剣術狂いが剣姫の師を務めるのは間違っているだろうか (土ノ子)
しおりを挟む

第一話

 迷宮都市オラリオ。

 世界に唯一『迷宮』を抱え、その穴蔵から生み出される無尽の富を目当てに、世界中から人・物・金が集う世界都市。

 

 世界の縮図とも称され、絶えず迷宮に挑み続け、力と富を蓄え続ける命知らず達の街。

 

 英雄豪傑が綺羅星のごとく無数に輝くこの都市においてなお、『都市最大派閥』と畏怖される二大派閥(ファミリア)がある。その片割れ、道化師のエンブレムを戴くロキ・ファミリアの本拠地(ホーム)

 

 『黄昏の館』の敷地、複数人でちょっとしたスポーツが楽しめそうな広さを誇る中庭にて、その二人は向かい合っていた。

 

 一人は『剣姫』、アイズ・ヴァレンシュタイン。ロキ・ファミリアの若き幹部であり、オラリオでも数少ないLv5に到達した第一級冒険者。女神に比肩する美しい(かんばせ)に程よい緊張を浮かべ、鞘を被せた愛剣『デスぺレート』を構えている。

 

 対するは極東の『着流し』の上から派手な刺繍の入った羽織を着こんだ若い男だ。二枚目と言っていい整った顔立ちに独特のアルカイックスマイルを浮かべ、()()()と下げた右手には刃を潰した模擬刀を握っていた。

 

 少女はさておき、男の振る舞いは傍目からはやる気が見当たらないものであったが…アイズの目に油断はない。男の一挙一動を目で追い、絶えずフェイントなどの駆け引きを繰り出すことでわずかでも相手よりも有利に立とうと様々な工夫を凝らしていた。

 

 だが…男に動きはない。

 いっそ、剣をぶら下げたまま寝ているのではないかと思われるほど、身じろぎ一つ起こさなかった。

 

 すると両者の立ち合いを見守っていた気まぐれな風の精が焦れたのか―――サアァ、と一陣の旋風が巻き起こり、舞い上がった枯葉が僅かな面積だけ両者の視界を遮る。

 

 疾風の如く、剣姫は迷いなく踏み込んだ。

 

 ただ速く、一直線に両者の隔てる空間を貫く片手剣(サーベル)の軌跡は北風のように鋭い。第一級冒険者をして、応手に相応の気合を込めて対するべき一刀。だが変わらず、いっそ彫像であるかのように男の表情に変化は無かった。

 

 無駄な力みの抜け落ちたアルカイックスマイルのまま、()()()と一歩を踏み出す―――それだけで剣姫(アイズ)は男との間合いを見失った。

 

 さながら時間がコンマ2、3秒()()()()()かのように、気づけば男は眼前に在り、手にした刃はまさにアイズを袈裟懸けに切り裂かんとしていた。

 

 咄嗟に身を捩り、ギリギリのところで迫りくる刃を躱したアイズ。体勢を崩したアイズを追撃せんと続く連撃も手にしたデスぺレートでかろうじて撃ち落し、あるいは鋭いステップで避けていく。

 

 手にした剣を打ち合い、あるいは避ける攻防の中で崩れたリズムを立て直した。崩した調子をアップに乗せ、さらに加速するべく心と体のテンポをさらに一段階上げていく。

 

 伴ってアイズが繰り出す剣速も疾風のごとき初撃のそれよりも更に加速していく。

 

 

(でも…!)

 

 

 当たらない。

 繰り出す斬撃のことごとくが剣でいなされ、悠々とした足取りが斬撃の掠る余地さえ奪いつくしている。

 

 そしてそのアクションの全てが、斬り合いが始まってから変わらない速度で行われている。対峙するアイズは上り調子のテンションに合わせて加速していっているというのに。

 

 

(やっぱり、強い…。とんでもなく、上手い)

 

 

 アイズとて長年ダンジョンに挑み続け、Lv5にすら至った第一級冒険者だ。自身の技量への自信も相応に持ち合わせている。

 

 そのアイズをして男の技量には大人しく兜を脱ぐ他ない。実のところ、いまもまっとうな斬り合いが成立しているのも男が技量をアイズに合わせて発揮している点が大きい。

 

 敵手に向けて最短の軌道を、最速でなぞり、その上で最大威力を乗せた斬撃を叩き込む妙技だ。そして動作の全てを同等の技量でこなせば、同格の第一級冒険者すら文字通り()()()()()()()奇跡に半歩踏み込んだ絶技すら可能とする。

 

 何の手品でもない、ただ隔絶した技量がもたらす絶技にアイズは変わらぬ尊敬の念を抱く。

 

 

(流石は…私の、先生…)

 

 

 私の、のところに密かに力を入れて感嘆の念を漏らしつつ、一層気を入れて繰り出される斬撃を捌いていく。なお余人に知られぬその胸の内ではフフンと幼い少女(アイズ)が得意げに踏ん反りがえっていた。

 

 そのまま、十数合互いの得物をぶつけ合う。いまやアイズの繰り出す斬撃には速度が乗りに乗り、ダンジョン最下層の攻略で振るうのとほぼ大差がない。まともに打たれれば鞘を被せているとはいえ骨折の一つもするだろう。

 

 だが、打たれない。掠りもしない。

 男はアイズが繰り出す斬撃の全てを上手くいなし続けている。

 

 そして延々と続く剣戟を終わらせる機が訪れる。

 

 

「ッ…!」

 

 

 (ゴウ)、と重く硬質な音が鳴り響くとそれまで互角の斬り合いを演じていた男の模擬刀がアイズの愛剣(デスペレート)を弾き飛ばしたのだ。

 

 アイズの顔には驚愕の表情が張り付けられている。

 

 アイズの剣を弾き飛ばした一振りは傍目から見てそれまでの斬撃と比して何ら変わった様子が無かった。だと言うのにそれまでの一撃一撃よりも格段に重かったのだ。

 

 予備動作(モーション)を上手く隠し、それまでよりも重く体重を乗せたのか、と正答に迫りつつも全ての疑問は後回しにして刹那の迎撃に努める。

 

 互いに運動エネルギーをぶつけ合った刃は、それぞれ軌道を変えつつもまだ敵を狙える範囲に収まっている。当然ジャストミートではないが、まだ修正の利く範囲内!

 

 これを奇貨とすべし、と閃きがアイズの脳裏を奔る。

 

 押し通せる無茶であると判断したアイズは咄嗟に柔らかく手首を返すことで剣戟の軌道を修正し、男の急所に向けて打ち込もうと試みた。

 

 流石は第一級冒険者、流石は剣姫と称えるべきか。頑強な肉体と鍛え上げた技量は無理を押し通した。殺られる前に殺れとばかりの殺意が過剰に籠った刃は男の喉元へと一直線に伸びていく。

 

 ()った―――!

 

 そう確信に至る半瞬前に、

 

 

「~~~~~~~~ッ!?」

 

 

 ガツン、と硬質な音ともにアイズの脳天で火花が散った。

 閃電の如く最短距離を奔った男の模擬刀が少女の脳天を痛打したのだ。

 

 敵手より一瞬早く動きを読み、一瞬早く剣を繰り出し、一瞬早く届かせる。その剣閃は彼我の動きを完全に読み取ったうえで導き出される最短距離を忠実になぞる。

 

 全ては倦まず弛まず薄皮を張り重ねて城壁を作り上げるのに似た、膨大な下積みからなる必中の一太刀。男が才能と半生を賭して積み上げた剣腕が成す絶技であった。

 

 アイズは頭部を()()()()()衝撃に苦痛よりも驚愕を覚えて咄嗟に飛びずさり……剣を下げてため息をつく。

 いつもの如く、此度も自身の敗北であった。

 

 

「参りました…」

 

 

 第一級冒険者である彼らにとってこの程度は負傷の内にも入らない。もちろん続行は可能だったが、これは本気の立ち合いではなく、あくまで修練としての模擬戦だった。そしてどちらかが一本を取ったら反省会のため一時中断、というのが不文律となっていた。

 

 

「うん…。今の一戦は良かったよ。数瞬こちらを見失ったとはいえ、見えてからはきちんと対応できていた。特にあの剣の軌道を曲げる技は実戦でも通用する水準だ。良く手首を鍛えこんだ証拠だね」

 

 

 ただ握力を鍛えるだけではなく、関節の可動域を広げ、剣を()()()()扱えるからこそ押し通せたアイズの無茶だった。普通の人間が同じように全力で剣を振っている途中に軌道を曲げようとすれば大体の場合手首を痛める。最悪の場合は骨折だ。

 

 一般人より遥かに頑丈な上級冒険者でも鍛錬が足りなければ同じ目に遭うだろう。何せ己が振るう力がそのまま関節という己が肉体の弱い箇所に反動として返ってくるのだから。ただ実戦を重ねることで向上する身体能力(ステイタス)に頼っていては絶対に扱えない技術なのだ。

 

 尤も、だからこそその妙技を真正面から打ち倒した男の異常さが垣間見える。

 当の本人は栗色の猫っ毛を風に靡かせ、ふわりと顔を緩ませて偉い偉いと子ども扱いにしてアイズの頭を撫でていたのだが。

 

 

「…止めてください、先生」

「ああ。ごめん、ごめん。昔から知っているからといって小さな頃と同じように接するのは良くない。分かっているんだけどね」

 

 

 でも、と続ける。

 

 

「嬉しいんだ。君が強くなってくれたことが。なにせ―――」

 

 

 と頬を緩ませながら。

 

 

「君は僕の、弟子だからなぁ…」

 

 

 師として弟子である少女に抱いた誇りを覗かせる言葉に、アイズもまた頬を緩めた。

 

 主神(ロキ)すら滅多に拝むことのできない剣姫(アイズ)の柔らかい笑顔。

 こともなげにそれを引き出した男は、やはりふわりと笑うだけ。

 

 

「うん。いつか君と本気で()()()()時が楽しみだ」

 

 

 その笑みに一欠けらの狂気が混じる。

 人畜無害を絵に描いた()()()その笑顔を見て、アイズは痛感する―――強い、と。

 

 恐怖はない。

 彼が()()()()人間であることは、『剣』の追求のために多くを捨て去ることのできる人間であることはずっと前から知っているから。

 

 彼との出会いからもう片手に余る年数が過ぎた。出会った当初よりも己は遥かに強くなった。それは心身ともに昇華を続けた成果である位階(レベル)が物語っている。加えてアイズを『迷宮都市(オラリオ)最強候補』に押し上げる母の風(エアリエル)も確実に掌握が進んでいる。

 

 彼と自分、実のところ二人の間に今の模擬戦から見えるほどの実力差は無い。

 対人使用を制限している母の風(エアリエル)を解禁すれば、後れを取ることは無いだろう。

 

 だがそれでもなお『剣』に限って言うならば―――むしろ出会った頃よりもその隔絶した技量の差は開いたのかもしれない。

 

 そしてそれを理解しているからこそ、男は誰よりも嬉しそうに笑うのだ。

 

 男の名はイタドリ・千里(センリ)―――その称号は『魔刃(ダインスレイヴ)』。未だLv5でありながら剣腕一つで『迷宮都市(オラリオ)最強候補』の一角に食い込む、『オラリオ最高の剣士』である。

 

 またの名をロキ・ファミリアの切り込み隊長。

 そしてアイズ・ヴァレンシュタインにとっては、剣の道における師とでも言うべき先達であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【TIPS】主人公ステータス

 

 

イタドリ・千里(センリ)

 

Lv5(Lv6に昇格可能)

 

所属:ロキ・ファミリア

種族:ヒューマン

職業:冒険者

到達階層:58階層

武器:刀

 

 

 

ステータス

 

 

基本アビリティ

 

力:A888

耐久:A821

器用:SSS1499

敏捷:S998

魔力:H113

 

発展アビリティ

 

狩人 F

剣士 E

耐異常 F

凶運 I

 

 

スキル

 

憧憬剣理(リアリス・フレーゼ)

早熟する。

憧憬が続く限り効果持続。

「器用」に超高補正、「力」「耐久」「敏捷」「魔力」に低補正。

 

自己制御(ハンディキャップ)

自己のステータスを自由に制限する。

 

死狂イ(ウォーフリーク)

瀕死に近づくほど攻撃力が極大上昇。

 

我魂宿剣(スピリット・オブ・ソード)

剣を装備すると全ステータスを上昇。

剣以外を装備すると全ステータスが極大下降。

 

正義天秤(アストライアス・スケール)

『正義』を行う時、全ステータスが上昇。

『正義』に反する時、全ステータスが大幅下降。

 

 

魔法

 

天覧御前大死合(テンランゴゼンオオジアイ)

決闘魔法。

術者と対象を結界で隔離する。

彼我のステータスの差により術者のステータスに補正がかかる。

差が大きい程ステータス補正の効果上昇。

一方の死亡もしくは精神枯渇(マインドダウン)により解除。

 

 

 




以下蛇足の後書き
読み飛ばし推奨


とりあえず(一応)主人公ステータスをペタリ。多分全部使う機会とかないので……。人物背景的な分はこれからのお話で展開予定。

ステータス的には優れた基本アビリティにスキルで更に補正を重ね、その上で器用:SSSの剣技で正面から斬殺する剣客スタイル。

極まった剣術家による一刀はただそれだけで必殺技なのだ(ウィング先生並感)。

窮地からの生存力は『死狂イ』と『凶運』で確保しつつ、格上相手でも魔法が使えればワンチャンある。その上基本思考が倒れる時は相手も斬殺しつつ前のめりという死狂い仕様。

関わりたくない(真顔)。

なお最後のスキルについて疑問に思われた方もいるだろうが、大体想像通り。ロキ・ファミリアへ入団する前に所属していたファミリアが存在して『いた』。

今後も【TIPS】という形で設定的なものを晒していく予定。なんせソード・オラトリア9巻分で一旦終わりなので本文中で晒すには尺が足りない。

元を辿れば主人公メインで本編やる予定だったが幼女(ロリアイズ)が最高過ぎて、主軸がキチガイから幼女にシフトしたため使う予定の無いネタがそこそこ埃を被っている。よってソード・オラトリア9巻以外のネタが大量にあるが、そこまで書く気力が無いので設定だけ晒す。自己満足とも言う。

はっきり言って読み飛ばしても全く支障はないです。



主人公の二つ名を修整(2019年3月24日)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二話

続けて投稿。
今日は三話まで。
ストックが多少あるので、暫くは毎日投稿したい。


 

 時は遡り、9年前。

 

 アイズ・ヴァレンシュタイン、御年7歳。

 職業、冒険者。

 

 冒険者、ダンジョンでモンスターを相手に切った張ったを生業とする荒くれ者たちの一員。

 だが紛うことなき幼女(ロリータ)である。

 

 故に所属するロキ・ファミリアからはある意味手厚く扱われ、今もオラリオを騒がす『闇派閥(イヴィルス)』の鎮圧から外されている。

 

 保護者監督付きでダンジョンに向かい、モンスターを討伐する。彼女に許された実戦の場はそれくらいだが、実のところこれでも十分に危険だ。

 

 尤もこの時のアイズはファミリアの幹部達からの配慮に感謝するどころか認識すらしていなかった。幼子故に意識が幼いこともあるがそれ以上に彼女の内に燻る力への渇望がアイズの視野を狭めていた。

 

 

(強く…なりたい…。剣が欲しい…もっと、強い剣が)

 

 

 強くなるためにはモンスターを倒すのが手っ取り早く、並の剣ではアイズの振るう力任せの使い方に耐えられない。

 

 故に、強い剣が欲しい。

 

 ダンジョンから帰ったアイズがそう幹部達に主張し、にべもなく退けられたのがつい先ほどのこと。反射的に頭に血を登らせたアイズは保護者達に抱いた反感のまま、オラリオのメインストリート、通称『冒険者通り』に向かって()()()()

 

 妙な迫力と鬼気をまき散らす幼女に通行人は訝しげな眼を向けるが、それが最近噂の『人形姫』と分かると大概ギョッとした顔をして道を開ける。

 

 それすら気にも止まらない程頭に血が上っていたが、天の配剤か熱くなった頭を冷やすように天から水滴が降り始めた。

 

 急速に勢いを増し、横合いから殴りつけるようにザアザアと雨が吹き付けてくる。

 

 通り雨だ、それもかなり強い。

 流石にそんな天候で押し通ろうとすることは躊躇われた。

 

 やむを得ず近くの軒下に避難し、雨足が弱るまで雨宿りすることに決める。ずぶぬれになった服が体に張り付き不快感をもたらす。ブスッとした顔で天を睨みつけたが、もちろんそんなことで天候は変わらない。

 

 ため息を吐いて大人しく雨が止むのを待ち続けるアイズの耳に唐突に風切り音が届いた。

 

 思わず振り向いた路地裏の先からアイズの耳にその後も鋭く空気を裂く音が断続的に響き続ける。

 

 どこか聞き覚えのあるその音に記憶をたどるが、やがてその正体に思い至った。

 

 

(剣を振っているんだ)

 

 

 己もまた鍛錬の一環として行っている故に剣を振るい、大気を切り裂く音は嫌と言う程耳にしていた。

 だからこの音も熱心な冒険者がこの先で鍛錬しているのだと考えれば合点がいった。

 

 だが…この音は、なんというか()()

 

 少なくとも受ける印象は、自分が振るう力任せの剣よりもフィンやガレスが振るう確かな技術が乗った一撃に近い。妙なところでスレていても、まだまだアイズは子供であり、好奇心が刺激されれば思わずそちらに寄りたくなってしまう。

 

 視界の端に極東風の衣装をまとった褐色肌の女性が雨を避けてこちらに向かって駆けてくるのが見えたが、アイズはさして気にすることなく路地裏に足を向けた。

 

 それ故にアイズは『彼女』に出会うことは無く、運命のボタンは僅かに掛け違う。

 

 薄暗い路地裏を慎重に歩みを進めていくと、耳に届く風切り音は少しずつ明瞭になってくる。

 

 

(素振り…? 違う、戦ってる?)

 

 

 首を傾げるアイズだが、素振りと考えるには風切り音は断続的で、時折立ち位置を変えているのか地面を踏みしめる音も聞こえる。

 

 うずうずと好奇心を胸の内に膨らませながら、どこかわくわくとした気持ちで足を進めていく。

 

 やがて住居と住居の隙間にぽっかりと開いた空間がアイズを出迎えた。

 冒険者が二人向かい合って試合が出来る程度には広く、三人では狭い。それくらいの広さだ。

 

 その小さな空間で緩く反りが入った見慣れぬ曲刀を手にした男が一人、剣を振るっていた。

 

 素振り、ではない。アイズが信じた感覚が示すとおりだった。

 ならばその剣が向かう先にいるのは―――

 

 

(―――モンスターッ!?)

 

 

 オーク、あるいはゴブリン。

 よく分からないが人型であることは間違いがない。

 都市内にいるはずのない怪物(モンスター)が、そこにいた。

 

 驚愕と共に咄嗟に背中へ剣を求めて手を伸ばすが、ここはオラリオの街中。

 帯剣しているはずもなく、また数瞬後に自身の見間違いに気付く。

 

 

(モンスター、じゃない。()()()()だ、モンスターを相手にした仮想戦闘―――)

 

 

 よくよく見返せば視線の先にモンスターなどいない。

 男が黙々と、しかし鮮やかな躍動を見せつけながら剣を振るっているばかりだった。

 

 ただし、あまりに仮想敵の想定が練り込まれ過ぎていた。

 傍から覗いただけのアイズにその影を幻視させるほどに、実戦そのものと見紛うほどに。

 

 より熱心に男の一人稽古を覗き込み、確信する。

 

 男の仮想敵はやはり人型のモンスター。それも男よりも大きく、複数の個体に仕掛けられているようだ。モンスターは突撃せんばかりに攻撃の勢いが良く、間合いが広いことから武器も持っているだろうと分かる。

 

 種類までは分からないが、それはアイズが単にそのモンスターを知らないだけだろう。

 

 多くの情報を読み取ったアイズだったが、これは彼女が特別に優れているわけではない。それこそ場末の木っ端冒険者をここに連れて来ても近いことを言えただろう。

 

 鍵を見せればその対となる錠前の形が想像できるように。

 男が示す一挙一動が鮮やかに対となる仮想敵の影を浮かび上がらせていたのだ。

 

 

(それに…)

 

 

 ぐらり、とアイズの視界が揺れた気がした。

 

 

(似て、る)

 

 

 父が…、

 振るう剣に。

 

 気のせいかもしれない。男が扱う曲刀も、衣装も、身ごなしも父とは大きく異なる。

 だが確かにアイズの脳裏に過去の一幕を思い起こさせた。

 

 最初は恥ずかし気に、やがて剣術の鍛錬に没頭する父とそれを見守る母。母に抱かれた自分(アイズ)…。

 

 アイズは突然胸を襲う郷愁に歯を食いしばって耐える。

 過去を振り返ってもそこには何もない、誰も応えてくれない。

 

 だからアイズは決めたのだ、悲願(ネガイ)のために何をしても強くなると。

 強くなって、全てを取り戻すと。

 

 

「は…ァ…」

 

 

 胸が苦しくなり、咄嗟に息を吐き出す。

 そのまま深呼吸を繰り返しながら、アイズの頭の中で急速に一つの考えが纏まり始めた。

 

 この男は、強い。

 アイズよりは確実に、ひょっとするとフィン達よりも。

 

 少なくとも男とフィンが立ち会った時、どちらが勝つのか…アイズには想像できない。

 

 理性と無意識に抱くフィン達への情はフィンが勝つと主張しているが、なんとなくこの男は()()()()()()印象がある。

 

 そして無意識に思う、この男の振るう剣は己に合っていると。

 

 後に幼子ながらの慧眼に男が笑って少女を褒める程度には、その直感は正しかった。

 男の剣とアイズが求める理想の剣はかなり近い、()()()()()()()

 

 

「おや…。これは思わぬお客さんだ」

 

 

 目をつぶり、必死に胸中から沸き起こる感情を処理しているアイズに気付いた男が声をかけてくる。

 

 物陰に隠れてこそいたが、アイズは特に影に忍ぶ術を身に着けているわけではない。気配が丸出しであり、熟練の冒険者ならば察知は容易だった。

 

 己へ向けられた声にアイズも瞑っていた眼を開き、男の姿を正面からとらえる。

 

 くるりと跳ねた猫っ毛、顔立ちはまあ美男と呼ばれる程度に整っているだろう。歳は思ったよりもずっと若い、アイズよりも十は上といったところだろうか。

 

 極東の和装に牡丹の刺繍が入った何とも鮮やかな色合いの外套を肩にかけている。洒落っ気のある粋人といった風体だ。

 

 その雰囲気は先ほどまで剣を振るっていたと思えない程柔らかい。

 腰に下げた刀が無ければ冒険者などよりも商家の若旦那と呼ばれる方がよほど似合っていた。

 

 

「どうしたのかな。ここは親のいない子供が迷い込んでいいところじゃないよ。危ないから、お兄さんと表通りまで出ようか。そこでお母さんを探そう」

 

 

 極めて常識的で真っ当な親切を申し出る男。

 何処から見ても人畜無害な好青年という風だったが、男の申し出はアイズの耳を完璧に素通りしていた。

 

 

「……お願い」

 

 

 ぽつり、とアイズが呟きを漏らした。

 

 

「ん? なにかな」

 

 

やはりふわりと人好きのする笑みを浮かべた男が言葉の続きを促す。

 

 

「お願い! 私に剣を教えて!!」

 

 

 少女が腹の底から出した大音声が男の鼓膜を打ち、ほんの一瞬目から感情が()()()()()

 

 男の内に蔵された狂気がそこはかとなく漏れ出した瞬間だったが、力を望み盲目となったアイズの目には入らなかった。

 

 

「ああ、さっきの稽古を見ていたのか。けれど君くらいの子供が扱うには剣はちょっと危なすぎる。もう少し大きくなってから…」

「―――違う」

 

 

 あくまで子ども扱いをする男に苛立ちを覚え、幼いながらに底冷えのする声音を漏らす。声に籠ったのは苛立ちだけではない、悲願(ネガイ)への執念と力の渇望が溢れんばかりに込められていた。

 

 その迫力は到底ただの子供が出せるようなものではない。

 

 

「ふむ」

 

 

 それ故に、男はアイズへ向ける視線を裏路地に迷い込んだ幼子に向けるものから一段冷たいものへと切り替える。

 

 

「私は、冒険者。まだLv1だけど、ダンジョンにも潜ったことがある」

「なるほど。ただの子どもではないわけだ」

 

 

 一つ頷く男に、アイズも無言で合わせて頷く。

 少なくとも男はアイズの言葉を戯言と扱っていない、真剣に受け止めて言葉を返している。

 

 そうと分かる語調に僅かにアイズの気も宥められる。

 何故か、と首を傾げるが答えは出ない。

 

 

「でもそれならば君には既に師匠と呼べる先達がいるはずだ。本当の子どもががむしゃらにダンジョンに向かって生きて帰れるほど甘いものじゃあないからね」

 

 

 違うかい? と問いかける男に渋々頷く。

 事実だったからだ。

 

 

「でも君は師ではなく、ボクに教えを乞うた。事の是非や次第は敢えて聞かないよ、()()()()()

 

 

 あくまで柔らかな語調で問いかける男からズン、と不可視の重圧が放たれる。

 生半可な覚悟は押し潰し、嘘や冗談は許さない―――そう、無言のうちに脅しつけられたかのようだった。

 

 男の威圧に強い息苦しさを覚えながら、アイズは真っ向から思いの丈を吐き出していく。

 

 

「―――強くなりたい。誰よりも強く、誰よりも早く」

 

 

 そのためならば己の身などどうでもいい。

 モンスターを屠る一振りの剣でいい。

 

 言葉にはしないが、挙措の端々からそうした()()()()()()()()姿勢がにじみ出ていた。

 

 

悲願(ネガイ)がある。そのために少しでも強くならなければならない。でもあの人たちに従っているだけじゃ、私が求める強さに届かない」

 

 

 男は直感する、この少女は危険だと。

 実力的な意味ではなく、素人の子供が目隠しをして高所の綱渡りへと挑もうとしているのを見る類の危なっかしさだ。

 

 共感と納得、申し訳なさが複雑に混じった溜息を気付かれないようにこっそりと吐く。

 

 こんな目をした幼子が()()()()()()()()()()。男は実体験としてそれをよく知っていた。

 

 

「だから、貴方の剣を教えてほしい。貴方の剣は……私が知っている一番強い人の剣に、よく似ているから」

「なるほど。君の思いは分かった」

 

 

 全てを聞き終えた男は顎に手をやり、考え込むフリをする。

 フリをするだけで実のところ答えは決まっていた。

 

 それを確かめるために、ぼそりと呟きを漏らして少女の耳に届ける。

 

 

「……先達の制止や説教が鬱陶しい。()()()に辿りつくまでなりふり構っている余裕なんて無いのに」

 

 

 思い当たる節があるのかビクッと肩を震わせる少女を見て嗚呼(ああ)やはりと共感を抱く。

 

 

「力が欲しい。勉学や心の修行なんてやっている暇があるなら剣を振っている方が有意義だ」

 

 

 そして青年はそれで終わりじゃあないだろう? と決定的な一言を告げた。

 

 

「―――強くなりたい。そのためなら命なんて惜しくない」

 

 

 少女はまさか心が読める魔法でも使えるのか、と驚愕に目を見開いた。

 その素直な様子に脱力して溜息を吐く。

 

 心の奥にしまい込んだ古い鏡を見ている気分だった。

 

 

「……ああ、うん。もういいよ、大体分かった」

 

 

 こんな目をした少女を放っておくわけにはいかない。

 男が望む剣の道行きとしては寄り道もいいところだが、捨ておくにはあまりに似すぎている。

 

 

()()()()、か」

 

 

 師とも親とも慕う武神から授かった言葉。

 男が人間らしく振る舞うための枷であり、祝福。

 

 

「……?」

 

 

 男の呟きに意味が分からないアイズがこてんと首を傾げる。

 年齢相応の大層可愛らしい仕草であったが、生憎この場に気にするものはいなかった。

 

 

「良いよ。君に剣を教えよう」

「本当!?」

 

 

 幼い声音に大きな驚きを込めて聞き返すアイズ。

 アイズは幼いが、馬鹿ではない。自分がどれほど常識知らずなことを言っていることくらいは分かっていた。

 

 

「もちろん、条件はある。よく聞くように」

「……お金ならモンスターをたくさん倒しているから支払える。無理なら何時か払う」

「いや、金銭には困っていないから要らない。単純な話だよ、ボクが剣を教える以上中途半端は許さない。ボクが言うことに疑問に思ったらどんどん質問しても良いし、剣以外のことは従う必要はない。ただし剣に関する指示は()()()()()―――いいね?」

 

 

 ゾクリ、と正体定かならぬ悪寒がアイズの背筋を伝う。

 にっこりと笑って念を押すのが逆に恐ろしかった。

 

 ほんの僅かにだがアイズは男に剣術の師事を申し込んだことを後悔し始めていた。

 

 

「では指示を出すのでよく聞くように」

 

 

 コホン、と咳払いをしてから暫定的な教え子に指示を下す。

 

 

「一週間後、また同じ時間にここに来ること。剣を持ってくる必要はないが、所属するファミリアに気付かれないように。話してもいいがその場合確実にファミリアの仲間に止められるのでお勧めはしない。また、それまで君の師匠の言うことに全て従い、その中で腕を磨くこと」

「……分かった」

「重ねて言うが、君が師匠の言うことに逆らったとボクが判断した場合はこの鍛錬は中止になる。職業柄詐欺師を相手にすることも多い。人が嘘を吐くときの癖は知っているので、試さないように」

「……なんで?」

「決まっているだろう。君にボクが全てを伝え終わるまでに死なせないためだ」

「私は死なない」

「次に会った時、一太刀でもボクに浴びせられれば信じよう。冒険者は実力が全てだ。文句があるならば実力で示せ」

「……絶対ぶっ飛ばす」

「良い啖呵だ。その意気だよ」

 

 

 微かに犬歯を晒してサディスティックに笑う青年にすすす…と心理的な距離を取りながらもアイズは退くつもりは微塵もなかった。

 強くなるためならば何でもする、そしてその近道こそが青年への師事だと直感したのだから。

 

 ならばアイズはその直感に殉じるだけだった。

 

 

「ボクはイタドリ・千里(センリ)。冒険者だ。君の先生になる。よろしく」

「私はアイズ・ヴァレンシュタイン。冒険者で……貴方の、弟子」

 

 

 互いに名乗りを交わし、やがてともに世界に名を轟かす第一級冒険者となる師弟はちぎりを結んだのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【TIPS】イタドリ・千里はオラリオでほぼ唯一ベートの友人を名乗り、またベート本人からも否定されない。ただし舌打ちはされる。

 

 

 




アイズ・ヴァレンシュタインにとってある種のターニングポイント。
“あの時”椿・コルブラントではなく、主人公に出会っていたら。




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三話

 アイズがセンリと出会ってから丁度一週間。

 約束した日時に向け、アイズは積りに積もった鬱憤を晴らすようにオラリオを駆ける。

 

 強くなること、それ以外の全てを切り捨てた少女にとってこの一週間はまさに苦行であった。

 

 些細な(とアイズが感じる)ことにすら一々叱責を飛ばしてくるリヴェリアを筆頭とする幹部達からの指示、御小言を忠実に守り切ったからである。アイズのストレスは頂点に達し、リヴェリアとの喧嘩はとうとう1日に2桁の大台に乗ったが、その指示はあくまで遵守した。

 

 これも全てはあの青年から剣を学び、強くなるため。

 

 期待に応えなければただでは置かないとメラメラと気炎を燃やしながらアイズはオラリオの街並みを駆けていく。

 

 約束の時間、約束の場所。

 冒険者の健脚でもって勢いよく飛び込んだそこには既にセンリが幽玄とした風情で佇んでいた。

 

 呆、と突っ立っているように見えて妙に隙が無い立ち姿。

 

 第一級冒険者(フィン達)にも通じる達人の気配を無意識に感じとり、アイズはピタリと足を止めた。

 

 

「やあ、来たね」

「来た」

 

 

 センリは駆け寄ってくるアイズの姿を見て向き直る。

 顔には相変わらず花弁が舞う風のようなふわりとした笑みを浮かべていた。

 

 

「時間通りだね、感心感心」

「そんなことより、鍛錬を…」

「落ち着きなさい。焦っても良いことはないよ」

 

 

 どうどうと宥めるセンリに頬を膨らませながら急かすが、馬耳東風そのままにのんびりとした様子だった。

 

 

「ファミリアの仲間にこのことは…伝えていないようだね、結構」

「なんで分かるの?」

「たくさん人と話して相手が何を考えているのか想像するんだ。そうすれば少しずつ分かるようになるよ」

 

 

 ジッとアイズを一瞥するだけでやけに確信した様子の青年に問いかけるが、返ってきたのは思った以上にふわっとした回答だった。

 むぅと難しそうに唸るアイズを他所にセンリはピンと指を二本立てる。

 

 

「続けて第二問だ。きちんと師匠たちの言うことに従って鍛錬していたかな」

「した。お蔭で大変だった」

「ふむ…」

 

 

 恨みがましく文句を漏らすアイズをジッと見つめ、先ほどよりも真剣な顔で長い時間見定めている。

 アイズもストレスを溜めながらもきっちり約束を守ったため、後ろめたいことなどないと真っ向から視線と向かい合う。

 

 

「ちゃんとボクの言うことを守っていたようだね。大変宜しい」

 

 

 ややあってふわりと顔を笑みの形に崩し、アイズの頭を柔らかく撫でた。

 

 

「触らないで」

「約束を守った子を褒める。当たり前のことだろう?」

「私は嬉しくない」

「そうか。ボクはこうされると嬉しかったんだが」

 

 

 嘘だった。

 

 アイズも最近は素直に褒められる機会がなく、ちょっとだけ嬉しかったのだが、それを正直に表に出せる程この時のアイズは余裕を持っていなかった。

 

 そんなアイズを他所にセンリは難しいな、と真剣な顔で考え込んでいる。

 ロキがこの光景を見れば『アカン、天然同士の奇跡のコラボレーションや~』とでも言って爆笑していただろう。

 

 天然二人によるツッコミ不在のボケ倒し劇場が開かれていたのだが、気を取り直したセンリが稽古の開始を告げた。

 

 

「まあいい。これは次回以降の課題としよう。そろそろ始めようか」

 

 

 ようやく待ち望んだ鍛錬の開始に、アイズの目にピカリと光が宿る。

 

 

「さて、まず最初に少し座学を行う。そのあとはひとまず10本試合形式で打ち合いだ」

「座学なんて要らない」

「少しだよ。そんなに時間は取らないから、よく聞くんだ。大事なことだからね」

「そんなことより剣を」

()()()()()()―――いいね?」

「ハイ、ワカリマシタ」

 

 

 宥めるも聞き入れようとしないアイズに菩薩のような笑みを浮かべ、諭すセンリに言い知れぬ恐怖を覚えて条件反射で頷く。

 

 もしかしてこの人怒った時のリヴェリア並みにおっかないかもとアイズは悟りつつあった。

 

 

「さっきも言ったけれど、大切なことだよ。強くなるためには、ね」

 

 

 強くなる、というワードに対して途端に反応し、全神経を耳に集中させ、一言一句を聞き逃さないように聴覚を研ぎ澄ませる。現金な反応に苦笑しつつ、やはりこの少女を釣るにはこの路線で行くべきか…とセンリは胸の内で皮算用を済ませた。

 

 

「まずは基本のおさらいだ。冒険者が成長するための重要な要素。神の恩恵(ファルナ)経験値(エクセリア)についてはどれくらい知っているかな?」

「……神の恩恵(ファルナ)は神様から人間(わたしたち)に与えられる恩寵。それを貰った人は神様の眷属(かぞく)になる。経験値(エクセリア)を得ることで人間はステイタスを上げて強くなることが出来る」

「概ね正しい。では経験値(エクセリア)を得るための方法はどんなものがあるか?」

「ダンジョンでモンスターを()()

 

 

 言葉の末尾に余りある殺意を込めて吐き出すアイズ。

 

 

「それも正しい。だが経験値(エクセリア)を得る方法はそれだけじゃない。通常の鍛錬、つまり素振りや仲間との稽古でも確かに蓄積される」

「でもダンジョンでモンスターを殺すことに比べれば」

「そう、ささやかなものだ。だが神の恩恵(ファルナ)経験値(エクセリア)の本質はそこじゃない」

 

 

 本質? と首を傾げると合わせるようにセンリも頷く。

 

 

神の恩恵(ファルナ)とは要するに自分の中に在る可能性を掘り起こす手助けだ。素質が無ければ芽が出ることもない上に環境によっても咲かす花を変える。自分の向き不向きを考えた上で得意なことを伸ばす。あるいは不得手を補う。そうすることで自分の成長はある程度自覚的に制御し、望む方向へ誘導できる」

「……どういうこと?」

「すまない。分かりにくかったね。要するに、君はこれから実戦・鍛錬の時を問わず常に分かりやすい目標を立ててそれを伸ばすために動くんだ。例えば素振りの時は如何に速く、無駄なく剣を振れるかを。ダンジョンでの実戦でなら複数の敵を相手にした立ち回りを磨いたりかな」

 

 

 これは一例で、最後は自分で決めるんだ。もちろんボクや師匠に助言を求めても良いけどね…と補足する。

 

 

「これを続けることで同じ時期に冒険者を始めて同じような鍛錬を続けていた者同士でもステイタスの伸びや技術の習得練度に如実に差が出る。効果が実感できるのは早くてもLv2の後半だろうから気の長い話だ。それに君の望む力がLv3以下ならこの鍛錬はほとんど意味がない」

 

 

 でもそうじゃないだろう? と問いかけるセンリにコクリと頷く。

 アイズの目標は高く、高く…そう、あの隻眼の黒龍すら屠れるほどに高く―――!

 

 

「強くなると決めて一直線に進むのは良い。だがただがむしゃらに、手あたり次第に、一匹でも多くモンスターを殺せば……そう思っているならすぐにその考えは改めるんだ。本当に強くなりたいのならば、それはあまりに()()()()()()考えだよ。

本来得られた経験値(エクセリア)を切り捨て、ただ即物的な(ステイタス)を求める。そのやり方に向いている種族もいるが、君は人間(ヒューマン)でそれも女の子だ。純粋な身体能力においての伸びはよく言って平均以上を超えないだろう」

 

 

 結論から言えば、と端的にアイズの現状をまとめた。

 

 

「つまり今のがむしゃらな鍛錬を続けて才能を浪費し続ければどこかで君の成長は頭打ちになる。()()()()()()()()

 

 

 ヒグッと喉を詰まらせたような音がアイズの喉から零れる。

 それほどにセンリの脅し文句は的確にアイズが恐れる点を衝いていた。

 

 

「君がただ手っ取り早く強くなりたいというだけならば今の路線を貫けばいい。だが()()()()()()()()()()というならば…最低限この程度のことはこなして然るべきだ」

「……分かった」

「うん、きちんと理解したうえで頷いたね。素直なことは美徳だ。偉い、偉い」

「子ども扱いしないで」

 

 

 と、またまた子ども扱いに頭をなでる青年の手を振り払う。

 

 

「いや、いや。本気で褒めているのさ。素直に先達の教えを聞いて吸収できる人はやはり強くなるのが早い。ボク自身幼い時期に師を得られず、我流で剣を学んでいたことがあったんだけどね。やっぱり効率が悪い上に何度も死にかけた。君は幸運だよ、ボクのことはさておき、先達がいてその教えを受けられるんだから」

 

 

 さらっと物騒な発言を漏らしているが、それ以上に本気で羨まし気な様子に困惑を隠せない。

 

 

「……そうなの?」

「そうさ。先達がいて、導いてくれるってのは要するに我流稽古で陥りやすい無駄を避けて効率的に強くなれるってことだ。強くなるほど優れた師は得難くなるから、君のこれからの成長はどれだけ貪欲に師の教えをものにできるかと言っても過言じゃない」

「…………」

「信じられない、という顔だね。まあいい、座学はこれまでだ。剣を取りなさい」

 

 

 そう言って立ち上がると、アイズに向けて背負っていた剣を収めていたらしき袋から棒状の物を1本取り出してアイズにその柄を向けてきた。

 

 が、その見た目は剣に近いもののどう見ても刃が付いていない。というか金属ですらなかった。

 

 

「……剣?」

「厳密には竹刀(しない)という。竹を知っているかな? 極東の方に行くとみられる植物なんだが、それを加工した稽古用の模擬刀さ」

「真剣は使わないの?」

「稽古で怪我をしても詰まらないからね。ただし本気で打てば骨を砕ける威力を出せるから気は抜かないように」

 

 

 と、真面目な顔でアイズの緩みを戒める。

 

 

「そしてなによりの利点としては人間相手でも剣を振るうことに慣れて躊躇が薄くなるからいざ実戦となっても手が止まることが少なくなる。やっぱり殺し殺されの現場で手が止まるってのは敵に殺してくださいっていうようなものだからね!」

 

 

 そんな自身の配慮に心底満足気に剣呑な発言を漏らすセンリ。

 一件好青年に見えて言動の端々に危うい性質を覗かせているあたりどう考えても普通の冒険者ではなかった。

 

 アイズは面識がなかったが、『ヘファイストス・ファミリア』団長、奇人にして鬼人とも呼ばれる椿・コルブラント辺りに通じる気質である。自身の一生をためらいなく一つの道に注ぎ込める覚悟が完了した修羅の顔だった。

 

 もしかしてこの人リヴェリア達よりも酷烈(スパルタ)なのでは…と密かな戦慄を覚えながら、アイズは与えられた竹刀を対峙する師に向けて構える。

 

 真剣に比べ軽すぎる手応えに不安が拭えないが、これしかないならばこれでやるしかないのだ。

 

 

「さて」

 

 

 青年はアイズが剣を構えるのを確認すると自身も竹刀を握り、そして()()()と右手から無造作にぶら下げる。

 

 

「―――!?」

 

 

 それだけで、剣を構えたアイズの間合いが侵食され尽くした。

 モンスターの口に飲み込まれたような錯覚を覚え、咄嗟に距離をとらんとするが……すぐさま背中が壁にぶつかった。

 

 驚愕とともに思わず視線を背後に向けた。

 この秘密の稽古場は青年の間合いから逃れるのを許してくれるほど広くないのだ。

 

 

「まずは十本だ。ひとまず何も考えずに、これまで学んできたことを全て出し切るつもりで来なさい」

 

 

 やばいどうやっても勝てない、と一太刀も交えないままに実力差を痛感させられた。

 勝ち目がない、否、何時でも自分を殺せる相手に稽古とは言え立ち向かい続けなければならない事実が幼いアイズの精神をガリガリと削っていく。

 

 

「なに、安心していいよ。()()()()()()

 

 

 何故稽古で命の危険を前提とし、そうではないから安心しろなどと言われなければならないのか。

 アイズは顔を思い切り引き攣らせながらも、少し前までの自分の思考を思い返していた。

 

 少女の師は確かにアイズの強くなりたいと言う期待にこれ以上ない程に答えてくれたようだ…が。

 

 それでも流石にコレは無いのではないだろうか、などと。

 

 

 ―――スパァアン!

 

 

 思う刹那に竹刀一閃、弾けるような音がアイズの頭蓋から勢いよく鳴り響く。

 

 

「ふぎゅっ!?」

「他所事を考えながらの稽古は良くない。いまのはお仕置きだよ」

 

 

 窘めるように叱咤の意を込めた一打。

 グワングワンと視界を揺らしながらも、負けん気を刺激されたアイズが気を取り直して剣を構え、まず己の間合いに相手を入れるために突撃する。

 

 

「元気が良いね。その意気だ」

 

 

 ―――スパァアン!

 

 

「ん、きゅぅ…!」

 

 

 再び頭から快音が鳴るも痛みを堪えて、アイズはようよう己が振るう剣の間合いへとセンリを捕える。

 

 その様子に満足気に頷く。

 その間合いからどうやっても逃げられないならせめて己の間合いまで近づき、反撃の機会を作る。

 

 アイズの考えはけして間違っていないが、同じくらい問題点も山積みだった。

 

 

(逃げられないなら向かうまで。度胸は十分、迷いを見せないのも良し。ただし自身の傷をなりふり構わなさすぎるのは減点かな。基礎技術はまあまあだが、戦術思考の練度はまだ未熟、と)

 

 

 心の中だけで少女を評価しながら、畏れずに立ち向かってくる初めての弟子にセンリは知らぬ間に頬を笑みの形に歪めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【TIPS】過去に一度、一途かつ情熱的な求婚を受けた経験があり、そしてそれを断った。なおその相手はイシュタル・ファミリア団長『男殺し(アンドロクトノス)』フリュネ・ジャミール。

 その後フリュネ・ジャミールは新しく取得したスキルにより知り合い全てから『アンタ誰?』と聞かれるレベルの超変身(メタモルフォーゼ)を遂げる。

 

 ちなみに断った理由と容姿は無関係。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四話

 夕刻、日が暮れようとする頃。

 沈みゆく赤い陽光に照らされ、センリとアイズの秘密の稽古はようやく終わりを告げようとしていた。

 

 薄暗い路地裏に突然開いただだっ広い空間にはぜいぜいと息を荒げながら寝っ転がるアイズと対照的に青年は汗一つ掻かずに涼し気に佇んでいる。

 

 

「……ハァー……ハァー……」

 

 

 ゆっくり息を吐きながら呼吸を整えるアイズ。

 

 

「水だよ。急がず、ゆっくり飲みなさい」

 

 

 センリが差し出した革袋を受け取って振るとちゃぷちゃぷと音が鳴る。

 そのまま栓を開けてぐいと傾け、乾いた喉を潤す水を飲みほしていく。

 

 

「今日はこんなところかな。ではまた一週間後にここだ。普段の稽古でもここで教えた内容を反芻しながら繰り返すこと」

「…分かった」

 

 

 稽古の前後でむかつくほど様子の変わらない青年に負けん気の籠った視線を込めながら短く了承の返事を返す。

 

 

「……でも」

「なんだい?」

「何度も同じ時間に抜け出していると、あの人たちにバレる」

 

 

 師の言葉に了承した後で、浮かんだ疑問を投げかける。

 

 

「そうだね。()()()()()()()。あまり気にしなくていいよ」

「……どういうこと?」

「まずは自分で考えてみようか。また来週に答え合わせをしてあげよう」

 

 

 ファミリアの大人たちにバレればこの青年との稽古を続けることは許されないだろう。

 青年が課す課題(トレーニング)は控えめに言って酷烈(スパルタ)であったが、最初にアイズが感じた通り『自分に合っている』という実感があった。

 

 なによりフィン達ならばやり過ぎだと制止していただろうほどに身体を苛め抜いても、青年は顔を顰めつつもアイズが続けようとする限り続行した。

 

 こんなところで足を止めている暇などない、一秒でも早く、一歩でも近く、私は高みに登らなきゃならないのだ―――。

 

 そんなアイズを駆り立てる黒炎(ほのお)のような焦りに対して存分に付き合ってくれたのだ。

 親の心子知らずというが、周囲の大人たちの配慮は却って幼子の精神にストレスを与え、危険なほどの圧力を溜め込ませる結果となっていた。

 

 それを僅かでも発散できたアイズは少なからず解放感を感じていた。

 無論肉体は泥のように疲れ果て、瞼の上下が今にもくっつきそうなほど疲れ果てていたが、精神的には充足していた。

 

 ありていに言えばアイズはこの時間を『楽しかった』と感じていたのだ。

 

 故にフィン達から止められるにしても出来るだけこの時間を長引かせたい。

 

 そうした危機感を持っての問いかけだったのだが、センリはやはりふわりとした笑みを浮かべて余裕綽々に受けながす。青年が自身の懸念を共有していないと感じたアイズはむっすーと擬音が聞こえてきそうなほど不機嫌な表情を浮かべた。

 

 

「……帰る」

「そうだね。最近のオラリオは物騒だ。遅くなる前に帰った方がいい」

「言われなくても帰るッ!」

 

 

 私、不機嫌ですと全身で表現しているにもかかわらず華麗にスルーされたアイズは寝っ転がった状態から素早く起き上がり、ドスドスと足音髙く地面を踏みつけながら裏路地の稽古場から立ち去っていく。

 

 

「次に会った時は素振りの(フォーム)が上達しているか見るから、きちんと意識して稽古するんだよ」

 

 

 やはりマイペースにその背中に声をかける辺り、青年も大概鈍感や天然と呼ばれる人種であった。

 

 

「……さて」

 

 

 去っていく背中を見送ることしばし、センリは素早く稽古に用いた竹刀を回収するとアイズの後を追うように稽古場から去っていく。

 

 そのまま足を向けるのは……なんと、さきほど別れたばかりの少女を発見すると見つからないようにその背中を追い始める。しかも必要に駆られて身に着けた隠形の技までいかんなく発揮してだ。

 

 自身が稽古をつけている少女の素性を探るため―――ではなかった。

 

 そもそも少女の正体など顔を合わせた初日に把握している。

 あの年齢であれほどの腕を身に着けている冒険者など少しギルドに顔を出して聞き込みをすればすぐに分かる。

 その上でアイズの所属をあまり問題に思っていない。

 

 尾行の目的はアイズの護衛だ。

 

 見た目以上の腕っぷしを誇るアイズだが、今は目立たないように帯剣していない上に青年との稽古で疲労が蓄積している。

 

 今のオラリオは旧来の秩序が揺らぎ、日夜ギルド管理下の強豪『派閥(ファミリア)』と『闇派閥(イヴィルス)』が鎬を削る火薬庫だ。

 

 まだ日が暮れるには時間があり、また既にアイズは人通りの多いメインストリートに出ていたが用心するに越したことは無かった。

 

 そのまましばし、アイズの背中を追い続ける。

 仕事を終えて帰路に就く労働者や迷宮帰りの冒険者、彼らを呼び込む酒場の売り子達で賑やかなメインストリート。

 

 幸いかな、オラリオは今日も平穏だった。

 

 

「…………」

 

 

 そして教え子が何事もなくファミリアの『本拠(ホーム)』の門を潜るのを目にすると、もう用は済んだとばかりに青年は踵を返そうとする…。

 

 

「―――よーう、兄ちゃん。幼女(アイズ)のケツ追っかける暇があったらウチと()()()飲まへんか」

 

 

 その背中に、軽薄なようで恐ろしく酷薄な声がかけられる。

 ゆっくりと振り向いたそこにはいっそあからさまなほどの敵意と警戒心を覗かせる女神と老年のドワーフがこちらを睨んでいる。

 

 たったいま少女が帰宅した本拠地(ホーム)の主。

 オラリオ二大派閥の主神ロキとその眷属ガレス・ランドロックであった。

 

 センリへと向ける視線は控えめに言って殺気が籠っていたが、殊更デリケートな対応が求められる眷属の少女にちょっかいをかける他派閥の人間に向ける視線としては妥当な対応であった。

 

 恐らくは大分前から己とアイズの姿を見られていたのだろう。

 アイズを追う自身もまた彼女たちに尾行されていたのか、と一拍遅れて察する。

 

 日常の延長線上と言うことでかなり気を抜いた状態であったとしても、零能である神の気配すら察知できなかったのは素直に己の失態である。

 

 これは未熟を猛省しなければなるまい、と己が鍛錬のスケジュールを脳内で書き換える。

 

 とはいえ()()()()()()()()()()()

 

 

「ちょいとツラ貸せぇ。保護者面談のお時間や」

 

 

 仮面のような笑顔すら捨て去って目を細めたロキが死刑宣告さながらの冷たい声をかけた青年は、

 

 

「お初にお目にかかります、神ロキ。()()()()()()()()()()()

 

 

 混じりけの無い喜びを浮かべた笑みを浮かべた。

 ロキの目尻が一瞬ピクリと引き攣り、微かに困惑の気配が滲み出る。

 

 神は人間(こどもたち)の嘘を見抜く。

 

 故にその言葉に何一つ偽りがないことに気付いた。

 この青年は心底からロキと出会い、声を交わしていることを歓迎していると理解したために。

 

 

「申し遅れました。ボクは―――」

「要らん、要らん。面識こそないけどお互い知らん名前でもないやろ、なあ『首刈り』よ?」

 

 

 ロキが口にしたのは第二級冒険者であるイタドリ・千里の二つ名。

 正義の女神が紐を握る断頭台、ひとたび命じられれば必ずや罪人の首を刈り取る断罪の刃。

 

 主神から罪在りきと断罪を命じられた者に対し、必ず胴体と首を切り離して晒し首にする所業からオラリオの闇派閥に最も恐れられる冒険者の異名であった。

 

 

「これは失礼を。それでご用件は……聞くまでもないですかね?」

「せやな。心当たりは一つしかないやろ」

「そうですね。とはいえここでお会いできたのは嬉しい誤算です。あの子のことについては出来るだけ早く主神と師である貴方たちと話しておきたかった」

 

 

 と、今度はロキだけではなくガレスにも視線を遣る。

 やはりセンリの語る言葉に嘘は感じ取れない。

 

 

「お会いできるまでもう一、二度かかるかと思ったんですが、流石はロキ・ファミリア。勘が良い」

「……っつーよりはあんたの口止めが雑なだけやろ。あの筋金入りのきかん坊がある日突然聞き分けがよくなった挙句に遠出前の子供よろしくそわそわしとったらよっぽど鈍くない限りそら気付くわ」

「ふむ…。冒険者としては感情を隠す術を身に着けるべきなんですが、あの子は子どもだからなぁ。どう指導したものか」

 

 

 至極真面目に顎に手をやって今後の指導方針に頭を悩ませ始める青年に戸惑いの視線を交わす両名。

 

 

「おい、ロキ」

「本気で言っとるわ、コイツ」

 

 

 韜晦しているのかと暗に問うガレスへ呆れた口調で返すロキ。

 特に考えもなく漏らしたと思しき言葉には今のところ嘘やごまかしている様子がない。

 

 だからこそ却ってイタドリ・千里という冒険者の内心が分からなかった。

 

 

「失礼。お二方の前で他所事に気を取られ過ぎてしまいました。ボクとしても神ロキ、貴方とは是非話をしたかった。場所を変えて一席如何ですか?」

「……ま、こっちはハナからそれが目的やったけどな」

 

 

 一応予定通りの流れではあるのだが第一級冒険者(ガレス)の威を借りて強引にでもこちらのペースに持って行こうとしたところ、予想外の反応に遭い、出鼻をくじかれた感が否めない。

 

 

「では『豊饒の女主人』はどうでしょう。店主のミアとは多少(よしみ)を通じているので、お願いすれば『聞こえないフリ』もしてくれると思います」

「…………」

 

 

 沈黙で以て応えるロキ。

 青年が口にした店はロキ達もまた行きつけにしている馴染み深い場所である。

 

 そこで荒事を起こすなど出禁にしてくれと言っているも同然。

 またそこの店主もまた第一級冒険者(ガレス)に負けずとも劣らない豪腕の持ち主。

 

 下手な真似をすれば店主直々に鎮圧される、割と物理的に。

 

 

「まあそこでええわ。覚悟しとけや、腹の中全部曝け出すまで帰さへんからな?」

「ご安心を。もとよりそのつもりです」

 

 

 笑顔の裏に威圧をかけるが、効果は見て取れない。

 果たして『豊饒の女主人』を選んだのは偶然か、それとも意図があってのことか。

 

 

「では保護者面談と行きましょう。話したいことがたくさんあります」

 

 

 青年はこれまで何一つ嘘は言っていない。

 浮かべる笑顔は友好的ですらあり、真摯な好青年にしか見えない。

 

 だからこそ、と言うべきかロキとガレスには青年の人となりが読めなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【TIPS】当時LV7に昇格する直前のオッタル(Lv6)と一身上の理由から立会い、引き分けたことがある。なお当時センリは昇格直後のLv5。前後の経緯を無視して決闘に至ったキッカケのみを語るならば、センリが美の神フレイアの殺害を企図したため。なおセンリ自身は問われて曰く『その方がオッタルが本気を出してくれると思ったから』と証言した。




【TIPS】にて理解しづらい表現があったため、修正しました(2019年3月9日)。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五話

本日2話投稿 1/2
(赤くなった評価バーを見ながら)予定変えて投稿追加ポチッとな。

皆さま高評価頂き誠にありがとうございます。
例え一瞬だけでも評価9.0に到達したのは自慢してもいい…よね?(思わずスクショ撮った)




 酒場、豊饒の女主人。

 まさに客の書き入れ時に訪れたそこは既に席が半分以上埋まっていた。

 

 料理が美味く、店員は美人揃いの酒場なので、繁盛するのも当然と言える。

 

 

「……また珍しい組み合わせだね。ロキ、ガレスに『首刈り』とは」

 

 

 空いている席を探す三人にそう声をかけたのはこの酒場のおかみ、ミア・グランドであった。

 ドワーフと思えないほどの大柄で、その存在感は第一級冒険者のガレスにも劣らない。

 

 

「やあ、ミア。悪いけれど奥の席を借りても良いかな? これから三人で秘密の内緒話をする予定なんだ」

「……ふん。何を話すんだか知らないけどね、この店じゃ荒事はご法度だ。叩きだされたくなければ精々大人しく飲むんだね」

 

 

 センリがさらりと話を通すと、女ドワーフは露骨に顔を顰めるとストレートに釘をさす。

 秘密の内緒話などと戯言を吐いているが、彼らの間に流れる空気が決して安心できるものではないと悟ったからだろう。

 

 

「それと見ての通り客はもう少ししたら満員だ。うちの店員の手も足りなくなるだろうから、あんたらに構っている余裕なんてなくなるよ。それでも良ければ奥の隅っこにでも座ってな」

「ありがとう。助かるよ」

「はっ! この店で騒ぎを起こさなければその礼も受け取ってあげるよ。……ま、精々上手くやんな。お前さんはとんでもなくはた迷惑だけど性根だけは真っ直ぐだからね。馬鹿みたいに誠実に話せば分かってくれる奴もいるだろう」

 

 

 皮肉と呆れ混じりのミアの返答にも青年への親しみが僅かだが籠っている。暗にロキ達へ目配せしている辺り、彼の評価をロキ達に聞かせる目的もあるようだ。

 

 

(んー。ミアの言うことを聞いてる限り悪い奴ではないんかな? とはいえただ()()()って訳でもなさそうやしなぁ)

 

 

 あくまで参考情報として聞き流しながら、三人はミアに促されるまま店の奥の方へと歩を進めていく。少なくともオラリオにおけるイタドリ・千里(センリ)の評価は『触っちゃいけないヤベー奴(ミスターアンタッチャブル)』である。

 

 ただ他人の評価だけを聞いて判断を下すのは余りにも愚かだろう。

 

 とはいえただ腹に一物を抱えた不逞の輩という訳ではなさそうだと若干対面へ向ける敵意を和らげる。腹の底の警戒心は微塵も減っていなかったが、少なくとも最初の喧嘩腰な態度からは大幅に軟化したと言える。

 

 その後、店内の一卓に腰を落ち着けた三名は注文した麦酒(エール)とおつまみが届くまで無言の時を過ごした。立ち込める沈黙が相当に重苦しく、居心地の悪い空間だがセンリだけがやはりふわりとした笑顔を浮かべている。

 

 

(このクソ度胸だけは認めたってもええかもしれんなー。単に度を越して能天気なだけかもしれんけど)

 

 

 仮にも都市二大派閥の一角、その主神と幹部に睨まれていると言うのに青年の挙動には些かの乱れもない。

 仮に虚勢であっても虚勢を張れるだけ大したものだ。

 

 

「お待たせしましたー。ご注文の品です」

「お疲れちゃーん。あ、しばらくうちらはこれで時間を潰すから当分こっちに来なくても大丈夫やでー」

 

 

 ロキは山ほどのおつまみとエールを運んできた店員に笑みを返すと、そのままさりげなく店員らを遠ざけにかかる。

 

 

「はいー。店長からそういう風に聞いてますので」

「そか。サンキューな」

「あ、それと店長から伝言が。『長く居座るんならしっかり食って金を落としてきな』だそうですー」

「……オッケーやー。ミアにもそう伝えてな」

 

 

 厄介事の種を持ち込んだことを微妙に根に持たれているらしい。

 この店は冒険者からはがっつり料金を取る値段設定なので、居座る分しっかり注文するとなると結構な出費となるだろう。とはいえこの場にいる面子は全員懐が十分に暖かいのでさして問題とはならないだろうが。

 

 

「ほな、始めよか。『保護者面談』や」

 

 

 若干冷えた空気を振り払うように真っ先に口火を切ったのはやはりロキだった。

 口元だけは笑みの形に歪めているがやはりどこか語調が鋭い。

 

 飄々とした気風だが己の眷属への情愛が深く、最近では特にアイズがお気に入りの女神である。そんな少女に腹のうちが読めない怪しげな冒険者が近づいているのだから警戒するのも尤もな話であった。

 

 

「で、ぶっちゃけアレや。お前何を企んでるん?」

 

 

 女神の言う『保護者面談』が始まってからの第一声はそんな不審と猜疑に満ちた問いかけであった。

 直球かつ剛速球極まりないが、ある意味ロキの本心だったろう。

 

 今日一日、ロキは青年と少女の交流を覗き見た。

 その上で今のところセンリがアイズに稽古をつけているということくらいしか分からない。

 

 何故、何時、センリとアイズがそんな関係になったのか。

 如何なる理由で目の前の青年が動いているのか。

 

 肝心要のセンリ自身が何を考えているのかは当然さっぱり分からない。

 幼く、かつ力への渇望に苛まれるアイズは無視しているが、その振る舞いは客観的に見て怪しいことこの上ない。

 

 故に疑問をそのまま問いかける。

 人間同士ならばどうとでも切り抜けられる問いだが、人の嘘を見抜ける神が相手となると下手な答えは命取りだ。

 

 

「企む…ですか。恐縮ですが神ロキ、御身は何のことについて仰っているのでしょう?」

 

 

 対し、問われたセンリは困ったように首を傾げた。

 確かに今の問いかけは含意が広すぎたかもしれない。

 

 

「…あー。あれや、お前何でアイズたんの面倒を見てん? 他派閥の人間にわざわざ関わっても良いことないやろ」

「何故…。うーん、最初のキッカケは偶然ボクの稽古を覗いたあの子から剣の指南を請われたことが始まりなんですが」

「ちなみにそれは何時の話や?」

「一週間前のことですね」

 

 

 少し問いかければ特に口ごもることもなく滑らかに喋っていく。

 フィンのような智慧者が神と話す時は下手に情報を漏らさないように大抵一拍を置いて頭の中で言葉を吟味してから話すのだがそうした様子もない。

 

 ただ正直に、ありのままに答えているといった印象である。

 

 

「お前さんとアイズたんが知り合った経緯は分かった。ほな、動機はなんや? ただ頼まれたから快く承諾したお人好しとか言わんよな」

 

 

 そうは言いつつその朴訥した様子を見ているとありえるんじゃないかなーと思えるから不思議だ。裏表がないというか価値観がどこか普通の常識、損得勘定から外れているように見えるのだ。

 

 

「動機、動機ね…」

 

 

 青年はどうにも口下手な自覚があるらしく、どう答えれば理解してもらえるのか青年自身が悩んでいる様子である。

 

 

「どうしたんや? まさか怪しい企みがあるんとちゃうやろなー」

 

 

 口ごもる青年へ向ける語調こそ軽く、冗談じみているがやはり目だけは笑っていないロキである。

 

 

「いえ、そういうことではなく。それを話し出すと少し回りくどく、長くなるのですがよろしいですか?」

「可愛い眷属のためやからなー。この後は空けてあるから幾らでも付き合うで」

「元々酒をかっ喰らって寝台(ベッド)で寝っ転がるだけの予定じゃったろうが」

 

 

 心なしかキリッと顔を引き締めたロキにぼそりと突っ込むガレス。

 そんな彼らの掛け合いにセンリはふわりとした笑みを大きくし、嬉しそうな気配を漏らした。

 

 

「どした? そんなにうちらのやり取りが面白かったんか?」

「いえ、ようやく貴女の本音に触れられた気がしたので。貴女は眷属(あの子)を深く愛しているのですね。素晴らしいことです」

 

 

 慈愛すら漂わせる菩薩じみた笑顔とともに無邪気に剛速球を投げ込んでくる。

 その笑みからは一切の含みは見受けられず、心底からそう思っての発言であると神ならざるガレスにも分かった。

 

 

「…………おぉう」

 

 

 その無自覚な精神攻撃に羞恥心を焼かれ、カハッと幻の血を吐いて突っ伏す主神にガレスが声をかける。

 

 

「おい、ロキ。大丈夫か?」

「ヤバいわ。何がヤバイってこいつ、最初から最後まで何一つ本音しか言ってないんや」

 

 

 ひねくれ者を自任するロキには天然かつド直球の賛辞は却って効果的だったようだ。

 珍しく本気でダメージを食らった様子のロキにこりゃ意外な難敵じゃなと老ドワーフは胸の内だけで呟く。

 

 天然、直球、善良な面が目立つ青年。

 だが同時に一筋縄ではいかない曲者でもあるようだ。

 

 

「? 何か無作法でもしてしまったでしょうか。ただ本心を語っただけなのですが…。遺憾ながら神格者の神は少ない。貴方のような良識神があの子の主神ということはとても幸運だと思います」

「あ、止めて。もう止めて。これ以上うちを褒め殺すのは止めてーや。いい加減羞恥心で死にそう。こんなんうちのキャラちゃう」

 

 

 あくまで悪意なく無邪気に追い打ちをかけられ、ロキはテーブルに突っ伏したままプルプルと全身を羞恥で震わせる。

 

 

「―――はい! この話はやめやめ! そんなことよりうちお前さんの話に興味あるなー!」

 

 

 とにかく勢いで流そうと無理やり軌道修正すると、センリは特に思うこともなさそうに、

 

 

「それもそうですね」

 

 

 と頷く。

 分かってはいたがやはりその言動に一から十まで裏は無さそうだ。

 

「それでは―――まずボクは極東で生まれました」

「……え、話が始まるのそこからなん?」

 

 そうして始まったセンリの語りであるが、その開始点が予想外過ぎて思わず素で突っ込むロキ。

 彼自身は全く意図していないであろうに完全にペースを握られ、振り回されっぱなしのロキ・ファミリアの主従であった。

 

 

 




また1時間後にもう1話投稿予定です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六話

本日2話投稿 2/2
1時間前にももう1話投稿済みです。


 日が暮れ、客でにぎわう『豊饒の女主人』。

 その一角でセンリはゆっくりと己の半生を語り始めた…。

 

 

「ボクの生まれは極東、その都の隅っこも隅っこでした。

 察して頂けたかもしれませんが、孤児として生まれ、同じような身の上の子ども達と身を寄せ合ってなんとか生きていました。

 その中心は極東にて奉られる女神アマテラス様と武神タケミカヅチ様、そして御二人と協力する神様方に運営される孤児院にて生を繋ぎ、日々を生きていました」

 

 

 穏やかな眼差しでそう懐かし気に語る。

 

 

「自分では幸せな幼少期だったと思います。

 アマテラス様達はこの世界に下りてきたばかりで生活基盤すらおぼつかない。あの方たちは自身の眷属すら十分な人数を確保できていない時に目についた孤児を見捨てられず、拾っていました。

 そんな状況でしたから物の不足は日常茶飯事でしたが、代わりに孤児にはありえない程巡り合わせに恵まれました。

 アマテラス様やタケミカヅチ様からは両親から与えられるのと同じくらい愛情を授かりましたし、兄弟とも言える孤児の仲間たちは皆神様方を慕っていました」

 

 

 郷愁、そして愛情を一心に込めた語りに神ならざるガレスもその純朴さを感じ取った。

 

 

「嫌いな者もいたし、喧嘩をすることもあった。なんと言っても孤児ですから訳在りも多く、容易に他者に馴染もうとしない者も珍しくない。

 けれど皆あの小さな孤児院を『自分()()の家だ』と捉え、そのために自分が何を出来るか考えていました。その中でボクが幼心に考えていたのは冒険者として身を立てることでした」

 

 

ゆっくりとした語りにロキも意識的に顰めていた眉を元に戻し、その話に聞き入る。

 

 

「世界の中心、オラリオ。

 その都市の噂と迷宮に挑む冒険者たちの英雄譚は遠い極東まで耳に届いていましたし、一獲千金の儲け話も同じくらい入ってきました。何時か自分も其処で冒険者になり、試練を乗り越え、『英雄』になる…。そして自分が稼いだ金で孤児院の皆を助けるんだと。

 幼い時分の万能感に浸った都合のいい妄想、と言われても反論は出来ませんね。事実としてこの都市に来て下積みから始めた時の苦労は全く想像したこともないようなことばかりでしたから」

 

 

 苦笑と共に過去の苦労を語る青年。

 

 

「ほな、お前さんは『英雄』になるために此処(オラリオ)に来たんか?」

 

 

 『英雄』になりたい。

 

 しばしば年を経た大人たちはそうした英雄願望を幼い夢想、戯言であると笑いとばす。

 だが真顔でその戯言を言い切る大馬鹿こそが『英雄』へと成っていくのもまたよくあることだ。もちろんそうした『英雄』の足元には同じような身の上で屍を晒した無数の英雄志願の若者達が敷き詰められていることも事実だが。

 

 青年もそうした英雄願望の持ち主かと問いかけるが、返ってきた言葉は否であった。

 

 

「いいえ。

 確かに幼少のころは『英雄』に憧れていましたが、今はまた別の道を目指しています。孤児院の皆は今も大事ですし、神様方を深く敬愛しています。

 一朝事あらばボクは今すぐにでも極東へ走るでしょう。けれどいまはまた別の物を求め、剣の道を進んで来ました」

 

 

 柔らかく温かみの合った語り口を刃のように鋭く変え、ばっさりと断ち切る。

 しかし語調は冷たいわけではない、むしろ過剰なほど熱がこもっている。

 

 彼らを変わらず愛している、だがそれ以上に追い求めるべき道を見つけた。そんなニュアンスが見受けられる。

 恩神たちについて暖かく優し気に語っていたセンリの豹変に何があったのかと好奇心が湧く。

 

 

「何があったんや。あんたはいま何を目指している?」

 

 

 眦を鋭くして問いかけるロキに彼もまた真っ直ぐに視線を合わせて己が生涯の目標を口に出す。

 

 

「頂に出会い、剣の高みを志した。それだけです、それだけで十分だった」

 

 

 その言葉は端的過ぎて意味不明、その癖異様なほど感情が籠っていた。

 

 

「ある日の夜、空が晴れ渡ってとても三日月が綺麗な夜でした。

 皆が寝入った夜半、偶々目が覚めたボクは孤児院の庭で武神タケミカヅチ様の鍛錬を目にする機会に恵まれました。

 恐らく暇に飽いた余興のようなものだったのでしょう。

 格好は平素と変わらず、手にした刀も数打ちの何処にでもある一振りだった。なぞった型も基礎の基礎。真似事ならば今日剣を習った小僧でも同じことが出来ます。

 

それでも―――」

 

 

 言葉を切り、青年は目を閉じる。

 己の運命を変えた夜の一幕、あの時目にした光景を瞼の裏に思い浮かべるように。

 

 

 

 

 ―――月天の下、あの冴え冴えと輝く三日月よりもなお鋭く振るわれた刃の美しさを。

 

 

 

 

「あの刀が空を切り裂く軌跡は何よりも美しかった…。いまこの時まで生きて来て、あの軌跡より美しいものをボクは知りません」

 

 

 万感の思いが込められた呟きだった。

 

 

「だからボクも()()なりたくなった。あの軌跡を今度はボク自身が…。そう思えばありとあらゆる事柄がちっぽけなものに見えました。

 自分の身はもちろん、愚かしくも神様方や孤児院の皆すら気にかける意志が消え失せた…。ボクはひたすら一つの″道″を歩み続けることをその時に決めました」

 

 

 その夜こそが己の人生を決める運命の岐路だったのだと青年は語る。

 

 

「剣一本で人間はどこまで行けるのか―――(いいや)、人は人の身のまま剣神の高みへ登りつめられるのか?」

 

 

 それこそがボクが生涯を通じて追い求める目標です、とどこまでも真剣な顔付きで言い切った。

 

 

「なるほどなぁ…」

 

 

 青年の長い語りに相槌を打つロキは一つ得心が行く。

 イタドリ・千里(センリ)はヘファイストス・ファミリア団長、椿・コルブランドに通じるところがある人種だ。

 

 彼女もまた『鍛冶』の道に生涯を捧げる覚悟を固めており、己が主神ヘファイストスのいる高みへと何時か辿り着くのだと豪語している。そんな椿も青年と似た浮世離れした立ち居振る舞いを見せることがある。しばしば世間の常識を無視して己の中のルールに沿って行動を起こすのだ。

 

 

(そんで、それだけやないな…。もう一つ、似ているモノをウチは見たことがある)

 

 

 己が半生を語る青年の瞳には微かに陶然とした光が宿っている。

 そうした心酔の光に近いものをロキは知っていた。

 

 

(……こりゃ、フレイヤが『魅了』した子ども達の目にそっくりや)

 

 

 剣神(タケミカヅチ)も決して意図してのことではなかったのだろう。

 ましてや悪意などあるはずもなく、ただ幼い頃の繊細過ぎる感性を持ったその心は剣神が振るう刃の軌跡に『魅了』されてしまったのだ。

 

 それは人の子が己が生きる道を決断するのに十分すぎる分岐点(ターニングポイント)だ。

 

 

(そのタケミカヅチとやらも何やっとんねん。いや、多分滅茶苦茶後悔したやろうけど)

 

 

 ロキが見たところ青年の基本的な性格は天然、直球、善良だ。

 だがどこまでも剣術の求道に狂うキチガイでもある。

 

 悪い奴ではないがヤベー奴ではあるのだ。

 

 ロキの経験則的に判断すると概してこうした人種は目標に対して盲目的なほどに真っ直ぐであり、しばしば周囲の迷惑を顧みずに行動する。

 しかも制止しても止まらない、溜まるためのブレーキが壊れていることが多い。

 

 ロキは急速に青年に対する理解を深めつつあった。

 出来れば深めたくなかったなーという慨嘆も僅かに乗せて溜息を吐き出す。

 

 

「幼い頃のボクは剣の道に対して控えめに言っても愚かしいほど愚直で、悪い意味で熱心でした。

 神様方の制止にも耳を貸さずに身体を苛め抜き、聞きかじりの生兵法で徒労とも知らず実戦に出ることで無理やり(ステイタス)を高めようとした。

 当然何度となく死にかけました。いまボクがここにいるのは全て神様方、とくにタケミカヅチ様のお蔭です」

 

 

 幼少の恥を晒す青年は含羞の表情で顔を伏せていたが、まあ無理もないなぁというのが二人の感想である。実際青年の語るタケミカヅチらも相当に幼少期の青年の矯正に苦労したと思われる。

 なにしろロキ達自身が似たような少女を養育している真っ最中なのだ、その苦労の一端はありありと想像できた。

 

 

「ちなみに何やらかしたん?」

「……神の恩恵(ファルナ)を受けずに、畑の害獣(ゴブリン)退治に挑んだり、近隣の街道に出没する山賊の住処に乗り込んだり、ですかね。いや、お恥ずかしい」

 

 

 本気で恥ずかしそうに頬を真っ赤にして目を伏せる青年。

 恥じるところがズレている気もするが、センリにとってはある種の黒歴史らしい。

 

 

「なるほど。まあ恩恵も無しに上手くいくはずがないのう」

 

 

 含羞の混じった語りを聞いたガレスも髭をしごきながら頷く。

 

 

「仰る通りで…。古戦場で拾った錆び刀で敵を皆殺しにするところまでは良いんですが、いつもボロボロの死にかけになってしまうんです。そのたびに神様方や眷属の皆に迷惑をかけて回収してもらい、治療までしてもらっていて…。鍛錬の効率としては下の下、挙句の果てに周囲まで巻き込んでの醜態を晒して。

 

 最後には根負けしたタケミカヅチ様から性根の矯正を含めて諸々指導して頂いて多少は冒険者としてマシになりましたが、それまで晒した無様は数知れず。穴があったら入りたい気分です」

 

 

―――違う、そうじゃない。

 

 

『…………』

 

 

 思わず喉元まで出かかったツッコミを飲み込んで真顔になるロキとガレス。

 

 

「…ロキ?」

「…マジや」

 

 

 暗にセンリが真実を語っているのかと視線で問いかける眷属にイエスと答える。

 マジかよ、と声に出さず驚愕を表すドワーフの老兵。

 

 センリの見掛けはまだ二〇に満たない。

 その身で幼少と言っているのだから恐らく当時の齢は一〇か、それ以下だと思われる。

 

 神の恩恵も持たない正真正銘の子どもが仮初にも魔物や悪人をバッサバッサと切り殺していたと証言しているのだからどんだけだと思うのも無理はない。

 

 

「…………うん。とりあえずお前さんのことは分かった。そんで、それがうちのアイズとどんな関係があるんや?」

 

 

 二呼吸程沈黙を挟んでから気を取り直したロキは改めて話を本筋へと修正する。

 色々と濃すぎる青年の話を聞いていて頭の整理が若干追いついていなかったが、本来これはセンリがアイズを指導している件についての話し合いだったはずだ。

 

 

「はい。ボクがあの子を指導することを決めたのは、タケミカヅチ様への恩返しになるからです」

「恩返し?」

 

 

 鸚鵡返しに聞き返すロキに向かって力強く頷く。

 

 

「孤児院を出立する朝、ボクは神様方に恩返しを誓いました。必ず今日まで育てていただいた恩を返すと。ですがタケミカヅチ様はこう仰いました。『次に廻せ』…と。いずれお前と同じように困っている者と出会う筈だと。

 その時その者に今度はお前が俺たちと同じように接すればいいと。

 あの子は幼い頃のボクととてもよく似ている。無茶をしがちなところも、自分の身や周囲の心配に無頓着なところもそっくりだ。

 ()()()子どもと出会い、しかも向こうから師事を求められるとは偶然とは思えません。きっとタケミカヅチ様の御導きでしょう」

 

 

 確信ありげな断言を添え、センリは熱意をアピールした。

 

 

「神ロキ、ボクのことを疑われるのは理解できます。しかし決してボクに二心はありません。必ずやあの子の悪い癖を治しつつ、冒険者として真っ直ぐに伸びるよう指導することを誓います。

 ―――お願いです、どうかあの子の指導の一端に関わる許可を頂けないでしょうか?」

 

 

 これは恩神へのささやかな報恩なのだとどこまでも真っ直ぐに思いの丈を込めたその願いに対しロキは、

 

 

「お、おう…」

 

 

 さよか、と若干身を引きながら引き攣った顔で相槌を打つしかなかった。

 

 これまでの会話で青年は一つたりとも嘘を吐かなかった。

 ならばその心に二心はなく、かつ熱心にアイズを指導してくれるだろうという期待は大いに持てる。

 

 正直な話、オラリオが騒がしくなっている現状、アイズの面倒を見る余裕がなくなっているのも事実。

 

 また聞いているだけで彼を幼少から守り、育てたという神々の良識ある性格が窺えるようだ。

 今の一幕も聞いている限りとても心温まるハートフルな会話である。

 

 

(それは分かる。分かるんやが…)

 

 

 けれども今のやり取りに込められたニュアンスをこの青年は若干取り違えているのではないだろうか…? と思わざるを得ない。

 

 幾らなんでもセンリ並のキ〇ガイ…もとい、常識から外れた子どもによりにもよってこの青年が出会うとは件のタケミカヅチも予想すらしていまい。

 

 普通に困っている人間を見かけたら親身になって助けになってあげなさい、くらいの意味であると思われた。

 

 多分今この場にタケミカヅチとやらがいれば引き攣った笑みを浮かべてセンリにかける言葉に困るのではないだろうか。

 

 それとこの青年、これまでのやり取りで善人だと言うことは嫌と言う程理解できたのだが……それ以上に意図せず()()()()()しまいそうな気配がある。

 

 果たしてこの場でうんと頷いていいものか…。だが断るにしても果たしてアイズを上手く説得できるだろうか?

 

 これほどまでに真っ直ぐな善意を寄せられて困り果てるとは、悠久を生きる(ロキ)をして初体験であった。そんな悩む主神の肩をちょんちょんと指で叩き、注意を引くガレス。

 

 

「…ロキ」

「…せやな」

 

 

 クイ、と立てた親指で一時退却のサインを示す眷属に頷く。

 一度話を持ち帰り、フィンやリヴェリアの意見を聞いた後で決断しても決して遅くは無いだろう。

 

 

「あんたの話は分かったわ。正直なところ最初はあんたに二度とうちの身内にちょっかいをかけんように警告するつもりやったけど、今はまあ、どうしようか検討中…くらいには変わった。とりあえず一端時間をもらってええか? 最終的にはうちが決めるが、その前に他の幹部らの意見も聞いておきたいしな」

 

 

 ひとまず時間を、と切り出すとセンリもまた同意した。

 

 

「承知しました。ただあの子とはまた一週間後にあの広場で、と約束しているのでお答えはそれまでに頂けますか?」

「ま、妥当なとこやな。そんなに時間は取らせん。必要に応じてうちの者をそっちに走らせる。それでええか?」

「…………。あ、はい。それでお願いします」

 

 

 答えを返すまでに不自然に挟まれた沈黙を疑問に思いながら、すっかり忘れていた手元のエールを口に含むと大分気の抜けた味が舌の上に広がる。

 

 

「さて、堅苦しい話は此処までや。そこそこ長い間席を占領したから、仰山注文せんとミア母ちゃんの雷が落ちてまう」

 

 

 つまりは、と一拍を溜め。

 

 

「酒や! 今日は酔い潰れるまで帰さへんで!!」

「ええい、自重せんか馬鹿者! 他所の派閥の前でまで醜態を晒すのは許さんぞ!」

「堪忍や、ガレス! 無礼講や、無礼講!」

 

 

 なおも騒ぐ主神とそれを抑える眷属の気安い姿に、思わず笑みを零す。

 

 

「ボクで良ければ喜んで。差支えの無い範囲で、是非あの子や皆さんのことを教えていただきたい」

 

 

 あくまで丁重に、しかし親しみを込めるように笑顔で杯を受けるとセンリは一気にエールを飲み干したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【TIPS】後年オラリオの地でセンリと再会したタケミカヅチは積み重ねた所業を聞き、その胃を痛めた(ネタバレ)。




本作における大戦犯にして最大の被害者タケミカヅチ様。
この神様が要らんことをしなければ普通に原作通り歴史は進んでいたと思われる(なお悪気ゼロ意図ナシ)。

最悪のタイミングでうっかりをやらかしたが、一番その件で苦労したため彼を責める者は誰もいない。



面白い感想があったため、後書き部分を一部加筆修正(2019年3月10日)。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七話

 ロキとセンリが豊饒の御女主人の片隅で『保護者面談』を交わしてからまた一週間。

 例の裏路地にてアイズとセンリは三度目の顔合わせを果たしていた。

 

 つまるところ、ロキは彼と彼女の交流を続けることを了承したのである。

 

 

「―――という訳で、これからは過剰に派閥(ファミリア)に知られないように気を付けなくてもいいよ。むしろ適度に隙を晒して暗黙裡にボクと稽古に行ってくると知らせた方がいいね」

「…どういうこと?」

「幾らなんでも君に剣を教える間ずっと秘密にし続けられるはずがないじゃないか。それなら最初に主神方に話を通して、御目こぼししてもらった方が色々と楽なのさ」

 

 

 稽古の前に先日の経緯を簡単にアイズに伝えると、やはりというか少女は首を傾げた。

 当然のように出会った時の『できるだけこの特訓の存在を隠すように』との発言と矛盾する言葉を吐かれ、納得いかないとぷんむくれする。

 

 

「それなら堂々と教わればいいはず」

「んー。そこまで行くと派閥(ファミリア)同士の関係性にまで話が発展してややこしくなるからね。あくまでキミとボクが派閥に黙ってこっそりやりとりをしてた…と言う方が後々問題になった時始末が楽なのさ」

 

 

 お互いに妙な下心が無いことは嘘が通じない神が介在することで証明できる。

 

 仮にコトが発覚してもお互いの傷が最小限に済むように、と双方の派閥の主神間で合意も取れた。表沙汰にならない限り二人の交流は邪魔される恐れはないだろう。

 

 いやーうっかりうちの主神に話を通してなかったけど間に合ってよかったよかった、とセンリはロキ・ファミリア側には決して言えない裏事情を胸の内で呑気に漏らした。

 

 

「よく分からないけど…今まで通りでいいってこと?」

「まさにその通り。君は本質を掴むのが早いな」

 

 

 クシャリと髪を撫でる青年の手を払いのけようとするが、足運びと手捌きで上手く捌かれてしまう。見る間にアイズの無表情な顔が不機嫌そうなオーラを帯びるが、センリはどこ吹く風だ。

 

 

「…放して」

「思うにボクはこうするのが好きなようだ。だが君の言うことも分かる。なので妥協して一度手が離れれば諦めることにしよう」

「つまり、嫌なら振り払え?」

「呑み込みが良い弟子は歓迎だよ」

 

 

 その場からダッシュしてでも逃げてやろう、と目論むが彼は最後に優しい手つきでぽんぽんとつむじの辺りを叩くとあっさりと手を放した。

 

 未練なく離れた手の感触に何処か郷愁を感じながらも、稽古に向けて精神を研ぎ澄ます。

 

 

「改めて言っておこう。ボクが君に稽古を通じて伝えるのは数値(ステイタス)では表現できない強さだ。目には見えず、得るまでに長い時間をかけるあやふやなものだ」

 

 

 警告するように、センリは語る。

 

 

「それでも断言しよう。そのあやふやで目に見えない強さはこれから君が歩むだろう茨の道に必要なものだ。ついてこい、とは言わないよ。骨身に染みこむまで叩き込むだけだからね?」

 

 

 強すぎる少女の熱意に冷や水を被せる意図を込めてサディスティックな笑みを零す青年に、アイズは怯みを見せながらも真っ直ぐに啖呵を切る。

 

 

「……望むところ。私は誰よりも強くなる。強くなって―――■■■を…!」

 

 

 青年の威圧にも臆しないアイズの瞳に黒炎(ほのお)が宿るのを見た青年が眦を鋭くする。

 彼女を衝き動かす熱は方向性こそ違えど秘めた熱量は剣術狂いの自分にも劣らない、そう確信して。

 

 一歩間違えれば己をも焼き尽くす劫火となりかねないが、適切な方向に導けば彼女自身が焦がれる“力”へと変わるだろう。

 

 ―――それが、彼女が本当に望むものなのかは別として。

 

 

「……」

 

 

 やはり、彼女と己は()()

 己にとっては強さこそが目的で、それを追い求めることさえ出来ていれば心の平穏は保つことが出来た。

 

 だが彼女には“力”など目的を遂げるために必要な道具に過ぎない。

 どれほどの“力”を得ようと、目的を果たすまで彼女を衝き動かす黒炎を鎮火することは叶わないだろう。

 

 憐れとは思わないが、難儀であるとは思う。

 

 短い沈黙にそんな思考を走らせた青年は、フッと鋭く呼気を吐き出した。

 

 確かに彼女は極めて難しい教え子なのだろう。

 だからこそ手間暇を厭わず彼女を導かねばならない。

 

 師とは弟子を導く者だ。

 少なくとも己の師(タケミカヅチ)はそう体現し、何度となく道を踏み外しかけた己を正道へと引き戻してくれた。

 

 己もまた少女に対して師と呼ばれるに相応しい働きをしなければならない。

 己と師に比べることさえおこがましい開きがあるのだとしても、尚更手を抜いていい理由になどならないのだから。

 

 密かに決意を固める成り立ての師の内心など露知らず、鍛錬に入ることなく時間を過ごし続けていることに不満そうに見遣るアイズの姿に我に返る。

 

 

「…ああ、すまないね。では、以前の稽古の続きからだ。まずは素振りを一〇〇本、(フォーム)を意識して振るうこと。きちんとチェックして修正するから気は抜かないように」

 

 

 その指示は基礎練とその練度の確認という至極当たり前なものであり、それ故にアイズは不満げに頬を膨らませた。元を辿れば彼女は青年が振るう剣術に惹かれ、弟子入り志願をしたのだからごく自然な反応だった。

 

 

「貴方の剣は教えてくれないの?」

「しばらくはその気はない。一応君の先生たちとも指導の方向性はある程度すり合わせているから、あまりそこから逸脱した方向に行きたくない。別の考えもあるしね」

 

 

 むー、とふくれるアイズに苦笑しながら頭を撫でる。

 

 サッと素早い体捌きで躱そうとするアイズに恐ろしく滑らかな足取りで追従しながら頭とその上に乗せた手の位置関係を変えずに撫でまわす。嫌がるアイズを尻目に数秒程撫で続けた後で未練なく離れた。

 

 

「今は我慢しなさい。必ず君の腕前は上げて見せるし、納得できるだけのものを教えてあげるから」

「…本当に?」

「こと“剣”に関してボクは絶対に嘘は言わないとも」

 

 

 力強く断言するとアイズは渋々と言う風であったが頷いて見せる。

 

 

「しばらくはじっくり基礎を積みながら染みついた癖の矯正を主にやっていく。君の先生たちは強いし上手い……が、忙しいせいだろうね。どうしても細かいところまで指導が行き届いていないせいで、所々に悪い癖が付いている。子供の内から染みつくと後々の矯正には苦労するから、早いうちからやってしまおう」

 

 

 そう言われても実感が湧かずに首を傾げていたが、センリは取り合わずスッと眦を鋭くした。

 

 

「それでは始めよう。竹刀を構えて……では、始めっ」

 

 

 普段の柔らかな語調から一転して斬りつけるように鋭いものへと変化する。

 自然と気を引き締められ、アイズは虚空に敵の姿を描きながら手にした模擬刀を振るい始めた。

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八話

 またある日のこと。

 青年と少女の稽古は最早日常となっていた。

 

 週に一度程度の頻度で青年は少女の面倒を見、それが重なりそろそろひと月が過ぎようとしている。

 

 

「今日は互角稽古だ。基本的にボクからは打ち込まないので隙を見つけて斬り込んで来なさい。こちらからの反撃も織り交ぜていくので攻防の両面に気を配って行うように」

「分かった」

 

 

 過日の如く差し出された竹刀と呼ばれる軽い模擬刀を受け取り、構えを取る。

 それまでの雰囲気がどれほど緩んでいようと一度剣を手に取ればアイズの纏う空気は一変する。

 

 無表情ながら人形のように整っていた顔立ちが細剣のように鋭く引き締まり、鬼気迫った表情に変わった。

 

 

「大変よろしい。君の強さに対するひた向きさは冒険者向きだよ」

 

 

 幼子らしからぬ気迫に普通ならば違和感と畏れを抱くが、センリはまた違った感想を抱いたらしい。欠点とも合わさっているが、指導者として動機は何であれ稽古に熱心なのは美点に思えるのだろう。

 

 

「行く」

「来なさい。それと次からは口に出さなくていい」

 

 

 などと短く会話する間にアイズが僅かに見出した隙へ斬り込まんと躊躇なく間合いを詰め、無理やりにでも突破口をこじ開けようとする。

 

 

「減点。それは無理筋だ。様子を見つつ牽制を重ねて隙を作り出して打て」

 

 

 が、見透かしたようにセンリは体をかわして斬り込みを避けると再度突撃を敢行したアイズの額をパシンと出頭を潰すように竹刀の先端で()()()、強制的に突撃を停止させた。

 

 そのまま勢いを挫かれた少女から距離をとって再び対峙する。

 

 

攻撃重視、防御は最小限(殺られる前に殺れ)。それもありだが通用するのは精々が同格まで…。己より強い敵に対するにはまず死なないことが肝要になる」

 

 

 つまるところ、と続ける。

 

 

「君は攻めに対して守りが下手くそすぎる。馬鹿正直に敵の攻めを受けろとは言ってないよ。いいかい、()()()()()()()()()。それを踏まえてもう一度だ」

 

 

 問題の根っこは技術ではなく精神だろうけれど、と胸の内だけで呟きながらも今日の矯正点はそこかなとアタリを付ける。

 

 アイズのスタイルは学習と予測から敵の弱点に当たりを付けて真正面から高速で先制、そして続く連撃で相手を屠る攻勢特化型の剣士だ。

 

 だが余りに己の負傷を顧みない傾向にある。たとえ稽古と言えども躊躇せずに踏み込み()()()悪癖は、恐らくダンジョンでもこうなのだろうと思わせた。

 

 これでは遠くない内にダンジョンでモンスターからラッキーヒットを食らって死んでもおかしくない。かと言って下手に防御寄りのスタイルへと矯正しても性格的に向いていないし、長所を殺すことになりかねない。

 

 長所である攻めの苛烈さを殺さずに、課題である守りを伸ばす。

 

 指導としては難しい部類だが、幸いにも解は見えている。

 少女の才気ならばやり遂げてくれるだろう。

 

 気を取り直した少女が指導通り技術と駆け引きを駆使して青年の隙をこじ開けんとする。

 

 Lv1の幼い少女が持つ対人戦闘技能であったからまだまだ稚拙ではあったが、青年も敢えて及第点と判断したフェイントには引っかかり、隙を晒す。すると獲物に襲い掛かる毒蛇のように鋭い剣捌きを持ってアイズが斬り込んできた。

 

 胴を狙って振るわれる横薙ぎ。中々の勢いで振るわれる竹刀の一撃をこちらの得物の()で受け止める。

 

 

(つか)、で……!?」

 

 

 僅かな受けのブレも許されない達者の妙技に目を見開くアイズ。

 

 自身の斬撃の鋭さに自信があったのだろう、またセンリがあくまでアイズの身体能力(ステイタス)に合わせた範囲の動きしか見せていないことも相まって驚愕は一入(ひとしお)だ。

 

 信じられないと言わんばかりの表情だが掛かり稽古の場に在ってはあまりに間が抜けている。

 

 

「間抜け」

 

 

 短く叱責して容赦なくアイズの額へ竹刀を打ちおろす。するとぐわん、と揺さぶられた脳に平衡感覚を崩し、たたらを踏んだ。

 

 そこに手心なく追撃を加えて少女の抵抗を押し潰しにかかっていく。

 

 

「機を外したのならば退くか、次撃に繋げ。死ぬか?」

 

 

 むしろ殺したい、と言いたげな冷徹な口調。

 普段は万事鷹揚に構えるセンリだが、こと剣に関わる分野となると別人のように苛烈な面が顔を出す。

 

 稽古なのだから不覚を取るのは已む無し、しかし慢心から動きを止めるのは剣士的には大変よろしくない。

 思わず徹底的に打ち据えて無駄な慢心を打ち砕きたくなるが、鋭く吐く息に合わせて怒りも吐き出し、竹刀でぶっ叩いて小柄な少女を吹っ飛ばす程度に留める。

 

 

「ぐ…ぬ…っ!」

「のろのろしない。敵は待ってはくれないよ?」

 

 

 ごろごろと転がりながら壁の付近に迫ったところで回転運動が停止。うめき声を上げながら痛みを堪えて立ち上がる少女に向けて一切の躊躇なく距離を詰めて竹刀を振るう。

 

 目を見開くアイズの肩や腕へ竹刀を繰り返し振り下ろす。身体機能には支障がないが、歯を食いしばるくらいには痛い。そんな丁度いい具合に手加減を加えながら。

 

 最初は棒立ちになって打たれるばかりのアイズだったが、すぐに立ち直って自身も竹刀で迎え撃つ。その目にはいいように打ちのめされ続けていることへの負けん気が爛々と燃えていた。

 

 

(冒険者をやるならそれくらい勝ち気じゃないとねぇ。タケミカヅチ様も同じ気持ちだったのかな…)

 

 

 青年は児童虐待も真っ青な稽古を付けながら、立場を入れ替えれば己の幼少期とそっくりそのままの風景に思わず郷愁を覚える。

 

 思い返せば己も稽古の時は武神タケミカヅチに遮二無二斬りかかっては返り討ちにされていた気がする。

 

 そのたびに負けん気と焦燥感に突き動かされては性懲りもなく向かっていった記憶が脳裏に蘇った。

 

 この場にロキかタケミカヅチがいれば、青年の胸中に対し凄まじく微妙な表情で顔を横に振っていたことだろう。

 

 間違ってもそんな微笑ましい気持ちになれるような生易しい稽古風景ではないのだ。

 

 アイズの眼光はまるで生死の境で水を求める砂漠の旅人のように強烈な感情がギラギラと輝いているし、対するセンリも機械か刀剣さながらに熱の無い冷徹な目でアイズを見ている。

 

 無関係の第三者が見れば思わず斬り合いを止めようとしてから停止し、まずどちらから止めればいいのか悩まなければならないだろう。

 

 センリがズレた考えを回しながらもその手は淀みなく動き、竹刀を捌く。

 竹刀同士が打ち合わされる甲高い音の数は増えていくばかりだ。

 

 

「まだ……まだっ!」

「うん、悪くない」

 

 

 アイズも足を止めての打ち合いが形勢不利と悟っているものの、下手に後退すれば余計に圧力が増すばかりと分かっている。なので目を光らせて青年の隙を伺いつつ、気力を振り絞って剣戟の回転を上げ始めた。

 

 アイズの戦闘本能が正解を直感で伝えるのだ。退()()()()()()()()()()()()()と。相手が退くと見れば好機と断じ攻めかかるのが戦術の常道である。

 

 故にこそ退くために攻める。

 一歩引かせてから、こちらも退くのだ。

 

 センリの繰り出す剣戟は勢いこそ衰えないものの一定の速度に留まっている。

 対し、アイズの執念が繰り出す連撃は少しずつだが回転が早まっていた。

 

 もちろん敢えて狙っての状況だが、苦境の中に身を置いても安易な逃げに走らず最善手を掴み取るアイズの勝負勘を青年は評価する。

 

 

「フッ…ゥ…!」

「…! ここでッ…!」

 

 

 センリが一瞬息を継ぐために振るう竹刀の勢いを弱めた間隙を狙い、アイズはほとんど破れかぶれの勢いで、己が竹刀を相手の竹刀に向けて強打する。

 

 

「おっと」

 

 

 手中から弾き飛ばされようとする竹刀を強引に握力で保持しつつ、その勢いに敢えて逆らわず一歩後退する。

 

 相手に一歩引かせたと見るやアイズは見栄えを気にすることなく勢いよく後退し、地面を転がり回ってでも距離を取った。

 その一見格好悪く、みっともないように見える立ち回りを見た青年は思わずうんと頷いた。

 

 アイズの動きは見栄えこそ悪いものの、距離を取って仕切り直す動きとしてはまずまずだ。

 なりふり構わないのも個人的には高得点だった。剣腕を上げるのも、そのために戦うのもまずは命があっての物種なのだから。

 

 

「今の判断は良かったよ。体格と技量で勝るボクと正面から切り合うのは不利だからね」

「……! まだまだ!」

「その調子だ。どんどん行くよ」

 

 

 ゼハァーッ、と荒げた息を整えながらも意気軒高な様子でこちらを見据えている。

 矮躯に蔵する気力体力はすり減らしているはずだが、なおも衰えない闘争心(ファイティングスピリット)だけは100点満点で120点を与えてもいいだろう。

 

 

(悪くない。勝利に向けて最短距離を選びすぎる悪癖はあるけれど、こちらで適切な状況を与えてやればそこから直感で勝利への道筋を選び取る資質がある。後はそれを繰り返して無理筋を嗅ぎ分ける嗅覚を身に付けさせれば…)

 

 

 青年が見るに、アイズはあまり追い込まれることに慣れていない。

 

 恐らく師匠(フィン)達も長所を伸ばすことを優先して短所は一旦棚上げしていたのだろう。ダンジョンで痛い目を見れば過剰なほど攻撃偏重なアイズのスタイルも変わるかもと期待したのかもしれない。

 

 恐らくは得物を構えて一本取ったり取られたりしたところで切り上げ、という形式で稽古をしていたものと思われる。

 

 加えて幼いアイズを壊してしまわないように、という配慮もあるのだろう。どれだけ手加減をしようとLv6の膂力をLv1の幼い少女がその身にまともに受ければ再起不能になる恐れもある。

 

 かと言って生半可な技量を持つ者に少女の教育を任せてもお互いにストレスを溜める結果にしかならないだろう。

 

 幸いにもと言うべきかセンリの持つスキル『自己制御(ハンディキャップ)』の恩恵により、隔絶したステイタスを抑えきれず少女の矮躯を壊してしまうということは無い。言い換えればフィン達とは比較にならぬほど容赦なくぶちのめされるということでもあったから、それを幸運と取るかは人に依るだろう。

 

 なお後年アイズ・ヴァレンシュタインは当時の記憶を振り返り「間違いなくあの時間のお蔭で私は強くなれた…。でもそれはそれとして同じくらい先生をぶちのめしてやるって思ってた」と色々と大事なものを投げ捨てた瞳で述懐する。対してセンリは「夢が叶ったね。ボクのお蔭で」と飄々と笑うばかりだったらしい。同格のLv5が生傷を身体中に付けながらの稽古の中で交わされた会話である。

 

 上記の会話から察されるように、師弟としての関係は情こそあれど一般的なそれとは比較にならぬ程峻烈(スパルタ)だったのは確かである。

 

 

(加えて殺す斬撃に迷いが無い。対人での()()()は最低限で済みそうだね)

 

 

 対峙する『敵』に向けて襲い掛かる剣戟は迷いなく急所に向かい、一切の躊躇が見受けられない。

 

 ロキ・ファミリアの面々から話を聞くに既にダンジョンでは何百とモンスターを屠っているらしい。命を奪う感覚に慣れているのならば、対象が人に変わってもすぐに慣れることが出来るだろう。

 

 

(適当に『闇派閥』構成員をとっ捕まえて据え者斬り出来れば楽なんだけどなぁ)

 

 

 と物騒な考えを巡らせながらもその思い付きを却下する。

 

 青年が所属するファミリアの主神はそういう趣向が好みではないし、ロキ・ファミリアも幼い彼女の手を同族の血で汚すのはまだ早いと考えている。

 

 まあそうした仕込みは後々で良いだろう。

 センリとしても敢えて異を唱える程に意見があるわけではない、遅かれ早かれとは思っていたが。

 

 青年の場合は幼い衝動に任せて極東の匪賊を皆殺しにしていることが多々あったので、最初から同じ人間を殺すことに特に拒否感など無かったのだが、一般的に同族殺しが倫理的・生理的に忌避されることは理解していた。世が世ならシリアルキラーと呼ばれていたかもしれない精神性の持ち主である。

 

 かくの如き青年と少女の鍛錬風景は、以後も週に一度程の頻度で数年にわたって続いていく。

 

 倫理的にはNGな点が多々見受けられるものの、剣術のイロハを実戦形式で叩き込んでいくセンリの指導方針はアイズ・ヴァレンシュタインに殊の外合っていたらしく、その実力を急速に伸ばしていく。

 

 青年が未だ『首刈り』の二つ名で呼ばれていたころの、ありふれた日常風景である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【TIPS】闘国テルスキュラに娘が一人いる。なお本人はその存在を知らない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九話

 朝靄がけぶる路地裏の一角に風を切る音が響く。

 それも一つだけではなく途切れる間もなく連続し、時折弾けるように甲高い音も鳴り渡る。

 

 その薄暗い空間には二つの影がせわしなく動き回り、特に一際小柄な影の素早さは(ましら)の如し。

 

 

「ッ…」

 

 

 一拍、小柄な影が動作の合間に呼気を挟む。

 

 刹那、せわしなく足運びを続ける影と影が足を止め、先端が霞むほどの速度で得物(エモノ)を振るう。

 振るう長物がぶつかり合い、火薬が弾けるような音を連続して響かせた。

 

 二つの影が振るう得物は教え子の能力値(ステイタス)の成長に合わせ、より重く頑丈に作り直した超重量の竹刀。芯の部分には細い鉄棒を仕込み、十分人間を撲殺可能な代物だが二人は特に重さを苦にするでもなく使いこなしている。

 

 

「―――!」

 

 

 交差した竹刀が運動エネルギーをぶつけ合い、互いに互いを弾き飛ばそうとする。

 

 小柄な影…アイズは敢えてそのベクトルに逆らわず、むしろ軽い体重を活かすように跳躍し、勢いよく間合いから離脱した。

 コンマ一秒滞空し、着地。猫のような身ごなしで体勢を立て直して再度剣を構える。

 

 思い切りの良い動作は振るう剣技の鋭さも相まって易々と敵の追撃を許す無様は晒さないだろう。

 

 

()し、()し」

 

 

 体重(ウェイト)の差もあって悠々と打ち合った場に留まって満足気に頷く師――センリから見ても今のやりとりは及第点だった。

 

 このひと月で鋭さを増した斬撃のキレもさることながら、退くべき時は思い切りよく退く見切りの早さこそが教え子に必要な立ち回りであった。

 

 少女がほんのひと月前まで命知らずに繰り返していた、身の危険を顧みず敵の懐に飛び込んで斬撃を繰り出し続ける攻撃偏重気味な戦闘スタイル。

 

 攻勢の苛烈さはそのままに、機動力を活かして安全マージンを確保する―――機を伺って高速で間合いを()()()し、必殺の一刀を繰り出す―――一撃離脱戦法(ヒット&アウェイ)へと変化しつつあった。

 

 討伐戦果(キルスコア)を落とさず、かつアイズの安全も確保する。そんな無茶な要望に対し、師であるセンリが示した回答がコレだ。

 

 掛かり稽古の際に幾度となく格上相手に自暴自棄な攻勢は通用しないと、身体に直接叩き込んだ成果であった。

 

 自身の施した教育の成果を目にし、ふわりと満足げに笑う青年。尤も彼はいつも笑みを浮かべているので、対面の少女にもその感情の揺らぎを悟られることはなかったが。

 

 

「じゃ、続けようか」

「———」

 

 

 打ち合いを促す言葉に返されるのはただ(まなじり)を鋭くし、無言で振りかぶられる竹刀のみ。そしてそれこそセンリが好む剣士の在り方であった。

 

 間を置かず超重量の竹刀と竹刀が打ち合わされる音が鳴り響き、路地裏の静寂を引き裂く。その甲高い調べはしばらくの間、路地裏に木霊し続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……相談が、ある…。聞いて…ほしい」

 

 

 それは稽古がひと段落し、アイズがぜえぜえと乱れる息を整えている時のことだった。

 少女が青年へ相談を持ち掛けてきたのである。

 

 ちょっとした小休止、本来休息に当てるべき時間だが咎めることはしない。もちろん小休止の後の稽古内容に手心を加えるつもりもない。

 

 

「おや、なんだい?」

 

 

 珍しいな、とセンリは率直に思った。

 

 二人の間で交わされる会話はもっぱら稽古に関する事務的なものがほとんどである。

 アレをしろ、コレをしろ。ここはこう、そこはそうじゃない。

 

 そうした端的な指示が多い。

 

 勿論弟子のアイズは疑問を覚えれば質問するし、師であるセンリはそれに真摯に回答する。

 だがやはり習うより慣れろ、頭を動かすよりも身体を動かしている方が性に合っているので交わされる口数は少ない方だろう。

 

 しかし少なくとも悪い傾向ではない、と思う。

 僅かずつでも少女が己に心を開いてくれている証左であると考え、相変わらずのふわりとした笑顔で向き合う。

 

 

「―――強い剣が欲しい」

「ふむ。続けて」

「ダンジョンに行ってもすぐに折れる。だから今使っているモノよりももっと強い剣が欲しい」

 

 

 そう主張するアイズの瞳にはこの青年ならばもしかしたらという希望が宿っていた。

 その光からなんとなく彼女の境遇と心情に理解が及びつつ、窘めるように口を開く。

 

 

「それは相談する順番が違うね。ボクじゃなくて君の先生たちに言うべきだよ」

「もう言った」

「それで?」

「……ダメだって。私にはまだ早いって」

 

 

 見るからに納得していませんという顔色のアイズにまあそうだろうなあと思いつつ口には出さない。

 何と言うか、どちらの気持ちも分かる。

 

 フィン達は少女の無茶無謀に拍車をかけることを恐れたのだろうし、アイズはアイズで力の渇望とは別に子ども特有の“自分だけの特別”を欲しがっているのが丸分かりだった。

 

 いや懐かしい自分もそうであったなあと幼かった頃に思いを馳せながら、少女に語り掛ける。

 

 

「気持ちは分かるよ。自分はもっと戦いたいのに、武器が付いてきてくれないんだろう?」

「そう。全然、足りない。もっともっと殺さないと…」

 

 

 肯定的な反応が返ってきたことに目を輝かせながら、溜め込んでいた愚痴をぶちまける。

 

 

「私はまだやれるのに。もっと戦えるのに、もっと強い剣があれば…」

 

 

 しばらくの間うんうんと頷き、アイズの愚痴にひたすら反応するだけの時間が続く。

 青年自身にもなまじ似たような経験があるだけに合間に挟まれる相槌には実感が籠っていた。

 

 

「話は分かったよ」

 

 

 理解を示す師匠にキラキラと期待に目を輝かせる少女だったが、生憎とその期待は無残に裏切られる。

 

 

「その上で言うが、ボクも君が強い剣を持つことに反対だ」

「なんで!?」

 

 

 本気で激昂する7歳児。

 見た目は子どもの癇癪だが行動力は人の十倍以上だ。

 上手く気を和らげなければ鬱憤晴らしにダンジョンに突撃しかねない。

 

 

「だって君、剣の扱いが下手くそだし」

 

 

 アイズの危うげな気配を理解したうえで、噛み付くような問いかけを容赦なくバッサリと切り捨てた。

 

 

「…………」

 

 

 危うい沈黙を挟んで理不尽に反発する目をした少女をどう宥めたものか、頭を捻りつつやはり表面上は笑顔を崩さない。

 

 師というのはいつも自信満々に指図するものだ。たとえ内心がどうであれ。

 

 

「納得が出来ない、という感じだね。うん、最初に言っておくけれど魔物を殺す腕だけなら文句はないよ。年齢も考えるなら十二分だ。この意味が分かるかい?」

「……分からない」

 

 

 不貞腐れた風で、それでもなんとか返事が返され、思ったよりも悪くない反応に笑みを零す。

 反発しながらも聞く耳を持っている分この少女は幼い頃の自分よりもよっぽど素直だ。

 

 

「剣の扱いはただ振り回して戦うだけじゃない、ということさ。君の剣は最短時間で魔物を殺すことに特化し過ぎていて、剣への負担をまるで考慮していない。加えて剣を労わると言う発想が見受けられない」

「剣を……労わる?」

 

 

 何を言っているのだと言う顔の少女に思わず内心で頭を抱える。

 剣技の成長は著しい一方で剣士としての精神性を手に入れるにはまだまだ時間が必要だった。

 

 

「君、剣の手入れをしたことはあるかい」

「……ない、けど」

「だろうねえ。その扱い方じゃあ手入れをする前に剣がへし折れる」

 

 

 知った風な口を利く師匠を睨みつけると、不意にお互いの目と目が合う。

 そこにあったのは恐ろしく透明な色をしているくせにどこまでも深すぎて底を見落とせない海、そんな矛盾した光景を幻視させる目だった。

 

 普段は人畜無害を絵に描いたような笑顔を浮かべて万事鷹揚な態度をとる青年だが、こと『剣』に関わる事柄であるとどこか『神』にも似た超然とした光をその双眸に宿すことがある。

 

 その目にふと底なしの崖を覗き込んだような恐れを覚え、思わず目を逸らす。

 

 

「大事なことだ。少し時間をとろうか」

 

 

 そんな教え子を見遣ると、青年は内心で静かにハラを決めた。

 予定外であるが、向こうから踏み込んできた今が好機でもある。

 

 こちらからも一歩踏み込み、少女の心に巣食う黒炎(ほのお)に手を加えるにはいい機会だろう、と。

 どっこらせ、と立ったまま息を整えていた青年が地べたに座り込むと少女にも対面に座るように手で促した。

 

 

「最初に言っておこう。これは明確な答えのない問いかけだ」

 

 

 そう前置きした上で青年は語り始める。

 

 

「君にとって(ツルギ)とは何だい?」

「……」

 

 

 アイズは言葉に窮した。

 幼い彼女には武器は武器だろう、としか思えないがきっとそれだけでは足りないと感じ取ったからだ。

 

 

「この問いかけには色々な人がその数だけの答えを持つ。自分の半身だと言う冒険者もいるし、窮地に在っても唯一裏切らない相棒という者もいる。鍛冶師にとっては我が子も同然だし、あるいは所詮()()()だと言い切った合理主義者もいた」

 

 

 軽々に言葉を発さなかったアイズを優しい目で見たセンリは、自論をゆっくりと語り始める。

 

 

「どれも間違いではないと思う。確かに武器は己の半身であり相棒だが、普通剣は使えば欠けるし、曲がる。きちんと手入れしていても研げば痩せるし、いずれは折れる。君が武器を使い潰す勢いで消費しているのもある面では仕方がない」

 

 

 少女を擁護しつつも、寧ろ窘める風な語調であった。

 

 

「けれどね、武器と言うのは自分を映す鏡でもある。粗末に扱えば覿面にそれが返ってくるんだ。折れても替えが利く。そうした思いで振るわれる剣は一番肝心な時に使い手に反抗し、命を奪うだろう」

 

 

 一拍の間を置き。

 

 

「特に相棒の悲鳴に耳を傾けず、ただ自分の中の声にしか耳を貸さない者はね」

 

 

 ジッ…、と静かにアイズを見つめる目がまるで「心当たりがあるだろう?」と語り掛けてくるような気がして、アイズは何となく後ろめたさを覚えてしまった。

 

 目の前の青年はあるいはアイズ以上に『剣』に執着している。そんな彼から柔らかな語調とは言え、非難を向けられたからだろうか。

 

 少女の先達たるセンリは己の真意は伝わっているだろうかという不安を胸中に押し隠しながらも、ゆっくりとした調子で話を続ける。

 

 

「剣士は剣が折れることを恐れてはいけない。だからといって剣を後生大事にしまっておくのは剣士がやることじゃない」

 

 

 難しい話じゃないよ、と。

 

 

()()使()()()()()使()()()()()。折れた剣に胸を張って別れを告げられるようになったなら、もう一人前の剣士だ」

 

 

 静かに見つめる青年の瞳が、君はどうかなと問いかけているようで、顔向けできずに視線を逸らす。

 

 センリもまた語り続ける内に興が乗ったのか滑らかに舌を滑らせ、かくあれかしと自身が信じる剣士像についても言及する。

 

 

「ボクは剣士だ。そして剣士とは剣を身体の一部とし、自分の手足かそれ以上にうまく扱わなければならない。だから剣を握っている間、剣は剣士の一部だ」

 

 

 いいかい、と人差し指を立てて諭すように言葉を紡いだ。

 

 

「逆説的に言えば()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

と、迷いのなく笑顔で言い切られたアイズは意味が飲み込めず混乱した。

 

 

「? ……??」

「ふむ。まだ君には難しかったかな」

 

 

 首を傾げられ、センリは困ったように口元に手を当てて言葉を探す。

 幼気な少女に対し、躊躇なく、至極当然とばかりに極まった剣術狂い(キチガイ)の論理を説いていく。

 

 恐らくここにロキがいればこう突っ込んだろう。

 いや難しいとかそういう問題じゃなくてお前の結論がぶっ飛んでるだけやないの? と。

 

 忘れてはいけない。

 イタドリ・千里(センリ)は基本的に善良で、一流の冒険者だ。

 

 だが大体の場合において彼の頭の中に在る常識と言う名のネジは外れているのだということを。

 

 

「……話を戻そう。剣も、剣士も本質的にはそう変わらない。力任せに振り回せば剣は傷むし、その悲鳴を無視してまだ折れていないからと振り続けていればすぐに限界が来る。けれど一方で傷んだ刀身をきちんと整備すれば剣は失った切れ味を取り戻して使い手に応えてくれる。たとえ折れてしまっても刀身に火を入れて鎚で打ち直せば再び蘇るんだ。

 そしてそれは剣士(ツルギ)も同じだ。今君と言う剣ははたして然るべき手入れを受けているのかな?」

 

 

 御覧、と指さされた己の身体……手足はやせ細り、美しかった金髪は見る影もなく荒れている。

 それはダンジョンに潜っては使い潰していく剣たちの無残な残骸を思わせた。

 

 

「…………ぁ……」

 

 

 アイズは思わず折れていく剣と自分を重ね合わせ、己に降りかかる暗澹たる未来を幻視した。

 一番肝心な点は理解できたようだ、と見取ったセンリは続く語調を和らげる。

 

 

「剣士にとって“休む”ことは無為に時間を過ごすことを意味しない。言うなれば剣の刀身を研ぎあげて緩んだ拵えを締め直すために必要な準備期間なんだ。

 だから剣士(きみ)が心がけるべきは、悲鳴を上げる身体を無視して剣を振り続けることじゃない。()()()()()()()効率よく休息を取り、短い時間で自分の体調を万全にする方法を身に付けることだ」

 

 

 結論から言ってしまうとこの時青年が説いた教えはアイズの過剰すぎる鍛錬密度を緩めることに成功する。一方でその行動の根底にはあくまで『効率よく強くなるため』という楔を深く打ち込んだのもまた確かであった。

 

 ロキ・ファミリア首脳陣が少女に向ける願いとは微妙にすれ違いつつ、もたらす結果そのものは望み通りという絶妙に痒いところに手が届かない成果であった。

 

 

「君の焦りはよく分かる。けれどだからこそ焦りは禁物だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。言うなれば幾重にも薄紙を張り重ねて城壁を建てることに等しい」

 

 

 師である青年は静かに先達として言葉を重ね、諭していく。

 そして少女も語る言葉を教訓と受け止め、無意識の内に心に刻む。

 

 

「この(セカイ)において個体としての人類種は決して強くない。それをなんとか恩恵(ファルナ)で、武器で、技術で涙ぐましく戦力増強することでようやく魔物と戦えるようになるんだ。

 だからこそ焦ってはいけない、無理をしてはいけない。強くなるためには長い時間がかかるが、命を失い培った強さが崩れるのは一瞬だ。君にとって重要なのはただ強くなることかな? それとも強くなった己がその胸に在る悲願(ネガイ)を果たすことか?」

 

 

どっちだい、と問いかけられたアイズの答えは決まっている。

アイズの全ては、その胸を焦がす悲願(ネガイ)のためにあるのだから。

 

 

「私は…私は、()()()()()―――」

 

 

 それ以上は言葉にならない。

 センリも促したりはしなかった。

 

 しばしの沈黙を挟み、センリが再び口火を切った。

 

 

「君が誰よりも強くなるために大切なことを教えよう」

 

 

 あくまで強くなるために…しかし、確かに少女のことを思って言葉を紡ぐ。

 

 

悲願(ネガイ)を捨てるな。それは君が歩むために必要な意志(チカラ)を与えてくれる。これから長い永い道のりを踏破しなければならない君に必要なものだ」

 

 

 けれど、と続ける。

 

 

悲願(ネガイ)に飲み込まれるな。()()()()悲願(それ)だけに縛られる必要はない。回り道に思えるものが巡り巡って剣の糧になることだってある」

 

 

 これは実体験だけどね、と付け加える。

 意外な言葉に思わず少女が青年を見上げると、そこには思わず見惚れるほどに優し気な笑みがあった。

 

 

悲願(それ)しかない、なんてことは絶対にない。その胸の黒炎(ほのお)が暴れそうな時は、息を吐いてから周りを見てその手の中にあるものを思い出せ」

 

 

 アイズはその言葉に促され、握りしめた手のひらを開く。その手で剣を握りしめた時間を、手を取ってくれた"誰か"のことを思い出すように。

 

 

「君は(ツルギ)であると同時に剣士(ヒト)なのだから」

 

 

 何を忘れてもそれだけは忘れるな、と青年は締めた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十話

「……それじゃあ、また」

「うん。また同じ時間にここでね」

 

 

 生返事を返し、去っていく背中を見てセンリは顎に右手をやり、さてどうなるかと呟いた。

 先ほどまでの問答で、少女の胸の内に楔を打ち込めたのは確かだろう。子供なりに必死に頭を回して考え込んでいたのがその証拠である。

 

 良い方に変わればいいが、はてさて。 

 案外悪い方にこじらせる可能性もなくはない、が。

 

 

「あとは、彼女の家族(ファミリア)に任せるとしようか」

 

 

 センリは潔くロキ・ファミリアにぶん投げることにした。

 彼もできるだけマメに時間を取っているが、やはりアイズと最も多く接しているのはロキ・ファミリアだ。

 

 こうした心の問題はやはり、身近な人間から受ける影響がとても大きい。そしてロキ・ファミリア首脳陣の人柄や察しの良さはセンリも一目置くところ。きちんと少女の変化を見て取って、上手い具合に導いてくれるだろう。

 

 その点はあまり心配はしていなかった。

 しいて言うなら考えを改める際の反動が過ぎて、剣術に打ち込む意欲まで削がれなければいいのだが…。

  

 相変わらずややズレたところを心配するその背中に、アイズが去ってセンリ以外人っ子一人いないはずの路地裏から声がかけられる。

 

 

「彼女が例の《人形姫》ですか?」

「…リュー。珍しいね、君が路地裏(こんなところ)に足を運ぶなんて」

 

 

 背後からかけられた声に驚くことなく返事を返し、ゆっくりと振り向く。

 そこには覆面にローブ、露出するのは手首から先と怜悧な目元だけという女エルフが立っていた。

 

 彼女の名はリュー・リオン。

 センリと同じアストレア・ファミリアに所属する冒険者だ。

 

 先ほどからアイズとの稽古をうかがう視線が向けられていたのだが、彼女だったらしい。

 

 

「無論、私もこのような場所は好みません。しかし貴方と彼女の逢引きを邪魔する気もなく、かといって全てを無視できるほど今回の件について無関心ではいられない。それゆえのことです」

 

 

 逢引きのあたりに皮肉気な響きを利かせ、鋭い視線を送る。

 彼女は青年が他派閥の少女(アイズ・ヴァレンシュタイン)と密かに師弟の関係を結んだことに良い感情を持っていないのだ。

 

 

「筋のいい子だろう? まだ七つになったばかりとは思えないくらい、鋭い剣を振ってくる」

「それには同意します。末恐ろしい、と言うべきかはたまた末を見ることが出来るのか危ぶむべきかは迷うところですが」

 

 

 ちらり、と流し目を送ってくる。

 彼女(アイズ)()()()()()()―――色々な意味を込められた視線だ。

 

 

「末恐ろしい、と思わせてみせるさ。彼女の家族と、ボクがね」

「……正直なところ、()()()()とは思っていませんでした。しかし、確かに頷けるところがある」

 

 

 その返答に一定の理解を示しつつ、言葉を続ける。

 

 

「貴方が『自分に似ている』と言うだけのことはあります。幼い少女とは思えない鬼気だ」

「良い子だよ。少しばかり自分の中の黒炎(ほのお)に振り回されているけどね。それと意外と素直で天然だ」

「なんと。それはますます似ていますね」

 

 

 予想外の返しにジト目でリューを見遣ると、フッ…と覆面に隠れて見えない頬が笑みの形を刻んでいるのが察せられた。からかわれたのだ。

 

 

「真面目に言っているんだけどなぁ」

「普段から苦労させられていることへのささやかな報復です。甘んじて受け入れてください」

 

 

 そう言われると散々()()()()()実績のあるセンリとしては沈黙を守るしかない。リューはそんな青年の様子に一応留飲は下げたのか、笑みはそのままに口調だけは真面目なものに戻した。

 

 

「正直なところ、私はあの子の行く末をさして懸念していません。他人事だからではなく、貴方が師を務めているが故にです」

「……信頼が重いね。正直なところ、自分自身では欠片も自信が持てないのだけれど」

「それは…意外な言葉ですね」

「いまになってタケミカヅチ様の偉大さが身に染みるよ。()()()()()()()()()、よく面倒を見てくれたものだってね」

 

 

 かつての関係を正反対の立場になって味わってみて思うのは、やはりかつての主神の偉大さ、懐の広さだ。当時は一刻も早く強くなりたいと焦るばかりの自分を上から押さえつけているように思えたタケミカヅチをうっとうしく思ったものだが、逆の立場から見ると危なっかしくてしょうがない。

 

 いまオラリオで五体満足のまま、いっぱしの冒険者として立っていることが奇跡に思えてくる。

 

 

「なるほど。確かに幼少の貴方の面倒を見るのはさぞや大変だったことでしょう」

 

 

 皮肉と言うには実感の籠りすぎた言葉にセンリは思わず明後日の方向に視線を向ける。ファミリアではもっぱらコンビを組み、やらかした被害を主に請け負っているリューに向ける顔の持ち合わせが無かったためだ。

 

 

「ですが、やはり私の意見は変わりません。ええ、結果良ければ全て良しとし更に独断専行を好む点は一言モノ申したいところですが、貴方はいつも上手くやってきた。ならば今回もそうなるでしょう」

 

 

 と、ここで言葉を切り、やや挑発的な口調に切り替える。

 

 

「いえ、こう言うべきでしょうか―――上手くやりなさい。剣術しか取得のない貴方が取った、初めての弟子なのでしょう?」

「……悪くない励ましだ。やる気が湧いてきたよ、目に物見せてやるってね」

 

 

 零した弱音に慰めの言葉をかけるどころか容赦なく尻を叩いてくる相棒の言葉に、反骨心がむくむくと湧いてくる。無意識に犬歯を覗かせた凶暴な笑みが浮かぶ。

 

 イタドリ・千里はこう見えて人一倍負けん気の強い性質なのだ。挑発を食らえば煽りと分かっていても目に物を見せずにいられない。

 

 こうして少女本人と全く関係ないところで過剰なまでにやる気が入った師匠により、稽古を付けられたアイズの瞳に陰々とした殺意の籠るほど厳しい鍛錬が繰り広げられるのだが、それは少し先の話である。

 

 

「では、アリーゼやライラには今回の件はそのように言っておきましょう。全ての責任は貴方が負うと」

 

 

 色々と癖の強いセンリの操縦に長けたリューの煽りにやっとその調子を取り戻す。それを苦笑しつつも見て取るとやはり突き放すように発言を重ねた。

 

 対し、センリは望むところだと強く頷いた。

 

 

「是非も無し。だからしばらくの間御目こぼしを頼むよ」

 

 

 建前上、センリとアイズの師弟関係は余人に知られていないことになっているのだ。実際は両ファミリアのかなりの人員が知っているのだが、その関係が白日の下に晒されるとかなり面倒くさいことになるし、師弟関係が解消になるのは間違いない。

 

 

「承知しています。私もその件については異存はありません。()()()()()()()()

 

 

 わざとらしく二度繰り返し、強調するリュー。

 あからさまな不満の前フリに知らず、センリの額から冷汗が一筋落ちた。

 

 

「しかし」

 

 

 重ねて前フリの如く挟まれたリューの「しかし」にマズいと直感した。

 即ち、

 

 

「常々思っていましたが、貴方はいつも勝手な振る舞いが目立つ。今回もそうだ、話を聞くのはいつもコトが終わってからだ」

 

 

 ―――お説教タイムだ。

 

 

「リューの考え過ぎじゃないかなぁ。ほら、神ロキも神格者だったし、今回の件でも快くあの子を送り出したわけだし」

 

 

 殊更に朗らかな声音で大したことではないと主張するものの、そんな戯言はあっという間に一刀両断してしまう。

 

 

「それは結果論でしょう。私は貴方とあの子の一件ではなく、貴方がいつも周囲に相談することなく独断で事を運ぶ気質に対し苦言を呈している」

「……いや、ほら、そこはアストレア様には相談したし…」

「事後承諾で、とアストレア様からは聞きましたが」

 

 

 参ったなぁ、とばかりに頭の後ろを右手で掻く青年であったが、対峙するリューはあくまで冷ややかな視線を送るばかりである。

 

 平時から()()()()()ばかりいるセンリに対し、ファミリアで最も風当たりが強いのがリュー・リオンなのだ。

 

 

「まったく」

 

 

 ハァ、と一つため息を吐くリュー。

 

 

「今回の一件も、せめて私だけにでも事前に言ってもらえればもっと滞りなくロキ・ファミリアと交渉が済んだし、内内の混乱も避けられたのですよ。貴方は人一倍剣が達者なくせに、言葉の方は余りに足りなさすぎる」

 

 

 同じファミリアの仲間が聞けばお前が言うなと呆れながら突っ込まれたことだろう(ただし青年のみを例外とする)。リュー・リオンはどちらかと言えば直情径行で、言葉より剣を交える戦場の方がよほど得意なのだ。

 

 

「それは……すまない。でもこういうことはやはり頼み込む本人が直接言葉を交わすのが筋かなと」

「だから仲間にも黙って他所のファミリアと交渉の席に座るのが当然だと?」

「いや、それは…」

「貴方のことです。向こうから難題を吹っかけられても自分だけが被害を被ればいいと考えたのではないですか?」

「ハハハ…」

 

 

 図星を衝かれた青年はやはり曖昧な調子で笑うしかない。

 

 今となっては杞憂だったと笑う話だったが、あの時はアイズとの関わりを断たれることを避けるため、多少の無理は押し通すつもりでいた。その結果自身の身にロキらからの無理難題が降りかかろうとだ。

 

 そうした腹の底までお見通しな相棒に、センリは全面降伏で白旗を掲げるしかない。

 困ったように曖昧な調子で空笑いを零すのがせめてもの抵抗である。

 

 

「まったく」

 

 

 本日二度目の「まったく」であった。

 呆れと親しみ、愚か者への諦観がたっぷりと籠っている。

 

 

「貴方は愚かだ。そしてそれを自覚している」

「まあ、世渡りが上手とは思っていないし、言葉で交渉(チャンバラ)が出来るほど得意だとも思っていないよ」

「……ならば、もう少し私たちを頼るべきだ。貴方が起こす騒動で迷惑を被ることは多いが、その何倍も貴方には助けられている」

「えっと…?」

「きちんとした理由があるのならば、多少無茶であっても貴方の行いを咎めることはないと言っています。今回の一件だって、最終的に皆納得したうえであなたを送り出したでしょう?」

 

 

 リュー・リオンはセンリへ最も苦言を呈する機会が多い。

 言い換えれば、彼に対して最も面倒見が良いのがリュー・リオンということでもあった。

 

 彼女自身決して人当たりが良い訳でも面倒見が良い性格ではないのだが、ファミリアではコンビを組むことが多く、それ故に青年からの被害を最も多く受けている。ファミリア内ではセンリ関連の面倒ごとは大体リューに投げておけばいいや、という空気すらできていた。

 

 そうした事情からセンリに対し、常に率直に苦言を呈するし、彼もそれを甘んじて受けている。

 

 今回の一件でも青年から話を打ち明けられた後に真っ先に説教と文句を突き付けた後、最初にセンリの味方をして仲間たちを説き伏せてくれたのもリューだ。そのこともあって彼女には頭が上がらなかった。

 

 

「センリ」

 

 

 と、その名を呼び。

 

 

「私たちは家族(ファミリア)だ。家族とは、苦難と喜びを分かち合うものではないのか。それほど私達は頼りなく、信頼できませんか」

 

 

 どこまでもまっすぐに真情の籠った言葉をぶつける。

 エルフらしく潔癖で理想主義的な面の強いリューであるから、『幼少のころお世話になった恩神への恩返し』というセンリの素朴な動機にも強く共感し、実利的・実害的な側面から渋る一部の仲間達にも言葉を重ねて説得してくれた。

 

 主神のアストレアも彼の願いに好意的であったが、『正義』と『法』を司る女神ゆえに例外的なほどファミリアの運営から一線を引いて過ごしている。

 

 リューがいなければ、こうしてアイズに剣を教えることは叶わなかったかもしれない。少なくともこれほどスムーズには進まなかっただろう。

 

 

「……申し訳ない。うん、本当に」

「……反省したのならば次に活かすように。私とて好んで貴方を非難している訳ではありません」

 

 

 叱られてシュンとうなだれたセンリへ、かける言葉に迷った沈黙を挟み、結局は無難な言葉をかけるリュー。

 

 その様子はオイタをして叱りつけた飼い犬が予想以上に元気をなくし、かといって優しい言葉をかけるわけにもいかず、どう対応するか迷った飼い主を思わせる。

 

 要するに、二人の関係はそういうものであった。

 

 独特の嗅覚と勘で荒事と悪事の種を見つけ出しては真っ先に切り込んでいく青年と、それに追随して自身も剣を振るいつつギリギリで青年の動きを制御するリュー。

 

 訓練された狩猟犬とその主である狩人のような、ある種の名物コンビとしてオラリオでも知られている。

 

 なお、センリほどではないが暴走しがちなリューの首根っこはさらにファミリアの団長(アリーゼ)が握っているという二重の管理体制である。

 

 

「分かった、気を付けるよ。ごめん、苦労をかけるね」

「二年は遅い発言です。そして無用な発言です」

 

 

 ちなみにリューの言う二年はセンリがファミリアに入団した時期だ。彼らがコンビを組んだ、あるいはリューがお目付け役を任された時期でもある。

 

 

「私は貴方の相棒(コンビ)なのですから」

 

 

 やれやれと言いたげに肩をすくめ、当たり前のように告げるリューに思わずイケメンだなぁと感心するセンリだった。彼が『彼女』だったのならばきっと惚れていただろう。

 

 

「……なにか?」

「いいや、なにも?」

 

 

 何か邪念を感じたのか、物問いたげな視線をリューが向けてくるが、いっそ胡散臭いくらいに輝く笑顔を張り付けてしらばっくれる。

 

 その様子にますます怪しいと感じたリューが更に強い口調で問い詰める光景がしばらくの間続く。

 

 ()()()()アストレア・ファミリアが健在だったころの、在りし日の一幕である。

 

 リュー・リオン。

 そしてイタドリ・千里(センリ)

 

 ともにファミリア団長であるアリーゼ・ローヴェルを抑えてLv4の高位にある第二級冒険者。 

 アストレア・ファミリアの二枚看板とも称される、『正義』のファミリアの双璧であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【TIPS】この時より四年後、アストレア・ファミリアは壊滅する。生存者はイタドリ・千里とリューリオンの二名。この時生き残った両名はそれぞれ深刻なトラウマが刻まれ、重度の共依存に陥りかけた。壊れかけた二人に『正義』は背負わせるにはあまりに重すぎると判断し、アストレアは自ら派閥(ファミリア)を解散。しばらくの時を経て二人はそれぞれの道を歩き出す。

 

 アストレア・ファミリア壊滅より数日後、オラリオのあらゆる勢力は『正義(シロ)』と『(クロ)』に無理やり分けられ、『悪』と()()()勢力はほぼ一人の剣士の凶剣によって根絶やしにされた。

 

 かの剣士がギルドのブラックリストに載っていないのはその逆襲を予期したロキ・ファミリア他数多の有力派閥もその騒動に乗じて大きな成果を上げ、その影に紛れたため。またかの剣士を討ち取るリスクに対するリターンが全く割に合わないと誰もが理解していた点も大きい。『悪』の勢力と繋がりがあった者たちでさえ。

 

 この時よりオラリオは『暗黒期』を脱し、急速に安定と秩序を取り戻していくことになるが、誰よりもそれを追い求めた『正義』のファミリアの姿はそこに無かった。

 

 




アイズの年齢を八→七に修正(2019年5月25日)。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十一話

 それからしばらくは平穏で、順調な日々が続いていた。

 アイズも、センリも、オラリオもまた。

 

 アイズもあれほど向こう見ずだった危なっかしさは鳴りを潜め、以前よりもはるかに自分の体と剣を労わるように変わっていった。

 

 

「良い調子だよ。きちんと剣先まで神経を届かせているね」

「ん…」

 

 

 やる気に溢れる瞳で稽古に熱を燃やしながら言葉少なく答える。

 燃えるような感情はそのままにがむしゃらさは抑えられ、一刀一刀振るう剣戟は指先の扱いまで意識した繊細さが見て取れる。

 

 かつてのような過剰に体を痛めつけるような鍛錬は控え、休息の時間を取ることを心掛けていた。その上でセンリやフィンたち、医療系ファミリアなどに話を聞いてより効率よく休息する術を探し、身に付けるようになった。これが後のアイズの『趣味』に発展していくのだから、人生はわからないものだ。

 

 剣の扱いもそうだ。以前のように使い潰す勢いで酷使するのを避け、刀身の手入れがアイズの日課になった。一本一本に向き合い、苛烈な剣技と繊細な剣技を使い分けた。

 

 それでも通常の冒険者と比べて異常なほどのハイペースでダンジョンに挑み続けているのは変わらなかったが、ロキ・ファミリア首脳陣は渋い顔をしながらもそれを認めたし、センリは推奨すらしていた。

 

 強くなることは(すなわ)ち狂気の沙汰だ。

 大業とは正気では成せるものではないのだから、むしろアイズの悲願(ネガイ)を叶えるためには狂気に身を委ねなければならない。

 

 もちろん狂気の淵を突っ走るばかりではいつか淵の向こう側へ転げ落ちるのを待つばかりなので、狂気と正気のバランスを上手く取らねばならない。それは細いロープの上で全力疾走を行うがごとき無理無茶無謀だったが、逆に言えばそれくらいやってもらわねば誰よりも強くなるというアイズの目標には届かないだろう。

 

 そうした見極めを師である青年は先達として叩き込みつつ、ある程度の無茶はむしろ積極的に勧めていた。

 

 結果、アイズの剣腕はもちろん能力値(ステイタス)もグングンと伸び続け、過日のような燻った焦りは嘘のように拭い去られた、良い顔で鍛錬に励むようになった。

 

 センリはそれを見て「子供は元気なのが一番だね」と呟いたが、その呟きについて聞き及んだ全員から何とも言えない視線を向けられたという。

 

 そんな剣客基準では概ね平穏な日々が過ぎていき、釣られるようにオラリオも闇派閥らの襲撃も抑えられ、小康状態を迎えていた。

 

 最近、青年の愛刀は仲間とともに赴くダンジョンで魔物を切り殺すばかりで、『悪』の勢力の構成員らの血を一滴も吸っていない。

 

 平和なことはいいがこのままでは対人戦の勘が鈍ってしまいそうだと愚痴を漏らしては主神アストレアやリューから説教を食らっていた。

 

 閑話休題(それはさておき)

 

 今日も、いつもの路地裏で恒例となった鍛錬を行っていた。

 

 普段であればもっと気を入れてアイズを指導しているのだが、どうも今日のセンリは気もそぞろな様子だ。疑問に思った教え子が問いかけても、師はなおざりに返答してはまた元の木阿弥に戻ることを繰り返しており、彼女の機嫌を悪化させていた。

 

 

「うーむ」

 

 

 センリは自分でも気合が入っていないと自覚したのかピシャリと手のひらで額を打つと、一つ頷いてアイズに告げた。

 

 

「今日はここまでにしようか」

「……私はまだまだやれる」

「ボクの方が不調でね。すまないが今日の分はまた今度だ」

「だらしない。体調管理が不十分な証拠」

「ハハハ、よりにもよって君に言われるとはなぁ」

 

 

 恐らく少女を知る人間が満場一致で頷くだろう発言であった。センリ自身手を焼かされた側なので漏らす苦笑いにも実感がこもっている。

 

 とはいえ最近は『いかに効率よく休息するか』というテーマを追求することが半ば趣味になっているアイズなので、一言不満を漏らす位は許されるかもしれない。

 

 

「ま、無理に続けておかしな指導をするよりも、帰って本拠地(ホーム)で素振りでもしてもらった方がお互いにとって良いからね。代わりの日程は出来るだけ急いで用意するから、今日はもう勘弁しておくれ」

「……分かった。仕方がない」

 

 

 楽しみにしていた玩具を取り上げられた子供のようにふてくされている様子のアイズだが、渋々と頷いた。質のいい鍛錬、質のいい休息を取ることが結局は上達への早道になると理解していたからだろう。

 

 

「今日は一緒に戻ろうか」

「…なんで?」

「なんとなく、かな。凄く嫌な予感がするんだよね」

 

 

 普段であれば師弟関係の発覚を恐れて決してしないだろう提案である。そのことを疑問に思ったアイズが問いかけるが、帰ってきたのは多分に感覚的な発言だった。

 

 その確たる根拠のない発言にアイズは胡散臭げな顔をしていたが、自身の直感に信頼を置くセンリはこれから襲い来る荒事の存在を半ば確信していた。

 

 きな臭い匂いが彼の鼻腔を擽るのだ。普段と変わらないはずの街のざわめきに、妙な気配を感じてしまう。

 まだ姿を見せていない闘争の先触れをセンリの第六感が感じ取っていた。そしてそれは時間を追うごとにどんどん強くなっていく。

 

 出がけに団長のアリーゼに一言告げていたのは幸いだった。この直感は二回に一回くらいは外れるから流石に完全装備で準備万端ということはないだろうが、それでも準警戒状態くらいは維持しているはずである。 

 

 

「……いいけど」

「決まりだ」

 

 

 同意が得られるとすぐにアイズが振り回していた竹刀を回収し、竹刀袋にしまい込む。そのまますぐに一通りの後始末を済ませてしまうと普段と変わらない笑顔でアイズを促した。

 

 

「それじゃあ帰ろうか。君の(ホーム)に」

「……うん」

 

 

 アイズは君の家と言われてすぐ《黄昏の館》を連想した自分に気づき、少しだけ声を小さくした。

 

 

「ここから《黄昏の館》までほとんど大通り経由だから心配はないと思うけどね。騒ぎが起きたらボクはそっちに行かなきゃならないから、その時はまっすぐ館まで戻るんだ」

「……私も、戦える…けど」

「うん、やる気があるのは大変結構。ただフィン達はまだ人間同士のやり取りは無理に経験しない方がいいという考えだ。そうなるとボクはその方針に従うだけだ」

 

 

 これまでも何度となく『闇派閥』の襲撃がオラリオを騒がせていたが、そのたびにアイズはフィン達から黄昏の館で大人しくしているよう命じられていた。その事実上の戦力外通告にアイズは密かにのけ者にされたような気持ちを抱いていた。

 

 自分の強さなら大丈夫、という自負を幼いなりに持っていたから、出来るならばアイズもフィンやリヴェリア達と肩を並べて戦いたかった。それと一応センリとも。

 

 流石に他派閥の人間ということで遠慮がちに申し出るアイズに、師である青年は噛んで含めるように諭す。センリ自身は本人がやりたいって言ってるからいいんじゃないか、というスタンスだが慎重なのに越したことはないというフィン達の主張も分かる。なにせ命は一つしかないのだから。

 

 

「剣技の追求という意味では同族との命のやり取りも意味はあるのだけれどね…。ただモンスターを討伐するのとは勝手が異なるのも確かだ。モンスター相手の斬った張ったに慣れていても、いざ人間同士で殺し合うと戸惑って普段の実力が発揮できないなんてのもザラだ。僕も流石にフォローが利かない状況で君に対人戦の初陣を迎えさせたくはないな」

「私は大丈夫なのに…」

「まあ、いまのオラリオは物騒だからね。ひょっとしたら向こうから揉め事がやってくるかもしれない。どうしても避けられない時は遠慮なく君の愛剣(ソード・エール)を振り回して追い払えばいいさ」

「うん……。……………………ぅん?」

 

 

 あれ? と首を傾げるアイズ。果たしてそういう話だっけと幼い頭で考えるがすぐに良く分からないと結論を出した。まだまだ二桁の年齢にも達していない子供だ。青年の話を理解しきれず、煙に巻かれたような気分になってそれ以上考えるのを止めた。色々な意味で正しい選択だろう。

 

 この場に誰か一人でも関係者がいればフォローする方向を間違えていると突っ込んだろう。アイズはオラリオで起きる抗争から一人遠ざけられていることに疎外感を感じているのであって、人を斬れないことを残念がっているのではない。

 

 そもそも年端もいかない少女の手を同族の血で汚させることについての倫理的な引っ掛かりはないらしい。この青年がよりにもよって『正義(アストレア)』のファミリアに属していることがオラリオの住民に疑問を以て取沙汰されるのも無理はない話だった。

 

 青年に言わせれば自分のような冒険者こそアストレア・ファミリアに所属するべきだという意見なのだが。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 本来イタドリ・千里は人一倍剣術の才能を持ち合わせながら、親しくなった人間から影響を受けやすく、意外なほど従順で、挙句の果てにまともな倫理観を持たない。

 

 タケミカヅチ達に拾われ、養育されていなければただ使い手の意を受けて災いを振りまく凶剣に堕ちてもおかしくなかっただろう

 

 人間としては恐ろしく(イビツ)な、まるで使い手によってその在り方を変える『(ツルギ)』のような人間だ。

 

 使う人間と使われる人間の二つに分けるとすれば、青年は間違いなく後者である。だが誰かに使われる『(ツルギ)』であっても、自らの使い手を選ぶ自由はある。

 

 そして青年は己という剣の使い手を正義の女神(アストレア)とその眷属達を選んだのだ。同じ人と魔物の血に塗れるのであっても、闇派閥の外道どもに凶刃として振るわれるよりも彼女たちと共に同胞として戦場に立つ方がはるかに爽快なのだから。

 

 あるいは倫理観の破綻した青年がもつ善悪に対する嗜好を善性に傾けたことこそが育て親であるタケミカズチらの最大の功績なのかもしれない。

 

 

「……何か間違ったかな?」

「……分からな、い…?」

 

 

 天然二人による傍から見ていればツッコミ不可避なやり取りを交わしながら、それでも二人は穏やかに大通りを歩いていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてその帰路で当然のように火の手が上がり、オラリオは悲鳴と狂騒に包まれた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十二話

 オラリオにて『闇派閥(イヴィルス)』と呼ばれる勢力がある。

 

 この当時、オラリオは『暗黒期』と呼ばれる悪事と抗争のただなかにあった。

 それは迷宮都市に潜在する『悪』の勢力の台頭が招いた惨禍。

 

 元となった原因を探れば元迷宮都市最大派閥《ゼウス・ファミリア》と《ヘラ・ファミリア》の失墜に遡る。だがそれは青年と少女にとって重要ではない。

 

 ともかく当時オラリオの治安を守護する冒険者の権威が地に落ちており、それがこの闘争の渦を招いていた。

 

 そしてその『悪』の勢力の第一党こそが闇派閥(イヴィルス)。独自の美意識と規範を以て、社会に対する悪行を成す神々―――邪神に率いられた派閥(ファミリア)連合である。

 

 そして青年が所属する『正義』を掲げるアストレア・ファミリアは、彼ら『悪』の勢力を討ち果たす最先鋒であった。当然青年もまた、ひとたびオラリオに闘争の火種が燃え上がれば其処へ急行して鎮圧せねばならない。 

 

 青年はしばしば札付きの外道凶賊どもの首を刈り取って見せしめに晒す悪癖から『首刈り』とも称されるとともに『闇派閥』からは恐れられ、オラリオの住民からはドン引きされていた。とはいえ『悪』を討つ冒険者として頼りにされているのも間違いないのだが。

 

 そして近頃は活動が下火になっていた『闇派閥』が、今日と言う日に合わせて準備を整え、オラリオの各所から物資と金銭を強奪すべく大規模な騒動を巻き起こしていた。

 

 今や平穏に包まれていた昼下がりのオラリオは、同時多発的に巻き起こされた騒動により阿鼻叫喚を極めていた。

 

 

「―――! 何か、あっちの方から騒ぎが…!?」

「そのようだ。近頃大人しくしていたと思えば破落戸(ゴロツキ)は変わらず破落戸(ゴロツキ)か。せめて暗闇に潜む程度の可愛げがあればもう少し手心を加えて誅殺してやるものを」

 

 

 穏やかな会話を交わしながらの帰り道。

 それぞれがそれぞれなりに楽しんでいた時間が、遠方から耳に届く悲鳴と破壊音によって唐突に中断される。

 

 アイズの緊張に満ちた声に、不自然なほど平時と調子の変わらない声が返される。

 しかしその何気ない声音に込められた感情(モノ)を僅かなりとも感じ取り、思わずアイズはビクリと身体を震わせた。

 

 

「まったく」

 

 

 それは完璧に感情の抜け落ちた……さながら刀剣のような無機質な殺意に満ちた呟きだった。

 

 

「躾のなっていない野良犬が…。仕置きが必要だな?」

 

 

 心を切り裂く冷え切った声音が耳に届き、アイズの背筋を悪寒が走り抜ける。

 恐る恐る振り返ったそこには影が差して表情の伺えない青年の顔。魅入られたようにその様子を伺うためにアイズは反射的に目を凝らすと、

 

 

 ただ  その眼だけが   とても   冷たく     輝いていて   ———

 

 

「ヒッ…!」

 

 

 アイズが覗き見たその双眸はゾッとするほどの冷たさに満ちていた。

 怯えに喉を詰まらせて、腰を引けさせて後ずさるアイズ。

 

 それはアイズがまだ理解も経験もしていない、殺人者(マンイーター)の瞳だ。如何に生死のやり取りを経験しているとはいえ、まだ七歳の少女が本能的に恐怖を覚えるのも無理はない。

 

 

「おっと」

 

 

 しかしアイズの様子を見てとったセンリは驚くほどあっさりと露わにした殺意を引っ込める。

 その切り替えがあまりに自然すぎて、白昼夢を見たかと錯覚しそうになる。殺気を収めたはずの青年が途轍もなく恐ろしかった。

 

 

「すまない。君にはまだ刺激が強かったかな」

 

 

 センリの様子はもう平時と変わらない、穏やかなものだ。だがそれが余計に恐ろしい。

 

 彼は戦場(いくさば)にあってもいつも通りの笑顔で人の首を刎ねられる―――その事実を身を以て体験してしまったために。

 

 そして、あるいは自分すらも…。

 

 今のアイズにとって、この騒ぎよりもダンジョンの魔物よりも、目の前に笑顔で佇む青年こそが恐ろしかった。

 

 

愛剣(ソード・エール)は持っているね? いざという時には躊躇わずそれを抜け。そして抜いたならば敵の血で刃を濡らすまで鞘に収めるな」

 

 

 アイズの恐怖を知ってか知らずか、端的に指示を出す。

 護身のためと師から外出時には常に帯剣するよう指示されたソード・エールはアイズの背中に収まっている。今はその重みが酷く頼もしかった。

 

 

「つまり余程のことが無ければ剣を交えるな。走って逃げろ。剣を抜くのは最終手段だよ」

「……う、うん」

 

 

 いつもとは様子の違う、怯えた風ですらある少女に首を傾げながらもまあそれどころではないかとあっさりと思考から切り捨てた。怯える少女に疑問を覚えつつも、素でそれ以上考えが及ばないのだ。

 

 センリを知る者がその場で見ていればお前、そういうところだぞと口を揃えてツッコミを入れただろう。彼は決して悪人ではないが、誰が見ても分かる通り心の機微には人一倍疎かった。

 

 平時と全く変わらない様子で同族(ニンゲン)を殺害できるキチガイなど恐怖を覚えて当然だというのに、その『当たり前』がセンリには遠い。

 

 

「君のホームまでもう近い。このまま真っ直ぐ道を走って帰りなさい。まずファミリアの庇護下に入るんだ。いいね?」

「分か…、分かった…」

 

 

 常にないほど弱弱しい小声。

 

 少女の異常の兆候を察しつつ優先度の問題から切り捨て、指示を念押しすると後はもう意識の大半を戦場に振り分ける。

 

 センリは鋭敏な五感をフルに活用して、複数の方角から聞こえてくる騒音の発生源を探った。

 

 

(―――此処よりも北に一つ、ギルド方面。冒険者御用達の商店が並ぶ一角の辺り…。かなり、近い!)

 

 

 第二級冒険者の高みにあるセンリの五感は相応に鋭い。頭の中の地図と照らし合わせ、まず間違いないだろうと最も近場の戦場を特定した。

 

 

「己が不運を呪え、凶賊」

 

 

 二ィィ、と見るからに禍々しい笑みを浮かべると腰に下げた愛刀を鞘から抜き放つ。心なしか昼下がりの陽光に照らされ、輝く刀身が主を戦場へと誘っているようにすら感じる。

 

 今日の愛刀はさぞや血に飢えていることだろう。速やかに悪鬼外道どもの喉首を掻っ捌き、渇きを満たしてやらねば。

 

 平時と変わらない笑顔を張りつけながら、身に纏う雰囲気だけが札付きの悪党も裸足で逃げ出すほどに凶悪な気配を帯びていく。

 

 ほとんどホラーじみたこの変貌にアイズはますます表情を引きつらせ、その心にトラウマが刻み込まれた。

 

 

「ボクは行く。君も行け」

 

 

 最後に短く声をかけ、センリは街を駆けた。

 

 (ダン)ッ、と石畳を砕きかねない勢いで地を蹴ってセンリは騒動の渦中へと向かう。放たれた矢のような勢いで遠ざかるその背が建物の陰に隠れるまで見送り、アイズは無意識に体を脱力させた。

 

 

「ハ……ァ……!」

 

 

 我知らず胸に押し込めていた息を吐き出し、路上にへたり込んでしまいそうになる己を叱咤して足に力を籠める。ぐらりと傾きかけた体を支える煉瓦の壁の揺るぎなさが頼もしくすらあった。

 

 

「なに、アレ……?」

 

 

 ()()()()()()? 

 

 

 アイズとて冒険者だ。ダンジョンでモンスターと殺し合い、怪我を負うことなど日常茶飯事だ。だがアレは……怖い、などという可愛らしいものではない。ただ只管(ひたすら)に恐ろしい。

 

 言うなれば『死』そのものを問答無用で直視させるようなおぞましさ。剣士(ツルギ)の持つ禍々しく破壊的な側面を無遠慮なほど剥き出しにしている。

 

 あるいは、だからこそか。

 

 自暴自棄な感情で、モンスターへの憎悪で本来の情動を麻痺させたからこそ日夜ダンジョンでの殺し合いを繰り広げてもアイズの精神は狂うことなく正気を保っている。

 

 だがセンリの鬼気に宿る『死』を否応なく直視させられることで、アイズは今初めて殺すこと・殺されることへの恐怖を覚えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 疾走する。

 

 オラリオの道を、裏路地を、建物のそこかしこに突き出された取っ掛かり、果ては建物の屋根すら突っ切って一直線に戦場へと駆けていく。

 

 

(見たところ、少なくとも騒ぎが起こっているのは六ケ所。どれが陽動で、どれが本命だ…? 皆との合流は……難しいか)

 

 

 比較的高所を飛び回って上空から街を俯瞰。

 オラリオ全体の概況を見て取り、戦況に思考を回す。

 

 

(まあいい、(しらみ)潰しだ。片端から斬り捨てて回ればいい。強者がいればそこが本命、雑兵ならば蹴散らして騒ぎを収める。その過程で頭の切れる誰かしらと合流できれば御の字か…。フィンか、団長(アリーゼ)なら情報も持ってるだろうから文句はないんだが)

 

 

 シンプルイズベストを地で行く脳筋思考。

 

 だが往々にして戦場という流動的な状況下では行動方針は単純なくらいで丁度いい、特に単騎で局地戦の勝敗をひっくり返せるほどの強者ならば。

 

 

(一つ目!)

 

 

 思考を進める間も第二級冒険者の俊足はあっという間にセンリを戦場へと運んだ。

 

 

(イヌどもが…)

 

 

 目に入ったのは力任せに打ち壊された幾つもの店構え、そこかしこを赤で汚す血飛沫の痕、血だまりの広がる石畳に臥せる何人もの屈強な男たち…。そして、年端もいかない『子供』まで。

 

 取り返しのつかない破壊、そしてそれ以上の惨劇を防ぐために剣を取る冒険者たちの姿もそこにあった。

 

 

(タダで済むと思うなよ?)

 

 

 平時から飄然とした調子を崩さないセンリの精神が一気に絶対零度まで冷え込む。同時に己に能う限り惨たらしい死に様をくれてやることを心に誓う。

 

 イタドリ・千里に真っ当な倫理観は無い。だがそれは決して『悪』を肯定しているわけでも、『悪』に無感情でいるわけでもない。強いて言うならただ感性がズレていて、常識というストッパーが外れているだけだ。

 

 だから目の前で子供が倒れていればその機嫌はあっという間に最低最悪まで急降下する。子供と言う弱者はかつての己や孤児院の兄弟たちを思い出すから。

 

 誰にも聞かれぬ誓約を己に結ぶ。

 さあ―――

 

 

「報いの時だ」

 

 

 所謂(いわゆる)『冒険者通り』を荒らしまわる『闇派閥』とその場に居合わせただろう冒険者たちとの抗争の場へと到着した青年が行ったのはまず何よりも『闇派閥』を率いる指揮官を探すことだった。

 

 目につくのは身の丈ほどもある大剣を片手で振り回し、全身鎧を被ったひと際体格の大きな巨漢だ。

 

 

(奴が敵の要…)

 

 

 他の破落戸(ゴロツキ)どもよりも目に見えて優れた装備、堂に入った戦いぶり。加えて前線に立って戦線を蹂躙しつつ胴間声を上げて威圧するその姿を一瞬で狩るべき獲物と判断し、足場とした建物の天板を強く踏み抜く。

 

 上空からの強襲。

 

 愛刀を構え、天から凄まじい速度で襲い掛かる青年であったが敵もさるもの。仲間からの呼びかけで青年の存在に気づくや否や武器を構えて迎撃の態勢を執った。

 

 その反応速度と堂に入った構えから最低でもLv3、ひょっとすると同格のLv4かもと直感するが最早戦端が開かれた今となっては大して変わりがない。

 

 敵ならば斬る、それだけだ。

 

 

「惜しい」

 

 

 理非善悪をさておき、眼前の大男は確かな強者である。可能であれば心行くまでその戦技を体感したいところだが、あいにく戦場はここ一か所ではない。できるだけ手早く済ませ、他所へ援軍に向かう必要がある。

 

 

「死ね」

「テメェが死ねやああああぁっ!」

 

 

 飄然とした殺害宣言に戦場の喧騒をかき消す大音声が迎え撃つ。

 

 たとえ悪党といえどそこには隔絶した膂力に確かな技が乗った瞠目すべき大剣の一振りであった。故に巨漢を悪党と蔑む者はあれど、未熟者と侮る者はいまい。

 

 されど敢えて言おう。

 

 巨漢ほどの強者を以てしてなお、『武』を以て青年に対するは余りにも練度が足りなさすぎると。

 

 斬撃交差。

 

 二人の(つわもの)が互いの命を奪うため己が愛剣に気迫を込めて渾身の強振(フルスウィング)を振るう。

 

 青年の落下エネルギーを乗せた打ち下ろしが、巨漢が肩に構えて撃ち出す大剣とぶつかり合う。互いの業物はこの激突に耐え、込めたエネルギーが押し切らんと拮抗する。

 

 (ゴウ)、と。

 

 大気を震わせる衝撃が交差した両者の愛剣から放射される。

 下から打ち上げた大剣により青年の身体が宙に浮き、上空から打ち込まれた衝撃が巨漢の腰を落とさせた。

 

 一瞬の膠着。

 

 ただの一合、されど巨躯の悪漢はそこから敵手の積み上げた技量を読み取り、称賛の笑みを浮かべる。容易ならざる敵手。あるいはLv4の己の命にすら手が届きうる強敵だ。

 

 されど大地にしっかりと足を踏みしめた己こそが圧倒的に有利、と『闇派閥』の巨漢は確信していた。何も難しい話では無い。己が愛剣に膂力を伝えるのは大地を掴まえ、踏み抜く両の足だという当たり前の(コトワリ)だ。

 

 だが、その当たり前をセンリの技量は易々と覆す。

 

 巨漢の大剣によって打ち上げられたその体躯。その軌跡の中、上昇と落下が入れ替わる刹那の無重力を見切り、四肢と愛刀の重量を身のこなしによって上手く振り回すと、空中で姿勢を立て直して見せる。

 

 そのままふわり、と軽業じみた身の軽さでその体躯が宙を舞い、巨漢が持つ剣身の上に着地した。

 

 足場を確保するとともに敵の得物を封じる一手であった。

 

 

「な―――」

「迷いのない、良い一振りだった」

 

 

 称賛を一言、死出の旅路へ向かう男へ送る。

 

 

「じゃあね」

 

 

 そして愕然とした顔で差し出された首を無造作に薙ぐ。巨漢の喉首から鮮血が噴き出し、センリの装束を赤で汚した。

 

 突然の強襲から瞬く間に敵将を撃破してみせたセンリに、敵も味方も呆気にとられたように目を奪われる。

 

 

「まず、一人」

 

 

 語らずして()()()()()()、というニュアンスを含ませた呟きに『闇派閥』の構成員たちは残らず肝を潰し、味方であるはずの冒険者たちまで思わずビクリと身を竦ませた。

 

 アストレア・ファミリア所属冒険者、イタドリ・千里(センリ)

 Lv4の第二級冒険者。ステータスにおける最高値は器用:SSS。

 

 およそ下界で最も武神(タケミカズチ)に近い剣腕を持つオラリオ最高の剣士である。

 

 

 




 感想にて『憧憬剣理(リアリス・フレーゼ)』持ちのセンリの成長速度について多くの方が疑問に思ったようなので解説。

 かなり長めです。『興味がないならば読み飛ばし推奨』。
 また基本的にあくまで本作におけるオリジナル設定です。一応注意。私が神だ。


【TIPS】『憧憬剣理(リアリス・フレーゼ)

 うちの主人公(キチガイ)ことイタドリ・千里が成長促進系スキル『憧憬剣理(リアリス・フレーゼ)』を得ていながら、Lv5(実質Lv6)に昇格するまでの年月がかかりすぎているという感想が寄せられました。

 尤もな感想ですが、これに関しては理由が幾つかあります。
 まず一点目としては、

昇格(ランクアップ)にほとんど拘っていない。

 これが全ての前提です。

 作中でもすでに描写していますが、強くなることは即ち狂気の沙汰であるというのがセンリの基本的な考えです。つまりそれだけ強くなることは大変だということですね。特に、武神の領域に手を届かせようと考えているのならば尚更に。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()。まさしく狂気の沙汰ですが、人間が神の領域に辿り着こうと言うなら妥当というか大前提だと考えます。

 故に目先のステイタスの強化、手っ取り早く強くなるための昇格(ランクアップ)。これらはセンリにとって有益どころかむしろ将来的な成長に差し障る有害な手法です。冒険者としては間違っていませんが、求道者にとってはとても大きな問題です。

 一歩でも早く、少しでも早く強くなる。そういう思考の下無理無茶無謀を繰り返していた原作アイズとはある意味対照的ですね。なので本作では師事したアイズに決して焦ってはいけないと戒めています。

 そのため昇格するならそのレベルで得られる強さを残さず浚ってから。具体的には魔力以外の基本アビリティがオールSに成長するまで昇格を見送っています。それと強くなるほど戦う相手に困るというのもあります。

 加えてベル君の憧憬一途(リアリス・フレーゼ)と比べて、センリの憧憬剣理(リアリス・フレーゼ)は「器用」がとんでもなく上がりやすい代わりに、「力」「耐久」「敏捷」「魔力」は上がりにくい仕様です。

 もちろん他の冒険者と比べればずっと上がりやすい訳ですが、それでもオールSまで育てきるとなると相当な時間が要ります。そこがボトルネックとなって昇格速度ではベル君に劣っています。

 とはいえそれだけの積み重ねがあるから作中でも『オラリオ最高の剣士』と吹いたわけです。オラリオ最高ということはほとんど世界最高と同義ですから。それだけ吹かすなら最低でも才能と時間とチートは持たせとかないとなぁと思っての『憧憬剣理』実装です。

 実際それらの努力が実を結び、積み重ねた潜在値(エクストラポイント)も相まって昇格直後から同じLvの冒険者の中でも基礎スペックが頭が二つか三つくらい上に抜けています。『技と駆け引き』に至っては全力のアイズを基礎アビリティと『技と駆け引き』のみで格下扱いできるオッタルすらも上回るというキチガイ剣客仕様。

 確かに成長促進系スキルを持っている割に昇格速度はかなり遅めですがその分の『数値(ステイタス)では表現できない強さ』をしっかりと得ているわけです。まあそれを描写できていないと言われれば正しく仰る通りと頭を下げるしかないわけですが…。

 うちのキチガイについては概ね以上です。



 次、原作主人公ことベル・クラネル君。

 上記の説明を踏まえてそれでも遅いという方は恐らく同系統スキル所持者であるベル君と比較しての意見だと思いますが、これに関しては次の一点を前提とすることで大体説明できます。

 つまり()()()()()()()()()()()()()()()

 身も蓋もなく言ってしまうと所謂主人公補正な訳ですが、実際原作主人公ベル・クラネルは正しく主人公としか言えないような冒険に異常なほど短い期間に連続して遭遇しています。

 自分が強くならなければ命や戦友、誇りなどの大切なものを失う。そういう状況(シチュエーション)に何度も立たされているわけです。

 ある意味で強くなって当然です。強くならなければ『ざんねん!! あなたの ぼうけんは これで おわってしまった!!』になるわけですから。

 言っては何ですが憧憬一途(リアリス・フレーゼ)は危機に陥ったベル・クラネルが爆発的に強くなるための理由付けでしかないわけで、注目すべきは彼らが実力と幸運で潜り抜けてきた命が幾つあっても足りないような『冒険』と『偉業』のはずです。普通に考えて例え第一級冒険者でも同じような難度の冒険に『遭遇』して潜り抜けるのに一体何年かかるでしょうか。そう考えるとそこまでセンリの成長が遅くないと言っていいのではないかと思います。

 それらの事情を無視して単純に同じスキルを持っているから成長も同じでないとおかしいというのは少しスキルの力を過大評価しすぎではないかというのが私の考えです。

 それではベル君と比較してうちのキチガイはどうでしょうか。センリは英雄ではありません。主人公補正もありません。あらすじにも書いてある通り最初から最後まで()()()()()()()()()()()()()()()()()

 これは半分余談ですが、センリの冒険者人生は決して平穏でも栄光に溢れているわけではありません。彼自身自分が異常(キチガイ)であることは自覚しているのでそのズレに苦しんでいますし、これから『家族(ファミリア)』と呼び合った仲間たちを一度に大半を失うことになります。

 要するに生まれ持った才能に反比例して運命力は低めというかベル君たちほど短期間に連続して『冒険』に臨み、栄光を掴む機会に恵まれたわけではありません。……恵まれたっていうか客観的には苦難に見舞われてるわけですが。(大森藤ノ先生もうちょっとベル君たちに手加減してあげて)

 結局のところベル・クラネルは『英雄になりゆく少年』であり、イタドリ・千里は『善良で才能のある、ただの人間(キチガイ)』だったということなのだと思います。



 以上!
 異論反論は認めます。
 上記以外でもご意見ご感想あれば大歓迎です。

 だから感想ください(真顔)。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十三話

 斬首戦術。

 

 指揮官の首を刈り取り、戦力と心理の両面から『闇派閥』の度肝を抜く。

 

 センリが最も好む、対『闇派閥(イヴィルス)』の常套戦術だった。敵は怯ませ味方を鼓舞し、ついでに彼自身は強敵と戦えると言う大変お得な戦法だ。

 

 その戦術に従って敵方の中でも頭一つ抜けていた実力者をあっという間に斬殺した青年は、その首を拾って『闇派閥』を挑発するように掲げた。

 

 

「どうした、狗盗(イヌコロ)。殺し合いが望みだろう? そら、お前らの仇敵(クビカリ)が此処にいるぞ。無抵抗な民草は襲えても、仲間の仇と刃を合わせる度胸は無いか?」

 

 

 狂奔とでも言うべき、敵も味方も血に酔わせ、殺し合いに走らせるよう不吉な圧力がセンリを中心に放射されていた。

 

 敵の肝を根こそぎ抜き取り、味方からは恐怖されつつも百万の援軍の如く頼もしがられるその威風。流石は他の高位冒険者を差し置いて『悪』の勢力から群を抜いて恐れられる『首刈り』と評すべきか。

 

 『正義』とはただ優しさだけではない。罪に対する罰もまた『正義』の領分である。故に彼こそ『悪』に対する因果応報、罪人たちへその報いを疾く届ける断頭台の刃なのだ。

 

 

狗盗(イヌコロ)どもは()()()()()。たとえこの場を逃れても絶対にお前らを鏖殺(みなごろ)す。絶対にだ」

 

 

 派手な乱入劇に敵も味方もセンリへと視線が集中する。視線を合わせたそこに居たのは死相を浮かべた手柄首を左手に下げ、札付きの悪党どもが怯えて逃げ出すほどに血生臭い死臭を漂わせる一振りの剣士(ツルギ)

 

 

「『首刈り』…()()が」

「ツイてるぜ。あいつがいれば百人力だ」

 

 

 冒険者が。

 

 

「あのゼッダが一瞬でやられちまった…」

「嘘だろ…。よりにもよって『処刑人』にかち当たるなんて」

 

 

 あるいは『闇派閥』が、怯えと畏れを多分に含んだ呟きを囁き交わす。

 

 オラリオに雷名轟くセンリの参戦はそれだけの衝撃をこの場にいる全員に与えた。第一級冒険者すら差し置いて『闇派閥』から最も恐れられるだけのことはあった。

 

 『悪』の勢力蠢く戦場へ真っ先にカチこみ、真正面から事件の元凶を文字通り一刀両断する果断さと剣腕。好んで強敵を討ち取り、その首級を見せしめに晒すことで知れ渡った悪名も相まって『暗黒期』のオラリオにおける知名度は屈指だろう。

 

 センリが挙げた『闇派閥』の首級(クビ)は著名な者だけを選んでも両手の指に余る。捕縛した末端を含めれば三桁は優に超え、恐らくはオラリオで最も対人戦闘経験が豊富な冒険者の一人だった。

 

 

「まず指揮官の首は取った。次はお前らだ」

 

 

 手に下げた兜首を『闇派閥』の構成員らの足元に放り投げると、光を宿さない虚ろな眼球と()()()()()()()()。それはまるで次はお前らの番だぞと無言で語りかけてくるかのようで…。

 

 ジリ、と思わず構成員らの足が一歩後ろに下がる。

 

 本来ならばここで下っ端たちの尻を蹴飛ばし、先陣を切って剣を向けただろう巨漢も真っ先に斬り殺され、士気の崩壊を食い止める存在が不在だ。

 

 冷静に考えればまだまだ彼我の戦力差は開いていない。Lv4の指揮官は失ったが、まだ中核となれるLv3の強者たちがそれなりに残っている。彼らが下っ端を纏めれば抵抗は十分可能だ。

 

 だが、果たして本当にそれが可能か……それは、一様に恐怖で顔を引き攣らせた『闇派閥』構成員らを見れば一目瞭然だろう。

 

 

「気を楽にして受け入れろ。地獄でも寂しくないように全員仲良く首を斬り取り並べて晒してやるから、サ」

 

 

 狂笑。

 

 いっそ朗らかな狂気を浮かべた笑顔が、悪党どもの肝っ玉を残さず引っこ抜いて擦り潰した。

 

 その笑みを直視してしまった悪党どもは悟らざるを得なかった、今日この時のこの場にいる自分は恐らく世界で一等不運な男なのだと。

 

 そして同時にこうも思うのだ、自分『だけ』はああなりたくないと。一度、一瞬でも大半がそう思ってしまえばもう腰が引けるのを止めることはできない。

 

 士気が崩れるとはそういうことだ。

 

 

「―――」

「……あ、おい」

「待てよ、俺も!」

 

 

 センリから最も離れた場所にいた者たちがまず出来るだけ気配を消して逃亡を図り、次いでそれに気付いた者たちが声を上げる。するとあとはもう雪崩を打って少しでも青年から距離を取るために遮二無二冒険者たちの密度が薄い方角へと向かっていく。

 

 逃げなかったのは青年から最も近く、背を向ける方が逆に危ないと悟ってしまった憐れな最初の犠牲者たちくらいだ。

 

 

(クズ)が」

 

 

 軽蔑の念と共にセンリは呟く。

 この状況を狙ったのも確かだが、その選択は全くもってセンリの好みではない。

 

 せめて敵将の敵討ちと向かって来れば悪党だろうとそれなりに敬意を持って斬り伏せただろうに。だが現実はただ死にたくないからと破れかぶれで剣を振りかぶってくる戦士以前の暴徒だけ。

 

 当然そんな腰の引けた連中に後れを取るセンリではない。

 

 一振り、二振り。恐ろしくて慣れた動きで手早く斬殺すると、あっという間に傾いた戦況に呆然としている冒険者たちに檄を飛ばす。

 

 

「ボサッとするな! 大物食いの機会だぞ、二人一組(ツーマンセル)で組んで背中から斬りかかれっ!」

 

 

 その檄を聞いた冒険者たちが金縛りが解けたようにその指示に従って追撃戦へと移行する。

 

 

「行くぞ、てめえら! 『首刈り』にばっかり活躍を掻っ攫われてたまるかよ!」

「お、おおぅ! 奴の言う通りだ、今なら俺たちだって『闇派閥』のクソどもをぶち殺せる! 武勲の稼ぎ時だぜ!!」

 

 

 彼らが言う通りこの状況ならばたとえ低位冒険者でも、十分に格上を殺せるチャンスはあるだろう。背を向けて逃げる敵などこの世で最も殺しやすいものの一つなのだから。

 

 神々が好む『偉業』からは遠いだろうが、酒の席の自慢話には十分すぎる。

 

 

「そうだ、俺たちだって! 俺たちだってなぁ、オラリオを守ったんだって思ってもいいじゃねえかよ!」

 

 

 何より彼らが『闇派閥』の悪行から目を背けず、抗うために剣を取った勇気の持ち主であるという事実に一切の嘘はないのだから。

 

 青年は気勢を挙げ、逃亡する『闇派閥』を追う構えの冒険者たちに目を向けると一つ頷く。ひとまず逃げ去った『闇派閥』の対処はこれでいいだろう。

 

 

「よし…あの子は」

 

 

 次にここへ来た時真っ先に目に留まった倒れ伏す幼い子供のもとへ駆け寄ると慎重に抱き起こす。そこにあったのは脱力した身体に血の気の引いた顔、流れ落ちた夥しい血液…。

 

 既にこと切れていると悟ると短く冥福を祈り、開かれた瞼を閉じる。似たような悲劇はもう何度となく遭遇していたが胸の中に燃える怒りの熱だけは変わらない。

 

 世の中にはどうやっても救いようのない悪党がいる。『闇派閥』はその最右翼であり、センリはその存在を強く嫌悪していた。

 

 息を一つ吐き、気持ちを切り替える。どの道奴らは残らず豚箱送りか処刑台(あのよ)行きだ、()()()()()()()()()()()()()()()絶対にそうすると決めている。

 

 

「すまないが、負傷者は君たちに任せていいか。此処はギルドからも近い、すぐに救援も来るはずだ」

「お、おう。あんたは…?」

「仕事の続きだ。野良犬どもが暴れているのは此処だけじゃない。近いところから虱潰しに根切りにしていく」

 

 

 追撃に加わらず、先ほどまでの戦闘で倒れた負傷者たちを助け起こしていた冒険者の男に声をかけると、驚いた様子ながらしっかりと返事を返してきた。センリがさらりと零した皆殺し発言にやや引いていたが。

 

 

「恐らく此処を襲った連中は陽動だ。数こそ多い割に手練れが少ない。少なくとも冒険者がたむろするギルド付近で大それたことをやれる戦力じゃない」

「……あー、言われてみれば《白髪鬼》に《殺帝》も見かけねぇな」

 

 

 男が口にしたのは『闇派閥』の二つ名持ち。悪い意味で有名な悪党たちだ。センリとも何度か刃を交わし、その度に生き残ってきた猛者たちである。

 

 人間性は下劣の極みだが、その実力と生き汚さだけはセンリも認めるところだ。

 

 

「奴らが表に出てきているならそれこそ都合がいい。今度こそ三途の川の渡し賃を押し付けてやるとするさ」

 

 

 極東独特の言い回しを用いた殺害宣言。男は咄嗟に意味を呑み込めなかったようだが、一段低く冷え込んだ青年の殺気に大意を悟ったらしく、『闇派閥』に何時もなら絶無に等しい同情を覚えた。

 

 少なくとも男は()()()()に地獄の淵に叩き落されるまで追いかけられ続けるのはそれこそ死んでもごめんである。

 

 

「大体は了解だ。悪いがあの糞野郎どもの始末は任せたぜ、『首刈り』」

「その二つ名、あまり好きじゃないんだけどなァ…」

「ハ、それこそ冗談だろ。随分と堂の入った振る舞いだったぜ、死刑執行人も思わず拍手喝采を上げるだろうよ」

「悪党が然るべき報いを受けただけさ」

「そいつは違いない。俺たちは荒くれのならず者だが、それでも守るべき一線ってのはあるべきだ。あの悪党どもの姿を見てそれを自覚したってのは皮肉だがな」

「『悪』の振る舞いが人々に『正義』を思い起こさせ、身を正すキッカケとなる。確かに皮肉な話だ」

 

 

 人々が悪しき振る舞いを見て、自らの行いを正す糧とする。その結果は素晴らしいことだが、それを成したのが『正義』ではなく『悪』であるというのはセンリが言う通り皮肉な話だろう。

 

 

「あとは悪党どもの首をぶった切って見せしめに晒すセイギノミカタがおっかないからってのもあるだろうよ。悪事をやらかせば首が飛ぶと分かって悪いことをやれる奴は少ないわな」

「……君、意外と良いやつだなぁ。見た目は結構おっかないのに」

「うるせぇ! よりにもよってお前にだけは言われたくないぞ畜生!!」

 

 

 ぶっきらぼうにフォローするまさに荒くれ者と言った風体の髭面の男にナチュラルに失礼な発言を漏らし、怒鳴られるセンリ。

 

 なお見た目と中身の乖離で言えば、センリの方がよほど男よりも大きいだろう。見た目は優し気な商家の若旦那、中身は悪党を見ればとっ捕まえるか斬り殺して然るべき報いを与えるのがライフワークというヤベー奴(アンタッチャブル)である。

 

 

「それじゃ、ここは頼むよ」

「覚えてろよ、畜生め。ま、ここは任せろ」

 

 

 男と短く言葉を交わし、センリは次の戦場へと足を向ける。

 

 

「次に行くか。掃除をしがてら」

 

 

 恐れをなして逃げ出した『闇派閥』構成員たちは最早統制もなくオラリオの四方八方に散っている。何か大事を起こせる戦力は無いが、短期的には混乱はむしろ加速するだろう。その混乱を少しでも鎮火するためにも見かけた範囲で始末するとしよう。

 

 そう胸の内で決め、また次の戦場へと駆け始める。第二級冒険者の俊足を以てすれば、オラリオを縦横に駆ける内に逃げ去った『闇派閥』の下っ端たちがちらほらと目に留まる。

 

 

「一罰百戒。見せしめと散れ、悪漢ども」

 

 

 悪党どもにとって生憎なことにセンリの鏖殺(みなごろし)の誓いは徹頭徹尾本気だった。優先順位を間違える程ではないが、必ずや『闇派閥』の輩は最低でも一人残らず豚箱にぶち込むか絞首台に送り込むと決めている。

 

 こうしたセンリの『悪』に対する苛烈さはファミリア内においてもしばしば争議の源となっているのだが…、ともかくこの騒ぎにおいてその主張を変える予定は一切ない。

 

 早速とばかりにその無防備な背中へと怪鳥の如き勢いで青年の愛刀が斬りかかり……、オラリオのそこかしこが血と臓物をぶちまけた血の海(ブラッドバス)へと変貌するまでさして時間はかからなかった。

 

 

 




 ひとまずストックが尽きたのでまた書き溜めを始めます。
 投稿を始めた時には思いもしなかった高評価を頂き、思わず『マジかよ』と真顔で呟きました。
 本作を応援いただき、誠にありがとうございます。

 ひとまずの〆であるソード・オラトリア9巻のラストに向けて、考えはまとまっているので後はそこまで突っ走ります。

 なお全体の尺で言えばこの話で起承転結の『転』が始まったところ辺り。

 ここからアイズの心をガツンと揺らしてひと騒動。『結』でもう一イベントこなして最終的にはほのぼのハートフルでハートウォーミングなラスト……に、なるんじゃないかなぁ(願望)

 執筆中に予定変更が発生しました。このまま完結までノンストップだぜ。とはいえ最終的にはほのぼのハートフルでハートウォーミングなラストなのは変わりない……はず!

 ともあれ最後までお付き合い頂ければ幸いです。



 後書きの文面を修正(2019年6月1日)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十四話

更新再開します。



 常ならぬ騒乱に叩き込まれたオラリオを、アイズは周辺を警戒しながら『本拠地(ホーム)』へと駆けていく。最初は思い入れも何もなかった『黄昏の館』がいまや自分の中に『帰るべき家』へと根付いていることに我がことながら驚いてしまう。

 

 いまオラリオを騒がす『闇派閥』とはまた別の人間から意図せずして恐怖を刻まれたアイズは一刻も早く自らの『(ホーム)』に帰り、ベッドに潜りたかった。また出来るならリヴェリアに抱き着きたかったが、これは少女の胸の内から決して漏らせない乙女の秘密である。

 

 センリが無思慮に放った禍々しい殺意によって萎えた気力を取り戻すのにしばらくかかってしまったため、何らかの騒ぎに巻き込まれてしまうかもと危惧していたのだが、幸いなことにこれまでは何にも巻き込まれずに済んでいる。

 

 

「―――なにか、聞こえる」

 

 

 ふと、真っ直ぐに『黄昏の館』へ駆けていくアイズの耳が怪しい物音を捉える。目指していた館はもう目と鼻の先だ。その油断もあってアイズはつい、立ち止まってしまった。

 

 視線を向けたすぐそばの路地から何か騒がしい音がする。騒ぎを聞きつけた市民が逃げる足音か、それとも街を襲う悪漢が路地を我が物顔でのし歩いているのか。

 

 どちらにしろアイズに関わるつもりは全くない。

 

 

(まっすぐ、逃げる…。様子を見るのもダメ。見に行くならコレを振るう覚悟を持たなきゃ…)

 

 

 いつもならば頼りがいのある背中の重みが、今日ばかりは違った意味を感じさせる。戦い、そこに付随する命のやり取りの重みを、アイズは今更ながらに実感していた。

 

 

(いつもなら、平気なのに…。なんで、あの時だけ―――)

 

 

 ダンジョンでモンスターと殺し合うことなど日常茶飯事だというのに、何故殺気を露わにしたセンリには常に無い程怯えてしまったのだろうか。 

 

 疑問が頭の中でくるくると回るが、当然の話だ。

 

 父と母を奪った憎き怪物(モンスター)と言葉と意思を交わせる同族(ヒト)。その二つは命を奪い合う相手としてあまりに違い過ぎるのだから。

 

 センリと殺し合ったわけでもその予定があるわけでもないが、その鋭すぎる殺気は否応なく戦士としてのアイズを刺激した。そして人間として同族との殺し合いを忌避する感覚と、絶対に勝てないほどの実力差が相まって常に無い程アイズを怯えさせたのだ。

 

 だが幼いアイズにはまだその違いまでは分かっていなかった。

 

 戦いは戦いであると、無邪気な考えを抱いていたのだ。

 つんざくような女性の悲鳴が耳に届くのをキッカケとした、次の戦いまでは。

 

 

「退け、邪魔なんだよ!」

「駄目、ダメ…! この娘だけは!」

 

 

 荒々しい、余裕のない男の罵声とその乱暴を必死に制止する女性の悲鳴。先ほど物音がした路地裏から飛び出てきたのだろうか。酷く乱れた服装と形相で必死に逃げる母娘と、それを追う暴漢の姿があった。

 

 咄嗟にそちらの方へ眼を向けたアイズは思わず目を見開くほど、精神的なショックを受けた。

 

 そこにあったのは悪漢(モンスター)から(アイズ)を守る、(アリア)

 

 

「ぁ…」

 

 

 喉奥から絞り出すように息を漏らす。

 いつかの悪夢が目の前の光景に重なり、フラッシュバックした。

 

 逃げ遅れた見知らぬ母娘(おやこ)に迫るならず者の凶刃。

 

 

()()、失うの…?)

 

 

 かつての焼き直しがアイズのトラウマを刺激する。見知らぬはずの母娘(おやこ)に自らと母を重ね、胸に燻る黒炎(ほのお)を一気に燃え上がらせた。

 

 

「――――そんなの、(イヤ)だ!」

 

 

 師からは()()()()()が無ければ、己が剣を抜くなと厳命されている。

 だが眼前の光景はアイズにとって()()()()()、決して見逃せない…見逃してはならない光景そのものだった。

 

 

「その(ヒト)に、触れるな!」

 

 

 娘を庇い、その無防備な背中をならず者に晒す母親に、もうどこにもいない誰かの面影を重ねる。アイズがアイズに誓った悲願(ネガイ)のために、眼前の悲劇に背を向けることは許されない。

 

 戦いに向かう迷いと恐れは抱いた激情に塗り潰され、抜剣したソード・エールを手にならず者に向けて斬りかかった。

 

 

「クソが! いつもいつも邪魔ばかり…!! 冒険者どもや市民をぶち殺して散々楽しんでやろうと思ってたのによォ!」

 

 

 邪魔の入ったならず者が振り返ってアイズの剣を受け止め、身勝手すぎる嘆きを吐き出す。

 

 品性の下劣さがよく分かる無法者の発言に、意味は分からずともアイズは猛る。こいつは間違いなく悪い奴だ、こいつは…(モンスター)だ!

 

 

「と、と…! 畜生、ガキのくせに達者じゃねえか、クソ!」

 

 

 つくづくツイてねえと喚く男を他所にアイズは剣速を上げていく。

 

 

(こいつは……コレは、()()!)

 

 

 ()()()()()()()心を殺意で塗り潰し、更に剣戟の回転を上げていく。

 

 怒りに支配されたアイズが振るう剣は迷いがない。また常日頃から竹刀を常用し、打っても死ぬことは無いと躊躇なく振り切ってきた経験が活きて実戦の場でもそこまで剣戟の鋭さは落ちていない。

 

 

「ちっくしょうが…! てめえ本当に子供(ガキ)か!?」

 

 

 毎日のようにダンジョンへ潜り、更にセンリを筆頭にした高位冒険者の教導を受け続けたアイズは既に下級冒険者でも有数の実力を持っている。

 

 対して男が勝っているのはリーチや対人戦の経験くらいだ。そもそもの基本スペックが根本的に異なる。

 

 センリがよく唱える理屈に則って例えるとアイズをよく研がれ、使い込まれた短剣。それに対比される男はただ粗暴なだけの、錆びついた刃だ。

 

 こと()()()()()()()アイズの優位は動かない。

 

 だが。

 

 アイズが未だ経験しておらず、理解していないことが一つあった。その点においてアイズは男よりも劣っており、その一点で以て勝てるはずの戦いが詰め切れずにいた。

 

 (すなわ)ち、これは対人戦であり、退治する敵はどれほど下劣で救いようがなかろうと歴としたアイズの()()であるということだ。

 

 社会性生物である人類(ヒト)同族(ナカマ)を相手に殺し、殺されることに本能的に忌避感を覚える生き物だ。これは訓練か、あるいは生得的に人類(ヒト)として壊れているかでしか克服できない。

 

 

「この…!」

 

 

 絶え間ない連撃が男を追い詰め、あとはトドメを刺すだけという段になってアイズの剣が無意識に鈍った。

 

 故に、当たるはずの刀身が何故か外れてしまう。本来ならば必殺のそれが男の命を奪う軌道から逸れ、かすり傷を付けるのにとどまった。

 

 

「お…?」

 

 

 ならず者は疑問の声を上げると、脳裏に一つの仮説が生まれ、アイズの戸惑ったような表情を確認するとそれが腑に落ちた。

 

 

「ハハ…。ギャハハハッ! 見抜いたぜ、てめえ同族(ヒト)をブチ殺した経験が無いな!?」

 

 

 威圧的な笑い声に、アイズが怯む。粘ついた眼光と恫喝的な響きの胴間声。敵の弱みを見抜いた悪党は途端に元気を取り戻していた。

 

 センリならばこのならず者を実力に関わらず生き汚く、一番鬱陶しい輩と評しただろう。強い弱いではなくただひたすらにしぶとい類の下種だ。

 

 

「だから……だから、どうした!」

()()()()()()()()()、てめえの剣はなァ! (オレ)を殺さないようにビクビクビクビク縮こまって剣を振るってやがる! 剣が泣いてるぜ、主人が下手くそ過ぎて辛ェってな!!」

 

 

 男は弱い。少なくとも剣の腕は仲間内では下から数えた方が早いと言う有り様だった。だがそれでも男が他のものよりも勝っていた点もある。

 

 つまり敵の弱みを見抜く目と、見抜いた弱みを徹底的に抉るえげつなさこそがそれだ。

 

 

「お子ちゃまは帰ってママのおっぱいでも吸ってな! それとも帰る家を忘れたか、アァン!?」

 

 

 時間稼ぎを兼ねた適当な挑発のつもりだったそれは、偶然にも的確にアイズの弱点(トラウマ)を抉っていた。

 

 

「私は…、私に…………(カゾク)なんて、無い!」

 

 

 激発。

 

 家族を失ったトラウマを突かれた幼い少女は胸の内で暴れまわる感情のままに絶叫し、力任せにソード・エールを振り回す。

 

 

「ハッハーッ! 見たところ、モンスターに親をぶち殺されたお可哀想な赤ん坊(ベイビー)かァ!? 残念だったなぁ、パパとママがクソザコナメクジ冒険者ちゃんでよォ!? いまごろ天国でてめえが不甲斐ないって泣いて詫びてんじゃねえかなぁ!?」

 

 

 たっぷりと悪意が込められた悪罵にアイズは耳に汚泥を塗りたくられた気分にされ、男と己の不甲斐なさに対して溢れ出る怒りで吐きそうになる。

 

 ダンジョン擁するオラリオでは冒険者の両親を亡くした孤児の類が毎年それなりの数生まれてくる。男はアイズをそれとアタリをつけ、嬲るように言葉を放つ。そうした男の当て推量は決して的を射ていないにも拘らず、アイズへの挑発としての効果だけはこれ以上なく発揮していた。

 

 

「お父さんとお母さんを、馬鹿にするな!!」

「ギャハハッ! 止めたきゃ止めてみな、てめえの御立派な愛剣でよぉ!」

 

 

 からかうように自らの剣をひらひらと振り回し、かかってこいとばかりに手招きする。

 

 

「このっ…!」

「ハァイ、ざぁんねぇんしょぉー!」

 

 

 ゲラゲラ、ケタケタと厭らしく間延びした揶揄を浴びせながら華麗ならざる動きで男がアイズの振るう剣閃から逃れる。怒りによって過剰に込められた力が威力を増しつつも普段の剣戟の鋭さを奪っていた。ならば男でも逃げに徹すれば回避するのは容易い。

 

 普段通りに力を出せないこと、目の前の男をぶちのめせない現実。この状況の全てがアイズを猛らせ、冷静さを奪っていく。 

 

 頭は殺意で真っ赤に煮えたぎっているのに、本能は殺人を忌避している。バラバラの精神(ココロ)肉体(カラダ)を上手く合一させる術を全く身に付けていない幼い剣士に、最早勝機は遠かった。

 

 

「———!」

「おおっと」

 

 

 最早声を出す精神的な余裕もなく怒りで顔を真っ赤に染めたアイズが真っ向から斬りかかると、男は大げさによろけた。それは余りにも見え透いた隙だ。

 

 だが怒りで盲目になったアイズには絶好のチャンスに見えた。低階層のモンスターがこうした駆け引きは仕掛けてこない上に師匠達の指導方針によって小賢しい小技を覚える前に地力を上げることを優先したため、こうした駆け引きにおいてアイズは他の低級冒険者よりも劣っている。

 

 故に好機と目をギラつかせ、全力の一刀を男にお見舞いするべく力を振り絞った。

 

 

「はああああぁぁッ!」

 

 

 命中すれば男の胴体を容易く両断するだろう横薙ぎ。だが必殺を期した大振り(フルスウィング)はすべて男の掌の上、ならばこの一撃に限って言うならば地力に劣る男でも避けれない道理はない。

 

 ひょい、と素早く身を(かが)めることであっさりと男はアイズの必殺から逃れた。

 

 更に、

 

 

「足元がお留守だぜ」

 

 

 足払い。

 剣技はさして得意ではない男だが、こうした小技は中々上手かった。

 

 足技は特に剣の間合いで戦うような近距離での対人戦では相当に有用な小技である。足を引っかけてもつれさせるも良し、足の甲を踏みつぶして歩行機能を削ぐのも良い。

 

 愛剣(ソード・エール)を振り切った体勢のアイズに、体格の勝る男が足払いを仕掛ければ、能力値(ステイタス)で上回っていようが転ばせるくらいなら容易い。

 

 見事にころりと転がされたアイズに対し、男は容赦なく己の武器を突き付けた。頼りのソード・エールは利き手からすぐそこに転がっていたが、アイズが握って構えるよりも男が剣を振り下ろす方が絶対に早い。

 

 

「俺の勝ちだな。まあてめーもガキとは思えないくらいに達者な腕前だったぜ。成長すれば糞忌々しい『英雄』にでも()()()んじゃねーかな」

 

 

 厭らしい響きをしたわざとらしい称賛はアイズに向けたものではない。そのアイズに勝った男を相対的に持ち上げるための虚しい自慰行為だった。

 

 更にわざわざ『なれた』などと過去形で言うあたり、ねじくれた性根が垣間見えていた。

 

 

「そういやてめえみたいな妙に腕が立つガキがいると噂で聞いたが、まさかそいつか? ハハ、ほかの奴らに聞かせる話の種くらいにはなりそうだな」

 

 

 良かれ悪しかれ男は小物であった。勝利を確信した途端に軽い舌がもっと軽くなり、ペラペラと人を不快にさせる文句を紡ぎ続ける。

 

 

「……おっと、いけねぇ。あの化け物から逃げてきたってのにこんなガキにこだわって逃げ遅れてちゃあ笑えねー。とっととケリを付けてケツまくるとするか」

 

 

 が、それも少しの間のこと。

 肩を震わせ、とんでもなく恐ろしいナニカから逃げてきたことをうかがわせる台詞を呟くと。

 

 

「あばよ」

 

 

 そう、無造作に男は構えた剣を振り下ろした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十五話

「あ…」

 

 

 『闇派閥』構成員が振り下ろす刃が迫る。

 呆気ないくらい無造作に振り下ろされる自身の『死』をアイズは呆然とした顔で見つめる。

 

 

(こん、な…)

 

 

 こんなところで、死ぬのか? まだ、何も為していない、力を得ることすら出来ていないというのに…?

 

 

(嫌だ! 助けて…)

 

 

 この時のアイズは冒険者ではなかった。

 ただ危難に陥り、庇護者の助けを求める幼子だった。

 

 

「助けて、()()()()()!!」

 

 

 口を吐いて叫んだその名に、まずアイズこそが最も驚いた。そして意外なことに、『闇派閥』のならず者もまた恐れを見せ、とっさに剣を引いた。世界に名を轟かす第一級冒険者の尊名が、咄嗟にならず者の腰を引けさせたのだ。

 

 

(なんで…?)

 

 

 絶好の機会だったというのに剣を引いた男に疑問が脳裏を過ぎるが、続く言葉に疑問が氷解する。

 

 

「へ、へへへ…。そうかよ、てめえが噂の『人形姫』か。こいつは良い拾い物になりそうだ。てめえを使えばロキ・ファミリアに幾らでも嫌がらせが出来るぜ」

 

 

 自分の失態がリヴェリアを、ロキ・ファミリアを危機に晒すと知ったアイズは灼熱に焼かれたかのように頭が怒り一色に染まった。

 

 アイズは既に一度、全てを失っている。故に『失うこと』をトラウマとして刻まれている少女は、二度目の喪失は絶対に嫌だった。ましてや自らがその原因となるなど許せることではない。

 

 

(なんで私は……こんなにも、弱い!)

 

 

 自身への怒りで身が焼かれそうな熱が暴れ狂い、その行き場を求めて眼前の男へと強烈な眼光を叩きつける。

 

 

「ちっ…! 命が助かるってのに可愛げのないガキだぜ」

 

 

 舌打ちとともに殊更忌々し気な呟きを漏らしたのは言葉通りの意味ではなく、アイズの鬼気迫る眼光に怯んだことを糊塗するためだった。

 

 

「精々大人しくしていやがれ。どの道てめえを逃がす気なんてないんだからな。それに……クク、これくらい上玉ならたとえロキ・ファミリア相手に利用できなくても幾らでも売り飛ばすアテは付けられる。ようやく運が向いてきたぜぇ」

 

 

 仮にも戦場で獲物の皮算用を始める男。

 その愚かさに遂に幸運の女神の愛想が尽きたのか、男にとっての終末が風を纏いやってきた。

 

 

「いや、生憎だがそんな未来は永遠に来ない」

 

 

 涼やかな声が風に乗ってその場にいた全員の耳に届く。

 

 

「あへ……?」

 

 

 ひやり、とした悪寒が男の背筋を伝う。

 なによりこの世界の誰よりも聞きたくない男の声が、恐ろしく近くから風に乗って聞こえた。

 

 

「ボクの弟子を可愛がってくれてどうもありがとう。これはほんのお礼だよ」

 

 

 穏やかな声音の一枚裏に煮えたぎったマグマを蔵した、決壊寸前の殺意が溢れ出す。その殺意に生き汚さだけは一人前の男の生存本能が盛大に刺激される。

 

 咄嗟に声がした方向を振り返る時間すら惜しんで逃亡を図るが、逃走の機はとうの昔に失われている。

 

 血風散華。

 

 鮮やかな銀光の剣閃が一つ宙を奔り、血飛沫の華が上がった。

 その一瞬後にボタリ、と生々しい音とともにならず者の握った剣が地に落ちた。その剣を握っていた手首ごと…。

 

 

「う、で…? 俺の腕があああああああぁぁッ!」

五月蠅(うるさ)い」

 

 

 絶叫を漏らしながら無くした腕を咄嗟に拾おうと屈んだ男に斬撃が無数、襲い掛かった。

 

 

「あ……」

 

 

 男が最後に見たのはクルクルと舞う視界の中地面に倒れ伏した首のないバラバラ死体。痛みすら感じない鮮やかさで首と胴体を切り離された自身の末路であった。

 

 それを知覚した数秒後、男の意識は永遠に闇の中へ消えていった。

 

 

「ぁ、ぇ…?」

 

 

 そして呆然とした顔で小さく息を漏らしたアイズ。思わず視線を向けた先には普段よりも険しい顔をしたセンリが血の滴った刀を握り、そこに立っていた。

 

 助かった。助けてくれた…。

 その揺るぎない立ち姿を見て安堵がアイズの胸を満ちようとしたが、その心の動きをある光景が無理やり堰き止める。

 

 

(死んで、る…)

 

 

 そこにあったのはたったいま惨殺されたばかりの死相を浮かべ、石畳に転がるバラバラ死体。あまりにも生々しい『死』そのものを想起させる骸にアイズは本能的な恐怖を抱く。

 

 

「ぁ、ぁぁぁッ…!」

 

 

 いずれ自分も()()()()のではという恐れ。そして眼前の惨劇を作り出した男への畏れ。二つの恐怖がアイズの中でぐちゃぐちゃに混ざり合い、制御することが出来ない。

 

 

「…アイズ? どうした、怪我を…?」

 

 

 訝し気な声音でアイズの身を案じる声をかけるが、かけられた方はそれどころではなかった。ダンジョンでは憎悪によって麻痺させていた感情が『同族』との殺し合いを経たことで制御できないまま、本能的な恐怖に従って決定的な一言を絞り出す。

 

 

「ぃや…。(イヤ)(イヤ)、……()()()()!」

 

 

 恐怖に塗れた絶叫がオラリオの一角に響く。

 

 

「―――――――」

 

 

 そして恐れを向けられた剣客は……死相と見紛う青白い顔で身動ぎも出来ず立ち尽くしていた。

 

 そのまま永遠のような数秒が過ぎ去り、センリの口から至近距離にいても聞き取れないほどに微かな声量で()()……、と悔恨に濡れた呟きが喉から漏れ出した。

 

 弟子(アイズ)(センリ)にこそ怯えているのだと悟り、劇的なショックを受けたのは明白だった。それも恐らくは過去にあった類似のソレを想起したからだろう。

 

 師匠と、弟子。

 

 いつもならば遠慮のない、直截なやり取りが飛び交っているはずの二人の距離が今は絶望的なほどに遠かった。

 

 二人はいまお互いを繋ぐモノが引き裂かれかかっているのをなんとなく感じていた。そして同じくらいそうなったことを後悔し、このまま決定的な破綻に至ることを恐れていた。

 

 故に動けない、動けば決定的な何かが訪れてしまうかもしれないから。

 

 互いが互いを窺うような視線で見つめ合い、一歩を踏み出そうとして、手を差し出そうとして委縮したように引っ込めてしまう。そんな緊迫感が入り混じった奇妙なお見合い状態が続いていた。

 

 お互いだけでは壊せない沈黙を破ったのは、新たにやってきた第三者だった。

 

 

「センリ!」

 

 

 喧噪の中でもよく通る声が響き、オラリオの高所を駆けてきたと思しき一人のエルフが降り立つ。リュー・リオン、センリと同じアストレア・ファミリア所属の女エルフだった。

 

 

「探しましたよ、センリ。此処にいましたか、状況は……。彼女は?」

「…………分からない。リュー、ボクは……()()間違ったのか?」

 

 

 リューは迷子の子供のように途方に暮れた顔でこちらを見たセンリに変事を悟る。

 

 周囲の惨状―――こと切れたバラバラ死体、怯えと罪悪感を露わにして幼女(アイズ)とすぐそばに落ちた剣、恐る恐るこちらを窺う見知らぬ母娘―――を見て取ると、なんとなくここであった経緯を察した。

 

 実は似たようなことは過去にも経験がある。リューも尽力してなんとか事態を軟着陸させた経験から、とにもかくにもセンリの意識を変えさせなければと打開の一手を打つ。

 

 

「センリ、顔を上げなさい」

 

 

 かけられた甘さの無い声に条件反射的に顔を上げたセンリの頬を鋭くパン、と張った。

 

 

「―――」

「貴方は間違えた。しかしまだなにも()()()()()()()。……そうでしょう?」

 

 

 下手な慰めをかけずにただ事実のみを突きつけた上で焚き付ける。良かれ悪しかれセンリは単純な思考の持ち主だ、切り替えが早く取りあえず動いている間は悩みを引きずらない。

 

 ならばとにもかくにもやるべきことへと意識を振り向けさせる。流石は長年のコンビというべきか、扱いの難しいセンリをリューは見事に操縦していた。

 

 

「…。ああ、君の言う通りだ。まだなにも終わっていない」

 

 

 アイズの命も、『闇派閥』が引き起こした騒乱も。良かれ、悪しかれ。

 

 

「ではそのために」

「ああ、いまは時間を惜しんで動く時だ」

 

 

 ならばイタドリ・千里に下を向いて悔恨に浸る贅沢など許されない。許されるとするならばただ決定的な()()()を阻止すること、それだけなのだから。

 

 

「此処は私に任せなさい。貴方はひとまずギルド本部へ行き、皆と合流後『闇派閥』の掃討を続けて。彼女たちは私が『黄昏の館』まで連れていきます。なに、すぐ合流します」

「リュー、あの子は…」

「今この瞬間は貴方よりも私の方があの子の気持ちが分かるでしょう…。もう一度言います、私に任せなさい」

 

 

 せめて一言告げるべきか、と躊躇うセンリに向けてバッサリと断ち切る。気持ちは分かるがこと対人能力においてセンリは剣術ほど達者ではない。というかはっきり言って人並み外れて苦手だった。

 

 今の動転しきった少女に向けて下手に何かを言わせても逆効果になる可能性が高い。

 

 

「行きなさい、センリ。今は師としてではなく、冒険者としての貴方が求められています」

 

 

 重ねて声をかけられるとセンリは迷いを振り切るように視線を上げ、最後に一言だけ告げる。

 

 

「………ボクの弟子を頼むよ、相棒」

「任せなさい。なにせ私は貴方の相棒(コンビ)です」

 

 

 センリはその言葉に少しだけ笑みを漏らすと、石畳を強く蹴りつけてギルド本部の方向へ向けて駆け始めた。最初は迷うように足取りは鈍く、しかしすぐに本来の調子に戻すとたちまち放たれた矢のようにその姿は街に消えたのだった。

 

 

「相変わらず手がかかる…。が、それも悪くないと思う私も重症ですか」

 

 

 出会った当初からは考えられないほどに絆されてしまった自分に苦笑を一つ漏らす。リューは別段世話焼きでも人付き合いが良い方でもない一方で意外と尽くしたがりな性格だった。

 

 コンビを組んだ最初の時期は次々に問題を起こすセンリに手を焼いていたものだが、付き合っていくうちにそれが悪意や不注意から来るものではないと気付いた。すると苛立ちは諦観と受容に変わり、いまでは一種の愛嬌とすら感じられるようになった。

 

 あの男はただズレているのだ、良くも悪くも。

 

 

「それに振り回される周囲はたまったものではありませんが……せめてフォローはしておくとしましょう」

 

 

 なにせ己はあの大馬鹿者の相棒なのだから。微かな自負と共に胸を張るとこちらを窺う母娘に声をかけ、同時におぼつかない足取りで立ち上がったアイズに近づく。

 

 

「センリはもう行きました。私はリュー・リオン。センリの仲間です。貴女を保護します」

「あ…。せ……先生、は…」

「センリは次の戦場へ向かいました。この騒ぎが収まれば、また話す機会もあるでしょう」

「話す…」

 

 

 怯えたような、申し訳なさそうな。

 感情を複雑にブレンドさせた表情のアイズを見る限り、けして関係修復の芽がないわけではないだろう。

 

 そう自分を励まし、ショックを受けた様子の少女に目線を合わせるように屈んで向かい合う。

 

 

「……ああ見えてセンリは情に厚い男です。貴女を怯えさせたのも決して悪意からでは無い。ただ貴女を傷つけようとした者が許せなかったのでしょう」

「…………」

 

 

 だからといって勢い余って幼子の前でバラバラ死体を生産していいわけではないが、せめてものフォローを口にする。

 

 だがやはり暗い顔で俯く幼い少女に顔を上げさせる力は無いようだった。

 

 何を言うかではなく、誰が言うかが重要な時はしばしばある。今もまさにその時であり、リューがどれほどセンリを理解していようとアイズにとってはただの他人だ。

 

 他人の一言で心を動かすなど、よほど感受性が強いか自己が薄っぺらいかだろう。そしてアイズはどちらでもなかったし、リューもまともな面識のない自分の言葉でアイズを動かせるとは思っていない。

 

 だがそれでも相棒のため、決して口が達者でないエルフは言葉を紡がずにいられなかった。

 

 

「貴方が相棒(あれ)を恐れるのは当然です。ですがせめて、あとで一言だけでも声をかけてやってはくれないでしょうか?

 あれで意外と繊細な男です。親しい者から嫌われ、避けられるようなことは特に…。貴方に嫌われたとなれば、きっととても落ち込むでしょう」

 

 

 不器用なエルフの真っ直ぐな心情の籠った言葉。

 ショックで放心状態のアイズにはその大部分が届かなかったが、それでも耳に残った言葉があった。

 

 

「嫌いじゃない」

 

 

 これだけはハッキリとアイズは否定した。

 事実として、アイズはセンリを恐ろしいと思っても嫌いになどなれなかった。

 

 

「先生のことは、嫌いじゃない。でも……」

 

 

 ただ同時に否定できない感情(モノ)もあった。

 

 

「……怖い」

 

 

 怯えと引け目の両方を感じさせるアイズへとリューは優しく視線を向ける。幼子があるがままの自分を曝け出し、向き合う。その姿のなんと眩しく、尊いことか。

 

 

「今はそれで十分です。貴方はとても誠実で、勇敢な人間(ヒューマン)だ。貴方がセンリの弟子である事実を嬉しく思う」

「止めて…。私はそんなのじゃない」

「いいえ、撤回はしません。私はそう思い、そう言った。それだけのことなのだから」

 

 

 変なエルフ、と目の前で優しく微笑む気配を醸し出すリューに率直な感想を胸に抱くアイズ。だがその謹厳で率直な物言いがアイズにリヴェリアの存在を思い起こさせ、少しだけ表情を和ませることに成功する。

 

 

「行きましょう。貴方とはいずれ言葉を交わしたくもありますが、今は時機が悪い。あの母娘ともども『黄昏の館』に向かい、保護を求めます」

「……ありがとう。ごめんなさい」

「きちんと感謝と謝罪の言葉を言えるのは素晴らしいことです。どうか貴方はそのまま真っ直ぐに成長して欲しい」

 

 

 良い娘、とくしゃりと髪を撫でる手つきは少しだけセンリに似ていた。その撫で方にいつもふわりと笑う師を思い出し、アイズは泣きそうになった。

 

 怖かった、恐ろしかった、センリの前に立つだけで足が震えた。

 心無い言葉を投げつけてしまった。

 

 でも決して()()()()をさせたかったわけではないのだ。

 

 失って、喪って……うずくまって泣き続ける自分(アイズ)のような、あんな顔を。

 

 きっとセンリもまたいつかどこかで喪失(うしな)ったのだと分かったから、その辛さをきっと同じくらい分かるから、アイズはセンリに恐怖を向けたことを後悔していた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十六話

「あんなに弱ったあいつを見るのは久しぶりね」

「ええ、私もしばらく見た覚えがない。なにかしらの手を講じるべきです」

「そうねー。リューが言うなら、確かにそうするべきかも」

 

 

 アストレア・ファミリア本拠地(ホーム)、『星屑の庭』。その館の一室にて二人の少女が机を挟んで対面に座りながら、その場にいない一人の団員について話し合っていた。過日の騒動で一人の教え子との関係に罅を入れて以来、いまひとつ元気のないイタドリ・千里についてだ。

 

 センリとアイズが巻き込まれた『闇派閥』によるオラリオを騒がせた騒動から既に数日が経過していた。

 

 『闇派閥』の凶刃にかかり、市民を中心に少数ながら犠牲者が出ており、一部の商会なども襲撃され資金と物資を根こそぎ略奪されたところもあった。一方で騒動の規模に反して被害はよく抑えられており、その場に居合わせた冒険者たちの迅速な行動が明暗を分けた形である。

 

 特にセンリが討ち取ったゼッダという猛者は『闇派閥』でも名の知られた大物であり、その戦力は着実に削がれていた。けしてオラリオが、冒険者たちが『悪』の勢力にしてやられるばかりではない。

 

 とはいえいまの落ち込んだセンリを元気づけるのには役立ちそうもない情報だ。やりきれない気持ちになったリューは手元に置いてあった紅茶のカップを口元まで運んだ。話の合間に喉を潤すために入れた紅茶はすっかり冷めていた。

 

 

「ところで、肝心のあいつの様子はどう? 少しは立ち直った?」

「芳しくはありません。鍛錬や警邏活動は変わりなく続けていますが、よく見れば気落ちしていることが一目瞭然です。それでも鉄火場となれば勝手に火が付くでしょうが……一抹の不安は残ります」

「リューがそう言うならあいつのシフトを減らすべきかしら」

「いえ、それは却って逆効果かと。むしろ何事もなかったように振る舞うよう皆に伝達してください」

「でもそれじゃあこのままで変わらないんじゃない?」

「私が何とかします。あれは私の相棒だ。私が責任を持って対処します」

 

 

 そう力強く言い切るリューへ向けて、炎の如き赤毛を揺らす少女がうーんと腕を組んで諭すように声をかける。

 

 

「相棒のことだからだってなんでもかんでもリューが背負わなくてもいいのよ? 私たちは家族(ファミリア)なんだから誰かの問題は皆で支え合わなくっちゃ! ほら、それってなんだか凄く正義っぽいし!」

「背負う…そんなつもりはなかったのですが。いえ、確かにアリーゼの言う通り気負いがあったのかもしれません」

 

 

 顔を伏せたリューと言葉を交わすのはアストレア・ファミリア団長アリーゼ・ローヴェル。性格は快活でやや過剰気味なほどに自信満々、容姿も性格に似て明るくクルクルと変わる表情に炎のような赤毛をポニーテールにした少女である。

 

 その実力は若年ながらLv3。加えて強力な付与魔法『アガリス・アルヴェンシス』の使い手であり、その実力は女傑揃いのファミリア内でも最上位だ。単純な実力ならばリューとセンリがアリーゼを上回っているものの、二人ともが強くアリーゼを団長として支持しており、ファミリア内での地位は揺るぎない。

 

 

「とはいえあれが極めて面倒くさい人間性の持ち主であることも事実です。ひとまず私からアプローチをかけてみようかと思います。皆には自重を求めたい」

「なんだかんだであいつの取り扱いを一番わかっているのはリューだからね。リューがそう言うなら私としては異存はないわ」

「感謝を、アリーゼ」

「当り前じゃない。私たちは仲間(ファミリア)だもの!」

 

 

 堅苦しいほどまじめな調子で頭を下げるリューへ些細なことだと豪快に笑い飛ばす。こうした時のアリーゼの頼もしさは流石は上位派閥の団長を務めているだけはあった。

 

 自然と彼女に頼りたくなるというか、その言葉を信じたくなるのだ。

 

 

「でも意外と言えば意外よねー」

「何がですか、アリーゼ?」

「センリのことよ。あいつってば信じられないメンタル強いじゃない? それなのに幾ら親しいからってちょっと弟子と喧嘩したくらいで分かりやすくへこむなんてらしくないというか」

 

 

 かつて繰り広げた『闇派閥』の中でも特に醜悪を極めた勢力との抗争。方向性のない悪意の持ち主、悪徳こそを人の本質と嘯く邪神率いる『アンリマユ・ファミリア』との熾烈な争いにおいて最先鋒として活躍したのがセンリであった。

 

 女傑揃いの団員すら涙とともに膝を折る者が続出した、人類の『悪』を煮詰めたが如き醜悪な光景。人間という種族そのものに絶望しそうな所業に怒りよりも先に心が折れかけたほどだ。団員たちの大半にとっては未だにトラウマであり、リューもまたセンリの相棒として最前線で戦い続けたが故に嫌というほど見せつけられた悪徳と背徳の宴。

 

 

「あの時のセンリには本当に助けられたわ。真っ先に立ち直って真っ先に敵に斬りかかって、皆もそれに続いて…。センリがいなきゃ下手をすれば何人かあそこで倒れてたかも」

「確かにそれは否定できませんね…」

 

 

 いまも時折悪夢となって苛むほどの惨劇を目にしてなお、センリは人として真っ当な怒りを以てかの悪徳の派閥へと立ち向かっていった。

 

 そうした経験がセンリの『悪』に対する苛烈な対応へとつながっている。だが確かにそうした凄惨過ぎる光景を前にしても正当な義憤を燃やし戦い抜いたセンリの姿を見ていれば、今のアリーゼの発言に繋がるのも無理はない。

 

 尤も、

 

 

「アリーゼ、とはいえそれは買い被りというものです」

 

 

 リューに言わせれば過大評価に過ぎるという感想になるのだが。

 

 

「センリは剣腕こそ人間離れしていますが、精神性に関してはその限りではない。いえ、常人が持っていて然るべきまっとうな精神性から外れているのは確かですが」

「……それはどう違うのかしら。私ってばよく分からないのだけれど」

「あれは狂人(キチガイ)であっても超人(ヒーロー)ではないということです」

 

 

 リューは端的にそう評するが、やはりアリーゼはハテナを浮かべている。その様子を見て確かに分かりづらいかと頷き、言葉を重ねる。

 

 

「別段難しい話ではありませんよ。センリは確かに目を背けたくなるような凄惨な光景に対してもさほど動揺せずに直視することが出来ます。しかしそれはセンリのメンタルが殊更に強いのではなく、その光景に常人(ふつう)よりも心を動かされないというだけのことです」

「……え、そうなの? ()()()()を見て何も思わないの? あいつ?」

 

 

 思い出したくもないモノを思い出したしかめ面とともに、やや引いた調子で尋ねるアリーゼ。その様子にセンリの相棒として憤慨とともに反論する。確かにあれはいろいろとズレたところがあり、はた迷惑なところもあるが決して人非人というわけではないのだ。

 

 

「何も思わない訳ではありませんよ。あれもまた義憤に燃え、普段よりも苛烈に剣を振るっていたでしょう?」

「うーん、仲間に言うのも何だけどあまり思い出したくないくらいに力が入ったスプラッタな光景だったわね。まあ奴らに同情する気なんて一欠けらもないけど」

 

 

 普段のアリーゼを知る者ならば耳を疑うほど酷薄な響きで『アンリマユ・ファミリア』の末期を評する。だがそれも無理はないだろう。罪のない幼子を文字通りの玩具として()()する屑どもを案じてやれるほどアリーゼの心は広くないのだ。

 

 

「本人は『ズレている』のだと言っていました。同じものを見、感じても抱く思いが常人(ふつう)と異なるのだと」

 

 

 視線をテーブルに落としてリューは静かに語った。生まれつき人間(ヒト)として壊れながらも、正道を掲げて正義の道を歩まんとする相棒を思いながら。

 

 

「センリにとって普通なら恐怖と絶望を覚えて然るべき光景も、怒りと戦意を滾らせる燃料にしかならないのです。一方で常人(ふつう)なら気にも留めない些細な心のすれ違いもあれにとっては大変な恐怖となりえる…。なにせ、本人が言う通りズレていますからね。センリにとってはそのすれ違いが些細なものかはたまた関係を破局させるほど重大なものか直感的に判断できないのです」

「…………そういうことかー。難儀なやつね、あいつも」

「ええ、ですが本人もそれを自覚し少しでも良い方向へと歩むべく日々努力している。そう思えばあれにも可愛げがあると思いませんか?」

「や、私はそこまではっていうか多分リューだけじゃないかしら。それでいいとも思うし」

「? はぁ…そうですか」

 

 

 いまひとつアリーゼの言葉の含意を捉え損ねたのだろう。曖昧な表情と曖昧な言葉で相槌を打つリューを生暖かい視線で見つめる。いまの自覚のない惚気を聞いてアリーゼの脳裏に思い浮かんだことわざはあばたもえくぼ、蓼食う虫も好き好きだ。

 

 まあ間違いなくお似合いではあるんだし! と件の二人を除くファミリアの全団員を招集し、二人をくっつけるための工作を行うことを勝手に決定する。なに、発覚しようと団長権限で押し切ってしまえばいいのだ。

 

 大体この二人がお互い以外にくっついて上手くいっている図など想像できないのだし、正義を掲げる主神的にもセーフだろう、恐らく。

 

 本人たちに知られれば余計なお世話だと全力で拒否されそうな思い付きを頭の中で弄り回しながら、顔には決して出さずにやはり団員随一の難物はその相棒に任せた方がよさそうだと結論を下す。

 

 

「それじゃあリュー、センリのことはよろしくね。団長命令よ、何だってやっていいわ! だからあいつを立ち直らせてきなさい!!」

「百万の味方を得た思いです、アリーゼ。必ずや吉報を持って帰ります」

 

 

 対面の少女が密かに企みを練っていることに気づかず、リューはエルフらしく生真面目な表情で頭を下げたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「とは言ったものの…さて、具体的にどうしたものか」

 

 

 頑張れと手を振って見送るアリーゼの前から去り、センリが籠っている私室の前へと足を運んだリューはポツリと呟いた。

 

 派閥団長には大見得を切ったものの、実のところセンリを叱咤するための具体的な案など考えついていなかった。全くのノープラン、しかし色々と読めない精神性の持ち主であるので事前の下準備は無駄になることも多い。

 

 また相棒として肩を並べ続けた経験から、センリの扱いは多少雑なくらいで丁度いいのだと悟っていた。

 

 

「まあなるようになるでしょう」

 

 

 と、相棒譲りの拙速を好む気質から躊躇いなくドアをノック……せずにそのまま開いて入室する。

 

 

「センリ、入りますよ」

 

 

 事後承諾の入室宣言。

 

 まともにノックして入室許可を得るなどとまだるっこしい手順を踏んでいては今は気分ではないと拒否される恐れがあったからだ。また今更多少の無礼は互いに気にしないだろうという信頼関係もある。

 

 

「……リュー。どうかしたかい、君がわざわざボクの部屋まで来るとは」

 

 

 対し、手順を省き不躾に私室へと足を踏み入れたリューへ向けられるセンリの声は普段の飄々とした調子がなかった。どこか億劫そうで、力がない印象を受ける。

 

 

(やはり相当に参っていましたか)

 

 

 鍛錬や警邏で外に出ているときはもう少し空元気を取り繕えていたはずだが、人目のない私室ではその気力がないということだろう。

 

 私室を何となく見やると、簡素な寝台と衣服を収納するクローゼット、あとは武器の手入れをするための作業机にそのための機材が少々。丁寧に磨き上げられた武具はきちんと整理されて並べられ、鈍い光沢を放っている。

 

 まさに冒険者の住まいといった無骨な風情の空間。その中でセンリは寝台の上で愛刀を肩に立てかけ、瞑想をしていたと思しき様子だった。リューの入室に応じてセンリは結跏趺坐の態勢を解き、ゆっくりと顔を上げた。

 

 

「何か起こったかな? ボクの元に来ると言うことは荒事だと思うのだけれども」

「生憎と、何が起こった訳でもありません。強いて言うならば貴方と話に来たと言うところです」

「話に? 君が、かい?」

「余暇に仲間と交流する。何らおかしな話ではないと思いますが?」

「……すまない。いまは余り余裕がない。ボクと話しても楽しい時間にできる自信がないから、このままドアから出てくれると助かる」

 

 

 とだけ言って、再び瞑想へと戻ろうとする。瞑想で心を落ち着けようというのだろうが、上手くいっていないのは一目で明らかだ。

 

 

(だから私が来たというのに…。この分からず屋め)

 

 

 その余裕のない対応からなんとなくセンリから粗雑に扱われたように感じ、リューの胸の内をもやっとした気分が満たした。

 

 自分は自分なりにセンリを気遣ってここにいるというのにこの対応は何だろうか。というかこの男は日頃から相棒である己の扱いがあまりに適当ではあるまいか。少なくともこのまま回れ右をして大人しく帰るのだけは何となく嫌だ…!

 

 ある種身勝手とも甘えともいえる苛立ちが沸き起こり、リューに珍しく直接的な行動をとらせる契機となった。

 

 

「センリ、顔を上げなさい」

 

 

 気落ちした様子のセンリにリューが静かに声をかけ……(いな)

 

 

「……どうしたんだい、急に」

 

 

 寝台に片膝を付けて体を前に屈めると瞑想のため俯いたセンリの頬を自身の両手で挟み、やや強引な勢いで自らに向けさせたのだ。

 

 

「らしくもなく気落ちした相棒を元気づけようという気遣いです。ありがたく思いなさい」

 

 

 友人(アリーゼ)の不敵な笑顔を思い出し、それを真似て精一杯自信満々に見えるように笑む。

 

 センリに叱りつけるのも活を入れるのも慣れていたが、こうして落ち込んでいるところを慰め、元気づけるのがリューは苦手なのだった。こうした時生来の元気と笑顔で自然と周囲を明るくしてしまうアリーゼの快活さが羨ましかった。

 

 こちらに意識を向けさせたと判断するとセンリの頬を挟んでいた両手を下ろす。そのままでは話しづらいので寝台に着いた片膝は下ろし、寝台の端に腰掛けてセンリの方へ顔を向けた。

 

 そのまま静かな調子で語りかけていく。

 

 

「いま、貴方を悩ませる問題についてある程度ですが把握できているつもりです。その上で言いますが、このまま悩み続けたところで解決するわけではない。違いますか?」

「……では、どうしろと?」

「ともに語り合いましょう。今回の一件、私も多少なりとも関わった身として、そして貴方の相棒として私も無関心ではいられない。貴方とあの娘が()()()()というのは余りに酷だ」

 

 

 故に放っておけないのだと真っ直ぐにぶつかっていくと、陰々と悩みぬいた毒気が抜けた顔を見せるセンリ。

 

 誤解の余地がない正面からのド直球ストレートを投げ続けることがイタドリ・千里と会話する上でのコツだ。迂遠な言い回しや心の機微にこの世で最も疎い男なのだから。

 

 

「センリ、これは私の推測ですが貴方はあの娘との関係が拗れたこともそうですが、それ以上に貴方自身の心の問題についてこそ悩んでいるのではありませんか」

「……君には隠し事が出来ないな。ああ、たとえあの娘(アイズ)と元通り師弟としてやり直せたのだとしても、ボク自身が()()である限りまた同じことが起きるだけじゃないか……なんて思ってしまった」

 

 

 イタドリ・千里は上辺こそ常識的な好青年に見えるが、その本質は剣術の求道に生涯を捧げた狂人である。そもそも生まれつき精神のタガが外れており、まっとうな精神性からほど遠い。

 

 センリ自身何度となく、普通の人々と交流する上でのそうしたギャップを感じており、時に自らの行いによって恐れられ、関係を断たれることもままあった。リューもそうしたセンリの過去を知っており、出来るだけ周囲とセンリの間で摩擦が生じないようさりげなく気を遣って緩衝材の役割を果たしていた。

 

 

()()、傷つけてしまった。あの娘はきっといまも怯えているだろう。そしてその苦悩を分かってやることもできない…。果たしてボクにあの娘の師匠たる資格はあるのか?」

「……止むを得ない部分はあった。貴方がいなければより凄惨な結末を迎えていてもおかしくはなかったのです。功罪は等しく評価するべきだ」

「事実として、ボクは弟子(アイズ)を傷つけた。そして同じ過ちを犯すかもしれない…。人の心を理解するのはボクには難しすぎる」

 

 

 自虐と自戒を込めた重い口調。やはり内心相当に負の感情を溜め込んでいたことを窺わせ、リューはこっそりとため息をつく。センリの言うことにも理解は出来るが、リューから見れば過剰に気にし過ぎているように思える。

 

 だがそもそも心の機微を適切に捉えることが出来るならば、それはイタドリ・千里ではない。ならばこの状況もやむを得ないのだろう。

 

 ここまではリューの予想の範囲内である。

 

 さて、ここからどう話を切り出すべきか…と少しだけ考えるが、すぐに一つの結論を下す。

 

 正面突破。

 

 回りくどく遠回しなやり取りなどまだるっこしいし、なにより自分()の流儀ではない。そもそも多少角が立つ程度の言い回しで今更崩れるような信頼関係ではないのだ。

 

 と、相棒としての自負を以てリューはセンリの説得に臨む。

 

 

「センリ。確かに貴方は普通(まとも)ではない、異常者(キチガイ)と呼ばれる人種なのでしょう」

 

 

 初手、剛速球。

 

 いっそすがすがしいほどド直球にイタドリ・千里の根っこに巣食う問題へと切り込んでいく。センリもその甘さの一切ない言葉を聞き、顔をしかめるものの正面から問題に取り組む気概でリューと視線を合わせる。

 

 

「貴方は本当の意味で人の心が理解できない。殺人が忌避されることは理解できても、何故忌避されるかまでは理解が及ばないように。それは貴方の性質ですが、貴方の責任ではない。必要以上に気に病むべきではない」

 

 

 イタドリ・千里の持つ特異性、先天的な心の奇形とでも言うべき異形の精神。

 

 下界で命を落とした人間の魂は天界へ昇り、神々による死後の審判を受けて再び下界で生を享けるという。その命の輪廻とでもいうべき営みの中で、センリは余程の悪行を前世で犯したかさもなければ死後の審判を司った神が途中で居眠りでもしていたのだろう。そうとでも思わねば納得のいかないほどに常人離れした精神性の持ち主だ。

 

 そうした事情を相棒としてかなり深いところまで理解しているために 甘さを見せず事実を積み上げる形で切り替えろと叱咤するリューだが、その反応は芳しくない。

 

 リューが己を慰めようとしていることは理解しているのだろう。そのことは素直にありがたく思いつつもそれとこれとは別なのだと痛みを隠し切れない瞳が雄弁に物語っている。

 

 

「そうは言っても慰めにはならないのでしょうね…」

 

 

 溜息を一つ。そうだ、この男は『仕方ない』という言葉で納得できるほど器用ではないのだ。顔を上げてこちらを見たセンリの顔からそうした内心を読み取り、さらなる言葉を紡がんとする。

 

 

「ですが、一つ思い出してほしいことがあります」

「……なんだい?」

 

 

 確かにイタドリ・千里は狂人(キチガイ)だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「手を…」

「手…?」

 

 

 先ほど千里の頬に添えていた両手を胸の前で開き、優しい視線をその両手のひらに落とす。どこか懐かし気で、苦笑の籠った優しい視線を。

 

 

「手を、触れることが出来ます。いまの(エルフ)は、貴方に触れても取り乱すことは無いのです」

 

 

 その言葉を証明するように、リューはそっと差し出した両手でセンリの右手を包むこんだ。そのまま少しの間暖かな体温を二人は静かに共有する。

 

 

「そうだったね。出会ったばかりのボクたちは…」

「酷いコンビだった。正直な話貴方とは全く反りが合わないと思っていたし、触れられることはどうしても受け付けなかった」

 

 

 今でこそ互いが互いを得難い相棒と思い、肩を並べているが出会った当初はそれは酷い有り様だった。なにせ主神であるアストレアがスカウトしてきたセンリの脱退を、あろうことか当の主神に強く迫ったのだ。

 

 この男は危険だ…。リューの優れた第六感がそう強く感じ取ったからであり、ある意味ではこれ以上なく的を射ていた。

 

 

「血の匂いが染みついた妖刀…。貴方から香る鉄錆と血の匂いに、私はそう直感しました。そしてそれは間違いではなかったと今も思います」

 

 

 ()()()()と、リューは語る。

 

 

「それでもいまの私は貴方に触れることが出来るのです。出来るようになったのです」

 

 

 貴方のお蔭で、と優しく語り掛けるリュー。

 

 

「貴方が常人の尺度から外れた危険人物ならば私は度を超えて潔癖症なエルフだった。心を許した同胞にさえ触れ合うことが許容できない。そんな自分がとても嫌いだった」

 

 

 潔癖症な性質が多いエルフには本当に心を許したものにしかその肌に触れあうことを許さない風習がある。もちろん集落や個人によってその程度は様々だが、リューは本人にも制御できない無意識レベルでその風習が根付いており、これまで肌を触れ合うことが出来たのはアリーゼ・ローヴェルただ一人()()()

 

 過去形だ、今は違う。今はアリーゼだけではなく、イタドリ・千里もまた抵抗なく触れ合うことが出来る。それはリュー自身自覚なくいつの間にか得ていた変化で、自分の嫌いな部分もまた変わることが出来るのだという希望だった。

 

 

「ですがそれでも変わることが出来た。貴方に触れられるようになった。それは私にとって歓迎すべき変化であり、それを成した貴方に感謝を抱いています」

「それは……どう、いたしまして?」

 

 

 遠回りに感謝の念を表すリューに、何故いまそんなことを…と困惑と疑問の表情を露わにする。そんな察しの悪い相棒の姿に、リューは頭痛を堪えるように額に掌を当てて照れ隠しの溜息を吐いた。

 

 

()()()()()()()()()()()。そう言っているのです、まったく」

 

 

 言わせないでください、と。

 

 何時かの路地裏での一幕のように呆れと諦観、親しみの籠った溜息を一つ。頬を赤らめているのは本人が言う通り羞恥によるものか。

 

 あまりにストレートな言葉に、思わずセンリまで胸の鼓動が早くなる。はてと己の不調に首を傾げながらも続く言葉に耳を傾けた。

 

 

「ファミリアの皆と過ごした時間は私にとってダンジョンで得たどんな宝物よりも代えがたい価値があるものだった。それはファミリアの誰一人欠けても成立しなかったと私は断言できます。無論、貴方もです。センリ、私の相棒」

 

 

 情愛の深いエルフが同胞に向ける愛おしさと慈しみが籠った視線。込められた情愛にどこかくすぐったさを覚えながらも、やはり一抹の引っ掛かりを覚えてしまう。

 

 

異常(キチガイ)で良いではないですか。それが貴方なのだから。少なくとも私は狂人(あなた)を肯定します、誰が貴方を責めようと。例えそれが貴方自身だろうと」

「ボクは…」

 

 

 センリが生まれ持った人間としての欠陥を認めたうえで、全力で狂人(センリ)を肯定する相棒に強い嬉しさと同じくらいの申し訳なさを抱く。

 

 

「ボクは、どうしても…」

「良いのです。それで、良いのです。()()が貴方なのだから」

 

 

 懺悔するように言葉を絞り出すセンリに向けて、ゆっくりと首を振りながら語る必要は無いと押しとどめる。イタドリ・千里が生まれ持った欠陥をも受け入れる。

 

 それでいてそっと背中を押すように、手を引くように歩むべき道を示す。

 

 

「ですが、きっとあの娘はまだ分かっていない。貴方のことを理解しきれていない。出会ってさして月日も経っていないのだから当然の話ですが…」

 

 

 一拍の間を置き。

 

 

「センリ、貴方は最も恐ろしい()()を知っていますか?」

 

 

 と、ここで一転して話を変える。

 

 

「いいや。知っているだろう、リュー…? ボクは」

「無論、知っているが故にです。そして貴方の弟子が知らないが故にです」

「それは…?」

 

 

 相棒の語る言葉に理解が至らず、続きを促すセンリ。

 

 

「私が思う最も恐ろしいものとは『未知』です。人は知らぬもの、理解できぬものこそを最も強く恐れる」

 

 

 確かに、と頷くセンリ。

 

 理解できないものは対処もできず、最も恐ろしい脅威となる。文句なしに論理的な結論であるとの納得を意味する頷きだった。

 

 尤もリューの語る恐ろしさとはもう少し別の話なのだが、そこを指摘しても意味はないだろう。そもそも理解できていればいまこの状況に陥っていないのだから。

 

 

「逆に言えば、知ってしまえば存外どうということのない恐怖も世の中にはあるということです。夜半に起きた子供が、枯れた花の影に幽霊を見たと恐れるように」

 

 

 世の道理を語る賢者の如き達観とした物言い。だが飾り気のない言葉とは裏腹にセンリへ向ける深い思いやりが込められている。

 

 

「あの娘と語りなさい。言葉を尽くしなさい。貴方というヒトを曝け出すのです」

 

 

 それがセンリにとって葛藤を生む選択であると知ってなお、手心を加えず選択肢を突き付ける。だがそれこそセンリを動かす力を持ったセンリの相棒(リュー・リオン)の言葉だった。

 

 

「たとえこのまま縁が切れて後悔するにしろ、全ては手を尽くしてからだ。運命を黙って受け入れるままと言うのは冒険者(わたしたち)の流儀ではない―――違いますか?」

「いや…いいや。君の言う通りだ、このままというのはボクの趣味じゃあない」

「では」

「ああ、出来るかは分からないけどもう一度あの子に会おうと思う。会って、話したい。叶うならこれから先も伝えたいことがまだまだあるんだ」

「なるほど…。少し、安心しました」

「? 何がかな?」

「何時か貴方は言いましたね、『彼女の師を務められるか自信がない』と」

「ああ、言ったね」

 

 

 それほど昔のことではないのに随分経ったように思えるから不思議だと、どこか懐かし気に苦笑するセンリだった。

 

 

「今の貴方は確かに弟子を案じる師の顔をしています。そしてきっとそのことはあの娘にも通じているでしょう。故に不安に思うことはありません。ただ腹を据えてあの娘と語り合いなさい、きっとそうすればうまくいくはずです」

「うん。君が言うならば、信じてみようと思う。こんなボクでもあの娘の師を務めることが出来るのだと」

「これは私の所感ですが…むしろ貴方こそあの娘の師に相応しい。あの娘もまた、良かれ悪しかれ常人(ふつう)では無いのだから」

 

 

 確かに、と納得する。元を糺せばセンリ自身が認めざるを得ないほど幼少の頃の己と似ているという理由から弟子入りを認めたのだ。その事実を吉として導くのが師である己の役目であろう。

 

 

「リュー」

「なにか?」

 

 

 そして常に己の至らないところを支え、補ってくれるリューと縁を結ぶことが出来たのは恐らくイタドリ・千里が得られた最も得難い宝だろう。であれば真心を以て礼を尽くし、感謝の念を示さねばなるまい。

 

 そんな思考とともに傍らの相棒へと声をかける。

 

 

「ありがとう。君と出会えたことはきっとボクの人生で最大の幸運だ」

「ッ! か、軽々しくそういうことは言うものではありません!!」

「失敬な。ボクが軽い気持ちで君を評することはありえない。徹頭徹尾本気だとも」

「尚更性質(タチ)が悪い! まさか私以外にも似たようなことを言っているのではありませんか!?」

「いや、そうした事実はないと思う。ああ、でもアストレア様と出会えたことは同じくらい重大な転機かもしれない。そもそもアストレア様と出会えたから君と出会えた訳だし…」

 

 

 と、至って真面目に考え込み始めたセンリに顔を引きつらせる。不意を突かれ、いまも心臓がバクバクと鳴っているというのにこちらの気も知らないで…!

 

 朴念仁にも程があると睨みつけるが、気づいた様子もなく思考に沈んでいる。勢いよく鳴り過ぎてもしや心臓の鼓動がばれるのではないかと心配するリューの様子に気づいた気配もない。 

 

 心の機微に鈍いセンリのことだから、妙な裏や意図はないのだろう。だからこそ始末に負えないのだが。

 

 

「……考え込むのはそこまでにしておきなさい。いまはあの娘を優先する時でしょう」

「君の言う通りだ。しかしこの一件が終わった時改めてお礼をしたい。さっきの言葉に偽りを込めたつもりは何一つない」

「お礼…そう、そうですか」

 

 

 後日、リューへ送るお礼について相談のためアリーゼに語ったところによるとこの時のリューは妙に上機嫌な様子であったという。

 

 

「そこまで言うのならば貴方からのお礼を楽しみにしておきます。ああ、出来ればダンジョンや冒険者に関わる事柄以外でそのお礼を貰い受けたい」

「ダンジョンや冒険者以外で…?」

 

 

 それを聞いた時、センリが浮かべたのは深淵なる謎を解くことを強制された凡人の如き悩みに満ちた困り顔。そうした荒事関連以外で役立つ知識などセンリが持ち合わせているはずがないためである。

 

 その時のセンリの顔は見物であった、と後に幾度となくリューは語った。なおさらにリューの様子を語る団員たちはどう見ても惚気(ノロケ)ているようにしか見えなかった、と呆れと皮肉と親愛を多分に込めた口調で評する。

 

 

「当然でしょう? 私とて冒険者ではない自分というものを楽しんでみたい時もあるのです」

「……難しいな。ボクにはそういう経験がないから」

「難しく考える必要はありません。私とあなたが楽しめる誘いにしてください。それだけで十分だ」

「楽しむ…。リュー、時に冒険者通りの青空市場では稀に掘り出し物が売られていることがあるんだが興味は―――」

「訂正します。やはり貴方一人で考えるのではなく、周囲の助けを借りるべきだ」

 

 

 冒険者としては興味が引かれるものの、この時のリューが求めるものを一欠けらも理解していないセンリの提案をバッサリと切り捨てる。

 

 そうして至極真面目に悩んでいる様子のセンリに少しだけ微笑を浮かべ、それ以上喜びに弾む心の内が表に出ないよう抑え込むのだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十七話

 ロキ・ファミリア、本拠地『黄昏の館』。

 

 先日の『闇派閥』が引き起こした騒乱の後始末をギルドから少なからず任せられ、ようやくそれらの事後処理がひと段落した派閥首脳陣はフィンの執務室に集まっていた。

 

 議題は一つ、先日の騒動で『疾風』に保護されて戻ってきて以来、様子のおかしい幼女(アイズ)のことだ。

 

 

「……あれから、アイズの様子はどうだい?」

「なーんも変わらーん。部屋に引き籠って膝を抱えとるままや。日課の素振りこそ何とかこなしてるけどあれも心ここに在らずのまま惰性でやっている感じやな」

 

 

 時間があればひたすら鍛錬かダンジョン攻略、そうでなければ剣の手入れか休息を取るかの三択が大体の場合のアイズの行動パターンだ。

 

 今回のような、ただ時間を無為にして部屋に引き籠る姿はこれまでにない異常事態だった。

 

 

「見ていて最も分かり易い感情は恐怖だが、あれは人間同士の抗争に巻き込まれた恐怖感というだけではないな。イタドリ・千里がキッカケであることは間違いないが、彼をただ恐れていると言う風でもない。正直な話、私はアイズが何を思っているのか読み取れなかった」

「うちも軽く話してみたけど、心の中はかなりゴチャゴチャやな。あれは自分自身でも整理がついてへんと見たわ」

 

 

 アイズと最も時間を共にしている幹部達からの報告に、フィンは厄介なことになったと密かに頭を痛めつつも派閥首領として正面から取り組もうとしていた。

 

 

「イタドリ・千里がこれほどにアイズの心を揺らすとはね。果たしてその事実に怒るべきかはたまた己の無力を嘆くべきか…。悩みどころだね?」

「妙な自虐は止めろ、フィン。我々が為すべきはまず何よりもあの娘の変調を案じることだろう」

 

 

 リヴェリアが鋭く指摘した通り、やや自虐的な響きを含ませた呟きを漏らすフィン。『勇者(ブレイバー)』の二つ名を持つ、ロキ・ファミリア団長は気を取り直したように言葉を続けた。

 

 

「君の言う通りだ、リヴェリア。ボクもらしくなく動揺していたらしい」

 

 

 フィンは苦笑を一つこぼすと、執務机に両肘をついて口元に両手を持ってきた体勢で話を進めていく。

 

 

「まずはイタドリ・千里。彼についての方針を統一しておきたいと思う。つまり両者が望んだと言う前提の上でだが引き続き彼らの師弟関係の継続を認めるかどうか」

 

 

 素早く互いに視線を交わし合った派閥首脳陣だが、すぐに意見が一致していると悟ると次々に口を開いた。

 

 

「継続でいいじゃろう。無論、アイズが望めばの話だが」

「異論は無い。あの騒動のすぐ後、自ら謝罪に訪れた心根は信じるに値すると私は感じた。それに全員から話を聞く限りアイズが自ら首を突っ込んだ結果こじれただけで、彼の指示そのものは全て妥当だ」

 

 

 剣客独特の嗅覚で騒動を察知し、弟子(アイズ)をすぐに『黄昏の館』まで帰すように手配してその帰路に同行。帰り道の途中で騒動が起きてアイズと別れたものの、別れた場所も冒険者の健脚ならば数分とかからず『黄昏の館』まで辿り着く距離で、アイズ自身帯剣をしており心得もある。

 

 しかも滅多なことでは剣を抜いてはならないと戒めてすらいる。振る舞いだけなら正に模範的な師匠のそれだ。理を重んじ、心根の正しさを信じるリヴェリアにとってセンリは非常に好感が持てる人物だった。

 

 

「確かに危うい部分がある青年かもしれない。しかし私はその正義を善しとする心根、アイズを思う誠心を信じたいとも思う」

 

 

 リヴェリアが伝え聞く風評ではネジの外れた剣術狂いというとにかく物騒なものだったが、『黄昏の館』へアイズを危険に晒したことの謝罪に訪れたセンリと実際に会って話をしてみると印象は綺麗に塗り替えられた。

 

 第一声の謝罪。次いで客観的な一連の事態の説明を続け、自身への処分を恐れず受け入れる姿勢は(いさぎよ)く見ていて小気味よくすらあった。

 

 最後に遠慮がちにアイズの様子を聞き、リヴェリアの返答―――つまり、部屋に引き籠るほど動揺している―――を耳にした途端に雰囲気が重く落ち込んだのは確かに(センリ)弟子(アイズ)を思っているのだとリヴェリアに信じさせるのに十分だった。

 

 それでも感情のまま両者の師弟関係を露呈する真似をするようなら合理性から反対したかもしれないが、この謝罪のために訪れた一件も上手く『()()()()()()()()()()()について話したい』と首脳陣だけが分かるようにボカシている。

 

 応対したロキ・ファミリアの門番もセンリ達が持ち込んだ本命に気付いていないだろう。また同行していた『疾風』もセンリの至らない点は自らがフォローするという誓いを口にしている。

 

 王族(リヴェリア)の前でエルフ(リュー)が誓う、その意味は極めて重い。その誓いを破ったとリューが考えれば下手をすれば責任を取り、自害するかもしれない。

 

 リヴェリアとしては何もそこまでする必要はないと常々思っているのだが、覆面を脱いで素顔を晒した『疾風』はエルフらしく謹厳実直かつ堅物な印象で、恐らくは()()()()

 

 だが逆を言えばそれほどまでに同胞(エルフ)に心を許されているという事実はリヴェリアがセンリから受け取る印象を大きくプラスに傾けたのも確かだった。

 

 それこそアイズを心底怯えさせたというマイナス印象を覆す程に。それでも何時かは相応の責任は取らせねばとも思っていたが。

 

 

「彼一人では危うくとも、ともに立つと私に誓った『疾風』リュー・リオンがいる限り早々最悪の事態に陥ることはないだろう。彼との交流でアイズが良い方へ成長しているのも確か。心情的にも本人が望むならともかく、無理やり引き離すのも忍びない」

「そもそも引き離したところでアイズの面倒を見れる余裕が無いしのう。『闇派閥』め、つくづく忌々しいわ」

 

 

 センリとリューへの信頼とアイズへの愛情をこめて語るリヴェリアに、現実的な側面から賛同するガレス。一方フィンはこれまで沈黙を守り、その頭の中だけで静かに計算を続けていた。

 

 と、ここで同じく沈黙を保っていた主神へと話を向ける。

 

 

「ロキはどうだい?」

「……んー、悩みどころやとウチは思っている。とは言っても単純に反対って訳やないで?」

 

 

 前置きを一つ置いて、ロキは己の考えを口にし始めた。

 

 

「ちょっとアイズと話してみたんやけどな、いまあの娘は悩んどる。

 モンスターへの憎悪、同族(ヒト)と殺し合うことへの忌避感、本人は認めんやろうけど敬愛している師匠へ抱いた恐怖と引け目。

 ぜーんぶ心の中でグチャグチャになって考えても考えても答えが出ない。でも行動に移すにはキッカケが足りない。そんな状況なんやろう」

 

 

 一拍の間を置く。

 各々が考え込む間隙をロキは衝いた。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 目を細めたロキの穏やかでない言葉にリヴェリアが眦を吊り上げ、非難の意を含めた声を上げた。

 

 

「……どういうつもりだ、ロキ。何を企んでいる」

「何も難しいことやないで、リヴェリア。なーんも難しくない」

 

 

 韜晦するように両手を広げ、道化た笑みを浮かべる(ロキ)。流石は不変不滅の超越存在(デウスデア)と評すべきか、問答無用で下界の人間(こども)たちを畏怖させる凄味がその笑みにはあった。

 

 

「アイズもまあ、今はショックを受けて大人しくしているけど、時間を置けば立ち直るやろ。対人戦……同じ人間(こども)同士の命のやり取りも、適切な訓練を経れば今回みたいな醜態は晒さんちゅーのがセンリの見立てや。

 つまりこのまま様子を見つつショックを受けたアイズをケアしていくのが最善―――」

 

 

 と、言葉を切り。

 

 

()()()()()()()()()

 

 

 そう語調を変えず、ただ言葉に籠る凄味だけを十割増しに問いかける。

 

 

『…………』

 

 

 対する幹部たちは軽々に言葉を返さず、沈黙を以てその返答とした。

 少なくとも安易な否定をさせないだろう見立てを主神が持っていることを確信すらしていたために。

 

 

「うちはそうは思わん。ここがあの娘の()()()()や。

 この間リヴェリアと話した後、うちもちょっと捕まえて()()()をしてな。センリの奴、被らんところは全く被らんが所々がアイズと鏡合わせじみてそっくりや。使()()()……とうちは思った」

「それはいったいどういう意味だ?」

 

 

 不穏な発言を繰り返す主神に流石に猜疑の視線を向けるリヴェリア。他の二人もまた視線を鋭くしてロキを見ていた。

 

 

「うちらも力を求めるあの子を何とか上手く導いたろう思て色々やってきたが、正直知識や技術、数値(ステイタス)こそ見違えるくらいに上がってる割に『心』の成長はまだまだや」

「私はそうは思わん。そもそもまだ一年も経っていないのだぞ。あの子の『心』の傷を治すにはまだまだ時間が必要だ」

「かもしれん。時間をかける必要があるというリヴェリアの意見はうちも賛成や。でもな、アイズに必要でうちらがそれを出来ない役割が一つ、ある」

「役割…?」

「おお。うちらで言えば、リヴェリアが母親(ママ)。フィンとガレスが気安い兄ちゃんか祖父ちゃん。で、うちは外野から面白おかしく囃し立てる道化(ピエロ)

 

 

 まさしく道化めいた笑みを浮かべたロキが指折り数えてあげる役目は、なるほど言われてみると頷けるところがあった。ただリヴェリアのみ母親(ママ)と呼ばれたことに不服そうな顔をしていたが。

 

 

「ならばロキ、お前の言う我らが出来ず、イタドリ・千里ならば務められる役割とはなんだ?」

 

 

 この数か月、誰よりもアイズに身近かつ親身になって接してきた自負のあるリヴェリアはロキの言葉に少なからず不満を覚えていた。

 

 そんな眷属の不満を見通しながらも、やはりロキは揺るぎなく語った。

 

 

「『理解者』や。結局のところうちらはソレだけはなれないし、なったらアカン」

 

 

 そんな釘を刺すような一言も付け加えて。

 

 

「ふむ…」

「むう、一理ある」

「…………」

 

 

 三者三様の反応を返し、しかし否定の言葉はない。ロキも己の投げかけた言葉をそれぞれが受け取り、考え込んでいるのを見ながら言葉を続ける。

 

 

「『()()()()()()()()()』。それだけは絶対にアイズに思わせたらあかん。うちらもそれぞれがそれぞれの役割から声をかけて接し続けなければあかんけど、アイズの気持ちを理解して同じ立場で言葉を交わせるかと言ったら…なあ?」

「無理じゃろう。先達として、家族として接することはできるが……同じ立場となるとな」

「それこそロキが言う『兄』や『母』、『祖父』の立場が邪魔をする。確かにロキの言葉にも一理ある。あの子の健やかな成長には『家族』だけじゃない、その気持ちを理解できる『理解者』が必要だ」

「……悔しいが、フィンの言う通りだ。あの娘の焦りを宥め、抑えるのは先達……いや、『親』の役目だが、その気持ちを聞いて理解を示すのは難しい」

 

 

 アイズがただの幼子であればともかく、『力』への渇望が人一倍強く、常に焦りに呑み込まれかけている状態だ。そんな気持ちを心底から理解し、言葉を交わし合うには派閥首脳陣とアイズの立場は違いすぎ、逆に距離は近すぎる。

 

 沈痛な表情で俯きがちにしゃべるハイエルフの王女に、ロキはフォローするように珍しく真剣な声を上げる。

 

 

「さっきも言ったけどこれは役割の問題や。逆にうちら『家族(ファミリア)』があの子の無茶を止めな、誰が止めるんやって話やからな」

「そうだね。イタドリ・千里と出会ってアイズは飛躍的な成長をしたのが確かだけれど、その土台を支えたのは間違いなくボクらだ。『家族』に恥じない振る舞いが出来ている、と自惚れてもいいと思うのは僕の傲り過ぎかな?」

「ふん! 話が回りくどいぞ、フィン。儂等は能う限りアイズに家族として先達として接してきた。間違いなくアイズは儂らの『家族』じゃ、それだけ知っておけば十分すぎるわ!」

 

 

 だから余計なことをうじうじと悩むな、と()()()()()()どやしつけるガレスだった。同輩に活を入れられたリヴェリアは、確かに胸に抱く『家族』としての自負を思い出し、昂然と胸を張った。

 

 

「うちの話は皆理解したな? それがセンリであるか、は置いておいてアイズには『理解者』が必要や。それはうちらの共通認識ってことでええか?」

「異存はない」

「じゃな」

「子供はより広い世界で成長するべきだ。それが可能ならばの話だけどね」

 

 

 賛同が二人、条件付きでもう一人も。

 意見が一致したと見たロキは再び話を続けた。

 

 

「センリは知っての通り、アイズによく似たところがある。特に『力』への渇望とかな。アイズの気持ちも理解して話が出来ているみたいや。いつぞやの、アイズが身体を虐め過ぎていた時期に一転して休むことを覚えたのもセンリの話を聞いたのがキッカケらしい」

「そう聞くと彼には本当に頭が上がらないな」

「派閥として礼の一つも送りたいところだが…」

「止めておけ。建前上あやつらの師弟関係は秘密なのだ。表沙汰には出来んわ」

「分かっている。するにしても内々の話でだ」

 

 

 脱線しかけた彼らの話をロキがまとめる。

 

 

「そこらへんは追々やっていこうや。どの道長い付き合いになりそうなんやしな」

 

 

 確かに、と頷く面々。

 

 

「話を戻すで。とはいえ正直センリにアイズのメンタル面のケアを全面的に任せられるかと言ったらうちは怪しいと思う」

「当然じゃな」

「異議なし」

「この点に関しては私も擁護は出来ん」

 

 

 ボロクソな言い草であったが、当人の所業を列挙すれば誰もが異議を唱えることは無いだろう。

 

 

「まあそれはそれで悪くない。うちらがフォローすればいいだけの話やからな。むしろ『理解者』のセンリと『家族』のうちら、二つの立場から異なる影響をアイズに与えていく中で心の成長も促せるやろ。

 そう考えると他派閥の師匠という立ち位置も必ずしもデメリットにはならん。逆にセンリが派閥(ファミリア)の人間やと()()()()。影響を受けすぎてもそれはそれで困る。()()()()二号とかうちらの手に余るにほどがあるわ、ほんま」

 

 

 ロキの冗談にしては真情の籠り過ぎた最後の言葉に思わず頷く三人。その点については全員が意見を一致するところだった。

 

 

「良い方に転ぶかはともかくとして、実行するのも問題ないやろ。センリに話を通して主神の許可が出ればOKや。アストレアは人助けが趣味の善神やし、妙な下心が無いことは神のうちらが出張れば証明できる」

「その考えは甘くないかな? 神アストレアはともかく、団長以下の団員たちは自分たちだけが負担が増えることに不満を覚える者もいるだろう。ひいては負担を押し付けてくるロキ・ファミリアへの敵意を醸成することになりかねない。何かしらの見返りを、例え向こうが拒否しても押し付けるくらいのことはしないといけないだろう」

「かもしれんなぁ…。まあそこらへんの細かいやり取りは任せたわ。うちから言えるのは一つだけや」

 

 

 と、一拍を置き。

 

 

()()()()()()()()()()。主神めーれーや、誰にも文句は言わさん。さっきも言ったで、ここがアイズの()()()()やってな」

「また、張り込んだね。それほど信じられるのかい、イタドリ・千里は」

「なんだかんだ言ってうちもあの剣キチを気に入ってるいうことかもしれん。なにせ神々(うちら)は『未知』が大好物やからなァ…。初めてやったわ、あーんな善人天然お馬鹿に振り回されるんわ…な」

 

 

 くつくつと心底楽し気に笑うロキに、頭脳明晰な苦労人かつ腹黒団長であるフィンはやれやれと肩をすくめた。

 

 

「他派閥の人間でありながら、ロキにそれほど気に入られるか。正直なところとても興味が湧いて来たよ、イタドリ・千里の人となりにね」

「面白い奴やで。アイズの師匠が務まるだけはあるわ」

「ま、確かにの」

「興味深い人間(ヒューマン)だ。それは私も保証しよう」

 

 

 客観的に見て危険人物一歩手前の性格・所業。そうしたマイナス印象の性向を踏まえた上でなおも自分以外の全員がプラス方向に件の剣客を評価しているらしい。

 

 これだけで相当にユニークな個性(キャラクター)の持ち主であることが窺える。

 

 

「ま、うちの考えはこれで大体終わりや。改めて話を最初に戻すで」

 

 

 逸れかけていた話の筋を戻すようにロキは発言した。

 

 

「これまで通り師弟として一線を引いた関係を続けさせるか、あるいは互いに心に抱えてるもんぶちまけさせて上手い具合にセンリを『理解者』として着地できるよう調整するか。

 どちらの選択を取るべきか。皆はどう思うか、聞いておきたい」

 

 

 二ヤリと悪魔的な笑みを浮かべて提案するロキは流石はとある天界の領域で随一のトリックスターと呼ばれた神格と言うべきか。その姿は何とも言えぬ凄味と不敵な自信に満ちていた。

 

 

「確かに、有効だ。間違いなく効果があるだろう…。だが、ハイリスク・ハイリターンに過ぎるぞ。その選択は」

「だからみんなにも相談してるんやーん。頼りにしてるんやで、ママ」

「誰がママだ。誰が」

 

 

 リヴェリアの悩まし気な発言に心底楽し気な笑みを浮かべている辺り、ロキもまた娯楽を求めて下界へ降りた神々の一柱だった。

 

 とはいえ決して眷属の悲劇を弄り倒して遊んでいるのではない。この逆境を自らの子らが如何にして乗り越えるか、期待しているのだ。

 

 

「それに一言言うとくけど、結局いまの落ち込んでいるアイズを元気づけてうちの案を実行まで持っていけそうなのはリヴェリアくらいやからなー。結局自分が反対やったらウチの思い付きは実行不可能や。だから気楽に考えてええでー」

「……なお悪い。何が気楽に、だ。結局いいように責任を押し付けられただけじゃないか」

 

 

 本気で頭痛に悩まされている表情で額に手を当てて顔を顰めるリヴェリアに、苦笑を隠せないフィンとガレスが声をかける。

 

 

「君がそんな責任を背負い込む必要はないよ。ロキの提案は一考の価値があるとボクも思うが、実行するにはもっと議論が必要だ。君の決断だけで決めるのはむしろ派閥首領として反対せざるを得ない」

「フィンの言う通りじゃな。アイズのことはこの場にいる全員に等しく責任がある。今回の一件とて元を辿ればわしらにあやつの面倒を見る余裕が無いから生じたこと。その全てをお主が背負い込む必要は無いわい」

 

 

 合理と情を絡めて説得してくる同輩に、リヴェリアも息を一つ吐いて気を落ち着かせた。

 

 ロキの提案を実行するか否かの選択はさておき、議論をするだけの価値はある。全員がその一点で意見を一致させていた。こうなるとロキ・ファミリア首脳陣は話が早い。全員が様々な観点から意見を出し、素早くしかし的確に意見をぶつけ合っていく。

 

 

「とはいえ懸念も多いぞ。とくにあの男にアイズが必要以上に心を許すのは、将来的には禍根を残す結果になるのではないか?」

「それはボクとしても無視できない懸念事項だ。影響を受けすぎて更に危険を顧みなくなる可能性やその縁を悪意ある第三者に利用される恐れも否定できない」

「だがアイズが()()()()というのもそれと同じくらい大きな問題だろう。今のところ彼がアイズが持つ力への渇望を上手く御してこそいるが、このまま続くようならどこかで思い切った一手を講じる必要が生じるだろう」

「遅かれ早かれ……という訳か」

「そしていまこそが好機(チャンス)と主張するロキの考えも分からなくはないね」

「だが肝心要の勝算はどうだ? 客観的に見て五割を上回るか? 私としては一割くらいの確率で私たちの誰も予想していない方向へ暴走するのではという懸念が払拭できない」

「ああ、それは分かるわ。センリの奴大体うちらの想像の少し斜め上をかっ飛んでいくからな」

 

 

 意見が百出するが、論点としては概ね次の一点に収束していく。

 

 

「悩ましいね。博打は博打だが、結局のところ()()()()()()()()()という点にかかってくるわけだ」

 

 

 今回の件に限らず、博打の肝とは畢竟(ひっきょう)其処だろう。

 詰まる所()()()()()()()()を見出せるか、否か。

 

 

「信じられるか否かで言えば……」

 

 

 自らに問いかけるリヴェリアだが、その渋面が全てを物語っていた。

 

 

「信じられんな。言っては悪いが」

「うーん。否定できないのが残念だ」

 

 

 同様の苦笑いを浮かべ、ばっさりと断ち切るフィンとガレス。

 

 センリとアイズ。

 

 言っては何だがこの二人を信じてことを任せる、というのは中々ハードルが高かった。二人とも無理無茶無謀を押し通したり、意図せずして何かをやらかす実績の持ち主だったから無理もない。

 

 だが。 

 

 

「でも、()()()()()()()。君たちにこれほど信を向けられる剣術狂いの青年とボクらの無垢で向こう見ずなお姫様をね。皆は違うのかな?」

 

 

 と、フィンが悪戯っぽく同輩たちにウィンクを投げれば。

 

 

「ええい、小憎らしい小人族(パルゥム)め! いつもいつも美味しいところだけ持っていきおって」

「全く同感だ。これでは我らが悪者のようではないか」

 

 

 憤然と同輩たちが遠回しに同意の言葉を告げる。

 フィンは人を焚き付ける天才であり、よくこうした言葉で上手く議論を纏めていた。

 

 

「決まりやな」

 

 

 眷属達の意見が一致したのを見て不敵に笑ったロキが一言、結論で締めくくった。

 

 

「ああ。よくよく考えればあの子を導くにあたって安全策など無いわけだしな」

「どの道どこかでリスクを取らねばならないのならば、あの二人に任せるのは決して悪い選択ではなかろう」

「こういう『冒険』も、いずれは挑まなければならない道だ。時に『小さな勇気』が打開の一歩になることも多いものさ」

 

 

 三者三様にかく語り、意志が一致したと見て不敵に笑みを浮かべる幹部たちにロキが自慢するような笑みを作る。流石は自分が見込んだ眷属だと。

 

 

「まずはアストレア・ファミリアに連絡を取ろう。文面と人の手配はボクがやっておく」

「なんにせよもう少し向こうと細かく詰めた方が良かろう。センリと『疾風』を豊穣の酒場に呼び出す文面で頼む。ワシが直接話してくるとしよう」

「では私は―――」

「リヴェリアはアイズを慰める役な? はい、けってー」

「「異議なし」」

「お前ら…。こんな時ばかり息を合わせるのは止めろ」

「適材適所さ。任せるよ、リヴェリア」

「うむ。なに、アイズに最も()()のはお前よ。こればかりはたとえセンリでも敵わんわ。余計なことは考えずに腹を据えてぶつかってこい」

「気楽に言うな、まったく。……アイズは私が何とかする。センリ達の方は任せたぞ」

 

 

 応、と短く答えを返す同輩たちに向けてリヴェリアはその繊手を突き出す。

 

 

「おや、()()かい?」

「少しアイズに向き合う勇気が欲しいところなんだ。いつもの宣言は不要だが、意思統一の証としてやりたい」

「ふ、確かにこれは遠征並みの難行じゃろうて。ワシとしてももちろん否やはない」

 

 

それは恒例となった彼らの決意表明を示す儀式だった。いつもなら各々の夢/野望を宣言するが、今回の目的はただ一つのため別の形になる。

 

 

「……アイズのために」

「ああ、アイズのために」

「応、あの娘のために」

 

 

 リヴェリアの突き出した繊手に残りの二人も手のひらを重ね合わせ、誓い合うように唱和する。そして重ね合った手を放し、拳を作ってぶつけ合う。そこには確かに長年の時を共にした絆があった。

 

 かくして今も心を揺らす幼い少女のため、ロキ・ファミリアは動き出した。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

外伝 虎杖(イタドリ)草と妖精族

ささやかなおまけ。
第十七話のあとにお読みください。


 様々な葛藤に苦しむアイズに手を差し伸べるべく、改めて一致団結したロキ・ファミリア首脳陣。なんだかんだと長年ファミリアとして苦楽を共にした彼らの結束は強い。

 

 若干の議論こそあったものの、速やかに一つの結論へ至っていた。即ち、イタドリ・千里をアイズ・ヴァレンシュタインの『師』という役割に加え『理解者』として心のケアを依頼するという試みだ。

 

 客観的にはハイリスク・ハイリターンな博打。何しろ博打の成否を握る肝心要の二人が()()イタドリ・千里とアイズ・ヴァレンシュタインだ。

 

 だが彼らの顔には意外なほど不安そうな色は無かった。むしろ苦笑しつつ、気軽な雑談を楽しむ余裕さえあった。

 

 

「極東では何と言ったかな、こうした状況を指した諺があったはずなのだが」

「ああ、それならワシが知っているぞ。確か『虎穴に入らざれば虎子を得ず』…だ」

「ほう、それは…奇遇なことだ」

「? 何の話や? うちにも聞かせてーな」

「なに、今回の一件における中心人物で、名前に『虎』の一字が入っている者がまさにいるのさ」

「虎ぁ? なんやそれ、そんな奴いたかいな?」

 

 

 全員が脳内の名簿リストを総ざらいするが、該当無し。訝しげな視線がリヴェリアに向けられると、彼女は無理もないなと苦笑を一つ漏らしてあっさりと口にした。

 

 

(くだん)の師匠……イタドリ・千里だよ。イタドリとは『虎杖(イタドリ)』と書き、本来は痛み取りに使う薬草の名だ。イタドリの姓は彼が敬愛する武神から与えられたものらしいが、それも『誰かの役に立てる人間であれ』という願いと極東の『虎は千里行って千里を還る』という諺から取られたと聞いた。

 (センリ)の弟子である虎子(アイズ)…まさにぴったりと平仄に合うだろう? そう思うとついおかしくてな」

 

 

 どうだ、と同意を求めるリヴェリアに皆がポカンとした顔を向けてくる。思ってもみなかった反応に今度はリヴェリアが訝しげな顔をした。

 

 

「どうした? なにかおかしなことでも言ったか?」

「おかしなことって言うか…自分、随分やっこさんと仲良くなったんやな。普通自分の名づけの由来とかほぼ初対面の間柄で話すか?」

 

 

 ロキがかなり素に近い驚きの顔をしながら問いかけると、リヴェリアも問われてそのことに思い至ったのか少しばかりバツの悪そうな顔をした。

 

 

「ああ…。いや、私も驚いたが随分と話が合ってな。話すべきことを話したあとのちょっとした世間話のつもりが、思った以上に長引いて、こう……な?」

 

 

 いや…な? とか同意を求められても……という顔をリヴェリア以外の全員が浮かべた。その顔になにか誤解が生じていると感じたのか、やや焦った様子でリヴェリアが弁解するように言葉を重ねた。

 

 

「あれは意外とエルフの好む気性の持ち主だぞ。深く関わるには流石に二の足を踏むが、世間話で済ませる程度の間柄ならかなり話しやすい」

 

 

 そんなリヴェリアの言葉に、主神と同輩たちは三者三様の反応を返した。

 

 

「え、そうなんか? つまりセンリはエルフにモテモテ…? アイズたんだけやなくリヴェリアにも粉をかけたんか…こいつは許せんなァ…!」

「意外なような、そうでもないような…」

「うーむ、分かる気がするのぅ。儂からはドワーフよりはエルフに近い気性に見えるぞ。凝り性な点はドワーフに似ているが」

 

 

 お気に入りの特に美しく、可愛い眷属達にちょっかいをかけていると邪推して勝手に怒気を漲らせるロキ。口元に手を当てて考え込むフィン。腕を組みながら理解できるところがあると頷くガレス。

 

 

「ロキ、それ以上戯言を続けるなら口を縫い合わせるぞ。まかり間違って同胞(エルフ)の団員の耳に入ってみろ、下手をすれば襲撃を仕掛けて返り討ちに遭いかねん」

「……うわっはー、洒落になっていない未来がありありと見えるわ。了解、お口チャックやな」

 

 

 勝手にヒートアップしているロキに冷や水を浴びせると、その光景を想像したのかにやけた笑みが一瞬で真顔になった。この辺りセンリもそうだが、エルフ達もハイエルフの王女(リヴェリア)が絡むと途端にブレーキが利かなくなる傾向があった。

 

 何となく話の続きが気になった三人が視線でリヴェリアに促すと、渋々といった風に口を開いた。

 

 

「まず礼節を弁えた穏やかな物腰だから話しかけやすい。冒険者はただでさえ荒っぽい者が多いからな。前評判を知らなければ第一印象はかなり良いだろう。

 見かけは優し気だし、一度剣を抜けばその腕前に敵う者無しという剣腕も好ましい。知っているか? 奴の趣味は鍛錬と善行を積むことだそうだぞ? 『善行』といっても子供や老人相手の小さな親切と、悪党相手の斬った張ったを同一線上に語る点は余り笑えないが」

 

 

 前半は微笑ましく、後半は頬をやや引きつらせて語るリヴェリアだった。

 

 

「本当に聞いてるだけなら善良で才能ある有望な冒険者だね、彼は。それがどうして()()()()()になっているのやら」

「『疾風』とも少し話したがな。アストレア・ファミリアに所属してから何度となく矯正しようとしたが、成果は薄かったと聞いた。どうも行動に移る際に躊躇が極端に薄いらしい。己の心に真っ直ぐと言えば聞こえはいいが、とにかく暴走しやすい性質のようだな」

「おーい、大丈夫なんか。それ」

「今更だろうが。大体第一級や第二級の冒険者に普通(まとも)な者など一人でもいるか?」

「それを言われるとねぇ。ボクらも大概人のことは言えないな」

「とはいえあやつは才も気性も尖り過ぎな気がするがのぅ。アストレア・ファミリアに所属していなければ本当にどうなっていたことやら」

「確かに。外付けのストッパーである彼女たちがいなければ、正直なところボクもファミリア団長として彼を危険視せざるを得ないな」

 

 

 あるいは()()()()()か、とフィンは頭の中だけで呟く。『正義』に従い、『悪』を討つ。それこそが様々な点で危ぶまれるイタドリ・千里なりの処世術なのかもしれないと。

 

 センリは確かに規格外に腕が立つが、オラリオもまた数多の強者が集う魔境魔窟である。言っては何だがたかだか一人の剣士が考えなしに辻斬りを繰り返せば、いずれ危険視されて複数の勢力から粛清される未来は確実だ。

 

 なればこそ『正義』という鞘でイタドリ・千里という刃を包みこむ。そうすることで斬るべき敵を斬り、そうでない時は無暗に周囲を傷つけないように抑えるのだ。

 

 

「フィンの言うことも分かるが、それでもセンリの功績は小さくあるまい。『首刈り』の悪名の元となった所業は悪趣味だが、奴の雷名がオラリオの諸勢力が『悪』に転ぶことを食い止めているのも確かだ。力なき正義はただの無力とも言う。『罪』に対する『罰』、速やかに『悪』を討ち果たす断罪の刃としての働きは十分すぎる」

「……本当に、彼を気に入ったようだね。正直なところ、それが一番の驚きだよ。リヴェリア」

「少なくとも奴に私心はなく、従う主神も善良だ。ならば少なくとも『悪』との戦いにおいて肩を並べるにあたってこれ以上なく頼もしい味方だ。ひとまず私にとってはそれで十分」

 

 

 それに、とリヴェリアは続ける。

 

 

「あばたもえくぼ、という言葉もある。私はあまり好まないが、一部のエルフにとっては奴の所業は称賛に値する功績だ」

「えぇ…。エルフってそんなに血生臭い種族やったっけ?」

「人聞きの悪いことを言うな! 少なくとも私は違うし、大部分もそうだ!」

 

 

 ロキがドン引きした表情でマジかよと問いかけると、血相を変えて否定するリヴェリアだった。

 

 

「同胞には神経質で潔癖症な者も多い。認めたくはないが、過激な方向へ暴走しがちな傾向もな。そうした者たちにとって『正義』に殉じ速やかに『悪』を討つ奴の行いは好ましく見えるはずだ。確かに晒し首にするのは過激な所業だが、事実一定の抑止力として機能しているわけだしな」

「ああ、湯浴みの時の王女(リヴェリア)のお世話するエルフの皆とかまさにそんな感じやもんな。覗き魔には死あるべし、ってマジ顔になっとったし」

「……クソ、余計なことをしゃべり過ぎたか」

 

 

 なんとか否定しようとして否定しきれなかった沈黙を挟み、リヴェリアは珍しく品のない悪態をついた。それでも己の舌禍で下げてしまった同胞たちの品格をフォローすべく話を続ける。

 

 

「先ほども言ったが悪党相手とは言えやり過ぎる悪癖は好みが分かれるだろうがな。あれを愛嬌で済ませることが出来るエルフは流石に少ないはずだ」

「ふーん。ほな、そんな奇特なのがいたとすれば…」

「意識しているか、無意識かは分からんがな。相当に惚れ込んでいると見てもいいだろう」

 

 

 訳知り顔で断言するリヴェリアだった。なお胸の内で密かに『疾風』などは相当に怪しいと思っていたが、流石に口には出さなかった。

 

 

「この話はもう良かろう。あくまで私の所感だし、何が変わるわけでもない」

「いや、いや。中々面白い話やったでー。リヴェリアの恋バナじゃなかったのが残念なようなホッとしたような気分やけどな!」

「ロキ! その類の戯言はいい加減にしろと何度も言っただろう!」

 

 

 そんな、懲りないロキがリヴェリアをからかっては説教される光景も含めていつものロキ・ファミリアの日常であった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十八話

 黄昏の館の一角、アイズの私室の前でリヴェリアはドアをノックしようとする寸前の体勢でしばしの間硬直し続けていた。

 

 派閥首脳陣を代表して意気消沈する幼女(アイズ)を元気づけ、師匠(センリ)との関係修復の機会について話すためにやってきていたわけだが彼女はここに来てつい尻込みしていた。

 

 リヴェリアはまさにエルフらしく高潔で誇り高い女傑だったが、長命種の中では比較的歳若であり人生経験も積み重ねが薄い。子育ての経験など当然アイズが初めてで、全てが手探りだった。しかもアイズ自身が普通とはいいがたい色々難しい子供だったので、その苦労は人一倍だった。

 

 落ち込んだ幼子を元気づけるのはリヴェリアにとって一人でダンジョンに籠るよりよほど難儀なミッションであった、

 

 

「……アイズ、いるか」

 

 

 それでも意を決してドアをノックし、扉越しに声をかける。中にいることは半ば分かっていたが、礼儀として必要な手順を踏むための動作だった。

 

 リヴェリアの声に対する(いら)えはないが、第一級冒険者の聴覚は部屋の中で僅かに身動ぎする小柄な気配を感じ取っていた。

 

 

「……入るぞ、いいな」

 

 

 改めて一声をかけるとゆっくりとノブを回してドアを内側に開ける。部屋に入ってアイズの姿を探すと、朝方少しだけ様子を見た時と同じように部屋の隅で膝を抱えていた。 

 

 いまもドアを開ける音に反応してリヴェリアを一瞥したが、すぐに興味を失ったように顔を下に向けてしまった。素っ気ない反応に密かに心を傷つけられたが、すぐに表面上だけは取り繕い迷うように声をかける。

 

 

「その、だな…。気は進まないかもしれないが、もう一度あの時の話を―――」

 

 

 アイズに何と声をかければいいのか、自身全く見当がつかないまま当たり障りのない調子で話を始めようとすると、ひどく億劫そうな仕草で顔を上げたアイズと()()()()()

 

 

「———」

 

 

 その瞬間、リヴェリアは胸の内で準備していた全ての言葉を失った。アイズの瞳には迷いがあり、痛みがあった。迷子の幼子のように頼りなさげに揺れる光が宿っていた。いまのリヴェリアよりもはるかにアイズは苦しんでいた。

 

 その少女を前に、建前と礼節しかない言葉など雑音以上になりえないというのに。

 

 

『なーんも難しくないわ。あの子を抱きしめて大好きだーって言えば一発解決やでー』

 

 

 ふと、この部屋に向かうまでにかけられたロキの言葉が脳裏を過ぎる。その言葉にはいまも全面賛成など出来ないけれども、一つ腑に落ちたことがある。

 

 傷ついた子供を癒すために必要なのは言葉ではない。()()はきっと、人の優しい温もりなのだとリヴェリアは直感的に悟る。

 

 

「アイズ……ッ」

 

 

 膝を抱えて懊悩に苦しむ幼い少女。その姿を見ているだけで胸が苦しくなり、ほとんど衝動的にアイズへ近づくと腕を広げてその胸に幼い体躯を抱きかかえた。

 

 

「リヴェリア…?」

 

 

 困惑したような、迷うような声を抱きしめられたアイズが漏らす。リヴェリアがこうも感情を露わに振る舞うのは初めてだったから、アイズの困惑も当然のものだったろう。

 

 幸いなことに拒絶の色はない…と、リヴェリアは安堵を覚える。

 

 この数か月で最も長くアイズと時を過ごしたリヴェリアだが、その気性からどれほど親しみを込めようとしてもどうしても一線を引いた対応になってしまっていた。これはもう個人の性格と育ってきた環境から形作られる価値観に依るものだったから、リヴェリアばかりを責めるのはフェアではない。

 

 けれどいまリヴェリアはその殻を破り、アイズの『家族(ファミリア)』としてさらに一歩を踏み込もうとしていた。

 

 

「アイズ…」

 

 

 と、少女の名を呼んだあと自然と言葉が胸の内から零れ落ちた。

 

 

()()()()()()()()()()()()……!」

「———……ッ」

 

 

 驚いたように息を漏らすアイズ。そしてそれと同じくらい無意識に漏れた言葉にリヴェリア自身驚き、そしてそれが自分の本心だったのだと腑に落ちる。

 

 派閥首脳陣としての責任感からアイズの対応を後回しにしていたが、『闇派閥』の騒動がひと段落してから箏の顛末を聞いたリヴェリアが卒倒しかけたのは事実だった。顛末を聞いてすぐアイズの姿を一目見ようとし、その傷ついた姿に強く動揺したことも。

 

 主神や同輩たちと顔を合わせている間は平静な態度を取り繕っていられたが、こうして傷ついたアイズと一対一で向かい合うと思わず偽りのない胸の内を曝け出してしまった。

 

 けれどそれでいいのだと、いまのリヴェリアは素直にそう思える。きっと頑なに凝り固まったこの娘の心を解きほぐすには自らも真っ直ぐにぶつかっていくしかないと分かったから。

 

 

「心配した…。お前が死ぬところだったと聞いて、本当に気が気ではなかった!」

「なんで…」

 

 

 敢えて何も取り繕わずに声音に感情をこめてそのままにアイズにぶつけていく。対し、リヴェリアの思いをぶつけられたアイズはリヴェリアへの困惑とその言葉に心を動かされた自分への怒りを込めて言葉を返す。

 

 

「なんで、貴女がそんなことを言うの…?」

「何故…? 何故だと。私たちは『家族(ファミリア)』だ、心配することの何がおかしい!」

「おかしい! だって、だって…」

 

 

 苦しい、辛い、心が痛いと悲鳴を上げる胸の内をリヴェリアの言葉が慰撫し、柔らかく宥めていく。胸の内に満ちていく安堵の念を拒絶し、リヴェリアに縋ろうとする弱い自分を断ち切るようにアイズは敢えて心無い言葉を投げつける。

 

 リヴェリアが与える暖かさに浸り、悲願(ネガイ)を忘れることを幼いアイズは受け入れられなかった。

 

 

()()()()()()()()()()()()()!」

 

 

 拒絶された、と直感する。

 

 この時リヴェリアが傷つかなかったと言えば嘘になるだろう。まるで心臓を剣で貫かれたような痛みが走り、涙が美しい眦から零れそうになる。

 

 だが、

 

 

()()()()()()()! この大馬鹿め!!」

 

 

 それ以上に、この時のリヴェリアの胸の内には怒りの炎が燃えていた。無理無茶無謀で自身の身を顧みないアイズへの怒り、そしてそれ以上に無力な自分への怒りが。

 

 いまこの時のリヴェリアにとってアイズの無事以上に大事なものはなかった。

 

 

「そうだ、私はお前の母親ではない。母君(アリア)の代わりなんていないし、なれる気もない! それでもな!!」

 

 

 事実を事実として認めつつ、別の側面から見た事実もまた突き付ける。アイズが見えていない、見ようともしていない事実を。

 

 最愛の父と母を失い、それでもなお自分(アイズ)を愛する誰か(リヴェリア)がいるのだという事実を。

 

 

「私がお前を愛して何が悪い! お前を大事に思って何が悪い! 言ってみろこの不良娘!!」

 

 

 子を思うが故の鬼の形相。極東の鬼子母神を思わせるリヴェリアのマジギレにアイズはひぐっ…、と本気で恐れをなした様子で喉へと言葉が引っ込む。いまのリヴェリアは初めて会った頃に無知なアイズが「おばさん!」と暴言を吐いた時の十倍はおっかなかった。

 

 ()()()()()()

 

 

(なんで…)

 

 

 何故、こんなにも心は温かいのか。

 

 

「ふぇ…」

 

 

 誤解のしようもないほどまっすぐに『愛』を伝えられたアイズ。その反応は劇的だった。

 

 最前に抱いた恐ろしさとはまったく別の暖かい感情(モノ)が胸を満たし、幼い少女の眦を涙が零れ落ちていく。過日の騒乱以来、アイズの胸を塞ぎ続けていた重苦しい気持ちが涙となって融けていくようだった。そのまま次々と溢れていく涙を拭おうとして拭いきれず、とうとうアイズは流れる涙をそのままに静かにむせび泣き始めた。

 

 その涙に一瞬怒りをストレートにぶつけ過ぎたか、と慌てるリヴェリア。だがすぐにアイズの涙が陰性の恐れや悲しみからくるものではないと気付く。その姿は離れ離れになっていた母親と再会した迷子が流すような、恐怖と緊張から解放された安堵に似ていたから。

 

 

「なあ、アイズ。聞いてくれ」

 

 

 一転して優しい語調で語り掛け、真情を込めて言葉を重ねる。

 

 

「私はお前に傷ついてほしくない、ましてや絶対に死んでほしくないよ。できればダンジョンにも行ってほしくなんてない」

「私は……」

「いいさ、お前の気持ちは分かっている」

 

 

 どう言葉を返すか迷うように、だが確固たる意志をリヴェリアへ示そうとしたアイズをゆっくりとした手つきで押しとどめる。その気持ちを理解してやることは出来ないが、言葉では絶対に止められない意志の強さだけは良く分かっていた。

 

 

「それでもきっとお前は行くのだろう。悲願(ネガイ)を掴むまで決して止まれないんだろう?」

 

 

 うん、と零れ落ちる涙を片手で拭いながらも力強く頷く。

 こればかりはたとえ誰が相手でも譲れなかった。

 

 

「それなら仕方がない。良いことだとは思わないが、無理に止めようとはもう思わない。それでもこれだけは覚えていてくれ」

 

 

 懇願するように、己を顧みずに力を求め続けるアイズへ楔を打ち込むために言葉を紡ぐ。せめて悲願(ネガイ)にたどり着いた()()をアイズが考えられるように。

 

 

「お前が死んだら私は泣くぞ」

「ッ!」

王族(ハイエルフ)の矜持など知ったことか。みっともないくらいに泣き叫んでやる。天に昇ったお前に届くくらい派手に、な…」

 

 

 そんなこと考え付きもしなかった、と言わんばかりの驚愕を表すアイズへ諭すように語り掛ける。アイズの強すぎる思い込みが狭めていた視野を広げるために。

 

 

「それは、お前も嫌だろう?」

「……うん」

「それなら、死ぬな。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。当たり前のことだが、お前にはこの『当たり前』を理解してほしい」

「…………うん。分かる、よ」

 

 

 死んでしまった人にはもう二度と会えない。優しい父母との苦しい離別を経験したアイズは今ならその重みを理解することが出来た。そして自分(アイズ)が死ねば、リヴェリアも同じ気持ちを味わうことも。

 

 

「そうか。分かるか」

「うん」

 

 

 そうしたアイズの過去を多少なりとも知っているために、その胸中を察してリヴェリアは哀切さを覚える。本当ならば決して一〇の齢に満たない幼子に知っていてほしい感情ではないのだ。

 

 だがアイズと向き合うために決して目を逸らしてはいけないものでもある。だからせめて幼い少女の胸に空いた虚無を少しでも埋めるために、ただ愛情をこめて呼びかける。

 

 

「アイズ……大好きだ」

「私は、……私()

 

 

 ただどこまでも真っ直ぐな言葉に胸を貫かれ、山嶺に降り積もった万年雪の如く固く強張ったアイズの憎悪と悲願がほんの少し緩んだ。

 

 悲願(ネガイ)は変わらないけれど、歩み続ける意志に陰りはないけれど―――それでもアイズ・ヴァレンシュタインは昨日までの彼女とは異なる一歩を踏み出す。

 

 

「私も…、大好きだよ。リヴェリア」

「そうか…。それは、嬉しいな」

 

 

 アイズ・ヴァレンシュタインが抱えるものは悲願(ネガイ)だけではないと分かったから。悲願(それ)だけじゃなくてもいいのだとリヴェリアが……そして先生(センリ)が教えてくれたから。

 

 ほんの少しだけ気恥ずかしそうに、その何倍も嬉しそうにアイズは微笑(わら)えた。それは優しい父と母を亡くしてからアイズが初めて浮かべることが出来た、心からの笑みだった。

 

 

「リヴェリア…」

「なんだ…?」

「リヴェリアは…いなくならない?」

「ああ。お前が望まない限り、お前の側にいるよ」

「……いなくならないで。此処にいて」

「ああ。私は此処にいる。だからお前も、私の前からいなくならないでくれ」

「…………うん」

 

 

 リヴェリアに抱きしめられた格好のまま、アイズもまたハイエルフの王女へおずおずと両手を伸ばす。互いに抱きしめ合い、体重を寄せ合う格好となった二人は、確かに家族(ファミリア)と呼ぶに相応しい絆を感じさせた。

 

 そのまましばし体温を分かち合い、言葉ではなく心を交わし合う二人であったが、やがてアイズが決然とした面持ちで顔を上げてリヴェリアに声をかけることでその暖かな時間も終わりを告げる。

 

 

「リヴェリア…。聞いてくれる?」

「何だって聞いてやるさ」

「…………私、酷いことをしちゃった」

「なに…?」

 

 

 酷いことをしたと告白するアイズこそが酷い顔色を晒しながら、たどたどしい語り口であの日の騒動の一部始終を語り始めた。

 

 それは懺悔であり、助けを求める叫びだった。自らの行いによって師を傷つけたことへの悔恨が嫌というほど込められたアイズが零す精一杯のSOSだ。

 

 

「リヴェリア……私、あの時先生を傷つけちゃった。先生は私を助けてくれたのに。勝手に怖がって、先生を拒んで……来ないでって! 言っちゃったの…!」

 

 

 普段飄々とした笑顔を崩さないセンリがあの瞬間に見せた驚愕と痛みを宿した顔は今もはっきりと脳裏に焼き付いていた。あの時のセンリの気持ちを思うと、アイズは堪らなくなって胸を掻き毟りたくなる。

 

 

「あの時、先生はきっと私と同じ顔をしてた…!」

 

 

 絆を失うことに怯え、傷つけてしまったことを悔いていた。再び絆をつなぎ直そうとして、本当に断ち切れたらどうしようと恐れ、一歩を踏み出せずにいた。

 

 理屈ではなく共感を以てアイズはその事実を理解していた。

 

 その痛みがアイズ自身分かるから、どれほど辛い痛みをセンリに与えたか分かるから、大切な人を深く傷つけてしまったという事実が幼い少女を苦しめていた。

 

 

「先生が悲しんでるって思うと……私も、痛い。(ここ)が、痛いの…」

 

 

 辛そうな顔で唇を噛み占めるアイズを見て、リヴェリアは先ほどの派閥首脳陣による議論が下した結論の正しさを改めて再認識する。

 

 そしてアイズの理解者たりえるセンリの重要性もまた。

 

 たとえ痛みを伴う形であれ、アイズはセンリの心に共感してその痛みを案じていた。これまでのアイズには全くと言っていいほど見られなかった心の動きである。

 

 なにもかもを、己の命すら切り捨てて純粋に一つの道をひた走っていたアイズの心に生じた()()()()()……だがそれこそがアイズに最も必要なもの。エルフが大木の心と呼ぶ、揺るぎない自己を確立させるために必要なもの。

 

 他者との触れ合いとそれがもたらす心の交流こそがアイズの健やかな成長に必要だった。

 

 それは過酷な境遇から少なからず歪んでしまったアイズが自然と心を開き、共感を覚える精神性の持ち主であるセンリでしか成しえなかっただろう。

 

 リヴェリアは待望していたアイズの心の成長が、自分に全く関わりがないところで成し遂げられたことに密かに嫉妬を感じつつもひとまずその事実を歓迎する。私情を吐き出すのは全て後回しだ。いまは何よりもアイズの告白にこそ向き合うべき時だった。

 

 

「でも、怖い! それも本当なの!! 先生に会いたい、会って謝りたい!! でももう一度会った時に今度は怖がらないでいられるか……分からない」

「そう、か…」

 

 

 いまのアイズはそれこそ足元が底なし沼に捕らわれた心地でいるのだろう。ズブズブと沈んでいくことを自覚しながら、前に進むことでもっと悪い状況に陥るのではないかと怯え、一歩を踏み出すことが出来ない。

 

 その気持ちはリヴェリアにも痛いほど分かった。それはあらゆる『決断』に伴う、逃れられない心の痛みだったからだ。

 

 

「リヴェリア…」

「アイズ…」

「でも、嫌だ。このままじゃ、嫌だ…!」

 

 

 リヴェリアが目を見張るほどの強さを以て、少女は拒絶を叫ぶ。このままでいるのは嫌だ、と。恐れは未だアイズの胸に巣くっている、それでも『小さな勇気』を振り絞って少女は現状打破のために『決断』する。

 

 

「リヴェリア…………()()()

「任せろ」

 

 

 自らだけではどうにもならない問題の解決に助けを求める。それもまた確かな『決断』であり、少女の成長の証左だった。これまでのアイズならば自らだけで抱え込み、仲間(カゾク)に助けを求めることなど思いつきもしなかっただろうから。

 

 故に双方一言を交わし合ったのみで十分。それ以上の言葉は不要だった。

 

 

「アイズ」

「うん」

「センリと話す場は作れる。私も同席するし、必要ならば誰であろうとその場に呼んでいい。私が許す」

 

 

 さらりとアイズにだだ甘な発言を漏らしながら、だが…と釘も刺す。

 

 

「だがセンリと意思を交わすのはお前だ。直接言葉を交わすのが辛いのならば手紙でもいいし、間に人を挟んでもいい。それでもお前自身が彼に向き合わなければならない、これは絶対だ。……出来るか?」

「うん…。私、もう一度先生と会いたい。会って謝って……また剣を教えてほしい!!」

 

 

 未だに罪悪感と恐怖という重苦しい気持ちを抱えながら、それでもと立ち直ったアイズを見たリヴェリアはフッと懐かし気に微笑みを零す。

 

 その小柄な立ち姿は幾度となく背中を預け合った、頭が回るくせにこうと決めたことは意地でも貫き通す派閥首領の背中を思い起こさせたからだ。同時に彼の種族『小人族(パルゥム)』の持つ最大の武器もまた。

 

 

「どうしたの?」

「なに、懐かしいものを見たと思ってな。それだけだ」

 

 

 リヴェリアが懐かしさを込めて零すと、アイズは訳が分からないとばかりに視線を送ってくる。リヴェリアは敢えてその詳細を明かさず、代わりに全く別のことを話し始める。

 

 

「人は弱く、恐れ、惑う。全くの暗闇の中手探りで道を探し求める決断ができる者は多くない。大体は(うずくま)り、助けを待つことしか出来ない。それは弱さだがごく普通のことであり、けして間違いではない」

 

 

 唐突に始まったリヴェリアの独白に目を白黒させながらもアイズは楽器の旋律のような快い調子で紡がれるリヴェリアの言葉に聞き入る。

 

 

「だがそんな苦境にあっても前に進むことが出来る者こそが冒険者と呼ばれる。『未知』と『恐怖』を前にしてなお、怯える心を叱咤して足を踏み出し握り拳を突き上げる者だけが『偉業』を成せる」

「それは、リヴェリア達…も?」

「無論だ。迷宮(ダンジョン)へ挑むには『力』だけでは到底足りない。能力値(ステイタス)、仲間、武器、装備、知識。それら冒険者の全てを支え、十全に機能させるための土台となるものこそが『心』」

 

 

 その形のないモノを示すようにス…、と形のいい指先でアイズの胸を指差す。

 

 

「アイズ、お前もまたたった今恐怖を覚えながらも一歩前へと踏み出した。その『偉業』を成す根底にあった(モノ)

 

 

 一拍の間を置き、

 

 

「それこそが、勇気」

 

 

 厳粛に、秘事を伝えるように声を潜めてアイズへと囁きかける。 

 

 

「冒険者に最も求められる心だ。本来数値(ステイタス)の成長などよりもよほど重要な冒険者の資質なんだ。お前は今本当の冒険者への一歩もまた踏み出したんだよ」

「……分からない。それは本当に、大事なことなの?」

「お前ならばいずれ分かるさ」

 

 

 なにせお前は私が認めた優秀な冒険者の卵なのだから、と何故かリヴェリアこそが自慢げな響きで話を締める。アイズは詳細こそ理解できずともリヴェリアに冒険者として認められた、という事実に密かに心を浮き立たせた。

 

 けれどすぐにセンリの傷ついた顔が心に浮かび、ささやかな高揚はすぐに沈む。代わりにこの状況を打破してやるという決意が沸々と湧いてくる。

 

 零した涙を拭い、リヴェリアの手を借りて立ち上がる。泣きはらした赤い目の少女はキリリと眦を鋭くし、決意を込めた表情で部屋の外へと続く一歩を踏み出したのだった。

 

 

 

 




 ところで今回のお話と全く関係ないけどうしおととらで潮が麻子と潜水艦のガラス越しに手を合わせて「麻子…大好きだ」って言葉を絞り出すシーンは最高に好きです。

 嘘ですどっかで一回くらい使ってみたいセリフでした。夢が一つ叶って満足です。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十九話、そして少し先の未来

 朝靄のけぶる、まだ夜が明ける少し前の時間。いまだ薄闇に覆われたオラリオの街並みを足早に、しかし見事なほど足音を殺して移動する人影があった。フードを深く被り、人相を隠すいでたちをした二つの影。

 

 

「時間は大丈夫かな。確か待ち合わせる時と場所は…」

「夜明けの頃、例の裏路地にてとの約束です。あちらは件の少女とリヴェリア様、それと主神ロキが来ると聞いています」

 

 

 そう声を潜めて囁き合うのは、イタドリ・千里とリュー・リオンだ。あまり表沙汰に出来ない待ち合わせのため、まるで密会のように人相を悟られないいでたちをせざるを得なかったという事情があった。

 

 

「そうか。ありがとう、リュー。君がいてくれて心強い」

「……私を気にかける余裕があるならば、アイズという娘にこそ心を砕きなさい。マズイと思った時は私がフォローしますが、センリ…やはりあなた自身の言葉を過たず届けることこそ肝要なのだから」

 

 

 衒いのない真っ直ぐな感謝に赤くなった頬を隠すように顔を逸らし、一層速く足を進めるリュー。その様子に怒らせてしまったかなと首を傾げながら人の心が分からない剣客がその背を追う。

 

 

「まずはボクと話したい、とのことだったが…あの娘は大丈夫だろうか」

重傑(エルガルム)によればアイズ・ヴァレンシュタインはまだ完全には立ち直っていないとのことでした。しかし逆を言えばあなたとの会話を望む程度には回復したということでしょう」

「そうか、そうだね」

 

 

 アイズを案じる心、再び拒絶されることを恐れる心。どちらも等しくセンリの胸の内にある。そうした胸の内を的確に見抜き、上手く叱咤しつつ前を向かせるリュー。流石は長くセンリの相棒を務めているだけのことはあった。

 

 そのまましばらくの間、潜めた足音だけが二人の間に響く。

 

 

「いた」

 

 

 そして目的地の目と鼻の先ほどの距離にまで近づくと、不意にセンリが呟き被ったフードを下ろした。開けた視界にけぶる朝靄を見通すかのように鋭い視線を向けて。

 

 

「アイズ…」

「先生…」

 

 

 そして約束の場所にたどり着いたセンリは思わずといった風にその名を呟き、応えるようにアイズも同様の呟きを漏らした。

 

 お互いにその姿を視界に捉えた瞬間、意識の焦点がその一点に引き絞られる。途端に両者の挙動はぎこちなくなり、まるで剣客同士が間合いを図るように緊迫した空気は張り詰めた。

 

 両者とも強張った顔を晒し、お互いだけを見つめている。それぞれの同行者達は視界に入っていても意識に上らない様子で、ただその一挙一動を神経質なまでに捉えていた。

 

 やがて無意識のうちにいつも手合わせを開始する時の間合いまで距離を詰め、静止する。そのまま一言も口を開かずに、出方を窺うようにお互いを見やった。

 

 

(不器用やなぁ、二人とも)

 

 

 と、その場にアイズと同行していたロキが口の中で呟いた。まるで決闘に臨む剣士のようなピンと糸を張った緊張感に満ちた師弟の対峙だが何のことはない、お互いどう話を切り出すか迷っているだけに過ぎない。

 

 喧嘩別れした二人が仲直りしようとして、一歩を踏み出しあぐねている。言ってしまえばただそれだけの絵面なのだ。

 

 

「ほれ、なにを熱く見つめ合ってるんや。今日は稽古で来たんとちゃうやろ」

 

 

 パンッ、と手を打ち合わせる音が響き、その奇妙なお見合い状態に終わりを告げる。おちゃらけた言動が張り詰めた緊張を霧散させ、見つめ合う二人が我に返る間を作り出した。

 

 その間に乗じてフゥ、とアイズは気を落ち着かせるために息を一つ吐いた。

 

 

(大丈夫。怖いけど、それだけじゃない)

 

 

 恐れは未だ、アイズの胸に巣食っている。センリを見ていると懐かしい慕わしさと同時に、あのバラバラ死体を見た時の拭いきれない恐怖も条件反射で湧き上がってきてしまう。

 

 だが、

 

 

(リヴェリアがいるから…)

 

 

 私が付いているぞ、と意思を込めた視線を背中に感じられるからアイズは平静を保つことが出来ていた。一人で来ていれば、そしてリヴェリアと触れ合うことで立ち直っていなければもっと心は揺れていただろう。

 

 それが弱さと堕落であるとはもう思わない。悲願(ネガイ)がいまだアイズを強く縛り付けている一方で、悲願(それ)だけがアイズではないことも知っているから。

 

 むしろ恐れを前にして一歩を踏み出す勇気をくれる大事なものだと、リヴェリアが教えてくれた。恐怖があり、後悔がある。それでもアイズに怯む心はなかった。

 

 その気概を示すように、ためらいがちながらもアイズの方から沈黙を破る。

 

 

「……久しぶり、だね」

「……そうだね。会えて嬉しいよ」

 

 

 ぎこちなくも確かに師弟の会話が始まった。そのことを察した傍観者たちも師弟たちの視界から逃れるように一歩下がる。 

 

 

「君に会いたかった。話したいことが、たくさんあるんだ」

「私は…私も、そう。たくさん言いたいことと、聞きたいことがある」

「そうか」

「うん。でも、その前に――—」

 

 

 アイズは一度言葉を切ると眦を鋭くし、そのままスラリと背中に追った鞘から愛剣ソード・エールを抜き放った!

 

 

「頼もう」

 

 

 そして至極大真面目な顔で天然ボケをかました。これには軽い冗談のつもりで大嘘を教え込んだロキもええぇ…と引きつった顔を晒す。

 

 

「……この場合はせめて一手ご教授ください、の方がまだ適切かな」

「えっ…」

 

 

 一呼吸を置いてから冷静に師匠から指摘され、狼狽えたあと大嘘を教え込んだロキをキッと睨む齢七つの冒険者。堪忍や、冗談だったんやと弁解するロキの背中を抗議するように握りこぶしでポカポカと叩いている。見た目は子供の癇癪だが割と力が入っているのか、ロキが漏らす悲鳴もかなり痛そうだ。

 

 その滅多に見せない珍しい仕草に思わず苦笑が漏れ、一拍遅れてその意味に気付く。

 

 

()()、あったかな。それも良いことが…)

 

 

 これまでのアイズならば見せなかった、仏頂面ながらも開けっ広げな感情表現。正確に言えば感情表現を見せるだけの余裕がなかったと言うべきか。だがいまのアイズを見て『人形姫』と言い出す輩はいまい。

 

 

(恐らくは…)

 

 

 アイズとロキのやり取りに苦笑を漏らしつつ、強引に割って入って二人を引き離したリヴェリア・リヨス・アールヴが鍵か。こちらもこちらで以前『黄昏の館』で話していた時にあった、アイズに対し一線を引くような遠慮が消え去っている。

 

 

(ロキ・ファミリアに尻拭いをさせてしまったか…)

 

 

 アイズの心を傷つけてしまったのは自分の失態である。その埋め合わせをロキ・ファミリアが負ったからには貸し一つとして捉えるべきだろう、と当のロキ・ファミリアが聞けば考え過ぎだと苦笑を漏らしそうな思考を回す。

 

 

(うん。やはりこういうところは家族(ファミリア)には敵わないな)

 

 

 事実を事実として認めつつもそれはそれとして、師として気が抜けないと気合を入れ直す。だが少なくともアイズが一番の底を抜けたらしいことは素直に喜ばしかった。

 

 

「二人とも、そこまでにしておけ。流石にセンリも呆れているぞ」

「いえ、そんなことはありませんよ。良いものが見れました」

「うーんこの一から十まで本音で言ってる感じ、妙に懐かしいわぁ。センリと話しているって感じがするなー」

 

 

 と、ロキが何故か感慨深げである。センリはその反応に首を傾げつつもさして気に留めず、ズレかけていた話の筋を修正する。

 

 

「それよりも、手合わせをご所望ということでいいかな」

「うん。先生となら、多分()()()の方が早いと思うから」

「なるほど。一理ある」

 

 

 お互いの調子を計るなら言葉よりもむしろ剣を交えた方が早い。明らかにおかしな結論に遅滞なく同意し、意見を一致させるさまは正しく似た者師弟だった。

 

 

「行く」

「応」

 

 

 と、アイズがソード・エールを構えるとセンリも併せて抜刀。静かに闘気を高め、やけに息の合った様子で頷き合う二人。その姿は容姿や手にした得物こそ異なれど、雰囲気は鏡合わせのようにそっくりである。

 

 

「やはり師弟か」

「拳で語るいうんは聞いたことあるけどなぁ。剣かぁ」

「彼らを世人と一纏めに扱うなど誤りもいいところ。ある意味、()()()と言うべきでしょう」

「確かに、な」

 

 

 そう評する外野の声も既に二人からは遠い。既に対峙する先生/弟子の一挙一動に気を配り、互いに切り込む隙を窺っていた。

 

 そしてあるかなしかの隙を見出したアイズが(ザン)、と迷いの無い一閃で斬りかかる。その場の高位冒険者も感心するほどに鋭い斬撃は、予定調和とばかりにセンリの愛刀によって防がれる。

 

 互いの佩刀が交差し、そのまま力比べに持ち込む。敢えてスキル《自己制御(ハンディキャップ)》を用いることで身体能力(ステイタス)に差はない。純粋な力比べに興じる数瞬の間、剣越しに視線が合う。このまま打ち合うかとどちらからともなく誘い、もう一方も素直に誘いに乗った。

 

 互いに力を込めて相手を弾き飛ばし、再び距離を取る。そして同じタイミングで呼気を一拍挟み、更にもう一度タイミングを重ねて互いの間合いへ一歩を踏み出した。

 

 そして繰り広げられるのはさながら剣戟の舞踏。

 

 元より言葉を交わすよりも剣を交わす機会の方がはるかに多い師弟だ。一瞬たりとも同じ場所に留まらない高速の斬り合いの中、剣戟を通じて()()()()()()()()()()()()()()

 

 

(酷いザマだ、()()()()…)

(鈍ってる、先生()

 

 

 幾度となく剣を交わしたからこそ分かる。対峙する先生/弟子の剣技が僅かに鈍っている。

 

 

(それだけ、君を傷つけてしまったのか)

(先生も痛かったんだ。私と同じように…)

 

 

 お互いがお互いの抱く強さへの執着が分かるから()()がどれほどの異常事態か理解できてしまう。本来身に着けた剣技の劣化など最も強く忌避すべき事態なのだ。だというのにそんな事態に陥っているということは、それ以上に重大な出来事が生じたからに他ならない。

 

 

(やはり、ボクは…)

(一つ、分かった。私はやっぱり…)

 

 

 そのまましばし二人は何かを確かめ合うように切り結び合い、機を見計らって後ろに跳びすさる。残心のため一呼吸分警戒の間を保った後、計ったように同じタイミングで剣を下ろした。師弟のあまりに息の合いすぎた様子に同行者達はそれぞれ複雑な視線を再び見つめ合う二人に送る。

 

 

「師弟、だな」

「……これは、何とも言い難い」

「ウチの目も中々捨てたもんやないなー」

 

 

 一人自慢げな様子なのはロキだけだった。アイズとセンリ、それぞれに最も親しい二人は師弟の絆に自分達との間にあるものとはまた違う、師弟の間に入り込めないものを感じて複雑な感情を漏らした。

 

 とはいえ師弟たちにとってはお互いにしか意識を向ける余裕はなく、剣の次は言葉を以て語らいを重ね始める。

 

 

「分かったことがある」

「……なんだい?」

 

 

 自分の気持ちを確かめるように数瞬だけ胸の前で手を握り、瞼を閉じたアイズはキッと開いた瞳で真っ直ぐにセンリを見つめた。

 

 

「こうしていると、楽しい」

 

 

 単純で短く、しかし気持ちの籠った一言。それにセンリは良い意味で虚を突かれ、フッと脱力するように微笑するように息を漏らす。

 

 

「私、先生が好きだ。リヴェリアとフィンとガレスの次くらいに好き」

 

 

 幼子特有の無邪気な『好き』。リヴェリアと絆を確かめ合ったアイズは、それを表に出すことに躊躇いを感じなくなっていた。これもまた一つの進歩、アイズが培った心の成長と言えた。

 

 なお、あれウチは…? と間の抜けた言葉を漏らすロキは二人の視界の外で密やかにリヴェリアに制圧されていた。

 

 

()()()、先生のことが凄く怖かった。多分、今も同じことをされたら怖い。でも、それ以上に先生から剣を教わっている時間は楽しかった。だからもっと先生から剣を教わりたい。このまま終わりなんて(イヤ)

 

 

 センリとアイズの間に確かに在った(モノ)。アイズにとって今の剣戟はそれを確かめるために必要な儀式だった。

 

 恐怖を忘れたわけでも感じないわけでもない。だがそれ以上に大事なものがセンリとの間にあったのだと思い出せたから絞り出せた言葉だ。

 

 

()()()、怖がらない。私は今よりもっと強い冒険者になる。だからもう一度―――私に、先生の剣を教えてください」

 

 

 子供らしく訥々とした言葉を紡ぎながら、精いっぱいの思いを込めてアイズは改めてセンリに師事を頼み込んだ。

 

 

「……嗚呼(ああ)

 

 

 思わず、という風にセンリの口から嘆声が漏れる。幼子らしい真っ直ぐなアイズの意思表明にまるで眩しいものを見たように目を細めた。

 

 その真っすぐで衒いのない言葉はだからこそセンリの心の中心を揺るがした。そしてそれ故に師としての責任の重みもまた自覚する。

 

 

「もちろん喜んで……と、言いたいところだが一つ条件がある」

「分かった。やる」

「……せめて話は最後まで聞いてから返答しなさい。おかしな条件を付けられたらどうするんだい」

「先生はそんなことしない」

 

 

 どこか肩の力が抜けるやり取りを挟みながら、センリは『条件』を語った。

 

 

「どうかボクの話を聞いてほしい。その上でもう一度、ボクに師事するかを決めてくれ」

 

 

 その『条件』にアイズは不思議そうな顔をした。そんなことで梃子でも動かないと決意したアイズが言を覆すわけがないではないか。拍子抜けした顔をした少女に苦笑を以て言葉を重ねる。別段試験のような真似をするつもりはないのだと。

 

 

「……リューに助言をもらってね。恐れずに、自分を曝け出すことが互いに理解することの第一歩だと。ならば君にボクという人間を多少なりとも理解したうえで道を決めてほしいと思った。それだけのことさ」

「分かった。とにかく聞く」

 

 

 いまいち話の趣旨を理解しているか怪しい応えに苦笑を一つ。とにかく話さねばなにも始まるまいと口を開く。

 

 

「君も気付いているかもしれないが、どうもボクはあまり『普通(まとも)』じゃないらしい」

 

 

 そんな不穏な語り口でセンリの独白は始まった。

 

 

「実を言えば、過去にも今回と似たようなことはあった。恥ずかしながらボクがやり過ぎて親しい誰かに拒絶されるのは君が初めてじゃないんだ」

 

 

 微笑というには苦みが強すぎる笑みを浮かべながら、センリは懐かしさと苦さを思い起こさせる過去をゆっくりと語り始めた。

 

 

「……初めては、確か極東から旅立ってそんなにしないころだったかな。ある行商人の夫婦と旅路を同じにするうちに親しくなってね。彼らの護衛の真似事をする代わりに食糧を分けてもらったり旅の智慧を教わったりもした。

 今でも彼らは掛け値なしに善良だったと断言できる。同じくらい世知にも長けていた。彼らからはたくさんのことを教わったし、彼らもボクを好いてくれたと思う。……最後はあまり良い別れは出来なかったけれど」

 

 

 途中までは懐かしそうに、最後の言葉だけは寂し気に締める。

 

 

「そんなある日、彼らは窮地に陥った。詳細は省くが彼らは破産した。一介の行商人には払えない過ぎた不良債権を抱え込んだ。このままだと夫婦は引き離され、苦界に身を落とすのは目に見えていた。

 ボクはもちろんそんな未来は御免だったが、所詮彼らとは他人で剣を振るしか能がない男だ。手の出しようがなかった」

 

 

 と、一旦言葉を切り。

 

 

「本来なら」

 

 

 そう含みのある一言を付け加えた。

 

 

「幸か不幸か、彼らが破産した城下町の付近にはかなり大きな匪賊が巣食っていた。いや、というよりも強盗・略奪を生業とする悪徳派閥(ファミリア)だった。頭目はLv2の強者で、城下街を収める藩主も手を焼いていた。少なからぬ懸賞金がその派閥に懸けられていた」

 

 

 神の恩恵(ファルナ)を受けたLv2の眷属は、オラリオの外において相当な強者だ。まず神の恩恵(ファルナ)を受けるだけで常人とは一線を画す強さを得られるし、ましてや昇格(ランクアップ)した者自体が相当に稀少である。小国ならば一人いれば僥倖、そう断言して良いほどに。

 

 それほどの戦力が匪賊の集団に属し、領地を荒らしまわっているのは藩主にとって悪夢だろう。懸賞金の額は破格だったが、軍を動かす費用を考えればそれでも安く付くだろうという金額だった。もちろんセンリにとってそんなことはどうでもよかった。

 

 その報奨金が行商人夫婦が負った借金を返済できるだけの金額に足りていたことだけが重要だった。逆に言えばそれ以外はどうでもよかった、()()()()()()()

 

 武芸者が戦場で己の無力故に骸を晒すのは当たり前…、当時のセンリは本気でそう思っていた。だが理屈が通っていても一切の躊躇なくその理屈を体現できるのはやはり普通とは言えないだろう。

 

 

「極めて危険な綱渡りだったが、渡りに船だとボクは()()()。世間から毛嫌いされる悪党を叩きのめし、同時に友人たちも救うことが出来る。一石二鳥だと」

 

 

 浮かべた笑みに含まれた苦さが一層大きくなる。全ての前提から間違えていたと後から悟ったが故に見せる、悔恨がそこにあった。

 

 当然だろう。本来決死の覚悟で挑むべき場面で無邪気に()()を示せる壊れた人間など、まともな人間とうまく付き合えなくて当たり前だというのに、当時のセンリはそれを理解できていなかったのだ。

 

 

「当然だが血で血を洗う死闘になった。彼らの棲み処を襲撃したボクは彼らの大半を刀の錆にし、派閥の主神と頭目を捕らえた。死にかけこそしたが、ここまではさして問題は生じなかった。

 捕らえた者たちを城下町へ連行し、藩主に引き渡した時も当初真偽を疑われたものの最終的には認めてもらった。藩主から士官の誘いを受けたのは予想外だったが、何とか断ることが出来た」

 

 

 まごうことなき武勲、武芸者ならば誇るべき偉業もセンリにとっては過ぎ去った遠い過去の話だった。

 

 

「問題はむしろ懸賞金を受け取り、苦境にある行商人の夫婦たちと会ってからだった。当時の僕は無邪気に彼らが喜んでくれると思っていた。だが、そんな単純な話では終わらなかった」

 

 

 これがおとぎ話か講談ならめでたしめでたしで〆られただろうエピソードだが、現実である以上当然ながら()()()がある。

 

 

「もちろん彼らは感謝してくれた。この褒賞金は受け取れないと固辞すらした。そんな彼らに半ば強引にボクは金銭を押し付けた。当時のボクは金銭にあまり興味がなかったから、彼らが受け取らなければ意味が無いと思っていた」

 

 

 当時のセンリの思考はそこで終わり、行商人夫婦がどう感じ、考えるかなど慮外の外だった。

 

 

「ボクはのんきに喜んでいた。これでまた彼らとの旅路を続けられると。結論から言えばその考えは誤りだった」

 

 

 不吉な前振りのあと、センリは結果だけ述べた。

 

 

「彼らとは次の街で別れた。ボクとの旅にこれまでのように付き合えないと、憔悴した顔で伝えられた。最後まで彼らは申し訳なさそうだったが、ボクも恐らく同じ気持ちだった。当時のボクは彼らの気持ちを一切理解できなかったからだ」

 

 

 今は多少なら分かるけれど、と付け足す。

 

 

「結局のところ、ボクと彼らの価値観が決定的にズレていたのが問題だった。

 一宿一飯の恩と言えば聞こえはいいが、商人らしくバランス感覚に優れていた彼らからすればボクのやり方は理解できなかったらしい。ボクに大きすぎる貸しを作ったまま、かつ有力な匪賊の群れを一人で根切りに出来る化け物と旅を続けるのは彼らにとって辛いことだったようだ。そして彼らの苦しみをボクは察知していたが、その理由までは遂に理解することが出来なかった」

 

 

 イタドリ・千里は良かれ悪しかれ純朴で、行動に一切の躊躇がない=剣を振るうことに迷いがない。それは冒険者として美点ではあったが、旅路を共にする間柄としては必ずしも美点にはならない。お互いの価値観が理解できないとすればなおさらに。

 

 センリの逆鱗に触れればその暴威に晒されるかもしれない、と行商人の夫婦が考えたのも無理はない。センリは間違いなく善良で腕の立つ武芸者だが、一方でその行動を規定するルールはセンリ個人の中で完結しており、他者からは理解しがたいことが多かった。

 

 友人を救うのはいいことだ、それは誰もが理解できるだろう。だがそのために躊躇なく一人で盗賊団を襲撃し、壊滅してのける男の頭の中身を理解できるものがどれほどいるだろうか。

 

 善人・悪人を問わず共通する価値観である、損得勘定に従って考えてもセンリの行動は明らかに釣り合いが取れていない。

 

 ありていに言えば、どれほど愛想が良かろうと襲い掛かる夜盗やモンスターを躊躇なく笑みさえ浮かべて斬殺してのける気狂いを相手に付き合い続けるのは常人の神経を否応なく削るのだ。行商人の夫婦が破産するまで問題なくセンリとの旅路を続けられたのは、その間センリの異常性が明るみに出なかったからに過ぎない。

 

 

「ボクは彼らを薄情とは思っていない。当時は分からなかったが、ボク自身少なからず問題があった。彼らともっと金銭と盗賊団の件について話し合うべきだった。たとえ本当に分かり合えないのだとしても、お互いの間にわだかまるしこりを解消する努力を重ねなければならなかった。当時はしこりの存在にすら気付かなかったから、本当に後付の理屈でしかないが」

 

 

 過去の自身を皮肉るように唇の端を吊り上げ、自嘲の笑みが色濃くなる。

 

 

「そして似たようなことはそのあと何度も起こった。自分のサガを自覚できたのはオラリオに来て、アストレア様と語り合う機会を得られたことがキッカケだった。以来、出来る限り自らを戒めているつもりだが……」

 

 

 今回の顛末を見るにその成果が出ているとは言い難かった。故に自分の未熟に重苦しいため息が自然と漏れる。

 

 

「どうしても分からないんだ、人の心というものが…。何故救いようのない悪党を始末する()()のことでこうも怯えさせてしまうのか。そして分からないからこんな真似をしてしまうのだろう…」

 

 

 一片の疑問もなく、それでいてどこか申し訳なさすら感じるズレた発言にリューは頭痛をこらえるように顔をしかめた。自分を曝け出せとは言ったが、あからさますぎる。これでは却って少女を怯えさせてしまうのではないのかと。

 

 一方で意外なほど冷静な顔で話を聞いているのはリヴェリアとロキだ。彼女たちは想定内という風に平静を保っていた。倫理的には問題のある発言だが、元より倫理観を育てる役割については一切期待していないのだ。であれば自分達ファミリアで気を付ければいいだけだという理屈で彼女たちは折り合いをつけた。

 

 

「話が長くなったが、結局ボクが言いたいのは一つだけだ。つまりボクに師事する限り、()()()()ことは何度でも起きる。ボクも自身を戒めているつもりだが、当てにならないことは今回の騒動で証明済みだ。遺憾ながらね」

 

 

 そう語る内に自嘲の笑みは無表情に変わり、ほとんど突き放すように吐き捨てた。リューにすら語ったことのない、直視しがたい過去を吐露したのはひとえにアイズに警告するため。

 

 正直なところ古傷を抉る告白によって精神的に少なくないダメージを負っていたが、何とかこらえてアイズへ威圧すら込めて問いかける。

 

 

「正直なところ、迷っていた。いや、今でも迷っている。師を務める内にまた君を傷付けてしまうのではないかと…。けれど君の決意を聞いてボクも覚悟を決めたつもりだ」

 

 

 自身の弱音、無様を敢えて晒しながらも…。

 

 

()()()()と、君が言うのなら」

 

 

 端的に、そして決意を込めてセンリは宣言した。

 

 

「それでも君がボクに師であれと求めるなら―――応えよう。全霊を尽くして」

 

 

 それは互いの覚悟を問い直す言霊だった。

 言葉そのものではなく、言葉に込められた感情の熱量にその場にいたアイズ以外の者は瞠目した。

 

 

「…………」

 

 

 そして問いかけられた幼い少女は目を瞑って二呼吸分の沈黙を挟み。

 

 

「それでも、()()()()

 

 

 センリに比する熱量を、怒りすら込めて言葉に換えた。

 

 

()()()()()()()! 先生じゃないと、(イヤ)!!」

 

 

 大音声。

 

 路地裏に木霊する声は、アイズが激発させた感情の表れだった。腹が立つ、という感情を隠しもせずにアイズは言葉を吐き出す。

 

 

「先生は色々言っていたけど、難しくて良く分からない。だって、先生と私の何が違うの?」

「それは―――」

「違わない。きっと何も違わない」

 

 

 諭そうとしたセンリを遮り、アイズはただ胸の内で燃える熱を吐き出す。理不尽だと分かっていてもセンリには誰よりも強く揺るぎなく立っていて欲しかった。

 

 だってイタドリ・千里はアイズ・ヴァレンシュタインが誰よりも強く優しい父の面影を見た師匠なのだから!

 

 

()()()のこと、覚えてる? 私は先生を怖がって『来ないで』って言ったことを」

「……もちろん。ボクのサガが君を傷つけた。申し訳なく思っている」

「違う! ううん、違わないけど()()()()()()()()。絶対にそれだけじゃなかった」

 

 

 だというのに肝心の師が意味が分からない迷いに揺らいでいる。そんな姿をアイズは許容できなかった。迷うセンリに活を入れるため精一杯言葉を尽くし、語り掛ける。

 

 だが対するセンリは何を言い出すのかと訝し気な視線を向ける。その視線にアイズは何故分からないのかともどかしそうに首を振った。

 

 

「あの時、先生は私のこと傷つけたって思ってた。私も同じ、先生を傷つけたって……嫌われたって思った。

 それを何とかしないとって思って、でも何とか出来るか分からなくて、何とかできなかったらどうしようって怖がってた。

 先生もきっと同じことを思ってたはず。違うの?」

「———」

 

 

 絶句する。

 

 リューのようにセンリの心情を汲み取ってくれた者はこれまでにもいた。だがセンリの心情にこれほどまでにぴったりと共感した者は随分と久しぶりだった。思い出すのに苦労する程度には。

 

 それほどにアイズの言葉は当時のセンリの心境を見事に言い当てていた。そしてあの瞬間のアイズの傷ついた顔を思い返せば、思わず腑に落ちる部分が多々あった。

 

 

「先生は人の心が分からないって言った。でも私だってリヴェリア達が何を考えているかなんて分からない。それはそんなにおかしなことなの?」

 

 

 アイズの素朴とすら言える疑問は続く。

 

 

「私はリヴェリア達のことが好き。リヴェリア達もきっと私のことが好き。だから私はそれでいい。リヴェリア達が考えていることなんて分からないけど、それでもいいんだって私は思う」

 

 

 センリは先天的な、アイズは後天的な要因によってという違いこそあれどちらも普通とは異なるズレた感性の持ち主だ。もちろんそのズレ方にも差があり、全く同じというわけではない。

 

 だが共通する部分も間違いなくあり、そこを起点に得た共感を訥々とした口調でアイズは対面の師へと語り掛ける。

 

 

「先生は変な人かもしれない。私も先生が何を考えているかなんて全部は分からない。でもちょっとは分かるし、私はそれだけでいい。先生はきっと欲張りすぎ」

「欲張り…。初めて言われたが、確かにそうかもしれない」

 

 

 共感。

 

 誰もが他者と触れ合う中で無自覚に得るその感覚を随分と()()()()()センリは得た。懐かしい感覚に不意に極東で神や孤児の兄妹たちと触れ合った時間を、オラリオまでの旅路を共にした人々の顔を思い出した。

 

 

(ああ、()()()()()()()()…。忘れていたな)

 

 

 件の行商人夫婦とも最後は不幸な別れ方になってしまったが、旅の途中でともに笑いあった時間が消えてしまったわけではなかった。例えセンリの所業によって断ち切れてしまったのだとしても、確かにそこには絆があり、共感があったのだ。

 

 誰かが笑えばセンリも嬉しかった。誰かが泣けばセンリも悲しかった。悪行には怒りを、善行には敬意を抱いた。

 

 イタドリ・千里はキチガイで、普通よりズレた感性の持ち主だ。だが共感する能力まで喪失しているわけではない。その証拠にリュー・リオンを筆頭にアストレア・ファミリアの皆やアイズ・ヴァレンシュタインなど確かな絆を結ぶことが出来た者たちが何人もいたのだ。

 

 すれ違いばかりが続いていたせいで知らぬ間に人間関係に臆病になっていたらしい、と自身の怯懦を笑う。そしてそのことを気づかせてくれた愛弟子に感謝と称賛の視線を向ける。

 

 

「……弟子もまた師を育てる…か。あの時は意味が分からなかったが」

 

 

 一理ある、と感慨深げに呟くと評された当人は不思議そうに首を傾げた。

 

 センリの脳裏に過去の一幕、極東から旅立つ別れの日にタケミカヅチから苦笑交じりにかけられた言葉が蘇る。お前を育てた時間に、俺たちもまた何かを得ていたという言葉が。

 

 神とは本来永遠不変なる超越存在(デウスデア)、だがその本質は変わらずとも下界で人間(こども)たちとともに時間を積み重ねることで得られるものが確かにある。

 

 きっとタケミカヅチがあの時感じていたのも、センリがたったいま得た()()()に近いものなのだろう。

 

 この会話の前後でセンリ自身は何も変わっていない。相変わらずどこか普通とはズレた感性の持ち主で、剣術狂いのキチガイだ。

 

 だがそれでも、

 

 

()()()()()()()()()。気の持ちよう一つで随分と変わるものだ)

 

 

 存外に自分の視野は狭かったらしい。そして思った以上に単純な性格であったようだ。そう苦笑が漏らせる程度には、アイズとの関係に悩んでいた内心の重苦しさが軽くなっていた。

 

 

(ボクは異常(ボク)だ。きっとそれは生涯変わらない。ずっと一生ズレたまま生きていくんだろう)

 

 

 これまでならきっとその事実にやるせない気分を覚えただろう。だが今は違う、少女の言葉がセンリの中の鬱屈した思いを融かしてくれたから。

 

 

()()()()()()…。今ならそう思える)

 

 

 普通(みんな)異常(センリ)を隔てる壁は確かにあるけれど、それを理由に誰かに手を差し出し一歩を踏み出すことに躊躇するのはもう止めよう。

 

 何故なら相棒(リュー)はセンリの手を取って導いてくれた。そして弟子(アイズ)もまたセンリの本質を知ってなお大したことではないのだと叱咤してくれた。

 

 で、あれば己一人が無様を晒すわけにはいかないのだ。

 

 そうささやかな男のプライドを芯に奮起するセンリ。どこか迷いが晴れた顔を見せる青年へトリックスターの女神が山場は抜けたと判断し、軽妙な調子で声をかけた。

 

 

「ハハッ、妙な悩みも吹っ切れたいう顔やな」

「神ロキ…貴方に感謝を。貴女の眷属にボクは(もう)(ひら)かれました」

「そやろ? ウチの自慢の眷属や」

「ええ、本当に。しかし許されるならどうか一言だけ付け足させていただきたい」

 

 

 心底から自慢げに、嘘偽りなど何一つないという天真爛漫な女神の笑顔にセンリも同質の心からの感謝と愛情を込めた笑みを教え子に向ける。

 

 仔細は掴めておらずとも主神と師匠に褒められたと理解できたのだろう。無表情ながらどこか胸を張って自慢げな様子である少女へ風のような歩調で近寄り、思いを込めてゆっくりと頭を撫でる。

 

 

「流石はボクの愛弟子だ―――とね」

 

 

 いつもの飄然とした口調に茶目っ気をプラスした発言に、その場にいた皆がそれぞれの表現で安堵や喜びを表した。それはアイズの希望を受け容れるとセンリが明確に示したサインだった。

 

 

「じゃあ!」

「稽古の再開はまた神ロキ達と時期を相談してからだ。あの一件でオラリオもまだゴタついている。少し様子を見た方がいいかもしれないからね」

 

 

 喜びの声に間髪入れず返されたにべもない返答にむぅ、とアイズは唸る。今までよりもずっと自然体を見せるその姿にセンリは久しぶりにあのふわりと吹く春風のような笑みを浮かべた。

 

 

「だから本拠地(ホーム)では基礎練をしっかりとこなしなさい。千里の道も一歩から、だ」

「……分かった。仕方ない」

()に会った時の君の成長を、楽しみにしているよ」

「!?」

 

 

 そう、そうだ。

 

 

(次が、ある。また先生に教えてもらえる)

 

 

 次の機会が得られ、また今度と言える。それはきっととても幸せなことなのだと、アイズ・ヴァレンシュタインは久しぶりに悩みの吹っ切れた軽やかな気持ちで「はい!」と返事を返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして少し先の未来。

 いつものように、いつもと同じ路地裏で密かに繰り広げられる師弟の稽古風景。

 

 だがいつもより師が上機嫌なことにアイズは目ざとく気付く。そして気付けば疑問の声を上げるのに躊躇う間柄ではない。

 

 

「どうしたの?」

「ん? なにがだい」

「普段よりも嬉しそう」

「ハハ、分かるかい」

 

 

 隠すでもなく、むしろ聞いてほしいという風に開けっ広げな喜びを示すセンリ。どうしたのかと問いかけるよりも前に本人の方から口を開いた。

 

 

「つい先日、知人と再会したんだ。随分と昔に行き違いで不幸な別れ方をしてしまった夫婦だ」

「それってもしかして…」

「ああ。あの時君にも話した行商人の夫婦だ。いや、今では元が付くらしいけれどね」

 

 

 もしや、と疑問と期待を込めた問いかけにやはり上機嫌そうにイエスと答える。

 

 

「ボクの名を聞いてわざわざ極東からオラリオまで足を延ばしてやってきたらしい。律儀なことだよ、本当に」

 

 

 飛ぶ鳥を落とす勢いで躍進を続けるアストレア・ファミリアとイタドリ・千里の雷名は既にオラリオを超えて世界各地まで轟いている。

 

 恐らくは極東のタケミカヅチ達の耳にまで届いているだろう。そして件の元・行商人夫婦もその例に洩れなかったらしい。

 

 

「行商人の身分から商会を興し、遂にオラリオまで販路を延ばす大身になったと聞いた。身なりも随分と立派になっていたよ。それでいて昔のようにボクに接してくれた」

 

 

 それが最も嬉しかったとセンリは言う。

 

 

「過去の不義理を謝られたよ。ボクの方こそ謝罪しなければならなかったのにね。そこら辺をまあお互いに押し合い引き合いしつつやり取りしていたらリューとアストレア様が出てきて上手く間に入ってくれてね。ひとまず昔のようにやっていこうという話になった」

 

 

 それに、と付け加えた。

 

 

「ボクの、というかアストレア・ファミリアの援助も引き受けてくれるらしい。商売抜きで、とは言えないが今度こそけして不義理はしないという約束だ」

「……それが、嬉しいの?」

 

 

 少女がパッと聞いた限りではどこか商売という壁を一枚挟んだ余所余所しいやり取りに思えるのだが、師の浮かべる笑みは本当に心から嬉しそうだ。

 

 

「本音を直截に言い合えている、とボクは思っている。そしてボクにとってはその方がありがたいし、分かりやすい。ボクを理解して一歩歩み寄ってくれているんだ」

「そうなんだ…」

「ああ。()()()()()()()()()()()()()()。今なら素直にそう言えて、それがたまらなく嬉しいんだ」

 

 

 喜びを隠さず心底嬉しそうな師にどこかアイズも胸の奥底が温かくなった。そんな少女にもセンリは喜びと感謝の言葉を向ける。

 

 

「そしてそう思えるようになったのは君のお陰でもある。だから君にも一言だけ言わせてほしい」

 

 

 と、一拍の間を挟み。

 

 

「ありがとう。君と出会えて、君の師になれて本当に良かった」

 

 

 そう嬉しそうにセンリは話を締めるのだった。

 

 

 




 これにて本作は一端の完結となります。ここまで読了いただきありがとうございました。外伝という形で多少続くかもしれませんが、本編はこのお話で区切りとなります。

 本作を読んだ読者(あなた)の心に何かが残せたならこれ以上嬉しいことはありません。よろしければ一言、感想をいただければ幸いです。



 以下、本作を執筆するキッカケなど書きたいことを書いていきたいと思います。お暇な方はよろしければお付き合いください。

 言わずもがなかと思いますが本作のテーマは『師弟』でした。ソード・オラトリア第九巻の幼女(アイズ)が作者の心にクリティカルヒットを食らわせたので、何か幼女(アイズ)をテーマに一本書いてみたかった。

 実は元々第九巻を読破したあとにどこか心にもやもやとしたものがありました。具体的にはアイズとリヴェリア達との関係です。

 もちろん第九巻の出来やアイズ・リヴェリア達に文句があるというわけではなく、何か一味足りないと感じたのです。

 原作の本家本元幼女・アイズは親の心子知らずを地でいく無謀な少女です。彼女は常に悲願に心を焼かれ、何度諭されても自殺志願者じみた無謀な真似を繰り返します。

 第九巻はリヴェリアを筆頭としたロキ・ファミリアがそうしたアイズの心に寄り添い、時に苦しみながら少しずつ家族(ファミリア)になっていく物語です。母の風(エアリアル)発現のシーンは個人的にダンまちベスト10に入る名シーンだと思う。

 さておきそんな親の心子知らずなアイズですが、同時にロキ・ファミリアもアイズの心を理解しきることが出来ませんでした。いや、出来たらそれはそれでマズイんですが。

 ロキ・ファミリアはアイズの家族であり師でありストッパーでしたが、『理解者』になることは出来なかったのだと思います。なお重ねて言いますが、『理解者』になれたらそれはそれで問題になりますのでリヴェリア達が悪いということではありません。

 そうした両者の心の乖離を埋めるために抜擢されたのが本作の剣キチです。第九巻とは無関係に私が構想していたダンまち二次創作のキチガイチックコメディ主人公ですが、彼をアイズの師として戯れに配置してみたところ私の中で思った以上にハマりました。

 ズレたアイズにズレた師匠を置けばどうなるのか。きっと面白いことになると感じたのですね。

 『師は弟子を育て、弟子は師を育てる』。かのケンイチの名台詞ですが、私としては『師弟』を描くならこうした二人を書きたかった。一方的に影響を与えるのではなく、お互いがお互いに影響を及ぼしていく師弟。時に傷つけあってもそれを乗り越えて成長していく二人の関係性をテーマに据えていました。

 そこに注力しすぎたせいで後半はほとんど問答ばかりになってしまい、物語としてテンポが悪くなったのは反省点ですね。『師弟』が本作のテーマだったので、ダンジョン攻略などバトルを組み込む機会が考えづらかったところは正直ありました。

 とはいえ書きたかった師弟の心の掘り下げという点は思う存分書けたので個人的には満足しています。

 本作主人公、イタドリ・千里はあらすじに書いた通り最初から最後まで善良で才能のある、ただのキチガイでした。それ故にキチガイであって決して超人、ヒーローではありません。

 剣の求道こそを第一に掲げながらもそれだけに振り切ることが出来ない。これはタケミカヅチ達に与えられた善性によるもので、ある意味イタドリ・千里というキチガイを人間の側に繋ぎとめていく楔があったからこそです。恐らくタケミカヅチ達に拾われていなければもっと人間味のない、人の形をした凶器へ成り果てていたでしょう。

 ですがそこまで振り切れていない本編のセンリはもっと人間的です。眼前で行われる悪行は不快だし、誰かを助けて感謝されるのは気分が良い。だから誰かを助けることも悪人をぶった切るのも躊躇がない一方でキチガイゆえに致命的に苦手な人間関係については迷うし、傷つくし、ビビります。

 ぶっちゃけあまり格好がいい主人公ではないと思います。自分が読者として見るならもっと振り切れた方が爽快感はあると思いつつも、敢えてそっちの路線には行きませんでした。

 これが『イタドリ・千里の物語』ならそういう方向性も十分ありだったと思います。ですが本作は『師弟、アイズ・ヴァレンシュタインとイタドリ・千里の物語』でした。

 人は強さに憧れ、弱さに共感するものだと思います。ただ強すぎるだけでは心の交流を描くのは難しいと感じ、敢えて師匠のセンリにも明確な弱さを残しました。

 そんな師匠の弱さに共感することで、弟子であるアイズの心の成長を描くつもりでしたが最後の最後で大苦戦しました。完結までの投稿がここまで遅れたのは忙しかった以上に最終話の二人をどう着地させるかが5、6回書き直しても見えてこなかったからです。

 これは作者のミスというか、イタドリ・千里というキャラクターの掘り下げが足りなかったからです。いざ書いてみるとどう着地させたものか迷いに迷いました。

 ある意味でイタドリ・千里は生まれ方を間違えた人間です。生まれつき精神に欠陥を持ち、悪気が一切なく彼なりに努力しているのに結果だけ見るといつも間違える。

 剣術という人並外れた才を持ちそれを志向しながらもそこに振り切ることもできない、弱さを捨てられない人間です。

 この弱さをどう克服するか、そうした方向で考え続けていましたがある日ふと思いました。別に弱さを克服しなくてもいいのでは、と。

 私自身思い当たることが山ほどあるのですが、人間は弱くて間違える生き物だと思います。そのつもりがなくてもミスはするし、分かっているのに正しいことが出来ない。

 正しいことをするべきだし、間違いはしてはいけない。頭ではわかるけれどもそれを実行できるかというと正直出来ない人間です。だってそれをやるのは辛いし。あと正論しか言わない人間は正しいと思いますが仲良くできる気はしないです。

 正直立派な人間であると口が裂けても言えませんが、それでもなんとか生きています。

 私自身そんな程度の人間なので、架空のキャラクターとはいえ過度に『正しさ』を求めるのは止めにしました。正しくなくても、間違えてしまう人間でもそれでいいじゃんと開き直ったら当初の想定とは別のルートに行きつきました。

 弱さを克服するのではなく、弱さを肯定した上で前に進んでいくルートです。

 世の中どうしたって間違えてしまう人間はいるけど、そういう人でも幸せになっちゃいけないという法律はありません。幸せを求めることに引け目を感じる必要もありません。開き直って前に進んでいけば浮かぶ瀬もあるでしょう。

 そういう意味で気付きを与えてくれた本作を書くことは良い経験になったと思います。曲がりなりにも作品を一本完結させることも出来たし、イタドリ・千里というキャラクターにも思い入れを抱けるくらいに書き込むことが出来ました。

 そして一端執筆意欲が折れかけながらも書き続けることが出来たのは読者の皆さまの応援があったお陰です。作者は心の中に全肯定ハム太郎を飼育していないので、頂いた感想を読み返しながらエネルギーをチャージしていました。だから完結まで行けたのは本当に読者の皆様のお陰です。

 なので最後にもう一度、不躾とは思いますが繰り返し強請らせていただきます。

 本作を読んだ読者(あなた)の心に何かが残せたならこれ以上嬉しいことはありません。よろしければ一言、感想をいただければ幸いです。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。