コードギアス 血刃のエルフォード (STASIS)
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序章
第一幕 Assassin Hunt


 神聖ブリタニア帝国。

 20世紀初頭、世界各地において大規模な領土拡張戦争を引き起こした統一国家であり、ロシアを含むヨーロッパ圏及びアフリカ圏を支配下とするEU、アジア圏を広く支配する中華連邦に並ぶ、現代の三大勢力の一つである。

 唯一皇帝を頂点とする君主制を布き、広大にして肥沃な国土が生み出した強大な軍事力を武器に列強を圧服。一時は世界地図の過半をその版図に収めた史上最大規模の帝国。

 

 一見して強固なる大樹にも見える帝国。しかし、それは決して一枚岩の勢力とは言えない。

 そもそもがユーロピアから逃れた人間達の寄せ集め、新大陸の一国家に過ぎなかったブリタニア。現代とは逆にEUや中華連邦等、他国からの侵略に怯える側であった筈のブリタニアが現在のような覇権国家となり得たのは、当代の皇帝……神聖ブリタニア帝国第98代皇帝 シャルル・ジ・ブリタニアが即位してからの事だった。彼は国内においては内政改革を断行し、閉塞気味の経済を好転、横行していた汚職や腐敗を一掃し、また国外に関しても相次ぐ戦争に勝利し続け、世界の三分の一を支配する大帝国へとブリタニアを育て上げたのだ。

 

 その皇帝シャルルだが、彼は基本的な思想として絶対的な実力主義、強烈なまでの能力主義を掲げている。

国家としてのブリタニアは本国出身者を優遇し、属領出身者や他国人を差別する、謂わば純血主義的なところがあるが、皇帝の思想とは若干のずれがある。例え同国人であろうと、大貴族であろうと、それどころか皇族であろうが、皇帝に無能と断じられれば、その時点でその一族の破滅は決定的となる。

 皇帝は力ある者を愛し、力無き者を侮蔑する、という言葉がある。実際その通りで、皇帝は血筋ではなく実力を重視する人間であり、それに取り入ろうと言うのであれば、まずは自身の力を示して見せねばならない。

 

 非凡なる才を持つのなら良い。そういう者を皇帝は躊躇いなく登用する。しかし、世界は決して天才のみで構成されている訳ではない。大多数の凡人にとって、現実的な出世の手段は才を磨く事では無く、敵を消す事なのだ。

 

 

 

 

 

皇暦2017年初頭

神聖ブリタニア帝国首都 ペンドラゴン

 

 日が沈む頃、首都ペンドラゴンの一角にあるノルト歌劇場には、今日もまた盛大な人集りが出来ていた。ここは昨年落成したばかりの劇場だが、既に複数の著名な劇団が何度か公演を行っており、早くもこのペンドラゴンに住まう文化人達にとって馴染みの場所となりつつある。ファサードには雪がうっすらと積もり、その古き良き景観にまたある種の趣を与えている。

 この日の夜の演目はモンテ・クリスト伯……所謂巌窟王。ユーロピア産の作品にして最も有名な復讐物語の一つであり、古今多くの人々から愛された傑作小説を原作とした作品である。

 時代がかった衣装で着飾って、チケットを手に列をなす客の中に、一人の若者が居た。マスクを着けていて、目元しか露出させていない。仕立ての良いコートの左肩にペリースのようにマントを羽織り、鳥の羽根をあしらった伝統的な三角帽子(トリコーン)を目深に被った若者。

 良く言えば古き良き時代の流れを汲んだ、悪く言えば少々年寄り臭い格好のその若者は、集団を作って談笑する他の客から離れて、ただ一人劇場の中へと足を踏み入れる。無言で招待券を差し出し、入り口でコートを預かるか、と聞かれても手で払って断る態度こそは生意気そのものに思えるだろうが、纏った雰囲気はとても若年の持つそれでは無かった。

 

 ホールの階段を登りながら三角帽子(トリコーン)を外して、彼はその青ざめた銀髪を露わにする。三角帽子(トリコーン)を脱いで内張を隠すようにして手に持つと、彼は他の客に紛れて最も大きな劇場へ入る。冷ややかなアイスブルーの眼で周囲を見渡し、目当ての席を探す。程無くして彼は客席脇の階段を登って、三階のバルコニーに設置されたボックス席の一つに辿り着いた。開演時間も近く、下では多くの席が埋まっていたが、四つの椅子が置かれたそのボックス席には、紫色の髪をハーフアップにした、学生と思しき年格好の少女一人しか座っていなかった。彼はその一人の横に座る。

 

「……見つけましたよ。エリナ様」

 

「ぁ……やっぱり、貴方には見抜かれてしまいましたか」

 

 彼が口元のマスクを下ろし、その端正な素顔を露わにすると、彼より少し歳下の、エリナと呼ばれた少女はまるで厳格な親に失態が露見した時の子供のような、どこか怯えたような表情を浮かべた。

 

 エリナ・エス・ブリタニア。神聖ブリタニア帝国第6皇女、第19位の皇位継承権の保持者である。

 弱冠16歳に過ぎない彼女は、今現在特に役職らしい役職に就いているわけでもなく、勉学中の学生でしかない。ただ、ブリタニア皇族というのは元々単なる象徴ではなく、軍事や政治の表舞台に立つような存在である。帝国宰相を務める第2皇子シュナイゼル・エル・ブリタニアや、ブリタニア軍主力人型機動兵器KMF(ナイトメアフレーム)を駆り前線に立つ第2皇女コーネリア・リ・ブリタニアなどが良い例だ。

 そう遠くない内に、彼女も他の皇子、皇女らに混じり、軍事、政治の世界に足を踏み入れることとなるだろう。

 

 しかし、そういう重要な立場にある人物にしては、彼女の周囲には護衛の一人も付いていない。変装したSPが控えているとか、建物内各所に守衛を置いているとかでもなく、本当に彼女一人だけ。精々このボックス席に繋がる通路に、私服姿の士官候補生二人を置いている程度だった。

 

 ブリタニアの皇族は馬鹿馬鹿しい程に数が多い。しかも皇位継承に関しては長子が絶対、というわけでも無いと来ている。となれば継承権争いは必然的に大規模で激しく、そして何処までも陰惨なものとなる。各皇子皇女には大規模な資産家が後ろ盾として付いていて、互いに相手を陥れようと虎視眈々の有様だ。

 絶対実力主義を掲げる皇帝シャルルがもう少しその辺りに関心を持ち、無能な者を積極的に排斥しに掛かっているのならまだ話は楽だった。が、皇帝は精々不手際を犯した者に罰を与える程度の関与しかしていない。

 

 ならば。

 

 例え父親が現代の巨人 シャルル・ジ・ブリタニアであろうが、子がその才を受け継ぐとも限らない。能力で相手を上回れないなら、その相手を貶めるしか自分がのし上がる手はない。かくして、ブリタニア皇族間においては今日も今日とて悪辣な陰謀劇が繰り広げられているのである。その現実を鑑みれば、彼女の警備状況は穴だらけも良いところ、はっきりと言えば自殺行為以外の何物でも無かった。

 

「あの、レオ、私は……」

 

 レオと呼ばれた青年が、厳しい表情で彼女に顔を向ける。彼女がそれ以上何も言えずにいると、レオは小さく溜息を吐く。

 

「……本日の観劇に関しましては、以前より予定されていた事です。公務としてではなく、私的に、あまり物々しくせずに、という殿下のご要望に従い、警護は最低限に留めておく、という事も警護隊は承知しておりました」

 

 静かに、レオは言った。絶えず聞こえていたはずの下の喧騒も、もうエリナの耳には届かない。この空間と周囲と明確に区切るような、まるで空間そのものが凍り付いたかのような雰囲気が二人を包む。

 

「ですが、予定されていた時間を外し、更には予定されていた護衛を外し、二名の士官候補生のみに護衛を任せる、とは、警護隊は仰せつかっておりません。率直に申し上げて、今回の殿下の行動は、警護隊に無用な混乱を招く行為であります」

 

「も……申し訳、ありません。わ、私……」

 

「更に申し上げれば、殿下の所在が判明するのがあと少し遅れていたならば、軍の皇室警護部隊が緊急出動。ペンドラゴン全域に厳戒態勢が敷かれるところでもありました」

 

 もはや蒼白を通り越したような表情を彼女が浮かべるのを見て、レオは言葉を止めた。席を立ち、彼女の前に動く。エリナは叱責を恐れる子供そのものの所作で、半ば反射的に顔を逸らした。

 

「……あんな事があって、警護隊が信用出来ないのは分かります。しかし、この度の行為はあまりにも危険な行為です。組織の無用な混乱などこの際どうでも良い。それ以上に殿下のお命に関わります。今回は何事もありませんでしたが一歩間違えれば君……失礼。殿下が……」

 

「わかって……い……います……」

 

 エリナの表情の変化を見て、流石にレオもそこで言葉を止めた。

 決して低くはない皇位継承権を持つ皇族が、自らの身を守る警護隊を自身から遠ざける。自殺志願的なこの行動を彼女が取るに至ったのは、数日前のとある、致命的な出来事が原因であった。

 

 その出来事を、レオは防ぐことが出来なかった。

 炎上する宮殿に辿り着いた時点で、既に守るべき者は炎に包まれていた。

 警護隊の一部の部隊による、皇族暗殺。恐らくは他の皇族の手の者であろう暗殺者達が警護隊に成り代わり、護衛をすり抜けてエメラルダ宮に火を放ち、エリナの母君にあたる皇妃 アンリエッタ・エス・ブリタニアを、そしてその長子にしてエリナの兄、第8皇子ガロア・エス・ブリタニアを暗殺したのである。

 生存者はエリナただ一人。それも、レオが到着直後燃え盛る宮殿にKMFで突入し、すんでのところで救い出した結果である。

 深夜に起こった火災。炎の中での暗殺は実に手際良く行われたようで、レオが突入した時には既に実行犯はエリナの目の前に立ち、彼女をも手にかけようとしていた。発見された遺体にも外傷の類は無く、救出されたエリナの目撃証言が無ければ事故として処理されていただろう。

 あえて言おう。これは警護隊の……いいや、レオを含め、彼女を護る立場にある人間全員の失態である。

 頼るべき家族を失い、自らを守ってくれるはずの者さえも信用出来ない。エリナを孤立無援に追い込んだ自分達の責は重い。

 

「……なあ、エリナ」

 

 レオにとって、彼女は絶対に失えない存在。例え自分の所属が警護隊ではなくシュナイゼル麾下であろうが。専任騎士に拝命される予定の一人の騎士に過ぎなかろうが。責務だとか任務だとかは関係ない、これは彼の信条だ。

 だから、レオはすっと立ち上がり、彼女の前に跪いた。目線を合わせ、あえて彼女の名を口にした。皇族に対する言葉遣いではない、妹でも諭すかのような優しい口調で。

 

「約束しただろう。俺は、俺だけは、絶対に君を裏切らない。何があっても、俺は君の味方だって」

 

 それは、ほんの数年前。エリナも、そしてレオもまだ学生だった頃。何とも些細な事で知り合った彼女に対して、レオが語った言葉。

 

「だからお願いだ。君にも、俺の事を信じて欲しい。この命ある限り、俺が君を護る。だから……」

 

 そっと彼女の肩に手を置き、レオは言葉を紡ぐ。静かに、しかし決して周囲の喧騒に紛れぬ力強さで。

 エリナが頷くと、レオはそっと彼女の頰に触れ、目尻の涙を払ってやる。

 

「だから、怖がらなくても良いんだ。エリナ。君は一人じゃない」

 

 それで、エリナは遂に泣き崩れた。レオの胸に顔を埋め、啜り哭く彼女の細い肩を、レオは優しくさする。気丈にも声を上げる事も無い彼女だが、それでも時折、抑えきれない感情が漏れ出ていた。それを敏感に感じ取ると、レオは顔を上げ、彼女の肩越しにボックス席の入り口を見遣る。何という手際の遅さだろうか。今頃になって、守衛が……士官候補生達が中の様子を覗き始めていた。

 

 ある程度彼女が落ち着くと、レオはそっと彼女を離した。下では既に公演が始まっている。レオは彼女の後ろへと回ると、入り口の士官候補生に鋭い視線を飛ばして、彼女の背後に控えた。

 既に警護隊が……“信用の置ける”警護隊が建物内で配置についている。そして今からは、レオ自身も彼女の傍に付いている。もう誰も、彼女の傍には近付かせない。確固たる意志とともに、レオは周囲をぎろり、と見回し、そしてある一点、彼の右手にあるボックス壁面の彫刻をずっと睨み続けた。

彫刻には、不自然に削れたような箇所があった。

 

 

 

 

 

 レオ・エルフォード。

 本名を正しく表記すると、レオハルト・フォン・エルフォード。

 ブリタニア帝国内最大規模を誇る軍事工廠 ロンゴミニアドファクトリーを擁するユーロ系(血筋的な区分。勢力的にはブリタニア本国に着く一族である)大貴族 エルフォード家の御曹司にして、神聖ブリタニア帝国立ウェストポイント士官学校首席卒業者。卒業後は第二皇子シュナイゼルに仕え、血筋もあるだろうが弱冠19歳にして中尉となり、最先端の技術を扱う嚮導技術部における新型KMFのテストパイロットを務める期待のエリート。

 彼に関する情報をざっと搔き集めると、こうなる。別にこれら全てが誤りであるだとか、偽りである、というわけではないが、レオ・エルフォードという人物を以上の言葉だけで定義する事は不可能だ。

 

 最初に言ってしまえば、エルフォード家の御曹司、というところが怪しい。レオはエルフォード家当主 ローガン・フォン・エルフォードの実子ではなく、他のエルフォード家の子供達同様、子供の出来なかったローガン夫妻が何処からか引き取って来た養子である。

 エルフォード家に引き取られるより以前の記憶は、だだ一人の妹フィオレを抱えて、大雨の街の中()()から逃げ惑う幼い自分の記憶だけだ。それ以外は大して覚えていない。ただ、妹を、フィオレを何があっても守り抜く、という強い意志で生きていたことだけは覚えている。思えば、エルフォード家に引き取られたのも、どちらかといえばフィオレを守るためにレオの方から取り入った、と言った方が正しいだろう。

 

 フィオレは、黄金色の髪が良く似合う少女だった。同年代に良く居る快活だとか、天真爛漫とか、そう言ったタイプの娘では無かった。寧ろどちらかといえば気弱……というかそもそもが病弱な、大人しめな娘だった。それでも歳不相応に聡明で、良く気の付く娘だった。

 光り輝いていた、レオにとっては、そう表現しても良い存在だった。

 

 大切な人、だった。

 

 彼女は、もう居ない。

 

 エルフォードの家に拾われてから、どれぐらい経った頃だっただろう。最後に見かけた彼女の姿は、もう、人の姿をしていなかった。

 エルフォード家の領地の外れも外れ、散々探し回った果て、泥だらけになった末に彼女はそこで見つかった。

 最初に見つかったのは、彼女の服だった。上着や靴等。領内に広がる森の奥深く、悠久の時を経て森に飲み込まれたのであろう集落の跡地。飲みかけの酒に、まだ暖かい暖炉。外観とは裏腹に、明らかに数時間前まで誰かがそこに居た証拠をありありと残す小屋の残骸の中。

 彼女の遺留品があったのは、その地下にある小部屋。

 ──汚物、としか表現できない臭いの漂う部屋だった。たまらず集落を飛び出して、無我夢中に森を駆け抜けた。

 そうしてやっとたどり着いた森の出口。季節外れの大雨に晒された、赤黒い土の露出した大地に、彼女の名残は転がっていた。

 初めに見つけたのは、腕。それが一番大きな名残だった。見覚えのある布切れ……おそらくは衣服の残骸を纏わりつかせたそれに、赤黒く汚れた銀の腕輪が……レオが贈った筈のアクセサリーの残骸がくっ付いていた。

 

 ……誰に殺されたのか、それは、今尚はっきりとはしていない。葬儀の場で、養父ローガンは申し訳無さそうに言ったものだった。

「我らを貶めようとする何者かによる犯行、としか言いようが無い」と。

 結局、自分は彼女を守る事が出来なかった。絶対に護ると誓ったのに。

 決して、喪ってはならない存在だったのに──。

 あの時の、何かが喉奥からこみ上げる感覚は、今でも忘れられない。

 悲しみ。恨み、憤り……言葉で言い尽くせぬ激情。ちっぽけな身体を突き破らんばかりの巨大な怒り。あの日、自分はそうして獣のように吠え、嘆き叫ぶ事しか出来ない子供だった。

 

 だが、今は違う。あれから三年。今の自分は、あの無力な子供ではない。

 今の彼には力がある。士官学校で並み居る名家の子息達を返り討ちにする力、ブリタニア帝国制式主力兵器にして現代戦最強の兵器 ナイトメアフレームを手足のように操る力。目の前に座す、妹のような少女を護り抜く力。

 そして、隠れ潜む敵を見つけ出す力。

 

 冷徹な表情の底に炎の如き黒の感情を抱き続ける男。

 今度こそ、大切な人を護り抜くと誓った男。

 

 レオ・エルフォードとは、そういう騎士だ。

 

 

 

 

 

 公演が終わると、エリナは警護隊と共に立ち去った。一人ボックス席に残ったレオは、眼下の客席から人の姿が消えるのを確かめると、公演中ずっと睨み続けていた壁に、そして彫刻に手を触れた。

 注意深く観察したとしてもデザインの一部に過ぎない、と見落としてしまいそうな僅かな隙間を指でなぞる。レリーフや絵画に巧妙に隠されてはいても、決して隠しきれない、床面から天井方向へと垂直に伸びる一本の線があった。件の彫刻を強く押すと、何か仕掛けが動く音の後、軋むような音を立てて壁が凹んだ。

 

「……ご苦労だ、エルフォード」

 

 背後から声を掛けられても、レオは大して反応を示さなかった。もうその声の主には見当が付いているし、その人物がボックス席に近付いていたことも、十数秒前から既に承知済みだ。

 入り口から顔を出したのは彼の予想した通り、警護部隊の隊長った。

 

「……公演中、ずっとここに一人居たようだ。エリナが下がる頃には諦めて引っ込んだようだったが」

 

 壁の隠し扉を押し開けながらレオは言った。ボックス席に入って来た警護隊長はレオの肩越しに隠し扉の奥を覗き見る。

 扉の向こうに、足下へ向けて暗く伸びる通路があった。ここからでは、どこに繋がっているのかまでは確認出来ない。レオは懐から銀貨1枚を取り出して、穴の上で放した。数秒と立たぬうちに数回ほど甲高い金属音が響く。

 

「この大規模な仕掛け、そして劇場の持ち主……まあ、予想はつくがな」

 

 そう呟きながら、警護隊長はレオの背中越しに通路内を覗き込んだ。

 

「……視えるか?」

 

「ああ、勿論」

 

 再びマスクを着け、レオは注意深く隠し通路の中を覗き込んだ。足下にはぽっかりと穴が空いているが、梯子の類は見当たらない。両手で体を支えるか、或いは飛び降りるしかない。

 

「殿下は既に劇場を出られた。そちらの心配は要らないが、問題は此方だ。急がなければ……」

 

「分かっている。エリナの命を狙ったんだ。ならば容赦する必要も無い……それよりお前だ。お前には、ひとつだけ言わせて貰いたい」

 

「なんだ?」

 

 途端、レオは振り返って警護隊長の喉元に左手を押し付けた。警備隊長の表情が強張る。その手首からは、鋭い煌めきを放つ短剣が鋒をのぞかせていた。

 

「今度こそ、裏切り者は無しだぞ。仮にまたエリナに危害が及ぶような事態になってみろ。その時は私がこの手で刎ねてやるからな。その首を」

 

 味方に、というよりも敵を睨むかのような眼で、一オクターブほど低い声でレオはそう告げた。

 

「……分かったか?」

 

 警護隊長が頷くと、レオは短剣を戻して彼に背を向ける。彼がマントをふわり、とはためかせて穴の中へと消えるのを見送ると、警護隊長は短剣で付けられた微かな赤い筋に触れながら隠し扉を戻し、足早にボックス席から立ち去った。

 

 

 

 

 

 コインの立てた音からして、地下にまで伸びるほどの穴ではない、と判断した。そうして飛び降りた先は暗く狭い通路となっており、彼の前後方向へと伸びていた。位置関係から察するに、ホールを囲むように伸びているに違いない。床の所々に開けられた小さな穴から光が伸びている。試しにそのうち一つを覗き込んでみると、出口方面へと動く人の群れが見えた。恐らくこの通路は二階席の裏にあるのだ。

 ボックス席でエリナに危険性云々と説いたが、実際、レオが踏み込んだ段階でこの隠し通路に敵の暗殺者が一人潜んでいたのだ。レオの存在を見て行動を控えた辺り、割と弁えた部類の人間だと分かる。だとすれば、あまり時間は掛けられない。すぐにでも逃げの手を打って来るはずだ。

 だが、通路の中は暗い。微かに光が入って来てはいるものの、自分の足下すら満足に確認出来ない有様だ。おまけに前後に伸びる通路のどちらへ暗殺者が逃げたのかすら解らない。普通なら、かなり分の悪い追跡劇と言える。

 

 ──普通なら。

 

 レオは闇の中で両の眼を閉じる。精神を集中させて再び瞼が開かれた時、左の目だけが異変を起こしていた。彼のアイスブルーの瞳はそこに無く、代わりに深紅色に妖しく煌る眼と、そこに微かに浮かぶ奇妙な模様があった。

 澄み切った眼球を内から蝕む徴。灰から蘇った不死鳥が天へ舞い戻るようなその刻印が、羽ばたきと共に、眼前の闇の中へと飛び立つ。 彼の視界は灰色に染められ、凍て付いたような灰の世界に、常世に生きる全ての生命の姿が光として浮かび上がる。

 

 ──そう。

 これこそ、レオの持つ力。彼だけに許された賜り物。

 常世総ての存在を手の内に感知し、仮面を剥いでその内面さえも暴き立てる。生きとし生けるもの総て、何人たりとも逃れられない審判の光。

 

 その名は、ギアス。

 

 ギアス発動下のレオに見通せぬ物など存在しない。闇など彼の視界の妨げにはならず、例え隠れ潜もうが、痕跡を残さず逃げ出そうが、彼の“眼”から逃れる事は出来ない。

 迷う事なく、レオは眼前に伸びる通路を足早に進んだ。彼の視界の中では、エリナの暗殺を諦め焦燥と共に通路を駆け抜ける暗殺者の姿が克明に映し出されていた。

 

 

 

 

 

 ヴァルクグラム伯爵は、かつてブリタニア第4皇子 ロウェナス・ラ・ブリタニアの後ろ盾となっていた貴族である。二、三の大企業を傘下に収める大貴族だった伯爵家だが、つい先年、ロウェナスの失脚に伴って伯爵もまたかつての勢いを失い、今は辛うじて生き残っているだけの没落貴族一歩手前の立ち位置にある。

 その伯爵家は、今は第9皇子アルベルトの元に仕えている。政治面での才覚を持っていたロウェナスと違い、アルベルトには他者を凌駕するほどの力は無い。ただそれなりの仕事をこなし、大した失態を犯していないというだけで皇族の地位に留まっているだけの凡庸な男だ。そんな男の元に仕える以上、この先伯爵家がかつての栄光を取り戻す方法は一つしかない。

 

 すなわち、他者を蹴落とす事だ。かつてロウェナスがされたように、謀略や暗殺によって。

 自身の代で家が没落するなどという不名誉を被る気は伯爵には無い。ならばこそ、伯爵は手段を選ばない。

 そしてつい先日、伯爵はアルベルトの障害の一つとなるアンリエッタ妃、及びガロア皇子の暗殺という手段にさえ踏み切ったのだ。

 そして今宵、その汚れ仕事に片がつく。その筈だった。

 

「馬鹿な、取り逃がしたと!?」

 

 舞台裏の倉庫で、手勢五名を前に伯爵は声を荒げた。

 

「相手は小娘だぞ!? それに、先の件で警護隊を自ら引き離す愚行を犯している。それ程の好条件を揃えてやったというのに、逃しただと!?」

 

「申し訳ありません。あと一歩のところで警護隊が……」

 

 信じ難い事態であった。これ程のリスクを冒し、今となっては少し躊躇するような額を出して暗殺者を雇ったというのに。

 ……しかし、ここで彼らを叱責している場合でも無いことは伯爵自身承知していた。

 警護隊が駆け付けて来たという事は、恐らくあの男も来ている筈だ。エリナ個人に付き従う騎士。奴の存在により、今回の仕事の危険度は跳ね上がっているのだ(それだけに報酬の額も跳ね上がっているのだが)。

 仕留め損なった上奴がこの場を嗅ぎつけたとなれば、それ以上出来ることはない。この場に留まっていては、奴からの報復もあり得る。

 

「……残念だが仕方ない。今宵はこれまでだ。始末に失敗したのは残念だが、奴が居たというのならこれ以上留まるのは危険過ぎる。貴様らの処罰は、屋敷に戻ってからだ」

 

 せめて威厳を保ちつつ伯爵は言った。だが、こうしている間にもあの男が報復にやって来る、と考えると声が震える。

 今まで数多くの刺客が、あの男によって返り討ちに遭っているのだ。そして刺客を放った者達の末路はただ一つしか無い。

 さらに言えば……

 

 最悪なことに、あの男には間違いなく、伯爵を怨む理由がある。

 

 伯爵は暗殺者達を護衛として引き連れ、足早に倉庫を出た。とにかく、一刻も早くこの場を離れねばならなかった。

 

 伯爵は人混みに紛れて歩き続けた。焦る気持ちを態度に出さぬように注意を払いながら。

 

 奴が来る。今にも人混みの中から姿を現して、私の喉を搔き切る。伯爵の両目が忙しなく右往左往し、他者の顔を確かめる。マナーなど知ったことか。

 

 曲がり角で危うく誰かとぶつかりそうになる。一瞬、相手の手元に刃物が見えた気がして、伯爵の心臓は一気に高鳴る。

 

 奴が来る。今にも天井から飛び出して来て、私の脳天を破壊する。歩みを早めようとしても、目の前には夫婦連れの老人が居て彼の道を阻む。流石にこれを押し退けて行く程取り乱したつもりはない。

 

 奴が来る。あるいは既に背後に立っていて、私の心臓を背中から貫く。堪らず振り返り、そしてバランスを崩して隣の淑女にぶつかる。謝罪する余裕すらなく、もつれたままの足は出口を目指す。

 

 奴が来る。奴が来る。奴が来る。奴が奴が奴が奴が奴が──。

 

 永遠に思える程長い三分。伯爵らは正面のエントランスホールに辿り着いた。公演の合間だけあって、劇場に到着した者、劇場を後にする者が入り混じっている。

 

「迎えの車を見て参ります。伯爵、こちらで……」

 

 護衛の一人が、彼にロビーに並ぶ待合席の一つを勧める。伯爵が震える身体を椅子に落ち着かせると、護衛は混み合う出入り口へと消えた。

 

 ……あるいは、一安心なのではないか。そんな考えが過ぎった。よくよく考えれば、仮に自身への報復の手が迫っていたとしても、少なくともこの群衆の中で堂々と殺しに来る事はない。いかにあの男と言えどそんな事をすればすぐさま見つかってしまうし、そうすればあの小娘の立場は無い。そして、あの小娘さえも失えば、完全に主を失った彼奴等は瓦解し、アルベルトの最大の障壁が消える。

 

 不可能だ。そんなことは。

 

 自分の周囲を護衛が固めている事を確かめ、彼は大きく、微かに息を吐いた。吐息が震える。心臓が早鐘を打っているのがわかる。大丈夫、大丈夫、と自分に言い聞かせる。

 ここを乗り越えれば、自身は安全だ。私とて伯爵家の当主、危機を脱したことなど幾度あったことか。今度もそうだ。何度確かめても、私の安全は保障されているではないか。

 ここを出て、車に乗る。それで私は勝利する。あとは、所詮小娘一人。どうとでも料理出来よう。

 

「……貴様が、ここを生き延びられるのならばな」

 

 背後から小さく聴こえた声。安心を得たはずの伯爵の背筋が一気に凍り付いた。声を上げる間も無く、首元に鋭い痛みが走る。

 短剣の切っ先が、ごく浅く刺し込まれていた。思わず伯爵は悲鳴を上げて振り返ろうとする。

 だが、できない。振り返るどころか声さえ出ない。短剣に仕込まれた毒が、伯爵の身体の自由を奪う。

 

「三年前の夏。雨の日のことだ。貴様は覚えているか?」

 

 背後の男が、血の通っていないような冷たい声で小さく問い掛ける。勿論伯爵には答えられない。()()()()()()()

 

「忘れるはずは無いだろう。貴様にとっては大手柄だ。大貴族の子を捕らえたんだからな。良い気持ちだっただろう? 逃げられさえしなければ、かの工廠は貴様のものだったかもな」

 

 血の気が引いて行く感覚、というのはまさに今この時の事を言うのだろう。彼の言うことには覚えがある。覚えがあるからこそ、伯爵の恐怖は最高潮に達する。伯爵は頭の中で絶叫する。

 

「……ようやく捉えたぞ、ヴァルクグラム。あの日貴様らに尊厳を奪われ、人の姿さえも奪われた妹の仇、まずここで、討たせて貰う」

 

 もう一度、背中に鋭い痛みが走る。それも今度は、激痛という言葉では表現できぬ程の痛みだった。中心は氷のように冷たいくせに、そこから神経という神経を破壊し尽くして回る灼熱の衝撃。

 彼の背凭れ越しに、短剣が刺し込まれていた。肋骨の隙間をすり抜けて、心臓の真ん中への無慈悲な刺突。溢れ出る血が伯爵の背中と椅子を朱に染める。

 修練を積んだ暗殺者による、正確無比な一撃。それが、伯爵の全てを奪った。

 背後の男が笑みを浮かべたのを、伯爵は何故か正確に知覚した。声の主はすっ、と背凭れ越しに手を出し、伯爵の首元に伸ばす。

 

「私欲に駆られたな、老人。それが貴様の命取りだ」

 

 首に下げた二つのペンダントが強引に引き千切られる。それを見ていることしか出来ぬ伯爵に、背後の男は……レオ・エルフォードは冷たく宣告した。

 

「──貴様の命、貰い受けた。苦痛の中で、誰にも知られず死ぬがいい」

 

 

 

 

 

 皇歴2017年 1月26日 午後9時48分。

 オボミナス・ヴァルクグラム伯爵はこの年初となる劇団スワン・ド・ブリタニアの公演を鑑賞し、そこで死亡した。劇場は騒然となり、混乱のさなか犯人と誤認され拘束された者が続出したという。

 死因は、心臓部への刺し傷。加えて何らかの毒が用いられた可能性も浮上。護衛に完全に取り囲まれていたにも関わらず、ヴァルクグラム伯爵の遺体には明らかな外傷が見受けられた。

 伯爵家はこの事件を護衛に成りすました何者かによる暗殺と判断し、当時護衛に当たっていた人物を徹底して調べ上げた。

 一見すれば妥当な、しかしその実見当違いの方向へと捜査の手が迷走していた一方、報せを受けた第9皇子アルベルトだけは、その一報だけで事実を正確に認識していた。

 誰にも気取られない、現実離れした暗殺。そういう殺し方が出来る人間は、一人しか居ない。真実を知る者だけが受け取った明確な警告に、アルベルトは声もなく、手にしたワイングラスを落としたという。

 

 

 

 

 

 ヴァルクグラム伯の失敗は、暗殺現場に自ら足を運んだ事に尽きる。暗殺者に任せておけば良かったものを、彼は自ら危険を冒して、劇場に足を運んでいた。

 それは何故か。彼にはそこで為さねばならない事があったのだ。では、それは何か。

 彼は、“盗らねばならなかった”のだ。エリナの持つ、ある物を。誰にも知られる事なく。

 レオは三角帽子(トリコーン)を目深に、ホール正面から悠々と劇場を後にした。背後ではヴァルクグラム伯の名残が、その死を誰にも気付かれぬまま惨めに残されている。外に出たレオは広場を横切りながら、伯爵から奪い取った二つのペンダントを見た。

 少し焦げたこれは、アンリエッタ皇妃らエリナの一族が襲われたあの夜に、エメラルダ宮から奪われたものだ。嵌め込まれた緑の宝石はどちらも欠損し、歪な形になっている。同じものをエリナもまた保有しており、これら三つを合わせることで、とある重要な物品となる……と、レオは聞いている。

 燃え盛る屋敷で奪われた二つがこうしてエリナの手元に戻った。少なくともこれがあれば、エリナの権益は守られるという話ではある。 些か眉唾ではあるが、それで彼女を護れると言うのなら問題は無いだろう。

 彼が迎えに現れたバイクの側車に乗り込んだ頃になって、劇場が俄かに騒がしくなり始めた。伯爵の死は漸く気付いて貰えたようだ。

 

「……オペラはどうだった?」

 

 本車に跨る黒髪の女が彼に問う。レオは三角帽子(トリコーン)を脱ぎ、気怠げに答えた。

 

「正直、退屈だった」

 

 ベルベットが懐からチョコレートの包みを取り出して、一つまみ分をレオに渡した。受け取って、レオはそれを口の中に放り込む。

 

「……そう。じゃ、帰りましょうか。今日はお疲れ様」

 

 発進したサイドカー付二輪は市街へと消えて行く。何の会話もなく、音も掻き消された空間の中で、レオは自身の左手首を持ち上げた。

 手首に巻いた、ガントレットのような意匠を組み込んだリストバンドには、仕掛けで伸縮する短剣を隠してある。手を反らして起動すると、伯爵の血を吸って赤に染まった刃が音もなく飛び出る。

 あの匂い……あの汚物の臭いがする。

 鞘の根元には、武骨な短剣には似合わない青色のアクセサリーが組み込まれていた。

 ……かつてフィオレに贈り、そしてあの日、唯一残った彼女の遺品。彼女がこの世に居た証。

 

 やっと……一人。

 レオは刃の背に額を当てて、まるで祈るように身体を丸めた。

 見ていたか? フィオレ……?

 三年も経ってから、ようやくだ。ようやく一人、仇を討ったぞ……!!

 

 

 

 これが、レオ・エルフォードだ。

 フィオレを失って、そして得た力──ギアス。

 自分はこの力で、今度こそ大事な人を護り抜く。

 

 そして、あの日フィオレをあんな風にした何者かを全員見つけ出す。

 許し難き畜生ども。人と似た面をした、得体の知れぬ化け物ども。

 

 全員見つけ出して──

 

 ああ、ひとり残らず見つけ出して──

 

 

 

 絶対に殺してやる。



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第二幕 Hidden Blade

 南北に別れた両ブリタニア大陸のほぼ全域。

 斯様に広大な領土を誇るブリタニア本国においては、空間の使い方というものが実に贅沢である。

 

 北ブリタニア大陸 カリフォルニア。広大な平野部に設立されたその演習基地などは良い例であろう。ロンゴミニアド・ファクトリーの軍需工場からそう遠くない場所にあるこの基地では、ただでさえ広い部類に入る基地施設の周りを囲むさらに広大な平原を丸ごと演習場として使用している。

 馬鹿馬鹿しい広さの土地をブロック分けした演習場は、地形的にもバリエーションに富んでいる。森林、荒野、渓谷、或いは市街地、基地を模した区画、といった具合だ。勿論そうなるように多少手を加えた区画も多いが、環境そのものを書き換えるが如き一大工事を行った訳でもない。

 基地施設に関しては殆どが演習支援施設、管制施設、演習を行う部隊及び機体を格納、万全の状態を保証する格納庫群が大半であり、それでいて対空設備や防御施設、駐留部隊といった普通の基地に必要なものも一揃い完備していた。

 位置関係を見ても一目瞭然なように、この基地と国内最大規模を誇るロンゴミニアド工廠とは非常に密接な関係にある。新兵訓練や機種転換訓練などを目的にこの基地を使用する部隊も多々あれど、“本業”はロンゴミニアド製の新兵器のテストサイトであった。

 

 

 

 

 

 観戦ブース、とでも表現するのが妥当だろうか。エリナ・エス・ブリタニアはその基地のブリーフィングルームを改装したと思しき部屋に居た。先日同様、レオは近くに控えて居ない。が、今日に関しては彼から小言を言われる心配は無かった。

 正面には大小のスクリーンが設置され、遥か遠くの演習場で行われている模擬戦闘の様子を映し出している。モニターに映るのは約五メートル大の巨人、人型自在戦闘装甲騎ナイトメアフレーム。得物を手に地を駆けるその姿は、さながら獲物を追い求める狩猟民族の戦士達のようだ。

 ただし手にしているのはトマホークではなく、ナイトメアサイズに拡大されたアサルトライフルだ。そのアサルトライフルが空中目掛け怒涛の勢いで弾丸を吐き出し、直後スラッシュハーケンと呼ばれるワイヤーアンカーが画面外から飛び出して来て、そのライフルを弾き飛ばす。

 エリナの手元にあるデータパッドには、演習場全域をマップ化したものが映し出されていた。ちょうど今ライフルを失った機体を示す赤い光点が後退し、他の同色の光点がそれをカバーする。

 幾つも群がって市街地を駆け巡る赤い光点達。使用機種はブリタニア軍制式主力機RPI-13 サザーランド。それに対して、対峙する勢力である青い光点はただ一つしかなかった。

 一見すれば、多勢に無勢の状況。しかし今現在、この模擬戦を支配しているのは──

 

「……失礼致します、殿下」

 

 不意に、部屋の入り口を叩く音がした。どうぞ、と一声かけると、呼応して部屋の扉が開かれる。振り返ると、そこにはエリナと同年代の女性騎士が居た。それも二人。エリナが思わず声を上げた。

 

「モニカ!? 嘘でしょう、ユリシアも? いつアフリカから?」

 

 まず先に入って来たのは、見事なブロンドのストレートヘアを腰のあたりまで伸ばした、軍人と言うより令嬢と言った方が似つかわしい清楚な印象の女騎士モニカ・クルシェフスキー。続けて赤いストレートヘアを肩まで下ろした、人懐っこそうな印象の女騎士ユリシア・リィンフォース。

 どちらもエリナの学友であり、一足先に才覚を見出されて実戦の世界に足を踏み入れた秀才である。

 

「つい先程ですよ。前にロイド伯爵がご執心だった“アレ”がひとまず仕上がったらしいから、私達も見ておくと良い、とシュナイゼル殿下が」

 

「……あと、殿下もそっちに居るから一緒に居てやってくれ、って」

 

「その……先日の件もあるから、と」

 

「気遣ってくれてありがとう。私はもう大丈夫だから、心配しないで」

 

 彼女達がエル・アラメイン戦線に赴いたのがひと月前。たった一ヶ月会わなかっただけの友人だが、今の彼女には何より有り難い存在だった。二人の、そして兄の気遣いに感謝しながら、エリナは二人に椅子を勧める。

 

「とりあえず、私達は……ユリシアはまた別の任務がありますが、私の方は暫く殿下のお傍に居ります。あのような事は二度と起こさせません」

 

「……ありがとう」

 

「だから何かあれば……レオに言い辛い事とかあれば私達に」

 

 そう言いつつ、ユリシアがエリナと同じデータパッドを起動する。スクリーンからの爆発音で、エリナも意識を切り替える。スクリーンの中では、サザーランドが続々と戦闘不能に陥っていた。それも、尋常で無い早さで。

 

「……って、あれ? なんか展開早くない?」

 

「ええ、始まって五分も経っていませんが、一個中隊規模居たサザーランドが……」

 

「早速四騎やられた訳ですか……あら五騎目」

 

 またしても画面の中でナイトメアがダウンする。モニカの言葉でデータパッドからスクリーンに視線を上げる。ダウンした機体はサザーランドでは無かった。

 RPI-203 グロースター。第2皇女コーネリアの部隊のような精鋭部隊、部隊長クラスへの優先配備が進みつつあるサザーランドの上位機種だ。

 操縦難度も機体性能もサザーランドを上回る筈のその機体が、今画面の中であっけなく無力化されている。

 

「うわぁ……あれグロースターよね?」

 

 ユリシアも、モニカもその様に一瞬言葉を失う。彼女達にとっては、自身の愛機でもあるグロースターの性能を身体で知っているだけになかなか衝撃的な光景だろう。

 

「グロースターにはどなたが?」

 

「セイト・アスミック卿だそうです」

 

「……彼の腕とグロースターの性能で、これですか……?」

 

 フラッグ機であるグロースターの沈黙で、模擬戦闘は終了となる。スクリーンの中でサザーランド部隊が緩やかに戦闘開始位置まで後退し始める。

 彼らの視線の先には、突き抜けるような青空を背にし、逆光でその身を黒に染めた巨影。

 

「ロイド伯爵、とんでもない物を」

 

「使ってる本人としては、性能の代わりに操縦が忙しくて敵わない、などと愚痴を言っていましたけどね」

 

 そう言葉を漏らす二人の前で、スクリーンの画面が一瞬黒に染まった。再び映ったスクリーンからは戦域マップと部隊情報が消えて、定点カメラから送られて来る映像の全画面表示に切り替わっていた。

映し出されているのは、グロースターもサザーランドも等しく蹴散らしていたあの白く、そして異質なナイトメア。

 全高からしてサザーランドの倍はある。しなやかさと力強さを両立するシルエット。艶のある純白の装甲に散りばめられたメタリックブルーのアクセント。尖った形のカバーに覆われた両肩の砲門。センサーそのままなサザーランドや鉄仮面のようなグロースターのそれとは違う、何処か擬人化したような印象を与える頭部デザイン。派手な本体装備に少々埋もれている印象はあれど良く良く考えれば一番おかしい、背中からX字状に伸びる四枚の翼。どれを取っても、これまでのナイトメアとは明らかに異なる雰囲気を持っている。

 

「……あんなもの、良くもああして使い熟せるわね、レオも」

 

 呆れたような声で、しかし微かに笑みを浮かべながら、ユリシアが呟いた。

 

 

 

 

 

 IFX-V301 ガウェイン。

 この一週間前にロールアウトし、第2皇子シュナイゼル直々の指名によりレオハルト・フォン・エルフォードに与えられた最新鋭実験機。

 ナイトメア開発史におけるガウェインの功績は多岐に渡り、中でも特筆すべき点は、それまで飽くまでも陸戦兵器、それも特定状況下に特化した兵器であったナイトメアの定義を、最終的に陸空両用の汎用戦術兵器へと昇華させるまでに至った機構……浮遊航空装備(フロートシステム)を実用化した点にあった。

 斯様に極めて重要な立ち位置にありながら、歴史的観点においてガウェインはどちらかといえば日陰の存在である。

 この後ガウェインが辿る数奇な運命を知れば、誰もが納得出来るであろうが──。

 

 

 

 

 

 都合五試合でこの日の試験は終了となる。

 総計三度ほど吹っ飛ばされるなり蹴飛ばされるなり消し飛ばされるなりで酷使されたグロースターから、セイト・アスミックはよろよろと顔を出した。

 

「おぉぉぉぉ……やっと終わったずぅぇぇぇ……」

 

 名門貴族の子息にあるまじき声を出しつつ、コックピットブロック外殻部にもたれかかる。自分でもオーバーリアクションであると自覚してはいる。しかし、こうして目上の人間である自分が先に本音を吐いてやれば、他のパイロット達も無理する必要は無くなる。少なくとも自分はそう信じる。

 迫り出したコックピットシートに合わせられたキャットウォークに降り立つと、セイトは同じように各々の機体から降りて続々と集まって来る他のパイロットに手を挙げてみせた。

 

「……はい。皆の衆お疲れさん。機体はこの後整備クルーに任せて、俺達はデブリーフィングなんだが……肝心の俺がリアルにグロースターぶっ壊した件で軽く三十分くらい手が離せない。つーわけで各自、機付長に機体を引き渡したら暫く休憩な。ただしブリーフィングルームには居ること。OK?」

 

「イエス、マイロード」

 

 青紫色のパイロットスーツに身を包んだ部下達が一斉に各々の機体の側に戻る。彼らと同じようにセイトがグロースターの足下に居た髭面の親父と二言、三言、言葉を交わしていると、アラート音と共に格納庫の正面ゲートが音を立ててゆっくりと開かれた。

 

台車に載せて格納庫内に運び込まれて来たのは、模擬戦中彼らを思う存分蹴散らした白い巨人だった。

 名前は確か、ガウェインだったかな。 その名の通り、午前中は散々な目に遭わされた。

 

 ガウェインは他の機体から少し離れた区画でオーバーホール中のサザーランドの横に、膝をついた姿勢で格納された。背面のコックピットハッチが開き、青ざめた銀髪の男が姿を現わす。

同僚である彼、レオ・エルフォードとセイトとはだいぶ長い付き合いになる。モニカやユリシアと同じく、幼馴染と呼んで差し支えないだろう。

 養子だと言う話だが、そんなもの大した問題じゃない。出会ってすぐの頃、それを理由にして他人を遠ざけようとしていた彼をモニカが強引に仲間に引き摺り込んだのも、そしてその彼がユリシアを……それまで内気でどこか壁を作りがちだった彼女を仲間に(いざな)った事も、今となっては良い思い出だ。

 それでも本人としては自分の出自が気になってしまうのか、彼はまるでそれを振り払うかのように、のめり込むようにしてKMF操縦技術や剣術の腕を含めた勉学に励んでいた。存外不真面目な自分を尻目に、彼はどんどん才能を発揮していた。一応英才教育を受けていた筈の自分は、気が付けば彼に追い越されていた。

 

 ライバル視した事もあった。と、言うか今もそうだ。

 

 彼がエリナ皇女殿下の専任騎士に内定したと聞いた時には、流石に嫉妬したものだ。

 ……だが、正直言って勝てる気もしない。セイトは彼の元へ歩を進めながら、ガウェインの隣で整備作業中のサザーランドへ視線を向けた。あれは、レオが前に使っていた改修型のサザーランドだ。

 焼け焦げた白灰色の装甲板が取り外されて、同色の新しいものに次々と交換されている。エメラルダ宮に突っ込んだ時に焦がしたそうだ。後で聞いたところによると、あの時はサザーランドの試験中だったのが幸いとばかりに出撃許可も進入許可も何もかも吹っ飛ばし、更には公道を爆走して宮殿に誰よりも早く駆け付けたらしい。勿論結構な問題になりかけたそうだが、そうしなければエリナ殿下は今頃この世には居なかった。正規のスクランブル手順を経て出撃した他の部隊が駆けつけたのは、軽く五分は経った後だったらしい。充分早いが、たった五分、されど五分。レオの報告では、到着した時点で既にエリナ殿下の目の前に暗殺者が立っていた、とある。そこを鑑みれば、完全に出遅れている。

 

 そういう奴だ。彼は。彼はエリナ殿下を護る為になら何だってする。例えルールを捻じ曲げる事になろうとも、だ。そんな話を聞かされては、こちらとしては白旗を上げるしかない。

 

「……やはり、全体的に要調整だな。このままでは収束率が話にならない上安定性も悪い、そして、フロートがどうにも上手く動いていない、と言った具合で褒める点より目につく点の方が多い」

 

「と、言われても。ロイドさんが留守な以上、これ以上はどうしようもないかと。やはり本人に弄って貰わないと」

 

「そもそもが詰め込み過ぎなんだ。私に言わせれば、少し無茶だったとしか思えないがな」

 

 乗機二騎とは真逆の黒いパイロットスーツを着込んだレオが、同じガウェインから出てきた若者と話し込んでいる。セイトが話しかけると、話し相手の若者の方はさっさと退散してガウェインの足下へと降りていった。

 

「……もしかして俺嫌われてる?」

 

「お前はもう少し、自分の立場を弁えるべきだな。逆の意味で。自分で気にしようがしまいが、お前は貴族だ」

 

 少々棘のある声でレオが嗜める。おいおい、俺の反応も見越してやがるなこんちくしょう。

 

「……エリナ様、来週には正式に当主の座を継がれると決意されたそうだな」

 

 手近な手摺に両腕を載せて切り出す。レオは口元にまで持って来ていたドリンクの手を止め、表情を少し沈ませた。

 

「そうするしかないからな。他の手も無い。状況が他を許さなかっただけの事を、彼女が決めたと表現するのは何とも気持ちが悪いがな」

 

「いやに不機嫌だな、なんかあった?」

 

「……お前が聞くのか、それを」

 

 ドリンクが彼の手元から漏れる。ボトルを持つ手が強く握られて、ボトルが殆ど潰れている。

 

「悪かった。でも、仕方ないだろ? 前々から決まってたんだから。それにモニカもユリシアも戻って来てる。警護隊も再編された上で親衛隊が正式に編成される。オデュッセウス殿下もシュナイゼル殿下も、配下を割いてエリナ様の補佐役を送られると仰った。彼女の護衛だけなら、お前でなくても良い。だが──」

 

「ガウェインの世話は、私にしか出来ない。お前もそういう台詞を吐いて私を納得させると?」

 

「俺の言葉に関わらず、お前は納得せざるを得ないだろ? それともお前の我儘でシュナイゼル殿下も振り回す気か」

 

 舌打ちと共に、レオはボトルを完全に握り潰す。

 

正直、無理もないとは思う。一週間前の劇場の件と言い、心情的にはまだまだエリナ様の傍を離れる訳にはいかないはずだ。

 だが、残念なことに状況がそれを許さない。

 レオには三日後、ブリタニア属領の一つ エリア11への派遣が予定されているのだから。

 

 

 

 

 

 この当時、古代の遺跡というものが皇族、貴族の間において流行の兆しを見せていた。

 人類のルーツだ、古の文明だ、滅びた王朝の名残だ、遺跡というのはそういう類の情報を齎すものだ。が、今回の流行で調査に関わり始めたほとんどの人間はそんなものに対して興味を抱かない。得られた情報を研究するのはその手の研究者に任せれば良い。彼らが必要としているのは手柄、実績だ。故に現在の、遺跡調査の流行ぶりは考古学界にとって甚だ迷惑な事態でもある。ライバルに出し抜かれたくないから、などと焦って杜撰な土掘りなどをされてはたまったものではない。

 自身の栄達に生涯を懸ける皇族、貴族達が太古の浪漫に目覚めたそもそもの発端は、一つの噂であった。

 

「ブリタニア皇帝シャルルの起こした征服戦争は、世界各地に点在する、ある一連の遺跡群を目的としたものであったのだ」

 

 皇族にとっては、自身が次期皇帝の座に就くか、とにかく権力の座を手に入れる事こそが至上命題。その後ろ盾の貴族達にとっても、そうして貰わねば一族の将来が危うい。そんな彼らの行く末を左右する権限を唯一持っているのが皇帝シャルル。斯くして皇帝へと取り入るべく、皇族達は挙って遺跡調査に乗り出したのである。

 

 皇帝の求める遺跡というのは、考古学的にも興味深い点のある遺跡群ではあった。

 地理的、歴史的、文化的に全く接点のない一連の遺跡群。しかしそれらには、明白にして明瞭な共通点があったのだ。

建築様式、描かれた紋様。こうもバラバラな地で、こうも似通った遺跡が現れた事実は、古今例がない。

 

 アンリエッタ妃を始めとしたエス・ブリタニア氏族は、そうした時流の中で幸運に恵まれた。領地内で遺跡が、それも件の皇帝が求める一連の遺跡の一つと思しきものが発見されたのだ。報告を聞くや否や、エス・ブリタニア氏族はガロア皇子を筆頭に遺跡調査にのめり込んでいった。

 何年かの調査の末、彼らは漸くその成果を得た。そしてその一週間後、アンリエッタ妃はその成果を横取りせんとする何者かの手で暗殺されたのだ。

 

 

 

 

 

「……素晴らしい」

 

 所謂エルフォード邸として知られる屋敷は、巨大軍事工廠のトップというイメージに反して割と田舎の地域に構えている。小高い丘の一等地にある瀟洒なヴィラの一室で、現エルフォード家当主ローガン・フォン・エルフォードは満足げに呟く。レオはそのだだっ広い書斎の中央で跪き、劇場で奪還したペンダントを手にする養父ローガンの表情を黙って窺っていた。

 

「これが、遺跡の鍵か。分かたれた三つが合わさる事で一つの鍵となる。アスミック卿の見立ては正しかったな……」

 

 今、書斎にはデスクに座った養父と跪く自分の他にもう一人居る。ローガンの横、窓際で秘書の如く控えて居る女。癖のある黒い長髪を無造作に下ろして、誰の趣味なのか首輪にしか見えないアクセサリーを首に巻いている。彼女の何の感情も読み取れぬ沈んだ赤の瞳は、明らかにレオだけを見つめていた。

 ベルベット・フォン・エルフォード。レオにとって義理の姉に当たる女であり、ローガンの養子達の中では最年長だ。

 

「我が息子レオハルトよ。此度のエリナ殿下救出、及びヴァルクグラムの始末、ご苦労であった。お前にしか出来ぬ、最良の成果である」

 

 一呼吸置いて、ローガンは続ける。

 

「……この場合、祝えば良いのだろうか。レオ、遂に仇を一人討ったな。良くやった。本当に、本当に良くやってくれた」

 

 レオは一言だけで応えた。

 

「ヴァルクグラムは、あくまで手先の一人に過ぎん。奴を辿れば、間違いなく手掛かりは得られよう。それはこちらでもやっておく。と、そういう時にとても申し訳ないのだが。レオ、エリア11への派遣の件だが……」

 

 少々言い辛そうにローガンが切り出す。一応、派遣の件は取り止めにならないのか、と進言してはいた。最もレオ自身、シュナイゼル直々の指名とあっては断れるとも思っていなかったが。

 

「やはり、予定通り行うそうだ。リィンフォース卿が護衛に付く。アスミック卿が原隊に合流するそうだから、三人で彼の地へと赴いて欲しい」

 

「……イエス、マイロード」

 

「済まない。お前が戻るまでには、必ず真の仇を探り当てて見せる」

 

 今回の派遣の要は以下の二点にある。

 まず、レオがテストパイロットを務める試作嚮導兵器ガウェインの調整及び実戦試験。

 ガウェインの開発者たるロイド・アスプルンド伯爵は現在、エリア11において試作嚮導兵器 ランスロットの実戦試験の為エリア11に滞在しており、レオもガウェインと共に現地に向かって、ロイド伯の元で試験を行う事になる。

 

 もう一点は、この嚮導兵器ランスロットを擁するロイド伯以下、特別派遣嚮導技術部の待遇改善だ。

 ランスロットそのものは既に幾度か実戦試験を遂行しており、難航していたテストパイロットの選定も完了、投入された全ての戦場でその性能を遺憾無く発揮している。が、その華々しい成果に反して、エリア11内での特別派遣嚮導技術部への風当たりは非常に強い。

 

 原因は、そのランスロットのテストパイロットにある。

テストパイロット……ロイドの意向により“デヴァイサー”と呼称される、多くのブリタニア騎士の手に余る異常な高さの操縦難度を誇るランスロットを手足の如く操るその人物の名は、枢木スザク。

 エリア11に住む異民族、イレヴンの出身であり、正式な手続きにより名誉ブリタニア人……即ちブリタニア人と同等の扱いを受けられる、として認可されている人物であるが、たとえ役所で書類を提出しようが、多くのブリタニア人にとって異民族は異民族、イレヴンはイレヴンである。

 

 名誉ブリタニア人制度をあざ笑うがごとく、ブリタニア人は自国民と異国民を明確に差別する。加えて枢木スザクは、占領前のエリア11……日本国最後の国家首相 枢木ゲンブの息子であり、更に言えば彼の地で発生した、前総督にしてブリタニア第3皇子 クロヴィス・ラ・ブリタニア皇子暗殺の主犯と目された事もある。はっきりと言って、彼の存在はエリア11統治軍内部において相当に“浮いて”いる。

 そんな人間を擁する部隊という事もあって、特別派遣嚮導技術部は今相当の冷遇を受けている。

 現総督である第2皇女コーネリアとは指揮系統が異なり、しかも責任者であるロイド自身が割と変わり者、放蕩貴族という評価を受けているとあって、元々ある程度煙たがられるのはシュナイゼルとしても想定内だった。だが、第2皇子肝いりの部隊とは言え受け入れられないものがある、などと言いながら軍基地を追い出されるだの戦闘への参加を断固拒否されるだのとあっては流石に看過できない。個人個人の感覚レベルの話であるだけに上から命令しても効果は薄いとして、シュナイゼルはそういう手を打ったのである。

 

 使っている人間の()が悪いから差別対象となる。ならば、その()を上げてやればどうか。

 

 エルフォード一族の御曹司とされるレオの派遣はこうして決まった。絶大な影響力を持つエルフォード一族の御曹司に下手な対応を打ってエルフォード家の機嫌を損ねればどうなるかが分からないブリタニア軍人など居ないし、レオ自身、属領の現実をその目で見る事は良い経験となるだろう。ガウェインの試験も円滑に進む。良い事づくめではないか、と。

 

 レオ自身がこの任務を嫌がる理由は、単純に今の状態でエリナを一人置き去りにするような真似をしたくない、という点にあった。加えて、エリナ自身の当主就任によって本来はレオも専任騎士に正式に就任、親衛隊を指揮しなければならない筈である。ある意味最も大変な時期に主君の元を離れる専任騎士などあり得たものか。

 とはいえ、ガウェインの操縦が可能な人材がブリタニアでは彼くらいしか居ない、というのも事実だ。彼よりも技量の高い騎士そのものは居ても、ガウェインの特異性を受け入れた上でその性能を発揮できる人材、となると相当に限られる。

 更にその中で、例えば皇族であるとか、その他重要な地位に立っているだとかで試作機に乗せるわけにはいかない人間を弾いてしまえば、これはもう、限られる、という次元の話ではなくなってしまう。

 

 最大限の譲歩と、貪欲なまでの追求。両者を掛け合わせた時、出て来る答えはレオただ一人だけだった。対して、エリナの護衛と言うだけならば他にも候補者は居る。

 換えそのものは効くポジションと、換えの効かないポジション。選択の余地はなかった。

 

 

 

 

 

 任務を任務として受け入れたとはいえ、心情的に残るものはある。ローガンの書斎を辞したレオは、彼から一歩下がって廊下を歩くベルベット相手にぶつぶつと内心をぶつけていた。

 

「勿論、命令には従うつもりではあるが……それでも、な。彼女としては今が一番、補佐が必要な状況だというのに」

 

 フィオレの事は、あまり前面には出さない。死んだフィオレより生きているエリナ、などと言う気は毛頭無いが……。

 

「だからこそ、シュナイゼル殿下はクルシェフスキーを前線から呼び戻し、ローレンスを彼女の側に置いたのでしょう? 彼女の能力は、他ならぬ貴方が保証していた筈よ?」

 

「ローレンスはどうでも良い。といって、モニカを無能と貶す訳では無い。ただ……」

 

「“私がやらねばならない”、自分が彼女を助けなければならない、なんて宣うつもり?」

 

 露骨にレオのそれを真似た口調で図星を突かれ、レオはそれ以上何も言わなかった。

 

「何より、エリナ殿下自身が仰ったのでしょう? 貴方に、シュナイゼル殿下の任務を優先してくれ、って」

 

 ……そう、ベルベットに言われるまでもなく、レオには分かっていた。

 分かっているからこそ、その事実が変にレオを苛立たせる。

 

 

 

 

 

 巨大軍需工場を持ち、押しも押されもせぬ地位を手にし、一見全てが万事満たされているように思えるローガン・フォン・エルフォードだが、彼にも手に入らないものはある。

 

 ローガンは、実は子供に恵まれていない。

 

 巨大勢力である事もあって、跡取りは直系が望ましい。だが正妻アレサ、側室フェリシア等々との間に子供は出来ず、何としても跡取りが必要であったエルフォード家は、秘密裏に、様々な形で孤児を引き取っていた。

 

 基本的には貴族の家の出で、親を権力闘争で失った、と言う子供を秘密裏に引き取るケースが殆どで、レオやフィオレのようにストリートで暮らしていたような者は、他に誰も居ない。最も二人の義母として定められた人物であるアレサ曰く、レオら二人についてもストリートに住むより以前に貴族の家で教育を受けていたに違いない、との事だが。

 ……しかし、勢力の巨大さと引き換えに敵も多いエルフォード家である。養子達は対外的には直系の子供だとされているが故に狙われ易く、新しい兄弟が一週間後には死んで居た、などと言うこともあった。レオが知っている限りで現在もこの世にいる者は、まずすぐ後ろに居る義姉ベルベット、シュナイゼルの親衛隊を務める義兄ローレンス(彼については兄弟とは思いたくない)、あとはレオの後を追うようにして軍学校に在籍中の義妹オリヴィエ、逆に軍の道を嫌がって家に残っている義妹エミーリアくらいなもので、自分を含めても五人しか居ない。残りは全員、死んだか行方不明。数が少ない上、見事にバラバラな場所に居る。そもそも正妻の子供扱いの人間と側室の子供扱いの人間に別れてもいる。だからこそ、レオはその少女達とこんな場所で出会うとは思わなかった。

 

 彼らの進む少し先の廊下の角から顔を出した少女は、義妹エミーリアであった。レオのそれにも似た銀髪の儚げな少女。そのアメジスト色の瞳にレオを捉えると、エミーリアはぱっと表情を輝かせて駆け寄って来た。その喜びようと来たら、仮に尻尾でも生えてればそれこそ全力で振り回して床を掃き散らかしていた事だろう。

 直接会うのは、彼女の誕生日の祝賀会以来である。レオがこの家に寄り付かないせいであり、実に四ヶ月ぶりの事である。

 そのせいだろう。彼女はうっかり、開口一番でレオの機嫌を氷点下にまで叩き落とした。

 

「お兄様!」

 

 すぐさま、彼女は自身の失言に気付く。生えていない尻尾が一気に垂れ下がって引っ込む。

 自分の妹はフィオレだけだ。昔彼女にそう言い放った事を彼女は良く覚えている。今でもレオはそう呼ばれれば不機嫌になる。特にエミーリアについては、彼女が下手にフィオレに似て来ただけあって余計に苛立ってしまう。

 

「ぁ……あの……私、ごめんなさい、わ、私、そんなつもりじゃ……」

 

 それでも、彼女にとってレオは兄なのだ。元々人見知りするというか、人を怖がるきらいがあるエミーリアは、レオには割と懐いていた。恐らくフィオレと仲が良かったからその繋がりなのだろう。そして今では、レオはほぼ唯一安心して会話できる兄妹である。そんなレオを名前で呼ぶのは、他人過ぎて怖い。でも兄の機嫌を損ねたくない。そういう葛藤から、彼女もまたレオを避けようとしている。

 しかし、現に今避けるどころか自分から話しかけている。こうもあからさまに自分に依存した様子を見せられては、レオとしても冷淡に切り捨てる事は出来ない。繰り返しになるが、彼女の雰囲気というか、あり様がどこかフィオレに似て来たのが悪いように作用している。

 更に言えば、彼女がこうして人を怖がるようになったのには明確な理由がある。それを知っているレオだから、やはりどうあっても彼女を切り捨てる気にはなれない。

 ……兎に角、その彼女に涙目になって見つめられるというのは存外に厳しいものがある。斯くして、諦観とともにレオは彼女を“妹”として認める事にした。しようとしている。出来る限り。

 

「……ああ、エミーリア。久しぶりだな、元気にしてたか?」

 

 笑みとともに、歳の割に低いところにあるエミーリアの頭に手を乗せてやる。エミーリアの見えない尻尾がまた勢い良く振られる。

 

「はい! とっても! この前演奏会があって、舞台に立って演奏して来たんです! すっごく上手く行って、私……!」

 

「それはそれは。私も是非聞きたかったな」

 

 そうやってとりあえず会話していたレオの視界に、同じ角からもう一人出て来たのが目に入る。エミーリアとは真逆の、煌めくような金髪の少女。金髪、という事でフィオレを想起させる……かと思いきや性格が違い過ぎてそんな事の無いもう一人の義妹、オリヴィエ。軍学校に居るはずの彼女の存在には、流石にレオも驚く。

 

「……オリヴィエ? 居たのか」

 

「あらお兄様、珍しいですね、こちらにいらっしゃるなんて。普段滅多に寄り付かないのに」

 

 琥珀色の瞳がレオに向けられる。昔から、彼女も自分を兄呼ばわりして来る。

 元よりレオに対して態と挑発的な態度を取りがちな彼女である。別に露骨に嫌われている訳でも無いようだが、エミーリア程懐いてくれるとも思わない。或いは、フィオレやエミーリアが例外なだけで、兄と妹という関係とは本来こういうものなのかもしれない。

 彼女にしても、昔はもう少し素直な性格だった。エミーリアの件と同じく、彼女についても、レオは気になって仕方がない。

 

「……仕事の都合で、父に直に会う必要があった。まあ、またすぐに発つ事になるがな」

 

 そう言うと、エミーリアの表情が一気に曇る。

 ……前々から思っていたのだが、エミーリアはレオ以外話し相手の類は居るのだろうか。家に籠もりがちな彼女ではあるが、学友の一人や二人くらい居ても良さそうなものだが。

 

「……エリア11に、発つ事になった」

 

「エリア11に……?」

 

 今度はオリヴィエが食いつく。何が彼女の琴線に触れたのか。

 

「エリナ様の親衛隊はどうなさるのです? 確かお兄……レオ様が騎士になると……」

 

 エミーリアが同じくらい食いついてくる。何とも、答え辛い部分ばかり突いて来る娘である。

 

「モニカが暫定的に務めてくれるそうだ。エリナの方は彼女らでも出来るが、エリア11でガウェインを乗り回すのは私にしか出来ない、だそうだ」

 

「だいぶ不服な様子のようだけど」

 

 ベルベットが余計な一言を付け加える。

 

「余計なお世話だ……とにかくそういう訳で、準備もある。この場は失礼するよ」

 

 そう言い捨ててレオは姉妹達の輪から抜け出した。足早に廊下を歩くレオに、背後からエミーリアが声をかけた。

 

「えっと……今夜はこちらに?」

 

「そのつもりだ。夕食の時にまた会おう」

 

「は、はい!」

 

 弾んだ声で返事が飛んで来る。

 本当のところを言えば、彼女の事も心配ではある。今のところその様子はないが、彼女がもしこの家で孤立しているのだとすれば、レオとしてもあまり放っておけないことだ。何度も言うようにフィオレに似てきただけあって、どうしても気にしてしまう。

 

 先日の祝賀会でもそうだったが、この十数年間兄妹として過ごして来て、彼女がレオやオリヴィエ、ベルベット以外の人間と話をしているところを、レオは一度たりとも見た事が無い。

 そして困った事に、原因にも心当たりがある以上対策を講じるのは自分の役目な気がしてならない。

 

 

 

 

 

 エルフォード邸は、大きく分けてエルフォード夫妻の住む本館と、養子達の住む南館、今は殆ど使われていない東館に分かれている。今宵の会食は本館で行う、との知らせを受けると、レオはエルフォード家保有の馬車で東館へと向かった。

 レオの生活スペースは、この東館にあった。他の兄弟姉妹が新しく建った南館に移ってからも、レオだけはかつてフィオレと共に過ごしたいた空間に固執している。

 週に一度の清掃の時以外は使用人さえ遠ざけて、誰も居ない屋敷の中で一人過ごす。そして最近は、この東館にさえ殆ど寄り付かなくなっている。

 

 自室の戸を閉め、鍵をかける。四ヶ月ぶりの書斎はよく手入れされていたが、帰ってきた、という感慨はもう感じられ無い。満ち足りた日々は記憶に成り果てて、現実のこの部屋はとても寒々しい。羽織ったマントをソファの背もたれに放り投げると、レオはローテーブルに置かれた黒い革張りのトランクを開き、中から黒檀の細長い箱を取り出して、トランクの上へ置く。

 箱には錠前が付いていた。ただし、下辺に開けられた鍵穴の形状は一般的なそれとは大きく異なる。レオはその穴に対となる鍵……劇場での暗殺で使った左手首の仕込み短剣を展開し、その専用設計の鍵穴に差し込む。

 かちり、と音がして、錠前が外れる。箱を開くと、そこには赤い天鵞絨の内張りの中に、一振りの瀟洒な短剣が収められていた。

 鞘も無く、布で巻くでもなく、抜き身のままの諸刃の短剣。青く彩られたガード部分は閉じられた翼を象っており、また中央には微かに透き通った黒の珠が埋め込んであった。

 

 ブリタニアでは刀剣類は珍しくもない。民間人の銃器保有が厳しめに制限されているブリタニアだが、護身用としてこの手の刀剣類を持つ人間は民間人、軍人問わず多い。

 これは、やはり欧州にその源流を持ち、そして海を隔てた辺境社会という環境故に純化し、深く根付いた騎士文明の現れと言えるだろう。

 二度、三度その短剣を振るう。手首のスナップを効かせて∞の字を空に描く。

 

「……さて、ようやく一人だ。待ったか」

 

 誰もいない部屋に向けてレオは呟いた。部屋には彼しかいない。それでも、彼だけに聞こえる声が返って来る。

 

“……おめでとうございます、丸二年かけるほどの相手とは、お相手はさぞ強敵だったのでしょうね”

 

「殴るぞ」

 

“やれるものなら”

 

 姿は見えない。だが、確かに背後に存在感を感じる。

姿の見えない女。それなりに長い付き合いだが、正確なところはレオには分からない。いくらなんでも、姿なき幽霊などお伽話も甚だしい。だが、自身の頭が狂ったのでなければ、確かにこれは女の声で語りかけてくる。他の誰にも聞こえない、自分だけに聞こえる声で。

 

 初めて、この声が聞こえた日の事は忘れようもない。

フィオレが死んだ日……いや、フィオレの()()を見つけた時。

 全ての音が掻き消されるような豪雨の中、不自然にはっきりと声が聞こえた。それこそ、自分の心が壊れたのかとも疑った。別にそれで構わなかった。自分の生きる目的がこの世から喪われた今、自分だけまともに生きている理由などないだろう。そう思ったものだ。

 何処をどう通ったのやら、声に導かれてふらふらと彷徨った果てに、レオは地下深くへ伸びる石の階段を下っていた。それが後々エルフォード家が躍起になって掘り起こしにかかる、例の遺跡であったと知ったのは、随分後になってからの事だった。

 あったのは、人一人分程度の大きさの、大変に古い代物の割にあからさまに異質な棺。そしてそこに無数のコードで繋がれている、歴史ある遺跡には甚だ似つかわしくない、最新ではないにせよ明らかに近代のものである機械類。

 

 声に従って棺を開いた時、レオは“彼女”に出会った。

 

 鬱蒼とした森の木々を思わせる暗い色の髪、透き通るような白い肌。一糸纏わぬ姿の女。周囲の機械がとてつもなくよろしくない音を喚き立てる中、その女はまるで生まれたての子鹿のようにぷるぷると震えながら棺桶から出て来たのだ。

 女は、棺から出て来たかと思えばそのまま地面に倒れ伏した。目の前の現実が今ひとつ飲み込めず立ち竦む自分に、その女は何やら呟いた後、その白い手を差し出した。

 

 今でも、よく覚えている。例えどれだけ歳月が過ぎようと、レオはあの時の言葉だけは、あの時の衝撃だけは忘れない。

 

 ──これは、契約。

 

 単に鼓膜を震わせるのではない。全身に響き渡る声。仮にそういうものがあるのだとすれば、魂に伝わる声。

 

 ──貴方の望みの成就の為に、私は貴方に力を与える。

 ──力を得るのと引き換えに、私の望みを貴方は叶える。

 ──契約を結んだその時から、現世の理は貴方を見失う。

 

 ──王の力は貴方を孤独にする。

 ──その覚悟が、あるのなら。

 

 ──いま一度問う。貴方は私の契約者となるか。

 

 触れたが最後、あっけなく崩れ落ちそうな儚い存在ながら、彼女はレオを圧倒していた。

 畏怖と言えば、相応しいだろうか。確かに自分は、その声に畏れを抱いた。

 神を見ていた。

 

 故に、彼女の手を取ったのだ。

 選定の剣を抜き、王の力を手にすると決めた。契約を結んだのだ。

 

 (ギアス)を得たのだ。

 

 だというのに。

 ああ、だというのに──!!

 

「で、そろそろ聞いても良いか。お前は契約を結ぶ時、自分の目的を叶えろと言った。何が狙いなんだ、お前の目的が達成されれば教えてやると宣った事、俺はしっかり覚えているぞ」

 

“お言葉ですが我が主よ、貴方が討ったのはあくまで仇の一人。それも下っ端も良いところ。それでは私の真意を話すに足る対価たり得ません”

 

「別にお前の目的を聞くために殺してる訳でも無い。しかしまあ、あれを下っ端呼ばわりとは余程理想値が高いのか、それともお前はお前で、俺の目的について何か知っているとでも?」

 

“さあ、それはどうでしょう。秘密を持つ女は魅力的だと申しますから”

 

 この調子である。

 形こそ臣下の礼を取りつつも、話している内容からしてレオを敬う気など毛頭無い。その点は兎も角として、致命的なまでに話が噛み合わない。というより、意図的に、徹底的に神経を逆撫でして来る。

 

「契約といいつつ、そう聞くと殆どお前に利用されてるような気分にしかなれないな。ついでに、俺以外に認識されない身で魅力もなにもあったものか」

 

 棚の上に置かれたチョコレート詰め合わせの瓶に手を突っ込み、適当にひっ掴んだチョコ菓子を口の中に放り込んでから、レオは苛立たしげに結論を吐いた。

 

“……別に。私とて好き好んで幽霊であるわけでもありません”

 

「ああ、訳ありなのは何度も聞いたさ。詳しい話は一度たりとも聞いた事が無いがな」

 

 あの時言葉を交わし、答えを出した途端その女は消えてしまった。

 

 ……いや、正しく言おう。その女の身体は消えてしまった。しかし、その女の存在は確かにここにある。

 

 この珍妙極まりない女については、当初こそ戸惑ったものの今ではだいぶ判って来た部分もある。

 まず、些かファンタスティックな言い回しではあるが、この女の存在はひどく不安定だ。あの遺跡の機械のせいなのか、それとも“眠りから覚めた”時に何が問題が起きたか、そもそもそれ自体がよろしくなかったか。

 

 とにかく、契約直後に身体が消えてしまったこの女は、以来霊魂だけで存在している、とでも表現出来る状態らしい。そして恐らくはギアスによる契約を結んだ結果であろう。レオにだけはその存在を知覚出来る。

 ……で、分かることは以上だ。過去レオが投げかけた質問を、この女は全て無視した。時期が来れば教える、とか何とか宣って。

 名前? 知らん。本人がラウムだかラム酒だったか名乗っていたが知った事か。

 苛立ちを発散する当てもなく、レオは手にした短剣のヒルトを指でなぞる。

 これについては遺跡に同じく保管されていたもので、どうも彼女の所有物であったらしい。一緒に持って行くと言って聞かなかった覚えがある。

 まあ……今現在、その割にあまり頓着しているように見えないのだが。

 ベッドの上に短剣を放り捨てる。もう少し大事に扱えだの何だの抗議する声を無視して二、三歩よろめいて、レオは背後のソファに倒れこむようにして座った。

 ずるずると倒れこむのに任せつつ、背もたれに引っ掛けていたマントを顔に被せる。腰の辺りで切り詰められたそれが、良い塩梅で顔を覆う。

 

「夕方になったら起こせ」

 

“何を仰るかと思えば。私を目覚まし時計か何かと勘違いしていらっしゃいますね?”

 

「現状お前への認識はその目覚まし時計以下だ。改善して欲しければそのくらい役に立て」

 

 何かブツブツと言い返そうとしている女を無視して、レオは構わず目を閉じた。

 

 ……今更言っても仕方はないが、この女と契約を結んだのは吉だったのか、凶だったのか。

 

 有益なことは確かにある。

レオには目的がある。その目的の為に、この女から授かったギアスの力は何かと都合が良い。

 勿論、無いなら無いで別の手を講じる事だって出来る。レオのギアスは極めて利便性の高い道具であって、現状をひっくり返す超常の切り札というわけでも無い。

 だが、例えば折角目の前に便利なナイフやフォークがあるのに、それを使わないで食事するのも愚かな話だ。利用し、利用される。結構、それで構わない。

 ……それと引き換えにこの女との付き合いを延々と続ける。ギアスの利用価値とこれと、果たして本当に釣り合っていると言えるのか。

 疲れた頭には、とうとうそんな事さえも浮かんで来ていた。

 

 今、レオの目の前に積み重なった様々な問題……エリナの件、エリア11の件、エミーリアの件がある。この上この女の事まで気に掛けて、更に果たさねばならないのはフィオレの復讐。

 

 日々費やされる精神力が、忌々しいあの女のせいでごっそりと削られる。結局レオはそれで一気に疲れ果て、さっさと安眠の中に逃避を始めていた。

 

 ……いいや。逃避、というのは認めたくない。俺は逃げない。前に進まねばならない。契約は結ばれた。着々と力を得て、いつの日か俺は仇に辿り着く。

 だがその仇は未だ見えない。手掛かりさえ掴めないまま、俺はブリタニアを離れようとしている。

 これで良いのか。それさえも分からない。必然的に、焦燥が募る。まるで灯りのない洞窟の中を彷徨うような感覚。言うなれば今は、不意に足元に現れた河に落ちて、激流に流されているとでも表現出来るだろうか。

 ……だったら、流れに身を任せるのも良いだろうか。目指す当てが無いのなら、何かに一度身を任せるのも良い。河が勢い良く流れるのなら、その先には必ず何かがあるはずだ。或いはそれが、洞窟の出口足り得るかもしれないではないか……。

 

 訳の分からぬ思案の果てに、レオは静かに寝息を立て始めた。

眠りに落ちる直前、頭の上に誰かが手を置いた。そんな感覚を覚えた。

 

“おやすみ。レオ”

 

 そんな声もしただろうか。それを確かめるどころか、確実にそれを認識しているかも怪しいまま、レオの意識は切れた。



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第三幕 Journey to The New World 1

 まだ未明の時刻に、レオは本館の門前に立った。

 昨日の義父への報告が、ちょうど四ヶ月ぶりの訪問となった本館。次にいつ訪れるかどうかは解らない。そもそも、また訪れたいと思えるような馴染み方を、この屋敷に対してしていない。

 

「おはよう、レオ。そろそろ来る頃だと思っていましたよ」

 

 非常識な時間の来訪であったが故に、庭園にその人物が居るなどとは流石にレオも想像がつかなかった。

 アレサ・フォン・エルフォード。レオの義母。レオはあからさまに他人行儀な、それこそ臣下の礼さながらに跪き、深々と頭を垂れた。

 

「おはようございます。母上。出立の前に、一言ご挨拶に上がりました」

 

「……そうですか」

 

 ふと、その声色に不可思議なものを感じた。

 別段、レオと義母との関係性に特筆すべき点は無い。ただ、自分とフィオレを拾い、ここまで育ててくれた大恩人である、というだけだ。向こうとしても、自分に対し思うところがあるとすれば、それはフィオレの死に関する点、レオがその仇を追っている点だけのはずだろう。

 ではなぜ、こうも悲しそうな声を出すのか。

 

「なにぶん急な話、あのような小さな宴でしか送り出せないのは申し訳ないところですが……」

 

「いいえ、昨夜の宴は、私としても良き思い出となりました。あのような素晴らしい席を設けて下さり、感謝しております」

 

 嘘だ。

 別に昨夜の宴に思うところはない。精々、義兄ローレンスが欠席していた事が喜ばしかった程度だ。あの夜も結局自分としか喋らなかったエミーリアについては気掛かりではあれど、それはベルベットとも相談済みだ。今のところは、義理の姉を信じて良いだろう。

 

「まず工廠でガウェインを受け取った後、昼には列車で港に向かいます。予定では、夕刻に出航の予定です」

 

 レオは淡々と告げた。

 

 このご時世には珍しい船旅である。

 ガウェインという新機軸かつ規格外の大型KMFの運用に当たっては、現状エリア11にある設備ではとても追いつかない。故に今回の派遣は各種設備や人員等も纏めて運ぶ形となり、結果月に一度の定期輸送便の出航予定を少し早め、そこに便乗する形となっている。

 

「そうですか……お父様はもうお目覚めの筈です。上がって、少し話をする時間はありますか?」

 

「ええ。問題ありません」

 

 レオはすっと立ち上がると、朝靄に包まれたエルフォード本邸の敷居を跨いだ。

 

 

 

 

 

「待っていたよ、レオ」

 

 この時間ということで半分寝惚け顔で現れるかと思えば、ローガン・フォン・エルフォードはいつも通り、名家の当主らしい整った身なりで現れた。

 通された部屋のローテーブルの横に、何やら大きな箱が用意されていた。ローガンがソファから立ち上がって椅子を勧めるのに従って、レオはローテーブルを挟んだ義父の向かいのソファに座った。

 義母は入っては来なかった。

 

「まず、一つ謝罪しなければならない」

 

 切り出し方も予想外だった。

 

「手は尽くしたが、結局お前に無責任を強いてしまった」

 

「いいえ、寧ろ私の我儘で、父上や多くの方々にご迷惑をお掛けしてしまいました。大変に申し訳ありません」

 

 レオが頭を垂れると、ローガンは真顔のまま、熱を込めた真摯さで語り始めた。

 

「……主と定めた方に対する、その忠誠心、責任感。誠にお前は、騎士として鏡となるべき人格の持ち主だ。義理ではあれど、父としてこれほど誇らしい事はない」

 

「勿体無きお言葉です」

 

「昨晩も思ったが、オリヴィエなどは、お前を良く見習っていると私は思う。口ではああ言っているが、側から見ていればあれがいかにお前の後を追いかけているのかがよく分かる。この任務を終えた後もしお前に余裕があれば、あれを側に付けてやってはくれないだろうか。お前ならば、良い手本を示してくれると思うのだが」

 

 流石に意外過ぎて少し声が出た。

 良く自分に噛み付いて来るオリヴィエが、この自分を見習うなどと。それとも自分の認識が間違っているだけなのか?

 

「……お任せ下さい。その折には彼女の良き模範となるよう、誠心誠意努めさせて頂きます」

 

 とりあえず、そう答えた。そしてローガンは、かねてからローテーブルの横で存在感を放っていた箱をローテーブルに載せ、レオに差し出した。

 

「我が息子レオハルトよ。此度の任務、お前にとっては初めての公の任務となる。初めての実戦となる事もあり得よう。今日この日の為に、私から門出の品を贈りたい」

 

「……これは?」

 

「開けてみたまえ」

 

 促されるままに箱を開く。そこに収められていたのは、明らかにブリタニア由来のものではない、一振りの剣であった。

 

 全体的に反った形となっている。サーベルの一種かとも思ったが、装飾の類はどれもレオがこれまで見た事もない様式のものだ。そして、これはレオの主観でしかないが、ブリタニアにおける多くの実戦用刀剣よりも、この刀剣は倍以上も複雑な造り方をしている。

 

「それは、お前がこれより向かうエリア11に伝統的に伝わる刀剣だ。武器でありながら美術品として充分通用する価値のある、植民地由来の物として切り捨てるにはあまりに惜しい、大変に質の良い武器だ」

 

 父の許可を貰い、その刀を漆黒の鞘から滑らかに抜き放つ。

 鋭い煌めきが、虚空に白の線を引く。波打つような滑らかな紋様が刻まれた片刃の刀身。美しく、繊細さを感じさせながらそれ以上に鋭く、力強くもある刃。

 手に馴染む、とはまさにこういうことを言うのだろうか。

 対人兵器の原点、“剣”という、初めてヒトがヒトを殺す為に生み出した武器としての重み。

 優れた剣技を喩える際によく用いられる、“舞う”という表現に相応しい軽やかさ。

 この相反する二点が、絶妙なバランスで両立された存在。

 実感する。これは紛れも無い名剣である、と。

 

「……その昔、私はその剣の使い手と戦場で対峙した。その時に手に入れた品だよ。詳しい事は私も知らないが、非常に良い品質の刀らしい。手にしてからは、私も出来うる限りを持って状態を保って来たつもりだ」

 

 ブリタニアには多くの名剣伝説がある。英国のエクスカリバーや、フランスのデュランダル、北欧神話に名高いレーヴァテイン(これについてはユーロピアでは剣であるか疑問視されているそうだが、ブリタニアでは剣であると定義されている)のように世界的な影響力を持つ訳では無いが、特に建国期の英雄が用いた剣というものが数多く神話化され、物語として現代に伝わっている。そして、これら物語において共通する要素が一つ。

 人が剣を選び手にするのではない。

 剣が人を選ぶ。剣が人を選定し、主と認めて初めてその剣は名剣として活躍を見せる。器の足りぬ者の元からは、剣は勝手に離れて行ってしまう。

 良い剣と巡り合ったその時から、その者は常に試練の場に立たされる。身を引き締め、高みを目指し励み続けぬ者に、剣は決してついてはこない。

 刀を鞘に納め、レオはローガンへと振り返った。

 

「至らぬこの身に、重ね重ねのご厚情。感謝の言葉もありません。この上は、かの地に於いて殿下や父上のご期待に背く事無きよう、全力を尽くす所存にございます」

 

「期待しているぞ。……それと、前にも言った通り、フィオレの仇については、今は私に任せてくれたまえ。何か掴み次第、連絡しよう。状況によっては、一度戻って貰う事になるやも知れん」

 

「お願い致します。では、行って参ります」

 

 刀を手に、レオは部屋を辞した。

 ……戸口に義母が立っていた。彼が戸を閉めた途端、義母がレオの側に寄る。義父に続き義母の激励だろうか。果たして何を語り出すか、と思いきや、義母の言葉は詰まったままだった。

 表情からは、何か言いたげな雰囲気は伝わる。だが。

 

「……それでは、私はこれで。母上もどうかお身体に気をつけて。皆によろしくお願い致します」

 

 気にはなったものの、残念ながら時間がそれを許さなかった。レオは何か呟きかけた義母の言葉を遮り、別れの言葉を告げて、その場を辞した。

 

 なおも彼女の視線を背に感じだが、結局屋敷を出るまで、レオは振り返る事は無かった。

 

 

 

 

 

 ユリシアのサザーランドを載せた台車が唸りを発してスロープを渡り、まるで施設の一部のような顔をして港に接舷している巨大輸送艦レノア・ゲイズの中へと消えて行った。その後を、どう考えてもガウェイン用であろう大掛かりな機械類が、サザーランドのそれと似たような台車に載って続く。

 レオの見送りに、とわざわざ海軍基地へと赴いたエリナだったが、軍港に肝心のレオは居なかった。なんでも物資の搬送にトラブルが発生、順調に遅れているらしく、現時点で既に一時間以上の遅れが発生してしまっているらしい。

 そして聞けば、無機質な軍港で延々と待機していたレオを気遣って、軍港スタッフが近くにある海浜公園の散策を勧めたらしい。

 

 ……まさか、あのレオが癇癪でも起こしたのか。そう考えると、どうにも笑えてくる。

 

 スケジュールの都合、及び自分用の正装がまだ仕上がっていない、という理由で学生服のまま来ていたのは幸いだった。とりあえずサングラスと帽子を身に付けて軽く変装紛いの事を済ませてから公園へと赴いたエリナは、そう時間を掛けずに軍港に戻る途中のユリシアを発見し、程なくして、展望台のベンチで一人、チョコ菓子を口にしながら海を眺めていたレオを発見することができた。

 今日の彼は、劇場で見せたような古式ゆかしい服装では無かった。とはいえ、標準軍装でもない。濃い青に金の縁取りを走らせた上着に、短めの黒のマントを羽織った、昨日正式に隊員への支給が開始されたエリナの親衛隊正装を着ていた。

 今の彼はまだ親衛隊に名を連ねてはいない、内定済であるというだけの立場だが、特例的に着用が許されたのだろう。

 レオの方が先に自分を見つけていた。エリナの視線に気付くと、レオは軽く目礼して、すぐ隣に置いていた鞄を自身の膝の上に動かす。

 

「嫌な予感がする」

 

 エリナがそこに腰を下ろすと、レオは海から視線を外さずに呟いた。彼の視線の先には件の軍港と輸送艦レノア・ゲイズがあり、良く良く見れば件の大型KMFガウェインと思しきコンテナが、積み込み待ちの列に並んでいるのが分かる。

 

「……何かおっしゃいました?」

 

「君を放り出して一人旅行なんて申し訳ない、と言ったのさ」

 

 思わず苦笑してしまう。口では納得したと言いながらこの人は、未だに不満たらたらなのだ。

 でも、心配してくれているのはわかる。そして、即ち自分は一人で居るのを心配されてしまう程に弱々しい存在なのだ、と改めて自覚させられる。

 実家を襲った暗殺者の件は、まだ夢に見る程に恐ろしい。生きたまま全身を焼かれ悶える兄の姿は、まだ頭から離れてくれそうにない。実際、まだ火を見るのは怖い。

 

 ……でも。

 

「ローレンス様やモニカも来てくれていますし、オデュッセウス兄様やコーネリア姉様も、親衛隊を割いて私の護衛に回して下さいました。心配には及びません」

 

 ローレンスの名を出すと、露骨にレオの表情が嫌悪に歪む。何があったかは知らないが、彼はあの義兄と大変に仲が悪いらしい。

 

「とは言っても、な……」

 

「それに」

 

 すっと背筋を正す。まるで宣言するように、視線は真っ直ぐに海の向こうへ。

 

「私ももう、レオに護られてばかりではいられないと思ったのです」

 

 いつか、こういう日が来るとは解っていた。

 そうだ。もう母も兄も居ない。父は庇護によって愛情を示すタイプではないし、今は自身を気遣ってくれている兄や姉も、本来ならば政治的にライバル同士。いつまでもその立場で居てくれるとも限らない。

 

 母や兄が築き、エルフォード氏族が生命を掛けて支えてくれたことで生み出された一大勢力 エス・ブリタニア氏族。今、その旗手の座は自分に委ねられたのだ。母や兄の恩に報い、支えてくれる幾人もの人達に応えようとするならば、私自身が自立しなければならない。

 

 だから。

 今まで多くの面で、自分はレオに助けられ、そして彼に頼り切っていた。そんな彼の力を借りず、自分の力だけでやっていけるようになりたい。

 

「……そう、か」

 

 レオは暫く何も言わなかった。あまりにも長い時間、視線だけは時折こちらに向けながら。怒らせたか、とも思ったが、最終的に彼は、いつもしかめっ面ばかり浮かべているその顔に僅かばかりの笑みを浮かべて、そう呟いた。

 

 空気を変えようと勢い良く立ち上がると、展望台の手摺に両手を載せて、広大な港湾を見渡す。軍港、民間港の双方を備えるこの港を目指して、洋上には多くの艦船、船舶が群れている。時間が経つにつれて西の水平線に落ち行く夕陽を浴びて、海も船も、全てが赤に染まってゆく。気恥ずかしくてそれから暫くレオとは口を交わさなかったが、無言が続いてしまったのと、いよいよ日が沈みそうになってなおレオの下に連絡が全く来ないとあって、エリナも流石に口を開いた。

 

「……あの、大丈夫なのですか? 時間」

 

「正直、俺も戸惑ってる。しかしここから眺めていて、相変わらず港に動きは無い。サザーランドは積み終わったみたいだが……見てみろ、まだ積み込むべき物があんなに並んでいる」

 

 レオがエリナの隣に歩いて来て言った。彼の言う通り、港の様相が刻一刻と変わっていくのに対し、レノア・ゲイズの周りだけが全くと言っていいほど動いていない。何を察したのか、レオの表情は硬い。

 

「これは、のんびりとした船旅とは言えないかもな」

 

「え……?」

 

 思わずレオに向き直る。彼の目つきは、まるで戦場に在る時のように鋭い。それを見て、エリナの心にも不安が暗雲のように広がる。だが、詳しく聞こうと口を開いたその瞬間、二人は突然背後から声を掛けられた。

 

「あ! いたいた。殿下〜!」

 

 エリナはビクリと身体を震わせて振り返り、レオはそれよりも早く振り向いて、声の主とエリナとの間に立つ。一瞬彼の手が腰に下げた剣(良く見れば何やら異国情緒あふれる刀剣であった)の柄に伸びる。が、声の主が誰か悟ると、彼の纏う雰囲気は一気に和らいだ。

 

「……迎えかと思ったらそうでもなさそうだな。あと大きな声を出すな、一応変装はしているというのに」

 

 苦笑しながらレオが咎める。二人の視線の先には二人の女性騎士……ユリシアとモニカが立っていた。

 

「そうですよ。全く思慮が足りないというか何というか……」

 

「じゃ〜何て呼べば良いって言うの? まさかレオに倣ってとか何とかで、馴れ馴れしく名前でお呼びする訳にもいかないでしょう?」

 

「それは……まあ確かにそうなんですが、でもだからって──」

 

 モニカとユリシアで、ああでも無いこうでも無いと言い合う。幼馴染だというだけあって、二人とも互いに遠慮が無い。そしてそれはレオも同じ。ここに来て初めて、レオの表情が本当の意味で緩んだ気がした。

 

「取り込み中悪いが、セイトを見なかったか? 彼もコーネリア殿下親衛隊に戻るとか何とかで私と一緒に行く予定のようで、軍港にも似たような時間に着いてる筈だったのだが、どうにも姿が見えなくてな」

 

「あ、彼なら先程軍港で暇そうにしていましたよ? 着いて早々に何かトラブルがあったという話を耳にして、今までそれの対応をしていた、と」

 

「遅延に遅延が重なるものだからおかしいとは思っていた。やはり、何かあった訳だ」

 

 そう話を向けると、ユリシアは意味ありげな目線をレオに向けた。それを受けて、レオの表情も硬くなる。

 

「ええ。詳しくは私も知りませんが、暇そうにしていた辺り、もう大丈夫なのではないかと……」

 

 更なるモニカの言葉に、せっかく和らいだレオの表情が、いよいよ険しいものとなる。

 

「……そう、かな」

 

 不意に、レオの視線があらぬ方向へと泳いだ。

エリナはその視線の先を辿ろうとしたが、ただ黄昏色の海と、未だ荷の積み込みが済んでいない輸送艦を含めた艦艇の影があるだけ。

 半ば首を傾げながら、エリナはユリシアの呼び掛けで我に返って談話に戻った。

 

 ……一瞬、レオの表情が紅色に妖しく煌めいたように見えたのは、果たして気のせいだったのだろうか。

 

 

 

 結局、エリナが出航を見送る事はなかった。予定より大幅に遅れ、充分すぎる程日が沈んだ果てに出航した頃には、見送りの人間はモニカだけになっていた。

 

「……ええ、今、出航致しました」

 

≪そうですか……最後まで見送る事も出来ず、申し訳ありません≫

 

 船室で二つあるベッドの片方に腰掛けたレオに、携帯電話越しにエリナが謝罪する。既にレオは正装を着崩していて、マントは壁のハンガーに掛け、ジャケットの前は開けていた。レオは窓の外へと顔を向けて、外の闇を眺めながら口を開いた。

 

「いいえ、直接お越し頂けたこと、感謝致します。それと、どうかお身体に気を付けて。殿下の……君という存在はもう、君だけのものじゃない。劇場の時みたいな無茶は、もうしないように」

 

≪分かっています。貴方が帰ってくる頃には、きっと見違える程立派になってみせますとも≫

 

「楽しみにしております……と」

 

 闇に染まった窓に、レオの背後が映り込む。開け放っていた扉口に立ち、こちらに視線を投げかけるユリシアの姿を見つけると、レオは片手を挙げて答える。

 

「呼び出しのようです。それではこれで、失礼致します」

 

≪はい、貴方もお気を付けて。ちゃんと生きて帰って来て下さいね?≫

 

「イエス、ユア ハイネス」

 

 通話終了まで待って、レオは左手に持ったターン式の携帯電話を閉じる。

 

「……何か用か?」

 

「艦長が私達を呼んでる。艦長室まで来てくれって」

 

「ほう? 艦橋(ブリッジ)には居ないのか」

 

 ジャケットを閉じ、マントを羽織りながら立ち上がる。部屋を施錠して艦内通路を歩きながら、ユリシアが少し声を潜めて話を続けた。

 

「……出航が遅れた件、それに私とセイトが対応に駆けずり回ってた件。あれについてだと思う。今の内に言っとくけど、どうにも快適な船旅って訳はいかないと思うわ」

 

「機械的トラブルか、それとも人的トラブルか」

 

「後者。それも良くない部類のね。本当なら出航中止も有り得た。でも強行した。何故だか分かる?」

 

「護衛艦や資材運搬の都合、とかか」

 

 上級船室区画を端から端まで歩いた先に、艦長室があった。目的地の扉の前で立ち止まると、ユリシアはレオに向き直って言った。

 

「物理的な話じゃなくて。正しく言うと()()()()()()()の。様々な不安要素を抱え込んで、なお予定通り出航せよ、って」

 

 艦長室の戸を叩く。入室すると、既にセイトがそこで待っていた。艦長の勧めで全員がソファに座り、秘書官さえ退室すると、艦長はようやく、慎重に話を始めた。

 

「まずは、ご足労頂き感謝致します……エルフォード卿は、リィンフォース卿から話をお聞きになりましたか?」

 

「出航を強行させられた、位の話ならば」

 

「実は……出航が遅れた原因は、貨物の中に爆弾が発見されたからなのです」

 

 思わず眉を顰める。

 

「実行犯は?」

 

「捕縛しようとしたところ、自害されました。犯行の動機も不明。テロであったのか、或いは……」

 

 暗殺計画であったのか。

 どちらにせよ、乗船した誰か、或いは何かを海の藻屑にせんと仕掛けられた罠である事は確かだ。

 可能性として挙げられるのは三つ。最新鋭機ガウェインを狙ったか。有力氏族の子息、息女たるセイト或いはユリシアを狙ったか。

 それとも、エリナの専属騎士候補筆頭たる自分を狙ったか。

 

「急遽、警備要員を増員致しました。更に本艦は予定を変更し、ハワイにおいて護衛艦隊と合流し、エリア11を目指します」

 

「分かった。増員した警備要員は洗えたの?」

 

「一応、手配して下さった方から保証はされました。ただ……私見なのですが、対応があまりにスムーズに進み過ぎました。要員の手配、艦隊の手配。本来なら出航中止と変わりない程時間が掛かるものですが……」

 

「まるで、示し合わせたかのように、か」

 

「手配したのが誰なのか、それは解るか?」

 

 セイトがそう問い掛ける。

 その答えを艦長が恐る恐る口にした途端、レオの表情は一層険しいものとなった。

 

 

 

 

 

 サンディエゴを出航した輸送艦レノア・ゲイズ及び輸送艦バルドールの二隻に、パールハーバーにて駆逐艦及び巡洋艦の混成艦隊が合流。これで、船団の規模はちょっとした小艦隊規模となっていた。

 出航より一週間後。全行程の半ばほどに差し掛かった頃には、三人もある程度船員の顔を覚えつつあった。極秘調査に当たっていたユリシア曰く、増員された警備部隊に不審な経歴を持つ人物は居なかったらしい。

 あとは護衛艦隊の面々だが、此方についてはユリシアやレオが直接動く訳にもいかない。だからこちらの艦長から、顔見知りであるそれぞれの艦の艦長に極秘裏に打電し、内部調査を依頼していた。後は結果を待つしかない。

 

「……さて」

 

 一週間かけて取り掛かっていた作業……ガウェインに関する情報の整理、現地の情勢、行うべき試験内容のリストアップ等々からようやく解放されて、レオは身体を伸ばしながらデスクから立ち上がった。

 

「朝早くからお疲れ様です。お食事はこちらに運ばせますか?」

 

「いえ、軽く散歩してからラウンジに顔を出します。服はそこに掛けておいてください」

 

 洗濯を終えた服を持って来てくれた女性士官に礼を言うと、レオは今の今までペンを握り続けた右手を延々と開いたり、閉じたりする。

 

「では、失礼します」

 

 女性士官が退室すると、今度は頭に声が響いた。

 

“……お疲れ様でした。何か飲みますか?”

 

「ああ、何か出せる物なら出してみろ」

 

 声に出さなくとも、この女とのコミニュケーションは可能だ。勿論、声が出せる状況ならばその方が話しやすいが。

 乗船以降、あの憎たらしい幽霊女はレオのそばに、まるで取り憑いているかのように貼り付いている。船室に備え付けの冷蔵庫からシュペツィのボトルを取り出して、残り少なくなったそれを一気に飲み干す。女の声を聞いただけで何か神経を逆撫でされたような気分になり、感情に任せ空のボトルを屑かごに放った。が、目測を誤ってボトルはかごの縁で跳ね返って床に転がる。

 

“これはこれは、我が主らしからぬ失敗を”

 

(黙らないと首をへし折るぞ)

 

“やれるものなら”

 

 律儀にボトルを拾って改めて屑かごの上で放ると、レオはジャケットとマントを羽織り、鏡の前で身支度を整え始めた。

 

“お出掛けですか?”

 

(散歩と言いつつ……今までユリシアに任せきりだったからな。これからは、私が動く)

 

 レオは鏡の中の自分に向き合う。鏡像の右目が……自分の蒼い左眼が赤く染まり、そこに翼の紋様がぼんやりと浮かぶ。

 

(──この力を使ってな)

 

 レオのギアスの能力は、“掌握”。

 ギアス発動下のレオの視界からは一時的に色彩が失われ、世界はモノクロームに染まる。そしてその世界の中で、生命だけは色を持って輝く。

 自らに敵意を抱く者は赤色に、自らに害意を持たない者は青色に。そしてエリナのように大切な者は金色に。

 

 このギアスの力は、例えばKMFのファクトスフィアのように温度や生体反応に反応しているわけではない。ギアスの力がその生命の魂、意識を知覚し、その意識を“覗き見て”、それが敵であるか味方であるかをレオに示す。言語化不可能なその情報を、レオは“色”として認識する。

 

 ……レオがあの幽霊女を知覚出来るのも、或いはこのギアスの能力構造が由来なのだろうか。

 

 壁の向こう側にもギアスの力は及び、走査範囲は適宜調整が効く。ただ広くすればするほど、一個人に対する効き具合が甘くなり、本質を見誤る可能性が出て来てしまう。経験則上、半径50m以上範囲を広げると範囲内の全域で“色”の読み取りが出来なくなり、ただ“そこに居る”という情報しか読み取れなくなってしまう。加えて、50mぎりぎりにまで範囲を伸ばせば個々人の敵対意識も表面上のものしか判定出来なくなる。

 

 逆に、対象を一個人に限定して発動する場合、深層意識の相当に深い部分にまで探りを入れられる。最も相変わらず言語化不可能な情報でしかなく、結局は敵か味方かという情報しか伝わって来ないのだが。

 

“……今更言うまでもありませんが、ギアスの力は万能ではありません。仮に敵を発見できたとして、別途証拠を掴まなければ意味はありませんよ?”

 

(解っているとも。精々敵に勘付かれないよう、気を付けて振る舞うとしよう)

 

 支度を整えると、袖の下に隠した仕込み短剣の具合を確かめてから、レオは部屋を後にした。

 

 さて、爆弾は既に除去され、その後パールハーバーでも、もっと言えば渡航中にも一度船体の検査が行われている。出航から一週間経って何も見つからない事を考えると、新たな爆弾の可能性はとりあえず隅に置いて良さそうである。

 

 暗殺計画であると仮定した場合、まず怪しいのは急遽人員に組み込まれた護衛部隊の面々。彼らが、あるいは彼らの中の誰かが、発見されてしまった爆弾の代わりとなる暗殺者である可能性は充分にある。

 そして護衛艦隊、船員、と候補者が続いて行く。おそらく、ユリシアはその順番で調べに掛かったのだろう。そして、結局誰も見つけられなかった。

 ならば、レオは別のアプローチをかけるべきだ。

 

 船倉に足を踏み入れると、まず目に付くのはガウェインを収めた巨大極まりないコンテナ。手間に鎮座するユリシアのサザーランドと比べれば、スケールを間違えたようですらある。

 そしてそれを囲むように並ぶコンテナ群。殆どはガウェイン用の機材類だろうが、それとは別に一つだけ、KMF大のコンテナがあった。これだけは、レオもその中身を察することが出来ない。現地のスタッフに引き渡す予定の機材だという話だった。恐らくは例の、ランスロットという試作機絡みの機材だろうか。

 船倉全体を見渡せる上層キャットウォークに立つと、まずそこでギアスを発動させる。白に染まった世界の中で赤く見える者は……居ない。

 端の方に金色の光がある。ギアスを解除して確かめると、それはセイトだった。あちらはあちらで、相変わらず調査に駆けずり回っているらしい。

 

「……失礼、フォン・エルフォードの坊っちゃま?」

 

 と、背後から声を掛けられた。振り返ると、船員のひとりが……歳が近い事もあって乗艦以来良く話す男がそこに立っていた。

 名前は確か、ジョナサン。ギアスによる判定は初日に済ませてある。

 

「ああ、おはようジョナサン」

 

「え、もう朝ですか? うわぁ……ホントだ。船倉に篭ってると時間の感覚が無くなってしまって……。それはそうと、あまり船倉みたいな所にまで足を運ばない方が賢明かと思うんですがね」

 

「だからバレないように上から見てるんじゃないか」

 

「それだけにバレたらコトですよ。色々と厄介ごとの多い航海ですからね。皆気が立ってます」

 

 そう言うジョナサンに連れられて、レオはラウンジにまで足を運んだ。そこは上級士官食堂代わりに使われている場所で、彼も休息時間だと言うので、彼も交えて朝食を取る事にする。

 

「……いや、私は下りれば一般食堂で食べられますから」

 

「気にするな。どうせ上級士官なんて艦長かセイトか私ぐらいしか居ない。仲間には美味そうな食い物に釣られて艦長あたりの小言を聞かされた、位に言っておけば良いさ」

 

「ウチの艦長、もう完全にそういうポジションなんですか……」

 

 そんなことを話しながら、ラウンジに足を踏み入れる。ドアが開いた途端、今まさに食事中の艦長の姿が視界に飛び込んで来て、レオもジョナサンも、思わず顔を見合わせた。

 

 

 

 

 

 セイトが顔色を変えてラウンジに飛び込んで来たのは、まさか聞こえていたのではあるまいな、などと艦長が退室した後もずっと気にしながら食後のデザートを楽しんでいた、まさにその時であった。

 

「おいレオ、やばいぞ──って、なんでジョナサンがココにいんの?」

 

「いえ、成り行き上……」

 

「……いや、そんなことどうでも良い、レオ、お前はすぐ部屋に戻れ!」

 

 そう言って、有無を言わさぬ勢いでセイトはレオの腕を引っ掴んで立ち上がらせる。せっかく取っておいたチョコレートケーキを食べ損ねる。

 

「おい、どうしたと言うんだ、急に?」

 

 レオはセイトに視線を向けた。セイトはセイトで神妙な面持ちで、

 

「……護衛艦隊が、反乱を起こした」

 

「なに……?」

 

 

 

 

 

 自室までの道すがら、セイトが状況をざっと説明してくれた。

 敵は護衛艦に忍び込んでいたのだ。昨晩のうちに艦内を制圧し……いや、そもそも艦隊そのものがそう言う密命を帯びていたのか。ともかく、艦隊は素早く輸送艦を包囲した後、各砲門をこちらに向けて、以下の通告を突きつけた。

 

 レオハルト・フォン・エルフォード中尉、及び最新鋭機ガウェインの引き渡しを要求する。その場合、艦長以下船員の生命は保証する。

 なお、十五分以内に回答が為されない場合、輸送艦を撃沈する。

 

「仕掛けて来た、って訳さ。どうりで艦の中を探し回っても何も出てこない筈だよ。ユリシアが例の打電の返答が来ないって言ってたからヤな予感はしてたってもんだ。手を打つ前に、向こうが動き出したって事さ……」

 

 既にこの艦の周囲には水中用KMF ポートマンが展開している。脱出は不可能だ。

 

「……ユリシアは艦長と対策を講じてる。部屋に護衛を派遣しておくから、とりあえず、レオは部屋に居てくれと」

 

「撃沈も視野に入れているなら、狙いは私の命かな」

 

「だろう。こうして考えてる隙に暗殺者が船に上がり込んで、さっくり始末されないとも限らん。部屋まではジョナサンが護衛してくれ。時間がない。俺はユリシアのところに戻って、艦長や護衛部隊と急ぎ対策を協議する」

 

 上級船室区画の入り口まで来て、セイトは言った。どうする、とレオが問うと、

 

「時間が稼げれば、隙を突いて本国や外洋航海中の味方艦隊に救援要請を出す。最悪、身代わりを立てて一度ガウェインを引き渡して、然るのち奪還という手順を踏む事になるかもしれん」

 

 と言い捨てて、足早にその場を立ち去る。

残ったジョナサンに連れられて、レオも自分の船室へと走る。

 

「敵は同じブリタニア軍なんでしょう!? それがどうして!?」

 

「派閥争いって奴は何処にだってあるだろう。 そういう“揺らぎ”こそ、ブリタニアの一つの強さではあるが、巻き込まれる側としてはたまったものではない」

 

 自室に辿り着いた時、まだ護衛は到着して居なかった。部屋の中に敵が潜んでいる場合を考慮し、まずジョナサンが扉を開き、中を確かめる。

 安全を確認した後、レオは部屋に踏み込んだ。続いてジョナサンが入り……部屋の鍵を掛ける。

 

 

 

「……さて、茶番はこの辺で終いにしようか」

 

 

 

 不意に口元を歪め、レオは振り返った。ジョナサンが「へ?」と声を上げる間に、レオはずい、と彼の目の前に迫る。

 

「……フォン・エルフォード?」

 

 怪訝そうな表情を浮かべるジョナサンの背後へゆっくりとレオが回る。ジョナサンもまた振り返りながら動き、双方で部屋の中に円を描くように動く。

 

「派閥争いというのは何処にでもあるものさ。大概それは報復の連鎖として尾を引く。即ち殺したから殺されて、殺されたから殺して、だ。違うかジョナサン?」

 

「……ええ、そうですね!!」

 

 部屋のドアを左にした瞬間、ジョナサンは右の手を伸ばし、手刀として素早い突きを放って来た。レオはすんでのところで攻撃を逸らし、続いて放たれた蹴りに反応して後ろに飛び退く。

 

「オペラハウスであんな事をしておいて、無事に逃げられると思うなよ、エルフォード!」

 

 そう、この男に対するギアスの判定はとうに済んでいた。

 最初から、この男は赤色だったのだ。

 

「安心しろ、礼儀は守ってやる」

 

「礼儀を守るというのなら、まずは武器を抜いたらどうだ?」

 

 レオの言葉に、ジョナサンは一瞬気の抜けたような表情を浮かべる。

 

「……おいおい、何を言ってやがるんだ?」

 

「まさか私に……栄えあるエルフォード家の一族に名を連ねるこの私に、武器も持たない弱者を殺した男に成り下がれと言うのか? 礼儀を守ると言ったその口で?」

 

 舞台俳優を想起させる張った声で、態とらしく持って回った言い回し。レオは芝居掛かった動作で両手を挙げてみせる。まあ、降参の態度ではない事は明らかだった。

 

 後悔するなよ、と叫んで、ジョナサンは懐から軍用ナイフを抜いて突きを放った。瞬時に反応して、レオは左手首の仕込み短剣を起動、腕を振り下ろし、ジョナサンの刃を逸らす。続いてナイフを持ったその腕を掴んで後ろに投げ、腰に佩いた刀の柄へ手を伸ばす。

 右の手で刀を振り上げるように抜き放つと、銀の煌めきが薄暗い部屋の中を照らす。ジョナサンはと言うと壁に身体をぶつけたものの、そのまま床を跳んでドアの前に飛び込み、ナイフを構えながら空いた手で鍵を開く。

 

「ヴァルクグラムの手の者、と言う事で合っているかな。あれから没落一直線だと聞いたが」

 

「雇い主の事情は知らんさ、俺はただの殺し屋なんでね!」

 

 ジョナサンがナイフを投げた。同時にドアを開き、外へ飛び出す。レオは刀でナイフを上に弾いて、落ちてくるそれを掴み取る。追いかけようとした時には、既にジョナサンは部屋から走り去っていた。

 

「それは結構……アサシンハントは得意分野だ」

 

 扉へ駆け寄る。しかし、その脳裏に声が走る。

 

“お待ち下さい、危険です!”

 

 警告。レオは扉から出るのではなく、その横の壁に張り付いた。

ギアスを発動して扉の向こうを探ると、幽霊女の言う通りジョナサンはすぐに走り去るのではなく、戸口で待ち構えている。何処で調達したのか、拳銃を携帯しているように見受けられる。

 レオはクローゼットから防寒コートを引っ張り出すと、部屋の扉を開き、外の通路目掛けて勢い良く放り投げた。

通路に飛び出したコートが、それ自体が意思を持つかのように空中を舞う。一瞬、まるで海洋を優雅に泳ぐマンタレイさながらに空中にあったコートが、直後、空中で乱れた。一連の銃撃が止んでコートが床に落ちるのと同時に、レオは今度こそ通路に飛び出す。

 

 警戒して床を転がる形で廊下に出たレオは、起き上がるや否やその手のナイフを投げる。空を切り裂く刃は、回転しながら今まさに駆け去ろうとしていたジョナサンへと飛翔し、間一髪、ジョナサンは外部階段へ繋がる扉を開いてナイフを防ぐ。弾かれて床に落ちたナイフを拾い上げ、レオは扉の向こうに消えたジョナサンを追った。

 

 階段に出た途端、既に一階層下に降りていたジョナサンが撃って来た。レオが殆ど転げ落ちるようにして階段を降りると、ジョナサンは更に下層へと降り、大型コンテナが並べられた甲板に降り立って走り出した。

 

「おいおい、それは下策だ」

 

 そう呟いて、レオは階段の手すりを乗り越えて空中へと飛び出した。甲板上のコンテナの上に降り立ち、レオはその位置からジョナサンを追う。上手く移動距離を短縮出来そうなコンテナや機材があれば、あの女が示してくれた通りに跳んで、追い続ける。

 入り組んだコンテナの隙間を抜けるジョナサンに対し、直線に進むレオ。早い段階でジョナサンを眼下に収めると、レオはまずナイフをジョナサンの足元へ投げ、自分は一瞬足が止まったジョナサンの目の前に降り立つ。

 敵が反応する間も無く、レオは刀を真下から真上へと振るった。その切っ先がジョナサンの顎を捉えると更にレオは踏み込んで、左手の仕込み短剣をジョナサンの胸元へ深々と刺した。

 手元に温く湿った感覚。不可思議な、しかし客観的に見れば歓喜と表現できる感情が胸に浮かぶ。

 

「ぐ……ふぅ……っ!?」

 

 口元から血を吐いて、ジョナサンは甲板に倒れ伏した。レオは真っ赤に濡れた短剣を引き抜き、血を払って袖の中に収める。刀も手元でくるりと回し、逆手に持ち替えてゆっくりと納刀する。

 

「知らなかったか、ジョナサン。昔から決闘というのはな、先に抜いた方が負けるのさ」

 

 そう言って立ち去ろうとするレオの足を、まだ息があるジョナサンが掴んだ。

 

「これで……終わったと思うなよ……! 我々は必ず貴様を……貴様……を……ぉ……」

 

「残念ながら、貴様や貴様の仲間では、私を倒す事は出来ない」

 

 レオはジョナサンの前髪を掴み、真横のコンテナに投げつけた。なおも起き上がろうとするジョナサンの額に爪先をめり込ませる。

 

「発想からして間違えている。暗殺者殺し(アサシンハンター)に暗殺者を差し向けて何になる」

 

「貴様……死……報……い……」

 

 明らかに、こちらのいうことを聞いていない。それを認識すると、レオは侮蔑の視線を送った。

 

「死してなお喰らい付いたかと期待もしたが、都合の良い幻に逃げるか。力無き者に勝利の女神は微笑まない、それが世界の摂理だろうに」

 

 蹴り上げて、再びコンテナに叩きつける。それで今度こそ、ジョナサンの呼吸は止まった。

 

「さらばだジョナサン。精々自省して、誰にも知られず死ぬがいい」

 

 仰向けに倒れ伏したジョナサンの開かれた眼を、最後の情けで閉じてやる。

 軽く十字を切った後、レオは艦内へと踵を返した。

 

「力無き者に、未来は無い。力が無ければ何も守れない。自分の身さえな──!」

 

 時計を確認すると、あれから既に十分以上経過してしまっていた。



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第四幕 Journey to The New World 2/影

 コンテナの間を抜け、作業員用の水密扉を開いて艦内に戻った途端、レオは目の前の階段から駆け降りて来たユリシアと鉢合わせした。

 正面衝突寸前でお互いに一歩退く。一瞬の間を置いて、ユリシアが叫ぶ。

 

「ちょっ……何処行ってたのよ!? 部屋に居てって言ったでしょう!?」

 

「そうしたんだが、ジョナサンに襲われた。奴が殺し屋だったのさ、最初から奴の方が本命だった!」

 

 尚も捲し立てる彼女を遮る。レオが彼女の横を通って階段を登り、彼女もまた元来た階段を登り始める。

 

「ジョナサン……? けど、調査では何も……」

 

「そうだろうな、飼い主は護衛を手配した奴と一緒だよ。艦長が言っていた奴だ」

 

 “第9皇子 アルベルト”。乗艦して早々、艦長はそう告げていた。屋敷の火事から続く因縁は、未だ続いているのだ。有能な手先たるヴァルクグラムを喪ったアルベルト勢力の次なる刺客が、エリナではなくレオへと差し向けられた訳だ。

 

「エリナの方は今、護衛が一番充実してる。発想は悪くなかっただろうさ。見る目は無かったようだがな」

 

 船室区画へ入り、艦内通路を進みながらレオは言った。向かう先はレオの自室……少なくともユリシアはそのつもりだ。

 

「で、ジョナサンは?」

 

「甲板に寝転んでいるよ」

 

「一体どうやって見抜いたの?」

 

「襲って来たんだ、黒としか見ようがないだろう」

 

 ギアスのことは、当然彼女にも伏せてある。信じるとも思えないし、そもそもああいった後ろ暗い部分での活動が多い自分としては、不用意に手の内を曝け出すような真似など出来ない。

 ……手品のタネを自ら明かして回る奇術師など居るまいし、新しい物語の粗筋を喋って回る作家など有り得まい。

 

「状況はどうなった?」

 

 そう言って話を逸らす。足を止めると、ユリシアは大して疑問を抱かず、渋い顔で窓の外へ視線を向けた。

 

「大して変わってないわ。察するに、最悪貴方ごと沈めてしまおうって事でしょうね……ガウェインにしたって、向こうはジヴォン家とも対立関係にある訳だし、沈んだところあっちにとっては得なんでしょ。同じブリタニア軍なのに」

 

「本国に連絡は?」

 

「不通。事後報告で全部済ます気かしらね」

 

「事後報告……ね」

 

 通路の分かれ道で、レオは足を止めた。左へ行けば上級船室区画。右に行けば船倉。

 急に足を止めたレオに気付いてユリシアが声を掛けてくるが、レオの目は船倉の方に向いている。

 

「……どうしたの?」

 

 ユリシアが問い掛ける。実のところ、先程からレオの頭に一つ考えがある。

 状況として、敵は外部に居て、周囲の艦を制圧している。この艦はポートマンに囲まれており、今にも乗り込まれるか、或いは撃沈されそうになっている。艦内へ乗り込むようなら護衛部隊で対処は可能だが、艦そのものへの攻撃には対処出来ない。

 KMFパイロット(騎士)ならここに三人は居る。が、この艦に艦載機の類は無い。積み荷の機体……例えばユリシアのサザーランドやセイトのグロースターを数に入れたとしても、本来KMFは陸上兵器であり、艦の上から射撃で応戦したとしても、艦砲射撃の一撃でも貰えばそれで一巻の終わりだ。自機に直撃しなくとも足場たる艦を壊されれば海に投げ出される他無く、海面下に落ちればKMFはただの金のかかった棺桶と化す。

 

 ……ただし、普通のKMFならば、だが。

 

「……ガウェイン、荷解きにどれくらいかかるだろうか」

 

 レオが呟いた。この艦に積み込まれているガウェインには浮遊航空(フロート)システムが実装されている。安定飛行とは言い難い代物ではあるが、飛行可能であることのメリットは大きい。

 そのガウェインだが、現在は運搬用のコンテナの中に格納されている。エナジーフィラーも抜かれ、破損防止の為の固定具の類があちこちに嵌められた状態だ。あれを実戦状態まで持って行くのは結構な手間だろう。

 

「まさか……ガウェインで迎え撃つつもり?」

 

 ユリシアが目を丸くして問い返した。

 無論、ユリシア達とてその案を考えなかった訳は無い。しかしガウェインを操れるパイロットがこの艦にはレオしか居ない。護衛対象たるレオが敵の正面に出る形となる。更に言えばこの艦を取り囲む敵は、制圧されたとは言え同じブリタニア軍の艦、ブリタニア軍のKMFだ。数的不利も明らかで、一度は破却された案だ。

 

「一応同じブリタニア軍だし、味方殺しになるわよ?」

 

「向こうが既に殺しにかかって来てるんだぞ?」

 

「その相手と同じになるわよ?」

 

「なるしかあるまい」

 

 が、レオはその辺りを認識しながら、さも当然のように言った。

 皇族絡みの陰謀に頭から爪の先まで浸かっているような日常が悪いように影響して、もはやレオにその辺りの躊躇は無い。同じブリタニア軍などとは言うが、主君と仰ぐ対象は案外違うものだ。血を分けた兄弟すら平然と敵と見做す者共。

 迷っていれば、自分の主君が殺される。

 

「そもそもその辺りの懸念をするならば、私はもうジョナサンを殺してる。一線は踏み越えている。だから私がやる分には問題無いだろう?」

 

 そう言って、左手に意識を向ける。

 ジョナサンの血で汚れたままの左袖。一度付けば決して消えぬ類の穢れだ。そしてそれさえも、レオはもう気にならない。

 エリナと約束したのだから。フィオレの仇も、やっと一人目を討ったばかり。こんなところで、自分はまだ死ぬ訳にはいかない。

 

「……間に合うの?色々と」

 

 暫しの沈黙の後、ユリシアはため息とともに問い掛けた。

 正規の訓練を受けたスクランブル部隊の発進さえ数分は掛かる。サザーランドなどより数倍手間のかかるガウェインで、しかも万全の体勢が整っているとは言い難い現状。

 しかしレオは、迷いなく即答した。

 

「間に合わせるさ。生憎、そういう帳尻合わせは得意だ」

 

 

 

 

 

 船倉に駆け込むと、既に連絡を受けた作業員十数人ほどが件のコンテナに群がっていた。前面と上面カバーが解放され、中で膝をついているガウェインの姿が見える。レオはパイロットスーツにも着替えずに、あちこち駆け回る作業員達を避けながらキャットウォークへと走った。階段を駆け上り、ガウェインのコンテナの真上まで辿り着くと、レオは大きく両側に開かれた状態の上面ハッチの上に飛び移り、そこを伝ってガウェインの背部ブロックへと降りた。手慣れた手つきで外部キーパッドを露出させコードを打ち込み、コックピットハッチを開いて中に潜り込む。

 

 通常のKMFと違い、このガウェインの操作系は複座式だ。前方にあるドライバーシートに機体制御担当のパイロットが乗り込み、その後方斜め上に位置するガンナーシートに砲撃管制担当のガンナーが乗り込む。複雑化した機体システムに対応する為の苦肉の策であり、完全に性能を発揮する為には二人の、それも完璧に連係の取れたタッグが必要になる。

 逆に言えば、機体性能を完全に発揮する必要がなければ一人でもどうにかなる。レオは下部のドライバーシートに座ると、起動キーをスロットに挿入、いくつか手順をスキップしつつ初期起動を始める。

 デヴァイサー、エントリー。個体識別情報承認。MMI(マンマシーン・インターフェース)確立。

 ガウェインの巨軀が熱を帯び、微動を始めた。

 ユグドラシル共鳴確認。拒絶反応微弱、デヴァイサーストレス反応微弱、ダイアグノーシス終了、ステータスオールグリーン……

 と、その辺りでモニターを影が覆う。振り返ると、ユリシアがコックピットに入って来てガンナーシートに着座するところであった。

 

「ユリシア? 何してる」

 

「これ、複座なんでしょ? だったら貴方一人じゃ……」

 

「飛ばして撃って殴って蹴るだけだ、ドルイドシステムもハドロン砲もそう使わない」

 

 思いがけぬ助っ人に対し、レオはそう淡白に告げて起動作業に戻った。

 ドルイドシステムとは、ガウェインに搭載された超高性能演算システムのことだ。戦線指揮や敵情報解析等々には非常に役立つシステムだが、今回は必要あるまい。更に言うと、あれを扱うにはドルイド適性とでも言うべき適性が求められる。レオについてもそちらの適性はまずまずで、ユリシアは……どうだっただろうか。

 ともかく、ドルイドシステムを使わないのであれば、ガンナーの仕事はガウェインの両肩に搭載された重粒子砲 ハドロン砲の照準、砲撃しかない。そして、それだけならドライバーからでも不可能ではない。

 おまけに、そもそもハドロン砲は未完成だ。

 

「居ないよりマシでしょ? それに私は貴方の護衛。ガウェインに乗る貴方を護るとしたら、今のところ一緒にガウェインに乗るしか思い浮かばなくて」

 

「付き合う必要は無い。お前も味方殺しの片棒を担ぎたいのか」

 

「少なくとも、貴方一人にそれをやらせるほど薄情になったつもりも無いわ」

 

「……後悔するなよ」

 

 やがて、ユリシアの方でもディスプレイが起動する。レオがシステムを単独操縦モードから通常操縦モードに切り替えたのだ。

 

「はいどうも。先にレーダー索敵は掛けておくわ」

 

「ああ、せいぜいドルイドシステムと格闘しててくれ」

 

 全身の微動はやがて大きな振動へと変化する。起動完了とともに、ガウェイン外部でその紅いカメラアイが煌めく。

 ほぼ同時に、ガウェイン機内で電子音が鳴り響く。

 

≪……二人とも、時間だ≫

 

 起動したばかりの無線通信で、セイトが告げた。と同時に、起動した機体の警戒システムがアラートを響かせる。

 

 沈めにかかったか。レオが口を開く前に、ユリシアがドルイドシステムを用いて電子戦を開始、ジャミング電波の発振を開始していた。

 

≪エルフォード卿、攻撃が──≫

 

「上部隔壁を開放しろ。ガウェインはもう出せる」

 

 艦橋からの通信に指示を返し、レオは操縦桿を握り込んだ。機体を動かそうとするが、動かない。

 何故動かない、と機外カメラ映像を呼び出そうとするが、既に原因を把握していたユリシアが叫んだ。

 

「まだ固定具が付いてるわ!」

 

「……それなら良い」

 

 そう言って、レオは機外マイクを起動して周囲の整備クルーに怒鳴った。

 

「15秒後、隔壁開放と同時に強制発進する! 総員退避しろ!!」

 

 叫ぶと同時に、耳を聾する大音響が響き渡った。全身に漲る巨大なエネルギーにものを言わせ、ガウェインは四肢を固定するマウントを次々と弾き飛ばして行く。

 隔壁開放と共に、不安を煽る警報音が格納庫中に響き渡った。手順を無視した起動シーケンスを行なっているせいだ。整備員の退避を見届けると、レオは自由になったガウェインの頭部を上に向け、頭上の青空を睨んだ。

 ガウェインの背中のX字翼に光が灯る。翼端に緑色が、翼と翼の間に、まるで翼竜の持つ大翼の翼膜のように薄い紫が迸った。

 

メインシステム 戦闘モード 起動します(Main system Engaging Combat Mode.)

 

「動けぇぇぇ!!」

 

 ディスプレイに表示が出た瞬間そう叫び、レオはスロットルレバーを押し上げる。呼応して、ガウェインは轟音と共に空へと飛び立った。

 

 

 

 

 

 少なくとも、度肝を抜かれた事は確かだろう。

 今まさにレノア・ゲイズを攻撃しようとしていた全ての者の注意が、その一瞬だけ、空中に躍り出た白い影に釘付けとなっていた。

 まるで天使の降臨さながらに広げられた両腕。未成熟なフロートシステムで機体の安定飛行を行う為に必要なガウェインの飛行姿勢だ。ガウェインは、ほぼ全ての動作においてこの姿勢を基本姿勢として想定している。

 

 状況。

 護衛艦隊の構成は巡洋艦一隻に、駆逐艦三隻。このうち巡洋艦の方は完全にレノア・ゲイズに対し攻撃行動を取っているが、後ろの駆逐艦はどうも動きが中途半端だ。

 

「レオ、あれ!」

 

 ユリシアが叫び、駆逐艦の一隻の望遠映像を呼び出してレオのディスプレイに映し出す。明らかに艦内が交戦状態にあった。同じような状態の駆逐艦がもう一隻。この二隻は、今まさに奪還されようとしているのだ。

 そして最後の駆逐艦は、奪還されつつある僚艦の方に意識が向いている。仮に奪還されれば、直後に攻撃を加えるつもりだ。

 つまり、敵艦については巡洋艦の心配だけしていれば良い。問題は海面下を泳ぎ回るポートマンの方だ。

 

 レーダーディスプレイに映る敵性光点は四つ。しかし巡洋艦に搭載可能なポートマンの数を考えると、何騎居ても不思議ではない。

 成る程。良い趣向ではないか。

 レオは無意識の内に笑みを浮かべていた。勿論、そんなものはユリシアからは見えないが。

 攻撃が止んだ一瞬を突いて、レオはガウェインを戦闘速度に急加速させ、護衛艦の一隻へと近付けた。巡洋艦オルブライト。護衛艦隊の旗艦である。

 

「ユリシア!」

 

 レオがそう叫ぶのと同時……いや、ほんの少しだけ早く、ガウェインの両肩カバーが展開、そこから赤黒い光が海面のオルブライト目掛け、豪雨の如く降り注いだ。

 ハドロン砲。収束率に問題がある現状では拡散砲撃しか行えないが、今この瞬間においてはそれで十分と言える。ドルイドシステムの補助によって拡散率を予測、適切なポジションから発射されたハドロン砲は、オルブライトの火砲のみをほぼ正確に撃ち抜き、それでいて艦そのものへの損傷を最低限に抑えていた。

 

 振り返って、更に海面へハドロン砲の照準を定める。今度の狙いはポートマン部隊だ。ポートマンの最適な対艦攻撃ポジションを予測して、そこへハドロン砲を撃ち込む。集結していたポートマンは撃墜こそ免れたものの、掻き乱される水流に翻弄され編隊が乱れる。何騎かが僚機との衝突を恐れ浮上、或いは離脱する。

 ポートマンの数が不明ならば、そもそもポートマンの撃破ではなく、ポートマンがレノア・ゲイズを攻撃可能なポジションを封じれば良い。そして目立つ緊急回避軌道を行ったせいで、ポートマンの姿はほぼ確実にレーダーに引っかかる。六騎だ。

 アラートが鳴り響く。我に返った……といった具合に他の艦が対空攻撃を開始したのだ。雲霞のごとく迫り来るミサイル。だがこの近距離で、しかもドルイドシステムによる電子的欺瞞に守られたガウェインを正確に補足する事は出来ていない。本来の速度制限を無視し、急加速と急減速を織り交ぜて飛び交う火線を掻い潜る度、レオの表情は僅かずつ歪む。

 ディスプレイ上に警告。現状、ガウェインのフロートはこのような急激な機動が行えるような状態ではない。無理な機動を行えば、機体バランスが崩れ墜落しかねない。しかし、レオは器用に機体を限界ギリギリの状態に保っていた。傍目には航空機そのものな軌道を空に描きながらガウェインは海面近くまで降下し、両腕のマニピュレータを駆動させる。

 

「よし、行け!」

 

 海面に伸ばした右腕。伸びきった掌の五本の指が、レオの操作で射出される。スラッシュハーケン。一般的なスラッシュハーケンと異なり、ガウェインのそれはワイヤー自体に加工が施してあり、切断能力を持ち合わせたスラッシュフィストとして実装されている。

 放たれたスラッシュフィストが海面へと叩き込まれ、海面近くで姿勢維持に躍起になっているのポートマン達の背部を見事に貫いた。推進装置を失ったポートマン達は本体の爆発こそ起こさなかったものの、制御不能状態に陥ってとても対艦攻撃どころでは無くなる。再び上昇を始めたガウェインの眼下で、脱出ブロックが二騎分、海面に浮かんで来る。ついスラッシュフィストでとどめを刺そうとして、背後の存在に気付いて思いとどまる。

 

「……意外とドルイド適性はあった訳だ、お前」

 

 想像以上の成果に、レオは思わず感嘆の声を漏らす。背後のユリシアは一瞬笑みを浮かべ、それからハドロン砲のトリガーを引いた。

 ハドロン砲の赤黒い光が再び海面を叩く。残り四騎のポートマンを追い散らすと、レオはガウェインをオルブライトへと突進させた。

 

 既にディスプレイの警告は画面を埋め尽くす程になっている。実のところ警告の山そのものは演習の度に見ているのだが、今回ばかりはあまり楽観視出来たものでもない。

 

 だから、短期決戦で決めねばならない。

 ガウェインはオルブライトのデッキを滅茶滅茶に破壊しながら着地、艦橋近くに陣取った。元より搭載火砲の殆どは潰してあったが、これだけ至近距離ともなれば残る火砲でもガウェインを狙う事は出来ない。ポートマンに援護させようにも、これだけ近いとその攻撃がそのままオルブライトに命中しかねない。当たったとしても飛散する破片が艦橋をズタズタに引き裂きかねない。

 

「そこに居るのは解っている。どうする、まだ続けるか!?」

 

 機外スピーカーで通告しつつ、レオはガウェインの両肩ハドロン砲を展開、艦の中心部──即ち戦闘指揮所へと向ける。

 最初の通信の発信元はこのオルブライトだ。ついでに言うと最初の攻撃もオルブライトから。

 

 一種の賭けではあった。敵の指揮官がこの艦に居るとすれば、オルブライトを抑えれば或いは勝負が決まるかも知れない。

 もちろん、敵指揮官が生命を捨てて任務を遂行する殊勝な人物であれば、或いはポートマンが指揮官の生死に構わずレノア・ゲイズの撃沈を図ればこの目論見はあっけなく崩れる。その時はハドロン砲で戦闘指揮所を即座に破壊し、残る敵全てを潰す。

 

 さあどうする。名も知らない相手に無言で問い掛ける。

お前はどういう趣向を凝らしてくれる?

 

≪──解った。降伏する≫

 

 その通信が届くと同時に、レオは大きく溜息を吐いた。ほぼ同時に駆逐艦の方の奪還も完了し、後はレノア・ゲイズか駆逐艦の方から味方部隊を移乗させて艦の指揮権を奪還するだけだった。

 

 

 

 

 

 そうして安心しきった頃に、問題が発生した。

奪還が完了し、ガウェインがレノア・ゲイズに戻るべく飛び立とうとした、まさにその瞬間の事だった。

 

「……何?」

 

「え? どうしたの?」

 

 スロットルレバーを押し込んだにも関わらず、ガウェインは飛び立たない。それどころか何とも嫌な、というかどうにも情けない音を立てながら、システムそのものがダウンしそうになる始末。

 慌ててユリシアがドルイドシステムを使って自機の精密ステータスチェックを実施する。結果が出た途端、ユリシアは表情を歪めた。

 

「あー……レオ、フロートが……」

 

≪こちらセイト。レオ、そっちどうした!? なんか背中から煙吹いてるぞ!?≫

 

「ああ……何というか……」

 

 乾いた笑いが出て来た。チェック結果を前席に回して貰って確認してみたところ、フロートシステムがオーバーヒートを起こしていた。原因は大出力での使用を複数回行った為。要するにレオの戦闘機動が荒すぎたという訳だ。

 

「どうやら私は……ガウェインを壊したようだ」

 

 直後、「はぁぁぁぁぁ!?」というセイトの叫びがコックピット中に響き渡った。

 

 

 

 

 

≪……そ、それで?≫

 

 通信越しのベルベットの声は明らかに笑いを堪えていた。

 

「そのままオルブライトに固定してガウェインだけ引き返した。このご時世に船旅にした意味がこれで完全に無くなった訳だ」

 

≪絵面酷すぎでしょう、それ!?≫

 

「ああ、邪魔で邪魔でしょうがない、だそうだ」

 

 背凭れに盛大に倒れ込みながら、レオは吐き捨てるように言った。

 

「仕方ないだろう、ああでもしなければガウェインなどただの的に成り果てていた。そして飛べなくなった上にフロートに引っ張られて基幹システムにも影響が出て、完全に動かなくなった以上もうどうしようもない──それはそれとして始末書ものではあるだろうが」

 

 結局、戦闘については正当防衛として認められそうな雰囲気があった。

 エルフォード家の力もいくらか介在したかもしれないが、そもそも陰謀が明るみに出てしまったアルベルト派閥は、エルフォードが報復を行うまでもなく処罰を受け、その勢力は大きく減退する羽目となっていた。

 ただ、その戦闘が原因となって機能不全を起こしたガウェインは、一度本国のロンゴミニアド・ファクトリーに戻し改修を行う事となった。

 つまり、オルブライトは艦橋の目の前にガウェインがででん、と鎮座した状態のままベスタ島基地へ向かう訳だ。オルブライトはベスタでドック入り、ガウェインは本国行きの別の船に載せる手筈となっている。

 

 さて、機体が本国に残るのならばそのデヴァイサーたるレオについてはどうなるか。これについてはエリア11のアスプルンド伯爵の希望に沿って、ガウェイン以外の積み荷共々そのままエリア11まで向かう事となった。

 

「……まあ、老人に付き従う首輪付きの美人秘書、よりはマシな絵面だと思うぞ」

 

≪あら、褒めても何も出ないわよ?≫

 

 そう言って、画面の中のベルベットが何とも屈託の無い笑顔を向けて来る。皮肉の仕返しにしか思えないが、どうにも背筋の凍るようなものを感じる。

 

≪とにかく、貴方が無事で良かったわ。これでエミーリアとオリヴィエからの質問攻めから解放されそう≫

 

「ああ……二人には、心配かけてすまないと」

 

≪伝えるわ。じゃ、私は御父様に呼ばれてるからこれで≫

 

「ああ、そっちの皆も気をつけるように」

 

 通信を切って、レオはコートを羽織って甲板に出た。途中セイトに出会ったが、彼は何やら電話中のようだった。故に軽く手を挙げて会釈する程度に留めておく。

 時間的なものもあるが、霧が立ち込めているせいか余計に肌寒い。手摺に両肘を乗せ海を眺めるこの位置からなら真横に例のコンテナ群が立ち並ぶ姿が見える筈だが、霧に包まれてそれも早い段階で見えなくなる。

 さて、出て来たは良いがする事は特にない。とりあえず暇つぶしで持ち出したチョコ菓子を摘むが、視界には彼の意識を引き止める物が何も無さ過ぎて、そのうち思考が独り歩きを始める。

 

 ……ジョナサンの遺体はどうするのだろう、ふと、レオの頭にそんな疑問が過った。

 もうとっくに水葬にでもしたのだろうか。それとも、本国まで持って帰ったりするのだろうか。

 同じブリタニア軍だろうが、自分を殺そうとした相手だ。レオにとって、何ら殺しを躊躇う相手では無い。しかし、ガウェインで可能な限り不殺を試みたせいで、かえってジョナサンの件が悪目立ちする形となった。

 

 自分が仲間殺しをする分には良い。だが、それにユリシアが付き合う必要は無い。だから、ガウェインで戦う時は手間を加えた。

 ただそれだけだ。他人に配慮したに過ぎない。

 なのに、どうしてそれで自分の心が揺らぐ。

 

“……おやおや、我が主は珍しくも青い悩みを抱えておいでで”

 

(出て来ると思ったぞ幽霊女。私をからかう種があれば是が非でも逃さんからな、お前は)

 

 溜め息とともに女に背を向ける。無論姿は見えない。ただ、何となくあの女が右隣に居て、こちらに顔を近づけて来ているな、という感覚はある。だから左を向く。

 

(存外脆い、とは自覚しているよ。失望でも何でも勝手にするが良い)

 

 と、肩に何かを感じた。微かに伝わる熱、何かに触れている感覚。そちらに自分の手をやっても、そこには何も無い。

 

“……失望など致しません。まだ、貴方は大丈夫だと安心しました”

 

(おいおい、軍人が殺しを厭うのを是とする訳ではないだろうな)

 

“そうではありません、こちらの話です”

 

 女の声色は、どこか優しげなものに変わっていた。何とも珍しい事だ。

 手摺に背中を預け、女の方を見遣る。姿は見えない、と言ったが、ギアスを使えば一応見える。かなりぼんやりとした、それこそ幽霊のような虚像として。

 

(もう私は、立ち止まる訳にはいかない。同じ運命を繰り返さない為にも、立ち塞がる者は全て蹴散らす。そう誓ったのだから……)

 

 左の掌を持ち上げ、握り拳を作ってみせる。手首には仕込み短剣の銀の鞘。しかしその色は赤色に薄汚れ、あの時の汚物の……血の臭いが染み付いている。

 幾度この刃で命を吸っただろう。既にこの手は血に塗れた。落ちない穢れを無意味にしない為には、悲願を達成するしかない。そう願うのなら、こんな事に拘泥している暇はない。

 ……でも。

 

“……力無ければ何も守れない、ですか”

 

 不意に彼女が呟いた。甲板で口をついて出た言葉だ。確かに、彼女にも聞こえていて当然ではあろうが。

 

(なんだ急に)

 

“あの暗殺者が絶命した後、まるで言い聞かせるように仰ってましたが。妹の一件以来、それが貴方の信条ですか?”

 

(それはまあ……認める。もっと言えばその前、私とフィオレがエルフォードに拾われた頃からそう思っていたさ)

 

 そうだ。エルフォードという大貴族の名を背負うようになっても、あの頃の感覚は忘れられない。

 両親の居ない二人が過ごしたストリート。あの世界で生き抜く為には、何よりも力が必要だった。誰もが誰にも頼れないまま必死で生きて行こうとしていた世界。究極的には、権力、財力といった殻の存在しなかった人間の姿こそ、人間の本質的な姿なのではないかと思う。

 

 弱者でいることが、許されない世界。

 それが世界のルールだと言うのなら。

 

≪──各員へ通達。本艦は間も無くトーキョー租界海軍基地へと入港する。各乗組員は入港に備えよ≫

 

 女が更に何か問おうとしたところで、艦内放送が鳴り響いた。数人程で屯っていた乗組員達も慌ただしく艦内に消えて行き、彼らと入れ違いになるようにして、ブリタニア軍制式コート姿のユリシアが通路の陰から顔を出した。

 

「あ、居た居た。もう三十分もすればエリア11だそうよ。荷物纏めた? 準備終わった?」

 

 更に続けて「ちゃんと寝た?」だの「髪整えた?」だのあれやこれやと聞いてくる。溜息と共に遮ると、レオは再び海へと身体を向けた。

 

「入港と言ってもな……霧が濃くて、陸なんて見えないが」

 

「まあねぇ……あ、じゃあマストにでも登れば見えるんじゃない?」

 

 ユリシアがふとそんなことを口にする。それだけなら良かったが、彼女は間髪入れずにレオの腕を掴み、引っ張りながら艦内へと歩き出した。

 

「ね? 行きましょう? さっきは何人か登ってたけど、今なら誰も居ないんじゃないかしら?」

 

「分かった、分かったから引っ張るな、転ぶ」

 

 諦めてマストまで引っ張られて行ったレオは、艦内から梯子を上ってマスト上部に出た。

 聞けば、レノア・ゲイズという艦は元々大型客船として運用されていた船を改装した歴史を持つらしい。移動手段として航空機が幅を効かせるこのご時世に客船ともなれば、当然それは皇族、貴族の娯楽としての存在だったろう。

 この妙に大きな展望マストは、その頃の名残だと言う。最後方の艦橋とは別の構造物。これのおかげで、レノア・ゲイズは貴族の座乗艦として通用する流麗なシルエットを獲得している。

 

「ほら」

 

 先に登り切ったレオが、ユリシアを引っ張り上げてやる。ちょうどそのタイミングで陽射しが射し始め、レオは艦の進行方向へと顔を向けた。

 

 曙光に照らされた視界の先に、確かに陸地があった。

 現代ブリタニア様式と呼ばれる、太陽光発電パネルが煌めく銀色の街。そしてその向こうに微かに見えるのは、エリア11を束ねる政庁ビルの威風堂々たる姿。

 

 

 斯くして、レオ・エルフォードは穏やかならざる航海の果てに、エリア11へと到着した。

 この時の彼にとって、その地は流刑地に等しかった。妹フィオレの仇を追わねばならない時に向かわされた、全く無関係の島国に過ぎなかった。

 

 だが、そんな彼の予想とは裏腹に、この地は彼にとって、一つの転換点となる場所であった。そのようなこと、この時の彼はまだ知る由も無かった。

 

 

 

 

 

 同時刻。ゲットーと呼ばれる、貧民地区での出来事。

 

「……今朝、派手な船が湾に入って来た」

 

 廃墟と化した建物の中にも、ある程度実用に耐えるものはある。そんな建物の一角で、早朝のこの時間帯には明らかに光量の足りていない照明の下に集った人影。その中の一人がそう言って、照明の真下に置かれた机に数枚の写真を置く。

 

「情報通りだな。奴も意外と信頼出来そうだ」

 

「ああ、この写真は潜伏中の同志が撮影したもので、これで裏付けは取れた」

 

「先週接触して来た女はどうした、配置図を我々に売った奴だ」

 

「今頃下の連中が好きにしてる。本人としては他愛の無い小遣い稼ぎのつもりだったんでしょうけど、良い気味よ」

 

 下卑な笑みが一瞬漏れるが、ひとりの男の咳払いでそれがすっと収まる。上下関係はあからさまで、この男がこの集団の統率者なのだと理解できる。

 

「では、手筈通り執り行う。目的は軍港に入って来た船の積荷の確保。件の新型兵器とやらが何なのかまでは掴めなかったが、いずれにしろ成田連山の本隊に合流出来ぬ以上、我らは例の組織に加わる他ない。である以上、この新型兵器とやらは手土産として、何としても我ら白銀大翼党が手に入れねばならぬ。各々作戦に従い、勝手な行動は慎むこと。此処が正念場、此度の戦いは失敗が許されぬ。ゆめゆめ忘れる事なきように」

 

 承知、という掛け声と共に、統率者を除く人影が一斉に下層へと動き出す。最後にその男だけが一人残された部屋の暗闇に、新たな人影が音もなく降り立つ。

 

「真壁大佐」

 

 彼は、そう問いかけた。統率者……真壁が振り返ると、そこには彼が、闇色のローブに身を包みんだ人影が立っている。顔の半分を覆うマスクと目深に被ったフードのせいで、その顔は見えない。

 

「ああ、榊原殿か。これより我らは一大決戦に臨もうとしている。用件ならば手短にお願いしたい」

 

 そう言われて、彼、榊原は何も言わず、大股に真壁へと歩み寄る。異様な光景。纏った雰囲気に起因するその威圧感に、真壁は思わず後ずさる。

 

「……貴方が以前より訴えていた、白銀大翼党の受け入れについて、“ゼロ”からの返答を預かって来た」

 

 榊原はそう言って、ローブの内からぶっきらぼうに書簡を差し出す。有り難い、とそれを受け取って目を通した真壁だったが、やがてみるみるうちに表情を一変し、書簡を持つ手がぶるぶる震えだす。

 

「拒絶するだと……っ!? 馬鹿な!! 我々白銀大翼党こそ、日本の再興には必要不可欠な──」

 

 と、激情を露わに目の前の相手に叫ぼうと顔を上げた真壁の怒号は、そこで切られた。彼の目の前には、マスクで包まれた榊原の鋭い眼光。一瞬で距離を詰めた榊原はその右手を真壁の心臓に押し当てており、その掌の内から、赤黒い染みが彼の軍服をじわじわと染めて行く。

 胸の内から湧き出る怒りが、身体を貫く激痛へと置き換わる。書簡を落とし、零れ落ちる血でそれさえも朱に染めながら真壁は崩れ落ちた。すっと引いた榊原の右手首から、彼の心臓を刺し貫いた隠し短剣がその刃を覗かせている。

 

「な……ぜだ……!」

 

 盛大に流血しつつも、真壁の激情はまだ生きていたようだ。冷たい目で彼を見下ろす榊原に、真壁は喚き散らす。

 

「真の愛国者とは……その手を血に染めてでも国に尽くす者……居心地の良い綺麗事に止まる事なく、汚れ仕事を厭わぬ……我らこそ真の愛国者だ! それを切り捨てるとは、貴様らは日本の心すらブリタニアに売り渡したと言うのか!?」

 

「貴殿らは、時代を見誤り、歴史から取り残された遺物だ。歴史の針を戻す愚を、我々が犯す事はない」

 

「ふざけるな……! この……売国奴どもが────!」

 

 それ以上は口に出来なかった。榊原が再び短剣を振るうと、彼はそれ以上何も言わなくなった。

 

「……残念だったな。解放戦線とは違うのさ、我々は」

 

 手首を動かして短剣を戻す。彼だけが残された部屋で、榊原はマスクを下ろし、フードをはね上げた。

 

 曙光に照らされた肌が真っ白に染まり、髪が黄金色に輝く。勿論それは、日に照らされてその色になったわけではない。元より彼の髪は金色で、肌は白人寄りの色をしている。

 

 彼は日本人ではない。そして、ブリタニア人でもない。

 あえて定義するならばその両方。日本人の血と、ブリタニア人の血を共に受け継いで、そして双方から否定された存在。

 

 窓際に立った榊原の眼下で、大翼党の部隊が勢ぞろいしているのが見える。たった今統率者を失った事にも気付かず、戦力を無為に結集させ、犬死させようとしている。

 単純な数で言えば、犬死させるには惜しい戦力と言えるだろう。しかし、彼らは所詮、この真壁という男の虚言に踊らされ、道を誤り、底なし沼に沈んだ阿呆どもに過ぎない。

 

「“ゼロ”が欲しいのは、使()()()戦力だけ、だものな?」

 

 そう呟いて、榊原は下層の闇へと消えて行った。

 

 

 間も無く、大翼党なる組織の存在は、この世から消えた。



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Black Rebellion
第五幕 Area 11


 エリア11。この属領の成立経緯は、他のエリアと変わりはない。

皇暦2010年。当時のこの国の名は、日本。

 度重なる貿易摩擦等により対立関係を深めていた神聖ブリタニア帝国と日本は、8月10日を以って、戦争状態に陥った。

 歴史的には極東事変と呼称される戦争。その期間は、たかだか一ヶ月程度。この常識はずれの瞬殺劇は、この時初めて実戦投入が開始されたKMFによるものが大きい。

 

 当時既に経済大国として国際社会に名を連ねていた日本。その成長の立役者となったのは、地下資源サクラダイト。現代に至るまで影響力の大きいレアメタル資源であり、KMFもまた、そのサクラダイトにより駆動する兵器だ。

 一言で纏めれば、日本という国はサクラダイトによって高度な成長を遂げ、皮肉にもそのサクラダイトによって自らの歴史に終止符を打った事になる。

 

 斯くして成立したエリア11ではあるが、その前途はブリタニアとしては、残念ながら決して明るくは無かった。

 帝国主義の粉砕、侵略者への制裁。日本再興。占領から七年の月日が経とうが、日本万歳を合言葉として頻繁する抵抗運動は収まる気配が無い。

 どころか、前総督である故クロヴィス・ラ・ブリタニア第3皇子すら凶弾に倒れてすらいる。こうも激烈な反ブリタニア抵抗運動は他の属領では決して見られるものではない。それほどまでにこの地の反ブリタニア感情は根深く、統治するには極めて困難な土地と言えた。

 

 

 

 

 

「フォン・エルフォード! フォン・エルフォード!」

 

 出発時とは異なり、トーキョー租界に隣接するこの海軍基地は別に軍民両用港では無い。故に出発時程和やかな雰囲気は無いはずなのだが、港に降り立ったレオは早速、場違いにも少女じみた高めの声で出迎えられた。

 

 まず最初にどこの阿呆だ、と言わんばかりに顔を出したのはセイトだった。彼は原隊であるコーネリア殿下親衛隊の纏う赤紫の正装を纏っていた。

 続いてレオの護衛であるユリシアが、駆け寄ってくる人影からそれとなくレオを庇う。が、レオはそれを、やはりそれとなく退ける。仕込み短剣はいつでも出せるようにはしてあるが、そもそも彼女は、別に“赤く”ない。

 

「私をお呼びかな」

 

 駆け寄って来た茶髪の少女の前に出る。彼女はレオの前で立ち止まると、変に格式張った敬礼と共に名乗った。

 

「エリア11士官学校陸戦操機科所属、マリーカ・ソレイシィであります! 本日、フォン・エルフォード中尉のご案内をさせていただきます!」

 

 軍の制服とは少し異なるその服装。士官候補生と聞いて、その初々しい態度にも合点がいった。流石にこういった場に慣れている訳も無く、緊張感が隠せていない。先の敬礼にしても、形を意識し過ぎて、現状でいっぱいいっぱい、という風にしか見えない。

 ……少し前まで自分もこんな風だったのか。そんな感慨が頭を過ぎる。

 

「……ご苦労」

 

 それだけ言って、レオは彼女に従って、積み下ろし作業が進む軍港の姿を横目に進む。属領の軍港というのは多くの場合そうなのだが、戦時中に破壊されてしまった本来の軍基地ではなく、民間施設を軍用施設として仕立て直して使用するケースが多い。これは再建の費用や手間が云々と言うことではなく、単純に当時の地理的事情、戦略的事情が異なっているせいである。

 

 このエリア11もその例に漏れず、破壊されたかつての日本の脳髄たる旧主要都市部はゲットー、イレヴンと呼称される被支配民族──平たく言えば元日本人の事──の屯する地域として復興も最低限だけ行い、自分達は比較的被害の少なかった郊外に租界を築いて、そこを新たな主要都市としている。で、その新都心を守る為の基地の位置もまた、旧来の都心部に近い場所では都合が悪い。斯くして民間空港やら民間港やらが取り急ぎ軍基地として整備されており、それが何だかんだでそのまま使われている。

 この基地もやはり、構造に民間港の雰囲気がありありと出ている。特に、今彼らの歩くロビーフロアなどは。

 

「……ですので、皆様におかれましてはブリタニアにいらっしゃった頃とそう変わらない生活を送って頂けるものと……ええ、勿論乗馬だとか狩猟だとか、そういったものは流石に難しい所ではありますが……」

 

 彼の前で、マリーカが上擦った声でエリア11の現状について軽く説明している。勿論、テロリストやら抵抗運動やら、細かい政治状況については抜きだ。到着したばかりの人間にそういう話をしても仕方あるまいし、勿論レオもその配慮を感じ取って、そこについては触れずに済ます。精々前を歩くセイトが空気を読まず、訳知ったり顔で持ち出さないか警戒する程度だ。

 

「租界については、活気のある街だ、と聞いている」

 

「ええ、元々が経済大国だっただけあって、戦前のエリア11において貧富の格差というものは“歴史”か、あるいは“創作”でしかありませんでした。属領となった後も経済水準は概ね維持出来ておりますし、現在においても等しく繁栄を謳歌出来ている、と言って過言ではないかと……ええっと、私見ではありますが」

 

「上から下まで、総じて高水準な生活、ね……」

 

 セイトが微妙な表情を浮かべて呟く。まあ、今の話を鵜呑みにすれば、ブリタニアの国是たる競争社会としては、少し反した現状だろう。最低水準が高過ぎて、これで競争など生まれまい、と。

 

「……総じて、とは果たして何処まで含めるべきかな」

 

 小声で、思わずレオは呟いた。そう、今の話はあくまで租界の話、それがそのままエリア11の情勢として直結するなどと、楽観論も甚だしいだろう。

 

「何か言った?」

 

「気のせいだろう」

 

 真横で耳聡くもしっかり聞き取っていたユリシアからの問いかけを誤魔化して、前を向く。タイミングが良いことに、歩き続けた彼らのすぐ前に正面玄関があった。そしてそこに立つのは、一人の女性。オレンジ色のブリタニア軍軍装を着用した、ブリタニア軍士官。彼女はこちらを認識すると、姿勢を正してこちらへと向き直った。

 

「あ……あれ、クルーミー中尉……?」

 

 逆に、マリーカは少し戸惑う様子を見せた。クルーミーと呼ばれた女性士官が彼女に何か告げる。周囲の喧騒のせいか最後尾のレオには聞き取れない。すぐにマリーカが「イエス、マイロード」と返答しレオの方へと向き直ったのを見て、レオも少し前に出た。

 

「で、では! フォン・エルフォード中尉は迎えの者がこちらに来ておりましたので! ええと! その!」

 

 あからさまに慌てていた。が、何が言いたいのかは、何となく分かる。

 多分、聞かされていた予定と違うのだろう。それまでの……恐らくは練習に練習を重ねたのだろう台詞ではなく、自分で言葉を紡ぎ出そうとして、頭がこんがらがっている様子だ。それでもある程度言えているのだから、なんというか、本番には強いタイプなのかも知れない。

 

「……とりあえず礼儀はこの際置いておけ。落ち着いて、要点だけ教えて欲しい。私はこの後、政庁へ行くのではなかったか? コーネリア総督に着任のご挨拶をしに?」

 

「はい……そ、その予定でしたが、その総督が政庁に居られないのです。親衛隊の方々と共に緊急出撃なされた、と」

 

「そしてセイトは、そこに駆け足で合流する訳だな」

 

 セイトへ視線を向ける。セイトはセイトで、真剣な面持ち……彼にしては割と珍しい部類の表情……で携帯無線機を手に何やら指示を出している。恐らく、いや間違いなく、レノア・ゲイズにある彼のグロースターの搬出指示だろう。

 

「成る程、了解した。ここまでご苦労だった。実りある話が聞けたよ、ありがとう」

 

「い、いえこちらこそ! それでは、失礼致します!」

 

「はい、というわけで……またな、レオ」

 

「ああ、精々武運を祈らせて貰うよ」

 

 マリーカに連れられて……というよりは、どちらかと言うとセイトがマリーカを引っ張るような形でロビーの奥へと消えて行った。後に残されたレオは、改めて仕切り直すようにして、クルーミー中尉に向き直った。

 

「──では改めて、レオハルト・エルフォード中尉、ユリシア・リィンフォース中尉、シュナイゼル宰相閣下の御命令により、エリア11 特別派遣嚮導技術部に着任致しました」

 

「エリア11へようこそ、フォン・エルフォード中尉。特別派遣嚮導技術部所属 セシル・クルーミー中尉です」

 

 挨拶を終えて表へ出ると、すぐ目の前の駐車場の片隅に厳つい軍用トレーラーが停まっているのが見えた。

 特別派遣嚮導技術部の運用するKMF用大型トレーラー、通称特派ヘッドトレーラー。これまで、特派唯一の移動手段にして本拠地であった(らしい)車輌だ。

 そのトレーラーに乗り込んで、向かう先は軍の基地……と思いきや、何と民間の大学の敷地内であった。流石にこれには面食らって、レオは窓の外に視線を向けながら、

 

「その……中尉、ここは……?」

 

「エリオット技術大学。今の特派は、ここを間借りさせて頂きながら活動しています」

 

 “所属基地を追い出される”。任務内容を伝えられた際に告げられた言葉が浮かんだ。成る程こういうことか。所定の位置とでもいうのだろう、構内の一角、中庭に面した大小二つの建物の横にトレーラーが停止すると、レオは周囲をきょろきょろと見回しながらトレーラーを降りた。続けてユリシアもトレーラーから出て来る。

 中庭は全体的に趣味が良かった。解放感のある敷地のあちこちに木々が配置され、地面の殆どはよく手入れされた芝生で覆われている。

 まだ学生の姿も疎らな中庭を一望し、ユリシアが呟いた。

 

「なかなか良いキャンパスじゃない」

 

「それは否定しないがな……仮にも軍事兵器を扱う部署がここに置かれている、というのは正直どうなんだ」

 

「まあ、こうして君が着任した訳だし? その内また基地の方に戻れるとは思うけどね?」

 

 完全に景色に気を取られていたレオは、突然背後から声を掛けられた。ユリシアとほぼ同時に振り返ると、いつの間にやらそこに白衣姿のひょろ長い体格の男が立っていた。銀髪に丸眼鏡。見るからに技術者。

 この男なら知っている。最初に会ったのは、確かガウェインの初フライトの時。

 

「お久しぶりです、ロイド伯爵。レオハルト・エルフォード中尉及びユリシア・リィンフォース中尉、着任しました」

 

 ユリシアが慌てた敬礼の姿勢を取るのを見て、レオもわざとらしく、格式張った敬礼をしてみせる。予想通りその男──特別派遣嚮導技術部主任ロイド・アスプルンド少佐はケラケラと笑い声を上げた。

 

「アハ、ぜ〜ったいそれワザとだよね? そういうの要らないって前に言ったのにさ?」

 

「分かりますか」

 

「そりゃあね。それで、そっちの赤い子がユリシアちゃん? ボクはロイド・アスプルンド。好物はプリン。よろしくね?」

 

「は、はい……よろしくおねがいします、ロイド少佐」

 

「あ、特派では堅苦しいの抜きね。ボクそういうの苦手だからさ。それより、君ここに来る途中ドルイドシステムを使ったんだって? どうだった? 上手く使えた?」

 

 ロイドは矢継ぎ早に質問を繰り出す。ユリシアはと言えば、全く状況に対応出来ていない。その様を見て、レオは苦笑いを禁じ得ない。

 

 このロイドという人物は少佐の階級を持っているが、正直、全く軍人らしく無い。加えて言えば大して伯爵らしくも無い。変わり者の放蕩貴族と言って差し支えない男だ。飄々とした、掴み所の無い、非常に独特なキャラクター性を持った人物だ。故に、初めて彼と話した者は総じて彼に圧倒され、面食らって硬直してしまいがちだ。それこそ、今のユリシアのように。

 

「……分かるか、あれがロイドという人物だ」

 

 ロイドがセシルに呼ばれてトレーラーの方に戻った隙に、レオは小声でユリシアに問い掛けた。

 

「え、ええ。なんというか……風変わりな人ね」

 

「暫くはあれと一緒にやる事になる。軟派になり過ぎたセイトだと思って、早いうちに慣れておけ」

 

 ヘッドトレーラーの後部ユニットには、その所属とそのサイズから察せられる通り、KMF一機の大規模整備が可能な前線基地的な機能が持たされている。そして今、ロイドの案内で闇に包まれた後部ユニットに足を踏み入れたレオは、闇の中でその輪郭を朧げに浮かび上がらせている一体の巨人の存在を見て取った。

 

「……さて」

 

 レオとユリシア、二人がその空間に入るのを確認して、ロイドが言葉を発する。呼応するようにセシルが照明を点灯させる。レオは目を瞬かせながら、現れた白い機体を見上げる。

 

 白いボディに金色の縁取り。両肩は大きく左右に張り出し、胸部から腰にかけて騎士のプレートアーマーを思わせるラインが形作られていて、すらりとした一対の脚には何処か優雅さが漂う。

 まさに、「騎士」という単語を想起させる機体だった。マントでも着ければ良く似合うだろう。

 全高5メートル級の騎士。サザーランドやグロースター以上に人らしいシルエットを持った機体。スケールこそ違えど、あのガウェインにも近い立ち姿。

 最早、単なる機械と呼ぶ事すら無粋に思えて来る。

 

「これが……」

 

「──ランスロット」

 

 ロイドが紹介するより前に、レオがその名を口にした。口をついて出た、という方が正しいだろう。

 特別派遣嚮導技術部所属 試作嚮導兵器。

 第七世代KMF ランスロット。

 

「そこはボクの台詞なんじゃないかな〜」

 

 不満げに呟くロイド。レオはと言えば、その威容を眺めるばかりで何も言わない。

 

「まあいいか。これが、僕ら特派が作り上げた、世界唯一の第7世代ナイトメアフレーム、ランスロット。これまで特派は、ほぼ全ての予算をこのランスロットに注ぎ込んでいたんだけど──」

 

 そこで、ロイドはレオを指差した。レオもそれに反応し、突然どうした、と視線で問い掛ける。

 

「──こうして、君が来た。お陰で、特派の使える予算もどっと増えたんだよね〜! これから君、すンごく忙しくなるよ〜?」

 

 至極楽しそうにロイドは言った。

 

「しかし……ガウェインは……」

 

 ユリシアがそこに口を挟む。そう、本来レオはガウェインのデヴァイサーとしてここに来たのだ。なのに、その肝心のガウェインは、きっと今頃本国行きの船か輸送機に積み込まれている。これでは、レオが来た意味が無いのでは無いか。

 

「ガウェインの件は、申し訳無い。あれは完全に私のミスです。弁明の余地はありません」

 

 そう、レオが頭を下げる。しかし、返ってきたロイドの答えは──

 

「確かに残念だったね。あれが無いとなると、通常機用フロートユニットの開発は先送りにして本体のテストを重ねるしか無いね〜」

 

「………………は?」

 

 思わず、そんな声が出た。

 

「え?」

 

 ロイドも、同じように声を上げる。

 暫くの沈黙。どういう事か分からずに、レオはセシルへと視線を向けた。勿論、それで答えが得られる訳でも無いが。

 

「あれ、聞いてないの? 君のお仕事何するのかって」

 

「ガウェインの試験をするのだろう、といった具合にしか」

 

「まさか、違うよ」

 

 大前提をばっさりと否定されて、今度こそレオもユリシアも言葉が出なかった。ロイドはロイドで暫く考え込む仕草の後、

 

「うーん、向こうで勝手に解釈されちゃったのかなぁ、ボクはど〜してもレオ君に来て欲しい、ついでにガウェインも持って来させて、とだけ言ったんだけど……」

 

 などと口走りつつ唸り続ける。

 

「ええっと……セシル中尉、レオの任務内容って、本当は何をする予定だったんですか?」

 

 レオに先駆けて我に帰ったユリシアが、そうセシルに問い掛けた。

 

「はい、あの……フォン・エルフォード中尉にはランスロットとは別にもう一騎建造した、第七世代ナイトメアフレームの試験機を運用して頂く、ということになっていたのですが……」

 

「もう一騎の?」

 

「はい、主眼は通常のナイトメア用のフロートユニットの開発ということで、ガウェインのデヴァイサーでもあるフォン・エルフォード中尉に、と。試験には先行して開発されたフロート機であるガウェインも必要でしたので、機体はガウェインと一緒に輸送艦に搬入されていたはずですが……」

 

 その言葉で、レオの脳内に浮かび上がるものがあった。

 あの時、ガウェインの格納庫で敵の探りを入れた時。ガウェインやガウェイン関係の機材のほかに、確かにもう一つ、KMF一騎サイズのコンテナがあった。

 ということは、あれが……?

 

「遅れました!」

 

 と、背後の扉が勢い良く開いた。全員の視線を一身に集め、現れたのは茶髪の少年士官。顔つきが明らかにブリタニア人のそれでは無いが、ブリタニア軍の制服を着ている。

 

「……あ、あれ?」

 

 恐らく此処まで走って来たのだろう。乱れた息を整えた彼は、トレーラー内の妙な雰囲気を感じ取って首を傾げた。

 

「な、何でしょう、この雰囲気……」

 

「いや……何だろう、な……」

 

 少年士官の言葉に、レオはそうとしか答えられなかった。

 

 それが、枢木スザクとのファースト・コンタクトであった。

 

 

 

 

 

 突き抜けるような大空に、白き閃光が飛ぶ。

 廃墟と化した市街地。エリア11では、俄然珍しい光景でもないその場所で、一騎のKMFが舞う。

 

 そう、舞う。この表現こそが、そのKMF……ランスロットには相応しい。計四基のスラッシュハーケンを巧みに駆使して、廃ビルへと駆け上り、空中に躍り出て全く別の方向へと跳躍する。金色の煌めきだけをその場に残して、ランスロットは一気に何十mもの距離を移動する。

 その背後に、もう一騎のランスロットがあった。

 

「……冗談だろう?」

 

 金色の部分が青に塗り替えられたランスロットの中から、先を行くランスロットの機動を目の当たりにしたレオはそれしか言葉が出なかった。

 

≪残念だけど本当だよ。ランスロットにはあれだけのポテンシャルがあるし、スザク君はそれを充分引き出せる。だからこそ、ボクはどうしてもって言って彼を特派に引き入れたのさ≫

 

 通信ウィンドウに映るのは、ロイドのにやけた面。

 

≪こちらランスロット1、所定位置に到着≫

 

 その枢木スザクの声が、通信回線を通して聞こえてくる。元イレヴンにしては、驚く程に流暢なブリタニア語。元々日本語とブリタニア語とでは随分と毛色が違うという事を鑑みると、それこそ幼少期からブリタニア語に触れ続け、使い続けていなければ到達出来ないレベルだ。

 

「了解。ランスロット2、これよりテストコースへ進入開始、機動試験を行う」

 

 そう言って、レオは青のランスロットを前進させる。

 サザーランドとの違いは理解した。後は、どれだけ自分がこのランスロットに合わせられるか。それだけだ。

 ……彼、枢木スザクに対する対抗心は、確かにあった。名誉ブリタニア人に負けていられるか、という思いも、最初の頃は存外あった。

 だが結局、レオはこの日も枢木スザクの記録を下回る記録しか出せなかったのだった。

 枢木スザク。侮るべきではない。それが、着任以来一週間ほど続けて行ったシミュレーター試験で得た彼についての認識だった。

 

 

 

 

 

「……私はもう、君を同じ人間とは認識しないことにしようと思う」

 

「どうしたんだい、藪から棒に」

 

 特派が間借りする旧実験棟の一角。ゲームセンターよろしくデン、と置かれたシミュレーションポッドを出たレオは、パイロットスーツを着替えに行くでもなくポッドの横に設置されたベンチに腰掛けると、疲れを隠さぬ声色で枢木スザクに告げた。やはりパイロットスーツを着っぱなしの彼はというと、いきなり失礼な事を言われたにも関わらず平然と受け答えする。

 

「あの機動、実機でもだいたいあんな感じなのだろう?」

 

「そりゃあ、Gとかもあるから全く同じとは言えないけど……まあ、否定はしないよ」

 

 これである。これだからこの男は恐ろしい。

 KMF共通機能であるヒッグス・コントロールでGの影響は見た目より遥かに軽減されているとは言え、皆無とは行かない。何よりランスロットのあの機動を実際にやれば、G軽減がどうこう、という話ではなくなる。それこそ目が回りかねない。

 なお、彼に言わせれば、そのランスロットは自分の動きに「()()()()付いて来る」らしい。感心などとっくに通り越して、そろそろ恐怖を感じそうになる。

 

 因みに、敬称だの礼儀だのという部類の話は特派では全て無視する事になっている。そうでなくとも、レオは彼に対し、年齢が少し上だから、ブリタニア人だから、中尉だから、貴族だからなどと、上から目線で接する事は初日でやめていた。

 それが如何に滑稽で間抜けな事なのかは、初日に彼の戦闘記録を見ただけで分かった。いくら能書きを重ねようと、あれの前では何の価値も無くなる。

 

「まあ〜、落ち込む事ないよ。君の本領は空中だからね」

 

 珍しく、ロイドがそんな声を掛けて来る。自分が価値を見出した対象が、対象自身に貶められる、という状況には少し思う所があったのかもしれない。

 

「空中、ですか?」

 

「うん。ガウェインって空を飛べる大型の機体があるんだけどね? 彼はそれを誰よりも上手く使えたのさ。スペック的にはピーキーの癖に鈍重な、空中管制機か良くて攻撃機的性格の機体でしかないアレで、まともにドッグファイトしてみせたり、とかさ」

 

「凄いじゃないか!」

 

 無邪気というかなんというか、そんな感じにスザクが褒めて来る。どちらかと言うと惨めさが増すのだが、多分気付いていない。

 

「仮想でしかないが……恐らく今、私のガウェインと君のランスロットとでやり合ったら負ける自信があるぞ、私は」

 

「そりゃガウェインは僕からしたらまだまだ未完成機だもの。知ってるでしょ? かなり完成の域にあるランスロットと未完成機のガウェインとでぶつけても、言い訳が残るだけで意味無いよ」

 

 それもそうだ。開発者直々の言葉に、レオは頷くしか無い。

 

「それに」

 

 そこで、ロイドは視線をポッドの方に向けた。今あのシミュレーションポッドでは、ユリシアがランスロット用のシミュレーションプログラムに挑んでいる。

 本来彼女はあれを、ランスロットそのものを動かすのではなく、ランスロットにサザーランドで追随する、という方向のプログラムを動かす為に使う。シミュレーションで補うべき部分を洗い出し、彼女のサザーランドをチェイサー特化機として強化する為に。

 ただ、今回は物は試しというか、ランスロットを追うにはランスロットのスペックを把握しなければ始まらないという事なのか、彼女自身がランスロットを動かしている。彼女とて平均的なブリタニア騎士を上回る操縦技能を持っているのだが、外から見ている限り、とてもランスロットを扱い切れているとは言い難い。

 

「見てごらん、君自身が卑下する君の機動より、彼女の方が下だよ。サザーランドやグロースターのデータを見る限り彼女も悪いパーツじゃ無いんだけど……」

 

「それは彼女が慣れていないだけ……というか、例によってパーツ呼ばわりか」

 

「はい気にしない。彼女の動きと君の動きとでは、決定的な違いがある。慣れてないだけ? 違うね。彼女は、根本的にランスロットに追い付けていない。例え彼女が何度もランスロットに乗って動きが熟れて来たとしても、それはただ誤魔化しが効くようになっただけ、それもやっと、ただ動かせるようになっただけだよ。でも──」

 

 ロイドは視線をレオに戻す。いつになく真剣な目つきで。

 

「君は違う。君は逆に、ただ慣れていないだけだよ。乗れば乗る程、君のデータは目を見張る勢いで向上してる。適応して、追い付けてるんだよ、ランスロットに。そして多分君は、スザク君とは違う、ランスロットの活かし方を見せてくれる筈。そこが君と、彼女のような普通でしかないパイロットとの決定的な違いだと思うね」

 

「聞こえてますよ、ロイド伯爵」

 

 全員の肩がびくり、と震える。汗だくで、首にタオルを引っ掛けたユリシアがロイドの背後に立っていた。えーっと、と口ごもるスザク。しかし、彼女は案外、大して気にしている様子はない。

 

「参りましたよ、凄い物作っちゃいましたね、ロイド伯爵」

 

「あらそうぉ?」

 

 もっと褒めて、などと言い出しそうなロイド。しかしその前に、ロイドは突如何者かに首根っこを引っ掴まれた。

 

「ロ、イ、ド、さん!! 黙って聞いていれば貴方は──!!」

 

「あ、いやその……ゴメンナサイゴメンナサ、アレェェェ!?」

 

 セシルだった。それも怒り心頭の。何時もの優しげな態度は何処へやら、彼女は何とも乱暴にロイドを引き摺り、彼を何処かへと連行して行った。

 残されたレオとユリシアは、暫し呆気に取られて顔を見合わせる。

 何より、セシルの豹変ぶりに。

 

「……セシルさんって、怒ると怖い?」

 

「多分、ロイドさんにだけだと思うんだけどね、あんなに怖いのは。多分だけど」

 

「だと……良いな」

 

 顔見合わせて、取り敢えずロイドの冥福を祈る白、黒、赤の三人。こうして色違いのパイロットスーツで並ぶと、デザインが統一されているせいで余計派手派手しく見えて来る。

 

「……じゃあ、私はこれからレポート纏めるとして、とりあえず今日は解散?」

 

「だね。二人ともお疲れ様。二人は確かこの後予定があるんだって?」

 

「ああ、この後、政庁に顔を出す事になっているよ。というわけで、さっさと着替えさせて貰おう」

 

 そう言って、レオは先頃ロイドが消えた扉へと向かった。渡り廊下を通って旧実験棟から旧寮棟へ移る。

 今の所特派では軍の宿舎ではなく、大学の旧寮棟(本来、泊まり込みで作業する際に使おうとしたらしい)をそのまま宿舎代わりに使っている。これはレオやユリシアも同様で、レオは人気の無い通路を歩いて自室へと向かう。途中、実験棟の部屋の一つから悲鳴のような声がしたが、何も聞こえなかった事にする。

 

 

 

 

 

 シャワーを浴びて、そろそろ普段着として自分の中で定着しつつあるエリナ親衛隊軍装に着替える。ただし今回はいつもの略装ではなく正装だ。普段は被らないトリコーンや、長めのマントもクローゼットから取り出しておく。

 最後に習い性で、仕込み短剣を袖に装備してしまう。

 

“貴方が此処に来たのは、暗殺の為ではないのでしょう?”

 

 そう、声が語り掛けて来る。定番のあの声。レオが何かする度にいちいち口を挟む女。

 とはいえ、船でも一度助けられたし、今回のようにうっかり何かしでかしそうになった時にフォローしてくれる事もある。殆ど気まぐれにしか思えないが。

 

(……癖だな)

 

“まるで総督を暗殺しに行くかのような様子。標的はコーネリア殿下ですか? それともユーフェミア殿下?”

 

(ああ、分かった、分かっているさ)

 

 そうして、レオは仕込み短剣のリストバンドを外す。ベルトだけ外して、あとは重力に任せる。ごとり、と音を立てて、短剣がテーブルに落ちた。それを机の奥底に仕舞い込んでから鍵を掛け、最後に義父から頂いた刀剣を腰に帯びる。

 ……エリア11の治安を鑑みて租界での軍人の武装は許可されているが、逆に政庁では高官の護身用、或いは衛兵以外の武装は禁止されている。だからこの刀も結局はロビーで預ける事になりそうだが、一方でエリナ親衛隊正装というものには、腰に帯びた剣も含まれている。略装ならそうでもないのだが、正装で出向く以上は、この長く目立つ刀剣もしっかり帯びておかねばならない。

 何か忘れていないか二重に確かめると、レオはロングコートを上から羽織って、格納庫に戻った。

 

「──それにユリシア。今日は本当に大変だったね」

 

「ええ、本ッ当にえらい目に遭ったわ。見た? かなり派手に転んでたの」

 

「見たけど、でも君はあれで止まらなかったよね。そのまま起き上がって進み続けられた。あれは凄いよ。最初、一回仕切り直すのかと思ったら、スラッシュハーケンで起き上がってまた進むんだから」

 

「割と死に物狂いだったけどね、あの時」

 

「だから……その、ロイドさんの言う事は……」

 

「お気遣いありがとう。でも大丈夫よ、ああいうのには慣れてるから……あ、レオ!」

 

 格納庫では、レポート作業も終えたのかユリシアがまだ残っていたスザクと雑談に興じていた。ユリシアはレオに気付くと、たたた、と小気味良い足音を立てて駆け寄って来る。

 

「バイク、外に出しといたから。軽く点検もしといた」

 

「ああ、ありがとう。お前も……」

 

「ええ、じゃあ私も着替えてくるわ。すぐ済ませるから待ってて! それと、スザク君もお疲れ様。補習頑張ってね〜!」

 

 正直感心する程の早口でそう言って、彼女は自室へと駆けて行った。

 自室……レオとは別の部屋だ。

 彼女はレオの護衛としてここに来ている。だから本来は同室が望ましいのだが……男女七歳にしてどうのこうの、とも言う。(失礼極まりない言いようだが)ユリシアとて嫁入り前の娘だ。

 

 まあ、部屋はすぐ隣だし、軍基地の宿舎では用意出来るのならコネクションルーム形式のものを用意する手筈となっている、らしい。

 と言いつつ、話を聞けば同室にさせようとする動きもあったらしい、というのがレオをなんとも微妙な気分にさせてくれる。

 勿論レオに何かあれば彼女は即応しなければならない。可及的速やかに護衛対象の側に駆け付けねばならない、という点は、エリナの騎士候補最右翼であったレオとて理解はしている。ものの……。

 

「…………何というか、家の意思というものを感じる」

 

“養子とはいえ、我が主殿もエルフォードの一族です。最近落ち目のリィンフォース家としてはエルフォード家との縁組は魅力的でしょう。精々、アスミック卿辺りに羨ましがられて下さい”

 

(斬り捨てられたいか)

 

“出来るものなら”

 

 無言で喧嘩しつつ、レオは格納庫出口へと足を向ける。外に出てすぐ、トレーラーの停めてある駐車スペースに黒のサイドカー付バイクが停まっているのが見えた。

 

「あれ、君のバイクなのかい? さっきユリシアがスタッフに頼んでトレーラーから下ろして貰ってたけど」

 

「ああ。去年辺りから使っている」

 

 何となしについて来ていたスザクの問いに答える。昼間の時間帯だけあって学生の通りも多く、彼らの物珍しげな視線を受けながら、二人はバイクの方へと歩いた。

 黒に金色のラインが走った車体のクルーザー。最後に乗ったのは劇場での一件の時か。最もその時は、義姉ベルベットの運転だったが。

 

「友達もサイドカーに乗っててさ、実は僕乗せて貰った事無いんだけど……良かったら、今度乗せて貰っても良いかな?」

 

「ああ、それは構わない。何処か良いタイミングがあれば、誘わせて貰うよ」

 

「ありがとう。はい、ヘルメット」

 

 そう言ってスザクがハンドルに引っ掛けてあった紺色のヘルメットを差し出す。折角だから、と赴任するタイミングで買い換えたものだ。まだ被った回数も少ないが実を言うと、これが案外気に入っている。

 

「ああ、後はユリシア待ちだが──」

 

 そう言ってバイクに腰掛ける。

 実験棟にはシャワールームが一つしか無い。だからこういうケースの場合、順番に使わざるを得ないのだ。

 貴族というものはあからさまな政略結婚を目論んだ策を練る割に、男女のこの手の観念にはかなり厳しい。

 

「護衛なんだって? 今のところ、逆に君がユリシアを守って怪我しそうな印象なんだけど。君達」

 

 鋭い指摘ではあった。物理的な怪我はしなかったが、船での一件の時、彼女絡みで既にレオは一度ドツボに嵌りかけている。

 

「それこそ逆だよスザク。そういうドラマチックな関係性を望んで、こういう配役をしたのさ。我が父か、或いはリィンフォース卿辺りがな」

 

 レオは苦笑しながら言った。するとスザクも微妙な表情を見せ、

 

「政略……って奴だね。僕も昔は許嫁って呼ばれる人が居たよ。大人の思惑っていうのは分かるけど、実際それをやらされる側は微妙な感じなんだよね」

 

「まあ幸い、私も別に小さな子供ではない。その辺りを選択する権利はあると信じたいが……多分ユリシアには無いな」

 

「それは──」

 

「お待たせ!」

 

 暫く話しているうちに、ユリシアも追いついて来た。彼女は彼女で、レオのものとは色の違うコートを着込んでいる。

 

「あ、来た来た。それじゃ二人とも、気をつけてね」

 

「ああ、君はこの後学校か?」

 

「そうだね。そろそろ僕も着替えて来るよ。じゃあ!」

 

 スザクは格納庫へと走って行った。それを見届けてから、レオはヘルメットを被って、側車の方に乗り込む。

 ……本音を言えば、そろそろ自分で運転したい。

 

「安全運転で頼むよ」

 

「イエス、マイロード」

 

 そんな会話をした直後だというのに、運転手たるユリシアの運転は割と雑な部類であった。バイクだということを差し引いてもかなり強めに揺られる度に、レオが盛大に溜息を吐く。無論、風に掻き消されてユリシアの方には聞こえていない。

 文句を言うのは諦めて、レオは流れ行く租界の景色へと目をやった。太陽光パネルやガラス張りのビルの壁面に太陽光が反射して、銀灰色の街が白に染まっている。視線だけはそちらに行っていたが、彼の思考は、先程から頭に引っかかっている事柄に向かっていた。

 

 格納庫に入る時に聞こえた会話。あれに引っ掛かりを覚えた。あの時はすぐにユリシアに声を掛けられて有耶無耶になったが……。

 

 ロイドに技量を割と酷評された一件。彼女は、「慣れている」と言った。

 慣れている? 酷評に?

 リィンフォースの愛娘として蝶よ花よと(いやこれは言い過ぎか?)育てられ、士官学校では優等生として常に上位を維持し続けて、だからこそ自分の護衛としてモニカを差し置いて義父ローガンが指名した彼女が?

 

 リィンフォースの教育というものはそんなに厳しいものなのか。いや、別にそうではあるまい。

 ちらり、とユリシアに視線を向ける。勿論、その表情はヘルメットに隠されて見えない。ただ、基本的に彼女は笑みを絶やさず……

 

 違う、違うな。今の彼女は確かにそうだ。割と人懐っこいというか、愛されるタイプというか。社交性は高い性質の持ち主だ。しかし、初めて会った頃の彼女と言えば……。

 ──結局、政庁に着くまでの間、レオの頭の中はその事で一杯になっていた。



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第六幕 Invisible Edge

「一緒に来なさい! 私が良いところに連れてってあげます!」

 

 それが、最初のきっかけだった。

 その頃はまだ俺も幼かった。大貴族の家に迎えられたことで、妹も俺も、毎日立派な服を着て、毎日極上の食事にありつけた。

 そうした日々が日常に成り代わろうとしていた頃。しかしまだ、ストリートでの底辺の暮らしが記憶の底にこびり付いていた頃。

 

 誰にも頼らない。誰にも譲らない。

 信じられるのは自分だけ。好意など存在しない。存在するものは悪意と──なによりも力。

 個々の感情など無視して、力というダイスが人を強者と弱者に振り分ける。弱者は虫けらのように踏み躙られ、強者は全てを手に入れる。それがあの世界の……この世のルールだ。

 だから俺は強くなろうとした。俺はダイスを振る側になる。そうでなければ、俺は何も守れない。妹も、自分も。

 心の底から、そう信じて居る。そこは今でもそう変わらない。それだけの強い信条だからこそ、まさかそれが、たった一人の少女に揺るがされるとは思わなかった。

 

 彼女は俺とは違った。生まれながらにして将来を約束されていた。最初から、強者となるよう運命付けられた存在だった。

そうでありながら、彼女は強者としての強さを振りかざす事をしなかった。その少女が、確かに俺を“良いところ”に連れて行ってくれた。

 そこに、悪意はなかった。力など必要無かった。

 共に遊び、共に笑い、時に一緒に馬鹿をやった。俺も、妹も、彼女達は迎え入れてくれた。日陰に居た俺達は、日向(ひなた)を知った。

 同時に俺は、俺の本質を理解した。

 

 そうしてある時、今度は俺が、日陰に居る少女に声を掛けた。

 

「私は、ここに居なくちゃいけないから」

 

 そう言う彼女の傷だらけの手を、俺は無理矢理取った。

 

「お前は、そこに居るべきじゃない」

 

 影から引っ張り出した彼女の手を引いて、俺は皆の所へ戻った。

戻って、暫くは彼女と一緒に居た。彼女が仲間達に迎えられるのを見届けて、俺はやがて離れた。

 

 妹も、彼女も、そこに居るべきだと本気で信じた。ただそこは、俺には少し眩し過ぎたから。

 

 

 

 

 

 

 それが私と、モニカやセイトとの……そしてユリシアとの出会いだ。

 あれから時を経て、お前達とは今も親交を続けている。良い関係だったと、私は思いたい。

 ユリシア。今でこそああして明るく振舞っているが、あの頃、彼女はそうでは無かった。まるで別人のような変貌ぶり。最初からあのような感じであったか、と錯覚すら覚えるが……。

 

「何が、あったのか」

 

「は? 何でしょうか?」

 

 つい口に出た言葉を、案内役の少女士官候補生に聞かれてしまう。レオはいいや、と誤魔化して、軽く頭を振った。

 総督執務室は政庁の最上階にある。コートの代わりにマントを羽織り直したレオとユリシアは、少女士官候補生──初日の縁というべきか。マリーカ候補生だ──に続いて高速(ターボ)リフト・ロビーへと足を踏み入れた。

 政庁ほどの規模の施設となれば当然か、扉が八つもある。

 マリーカが壁面のボタンに指を伸ばした瞬間、レオの背後の扉が開く。

 出て来たのは一人の士官だった。士官はレオの姿を視界に捉えると、少しだけ表情を強張らせ、敬礼の姿勢を取って扉の脇にすっと退いた。レオは返礼して、ケージに足を踏み入れる。と、その時であった。

 

「あら、貴方は」

 

 統治軍関係者や文官等が詰めるこの政庁という建物に相応しく無い……いや、かえって誰よりも相応しいのか、明らかな少女の声がレオを背後から呼び止めた。

 知っている声だった。

 

「……後ろ姿だけで気付かれましたか」

 

 ふっ、と笑みが零れる。背後に居たのは第3皇女 ユーフェミア・リ・ブリタニア。その存在を一言で表すならば、可憐、という言葉が相応しい。そんな少女だ。

 ユリシアやマリーカがリフトに乗らずに敬礼──軍人のそれではなく、皇族に対し跪く最敬礼の類──するのに続き、レオも振り返ってリフトを出る。一歩前に出て跪いた時、不意にレオは、肩を掴まれるような感覚を覚えた。

 物理的に誰かに掴まれたのでは無い。あの女に掴まれたのだ。意味するところを知って、レオの表情が僅かに硬くなる。

 

「お久しぶりです、レオ……どうしました?」

 

 そうユーフェミアが言った時には、レオはさっと周囲を見渡していた。リフト・ロビーにはユーフェミア、ユリシア、マリーカ、自分、そして──。

 

「──────!!」

 

 レオの目が深紅に光る。首だけ振り返った眼前には、鈍く煌めく銃口。

 レオは跳ねるように立ち上がって、背後へと回し蹴りを放っていた。

 ユーフェミアも、ユリシアも、マリーカも目を見開いていた。そして、その一撃を喰らったのはその三人の誰でもなく、先程から不自然にエレベーターの脇に控えていた士官だった。

 

「な……ぁ……」

 

 壁に叩き付けられた士官が呻く。その右手には、銀色の小型拳銃。袖の内に隠せるほどのサイズのそれは、暗殺者がよく用いるものだ。

 非武装が原則の政庁に暗殺者御用達の拳銃を持ち込み、しかもそれをここで抜いた。

 

 暗殺者(アサシン)だ。

 

 力の抜けたその手を掴んで、レオはその拳銃を奪い取った。

 暗殺に失敗した暗殺者が次に何をするかと言えば、まず自決の可能性を危惧した方が良い。手近に口を塞げる物が無いので、仕方なく両手の手袋を外してさっと丸め、軽い脳震盪で意識がふやけている暗殺者の口の中に押し込んでやる。

 やがて騒ぎを聞きつけて、衛兵たちがぞろぞろと駆けつけて来た。レオは彼らと共に暗殺者を拘束、拳銃と共に彼らに引き渡すと、汚れた手袋を外し、ユリシアや衛兵に囲まれているユーフェミアの近くへと駆け寄った。

 

「殿下、お怪我は」

 

「い、いえ……貴方のお陰で、私はなんとも。でも……」

 

 ユーフェミアは、不安げに暗殺者の方を見遣る。

 ちょうど、暗殺者の軍帽が剥ぎ取られる所だった。金髪に白い肌。恐らくブリタニア人だ。

 

“イレヴンの反体制派ではないな”

 

(ああ、あれは……私の本業の方の相手だろう)

 

 険しい目で、レオも暗殺者を睨んだ。

 エリア11。海を隔てたこの混沌の地に立つ皇女達でさえ、本国に巣食う闇からは逃れられないというのか。

 

 

 

 

 

 

 エリナを狙ったアルベルトもそうだが、やはりブリタニア皇族は数が多い。彼らによる、或いは彼らの側近達による一つしかない玉座を巡る継承権争いは激しさを増す一方だ。

 何せ皇帝自身がそれを煽っているような始末。第2皇女コーネリアも第3皇女ユーフェミアも決して低い皇位継承権の持ち主ではないし、寧ろコーネリアなどは第2皇子シュナイゼルに次いで有力な次期皇帝候補と言える。

 戦乙女と謳われるコーネリアは、敵対者にとっては憎しみの対象。しかし、彼女が戦火の絶えぬ属領において不慮の死を遂げる、というシナリオを読みたがっている者は、本国にも大勢居るのだ。

 実際に狙われたのはユーフェミア。しかし彼女は、実姉コーネリアにとって何より大切な存在。これはユーフェミア個人を狙ったものではなく、コーネリアへの影響を狙ったものだろう。

 

 “不可解な事故や事件に巻き込まれて”天寿を全う出来なかった皇族など、幾らでもいる。そう、例えば8年前、アリエスの離宮で暗殺されたブリタニア后妃、閃光の渾名を以って知られた、あのマリアンヌ・ヴィ・ブリタニアのように。

 

「……それで、実行犯は」

 

「捕縛し、衛兵に引き渡しました。しかし残念なことに隙を突かれて自害されたようです」

 

 一時間後。ユーフェミアと別れ上層階の部屋へ移ったレオは、事の経緯を正面の相手に話し終えた。

 

 デスクを挟み、正面からこちらを見据えているのは、第2皇女コーネリア・リ・ブリタニア。現エリア11総督であり、皇族きっての武人として知られる女傑。

 第3皇子クロヴィスが倒れ、混迷を極める有様に至ったエリア11の情勢に対し、ブリタニア側が切り札として送り込んだ人物だ。

 一部軍人から戦女神とまで謳われる彼女は、着任後早速いくつかのテロ組織を壊滅に追い込んだ。

 内偵を進め本拠地を特定するなり、自ら先陣に立って一気にこれを攻め落とす。これはコーネリアの得意とするやり方であると同時に、ブリタニアの古き良き君主の姿でもある。昔も今もこの戦術を実行するのは大変に困難で、それをあっさりとやってのける彼女の手腕は驚嘆に値する。

 実際、彼女の着任によりエリア11は落ち着きを取り戻しつつあるという。それは、間違いなく彼女の功績である。

 

「そうか……。とにかく、副総督の身を守ってくれた事、感謝する」

 

「私は本来エリナ様の、ひいては皇族を守護する騎士たれ、と教育を受けた身です。たとえ如何なる任地であろうと、私の存在意義は、皇族の方々を御守りする事にあります。有り体に申し上げて、使命を果たしたまでです」

 

 エリナの名を出すと、コーネリアの凛とした表情に少しだけ陰りが差した。

 敵対国から魔女だ何だと恐れられ、味方からも厳格な人柄であると畏敬の念を抱かれる彼女だが、彼女とて人間である。それも、兄弟姉妹に対しかなり情が深い方の。

 

「……エリナの件も、感謝している」

 

 色々言いたそうではあったが、彼女は結局そうとしか言わなかった。レオはただ短く答える。

 

「貴様が付いていれば安心とも思ったが、宰相閣下直々の命とあっては仕方あるまい。一応私の部隊の一部を割いて派遣はした。それに、ある意味彼女にとって、これで良かったのかもしれん」

 

「──どういう意味でしょうか?」

 

「彼女もまた、自立しなければならないということだ」

 

 コーネリアの表情が引き締まる。

 

「皇族とはいつまでも他人に甘えて良い立場ではない。むしろ逆に、自身が皆の先頭に立ち、導かねばならぬ存在だ。彼女もそれは分かっているのだろう。厳しいようではあるが、一つの試練と言うべき局面だと私は考えている」

 

「それは……」

 

 その言葉に、レオの脳裏によぎる光景。出港前の、彼女の宣言。

 

「それとも、いつまでも側に付いて甘やかすつもりだったか?」

 

 レオは何も言えず、ただ首を横に振った。

 着任の挨拶はそれで終わり、レオは部屋を辞そうと踵を返した。が、その背中をコーネリアは呼び止めた。

 

「ああ、待て。話が逸れてしまったが話はまだ終わっていなかったな。貴様の現在の所属、特派の事だが」

 

「──はっ」

 

 特派。組織図の上で、この組織はエリア11に存在しながらも、コーネリア率いる統治軍の人事権の及ばない、ある種独特の立ち位置にある。

 

 治外法権と言うほどの権限は無い。しかし、特派の所属は第2皇子シュナイゼル一派。無碍にするには大き過ぎる存在だ。

 そして、その組織は名誉ブリタニア人 枢木スザクを用いている。

 本国出身のブリタニア人と属領出身のナンバーズを同列に扱う事はない。個人レベルで属領出身者に偏見を持たない人間──例えばロイドやセシル、そしてレオ自身──が居ようが、これはブリタニアという国そのものの姿勢である。実際エリア11には純血派と呼ばれる一派が居て、その類の者達は自らの血を誇り、異国の血を目の敵とする。国が差別を肯定しているようなものだから、愛国心の高揚を謳う軍隊がそれに従うのも、ある種当たり前かもしれない。

元より、軍隊とは験を担ぐものだ。

 

 加えて、このコーネリアという人物は、ある意味高潔な人格の持ち主だ。属領出身者などという格下の存在は、寧ろ戦場で使い潰せば良い。そういった事を彼女は肯定しない。

 コーネリアにとって国や民を守る事は、高貴なる者として、支配者として君臨する者に課せられた義務である。

 大陸の昔から受け継がれるノブレス・オブリージュの精神だ。その観点から見て、属領出身者はそもそも守られるべき民の立場の存在である。それがコーネリアの考え方なのだ。

 とはいえ、特派の実態は「派遣」の名が示す通り本国直営の組織。特派の主であるシュナイゼルがこれを認めている以上、コーネリアの独断でこれを覆す事は出来ない。これは確かに、コーネリアにとって面白い状態では無いだろうが……。

 

「特派が基地から追い出されたという件。恐らく宰相閣下もその絡みで貴様を送り込んで来たのだろうが……とりあえず、こちらからも手は打っておく。基本的に私は特派に温顔は見せないが、とりたてて冷遇するつもりもない」

 

 基地の一件は、コーネリアの意向では無い。現場の人間が(恐らくはほぼ総出で)やった事だ。上から命令して無理矢理に戻すことも可能ではあるだろうが、それで解決を見る問題でもあるまい。しかもそれをやれば、コーネリアは属領出身者に過度な温情を向けている、とも取られかねない。

 レオが部隊に入った事で、特派の第一デヴァイサー、つまり“前線での顔役”はスザクからレオに移った。書類上の話に過ぎず、ロイドの本命は相変わらずスザクの方だろうが、逆にスザクを忌み嫌う側の人間などは、その程度の事で簡単に黙らせる事ができる。

 変人貴族として嫌われ者の部類に入っているロイドでは、こうはいかない。そしてシュナイゼルは現場から遠過ぎて、彼ら程度の思考レベルでは実感が湧かない。

 

「近々、大規模な反体制組織の壊滅作戦を決行する予定だ。貴様はそこに参加し、功績を上げろ。その功を以って、特派に専用施設を用意する形を取る」

 

「御配慮、感謝致します。総督閣下」

 

「作戦の詳細は決定し次第、追って伝える。貴様にはアスミックやダールトンが期待している。……うむ、特にアスミックが随分と貴様を推していてな。期待に応えてみせろ」

 

「イエス、ユア ハイネス」

 

 今度こそ部屋を辞して、レオは廊下を大股に歩いた。

 

 ……このエリア11という極東の属領にも、本国の陰謀の手が伸びている。

 それを目の当たりにしたからこそ、一度は振り切ったはずのエリナへの心配が再び頭を擡げる。

 

 ──だが。

 彼女はこう言った。「もう頼ってばかりはいられない」と。

 彼女とて、護られてばかりいる状況を良しとはしていないのだ。そして追い詰められた現状を鑑みて、自力で立ち上がろうとしている。

彼女を信じるならば、彼女の為をと思うのならば、彼女を信じて、見守るべきなのだろう。

 

 で、あれば自分は、今ここで求められている役割に殉じるだけだ。

 恐らくはロイド辺りに揶揄われるだろう。「特派の未来は君にかかっている」等々。流石に自分の行動ひとつで全てが好転するとは思っていないが、自分が功績を挙げる事で、少しは彼らの助けになるのだ。

 彼らの、そして枢木スザクの。

 

 枢木スザク。彼のKMF操縦技術は他の騎士を優に越えている。

 ランスロットという強大な兵器()を振るうに足る実力。それは即ち、強大な力だ。

 力無ければ何も守れない。そう信じるレオにとって、この力は無視できない存在だ。

 力を我が物としたい。今はまだ“枢木スザクの力”でしかないそれを、“自分の力”として飲み込みたい。着任して数日。それがレオの心の中に芽生えた思いだった。

 その為にも、彼と戦いたい。少しでも彼の力を観察し、学び取らねばならない。

 

 

 

 

 

 ユリシアと合流し、二人はリフトで下層階へと向かった。彼女の細い指が地上階(G)のボタンを押し、リフトケージが緩やかな振動と共に下降する。

 

「……それで、この後の予定は?」

 

「ロイドさん曰く、貴方には少しでも多くシミュレータに入って貰いたいって。次の実戦の機会がいつ来るか分からないけど、その時後悔しないように貴方の機体を仕上げておきたい、だそうよ」

 

「では急いで帰ってやらないとな。その実戦の機会というのも、どうやらそう遠い事でも無いそうだからな」

 

 リフト内に光が差す。政庁側面に面したこのリフトの壁は透明なガラス仕様になっており、更にもう一枚、偏光処理された強化ガラスを挟んで租界の街が一望出来る。

 租界は基本的に階層構造となっており、物理的に他の場所、要するにゲットーよりも高所にある。遠方から見た際に街というよりは、銀色に鈍く光る人工島のように見えるのが普通だ。

 

「あれよね、私達の大学って」

 

 その租界の一角をユリシアが指差す。ここからそう遠く無いところにある大きな学園……の向かいにある小さな大学。言わせて貰えば大学が小さいのでは無く、正面の学園が大き過ぎるだけだと思うのだが。

 スザクの通う学園。アッシュフォード。スザク以外、全ての生徒がブリタニア貴族上流階級の子息息女で固められた名門校。

 

「ああ……そうだな」

 

 声が自然と低くなる。

 どうしても、その学園絡みとなると思い出してしまうことがある。

 着任して早々にそれを目の当たりにしたのは果たして幸運か不運か。ふとした切っ掛け──衣料用洗剤などを買い込んでいた姿を見つけた──レオは彼の学園内での立場を目の当たりにしていた。

 

 汚された体操服を前に、彼は諦観の言葉を発していた。何よりそれが気に入らなかった。

 

 人間には三つのカテゴリーが存在する。

 一つは強者。力ある者。正当な権利として、全ての行為を優先される存在。

 一つは弱者。力無き者。力無きが故に他者に踏み付けられ、這い蹲る事しか無い存在。

 最後の一つは卑劣な者。力を得るための行為を何一つせず、借り物の力を振るい強者の振る舞いを甘受する者。

 

 スザクは、間違いなく強者のカテゴリー足り得る。天賦の才か血の滲むような努力の果てか、彼の持つ力は彼自身にも恩恵を与えているべきなのだ。なのに、今彼は明確に弱者のカテゴリーに居る。

 軍での扱いは、まだ納得は行く。ランスロットの挙げた功績そのものはまだ多くは無い。そしてこれについては、自分が幾らか助力も出来る。

 だがそれ以外はどうだ。学園に通う子息息女は、須らく彼を上回る力を持っているとでも? 否。断じて否。

 

 特に命令を受けたでも無く、自身の行為、成績の結果として斯様な辺境の属領に飛ばされるような家の面々に期待するのも酷な気はするが、貴族の中でも下層にしか上がれなかった者達は、上に行くのでは無く下へ行く事を選んだのだ。即ち現状のままで強者面が出来る場所を選び、強者の権利を行使する。だがそれは、ただの卑劣な弱者の行いだ。救い難き逃避でしかない。

 

 強者の皮だけを被った蒙昧ども。力ある者が正義というブリタニアの国是を正しく反映するならば、彼らとて総じて弱者にしかなり得まい。

 たかだかそんな連中相手に、彼の力が評価されないというのは、あまりにも気持ちが悪い。

 

「……レオ?」

 

「ああ……すまない、考え事をしていた」

 

 気付けば、リフトは地上に着いていた。

 とりあえず、現状に不満があるのは出立前と変わらない。だが不満の性質は変化し、それを変えるために自分の力で出来る事は確かにある。

 ──やってやるさ。

 

 心の中でそう呟いて、レオはリフトを降りた。

と、そこへ。

 

「やあ、レオ、ユリシアも」

 

 真横から声を掛けられる。ちょうど待ち構えていたのか、セイト・アスミックがそこに居た。入港から一週間ぶりの友人の姿に、レオの表情も少しだけ緩む。

 

「ああ、セイト。久しぶりだな。無事に生きているようで何よりだ」

 

「何ね、流石にイレヴンのグラスゴーもどきに遅れを取る俺じゃねぇって。そっちこそ、特派とやらは大変らしいな」

 

 ユリシアも交え、久しぶりに三人で談笑しながら廊下を歩く。

 セイトの話す事は、件の反ブリタニア組織との戦闘について。そしてレオやユリシアの話す事は、とにかくあのランスロットのピーキーさについて。

 最終的に「ロイドの作る物はいつも過激化する」という結論に至り、ロビーで荷物──刀剣その他──を受け取って正面エントランスに出た頃には陽もすっかり沈みかけていた。

 そうして別れようとしたところで、セイトはそれまで浮かべていた笑みを消してレオを呼び止めた。

 

「……何だ」

 

「明日の夜、ちょっとお前の手を借りたいんだが」

 

 

 

 

 

 

 以前触れた通り、ゲットーと呼ばれるその貧民区域は、かつての旧都心部に集中している。

 

 戦争による被害が大きかった、というのも一因ではあるし、進駐当初のブリタニアが再建と住人整理の手間を惜しんだ、というのも理由の一つである。

 汚損された土壌と、そこに積み重なる途轍もない量の瓦礫、そこに潜む無数の不穏分子。過去の戦争で標的となるか流れ弾か、いずれにしろ戦火に巻き込まれ破壊され、そのまま復興するでもなく放置されている灰色の瓦礫の街。

 

 土地に愛着を持つイレヴンならばともかく、ブリタニアからしてみればそこは単に破壊され汚染された瓦礫の山に過ぎない。しかもそこには未だ反ブリタニア感情を持つイレヴンが、一人見たら三十人は居ると思えといった具合に蜚蠊の如く隠れ潜んでいる。このどうしようもない反政府活動の温床をまともな街に作り直すくらいなら、被害の少ない郊外に新しく街を作った方が遥かに手軽だ。

 つまりゲットーとはブリタニアには放置され、イレヴンには都市を再建する力などなく、ただただ悔恨と憤懣だけが停滞し、呪詛となって漂う街という事だ。

 

 ここには何の救いもない。この地に棲む者の選択肢は僅かに二つ。

 服従するか、戦うか。

前者を選んだ者は奴隷となり、後者を選んだ者は、地獄への片道切符を手にするだけ。

 そういう意味ではレオにとって、かつてフィオレと過ごしたストリートに近い雰囲気を感じる土地であった。

 

 

 

 

 

「俺は今親衛隊に籍を置いている」

 

 月夜に照らされた建物の残骸から旧市街を見下ろす。壁に大穴の開いた階層に立つセイトがそう呟くと、レオは一歩前に出て、セイトの横、崩れた壁の前に並んだ。

 ユリシアはここには居らず、二人とも擦れた灰色のローブで身を包み、フードを目深に被って顔と姿を隠している。

 

「そして、最近の任務内容は反ブリタニア組織への対応だ。統治軍の諜報部はイレヴンとの癒着が発覚したりして信用ならない。だからこうして、一時的に俺と数名の部下とで調査に当たっている」

 

「……言いたい事は分かった。要するに私に仕事をして欲しい、とそういう話なのか」

 

 セイトは、レオの()()を……彼の持つ技を知っている。あの劇場でやったように、そしてそれ以前から幾度となくそうして来たように、姿を隠し、標的を暗殺する事。暗殺者を返り討ちにする為に、自らも暗殺者(アサシン)の技能を使い熟す事。

 

「理解が早くて助かる」

 

 そう言って、セイトは一枚の写真をレオに手渡した。

拡大写真なのだろう。画質は悪いものの、その写真に写っている人物の端正な顔つきはしっかりと判別出来る。

 

「……タイガ・カグラザカ。旧日本軍将校の息子。現在はテロ組織に加わっていて、組織共々日本解放戦線への合流を図っているらしい」

 

「殺すのか」

 

「いや、情報が欲しい。気付かれないよう尾行し、可能なら連行して来てくれ」

 

 普通に考えて、現実味のない指令であった。

 このイレヴンの巣窟の真っ只中。殆どはただの民間人であろうが、いざとなれば件のテロ組織の方に加担する事は目に見えている。

 ブリタニア人の顔を見つければ、直接的な妨害までは行かなくともすぐにでも通報──この場合警察にではなく、テロ組織に警告を発するという意味だが──に走るだろう。捕まりでもした日にはどんな目に遭うか。

 その敵地の真っ只中で、決して存在を気取られずに標的を見つけ出して捕らえろ、というのだ。

 

「最悪、敵の拠点の位置を確認するだけでもとりあえずは構わない。現地協力員には期待出来ず、普通のエージェントが忍び込める場所じゃない。だから──」

 

「──私に仕事が回って来た。皆まで言わなくても良い」

 

 そう言ってレオは写真をローブの内に仕舞い、仕込み短剣を装備した左手を持ち上げた。

 

「他ならぬ友の頼みだ。喜んで引き受けるさ」

 

「……すまない。見付けたら発光信号で呼んでくれ」

 

 親指を立てて、レオは床の穴から下層階へと飛び降りる。ローブを風に靡かせて、闇の中に落ちる。不発弾でも落ちたのか、穴は幾つもの階層に渡って口を開いていた。レオは一階、また一階と着地しながら、下層を目指した。

 だが、最下層まで行く必要は無かった。被発見のリスクを負って人混みに紛れるよりも、少し高所から探りを入れた方が得策だ。何階分か降りたところで、レオは枠だけになった窓の穴から、大胆にも空中へと躍り出た。

 

 跳んだ先にあるのは壁面の片側だけを残して崩落した建物。レオは窓枠だったものに飛び付いて、それから壁面の凹みや穴を足掛かりとして、慎重に壁面を登って行った。

 壁の天辺まで登り切ったレオは、そのままその向こうにある煙突の上に飛び乗った。一帯は廃工場のようで、イレヴン達は既に操業停止して久しいそこを集落として再利用している様子だった。

 

“しかし、驚きました。我が主はこのような政治の手駒はお嫌いかと思っておりましたが”

 

(……言ったとおり、他ならぬ友の頼みだ)

 

“そうですか、なら御勝手に”

 

 腹立たしい物言いではあれど、この女の言いたい事は分からなくもない。

 こういう工作員じみた真似をするのはエリナ絡みか、フィオレ絡みだけだと決めていた。無論それとて政治的な意味合いを持ったものではあるのだが。

 

 とにかく、レオはギアスを発動して、眼下のイレヴン達の群を見下ろした。

 貧民街だけあって、ひどく粗末な格好をした人間が多い。何日も何週間も着続けているのだろうぼろぼろのシャツ、外套の代わりにボロ切れで身体を包む者。それこそレオが今着込んでいるローブも似たようなものだが。

 大きな集団は二つ。露天の飲食店に集い機嫌良く酔っ払った集団と、少し離れた所で話し込んでいる集団。ギアスの力で染め上げられた人の群。基本的には誰も彼も赤色に染まってはいるが、その中に一点だけ、他とは違う“赤”がある。

 

「奴だ」

 

“お見事。では行ってらっしゃいませ”

 

(文句があるならハッキリと言え。そうでないのなら黙れ)

 

 女は、黙った。

 

 ギアスの力は、本来フィオレの仇を探し出し、大切な人を守る為にと得た力だ。彼女の気持ちも分からなくはないのだが。

 屋根伝いに駆け抜けて、レオは炒め物の匂い漂う現在地から離れ、別の建物の屋上に渡った。そこは比較的被害が少なく、そして標的──タイガ・カグラザカの動向が良く見える場所であった。姿勢を低くして、群衆の様子を探る。

 

「──!──……!」

 

 集団の一人が何やら叫んでいる。ブリタニア語ではない、全く耳触りの異なる言語。恐らくはあれが日本語なのだろう。レオには全く意味が分からない。タイガはというとその男の言葉に頷くでもなく、さりとて他の者のように呼応して声を上げるでもなく、ただ黙然とその言葉に耳を傾けているようだった。

 かなりの人数が居る中だ。しかし幸いな事に、タイガ自身は集団の奥に入り込んでいる訳でもなく、寧ろ少しばかり外れた所に一人で立っているようだった。

 なら、やりようはある。レオは立ち上がって踵を返し、建物の外階段から地上へと降りた。

 

 降りた先は袋小路……建物の崩落により塞がれた路で、人の気配は無い。しかし、一歩路地の外に踏み出せば、そこはもうイレヴン犇く雑踏。レオは顔がしっかり隠れるように改めてフードを下げると、路地の出口へと足を踏み出した。

 表通りに出た途端、イレヴンとぶつかりそうになる。レオは一瞬だけ足を止めてそれをやり過ごし、肩と肩がほぼ触れ合うようなタイミングで通りに出た。

 レオの出現に、イレヴンの一部が反応し……そしてすぐに見失う。その相手がすぐ真横に居たにも関わらず、彼らは誰もレオを異物として認識していない。

 

 はるか昔。それこそまだフィオレが生きていて、自分もストリートで生きていた──もうそれ程の時を経たのだ、と自分でも驚く──頃。小さな子供に過ぎなかったレオは、他の人間のように腕力だけで生き延びる事は出来なかった。そこで生きる為には、単純な腕力とは違う、明確な自分だけの“力”が必要だった。

 そうして彼が会得したのが、“身を隠す技術”。単純な隠れんぼ(Hide-And-Seek)の技術に留まらない、寧ろ原初の人類が持っていた狩人の技術。優秀な潜入工作員や、何時間でも何日でも標的を待ち構える狙撃手も、同様の技術を会得していることがある。

 

 ひとつの考え方として、自分と世界との関係性、というものである。環境の中に身を置いた自身。世界の中の自分。場にはそれぞれその場を支配する気配、リズムとでもいうべきものがあり、それらの刻む波紋と自らが発する波紋とを、限りなく一致させる。

 一歩、ゆっくりと踏み出す毎に、息を深く吸う。吸った息が気管を通し、肺を通し、血流に乗って全身に行き渡る。そうやって外の世界を、場を吸い込む。

 逆に息を吐く。それは自分の中の世界を外の世界に差し出す事になる。世界と自分とを入れ替えて、それらを同一化させる。場に溶け込む。あるいは場と同化する。そうして周囲にセンスを一致させたレオは、傍から見ればひどく存在感が希薄に見える。これにより、常識はずれのスニーキングが実現する。

 

 人の流れの中に、レオは完全に溶け込んでいた。適当なところで流れから出ると、レオは気配を消したまま折れた電柱の陰に移り、立ち止まって標的の様子を探った。先ほどの演説は既に終わっていたが、議論がまだ続いているようで誰もその場を離れる様子が無い。タイガはやはり激論を交わす人々の中には混ざらず、同じように少し離れたところに居る二、三人の若い男達と話し込んでいた。ギアスで確かめると、タイガと同じ“赤”。恐らくは、彼の組織の人間だ。

 

 少し観察していると、彼らは集団から離れ、裏通りへと移動を始めた。レオは少し気配を乱すのを承知で通りを早足に横切り、彼らの消えた裏通りの入り口……その近くに停めてある車の陰に隠れた。

 彼らが角を曲がったのを確かめて、裏通りに踏み込む。梯子で屋根の上に登り、上からの尾行に切り替える。だが、少し進んだ所でレオは足を止めた。

 場と同化する、場そのものになる事は逆に、その気配を乱す異物の存在を鋭敏に感知できる事にも繋がる。レオはそれを感知した。姿勢を低くして、レオは進行方向を観察する。銃を持った見張りだった。

 

“どうやら、拠点が近いようですね”

 

(そのようだ。一人とは思わない方が良いな)

 

 ギアスで索敵。やはり、一帯の建物の屋上、或いは破壊されたタンクの上に見張りが立っている。

 幸い夜の闇により視界は悪い。加えて最初に見つけた見張りは屋根の縁に腰掛けていて、こちらには背を向けている。だからといって背後から接近しようとすれば、別の見張りに見つかりかねない。レオはギアスでタイガの行方に気を配りつつ、気配を消し、姿勢を低くし、遮蔽物を利用して屋上を通り抜けた。

 

 タイガ達は倉庫のような場所に近付いていた。入り口には見張りが二人。彼らはタイガらを視界に捉えると、日本式の敬礼で迎える。どうやら、ここは彼らの拠点のようだ。

 レオはタイガらを追いかけながら、倉庫の屋上へと移った。タイガ達もやはり倉庫の中へと入り、中に居た数人と話し込んでいる。半ば破損した天窓からそっと中を覗き込むと、コンテナや半壊したクレーン──いや、半壊したものを応急修理したものか──が無造作に転がされた中に、タイガと数人の若者の姿を見つける事が出来た。

 彼らはこじんまりとした机を囲んでいた。机の上には無数の武器。このエリア11と海を挟んで隣接する超大国 中華連邦製の自動小銃 紅龍(ホンロン)、それと数本の刀剣。考えてみれば当たり前だが、レオが今腰に佩いている物と極めて良く似ている。

 

 ある種の開き直りと共に、レオは天窓から中に侵入した。

 結局、ここに至るまで彼は独りにはならず、見張りに見つからず彼を確保する機会も無かった。

 敵の拠点を発見出来ただけでも構わない、とも言われているが、基本的にレオの標的はあの男だ。それも殺さずに連れ帰れ、と言う。

 敵集団の、敵拠点の真ん中に居る標的を確保しつつ撤退する事はそう容易い事ではない。いかんせん人数も多い上、ほぼ全員が武装している。一方のレオはといえば、腰に刀一振りと、ブリタニア軍制式拳銃──厳密には制式仕様ではなく、少しだけカスタムしている──があるだけ。

 

 だが、策もある。倉庫内は雑多に並ぶコンテナ群によって大きく二つに分断されているに等しい。

 即ち、入り口及びその周辺のスペースと、タイガらの居る正方形に区切られた空間。後者に関しては意図的にそのような配置にしたようで、二段重ねのコンテナを壁に見立てた擬似的な部屋が作り出されている。そして部屋と入り口とを結ぶのが、コンテナの壁で作られた細い通路。しかも上から見ると、途中でコンテナの中、或いは隙間を通らねば部屋には辿り着けないようになっている。巧妙に外部から隠匿された空間なのだ。

 

 地上から見れば見通しが非常に悪く、また音の通りも良くない。入り口周囲の僅かな空間と、広いとは言えない部屋を除いて遮蔽物が非常に多く、銃火器は効果を発揮し辛い。必然的に近接戦闘を強いられる状況。それならば、この刀も使いようがある。

 勿論、闇雲に突っ込んでどうにかなる、という意味では無い。撤退も視野に入れつつ、出来うる限り隙を探るべきだろう。レオはベルトに付けたボイスレコーダーをオンにして、注意深く梁の上に乗る。真下では彼らの会話が聞こえるが、レオに日本語は理解出来ない。

 

 やがて、彼らは一人、また一人と机を離れて行った。敵が一人減り、二人減り、やがてタイガの周囲には三人程しか居なくなる。レオは梁を伝ってコンテナの上に音も無く着地すると、入り口の方向へと移動した。入り口には元から居た敵が二人と、倉庫の外に二人。タイガの元を離れ何処かへ行こうとしている敵が六人、そして通路の入り口を固めている敵が一人。六人のグループが夜の闇に消えるのを待って、レオは懐から細いナイフを数本取り出した。

 投擲用に調整したそれで、まずは入り口周辺の敵二名に一本ずつナイフを放つ。風を切る微かな音と共に銀の刃が喉を抉り、苦悶の声と共に彼らは崩れ落ちる。何事かと通路から飛び出した敵に、レオは上空から飛び掛った。

 

「──っ!?」

 

 たったの一声すら上げさせない。突然の事に対応出来ぬ敵を地面に叩きつけて、レオは左腕の仕込み短剣で即座に敵を始末する。

 外に居る敵が中の異変に気付き駆け寄って来る。レオは暗闇の中を素早く駆け抜けて彼らの背後を取り、一人を仕込み短剣で仕留める。もう一人の敵が物音に気付き振り返るが、その視線の先にもうレオは居ない。その敵が首から血を流す仲間の姿を認識した時には、自らも肩口からナイフを突き刺され生命を落としていた。

 自ら仕掛けた秘匿が災いして、タイガ達は外の騒ぎに気付いた様子もない。レオは仕留めた敵の死骸を手早く物陰に引き摺って隠すと、クレーンを利用して再びコンテナの上に戻った。

 

 倉庫全体を俯瞰できる場所からギアスを使って索敵し、標的の位置と、標的の周りを固める者の数を確かめる。

 

 タイガを含め、敵は残り三人。先程外に出たグループが戻る前に片を付けねばならない。レオはコンテナの上を伝って部屋の上に出ると、先程通路の敵にそうしたように、上空からの奇襲を仕掛けた。

 仲間の突然の死、そして思わぬ敵の出現に、タイガは日本語で驚く。最後に残るもう一人の敵が腰の刀を抜いて、叫び声を上げながらレオに迫る。

 

 しかし敵の刃がレオを襲うよりも、レオの刀の方が早かった。敵を組み伏せた姿勢から一瞬の抜刀で、その敵の腕から鮮血が迸る。レオの身体で刀が隠れ、太刀筋が読めなかったのだ。レオは返した刀を振り上げて、それから一瞬で身を翻して再び斬り付けた。二度の手応え。レオの口角が歪む。

 甲高い悲鳴と共に敵は刀を手放して崩れ落ちた。タイガが何か──恐らくその敵の名前──を叫んで駆け寄るが、レオはその喉元に刀を突き付けた。

 

「ブリタニア語が解るか? 解るなら、一緒に来て貰おうか」

 

 そうレオは問い掛ける。意味は通じたようで、タイガは怒りに顔を歪ませながら、反射的に後ろへ、机の上の武器の方へと跳んだ。

 

「無駄だ」

 

 同じくごく僅かな足捌きだけで、レオはタイガとの距離を詰めた。喉元に向けた刀の向きを変え、タイガの左脚を斬る。安定を失ったまま机にぶつかり、苦悶の声と共にタイガは床に崩れ落ちた。机の上の武器が床に散らばり、折角手に取った銃もタイガの手から零れ落ちる。レオは床に落ちたその手を強く踏み付けた。

 

「もう一度言う。一緒に来い」

 

 一瞬、彼はレオを睨み付けた。だがやがて彼の視線はレオの背後に移り、それから床に落ちた。

 それきり、彼は抵抗をやめた。

 

 

 

 

 

 

 タイガの指示で全ての敵に投降指令が出されると、間も無くブリタニア軍の部隊が倉庫へと殺到した。

 タイガを彼らに引き渡したレオは、残党の連行を手伝うでもなく、さりとて租界へ戻るでもなく、倉庫内の部屋の中に立ち竦んでいた。

彼の目の前に、一人のイレヴンの死骸がある。最後にタイガのそばに残っていた敵。顔を見て初めて気付く。若い女だ。

 

 左手には指輪を嵌めているようだった。勿論高価なものではない。ゲットーの劣悪な環境下で大分痛み、傷付いた代物だ。タイガの指にも同じものが嵌っていた。それでレオにも、最後に彼が抵抗をやめた理由が理解出来た。

 

 惨たらしい死に様であった。致命傷となった喉の傷の他にも両眼が真っ直ぐに斬られ、血の涙を流している。喉の傷は致命傷ではあれど一瞬で生命を断てる程に深くは無く、この女は死に至るまでの時間を、腕と目と喉、三つの傷の激痛と暗闇、そして恐怖の中で過ごしたのだろう。

 

 接近戦を行ったのだから別段珍しい事でも無い。その遺体がレオの心に留まっているのは傷の具合では無く、その傷を付けた彼の太刀筋の事だ。

 慣れぬ東洋式の剣とは言え、自身の太刀筋を、その命中地点を定められぬほどレオの腕は悪くは無い。これは偶然ではなく、故意にそうしたのだ。

 

 両目を斬って光を奪い、それから死に至らせる。そういう殺し方を、レオが選んだのだ。

 

(……敵の視界を奪う事で、致命の一撃を与える隙を作り出す。別段剣士として不自然な選択ではありません。敵を確実に仕留めただけです。常にクリーンな試合を期待する程、甘い方ではないのでしょう? 貴方は)

 

 脳内に女が呼び掛けるが、今回はレオも答えない。

答えようがない。

 

「──へぇ」

 

 瞬間、レオは背後へ振り返る。刀の柄に手を掛けて、背後……いや、背後のコンテナの上へと顔を向けた。

 そこに、一人の人影があった。

 フードで顔を隠した人間。まるで先程までのレオのように。人影は僅かに露出した口元を歪ませ、ブリタニア語で言った。

 

「アンタのような人間でも、そういう感傷に浸る事はあるのか」

 

「何者だ」

 

 警戒しつつ、レオは部屋の出口へさり気なく足を向ける。

口振りからして、相手はこちらを知っている節がある。加えてあのブリタニア語は、それこそスザクと同じように、幼少期からその言語を使い続けたかのような流暢さがある。敵と断定するにはまだ早いだろうか。

 ……だが。

 

「セイトの手の者、というわけでも無さそうだが」

 

 人影が地上に降りた。レオは問い掛けを続けながら、相手を観察する。

 ひらり、と舞ったコートの内に、見慣れた西洋式の剣の柄──ただしそこから伸びる鞘の、そこから推測出来る剣身のサイズはかなり大きい──が覗いていた。

 さり気なくも確かな気品を持つ装飾が、その鞘に施されていた。大凡イレヴンには、それどころか下手なブリタニア貴族でさえ持ち得ぬ代物だ、とレオには分かった。が、一方でこの人物、この男からは絶え間なく敵意と殺気が向けられて来ている。

 

「安心しろよ。俺はアンタの……」

 

 ギアスで判定しようとした矢先、すっ、と男が左手を持ち上げる。レオは一瞬それに気を引かれた。明らかに人間のそれでは無い、赤く彩られた鋼鉄の腕だった。

 直後、その腕がレオの眼前にまで迫っていた。

 

「味方じゃない」

 

「ッ──!!」

 

 咄嗟に抜刀し、文字通りの鉄拳を受け止める。一瞬で地を蹴り、距離を詰めての打撃。フードの男は一度背後へ下がったかと思うと、再度その赤い拳をレオへと放った。一撃、二撃、と躱す。三撃目が来る、と判断し身を屈めたその瞬間、レオの額に男の膝が叩き込まれていた。

 

 大きくよろめいたレオに、更なる追撃が迫る。レオは一発目をまともに喰らったレオだが、痛みに耐えて次の一撃をくるりと身を翻して避けると、今度は刀をその鉄拳目掛けて振り上げた。

 鈍い金属音を立てて男の腕が上に弾かれる。男はさっと背後へ下がると、不敵に笑みを浮かべた。

 

「……その刀、ローガン辺りに与えられたか」

 

「まさか、義父上の知り合いだなどと言うまいな?」

 

「間違っちゃいない。ついでにもう一つ言えば、恐らくアンタも、俺を知ってる筈だ」

 

 男が呟きながら、コートの下に帯びた大剣に手を伸ばす。刀を構えて、レオは次なる攻撃に備える。だが予想に反して男は一歩も動かず、ただその身体を震わせた。

 次の瞬間、男のコートの裾から複数の円筒が落ちた。

 円筒が炸裂し黒煙が立ち上る。レオは即座に煙の中を横一文字に斬るが、男はその前に身軽にもコンテナの上へと飛び移っていた。

 

「貴様……!」

 

「積もる話もしたいがね、それはまた今度にしよう。ここでの仕事は達成させて貰った」

 

 深く被ったフードから勝ち誇った口元を覗かせながら、男は右の手を……生身の腕を高く掲げる。レオが見上げる前で男は舞台役者さながらの所作で指を鳴らした。甲高い破裂音が、不自然なまでに工場の闇に響き渡る。

 

 一瞬の静寂。直後、コンテナの壁が一斉に崩れた。そして部屋に乗り込んで来る、一つの巨体。

 

 幸いにして、崩落の下敷きになる事だけは避けられた。半ば転がるようにして崩落するコンテナから逃れると、レオは突然の乱入者へ視線を向け、そして言葉を失った。

 

 どこかずんぐりとした印象を与える白い人型の巨影……KMFだ。だがそれは見慣れたサザーランドやランスロットのような人型然としたシルエットからはかけ離れた、異形の機体であった。

 優雅さなど何処にも無く、殺戮者めいた威圧感のある風貌。その威容に圧倒されるレオの前で、男はその異形のKMFの背中へと飛び乗る。

 

 まずい、と直感し、レオは崩落したコンテナ群の中へ飛び込んだ。

 生身の人間が、しかも遮蔽物のない場所で、刀一本程度しか持たない人間がKMFに対抗するなど、どう足掻いても不可能だ。

 飛び込んだまま床を転がり、レオは床とコンテナとの隙間をすり抜けた。勿論敵の機体から逃れる為ではあったが、もう一つの目算もあった。

 元々コンテナの数が数だけに、崩落したコンテナ群は足場として使いやすい地形を作り出している。上手くすれば、敵のコックピットに至る道を作り出してくれたかも知れない。

 

 だが、レオがコンテナの陰から敵KMFを覗いた時には、あの男はレオを探すでもなく、機体を元来た方向へと後退させていた。

 

≪セイトとやらに伝えてくれ、貴様の獲物は、“ゼロ”が頂いたと≫

 

 機外スピーカーで、男はそう宣う。

 

「何……!?」

 

 レオは咄嗟にコンテナの上に飛び出した。だが敵はそれすら意に介さず、夜の闇へと姿を消してしまった。

 ──立ち去る直前に、確かにKMFの片腕で、馬鹿にしたように軽い挨拶を残しながら。

 

 全てが終わった、と分かると、レオは刀を収め、力なくコンテナの上を降りた。そのまま、あの白い機体が消えた大穴へと足を向ける。

 

 すでにブリタニア軍の回収部隊が固めていた入り口だ。なのに、あの男のKMFは迎撃も追撃もされた様子が無いまま一種で姿を現し、そして姿を消した。答えは分かっているつもりだったが、同時に信じがたい気持ちもあった。

 やがて倉庫から一歩踏み出して、レオは拳を握り締める事しか出来なかった。レオの目の前には、最早物言わぬ骸と化した回収部隊の面々が転々と転がっていた。

 ブリタニアの部隊だけではない。捕虜としたテロリストも例外なく殺されていた。勿論、タイガも。

 

 目を見開いて大の字に地に伏せるタイガの遺骸を前に、レオはふと気になるものがあって腰を下ろした。

 

 心臓をひと突きされている。ただそれだけ。人間の胸をその辺の刃物で刺せばこういう事になる。珍しいものでもない。

 そのはずが、レオはどうしてもその傷が気になって仕方がなかった。レオはその傷を気が済むまで観察した後、左腕の仕込み短剣へと目を移した。

 

 

 

 

 

 

≪──御苦労だった。榊原≫

 

 白いKMFのコックピットに、味方からの通信が届く。男……榊原はふん、と一声発すると、スラッシュハーケンを用いて機体を夜の闇に跳躍させた。

 

「収穫はあったよ、“ゼロ”。俺にとっても、お前にとっても」

 

≪それは何よりだ。では私は明日のニュースでも期待するとしよう。多分何も無いだろうがな≫

 

「この前教えたニュースサイト、見るならあっちにしとけ。そっちの方が面白い事書くと思うぞ」

 

 通信機越しに気障な笑い声だけが聞こえる。榊原も同じような笑みを返し、機体を急ターンさせて地面の大穴へ飛び込む。

 廃棄されて久しい地下鉄の路線を突き進みながら、榊原は片手で……仕込み短剣を付けた右手でフードを跳ねあげた。

 

「じゃあ、後は帰ってから説明する」

 

≪了解。また頼むよ、エリアス≫

 

 通信が終了すると、エリアスと呼ばれた男は遂に高笑いを始めた。

 これが笑わずにいられるか。漸くあの男に繋がる糸を掴み取ったのだ。しかも彼奴と来たら、まるで何も解っていないと見える。相変わらずおめでたい男としか言いようが無い。

 レーダーディスプレイに青の光点が表示されると、流石に笑いも少しだけ治った。味方の拠点に近付いていた。そろそろ向こうから暗号通信が届くはずだ。

 それでも興奮を抑えきれず、エリアスは最後に一言だけ呟いた。ちょっとした思いつきで、誰かさんの声色を真似て。

 

「……次に会うのが楽しみだよ。なあ、()()()?」



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第六・五幕 黒の収穫者

 先の見えぬ、混沌とした時代であった。

 それはかつて日本と呼ばれたこの国で生きている人々にとってもそうだし、その日本を屈服させ、自らを征服者と規定する者どもとしてもそうだろう。

 

 七年前、日本は突如として、その主権を、名前を失った。エリア11……十一番目の属領という意味を持つ屈辱的な名を与えられた日本。しかし、戦争によって多くの国を同じように自国の勢力圏に収めた神聖ブリタニア帝国にとって、このエリア11の現状は予想外だっただろう。

 

 国を屈服させて七年。それだけの月日が経ってなお、この国の戦乱の火種は収まらない。むしろ戦火は各地に広がっている。あるいは散っている。

 頻発するテロ活動、終わらないゲリラ戦。進駐して来た部隊の殆どは、半年もしないうちに国へ帰れると信じていた。それが一年が過ぎ、二年が過ぎ、七年経ってなお、進駐軍は統治軍と名前だけを変え、実態は変わらないままにこの地を離れる事が出来ていない。多方面で戦争を続けるブリタニア軍には、既に制圧済みの旨みの薄い属領に駐留し続けるだけの兵員を入れ替える余裕は無い。

 精々、既にある程度の立場を持っていた者だけが国に帰り、兵卒の類は極東に取り残された。当時のルーキーは押しも押されもせぬベテランとなり、下手に現地情勢に触れ続け詳しくなったが為に、二度とエリア11から離して貰えない。

 

 国に帰れないブリタニア兵には気の毒だが、これが日本の底力だ。それまでブリタニアが傘下に収めて来た中堅国とは違う。世界有数の経済大国として国際社会に確固とした地位を築いていたこの強く、美しい国の意地だ。

 

 

 ……というのが、この地に巣食う、愚者の集いの謳い文句である。

 

 

 底力とは笑わせる。彼ら、抵抗活動の指導者を気取る無数の元軍人どもな目指すものは、戦前の、七年も昔の日本の姿。歴史の針を戻す者に、勝利など訪れる筈も無い。

 

 意地などとは笑わせる。その言葉に踊らされる者は、思い描く将来図すら持っていない。もはや妄想の中にしか存在しない在りし日の日本の姿を教えられ、現状からの逃避として起きたまま夢を見続ける。

 

 未来などありはしない。勝利などあり得ない。

 

 七年もの妄執の行き着く先は無残な死だけだ。

 

 

 

 

 

 夜の闇に沈んだ倉庫街で、小さな爆発が起こった。

倉庫の正面シャッターに軽く穴を開ける程度の爆発だったが、中に居た人間を混乱させるには充分なものだった。

 

「──く、黒の騎士団だぁぁ!!」

 

 スーツ姿のブリタニア人が悲鳴を上げ、そしてそのまま力なく倒れる。爆煙の中から飛び出して来た背の高い黒衣の人影が、男の命を奪った大剣を左手一本で振るってみせる。

 その剣の姿こそ、異形であった。戦端が鉤爪のように湾曲した、まるで鎌のような形。鎌状の(フォルケイト)剣。黒衣と合わせて、その人影は死神すら連想させた。

 

『“イーライ”、行け!!』

 

 背後から機械を通した声がする。声に応え、イーライと呼ばれた黒衣の男は、鎌の如き剣を構えて猛進する。

 イーライ。これが彼のコードネームだ。フードの下にはつい数日前、貧民街にてレオハルト・フォン・エルフォードを出し抜いき、神楽坂大我を葬った暗殺者──榊原エリアスの顔がある。

 慌てふためく背広を一人、また一人と斬る。銃で応戦しようとする者も居たが、それらの銃弾がエリアスの身体を貫く事はない。

 

「跳んだ!?」

 

 そう、敵の一人が叫ぶ。その時エリアスは空中にあった。まさに彼の言葉通り、己の脚力だけで、天井近くまで舞い上がったのだ。

 そのまま重力に任せて敵集団の只中へと落下。エリアスの大鎌剣(フォルケイトブレード)が敵の頭頂を襲い、人体をまるで薪のように叩き割る。

 一瞬、敵が怯む。その間に敵の死体に突き刺さった大剣から手を離し、エリアスは空になった左の手を伸ばした。赤色に染まった拳が、手近な敵の頭を掴んだ。

 

「な──」

 

 何が起きたのか把握する事も出来ぬまま、その敵は頭を潰された。赤い指の隙間からより赤い鮮血が迸り、その光景を目の当たりした者は反撃を忘れ恐怖に震える。

 まさにその隙をついて、というタイミングで、エリアスが現れたシャッターの穴から同じような黒衣の集団が現れた。総勢十数名ほど。それぞれが黒衣の下から武器を──銃を持つ者も居れば、刀を抜いた者も居た──取り出し、一見ばらばらな、しかし俯瞰して見れば高度に連携した動きで敵へ襲い掛かる。

 

 銃こそ持っていても、敵対者達には彼ら程の覇気は無かった。最早完全に恐れをなした彼らは、まるで蜘蛛の子を散らすように、エリアスら黒衣の集団から逃げ惑う。

 そして、なおも歯向かう者にはエリアスが立ち塞がった。フォルケイトを振るい敵の胴を寸断し、千切れた上半身を赤い手で掴み取って、敵へと投げ付ける。一人、また一人と最期を迎える毎に逃げ出す敵の数が倍増し、最後に残った敵は、エリアスの爪で喉を貫かれた。

 敵の返り血を浴びて、エリアスの黒衣は赤く染まっていた。敵の死体から剣を引き抜くと、剣身に纏わり付いた血と肉を振り払う。

 

「片付いたな……。ゼロ、今のうちに」

 

『ああ。わかった』

 

 反撃の音が止み静まり返った倉庫を見渡して、エリアスは背後へと呼び掛けた。すると機械を通した声が呼び掛けに応え、一際背の高い……エリアスと並ぶほど……男が赤い髪の少女を従えて倉庫内に踏み込む。

 黒いマント、黒い手袋、黒い靴、そして黒い仮面。黒衣の集団を率いるのは、闇をそのまま映し出したような人物だった。

 

『では、手筈通り焼き払うとしよう』

 

 

 

 

 

 

 榊原エリアスという少年が産まれた頃は、まだエリア11は日本という国家として存在していたし、ブリタニアとの関係性もまだ険悪というほどのものでは無かった。

 皇歴2000年、世紀末の年。ちょうど多国籍海底調査隊が海底深くにて形を保ったままの遺跡を発見し、日本、ブリタニア双方の世間を賑わせていた頃である。

 日本国内でもブリタニアという国家の姿勢そのものを問題視する声はあれど、大多数の日本人にとって、はるか海を隔てた向こう側に存在する国の話など他人事に過ぎず、またブリタニアも今ほど強固な国家でも無かった。そんな時代の筋目に、彼はその二国の血を受け継いで産まれ落ちたのだ。

 

 榊原とは、母の旧姓だ。今で言うキョウト六家にも近い、由緒正しき家の令嬢として生まれ育ったらしい。そして父親はブリタニアの貴族。何をどう罷り間違ってそう言う関係性が生まれたのかは最早知りようが無いが、結果だけを述べれば、母はそのブリタニア貴族と共にブリタニアに渡り、そしてエリアスを産んだ。

 

 皇帝の女性遍歴からして半ば察せられる感があるが、そのブリタニア貴族もまた、妾を娶っていた。たった数人。ブリタニア貴族にしては非常に少なく、相対的に真摯だ、誠実だ、無欲だと評する事も出来た。エリアスの母もその一人だったようで、10歳になる頃までは、エリアスも妾の子や本妻の子ら異母兄弟と共に、その貴族の子として何事も無く過ごしていた。

 その間、母が日本を帰る事はなく、エリアスも日本の土を踏む事は無かった。

 

 彼が産まれてから十年経って、日本という国は無くなった。その辺りで、彼の生活は一変した。

 母の立場は日増しに悪くなって行く。そして自分に向けられる目も、段々と変わって行く。

 やがてある時、エリアスは母と共に見知らぬ場所へと連れて行かれ……それ以来、生まれ育ったあの屋敷へと足を踏み入れる事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 殺風景な部屋の天井と壁面に、何枚かの鏡が設置されている。姿見じみたサイズのそれら一枚一枚に映るのは、肌色と鋼色が入り混じった、金髪の怪物の姿だった。

 金属の手術台、あるいは座椅子のような機械に固定されたまま、エリアスは右手で……生身の右手で機械のスイッチを入れた。

赤い金属で出来た人工の左腕が、エリアスの頭上をマニピュレータで運ばれてゆく。先の倉庫群での戦闘で汚れたそれを、専用設備で洗浄する為だ。

 腕の洗浄が済むまでの間、エリアスはただ黙って、機械の上で横たわる以外する事がなかった。この際シャワーでも浴びて身体を洗いたいところではあったが、最早自力でシャワー室に赴く事も出来ない。

 彼には脚が無いからだ。付け根からすっぽり存在しなくなった両脚もまた、洗浄中のあの赤い義手と同様に身体から切り離され、専用機械でメンテナンスが行われている。

 

 痛みが続いている。喪われた腕と脚。人工義肢とのコネクションを解除している間は、ずっとこの痛みに耐えねばならない。

 勿論、もう慣れた。何せ七年近く、この幻肢痛と付き合って来ているのだから。

 エリアスの四肢……いや正確に言えば三肢……は、機械で置き換えられている。あの日屋敷を出て、母から引き離されて連れて行かれた先で、エリアスの身体は好き勝手に弄り回された。

 

 有り体に言って、実験台として。

 

 サイボーグ、バイオニクス、サイバネティクス、表現のしようは色々とある。当時辛うじて医療用として実用化されつつあったその技術を軍事転用しよう、という目的だったのだろう、と今のエリアスは推測する。でなければ、どうして内部に刃物を仕込んだ腕だの、銃器を仕込んだ腕だのを取り付けようとするものか。

 片腕に機能を仕込み、それを問題無く動作させる為の身体の強化。その程度で済んだエリアスは寧ろ幸運だったと言って良い。その場に居たほかの被験体の中には、全身をくまなく改造されて命を落とした者もかなり居たようだ。

 ……結局、その実験が報われる事は無かった。ある時を境に彼らは実験体の廃棄を始め、辛うじて生き残ったのはエリアスただ一人だけとなっていた。

 同じ被験体の仲間が日毎に廃棄されて行き、遂に廃棄されそうになったエリアスを救い出したのは、他ならぬ母であった。

 そしてエリアスは母と共に日本に逃れ、それから数年後、母はわざわざ追って来た父の手で殺された。エリアスの目の前で。

 

「榊原先輩! 榊原先輩いらっしゃいますか!?」

 

 扉の向こうで、自分を呼ぶ声がする。鳴り響くモーター音の中でくぐもった声を聞き取ると、エリアスは一度機械を止めた。

 

「居るが、なんか用か?」

 

「“ゼロ”が探してましたよ。報告の続きを聞きたいとか何とかで……」

 

「別に忘れちゃ居ねえよ。時間には間に合わせるって言っとけ、今手足のメンテ中なんだ」

 

「了解です!」

 

 ゼロ。

 それは、最近になって台頭を始めた人物。

漆黒の衣に身を包み、影の太陽を描いた仮面で顔を隠した一人のカリスマ。

 旧日本軍人ではない、謎の人物。でありながら、急速にイレヴンからの支持を集め始めたダークヒーロー。

 前総督クロヴィスを、殺した男。

 その名は、ゼロ。今、世間はこの男に俄然注目している。

 

 ゼロについて分かる事はあまりに少ない。この属領に潜む数多の不穏分子たちと同じように、“黒の騎士団”を名乗るレジスタンスグループ──勿論これは被支配者たる日本人側の呼び方でしかなく、体制側たるブリタニアに言わせればテログループでしか無いが──を率いる存在でありながら、その中で一際異彩を放つ男。

 強者が弱者を虐げる事は、断じて許さない。例えそれが誰であろうとも。

 ゼロという男の特異性は、まさにこの主張に起因している。

 相手がブリタニアであろうと、逆に自分達と同じように反ブリタニアを掲げるテロリストであろうと、武力を持たぬ民間人を犠牲にする行為を許さない。

 

 そして実際に、黒の騎士団はそれを実行した。

 

 ある時は、無差別に日本人の街を破壊するブリタニア軍に対し敢然と立ち向かい、一時はこれを壊滅寸前にまで追い込んだ。

 

 またある時は、純血派の権力掌握の一手として前総督クロヴィスの殺害実行犯に仕立て上げられた容疑者を命懸けで守り抜いた。

 

 そしてある時は、エリア11における反ブリタニア組織の最大派閥 日本解放戦線に属するテロリストによって人質とされたブリタニアの民間人を、同じテロリストの立場にありながら鮮やかに救出してのけた。

 

 黒の騎士団が標的とするのは、ブリタニアとは限らない。

ブリタニアであろうと、日本人であろうと、弱者を虐げる者は例外なく黒の騎士団の裁きを受ける。

 

 要するに、黒の騎士団の敵は「横暴な強者」なのだ。だからこそ、今彼はエリア11で熱い視線を浴びている。特にブリタニアの支配を否定しつつもテロという手段には賛成出来ない、所謂“沈黙を続ける穏健派”の日本人には恐ろしく受けが良い。

 言うなれば、黒の騎士団とは義賊──いや、ここは敢えてこう表現すべきだろう。彼らは“正義の味方”なのだ。

 強大なブリタニアに決して屈せず、それでいて無関係な人々の犠牲は出さずに、エリア11に済む日本人の為に戦い続ける者達。日本人にとっては、まさに降って湧いたような英雄の登場であった。人々の熱狂は彼ら黒の騎士団に向けられ、賞賛の声はその先頭に立つ者、即ちゼロへと浴びせられる。

 

 仮面の男、ゼロの正体……その黒の仮面の下の素顔を知る者は極めて少ない。仲間にすら素顔を明かさないミステリアスな男。

 ゼロというのは、そういう過剰なまでのヒーロー性を備えた男なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「さて、リフレイン絡みの一件はこれで片付いた、と見て良いのかな」

 

 三十分程過ぎて。

 エリアスは彼らが移動司令室とする大型トレーラーに設けられた一室に居た。既に両脚も左腕も揃っており、完全なヒトガタとして部屋の真ん中で姿勢を正していた。

 肉体と機械は一つのユニットとして完全に統合され、欠損感覚と肉体の痛みはもう感じない。

 彼の目の前には、特徴的な仮面を被ったまま机に向かう、ゼロの特徴的な姿があった。

 

『ああ。現時点では、あれが最後の集積所だろう』

 

 リフレインとは、所謂麻薬の一種だ。

 幻覚系の作用が発生する薬品。端的に述べれば、昔に帰ったような気分になれる、といった効果があるらしい。

 まあ間違いなく、日本人を狙い撃ちにした()()だ。自ら動く気力も無く、さりとてブリタニアの支配も嫌う多くの日本人が、この薬で逃避を図る。度重なる服用でその身体をボロボロにしながら、精神だけは幸せなままでいたがる。

 この数週間ほど、黒の騎士団はその撲滅に動いていた。

 人気取り、といえばそれまでだし、実際それで正しい。

 ゼロの目的は、ブリタニアに対抗できる“軍隊”を作り上げること。子供じみた嫌がらせの域を出ないレジスタンスグループではない、ブリタニアの対抗勢力をこの地に築き、ブリタニアを倒すこと。

 ここで言う「倒す」とはブリタニアを日本から追い出す事だけを意味するのではない。文字通り、ブリタニアという国を打倒する事だ。

 

『──で、エリアス、本題に入るが神楽坂の一件、まだ報告が途中だったような覚えがあるのだが』

 

「そうだったか? そいつは失礼、で、どこまで済ませたんだったか?」

 

 部屋の隅から椅子を引っ張って、エリアスはその椅子に腰掛けた。

 傍から見て、違和感しか感じない光景である。相手はグループの指導者、指揮官だ。その彼に対する態度として、一見これは不適切な極まりない。しかしそれが許される背景には、二人の持つ奇妙な関係性があった。

 

『神楽坂と彼のグループを暗殺し、回収部隊もほぼ殲滅に成功した、とだけ聞いた。それはお前の言葉で言えば、私にとっての“収穫”だ。では、お前が得た“収穫”とは何だ?』

 

「……会いたい奴に、やっと会えたってところさ。お前にとってのクロヴィスか、或いはコーネリアのような相手にさ」

 

 ゼロの仮面が僅かに震える。内の表情こそ読めないが、どういう反応をしているのかはエリアスにも察する事ができる。

 

『一族、か』

 

「そうだ。血の繋がった、な」

 

 エリアスは険しい表情で言った。

 

 ゼロにはある目的がある。団員とは共有できない、彼だけが持つ目的が。

 突き詰めればこのグループも、日本も、彼にとってはその目的を果たす為の手段に過ぎない。

 エリアスにも、また目的がある。同じく他人とは共有しない、心に秘めた目的が。

 

 ゼロとエリアス。この似通った二人は、別にお互いの事を伝え合った訳でも無い。エリアスはゼロの正体も過去も知らないし、向こうもまた同じだ。

 ただ、通ずるものはある。殆ど本能でそう察したエリアスは、黒の騎士団に入って以来こうしてゼロと込み入った話をする事が多くなり、結果として他の団員よりお互いを知った関係になっている。

 

『お互い、もう引き返せないな』

 

「元々、そのつもりも無いだろう?」

 

 その言葉を最後に、二人は顔を見合わせたまま暫し沈黙する。

ゼロの表情は見えない。だが纏った雰囲気は、湧き出る感情は、仮面では隠せない。

 一方で、エリアスは表面上の平静を保っていた。ゼロと同じか、或いはそれを上回る程の激情を心の中で掻き立てながら、静かにゼロの仮面を見つめる。

 突然の音に、このある種緊張した空気が一気に乱れ搔き消えた。ドアをノックする音に、何だ、とゼロが応えた。

 

「キョウトからの支援物資が届きました。確認の為格納庫までお願いします」

 

 ほぼ同時に、二人は立ち上がった。

 

『了解した。今行く』

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼らが格納庫と呼ぶ空間には、何騎もの黒いKMFが立ち並んでいた。

 

「すっげ〜! これってグラスゴーだろ!?」

 

「無頼。日本が改造した奴だって」

 

 第四世代型KMF 無頼。ブリタニア軍側の登録ナンバーはType-10R。かつてのブリタニア軍主力機にして、日本制圧の際に日本の土地を蹂躙した機種 RPI-11グラスゴーのレジスタンス仕様である。

 無頼も含め、エリア11内の反政府組織の武器装備の供給といった支援は、全てキョウトと呼ばれる秘密結社が行なっている。

 キョウトという単語には、単なる地名以外に戦前から、そして戦後の今に至るまで、この地で隠然たる力を保持し続ける組織、という意味合いがいつからか付け加えられていた。現代において彼らはNACなる組織を隠れ蓑とし、各地のレジスタンスに水面下での支援を行っている。

 

 ……そもそも何故、この地において反政府活動が活発なのか。それはかつて日本がブリタニアに降伏した際、多くの戦力を保持したままであったからでもあった。

 時の首相 枢木ゲンブの自決により決定した降伏だったが、この時点において日本の領土には多くのブリタニア軍が攻め入って来てはいたが、戦力そのものはまだ多く残されていたのだ。

 

 力を余したまま、屈服する。

 これと、国中を焦土に変えた果てに降伏するのとでは訳が違う。牙を抜かず、誇りと気概を失わない負け方を、当時の日本は選んだのだ。

 いずれ来る回天の時に備え、時を待ちつつ力を蓄え、機に乗じてブリタニアという侵略者を海の向こうへ叩き返す。

 

 ……どういう判断基準でそのような手段が講じられたのか、それはエリアスにも、ゼロにも知りようがない。

 ただ、日本国民に一度屈辱を味わわせ、次こそは必ず、という気概を多くの人々に持たせる、という部分は現状成功していると言って良い。

 実際、黒の騎士団にも、入団希望者が続々と参入しているのだ。

 

『……玉城はともかく、井上達まで浮かれ気分か』

 

 無頼の群れから少し離れる形で、無頼とは異なるKMFが二騎鎮座している。ゼロはその片方、赤いKMFの傍に立つ少女に、そう声を掛けた。

 紅月カレン。エリアスのように日本人の母とブリタニア人の父を持つハーフ。そして自らは日本人であると自ら定義付けて、反ブリタニア活動に身を投じる少女。

 

『キョウトは、複数のレジスタンスを支援しているそうだな』

 

「はい、その中にやっと私達も入れてもらえて……」

 

『違うな。間違っているぞ。これはただの試験に過ぎない』

 

 二人の会話の横を擦り抜けて、エリアスはもう一機の白いKMFの方へと歩いた。義足の発するモーター音は特徴的で、騎士団員の近くを通れば誰もがその音の正体を察する。カレンもちらり、とエリアスの方へ視線を向け、エリアスはその視線を無視した。

 

 Type-01-3C。通称白夜。エリアスはその白いKMFの前に立った。

 中華連邦 インド軍区内に存在する精鋭チーム謹製のKMF。グラスゴーやサザーランドとは明らかに異なる、刺々しさ、人によっては禍々しさと形容する威容の異形。あの倉庫群での一件でも持ち出した、エリアスの専用機だ。

 

 正式名称紅蓮壱式。ただしこの機体はその内の三号機を日本製部品によりカスタム化した特別機であり、機体のカラーリングもオリジナルの炎のような赤ではなく、死人のような白を基調としたモノトーンだ。

 

 紅蓮壱式改、或いは三号機ということで紅蓮壱式丙改とでも言った立ち位置のこの機体は、キョウトの意向により“白夜”と名付けられた。

 エリアスの個人的感情で言えば、キョウトの意向で付けられた名前をそのまま使うのは少し気に食わない。が、そもそも現地改修機なのだから開発者の方で何か付けてくれる訳でも無し、と言って、紅蓮壱式丙改では長い上、この黒の騎士団には“紅蓮”がもう一機居る。

 

「エリアス、ゼロは何処……」

 

 ふと、エリアスは背後から声をかけられた。扇要。黒の騎士団の直接の母体となったレジスタンス 扇グループの中枢メンバーであり、今現在はゼロの補佐を担当している。

 基本的にゼロは他人に素顔を見せない。そんな男を、齎した結果だけで信用しろ、というのにも無理がある。故に黒の騎士団内では、「扇がゼロを信用しその言葉を部下達に伝える。部下達は扇を信用し付き従う」と言ったような図式も旧扇グループの古株を中心に成立しつつあった。無論、それ抜きでゼロを信じる人間も相当に多いのだが……。

 

「ああ、すぐそこに居たな。何か話し込んでるけど」

 

「そう込み入った話でも無さそうだぞ、新入りが来て浮かれるなよ、とかそんなの。あと……」

 

 エリアスはそこで、ゼロとカレンの側に立つ赤い機体に目を向けた。

 

「紅蓮のパイロットの件の通達もしたいんだろ」

 

 Type-02 紅蓮弐式。紅蓮壱式の系列機にして、ある種全く異なる機体。

 形式上紅蓮シリーズに名を連ね、設計も紅蓮壱式のものを参考にしてはいるものの、本機紅蓮弐式はキョウトの保有する秘密工場において、完全な日本製KMFとして建造されたものだ。

 無頼、白夜を経て確立したKMF製造技術の結晶だ。外装こそ紅蓮壱式に酷似しているがその実細かな設計変更が行われ、内部部品に関してはほぼ別物に等しいと言う。

 キョウト内でも、そしてこれを受領した黒の騎士団においても、言葉のイメージ通り赤いこちらを“紅蓮”と呼称する向きが強い。

 

 会話が途切れたのを見計らって、扇はゼロに歩み寄った。それを見届けて、エリアスは白夜の脚部フレームに触れる。

 キョウトの主要メンバーは戦前から力を持ち続けた人物であり、彼らはその力を得る過程で相応のコネクションを政界、軍部に持っていた。現代の反ブリタニア活動が殆ど旧日本軍主導で行われている現状を鑑みれば、それらと全く縁がない黒の騎士団にも武器兵器を、それも纏まった数を揃えて供給するなど普通では考えられない。

 試されている、とゼロは判断していた。しかし、エリアスの見解は異なる。

 これは、あの“老師殿”の差し金なのだ。

 

 

 母の手で救い出されたエリアスは、齢12歳にしてようやく日本の土を踏んだ。

 ……いや、実際のところ()()()は居ない。踏むべき脚はその時点で無く、車椅子から動く事も出来なかった。

だが命からがら辿り着いた祖国で、母は一族から拒絶された。憎きブリタニアに身体を売った売女として。

 

 全てを失った母は、それでもエリアスを守り続けてくれた。蔑視に耐え、迫害に耐え、それでも、と。

 そうしてエリアスを女手ひとつで守り続けて数年。限界を迎えつつあった母は、父の手で殺された。何がそこまで気に食わなかったのか、遥々極東の地にまで足を運んで来た父の剣が母の首を刎ね飛ばす瞬間を、エリアスはこの目ではっきりと見た。

 

 ……あの男は、エリアスを殺す事は無かった。腕一本しか無い子供など放っておいても死ぬ、と判断したのか、そもそも眼中に無かったのか、母の首を抱いて泣き喚くエリアスを一瞥すらしなかった。

 

 そんな頃になって、ひとりの老人がエリアスに接触して来た。老人は母の一族の長にしてその父親、つまりエリアスの祖父である、と名乗った。

 ……そう、今の今まで何の手助けもして来なかった癖に、全てが手遅れになったその時になって、ようやく母の一族は救いの手を差し伸べて来たのだ。

 それ以来、かの老師殿はエリアスへの支援を続けている。サイバネティクス義肢の専門家を呼び寄せて新たな義肢を寄越したり、エリアスが反ブリタニアの意思を見せたと思えば、何処ぞのレジスタンスに加入出来るよう手配して見せたり。

 

「お前の母には、すまないことをした」

 

 だが、さも申し訳無さそうにそう宣うあの老人を、エリアスは決して許さない。

 

 何を馬鹿な。俺を汚物と断言し、母を売女と罵ったのは、他ならぬ貴様ではないか。

 それが事此処にに至って、態度をひっくり返すとはどういう理屈だ。

 かの老師が、「一族の長としてそうせざるを得なかった」などと嘯く事もあった。

 

 笑わせるな。そうであるなら何故今まで放置し続けた。今こうしてNACの皮を被ってブリタニアへの面従腹背を続けられる程に芝居が出来るのなら、密かに母を支援する事くらい出来ただろうに。

 母の墓の前で、そうした自己弁護を垂れ流すこの老人の姿は、とても我慢出来るものでは無かった。しかもその墓でさえ、一族の墓では無い。口であれこれと言いながら、未だ母を一族の中で受け入れようとしてすら居ないのだ。

 彼奴等が欲しいのは、日本解放なる夢を果たす為の手駒に過ぎない。結局この老師は、この一族は、何らエリアスらに対し負い目など感じていない。亡き母への謝罪も言葉だけの物、エリアスへの支援もその実手駒として取り込むための算段。

 そんな欺瞞に満ちた施しを受けるのは、エリアスにとって苦痛以外の何者でも無い。白夜の名前を嫌うのはこれが理由だ。

 だが一方で、その支援が無ければエリアスは永遠に目的を果たせないのは事実だ。

 

 エリアスの目的──父を殺し復讐を果たす為には何より力が要る。最早義肢が無ければ自ら動く事すらままならぬ身、老師の支援が無ければ何も出来ない。かと言って、彼奴の支援を受けるということは取りも直さずその意向に従う事でもあり、そしてそれは、日本解放の為と宣う手駒と成り果てる事を意味する。

 母を拒絶し、自らを拒否した日本に仕える意味などエリアスは見出さない。しかし、そうしなければ最早どうにもならない。

 

 そんな時、エリアスは一人の魔女と再会し──そして、ゼロと出会った。

 

 

 

 

 

 

 日が沈み、闇が迫る。そういう時間こそ、エリアスの得意分野である。

 ──と、例えばキョウトの老師殿に言えば、まず先方は潜入工作や隠密展開、要するに隠れ潜む方向性での才覚を期待して来る。しかし、逆にエリアスは密かに隠れ潜む事を得意としない。

 何せ、人工義肢の駆動音が隠せない、という理由がある。それ以外にも性格的にこのような戦術は取りたくない、という理由もある。

 潜入工作を例に取れば、これは如何に自己の痕跡を残さず、発見されずに任務を遂行するかに重点を置く任務だ。軽率に動く事は許されず、熟考し、慎重に事を進める。その場合、まずこちら側は先手を取れない。(いや、その手のプロフェッショナルならそうでも無いのかもしれないが、エリアスにその技術があるとは言い難い)。

 受け手に回る事をエリアスは好まない。同じ隠れ潜むのであれば、エリアスは暗殺や奇襲攻撃等の戦術を採りたい。隠密は敵陣近くで止め、電撃的に事を進める戦術。そしてそういうある種力押しが有効な局面においては、この人工義肢は無類の力を発揮する。

 

≪──開演だ≫

 

 ゼロの言葉を合図に、エリアスは誰よりも速く、隠れ場所としていた茂みから飛び出した。

 人工義肢のパワーは生身の肉体の生み出す力を凌駕する。それこそ、生身のままの身体の方が耐えられないようなパワーでさえも。

 エリアスはそのリスクをもクリアしている。人工義肢のプロフェッショナル……紅蓮シリーズの開発者でもある……謹製の特製義肢に、かつてブリタニアで受けた身体強化。これを合わせた事でエリアスは茂みから、今回の標的である基地の正面ゲートまでの距離を瞬く間に跳躍していた。

 

 まさに示し合わせたタイミングで、正面ゲートが炎を上げて崩れ落ちる。エリアスを見咎めた歩哨は、続いて起こった背後の爆炎に気を取られて、エリアスの初撃を回避出来なかった。

 二人の歩哨の内、片方を義手の打撃で叩き潰し、もう片方には生身の右手を押し当てる。仕掛けを作動させて袖に仕込んだ仕込み短剣を起動させ、その喉を刺し貫く。

 

「おっしゃぁ!! 突き破れぇ!!」

 

 同じ黒の騎士団のメンバーがそう叫びながらエリアスの後を追って現れる。玉城と言う名のその男が仲間とともにエリアスの背後から短機関銃で援護射撃を放ち、エリアスはその弾丸の波に乗るような形でゲート内に踏み込んだ。

 

「貴様──!?」

 

 黒煙を突き抜けて、即座に生身の右手で拳銃を抜く。正確に照準……とはいかないまでも、目に付いた敵をポイントして、トリガーを引く。横倒しにした拳銃からフルオートで弾丸の嵐が飛び出し、爆発に駆け寄って来ていた不幸な警備兵たちを襲う。銃は連射の反動で強烈に跳ね上がり、正面の敵兵をそれで薙ぎ払う。

 掃射を終えたエリアスは建物の陰へと移動し、生身の右手で(マシンピストル)をリロードする。その間にも黒の騎士団員は基地内に雪崩れ込んでおり、最早警備兵では押し止められていない。

 

 規模に反して、今夜の標的であるこの基地の防衛戦力は妙に薄い。租界の端の方とは言え、コーネリア親衛隊の本隊が駐留するほどの重要な拠点であるにも関わらず、である。

 その理由は明白で、この作戦はコーネリアが出払っている隙を突いて行われたものだからだ。

 

 現在、コーネリアはエリア11統治軍の人事刷新を推し進めている。それはつまり、コーネリアにとって統治軍が今一つ信用ならない事を意味する。

 今夜、コーネリアは大日本蒼天党を名乗るテロ組織の殲滅作戦に当たっている。軍管区の司令官に任せるのではなく、自分で動くしかない、と言うことがコーネリアの置かれた状況を物語っている。

 

 そしてコーネリアが動くと言うことは、当然彼女の親衛隊が動くと言う事である。政庁配備の部隊と、外縁基地に分散配備する部隊が一斉に動く。この基地もその外縁基地の一つで、現在この基地の駐留戦力は極めて少ない。だからこそ、このようなKMF無しでの奇襲が成立している。

 

 一方で、この状態が長く続く事もあり得ない。警報はすぐにでも近隣の基地に伝わり、統治軍がサザーランドの大群を差し向けて来るのは時間の問題だ。この基地を攻め落としたければ、相応の戦力で押し切るしかない。

 だが、今回黒の騎士団は少数だ。大軍のように見せかけて撹乱する、といった真似こそしているが、本質的には少数の歩兵部隊でしかない。

 理由は単純。これはただの陽動だからだ。

 

 基地の照明が落ちた。味方の工作が功を奏したのだ。サーチライトの類も消灯し、一時的に敵は黒の騎士団の姿を見失う。

 更に味方の煙幕が展開されるのを確認して、エリアスは左手で剣を抜いた。先端部が変形し、あの鎌の如きシルエットが現れる。

 この特徴的な剣フォルケイトは、母がブリタニアの家から持ち出したものだ。変形前ならば普通にロングソードとして運用出来るそれは、人工義肢ならば片手でも扱える。

 

 煙幕を利用して、エリアスは遮蔽物から飛び出した。跳躍を織り交ぜて移動し、警備兵を一人、また一人と斬る。ブリタニア歩兵部隊の制式アーマーには赤外線式熱探知(サーマル)ゴーグルが装備されているが、発煙手榴弾の放つ煙幕はその赤外線を防いでくれる。

 後は、人工義肢のパワーに物を言わせて、敵の予測を裏切る動きで敵を斬り伏せるだけだ。味方の騎士団員もそれを承知で、基地の電源が落ちた後は煙幕の支援だけを行なっている。

 

 ブリタニア軍警備兵にしてみれば恐怖だった。敵の剣が味方を斬り殺し、闇の中に消える。消えた位置を掃射しても誰もいない──と思った時には、今度は別の味方が、或いは自分の首が胴体と分かたれている。それこそ戦姫コーネリアでもなければそうそう見ないような強敵が、今こうして自分達を襲っている。

 敵の指揮官が遂に退却し始め、敵部隊が混乱したところで、エリアスは一気に敵陣を駆け抜けた。そのまま施設内に突入し、人工義肢のパワーに物を言わせて暗い通路を突き進む。

 目的地は、基地最深部。地下シェルター。

 そこに、今回の作戦の標的が居る。

 

 

 

 

 

 

 破壊した高速(ターボ)リフト・カーゴから出たエリアスは、地上の戦闘に反し何の音もしない地下の闇の中へと足を踏み出した。

基地が襲撃を受けた際、重要人物が逃げ込む為の緊急避難シェルターがそのフロアにはある。

 基地司令官が使う物なのか、と思うが、そもそもそういう事態に陥った場合、基地の戦力はまず基地の防衛、襲撃者の撃退を試みる。その場合彼らの指揮を執る人物が必要であり、司令官が真っ先にここに転がり込んでいては話にならない。

 故に、このシェルターを使える人物というのはかなり限られている。非戦闘員、かつ失うことの許されない重要人物。

 そして今夜、この基地には、辛うじてそのカテゴリーに数えられなくも無い人物が存在していた。

 

『では──話せ』

 

 シェルターの奥から、馴染みのある機械の音声が聞こえてきた。武器を収めたエリアスがシェルターに足を踏み入れると、そこにはあの闇を纏った仮面の男ゼロと、かつて統治軍の実質的ナンバー3と呼ばれた人物の姿があった。

 その目は焦点が合っていない。忘我の表情を浮かべたその男、エリア11統治軍参謀本部・中央軍管局長ギゲルフ・ミューラーは、ゼロの手元のカメラの前で、ぼそぼそと何かを語り続けていた。

 

 ゼロには一つ、人智を超えた力がある。

他者を隷属させ、何人たりとも自身に従わせる事の出来る能力──ギアス。

 その言葉には、エリアス自身馴染みがある。

 ミューラーの目には、そのギアスを掛けられた者特有の()があった。勿論肉眼で確認出来るような光ではない。ただギアスを知り、ギアスに馴染んだ人物ならば“成る程”と察する事の出来る、そんな光だ。

 

 ミューラーの語りが終わり、それまでシェルターの入口で控えていたエリアスはゼロの前に出ると、義手の一撃でミューラーを気絶させた。

 

「収穫あり、かな?」

 

『そうだな。この男には、我々を甘く見た報いを受けて貰おう』

 

 ギゲルフ・ミューラーが語ったのは、彼の副業(アルバイト)についてだった。

 

 ミューラーは以前から、参謀の立場を利用して得た情報、物資を反ブリタニア組織──取引先には、黒の騎士団の母体組織 扇グループも含まれていた──に横流しし、大金を稼いで私腹を肥やしていた。

 無論、エリア11をひっくり返すレベルの事はしていない。その程度の小物だ。無論この程度の男がコーネリアの下で長続きする筈もなく、今や冷や飯食いの身の上。更にコーネリア直属の諜報員にこれまでの不正を暴かれそうになった彼は、繋がりのある組織に諜報員リック・ボガードの抹殺を指示した。

 だが、扇グループから発展した黒の騎士団にその指示を下したのが失敗の始まり。結果こうしてゼロにより不正は暴かれる事となり、実際にボガードを始末した大日本蒼天党もまたコーネリアにより始末される。

 

 今撮影した告白映像と、入手した関連資料が正式な証拠になるかは正直怪しい。が、公的な証拠になろうがなるまいが、信じる者はそう信じる。それで、黒の騎士団にとっては上々の収穫だ。

 

 シェルターの奥へと進むゼロ。向かう先には何かの機械部品。何の部品かと思えばこれが案外何の部品でもない代物で、ゼロがその箱型の部品の側面──そこに隠されたスイッチを押す事で部品が脇へ滑り、外部への脱出ルートが口を開く。

 

「……で、久々の対ブリタニア戦だった訳だが」

 

『ああ、お前としてはやっと本命、といったところか?』

 

「そうだな」

 

 暗く、重い声でエリアスは呟いた。

 人工義肢で、四肢の欠損感覚は消えた。痛みも無い。しかし、幻肢痛は消えない。少なくとも五年以上の月日を経てなお、エリアスは喪われた物を忘れない。

 

 身体を、母を、母の人生を奪ったあの男。古き体面を保つ為に母を捨て、自分を捨てたあの老人。

 ゼロと出会って、エリアスはようやく前に踏み出せた。自力で歩けもしなかったあの頃とは、もう違う。今の自分には力がある。その力を得る事が人間の領域から逸脱するような事であっても構わない。最早失う物が無いならば、後は得るだけ……我が父の首を、かの老師の首を残らず刈り取るだけだ。

 やがてゼロとエリアスは洞窟のような長い通路を抜けて、地上へと出た。抜けた先は階層構造となった租界の下部。そこに、扇を始めとする黒の騎士団の回収部隊が待機していた。

 

『だが、まだ終わらないぞエリアス。週末、コーネリアがナリタへ動く。我々もハイキングと洒落込もうじゃないか』

 

「それは……」

 

 コーネリアが動く。

 確かあの倉庫群で神楽坂を捕らえようとしていたのは、コーネリアの配下の人間だった筈だ。

 そこにあの男は現れた。と言うことは──

 

「……楽しみだ」

 

 なんだ、思いの外再会は早かったな。

 暗闇の中で、エリアスは天頂より差し込む光へと顔を向けた。階層構造の隙間に覗く月明かり。そしてその中に浮かび上がる政庁の姿。それを見上げながら、エリアスは心の中で自身の幸運を祝福した。

 

 そして、誰にも聞こえない声で名前を呟いた。

 

 呪詛のように、あの倉庫群で会ったあの男の名を。

 

 ──憎き我が父の子供である、あの男の。



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第七幕 Battle of NARITA 1

 日本解放戦線。

 この組織は他の多くの反政府組織と同様、戦前の旧日本軍が直接の母体となっている。戦後の軍事機構解体、それに伴う武装解除命令に従わなかった軍人達が逃亡し、残党狩りを潜り抜けて集結、立ち上げた組織だ。

 ただ、他の組織があくまで数人の軍人、酷い場合は一人の軍人を母体としているのに対し、日本解放戦線は部隊単位で集結、発展した組織である。構成員の練度は、ゲットーの若者達を主力とする弱小勢力とは比較にならない。加えて旧日本軍の組織そのものが生き残り息を吹き返したような成り立ちから、組織としての力も別格だ。

 この日本解放戦線こそ、エリア11に巣食う反政府組織の中でも最大規模を誇る勢力であり、形式上エリア11全土がブリタニアの支配下に入った皇歴2017年現在でなお、いくつかの地域を勢力圏としてブリタニアの侵入を拒んでいる。

 イレヴンにとっては、最後に残された唯一の希望である。

そして同時に、この組織が潰えさえすれば、エリア11の憂患は一気に解消を見る。

 斯くしてコーネリア総督の命の下、租界のブリタニア軍が密かに、しかし一斉に動き出した。

 進軍目標、ナリタ連山。日本解放戦線の本拠地があると目されている地域である。

 総勢、おおよそ五万近く。参加部隊数、四個大隊。参加KMF数、三百騎以上。

 その軍勢の末端には、スザク達特別派遣嚮導技術部の面々の姿もあった。

 

 

 

 

 

 山の麓に敷かれた本陣、その中枢に鎮座するのは、移動要塞と言って差し支えない威容を誇る巨大陸戦艇G1ベース。その遥か後方に、特別派遣嚮導技術部の茶色いヘッドトレーラーが配置されていた。

 

 以前ならば、特派の保有機材はそのトレーラーで全部だった。予算は全てランスロットに投じ、専用基地すら持たずトレーラーを拠点とする変わり者の集団だった。

 だが、今は違う。今はヘッドトレーラーがもう一台、更にそれよりは小型なKMFキャリアーが一台は必要な大所帯となっている(無論、一個小隊すら成立していない小規模集団であるが)──のだが、やはり何度確認しても、この戦線にはヘッドトレーラー一台しか出向いていない。

 

 事情を知らなければ、こう思うかもしれない。「彼らはイレヴンのパイロットを外したのだ」と。既に他部隊にも、特派が従軍する事は知れ渡っている。そして、特派の第一デヴァイサーは書類上レオとなっている。つまり、あのトレーラーはレオのランスロットを整備する為にここに来ているのだ、と。

 だが実情は違う。ロイドはスザクをランスロットから外す気はさらさらない。実際ヘッドトレーラーにはランスロットが積み込まれているが、そのコックピットで戦略パネルをじっと見つめているのは、紛れも無く枢木スザクだ。

 レオだけは、彼らとは別の場所に居た。

 

 

 

 ガウェインが来ない、という知らせを受けたのは、作戦が発令され移動指示が下される数日前の事だった。

 元々このナリタ攻略戦に間に合うとは思っていなかったから、この作戦に何らかの不自由が生まれた訳ではない。だが、レオとしては少し残念……というより、ままならぬものを感じずにはいられなかった。

 

 ガウェインの修理、改修自体は既に済んでいた。破損したフロートユニットを丸ごと取り外し、別途輸送した新型に換装したらしい。

 既に輸送計画も整い、あとはエリア11へ輸送艦で運ぶだけとなったガウェインが突如配備中止となったのは、他でもない、我らが皇帝陛下直々の命令によるものであった。

 

 当代の皇帝シャルル・ジ・ブリタニアが遺跡探索に熱を上げている事は既に公然の秘密として広まっている。軽く五千年前の代物……例えばエルフォード家の敷地にあるようなその遺跡が、タンザニアで発見されたと言うのだ。そしてその解析にガウェインを使わせろ、とシュナイゼルに命じたのだ。恐らく、そうそう簡単に返っては来ないだろう。

 

 確かに、ガウェインのドルイドシステムはそう言った解析の為に運用する事も可能だ。しかし、皇帝が必要としているのはあくまでドルイドシステムであって、ガウェインの機体そのものではない。

 レオにとっての重要度は割と逆であり、システム目当てに機体を持って行かれるとなると、あまり面白い話ではない。

 何せ、受領してひと月も経っていないのだ。この先もガウェインを扱い続けるのであれば、少しでも機体に慣れ親しんでおきたかった。

 

 ただ、その引き換えとして特派への予算は増額されていた。元々レオの派遣に伴って新たなKMFを建造する為の予算は新しく出ていたが、ここで更なる予算増額。ロイドが狂喜乱舞したのは、言うまでも無い。

 既に機体本体の最終組み上げの最中、と言う現状でロイドが着手したのは、元々装着が予定されていた通常サイズのKMF用のフロートユニットであった。機体完成後直ちにそちらの製作に移行する、として元々手はつけてあったようだが、この一件のお陰で研究が加速、開発計画が一気に前進したようである。

 

≪エルフォード中尉、まずは貴様から出撃しろ。貴様の機体ならば地上から迎撃されても素早く防衛に転じられる≫

 

「イエス、マイロード」

 

 KMFのコックピット内に目を瞑って着座するレオは、インカムに届いたその命令にそう答えた。

 

 今レオが搭乗しているのは、無論ガウェインではない。ランスロットでも無い──と言えなくも無いその機体こそが、ロイドが遂に完成させた、二騎目の第七世代KMFである。

 黒いボディに、メタリックブルーのラインが引かれたその姿は、ランスロットに良く似ている。しかし簡略化された肩アーマーと、頭部に増設された一本の角のせいで、印象としてはランスロットよりも細身に見えた。

 ブリタニア軍特別派遣嚮導技術部製 試作嚮導兵器 第七世代ナイトメア・フレーム。

 

 Z-01d ランスロット量産試験型。名前の通りこの機体はランスロットをベースとした次世代主力機の開発を目的とした試作機だ。どうやら開発のかなり初期の段階で既にロイドはレオに目を付けていたらしく、この機体はかなりの部分においてレオの搭乗を前提とした設計が行われていた。

 直接の母体となったのは、四種類ほど考案された開発プランの内、唯一実機が建造された機体(クラブ)の設計プラン。そこにフロートシステムによる空中機動を前提とした設計変更を加えてロールアウトした機体である。

 

 全体の印象としては、先述した通りランスロットに近い。系列機なのだから当然である。設計変更箇所は主に外装に集中しており、頭部の角のようなセンサーマストは空力特性を考慮した形状に変更され、胴体部分には小さな翼に見えなくも無い可動式スタビライザーを二基搭載。両腕部分にも展開式のスタビライザーを兼ねたナイフシースを装備している。これらを空中で動作させる事で、エナジー消費を抑えながらの機体制御が可能となる。

 

 その背部には、コックピットブロックを包み込むようにして一対のスラスターポッドが装備されていた。不眠不休の努力の末どうにか間に合わせた、フロートユニット……のようなもの。完成品のフロートユニットが発揮する機動力、安定性は発揮し得ないが、この装備によってこの機体は、既に改修前のガウェインに匹敵する空中機動力を短時間ながら獲得していた。

 引き換えにユニット自体のエナジー消費が激しく、長時間の作戦行動は不可能だ。が、それであってもレオにとっては非常にありがたい存在であった。

 何せ、ガウェインでの空中機動戦は、レオにとって非常に“しっくり来る”。

 

 ロンゴミニアド・ファクトリーにおいてパーツ単位での製造まで済んだところでレノア・ゲイズに載せてエリア11入りし、ロイド直々の最終調整を経て二日前にロールアウトしたばかりだ。ロイドに言わせるところの“出来立てホヤホヤ”のこの機体に、ロイドは“ナハト”と愛称を付けた。

 

 ドイツ語で夜を意味する単語。カラーリングはそこから決めたのだと言う。

 その知識を有する者から時に“フォン”と敬称を付けて呼ばれるエルフォード家のルーツがドイツにある事を汲んでの事だと言う。この辺り、ロイドも確かに歴史ある伯爵家出身の人物である、と言えた。

 

≪現在、高度三万フィート。投下ポイントに接近中。間も無く投下(リリース)シークエンスを開始する≫

 

 オペレーターの声が、インカム越しに鈍くこもってレオの耳に響いた。

 現在、レオはブリタニア軍空挺降下部隊の一員として、高高度を飛ぶKMF用大型輸送機のカーゴ内に居た。照度の低い大橙の空間の中にはサザーランド、グロースターを搭載したT4VTOLが一列に格納されていて、その最後尾にはナハトが跪くような姿勢で格納されている。

 

 既にナリタ攻略戦の開幕が秒読み段階に至っていた。

総指揮官たるコーネリアが一度号令を下せば、レオらを含めた四個大隊が七方向から一斉にナリタへと攻め込む。

 

 十分な戦力がある以上、そこにひねくれた考えは要らない。ただ数に物を言わせ、正面から磨り潰すだけで構わない。例え日本解放戦線の戦力がいか程であろうと、ブリタニア軍を数で上回ることは叶わない。

 

 作戦に従事するにあたって、レオは一度本国のエリナに連絡を入れていた。ユーフェミア経由で彼女が不安がっていると伝えられたからだ。

 

「必ず、君の下に帰るとも」

 

 その時改めて、レオはそう誓った。

 飽くまで、自分の居るべき場所は本国にある。この極東の僻地で斃れる訳には、いかない。

 

≪──作戦、開始!≫

 

 号令が下る。レオはゆっくりと目を開き、同時にランスロット・ナハトのカメラアイが光る。機体始動が開始され、コックピット内の各パネルやスイッチ類に順々に灯が付き、コックピット内に微弱な振動が伝わる。

 

 カーゴ内部の照明が一斉に消えた。続いて赤色灯のみが発光し始め、機部を包む暗闇に光が差す。コンテナハッチが開き始めたのだ。機体の背後、コンテナ後方に灰色の曇天が顔を出す。空を覗く四角い窓が大きくなってゆく。

 沈んだ光に染まるコンテナ内。その中で、ナハトの姿は影よりも深い闇色のままだ。

 

≪投下一分前。ガントリー作動≫

 

 コンテナの中で機体を固定しているマウントアームが、鈍い音と共に壁際に引っ込んで行った。強烈に吹き込む寒風に晒されながら、レオはナハトをゆっくりと後部へと移動させる。

 

投下(リリース)十秒前。 全て正常、オールグリーン≫

 

 ランプドア近辺まで来て、レオはナハトにクラウチングスタートの姿勢に似た体勢を取らせる。

 限界まで姿勢を低くする。

 

≪カウント、5(Five)……4(Four)……3(Three)……2(Two)……1(One)……投下(Release)

 

「ランスロット・ナハト、出るぞ」

 

 カウントダウンの末に、ナハトは屈折させていた両腕及び両脚部関節を一気に伸張。ランプドアのエッジを飛び越えて背後の曇り空へと飛び出した。続いて全身を伸ばし、四肢を放り出したような姿勢で両腕スタビライザーを最大角度で展開。ナハトはそのまま重力に従って、スカイダイビングさながらに眼下の深緑へと降下し始めた。

 

 周囲にはブリタニア空軍制式制空戦闘機ワイバーンの編隊。そして降下を始めたナハトの頭上で、サザーランドを装備したT4VTOLが続々と発進して行く。

 

 深緑の大地から、突如として無数の火線が伸び始めた。日本解放戦線の迎撃である。中には長大なライフルを構えた日本解放戦線のKMF 無頼の姿もある。

 ピクリ、と身構えるが、三万フィートの高度に居る彼らに届くものではない。撃っている方向も違う。これは先に降下を開始したエンドーヴァー隊に対しての物だ。

 

 コントロールレバーを押し込み、件のフロートシステム擬きを始動。スラスターポッドに緑の駆動光が灯るのを確認し、レオは微かにナハトを空中で滑らせた。ガウェインと比較して遥かに軽やかな機動にやや面食らいつつ、ナハトは部隊の先陣を切って降下して行く。

 

高高度から、空気抵抗による減速を避けて真っ逆さまに落下する。飽くまで常識的な降下角を保ちつつ降りて行く他のT4VTOL部隊を置き去りにして、レオは対地攻撃軌道に入ったワイバーン隊と共に真っ先に雲海を突き抜けた。

 

 レーダーパネルに、対空戦闘を開始した敵部隊の情報が表示される。既に地上に居る味方部隊からのデータリンク、及びナハトの両肩部に装備された一対の高精度ファクトスフィアによる索敵。狙いを定め、レオはフロート擬きを全力稼働させて機体姿勢を空中で変更。トリガーを引いた。

 

 ナハトが左腕に装備するのは、可変弾薬反発衝撃砲(V.A.R.I.S)と呼ばれる最新鋭のライフルだ。ランスロットにより実戦証明の済んだその武装が放つ緑の光弾が、緑色の大地に雨の如く降り注いだ。一瞬、敵味方の注目を一身に浴びながら、ナハトは空中にあった。それこそ、鳥のようですらあった。

 

 操縦桿を握る手に力が篭る。途端、ピリリ、とレオの身体がかすかに痺れるような感覚を訴える。

 これはランスロット・シリーズの特徴である。ユグドラシル共鳴がどうの、とロイドが嬉々として話していた内容は残念ながらこれっぽっちも理解でき無かったが、とにかくこのおかげでランスロットは、そしてナハトは極めて俊敏な反応速度を示してみせる。

 スザクに言わせるところの、「自分についてくる」というのは恐らくこの事だ。

 一方でレオの感じ方はまた別であり、「この反応速度をどう活かすか」という事をレオは考えていた。これだけ反応が素早く、俊敏であるのならこれまでのKMF以上に細かな、かつ複雑な入力にもナハトは対応出来る筈だ。で、あるのならレオのする事は一つ。ナハトが最良の戦果を挙げるにはどういう動きをすれば良いか、その為にはどのような入力をしてやれば良いか。それを瞬時に見極めて実行するだけだ。

 

 ナハトはKMFの全長を越える高さの木々の上を飛び抜け、その先に居た無頼の背後を襲った。フロート擬きによる慣性制御では足りずブースト噴射で減速を掛け、腰部に接続された鞘から一振りの長刀を抜き放つ。着地と同時に無頼の脚部を真っ二つに両断する。仰向けに倒れた無頼の頭部を、そのまま逆手で持った刀剣で刺し貫く。

 真紅色に光を放つ刀身を持つその剣は、MVS。ヴァリス同様にランスロットによって試験されていた大型高周波ブレードであった。恐らくはロイドの仕業であろう。直剣型のランスロットモデルに対し、ナハトモデルはレオが普段扱う刀剣と同様の形をしていた。

 

 息を吐く間も無く、右前方から大口径リニアランチャーの砲弾が迫る。しかし、レオは砲弾をMVSで両断し、そのまま発射母機である無頼の脚部をヴァリスで撃ち抜く。脚を喪った無頼はそのまま斜面を転がって、味方のトーチカと激突し沈黙する。

 

 アラートが鳴り響き、レオはナハトを敵陣から一度離した。同時に上空のワイバーン隊の放った空対地ミサイルが次々と対空陣地、及びトーチカに着弾して行った。爆発の炎に黒い装甲を照らされながら、ナハトらランドスピナーをフル稼働させて木々の隙間を器用に立ち回り、敵の姿があればこれを斬って行く。出来得る限り派手な動きを心掛けつつ、そうしてレオは味方部隊の着地まで援護を続けた。

 上空からダイレクトエントリーをかました上に森の中を高速で駆け巡るその姿は敵にとっても味方にとっても相当にインパクトが大きかったようで、敵の火線は存分にナハトに集中し、味方部隊はその隙に的確に敵の数を減らして行く。

 

≪エルフォード中尉、お見事だった≫

 

 何騎目かの無頼の背中を斬り裂いた時、ナハトのレシーバーに声が入った。

 

「光栄です、アレックス将軍」

 

 声の主は、ナハトの背後に居た。降下完了した味方の先頭に、リニアランチャーを構えたグロースターの姿がある。

 

≪流石はローレンス中佐の弟君だ。後は我々に任せ、貴機は後退しろ≫

 

 アレックス将軍のグロースターが、ナハトの横に並び立った。義兄ローレンスの名前が出て僅かにレオの眉間に皺が寄ったのを知らず、グロースターが前進を開始する。

 入れ替わりになる形でレオは部隊の後方へと後退した。その先に双剣装備のグロースターと、ランス装備のサザーランドの姿があった。それぞれセイト、ユリシアの機体だ。

 

≪お疲れ様、怪我は?≫

 

「問題無い。エナジー以外は」

 

 ユリシアにそう答えながら、レオは機体のステータスインディケータに目を向けた。

 外傷は軽微、ヴァリスの残弾も半分を少し切った程度。だが、機体の動力源であるエナジーフィラーの残量が底をつきかけていた。

 

 無理も無い。元々エナジー消費に問題のあった機体がベースとなっているのだ。そこにエナジー消費の激しいフロート擬きの全力稼働が合わさり、最後に付け加えるとロイド曰くレオの操縦は「厳しい」。性能を良く発揮している、と言えば聞こえは良いが、要は常に機体の全力パフォーマンスを発揮させ続けている、という事でもある。

 操縦が荒い、という意味では無い。ただ乱暴に操縦しただけではそういう結果は得られない。KMFの持つ本来の力を余す事なく存分に引き出してやり、或いはその限界以上の力を発揮させてやる、というのは、レオの操縦の特徴である。

 そして、ガウェインで耐え切れなかったそれに、ナハトはしっかりと対応出来ている。そこにレオは好印象を感じていた。我ながら言い訳にしか聞こえないが、ガウェインの故障はどちらかと言うと、機体がまだ自己の最大スペックに耐えられないような完成度のまま戦場に立たせてしまったのが原因だった、と言えた。

 

≪こちらヘッドトレーラー。エナジーフィラー交換の用意は出来てるよ、早くこっちにおいで≫

 

 ロイドがそう通信を寄越して来た。

 元々そう言う作戦ではあった。ナハトは唯一、極短時間ながら自由飛行能力を持つ機体だ。それが最も効果的に働くのは、味方の降下援護の際に他ならない。上手くすればナハトのエナジーが限界を迎える前に、味方部隊が展開完了するだろう、と。

 

「了解。ランスロット・ナハト、これより補給に向かう」

 

≪リインフォース機、補助に──≫

 

≪こちらアスミック。降下の際に脚部ランドスピナーに被弾。戦闘速度での部隊行動には追従不可能。私がエルフォード機の護衛に付きます≫

 

 ユリシアの言葉に半分被せながら、セイトがアレックス将軍にそう進言する。それはすぐに認められ、セイトはユリシアのサザーランドの肩にグロースターの左手を置いた。

 

≪と言うわけだ。俺に任せろ≫

 

≪……了解≫

 

 何処か引っ掛かりを覚える声色でそう返すユリシアがセイトとポジションを交代し、アレックス将軍以下数騎のKMF部隊が坂道を駆け上って行った。レオはナハトを反転させると、セイトのグロースターを従えるようにして麓へと降り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様、凄い活躍だってね」

 

 ヘッドトレーラーの脇にナハトを停止させて、レオはそう褒めるスザクからドリンクのボトルを受け取った。

 背後ではランドスピナーの交換を終えたセイトのグロースターが、ナハトのエナジーフィラー交換を行っていた。外部のセシルからの操作で橙色の長方形ブロックが排出され、セイトがグロースターのマニピュレータでそれを手元の同規格品と入れ替える。

 同時進行でナハトの稼働後チェックが行われており、特派スタッフが機体の周囲に取り付いていた。車外に持ち出したコンピュータ端末の画面とナハト本体とを交互に見ながら、ロイドが満足気に頷いている。

 

「うんうん、良い具合にスペック出てるねぇ。フロート擬きも正直途中で落っこちるかと思ってたケド」

 

「はい!?」

 

 横で端末を操作していたセシルがロイドの爆弾発言に瞬時に反応した。蛇に睨まれた蛙、セシルに睨まれたロイドといったシチュエーションが展開されつつあるのを視界の隅に捉えつつ、レオはナリタ連山の方へと視線をやった。

 今頃、向こうではユリシアが戦っているわけだ。

 

“彼女が心配ですか?”

 

 見計らったかのように、女が問いかけて来た。図星なだけに、黙れと一言で退けることも出来なかった。

 

(何だ、この前のあの男のように「お前でもそのような感傷を抱くのか」などと言うつもりじゃああるまいな)

 

“いえ、ただエリナお嬢さまとユリシアお嬢さま、貴方が大事なのはどちらなのかと”

 

(揶揄いたいだけなら黙っていてくれないか)

 

“まさか、我が主を揶揄うなどと”

 

 絶対に笑いながら言っている、と解った。レオは彼女の声のする方に背を向けた。

 あの倉庫群での男は、結局何だったのだろうか。今しがた触れたことで、再びその疑問が頭をもたげていた。

 

 口振りからしてゼロの仲間である事は疑いようが無かった。しかし、あの男はまるでレオを知っているかのような口振りをしていた。だが、レオの知り合いイレヴンは居ない。

 強いて言えば、あの男は刀に反応していた。父の言うこの刀の元の使い手というのが、あの男の関係者なのだろうか。今はそんな予測しか出来なかった。

 

「ユリシアの事、心配?」

 

 まるで議論を遮るようにスザクが言って来る。しかも今しがたの女と同じような質問だ。

 

「心配とは言わない。そこまで弱い騎士ではない。ただ……少し気になるだけさ。すぐに飛んで戻るとは言え」

 

「つまり心配してるって事だね」

 

「……まあそういうことだ。何というか、嫌な予感がする」

 

 ドリンクから口を離し、スザクの表情が変わったのを見てなおもレオは話を続けた。

 

「この前の蒼天党の殲滅、スザクは覚えているだろう?」

 

「勿論。ロイドさんが無理矢理出撃命令を取って来ていたからね」

 

「その隙を突いて、ゼロがまた動いたそうだ。ギゲルフ・ミューラー局長……いや、元局長の不正を暴いた、とな。明らかにコーネリア殿下の留守を狙った行動。そしてこのナリタには親衛隊を始めとして、主力部隊が出揃っている」

 

「ゼロがまた、手薄になった租界で行動を起こす……」

 

「その可能性もある。だが租界は租界で、前回の轍を踏まないよう厳重に警戒されている筈だ。だから、私が心配なのは逆に──」

 

 

 

 

 

 恐らくこの時、どんな“敵”が現れても、ブリタニア軍は動揺などしなかっただろう。

 日本解放戦線の秘密兵器が出ようとも、歴戦の猛者が本陣に奇襲を仕掛けて来ようとも。或いは大陸でブリタニアと睨み合いつつ水面下でイレヴン達を支援している中華連邦の戦力が表れようとも。

 それらは全て予測の範囲内だ。そしてそういう時の段取りも取ってある。故にブリタニア軍はそれらに対しても混乱などせず予定通りの対応で迎え撃ち、そしていつもの如く勝利したであろう。

 

 ──ただし。

 

 それは、あくまでも予測の範囲内、常識の及ぶ範囲での話。では、常識の及ばない領域にある事態とは何か?

 答えは一つ。それは“奇跡”だ。

 今この瞬間、レオの言葉を途切れさせ、レオの視線を、スザクの視線を、ロイドの視線を、セシルの視線を、セイトの視線を、ユーフェミアの視線を集めた存在は、“敵”などではなかった。

 その“奇跡”が、彼ら全員の注意を一斉にナリタの頂上へと向けさせたのである。

 

 

 

 

 

 

 ピー、という音が、ほぼ全てのブリタニア軍KMF──例外は麓に待機していた機体だけ──のコックピット内に響いた。瞬間、全ての機体を微かな振動が襲った。

 

≪ん、地震か?≫

 

 アレックス将軍は当初、その程度気にも留めなかった。地震などこの列島では良くある自然現象だ。KMFに搭載されたセンサー類では正確な震度測定は出来ないが、機体の揺れの強さからしてそう大きな地震でもない、と判断出来たからだ。

 ベテランパイロットほどその傾向が強く、そういうパイロットほど大なり小なりの部隊を指揮する立場にあった。だから彼らは残らず、この後の事態に対処するのが遅れていた。

 

≪な、なに────!?≫

 

 静止させていたはずのアレックス将軍のKMFが不自然に滑った。いや、彼の機体だけでなく部隊全機が、ユリシアのサザーランドを含めた全機が滑り落ちていた。

 ……いや、滑っているのは機体ではない。

 地面そのものだ。

 

「…………」

 

 誰にも聞こえない声で、ユリシアが呟いた。その瞬間、今度は轟音と共に目の前の大地が崩落を始めた。

 

 

 

 

 

 

「スザク! この土地ではこんな山崩れが前触れなく起こるものなのか!?」

 

 ナハトのコックピットに身を滑り込ませながら、レオはインカムに怒鳴った。

 

≪いや、そんな事有り得ない!≫

 

≪熱反応が異常です! 誰かが意図的に水蒸気爆発を起こしたのでは!?≫

 

 スザクが、セシルが口々にそう言った。呼び出した戦略パネルに映し出されているのは、突如山頂から麓目掛けて発生した土石流に、味方部隊が次々と飲み込まれて行く光景だった。

 

≪まさか。そりゃこの山の下には地下水がたっぷりあるみたいだけどさ〜、大体それだけの瞬間熱量をどうやって用意するんだい?≫

 

 ロイドの反応だけは、いつも通り平然としたものだった。まあ、このヘッドトレーラーの位置は本陣の後方。G1ベースが土石流に巻き込まれていない以上、ヘッドトレーラーに被害が及ぶ可能性は皆無と言える。

 

 だが、レオはそういう割り切りをする訳にはいかなかった。このヘッドトレーラーにはユリシアが居ない。彼女だけは、あの土石流の影響範囲に取り残されているのだ。

 

「ユリシア、ユリシア! 応答しろ! ユリシア!」

 

 返答は無い。幾度コールしても応答無し。戦略パネルの情報を見ても、アレックス隊のKMFのマーカーには残らずLOSTの文字が出ている。

 

「っ……セイト、アレックス将軍には繋がるか!?」

 

≪……≫

 

 同じく返答が無い。レオはナハトの顔をセイトのグロースターに向けた。

 

「セイト!」

 

≪ダメだ、応答が無い。多分、部隊ごとあれに……≫

 

「ユリシアも巻き込まれたとでも言うのか!?」

 

 またしてもセイトは無言で返した。その言わんとするところを察した瞬間、レオはコックピットハッチを閉じ、スロットルレバーに手を掛けていた。

 

「……整備スタッフは全員離れろ。ランスロット・ナハト、緊急発進する!」

 

≪待ってレオ君! 状況はまだ──≫

 

「フロートで飛べば地表面の影響は受けない! 元々俺もセイトも補給完了後速やかに戦線復帰、部隊に合流しろとの命令だ!」

 

 言いつつ、レオはナハトのフロートを起動した。黒い機体がふわり、と地面から浮かび上がる。

 

「セイト! お前は!?」

 

≪グロースターは飛べない。お前一人で行けよ≫

 

「そうか……!」

 

 失望感が湧き上がるのを感じながら、レオはナハトの推力を全開にした。フルスロットルでナハトは飛翔し、グロースターを、そしてG1ベースを一気に飛び越える。

 

 セイト。お前も彼女を受け入れて、友となったのでは無かったのか? 友の窮地は助けるものではないのか?

 それともお前はモニカに押し切られただけで、最初から彼女のような人間を友と見る気は無かったのか?

 

 ……お前達の言う友とて、結局はそういう表面だけの繋がりに過ぎなかったのか?

 

 過ぎ去った過去の思い出が一瞬フラッシュバックする。だが今のレオには思い出に浸るより前にやらねばならない事があった。

 

≪エルフォード中尉、何を!?≫

 

「予定されていた通り戦線に復帰、アレックス将軍以下アレックス隊の安否を確認する!」

 

 返事も聞かず、レオは土石流の上を匍匐飛行姿勢で駆け抜けた。

 

 

 土石流はすでに動きを止めつつあった。だがその破壊の跡は泥の河となって戦域全体をズタズタに引き裂いている。日本解放戦線、ブリタニア軍問わず全てを飲み込んだ厄災だ。だがタイミングを考えれば、日本解放戦線の起死回生の切り札である可能性も捨てきれない。

部隊の反応があった場所へ近付くと、レオはナハトの速度を緩め、ファクトスフィアでスキャンを掛けた。

 

 途端に、ディスプレイに様々な惨状が映し出されて来る。

 泥中深くにサザーランドの反応が三。シルエットから判断して全て大破状態。へし折れた腕や潰れた頭といった細々とした残骸と化したKMF、ざっと四騎分近く。

 辛うじて無事だった岩にハーケンを撃ち込んだまま泥に埋もれている機体もあった。その機体のコックピットは別の岩に潰されていた。

 

「まさか……」

 

 嫌なビジョンが脳裏を過ぎり、操縦桿を握る手が微かに凍りつく。

それを目敏く察して、脳裏に優しく声が響いた。

 

“大丈夫です。あの娘は生きていますよ”

 

「何故、分かる」

 

“私は特別ですから。ほら、そちらに”

 

 まるで導かれるように、レオの視線はモニターの一点へと向けられた。その先にあるのは半壊したグロースターと、そのすぐ側に居るサザーランド。

 

「──ユリシア!」

 

 それがユリシア機だと気付いた時、レオは思わず叫んでいた。彼女の機体は泥の河の中ほどに存在し、下半身を喪失していたもののコックピットは無事なようだった。

 力なく伸びたその右腕を、グロースターのマニピュレータが掴んでいる。それはアレックス将軍のグロースターだった。頭部と片腕片脚を失い仰向けに倒れ込んだ無残な姿。コックピットのある背中は泥の中に嵌まり込んでいて被害状況の判断が出来ない。

 

「エルフォードよりアレックス隊全機へ、生きている者は応答せよ!」

 

 レオはそう叫びながらナハトを降下させ、両腕でコックピットを抱え込むように掴んだ。その瞬間、泥が再び崩れ始めた。グロースターを含め残骸が下流方面へと流れ出し、ユリシアの機体もそれに引っ張られる。

 

 この状態では機体の引き上げは難しい。レオは流れに巻き込まれぬようホバリング状態を維持してサザーランドを必死に捕まえながら、マニピュレータからの接触信号でコックピットブロックの固定解除プロセス実行を指示した。幸い頭部に存在するサザーランドのメインコンピュータが生きていたので、プロセスは速やかに実行された。レオは本体から外れたコックピットを慎重に持ち上げ、土石流の影響範囲外にまで運ぶ。

 

 フロート擬きのホバリングには極めて厳しい限界時間がある。エナジーがあろうがなかろうが数分も浮いていられない上、浮遊中も高度は維持できず、ごく僅かずつ下降してしまう。ある種時間との戦いであったが、レオはギリギリのところでこの勝負に勝った。

 

≪れ……お……?≫

 

 微かにインカムに声が届いた。聞き違えようが無い。ユリシアの声だ。

 

「ああ、俺だ」

 

≪どうして……≫

 

「理由が要るのか。こんなところで、お前を死なせるものか!」

 

 半ば怒鳴るように言った。ユリシアを地面に降ろしたところで、どうにか土石流の回避に成功した味方KMFがナハトの周囲に集まって来る。

 

≪エルフォード中尉!≫

 

「無事で何よりだ。他に生き残った味方機は?」

 

≪アレックス隊では、現在我々しか確認出来ていません。しかし、残骸の中に取り残されたパイロットも多数確認されています≫

 

「解った。誰か、将軍の安否が解る者は居るか」

 

≪エルフォード中尉……か?≫

 

 その時、今にも途切れそうなノイズまみれの声をレシーバーが拾った。レオは即座に応答しつつ、ファクトスフィアを稼働させてグロースターの位置を探る。

 

「 将軍、ご無事でしたか」

 

≪ああ、頭を打ったがな。リィンフォース中尉はどうなった。私のすぐ後ろに居たはずなのだが……≫

 

「既に生存を確認、回収完了しております」

 

 グロースターの位置を確認してからそう言うと、アレックス将軍は不意に笑みをこぼした。

 

≪さては真っ先に彼女を助けたな貴様。この老骨が必死こいて捕まえておいたというのに≫

 

「……………………すぐに救助を」

 

 そう言ってレオはナハトを再び泥の近くへと近づけた。その後を、味方のサザーランドが続く。

 

≪土石流はひどく不安定です。今無事でも次はどうなるか……しかし我々の機体ではどうにも≫

 

「了解した。幸い日本解放戦線の防御陣地も迎撃部隊も纏めて土石流に流されたようだ。私が先程のようにコックピットだけ外してここに運ぶから、それを受け取ってくれ」

 

≪イエス、マイロード≫

 

 更に本陣との連絡を指示しつつ、レオはナハトのスロットルを入れた。再びナハトは地面を離れ、グロースターへと近付いて行く。

 

≪エルフォード中尉、今確かめたところグロースターのイジェクトシステムは生きているようだ。だが機体姿勢がどうなっているのか分からん。外から見て、どうだ≫

 

「止された方が懸命かと。その角度だと高速で岩に激突します」

 

≪それは勘弁願いたいな。ロックだけこちらで外す。そちらで──≫

 

≪こちらG1ベース、緊急事態だ、コーネリア総督が奇襲を受けた!≫

 

 アレックス将軍の言葉は、G1ベースからの通信で遮られた。

 確かに、本隊への奇襲自体は予想可能な範囲の出来事ではあった。土石流が天災にせよ人為的なものにせよ、ブリタニア軍が壊滅的な打撃を受けたのは事実である。そして日本解放戦線の本拠地とはあくまで山の内部。展開中の部隊が軒並み流されたとしても、まだ内部に残された戦力はあるはずだ。

 

 つまりこの状況は日本解放戦線にとっても災難だが、同時に起死回生のチャンスでもあるのだ。まさに今、コーネリア総督率いる本隊はほとんど孤立状態にあり、これを叩けばこの戦闘どころか、エリア11の情勢が一気にひっくり返せる。

 ──だが。

 

≪敵は日本解放戦線にあらず。相手はゼロのグループである!≫

 

 その部分だけは、予想外であった。

 “ゼロ”。その名前はつい先日聞いたばかりだ。あの倉庫群で鮮やかなまでに全てを持っていった黒衣の男、そして白いKMF。連鎖するようにその姿が脳裏に浮かび、次の瞬間、レオは山頂の方へと視線を向けた。

 まさにその瞬間、ナハトの警戒レーダーが警告音を発していた。

視線の先に、山頂方向より泥の河を滑走してこちらへ降りて来る影。大鎌を携えたその姿は、あの夜倉庫群で見た、あの白い異形のKMFに間違いなかった。



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第八幕 ナリタ攻防戦 2

 時は、暫し巻き戻る。

 

 ブリタニア軍作戦開始より一時間ほど前。

 これより起こる混沌の戦場など知らず、未だ静寂の中にあるナリタの山道を進む、一つの集団があった。

 

 KMF数騎、トレーラー数台からなる車列。先頭には白の、最後尾には赤のKMFの姿がある。KMFのパイロットも、トレーラーを運転する者も、荷台に乗った者達も、皆一様に黒の団員服を着込んでいた。黒の騎士団の部隊である。

 山腹より発せられた一筋の光を合図とし、彼らは進軍を始めていた。ある程度山を進んでは森の中に隠れ、光の合図を確認してから次へ進む。そうやって少しずつ、少しずつ彼らは山頂を目指して行く。

 これは明らかに隠密作戦行動であった。だが、団員達にその自覚があるかどうかは疑わしかった。

 

≪なあ、何でゼロの奴、無頼の無線を使わないんだ?≫

 

「この行軍の仕方を見て気付かないか? こっそり進んでいるんだよ俺たちは」

 

 黒い無頼を率いる先頭のKMF 白夜、そして最後尾の紅蓮には隠密作戦用のボロ布のような黒いマントが装備されていた。そのコックピットに座るエリアスは、手元に置かれた通信端末に入って来た玉城の声にそう答えた。各KMFと各トレーラーとを結ぶ長いケーブルを介した有線通信。完全に騎士団の部隊内部でのみの会話を目的としたものだった。

 

≪おいおい、ここは日本解放戦線の──≫

 

「解放戦線が俺達を味方だと思ってくれていると思うか? カワグチ湖で草壁の蜂起を妨害し、神楽坂大河を殺した黒の騎士団を?」

 

≪でもよ、ホテルの一件は向こうさんもドン引いてたって話だったろ? それにそもそも、同じ日本解放が目的なんだからさぁ≫

 

「弱者保護だ。黒の騎士団の目的は。ゼロの演説真横で聞いてたろ」

 

≪そりゃあまあなぁ……≫

 

 なおも納得が行かぬ様子の玉城を余所に、エリアスは露骨に溜息を吐いて周囲を見渡した。現在彼のKMF白夜はコックピットハッチを解放しており、パイロットが露出した状態となっている。だから背後を振り返るとそこにあるのはコックピットハッチ稼働部ではなく、トレーラーの車列と荷台に乗った騎士団員達の姿。彼らはエリアスが振り返ったのに気付くと、一様に目を逸らした。

 

≪……それより、ハイキングって≫

 

≪軍事教練だろ?≫

 

 玉城ではない、別の声が端末から聞こえた。エリアスに相手にされないと分かった玉城は、別の団員と話し始めたらしい。本来ゼロの指示で、移動中の通信は控えるように言われていたはずなのだが。

 

≪ゼロだけ別のところに居るってのに?≫

 

≪温泉でも掘るんじゃないの?≫

 

≪あー、その為の掘削機か≫

 

 そんな呑気な会話が聞こえてくる。内線で流れて来るそれを無言で聞いているエリアスは、昨晩のゼロとの会議を思い出さずには居られなかった。

 

 

 

 

 

 

 

『とにかく、メンバーの振い落としが必要になる』

 

 その時のメンバーはゼロ、エリアス、そして扇。そう切り出したゼロに、扇は即座に反論した。

 

「ちょっと待ってくれ、せっかく規模が大きくなったのに、また少人数に戻ろうって言うのか?」

 

『数だけ多くても意味が無い。言ったろう、我々はブリタニアと戦争をするのだ、と。である以上、全ての団員にはそう言った自覚を持ってもらう必要がある』

 

「扇も面談やっただろう? 入団審査の時の。シンジュクでの噂を聞いたとか、カワグチ湖での演説に心打たれたとか色々言ってたそうだがな。俺の見立てだと、どいつもこいつも正義の味方って立場に酔いたいだけにしか見えないんだが」

 

 ゼロの言葉に、エリアスはそう追従した。

 ダークヒーロー ゼロの出現。その鮮やかな行動。結局黒の騎士団の求心力というのは今のところそこに尽きる。確かにゼロは日本人にとっての希望となりつつあるが、その本質は“偉そうなブリタニアを叩いてスカッとさせてくれる”存在でしかない。

 ゼロは言う。黒の騎士団は軍隊であると。ブリタニアと戦争をする軍隊。だから、そのメンバーとして必要なのはブリタニアと戦う兵士なのだ。

 

 先に行われた入団審査においては、これを念頭に置いて志願者の選別が行われた。行われた、はずであった。

 

 試験官に当たった人間の内、ゼロはそもそも先の選別基準を提言した本人なのだから、厳正に選抜を行った。エリアスもそこは理解していたつもりだから、同じく厳正な選抜を心掛けた。

 問題は残りの扇、玉城、南、杉山達である。玉城にはそもそもそう言った厳正な審査をする能力は無く、南も杉山も、志願者の熱弁を聞いて「良くぞ言ってくれた、共に頑張ろう」の体たらく。

 

 一応、扇などはゼロの言葉を理解していたしそれをしっかり念頭に置いていた。が、やはり彼とて虐げられた日本人達の想いというものには弱かった。

 加えて志願者の中にはキョウトの関連人物の血縁者だの旧軍人の息子だの、何かしらの事情を抱えた人材も混じっており、これも無下には出来なかった。

 恐らくはこれがキョウトからの人的支援なのだろう。傍迷惑極まりないが。

 

 共通していたのは、私情を断ち切れなかったと言う点。キョウトの力関係云々が絡む人材など、所謂“厄介な志願者”については致し方ない部分もあったが、全体的に見ればそれが全部を占めていた訳でも無い。

 言い訳の余地も無い。幹部クラスですら、この始末なのだ。

 

『少なくとも、彼らには身を以て理解して貰う必要かがある。自分達が何をしようとしているのか』

 

 ゼロは冷たくそう言い放った。不幸中の幸いか、皆能力基準だけはきっちり満たしている。仮にこの志願者全員が兵士としての覚悟を決めたとすれば、黒の騎士団にとって得難い人材となってくれることは間違いない。そして、くどくどと説明するなり何なりで時間を掛けて覚悟を決めさせる時間は彼らには無い。

 

『だから、明日のプランについては君達二人以外に知らせるつもりは無い。かなりの荒療治になるが、やらなければ、黒の騎士団は機能不全を起こしかねない』

 

 暫し考え込んだ後、恐る恐る、と言った様子で扇が口を開いた。

 

「……言いたいことは分かった。その意義も理解したし賛成もする。だがゼロ、あまりにやり口が過激すぎないか? あまり言いたくは無いが、団員たちの君への信頼はそう盤石なものじゃない。俺にゼロを信用出来ないって相談してきた奴も結構居る。下手をすれば、黒の騎士団は内部分裂を起こすぞ?」

 

『ではこのままの状態で組織が動いた場合、どうなると思う? 遅かれ早かれ彼らは皆ブリタニアと戦う事になる。覚悟の甘い団員たちが作戦上重大な局面でようやく自分の選択の意味を理解する時が来たとして、その時何が起こる?』

 

 半ば食い気味でゼロが言った。ごく僅かに感情的な口振り。“何故私の言うことが受け入れられないのか理解出来ない”、そんな雰囲気をエリアスは感じ取った。思考の方向性の異なる人間同士が揃うと、良く起こり得る光景とも言える。これでは平行線だ、、

 そんなエリアスの視線に気付いたゼロはエリアスに視線を向けた。彼だけでない、扇もこちらを見ている。意見を求められている、と理解し、エリアスは椅子の背もたれに体重を預ける。

 

「……俺が思うに扇、あんたの慎重論は軽んじるべきじゃ無い考え方だと思う。だがゼロの言うようにこのままの状態だと黒の騎士団で土壇場でもまともに使える奴は半分を切るだろう。だから俺は、この賭けに乗るべきだと思う。ここで動けば、上手く行けば黒の騎士団は軍隊として纏まり、失敗すれば分裂する」

 

「……」

 

「だが動かなければ、待っているのは機能不全の騎士団。最早個人の信条で言う事になるが、俺は破滅が確定する道より、可能性に賭けたい。志願者の能力自体は基準値を満たしているんだ。全員と言わず半分近くが使えるようになるだけでも、騎士団にとってはプラスだろう」

 

「可能性、か……」

 

長いようで短い逡巡。扇も、遂に首を縦に振った。

 

「分かった。だがゼロ、当然現地でも揉めると思う。そこだけは……」

 

『心配するな。その時は私が処理する。君達二人は気にせず準備に当たっていてほしい』

 

 

 

 

 先導していたゼロの待つ山頂に到着した黒の騎士団は、まず掘削機の設置を取り行った。扇とエリアスが指示を出して団員が動き、波打った緑と土色の地面に、鈍い銀色の円柱が規則的に設置されて行く。起動信号を受け取った掘削機は後端部から掘り起こした土を撒き散らしながら地中へと食い込んで行き、指定深度にまで到達すれば後は自動で固定される。

 ゼロは小さな丘のようになった場所に立っていた。そこから団員達を見下ろし、進捗状況を把握して頷く。

 

『順調なようだな、扇』

 

「ああ」

 

 当然、扇はこの後に起こることを知っている。だから彼は周囲の人間とは明らかに違う神妙な顔つきを浮かべて、ゼロに頷いた。

 

「何だよ扇〜、暗い顔しちゃってさ、何そんなに心配してんだよ、そりゃ俺達勝手に日本解放戦線の本拠地に踏み込んでる訳だけどさ〜」

 

「あ、いや……」

 

 口篭る扇を余所に、エリアスは白夜のコックピットに入り、ナリタ周辺の地図を取り出して広げた。

 

 既に地図には、ゼロがブリタニア軍の配置予想図を書き込んでいた。敵指揮官の名前としてコーネリアを始め、ダールトン、アレックス、エンドーヴァー等々錚々たる名前が並んでいる。彼らの目的は日本解放戦線の本拠地。ブリタニア軍はこれがナリタに存在する事は分かっているが、入り口が何処に存在するのかは分かっていない筈だ。故にブリタニア軍はこの山を取り囲み、全方位から突入。捜索範囲を広げつつ日本解放戦線を殲滅する作戦を採ると思われる。

 つまり、方向としては全方向からブリタニア軍が、この山頂目掛けて突き進んで来る事になる。

 黒の騎士団は自ら、死の輪の中に潜り込んだ形となるのだ。

 

 別に、ゼロはこの全てを相手取ろうとしている訳ではない。狙うは飽くまで敵総指揮官コーネリアのみ。コーネリアの本隊に突入し、これを確保するのが本作戦の最終目標である。

 

 この作戦を実行する場合、何が問題となるか。まず何より、本隊のみを狙うとしたら他の部隊をどうやって抑えるか、だ。

 動員される敵部隊は合計五万ほどと予測されている。これらは黒の騎士団と戦うよりも先に日本解放戦線の迎撃部隊と当たるだろうから多少目減りするかもしれないが、残念ながら日本解放戦線にこれを撃退出来るほどの力はあるまい。

 といって、黒の騎士団にこれらを抑えられる戦力は無い。

 黒の騎士団の戦力としては紅蓮弐式と白夜、後は無頼が十数機。これらは全て、コーネリア本隊への攻撃に使わざるを得ない以上、戦力を割いて他を抑えるのは難しい。

 紅蓮二種は敵指揮官機グロースターを上回る性能を発揮し得るがその数はたった二騎。無頼は少し数に余裕があるが、敵の主力機サザーランドよりも格下の機体だ。

 

 そもそも兵の士気や練度が桁違いなのだ。普通に戦えば木っ端微塵どころか、鼻息一つで消し飛ばされて終わる。本隊への攻撃に全戦力を集中させて、他部隊の妨害が無かったとしても打ち負ける可能性は高い。

 

 

 これは、実行不可能な作戦だ。

 ──真っ当な手段では。

 

 

 そしてその時はやって来た。

 曇天を覆う航空機の編隊。麓より迫り来る紫の大群。遠来の如きエンジン音がどんどん近付いて来る。下方で日本解放戦線の秘匿トーチカが起動し、隠されていた隔壁から深緑色の無頼が展開を始める中で、一筋の黒い光が雲を斬り裂いて舞い降りる。

 

「お、おい! あれ……!!」

 

 遂に事態を飲み込んだ団員達がざわめき始めた。彼らの視線の先で、黒い影は空中を舞い、そしてその後からブリタニア軍空挺KMF部隊が続々と降下を始める。

 

「なんだアレ……ナイトメアじゃねぇか!!」

 

 さすがに、エリアスもその様に視線を奪われた。

 

 サザーランドでも、グロースターでもない機体が、T4VTOLの支援無しで空挺降下を行ったのだ。

 空挺降下用の新装備だろうか。あの機体は一瞬、浮遊しているようにすら見えた。

 

「じょ、冗談……冗談じゃねえぞゼロぉ!! あんなのが来たら完全に包囲されちまう! 帰りの道だって──」

 

 黒の機体が木々の中に消えてから、玉城が悲鳴のような声を上げた。

 

『もう封鎖されているな。生き残りたければ、ここで戦争をするしかない』

 

 ゼロは遂にそう口にした。団員達の表情が凍りつき、真っ当な想像力を持つ者は皆一様に言葉を失う。

 ブリタニアと戦争をする。自分達が入った組織の本質を、遂に理解する。

 

 ただ一人、玉城だけはなおも声を荒げた。思考の限界を越えた出来事を前に、思考を停止するのではなく問い掛けを放つ。それもまた、彼の持つ才覚ではある。

 

「真っ正面から戦えってのか!? 囲まれてるのに!?」

 

「しかも相手はコーネリアの軍、何か変な機体も居たし、今までとは違って大勢力だぞ!?」

 

『ああ、これで勝ったら奇跡だな』

 

「奇跡……か」

 

 コックピットの中で、エリアスは言葉を繰り返した。

 

 言うなればこれは、背水の陣だ。

 日本解放戦線を襲うブリタニアの背後を突くのではなく、逆にその包囲をすり抜けて自らを包囲網のど真ん中、押し寄せるブリタニア軍のベクトルの中心点たる山頂に置く。逃げ場など無く、不利を通り越した絶体絶命の危機に自らを追い込む。

 

 生き残る道はただ一つ。迫り来る敵を蹴散らす事だけ。それこそ死に物狂いで。

 歴史を紐解けば、このような背水の陣を決め手とした勝利に前例が無いわけでは無い。が、そもそも、これは戦法としては間違った代物だ。

 

 自暴自棄になって指揮官の制御を外れた兵達は最早戦力とはならない。戦意を喪失し、勝手に投降する部隊が連鎖的に発生する可能性も高い。故にこんな戦術は成立しない。先例があるとはいえ、それは二千年以上に渡る人類史の中でたった数度のみ。だからこそ万分の一の確率を勝ち取った特異な“奇跡”として、歴史に刻まれる。

 

 ──だが。

 万分の一の確率を勝ち取った。ではそれは偶然なのか、幸運なのか。否、そうではない。成功には必ず理由がある。明確な合理性が、確たる計算が。

 故に“奇跡”とは、幸運の同義語ではない。

 

『メシアでさえ、奇跡を起こさねば認めて貰えなかった。だとすれば、我々にも奇跡が必要だろう?』

 

「あのなぁ……奇跡は安売りなんてしてねぇんだよ!! やっぱりお前にリーダーは無理だ! 俺こそが──ッ!?」

 

 玉城はそこで言葉を切った。ゼロが玉城に拳銃の銃口を向けたからだ。

 重い沈黙が一瞬、全員を包む。全ての視線を一身に浴びながら、ゼロはその銃の向きを変え、銃口を自らに向けて玉城に差し出した。

 

『既に退路は断たれた。この私抜きで勝てるのなら、誰でも良い。私を撃て』

 

 今度こそ、玉城は言葉を失った。

 

『黒の騎士団に入るのならば、選択肢は二つしかない。私と生きるか、私と死ぬかだ!』

 

 奇跡には必ず理由がある。なら同じように理由を与えてやれば良い。合理性を持たせれば良い。完全に計算すれば良い。

 

 既に各々の精神はヒステリー一歩手前。死への恐怖、生の渇望に向けて針が振り切れようとしている。

 この時ゼロがしたのは、その針を別の要素で傾ける事だった。

 絶望の内に、鮮やかに奇跡を描いて見せた。それが団員達の恐怖を勇気と覚悟に変換し、黒の騎士団に最高の士気を齎した。

 この男なら何かしてくれるのではないか。どうにかしてくれるのではないか。そんな指揮官への信頼をゼロは生み出して見せた。

 

 そしてもう一つ。ゼロは彼らに希望を指し示した。恐慌寸前の味方に、何処へ向かえば良いかを指し示して見せた。

 明確な策略と、明確な結果によって。

 

 

 

 

 

 

≪よし、全ての準備は整った。黒の騎士団、総員出撃準備!≫

 

 ゼロの号令とともに、黒の騎士団は動き出した。

 既に眼下の戦局は決しようとしていた。日本解放戦線は総崩れ。本拠地の入り口を特定され突入されるのは時間の問題であった。

 

≪これより我が黒の騎士団は、山頂よりブリタニア軍に対して奇襲を敢行する。私の指示に従い、第三ポイントに向けて一気に駆け下りろ! 作戦目的はブリタニア第二皇女 コーネリアの確保にある! 突入ルートを切り拓くのは、紅蓮弐式だ!≫

 

 無頼が隊列を組み、エリアスもまた白夜のコックピットハッチを閉じる。

 

≪メインシステム 戦闘モード 起動します≫

 

 紅蓮系列機特有の二輪車のような構造のコックピットに跨り、機体起動シーケンスを立ち上げる。画面にそう表示される共に、跪く姿勢で待機していた白夜が立ち上がる。

 

 メインモニターが点灯すると、白夜と同じシルエットの赤い機体が前に出るのが見えた。紅蓮弐式。隠密用マントを脱ぎ捨てた紅蓮はメインカメラに対閃光シールドを展開し、一本の掘削機の前に屹立していた。

 その上に、右手が置かれる。だがその右腕は、尋常なKMFの持つマニピュレータでは無かった。

 鋭利な爪を持つ、肥大化した右腕。空想の殺人鬼のそれを象ったような禍々しい形状。

 

≪出力確認。輻射波動機構、涯際状態維持≫

 

 紅蓮を操るカレンがそう告げる。禍々しい機体に似合わぬその可憐な声を、団員達皆が固唾を飲んで待ち受ける。

 

≪──鎧袖伝達!≫

 

 その瞬間、紅蓮の右腕は光を放つ。その赤黒い光は一瞬で光量を増し、やがてスパークを放って弾けた。

 

 輻射波動。高周波を短サイクルで連続照射、膨大な熱量を生み出す、紅蓮弐式に装備された必殺の試作兵装である。今、紅蓮の放った輻射波動の光は掘削機を通して地下へ……溜まりに溜まった地下水へと届き、そして水蒸気爆発を発生させたのだった。

 

 その結果はすぐに現れる。紅蓮が輻射波動照射を終え、右腕部からカートリッジが排出されると同時に、大地が大きく震え出し、やがて地割れを発生させ、そして麓目掛けて押し寄せる巨大な崩落を発生させたのである。

 

 濁流は、まず日本解放戦線を飲み込んだ。深緑色の無頼が崩れ落ちる地面に足を取られて転倒し、トーチカは岩石の下敷きとなって押し流される。続いてブリタニア軍のグロースターが、サザーランドが、そしてその後に続いていた重装の機械化歩兵部隊が次々と土の中へと消えてゆく。

 

 全てが終わり、この世の終わりを思わせる地崩れの音がようやく収まった時、ナリタ連山は無残にも山頂から麓にかけて大きく斬り裂かれたような姿となっていた。

 

≪す……凄い……≫

 

 誰よりも、その最初の一手を打ったカレンがその様に圧倒されていた。しかし、彼ら黒の騎士団がそうして茫然としていたのも一瞬のことで、ゼロの次の号令が下ると同時に、彼らは皆予定されていた行動に移っていた。

 

≪よし、ブリタニア軍は壊滅状態となった! 今コーネリアの本隊は孤立状態、この機を逃すな! 黒の騎士団、征くぞ!!≫

 

 ゼロの無頼を先頭に、黒の騎士団のKMF隊が山頂より駆け下りる。目指す先はコーネリアの本隊。崩落が起こる直前、日本解放戦線の本拠地入り口を発見した部隊……事前情報から察するに、恐らくはダールトン隊……の側にに戦力を寄せた事で、今のコーネリア隊は丸裸に等しかった。

 故に、他部隊を抑える為に戦力を割く必要は無くなった。土石流のすぐ脇に位置しているコーネリア隊自体も、戦力は目減りしている。そして今ならば、他のブリタニア軍部隊は混乱の只中にあるか、良くて味方部隊の救援に当たっている。勿論この状況は長くは続くまい。故に、速攻で事に当たる必要がある。

 

 エリアスはスロットルレバーを全開にした。木々をすり抜けて、白夜はゼロの無頼や紅蓮と並び、黒の騎士団の先陣を切って猛進する。

そのエリアスの視界に、一つ妙な物が映った。

 

「ん……?」

 

 それは、白夜のレーダーディスプレイである。頭部にブレードアンテナを装備する白夜の索敵能力は、黒の騎士団のどの機体をも上回る。それが今、先の土石流で出来た土色の河の中に高速で移動する光点をはっきりと捉えていた。ユグドラシルドライブ反応。KMFだ。

 

「ゼロ、進行方向左前方、土石流の中を高速で突き進むナイトメアが居る」

 

≪何、サンドボードか? この一瞬で用意したとでも!?≫

 

「いや……ゼロ、お前見たか? 最初に降下して来た黒い機体」

 

≪アレか……まさか、アレックス隊の中には居なかったのか……?≫

 

 実の所、ゼロとてその黒い機体について何も知らなかった訳ではない。

 このナリタ攻撃作戦について、黒の騎士団では事前にある程度の情報を掴んでいた。その中に、本作戦において新型試作兵器が戦線に投入される、という情報はあったのだ。

 

 情報によれば、その配置は空挺降下部隊たるアレックス隊の先陣。故にゼロは、空からあの黒い機体が降って来た時、何も反応しなかった。元々T4VTOLとKMFの組み合わせ自体、空中での脆弱性とコストパフォーマンスの悪さが指摘されていたのだ。ネット上の軍事マニアの間でさえそうなのだから、ブリタニア軍とて何かしら対策は打つだろう、と。

 

 しかし、所詮空挺降下用の、いわばパラシュートのような装備ならば地上に降りてからは何の意味も為さない。故にゼロは土石流の影響範囲をアレックス隊を巻き込めるようセッティングし、機体諸共土石流で押し潰せば良い、と考えていたのだ。

 

 それが、もしもあの土石流によって破壊されなかったとしたら。

 

 あの黒い機体が目立つ形で戦っていたのは極短時間。その僅かな時間で観察した限りにおいては、一瞬ながらホバリングのような動作を行なっていた。恐らくは増加ブースターの類なのだろう。もしそうなら、地表面の状態を無視して移動が可能なはず。このレーダー光点の動きも頷ける。

 

「俺達が敵の展開を待っている間に本陣に戻った可能性もある。ああも派手に先陣切ってたんだ。補給の一つも挟んだ可能性がある」

 

≪では仕方ない……エリアス、お前はそちらへ向かえ! 敵の試作機の性能は未知数だが、お前の白夜なら渡り合える筈だ!≫

 

「了解、仕留めたら合流する。 何かあれば無線で頼む!」

 

 コントロールハンドルを傾け、エリアスは白夜を急速に旋回させた。目指す先は土石流の只中。途中で半壊したトーチカの残骸を見つけたエリアスは、思いつくものがあってその外装板をすり抜け様に拾い上げると、それを足場として泥の河の中をまるでサーフィンでもするかのように滑り降り始めた。

 そうして暫く滑走した果てに、目指す黒い機体の姿がメインモニターに飛び込んで来た。

 

「見つけた……!」

 

 そう呟いて、エリアスはコントロールハンドルのスイッチを押す。白夜の腰部マウントラックのロックが外れ、白夜はそこに装備していた武装を抜き放った。

 右と左、両方のマニピュレータで一つずつ。左手の方は、一見して刃の大きな短剣のようであり、一方で右手の方は折りたたまれた(ロッド)のようであった。

 マニピュレータで仕掛けを作動させる。瞬間、右手の(ロッド)が変形を始める。折りたたまれた本体が展開し、右側の先端から鋭く煌めく刃が飛び出る。一瞬で、ただの棒が槍となる。

 最後に、左手で持った短剣を右手の槍に装填する。真っ直ぐに、ではなく直角に。穂先が90°近く彎曲した、とも言えるその姿は、紛れもなく大鎌であった。

 これが、白夜の主兵装。変型と合体を駆使して幾つもの姿へと変化するインド軍区製の仕掛け武器。黒のボロ布を身に纏い、大鎌を構えた白夜の姿は、それこそ黒衣を着た髑髏……死神を連想させるものだった。

 

 本来、ポールウェポンが扱いたいのであれば普通に槍か薙刀を扱えば良い。実際この武器にはそのような変型パターンも存在する。

だが、エリアスは敢えてこの形を自らの得物に求めた。生身の時に扱うフォルケイトもその一環だった。

 

 鎌というのは本来農具である。が、欧州圏において、そしてその血を濃く引き継いだブリタニアにおいて、大鎌は古の時代から死神の得物としてのイメージが強い。それは即ち「収穫者(ハーヴェスター)」としてのイメージからである。人が実りを収穫するように、死神は人の首を刈り取る。死神とは、神に仕える農夫でもある。

 そのイメージを、エリアスは欲した。復讐の相手たる我が父に対して、いいや母と自分を捨てた全ての者達に対しての宣言として。

 

 ──貴様らの首、残らず俺が刈り取ってやる──

 そういうメッセージとして。

 

「さあ、刈らせて貰うぞ、ブリタニア──!!」

 

 叫びと共に、エリアスは白夜を跳躍させた。白夜は黒衣をまるで悪魔の翼のようにはためかせながら空中へと踊り出し、漆黒の機体に上空から襲い掛かった。



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第九幕 Battle of NARITA 3

 空中より迫り来る大鎌の刃を、レオはすんでのところで回避した。フロート擬きのスラスターを前方へと向けて、全力噴射で河岸まで一気に飛び退く。

 

「こいつはあの夜の──!?」

 

 ボロ布のようなマントを羽織った白い機体は器用にもスラッシュハーケンを駆使して、崩壊した地面に埋もれたサザーランドの残骸の上へ、そしてそれを足場にしつつレオの目の前の地面へと跳躍して来る。レオはナハトの戦闘システムを緊急起動しつつ、ファクトスフィアを展開して敵機体へのスキャンを掛けた。

 

 モニターに表示される敵情報。機種は不明ながら、高エネルギー反応有……要はKMFの動力部たるユグドラシルドライブの出力が、無頼やサザーランド等、一般的なKMFのそれの領域から逸脱しているということ。或いは、本体動力とは別にエネルギーの塊と言うべき高出力動力を何かしらの形で搭載しているか。

 武装面においては、あの大鎌以外に特筆すべき武装は見当たらず。ただし腕部やその他各所に怪しげなポイントはあるので、何かしらの隠し兵装の類を保有する可能性は有り。

 最後に機体構造。どこを取っても既存の機体とまるっきり異なる点しか見当たらない異形の機体。一見すると一般的なKMFの倍近い幅を持つ胴体ブロックや、それに起因するトップヘビーなそのガタイの良い上半身、或いはナハトのそれにも似たブレードアンテナを持つ頭部に気を取られそうになるが、ファクトスフィアが示唆して来たのはそこではなく、機体下部、脚部構造の方だった。明らかに、一般的なKMFのそれとは造りが……いいや根本の設計思想が異なる。

 

 更なるスキャンを掛ける間も無く、白い機体がナハトに向けて突進を始めた。ランドスピナーを用いた滑走ではなく、脚部関節をフル稼働させた跳躍だ。グラスゴーを起源とするサザーランド等一般的なKMFの脚では決して不可能な機動(マニューバ)。その瞬発力はナハトのそれを上回っているとさえ予測できた。

 

 レオは反射的にスロットルレバーを押しそうになり、寸前で止めた。視界の端に、ディスプレイのとある表示が目に入ったからだ。それは、エナジー残量を示すゲージ。トレーラーでエナジーフィラーを交換したばかりの筈が、既に半分を切ってしまっている。

 

 スラスターでの回避機動を行えば、確かに容易く回避は出来る。しかし、それだけの急加速をスラスターを吹かして行えば、ナハトのエナジーは相当に削られる。この一瞬をそれで凌いだとしても、次に待っているのはガス欠の未来のみ。敵機の目の前でエネルギー切れを起こす危険は避けたい。

 スラスターは、最低限のみの使用に止めるべきだ。レオはナハトを着地させてフロート擬きをオフに切り替え、刀状のMVSを抜刀。地に足を付けた安定姿勢から、両手で構えたそれを上段に振るって大鎌の刃を弾き返した。

 弾いた、といってもそのまま押し返すような真似は出来なかった。辛うじて軌道を変えた程度。白い機体が跳躍の勢いのまま、ほぼ転がるようにしてナハトの背後へと移る。

 レオも反撃の好機と睨んで斬り返してはみたものの、その刃は空を切る。白い機体は屹立する大樹の幹を使って更に跳躍し、スラッシュハーケンを用いた急速降下で木々の間に消えた。

 

「戦闘可能な機体は戦闘態勢を! 敵機、来ているぞ!!」

 

≪此方からでは外部の状況が掴めん! 残存全機、救援作業を中断しエルフォード中尉の元へ集結しろ! これより彼が臨時に指揮を執る!≫

 

 アレックス将軍の指示で、サザーランドが合計八騎、下方からナハトの周りへと駆けつけて来る。現状、アレックス隊の被害は甚大で、指揮が可能な士官はほぼ全員土石流によって戦闘不能状態に陥っている。現在指揮を執れるのは麓に逃れていたレオかセイトのみ。そしてセイトは麓から此方へ移動する手段が無く、残るのはレオのみ。つまり、残存するサザーランドの騎士達がこの戦いを生き残るか否かは、今この瞬間よりレオの双肩にかかっている事になる。

 

≪こちらギルフォード、ポイント9へ迎える機は居るか!? コーネリア殿下が──!!≫

 

 更にそこへ、総督補佐としてコーネリア総督機に随伴していたギルフォードからの全軍向け通信が走る。ギルフォードの口調には焦りが見え隠れしており。レーダーディスプレイ上ではギルフォード機はコーネリア機には随伴していない。

 

 統括された情報は、引き剥がされた状態のコーネリア総督が窮地に陥っている、という危機的状況を物語っていた。流石のレオも、背筋が凍る思いがした。

 

≪こんな時に……ッ!! エルフォード中尉、貴官の機体なら行けるか!?≫

 

「駄目です、この敵は普通とは違います! 私までもがここを離れれば、この敵はそのまま本陣を突く筈です!」

 

 アレックス将軍からの通信に、レオは半ば悲鳴をあげるように応えた。

 状況は芳しく無い。コーネリア総督が撃破されれば、このエリア11の情勢そのものがひっくり返る。ゼロのグループは勢いを増し、それとともに反政府活動は活発化。エリア11はほぼ完全な内戦状態に陥りかねない。

 

 と言って、レオがこの場を離れればあの白い機体はどうなる。指揮官の居ないサザーランドだけであれを抑えられるのか? 仮に抑えられなければ、今度は本陣のユーフェミア殿下が危ない。アレックス将軍が指揮を執れる状態とは言えない以上、レオはここを動けない。

 ……ほぼ唯一、コーネリア総督の元へ馳せ参じる事が出来る機体に乗りながら。

 

 レオは唇を噛みつつ、集まってくるサザーランドへとナハトを向けた。その瞬間、最後尾サザーランドの背後に、突如としてあの白い影が現れた。

 サザーランドのパイロットが悲鳴をあげ、そこへ無慈悲な大鎌が振り上げられる。鈍い煌めきを放つ刃がサザーランドのコックピットに食い込み、サザーランドは破損箇所から赤黒い液体を噴出しながら斜面を転げ落ちて行った。

 

 直後、ナハトはヴァリスを抜いてその銃口を白い機体へと向けた。ほぼ同時に、残る七騎のサザーランドもアサルトライフルを構える。だがそれらの弾は一発たりとも白い機体には命中せず、逆に急速接近を許してしまったサザーランドが一騎、またしても鎌の餌食となって地面に崩れ落ちた。瞬く間に二騎のサザーランドを仕留めて、白い機体はまたしても樹々の中へ消えた。

 

 どうする。迷っていればコーネリア総督がやられる。と言ってここを離れれば、ユーフェミア殿下が死ぬ。どちらかを選べ、とでも言うのか、これは。

 

“落ち着け、レオ”

 

 そしてこんな時に、脳裏に声が走る。振り払うように、レオはその声に答えた。

 

「落ち着いていられるか! 悠長に考えている余裕は無い。情勢を考えればコーネリア総督の重要性は言うまでも無く、と言って本陣を突かれる訳にも行かない。あの機体の突破力では、グロースターさえ対抗出来るか否か……そしてコーネリア総督の元へ行けるのは私のナハトのみ、なのに!!」

 

“貴方しか居ない? それはまた随分と傲慢になったもので”

 

「…………なに?」

 

“お忘れか。今のお貴方は、貴方より強いかも知れない仲間が居るのですよ?”

 

 まるでその声が呼び水となったかのように、特派の専用通信チャンネルが起動した。

 

≪ヘッドトレーラーよりナハトへ。これよりランスロットが発進します。合流は可能ですか?≫

 

 ランスロット、枢木スザク。恐らくはロイド辺りが本陣の方に掛け合ったのだろう。それまで後方で待機していたスザクの顔が、サブディスプレイに映し出される。

 彼が出るならば。レオは自分が安堵している、と自覚した。彼ならば、やってくれるだろう。彼にはそれだけの強さがあるのだから。

 

「こちらは現在移動不能。スザク、どうやら君に全て任せる事になりそうだ」

 

≪ランスロット了解。大丈夫、僕も全力を尽くすから、君もその場を全力で守ってくれ≫

 

 今度はスザクが答えた。

 

「了解した。総督の方は頼むよ。こちらの敵は私が責任を持って抑えるとしよう」

 

≪分かった。無事で≫

 

「お互いにな」

 

 間を置かず、レーダーディスプレイ上でランスロットが移動を開始する。サンドボードを使用して、液状斜面を上昇。一直線にコーネリア総督の元へと飛んで行く。

 それとほぼ同時に、樹々の中から白い機体が再び飛び出した。サザーランド達の射線の一歩先を行きながら、木々の合間を縫うように駆け抜けてナハトの至近距離にまで迫ろうとしている。

 

散開(ブレイク)!」

 

 一つの不安が消えた今、レオの目的は明瞭であった。この敵を倒す。そこに全力を尽くす。

 号令一下、ナハトは脚部の力のみで上空へ跳躍し、サザーランドは三方へと散らばった。レオはスロットルのコントロールレバーを器用に操って、ナハトを白い機体目掛けて突進させる。この時レオの脳裏にあったのは、以前目の当たりにした、枢木スザク操るランスロットの格闘戦の光景だった。

 あの時に彼が行なったのは、独特な構えと動作の空中回転蹴り。その機動プログラムは、一応ナハトにも仕込まれている。レオはそれをフロート擬きと共に起動していた。

 

「フロートの補助があるなら!!」

 

 叫び、ナハトの左脚が白い機体の首筋に迫る。白い機体は大鎌の柄を使って直撃は避ける。しかしその勢いだけは止められず、二騎は縺れ合うようにして地面に盛大に倒れ込んだ。

 木々を数本薙ぎ倒しながら滑り落ちる。ヴァリスを取り落としながらもレオはフロートを再び起動させて何とか空中に逃れると、味方サザーランドに射撃指示を出す。三方向からの射線ならば、流石のあの機体でも避けきれない。そう思っていた。

 だが、白い機体はスラッシュハーケンを空中に撃ち出した。その射線の先にあったのは、他ならぬナハトの姿。ナハトのフロートにハーケンのクローアームが食い込み、今度は白い機体が空中のナハトに襲い掛かる。

 強烈な衝撃がナハトを襲い、モニターの視界が天を映し出した。仰向けに近い形になったナハトの上に白い機体がのし掛かり、手にした大鎌を振り上げる。

 

≪中尉!≫

 

 しかし、そこで味方のサザーランドの援護が入った。地上のサザーランドからの狙撃が白い機体を襲い、白い機体のデュアルカメラアイが片方抉り取られた。

 その瞬間、レオもまたコントロールレバーのスイッチを押していた。途端、ナハトの背部からフロートデバイスが分離し、スラスターを噴射しながら白い機体目掛けて飛翔する。

 

 スラッシュハーケンがフロートに食い込んでいる以上、白い機体にこれを躱す術は無かった。大きく仰け反りながら、白い機体が大地に落ちて行く。同時にナハトもまた落下して行くが、こにらは両腕のスタビライザーを展開して機体の空力特性を変化させつつ、どうにか無事な姿勢で着地に成功する。

 

 一方で、白い機体の方はフロートからハーケンを切り離し、再び樹を利用しての姿勢変更を試みていた。すかさずレオは手近なサザーランドにその木の天辺をアサルトライフルで射撃させ、それを妨害する。白い機体は着地にこそ成功したものの、そこには既にナハトを含めた七騎が待ち構えていた。

 

「全機、フォーメーション8!」

 

≪イエス、マイロード≫

 

 全機が一斉に動き出す。囲まれる、と察した白い機体も動き出すが、その足元にレオは腰部スラッシュハーケンを撃ち込んだ。

 

 KMF同士の射撃戦において、最も狙うべきポイントはどこか。

 弱点を狙う、という意味ではまず頭部が思い浮かぶ。ここには機体管制を司るメインコンピュータが存在している。だが、移動する敵機のこの部位に正確に射撃を撃ち込むのは至難の技だ。機体の中では非常に小さい部位であるし、外れれば弾丸は後方へと飛んで行く。一対一ならばともかく、敵味方の混戦状態でそれが起これば誤射に繋がりかねない。

 

 コックピットのある背部を狙うには敵機の背後を取らねばならない。しばしば時速百キロを超える戦闘速度の中で敵機の背後を取る事が如何に難しいかは、最早説明するまでも無い。

 

 狙うべきは、脚部だ。勿論脚部は機体の部位の中で最も高速で動く可能性が高い部位ではあるが、KMFは機体の移動を殆どこの脚部のランドスピナーに頼っている。動きさえ止めれば、後は動けない敵の急所を破壊すれば良い。そして頭部と違い、脚部への攻撃は外れ弾を出したとしても誤射には繋がり難い。外したとしても、着弾により地表面の状態を変化させる事で転倒を狙える可能性がある。故に、KMF同士の射撃戦においては脚部を狙うのがセオリーだ。

 

 レオはナハトを動かしながら、巧妙に敵機を味方のフォーメーションの中へと誘導していった。

 

 この時レオが使用したフォーメーションは、その名の通り8の字状の陣形を取るものだった。一つの敵機に対し複数の味方機で、それも近距離戦で当たる際の基本戦術。味方の頭数の方が多い状況であっても、接近されてたのでは数の有利を充分に活かすことは出来ない。その際に攻撃回数を可能な限り増やす為の戦術だった。

 このフォーメーションの場合、各機は敵機の周囲を8の字状に移動しながら攻撃を行う。こうすることで外縁部からの攻撃以外にも、8の中央、交差点において距離を詰めて攻撃が可能になる。

 

 まず、味方のサザーランドが接近、攻撃を仕掛ける。この時サザーランドは攻撃後そのまま敵機の脇をすり抜けて背中を晒す事になるから、その背中を狙うであろう敵機の動きを、後続の味方機が援護する。その際は誤射を避けるべく敵機と味方機とは一直線状には並ばないようにし、軸線から概ね45°ほど離れておく。

 

 白い機体は誘いには乗らなかった。スタントンファによる攻撃を鎌の柄でガードした後、背後で無防備な背中を晒したサザーランドは無視して、ナハトの方向へと突進する。勿論そうなるとレオは敢えて自機を囮とし、残るサザーランドが援護射撃を放つ。数発が背部ブロックに穴を開けた事で己の失策に気付いたか、白い機体はスラッシュハーケンを使って跳躍を図った。だが、レオ達は執拗に敵をフォーメーションの中に収めようとする。

 

 二度、三度と白い機体はサザーランドの攻撃をガードし続け、とうとうレオが攻撃する順番となった。レオはMVSを抜いて突入……すると見せて、スラッシュハーケンを地面に撃ち込んで跳躍。直上から白い機体に襲い掛かった。その一撃もまた、白い機体の大鎌に阻まれる……かに見えた。

 しかし、MVSの赤い刃は大鎌本体ではなく、それを持つ右のマニピュレータに食らいついていた。レオはそのまま敵機後方に抜けると、移動方向はそのまま、振り向きながらハーケンを発射する。その一撃が、白い機体から大鎌を奪い去った。

 

 大鎌が地面に刺さる。主兵装を喪った白い機体は予想通りフォーメーションの中から離脱を図る。追撃に移ろうとした矢先、突如としてナハトの視界がホワイトアウトした。

 

「これは──!?」

 

 視界を埋め尽くした白煙。あの機体のスモークだと瞬時に判断し、足を止める。その瞬間、ナハトのコックピットを強烈な衝撃が襲った。白煙の中から、白い機体が飛び蹴りをナハトに当てて来たのだ。まるで先程の意趣返しのように。

 白い機体はそのままナハトを踏み台に跳躍すると、白煙の中から飛び出してサザーランドの一騎に飛びつき、上に乗っかるような状態から半壊した右マニピュレータをサザーランドのコックピットにねじ込んだ。引き抜いた腕の先には、ひしゃげた装甲板に混じり、機械ではない何かの塊がある。

 

 残酷なまでの赤色。意味するものは一つ。そしてその様に動揺したサザーランドが更に一騎、白い機体のハーケンで無力化される。

 

 体勢を立て直し、レオはナハトのハーケンを白い機体への放った。しかし、咄嗟に放たれたそれの狙いは少々甘く、白い機体はそれを軽々と躱し、逆に驚くべき反射速度でそのワイヤーを掴み取った。

 

「何ッ!?」

 

 そのままワイヤーを引っ張られ、ナハトは地面に倒れた。MVSがナハトの手を離れて地面を転がる。白い機体は地面の大鎌を回収し、その刃をナハトに向ける。

 

 やられる、と思った矢先、生存していたサザーランドからの援護射撃が入った。白い機体の左肩装甲に数発が命中し、白い機体は樹々の中へと引き下がった。そのまま反撃に出るかと思いきや、レーダー上では敵の光点はどんどん遠ざかって行く。

 

≪中尉!≫

 

「……追撃は不要だ。全機、味方の救援に戻れ」

 

 ナハトを立ち上がらせて、レオは味方にそう指示を飛ばす。MVSを回収して納刀すると同時に、後方のヘッドトレーラーからの通信が入って来た。

 

≪レオ君!≫

 

 半ば悲鳴のような声が届いた。

 

「セシル中尉!? 何かありましたか?」

 

≪急いでランスロットの所に向かって欲しいの! スザク君が、スザク君が──≫

 

≪暴走してるんだよ≫

 

 血相を変えて捲したてるセシルに代わり、今度はロイドの顔が現れた。いつもの飄々とした表情は消え失せており、レオは事の重大さを悟る。

 

≪ランスロットが、じゃなくてスザク君が。ポイントを送るからすぐに向かって。あのままじゃ味方部隊の所に行っちゃう≫

 

 要点だけ述べて、ロイドは画面から消えた。レオはすぐさまナハトのステータスをチェック。エナジーフィラーの残量を確かめてから、アレックス将軍に繋いだ。

 

「将軍、敵機は撤退しました。指揮権を将軍にお返し致します」

 

≪いや待て、貴官にはこのまま救援の指揮を……≫

 

「別の味方から要請が入りました。私は急遽そちらに向かわねばなりませんので」

 

≪そうか、貴機の速力ならそれもあり得るか……了解した。私もやっとこさ回収された事だし、このサザーランドに便乗させて貰うとしよう≫

 

 モニターの端に、ようやく安定した地面に移されたたグロースターのコックピットから将軍が出て来ているのが見えた。頭に負傷した跡こそあれど、自力での応急処置も済ませたようで、足元も大分安定している。それを見届けてから、レオはランドスピナーをフル稼働させて移動を開始した。

 

 ハーケンを使って、ナハトは泥の河岸を跳んだ。フロートが無い以上、これまでのように一気に飛ぶ事は出来ない。しかし、泥中には上流から流れた岩やへし折れた大樹などがいくつも点在している。レオはそういった岩場や樹を中継地点とし、何度か跳躍を繰り返した果てに、空中から対岸目掛けもう一方のハーケンを放って液状斜面を飛び越える。ブレーキも掛けず、加速したまま機体の姿勢を立て直し、ナハトは樹々の間を駆け抜けて行った。

 

 

 

 樹々を抜けて開けた場所に出る。その瞬間、目の前に白い機影が迫って来ていた。

 

「スザク!?」

 

 咄嗟に両手でその機影、ランスロットの機体を受け止める。それでもなお、ランスロットはフルパワーでナハトを押し退けて進もうとしていた。

 

≪ああああぁぁぁぁぁ!!!≫

 

 軍用規格品でなければ音割れでも起こしていたであろう大音響がナハトのレシーバーを震わせる。それがスザクの声だと分かり、レオはナハトの出力を上げながら呼び掛けた。

 

「どうしたんだスザク! 落ち着いて──!!」

 

 ランスロットがヴァリスを装備した右腕を持ち上げたのを見て、レオは言葉を噛み切った。ここは立て直しを図る味方部隊の集結地点にもほど近い場所だ。樹々を呆気なく撃ち貫くヴァリスがこの角度で発射されれば、その味方さえも危ない。

 レオは一度ランスロットから手を離し、その腹部に蹴りを入れる。ランスロットはそれでもなおヴァリスの構えを解かず、あらぬ方向へヴァリスを乱射した。

 ……いや、乱射、などという表現では収まらない。敵など最早居らず、ランスロットを傷付ける者は誰一人として居ないというのに、ランスロットは目に付くもの全てを破壊する勢いでヴァリスを出鱈目に打ち続ける。

 そしてそのランスロットのカメラが、遂にナハトを捉えた。直後、ランスロットはあろうことかヴァリスをバーストモードへと変形させ、その銃口をナハトに向けた。

 

≪スザク君!!≫

 

 セシルの悲鳴が響く。ほぼ同時にレオが目を細め、ナハトはMVSに手を掛けた。

 ヴァリスの銃口が白く光る。ほぼ同時に、ナハトのMVSが赤く閃く。

 鳴り響く甲高いチャージ音。一筋の閃光が二騎の間を走り抜け────ヴァリスの銃身の先端部だけがすっぱりと斬り裂かれて地面に落ちた。直後、ランスロットの手元に残されたヴァリスが爆発する。

 

 ナハトが腰に下げた鞘には、ある特殊機構が備わっている。それは、G1ベース等に搭載されているリニアカタパルトと同様の、もっと言えば一般的な銃器であるコイルガンに使用されている機構を使用した、抜刀加速機構。極至近距離で、既にチャージ段階にある銃器を、発射より早く破壊する、などという離れ業を実行出来たのは、このシステムと、ナハトの元来持つ瞬発力故であった。

 

 ……それを、まさか味方相手に使う事になろうとは。

 爆発で一瞬怯んだランスロットの腹部に、レオはナハトでタックルを叩き込んだ。地面に倒れ伏したランスロットはなおも暴れ回ろうとするが、ヴァリスを喪った以上、最早ランスロットには狂ったダンスを踊る事しか出来ない。各部関節には異常な負荷が掛かり、ギアは破損寸前。これでは遠からず自壊して動きを止めるだろうし、それよりも先にエナジーが尽きる可能性だってある。最早、暴走するランスロットは無力化されたに等しかった。

 

「……セシル中尉、早く回収班を」

 

≪り、了解!≫

 

 レオはナハトのMVSを格納し、ナハトの戦闘システムを解除した。

 

≪──………ッ!!、──……!!≫

 

 ナハトのレシーバーは、尚もコックピット内のスザクの狂乱ぶりを伝えて来ていた。日本語で何かを口走っているようだが、無論レオにそれは理解出来ない。

 ただ、何かに怯えて、必死に逃げようとしている事だけは理解出来た。最後に、幼児が泣きじゃくるような小さな声だけを上げて、遂にランスロットは動きを止めた。

 レシーバーからは、それっきり何も聞こえなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 山道を駆け下りながら、エリアスは舌打ちを抑え切れ無かった。よもやこの自分が、機体の右手を持って行かれた上に敵の新型を仕留め損ねてすごすごと逃げる羽目になるなどと。

 

 自分に任された仕事は、ゼロ達本隊の仕事、つまりコーネリアの確保が完了するまであの敵機を押さえ込んでおくことだった。せっかく地形を使って敵を分断したというのにそれを無視して飛んで来るような奴など放っておける訳は無い。

 そして実際、エリアスはあの敵の特殊装備を無効化した。この時点で仕事は一応果たしてはいる。いるのだが……。

 

 とはいえ、激情に駆られる程彼は冷静さを失った訳でも無かった。戦闘記録は映像として残してある。あの新型については、充分なデータを取る事が出来た。そして自分もこうして生き延びている。で、あれば次の機会に仕留めれば良い。その時は、こちらはより良い条件下──既に相手を知った状態で立ち会う事が出来る。

 

「……さて、それでゼロは何処に居るって?」

 

 エリアスはサブディスプレイを起動し、マップデータを呼び出した。

 片腕とは言え形勢を逆転しつつあり、あの新型を仕留められそうなタイミングで撤退した理由。それは、我らがゼロからの救難信号であった。どうやらゼロの方も上手くコーネリアを確保出来なかったようで、現在ゼロは無頼を喪い、主戦場から離れた洞窟の中で隠れ潜んでいるらしい。

 

 既に残存する黒の騎士団の部隊は、逃走する日本解放戦線を囮として戦域から離脱に成功しているらしい。もうナリタに残っている黒の騎士団は、ゼロと自分だけだと言う。そしてブリタニア軍も退却を開始しており、エリアスはそう苦労せずに、その洞窟の入り口へと辿り着く事が出来た。エリアスは白夜に搭載されたサーチライトを起動して、麓の目立たぬ位置にぽっかりと空いたその洞窟の中を覗き込んだ。

 

『……眩しいからそれは止めろ』

 

「おや、意外に元気そうじゃないか。てっきり命からがらここに逃げ込んで死にそうになってるかと思ったよ」

 

 レシーバーにゼロの気取った声が届き、とりあえずエリアスは安堵しつつサーチライトを切り、白夜のコックピットを開いた。随分と手酷くやられた、といった有様の白夜の外装を足場に、エリアスは地面に降り立って洞窟の中へと足を踏み入れる。

 

「怪我は無いか。無頼をやられたと聞いたが──」

 

 そこでエリアスは言葉を失った。そこに居たのは既に見慣れたゼロの仮面姿と、その背後……エリアスにとっても因縁浅からぬブリタニアの囚人用拘束衣を纏った一人の女。黒の騎士団の中に、あんなメンバーは居ない。しかしエリアスにとっては見覚えのあり過ぎる女だった。

 

 C.C(シー・ツー)。彼女は自分をそう規定する。

 彼女は他の人間とは違う……いや、そもそも人間なのか怪しいところがある。不老不死、不死身、物語の幻想でしかなかったような言葉が、この女に掛かれば現実のものとなる。銃弾で撃たれようが首を刎ねられようが、鉄の乙女(アイアンメイデン)に入れられようが死なない。今の二十代前半ほどの見た目のまま、老いることすら無い。

 

 少なくとも、エリアスが始めて彼女と会った時から、このエリア11で再会して今に至るまで彼女は全く変わらない。あれから、もう七年になるというのに。

 

「C.C……。ゼロ、何故彼女がこんな場所に」

 

『正直、知らんとしか言えない。が、業腹なことに彼女に助けられた事は確かだ』

 

 ゼロは苦々しげにそう言って、洞窟の入り口の方へと歩いた。その背後で、C.Cは無表情のままエリアスを見遣る。

 

 かつて、エリアスに改造を施した組織のトップに居た女。そして組織からエリアスを助け出そうとした母に手を貸した女。それがこのC.Cと云う女だった。生前、母はエリア11に渡ってからも度々彼女とコンタクトを取っていたようだが、エリアス自身が彼女と再会したのはほんの最近、老師殿の手先と成り果てて以降の話だった。

 

 確か最初はシンジュクゲットーで、額から血を流したまま死体の山の中から這い出て来たのだったか。流石に驚きはしたが、当の本人が「当たり前だろう」とばかりにあまりに平然としていたものだから何も言えなかった覚えがある。

 そしてその後、彼女はゲットーやら租界やら、エリアスが赴く先々に現れては消えた。密かに自分を影から見つめている時もあった。その理由も、彼女自身の目的も分からないまま、公の舞台にゼロが姿を現した。

 当然、老師はエリアスに対し、ゼロについて探るように指示を飛ばして来る。そしてエリアスがゼロとの接触手段を講じている頃に、やはり彼女は現れた。ゼロを連れて。

 

 あれからいくつかの事件を経て、ゼロ、C.C、そして自分との関係は続いている。だが、ゼロとエリアスが互いに割と腹を割った話をしている割に、C.Cは決してエリアスに自分について語ろうとはしなかった。一方で、彼女の方はエリアスについて良く知っていた。正直な話、些か気味の悪い関係ではあった。

 

『とりあえず、今回は勝利とは言い難いな。結局コーネリアの確保は出来なかった』

 

「すまない、ああも意気揚々と飛び出しておいて、俺も予想外に手古摺って援護出来なかった」

 

洞窟の入り口から機械音が聞こえて来た。エリアスは一瞬大剣の柄に手を掛けるが、ゼロはそれを手で抑えた。

 

『心配するな。お迎えが来たようだ』

 

「──ゼロ! エリアス!」

 

彼の言葉を合図とするように、洞窟内に一人の少女が駆け込んで来た。紅月カレン、紅蓮のパイロットだ。

 

「大丈夫ですか? 他のメンバーは皆──誰!?」

 

無線機を片手にゼロの前に駆け寄って来たカレンはそこで言葉を切った。エリアスの背後に居るC.Cの存在に気付いたのだ。

 

『ああ、心配しなくて良い。彼女は私の大事な仲間だ』

 

 

 

 

 

 

 

 かくして、後にナリタ攻防戦の名で歴史に刻まれる事となる戦いは幕を閉じた。

 後の公式発表によると、この戦いにおけるブリタニア軍の死者は約五千二百名。これが多いか少ないかは個人の解釈に委ねるとして、この数字を以ってこの戦いをブリタニア側の敗北と定めるのはやや早計である。

 

 確かに、ゼロの奇襲によって、それまで圧倒的な優勢を保っていたブリタニア軍は痛撃を与えられた。しかし、現実にはブリタニア軍は結局その戦力の九割近くを保持したままだったのだ。山崩れの直撃を受けたダールトン、アレックス両将軍の部隊にしても、ダールトン隊では指揮官が無事なままなお一つの部隊として健在であり、アレックス隊においても指揮官は生存、残存戦力も微弱ながら残されており、辛うじてではあるが部隊を維持していた。

 

 一方、元々ナリタ連山に拠点を構えていた日本解放戦線はこの戦いにおいて壊滅的被害を被り、その勢力は急速に衰える事となる。日本解放戦線の壊滅、というブリタニア軍の大目的は完了したと言っても良いのであった。

 

 もちろん、だからと言ってブリタニアの勝利かと言えばそうではない。少なくとも総司令官たるコーネリアは絶対に認めない。敵を圧倒する物量の戦力を並べておきながら、敵に劇的な反撃を許してしまった。勝利の美酒に酔うにはあまりに苦々しい事実である。

 

 そして最後に、ゼロ本人の言う通り黒の騎士団の目的は果たせていない。最後の最後で乱入したランスロットが、この大詰めの局面をひっくり返したのだ。それどころかゼロ自身、後一歩でランスロットに捕縛されるところだったと言う。

 

 

 つまるところ、この戦いに勝者など居なかったのだ。



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第十幕 Interval/キョウト

 ナリタにおける戦いが閉幕し、早一週間ほどが経過していた。この時期に入り、エリア11は多少の静けさを取り戻していた。

 

 「我が軍は黒の騎士団により()()の妨害を受けたが、無事に悪質なテロ組織 日本解放戦線の殲滅に成功した」

 

 これが、総督府による公式発表である。更にこの黒の騎士団についても、「黒の騎士団はその作戦の進行において、民間人を巻き添えとした非道な作戦を実行した」と付け加えている。事実、黒の騎士団による山崩れは麓の市街を飲み込み、民間人への死傷者も発生していた。

 これに対し、黒の騎士団は「ブリタニア軍は殲滅作戦実行にあたり、義務とも言えるナリタ周辺の民間人への避難命令を行わなかった」と主張している。

 結局のところ、時代を問わず、実際に剣を交える戦いが終わった後に待っているのは、こうしたプロパガンダ合戦であった。自己の正当性を互いに主張し合い、時にその舌戦が新たな争いの火種を生む。歴史は繰り返すとは言うが、あまりに滑稽なものではある。

 

 とかく、そういう言い訳と責任逃れの応酬に総督府が掛り切りになっている頃、特別派遣嚮導技術部ラボ(と名付けられた大学の大型倉庫)もまたとある一つの作業に掛り切りの有様であった。

 

 理由は多々ある。まず第一にして最大の理由は、今現在、特派は引っ越し作業の真っ最中であるからである。

 

 作戦前にコーネリア総督からレオへ予告され、作戦後正式に通達されたように、ナリタ攻防戦における特派所属機の功績──主として枢木スザクによるコーネリア総督自身の救出──に対して、特派には正式なブリタニア軍基地内に専用拠点が再び与えられる事となっていた。場所としては、以前特派が使用していた基地のスペース。ただし以前のような間借り状態ではなく、基地一つを丸ごと特派のものとして使用する事を許されたのである。

 

 正式な移動日は明後日。これに備えて特派では一週間ほど前から準備を進めており、例えばセシルは大学側にその旨を伝えると共にこれまでの謝礼、一方でロイドはラボ内の引き払い及び物資積み込み作業の指揮に当たっている。

 が、この引き払い作業が問題であった。ラボ内にはロイド謹製の試作品やら何やらが散乱しており、現時点で運び出すのにトレーラー数台は必要だろう、という試算が出て作業に当たる特派スタッフ一同の頭を悩ませている。

 しかも、まだ沢山ある。

 

 特派一同のロイドへの怒りが順調に溜まって行く一大イベントであったが、ここには三人ほど欠けている顔ぶれがあった。特派の栄転と、この騒動の理由を作り出した、ある種主役とも言えるデヴァイサー達。この片割れであるスザクはこの時間帯、通りを挟んだアッシュフォード学園で授業中である。

 

「あ〜、そのレンジブースターは廃棄にはしないで。んで、多分その隣に小さめのレドームが置いてあるけどそっちは廃棄で」

 

「レンジブースターって……グロースターのレーダーオシャカにしたアレですか、ロイドさんあれまだ捨ててなかったんですか?」

 

「だ〜って別に捨てる理由も無いでしょ〜?」

 

「スペースは有限なの! 今度はランスロットのレーダー壊す気ですか!?」

 

「ん〜、載せるとしたら多分ナハトかな〜」

 

「載、せ、ま、せ、ん、よ!!」

 

 そう言い合いながら、しれっと別の物体をトレーラーに積み込むスタッフ。その正体はナリタで回収したカスタムタイプの無頼の残骸。彼らもいよいよロイドに毒されつつある。そんな様子を、セシルは例によって例の如く、天を仰いで絶望せんばかりの心境で見つめていた。

 

「もう……これじゃあスザク君が授業終わった後にこっちに来て手伝って貰うことになりそうね……」

 

「連絡しておきますか? 善し悪しはともかく、多分断りませんよ。彼の性格なら」

 

「だからこそ余計に罪悪感が凄いのよね。本当なら暫く休ませてあげたい状態なのに……」

 

 セシルは、そして彼女の横で作業しているスタッフもそれ以上何も言わなかった。

 ナリタでの暴走の一件。回収された直後こそかなり情緒不安定な様子を見せていたスザクは、今はもう何事も無かったかのように過ごしていた。

 

 ……あの狂態からたった一週間で、何事も無かったかのように、だ。尋常では無い事が彼に起こっていたのは外から見ても一発で分かる。軍人としての責任感が強いスザクが、それを放棄する程の衝撃。どう考えても、一週間程度で回復するような物では無かっただろうに。それが、セシルとしては不安で仕方が無い。

 無論、回復次第彼のメンタル面での検査も行われていた。だが、結果は良好。軍人として問題無し、である。その結果が、そしてその現実が、何か間違っているように、セシルは思う。

 

「と言っても、現実問題人手が無いと明後日に間に合いませんよ。レオは向こうに行ったばかりですから、しばらく帰って来ませんし」

 

「そうよね……あっちはあっちで、やっと行かせてあげられたんだもの。やっぱり帰って来い、なんて言い辛いものね……」

 

 セシルはそう言って振り返り、遥か彼方の快晴の大空へと視線をやった。彼女の視線の先で、大型の軍用機が青空に一筋の白い筋を引いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 同じものを、レオは軍病院の病室の窓から見ていた。寝台の横に置かれた椅子に腰掛けたまま、その寝台に横たわる少女の顔を見る。

 

「……何? 顔に何か付いてる?」

 

 その少女……ユリシアが弱々しい笑みを浮かべてみせた。それを見て、レオは余計に気分が沈む思いであった。

 ナリタで負傷したユリシアは、その後この病院に収容されている。負傷の状況もそう酷いものではなく、退院が近い、と聞いていたのだが、どうもこうして本人と会ってみると、身体の負傷とは別の問題があるように見えてならない。

 

「いや、幾分か、窶れたように見えた」

 

「病室でする事が無くて、気が滅入ってるだけよ。ナリタで大勢やられて、ここもてんてこ舞いみたいだし」

 

「……とりあえず、折角注文に応じて朝から行列に並んだんだ。ちゃんと食べて欲しいな、その林檎」

 

「別にその辺のスーパーので良かったのに……でもありがとう。そうさせて貰うわ」

 

 そう言って彼女はテーブルに手を伸ばし、更に盛られた林檎の一欠片をフォークで刺した。その白い手に巻かれたより白い包帯が痛々しくて、レオは一瞬目を逸らした。

 

 あの山の崩落など、誰が予測できただろうか。確かに、黒の騎士団の動きに警戒はしていたし、黒の騎士団が奇襲を仕掛ける可能性も頭には入っていた。ゼロのこれまでのパターンから、そしてエリナの側に居て知った暗殺者の行動パターンから考えて、ゼロが狙うのは手薄になった本陣。そう考えたから、ナリタでは攻撃成功後のタイミングで本陣に帰還していた。

 

 部隊の中枢、という意味ならば前線に出ているコーネリア総督についても注意が必要であったろうが、先陣に立つコーネリア隊に奇襲を仕掛けるなら、ゼロは必然的に日本解放戦線内部か、或いはブリタニア軍内部から出現しなければならない。どちらにしても、敵の只中だ。これでは奇襲以前に自ら進んで負け戦を行うようなものだ。だから、手薄と見られがちな本陣をマークしていたのだが……。

 

 結果、ゼロはどうやってか知らないが、その戦況そのものを崩した。これまでレオが立てた予測は、全てこの戦況を前提としたもの。それでレオの予測は全て水泡に帰した。

 

 ……冷静に考えれば、そこで部隊が慌てて動いた隙を突いて本陣を狙う、という可能性もあったかもしれない。が、あの時のレオにその考えは無かった。

 彼女が、ユリシアが危ない。そう思ったからだ。その時点だけ、皇族を護る、という彼の使命は一瞬何処かへ消え失せていた。

 

「……すまない」

 

「え?」

 

 無意識のうちに言葉が走った。君を守れなかった、そう続けそうになり、レオは誤魔化す意味を込め林檎の一欠片を素早くつまんで口に放り込む。

 ……何を馬鹿な。あの大騒動を自分一人で止められたつもりか? また随分と傲慢な事だ。

 

「あ、やられた……って、いや、私一人で食べ切るつもりでもないけど……また盗み食いでもするみたいに」

 

「………………」

 

 口の中の林檎をさっさと咀嚼して飲み込む。

 存外、美味であった。

 

「美味しいわよ、これ。行列に並んだって、何処で?」

 

「西側租界外縁区(アウター・リム)のマーケットだ。最近人気だそうで、随分と混んでいたよ」

 

「へぇ〜……今度行ってみようかしら」

 

「そうだな。今度特派の面々にも買って行こうかと思う。引っ越し作業が終わった頃に」

 

「……ごめんなさい、手伝えなくて」

 

「心配無い。やっている事はロイド伯の変な試作品の行く末に関する口論が殆どだ。順調に遅れているが、原因はロイド伯にあると断言して問題無いだろう」

 

 ユリシア、レオ共に二つ目に手を付けつつそんな無駄話で時間を潰す。

 レオとしては話したい事は幾つか残っているが口に出さない。この状態の彼女にそれを告げるのは些か以上に気が引ける。

 

「……おっと」

 

 話題が途切れそうになったところで、レオはそう言って立ち上がった。窓際の花瓶を手に取って、ちらりと中身を覗く。

 

「頼まれていたのを忘れるところだった。水を入れ替えて来る」

 

「あ、お願い」

 

 病室を出て、手洗い場で花瓶から花を引き抜き、花瓶の中に僅かに残っていた水をぶちまける。何となしに中身を軽く濯いで、元のように花の茎を花瓶に挿し込む。あまりにも単純な作業。お陰で先程飲み込んだ言葉が再び喉の奥から首をもたげる。

 

(……お前はどう思う)

 

 そう心の中で問い掛ける。呼応して背後に現れた気配を感じ取る。

 

“何がですか、主よ”

 

(憶えているか? あの時。私が麓に降りると言い出した時だ。あの時のユリシアの……そしてセイトの態度が、私には妙に引っ掛かる)

 

 具体的にどうおかしかったのか、それは少々説明し難い。ただ、例えるなら何処かしら歯車が嵌り切ってていない機械の動作風景のように感じられた。表面的には問題なく駆動してはいるが、精査して行くとその歪さが露呈しそうな、そんな感覚。

 

(外から見て、セイトのグロースターの損傷状況に大した異常は感じ取れなかった。ランドスピナーが破損していた割には、麓までの機動に問題は無かった)

 

“それだけ彼の技術が優れていた、という解釈は?”

 

(他の騎士ならばともかく、彼ならば充分可能だ。が、それならば戻って交換する意味はあったのか? 勿論これも万全を期して、と言い訳も出来るが)

 

“…………”

 

(加えて、ユリシアが彼とポジションを代わる意味はあったのか? 本来彼女の任務は私の護衛。交代後の僚機としても却ってやり辛いだけではないのか?)

 

 ……無論、別にそうしてはいけない、という理由も無い。が、敢えてそうする理由も見えない。まさか彼女が功を焦った筈もあるまい。

 

(その辺りを含めてセイトを問い詰めようか、とも思ったが……友を疑う、というのも気分が悪い。そう思わせるのも申し訳ないだろう)

 

“……では、御勝手にどうぞ”

 

 そう突き放した言葉を残して、女の気配は消えた。やはりこうなったか、と首を振って、レオは病室に戻った。

 

 戸を開けた矢先、乾いた破裂音が部屋の中に響いた。

 

「──ッ!!」

 

 一瞬でレオの身体は強張る。レオの視線の先には、ベッドに倒れ込んだユリシアの姿。そしてその目の前、先程までレオが座っていた椅子の横に立つ、黒いコート姿の長身の男の姿。

 

「……ウォルター」

 

「おや、エルフォード君か。すまないね、妹が君に迷惑を掛けた」

 

 そこに立つ男の名は、ウォルター・リィンフォース。リィンフォース家次期当主にして、ユリシアの実の兄。彼女のそれよりも暗い赤色の髪をオールバックに纏めた男が、その口元に妖しげな笑みを浮かべながらゆっくりと振り返る。

 

「今はユーラシア戦線に、とお聞きしましたが、まさか此方にいらっしゃるとは」

 

 辛うじて礼節を保ちながら、レオは二人を観察する。先程まで起き上がっていたユリシアが、今はぐったりと倒れ込んでいる。その頰に手を当てて、その目にはそれまでとは違う色が浮かんでいる。

 ……傷付いて、恐怖している。彼女のその目は以前にも見た事がある。そういう目をさせたくないから、私は、俺は、彼女を…………………………。

 

「EUも存外腑抜け揃いでな。事が順調に推移しているようなので、少し早めに向こうを離れたのさ。我が愛しの妹にも会っておきたかったものでね」

 

「それはそれは。わざわざ海を越えて妹に手を上げに来たとは、また高尚なご趣味をお持ちの方だ」

 

 そう言って、鋭い視線を飛ばす。が、ウォルターは意に介した様子もなく……いや、寧ろ申し訳なさそうに、

 

「聴こえてしまったか。いや、こちらとしても申し訳ないと思っている。本来護衛であったはずが、逆に貴卿に助けられる醜態を晒してしまった。妹に代わり謝罪する」

 

 そう言って、ウォルターはユリシアの頭に、その赤い髪に触れた。びくり、と彼女の身体が震えた。

 

「彼女には、よく言い聞かせておこうと──」

 

「彼女から手を離せ」

 

 彼の言葉を遮って、レオの口から言葉が走った。

 

「何だって?」

 

「彼女から、手を、離せ」

 

 一歩足を踏み出し、ウォルターの手を引っ掴んで無理矢理ユリシアから引き剥がす。

 これ以上見ていられない。

 ──これ以上、彼女を傷付ける事は許さない。

 

「……一応これは兄妹の事柄だ。部外者である君にどうこう言われたくはない、とは言っておこうか」

 

 レオに向き直ってウォルターが言った。

 

「家族だろうが何だろうが、見過ごせない物もある。貴方は傷付いた彼女を更に傷付けた。私も妹が居た身、看過出来ぬものがある」

 

 睨み合ったまま、二人は病室の中で共に輪を描くように動く。まるで今にも剣で斬り合いでも始めそうな殺気を発しながら、レオはユリシアの側へと近付く。

 だが、ウォルターは一瞬だけそれに付き合った後、笑みを零して身体を引いた。

 

「──いや失礼、懐かしいやりとりだったのでね。つい乗ってしまったよ」

 

 ウォルターは余裕ある表情を浮かべたまま踵を返した。その背中に視線を投げつけても、彼は何ら反応しない。

 

「病院で騒ぐのも迷惑だろう。私はここで失礼するが……ユリシア」

 

 戸を開いて出て行くかと思いきや、戸口で足を止めて振り返らずにユリシアの名を呼ぶ。呼ばれたユリシアの身体が微かに硬直し、レオはそっと彼女の手に触れる。

 

「忘れるな、お前の失態は確実に父上を失望させるに値する。私は暫くはここに滞在するから、退院したら必ず連絡を入れるように。父上への報告を行う」

 

「………………」

 

「良いな?」

 

「…………………………はい」

 

 そう、小さな声で彼女が答えると、それでウォルターは今度こそ部屋を出て行った。部屋の中にあった緊張が薄れて行き、レオは持ちっぱなしになっていた花瓶を元の場所に戻してユリシアの横に腰を下ろした。

 

「……大丈夫か」

 

 横になった彼女は毛布を被り、目元だけを外に出してこくん、と頷いた。

 

 そう、彼女にはこういう事情がある。

 兄妹の不仲、と一言で片付ければ簡単なものに聴こえる問題だが、普段明るい彼女が、兄ウォルターに対してだけは恐怖し、縮こまってしまう。尋常ならざる事だ。一体過去にどれほどの経験をすれば、こうも病的に兄を怖れるようになるのか。

 

 ……エルフォード家の中においても似たような例を知っているだけに、レオとしては到底放っておける問題ではない。

 

「私が言えば随分気楽な物言いにしか聞こえないと自覚しているが、あまり気に病む事はない。あれは予測出来なかった事態だ」

 

 自分でもあの時の状況に疑念を抱いておきながら、そんな気休めをレオは口にする。勿論そんな物が彼女の救いになろう筈が無い。寝返りを打ってレオにすら背を向けた彼女の背中は、まだ時折、微かに震えていた。

 

「ごめんなさい……今日は……」

 

「……また来るよ」

 

 心の中で精一杯の謝意を示しつつ、レオは彼女の病室を辞した。そのまま歩き去る……と見せかけて、暫く壁に背をついて中の様子を探る。

 部屋の中から啜り哭く声がした。しかし、今のレオに出来る事は無い。すまない、ともう一度口にして、レオは今度こそ病院から歩き去った。

 

 

 

 

 

「……貴様のこれまでの独断専行には確固たる理由があった。それが実際に優先度の高い事柄であり、そしてそのお陰で功績を挙げて来たからこそ、これまで貴様のある程度の独断専行も見逃されて来た訳だ」

 

 翌日、レオは政庁の中枢、コーネリア総督の執務室に居た。部屋には彼と総督の二人しかおらず、デスクの上に置かれた通信ディスプレイで本国のシュナイゼル、そして今や懐かしいエリナの二名と通信が繋がっている。

 

「だが今回、ナリタでの一件はそういう訳ではない。通信記録と、そして貴様の言葉が示す通り、今度の独断専行は友軍……いや、ひとりの人間を助けようとした、という理由によるものだ。あの状況下で効果的な運用が可能であった機体に乗っていながら、それを貴様個人の意向で動かした。それは貴様も理解しているな?」

 

「はっ」

 

 詰問内容はコーネリアの語る通り、ナリタでの独断専行の一件。これまで、例えばエリナを屋敷から助け出す際には、彼女を含めた一族の生命が掛かっていたからこそ、ハイウェイをサザーランドで駆け抜けるような真似も許されたのだ。太平洋上でガウェインを動かした一件も、そうしていなければ試作機も奪われ、輸送艦レノア・ゲイズにも被害が及んでいた。何よりレオ自身がどうなっていたか。

 

 しかし、ナリタでは違う。あの時レオはユリシア一人の為だけに飛び出したのだ。それによってレオはコーネリアの救援に向かう事が出来なくなり、その後ランスロットの暴走をカバーしてゼロを取り逃がす事もなかったのだ。

 加えて、ハイウェイの時のレオは親衛隊精鋭としての権限があった。が、今回はそれが無い。今回問題として浮上したのは、そういう部分だった。

 

≪……勿論、そういう気持ちを持つ事がいけない、という事では無いよ?≫

 

 色素の薄い金髪の男性が、通信越しにレオに言葉を掛けた。

 帝国宰相 シュナイゼル・エル・ブリタニア。神聖ブリタニア帝国第二皇子。皇帝親政が行われているブリタニアにおいて宰相の権限はそれほど強いわけでは無いが、それでも凡庸と評される第一皇子オデュッセウスに代わり、皇帝シャルルの最も有能な補佐役と、ひいては次期皇帝の第一候補として見做されている人物である。

 

≪しかし、ね。命令も受けないまま飛んで行く、というのは些か感心しないな。兵は神速を貴ぶとは言うけれど、結局現場の一兵士に戦況を見極める事は不可能だ。君がそうやって勝手に動いた事で、逆に別の味方が危機に陥りかねない≫

 

 流石に、その話に異論を挟む程の無知蒙昧になった覚えもない。レオはただ黙ってそれを肯定し、二人、いや三人を見ていた。

 シュナイゼルの隣のディスプレイで、エリナが真剣な面持ちでレオを見ていた。果たして、自身の騎士となる事が内定している人物の失点について語るこの場所を、彼女はどう見ているのだろうか。

 

「……とは言うものの、貴様が動いた時点で既にG1の方で貴様をアレックス隊に回す、という話にはなっていたらしい。故に結果そのものに変わりは無い事も確かだ」

 

≪加えて、結局アレックス将軍の部隊の所にも黒の騎士団は現れた。あそこから一直線に本陣に向かわれて居たら、今度はユーフェミアの命が危なかった。君があの場所に居たことで、ユーフェミアも救われたんだよ。図らずも、だけれど≫

 

 そこまで言って、シュナイゼルは一度息を吐いた。

 

≪だから、今回は注意に留めるか、罰則と褒賞を同時に付与して相殺、という形にするとしよう。結局の所、君はリィンフォース卿も、アレックス将軍とその部隊員も、そしてユーフェミアも守ったんだ≫

 

 しかし、その表情は微笑を湛えてはいても、功績を称えるそれでは無い。レオも自分の行動が如何に評価し難い事であるか理解していたし、軽率でもあった、と自省もしていた。

 最も、後悔しているか、と聞かれれば極めて答え辛い心境でもあったが。

 

≪……ただ、ね。これだけは覚えておいて欲しい。我が国を含めて軍隊には昔から、“大きな功績を立てれば多少の軍規違反は見逃される”という不文律があるのは確かだ。でもこの不文律が未だに生きている軍隊というのは、いささか問題でもあるんだ。これも、やはり我が国とて例外ではない。皆が皆、功績の為に命令を無視しては軍隊が成り立たない。これはエリナにも覚えておいて欲しいな≫

 

 エリナがディスプレイの中で頷いた。そしてコーネリアが壁の時計に目を向ける。既に、午後五時を回っている。今頃特派のラボの方はいよいよ慌しさを増して混沌の中にあるに違いない。

 

≪──よし、じゃあ、この話はおしまいにしようか。レオ君の失点の話をしたから、次はこちらの失点の話をしようか≫

 

「宰相閣下……?」

 

 コーネリアがシュナイゼルの意図を掴めず聞き返す。コーネリアとしてはこれで通信を終えてレオを返すつもりだったのだが。

 

≪今入った情報だ。現在我が軍で開発中の実験機ガウェインが、中華連邦の手により強奪された≫

 

「な──」

 

 一同が、息を飲んだ。

 

≪既に伝えた通り、ガウェインは皇帝陛下直属の機関の手で徴用され、タンザニアにて特殊任務に従事していた。しかし数日前、この機関が中華連邦特殊部隊の襲撃を受け全滅。状況から見て、ガウェインは彼らの手で持ち去られた、と見ていいだろう≫

 

 ディスプレイの向こうで、シュナイゼルが横に控えていた副官のカノンから資料を受け取った。速報レベルのものでしかない第一報に続いて、ある程度纏まった情報が上がって来たのだ。

 

「ガウェイン……確か本来なら、貴様の着任と同時に特派に配備される予定だった機体だな?」

 

「はい。超演算機構ドルイドシステム、及びプロトタイプのフロートシステム、ハドロン砲を装備した実験機です」

 

 レオはコーネリアの質問にそう答えた。搭載されている新技術は三つ。どれを取っても最先端の技術を使用した国家機密レベルの代物だ。いずれの技術も、それまでのKMFの常識を覆しかねない、それこそ世代を一つ進めるに足る技術。それが敵国に奪われた、と言うのだ。

 

≪中華連邦には今現在まともなナイトメア技術が存在するとは言えない状況です。仮にガウェインの技術が解析され、中華連邦軍の兵器群にそれが反映されてしまえば……≫

 

「由々しき事だな。それに、データを見る限りこのガウェイン一機をこのエリアのテロリストに流すだけでも、政庁の強襲すら視野に入りかねん脅威となる」

 

≪──うん。話しながら同時進行で情報が入って来ると忙しないね≫

 

 コーネリア、そしてエリナの言葉に反応して、暫し資料に目を通していたシュナイゼルがそこで口を挟んだ。

 

≪ざっと見た感じだと、中華連邦と言ってもインド軍区の方らしい。あそこはどうにも本国との折り合いが悪い様子だし、中華連邦そのものにガウェインの技術がストレートに通る事は無さそうだけど……今コーネリアが言ったように、エリア11にガウェインが敵機として現れる可能性はあり得る。現状の空爆対策では、少し危ないかも知れないね≫

 

 続けて、シュナイゼルはコーネリアに租界の防空システムの強化を提案した。フロートシステムを装備するガウェインならば、ゲットーのような不整地からでも簡単に発進可能だ。そしてゲットーに何が運び込まれているかを知る術はあまりにも乏しい。

 

「少なくとも、対空陣地は現状では足りないでしょう……フォン・エルフォード、ガウェインのテストパイロット……その性能を知る者としての所感を聞かせて欲しい」

 

 コーネリアが租界の配置図をデスクに広げて、レオに問うた。

 仮にガウェインがゲットーから租界に攻め込んだ場合、まず現状の防衛陣地は無視できる。地上のKMFや戦闘車両を仮想敵とした防衛陣地では、空中のガウェインは捉えられない。そしてガウェインのハドロン砲は、その安全圏から地表面を簡単に焼き払う事が出来る。租界防空部隊は離陸前に消し飛ばせるだろう。

 

 とはいえ、そこから一直線に政庁まで行けるか、というとそういう訳でも無い。流石にガウェイン単独で租界中枢の防空システムを突破する事は難しいだろう。同時侵攻で地上から防空システムを潰さない限り、まず途中で撃墜される。その為には味方地上軍を租界に入れる為に防衛陣地をガウェインが焼き払う必要があり、そんな事をしていれば防空部隊は充分発進可能だ。

 

 ただし、その防空部隊でガウェインを落とせるか、となると厳しい部分がある。やはり、ガウェインの脅威度は高く見積もるべきだ。

 以上の見込みを頭に入れて、レオはガウェインを使った場合の租界侵攻ルートをいくつか提示して見せた。

 

 レオの話が終わると、コーネリアはそこで本国との通信を一旦切った。流石にこの一件はこの場で決定出来るような些事では無い、という事だった。

 

「さて、ご苦労だった、エルフォード。それで、もう一つだけお前に伝えねばならぬ事があるのだが……」

 

 すっかり話を終えた気になって退室後の行動を考えていたレオは、その言葉で執務室に引き止められた。

 次にコーネリアが発した言葉を聞くと、レオの表情が一変した。

 

「貴様の父君、エルフォード卿がお前を呼んでいるそうだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナリタ戦を終えて騒がしいのは、何もブリタニア側だけでは無かった。彼らと対峙する反ブリタニア勢力もまた……いや、ブリタニア以上に混乱し、動揺していたのだ。

 

「──日本解放戦線が全滅、か」

 

 かつて霊峰と名を馳せた富士山を包み込む重厚な銀色。フジヤマサクラダイトプラントの奥深くにおいて、長く重苦しい沈黙がこの数人の老人からなる集団を包み込んでいた。畳張りのその部屋は灯りを中央の囲炉裏に頼っているのみで、ほぼ闇の中と言っても良い。

 闇の中の灯火、とでも言うのだろうか。歳の割に何ともロマンチストな事である。エリアスはそう内心で失笑していた。

 

「それで、片瀬はどうなった」

 

 沈黙の後、ひとりの老人が口を開く。奥の闇の中に控えているエリアスは肩を竦めて、携えたファイルを老人に差し出した。

 

「片瀬少将、及び四聖剣の脱出は確認済みです。が、無頼改以下戦力と呼べる物はほぼ全て失い、離散。今は各々が地下に潜伏し、息を潜めている状態にあります。残存部隊のいくつかは黒の騎士団により救出されましたが……」

 

 ファイルには、ブリタニアの広報紙が何枚も挟まれていた。ほぼ全てがナリタ戦後のこの一週間以内に発行されたものであり、内容も全て、日本解放戦線の残党を処刑した、という内容のものである。こうも逐一宣伝されては、勝利宣言にしてもお互いうんざりして来るものだろに。

 

「生き残りすら許さんとは……」

 

 最も、この老人達……ナリタの重鎮達には効果は抜群だったようだ。ひとりの震える呟きが、全てを代弁していた。

 最早、この老人達の半分が既に心の中で敗北を認めている。

 

「待たれよ、逃走中とは言え、藤堂は未だ健在ですぞ!」

 

「然れども、無頼改まで失ったと。最早希望は……」

 

 だが、そんな中にあって不似合いな歳若い声が、その老人達に待ったを掛けた。

 

「希望なら、あります」

 

 老人達も、エリアスも思わずそちらに視線を向ける。簾の向こう側に座すひとりの少女。この部屋の中で最も若輩で、最も非力な者だけが、胸の内の希望を失っていない。

 

「黒の騎士団か……紅蓮弐式もそうだが、枢木スザク救出の件以来、ゼロにご執心ですな」

 

 何処か揶揄するようにまた老人が呟く。が、少女はただ黙って老人達と、その向こうのエリアスへと視線を向けた。

 

「……その黒の騎士団だが、エリアス」

 

 それまで無言を保っていた老人が、そこで初めて口を開いた。

 青い和服、隻腕。そして刀傷がはっきりの残ったその厳つい顔の彼の名は、榊原大和。エリアスの今の主君……を気取る、かの老師殿である。

 

「はっ」

 

 恭しく頭を下げてみせる。不要なまでの畏まった姿勢に、精一杯の嫌味を込める。こちらに背を向けたままのあの老師には分からない。座る向きの関係からして今のエリアスを視界に捉えているのは、あの少女のみ。

 

「かの組織が果たして日本の為になるか、否か。それを探る為に貴様を黒の騎士団に送り込み、貴様は見事黒の騎士団にて一定の地位を築いた訳だが……どうだ、あの者、ゼロの行く道と我が日本の行く道、重なっておるか」

 

「では、はっきりと申し上げます。現状この日本においた、黒の騎士団以外にブリタニアと戦える勢力は存在せず、またブリタニアに勝ち得る勢力は存在致しません」

 

「大きく出たな。だが、黒の騎士団は所詮新興勢力。寧ろ黒の騎士団を上手く用いて日本解放戦線を立て直す、という手も充分にあり得るだろう」

 

「ならば重ねて、そして畏れながら申し上げます。兼ねてより日本解放戦線は死に体、ナリタでの戦闘が無くとも、組織としても未来は御座いませんでした」

 

「ほう? 旧日本軍の最大勢力が……そこまで落ちぶれた、と?」

 

「一度負けていながら戦い方を変えれぬ者達、とうに敗北した思想にしがみ付いた者達です。数の大小に関わらず、時勢に取り残される未来しか無い者共に過ぎません。でなければ、ホテルジャックなどという事件を起こした草壁のような男が重鎮で居られる筈もありません」

 

「言いおる……が、事実だ」

 

 榊原の隣に座る禿頭の老人が、そう言って息を吐く。続けて何かを言いかけた老人も、榊原が肩を揺らすだけで一様に押し黙る。力関係、という物が如実に現れた格好になる。

 

「わしらとて、日本解放戦線の限界は承知していた。ただ、彼奴等以外にブリタニアと真っ当に戦える組織が存在しなかったから重用していたに過ぎん。片瀬も草壁も、良い将では無かったしな。しかし──」

 

 そこでその禿頭、桐原泰三は言葉を切ってエリアスに鋭い視線を投げた。キョウト六家の老人さえ威圧する視線に怯まず、エリアスは視線を投げ返す。

 

「果たしてゼロという男を信用して良いものか。面体を秘し続け、更にブリタニアのみならず、我々が支援する反ブリタニア組織すら攻撃するあやつを?」

 

「彼は、まごう事なきブリタニアの敵。ブリタニアを打倒せんとする男です」

 

 それは、自分への問いかけだ。そうエリアスは判断して即座に返す。その声に、ほぼ同時に別の声が重なった。

 

「──ゼロこそ、日本解放の希望たり得る人物ですわ」

 

「神楽耶殿……」

 

 簾の向こうの少女の声であった。桐原公と同様に彼女の影響力もまた強いようで、桐原公もそれを聞いてううむ、と唸った。

 

「……そうまで言われると、致し方あるまい」

 

「では──」

 

「うむ。では、儂が直々に会って見極めるとしよう。エリアス、黒の騎士団にその旨伝えよ」

 

「──はっ!」

 

 最敬礼の姿勢を取り、エリアスは老人達に頭を下げた。

 ……誰にも見られぬように、笑みを浮かべながら。

 

 

 

 

 

≪──そうか、上手く行ったか≫

 

「ああ、多少オーバーにあんたの事を宣伝しておいたよ。あとはそっち次第だ」

 

 件の()()()から十数分後。居間……と呼ぶには少々殺風景かつ広すぎる部屋の片隅で、エリアスは携帯端末越しにゼロへと報告を行っていた。

 そう、これこそが彼の目的。彼の忠誠は今や老師などではなく、黒の騎士団にある。この先の活動を控えてキョウトからの支援を引き出すべく、こうして滅多に顔を出さないキョウト本部へとわざわざ出向いたのだ。

 既に桐原はゼロと会う事を決定した。ゼロが要求したのはキョウト六家の重鎮との直接交渉の場であり、この時点でゼロの目論見は達成された事になる。

 

≪それに、桐原公を引き当てられたのは僥倖だ≫

 

「ほう? 最も力のある人物だから、ということか」

 

 眼前の窓の向こう、皮肉にも他ならぬブリタニアによって厳重に守られたプラントの景色を眺めながらエリアスは問い返した。

 

≪いや、桐原公ならば一番説得し易いし、個人的に信用させ易い。本当に良くやってくれた。完璧としか言いようが無い収穫だ≫

 

 ゼロが珍しくストレートに褒め称えて来る。それはそれで珍しいものではあるのだが、エリアスはその賛辞を素直に受け取ることは出来なかった。

 

「……桐原を引っ張り出したのは、俺じゃないがな」

 

≪何?≫

 

「皇神楽耶。キョウトの当主、象徴とも言える人物だ。黒の騎士団に紅蓮を回したのも彼女らしい。その彼女が、俺の意見に同調したのさ。随分とご執心の様子だよ、あれは」

 

 実質的に、老人達は神楽耶の言葉で態度を決めた、と言っても良かった。十代の少女、と言う事で他の六家の面々から軽んじられる事もあれど、貴い血を引く彼女の影響力は、ある種桐原公以上の物でもあるのだ。

 

≪それはそれは……私には身に覚えが無いが……≫

 

「あの子についても探りは入れてみるさ。で、他の面々は?」

 

≪中華連邦総領事館に向かっているところだそうだ。まだ到着の連絡は来ていない。到着してもどう転ぶかはあちらに行ったメンバー次第だが……まあ、こちらも玉城が行っている事位しか不安視はしていないな≫

 

「上手く行ってくれないと困る案件でもある。でないと黒の騎士団の戦力は欠けたままだ。誰かさんがヘマしたせいでな」

 

 エリアスが自嘲した。言うまでもなく、ナリタで破損した愛機白夜の事だ。

 

 現状、白夜は右腕部マニピュレータを破損した上各部へのダメージが著しく、現状の黒の騎士団スタッフでは修理不能、と言う結論に至っていた。更に言うと、白夜と同じようにナリタで敵の新型……通称白兜と対峙した紅蓮弐式も、主兵装たる右腕部輻射波動機構を損傷、同じく修理不能と判断されている。黒の騎士団のKMF戦力はこの紅蓮シリーズ二機以外には少数の無頼しか残っていない。つまり、現在の黒の騎士団の戦力は半分以下にまで減少していると言っても良い状態なのである。

 

 勿論、これまでのような“正義の味方”をやるのであればKMFすら要らないケースも多い。が、黒の騎士団はいつまでもゲットーの隅でコソコソと動いている訳にはいかない。騎士団の目的は、ブリタニアの打倒でもあるのだから。

 

 この局面において、黒の騎士団にある人物が接触を図って来ていた。名はラクシャータ・チャウラー。サイバネティクスの専門家であり、また天才的KMF技術者でもある。紅蓮シリーズの、そしてエリアスの戦闘義肢の生みの親だ。黒の騎士団としてもこれを逃す手は無い。

 

「そろそろ、腕もオーバーホールしたいところだしな」

 

≪ああ、キョウトを介してコンタクトを取る予定ではあったが、手間が省けたな……とりあえず、桐原公から詳細な日付を貰ったら戻ってくれて構わない。勿論、暫くそちらで旧交を温めるのも構わないが≫

 

「そんな相手は居ないよ。じゃあな」

 

 通話を切って、最後にもう一度プラントの景色を一瞥する。NACの名を借りてブリタニアに恭順を示し、ブリタニアによる防備の奥に隠れ、裏でレジスタンスに支援を行う。それがキョウトの実態だ。戦略的な是非はともかくとして、エリアスとしても、ゼロとしても正直気に入らない。やり方も、考え方も旧いのだ。

 

 面従腹背、安いものだ。だから、こいつらは勝てないんだよ。

 

 独りごちて、窓に背を向ける。同時に部屋の扉が音を立てて開き、隻腕の老人……榊原大和がずかずかと部屋に入って来た。

 

「エリアス」

 

「はっ」

 

「詳細な日時が確定した。これを、ゼロに届けるのだ」

 

 差し出された書簡を、エリアスは跪いて頭を下げ、恭しく受け取る。

 

「……それと、最近のお前の行動について、だ。一つ聞いておくが、お前は誰の部下だ? お前は誰に仕えているのか、分かっておるのか?」

 

 そうら来た。エリアスは何も答えなかった。

 

「そう、この儂、このキョウトに仕えておるのだ。決して、ゼロとやらでは無い。その事、ゆめゆめ忘れるなよ」

 

「はっ……」

 

「忘れぬ事だ。今の貴様が、一体誰のお陰でここにあるのかを」

 

 臆面も無く言ってのけた榊原は、答えを聞くことも無く踵を返した。嫌悪の表情を隠す意味も無くなったエリアスは、彼の消えた扉に殺意を込めた視線を向ける。

 

 忘れてはいないさ。誰のお陰で今があるのか……いや、一体誰が母を見捨てて、誰が自分を見捨てたのか。忘れるものか。エリアスもまた立ち上がり、反対側の扉から退室した。下層へ降りるエレベーターの中で、エリアスは一人、右の腕を持ち上げる。

 

 ああそうだ。今の俺が、復讐者としての俺があるのは貴様のお陰だよ、老師殿。

 貴様こそ忘れない事だ、榊原大和。俺は決して貴様の飼い犬などでは無い。貴様が俺を首輪付きにするのであれば、俺は狼となって貴様の手綱を喰い千切って見せよう。

 しゃらり、と右の手から銀の刃が覗く。暗殺用の隠し短剣、母が遺したブリタニア語の設計図を基に自作したものだ。

 

 どうせ、俺の裏切りの気配くらい察知しているのだろう? 榊原大和。どうせ、裏切りの対策くらいはしてあるのだろう? だが、関係ない。貴様の浅知恵など、俺は真正面から打ち砕く。そして俺の大鎌で、或いはこの刃で、貴様の喉を捩じ切ってみせる。

 

 ──絶対に、だ。貴様とて母の仇だ。

 

 誓いを新たに、エリアスは闇に沈んだ通路へ足を踏み出した。



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第十一幕 Bloodstained Lawrence

 暗い部屋で、私は意識を取り戻した。全身が苦痛を訴えているのがわかる。視界は真っ暗で、ただただ苦痛という感覚だけが認識出来る。

 そこへ、暴力の音がした。自分では無い、誰かを別の誰かが殴りつける音。骨が折れる音、人間を痛め付ける音。音が響くたびに、私の記憶が呼び覚まされる。

 

 何が起こったのか、最初は理解できなかった。ただ突然武装した兵士達に家まで踏み込まれ、頭に布を被せられて連行される事が“身に覚えのない理不尽”などでは無いことは分かっていた。

 私の表の顔は、ロンゴミニアド・ファクトリーに勤務する技術者。KMFグロースターの機能向上プランを考案した事でローガン・エルフォードの目に留まり、彼自身も参加する重役会議に常連のようにして参加する事も出来る立場にあった。

 裏の顔は、そのローガン・エルフォードを狙うスパイ、工作員だった。獅子身中の虫。しかし、あの男にとって暗殺の危険性などは日常となりつつあるのかもしれない。あの男は裏切り者として屋敷に連行されて来た私を見て、さもありなんとばかりに表情一つ変えなかったのだ。

 ……しかし、しかしだ。私はあの男の命を狙う有象無象の暗殺者とは違う。それだけは胸を張って言える。私は、これは正義の行使なのだ、と確信してあの男に剣を振り下ろす事が出来る。

 何故なら──

 

「言え!?」

 

 私の腹を強い衝撃が揺さぶった。脳が上手く働いていないおかげで、闇の中で暴力に晒される恐怖感はまだ実感していない。

 殴られる度に、私の心臓は不整脈を起こして激痛を走らせる。殴られただけのダメージなどでは無い。

 次の暴力は、殴打ではなかった。ただ拳を胸に押し付ける程度のこと。だがその瞬間、まるで脳が中心から発火するような激痛に襲われた。神経を切り裂かれ、身体が引きちぎられるような痛み。銃弾に撃たれるだとか、刃物で斬られるのとはものが違う。何処かが痛い、ではなく全身を一斉に攻め立てるような常軌を逸したような痛み。

 

「貴様の他に、何者が我が父を狙う!?」

 

 今度は、殴打とその激痛が同時に走った。息を吸おうとすると、ほんの僅かに空気を吸った所でそれ以上空気が入って来なくなる。パニックに陥りそうな脳をなんとか抑える。

 耐えねばならない。盟友の為に。私はその一心だけを念じた。強い使命感があるからこそ、私はどうにかそこにしがみ付いていられる。

 

「何故狙う!?」

 

 更に殴られる。二つの痛みの他に、酸欠で頭が痛む。

 

「何を狙う!?」

 

 殴られる。頭が働かない。意識が途切れそうになる。

 

「言わねば、終わらぬぞ!!」

 

 殴られる。私の身体が揺れる。次が来る、と思った瞬間、私の意識は途切れそうになる。だが間も無く、まるで見計らったかのように全身に全身にべっとりとした衝撃が走った。冷水を掛けられたのだ。麻痺していた皮膚細胞が息を吹き返し、一斉に苦痛を主張し始める。

 悪寒と痙攣。嘔吐しそうになるが、それを寸前で押しとどめる。呼吸が出来ない状態で嘔吐すれば、自分の吐瀉物で溺死しかねない。

 息をしようとしてまた途中で息苦しくなる。聞き覚えのある音が顔の皮膚に密着するのを認識して、頭にビニールを被せられているのだ、と理解した。呼吸する度にビニールが口に張り付いて息が出来なくなるのだ。

 更に殴られる。その度に喉の奥から声が勝手に漏れる。肺から空気を出し切っても、ビニールのせいで求めるだけ空気を吸えない。

 

「さあ吐け! 奴らは何処まで知っている!?」

 

 明らかに、この男はこの拷問を楽しんでいる。私の目的などとうに見当が付いていて、にも関わらず絶対に答えない、と分かっている質問をするか、核心に迫り辛い、答え辛い質問をして、私を甚振って愉しんでいる。

 だが、耐えてみせよう。既に我が盟友はこの事を知っている筈だ。助けが来る筈だ。

 

 何度目かの殴打に、とうとう脚が耐えられなくなる。が、崩れ落ちる事はない。この男がそういうダメージの与え方を熟知しているのもあるだろうが、それ以上に私は今、自分の脚力で立っている訳ではない様子だった。

 両腕を頭上に拘束されて、吊るされている。足は地面に付かず離れずの位置にあって、殴られる度に私の身体はふらふらと揺れる。

 股間が生暖かい感触に包まれる。失禁したのだ、と理解しても、屈辱を感じる余裕すら無い。男の方はそれを理解すると、愉快そうに嘲笑った。

 

「……悪くない気分だろう? 正義に準じたつもりで痛みに耐える気分はどうだ?」

 

 そう言って、男の両手が私の身体に触れる。次の瞬間何が起こるのか、私は容易に想像出来た。

 背骨を貫くような衝撃。両脚が戦慄き、私は絶叫した。

 

 

 

 

 

 

 足下の闇の底から、この世の物とは思えぬ悲鳴が聞こえて来る。因縁のある場所に呼びつけられた事を呪いながら、レオは灯りすら無い廃屋の地下室の扉を開いた。

 断続的に光が走る。その度に布越しのようにくぐもった叫びが決して広くはない部屋の中に響く。

 部屋中に、肉の焦げるような匂いと血の匂いが入り混じって充満している。あの日を思い出して嫌悪に顔を歪めながら、レオは部屋に足を踏み入れて戸を閉じた。

 古びた部屋の壁という壁、床という床に血の染みがこびり付いていた。拷問用の部屋だ、とすぐに分かる。

 

「……良くもこんな場所に呼びつけてくれたな」

 

 そう、不機嫌さを隠そうともせずに部屋の先客へと言葉を掛ける。ブリタニア貴族らしい煌びやかな赤い衣装を着て、眼鏡を掛けた切れ眼の男だ。身に纏った豪奢な衣装が血飛沫で汚れるのも構わず拘束された男をひたすらに甚振っていた彼はそれを聞いて、なお愉しげに答えた。

 

「良い場所だと私は思ったのだがね。因縁の場所だ。復讐にはちょうど良かろう?」

 

 秀麗な顔に、隠し切れぬ歪みが浮かぶ。彼の名は、ローレンス・エルフォード。エルフォード家の長男。レオの義兄。

 闘いを好む生粋の戦士ではあるが、技量と技量のぶつかり合いを好むのではなく、確実に他者を叩き伏せ粉砕する事を好む男。

 ……レオにとって、どうしても好きになれぬ相手だ。

 

「フィオレが殺されたこの場所で、その仇を殺せるのだ。自由に。ここに法の手は届かない。復讐心の赴くまま、人の死に方さえ許さぬやり方でこの男を殺せるのだぞ?」

 

 ローレンスがレオに向き直った。がっちりとした長身を支える重いブーツが、床につく度に金属音を立てる。水で洗い流しやすいように床が金属板になっているのだ。部屋そのものの古めかしさに対して、その床だけが比較的新しい。

 この男の言う通り、この場所は因縁の場所だ。

 かつてフィオレを探して踏み込んだ場所。そして明らかに、フィオレが暴行された痕跡が残っていた場所。

 バラバラになった彼女を見つけた場所も、位置だけ見ればこのすぐ近くだ。あれから時を経て、この場所は法の目を掻い潜らねばならない時の為の秘密の部屋と化していた。

 

 レオはローレンスを大きく避けて、拘束されている男に近付く。殆ど裸に近い格好な上に頭にビニールを被せられているせいで、外から見て誰なのかは確認出来ない。レオはそのビニールを剥ぎ取った。ズタボロの状態になっては居たが、見覚えはあった。

 

「ジョナサン・A・ブラウン。我がロンゴミニアドファクトリー内にて長年重要なポジションに居た男だ」

 

 ローレンスが言った。勿論、レオとしてもそれは分かっている上に、重要なのはその情報ではない。

 

「そして三年前、我が……いや君の妹であるフィオレを攫い、ヴァルクグラムらと共にこの場所で──」

 

 レオの隣に立ったローレンスが言葉を連ねる。言いながらジョナサンの傷跡を何処からか取り出したナイフで抉り、彼の苦悶の声を嬉々として愉しむ。彼の言葉が終わらぬ内に、レオは最後の一言を引き継いだ。

 

「フィオレの全てを奪った」

 

 レオは仕込み短剣の刃を解き放った。ヴァルクグラムに続く仇敵の一人。幾人居るかも分からぬ大勢、或いは少数の仇の内の一人。この男を捕らえたと言う知らせを受けて、こうして本国に飛んで帰って来たのだ。義父の配慮に感謝しつつ、レオは刃をジョナサンの眼前に晒した。

 

 「……ヴァルクグラムは既に殺した。次は貴様の番だ」

 

 

 

 

 

 眼前に迫る刃を……盟友ヴァルクグラムを殺した刃を目の当たりにして、私は今度こそ蒼白となった。

 ローレンスの拷問は、例え相当に趣味的なものが強かったとしても“拷問”であった。

 すなわち私から聞き出したい情報があったから、痛みをもってそれを聞き出そうとした。私が死んでしまえばその情報が奴らの手に入る事は無い。だからこの男はそう簡単に私を殺せない。

 それに、私は家に踏み込まれる直前、仲間に救援を求める暗号を発信していた。ローガンが思う以上に、我々の結束は固く力は強い。だから死なないギリギリのラインを攻められようとも、耐えてさえいれば必ず私は助かる。助かりさえすれば我々の目的は果たせる。そう思っていた。

 

 しかし、レオハルトがこの場に現れた事で事情は変わった。この若者はローレンスとは違う。実妹の復讐というただ一点だけを目的としている。だからこそ盟友ヴァルクグラムは囚われる事すらなく、声なき声で警告を発するかのようなやり方で殺されたのだ。

 情報を得るよりも、我々に対する宣戦を選んだ。打算など無い、それこそ獣のような直球の殺意。間違いない。この少年は情報よりも私を殺す事を選ぶ。そしてこの少年ならば、仲間が密かに送り込むであろう救援部隊を返り討ちにする事も容易い筈だ。隠れ潜む技術に関しては、明確にレオハルトの方が上だ。

 

 「…………」

 

 レオハルトが刃を私の首筋に強く当てた。そしてその向こうで、ローレンスが私に目配せを飛ばす。“今喋ればこの獣を止めてやるぞ?”とばかりに。勿論最終的には殺すつもりではあるのだろう。しかし、僅かばかりでも時間を稼げるのならば充分だ。

 

「ま……待て……わ、わかった……!」

 

 視界の隅に、床に転がった同志の遺体が入った。私と同じように拷問で破壊された服の残骸だけしか纏っていない、血塗れの遺体。彼の為にも、私はここで潰える訳にはいかない。

 

「ほう……?」

 

 レオハルトは刃を少し引いた。安堵して視線を上げた瞬間、ローレンスと目が合った。

 

 ──そして私は、自身の判断を後悔した。

 

「あ──あ、ああ……」

 

 私の様子がおかしい、と気付いて、レオハルトは眉を顰めてローレンスへ視線を向けた。彼はその視線に気付いてから気付かずか、ずい、と前に歩み出て私とレオハルトの間に割って入った。

 

「どうした? 仲間の名を言うのだろう? 早く言いたまえ」

 

 さぞ楽しそうにローレンスが言った。朦朧とする意識の中で、私はその整った、しかしあまりにも恐ろしい相貌を睨み付けながら口を開く。

 

「──仲間は、大勢居る。レベッカ、エラン、カロー兄弟……いずれもロンゴミニアドの重要ポストに浸透して居る……」

 

 上の空の私の口が、そう言葉を連ねる。

 

「ほう? 聞いたかレオ。我が家の誇る一大工廠は、案外暗殺者の巣窟だったらしいぞ?」

 

「だが……」

 

 そこまで言って、私は大きく首を振った。

 駄目だ。それ以上は駄目だ。そう強く念じ、ローレンスから視線を逸らす。それまで笑っていたローレンスが笑みを消し、私の首を掴んで無理矢理彼の方を向かせる。

 

「どうした、続きを言え。私に仲間の名を告げねばならんのだろう? 貴様は」

 

 ローレンスの言葉の一言、一言が脳に突き刺さる。抵抗すら許されず、私の口は言葉を吐き出し続ける。

 

「……だが、彼らは最初から同志だった訳ではない。既に地位を得ていた人間を買収し、暗殺者に仕立て上げただけだ。言わば手駒。私を含めた同志達をまとめている人物は別に居る。三年前の一件も、元は彼らの計画したものだ」

 

 レオハルトの注意が向けられる。殺意を隠そうともしない。

 

「ではそいつらは何者だ!?」

 

 身体ががたがたと震え出す。ローレンスの顔が──いや、その真紅色の双眸が目の前に迫り、その眼光が抗い難い力として私を襲う。そして──。

 

「……フランシス、そしてアマネウス。ファミリーネームは知らないが、それが本名だ」

 

「ではその二人は何を企んでいる? 貴様らは何故それに従う?」

 

「ロンゴミニアドファクトリーの乗っ取りに見せかけた……ローガン・エルフォードと、その一族全員の殺害だ。そうする理由は彼らだけが知っていて、我々は様々な……多大な報酬を目当てに協力している」

 

 最早私の口は私の意思に反して言葉を発する。それを止める気すら起こらない。

 

「では、彼らの詳細な計画の類はあるのか、分かるのならばここで全て話せ」

 

「…………」

 

「………………そうか」

 

 長い沈黙の後、ローレンスの顔がようやく離れた。全ての希望を失った私の視界にはローレンスがレオハルトと入れ替わり、そしてレオハルトが手首の短剣を私に向ける光景が見えたが、最早私にとっては意味の無い事であった。

 

「ご苦労だったな。では、これが最期の痛みだ」

 

 鋭い刃が首筋に当てられる。冷たい感触を感じた次の瞬間、レオハルトが刃を勢い良く引き、私の首筋から鮮血が迸った。

 最期に見たレオハルトの表情は、歓喜に歪んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ローレンスという男の全てを表現出来る逸話がある。フィオレが死んですぐの頃、当時既に一部隊を率いる立場にあったローレンスが、対EU戦の増援を率いてロシアに降り立った時のことだ。自らKMFを駆り先陣を切ったローレンスは、味方部隊の侵攻を二週間もの間巧みに阻んでいた精鋭部隊の篭る敵要塞陣地の突破に成功した。これだけならば単なる腕利きの騎士というだけなのだが、問題はここからである。

 

 要塞の陥落と共に、精鋭部隊の生き残りを含めた二千名程の捕虜が発生し、ブリタニアはこれをロシア戦線後方に設けられた臨時の捕虜収容所に収容した。昨年末の一時停戦条約締結に基づきこの捕虜達の釈放が公式に発表されたが、この中で実際にヨーロッパに帰還を果たしたのは百人足らず。残る捕虜達は現在も行方不明となっている。

 

 現実には、捕虜達は確かに釈放はされた。EUに生還した捕虜は、「諸君らの帰国が許された」と彼らに告げるブリタニア将校──つまりローレンス──に従い西進、しかしその途上でブリタニア軍秘密施設に入れられ、捕虜達はそのまま虐殺された、と主張している。生還者達は廃棄される死体に紛れて逃走した者、虐殺を拒否したブリタニア将校に逃がされた者など様々だが、現在もこの主張を続けている。勿論、ブリタニアはこれを認めていない上に、臣民の殆どは自国に向けられた疑惑など気にも留めていない。所詮敗者の遠吠えに過ぎず、強者たるブリタニアがそのような疑惑に足を止める事はない、と。

 

 いずれにせよ、真実は一つである。虐殺は、確かに行われていた。そしてローレンスは、この虐殺を率先し推し進めた人間の一人だったのだ。彼をそこまで駆り立てた動機は不明ながら、虐殺の実行が決まると彼は自ら虐殺の場に立ち、捕虜達一人一人、素手で殴り殺したと言う。やがて現場では凄惨な有様に彼を止めようとする者も現れたが、彼らもすぐに死体の仲間入りを果たすこととなった。ローレンスの虐殺は日を追うごとに凄惨さを増して行き、死体の損壊度も度を越して行った。最後の一人が命を落とした時、彼は人の形を留めぬまでに破壊された死体の山の中に座し、あろうことかその場で食事を取り始めた、という。

 ……何を食べていたのかは、誰も確かめたがらない。

 

 血塗れの騎士、人の皮を被った悪鬼。彼の悪名は方々に轟いている。そんな彼だが、レオから見れば、あの男を憎む理由がもう一つある。

 奴は、エミーリアにもその毒牙を向けた事がある。

 

 これもやはりフィオレが死んで間もない頃だ。狂乱と言った有様で騒ぎ立てるオリヴィエに連れられて向かったエミーリアの寝室に、ローレンスが押し入っていたのだ。

 まさかああ言う趣味の男に限って“そういう”目的で押し入ったとはあまり思えないが……いかな理由だろうと、妹に危害を加える男を、レオ・エルフォードが許す道理はない。

 自らの愉悦の牙を姉妹にすら平気で向ける男。義父ローガンはそんなローレンスを咎めはしたものの、結局彼が改心する事は無く、義母もそんなローレンスには何も言えずにいた。斯くしてローレンスへの敵意が解消される事は無く、今もあの男が憎い。

 

 ──憎んでいる、筈である。

 

 

 

 

 

 義兄ローレンス・エルフォードの書斎は本館の一階にあり、広いバルコニーに続く二重窓から丁寧に手入れされた中庭が見える構造になっていた。二脚ある執務デスクの片方にはローレンスが、向かい合わせに置かれたもう一つの方にレオが居た。

 敷き詰められた絨毯を始め全体的に暗い赤系統で纏められたローレンスの書斎には、歴史的価値の高い調度がいくつも置かれている。例えばレオが今この瞬間使用しているしっかりとしたマホガニーの執務机ひとつ取っても、たかだか二十年程度も生きていないレオの三倍は歴史を持っている。が、部屋全体がそういう年代物の巣窟なのかと思えそうでもなく、その執務机には如何にも安物な金メッキ丸出しの、というかそのメッキが剥げつつあるミニトロフィーが鎮座していたりもする。趣味で集めている、とかつて言っていたそのトロフィーを手で弄びながら、部屋の主、ローレンスは黙々とレオの作業を見守っている。

 

「つくづく思うが、私の趣味に近い物だな、それは」

 

 デスクには、仕込み短剣が分解され洗浄された状態で置かれている。あの死して然るべき男の血は最早綺麗に洗い流されている。そしてあの時返り血で汚れたコートも、今は小綺麗になって壁際のハンガーに掛けられている。

 

「……私に言わせれば、義兄上の“それ”の方が余程面妖に見えますがね」

 

 短剣の組み立てを終えて元通り左腕に装着しながらレオはそう答えた。彼の視線は部屋の隅の大きな書棚へ……その奥に隠された小さな空間に向いている。

 雷光の(ブリッツ)ローレンス。義兄ローレンスの渾名だ。拷問部屋で見せたようにローレンスの殴打には電撃が伴う。本人曰く一千万ボルトで帯電する拳の秘密があの部屋に隠されている。

 ローレンスは戦う時……というより普段から、その赤い衣装の下に電磁戦闘スーツを着込む。実用性など無視した、ローレンスの趣味の産物だ。あの小部屋はそのスーツのメンテナンスルームなのだ。

 

「いや、趣は変わらんと思うぞ? 私はあれで獲物を人間の域を逸脱する程度に破壊する。お前はその決して長くはない刃を喉に突き刺し、じわじわと獲物を殺す。どちらも獲物の苦しむ様が良く見える代物だ」

 

 火薬式の旧い弾丸を手入れしながら、ローレンスの顔が歪んだ。レオは何も答える事が出来なかった。

 

 今朝になって、ようやく二人目の仇を取る事が出来た。今頃あの男は地獄に堕ちている。短剣に仕込んだ薬品により傷口から流れ出る血が止まる事も無く、ゆっくりと確実に歩み寄る死の影から逃げる事すら許されず、じわじわと失血して死んで行く。最期には人の姿でさえ無かったフィオレの事を思えば、人の形で死ねるだけ上等と思うべきだ。

 そしてあの時から、あの女が呼び掛けに答えない。存在すら感じないのだが、消えた訳ではない、というのは分かった。あの凄惨な暴力の現場を見て気でも滅入ったか、と勝手に解釈して、レオも特に触れていない。

 

 ……正直、レオも実際に目の前に立つまでは、ただ首に一刺ししてさっさと息の根を止めよう、と思っていた。エリア11での廃工場でも似たような事をして、そして同じような事を思ったが、余計な一手間を掛ける必要性はどこにも無かった。あの時はあの女も別段気にするような事柄ではない、と言ってはいたが、あれには明らかに咎め立てる意味合いが篭っていた。これではまるで、ローレンスのやる事だ。

 それを念頭に置いてなお、レオはああしてじわじわと死に導くやり方を選んだ。ローレンスの言うような苦痛の続くやり方を選んだ。あれから、レオは暫く相手の苦しむその様を見ていたが、やがて何かに急き立てられるような思いに囚われてさっさとあの廃墟を後にしたのだった。

 

「……っ」

 

 立ちくらみに似た感覚を覚えて、レオは額に指をやった。

 思い返せば思い返すほど、何故か思考が散逸し始める。あの男の死に様を思い出そうとすればするほど、思考にノイズが走る。それは殆ど本能的な反射の域で、忌避感に近い感覚すら覚える。

 仇をまた一人討ったのだ。そして真の仇の情報すら得られた。それだけ考えれば良いのだ。素直に喜んでいれば良いのだ。何故それだけのことが、この身に出来ないのだ。

 

 大丈夫か、と気遣ってみせる義兄の視線を振り払うように首を横に振る。今はこの思考に拘泥すべきではない。何故自分が、この好きになれない義兄の部屋までわざわざやって来たと思っているのだ。

 

「……手入れは終わりました。机はお返しします。それとコートも、感謝致します」

 

 そう言って立ち上がる。自室でも出来る作業をわざわざここで行なったのは、現在、自室のある東館にエミーリアとオリヴィエが居るからだ。

 レオが留守の間に、東館にエミーリアとオリヴィエが住まうようになっていた、と言うのをレオが知ったのは、まさにその東館に帰り着く前、帰還の挨拶にと本館に立ち寄った際、ローレンスから聞かされた時だった。流石にあの二人の目に付く可能性のある場所でこの血に塗れた武器を出すべきではない。

 

「ああ。お前の所の……誰だったか、あのメイド長。彼女には気付かれるなよ。私の所のメイドと仲は良くないらしいからな。洗剤の匂いがどうの、皺がどうのと小煩い、と愚痴られるのもいい加減うんざりしている」

 

 苦笑しながら、ローレンスも立ち上がった。

 

「さて、用も済んだところで行くとするか。そろそろ義父上も──」

 

 言い掛けたところで、書斎の戸が叩かれた。規則正しく四回。ローレンスはレオの来訪に合わせて執事を外しているから、これは彼のものではない。

 

「……行くまでもなかったようだな。どうぞ義父上、お待ちしておりました」

 

 部屋に入って来る人物の顔を見る事も無く、ローレンスもレオも軽く頭を下げた。義父ローガン・エルフォードは公務用の執務服姿のままで、たった今帰って来たのだ、と分かった。帰還の挨拶に行った時もそうだったが、いつも側に居る義姉ベルベットの姿は見えなかった。それを訪ねるよりも前に、ローガンが口を開く。

 

「報告を聞こうか」

 

 とだけ言った義父に、ローレンスは淡々と今朝の出来事……ジョナサン・ブラウンの死に際についてと彼の話した情報についてを伝える。義父が自分の書斎ではなく、ローレンスの書斎を選ぶ、というのは、余程他者に漏れてはならぬ事案という事を意味する。ローレンスの書斎というのはこういう話をする場所として何故か良く選ばれる。それは、部屋の主の趣味趣向と無関係ではないようにレオには思えた。

 

「……フランシスに、アマネウス。そう呼ばれているこの二名が首謀者と思われます」

 

「その二人が、我ら一族の命を狙っている……我が娘フィオレを惨たらしく殺した、と」

 

「フィオレの一件も、彼らの企てによるものです」

 

 報告を聞き終えると、ローガンは苦り切った顔をレオに向けた。そうなる理由は分かる。レオとて、自分が似たような表情を浮かべているのが分かった。

 

「厄介な名前が出て来たものだ。お前にとっては。三年も掛けてやっと辿り着いたというのに……」

 

「……好機と思っておきます。両者とも、ちょうど良い手掛かりが私の任地に居りますが故」

 

「友を疑う事になるぞ。出来るのか、お前に」

 

 ローガンが、そして殊勝にもローレンスが言った。その通り、フランシス、アマネウス。どちらの名前にもレオ達には心当たりがある。

 

 フランシス・リィンフォース。そしてアマネウス・アスミック。他ならぬレオの友の家の当主達の名前である。

 

「──問題ありません。それでフィオレの仇に近付けるのならば」

 

 それでも、と。確固たる意思を込めて、レオはそう二人に答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜もすっかり更けて東館に戻ったレオを待っていたのは、まるで飼い主の帰りを玄関前で今か今かと、ドアノブを一瞬の動きさえ見逃さぬとばかりに凝視し続ける忠犬のような有様のエミーリアであった。だがそんな彼女の表情は、車寄せに入って来た黒塗りのリムジンを──フロントグリルにローレンスのエンブレムである大鷲の紋章が施されたリムジンを見た途端に凍り付いたそれに変わり果てた。

 踏み出したはずの足が後ろに退き、見てはならぬ物を見てしまったかのように硬直した彼女の肩を、横に立った少女が抱き止める。大丈夫、と視線で告げる彼女──オリヴィエは、鋭い目で車内のレオを睨みつける。迎えに出た執事に「久しぶりだな」と返したレオは、まずはそのオリヴィエの鋭い視線に向き直った。

 

「こちらに来ているとは、知らなかったよ」

 

「私も、お兄様がローレンス兄様の同類に堕ちたとは思いませんでしたとも」

 

 走り去るリムジンをちらと見てオリヴィエが嫌悪も露わに言った。無理もない。あのリムジンは、本来ローレンスの専用車なのだ。

 東館に二人の義妹がすっかり居着いている、と教えて来たのもローレンスならば、夜も遅く、今更馬達を叩き起こすこともあるまい、と言ってあれを貸して寄越したのもローレンス。エミーリアならレオの帰りとなればまず迎えに出て来るだろう、とエルフォード家の全員が承知している以上、どう考えても二人のこの反応を見越した仕掛けにしか思えない。

 

「借りただけだ。誰の車を使おうと、私は私に過ぎない」

 

 彼女としても少し突いた程度なのだろう。もう少しエミーリアへの配慮は出来なかったのか、と。オリヴィエもそれでその話は止めにして、レオに付き従って屋敷の中へと入る。だが、エミーリアだけは尚もその場から動かず、顔を上げぬままか細い声で、

 

「……でしたら、何故今のお兄様はローレンス兄様と同じ顔をなさっているのですか……?」

 

 とだけ呟いた。呼び方を訂正させる余裕すら奪われ、背後から掛けられたその言葉は、思いの外深く心に突き刺さった。

 遠回しにローレンスと同類に過ぎない、と言い当てられた形となり、義妹二人との会話はそれ以上続かなかった。自室に戻ったレオは、そこでこの丸一日ほど御無沙汰となっていた感覚を覚えた。

 

「……ここに居たのか」

 

“ええ。あの場には居られませんでしたので”

 

 再び、背後にあの幽霊女の感覚が戻る。正直背後霊か何かのようにずっと離れず付き従っているのかと思っていたのだが、案外融通の利くものである。

 

“それで、どうですか? 二人目を討ったご感想は”

 

(どうせ分かっているんだろう? だからお前は止めなかった)

 

 悪態とともに、レオはベッドに背中から身を投げた。

 

(認めたくはないが、エミーリアは慧眼だよ。やっている事はローレンスと全くの同類だ)

 

“……あの男は、自らの快楽の為に命を弄ぶ存在です。貴方もそうなのですか?”

 

「そんな訳が──!!」

 

 否定しようとした。だが、言葉がそこで止まった。頭の回転すらそこで停止する。勢いのまま起き上がったものの、そのまま力なく再び倒れる。

 

「……無いだろう」

 

 強烈な否定になるはずの言葉は、搔き消えそうな小声にしかならなかった。女の視線を感じ、レオは寝返りを打つ要領で背を向ける。

 

“であれば、貴方はローレンスとは違います。その一点が、彼と貴方を分かつ明瞭な一点なのですから”

 

 だが返ってきた言葉は優しげでもあった。肩に手が置かれるような感覚。

 

“……復讐とは本来、優しい心が無ければ思い付かぬものだ。貴方はフィオレを奪われた、という怒りではなく、フィオレをあの様な目に遭わせた人間が許せない、という思いで陰の戦いに身を投じた。それが転じて、今居る大切な人達を護りたいという願いにもなった”

 

 少し口調が変わった、と気付き振り返った時、一瞬そこに女の姿を見た。沈んだ緑色の髪、黄昏色の瞳。最初に遺跡で出会った時の、実体があった時の彼女。それは目の錯覚かと思わせるほどの早さで消えてしまった。

 

“ナリタでも、お前は護りたいという一心で動いた。その心がある限り、お前は下劣な殺戮者に堕ちる事は無いよ”

 

「……つくづく、お前は何なんだ。猫被り声で揶揄うなり口を挟むなりしておきながら、今度は慰めの言葉が飛び出て来た。いい加減聞かせて貰おうか。お前が何故俺と契約したのか。何が目的で動いているのか」

 

 気配だけを感じて、そこに目を向けた。目が合っている、と感じたのも刹那、女の方が視線を背けた。

 

“……申し訳ありませんが、今の貴方には、お答え出来ません”

 

「ああ、そうか。だったら、せめて口調はどちらかに統一しろ。ややこしくなる」

 

“では、そうさせていただきます”

 

 そちらに統一したか、と喉まで言葉が出掛かって、思い止まった。と同時に、これまでの会話が全部言葉に出ていた事に気づく。何やら馬鹿馬鹿しさを覚えて、レオは起き上がって棚に常備されたチョコ菓子の詰め合わせから適当に一つ見繕って口に放り込んだ。そういえば、エリア11に赴任してからは久しく口にしていなかった。

 

“貴方もそれを好むのですね”

 

(我ながら子供っぽいが、何故か手離せなくて……何だと?)

 

“いえ、別に。それより、どうやらお客様がお見えになるようですよ?”

 

 女がそう言うとほぼ同時に、部屋の戸が規則正しく叩かれた。何か、と問うと、扉の向こうから執事の声が聞こえた。

 

「お休み中のところ申し訳ございません。ベルベットお嬢様がお見えです」

 

「……ベルベットが?」

 

 意外過ぎる来訪者に、レオは取り急ぎ衣服を整えて、足早にエントランスへと足を運んだ。常に義父ローガンの側に居る割に、今回の帰還に際し未だ顔を見せていなかった彼女が、正面玄関で待ち構えて居た。

 その背後には、彼女を運んで来たであろう馬車も御付きの者の姿も見えなかった。

 

「あら、お帰りなさいレオ。今回はごめんなさいね、

挨拶も出来なくて。元気だったかしら?」

 

「こんな夜更けに、お供も無しに一人歩きとは感心しませんね。何か御用かな?」

 

 単刀直入に問う。ベルベットがレオの背後に居る執事に視線を飛ばし、執事が音もなく屋敷の奥へ消えるのを見届けてから、ベルベットは口を開く。

 

「……ちょっとしたお仕事をお父様から頼まれて、ね。ただそれが少し手間取ってしまっていて、悪いとは思うのだけれど、貴方に手伝って貰いたいの」

 

 そう言って、ベルベットは袖を捲ってみせた。そこにはレオのそれを参考にしたのであろう仕込み短剣が装備されている。

 ……仕込み短剣そのものは、レオがエルフォード家の書庫にあった古い手記を参考として自作たものだ。その手記によれば、これはブリタニアの黎明期においてエルフォード一族が使っていたという暗殺剣であるという。つまり図らずもレオは、エルフォード家のルーツとも言える武器を現代に復活させた事になる。これを使い始めてしばらく経つが、ローガンはこの短剣を随分と気に入っているようで、最近では護衛達にも持たせているとか居ないとか。ベルベットのこれも、恐らくその一環だろう。

 

「生憎、エリナが絡むか、そうでなければ余程のことが無ければ私はそういう仕事はしない事にしているのだが」

 

「あら、お姉様のお願いは聞けないかしら? やってくれたらお礼は弾んであげるけど?」

 

 しなを作って見せてベルベットは言った。緩やかに着た……というよりはあえて緩めた服の胸元から思わせぶりに谷間が覗く。

 これだ。この人はそういう人だ。血の繋がりが無いとは言えそういう真似を自然としてみせる彼女に薄気味の悪ささえ感じ、レオはわざとらしく後ずさった。

 

「申し訳ないが、貴女がそれをやると正直気色悪く感じてならないので即刻お止め頂きたい。どうかご自分を大切に。お望み通り手伝いますから」

 

「あら失礼ね。でもありがとう。じゃあそういう訳だから……エミーリアもオリヴィエも、御用は後にしてあげて」

 

 ベルベットはレオに、ではなく最後はその背後に向けて言った。振り返って見上げると、吹き抜け構造のエントランス二階の手すり越しに、エミーリアが、そしてオリヴィエがこちらを見下ろしていた。視線が合ったと目敏く感づいて、エミーリアは視線をそらした。

 

「エミーリア……?」

 

「さっきから居たわよ、彼女。貴方は貴方で、大事な義妹を大切になさいな」

 

 だが、エミーリアはレオが声を掛ける間も無く奥へと駆けて行ってしまった。先程までの疑問……自分はローレンスと同類にまで堕ちたのか、という疑問が再び頭をもたげる。だが、今は何も出来ない。

 

「……じゃあ、すぐ行くわよ。支度をお願い」

 

 ベルベットが踵を返した。レオもまた階段を駆け上がり、尚も二階に居たオリヴィエの前を横切って部屋へと駆けた。

 去り際に向けられたオリヴィエの鋭い視線を、ただ背中に受けながら。



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第十二幕 The Vilebloods

 日付が変わるよりも早く、レオはベルベットと共に馬を駆り、所定の場所に着いていた。エルフォード邸からもほど近い、建国期の古城エーベルスタインを囲むように築かれた小さな街。かつて幼き日のレオやベルベットも幾度か訪れたその街は、昔と変わらぬままちょっとした田舎町として程々に栄えている。あの頃と同じように街を囲む城壁──もはや防衛機構としては機能しておらず、ただの景観でしかない──の上に立ち、レオは隣に立つベルベットに視線を向けた。

 

「……また、懐かしい場所に来る羽目になったものだ」

 

「そうね。お墓参りでもしておく?」

 

 そう問うたベルベットに、レオは鋭い視線を返した。

 エーベルスタイン城という城は、実はエルフォード家とも関係の深い場所である。この城は建国期の英雄 ヴァルター・フォン・エーベルスタインの、そして彼の死後領主の座を引き継いだナイトハルト・フォン・エルフォードの居城であり、以後も代々のエルフォード家の居城であった。一族が現在の邸宅に移り住んだのは現当主ローガンの時代になってからだが、一族の墓などは今も変わらずこの地にある。

 ……当然、フィオレの墓もここにある。

 

「それで、貴女の追う相手は確かにこの街に?」

 

「ええ。見失ったのもちょうどこの場所。あれから一日と経っていないけれど、彼にこの街から何処かへ行く当てがあるとも思えないわ」

 

 ベルベットの仕事とは、とある男を追って捕らえるという至極シンプルなものだった。血の繋がりが無いとはいえ家族。誰よりも義父からの信頼が厚いであろうベルベットが直接動かねばならぬ程の、しかもそうして派遣されて来た彼女がむざむざ逃走を許す程の相手なのだ。ベルベットとて素人ではない。単純に見えるこの仕事には、余程複雑な事情が絡んでいると見える。

 

「市民がその男の味方となる可能性は? それこそ、その男を匿うような?」

 

 そう問い掛けながら、レオは何時ものフードを目深に被る。

 

「いいえ、あの男はすでに領内で指名手配済みの男よ。そんなに広い街では無いから住民も一通り洗えたけれど、指名手配犯を匿うような不届き者は居ないはず。田舎町だから、よそ者が入ればすぐに気付かれるでしょうし」

 

「と、なるとその男は単独でここから逃げ延びる他ない。狙うとすれば一通りのない夜中。それまで街のどこかで潜伏していた……と言ったところか?」

 

 と、そこまで言った所でレオの視界の端に動くものがあった。城壁に身体を隠して様子を窺うと、寝静まった民家の植木から人影がのそのそと這い出て来るところだった。

 黒いフード付きの外套で顔を隠した男だ。ギアスを発動して確かめると色は赤。恐らくはあれが探している相手だ。

 

「……あれだな。随分とあっさり見つかるものだ」

 

「ええ。見つけるまでは簡単な相手よ。そこからが大変なんだけれど、ね……」

 

 ベルベットの含みのある言葉に、レオは眉を潜めた。そうこうしているうちに、人影は慎重に通りへと歩き出す。

 

「なんというか、かなり気配に敏感よ。その上逃げ上手、こちらの偽装も鋭く見抜かれる。必ず背後から一撃で昏倒させる事。やむを得なければ殺害も許可されているわ」

 

「了解。では私はこのまま尾行に。姉上は……」

 

「悪いけれど、今回は貴方にお願いするわ。スパイみたいな活動も苦手ではないけれど、彼には私の技術は通用しないみたい」

 

「……では、終わり次第連絡する」

 

 まるで鳥の如く、レオは月明かりの中へと身を躍らせた。

 現在この街にはベルベットの手回しにより凶悪なテロリストが街に逃げ込んだ疑いがある、として夜間の外出禁止令が発令されていた。先月に付近の街で爆破騒ぎが起きた直後というだけあって、これには一応の説得力はあった。故に、今この時間に外を彷徨く一般市民は存在しない。だからレオがここで出会うとすれば、それは現地の警官か、ターゲットの男に他ならない。

 古びた城壁の出っ張りや柱を経由して、なるべく音を立てず民家の屋根の上に降り立つ。そのごく僅かな音さえも聞きつけたか、尾行対象の人影は即座に物陰に引っ込んでしまう。暫く観察していたが、人影は一向にそこから姿を見せない。

 

“そこにはもういません。右前方をご覧下さい”

 

 不意に女の声が脳裏に聞こえて、レオは電流に打たれたかのようにそちらへ視線を向けた。果たして、今まさに通りを横切って柱の影に隠れたあの人影がそこに居た。してやられた、と気付き、レオは気配を消したまま屋根を伝って人影を追いかけた。

 敵ながら見事な技術の持ち主だった。専門の訓練を積んだ工作員でさえ、こうも見事に追跡者を欺ける者は少ない。あの人影の正体は、恐らくはロンゴミニアドかエルフォード邸か、どちらかに侵入した工作員、或いは暗殺者の類なのだろう。それこそ、ヴァルクグラムとジョナサンを殺されたかの“フランシスとアマネウス”が報復として送り込んで来たか。

 ……いずれにせよ、捕らえてみれば全て分かる。紅く揺らめく視線で、レオは人影を視界に捉えつつ闇の中を駆けた。

 

 やがて二人は街の東端からメインストリートを避けて迷路のような旧市街をジグザグに進みつつ、ようやく中央広場手前の公園に差し掛かっていた。いよいよ古城までは目前、と言ったところにまで来ていたレオの聴覚が、遠くを走る自動車の走行音を捉えた。

 恐らくは、今追いかけている人影の進む先から聞こえて来る。彼から大分遅れて公園を横切り、大通りを渡ろうとしていた人影の方もそれに気付き、今来た道を駆け戻って公園に植えられた大樹の影へと身を潜めた。

 巡回の警察も軍も、レオ達の事情など知る由も無い。標的の男と同様、レオもまた彼らに見つかってはならない立場にある。屋根上から歩道橋に降りたレオは、そのまま影に身を潜めて様子を伺った。

 音の主は、大型の警察車輌だった。人影にとっては運の悪い事に、その車輌は彼が公園に逃げ込むよりも早く通りに入って来ていた。見事に姿を見られていたようで、車輌は彼が消えた公園の前で停車し、乗っていた四、いや五人の警官たちが降りて来る。

 

「そこに居るのは分かっている! 大人しく出て来い!」

 

 公園の闇の中へと銃を向けた警官の声に反応して、闇の中で動くものがあった。別の警官が手早く車載のライトで照らすと、闇に紛れて移動しようと試みた男の姿が煌々と照らし出された。それでもなお逃げようとする男に、警官は銃を向けて「止まれ」と叫ぶ。

 ……先程ああも見事にレオから逃れた割に、今度はこんなにも杜撰な逃げ方をして失敗する。技術力には相当にムラがあるようだ。その素性がいよいよ分からなくなったところで、男は観念したように姿勢を正した。

 

 さて、どうしたものか。呆気ない終わりに、レオは頭の中でベルベットの言葉を反芻した。任務内容はあの男を捕らえる事。しかし、別に現地の警官から掠め取ってでも此方の手中に収めろ、とは言われていない。こういう場合は敵の素性次第で判断は変わって来るのだが、生憎とレオはその情報を持っていない。

 ……とりあえず、この場で自分の出番は無いだろう。義姉上は警官に出し抜かれて恥を掻く羽目になったな、などと思い、レオはその場を離れようとした。だが、現場に背を向けたその瞬間、突如として公園の闇の中に銃声が鳴り響いた。

 

「!?」

 

 何事だ、と公園に再び視線を向けたレオは、そこであり得ぬ光景を見た。先程まであの男を追い詰めていた警官が、今度は味方の警官目掛けてその手の拳銃を乱射していたのだ。しかも、それを見た他の警官もあの男そっちのけで銃撃戦に興じている。彼らの流れ弾に当たらぬよう身を低くして、レオは歩道橋を転げ落ちるように地上へ降りた。

 味方が味方へ銃を乱射する異常事態は、流石にレオも見過ごせ無い。レオは闇に紛れて柵を飛び越え、公園に駆け込むや否や手近な警官の一人に飛び掛かって、その手から銃を弾き飛ばした。

 

「落ち着け、あれは味方だ! 何を考えている!?」

 

 だが、間近で目の当たりにした警官の顔は明らかに異常だった。目を剥いているとか、異常な表情を浮かべているとかではない。()()()()()なのだ。如何にも真剣に職務に取り組む人間の顔だった。警官は何の躊躇いも無く、まるでいつも通り犯人と対峙しているかのようにレオの身体を押し退けた。

 

「大人しく──」

 

 そう言ってベルトから警棒を抜こうとした彼は、次の瞬間背後から頭蓋を撃ち抜かれた。力なく地面に倒れ伏し、破壊された顔面からぐちゃぐちゃになった()()が溢れ出る。彼を撃った警官もやはり異常行動を見せており、抵抗すれば射殺する、などと口走りながら味方の警官へと銃を乱射している。

 ギアスで確かめると、彼らの存在は最早赤色に染まっていた。別段レオ個人に対する敵意は見出せなさそうではあるが、何があったかああも錯乱したかのように銃を乱射されては障害と看做す他ないだろう。突然の事態を飲み込みきれていないながらも、レオはその赤の群れの中から抜け出し、本来追うべき相手の姿を闇の中に探った。

 求める姿は、公園の奥の木々の合間にあった。走り去ろうとするその姿を追って、レオも闇の中を全力で疾走した。時折背後を気にして速度が落ちる男に追いつくのは簡単なことで、間もなくレオは低めの枝から木の上へと駆け上がり、更にそこから空中へと躍り出て、男に背後から飛び掛かった。

 

「ぐぁぁ!!」

 

 うつ伏せに倒れた男の背中に伸し掛かり、横向きに伏した男の眼前に拳を打ち込み、見せつけるように仕込み短剣を起動する。

 

「貴様、何をした!?」

 

 まずその問いが口から飛び出た。状況からして、あの警官たちの狂乱にこの男が関わっている可能性は高い。

 

「その、声……お前は……」

 

「答えろ、あれは何が起こったんだ、貴様がやったのか!?」

 

 だが、男は問いに答えない。逆に何かを理解したような表情を浮かべ、レオへと顔を向けようとする。

 

「なるほど、お前がそうか……哀れな人形めが……」

 

 決して正対するな、というベルベットの指示が脳裏を過り、咄嗟にレオはその顔を押さえ付けた。だがそのせいで姿勢が僅かに崩れ、その隙を突いて男は腰から短剣を抜いてレオの脇腹を刺そうとした。刃こそは飛び退いて躱したものの、それで男の拘束は解けた。

 

「だが、私はこんな所で死ねん、貴様も狂え! 彼奴らのように!!」

 

 そして、男の視線がレオに向けられる。その瞬間、レオの意識は赤色に染まり────

 

 

 

 

“させるか!!”

 

 不意に脳裏に叫びが轟き、視界は突然クリアになった。目の前には、何やら()()()()()、勝ち誇ったような表情を浮かべる男の姿。そして、まるで彼からレオを庇うかのようにして屹立し、男を睨む霊体の女の存在感。レオも……いや、双方共に事態を飲み込めぬまま、一瞬の沈黙が場を包み込んだ。

 

「何!?」

 

 一瞬後、男が驚愕の声を上げる。同時にレオも状況を──その男の()()()()の意味を理解し、レオは男と眼を合わせぬよう素早く身を屈めた。続いてその姿勢から下半身をバネのように使って男に飛び掛かる。ガードどころかその攻撃に反応することすら許されず、瞬時に放たれたレオのタックルが男の鳩尾に叩き込まれた。倒れ込んだ男に今度こそ仕込み短剣を突き付けるが、男は急所に攻撃を受けた直後であるにも関わらず、コートのポケットから短剣を抜き放ってレオの短剣の軌道を逸らした。

 地面を転がってレオから距離を取った男は、そのままレオにその短剣を放り投げ、公園の奥へと走り去って行った。飛んで来た短剣を間一髪で回避すると、レオは仕込み短剣を収納し、男を追って走り出した。

 

“主よ、あの男……”

 

「ああ、分かっている」

 

 既にレオには、あの警官達に何が起きていたのかを理解していた。そしてベルベットの警告の意味も、あの男の、“紅く輝く眼”の意味も。

 

 あの男もまたレオと同じ、ギアスを使う人間なのだ。

 

(奴のギアス、お前が無力化したのか?)

 

 暗闇を駆け抜けながら、レオは女に問いかけた。恐らく、先程男の目が光ったあの一瞬に彼はギアスを発動したのだ。警官と同じように、レオを狂わせて逃げようとしたのだろう。そしてそれを……

 

“ああ。あれはお前のギアスと違い、直接相手を「視る」ことで効力を発揮する。そして、私にギアスは効かない。だから、私の身体で壁を作った。”

 

(というと、あのギアスの力はお前のような曖昧な存在に阻まれただけでも効力を失う訳だな?)

 

“逆に、私のような物理世界の法則から外れた存在だからこそあの力を阻めた、と言ったところだ”

 

 彼のギアスから逃れられた理由が分かったところで、レオは足を止めた。既に公園は抜けており、目の前には月明かりに照らされた古城エーベルスタインがその威容を誇るように聳え立っていた。そして、あの男の痕跡もまたその城の中へと吸い込まれている。

 エーベルスタイン城はその役目を解かれた現在、城内の礼拝堂や闘技広場など一部の施設だけが一般に公開されている状態で、本来城そのものは閉鎖されている筈であった。だが今、閉鎖されている正面大扉は錠前が破壊されており、大扉も僅か開き、隙間が出来ている。奇襲を警戒しつつ、レオは大扉を引き、素早く城内へとその身を滑り込ませた。

 

 扉を抜けた先にある大ホールは、最後にここを訪れた時のレオの記憶……フィオレの葬儀の時に訪れた当時の記憶のままだった。城の主久しいにも関わらず手入れはされているのか、無人の城内に黴臭さの類いは感じられない。そして一方で、大勢の暮らした生活の痕跡もまた感じられない。完全に人の体温を忘れ去った冷え切った空気。その空気を掻き乱し城内へと入り込んだ闖入者の痕跡を感じ、レオは外套を払って腰に佩いた刀剣の柄を露出させ、いつでも抜刀出来るようそこに手を添えながらホールを進む。

 

(……奴が居たら教えろ)

 

 先程以来、ギアスを警戒してずっとレオの正面に立ち続けている女の背中に無言で告げた。が、女は何処か心ここにあらず、といった様子で、暫くしてもう一度同じ事を告げると女はようやく我に返った。

 ……彼女を壁とすれば敵のギアスを阻む事は出来る。が、彼女は別にレオの一部でもなんでも無く、仮に接近戦に至ったとすれば彼女には対応出来ない事態も出て来るだろう。

 それともう一つ。眼前を塞がれる都合上、レオもまたギアスを封じられる形となる。ギアスを使うことであの女の存在をより明確に感知できるのだから、この状態でギアスを発動しても視界の大部分はあの女に塞がれてしまう。

 何か手を考えなければならない。意識の隅で思案しつつ暗いホールを抜けて廊下に差し掛かったレオの足が、闇の中で唐突に柔らかい何かを踏んだ。

 

「……」

 

 確認すると、それはあの男が着ていた外套だった。罠を警戒しつつ触れてみると、微かにまだ暖かい。古びた物ではあったが真新しい損傷は無く、また血の痕跡は無い。怪我を負って無理な走り方をして脱げた、という訳では無さそうだった。

 つまり、故意に脱ぎ捨てたのだ。だが、何のために?

 レオにとって……つまり追跡者側にとって、この外套は情報源だ。落ちていた向きから逃走した方向を割り出せる可能性があり、また損傷具合で標的の状態も知れる。逃走者側としても、これを逆に使って追跡者を故意に誘導する事が出来る。

 ──その時、不意に閃く物があった。今、レオとあの男はそれぞれ追跡者と逃走者の関係性に置かれているが、同時にこの城の中へと逃げ込んだ事で、逃走者は一点、レオに対してアドバンテージが取れるようになった。

 即ち、暗い城内の地形を利用した待ち伏せ。この廊下は決して狭くは無いが、レオの進む方向が一筋に絞られる。加えて柱等が埋め込まれた壁面は凹凸が激しく、また調度品も数多い。隠れ場所には困らない。

 

「ッ!!」

 

 即座に、外套を放り捨てて調度品の影に飛び込む。ほぼ同時に、闇の中に立て続けに閃光が閃いた。暗闇の中から放たれた無数の銃弾が、ほんの一瞬前にレオの居た空間を切り裂く。海洋生物のように宙を舞う外套が銃弾の雨に打たれて激しく悶え、正真正銘のボロ切れとなって力なく床に落ちる。

 

「外した!?」

 

 そう声を上げたのは、間違い無くあの男だった。手にした銃は、恐らく警官の死体から奪ったのだろう。彼が怯んでいる隙に距離を詰めようと、レオは今いる調度品の影からより彼に近い柱の影へと跳んだ。が、男は反撃するでもなく、弾切れになった銃を投げ捨てて、足音を響かせながら廊下の奥へと逃げ去った。それを追うべく廊下に飛び出したレオだったが、壁面に控えている一対の騎士甲冑を視界に捉えるとすぐに立ち止まった。

 この甲冑。通路左の側はブリタニアが未だ欧州に在った頃の時代のもの、右の側はブリタニア大陸に移ってからの物だ。鎧、武器含めどちらも実際に使用された物であり、どちらの甲冑にも単純な手入れだけでは誤魔化し切れない傷跡が見受けられた。

 甲冑はどちらも剣を構えた姿勢で固定されている。その片方の手から、剣だけが不自然に消えていた。

 

「──成る程、心置きなく斬れる、というわけか」

 

 間違い無く、彼が持ち去ったのだ。これで標的は銃に代わり新たに剣を手にした事になる。一方でレオは仕込み短剣も、愛用の刀剣も装備している。仕込み短剣は実質的な奇襲用の武装であり、既に一度使用しその存在が敵に知られている以上アドバンテージたり得ない。そして互いにギアスは使えない。だから、条件はほぼ同じだ。

 

 暗い廊下を、レオは駆け抜けた。過去に足繁く通った城内の構造は、案外今でも頭に残っている──あの廊下でフィオレと駆けっこをして義母の雷を喰らった、この階段をフィオレが転げ落ちて泣き止ませるのに苦労した、等々。だから、文字通り闇雲に逃げ惑うあの男よりも、レオの方が移動速度は速い筈だった。だが、いくら走ってもあの男に追い付ける気配が無い。彼我の単純な移動速度がほぼ変わらないのだ。この薄暗い中で、向こうは恐らく初めて踏み込む場所の筈なのに。

 ならば、手を変えよう。単純な“追いかけっこ”で片が付かないと悟ると、レオは進路を変えてあの男とは別の方向へと走った。城内の構造はレオの方が良く知っている。何枚か扉を抜けると、レオは最初のホールの上層階に出た。吹き抜け構造になっているホールの外周を囲むように通路が巡っていて、手摺りの向こうに大きな円盤状のシャンデリアが頑丈な鎖でぶら下がっている。レオは手摺りを乗り越えると、そのシャンデリアの上に飛び乗った。そしてそのまま次のシャンデリアへ飛び乗り、勢いに乗ったまま反対側の通路へ飛び移った。

 先程までレオが居た通路は、隣に建っている礼拝堂へと続く渡り廊下を除き、完全にこのホール外周を囲む形になっている。今、レオはこのホールを渡って反対側に辿り着いた。だから、ここからならあの男の頭を抑えられる。

 

 扉を蹴破って廊下に出たレオは、ほぼ想定通りのタイミングであの男と鉢合わせた。男はレオが彼の姿を視界に捉え刀剣の柄に手を掛けるや否や、即座に振り返って今来た道を駆け戻る。だが、双方の距離は先程よりも相当縮まっていた。

 そして、そこから男の逃げ込んだ先は礼拝堂の上層回廊だった。こちらも先のホール上層の通路に似た構造だが、礼拝堂の半分までしか通路が続いていない。それを理解し、逃げ場は無いと悟って足を止めてしまった事が、男にとっての不運だった。振り返った男が次の瞬間見たものは、一筋の斬撃の煌めき。レオは素早く抜刀して、男の両眼を一文字に斬った。

 

 ギアスが“視る”ことで発動するのならば、“視えなく”すれば良い。視覚を奪えれば、その後の戦闘は圧倒的に有利となる筈だ。

 ……目を斬る、という行為に既視感を覚える。顔を顰め、レオは即座に男へ蹴りを放つ。激痛に苦悶する男は、しかし放たれたレオの蹴りを見事に躱して見せた。そして視界が全く無いであろう状態から、手にした剣の鋒を正確にレオに向けて来た。

 

「ギアスを封じた、か……だがこれで勝てたとは思うな!」

 

 一撃、二撃、と鋭い刺突が放たれた。目が見えていないとは思えない程に正確な一撃だ。それを防ぎながら、レオはある一つの可能性に思い至る。

 

「貴様……元々目など見えて居なかったのか……」

 

 男は無言で肯定した。それで、今まで見てきたこの男の奇妙な点にも合点が行く。何らかの理由で視力を失ったこの男は、代わりに残る感覚が鋭く発達しているのだ。故に音や気配には敏感でも、自分が光に照らされている事には気付けない。

 

「ああ、貴様らのお陰でな!」

 

 含みを込めた言葉と共に、更なる斬撃が飛んで来た。基本的にブリタニア式の剣というのは他国の剣に比べてサイズと重量で勝る物であり、それをブリタニア人固有の身体力でもって時に片手で軽々と振るうのがブリタニア式剣術だ。これに対し、レオの刀剣は軽く、また細い。直接斬撃を受け止めたが最後、レオの刀剣は呆気なくへし折れてしまうだろう。故にレオは器用に男の斬撃を弾いて受け流し続けていたが、それもいつまで保つかは分からない。斬り返そうにも通路は狭く、上手く刃を振るえそうにない。だからレオは、ただひたすらに防御に徹して機を待つことにした。

 

「私は貴様らを……許さない!」

 

「何の、事だ!」

 

 的確に相手の攻撃を捌きながら、レオは相手の叫びに答えた。相手が言葉で何かを叫んで来るのなら、それを利用してこの状況を崩せるかも知れない。

 

「私をこんな身体にし、多くの仲間達を無為に殺して来た──」

 

 激情と共に男が大きく剣を振り上げる。計算通りだ。その隙にレオは後ろへ跳びつつ刀剣を引き、刺突の体勢を取る。このまま敵の攻撃をやり過ごして即座に突けば、敵の刃を抜けて致命傷を与えられる。そう確信しての行動だった。

 

「──貴様らエルフォードの一族を!!」

 

「何!?」

 

 だが、次に放たれた男の言葉にレオは一瞬戦いを忘れ反応してしまった。結果、後退しきれずに次の一撃をレオは躱し損ね、弾き返すこともままならずレオの手から刀剣が弾け飛んだ。唯一の武器が下層の闇の中へと消え、男が更なる一撃を放つ。後退して避ける事が出来なかったレオは、咄嗟に仕込み短剣を起動してその刃を受け止めた。

 だが、あの刀剣で受け止めきれない攻撃を仕込み短剣で受け止め切れる道理は無い。仕込み短剣は音を立ててへし折れて、レオは背中から床に倒れ込む。

 これで終わりだ、とばかりに男は剣を振り下ろした。万事休す、となったその時、レオは視界の隅に折れた短剣の切っ先を捉えた。床を転がって攻撃を躱し、短剣の残骸を掴む。掴んだ手が生温い液体で濡れるのも構わず、レオは男の首筋へとその刃を投げ付けた。投げられた刃は今度こそ役目を果たし、男の首筋へと吸い込まれて行った。

 

 ひゅう、と空気の抜けるような音を立てて、男は剣を取り落とした。力なく倒れた男の身体が、手すりを越えて下層へと落ちてゆく。レオはよろよろと立ち上がると、彼を追って下層へと降りた。降りた先で刀剣を回収し、血塗れの床に倒れ伏している男のそばに膝をつく。

 

「さっきのはどういう意味だ、貴様と我が一族に、どういう関わりがある!?」

 

 まだ息があると見るや、レオはその襟首を掴んで問い詰めた。が、男は無言で……いや、僅かに笑みを漏らした。

 

「答えろ、目どころか耳も聞こえない、などとは言わせないぞ」

 

「お前、何も知らないのか? あの男に一番近い場所に居ながら、あの男の本性を知らない、と?」

 

「どういう意味だ」

 

 男が咳き込み、血を吐いた。残された時間は少ない。レオは更に語気を強めた。

 

「今すぐ答えろ!!」

 

「……昔からそうだ。この国には昔から、ギアスを研究しギアス使いを生み出す研究機関がある。奴はそれに長年出資し……いや、積極的に協力している。それが、お前の──」

 

 不意にレオの頭上でプシュッ、という音が響いた。同時に男の言葉は途切れ、忘我の表情を浮かべた男の頭が床に落ちた。レオは男から目を離して上層回廊を見上げた。いつの間にかそこに立っていた外套の人影が、開いた窓から外の夜空へと消えて行く。

 レオは死んだ男に顔を戻し、彼の前髪を除けて額を露わにした。そこには小さな穴が空いていた。

 

 肝心なところを聞きそびれたが、一族に対する疑惑は残ったままだ。レオは男の目を閉じてやり、短剣の刃を抜き取ってから、足早に礼拝堂を離れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 フィオレの復讐を誓ってから、一つだけ、どうしても出来なくなった事がある。それは、この手でフィオレの墓石に触れる事だ。

 

 城内での戦いから一日。ベルベットはあの夜の内にエルフォードの邸宅に戻っていたが、レオはまだその街に残っていた。ベルベットが冗談めかして言ったように、フィオレの墓に顔を出す為だ。

 エーベルスタイン城と公園の封鎖は既に解け、もうどこにもあの男や警官の死体も、戦いの痕跡も残っていなかった。街の人々はそんな事があった事さえも知らず、今日もいつもと変わらぬ日常を過ごし、のんびりと散歩し、談笑したりしている。この辺りには義姉の手際の良さを感じ、素直に感服する他ない。

 

 そんな市民たちが立ち入れぬ城の奥地に、エルフォードの墓地はあった。重く冷たい大扉を抜けて敷地に入ると、のどかな田舎の空気を一変させる、無感情で、無表情なモノリスが立ち並ぶ光景が目前に広がる。

 これが、建国期より続くエルフォード一族代々の墓所なのだ。かつて、故国を追われた女王を守って新大陸へと渡り、その生涯を守り抜いた果てに“皇帝になれ”と言い残された初代ブリタニア皇帝 リカルド・ヴァン・ブリタニアのように、主君ヴァルター・フォン・エーベルスタインの遺志を継いだナイトハルト・エルフォードから続く歴代の墓。いずれのモノリスにも錚々たる名前が刻み込まれている。だが、その伝統ある血族の下流に立ってはいても直接の血縁では無いレオにとって、価値ある名前はこの中に一人しか存在しない。

 

 レオは敷地の中央へと進み、最も目立つ形で設けられたナイトハルトの墓所に一礼すると、すぐに全く別の方向へと進んだ。目立つ場所にあるエルフォード達のモノリスには目もくれず、敷地の端も端、最早敷地を囲む森に飲み込まれそうになっているモノリスの前で立ち止まった。

 それが、フィオレが決して幸多くは無かった生涯の果てに、最後に辿り着いた場所だ。訪れる者も少ないはずのそこに、先客が一人居た。

 

「エリナ……?」

 

「あ……レオ……」

 

 エリア11へ発って以来通信モニター越しにしか見ていなかった、紫色の髪の少女がそこに居た。あれからそう大した時は経っていないのに、既に彼女には皇族としての気品と風格の一端を持ち始めたように見える。

 

「──ご無沙汰しております。殿下」

 

「いえ、今は気にしないで下さい。ここでは私は、ただのエリナで居たいのです」

 

 跪こうとしたレオを、エリナは手を上げて止めた。

 

「……彼女の友達だった、一人の人間として」

 

 寂しげに、彼女はフィオレの墓を見遣る。共通の大切な人を失った者同士、並び立って彼女の墓跡に祈りを捧げる。勿論、フィオレはすでに死者。この世の先にある世界の住人だ。生者は死者を祀り、敬意を表し祈る。死者にとっては今更そんなものは必要無いのかもしれない。だが、生者にとってそれは重要な意味を持つ行為だ。

 死者を敬す行為は、実質死者を遠ざける為の儀式でもある。喪われた死者という幻肢痛を脳が勝手に知覚しないように。そしてそれでも、死者が生者としてこの世に存在していたことを忘れない為に。

 エリナもレオも、フィオレを決して忘れない。そしてレオは、忘れないからこそ、今も闇の中で戦い続ける。

 

 明日には、再びエリア11へと戻る事となる。だからレオは、最後にここに訪れねばならなかった。一族に、友に疑惑が生まれ、戦う意義に迷いが生じてしまっている。だからここで、今一度決意しなければならなかった。もうレオは、この戦いを止める訳には行かない。止めてしまえば、彼女はこの世で受けた苦しみを肯定する事になる。生者であるレオにとって、それはあってはならない事だ。

 

「……それじゃあ、また会いましょう、フィオレ。それまで、どうか安らかに」

 

 フィオレの墓石に触れて、エリナはそう優しく言った。彼女は墓石から離れてレオに場所を譲ったが、レオはそのまま踵を返した。

 

 蔦が絡み始めたそのモノリスに、フィオレの名前が刻まれている。そこに、フィオレはきっと眠っている。例え身体はバラバラとなり、その一部しか棺に入って居ないとしても、彼女の魂はきっと、そこに居る。

 

「なあ、フィオレ」

 

 かつて、レオはこの墓にこう問うた事がある。

 

「そこは、この世界よりも安らかな場所なのかい?」

 

 もしもそうならば、ここは彼女にとって、最後の安らぎの場所だ。幸せも知らず、世界の底辺に生まれ、そしてひと時の幸せを得た故に、人として死ぬことを許され無かった彼女が、最後に許される聖域だ。

 だからこそ、これを血塗られた手が触れる事は許さない。例えそれが自分自身の手であっても。彼女は人生の最期を、暴力により迎えた。その暴力の象徴たる血の汚れに染まった自分は、もうその聖域に触れられない。聖域に、血を持ち込んではならない。だから、レオにはもう、彼女のように墓に触れる事は叶わなかった。

 

 

「では、明日にはもう?」

 

「はい。またあちらへと」

 

 エリナが迎えの車を待つ間、昨晩ここまで乗って来た愛馬を引きながらではあるが、レオは僅かな時間ながら彼女と話す時間を得られた。相変わらず護衛を外したがる癖のある点は変わらないようだが、それでもエリナは、きっちりと護衛のSPを受け入れている様子だった。流石に墓所にはSPと言えど立ち入れなかったようだが、墓所を出た途端、何処からともなく警護隊の……レオのかつての同僚達が現れていた。彼らの存在に気付けなかった辺り、自分でも気付かぬ内にかなり感傷的になっていたらしい。

 

「そう、ですか……」

 

 エリナの表情は暗い。それとなく問うてみると、思わぬ返答が返って来た。

 

「だって、最近の貴方は……何か、前と変わったような気がするのです。エリア11での任務というのは、そんなに大変なのですか?」

 

「変わった、とは?」

 

 予感がありつつも、問い返す。

 

「……何処か、怖くなりました」

 

 まさについ先日、エミーリアに言われたのと同じ事を彼女も口にした。流石にショックだったのか、そこからの会話はレオの記憶には残らなかった。

 

 

 

 

 

 

 エリア11へのトンボ帰りを前にして、屋敷に戻ったレオは続々と積まれてゆく難問の内の一つと対峙していた。

 机の上に並べられたのは、分解した仕込み短剣。その横に、破損した短剣の切っ先。

 

“……駄目ですか”

 

 肩越しに作業を覗き込んでいた女が問い掛けた。レオは同意しつつ、破損して使い物にならなくなった部品を幾つか小箱に放り込む。

 

(駄目だ。刃は完全に折れているから全交換が必要な上に、基礎部分にもダメージが出ている。毒を仕込んで居なくて良かったよ。仮にそんなものがここに入っていれば大惨事だ)

 

 基部に存在する小さなカプセルのような部品をレオは持ち上げた。ヴァルクグラムに使った時のような毒物を仕込む事が出来るその部品は完全に潰れ、亀裂が走ってしまっていた。

 

“交換部品はあるのですか?”

 

(無い)

 

 そう、無いのだ。この武器は規格品ではなくレオの手による自作品であり、必要な部品はほぼ全て自分で製作しなければならない。勿論部品のストックは幾つか存在し、それを組み込むことで修復出来る箇所も存在するが、最も重要な部品……即ち短剣部分が無い。

 一般的な短剣と違い、仕込み短剣の剣は腕に隠せなければならないから小型化が必要となり、また毒物を仕込む都合上専用の穴を開ける必要がある。そんなものがそう易々と手に入る物ではない。

 と言って、今から新しく剣を作る時間は無い。剣のストックはあったが、そもそもこの折れた剣自体が、ちょうどヴァルクグラムの一件の直前に交換したばかりだったのだ。

 

(正直、参った。どうしたものかな、これは)

 

“とりあえず、仕込めそうな短剣を探すしかありませんね。手持ちの剣やナイフに何かありませんか?”

 

 彼女の言葉に従い、レオは手元にある短剣や投擲ナイフをありったけ引っ張り出して机の上に並べた。しかし、投擲ナイフは短すぎるか持ち手と一体化しており、短剣は太過ぎて仕込み短剣に入らない。一通り試して全てが徒労に終わると、レオは思い切り椅子の背もたれに体重を預けた。

 

 これは正直、お手上げかも知れない。明日の出立よりも早く新しい短剣を見繕いに行く時間は恐らく無いだろうし、そもそもそんなものは見つかるまい。エリア11に着いてから探す、という手もあるが、これも結果は同じだろう。と言って、エリア11で剣を作っている余裕があるかどうか。増してエリア11では、ブリタニア本国以上にこの短剣が必要な機会が多いだろうに。

 折れた剣を持ち上げて、作業用の手袋を嵌めた手で弄ぶ。考えてみれば現代の部品でこれを修復出来ないのは当たり前で、これは古い文献を基にして作り上げた代物なのだ。現代に伝わっていない以上、これは歴史の何処かで廃れた武器。過去の遺物の再現に過ぎないのだ。

 

 ……過去?

 

 不意に、レオは左の拳を握り、その上に短剣を持ってきて普通の短剣のように見立ててみた。あまりにも細い短剣。そのシルエットに、何だか見覚えがあった。暫し考えて、レオは椅子から離れて来客用ローテーブルの横に膝をつき、その下から黒い革張りのトランクを引っ張り出した。

 中にあるのは、黒檀の箱。そしてその中にあるのは、女の眠っていた遺跡から持ち出した一振りの短剣。レオはそれを取り出して、折れた剣とその短剣とを重ねてみた。

 

 まるで生き写しのように、二振りはぴったりと重なった

 

 レオは再び机に戻ると、短剣を分解し始めた。女はそれを黙って見ている。驚いたことに分解してみると、その刃は明らかに仕込み短剣用のそれと同じような規格になっており、寧ろ後から無理矢理持ち手を付けたようにも見えた。

 グリップから刃を取り外して、仕込み短剣にその刃を移植する。流石に毒物用の穴は無いので、毒のカプセルは取り外す。代わりにそのスペースに、超小型のバッテリーを設置した。そして交換品の箱から小さな筒のような物を取り出して、短剣の真下に添えるように装着する。

 

 気付けば、夕方だったはずの空は闇に塗りつぶされており、時計を見ると夜もすっかり更けてしまっていた。何時間も取り組んでいたその作業から離れると、レオはその成果を左腕に装備する。

 仕込み短剣は、完全に機能を復旧していた。遺跡から持ち出した短剣は仕込み短剣の機能を何一つ阻害する事は無く、元からそこにあったように収まっている。しかも、以前よりも動きがスムーズになっていた。

 そして、そのブレードの下には単発装填式のダートガンが隠されている。バッテリーの容量は極めて少ないから、実質的に二発の発射が限界となり、命中精度にも正直期待出来そうに無い。だが、今回のようなケースを考えると、仕込み短剣自体にも一定の戦闘力があるべきだろう。兼ねてから考えていた改造プランを、この機会に実行に移した形になる。

 

 動作テストを終えて、レオは背後に居るであろう霊体の女に振り返った。

 元々、エルフォード一族が代々受け継ぐ領地にあった遺跡から持ち出した代物なのだ。かつてのエルフォード一族ゆかりの品があの遺跡にあったとて不思議ではない。問題は、この女の方だ。

 この短剣は、元々彼女の所有物だったらしい。では、この剣を持つ彼女もまた、エルフォード所縁の人間なのか。

 

 じっと、女の気配のする虚空を見る。そして向こうも、やはりレオをじっと見ている。

 

 やがて、長い沈黙の果てに彼女は言葉を発した。

 

“……お察しの通り、その短剣はエルフォード一族所縁の品です。と言うよりも、貴方の言う文献に記されていたオリジナルのそれでもあります。”

 

(では、お前は)

 

“はい……私もまた、貴方と同じ、エルフォード一族の人間です”

 

 そして、彼女は語りはじめた。自身の過去の断片を。



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第十三幕 チョウフ攻防 1

 エリア11は、芸術週間一色に染まりつつあった。

 この芸術週間と言うのは前総督クロヴィスの設定した行事であり、元々は植民エリアの民草の無聊を慰めんと始まった物だった。現在は割と単なるお祭り行事と化した感のある行事であり、それ故に今年の開催は危ぶまれていた。文官肌のクロヴィスから軍人肌のコーネリアへと総督が移った、と言うのもあるし、ここのところ、エリア11は事件がなにかと多い。そもそも前総督クロヴィスが逝去したのもこの年の事。喪に服す、と言う意味でお祭り騒ぎは自粛した方が良いだろう、という向きも強かった。

 それでも尚、芸術週間が例年通り執り行われたのは、副総督ユーフェミアの働きかけによるものが大きかったという。そもそもこの手の行事を予定通り行う事自体が、実情はどうあれエリア11の政情が安定している、と内外に示す事につながるのだから、とコーネリア総督もそれを許した。結果として、街は例年通り、この時期に特有の賑わいを見せていた。

 

「トード・キオシェーロ?」

 

 そんな賑わう商店街の一角にある骨董品店の店内でショーケースに収められた意味不明の物品を眺めながら、榊原エリアスは小さく、素っ頓狂な声を上げた。

 

≪お前……C.Cと同じ事を言うのか≫

 

 耳元に固定した携帯電話から、我らが盟主ゼロの声が聞こえる。苛立つ声に苦笑し、エリアスは店内の奥へと入りながら答えた。

 

「すまん、本当にそう聞こえた。発音気にした方が良いぞ? 機械を通して喋るんだ。もう少し正確に──」

 

≪ああ、分かった。分かったから本題に入るぞ≫

 

「了解。で? 彼がどうしたって?」

 

 トード・キオシェーロ、もとい藤堂鏡志郎。かつての日本軍中佐、厳島基地所属の軍人である。

 エリア11の反政府勢力に与する者の中で、この名を知らぬ者は居ない。七年前、“厳島の奇跡”と呼ばれる戦闘を指揮し、唯一ブリタニア軍を撃退、彼軍に土を付けた男だ。別名、奇跡の藤堂。戦後は直属の精鋭部隊“四聖剣”と共に日本解放戦線に所属し、ナリタ戦以来行方知れずとなっている。

 現在ブリタニアも、そしてキョウトもその足取りを全力を以って探っている。多くの日本人にとって彼の影響力は絶大であり、それだけにブリタニアとしては捕らえれば反政府勢力の気勢を大いに削ぐ事が出来るし、逆にキョウトとしては絶対に失えない戦力と言える。そして、黒の騎士団もまた、彼を追っていた。

 

 エリアスがセッティングしたキョウトとの面通しを終えて、黒の騎士団は現在正式にキョウト、即ちNACの支援を受けられるようになっていた。紅蓮シリーズの設計者ラクシャータ・チャウラーもまた黒の騎士団に合流し、紅蓮、白夜共に完全に修復が完了している。

 しかし、ここに来てなおゼロの頭を悩ませる大問題がある。それは、人材不足である。

 

 ナリタ戦以降、黒の騎士団は瓦解した日本解放戦線の残存戦力や各地のレジスタンスグループを傘下に収め、更に組織として肥大化しつつあった。もう、ゲットーでちまちまと抵抗運動を続けていた頃とは違う。組織が大きくなればそれに応じた階層構造や団規が必要になるのは当然の事。烏合の衆のままではまるで話にならない。ナリタ戦前のように団員を篩に掛けつつ、組織の再編が必要となって来る。

 そうなって来ると、人材面の貧弱さが露骨に見えて来るようになった。“正義の味方”として立ち上がった黒の騎士団は、設立から間もないという事情も込みで全体的に年齢層が若い。組織の活力には繋がっても、そうやって活性化した組織を纏める人間は非常に少ない。

 現在の幹部陣はと言うと、副官的な事をしている扇は人が良く生真面目、時として劇薬でもあるゼロの方針と団員たちとの衝突を良く抑えてくれているが、切れ者というタイプではない。残る古参、カレンだの南だの面々はナイトメアのパイロットや工作員としての能力はあれど、指揮官としての能力は希薄だ。そしてエリアス自身も、やはりゼロに代わり前線で指揮を執るとなるとその自信は無い。自分で言うのも言い訳じみていてどうかと思うが、そもそも、自分は単独戦闘型なのだ。

 

 要するに、例えばブリタニアにおいてゼロの立ち位置に居るのがコーネリアだとすると、その脇を支えるダールトンやギルフォード、アレックスのようなポジションの人間が絶対的に不足しているのだ。故にゼロは以前にも増して人材の発掘に注力しており、つい先日も、ディートハルト・リートなるブリタニア人変節者を迎え入れたばかりだ。

 ……このディートハルト、ただの変態かと思えばそうでもない。元々ブリタニアの国営TV局に務めていた男で、ナリタ戦の頃からブリタニアの情報を黒の騎士団に流していた男だ。いわゆる帝政に反対する共和主義者なのかと言えば別にそう言うわけでもない、なかなか底の見えない人物ではあるが、先日行われたトーキョー埠頭での作戦以来黒の騎士団入りした彼は、その才覚を存分に発揮し、黒の騎士団の再編成に大いに貢献している。ブリタニア人と言う事で団員からの人望は正直薄いのだが、その能力は誰もが認めるものであった。

 だが、ディートハルトは軍人ではない。幕僚としては優秀かも知れないがやはり前線指揮官としては彼は適任では無く、それだけに藤堂という人材は、黒の騎士団としても喉から手が出る程に欲しい人材であった。

 

≪奴の部下……四聖剣が黒の騎士団に泣きついて来た。藤堂はゲットーに潜伏中、ブリタニア軍に発見され逮捕されたらしい。どうやら、ブリタニアの諜報部の方が上手だったようだな≫

 

 諜報部、と聞いて、エリアスの脳裏に過ぎるものがあった。神楽坂大河を捕らえた男。神楽坂と言えばそれまで幾度もブリタニアの追跡を逃れ続けた男だったのだが、その尻尾をあっさりと掴んだ。

 今回も、奴が……?

 あの蒼ざめた髪の男を想起しつつ、エリアスは知らず、義手の拳を握り締める。

 

≪軍事裁判が行われたのが一昨日で、判決は勿論死刑。処刑予定日は今夜だ。で、四聖剣は藤堂が収監されているチョウフ収容所の情報も寄越して来た≫

 

 そこまで情報が揃っていながら、四聖剣には藤堂を救い出す力が無い。当然の事だ。母体組織たる日本解放戦線は、埠頭で片瀬の乗るタンカーが、積荷の流体サクラダイトの爆発によってブリタニア海軍諸共完全に消滅している。四聖剣は最後の頼みとして黒の騎士団を頼った訳だ。

 

「それはそれは……良かったじゃないか。欲しかったカードが──」

 

≪──向こうからこちらに来てくれた。これを逃す手は無いぞ≫

 

 集結方法と合流地点、軽い作戦説明を述べて、ゼロは通話を切った。すると、それまで店の奥で沈黙を保っていた店主がこちらを向いて来る。

 

「お話は済んだのかい」

 

「ああ。商談中に悪いな。仕事だ」

 

 そう言うと、エリアスは彼の案内で店の奥へと入って行った。地下へ繋がる階段を降り、防音扉を抜けると、そこは壁という壁に様々な武器、兵器が立ち並ぶちょっとした武器庫のようになっていた。

 この店主は、密かに黒の騎士団への支援を行っている人物であった。無論、ゼロのギアスによって。彼は黒の騎士団への武器の横流しのみならず、ゲットーと租界を繋ぐ地下通路をも提供してくれていた。

 元々、ゲットーの方にも銃を売って小銭を稼いでいた男である。地下通路は武器庫の更に奥に存在しており、エリアスはこれを使ってゲットーと租界とを行き来していた。他にもカレン他何名かの団員がこの通路を使っているらしいが、今回、エリアスはゲットーへの移動のみならず、銃についての用件がここにあった。

 店主が武器庫の照明を灯すのを待ってから、エリアスは作業台の上に愛用のマシンピストルを置く。度重なる激戦で各部にガタが来はじめたそれを、店主は物珍しげに見つめる。

 

ブルーム()のM1968……古い物使いますね」

 

「ああ、友達の形見で、壊れるまでは使ってやりたいんだよ。というわけでオーバーホールを頼みたい。こっちには部品も時間も無いからな。二日で出来るか?」

 

 いつもならば部品だけ買ってアジトに戻ってから自分の手で整備する所だが、藤堂の一件で予定を変える必要に迫られた。この銃の部品自体もそうそう手に入らないし、これから作戦に向けての準備に入らなければならないエリアスには、今夜までに銃をオーバーホールする時間が無い。

 

「問題ありません。幸い部品の在庫は一通り揃っています」

 

「じゃあ、明後日に取りに来る。あと、代わりの銃を。拳銃で良い」

 

「かしこまりました。では、ブルームはこちらでお預かりして……生憎同じ物は用意できないのですが、どのような銃がお好みで?」

 

「マシンピストルじゃなくて良い。昔と違ってバイクからもう少し大きい奴(ナイトメア)に乗り換えて、フルオートで撃つ機会も無くなって来たからな……」

 

 そう言いつつ、店主が武器庫の奥から取り出した拳銃を受け取って構えて見る。SAG社のRナンバーシリーズ、モデル662。帝国軍制式サイドアームとして採用されているモデルの民生品だ。

 黒の騎士団の武器事情については、殆どを旧日本軍から流出した中古品か、キョウトの秘密工場で作られた物、或いはごく少数が中華連邦、EUからの密輸品を使用する者、と言った分布で、ブリタニア製の物を使用する者はエリアスと、後はゼロしか居ない。ゼロが何故ブリタニア軍制式拳銃を使うのかは知らないが、エリアスの場合は店主に告げた通り、友達……つまり共にあの実験施設で囚われていた仲間の物だ。このマシンピストルには、彼の怒り、無念、悲しみが込められている。だから最後まで使ってやりたい。力尽きるその日まで、この銃でブリタニアへ銃弾を撃ち込んでやりたい。

 

「……リボルバー無いか? 意外と使う機会無いから、とりあえず信頼性重視で行きたい──ああ、あと黒を頼む。シルバーは目立つ」

 

 手にした自動拳銃を返しながらエリアスは言った。そもそも、大体のケースにおいて自分はナイトメアに乗っているか、降りて戦うにしても大鎌剣(フォルケイト)が主兵装だ。完全なサイドアーム。攻撃力よりも、必ず撃てるという保証が欲しい。

 店主と何やかやと言葉を交わしながら、幾つかの回転式拳銃を手に取っては構えるなりリロードアクションを試すなりしてみる。そうこうしているうちに、防音扉の上にある装置がブザーを鳴らした。横に備えられたモニターに映る監視カメラの映像に、店の戸が開いて誰かが入って来る様子が映っていた。店主の計らいで閉店の札が掛かっている筈だから、よほどの事で無ければ人が入って来る可能性は一つしかない。ちょっと失礼、と言い残して店主が上階に消える。間もなく再び防音扉が開き、店主ともう一人、先程映像に映っていた人物が武器庫に入って来た。

 

「誰かと思えば……カレン、お前か」

 

 入って来たのは、赤髪の少女。大人しげな、儚ささえも漂うその少女を見れば、恐らく彼女の名を知る大多数の団員はひっくり返るだろう。

 彼女の名は、紅月カレン。紅蓮弐式を手足の如く操りサザーランドもグロースターも容易く打ち砕く、黒の騎士団のエースパイロットである。

 快活、直情的な性格で、普段は動き易さ最重視でホットパンツなど履いている彼女が、今はまるで深窓の令嬢か何かのような見た目をしている。対外的な偽装なのだが、これで学校に通っている間彼女が内心どういう気分で居るのかと思うと、正直笑えて来る。

 

「あら、貴方も居たの? ちょうど良かった。貴方にも──」

 

「──さっき連絡は受けたよ。今夜のパーティ。当然参加だ」

 

 言いつつ、これだ、と選んだ銃を店主に渡す。

 H&D社製のリボルバー、モデルNo.19。幅広い層に愛好され、ブリタニアやエリア11の警官達にも広く用いられているモデル。別に珍しくもなんとも無い銃であり、弾もパーツも、調達は容易だ。弾と専用ホルスターを一緒に添えて、エリアスはそれを購入した。

 銃の選定を終えて、エリアスとカレンは武器庫の脇に備え付けられた扉に消えた。二人が消えると、店主は上階に戻り、閉店の札をひっくり返した。

 

「にしても、今夜いきなり、か」

 

 買ったばかりのリボルバーをホルスターに収めて、エリアスが呟いた。地下通路には古びた照明が点々と灯っており、とりあえず足元は見える。それなりの期間非合法活動に携わっていただけに、二人とも薄暗い中での行動は慣れていた。

 

「それだけ向こうも急いでるって事ね……藤堂中佐と言えば、私達日本人の希望だもの。ブリタニアもそう長く生かしておくつもりは無いんでしょ」

 

 そう言うカレンは、もうあの名門校の制服は着ていない。いつもの扇状的ですらある格好だ。お淑やかさなど知った事かと彼方へフルスイング。よほど窮屈だったのか、先程から肩を解すなり腕を伸ばすなりし続けていた。ストレート気味に纏めていた髪も、今や見る影も無く各々好き勝手な方を向いて……もとい、本来のあるべき姿形を取り戻している。

 

 ゲットーに出ると、エリアスは用意していた外套を着込んで目深にフードを被った。カレンも彼に倣うように、取り出した帽子を目深に被る。混血である二人の顔立ちは、ほぼブリタニア人と言って過言では無い。だからこそ租界でもそれなりに動ける訳だが、それはつまり、日本人の中では彼らは相当に浮く、と言う事でもある。他の日本人達の目もそうだが、恐らくゲットーに潜んでいるであろうブリタニア諜報部に目を付けられてもたまらない。

 最もフードを被った格好も、常識的にはそれはそれで不審者にしか見えない格好ではあるのだが、思いの外、ゲットーではそう言う格好の人間は割と良く見かける。理由は様々で、七年前の戦争で大きな傷がある者や、そもそも着る物をろくに用意できない者も居る。なので案外、こう言う格好でも目立たない。

 人通りに紛れて大通り……いや、正規の道でも何でも無く、ただ多くの人が列を作り歩いているだけの場所を抜けたところで、二人の前に古びた軽自動車が停まった。戦前から使われているのであろうそれは、最早塗装は剥げ、幾つものパーツが応急的に取り付けられたジャンク品で補われている状態だった。これでもゲットーにおいてはだいぶ状態の良い方である。その運転席に座る人間には、二人とも見覚えがあった。

 

「井上さん!」

 

「こんにちは、お二人さん。乗ってかない?」

 

 井上と呼ばれるその女性は、黒の騎士団の古株だ。玉城や扇同様、前身のレジスタンスグループの頃からずっと反ブリタニア活動に身を投じているらしい。彼女の好意に甘えて……というのは少し事実と違うか。彼女は今夜の作戦に備えて、二人を迎えに来たのだろう……車に乗る。助手席に、もう一人先客が居たのにその時初めて気付く。

 

「よう、ちょうど俺たちも合流場所に向かう予定だったんでな。ディートハルトの野郎が迎えに行ってやれって」

 

 杉山と呼ばれる彼も、古株の一人だ。井上と杉山、割と頻繁に一緒になって行動しているこの二人については、団員の中で“絶対付き合ってる”という説が密かに囁かれている。

 

「ありがとうございます。助かりました」

 

「いいって事よ。で、エリアスの方はどうだった? 例の箒」

 

 話題を向けられて、エリアスは半ば意識して、露骨なまでに顔を背けた。二人共カレンが相手してくれるだろう、と思っていたのだが。そもそも何故自分の行動予定が杉山なんぞに漏れているのか。

 車内にごく短い沈黙が流れる。流石にこの空気はカレンにも悪いと思って、エリアスはホルスターから買ったばかりの19リボルバーを取り出して見せてやる。

 

「お、イチキューじゃん! 悪くないチョイスだと思うぞ。て事はあの箒はメンテにでも出した?」

 

 こくり、と頷く。そうすると杉山は突然活きいきとカレンに、或いは運転中の井上にブルームやら19やらについての蘊蓄をぶちまけ始める。ガンマニア杉山、と仲間内から呼ばれる由縁がこれである。若干引き気味のカレン。井上は井上で慣れたものなのか、適当に相槌を打ちながら受け流している。

 

「……やめなさいよ、さっきみたいなの」

 

 杉山の話が続く中で、カレンは小さくエリアスに言った。

 

「何が」

 

「二人とも同じ目的で戦う仲間なんだからさ。さっきのだけじゃなくて、いつもそうだけど」

 

 またその説教か、とうんざりして車の外へ視線を向ける。カレンも溜息を吐いて、それ以上何も言わなかった。まあ、ちょうど杉山が話を振って来たのもあるだろうが。

 

 ……玉城はともかく、井上や杉山個人に決して悪い感情を持っている訳ではない。二人とも、いや黒の騎士団の仲間は皆良い奴だし、何か恨みがある訳ではない。玉城はともかく。それでも、エリアスはどうしても皆に対して仲間意識というものを持つ事は出来ない。

 それは、やはりエリアス自身の経験に基づくものだ。その人生の始まりをブリタニアで迎え、そしてその人生をブリタニアに破壊された彼は、そこから逃げ延びた日本の地に一度は希望を見出した。だが、母の故国であったはずの日本は、二人を拒絶した。敵国に魂を売った売女、そして誇り高き日本の血に、薄汚く穢れた血の混じった不純物である息子。女一人で、身体が不自由なエリアスを育てる為に、母は何でもした。そう──何でも。母のその努力を……屈辱に塗れた足掻きを、日本人達は嗤った。魂だけでなく、身体さえ売るようになった本物の売女だ、と。

 最後に母の命を奪いに現れたのは、ブリタニア人の父だ。剣術に長けていた筈の母は、その得意とする剣術で父に敗れた。敗因は決して、当人らの技量の差などではない。母の身体は限界を迎えていた。母の心身をそこまで衰えさせたのは、母を虐げた日本人どもだ。

 

 だからエリアスの心の中には、ブリタニアへの復讐心の他に、日本人への復讐心が同時に存在する。自分を弄んだブリタニアへの復讐、母を虐げた日本への復讐。例えその果てにあるのがエリアス自身の破滅だろうと、この復讐は必ず果たす。母の墓前で、エリアスはそう決めていた。だから、その日本人達と仲良くなど出来るはずは無いのだ。未来永劫、いつまでも。

 

 

 合流予定地点にはまだ着かないというのに、廃ビル郡の一角で井上は車を停めた。外を見れば、ビルの一角に子供達が群がっている。そして彼らの前に黒板を立てて、子供達に語りかける男、扇要の姿。

 戦前は教師として食っていた現黒の騎士団幹部は、戦前に使っていたのであろう白のワイシャツ姿で子供達に算数を教えていた。正直なところ、レジスタンスなんぞよりも余程似合っている。

 

「あれ、扇さん?」

 

「ついでに扇も拾って来いって言われててさ。後ろ狭くなるけど、我慢してくれや。おーい、扇!」

 

 杉山の呼び掛けに気付くと、扇は黒板を叩いて子供達に何やら言葉を掛けた。まあ、授業終了ということで宿題でも出しているのだろう。「先生さようなら」などと真面目に学校じみた事をやっている子供達の姿を見ると、井上も杉山も、カレンも頬を綻ばせる。エリアスはそうはならない。他の三人は自身の経験を懐かしんでいるが、エリアスにそんな経験は無い。

 ……あの年齢の頃なら、ちょうどブリタニアで実験を受けていた頃だろうか。そんな事を、ふと考えた。

 

「やあ皆、わざわざすまないな、迎えに来てもらっちゃって」

 

「気にすんなよ。それより早く行こうぜ。幹事殿は遅刻に煩いだろうし」

 

 扇の座るスペースを作るため、カレンがエリアスのすぐ横に詰めた。エリアスも一応端に詰めてやり、大柄な扇が尻を埋められる程度の隙間は出来た。が、扇は扇で遠慮して車の反対端で縮こまるようにして座っており、結果として案外スペースが余る。車が走り出して暫く経つとカレンもそれに気付き、気恥ずかしそうにそれとなくエリアスから離れた。

 前言を撤回しよう。本来の彼女にも、貞淑さと言うものは一応あるようだ。……などと、カレン本人に知られれば間違いなくアッパーでぶっ飛ばされるような事を考えてしまう。

 

 

 合流ポイントである旧駅構内では、既にKMFの組み立てが始まっていた。線路の上では無頼、そしてキョウトより提供された上位機種の無頼改が立ち並び、更に奥には組み立て途中の紅蓮弐式が、その更に奥で組み立てを待っている白夜のコンテナがある。到着報告を終えると、エリアスは未だバラバラ状態の愛機の元へ走った。

 

「お、来たなエリアス。悪いけどもうちょい待ってくれや。紅蓮が終わらん事には手が付けられん」

 

 紅蓮、そして白夜は、無頼とは性能も構造も違う。開発者ラクシャータの合流以来、紅蓮シリーズの整備、移送、組み立てには彼女が連れて来た専門スタッフのみが関わるようになっていた。殆どはインド軍区の人間でエリアスとしても以前より心理的抵抗は少ないが、いかんせん手が足りない。しかも、今回彼らが関わるべき機体はこの二騎だけではない。エリアスは申し訳なさそうにするスタッフから視線を外し、ホームを跨いだ別の線路上を見た。そこに、無頼とも、紅蓮ともまた違う機体が五騎、器用にも正座の姿勢で整列していた。

 紅蓮と違う、と言ってもベースになったのはやはり紅蓮であり、ラクシャータ謹製、紅蓮シリーズに連なる機体である。シンプル化はされているが紅蓮や白夜と似通った構造を持つその青灰色の機体の名は、月下。紅蓮や白夜を経て誕生した、紅蓮シリーズの生産型、と言った立ち位置になるであろう機種である。

 

「月下には、誰が?」

 

「ああ、四聖剣と藤堂中佐だとさ。ほれ、先頭に黒いのが居るだろ? 藤堂中佐はあれに乗って貰う事になる。全部の月下が、無頼改のデータから取った各員のデータで調整されてるから、藤堂中佐ならぶっつけ本番で乗りこなしてくれる筈だ」

 

「何だ、黒いからゼロでも乗るのかと」

 

「まあそう言う案もあったんだがな。だから……奥のコンテナから青い奴の頭が見えてるだろ? 先行試作機なんだが、あれをゼロ用に調整するのしないのって話も上がっててさ──」

 

 そうこうしているうちに、紅蓮の組み立てを終えたスタッフが白夜のコンテナに群がり始めた。作業の邪魔にならぬよう、エリアスは機体から離れた。

 

「そっち、まだ掛かりそう?」

 

 そう背後から呼び掛けたのはカレンだった。ラクシャータが用意した赤いプロテクションスーツに着替え、愛機の元へ向かう所なのだろう。

 因みに、全身一体構造のプロテクションスーツは絶対に喪えないエースパイロット達、紅蓮シリーズの搭乗者にのみ用意されている。即ち四聖剣とカレン。元々はエリアスにも用意されていたが、義手義足を常用しいざとなればこれらを切り離す事で被害を抑える必要がある彼にこの上下一体型のスーツは邪魔になるだけだ。その為エリアスにはこのスーツではなく、ベスト状の簡易型が用意されていた。

 

「今からだよ。組み上がったら一通り起動テストしてやらないと。お前はこれからか?」

 

「ええ。それじゃあ、今回もよろしくね」

 

 こつん、と互いの拳をぶつける。仲間同士でやる事そのものだ。

 

「ああ。お前も死ぬなよ。話し相手が本格的に居なくなる」

 

 過ぎ去る彼女の背中を見つめながら、エリアスは溜息を吐く。

 カレンとの付き合いは意外と短くはない。かの老師殿の手駒として動いていた頃、幾度か共に戦った事がある。当時からカレンはミューラーの所から流れて来たグラスゴーを駆っていて、エリアスは老師の用意した無頼を使っていた。数少ないKMF騎乗経験者同士、何よりも同じ日武ハーフという事で、エリアスにとっては数少ない、本音が話せる相手だった。

 

 だが、彼女は明確に、自らを日本人と規定している。ブリタニアを敵視している点は変わらないが、彼女にはある日本への帰属意識は、エリアスには無い。

 

 そして、日本人とは母を殺した者共のことだ。

 

 車の中でもカレンに咎められた事だが、正直エリアスには団員たちとの付き合い方が分からない。彼ら個人には敵意は無くとも、彼らは母を拒否した日本に帰属する者達なのだ。だが……。

 

 いずれ結論は付けねばならない。だが、その結論の見つけ方さえ、今のエリアスには分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ブリタニア軍、チョウフ基地。収容所の設けられたこの基地の警戒はいつになく厳重であった。

 理由は明白である。ここに、一人の男が収監されているからだ。収容所区画のとある独房に、その男は座していた。

 短く切り詰められた黒髪、切れ長の眼。戦いの中で歳月を重ねたその精悍なその風貌は古のエリア11に存在したというサムライなる戦士の姿を思わせる。

 

 男は暫くの間、瞑想するかの如く瞑目していた。が、鞘に納められた刀剣を手に持ったその若者が独房の前に立った途端、眼を開いて若者を睨んだ。

 

「……貴様のその刀、どこで手に入れた?」

 

 日本語で問い掛けて、それから思い出したかのようにブリタニア語で同じ問いを繰り返す。若者はちら、と手に持った刀剣を見遣った。

 

「私には見覚えがある。その刀も、その刀の遣い手だった女も」

 

「知らないさ。敗死した人間の事など」

 

 若者は慇懃に答えた。その直後、微かに足元の揺らぎを感じて二人は同時に同じ方向に顔を向けた。

 

「……なるほど、既に死んだ男でも、彼らにとって利用価値はある、という事だ。人気者は辛いな、トードー」

 

 トードーと呼ばれた男は何も答えなかった。やがてしばしの沈黙の後扉が開き、その若者よりもさらに歳下の女性士官が入って来た。

 

「お兄様、敵襲です。恐らくは、この男を狙っての行動かと。アスミック卿及びロイド伯からはナハトの出撃準備を、と」

 

「了解した。折角の新装備、実戦テストと行こうか」

 

 マントを翻し、二人はトードーの前から立ち去った。誰も居なくなった空間で、トードーはひとり呟いた。

 

「そうか……あれが、美咲の嫁ぎ先の貴族の……」



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第十四幕 チョウフ攻防 2

 ──深夜。爆炎と共に、黒の騎士団は攻撃を開始した。部隊は三つに分けられ、一つが西側ゲート周辺を攻撃し敵の注意を引き、もう一つが遅れて北側ゲートを制圧。そして、最後の一隊は四聖剣と紅蓮弐式、それから藤堂用の月下を格納したトレーラーのみの少数精鋭で、敵が二方向に分散した隙を突いて、東側より強行突入を行う。突入部隊の退路は北側ゲートを想定しており、北側制圧部隊は退路の確保が役目となる。

 今回の作戦ではエリアスは突入部隊……トレーラーの運転担当である。いつでも最大速力を発揮出来るよう割と無茶苦茶なチューンを施されたそのトレーラーに乗り込んだエリアスは、フロントガラスの向こう側で戦端が開きつつあるのをじっと見つめていた。

 

 藤堂鏡志郎の日本人に対する影響力は、当然ブリタニアも理解している。折しも古今の情勢悪化につけ込む形で中華連邦の水面下での介入が活発化し、その関係で騒がしくなったホクリクの平定の為に総督コーネリアは租界を留守にしている。処刑当日というこの反政府組織にとっての最後のチャンスに、ブリタニアが万全の防衛体制を敷いているのは当然の対応であった。

 留守中、治安維持に関する指揮を執るのはダールトン。チョウフ基地の守備隊を指揮するのはアレックス。どちらも侮れない相手である。奇襲作戦により藤堂を奪還する、というゼロの策は、実質的に時間との戦いであった。

 

≪K-1、及びK-2! 側面の警護隊を任せる。こちらが貸した分の貸しは返してもらうぞ≫

 

≪承知!≫

 

 ゲートをぶち抜いて、四聖剣が駆る月下が収容所内部へと突入する。戦域にジャミングが発生し、更に目視は出来なくとも、戦線の各KMFからのデータリンクにより、手元の端末で戦闘の様子が確認出来た。四聖剣の月下に対し警護隊のサザーランドが弾幕を展開するが、その射線の先に居るべき月下はサザーランドを見事なフォーメーションで翻弄し続けており、サザーランドは無様に射線を振り回すだけ。そうこうしているうちに月下は距離を詰めて、サザーランドを両断する。彼我の技量差が如実に現れた、哀れなほどに一方的な戦闘であった。

 

「これはこれは、流石は四聖剣。虚名では無いようだな……っと」

 

 壁の向こうから、曳航弾がパターンを刻んで、夜空に打ち上げられる。侵入した月下からの合図だ。即ち警護隊の排除完了、直ちに突入開始せよ。エリアスは全速力でトレーラーを発進させて、進路上のあらゆる物を弾き飛ばしながら防護壁へと突き進んだ。

 

 トレーラーには現在、藤堂の月下だけでなくエリアスの白夜も搭載されている。その白夜はコンテナ内ではなくコンテナの上で匍匐体勢を取る形で固定されており、手にしたKMF用大口径キャノンを進行方向へと向けていた。エリアスは壁面目掛けてトレーラーを爆走させながら手元のスイッチを押し、白夜のキャノンを遠隔操作で発射する。流石にこの距離でそんなものをぶち当てられては防護壁はひとたまりもなく、派手な轟音と共に壁面に大穴が空いた。

 同時に飛散した破片でトレーラーのフロントガラスが粉砕され、エリアスはハンドルをオートモードに設定して両腕、特に義手の方の腕で顔面をガードした。破片の幾つかが真紅色の義手に傷を付ける。

 プラン上、こうするしかゼロの行動に間に合わせる暇が無かったから、エリアスがトレーラーの運転役になったのだ。生身の腕と違い、多分無茶をしても義手の機能が損なわれる事はない。車体、運転手共になかなか悲惨な状態になりつつも、トレーラーは出来上がった大穴を通り抜けて収容所に突入した。その両脇に、先行していた月下が付く。

 

「トレーラーより先行隊、収容所内部に突入した。そっちはどうだ」

 

 義手で破片を払い除けて、再びステアリングを握る。キャブ部分は全体として大破寸前、少なくとも助手席は使い物にならなくなっていたが、どのみちこの車は使い捨てるのだから問題あるまい。

 

≪こちら紅蓮。今中佐を無頼に移譲させる所。予定通りポイントD-06にて合流を≫

 

「トレーラー了解。月下各機、エスコート頼む」

 

 言われるまでも無い、と言わんばかりに二機の月下がトレーラーの左右前方に着いた。既に各所で黒の騎士団による攻撃が始まっており、あちこちで黒煙が上がっている。収容所には備え付けの飛行場があり、そこに防衛戦力が駐屯しているが、そちらの制圧も完了したようで、管制塔から黒煙が上がっているのが見えた。

 

 合流地点までのルート上に、動いている敵機は見当たらなかった。トレーラーを走らせつつ、エリアスは先ほどのキャノンのコントローラーの裏のボタンを押した。白夜の腕部からキャノンが脱落し、地面に転がって弾け飛ぶ。同時に白夜本体の固定も半分が解除されたことで、最悪の場合白夜本体のパワーだけで拘束を引きちぎれるようになる。

 前方に黒煙を上げる収容施設──目標である藤堂の囚われている施設を確認すると、エリアスはトレーラーをドリフトさせ、コンテナを何かに叩きつけるかのようにして前後反転し停車した。同時にコンテナ開閉キーを押して、先程の無茶な突入のせいでズタズタになったシートベルトを外して車外へ飛び出る。

 

 エリアスがコンテナの上に登るのと、ゼロの無頼が藤堂を運んで来るのはほぼ同時だった。藤堂が機外に姿を現すと、集まっていた四聖剣がその周囲を固め、機体のコックピットハッチを開いて姿を見せた。

 

「中佐!」

 

「お帰りなさい、藤堂さん」

 

「皆、手間を掛けさせたな」

 

「安いものです」

 

 短い会話の中に、彼らの間にある絆の強さが感じ取れる。出撃前の事もあってどこか羨ましさに似た感覚を覚えながら、エリアスは白夜のコックピットに入った。

 コアルミナス、始動。メインシステム 戦闘モード起動。メインカメラが起動し、エリアスは白夜をトレーラーの上に起立させる。

 

≪白夜、起動完了≫

 

≪よし。目的は達成した。ルート3を使い離脱を開始する。白夜は先行し──≫

 

 と、ゼロの指示はそこで途切れた。更に、モニターを横切る黒い影。スラッシュハーケンだった。それも、ゼロの無頼を狙って放たれた物。

 エリアスより先に、カレンがそれに反応した。紅蓮の脚がアスファルトの地を蹴り、近接戦装備である呂号乙型特斬刀で宙に躍り出てスラッシュハーケンを弾き返す。軌道を変えられたハーケンは僅かな時間空中を泳ぎ、直後、すぐに巻き戻される。巻き戻った先……遥か前方から猛然と接近して来るのは──

 

「白兜……っ」

 

≪どうして、あいつがここに……!?≫

 

 白兜と呼ばれる、ブリタニアの新型KMF。ナリタと言い埠頭と言い、黒の騎士団は結成以来このKMFに幾度となく妨害されて来た。ある意味で、現時点における黒の騎士団最大の脅威。因縁の相手の出現に、カレンは驚いたように、そしてゼロは不敵な笑みと共に呟いた。

 

≪これはこれは……残った問題が自ら出て来てくれるとは≫

 

 接近して来る白兜に向けて、エリアスは白夜を走らせた。カレンが後に続く。無論、藤堂と四聖剣の月下も一緒だ。だが白兜の動きは相変わらず尋常ではなく、性能的には白兜とそう変わらないであろう紅蓮と白夜、月下五騎全てを相手取って、なお一歩も引けを取らない。紅蓮の輻射波動を回避してエリアスの大鎌を受け止め、右に左に月下と剣を交えつつ、隙を見せればかなり際どい一撃を放って来る。数合当たっただけで、既にエリアスは二度程隙を突かれそうになっている。

 やはり手強い、と判断し、エリアスは一度後退しゼロの無頼へカメラを向けた。作戦目的は達成している。この場に留まってこの強敵とやり合う意味はあるのか、と。

 

「ゼロ、これ以上の小競り合いに意味は無いだろう。この辺りで撤収するのが賢明だと思うが」

 

≪その通り……と言いたいが、アレには私も何度も煮湯を飲まされたのでな。ここで完全に潰しておきたい≫

 

≪ゼロ、この機体に関する情報は持っているか≫

 

 今度は藤堂が月下の無線で問い掛けた。初乗りだというのに、すでに月下のパフォーマンスを余す事なく発揮させている。並大抵の腕前ではないことが窺える。

 

≪打つ手はある。ここは私の指示に従って欲しいが──?≫

 

 と、ゼロは不自然に言葉を切った。藤堂はそれを問い掛けと受け取って「わかった」と答えるが、エリアスは素早く無頼に近寄って、マニピュレーターで平手を作り無頼の胴体に押し当てた。接触回線起動の表示がモニターに表示される。マニピュレーターのコネクタと機体本体のコネクタとの有線接続通信だ。お互いの機体にしか通じない。

 

「……何かあったか?」

 

≪北側ゲート制圧部隊からの連絡が無い。データリンクも途切れている≫

 

 退路の確保を行う部隊は、この作戦のもう一つの要とも言える存在だ。彼らがしくじれば、突入部隊は基地に閉じ込められたまま、逃げることも出来ずすり潰される末路を辿る。故に、その部隊との連絡が取れないというのは危険な兆候だ。

 

 エリアスは月下と紅蓮と撃剣を繰り広げている白兜を警戒しつつ、北側ゲートの方向へカメラを向けた。

 ……白夜の速力なら、うまく施設を壁にすれば、白兜に気付かれぬように離脱出来るかもしれない。

 

「わかった。俺が見てくる」

 

≪いや、単騎では危険だ。四聖剣の一人を……≫

 

 ゼロの懸念は理解出来る。ナリタでは、同じようなケースで単騎で先行し、結果白夜を破損させてしまったのだ。だが、状況的に自分の白夜しか動けないのは明らかだった。

 

「無理だ。全員白兜にマークされてる。元々白兜の狙いはお前だろうし、お前が消えれば白兜は確実にお前を追う。俺がやるしか無いだろう」

 

≪……分かった、隙を見てもう一、二騎戦闘から離脱させてそちらに向かわせる。白夜の通信能力なら多少離れても通信可能な筈だろう、情報は逐次こちらに送れ≫

 

「了解した」

 

 ゼロの号令の下、月下と紅蓮が一斉に白兜から距離を取り、ゼロの無頼を先頭に隣接する飛行場へと移動を始めた。白兜もそれを追う。悟られぬ内に、エリアスは集団から離脱して、建造物の合間へと白夜を疾走させた。戦域から離れて、施設を回り込むように北上する。管制塔を抜けたところで二騎のサザーランドが行く手に立ち塞がったが、照準コンピュータ頼みの射線をくぐり抜けて大鎌を振るだけで良かった。サザーランドは胸部を斜めに断ち切られ、上半身が脱落する。下半身だけのサザーランドがなおも前進を続け壁面に激突するのを尻目に、エリアスは北側ゲートにまで一気に駆け抜けた。

 

 

 最初に視界に飛び込んで来たのは、横倒しになって炎上するブリタニアの戦闘車両だった。どの車輌にも、チョウフ警護隊の所属である事を示すマーキングが記されている。どうも、警護隊の殲滅、ゲートの制圧自体には成功していたらしい。

 と、同時に通信が途切れた理由も分かった。戦闘車両の残骸に紛れて、黒の騎士団が使用する通信中継車が横転し炎上しているのを見つけた。ジャミングにより敵に電子的撹乱を行うまでは良いが、無頼、無頼改の電子装備ではこれに対応出来ずブリタニア軍諸共電子的盲目状態に陥ってしまう。故に今回の作戦ではその役割を補い、遠方の味方からのデータリンクについても中継できる存在が用意された。それがこの車輌だ。

 

「……ゼロ、中継車がやられていた。信号が途切れた理由はこれだ」

 

 中継車が炎上していた地点はゲートのすぐそば、本当ならば警護隊の防御陣地の只中だ。中継車は本来味方陣地の後方に位置し、その場の戦闘指揮を兼任するのが役割だ。ここから推察するに、中継車はゲートの制圧が完了し、ゲート側の防衛陣地の内側に入った所で撃破されたのだろう。それは一体何故なのか。

 疑問はまだ残る。北側ゲートからあの収容所までそう大した距離はない。ゲートを制圧したならば味方の内誰かがゼロの下に接近すれば良い。近距離通信なら無頼でもゼロに連絡が可能だ。

 ……まあ、結果論として白兜にやられていた可能性はあるものの。

 

「だが色々と状況が見えない。味方機の姿も見えないし、相討ちにでもなったのか……兎に角、俺がここの制圧を維持する。味方の増援は要らないから、白兜を潰したらいつでも──っ!?」

 

 瞬間、エリアスは白夜を急速後退させた。直後、一瞬前まで白夜の頭部があった空間を一筋の閃光が貫く。路面に大穴を開けたその攻撃を、エリアスは既に知っていた。白兜が装備しているものと同等のライフルだ。だが、周囲を索敵しても敵影は見えない。射点と思われる方角に対し機体を遮蔽物に隠しながら、エリアスは通信を再び起動した。

 

「前言撤回、今狙撃を受けた。撃ち抜かれたくなければこっちには来るな」

 

 だが、返答は無かった。不審に思い周波数を合わせ直してみても、レシーバーに届くのは微かな戦闘音と思しきノイズのみ。二、三度呼び掛けを繰り返して返答が無いと知ると、今度はカレンの紅蓮に対して呼び掛けを試みた。

 

「Q-1、急にゼロに連絡が取れなくなった。何があった、やられたのか?」

 

≪こちらQ-1、分からない! 撃破はされてないんだけど、突然……待って! ゼロの指示を!≫

 

≪待てない! 仙波大尉、旋回活殺自在刃を!≫

 

 現場は明らかに混乱の中にあった。恐らく、白兜が何かをしたのだ。それによってゼロの指示が途絶え、四聖剣は即座に自由戦闘を開始した。指揮官の機能不全により部隊全体の動きが止まる事も珍しく無いのだから、この対応力は流石の一言と言えた。藤堂もだが、四聖剣も黒の騎士団には必要な人材になりそうだ。

 

≪待って!≫

 

 慌てた声色でカレンが四聖剣を追うのがレーダーで確認出来た。白兜の撃破に問題は無いかも知れないが、これではとてもこちらの情報を伝えられる状況では無い。ついでに、応援も期待出来ない。

 エリアスは白夜を遮蔽物から出して、コックピットに増設されたスイッチを押した。それは外付けの煙幕噴射器の起動スイッチであり、白夜は自らが発した黒煙に包まれた。

 一度使えばあとは内蔵薬剤が空になるまで噴射され続けるのみなのは使い辛さが否めないが、とにかくこれで敵機の目を眩ませられた。

 どうにか仕切り直しを図らねば、と黒煙の中を飛び出したその時、白夜のセンサーが危険信号を発した。エリアスの目の前から、一騎のKMFが飛び込んで来たのだ。

 KMFグロースター。紫色の塗装と濃紺のマントが特徴的な、親衛隊所属の上級量産機だ。通常は電磁ランスを装備する機種だが、その機体はその代わりに本来両手で扱うのであろうロングソードを両手に一本ずつ、片手持ちで装備していた。

 

「こいつ……っ!!」

 

 グロースターは独楽のように機体を回転させて、広げた両手の長剣で攻撃して来る。エリアスはスラッシュハーケンをぶつけてグロースターから距離を取り、そのまま停止する事なくゲート前の搬入路を駆けた。その足元に、またしても先程の狙撃が飛んで来る。直撃はしないが、路面に次々と穴が開いた。弾け飛んだ無数の破片が白夜を襲い、その姿勢が僅かに揺らぐ。そしてそこへ、第二の弾丸が飛来した。エリアスは咄嗟に白夜の上体を逸らした。

 鈍い衝撃が、コックピットを襲った。直撃だけは免れたものの、悪い事に頭部を掠めた緑色の光弾は白夜の高精度センサーマストを抉っていた。それによって白夜はデータリンクの受信が不可能になり、コックピット内のディスプレイがノイズに埋れてしまう。

 

「ッ……!!」

 

 エリアスは舌打ちを隠せなかった。ナリタに続いてこれだ。どうも自分は白兵戦においては敵を振り回すのを得意とする癖に、KMF戦については主導権を敵に握られる程度の腕前らしい。スモークも使い切った以上、ここからは機動と遮蔽物のみで狙撃を凌ぐしかない。自分の愚鈍さに毒付きつつ、機体を疾走させて狙撃を回避し続ける。

 相変わらず射点は判別できない。コンピュータの導き出した予測狙撃地点後方はどれも外れで、そこには何も無い。が、上方向の何処かに存在する事は分かる。仮にこの狙撃者が管制塔か何かの建造物の上に陣取っているのなら、狙撃には絶好の撃ち下ろしポジションを取った事になる。だとすると、ここを撤退ルートとして使う事は不可能となる。

 ……といって、他の離脱ポイントを使うか? だが、指示を出すべきゼロとは繋がらない。長距離通信に必要なセンサーマストは、今しがたへし折れてしまった。これでは仮にゼロの指示が復旧したとしても──

 と、そこでエリアスはモニターの端に光るものを見つけた。空中に打ち上げられた光。自動プログラムにより拡大されたそれを一瞥して、エリアスはその意味を知る。

 “全軍撤退“、“ルート3より撤退せよ”。なるほど、ゼロは無事復帰して、この北ゲートとは別の撤退ルートを選択したのだ。

 流石の判断だ、とエリアスは心の中で頷いた。向こうもこちらとのデータリンクが切れたことでこの地点の危険性を理解したのだろう。

 ……最も、それはつまり向こうとしてはこちらが撃破された、と判断したと言うことでもあり、ここからエリアスは自力のみで撤退地点へ向かわねばならない。この狙撃を掻い潜って。

 

 アクセルレバーを全開にしようとしたその時、センサーが警告を発した。先程のグロースターが、双剣を掲げて突っ込んで来たのだ。正確な斬撃が白夜を襲う。

 ……だが、エリアスは敵の選択に驚きを隠せなかった。敵の襲撃が見事だったからではない。敵の選択した戦術が理に叶っているとは言い難かったからだ。

 グロースターは、白夜に追い縋って来ている。無論このグロースターの主兵装たる双剣による攻撃を与えたいのなら、それは当然の選択だ。しかしその攻撃が行われる前の段階で、エリアスは敵の狙撃から逃げ回っていたのだ。これではグロースターは敵を攻撃範囲に近付けることが出来るが、グロースター自体が味方であるはずの狙撃者の邪魔となってしまい、狙撃者が迂闊に手を出せなくなってしまう。実際、グロースターの出現で敵の狙撃はぱったりと止んでいた。

 更に、何を思ったかグロースターはスラッシュハーケンを白夜ではなく、白夜の進行方向の地面へと打ち込んだ。それは敵機の動きに釘を刺すという意味では間違ってはいないが、その割にはあまりに狙いが雑だ。動きを牽制、或いは妨害したいのなら敵機の近くに撃ち込むべき所を、白夜から少々離れた場所に撃ち込んでいる。これでは白夜側に回避する余裕が十分に生まれてしまう。ただ方向転換をすれば良い。

 無論、敵の狙いがその方向転換にあるのなら話は別だが、仮にそうであっても筋が通らない。現在の位置関係的に、それを行なうと白夜は遮蔽物の多い区画へ追い込まれる事になる。グロースターにとって接近戦はし易いかもしれないが、これでは完全に味方の狙撃を阻んでいるもの同然だ。加えて、その方向はゼロが指定した脱出地点であるルート3の方向と一致する。もはや、エリアスの逃走を手助けしているようですらある。

 このグロースター、何を考えているやら……。

 

 建造物と建造物に挟まれた狭い隙間に入り込んだエリアスは、機体を反転させてグロースターに向き直った。振るわれた二振りの剣を大鎌の刃で受け止めて、エリアスは白夜を全速で交代させる。

 グロースターの狙いが何にせよ、こちらにとってありがたい結果に至ったのは間違いない。ならば後は、このグロースターを撃退して一気に駆け抜けるだけだ。エリアスは出力を全開にして前進に転じた。押し合いの形となった双方の勢いが一気に減退し、それから今度はグロースターが押される側に回る。グロースターを上から抑え込む形になると、エリアスは胸部に搭載された飛燕爪牙(スラッシュハーケン)を起動、射出してグロースターの頭部を潰した。

 敵機の無力化を確認して、エリアスは踵を返して脱出地点へと急いだ。建造物の隙間から抜け出たところで、ちょうど殿を務めていた味方の無頼改と鉢合わせする。

 

≪エリアス先輩、無事でしたか!≫

 

「生憎ながら生きてるよ。ゼロ達は!?」

 

≪先に離脱しました。我々も離脱を──≫

 

 だが、共に戦線を離脱しようとしたその時、二機のKMFの間のアスファルトに一瞬黒い影が過った。直後、雷鳴の様な轟きと共に無頼改の左腕部が爆発を起こして弾け飛ぶ。

 頭上を見上げ、エリアスは遂に先の狙撃手の正体を知った。その姿こそは、エリアスの予想通りの相手の姿でもあった。

 

 漆黒の装甲に、メタリックブルーの縁取り。白兜を忠実になぞったような、しかし明確に異なる機体として生まれたのであろうKMF。天を貫くような一本角は、色を除けばまるで神話の一角獣のようでもある。だが、その漆黒の一角獣は空中にあった。背中から翼を生やし、まるで見えない地面の上に立つが如く、彼らの頭上の空に留まっている。

 

≪黒い……白兜……!?≫

 

 間違いなかった。それは、ナリタで激闘を繰り広げた因縁の機体だった。あの時と同じように──いや、あの時以上の滑らかさで、漆黒の騎士が宙を舞い、翡翠色の眼光が彼らを見下ろす。

 事実を述べた物ながら矛盾した事を口走り、無頼は半ば反射的にアサルトライフルを空中の敵めがけて掃射した。同時に遮蔽物を求めて移動を開始する。エリアスもその反対側へ動いた。少なくとも、これで片方の機体はフリーになる。そのはずだった。

 

 結論として、敵機はまず無頼を獲物に選んだ。両手で構えたライフルの銃口を逃げる無頼改に向けて、その足元を狙い撃つ。先のグロースターとは違い、無頼改の足元すれすれに光弾が飛び込む。

 その敵の背中に、エリアスは照準を定めた。敵が空中にあったのではエリアスの大鎌は届かない。なら、敵が無頼に集中している隙に飛燕爪牙で背中の翼を撃てば良い。

 

 あの機体に関するデータは、白兜のデータほどでは収集済みだ。ナリタの時とは背中のパーツの形が違うが、あのパーツをパージして以降、あの機体は飛行していない。あれが飛行を司るパーツである可能性は非常に高い。そして地面に降ろしてしまえば、あとは通常の対KMF戦を行えば良い。上手く墜落を狙えたならば、勝利は確定的だ。

 

 飛燕爪牙が、敵機の背後に迫った。獲った、と思ったその瞬間、敵機は細長い脚部をその爪牙に伸ばした。直後、その向こう脛の部分に緑色の光の壁が纏わり付くように出現し、飛燕爪牙を阻んだ。

 白兜が使っていた電磁シールドだ。エリアスは絶句した。盾を脚に装備するなどと誰が予想出来るか。動揺により一瞬の空白時間が生まれ、その隙に敵機は背部から閃光を放ちながら無頼に迫った。声すら発する間もなく、黒い機体が烈風となって無頼の真横を擦れ違う。地面を擦りながら着地した敵機の右手には、赤く光る片刃の剣。僅かに遅れて、スパークを発しながら無頼改は地面に倒れ伏した。腹部で断ち切られた胴体部分が脱落し、乗機と似たような状態になったパイロットの名残が、断面から転がり落ちた。

 

「──このっ!」

 

 敵機が白夜に向き直るのと、エリアスが白夜を疾走させたのは同時だった。大鎌の刃を折り畳み、モードチェンジによりそれを大斧へと変形させる。この敵に対して、拘りを持っている余裕は無かった。敵機は再び空中に飛び、大斧を躱して距離を取る。エリアスは施設壁面目掛けて飛燕爪牙を撃ち込んだ。そのままワイヤーを巻き取って白夜を施設壁面に飛ばし、極短時間その壁面を疾走、そこから跳躍して、白夜も敵機と同じ空中に躍り出る。一度きりの奇策だが、こうでもしなければ最早敵機の機動に追いつけない。

 エリアスの振るった大斧と、敵機の赤い刀が空中で激突した。普通ならそのまま重量で押し切れただろうが、敵機のパイロットは剣技に関しても並外れた技量の持ち主でもあった。接触した刃を滑らかに滑らせて、見事に白夜の突撃を受け流してみせたのだ。白夜は再び別の壁面に飛燕爪牙を撃ち、壁面に“着地”して即座に黒い機体に向き直る。

 

 その眼前に、銃口が突き付けられた。

 

「──っ!!」

 

 白夜の瞬発力が、この窮地を救った。両脚部モーターを最大駆動させ、思い切って敵機に自機をぶつける。半ば自棄に違い選択が、この場合最適解であった。敵機のライフルは光弾を放つ間も無く弾け飛び、二機は揃ってバランスを崩した。しかし敵機はその姿勢のまま強引に空中へと飛び出し、鮮やかに姿勢を回復して見せる。一方白夜の方はそうもいかず、半ば転がり落ちるように接地し、そのまま仰向けの姿勢で倒れた。無防備な白夜に、空中の敵機が刃の切っ先を向ける。

 しかし、同時にエリアスの大鎌が敵機の首筋に刺さった。致命傷では無い。首関節の外部皮膜を破り内部機構を少しだけ削る程度。だが刃はしっかり敵の急所に喰らい込んでいる。後はほんの少しでも腕部駆動モーターを作動させれば、敵機の頭部は千切れ飛ぶだろう。

 ──ただし、敵機の赤い刃も白夜を捉えている。模擬試合ならば引き分けと判定されるであろう状態。が、今この場は実戦の場。迂闊には動けないが、敵が動くのならそれより速く動かねばならない。エリアスは全神経を敵機へと向けた。恐らく敵機のパイロットもそれは同じで、一瞬、二機の動きは完全に静止した。

 

≪エリアス!≫

 

 凍り付いたような一瞬を、灼熱のような一声が溶かした。背後より飛来した榴弾を回避して、敵機は空中で後退、その場でくるりと回った。

 遠方より接近する二つの影──紅蓮と漆黒の月下。紅蓮は白夜を庇うように滑り込んで来て、月下の方は地面に飛燕爪牙を撃ち込んで僅かに跳躍し、手にした廻転刃刀で空中の敵機と切り結んだ。

 

「カレン……? お前とっくに撤退したんじゃ……?」

 

≪救援信号が飛んで来たの。一瞬だけ。 それと貴方が危ないって……あのC.Cって女が≫

 

 C.C……相変わらず手回しの良い女だ。白夜を起こしながら、エリアスは無意識に止めていた息を吐いた。

 

≪動けるか!? 直ぐにブリタニアの空爆部隊が来る。すぐに離脱するぞ!≫

 

 藤堂鏡志郎の声がレシーバーから聞こえた。白夜は紅蓮に半ば引っ張られるようにしてアスファルトの路面を駆け抜けて、月下と合流する。

 なおも追い縋る敵機。それに対し、紅蓮は自慢の右腕を地面に叩きつけ、輻射波導を地面に撃ち込んだ。弾け飛んだアスファルトに叩かれるのを嫌い、敵機は即座に脚部の電磁シールドを展開して後退する。その隙に、三機は全速力で離脱した。

 

 頭部ブレードアンテナ損傷。ボディに多数の破損箇所。直接攻撃を受ける事は無かったが、こちらとて敵に一撃たりとも入れられていない。

 

 事ここに至って、エリアスは認めた。KMF戦において、自分はあの男に敵わない。

 

 

 ……そうだろう? ブリタニアの癖に日本刀を振るう男。どうせ、お前はそれに乗っているんだろう?

 

 後背モニターに映る黒い機影を睨み、エリアスはそこに銀髪の男の姿を重ねていた。

 

 ……血を分けた、兄弟の姿を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒の騎士団アジトにて開かれた軽い宴。藤堂と四聖剣の加入祝いと作戦成功祝賀を兼ねた会は、開始早々浮かれポンチの乱痴騒ぎ(カレン評)と化した。

 そもそも、藤堂と四聖剣と言えば解放戦線の英雄である。それが揃って黒の騎士団入りを表明したのだ。キョウトから見ても黒の騎士団の存在はいよいよ無視できぬものになるだろうし、藤堂程の人物が参加する組織なら、とこれまで静観を保っていた旧日本軍人達の参集も期待できるのだ。浮かれても無理はあるまい、とは今ソファの上に立って玉城共々歌い踊る扇要の言である。

 

 その阿呆の集団から離れ、また別の場所で一つの盛り上がりがあった。同じアジトの屋根の下でありながら、真剣な議論が交わされる場。KMF格納庫横のスペースに設けられた作業スペースに集まった面々の視線は、ある一つのモニター画面に集中していた。

 

「……これが、例のナリタに居たって言う?」

 

「単独飛行するナイトメア、か……タンザニアのアレを見て、もしやと思ったが」

 

 ラクシャータ以下、技術者陣がモニターに映る黒いKMFの動きを見つつああだこうだと所感を言い合う。エリアスはそこから一歩引いた場所で、白夜ブレードアンテナの交換作業を見守っていた。

 

「黒い一本角のナイトメア……さしずめ、黒い一角獣(ユニコーン)か?」

 

有翼一角獣(アリコーン)だろう。羽生えてるし」

 

 手隙のクルーとそんな無駄な会話に時間を費やしていると、そこにまた一人の男が立ち入って来た。他ならぬ本日の主役、藤堂鏡志郎である。

 

「……白夜のパイロットは、君か?」

 

「ああ、さっきは助かった」

 

 最低限の礼儀だけ見せて、エリアスは再び白夜に視線を戻した。が、次の藤堂の一言で再び彼に視線を向ける。

 

「あの機体、刀を持っていたな。まるで私を捕らえたブリタニア騎士のようだ」

 

「ほう? 旧日本軍随一の剣士としても知られる藤堂鏡志郎がブリタニア騎士に剣で負けた、と?」

 

 エリアスはその話に喰いついた。刀を持ったブリタニア騎士には覚えがある。

 

「そう言われるとつい自尊心で否定したくなるが、実際そういうわけではないな」

 

 そう言って、藤堂は自身が捕虜となった時のことを簡潔に語り始めた。

 曰く、仙波と卜部が見張っていた隠れ家に音もなく潜入した騎士が、まず朝比奈を無力化したのだという。朝比奈はその時武器を持っておらず、背後を襲われて声を上げる事しか出来なかった。藤堂はわざと目立つような形で抜刀してその騎士と斬り結び、他の四聖剣を逃した。一対一の斬り合いの末、藤堂は踏み込んで来たブリタニア軍に投降した、と。

 

「あの剣筋は、日本の物では無かった。あれは恐らく欧州式を元に、一部ブリタニア式を加えた完全な我流だ。だが、あの刀には見覚えがある」

 

「──何?」

 

「昔、あれの遣い手と共に鍛錬に励んだものだ。榊原美咲……そう、君の母上とな。榊原君」

 

 母の話題に触れられて、エリアスは微かに目を細くした。貴様ら武人気取りの軍人が母の事を口にするなと、そう反射的に怒鳴りかけた。が、その瞬間、鋭い目線がエリアスに向けられる。エリアスはその眼光の中に一握りほどの郷愁と哀しみを感じ取った。

 

「良き剣士だったよ、彼女は。そして良き友だった。何より良き母だった。彼女の苦境を知っていながら、その彼女に、私は結局何もしてやれなかった。申し訳ない」

 

 思いの外、言葉が出なかった。他人の口から母を擁護するような言葉を聞いたのは、実はこれが初めてだと、暫く経ってから気付いた。

 

「今となっては、何を言っても言い訳にしかならない。ただ私は、ブリタニア軍を退ける事は出来ても、味方の日本人を敵には回せなかった……」

 

藤堂はごく僅かに口元に自嘲の念を浮かべた後、エリアスに向き直った。

 

「榊原君、君について、私は解放戦線にいた頃から色々と噂を聞いていた。が、私はそのような無意味な噂など信じない。だから、君自身の口からひとつだけ聞きたい」

 

「はい」

 

「ブリタニアで生まれ、ブリタニアの血を引いた君が、あえてそのブリタニアを嫌悪する日本に留まり、榊原老師の手駒となってなおブリタニアと戦い続けている。それは何故だ」

 

 自分でも驚く程、率直な感情でエリアスは言葉を綴った。この男の真摯な問いには、斜に構えた態度は取れなかった。

 

「無論、母の復讐の為。だから俺は、ブリタニアも、そして老師のような旧い日本さえも打ち倒したい。その一念で、黒の騎士団として戦っています」

 

「……わかった」

 

 藤堂は何も反論しなかった。ただ黙って手を差し出した。

 エリアスは、機械の義手でその手を握った。



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第十五幕 Royal Knight

 思い思いに着飾った人々が連なる中に、エリナ親衛隊正装を纏ったレオハルト・エルフォードも混じっていた。

 政庁奥に建物一つ丸々使用して区切られた区画、本国の宮殿というわけではないからシンプルに“謁見の間”と称される空間。ブリタニア本国の宮殿に足を踏み入れた事のある者ならば、その様式に既視感を覚えるだろう。この部屋は、ダンスホールとしての使用も視野に入れた設計となっている。最も、エリア11の総督にコーネリアが選ばれてからは、そういう催し物自体があまり行われなくなっているのだが。

 

 今、謁見の間の壇上に一人の少女が立っていた。ブリタニア第3皇女ユーフェミア・リ・ブリタニア。華やかな正装に身を包んだ彼女の表情は、普段の少女らしさをその片鱗を見せるだけに留めて、姉コーネリアの如くきりりと引き締まっている。その彼女の足下、謁見の間全体に、エリア11における最高位の地位を有する人々が立ち並んでいる。大貴族、高級武官或いは文官、或いはその両者を兼任する者。彼らはおよそ五メートル幅の赤を基調とした絨毯を挟み、左右で列を作っていた。片方は文官、片方は武官達の列である。

 

 当然ながら、レオは武官の側に立っていた。同じく武官にカテゴライズされるユリシアが、赤い騎士服を纏ってレオの隣に、反対側には白衣ではなく礼服を着たロイド伯が立っており、ユリシアは不安げな視線をレオに、ロイド伯は相も変わらず真意を読ませない表情を浮かべて壇上に視線を投げている。

 本来、よほどの事──例えばレオがエリア11に着任する前にあった第2皇子クロヴィスの国葬など──でなければ、レオがこの場に参列しなければならない理由は無い。基本的にはロイド伯が顔を出していれば済む事であり、それ以前にそもそも外様……を通り越して外野である特派は列席を強制される事も少ない。が、今日この場で行われる式典については少し事情が異なる。

 先のチョウフ攻防戦の最中に電撃的に発表された事実──今日この場において、特派所属デヴァイサー枢木スザクに対する騎士役職の任命式が行われるのだ。

 この場合の“騎士”とは、所謂貴族階級の最下位としての騎士、騎士侯階級の事ではない。ブリタニア皇族に忠誠を誓い、生涯を捧げた者、という意味、所謂専任騎士の事だ。

 無論のことながら、専任騎士は多くのブリタニア人にとって最も責任の重い立場でもあり、最高位の栄誉が与えられる立場である。それだけに、その地位に枢木スザクが迎えられた事は多くのブリタニア人に衝撃を与えていた。

 

「名誉ブリタニア人とはいえ、イレヴンが騎士になるとは」

 

「どうやって取り入ったのやら」

 

 噂話とは、古来より人類の良き友である。この友人はうらぶれた貧民街であろうが豪奢な宮殿であろうが常に人の隣に侍っているものだ。だが前例の無い事態に依るべき理性を失ったのだろうか。こうして式典に列席し、今まさに式が始まろうというこの場においてさえ、そういった陰口がレオの耳に数多く聞こえて来た。彼らには火薬庫の隣で火遊びをする趣味があるのだろうか、とレオは思わざるを得なかった。

 ……とだけ思っていられれば良かったのだが、果てはうら若きユーフェミアを枢木が籠絡した、年頃の小僧と小娘の破廉恥な関係云々といった、発言者の品格を全否定するが如き妄言まで聞こえて来ると、レオの感情は一気に過熱の色を帯びた。罵倒か、良くて溜息の一つでも吐いてやりたい衝動を押さえなければならなかった。

 彼らに分かるよう言うならば、それは皇族への、ユーフェミアへの甚だしく無礼な行為だ。例え彼女の行為が、彼らの信ずるブリタニアの国是とやらに反していようが、その事実をもって彼らの侮辱行為を正当化する事は叶わない。が、そもそもブリタニアの国是は強烈なまでの実力主義である。力ある者だけが生き残る国家、それがブリタニア。被支配民族(ナンバーズ)はブリタニアに敗北した者達であり、その原因は彼らの力不足にある。ブリタニアの国是とはこういう事を言うのだ。スザクは既に幾度も、平凡なブリタニア騎士など遥かに上回る力を示している。ブリタニアの国是に従わないのは、寧ろ彼らの方だ。

 ……もっとも以前に述べた通り、その程度すら分からないから、彼らは揃ってこうして遠い属領に飛ばされる羽目になっているのだが。

 

 とはいえ、それを今彼らに言ったところで彼らは理解しまい。その妄言とて陰口の域を出ていない以上、わざわざ構ってやってこちらが事を荒立てる事も無い、と思っておくべきか。ユリシアが先程から心配そうにこちらを見ているのはそう言う事だ。

 ……それと、もう一つ。レオは自分の隣の……自分とユリシアの間に立つ一人の少女に視線を向けた。コーネリア親衛隊正装に似た礼服を着た、太陽の光のような髪色のその士官は、他ならぬレオの義妹、オリヴィエ・エルフォードである。彼女についての説明も、皆にはしてやらねばなるまい。

 

 やがて、係官が式典の主人公の名を呼んだ。流石に彼は、その名の持ち主の素性次第で声色を変える程愚かではなかった。

 開いた扉の先、差し込む白い陽射しの中に枢木スザクが居た。何時もの士官服ではなく、デヴァイサー用のパイロットスーツでもない──スザクの格好、と言われてこれしか浮かばない辺り、枢木スザクの服飾への興味の度合いが知れようと言うものだ──騎士階級にのみ与えられる、白い礼服(リバリーズ)だ。その腰には、荘厳な装飾が施された立派な長剣を佩いている。一同は、ゆっくりと絨毯を踏んで壇上へと歩み寄って行く少年武官へ視線を投げた。無論、その過半は好意的なそれではなかった。

 様々な感情が込められた視線の数々を受けながら、スザクは彼らしい型通りの所作でホールを通り抜けた。ユーフェミアの立つ壇上へと繋がる階段の手前で足を止めて、恭しく跪き、首を垂れる。

 

「枢木スザク」

 

 壇上のユーフェミアが、厳かに声を発した。しん、と静まった空間の中で、彼女とスザクだけが声を発する事を許されていた。

 

「汝、ここに騎士の誓約を立て、ブリタニアの騎士として戦うことを願うか」

 

「イエス、ユア・ハイネス」

 

「汝、我欲を捨て、大いなる正義のため、剣となり盾となる事を望むか」

 

「イエス、ユア・ハイネス」

 

 作法に則った言葉の連なりの後、スザクは自らの剣を抜き、切っ先を自身の心臓に向けユーフェミアに差し出した。ユーフェミアはその剣を受け取って、一度真っ直ぐに構えてから、スザクの肩を三度、その剣の平で軽く叩いた。

 

「わたくし、ユーフェミア・リ・ブリタニアは、汝枢木スザクを、騎士として認めます」

 

 ユーフェミアが未婚の女子という事で、所謂“平和の接吻”と抱擁は省略された。宣言と共に、ユーフェミアは剣をスザクに返した。スザクがそれを受け取って鞘に収めて立ち上がり、ユーフェミアの手招きに従って、ゆっくり背後を振り返る。

 

 ──瞬間、ホールを完全な静寂が支配した。

 先のような噂話が堂々と行われていた事が示す通り、大多数のエリア11在住貴族の中では枢木スザクの騎士叙任は認められない、というのが共通認識であった。海を隔てたこの地において本国から事実上隔離され、取るに足らぬ特権を享受する彼ら末端貴族達は、時に自らの決定こそが最大級の優先度を持つ、と誤解しがちである。例え本来不可侵の皇族が相手でも、それが二十歳にも満たぬ小娘であるならば我らの方が立場は上、と履き違えるのだ。自身こそが尊ばれるべきであり、何人も自身に逆らうことは許されない、と夢想し、現実においてまで夢を見続ける貴族達は、この場において何のリアクションも起こさなかった。

 いずれ本国から沙汰が来て、イレヴンの騎士叙任など取り消される。彼らはそれが確定事項であると確信していた。

 ……因みに、彼らのこの確信は、後に皇帝自らユーフェミアとスザクに対し祝辞を贈った事で破綻する事となる。

 

 一人だけ、ロイドが拍手をした。周囲の刺すような視線など意に介さず、ニコニコと笑っていた。残る特派組……つまりユリシア、それからオリヴィエはレオの出方を窺っているようだった。レオはレオで、当然拍手する事も吝かではないのだが、その前にまず見極めねばならぬ事があった。レオはじっと、スザクの反応を見ていた。

 先の瞬間をもって、スザクはユーフェミアの騎士となった。そして今、主君ユーフェミアは彼ら末端の貴族どもに侮られ、その名誉を傷つけられている。

 

 ──どうする?

 

 レオがじっと見つめる中で、スザクの手が、すっ、と腰に伸びた。その先にあるのは先の儀式で用いられた剣の柄。その行為と、その行為の根幹にある意志を見た瞬間、レオは笑みを浮かべて、ロイドの拍手に自身の拍手を加えた。

 

 騎士の役目は、主君の剣となり盾となる事。生命を賭してでも、その名誉を護る事。スザクは今、彼ら貴族達の行為に明確に異を唱えようとした。そして剣を抜き、彼らと対峙し、戦う事を選んだのだ。ユーフェミアの名誉を護る為に、自分への悪罵など構わずに。

 そうだ。レオは強い共感を込めて拍手を送った。それで良いんだ。仮にユーフェミアがエリナ、スザクがレオであったなら、レオも全く同じことをしただろう。ただレオはともかくスザクがそれを行うには、スザクの立場はあまり盤石ではない。だからレオは、その意志だけを認めて、拍手を送って実行はさせなかった。

 

 そんなレオと同じタイミングで、拍手をした者が居た。式場の端に立つ、エリア11統治軍・幕僚長アンドレアス・ダールトン。屈強な武人そのものの面構えに微かな微笑を浮かべ、コーネリアの重臣中の重臣がスザクに拍手を送った。

 ダールトンの拍手に気付き、列席者達も我に返って拍手を始めた。結局彼らは、総督コーネリアに辛うじて有能と判断される程度の能力を必死で示し続け、それが出来ねば一気に落ちぶれるだけの立場だ。彼らにコーネリアの代理として出席しているダールトンの意向を無視するだけの度胸は無かった。

 

 こうして貴族達にとって不快な儀式は、彼らにとってのみ、より不快な形で終幕を迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「改めまして、従軍士官候補生として枢木少佐の指揮下に入りました、オリヴィエ・エルフォード准尉です。よろしくお願い致します」

 

 式典を終えて政庁ホールに姿を現したスザクを待っていたのは、ピシッと敬礼の姿勢を取った金髪の少女の姿だった。式典の事やら今後の事やらで磨耗した頭では何が何やら訳が分からない、と全身で表現するスザクに、返答が無いから敬礼の姿勢を戻せないでいるオリヴィエ。二人を見かねて、セシルが助け舟を出した。

 

「えーっと、スザク君がユーフェミア様の騎士になって、貴方を中心に親衛隊が編成されることになったのは知ってるわよね? それで、貴方も当然親衛隊隊長に着任、配下として本国やコーネリア総督の親衛隊、特派からもユーフェミア殿下の親衛隊に人員が回される事になったんだけれど、彼女はその最初の一人よ」

 

「ちなみに、僕ら特派は統治軍への派遣を解かれて、それからユーフェミア殿下親衛隊長、つまり君の配下として改めて派遣される形になるね。今後は親衛隊のナイトメア全部を見なきゃならないから人員が増えたりするけど、基本的にはこれまでと同じように、僕らも君の側に居るよ。残〜念でした〜」

 

「な、なるほど……あ、枢木スザクじゅ……じゃない、少佐です、よろしくお願いします」

 

 慌ててスザクが答礼して、やっとオリヴィエは手を下ろす事が出来た。以上の経緯を、レオは少し離れた所で見守っていた。隣には親衛隊服を脱ぎ、オリヴィエのものと似たデザインの軍服……ユーフェミア親衛隊正装を着たセイトが居た。彼もコーネリア親衛隊から、オリヴィエと同じユーフェミア親衛隊に移籍する事となっていた。

 

「──まさかね。オリヴィエが従卒になろうとは。彼女もうそんな歳だっけ?」

 

「本来はもう一年先だが、飛び級したそうだ。私がエリア11に戻る直前に決まったそうで、本人の希望もあってどうにか特派に捻じ込む算段を整えた。で、結果的に親衛隊入りだ」

 

「ほう? そんなにお前と同じ戦場に立ちたかった、と?」

 

「真意は分からん。どちらかと言うと嫌われている部類だと思うのだが……形式上、私が彼女の指導を担当する事になるとは思うが、実質的には恐らく私よりお前が指導する事が増えるだろう。苦労をかける事になるな」

 

「構わんよ。義理とはいえ親友の妹だ。可愛がってやるとしよう」

 

 悪戯っぽく笑った友人の言葉に、レオは何も言わなかった。ただ“親友”という言葉の響きが、今度ばかりは空虚にさえ感じられた。

 

 本国で捕らえた男から二人の人間の名を聞いてからずっとそうだ。フランシス、アマネウス。前者はそう珍しくもない名前ではあるが、後者はレオの人生の中で、セイトの父以外でその名を持つ者に会ったことが無い。

 あの男は、その二人こそ陰謀の首謀者だと、フィオレの仇だと言っていた。仮にその二人がレオや義父ローガンの想像通りの相手ならば、セイトとユリシアは最初から、全てを知っていたのか? 全てを知った上で、エルフォード家を貶める為にこうして親友の顔をして近づいて来ているのか?

 勿論、そんな話は信じたくはない。幼い頃からの親友二人をこそ信じたい。そう思ったからこそ、レオは二人を自分と同じ部隊に配置するよう父を経由してシュナイゼル殿下に申請し、こうして自分の目で真実を見極める役目を請け負った。それが、これほどまでに心を掻き乱す役割になるとは。

 

 そんな思案が、ひと時の間レオの意識を現実世界から切り離していたようだ。急に肩を引っ張られて、レオは思わず素っ頓狂な声を上げて周囲の視線を浴びる羽目になった。いつの間にか現れていたユーフェミアがくすくすと笑いながら、セイトとレオにこっちに来るよう手招きしていた。行ってみれば、どうやら外に出て集合写真を撮る事になったらしい。物怖じと言うものを知らないユーフェミアが呆気に取られる全員を先導する様をレオは苦笑をもって受け止める他なく、これを初めて目の当たりにしたオリヴィエは困惑して、それとなくレオの真横に近寄った。

 

「あの……良いんですか、ユーフェミア様……」

 

「受け入れた方が良い。ユーフェミア様はそういうお方だ」

 

 結局のところ、ユーフェミアには人をその気にさせるなり、人を動かす力があるらしい、というのが彼女に対する周囲の人間からの共通認識だった。この認識が事実そうであったのか、と彼らは後に改めて思い知らされる事になるのだが、それはまた少し経ってからの話である。

 とにかく、そんなユーフェミアの力に導かれて三十分ほど後、新生ユーフェミア親衛隊……の極一部のメンバーが、夕暮れ色に染まった政庁をバックにずらりと並んだ。スザクを中心として、レオやセイト、オリヴィエとユリシアの武官四人が前列に、セシルやロイド達特派の面々からなるバックアップメンバーが後列に。彼らの背後にはチョウフでの損傷を修理し終え、式典用に磨き上げられた二騎のKMF──ランスロットとランスロット・ナハト。通りすがりの士官にカメラマン役を任せて、ユーフェミアがスザクの横に入った。その後のユーフェミアの一言は、まるで修学旅行の集合写真でも撮るかのようだった。

 

「はい、じゃあ皆さん笑って下さーい!」

 

 一応真面目な写真なのだから、と突っ込みを入れるべき立場の人間が生憎とこの場に居らず、全員苦笑いを浮かべるしか無かった。カメラマン役の士官も例外ではなく、彼は苦笑が少し収まったタイミングでシャッターを切った。

 

 フラッシュの光が、視神経を刺激した。先の話のせいか、その光が不意に、レオに数日前の光景を想起させた。

 

 ブリタニア本国を発つ直前、霊体の女と話した内容を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──神聖ブリタニア帝国 エルフォード邸東館──

 

 日中までの晴れ模様は、日の入りと共に何処かへ消え去ったようだった。完全に夜になってから降り始めた雨粒が窓を叩き始めた中で、霊体の女は長く、そして現実離れした話を始めた。

 

“私もかつて、エルフォードの名を持つ騎士でした。貴方が先日訪れたエーベルスタイン城は、私にとっても馴染み深い城です。最も、私が人として肉体を持ち、生きていた頃はまだ新築の城だったのですが”

 

「で、その頃に仕込み短剣を使っていた、と。では俺がこれを作る時に見た設計図はお前が?」

 

 レオは改修を終えた仕込み短剣を持ち上げて見せた。彼の前には誰も居ない。が、確かにそこに居る彼女がそれを見て目を細め、頷いた事を、レオは感じ取った。

 

「なるほど、では聞こうか。そんな大昔の女騎士が、どうしてこんな風に俺と話せている? 何故あの遺跡の中で、ミイラでも入ってそうな石の棺に、綺麗な姿で眠って、そして俺の目の前で消えた? 一体どういう理由と理屈で、そんな世界の理に反した真似が出来る?」

 

 出会ってから幾度かぶつけた問い掛けを、レオは再びぶつける。今までは適当にはぐらかされるだけで終わっていた。だが、今回は違った。

 

“……コード、という概念を知っていますか?”

 

「コード?」

 

“シンプルに言って、不老不死となる能力です”

 

 変な声を上げて、レオは聞き返した。そんな反応など予想通りだと言わんばかりに、女は問いを返そうとするレオを無視して話を続けた。

 

“例えば、人類という存在を今外で降っているような雨粒と仮定したとします。雨は海から大気へと溶け出て雲となり、雨となって地に降り注ぎ、降り注いだ雨はやがて海へと帰ります。同じように人も、一つの巨大な混沌から分かれ、雨粒のように地上に降り注ぎ、やがては元の混沌へと戻ります。しかしコード能力を保持した者はその輪廻から外れ、二度と根源へと戻ることが出来ない”

 

 かなり観念的な話であった。激しさを増して行く雨音の中で、それでもレオはその内容が不思議とすんなり頭に入るのを感じた。

 或いは、ギアスという既に現実離れした能力とこれまた現実離れした霊体の女との会話に慣れ過ぎて、所謂オカルト慣れしてしまったのだろうか。

 

「──この分だと、暫くは本だ映画だの類は楽しめないかもな」

 

 だから、レオとてそうやって冗談で返す余裕はあった。女は特に笑わなかった。

 

「それで、お前もその能力者だと?」

 

“能力、というよりは呪いの類でしょうね。事実、多くのコード保持者は与えられた長過ぎる生に耐えられませんでした。私の先代の保持者も例外では無かったようです。私がコードを受け継いだのは、そんな先代の有様を哀れんだから。だから私は、先代と契約しました”

 

「契約……? おい、まさか……」

 

“はい。コード保持者からコードを継承する方法はただ一つ。コード保持者と契約し、ギアス能力を得る事です”

 

 瞬間、レオは女の居る場所を睨み付けた。雷鳴が鳴り響き、一瞬だけ部屋を白く染めた。

 

「じゃあ貴様がギアスを俺に与えたのは、俺にその不不老不死のコードとやらを継承させる為か?」

 

 彼女は、弱々しい笑みを浮かべた、ように思えた。あの女の存在は、目には見えない。だから本当に、“感じる”しか無かった。ギアスを使った時ほどにはっきりと相手の“色”を見分ける事は出来ない。彼女が笑みを浮かべたのは分かるが、それがどういう意味を持っているのかは全く判らない。

 ……それでは、この女と自分との普通の人同士の会話と何ら変わらないではないか。そう気付くと、レオは急にこの霊体の女の存在が身近に感じられた。逆に言えば、本来現世の人間の手に届かない領域に居るこの女にとっても、普通の人間らしい関係性を築ける相手は自分だけ。その孤独は確かに、たとえ今現在超越的な存在であってもかつてただの人間だった存在には堪えるものだろう。

 

“……否定は出来ませんね。確かに私は、現状から脱する為に貴方と契約しました。ですが、貴方もご存知の通り私はこうして肉体を持たぬ身、本来コード保持者であろうと、こんな形でこの世に残る事はあり得ないのです”

 

「…………」

 

“先代からコードを継承して、それなりの長さを、私は生きて来ました。時に見知らぬ国へ渡り、時に私を知る者達の所に顔を出し……先のエーベルスタイン城で言えば建て始めてから築城が済む位の期間でしょうか。旅の中で、私は一人の契約者を得ました“

 

「そいつはコードについて知っていたのか? 契約の結果がどういう結果になると?」

 

“始めに説明しました。流石に騙す形で継承するのは気が引けましたし、何より無責任でしょうから。そうしてコード継承が行われたのですが……”

 

 無責任だという割に自分には中々事情を話さなかっただろうが、と口を挟もうとした矢先、彼女は一度言葉を切った。何かあるのだ、と察したレオは口を挟むのを止め、続きを促すでもなく、カーテンの隙間から外の雷雨模様を眺めながら彼女が話し始めるのを待った。

 

“申し訳ありません。その時の事は記憶が曖昧なのです。他にも私の昔の記憶は大分抜け落ちてしまっていて……何かあった事は分かるのですが……”

 

「覚えている範囲で良い。厳しければ事実だけでも良い」

 

“……気付いた時、私は暗闇の中に居ました。意識ははっきりとしているのに、身体は動かせない。今で言えば植物状態とでも言うのでしょうか? ただ分かったのは、私の中にあるコードが半分だけになっていた、と言う事だけ”

 

「無駄と知りつつ聞くが、そんな事が起こり得るのか?」

 

“さあ……私もコードの全てを知っている訳ではありませんから……恐らく私の記憶が欠損しているのも、私のコードがそんな状態になってしまったからではないかと”

 

「そして、その契約者の手でお前は棺に収められた、と」

 

“恐らくは。私も外へ呼び掛けようとしましたが、ほぼ全て無駄に終わりました。やがて長い長い時を経て、私の声が届いた相手、それが貴方です”

 

 そうして、彼女の物語はレオの記憶と繋がった。そしてレオはこうして彼女と契約し、彼女も不老不死のコードの影響か、霊体となりながら尚も現世に辛うじて踏みとどまっている、と。

 

「今、お前のコードはどういう状態になっている?」

 

“恐らく、この状態から新たにギアスを与える事は不可能でしょう。コードも消えた訳では無いようですが、私の肉体が消えたせいか更に力を失ってしまったようで……”

 

「では、改めて聞こう。お前が俺に契約した理由。それは何だ。コード能力を取り戻し、俺に不老不死のコードを継承させる為か」

 

“……半分は合っています。コード能力を取り戻すか、或いは完全に取り除くか。今の私の目的はそれです。貴方への継承は……”

 

 結局彼女は口籠もり、その続きを言う事は無かった。流石に言い辛かろう、とレオも気を遣って、ギアス絡みの別の話に話題を切り替えた。

 

「ギアスと言えば、あの城で会った奴が言っていた。我が義父がギアスに関係している、と。それについては何か分かるか?」

 

“……私がコードを継承した件は、家族にも内密にはしていました。それ以来エルフォード家には近付いていませんから、その後の事はなんとも……ただ、目覚めた場所が場所だけに、やはり私もエルフォード一族の関連を疑った事はあります。貴方に隠れて探りを入れようとした事もありましたが……近付けないのです。貴方の義父上の側へは”

 

「近付けない?」

 

“例えるなら、まるで磁石同士が反発するかのような感覚でした。どうしてもあそこへ踏み込めない。何かあるのは確かですが、これでは私としてもお手上げ、としか”

 

「仮に俺がお前を置いて調べに行けば?」

 

“失礼ながら、恐らく貴方では何が原因なのか掴めないかと。私にも分からないのですから……ただあの男が言うには、ブリタニアではギアスを研究する組織があると言います。具体的に何があるかは分かりませんが、恐らく貴方の義父上も、ギアスについて調べて、何か掴んでいる事は確かでしょうね”

 

「と言う事は、下手にお前の存在も勘付かれない方が良い訳か……その研究組織とやらが、お前を放っておく事はあるまい」

 

 その結論に至ったところで、その話は終わった。

 斯くして、レオは更なる問題を背負い込む羽目に陥ったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 流星。

 ダークブルーのペンキをぶちまけたような大空に尾を引いて飛ぶ光。急降下して、急上昇。速く、そして高く。まるで一条の光線のように軌跡を描いて。

 流星を操るのはレオ。しかしそれらは流星ではない。ナハト・イェーガー……遂に完成の域に辿り着いた標準型KMF用フロートシステムを搭載した、ランスロット・ナハトの完成型だ。ナリタで背負っていたような外装式ユニットを装備、一対の翼を生やしたような姿となった黒の有翼一角獣(アリコーン)は、変幻自在に空中を舞う能力を獲得した。かつてのガウェインを上回る安定性と、ガウェインを置き去りにするレベルの機動性。その性能は、これまでのKMFとは別次元の領域に到達するだろう。

 

「こちらナハト・イェーガー。フロートシステムに異常なし。Gフラッターも認められず、リミッター正常。現在スロットルレベル“クルーズ”。これより“ミリタリー”レベルへの加速を開始する」

 

≪了解、ナハト・イェーガー、健闘を祈る≫

 

「……祈らんでも健闘する」

 

 眼下に広がる空軍基地の何処かにあるであろう特派トレーラーから、セシルの返答が聞こえる。ナハト・イェーガーより僅かに後方、観測機として正規軍より借用している制式戦闘機ワイバーンへ向けてハンドサインを送ると、ワイバーンも主翼を上下に振って了承の意を送り返して来た。

 

 スロットルレベルを上げ、レオはナハト・イェーガーを増速させた。加速感と共に、レオの身体は僅かにシートに押しつけられる。KMFの基本システムによるヒッグス効果でパイロットのG感覚は相当に軽減されているが、完全に無効化されていては却って操縦に支障をきたす事にも繋がる。だから、パイロットも最低限のGは感じ取れるようになっている。

 モニター端に表示される数値を読み上げて行くにつれて、軽かった筈のG感覚が段々と強まって行く。200、250、300、350……高度計は狂ったように上昇し続けているが、推力の衰えは全く見えない。

 更に数値が600を超えた頃になって、いよいよG感覚が強烈なものになって来た。ヒッグス・コントロールレベル上昇、Gを抑えながら、レオは更に加速を続けた。650、700、750──。

 

 最終加速を終えると、レオは減速噴射によりナハト・イェーガーを急減速させた。モニター端の数値が物凄い勢いで逆算カウントを始める。300になったところでレオはコントロールスティックをわずかに傾けた。主の意思をストレートに反映して、ナハト・イェーガーは正確に、寸分の狂いも無く向きを変えた。心地よい一体感を感じながら、レオは眼下の滑走路へと機体をアプローチさせた。

 

 

 

 

 

 

 エプロンに機体を降ろしたレオは、コックピットレベルに上げられた整備パレットに降り立った。それを出迎えたのは興奮冷めやらぬ、今や顔馴染みのスタッフ達と、パレットで上がって来たユリシアだった。彼女は先程のテスト飛行で、観測機のワイバーンを操っていたのだ。

 

「すごかったわよ、レオ。お疲れ様」

 

 一瞬だけ微妙な表情を浮かべてしまうが、レオはそれを誤魔化すように俯いて、差し出されたドリンクのパックを受け取った。一気にパックの中身を飲み干して、注意深く表情を元に戻す。

 

「まさかワイバーンで全然追い付けないなんて、ナリタの時のフロート擬き時代から随分変貌したのね」

 

「そう……だな。先日のチョウフでの戦闘でも思ったが、ガウェインにしろフロート擬きにしろ、これまでの試作基はどう足掻いても安定性が極めて低かった。スロットル操作にもかなり気を遣わされたが、その点イェーガーはかなり安定している。それこそ先日のように、空中に静止したままで狙撃が可能な程にな」

 

 パレットが地上レベルへと下されて行く。手摺りに体重を掛けながら、レオは続けた。

 ……機体の性能についての話であれば、とりあえず彼女への疑惑は考えずに済んだ。

 

「これだけ機動力に振ってありながら、かなり快適に動かせる。ユニット交換前……要するに海の上で壊したてしまった時のガウェインよりも遥かに無理が効く。ユニット交換後のガウェインは安定性を取って機動性を捨てたという話だが、もし今のイェーガーのデータをフィードバックできたなら、ガウェインも空戦向きになっていただろうな」

 

「最も、そのガウェインは今や中華連邦の手の内、だけどね」

 

 歩み寄って来たロイドが、気に食わなさそうに言った。人一倍自身の“作品”への愛着が深い彼にしてみれば、その“作品”が意味の分からない徴用をされた挙句盗まれた、では到底納得など出来ないだろう。まして、問題の“作品”がまだ未完成であったのなら。

 

「これ、ランスロットにも付けるんですか?」

 

 ロイドの背後からスザクが問い掛けた。ナハト・イェーガーとランスロットの基本構造は共通だ。フロートシステムはコックピットブロックに被せるようにセットするが、その接続部の形状はランスロット、ナハト・イェーガー双方に対応している。ナハト・イェーガーは機体本体の外装デザインの時点で空中での性能を追求しているからその部分で差は生まれるだろうが、ランスロットでも同じように空中機動が可能となるのだ。

 

「そのつもりだよ? 今はまだランスロット用は組んでる途中だから、暫くシミュレーターで我慢して貰う事になるけどね」

 

「我慢、ですか……」

 

「不安なのかな? 枢木少佐ともあろう人が」

 

「そりゃあそうです。僕はレオみたいにずっとフロート機に乗っていた訳ではありませんから」

 

「……ランスロットで例の竜巻キックをやってのける輩が何言ってるのやら」

 

 そうレオがスザクを揶揄った。レオ自身ナリタ以来何度か試してはいるが、どう頑張ってもフロートの補助無しであの挙動は再現出来ずに居るのだ。それをこの枢木スザクは、フロート無しで、どころか下手をすれば生身でやってのけている。スザクはスザクで「普通でしょう?」くらいの反応しか見せないものだから、レオとスタッフ一同は苦笑いを浮かべた。

 

「──あ、ロイドさん。ユーフェミア殿下から伝言を頼まれたんですが」

 

 と、渦中にあったスザクがロイドを呼び止めた。ランスロットやナハト・イェーガーを含めたKMF隊を、港湾地区に移動させて欲しい、とスザクが告げると、ロイドは「ふ〜ん」くらいしか反応せず、かわりにユリシアが首を傾げた。

 

「また急にどうして? ランスロットの水中試験でもしたいの?」

 

「いや、その予定は無いそうだよ……じゃなくて、今週末にユーフェミア殿下が式根島に向かう事になったんだ。それで護衛も兼ねて、という事みたい」

 

 軽く目を輝かせて振り向いたロイドへ釘を刺しつつ、スザクが答えた。“兼ねて”という文言に違和感を覚えたレオが問い返すと、スザクはレオの想像もしなかった答えを返して来た。

 

「式根島で、シュナイゼル殿下とユーフェミア殿下が会合を行うらしいんだ。ランスロットはシュナイゼル殿下肝煎の機体だから、持って行って動かしているところをお見せしたい、だそうだよ」

 

 そこまでは良かった。が、その次が問題であった。

 

「……そうそう、エリナ殿下も、いらっしゃるとか」



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第十六幕 運命の島 1

 容易に予想出来たことだが、枢木スザクの騎士就任という事件は、エリア11全体へと巨大な波紋を投げ掛けている。それはブリタニア貴族達にとってもそうであろうし、例えるなら黒の騎士団を含めたイレヴン達にとっても、同じように激しい論争の種となっているようだった。

 

 今レオの手元にあるラップトップには、セイトが作成した報告書が表示されている。無論これはレオに宛てられたものではなく、本来はユーフェミア親衛隊長枢木スザクに宛てられるものだ。これは今後のユーフェミア親衛隊としての活動にあたって、とセイトが裏の顔……即ち諜報部員として構築した情報網から得た情報を報告したものだ。現在この類の報告は、レオの元へも送られるようになっていた。

 

 ユーフェミア親衛隊は昨日の段階で順調に補充要員、装備が到着し、ようやく部隊としての活動が本格的に行えるようになっていた。が、総指揮官を務めるスザクは、部隊長どころかそもそも騎士としての経験も薄い。レオ自身、この数日で彼に助言を求められた回数は両手では収まらない。故に、今は色々な事がレオやセイトの手に委ねられている。

 特に、この手の裏方任務などはスザクには任せられないだろう。だから、当面はレオがこの方面を仕切らねばならないのだ。

 

「さて……?」

 

 息を吐いて、画面に目を落とす。報告書の内容は、スザクの騎士就任に関するイレヴンの反応。ブリタニア側にしてみれば今のところほぼ否定意見しか噴出していないこの事案に関して、イレヴン側の見解は真っ二つに割れているようだった。

 

 まず、黒の騎士団や日本解放戦線などを支持していた反ブリタニア側のイレヴンの見解は全否定の一言に尽きる。曰く、枢木スザクは祖国を裏切った売国奴であり、隷属主義の象徴のようなものだという。

 スザクが名誉ブリタニア人として軍務についていた事も、この見解を補強していた。同胞を裏切ってブリタニアへ媚を売り、その飼い犬となってイレヴンを殺して来たブリタニアの手先。この手合いの中では、ブリタニアよりも先にこの国賊を征伐せよ、という主張さえ噴出していた。実際、それを実行に移そうとしたグループもあったようだ。

 

 逆に、ブリタニア恭順派と呼ばれる方面に目を向けてみると、ある意味当然ながらこの案件はなかなかに評価が高かった。

 前提条件として、彼らは戦前からの富裕層であり、戦後もその財力ゆえに名誉ブリタニア人の資格を得てブリタニアから優遇されている面々である、という事実がある。元々彼らはエリア11が相次ぐテロによって衛星エリアに昇格されない事を苦々しく思っていたようで、イレヴン達から絶大な人気を誇るゼロの存在さえ否定的に見ていたらしい。

 そういう彼らにしてみれば、今回の件でブリタニア皇女のそばに日本人が立つ事の意味は大きい。この先ブリタニアに取り入ることで将来の安寧を図る意味でも、まさに枢木スザクは希望の星なのだ。

 

 そして、この両者の中間点、即ちブリタニアの支配は嫌うがテロ行為には賛成できない、という中間層……エリア11におけるイレヴン達の中で最大勢力を誇り、黒の騎士団の主な支持層でもある彼らの反応は、これもやはり好意的なものだった。

 

 元々彼らが黒の騎士団の主な支持層となったのは、黒の騎士団が多くの似たようなグループと違い弱者保護を主張したからである。この主張が、彼らの生活を保障するものでもあったからだ。

 多くの人々は、この世に生まれた以上半ば義務のように日々を生きようとする。その場合最も重要なのはやはり日々の生活であって、決してイデオロギーやら国家の枠組みやらなどではない。そんなものは日々の生活が確保出来た上で唱える夢想か、確保出来ずに現実から逃げる為の夢想だ。そんな夢物語を唱えて暴れまわり、人々の生活を脅かす反政府組織は、彼らにとってただの脅威だ。イレヴン達を虐げるブリタニアと同じカテゴリの存在だ。

 

 黒の騎士団は、それをイレヴン達の側から志向した。しかし、ここに来てブリタニア側から同じことを志向する存在が現れる。それがユーフェミアとスザクの存在だったのだ。

 無論、彼らへの信頼は未だ全面的な信頼には至っていない。だがユーフェミア自身、元よりイレヴン達から好意的に見られていることも手伝って、一縷の希望を託す相手をゼロからこの二人へと変えたイレヴンは決して少なくない。

 

 と、以上が現在のエリア11の情勢、と言ったところだ。レオはラップトップを一旦閉じると、先程から座りっぱなしだったベッドから立ち上がった。

 

 ……気にしても仕方がない。レオは首を振った。仮に死んだあの男の言葉通りアスミックがエルフォードへ攻撃を仕掛けるとすれば、同じ部隊に居るセイトが実働に当たる可能性は高い。だが、アスミックやリィンフォースとてブリタニアの名家。ブリタニアの国益を損ねるような真似はすまい。すれば逆に自分達の立場が危うくなりかねない。だからこの種の報告については、信用して良いだろう。そう思わねばやっていられない。

 ……全く、我ながら意外と決断の鈍い男だ、とレオは自嘲した。義父にあれ程の啖呵を切っておきながら。

 二人について、警戒すべきはレオ自身の行動に関わる部分だ。それこそ同じ舞台のセイトやユリシアならば、戦闘中にレオを害する事だって出来るのだ。

 最悪の気分で、レオはまるで牢獄の小窓か何かのような採光窓を覗き込んだ。

 その向こうは、一面の海原であった。

 

 

 

 

 

 

 

 ブリタニア帝国エリア11統治軍第二艦隊旗艦レーダⅣ世艦上。先にスザクが言っていたように、ユーフェミアとその親衛隊は現在数隻の護衛艦を伴って、トーキョー湾を出港した。朝の陽射しが夜の名残を駆逐し尽くした頃であった。目的地は、式根島と呼ばれる島であった。

 式根島は、それほど大きな島ではない。が、無人島というわけでもなく、ブリタニア海軍、及び空軍共用の駐留基地が設置されている。

 

「ぃよう、大丈夫か? 船酔いしてないか?」

 

「大丈夫ですが、肩を叩かないで下さい。痛いです」

 

 真昼に近づいて順調に登りつつある陽射しが、階段下に射し込んでいた。強い陽射しに立ち眩みの感覚を覚えながらレオが甲板に上がった時には、オリヴィエとセイト。レオが裏方仕事を片付けていたり、スザクに騎士としての心構えやら何やらの教えを請われている頃セイトは実戦部隊の編成、訓練に当たっており、オリヴィエもセイトにそれなりにしごかれてはいるようだった。

 

「お、おう……格闘訓練で吹っ飛ばされても泣き言ひとつ上げない娘にも痛いものあるのね」

 

「それとこれとは話が違います。そんなバンバン背中やら肩やら叩かれても……」

 

 海原を眺めながらああだこうだと無駄な会話で時間を潰す二人の横に並ぶ。先にレオに気付いたオリヴィエが、さり気なくレオから距離を取ってセイトの方へと寄る。

 

「何、どした……おう、これはこれはエルフォード第二部隊長どの。報告書読んだか?」

 

「軽く目は通した。毎度の事ながら、お前の情報網には頭が下がる思いだ」

 

「統治軍の諜報部をナメんじゃねぇ、ってね。結構苦労して情報集めたんだぜ? 俺はお前みたいに直接潜入なんて真似出来ないし」

 

「……それでナイトメアの操縦が疎かになった、と?」

 

「あー……チョウフでの事?」

 

 痛い所を突かれたな、とばかりにセイトは顔を背けた。

 チョウフで起きた戦闘……黒の騎士団によるキョーシロー・トードーの奪還作戦において、彼は乗機のグロースターを喪っていた。騎士団側の白いKMFと相対して、見事にしてやられた、という。

 無理もない、とため息を吐く。あの場で共に戦線に立ったレオとしては、正直に言ってあの時のセイトの戦闘はお粗末も良い所であった。

 

「得意とする接近戦に固執するあまり、後ろにいた私の射線を思い切り妨害する、敵機の誘導に失敗する……この調子で、騎乗資格を剥奪されても知らないぞ?」

 

「わーってる。流石に俺も反省したさ。今度はあんなミスはしない。でないと、俺にも新型を任せるって言ってくれたロイド伯やシュナイゼル殿下に申し訳ないからな」

 

 そう言って、セイトは背後を振り返った。視線の先にあるのは船倉。現在そこには、この遠征に同行する親衛隊員のKMFが積載されている。

 シュナイゼルやロイドの希望により、親衛隊上級指揮官クラスの騎士にはスザクのランスロット、レオのナハトのような第七世代機が与えられる事が求められていた。親衛隊に最先端の実験部隊である特派が強く関わる事になる以上、新型機の試験もより効率良く行えるだろう、と。該当する上級指揮官は、まず総指揮官のスザク、第二部隊指揮官レオ、そして第三部隊指揮官のセイトだ。今回の遠征の目的には、そのセイトに与えられる新型機の受領も含まれていた。

 

「新型機……ですか」

 

 ぼそり、とオリヴィエが呟いた。

 

「ああ。昨日ロイド伯に聞いたんだが、どうも俺のは、スザクやレオみたいなランスロット型じゃないらしい」

 

「というと、ガウェイン型か?」

 

「でもない。そもそもロイド伯の作った機体という訳でも無さそうでな」

 

 こうしてエリア11で仕事をしていると如何にも特派という組織がロイドの趣味を具現化させる組織か何かのように感じてしまうが、そもそも特派、というより母体となった嚮導技術部自体は最先端のKMF開発を行う組織であり、ロイドはエリア11派遣部隊の責任者ではあっても総責任者ではない。ロイド以外の設計者により機体が存在しても、別段おかしくはない。

 ……とはいえ、そういうお門違いの機体がロイドが密接に絡む部隊に送られて来る理屈は解せない。レオはその辺りをセイトに問うてみたが、セイトも首を横に振るばかりであった。

 正午を回ろうという頃、船の進路上に陸地が見え始めた。セイトは「上陸の準備をして来る」とだけ言ってその場を離れた。オリヴィエも彼と共に居なくなるのかと思いきや、彼女はその場に留まっていた。

 

「……」

 

「……」

 

 沈黙が流れる。正直、レオは彼女とはそう仲が良いとは言えない。レオに言わせれば彼女の側がレオを嫌っている、という認識だが、レオ自身にも何か彼女への苦手意識の類があるようにも思える。

 

「……お兄様は」

 

 特に話題も無い以上、ここに残っていても仕方ない。そう思って立ち去ろうとした矢先、オリヴィエが声を発した。

 

「お兄様は、私達兄妹の名前を言えますか?」

 

「何?」

 

「覚えていますか? 私達兄妹全員の名前を」

 

 突然、オリヴィエがそんなことを問い掛けて来る。話の意図を読めずに、レオはそのまま答えを返す。

 

「……まずフィオレ、ベルベット義姉上、ローレンス、エミーリア、お前……オリヴィエ。後はもうこの世に居ないが、クロード、ルドルフ、ユリウス、ニール、クレア、クラウディア、リーリエ、ゲルダ……最も皆、あまり話す機会は無かったが」

 

 口にしてみると、結構な数になる。そしてレオの知っている限りの面々ですら、既に生者より死者の方が多くなっている。そう考えると空恐ろしい物があった。

 我が義父は、いいやエルフォード一族は一体どれ程の恨みを買っているのだろうか。それほどに根深い怨嗟が絶えず魔手を伸ばし、その一本がフィオレの生命を奪ったというのか。

 ……そしてあのセイトとユリシアが、その下流に居るというのか。

 

「それだけ、ですか?」

 

「あとは……そんなところだろう?」

 

 流石に冷や汗を掻く思いで、過去の記憶を手繰る。とはいえ出会って数日後に死を迎えたような義兄弟も居る中で、正直印象の薄い名前が多い事は確かに否めない。薄情だ、などと詰られるのを覚悟で言ってみると、やはりというか、オリヴィエは悲しげな表情を浮かべた。

 

「そう、ですか」

 

 そう言い残して、彼女は船内に消えた。不本意そうな、失望を隠さぬ表情をありありと浮かべて。

 残されたレオは溜息とともに海原に視線を投げた。暢気に船に並走する海鳥の群れが視界を過った。

 

 ……確かに、そうだ。さっき名前を羅列してみて、レオは確かに違和感を覚えていた。

 確かに、何かが抜けているような、あるべき名前が存在していない、そんな感覚を覚えて仕方ないのだが……。

 

 俺は何か、忘れているのか……?

 問い掛けるように、レオは水面に視線を向けた。穏やかな波の内は、さながら高高度の空のようなダークブルーに染まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 漆黒の闇に沈む海底に、それより更に黒い海獣の如き姿があった。その巨影は、決して海洋生物のそれではない。インド軍区が提供し、黒の騎士団が移動拠点とする潜水艦の姿である。

 その巨艦は音も無く、一つの目的の為に式根島を目指していた。

 黒の騎士団の今の目的。それは、ここ最近外界を騒がせて……そして今、遥か頭上に居るのであろう枢木スザクであった。

 

「枢木スザク。彼はイレヴンの恭順派にとって旗印になりかねません……私は暗殺を進言します」

 

 少しばかり前の話になる。

 幹部だけで論議したい、という事で、ディートハルトがそれを言い放ったのは幹部陣、つまりゼロ、扇、藤堂、四聖剣、ディートハルト、ラクシャータ、エリアスが全員、格納庫の片隅にある黒の騎士団のトレーラーに入り、出入り口のロックを閉じてからだった。なるほど、とエリアスも理解した。これは他のメンバーが居る場所で出せる話題ではない。黒の騎士団が割れる可能性も否定できない上に、議論に焚き付けられて独断先行しそうな奴を、榊原エリアスは何人も知っていた。

 

「なるほどね。反対派にはゼロってスターが居たけど、反対派には居なかったからね〜」

 

 ラクシャータが他人事として同調する。すると即座に藤堂が反対した。それは、日本人からの賛同を失う事になる、と。先だってのナリタで行った作戦が、麓の民間人にも被害を出した、という事実が喧伝された事もこの件に響いていた。ゼロと、彼が率いる黒の騎士団は“正義の味方”でなければならず、出来うる限りクリーンでなければならないのだ。

 ……無論、表に出る範囲では、の話になるが。

 

 それとは別の理由で、エリアスも暗殺案には反対した。枢木スザクに対して、というより今のブリタニアに対して暗殺という手法を取るのは、実にリスキーだ、と。

 先ごろ、神楽坂大我のグループが壊滅した件を持ち出すと、ディートハルトも一応納得はした様子だった。専属騎士にまで登り詰めた枢木スザクを暗殺するのなら、こちら側の刺客にあの時の実行犯並みの手腕が要求される。或いは統治軍内部に潜む協力者に依頼する手もあるが、彼がそれに手を貸してくれる可能性は極めて低い。と、なると暗殺という手段は現実味に欠ける、と。

 

 ……その筈だったのだが。

 

 そう、それでもディートハルトはやらかした。枢木スザクと同じ学園に通う紅月カレンを焚き付けて暗殺させようとしたのだ。結局失敗したようだったが、この件でディートハルトには厳重な注意が行われた。

 

 とは言え、何かしらの対策を練る必要があるのは事実だった。とりあえずの方向性としては二つ。枢木スザクを排除するか、味方に引き入れるか。

 前者は正直現実的ではない。ゼロが暗殺を許可しない以上正面切ってアレとやり合うしかないが、枢木スザクの白兜は、藤堂と四聖剣を相手に単騎で持ち堪えた敵なのだ。

 では後者はどうか。枢木スザク本人の愛国心に訴える、という手は使えない。虐げられながらも名誉ブリタニア人となって軍務に従事して来た男に、我々や反体制勢力の期待するところの愛国心などあるまい。

 ならば説得するか。結局、黒の騎士団が採ったのはその方策だった。

 

 現在、枢木スザクはユーフェミアや僅かな親衛隊を連れて式根島に向かっていると聞く。本国からの要人と会合が、そこで行われるというのだ。

 既にユーフェミアの乗艦であるレーダⅣ世は捕捉している。あとは式根島の守備隊を攻撃し、枢木スザクを孤立させる。後は、ゼロが引き受ける。

 

 ……ギアスでも使うのか、とエリアスは一度問うた事がある。が、それは否定された。ゼロのギアスは、一人に一度しか通用しない絶対順守のギアス。この切り札を使うまでも無く、彼を味方にできる材料がゼロに揃っているというのか……或いは、何かギアスを使いたくない理由でもあるのか。

 まあ、ゼロがギアスを使う時は仮面の一部を開く必要がある。正体が露見する可能性を少しでも減らせるなら、それに越したことは無いだろうか。

 

 いずれにせよ、ゼロのギアスを使う使わないはゼロ本人が決める事である。そのような事など知らず、黒の騎士団は枢木スザク捕縛作戦の実行準備に掛かっていた。既に格納庫内は騒々しいの極みにあり、揚陸艇にKMFを積み込む横で、白兜の捕獲に使用するラクシャータ製の特殊兵器の最終調整が行われている。更に奥では藤堂が各指揮官に作戦説明を行なっており、台の上に広げた白地図を用いて各隊の配置を詰めている。

 基本的に積み込み作業とは力仕事であり、一つの貨物を詰め込むのに何人も駆り出さねばならない、というのは日常茶飯事を通り越して必然である。そんな中において、義体化によって人間一人分を軽く上回る力を持ったエリアスの存在は、特に人数と時間に余裕が無い黒の騎士団にとっては非常に有難い存在である。そのため、彼はこの手の作業においては引く手数多の希少な人材だ。それでいて、彼本人の仕事というの存在する。故に今、多くの団員は休みなく作業の手を動かしながら、白夜のコックピットから出て来るであろうエリアスの姿を、今か今かと待ち構えていた。

 

 ……そうして、およそ一時間半が経過していた。

 

 

 

「ったく……皆こういう時だけ……」

 

 紅月カレンは、そんな仲間達に苦笑を禁じ得なかった。

 エリアスには、日本人に対する敵意が存在する。理由を詳しく聞き出した事はないが、相当に、彼自身の根幹に根差す問題であることはわかる。そんな彼の内心を知らず、団員達は日々彼を敬遠しながらこういう時だけ仲間面を浮かべて手招きする。「上手く使われる立場だ」とエリアスがかつて漏らしていたが、こういう場面を見てしまうとあまり否定できないのが悔しいところでもある。

 

 ……少し前から、カレンは彼について考えることがあった。例えば自分は、ブリタニア人ではない。日本人だ。そう紅月カレンは自認し、ブリタニアを敵と見做す。ではエリアスはどうなのか。彼は自らを日本人とは規定しない。といって、ブリタニア側の人間でもない。こうして共に黒の騎士団に居る以上、ブリタニアの敵対者であることに違いはないのだろうが。そうして考えて、カレンは改めて認識した。付き合いの長さの割に、彼について知っている事はあまりに少ない、と。物は試し、と幾人かに彼について問うてみても、大した情報は得られなかった。寧ろ、「カレンの方が良く知ってるのかと思ってた」とまで返されてしまった……あのゼロにさえも。

 

「つまり、現時点で貴女が一番エリアスに近いトコに居るのに、その貴女でさえ彼の事を色々知らない、って事よね?」

 

 ある時、カレンは井上にその辺りの話を振ってみた。井上は井上で、最初こそ真面目にそうカレンに問い返した。そうだ、と首肯すると、井上は取り組んでいた資料作成の手を止めて言った。

 

「……正直、そうよね。私も彼の事良く知らないし。聞こうにも彼、日本人嫌いでしょ? 話題によっては触れた途端にあの腕で殴られそうで怖いから、誰も聞こうとしないもの」

 

「でも、彼と一緒に戦うようになってそれなりに経ったじゃないですか。ゼロのおかげで、私達のグループもこんなに大きくなって、組織的な行動も出来るようになった。なのに、皆エリアスとだけはまだ全然距離が縮まって無い。これまでの作戦でもエリアスは殆ど一人で動いてるし」

 

「おかげでちょくちょく酷い目に遭ってるみたいだけどね?」

 

 井上が苦笑した。ナリタと、それからチョウフでの二回。どちらも強力な敵機とぶつかった結果機体を破損させる羽目になっている、という。彼自身は失態と評するそれを、しかしカレンも、そして恐らく団員の皆も決して失態だとは思わなかった。

 

「でもあの黒い機体……有翼一角獣(アリコーン)ってエリアスは勝手に呼んでるけど、あれがもし白兜と一緒に来てたら、多分私達、手酷くやられていた筈だと思うんです。ラクシャータさんが言ってました。あの一本角の黒い機体の戦闘力は、白兜に匹敵するレベルだ、って。むしろナリタでもチョウフでも自力で飛んでたって事を考えたら白兜より厄介な部分があるって」

 

「……白兜って、この前のチョウフで四聖剣と藤堂中佐、貴女を一度に相手して互角に渡り合った、どころか寧ろ翻弄して来たんでしょ?」

 

「それを、彼は一人で押し留めたんです。単騎で。それ以外でも多くの所で私たちに貢献してくれている。彼は立派な黒の騎士団の仲間なんです。その事は皆分かる筈。なのに……」

 

 寧ろ騎士団の中で孤立を深めている。

 暫しの沈黙が流れた。実のところ、こんなことを井上に話しても仕方がないのだ。現状の原因はむしろエリアスにあって、彼の側が仲間を拒絶しているのだから。

 

「ほっとけない?」

 

 モニターの方を向いたまま、井上がカレンに問い掛けた。カレンが「はい」と答えると、井上はそう、と言いながらディスプレイを落とした。

 

「な〜に? 彼の事、()()()()気になる?」

 

 変なところに力を込めて言いながら、井上はカレンに向き直った。その意図するところ理解して、その顔が軽い愉悦の表情を浮かべているのを見て、揶揄われているだけだ、とカレンは把握した。これにムキになって言い返せば余計揶揄われる。カレンの頭は理解はしたが、それでも反射的に声を上げてしまった。残念なことにこの種の話題にそれほど理性的になれるほど、紅月カレンという人物にその手の話への耐性はなかった。

 

「ち、違っ……!! そういう話じゃなくてこれは騎士団の団結の為といいますかあのほらこれからは前線でナイトメアで連携する場面も増えて来るだろうしえーっと仲間同士の関係性はそういう時に影響するだろうしあのその!」

 

 無論、この手の話題でそんな反応を返してしまって無事で済む訳が無い。後悔先に立たずであるが、井上は労せずして最も気楽で、最も面白い関係性をカレンとの間に構築する事に成功した訳である。

 

「……とりあえず、アタシから一言言わせてもらおうかな?」

 

「ぅぇ!? ラクシャータさん!?」

 

 そうこうしているうちに、不意に背後からラクシャータが口を挟んで来た。いつからそこに居たか問い詰めたいところだったが、ラクシャータのその新しい玩具を見つけたような表情からして結構早い段階で居たに違いない。

 

「榊原エリアス。あの義体作ったのアタシだからそれなりに知ってるんだけどさ……あいつ、あれでも相当団員と打ち解けるようになってるよ。まあ今まで純日本人至上主義みたいなところに居た訳だから当然っちゃ当然なのかもしれないけどさ……」

 

「そりゃあ……それと比べればそうでしょうけど、だからって今問題無いって事にはならないですよね?」

 

「ただまあ、これから先、多分アタシら相手にする分にはそう頑なになる事も無いんだろうケドさ。これだけは言えるよ。あいつはもう、日本人って名乗る人間と仲間意識を共有する事は無い筈だよ。未来永劫、ね」

 

「どうしてそう言い切れるんです?」

 

「そりゃあ──」

 

 不意に、ラクシャータの表情から笑みが消えた。楽しそうにしていた目が、今はもう笑っていない。ヒヤリ、と背筋に冷たい物が走る感覚を覚えながら、カレンは彼女の次の言葉を待った。

 

「──母親を売女呼ばわりした挙句見棄てた奴らの同類なんて、仲間とは思いたくないでしょ」

 

 詳しくは本人に聞け、とだけ言い残して、ラクシャータは去った。以来、カレンは機を見てエリアスと二人で話す機会を探っていた。作戦直前のタイミングである、今も。

 

「……お母さん、か」

 

 その言葉を聞くと、カレンの胸の奥にちくりと刺すものがあった。このご時世、日武ハーフの親が平穏に過ごせる道理は無く、カレンの母もまた、この時代に押し潰された被害者であり、そしてそもそも、カレンが戦う事を決めた最初の理由でもあった。

 もしかしたら、自分とエリアスは同じなのかもしれない。まあ、そう思っているだけなのかもしれないが。

 ……それも含めて、やはり本人に直接尋ねてみるしかない、か。

 そうして、作業を終えたカレンの足は自然と白夜の所へと向いていた。彼の出待ち勢に混ざる形となっていたが、一つ、彼女が他の面々と違う点があった。

 

 彼女は知っていた。今白夜のコックピットには居るのは、実はエリアスでは無い言うことを。

 現在、エリアスは作戦に備えて自機の調整を行い、機体の積み込みを行う筈であった。しかし、実際にはそんなことはインド軍区のスタッフに任せられる。彼には既に、ゼロから彼にしか出来ない任務を与えられて潜水艦を離れていたのである。

 

「あ〜あ、上手くいかないわね。私がヒマになってもアンタは居ない、か」

 

 ──ちゃんと帰って来なさいよ。

 心の中で、カレンはそう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 レーダⅣ世号に先立つこと三時間。黒の騎士団はギリギリのタイミングで、式根島への潜入作戦を開始した。

 

 上陸にあたって最も安全で確実なルートは、海中からの潜入であった。港湾区から正反対側に存在する岸壁には、幾つかの水中洞窟がある。入手した戦前の式根島基地の見取り図によると、この内最も大きなものに貨物搬入用のドックがある。黒の騎士団は、まず本隊上陸の為の足掛かりとしてそこを最初の足掛かりとした。

 第一手として、潜水艦上部のドライデッキ・シェルターより小型潜水艇が射出された。乗員はエリアス一人だけ。潜水艦内で出待ちされていることなど露知らず、彼はラクシャータが用意した特殊スーツに身を包み、身の丈程の長さのケースを背負い、潜水用のマスクを着けている。顔の大半を占める二つのレンズと、口に咥えるように装備する酸素モジュールのせいで、その外観は蝿の怪人か何かのように見える。

 彼が彼の主を自認する者どものような腐肉に集る蝿であるかどうかはともかく、少なくとも、“怪人”である事に違いはあるまい。彼は一種の改造人間なのだ。

 小型潜水艇から酸素を供給されながら、エリアスは舵取りの為のレバーを傾けた。この潜水艇に推進装置は無い。魚雷に極めて近い……というより実際に魚雷を改造した物だった。島の周辺に仕掛けられた水中聴音装置を回避すべく、急遽用意された物である。

 

 島に最接近したところで、エリアスは海底に落着した潜水艇から脱する準備を始めた。年の始めのこの時期の海中は未だ刺すような冷たさの只中にある。スライド式キャノピーを押し開けて海中を泳ぎ出したエリアスは、その事を痛感した。義体化していようが何であろうが、生身の身体は冷たさをしっかり感じ取っていた。

 五分程泳いだところで、目指す場所を示す灯りが見えてきた。聴音装置に音を拾われぬよう、慎重にエリアスは海水で満ちた洞窟の中を進んだ。進むにつれて水温が変化してゆくのが分かった。天然の洞穴はやがて金属で出来た人工のトンネルに移り変わり、そして段々と上へ向けて傾斜し始めた。トンネルの傾斜がどんどんきつくなって行き、そして遂には垂直に伸び始める。そこから少しだけ泳いだところに水面があった。エリアスは鼻から上だけを注意深く水面に出して、水上の様子を探った。そこは潜水艇用の小さなドックであった。既に使用されなくなって久しいようで、あちこちが錆び付いていた。

 格納されている潜水服と目が合う。一瞬ひやりとしつつ、エリアスは水上に上がった。マスクを外し、武装ケースを開封する。愛用の大鎌剣(フォルケイト)と、回転式拳銃……愛用のマシンピストルは未だあの店から回収出来ていなかった。だから今回の武器はこれだけだ。エリアスは手早く武装を済ませて、半分錆びた水密扉を抜けて施設内へと走った。

 

 エリアスに与えられた任務は、黒の騎士団上陸にあたって、監視所を無力化する事であった。主要基地施設から最も遠い場所にあるこのドックから単独で先行上陸し、森林を抜けて監視所を制圧する。上陸手段の都合上、上陸可能なのは一人だけ、そして黒の騎士団において、単独任務における戦闘能力が最も高いのは、義体によって強化されたエリアスだけなのだ。

 地下設備を抜けた先に、長いトンネルがあった。そしてそこを進むとこれまた長い梯子に突き当たる。少し気の遠くなるような長さの縦穴に、金属製の梯子が打ち付けてあった。残念ながら例え義体といえど、梯子を登る速度は常人とそう大差ない。常人ならば手や腕が痺れていたであろう長さの梯子を登り切ると、そこは隔壁で塞がれていた。義手を使って、エリアスは隔壁を押し上げた。そこは森の外れであり、また基地のすぐ裏手でもあった。

 

 少しばかり事前情報とは異なっていた。これ程基地の近くに出てしまうとは。それとも自分が道を間違えたのか? 上手くすれば基地施設そのものへの奇襲さえ可能なその場所から、エリアスは注意深く森の中へと走った。

 

「やれやれ……使った見取図が古すぎたかな?」

 

 戦前、ここには日本軍の基地が置かれていた。現在のブリタニア軍の基地はまさにこの施設を流用して設置されている為、ほぼ見取図もそのまま使える、と踏んだのだが、どうもそうではなかったらしい。最も、だから任務に障害が生まれるか、というとそうでもない。ただ単に、採り得る作戦オプションが一つ増えていた、というだけだ。そしてそのオプションは現在のエリアスでは実行困難であるし、そうする意味もあまり見受けられない。エリアスは当初の予定通り、西部の監視所へと向かった。

 

 予想通り、監視所の戦力は歩哨数人だけであった。式根島は戦略拠点ではない。その上、監視所といっても各方面に向いた監視カメラ各種のモニタールームがあるだけの小さな施設なのだ。到着してみると、施設の扉の前に歩哨が二名立っている。交代時間まで間があるようで、暫く観察していると彼らは暇を持て余したのか歩哨同士で雑談を始めていた。エリアスは草木に紛れて施設に近付くと、脚部のモーターに物を言わせて、歩哨に真横から奇襲を掛けた。

 

「──ッゥ!?」

 

 右手を突き出して、歩哨の喉元に小さな刃を突き立てる。仕込み短剣──母が遺した武器で、歩哨二名を手早く片付ける。更にモニター施設の戸を蹴破ると、エリアスはリボルバーで中のスタッフを次々と射殺した。弾倉に収まった六発の内、四発だけで充分だった。

 モニター施設には何枚かのディスプレイが並んでいた。黒の騎士団の侵入予定地点や、作戦行動地点を監視するカメラ映像と、水中聴音装置の観測結果を示すモニターだ。だが、ここさえ抑えてしまえば基地の方に警報が行くことは無い。無論、定時連絡が無ければ怪しまれるだろうが、その時には既に黒の騎士団は作戦行動を開始している筈だ。

 エリアスは展望台状になっている施設外縁部に出ると、ライトを取り出して海の方角へ向けて特定パターンを放った。

 

 ──任務完了、作戦を第二段階へ移行せよ。

 

 間も無く、黒の騎士団の潜水艦が海面に姿を現した。基地施設からは死角になる湾の陰へと巧みに侵入し、腹の内から揚陸艇を多数吐き出している。

 

「……さて」

 

 エリアスは監視所を後にした。エリアスの任務はこれで完了だ。後は基地に接近を仕掛ける上陸部隊と合流し、白夜を受け取って攻撃部隊に加わる──予定であった。

 

 だが。

 

「悪いな皆。今回は参加出来そうにないんだ」

 

 エリアスは森の中を進んだ。彼は合流予定地点に到着してもなお進み続け、港の方へと向かっていた。

 

 今回、エリアスにはもう一つ、やらねばならぬ事が──いや、会わねばならぬ人物が居た。

 既に問題の人物がここに来る事は協力者からの情報で把握済みだ。後は上手く事を進めないとならない。今回に限っては、黒の騎士団の味方さえ障害となるのだ。

 

 エリアスはスーツのポケットを開いて、そこから一枚の写真を取り出した。それは、彼がかつて、母と共にブリタニアに居た頃の写真。ボロボロになったその写真の中で、幼いエリアスが母と、それからもう一人、金髪の少女と隣り合っている姿が写っていた。

 

「……長いこと待たせてすまない。今、迎えに行くよ」

 

 そう写真の中の人物に呟いて、エリアスは走り始めた。



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第十七幕 運命の島 2

 ──それは、過去に起こった出来事である。

 大きな屋敷の正面玄関。そこに一台の白塗りの車が停まっていた。先に車に乗り込んだ母が、車内から彼を手招きしていた。
 何一つ、釈然としない状況だった。困惑を隠せぬまま、彼はそれまでの経緯を思い返す。
 まずいつも通り目覚めて、彼は昨晩の約束通り義兄の部屋に向かった。カード勝負の続きをやろうと考えたのだ。負けた方が、勝った方におやつの菓子を半分あげる、という子供らしい遊びだった。が、既に負け越している彼としては、早い段階で挽回しないとこれから先のおやつが心配だった。

 だが義兄の部屋に向かう途中で母に言われたのだ。「荷物をまとめろ」と。最初は何の話か分からなかった。彼自身、それまで生まれ育ったこの屋敷から離れた事は無かったし、これから先、離れる事になるとも思っていなかった。だが、母の口調の厳しさに事の重大さを感じて、彼は口答え出来ずに部屋にとんぼ返りした。そうして今、あれよあれよという間にこの屋敷を去ろうとしている。

「……本当に、行っちゃうのか?」

 屋敷の中で、彼の周りには大勢の人間が居た。異国から来た母を迎え入れてくれた屋敷の人々。だが今、玄関まで見送りに来たのはたった二人だけだった。義理の兄が一人、そして父の二人。義兄は恐る恐る口を開いた。途端、父がその義兄を睨みつけた。

 あんなに冷たい父の目は初めて見た。そして今日になってから、父は母に対してさえも、その冷たい目で接していた。

「ごめん兄さん、カードで仕返ししてやろうって思ってたんだけど……」

「忘れないからな、昨日負けた分、まだ払って貰ってないんだからな!」

 睨まれながらも、義兄はそう言って泣いてくれた。彼が何か言い返そうとする彼の手を、母が掴んだ。母は有無を言わさず彼を車の中に引き込んだ。その力強さに、改めて現状の深刻さを実感した。閉じられたドアの向こうで、父が相変わらず冷たい目を二人に向けていた。車の中で、俯いた母は静かに、だが確かに啜り泣いていた。

「お兄さん! お兄さん!」

 不意に声が聞こえた。屋敷の奥からだ。玄関の両開きの戸が勢い良く開いて、金髪の少女が飛び出して来る。それは、何人か居る中で一番仲が良かった義妹であった。義妹は彼の乗る車に駆け寄ろうとするが、それを義兄が慌てて引き留めた。

「ダメだよ、もうダメなんだ!」

「どうしてなの!? こんないきなり……今日になってから皆おかしいわ! 皆急に……」

「戦争になったんだ! ブリタニアと日本が! だから──」

 義兄の一言で、義妹も、そしてドアにへばりついていた彼も凍り付いたように止まった。

「──だから、もう一緒には居られないんだよ。もう、どうしようもないんだ」

 その言葉が、最後だった。オリヴィエががっくりと項垂れるのを横目に、彼を乗せた車が発進したのだ。彼は振り返って後ろの窓から二人の兄弟を見遣った。

「また、会えるかな?」

 彼はそう、隣に座った母に尋ねた。だが母は何も答えず、彼はそれで全てを悟った。


 

 

 

 

 

 

 

 

 ──まあ、認めよう。レオ・エルフォードは舌打ちと共にそう決めた。これは蒼天の霹靂だ。完全な奇襲攻撃だ。

 

 現在、式根島基地は敵の攻撃下にあった。主要港湾施設の逆側、即ち島の“裏手”にあたる方角から上陸して来たKMF隊による強襲。元々それ程厳重でも無かった哨戒システムは、この手のケースにける恒例として実際に奇襲が行われるまで何ら反応を示す事は無く、式根島基地司令部は敵のKMFの縦横を許していた。

 

「守備隊は何をしている! あれしきの数を抑えられんのか!?」

 

「こちらの戦力も不十分なのです! 港に出ている部隊もありますし!」

 

 悲鳴のような怒声と罵声が飛び交っていた。入港した直後という事でまさに今レーダⅣ世から降りたばかりのユーフェミアも、険しい表情で黒煙の立ち昇る島の奥手に視線を向けていた。

 

「……どう見る? この攻撃」

 

 レオの背後から、ユリシアが小声で尋ねて来た。基本的に、皇族の行動予定がそれなり以上に世間に知れ渡る事など無い。例えば何月何日の行事に参列する、のような公的な話ならともかく、何月頃から地方へ遠征に出た“らしい”だとか、何日に某所で展開される作戦に直々に出向いている“らしい“だとかの曖昧な噂程度がせいぜいで、細かい日にち毎の所在が当事者以外にはっきりと知らされる事などあり得ない。それでは反政府組織或いはその他に“襲ってくれ”と叫んでいるようなものだ。

 ……今回のケースで付け加えるとするなら、エリナ、シュナイゼル両殿下の出迎えとしてこの式根島を訪れる事は非公式中の非公式事案だ。本土を離れた孤島に足を伸ばした皇族など、格好の標的以外の何者でも無い。だから周到な情報統制が敷かれており、公式にはユーフェミア及び親衛隊は今日も租界に居る事になっているのだ。

 にもかかわらず、このあからさまな攻撃。反政府組織が何の理由も無くこの僻地の島を攻撃する道理など無い。襲撃者が誰にせよ──正直に言えばこの規模の攻撃が出来る勢力など限られているが──、その狙いがユーフェミア、シュナイゼル、そしてエリナにある事は明白であった。

 

「情報が漏れている、そう言いたいのか?」

 

「そうとしか言えないでしょう。例えば中華連邦とかEUとかがこんなところに橋頭堡を築こうとしてる、なんて話ある?」

 

「絶無とは言わないが、お前の言いたいように考えるのがスマートだろうな。狙いはエリナか、ユーフェミア殿下か、シュナイゼル殿下か……或いは全員か」

 

「だとしたら、とりあえず運は良い方だった訳ね。私達か、或いは殿下達かが」

 

 彼女の言う事も事実であった。上陸直前になって、エリナ、シュナイゼル側の到着が遅れる、という連絡がレーダⅣ世に届けられたのだ。移動に使用している新造艦艇アヴァロンの動力システムにトラブルが発生したらしい。

 

 ……軍関係者、特に皇族に近しい軍人の間では、シュナイゼルは昔から戦艦レクレールを愛用している、というのが定説だ。レクレールは相当に年季の入った艦であるが、シュナイゼルは皇族として活動するようになって以来ずっと座上艦を変えていない。これに限らずシュナイゼルは物を長く愛用する性格である。あの物欲と無縁そうなシュナイゼルが、古い艦が駄目になった訳でもないのに新しい艦を使うのか、などとセイトなどは最初不思議がっていた。

 

 しかし、シュナイゼルの政治、軍事的スタンスに目を向けてみると、個人的指向とは裏腹に新技術を好むタイプでもある。特に今現実に必要とされている技術の発展を。嚮導技術部などは良い例であり、「皇帝陛下を含め他の皇族が遺跡や骨董品などで過去を見ているならば、シュナイゼル殿下は今日の現実を見据えている」という評も存在する。

 恐らくその新型艦アヴァロンも、配下の組織が建造した物を試験運用がてら徴用したのだろう。是非アヴァロンの力をこの目で見てみたい、この機会にレクレールには休んでもらおう、などと言いながら。

 

「……スザク、ここは危険だ。我々は引き下がった方が良いだろう」

 

 レオは出迎えに来ていた士官から状況説明を受けているスザクとユーフェミアに近付くと、スザクに耳打ちした。ユーフェミアがそれに気付くと、レオはユーフェミアにも向き直った。

 

「敵勢力の正体如何に関わらず、敵の狙いが殿下、或いはシュナイゼル、エリナ両殿下にあるのは明白です。である以上、ここにユーフェミア殿下が留まるのは危険でしょう。レーダⅣで直ちに沖合に脱し、待機中の護衛艦と合流、殿下の安全を確保する事が最優先かと」

 

「いえ、却って危険かもしれません」

 

 二人に状況を説明していた士官が答えた。

 

「広範囲にジャミングが掛けられています。沖合の護衛艦と合流する前に襲撃される可能性が」

 

「となれば、踏み止まって殿下をここでお護りする他無い、か……」

 

「御安心を。殿下の身は必ず私が護ってみせます」

 

 スザクが毅然として言った。しかし、そのユーフェミアの返答は意外な物であった。

 

「いいえ、親衛隊は司令部の救援に向かって下さい。機動力の高いランスロットとナハトなら、今から行っても間に合う筈です」

 

「え!? ……殿下、それは……」

 

「枢木スザク少佐。ここで貴方の力を示すのです。そうすれば、皆貴方の力を認め、いずれ雑音も消えるでしょう」

 

 ユーフェミアの言葉は、現在のスザクが抱える微妙な問題を指摘していた。

 皇族の専任騎士となったからには、最早スザクに対し直接的な嫌がらせの類をしてくる輩は居なくなった。今となっては誰も──自身の権益を過大評価したエリア11在住の貴族連中にも──スザクを騎士に任じたユーフェミアの決定を軽んじる真似は出来なかった。だが、それは彼に対する嫌悪の念が消え去ったことを意味しない。ユーフェミアの言うところのスザクに対する“雑音”はこのところ影に隠れる形で行われるようになり、より陰湿な物に変質していた。しまいには直接的に何かできないならば間接的に追い落とせば良い、と権力闘争の理屈を持ち込み始めた輩も出て来ており、実力至上主義のブリタニアでそれら雑音を黙らせる為には、やはり実力を以って黙らせる他無い。

 ……最も、権力闘争のやり方を持ち出した相手には効き目は薄いのだが。

 

「……わかりました」

 

 親衛隊総指揮官のスザクの言葉で、親衛隊の方針は決定された。レーダⅣ世の格納庫が開放され、跪く形で収まっていたランスロット、及びナハトが現れる。式典に参加する為に、と磨かれた外殻は見事な艶めきを発しており、白と黒の二機のKMFは、とても軍事兵器とは思えない美麗さを誇っていた。

 レオはナハトのコックピットに滑り込んだ。パイロットスーツに着替える暇は無い、と判断してそのままの格好であった。腰に佩いた刀剣は、とりあえずシートの裏に粘着テープで留めておいた。

 

「……さて、これでランスロットにもフロートがあれば話は楽だったのだが」

 

 愛機をレーダⅣの格納庫から移動させながら、レオは苦笑しながら言った。現在のナハトには、ナハト最大の武器とも言えるフロートユニットが搭載されている。翼を畳んだ姿は、マントを着たようにすら見えた。このフロートだが、既にランスロットにも同規格のユニットを搭載する事が決定しており、先日からスザクも飛行訓練に入っている。成績は上々らしいが、そのフロートユニット自体は今回の移動ついでにアヴァロンで本国から運んで来る事になっている。だから、今回もランスロットはフロート無しだ。

 

≪ばらけて動く事になるね……ロイドさんはナハトでランスロットをぶら下げて行けば良い、なんて言ってるけど≫

 

「止めておこう。ただでさえ燃費が悪い。途中で落ちられてもお互い困るだけだろう」

 

 先にランスロットの陸揚げを終えたスザクとそんな軽口を叩いている内に、他の機体もレーダⅣから出て来る。と言ってもレーダⅣに載せられたのはランスロットと二騎のグロースターのみ。それぞれユリシア、そしてオリヴィエの機体だ。つまり、式根島に来ている親衛隊の内セイトだけが機体が無いことになる。これはアヴァロンがセイト用の新型機を運んで来る予定になっていたからだ。出迎えの式典の後、その新型機の試験()()を行う予定になっていたのだ。という訳で、彼は機体には乗らずに指揮所に入って貰う事となった。

 

≪司令部の方の戦況は?≫

 

 ユリシアが問い掛けた。通信画面の向こうの士官は渋い顔を浮かべた。

 

≪思わしくありません。このままでは制圧されます≫

 

≪こっちの練度を嘆くべきなのか、敵が強いと見るべきなのか……敵戦力は? どういう敵が来ているの?≫

 

≪敵の無頼は、全機が黒く塗装されています。また先ほど、ブリタニア製ではない赤色のナイトメアが確認されました。諸々の情報を鑑みますと、敵は黒の騎士団です。それも本物の≫

 

 くそっ、とセイトが毒付いた。親衛隊機を半々に分けて片方を司令部に、片方を護衛に、とも考えたが、赤いKMFと言えば黒の騎士団の最精鋭の一角だ。黒の騎士団は主力を投入して来ている。僻地の守備隊では荷が重過ぎる相手だろう。

 では、全機で行くか? それも一つの手ではある。ただし以前のナリタのように、敵が自らの主力を囮として本陣への奇襲を掛ける可能性を考えるとかなり危険な手だ。港にはユーフェミアの出迎えに出て来たKMF二個小隊が居るが、これの練度は正直当てに出来そうにない。それにこれの半分はサザーランドだが、半分はポートマンだ。

 ……と言って、主力を投入して来た騎士団相手にぶつかり合うには、こちらの戦力は寡少だ。

 

≪ランスロットより親衛隊各機へ。聞こえるかい?≫

 

≪感度良好≫

 

≪聞こえるわよ≫

 

 スザクが通信を発して来た。オリヴィエ、ユリシアが即座に応答する。

 

「ナハト、感度良好」

 

≪では、僕とレオで司令部の救援に向かおうと思う。あとの二人は港に展開している部隊と共に殿下の護衛を≫

 

「良いのか。別働隊が奇襲して来た場合、残存戦力で対応出来るか──」

 

≪ちょっと、それどういう意味よ?≫

 

 ユリシアが不満げに言って来る。なるほど言われてみれば、これは彼女への侮辱に近いかも知れない。だが、レオにはもう一つ懸念事項があった。

 ユリシアとセイト。両人ともに疑惑がある人物だ。疑惑と言ってもエルフォード家に向けられたものだからユーフェミア殿下に危害を加える事は無いだろう。だが、二人と共に残るオリヴィエはどうなる。

 ……本音を言えば、オリヴィエを自分の目の届く範囲から外したくはない。(まあ、向こうからは嫌われているようだが……)特にこのような場所では。反政府組織が行動を起こすのにぴったりな場所である、という事は、何も皇族に限った話ではないのだ。

 

 無論、レオとしては二人を信じたい。しかし……。

 

≪レオ。もう少し味方を信じてあげなよ≫

 

 何も知らないスザクがそう言ってくる。結局のところ、戦力的にはそれがベターな判断なのだろう。そして現状、実情を隠しながらスザクを納得させる言葉をレオは持ち合わせていない。やむを得ない、か。レオは了解の返答を送った後、通信を切った。

 ただし、諦めた訳でもなかった。

 

「……頼めるか?」

 

“言いたい事はわかります”

 

 霊体の女は存外すんなりと聞き入れてくれた。直後、彼女がレオから離れて行くのが分かった。

 

(あとは事が起こった時にどうやって知らせて貰うか、だが)

 

“ご心配無く。距離は関係ありません”

 

(頼む。嫌われていようがなんだろうが、こんな事でこれ以上妹を喪いたくは無い)

 

 女は頷いて、レオの側から離れオリヴィエのグロースターに近付いて行った。無論、それが分かるのはレオだけだ。レオは通信回線を復旧させて、ランスロットの横に並んだ。

 

「では、行こうかスザク。ユリシア、こっちは頼むぞ」

 

≪了解≫

 

≪じゃあこっちは俺が指揮する。司令部組は各々でやってくれや≫

 

「了解だ。いいかオリヴィエ、何があっても無茶だけはするなよ」

 

≪わかりました……あの……≫

 

「何か」

 

≪………………いいえ、何でも≫

 

 レオはナハトを離陸させた。フロートの翼が展開し、ダウンウォッシュを発生させてふわり、と舞い上がる。その横でランスロットが腰を低くし、発進態勢を取る。

 

≪では両名とも、よろしくお願いします≫

 

≪イエス・ユア・ハイネス≫

 

「イエス・ユア・ハイネス」

 

 レオとスザクは同時に答えた。一瞬の間を開けて、ランスロットが疾駆する。レオは更に高く舞い上がると、空中から黒煙立ち昇る司令部へと飛翔した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 飛び去る兄の機影を見つめて、オリヴィエ・エルフォードは知らず溜息を吐いていた。セイトの指示で港に集まったサザーランドと共に陣形を組み、不意の襲撃者に備える。

 ファクトスフィア、オン。周辺索敵……クリア。背部カメラでユーフェミアがレーダⅣに移るのを確認すると、オリヴィエは自機と僚機との間隔を詰めた。

 もう一度兄の飛び去った方を見遣る。既にフロートの噴射炎は見えなかった。もう戦闘に入ってしまったのだろうか。

 

「お気をつけて。お兄様」

 

 通信を切ったまま呟いた。

 義兄、レオハルト・エルフォード。彼に対して、今のオリヴィエの胸中は複雑であった。フィオレの死を誰よりも悲しみ、その仇を求めて動いている事は知っている。そして今もエリナ様を、更に残されたエミーリアと自分を守ろうとしてくれている事も、オリヴィエは良く知っていた。最近は義兄ローレンスや義父ローガンの元に行く事が多いが、彼は決して、ローレンスのような下衆に堕ちた訳では無い。彼は、今の義兄、義姉の中で最も信頼出来る人だ。それは今も……フィオレが死んだあの時から、最初からずっと、変わらない。

 ……でも。

 

 ごめんなさい、お兄様……。

 

 考えるたびに、オリヴィエの表情は暗くなる。認めたくないが、今のレオを、オリヴィエは全面的に信じられずにいる。これはエミーリアも同じ意見だった。今の彼からは、どうしてもローレンスやローガンに近しい雰囲気を感じてしまう。いつの頃からだろうか、あの人は何処か変わってしまったようにも思える。ローレンスに……エミーリアにあんな事をしようとしたローレンスに近しい存在になっているように思える。残虐で、殺戮を愉悦とするあの悪鬼のように。

 

 そんなはずはない。オリヴィエは首を横に振る。彼はあんな悪魔のような男には絶対にならない。彼の本質は、決して悪に堕ちる事は無い。そう確信を抱くオリヴィエは、やがて一つの可能性に思い至った。

 ……彼は今、何者かによって歪まされている。

 この島に来る途中で彼に問うた事──兄弟全員の名前。なる程彼はオリヴィエ自身ですら忘れていた名前まで挙げた。出会った一週間後には首だけとなって見つかった娘の名前まで、彼は覚えていた。

 

 ……けれど、彼は一人だけ、名前を挙げなかった。彼なら絶対に忘れないであろう人の名前を。私が、ずっと探し求めている人の名前を。

 

 だから、私は無理を言って彼に着いて来たのだ。

 エリア11というあの人に縁のある土地に彼が派遣されたのは幸いだった。それを知った私は会いたくも無い義父に頼み込んで、こうして同行を許されたのだ。あの人を探し出して、二人を引き合わせて、義兄に自らの歪みを気付かせる為に。

 

≪……オリヴィエ、大丈夫?≫

 

 暫く警戒態勢を維持していると、ユリシアがそう問い掛けて来た。義兄の事を思うあまり黒煙の立ち昇る司令部の方をじっと見ていたオリヴィエは、慌ててレーダーディスプレイに目を移した。

 

「あ、はい。周囲に敵影、ありません」

 

≪じゃ、なくてお前がだよ。どうした、心此処にあらずみたいな顔して≫

 

 更にセイトが割り込んで来る。考えてみれば当然で、彼の手元のディスプレイには親衛隊全員の顔が映っているのだ。

 

「大丈夫です。問題ありません」

 

「まあ、初の実戦になるかもしれないんだ。緊張するのは分かるけどな」

 

 セイトがふっ、と笑みを浮かべる。彼の言う事も事実である。オリヴィエはこれが初の実戦任務だ。緊張していないと言えば嘘になる。この辺りは先輩後輩の差というものか、明確に見抜かれている。

 

≪それともレオが……お兄さんが心配?≫

 

「えっ……いえ、それは……」

 

≪私には、そんな顔に見えるけど≫

 

 ユリシアはそう言って微笑んでみせた。まあ、これも正解だ。オリヴィエは視線をメインモニターに移した。既に黒煙は消えつつあった。

 

≪大丈夫。彼は何があっても帰って来る人よ。誰かを護る時のレオはすっごく強いんだから≫

 

 そう語る彼女の目顔が何処か悲しげに見えて、オリヴィエは彼女の顔を映したウィンドゥを見返した。

 

≪……そう、あの人はお兄さんとは違う。本質的には攻める人じゃなくて護る人。だから自分から最も困難な道に飛び込んで、そして色んな人から狙われる……それこそ……≫

 

≪ユリシア。任務中だ。黙って真面目に周辺警戒しろよ≫

 

≪…………はーい≫

 

 セイトがユリシアの言葉を遮った。含みのある言い方だけに、セイトがその口止めを図ったような邪推も出来てしまう。

 今のは何? オリヴィエは訝しむ。彼女は今、何を伝えようとしていた──?

 

 だが、その思索は続いて起こった振動により遮られた。爆発のような振動では無い。機体が何かにぶつかったような音だ。見ると、メインモニターの端に秘匿通信のサインが出ていた。そして、何処から出てきたのか真横に並んだサザーランドの姿。グロースターのマントの下で、サザーランドの手がグロースターの胴体に触れていた。

 

≪──オリヴィエ。聞こえるか?≫

 

 接触回線を通じて、男の声が聞こえた。

 

「ッ!?」

 

 オリヴィエは息を呑んだ。何故、どうして、こんなに早く──? そんな疑問符ばかりが頭を過り、それと同時にもう一つの思いが込み上げて来る。

 

「その声……もしかして、エリアス……?」

 

 恐る恐る、オリヴィエは声を発した。次の瞬間、通信ウィンドゥが開いた。

 

≪ああ……迎えに来たよ、オリヴィエ≫

 

 時を経て変わる事もあるが、変わらない物もある。そこに映っていた顔に、オリヴィエは見間違いようはなかった。そこには、彼女が探し求めていたあの人の顔──榊原エリアスの顔が映っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 オリヴィエが目を丸くして驚いているのが、モニター越しに見える。その黄金色の髪も、琥珀色の目も昔と変わらない。ブリタニアに居た頃、エリアスと最も親しかった人物、それがオリヴィエだった。初めて会ったあの時から、実験施設へ連れ去られる直前まで、ずっと一緒だった。

 

「七年ぶりだな、オリヴィエ」

 

 そのエリアスは、現在ブリタニア軍制式機サザーランドのコックピットに居る。港に展開していた部隊の機体を奪った物だ。

 

≪……ど、どうやって、ここに? それにその機体……≫

 

 オリヴィエが声を潜めて尋ねた。

 答えとしては、まあ単純に監視所から港までは徒歩で移動し、そこから機体を奪った、という事になるのだが、実のところ、榊原エリアスにとってもこれほど事が簡単に運ぶのは想定外であった。正直な所、強行突破して彼女と接触する事も視野に入れていたのだ。

 

 この作戦が決行される前、黒の騎士団はブリタニア軍内部に潜む協力者から新設されるユーフェミア親衛隊の戦力表を入手していた。そこにオリヴィエの名が記されていたのだ。まず親衛隊のメンバーリストが流出している事自体が驚きだが、更にその協力者は今回の式根島遠征を利用した皇女暗殺の手筈まで整えたいた。結局ゼロはユーフェミアの暗殺自体は拒否したのだが、メンバーリストのオリヴィエの名を見つけた彼が、気を回してエリアスにこの機会を与えてくれたのだ。他の団員には内密に。

 今回のサザーランドの奪取はまさにその“手筈”を使わせて貰ったのだが、こうもスムーズに事が運ぶとは。このサザーランドは港湾地区の端に孤立して無人のまま配置されていたし、機体の認識番号まで寄越して来た。そうやってサザーランドに乗り込んだエリアスを、この場に居る誰もが味方機だと信じて疑わない……というより、通信一つとして寄越さない。つい先ほど、あの白兜と黒い一本角が出撃して行った後、陣形展開が一度だけあったが、それについても指揮官が一機ずつポジションを指定して来ていた。機数が少ないからだろうが、露骨なまでにこちらへの配慮を感じないでもない。協力者の正体は無論知っているが、良くもまあここまで裏切り行為をスムーズに働ける物だ、とも思う。

 

 カメラを少し横に向けると、ユーフェミアが乗って来た艦が見える。何ならユーフェミアを狙い撃ちする事すら可能だが、それはゼロから禁止されているから今回は見逃すとしよう。さて、後は彼女を連れ出す算段だが……

 

「オリヴィエ、一緒に行こう」

 

≪え……?≫

 

 あれから七年。エリアスは全てを知っていた。あの実験施設が何のためにあったのか、それは誰が仕組んでいたのか。そして何故、はるばる父がエリア11まで直接母を殺しにやってきたのか。

 だからこそ、エリアスはオリヴィエを助けに来たのだ。奴の魔の手に掛かる前に、彼女だけでも助け出さねばならない、と。

 

「君のいるそこは危険だ。俺が騒ぎを起こすから君も──ッ!?」

 

 だが、そう伝えようとした矢先、突然エリアスの頭に刺すような痛みが襲って来た。思わず頭を抑えてエリアスは呻いた。

 

“彼女から離れろ”

 

 何処からか、そんな声がした。無論コックピット内にはエリアスしか居ないし、無線が繋がっているのはオリヴィエだけだ。だが、この声はオリヴィエの声でもなく……そもそも人の発する音ですらないように思えた。痛みが雷撃の如く激しさを増して行き、オリヴィエが心配そうにエリアスを呼び掛ける声さえも聞こえなくなっていた。

 

「ぐ……ぁ……っ!! ……こ、声……が……?」

 

 激痛が更に彼の脳を乱打した。“彼女から離れろ”という声だけが頭に残り、それ以外の感覚が全て痛覚で埋め尽くされる。衝撃と苦痛が脳を満たしていた。エリアスは遂に喉の奥から悲鳴を──

 

≪各機、殿下を止めろ!!≫

 

 不意に、全てが終わった。痛みも、苦痛も、そしてあの声も。何が起きたのか分からず、エリアスは首を振って左右を見回した。

 サザーランドのシステムには何の異常も無い。システムログにも妙な点は記されていない。痛みが綺麗さっぱり消失したエリアスの脳はまだ混乱状態にあった。しかし、混乱していたのはエリアスだけではなかった。

 

≪殿下! 何をなさるんですか!≫

 

(わたくし)は今からスザクの元へ向かいます! (わたくし)が巻き込まれても良いのであれば、いつでも発射命令を下しなさい!≫

 

≪ダメですよ! 待ってくださいユーフェミア様ぁ!≫

 

 展開していた部隊から、一機のKMFが疾走し離脱を開始していた。グロースターだ。そして無線で流れて来たその声は、第三皇女ユーフェミアの声であった。

 

≪ゆ、ユーフェミア様!≫

 

 そしてオリヴィエのグロースターが、その後を追いかけ始めた。それで流石にエリアスも意識をはっきりさせて、すぐさまサザーランドのスロットルを全開にしてその後を追った。

 

 グロースターの速力はサザーランドのそれを上回っていた。段々とオリヴィエ機から距離を離されて行くが、その間にエリアスは流れて来る無線通信で状況を整理する事が出来た。どうやら戦線に向かった白兜……ランスロットが黒の騎士団の手に落ちたようだ。そしてブリタニア軍は、ランスロットに乗るスザクと交渉を開始したゼロを、スザクごと地対地ミサイルで撃破しようとしている。それを知ったユーフェミアが、スザクの元へ駆け付けようとしているようだった。

 

 状況を理解すると、エリアスは焦りを覚えた。このタイミングでは、恐らくブリタニアが攻撃を止める事は無いだろう。例えユーフェミアの所在が分かったとしても、一度発射されたミサイルが止まる事は無い。更に、ブリタニア側が言ってしまえばお飾りの副総督に過ぎないユーフェミアと反逆者ゼロの命を天秤に掛け、ゼロの抹殺を優先する可能性は非常に高い。元々、その手の事には躊躇しない国なのだ。

 だが、それでもユーフェミアはスザクの元へ行くだろう。そして、オリヴィエは彼女を連れ戻そうとし──

 

「くそっ……何なんだ!」

 

 限界速度で駆けるサザーランド。だが、オリヴィエのグロースターは既にかなり離れた場所に居て、止まりそうに無い。最悪脚部を射撃して強制的に止めるか、とも思ったが、エリアスの背後にもサザーランド隊が居た事でそれも断念せざるを得なかった。白夜ならともかく、サザーランドでサザーランド隊を相手取る自信は無かった。

 サザーランドのシステムが警報を発していた。この疾走でエナジーフィラーの消費率があまりにも激し過ぎるのだ。このままではガス欠を起こすぞ、とい意味の警報を、エリアスは無視してサザーランドを加速させ続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は、少し遡る。

 

「沈めっ!!」

 

 空中からの奇襲にさえ、その敵機は対応して見せた。例の赤い機体に良く似た銀灰色の機体。レオが上空から繰り出した斬撃を緊急反転して受け止めて、更に胸部のスラッシュハーケンで反撃して来る。レオは後退してハーケンを躱すと、少し高所に着地して周囲を見渡した。

 司令部は既にかなりの敵の浸透を許していた。先陣に立つのは例の赤い機体と、この銀灰色の機体。ランスロットにも匹敵し得る戦闘力を誇るこれらの機体を止めない事には、司令部の陥落は免れない。

 銀灰色の機体の背後から、赤い機体が躍り出て此方へ接近して来る。流石に一対二で勝てる相手ではない。レオは再び空中に躍り出ると、敵機のアウトレンジからヴァリスを使用して攻撃を加えた。そうして足止めを図りつつ、他の無頼へもスラッシュハーケンを撃って牽制する。間も無くスザクのランスロットも戦線に合流し、ブリタニア側は俄かに勢いを取り戻し始めた。

 

「スザクは赤い方を頼む」

 

≪分かった!≫

 

 短いやりとりを挟んで、白と黒、二騎のKMFが敵陣へと正面から突っ込んだ。互いに何度か軌道を交差させて撹乱し、それぞれ無頼を斬り刻んで行く。レオは途中で空中に躍り出ると、銀灰色の機体へヴァリスを撃ち込んだ。直撃はしないが、それ以上の前進は阻めていた。敵機の放つ機関砲を左右に回避しながら肉薄し、竜巻のように回転しながら飛び蹴りを放つ。スザクが得意とする攻撃法を、レオもまた既に会得しつつあった。ナリタでやった時以上に高精度な蹴りが敵機の刀を弾き飛ばし、レオはMVSを抜刀し斬りつけた。放たれた一閃が銀灰色の敵機の左腕に傷を付け、そこに装備されていた機関砲を破壊する。戦闘能力を失った敵機は、無頼の援護で後退を開始した。

 

 一方、同時に赤い機体と交戦に入ったスザクもまた、強敵を相手に善戦していた。鉤爪のような右腕の攻撃を紙一重で躱しつつ、MVSで逆に斬り込んで行く。だが、向こうもまたMVSを紙一重で回避し続けており、その状態が続いていた。激しい戦闘ながら双方共に有効打が与えられない状態にあった。

 

「援護する。一度下がれ」

 

≪了解、助かるよ≫

 

 レオがヴァリスで援護射撃を放つと、スザクはランスロットを下げた。赤い機体もヴァリスの光弾を身を屈めて回避すると、こちらもすぐさま後ろに下がる。スザクはMVSを鞘に戻し、ヴァリスでの射撃に切り替えた。レオもヴァリスを高出力モードに切り替えて、ターゲットスコープを起動した。コックピットの天井からアームが伸びて、小型ディスプレイがレオの顔の前に下りて来る。

 

「……何?」

 

 だが、そのスコープを通して見た敵機は意外な動きを見せた。反撃に転じるかと思いきや、そのまま後退を開始したのだ。それはあの赤い機体だけではなく、他の無頼も同様だった。

 

≪後退する? 一体──≫

 

 その行動を訝しんだスザクの呟きは、彼自身の息を飲む音で掻き消えた。彼の視線の先、赤い機体が跳躍し退却した崖の上。そこに一機の黒いKMFがあった。無頼、それも頭部に独特な装飾が施された機体だ。そして、開かれたコックピットから身を乗り出してこちらを見下ろしている、一人の黒い人影。

 

「あれは……」

 

≪……ゼロ!?≫

 

 そう、それはゼロで間違いなかった。あの闇色の太陽を描いた仮面に、飾り気の強い黒のマント。それはまさしく、黒の騎士団の首魁ゼロの特徴と一致する。スコープ越しとはいえ、レオも直接目にするのは初めての事であった。

 

「何の真似だ、彼奴……」

 

 ヴァリスの射程圏外とはいえ、敵の前に身を晒す、それもKMFのコックピットから出た状態で。正気の沙汰ではない。困惑するレオの横で、ランスロットが飛び出して行った。

 

「待てスザク、危険だ!」

 

 スコープを押し上げて、レオは叫んだ。

 

≪解ってる、でも!≫

 

 なおも前進するスザク、後を追うレオ。だがフロートを起動して飛び立った直後、ナハトは森から伸びて来た射線に進路を阻まれた。ナハトの動きを止める一方で、ランスロットとゼロを繋ぐ直線上には何の妨害も無い。明らかに罠であった。そしてそれは、スザクとて理解しているようだった。

 

≪ユフィの為にも、僕は此処で!≫

 

「二重三重の罠を、単騎で食い破れるか!」

 

≪食い破る! 無理は承知だ!≫

 

「焦り過ぎるな!」

 

 脚部のブレイズルミナスを起動して、レオは強引に前進を図った。薄緑色のエネルギーシールドが敵弾を弾き飛ばし、レオは一気にランスロットとの距離を詰めた。

 だがその途端、背後に迫る機影があった。それは、先程撃退したはずの銀灰色の機体だった。

 

「何!?」

 

 基地施設を活用した跳躍で、取り落としたはずの刀を手に銀灰色の機体が斬り込んで来た。脚部の向きを変えて、ブレイズルミナスでそれを受け止める。が、敵機はそのままナハトの脚を掴んだ。飛行能力を持たない敵機の重量がナハトを引っ張る。止むを得ず、レオはそのままナハトを降下させた。無論ただそのまま落ちるレオでも無く、降りながら基地施設に接近した。壁面に叩きつけるのだ、と理解した敵機はすぐさまナハトから離れ、レオは再び上昇した。

 

 その矢先に、今度は別の何かがナハトの上に飛び乗って来た。それは、別のもう一機の銀灰色の敵機だった。安定性を失い、今度こそナハトは地面に叩きつけられた。

 地面に外装を強く擦りながら、レオはナハトを強引に起き上がらせた。納刀された刀状MVSの柄を掴んだその正面に、銀灰色の機体が二騎、立ち塞がっていた。ランスロットはその向こうで、ゼロを追って森の中に消えて行った。

 

「そこを──」

 

 フロートのスラスターを順次点火し、レオはナハトを突進させた。抜刀はまだしなかった。腰に佩いたそれの柄を掴んだまま、敵機との距離を急速に詰める。片方の敵機が挑戦に応えんとばかりに刀を構えて突っ込んで来る。一瞬で、二騎は近接戦闘距離にまで近付いた。

 

「──退けっ!!」

 

 抜刀、一閃。電磁加速システムが、恐らくは近接専用に最適化されているであろう敵機よりも素早い抜刀を可能とした。上段から斬り込んで来る敵の刃を、血のように赤い刃がその腕ごと斬り裂いた。赤い閃光を残して、ナハトは無力化した敵の真横を擦り抜けた。

 だが、それで終わりでは無い。まだ同じ敵機がもう一騎居る。

 今の所謂“イアイ”じみた攻撃は一種の奇襲攻撃だ。あえて納刀して見せることで、敵の攻撃パターンを絞る──今回のケースなら、敵機は抜刀直後の瞬間を狙って重い一撃を加えようと考えていた──その上で攻撃速度を直前で上回り、敵の予想外のタイミングで攻撃を加える。有効なのは一度きりだろう。そして次の敵機は、接近戦は仕掛けずに左腕の機関砲で弾幕を展開し始めた。

 

 なるほど、これは──有難い。

 

 ナハトは突進速度を緩めずに姿勢を低くした。ブレイズルミナスを展開し、敵弾を防御しつつ敵機の目の前に躍り出ると、レオは機体を跳躍させて敵機の真上に抜けた。ブレイズルミナスを解除した脚部で敵の頭部を踏み付け、そこから更にフロートを噴射して空高く舞い上がる。

 

≪私を踏み台にしたっ!?≫

 

 一瞬、そんな声が聞こえて来る。無線の混信だろう。ノイズだらけではあったが、何かを言っていたのかは分かった。勿論、日本語が分からないレオにとっては雑音でしか無かったが。

 振り返って敵機は機関砲を掃射する。主翼を展開し離陸したナハトは、一瞬で彼らの攻撃可能圏から離脱していた。

 レーダーディスプレイに視線を移すと、画面に強いノイズが発生していた。ナハトの強化型索敵システムを使ってもノイズをキャンセルしきれない。戦友の白い機影を求めて、レオは高度を落としつつ森の上空を駆け抜けた。

 

 何処へ消えた、スザク……?

 

 役に立たないレーダーは諦めて、ファクトスフィアを展開しつつ飛行を続ける。そのうちにランスロットと思しき轍を地表に確認すると、レオは着地してその跡をトレースし始めた。どうやらランスロットは……というよりゼロは森の中をかなり複雑なルートを描いて逃走していたらしい。あのまま空中を行っていたら、恐らくナハトは全く真逆の方へと向かっていただろう。

 

「だいぶ見当違いの方向へ来てしまっていたか……間に合うか──ッ!?」

 

 その瞬間、レオの脳裏にハッと閃くものがあった。まるで冷たい風が急激に通り抜けたかのようなぞわついた感覚。ヒヤリと身体が冷えるような感覚、そして脳内に聞こえる聞き覚えのある声。

 

“まずいぞ! オリヴィエが!”

 

 それは、あの霊体の女からの呼び掛けだった。レオはナハトを緊急停止させて叫んだ。

 

「オリヴィエがどうした!?」

 

“ユーフェミアを追って前線へ! もうすぐミサイル攻撃が始まるというのに!”

 

 ミサイル? 何のことだ、と問い掛ける前に、ナハトの通信機がノイズに紛れて微かな通信音声を拾った。式根島基地司令部からの物だった。

 

≪──ルフォー……………避を! これよ……ゼロへ…………サイル……なう! ………………ちに退……!!≫

 

「何だ……? どういうんだ!?」

 

“スザクがゼロの罠に嵌ったんだ! それを知った式根島司令部はスザクごとゼロを撃つ事にしたらしい。それを知ってユーフェミアがスザクの元へ行った、と言うのさ!”

 

「何だと……っ!?」

 

 レオはすぐさまナハトを全速力で前進させた。ランスロットの軌道は既に判明しているから、スザクの元へは辿り着ける。一刻も早く辿り着かなければ、スザクも、ユーフェミアも、オリヴィエまでもがゼロ諸共に撃たれてしまう。それも、味方であるはずのブリタニア軍の攻撃で。

 

≪──ォード中尉、退避を! 既にミサイルがそちらに!≫

 

 通信システムによる自動調整なのか、いつの間にか通信のノイズが消えていた。司令部がレオに退避勧告を喚き立てていた。

 ……スザクを巻き添えにゼロを撃とうとしている張本人が。

 

「愚か者が……ユーフェミア殿下が着弾地点に居るのだ! それでも尚撃つか!」

 

≪な……っ、ユーフェミア殿下が!? しかし港からは何も──≫

 

 話にならない、と悟りレオは通信を強制終了した。まさにその瞬間、視界が開けたすり鉢状の地形がレオの前に現れた。

 蟻地獄を思わせる地形の外縁に、黒の騎士団の機体がずらりと並んでいた。彼らは全機が空へ向けて機関銃を乱射していた。ミサイルの迎撃をしているのだ。そしてその中心、すり鉢の底に、スザクのランスロットが直立していた。

 

「スザク!!」

 

≪な……黒兜だと!?≫

 

 通信混線で、敵機のパイロットの声が聞こえた。慌てて機体を反転させた無頼改に、レオはスラスターの速度を乗せた飛び膝蹴りをぶち当てる。頭部を蹴り飛ばされた無頼改は思い切りのけ反って、すり鉢の底へと滑り落ちて行った。無頼改はなおもそこから抜け出そうと刀を地面に刺し、ランドスピナーを全開にする。

 だが、砂を巻き上げながらある程度下まで滑ったところで、突然無頼改の機体がスパークした。そのまま無頼改は全ての動作を停止して、為す術無くすり鉢の底へと滑落し仰向けに転がった。その不自然な挙動を見て、レオはナハトを急停止させる。細かい理屈は解らないが、この地形の中に踏み込むのは危険だ、とレオの直感が叫んでいた。恐らくは、ゼロによるランスロット用の罠がまだ生きているのか。

 

 と、不意に銃声が止んだ。ミサイル迎撃が完了したのか。なる程確かにこちらへ飛んで来るミサイルの影はほぼ全て消滅していた。だがその代わりに、この場所に新たな脅威が出現していた。

 突然、辺りが暗く翳った。黒の騎士団も、レオも一斉に頭上を見上げる。そこには、空を覆い尽くす一つの巨影があった。轟音を響かせながら空中に君臨し、太陽を覆い隠した白い巨影。それはまさしく、空中要塞という言葉を連想させる威容であった。

 

≪あれは……お兄様のアヴァロン!?≫

 

 混乱する通信の中、レオは確かにその声を聞いた。ユーフェミアの声が、無線越しに聞こえて来たのだった。レオはすぐに周囲を見回し、間もなく黒の騎士団に紛れていた二騎のグロースターを見つけた。片方はユリシア機、そして片方はオリヴィエの機体だった。

 

 アヴァロンと呼ばれた空中の巨影が、艦底部の隔壁をゆっくりと開いた。ぽっかりと口を開けた暗闇の中に、翡翠色に光る二つの光点があった。そして次の瞬間、その光点の左右に妖しく輝く赤い光。徐々に荒れ狂い、勢いを増して行くその輝きは、レオもよく知っている兵器の物であった。

 ──ハドロン砲。ガウェインに主砲として搭載されていた、エネルギー兵器だ。

 

「馬鹿な……ハドロン砲を撃つ気か!? ユーフェミアも居るんだぞ!?」

 

 無駄と知りつつ、レオは叫んだ。

 どうする、発射母機をヴァリスで撃つか? だがあそこまでチャージが完了した以上、下手に母機を撃破すれば大爆発を起こしかねない。流石のアヴァロンも艦内でそれほどの爆発が起きれば無事では済むまい。なら、一か八かブレイズルミナスで防ぐしか手は無い。だが今この局面ににおいて、レオが守らねばならないのはレオ自身の命ではない。

 

≪殿下、逃げて!≫

 

 オリヴィエのグロースターが、ユリシアのグロースターを後方へと突き飛ばした。成る程、ユリシアのグロースターに乗っているのはユーフェミアだ。レオはフロートを吹かして、ナハトを跳躍させた。地形を飛び越えて、ナハトはオリヴィエのグロースターの元へと飛び込む。

 

 直後、深紅の雨が降り注いだ。アヴァロンから放たれた赤黒い光弾が地面を強烈に叩き、地形を破壊しながら巨大な閃光を発生させる。レオはオリヴィエの前に立つと、最大出力でブレイズルミナスを起動した。

 

≪お兄様!?≫

 

≪下がれオリヴィエ! 危険だ!≫

 

 オリヴィエの声と、また別の声がした。歳若い男の声だ。何処かで聞き覚えがある気がした。だが、レオにそんな事を考えている余裕は無かった。レオは警告音にも構わず、ブレイズルミナスの効果範囲を広げオリヴィエのグロースターを防護する。しかし、暴力的な赤黒い光を受けた緑の光は急激に輝きを失って行き、そして遂に弾け飛んだ。まるでガラスが割れるかのような音と共に、ブレイズルミナスが消失する。

 

「──っ!?」

 

 そこへ、無情にも更なる光弾が飛び込んで来る。レオは咆哮を上げて、ナハトのスラスターを全開にしてオリヴィエのグロースターの前に出た。

 

 

 

 

 瞬間、世界は白に包まれ────そして全ての色が反転した。



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第十八幕 運命の島3

 目蓋を開くと、天地逆転した世界を生きる小動物の顔が視界に映った。柔らかそうな毛に包まれた小さな黒い眼差しが、こちらを覗いている。丸々と見開かれたそれと、愛らしくも鋭く伸びる前歯を見て、暫くしてそれがリスである、と分かった。その間も、リスは野生らしく警戒心あらわにこちらに近付いて来る事も無かった。

 

「ん……ぅ?」

 

 何故だか痛む身体に鞭打って、レオは身体を起こした。途端、リスは脱兎の如き勢いで茂みに隠れ姿を消した。

 嫌われたか? と、呑気な事を考えた途端、レオの思考にようやくスイッチが入った。オリヴィエは無事なのか!? ユーフェミアは、スザクは……?

 

 だが、ハッとなって見回した周囲には誰も居なかった。辺りに立つのは秩序も何も無く生い茂る草木の姿だけ。此処はどこだ? 式根島ではないのか……? だが、辺りはひたすらに静謐としていた。ブリタニア軍も、黒の騎士団の姿も無い。砲声も、KMFの駆動音も──

 

「そうだ、ナハトは……」

 

 次々と、光景が蘇って来た。ナハトに乗って、ハドロン砲からオリヴィエを庇った事、ブレイズルミナスが破れて、遂に自分の機体をオリヴィエの盾にした事……。

 ナハトは破壊されてしまったのだろうか。それで脱出システム──ランスロットではオミットされたそれが、飛行兵器という事でナハトには積まれていた──が作動して、放り出されて……?

 だが、近辺にそれらしき残骸は無い。服に付着した土を払いながら立ち上がると、レオは背後に大きめの木が屹立している事に気付いた。そして少し高い枝に、レオが腰に帯びていた装備ベルトが引っ掛かっている事も。

 

 …………もしや、そこから落ちたのか、俺は。

 

 身体が痛む理由は、どうもそれのようだった。ベルトの金具は破損しており、辛うじて木と自分とを固定していたそれが断ち切れた事で身体だけが落下、それで目が覚めた、と。道理であのリスも驚いて、目を丸くして此方を見ているはずだ。

 とりあえず、レオは破損したままぶら下がっているベルトから装備を取り外し始めた……と言っても、大したものは付いていなかった。特に最も重要なサバイバルキットの類は無かった。そもそも、この装備は別にパイロット装備ではないのだ。出撃時、パイロットスーツに着替えずに出た事が裏目に出ていた。だから回収したのは、小型拳銃を仕込んだホルスターと予備マガジン、バッテリーだけ。袖の中に隠した仕込み短剣を含めて、まあ身を守る道具だけは充実していた。

 

 これからどうする、と考えたところで、林のすぐ先に切れ目があるのが見えた。光がそこから射し込んでくる。レオはそこに向かおうとして、一歩踏み込んだところでぴたり、と止まった。踏み込んだ足が何かに当たったからだ。視線を下に落とすと、それは愛用の刀剣だった。身体の下敷きになっていたのか、半分土の中に減り込んでいた。ナハトに乗る時にシートの裏に放り込んでおいたはずのそれが、そこに転がっていた。レオはそれを拾い上げると、改めて林の先を目指した。出口を遮る枝を仕込み短剣で切って、太陽の下にレオは身を晒す。次の瞬間、レオは言葉を失った。

 

「んな──────」

 

 林の先に待ち受けていたもの、それは──何もない空間、切り立った断崖であった。その向こうで、青々とした海が凪いでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

≪嘘──? レオは!? ねぇ、レオはどうしたの!?≫

 

≪わ、分かりません! でもナハトが、ナハトが此処にあるのに空なんです! コックピットが!!≫

 

≪んな馬鹿な話があるか! え? オリヴィエ機も空? 止めろよ俺ホラー嫌いなんだよ、冗談やってるんじゃないよ!≫

 

 あの一件から、一晩が経っていた。空から降り注いだ赤い光による混沌。あの場にあって、ユリシア機を掻っ払って(セイト談)戦場に現れたユーフェミア、指揮所に居たユリシア、セイトらは全員無事が確認されていた。そして、自分も──。

 枢木スザクは、暗い表情でそれを思い返していた。

 

 あの瞬間に何が起こったのか、スザクは何も思い出せなかった。ゼロとの会話の後、捕らえた彼をランスロットのコックピットに押し込んで……そこにアヴァロンからハドロン砲が発射されて……それで……それで………………。

 だが、繋ぎっぱなしになっていた通信記録は、全てを克明に記録していた。スザクが覚えていなかった事を、全て。だが明かされた事実は、スザクには到底信じ難い内容であった。

 

「──ようスザク、釈放おめでとうさん」

 

 レーダⅣの格納庫で考え込んでいたスザクに、セイトが後ろから声を掛けた。彼の声にも、覇気は無かった。

 

「ああ、ありがとう……それで、まだ見つからないのかい?」

 

「ダメだ。捜索隊の成果はゼロだ。二人とも、何処へ消えちまったのやら……」

 

 そう、この作戦で、ユーフェミア親衛隊から未帰還者が二名出ていた。レオハルト・エルフォードと、オリヴィエ・エルフォードの二名。だが戦死と断定するには、状況は不可解に過ぎた。

 今、スザクの目の前には回収されたナハトがハンガーに収められていた。脚部ブレイズルミナス発生装置が破損し、更に背部フロートユニットは全壊に近い状態だった。それを固定していたコックピット外殻も酷く焼け焦げていた。それでも、しっかりと機体の原形は留めていた。

 データログによれば、ハドロン砲の掃射の大半をブレイズルミナスで防御したものの、掃射終了まで後一歩のところでブレイズルミナスがオーバーロードを起こし、その後機体が180°転回した事で背部フロートに直撃を受けた、とある。

 何故、コックピットがある背部を晒したのか。それは彼を知る全員がすぐに理解した。真後ろに居たオリヴィエとユーフェミアの機体を守る為だ。フロート噴射でオリヴィエの機体と、それからユーフェミアの機体をハドロン砲の加害半径から押し出そうとしたのだ。

 

「まあ、こいつに当たったのは最後っ屁みたいな物だ。そのくらいならこいつの装甲は耐えられる……ってか実際耐えた。だから中のレオだって無事なはずなのに……」

 

「蓋を開けてみればレオが居なかった」

 

「そしてオリヴィエも。コックピット内装は無事なのに、人間だけが消えてたんだ。シートベルトさえそのままでな」

 

 セイトの言葉を、スザクが受け継いだ。そしてレオがそうまでして庇ったオリヴィエ機の方は脚部を破損して地面に転倒したが、それ以上ハドロン砲の被害は受けていなかった。そして同じ場所に居たユーフェミア機は逆に、無残にも頭部から腰までを貫くようにして縦の大穴が空いていた。幸いにも被弾時に緊急射出システムが作動し背部ブロックが強制排出された事でコックピットに損傷は無く、ユーフェミアも無事であった。

 

「個人的な話としても、それから戦力的な話としても大打撃だ。エリナ殿下になんて言えばいいんだよ……」

 

「……僕が言うよ。一応まだ隊長だから」

 

「いや、無理するな。俺が言うさ」

 

 ナハトの向こうで、ランスロットが同じようにハンガーに収まっている。こちらも酷く煤けているが、破損箇所は無かった。だが、こちらについては二人とも意図的に言及を避けていた。

 

「実はさ、もう一機あの場にサザーランドが居たんだ。けど、こいつもコックピットが空なんだよ。島の守備隊の機体なんだけどさ」

 

「何が起こったって言うんだ、一体……」

 

「分からん。ただ、三機とも凄え近くに居た事は確かだ。ユーフェミア殿下はイジェクトで離れてたし、何か関係あるのかも、って話も出てる」

 

 セイトはそう言って、また黙り込んだ。そんな話をしたところで、何一つ解き明かせる物は無いのだ。

 

「ねぇ、ユリシアはどうしてる?」

 

 暫しの沈黙の後、スザクはそう問い掛けた。セイトは無言で背後を示した。

 

「……一応、様子を見に行こうと思うんだ。セイトも来る?」

 

「そう、だな。先に行っててくれ。俺はエリナ殿下の所に寄って、それから行くよ」

 

 そう言ってセイトは艦内へ続く通路の一つに消えた。スザクは最後にもう一度ナハトを、そしてランスロットを一瞥してから、また別の通路へと歩を進めた。

 

 ユリシアは、医務室のベッドの上に居た。スザクが医務室に来た時には既に目を覚ましていたようで、叩いた戸の奥から彼女の声を聞いて、とりあえずスザクは一安心して医務室に入った。

 ……セイト曰く、あの時、彼女は錯乱に近い状態にあったという。ハドロン砲が掃射された瞬間、そしてナハトの無事が確認されたと思ったら、その中にレオが居ない、と分かった瞬間。気が付けば森の中で停止していたランスロットを操って、スザクが港に帰り着いた時も、彼女はサザーランドに乗り込もうとして数人がかりで止められている状態だった。

 レオを探しに行く、彼が居ないと……そう叫びながら。

 

「もう……大丈夫なのかい?」

 

 ベッドの横に置かれた椅子に腰掛けて、言葉を選びながら問い掛ける。ユリシアは弱々しく笑みを浮かべた。

 

「ええ、大丈夫。心配かけてごめんね……」

 

 嘘だ、とすぐに分かった。とはいえ、スザクもそこで深入りするような不用心な真似はしないつもりだった。だからそれで納得したふりをする。

 

「とりあえず、通達はしておくね。僕達は暫くこの島に待機する。これはシュナイゼル殿下のアヴァロンも同様だ。そしてこの間に、セイトは予定通り新型の試験を行っておく。だから、ユリシアはゆっくりしてて大丈夫だよ」

 

「了解……大丈夫よ。私もそんなに長く寝てるつもりはないから……」

 

 弱々しいながら笑みは浮かんだままだった。それが却って疑わしい。どう見ても平気な状態ではないのだ。スザク個人としても、隊長としても彼女には任務から外れて休んで貰いたい、と言うのが本音である。

 ……しかし。

 

「ねぇ、レオは?」

 

 ユリシアが呟くように問い掛けた。答えようか答えまいかかなり迷ったが、スザクは口を開いた。

 

「捜索中だよ、オリヴィエも含めて。島中の捜索が始まって結構経つ。そんなに大きな島じゃないし、そろそろ見つかるんじゃないかな」

 

 言った途端、彼女の表情が変わった。ベッドから起き上がろうとする彼女を、スザクは慌てて止めた。

 

「じゃあ……私も探しに行く。捜索隊に加わって……」

 

「待つんだユリシア。もう充分な規模の捜索隊が編成されてる。君は寧ろ休むべきだよ」

 

「休んでなんか、居られないわよ……」

 

 彼女は小さく呟いた。あまりにも不安定な声色だった。

 

「だって……だって、あの人が居ないと、私……また……」

 

「──失礼。ユリシア、起きてる?」

 

 不意に医務室のドアが叩かれた。びくり、とスザクが振り返り、ユリシアは声色を戻して、どうぞ、と答えながら何やらいそいそと衣服を整えようと試みる。スッと音を立てて戸が開き、入って来たのは一人の少女……エリナ・エス・ブリタニアだった。

 

「エリナ様……っ!?」

 

 慌ててスザクが立ち上がろうとするのをエリナがやんわりと止める。それでもスザクは自分が座っていた椅子を彼女に勧め、壁際に退いた。

 

「具合はどうなの?」

 

「ご心配をお掛けしました。でももう大丈夫ですよ」

 

「──本当に?」

 

 エリナもスザクと同じ結論に達したのか、訝しげにユリシアを見る。だが、彼女は大丈夫、大丈夫だから、と繰り返すだけだった。釈然としないながらも、スザクはそっと医務室を辞した。

 何ら力になれなかった、と痛感する。とはいえ、エリナの方が、自分より彼女との付き合いは長いだろうし、或いは自分より彼女の力になれるかもしれない、と。医務室を出ると、ちょうどセイトが通路の角から顔を出すところだった。

 

「あ、スザク、ユリシアはどんな様子だったよ」

 

「起きてはいたよ。今エリナ殿下が」

 

「あ〜、んじゃお任せした方が良いかな?」

 

 そう言って、セイトは来た道を引き返そうとする。スザクはそれを追いかけて、ちょん、とセイトの肩を突いた。何だよ、と振り返るセイトに、スザクは声を潜めて問い掛けた。

 

「ユリシアなんだけどさ……彼女ってどういう人なんだい?」

 

「どう? どうって……リィンフォース家のお嬢さんで……」

 

「そうじゃないんだ。特派時代から暫く一緒にやってるけど、実は僕は彼女については良く知らない。レオと一緒に来た騎士だって位しか。だから……聞きたいんだ。なんで、あんなに取り乱すような事になったのか」

 

 昨日の一件におけるユリシアの狂乱ぶりとそれから今に至るまでの状態は、正直言って正常な状態ではない。異常だ。同僚の行方不明、というだけでは説明が付かない事だ。

 

「……聞きたいか」

 

 セイトの声が一オクターブほど下がった。聞いては不味い事なのだろう、と分かる。それでも、スザクは頷いた。セイトは身振りで「付いて来い」と示し、通路の奥へと進んだ。

 彼に連れられて出向いた先はレーダⅣの甲板上であった。レーダⅣの殆どの艦内要員は式根島に上陸しており、今甲板上にはスザクとセイトの二人しか居ない。セイトは周囲を何度も、何度も見回して確認すると、慎重に話し始めた。

 

「ユリシア、な……彼女、実は真っ当なリィンフォース家のお嬢さんじゃないんだ。リィンフォース家当主の前妻の娘、それも叛逆容疑で処刑された女の娘なんだよ」

 

「叛逆容疑……?」

 

「濡れ衣だ。他人の罪をおっ被せられたのさ。少なくとも俺はそう信じてる。でもって、公的には彼女は罪人の娘だ。彼女の父親は彼女だけはどうにか庇い通したんだが、それでも彼女に向けられる視線は変わらなかった……そこに来て、今度は父親が倒れた。今となってはもう殆ど引退状態だ。だから今は彼女の兄、ウォルター・リィンフォースが次期当主として、全てを仕切る勢いでやってる」

 

「待って、じゃあその人も罪人の息子になるんじゃ……?」

 

「あいつは、その罪人を告発した張本人なのさ……そのでっち上げの罪をな。あれからの成り行きを考えるに、多分奴が、家を乗っ取ろうとして全部仕組んだろうさ」

 

 セイトの顔が嫌悪に歪む。暫くそのウォルターという人間への罵詈雑言を並べ立てた後、セイトは話を続けた。

 

「……まあ、その下衆以下の汚物の如きクズ野郎が家を乗っ取るに当たって、父親を除けば障害はユリシアだ。仮に誰かがあいつの嘘を突っこうとすれば、彼女が鍵になりかねない。だから、あいつは母親を陥れた後、彼女に……彼女の精神に徹底的に教え込んだのさ。お前は罪人の娘で、一生母親の罪を償う義務がある。その為に自分に従え、ってな。そう、いろんな手段で。」

 

 スザクは何も言えなかった。そのような素振り、彼女からは一切窺えなかったというのに。

 

「そんな彼女は、ある時レオに出会った。彼女について知っても、あいつは目敏く兄の陰謀だって理解して逆に彼女の味方をし続けた。俺も、エリナ殿下も、モニカも……ああ、モニカってのは俺らの友達な。結果、前当主が倒れた今になっても、ウォルターはイマイチ家を乗っ取れてない」

 

「それで、“彼が居ないと”、か……」

 

「まあな。ユリシアは今でもレオにかなり依存してる……まあそのレオはレオで、そんな事分かってないんだけどな。いつだったかあの野郎、“彼女随分変わったが何があった”とか宣いやがってな。切っ掛けはテメエだってのに」

 

 重苦しい雰囲気が一瞬だけ途切れ、セイトは苦笑した。

 

「まあ、レオはレオで、自分の抱え込んでるもので精一杯なんだろうけどさ」

 

「?」

 

「……とにかくそういう訳だ。早いとこレオを見つけてやらんと、ユリシアの精神によろしくないとは思うよ。俺も」

 

 セイトはそう言って、視線を遠く彼方に向けた。式根島の緑と青空、穏やかな海の青に向けてセイトは呟いた。

 

「……でないと、それはそれで不味い事になるのさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 穏やかな青の下に、黒い闇が広がる。闇の中で一層深く黒い巨影、即ち黒の騎士団の潜水艦内は、ちょっとした混乱の中にあった。

 第一の理由は、過日の式根島における作戦で受けた被害の為。突如として出現したブリタニアの航空要塞の砲撃により、地上に展開していたKMF隊は大打撃を受けた。喪失したKMF、実に十五騎──この中にはゼロ搭乗の無頼も含まれていた──に及ぶ。緊急脱出装置のお陰で犠牲者は少なかったものの、負傷者は多数。作戦において白兜の動きを止める役目を果たした特殊装置ゲフィオンディスターバーについても、大本の装置は無事だが戦域に配置していたフィールド発生ポッドの方は全損している。

 端的に言えば完敗である。枢木スザクは仲間に出来ず、一歩間違えればゼロを含めて黒の騎士団が本当の意味で全滅の憂き目に遭うところだった。この状況下で全軍瓦解に至らず撤退出来ただけでも奇跡だ。その辺りは、流石奇跡の藤堂が前線指揮官を務めていただけの事はあるだろう。

 現在、黒の騎士団は式根島近海の海中深くに潜んでいた。

潜水艦からのECMによる電波遮断、遠隔操作で地雷を爆破しての陽動、地形を使った可視探査阻止等々、あらゆる手段を尽くしての逃避行である。一応、ブリタニア側は黒の騎士団を見失った様子だった。

 

 本来なら、ここでさっさと撤収を決め込むのが定石ではある。だが、黒の騎士団にはどうしてもそれが出来ない理由があった。それが第二の理由……榊原エリアスの回収が出来ていない事だ。

 部隊から離れて単独支援任務に当たっていたエリアスは、あの空中要塞からの退却に合流出来なかった。幸い生存を知らせる信号は受信出来ており、騎士団としてもすぐにでも回収部隊を向かわせたい所であった。だが、信号の発信地点は式根島ではなく、その近隣にある神根島。そして運の悪い事に、そこにはブリタニアの最精鋭部隊が駐屯している。

 

『全く……何故こんな所に……』

 

 作戦会議に使用される小部屋。海域図を見下ろしながら、ゼロが苦々しげに呟いた。それはエリアスの事なのか、ブリタニア軍の事なのか。

 

「ナイトメアも無かった訳ですから、式根島に留まっていては危険だ、と判断したのでしょう。彼は潜水装備を持っていましたし、あの時点では水中聴音機等監視設備は彼自身が無力化していました。これが復旧する前に島を出るべきだ、と判断したのは妥当だと思います。酸素さえ確保出来れば、彼の身体ならかなりの距離を泳げますし」

 

 カレンがそう言うと、ゼロは首を横に振った。

 

『いや、彼の方ではない。ブリタニアの方だ。エリアスについては、島を離れたのは良い判断だと私も思う。神根島なら合流にも丁度良いだろう。本来ならな……だが……』

 

「ゼロ、神根島の部隊について分かったぞ」

 

 作戦室に扇が入って来た。扇は手にした何枚かのリードアウトをゼロに手渡し、神妙な顔で言った。

 

「統治軍じゃない。本国の遠征部隊だ。しかも、皇帝直属らしい」

 

『何……? まさか、皇帝がここに?』

 

「いや、そうじゃないらしい。ただブリタニアの最精鋭……ナイトオブラウンズの部隊が護衛に付いてるんだ。只事じゃ無さそうだぞ」

 

『ふむ……』

 

 暫くゼロはリードアウトに目を通していた。仮面のせいで、その表情は読み取れない。帝国最強の十二騎士と呼ばれる最精鋭、それが円卓の騎士(ナイトオブラウンズ)だ。1から12までの席次を与えられた、トップエリート中のトップエリート。通常の部隊だけならばともかく、現状の黒の騎士団ではこれに対抗など出来ないだろう。

 相手が相手だけに、神根島に居るエリアス自身にどうこうして貰う、という訳でも無い。第一、こちらから向こうに呼び掛ける連絡手段が無い。それはゼロにも、カレンや扇にも分かっていた。

 

『……いずれにせよ、エリアスの存在は我が黒の騎士団にとって重要な物だ。戦力としてはカレンや藤堂に次ぐ、四聖剣にも比肩する人材だ。失う訳にはいかん』

 

「ああ。だが、どうやって回収すれば良いんだか。ここにあまり長くは滞在出来ない。一応、ブリタニア側の協力者にも手助けを依頼してはいるが……」

 

『最良なのは、エリアスに再び海に出て貰う事だろう。そうすれば海中で回収出来る。神根島へは近付けないにしても、ある程度海に出てしまえば本艦から回収用に小型潜水艇を出す事も可能だ。と言って、我々から彼に呼び掛けることは難しい。故に、エリアス自身の判断に期待するしかないだろうな』

 

 と、館内放送スピーカーがノイズを鳴らした。三人が一斉に頭上に視線を向ける。

 

≪あー、ゼロ、ゼロへ連絡。急ぎの用件がある。ちょっと通信室まで来て欲しい≫

 

 黒の騎士団幹部の一人、南の声だった。ゼロは溜息と共に海図から目を離し、扉口へと歩いた。

 

『では私は向こうへ行って来る。扇、改めて言っておくが、本艦はあと二日間のみ、この場所に留まる。残念ではあるが、それまでにエリアスの動きがなければば……』

 

「……分かってるさ」

 

 そうしてゼロは作戦室を後にした。残されたカレンは海図を載せた机に体重を載せ、つんつん、と神根島を突いた。

 

「何やってんのよ……早く戻って来てよ。貴方には聞きたいことがあるんだから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 現実は、ゼロ、そしてカレンの予測とは異なっていた。エリアスは確かに神根島に移動していたが、それは自分自身の意思によってではなかった。

 

「……おいおいおい」

 

 遥か海の向こうに、大きめな島のシルエット。間違いなく、体感的に少し前に自分が居た筈の式根島だった。自身の現在位置を把握して、榊原エリアスはそう呟くしか出来なかった。土左衛門か何かの如く浜辺で寝そべっていたのが数分前。恐らく濡れていたのであろう衣服の中に入り込んだ砂と格闘する中で、エリアスは意識を失う直前に何があったか思い出した。

 いや、思い出した、と言っても、その光景が今の現状に繋がる訳では無い。サザーランドを奪ったまでは良かったが、オリヴィエを追い掛けて行ったあの場所で、空から降り注いだあの光に包まれて──気が付いたらここに居た。サザーランドのコックピットではなく、晴れた青空の下で静かに波が打ち付ける、世が世なら海水浴にうってつけであろう砂浜に……まあ季節外れも良い所だが。

 作戦はどうなったのだろうか。黒の騎士団はどうなったのか。そう考えるより先に、エリアスはオリヴィエの姿を求めて周囲を見回した。砂浜には見渡す限り自分しか居ない。左腕に仕込んだ秘匿ビーコンのスイッチを入れて、エリアスは砂浜を歩き始めた。

 

「そこな蟹くん何か知らないか」

 

 などと、足元を失礼しますとばかりに横切る蟹を相手にして気の触れたような事を言ってみる。無論蟹風情に何が分かるはずも無いのだが……と、その蟹の進路に目を向けてみると、島の奥へと続く林があった。そしてその中の樹の陰に……。

 

「……いや、冗談だったんだがな」

 

 エリアスは立ち上がって、そこに駆け寄った。樹の根に倒れ込むようにして、金髪の少女が居た。間違いない。あの通信映像で見た姿エリアスはそっと彼女抱き抱えて身体を起こした。何度か呼び掛けていると、彼女は小さく呻き声を漏らした。

 

「エリ……アス……? 本当に、エリアス……?」

 

 彼女が目蓋を開き、その琥珀色の視線がエリアスを捉えた。間違い無い。彼女はオリヴィエ・エルフォード……エリアスにとって、義理とは言え妹に当たる人物だった。

 

「ああ……やっと会えたな。オリヴィエ」

 

 がばっ、とオリヴィエがエリアスに抱きついて来た。エリアスは生身の手でその髪に触れ、優しく撫でる。

 七年前の開戦の折に、立ち去る──正確には連れ去られる、というべきだったろうか──屋敷の前まで飛び出して来た少女は、今も尚彼を覚えていてくれた。それだけで、エリアスの心に来る物があった。

 ……最も、彼女はあの時から変わらないが、自分は随分と変わり果てていたが。

 

「良かった……生きてて……っ!」

 

 暫くのあいだ、二人は互いの存在を確かめるように抱き合っていた。オリヴィエは両腕で、エリアスは生身の腕一本で。その様は少しばかり違和感のある物でもあり、オリヴィエは不審げにエリアスを……エリアスの機械の腕を見た。

 

「エリアス……これ……」

 

 まあ、隠しておける物でも無い。エリアスは無言で左腕の袖を捲った。そこには、紅色に染め上げられた機械の腕があった。もう少し上に捲れば、肩口にある生身の腕との接合部まで出せるが、オリヴィエが息を飲む姿を見て、それは止めておいた。

 

「……腕だけじゃ無いさ。脚も両方機械。残った部分にも機械が入ってる」

 

 オリヴィエが絶句しているのを見ると、エリアスはこの話を打ち切った。自分の身体について、見せたく無い、という感情を抱くのは初めてかも知れない。これまでこの機械混じりの身体は人の目から隠す物では無く、寧ろ見せつける物だった。これが、エリアス自身の怒りを表す物だった。だが今、彼女にそれを見せたくないと感じる。混乱を振り払うようにして、エリアスは顔を背けて立ち上がった。

 

「とにかく、見つけられて良かった。君は何があったか覚えてるか? 式根島で……」

 

「いいえ、私も……お兄様が庇ってくれたから。っていうか、ここ式根島じゃないの?」

 

 砂浜に向け移動を始めたエリアスを、オリヴィエが追い掛ける。

 

「植生も同じだし、太陽の位置や気温の変化も特に見受けられない。ただ、別の島であることは確かだ。俺が目覚めた時、海の向こうに島が見えた。式根島の可能性が高い。仮にそうであるなら、位置関係的にこの島に該当する島は一つ。神根島だ」

 

「どういうこと? 私達、どうやってそんなところに?」

 

「……それは分からない」

 

 嘘だった。エリアスはこの現象に心当たりがあった。一方で、それが常人の世界の理から外れた現象であるとも理解していたから、エリアスはあえて触れないでおいた。

 

「いずれにしろ、早い所島を出ないと……オリヴィエ、君も一緒に」

 

「……え?」

 

「君にも分かってるだろ? あの男、俺と母さんを捨てたあの男は危険だ。俺の身体を見ただろ? これもあの男の主導でやった事だ。それに、君だけは俺の事を覚えている。このままじゃ、次は君だってどうなるか。その前に……」

 

 オリヴィエにもその言葉の意味は伝わったようだった。彼女は俯いて答えた。

 

「ええ……分かるわ。皆貴方の事を忘れてしまっている。フィオレもそうだったし、エミーリアも、ベルベットも、もう……それに、ローレンスは前に増して凶暴化し始めているし、何より……」

 

「だからさ。俺と一緒に、黒の騎士団へ行こう。」

 

「黒の騎士団……薄々そうじゃ無いかって思ってたけど、やっぱりそうなのね……」

 

「ああ。だが、黒の騎士団はただの反政府組織じゃ無い。本格的にブリタニアと事を構える為の組織だ。ゼロと話せば分かる筈だ。だから俺はあいつの側に付いてる。君にも一緒に、あの男と戦って欲しいんだ」

 

 そう言って、エリアスはオリヴィエに生身の手を差し出した。そして彼女がそれに手を伸ばした直後──

 

「彼女から離れろ!」

 

 空気が、不意に斬り裂かれた。エリアス、オリヴィエは揃って声のした方へと向く。視線の先、岩場の上に人影があった。ブリタニア軍の騎士服……それも皇族親衛隊のトップ、皇族専任騎士の纏うような精細な意匠の濃紺のコートと、簡易型の丈の短い漆黒のマント。オリヴィエが息を呑み、エリアスは鋭い視線をその人影に向けた。

 

「彼女から、離れろ」

 

 きびきびとしたペンドラゴンのアクセントで男が言った。銀髪に蒼氷色の瞳。その姿には、二人とも見覚えがある。

 男……レオハルト・エルフォードは、腰に佩いた刀を抜き放って、その鋒をエリアスに向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レオは怒れる瞳を金髪の男に向けていた。レオの視線の先には、その男に詰め寄られるオリヴィエの姿があった。

 

「待って……待って下さいお兄様! 話を……」

 

「オリヴィエ、下がってろ」

 

 金髪の男が、オリヴィエとレオとの間に立ち塞がった。見覚えのあるような、無いような風貌。イレヴンではない、ブリタニア系の血が明確に入っている顔つきだった。

 

「神楽坂の一件以来だな。こうして直接会うのは」

 

「成る程、あの時の男か。道理で見覚えがある筈だ」

 

「その記憶しか無いのか。俺はもっと覚えがあるぞ。お前にはな」

 

 円を描くように、二人は互いに剣が届かない絶妙な距離を保ちながら言葉を交わした。行き交う殺気に、オリヴィエは割って入る事すら出来なかった。

 

「ローガン・エルフォードの忠犬に堕ちたか。情け無くて涙が出そうだ」

 

「見た所ブリタニア系のようだが、義理とはいえ我が父上に敵対する者、と言う認識で構わないかな?」

 

「結構だ。間違っていないよ」

 

 男は背中に手を回し、装備していた大剣を抜き放った。先端部が変形し、鎌を思わせる形に変化する。鎌、と言えばナリタ、チョウフで出会った白いKMFを連想させるが……

 

「ナリタに居たな。そんな武器を使う奴が。それも貴様か」

 

「ついでに言えば、チョウフにも居たさ。お前の方は見当が付いてる。あの黒い有翼一角獣(アリコーン)だろう?」

 

「アリコーン、とは……また良い呼び名を考え付く物だ」

 

 レオもまた刀剣を構えた。刃先を敵に向けたまま、顔の横にまで持ち上げたスタイル。剣は左手で保持し、フリーの右手で敵をターゲッティングする。その姿は弓を引くようにも見えた。

 

「今度から私も使わせて貰おう」

 

「構わんさ。今度ってのがあるならな!」

 

「待って……待って二人とも!」

 

 オリヴィエが叫んだ。男は割り込もうとする彼女を、大剣の腹で抑えた。

 

「……オリヴィエ、そいつは誰だ。知っているのか?」

 

「兄様……本気ですか? 本気で言ってるんですか!?」

 

 愕然と問い掛けるオリヴィエ。だが男は彼女の前に立ち塞がり剣を構えた。恐るべき重量を誇るであろう大剣を片手で保持し、肩のところまで持ち上げて刃を上に向ける。フリーの手はレオのそれと似た、しかし少し肘を曲げたスタイルで敵に向ける。

 

「分かったろう、オリヴィエ。こいつは手遅れだ。完全に父上の駒と成り果てたのさ」

 

「父……何を言って……?」

 

 レオの問いに男は不適に笑って腰を落とし、突進体勢を取る。レオは防御体勢を取って、敵の動きに備えた。

 

「教えてやる。俺はエリアス・サカキバラ……かつての名はエリアス・エルフォード。ローガンの子供として、貴様と同じ家に居た男だ!」

 

 瞬時に、男……エリアスは大剣を振るって突撃して来た。人間の跳躍速度では無い。エリアスの口から放たれた真実を咀嚼する間も無く、レオは振り下ろされた大剣をバックステップで躱し、そこから斬り返す。相当な重量がある大剣ならば、瞬発力には限界がある筈。その予測の元に放たれたカウンター攻撃だった。しかし、エリアスはまるで細身の剣でも扱うかのような軽やかさで砂浜に縦筋を刻んだ大剣を持ち上げてレオの刀を防御、更に信じ難いパワーでレオを後退させる。

 馬鹿な、と思いつつ、レオは更にカウンターを試みた。そしてその殆どが失敗し、レオは駆け足に近い速さで後退せざるを得なかった。

 それでも、幾度か切り結ぶ内にカウンターの機会は訪れた。鞭のように振るわれるエリアスの大剣が横薙ぎに走り、レオはそれを降り始めの、まだ勢いに劣る段階で受け止める。そのままレオは刃を滑らせ、大剣を保持するその左手を斬った。

 その下に、紅色の鋼が見えた。それで、レオはそのキネティック・パワーの源の正体に気付いた。

 エリアスの身体は、機械で強化されている。レオにも覚えがあった。これはサイバネティック・オーガニズムと呼ばれる技術的だ。

 

 一瞬目を丸くするレオを、エリアスは鼻で笑うだけだった。仮に彼の身体が機械であるなら、真正面からエリアスの攻撃を受け止める事はレオには不可能だ。刀を叩き割られる。と言って、搦手が通用する相手でも無さそうだ。手を斬ろうにも生半可な攻撃ではこの機械の腕は斬れない。ならば、とレオは岩場を使って距離を取り、ホルスターから拳銃を抜いてエリアスに向けトリガーを引いた。

 放たれた弾丸は、確かにエリアスの肩に命中した……身を屈め、脚力で突進するエリアスの肩に。一瞬、エリアスの動きは止まった。好機と見て、レオはそこに斬りかかる。だが、エリアスは右手を上げてそれを防いだ。驚いたことに、彼の手首から白銀色の刃が伸びている。その機構には見覚えがあった──自分のそれと同じ、仕込み短剣だ。驚きのあまり、レオは次の攻撃に移れず、銃を蹴り飛ばされて再び防戦に回る結果となった。

 

 勝機を見出せないまま、レオはどうにかエリアスの斬撃を防ぎ続けるしかない。しかし、それも長くは続かなかった。エリアスは斬り結びながら隙を窺い続け、遂にレオの意識と刃が頭上高くに振り上げられた大剣に向けられた隙を突いて、レオの腹に強烈な蹴りを放った。

 

「ぐぉ……っ!?」

 

 腕と同じように機械で強化された脚、そこから放たれた蹴り。尋常な物では無かった。レオは軽く一メートルは吹っ飛ばされ、砂浜に半ば減り込むようにして突っ伏した。手から離れた刀剣が砂浜に突き刺さり、ベルトから鞘が弾け飛んで同じく地面に刺さる。エリアスは大剣を背中に収めると、レオが取り落とした武器と鞘を拾い上げた。

 

「改めて聞く。貴様、この刀を何処で手に入れた」

 

 レオは答えなかった……いや、答える余裕が無かった。

 

「……じゃあ良い。どうせ答えの予想は付いてる。返して貰うぞ、こいつは」

 

 そう言って、エリアスは刀の刃をレオに向けた。まさにエリアスがその刃をレオに突き立てようとしたその時、オリヴィエが二人に追いついて叫んだ。

 

「駄目!!」

 

 一瞬、エリアスの意識がオリヴィエに向けられる。その瞬間、レオは左手の仕込み短剣を起動して飛び起きた。そのままエリアスの顔面に刃を振り上げると、手応えと共に赤色の鮮血が空中に飛び散った。

 

「ぐぁぁぁぁっ!?」

 

 よろめきながら、エリアスは後ずさった。レオの仕込み短剣は、エリアスの顔面に斜めの傷を入れていた。傷口を抑えた左手の指の隙間から、真っ赤な血が溢れ出る。エリアスはオリヴィエを一瞥し、それからレオを睨んだ。レオはエリアスの横を駆け抜けて、オリヴィエの前に移動した。彼女を盾にする一面がある事は否定出来ないが、これ以上向かって来るようなら、当然レオにはもう対抗手段が無い。

 だが、そんな彼らの頭上を、不意に黒い影が過った。視線を向けると、そこにあったのは空中に浮かぶ巨大な人影──KMF。ナハトか、と一瞬思ったが、それは明らかにナハトとは異なるシルエットをしていた。そしてレオがそちらに意識を向けた隙に、エリアスは刀を持ったまま森の中へと消えていた。

 

≪──お迎えに参りました、フォン・エルフォード≫

 

 拡声器を通して、目の前のKMFがブリタニア語でそう語りかけて来る。青いボディに、人型でありながら獣か爬虫類のようなシルエット。騎士然としたランスロットより、むしろ黒の騎士団の新型機に通じなくもない細身の機体だった。空中に浮かぶ青いKMFはゆっくりと砂浜に舞い降りると、その手をレオとオリヴィエに差し伸べた。

 

≪さあ、エリナ様もお待ちです。式根島に戻りましょう≫



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第十九幕 Code of Chivalry

“ご無事でしたか”

 

 式根島に近付いた時、久しく聞いていなかった声がレオの脳裏に響いた。あの霊体の女の声だった。

 

(……お前なら、何か分かるか。あの時何があったのか)

 

“分かりません……私と貴方の結び付きはそう解れやすい物でも無い筈です。個々人の意思で離れるならともかく、私と貴方を引き離した挙句に、貴方はあんな所へ……”

 

(お前でも分からないか……と、なるともう想像も出来ないな)

 

 青の巨人の腕に抱かれ、レオとオリヴィエは式根島司令部に降り立った。空から見て初めて気付いた事だが、レオもオリヴィエも……それからあのエリアスという男も、式根島から離れ、神根島と呼ばれる小さな小島に居たのだった。何がどうなって、そんな場所に居たのか、それについてはレオもオリヴィエも想像が付かなかった。

 

「レオ……!」

 

 降り立つや否や、ユリシアがレオに勢い良く抱き付く。無事で良かった、と言いながら。レオは軽く彼女を宥めると、彼女の背後、司令本部入り口に立っていた人物の前に歩み出た。

 

「レオ・エルフォード。只今帰還致しました」

 

 その人物……エリナに、レオは跪いた。

 

「お帰りなさい。お二人とも、ご無事で何よりでした。それに、リヒャルトもご苦労様です」

 

 リヒャルト。それが、レオとオリヴィエを回収した空飛ぶKMFのパイロットの名であった。癖の強い黒の長髪を後ろで束ねたブリタニア騎士。リヒャルトはレオの横を通り過ぎ、エリナの背後に付いた。リヒャルトは何かを催促するように、エリナに視線を向けた。

 

「……レオ、紹介します」

 

 エリナは、ゆっくりと口を開いた。顔を上げ、彼女の言葉を聞いたレオは、次の瞬間目を見開いた。

 

「彼は、リヒャルト・ティーフェンゼー。私の専任騎士です」

 

 

 

 

 

 

 

≪──ほう? エリアス、か≫

 

 翌日。エリナの言葉のインパクトから抜ける間も無く、レオはかの無人島……神根島という名前だったらしい……で出会ったあの男、エリアス・エルフォードと名乗るサイボーグについて問うべく義父ローガンに連絡を取った。するとローガンはオリヴィエを呼び寄せ、彼女からの報告も求めた。神根島ではあの男について知っているような素振りを見せていたオリヴィエだったが、通信会議の席上では一転して「何も知らない」としか言わなかった。レオも一瞬その事について言及しようか、と思ったが、彼女の嘆願するような視線を受けて、ただ事ではない、と察して止めた。

 

「義父上はご存知でしょうか。あの男について」

 

≪一言で言えば、お前に渡した剣をかつて振るっていた者の息子だ≫

 

「それについては、大変申し訳無く思います。みすみす敵に奪われるなど……」

 

 そう、エリアスに奪われた刀剣は、結局奪還が叶わなかった。……いや、義父の言葉が正しければ、寧ろ向こうが刀を奪い返した、というべきなのだろうか。

 

≪過ぎた事だ。気にするな。結局あれも単なる武器、消耗品の道具に過ぎん。それより、オリヴィエよ≫

 

「………………はい」

 

≪知らぬ、と言ったな。エリアスなる男について。それは誠か? 本当に何も知らぬのか?≫

 

 モニター越しに、ローガンの鋭い視線がオリヴィエに向けられる。オリヴィエは俯いた顔を上げることも出来ずに、それどころか微かに震えていた。暫しの沈黙の後、レオは見ていられずに口を開いた。

 

「義父上、オリヴィエは島で、一度そのエリアスなる男に捕われとなったのです。どうか、今は……」

 

≪そうか。それは済まない事をした≫

 

 それでローガンの追求は終わった。そう安堵したオリヴィエだったが、次に義父の放った言葉に再び凍りついた。

 

≪では、一度家に戻って来るが良い。そのまま戦い続けるのも辛かろう≫

 

「そ、それ……は……」

 

≪私から話は通しておく。支度をしておけ。そしてレオハルト、お前にも一つ言っておく≫

 

「はっ」

 

≪仕事を一つ増やすようで済まないが、そのエリアスという男、次に出会うことがあれば、決して逃すな。必ず捕らえ、私の元に連れて来るのだ≫

 

「イエス、マイロード」

 

 義父との通信ラインが切れた瞬間、オリヴィエはその場に崩れ落ちた。慌ててレオがその身体を支えると、彼女はレオの身体にしがみつき、怯え切った小動物のようにガタガタと震え始めた。

 

「オリヴィエ?」

 

「お兄様……わ、私……」

 

 普段の彼女からは考えられない姿だった。あの何というか小生意気なオリヴィエがここまで打ちのめされるとは。何が彼女をそれほどまでに恐怖させるのか、レオには想像が付かなかった。

 

「どうしよう……どうしよう、私、私このままじゃ……助けて、お兄様ぁ……!」

 

「落ち着けオリヴィエ。どうしたというんだ。言ってくれないと俺も……」

 

 だが、彼女が口を開く前に通信室の扉が開いた。戸口に視線を投げると、そこにセイトが立っていた。

 

「おいレオ、テレビ見ろよ大変な事になってんぞ…………って、あれ、もしかして俺邪魔しちゃったか?」

 

「いや。それよりどうした」

 

 オリヴィエを庇うように身体の位置を変えて、レオはセイトに問い掛けた。セイトは無言で外の廊下を指さした。

 

「テレビ見りゃ分かる。ちょっと、えらい事になっちまったぞ」

 

 

 

 

 

 

≪我々は、ここに正統なる独立主権国家、日本の再興を宣言する!≫

 

 ノイズの混じった映像の中で、そう叫ぶ男が居る。生え際の後退著しい、スーツ姿のその男性の背後には、中華連邦製KMF、鋼髏(ガン・ルゥ)の姿。日本語で叫ぶその男の声に、ニュース映像を解説するアナウンサーの声が重なった。

 

≪……昨日未明、エリア11キュウシュウブロック、フォート・フクオカを武装占拠したしたグループの中心人物、澤崎敦は、旧日本政府、第二次枢木政権において官房長官を務めていた人物です。澤崎は戦後中華連邦に亡命していた模様ですが、黒の騎士団による昨今のエリア11の内情不安に付け込み、今回の行動を起こしたものと思われます≫

 

 ブリタニア語のニュースを垂れ流す自室のモニターを、レオは穏やかならぬ心持ちで眺めて居た。隣にはオリヴィエが立っており、同じようにニュースを眺めながら時折レオの顔色を伺うような素振りを見せていた。

 式根島に来てから三日目。だが、たった三日間で世間も、そしてレオを取り巻く事情も大きく変わってしまった。レオはロビーのソファに腰を下ろすと、溜息と共にオリヴィエに視線を向けた。オリヴィエも、レオを見ていた。澤崎の演説を垂れ流すテレ・ヴィジョンの電源を切ると、レオはオリヴィエにソファに座るよう示した。

 

「とりあえず、帰国出来る情勢でも無くなったな」

 

「はい……」

 

「では、順を追って確認させてくれ。オリヴィエ。お前は知っているんだな? あのエリアスと名乗る男を」

 

 そう問い掛けると、オリヴィエは恐る恐る、顔を上げてレオを見た。

 

「…………知っています。兄弟として一緒に過ごしたんですから。そしてそれは、お兄様とて同じはずです。重ねてお尋ねしますが、お兄様こそ覚えていないのですか?」

 

 レオは首を横に振った。するとオリヴィエは再び視線を落とし、両手に力を込めて自分の膝を強く掴んだ。

 

「ブリタニアと日本との戦争が起こった日のこと、覚えていますか?」

 

「極東事変の……? それは……」

 

 言いながら、レオは記憶を手繰り始めた。

 ──途端。

 

「っ!!」

 

 刺すような痛みと共に、レオの思考は停止した。思わず痛む頭を抑えて呻く。

 

「お兄様……?」

 

「いや……駄目だ、()()()()()()()()

 

 なおも襲い掛かる頭痛に耐えながら、レオはそう答えた。

 ──知らない、という訳ではないことは、レオ自身にも辛うじて理解出来た。

 

「では、私の覚えていることをお伝えします。彼……エリアスは私達と共に育った兄妹です。日本人の母とブリタニア人の父、つまり私達のお義父様との間に生まれた……」

 

「待ってくれ、確か………………義父上は実子が生まれなかったからこそ俺やお前を……」

 

「はい。確かに、義父上はブリタニア人との間には子供が出来ませんでした。ですが、実際にはエリアスが、あの人の実子として確かにあのお屋敷に居たのです。あの戦争が起きるまでは」

 

「それが……お前の………………言っていた…………七年前の……極東事変の時の……?」

 

 尚も頭痛が続く。彼女の話を聞けば聞くほどに、精神を襲う痛みが激しく荒れ狂う。次に彼女が口を開いた時には、既に痛みを顔に出さずにいる事すら難しくなっていた。

 

「ええ。あの人はあの人のお母様と一緒に屋敷から何処かへ……お兄様?」

 

「いや……俺は……俺は……!!」

 

 頭の中で、一つの光景が浮かび上がる。痛みを堪えながら、レオは────。

 

「エルフォード中尉、いらっしゃいますか?」

 

 と、部屋の戸口からレオを呼び掛ける声がした。二、三度首を振って朦朧としかけた意識を引き戻すと、レオはソファから立ち上がって戸口に行った。

 

「何だ」

 

「親衛隊に集合命令です。枢木スザク少佐以下、親衛隊員は至急、レーダⅣよりアヴァロンへ移乗せよ、との事です」

 

「……了解した。すぐに向かおう」

 

 そう答えた時には、不思議と頭痛は消え失せていた。レオはマントを羽織り、オリヴィエの方を見た。彼女もまたソファから立ち上がっていた。

 

「話の続きはまた今度だ。とりあえず、キュウシュウの一件が片付くまでは此処に居て貰う事になるだろう」

 

「……はい」

 

 部屋を出たレオはオリヴィエを連れて、廊下を歩く。照明の落とされた廊下の闇を見つめるレオの脳裏には、先程の頭痛の中でただ一瞬だけ垣間見た、ある一つの光景を思い起こしていた。

 それは、天を衝くような巨影から奔り出る、深紅色の妖しい光が、レオの視界を埋め尽くす光景であった──。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……処置は完了したわよ。彼は戦線復帰出来るわ」

 

 工作室から出て来たラクシャータの言葉に、外で待っていたカレンは、そして珍しくもゼロは安堵したような吐息をマスクの内から発していた。

 

 榊原エリアスが黒の騎士団に回収されたのは、ちょうど例の澤崎の演説がリアルタイム放送されている頃であった。結局エリアスは自力での帰還は出来ず、ブリタニア側の協力者の手で黒の騎士団の潜水母艦まで移動させられたのだった。

 VTOL戦闘機──のように見える飛行兵器──から垂らされたワイヤーに捕まった状態で、外海まで移動した潜水母艦に辿り着いたエリアスは、左の目を負傷していた。鋭く斬られた顔面左側には顎から額にかけて醜い傷跡が走っており、現地での処置が不十分であった事もあって、エリアスは左側の視力を喪っていた。

 

 ……しかし、今現在工作室室の作業台の上に寝そべっているエリアスは、良好な視界でもって戸口のラクシャータの尻と、その向こうのカレンやゼロの顔を認識していた。まるで負傷などしなかったかのように。これも全て、ラクシャータが潜水母艦に同乗し、尚且つ潜水母艦にかなりの設備が整っていたお陰でもあった。

 

「エリアス……大丈夫?」

 

 工作室に入って来たカレンが、エリアスに問い掛けた。不安げなその表情は彼女には似つかわしくない。そう思って、エリアスはカレンの方に生身の手を伸ばした。

 

「大丈夫だ。寧ろ前より良く見えるようになったぞ? お前が昨日までより幾らか美人に見える」

 

 止めてよもう! と弱々しく笑うカレン。彼女を見つめるエリアスの顔面には、黒色の帯が斜めに装備されていた。つまりは眼帯である。

 

「……全く、アンタがサイボーグで良かったわね。生身の部分にもかなりの量の機械が入ってたお陰で、眼球の代替デバイスの装着も上手く行ったわけだし」

 

 代替デバイスとは、要するにこの眼帯の事だ。この眼帯は単なる眼帯ではなく、人工複眼(ACE)ユニットも兼ねている。表面には複眼のように多数の個体撮像素子が埋め込まれており、充分な視力を確保している。この眼帯ならば、眼球と違い例え一部が破損しても残る箇所で視界を確保することが可能だろう。

 

「ああ。そしてアンタが此処に居てくれた事もな。ただこうして手足が外れてると動けない、ってのはキツい。痛みに耐えるのも飽きてきたし、そろそろ付けてくれないか」

 

「はいはい、ちょっと待ってなさいよ〜」

 

 ラクシャータが手元の機械を操作して、エリアスの義肢を接続する。五体満足となったエリアスはゆっくり起き上がると、軽く伸びをして工作室の床に足を付けた。

 

「……なんか雰囲気変わったわね」

 

 ぼそり、とカレンが呟いた。

 

「プロテクターのせいじゃないか?」

 

 と、エリアスは自身の顎に触れた。斬撃を受けた下顎には、それをカバーするように機械式のプロテクターが装着……いや、固定されていた。プロテクターの左右には透過素材の装甲板が配置されており、エリアスの意思に応じて展開、顔面の上半分をガード出来るようになっていた。展開時にはバイザーのような形状となるこの装甲板は、普段は左右に分割されて耳元に収納される。エリアスは展開、収納機構を二、三度機能させてみせた。カシャカシャと小気味良い音を立ててバイザーが展開と収納を繰り返した。

 

「こうなると、もう殆ど機械だ。これまで散々、日本人じゃなくてブリタニア人だ、ブリタニア人は人間じゃない、なんて言われて来たが……今となっては完全に人間じゃないナリになった訳だ。これなら皆納得するだろうさ」

 

 そう言うと、カレンは露骨に表情を歪めた。だが彼女が何かを言うより先に、ゼロがカレンの前に歩み出た。

 

『ともかく、無事に復帰出来て良かった。それで報告を聞きたいのだが、カレン、ラクシャータ、すまないが外してくれないか?』

 

「あ、はい……じゃあまた後で」

 

「そうそう、終わったら二人とも格納庫まで来てね。特にゼロ、アンタの方」

 

 二人が部屋を辞して、工作室にはゼロとエリアスだけになる……かと思いきや、いつからそこに居たのか、ゼロの背後にもう一人、C.Cの姿があった。

 

『……で、どうだった。目的の相手には会えたのか』

 

 戸が閉められると、ゼロは声を潜めてそう尋ねて来た。エリアスは作業台に腰掛けて答えた。

 

「ああ、式根島でも合流はしたし、神根島に飛ばされた後も会うことは出来た」

 

『飛ばされた、と言うことは……やはりあの島へは自分の意志で向かった訳ではないのだな?』

 

「気付けば神根島に居た。あの時はサザーランドを奪っていたんだが、例の空飛ぶ要塞からの砲撃の後、気付いた時には島の浜辺で倒れてた」

 

『どういう事だ……C.C、何か知っているか』

 

 ゼロは振り返ってC.Cに問い掛けた。だが、いつもそうなのだろう。C.Cは当然と言わんばかりに話をはぐらかした。

 

「さあ、どうだかな……。それよりエリアス、お前、一族の名前はなんて言ったんだったか?」

 

「エルフォード、だ」

 

「そうか……で、義妹を取り返したい、と言ってたな。その件は結局どうなった?」

 

「駄目だった。後一歩だったんだが……ブリタニアに居る義理の兄、例の黒い有翼一角獣(アリコーン)のパイロットに阻まれた」

 

 今思い返しても、あの時のことは悔やまれる。神根島で確かにエリアスは、義兄レオハルトと相対し、彼を殺せる直前まで追い詰めていたのだ。一瞬の隙を突かれ手傷を負わされる羽目になったが、全体としてエリアスがレオを圧倒していたのだ。左眼をやられた事と、ブリタニア側のKMFが到着した事で身の安全を図り森へと退却したのはエリアス自身の判断だったのだが…………。

 

「とりあえず、報告できることは以上だ。そういえばゼロ、俺が回収された時、装備はどうした?」

 

『フォルケイドならカレンが武器庫に戻した。で、もう一振りお前が持っていたあの刀については……』

 

「ああ、あれならお前を回収した時にフォルケイドと一緒にカレンが受け取って、確か白夜の所に置いといた、とか言ってたぞ」

 

 ゼロの言葉を、途中からC.Cが引き継いだ。それを聞いて、エリアスは作業台から降りて工作室の出口へと歩を進めた。

 

『何処へ行く』

 

「格納庫だ。当たり前の事を聞くな。正直これ以上俺から何か話せる事は無いし、俺自身今回の件は訳が分からない。それに……ラクシャータに呼ばれてるしな」

 

『まあそれもそうだな。では私も顔を出すとしよう。とりあえず今回の件の原因は調べようが無い事も確かだ。今は放置しておくしか無いだろうな』

 

「……」

 

 意味ありげなC.Cの視線を背に受けながら、エリアスとゼロは工作室を後にした。一人工作室に残されたC.Cは照明を落とした部屋の中で虚空を見上げ、誰にも聞こえぬほどの小声で呟いた。

 

「エルフォード、か……奴の子孫がまだギアスに関わっているのか、それとも奴自身が……? だとすると、リリウムは……?」

 

 暫しの沈黙の後、C.Cは微かに口元を歪めた。

 

「……そうだな。私には関係無い。今は、な」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──数日後。

 

≪集まったようだね≫

 

 浮遊航空艦アヴァロン。シュナイゼルが式根島へ来るにあたって徴用した実験艦である。最大の特徴は、その名の通り空を征く船である事。ガウェイン、ナハト両機に搭載されたフロートシステムを艦艇に実装した事により実現した飛行能力。まさに浮遊する戦艦、或いは要塞として式根島に君臨せしめたアヴァロンは現在、その能力を活用し雲海の只中にあった。目的地はキュウシュウ──澤崎によって占拠されたフクオカ基地である。

 式根島から租界へユーフェミア、シュナイゼル両殿下を乗せて移動、両名を降ろした後に租界からキュウシュウへと発ったアヴァロンのブリーフィングルームにて、集まった面々を前にシュナイゼルが真剣な顔つきで言った。最前のスクリーンの横にはエリナが立ち、シュナイゼルがスクリーンの端に表示されたの通信ウィンドウからこちらを見ている。

 

 席についているのは、親衛隊上級士官を含む数名、即ちセイト、ユリシア、オリヴィエ、そしてレオ、それともう一人、あのリヒャルトの姿もある。親衛隊の残る面々はユーフェミアと共に本土へ帰還していた。

 何故彼らだけが、こうしてアヴァロンに居るのか。それは、彼らだけが保有するある装備に起因していた。

 

≪それでは、ブリーフィングを始めよう。エリナ、よろしく≫

 

「はい」

 

 そう言って、エリナが一歩前に歩み出た。紫色の髪に赤紫の瞳は、レオが最後に……先日のエーベルシュタイン城での一件の際に会った時と変わらない。

 式根島での騒動以来、レオは未だ彼女と二人でゆっくりと話す機会を持てずにいた。彼女には、聞きたいことが一つあった。

 

「ご存知の通り、フクオカ基地は澤崎敦率いる武装集団により完全制圧下にあり、ブリタニアからの独立を主張しております。ニッポンを名乗っていますが、この背後に中華連邦の存在があることは明らかです」

 

 中華連邦──その国名が話に上った時、全員の表情が硬ばった。その存在は、かねてよりエリア11にとって重大な問題として存在していた事柄だった。

 

 そもそも、だ。中華連邦本土のまさに足下に存在する日本列島は、中華連邦にとっては喉元に突き付けられた剣の鋒そのものであった。これがブリタニアにより占領されている事実は、中華連邦としては不安材料以外の何物でもない。七年前、日本は僅か一ヶ月でブリタニアに降伏し、中華連邦は何ら介入する機会を得られなかった。以来今に至るまで、中華連邦はエリア11が完全なブリタニア軍の拠点となるのを防ぐべく様々な工作を続けている。エリア11における反ブリタニア抗争には、日本列島をブリタニアの侵攻に対する防波堤と考える中華連邦の思惑が多分に混じっていた。

 そうした情勢下での、澤崎のこの行動。独立国家樹立宣言の裏に中華連邦が控えていることは、誰の目にも明らかだった。更に言えば、この行動自体、ブリタニア側も起こりうるであろうシナリオとして想定済みの事ですらあった。

 

「これに対し、統治軍は駐留部隊のみでの討伐を決定し、コーネリア総督による討伐部隊が編成。既に攻撃を開始しています。アヴァロンは現在これに合流すべく移動中であり、各員にもフクオカ基地奪還作戦に参加して頂く事になります」

 

≪……今回君達はユフィの親衛隊としてではなく、以前のように特派として動いて貰う事になる。所属がまたややこしい事になって混乱するだろうけれど、基本的にはこちらの──アヴァロンに居るエリナの指揮で動いて欲しい。この作戦中のみの特例、と思ってくれて構わないよ≫

 

 シュナイゼルがそう補足する横で、エリナはスクリーンを操作して天候予報図を表示する。天候は荒れ模様。海軍としてはかなり厳しい状況であった。

 

「これが、現地の天候予報です。先日より荒れ模様が続いており、既に第一派攻撃は失敗した、との報告があります。また、仮に天候が回復したとしても……」

 

 スクリーンの画面が切り替わる。雨雲が消えて、キュウシュウブロックの地形が映し出された。そこには、基地から海岸線に掛けて、赤色で表示された幾重もの防衛ラインが表示されていた。

 

「敵はこの通り、我が軍が足止めされている隙を突いて万全の防衛網を構築完了しています。空から攻撃しようにも、かつては旧日本軍の一大要塞であったフクオカ基地の防空能力は非常に高く、航空戦力による爆撃、並びに上陸作戦は実行困難となっています。しかし敵が海岸線に強固な防御陣地を敷いている以上、フクオカ基地の制圧には制空権の奪取は必須。皆様には、この防空網の無力化、並びに本隊に先駆けての敵基地の強襲を行っていただきます」

 

 エリナはそこで言葉を区切った。大きく深呼吸してから、スクリーンの画面を切り替える。戦域の拡大図……ミサイル陣地と、その向こうのフクオカ基地、そしてそこへ向かっているアヴァロンの姿が映し出されている。

 

「現在、特派所属機の中で飛行可能なナイトメアは、ランスロット・ナハト・イェーガー、ならびに式根島で配備されたシルバーエッジの二騎ですが、本作戦ではこれに加えてランスロットにフロートユニットを装備し飛行能力を付与、更に本艦に搭載されている実験機 ヴュルガーを特派に合流させ、四騎編成で作戦に当たっていただきます。各機はアヴァロンより発進後、二騎編成ずつの二個分隊に別れ進攻し……」

 

 スクリーン上でアニメーションが進行した──到底信じられぬような作戦機動が。レオは、いいや指示を出す側の人間を除く部屋の全員が、驚愕に目を丸くした。

 

「一騎が先行し、地対空ミサイル(SAM)サイトレーダーの補足範囲外より低空飛行にて接近、然る後急上昇し敵SAMサイトにミサイルを撃たせ、SAMサイトの位置を可能な限り捕捉。発見したSAMサイトの位置情報をデータリンクで共有し、これを後続機及びアヴァロンからの火力投射により破壊。前衛機はミサイルを回避、或いは破壊し、敵防衛陣を突破します」

 

「…………冗談だろう!?(You Gotta Be Shittin' Me !?)

 

 セイトが半ば反射的に叫んだ。皇族に対し礼を失する発言でもあったが、この際は仕方ない。レオとて心持ちは同じようなものであった。

 

≪定番の反応ありがとう。気持ちは分かるよ。探知役……いや、囮役(ハンター)攻撃役(キラー)と言えば聞こえは良いけど、こんなものは自殺行為だ、ってね。でも、誰かがこの任務に就かない限り、ブリタニア軍は空の支援無しで、或いは敵の空対地攻撃に晒されながら戦わなければならなくなってしまう。そして君達には、従来の空軍よりも確実にこの任務を遂行するだけの装備がある。何より、私は君達ならば、この任務をやり遂げられると自信を持って言える≫

 

 シュナイゼルの言葉に、セイトは黙り込んだ。

 

「今更言うまでもありませんが、我が軍において対空ミサイル陣地の破壊はナイトメアの任務でした。しかし、海岸線の防御陣地の存在により地上からの接近は困難を極めます。これを打開するには、この作戦が最も効率が良いと判断されたのです」

 

 エリナがやや言いづらそうに言った。話しながら彼女はチラチラとレオの方へと視線を向けていたが、レオは何も言わなかった。

 

「……ミサイル陣地の突破後、各騎には続いてフクオカ基地への強襲を行って貰います。出来うる限り敵戦力を撃破し、敵司令部を無力化して下さい」

 

 そう、この作戦の主眼はこちらだ。敵対空網制圧任務という死地に飛び込むような任務を生き延びたとしても、今度は敵地の真ん中に飛び込めと言う。二段構えで殺しに掛かって来ているような任務だった。

 

「かの勢力の主戦力は……中華連邦ナイトメア、鋼髏(ガン・ルゥ)です」

 

 スクリーンに映し出される、ずんぐりとしたシルエット。人型でも何でも無い、KMFに見慣れたレオ達から見れば単なる武装付き装甲コックピットブロック程度の存在でしか無い兵器、それが中華連邦の主力兵器、鋼髏だ。単体の性能ではランスロットやナハトはおろか、グラスゴーにも及ばない。

 だがこの兵器最大の特長は、その構造の単純さ、製造の容易さにある。調達コストもさることながら、外殻構造は単純な形状故に製造、補修が容易であり、脚部、武装コンポーネントも簡易な構造であるが故に、工学知識を齧った程度の技術力しかない勢力でも万全の整備が可能。

 

 中華連邦の戦術ドクトリンは単純極まるもので、この鋼髏を大量に並べ、火力の集中投射により敵集団を撃滅するというものである。元よりKMFの本家本元であるブリタニアと同じ土俵で戦う事を避け、ブリタニア側の基本的なKMF戦術に対して優位を取れる戦闘展開を第一とした訳である。実際、キュウシュウブロックの海岸線にはこの鋼髏も多数配備されており、既にブリタニア軍上陸部隊を退けている。

 

「偵察機からの報告では、既にかなりの数の鋼髏がフクオカ基地に配備されているようです。航空基地であるフクオカ基地はその面積の過半が滑走路で構成されており、鋼髏には非常に有利な地形となっています。その為、鋼髏に対しては正面突撃は厳禁とし、必ず基地施設等遮蔽物を利用した撹乱戦闘を厳守して下さい」

 

 しいん、と室内は静まり返っていた。誰しも、エリナさえ理解している事だ。鋼髏を何騎潰そうが、単なるKMF四騎だけでは擦り潰されるだけだ。しかも、フクオカ基地に辿り着いた時点でエナジーフィラーの残量はかなり少なくなっている筈だ。

 

≪敵司令部に居る澤崎さえ抑える事が出来れば、それで中華連邦は介入の口実を失ってそれ以上の事は出来なくなる。故に突入部隊には、澤崎の確保を最優先として貰う≫

 

 シュナイゼルはそう言うが、実際の所、これは正面からの攻撃を行うコーネリア軍の為の陽動作戦だった。奇襲が成功する、しないは問題では無い。何なら防空網制圧も然り。要は敵に混乱を生み出し、コーネリアが動き易いようにすれば良いのだ。

 この作戦において、彼らは実質的な捨て駒に等しい存在であった。

 

「──アヴァロンの作戦空域到達は、約五時間後です。各員それまでに準備を整え、乗機にて待機するように」

 

 半ば話を断ち切るようなエリナの言葉で、ブリーフィングは終わりを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

「ここに居ましたか」

 

 アヴァロン艦内 格納庫。ちょうどガウェインの視線程の高さに渡されたキャットウォークからナハト、そしてヴュルガーという名の青いKMFを眺めていたレオは、背後からエリナに声を掛けられて視線をそちらに向けた。エリナはレオの隣に立ち、レオと同じ物を見た。

 

「……IFX-R259 ヴュルガー、か。いつの間にあのような機体が?」

 

「貴方のお父様の工廠でロールアウトしたばかりの実験機です。貴方が取ったガウェインやナハトのデータを元にしたフロートシステム搭載型機……本当なら、エリア11の任務が終わった後、貴方に与えられる予定だった機体です」

 

 エリナがそう説明するのを聞きながら、レオは青い機体を観察した。

 巨人、という印象は間違っていない。ヴュルガーは全体的にサイズが大きく、サザーランド、ランスロットのような標準的なスタイルの機体より、寧ろガウェインに近い。最もガウェインほど大きくも無いが、シルエットもガウェインのそれを思わせる形状が見受けられる。

 フロートシステムは、ガウェインのような複葉型だ。X字型に配されたそれは、レオが使用していた頃のガウェインと同じ形状の物。ガウェインはあの後背部ユニットを丸ごと換装、もう二枚ウイングを追加して機動力を捨てた代わりに安定性を向上させたと聞くが、ヴュルガーは四枚羽のままだ。恐らく、ガウェインのそれよりもシステムが洗練されているのだろう。機動性能はナハトより上かも知れない。

 ……フロートシステムはロイドやセシル女史の専売特許だと思っていたが、最早そうでも無くなってきたのだろうか。それともこれもロイドの……?

 

「リヒャルトの事、怒っていますか?」

 

 エリナがそう尋ねて来た。レオもその事は気にしては居たが……。

 

「元々、私の任務は短期間で終わる予定でした。しかし今も、帰還の目処が経ちません。貴方の警護の事を考えれば、寧ろ早々に別の騎士を専任騎士に任じたのは賢明な判断かと」

 

「守られてばかりじゃいられないって、確かに私、貴方と約束しました。でも、だからって……ごめんなさい、こんなことになって……。貴方のお父様の申し出を何度も断る訳にもいかなくて……」

 

 ふう、とレオは息を吐いた。エリア11滞在が長期化したのは、セイトとユリシアを見張れ、というローガンの指示だ。そのローガンの手回しとなれば、事情は全て把握している筈。人選についても心配は要らないだろう。結局、レオはそういう結論を出していた。

 

「正直、少し驚いたよ。でも考えて見ればさっき言った通り、君の安全を誰かが守らなきゃならない。それに、専任騎士しか君を守れない訳じゃ無い。納得しているから、君が気に病む必要は無い」

 

 そう、レオは柔らかい口調で言った。その時、眼下で作業を監督していたロイドがレオの方を見上げているのが視界に入った。

 

「お、見つけた見つけた。お話中ざぁ〜んねんでした。レオ君ちょ〜っと降りて来てスザク君の訓練に付き合ってくれないかな〜?」

 

「だ、そうだ。エリナ、悪いがこれで失礼する……っと」

 

「はい? どうかしました?」

 

 立ち去ろうとして、レオは寸前で足を止めた。

 

「一つ聞き忘れていた。君は何故アヴァロンに?」

 

 シュナイゼルもユーフェミアも、既に租界に戻った。だが、何故エリナだけが残っているのか。何となく察しは付いていたが、レオはそう彼女に尋ねた。果たして、予想通りの答えが返って来た。

 

「……私は、宰相閣下から本作戦中、部隊の指揮を任されましたから」

 

 ……つまり、彼女が見ている、という訳だ。レオはそれだけ聞くと、ロイドの元へと降りて行った。

 専任騎士であろうがなかろうが、彼女を護る、と誓った事実に変わりは無い。その彼女が、この作戦では自分の背後に居る。自分がミスを犯せば、次は彼女に害が及ぶ。

 正直絶望的過ぎる作戦内容を聞いて滅入っていた自分の戦意を奮い立てるには、とりあえずそれで十分だった。

 

「成る程、確かに君は、立派な騎士なんだね」

 

 ……などと、シミュレーターに放り込まれてげっそりしているスザクに話してみると、微かな笑みと共にそんな答えが返って来た。

 そのスザクは、作戦直前にユーフェミアの騎士を辞退していた。

 

「お前だって、式根島ではユーフェミア殿下の為に戦ったのだろう? 騎士たる資格は充分備えていると、私は思うがな」

 

 シミュレーターから出たスザクと並んで、レオは整備パレットに腰掛けた。ドリンクを一気に飲み干して、スザクは首を横に振った。

 

「いや……僕にそんな資格は無かったよ」

 

「例の、命令違反の件か? だが騎士の本分は自己犠牲に準じる事でも無いぞ。騎士が死ねば、誰が主君を護る?」

 

「違う。そういう話じゃないんだ。もっと、根源的な話だよ」

 

 訝しむレオに、スザクは虚な笑顔を向けた。

 

「僕には……力を振るう資格が無いんだ」

 

 それを聞いて、レオは暫し黙った後、静かに問い返した

 

「………………何があった」

 

 スザクは答えない。答える代わりに、スザクは話題を切り替えて来た。

 

「次の作戦、聞いた? 僕と君とでチームを組むそうだよ。ロイドさんが言うには、一番慣れているのと一番慣れていないので組み合わせたんだってさ」

 

「聞いている。飛行時間で言えば、確かにお前が最下位だ。ただ……こうして訓練を見ている限りだと、多分お前の方が連中より強いと思うがな」

 

「どうかな……とにかく、そのチームの話なんだけど。囮役(ハンター)攻撃役(キラー)を今のうちに決めておこう、と思って」

 

「そうだな。攻撃役(キラー)の方には対地攻撃兵装を積んでおかないとならない以上、早めに決めておくべきだろうな」

 

「それで、僕が──」

 

「お前が攻撃役(キラー)だ」

 

 スザクの言葉を遮って、レオは鋭く言い放った。

 ……何を言おうとしていたのかは、レオにも予想出来た。スザクは一瞬、目を丸くしてレオを見た。

 

「え……?」

 

「どうせ囮役(ハンター)志望なのだろう? 済まないが、これは既にロイド伯とセシル女史がエリナに上申し、彼女も承認済みの決定事項だ。整備員にも先程その旨を伝えさせて貰ったよ。今頃ランスロットは対地攻撃兵装の積み込みが開始されている頃だろう」

 

「待ってくれ、僕は──」

 

「今のお前に、囮役(ハンター)を任せたくはない」

 

 レオの口調が鋭さを増した。視線を向けると、スザクは露骨に目を逸らし俯いた。

 

「はっきりと言うが……お前、死ぬ気だろう」

 

「……」

 

「理由は言いたくなければ言わなくて良い。だが、そんなお前に囮役(ハンター)は任せられない」

 

 何も言わないスザク。暫くして、力の抜けたスザクの手から空のドリンクボトルが床に滑り落ちた。レオは立ち上がって、それを拾い上げて。

 

「私はここで死ぬつもりは毛頭無い。そして、僚機を失って帰還する気も全く無い。私は……()()は、二人で主君の元に戻る。分かったな?」

 

 それだけ言って、レオは「訓練再開だ」ともう一つのシミュレーターポッドの中に入った。スザクはやはり長いこと俯いていたが、やがてレオの去った方向を見て何か呟くと、黙ってシミュレーターの中に戻って行った。

 

 

 

 そうして、天候が回復したのは、まさにアヴァロンが作戦空域に到着したタイミングであった。



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第二十幕 キュウシュウ戦役

≪──それでは、作戦を開始します≫

 

 作戦開始の報を各々の愛機のコックピットで聞いたスザク、セイト、リヒャルト、レオの四人は、一斉に愛機のシステムを起動した。

 レオが白い翼の形をした起動キーをメインコンピュータに差し込むと、ロイド製KMF共通の起動画面……“Marching Ever Onward To Tomorrow(明日に向かって前進あるのみ)の文言が表示される。なるほど、フロートシステムの存在が鍵となる今回の作戦は、確かに技術的には大きな一歩となるだろう。作戦の成否に関わらず、フロート機に関する有用なデータが多数集まる事は間違いない。

 しかし、作戦自体の成功率自体は極めて低い。軍人も騎士も命令に従うのみではあるが、今のレオ達の行く手にあるのはどちらかというと明日よりも終末の方だろう。

 

「……気を付けて。ちゃんと帰ってきてね」

 

 ユリシアの言葉を受けて、レオはコックピットハッチを閉鎖した。メインディスプレイが点灯し、外部では翡翠色のカメラアイが三騎分、合計六つ点灯する。

 

≪フクオカ基地よりミサイル発射を確認。敵防衛ラインからの物です≫

 

≪弾幕を張りますか?≫

 

≪この位置なら大丈夫よ≫

 

 セシルの言葉と共に、軽い振動がアヴァロン全体を襲った。ミサイルの直撃によるそれではない。ミサイルが“至近距離で炸裂した”事による僅かな余波だ。

 現在アヴァロン艦底部にはブレイズルミナス──ランスロットシリーズに装備されている光波シールドが展開されている。フクオカ基地からのミサイルはブレイズルミナスの翡翠色の光に阻まれて、まるで壁にでもぶつかったかのように爆散したはずだ。

 

≪関係各員、遠距離砲撃戦を開始して下さい。シールド展開中につき、単装砲は使用不能です。ミサイル照準セット。目標、敵対空ミサイル砲台──放て!≫

 

 エリナの指示が飛び、アヴァロンからの反撃が飛ぶ。シールドの展開されていない艦上部から放たれたミサイルは、つい先程ミサイルが発射された砲台群へと正確に飛び──幾つかはデコイの放出で反らされたが──それらに壊滅的な打撃を与える。

 

≪続けて第二射用意。目標、敵ミサイル砲台第二陣──放て!≫

 

 エリナの指示が再び飛び、ミサイルが放たれる。少し前に劇場で震えていた少女の姿からはなかなか結び付かない力強い声色に、レオは驚きを隠せなかった。そうこうしている間に、ミサイル群は敵の防衛網に決して小さくはない穴を開ける。今頃敵司令部は驚倒と混乱の只中にあるだろう。何せ、いきなり空から軍艦が襲って来たかと思えば、迎撃を物ともせずに防衛網を食い破ったのだから。

 

≪敵戦闘機隊、接近を感知!≫

 

≪来ましたね……。では、全システム迎撃戦闘用意≫

 

≪イエス・ユア・ハイネス! 全システム、対空迎撃モードへ移行を確認≫

 

≪フロートシステム、高機動バイタルに上昇。ブレイズルミナス、最大出力!≫

 

 矢継ぎ早にエリナが指示を飛ばしている。こうなると、彼女はまるで長年指揮官を務めているベテランのように見える。恐らく、これが初の実戦指揮だろうに。

 

≪ナイトメア隊、聞こえていますか?≫

 

 そんなコーネリアじみた雰囲気を纏いつつあるエリナの姿が、ナハトのコックピット上部に備えられた通信用ディスプレイに映し出された。無論、これはナハトだけだなく、ランスロットやヴュルガーにも送られている。

 

≪それでは、作戦概要を再度確認します。本艦は現在、敵の防衛網を抉じ開けつつ、発艦ポイントまで移動中です。ポイントに到達次第、各機は順次発進≫

 

 戦域モニターにアニメーションで作戦概要が示される。先のブリーフィングの通り、アヴァロンは張り巡らされた敵のミサイル網に大穴を開けつつ侵攻していた。

 アヴァロンのブレイズルミナスありきの作戦であった。しかし、アヴァロンのブレイズルミナスは今のところ艦底部にしか展開出来ない状態で、現在全てのミサイルを防御できているのは、距離が遠過ぎてミサイルが一定方向からしか飛んで来ていないからだ。従って、敵基地に近寄れば近寄る程、シールド範囲外からミサイルが飛んで来る可能性が高まって来る。そうなればアヴァロンは瞬く間に落されるだろう。

 

 故に、アヴァロンによる侵攻はあくまで最初の足掛かりを作り出すだけだ。そこから先は、スザクやレオ達の出番だ。

 

≪その後、各隊は所定の手順に従いミサイル網を突破、フクオカ基地中央、敵司令部を強襲して下さい。なお、フロートシステムはエナジー消費が激しい為、稼働時間に留意の事≫

 

 ……末尾の内容は、あまり意味の無い注意であった。エナジーがあろうがなかろうが、たった四騎で敵基地の真ん中に飛び込む以上、撃墜されるのが三秒先になるか、五秒先になるかの違いでしか無い。

 

「イエス・ユア・ハイネス」

 

 それでも、レオは静かに答えた。そして通信ディスプレイには、やはり確かな決意を固めているように見えるスザクの姿が映った。

 

「スザク……大丈夫だな?」

 

 今更ではあったが、レオはそう問わざるを得なかった。スザクは大丈夫だ、とだけ答えて、ランスロットの発艦準備に移った。

 そのランスロットは、アヴァロン艦首から伸びる一本のレールランチャーの基部に居た。ランチャーはG1ベースなどに採用されているKMF用ランチャーと同種の物で、完全に艦内部に収められているそれとは違い、大部分が露天しているタイプの物だ。左右のレールにランドスピナーを装着して、ランスロットは腰を屈めた。その背には赤色の鋼の翼……フロートユニットが装備されている。ナハトに装備されていたフロートユニットとは少し形が異なる制式型フロートユニット。これを装備した飛行型ランスロットを、ロイドは“ランスロット・エアキャヴァルリー”と名付けていた。

 

≪ヴュルガー、及びシルバーエッジ、発進位置へ≫

 

 同時進行で、アヴァロン艦上部甲板にヴュルガーが、そしてもう一騎、白銀に煌く戦闘機のような飛行兵器が現れた。一見して前部にカナード翼を、後部に前進翼形状の主翼を装備した戦闘機に見えるそれは、飛行型KMFシルバーエッジ……そう、式根島にてセイト・アスミックに与えられた最新かつ異端の機体、飛行形態への可変機能を持つKMFである。

 このシルバーエッジは、本国の航空機メーカーであるシュタイナー・コンツェルン発案の可変型KMFプラン“天空騎士構想”の為の試作機だ。可変型KMFとしては既に二ヶ月程前に折畳式KMF“MR-1”から派生した“サマセット“の試験運用が本国で開始されているが、シルバーエッジは実験色の強いサマセットとは異なり、新規フレームの採用により戦闘力が向上している。

 推進装置がフロートではなく電力駆動プラズマモーターである事から分かるように、これはロイドの手による機体ではない。これがユーフェミア親衛隊に配備されたのは、フロート機との比較検証を行う為だろう。

 

 二又に分かれた機首が特徴的な白い機体が、右舷甲板上のカタパルトレールに接続される。左舷甲板ではヴュルガーが同じようにカタパルトに脚部を接続し、ランスロットと同じような発艦姿勢を取っている。

 

≪ランスロット・エアキャヴァルリー、発艦!≫

 

≪発艦!≫

 

 オペレーターを務めるセシルの号令と共に、先陣を切ったのはスザクのランスロットであった。蒼白い奔流と共に空中に飛び出したランスロットの背中から赤色の両翼を大きく伸び、翼端と基部に翡翠色の光が灯る。対地攻撃兵装を装備した事であまり速度が出せなくなっていたが、それでもランスロットはあっという間に夜の雲海に消えた。

 

≪第一発進、完了しました。次の機、確認して下さい≫

 

 セシルの指示に従い、レオもナハトをランチャーの基部に移動させた。ナハトの背中にも、やはりフロートユニットが装備されている。しかし、これまで使用していたフロートユニットとは形が違った。式根島で全損したフロートに変わって装備する、高機動型フロートユニット……未だ試験飛行すら終了していないその装備が、今回のレオに与えられた翼である。

 

≪シルバーエッジ、発艦!≫

 

≪ヴュルガー、発艦!≫

 

 発艦姿勢を取ったレオの視界に、二筋の軌跡が映った。頭上から伸びるそれは、セイト、そしてリヒャルトの機影だ。因みに彼らのチームはセイトが囮役(ハンター)、リヒャルトが攻撃役(キラー)である。

 

≪──無事の帰還を、お祈りします≫

 

 発艦指示が出るタイミングで、エリナが小声でそう言って来た。通信モニターの向こうで、セシルが意味ありげにエリナの方に頷いて見せる。レオもエリナに向けて力強く頷くと、エリナは表情を硬らせ、そして声高に指示を飛ばした。

 

≪ナハト・イェーガー、発艦!≫

 

「発艦!」

 

 ナハトは空中へと飛び出した。これまでと違い、ナハト・イェーガーのフロートに装備された主翼はただの翼ではなく、細長いスラスター・バーを収めたウイングバインダー型の構造を採用している。総推力は通常型の倍に増加しており、またコックピット下部から尾のように複数個連ねる形で増設したテールユニット型増槽によって、本来著しく縮小している稼働時間も通常型フロート装備時と同等にまで──それでも決して長くはないが──延長されている。

 最も、お陰で機体バランスは劣悪極まりない状態となっており、ともすれば飛行中にバランスを崩して墜ちかねない代物であるのだが、ガウェインのテストに長く携わって来たレオは、今の所この暴れ馬を上手く制御していた。

 

≪レオ!≫

 

「待たせた。では行こうか」

 

 あっという間に、ナハト・イェーガーは先行していたスザクのランスロットに追い付く。フォーメーションを取りつつ、四騎は未だ見えぬフクオカ基地へ向けて飛翔した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 厚化粧ではある。しかし、その白い肌は厚化粧と言われて連想するそれとは趣が異なり、べたべたと彩られた顔、というよりも極限まで色を落とした顔、と言える。今、ゼロ、扇、そしてエリアスと通信画面越しに対峙する男は、そういう顔をしていた。

 

 男の名は、高亥(ガオ・ハイ)。今現在エリア11を賑わせている男、澤崎の背後に居るであろう巨大国家──中華連邦の権力構造の中枢に立つ人物。大宦官の一人である。

 

『……貴殿の言葉は分かる。だが、私には貴殿の行動の意味が分からない』

 

≪ほう?≫

 

 甲高い声で高亥は笑みを浮かべた。こちらを小馬鹿にしたか、会話の流れそのものを愉しんでいるのか。

 決して親愛の情を示した笑いでは無いのは、誰にでも分かる。

 

『貴殿は大宦官……言わば中華連邦のトップ中のトップに名を連ねる人物だ。そして中華連邦は、澤崎を利用して、エリア11のブリタニアからの切り崩しを図っている。違うか?』

 

≪ホホホ……流石は黒の騎士団の首魁。良く情勢を読んでおられる≫

 

『故に、我々に支援を約束してやるから澤崎の支援をしろ、という話を持ち込んで来るのなら解る。だからこそ解せない。何故、大宦官たる貴殿が、我々黒の騎士団に対し、“支援を約束するから澤崎を妨害してくれ”と言ってくる?』

 

 会談に臨むゼロの背後から、エリアスは通信画面を見ていた。大宦官高亥の背後には、流れるような黒の長髪の男が控えている。その他、周囲に控えている者も、時折画面の端に映る者も、若手ばかりだった。

 

 大宦官についての知識は、扇と同様、エリアスも豊富とは言えない。

 巨大国家中華連邦の実質的な首脳。中華連邦皇室、及び皇帝に相当する“天子”に長きに渡って寄生し続け権力を独占して来た、特権的旧世代階級の象徴。特に先代の“天子”が早逝し、未だ幼い女児を“天子”に据えてからは、これを傀儡としてより一層の専横を極めていると言う。

 彼らの存在は、即ち現在の中華連邦の抱える闇そのものと言えるだろう。彼ら、旧世代から権力構造に棲みついた寄生中を排除出来なかった中華連邦は、まさに巨木が内側から腐敗するようにして衰退の路に踏み込みつつある。

 

 大多数の民衆が貧困に喘ぎ、“平等に”貧しくなった国家、それが中華連邦だ。無論、そうした現状を憂い、改革を志す者も国内には居るのだろうが……あの若手の軍人達には、そういう“改革派”の匂いがしてならない。では、あの高亥は何故彼らを側に置いているのか。

 

 高亥が次に語ったのは、まさにその答えだった。

 

≪大宦官とて、一枚岩では無いのですよ。今の大宦官は、趙皓(ジャオ・ハォウ)の一派が支配的であり、権力闘争に敗れた私は奴に追い落とされた。最早私は、大宦官であって大宦官ではないに等しい≫

 

『とは言え、権力構造から爪弾きされた訳ではあるまい? 良い暮らしは出来ているのだろう? 人民とは違って』

 

≪今はまだ。しかし、最早私の将来に安寧は存在しないも同然です。いつ趙皓に追い落とされるか……我が一族は、代々天子様に仕え、後世に残る功績を残してきた名誉ある一族だと言うのに、私の代でそこに泥を塗ってしまうとは……≫

 

 エリアスも、扇も顔を見合わせた。二人とも表情には出さないが、この高亥に好印象は持てなさそうだった。

 それは、ゼロとて同じだったろう。ゼロは何も言わず、値踏みするように高亥の話に耳を傾けていた。

 

≪だが……この絶望の中で、私は目覚めたのです。我が一族が代々仕えて来た相手は誰なのか。趙皓などでは決して無い。天子様ただお一人。然るに今の天子様は、まだ幼いことを良い事に趙皓らの操り人形に過ぎぬ。だからこそ、私は彼らを天子様の元から排したいのだ≫

 

『おやおや、中華連邦もとんだ反乱分子を抱え込んだものだ。よもや、大宦官が大宦官を追い落とそうとするとは……』

 

≪とにかく、今の我々の第一目的は、趙皓の勢力を削ぐ事にあります。澤崎の件はまさにこの趙皓による物であり、成功されれば趙皓の専横は益々続くでしょう。どうか、これを妨害して頂きたい。その為の支援は、我々としても惜しみません。そして、願わくば──≫

 

 気障な声を上げると、ゼロは『話は分かった』と話を畳に掛かった。

 

『いずれにせよ、我ら黒の騎士団とて、あの澤崎を認める気は毛頭無い。澤崎の件、前向きに検討させて頂く』

 

 ──そうゼロが請け負ったのが、三日ほど前の事だ。各種装備を整えながら、エリアスは格納庫の奥に目を向けた。

 

「あの、高亥な。どう思った?」

 

 隣で神妙な顔をしている扇に、エリアスはそう問いかけた。

 

「嫌な感触の奴ではあったな。何というか……口では天子様がどうとか言ってたけど、どっちかって言うと自分を追い落とした大宦官のジャオ何たらを見返したいってのが本音のような……」

 

『お前の言う通りだ。扇』

 

 その扇の背後から、ゼロが現れて言った。彼の背後には、白いパイロットスーツに身を包んだC.Cの姿。彼女は会話の成り行きを無視して、何やら手にしたチェックシートと睨めっこをしていた。

 

『あれも結局は、民の為に行動を起こす人物ではない。大宦官と言う権力構造を肯定し、そこから振り落とされまいとしがみついているだけの小物だ。だが……』

 

「だが?」

 

『覚えているか? 奴の背後に控えていた、長髪の男。あれは黎星刻(リー・シンクー)……中華連邦の軍官の一人にして、若手の有能株として名が知られている人物だ。最も奴の忠誠は大宦官ではなく天子個人に向いている事から、今一つ出世コースからは外れている人物だ。あれが控えているとなると、どうやら奴の背後には、中華連邦改革派の存在があるな』

 

「改革派……じゃあ今回は、あの高亥と言うよりは、改革派と手を組む、と考えるべきなのかな?」

 

『そう考えた方が良いだろうな。ただ何にせよ、あの高亥の存在で──ん?』

 

 不意に、ゼロが言葉を止めて扇の背後に視線を向けた。同時に、「おーい」と呼び掛ける声。扇とエリアスが振り返ると、格納庫上層のキャットウォークからリフトで降りて来る、一人の人影があった。

 

「……カレン?」

 

「居た居た。探しちゃったわよ。キョウトから連絡よ。エリアス、貴方宛に、プライベート通信で」

 

 キョウト。その名を久々に耳にして、エリアスは一気に顔を歪めた。

 

 

 

 

 

 

 

 本人がどう考えているかはともかくとして、後にキュウシュウ事変と呼称される今回の事件において、首謀者とされる澤崎敦という男の名は歴史的にはあまりにも重要度が低い。そもそも先に述べた通り、エリア11という土地と中華連邦との関係性において起こり得るであろうシナリオに、彼の名が薄く書かれただけの話である。例え彼の目的通り、エリア11に彼の言うところの“ニッポン”が再興したとしても、それは“ニッポン“なる中華連邦の傀儡勢力が現れた、というだけの話である。澤崎は結局、中華連邦の手駒その一として歴史に名を残すだけだ。

 

 翻って、軍事的に見ると澤崎の存在は一転して極めて重要な立ち位置に立つことになる。公式見解という名の建前はこの際置いておくとして、澤崎の手勢と言うのは、彼に協力する曹 淵明(ツァオ・ユエンミン)以下何処からどう見ても中華連邦の部隊であり、純粋な日本人は澤崎ただ一人だけ。即ち、現時点において中華連邦がエリア11に介入する為に必要不可欠な大義名分こそ、澤崎の存在。つまり、澤崎さえ抑えられれば、中華連邦はそれ以上の介入の口実を失う事となる。

 澤崎の背後に中華連邦の影が見え透いているからこそ、コーネリア総督は統治軍のみによる討伐を決定していた。植民エリア権限による反乱分子鎮圧、即ち内政問題として片付ける為に。しかし残念な事に、真正面から澤崎の勢力を撃滅するには、コーネリアには使える手勢が少ない。コーネリア直属の部隊は半数近くが未だホクリクに展開中であり、現在の情勢を鑑みれば、残る部隊も下手には動かせない。と言って、先手を打って本国に援軍を要請すれば中華連邦もまた本腰を入れて兵を送り込んで来るだろう。そして、下手に制圧に時間を掛けても中華連邦は利ありと見て大攻勢を仕掛けるに違いない。

 

 こうして情勢を整理すると、ユーフェミア親衛隊による無謀極まりない作戦の意義ははっきりとする。電撃侵攻により澤崎を抑えられればそれで良し、失敗したとしても損失は最大でもKMF四騎のみ。しかも敵本陣に混乱が生じれば本隊は攻め易い。

 

 加えて現在、近隣のエリア10、エリア12といった植民エリアに駐留するブリタニア軍も動いている。これはすぐにでも援軍を送らせる、中華連邦の動き次第では寧ろ中華連邦本国を攻める用意があるぞ、と見せる事で中華連邦に圧力を掛ける、謂わば威嚇である。

 この威嚇の効力は目に見えており、中華連邦は澤崎の一挙に連動して海軍に動員令を発令してはいたものの、それ以上の動きは見せていない。

 

 ブリタニアも、中華連邦も、本心ではこの段階での本格的武力衝突は望んでいない。これは、その本音と建前の隙間を突いた戦略であった。

 ──発案者は、帝国宰相シュナイゼル。彼を知る者に言わせば、全く彼らしい策であると言う。

 

 そして今、エリア11としては残る問題は一つ──。

 

「イエーガー、先行する。後ろは任せたぞ」

 

 レオは後方のランスロットにハンドサインを飛ばして、予定通り高度を下げた。眼下の樹海に今にも接触せんばかりに近付いて、鋭い矢となって敵陣深くまで侵攻する。

 敵のミサイル防衛網の分布、及びその射程範囲は、全パイロットに事前情報として通知されており、また各機のメインコンピュータにもデータとして入っている。現在ナハト・イェーガーのレーダーマップには八時方向から十二時方向に掛けてに広がる赤い帯──即ちミサイルサイトのキルゾーンが表示されている。レオはそこに向かって高速で飛行していた。

 

≪間も無く、敵ミサイルの射程に入ります──分かっていますね?≫

 

 レオは「ああ」とだけ返した。今のレオには、不安げに問い掛けるセシルの表情を窺う余裕は無かった。不意の対空砲火による狙撃を避けて限界ギリギリまで低く飛んでいるのだから。

 レーダーマップ上で、真っ赤な円が刻一刻と自機へと迫り来る。あの中に入れば最後、無数のミサイルサイトが一斉にナハトをロックオンして来るだろう。

 基本的に、多数のミサイルに追われた航空機の運命は悲惨極まりない物と相場が決まっている。そしてナハト・イェーガーは、レオは、その死神の刃から絶対に逃れなければならない──。

 

「到達まで残り三……二……一……!!」

 

 瞬時に、レオは自機の高度を上げた。巨大な噴射炎を夜空に灯し、翡翠色の光の筋を引きながらナハトは高く上昇して行った。そのコックピットの中で、これまで聞いた事の無い量の警報音が一斉に鳴り響く。

 レーダーに目をやると、自機を示す青い光点に向けて無数の白い線が飛来しつつあった。カメラ映像で地表を見れば、魚の群れを思わせる物量で迫り来るミサイルの嵐。レオはコントロールスティックを強く握り、叫んだ。

 

「──やれ、スザク!!」

 

≪見えている。任せてくれ!≫

 

 ナハトの後方で、ランスロットが両腕に装備した大型ランチャーを構えた。全弾装填、照準ロック。スザクがトリガーを引くと、ランスロットのランチャーから複数のミサイルが放たれ、地上のミサイル網を焼き払う。空になったランチャーをパージし、フロートユニットの両翼下パイロンに接続された予備ランチャーに持ち替えつつ、ランスロットは燃え盛るミサイル網の上を飛び抜けた。

 

 一方、レオにはまだ飛翔して来るミサイルの処理が残っていた。撃ち落とすか回避するか、何れにせよ、あまりこの空域に踏み留まる事はできない。ランスロットとの連携が崩れれば、次にミサイルの標的になるのはスザクだ。その上、スザクの一撃はミサイル網全てを始末した訳では無い。あくまで後顧の憂いが無くなる程度に無力化しただけだ。素早くこの空域を抜けなければ、また別の所からミサイルが飛んで来る。

 手始めにレオは加速して、ミサイルの飛来方向を一定方向のみに絞った。そしてある程度の所で、フロートユニットの推力方向を変えて、ナハトを空中で回転させた。バック転、或いは宙返りの要領で、黒い機影が舞う。同時進行でヴァリスを起動、高出力モードで構える。上下逆転した視界に自機目掛けて飛来するミサイルを捉えると、レオはトリガーを引いた。

 ──ほんの刹那の出来事であった。再びナハトが正常姿勢に戻った時には、ナハトの後方のミサイル群は軒並み炸裂し夜空に火球を出現させていた。

 

≪大丈夫かい!?≫

 

「問題無い。今追いつく」

 

 言葉通り、ナハト・イェーガーが先行するランスロットに追いつくまでにそれ程時間は必要無かった。増槽ユニットの一つをパージすると、レオはその高度のままランスロットの前に出て、ミサイル網の第二陣へと向かった。

 

「このまま突入する。スザク、次も頼むぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

≪……見てみろ。連中、下手な花火師よりはエンターテイナーとして有能だぞ?≫

 

≪でなければ困るだろう? こちらとしては、彼らには敵の注意を存分に引いて貰わねばならないのだからな≫

 

 フクオカ基地よりやや南西──本来、ブリタニア海軍とフクオカ基地防衛線とが睨み合っている洋上を、その巨影は音も無く飛翔していた。露骨に人の姿を象ったそれは、紛れも無くKMFのそれ、しかしそのサイズは明らかにKMFのそれを逸脱し、黒く染まった水面の上を往くその巨影は、まるでエリア11に伝わる怪異、海坊主であった。

 

「余所見してないで、ちゃんと飛ばすのに集中してくれ。あんたがしくじれば、まず俺が死ぬんだぞ? C.C」

 

≪何、水に叩き付けられたくらいじゃ死なないだろ。お前≫

 

「そりゃあ、その後拾って貰えるのならな? いくらなんでもこの時期に装備無しで漂流はキツい」

 

 海坊主の掌の上に収まった人影が、口元の無線機に文句を付ける。顔面の上半分を不透明のバイザーで覆った、明らかに人間離れした風貌の人影。その手には、一振りの日本刀。

 

≪──しかし、ここ最近音沙汰無かったのにな。何だ。その老師とやら、そんなにその澤崎が気になるのか?≫

 

「弱みでも握られたんじゃないのか。奴も老師も、戦前から政権の闇の中でどうこうやってた連中だ。奴の口からキョウトに関する情報を掴まれるのが嫌なんだろ」

 

 人影──エリアスは鼻で嗤った。

 

「とにかく、目的は奴の持ってるデータだ。多分肌身離さず持ってるだろう。最悪ハドロン砲で消し炭にして貰うが、奴の事だ。中華連邦に取り入る段階で色々と情報収集はしてる筈だ。保身の為に。そいつを消し炭にするのは少々勿体無い」

 

≪そうだな。だからこそ、お前に出て貰う事になった訳だ。準備は良いな?≫

 

 エリアスは、手元の刀を見つめた。神根島で奪い返した刀。エリアスにとっては……。

 

「ああ。任せておけ」

 

 バイザーの奥で、人工複眼ユニットを兼ねた眼帯が眼光の様な発光パターンを浮かばせる。彼の超人的な視力は、目的地であるフクオカ基地の姿を、既に克明に捉えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

≪三……二……一……!≫

 

 都合三度目の突入の時点で、ナハトを狙う誘導弾の数は最大数に達していた。急上昇するナハトを追うミサイルの嵐は、まるで雲を引いている様にも見えた。ナハトもナハトで、空中をバッタが如く跳ね回り、ミサイルを一群、また一群と回避して行く。

 しかし、ナハトを狙うミサイルは地上のSAMサイトから放たれた物だけでは無かった。防空陣地では侵攻する敵を抑えられない、と理解した敵は、直ちに迎撃機を発進させていた。既にナハトの前方に、二個小隊程の編隊が展開しており、ミサイルを放っている。レオは即座に照準器を起動し、ヴァリスで飛来するミサイル諸共敵編隊を撃ち抜いた。

 

≪レオ! 三時方向からも狙われてるぞ!≫

 

 スザクの声に、レオはそちらの方にも視線を向ける。更に一個小隊。相変わらず地上からのミサイルはナハトを捉えて離さない上に、今度は真横から狙わている、と来た。やむを得ないか、とレオはブレイズルミナスの起動スイッチに指をやった。

 ナハトのブレイズルミナスは、ランスロットと違い脚部に装備されている。多少無茶苦茶な姿勢になるが、上手くやれば前後双方にシールドを張ることが可能だ。

 だが、それをやればただでさえ酷くなっているエネルギー消費が更に悪化してしまう。既にナハトのエネルギー残量は出撃時の半分を切っており、フロートに装備していたテール型増槽は全て使い切っていた。

 

≪レオ、右旋回!≫

 

 だが、その瞬間スザクのランスロットが正面に現れた。即座にレオは操縦桿をフルに傾けて、ナハトを右に跳ねさせる。ナハトを追尾していたミサイル群はその動きに即応出来ず、ランスロットの正面に姿を晒した。そこへ、ランスロットがヴァリスのバーストショットを放つ。雲霞の如きミサイル群を一瞬で光の河へと変えると、隙を見せる事なくスザクは敵編隊に向けスラッシュハーケンを放ち、敵機を追い散らす。

 

「……すまない、助かった」

 

 無理な軌道変更で墜落寸前の機体を地表ギリギリで立て直すと、レオはランスロットの近くへと復帰した。

 

≪気にしないで良いよ。司令部まであと少しだ。もうミサイル陣地は無い。一気に突き進む≫

 

 全てのミサイルランチャーを使い切ったランスロットが、ナハトの前に出た。二騎はなおも十時方向へと滑空を続けた。迎撃機は飛来して来ていたが、最早二騎にとって障害とはなり得なかった。突き進む彼らの前には、海を背にした巨大な要塞と、その中央に聳え立つ円形の塔。

 フクオカ基地の姿が、もはや肉眼でも確認出来た。

 

≪こちらシルバーエッジ。そっちの機影が見えた。これより基地南西から侵入する≫

 

 セイトが無線で知らせて来る。レーダー上では、シルバーエッジ、及びヴュルガーの機影が彼の言う通りの方向から司令部へと攻め込むところだった。侵攻速度はこちらの方が少し早い。故に、先に司令部に踏み込むのもレオ達になりそうであった。

 

「了解。こちらは南西から──っ!」

 

 鳴り響くアラートに、レオは言葉を噛み切って回避軌道に移った。基地周辺の対空砲はまだ生きている。最初のアヴァロンからの砲撃は基地から離れた防衛網を叩きはしたが、基地周辺までは叩けていない。恐らくアヴァロンも撃ってはいたのだろうが、基地のこの対空システムにより迎撃されたのだろう。ハリネズミを思わせる密度で展開された弾幕に、二騎は高度を下げざるを得なかった。

 

「──基地周辺の対空砲がまだ生きている。攻め込むなら地上から行く方が良い!」

 

≪みたいだな。俺の機体の苦手分野だが、そうさせて貰おう≫

 

 広大な滑走路が、二騎の前にぐんぐんと近付いて来る。基地周辺の対空砲火は依然として激しいままだが、滑走路上に敵影は無い。本来なら、敵が対空砲火から逃げた先にKMFなりを配置して、狙い撃ちにすべき状況だろうに、それをしない理由は何か。だが、その懸念をスザクに伝えようとした瞬間、二騎のコックピットに無線通信の着信音が響いた。

 

「オープンチャンネル……?」

 

≪──私は澤崎だ。こちらに向かって来る白い方の機体は、枢木の息子か?≫

 

 ブロックノイズだらけの画質はお世辞にも良いとは言えなかったが、映し出された面構えは見間違えようがない。張り出した額に、やや陰気さを感じさせる目つき。

 

 叛乱軍首魁 澤崎敦の顔がそこにあった。スザクの表情が、一気に強張った。



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第二十一幕 Marionette Revolutionary

 澤崎敦は、別に新出気鋭の才覚溢れる男でも無ければ、老獪な男でもない。“禿”という単語に過敏に反応し始める程度には前髪の生え際が後退した、典型的中年日本人男性、と言った見た目の男だ。恐らく戦前日本において良く見かけたという“企業戦士”という概念が取り憑いているかのようだ。

 そんな男が大軍のトップに立つ。物事の裏を知る人間にとってはこれ程滑稽な画もあるまいが、少なくとも澤崎にそのような知性は無い。

 

 彼はただ酒に酔いくだを巻いていただけのところ、政治的な駒として使われているだけの現状を、“遂に世界が自分の真価に気付いた”と解釈し、酒を飲まずとも酔えるようになっただけの男だ。それは管制室に控える、彼を除いた全員が理解していた。

 

≪澤崎さん≫

 

 澤崎の正面のモニターに、一人の少年が映し出されていた。名は枢木スザク──かつての日本国首相枢木ゲンブの息子にして、ブリタニア軍の尖兵。民族を裏切り、皇族の騎士にまで任命されたという恥知らずの子供だ。

 

≪貴方の行為は、現在のこのエリア11秩序と法に反しています。無益な流血を望まぬなら、今すぐ降伏して下さい≫

 

「降伏?」

 

 澤崎は小馬鹿にしたように笑った。所謂役者という職人の中には、自分自身がその役柄と一体になる、或いはそう確信し役を自分に“降ろす”と言うが、澤崎にはそう言う才覚はあったようだ。口振り、態度、立ち姿、一つ一つを取っても正しく大物の振る舞いを魅せていた。

 堂に入った、尊大な振る舞いそのものは指導者に求められる要素の一つではある。中華連邦が傀儡としてこの男を選んだのは、何も余り物の如く国内に留まっていたからでは無い。

 

「昔を思い出すな。血に飢えた悪鬼の国、殺戮を誉れとするブリタニアに降伏せよと? まるで君の父上のように──?」

 

≪父は関係ありません! 自分は今のエリア11の法を守る立場にいます。降伏さえして頂ければ……≫

 

 父と言う言葉に過剰反応を見せるスザク少年。彼は今、フクオカ基地司令部へ向けて飛来するKMFのコックピットに居るのだが、その軌道に変化が生じ始める。不要に増速し、僚機とのフォーメーションが崩れている。

 

「そうやって、君は日本独立の夢を奪う気か? 」

 

≪なら、正しい手段で叶えるべきです≫

 

 そしてそう言葉を交わす中で、スザクは己の失策に気付かない。澤崎はチラリ、と足下を──下方の席に居る士官に視線を向けた。士官が頷き返すと、澤崎は鼻を鳴らし会話に戻った。

 

「君はそうやって我儘を通すのか? 理念なき正義だな」

 

≪違います! それは──!?≫

 

 その瞬間、スザクを映し出した画面が大きく揺れる。この舞台は澤崎の言葉により、まさしく澤崎の狙い通りに動いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「スザク!」

 

 レオの目の前で、ランスロットが大きくよろめく。地表からの接近を選び、滑走路に降り立ったまでは良かったのが、オープンチャンネルで語り掛けて来た敵の首魁澤崎の言葉に注意を引かれ過ぎた結果、ランスロットはナハトと分断され、今まさに奇襲攻撃を受けていた。

 

 初手として放たれたのは、地雷だ。滑走路上に敷設された、ごく単純な罠。会話の中で父親の事、正義の事に触れられた途端すっかり意識を持っていかれたスザクは、その単純な罠すら見抜けなかった。

 姿勢を崩したランスロットに、更なる追撃が放たれる。一体何処に隠れていたのか、地に膝をついたランスロット目掛けて、暗緑色のずんぐりとしたマシーンが一斉に群がり始める。中華連邦製KMF、鋼髏だ。ヴァリスがランスロットの手から離れ、鋼髏の砲火に当たって爆散する。

 

≪あれが、中華連邦の鋼髏──!≫

 

 無機質な鋼髏の群れが、ランスロットへ砲撃を開始した。人型と言うより、粘土に手足を付けたような機体の両腕部から放たれる砲弾の雨。ランスロットはブレイズルミナスを展開して防御しつつその場からの退避を試みるが、雲霞の如く現れる鋼髏の物量に押され、滑走路上から誘導路へと追い出される。

 

「スザク!」

 

 ヴァリスによる空対地攻撃でランスロットを援護しつつ、レオはスザクに呼び掛けた。ランスロットと違いナハトは未だフロートが健在であり、対空戦を想定していない鋼髏の火砲では、上空のナハトへ有効打を与えられない。と言って、このままここに止まれば対空砲の餌食だ。ヴァリスの残弾も少なく、いつまでもスザクを援護しても居られない。

 

 故にレオがここで採るべき策は、対空砲をその機動性能とブレイズルミナスで躱しつつ、このまま鋼髏の群れを無視して敵司令部へ突入を仕掛ける事だった。

 

 だがその場合、ランスロットを、スザクを鋼髏の中に置き去りにする事になる。ヴァリスを失ったランスロットは、鋼髏に対し接近戦で立ち向かう他無い。

 

 仮に単騎あるいは少数を相手にするならそれでも良い。他機種の追随を許さぬ機動性能を以て懐に入り込めばそれで勝てる。しかしこの鋼髏の群れは軽く見積もっても一個中隊以上。そしてその全てがランスロットに照準を向けている。中距離以遠の攻撃手段を喪ったランスロットがどれほど不利か、最早説明の必要は無い。

 レオの援護も虚しく、ランスロットの背中の翼が遂に火を吹いた。スザクは自らフロートを機体からパージし、その爆煙を目眩しとして格納庫の角へと隠れた。

 

「っ──セイト! ランスロットがフロートを喪失! どちらが援護に来られるか!?」

 

≪こちらセイト、すぐには無理だ! こっちも鋼髏と対空砲の合わせ技で上手く動けない!≫

 

 レーダー上で見ると、もう一つの格納庫の末端にセイトとリヒャルトの機影があった。不幸にも向こうのほうが生きている対空砲の数が多かったようで、両機とも既に着陸している。

 

 セイトのシルバーエッジは本来F(空戦)モードを主眼とした、所謂“KMFにもなれる戦闘機”であり、人型(K)モードでの性能は決して高くは無い。

 この場において、これをカバーするのはリヒャルト駆るヴュルガーの役割だ。ヴュルガーは端的に説明すればフロートユニットを機体と一体化させた実験機であり陸戦適性はシルバーエッジよりも高い。が、ヴュルガー自体接近戦寄りの調整が施されている事もあり、多数の鋼髏に対し攻めあぐねている事は確かだった。加えて先程のランスロットのように地雷を踏まないとも限らず、その進軍速度は決して早く無い。

 

≪僕に構うな!≫

 

 ランスロットに乗るスザクが、そうレオに叫んだ。叫びながら敢えて敵の眼前に身を晒し、機を見つけては両手に持ったMVSで鋼髏を切り裂いては距離を取り、それからあからさまに敵司令部へと進路を向ける。勿論それを許す鋼髏ではなく、すぐにランスロットは更に不利な態勢に追い込まれる。

 

≪司令部へ! 澤崎さんを!≫

 

 それが何を意味するか、レオはすぐに理解した。スザクは敢えて鋼髏の注意を引き、レオに攻撃のチャンスを与えようと言うのだ。フロートの生きているナハトなら司令部への直接攻撃は容易い。そして今なら対空砲妨害も少ないまま、レオだけは司令部へ手が届く場所に居る。

 

「しかし──!」

 

 それでもレオは迷いを拭えなかった。以前ならそんな迷いは生じなかった筈だ。僚機を見捨ててでも目的を果たし、エリナの元へ帰る。それだけを思っていたのだろうから。

 だが、今は違う。出撃前に言った通り、自分も、そしてスザクも、共に主君の元へと帰る。そう誓ったのだ。それ程、レオにとってもスザクは無視出来ない存在であった。

 少なくとも、レオにとっては幼少期に会ったセイトやモニカ、ユリシアら以来はじめての“友人”と言っても良かった存在だ。そしてレオは、友人を死なせるつもりは無い。

 

 とは言え、そこで尚もそこに留まる事で彼を助けられるかと言えば否だ。スザクを助けたいと思うのなら、寧ろ素早く司令部を制圧し、敵勢力を無力化しなければならない。そう判断するだけの理性はあった。

 

≪行くんだ! 今やれるのは君しか居ない!≫

 

 絶叫と共に、スザクは再度突撃を仕掛けた。これも鋼髏の何騎かを無力化するが、それと引き換えにランスロットは肩口に被弾し、その尖った肩部装甲が弾け飛んだ。

 

「──すまないスザク! すぐに済ませる!」

 

 それを目の当たりにして、レオは遂にナハトの進路を変え、スロットルレバーを押し出した。ナハトは名残惜しげな視線をランスロットに向けた後、背部の翼から炎を吹き、夜空に閃光だけを残して司令部へと消えた。

 

 

 

 

 レオが行くのを見届けて、スザクはふっと笑みを溢した。同時に、その笑みを写し取ったような表情で、通信モニタ上の澤崎が口を開いた。

 

≪──良い見せ物だったが、これまでだ。彼もすぐに君と同じ地平に墜ちる。投降したまえスザク君。枢木ゲンブ首相の遺児として丁重に扱うことを約束しよう≫

 

「お断りします」

 

 笑みを消して、スザクはぶつりと通信を切った。ここで父の名を使ったら、もう自分を赦す事は出来ない。脳裏に映る過ぎ去った出来事。現実に眼を戻すと、スザクはMVSを構えて再度突撃を開始した。

 

 鋼髏側が気圧されているのが分かる。この圧倒的不利な状況下で尚も立ち上がる敵機に恐怖心を抱き始めている。誰だって、勝利が確定したような状況で死を迎える真似はしたくないだろう。それも見知らぬ異国の地で、しかも下らない政治劇の駒として。

 無意識下でそういった敵の心境を利用し、スザクはランスロットを更に激しく操った。

 

 もはやランスロットに残されたエナジーは僅かだった。これまでだな、とスザクは自覚していた。これ以上はどうしようも無い。残る鋼髏は十六騎、これを全部潰す前にランスロットは機能停止して蜂の巣にされるだろう。寧ろここまで良く保った方かも知れない。この強襲で敵は戦力の多くを司令部防衛に割いた。これならば沿岸から上陸するコーネリアの本隊はだいぶやりやすくなっただろう。

 

 後は作戦全体が上手く行く事を……そして何より、作戦に参加した他の面々が無事に生還することを祈るのみだ。まだ三人とも自分程悲惨な状況に追い込まれては居ない筈だし、彼らがそうなる頃には、もう本隊が到着している筈だ。ここまで良くやった、と思うべきでは無いか。

 

「さあ、これで最後だ──」

 

 敵の眼前に躍り出たランスロットの左手から、MVSがもぎ取られる。スザクは斬り捨てた鋼髏の残骸から飛び出すと、最後の突進を仕掛けようとした。

 

 だがその瞬間、ランスロットの通信ディスプレイに別の顔が映し出された。

 

「……ぇ?」

 

 それは、スザクの主君──だった女性──ユーフェミアの顔であった。

 

 

 

 

 突撃開始と同時に、ブレイズルミナスを全開にする。エナジーゲージが恐ろしい勢いで削れて行くが、この際継戦能力よりも瞬間戦闘力を重視すべきだった。無数の対空砲弾がナハトの黒いボディに光を投げ掛けるが、翡翠色の煌めきがその全てを蹴散らしてナハトを更に突進させる。鋼髏も戦闘車両も、あっという間に頭上を飛び越える機影に対し何も出来ずに居た。

 

 ろくな回避行動を取らずに、基地施設を縫って駆け抜けるナハト。精密な火器管制システムの号令の下放たれる対空砲火の雨嵐。命中しない筈が無い。だが、ナハトには何一つとして有効打とならなかった。ブレイズルミナスによる防御も無論あった。だがそれだけでは説明が付かない事に、ナハトには一発たりとも命中しないのだ。掠めすらしなかった。

 それは施設を縫うように飛行した事で同士討ちを回避しようとした自動システムの作用か、それともレオの信念の為せる技か。

 

 この時地上に居た歩兵の一人は後に、火線が時にナハトの周囲で捻じ曲がっているように見えたと証言した。勿論有り得ざる事だが、そう思わせるだけの闘気が、ナハトから放たれていた。

 

 ナハトが司令部をその射程に収めるまでそう時間は掛からなかった。レオは司令部区画へと踏み入ったナハトを鋭角に上昇させ、ヴァリスの照準を敵司令部タワーに向けた。

 

「て、敵機急速接近! こちらを射程に捉えます!!」

 

 オペレーターの報告は悲鳴に近かった。その場の誰もが顔面を蒼く染め、それまで意気揚々と自分達に指図していた男澤崎を見た。澤崎もまた、その眼を見開いて眉をひくひくと震わせていた。

 

「馬鹿な……あのような単騎駆けなど常識外れだ……!」

 

 曹が狼狽し後退る。今にも逃げ出さんばかりだ。曹ばかりで無く、ナハトを食い止めるべき鋼髏や戦闘車両の類さえ、一部が勝手に退却を始めていた。

 

 これだから、中華の軟弱な軍人は困るのだ。澤崎は内心でそう罵声を浴びせた。そして正面に迫った敵機に密かな賛辞を送った。

 一人の戦士は、確かに戦場においては一つの駒に過ぎない。が、その駒の枠を乗り越えた者は、時に常識はずれの存在となって戦局を単独で動かし得る。古来から、日本にはそんな侍が名を残して来た。中華連邦とて歴史上そのような例はごまんとあろうに、それすら忘れたというのか。卑小なる此奴らには戦士の何たるかも分かるまい。

 

 認めよう。彼は真に武者だ。

 

 だが、武者は本来日本の専売特許なのだ。

 

 澤崎は大きく息を吸い、音を立てて一歩踏み出した。舞台役者さながらの澤崎さえ足を小刻みに振るわせていたのには、澤崎自身最後まで気付かなかった。

 

「──撃てぇ!!」

 

 澤崎は叫んだ。その瞬間、ナハトが背にした翼が小刻みに爆発し、ナハトは姿勢を崩した。

 地に落ちたナハトの周りに、更なる爆発。爆煙の中から飛び出したナハトの視線の先に居たのは、四騎のKMF……グロースターの姿だった。フクオカ基地接収の際に残されていた機体を、曹が選び出した中華連邦の精鋭パイロットに預けたものだ。

 

「ふん、あの程度で我が日本は潰えぬ」

 

 声色を取り繕って、司令室中に聞こえる大声で澤崎は言った。これこそ我が策であると言わんばかりに。

 しかし、澤崎もグロースターのパイロットを信用してはいない。いかに曹が精鋭だと言っていようが、鋼髏程度の機体しか扱った事のない中華連邦のパイロットにどれ程の技量があると言うのだ。だから澤崎は、もう一つ別の策を用意していた。

 

「頼みますよ、大尉」

 

≪承知≫

 

 手元の通信機からはそれだけが返って来た。澤崎は息を整え、眼下の光景を見据えた。地面に落ちたナハトめがけ、グロースターが攻撃を開始していた。

 

とにかくこれで、虎の子のKMFは使ってしまったのだ。後はこのまま上手く司令部に攻めて来た機体群を無力化し、来るべき本隊の襲来に備えなければ。

 澤崎の意識は、既にこの戦闘の先の事象へと向いていた。

 

 

 

 

 

 

「グロースター……だと……?」

 

 フロートの被害状況を確認したレオは、自らを背後から撃った機体を見て眉を顰めた。一瞬味方から撃たれたような気分になるが、肩にでかでかと記された日の丸の国旗を視界に捉え、事情を理解する。あれはサワサキらが鹵獲した機体だ。四騎のグロースターがナハトへ迫り来るのを見ると、レオは怒号と共にヴァリスを放ち、MVSの柄にマニピュレーターを乗せ、ナハトを突進させた。

 

「邪魔をするな!」

 

 縦一直線になって攻撃してくるグロースター。狙いは時間差攻撃か。レオは破損したフロートの内生きているスラスターだけを器用に使用して地表を駆けた。神速の抜刀で先頭のグロースターの両腕を断ち切ると、そのままMVSの切先をグロースターの胸部正面装甲に突き刺し、串刺しにしたグロースターを盾に後続機の連携を突き崩す。

 たったこれだけでフォーメーションを崩す辺り、高性能機であるグロースターに乗る割に、敵の練度は高く無かった。鋼髏の群れを相手にする方が遥かに難しいとすら思えた。

 

 散り散りとなったグロースターはナハトを円形に包囲すると、各々アサルトライフルを構えた。ナハトもすぐさま突き刺したままのMVSから手を離し、両腕部ナイフシースを解放。対装甲ナイフを展開したままの両腕を横に勢い良く振るい、投げ出されたナイフを空中で掴む。そうして目前の一騎が射撃態勢に入ったと見るや否や、ヴァリスを連射しつつナイフを投擲する。ヴァリスの光弾に気を取られたグロースターは、回転しながら迫るナイフに最後まで気付かず、ブーメランのように飛翔する刃がグロースターの頭部カメラを潰す。

 

 同時にフロートをパージ、後背からの射撃の盾にしつつ前進すると、ナハトは視界を失ったグロースターの頭部を掴み、勢いよく引き倒した。アサルトライフルを持つ腕を踏み付け、ヴァリスでコックピットを撃ち抜くと、レオは残る二騎へと向き直った。同時に放たれたアサルトライフルの砲弾がナハトの頭部、及び腰部装甲に大きな傷を付けるが、負けじとナハトはヴァリスで敵機を散らしつつランドスピナーで移動した。

 

 フロートを失ったことはナハトにとっても痛い。だが、それを抜きにしてもナハトもまたランスロットの系列機。機動性能でグロースターに遅れを取る事はない。まして中華連邦の脆弱なパイロットの駆る機体では、レオを止める事は出来ない。スラッシュハーケンを司令タワーの壁面に突き刺して空へと舞い上がるナハトに対応し切れず、更にもう一騎のグロースターが頭上からのヴァリスの餌食となって転倒、爆散する。

 壁を蹴り、壁面から離れ地面に飛び降りる。その落下地点目掛けて、最後のグロースターがランスを構えて突進を仕掛けた。このまま重力に従って落下すれば回避不能。だが。

 

「甘い!」

 

 スラッシュハーケンを高速で巻き取り、今度は地面へ向けて発射。爪が地面に突き刺さったところでワイヤーを硬質化させた。一瞬ナハトの落下速度が変化し、降下ベクトルも変わる。必殺を狙ったグロースターのランスは何もない虚空を突き刺し、その槍の上にナハトが降り立つ。最後に残ったヴァリスの弾をコックピットへ撃ち込まれたグロースターは突進姿勢のまま転倒し、ナハトはその上に降り立った。

 

「──さて」

 

 レオはカメラを頭上へと向け、ノイズの混じる視界で司令部を見上げた。既にヴァリスの弾は使い切り、司令タワーは遥か上。フロートを失った今、ここから司令部を攻撃するにはどうするか。

 レオは再び視界を下に向け、足下で倒れているグロースターに目を向けた。グロースターのアサルトライフルは恐らくまだ使える。同じブリタニア機である以上互換性はある。だが中近距離射撃戦を想定したアサルトライフルでは遠距離狙撃は厳しいと言わざるを得ない。

 

 以上の状況観察を経て、採り得る選択肢は二つ。スラッシュハーケンを駆使して登り詰めるか、機体を降りて司令部の中から攻めるか。前者については時間が掛かる。後者に関してはレオの潜入、暗殺スキルが役に立つ。案外後者の案も有りかも知れない。

 

 そうして、アサルトライフルを拾い上げた瞬間。

 

≪──!!≫

 

「ちぃっ!?」

 

 不意に繰り出された斬撃が、そのアサルトライフルを両断していた。レオはすぐさまナハトを後退させ、襲撃者の姿を捉える。それはグロースターもなければ鋼髏でもなく、旧式のグラスゴーを素体とした機体、無頼。それも頭部から昆虫の触覚ようなアンテナを垂らし、刀を手にしたカスタム機、無頼改であった。

 新たな敵機の出現。何故気づけなかった。レオはレーダーパネルに視線を移して、その原因を理解した。レーダーが死んでいた。

 

 敵の刺突を回避しつつ、レオは背後を確認した。現状残されたナハト最後の武装であるMVSは、最初に串刺しにして倒したグロースターに刺さったままになっていた。他にもグロースターの武装が転がっていたりもしたが、一番近くにあるのはMVSだ。

 続けて放たれる二連続斬撃からどうにか逃れ、レオはスラッシュハーケンを放って無頼改を牽制。ランドスピナーを高速回転させ後退し、MVSを回収し構えた。

 

 無頼改のパイロットは、明らかに先のグロースターのパイロットとは違う手練れの動きを見せていた。グロースターのように不用意な突撃はせず、今はただ刀を構え、ナハトの出方を窺っている。良く見ればその刀身は回転鋸のような構造をしており、MVSと切り結ぶ事も出来そうであった。

 

 レオは敵の動きを警戒しつつ、ナハトのエナジーゲージを確認した。既に残量はごく僅かであり、こうしてMVSを起動したまま持っているだけでも貴重な稼働時間が削られて行く。レオは幾つかのキーを素早く弾き、エナジー消費を抑える為に索敵システムとコックピットライトを切った。コックピットの中が瞬時に闇に包まれ、非常灯の微かな赤い光とコンソールの光だけがレオを照らす。

 

 こうなった以上、最早速攻以外の選択肢は無い。レオはスラッシュハーケンを放って再度無頼改に回避を強いつつ、MVSを構えナハトを前進させた。だがレオの放った刺突は呆気なく弾かれ、カウンターで放たれた斬撃がナハトの胸部装甲を斬った。尚も反撃を試みるが、エナジー残量を意識したその攻勢は拙速に過ぎた。無頼改は見事なまでの技でその全てを受け止め、更に痛撃を返して来た。上段からのナハトの攻撃を逸らし、返す刀で右脚部の関節を斬る。ナハトは地に膝を突いた。

 

≪──! ──……──、──!!≫

 

 無頼改のパイロットが、オープン回線で何かを告げていた。通信画面に映る相手の姿から、相手が旧日本軍の軍服を着た男……つまり日本解放戦線の生き残りである事は分かったが、何を言っているのかはさっぱり分からなかった。ただ、相手が勝利を確信している事だけは分かった。

 

「耳障りな言葉で──」

 

 レオは再度スラッシュハーケンを放った。余裕だと言わんばかりに無頼改はハーケンのワイヤーを切断するが、その瞬間、レオはナハトのスロットルレバーを全開にし、ナハトの機体そのものを無頼改にぶつけた。

 

「──喚くな!!!」

 

 そのまま第七世代機のパワーに任せ、無頼改を押す。如何に手練れであろうとも、このマシンポテンシャルの差は覆し難い。それでも無頼改は数秒間だけナハトを押し留められた。が、続いてレオがMEブーストを起動すると一気に力負けし、レオは無頼改を司令部施設の壁面に勢い良く叩きつけた。壁と胴体に挟まれた無頼改のコックピットはその衝撃をまともに受け、ぺしゃんこに潰れた。

 

 その光景を最後に、ナハトのモニターが遂に落ちた。

 

 

 

 

 

 

≪──私はこれから、敵の司令部を落とす。君はどうする?≫

 

 一方、レオが索敵を切って目の前の敵に集中していたいた隙に状況は大きく変化していた。ナハトと全く同じタイミングで遂にエナジーを切らしたランスロットを鋼髏が取り囲み、澤崎が射撃指示を下したその瞬間、突如として天から真紅の光が降り注いだのだ。光は鋼髏十三騎全てを飲み込むと、一騎残らずドロドロに溶かしてしまった。

 上空には、いったい何故このような巨大な物体を見逃したのか、と問い質したくなる程に巨大な──とは言え純粋な大きさとしてはKMF二騎分程度の──黒い影があった。

 

 仮にそれを知る者がその姿を目の当たりにしたならば、すぐにでもその正体に気付くだろう。翼の枚数が増え、白から黒に染まろうとも、その姿形はまさしくレオ・エルフォードのかつての乗機──ガウェインであると。ガウェインはゆっくりと地表に着陸すると、ランスロットへ橙色のユニットを差し出した。エナジーフィラー。KMF用の燃料タンクとでも言うべき代物だった。

 

≪残念だけどゼロ。君の願いは叶わない。僕が先に叩かせて貰う≫

 

 オープン回線で交わされたやり取りの後、ランスロットはそれを受け取った。それは即ち、ランスロット、ガウェインの両機が司令部へ突っ込んで来るという事だ。

 

「何ィ!?」

 

 澤崎は今度こそ狼狽した。既に直掩の機体は先のナハトを止める為に使い切り、ナハトを潰した代わりに全て行動不能となった。もう司令部を守れる存在は地上の鋼髏しか無い。そして先程鋼髏がナハトに何も出来なかったように、鋼髏ではガウェインに対して有効打を与えられない。そしてガウェインは、先のナハトとは違い機動力は無いが、代わりに鋼髏の完全な射程外から広範囲を一層出来るだけの火砲を備えている。

 ガウェインが鋼髏の群れを焼き払い、出来上がった道をランスロットが爆進する。これを阻める者は最早居なかった。

 

「第三中隊、壊滅!敵奇想兵器二体、最終防衛戦を突破しつつ此方へ向かって来ます!」

 

 そう報告する通信士は、最早理性と自制心が失せかけていた。彼だけで無い。殆どの士官が既に席を立ち、今にも逃げ出さんばかりであった。

 

「ゼロ! 我々は日本を憂う同志では無かったか!?」

 

 事ここに至って、澤崎は再び会話での時間稼ぎを試みた。だが、もう彼の言葉で舞台は動かせない──いや、最初からこの舞台における主役は澤崎では無い。彼はただ、日本解放の為の先鋒としての役割を演じるだけの役者、道化に過ぎない。殊にこの影のカリスマ、たった二ヶ月程で日本人の心に反攻の意思を再燃させた、当代最高の扇動者たるゼロを前にしては、あまりにも役者が違い過ぎた。

 

≪我ら黒の騎士団は、不当な暴力を振るう者全ての敵だ≫

 

「不当だと!? 私は日本の為に──!」

 

≪澤崎さん! 日本の為なら、どうして中華連邦に逃げたんですか! 残るべきだった。皆の為にも!≫

 

 澤崎の主張は、スザクの言葉で遮られた。それを子供の戯言と退ける澤崎に、ゼロは冷笑を浴びせた。

 

≪戦前は国家の要職に就きながら、責任を取るでも無く戦後すぐさま亡命。日本人がブリタニアの支配に苦しむ中で、貴様だけは中華連邦でぬくぬくと生き延びた。安全なベッドを与えられて、酒を飲んで酔いつぶれていた。そんな貴様が、今更救世主面をして日本を救うだと? それも日本を虎視眈々と狙い続ける中華連邦の兵力を用いて? 笑わせるてくれるな澤崎。そんな貴様を、民衆が両手を挙げて迎えるものか≫

 

 三流の役者は、それ以上何も言えなかった。これを切っ掛けとするかのように、フクオカ基地は陥落への急斜面を滑落し始めた。

 

 先にランスロットに対し鋼髏が動きを鈍らせたように、中華連邦の兵士にとって、ここは生命を賭けるに値する戦場ではない。故にこそブリタニア攻撃部隊はブリーフィングの際に澤崎の存在を執拗に強調し、澤崎の排除を第一に動いた。今、澤崎は排除こそされていないが、ゼロの言葉に一言の反論も出来ず喚き散らしていた。日本語が分からなくとも、その様子は誰にだって理解出来た。

 そうなると、澤崎の軍勢の最大の弱点が露呈する。勝ち続けている間はともかく、一度劣勢に傾いた途端加速度的に崩壊し始める士気の低さ。加えて、ゼロはガウェインでの介入にあたりこれを助長すべく殊更目立つ形でガウェインの力を誇張して見せた。スザクやレオと違い、意図的に。これは彼の思惑通りの効果を発揮し、ガウェインが司令部の隔壁を破壊した時には、既に地上軍の殆どが逃げ出していた。

 

「基地を放棄する! 澤崎殿、脱出機へ!」

 

 一足先に混乱から抜け出した曹が指示を飛ばした。屈辱と憤怒を顔中に貼り付けた澤崎は曹を突き飛ばさんばかりの勢いで司令部を後にした。

 その背後から、通信士からの最後の報告が飛んで来ていた。

 

「──敵歩兵、司令部へ侵入! 二箇所からです!!」

 

 

 

 

 

 

 

 司令タワーの中は混沌の坩堝にあった。機能停止したナハトを離れて施設内部への侵入に成功したレオだったが、予想に反し、通路に詰めているべき歩哨も、防衛の為出て来て然るべき警備兵の一人も出て来なかった。通路を避け、その天井裏にある通気ダクトを匍匐で通り抜けていたレオは、司令部上層に繋がるリフトホールから中華連邦の兵士達が多数、言語にもならぬ喚きを上げながら地上階エントランスへと走り抜けて行く様を何度か目の当たりにした。どうやら彼らは施設を放棄するようだ、と理解して、レオは誰も居なくなった通路に降り立った。

 

≪基地を放棄する! 総員退却命令!≫

 

≪将軍の脱出機の援護を! 海側のポートからだ!≫

 

 基地内のアナウンスが、レオの目指すべき場所を告げていた。ナハトのサバイバルキットに含まれていたブリタニア製式拳銃R-662と、道中で回収したブリタニア式の直剣を左右の手に構え、レオは通路を駆け足で進んだ。

 

 タワーの中に流れる空気そのものが、ざわついていた。浮き足立つ者と、それでも尚統制を維持し、レオという侵入者に備えているであろう者……現実に彼らが意識していたのは、レオではなくランスロットでありガウェインであったのだが……。この喧騒の中では、激しく動きながらでも容易く自身の気配を消す事が出来た。レオのスキルだけでなく、乱れた空気が個人個人の気配を覆い隠してしまうからだ。

 

 一方でこの空気は敵の気配さえ等しく覆い隠してしまい、事前に察知する事を難しくさせる。だがレオには、人と世界とをくっきり見分けられる“眼”を持っている。妖しく光る紅の瞳で世界を見ると、レオは足を止めた。正面の曲がり角から敵歩兵が接近していた。

 

 逸る気持ちを抑えて、状況を確認する。向こうはレオの存在を感知出来ておらず、警戒しながら進んでいる。一方レオは敵の存在を掌握済みだ。レオの方が有利だった。

 とは言え、いつ何処から襲って来るとも知れない敵に備え、三人の歩兵は全方位をカバーする陣形で進んでいた。三人を一斉に仕留める必要があった。こちらの武器はR-662と剣、あとは腕の仕込み短剣。室内戦では充分だが時間的余裕が無い。故に、奇襲攻撃で一挙に片付けなければ。

 

 敵の先頭を務める兵士が、曲がり角の目前で足を止めた。息を止めたのが分かった。銃口が顔を見せるタイミングを狙って、レオはダッシュして敵兵に接近し、右手の直剣で敵の銃を斬り上げた。同時に左手のR-662を額に突きつけ、一瞬で始末する。

 背を向けたもう一人の敵兵が振り向くと同時に、レオはその顔面を斬った。苦悶の声を上げ倒れる敵兵を蹴倒し、手早く射殺する。

 予想外の動きを見せたのが、残る最後の敵兵だった。彼は銃をレオに投げ付けると、逃げ出したのだ。

 

 先頭二名の兵士は、旧日本軍の軍服を着ていた。これは澤崎の手勢だろう。逃げ出した兵士は中華連邦の軍服姿で、これは見た通り中華連邦の兵士だ。

 先の無頼改然りこの敵然り、事前情報と違って敵軍の主力は澤崎配下の私兵或いはテログループと中華連邦“義勇兵”の混成のようだ。国家奪還の情熱に燃える日本軍と国家戦略の手先として送り込まれた中華連邦軍。にわかに合流した両者の混成部隊は、彼らの指導者が願う程には機能していない様子が窺えた。兵士達とて個人であり、バックボーンはそれぞれ異なる。両者に役割を手軽に与えて、それで理想的な部隊が出来るなら苦労はない。部隊編成を怠ったツケが、綻びとして最前線で生じ、そして致命的な亀裂へと発展する。

 レオは逃げる敵兵の背を躊躇わず撃つと、再び通路を駆けた。

 

 高速(ターボ)リフトを登り切ると、そこにVTOLポートへと繋がる渡し通路がある。ポートの上でエンジンの暖機運転を開始しているVTOLへと走る人影が二人。曹と澤崎だ。レオは彼らの鼻先を、威嚇の意味を込めて撃った。

 

「そこまでだ、サワサキ!」

 

 二人が振り返ったまさにその瞬間、駐機していたVTOLが側面から飛来したスラッシュハーケンにより貫かれた。爆発炎上するVTOLを飛び越えるように、純白のKMFが飛び込んで来る。スザクのランスロットだ。

 

≪澤崎さん!≫

 

≪ここまでだな≫

 

 続いて、ゼロの声が拡声器を通して響き、ランスロットの背後から漆黒のガウェインが現れた。レオにとっては、思いがけないかつての乗機との対面だった。ガウェイン、と呟くレオの前で、狂乱した澤崎が目を見開いて、自らを取り囲む者を見回していた。

 更に、そこにもう二機のKMFが加わる。シルバーエッジとヴュルガー。混乱に乗じ、一気にここまで攻め入って来たのだ。過剰とも言える包囲網が完成していた。

 

「──、──!! ────!!」

 

 日本語で喚く澤崎。その隣で、観念した曹が両手を頭上に掲げた。澤崎が彼に倣うと、レオはスザクに──ランスロットに目配せして、澤崎に近付いた。

 

「……な、なあ、私を殺そうというのではないだろうな、ブリタニア兵」

 

 ある程度まで近付いた所で、澤崎は拙いブリタニア語でレオに問うた。

 

「わ、私は……日本で、エリア11で反政府活動を支援する組織の存在を知っている。こ、これを全て教える。だから……」

 

「それは、私ではなく収容所で尋問官に話す事だ。貴様が望もうと望むまいと」

 

 ぴしゃりと撥ね付けながら、レオはガウェインの方を見た。

 これでエリア11の反政府活動網を根絶やしに出来るならば、ブリタニア軍としては万々歳だ。だがそれを、このガウェインに乗っているであろうゼロが許容するものだろうか。

 そもそも黒の騎士団自体、既存の反政府組織とどう付き合っているのかが分からない部分がある。ゼロがどう反応するか、と警戒し、レオはスザクに目線を送った。それが通じたのか、ランスロットはそれとなくガウェインにMVSの鋒を向け、更にシルバーエッジがガウェインの背後に回る。

 

 最悪のケースは、ここでガウェインが澤崎をハドロン砲で溶かす事だ。これだけは絶対に避けねばならない。一方で、澤崎を確保した後ガウェインをどうするか、という問題もある。今回は協力する立場となったが、ブリタニア軍と黒の騎士団の敵対関係は変わらない。今の所数的有利はブリタニア側にあり、セイトのシルバーエッジはすぐさまガウェインを確保出来る位置取りにある。下手に動けない筈だ。

 

 ──だが、状況は意外な所から動き出した。

 

 突然、隣に居た曹がふらりと身体を揺らした。武器を取り出すのか、と即応したレオの前で、曹は口から赤い液体、即ち鮮血を迸らせて炎の中へと倒れた。

 

「なっ!?」

 

 敵の存在を感じ取って、レオは背後を振り返った。レオも通ったリフトホールへと繋がる通路の中程に、新たな脅威が出現していた。

 爆発炎上を始める司令部を背にしたそれは、闇そのものに見えた。光の中で浮かび上がる闇。漆黒のロングコートで全身を包み、顔の上半分を黒いバイザーで隠した人影。コートの下から伸びた腕の先に、ごく一般的な形式の回転式拳銃の銃口が煌めいていた。煙を上げる銃口は、今まさに曹を射殺した弾丸がここから放たれた事の証だ。

 

 間髪入れず、人影は全速力で距離を詰め始めた。足下から蒼いスパークを散らしながら、一瞬でレオの目の前まで距離を詰めて来る。レオはR-662での迎撃を試みたが、引き金を引く前に、コートの下から伸びた脚がR-662を蹴り飛ばしていた。遥か下へと落下する銃に意識を向ける間も無く、人影はコートを放り投げてレオの視界を封じ、驚く事にレオを()()()()()澤崎の背後に降り立った。

 

 あっという間の出来事であった。背後の人影の正体を確かめるように首を後ろに向ける澤崎の胸を、細く鋭い刃が貫いていた。信じられぬ物を見たような表情のまま、澤崎の身体から急速に力が抜けて行った。刃が抜かれ、鮮血が飛ぶ。人影は澤崎のスーツのポケットに手を突っ込むと、何かを抜き取ってから澤崎を突き飛ばした。

 力無く倒れたそれは、既に澤崎ではなかった。澤崎とは常に言葉でもって状況を動かそうとした存在だ。だが口内を朱に染め地に伏せた澤崎は、物言わぬが故に澤崎では無くなっていた。

 

 そうして初めて気付いた。その人影が握っている刃、それはあの神根島で奪われた、レオの刀剣であった。

 

「貴様、エリアスか!」

 

 レオは踏み込み、直剣で突きを放った。ほぼ同時に、ガウェインが両掌からスラッシュハーケンを放ち、ランスロットの足元、即ちVTOLポートを貫いた。ランスロットの重量でポートは加速的に崩落を始め、ランスロットはバランスを崩し落下した。ヴュルガーはランスロットのフォローに入り、肝心のシルバーエッジはガウェインの回し蹴りで体勢を崩されていた。

 

 ポートの破壊はそのままレオにも影響を及ぼした。突きの勢いのまま危うく奈落へ飛び込む羽目になる寸前だったレオは、ぎりぎりで踏みとどまると後ろへ跳んだ。跳んだ先には同じように跳躍して崩落を開始したエリアスも居て、レオは起き上がりながらエリアスへ下から斬り上げを放った。だが、エリアスはこれを片手で弾き、そのままレオの剣を遥か虚空へと斬り飛ばしてしまった。

 

「……また会おう」

 

 死の気配を間近に感じたレオだったが、エリアスはそう告げて、刀を収めた。人間離れしたら跳躍力でガウェインの肩へと飛び乗ると、ガウェインはエリアスを乗せたままゆっくりと浮遊を始めた。

 

「次があれば、こうはいかない。貴様もローガンも、俺がこの手で殺してやる。忘れるな」

 

 エリアスの言葉を残して、ガウェインは夜の闇へと飛び去った。

 コーネリア率いるブリタニア軍主力部隊が司令部に到着したのは、まさにその瞬間の事であった。彼らは一斉にガウェインへと弾幕を浴びせたが、ただの一発も、ガウェインを傷付ける事は無かった。



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第二十二幕 揺れる世界、揺れる刃

 澤崎の反乱──キュウシュウ事変の終結から、二週間が経とうとしていた。

 コーネリア総督の迅速な対応により鎮圧された、とされた本件だったが、首謀者の澤崎、補佐の曹の両名は死亡。結局澤崎からエリア11のテロリスト網に関する情報を得ることは出来ず、ブリタニア軍は最後の最後で、黒の騎士団に全てを掻っ攫われた形となった。まるで、ナリタでの戦いの再来であるかのように。

 

 ナリタの時とは違い、ブリタニアは黒の騎士団の関与を徹底的に隠蔽した。幸いナリタと異なり、フクオカ基地は完全な要塞であり、民間人の関与する隙は一切存在しない。アングラな情報網さえ、情報源に辿り着けなければ意味が無い。そして根拠の無い情報は単なる噂にしかならず、ブリタニアの勢力を削ぐ効果は得られない。情報部はそう判断し、実際それはある程度まで正解であった。

 しかし、噂の効力はブリタニアの想像を少しばかり上回っていた。直接的な運動に結び付く事は無かったものの、イレヴン達の間に存在する二つの大きな流れが勢いを増し、イレヴン達の動向が活発化し始めたのだ。

 

 一方は、黒の騎士団を救世主と看做し、日本解放の希望を抱く人々。これは元々支持する勢力が異なっていただけで統治開始から一定以上存在していた層であり、比率としてもこちらの方が多い。

 もう一方は、逆にブリタニア側に従う事で、属州としての発展と生活水準の維持を求める層。これら恭順派は枢木スザクの専任騎士就任以来急速に勢力を拡大しており、日本人を差別しない、と認識されつつあるユーフェミアの人徳も手伝って、なかなかに無視できない規模となりつつあった。

 

 斯様に、イレヴン達は戦後初めての明確な内部分裂を起こしつつある。それまでは誰も彼も、集う先こそ違えど仰ぐ旗は同じ日本の日の丸であり、日本解放、打倒ブリタニア。ブリタニアに尻尾を振る者は売国奴、という単純な思想の集団でしか無かった。しかし、ここに来て売国奴である筈の者達が一大派閥を築きつつある。この二週間の間、ブリタニアの軍事施設、或いは政府機関に対する攻撃の頻度は低下しつつあるが、代わりにゲットー内部での闘争、並びに租界に出入りする名誉ブリタニア人の住む地区、所謂名誉ブリタニア人街を標的としたテロが頻発している。これは、イレヴン達の混乱を物語る何よりの証拠であった。

 

 

 そういう微妙な時期に、一つの出来事が起こるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 世情は別として、今現在レオ・エルフォードには解決せねばならない問題が幾つかあった。

 

 まず第一に、損壊したナハトの改修。これは正直ロイドの領分なのだから、現状の機体に対する改善要求を纏めて提出してしまえば、後は暫く彼に任せるしかない。

 

 第二に、エリアスについての問題。神根島で彼の素性はある程度割れた。が、彼がエルフォード姓を名乗る理由、彼が如何にしてあのようなサイボーグ改造を受けたのかは不明のまま。旧日本軍から接収したデータを検証しても該当する人物は居ないという。

 ヒントとなり得るのが、オリヴィエだ。彼女は彼を知っているようだ。だが、彼女から聞き出そうとすると何故かレオの脳は機能を停止する。頭に靄が掛かるとでも言うか、崖を目の前にして、足を踏み出す事を拒む本能的な忌避感とでも言えば良いのか……。あの感覚は、正直レオとしても未知の感覚であり、実の所あまり触れたく無いのが本音だ。

 

 第三に、そのオリヴィエについて。結局本国に戻る戻らないの話は宙に浮いたままだ。と言うより、あれやこれやと理由を付けてレオの側から先延ばしにさせている、と言った方が正しい。オリヴィエはあれから、決して家に帰ろうとしない。「家に帰れば無事では済まない」と言わんばかりに。理由を尋ねても頑として語ろうとしないのは、一体何を警戒しているのか。

 

 最後に第四。剣について、である。本国を出立する際に義父から授けられた刀剣は、エリアスによって奪われた。キュウシュウで実感した通り、レオが使用した時と寸分違わぬ切れ味を維持している刀剣とサイボーグであるエリアスのキネティック・パワーが合わさって、最早エリアスは並大抵の武器で太刀打ち出来る存在では無くなっていた。

 

 あれを打倒するには、新しい武器が必要だ。最早あれは、いつものように尋常な剣戟で倒せる相手では無い。そう義父に報告したのが一週間前だ。そして今朝、これの返答が来たという報告が何故かロイドの方から届いていた。現在、レオはロイドの呼び出しを受け、セイトと共に旧特派技術陣に与えられた研究開発ブースを訪れていた。

 

「はい。それが届いたお品物」

 

 二人が到着するや否や、ロイドは何故か不機嫌そうに、目の前の机の上を示した。そこに置いてあったのは、金属によって補強された、二つの細長いケース。二重三重のロックが掛けられた、極めて頑強な物であった。

 

「なにこれ」

 

「新しい武器が欲しいって言ってたでしょ。そのお返事だってさ。この先量産するかも、って言うからセイト君やユリシア君にも使って貰って欲しいって訳らしいよ」

 

 薄々と、中身についてのある程度の想像がレオの頭の中で像を結びつつあった。厳重極まりないロックを渡された鍵で開くと、やはり、収められていたのは一振りの剣であった。

 ブリタニアであの刀剣を受け取った時と同様、レオは、右の手で冷たい柄を握り込み、持ち上げた。黒く染まった柄に、刀身を収める黒い鞘。一見して、あの刀剣とは全く異なる、ブリタニアではよく見かける直剣だったが、その鞘とヒルトのデザインは古来より伝わる文明と技術により形成された象徴性の高いそれではなく、現代文明の象徴である機械で構成されたような角張った直線的なデザインで纏められていた。

 

 抜き放つと、白銀に煌めく刃の代わりに黒に染まった刀身が現れる。かつての刀剣とよく似ているが、その刃の色と、刀身の反りが存在しない点が、レオに馴染み深さの中に無視し得ない違和感を感じさせる。

 

「点けてみて」

 

 細い目つきで、ロイドはレオに言った。何を言われたのかよく分からずにロイドを見ると、彼は剣を持つ手を模って、柄の根本、ハンドガードに近い箇所を指で示した。彼の示すであろう箇所に目をやると、そこに目立たぬ形で黒いスイッチがある。押し込むと、微細な振動と甲高い音を伴って、刀身が真紅の煌めきを放った。

 

「な……」

 

 黒い刃は既に無く、代わりに純白に近い色で刃が発光していた。その周囲を縁取るように、剣が赤の光を纏っている。

まるで炎か、或いは新鮮な血のように。

 レオの隣で、セイトもまた自分のケースから取り出した剣を起動する。二つの赤い輝きが、二人の顔を赤に染める。二人は低い駆動音を発し続ける赤い剣を軽く振ってみた。振る毎に獣の唸るような音が響き渡った。

 

「これは……MVSか」

 

 レオはその特徴にすぐに思い至った。

 高周波振動剣(メーザー・バイブレーション・ソード)。ランスロットやナハトに装備された近接戦用の装備。本来KMFの、それもランスロットのような第七世代機のユグドラシルドライヴでなければ稼働させ得ない程の代物である。

 

「……そう。君のご実家の、ロンゴミニアド・ファクトリーで作ったみたいだよ。MVSは僕のアイデアなのに、勝手にさ……」

 

 ロイドが不機嫌なのは、それが理由だ。歩兵携行用のMVS、という話自体は、KMF開発者であるロイドとしてはかなりどうでも良い部類の話ではある。とはいえ、ロイドでさえ梃子摺ったMVSの小型化を、自分以外の技術者に先にやられた。先進的技術者の宿命とも言えるそれが、どうにも気に食わないのだ。

 ランスロットもナハトもロンゴミニアドで建造されたのだから、MVSの技術がロイドの手から離れている事自体の説明は付く。が、しかし。

 

「…………ロイド伯爵の不満はさておいて」

 

 ぶつぶつと呪詛の類を呟くロイドの背後から声がする。ユリシアだ。彼らより先に受け取っていたのだろう。ユリシアもその手に二人のそれと似た剣を握っており、やはりその剣は赤く光っていた。

 

「試製歩兵用MVS……ロンゴミニアドの提出した名称は“フォースブレード”。ロンゴミニアドの持ち主である貴方の御父様が名付けた名前が“フラムベルージ”……私はこっちの方がしっくり来るかな」

 

 ユリシアは炎のように揺らめく赤い光を見せながら言った。フランベルジュ或いはフランベルクという種類の剣は、刀身が波打ち炎のように見える特徴を持つ。古の時代には純粋な威力よりも不必要なまでに苦痛を与える武器として知られた武器だ。確かにこの剣には、そのフランベルクに近い趣があった。

 

「ナイトメアのMVSと違って、この剣の攻撃力はあくまで普通の剣よりは高い程度。ナイトメアの装甲を容易く斬り裂くような馬鹿げた威力は期待しない方が良いわ」

 

 壁際に何枚か重ねて立てかけられていた金属板を拾い上げ、ユリシアが言った。試し斬りしてみて、と彼女が持ち上げたそれに、レオは手にしたフォースブレード或いはフラムベルージの光刃を押し当てた。ナイトメアの装甲材である金属板が、過負荷を起こしたような唸りと共に裂けて行く。ユリシアの言う通り、ナハトのMVSのように軽々と一刀両断、とは行かないが、それでも本来なら歯が立たない筈の物が斬れる事に違いは無い。

 数秒掛けて装甲板を両断し終えて感嘆の息を漏らしたのも束の間、レオはブレードの光が先程よりも色褪せている事に気付いた。光はどんどん薄くなり、ちらついて、やがて消えた。赤い煌めきは霧散し、白く輝いていた刃は元の黒いコーティングに包まれた刃に戻った。

 

「ご覧の通り、エナジーの持ちが悪いのが欠点ね」

 

 ユリシアは肩を竦めた。パワーセルが鞘に内蔵されてるから、と言いながらユリシアはレオのブレードの柄に触れた。瞬時にレオはフラムベルージを持った手を彼女から遠ざけた。まるで、奪わせまいとするように。傷付いたような色を見せる彼女の瞳を見て、レオは視線を逸らしてフラムベルージを渡した。

 

「……鞘に収めればチャージが始まるわ。エンプティからフルまで、最短でも十秒。結構速い方だとは思うわよ?」

 

 彼女の言葉通り、十秒程で鞘のランプが赤から緑に変わった。ユリシアは鞘に収めたフラムベルージをレオに返し、レオはその鞘をベルトの金具に留めた。以前の刀剣用の物だったが、規格は合っていた。

 

「しっかし、良くもまあMVSをここまで小型化出来たな。グロースターに乗せるだけで稼働時間が減る代物だろ?」

 

「ブレード自体は常識的なサイズだし、出力もあれ程じゃない。とは言え、それでもこの燃費の悪さだものね……」

 

 そう話すセイトとユリシアから離れて、レオは何度か抜剣と納剣を繰り返しつつ、鉄板を相手に試し斬りを行なっていた。最大チャージ回数は十数回。それ以上は鞘に納められたパワーセルのエナジーが保たないから、セル自体の交換が必要だ。

 ただし斬れ味としては、あの何でも斬れそうな程に仕上がっていたかつての刀剣をも上回る。ブリタニア式の大剣並みの攻撃力をこの軽さで実現したと考えれば、確かにこの剣には可能性を感じる。あの刀剣にこれをぶつけた場合どうなるのかは試して見なければ分からないが、上手くすれば、あの刀諸共サイバネティクスのボディを破壊する事も夢ではあるまい。

 

 問題は燃費だ。一振り毎に納刀してチャージを入れるようでは隙が大きい。幸い起動していなくとも通常の剣としては使えるのだから、ここぞと言うタイミングで起動する戦法も有るだろう。幸い刀身が何かに触れない限りエナジー消費は然程でも無く、一瞬の斬撃の際に触れ合う程度ならばまだ飲み込める程度の消費である点も視野に入れるべきかもしれない。

 

「試作品はこの三振りだけか?」

 

 レオはロイドに尋ねた。ロイドは指を立てながら数え始めた。

 

「エリナ殿下の所にも一振り行ってるって。多分例のリヒャルトって騎士が使うんでしょ。後は君の義兄さんが使ってるらしいよ。で、君ら三人の分。今あるのはそれだけ」

 

 そう聞くと、レオは僅かならぬ嫌悪感を感じてしまう。義兄ローレンス……あの他人を無用に痛め付ける事を愉悦とする男が手にした武器だ。彼は、この剣にそう言った他者を必要以上に痛め付ける点を見出したのだ。

 そう言う負の側面が、この剣には確かにあるのだ。

 

「何にせよ、実戦でこれを試してデータを取って来い、と言う事なのだろう? セイト、早速試しに試合の一つでも洒落込むか?」

 

 気を取り直すように、レオはセイトに呼び掛けた。片手でスナップを効かせて赤い光刃をぐるりぐるりと回すセイトは「良いね」と挑戦的に答えたが、次の瞬間、首を横に振って光刃を消して鞘に収めた。

 

「……と言いたいが、ユリシアと俺とでやる事になりそうだな」

 

「何故」

 

 不審がるレオに、セイトは顎をくいくいと動かしてレオの背後を示した。振り返ると、ちょうどブースの透明な扉の向こうから駆け寄ってくる人影……オリヴィエの姿が見えた。成る程、とレオは扉の前に歩み寄り、勢い良く部屋に飛び込んで来たオリヴィエを出迎えた。

 

「オリヴィエ。どうした、そんなに慌てて?」

 

「慌てますよそりゃあ……今、ユーフェミア様が、とんでもない発表を……!」

 

 ユーフェミア様? とユリシアが聞き返し、その横でセイトが表情を硬くした。今日はちょうど宰相シュナイゼルが帰国する日であり、エリア11総督であるコーネリアや、後学の為もう暫くエリア11に留まるエリナなどが彼の見送りに出席している筈だが、ユーフェミアは公休を取っており、その行方はレオも知らなかった。

 

「とにかく! 皆さんこれを見て下さい!」

 

 そう言ってオリヴィエは、手にした携帯端末を差し出した。画面にはエリア11国営のニュース番組の映像が流れており、掌サイズの長方形の中で、青いKMFの掌の上に乗った、ゆったりとした私服姿のユーフェミアが高らかに語っている様が映し出されていた。

 

≪──私、ユーフェミア・リ・ブリタニアは、フジ山周辺に、【行政特区日本】を設立する事を、宣言致します!!≫

 

 それは、これまでのエリア11の情勢、辿ってきたブリタニアとイレヴン、両者間の歴史を根底から覆す言葉であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 行政特区日本!

 その知らせは瞬く間にゲットーを駆け巡った。多くの場所で、その旨を伝える映像が再生された。リアルタイムの物ではない、録画されたニュース映像だ。それが今、エリアスを筆頭とする黒の騎士団の面々の前でも流れていた。

 

≪この行政特区日本では、イレヴンは日本人という名前を取り戻す事となります。イレヴンへの規制、ならびにブリタニア人の特権は、行政特区日本には存在しません。ブリタニア人にもイレヴンにも、平等の世界なのです!≫

 

 ユーフェミアがどう言う意図でこの発表を行ったのかは、この場の誰にも理解出来なかった。ただ、その意味する内容が黒の騎士団の存在を根底から揺るがす強烈なものである事だけは、誰もが理解出来た。

 

≪聴こえていますか、ゼロ! あなたの過去も、その仮面の下も私は問いません。ですから、あなたも行政特区日本に参加して下さい! 私と一緒に、ブリタニアの中に新しい未来、新しい時代を作りましょう!≫

 

 発表より半月以上。移り行く時代の激動をその身に感じながら、黒の騎士団幹部らは日々対応策を協議していた。

 

「──行政特区という構想は、無論ブリタニアでは初の試みだ。しかし、他国に目を向ければ類型を見いだせなくもない」

 

 そう言ったのはディートハルトであった。例えば中華連邦、と彼はプロジェクターに示した資料を指し示す。

 

「中華連邦は多民族国家です。そして中華連邦を構成する民族の中には少数民族と言った物も存在する。中華連邦には彼らのような民族が集まる区域があって、天子から行政権を委譲される形で自治政府が置かれている」

 

 EUもそうだ、と彼は続けた。EUはそもそもが多数の国家の集合体であり、各国は全体としてはEUの一員を名乗りつつ、自国の名前と国境線を完全に捨て去ってはいない。

 

「ただし、これらのシステムと行政特区日本とを比べると、明らかに行政特区日本の構想は民族自治、民族自決の点で弱い」

 

 ディートハルトの講義じみた話の間、プロジェクターを操作しているのはエリアスであった。エリアスはディートハルトの話の進み具合を見て表示するシートを入れ替えつつ、その目は各幹部の動向を見ていた。

 

「結局のところ、特区日本はあくまで特殊な政策が行われるブリタニア統治領の一部分に過ぎません。EU構成国のような対等な関係では無い。また類型の一つである中華連邦の民族自治区には、州内の投票で構成員が選出される自治政府がありますが、行政特区にはこれが無い。行政特区の首座には、発案者であるユーフェミア・リ・ブリタニアが座る事が予め決まっているような物です。これでは自治とは呼べない。これまでのエリア制度と何ら変わり無いのです」

 

「しかし、これまでのブリタニアの強硬的な植民地政策を考えると、これは大きな一歩である事に変わりはない」

 

 呟くように言ったのは、藤堂である。今のところ黒の騎士団幹部を名乗る人間は結構な数に上るようになったが、その中で会議の流れを決定付けられる発言力を持つのは、今の所ディートハルトと藤堂の二人。一見異なる意見をぶつけているように見える二人だが、その実彼らは現状の日本人間の反応をそれぞれ代弁し、会議メンバーの前で改めて整理しているに過ぎなかった。それは、やはり彼らにしか出来ない役割だ。

 

「ユーフェミアが口にした通り、これを最初の切り口として行くべきだろう。殊にこの宣言を行ったユーフェミアは日本人への差別を撤廃すると掲げているし、そのユーフェミアも日本人である枢木スザクを専任騎士に任ずるなど、日本人を差別しない事で知られている。このユーフェミアであれば、信頼しても良いのではないか──以上が、大まかな日本人達の反応だ」

 

「……そして、キョウトは先日、この行政特区日本の構想を支持、協力すると宣言しました」

 

 次に口を開いたのはエリアスだった。澤崎の暗殺成功とデータチップ奪還成功の報告などなにかとキョウトとの連絡役を努めがちなエリアスが、この話題を口にするのに最も相応しかった。

 

「資金提供や企業誘致など、現在特区日本の始動準備は着々と進みつつあり、これに伴って特区への参加を表明する日本人の数は二十万を突破しています。かつてのような恭順派のみならず、反ブリタニアを掲げていた者達さえも。昨日も元日本軍大佐であり反ブリタニア勢力への情報提供を行っていた政岡氏が特区への参加を表明しており、彼がニュース上で述べた通り……まあ彼はNACからの要請、程度に濁していましたが……我々黒の騎士団にも、特区への参加命令がキョウトから下っています」

 

 エリアスにとって絶望的な響きの言葉を、エリアス自身が口にした。実際、黒の騎士団にとってはそれ以外の選択肢はあまり現実的では無かった。ただし、その選択にも相応の痛みを伴う事が予想されてもいた。

 

 宣言の場でユーフェミア自身が断言した通り、特区に参加するならばゼロの罪状は全て免除される。加えてユーフェミアは、五日後に迫った記念式典でもゼロの席を用意する、と改めて発表し、再び世間を驚かせている。

 特区に参加した場合、ゼロと黒の騎士団の安全は保証される。しかし特区に参加する以上ゼロはブリタニアが行う政策に賛同する形となり、そうである以上、ブリタニアを脅かす可能性のある戦力は保有出来ない。即ち、黒の騎士団は総じて武装解除せねばならない、と言う事だ。

 

 では、特区を拒絶した場合どうなるか。その場合、黒の騎士団はその存在意義を失いかねないのだ。

 忘れてはならないが、黒の騎士団の目的は弱者救済でありブリタニア打倒ではない。そしてその弱者救済の側面はユーフェミアの特区日本にも色濃く存在している要素であり、ゼロがこれを否定する事は、自分で自分の主張を否定する事にも繋がる。

 

「現実的に、多くの日本人がゼロ以上に行政特区日本を支持しています。これを拒否する事は、ゼロと黒の騎士団こそが日本の敵と名指しで敵視される危険性を秘めています」

 

 それが、彼らの悩みの種である。これでは即ち、黒の騎士団はブリタニアに──それもユーフェミアという一人の少女に膝を屈する事になる。ブリタニアへ取り込まれる恐怖も存在する。とはいえ、それを理由にこの申し出を蹴る選択も難しい。

 

 全員の脳裏に映るのは、今は席を外しているゼロの事であり、彼の引き起こした様々な事件の事であった。あの仮面の男が鮮烈なデビューを飾り、ブリタニアの非道への非難を訴え、正しく救世主となって日本人の支持を一身に集めた光景がフラッシュバックする。そんなゼロの存在が、ユーフェミアに容易く取って代わられる。侵略者の姫君でしか無かった筈の少女に。ユーフェミアがテレビの前で発した、たった一言の言葉だけで。

 

「──今は、静観するしかない、な」

 

 重苦しい現実を前に、藤堂達が下した決定はそうした消極的な物だった。それ以外、判断の下しようが無かったのだ。

 

 ……だが、エリアスはそうではなかった。

 

 

 

 

 

 

 暗闇に閉ざされた部屋。そこにゼロは立っていた。彼の横にはC.C.が座り、呑気にピザの一欠片を口に運んでいる。エリアスは部屋に入室し扉をロックすると、背を向けたままのゼロに視線を投げた。

 

「単刀直入に言うぞ」

 

『……ああ』

 

 ゼロの声色は、いつになく感情的な色を帯びていた。いつもの冷徹さは、特区の発表以来何処かへ旅立って留守のやうだった。

 

「もし、黒の騎士団がこのままブリタニアの中に入るというのなら」

 

 エリアスは手にした刀をテーブルに置いた。神根島でレオ・エルフォードから奪い取った──いや、奪い返した刀。

 

「俺は、黒の騎士団の敵になる」

 

 C.C.が気怠げな表情を向けて来る。だが、その視線そのものは矢のような鋭さを持っている。

 

『……脅しか』

 

「違う。これまで同じ志を持っていると信じていた相手への礼儀だ。俺にとっては日本解放も弱者保護も大して興味は無い。母を捨てたブリタニアと、母を救い出さなかった日本。両者全てへの復讐のみが、俺の目的だ」

 

 自然と、エリアス自身の声にも怒気が篭り始める。ゼロはエリアスの言葉を否定も肯定もせずに、何か苛立ちをぶつけるかのようにどん、と音を立てて壁を叩いた。

 

『行政特区日本などと……下らん。実現不可能な夢物語だ』

 

「では、加わるつもりはない、と?」

 

『そうだ』

 

「ならば、それによって黒の騎士団が被る不利益はどう処理する」

 

『分かっている……分かっているさ、そんな物は……ッ!』

 

 珍しい程の荒れようが、ゼロからは見て取れた。これは黒の騎士団に見せるゼロの姿とはかけ離れている。もっと別の……あの仮面の下にいる何者かの素顔の発露なのだ。エリアスはそう理解した。

 

「……良い機会だ。ゼロ、ひょっとしたらこれが最後になるかも知れないし、多分通じる部分があるだろう。だからここで、お前に話しておこうと思う。俺の過去と、正体について」

 

『…………』

 

 無言を肯定と受け取って、エリアスはテーブルの上の刀を抜いた。日本人とブリタニア人、双方の血を啜り続けた妖しげな煌めき。その刃の根本には二つの漢字が刻まれている。“月虹”と。それがこの刀の銘である。そして知る者が見れば、一瞬で思い出すだろう。この月虹という銘の刀を振る者──旧日本軍でその名を轟かせた女の名を。

 

「俺の母の名は、榊原美咲。この刀の持ち主だ。優秀な軍人であった母は戦前、あるブリタニア人の男に孕まされてブリタニアに渡った。男の名は、ローガン・エルフォード」

 

 ゼロはようやく振り向いて、エリアスに向き直った。普段なら傍観者を決め込むだろうC.C.も、ピザを喰う手を止めてエリアスの言葉を聞いていた。

 

「だから俺の名は榊原エリアスであると同時に、エリアス・エルフォードでもある。だから前にも言った通り、あの黒い有翼一角獣(アリコーン)に乗って、エリナとかいう皇族の騎士に選ばれかけながらこのエリア11にやって来たあの男は、俺の義理の兄だ」

 

 そうして、エリアスは全てを話した。エルフォードの家が母と自分を捨て、自分はブリタニアの実験施設で実験を受けてこの身体となった事。日本へと戻った母を日本人は売女として拒絶し、誰にも味方されぬまま、態々エリア11へやって来たローガンの手で殺された事。そうして自分は、キョウトの──とりわけ、今更母の事を持ち出して来た母の生家榊原家の当主、榊原大和の私兵となって生き長らえ、復讐の機会を窺って来た事。全て。

 

 自分にとっての最上の目的、それは母の仇を討つ事、父へ復讐を果たす事。復讐する相手とは最早一個人ではなく、日本、そしてブリタニアという国家そのものが復讐の対象足り得るのだ、と。

 

「……かの老師殿がブリタニアへの恭順を示すのならば、奴らが母にした仕打ちを忘れると言う事だ。であれば、奴らが俺を動かす為に使う“母の為”と言う文言も嘘になる。なら、もう奴らの味方をする必要は無い。奴らは自ら俺の敵となった。俺に向かって、自分達を裏切って良いぞと許可をくれたようなものだ」

 

 一通り一気に語り終えた時、ゼロが小さく息を吐いた。エリアスは刀を納め、ソファに腰を下ろす。

 

『黒の騎士団が特区に参加したとして、そうしたらお前はキョウトからも離れ、それからどうする』

 

「どうにでもして見せるさ。例え誰の手も借りずとも。復讐を果たすか、或いは完全に敗れ果てるまで永遠に戦ってみせる。元々復讐とは個人がする物、他者は都度利用するだけ。だからだ、ゼロ。黒の騎士団もキョウトも、目的の為に使い捨てるだけだ」

 

 暫くの間、沈黙が場を支配した。喋らない三人がそれぞれの方向を向いている中、空調の音に混じって時たまC.C.が新たなピザに手を付ける音だけが聞こえた。

 

『──仮に、だ』

 

 ゼロはようやくエリアスに向き直って、言葉を紡ぎ始めた。

 

『仮に、お前のその復讐心に善意でもって向かって来る相手が居たら、どうする』

 

 やはり、その声はゼロには聞こえない。仮面の奥の何者かが、自分に向けて問い掛けている。エリアスはそう理解した。

 

『理念や理論だけではない、その人物を前にしてしまえば、その人物を助け、何かしてやりたいと思わせる。そういう善性の象徴のような相手が、復讐の心を抱く自分に手を差し伸べて来たら、お前はどうする。手を取れば、或いは自分の復讐心は消え、過去の痛みを癒やし、幸せに生きられるかもしれない、そう言う希望が見えてしまった時、お前はどうする?』

 

「お前……」

 

 C.C.が口を挟むのを余所に、ゼロはエリアスを見つめる。エリアスはもう一度、今のゼロの言葉を頭の中で思い返した。

 善性の象徴。エリアスにはそんな存在がこの世に居るとは思えない……と言いたかったが、今現在、その状況に合致する人物が世情を動かしている。これを無視はできない。

 そう言う人物が、多くの人の手を借りて善意の世界を広げて行く。それは恐らく、穏やかで安らかな世界。そこに居れば、自分は過去の痛みを癒やされ、復讐心を忘れ、昔のような安穏な生活を送る事も出来る──。

 

 そう考えた瞬間、脳裏に浮かぶその光景を雷鳴が切り裂いた。激しい嫌悪感が、エリアスを襲った。

 

「……ふざけるな」

 

 感情が口を突いて出た。仮定の話だと分かっていても、それだけは止められない。

 

「復讐心を消して幸せに生きる。それは結構だ。じゃあ、母の死は、一体どうなる。俺の痛み、母の痛み、あの絶望も苦しみも、全部無かった事に……いや、無関係な過去の出来事として片付けるというのか。成る程そいつは確かに魅力的だろう。だがな、そいつが否定しようとする物こそ、俺の存在の根底にある物だ。それを根こそぎ否定して、そいつの都合の良い善意とやらで詰め替える真似、許せる訳が無い」

 

『………………そうか』

 

 長い時間を開けて、ゼロはそれだけ言って自らの仮面に手を触れた。「あ」とエリアス、C.C.の二人が声を上げるのも構わず、ゼロはその仮面のロックを外し始めた。

 

『安心して欲しい。エリアス。これで最後にはならない。ここから真に始まるのだ。今の言葉で確信出来た。私達は、互いに似た過去を持ち、互いに同じ思いを抱いているのだ、と』

 

 闇の太陽を描く仮面が、テーブルの上に置かれる。だが、仮面を抜いだその素顔は、歳若いながらにまさしく闇を纏っていた。良く手入れされた黒い髪、刃のような切れ味を持つ紫の眼。誰にも明かされることの無かった仮面の下の素顔が、今エリアスの目の前にあった。

 

「……だからこそ、今回の特区に対する思いも、俺達は同じなのだろうな」

 

 怒気を含んだ声色で、端正な顔付きの若者が言った。学生と言っても通じるような人間の、発するオーラだけが学生離れしていた。

 

「理屈でない事は分かっている。エゴである事も理解している。それでも、この怒りは俺達が生きる糧として来た感情そのもの、俺達の根元にあるものだ。ご立派な善意、真っ当な善意とやらで否定される訳にはいかない。違うか?」

 

「……ああ、そうだな」

 

 エリアスは力無く肯定する以上のリアクションを取れなかった。

 かくして、エリアス・エルフォード、そしてゼロ……ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは、新たに同志としての誓いを交わす。その様を、C.C.は冷めた瞳でじっと見つめていた。

 

 まるで、何かを見極めようとするかのように。



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第二十三幕 Before the Despair/嵐の前の……

 電撃的な発表というものは、得てして周囲の者を混乱させるものである。特区日本の発表については、無論イレヴン達の間でも酷い混乱を齎したが、同時にブリタニア側においても無視出来ない混乱を生じさせていた。

 

「……」

 

 エリナ親衛隊正装と呼ばれていた服装に身を包み、レオ・エルフォードは夜の帳が下りた後の、人気のない廊下に直立不動の姿勢で立っていた。

 

 特区の発表に伴って、ユーフェミア親衛隊には少しばかり奇妙な命令が下っていた。突き詰めればそれは特区の設立の補佐をせよ、という至極当たり前な命令なのだが、その際に組織を妙な形で分割しているのだ。

 即ち、スザクを筆頭とする僅かなチームだけがユーフェミア皇女の側に付き従い、レオやセイトらを始めとするチームには、他の組織……例えばセイトはコーネリア親衛隊、レオはエリナ親衛隊といった類似組織に合流、各部隊と共同で任務を遂行せよ、という命令だった。折角ユーフェミア親衛隊としての編成がひと段落付き、組織立った行動が可能となったというタイミングで、これはどうにも腑に落ちない。組織として見ても、同等の権限を持つ組織同士が同じ場に居る場合、指揮系統は明確化しておかなければ現場での混乱につながる。今回の命令にはこの点への配慮が欠けている節がある。

 

 そして、セイトやユリシアらがコーネリア親衛隊の側に行ったのに対し、レオだけは今現在エリナの側に付いている。これでは二人の監視どころではない。

 ……最も、二人については結局の所何ら怪しい点は見受けられない、というのも事実なのだが。

 

 何やかやと言っても、与えられた命令は命令だ。レオはエリナ親衛隊と合流するに当たって、現在の専任騎士であるリヒャルトから、彼女の護衛、側近の任を任されていた。それは本来彼の仕事の筈なのだが、リヒャルトはエリナ側もその方が落ち着くだろう、などと言って、エリナもそれを受け入れていた。何か妙な流れが生まれていることは確かだった。

 

 目の前には固く閉ざされたコーネリア総督の執務室の扉に、その両脇で同じく直立不動の姿勢を取る近侍の姿。二人居る近侍の内片方はマリーカ・ソレイシィ候補生だった。どうやら、彼女はコーネリアの近侍に抜擢される程の逸材だったらしい。緊張が極限に達しているのかすっかりガチガチに身体を固めた彼女を見かけて、先程レオは「それでは近侍というより銅像だぞ」と声を掛けたのだが、結果、余計緊張させてしまった様子であった。

 

 言葉選びを間違えたか、と考えていたところで、目の前の扉が開いた。出て来たのはエリナ・エス・ブリタニア。特区に関する調整の件で、ユーフェミアに代わりコーネリア総督と打ち合わせをしていたのだ。

 

「お待たせしました。さあ、参りましょうか」

 

 彼女に付き従い、レオは執務室の前を辞す。二人きりで廊下を進む内に、エリナは酷く大きい溜息を漏らした。特区の発表からこちら、エリナがこうしてコーネリアとの打ち合わせを行うのは、これで十度目近かった。

 何故、特区とはそれほど関係のない場所に居るはずの彼女が、本来それを行うはずのユーフェミアに代わりこんなことをしているのか。それは、コーネリア、ユーフェミア姉妹間に発生した不和が原因であった。

 

 そもそも、近年両者の間には感情的な不一致があった。切っ掛けとして思い浮かぶのは、やはりユーフェミアが枢木スザクを騎士として迎えた件であろうか。コーネリア自身はイレヴンを差別し虐げる思想を持ち合わせている訳ではないのだが、ブリタニア人を上に、それ以外を下に見るブリタニアの国是が骨の髄まで染み込んでいる人物でもあり、その上で、高貴なるものが相応の責務を負って戦い、下々の者は守られる、という極端なノーブル・オブリゲーションの思想の持ち主でもある。それだけに、“下の者”にカテゴライズされる枢木スザクを認める事は出来なかった。その辺りから、双方の感情的な亀裂は広がっていたようだ。

 

 それが、今回の特区の件で遂に無視出来ないレベルにまで発展してしまった。実のところユーフェミアによる特区の発表にはコーネリアは一切関与しておらず、完全にユーフェミア、シュナイゼル間でのみ完結した協議によって実行された計画だったのだ。だからこそ、ユーフェミアは皇帝直轄領であるフジ周辺に特区を設定したのだ。

 ただ、ユーフェミア側としてはその話は当然コーネリア側にも届いている、思い込んでいたようで、彼女から殊更コーネリアへ話を持ち込む事は無かった。結果、コーネリアは突然自らの統治する属領に置かれる特殊な行政区について、寝耳に水の形で知らされる事となったのである。

 

 加えて、ユーフェミアはゼロを──皇族殺しである男の罪を赦し、特区に迎えるとも言った。これは、前総督クロヴィスの仇としてゼロを憎むコーネリアにとって、何より受け入れ難い事実であった。決して認めようとしないコーネリアに対して、ユーフェミアは断固として譲らず、結果、エリナが両者の間に立って、どうにか取りなそうとしているのが現状であった。が、これは上手くいっているとは言い難い。

 何故ユーフェミアがそれほどまでにゼロに拘るのかは分からないが、結局のところ、両者の断裂が急速に広がった原因はゼロだ。だが理由が分からない以上、エリナにも取りなしのしようが無い。

 

「ねえ、レオ。少し……少しだけ、お話しませんか?」

 

 エリナはそう言って、レオと共に政庁屋上の庭園へと足を運んだ。屋上の敷地一杯を使用して整備された庭園は、本国の皇宮……今や閉鎖されたアリエスの離宮のそれを模して造られている。皇宮としては少々こじんまりとしていながら良き立地と景観に恵まれ、皇帝シャルルにも愛されたアリエスの離宮は、七年前の惨劇──何者かの放った暗殺者により、后妃マリアンヌが射殺され、皇女ナナリーもその心に深い傷を負った──以来誰も住まわず、まるで悲劇の現場を内へと封じ込めるかの如く閉ざされている。記録によると、アリエスの庭園の生写しと言えるこの庭園を造らせたのは、前エリア11総督クロヴィス皇子だと言う。

 それは、かつてアリエスの離宮にて悲劇に見舞われた果てに、このエリア11にて生命を落とした異母兄妹、ルルーシュ皇子とナナリー皇女を悼んだ物だったのだろう。

 

「クロヴィス兄様は、こういうのが一番得意な方でしたね」

 

 月夜の下に、身を晒す。最も目立つ位置に設けられた花壇の前で腰を下ろし、エリナはそこに植えられた薔薇の花に手を触れた。華美の極みと言える程豪勢に飾られて、しかし決して煩さを感じさせない、造り手の技量が良く分かるそれは、存命当時、クロヴィスが手ずから世話をしていた花だと言う。深紅と薄紅色の二色の薔薇に、彼は恐らく第11皇子ルルーシュと第12皇女ナナリーの姿を見ていたのだろう。

 

「見事なものですね」

 

「そうだな。流石はクロヴィス殿下だ。良き芸術家であらせられた」

 

 エリナの言葉にレオはそう首肯した。二人だけの時は、他人行儀な真似はしないで欲しい、とのエリナの希望通り、妹達に語りかける時のように。

 仲睦まじく花を咲かせる二種の薔薇。その色合いは現在この地を治める皇女姉妹のそれにも似て、自然とエリナは首を横に振った。

 

「コーネリア姉様やユフィも、本当はこのくらい仲が良い筈なのですが……」

 

「お二人とも、まだ?」

 

「ええ。特にコーネリア姉様はもう完全に意固地になっています」

 

 コーネリア皇女とは、確かに気性が強く、並の男性騎士では比較にならぬ程に武人の気質をもつ人物だが、同時に明晰な頭脳を持ち、冷静沈着な一面も持ち合わせている優秀な人物だ。皇女でありながら最前線に立ち、更に度重なる戦果を挙げているのは伊達ではない。それだけに、この彼女のある種の固執ぶりは驚きを隠せない。

 

「総督らしからぬ……としか言えない。何があったのか」

 

「貴方だから伝えておきますが……ユフィはゼロの罪を赦す為に、皇女の地位を返上するそうです」

 

「何?」

 

 レオは愕然として問い返した。

 

「皇籍奉還特権を使うようなのです」

 

 皇籍奉還特権。その名の通り皇族としての身分を永久に放棄し、市井の人間として野に下る事を引き換えに、およそあらゆる罪状を打ち消すという、皇族にのみ与えられた特権だ。

 いや、それは特権というよりは一種の刑罰に近いものだった。

 元々ブリタニアには、皇位継承権を持つ人物へ重い処罰を下す法律は存在しない。これは、ブリタニアの歴史上永らく存在した神権政治の文化……皇室の権威は神の威光により保証されたものだとする概念の名残と言えるのだが、長いブリタニアの歴史の中で罪を犯し、法によって裁かれねばならない皇族というものも当然皆無ではない。近年の例で言えば、それこそエリナの親兄弟を暗殺しエリナの命すら狙った第9皇子アルベルトなどだ。そしてそうした時に用いられるのがこの特権だ。皇帝直々にこの特権の使用を命じられ、皇室の地位を失う。これによってその罪そのものは償われたとされるのだが、引き換えにそれまでの身分も、その生まれ故に手にした多くの特権も全て失い、身一つで宮殿を叩き出される訳である。

 

 当たり前の話だが、この特権を使用した皇族はその後二度と皇族の立場を取り戻す事は無く、その後の人生において二度とかつての特権を行使する事はない。再び罪を犯せばその時は市井の人間として裁かれる形となる。いわば、皇籍奉還特権は皇族にとって、生涯ただ一度きりの切り札なのだ。

 因みに先述のアルベルトも、つい二週間程前……エリナがエリア11に来る前後の時期に、この特権の使用を皇帝に命じられている。

 

「……本当に?」

 

 ベンチに腰を下ろしたエリナの横に並んで、レオは恐る恐る問いかけた。一人の人物の為に、自分の特権を全て放棄する覚悟を示す。それも兄弟の仇である人物だ。にわかには信じがたい。

 

「本人の口から聞きました。特区の成立後、本国から発表があるでしょう。ユフィは気にしていないようでしたが、コーネリア姉様が……」

 

 道理で、親衛隊の組織改編が起きる筈だ。ユーフェミアが皇族の地位を喪う事でその親衛隊も解散となるのは道理。故にユーフェミアは僅かな人数だけを側に残して、残る人員を他組織に吸収させるつもりなのだ。

 当然、血を分けた姉妹がそのような手段に出るとあらば、姉としてコーネリアは断固認められない事だろう。コーネリアが意固地となったのはそのせいでもあるのだ。こうなると、尚更ユーフェミアとゼロの関係の謎が深まって来る。

 

「そのユーフェミア殿下は、ゼロと面識が?」

 

「カワグチ湖でのホテルジャック事件に巻き込まれた際に、一度だけ話したようです。でも、それ以上は……」

 

 エリナは首を横に振った。

 

「なので、コーネリア姉様も必死でユフィを止めようとしているようです。本国の枢密院や宰相府に根回ししてみたり、お母君に掛け合ってみたり……私にも、ユフィを説得してくれ、と」

 

「それで、ユーフェミア殿下は何と?」

 

「まあ聞く訳ありませんね」

 

 即答であった。それで、エリナも少し笑みを溢した。

 

「一応、試しに言ってはみたのですよ? でも、ものの見事にコーネリア姉様の差金でしょう、って見抜かれて。それを差し引いても、本人の意思も固いようでしたから、説得は無理に思えますね」

 

 それに……とエリナはレオの方を向いた。レオは彼女の視線の高さに合わせるよう、彼女の隣に跪いた。

 

「私自身、ユフィには賛成しているんです」

 

「ほう?」

 

「特区に、というよりユフィ個人に、ですけどね?」

 

 そう言ってエリナは苦笑した。不意に吹き込んだ風に靡く紫の髪を手で抑えながら、エリナは続けた。

 

「少し前までコーネリア姉様に頼りがちだった子が、今は自分の力だけで大きなことをしようとしている。あの子を見ていると、私も出来ることをしたいって、そう思えて来るんです」

 

 かつてエリナ自身が言っていた。もう守ってばかりはいられない、自分の力で、自立して行かなければならない、と。今、ユーフェミアはそれをしようとしているのだ。

 

「……だから私、実は今、結構充実しているのです」

 

 そう言って、エリナはレオの方を振り向いた。その表情は、かつてないほどに穏やかで、何より輝いて見えた。

 

「ただ、私はそれで良いのですが他の方……特にレオ、貴方はどうなのでしょう。それが聞きたくて。特区の発表以来、貴方には色んな事を手伝って貰っている事ですし」

 

 正直な感想を述べれば、レオ自身は当初、特区の構想にはそれなりに冷ややかな感想を抱いていた。七年もの間堆積し続けた怨嗟の感情が、そう易々と解消されるものか。殊に、元より支配する側でしかないブリタニア側からイレヴンに手を差し伸べるなどただの上からの施し、傲慢さの現れとしか受け取られないだろう、と。

 だが、現実にはユーフェミアの言葉に多くのイレヴンが賛同している。日に日に増える賛同者、群れ成して特区を目指すイレヴン達。それはまるでハーメルンの笛吹きに導かれた童にも見えて、何やらある種の人智を超えた力のような物を感じてしまう。

 ──人智を超えた力、ギアス。レオはその存在を知っている。故に一度はそれを疑った。だが、あの霊体の女に話を持ちかけた所、彼女はそれを鼻で笑った。あれはそのような姑息な物ではないでしょう、と。もっと長期的に効果の及ぶ、より強きものだ、と。

 

 ギアス絡みの話を除いて、その辺りを正直に述べると、暫し考えてからエリナは言った。

 

「少し、違うと思うのです。ユーフェミアはただ、他人から受けた幸せという恩を返したいだけなんだと思います。自分が他人に幸せを与える事で。施すとか施されるとかではなくて、ただ、して貰った事を返したい。それだけの話なんです」

 

 ──一緒に来なさい! 私が、良い所に連れて行ってあげる!

 

 不意に、その言葉が脳裏を走る。それは過去の記憶。幼い日、レオの手を取ったモニカの言葉だ。

 

 ──お前は、そこに居るべきじゃない。

 

 それはレオ自身の言葉。モニカの一言がきっかけで居場所のような場所を得て、今度はレオ自身が、一人の少女に言った言葉。

 

 それだけの話なのだ。エリナの言葉が、過去の実体験を伴ってレオの心に納得を齎す。自分が受けた善意を、他者に共有したい。それはレオ自身にもあった感情だ。誰にでもある、当たり前の思いだ。ユーフェミアは、それを愚直なまでに真っ直ぐにやっているのだ。

 だから、人はユーフェミアに共感する。思いを同じくする者として、その側に居たいと願う。そうエリナは言っているのだ。

 

「それだけの、話か……それだけ……の……?」

 

「ええ。それだけの、簡単な──どうしました?」

 

 エリナは言葉を切り、レオの顔色を覗き込んだ。そのレオは、不意に甦った記憶の一ページに混乱していた。

 

 モニカの言葉で友を得たレオは、やがて一人の少女に手を差し伸べた。彼女もやがてレオと同じように友となった。だがその中で、レオはユリシアについて深く知ることとなった。ユリシアの家の事情……陰謀によって歪んだ兄妹の姿を見た。そして、レオはある時、彼女の兄ウォルターの下から、彼女を──どうにかした。どうにかした、筈なのだ。

 

 だが、抜けている。その先に何があったのか、その記憶が抜けている。気付けばユリシアは過去を感じさせぬ明るい性格の女として振る舞うようになり、ウォルターはその彼女に陰で何かと危害を加えようとして、都度レオに阻止されていた。だが、肝心の箇所──レオは彼女に何をしたのか、それが抜けている。助け出したのだろうとか、守ったのだろうとか、予想は色々付く。けれど、自分のやった事の筈なのに、肝心の自分の中に答えが無い。

 

 記憶の矛盾。それは少し前にも、オリヴィエとの会話で露呈している。存在しない筈の弟エリアスの存在。そしてユリシアの件。何かがおかしい。自分は何かを忘れている──?

 

 脳が混乱し、視界が揺れる錯覚に襲われる。レオは視界の震えを抑え込むように頭を抑え、ベンチに手をついた。

 

「レオ!?」

 

「いや、大丈夫だ……少し、な」

 

 それでも、虚勢だけは張れた。

 

「あまりに簡単な話だったから、つい、な……さあ、もう戻ろう。風邪を引くぞ」

 

「え、ええ……そうですね」

 

 半ば強引に、レオはエリナと共に政庁の中へと戻った。

 だが、その日一日は、頭の震えは止まる事がなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝。特別派遣嚮導技術部基地内 ヘリポート。朝靄に包まれて白く濁ったその場所に、ぼんやりと閃く赤い閃光があった。

 

「──ふぅ。今朝はこんなもんで上がろうかしらね」

 

 そう言って、レオの目の前の相手が刃を収めた。レオもそれに倣って、手元に握った赤い剣──フラムベルージの輝きを収めた。

 

「この剣を使い始めて、はや半月。こうしてみっちりトレーニングして来た訳だけど……どーよ? お前らとしては」

 

 つい先ほどまで行われていたレオとユリシアの試合を眺めていたセイトが、ヘリポート上に登って来て言った。ほぼ使われる事が無い上、まるでささやかな闘技場のように円形の形をしていて丁度良くないか、とこの場所での練習試合をレオやユリシアに持ち掛けて来たのはセイトであった。この基地に落ち着いて以来毎朝のルーティンとなっているこの自主訓練のお陰で、レオもユリシアも、勿論セイトも新たに与えられた武器の扱いがだいぶ上達しつつあった。特区宣言により互いの忙しさが段違いに跳ね上がっても、このルーティンだけは続いていた。

 

「どう、とはこの場合性能評価をすれば良いのか、個人的な使い心地を言えば良いのか?」

 

「後者で。色々普通の剣と違うからな。前者はまあ三者で評価一致するだろうし」

 

「私はまあ……悪くない、って感じ? 元々私ブリタニア式の大剣は少し苦手だったけど、これだったら片手で楽に扱える位軽いし。レオも最近は軽い奴使ってたわよね?」

 

 ユリシアがレオの方をチラリと見る。彼女の言う通りレオがこれまで使っていた刀剣は、ブリタニア式に比べ非常に軽い。サーベルの類よりも大剣に傾倒気味のブリタニア式剣術と相性が悪いのは、レオとて変わらなかった。

 

「ああ、感覚は分かる。基本的にブリタニア剣術は重量級の剣を腕力と重力で強引に叩き付ける傾向にあるのも合わせて、この手の片手剣はブリタニアでは少数派だ。その上でショートソードの類はどうしても打撃力不足になりがちだが、これなら高い切断力で補える。最も、僅かな時間だけだが」

 

「そこが不満点かしらね。実際今の仕様じゃ実用性に欠ける事は確かだし、ロンゴミニアドに改善要求送ろうかしら」

 

「……私も感想程度とはいえ似たような事を送った。止めはしないが、まああまり強く言ってやらないでくれ。聞くところによれば連中も実用化には大変苦労したそうだ。開発主任は過労死寸前だった、などと聞いたぞ」

 

「可哀想に」

 

 ユリシアが苦笑する。そんな事を話しているとセイトが妙にニヤニヤしながら割り込んで来て、二人の肩にぽん、と手を置いた。

 

「じゃあさ、これロイド伯爵にやらせようぜ? MVSの技術じゃ奴が本家本元だ。勝手に先越されたとか何とかボヤいてるようだったし、いい機会だろ? っつってさ」

 

「それもういじめじゃない……?」

 

「嫌がらせの極致だな」

 

 苦言を呈する形ではあるが、笑みを抑えられていなかった。そしてその発言を契機に、各人の悪戯心に火がついて突拍子も無い、概ねロイドが被害を被る案が立て続けに飛び出し始める。(因みに、この理不尽極まるロイドへの負の影響の根底には、常日頃から思い付きで愛機に妙な試作品を取付けて、無茶苦茶な条件下でのテストを日に何度も要求するなどしてこちらを振り回して来る、ある種和やかな恨み辛みがある事を明記しておく)

 やがて三人は一通りロイドを弄り終えると、馬鹿みたいに笑い声を上げながらヘリポートを後にした。

 久しぶりに、友人らしい関係を満喫させて貰っている、とレオは感じていた。この所は特区の事以前にも、フクオカの件や一時帰国の件、ナリタの件と立て続けに色々あったせいで、こうして無駄話に花を咲かせる余裕も無かった。

 

 ……とは言え、だ。

 

“忙しさにかまけて忘れてはいませんか? この二人は、妹の仇に連なる人物である可能性が高い、と”

 

 霊体の女に背中を突っつかれるまでもなく、アマネウスとフランシスという名の黒幕に、この二人は極めて近い場所に居る。どちらも珍しい類いの名だ。彼らそれぞれの家の当主

の名との一致は、偶然ではあるまい。レオ自身が常にこの女に言うようにフィオレの仇を取る為に何でもしてやろう、と思うのならば、まずこの二人に探りを入れるべきだ。実際、本国を出る時に義父にレオはそう宣言した。

 

(しかし、な)

 

“お友達は疑いたく無い、とでも?”

 

(いちいち嫌な所を突いて来るな……だがまあ、認めざるを得ないな。俺は二人を疑う事に抵抗を抱いている。それに──)

 

 自己分析の結果としては、やはり自分が彼らとの友情に惑わされているだけだとしか言えない。少なくともセイトについてはそうだろう。

 だがユリシアについてはもう一つ懸念事項がある。

 

(彼女については、俺の記憶の欠落に関係している可能性もある)

 

 ズキリ、と頭の中に痛みを意味する信号が走る。そう、オリヴィエにエリアスの事を尋ねた時のように、記憶の欠落について触れようとすると、こうして頭痛に見舞われるなり本能的な忌避感を抱くなり、何かしらの不利益を被る事が多い。最近ユリシアについて探りを入れづらいのはこういう事情がある。流石にこの頭痛の中で、高度な情報収集は難しい。

 

「……どうかした?」

 

 ふと気付くと、ユリシアが自分の顔を覗き込んでいた。セイトの姿は何処かへ消えていて、基地本棟内に繋がる渡り通路の上でレオは立ち尽くしている。

 

「いや……セイトは?」

 

「先に行ったわ。ダメ元でロイド伯爵に改修依頼叩き付けて来るって。貴方の目の前で言ってたわ」

 

「そうか」

 

 中に入ろうとしたレオを、横から伸びて来た手が制した。ちょっと良い? と聞かれ、返答を待たずにユリシアはレオの手を引いて建物の影にレオを引き込んだ。

 

「ねえ、貴方最近どうかしたの?」

 

「……忙しさに押し潰されそうになっているのは確かだ」

 

「そうじゃなくて」

 

 逃げ場を奪うように、ユリシアはレオをさり気なく壁に押しつけて来る。

 

「ここのところ雰囲気が変わったって言うか……」

 

「雰囲気が」

 

 雰囲気が変わった、とは以前エミーリアにも言われた言葉だ。“ローレンスと同じ顔をしている”、と。彼女にそう言われた時は愕然ともしたし、その後エリア11に戻る直前にエリナと会った時でさえ、似たようなことを言われた。

 

「それは……何か。ローレンス風(悪人面)になったとか、そういう話か」

 

「ん〜……ごめん、ちょっと否定できない」

 

 ユリシアが笑みを溢す。それでレオも少し気が楽になった。少なくとも、彼女はその辺りを正直に言ってくれる。

 ──言われている内容としては笑ってもいられないのだが。

 

「厳密にいうと、ね。貴方、最近……この前の一時帰国以来かな」

 

 そう言われて、レオの脳裏に過ぎるのは、本国で掛けられた言葉。

 

 ──私はあれで獲物を人間の域を逸脱する程度に破壊する。お前はその決して長くはない刃を喉に突き刺し、じわじわと獲物を殺す。どちらも獲物の苦しむ様が良く見える代物だ──

 

 あのローレンスに言われたように、自分とローレンスは同類に堕ちたというのか。

 認めたくは無い。しかし、思い返せばエリア11に来てすぐの頃や、一時帰国の時にも思い当たる節はある。近接戦で()()()無惨な殺しを選び、エミーリアにも、オリヴィエにも『まるでローレンスのようだ』と言われ……

 

「殺しを愉しみ、殺戮と破壊を愉悦とする、か……」

 

 呟いて、レオは目を伏せた。ここの所レオを悩ませる、自己という存在への不信感。それが今の彼を不安定にさせていた。人間の精神が寄って立つ軸、そこに不安があるのでは、出来るものも出来なくなる。

 

「何か言った?」

 

 ユリシアの細い手が、レオの頬に伸びる。彼を気遣う手、それを……

 

「何でもない。いいから、構うな!」

 

 遂にレオは振り払った。伸ばされたユリシアの手を振り払い、直後、驚きとショックの入り乱れたユリシアの表情を目の当たりにして、自分のした事を自覚する。

 小声で自らの声を呼ぶユリシア。それを押し退けて、レオは足早にその場を離れた。

 ……いや、それは逃げた、と表現した方が正しかった。そそくさと建物の中に入り、下りのリフトを求めてリフトホールへと足を向ける。

 

 ──何をしているんだ、俺は。

 声に出さない叱責を、自らへ向けて飛ばす。彼女はただ、いつもと違う自分を気遣ってくれた、それだけの話だ。

 

 ──だが、彼女に気を許してはならない。

 別の叱責が、同じ声で響く。セイトもユリシアも、フィオレを殺した黒幕に近い場所に居る。或いは、二人が敵である可能性も否定できまい。

 

 ──しかし、二人は親友だ。

 また同じ声が反論する。そもそも、レオにはギアスがある。遍く人を敵味方に識別する絶対の力。これがある限り、何人たりとも自分を欺く事はできない。そしてそのギアスが、二人は敵ではないと示しているのだ。何を不安がる。

 

 同じ声が、他ならぬ自分の声が脳裏を飛び交う。数多の可能性を示唆しながら、自分同士で殴り合う。そして、延々と結論の出ない混沌をレオに押し付けてくる。

 

「あぁ……クソッ!!!!!」

 

 溢れんばかりの感情の行き場を見失って、レオはホールの壁を勢い良く叩いた。全く同じタイミングで、リフトの到着を意味する甲高い音がホールに響き、真正面の扉が音もなく開く。

 

「おやおや、随分荒れてるようですね、フォン・エルフォード」

 

「!?」

 

 思わぬタイミングで声を掛けられて、レオは思わず顔を上げた。

 リフトから降りてきた人物──現エリナの専任騎士、リヒャルト・ティーフェンゼーが、レオの視線の先で不適な笑みを浮かべていた。

 

「丁度良い所に。少しお話がございます……式典でのことについて、なのですが」

 

 

 

 

 

 

 

 深夜。

 特区日本開設式典会場予定地より数キロ地点。

 濃く樹々の繁った山中に、音も無く入り込む巨大な影があった。それは、闇よりも深い黒に塗装された複数のKMF

……黒の騎士団の無頼、無頼改の部隊であった。

 時刻は深夜零時過ぎ。カレンダーは既に式典の行われる日付けを指し示し、十二時間後にはユーフェミアの手によって特区日本の施行開始が高らかに宣言されるであろうこのタイミングで、黒の騎士団は主力部隊をこの場所……式典会場を囲む森の中へと密かに配置していた。

 

「った〜くよ……こっから昼まで寝ずの番かよ」

 

「ローテ組んでるから、寝てて良いよ。時間になったら起こすから、そしたら今度は私が寝る」

 

「寝るったって、このクソ狭い無頼の中とかトレーラーの荷台でか? 休まる気がしねぇ……」

 

 愛機白夜の足下を、井上と杉山が話しながら通り過ぎて行く。全開にした白夜のコックピットに腰を下ろし、エリアスはバイザーを下ろしたまま、周囲の警戒を続けていた。

 白夜のセンサーで電子的索敵を続けながら、エリアスは自身のバイザーに備えられた赤外線センサーで各方位を見張る。こういう時、機械化された身体は使い易い。

 

「おーいエリアス、そろそろ交代の時間だけど?」

 

 そのエリアスに、地上から声を掛ける少女が一人。紅月カレンだった。カレンとは別ルートで合流予定の紅蓮がまだ到着していないが故に、彼女は零番隊隊長という立場でありながら、他のメンバーに混じって展開の準備を手伝っていた。

 

「了解……紅蓮、着いたのか?」

 

「まだだって。紅蓮のセンサーで警戒しろって話だったんだけど……しょうがないから、悪いんだけど白夜、借りて良い?」

 

 カレンが両手を合わせてこちらを見る。

 無頼や無頼改に比べ、紅蓮系統機のセンサー有効半径は桁違いに広い。故に、部隊展開作業中は白夜と紅蓮、そして月下のセンサーでもって周辺警戒を行う、というのがゼロの通達した指令であった。

 既に他の地点では四聖剣の月下が起動して、警戒配備に当たっている筈である。そして、最も会場から近く、また配置する部隊規模も大きいこの地点では、白夜と紅蓮の二騎を同時に使用して警戒を行う手筈だ。しかし紅蓮の到着の遅れによって、本来は同行している拠点トレーラーの護衛であった藤堂の月下を白夜と共に警戒任務に用いている。故に現状、例えパイロットのエリアスが休んでいようとも、白夜は休ませる訳にはいかないのだ。

 

「まあ、機体は立ってるだけだからな。分かったよ」

 

 エリアスは白夜を屈ませて、右の腕をカレンに差し伸べた。カレンはその上を器用に登って、あっという間にエリアスの座すコックピットにまで辿り着く。

 

「ありがと」

 

 狭いコックピットブロックの上で、エリアスはカレンに席を譲る。かなり端の方に動く羽目になったが、機械の腕で開かれたコックピットハッチを、脚部のクローでブロック外縁をガッチリと掴む事で、不安定な姿勢ながら落下の可能性は無くなる。繰り返しになるが、こういう時に機械化した身体は便利に使える。

 

「……ところで、さ。聞いて良いかな」

 

 カレンの着座を確認し、カレンの来た道を逆に辿るようにして白夜から降りようとしたところで、カレンがエリアスを呼び止めた。動きを止めるだけ止めて、次の言葉を待つ。その沈黙を肯定と正確に認識して、カレンがゆっくりと、遠回りな言葉を紡ぐ。

 

「私達が一緒に戦うようになって、もう、結構経つじゃない?」

 

「ン、だな」

 

「それで……多分前にも聞かれたと思うけど、言ってたらしいじゃない? 日本人を味方に思う事は無い、って。アレ、今もそうなの?」

 

 エリアスは思わず振り返った。何を聞くかと思えばそんな話か。

 元々、同じ日本人の血とブリタニアの血とを併せ持つ立場の人間でありながら、カレンと自分の自己認識は決定的に異なっていた。カレンは自らを日本人だと規定し、エリアスはそうではない。母を見捨てた日本人を味方に思える日は、未来永劫来ることは無い。

 

「その……ごめん。ラクシャータさんから聞いちゃったんだ。貴方の、その、昔の事」

 

 そうだ、と答えようとした矢先、カレンが先手を打ってそう言った。

 

「……何処までだ」

 

 ずい、っとエリアスはカレンに詰め寄った。反射的な行動だった。

 

「何処まで聞かされた!? 答えろ!」

 

 義体化されたと言っても、顔や表情を司る筋肉は生身そのままだ。不躾に過去を掘り起こされて、彼の数少ない生身の部分が怒りの表情を作り出していることを見て取ったカレンは、怯みながらも答えた。

 

「ご、ごめんって! そういうつもりじゃなかったんだけど……その、ほんの触り部分、くらい? お母さんが……その……日本人に捨てられた、って」

 

 そう聞いて、エリアスは盛大に溜息を吐いた。

 

「それじゃあ、全部話したってのと変わりないじゃないか」

 

「じゃあ……本当に?」

 

「ああ、そうだよ。この際そこまで知ってるんなら隠す意味もない」

 

 身を翻してコックピットの前面スクリーンを乗り越え、エリアスは白夜の頭部に背中を預けた。顔を上げて、頭上に浮かぶ白い月を見つめながら、エリアスは自らの過去を語り始めた。

 

「俺の母親、榊原美咲って名前だったんだが……経緯は知らねえけど、ブリタニアのエルフォードって家に嫁いだのさ。それで生まれたのが俺だったんだが、日本とブリタニアとで戦争が始まって、俺は屋敷から追い出された。ガキの俺に何が出来るでも無く、気付けば母さんとも離れ離れでどっかの施設に入れられて……この身体は、その時にこうされたんだ」

 

 機械の腕を持ち上げて、カレンに指し示す。カレンは黙ってエリアスの話を聞いていた。エリアスの表情をじっと見つめながら。

 

「……藤堂中佐辺りは知ってたらしいんだが、母さんは当時の日本でも有数の刀の使い手だった。軍に居たらしいんだが、その頃に“月虹”って銘の刀を名のある職人に打って貰った。母さんはその刀を振るって、施設から俺を助け出してくれた」

 

「それが、神根島で手に入れたっていうあの刀?」

 

「今腰に帯びてる奴、そうだよ」

 

 カレンの前で、月虹と名付けられた刀を抜いて見せる。

 帰還してから刀剣に詳しい藤堂や仙波に尋ねてみたのだが、二名からは現代には珍しい程に純粋な、日本古来の技法によって丁寧に拵えられた、それでいて現代戦にも通ずるよう様々な工夫を凝らした至高の一振りである、とのコメントを貰っていた。朝比奈などは冗談で「エリアスはフォルケイドがあるのだから、藤堂中佐が振るえば良い」などと言っていたが、藤堂は「これはエリアスが振るってこその物だ」と断っていた。

 刀には割と小さくだが、漢字で“月虹”と銘が彫られている。この銘を、果たしてあの男は……何も知らずにこの剣を使っていた義兄レオハルトは知っていたのだろうか。

 

「けれど、さ。這々の体で日本に帰り着いた母さんを……あいつらは……母さんの家の連中も、母さんを取り巻く全ての日本人が、どいつもこいつも、母さんを見捨てた。その癖母さんが死んでからいけしゃあしゃあと、さも申し訳なさそうに出てきたのが老師、榊原大和って爺いだ。俺はそいつの私兵として、生かされた」

 

 話し終えてから、カレンは暫く黙ってエリアスを見つめていた。やや沈黙が続いた後、遠くからトレーラーの走行音が近付いて来るのを、エリアスの耳と、増設された聴覚センサーが捉えた。エリアスは立ち上がると、跪いたままの白夜の胸部から地表を見下ろした。この義体ならば、直接飛び降りても何ら問題無い距離だ。

 

「紅蓮、来たみたいだな。警戒はやってろ。紅蓮の積み下ろしまでは手伝って来るから、そしたら──」

 

「──お母さんの事、大好きだったのね」

 

 エリアスは中途半端に身体を起こした姿勢で止まった。それは、槍か何かに心臓を突然貫かれたような格好でもあった。

 

「な……に……?」

 

「だって、貴方の表情。お母さんの話をする時は、すっごく穏やかだったもの。その眼帯や機械に隠れてても分かるよ。見た事無いくらい優しい顔だった」

 

 それから、表情がどんどん憎悪に歪んでいった。カレンはそう言ってエリアスを見つめていた。視線でその場に縫い止められたかのように、エリアスは動けなかった。

 

「……そう、だよ。認めるさ。母さんはさ。とっても強いんだ。強くて、優しくて……俺の、一人だけの、味方だったんだ」

 

 顔を背ける。それだけはエリアスにも出来た。斬られた左眼とそれを覆う眼帯だけがカレンに見えるように。彼女に見えない側で、エリアスの視界が少しずつ歪み始めていた。

 

「っ……!! だから、改めて答える! 俺は母さんを見捨てた日本人なんか、仲間だと思えないんだよ!! 絶対にな!!!」

 

「そう、なんだ」

 

「ああ……そうだよ!!」

 

 言い捨てて、エリアスは白夜から降りた。微かに湿気た緑の地面に、脚から真っ直ぐに着地する。膝を曲げて衝撃を受け止めて、エリアス逃げるように白夜から離れた。

 

 ああ、全く。

 久しぶりに感情を激しく揺さぶられて、エリアスは生身の手で乱雑に顔を拭った。涙など流していない。そう思い込む事にした。

 

 「母さんの話なんかしたせいかな……嫌な事も一緒に思い出しちまったよ、ったく……」

 

 ──もう一度、申し付けておくぞ、エリアスよ

 

 脳裏に、憎むべき男の声が響く。

 

 ──我らは、特区日本へ参加する。これはキョウトの決定事項だ。

 

 それは、この移動の直前に、態々人払いをした榊原大和に呼び出された上で、直接下された指令。

 

 ──お前は頃合いを見計らって……

 

 これまで、黒の騎士団は曲がりなりにもキョウトの支援があってこそ、軍隊として纏まった活動が行えた。KMF、潜水母艦、拠点、人員。どれを取っても、キョウト無しでは手に入らなかったし、キョウト無しでは今後も動かすことは出来ない。故に、エリアスは榊原大和を完全に切り捨てる訳にはいかない。この指令は、そうしたエリアスの態度を知ってか知らずか下されたもの。

 

 ──黒の騎士団を見限り、特区の敵となるならば、彼奴等を内より撹乱せよ。

 

 ……キョウトも榊原大和も、特区に入る事を決めた。それは、奴らの側から黒の騎士団を切り捨て、ブリタニアに恭順する事を意味する。

 

 しかし。ブリタニアとて母の仇だ。母さんは態々日本にやって来たエルフォードによって殺された。少なくとも奴らが生きている限り、ブリタニアもまたエリアスの敵だ。

 もはや、キョウトはエリアスにとって完全な敵となった。榊原大和に繋がれた手綱を、今こそ喰い千切る時が来たようだ。

 

 では、ゼロは?

 

 既にゼロに……ルルーシュに告げたように、仮に黒の騎士団が特区を認めてブリタニアに恭順するのなら、その時はルルーシュもまたエリアスの敵となる。これまでに得た黒の騎士団としての軍勢も敵となって、状況としては甚だ不利な戦いになるだろう。それでも、エリアスは歩みを止めるつもりは無い。

 

「さて……ゼロがどう出るか。まずはそれだけ見定めさせて貰おうか」

 

 呟いて、エリアスは紅蓮を運んで来たトレーラーへと駆けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、様々な思惑が絡み合い、それぞれが苦悩を抱える中で、式典は幕を開ける。

 歴史的にも、そしてレオ、エリアス両名にとっても決定的なターニングポイントとなる事件の開幕が、目の前に迫りつつあった──。



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第二十四幕 Lady Rhapsody

 フジ山麓の空は、快晴である。

 来る特区日本開設を宣言する記念式典の場所として選ばれたのは、戦前からあった競技場であった。ユーフェミアの宣言に合わせて小規模の改装が行われたその場所にて、この日、歴史が動こうとしていた。

 会場外縁部には、詰めかけた日本人達が大規模な人集りを作っている。式典会場のキャパシティを超過し、会場の様子を映す巨大モニターを通して外部から特区の成立を見届けようとするイレヴン達だ。彼らの前には映像テスト中で少々乱れた画面を映しているモニターと、万が一に備えて配備されたブリタニア軍の姿があった。構成はユーフェミア親衛隊が半分と、エリア11駐留軍からの派遣が半分。KMFにしても正規戦力を回すのは過剰だろう、と後方任務用に配置転換されていたグラスゴーでサザーランドを節約している有様であった。集結したイレヴンの規模に対して、その戦力数は明らかに少ない。

 無論これは、日本人達を刺激しないように、というユーフェミアの意によるものである。

 

「──それは、良いのだが」

 

 その様を目前にして、式典会場東側、第一エントランス前に配置されたレオ・エルフォードは苛立たしげに呟いた。

 

「何故、私の配備場所が此処なのか、説明して貰おうか? リヒャルト・ティーフェンゼー?」

 

 視線だけを後方に向ける。そこに、癖の強い黒髪を後ろで束ねた騎士、リヒャルトの姿があった。

 本来、レオの立場はユーフェミア親衛隊に所属する第二指揮官である。コーネリアらの懸命な努力も虚しく、ユーフェミアの皇位継承権返上は既に確定している。故にこそユーフェミアは部隊の解体に備えた命令を発してはいたのだが、それでも、公式発表が為されるまではユーフェミア親衛隊としての任務が消える事はない。そして、ユーフェミア親衛隊の第二指揮官である彼が、式典のステージ上のユーフェミアから離れ、こんな式典会場外部に配置される理由は無い筈だった。

 

「アスミック卿の御意向です。戦力は一箇所に固めるよりも各地に効率よく配置すべきだ、との……」

 

「それは戦力数が充分揃っている場合の話だろう」

 

 レオはそう言って、この最近話す機会が増えた男の言葉を遮った。先に述べた通り、式典会場に配備されたブリタニア軍は余りに少ない。スザクやレオは会場に居ても、彼らの武器たるランスロットやナハトは、少し離れた場所に待機しているアヴァロンに置き去りになっている。イレヴンへの配慮と、何より今も特区参加を呼び掛けている黒の騎士団への配慮とは言え、いくらなんでもやり過ぎの気配を感じてならない。

 

「この数では、ただの兵力分散だよ」

 

「別に我々は、敵と対峙している訳ではございません。イレヴン達のユーフェミア殿下への信頼度は日増しに高まっており、現状、ユーフェミア殿下に害をなす行為は、彼らが許しますまい。ここで我らのやる事は、道端の警察官程度の事ですよ」

 

 リヒャルトはイレヴン達を示した。確かに、以前クロヴィスを暗殺したゼロのような存在を、今の彼らは受け入れない。ユーフェミアは、彼らにとって敵対者では無い。これまでブリタニア軍が敵視し警戒していた反政府勢力は、既に民衆の支持を受ける事が望めず、無力化されたに等しい。

 ……しかし。しかし、だ。皇族を狙う者は、何もイレヴン達や反政府組織だけとは限らない。

 

「敵は内にも居るんだぞ」

 

 エリナがそうであったように、そしてレオの着任早々にあったように、本国の皇族、大貴族同士の陰の闘争が、この辺境の地にまでその魔手を伸ばす事も絵空事では無いのだ。

 

「それに、何よりあそこには──」

 

「ええ、エリナ殿下もいらっしゃいますね。気になるのはそちらでしょう?」

 

 内心を見透かされる。ユーフェミアの居るステージには、エリナもまたブリタニア側の代表として参列しているのだ。

 

「そう、それだ。お前はエリナの専任騎士だろうに何故此処に居る? 彼女の側に居るのが専任騎士の仕事だろう」

 

「そのエリナ様からのご命令もあって、私は此処に居ります。でなければアスミック如きの言葉一つで動きはしません」

 

 “如き”に力を込めてリヒャルトは言った。彼のセイトに対する認識は、それではっきりと理解できる。

 

「おいさっきと言ってる事違うぞ」

 

「貴方への命令権はユーフェミア様の下にございますが、あの方はエリナ様ほど貴方の()()っぷりをご存知ではありませんからね。命令を無視して会場に飛んで来るようなことがあっては、と、エリナ様は私を貴方のお目付役として」

 

「……信用されてないわけか」

 

「或いは、逆にとても信頼していらっしゃるか、ですな。何にせよ、貴方ならば、如何なる敵対者も見逃しはしないだろう、とのアスミック卿のお言葉もありました。事前の予想において、日本人達の多くがこの区画に集まる事が予測されておりますし」

 

 レオは否定はしなかった。レオには、敵対者とそうでない者とを見分ける絶対なる力、ギアスがある。実際、これがあったからこそ、多くの局面でレオだけが敵の正体を掴む事が出来たのだ。

 

「貴方が必要だと判断すれば、私の方からお願い致します。それまではこちらで、イレヴンの中にに不埒な輩が居ないか監視を願います」

 

レオはとりあえず頷くだけ頷いて、ギアスを用いて周囲を“視た”。今の所、赤い色は見受けられなかった。

 

(……念の為、お前も警戒はしておいてくれ)

 

“まあ、それはやりましょう”

 

 声を出さずに、レオは背後に控えている霊体の女に呼び掛けた。彼女はあまり興味なさげではあっても、レオから少し離れた場所に移動して、レオの死角をカバーする位置で警戒に当たってくれた。

 

 ──そうして、はや一時間が過ぎた。この間、レオは武器を隠し持っているイレヴン八名と、体調不良を起こしたイレヴン六名、口論の果てに隣のイレヴンと乱闘を始めたイレヴン四組を発見し、その都度兵士に対応させていた。そうした細かなトラブル以外、何事もなく時間は過ぎて行く。式典の開始まであと少し。開始時刻が迫る程、イレヴン達は落ち着きを無くして行く。

 

「そう言えば、ユリシアは何処に配置された?」

 

「彼女はオリヴィエ准尉と共に。我々の反対側、西側エントランスです」

 

「そう、か……」

 

 あれ以来、レオはユリシアと話す機会を逸し続けていた。何なら、姿を見る事も稀になって来た。悪いことをした、とも思うが、同時に彼女に対してどう接すれば良いのかも、最近になって良く分からなくなって来ている。

 

「喧嘩でもなさいましたか」

 

「お互い子供をやっている訳ではない。セイトは?」

 

「式典会場外、北側の指揮所です。一応申し上げますと、枢木少佐は会場内ステージの方に」

 

 先回りした回答が返って来る。レオは「それはどうも」とだけ返答して、眼前に広がるイレヴン達の海に視線を投げた。正直な所、集まったイレヴン達は極めて“扱い易かった”。怒号を上げる者も居なければ、警備隊と揉める、といった小さな争い一つ起こらない。寧ろスタッフ達の指示をよく聞き、警備部隊員に敵対的な視線を向ける事すらしない。

 これまででは考えられない事だった。それ程までに、イレヴン達はユーフェミアの特区日本に期待している。

 さてこうなると、警備部隊のする事といえば精々集まったイレヴン達が公道にまで溢れないよう誘導する位しか無く、それさえも終わってイレヴン達の動きがほぼ無くなった今、暇を持て余しつつあるレオの思考は勝手に独り歩きを始めようとしていた。

 

 基本的に、式典への参加を許されたイレヴン達の層というのはブリタニア側の区分で言うところの“穏健派”が多数を占める。即ち反政府勢力による暴力的反抗には賛同せず、さりとて完全服従には同意できず、結局は租界で働きゲットーで暮らす中間層の民衆達。だからこうしてレオの前に群れ成して現れたイレヴン達の格好は、一般のブリタニア人と実はそれほどの差は無い。しかし、現実には彼ら中間層よりも下、ゲットーで暮らす貧民達の多くがユーフェミアの言葉に希望を見出している。特区の経過次第では、そうした貧民達も特区にやって来る事になるだろう。

 

 さてそうなると、今度はイレヴン内部での貧富の差が露見することとなる。今この場に居るイレヴン達は、曲がりなりにも租界で仕事が出来、収入のある人々だ。ゲットーの住人達はそうはいかない。着ている服、住居、生活環境の一つに至るまで全てが異なる二種のイレヴンいや日本人が生まれ、今度はこの二つが特区の中で対立を見出す事になりかねない。勿論、ユーフェミアはこれを支援するだろうが、果たしてそれを全ての日本人に徹底できるのだろうか。支援の不徹底は不平等に繋がる。ブリタニア対イレヴンの構図を、そのまま特区の中で上級国民対貧民との構図として引き継ぐ結果だけは避けねばなるまい。

 

 仮に出来たとしても、不平等社会の否定は、ただでさえブリタニアらしくない政策だった所を本格的にブリタニアの国是と真っ向から対立する事にもなる。果たしてその時、ユーフェミアはどうするのだろうか。

 

「フォン・エルフォード」

 

 式典の開始時刻。不意にリヒャルトがレオに声を掛け、上空の一点を指差す。空を見上げたレオはそこに浮かぶ一点の黒い影を見た。いや、影はただ浮かんでいるのでは無い。会場へと徐々に近付きつつある。会場の内外にどよめきが広がって行く。

 

「……ガウェイン」

 

 かつての愛機の名を、そして今彼の視線の先で浮遊するKMFの名をレオは口にした。太陽光を吸い尽くし、青空にその存在を誇示するよう君臨する漆黒の巨影。その肩の上には、同じ色に染まった衣装に身を包み、マントを翼のようにはためかせ、闇の太陽を描いた仮面を被った男の姿がある。

 

≪来てくれたのですね、ゼロ!≫

 

 弾んだ声が、会場の中から響いた。ユーフェミアだ。彼女がゼロを特区日本へと招いたのだ。

 

「スザク、ゼロが見えた。狙撃班は待機しているな?」

 

 通信機越しに、レオは会場内に居るであろうスザクへ呼びかけた。

 

≪ああ。準備は万端だ。もし奴が不審な動きを見せたら──≫

 

『ユーフェミア副総督、折り入ってお話したい事がある』

 

 ゼロの音声が、二人の注意を同時に引いた。ガウェインの機上から、拡声器を使って会場のユーフェミアに直接呼び掛けている。

 

『二人っきりで』

 

「何……?」

 

 常識離れした展開が、レオの前で繰り広げられた。ゼロの提案を、ユーフェミアは即答で了承したのだ。あのテロリストの首魁と、である。空中に静止するガウェインを視界の端に捉えながら、レオは振り返ってリヒャルトに問うた。

 

「今のはどういう意味だ」

 

「聴いたままの意味かと」

 

 自分に聞くな、とばかりにリヒャルトはぴしゃりと言った。そう言い合う間にも、ガウェインは存在を誇示するようにフロートシステム特有の怪音を発しながらレオらの頭上を通過して、ゆっくりと下降、ステージの方へと降りて行く。集まったイレヴン達がざわつき始め、リヒャルトはいち早く無線を通じて部下に指示を飛ばす。彼らを刺激せぬように努めつつ統率を取り戻すのはなかなか至難の業だろう。リヒャルトは無線機を片手に持ったまま、レオに呼びかけた。

 

「ここはおまかせを。貴方はエリナの所へ!」

 

「専任騎士が本領を他人に任せるのか?」

 

 ゼロの様子を見せろ、と詰め寄るイレヴン達を抑えながら──どうせレオは日本語は話せないが──レオはリヒャルトに聞き返す。

 

「どうせ仕事にならないでしょう!? 色んな意味で! 良いからさっさと行って、エリナ様の安全確保を!」

 

 警備だけならともかく、日本語が分からないレオに、繊細な対応が求められるイレヴン達の相手は不可能だ。レオは「すまない」と言い残して、踵を返して会場の中へと駆け込んだ。霊体の女にはその場に残るように指示しておいた。

 

 彼が消えた後、リヒャルトは表情を歪に歪めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 関係者用の暗い通路を二本ほど抜けて、ステージ上までの最短距離を走力にモノを言わせて数分。警備の歩哨に目配せして扉を開けさせると、レオはステージ上へと踏み込んだ。まさにその瞬間、レオの眼前でガウェインがステージ裏に配置された陸上戦艦G1ベースの正面へと誘導され、その両脚を大地に着けている。

 

「──ゼロ」

 

 ゼロが、レオの視界に入って来る。ガウェインの肩口に載った状態から、マニピュレーターを介して地上に降りて来る。

 すらりとした長身。中に入っているのがイレヴンであれば、結構な高身長。細い身体をマントで包んだその姿は、チェスの駒を連想させる。

 キングが自ら敵陣に切り込んで来たというのか。それは、チェスというゲームの常識を大きく外したプレイだ。だが、元々ゼロは奇襲、奇策によってブリタニア軍と渡り合った人物。不利なゲームを押し付けられているのなら、ゲームのルール自体を変えてやる。ゼロはそれを迷い無く実行できる人物だ。

 

『……ほう、君は』

 

 ずい、とゼロが前に出た。レオはじっと、目の前の仮面を睨んだ。まるで、真正面の黒の太陽の奥に潜む、もう一つの顔を見抜かんとするように。紫色の日本国旗を描いたような仮面の奥底で、ゼロは笑みを浮かべた──ようにレオは感じた。

 暫しの睨み合いの後、金属探知機を持って親衛隊の面々が駆け寄って来る。レオは彼らに場所を譲るように後ろへと下がるが、その時、ゼロが小さく呟く声が聞こえた。

 

『成る程、こいつがエルフォードの……』

 

「…………?」

 

 日本語だった。故にその意味は分からなかった。

 身体検査の結果として、ゼロは問題無しと判断された。ユーフェミアと共にG1ベースへと消えて行く後ろ姿を見送りながら、レオはスザクを見つけて彼に駆け寄った。

 

「本当に良いのか。あれと二人きりにして」

 

「良くは無いよ。でも、ユーフェミア様がどうしても、って……緊急用のコールスイッチはユーフェミア様も持っているから、何かあれば僕らが突入……ンン?」

 

 と、考え込んでいたスザクはそこで顔をレオに向けた。

 

「あれ、君外の担当じゃなかったっけ?」

 

「そうだが。流石にこんな場所にまでゼロが乗り込むとあっては、な。何かあるようなら……」

 

 レオは舞台上の貴賓席の方に視線を投げた。壁の向こうで座っているであろう、エリナの方へ。

 

「ああ……でもエリナ様にはもう専任騎士が居るんだろう? それは彼の仕事じゃないのかな」

 

「なんだが……私にイレ、もとい日本人の相手は無理だ。何せ言葉が通じない。彼奴が気を利かせて、向こうを代わってくれた」

 

「それは……まあ、うん……そうだね。とにかく、それだったら早くエリナ様の方に行った方が良いよ。場所は──」

 

「貴賓席後列の左から四番目、だろう? 知ってる」

 

「いや、さっきゼロの着陸の時、警戒の為に場所を変えて頂いたんだ。ここの列だよ」

 

 スザクはベルトに吊るした端末を手に取って、画面に表示したマップの一点を見せて来る。レオも自らの端末を出して同じ画面を出して、スザクの指し示すポイントをマーク。そのままエリナの元へと歩を進めた。

 途中、駐機したガウェインの横を通り抜ける。今のガウェインは、かつてレオが使用していた頃とは似ても似つかない、真逆に等しいカラーリングに彩られていた。ゼロのイメージカラーと思しき黒、そしてブリタニア機で良く用いられる金のサブカラー。フクオカで一度見た通り、背部のフロートユニットは四枚羽から六枚羽に換装されている。高潔な騎士の如き姿形は、闇に堕ちたかのような転身を果たしている。

 

「……」

 

 思う所が無いでもない。思わずレオは足を止め、跪くガウェインの真正面に立ち、その顔を見上げる。

 KMF乗りにとって、愛機とは即ち自分自身の写身。それが人型兵器であるだけに、その機体の“顔”が人間的であればある程、自らのパーソナリティと同一化して考えがちだ。色が変われども形状は変化していないそのフェイスは、確かにかつて、自分の顔であったのだ。今や他人の顔となったそれを、レオは暫く見つめていた。

 

「お前が、エルフォードか」

 

 そんな彼は、ガウェインの背後から現れた人影に気付かなかった。その人影が声を発し、初めてレオは人影に気付いて腰のフラムベルージに手を伸ばした。

 そこに居たのは、一人の女であった。白を基調としたパイロットスーツを着込んだ女。薄緑色の長髪に、琥珀色の瞳。鋭く整った顔立ちは魅力的を通り越して氷像のような冷淡さを思わせ、非人間的な印象を彼女に与えている。彼女は頭上から垂らされたワイヤーロープを左手に掴んでいた。そのワイヤーはガウェインのコックピットから伸びている。複座のガウェインを操縦していた者の片割れだ、とレオは理解した。

 

「私は、そんなに有名だったのか」

 

 ブリタニア語に、ブリタニア語で返答する。さすがの黒の騎士団にもブリタニア語に精通する者は居るのだ、とレオは先の日本人集団を想起し、安堵に似た感情を抱く。

 

「有名なのはお前の父親だろう? それより、お前は──」

 

「──貴様が、ガウェインを?」

 

 彼女の言葉を意識的に遮って、レオの方から質問を投げ掛ける。理由は不明ながら、レオはこの女を強く“警戒”していた。敵機のパイロットである、とか黒の騎士団員である、という部分を抜きにして。

 

「…………そうだが?」

 

「そうか。ガウェインは私がテストした機体なのでな。良い機体に仕上げたつもりなのだが……」

 

 その理由は、目元に掛かった前髪を払うふりをして、密かにギアスを起動した際に理解できた。

 

 彼女には、色が“無い”。

 

「成る程? やはり、お前もギアスを持つ者か」

 

 一瞬だけの起動であった。左手で前髪に触れ、左眼が隠れた一瞬だけ。それでも、彼女には見抜かれた。彼女は無表情そのものだった白い顔を警戒色に歪めながら、レオに問い掛けた。

 

「一つ聞きたい。お前のその力、誰から手に入れた?」

 

「何のことかな」

 

「回りくどい話は必要無い。時間も無いしな。言え」

 

 女の強い口調に、誤魔化しは効かない、とレオは悟った。

 この女は、ギアスを知っている。

 

(まずい事になった。おい、聞こえるか)

 

 レオは脳内で、先の持ち場に残っている筈の霊体の女に呼び掛けた。

 

(……おい、どうした? 聞こえないのか?)

 

 応答は無かった。いよいよ不審がる目の前の女の圧に半分屈する形で、レオは口を開いた。

 

「訳の分からない女から、訳の分からない状況と共に」

 

 最大限にぼやかしながら、レオは答えた。

 ギアスについて知っている相手との相対は、本国に続いて二度目だ。前回はそもそも相手がギアス使いだったが、今回もそうなのか。或いはあの女のように“コード”を持ち、ギアスを与える側の人間か。相手の情報がほぼ得られない以上、こちらから下手に情報を開示はしたくない。

 

「女、か? 子供ではなく?」

 

「何、子供?」

 

「いや、違うなら良いが……ではその女とは? もしやその女、いせ──ッ!?」

 

 不意に女は言葉を切ると、額を抑えて呻き始めた。

 

「お、おい!? どうした!?」

 

「まさか、こんなに早く……ッ!?」

 

 女は膝から崩れ落ち、必死に額を抑え付けていた。まるで、自分の中から何かが溢れ出て来るのを押し留めるかのように。レオは彼女に近付き、更にレオの背後から、異常を見て取ったスザクが駆け寄って来る。

 

「レオ! 何があった!?」

 

「い、いや解らん! この女が、急に苦しみ出して……」

 

 困惑するレオの横を通り抜けて、スザクが女を介抱しようと手を伸ばした。女は今にもステージに倒れそうであり、寸前でスザクの両手が彼女を支えた。

 

「急病!? ど、どうした、しっかり──」

 

 途端、スザクはびくん、と痙攣して動きを止めた。

 

「あ……う、あ……っ……」

 

「な……スザク!?」

 

 意味不明の呟きと共に、女を抱き抱えようとしたスザクの方がその場で力無く倒れてしまう。

 

「何だ、何をした、女!」

 

 レオは手首の仕込み短剣を起動して、女に掴みかかろうとする。が、その手が女の身体に触れる直前、脳裏にぴり、と電流が流れたような感覚が走り、レオの動きの一切を封じた。

 

“──待ちなさい!!”

 

 同時に、あの霊体の女の声が響く。姿は見えないが……いや、あの女は元々姿形を肉眼で確認できないが……恐らくは先の場所から言葉を飛ばしているのだろう。或いは、急いでこちらに向かって来ているか。

 

「なんだ、どうしたと言うんだ!」

 

“妙な感覚が走ったと思えばやはり……! 主よ、貴方の近くに誰か居ますか!?”

 

「あ、ああ……何やらよく分からない女が……」

 

“女? まさか……兎に角、その女に触れぬように! 私も今からそちらへ参ります!”

 

 了解の意を伝え、レオは彼に続いて駆け寄って来るであろうスザクや親衛隊員へ指示を飛ばそうと振り返った。「触るな、この女は危険だ」……そう口を開くより先に、レオの視界を予想外の人物の姿が横切った。

 

 ──それは、ゼロと会談中である筈のユーフェミアであった。ユーフェミアは倒れている女やスザクを完全に無視して、ステージの方へと駆けて行く。

 

「ゆ、ユーフェミア様?」

 

 レオは訝しげに眉を顰めた。様子がおかしかった。ゼロとの会談に区切りが付けば、ダールトン将軍やスザク達親衛隊の元へ連絡が入る筈であったし、倒れているスザクを完全に無視するなど、彼女らしく無い。

 困惑するレオの前で、ユーフェミアの後ろ姿はステージ中央の演台にまで辿り着いた。特区日本開設の演説が行われる演台。そこに現れたユーフェミアの姿を見て、参加するイレヴン達は俄に色めき始めた。ついに始まる。特区日本。日本人達の新天地の幕開けに期待の眼差しを送る。

 マイクを手にしたユーフェミアの姿を見て、レオはぎょっとして我が目を疑った。左手でマイクを握っている、それは良い。だがその反対側、だらん、と垂れ下がったままの右手には、鈍い鋼色を放つ拳銃が握られていたのだ。

 

「日本人を名乗る皆さん!」

 

 ユーフェミアが口を開く。不吉にすら思える程の明るい声が、会場に設置された機器を通して朗々と響き渡る。騒ついていたイレヴン達は一斉に口を閉じ、次の言葉を待つ。

 

「お願いがあります! 死んでいただけないでしょうか!」

 

 世界が、凍り付いた。

 一度は静まり返り、ユーフェミアの一言一句を聞き逃すまいとしていたイレヴン達が、一転してざわつきを取り戻し始める。彼らは残らずユーフェミアの言葉をはっきりと聞き取りはしたが、その内容を脳がなかなか認識出来ず、混乱していた。

 

「ええっと……自殺して欲しかったのですが、駄目ですか……?」

 

 小首を傾げる。その仕草自体は愛らしく、ユーフェミアの純真さを感じさせる、のだが。自らの言葉が通じていないな、と悟ったユーフェミアは、今度は満面の笑みを浮かべて周囲の兵士達に目を向けた。

 

「では、兵士の方々、皆殺しにして下さい!」

 

 狂気的なまでに明るい声が、絶望的な言葉を紡いだ。今度こそ、会場全体が我に帰る。

 

「マイクとカメラを切れ!」

 

 電流に打たれたかのように貴賓席のダールトンが立ち上がり、蒼白な顔面から指示を飛ばす。その横をエリナが擦り抜け、今まさに銃を手にしたユーフェミアの下へ駆けた。

 

「ユフィ! 止めなさい!!」

 

「待つんだエリナ! 危険だ!」

 

 反射的にレオも跳ねるように駆け出す。ダールトンが、レオが、エリナが手を伸ばす前で、ユーフェミアは参列者達の先頭列、一人の壮年男性へと銃口を向ける。

 次の瞬間、ユーフェミアは最後の一線を容易く踏み越えた。

 響き渡る乾いた音。レオはそれを聞き違える筈は無い。柔かな笑みを浮かべるユーフェミアの視線の先で、鮮血を噴き出しながら崩れ落ちる壮年男性。

 

「きゃぁぁぁぁっ!?」

 

 隣に座っていた女性が悲鳴をあげる。それが着火剤となり、一気に怒号と絶叫が会場へと広がって行く。慌てて散ろうと席を立つイレヴン達を前に、ユーフェミアは諸手を挙げて呼び掛ける。

 

「さあ、兵士の皆さんも。早く!」

 

「ユーフェミア様!!」

 

 ダールトンがユーフェミアの前に立ち塞がった。鋭く、威厳のある声でユーフェミアを制し、ユーフェミアは奇妙な落ち着きでそれを受ける。

 

「一体どうなさったのです! お止め下さい、このような事は──ッ!?」

 

 しかし、その言葉は通らない。ユーフェミアは迷いない所作でダールトンに詰め寄ると、何ら逡巡する事なくダールトンへの二発目の銃弾を撃ち込んだ。

 

「ユフィ!?」

 

「エリナ! 駄目だ近付くな!!」

 

 続いて現れるエリナを、レオがその身を以て阻んだ。今のユーフェミアは危険だ。そう彼の本能が告げて、レオはユーフェミアを止めるよりもエリナを守る事を選んだ。

 

「……ごめんなさい。でも日本人は皆殺しにしないといけないの」

 

 膝をつき、苦悶の呻き声を漏らすダールトンへ、ユーフェミアはそう告げた。そしてそのまま、逃げ惑うイレヴン達の方へと顔を戻す。

 

「さあ、ブリタニア兵士の皆さん! 命令ですよ、殺して下さい!!」

 

 当初、ブリタニア兵士達の動きは緩慢であった。

 目前で目の当たりにしたユーフェミアの豹変ぶりは、彼女を知っていればいる程に異常にしか思えなかったし、ユーフェミアはダールトンを撃った。特区の事はともかくとして、本来彼らにとって上官とはダールトンの方であり、ユーフェミアでは無い。仮にダールトンが虐殺命令を下したのなら素直に従うとしても、姉のように軍に名を連ねている訳でもないユーフェミアの命令に、それ程の強制力は存在しないからだ。

 その上、相手は特に暴動を起こしている訳でも無い。デモ行進でもなんでも無い。内心はどうあれ、つい先刻まで融和の対象であった民衆なのだから。

 

「何故、殺さないのです?」

 

 だが、そのユーフェミアが指揮官らを見据えてこう問いかけてしまえばそれまでである。再び銃を向けられ、先のダールトンの例が繰り返される、と悟ったブリタニア軍指揮官の動きは素早かった。

 

≪ぜ、全隊、発砲を許可する! イレヴンを殺せ!!≫

 

≪こ、これこそが計画だったのだ! 我らブリタニアと同列だと思い込む不埒な下等民族どもに、正義の鉄槌を下してやれ!!≫

 

「待て、早まるな! 撃つな、撃ってしまえば──!!」

 

 インカムを通して聞こえた指令に即座にレオは反駁する。だが、最早レオの言葉では彼らは止められなかった。ユーフェミア親衛隊の動きを止めた所で、残るエリア11駐留軍への命令権はレオには無い。レオの目の前で、誰も望んでいなかった悪夢が幕を開けて行く。

 

≪撃て!!≫

 

≪撃てぇ!≫

 

 配備されていたサザーランドが、グロースターが、グラスゴーが一斉に胸部対人機関砲を掃射する。砲弾を浴びてイレヴン達は消炭と成り果て、蜂の巣にされ、脳漿を撒き散らして死んで行く。

 

「そんな……っ!?」

 

 目前で始まった惨劇を、エリナは愕然として見るしか無かった。ブリタニア軍による砲撃で破壊された施設の破片がエリナの足元に突き刺さり、更に砲火を逃れ逃げ惑うイレヴン達はステージの方にまで迫って来た。

 

「っ……エリナ!!」

 

 エリナを抱き抱えて、レオはステージの外へと跳んだ。一瞬後、二人の居た場所はイレヴン達の波に飲み込まれた後、血と肉片の海へと姿を変えた。ユーフェミアの姿は最早何処にも見えず、戸惑っている間に状況が素早く推移して行く。最早レオ達にこの状況を止める事は出来ない。

 

「待って下さいレオ! ユフィを、ユフィを止めないと!」

 

「今は近付けない! とにかく、まずは安全な所へ!」

 

 ストレートにG1ベースへと接近する道は断たれた。ならば、とレオは脳裏に緊急時の為にと予め決められていたルートを思い浮かべ、スタンドを通って外部へ繋がる通路に飛び込んだ。閉ざされた扉の向こうで、くぐもった悲鳴と砲撃の轟音が尚も続いていた。

 

「ユフィ……なんで、こんな……!?」

 

 エリナの顔面は蒼白だった。無理もない。あのような惨劇を目の当たりしたのだ。加えて、少し前には彼女は宮殿へと乗り込んで来た暗殺者の凶行によって、母アンリエッタ妃と兄ガロア皇子を喪っている。その光景がフラッシュバックしているのだ。そして、この地獄を作り出したのは他ならぬユーフェミアだ。レオはエリナが少し落ち着くまで、その両肩をしっかりと抱き、「大丈夫だ」と言い聞かせた。

 

 ややあってエリナも少し落ち着きを取り戻した頃、レオの視界の端に黒い影が過ぎった。すぐさまギアスを起動。赤の色を確認して、レオはエリナに気付かれぬよう、フラムベルージの柄に手を掛けた。

 視線の先に、ゼロが居た。マントの端を血に染めたゼロは、先刻顔を合わせた時とは打って変わり、打ちひしがれたような姿で通路をよろよろと歩いていた。

 本来、レオはゼロに食って掛かるべきだったのだろう。この惨劇の直前、ユーフェミアはゼロと二人きりでの会談に臨んでいた。

 それまでのユーフェミアの様子に変化は無かった。そしてその後のユーフェミアの豹変ぶり、原因を求めるのならば、会談のタイミング以外に存在しない。

 

 だが、レオはゼロを見逃した。

 何故だったのかは、この時のレオには分からなかった。ただギアスを通じて赤の色を確認した時点で、レオはゼロに対してそれほど積極的な敵対行為に及ぶ必要性を感じていなかった。

 

 ゼロが外部へと消えた後、レオとエリナは避難ルートを逆走する形で進んだ。外部はイレヴンで埋め尽くされており、外に逃れるよりはG1ベースを目指した方が安全だと判断出来た。程なくして二人はG1ベースの下へと辿り着いた。

 G1ベースの周囲は無人となっていた。先のユーフェミアとゼロとの会談の為に人払いをしてそのままになっているのだ。しかし、G1の中に居る限りは流れ弾や逃げ惑うイレヴン達に巻き込まれるような事は無いようにも思えた。

 

「セイト、ユリシア、オリヴィエ、リヒャルト、聞こえるか!?」

 

 エリナをG1の中へ入らせてから、レオはインカムで親衛隊の面々を呼び出す。オリヴィエが即応したが、セイトとリヒャルト、ユリシアの応答が無い。オリヴィエ曰く、自分の持ち場に居る駐留軍やイレヴン達を抑えるので手一杯らしい。

 

≪お兄様!? 駐留軍がイレヴンを攻撃し始めています! 会場内で何が!?≫

 

 未だ続く砲音の嵐に負けぬよう、レオは大声でインカムに叫んだ。

 

「細かくは話せんが駐留軍が暴走したようだ! とにかく可能な範囲で構わん、駐留軍を抑えろ! どんな出任せを言っても構わん!私が責任を取る!」

 

 その時、すぐ近くで機関砲弾の発射音が響き始めた。会場入り口近くで、一騎のグロースターがステージ入口の壁面に向けて弾幕を展開している。そしてその向こうで砲弾を避けて走る、白い服の騎士の姿。

 

「スザク!?」

 

 それは、ユーフェミア親衛隊隊長枢木スザクであった。

 

≪自分はブリタニア軍名誉騎士候、枢木スザクだ! 今すぐ戦闘をやめろ!≫

 

≪イレヴンは全て抹殺しろとの命令だ。ユーフェミア様直々のな≫

 

 スザクとグロースターの騎士との会話が、インカムを通して聞こえて来る。直後に起こり得るであろう展開に思い至り、レオはスザクの元へと走った。

 

「ユーフェミア様が!? 馬鹿を言うな!」

 

≪お前もイレヴンだったな≫

 

 そう言って、グロースターの砲口がスザクに向けられる。ほぼ同時に、レオはグロースターとスザクとの通信に割って入り、グロースターの前に立ち塞がる。

 

「待て! 私はブリタニア軍騎士、レオハルト・エルフォードだ! すぐに攻撃を中止しろ!」

 

≪フォン・エルフォード、そこをお退き下さい。ユーフェミア様直々の御命令なのです。これこそがユーフェミア様の計画!≫

 

「ならば、(わたくし)が命じます! 直ちに攻撃を中止なさい!」

 

≪え、エリナ殿下!?≫

 

 レオに続いて、G1に入ったはずのエリナが駆け寄って来る。流石に一般のブリタニア騎士にブリタニア皇族による直接の命令を拒絶する度胸は無く、グロースターは狼狽えて攻撃の手を止めた。

 

「これ以上の攻撃は私が認めません! ユーフェミアは何処へ行ったか、卿はご存知ですか!?」

 

≪はっ、それが、虐殺命令を下された直後、親衛隊のグロースターにお乗りになって……≫

 

「では卿に改めて命じます! 直ちに皇女ユーフェミアを捜索、これを私の下へと連れて来なさい!」

 

≪い、イエス・ユア・ハイネス!≫

 

 エリナの勢いに押し負けるような形ではあったが、グロースターはランドスピナーを高速回転させて会場外へと去って行った。

 

「レオ、インカム貸して下さい」

 

「あ、ああ」

 

 その勢いのまま、エリナがレオのインカムを半ば奪うようにしてレオの耳元から外し、そのまま自分の耳元に装着する。

 

「ええ、とチャンネルをオープンにして……と。こほん。会場内の全ブリタニア軍将兵へ告げます! 私はブリタニア第6皇女、エリナ・エス・ブリタニアです! 直ちに攻撃を中止なさい!」

 

 彼女がそう叫んだ途端、会場内のKMFは一斉に動きを止めた。先刻までの怯えた様子を思わせない毅然とした態度だった。キュウシュウでもそうだったが、レオの知らぬ内に、エリナも本格的に皇女としての風格を持ち始めていたようだ。

 エリナの攻撃中止命令により、ブリタニア軍はその動きを沈静化させ始めていた。最も、その時点で会場内に生きているイレヴンは既に存在しなかったが。

 少なくともエリナの携帯インカムの電波範囲である会場内のKMFは全機武器を下ろし、この命令を下したユーフェミアの捜索と外部の部隊の制止、というエリナの指示を受けて規律を取り戻し始めていた。

 だが、このまま事態が収まるかと思われた矢先、再び状況は悪い方へと転がり始めた。

 

 黒の騎士団が、会場へと迫って来たのだ。



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第二十五幕 Bad Days

『黒の騎士団、総員に告げる!』

 

 エリアスの待ち望んだ言葉が、遂に白夜の通信機に飛び込んで来た。

 

『ユーフェミアは敵となった! 行政特区日本は、我々を誘き出す卑劣な罠だったのだ!』

 

 待機地点の黒の騎士団KMF隊の面々は、ガウェインから送信されて来た映像を目の当たりにして愕然としていた。目を覆わんばかりの惨劇。しかし、それこそエリアスにとっては福音に等しい。

 

『自在戦闘装甲騎部隊は、式典会場へ突入せよ! ブリタニア軍を殲滅し、日本人を救い出すのだ! 急げ!!』

 

 自分でも気付かぬうちに、エリアスは高笑いと共に白夜を突撃させていた。茂みを突き破り、あらかじめ定めていた降下ルートに沿って坂を下って行く。

 

「待っていたぞゼロ……! それでこそだルルーシュ……! ブリタニアも、ブリタニアに尻尾を振ったあの老人どもも、これで全てに片が付く! そうさ、俺達に恭順も融和も必要無い。ただ最期まで、復讐のままに生きれば良い──!!」

 

 先陣を切る白夜、直ぐに追従する紅蓮。彼らを焚き付けるように、ゼロの言葉が響く。だが、それは何時ものような熱っぽさのある扇動者のそれではなかった。

た。

 

『ユーフェミアを見つけ出して──殺せ!!!!』

 

 どちらかと言えば、それは“喚き”と言った方が近い声色であっ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 会場外部では、殺戮は未だ続いていた。この時点で、犠牲者はおよそ一万人超。エリナの命令が届いたのはあくまで会場内の駐留軍のみであり、未だ“理性の下に”虐殺をしていた部隊だけであった。残る外部の部隊はと言えば、当初の躊躇いは何処へやら、完全に血に酔った獣の如き有様であった。

 真紅の血は、人の“獣性”を呼び覚ます。ダールトンの負傷によって駐留軍には全体を指揮を取る者が不在となり、ユーフェミアは自身の行為にしか関心が無い故に「虐殺せよ」以上の命令は出さない。指揮官の理性という手綱を失って、正常に運用される軍隊は存在しない。

 

「ヒャハハハッ! 死ねイレヴンが!」

 

「薄汚いイレヴンどもめ!」

 

「ナリタで貴様らに殺された、ハンナの仇だ! こんな殺し方で晴らされるものかよ!」

 

 それは単なる獲物を喰らう肉食獣の群れであった。彼らの行為は容易く一線を超え、機関砲で撃ち殺すのみに飽き足らず、KMFで轢き殺し、ランスで突き殺し、酷い時にはKMFの両手でもって引き千切ってイレヴンを殺した。血の宴が止む気配は無い。ユーフェミアの言葉が生み出したそれは、本来ユーフェミアの願いからは最も遠い光景だったはずなのに。

 

 だが、獣が暴れ人を喰らうのならば、それを駆除する狩人もまた存在する。そう証明するかのように、漆黒の一群がブリタニア軍の側面から攻撃を開始した。黒の騎士団、日本に残された、最後の正義。イレヴン達は歓喜して彼らを迎え、ブリタニア軍はようやく正気を取り戻して迎撃体制に当たった。未だ屠殺の熱に溺れていた者は、真っ先に黒の騎士団の刃に斃れた。

 

「黒の騎士団の迎撃を優先とします! 駐留軍第五小隊は北方面の騎士団に対応! ユーフェミア親衛隊各位は、その場にて騎士団を足止めして下さい! 各機はその間にユーフェミアを発見した場合、直ちにこちらへ連絡を!」

 

≪イエス・ユア・ハイネス!≫

 

 G1ベース艦橋にて、エリナが各隊の指揮を採る。とはいえエリナとしてもこの場に留まって奮戦する意思は無く、ユーフェミアを確保次第直ちに撤退する手筈であった。散らばっていた指揮官がG1へと集まるまで、レオがその補佐に当たっていた。一方のスザクはユーフェミアの確保を最優先としてアヴァロンと連絡を取り、ランスロットに乗り換え次第連絡すると会場外へと駆け出して行った。割と危険な行為ではあるが、同時に「多分スザクなら死にはしまい」という妙な信頼もあった。

 

≪こちらアスミック。シルバーエッジへ移乗完了した。G1へと向かう。レオ、お前もナハトに!≫

 

 ユーフェミアのSPから新しくインカムを借り受けて、レオはスザクに代わり親衛隊の指揮を取っていた。G1本体が起動するまでの間は、G1ベースの指揮システムが使えないからこのようにする以外無かった。

 

「貴様がこっちに来てからだ! 手が離せん! ユリシアはどうした!?」

 

≪こちらユリシア、西エリアはオリヴィエと一緒にグロースターで奮戦中! 誰か手を貸してホント!≫

 

 本来戦域図を映し出す卓状モニターの上に白地図を敷いて、ペンを走らせて各地の戦力配置を計算して行く。G1ベース周辺に直掩部隊一つ、各エントランスに親衛隊の残りと、駐留軍の部隊を配置。残りは携帯インカムの電波範囲外なせいで、G1が起動するまで直接指揮が取れない。故に現地で手近な部隊を介して連絡を取る他無い。

 

「分かった、第八小隊を回す! リヒャルト、状況報告!」

 

≪こちらリヒャルト。東側エントランスの駐留軍は同士討ちを起こしております。恐らくは、騎士団側の内通者かと。このままでは抜かれます≫

 

「ッ……! 駒が足りないが止むを得ん、G1ベース直掩の隊を回す。味方を撃つナイトメアは敵と認定、破壊して構わん。G1へ敵を近付けるな」

 

≪御意に≫

 

 指示を受けて、窓越しの眼下を数騎のグラスゴーが駆け抜ける。何にせよ、戦力が足りていない。ユーフェミアの配慮が裏目に出た形となっていた。その上駐留軍内部で同士討ちが発生して、ブリタニア軍はほぼ完全に浮足立っていた。レオの指揮官としての部分が、早い段階で撤退を決断しなければ、と警告を発していたが、ユーフェミアが確保出来ない事には、撤退もままならない。これ程の虐殺を指示したユーフェミアが今のイレヴンの手に落ちた日には、どのような扱いを受けるか。

 

「或いは、ユーフェミアさえこちらで確保すれば作り話の一つや二つを仕立てる事も出来るか……? いや、厳しいか」

 

 無意識に呟く。とにかく、今は味方部隊か、あるいはスザクがユーフェミアを見つけ出してくれる事を願う他無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 殺戮の熱に浮かされているのは、何もブリタニア軍だけでは無かった。虐殺された日本人の死体を目にする度に、自然と黒の騎士団側の怒りも増幅されて行った。

 

≪ユーフェミアめ! 騙し討ちをするなんて!!≫

 

 叫び、カレンの紅蓮が先行していた白夜を追い抜いて手近なサザーランドに必殺の右手を押し当てた。輻射波動による攻撃はサザーランドを呆気なく破壊し、更なる追撃を仕掛けるべく紅蓮が敵陣へと突入する。

 

≪イレヴンが!!≫

 

≪そうか……やはりそれが本音か!!≫

 

 続き、藤堂の月下が手にした大剣を振るい、グロースターの首を刎ねる。続け様に月下の体当たりを受けて転倒したグロースターに、日本人達が一斉に群がる。

 

「今だ! やっちまえ!!」

 

「ブリ鬼共が! よくも俺たちをコケにしてくれやがったな!!」

 

 日本人達はグロースターのコックピットからパイロットを引き摺り出すと、その場で私刑を加え始める。黒の騎士団の到来に“希望”を見出した日本人達は、ブリタニアからの仕打ちに対する怒りを前面に出して暴徒化を始めていた。

 彼らが望むのは、凄惨に、残虐に、徹底的にブリタニア軍を殺す黒の騎士団の姿。それを見て彼らはより残酷なやり方をもってブリタニア軍を攻撃する。そういった中にあって、エリアスの白夜は特にこうした日本人の“暴徒”の注目を集めていた。

 

「死ねよ、ブリタニアァァ!!」

 

 手にした大型を振り翳し、白夜は並び立つサザーランドを一撃で両断した。下半身だけになったサザーランドを撥ね飛し、今度は地面に転がったサザーランドの上半身に狙いを定める。

 

「──ッ!!」

 

 大鎌を振り下ろす。その切っ先は無防備なコックピットを正確に貫き、中からオイル混じりの鮮血が溢れ出る。日本人達の歓声の中で、エリアスはゆっくりと大鎌を持ち上げた。その先端にはサザーランドから引き抜かれたパイロットの残骸が刺さったままであり、エリアスは空中で鎌を一閃してそれを遠くへ投げ飛ばす。

 

「……ファンサービスしてんじゃ無いんだがな」

 

 「良いぞー!」などと叫ぶ日本人達を一瞥して、エリアスは次の獲物を求めて更に会場方面へと突き進んだ。

 一ブロック程北上した辺りで、白夜の通信機が小さな音を鳴らした。黒の騎士団幹部のみが使用可能な回線だった。

 

≪こちら扇。式典会場西部へ進入したい。誰か援護を頼めるか? キョウトの桐原公と榊原老師が、式典会場を脱出してそこに居るらしいんだ≫

 

 ぴくり、とエリアスは生身の瞼を震わせた。そう言えば、居たのだ。ここに、キョウトの老人が。

 残るキョウトの面々はフジの拠点に残り、既に旗色を明らかにした桐原や老師が式典に参列している……聞けば報道関係のシステムをハッキング中のディートハルトからの指示で、扇に救出指令が下りたらしい。エリアスは自機の現在地を確認した。式典会場西。扇の無頼改とも位置が近い。

 

「──扇、こちら白夜だ。すぐ近くに居る。俺が突破口を開いてやるから、合流しよう」

 

 インカムにそう告げる。大きくターンを描いて戦場を駆ける白夜は、その主の眼光に良く似た妖しい輝きを放っていた。

 

 

 

 

 

 

≪レオ、今ランスロットに乗り換えた。会場から離れ過ぎたから、一度G1へ戻る!≫

 

 迎撃開始からどれだけの時が経ったろうか。G1のシステムが立ち上がり各パネルが次々と起動し始めた頃になって、スザクから連絡が入った。

 

「了解、アヴァロンは何処に居る?」

 

≪すぐそこだよ〜、君も早くおいで〜≫

 

 状況に似つかわしく無い気楽な声。ロイド伯爵だ。若干気が抜ける感覚を覚えながら、レオは一息ついて、点灯した卓状モニターから離れ艦橋の外へと視線をやった。

 

 そこに、イレヴンが居た。

 サイドカー付きの自動二輪に跨り、その手には武器を手にしている。黒の騎士団のバイク兵だ。いつの間に、何処から侵入を果たしたのか、と問う間も無く、オリヴィエから緊急報告が入る。

 

≪すみません、一台抜かれました!!≫

 

「エリナ!!」

 

 直後、イレヴン達は手にした無反動砲をG1に向けて発射した。レオはエリナの位置を確認すると、すぐに彼女の名を叫びながら床を蹴り、エリナを押し倒すような形で彼女の上に覆い被さった。直後、敵兵の放った無反動砲弾が艦橋に着弾する。

 

「っ!!」

 

 歩兵用の火器で、遠距離からの曖昧な照準。艦橋への直撃弾は艦橋そのものを破壊する事は無かったが、それでも正面の窓に大穴が開き、破片が内部を飛び交った。レオは自分の体でエリナを守っていた。

 

「怪我は?」

 

「え、ええ……大丈夫です」

 

 爆風が落ち着くと、レオは跳ね起きて未だ生きている窓越しに敵の姿を見た。敵は直撃弾に喜び、快哉を上げて居た。

 

 直掩隊はつい先ほどエントランスの守りに回した。オリヴィエとユリシアの担当区画からこれ以上の敵が侵入を果たす気配は無い。またG1のシステムが起動した事で残る駐留軍との直接連携が可能となり、直ちに全隊の指揮が回復し、会場の防御に動きつつある。

 

 レオは割れた窓から一瞬顔を出して外を見た。G1ベースは会場に半分乗り込むような形で配置されており、スタンド最上階とG1艦橋の高さはほぼ等しい。加えて先の騒乱の流れ弾によって倒れた看板もある。そしてスタンドから敵のいる場所まではほぼ地続きで、建造物を介するならば、と仮定した時、レオの脳裏に艦橋から敵位置への道筋が完成する。

 

「エリナは隠れていろ、俺が始末する! ……私が出たら艦橋の非常シャッターを下せ!」

 

 やれる、と判断するや否やそう叫び、レオはフラムベルージを起動して窓の穴を素早く拡げ、窓の外へと躍り出た。窓の縁から看板を介して跳躍。スタンドの座席の上に着地し、手摺の上を滑って下降する。

 

「──っ!!」

 

 イレヴン達が何やら叫ぶ。構わずにレオは幾つかの建造物を介してイレヴン達の頭上を望む位置に出ると、そこからイレヴン目掛けて飛び込み、フラムベルージでまずサイドカーの方、無反動砲を持ったイレヴンを仕留めた。首筋深くに真紅色に光る光刃を刺し込み、振り抜いて首を刎ねる。そのまま勢いに乗せてもう一人のイレヴンを斬ろうとしたが、その前にもう一人のイレヴンがレオをサイドカーから蹴り落としていた。レオは地面を転がり、立ち上がった頃にはイレヴンはバイクを発進させて離れ始めている。すかさずレオは左の腕をイレヴンに向け、仕込み短剣に追加したダートガンの機能を発動させた。それなりの反動を受けてレオの腕は左に跳ね上がる。轟音と共に放たれた矢は無事にその目的を果たし、間も無くイレヴンは崩れ落ちるようにバイクから放り出された。サイドカーに死体だけを乗せたバイクは暫くは運転手不在のまま走り続けていたが、やがて前輪の向きが乱れ、急旋回して横転した。

 

「エリナ、安全は確保した!」

 

 息を吐いて、レオは艦橋を見上げた。その時になって、破損した窓にシャッターを降ろした艦橋の向こうにもう一つ、空を征く艦影る事に気付く。浮遊航空艦アヴァロンである。

 

≪レオ、僕が運ぶ。アヴァロン甲板のナハトへ≫

 

 そう言って、スザクのランスロット・エアキャヴァルリーが降下して来る。

 

「了解した。セイトは──」

 

≪こちらアスミック。只今到着だ≫

 

 更にアヴァロンの前を横切るようにして、白銀色の機影が降りて来た。戦闘機の如きシルエットが、空中で人型に変形する。可変KMFシルバーエッジ。セイトの機体だ。シルバーエッジは戦闘機形態で機首を構成していたパーツを脚部として、“靴”が無い鋭角な先端部分からランディングギアを展開して接地する。彼の存在を確認すると、レオはランスロットの手に乗り、スザクに合図した。

 

≪G1の護衛を引き継ぐ。スザク、レオを上げてやれよ≫

 

「遅いぞセイト!そろそろ敵が回り込んでG1の後背を突く可能性がある。警戒を厳にしろ!……よしスザク、上げてくれ!」

 

≪捕まってて!≫

 

 着陸を果たしたシルバーエッジと入れ替わるようにして、ランスロットはふわり、と空に浮かんだ。G1艦橋と高度が並んだ時、レオのインカムにエリナから通信が届く。

 

≪レオ、ユリシア達の方、頼みます。例の赤いナイトメアが出て来て、既に突破される寸前だそうです……気を付けて、必ず帰って来て下さいね≫

 

「分かった。エリナ、君も無事で」

 

 察して少しの間上昇を止めてくれていたスザクに合図して、レオは艦橋に向けて簡易的に礼の作法を取った。そのままランスロットは素早くアヴァロン艦上へと飛び、あっという間に甲板に辿り着く。そこに、レオの愛機たるナハト・イェーガーが跪くようにして待機していた。色合いが似ているせいか、先刻のガウェインの姿が一瞬だけ被った。

 

「ナハト、出るぞ!」

 

 ランスロットの手から直接ナハトのコックピットに移乗し、レオは素早く機体を起動、ランスロットと共にアヴァロンを離脱してG1上空へと降下する。

 

“遅れました、我が主よ”

 

 不意に、レオは久しく離れていた霊体の女の存在を感じ取った。

 

「やっと来たか。まあ俺も動き回ってはいたが……お前、何があったか分かるか?」

 

 周囲への索敵を行いながら、レオは問い掛けた。

 ユーフェミアの命令に端を発した一連の騒動、そのユーフェミアの変貌ぶり。理屈では通らない事象が起こっている。だが、理屈を超越した場所に居るこの女ならば、或いは。

 

“お察しの通り、ギアスの存在が関わっている可能性はあります……それはそうと、ユーフェミアが命令を発する前に話していた女はどうしました?”

 

 言われて、初めて思い出した。ガウェインに乗っていたあの女。スザクを昏倒させ、直後この女に触るな、と警告を受け……そうだ。そのタイミングでユーフェミアが虐殺命令を発したのだ。直後の出来事が衝撃的に過ぎて、頭から抜け落ちていた。

 

「多分、ガウェインに乗っている。ゼロと共に」

 

 憶測ではあったが、可能性は高かった。先刻G1に戻った時にはガウェインは消え失せていた。恐らくあの女とゼロは合流を果たし、その上でゼロが黒の騎士団の突入を指示したのだろう。

 と、そこまで推論を立てた所で、別の推論が成り立った。

 

「……待て、という事は、まさかゼロが?」

 

“可能性はあります。ゼロがギアスを持った人物である可能性は高いでしょう”

 

「であれば、先刻殺しておくべきだったか……だが今は、ゼロの件も女の件も後に回すしかない。此処へ来る途上、ユーフェミア殿下を見たか?」

 

“それです。こちらで状況の推移を見て彼女を探したところ……”

 

 そう言って、女はコックピットの画面を“指さした”。レオは彼女の意を汲んでレーダーマップを表示し、彼女が指し示す地点をマークする。

 

“申し訳ありません、見つけはしたものの、私では干渉出来ず”

 

「いや、よくやった……スザク!!」

 

 レオはスザクのランスロットに位置情報を転送した。それは、ユリシアらが担当する区画の真ん中であり、黒の騎士団とブリタニア軍が激突している防衛線の只中であった。

 

「殿下の目撃情報があった! 会場外、大通りの交差点だ!」

 

≪っ! 了解、ありがとう!!≫

 

「私が先行して路を拓く! エリナ、撤退準備を!」

 

 レオはナハトのフロートを起動し、滑るようにエントランス方面へと飛んだ。スタジアム外壁を最も容易く飛び越えて、その後方をランスロットが続く。

 

「っ……!?」

 

 外部に出て最初に目に入ったのは、血と死体で覆い尽くされた地上の様子であった。殆どの死体はイレヴンのもので、やはり中には目を逸らしたくなるような状態のものすらある。その凄惨な有様に顔を歪める間も無く、すぐに地上からの火線が二騎を捉える。二人は空中でブレイズルミナスを起動して防御姿勢を取った。

 

≪やめろ……! 今お前たちに構っている暇は無いんだ!≫

 

「引き受ける! 行け、スザク!!」

 

 レオはナハトに膝蹴りのような姿勢を取らせ、脚部のブレイズルミナスを前面に展開しながら地上へと吶喊した。血塗れの地面へ滑り込み、そのままルミナスを起動した脚を敵の無頼へとぶつける。ブレイズルミナスにより攻撃範囲を拡大させた蹴りの一撃は無頼の上半身を抉り取り、レオは残る無頼をMVSで斬り伏せた。頭上をスザクが鋭角なターンで通過し、レオは今度は彼を追い掛ける形で地上を駆けた。敵味方が撃ち合う只中を縦断して、時折突破して来た無頼と遭遇しては勢いのまま斬り捨てて先へ進む。空中のスザクを狙う無頼はその背後からナハトの一閃に斃れ、レオはスザクへと叫んだ。

 

「止まるなスザク! あと少しで──ッ!?」

 

 瞬間、レオはナハトを急旋回させた。ドリフト走行もかくや、という勢いで地面を抉ってナハトが急停止する。

 

≪──こんな所で出会うとはな、エルフォード!≫

 

 白いKMF……エリアスの駆るKMF、確かデータによると白夜の名のついた機体が、そこに待ち構えていた。ナリタ、チョウフの時から変わらぬ、怪物然とした立ち姿。両手で構えた大鎌の先端には、今しがた引き抜かれたグロースターの頭部の残骸が突き刺さり、切断面から夥しい量のオイルを垂れ流している。ボロ布を纏ったそのシルエットは、まさしく魂を狩る死神が如き姿だ。

 

「貴様、エリアス!!」

 

≪先行けよ。こいつは俺が引き受ける≫

 

 白夜が背後の無頼改に向けて軽く手を振ると、無頼改はフルスロットルでその場を離れて行った。あの機体の行先を阻める味方機は居ない。見過ごせない対象ではあったが、それ以上に、目前の白い機体の脅威度の方が遥かに高い。

 

「……フクオカ以来か? あの時は見事に出し抜いてくれたな」

 

≪本音を言えば、あの時一緒に殺したかったんだがな。お前の首は、父親への良い宣戦布告になると思うんだが≫

 

「悪いが、まだ首をやる訳にもいかんのでな!!」

 

 両機、同時に動き出した。MVSと大鎌が閃き、すれ違い様に最初の攻撃を繰り出す。対するレオは大鎌の刃、特にその接続部を狙った。接触時の角度や速度によっては刃をそのまま断ち切れるが、仮にそれが叶わなかったとしても、武器の無力化を狙える。

 一方、エリアスは愚直に刃と刃ををぶつけるのではなく、寸前で刃の軌道を変えてナハトの足下を狙っていた。紅蓮シリーズの柔軟な可動域によって実現したフェイント。結果、白夜の大鎌はMVSの刃を寸前で避け、ナハト左脚のブレイズルミナス発生装置を収めたカウルを抉った。停止し反転したナハトは左脚からスパークを発していた。

 

「ッ……!」

 

 だが、白夜も無傷ではない。ナハトのMVSは確かに当初の目論見であった大鎌は外したものの、そのままの勢いで白夜の肩装甲を切り裂いていた。刃は内部の駆動系にまで僅かに届いており、白夜の右腕は動かす度に軋むような音を発していた。

 

≪チッ……ただじゃ済まさねぇ、ってか、なら!≫

 

 白夜は大鎌を分離し、刃の付いた部分を左手に構え直すと、スラッシュハーケンを射出しつつ再び突撃して来る。

 

「悪いが、その射線は読んでいる!!」

 

 レオは叫び、タイミングを合わせてMVSを特定の高度に突き出した。MVSの切先は真正面からハーケンの先端と接触し、そのままチーズを切るようにハーケンを両断して行く。そのまま返す刀で白夜の刃を弾き返すと、レオは無傷な方の脚部の膝を密着状態の白夜の腹部にぶつけた。猛烈な膝蹴りのカウンターを受けた白夜は一瞬動きを止め、その隙を突いてレオはナハトのスラスターを全開にした。

 

「貴様に構ってる暇は無い! 失せろ!!」

 

 空いた右手で拳を作り、勢いのまま白夜の頭部を狙う。だがエリアスもまた驚くべき反射速度でその拳を受け止める。一瞬、両者の力が拮抗した押し合いの状態に縺れ込むが、レオはその時点で勝利を確信し、またエリアスは己が失策を呪っていた。ナハトの拳は左腕、そしてそれを受け止めた白夜の腕は右の腕──先刻、MVSでダメージを受けた方の腕だ。元よりスパークしていた肩口の関節部は程なくして自壊し、肩から二の腕までを失った白夜の右腕部が後方に弾け飛んだ。

 

≪ッ!! この!!≫

 

 バランスを崩した白夜の胴体に乗り上げ、離陸を強行する。空中に躍り出たレオは、途端に浴びせられた銃弾の嵐をブレイズルミナスで防御しつつ、スザクの後を追いかけた。

 

「スザク! ユフィ!!」

 

 後方モニターは、自機を猛追して来る白夜の姿を映し出していた。白夜とそれに率いられた無頼の小隊はナハトの後背から断続的に射撃を続けて来る。レオはエナジー消費を度外視した加速で一度彼らを引き離すと、空中で前回りに半回転。機体の上下を反転させたままヴァリスを構え、敵機の進行方向に乱射した。敵の視界を一瞬遮ったところで、レオは建物の陰で急降下する。墜落に等しいようなランディングで強引に地表に降り立つと、方向転換して今度は地表からユーフェミアの位置に向かって疾駆した。

 

「これで誤魔化せるとも思えんが……とにかく、今はユフィを──!!」

 

 建造物群を一気に突き抜けたところで、レオは“それ”を見た。目の当たりにしてしまった。

 ばらばらに破壊されたグロースター。その残骸の中に立つ血塗れのドレス姿。その前に屹立する赤いKMFとガウェイン。その足元に、ゼロ。

 

「──っ!!」

 

≪──ッ!!?≫

 

 ゼロが銃を構える。レオも、上空のスザクも手を伸ばす。だが、その手が彼女に届く事はない。もう彼らの手の届かぬ世界にユーフェミアは居た。

 鳴り響く一発の銃声。KMFのコックピット内で聴こえるはずのないそれが、聞こえた気がした。

 

 その瞬間、少女は、スザクにとって、コーネリアにとって、エリナにとってかけがえのない、そして日本人にとって希望の光となるはずだった少女は──。

 

“そんな……どうして……ルルーシュ……”

 

“さよなら、ユフィ。多分……初恋だった”

 

 脳裏に、言葉が浮かぶ。レオや霊体の女が発したものでも、無論スザクが発したものでも無い。レオは気付かぬまま、目の前の事態を見ているしか出来なかった。

 その瞳に、赤き翼の紋様を浮かべながら。

 

≪ぁ……ぁぁ……あぁぁぁぁあぁぁああああぁぁ!!!!≫

 

「こ……のぉぉッ!!!」

 

 咆哮。ランスロットが空中から突っ込んだ。同時にレオはヴァリスを展開し、赤いKMFとガウェインを狙撃、スザクが下降する隙を作る。瞬間の、無言の連携。赤いKMFはこれを瞬時に躱したがガウェインの方は右脚部に直撃弾を受ける。ガウェインはそれでも尚もランスロットへハドロン砲を撃つが、安定を欠いた姿勢で放たれたその照準は不正確だった。

 狙いの甘いハドロン砲をブレイズルミナスで受け流し、ランスロットは地上へ極めて乱暴に着陸した。突風に煽られ、ゼロが姿勢を崩す。だがスザクはそんなものには全く注意を払う事無く、割れたコンクリートの上に倒れ込んだユーフェミアの身体を抱き上げ、そのまま再度離陸する。

 続き、赤いKMFがランスロットの前に立ち塞がった。ランスロットと機体性能は互角。しかし、今この場においてその機体はランスロットに敵う道理が無かった。背負っているものの重みが違う。抱えているものの重みが違う。

 

≪邪魔をするなぁぁぁぁ!!!!≫

 

 ランスロットは空いている腕を振り上げて、赤いKMFを一撃で打ち倒した。赤いKMFをノックアウトした代償に腕部が崩壊し、肘から下を喪失しながらもランスロットは離陸を果たし、姿勢を崩したまま舞い上がった。

 だが、高度が上がらない。先刻、ブレイズルミナスでハドロン砲を受け流した際、ルミナスによって湾曲されたエネルギー・ウェーブがフロートユニットのメインスラスターを抉っていたからだ。ランスロットの背部からは黒煙が上がっていた。

 

≪出力が──っ!!≫

 

「スザク! ナハトの背に乗れ!」

 

 レオはナハトを離陸させ、ランスロットの下方に着いた。炎上するフロートをパージしたランスロットを背中に載せて、ナハトの強化型フロートユニットの出力で強引に空へと舞い上がる。コックピット内に鳴り響くアラート。重量過多を示すそれを無視してスロットルを押し込むと、今度は別の警報──エナジーフィラー残量を警告する音が鳴り響く。

 

≪逃すかよ!≫

 

 悪い事は重なる物だ。更にロックオン警報が重なってレオが視線を前に戻すと、その先には追い付いて来た白夜と無頼の姿。

 ランスロットという重量物を背負った状態での回避機動は不可能だ。採り得る手段はブレイズルミナスによる防御のみ。だがブレイズルミナス発生器は片方破損しており、その上エナジーも心許ない。

 

「ええい、ままよ!」

 

 考える時間は無かった。白夜を含めた敵機群が発砲を開始し、レオは上昇を維持しながら脚部ブレイズルミナスを展開した。翡翠色の光の壁がナハトの前面に拡がり、敵弾を弾き返す。しかし、続けて放たれた榴弾が直撃した瞬間、ナハトの左脚がスパークを起こした。ブレイズルミナスが弱まり、そこへ更に敵弾が浴びせられる。一瞬で左脚部が蜂の巣となって崩壊し、ブレイズルミナスが半分消失。続けて左腕と左翼が榴弾の直撃で弾け飛び、コックピットを強烈な振動が襲った。強かにディスプレイに頭をぶつけ、レオは呻き声を上げた。ステータスログが真っ赤に染まり、自機の損壊状況は加速度的に悪化していた。

 

≪スザク君! レオ君!!≫

 

 いよいよエナジー残量が尽きようとした時、ナハトの下方に“地面”が現れた。アヴァロンの甲板だ。ギリギリのところで間に合ったのだ。

 

 レオがナハトをアヴァロンの甲板に下ろすと同時に、スザクがナハトの背から離脱して着地する。普段のスザクなら、レオの方を振り返って心配していただろうが、今の彼にそのような余裕は無かった。

 着地と同時にランスロットのコックピットハッチが開き、スザクがランスロットから飛び降りる。ランスロットの腕に抱き抱えられたユーフェミアを抱き上げると、スザクの白い騎士服がユーフェミアの血で赤く染まって行く。レオもモニター上でそれを確認すると、俯せに倒れ込んだナハトのコックピットから飛び出して、艦内へと駆け出したスザクを追った。

 

 血塗れのユーフェミアを抱えたスザクと共に、レオはアヴァロン艦内を走る。タイミング良く到着していた艦内リフトに飛び込むと、レオはスザクと、その腕の中のユーフェミアの様子を伺って、凍り付いた。

 力を失った四肢はだらんと床に向けて垂れ下がり、夥しい量の血が滴り落ちている。瞼は開かず、ただでさえ白い肌が急速に色を喪ってゆく。

 

「スザ……」

 

 声を掛けるよりも早く、リフトの扉が開く。現れたセシルは「ぁぁっ!」と小さく声を上げ、日頃飄々としているロイドでさえ険しく顔を強張らせている。

 

「お願いします……」

 

 スザクが口を開いた。絞り出すような、震える声だった。

 

「ユフィを……ユフィを助けて下さい!!!」

 

 続いて放たれた声は、絶望的なまでの響きを持っていた。

 妙なリアリティを持つスザクの悲鳴に、レオは何も応える事が出来なかった。

 

 

 

 

 

 ≪──!、────っ! ──!!≫

 

 ラジオ越しに、ゼロの日本語が高らかに響く。威風堂々とした彼の言葉に、多くの歓声が答えている。

 ナハトとランスロットを回収後、アヴァロンは直ちに空域を離脱し、租界へむけて進路を取った。それは即ち、未だ会場に居るエリナやオリヴィエ、ユリシアやセイトらを見捨てる、という形となるのだが、それに対してレオが何か口を挟む事は無かった。セシルなどは少し意外だったようだが、正直、今のレオにそれだけの余裕は無かった。

 

 今、レオは一人医務室の前の廊下で、壁に背中を預けていた。「OPERATION」の文字が赤く灯っている中に、ユーフェミアとスザクらが居るのだろう。

 レオはそこに踏み込むつもりになれなかった。と言うより、踏み込む勇気が無かった。

 

「…………」

 

 焦点の定まらぬ目で、何も無い壁面を眺めていた。だがそれはレオの注意を保つにはあまりに特徴が無さすぎて、やがてレオの思考は一人歩きをし始める。

 スザクとユーフェミアとの関係は、ある種レオとエリナの関係に極めて近い。これは親衛隊結成の頃から思っていたのだが、それだけにその彼らの現状は、まさしくレオにとっての未来の光景にも思えてしまった。

 ユーフェミアの傷は深い。医務室に辿り着くまでにあれだけの出血をして、最早取り返しようが無い。ゼロの銃弾も急所を的確に破壊しており、恐らくはアヴァロンの医療スタッフにもどうにも出来ないだろう。レオの冷静な部分がそう判断を下し、レオの感情的な部分が不吉なビジョンをレオの脳裏に齎す。

 もしも、自分がスザクの立場で、そしてエリナがユーフェミアの立場に居たのならば。今こうして医務室の中で、死に行く少女を目の当たりにしているのが自分だったなら。

 

“……大丈夫ですか”

 

「頼む……今は放っておいてくれ……」

 

 霊体の女にそう返答すると、彼女の気配は消えた。正直、こう言う気分の時は誰かと話している方が落ち着けるのだが、何か言葉を発しようとしても、それはか細く震えた音にしかならなかった。

 

 ラジオはなおもゼロの言葉を紡いでゆく。レオがその言葉の意味を認識するにはこれよりもう少し後、テレ・ヴィジョン上の放送を見た時となるのだが、恐らくこの時にその言葉を聞いていたとしたら、レオの精神は極めて不快に逆撫でされ大荒れに荒れていただろう。

 

“……学校…………行って、ね……”

 

 脳裏に言葉が響く。霊体の女では無い、女の声。レオにはその声の主がすぐに分かった。ユーフェミアだ。気付けばレオのギアスが発動していて、レオは壁越しにユーフェミアとスザクの姿を確認した。

 ……ユーフェミアの光は、徐々に弱まっていた。

 

“ダメだ……ユフィ! ダメだ!!!”

 

 スザクの叫び。レオは電流が走ったかのようなショックを受けて立ち上がった。

 

「ユフィ……まさか……っ!?」

 

“スザク……あなたに……会え……て………………”

 

 そしてレオは再び“視た”。最早弱々しく瞬くだけとなったユーフェミアの光が、遂に消える瞬間を。ユーフェミアの最後の力が抜けて、スザクの手の中で細い腕が滑り落ちるのを。

 

「────ッ!!!!!」

 

 言葉にならない絶叫が、医務室から響いた。壁越しのレオもまた、叫んだ。叫びを聞きつけた医療スタッフが血相を変えて飛んで来て、医務室の扉が開かれる。スタッフ達が死亡確認を取る間、レオはスタッフに言われるがまま、喚くスザクを羽交締めにしてユーフェミアから引き離す。

 

「離せ! 離してくれ!! レオ、ユフィを! ユフィが!!!」

 

「よせスザク……もう、ダメなんだ! 彼女は、もう──っ!!!」

 

 ──皇歴2017年3月10日、午前11時39分。

 枢木スザクの光は。

 多くの人にとって希望の光となったはずの輝きは。

 

 永遠にその瞼を閉じた。



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第二十五幕 復讐、そして決着

 崩落が、始まった。

 ユーフェミアという偽りの希望の光に惑わされたイレヴン達の怒りは一気に爆発した。

 それは、単に特区の惨劇一つが原因では無い。長きに渡り、イレヴン達はブリタニアという巨大な力に押し潰され、虐げられて来た。自由、権利、名前を奪われた長年の苦痛、憎悪、怨念。その全てを混ぜ合わせた泥の如き激流が、エリア11全土を覆い尽くしていた。

 今や、反ブリタニア勢力の規模は止めどなく拡大していた。これまで反ブリタニア活動を続けて来た、黒の騎士団を始めとするレジスタンスや、それらを支持する貧民層だけではない。現在のエリア11における最大層……これまでは武力行使に否定的だった中間市民層さえ、一転して過激化の路を駆け上った。それは、彼らがユーフェミアの思想を支持していたが故のことでもあった。裏切られた。その想いが、彼らから人間性を奪い、人を獣に変えたのだ。

 

 

 

 

 

「G1が合流していないだと!?」

 

 悪いことは、重なるものである。

 夕刻。式典から退却して来たブリタニア軍の合流地点にて。

 アヴァロンを中心として集結したユーフェミア親衛隊、並びに駐留軍残党から受けた報告は、ただでさえ数十分前に黒の騎士団の演説内容を咀嚼して殺気立っていたレオの神経を大いに逆撫でした。

 

「はっ……」

 

「どういう事だ、あそこにはエリナも居た。セイトも居て、ユリシアらも近かった。あの場では恐らく最大戦力が揃って居たはずだ! しかも既にユーフェミア殿下の……()()に成功し、G1で退却すればそれで良かった筈だろう! 何の障害があった? 敵戦力はG1の撤退ルートには殆ど居なかったし、居たとしてもG1は陸を行く戦艦のようなもの……護衛部隊さえ居ればそうそう簡単に陥ちる事は無い筈で、その護衛部隊は最上のものが揃っていた筈だ! 違うか!?」

 

 一息にぶちまけられたのは、傷口の処置をする余裕も無く、這々の態で合流地点に辿り着いた、と言った風情のブリタニア駐留軍少尉であった。合流出来た駐留軍の中では、彼の階級が最も高かった──ダールトン将軍でさえ、合流出来なかったのである。

 

 エリナを始めとし、セイトもユリシアも、そしてユリシアと共にいたオリヴィエも、無事が確認出来ていない。

 尚且つ、この状況下にあって消息が掴めていない、と言う事は、即ち敵の、イレヴン達の手に掛かったか、彼奴等の手に落ちた可能性が高い、という事でもある。

 

「はっ……それが、我々にも原因は……」

 

「分からない、だと? この現実の重ささえ分からない、などと言う訳ではあるまいな? 貴様もあの場には居たのだろう!? それで──」

 

 語気を強めて食って掛かるレオの肩を、もうその位にしておけ、とばかりに何者かの手が掴んだ。リヒャルトだった。リヒャルトは一切の感情の読み取れぬ表情で、レオを視線で射抜いた。

 

「一応怪我人なんだから。医務班の所に行かせてあげれば?」

 

 続けて現れたロイドの言葉を助け舟として、少尉はふらふらとへとその場を離れて行き、医療チームが構えている白いテントへと向かって行く。レオは「待て」と彼を追おうとしたが、行く手をロイドに遮られる。

 

「彼も会場の外の配置だったって言うし、彼に聞いても仕方ないんじゃない?」

 

「だが……!」

 

「彼を問い詰める事で、何か解決するとでも?」

 

 リヒャルトが冷徹に問う。反論が見つからず、レオは言葉を途切れさせた。

 リヒャルトの言う通りでもあった。ここで少尉を詰ったとしても情報は得られないし、ましてやエリナらの無事が確認出来る訳もない。

 

「……とにかく、この場所に留まるのは危険だと思うの」

 

 気遣わしげな視線をレオに送りながら、セシルがレオの横に現れる。

 

「黒の騎士団は暴徒化した市民を吸収しつつ租界へ攻め込む素振りを見せているわ。その規模は進軍と共に膨れ上がっていて、既に数万人……今の私達がこれに接触すればひとたまりも無いわ。今すべきなのは、早急に部隊を纏めて租界へ撤退する事だと思うのだけれど……」

 

「撤退……? エリナを見捨てろと──ッ!?」

 

 レオはセシルの肩を掴んで叫ぶ。

 無論彼にも状況が分からない訳では無い。会場からの撤退に成功したブリタニア軍は、駐留軍と親衛隊を合わせても百人と少々。KMFに至っては稼働状態にあるものはサザーランドがたったの四騎しか残っていない。

 

「気持ちは分かるわ! けれど、今の私達ではどうしようも無い事は分かるでしょう!?」

 

「っ……!」

 

 忸怩たる想いで、レオは西の空を見た。既に時刻は夕刻に迫り、黄昏色の太陽光が空を染めている。

 茜色に染まったあの空の下に、恐らくはイレヴン達の勢力が居る。勝利に湧き、ブリタニアへの怒りを露わにし、凄まじい勢いでこの場所を踏み越え租界を目指している。

 強き力で抑圧されていた民は、抑圧の力が強ければ強い程、その反動で大きく跳ね上がる。今の彼らは、例え同数の敵であろうと、敵より劣る兵器を使っていたとしても、劣勢を跳ね返して勝利をもぎ取れるだけの力があるだろう。

 それは、燃え盛る炎にも、噴出するマグマにも似ている。

 火山でもあるフジを起点とするこの暴動は、まさしく噴火と例えるべきだろう。

 フジは日本の象徴でもあったと言う。彼らイレヴンはその場所をグラウンド・ゼロとして、噴火するマグマとなって租界を飲み込む。レオの脳裏に、そんなイメージが浮かんだ。

 

 正義はイレヴンにある。そう認めざるを得なかった。

 そして、自らが正義だと明瞭に定義した人間がどれ程強くなるかは、歴史が証明していた。

 

「……ロイド伯。ナハトは使えるか?」

 

 レオは小さく、呟くように問い掛けた。だがロイドは即座に首を横に振る。

 

「多分、君の方が分かってると思うけど?」

 

 ナハトは、ほぼ完全に破壊されていた。

 ユーフェミアを“救出”したあの時。ランスロットの盾となったナハトの受けたダメージは極めて大きく、アヴァロンに収容された時点でナハトは四肢の左半分とフロート左翼、そして頭部の半分を喪失し、胸部ユグドラシルドライブ内のコアルミナスにも損傷を受けていた。無事なのはコックピットくらいであり、それも飽くまで「原型を保っている」と言う意味での“無事”である。

 ナハトもブリタニア軍共通規格を採用している。最悪腕や脚ならばサザーランドのものを流用出来る。だが、主動力システムたるユグドラシルドライブはどうしようも無い。同等のドライブを採用しているのはランスロットのみで、そのランスロットも、乱暴なランディングの結果として両脚部関節が破損し中破状態にある。

 ランスロットとナハト、二騎の無事な部品だけを組み合わせれば。レオは一瞬そう考え、口に出す寸前まで行っだが、寸前で思いとどまる。

 

「お一人で救出に向かう、と?」

 

「それは……」

 

「御父君から、貴殿の能力は聞き及んでおります。確かに貴方ならば、敵陣に潜り込む事も不可能ではないでしょう」

 

 リヒャルトの言葉はレオの内心を正確に言い当てていた。

 劇場での暗殺、ゲットーへの潜入。単独潜入が必要な任務ならば、レオに並ぶ人材はブリタニアには存在しないと言えた。良くも悪くも、イレヴンはブリタニア憎しで暴走状態にある。いわば完全に浮き足立った相手の中に潜入するのは容易い、とレオの中の暗殺者(アサシン)としての部分は判断していた。

 

「ですが、バックアップも無しに無策で向かう事は許容出来ません。それに、貴方が動けば、今ここにいる部隊を指揮出来る人間は居なくなります。私だけでは……」

 

 駐留軍残党や親衛隊残党がこれ以上合流出来ないのならば、現状この場に集まったブリタニア軍の中で最高の指揮権保有するのはスザクである。だが、今のスザクは部隊指揮が出来る状態では無い。で、あるならば、次点の指揮権を持つのは他ならぬレオだ。階級こそロイドの方が上ではあるが、それも式根島、フクオカ、特区日本と立て続けに情勢が動いた為に単に辞令が間に合っていなかっただけで、現在レオの実質的な立ち位置はスザクと同等の少佐扱いだ。

 そして現時点で、彼より下の階級の人間は指揮権、ないし部隊指揮が可能な力量を保有していない。指揮官クラスならリヒャルトが居るが、彼だけでは手が足りない。未だ合流を試みる味方部隊の誘導と、現在この場に集まっている部隊のアヴァロンへの収容。素早く部隊を撤収させる。無論一人でこなせない仕事ではない。だが、それを一人でやっている時間的余裕は無い。黒の騎士団はすぐにでもこの集結地点を攻撃するだろう。

 無事に撤退を果たすには、指揮官クラスがどうしても二名は必要だった。

 今、ここでレオがエリナ救出に動けば、逆に今この場に居るブリタニア軍を見捨てる事にもなる。選択の余地は無かった。レオは突き上げる怒りの勢いのままに腕を振るい、周囲の兵士に叫んだ。

 

「……租界へ撤退する! 各隊、それぞれの兵員装備を纏め、速やかにアヴァロンへ集合しろ!!」

 

 

 

 

 

 そこは、報復の嵐が吹き荒れる場所であった。

 式典会場を制圧した黒の騎士団は、生存した日本人達を会場内に集め、すぐさまゼロの演説を世界中へと発した。ユーフェミアが平和を願う筈だったその場所で、ゼロは戦いの開幕を宣言したのだ。

 ブリタニアを日本から追い出せ。日本を解放せよ。

 今こそ、立ち上がる時だ。

 合衆国日本の名で発せられた檄文は内外に劇的な影響を齎す。今やエリア11の各地でレジスタンス勢力が立ち上がり始めており、会場の一角では、誰かが持ち込んだラジオがその様子を克明に語っていた。

 

≪ただいま入った情報によりますと、ホクリク地区の──≫

 

≪壊滅したはずのヒロシマのテロ勢力は租界への攻撃を強め──≫

 

 一報が入る毎に、日本人達は咆哮を上げた。負けていられない、と彼らは湧き立ち、その様子を黒の騎士団は満足げに眺めている。

 

「や、やめてくれ! 捕虜への扱いは──!」

 

「ブリキの捕虜なんか要るかよ!!!」

 

「そうだ! 俺達にテメェらがやった事を思い出しやがれ!」

 

 また別の一角では、集められたブリタニア軍捕虜への“私刑”が繰り広げられていた。両手を頭上に掲げさせられたブリタニア兵達に対し、その倍以上の数の日本人が罵声と石礫を浴びせかける。鉄パイプでその白い顔を殴り付け、奪った銃で殴り付け、崩れ落ちたその身体を踏み付ける。ただ殺すだけでは満足出来ない。

 舌を引き抜け。目を抉れ。死を懇願させろ。磔にした身体に刃を突き立て、心臓を抉り握り潰せ。もっと凄惨に、もっと暴力的に。そうしなければ、彼らの怒りは収まらない。

 

「いや……嫌ァ! やめて、やめてぇ!!」

 

 もっと。もっとだ。

 尊厳を奪え。権利など認めるな。

 こいつらは、自分達の親兄弟を殺した仇敵だ。自分達をゴミ屑のように扱った外道だ。

 外道には外道の扱いが似合いなのだ。

 

「ひぃ……ぃっ!!」

 

 かつてブリタニア軍兵士達の間では、日本人への弾圧を“狩り”と表現していた。ゲットーを逃げ回る日本人を、森を駆ける動物に例え、その獲物を仕留める。それが今、狩る者と狩られる者との立場が逆転している。最も、今のブリタニア兵は逃げる事さえ許されなかったのだが。

 

「ハハハ! もっとだ! もっとやっちまえ!!!」

 

「思い知らせてやれェ!!!」

 

 そして、式典会場地下。

 倉庫として使われるべく建てられたその場所に、黒の騎士団のほぼ全戦力が結集していた。壁面を埋め尽くす勢いで無頼及び無頼改の二個大隊が立ち並び、それを率いるようにして四聖剣の月下、更にそれを率いる藤堂の月下が硬い地面に座している。

 そして、最も目立つ位置に紅蓮が二騎。カレンの愛機たる紅蓮弐式と、エリアスの白夜が搬入口のすぐ側にあった。

 この二騎だけは、駐機されている訳ではない。メインカメラが消灯した他のKMFと違い、二騎は翡翠色の眼光を光らせ、手にした武器を一点に向けていた。

 二騎だけではない。黒の騎士団以下、以前から日本解放を目指して戦い続け、今は黒の騎士団に吸収された多くのレジスタンス勢力の歩兵達もまた、銃を構えて一点を取り囲んでいた。

 

「……このような真似、赦されると思っているのか!?」

 

 大量の銃口が向けられた先。そこに立つ複数人の一人が、そう叫んだ。青い和服を着た隻腕の老人……キョウトの重鎮、榊原大和。特区日本に賛同し、エリアスに黒の騎士団を売れ、と命じた張本人である。

 

「見苦しいぞ、榊原!」

 

 その背後から、もう一人の老人が罵声を飛ばす。キョウト六家の一人、桐原泰三。その他キョウト六家の面々がその場に勢揃いしており、ただ一人榊原だけが、人間二人分程離れて立っていた。

 

「我らの日本をかの敵国に、虐殺皇女に売り渡しておきながら、よくもおめおめと我らと共に立てると思ったものよ! 恥を知れ!」

 

「何を言うかと思えば……! 桐原公! 貴様ら六家こそ、特区に賛同し桐原公に至っては式典に参列までして彼奴等に媚び諂っておったでは無いか!! サクラダイト発掘の利権を使って、自分だけ特区での地位を得てもいた!」

 

「何を申す! 我らは将来の日本と言う存在を確固たるものとする責務があるのだ! そのために──!」

 

「所詮自己の保身ではないか! 真に日本の事を考えていたのはどちらか、よく考えてみるが良い!」

 

 その口論を、エリアスは白夜のコックピットから眺めていた。コックピットハッチを全開にしていたから、機外マイクを使用するまでもなかった。隣に立つ紅蓮も同様で、エリアスはカレンに視線を投げた。

 かつて、カレン以下多くのレジスタンス構成員達は、支援者であるキョウトを深く尊崇していた。仮初の姿を使って確固たる地位を築き、自分達を援助してくれる神の如き存在にも思えていた。実際、彼らの支援がなければレジスタンスは立ち行かないのだからそうなるのも当然であった。

 けれど。この特区日本の成立に際し、彼らキョウトは自分達を裏切った。レジスタンス達の支援からは一切の手を引き、特区日本に平伏したのだ。

 そして、特区が瓦解した今、彼らは纏っていたベールを引き剥がされ、レジスタンス達の面前に引き出されていた。

 富士の高みから地に引き下ろされ、出てきたものがこれだ。大量の銃口に囲まれていながらもそれを認識している様子も無く、口から吐く言葉は自己弁護と責任転嫁の化合物に過ぎない。罵り合う老人達の姿に、兵士達も若干の困惑と、大いなる失望を露わにしていた。

 

「……貴方達の言い分は、良く理解しました」

 

 不意に、嗄れた声とは一線を画する透き通った声色が老人達の口論を遮った。歩み出たのは皇神楽耶……キョウト六家の盟主である。

 

「控えよ神楽耶! 家の格だけの女子が口を出すな!」

 

「私が家の格だけの女子ならば、貴方がたはどうなのですか? 今のご自分のお言葉をもって、ご自分を省みては如何ですか?」

 

 気圧されている、と言うのは遠くで眺めているエリアスにも一目で分かった。

 

「ここまで、六家の動きを見ていて、ハッキリと分かりました。桐原公にせよ、榊原老師にせよキョウト六家には最早日本の将来を支える気概も、能力も既に無いと言う事を!」

 

「何を言う神楽耶! 我らは日本の為に!」

 

「特区での虐殺が起きた折に真っ先に逃げ出そうとしたのは誰でしたか? とどのつまりは我が身大事……ブリタニアに争う日本人達に支援だけして崇拝だけは受け取って、レジスタンスには出来ぬことをする、と嘯きながらもその実陰に篭り、何もしていなかったのは誰でしたか? いざ特区が発表されればそれまで口にしていた反ブリタニアをあっさり捨てて鞍替えし、黒の騎士団さえもブリタニアに売ろうとしたのは誰でしたか?」

 

「我らが残らねば、日本は残らぬのだぞ!」

 

「我らだけ残って何になりますか! 国とは為政者と民との両方が必要です。その民を簡単に見捨てた者が国を憂うなどと!」

 

 神楽耶の言葉に同調し、周囲の兵士たちがキョウトの老人達を睨み付ける。やがて、ふざけるな、と誰かが呟く声がした。かつてキョウトに支援されていたレジスタンスの兵士だ。自分達が尊崇していたキョウトの本質を目の当たりにして、特区の件以来燃え続けている憤怒の感情が漏れ出ていた。

 

『そうだ。既にキョウト六家の方々には、我らの上に立つ権利は無い!!』

 

 そこへ、機械を通して良く響くあの声が降り注ぐ。声の主、ゼロは白夜の肩の上に立っていた。実の所この騒ぎが起こった時からずっとそこに居たゼロは、エリアスが白夜の腕を動かしてやると、そこを介して床面へと降り立った。

 

「ぜ、ゼロ……!」

 

「やっと、お会いできましたね」

 

『ええ、皇どの。貴女の事は聞き及んでおります。早くから私にご期待下さり、また先刻、逃げ出そうとしたキョウト六家を一喝し、ここへ馳せ参じて下さったとのこと。感謝致しております』

 

 慇懃にそう告げた後、ゼロは更に一歩前に出た。神楽耶はゼロの側に歩み寄り、そして彼と共にキョウトの老人達に向き直る。そこに至って、キョウト六家は初めて周囲を見た。自らに向けられる銃口、銃口、銃口……。

 最早自分達を守るものもなく、自分達を上位者たらしめた要素も今の彼らには無い。今更になってそこに思い至った老人達は震え上がった。

 

『こうなった以上、キョウト六家の方々には、私の指揮下に入っていただく。他にお前達が生き延びる道は、無くなった!!』

 

 ゼロは冷淡に宣告した。言われた側の老人達に反論は許されない。束の間の沈黙の後、ただ一先ず命が助かった。その事実だけを受け入れて老人達は頭を垂れた。

 ただ一人を除いて。

 

「ふざけるのも大概にしたまえよ、仮面の若造風情が、良くもこの私に向かって大それた口を……!」

 

 榊原大和は、ずい、とゼロに詰め寄った。

 

『ほう。ご自分のお立場を理解した上で、そう仰っている、と?』

 

「分かっていないのは貴様の方だ若造! 成る程貴様の言う合衆国日本、良い思想ではあるのだろう。一国家であるブリタニアに対抗するには、我らも新たな国家として構えねば対等にはなれぬ……しかしな。国を作る、国を建てると言う意味を真に理解しておるのか? 何が必要であるのか心得ておるのか? 貴様ら如き学のない若造が集ったところで、国が維持できるものか!! 貴様らには導く者が必要なのだ! 我らのように思慮深く、経験豊かな導き手がな!」

 

 彼の演説は、一片の真実が含まれていた。が、それさえも埋め尽くす傲慢と自己陶酔は、同じ側に立つキョウトの老人達さえも青ざめさせた。このような男に従っていたのだな、と再認識し、エリアスは操縦桿を握る手に怒りを込めた。

 割とこの男について慣れているエリアスでさえそうなのだから、他の者達の衝撃と怒りは相当なものだった。

 

「私を従えるだと!? 愚か者めが! 従うのは貴様らの方だ! この無知蒙昧め!」

 

『……どうやら、貴殿自身が全てを物語ってくれたようだな』

 

 老師は、自らの死刑執行書に舌でサインをしたのだ。エリアスはそう理解した。

 

『何にせよ、ご安心召されよ。貴殿を我が指揮下に加えるつもりは、私にも毛頭無い。貴殿は既に黒の騎士団を売ろうと策を講じ、手駒に命じていた事も既に承知している。そして私は、歴史の針を戻す愚を犯さない』

 

 そう言って、ゼロはその手を高く掲げた。それを合図として、兵士達が一斉に銃を構え直す。だがその手は彼らの思いとは逆に、彼らを押し留める為のものだった。

 

『兵士諸君は手を出すな。この男の処遇については既に決定している……何年も前から、な。そうだろう、エリアス!!』

 

 突然呼び掛けられて、エリアスはハッとなった。驚いてコックピット正面ウインドウ越しにゼロの姿を見遣り──数秒後、彼の意図を理解してエリアスはすっ、と立ち上がった。

 

 待ち望んでいた時が来た。エリアスは半分機械となった自身の身体に、歓喜の感情が走るのを感じた。母の刀を抜いて、エリアスは白夜のコックピットから跳躍する。空中で二度回転しながら、エリアスはゼロと榊原の間に降り立った。

 

「貴様……!」

 

「そうだとも、ゼロ。俺は、長いことずっと待ち望んでいた」

 

 刀の切っ先を榊原に向ける。榊原はぴくりとも動じず、逆に腰に帯びた自らの刀の柄に手を添える。

 

「忘れたとは言わせないぞ、老師。貴様はブリタニアから逃れた俺の母さんを売女と罵り、母さんを見殺しにした!」

 

「馬鹿者めが。あの女を殺したのは私ではない。貴様の父だろうが」

 

「その母さんをお前達が見捨てさえしなければ、母さんはあんな男には負けなかった!!」

 

 そう叫んで、エリアスは母の刀、月虹を振り上げた。瞬間、榊原も抜刀し、二振りの刀が甲高い音を立てて激突した。

 

「逆恨みも良いところだな、エリアスよ。そして……ッ!!」

 

 一体どうして、隻腕の身でそんな事が出来るのだろうか。榊原は不意に刀に込めた力を緩めたかと思うと、生じた一瞬の隙を突いてエリアスの刀を弾いた。辛うじて刀を手放さなかったエリアスだったが、続けて放たれた連撃はエリアスを防戦一方へと追い込んだ。

 

「っ……!」

 

 だが、エリアスには榊原には無いアドバンテージがある。彼の身体は機械化され、人間には出せないようなキネティック・パワーを発揮できる。エリアスはそこに物を言わせて、一度後ろに飛んで榊原の攻撃を回避しながら、再度袈裟斬りに刀を振り下ろした。

 

「この私に、刀の腕で競おうなど千年早いわっ!!」

 

 その一撃を、榊原は簡単に弾いた。

 僅かに出来た間合いを活用し、脚を軸として自らの身体を独楽のように回転させ、更に自らの腕を鞭のように叩き付ける事で、エリアスの一撃に匹敵するパワーを刀に乗せたのだ。そして榊原は、バランスを崩す事なく回転を止め、再度攻撃姿勢に入る。

 押されている。その事実にエリアスも、彼らを取り囲む兵士たちも驚愕を隠せなかった。機械による強化を受けたエリアスが、パワーで負けている。

 

「旧日本軍総合剣術師範を務めた、この榊原大和だぞ!!」

 

 エリアスの反撃の一撃をいとも簡単に押し返した直後、榊原は床を蹴って間合いを詰め、エリアスの左肩を突いた。義体の装甲板の隙間を狙った巧妙な一撃。貫通こそ免れたものの、完全にバランスを崩したエリアスは床に背中を打ち付ける羽目になった。

 試合ならば、これで負けの判定の一つでも貰っていた所だろう。だが、榊原は容赦しない。倒れ込んだエリアスにとどめを刺すかのように、榊原は刀を振り下ろした。エリアスは床を蹴って跳ね起き、逆に自ら榊原の刃に向かって跳んだ。胴への傷は避け切れなかったが、榊原の側も想定したよりも高い打点での接触となる。思うように衝撃を吸収して姿勢を戻せずに、榊原は二歩程後ずさった。エリアスは一回転して再び姿勢を戻し、再度月虹を構え直す。

 

「機械の身体に助けられたな」

 

 榊原は嘲る。肩への一撃、そして胴への一撃。どちらも生身の肉体ならば致命的なダメージとなっていた筈の攻撃だ。

 

「機械仕掛けの化け物め。貴様のような歪な者の刃など、我が刀には通じぬ」

 

「貴様……ッ!」

 

「穢れた血を受けた、我が一族の面汚し風情が私を殺す? 思い上がるな、この雑種が!!」

 

 そう吐き捨てると、榊原はエリアスなど眼中に無いかの如く、ゼロに向かって言葉を投げた。

 

「どうだゼロよ、私の力を思い知ったか。兵に命じたらどうだ? 引き金を引け、とな。だが、私を排斥する事がこの日本にどれ程の不利益を齎すか、貴様でも分からない事はあるまい? ん? 古き良き日本を取り戻すのならば、我々──」

 

「──確かに、貴方の剣筋は相変わらずですな」

 

 返答を返したのは、ゼロでは無かった。榊原の言葉を遮って、兵士達の海を割るように一人の偉丈夫が歩み出て来る。

 

「藤堂、か」

 

「ですが、その心は腐り果てたのだ、と理解しました」

 

 藤堂鏡士郎と、彼の背後には四聖剣が居た。次の相手は貴様らか、とばかりに榊原は刀を向けたが、藤堂は動じず、刀を抜く気配すら見せなかった。

 

「ゼロは言いました。我らが新しく作る日本は、あらゆる人種、主義を受け入れる広さを持つ国家であると。だが、貴方でさえも受け入れるような甘い国家ではない!」

 

「何……!?」

 

『そうだ老人! 既に貴様は自らの口で、自らの存在価値を証明した。何ら価値が無い、とな!』

 

 更にゼロが言葉を重ねる。

 

『力に溺れ、腐り果てた年寄り風情が! よくも臆面も無く我が友を侮辱してくれる!!』

 

 それは、ゼロにしては珍しい怒声であった。演技ないし演出なのか、或いは本気で怒っているのか、彼の素顔を垣間見たエリアスでさえ、判断は出来なかった。

 

『貴様の如き旧時代の膿を、我ら合衆国日本は決して認めない。エリアス、やるのだ! 本懐を果たせ!!』

 

「言われるまでも!!」

 

 演出に使われている、と言う自覚はあった。

 榊原の本性が思いの外分かりやすく外道であったのもあったし、それを織り込んだシチュエーションである事は最初からエリアスも承知している。

 だが、敢えて乗ろう。奴の即興劇に協力してやろう。

 元よりこの即興劇は、エリアスに復讐を遂げさせる為に仕組まれたものでもあるのだ。少なくともゼロ……ルルーシュはそう言った。

 

 エリアスは床を蹴り、再び榊原との距離を詰めた。振り上げざまの一撃は身体を逸す形で避けられ、そこから振り下ろした斬撃と返す刃での薙ぎ払いは的確に刀でガードされる。が、その三手を放ちながらエリアスは榊原の左側面へと回り込む。榊原の弱点は、彼が隻腕である事だ。右の腕一本だけで刀を振るっているだけに、左側へのリーチは薄い筈だ。そう目論んで、エリアスは攻め立てながら榊原の死角を突こうとする。

 迫り来るエリアスの乱撃に、しかし榊原は動じない。隻腕のハンデを身に染みて理解している彼にとって、当然ながら左側面からの攻撃は予測の範囲内、むしろ最初に考えるべきポイントだった。榊原は大きく身体を巡らせるでもなく、右手の中で刀を反転させた逆手の刀で全て応じた。

 

「甘いわ、小童!!」

 

 一体、いつの間に仕込まれたのかエリアスには分からなかった。不意にエリアスの前足が横に払われ、エリアスはまんまと体制を崩した。エリアスが榊原の側面に回り込むことを意識している間に、榊原の脚がエリアスの下に潜り込んでいたのだ。崩れるバランス、倒れる身体。次の瞬間、榊原はエリアスの生命を容易く断つだろう。機械の身体でなら脚部モーターに物を言わせて踏みとどまる事もできる。しかしそうなれば、榊原の逆手の刀がエリアスの喉を貫く。

 エリアスはどちらの未来も拒否した。最大パワーで床を蹴って、斜め後ろに大きく跳躍する。スクリューを思わせる勢いで三回転。着地すると同時に、エリアスは再び地を馳せた。殆ど身を投げ出す勢いで榊原に迫る。恐るべき勢いの、しかしあまりに単調な一撃。これを返すのは、榊原には容易だった。

 榊原が刀を振り上げ、甲高い音と共にエリアスの手から遂に刀がもぎ取られた。銀の刃が照明に反射して、天井近くへと舞い上がる。

 

 だが、それこそがエリアスの狙いであった。振り上げたままのエリアスの右手首から、不意に細い刃が飛び出し伸びる。仕込み短剣。瞬時にエリアスは機械の左腕で榊原の肩を捕まえると、右手の仕込み短剣を榊原の喉に深く突き刺した。

 

「──ッ!!!」

 

 鮮血が迸る。噴き出した赤い飛沫は瞬時にエリアスの眼帯型人工複眼デバイスを血の色に染め、エリアスの視界にも赤色が混じる。

 

「ぬ……ぬ、ぐ……ぅっ!!」

 

 憎悪に歪んだ目で、榊原はエリアスを睨む。だがその眼差しは段々と愉悦に歪んだ。同時に、ゆっくりと榊原の右手が持ち上がる。

 

「ふ、は、は……見事だな、エリアス……私の、負けだ」

 

「武人を気取るな。貴様に潔さは似合わない」

 

 そして、榊原の最期の一撃が振るわれる。榊原の腕が緩やかに持ち上がり、重力に任せてエリアスに迫る。だがその時既に、エリアスは榊原の身体を放していた。その胸板を軽く蹴り飛ばされ、榊原は呪詛の呻きを上げて大きく仰反り、その上をエリアスは駆け上る。

 瞬間、跳躍。空中に躍り出た彼の手に、母の刀がひとりでに収まる。胡蝶の舞うが如く空中で身体を回したエリアスと、眼下の榊原と目が合った。エリアスは咆哮と共に、母の刀を榊原めがけて投げた。

 榊原の顔が、遂に恐怖の色に染まった。彼の眼前には、彼が自ら弾き飛ばしたエリアスの……榊原美咲の刀の切っ先。

 

 着地し、背を向けたエリアスの背後で、榊原にとどめが刺された。

 舞い降りた刀が、榊原の額を正確に貫いたのだ。

 

 かつて、榊原は助けを求めて来た母を追い返した。

 その母の報復の一撃は、遂に榊原大和を捉えたのだ。

 

 ばたん、と大きな音を立てて、榊原だったものが床に倒れた。

 

 

 

 

 

 

 

 それからの事は、エリアスには記憶が曖昧だった。覚えているのは、榊原の骸を前にしてゼロがまたひと演説ぶちまけた事……旧い日本がどうの、新時代がどうのと言っていた……彼の目の前で榊原の遺骸が片付けられ、残るキョウト六家の面々がすごすごと引き下がって行った事。そして今、彼を倉庫の中にはほぼ誰も残っていない事。

 

 ……“ほぼ”、である。

 

「エリアス」

 

 そんなエリアスに声を掛けたのは、カレンだった。振り返ってみれば、居たのはカレンだけでは無い。扇に井上、杉山、藤堂や四聖剣……黒の騎士団内で浮きがちな彼にあって、それでも比較的近しい位置に居る面々である。エリアスの預かり知らぬ話ではあるが、一つの復讐を遂げたエリアスを気遣って、ゼロが遠回しに「側に居てやれ」とフォローを入れ、この面々もそれに同意した結果でもあった。

 

「ゼロには感謝するしかない、な。こうして一つ……俺は……俺、は……」

 

 口を開いた時、エリアスは自分の声に違和感を覚えた。

 震えている。続いて、目元に違和感を覚える。

 熱い。熱を帯びたものが、その目に溜まっていた。恐らく尋常の人間ならばここで視界にも違和感を覚えただろうが、エリアスの人工複眼ユニットはその視界を自動的に補正していた。

 

「……エリアス」

 

 背後から、誰かの腕が回される。人工複眼ユニットはその気になれば後背の情報をある程度収集可能だから、エリアスには自身を抱き止めているのが誰なのかはわかった。

 そして、振り返る事はしなかった。そうする余裕も無かった。機械の身体であるのに、彼の身体は確かに温もりを感じていた。遠い昔、母に抱かれた時のような。

 だが、母はもう居ない。復讐は果たされたが、それを褒めてくれる母は居ない。いや、そもそも復讐は母の望みだったのか。復讐の熱が霧散するにつれて、エリアスの心に冷たい後悔が迫り来る。

 復讐の後には虚しさだけが残る。それはエリアスにも分かっている。けれど、頭で理解するのと実際に味わうのには雲泥の差がある。

 

 ただ一つだけ、確かな事がある。

 これまで自分は、母の復讐のために生きて来た。それが、今は亡き母と自分とを繋ぐ唯一のものだった。そうして今、エリアスは復讐からも、母との唯一の繋がりからも解放されてしまったのだ。

 

『────ッ!!』

 

 嗚咽は出なかった。彼にそんな機能は無かった。ただ流れ出る涙があるだけだった。口を開けば何かが溢れそうで、エリアスは上を向いたまま口を強く閉じていた。そうしたら、本来口腔が使用不能な時に使用される人工発声器がノイズを発した。

 

「お疲れ様」

 

 そんな言葉が、最後の引き金だった。格納庫に、声にならない叫びが響き渡った。



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