ベルさんは馴染めない。 (杜甫kuresu)
しおりを挟む

ベルさんは読めない。

 ベルゼブブは端的に言うと人ではない。人が呼ぶ所の「悪魔」と呼ばれる、平たく言ってしまえば化物に類するものだ。

 人界にやってきてこの方、ただ「普通に暮らす為」だけに人の姿を取り、特段魔法なんてものも使わず、村に一人はいる美しい娘を演じてきた。

――いや、まあ演じるという程彼女が物を考えていたかは疑問なのだが、とりあえず人のふりはしていたように見える。恐らく。

 

 とはいえ悪魔は所詮悪魔だ。気が緩んだ所を彼女はあっさりと村人に見られ、忌み嫌われ、とうとう森の奥深く、暗い暗い寂れた館で一人引きこもることとなる。

 彼女の能力は「触れたものを腐らせる」。それだけは人の姿を取ろうとも、極力力を抑えようと必ず現れた悪魔の証左。人が恐れるのは致し方ないことだった。

 さて。そんなこんなで数百年。悍ましくも美しい娘の話がお伽噺の類となってもう長い、そんな折に、彼女はある少年と出会った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐぬぬぬ…………」

 

 悪魔でも「腕っぷしだけなら上位」なんて呼ばれ方をしていたベルゼブブは――――――いや、現在はベルか。

 ベルは、文字と格闘していた。具体的には絵本。

 

「読めない。読めないわこれ、わたしには難しいのかもしれない」

「いやあんた、それオレがこーんな時に読んでた本だぞ? 読めるって」

 

 助けを求めるように少年を見るが、少年は自分の胸辺りで手を出して呆れた様子。どうやら五つ、六つの時に読んでもらった絵本のようだ。

 実際、内容は平易なもの。其処まで極端な緩急が有る物語でもないし、文法的にも特別読みにくい箇所はない――――――つまりよく出来た絵本だ。

 

 アレンの物言いがお気に召さなかったのか、ベルは手を振って抗議。

 

「村外れにひっそり住んでるだけなのにどうしてこんな難しいものを読まなくちゃいけないのかしら!? アレンは酷いわ」

「いやそんな泣き言を言われてもオレも困るよ…………あんたがまた人と暮らしたいって言ったんじゃないか」

 

 めそめそとべそをかく妙齢の女性に、アレンはほとほと困り果てたように肩をすくめる。

 

 ベルが住んでいる館は村外れの森の奥、獣道すら無い鬱蒼とした木々の合間に聳えている。煉瓦も落ち、門も開閉に一苦労、大きいだけが取り柄の中も――――――最近はちょっと綺麗になった寂れた館。

 最近アレンに「此処汚すぎるぞ」と言われて人除けの魔法を使うようになったので、まあ人すら迷い込まなくなった。

 

 確かに此処に住むだけなら、仔細は置いておけば文字など読めなくても構わない。時代も時代だ、文字を読めなければ嫁にもいけない――――――なんて訳でもないのだから。

 アレンは目の色を変える。

 

「それにな、こんなに本があるのにあんたと来たら絵本も読めやしない! 本に謝っても謝り足りないからな!」

「勝手に居候してる本に怒って下さい! わたし悪くないもん!」

「本も好き好んでこんな劣悪な環境で居座ってるんじゃない!」

「わるくないもん…………」

 

 拗ねたように唇を尖らせたベルに、アレンは視線を逸らしてつんけんとした態度を崩さない。

 しかしベルが元々持っていた館ではなく、実際逃げるように居座った館なので「勝手に居候している」というのは言い得て妙でも有る。まあそれを言い出すと彼女自身も勝手に居候している訳だが。

 

 諦めたように相変わらずめそめそしながら本に帰っていくベルを、アレンがちらりと見る。

 さめざめとページをめくるショーティー越しの指は、まだ十一のアレンでもその気になれば折ってしまえそうなほど細長く、伸びた腕は陶磁のように白い。緩やかに波打つブロンドの髪は彼女の左目をすっぽりと隠してしまっていて、長さは腰よりも更に伸びている。

 

 憂いげ――――に見えなくもない紅玉のような赤い瞳は、出会った頃から吸い寄せられる魅力があった。

――顔は良いんだよな顔は。

 

 また振り向いて文句を言い始める。

 

「やっぱり無理よ! 人間の文字はわたしには難しいわ、難解、やだ!」

「でも文字くらい読めた方が、また村とかで暮らす時は楽だとオレは思うぞ」

「がんばる」

「頑張れ」

 

 下唇を小さく噛んでベルが涙目で本にのめり込む、流石にアレンも最近少しばかり良心が咎めてくるような錯覚は正直有る。だが万が一ということもある、彼は出来るだけ常識を彼女に詰め込もうと考えていた。

 このまま人間社会に戻ろうものなら、もうお互いに大混乱なのが見え見えすぎて、それはもう彼は想像するだけで頭が痛かったからだ。

 

 思わずアレンは溜息をつく。

 

「本当にこんな調子でまた村とかで暮らせると良いんだけどな…………」

「やっぱりむずかしい――――――そうだ! ねえ、もっと簡単なのは!?」

 

 妙案、と言わんばかりに人差し指を立てながら輝く笑顔で振り向いたベル。

 アレンは呆れたのか、慈悲など欠片もない凍りついた顔で

 

「これより簡単な文章なんてこの世にないよ」

 

 と冷たく言い放った。

 

「嘘です…………むり。よめません」

「じゃあもうずっと此処で引きこもってるしか無いよなー! 困ったなー! オレは別に今すぐ帰っても良いんだけどなー! どうしよっかなー!」

「が、がんばる…………うぅ」

 

 とうとう観念したのか、零れる涙を拭ってベルは読書に勤しみだした。

 

 これは、彼女がもう一度人間社会に溶け込むまでの、いわば「はーとふるすとーりー」の類――――――ではなく、紆余曲折を淡々と描く物語である。

 過度な期待はしてはいけない。




紆余曲折有って見切り発車。
大体「ベルさんかわいいなー!」で終わりたいだけです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アレンくんは教えれない。

一日で三話書いてた程度には適当な進行をしていきます。


「ねえアレン、これとこれの違いって何?」

 

 さて。観念して絵本と格闘を始めたベルであったが、徐にアレンを膝の上に乗せて絵本を指差す。

 ベル曰く「手っ取り早い」らしいのだが、ひょいと持ち上げられて妙齢の女性の膝に乗せられる――――――というのは十一の彼には正直堪える。

 

 毎度辞めるように言っているのだが辞める気配もなく、アレンのほうが最近折れ始めたところだ。

 アレンは指の滑る先を追う。

 

「何って――――全然違うだろ。おじいさんと、子供だ」

「だから、何が違うの?」

「歳」

「どうやって見分けるの?」

「顔見れば一目瞭然だぞ、これは」

「全部一緒じゃない」

 

――全部、一緒? はい?

 思わずアレンは眉間に皺を寄せてベルを睨む。

 

 怒っていると思ったのか、冷や汗を流しながら焦った調子で弁明(?)を始めるベル。

 

「だ、だってね? 2つとも同じ形をしてるわ、むりむり」

「体型も身長も顔付きもきっちり書き分けられてるじゃん、後服も」

「でも同じ骨格だもの…………アレンは見分けられるの?」

「当たり前だろ?」

「凄いわ!」

 

 にぱーっと笑ったベルがアレンの頭を撫でくり回す。嫌な気分ではないが、馬鹿にされてるんじゃないかとつい疑ってしまう内容だ。

 

「わたしには無理よ、ぜったいむり」

「悪いけど何を言ってるのか冗談抜きでオレにはわからない」

 

 骨格で見分けるのは生き物の種類である、人間の個体識別で骨格を外見から判断するのは無謀と言っても良い。銀と銅が置いてあるとするなら、色ではなく硬さで見分けをつけると言うぐらい非効率でも有るだろう。

 

――待て、まさか。でもな、幾らベルがおかしいからってそれは。

 引き攣った顔でアレンが尋ねる。

 

「な、なあベル」

「何?」

「例えば、オレが友達連れてくるだろ?」

「お友達が居るのね、てっきり居ないのかと!」

「余計なお世話だ!」

 

――居ないけどさ!

 アレンは見ての通り、歳にしてはませているというか、しっかりしすぎている。どうしても同年代の子供と反りが合わないのは当然でも有り、また賢しさ故の不幸でも有る。

 

 それはともかく。怒鳴られてしゅんと萎縮してしまったベルを余所に怒ったようにアレンが話を戻す。

 

「オレとソイツが並んだとするだろ? 同じ髪型、同じ身長だとしようか」

「うん」

「見分け――――――つかないのか?」

「つく訳ないじゃない」

「つけろよ!?」

 

 ベルがむーっと頬をふくらませる。

 

「アレンは意地悪よ、どうしてそうやって無理難題をわたしに押し付けるの!?」

「む、無理難題? えぇ? オレが悪いの?」

 

 困惑するアレンにベルが本をぺちぺち叩きながら畳み掛ける。

 

「そうよ! 絵本を読めるようになれとか、人間の見分けをつけろとか、スプーンとフォークでご飯を食べろとか! 難しいことばっかり!」

「ちょっと何言ってるかオレには分かんないな」

「単純明快よ! もっと簡単な事から始めて頂戴!」

 

――これ以上簡単って、何だ?????????

 アレンはこれ以上無く、簡単で、単純で、親切に教えているつもりだった。

 普通自分より十は年上に見える女性にスプーンとフォークの持ち方を教えたり、文字を一文字ずつ読んでやったり。そんな事をする機会はないし、しなくていいし、しろと言われれば顔を顰める。

 

 それでも彼が付き合ってやったのは、偏にベルが文句を言うなりに真剣に取り組む姿を見せたからだというのもまた一つの事実。

 彼はそんな無意識下での理解のもとに、これまでベルに付き合っていた。

 

 故に、今のベルの一言は金槌で殴られた気分だ。今風に言うと、かるちゃーしょっく。

 

「………………なるほど」

「――ッ! やっとアレンも分かって」

「オレには無理そうだ。ごめんなベル、もっと頭の良い人に教えてもらってくれ」

「アレン!?」

 

――そっか。オレじゃ教えれそうにないな、自信なくしたと言うか。

 本気で沈んだ面持ちになってしまったアレンをその後ベルは一生懸命説得したのだが、結局神経を逆撫でして忘れさせる形になってしまったことだけは間違いないことを此処に記す。




アレンくんの見た目はさっぱり描写されませんが、たぬま氏の「おねしょた詐欺!!!!!!!!」って感じのイラストが元ネタなので、それを見れば分かります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ベルさんは掃除しない。

「また汚くなってきた、掃除するぞ」

 

 言いだしたやいなや、もうアレンの頭には三角頭巾。エプロンもしっかり着込んではたきも持つ、既に掃除をする気は満々だった。

 すぐさま隅に歩き出した彼の腰にベルがしがみついて泣きじゃくる。

 

「いや! いやよアレン、そんな殺生な!」

「殺生とは何だ殺生とは! 埃に弱いオレを埃っぽい館に閉じ込める以上に殺生なことは有るか!?」

「だってぇ! だってぇ!」

「だってもへちまも有るもんか!」

 

 アレンは埃っぽい部屋にいるとすぐ咳き込む。一人ぼっちで住んでいる屋敷に関しても、彼は掃除を欠かしたことはない。だってそうしないと自分が咳と鼻水で死にかけの状態で這いつくばることになるから。

 この館も最初はとてつもなく汚かったのだが、アレンの健気とすら言える奉仕活動によって「ちょっと汚い」程度で免れている所がある。彼が居なくなればたちまち誰も住んでいないと勘違いされかねない次元の汚さに戻るだろう。

 

 泣きついたベルがくしゃくしゃの顔をアレンの服に押し付けて駄々をこねる。

 

「蜘蛛さんが住めなくなるわ! 最近は沢山虫が来てくれて退屈しなかったのに!」

「やかましい! 虫と喋るくらいなら本を読め! まだ絵本以外一冊も読破できてないだろ!」

「だってー! ながいしー、むずかしいしー、めんどくさいー!」

 

 どうやらベルが虫と喋れるらしいというのは嘘ではないのだ。

 というのもアレンはこの目で見たことが有る。手に乗せた蜘蛛とまるで少女達の色恋話でもするようなきらきらとした笑顔で喋るベルの姿を。

 

 心なしか機嫌の良さそうに手の上で動き回っていた蜘蛛を。

 最近、その蜘蛛の張っていた蜘蛛の巣がアレンに引っかからない位置になったのを。

 

「人間は虫と共生関係になれるほど寛容じゃない、どっち道その関係は長く保たないんだよ…………」

「うぅ……ど”ぼ”じ”で”ぞ”ん”な”び”ど”い”ご”ど”い”う”の”~!」

「いやあんたが人と住みたいって言うからだな…………」

 

 えんえん泣いて泣き止まないベルに、アレンは思わずはたきを止めてしまいそうになる。

――くそっ、泣かれるとオレも手が進めにくい…………。

 

 アレンは一見、ベルに関しては特段異性として興味が無いように振る舞ってはいるのだが、何を言おうと彼は十一の男子という事を忘れてはならない。美貌には後ろ髪を引かれるし、魅力には目を奪われる年頃なのは変わらないのだ。

 要するに、泣き落としには弱かった。

 

「…………」

 

――どうする。今やめれば取り敢えずその場凌ぎにはなる。でもそれはベルの為になるか? 仮にも人間社会に戻りたいと言っているのにオレが甘やかして、あっちまでそれに甘えて、そんな調子で元の生活に戻れるか? 見てみろ、この汚さを。思わず手巾を取り出して口を覆いたくなるぐらいだ、これが人間の住む家の一般的な姿か? いや違うはずだ、オレは悪魔でも何でもなる覚悟をしなくちゃいけないはずなんだ。そう、これはオレと何よりベルの為だ。心を氷にしろ、アレン・フォン・ブロナード。父上が言い遺したという家訓「勇気を持たば次は事を成せ」とは今この時の言葉じゃないのか! 気合だ気合! 今この瞬間の楽に流されるな、というかただの掃除、そうこれはただの掃除なんだ。何も気に病むことはない、蜘蛛とお喋りして楽しそうなベルの方がおかしいだけだそうに決まってるさあ掃除だ行くぞアレン! 正義は我にあり、勝てば官軍負ければ賊軍、喉元過ぎれば熱さを忘れる、さあ進め!

 

 結果、号泣するベルを差し置いてアレンは鉄面皮としか言いようのない死んだ目つきで掃除を完遂した。

 世に出ることもない、一人の少年のちっぽけで偉大な功業であろう事は、今更議論するまでも有るまい。




ベルゼブブだしね、まあ虫と喋るくらいは。
アレンくんは私の別作品の主人公リリィ・フォン・カラキア嬢とは遠い親戚。一応顔も知ってる。

次回からはちょっとずつベルさんについて詳しく触れていくので、ちょこちょこ闇が見え隠れします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。