍やみちる、瑠々や水夏、潤や真理愛と、年長の立場の子達から掛けられる優しさや慈しみ、励ましの言葉とは違う形でリラの心に流れ込んで来ます。

 どんなに親しくなっても、先輩達からの優しさはやはり基本的に上から下への縦へ、滝の様に一方通行の物。それは言い方は悪いですが、『相手を自分より下に見ているが故の可愛がり』であり、子供扱いして体良く侮っているのと一緒です。

 ですが、同輩からの優しさは違います。上でも下でも無い横の対等の関係だから、その優しさは自他共に気兼ね無く分かち合える物なのです。少なくともリラにとってはそうでした。

 

 葵の言葉を受け、リラの瞳からは無意識に大粒の涙が滲み出てました。彼女のその言葉は、北氷洋の極寒の海に浮かぶ氷山の如く凝り固まったリラの心を溶かすには十分だったのです。

 

 「葵ちゃん……深優ちゃん……更紗ちゃん………。」

 

 改めてリラは3人の顔を見回して言います。

 

 「3人とも、有り難う………こんな私の事を、受け入れてくれて!!」

 

 「もう、今更何言ってんのよリラ!」

 

 そんなリラと楽しげに笑い合う友人3人ですが、同時にテミスはそんな彼女達の事を、遠くから同じ様に慈しみ深く見守っているのでした。やがて昼休み終了のチャイムが鳴った為、リラ達は大急ぎで教室へと戻って行きます。

 

 

 さて、授業が終わった後、リラ達は教室の掃除を経て何時もの様に水泳部の練習に励む訳ですが、今日は珍しく18時半解散となりました。尤もそれは明くる土曜日の休日、午前中から皆で陸上トレーニング、午後から市民プールで泳ぎの練習を行う為に早々に帰って身体をなるだけ休めろと言う意味合いからでした。

 そんな学校帰りの時の事です。

 

 何時もの通り、4人は一緒に帰宅の途にありました。この日、忍はまたもみちると一緒に勉強する為に一緒ではありません。

 

 「明日は皆で朝から練習かぁ~……。ちょっと憂鬱かも。」

 

 「今に始まった事じゃないんだから、今日は早く帰ってゆっくり休も?」

 

 「そうだよね。明日は皆どれだけ大っきくなってるか確かめないとね♪」

 

 「今日も潤先輩や瑠々先輩の事揉みくちゃにしてまた……!?」

 

 明日も練習にかこつけ、部員達の胸を揉みしだこうと深優に更紗が恐れと呆れの感情を抱いていると、不意に彼女達に話し掛ける声がします。

 

 〔やぁ、久し振りダネ(チミ)達!〕

 

 声のした方を向くと、何とプラちんが近くの水路の柵に座っています。然も仲間と思しき同じ姿の河童が隣に3体居並んでいました。

 

 「プ、プラちん!?」

 

 「水妖(フーア)風情が一体何をしに来たのかしら?」

 

 「あ、テミス何時の間に。」

 

 プラちんの登場と同時にテミスもその場に現れ、4人の間に入ります。この前ヤマメの部員を水難事故から救った時には協力していたのに、相変わらず彼等の事を敵視するテミスはやっぱり彼等と仲良くする気は微塵も無い様です。

 一方、プラちんもプラちんで独り敵愾心を抱いてピリピリするテミスをの存在を華麗に(スルー)しながら、リラに対して努めて友好的に話し掛けます。

 

 〔そんな身構えなくても良いヨ。今日はその子にお土産持って来ただけダカラサ。〕

 

 「お土産?」

 

 出し抜けにプラちんの口にした“お土産”と言う単語(ワード)に首を傾げるリラ達。すると突然背後の川から突然水飛沫が上がったかと思うと、中から現れたのは何とタイガーサラマンダーの様な黄色と黒の縞模様(ストライプ)が特徴の、2足歩行の巨大な山椒魚と思しき怪物でした。背丈は2mを優に超えています。

 然も目玉は大きくギョロリとしており、両腕には鋭い爪。頭部には鬣らしき毛を靡かせて背中と胸部、腹部には甲羅が付いていました。尚、背中の甲羅はワニガメのそれに近い形状です。

 

 「なッ、何あれ!?河童!?」

 

 「いいえ、違います。あれは――――『水虎(すいこ)』です!」

 

 突然現れた別な水妖(フーア)の存在に驚きを隠せない4人に対し、テミスは相手の種族を告げてますます警戒を強めました。

 

 水虎――――それは中国と日本に古くから伝わる水の妖怪ですが、伝承は国毎に違う存在です。先ず中国では湖北省の川にいたとされ、大きさも3~4歳位の子供程度ですが全身を矢も通さぬ程頑丈な鱗で覆われています。基本的には大人しいですが、子供に悪戯をされると噛み付いて仕返しをする為に油断は出来ません。只、生け捕りにして鼻を摘まめば使い走りに出来る便利な存在でもあります。

 一方、日本における水虎は凶悪な河童の一種とされる水の魔物であり、48匹の河童を従える親分とも龍宮の眷属とも呼ばれ、何とも手強い存在です。

 

 それ故、テミスは周囲に中級水霊(アクア)達を多く召喚し、更に膨大な量の下級水霊(アクア)も配備すると言う厳重な警戒態勢を瞬く間に構築して相手の出方に備えます。非常に緊迫した時間が両者の間に数十秒流れると、直ぐにプラちんが沈黙を破って言いました。

 

 〔何ピリピリしてんノ?馬ッ鹿じゃナイ?って言うか話聞いてたノ?オイラはその子にお土産を持って来ただけって言ったジャン!〕

 

 半ば馬鹿にした様に溜め息を吐きながらプラちんが言うと同時に、水虎は前に歩み出て両腕に抱えた大きな黒鯛を4匹放り投げます。咄嗟にテミスが大きな水球を作ってその全てをキャッチすると、水虎は再びプラちん達の方に戻りました。

 

 「えっ?黒鯛(チヌ)?」

 

 「これがプラちんからのお土産なの?」

 

 葵と深優が呆気に取られてそう言うとプラちんはコクリと頷き、仲間達と共に何処からか取り出した小さいサイズの黒鯛をガリガリと食べながら言います。

 

 〔ウン。一杯獲れたし(チミ)達にお裾分けをと思ってサ!〕

 

 どうやら本当に黒鯛をお裾分けに来ただけの様です。用事が済んだのか、プラちん達は次々と水虎の両肩に乗っかっていました。

 

 「あ、有り難う……。」

 

 「ねぇ、そっちの水虎って言うのには名前付いてないの?」

 

 取り敢えずお礼を言うリラを他所に、葵が水虎の名前の有無を尋ねると相手はプラちん達も含めて首を縦に2度振りました。どうやら嘗てのプラちん同様、名前は無い様です。

 

 「やっぱり名前無いんだ……じゃあお礼に私が付けてあげよっか?んーっと…虎っぽい縞模様だから『トラマル』って言うのはどう?」

 

 咄嗟に深優が水虎の事をトラマルと付けると、対する水虎は無言のままじっとこちらを睨んでいましたが、直ぐにコクリと頷く素振りを見せます。

 

 〔親分、気に入ったみたいダネ。〕

 

 「そのまんまだけどそれが良いんだ……。」

 

 深優から授かった名前を気に入る水虎の様子に更紗が苦笑していると、トラマルは何も言わずリラ達に背を向けて両肩にプラちん達を乗せたまま、水路を流れる暗い水の中へと勢い良く飛び込みます。そして大きく上がる水飛沫と共に、河童の眷属達は泳ぎ去って行くのでした。

 

 「ハァ~ッ、緊張したぁ~!あんな大きい妖怪なんて私、始めて見た!」

 

 「本気で命の危険感じちゃったよね~…。」

 

 「未だドキドキが止まらない……。」

 

 新たな妖魔の登場に命の危機すら感じたとして、3人はホッと胸を撫で下ろしてそう口々に感想を漏らしました。3人と違って黙ってましたが、リラも取り敢えず水霊(アクア)達との流血沙汰にならなくてホッと一安心です。

 水妖(フーア)なる敵性存在がその場からいなくなったのを受け、テミスもホッと胸を撫で下ろしながら周囲の水霊(アクア)達を解散させます。

 

 「全く……また面倒そうな水妖(フーア)と関わり合いになったわね。まぁ…貰った黒鯛は別に毒とかは入っていないから人間が食べても安全ですが―――。」

 

 今だ傍に浮いている水球の中には、先程トラマルから投げ渡された黒鯛3匹が浮遊していました。どれも既に生け締めされてますが、非常に身が引き締まっていて美味しそうです。因みに夏に食べる黒鯛の味は真鯛すら凌ぐ程の美味とされ、食べ方によっては臭みも感じません。

 

 「でも美味しそうな黒鯛ね。今日の夕飯これにしようかしら?」

 

 見事な黒鯛を前にリラが何気無くそう呟くと、不意に葵が口を開いて言いました。

 

 「じゃあさじゃあさじゃあさ!今日はリラの家で一緒に晩御飯しない!?」

 

 「えっ?私の家で………!?」

 

 その言葉に、リラは大きく目を見開きます。今まで自宅アパートでは1人で夕飯を摂っていた為、まさか友達と一緒に夕飯だなんて聞いただけで驚きと共に胸が躍ります。

 

 「良いね、それ!私も賛成!」

 

 「私も、その内やりたいって思ってたから良い機会だって思う。」

 

 深優と更紗も満場一致で賛成の意を表明し、その日の夕飯はリラの自宅アパートで葵達3人と一緒に食べる事となりました。

 

 

 「此処がリラの住んでるアパートなんだ……。」

 

 「へぇ、初めて入るけど広さ有るね。近くに忍先輩の家も有るし、良いとこ住んでるじゃんリラっち!」

 

 「アロマとか結構置かれてる。良い匂い…。」

 

 その晩、葵達はリラに連れられて初めて彼女の住んでるアパートにお邪魔しました。部屋に入った思い思いの感想を漏らしながら、葵達は先程プラちんにお裾分けして貰った黒鯛でその日の夕飯を作り始めました。

 因みに3人はそれぞれ家に『友達と一緒に夕飯を食べる』と連絡を入れていたのは言うまでもありません。尚、黒鯛以外の料理の具材は既に人間態のテミスが一式買い揃えて用意済みです。

 調理の前に黒鯛を入念に水洗いすると、早速調理スタートです!

 

 

 「んじゃ、早速始めよっか♪リラ、台所(キッチン)借りるね!」

 

 「うん、良いよ。」

 

 リラから許可を貰い、葵達は黒鯛を思い思いに捌いていきます。蒼國市民であるだけあって、3人とも魚の捌き方はお手の物。因みに3人の中で最も捌くのが上手いのは葵でした。見る見る内に黒鯛の皮を剥いでワタを取ると、そのまま浮袋と血合いを取り除く事で臭みを取り除きます。三枚卸しも水平ではなく少し立てた状態で切り目を入れ、其処から徐々に骨に沿って刃を滑らせる様に動かす事で身を切り取るテクニックも造作もありません。

 言い忘れてましたが黒鯛は『浅い海域を好む魚』であり、故に育った環境によって個体毎に臭みがバラバラです。鮮度が良ければ後の調理は臭み次第なのですが味見の結果、葵が捌いた個体はそれ程臭みが無い為にカルパッチョ、深優のは少々臭みが強い為に洗いに決定。後者の調理の為、深優は黒鯛の身を氷水に晒す行程も忘れずに行います。

 そして更紗は大胆にも丸ごと塩焼きです。彼女も慣れた手付きで鱗を削ぎ落すと、鰓の部分に刃を突き立てて首を切断。其処から腹を縦一文字に帝王切開すると、内臓を取り出して身を2枚に卸します。包丁を寝かせ、骨に沿う様に切り開いて行くと、身に切れを入れた後で両面に塩を少々塗し、そのままグリルで焼いて行きました。

 

 「凄いなぁ3人とも。魚捌くの滅茶苦茶慣れてる……。」

 

 そんな彼女達の様子を感心しながら眺めていると、葵達から発破が掛かります。

 

 「リラ、見てないであんたも手伝いなさいよ!」

 

 「そうだよリラっち!」

 

 「あっ、御免!それで、私は何を手伝ったら良いの!?」

 

 幼馴染のの2人の声に促され、弾かれる様に台所に向かうと、リラも味付けや皿への盛り付けと言った調理補助のアシスタントに取り掛かります。

 そんなこんなで30分近く経った19時半頃、漸く黒鯛のフルコースが完成しました。いよいよ実食です。

 

 

 「それじゃ……いっただっきまーす!」

 

 

 そうしてリラ達は各人の作った黒鯛の料理に舌鼓を打ちました。どれも黒鯛特有の臭みを上手く消しており、それでいて魚本来の旨味も十分に活かされた仕上がりとなっています。

 

 「もう葵ちゃんも深優ちゃんも更紗ちゃんも料理、上手ね!どれもご飯が進むわ♪」

 

 「別に、蒼國住んでるならこれ位普通よ。」

 

 「サラサラの塩焼き、レモンが風味引き立ててて美味しいね!」

 

 「お祖母ちゃんからの直伝なの。」

 

 そんな他愛も無い遣り取りを交わしながら、リラは自身の中に芽生えた想いを巡らせていました。

 

 こんな風に一緒に晩御飯の食卓を囲むなんて何時以来だろう………?

 ずっと無かった気がする………。

 然し、故にだからこそ何よりも温かいし嬉しいし、幸せだとすら心から思える!

 

 蒼國に来て何度も感じた人の温かみを、晩餐を囲む形で噛み締めていると、不意に葵がリラに尋ねます。

 

 「処でさ、リラ。あんたって何時も料理どうしてるの?独り暮らししてるみたいだけど、自分で作ってるの?」

 

 突然の葵からの質問に一瞬面食らうリラですが、直ぐに答えます。

 

 「えっ?普段はテミスが家に帰ったら作っててくれるけど?」

 

 「へぇ、テミスが……。」

 

 「うん、テミスの作る料理も凄く美味しいよ。」

 

 「水霊(アクア)が料理…?想像出来ないなぁ………。」

 

 普段のリラの食事事情に以前から疑問を持っていた葵達でしたが、今回を機に漸くその答えを知れて得心が行きました。

 するとその場にテミスが現れて言います。

 

 「随分な言い方ですが事実です。但し、私も土日祝の休みの日位はリラに自炊を促してますからこの子もそれなりに出来ますよ?」

 

 「意外…休みの日はリラが作ってるんだ。」

 

 「そう言えばさっき料理作るの手伝ってる時の動きも素人じゃなかったよね。」

 

 「だ、だからって私は3人程上手じゃないからあんまり味の方は期待しないで欲しいな……!」

 

 テミスから『リラも料理位出来る』と言う事実を告げられた3人から感心の眼を向けられると、当人は恥ずかしそうに顔を赤らめながらそう委縮気味に回答します。この3ヶ月で内向さは鳴りを潜め、明るくアクティヴな性格になりつつあるリラでも、周りの知らない自身の面を指摘されると恥ずかしさで堂々と振る舞えない辺り、やはり元来の内気な性質が未だ残っている様です。完全に無くせるとは思えませんが、この性質を何処まで改善出来るかが彼女の精神的成長の伸びしろと言えるでしょう。

 

 「でも……嬉しいな。」

 

 「えっ?何が?」

 

 リラの口にした“嬉しい”と言う言葉に、思わず3人は首を傾げます。

 

 「私、蒼國(こっち)に来る前は一家団欒で食卓を囲むなんて事、余り無かったから……。」

 

 「リラっち……。」

 

 「だから私、今がとっても幸せだって思うの!葵ちゃんや深優ちゃん、更紗ちゃんがいて、潤先輩や真理愛先輩、瑠々先輩や水夏先輩、そして忍先輩とみちる先輩――――皆と一緒に過ごす時間が、とっても愛おしく思う!」

 

 「リラ……。」

 

 自身の内に秘めた想いを打ち明けるリラと、それを聞く水霊仲間(アクアメイト)の同級生の友人達。誰にも自分の事を話さない友人が漸く自らの本音を打ち明けてくれて、葵達は目を潤ませます。

 

 「葵さん、深優さん、更紗さん――――。」

 

 するとテミスも葵達の顔をじっと1人ずつ見ながら、3人の名を呼びます。

 

 「な、何?テミス?」

 

 葵の問い掛けに、テミスは神妙な表情で答えます。

 

 「何時もリラと仲良くしてくれて本当に有り難う。この子が此処まで成長出来たのは、間違い無く貴女達の友情のお陰です。成り行きで水霊(アクア)の事を知っても、貴女達はリラの事を恐れずに受け入れてくれた。そればかりか、その使命に協力さえしてくれた。貴女達の身に宿る水霊(アクア)達も幸せそうで何よりです。心より感謝します!」

 

 そう言って頭を下げるテミスの姿に、3人はこそばゆい気持ちになりました。自分達は普通に友人としてリラに接しているだけなのに、それが彼女にとって何より有り難くて尊い事だなんて、葵達からすれば大袈裟と言う以外に無いでしょう。然し、それでリラが救われていると言うのならこれ程嬉しい事は無いと言うのもまた事実。何より葵達の内なる水霊(アクア)であるアンジュ、ブルーム、プラチナの3体もクラリアと一緒に周囲で楽しそうに戯れていました。

 

 「もう、やだなぁリラもテミスも!私達、友達として普通に接してるだけよ!アクアリウムの事を知った時は驚いてショックだったけど、そんなのが無くたって私達はリラと友達になりたかったのは確かよ!」

 

 数秒の沈黙を置いた後、葵は微笑みながらリラにそう告げます。

 

 「葵ちゃん……。」

 

 水霊士(アクアリスト)としての自分じゃなくても、彼女達は有りのままのリラ自身を受け入れてくれる存在―――――その事実を改めて認識させられ、リラは感動を覚えていました。

 

 「そうだよリラっち!昔何が有って、何でそんな力が使えるのか知らないけど、リラっちはリラっちだよ!私達の大事な友達!それだけは間違い無いよ!」

 

 「深優ちゃんまで……。」

 

 「ホラ、分かったら早く残りも食べようよリラ?じゃないと冷めちゃうよ?」

 

 「更紗ちゃん……うんっ!」

 

 3人からの友情を強く感じると共に、あの虐めの過去を乗り越えて手にした『今の幸福』を噛み締めながら、リラはその日の晩餐に改めて舌鼓を打つのでした。

 

 

 一方その頃、蒼國市内の某神社にて―――――。

 

 先程のプラちん達がトラマルと共に社の近くの池で何やら話をしていました。

 

 〔ねぇプラちん、あの水霊士(アクアリスト)の人間の子、どう思うノ?〕

 

 自信と同じ姿の同族の河童から尋ねられ、プラちんは答えます。

 

 〔決まってるジャン。面白そうな子ダヨ。未だあんな子供なのに、上位の水の精霊を従えてるナンテ!〕

 

 リラはテミスの事を決して手下だとは思っていません。寧ろ対等な関係と捉えているのですが、水霊(アクア)とは曲がりなりにも敵対関係にある水妖(フーア)から見れば“従えている”と見るのが妥当な認識なのでしょうか?随分と捻じ曲がった見解ではありますが、不意にプラちんはトラマルに話を振ります。

 

 〔それで、トラマル親分はあの子の事どう思っテルノ?〕

 

 するとトラマルは暫く黙っていましたが、直ぐに社の屋根の上にジャンプして飛び乗ると、プラちんを一瞥して言います。

 

 〔どう思っているか………だと?知りもせん奴の評価なんぞ初見で出来る訳無ぇだろ。馬鹿かお前は?〕

 

 〔相変わらず手厳しいネ、親分は…。〕

 

 鋭い眼差しで睨み付けてそうプラちんを罵倒しますが、当人は別に気にせずに「やれやれ」と言わんばかりの調子で流すだけでした。

 ですが、トラマルは直ぐに夜空に浮かぶ三日月を見て続けました。

 

 

 〔だがそうだな……“西欧に渡ったあの娘”とどちらが精霊使いとして上か、見定めるのは面白ぇだろうよ…………。〕

 

 

 西欧に渡った娘とは、果たして誰の事なのでしょうか?文脈から推理すれば、『現在ヨーロッパに留学している日本の水霊士(アクアリスト)』と言う事になるのですが………?

 

 

 〔西欧に今いるあいつと今日会ったあの娘――――この神社に祀られる我が主の眼鏡に適う奴はどっちかな?〕

 

 

 トラマルがそう呟く中、プラちん達が社を見ると、その奥ではボウリングの球程は有ろうかという大きさの蒼い宝玉が神秘の光を放っているのでした―――――。




はい、改めて第3章はこれにて終了!次の章からは遂にリラの忌まわしい虐めの過去が明かされます!って言うか此処から暫くの間、胸糞悪い展開が続きそうな感じがして憂鬱なのですが………頑張って書いて行きたいと思います!

キャラクターファイル36

ゲンム

年齢   無し
誕生日  無し
血液型  無し
種族   水霊(アクア)
趣味   瞑想
好きな物 静かなる湖

漆黒の大亀を思わせる姿をしている上級水霊(アクア)
セドナ同様、テミスより古い時代から既に存在している上級水霊(アクア)で、その力は最上級水霊(アクア)に近いとされる程の実力者だが、或る存在の暴走を止める為に戦いを挑むも、返り討ちになって逆に全身に穢れを溜め込む羽目になってしまい、日本の甲州某所に在る湖で眠りに就いていた。其処へリップリスに導かれてやって来た潤と真理愛のリップルメロディー、そしてテミスと一体化したリラのブルースパイラルビームの力によって穢れを取り払われて復活を果たす。

彼女のハイドロスパイラルシュートは『ブルーミーティアスウォーム』と呼ばれる特別強大な技で、背中の甲羅から無数の藍色の水の槍をロケットランチャーの如く発射する。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四章 嵐の前の静かなる凪
第36話 這い寄る黒き水禍


今エピソードから新章突入!物語は大きく動き出します。


 来たる合宿に向け、みちるの別荘への下見も兼ねた遠泳の練習から翌日の事でした。

 何時もの様に学校のプールでの練習を終えた霧船女子は帰宅の途に就くべく、校門から出ました。来たるべき次の大会が近付いているからか、他の部員の例に漏れず遅くまで残って練習していた為、すっかり太陽は沈み切って真っ暗です。

 直ぐ近くに海を臨むウォーターフロントの街並みを歩く一行には、何時もと変わらぬ心地良い海風が吹いて来ました。

 

 「みちる部長の島まで遠泳した昨日の今日で練習大丈夫かなって思ったけど、全然心配無く泳げて良かった~!」

 

 「本当だよ!アクアリウムって心も身体も細胞レヴェルで元気にしてくれるから凄いよね!」

 

 今日の練習に付いて行けるか不安だった葵の言葉に深優が続くと、更紗も微笑みながらコクコクと相槌を打ちます。

 1年の言葉に続き、2年生の方からも瑠々が口を開いて言います。

 

 

 「でも前からずっと思ってたけど汐月、あんたって何時からこんな凄い力使えてんの?」

 

 

 瑠々のこの発言自体は他のメンバーも思っていた事であり、言うなれば純粋な好奇心からの言葉。決して悪意からのそれではありません。ですが今のリラにとってその質問は、残念ながら最大級の地雷と言うべき発言でした。

 瑠々の言葉を耳にした瞬間、リラの表情は一気に翳りを帯びて暗くなりました。それと同時に、リラの脳裏へと『あの悪夢』がフラッシュバックと共に甦って来たのです。

 

 

 『リィラァ~…あんた見てるとマジで虐めたくなるんだよねぇ~♪』

 

 『何?あんた未だ生きてたの?死ねば良かったのに……!』

 

 『ホラホラ皆、このゴミを消毒して殺処分しましょ♪』

 

 『あんたみたいなクズ、生きる価値処か存在価値も有る訳無いじゃん♪』

 

 自身を人間扱いすらしていなかったあの悪魔達からの理不尽極まりない仕打ちの数々―――――!

 口に入れられた汚物の味―――!

 容赦無くぶっ掛けられた水の冷たさ―――!

 殴られ、蹴られ、潰され、切られた心と身体の痛み―――!

 今でもアニサキスかイカリムシの様に耳にへばり付いて取れない、自身の存在を根こそぎ否定し尽くす罵詈雑言―――!

 

 他人を見下す侮蔑!

 弱者を虐げる傲慢!

 味方だと思って近付いては利用する狡猾さ!

 目先にかまけ、自分の理解出来る物しか受け入れようとせず、それ以外を認めようとしない視野と器量の狭さ!

 その癖、自分は常に正しいと思い込んでいる身勝手さ!

 

 

 どす黒い記憶の数々がノルウェーのメイルシュトロームの如く激しくリラの胸中と脳内で激しく旋回して荒れ狂い、彼女は気が気ではありません。

 そして……次の瞬間!

 

 

 「五月蠅アァァ~~~~~~いッッッ!!!」

 

 

 「ッ!!?」

 

 突然リラは声を荒げて怒鳴り散らします。普段のリラからは想像も出来ない程の剣幕と怒号に、その場にいる誰もが一瞬で凍り付きます。

 

 「し……汐月………!?」

 

 「リ…リラちゃん……?」

 

 「リラっち…………?」

 

 「~~~~~~~~~~ああぁぁあッッ!!!」

 

 水霊仲間(アクアメイト)達が見守る前で、リラは肩で荒く息をしながら激しく両腕や首、頭と身体の至る所を掻き毟り出したではありませんか!

 先にお話ししておくと、リラは過去に受けた虐めの記憶が最大級のトラウマとなって残っており、それが何かの弾みで強く甦るとストレスから皮膚を掻き毟る「皮膚むしり症(スキン・ピッキング)」を発症する様になってしまっていたのです。

 今までも潤の事等で虐めを思い出す事は有りましたがそれは自発的な物であり、その分には特に問題は有りません。然し、偶発的且つ予期せぬ出来事が切っ掛けで虐めの記憶がフラッシュバックするとこうなってしまうのでした。

 

 「ちょっと瑠々!あんたが余計な事言った所為で汐月可笑しくなっちゃったじゃない!」

 

 「わ、わたしの所為!?」

 

 「と、兎に角あいつを止めるぞ!!おい汐月!!止めろ!!」

 

 「リラ止めて!!」

 

 咄嗟に止めに掛かる忍と葵達1年生。みちるや潤達も当然ながらそれに参加します。

 

 「何が有ったか知らねぇがもう止めろ汐月!!」

 

 「そうだよリラ!落ち着いて!!」

 

 彼女達の必死の呼び掛けにより、漸くリラは落ち着きを取り戻しました。

 

 「ハァーッ……ハァーッ……葵ちゃん、忍先輩、私……御免なさい!」

 

 そう言って謝るリラを見て、一同はホッと胸を撫で下ろします。

 

 「汐月、その……何か有ったか知んないけど、嫌な事思い出したのなら謝るわ。御免ね!」

 

 「星原先輩…いいえ……もう大丈夫です。」

 

 謝罪する瑠々を見て、リラも何とか笑みを作ってそう返します。

 気を取り直してまた家路に就こうとする一同ですが、その時真理愛が遠目に何かを目撃しました。

 

 「えっ?ちょっと……皆、あれ見て!」

 

 真理愛の言葉にリラ達が前を向くと、少し離れた船着き場の近くにサラリーマンと思しき1人の青年が佇んでいました。然し何やら様子が可笑しい。近くには脱がれたローファーが置かれてあり、そのまま今にも海に転落しそうな雰囲気でした。

 リラがアクアリウムを発動すると、何と彼の身体からは嘗ての忍の時と同等か、それ以上に超高濃度のドス黒い穢れが噴出していたのです!

 

 「ッ!行けないッ!!」

 

 「リラ!?」

 

 その穢れを前に、久しく眠っていた水霊士(アクアリスト)としての使命を思い出したリラは、電光石火のスピードで青年の元へと駆け出します。

 既にブルーフィールドを周囲に展開しており、無数のグッピーやプラティやモーリーと言ったメダカ型の水霊(アクア)の大群が随伴していました。

 

 「どうなってんの汐月……?」

 

 「さっきと全然雰囲気違うんだけど……。」

 

 目の前に穢れを抱える人間を見掛けるなり、全速力でその場へ向かうリラ。その気迫を伴った姿を間近で見て、瑠々と水夏は思わず気圧されます。

 

 「そう言やお前等はちゃんと見てなかったな。」

 

 「あれが水霊士(アクアリスト)として戦うリラの姿なんです。」

 

 「えっ?」

 

 既に水霊士(アクアリスト)としてのリラの姿を間近で見て、その気迫と存在感を胸に刻み付けていた忍と葵達は落ち着いて説明します。

 

 「星原、濱渦、それと漣もアクアヴィジョン全開で良く見ておきなさい。」

 

 「あれが水霊士(アクアリスト))として戦うリラちゃんの本当の姿よ。」

 

 「あれが…水霊士(アクアリスト)としての本当のリラさん………。」

 

 みちると潤に諭され、真理愛達2年生もアクアヴィジョンで無数の水霊(アクア)の大群と共に青年の元に向かうリラを見つめます。

 一方、穢れを放つ青年はそのまま虚ろな眼差しで、今にも船着き場から海へと身を投げて今にも入水自殺しそうな勢いです。

 

 

 「駄目エェェェェェ―――――――――――――――ッッ!!!」

 

 「ハッ!!?」

 

 突然耳元に飛び込んで来る女の子の叫びに青年は思わずハッと我に返り、声のした方を向くと、無数の魚群を従えた少女の姿が目に飛び込んで来ました。それと同時に次の瞬間、彼を奇妙な感覚が襲ったのです。

 

 「な、何だ君は……うっ……!」

 

 未だ水の中に飛び込んでいない筈なのに、深い海の底に潜った様な重苦しい感覚が青年を襲って来ました。

 

 「これは……一体………?」

 

 然しその苦しさすら直ぐに忘れる光景が青年の目に飛び込んで来ました。無数の魚達が一斉に青年を取り囲み、周囲を旋回したかと思うと、次の瞬間には突然足元から光の二重螺旋が天空高く伸び始めたのです!

 二重の光の螺旋の中、青年は奇妙な浮遊感に襲われましたが直ぐに温かくて優しい夢心地の気分になり、そのまま波間を漂う水母か流木の様に螺旋の中をゆったり揺れ動きながら公転し始めます。アクアリウムの基本と言うべき術法・クラリファイイングスパイラルです。

 

 (あぁ、何て気持ち良いんだ……。こんな気分になったのって何時以来だろ?入社してからずっと無かった気がする………。)

 

 余りに高濃度の穢れでしたがリラは周囲の中級水霊(アクア)達も呼び寄せ、彼女達の力も借りる事で漸く青年の身体の黒い穢れを悉く白い泡に変えて消し去ります。同時にその内なる水霊(アクア)も復活しました。因みに青年の内なる水霊は鯉の姿でした。

 

 (さぁ…これでフィニッシュ!)

 

 最後はリラの内なる水霊(アクア)のクラリアが青年の身体を螺旋となって貫通。漸く青年の穢れは完全に取り払われました。

 ですが、余りに酷い穢れだった為か、リラはガックリと膝を付いて疲労困憊の様子でした。

 

 「リラ!」

 

 「大丈夫リラっち!?」

 

 其処へ後れて葵達が駆け寄って来ると、そのまま葵と深優の2人がリラの肩を担いで何とか立たせます。

 

 「ハァ、ハァ、皆……。」

 

 「全く、久し振りに見たぜ。お前のそう言うとこ。」

 

 「でも水霊(アクア)の大群を率いて走る汐月の姿、カッコ良かったわよ?」

 

 みちると忍が労いの言葉を発すると、潤達は「うんうん」と頷きます。初めて見るリラの雄姿を見て、2年生達の中でのリラへの印象が大きく変わったのは言うまでもありません。

 気を取り直してリラは、自身が癒した青年の元に歩み寄って話し掛けました。

 

 「あの、大丈夫ですか?」

 

 すると青年は身体を起こしてリラに尋ねます。

 

 「うっ……君は………?」

 

 「あんたさっきまで自殺しようとしたろ?そいつが止めたお陰で命拾いしたんだよ。」

 

 「そ、そうか……俺は死に損ねたのか………。」

 

 死に損ねてしまった事を忍に告げられて残念に思ったのか、青年は力無くそう呟くだけでした。

 スーツ姿をしているから、恐らく職業はサラリーマンでしょう。年齢は23~4歳位でしたが、彼の目を見てリラは驚きました。

 何故なら青年の目は、自身と同じく澄んだ藍色の目をしていたからです。

 

 「この人、本当に自殺しようとしてたんだ……。」

 

 まさか学校帰りに自殺の現場に遭遇するとは夢にも思っていなかった葵がそう小並感、もとい素直な感想を漏らす中、リラは青年に尋ねます。その時の彼女の表情は、普段とは比べ物にならない程鬼気迫る物でした。

 

 「貴方の中の穢れは私が全部綺麗にしました。未だ自殺したいって思うんですか?」

 

 向ける表情は険しくとも、自分と同じく海の様な藍色の瞳を持つリラを前に、青年は奇妙な感覚を覚えました。目の前の少女はついさっき会ったばかりで見ず知らずの他人の筈なのに、何故かそう言う気がしない。寧ろ、古い親戚の様な懐かしさすら先程から感じていたのです。

 初対面の知らない相手に言うのも気が引けるが、この少女になら気を許せる――――自身の中で理屈ではなく本能がそう呼び掛けるのを受け、青年は意を決して答えました。

 

 「いや、もう自殺したいとは思わないよ。“穢れ”って言うのが何か知らないけど、君に助けられてから何だか俺の中の生きる気力が戻って来てる感じがするんだ。」

 

 「良かった……!」

 

 青年からの回答に安堵するリラですが、テミスはその傍で彼の事を睥睨していました。

 

 (それにしても尋常じゃない程の穢れが蓄積していたわね。人間の作った今の社会って言うのは何処もこんなのばかりだって思うと嘆かわしいわ……。)

 

 「でも、どうして自殺なんか……?」

 

 「リラ!そう言う事訊いちゃ駄目でしょ!?」

 

 「そうよ汐月!幾等何でもそう言う相手の心抉る様な事言うのはどうかと思うわ!」

 

 「良いんだよ。巻き込んだのは俺の責任だし、何より俺が弱いのが悪いんだからさ………。」

 

 穢れに苦しむ相手を救う為とは言え、リラは時折相手の踏み込んでは行けない領域まで踏み込もうとします。その悪癖を咎める葵やみちるですが、青年の方は別に悪く思ってはおらず寧ろ当然の結果だと受け止めていました。

 そして自分のトラブルに彼女達を巻き込んだ事を罪として懴悔するかの様に、青年はリラに面と向かって自殺に踏み切ろうとした告げます。

 

 「君達に言った所で何の解決にもならないだろうけど俺、ITの会社に勤めてるんだ。けど、其処が所謂ブラック企業だったみたいでさ……毎日毎日仕事のノルマ厳しくって、出来なきゃ夜遅くまで残業させられて、社長からの虐めだって日常茶飯事。それでも2年近く頑張って来たんだけど、もう限界だった………。このまま生きてたって地獄だって思って、今日海に身を投げて死のうって思ってた。でもそしたら今こうして君に助けられたって訳さ。情けない話だよね………。」

 

 「虐め…自殺……ブラック企業――――!!」

 

 青年の放つ“虐め”、“自殺”、“ブラック企業”と言うワードに、リラは表情を強張らせます。その目には憎しみや殺意にも似た感情が渦を巻いていました。

 

 ブラック企業――――それは昨今日本でも蔓延し、社会問題になっている最低最悪の企業。働いている従業員を人間扱いせず、家畜か使い捨て及び替えの利く道具程度にしか見ていない経営陣が幅を利かせる地獄同然の職場です。

 何を以て地獄かと言えば第一に365日24時間、休みなく死ぬまで酷使させられ、労働三法など完全無視。

 残業代も出ないのにサービス残業が横行し、仕事のミスには罰金。

 ノルマの達成を当然と思い込んで何の手当も無く、出来ない社員には自社の製品の購入を強要する自爆営業。

 社長や役員への服従は絶対で逆らえば鉄拳制裁、「教育」と言う名の虐めやセクハラも日常茶飯事。

 加えて従業員の辞職もおいそれと認めず、それ処か「懲戒解雇」や「賠償金」と言ったワードで脅迫。「会社都合」なんて書けた物ではない。

 こんな恐ろしい職場に身を置く人間が穢れ塗れでない訳がありません。当然内なる水霊(アクア)は完全に動かなくなって機能不全に陥り、ともすれば穢れ水霊(アリトゥール)となって宿主の人間を病気や犯罪、自殺等に追い込む可能性が物凄く高い。

 水霊士(アクアリスト)水霊(アクア)達としてはどうにかして無くしたい穢れの巣窟ですが、中々そうも行かないのが現状であり、リラとしても悩ましい問題です。

 

 「でも、君の周りを泳ぎ回ってた魚みたいなのは何だったんだい?今でもその辺メダカみたいなのが泳ぎ回ってるけどさ――――。」

 

 「え――――――?」

 

 青年の言葉を受け、リラ達は唖然となりました。今リラはアクアリウムを解除しており、自身が選んだ葵達以外の一般人には水霊(アクア)の姿など一切見えない筈。それが見えると言う事は、まさかこの人は―――――?

 

 「あの、貴方は一体……?」

 

 「え?俺?俺は……」

 

 名乗ろうとした時、不意に青年の携帯に着信が入ります。慌てて画面を見ると青年の表情が凍り付きました。どうやら会社からの呼び出しの様です。

 

 「御免。俺、会社に戻んなきゃ行けなくなったからもう行くよ!それと、俺の名は内海(うつみ)レン!さっきは助けてくれて有り難う。それじゃ!」

 

 自らを『内海レン』と名乗り、青年は足早にその場を去って行きました。気が付けば太陽はすっかり沈み切り、夜の帳が蒼國の街を支配しています。ですが、夜空には急に雲が掛かって星処か月すら見えません。

 

 「大丈夫かな、あの人……?」

 

 「ブラック企業に勤めてるっぽいけど、これから虐められたりしないかな――――?」

 

 「虐めと自殺か……。ねぇ、リラはどう思――――ッ!?」

 

 葵と深優がそう、レンの事を案じる横で更紗がリラに尋ねた時、其処には信じられない彼女の姿が有りました。

 

 「許せない……!!他人を虐げて、それを何とも思わない奴は絶対に許さない………!!人として生きる資格なんか無い!!」

 

 激しい怒り…いいえ、憎悪と共にそう呟くリラに、他の水霊仲間(アクアメイト)達は思わず気圧されます。

 

 「汐月…お前……。」

 

 「汐月、貴女一体どうしたの?さっきからずっと様子が可笑しいけど……。」

 

 忍とみちるが心配そうにリラに話し掛ける中、潤が水霊士(アクアリスト)になった時に引っ掛かっていた言葉を口にします。

 

 「ねぇリラちゃん……改めて聞かせてくれない?虐めを苦に生きて来て、ずっと独りぼっちだってテミス言ってたけど、それと何か関係が有るの?」

 

 潤の発言に、思わずその場の全員が反応します。

 まさか……?

 リラは昔、虐められっ子だったと言うのか……?

 そうした疑念が葵達の脳内に大波の如く押し寄せて来ます。

 更にその状況を後押ししたのは次の更紗の言葉でした。

 

 「リラ、辛いと思うけど聴かせて!お祖母ちゃんのお墓参りに行った時、言ったよね?“私がどんな想いで、あの場所で自殺しようとしたと思ってるの?”って!」

 

 更紗の言い放った「自殺」と言うワードに、全員が凍り付きます。

 

 「リラ、まさかあんた………」

 

 そんな中、葵が勇気を出してリラに尋ねます。

 

 

 「昔、虐められた事が有って、それで自殺しようとした事が有るの?」

 

 

 するとリラは何も言わず、それでいてとても苦しそうな沈痛な面持ちのまま、大きく頷きました。 

 霧船女子の周りだけ時が止まったかの様に静止する中、心なしか冷たい海風とざわめく木立の音だけがその場に響いています。

 

 (とうとう、この時が来たみたいね―――――)

 

 そんな彼女達の様子を、テミスは離れた場所で眺めていました。

 




次回、遂に忌まわしきリラの過去が明らかに―――――!!
水霊士(アクアリスト)リラ誕生のドラマを見逃すな!!

キャラクターファイル37

トラマル

年齢   不明
誕生日  不明
血液型  不明
種族   水虎(水妖(フーア)
趣味   空を見上げる事
好きな物 蒼國産の黒鯛

プラちんの元締めと言うべき存在の水虎。無口で殆ど喋らず、口を開けば辛辣な言葉が飛び出して来るが決して原典で語られる様な凶暴さは無い。但し、それでもプラちんより格上の存在である為、戦闘能力は非常に高く、人間など一瞬で鋭い爪でバラバラに切り刻み、口や手から発射する高圧水流は特殊超合金にすら風穴を開ける程の破壊力。そして人間の10倍の腕力に加え、泳ぎも折り紙付きで速く、物の6時間で太平洋を横断してオーストラリアまで泳ぎ切る程である。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第37話 忌まわしき記憶の奔流 File.1

今エピソードはリラが葵達に過去語りをする前段階を描いています。本格的な内容は次回から描いて行くのでご了承下さい。


 レンと呼ばれる青年と出会ったその日の夜の事です。時刻が丁度20時を回る頃、夜の霧船女学園の中庭にリラは1人佇んでいました。

 

 (皆、本当に来てくれと良いけど………。)

 

 中庭を流れるせせらぎの音を聴きながら、彼女は葵達他の水霊仲間(アクアメイト)達が来るのを静かに待っていたのでした。

 

 

 切っ掛けは今から1時間前に遡ります。葵から過去に虐め自殺を図った事を尋ねられ、苦しそうに頷いた後の事でした。

 海風が木々を揺らす中、他の水霊仲間(アクアメイト)達が一斉に問いを投げ掛けます。

 

 「嘘でしょ!?リラっちが自殺だなんてそんな……」

 

 「本当に虐められてただなんて…だからリラちゃんはあの時、わたしの事を放っておけなかったの!?」

 

 「汐月、どう言う事よ!あんたに昔何が有ったの!?」

 

 鉄砲水の如く、口々に質問を浴びせる水霊仲間(アクアメイト)。対するリラは依然黙ったままその場に佇んでいましたが、心の中は激しい悲しみと怒りが渦を巻いていました。

 水底に沈殿した汚れが舞い上がるかの様に、彼女の心の奥底に浄化しきれないまま堆積していた穢れが一気に吹き上がった為、クラリアも対応に追われててんてこ舞いです。

 

 「貴女達、色々と知りたい気持ちは分かるけどその辺にしなさい!」

 

 すると其処に人間態のテミスが現れてその場を仕切った為、皆リラへの追究を一時中断します。周りが黙ったのを見計らうと同時に、リラの方を一瞥し、テレパシーを送りました。

 

 (リラ、何時かはと思っていましたが、とうとう時が来た様ね……貴女の過去を、この子達に打ち明けるべき時が!)

 

 (テミス…でも……)

 

 (何時までも心にそんな穢れなんて沈殿させていたら、貴女は水霊士(アクアリスト)としても人間としても前に進めないわ。それに、過去をこの子達に打ち明ける事の何をそんなに恐れているの?貴女の過去を知る事で、葵さん達が自分から離れて行くとでも思ってるの?)

 

 過去の虐めの傷と、それによって心の奥底にヘドロの如く堆積した彼女の穢れの事を、テミスはずっと何とかしたいと思っていました。然し、折しもリラとの触れ合いを経て水霊仲間(アクアメイト)になった葵や忍達に、テミスは希望を見出していたのです。同級生の友人の葵達や、姉の様に優しくも厳しい2年生の瑠々達。そして父親と母親の様な3年生の忍とみちる。

 彼女達なら、リラの心の苦しみを真に取り除く濾過フィルターとなり得る!入学してから数ヶ月間、互いに絆を深め合って来た水霊仲間(アクアメイト)達の人柄を見て、テミスはそう確信していたのでした。

 

 (それは……)

 

 (覚悟を決めなさい、リラ!水霊士(アクアリスト)としての貴女の始まり……その真実を受け止め、共有出来てこそ本当の水霊仲間(アクアメイト)でしょ?)

 

 テミスの言葉に、リラは返す言葉も有りませんでしたが、心配そうに自分を見つめる水霊仲間(アクアメイト)全員の顔を一通り見回し、とうとう話す事を決意したのでした。

 

 (……分かった。私、皆に話すわ!)

 

 その返事を受け取ったテミスはフッと笑うと同時に、葵達に向かって言いました。

 

 「葵さん、深優さん、更紗さん、瑠々さん、水夏さん、真理愛さん、潤、そして忍さんとみちるさん―――――夕飯も未だでしょうし、1時間だけ猶予を与えます。家に帰って用事を済ませたら、学校の中庭まで来て下さい。其処でこの子の過去についてお話ししましょう。何故リラが水霊士(アクアリスト)になったのか、その真実を皆さんには知って貰いたいのです。」

 

 「リ、リラの過去……?」

 

 「水霊士(アクアリスト)になった理由だと!?」

 

 テミスの言葉に、葵達の心は大きく揺れ動きました。リラが何故アクアリウム等と言う異能力が使えるのか?それは霧船女学園水泳部の部員全員が共通で抱いていた、リラへの尽きない疑問でした。大いなる謎が明かされると言うのなら、行かない理由は有りません。それでなくてもリラは彼女達の中では大事な友とか、可愛い後輩と言うのがそれぞれの認識です。出来る物なら、そんな相手の心の苦しみを取り払ってやりたいと思うのもまた、彼女達の人情として含まれているでしょう。

 

 「興味が無いとか、知りたくないと言うのでしたらそれでも結構です。余計な事を聞いてこの子の心の傷を広げたくないと言うノータッチもまた、1つの優しさでしょう。ですが、1人切りでは重過ぎて抱え切れない荷物をリラが抱えているのもまた事実です。同じ水霊仲間(アクアメイト)として、どうかこの子の心の重荷を少しでも軽くしてくれます様、宜しくお願いします!」

 

 強く頭を下げるテミスの姿に、葵達は鬼気迫る物を感じざるを得ませんでした。然し、以前テミスから力になってくれと頼まれていた手前、忍とみちるの心は既に決まっていました。

 

 「顔上げろよ、テミス。そんなの決まってるじゃねぇか!」

 

 「私達もずっと、汐月の事が気になってたの。どうしてアクアリウムなんて魔法みたいな力が使えるのか?貴女達水霊(アクア)なんて精霊と、何時出会ったのか?ずっと知りたいって思ってた!」

 

 「忍先輩にみちる先輩……。」

 

 進んで快諾する3年生の先輩達ですが、承諾したのは彼女達だけではありません。

 

 「同じ霧船の仲間が悩んで苦しいなら、わたしは放っておかないよ!」

 

 「汐月の事、私ももっと知りたいって思ってたから…!」

 

 「同じく虐めに遭って、水霊士(アクアリスト)になった者同士、今度はわたしが力になるよリラちゃん!」

 

 「後輩の悩みを聞いてあげるのも、先輩の大事な役目!リラさん、貴女程の子が過去に囚われてるのは見過ごせないわ。」

 

 2年生の先輩達も、それぞれの理由でリラと向き合います。無論、1年生の同級生もそれは同じでした。

 

 「正直言うと私、ずっとリラが何か抱えてそうな雰囲気だったの感じてた。でも、それが水霊士(アクアリスト)になった事と関りが有る大事な事だって思わなかった。ねぇリラ、教えて頂戴。あんたに昔起こった出来事をさ!」

 

 「リラっち、私達もリラっちの力になりたいの!パパや皆の事、何時も癒して助けてくれたから、今度は私達がリラっちを癒す番だよ!」

 

 葵と更紗が真っ直ぐな目をしてそう強く言い放つ横で、更紗も何も言わずに力強く頷きます。

 

 「皆……私なんかの為に………。」

 

 「皆さん……有難うございます!」

 

 何とお人好しな先輩と同級生達なのでしょう。リラの目には思わず大きな涙が浮かびます。入学してから3ヶ月、苦楽を共にして来た仲間達と、リラは此処まで強く深く結び付けていたのです。

 するとテミスはリップリスを召喚し、船着き場の下に広がる海面にパドルワープの入り口を生成させました。

 

 「では皆さん、先ずは私が貴女達をそれぞれの家にお届けしましょう。アクアヴィジョンを発動させて近くの海面を見て下さい。」

 

 言われるままに葵達がアクアヴィジョンを発動させると、先程レンが身投げしようとした船着き場の海面に、丸くコバルトブルーの輝きを放っているポイントが出来ているではありませんか。

 

 「あの中に1人ずつ飛び込めば、皆さんを家の近くまで瞬間移動させられるわ。さっきも言った通り、一旦気持ちを落ち着けてからまた学校で会いましょう。」

 

 テミスの言葉に促されるや、葵達は1年生から順番にリップリスの作り出したパドルワープの入り口に飛び込み、それぞれの自宅へと帰って行きました。夕飯や今日の課題等、その日成すべき事を成し終えてリラと向き合う為に―――――。

 

 

 

 そうして一旦皆と別れてから1時間後、中庭の椅子に腰を下ろして水のせせらぎに耳を傾けていると、複数人の足音がリラの耳に飛び込んで来ました。

 

 「リラ……。」

 

 「リラっち……。」

 

 「汐月……。」

 

 果たして霧船女子学園水泳部のメンバー達が全員、その場に集まって来ていたのです。

 

 「皆―――――。」

 

 (リラ、貴女は幸せになったわね。他人に無関心な人間の多い中、貴女の事を知りたいと言う気持ちからこうして集まってくれる子に恵まれて………。去年の貴女からは想像も出来ない圧倒的僥倖だわ―――――。)

 

 まさか本当に全員が来るとは思っていなかったリラは、思わず瞳を涙で潤ませました。それと同時にテミスも、何処か嬉しそうに葵達を見つめるのでした。

 そんな両者の心中を知ってか知らずか、全員を代表して葵が尋ねます。

 

 「ねぇリラ、聞かせて。リラに昔、何が有ったの?どうしてアクアリウムなんて力が使えるの?」

 

 葵からそう尋ねられるや、リラは覚悟を決めて深呼吸すると、とうとう自分の過去を語り始めるのでした。

 

 

 「それはね、私が中学1年になった頃の事だったの―――――」

 

 彼女にとって、忌まわしい穢れに満ち満ちた濁水の過去が今、明かされようとしていました。




キャラクターファイル38

エウナド

年齢   無し
誕生日  無し
血液型  無し
種族   水霊(アクア)
趣味   水底を散歩する事
好きな物 綺麗な魚達の産卵場所

青鈍色のカブトガニの様な姿をした中級水霊(アクア)
瀬戸内海から九州方面の海底を回遊している水霊(アクア)だが、蒼國が気に入って長期滞在している。主に霧船女子が練習に使っている市民プールや周辺の水路を歩き回っており、リラ達も度々見掛ける。
無数のクラリファイイングスパイラルを凝縮した卵の塊を周囲に分散して産み付け、水の浄化の力を連鎖爆発させる事で一気に水の穢れを浄化する事が出来る。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第38話 忌まわしき記憶の奔流 File.2

今回からリラの過去回想に入りたいと思います!と言っても要点掻い摘んで書いただけですのでご了承下さい。

散々引っ張っといてこれかと思うでしょうけど、そもそも虐めなんて胸糞な内容ツラツラ描かれたって読んでて気持ち良く無いでしょうし。その代わりと言っては何ですが、次回は少し気合い入れて書きますので何卒宜しくお願いします。


 それは、思い出すだに忌まわしい記憶でした。中学1年に入ってから少し経つ頃、リラは周りの女子達から虐めの標的にされる様になっていたのです。1番良く覚えているのは最初の虐めの始まり。或る朝、何気無く登校した時に自分の机に書かれた、「死ねゴミクズ!!」と言う残酷な中傷の言葉でした。

 

 「何……これ………?」

 

 突然自分を襲った理不尽に、リラは言葉も有りませんでした。すると突然後ろから丸められた紙の球を投げ付けられた為、恐る恐る振り向くと、其処には友達と思っていた悪魔達の姿が有ったのです。

 

 「どうリラ?驚いた?」

 

 「理緒奈(りおな)…ちゃん……?」

 

 彼女の目の前に立っていたのは、同じクラスメイトで仲の良かった少女と、その取り巻きの女子達でした。

 

 「そんな…理緒奈ちゃん、どうして!?何でこんな事…」

 

 「るっさい!!触るんじゃないわよ、ゴミクズの癖に!!」

 

 「あぁっ…!」

 

 どうして自分の机にこんな落書きをしたのか尋ねようとするリラを、「理緒奈」と呼ばれた少女は乱暴に突き飛ばします。訳も分からぬまま相手の顔を見ると、少女はまるでゴミでも見るかの様な侮蔑の目で自分を睥睨しているのが分かりました。周りの生徒達は朝から飛んだ光景を目の当たりにしてドン引きしつつも、関わり合いになっては不味いと見て見ぬ振り。知らぬ存ぜぬの事勿れ主義でした。

 やがて8時になってホームルームが始まったのを受け、先生が入って来た為にその場は収まりましたが、その日からリラの地獄が始まったのです。

 

 或る時は授業中に消しゴムの欠片を投げ付けられる嫌がらせを受け、堪りかねて抗議の声を挙げれば空気も読まない痛い奴と叩かれ、赤っ恥を欠かされた事も有りました。

 トイレに行けば、理緒奈の取り巻き以外にも何時の間にか増えている加害者達から集団で暴行を受け、放水や頭に雑菌まみれのモップを押し付けられて“掃除”されると言う、創作物で見られる様な仕打ちを受けた事も有ります。

 

 

 一連の虐めの切っ掛けが何だったのか、リラも今となっては思い出せません。と言うより、皆目見当が付きません。先程述べた通り或る日突然、昨日まで仲良く接してくれていた子達が……いいえ、自分を孤独から掬い上げてくれた子達が冷たくなり、自分に牙を剥き始めたのですから。

 小さい時から、リラはずっと孤独でした。昔から人見知りで空想好きで、ずっと本を読んだり絵ばかり描いていた彼女は、自分の世界に入り浸るのが好きでした。それ故、友達と呼べる者はおらず、ずっと周囲からも浮いていたのです。本来なら、この時点で虐められていても可笑しくない人物像だったリラですが、奇跡的に彼女の周りにはそんな相手はいませんでした。

 両親は海外で共働きをしている為に滅多に家に帰って来ず、帰って来るのは月に1度有るか無いか。小学5年生になるまで、祖母のユラがリラの面倒を見てくれていたのでした。然し、そんな祖母が或る日散歩に出かけた時に突然倒れ、帰らぬ人となってしまったのです。それがリラにとって、どれ程深い悲しみと絶望だったかは想像に難く無いでしょう。

 それ以来、リラは完全に1人ぼっちになりました。お金は毎月両親が仕送りしてくれた為、生活には不自由しませんでしたけれど、何時も1人で食べる食事には温もりなんて有った物では有りませんでした。

 寂しさを紛らわす為、リラはますます本や小説、漫画に耽ったり絵を描くのにのめり込む等、更に自分の世界に入り浸る様になってしまい、結果として周囲と比べても浮世離れした子に育っていたのです。物思いや空想に耽る癖は、こうして育まれて来たのでした。

 

 ですが、中学1年になる頃、リラと友達になりたいと言う子が現れました。

 

 「ねぇ汐月さん、今日一緒に帰らない?」

 

 「えっ?良いの?」

 

 或る日の放課後、一緒に帰ろうと誘ってくれた少女がいました。彼女こそ『八十島理緒奈(やそしまりおな)』。リラが中学で出来た最初の友人でしたが、後に最低最悪の虐めっ子となる相手でした。

 誰が見ても美少女と呼ぶに相応しい容姿の持ち主で尚且つ社交的。

 授業でも先生から指名されれば正解を即座に答える優秀さ。

 加えて調布の市議会議員を父親に持つお嬢様!

 これ等の三拍子が揃った彼女を、最初リラは羨ましいと思うと同時に憧れてもいました。そんな彼女とお近付きになれて、友達のグループに誘われるなんてリラにとって夢の様な幸運!それこそ月一で帰って来る両親にも、嬉々として報告する程でした。

 

 「もう、遅いよ理緒奈!って汐月さんじゃん?」

 

 「うん。汐月さん、何時も1人で絵描いたり本読んでるから、面白い話が聞けるんじゃないかなって思ってね♪」

 

 緒理奈に連れられて校舎を出ると、既に彼女と仲の良い子達が4人待っていました。『西堀小梅(にしほりこうめ)』、『磯山斐子(いそやまひこ)』、『鹿瀬友紀(しかせゆき)』、『金森絹江(かなもりきぬえ)』の4人の友人達がそうです。

 彼女達の仲良しグループに迎え入れられたリラは、クラスでも他愛の無いガールズトークに混ざろうともしました。然し、元々人と話すのが得意でなかったリラは内容に付いて行けず、何時も的外れな事を言ったりして滑る事が少なからずありました。

 

 「ちょっとリラ、其処そう言う話じゃないんだけど?」

 

 「てかリラって人の話ちゃんと聞いてないとこ有るよね?」

 

 「ご、御免……。」

 

 今思えば、「話も碌に聞かない奴」と思われていたのかも知れません。時が経つにつれ、周りのリラの扱いも少しずつぞんざいになって行きました。学校の給食の時も人気の品を無理矢理取られたり、学校帰りに鞄等の荷物を押し付けられたり、果ては教科書や文房具を忘れた時には無理矢理借りられて礼も無しと、体良く利用されていると言わざるを得ない事案が少しずつ増えて行きました。

 然もその時彼女達は言うのです。「私達、友達でしょ?友達なら困ってる時助ける物じゃん?」と―――――。

 その癖、リラが何か忘れ物をしても「あんた忘れんのが悪いんでしょ?」、「自分で何とかすれば?」と心無い言葉を投げ掛けて助けてもくれません。

 

 理緒奈達は、まさしくそうやって都合の良い時だけ友達を自称して近付き、利用しようとして来る子供ながら根の腐った連中だったのです。流石に其処まで看破するとまでは行かなくても、自身への扱いからリラは彼女達に疑心を抱く様になりました。

 

 (理緒奈ちゃん…本当に私の事友達だって思ってるのかな?だったら何か有った時に私の事だって助けてくれても良いのに、どうして何もしてくれないの……?)

 

 それでも一緒に帰る仲だったし、その時はリラも我慢して付き合っていました。

 然し、或る時を境に彼女達の中に潜む悪意が、ピラニアかカンディルの如くリラに襲い掛かって来る事になるのです。同時に理緒奈との出会いは、これからリラにとって幸運から不運へとすり替わって行く事となります。

 少々話が前後してしまいましたが、これからリラの身に降り掛かった過去を、改めて時系列順にお話しして行きましょう。

 

 

 机に誹謗中傷を書き込まれたその日から、リラの虐めは日に日にエスカレートして行きました。連日の様にトイレで放水されたり、時には昼休みに黒板一杯に同じ様に中傷文をびっしりと書き込まれ、美術の課題で描いた絵を破り捨てられる始末。更に校舎の裏庭に連れ出されて理緒奈に篭絡された男子から殴る、蹴るの暴行までリラは日常的に受けていました。

 挙句の果てにはLINEを始めとしたSNSでも彼女達から読むに堪えない罵りの言葉をぶちまけられ、リラは精神的にも肉体的にも物の数ヶ月で追い詰められていたのです。当然、涙を流さない日なんて有りません。月に1度帰って来る両親に対しても心配を掛けまいと、本当の事が言えずにますます彼女の心は苦しくなって行きました。

 取り分け、中庭で理緒奈の手先となった男子達から殴る、蹴るの暴行を受けた時に彼女から言われた言葉が、リラにとっては最初の机の件以上に忘れられません。

 

 それは夏休みが明けた或る日の事でした。終業後、リラは理緒奈に捕まって裏庭へと連れ込まれた挙句、彼女の息の掛かった2人組の男子からストレス解消と称して酷い暴力を受けていたのです。

 

 「ホラよ理緒奈、これで満足か?」

 

 「うん♪貴方達も上出来よ!有り難う!後でご褒美あげないとね♪」

 

 「おう、サンキュ!」

 

 「つーかこいつ、本ッ当ウジウジしててムカつくよな!目の色だって絵の具塗ったくったみてぇに青くてキメェし最悪だぜ。こんな奴、どーせ何処行ったって同じ目に遭ってたんじゃね?」

 

 「全くだぜ。つーか未だ生きてたんだな。さっさと死にゃ良いのによ!」

 

 そう吐き捨てた男子が去って行くと、其処に残されたのはボロボロになったリラの姿でした。理緒奈と2人切りになると、その場に倒れた状態で息も絶え絶えになりながらリラは尋ねました。

 

 「ど…う……し…て………?」

 

 「んん~?何ぁにぃ?聞こえないんだけど?」

 

 「どうして…こんな事するの……?私……貴女に…何か…悪い…事したの………?友達だって……思ってたのに………!」

 

 「は?友達?私が?あんたと?」

 

 リラの問い掛けに、理緒奈は世界一面白いギャグを聞いたかの様に爆笑すると、再度ゴミを見る様な目でこう答えます。

 

 「馬ァ~~~~~~~ッ鹿!友達って自分と同レヴェルの相手となるモンでしょ?何で私があんたみたいな低レヴェルのゴミクズと友達なんかになんなきゃなんない訳?」

 

 「そ…そんな…どうして………?」

 

 本当は自分の事なんて友達とも何とも思っていなかった――――。

 それ処か、取るに足らない虫ケラとしてしか見ていなかった――――。

 友達と思っていた相手から全否定の言葉を投げ掛けられ、リラは言葉も有りません。

 

 「気に喰わなかったのよ。最初に会った時からず~~~~~っとあんたの事が!」

 

 「え………!?」

 

 続け様に理緒奈から告げられた言葉に、リラは唖然となるばかりでした。そんなリラの心を見透かすが如く、理緒奈は続けました。

 

 「あんた何時も根暗だし、1人で自分の世界に閉じこもっちゃってウジウジオドオドしちゃってさ!そーゆー奴見てると私、虫唾が走るんだよね!!おまけに人が話してる時に頓珍漢な事言うし最悪!!あんた私の話が聞いててつまんないって言うの?自分の空想の世界に耽ってる方が楽しい?それって私が…てか私達がつまんない話で盛り上がってるつまんない人間って馬鹿にしてるって事でしょ!?そうよ!あんたはこの私の事を、頭の中じゃずっと見下してたのよ!!浮世離れの馬鹿の癖に!!!」

 

 まさか自分が内心そんな風に思われていたと知り、リラは途轍も無いショックでした。自分は只、憧れの存在と思っていた理緒奈と友達になれて嬉しかっただけなのに………!周りの話に付いて行けない中で何とか言ってる事を考え、想像して皆に合わせようと頑張ってただけなのに………!それが裏目に出た所為で今こんな目に遭ってしまったと言うのか?

 余りに理解の超えた支離滅裂な理緒奈の思考に、リラは言葉も有りません。すると理緒奈は先程の侮蔑の眼差しとは別に、憎しみの籠った目でリラを見下ろして怨嗟の言葉を投げ掛けました。

 

 「でもそれ以上にムカついたのは美術の時よ!私の描いた絵じゃなくって、あんたの描いた絵の方が先生からの評価が高かった!!ゴミの癖に私より優れた所があるなんてそんなん認められる訳無いでしょおがッッ!!!」

 

 この言い分もまた、当時のリラにとっては驚愕でした。自分は只頑張って好きな絵を描いていただけ。評価されたのはその結果論に過ぎないのに、理緒奈はそれすら認めようとしない。そう言えば破られた自分の絵も、破き方が力任せで乱暴でしたが、あれはリラに対する彼女の強い憎しみの表れだったのでしょう。

 何にせよ、八十島理緒奈と言う人間は思い込みが激しく、自分の思い通りにならない相手を絶対に認めようとはしない身勝手極まりない性質の持ち主だったのです。リラにとっては生涯初の、理解を超えて最悪の存在でした。

 怒りに任せて言葉を迸らせると、更に理緒奈は言います。

 

 「あ~~~あ、市議会議員の娘で将来、他人様の上に立つ存在として、あんたみたいなつまんないゴミでも価値を与えて取り立ててやろうと思って声掛けてやったのに、そんな私の期待を無自覚(ナチュラル)に裏切っちゃってさ!あんたって本ッッッッッ当に最低最悪だよね!他人の期待に応えられない奴なんてクズ!生きてる価値ゼロじゃん!!おまけにさっきの奴が言ってた通り、キモイ目の色しちゃってさ!!それで個性出してる心算?存在価値ゼロのゴミの癖に滑りまくっててマジウケる~!!」

 

 リラに友達面して声を掛けたのも、彼女と友達になりたいからでは無く、単に自分のプライドを満たす為―――――本当は友達でも何でも無かったと知り、リラの目からは涙が溢れて止まりません。おまけに自身の1番の特徴である藍色の瞳まで全否定。実はリラはこの藍色の瞳が小さい頃からコンプレックスだったのですが、改めて他人にそれを否定されたとあっては惨めさが更に倍加します。

 

 「生きてる価値が無いんならさ、せめてこーやって皆の玩具になってよね♪じゃあねリラ、また明日!」

 

 相手の全てを根底から否定する言葉を吐き捨てて理緒奈が去って行った後、リラはボロボロになりながら家に帰って行ったのでした。

 

 こんな地獄の毎日が続いた物ですから、終業のチャイムが鳴ればリラは何時も逃げる様に下校するのが当たり前。帰りが遅れるとすれば理緒奈の手先に捕まって同じ様に暴行、時にカツアゲと、人を人とも思わない仕打ちに遭った時位です。

 リラ自身も、もう誰を恨んだら良いのか分かりません。自分がこんな性格だから、理緒奈の醜い性根をますます歪めてこうなったのか?それとも彼女と出会わなければ今と違っていたのか?それとも自分が生まれて来るべき世界が間違っていたのか?考えても考えてもまるで分かりませんが、この世界がリラにとって、さながら獰猛な鱶が多数蠢く深海の如く冷酷且つ非情な物だったのは事実です。苦痛と絶望しか存在しない、最低最悪の『濁世(じょくせ)』と呼ぶに相応しい世界。地獄は地獄でも、これはまさしく最低最悪の無間地獄と呼ぶに相応しい――――。

 そして1年生が終わる翌年の3月、全てに絶望し切ったリラはとうとう多摩川に身を投げて入水自殺しようとしたのでした。

 

 

 ですが、この時リラの運命を変える出来事が起こりました。そう……テミスとの出会いです。

 彼女と出会い、アクアリウムを授けられたリラは、テミスと言う強力な後ろ盾を背景に虐めっ子達に対して反旗を翻して行ったのでした!




次回、アクアリウムを武器にリラの反撃が始まる!
キャラクターファイルは暫くお休みして、アクアリウム講座を開講します。

アクアリウム講座1

アクアリウム

水霊士(アクアリスト)と呼ばれる存在が行使する癒しの異能。
水の精霊である水霊(アクア)達と心を通わせる事により、様々な術を行使しては生き物の心と身体に溜まった穢れを取り払い、癒しを齎す。
元は古代における水の精霊使い達が戦闘で編み出した、攻撃用の術も少なからず存在するが、現在においてはその殺傷能力は全てオミットされ、相手の生命力を充実させる効果に置き換えられている。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第39話 忌まわしき記憶の奔流 File.3

お待たせしました!第三部から本格的にリラが攻勢に出ます!


 (駄目よリラ!もっと集中しないとクラリファイイングスパイラルは維持出来ないわ!)

 

 テミスからアクアリウムを授けられたその日から数日間、リラは多摩川の河川敷に出てはクラリファイイングスパイラルを形成、維持する練習に明け暮れていました。

 折しも時期は春休み。学校にも行かないで済んだ為、リラにとっては夏休みや冬休みと共に心安らげる貴重な時間となっていました。加えてアクアフィールドを展開する事により、周囲を様々な魚型やその他の水生生物型の水霊(アクア)達が泳ぎ回り、人々の中から出て来る穢れを浄化して行く光景は、リラの心を躍らせました。今までと世界がまるで違って見えたからです。水霊(アクア)達が泳ぎ回る街の様子は、さながら海底に沈んだ都市の様。リラの藍色の目には、さぞ幻想的に映った事でしょう。

 然し、本当の自由を得る為には虐めに打ち勝たなければなりません。夜中、誰もいない場所でリラはアクアフィールド及びブルーフィールドを展開。周囲の水霊(アクア)達を集めては、近くの草木にクラリファイイングスパイラルで潤いを与える事により、力を使いこなす修行をしていたのです。

 言うまでも無く最初の内は複数の水霊(アクア)を1度に操るだけで疲れましたし、クラリファイイングスパイラルの螺旋を形成するだけでも一苦労で、満足に癒せる段階では有りませんでした。

 

 「うわぁ、凄い!草がシャキーンって伸びてる!」

 

 それでも練習3日目、道に生えた草が自身の力で生命力全開になって大きく伸びる様子を見て、リラは驚きと同時に嬉しくなりました。少しずつでは有りますが、クラリファイイングスパイラルも形となって来ました。

 アクアリウムは水の力であり、生き物に癒しを与える異能ですが、実は副産物として潤いや保湿効果を齎す事も出来るのです。命を育み、支え、生かす水の力ならではの効果と言えるでしょう。

 

 (取り敢えず上手く行きましたね。ですが、人間相手に使えなければ実戦で役に立ちませんよ?)

 

 「うん。そうだけど…でもどうするの?誰に使えば良いの?」

 

 (そうね……近くに手頃な相手は―――――居ました!リラの後ろから20m離れた河川敷に1人!)

 

 「えっ?テミス何で分かるの?」

 

 (私達水霊(アクア)は世界中を循環している水其の物。だから過去から現在に掛けて何処で何が有ったのか、全て分かるのです。そしてその情報は、現在もリアルタイムで私達の頭の中に流れ込んで来てるのよ。)

 

 「す、凄いねそれ……。」

 

 (感心している場合では無いわリラ。さぁ、人間を癒す初の実戦です!急ぎましょう!)

 

 テミスに促され、リラは早速現場へと向かいました。すると其処には1人の老婆が足を挫いてその場に伏しています。

 

 「大丈夫ですか?」

 

 「痛たたた…あっ、お嬢ちゃん。済まないんだけど、ちょっと手を貸してくれないかしら?散歩してたら足を挫いちゃって……。」

 

 助けを求める老婆に対し、意を決したリラは答えます。

 

 「いいえ、お婆ちゃんの身体は………私が癒しますから!」

 

 そしてリラがブルーフィールドを展開すると、近くを様々な色と形をした魚達が泳ぎ始める光景がその場に広がります。

 

 「えっ?これって何なの…!?」

 

 老婆が戸惑う中、リラは両手に水霊(アクア)達を集めてコバルトブルーの光の球を形成。其処から2本の光の奔流が宙を流れて老婆を優しく包み込むと、そのまま光の二重螺旋が形成されて彼女の身体はゆっくり揺れます。

 “1/f揺らぎ”の原理によって彼女の身体の穢れや歪みを、リラは丹念に取り払って行きます。人間相手に初めて使うアクアリウム。「絶対にこの人を癒す」と言う強い気持ちの下、リラは人生で最も集中して力を行使します。

 

 「あぁ、訳が分からないけど何だか気持ち良い……ってあら?」

 

 痛みも忘れて夢心地になる老婆でしたが、使っている途中でリラの集中力が切た為にクラリファイイングスパイラルは5分で消滅。リラはその場に倒れてしまいました。

 

 (あーあ、何をやってるんですか貴女は……。)

 

 テミスはその様子に呆れていましたが、別段残念とは思っていませんでした。

 

 (まぁ…お婆さん自体は癒せたから及第点ね…。)

 

 

 それから数分後。

 

 「ちょっと大丈夫、お嬢さん?」

 

 リラが意識を取り戻すと、視界に入って来たのは自身がアクアリウムを施した老婆の顔でした。

 

 「あれ?私、お婆さんを癒して……。」

 

 「貴女、途中で倒れちゃったのよ!心配したわもう……。」

 

 癒す心算の相手から逆に心配されては世話が有りません。施術が失敗したのかと思い、リラには残念さと悔しさがこみ上げて来ます。

 ですが次の瞬間、老婆は意外な言葉を彼女に伝えました。

 

 「今のは一体何だったの?まるで魔法みたいだったけど、何時の間にか足の痛みが取れてたわ!」

 

 「えっ……!?」

 

 どうやらアクアリウムの施術は成功だった様です。無事に老婆の足を治してあげられたと分かり、リラは一安心すると同時に嬉しくなりました。

 

 「本当に有難うね。お礼に良い物あげるわ!」

 

 そう言って老婆から差し出されたのは、青い魚のマークがあしらわれたネックレスでした。

 

 「このネックレスには言い伝えがあってね、赤と青をそれぞれ着けた者同士は惹かれ合ってずっと結ばれるそうなの。孫娘には赤い方をあげたから、巡り会えたらどうか仲良くして頂戴!」

 

 結ばれるとは即ち、『永遠の愛』なのでしょうか?然し、愛の形は何も1つでは有りません。恋愛関係と言うのも有りますが、それ以上に親子や親友同士の様な一生の付き合いになる相手にだって成立するでしょう。

 そのどちらにせよ、孤独なリラにとってそれは何よりも憧れて、何よりも求めて止まない代物でした。

 

 「えっ?うん、有り難う……お婆ちゃん!」

 

 そう言って老婆と別れたリラですが、彼女は知る由も有りませんでした。この出会いが、高校生になった時に大いなる運命に変わって行く事を―――――。

 リラが老婆と別れてから10分後の事です。セミショートでショートパンツ、素足にスニーカー履きと言うボーイッシュな少女が老婆の元に現れました。どうやら彼女が孫娘の様です。

 

 「祖母ちゃん、何処行ってたんだよこんな夜中に!」

 

 「あらあら、迎えに来てくれたの?」

 

 「たりめーだろ!つーか散歩すんのは良いけど遠出すんなよ!」

 

 「御免なさいね。でも有り難う。良い孫を持って幸せだわ。ねぇ――――――“忍”。」

 

 

 

 そして春休みが明けて2年生になった時、とうとう戦いの時が訪れました。

 教室に入った時、視界に入って来たのは理緒奈率いる虐めっ子のグループでした。

 

 「お早うリラ。未だ生きてたのね?」

 

 「本当だよ。さっさと死ねば良いのに――――。」

 

 「まっ、そんなに私達と遊びたかったら今年も遊んであげる♪」

 

 悪魔の様な笑みを浮かべながら侮蔑の眼差しを向ける理緒奈と、その取り巻きの西堀、磯山、鹿瀬、金森の4人。

 気付けば周囲の空気も禍々しいそれになっている事にリラは気付きます。去年自分のクラスメイトだった者達もそうでない者達も、二者二様に分かれていました。

 これから起こる凄惨なリラの虐めを、特等席で演劇を眺めるが如く楽しみに傍観する者………。

 その場の空気を察し、関わり合いになっては不味いと目を背ける者………。

 どう考えてもリラの味方になってくれる者など絶無である事は明らかです。

 

 然し、そんな現実を前にしてももうリラは恐れません。何故ならリラには―――――。

 

 (リラ、アクアヴィジョンで落ち着いて周りを見渡してみなさい。)

 

 そう、彼女にはテミス達水霊(アクア)と言う目に見えない強力な後ろ盾と、アクアリウムと言う異能が有ったのです!

 アクアヴィジョンをこっそり発動すると、理緒奈達虐めっ子のグループからはドス黒い高濃度の煤塵の様な物が立ち上り、周囲にいる生徒達もこれ程酷く無いにしても似た状態。辛うじて内なる水霊が動いているのは日和見、事勿れ主義を決め込まんとする生徒位です。

 去年までは只恐怖に怯え、一方的に痛め付けられるだけだったリラ。今でもその恐怖は十分彼女の心にダイオウイカの如く強く絡み付いて離れませんが、テミス達のお陰で何とか逃げずに向き合えていたのでした。

 

 (良いですねリラ?前日に練ったプラン通りに行動するのよ?)

 

 (う…うん……怖いけど、何とかやってみる!)

 

 この日は入学式を経てHRと言う流れで終わった為、普通なら比較的早く帰れそうでしたが、悪魔はそれを許しません。

 早速帰ろうとするリラの前に理緒奈達が立ちはだかります。

 

 「ねぇリラァ、一体何処行こうって訳?」

 

 「このまま私等から逃げられるって思ってんのかよ?」

 

 威圧的な態度でマウントを取ろうとする虐めっ子グループに一瞬怯み掛けますが、リラは勇気を出して相手と自分の周りにアクアフィールドを発動させます。

 するとどうでしょう?理緒奈達の身に異変が起こりました。

 

 「うッ……!?何…急に苦しく……!?」

 

 「ゴボボッ…!息が……!?」

 

 突如全身に鉄の塊でも付けられた様な重苦しさと、極端に空気の薄い場所に投げ込まれたかの様な息苦しさに襲われ、5人は堪った物ではありません。

 こんな状態では、とてもリラを虐める処では無いでしょう。

 

 「あれ?皆どうしたの?」

 

 屈みながらリラが尋ねると、理緒奈は殺気の籠った目で睨み付けて言います。

 

 「リ…リラッ……あんた……一体何したの……!?」

 

 「別に?私は何もしてないよ?皆が勝手に具合悪くなっただけでしょ?」

 

 「てッ…めえぇぇッ………!!」

 

 「ざっけんじゃねぇぞぉ…ゴボッ…!」

 

 「用が無いなら私、このまま帰るね。んじゃ!」

 

 そう言ってリラはその場を逃げる様に足早に去って行きました。教室から出ると同時にアクアフィールドも解除されましたが、その余韻は未だ彼女達に残っており、立ち上がっても足元がおぼつきません。悔しそうに教室の出口を睨み付けるしか出来ませんでした。 

 

 (上手く行ったよテミス!)

 

 (取り敢えずこれだけでもあの者達がリラに手出し出来る可能性は大幅に減りました。暫くはこの戦法で只管逃げなさい。良いわね?)

 

 虐めの撃退法として、“逃げる”事が王道として挙げられています。とは言え、会社や学校の様においそれと環境を変えられない場所ではそれも中々難しい物が有るでしょう。

 然し、アクアリウムのフィールドを展開すれば、身体に穢れを抱えた者は重くて苦しい感覚に囚われ、思う様に動けなくなるのです。穢れの濃度が濃ければ濃い程、その効果は増大します。これだけでもう虐めっ子は無力化され、手出しはほぼ出来なくなる。これがテミスの第一のプランでした。

 休み時間にトイレに行った時に放水されても、アクアリウムの加護によって全く濡れませんので効き目も有りません。襲い掛かられたらまたアクアフィールドを展開すれば相手はまた苦しくなり、何も出来なくなります。

 

 (良いリラ?このプランの要は大っぴらにアクアリウムの力を使わない事!ブルーフィールドを展開して、穢れに苦しむ水霊(アクア)達を何とかしたい気持ちは分かりますが、目立った使い方をすれば事態は収拾不可能な程拗れるでしょう。下手をしたら元の日常すら失う泥沼に嵌まりますから十分に気を付ける様に!)

 

 (うん。分かってる。漫画とかでもこう言うのって正体斯くしてコソコソやるのが鉄則なんだよね…。)

 

 水霊士(アクアリスト)としての正体を悟られない様、テミスはリラに釘を差していましたし、更に念には念を入れてテミスは周辺の水霊(アクア)達に呼び掛け、リラがアクアフィールドを展開した際に彼女の半径50m以内から離れる様にして秘匿性をも高めていたのでした。

 こうしてリラは2年生の4月から5月に掛け、このプランで何とか虐めをやり過ごしていました。登下校で待ち伏せての不意打ちも、テミスが事前に教えてくれる為に捕まる事も無かったし、仮に捕まっても事前に展開したアクアフィールドで溺れさせれば良い。然もその絡繰りは理緒奈達には絶対バレる事は無い為、安心して実行し続けられる。

 リラが学校でやるべき事は、机の中傷文を消す事位な物。その為に必要な洗剤類も、テミスに言われて買い揃えていた為に簡単に消せました。無論、その最中に横槍を入れて来る輩が現れましたが、それもその都度アクアフィールドの力で溺れさせ、失神させた為に被害は一切被りませんでした。

 

 「悪ぃ、俺等もう抜けるわ……。」

 

 「何よ、あんた達!?裏切る気!?」

 

 「はぁ?自惚れんじゃねーよ、箱入りのお嬢が!俺等はてめーが“汐月虐めんのに協力したら見返りを出す”っつーから言う事聞いてやってただけだ!」

 

 「けど汐月の奴、最近可笑し過ぎんだろ!?あいつの近くに行くと、決まって息が苦しくなって意識まで遠退くしよ……。あいつ、俺等の知らねーとこで人間辞めて化けモンにでもなったんじゃねーのか?何でか知んねーけどもうあいつに手出しなんざ出来ねぇよ!」

 

 「そんな訳無いじゃん!あいつは只の人間よ!」

 

 「だったらあいつ虐めんのはもうお前等だけで勝手にやってろよ!汐月の事は見ててムカつくし気に喰わねーが、だからってお前等みたく積極的に虐めようなんて気自体、そもそも俺等にゃ無ぇんだからよ!」

 

 理緒奈の息の掛かった男子生徒達も、リラのアクアリウムの手によって穢れを癒すとまでは行かずとも、物の1ヶ月間ですっかり彼女への加虐心が萎えて理緒奈から離れて行きました。取り巻きの西堀達4人のみならず、クラスを巻き込んでのリラ虐めは此処から頓挫し始めたのです。

 元々、政治家の娘と言う事で権力を笠に着て威張ってる理緒奈は、何でも自分の思い通りに行かないと気が済まない性分。それがリラの所為で自分の忠実な駒が居なくなってしまった事に反比例し、彼女への怒りと憎しみを募らせたのは言うまでも有りません。

 

 

 「リィィラァァァ~~~~~ッッッ…………!!あのゴミ、絶対に…殺す!!殺してやるんだから……!!」

 

 理緒奈がリラに対して更なる残虐で凄惨な虐めのプランを練り始めていた頃、それを察知していたテミスはリラに次の手を打つ様に仕向けていました。

 

 

 (良い、リラ?次に貴女が取るべき一手。それは八十島理緒奈の取り巻きを1人ずつ浄化し、彼女を孤立無援に追い遣る事よ!)

 

 

 そして5月が中旬に差し掛かった某日、リラはとうとうテミスからのセカンドプランを実行に移しました。最初にリラの手で穢れを癒されたのは西堀でした。

 放課後、何時もの様にリラがアクアリウムで理緒奈から逃げ出した後の事です。理緒奈のグループから分かれ、1人家路に就く西堀は溜め息と共にこう零していました。

 

 「ハァ~ッ、全く……。理緒奈の奴、自分がリラの事虐められないからって私等に当たり散らす事無いだろっつの。つーか何時も何時も偉そうにしやがって!」

 

 理緒奈の命令の下、他の取り巻き達とリラを虐めていた西堀ですが、内心ではリーダー格である彼女の横暴さ加減に辟易していたのです。ストレスが溜まれば自分達に八つ当たりしたり、口を開けば気に入らない誰かの愚痴や陰口をスプリンクラーの放水の如く拡散させる始末。彼女とは小学6年からの付き合いだった西堀も、2年も付き合う内に何時しか嫌気が差していました。

 叶う物なら何とか理緒奈と縁を切りたいが、彼女からの報復で今度は自分が虐められたらどうしよう―――――そんなジレンマの渦に、西堀は囚われていたのでした。

 さて、そんな西堀が家の近くの公園に差し掛かった時です。

 

 

 「西堀さん!」

 

 不意に声がした方を振り返ると、公園の入り口近くに佇むリラの姿が視界に飛び込んで来ました。西堀が身構えたのは言うまでもありません。

 

 「なッ!?リ、リラ!?ど、どうしてあんた此処に居んのよ!?まさか、私に仕返しでもしに来た訳!?」

 

 動揺しつつも敵愾心を隠そうとしない西堀の内なる水霊(アクア)を、リラはアクアヴィジョンで視認します。すると内側に宿るベラ型の彼女の水霊(アクア)が、西堀の中に蓄積した心の穢れの中で苦しんでいるのがありありと透けて見えました。

 

 「西堀さん、別に私は貴女に仕返ししたくて来たんじゃないの。」

 

 「じゃあ何だってのよ!?ハッキリ言ってみなさいよ!!」

 

 尚も声を荒げる西堀に対し、リラは周囲に目配せをします。周りに誰もいない事を確認すると、とうとうアクアフィールドを展開しました!

 

 「ゴボボッ…‥!こっ、この感じ………あんたに近付くと起こる…あの……!?」

 

 突然襲い来る息苦しさ―――――それはリラを虐めようと彼女に近付いた時、何度も味わった原因不明の苦しみでした。何の前触れも無く、いきなり水の中に引きずり込まれる様な感覚に、西堀は苦しみと戸惑いを禁じ得ません。

 ですが次の瞬間、西堀の視界には更に信じ難い光景が繰り広げられたのです。リラを中心に周囲が青く染まると同時に、只でさえ息苦しかったのが呼吸困難と言わざるを得ない程に深刻化し、西堀は自身の意識が遠退く感覚すら覚えました。思わず首に手を当て、苦しがる西堀の口からは青白い気泡が吐き出されます。

 

 (な…何……?何なの………?あいつの周りに…変な魚みたいなのが!?)

 

 朦朧とし始める意識の中で西堀の視界が捉えたのは、グッピーやプラティを思わせるメダカ科の魚が何処からともなく現れ、リラの周りを泳ぎ回る様子でした。然もその数は見る見る内に増えて行きます。自身の理解を超えた信じ難い光景に、西堀が恐怖を覚えたのは言うまでもありません。妖怪の類と出くわした様な気分でした。

 

 (化け物……リラは………あいつは化け物だったの……?)

 

 リラを前に、西堀は恐怖に慄きました。今まで自分が虐めていた相手が、こんな得体の知れない力を持った化け物だと分かってはそれも無理からぬ話でしょう。人間とは、己の理解出来ない物を恐れ、遠ざけようとする臆病な生き物ですから当然の事です。

 そんな人間の例に漏れない西堀を他所に、リラは両手に魚の群れを集約して光の球を生成。やがてそれはコバルトブルーの光の水流となって彼女に殺到。

 

 (こ、殺される!?止めてぇッ………!!!)

 

 死の恐怖を感じた西堀が思わず両目を閉ざしますが、彼女の身体には何の痛みもありません。恐る恐る目を覚ますと、自身の身体がコバルトブルーの二重螺旋の中に優しく包み込まれている様子が分かりました。

 

 「西堀さん、これから貴女の心の穢れ、私がお掃除してあげます!」

 

 (は?心の穢れ?掃除?何言ってんのこいつ……?)

 

 突然告げられたリラの言葉に面食らう西堀ですが、次の瞬間それが真実である事を嫌でも思い知らされる事となります。二重螺旋が光の粒子を放ちながら天に向かって伸びて行くと、それに伴って西堀の身体も宙に浮き上がりました。

 意識が更に薄れて行く中、螺旋の中で宙に浮いた西堀の身体は、波間に漂う流木の様にゆったりと揺れ動きながらその場を公転し始めます。

 

 (あぁ…気持ち良い……さっきから訳分かんないけど、心のモヤモヤとかが取り払われるみたい―――――。)

 

 まるで母親から優しく抱かれる様な温もりに心と身体を委ねる西堀の身体からは、黒い穢れが次々と排出されては白く浄化されて行きます。やがて彼女の内なる水霊(アクア)も活性化し、内側の穢れが無くなった時です。

 

 (リラ、最後の仕上げよ。貴女の中のクラリアを螺旋に乗せて、彼女の水霊(アクア)に活力を送り込みなさい。)

 

 (クラリアを?)

 

 不意に脳内に響くテミスの声にリラが首を傾げた時、彼女の右胸の辺りから仔犬位の大きさをした青白いグッピーが現れました。リラの内なる水霊(アクア)であるクラリアです。因みにリラは内なる水霊(アクア)の存在を、テミスとの修行の過程でクラリアの事も含め知っていたのでした。

 

 (良し、じゃあ行って。クラリア!)

 

 (任せて…。)

 

 リラがそう指示すると同時に、クラリアは他のメダカ型の水霊(アクア)達と共にクラリファイイングスパイラルの中をなぞって泳ぐと、そのまま2体に分身して新たな二重螺旋となって西堀を貫いたのでした―――――。

 

 

 

 「―――さん!西堀さん!」

 

 「う…んんっ……。」

 

 耳元で響くリラの声に西堀が目を覚ますと、視界に飛び込んで来たのは当然ながら虐めのターゲットであるリラの顔。気が付けば自分は何時の間にか公園のベンチで横になっていました。

 

 「え…リラ……!?」

 

 改めてリラと向き合った時、西堀は得体の知れない物を見る様な恐怖の眼差しを彼女に向けていました。無理も有りません。つい去年まで虐めのターゲットでしかなかったリラが、何時の間にかこんな化け物染みた力を使う様になったとあっては恐怖の対象としてしか見れなくなるのは当然です。

 

 「何なのよ……何なのよあんた!?あんな訳の分かんない魔法みたいな力使うなんて聞いて無いわよ私!」

 

 「落ち着いて西堀さん…」

 

 「これが落ち着いてられる訳無いでしょ!?最近あんたに近付いた時に感じる息苦しさも、あの力使ったからなの!?信じらんない!化け物よ…あんたは化け物だわ!!」

 

 「待って西堀さん!」

 

 そう叫んだ西堀は慌ててその場から立ち上がって逃げようとしますが、リラは直ぐ様腕を掴んで訴え掛けます。

 

 「西堀さん、落ち着いて話を聞いて!」

 

 「触るなッ!!あんたみたいな化け物の話なんて聞く耳持たな…」

 

 「聞いてよッ!!!!」

 

 「なッ!?」

 

 リラの放った渾身の一喝に、西堀は戸惑いながらも押し黙らざるを得ませんでした。そもそも、リラが此処まで声を大にして高圧的に相手を制する事自体、西堀にとって想像も出来ない事だったし、当のリラも自分が此処まで高圧的に出たのが信じられない感じでした。

 何とか気を落ち着けながら、西堀は再びベンチに腰を下ろします。リラも距離を取る様に同じベンチに腰掛けます。最初に口火を切ったのは西堀でした。

 

 「……んで?何なのよ?」

 

 「何って…?」

 

 「さっきあんたがやって見せた事に決まってんでしょ馬ー鹿!」

 

 「…御免。悪いけど教えられない。皆には秘密なの。」

 

 「フンッ、あっそ!まーそーでしょうね!あんたにとっちゃ企業秘密だろうしね!訊いた私が馬鹿だったわよ!」

 

 投げ遣りにそう返す西堀に対し、今度はリラが話し掛けます。

 

 「西堀さんは、理緒奈ちゃんの事をどう思ってるの?」

 

 「はぁ?何でんな事あんたに言わなきゃなんない訳?他人の質問には答えない癖に自分の質問に答えろとか意味分かんない!」

 

 散々リラの事を理緒奈とつるんで虐めていた癖に、当の虐められっ子からやり返されれば化け物扱いして逃げようとする己の身勝手さを棚上げする西堀ですが、リラは御構い無しに続けます。

 

 「何で理緒奈ちゃんがあんな風になったかなんて分からないけど、あぁやって私の事虐めるなんて、きっと心が荒んでるからだって思う。今の私なら、理緒奈ちゃんの心の穢れを取り払って癒してあげられる筈だから…。」

 

 リラの言葉に、西堀はと口をあんぐりと開けて呆気に取られましたが、直ぐに悪態を吐いてこう返しました。

 

 「…あんた馬ッ鹿じゃない?何時からそんな魔法みたいな力使える様になったか知らないけど理緒奈を……あいつの心をあんたがどうにかなんて出来る訳無いじゃん!あいつは前々から何でも自分の思い通りになんないと気が済まない奴なんだから!」

 

 「前々からって事は、小学生の頃からなんだよね?西堀さんは理緒奈ちゃんの事、『友達』だって思って…」 

 

 「は!?友達ィッ!!?んな訳無いじゃんあんな奴!!!政治家の娘だから、つるんでりゃメリットが有ると思って我慢して嫌々取り入ってるだけだっつーの!!!」

 

 “友達”と言う言葉(ワード)を聞いた瞬間、腫れ物に触られるが如く激昂する西堀に、リラは確信を覚えました。

 

 (朝にテミスから教えられた通りね。西堀さん、本当に嫌々理緒奈ちゃんとつるんでたんだ―――――。)

 

 実はリラは今日の登校前、攻勢に転じるに当たってテミスから理緒奈を孤立させるに当たり、最初のターゲットとして西堀を指定されていました。

 西堀小梅は元々、何処にでもいる中流の母子家庭で、友達も出来ず独りぼっちでした。周囲と上手く馴染めず、小学時代は虐めとまでは行かなくても男子にからかわれたり弄られていました。そんな彼女の前に現れたのが理緒奈であり、調布の市議会議員の父を持つ自身の威光によって彼女が男子を一掃してくれたお陰で、西堀は救われていたのでした。

 その時は理緒奈に感謝していたし、育ちの良いお嬢様だったと言う事で、西堀は彼女の取り巻きとなったのです。つまり西堀は、リラと同じく理緒奈に孤独から救われた身だったのでした。

 然し、最初は嬉しかった西堀も、付き合う度に理緒奈の我が儘振りや横暴振りを嫌と言う程見せられる内に、最初の感謝の気持ちはすっかり何処かへ消えてなくなっていました。残ったのは理緒奈への嫌悪感と、彼女から上手い事遠ざかりたいと言う疎ましさだけ。

 リラを虐めていたのも、個人的に彼女がウジウジしていてムカついたからと言うのも無論有りましたが、理緒奈を裏切った後の報復を恐れて仕方無くと言う点も大きかった様です。

 

 理緒奈に対する西堀への嫌悪を確認したリラは、改めて彼女に鎌を掛けてみました。

 

 「……私、こんな性格だからずっと独りぼっちだった。でも、そんな私に理緒奈ちゃんが話し掛けてくれて、嬉しかった!救われたって思った!」

 

 「なッ!?」

 

 そう自身の心情を吐露するリラの姿に、西堀は嘗て独りぼっちだった自分を理緒奈に救われた時の事を思い出しました。それと同時に、何処か後ろめたい気持ちにかられたのです。

 

 「西堀さんは違うの?最初から理緒奈ちゃんが政治家の娘だって分かってて近付いたの?」

 

 「そ…そんな訳無いじゃん。私も……あんたと同じで昔はぼっちだったのよ。でも、小5の頃にあいつに助けられて……独りじゃなくなって、其処に斐子達も加わって………安心出来る様になった。」

 

 尚も鎌を掛けるリラの言葉を受け、西堀はバツが悪そうに答えます。相手が自分と似た境遇だと分かり、虐めていた後ろめたさと罪悪感が湧いて来たが故のリアクションでした。無論、リラに湧いたシンパシーと言うのも多少は有るでしょう。

 すると、リラは別の視点から西堀に問いを投げ掛けます。

 

 「政治家の娘だからって……じゃあ他の磯山さん達も?」

 

 「斐子達は知らないわよ!けどまぁ、あいつの身勝手さに正直ウンザリしてるとこが有んのは否定出来ないでしょうね…。」

 

 そう絞り切る様に答える西堀の表情からは、何処か苦しみから逃れたいと言う想いが滲み出ている―――――リラの藍色の瞳は、そんな風に彼女の顔を捉えていました。

 

 「あいつの下にいれば独りぼっちにならなくて済むけど、こんなんだったらまたぼっちになった方がマシよ。正直もう限界……!!理緒奈とつるんでから、行きたくもないとこに付き合わされたり、何か意見すれば否定してマウント取ろうとするし…あんな奴、友達でも何でもない……もう『敵』よ!!」

 

 友達面して近付いて、実はマウントを取って支配しようとする最低の相手――――これを『フレネミー』と言います。リラや西堀にとって、理緒奈と言う人間を此処まで端的に表した言葉は無いでしょう。

 最初に西堀が理緒奈に抱いていた感謝と友情の念も、時が経てばもう無くなって残るは相手への嫌悪感や敵意だけ。ジュリアス・シーザーも“始めた時は、それがどれ程善意から発した事であったとしても、時が経てばそうではなくなる”と言っていますが、理緒奈と周囲の人物模様はまさしくこの言葉に近い状況でした。

 意を決したリラは不意に立ち上がると、ベンチに座る西堀の正面に歩み寄ります。

 

 「な、何よ……?」

 

 虐められっ子と思ったら得体の知れない力を使う化け物が目の前に立ち塞がり、西堀は再度身構えます。彼女の眼前に佇むリラの表情からは、何も出来ずに自分達から虐げられるだけの弱者だった彼女の面影がすっかり失われていました。

 

 「西堀さん、そんなに理緒奈ちゃんの事が嫌なら、私が何とかして見せる!」

 

 強い決意の籠った藍色の瞳で自身を見つめるリラの姿に、西堀は自身が威圧されているのを感じていました。「これが今まで自分が虐めていた相手なのか?」と、そう思わざるを得ない剣呑な空気に包み込まれる西堀の手を握り、リラは尚も続けます。

 

 「私がこの力を手にしたのはつい最近だけど、使い方も少しずつ覚えて来たわ。この力は、人を癒す為の物!そして本格的に癒したのは貴女が初めてなの!」

 

 「そ…そう……。そりゃ光栄なのかしら?」

 

 「私のアクアリウムに癒されて、もう心のモヤモヤはスッキリしたでしょ?心がクリアになれば、見えなかった物だって見える様になるし、選べなかった選択肢だって選べる様になる!私はそう思うわ。確かに、理緒奈ちゃんの心の穢れは綺麗にするの大変そうだけど、きっと何とかしてあげる!少なくとも他の磯山さん達も、理緒奈ちゃんから離れられる様にする!お願い西堀さん、どうか私を信じて!」

 

 (な…何言ってんのよこいつ?てかそもそも、こいつこんなキャラだったっけ?)

 

 訳の分からない力を使う化け物へと変貌した相手から強い熱意を以て迫られ、西堀はもう言葉も有りません。然し、“理緒奈から離れられる様にする”と言う彼女の言葉だけはダツの如く自身の胸に刺さった様です。加えてリラのアクアリウムによって理緒奈に対して抱いていた、取り留めの無いストレスが嘘の様に晴れた西堀は、リラのその言葉を受けて改めて自分の気持ちと向き合います。

 

 「………まぁ、あいつから逃げられるってんなら別に何だって良いわよ。」

 

 バツの悪い表情でそう答えると、西堀は立ち上がって公園の入り口へと歩いて行きます。そして入り口前で立ち止まると、振り向かずにリラにこう言い放ちました。

 

 「あんたが斐子達もさっきみたいな力で理緒奈から引き離すってんなら、明日手伝ってあげない事も無いわ。」

 

 「西堀さん――――。」

 

 「但し!1回だけよ!?それで3人何とか出来なかったらもう転校してでもあいつから逃げるかんね!?理緒奈やあんたの所為で人生狂わされるなんて冗談じゃないわ!!」

 

 そう強く言い捨てると、そのまま西堀はさっさと帰って行きました。その声音からは『リラの事を信じたいけど信じられない』気持ちと、『理緒奈とこれからも変わらずつるむ事への恐怖』が彼女の中でない交ぜになっているのをリラは強く感じていました。

 遠ざかる西堀の後姿を見送りながら、リラは決意します。絶対に他の3人も理緒奈の呪縛から解き放って見せる、と―――――。

 

 

 然し、リラはこの時、知る由も有りませんでした。

 理緒奈がリラを潰すべく、不穏な動きを見せていた事を―――――。

 

 (リラ、本当の試練は此処からよ……?)

 

 全てを知るテミスは…いいえ、『テミスの中に潜む者』はその事実を受け止めた上で、彼女が試練を乗り越えられる様、全力でサポートしようと言う決意を漲らせていました。




次で虐めとの戦いは終わるかな~?う~~ん、分かんないね…。


アクアリウム講座2

クラリファイイングスパイラル

アクアリウムの中で最も基本となる術法。
水の力を両手に集めて相手に放ち、癒しの二重螺旋の中に包み込む事で対象の心身の穢れを浄化出来る。此処での穢れとは、ストレスや体内に蓄積した毒素や放射性物質は勿論、ダイオキシン、アスベストや活性酸素の様な有害物質まで含まれる。更にはDNAのミクロの傷まで修復する等、徹底的に身体を新品同様にメンテナンスする為、術後は極めて爽快且つ生命力に満ち溢れる。
当然ながらRPGの回復魔法と同様、身体に負った怪我も治療が可能で、熟練の水霊士(アクアリスト)は手術しないと命に係わる程の重傷すら、傷跡も残さず完治させられる。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第40話 忌まわしき記憶の奔流 File.4

新年明けましておめでとうございます。と言う訳で、2022年最初の『A.Q.U.A.R.I.A』をどうぞ!


 西堀を癒し、味方に付ける事に成功した翌日の事でした。

 何時もの通り、アクアリウムの力で虐めようと絡んで来る取り巻き達を退けつつ、リラは無事にその日の放課後まで過ごしていました。

 西堀と時折アイコンタクトを交わし、磯山達を引き離す算段を付けながら―――――。

 

 

 「リィィラァァァァ~~~~ッ………!!許さない……絶対に嬲り殺してやるんだから……!!」

 

 (……んな事出来る訳無いだろ。あいつは正真正銘の化け物なんだから…。)

 

 何時までもリラを虐められず、逃げられてばかりの状況に、理緒菜は業を煮やすばかり。そしてそんな彼女の言葉を無言で首肯する磯山達のイエスマン振りを横目に、西堀は内心呆れていました。

 

 (斐子達も斐子達よ。こいつ等も本当は理緒奈から逃げたいって思ってるのに、切っ掛けが無くって逆らうのが怖いからって理由でペコペコしちゃってさ。まぁ、気持ちは分かるけど……。)

 

 

 さて、そんな理緒奈達にも放課後、チャンスが廻って来ました。リラはどうやら1人でトイレに向かう様です。

 その様子を物陰から窺っていた理緒奈達は、今度こそリラにたっぷり水をぶっかけ、同時に彼女の全身を便所掃除用のモップで雑菌塗れにしてやろうと画策します。

 

 「良ーし……今度こそあいつに思い知らせてやるわ……。皆、準備は良いわね?」

 

 すると突然、西堀が理緒奈にこう進言しました。

 

 「それなんだけど理緒奈、今回は私等4人だけで行かせてくれない?」

 

 「はぁ!?」

 

 「ちょっ、何で!?」

 

 突然の提案に困惑する理緒奈と磯山達ですが、西堀は御構い無しにこう続けます。

 

 「だって、もしまたあいつの近くに来て息が苦しくなって何も出来なかったらどうすんの?理緒奈が苦しい想いするとこ見るなんて、私はもう嫌よ?」

 

 「小梅、あんた……。」

 

 自分がリラのアクアリウムの力で息が出来なくて苦しい想いをするのが嫌―――――そんな風に気遣う西堀の言葉に、理緒奈は一瞬心を動かされました。西堀がそんな優しさを掛けてくれる相手と思うと、理緒奈も友情を感じずにはいられません。

 然し、当然ながら西堀の言葉は理緒奈への思い遣りとか友情から来ている物などでは断じてありません。全ては理緒奈から磯山達を引き離し、リラのアクアリウムに掛ける為の計算ずくです。現に西堀はリラがトイレに向かう直前、こっそりスマホのメールで此処までの流れを理緒奈の目を盗んで彼女と打ち合わせしていたのでした。

 

 「何言ってんのさ小梅!?私等が苦しい想いしたって良いっての!?」

 

 「そっ、そーよそーよ!冗談じゃないわ!」

 

 そう言って抗議する磯山と鹿瀬の2人ですが、金森は落ち着いた様子で西堀に尋ねます。

 

 「何か考えでも有って言ってんの、小梅?」

 

 すると西堀は不敵に笑いながら言いました。

 

 「あいつがどんな手品使ってるか知らないけど、近付いて息が苦しくなるってんなら最初から息止めて襲い掛かれば良いだけじゃん?流石のあいつもそうすりゃ何も出来ないでやられるでしょ?」

 

 「あぁ~、成る程ね……。」

 

 「梅ちゃん、ナイスアイディア!」

 

 西堀から秘策を聞かされ、納得する磯山達3人ですが、其処へ理緒奈が口を開いて言います。

 

 「そんな手が有るなら、私も一緒に行っても良いんじゃないの?」

 

 「駄目駄目!理緒奈も虐めたくってしょうがないんだろうけど、私はそれ以上にあいつの事ボコボコにしたくってしたくてしょうがないんだよね。もうフラレ溜まりまくりでさぁ……!!」

 

 「そ、そうなんだ………。」

 

 自分以上の下衆顔を作りながらそう答える西堀の気迫に押され、理緒奈はそう返すしか出来ませんでした。

 

 「まぁ、他にも理緒奈には私等の手でボコボコにされたあいつの馬鹿面を真っ先に見て貰いたいって言うのも有るからさ!楽しみにしててよ?私等、友達じゃん?」

 

 「友達……そ、そうね!」

 

 白々しく自分達が友達だと念を押す西堀の言葉に磯山達は嫌悪感を抱きましたが、肝心の理緒奈当人は全く気付いていませんでした。それ処か、その言葉に納得して頷く始末。我が儘で傲慢な暴君気取りの悪女としか言い様の無い理緒奈でしたが、その様子は端から見ると哀れを通り越して滑稽と言う他有りません。これを“裸の王様”と言わずして何と言うのかと言う話です。

 

 「それじゃ皆、張り切ってあいつボコりに行っくよ~ッ!!」

 

 そんな理緒奈を他所に、1人無駄にテンションを上げながら、西堀は磯山達を連れてリラの待ち受けるトイレへと入って行きました。

 

 

 「あれ?リラの奴、いないじゃん?」

 

 「馬ー鹿!あそこでしょ?」

 

 果たして、西堀達がトイレに入り込むと、其処にはリラの姿が見えません。然し、トイレのドアが1つ閉まってるのを見て、直ぐに其処にリラがいる事を察した一同は、すぐさまそのドアを取り囲みました。

 すると突然、周囲に青のオーヴァーレイが掛かったかと思うと、磯山達の息が苦しくなりました。

 

 「うッ…くぅっ、苦しい……!?」

 

 「また、この…感じ……ゴボボボッ!!」

 

 「何…?周りに泳いでるのって……ゴボッ…魚!?」

 

 気付けばリラのブルーフィールドに捕まった磯山達の周りには、複数のグッピーやプラティ達が泳ぎ回っていました。尚、既にアクアリウムで穢れを癒されていた西堀はもう苦しさを感じていません。

 すると次の瞬間、トイレのドアが開くと同時に中から現れたのは両手にコバルトブルーの光球を携えたリラの姿。

 

 (リッ、リラ!?)

 

 (まさか、これってリラの仕業だったの………!?)

 

 (この息苦しさ、CGやVRじゃない!?もしかして、本物!?)

 

 全てが分かった時には何もかも手遅れ。そのままリラは無言でクラリファイイングスパイラルを展開し、そのまま3人の中の水霊(アクア)の穢れを癒します。因みに3人の内なる水霊(アクア)ですが、磯山はマゴチ型で鹿瀬は鮎型、金森はクサガメ型でした。

 優しく、温かい光の螺旋の中を揺蕩い、3人は自分達のこれまでを振り返っていました。皆、親子関係が冷え切っていたり、或いは親が過保護だったりと言った問題の有る家庭に生まれており、その弊害でまともな育ち方をしていませんでした。学校でも何時も孤立し、落ちこぼれとして落伍しかけていた者もいましたが、そんな彼女達の心の隙間を埋めるかの様に都合良く現れた理緒奈と出会い、今に至ったのでした。

 其処から廻り廻ってこんな所まで来てしまい、彼女達も正直ウンザリしていたのです。リラを虐めていたのだって、個人的に彼女が気に食わなかったのも勿論有りますが、それ以上に理緒奈にマウントを取られた状態で学園生活を送る日々に嫌気が差しつつ、其処から脱却出来ない自分達への苛立ちからと言うのが大きい。

 そうした自分の姿を見つめ直した直後、クラリアに自身の身体を貫かれた事で磯山達は見事に癒され、心のしがらみから解き放たれるのでした!

 

 

 それから5分近く経ったでしょうか?暫くしてトイレのドアが開くと、外で待っていた理緒奈が嬉々として近付いて来ます。リラの虐めに成功した物と思ったのでしょう。

 

 「皆、上手く行ったの!?あいつの事、ズッタボロに…って、え………?」

 

 ですが、ドアから出て来たのはずぶ濡れにすらなっていないリラの姿でした。これには理緒奈も開いた口が塞がりません。

 

 「どうしたの理緒奈ちゃん?トイレなら早く行ったら?」

 

 思考が停止して絶句する理緒奈に対し、いけしゃあしゃあと何等悪びれる事無くそう言い残すと、リラは足早にその場を後にします。

 リラがトイレから出て行った直後、磯山達が遅れてトイレから出て来ました。

 

 「こ、小梅!斐子!友紀に絹江までどうしたのよ!?あんた達、リラの事虐めてたんじゃなかったの!?」

 

 「信じられない」と言わんばかりの表情で声を上げる理緒奈に対し、西堀が口を開いて言いました。

 

 「御免……やっぱ無理だった。」

 

 「やっぱ無理って…あんだけ大口叩いといて今更そんな勝手な……」

 

 「しょうがないじゃん!だってあいつ、本物の化け物なんだもん!」

 

 開き直る西堀の言葉に、理緒奈は思わず気圧されました。今まで自分に決して逆らう事の無かった相手から、表立って反目されたのです。飼い犬に手を噛まれたのが生まれて初めてだった理緒奈は只、動揺するしか出来ません。

 そんな彼女の隙を突く様に、磯山も思いの丈をぶつけます。

 

 「あんな魚の幽霊みたいなの操るなんて、リラは本物の化け物よ!あんな奴を今まで虐めてたなんて、その内私等あいつに殺されちゃう!」

 

 「魚の幽霊って…一体何の事よ!?そんなの居る訳…」

 

 「それがいるのよ!あいつに手ぇ出そうとした時、いきなり何処からか沢山現れて襲って来たの!!」

 

 「その後何されたか覚えてないけど、兎に角今度またリラを虐めたら、あのお化け達に今度こそ殺されちゃう!」

 

 恐怖に駆られるまま、魚の幽霊などと訳の分からない妄言を並べ立てる取り巻き達の言葉に、理緒奈の混乱はますます強まるばかりでした。2年になってからリラを虐めようとしたら息が苦しくなって出来なくなっていたけど、その原因が魚の幽霊?全く意味が分かりません。

 すると次の瞬間、金森は理緒奈に対してこう告げます。それは彼女にとって、余りに残酷な言葉でした。

 

 

 「兎に角、もう私達……リラ虐めるの辞める。」

 

 リラを虐めるのをもう辞める―――――理緒奈にとってそれは裏切りにも等しい宣言です。無論、理緒奈は口を開いて抗議します。

 

 「はぁっ!?あんた達…そんな事、許される訳……」

 

 「別に許して貰おうなんて思ってないよ!!」

 

 然し、それは次の瞬間、西堀によって阻まれてしまいました。

 

 「…正直私等ウンザリなんだよね。今まで散々あんたのトモダチごっこに付き合って来たけどさ、もう良い加減限界…!」

 

 「限界ですって?ふざけんな!!あんた達、私が声掛けなかったら周りからハブられてぼっちだった癖に、其処から救ってやった恩を仇で……」

 

 「それはもう感謝してる!でも、その恩なら今まであんたの遊びや買い物とかに付き合って返して来た心算だから…!仇で返すなんて筋違いな事言わないでよ!」

 

 「ぶっちゃけリラの事虐めて楽しいって思う反面、内心怖かったわよ……リラの次は私の番じゃないのかなってさ……。そう思うとずっと怖くて怖くて………!!あいつ虐めるのだって楽しくなくなって来ちゃった……。」

 

 「もう私、リラにも理緒奈にも関わりたくない……って言うかもう絶交したいよ!」

 

 西堀と磯山、鹿瀬の口から放たれる本音の前に、理緒奈は凍り付かざるを得ませんでした。その時の理緒奈の心境は、まるでバスタブ一杯分の液体窒素を頭からモロにぶっ掛けられるのに酷似していたのです。

 カチカチに凍り付いた所をハンマーで粉砕すると言う追い打ちを掛けるが如く、金森は止めの言葉を投げ掛けました。

 

 「そう言う訳だから……リラ虐めたいんならこの先、理緒奈1人でやってよ。って言うか未だリラを虐めるのに付き合わせる気ならもう私達、理緒奈の友達続けてられない。」

 

 「んじゃ……サヨナラ―――――。」

 

 そう言い残し、西堀達は理緒奈の元から去って行きました。そして当の理緒奈は唖然としたまま、そんな4人を見送るしか出来ませんでした。

 一方、4人はホッと一息吐くと同時に、心の底から久し振りに嬉しい気持ちが込み上げており、気付けば口元には満面の笑みすら浮かんでいます。然し、それも無理からぬ話でしょう。自分達を支配して来た忌々しいフレネミーと縁切り出来た訳ですから……。

 

 (しめしめ、リラを利用したお陰でやっとあいつと縁が切れる!)

 

 (何っ時も偉そうに命令しやがってあの糞理緒奈!)

 

 (でもあんな間抜け面見れたお陰で今日までの恨み、全部チャラにしても良いかも♪)

 

 (これもリラのお陰ね。今まで虐めて来たけど、そのお詫びはちょっとはしよっかな?)

 

 

 此処で話はトイレで西堀以外の3人がアクアリウムで癒された所へ一時戻しましょう。

 それは、リラから西堀以外の3人がクラリファイイングスパイラルで穢れを癒された直後の事です。西堀が見守る中、3人は数分の間気を失っていましたが、やがて意識を取り戻します。

 

 「うっ…、私等、一体…?」

 

 「急に息苦しくなったかって思ったら周りが真っ暗になって、いきなり身体が軽くなってお風呂にでも入ってる気持ちになって……。」

 

 「そう言えば何だか、気分がスッキリした感じ…。」

 

 自身の心身に起きた良い変化を感じつつ身を起こすと、口を開いたのは西堀でした。

 

 「それはね、こいつがあんた達を癒したお陰よ。」

 

 「「「!?」」」

 

 リラを指差してそう告げる西堀の言葉を受け、磯山達は一斉にその視線をリラへと向けました。

 

 「は!?こいつ…」

 

 「馬鹿!声デカいわよ!理緒奈に聞かれたらどうすんの!?」

 

 思わず声を上げそうになる磯山を、咄嗟に西堀は静止します。自身がリラの協力者になっている事を理緒奈にバレたら、色々と厄介な事になるからです。と言っても、実際にアクアリウムを見ていない理緒奈が信じる道理など無い為、今トイレに入って来られても何等問題は無いのですが……。

 

 「…そう言えば小梅だけ、あの変な光の中に入ってなかったよね?」

 

 「あぁ、言われてみれば確かに…。」

 

 金森の指摘を受け、鹿瀬が納得した様に相槌を打ちます。磯山も黙っていましたがそれは一緒でした。すると西堀は此処で昨日の出来事をカミングアウトします。

 

 「そりゃそうでしょ。だって私、昨日こいつからさっきあんた達がされたのと同じ事されて、心も体もスッキリしたもん。確かアクアリウムとかって名前の魔法だってこいつ、言ってたわ。」

 

 「嘘、マジで!?」

 

 「小梅、昨日リラからあんな事されてたの!?」

 

 「って言うか、理緒奈抜きで私達だけでリラ虐めようなんて言ってたのも、全部この為だったの!?あんた達2人、昨日からグルになってた訳!?」

 

 西堀の言葉に、磯山達は驚愕するしか出来ませんでした。

 

 「まぁ、最初は信じられなかったけどね。でもお陰でずっと中に溜まってた胸糞な気持ちが一気に洗い出されて綺麗になったし、それからこいつにあれこれ言われて私も吹っ切れたの。もう理緒奈と縁切ろうってさ。」

 

 「「「えぇっ!?理緒奈と縁切りすんの!?」」」

 

 「ちょっと!3人とも!」

 

 「あんた等声デカいっての!!理緒奈に聞かれてどうすんのよ!?」

 

 『理緒奈と縁を切る』―――――西堀の言葉は、磯山達からすれば国家の様な大局に逆らい、そのまま処刑される様な事をすると宣言しているに等しい物です。思わず声を張り上げる3人を咄嗟に制止するリラと西堀は、恐る恐るトイレのドアの方に目を向けます。幸い、ドアの窓ガラスを見る限り理緒奈らしい人影は見えません。どうやら彼女はトイレの入り口から少し離れた場所でスマホを弄って時間潰しをしている様です。

 

 「ほほほ、本気なの小梅!?あいつと縁を切るって……。」

 

 「もし逆らったら私達、理緒奈に何されるか分かんないよ?リラの代わりに私達、虐められちゃうかも……!!」

 

 「嫌よそんなの!リラを虐めるのもそうだけど、理緒奈を敵に回すなんてそんな、もっと嫌………!!」

 

 理緒奈の恐怖に怯える彼女達に対し、リラは再びアクアリウムをブルーフィールドで展開します。周囲に無数の魚やその他の水生生物が群がる光景に、4人は思わず目を奪われました。

 

 「皆落ち着いて。大丈夫だから…!」

 

 「大丈夫って……。」

 

 「心配しなくても、私が理緒奈ちゃんを癒してあげる。あの子の心の汚れを綺麗にすれば、きっと誰も虐めなくって済むと思うから!」

 

 そう言ってリラは右手にメダカ型の水霊(アクア)達を集めて光の球を再び形成して見せます。光から発せられる温かさと、魚達がすり抜ける度に肉体が感じる優しい爽快感に、これがCGやVRの類でない事を改めて4人は実感させられました。

 同時に彼女達は、改めてリラの顔を直視します。彼女の顔はもう、自分達から虐められていた時に見た、何かに怯えて縮こまっていた頼りない面構えではまるでなくなっており、藍色の瞳には薄らとですが目力を感じました。アクアリウムの力を得て、強くなった心算なのでしょうか?それは分かりませんが、西堀に続いて磯山達も思いました。

 

 そう、『理緒奈の事はこの化け物に全部任せて、自分達は安全な場所へ逃げれば良いんだ』と―――。

 

 「……分かったわよ。小梅も其処まで言うんなら、私達ももうあいつとつるむの辞めるわ。ぶっちゃけあいつの我が儘に付き合うのだって、最近ウンザリしてたし…。」

 

 「リラの事虐めるのだって、正直飽きて来たしね。って言うか、リラ自殺したら次私がやられるのかなって思ってたし、もう怖いよ……。」

 

 「兎に角、あいつから逃げられるなら何だって良いわ。でも学校居られなくなったらその時は責任取りなさいよね…?」

 

 (本当に皆、理緒奈ちゃんが怖かったんだ……。私の事を虐める横で、次は自分が虐められるんじゃないかって………。)

 

 西堀の言う通り、彼女達は完全な自分の意志でリラを虐めているのでは無く理緒奈への恐怖からそうしているのに過ぎない事をリラは確信しました。

 虐めは人間に限らず、群れで生活する動物ならどんな生き物にも存在します。イルカもすればディスカスと言う熱帯魚もしますし、有名な所では鶏もそうです。群れる生き物はそうやって優劣を付ける事で社会的弱者を作り、その秩序を維持しようと言う哀しい性を持っている物。予めそうした弱者と言う生贄(スケープゴート)を用意しておく事で、外敵に襲われた時の身代わりに使い、皆が逃げられる様にする為の存在を“群れ”は常に求めているのです。

 

 つまり、虐めとは『社会的動物が群れ=社会を維持する為の切実な生存戦略』なのです!想像してみて下さい。もし自分が群れで暮らす野生動物で、凶暴な肉食動物に襲われたとします。相手が単体にせよ集団にせよ、襲われたら自分が喰い殺されるかも知れない…。然し、代わりに喰われてくれる相手がいれば自身は殺されずに済んで生き延びられます。そう言う弱者を作り、安心したいが為に行う行為こそが虐めの本質なのです。であるからこそ、虐めは虐めっ子がいなくなった所で無くなる物では断じてありません。また新たな生贄(スケープゴート)が作り出されるだけ。虐めなければ自分が虐められる――――次は自分の番だと思うと、誰だって怖いのは至極当然の事でしょう。

 

 3人の言葉を受け、リラは改めて頷きます。そしてこう告げました。

 

 「じゃあ皆、私は先に帰るから。怖いかもだけど、理緒奈ちゃんには勇気を出して本当の気持ちをぶつけて逃げて。その後は私が何とかするから!」

 

 もう引き返せない所に来ている事を実感しつつ、リラはトイレの外へと出て行くのでした。

 

 

 さて、西堀達が理緒奈に絶縁状を突き付けている間、リラは教室の鞄を手に、1人下校の途に在りました。不意にそんな彼女のスマホがメールの着信音を響かせます。内容を確認すれば、それは西堀からでした。

 

 『アンタのおかげでアイツとの縁、バッチリ切れたわよ。それだけは礼を言っとくわ。じゃあ私ら、しばらく学校行かないから後なんとかしなさいよね。こっちはヤバくなったら転校して逃げるだけだし。』

 

 どうやらこれを機に理緒奈がどうにかなるまで不登校を決め込む心算の様です。最後の手段として転校まで考えている様ですが、結局自分に全てを体良く丸投げしようとする彼女達の身勝手さと狡猾さがありありと伝わって来る文面でした。それを見てリラは、思わず大きく溜め息を吐きました。

 

 (私って、結局何時も損な役回りなのね……。)

 

 自分がどちらかと言えば人に都合の良い存在として舐められ、下に見られる人間なのはこの1年間で嫌と言う程思い知らされましたが、改めてそれを再確認させられるとなると、どうにも遣る瀬無い気持ちになります。

 然し、その事で愚痴っていても何も始まりません。取り巻きを失い、理緒奈が黙っているとはとても思えないからです。

 其処へ突然、人間態のテミスが現れてリラに話し掛けて来ます。

 

 「リラ、戦いは此処からが正念場よ。これからあの虐めっ子は良からぬ事を貴女にして来るでしょう。」

 

 テミスの言葉に、リラは改めて表情を引き締めます。そう……理緒奈と言う虐めの悪魔との戦いは、彼女の取り巻きを引き剥がして終わりではありません。肝心の彼女の心の穢れを癒さなければ、戦いは終わらないのです。

 

 「ですが恐れる事は有りません。貴女には私達水霊(アクア)が付いています。必ずあの虐めっ子を退けさせてあげますから、安心して明日も学校へ行きなさい。良いわね?」

 

 自身の保護者の言葉に頷きながら、リラは1人家路を急ぐのでした。 

 

 

 一方、皆が帰った学校では―――――。

 

 「リィィィラァァァァァ~~~~~ッ……!!とうとうこの私を本気で怒らせたわね?良いわ、覚悟なさい。あんたをこれからあの裏切者共と一緒に抹殺してあげるんだから………!!!」

 

 誰もいない教室で、理緒奈はリラと自身の取り巻きだった裏切者達に対し、激しい憎悪の念を巨大な火柱の如く燃やしていました……………。

 そして後日、とうとう彼女は恐ろしい実力行使に踏み切る事となるのです……………。

 

 

 




過去編は次で終わりです!

アクアリウム講座3

水霊(アクア)について

作中における主な水の精霊。地球に遍く存在し、星全体を廻る全ての水の化身と言うべき存在でその循環を守り、穢れを浄化する役割を担う。
地球全体の水の化身ではあるが、その人格と現身は無限に存在しており、然も姿形は全て水生生物。そして人格も全て女性である。
下級水霊(アクア)から上位水霊(アクア)までおり、上位で有れば有る程当然力は強い。地球全体を現在進行形で循環している水其の物なので、地球全土で起こっている出来事や過去の46億年の間に起こった出来事の全てを知り尽くしている。そしてその情報を水霊士(アクアリスト)に対して必要と有らば、脳に映像と音声付きで直接流す事も可能。
川や海や雲等、水在る場所なら何処にでも出没し、回遊しているが人間を始め、体が水で出来た生き物の内にも宿っている。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第41話 忌まわしき記憶の奔流 File.5

次回の予告通り、リラの過去は今エピソードで終わりです!


 取り巻きの西堀達を理緒奈から引き離した翌日の事です。何時も通り教室に来ると、西堀達の机には持ち主の存在が有りません。有るのは自分に強い敵意と殺意の目を向ける理緒奈の姿でした。

 

 (本当に西堀さん達、暫く学校来ない心算なんだ……。)

 

 それでも理緒奈が何か仕掛けて来るのではないかと身構えるリラでしたが意外にもそんな事は無く、平穏に日々の時間は流れて行きました。然し、テミスは知っていました。彼女がリラを潰す為、陰で恐ろしい事を企んでいた事を―――――。

 

 

 中学生となって迎えた2度目の4月も、下旬に差し掛かろうとしていた頃です。下校の途にあるリラを、少し離れた場所から双眼鏡で車の中から見つめる怪しい影が有りました。

 

 「あいつか?」

 

 「今イチ色気が無ぇが、ありゃ将来化けそうだな!」

 

 「ターゲットはお前のお友達の4人と、あいつで良いんだな?」

 

 「つーか酷ぇよなぁ、お前も?友達4人だけじゃなく、クラスメイトまで奴隷として売るなんざよぉ!」

 

 見るからに柄の悪そうな男数人が、車の中で誰かと話していました。

 

 「良いの良いの!あんな奴等もう友達じゃないし、あいつだって私に酷い事した最低の女狐なんだし、思いっ切り滅茶苦茶にしちゃって!」

 

 その相手はやはり理緒奈!柄の悪い破落戸(アウトロー)達を雇ってリラ処か、取り巻きだった西堀達に良からぬ事をしようと目論んでいる様でした。

 

 「まっ、1人頭10万で併せて50万で売ってくれるってんだ。元お友達の4人も未だ中坊なのに上玉らしいし、良い玩具になりそうだぜ!」

 

 下卑た笑い声を上げながら、男達の乗った車は動き出します。

 

 「う~~~ん…今日の晩御飯、何にしようかな?」

 

 そう言いながらリラが人気の無い路地を歩いていた……その時です!

 突然彼女の背後で例の車が止まったかと思うと、中の男が勢い良く後ろからリラに組み付き、クロロホルム入りのハンカチを口元に宛がいます。

 予期せぬ不意打ちだった為にアクアリウムを発動させる事も出来ぬまま、気を失ったリラはまるでオニイソメの巣穴に引きずり込まれる魚の如く、下衆な男達の乗る車へと拉致されてしまいました。

 

 (リラを狙う者がいるのは分かっていました。ですが、反撃はもう少ししてからです。)

 

 そんな彼女の様子を、テミスは離れた場所からジッと監視していました。

 

 

 (――――ラ、リラ!目を覚ましなさい!)

 

 それからどれだけ時間が経ったでしょうか?不意に自身の脳内に響くテミスの声。突然の意識の暗転からリラが目を覚ますと、其処は何処とも知れないコンクリートの建物の中でした。窓を見るともう日没が迫っています。

 

 「(う……此処は?)ッ!?ンンッ!?」

 

 意識を完全に取り戻した時、リラは自身の身体の異変に気付きました。何と口を粘着テープで覆われて声を出せなくされており、然も手も同じ様にテープで後ろ手に縛られていたのです。

 更に周りに目を遣ると、理緒奈の取り巻きだった磯山達4人も自身と同じ形で拘束されて気を失っている光景が視界に飛び込んで来ました。

 

 (磯山さん!斐川さん!鹿瀬さん!金森さん!)

 

 リラが脳内で4人の名を叫ぶと、テレパシーではありませんがやがて4人が目を覚まし始めました。

 

 「ンッ!?ンン~~~~ッ!」

 

 「ンンンンッ!?ンググッ、ングゥッ!?」

 

 目覚めた4人が取ったリアクションは当然ながらリラと同じそれでした。皆自分と同じく何故拘束された上で此処にいるのか分からず、混乱している様がありありと伝わって来ます。

 

 (テミス、これって一体どう言う事なの?私達、何でこんな事になってるの?)

 

 テミスにテレパシーで尋ねると、早速答えが返って来ます。

 

 (八十島理緒奈の仕業よ。)

 

 (えっ!?理緒奈ちゃんの!?)

 

 有無を言わさぬ冷酷な答えに、リラは唖然となるばかりです。然し、テミスはそんな彼女の胸中など御構い無しに淡々と続けます。

 

 (そう―――自分を裏切った其処の4人組共々リラを始末するべく、八十島理緒奈はその辺のならず者に金を渡し、貴女達を凌辱しようと目論んでいたのよ。本来は貴女1人をターゲットにする心算でしたが、其処にいるの4人が貴女のアクアリウムを機に裏切った為、理緒奈は彼女達も凌辱対象に追加しました。1人10万円ずつの合計50万円でね……。)

 

 (ごっ、50万円で!?)

 

 彼女から告げられた事実がリラにとって衝撃的だったのは言うまでもありません。自分を男達に嬲らせる計画を立てていただけでも驚きでしたが、まさか磯山達まで裏切者として追加すると言う理緒奈の身勝手で醜悪な本性を垣間見たからです。何より驚いたのは『自分達が金で売られた存在』にされていた事!犯罪も良い所ではありませんか!

 そうこうしている内に耳元に足音が響いたかと思うと、突然乱暴に重い扉が開けられました。現れたのは何とも柄の悪い5人組の男達。口元には下卑た嫌らしい笑みを浮かべています。脳内で5人を何度も無惨に凌辱しているからか、股間も薄らと膨らんでいる様に見えました。

 

 「よぉ、お嬢さん方!もうお目覚めかい?ご機嫌麗しゅう!」

 

 「ンッ、ンンンッ……」

 

 男達の姿を見て自分達がこれからされる事を察したのか、磯山達は恐怖に震えて目から涙すら浮かべています。強姦(レイプ)の恐怖を前にした彼女達の心境は、レオ・レオニの絵本『スイミー』において巨大な鮪に怯える小魚達に限り無く似ていました。

 そんな彼女達の心中を分かっているからか、男達は口角を更に吊り上げ、只でさえ嫌らしい笑みをより邪悪に歪めて言いました。

 

 「なぁ嬢ちゃん達、俺等暇で暇で仕方無くってさ、一緒に遊んでくれる相手探してたんだよ。」

 

 「そしたら親切な奴がお前等の事、紹介してくれたのさ!1人10万の合計50万だぜ、50万!!たんまり金貰えてこんな上玉で遊べるなんざ最高だぜ!!」

 

 金髪の男がそう答えたのを受けてリラは確信し、磯山達は驚愕しました。自分達が理緒奈の手で、目の前の野獣達に奴隷として売られたと言う事に……。

 

 「馬鹿!てめ余計な事言ってんじゃねーよ!」

 

 「「「「ンン~~~~~~~~~~ッ!!!」」」」

 

 グラサンに五分刈りの男が金髪の男を小突くのを他所に、磯山達は恐怖に駆られて猿轡越しに悲鳴を上げます。然し、そんな中でもリラはその藍色の瞳で毅然と男達を睨み付けました。口と両手こそ拘束されて使えませんが股を開いて犯す必要からか、足だけは拘束が施されていません。

 

 (リラ、恐れてはなりません。どう転んでも貴女は此処から無事に脱出出来ます。貴女には私達とアクアリウムが有るのです!目の前の下郎など、溺れさせるが良いわ!)

 

 (テミス……うん!)

 

 もしもリラが去年までの普通の女の子ならば、こんな状況になったら何も出来ずに嬲られるだけだったでしょう。正直、リラだって内心は怖い。身体が恐怖で小刻みに揺れています。然し、アクアリウムと言う異能を手にしたリラは辛うじて落ち着いていられました。

 

 

 「つー訳で、今夜は俺達と遊ぼうぜ♪」

 

 

 金髪の男がそう言ってリラに近付こうとした時です。

 

 

 「「「「「ッ!!?」」」」」

 

 (なッ、何だこりゃ!?急に息が苦しくなって……)

 

 (然も身体が鉛みてぇに重く!?)

 

 (何だってんだよ!?糞っ、苦しくて動けねぇ!!)

 

 (つーか何だこりゃ!?魚!?)

 

 (さっきまで見えてなかったのに、何でこんなモンが見えんだよ!?)

 

 突然男達は呼吸が苦しくなり、水中で溺れる様な感覚に襲われました。リラのアクアリウムによる影響でした。一般人の彼等にも水霊(アクア)が見えている所から、ブルーフィールドまで入念に展開していました。

 高濃度の穢れを宿している者程、フィールド内では息が苦しくなって動き辛くなります。あたかも深い水底に引きずり込まれたかの様に……。

 『女を犯して性欲を満たしたい』と言う下衆な悪意の穢れにより、5人の暴漢達は自分達で己の首を締め上げる結果となってしまったのでした。

 

 (皆、今の内に!)

 

 突如、自身を襲っている不可解な現象に男達が混乱と共に麻痺している隙を突き、リラは何とか立ち上がって扉から外へ逃げ出します。磯山達も何とか立ち上がり、それに続きます。

 

 「コラ、ガキ共!待ちやがれ!!」

 

 「何したか知らねぇが、俺等から逃げられると思ってんじゃねーぞ!!」

 

 ですが、部屋を出て階段を下りる所でアクアリウムは切れてしまい、そのまま立ち直った男達は猛然と追い掛けて来ます。とは言え、アクアリウムの影響が完全に抜け切っていないのか、何処かフラフラで足取りが覚束ず、本調子ではありません。

 これが本調子ならば若くて年頃の男である手前、あっと言う間に捕まっていたかも知れませんが、未だに身体を襲う重い感覚に蝕まれているのならばリラ達の足でも十分に逃げ切れます。

 命からがら閉じ込められた廃ビルの中から脱出した5人は、そのまま必死になって街中を縛られた状態で疾走。

 

 (リラ、このまま右へ曲がりなさい。其処に交番が有るわ!)

 

 テミスのナビゲートに従い、5人は交番に駆け込みます。

 

 「ンンッ!!ンンンン~~~~~~~~ッ!!」

 

 「なッ!?君達、一体どうしたんだい!?」

 

 突然口にガムテープを貼られ、両手も同じ様に後ろ手にガムテープで拘束された女の子が5人入って来たのを受け、警官は異常事態を察知。

 直ぐにリラの口のガムテープを剥がし、事情を尋ねようとします。

 

 「待ちやがれガキ共~~~~ッ!!」

 

 ですが、それより先に直ぐ其処まで暴漢達が迫って来ていました。

 咄嗟に交番の入り口に出ると、リラは警察官に事情を伝えます。

 

 「私達、あの人達に追われてるんです!!」

 

 「そうだよ!!私等、あいつ等に犯されそうになって命辛々逃げて来たの!!」

 

 「何だって!?」

 

 リラ達の言葉を受け、交番の入り口と奥の部屋で待機していた警察官数名が外の暴漢を睨み付け、警棒を手に直ぐ様飛び出して行きます。

 

 「げげっ!?あいつ等、ポリんとこ駆け込みやがった!!」

 

 「冗談じゃねぇ!!捕まって堪るかよ!!」

 

 「至急!至急!こちら調布……」

 

 向かって来る警官の存在を受け、男達は踵を返して逃走するも、応援を呼んだ正義の使徒達の手によって敢え無く御用となりました。

 

 

 その後、リラ達は食べ損なった夕飯を恵んで貰いながら、事の経緯について警察の事情聴取に応じました。

 逮捕された男達も男達で、理緒奈を庇う義理は無いのか、リラと同じ中学の女子生徒から金を貰って彼女達を犯す様に頼まれた事を自白。

 只、相手が政治家の娘たる理緒奈である事は本人達も知らなかったらしく、名前も訊いていなかった為に警察も黒幕の特定には踏み切れませんでした。

 無論、取り調べで磯山達は犯人を理緒奈だと主張しましたが、証拠が不十分だった為に理緒奈は逮捕されず仕舞い。当人達がやり切れない気持ちだったのは言うまでもありません。尤も、仮に犯罪を立証出来るだけの証拠が有ったとしても、政治家である父親の権力で揉み消される可能性は十分に考えられる為、磯山達はどの道泣き寝入りするしか無かったでしょうけれど………。

 

 ともあれ強姦未遂事件から翌日の事、リラ達の学校では彼女達に起こった事件が大々的に取り上げられ、全校朝礼でもネタにされました。

 クラスのHRでも同様の話題が挙がり、職員会議でもその是非が問われて大騒ぎでした。

 同時にこの出来事は、嘗てリラを虐めていた磯山達4人にとって理緒奈から離れる口実となり数日後、4人は次々と違う学校へと転校。残ったのは理緒奈とリラの2人だけでした。

 

 「ねぇ、磯山達4人とも引っ越したのってさ、もしかして八十島の所為じゃない?あいつ等、ずっと八十島とつるんでたじゃん?」

 

 「確かに磯山達が襲われて転校って出来過ぎてるよね。ってか取り巻きいなくなって八十島、今どんな気持ちだろ?」

 

 「虐めてた汐月まで一緒に強姦(レイプ)され掛けてたんでしょ?もしかして八十神が男に5人とも売ってたりして。分かんないけど!」

 

 「汐月はどーだって良いけど、それだったらマジ怖くない?政治家のお嬢様だからってやり過ぎだっての!」

 

 そしてクラスではこんな噂が有る事、無い事囁かれましたが、リラはまるで気にせずに平常運転で授業に臨んでいました。

 

 (許せない……!!)

 

 一方、面白くないのは当然の如く、理緒奈の方です。取り巻きだった4人をリラ諸共、滅茶苦茶に犯す心算が失敗し、あまつさえも転校して逃げられる始末。おまけに学校でこんな悪い噂が流れた事で、ますます表立ってリラを虐める事が出来なくなってしまったのです。その胸中は、文字通り時化の海の如く怒りと不満で荒れ狂っていました。

 

 (許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない……!!!こうなったのも全部リラの所為よ!!あいつが私の思い通りに動かないから悪いのよ!!)

 

 リラに対して深い怨嗟と憎しみを募らせた理緒奈。内側に宿る穢れの濃度はこれ以上無い所まで高まっており、本人だけではもうどうしようも無い所まで追い詰められているのが分かります。自身の思い通りに行かない処か、自分から人が離れて行く状況に理緒奈のフラストレーションは爆発寸前まで堆積。人間として、超えてはならない一線を何時超えても可笑しくない状況にまで追い詰められていました。

 ですが同時に、リラの虐めとの戦いはいよいよ終わりに近付いていたのでした。

 

 

 

 磯山達4人が転校した数日後、4月末から5月初頭と言う事でゴールデンウィークが訪れていました。

 

 「リラ、只今!」

 

 「帰ったぞ、リラ!」

 

 仕事で滅多に家に帰らないリラの両親が自宅に帰って来ました。リラの母の名は『汐月(しおつき)ミラ』、そして父の名は『汐月(しおつき) (うしお)』です。

 

 「お帰りなさいお父さん……お母さん!」

 

 久し振りに帰った両親に駆け寄り、思わずリラはハグをします。

 

 「リラ、何か変わった事は無い?学校で虐められたりとかはしてないわよね?」

 

 「う、うん……平気!1人でも何とかやってるから。」

 

 仕事の都合で何時も家にいないとは言え、1ヶ月に1度と言う頻度で両親はリラに会いに来ていました。無論、あの虐め自殺を思い立った2月も、アクアリウムの修行に励んでいた3月も―――――。

 ですがこれまで通り、学校で虐めに遭ってる事を何とか隠しつつ、リラは何とか気丈に振る舞って来たのです。

 

 「本当にそうか?この前、お前の学校の子達が暴漢に襲われたってニュースで言ってたぞ?」

 

 「そ、そうだね…。私もそう言う事が有って恐いって思った。気を付けなきゃなぁ~って思ったよ……。」

 

 幸い、十代の未成年者と言う事もあって新聞では名前が伏せられていました為、リラ達が事件の当事者である事までは両親にも知られていません。

 然し、リラの学校で犯罪が有ったと言う事実を知れば、両親としては心配するのは当然でしょう。

 

 「無理しないで良いのよ、リラ?学校で虐めや何か嫌な事が有って、どうしても耐えられないって言うなら、何時でも私達に言いなさい。」

 

 母のミラからそう告げられ、リラは思わず涙腺が刺激されます。一瞬、その藍色の目元が潤むのを感じました。

 一方、ミラもミラで、彼女と同じくその藍色の瞳で娘を真っ直ぐ見つめながら続けます。

 

 「何時も仕事で貴女の傍にいられなくって、こうやって1ヶ月に1度位しか会いに来れないけど私達、リラの事思ってるから……!」

 

 「うぅっ…お母さん……!!」

 

 優しく娘を抱く母の温もりに、リラはその海より深い愛情を感じ取っていました。滅多に会えない両親から感じる優しさや温かさ程、リラにとって心の支えであり救いとなる物は在りません。

 

 (お母さん、本当にもう大丈夫だから……。私を虐めてた子達も、アクアリウムの力でもう殆どいなくなったし、何よりテミスのお陰で私、少しだけ強くなれたから……。)

 

 本当なら、虐められてる事を伝えて楽になりたい……。それがリラにとって1番の本音です。然し、アクアリウムをテミスから授けられ、その力で虐めと戦う様になった今のリラはもう、そんな事で弱音を吐く事は有りません。

 実際、アクアリウムの力で虐められなくなってから、リラはまた平穏な日々を過ごせる様になり、気持ち的にもだいぶ楽になっていました。つまり、母のミラに苦しみを訴える必要はほぼ無くなっていたのです。

 後は理緒奈の心の穢れを癒し、彼女の心を救えばもうリラの虐めは無くなる!この時のリラは、そう考えていたのでした。

 

 (絶対に理緒奈ちゃんを癒して、仲直りしよう。虐めっ子と虐められっ子の関係じゃなくって、お互いに対等に付き合える様になるんだ―――!)

 

 然し、それが実現性の無い甘い考えである事を、この時のリラは知る由もありませんでした。

 

 

 一方、当の理緒奈は―――――。

 

 「リィィラァァ~~~~~~ッ……!!あいつだけは絶対に許さない!!どんな事してもあいつだけは殺してやる!!」

 

 自室でリラの顔写真に何度も何度もナイフを突き立て、やり場の無い鬱憤を撒き散らしていました。最早、理緒奈はリラを殺してでも排除する事に執心する様になっていたのです。

 ですがこの時、破滅の足音が理緒奈の元に思いも寄らぬ形で近付いて来ました。

 

 不意に部屋の外に響くサイレンの音。何事かと思って家の窓から外を見ると、1台のパトカーが自宅に停まっていました。

 

 (何?パトカー?)

 

 まさか、先日の強姦未遂事件の犯人が自分である事を警察が突き止めたのか?

 そう考えた理緒奈は思わず身構えますが、車内から降りて来た警察官の狙いは別にありました。

 

 「八十島議員、市の入札に関する汚職の容疑でご同行願います!」

 

 何と、調布の市議会議員を務める自身の父が、市の公共工事の入札に関する汚職で逮捕されてしまったのでした―――――。

 

 

 それから数日、ゴールデンウィークが明けた学校では、理緒奈の事が早速話題になっていました。

 

 「ねぇ、ニュース見た?八十島の父親、汚職で捕まったんだって!」

 

 「マジで!?ウケる~♪」

 

 「汐月達の肩持つ訳じゃないけど、虐めなんかやってたから罰当たったんだね!」

 

 そんな事を噂しては盛り上がるクラスメイト達の様子を、リラは半ば軽蔑しながら席に就いて授業の支度をしていました。

 虐めっ子の理緒奈を擁護する気など更々有りませんが、自分が虐められていた時も見て見ぬ振りをして助けもしなかった卑怯者の癖に、事情が変われば今度は虐めの主犯を頭ごなしに扱き下ろす身勝手さ………。

 所詮、この世は諸行無常であらゆる物事は移り変わって行く物。今回のこれも、その“変化に対応しただけ”と言えばそれまでかも知れませんが、それにしたって釈然としない。ともすれば唾棄すべきその醜さは、まさしく海底に沈殿したヘドロ其の物の様にリラの藍色の瞳には映っていました。

 

 然し、それにしても妙です。休み明けになって学校が始まっても、当の理緒奈は全く教室に現れません。

 次の日も、またその次の日も同じでした。

 

 「ねぇテミス、理緒奈ちゃん全然学校来てないけど、何か有ったのかな?」

 

 流石にこれは可笑しいと思ってテミスに相談すると、彼女は思いも寄らぬ言葉を返しました。

 

 (八十島理緒奈でしたら、もう間も無く動き出すでしょう。リラ、その時が来たら覚悟を決めなさい。たとえ、どんな結末が待っていたとしても―――――。)

 

 「結末って……一体何が起こるの?」

 

 (それはリラ、その時に確かめなさい。私からは以上です。只、事が動いたら私も出来る限り力になりますのでご安心を―――――。)

 

 何時も意味深な言葉を消すだけで、肝心な事は何も言わないテミスですが、それでもリラは信じていました。彼女が決して間違った事や嘘を言ったりしないと………。

 そしてゴールデンウィークが開けて3日目の夕方、何時もの通り下校していた時の事でした。

 正午まで晴れていた空が急に曇り、雨が降り出しました。

 雨脚が強まる中、急いで多摩川の橋を渡り、自宅に帰ろうと急いでいたその時です。 

 

 

 「リラ………………。」

 

 

 橋の半分を渡り掛けたリラの前に現れたのは、数日振りに姿を現した理緒奈でした。ジャージ姿で乱れた髪型をしており、まるでその佇まいは幽鬼の様です。最早、最初に出会った時の様なお嬢様としての面影など何処にも有りません。

 いるのは人としての道を踏み外し、堕ちる所まで堕ちた悪女でした。

 

 「理緒奈ちゃん……!?」

 

 変わり果てた理緒奈の風貌に唖然となるリラ。思わず後退りするリラに対し、当の理緒奈は何やらブツブツと早口で何かを呟いていました。

 

 「あんたの所為よあんたの所為よあんたの所為よあんたの所為よあんたの所為よあんたの所為よあんたの所為よあんたの所為よあんたの所為よあんたの所為よあんたの所為よあんたの所為よあんたの所為よあんたの所為よあんたの所為よあんたの所為よあんたの所為よあんたの所為よあんたの所為よあんたの所為よあんたの所為よあんたの所為よあんたの所為よあんたの所為よあんたの所為よあんたの所為よあんたの所為よあんたの所為よあんたの所為よあんたの所為よあんたの所為よあんたの所為よあんたの所為よあんたの所為よあんたの所為よあんたの所為よあんたの所為よあんたの所為よあんたの所為よあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければあんたさえいなければ…………」

 

 それは彼女に対する呪詛の言葉でした。仲の良かった取り巻きを失い、あまつさえも議員だった父が汚職で逮捕されて失職する等、自身を立て続けに襲った不運の数々を、理緒奈は全てリラの所為にせずにはいられない程に精神を追い詰められていたのです。

 そして―――――。

 

 

 「あんたなんか死んじゃえぇぇェェェ――――――――――――――――――ッッッ!!!!!」

 

 

 そう叫んだ次の瞬間、理緒奈はナイフを手にリラに向かって襲い掛かったのです!

 

 

 (リラ、直ぐに後ろにジャンプして下がりなさい!)

 

 テミスの言葉を受け、直ぐにバックステップで理緒奈の一撃を避けるリラ。怒りに任せた大振りだった為、簡単に回避する事が出来ました。

 

 (リラ、そのまま河原まで走りなさい!)

 

 「うん!分かった!」

 

 そしてテミスに促されるまま、元来た道を逆走するリラは、そのまま橋の下の河原に場所を移します。祖母であるユラが倒れた、本人にとっても忌まわしいあの河原にです。

 無論、殺意に駆られた理緒奈もリラを追って河原にまで走って来ます。

 

 「逃がすか!!死ねぇッ!!」

 

 狩りのスイッチが入ったホオジロザメの様な殺意の眼差しを向けながら、理緒奈はナイフをリラに突き立てようと突進して来ます。

 どうにか左に躱すも、更に理緒奈は勢い良く振り回して追撃の手を緩めません。少しずつ、川の方へとリラを追い詰めて行きます。

 降り出した雨は短時間で土砂降りとなっており、多摩川の水は激しく荒れ狂い出しました。落下すれば命に関わるでしょう。

 

 (追い詰められた!?)

 

 (大丈夫よ、リラ。貴女は水霊士(アクアリスト)。溺れる心配は有りません。寧ろ、これはチャンスです。)

 

 (チャンス?)

 

 リラとテミスがテレパシーでそんな遣り取りをしている事など知る由も無い理緒奈は、勝ち誇った様に口角を邪悪に釣り上げます。

 

 「フッフッフ……もう逃げられないわよリラ。覚悟は出来てるでしょおねぇ~………?」

 

 1億%の悪意を含んだ笑みを浮かべながら、底なし沼の様な黒く淀んだ眼差しでリラを睨む理緒奈。

 然し、追い詰められたリラは動揺もせずに相手をじっと見つめるだけでした。

 

 「何よその目はぁ…?あんたのその目が前々からずっと気に入らなかったのよ私はアァァァァァァァァッ!!!!!」

 

 そう叫んで勢い良く突撃して来る理緒奈に対し、次の瞬間!!

 

 

 「え………?」

 

 ザッバァァァァ――――――――――――――――――――ン!!!

 

 

 何とリラは、勢い良く氾濫する多摩川の中にバックステップで飛び込んだのです。

 土砂降りの雨の影響で激しく強く、まるで龍の如くうねる水流に翻弄されそうになりますが、テミスの加護もあって何とか流されずに済んでいました。無論、水霊士(アクアリスト)なので水中に潜っても、リラはアクアリウムの力のお陰で溺れる事は有りません。

 そして川に落水したのは何もリラだけではありません。勢いに任せて突撃した弾みで、理緒奈もリラと一緒に川へダイブしていたのです。こちらは普通の人間である為、息が出来ない処か冷たい水流に翻弄され、そのままでは当然、死を待つばかり。

 因みに冷たい水中に長時間いるのは全裸で氷点下の中にいる様な物なので、当然ながら低体温症で命に関わります。息が続かず溺死するか、寒さで命を落とすか、その究極の二択を迫られる理緒奈。

 ですが、ここでリラは待ってましたとばかりに理緒奈を掴み上げ、川岸へと帰還しました。

 

 川岸に理緒奈を寝かせると、リラは周囲を見回して周りに誰もいない事を確認。幸い、この土砂降りの雨の中で外を出歩く者はおらず、車の往来の盛んな橋の辺りから離れた場所まで移動している為、誰も見られる心配は有りません。

 気を取り直してリラはブルーフィールドを発動させると、コバルトブルーの二重螺旋を形成。クラリファイイングスパイラルによって理緒奈の穢れを浄化し、彼女の内なる水霊(アクア)を活性化させる事でその心身を癒しました。因みに理緒奈の内なる水霊(アクア)はチョウチョウウオでした。

 

 (リラ、ついでです。貴女の中の記憶を八十島理緒奈の中に同期させては如何でしょう?)

 

 「えっ?同期って?」

 

 (貴女の内なる水霊(アクア)であるクラリアをこの者の体内に入れるのです。そうすれば貴女のこれまでの人生の記憶をクラリアは八十島理緒奈の脳内に流し込むでしょう。貴女の体験した哀しい経験や辛い経験を追体験させると同時に、この人間の中の共感力を呼び起こせば、さしもの彼女ももうリラを虐める気は萎える筈です。この術法を『アクアレミニセンス』と言います。)

 

 「うん…分かった!」

 

 テミスに促され、リラは自身のクラリアを理緒奈の脳内に放り込む事で『アクアレミニセンス』を発動。自身の辛い記憶を理緒奈の脳に刻み付けました。それと同時にクラリアは彼女の中のミラーニューロンを活性化させ、理緒奈の共感力を呼び覚ますのでした―――――。

 

 

 「う……んっ!」

 

 暫くすると、理緒奈は意識を取り戻してその重い瞼を開きます。気が付けば、先程まで土砂降りだった雨はもう止んでおり、雲の所々に日の差す切れ間が出来ていました。

 

 「気が付いた、理緒奈ちゃん?」

 

 「リラ…あんた……うっ!?」

 

 心配そうな目で自身を見つめるリラの顔を見て、一瞬殺意が浮かぶも、自身に虐められていた時のリラの記憶がフラッシュバックします。

 

 「うぅぅっ……あああぁぁぁぁぁぁぁっ………!!!」

 

 共感力を増幅させられた事により、自身がこれまでやって来た虐めや心無い言動の数々でリラや取り巻きだった4人を踏み付けていた事への後悔と後ろめたさ、罪悪感が彼女の脳内を埋め尽くして行きます。

 

 「何よ……何よ何よ何よ何よこれえぇぇぇぇっ!?うっ…うぅぅっ……うあああぁぁぁぁぁぁ~~~~~~~~~~~~ッ!!!」

 

 散々自身が相手に与えて来た痛みや悲しみを追体験させられた事で、理緒奈はこれまでに無い程の良心の呵責に苛まれていました。

 一頻り悶え叫んだ所で正気に戻ると、理緒奈はリラを睨み付けながら言いました。

 

 「何なのよ…これ……?これはあんたがやった事なの、リラ?」

 

 「そうだよ。理緒奈ちゃんの頭の中に、私の記憶を流し込んだの。」

 

 「私の頭の中に、あんたの記憶を?何馬鹿な事言って…」

 

 「馬鹿な事じゃないよ。現実だよ。ホラ!」

 

 そう言ってリラは再びアクアリウムの力を発動。周囲を泳ぐ水霊(アクア)達の光景を目の当たりにし、理緒奈は驚きを隠せません。

 

 「何よ…これ?まさか、小梅達が言ってた魚の幽霊って……!」

 

 「そう、全部本当の事なの。」

 

 「じゃあ、今まであんたを虐めようとして溺れる様な感覚に襲われたのも……!?」

 

 西堀の言っていた“魚の幽霊”の話が本当だったと知り、これまでの事も手伝い、理緒奈はいよいよ以てリラに対して恐怖を覚えました。

 

 「ばばば、化け物!!あんた、本物の化け物だったのね!!冗談じゃないわ!!こんな化け物とずっと一緒だったから、私の人生滅茶苦茶になったのね!!」

 

 「待って、理緒奈ちゃん!」

 

 「誰が待つモンですか!?あんたなんか……あぁっ!!」

 

 立ち上がってその場から逃げようとする理緒奈ですが、アクアリウムの余韻によって満足に走る事が出来ません。覚束ない足取りでそのまま転んでしまいます。

 

 「ヒィッ!!こ、来ないでぇぇッ……!!」

 

 怯える理緒奈に対し、リラは膝を突いて優しく歩み寄る様に言いました。

 

 「理緒奈ちゃん、私ね、ずっと嬉しかったの。」

 

 「はぁッ…!?」

 

 「私ね、仕事でお父さんもお母さんも殆ど家にいなくて、一緒にいてくれたお祖母ちゃんも小学生の時に死んで、ずっと1人で寂しかったの!そんな私に声を掛けて、友達になってくれるって言ってくれて、私はとっても嬉しかった!」

 

 「何言ってんのよ、あんた……?私は別にあんたの事なんて…」

 

 「たとえ理緒奈ちゃんが友達だなんて思ってなくっても、孤独から私を救い出してくれたのは事実でしょ!?その所為で虐められたり、辛い想いもしたけど、でもそのお陰で人間として何が大事なのか分かった!少しだけでも、世の中の事を知る事が出来た!!どう言う大人にこれからなって行けば良いか、理緒奈ちゃんは私に考える切っ掛けをくれた!!」

 

 リラからのカミングアウトの前に、理緒奈は声も出ません。

 

 「私、理緒奈ちゃんと仲直りしたい!今度こそ理緒奈ちゃんと友達になって、一緒にちゃんとした人生を歩いて行きたいの!ねぇ…また2人でもう1度やり直そ?」

 

 目に涙を浮かべながら、そう言ってリラは理緒奈に手を差し伸べ、祈る様にそう言葉を投げ掛けました。

 まさかの「仲直り」と言う単語(ワード)に呆気に取られる理緒奈ですが、数秒の沈黙を置いてから、無情にもこんな言葉を絞り出しました。

 

 「…ッカじゃないの?」

 

 「えっ?」

 

 次の瞬間、リラを乱暴に蹴飛ばして理緒奈は叫びます。

 

 「あんた馬ッ鹿じゃないの!?私があんたと友達!?冗談顔だけにしなさいよ!!こんな……こんな……」

 

 再び怒りに任せて声を荒げる理緒奈ですが、次第に語気が尻すぼみして行き、やがて弱弱しい涙声になって行きました。

 

 

 「こんな犯罪者にまで堕ちた私と友達なんて……それこそあんたの人生、滅茶苦茶よ………!!それにあんたみたいな化け物の友達となんて、こっちから願い下げだっての………!!」

 

 

 そして理緒奈は踵を返すと、静かにそのまま歩き出します。

 

 「じゃあね、リラ。あんたとはもう、永遠に会う事は無いわ。あんたは私の人生で、最低最悪の厄病神だった………!!」

 

 

 筋違い極まりない悔やみ事と共に去って行く理緒奈の後姿を、リラは何も言わずに只々見送るだけでした。そして当のリラの心には、理緒奈の心を救えず、仲直り出来なかったと言うやり切れない思いばかりが渦を巻いていました。

 何にせよ、自身の虚栄心の為に同級生を虐めていた悪女は、取り巻きも学校での立場も、況してや政治家の娘としての社会的地位も全て失い、リラの前から永遠に姿を消したのでした―――――。

 

 

 翌日、クラスでは理緒奈の転校が告げられ、リラを虐めていた連中は完全に彼女の周りからいなくなりました。

 学校から消えた理緒奈がその後どうなったのか、テミスに訊けば分かるでしょうけれど、リラは恐ろしくてとても訊けた物ではありませんでしたし、知りたいとも思いませんでした。

 只、少なくともその後の新聞やネットのニュース等で、理緒奈と思しき少女が警察に逮捕されたか、自殺したと言った話は聞かなかった為、恐らく理緒奈は何処か遠い土地で生きているのでしょう。

 願わくば、新天地で人生を一からやり直して欲しい―――――それがリラの切なる願いでした。但し、その為には周りの人間を自分の欲求を満たす道具として利用する様な、フレネミーとしての気質を悔い改めない事には何の解決にもなりません。その事に関しては、リラのアクアレミニセンスによって増幅された彼女の中の共感力が何とかしてくれる事を願うばかりです。

 

 さて、自分自身の虐めは終わっても、彼女の戦いがこれで終わった訳では有りません。残りの中学生活の中で、リラは同じ様に虐められている人間をアクアリウムで人知れず癒すと同時に、テミスの入れ知恵によって虐めっ子を撃退する知恵を授けた事も有ります。虐めと言う程の問題でなくても、悩みや嫌な気持ちを抱えて穢れを発生させている人間を人気の無い場所へ誘導させ、アクアリウムで癒したりもしました。無論、第三者に見られない様に十分配慮しての行動です。

 

 この様にリラは卒業するまでの間、水霊士(アクアリスト)として穢れを抱えた者達を秘密裏に癒しては、人としての正道に沿った生き方が出来る様に少なからずケアして来たのでした。

 只穢れを癒すだけでは、根本的な解決にはならない。自分の力で乗り越えられる様に、水霊(アクア)達から授かった知恵を助言しつつも決して表に出ない様に振る舞う。リラの水霊士(アクアリスト)としてのスタンスは、そうやって作り出されて来たのです。

 尚、余談ですがリラは虐めとの戦いが一段落した後、美術部に入部。そして中学3年生になって卒業するまで、絵を描いて過ごしていました。コンクールで入賞された事も有るそうです。

 

 

 3年に上がると同時に高校受験を迎えると、リラは水霊士(アクアリスト)としての自分の能力を活かせる場所として、海に囲まれた場所に在る高校への進学を希望。テミスの勧めと、母であるミラの母校であった事も手伝い、蒼國市の霧船女子学園への進学を決めたのでした。

 無論、虐められている間に下がった成績を挽回し、内申点が水準に届く様に懸命に勉強したのは言うまでも有りません。

 




はい、と言う訳で漸くリラの過去を新年最初に書き切れて良かった!此処から時系列を現代に戻し、今までエタってた分をしっかり取り戻して行きますからね!

アクアリウム講座4

続・水霊(アクア)について

人間を始めとした動物の身体には『内なる水霊(アクア)』が宿っている。
内なる水霊(アクア)は人間やその他の動物問わず新たな生物が生まると共に、必ずその内に新たに生まれて来るが、宿主の肉体が滅ぶまでは決して自由の身にはなれない(水霊士(アクアリスト)の力を介せば一時的に外へは出られるが)。
この為、内なる水霊(アクア)は宿主である生き物の中のストレスや生活習慣等によって生じる穢れを絶えず浄化し続けているが、それを上回る穢れが発生すると苦しみ抜いた末に沈黙。
水霊(アクア)が正常に機能しなくなった生き物の身体は、病に罹ったり最悪死んだりする。そして極稀にではあるが、暴走して宿主の肉体其の物を作り変え、異形の魔物へと変貌させて破壊活動に駆り立ててしまう事も有る。
尚、人間の内側に宿る水霊(アクア)は1人につき1体ずつとは限らず、本人達の心の成長と、それに伴って新たな一面に目覚めた時に第2、第3の水霊(アクア)が誕生する。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第42話 Clearing Time

今回から時系列は現在に戻ります。同時に、色々と本編の謎が明かされますのでお楽しみに!


 「これが皆と会う前に私がして来た事……。蒼國(こっち)に来てからの事は、皆の知ってる通りです。」

 

 自身の過去に関する一連の話を終え、リラは一息吐きました。水霊仲間(アクアメイト)達が集まった霧船女学園の中庭では、尚も水路の水が変わらぬせせらぎを奏でています。

 

 一方、リラに起こった一部始終を聞いていた葵達は只々絶句したまま、じっと今回の主役であるリラの顔を見つめていました。

 彼女の過去を聞いて何を思ったかはそれぞれバラバラでしょうけれど、全員に共通していた事実は1つだけ。

 そう―――――目に大粒の涙を浮かべたまま、リラの話に聞き入っていたと言う事でした。中にはリラへの悲しみで身を震わせる子もいました。

 

 「今でも私、時々思い出すの。理緒奈ちゃんが最後に残した“厄病神”って言葉を……。私がいなかったら理緒奈ちゃんも西堀さん達も、表向きだけでも皆、平和で暮らして…」

 

 「そんな事無い!!」

 

 沈黙を破り、声を上げたのは葵でした。

 そして次の瞬間、葵と深優と更沙の3人は立ち上がり、優しくリラの事を抱擁しました。

 

 「えっ?ちょっと、葵ちゃん?深優ちゃんも更沙ちゃんも――――?」

 

 突然の抱擁にリラが戸惑う中、更に忍が言いました。

 

 「おい、お前等だけじゃなくってあたし等にもやらせろ!」

 

 忍のこの鶴の一声と共に葵達がリラから離れると、今度は入れ違いに忍…そしてみちると瑠々と水夏も何も言わず、無言のまま優しく抱擁を重ねました。

 無論、潤と真理愛の2人もです。

 

 「リラ………漸く全部話してくれたね。」

 

 「お前も辛くて大変だったんだな、汐月………!」

 

 「何でリラっちがアクアリウムなんて魔法みたいな力が使えるか、ずっと気になってたけど、まさか自殺まで考える様な辛い事が有ったなんて思わなかった………!!」

 

 尚も目元を涙で潤ませながら葵と忍と深優がそう言うと、潤と更沙とみちる、そして真理愛と水夏と瑠々も同じく涙ながらにそれに続きます。

 

 「リラちゃん、言ってたよね?“水霊士(アクアリスト)になるって、人間の汚い所が一杯見える”って……わたし、その意味が分かんなかったけど、リラちゃんの話聞いて直ぐ理解出来た!自分も虐められてたから、痛い程良く分かった……!」

 

 「リラが厄病神…?そんな事無い!リラは自分を守ろうとしただけ!」

 

 「そうよ!汐月は虐めに対抗出来る力を手にして、それを使って戦っただけ!私が貴女と同じ立場だったら絶対そうした!」

 

 「本当に悪くて、恥ずかしくて最低なのは、他人の気持ちを考える頭を持ちながら、それをしないで平気で人を傷付ける人達よ!」

 

 「お父さんが言ってた……。『人間は例え相手にどんな非や問題が有ったとしても、常に相手の立場に立ってその人の事を考えなきゃ行けない。その為には先ず、相手の弱さと愚かさと醜さを認めるべきだ。相手も自分と同じ、不完全で至らない対等な人間であると言う前提に立て』って。それを“何となくムカつくから”とか“周りと違うから”とか、それっぽい理由で思考停止して他人を傷付けて、自分が酷い目に遭えば直ぐに被害者面して誰かの所為にするなんて、人間として……って言うか生き物として最底辺のクズよ!そう言う奴こそ下等動物って言うべきだわ!」

 

 「汐月、あんたは何にも悪くない!虐めてたその理緒奈って奴が、勝手に自滅して堕ちてっただけ!!結果論かもだけど、あんたが手を出さなくたってそいつは、父親のスキャンダルの所為でどの道、転落してた!汐月が気に病む事なんて全ッ然、100億パー無いから!!」

 

 「皆……!」

 

 水霊仲間(アクアメイト)達からの励ましの言葉に、今度はリラがその藍色の瞳を潤ませながら葵達の顔を見回します。

 孤独と虐めの過去を背負って生きて来たリラにとって、今日程救われたと思う日は無いでしょう。

 目を潤ませながら、リラは忍達先輩の方を見て上目遣いで言いました。

 

 「あのっ…先輩達にお願いが有るんですけど……良いですか?」

 

 「頼み事?何だよ?言ってみろよ。」

 

 「今のわたし達なら、出来る範囲で聞いてあげるわよ!」

 

 突然のリラからの頼み事に忍と瑠々は首を傾げますが、直ぐに受け付けます。

 

 

 「私の事……「汐月」じゃなくって「リラ」って呼んでくれませんか?」

 

 

 それまで名字で呼んでいたのを、下の名前で呼ぶ様に請願するリラに、忍達は直ぐに口元に笑みを浮かべます。

 

 「あぁ、良いぜ……リラ!」

 

 「勿論よリラ……って言うかわたし達、ずっとこの日が来るの待ってたんだからね!」

 

 「私も……ずっと貴女の事を下の名前で呼びたいって思ってた!」

 

 「改めて宜しくね、リラ!」

 

 忍と瑠々と水夏とみちるがそう言うと、真理愛と潤もニッコリ笑って頷きます。

 

 「それと出来る事なら葵ちゃん達の事も、名前で呼んであげて欲しいです。もう皆、私にとって水霊(アクア)で繋がった大事な仲間なんですから、何時までもそんな他所他所しいのは嫌です!」

 

 「こいつ等の事もか?お前がそこまで言うってんならそうするぜ!」

 

 「同じ1年生として、リラの事お願いね?葵!深優!更沙!」

 

 「「「はい!勿論です!」」」

 

 自分だけでなく、同級生の葵達の事も名前で呼ぶ様にリラが頼んだ事で、霧船女子学園水泳部の水霊仲間(アクアメイト)達の繫がりはより深く、強固な物となって行きました。

 すると其処へ、テミスが人間態を取りながら前に出て言いました。

 

 「リラ、本当に最高で素敵な人達に巡り会えたわね。」

 

 「テミス?」

 

 そして改めて葵達、霧船女子水泳部の水霊仲間(アクアメイト)達を見回しながら言いました。

 

 「葵さん、深優さん、更沙さん、潤、真理愛さん、瑠々さん、水夏さん、みちるさん、そして忍さん……。有り難う。リラの事を此処まで大事に思ってくれて。貴女達のお陰で、リラは漸く前へ進む事が出来そうです。繰り返して言うわ。本当に有り難う!」

 

 葵達に感謝の言葉を述べながら深々と頭を下げるテミスの姿に、一同は思わず顔を赤らめます。2,3年生の先輩達に至っては両手を後ろ手に組んでもじもじしていました。

 そんな彼女達を見て、テミスは更に言葉を紡ぎます。それは葵達にとっては或る意味、お待ちかねと言うべき内容の言葉でした。

 

 

 「それでは皆さん、リラの昔話に付き合って下さったお礼に、貴女達の水霊(アクア)水霊士(アクアリスト)に関する質問にお答えして差し上げますわ!」

 

 

 「「「「「「「「「えっ!?」」」」」」」」」

 

 突然のテミスからの報酬に、葵達9人の水霊仲間(アクアメイト)達は驚きを隠せません。

 

 「し、質問って……?」

 

 「本当に何でも答えてくれるの?」

 

 葵と瑠々がそう尋ねると、テミスはニッコリ笑ってそう頷きました。

 

 「おい、何訊くよお前等?」

 

 「“何”っていきなり言われても困るわよ、忍……。」

 

 「ぶっちゃけ聞きたい事、一杯有るんですけどねぇ~。」

 

 「いざ“何でも答えてくれる”って言われても直ぐに浮かびませんよね……。」

 

 「じゃあさじゃあさ、こう言うのどうですか?」

 

 「深優、何か思い付いた?」

 

 リラ以外の9人が固まって何を質問するか話し合うと、直ぐに9人を代表して深優が前に出て来てテミスに尋ねました。

 

 「じゃあテミス、早速質問して良い?」

 

 「どうぞ、深優さん。」

 

 テミスに促されると、深優は待ってましたとばかりに声を上げてこんな初歩的な質問を投げ掛けます。

 

 

 「どうしてリラはアクアリウムの力を使えるの?って言うかどうしてリラなの?潤先輩もテミスのお陰でそうなったって聞いたけど、水霊士(アクアリスト)になるには何か資格みたいなのが必要って事?それこそ生まれつきの才能とか素質みたいな……。」

 

 

 至極真っ当な深優の質問に、一同はうんうんと頷きます。霧船女子の水霊仲間(アクアメイト)全員が共通で抱いていた疑問なのですから当然でしょう。テミスは真っ直ぐ深優の目を見て即答します。

 

 

 「答えは、彼女や潤が『海の瞳』の持ち主だったからよ。」

 

 

 テミスの口から発せられた『海の瞳』と言う新たな単語(ワード)に、一同はキョトンと首を傾げます。

 

 「海の瞳?」

 

 「そう言えばリラっちや潤先輩、綺麗な藍色の目をしてるけど、これが水霊士(アクアリスト)になる資格って事なの?」

 

 「察しが良いですね深優さん。その通りよ。彼女達や今日出会った内海レンの様な海の瞳の持ち主は、私達水霊(アクア)やウンディーネの様な水の精霊と心を通わせる精霊使いの末裔で、生まれ付き水を属性とする霊力を潜在的に秘めているの。瞳を見れば、その人間が水霊士(アクアリスト)の素質を持っているかどうか、私達には直ぐに分かる。そしてその力を私達上級水霊(アクア)が呼び覚まし、増幅させる事で海の瞳の持ち主はアクアリウムが使える様になるのです。」

 

 前々からリラや潤の藍色の瞳は神秘的で、深い海を連想させる物でしたが、まさかそれが水の精霊使いの素質だったとは……。目から鱗の回答に、葵達も納得です。

 

 「水霊士(アクアリスト)の素質を持った人間の目って、海みたいに澄んだ綺麗な藍色の瞳をしてるかどうかなんだ……。」

 

 「リラ、知ってた?」

 

 「うん、そう言う基本的な所はテミスから教えられてたから。」

 

 (し、知らなかった……。まさかこの瞳の色にそう言う意味が有ったなんて……。)

 

 テミスからの回答に深優が納得する中、葵がその事を知ってるか尋ねるとリラは「知っている」と回答。やはり水霊士(アクアリスト)として、リラもそれ位は知っていて当然でした。尤も、水霊士(アクアリスト)になりたてだった潤は知らなかった様ですが……。

 

 「まっ、水霊士(アクアリスト)として基礎中の基礎みたいだしな。知らねぇ方が潜りって話だからリラも知ってて当然か。」

 

 納得した様子で忍がそう言うと、徐にテミスはリラの方を向いて言いました。

 

 「そしてリラ、ユラはずっと貴女に黙ったままだったけど、ユラもまた水霊士(アクアリスト)でした。若い頃はこの蒼國に住んでいて、アクアリウムで多くの人や動植物を癒していたのよ。リラ、貴女もユラに癒された記憶があるでしょう?」

 

 「お祖母ちゃんが……水霊士(アクアリスト)!?」

 

 テミスから告げられた真実に、リラ達は驚愕するしかありませんでした。まさか、自身の祖母までが水霊士(アクアリスト)だったなんて……!!

 ですが彼女からそう告げられると、リラには思い当たる節が幾つも浮かんで来ます。

 体の具合が悪い事をユラに伝えれば、彼女は言っていました。

 

 『じゃあリラ、目を閉じて横になりなさい。私が直ぐ元気になるおまじないを掛けてあげるから!目を開けたらまたやり直しになるからそれだけ気を付けてね?』

 

 横になって目を閉じる様に言って来た物ですが、その後まるで身体が宙に浮く様な奇妙な感覚を覚えた物です。そして全てが終わった後で目を覚ますと、身体は至って元気で気持ちもリフレッシュしていました。

 あれは今思えば、自分にクラリファイイングスパイラルを施していたのでしょう。漸くリラの中で全てが繋がって来ました。テミスが自分をユラの住んでいたこの街に導いたのも、きっと何か理由が有る。それは未だ分かりませんが、同時にリラはそう直感していました。

 

 「リラのお祖母ちゃんが水霊士(アクアリスト)だったって事は、その下のお父さんかお母さんも水霊士(アクアリスト)だったの?」

 

 テミスの言葉を受け、更沙が次の質問を投げ掛けます。中々に鋭い質問ですが、テミスは淡々とこう答えました。

 

 「水霊士(アクアリスト)である以上、ユラも海の瞳の持ち主だったは当然ですが、残念ながらユラの娘、つまりリラのお母さんのミラには引き継がれませんでした。そもそも海の瞳は子々孫々と受け継がれる物では無いのです。下の代に引き継がれる事も有れば、隔世遺伝するケースも多々あります。そして多くの場合は女性に引き継がれ、男性に受け継がれる可能性は低いの。だからユラの娘=貴女のお母さんには受け継がれなかった。それだけです。先日会った内海レンと言う人間の様に、海の瞳を持った男性なんて極めてレアなケースなのよ。」

 

 更沙の質問を受け、次に明かされたのは水霊士(アクアリスト)の血筋について。続いて忍はこんな質問を投げ掛けました。

 

 「成る程な…。だがよ、もっと大事で気になる事が有るだろ。あんた、汐つ…リラが自殺しそうになった時に出て来てアクアリウム使える様にしたそうだが、何で自殺しそうになったタイミングで都合良く出て来たんだよ!?今までこいつが苦しんでんの見て見ぬ振りしてたってのかよ!?」

 

 確かに、テミスがリラの事を見守っていたと言うのなら、理緒奈達に虐められていた時にもっと早く出て来て助けても良かった筈なのに、何故追い詰められて川に身を投げる寸前で都合良く現れてアクアリウムの力を授ける様な事をしたのでしょう?

 リラを可哀想だとは思わない薄情な対応に、半ば怒りの込もった詰問にも似た厳しい問いを忍からぶつけられますが、テミスは取り乱す事無く至って冷静に回答します。

 

 「順を追って説明しましょう。と言っても理由は簡単。それは私がユラの中に宿っていた内なる水霊(アクア)だったからです。」

 

 「お祖母ちゃんの……?テミスって、元々お祖母ちゃんの中に宿ってた水霊(アクア)だったの………!?」

 

 いきなりテミスがユラの内なる水霊(アクア)だったと告げられ、リラは唖然となりました。自分でも全く知らない驚愕の真実に触れたのですから、それも無理からぬ話でしょう。

 そんなリラの様子を一瞥すると、テミスは改めてその場にいる一同に語り掛けます。

 

 「本題に入る前に、水霊(アクア)と人間の魂の関係性について説明しておきましょう。内なる水霊(アクア)として生き物の身体に宿る水霊(アクア)はその宿主の死後、彼等の魂と一体化して人間が霊界とか冥界、彼岸と呼ぶ世界へと死んだ宿主達を送り届けるの。大自然の精霊の中で、最も死や人間の魂と近しい場所に居るのは私達水霊(アクア)なのよ。」

 

 「言われてみれば幽霊って水場に良く出るよね。砂漠とか乾燥した地域でそう言う怪談は聞かないし…。」

 

 得心の行った様に深優が呟く中、尚もテミスは滔々と言葉を紡ぎます。

 

 「但し、余りに現世への未練が強かったりすると、死者の魂は水霊(アクア)との一体化を拒んでその場に留まってしまい、地縛霊や浮遊霊となって残るの。場合によっては暴走して一体化した水霊(アクア)を逆に支配して取り込み、スペクター等の悪霊となってしまう。そう言う人間は基本的に今わの際まで内に穢れを特濃で溜め込む物ですから、一体化する水霊(アクア)も当然穢れ水霊(アリトゥール)だし当然でしょう?こうなってしまうと、上位の水霊(アクア)やその他の精霊、延いては強い霊力やそれに匹敵する異能を持った人間に頼るしか有りません。私達水霊(アクア)の役目は、あくまでこの星を循環しつつその穢れを浄化する事のみ。それ以上の事には基本的にノータッチなのですから。とは言え、そう言うケースは余り無いですけどね。多くの場合、余程強い想い以外は一切薄れて抜け殻の様になります。例え犯罪者や悪人の様な穢れ水霊(アリトゥール)の持ち主でもです。然し同時にその中に宿る水霊(アクア)も、漸く穢れの苦しみから解放されると共に周囲にいる仲間の水霊(アクア)から浄化され、改めてそうした輩の魂を彼岸に運ぶのです。」

 

 長話になってしまいましたが、不思議とリラ達はテミスの話に聞き入っていました。死んだら人間はどうなるのか?意識とか自我は消滅して無に還ってしまうのか?生きている人間である以上、全員に関係する事なので俄然興味深く聞き入るのも当然と言う物です。

 

 「じゃあさじゃあさじゃあさ!前世の記憶の話や漫画とかに有る異世界転生って言うのは一体何なの?」

 

 サブカルに詳しい深優がそう興味本位で尋ねると、テミスは更にこう答えます。

 

 「それは死者の魂と水霊(アクア)が一体化したまま一緒に来世に向かった結果起きる現象です。この世界に於ける前世の記憶は、そうして再びこの世に生を受けたケースなのよ。けれど異世界転生については正直、私達水霊(アクア)も分かりません。私達が知り尽くしているのはあくまでこの地球の諸々の出来事だけ。異世界の事と地球外の事は門外漢です。宇宙やその周辺の星の事も、長い時間を掛けて人類が調査や観測を行って得たのと同じだけの知識しか有りません。」

 

 「ふ~ん……流石に宇宙とかあの世を含めた異世界の事は水霊(アクア)でも分からないんだね。」

 

 「…それでも私達人間からすれば十分過ぎる位色々と知ってるからやっぱり水霊(アクア)は凄いでしょ。」

 

 深優と水夏がそう感想を零すのを横目に、テミスはリラの方を向いて本題に入ります。

 

 「――――では。話を戻しましょう。ユラが死んだ後、本来なら私は彼女の魂と一体化する事でユラを霊界に送り届ける予定でした。然し、ユラは逝くのを拒んだのです。それはリラ、貴女の事が心配で仕方が無かったからよ。だからこそ私はユラと一体化した状態のまま、貴女の事をずっと見守っていたの。」

 

 「えっ?それってまさか――――」

 

 テミスの言葉を受け、一同はそれが何を意味するのか即座に理解しました。代表して葵が声を上げます。

 それを受けて次の瞬間、テミスはリラにとって最大級の真実を告げたのです。

 

 

 「そう、ユラは死んで魂だけとなっても尚、貴女の傍にいたのよ!」

 

 

 「お、お祖母ちゃんが……私の傍に…………!?」

 

 テミスから告げられた衝撃の真実に、リラは驚きを隠せません。その両目には大粒の涙が浮かんでいました。

 

 「リラ……!」

 

 「リラっち……!」

 

 「リラちゃん…!」

 

 「リラ、お前は………!!」

 

 葵、深優、潤、忍が声を挙げてリラの方を向きます。他の更紗、瑠々、水夏、真理愛、みちるも無言でしたが同じリアクションを取りました。全員、その目に大粒の涙を浮べていました。テミスはリラの前に顔を近付け、両肩に手を置くと、更に力強く真実を熱弁します。

 

 

 「貴女が八十島理緒奈達の心無い虐めによって生きる気力を失い、死を選ぼうとした時、ユラは私に言ったの。『リラを助けて欲しい!』って……。然し、如何にユラと繋がりが深いからとは言え、何の関係も無い普通の人間でしか無かった貴女の為に何かしてあげる理由は私には元来無かった。其処で私は条件を出したの。『リラにアクアリウムを授け、この星の穢れを浄化する濾過フィルターとしての使命を背負わせる』と言う条件を!」

 

 

 リラが自殺しようとした時、テミスが彼女の前に都合良く現れたのは、全てユラの意思の導きによる物――――この話だけでも、リラにとっては驚愕でした。

 テミスは尚も続けます。

 

 「最初はユラだって一瞬、躊躇いましたよ。当然でしょう?貴女も経験が有るから分かると思いますが、水霊士(アクアリスト)は水の穢れを浄化してその命を癒す仕事柄、人間の愚かさや醜さ、弱さと言った見たくも無い物が多く目に付く物だと言う事を。そんな物、不快でストレスにしかならないでしょう?ユラは貴女にそんな想いを味わう事無く、普通の女の子として生きて欲しかったの。ですが、今にも入水自殺しそうになった貴女の姿を見て、“背に腹は代えられない”と思ったユラは了承しました。それであの時、私は貴女を助けて水霊士(アクアリスト)に仕立て上げ、今に至ったのです!」

 

 自分がテミスに救われてアクアリウムを授けられた裏側の真実は、さながらノアの大洪水の如くリラの頭の中を駆け巡りました。他の葵や忍達も絶句して、言葉が出なかったのは言うまでも有りません。

 

 (リラちゃんの話を聞いてて薄々感じてたけど水霊士(アクアリスト)の使命って、思った以上に凄く重いんだね。わたしに務まるのかな………?)

 

 一方で潤だけが、水霊士(アクアリスト)としての責務の重さを強く実感していました。

 そんな彼女達の胸中を他所に、テミスは更なる真実を伝えます。

 

 

 「更に言いますと、私の普段取るこの人間態が少女時代のユラの姿なのも、その方がリラにとって親しみやすいと思ったからです。まぁ、元の老婆の姿で現れたら混乱しそうと言うのも有りましたけどね。と言ってもユラは老いても外見的に若々しかったですが。」

 

 

 言われてみれば確かにユラは生前70過ぎの老婆でしたが、外見的にはまるでそうは見えず、40代半ばから50代前半にしか見えませんでした。

 

 (((そっか。だからテミスはリラのお祖母ちゃんの若い頃にそっくりだったんだ―――――。)))

 

 何れにせよ、テミスの人間態が少女時代のユラと酷似していた事に疑問を抱いていた葵と深優と更紗には大納得の答えでした。

 

 「これが全ての真実よ。どう?納得出来ましたか?」

 

 「うん、もう十分分かったから……。有り難う、テミス。これで全部スッキリした!」

 

 テミスから告げられた答えの数々を受け、得心が行き過ぎる程に行ったリラの気持ちは、濁りの取り除かれたクリアな水の様に澄んでいました。

 

 「「待ってテミス!」」

 

 「葵ちゃん…?みちる先輩…?」

 

 すると次の瞬間、声を上げたのは葵とみちるでした。

 

 「何だよお前等?この期に及んで未だ何か有んのかよ?」

 

 全員の視線が2人に集中する中、葵とみちるは或る意味、リラにとって最も重要な問いをぶつけました。

 

 

 「テミス、貴女の中にリラのお祖母さんの魂が宿ってると言うのなら―――」

 

 「お祖母ちゃんをリラに会わせてあげる事だって出来るんじゃないの?」

 

 

 「お祖母ちゃんと……また会える?」

 

 葵とみちるのこの問い掛けに、リラの心は海底地震の如く激しく揺れ動きました。死んだ愛する家族にもう1度会いたい――――誰もが1度は望んだ事ではないでしょうか?

 

 「お願い、テミス!リラのお祖母ちゃんをリラに会わせてあげて!」

 

 「そうよ!リラ、貴女だってお祖母さんに会いたいでしょ!?」

 

 「そ、それは……。」

 

 みちるからの問い掛けに、リラの心は尚も大きく揺れ動きます。

 もう1度、死んだお祖母ちゃんに会いたい―――――。

 もう1度会って、話がしたい―――――。

 テミスから告げられた真実と、それを受けた2人の言葉を受け、そんな想いが海底の熱水噴出孔から湧き上がる温泉の如く沸々と湧き上がって来ます。

 

 そんなリラの胸中を察してか、テミスは意を決してこう返します。

 

 「会いたいかどうかを決めるのは私ではなくリラです。リラ、貴女が望むのならユラに会わせてあげる事が出来ますがどうしますか?ユラと会いたいですか?」

 

 「私は―――――。」

 

 テミスからの問い掛けに、リラは暫し沈黙します。

 お祖母ちゃんには確かに会いたい。けれど、会ってどうする?何を話す?

 そもそも出会った所で、何か未練みたいな物が残って結局「会わない方が良かった」的なオチが待っているのではないか?

 会うか?会わないか?その二択の中でリラが逡巡していると、不意にテミスの中から声が聞こえて来ました。

 

 

 『テミス、私を解放しなさい。』

 

 

 「ユラ?」

 

 「!!?お祖母ちゃん!?」

 

 その声は紛れも無い、そしてリラにとっても決して忘れられない懐かしい声―――――最愛の祖母・ユラの声でした。

 

 『リラがこうなってしまったのも、元を糺せば私の不始末による所だって大きいわ。あの日、何も言わずに死んだ時、私だってずっと後悔してたから―――――。』

 

 ユラの声を受け、リラの脳裏には嘗て調布の河原に散歩に行った時、そのまま心臓発作で倒れて帰らぬ人となった祖母の姿がフラッシュバックしました。

 気が付けば両目から止め処無く溢れる、滂沱の涙を浮かべながらリラは最愛の祖母を呼びました。

 

 

 「―――――会いたいよ……お祖母ちゃん!!」




はい、と言う訳で世界観について、死後の世界も含めてネタバレして見ましたが、ぶっちゃけ死んだ後の事を考えるのは大変だった……。只、『異世界転生』に関して、自分なりの答えを出せたのは少し自画自賛なポイントであります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第43話 海の瞳が刻みし物

第四章はこれにて終わりです!いや~過去回想と世界観について考えるのも書くのも大変だった!


 リラが涙ながらにユラを呼んだ次の瞬間、テミスの身体がコバルトブルーの光に包まれ、其処から等身大の人の形をした光の塊が出て来ました。

 光が解かれると、其処に立っていたのは生前の姿のユラ其の物!只、肉体を失った霊体である為か、その姿は半透明では有りましたが………。

 

 「こっ、この人が…」

 

 「リラさんの………お祖母さん!?」

 

 潤と真理愛が呆気に取られながら、他の面々と共に初めて見るユラの姿を眺めている中、ユラは穏やかな眼差しと共にリラと向き合います。

 

 「リラ……久し振りね。貴女の事はずっと傍で見てたけど、随分立派になったわね。」

 

 「お祖母ちゃん……お祖母ちゃあぁぁぁぁんッ!!」

 

 アクアリウムを発動させながら、リラはユラの元に駆け寄り彼女の懐に飛び込みます。

 そんな孫娘の事を優しく抱きながら、ユラは何も言わずにリラの頭を撫でるだけでした。

 

 「お祖母ちゃぁん……会いたかったよぉッ………!ずっと………ずっど、寂じがったよおぉぉッ…!!何であの時、私を遺して先に死んじゃったの……!?酷いよぉ、あんまりだよおぉッ………!!」

 

 「御免ね、リラ……悪いお祖母ちゃんで……。貴女が大人になるまで、生きて傍にいてあげられなかった処か独りぼっちにして、水霊士(アクアリスト)としての使命まで背負わせて……!!」

 

 同じく目から涙を流しながら、ユラも孫娘とそう言葉を交わします。

 2人の感動の再会を前に、葵達は目に涙を浮かべながらその様子を微笑ましく見守っていました。

 

 

 「2人とも、感動の再会はもう良いでしょう?」

 

 

 すると其処へ、先程まで黙っていたテミスの第一声が響きます。

 全員が声のした方を向くと、其処に立っていたのは今までの少女時代のユラではなく、全く別の姿の少女でした。

 170前後と言う忍やみちるに比肩する高身長に、バスト100近くは有ろうかと言う豊満な胸の膨らみ。

 丈の極端に短い、コバルトブルーの着物に似た衣装。

 地面まで届きそうな程長いアイスブルーのロングヘアー。

 そして太腿から爪先まで露出した、生の眩しい美脚で。無論、足元は裸足。

 けれど声だけはテミスと一緒でした。

 

 「「「「「「「「「「………誰?」」」」」」」」」」

 

 「テミスです!!」

 

 「「「「「「「嘘……!?」」」」」」」

 

 霧船女子水泳部10人のボケに対して間髪入れずに突っ込みを繰り出すテミスに対し、リラと葵と深優と更沙と潤と真理愛とみちるは信じられないと言わんばかりの表情です。

 

 「マジで?」

 

 「さっきまでと姿、全然別人じゃん……。」

 

 「あぁ、さっきまでの姿ってリラのお祖母ちゃんの昔の姿だった訳だから、もしかしてこれがテミスの本来の姿なの?」

 

 同じく忍と瑠々が驚きを隠せない中、1人冷静に水夏は目の前のテミスの姿こそ彼女の真のそれと推察します。

 

 「この10人の中で1番冷静に頭を使えるのは水夏さんの様ね。てっきり深優さんか更紗さん辺りがそのリアクションを取るとばかり思ってましたが?」

 

 「そ、そりゃ私だってテミスが今までと全然違う姿で出て来るなんて思ってなかったんだもん!完全に意表突かれたよ!」

 

 「流石にこれは予想外…。」

 

 一応の弁解をする深優と更沙ですが、気にせずテミスは続けます。

 

 「まぁ良いですわ。只一言だけ捕捉しますと、この人間の姿は普段の魚のそれと併せて、私の決まった姿と言う訳では無い事だけはご理解下さい。水に決まった形は無い訳ですし当然でしょう?」

 

 「リラっちのお祖母ちゃんの少女時代の姿してたかと思えば、全く知らない女の子の姿になるなんて流石は水の精霊………なのかな?」

 

 「まぁ…あたしの中にこの前まで宿ってたヴァルナも、リラの力であたしと同じ姿になってた訳だしな………。」

 

 「「「「確かに……。」」」」

 

 “水は方円の器に随う”と諺にもある通り、水は丸い器なら丸い形、四角い器なら四角い形となる物です。そんな水を司る精霊であるならば、決まった姿を持たない処か、様々な外見に見た目を変えられても何等不思議は無いでしょう。

 初めてリラと出会った時、ミラーリングアクアリウムを体験した忍とその場に居合わせた葵、深優、更沙、みちるは「物凄く納得」と言わんばかりの表情をしていました。

 

 「さて、久し振りにこの姿を取った所で、改めて本題に入りましょうか。」

 

 気を取り直すなりテミスは、ユラの傍へテレポートして来て言いました。

 

 「ユラ、貴女もリラに合わせて何時までもそんなお祖母さんの姿なんかしてないで、少女時代の姿になっても良いのよ?周りがこんなピチピチの子達ばっかりなのに、貴女だけそんな恰好じゃ場違いでしょう?」

 

 「えっ?だけどテミス……。」

 

 「テミス…私達、別に気にしないけど?」

 

 「貴女達が気にしなくても私が気にするの!未だ私のこの姿に違和感を持ってる子が相当いるみたいだしね。納得して貰う為にもお願いしてるの!」

 

 そう言ってテミスはリラ達1年生以外の全学年の子達を一瞥して言います。確かに更紗の家で少女時代のユラを写真で見たリラ達と違い、2年と3年の先輩の子達はそんな物は見ていません。そんな潤達からすればこれまでテミスが取っていた、少女時代のユラの姿こそ彼女のデフォルトのそれと言う認識は潤達の中で氷の様に硬く凝固している事でしょう。

 

 「……仕方が無いわね。」

 

 溜め息を吐きながらユラは身体を光らせ、次の瞬間には少女時代の若い姿になって見せました。

 

 「前のテミスの姿と同じだわ!」

 

 「今までのテミスの姿って、本当にリラさんのお祖母さんの昔の姿を真似てたのね…。」

 

 潤と真理愛が小並感…もとい正直な感想を吐く中、残る4人のそれと言えば―――――。

 

 

 「本物はテミスより優しそう……。」

 

 「テミスだと出来る女上司っぽかったけど、優しさ半減って感じだったよね~…。」

 

 「流石リラの祖母ちゃんだな。同じ姿でも本物の放つ雰囲気には敵わねーや。」

 

 「やっぱりテミスが化けた偽者より、本物のお祖母さんの姿の方が安心感が有って良いわね。」

 

 

 本物のユラと比較してのディスりでした……。

 

 「貴女達、今吐いた(ディス)の報いは後日、キッチリ受けて貰うから覚悟しておきなさいよ………?」

 

 「テミス、それは良いから話の続き……。」

 

 「そうね。今はそんな事言ってる場合じゃなかった…。」

 

 若干の怒りに身を震わせるテミスをリラが宥め、此処から改めて本題に入ります。 

 

 「それでユラ、貴女はこれからどうするの?今回の件でリラも、心の底に堆積した穢れはもう取り除かれるでしょう。勿論、未熟で不完全で足りない所は有るけれど、それも水霊仲間(アクアメイト)の皆がこれから埋めて行く筈。人間として一皮剥けたこの子ならこの先、水霊士(アクアリスト)として今まで以上に立派にやって行ける!貴女はもう、安心して来世に旅立って良いのよ?」

 

 「お祖母ちゃん、死んだ後の世界に行っちゃうの?」

 

 「私は―――――。」

 

 テミスの言葉を受け、寂しそうな顔をするリラ。それを見てユラは、少し複雑な表情を浮かべました。

 自分が死んでからずっと心配だった孫娘も、心を通わせた友達や優しくも厳しい先輩達のお陰で大きく成長し、人間としても水霊士(アクアリスト)としても立派にやって行けるレヴェルに到達しつつある―――――。

 けれど、本当にもう自分はリラに必要無い存在なのだろうか?祖母として、この子の為に出来る事は他に無いのだろうか?

 そんな考えが水槽の器具の中を循環する水の様に、ユラの胸中で世話しなく廻っていました。

 

 すると其処へ、深優が新たな質問を投げ掛けました。

 

 「ねぇ!またちょっと質問有るんだけど良い、テミス?」

 

 「深優…こんな時に何言ってんのよ……?」

 

 空気を読まずに新たな質問を投げ掛ける深優に呆れる葵ですが、テミスはこれを助け船と判断し、質問を促します。

 

 「構わないわ、葵さん。それで深優さん、今度は一体何について訊きたいの?」

 

 「リラっちのお祖母ちゃんが水霊士(アクアリスト)だって言ってたけど、お祖母ちゃんってどんだけ凄かったの?リラっちより上?」

 

 「深優ちゃん……。」

 

 「お前、今それ訊く事か……?」

 

 今此処でしてもしょうもないであろう深優の質問に呆れるリラと忍ですが、これがユラの今後を決定付ける契機となるのです。

 そんな深優の質問に対するテミスの回答はこうでした。

 

 

 「そうですわね…。結論から言ってユラは素晴らしい水霊士(アクアリスト)でした。それこそ、私や他の上級水霊(アクア)の力を100%のレヴェルで使いこなせる程に―――。」

 

 

 「じょ、上級水霊(アクア)の力を100%!?」

 

 「マジかよ……。」

 

 「あんな天気を簡単に大雨に変えちゃう程凄い水霊(アクア)の力を完璧に使いこなすなんて……。」

 

 知られざる水霊士(アクアリスト)としてのユラの才能の凄さを知り、リラは声を大にして驚きました。忍や葵も?然です。

 

 「上級水霊(アクア)は私も1回見たけど、本当に物凄い存在感だった。力だってとっても強力だって、一般人の私でも一発で見て分かる程だった……。」

 

 「リラちゃんだって未だ100%も力使いこなせてないのに、流石はリラのお祖母ちゃんだね……。」

 

 セドナもそうですが、嘗て同じく上級水霊(アクア)であるゲンムと出会い、その浄化に挑んだ真理愛と潤も、その力の大きさを知ってる手前、驚きを隠せません。

 

 「ユラの水霊士(アクアリスト)としての力は、文句無しに歴代でも上位に入る程でした。此処100年の時代において、これ程強大な水霊士(アクアリスト)は私も久しく見ていなかったから驚いたわ。」

 

 「そもそもテミスって、リラのお祖母ちゃんと何時からの付き合いなの?」

 

 水夏がユラとテミスの関係について尋ねると、それに答えたのはユラでした。

 

 「それについては私がお答えするわ。私の家系は代々、水の精霊と心を通わせる水霊士(アクアリスト)の家系だったの。そしてテミスは、私やリラのご先祖様の中で最初に水霊士(アクアリスト)となった方の中から生まれた水霊(アクア)だったのよ。」

 

 ユラから告げられた答えに、リラを始めとした一同は再び驚愕の念に囚われました。まさかリラの先祖が由緒正しき水霊士(アクアリスト)の家系だったとは、思いも寄らなかったからです。

 そしてテミスがリラやユラの先祖に当たる、大昔の水霊士(アクアリスト)の中から生まれた水霊(アクア)だったとは………。

 

 「此処からは私が説明しましょう。ユラやリラの遠い先祖から生まれた私は、未だちっぽけな力しか持たない下級水霊(アクア)でしかありませんでした。其処から私はその子孫が誕生する度に彼等の体内に渡り水霊(アクア)として代々宿り続けました。そうやってリラとユラに繋がる、歴代の水霊士(アクアリスト)達の内の原生水霊(アクア)の誕生と進化を促すと共に、彼等の水霊士(アクアリスト)としての才能の開花と成長をも促して来たの!同時にそうする事によって私自身も中級、上級へと進化して来たのです!」

 

 テミスの答えに、リラ達は改めて驚きつつも彼女の上級水霊(アクア)としての力の大きさと、その原点(ルーツ)を知って納得しました。何よりテミスが何時か話した、内に宿る水霊(アクア)が原生か渡りかの話がまさか此処まで生きて来るとは予想外でした。

 

 「あれ?原生タイプと渡りタイプって……?」

 

 「私達の中に宿ってる水霊(アクア)の種類よ、馬鹿!私とあんたのは前は違う人間の中に宿ってたから渡りタイプ!リラや潤のは生まれ付きの2人のオリジナルだから原生タイプ!忘れんじゃないわよボケ瑠々。」

 

 「あ、あぁ~…確かそう言う話してたっけ……ってかボケは無いでしょ、ボケは!」

 

 原生タイプと渡りタイプの何たるかを忘れてる瑠々に対して水夏が捕捉を入れているのを他所に、テミスは続けます。

 

 「ユラの代になる頃、既に私は上級の仲間入りを果たしてました。最上級水霊(アクア)としての高みを目指し、ユラの中に宿りながらその内なる水霊(アクア)の成長とユラ自身のアクアリウムの覚醒を促したのです。ユラの中での自己研鑽により、お陰で私は上級水霊(アクア)の中でも一握りの者しか到達出来ない最上級に大きく近付けました。事実上、私はユラを渡りとして最後に宿る人間として見定めていたわ。」

 

 「最上級って……テミスより強くて偉い水霊(アクア)がいるって事?」

 

 「其処まで行ったらもう完全に水神様じゃん…。」

 

 最上級水霊(アクア)と言う、最早“水神”としか形容し様の無い存在がいる事に呆気に取られる葵と深優ですが、此処で不意にテミスは本来の水霊(アクア)としての姿に戻ります。

 

 「テミス、いきなり元の姿に戻ってどうしたの?」

 

 (突然ですが、私の姿を見てどう思うかしら?熱帯魚に詳しい人間なら、シクリッドとグラミーと言う二種類の魚を合わせた様な姿だと思うでしょう?)

 

 「ね、熱帯魚には詳しくないけど、確かにテミスみたいな姿の魚は実在しないと思う……。」

 

 リラの率直な感想に対するテミスの回答はこうでした。

 

 (まぁ実在しない魚と言うのは確かね。何故なら私のこの姿は………私ともう1体、ユラの水霊(アクア)が1つになった姿だからです!)

 

 「「「「「「「「「「えぇっ!?」」」」」」」」」」

 

 テミスの思わぬカミングアウトに、一同は目が点です。まさか彼女のキメラ的な外見がユラの水霊(アクア)との合体だったとは……。

 それと同時にテミスの身体から更に同じ位大きな水霊(アクア)が分離しました。形状としてはコバルトブルーシクリッドに近い姿ですが、コバルトと言うよりインディゴに近いカラーリングでした。

 

 「こ…これが、お祖母ちゃん本来の水霊(アクア)!?」

 

 「そうよリラ。名前は『アルテ』。そして皆さんもご覧なさい。あれがテミスの本来の姿よ。」

 

 ユラの内なる水霊(アクア)であるアルテを分離させたテミスの原初の姿は、文字通りコバルトブルーと呼ぶに相応しい青いグラミーでした。コバルトブルー・ドワーフグラミーかブルーグラミーで判断が分かれる外見です。

 ともあれ、自身の中の真実を暴露したテミスはすっかり得意気になり、自身の改名を高らかに宣言します。

 

 (フッフッフ………これまで皆さんは、アルテを取り込んだ普段の私の姿をテミスと呼んで来ましたが、その呼び方は適切ではありません。真実を知ったからには、これから私の事は『アルテミス』と呼びなさい!)

 

 「「「「呼ばない!」」」」

 

 「「「「「呼ばないわ!」」」」」

 

 「呼ばねーよ!」

 

 ですが秒であっさり却下されてしまいました。

 

 (えぇ~…それは残念………。)

 

 「もう皆、お祖母ちゃんの水霊(アクア)と合体した普段のテミスの姿をテミスのデフォルトだって認識してるし、何よりもう皆その姿の貴女の事を“テミス”って呼び慣れてるんだから、今更改名なんて無理でしょ………。」

 

 (やれやれ…人間の慣れと言うのは実に難儀な物ですね………。)

 

 溜め息を吐きつつ、テミスは気を取り直して再び人間態になると、改めてユラに関する話の続きを語り始めました。

 

 

 「では気を取り直して言いますが、ユラは素晴らしい水霊士(アクアリスト)でした。才能も然る事ながら、その力で戦争や飢餓で身も心もボロボロになった多くの人間達を癒し、内なる穢れを取り払って来たのですから。リラ、丁度貴女位の年頃からユラはそうやって既に活動していたのよ。」

 

 「お祖母ちゃん、若い頃そんな事してたんだ……。」

 

 「懐かしいわね…あの頃は日本が未だ戦争の真っ只中で、多くの人が心と身体に穢れを抱えてた……。私は戦火で大事な物を失くした多くの人達の為、自分に出来る事をしたいって思った。テミスは言ったわ。『貴女には万人を癒す、大いなる水の力が眠っています』って…。それを知った時、私は一にも二にもその力を求めた。そして、沢山の悲しみを背負った人達の穢れを取り払い、心の荒みを取り除いて優しい心を思い出させたりもした。思えばそれが私にとっての青春だった―――――。」

 

 目を閉じながら、生前の在りし日の事に思いを馳せるユラの言葉に、リラと潤と更沙は感動を覚えました。

 

 「凄い……凄いよ、お祖母ちゃん………。お祖母ちゃんは立派だよ……。」

 

 「わたしも、同じ水霊士(アクアリスト)としてそう思う……。」

 

 「私のお祖母ちゃんも、ユラのお祖母ちゃんの事を“親友”だって言ってたけど、本当に立派な人だったんだね……。」

 

 こんな立派なお祖母さんを持ったリラは幸せ者だ―――――その場にいた水霊仲間(アクアメイト)の誰もがそう思いました。

 

 「人間としては其処は素直に感動する所なのでしょうね。ですがリラ、これを聞いても貴女は、未だユラの事を持ち上げていられますか?」

 

 「え………?」

 

 感動に水を差すテミスの発言に、リラは表情を曇らせます。その口振りから、ユラが何かとんでもない間違いを犯した様な不穏な物言いに聞こえるのは気の所為でしょうか?

 

 

 「ユラは確かに立派な水霊士(アクアリスト)でした。上級水霊(アクア)の力も100%引き出し、扱える程に。然しユラは――――――その所為で寿命を縮めた結果、命を落としたのです。」

 

 

 テミスの口から発せられたユラの死の真相に、リラは言葉も有りません。テミスが語る傍らで、ユラも申し訳無い気持ちで一杯の表情を浮かべていました。

 

 「どう言う事なのテミス!?リラのお祖母さんが、上級水霊(アクア)の力で寿命を縮めたって――――?」 

 

 みちるがテミスに尋ねる傍ら、リラが上級水霊(アクア)の力を行使する場面を見ていた葵と深優、そして潤と真理愛は思い当たる節が有が如くピンと来た様子を見せました。

 

 「何だよお前等?何か分かるのか?」

 

 忍が尋ねると、4人を代表して深優が言いました。

 

 「私、リラっちがパパのガンを治療した時にテミスを身体に宿す所を見たんです。」

 

 「私もその様子を見ましたけど、その時リラが使った力はテミスの全部の力の内、たった10%だったそうです。それでもリラ、身体中凄っごい痛そうにしてて超苦しそうでした……。」

 

 「マジかよ……。」

 

 たった10%でも全身が死ぬ程辛い――――上級水霊(アクア)の力が、人間にとって如何に過ぎた力であるかがこれだけでも伝わって来ます。

 

 「でもあの後、水泳部での練習のお陰で心と身体がその時より強く鍛えられてたお陰で、リラちゃんはゲンムを癒した時にはもっと力を使いこなせてました。忍先輩のお陰です!」

 

 「そ、そうか……。あたしがこいつを鍛えたから、リラも水霊士(アクアリスト)として成長出来た訳か……。」

 

 「と言っても、私と潤の演奏のバックアップが無かったら、リラさんはあっと言う間に駄目になってたと思います。やっぱり上級水霊(アクア)の力は人間が使うと、身体がボロボロになって下手したら命に関わる程危険なんですよ……。」

 

 潤が何とか弁護するも、自分達のバックアップが無ければ危うかっただろう事を真理愛が伝えた為、改めてその場にいた全員が深刻な表情になります。

 

 「潤と真理愛さんの力を借りてゲンムを癒した時、リラは私の力の内の30%を引き出していました。けれど、恐らくこの子だけだったら持続時間は1分も保たなかったでしょう。2人のリップルメロディーが有ったからこそ、リラは身体の負荷を軽くした上で10分以上私の力を行使し続けられたのです。それ程までに強大な上級水霊(アクア)の力を、生身の人間が100%使い続ければ寿命を縮めるのは当然の事。」

 

 「でもじゃあ、お祖母ちゃんは何の為にそんな無茶を……!?」

 

 幾等水霊士(アクアリスト)として、穢れに苦しんでる人を癒す為とは言え、そんな禁断の力を使い続けた結果、命を落とすのは正気の沙汰ではない。

 その為にあの日、突然自分の前で帰らぬ人になったと思うとリラはやり切れない気持ちで一杯になりました。

 数分の沈黙を置いて、ユラは口を開きます。

 

 

 「―――――助けたかったの。」

 

 

 「えっ………?」

 

 ユラの発した“助けたかった”と言う言葉に、リラはその藍色の瞳を大きく見開きます。

 そんな彼女の目を、同じく藍色の海の瞳で見つめながらユラは続けました。

 

 「私は、自分の目に映る全ての穢れを綺麗にしたかった。穢れに苦しむ人達を視界から消したかった!目の前で穢れに苦しんでいる相手がいたら、真っ直ぐ何処までも駆け付けてその穢れを取り払わずにはいられない!それがアクアリウムの力に目覚め、水霊士(アクアリスト)となった私の中で目覚めた使命だった!リラ、貴女だってそうして来たでしょう?」

 

 「!!!」

 

 ユラから指摘され、リラはハッと思い出しました。確かに、初めて理緒奈の取り巻きを癒した時も多少強引では有りましたが、それも『彼女達を穢れから解放したい』と言う想いからでした。虐めとの戦いを終えてからの残りの中学生活でも、卒業後に霧船に入ってから今日に至るまでの活動でも、穢れで苦しむ者を見たら放ってはおけない。皆綺麗にして自他共にスッキリさせずにはいられない!

 自分は街の穢れを浄化する“濾過フィルター”になる―――――これまで自分を突き動かしていたその想いは、自分の意思で決めている様に見えて、本当は水霊士(アクアリスト)としての能力から来る物だった!

 その事実に気付かされ、リラは14億立方km分の海水を頭に一気に浴びせられたかの様な衝撃を受けました。

 同時に、過ぎた才能と言うのは運命と化してその人間の思考を支配し、その力を使う事に人生を費やさせて他の可能性を潰す諸刃の剣である事がユラの話からも分かるでしょう。

 

 ユラは尚も続けます。

 

 「上級水霊(アクア)の力を使って、工場の排水で汚れた水を何度も浄化した事も有ったわ!私の身の回りの皆が、穢れに苦しまない様に!街に洪水や津波が迫れば、犠牲者が出ない様にテミスやセドナ達の力を何度も借りた!自分だけじゃなく、皆が心安らかに生きられる様に、私は私に出来る事を全部やりたかった―――それだけだったのよ…。」

 

 「お祖母ちゃん……!」

 

 その言葉を受け、リラは目から涙が止め処無く溢れるのを感じていました。ユラは人を癒す為だけでなく、ずっと人間を守る為に戦って来た――――その事を彼女の言葉で悟ったからです。

 

 「子供処か孫の顔も見れずに死ぬ物と思ってたけど、結婚してミラが生まれて、ミラが結婚してリラが生まれて、私は幸せだったわ。ずっと見れない物と思っていた孫の顔が見れただけでも、私には奇跡だった!だけど………」

 

 「だけど?」

 

 首を傾げるリラに対し、不意に自虐気味な笑みを浮かべながらユラは言いました。

 

 「流石に孫が大人になって、花嫁衣装を着る所を生きて目にする事は出来なかったわね……。」

 

 切ない表情でミラを見つめてそう言い切るユラの姿を受け、忍は彼女をずっと見守って来たテミスに抗議します。

 

 「つーかテミス!お前、リラの祖母ちゃんの事ずっと見守ってたんだろ!?なのに何で何もしてやらなかったんだよ!?お前等の力で寿命とかどうにかならなかったのか!?」

 

 「無茶を言わないで下さい。私達水霊(アクア)は水に生まれた命の営みを見守る存在ではあっても、その生き死にまではどうする事も出来ないの。私達上級の力を使い続けた結果、ユラが長く生きられないと言うのなら、残念だけどそれが運命と割り切るしか無いのです!」

 

 「だからってこれじゃ、リラの祖母ちゃんは水霊士(アクアリスト)としての使命に殺された様なモンじゃねぇか…!!それでリラがあんな辛い想いを味わう事になるなんざ………幾等何でもあんまり過ぎるだろ!!」

 

 やり場の無い悲しみと怒りに身を震わせる忍の姿を受け、次に口を開いたのは葵でした。

 

 「テミス、リラに水霊士(アクアリスト)としての使命を背負わせるのを条件に自殺し掛けたリラを助けたって言ってたよね?でも、リラのお祖母ちゃんは水霊士(アクアリスト)として頑張った所為で死んだんでしょ?なのに水霊士(アクアリスト)の使命を背負わせるって事は、リラにも同じ様に生きて死ねって言うの……?」

 

 「葵ちゃん、それは……」

 

 静かに、然しやり場の無い怒りにも似た感情を静かに滲ませながら、詰る様に葵がテミスに尋ねます。

 

 「葵さん、それに関しては私も心当たりが有るわ。」

 

 「真理愛先輩?心当たりって何ですか?」

 

 すると其処へ真理愛が割って入り、潤と一緒にゲンムを癒した時の状況を改めて伝えました。

 

 「この前、私と潤はリラさんと一緒に大きな亀の上級水霊(アクア)を癒したの。確かゲンムって言ってたけど。」

 

 「その水霊(アクア)、身体中に酷い穢れを溜め込んでたの。わたしと潤とリラちゃんで何とか癒せたけど、テミスと同じ位凄い水霊(アクア)を穢れで蝕む程とんでもない何かがこれから動き出そうとしてるらしいわ。それが何なのかまではテミスも教えてくれなかったけど……。」

 

 「「「「「「「!?」」」」」」」

 

 真理愛と潤の話を受け、残る葵、深優、更沙、瑠々、水夏、みちる、忍の7人は唖然となりました。

 まさか上級水霊(アクア)を穢れで苦しませる程の強大な化け物がいるだけでも既に驚きでしたが、この事実と話の文脈から導き出される仮説は1つ!

 

 

 テミスは、そんな化け物をこれからリラに対処させる為に彼女を水霊士(アクアリスト)にしたのではないか?

 

 

 そんな考えが一同の脳裏を過った時、真っ先に動いたのは忍と葵でした。

 

 「冗談じゃねぇ……ふざけんじゃねぇぞてめぇ!!そんな恐ろしい化けモンとリラを戦わせる為にこいつを水霊士(アクアリスト)にしたってのか!?こいつに水霊士(アクアリスト)としてお前等の為に死ねっつーのかよ、この偽善者野郎がァァァッ!!!」

 

 「そうよ!リラは私達の大事な友達なのよ!?それをあんたの勝手な都合で死なせるなんて私、絶対許さないから!!」

 

 「止めて葵ちゃん!!忍先輩も!」

 

 リラの制止を無視し、険しい表情で胸ぐらを掴んで詰め寄る忍とそれに続く葵ですが、対するテミスは真顔で忍にこう返します。

 

 「忍さん、私がリラを助けて水霊士(アクアリスト)にしなかったら、貴女は穢れ水霊(アリトゥール)の所為で大好きな水泳も出来ない処か、今頃自殺していたのですよ?」

 

 「ぐぅっ……!!」

 

 アキレス腱処か心臓も同然の急所を突かれ、忍は悔しそうにテミスから手を放すしかありませんでした。

 依然、凪の如く落ち着いた表情のテミスは、尚も納得行かないと言わんばかりの表情を浮かべた周囲の水霊仲間(アクアメイト)達に言い放ちました。

 

 「それにリラもリラで、私からアクアリウムの力を授けられる事を納得の上で全てを受け入れたのよ。仮に虐めで追い詰められて苦しいって言うその場限りの感情からだったとしても水霊士(アクアリスト)として戦う道を選んだと言う事は、この子も穢れを浄化する濾過フィルターとして生きる覚悟を決めたと言う事!それがユラの様に命を削ってまでやりたい事かどうかは別としても、自分の使命として受け入れたのは間違い無いわ。それを偶々リラの傍にいた所為で水霊(アクア)の世界を覗いて、そのままなし崩し的に足を踏み入れただけの一般人の貴女達にとやかく言う資格など有りません。ついでにそれを言ったら潤だってそうです。この子が水霊士(アクアリスト)になると決めたのは、この子がその素質が有って尚且つ『リラの力になりたい』と志願したからで、それを受けて私は力を授けたに過ぎません。断じて強要した訳では無いので誤解しないで欲しいわね。これだけでも私が素質有る人間なら、誰でも水霊士(アクアリスト)にしている訳では無い事が分かるでしょう?リラや潤が自分で納得して選んだ道なのに私を非難するなんて、筋違いで無意味も甚だしいですわ。それこそこの子達の決意への冒涜と言う物だしこんな所で今更、見当違いな感情論をぶつけられても正直迷惑と言うのが本音ね。」

 

 鉄砲水の如く次々と押し寄せるテミスの言葉の奔流に、葵達は何も言い返せずに押し黙る事しか出来ませんでした。

 確かに、過去の話を聞く限りリラが水霊士(アクアリスト)になったのは彼女が自ら選んだ道で、テミスは単に力が欲しいか訊いただけ。尤も、シチュエーションが川に飛び込んで自殺すると言う他に選択肢の無い場面で都合良く出て来ている手前、“卑怯”と一矢報いる事は出来るでしょう。

 然し、それは虐めと言う理不尽の嵐に翻弄された末に生きる為、戦う為に水霊士(アクアリスト)としての使命を受け入れたリラの気持ちを否定する事に繋がりかねません。どの道、リラと関わらなければ只の友達が関の山で、そうでなければ道で擦れ違うだけの見ず知らずの他人と殆ど変わらなかった葵達に、リラの人生の決断をどうこう言う資格は最初から無いのです。

 

 テミスからの論破を受けて険悪な空気がその場に充満する中、それを破って再び口を開いたのは葵でした。

 

 「それでも……それでも私、水霊士(アクアリスト)の使命の為にリラを死なせたくない!!」

 

 そう叫んで葵がリラの肩を強く抱くと、深優と更沙もそれに続きます。

 

 「そうだよ!リラっちには私達と一緒に生きて、幸せになって欲しい!!」

 

 「私達に出来る事が有るなら、喜んでリラの力になる!」

 

 1年生の親友達の熱に当てられてか、忍とみちると瑠々と水夏の先輩4名も負けじとリラを囲んで言いました。

 

 「こいつはあたしの大切な愛弟子なんだぞ!?それをお前等の都合で死なせる真似なんかさせるかよ!!」

 

 「確かにリラと廻り会って、水霊(アクア)の世界に足を踏み入れたのは偶然かも知れない!だけど、こうやって同じ秘密を共有し合う仲間になれたのは絶対に意味が有る!!それに私、忍の事を助けて貰った恩だって未だリラに返せてないの!!その恩を返し終わるまで、私はリラには死んで欲しくないし、傍にいて出来る事なら全部してあげたい!!」

 

 「わたしもリラの事、もっと知りたいし一緒に色々と楽しい事がしたいの!!この子が水霊士(アクアリスト)でも何でも関係無い!!リラはわたしが守る!!」

 

 「私もその点だけは瑠々と同じ…。リラの孫が大人になってウェディングドレス着る所を見るまで、一緒に生きてたい……!!」

 

 「み、皆……それに先輩達も…………」

 

 4人が4人とも相当な覚悟と決意を漲らせているのか、全員その豊満な胸を大きく揺らして強く言い切ります。

 同級生と先輩達の赤裸々な自身への想いに顔を赤らめつつも、何処か嬉しい気持ちが水底から立ち昇る泡沫の如く湧き上がるのをリラは感じていました。

 

 「わたし、さっきまでの話聞いてて正直、水霊士(アクアリスト)って怖いって思った……!でも、リラちゃんが水霊士(アクアリスト)の使命に殺されない為だったらわたし、どんなに大変でも頑張るから!」

 

 「普通だったら一般人のまま関わり合いになりたくない所だけど、リラさんがいなかったら潤とも此処まで仲良くなれてなかったし、忍先輩だって今此処にはいなかった!潤がリラさんの力になりたいって言うなら、私はそんな潤の力になる!只それだけよ。」

 

 (皆さん、リラの為に其処まで…。リラ、貴女は本当に素敵な友達や先輩方に廻り会えたのね……。)

 

 同じ霧船女子学園水泳部に在籍する9人の水霊仲間(アクアメイト)達の決意を前に、ユラは感動を覚えると同時に或る決心が頭に浮かびました。

 一方、テミスは感動にプラスして呆れすら覚えていました。

 

 「…素晴らしい決意表明と言いたい所ですが、では具体的にどうリラの力になる心算かしら?」

 

 「「「「「「「「「あ………。」」」」」」」」」

 

 確かに、リラを水霊士(アクアリスト)の使命に殺させないと決意するのは結構ですが、では具体的にどう力になるのか?それがハッキリしなければどうする事も出来ません。

 

 「えっと…それは……。」

 

 何とか葵が言葉を絞り出そうとした時です。

 

 

 「私がリラと1つになります!」

 

 

 不意にユラが前に出て、テミスに対して力強く宣言します。これにはテミスも目を丸くして呆気に取られた様子でした。

 

 「リラっちと1つに……?」

 

 「あの…どう言う事なんですか、リラのお祖母さん?」

 

 深優と更沙がユラに尋ねると、テミスが気を取り直して説明します。

 

 「言葉通りの意味です。私がユラを内側にアルテと一緒に取り込んでいた様に、ユラはリラのクラリアに取り込まれる事でリラの肉体に宿り、この子と1つになろうとしているの。」

 

 「「「「「「「「「「!!?」」」」」」」」」」

 

 その言葉に、一同はもう何度とも知れない驚きの感情を覚えました。

 そんな10人を他所に、ユラはテミスの前に歩み寄って言いました。

 

 「テミス、今までずっと有り難う。貴女のお陰で私は水霊士(アクアリスト)としても人間としても、凄く幸せな結末を迎える事が出来そうよ。」

 

 「人間って…貴女はもう死んで霊となってますから正式には元人間だけどね……。けれど、本当に良いの?貴女はリラが死ぬまでの間、ずっとリラの中から出られなくなるし、来世に旅立つ事も出来ないわよ?」

 

 「構わないわ。もう死んだ私がリラの為に出来る事が何か考えたら、もうこれしか無いって思ったから。それに、可愛い孫の為なら私は、喜んで自分の身を捧げられる!」

 

 「どうやら本気みたいね……。」

 

 ユラの決意が、本物と呼ぶに相応しい不動の物である事をテミスが感じ取っていたその時でした。

 

 「お祖母ちゃん!」

 

 其処へリラがユラの元へ駆け寄って言いました。

 

 「お祖母ちゃん、消えちゃうの……?」

 

 目に涙を浮かべながら、迷子の子供の様に寂しげな表情でユラを見ると、ユラは優しく微笑んで返します。

 

 「リラ、私は消えない。貴女の中で生き続けるの。それも只、生き続けるだけじゃないわ。私の魂、全てを水霊力(アクアフォース)に変えて全部、貴女にあげる!絶対にリラを水霊士(アクアリスト)の使命になんて殺させはしない!」

 

 「聞いて、お祖母ちゃん。」

 

 「何?言ってご覧なさい、リラ。」

 

 「私…正直ずっと自分のこの瞳の色がコンプレックスだったの。『他の皆と違って、どうして私だけこんな目をしてるのかな?』ってずっと思ってた…。中学の時も、それを理由に虐められた事も有った……。だけど、お祖母ちゃんの話を聞いて考えが変わった!この目は、遠い大昔からお祖母ちゃん、そして私に受け継がれた水霊士(アクアリスト)としての使命と誇りの証だって!」

 

 「リラ……。」

 

 「人の汚い所や醜い所と向き合わなきゃ行けない水霊士(アクアリスト)としての宿命でも………お祖母ちゃんの話を聞いたらもう辛いとか嫌だなんて思わない!皆の心や身体から出て来る汚れはこの手と目が届く限り、私が全部綺麗にして癒してあげる!そうやって皆をリフレッシュさせて、元気に気持ち良く今日を生きられる様にする!でも、私は自分の事だって今以上に大事にするよ!私が痛みや苦しみを背負ったら、悲しい想いをする人がいるって分かったから―――!」

 

 葵達水霊仲間(アクアメイト)の顔を1人1人一瞥し、リラは『水霊士(アクアリスト)としての自分のこれから』をユラに強く語りました。

 自分の辛い過去を背負い、涙を流してくれた彼女達の為にも、自分はこれから生きなければならない。ならば周りの人間の穢れを癒す以上に、自分の心身を労わらなければ!

 自分を大事に出来ない人間に、他人を真に大事に出来る筈が無い!ユラは自分より周りを優先し過ぎた結果、縮めなくて良い寿命を縮め、結果としてリラを置いて死んだ。

 

 そんな祖母の姿を反面教師に、リラはこれから水霊士(アクアリスト)としてどう生きて行けば良いのかを見つめ直したのでした。

 

 「リラ―――――その決意は立派だけど、それを実践して行くのは並大抵の事じゃ出来ないわ。これまで以上に心と身体を強く鍛え、水霊士(アクアリスト)としてももっと力を蓄えないと行けない。その為にも、私がこれから貴女に力を与えてあげるの。」

 

 「お祖母ちゃん―――――。」

 

 徐に葵達の方を向くと、ユラはリラの水霊仲間(アクアメイト)達に最後の挨拶を告げました。

 

 「皆さん、今日はリラの為に集まってくれて本当に有り難う。貴女達がいれば、この子はきっと大丈夫よ。リラを……私の可愛い孫を、これからも宜しくお願いします!」

 

 「はい、こちらこそ!」

 

 「あぁ、任せてくれ!」

 

 深々とお辞儀をするユラに向け、水霊仲間(アクアメイト)を代表して葵と忍がそうユラに返すと、ユラは再びリラと向き合います。

 

 「改めて言うわ、リラ…。本当に御免ね、貴女が大人になる前に死ぬ処か、そのまま独りぼっちにさせて辛い目に一杯遭わせて……!!こんな事なら、若い頃の自分をもっと労わっておくべきだった……!!」

 

 今一度、愛する孫娘を抱擁し、涙ながらにユラは言葉を紡ぎます。気が付けば2人の周りをリラの内なる水霊(アクア)・クラリアが回遊していました。

 

 「だけどリラ、貴女はもう孤独(ひとり)じゃない。私は貴女の中に何時でもいるわ……。これからは、貴女と一緒よ―――――!!」

 

 そしてユラは、アルテと共に身体から眩いばかりのコバルトブルーの光を放つと、そのまま無数の光の粒子となってクラリアの中に吸収されました。

 ユラとアルテを内側に吸収し終えると、クラリア静かにはリラの体内へと還って行きました。リラの身体を、溢れんばかりのコバルトブルーの光が覆い尽くします。

 

 (感じる…お祖母ちゃんは私の中に、確かにいる……!温かい…温かいよ……お祖母ちゃん………!!)

 

 やがて全身を包むコバルトブルーの温かい光は消えましたが、リラは暫くの間、胸に手を当ててユラの存在を感じ取っていました。

 同時にその様子を、葵達9人は目に涙を浮かべながら静かに見守るのでした―――――。

 

 

 「葵ちゃん、深優ちゃん、更沙ちゃん……先輩達も、今日は本当に有り難うございました。」

 

 全てが終わり、リラは葵達に深々とお辞儀をして礼を述べました。

 気付けば霧船の時計の針は夜中の21時を過ぎており、時間帯としてはもうすっかり夜更けです。

 海側から吹く夏の涼しい夜風が、その場にいた全員の頬を撫ぜます。

 

 「良いのよ、リラ。私達もリラの事とか水霊(アクア)の事とか、一杯色んな事が知れて良かった!」

 

 「何でリラっちや潤先輩が水霊士(アクアリスト)になれたのかが分かったのが個人的にツボだったなぁ~!」

 

 「今まで虐めとかお祖母ちゃんと死に別れた事とか、色んな過去に囚われてたけど、これでやっとリラも前に進めるのね。」

 

 葵と深優と更沙がそう言って、他の先輩達と校門へ歩いて行こうとしたその時でした。

 

 

 「ちょっと待ってリラちゃん達!真理愛も瑠々ちゃんも水夏ちゃんも、それに先輩達も!」

 

 

 不意に潤が、これから家路に就かんとしている他の面々を呼び止めます。

 

 「どうしたの潤?」

 

 「何だよ飯お…じゃなかった、潤?もう話は終わったのに未だ何か有んのかよ?」

 

 真理愛と忍がそう潤に尋ねると、潤は言います。

 

 「リラちゃんの話は終わりましたけど、未だ最後に大事な事が1つ残ってます!」

 

 「大事な事?一体何よ?」

 

 みちるがそう問い掛けた次の瞬間、意を決した潤はその海の瞳でリラを捉えたまま、思わぬ提案をして来たのです!

 

 

 「わたし、良い事考えました。最後に皆の水霊(アクア)全員でリラちゃんを癒すのはどうでしょう?」

 

 

 この潤の提案に、その場にいる全員が足を止めてリラと潤の顔を交互に見遣ります。

 

 「わたし達の水霊(アクア)で――――?」

 

 「リラを……癒す――――?」

 

 「そうだよ瑠々ちゃん、水夏ちゃん。わたし、さっきまでの話を聞いてて決めたの。水霊士(アクアリスト)の使命は確かに重いけど、わたしも逃げないでしっかり向き合おうって。その決意表明って言ったら変だけど、リラちゃんと同じ水霊士(アクアリスト)として今自分に出来る事を考えたら、それが思い浮かんだの!」

 

 「潤先輩……。」

 

 確かな決意と共にそう気持ちを表明する潤の顔を、リラはじっと見つめていました。ついこの前までオドオドしていた気弱な潤とは思えない位、強い覇気が潤から立ち昇る様子が感じられます。

 そんな潤の様子を見て、忍はフッと笑みを浮かべて言いました。

 

 「あたし等の手でリラを癒す、か………面白そうじゃねぇか!あたしは乗ったぜ!!」

 

 「忍先輩…!」

 

 「私もやるわ!忍だけに良い恰好はさせないわよ!?リラを大事に想う気持ちは、私だって負けてないんだから!」

 

 「わたしだって勿論やるわよ!今まで散々リラに癒して貰ってたんだもん!わたしも逆にリラを癒してあげたいってずっと思ってた!!」

 

 「今日は私達、珍しく気が合うわね瑠々。私だって、傷付いたリラの事を癒したい!」

 

 「忍先輩、みちる先輩……!瑠々ちゃんに水夏ちゃんも……!」

 

 気付けば何時の間にかリラにぞっこんになってるっぽい先輩カルテット4名は、胸を大きく揺らしつつ声高らかに参加を表明。

 果たして残る真理愛と葵と深優と更沙は……!?

 

 「良いわ潤。リラさんの為にも、水霊士(アクアリスト)としての貴女のこれからの為にも、10体近い水霊(アクア)位使いこなせなきゃね!」

 

 真理愛はこれをリラの為と言うのも有りますが、潤自身の成長のチャンスと好意的に捉えた上で参加を表明しました。

 

 「「「私達もやります!」」」

 

 やはりと言うか当然と言うべきか、葵達同級生の親友3名も声を合わせて参加を表明しました。

 

 「潤先輩…皆……!!」

 

 潤の提案も然る事ながら、それに乗る葵達の姿にリラは、本日何度目とも知れない目頭の熱を感じました。

 何時も皆を水霊士(アクアリスト)として癒して来た自分が、まさか逆に癒される日が来るとは思わなかったからです。

 

 「真理愛も瑠々ちゃん達も、葵ちゃん達も先輩達も、皆有り難う……!」

 

 葵達に礼を言うと、潤はリラの前に歩み寄り、彼女の手を取って言いました。

 

 

 「さっ、リラちゃん!一緒にグラウンド行こっ?」

 

 

 潤に促されて一同がグラウンドへ行くと、リラの周りを葵達が輪になって取り囲みます。

 

 「瑠々先輩、何で裸足になってるんですか?」

 

 何故か瑠々だけローファーを脱いで裸足になってその場に立っていました。因みに靴下は元々履いていませんでした。

 気になったリラが瑠々に尋ねると、彼女は何故かドヤ顔で答えます。

 

 「何って?フフン♪決まってんでしょ?これからリラを癒すんだから、わたしの気合とパワーを一杯送んなきゃって…」

 

 「履物嫌いなだけでしょ……。」

 

 「るっさい!!てか人の熱弁邪魔するな!!」

 

 こんな時でも平常運転で息ピッタリな掛け合いをする2人を見て、リラは微笑ましくなりました。

 そして潤がアクアフィールド、そしてブルーフィールドを展開すると、その場の葵達の内なる水霊(アクア)達が彼女達の身体から浮かび上がって来ます。

 

 葵のアンジュ。

 深優のブルーム。

 更沙のプラチナ。

 潤のステラ。

 真理愛のシュトラーセ。

 瑠々のシュロ。

 水夏のレイン。

 みちるのノーチラス。

 忍のサラキア。

 

 計9体、内原生タイプ5体で何れも中級クラスと言う顔触れが揃う中、潤はその9体を自身の両手の中に集約し、カラフルな虹色の輝きを放つバスケットボールサイズの光の玉を生成します。

 

 「うっ……!?」

 

 「潤先輩!?」

 

 「頑張って、潤!リラさんを癒すんでしょ!?」

 

 「分かってる……わたしだって、やれば出来るんだからあぁぁァッ!!」

 

 扱う水霊(アクア)が何れも中級でそこそこ力が有る為か、それを複数体操る弊害で若干身体に痛みと疲労感を感じる潤。リラが心配する中、真理愛の励ましでどうにか立ち直ると、真理愛は有りっ丈の力を振り絞って光の玉を前へと押し出します。

 その勢いに乗り、9体の水霊(アクア)達は一斉にリラの元へと殺到。虹色の輝きを放つ特大の光の二重螺旋を形成し、リラを包み込んだのです!

 虹色の二重螺旋の中で優しく揺られるリラは、心地良い命の熱が頭の天辺から足の爪先まで隅々と生き渡って行くのを感じていました。

 

 「あぁ……温かい………葵ちゃん……深優ちゃん……更沙ちゃん……。」

 

 「リラ……!」

 

 「リラっち……!」

 

 「リラ……!」

 

 蒼國へやって来た自分に初めて声を掛け、友達になってくれた葵と深優と更沙―――――。

 自分の事を疎ましく思わず、懐深く受け入れてくれた彼女達との友情を、リラは生涯忘れないでしょう。

 

 「潤先輩……真理愛先輩……瑠々先輩に水夏先輩……!」

 

 「リラちゃん……!」

 

 「リラさん……!」

 

 「「リラ……!!」」

 

 霧船で最初に癒した潤と、そんな彼女と紆余曲折を経て強い友情を築いた真理愛―――――。

 この2人の絆は、リラが潤を癒さなければ決して生まれなかった。潤と真理愛は、切っ掛けとなったリラへの感謝を生涯忘れないでしょう。

 最初は取っ付き難い先輩だと思っていたけど、息の合った掛け合いで場を和ませてくれる瑠々と水夏―――――。

 リラは2人とこれから先も、それこそ葵達と同じかそれ以上に大切な関係を築いて行く事でしょう。

 

 「忍先輩に…みちる先輩……!!」

 

 「リラ……!!」

 

 「リラ……私達の想い、全部貴女に……!!」

 

 まるで実の家族の様に優しくも厳しく自分に接してくれた、師匠で姉貴分の忍―――――。

 その忍を穢れから救う目的の中で廻り会い、自分の理解者になってくれたみちる―――――。

 3年生の先輩2人と大恩を分かち合う事で育まれた愛の絆もまた、リラにとって生涯の宝となり、彼女のこれからの人生を照らすでしょう。

 

 クラリファイイングスパイラルの中で優しく揺られながら、9人の水霊仲間(アクアメイト)達からの友愛を噛み締めて味わうリラ。

 これまでの人生の中で感じた事の無い程の、圧倒的次元の幸福感に浸っていると、不意に脳内に声が響きます。

 

 (リラ……。貴女の中に堆積した穢れは、今此処で消し去ってあげるわ!)

 

 「!!?」

 

 脳内に響いたその声は、間違い無くユラの声!そして目を開けた瞬間、リラの視界に飛び込んで来たのは、虹色の輝きを放ったクラリアが勢い良く自身の頭上からリラの身体を貫かんと向かって来る光景でした。

 視界が完全に白い光で埋め尽くされ、頭の中からあらゆる思考と言う思考が排除されると同時に、リラの意識は光の中へと溶けて行きました―――――。

 

 

 

 全てが終わった後の事です。

 

 「忍先輩、本当に良かったんですか?私と一緒に歩いて帰るなんて……。」

 

 何時もの通り自宅が近い者同士、リラは忍と2人で一緒に家路を歩いていました。

 

 「他の奴等はチンアナゴみたいな奴の作ったワープトンネルで一気に帰ってたみたいだが、あたしはこれで良いんだよ。お前と道すがら、話すのは楽しいしな。」

 

 どうやらあの後、テミスが招聘したリップリスのパドルワープの力によりリラと忍以外の子達は全員、自宅へと空間転移で帰った様です。夜も遅いですし、明日には学校も有りますから当然でしょう。

 然し、忍はそれを拒んで何時も通り、リラと一緒に歩いて帰るのを選択した様です。今此処で2人が一緒に徒歩で帰宅しているのはその為でした。

 

 「そうですか。じゃあ何についてお話しします?」

 

 リラが話題について尋ねると、忍は待ってましたと言わんばかりに口を開いて言いました。

 

 「お前が水霊士(アクアリスト)になりたての頃に、初めて癒したっつー婆ちゃんの話が気になってな……。」

 

 未だ調布に住んでいた頃、初めて自分がアクアリウムを施した老婆について?もしかして中学2年になる年の春休み、多摩川の河川敷で助けたあの老婆の事でしょうか?

 

 「初めて私が癒したお婆さん?もしかして、私が自殺し掛けてテミスから助けられた春休みに、多摩川の河川敷で助けたって言うあのお婆さんの事ですか?」

 

 「あぁ……。あたしの親戚の家が調布にあってさ、其処に住んでるあたしの祖母ちゃんが夜中に散歩に出て、中々帰って来ねぇ日が有ったんだよ。」

 

 「へぇ…先輩にそんな事が……。」

 

 「必死で探し回って漸く祖母ちゃんの事、多摩川で見つけたんだがよ、そん時祖母ちゃん変な事言ってたんだ。」

 

 「変な事ですか?」

 

 「あぁ……『散歩してた時に足を挫いて困ってたんだけど、その時に会った不思議な子から足を治して貰ったの』ってよ。」

 

 「え………!?」

 

 忍から告げられた言葉に、リラは目が点になりました。まさか、自分があの時助けたお婆さんって………?

 もしそうだとしたら、自分があの時あのお婆さんから貰ったネックレスの片割れの持ち主はまさか!?

 顔がクマノミの様に赤々と染め上がって行くのをリラは感じつつ、最後の事実確認の為に忍に質問を投げ掛けます。

 

 「あの…忍先輩……もしかして、ですが………」

 

 「何だよ?」

 

 「『赤い魚のネックレス』とかって、持ってたりします?」

 

 「赤い魚のネックレス?あぁ~~……あたしは身に着けちゃいねぇが、部屋の机の引き出しン中に入れてるぜ?ウチの祖母ちゃんから貰ったモンだが、あたしの趣味じゃねぇからな。」

 

 「そ、そうですか………。」

 

 ほぼ確定でした。どうやら自分があの時初めて癒した老婆は忍の祖母である可能性が、リラの中でこの上無く濃厚となって行きました。

 

 「そう言や祖母ちゃん、言ってたな。足を治してくれた奴に青い魚のネックレスをお礼にプレゼントしたってよ。」

 

 「!!!」

 

 完全にリラの中で全てが繋がりました。どうやら間違い無い様です。自分が初めて癒した相手は忍の祖母!そして赤と青の魚のネックレスは、自分と忍がそれぞれ持っている!

 そしてネックレスをそれぞれ身に着けた者同士は、惹かれ合ってずっと結ばれるとの事!それはつまり、比翼連理の関係となって添い遂げると言う事に他なりません。

 

 「…つーか何でお前、あたしが赤い魚のネックレス持ってる事知って…」

 

 「あぁ~~~~~~ッ!!明日の学校の準備が未だ終わってませんから私、早く帰りま~~~~~~~すッ!!!」 

 

 忍の言葉を大声で遮ると、リラは顔を真っ赤に赤らめつつ、不意に猛ダッシュでその場から逃走。

 

 「あっ!?おい、コラ!!待ちやがれ~~~~~~~~~ッ!!!」

 

 「持ってないです!持ってないです!青い魚のネックレスなんて私、持ってないですから~~~~~~~~ッ!!!」

 

 「逃げながら何訳分かんねー言ってんだオメェ~~~~~~ッ!!?つーか未だ話、終わってねーだろーが~~~~~~~ッ!!!!!」

 

 

 「アハハハハハハハハハハハハッ!!人間ってやっぱり面白い♪って言うかリラ、もう少し素直になった方が良いわよ♪」

 

 そんな2人の遣り取りを、真実を知るテミスは少し離れた上空から眺めつつ、腹を抱えて笑い転げていました。

 因みにその後、リラは逃走劇の末に敢え無く忍に捕まってしまい、一連の真実を暴露。

 忍の祖母を癒したのが自分である事と、その時のお礼に赤と青の魚のネックレスの内の青い魚の方を貰った事を白状したのでした。

 

 忍は当然ながら驚きましたが、それを受けて翌日から2人は赤と青の魚のネックレスをそれぞれ首に掛けて登校する様になりました。

 魚のネックレスに関しての件は2人だけの秘密と言う事で、リラと忍の親密度はより上昇。帰り道でも手を繋いで帰る事が多くなりましたとさ。

 めでたしめでたし♪




次回からいよいよ新章に突入!
少しだけネタバレしますと、次章からは内海レンが水霊士(アクアリスト)に覚醒しますが、本作史上初のとんでもない大事件が起こってしまい……!?

さぁ一体どうなるのか!?次のエピソードもどうぞお読みになって下さい!
Don't Miss It!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。