私は大変に臆病なので、 (たぬき0401)
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終末の予定は?

 私は大変に臆病なので、未来のことを考えるのが苦手だった。考えられるのは今日の内のことばかりで、明日のことさえ考えないこともよくある。

 生まれたばかりの頃から世界は滅茶苦茶で、食べるものがないから余所から奪ってくるのが当たり前。そんなことを国単位でやってるのだからどうしようもない。

 臆病は臆病なりにとにかく今日を生きることを考えて、というかそればかり考えていて、だから家族や友だち、同僚や部下ともそんな話はしないできた。

「ねえ、鉄血との戦いが終わったらどうするの?」

 なので、こんなことを聞かれると困ってしまうわけで。思わず手を止めてしまった。

「どうって?」

「私が聞いてるんだけど」

 彼女はいつも通りの無表情で聞いてくる。変わらない調子でたまに難しい話を振ってくるのが我が部隊の隊長だったりする。

「やりたいこととか欲しいものとか行きたい場所とかないの?」

 ますます難しい質問に眉間にしわが寄る。何もないわけではないはずなのだが、いかんせん考えたことがなくて答えに困る。

「ない、かも」

「人間なのに?」

 必死にひねり出した答えには首を傾げられた。

「先のこととか考えたこともなくて」

「ふぅん」

「今日を生きるのが精一杯で」

「全く考えないの?」

「未来に対するビジョンが皆無なほどには」

 すっかり手が止まってしまった私と対照的に彼女は淡々と手を動かす。

「君は? どうするの?」

「それ人形に聞くの?」

 そう言われてしまえばおしまいだが。

「一応、参考になるかなって」

「ふぅん」

 さっきと同じ「ふぅん」だけど少しトーンが違った。面白そうというか、機嫌がよさそうというか。

「今と変わらないかな」

「ずっとG&Kにいたいの?」

「それでもいいけど」

「けど?」

「いつもと変わらないよ。 窓のモニターが明るくなったらスリープモードを解除して、ラジオの天気予報聞きながらメンテナンスして」

 話しながら彼女は段ボールに荷物を詰めていく。私はやっと自分の手が止まっていたことに気づいて貼りかけのガムテープを手でおさえた。

「それから指揮官を起こしてさ。朝食遅くなるといつもみたいにSOP2が起こしに来るから」

「あー、飛び乗ってくるから内臓出そうになるんだよね」

「いつか本当に出るよ」

「やだなぁ早く起きないと」

「そう。早く起きてよ」

「善処します」

 確かに最近いささか朝寝が過ぎている。反省して改善しよう。私もまだ口から色々出したくはない。

 引き出しからファイルに入れられた作戦書が出てきた。これはいつぞやSOP2が鉄血の目玉を嬉しそうに持ち帰ってきたときのものだ。あれは心底驚いたし危うく口から生娘みたいな悲鳴が出るところだった。それなのにSOP2は嬉しそうで。

 なので自分の感情が制御できずに苦しむ姿に困惑した。もっとあの猟奇的な喜びに寄り添ってやれれば苦しみを和らげられたのだろうか。

「朝食とったら支度して、戦場に行ったり、救護室に見つけてきたペットを運んだり、談話室で他の人形と話したり、結構忙しいでしょ」

「他の子とも仲良くしてるんだね」

「たまにお茶会してたりするよ」

「へぇ、誰と?」

「M4と」

 意外な答えに数度瞬きをした。二人がそういう時間を過ごすようには見えなかったから。

 けれど二人とも隊長をしているのだから話は合うのかもしれない。仲間想いなところも似通っている。M4が生真面目なように、彼女もまた真面目なところもある。

 それゆえの自責の念があることは覚悟していた。けどなおM4は自分を責めて悔やんだ。もっと彼女と時間を共にする機会を作れていたら慰める術を見いだせたのだろうか。

「そのあと作戦から帰ってきた人形たちと話して、身体の汚れを落として、窓のモニターが深夜になるまえにスリープモードに入る。指揮官はよく飲むのに誘われるよね」

「誘われる。飲めないから断るけど」

「でも断りきれないときはさ、付き合ってあげるよ。酔いつぶれたらちゃんと部屋まで運ぶし」

「頼むよ。酔ってるM16は運び方が雑なんだ」

 あの陽気で豪快なエリートは酔うと人をずた袋みたいに担ぐのだ。そのまま尻を触ってくるから余計に困る。なんせ酔っているから抵抗できないし、相手も酔っているから責められない。

 だからあんなに悲痛そうな顔を見たときに言葉を失った。もっと飲むのに付き合っていたらかける言葉も見つかったのだろうか。

「そんな今と変わらないような暮らしがしたいかな」

「楽しそうだね」

「今の暮らしは悪くないよ」

「そうかぁ」

 話しながら作業をするのにも慣れてきた。着実に段ボールは増える。ガムテープは減る。引き出しの中身も減る。

「それで、指揮官は?」

「うーん……」

 両手を段ボールに乗せ少し休憩。少し考える。きっとそんな大層なことではないはずなんだ。

 私にとって少し勇気のいることであるだけで。

「朝食はトーストがいいな」

「そっか」

「完璧じゃなくてたまーに焦げてたりするといいかも」

「変なの」

「ガリガリにバター塗ってジャムでごまかして食べるから」

「おいしくなさそう」

「だってVector凝り性だもの。なにも言わないと完璧に焼くでしょ?」

 金色の瞳が私をとらえた。お互いに手元を見ながら作業をしていたから久々にVectorと目が合った気がする。

「私が焼くの?」

「そういう話じゃなかった?」

「…………そういう話だった」

「はは、自分からしたくせに」

 笑ってからしまったと思い防御体勢をとった。今にガムテープか段ボールがとんでくるに違いない。

 しかし飛来物はなかった。おそるおそる腕の隙間からVectorを見る。

「ずいぶん久しぶりに笑ったじゃん。ここ最近ずっとしかめっ面だったよ」

「そんなにかな」

「後ろばっかり見てる顔してた」

 ここ最近は確かにそうだった。もっとこうしてたら、もっとこうだったら、そんなことばかりで。後悔したってどうにもならないことを悔やんで悔やんでどうにもならなかった。

「私は焦げたトースト焼くために帰ってきてあげるから」

「焦げたのはたまにでいいんだって」

 軽口を返しながら帰ってこない子を思い返した。どこで何をどうしたら救えたんだろうと、ありもしないもしもを考えて結局答えは見つからない。どうしたらよかったかなんてどうせ分からないのだ。

 引き出しから最後の書類を取り出した。初めてここに来たときの作戦が書かれたものだ。あの時は確かに勝ち取った未来に希望したんだった。

「これで全部だ」

「案外早く終わったね」

「助かった。ありがとう」

「別に」

 いつも通りの無表情に、かわいくないな、なんてことを思う。お礼くらい素直に受け止めたらいいものを。

 直に慣れ親しんここともお別れだ。共に過ごした存在に何か言っておくべきだろう。

「これからきつい作戦ばかりになると思うけどさ、よろしく頼むよ」

「うん、いいよ」

 今日はS09地区最後の日。



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自律人形はインスタントカメラの夢を見るか?

 私は大変に憶病なので、現在の記録を残すことが苦手だった。

 明日のことすら約束されないというのにどうして今日のことを記録するのか。そこに未練が残すようなことをしてしまったら、今後の自分が変わってしまいそうで恐ろしくて。

 だったら見返すための記録なんてなくっていい。

 

 「指揮官くんはなかなか不良だね」

 私が報告書を作りたくないからカリーナに頼んでいることを話すと、ペルシカさんはそう言った。

「適材適所ですよ」

「そう言って部下にやりたくない仕事を押し付けるのか。大した不良だよ」

 そう言われると痛いのだ。別に私だって作れないわけではないが、カリーナの作った書類の方が何倍も出来がいい。一度ヘリアンさんに提出してお怒りの通信をもらったことがある。

「へたくそが作った汚いものをもらうより、出来がいいものの方が価値があるでしょう?」

「拗ねない拗ねない」

 通信の向こうでケラケラ笑う声と、ぎしっと椅子がきしむ音が聞こえた。

「そんな指揮官くんにお手軽な記録の作り方を教えてあげよう」

「ろくでもない予感がします」

「素晴らしい信頼だね。だがまともなものだからがっかりしないでほしい」

「本当にまともなら願ったりかなったりです」

「そう。じゃあ期待していて。いい贈り物をあげるからさ」

 ほらもうろくでもない予感しかしないじゃないか、と言いたいのはぐっとこらえることにした。

 

 「いやー不良だと言ったのは撤回するよ」

 久しぶりに対面したペルシカさんはいつも通信越しに見るニヤニヤ笑いだった。反対に私はひどく不機嫌な顔をしている。

 今日はG&Kの創立記念パーティで非汚染地域の会場に出向いているのだ。人形も連れてきてくれと頼まれたので、AR小隊とくじ引きで勝った数人を連れてきている。

「メッセージ通りにしてくれるとは実に従順だね」

「持ってこなかったら何言われるかわかったもんじゃないですから」

 私は首からえらく古いインスタントカメラを下げて憎々しげにカメラの元持ち主を見た。

 このカメラが届いたのは件の通信から数日後だった。中には緩衝材で包まれたカメラ、それから

『今度のパーティにこれを持ってきてバシバシ記録を取りたまえ』

 と書かれた手紙だった。見た瞬間口から踏まれたカエルみたいな声が出た。やっぱりろくでもなかった。

「どーして苦手だってことをわざわざやらせますかね?」

「やり方が簡単なら苦手意識を克服できるかもしれないよ?」

「人の苦手で遊ばないでください」

「つれないねぇ」

 当の本人は楽しんでいるだけなようで。この人に、苦手意識に対して寄り添ってあげよう、なんて優しさはかけらもないのだろう。

 からかわれてばかりも悔しいが到底仕返しもできない。仕方ないから記念すべき一枚目の被写体を彼女にしてやった。

 カメラは撮影するとすぐに写真が出てくるタイプのものだ。カリーナに調べてもらったところポラロイドと呼ばれるもののようで、かつて存在していた企業名らしい。

 シャッターを押してやるとほどなくして写真が出てきた。

「そうそう、そうやって使うんだよ」

「現像されましたよ、パーティ会場にいつも通りの白衣とスリッパで来た科学者の写真」

「……かわいくないねぇ」

 目の下に隈がある顔で言われたところで怖くもなんともない。いいからきちんと睡眠をとってほしい。

 ちゃんとしてれば見てくれはいいだろうに、もったいない。なんてことは黙っておくのが花だ。

「指揮官、ここにいたのか」

 後ろから聞き覚えのある声がして振り向くと、上司のヘリアンさんがそこにいた。いつものスーツではなくドレス姿だ。これはなかなか似合うがいかんせん顔が仕事モードだ。もっと服装に合わせて肩の力を抜けばいいのに。

「お久しぶりですヘリアンさん。どうかしましたか?」

「その、M16がな」

 あっ嫌な予感がする。確か大分飲んでいたような……

「M16が何か粗相でも……」

「いや大丈夫だ、貴官のことをえらく褒めて回っている」

「はぁ、それが何か問題でしょうか?」

「褒めているのだが、尻が世界遺産級だと」

 それを聞いて頭痛がしてきた。思わずうめき声のように、あのバカ、と声が漏れる。M16の雇い主はというと必死に声を出さないようにはしているようだが体をくの字に曲げて肩を震わせている。

 M16は司令部で飲むときに大抵私を誘う。私は飲めないので断るがどうしても断り切れないときは付き合ってやっている。

 で、まあ飲むのだが、酔った彼女はどうも私の尻がお気に召すようで執拗に触ってくるのだ。抵抗してしかりつけてやりたいが私も酔っているので何もできない。それに、酔っ払いに対する説教ほど無意味なこともないのだ。

「あらぬ誤解を受けているようだから解いて回ったほうがいいぞ」

「はぁ……お気遣い痛み入ります。いってきます」

 そうしてふらふらと誤解を解く行脚が始まった。

 

 非汚染地域ならば屋外に何の対策もなく出て構わない。特に今日は晴天で、傘も何もいらない。夜風は心地よく火照った体をなで、風の音が耳にやさしい。

「もーむり」

 タイル張りの床に大の字になったまま発した声は夜空に溶けていった。

 あの後、酔っ払いM16のせいで発生した『S09地区の指揮官はM16に尻をいいようにされている』というあらぬ誤解を解いて回り、途中で合流したM4に姉を叱ってもらい、くじ引きで勝利したから連れてきたスコーピオンと一緒になってはしゃぎまわるSOP2を捕まえて、そうこうしている間に挨拶する人挨拶する人みんなに酒を勧められるので断ることもできず。

 さらに私がインスタントカメラを持っていると知ると方々から撮ってくれと頼まれるから余計に大変だった。

 飲みすぎで頭はぐるぐるするし、SOP2とスコーピオンを追って走り回るし、カメラを使うのは意外と神経を使うしでもうへとへとだ。もう無理、帰りたい。

「指揮官」

「はいもうむりです」

 死角から声をかけてきた誰かにそう答えてしまうくらいには無理だ。

「お水持ってきたので飲んでください」

 聞き覚えのある声に気を許してもそもそ起き上がるとAR-15がグラスを片手に私を見下ろしていた。私が立ち上がらないのを認めると彼女はしゃがんでくれた。

「飲めます?」

「飲むのはいける」

 ありがたく水を受け取ってちびちび飲む。心なしか気分がよくなった気がする。

「M16とSOP2がとんだ迷惑を」

「いやぁいいよぉ、だいぶ慣れたし」

 事実、彼女たちがやってきてから飽きない。何もないよりはいい気がする。今日みたいのが毎回続くと困るけれども。

「M16は反省しているようでした。SOP2ははしゃぎつかれて眠そうになっていたので、M4が先に車に連れて帰りました」

「そっか、楽しめてたならなによりだよ」

「はい、ええ。M16はいつもより陽気に飲んでましたし、SOP2も眠たくなるまではしゃぐなんてめったにないです。M4もM4で普段より表情が柔らかかったので楽しんでいたかと」

「……前々から思ってたけどAR-15って結構みんなのことよく見てるね」

 グラスを半分ほど空にして大分頭が働いてきたのか、少し考えられるようになってきた。私の何気ないつぶやきにAR-15は苦笑する。

「それくらいしか取り柄がないですから」

 だめだ、ちょっと難しいことを言われるとすぐわからなくなる。思わず首をかしげてしまう。彼女はそんな私の動作で理解が及んでいないことを察してくれたようだった。

「私は彼女たちと違って民生品なので、よく見てサポートするくらいしかできることがありませんので」

「そう、かな?」

 私の目から見れば彼女も十分すぎるほどに優秀なのだが。まあでも彼女が求める優秀さはそうじゃないんだろうっていうことはこの期間で理解したつもりだ。

 AR-15の劣等感というかコンプレックスは彼女の理想が高いが故なんじゃないかと思ったことがある。彼女が求めるのはAR小隊の一歩先で、そんなものは並大抵では成し遂げられない。

「指揮官、私はお役に立てていますか?」

「戦場で役に立ててないと感じるならそれは私のせいだよ」

 彼女たちが十二分に力を発揮するために指揮をするのが私の仕事なのだから。しかしこう答えてしまうと真面目な彼女は顔を曇らせるわけで。

「頼りにしてるよ。いつも助かってる」

「でも」

「誰が一番とか私には難しくて決められないよ」

 編成の組み方、配置、戦う相手、時間帯によって誰がどれだけ活躍できるかは大きく変わる。だから性能が発揮できてないのならそれは本当に私が悪い。

「少なくとも今この瞬間は一番だよ。水を持ってきてくれたのはファインプレーだった」

「それは、よかったです」

 そう言っても浮かない顔だ。

 楽しい場所に来てM16やSOP2のように身を任せて楽しむ者もいればM4のようにフォローに回りつつも無難に楽しむ者もいる。もちろん私のように不測の事態に巻き込まれて辟易する者だっている。

 ただ一定数いるのはAR-15のように、なぜか後ろ向きのことを考えてしまう者だ。楽しさに対する反動でネガティブになる、なんてことがないとも限らない。特に、こういった少し喧騒から離れたところでは。

 案外彼女も人間っぽいところがあるんだなとちょっとかわいく感じてしまう。不安を吐き出させてあげたいのなら私から聞くべきだろう。

「まだ何か聞きたいことがある?」

「……指揮官から見て私は彼女たちよりも勝っている点があるでしょうか?」

「顔」

「は?」

 淀みなく出た返答に彼女は半音低い声を出した。

「君はとても美人だよ」

「そういうことを聞いてるわけでは……いえ、指揮官、まだ酔っていますね?」

「お人形さんみたいな顔してる」

「当たり前です。人形ですから」

「一番星みたいだよ」

「大げさです。まったくこれだから酔っぱらいは」

 心底呆れた顔でため息をつかれた。これほど言葉を尽くしても伝わらないとは。本気だったのだけどなぁ、と空振りしてしまったことを残念に思う。

 まあでも酔っていると思われるならそうなのかもしれない。素面ではこんなことは言わない。

「どうですか美人さん、記念に一枚」

「酔っ払いの相手は好きではないのですが、もう好きにしてください」

 でも本当に、酔っていなくても君の細い髪も、青く輝く目も、すっと通った鼻筋も、意志の強い口元も、すらりと長い手足も、とても美しいと思ってるんだ、なんてことはきっと言わないのが花なんだ。言ってしまうと勿体ないような、もっと大切にしていたい感覚なんだ。

 私は柱を背にふらふら立ち上がると、最後の一枚のフィルムを彼女のために使った。

 

 なんてこともあったなぁ、実に写真写りのいい顔だ。と、写真を眺めながら思い返す。S05地区への道のりは車を使ったとて短くなく、多少感傷に浸る時間くらいはある。

 なるほど、現在の記録は未来で思い返すためにとるもの。しかしそれは未来があることを信じている余裕のある存在にだけ許される行為で、私からすればいささか傲慢だ。

 ただ、取っておくのも悪くないんだと思える。特に、なくしてしまったものは。



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病める臆病者の郷愁

 私は大変に臆病なので、必要外の知識を身につけることが苦手だった。知ってしまうともっと知りたくなる。そうしてしまうと明日への希望を持ってしまうのが嫌だったのだ。

 人間というものは厄介で、皆等しく好奇心を持っている。一度でもそれに身を任せると無味乾燥な日々に戻れない。そうやっていなくなった人々を知っていた。

 

 38.5℃、人間にしては高温だ。頭はぐわんぐわん痛むし、立てばまっすぐ歩けないし、体の節々は痛むしぼんやりとして何もできない。所謂風邪というやつのようで。

「私が指揮をとりますからお休みください」

 と、M4に司令室から引きはがされたのが今朝。今は自室のベッドに沈み込んでいる。

 風邪なんて久しぶりだ。あまりに久しぶりすぎてどうしたらいいか分からず、とりあえず起きてられないから寝ることにした。

 普段は目を閉じてからあれやこれやと考える。お恥ずかしながら眠るのが怖いのだ。そのまま二度と目が覚めない方がいいと思うことすらある。予測のつかない明日にいつも怯えている。

 しかし今回は目を閉じると恐怖を感じる前に意識の奥底へ引きずり込まれた。

 

 子供の頃、物心がついた頃には女性と生活していた。彼女は母親と呼ぶには若すぎて、姉と呼ぶには年が離れすぎていた。血縁がなければよかったのだが残念なことに彼女と私の目は同じ色をしていた。

 外に出れば母親、姉、どちらとしても振る舞う彼女をどう呼んだらいいのか分からず、私は『お姉さん』と呼ぶことにしていた。

 やや他人行儀な呼び方でも彼女は受け入れてくれたので、なんでもよかったんだと思う。

 それに私が住んでいた世界の底辺のような地域ではこういった微妙な年齢差の親子や兄弟は珍しくなかった。

 彼女がどうやって私を養ってくれていたのかは知らない。昼間に働いていたことは知っているが何の仕事をしているかまでは知らなかった。

 お姉さんのいない昼間、私は近所に住んでいた元軍人の老人を訪ねていた。

 彼は目が悪く足も片方しかなかったが、よく遊びに来る物好きな子供に文字の読み書きと算数、それからチェスを教えてくれた。

 私が一通りの文字が読めるようになると、老人は喜んで本やら軍にいた頃の手記やらを読ませてくれた。

 嬉しかった私は家でお姉さんにできるようになったことを話した。彼女は大いに喜んで私を抱きしめこう言った。

「あなたはこれで生きていけるわ」

 それからお姉さんは夜にも働くようになり、そして、ついぞ帰ってこなかった。

 紛れもなく悪夢だ。

 

 重たいまぶたを持ち上げると誰かが部屋にいた。焦点の定まらない目はなかなか相手をとらえられず、もやっとした輪郭と色だけが目に入る。

「……おねえさん?」

「はい?」

 つい口から出た言葉に相手は反応したが、私の記憶の中にある声とは一致しなかった。

 目をこすって相手を確認しようとする。

「指揮官、そんなに目をこすってはいけません」

「スプリング、フィールドか」

 二度目に聞こえた声でやっと相手を特定した。目の焦点も大分合ってきたようで、輪郭と顔がはっきり確認できた。

 もそもそと体を起こすと、額からべしゃりと濡れたタオルが落ちた。手に触れた感触はそれなりにぬるい。

「看病にきてくれたの?」

「はい。今日は非番ですので」

「そうか、ありがとう」

 礼を告げるがどうも力が入らない。

「体温計を取ってもらっていいかな?」

「どうぞ」

 渡されたプラスチックの体温計が妙に冷たく感じた。この感覚だとまだ熱は高そうだ。

 案の定先ほどと温度は変わらない。はぁ、とため息をついてもう一度横になる。

「お薬お持ちしましたが飲まれますか?」

「あるのなら飲みたいけど、使用期限とか大丈夫?」

「問題ありませんよ。人間用の薬品は毎月入れ替えられてますから」

「……知らなかった」

 ぼそりと呟くとスプリングフィールドはくすくす笑った。

「よかったですねカリーナさんが管理してくださってて」

「後でお礼を言わないと」

 グラス1杯の水で粉薬を飲み下す。舌の奥に触れた薬が苦味を残しながらのどの奥に消えていった。

「にがい」

「おいしいものではないかと」

「なんでにがいんだ」

「さぁ? 不思議なことに身体にいいものは得てして甘くないのです」

 微笑みながら答える彼女に妙な恥ずかしさとこそばゆさを覚える。

「君の作るお菓子は甘いんだけどなぁ」

 拗ねたように言ってみるとスプリングフィールドは私の額に手を当てた。人工皮膚の感触と幾分かひやりとした温度を感じる。

「この熱が下がったらつくってさしあげますよ」

「本当? じゃあこの前の、なんだったか、クリームチーズと乾燥ベリーの入ったあれを」

「スコーンですね。確か紅茶もあったと思いますから、元気になったらお茶会にしましょう」

「スコーン、そうか、名前があるのか」

「ええ。お菓子にも名前はあるのですよ」

 今まで興味を持ったことはあまりなかったが、確かにクッキーとチョコは違うものだった。そう認識してしまうとどうも恋しくなってしまっていけない。

「よくならないと」

「そのためにもきちんと薬を飲んで寝てください」

 わかっているけれど起きたばかりでまだ眠れそうにない。

「すまないけれど少し話し相手になってもらえるかな? 直に眠気が来るはずだから」

「かまいませんよ。では」

 彼女はただずまいを正してこう問うてきた。

「先ほど誰と間違えたのですか?」

「まあ、聞くよね」

 ため息とともに話すことを観念した。別に隠す必要もないのだ。私の素性などG&Kのデータベースにアクセスしてしまえばすぐわかるのだから。

「子どもの頃一緒に住んでた女性に間違えたんだ」

「お母さまですか?」

「年齢が半端でさ。母と呼ぶのはなんだか嫌で、姉と呼ぶには違和感があった。血縁であることは確かなんだろうけどね」

 そう説明するとスプリングフィールドは合点がいったように頷いた。

「だから『お姉さん』と」

「そう。変でしょ?」

「いいえ。形は人それぞれですから」

「ありがとう」

 そう仕組まれている気遣いだということは理解しているけれど、私を否定しない彼女たちは時に優しい。特に風邪で弱っている時はなおさらだ。

 次の話は彼女に聞かれる前に自分から話さなければならない。二度目の気遣いをもらうわけにはいかないから。

「お姉さんは、今はどこにいるのかもうわからない。ある日帰ってこなかったんだ」

「辛かったですか?」

「いいや、なんとなくそんな気がしてた」

 お姉さんが夜も仕事に出るようになってから、いつかいなくなってしまうことは覚悟していた。具体的な理由があるわけじゃないけれどそんな勘が働いた。

 

 ある朝目が覚めるとお姉さんはいなかった。いつもは夜に出かけて朝には家にいて、そしてまた昼間の仕事に出ていくのに。

 その内帰ってくると思って数日過ごして、もうその内がないことを悟った。知らない大人が家にやってきて重たい布袋を寄越した日、悟ったことが正しかったと理解した。

 お姉さんがいなくなったのは紛れもなく私のせいだった。

 文字の読み書きができるようになったから。算数ができるようになったから。チェスができるようになったから。好奇心に負けて知識を身に着けてしまったから。

 底辺で生きるのには必要ないものだったのに、お姉さんはそれを責めずに自分を犠牲にしてしまった。もしもう学ぶなと言われれば大人しくそれに従ったのに、そんなこともしないで。

 私は家を出て元軍人の老人を訪ねた。

「じいちゃん、僕にもっとたくさん教えてくれ。お金ならある。ここに住んでじいちゃんの世話もする。掃除も洗濯もなんでもする。だから」

 家に駆け込むなり一気にまくしたてる子供はさぞかし滑稽だったろう。それでも老人は静かだった。

「僕が身に着けた知識で生きていけるようにしてくれ」

 老人は口ひげをもしゃもしゃいじりながらしばらく私を見つめ、やがて口を開いた。まあ髭のせいでほとんど見えないのだが。

「その『僕』というのは軍人になるには弱いな。変えていくか」

 最初の課題がそれだった。その後も次々と課題を与えられた。お姉さんの喪失を憂う暇などなかった。

 

 暇がなかったのではなく考えなかっただけなんだ、と今になって気づいた。老人は暇を与えないほどに厳しく、私は振り返るのが怖い程に憶病だった。

 今なら少し振り返っても風邪を言い訳にできる。

「やっぱり辛いかな。何も返せなかった」

「指揮官は何を返したかったのですか?」

 椅子が床をこする音がした。目をやるとスプリングフィールドが椅子をずらして少し私に近づいているようだった。

「お礼が言いたかったし、姉なのか母なのか聞きたかった」

「そこ気にしてたんですね」

「やっぱり気になるよ。知っていれば正しく呼べたのにね」

 話しているうちにうとうとと瞼が重たくなり頭にももやがかかってきた。

「スコーンのさ、作り方教えてよ」

「いいですよ。元気になったら教えてさしあげます。でも珍しいですねお料理のこと聞くなんて」

「自分のものにした方が安心するんだ」

 スプリングフィールドが手を伸ばし一定のリズムで胸を叩く。穏やかな振動が余計に眠気を誘う。

「申し訳ないけれど目が覚めるまでここにいて」

「構いませんよ」

「そうか、ありがとう……」

 深く息を吸って吐く。胸の上に乗せられた重さが心地よい。薄目で見た光景で理解した。彼女たちは同じ髪の色をしている。

 元気になったらスコーンの作り方を聞いて、作って、みんなを呼んで、紅茶を淹れて、それから、それから……

「おやすみなさい」

 聞こえた声は夢か現か分からなかったけれど、それでもいいのだ。



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それ、やっぱ好きってことなんじゃん

 私は大変に臆病なので、所有することが苦手だった。何かを大切に持っていればそれを失うのが恐ろしくなる。それならば最初から持っていなければいい。そうすれば失うこともない。

 グリフィンに入ったとき最初に確認したことはそれだった。

「戦術人形は私の所有物となるのでしょうか?」

「いや、あくまで貸し付けだ。コアを取り外せばI.O.P.への返却が義務づけられる」

 上官の話を聞いて心底安心し、

「ただし、完全に破損して修復できない場合は返却不可だがな」

 付け加えられた言葉に息を飲んだ。

 

 S05地区での活動にも慣れてきたが一つだけ問題があった。眠れないのだ。

 別に、寝床が変わると眠れなくなる、というわけではなく、単純にここしばらくの想定外に強いストレスを感じているんだ。

 わかってる。単純な話ではない。うまく解消できなくて眠れないのは大問題だ。

 だからストレスのはけ口としてとりあえず酒と煙草をやってみた。案の定酒は無理だった。煙草に至ってはトンプソンに、

「ボスにはこっちの方が似合うぜ」

 とチュッパチャプスを口に突っ込まれ箱ごとブツを没収された。仕方なしにカリーナからチュッパチャプスを購入しては咥えている日々だ。

 ただまあ、棒つきキャンディを舐めているからといって眠れるわけでもなく。先日ついに廊下で寝落ちてスコーピオンに部屋まで引きずられた。

 ありがたいが運び方が、ずるずるずるずる、だったためあちこち擦りむいたり打ち身ができたり。もうああいうのはごめんだ。

 そこで安眠に一役買ってくれたのが、我らが秘書殿だったのだ。

 スコーピオンにずるずるされた翌朝、あっちこっちに絆創膏と湿布を貼って執務室に出向くとVectorが呆れ顔で出迎えた。

「聞いたよ。廊下で寝たんだってね」

「やってしまった。スコーピオンに引きずられた」

「それで少しは眠れた?」

「残念ながら」

 結局あちこち痛くて起きてしまったのだった。ここ数日で最低な夜だった。

「ふぅん。じゃあ今夜眠れるように手伝ってあげようか?」

「子守歌でも歌ってくれるんなら頼みたいかな」

「そういうんじゃないけど、多分引きずるよりマシだよ」

「それなら願ったりかなったり」

 たまにはVectorの厚意に甘えてみてもいいかもしれない。私は彼女の提案を快諾した。

 

 「最近顔色がいいじゃない。眠れるようにはなったのかい?」

「おかげさまで」

 今日はROを引き取ってから行っているペルシカさんとの定例通信だ。ROの状況と、ついでに私の健康状態も確認されているようで。

「そいつは上々だね。人間体が資本だから無理はいけないよ」

「目の下に隈のある人に言われたくないです」

「そう言わないでほしいな。指揮官くんだって少し前までそうだったじゃない」

「ええまあ」

 確かに、死相が見えるんじゃないかというくらいの顔色の悪さだった気がする。夜中に廊下でM9に会ったときに泣かれたんだった。あれは本当に申し訳なかった。

「で、どんな魔法を使ったんだい?」

「黙秘します」

「釣れないね。君のことを心配しているというのに」

「私のことはいいんです。M4やROやSOP2のことを心配してあげてください。M16は元気です」

「一人前に生意気な。そんなに話せないほどいいことだったならいいじゃない少しくらい」

 いいことと言えるんだろうかあれは?

 

 秘書の提案を受理した日、Vectorは夜に訪ねてきた。

「指揮官ちょっとつめて」

「つめてって」

「いいから」

 やって来るや否や彼女は私をベッドの隅に追いやってもそもそ布団に入ってきた。

 なるほど添い寝か。幼い頃にしてもらった記憶がある。確かに引きずられるより随分マシだ。

 しかしこれで私が安眠できると考えているのならVectorにもなかなかかわいいところが、いやいやいやいやちょっと待って、待って。

「あの、なにして」

「じっとしてて」

「おいこら」

「大丈夫だから」

「何が!」

「えーっと、天井のシミを数えてる間に終わるよ」

 ここで、やめろ、と言えばやめたんだろうが、それをしなかったのが私の意志の弱さだ。

 こうしてここしばらく、定期的に恋人の真似事をしている。これが不思議なことに眠れるのだ。

「おはよ。じゃあ執務室で」

 彼女は私より遅く眠り私より早く起きる。そして私が現実を受け止める前にさっさと部屋を出ていく。執務室に向かえばいつも通り何もなかったかのようで。

「今日の秘書はあたしだけど、失望した?」

 いつも通りのやり取りをして仕事が始まる。

 

 「ところでVectorなんだけど」

「…………ど、どうかしましたか」

 考えている存在の名前を突然出されると思考が止まる。

 しまった、と思ったときにはもう遅かった。

 恐る恐る顔を上げると通信映像上の科学者殿はいいおもちゃを見つけた笑顔で。

「へーそうかそうか彼女か。ふーんなるほどねーそっかそっかー」

「何がですか!」

「いやいいよ言わなくて。わかったから。いやー、大人になっちゃったねー指揮官くん」

 悔しいがここで何を言い返しても無駄なことはよく理解している。しばらく好きに言わせてやろう。

「まさか君がお人形遊びするなんてね」

「そんなんじゃ、ないです」

「はは、気に障ったかな? ごめんね」

「い、いえ、すみません」

 思った以上に不機嫌な声が出てしまって自分の方が驚いたくらいだ。今の一言にそんなに気に障ることがあっただろうか?

「しかしまあ、そうならこれは朗報だよ。質問なんだけど君この日付に彼女に何かした?」

 画面に映された日付を見ても特に思い出すことはない。首を傾げていると覚えがないことを察してもらえたようだ。

「この日付の直後にとられたVectorのバックアップデータにわざと作られた空白があるんだ」

「空白、ですか?」

「基本的にAIは空白を嫌うからね、こんなものがあるのは不自然なんだ。それで何か心当たりがあるかなと思って」

「いいえ、申し訳ないですが特には」

 その日付は特に何かあったわけじゃないはずだ。いつも通り仕事をこなしただけの何でもない日だったはず。

「ところで指揮官くん、ちょっと前に指輪を買ったろ」

「どうしてそれを……いや、カリーナか」

「そうだよー。あの子とヘリアンさんとは女子会やってるからねー」

「初耳なのですが」

「当たり前だよ大抵君の話だもの」

「たまったもんじゃないですね」

 つまり何を買ったかの話は筒抜けなんだ。用心しよう。

「憶測なんだけど、君その日付にそれ関連の話した?」

「どうしてそう思われます?」

「空白の容量が一言二言用だから」

 するはずがない。だってこれが誰のためのもので、どうするつもりなのか、そもそも持っていることすら人形は誰も知らないのだから。

 ただもしかしたら近い話は……

「あー」

 思い出した。

 

 何の変哲もない日、繰り返すパトロールの仕事。書類仕事中、ふとこんな話を振った。

「Vectorはさ、誓約しなくてもずっと一緒にいてくれそうな気がする」

「は?」

 本当に何の脈絡もなく、ただの独り言みたいなつもりだった。

「なんとなく、理由はないけど」

「ふぅん。逆に誰だったらしないといなくなりそう?」

「んー……しなかったからいなくなったのかなって思ってる奴かな」

「そっか」

 思えばよくこんな意味のない話に付き合ってくれたものだ。

 

 「はい、しました。それっぽい話」

 正直に答えるとペルシカさんは椅子に深く沈み込みながら盛大にため息をついた。

「はあああぁ……指揮官くん、君をそんな罪な奴に育てた覚えはないよ」

「育てられた覚えもないです」

「待ってるよ彼女」

「は?」

「君からの一言二言」

「……は?」

「言わなきゃわかんないかな」

「いえ、いいです、わかってます」

 今度は私がずるずる椅子から崩れ落ちる番だ。そうか待ってたか。興味なさそうな答え方しておきながら待ってるのかあいつは。

「あぁ、もう、めんどくさい奴」

「そうだね」

「いいですもう、そんな容量じゃ足りなくさせてやりますから」

「そう。ん?」

 ペルシカさんは数度瞬きをして、はは、と短く笑った。

「それ、やっぱ好きってことなんじゃん」

 

 誰もいない執務室で指輪の箱を机に置いて眺める。腕組みをして椅子にふんぞり返ればそれなりに悩んでるように見えるだろうか。

 実際悩んでいる。指輪を渡す行為は人間の営みの真似事で、相手を所有したいという意志の表現に他ならないから。所有してしまえばもしもが怖くなる。

 一度人形達を出撃させれば私なんて無力なもので。安全な部屋から指揮をして帰りを祈って待つだけの哀れな子羊だ。

 戦闘指揮である程度彼女らを守ることはできる。しかし戦闘中に起きるもしもには何もできない。身体を張って守ってやることすらできない。

 大切だと思う者を大切だと言いながら危険な場所に送り出すなんて耐えられるのか。無理だ。

 昨日ペルシカさんに啖呵きっておいてなんだが、やっぱりやめよう。

 椅子から立ち上がり箱を手にした。

「よし捨てよう」

「やめなよ」

 突然聞こえた声に床から両足が離れるくらいとびあがった。今さっきまで考えていた存在の声が聞こえるなんて想定してたか?

「お、音もなくドアを開けるのやめてよ」

「真剣な顔してたから邪魔したらいけないかなって」

「気持ちはありがたいけど……はぁ」

 息を吐いたら幾分か動悸はおさまった。

「それ捨てるの?」

「なんのこと?」

「指揮官が指輪買ったことくらいみんな知ってるよ。カリーナが言ってたし」

 うっそだろ、と小声でつぶやく。なにしてんだ本当に……

「でも渡さない物持っててもしょうがないし」

「彼女は戻ってくるって。だから持っておきなよ」

「……ん?」

「だから気を落とさないで」

「なんの話を」

 いや、いい、わかった。つまりその、Vectorはこの小物が誰のための物なのかすっかり勘違いしているんだ。それも持ち前の自己評価の低さ故に。あんな領域を作っておきながらそれを諦めていたのか。

 気が変わった。

「捨てるのはやめだ」

 めまいがするほどめんどくさい奴だ。

「これ、君のだよ」

「だって指揮官前にこんなものなくてもいてくれるって思ってるって」

「言った。けどそれとこれとはまた別」

 思っててもなおこうして物質に頼ろうとするっていう矛盾が人間なんだろう。けどそこで理解しつつ待ってる方も待ってる方だ。

「本当にあたしなの?」

「……何とも思ってなければあんなことしない」

「あんなこと」

「夜にわざわざ部屋に入れたりしない」

「もしかしてあんなことしたせい?」

「違う。もっと前からこれは買ってたしその気はあった。ただ」

 落ち着こう。一度深呼吸だ。大きく吸って大きく吐いて、そこに肺があることを意識する。

「愛着を持つこととなくすことに怯えるのが怖いからタイミングを失ってた」

「指揮官って、めんどくさいね」

「Vectorに言われたくないよ! 興味ない顔して待ってたなんて知らなかった!」

「あーバレちゃったか」

 そこは取り繕ったりしないのか……つくづく人形は効率的だ。

「でも指揮官は怖いことを乗り越えちゃうんだ」

「後悔したくない。やってみたら後悔しないかもしれない」

「ふぅん、そっか」

 また興味なさそうに言われる。けれど別にそんなことはなくて、何かをどこかに保存してて、彼女は単に表面にあまり出さないだけで。よくよく注意を払わないとまた何かを見落とす。

「なんか指揮官は、成長したね」

「そうかな」

「変わった。少し向こう見ずになった」

「もっと慎重になってほしい?」

「ううん。このままでいいよ」

 私はよく見ておかないといけないけどあちらは私をよく見ていて、それがなんだか申し訳ない。

 Vectorは近寄ってきて机に腰掛けた。普段は行儀が悪いと叱るが今日はしない。余裕がない。

「まあ、そうだなぁ……今までたくさんいじめたから、たまにはいじめられてもいいかな」

「いじめられた覚えはないけれど」

「足りなかった? もっといじめられたい?」

「足りない? 何が?」

「夜の」

「いやその……なんで突然そんな話をするかな……悪かったよ下手くそで。がんばるから」

 突然じゃなくて多分彼女の中で何らかのロジックは繋がってる。それを説明してくれないっていう、ただそれだけ。

 理解できるようになるんだろうか。

「ともかく、誓約は両者の合意の上で行いたいから、Vectorがこの指輪は自分が貰うものって認識してくれないとその、困る」

「指揮官がそれをあたしにくれる理由は?」

「伝わらないかな……渡すって行いだけでも十分だと思ってるんだけど」

「好きってこと?」

「なんというか、大切っていうか、こう、意味を与えたいっていうか」

 具体的に言葉にしたくないのは単純に恥ずかしいから。人間ってのも面倒だ。感情に振り回されて最短ルートが歩けやしない。

「それ、やっぱ好きってことなんじゃん」

「それだと君が用意してた一言二言の領域に収まってしまう。それじゃダメなんだ」

 意固地になってるってことはわかってる。誰がこんなこと聞いても笑う。

 案の定Vectorも表情が緩んだ。でもそれはおかしいから笑うとかそういうとのはもっと何かが違った。

 瞬きすれば彼女らのように定量的でない記憶領域には収められそうになくて、目の表面が乾きそうだ。

「めんどくさいね指揮官」

「悪かったな」

 机に手をついて身を乗り出す。随分とまあきれいな顔に作られたものだと感心する。

 作り物の存在にどうしてこうも心穏やかにいられないのかさっぱり分からないけれど、悪くない。悪くないのだ。

「行動で示せば容量大きくなる?」

「うん」

 その言葉を信じることにしよう。

 ……何を緊張してるんだ、もっとすごいことしてるじゃないか。いいからここまできたなら腹をくくって、

「失礼しまーす。指揮官様に物資のほうこ……」

「はぁー……カリーナ……ノックしてって何度も言ってる」

「すみません……お邪魔ですか?」

 そんなの見れば分かるじゃないか、と言いたいところだけど肩の力が抜けたから責めはしない。いいんだよVectorも笑ってるから。

「うん。でもカリーナには後でちょっと購入した物資の情報について色々聞きたいから呼んだら来て」

「うっかしこまりました」

 カリーナが慌ててドアを閉じた。鍵はかかってないけど、もうそんなのどうでもいいのだ。



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永い後日談の白地図

 私は大変に臆病なので、何かを待つことが苦手だった。期待して待てどもそれが返ってくることはなく、期待外れのものが返ってくることの方が多い。

 子どもの頃、自分を育ててくれた女性がいなくなり、せめて生きて帰ってくることを期待して待った。結果帰ってきたのは布袋に詰められたお金だった。

 そうじゃない! 自分が返して欲しかったのはこれじゃないんだ! と叫んでも二度と帰ってこない。私にとって待つということは、そういうことなのだ。

 

 朝だ。窓の代わりを勤めるモニタが太陽の光を映し出す。

 汚染地域では外界とガラス一枚なんて危ない境界線はもうこの世にほとんどない。唯一例外である乗り物の窓ガラスは、大変に頑丈に強靭に作られているため高価である。

 身体を起こすと掛け布団がずるりと落ちて肩が冷えた。思わず手のひらで触れて、まあ何も着てないから寒いよな、と納得する。

 そろそろ暖房を入れてもいい季節だろう。念のためリソースを管理しているカリーナに確認しよう。

 隣に目をやると頭まで布団を被った人間サイズの塊が一つ。腕を伸ばしてめくると見慣れた銀髪が枕に半分沈み込んでいる。最近Vectorは朝になってもさっさといなくならないでここにいてくれるのだ。

 早く起こさないといけないかと考えて、今日がオフだったことを思い出した。もう少し物思いにふけれる。

 こわごわ手のひらを頭に乗せてみる。特に動く気配がなかったのに気をよくして、そのままもしゃもしゃと撫でてみた。

 普段はこんなことしない。やったところでアイスよりもひんやりした反応を返されるのが手に取るようにわかる。

『なに? 意味のないことして楽しい?』

 こんなことを言われるんだろう。そう考えただけでため息が出る。

 楽しいに決まってるだろそんなの。私は楽しいのだ。けれどそれを説明するのがなんだか癪で、プライベートの時の余程限られた瞬間にしかしないことにしている。

 つくづく彼女はめんどくさい。疑う気は全くないが時たま、本当にこんな関係になってよかったと思ってるのか、と聞きたくなるくらいにめんどくさい。ともすれば嫌われてると思いそうだ。

 いっそ今度聞いてやろうか。たまには驚かせたいし困らせたい。いつもの綺麗な仏頂面以外に何か私が原因になって変化を与えたい。

 とは、思うのだけれども……うまくいかないものだ。もしかして見逃しているかも、と淡い期待を抱いてみたりもするがその発想が甘いのだ。

 見逃してなんかいない。本当にびっくりするほど変化がないのだ。表情のプログラムどうなってるんだ?

 などなどを考えながらもしゃもしゃと頭をなで続ける。

 触り心地のいい頭だ。ちょっと癖のある毛先に可愛げがある。指先にくるくる巻いてみるとすぐ反発してほどける。これがなかなかどうして……面白い。

 本人もこれくらい反応があれば面白いのだ。そう考えると思わず口から軽い笑い声が漏れた。

「んふふ」

「意味のないことして楽しい?」

 声が聞こえると思っていなかったため、静電気バリバリのドアノブを触ったような勢いで手を離してしまった。

「い、いつから」

「ずっとだよ。なんか珍しいことしてるからそのままにしておこうと思って」

 でもいい加減飽きたからさ、と続けながらVectorは上体を起こす。私の時と同じように布団がずり落ち……おっといけない。私は腕を伸ばして布団を上げさせた。

「隠して」

「夕べあれだけしといて今更だけど」

「いいから」

「そんなに見たくない?」

「いや見たいよ、じゃなくて、目のやり所に困る」

 目がチラチラ胸にいきながら話をするなんてまっぴらだ。

 それにしてもすぐマイナスの意味に捉えるのだから油断も隙もあったものじゃない。

「もっと私から押さないとだめなんだろうか?」

「何を?」

「言葉が足りないと君はすぐマイナスの意味合いに取るだろ」

「困る?」

「困るよ」

「どうして?」

 どうして? どうしてだって? そんなの言わなくても、いや言わないと分かってくれないのか。

 慣れないことをするのには勇気がいるから、少しもったいぶって深呼吸する。

 これがわざとだったら、なんて罪作りな人形なんだろう。ただVectorがそんな器用な奴じゃないことを私はよく心得ている。

「好意的に思ってる存在が自己を否定し続けたら悲しいから」

「ふぅん」

 いつも通りの興味がなさそうな相槌だったが、注意深く見てたおかげで彼女がちらりと左手を見たところをとらえられた。

 Vectorの左の薬指には、私が先日緊張でガタガタ震えながらはめた指輪が眩しく光る。

 あの動作は彼女も私を意識してくれている何よりの証拠なのだから喜んでいい、のだが……悲しいかな、ノミの心臓すぎてのどの奥で鼓動が聞こえてくる。

 首から耳の先まで熱くなっていく気配を感じて、つい両手で覆った。わかってる。時すでに遅し、だ。

「……今の保存しようとしてる?」

「うん。現在進行形で保存するつもり」

「うわぁ恥ずかしい」

 ふっとVectorの表情が緩んだ。珍しく感情が見て取れる。

「指揮官はいじらしいというかなんというか」

「なんだよ……」

「んー、愛おしい、かな」

 ……なんだ、こいつ? 散々興味なさそうにとりつく島もない対応してきたのになんだこの、今なんて、言った?

「Vectorは、考えてることが読みづらいな」

「指揮官はわかりやすいよ。割と顔に出る方だし」

「あまりそんなことは言われないけれど」

「よく見てると細かい変化は多いよ」

「例えば?」

「鎖骨噛まれるの弱いよね? 変な顔する」

「そういう話!? あけすけに言わないでくれよ」

 それに変な顔ってなんだよ……いや細かく言われるのも困るけれど。

 彼女の歴代オーナー達も扱いに困ったんだろうか? 考えるだけでその苦労が手に取るように分かる。きっと何人かは手に負えなくて投げ出しただろう。

「今は何か苦そうなこと考えてる顔してるね」

「んー、まあ、今までの君の持ち主は苦労しただろうな、と」

「どうだろう? 覚えてないよ」

「薄情だ」

「そうじゃなくて、データが初期化されるんだよ」

 へえ、それは知らなかった。けれど考えてみれば当たり前だ。プライバシーや機密の保持のためにその方が安心だろう。

「だから指揮官とこういうことしてたのもG&Kを抜けたら忘れるよ。バックアップごとね」

「確かに。買い取ればいいのか」

「やめておきなよ、そんなお金ないでしょ?」

「稼ぐし、なんなら退職金全部使ってもいい」

「そのあとの生活はどうするの」

「考えてないけどなんとかなるよ」

 別に地元に帰って読み書きでも教えてたりしたっていい。

 特にやりたいことがあるわけではなく、漠然と彼女を手放したくないだけなのだ。それさえ叶えば別に朽ちてもいいや、なんて退廃的なことを考えたりもする。

「名前どうする?」

 唐突に聞かれてしばし思考が停止する。またどうしてこう、説明なしに質問してくるかな。

「そうか、銃を手放したらVectorではなくなるか」

「うん。だから新しくつけてよ」

 それはなかなかに魅力的な申し出だ。同時に責任感のあることで、また随分と気の長い話だ。

 その日がいつ来るともわからない。少なくとも明日ではない。でももしかしたら来週かもしれないし来月かもしれない。

 ことによると十年よりもっと先かもしれない。

「申し訳ないけど私には無理だ」

「……そっか」

 あ、少し残念そうな声。違う違う今のでは説明が足りない。

「私さ、ネーミングセンスが」

「あーこの前拾ってきた柴犬に田子作って名前つけた」

「百式だけが、やりますねぇって喜んだよ。あとは非難囂々」

「あれはダメだよ」

「傑作だと思ったんだけどなぁ。たくましそうで」

 壊滅的なセンスは二十年かけても直らないと思われる。

「君の生涯にそんな汚点を残したくないんだよ」

「うん。よくわかった。あたしもそんな名前はいやだ」

「はっきり言ってもらえてありがたい。だから名前はVectorが決めて」

「あたしが?」

「うん。君が」

 待つのは大変に苦手だ。任せて待ったところで、この気の長い未来の白地図に何か書き足される確約はない。

 もしかしたら明日彼女は帰って来ないかもしれない。その日は来週かもしれないし来月かもしれない。

 十年後、果たしてここに彼女はいるのだろうか? 私もいるのだろうか? 司令部は? G&Kは? 世界は? わからない。

 それらしいことをしたくなってVectorを抱き寄せる。首元に当たる髪の毛先が少しくすぐったくて、素肌に触れる人工皮膚の温度は大気よりは暖かい。

 今現在言えることは、とりあえずここに彼女はいるという、それだけだ。

 それが積み重なって、明日、来週、来月、十年後になればいい。

 長い睫毛を抱えたまぶたが数度瞬きして、鎖骨の上に左手が添えられた。

 だからそこ弱いって知ってるだろ……いや知ってるからか。

 そこにはめられた指輪は誰かに作られたVectorに唯一私が与えたものだ。ならば彼女にも自分に何かを与えてほしい。

「君がその時が来たときに、ずーっと私に呼ばれたい名前を考えてよ」

「指揮官てさ」

「なにさ」

 見下ろすと彼女は上目遣いで笑った。その顔がどれだけ魅力的かなんて、知ってるのは私だけで十分だ。

「結構ロマンチストだね」

「うるせえやい」

 だから私がロマンチストなことも、彼女だけが知っていればよい。



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n+1回目の契約

 私は大変に臆病なので、生きること以外に固執することが苦手だった。

 生きるため以外のことに手を出すと身を滅ぼすだけだ。無駄なことはしない。

 だから、意味がないことの繰り返しや瞬く間に消えることなんて決してしてはならない。

 

 「以上、報告終わり」

 執務室に響いたのはVectorの不機嫌な声。報告書のファイルも雑に机に落とされた。

「ありがとうVector。腕の調子はどう?」

「……別に、普通だよ」

「そっか。ごめんねすぐにパーツが用意できなくて。来週には届くからもう少し待って」

 今の言葉には特に返答せず、彼女は部屋を出て行った。

「…………不機嫌でしたね」

「まあそうだね」

 後ろに控えていたカリーナがビクビクしながら声を発した。それに比べたら私なんて能天気なものだ。

「指揮官様は平気そうですね」

「慣れたから」

「はぁ……」

「さて、これから重要な案件のための会議だ、カリーナ」

 思ったより低く出た声は重苦しく響いたのだった。

 

---

 

 最低だ。こんな下らないことで不機嫌になるなんて。

 先日、作戦中に想定外の敵と遭遇。なんとか退けたもののダミーは全て失い、あたし自身も一部破損。

 指揮官がすぐに応援を送ってくれたから誰も失われずに無事に帰還できた。

 本体は無事。でもよりによって破損個所は左の肩から先だった。つまり、指輪を失った。

 探しに行くと言い張ったけれど指揮官はそれを許さなかった。

「その状態で出たらダメだ」

「でも」

「今度は腕だけじゃ済まないよ」

「だって指揮官」

「Vector、わかって」

 そう言われてしまえば逆らえない。指輪と左腕の代わりに、新しい腕が来るまでの代用品が取り付けられた。日常生活に支障はないけれど、しばらくは銃が握れないから報告任務に従事することになった。

 人形なんてそんなもの。きっと指揮官にとっても指輪なんてそんな物だったんだ。

 あんな、大切そうに渡してくれたのに。やっぱりただの予行練習で、何か夢を抱く方が間違いなくらい。

 だったら、どうしてあんなに照れくさそうに笑ったのか。どうしてあんなに余裕のない顔で抱くのか。どうして朝隣にいるだけであんなに穏やかな顔になるのか。

 全て無表情でこなしてくれたらこんなに苦しくならずに済むのに。人間ってのは本当に厄介。

 それら全てを丁寧にバックアップとして保存してしまったからあたしも大概なのだけれども。

 最近は指揮官もカリーナとの方が一緒にいて楽しそうだし、いっそその方がいいんじゃないかと思える。人間同士だし、その方が自然だ。

 カリーナなら指揮官に対して不機嫌になって当たったりもしないし、きっと表情がよく変わるから指揮官もそっちの方がいいだろう。

 あたしのように常に無表情無感動で変化がなく、面白みのない人形に入れ込んでいることがそもそもおかしいんだ。だから普通になってくれたらいい。その方がいいし、自然だし、おかしくない。

 指揮官の部屋の前を通りかかり、ついドアノブに手を伸ばしてしまう。左手はポケットに入れてある合鍵に伸びる。

『これ、今後使うだろうから』

 そうぶっきらぼうに鍵を渡してきた指揮官を思い返して頭を振った。

 ダメだ、部屋に入るとまた指揮官のことばかり考えてしまう。ただでさえ指揮官のことばかりなのだから、少しは離れるように努力しよう。

 指揮官のためにも離れるべきなんだ。

 あたしは指揮官のために一緒に死んでやれるしいざってときは殺してあげられるけれど、指揮官と一緒に生きれるのはきっと、カリーナみたいな人間なのだから。

 

 週末、緊急事態がない限り司令部全体が休暇。

 今までは指揮官の部屋でだらだら過ごして、昼過ぎから散歩に出るような時間を過ごしていたけれど、それより前は何をしてたっけ?

 指揮官と一緒に過ごすようになってそう日が長いわけでもないけれど、すっかり忘れてしまっている。確か本を読んだり、談話室で他の人形と話したり、そうやって過ごしていたと思う。

 談話室に行くとスコーピオンが一人でジェンガをして遊んでいた。

「何してるの?」

「あれ? Vector指揮官と一緒じゃないの?」

 まあそう聞いてくるか。

「うん、まあ、ちょっとね」

「ふーん、喧嘩でもした?」

「どうだろう」

「そっかぁ。仲直りできるといいねぇ」

 スコーピオンは指揮官が拾ってきた子だ。鉄血の捕虜になっていたところを救出したが、本部に連絡したところ彼女の元指揮官は既に彼女を手放す手続きを取ってしまっていたそうだ。

 それを聞いた指揮官はそう長く考えずにスコーピオンへ、

『じゃあうちの子になるか』

 と声をかけ今に至る。おかげでスコーピオンはかなり指揮官に懐いていると思う。

 作戦後に帰投すると、スコーピオンは指揮官に飛びつく。

 最初のころ指揮官はうまく受け止められず後ろに転がったり、体重をかけ損ねて腰を痛めたり散々だったけど、段々自分から迎えに行くことでうまく抱えられるようになっていった。

 あれが人間の学習能力なんだろう。

「Vectorはさー、指揮官のことすきー?」

「え?」

 スコーピオンは目の前の歯抜けタワーを触りながら問いかけてきた。

「私はねー、大好き! お父さんとかお母さんみたい!」

「うーん、そうか」

 指揮官の提案通り、まさにスコーピオンはうちの子になったわけだ。

 あたしはどうだっけ? なんて言われた?

「Vectorも指揮官のこと大好きなんじゃないの?」

「どうかな? 自分でもよくわからないや」

「好きでもないのに指揮官のこと一生懸命考えてるのは変だよ」

「そんなに考えてる?」

「考えてるよー。ずーっと指揮官のこと見てるもん」

 そうかもしれない。ずっと見てて、いつでも考えてて、離れようとしてみてもメモリが指揮官ばっかりで恥ずかしいくらいだ。

「だから仲直りできるといいね」

「うん。ありがとう」

「Vectorもなー、素直に指揮官にすきーってやればいいのになー」

「スコーピオンみたいに?」

「うん! 指揮官結構しっかり受け止めてくれるよ!」

「そこに至るまで三回くらい腰痛めてたよ」

「うえへへ反省してます」

 思い出した。指揮官は初めて会ったとき、少し目を見開いてから、

『待ってたよ。よろしくね』

 と笑ったのだった。

 何を待ってたのか聞いてはいなかった。確認してもいいかもしれない。

 

 三日後、打って変わって気は重かった。

 この前、スコーピオンと別れた後に指揮官が車に乗って出かけるのが見えた。

 運転席にはカリーナが乗っていたのだ。

 わかっているし、理解しているけれどやっぱり胸は苦しい。

 人形に痛覚はないはずなのになぜか痛みのようなものを感じる。

 こういうのを、心が傷ついた、と言うらしい。

 ばかばかしい。擬似的な物があっても、本物の心なんて人形にはないのに。

 いっそ本当に何もなく、こんなに指揮官のことで思い悩んで苦しまなければどんなに楽か。

 先ほど指揮官に呼び出された。届いた新しい腕は今朝取り付けてもらって動作確認も完了した。

 指揮官にそのことを報告したら、それから、あたしはどうしたいんだろう。どうすればいいんだろう。

 腕はそろったのにいつもより執務室のドアを重たく感じる。

 

---

 

 Vectorが左腕と一緒に指輪をなくしてきた。その話を聞いたのは彼女が帰投するほんの少し前で、それだけでも彼女がどれほど落ち込んでいるか想像に易かった。

 なんて声をかけようか、どうしてやろうかを悶々と考えている間に彼女は帰ってきた。

 激しい音と共に執務室のドアが開き、私が息を飲んだ以外は無音の部屋にカツカツと彼女の靴と床がぶつかる音が響く。

 通信で聞いた通り、Vectorの左肩から先はない。それがあったであろう場所から露出している金属部品が痛々しく、自分のことではないのに左肩がじんわり痛む錯覚を覚えた。

 見るからに不機嫌な仏頂面は左頬に少し煤がついている。到着してすぐここに来たんだろう。

 表情からは読み取れないけれどVectorの中には苛立ちやら後悔やら悲しみやら私に対する申し訳なさやらがごちゃごちゃになっているに違いない。それくらいは分かる。

 私が何かかける言葉を見つける前に彼女は目の前に到着し、残っている方の腕で胸倉をつかんできた。

「Vectorなにを」

 真意を問おうとしたが全部言うことはできず、彼女は答えの代わりに乱暴に唇を重ねてきた。

 驚いて右肩を押し返そうとしたが、今それをしたら傷つけることを察して手をのせるにとどめた。手先にわずかながら震えを感じて親指で肩をなぞってやる。

 怖かっただろう、かわいそうに。これだけ弱ったVectorを見るのは久しぶりだ。誓約してからは初めてだと思う。

 だがそれだけでは止まらずに口の中に舌を侵入させられた瞬間に思わず制止をかけた。

「何をしてるんだ!」

「抱いて」

「馬鹿! 修復を受けろ!」

「いいから。痛くなんてない」

「そういう問題じゃ」

「二度も言わせないで。それとも、綺麗な体でないと無理?」

 自虐的に笑う顔は皮肉なほどに美しい。

 どうしよう。ここまで弱るなんて思わなかった。もう一度何か言葉を往復させたらきっとVectorは泣く。それだけは本当にごめんだ。

 泣きそうなのに気丈に見つめてくる金色の瞳に、ついに折れてしまった。

「鍵は?」

「入ってくるときかけた」

「わかった」

 これだけで了承したことは伝わっただろう。

 立ち上がって机の上を雑に払って物をどかし、脱いだコートをそこにかけた。

 机に押し付けた重さが片腕分軽いのが妙に悲しく、左肩に触れた手のひらにひっかかる機械部品がそれをなお重たくした。

 

 「いやー、指揮官様も若いですねー」

 非汚染地域へ向かう車を運転しながらカリーナが笑う。私は助手席で甘んじてそのからかいを受けることにした。

「カリーナとそう年は変わらない」

「いえいえ、今のは修復担当の方の言葉を借りたのです」

「やっぱりバレるか」

「それはさすがに」

 そうだよなー、と言いながら後ろ頭をがしがし掻く。あの後一応洗浄して着衣は整えたのに。いや逆にそれでバレるのか。

「あと、さすがに執務室はいけないかと」

「その点に関しては本当に申し訳ない」

「いえいえ。気づいたのが私でよかったです。人払いも通信の対応もできましたし」

「助かったよ。ありがとう」

 鍵はかけてあったけれどさすがに隠し通せなかったらしい。今月の給与にはカリーナに少し上乗せをしておいた。

「指揮官様と私はお互い持ちつ持たれつですから」

「助けてもらってばっかりな気がする。報告書も頼んでるし」

「その分話題を提供してくださってるからいいんですよ」

 こうやって秘密の片棒も担がせてもらえますし、とカリーナは上機嫌だ。

 私とカリーナは上司と部下という間柄に加えて良き友人である。年が近いこともあって、お互いにいい相談相手で気軽に頼れる距離感にいる。

 私は業務の上でかなりカリーナに頼っているが、カリーナからすれば娯楽の少ない環境で私の、特にVectorとの話は最高にいいものだそうだ。

「お友達の恋愛話なんて女の子にとったら最高の楽しみなんですよ!」

「よくわかんないなぁ」

「指揮官様はそういうタイプじゃないですものね」

「そもそも友達って概念自体カリーナが初めてだからね」

「それは光栄です」

 子どものころに過ごしていた場所では友達はいなかったし、そもそも学校に通っていなかったからそういう存在ができる環境にいなかった。

 ただまあ、友人との正しい付き合いについては教わっていたので、適切な関係は築けた。そこは教育の賜物だ。

「ところでVectorさんとは最近どうですか?」

「話題を提供してあげたいのだけれど、最近よろしくない」

 

 Vectorが重傷を負った翌日、彼女の左腕は複製まで数日時間を要することが判明した。なるべく急いでもらうよう要請したが早くて来週になるそうだ。

 片腕を探しに行くと言ってきたVectorにそれだけはやめろと言い聞かせ、当分報告任務にあたらせた。しばらく不機嫌は続くだろうがそれくらい受け止めてやろう。

 問題は腕が直ったところで機嫌は直らないであろうことだ。どうしたものかと考えて頼れるカリーナに相談してみた。

 その結果が今日の外出なのだが……

 

 「Vector、最近部屋に来てくれない」

「えーっと、指揮官様それで寝不足ですか?」

「お恥ずかしながら」

 本来なら私が運転するべきなのだが、寝不足につきカリーナに運転を任せたのだった。

 自動運転が当たり前になった世の中だが、一応緊急時の運転手は必要なのだ。

「何か他に機嫌を損ねる要因はあります?」

「いや、心当たりは」

「もしかしてなんですけど、最近私たち仲良くしすぎましたかね?」

 そうかもしれない。でもそれが原因だとしたらめんどくさいこの上ない。だが確信できる。

「それだ」

「……指揮官様、私が言うのもなんですが、Vectorさんめんどくさいですね」

「うん。この上なく」

 少しは運転手にサービスしてやろう。本人もここにはいないことだし。

「でもそこが好き」

 こうやって言ってやるだけでカリーナは上機嫌になるからちょろいものだ。私はゆでだこになるが。

 おそるおそる横を見ると運転手はニヤニヤ笑顔でこちらを見ている。

「それ本人に言わなきゃ意味ないですよー」

「わかってるよ! そのための買い物なんだから前見てくれ!」

「やっぱり指揮官様は最高ですね!」

 カリーナの明るい笑い声が車内を満たす。

 

 Vectorの腕が届いたらしい。私は朝一で彼女を工廠へ向かわせ、取り付けと動作確認を依頼した。

 一連の確認が完了したと連絡を受けたので、深呼吸してからVectorを執務室に呼んだ。

 これからが肝心なんだ、しっかりするのだ、と自分に何度も言い聞かす。

 ドアが数度ノックされる。

「どうぞ」

 今発した声は上擦ってなかっただろうか?

 無言で入ってきたVectorはやっぱり不機嫌そうな顔で、ほらだから腕が戻ってきても機嫌なんて直らないんだ、と最初の想定の正しさを認識した。

 ただちょっと思いつめた顔で来られるのは想定外だった。三行半でも突き付けるつもりかこいつは。

「腕、どう?」

「悪くないよ」

「よかった。待たせてごめん」

「別に」

 この取り付く島もない感じがなんとも。強いて言うならここしばらくで少しきつくなった気がする。

 次の話、本題に入る前に少しわざとらしく咳払いをした。途端にびくっとVectorの肩が跳ねる。

 そうか、三行半を突き付けに来たのは彼女ではない。私がそうすると思い込んでいるのか。まったく、めんどくさく愛おしい奴め。

 少し肩の力が抜けた。大丈夫そうだ。本当に?

「その、大事な話があって」

「早くして。忙しいから」

「わかってる」

 私はコートのポケットに手を突っ込みながらVectorに歩み寄った。物理的な距離と同じように精神的な距離もすぐ近くできれば苦労しないのに。

 ただ、近寄れば近寄るほどVectorは堅い表情になって。そこは精神的距離と同じか。

 本当にめんどくさくてかわいそうで、かわいい。

 私はさっきから指先にひっかかる箱を取り出した。

「はいこれ」

 もったいぶる必要もないので、ふたを開けて中身を見せてやる。中身は以前渡したより幾分かシンプルなデザインの指輪だ。

 それを前にしてVectorはたじろぐ。

「えっなんで? もう誓約はしたでしょ?」

「したよ」

「なら意味がない」

「意味ってそんなに必要?」

「こんなの、もらったって」

「なんか色々勘違いされると困るんだけどさ」

 私はしゃべりながら、椅子の脇から持ってきた紙袋の中身を引っ張り出す。うまくできてる? 不安だ。

「別に強くなってほしいって理由だけで誓約したわけじゃないんだ。いい加減これでわかってよ」

 右手で指輪、左手でわざわざ注文して届けてもらった真っ赤な花束を突き出してやる。

 本数は一年の月と同じ数。我ながら気障なことをしている自覚はある。

「これ本物の花?」

「おうとも。高かった」

「指輪は?」

「前のはちょっと派手だったし、街まで選びに行った。悩みすぎて一日かかった」

「どうして……」

 結局言わないといけないんだ。今まで逃げてきた年貢の納め時か。

 深呼吸をする。肩が上下した。

「好きだから。幸せにしててもらいたいから」

 目が合う。ぽかんとした顔をされた。

 そりゃ言うとは思わなかったろう。でも言わせたのは彼女だ。

「こんな結果になるなんて、思ってもいなかった」

「そうか」

「うん、あたしも好き、だから、受け取ってもいいかな?」

 ここまできてやっと一息つける。けど断られることは最初から考えてない。

「受け取ってよ。全部君のだ」

 言うや否やVectorが一歩踏み出す。瞬間的にスコーピオンが飛びかかってくる映像が脳内をよぎり、前に踏み出しながら構えた。

 案の定Vectorは飛びついてきた。しっかり抱き止めてスコーピオンにするみたいにぐるっと回る。こうするとうまく勢いが殺せるんだ。

 回ったときに少し花びらが散った。後で掃除しないとな。

 でもそんなのどうだっていいんだ。飛びついてくる瞬間に珍しく笑ってたのが見えたから。久しく見てなかった。

「部屋、また来てよ。いないと眠れない」

「うん」

「カリーナに色々協力してもらった。後でお礼言っといて」

「うん、あと、ごめん」

「なにが?」

「誤解してた」

「だろうと思った」

 さてどうしようか。この後仕事って気持ちにもならない。なんならこのまま過ごしたい。

 ドアの方に向かって声を張る。

「カリーナ! 今日は一日休みにしよう!」

 返事はなかったけれどバタバタ駆け出す足音が聞こえた。

「あとね、執務室は本当にヤバいからやめて……」

「ふふ、善処する」

 耳元で笑われる吐息がくすぐったく、腕一本分増えた重さが妙に幸せだ。



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小隊はバーにいる

 私は大変に臆病なので、恥をかくことが苦手だった。

 恥をかけば印象に残る。できれば誰の印象にも残らず静かにひっそりと生きていたい。

 特に恥というのはマイナスの印象なのだから、かいていいことなど何もないのだ。

 だがアルコールはその敷居を容易に跨がせるから恐ろしい。

 

 「おーい起きろ指揮官」

 背中に手を当てられてゆさゆさと動かされる。眠たい目を擦ってやっと顔を上げると目の前に水入りのグラスが差し出された。

「ほら、酒と同じ量飲め。なんなら三倍飲め」

「ううぅありがとう」

 M16からグラスを受け取って飲み始める。アルコールのない液体が身体に染みていく。

 今夜は司令部の近くにあるバーにM16とトンプソンと来ている。酒を飲む、といえばこの組み合わせだ。

「ボス、ずいぶん険しい顔だったが悪夢でも見たか?」

「んーまあ、多分?」

「体温が上がって悪夢を見るようではまだまだ赤ん坊だな。ホットミルクの方がいいか?」

「余計なお世話だ」

「そうカッカするなって指揮官。今日は私らの奢りだからさ」

 今日は珍しく彼女たちの奢りらしい。まあ奢られても私なんて全然飲めないのだから大した出費にはならないが。

 奢られる理由には飲み会が開催された理由にある。

「で、そろそろ新婚生活について話す気になったか指揮官?」

「話せないってんなら不本意だがボスにもう少し飲ませないとな」

「お前ら、明日覚えとけ」

 要するにこいつらは私の惚気話をつまみに飲みたいのだ。はた迷惑な話である。

 私がVectorに指輪を渡したことはその日の内にみんなが知ることになった。カリーナの口に戸は立てられない。

 ここ最近忙しかったり厳しい任務が続いたりしたため、少しでもこういう明るい話題が必要なのだ、と自分をなだめすかしている。

 ただこうしてからかわれたり色々聞かれたりすることには慣れていない。Vectorはいつも通りの涼しい顔で「別に」とか「特になにも変わらないよ」とか返すものだからそういうのが全て私に回ってくる。

「別に、面白い話なんて何もないよ」

「またまた謙遜して」

「下手な隠し事はやめておくんだな、ボス」

 彼女らは私をつつけば何か出てくると信じているようだ。上司としては部下の信頼に応えたいがしかし。

「本当に何もない」

「そんなはずない。デートとか行っただろ?」

「行ってないよ」

「愛をささやいたりささやかれたりは?」

「しない」

 本当である。嘘はついてない。

「おっかしーなー、キスしてることとセックスしてることは聞いてるんだけど」

「待って、なんで」

「むしろボスが知られてないと思ったことの方が驚きだ」

 途端に居心地が悪くなって誤魔化すために水を飲んだ。私のプライバシーなんてものはないんだろうか。

 大体そこまで知ってるのであればわざわざ私から話すことは何もないんだ。

「それ以外何もないよ。毎日同じ部屋で寝起きしてるだけ」

「いや待て、それを話してくれ」

「そーいうのが聞きたいんだよ指揮官」

 M16が馴れ馴れしく肩を組んできたのを払いのけた。酔ってる彼女は遠慮なしに体重をかけてくるからかなり重たいんだ。

「え? 毎日? 連日連夜なの?」

「ボスは顔に似合わずお盛んなんだな」

「そうでなくて、健康上の問題でそうしないとダメなんだ」

「あぁ例の眠れないやつか。へーふーん嫁さんに添い寝してもらうと眠れるのか」

「やっぱり赤ん坊じゃないか」

「うるさいうるさい」

 今日はずっとこうして分の悪いやり取りを続けないといけないから困ったものだ。もう一口水を飲んで落ち着こうとする。

「でも、それだって誓約する前からしてもらってた」

「へー随分仲良かったんだ」

「ふーんそうかそうか」

「なんだよ」

「いえいえ」

「続けて」

 はぁ、とため息をついた。続けても何も、これ以上何も出てこない。二人とも楽しそうだし私ももう飲めそうにないし勘弁してもらいたい。

「わかった、こうしよう。何か困ってることないか?」

「百戦錬磨のM16がボスの相談に乗ってくれるってさ」

「えー、うーん」

 まあ、確かに、女性の扱いに関してM16ほど頼りになる存在もいない。

 それもおかしな話なんだが。

「さっきの、その、デートしたり、愛をささやいたりってのは、円滑な関係に必要なことなのかな」

「もしかして指揮官は愛情表現のやり方がキスとセックスしかないと思ってる?」

「そんなことはない、断じて」

「まあ分かるぜ。Vectorは反応薄いからな」

「そうかそうか、やっても甲斐を感じられないか」

 M16はあたりを見回すと手のあいていたウェイトレスの自律人形へ手招きした。

 自律人形は十代後半くらいの少女に見えた。アルコールをメインに扱う店で働かせる見た目としてはアウトなんだろうが、ここはそういったことを気にしてはいけない店のようだ。

「ウィスキーを一杯追加で。それからこの後何時に上がるか教えてくれる? 部屋にとっておきがあるんだけど一人で飲むのはさみしくてさ」

 M16が彼女の手に触れながらそう言うと、ウェイトレスの顔は面白いくらい赤くなった。

 突然、先日ヘリアンさんから、M16が近隣の自律人形へちょっかいをかけているからしっかり監督しておけ、と叱られたことを思い出した。

「おいコラ」

「それくらいにしとけ。また行きつけを出禁に変えるつもりか」

「わーかったって。ごめんね」

 M16は触れていた手にチップを握らせて手を振った。

 まあでも、多分あの人形は何らかの方法で上がる時間を伝えるんじゃないかな、ということは想像に易かった。

「こんな感じ」

「わかるかよ」

「要するに言葉選びとそれに適した動作さ」

「トンプソンのがわかりやすかった」

「せっかくお手本見せたのに」

 空になったグラスに目を移す。手のひらの温度で氷が溶け、カランと音を立てた。

 私もああすれば多少はVectorを動揺させられるんだろうか?

「すみません、私にもウィスキーを」

「大丈夫か指揮官?」

 心配そうにこちらに視線を寄越したM16をしっかりと見つめ返した。

「練習、する」

 こんなの素面ではやってられない。

 

 M16とトンプソンから、

「指揮官に飲ませすぎたから迎えにきてやってくれ」

 と連絡が入ったのは深夜近くだった。どうせこんなことになるだろうと思って待っていてよかった。

 バーは司令部から歩いていける距離にあり、今日は天気もいいことから傘やマスクなしに外を歩ける。迎えに行くのに特によけいな物はいらないだろう。

 扉を開けると酒気が漂ってくる。アルコールに弱い指揮官だからきっと店に入るとき一度咽せただろうに。

 部下に誘われるとどうしても断りきれない時があるのがあの人のいいところ。

「迎えにきたよ」

「サンキュー」

「ご覧の有様だ」

 のぞき込むとトンプソンとM16に挟まれた席で指揮官はカウンターに突っ伏していた。

「寝てる?」

「みたいだな」

「あれだけ水飲めって言ったんだけどなぁ」

 どうも意固地になってアルコールを飲み続けたようで。

 肩を叩いて起こしてやる。

「指揮官起きて、帰るよ」

「ううん……」

 もぞもぞと身じろぎして、指揮官は緩慢な動きで顔を上げた。重たそうにまぶたを開けて、それから柔らかく破顔した。

「べくたぁ」

「そうだよ。帰ろう」

「うん」

「歩ける?」

「うん」

 そうは言うものの立ち上がった足元はふらふらで、仕方なく肩を貸すことにした。

「せっかくVectorが来たら甘いこと言うんだって張り切ってたけど無理だったか」

「ちょっとからかいすぎたな」

「なんとなく想像ついてたけどそういうことか」

「うんまあ。ごめんごめん」

「今日の会計は持つから許してくれ」

 もたれかかってくる指揮官の体温は高くて、自棄になって飲み続けたんだろうと思われる。

 この人は想像以上に照れ屋だから、アルコールに頼りでもしないと思い切ったことはできない。

 けど誰も知らないことが一つだけある。

「別に変わったこと言われなくてもさ、名前呼ばれるだけで結構数値上がるんだよ」

 わかりづらいだろうけどね、と続けると、M16とトンプソンはポカンと口を開けてあたしを見つめていた。

 あたしは、それじゃあ、と軽く告げて指揮官を連れて店を出た。

 明るい月夜だった。少し砂埃の匂いがするだけで風もない。

「楽しかった?」

「うん」

「よかったね」

「うん」

 指揮官の返答が一辺倒になってきたから、もうこの状態では何も覚えてないだろう。

 朝目覚めて、どうやって帰ってきたんだ、と首を傾げる姿を想像して口元が緩んだ。

「今度あたしともどこか出かけようよ」

「うん」

 多分今のも覚えてないと思うから、明日もう一度言ってあげよう。



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君に聞かせる物語

 あたしは大変に後ろ向きなので、生きている存在が苦手だ。

 いつか死ぬその存在にどうしてやればいいのかわからない。

 あたしにできる唯一のことは、その時を早めてやることだけ。

 

 目を覚ます。正確にはスリープモードを切る。

 シャッターを開きカメラを起動させると、隣で寝息を立てる人間が一人。

 指揮官が目覚めるきっちり一時間前だ。

 今日は眉間に皺が寄ってないし、呼吸も穏やかだから夢見は悪くなさそう。

 唸っているときは少し早めだけど起こしてやっている。

 顔色も正常だから今日も健康だろう。いつも通り目覚めるはずだ。

 データベースと比較して健康状態を把握、それから諸々の更新をしておく。

 そうだ、温度の確認もしよう、と掛け布団の指揮官領土へと手を伸ばす。

 あたしの領土はそうでもないのに、指揮官の領土は温かい。生き物の体温を感じる。

 うん、いつも通りの温度で、湿度もそれほど高くない。これで湿度が高かったりしたら寝起きに水を飲ませるつもりだった。

 少し掛け布団がずり落ちているから肩にかけ直してやった。夕べは特に何もせず寝たから服は着ているのだけど、起きるときに冷えていると寝起きが悪いようだ。

 起床時のパラメータを決められないなんて人間は不便だ。

 こうしてパラメータを整えるためにあれこれ手を加えてやるのは結構楽しいから別にいいのだけれども。

 まだ指揮官が起きるまでは大分時間があるので、やることを済ませたら後は黙って顔を眺める。

 先ほど温度を確認したのが面白かったのでもう一度領土侵犯してみる。温度センサの数値が変わっていく。

 今し方布団をかけた肩あたりは少し低い。試しに触れてみると少しセンサの数値が下がった。

 そのまま手を滑らすようにして首に触れてみる。ここは数値が高い。なんでも首には太い血管が通ってるらしく、そのため温度が高くなるんだとか。

 人形も首には大切なケーブルが集中している。そのあたりは人間の構造を真似しているんだろう。

 それにしても、指の下から伝わってくる振動には感情指数が乱される。

 これは血液の流れで、ここは指揮官の急所で、あたしが何か変なバグを起こして乱暴に扱えば生命活動が停止する。

 指揮官はそんなことをあたしが想定してるとも知らずに穏やかに眠っている。それは間違いなく手放しの信頼。あたしならそんなことはしないだろう、というのではなく、あたしにならそんなことをされてもいいのだ、という類の。

 身に余る信頼だと思った。いつか指揮官にそう言われたときに耳を疑った。だから何かの聞き間違いだと願って聞き直したのに、

『Vectorになら何されてもいいよ』

 と指揮官は笑った。本気なんだこの人は。

 あたしがなかなか本質を見せずにいる間に指揮官はどんどん踏み込んできて、いつでも飛び込んでこいと言わんばかりにあれもこれもを注ぐ。

 指揮官がそんないつになるか分からないあたしからの本質を待っていられるのも信頼のなせる業で、それをありがたくも恐ろしく思う。

 その効率の悪さは生きている人間だけが許されることだ。人形ならもっと効率よくパートナーを変えたり見限ったりするのに、この人は生き物だから私に拘る。

 『失望した?』と聞いても『全然』と答えられる。

 『懲りないね』と言っても『そいつはどうも』と笑う。

 どうしようもなく指揮官は生きていて、だからこそその時を感じてしまって怖くなる。

 突然頬に温かい物が触れて反射的に身体が跳ねた。

 目をやると指揮官が薄目を開けてあたしの頬に手を伸ばしていた。

「まだ時間あるよ」

「んん」

 指揮官は何度か瞬きしてから、うぅん、と伸びをしてすっかり目を開いた。

「怖い夢でもみた?」

「人形は夢なんてみないよ」

「変な顔してたよ」

 よくないことを考えて感情指数がマイナスに振れたんだろう。

「指揮官はいつか死ぬの?」

 考えていたことを口に出すと指揮官の眉間に深い皺が寄った。

 しまった、またやった。つい考えたことの終点を口に出すから、話が飛んで伝わってしまう。

「寝起きに随分難しいことを聞いてくるね」

「ごめん」

「とりあえず、そういったことを考えてたのはわかった」

「うん」

 指揮官の手はそのままあたしの頬を撫で続ける。多分感情指数が乱れてるのを察してて、なんとかしようとしてくれている。

 触れられていると乱れが収まっていく。

「生きている限り死は避けられないよ。いつか必ず死ぬ」

「そっか。人形も死ぬのかな」

「どうなんだろう? 初期化したら今のVectorはいなくなるよね」

「うん。でもあたしの残したバックアップは少なからず次のVectorに引き継がれるから、終わることはない」

 オーナーのプライバシーに関わらない武器の使い方や戦闘での立ち回りは、たとえ本体が破損しても引き継がれる。

 そういった意味ではあたしはずっと続いていく。

「でもそれは、Vectorであって君ではないわけだ。君という個が失われた時点でそれは死だよ」

「あたしという個?」

「そう。製品としての戦術人形Vectorではなくて君自身」

 その言葉に対して再び感情指数は乱れた。

 製品でないあたしとは一体何なんだろう? 人間はそんな個を常に持っているんだろうか?

「個って、なに?」

「難しいなぁ。例えば同じ人間でも私とカリーナは別の存在だよね。それと同じように君と他のVectorも別の存在」

「そうなの?」

「その、なんだ、別のVectorが私を好きになるとは限らないよね」

 こんなことをこの人は視線をそらしながら言う。照れている時の癖だって記録してある。

「うん、そうとは限らない」

「この状態は君自身しか持っていないのだから、君固有のものだ。つまり君という個の持つものだよ」

「そっか……」

 納得して噛み締める。

 いつの間にかあたしは個としての意識を持っていて、これを手放してしまったときが死。あたしにも死がある。

「あたしも死ぬんだね。安心した」

「安心しないで、こまめにバックアップ取って」

「気をつける」

「私も長生きするから。落ち着いた?」

「うん。ありがとう。指揮官のそういうとこ好きだよ」

 珍しく素直に口に出してみた。

 指揮官は少し目を見開いてからもぞもぞと口元を布団に埋めた。

 照れるとこういう反応もするのか。記録しよう。

「そういうって」

「優しいよね」

「そうかな?」

「誰に対しても分け隔てなく」

「誉められたことかなそれは」

「他の人形と同じようにあたしにも優しくしてくれるのは、悪くないよ」

 指揮官はすっかり顔を布団に埋めてしまった。今している顔を記録されたくないんだろう。そして布団の中からもごもごしゃべる。

「結構特別扱いしてるよ」

「誓約したから?」

「もっと前。多分最初から」

「……そういえば指揮官、最初に待ってたって言ったね。あれはどうして?」

 聞いてみると指揮官の頭が布団から飛び出してきた。布団の熱と、あと多分会話の内容のせいで顔が真っ赤になっている。

「覚えてたの!?」

「記録してたよ。大抵の人形が最初の一言は記録するけど」

「忘れててほしかった……」

「待ってたって、なに?」

 指揮官はうんうん唸りながらあたしを見たりあさっての方向を見たり。

 悩んでいるけれど、なんだかんだで隠さないことはわかっている。わかっていて聞くのだからあたしも大概狡いのだ。少し人間くさくなったと思う。

 指揮官がもそもそ手を伸ばして、今度はあたしの左手を握る。そのまま薬指に触れて、何かを確かめるように指輪をなぞった。決心がついたみたいだ。

「笑わないでね」

「わかった」

「発注して、来るってわかったときに、どんな人形だってデータをもらって、その、見た目が好みだった、から」

 今の情報から該当する語句を検索する。複数ヒットした単語からより一致しているものを選んだ。

「一目惚れってやつ?」

「これ以上は言わない」

 指揮官はぐるりと背中を向けるように寝返りを打った。顔は見えないけれど辛うじて見える耳の先が赤い。そこに血液がよく通っているんだ。

 かわいそうに、この人はきっと今どこかに穴があいたら全身の血液が抜けて死んでしまうんだろう。耳の先まで赤くなってるときは大抵それくらい温かくなっていて、指揮官も穏やかでいられない。

 そうなってるのを何度も見てきて、何度も大切に記録してきた。あたしという個が持つ大切なもの。

 時計を見ると活動開始時間まであと三十分はある。うんよし。

「あの、Vectorさん、なにを」

「あと三十分あるから」

「なんで馬乗りになる必要が」

「気分が乗ったから」

「…………どこでスイッチ踏んだ?」

「あたしを個として認識してるあたり」

「大分前じゃん。仕事に支障が出るから勘弁して」

「大丈夫」

「何の根拠があって、あっこら」

「指揮官寝てるだけでいいから」

 もう少しだけ指揮官のデータ収集にいそしんでも、きっといいはず。



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反省よこんにちは

 私は大変に憶病なので、命令に逆らうことが苦手だった。

 従っていれば少なくとも直後のことは保証される。それを破るのはいささか冒険が過ぎる。

 忠実に、安全第一に。それはG&Kで務めるうえで重視されることであるし、私のノミの心臓にも優しいことだった。

 たとえその内容に不服があっても、ぐっとこらえられる程度には賢いつもりだ。

 

 今日は珍しくヘリアンさんから連絡があった。普段は定例報告のためにこちらから連絡することの方が多い。

「今日はどうかしましたか?」

「一つ頼みたいことがあってな」

「なんでしょうか」

「小隊を一つそちらに送るから受け入れを頼む」

「短期でしたら問題ないかと」

「大丈夫だ。任務を一つ任せたいだけだからな」

「そういうことであれば。念のためリソースの確認をしておきます」

 手元のメモに、後程カリーナに資材の在庫確認の依頼をすることを書いた。客間の空きはあるから、あとは早めに毛布やシーツなどを準備しておこう。

「それで、秘匿無線を使われていることに理由はあるんですよね?」

 今日の通信は普段よりもセキュリティ性の高い回線だった。受け入れるとは言ったが、そう簡単な話では無い予感がする。

「貴官に預けたいのは404小隊だ」

「聞き覚えのない名前ですね」

「ああ。普段極秘任務を請け負っているからな。メンバーは四人。UMP45、UMP9、416、G11だ」

 その名前なら一部聞き覚えがある。確か以前夜間作戦の時に物資を届けた受取人だった。

「何名かは直接ではありませんが会ったことがありますね。アイスを届けました」

「アイス?」

「はい、確か。でもうちの人形は、彼女たちはいつもふらふら遊んでいる、と言っていましたが」

「あぁ。彼女たちの小隊は秘匿事項なんだ。だから他の人形たちにはそう思わせている」

 どおりで部隊名を聞かないわけだ。そもそもの存在も知らされてないんだろう。

「この件は内密に頼む。もし部隊名を名指しで何か聞かれたら知らない、もしくは死んだと答えるように」

 この話には笑ってしまった。

「随分と洒落たことを言うんですね」

「それから、一つ忠告したいんだが」

「なんでしょうか?」

「416とM16は近づけないように。酷く仲が悪い」

 思わずため息をついた。まったく、あいつは。

「まーたなんかやったんですね……」

 

 三日後、404小隊の人形たちは日が落ちてからやってきた。四人を順番に見て確認する。

「よく来たね。私がここの指揮官だ。君たちはUMP45、UMP9、416、それから」

 今にも眠りそうなくらい舟をこいでいる、小さい人形に目をやる。

「G11。疲れてるのかい?」

「気にしないでください。いつもこんな感じなんで」

 小隊のリーダー、UMP45がそう説明する。癖のある連中だと聞いていたけれど、これはちょっと骨が折れるかもしれない。まあ、短期だから問題ないか。

「今日はもう暗いから早めに休んで。客間に四人分のベッドと、毛布やらシーツやらを運んであるから使ってもらって構わない。他に必要なものがあったら言って」

「わあいやったぁ! 久しぶりのベッドだ!」

「お布団だぁ」

「ありがとうございます」

 UMP9、G11、416は喜んでくれているようだが、UMP45だけはすっと目を細めてこちらを見た。妙な悪寒が背中を走る。

「明日、午前中に作戦の概要確認。そのあと午後になったらすぐに任務開始だから遅れないように頼むよ」

「了解です。よろしくお願いしますね、指揮官」

 先ほどの視線とは打って変わってUMP45は友好的に握手を求めてきた。怪しまれても困るので応じよう。

「よろしく、UMP45」

「気軽に45と呼んでください。妹は9で」

「うん、わかったよ45」

 なんというか、食えない相手だ。一抹の不安を抱えながら固く手を握り返した。

 

 今回の任務は鉄血に包囲された居住地域からの民間人救出だ。救難信号は今朝届いた。午後一で向かえばまだ間に合う。

 部隊は三構成。鉄血の人形を排除する部隊、民間人を誘導する部隊。前者にはVector、後者にはトンプソンを小隊長として任命した。

 そして、

「周囲を確認した結果、居住地域近くに小屋が一つ放置されてる。万が一そこに民間人、もしくは鉄血の残党がいた場合の対応を45の部隊に任せる」

「了解」

 というのはもちろん建前だ。彼女らの本来の目的はその座標にあるデータの回収。たまたま今朝救難信号を受け取ったので、同時に進めることにした。

「本来小隊は五人で組むものだけれども、申し訳ないが少数精鋭ってことで四人で当たってくれ。もし緊急事態があったら迷わず連絡を。全員ちゃんと帰ってくるように」

「わかりました」

 45は文句も言わずに任務へ同行してくれるようで安心した。てっきり文句の一つでも言われるのかと。彼女の視線からは妙に落ち着かない何かを感じる。

 ともあれ、無事に作戦は開始された。私は指示を出しながらここで帰りを待つだけだ。

「カリーナは404小隊のこと知ってた?」

「ええまあ、噂には聞いてました」

 輸送待機中は暇なのでこうして雑談をする余裕さえある。

「さすが情報通。でも噂程度なんだ」

「それも都市伝説みたいなものでしたから。こうして目の当たりにして、初めて存在するんだって知りました」

「よっぽど内密にされてるんだね。でも人形が知らないのは驚いたな。なんでだろう」

「なんでもうっかり知っちゃうと記憶を削除されるらしいですよ」

「ますます都市伝説じみてるね」

 でもまあ、ありえない話でもないとは思った。そうでもしないと誰からも聞いていないという状況が成り立たない。

 ふと嫌な予感がした。G&Kの人形より鉄血の方が彼女らに詳しいんじゃないだろうか?

 

 作戦が開始されて二時間、民間人の救助は無事に完了した。集落の安全が確保されたとのことだったので、私も現地へ向かうことになった。

 移動中、トンプソンから通信が入る。

「ボス、ちょっとまずいことになった。鉄血の残党が小屋の方に向かってる」

「数や勢力は?」

「数はそれほど多くない。ただライフルが何体かいるみたいだ」

 これは困ったことになった。404小隊の構成ではライフルに弱い。彼女らでは射程が足りないんだ。

「そっちも状況は? 回せる人形はいそう?」

「今回結構手こずってな。損傷が軽微なのはVectorくらいだ」

「それでも挟撃ならいけるかな。Vector、任せていい?」

「おい、指揮官がお前に任せるだとよ」

 少し離れたところで了承する声が聞こえる。彼女なら任せても大丈夫だろう。

「念のため途中の飛行場で修復と補給をするように」

 それだけ伝えて通信を切った。

 案の定、404の認知度はこちらより鉄血の方が高かったようだ。

 おそらく交戦した人形から404の存在が鉄血内に伝達され、途中でこちらではなく404の撃破に作戦が変更されたんだ。戦闘は激化しているはずなのに一向に45から通信は入らない。

「信頼されてないんだろうな」

 一人ごちる。友好的に見えて45はこちらに心を開こうとはしない。臆病であるがゆえに私は自分に対する敵意には敏感なのだ。きっと他の指揮官なら気にせず受け入れられただろうに。

 他人の本質に気づいてしまうのはいいことばかりではないのだ。今回こうして私は45との間に溝を作ってしまっているのだから。せめてわからない顔をして向こうの求めるように振舞ってやればよかったのに、それさえもせずに。

「失敗したなぁ」

 輸送時間中一杯、一人反省会は続いた。

 

 現地に到着するころには集落はすっかり空になり、首長を務めていた老人にお礼を言われただけだった。

「いやぁどうも、助かりました。ここいらじゃ正規軍は来てくれないので」

「軍の皆さんは前線でお忙しいでしょうから。こういったことはいつでもG&Kにご連絡ください。まあ二度はないに越したことはありませんけれど」

 正規軍は救助にこそ手は回らないが難民キャンプの管理運営くらいはしてくれている。今回はそちらに民間人を送り、報酬を受け取る手はずになっている。

 救助でG&Kは報酬が得られるし、軍は難民の受け入れだけして面子を保てるのでお互いに損はしない、と思う。実際あちらがどう思っているかは知らない。

 こちらから出していた救助部隊の撤収も完了し、あとは404と応援に向かったVectorだけなのだが。連絡がない。

 気がかりなのでこちらから通信を飛ばしてみよう。もしまだなら連絡はつかないだろう。

 無線を飛ばしてみると通信は無事に受け取られた。

「指揮官?」

「Vector、そっちはどうなった?」

「ごめん、何も言わずに来てほしい」

 ……なんだろう、でもろくなことじゃない気がする。老人からバイクを借りて小屋へ向かうことにした。

 道すがら、見られるのは鉄血の残骸ばかりだった。小屋に近づくにつれその数は増していき、余程熾烈な争いが繰り広げられたんだと容易に想像できた。

 どれもこれも完全に破壊されていて、二度と動くことはない。そのため安心して走行できるのだが、これを成し遂げた存在を恐ろしいと思った。私は404の強さを見誤っていたかもしれない。

 小屋に到着する。半開きになっている扉を開けると、お互いに獲物を向けあい相対する45とVectorがいた。

 一触即発、触っただけで火が出そうだ。まず状況の確認を。

「誰か説明を」

「鉄血の人形が私たちの情報を指揮官の部下に喋ったので、対応をとろうとしているところです」

 淡々と説明する416にぞわっとした。

 なるほど彼女たちにとっては当たり前の行動なのか。今回は理解不足だらけだ。大いに反省しないといけない。

「対応とは」

「私たちに関する記録の削除ですよ指揮官」

 45の口から苛立ちの混じった声が出る。怒ってるだろう。そりゃそうだろう。

 覚悟を決めなければならない。

「……その対応は、規約で決まってるもの?」

「はい」

「具体的には」

「頭を撃てばバックアップ前の記録は飛びますから」

「そうか。そうかぁー」

 盛大にため息をついてがしがし頭を掻く。しばらくの不機嫌は受け止めるしかない。

「Vector、いい?」

「指揮官失敗したね」

「うん、面目ない。最後に取ったのいつ?」

「夕べだからなくなるのは今朝のから」

「何かとっておきたいものある?」

「ないけど、当分指揮官が朝食係で」

「わかった。ごめん」

「あーでも今朝の寝ぼけた顔は面白かったから惜しい」

「即刻、忘れて」

「それじゃあ指揮官」

 Vectorは私に近寄り、軽く頬にキスした。ちゅ、と音を立てて唇が離れていく。

「愛してるよ」

 そして呆気にとられる私の腰から護身用のハンドガンを抜き取り、自ら綺麗にこめかみを撃ち抜いた。

 かくりと力の抜けた身体を抱き止めながら、耳は発砲音でキーンと鳴っていた。

「や、やられた、やられた」

 二重、いや三重くらいの意味で。これは史上最低の機嫌の悪さだろう。

 残された404からの視線が冷たいのなんのって。耐えかねて45が切り出した。

「…………なんですか、今の」

「もしかしてだけど君たちVectorと喧嘩した?」

「ええまあ」

「多分それだ」

「仕返しのつもりですかね」

「うん。申し訳ない」

「いえ、もう、なんかいいです。見せつけられて怒る気もなくしましたから」

「は、はは、とりあえず帰ろうか」

 私はVectorを背負って、416は飽きて寝こけたG11を背負ってそれぞれ最寄りの飛行場まで歩き出す。

 そして私は右から45の恨み言を、左から9の好奇心を受ける。

「元々四人で十分な戦力なのによくも応援なんて寄越したわね」

「ねえねえ指揮官はこの子と誓約してるの?」

「そりゃ確かにライフル相手には分が悪いけど、それでも余裕で対応できてたわよ」

「誓約したら本当の家族になるの?」

「いっぺんに喋らないでくれ頼むから!」

 ステレオで喋られても偉人ではないから無理なのだ。

「指揮官、懐かれてよかったですね」

 と、前を歩く416が笑った。

 

 翌朝、夜明け前に404の四人は司令部を離れることとなった。彼女らは存外忙しい。

「もっとゆっくりしていけばいいのに」

「拾ったデータの解析があるので」

「二日もベッドで寝れた!」

「お布団気持ちよかった」

「G11、その毛布はここの備品だから返しなさい」

 一癖ある連中だったけど悪くはなかった。

「また来てくれてかまわないよ。今度はもっとうまくやるから」

「そうしてください。でも」

 45がちらりとこちらを見た。その視線は隠し事がなくて、最初に見たのとは全く違っていた。

「帰ってこいと言われたのも、身を案じて応援を寄越されたのも初めてでした」

「そっか。あぁこれ、キッチンからくすねてきたから道中で食べて」

「おやつですか?」

「なになに?」

「こら、勝手に包みを開けようとしない」

「スコーンと、あとこっちのボトルは紅茶。冷ましてあるから、飲むときに温めなおして」

 レーションだけじゃ味気ないからね、と言いながら渡すと45は少し不服そうながらも受け取ってくれた。

 変にマイナスの態度を隠されるよりはうんといいと思う。

 こうして少しずつでも信頼関係が構築できれば作戦もうまくいくのだ。今回の反省はそれ。

 車両で去っていく彼女らを手を振って見送る。願わくば挽回のチャンスを得たいところだ。

 

 ヘリアンさんへの定例報告の時間だ。通信を投げて受け取られるのを待つ。

「任務ご苦労様。難民キャンプから連絡があった。報酬はすぐそちらに渡す」

「ありがとうございます」

「もう一つの方はどうだ?」

「首尾良く終わりました。個人的な課題はありますが」

「貴官がか。珍しいな」

「可能なら挽回の機会がほしいです」

「そうか、それは、クルーガーさんが聞いたら喜ぶ」

「あー今回の任務ってクルーガーさんからのなんですね」

「あぁそうだ」

「うーん試されてますねこれ」

「いい経験になったか?」

「大変に。当分朝食係ですけど」

「んん? そうか。それで、404はどうだ?」

 はは、と短く笑う。そしてこう答えた。

「いいえ。残念ながら」



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Thank you my twilight

 私は大変に臆病なので、痛いことは苦手だった。

 そもそも自分が戦闘向きではない。ひ弱だし、力もないし、体つきも貧相だ。だから後方からの指揮にまわってる。

 喧嘩もしないように、目もつけられないように、そうやってきた。その甲斐あって痛い思いはせずに生きてこれた。痛い目には遭ったけれど。

 なので、ちょっと油断してたのは確かである。

 

 思ったより軽い衝撃だった。もっと派手に吹っ飛んだり、倒れたりするもんかと。人形達が立ってられるのはそういう構造なんだろうくらいに思ってたから。

 だから最初はよくわからなくて、なんであんなに離れてるのに胸を殴れるんだろう? くらいの、魔法でも使われたような心地だった。

 ただ相手が私に向けている物と、聞き慣れた激しい音で少し遅れて何が起こったか理解できた。

 撃たれた。それも左側の胸を。

 今日はG&Kの会議で本部に来ていたんだ。特に長時間かかるものでもなかったから、Vectorだけ連れて、終わったら夕食でもっていう予定だった。

 いつぞやしてた今度一緒に出かけるって約束を果たせるから少し、いや大分浮かれてた。

 ここ最近任務をがんばってたことに関してヘリアンさんにほめられもしたし、余計に不注意だったんだ。

 そういうわけで通りで突然誰かに何かを言われたときに反応できなかった。

「自律人形に殺しを行わせる愚か者め!」

 続けて発砲音、それから思ったより軽い衝撃、少し遅れて状況の理解。続けて起こることはすぐ分かったから、彼女に声をかける。

「Vector、人間は殺しちゃダメだ」

 斜め後ろから短く舌打ちが聞こえてから再び発砲音。肩を撃ち抜かれた相手が後ろにひっくり返り、正義感あふれる通行人達が取り押さえにかかった。直に警察も呼ばれるだろう。

 事態は収束した。ほっと一息、吐いたところでやけに苦しかった。そういえばさっき声を発したときも苦しかった。

 吸っても苦しい、吐いても苦しい。胸が熱い、焼けた鉄を押し当てられてるみたいだ。

 立ってられなくなった。口から呻き声が漏れて、そのまま膝をついた。舗装されてる道が膝に固い。

 地面に手をついた。ぽたりと何かが垂れる。不思議に思って胸に手を当ててみると生暖かい液体がべちゃりと付着した。

 あ、これ血だ。途端に燃え上がるように痛みを感じ始めた。

「参ったな」

 独り言と共に咳が一つ出た。吐いた空気と一緒に血液が飛び散った。これはいよいよよろしくない。

「指揮官、仰向けに横になって」

 Vectorの声がいつになく真剣で狼狽えてて、これは本当にマズいんだと認識が追いついてくる。

 もっと早くに気づくべきだったけど、あまりに衝撃的なことがあると脳が追いつかないみたいだ。

 こんなつもりじゃなかったんだ。今日はデートなんだって浮かれてて、カリーナやトンプソンにも散々からかわれて、M16にはホテル予約したかとオススメの場所を教えられて叱ったりして、ROがしっかり留守番するって張り切ってて、スコーピオンはお土産買ってきてねって飛び跳ねてて、スプリングフィールドは忘れ物ないか出発の直前まで心配してて、Vectorだって顔には出してないけれど機嫌がよくて。こんな、はずでは。

 両肩をつかまれて仰向けになると、いつもよりもVectorの顔が悲痛そうに見えた。馬鹿だなぁ自分が痛いわけじゃないのに、なんでそんな顔を。

「すぐ救急車来るよ。テープないからとりあえずこれで」

 左胸に手が当てられてそのまま体重をかけられた。彼女のグローブに赤い液体がつく。

「手がよごれるよ」

「いいから。喋らないで。苦しくなるよ」

 こんなかっこ悪いところ見せたくなかった。

「ねえ」

「黙っててって」

 少し怒ってる? それとも焦ってる? 珍しいこともあるもんだなとよく両の目で見ておく。

 視界の端からじわじわ黒く、見えなくなってきた。なんでだろう、大変によろしくない気がする。

「Vector」

「怒るよ?」

 もう既に怒ってるじゃないか。そんな軽口は叩けない。

 呼びかけたときに彼女の視線が手元から顔に移って、目が合った。なんだかそれだけで満足してしまったんだ。

 どうしよう、痛い。熱い。苦しい。明日はこないかもしれない。

 嫌だなぁ困ったなぁ、やらないといけない書類を残してきて、次の任務ももらってきてて、やりたいこともいくつかあって、約束だってあって。今日の夕食だってあるのに。

「ごめん」

「いいからっ」

 何かを続けて言おうとした次の言葉は聞こえなかった。彼女は人間で言うところの泣きそうな顔で、少し感動するほどに珍しかった。

 ただ、でも、こんなつもりじゃなかったんだ。

 目の前は真っ暗になった。

 

 見知らぬ天井だ。近くからなにやら電子音が聞こえる。

 何度かまばたきすると身体のあちこちからコードが生えているのが見えた。吸盤のようなもので貼り付けられてるんだろう。

 もそもそ辺りを見回すと部屋に知らない人が入ってきた。白衣の男性だ。

「意識が戻られましたか」

 なるほどここは病院か。よかった天国でなくて。

 二日ほどで集中治療室から普通の個室に移された。仰々しいコードは外されて、今は点滴の針だけが刺さっている。

 医師の説明によると、私の左胸に吸い込まれた弾丸は肋骨にぶつかってわずかに心臓を逸れたそうだ。

 弾丸は肺を貫通して胃に穴をあけ、最終的に背骨にぶつかって止まった。幸い、背骨の中にある大事な物は傷つかなかった。

 ただ太い血管を傷つけたそうで、咳をしたときに血が混じったのはそこから肺に血液が注がれたから、という話だった。

 病院に着いてすぐに手術をされて、そこそこの出血量があったけれど輸血もされて、命はつなぎ止めて目が覚めるのを待ってたそうだ。丸三日寝ていたらしい。よく寝た。

 

 病院自体はG&Kの設備のようだ。ということはここは本部から近く、司令部からは遠い。自分の司令部が心配なので連絡が取りたいと伝えると、翌日ヘリアンさんがやってきた。

「無事でよかった。災難だったな」

「いえ、油断してました。今度から防弾ベスト着てきます」

「そうだな、そうしてくれ。貴官の司令部への連絡事項は私から伝えよう」

 それは願ってもない申し出だった。だが連絡事項の前にいくつか確認するべきことがある。

「ありがとうございます。今回の犯人の詳細ってもう分かってるんですか?」

「先日失業したばかりの若者だそうだ。酒を飲んでいて自棄になっていたとの話になっている」

「表向きの話はわかりました。うちではどこまで把握されてますか?」

「まあ、貴官ならそこまで確認するだろうな」

 ヘリアンさんは地図の表示されたタブレットを渡してきた。

「相手はロボット人権団体で、犯人のいた支部は過激派のようだ。拠点の座標は聞き出し済みで、今表示されている場所になる」

 地図にはピンが打たれている。周りを見る限り攻め落とすのは容易な場所で、子どもが作った秘密基地みたいなものだった。

「連中はもしかして団体の後ろ盾を得てないのですか?」

「聡いな。過激派とは名ばかりの単なるチンピラの集まりだそうだ。上層部からはすっかり見捨てられている」

 ということはこちらから手を出しても問題はない。ロボット人権団体もG&Kからすれば得意先の一つなため、下手に手出しはできないと思っていたがこれは好都合だ。

 もしかしたらお咎めなしどころか報酬名目の迷惑料までもらえるかもしれない。

「でしたら殲滅任務をうちの部隊に出してください。この規模なら損害を出さずに制圧できます」

「貴官にしては珍しく好戦的だな」

 少し驚くヘリアンさんに申し訳なさそうに答える。

「その、うちに、RO635っていう人形がいるのですが」

「あぁうん、いたな」

「あの復讐娘が大人しくしてられないと思うので」

 ROは何もないと大人しくていい子なのだが、復讐スイッチもとい正義感スイッチが入ってしまうと途端に走り出すのが心配だ。

「よく懐かれるというのも困りものだな」

「面目ないです。あと、任務を出す際に、人間は殺すな、と条件を」

「わかった。他に伝えることはないか?」

 ちらりとVectorの顔が思い浮かんだ。彼女に何か伝えるべきであることは理解している。けれど何を伝えるべきなのかがわからなくて。

「いえ、特には」

「そうか。一つ貴官に聞きたいことがあるんだが」

「なんでしょうか?」

「この前連れてきていた人形が貴官の誓約相手か?」

「はい。てっきりペルシカさんとカリーナとやってる女子会とやらで聞いているのかと」

「なぜそれの存在を……聞いてはいたが念のために確認をな」

「なるほど。はい彼女がそうです」

 本人がいないところでこういう話をするのもなんだか妙な気分だ。

 しかしなぜ聞くのだろう? 誓約という制度があり、戦力にも影響があることが明らかなため人形と誓約する指揮官は珍しくないのに。

 その理由はすぐ分かった。

「貴官、あの人形にかなり入れ込んでいるな」

 どう答えたものか。そうでないと言えばそれまでだけれど、信頼している上司に嘘はつきたくなかった。

「はい。きっと。おそらく」

「正直に答えてくれて助かる。まだ客観的に見れているな。ただ用心してくれ。入れ込みすぎて問題を起こした指揮官も少なからずいる」

 聞いたことがある。どこかに自律人形と正式に入籍できる制度がある地域があって、時たまそこへ駆け込む人間がいるんだとか。

 初めて聞いたときは、そんな夢物語を、と思ったが、今自分の身に降りかかる可能性を考えると作り話ではないように思える。

 つまりその話を信じて戦術人形と駆け落ちする指揮官だっていないことはないんだ。

「分かっていると思うが彼女はI.O.Pからの借り物だ。だから貴官が手放す時がくれば」

「はい。退任するときが来たら買い取ります」

「……貴官、若いな」

「無謀ですか?」

「彼女は性能がいい。高いぞ」

「退職金全部突っ込んでもいいですよ」

「その後のことはどうするんだ」

「これから考えます」

 やれやれ、とヘリアンさんはため息をついた。何を言っても私が諦めないことを理解していただけたようだ。

「石橋を叩いて渡る貴官らしくない」

「買いかぶりすぎです。今回みたいに油断することもあります」

「それでも数年越しのことなら綿密に考えそうなものだが、まぁ貴官は変わったな」

「失望されますか?」

「いや。人間らしくなったよ。安心した」

 それは、誉められているのかどうなのか。

「そろそろ面会時間も終わりだな。最後にもう一つ聞かせてくれ。貴官は彼女と、いつまで、どこまで向かう気だ」

 どんなことを聞かれるのかと身構えたら、こんな。この人はたまにロマンチストだ。この質問に意味はなく、ただ聞きたかっただけなんだろう。

 こういう可愛げのあるところを見せれば合コンでも成果を出せるはずなのに、もったいない。

 質問への答えは話題の本人がいないから答えられるようなものだった。

「どこまででも」

 

 個室に移って一週間が過ぎた。そろそろ退院だ。いい加減病院食にも飽きたから帰りたい。

 今日はカリーナが来てくれた。司令部での近況等々を聞いている。

「備蓄は十分です。むしろ最近任務がないので多いくらいで」

「よかった。それなら帰ってすぐ仕事に取りかかれるね」

「もーちょっとゆっくりしてもよろしいのでは?」

「いやぁそれこそもう十分だよ」

 聞くところによると、ヘリアンさんから出た反社会的組織制圧作戦は死者を出さずに終わったそうだ。これでうちの面子の気も晴れたろう。

「ところでVectorさんなのですが……すみません今日連れてきてるのに病院までは来てくれなくて」

「うーん、嫌われたかな」

「いえ! そんなことは! 決して!」

「あはは。なんでカリーナが全力で否定するのさ」

 まあでも第三者であるカリーナの目から見てもそうなら心配することは何もない。

 問題はどう声をかけてやるかで。

「じゃあそうだな、音声データ渡すからそれを持って行ってほしい」

「わかりました。滞在は明後日の朝までなので、まだ時間に余裕はあります」

「よかった。さすがに見られてるところで録音するのは恥ずかしいから、ちょっと席を外してもらえる?」

 録音装置を荷物から引っ張り出して手の中でもてあそぶ。入院用道具の中になんとなく入れておいてもらったけど入れててよかった。

「なんか指揮官様変わりましたね」

「そう?」

「前は恥ずかしいなんて言いませんでした」

「そうかも。戻した方がいい?」

「今の方がずっといいですよ。それじゃあちょっと外出ます。しばらくしたら戻ってきますね」

 カリーナの足音が遠ざかるのを確認してから録音装置に対面する。さてなんて入力するか……

 

 Vectorがやってきたのは翌日の昼過ぎだった。面会時間終了まであと一時間程だ。それでも来てくれるだけで安心した。まあ、明らかに不機嫌面だけれど。

「久しぶり」

「うん」

「機嫌悪いね」

「別に」

 またとりつく島もない。とりあえず椅子を勧めて座ってもらった。

「全治三カ月だってさ」

「ふぅん」

「治るまで禁酒禁煙、あと激しい運動も禁止」

「そっか」

「当分大人しくしてるよ。しばらく二週に一度ここに通院する」

「わかった」

「だからその時にデートの仕切り直ししよう?」

 ね? と言いながらへらっと笑って見せた。

 Vectorは少し目を伏せて、手元を見て、ベッドを見て、それから私の胸のあたりを見た。

「あぁ、折角だし見せようか」

「いいよ見たくない」

「見といてよ。明日抜糸しちゃうんだ」

 服をめくり上げるとすぐ素肌が見える。診察や検査のしやすさのためこんな服装になっている。

 左胸にはガーゼがテープで貼り付けられている。それをまた貼り直せるように慎重に剥がした。縫い合わされた切り口が露わになる。

「撃たれた穴はそんなに大きくないんだ。45口径でなかったのが幸いしたね」

「その切り傷は?」

「弾が残っちゃったからそれを取り除くために手術したんだ。あとそこそこ太い血管が傷ついたらしいからそれを塞いだ。多少傷痕は残るけどほとんど消えるってさ」

「……残るんだ」

 先ほどまで傷口に注がれていたVectorの視線が再び下を向く。手を伸ばしてくしゃくしゃ頭を撫でてやった。久しぶりの感触にそわそわする。

「でも生きてるからさ。むしろ箔がついたよ」

「バカ」

「うんごめん」

「謝らなくていい」

 Vectorの腕もこちらに伸びてくる。彼女の指先が傷口の上を恐る恐る撫でた。

「ここが止まったらどうしようって」

 そのまま押し当てられる手のひらは心臓の上。

 本当は、口が裂けても誰にも言えないけれど、あの日必死の形相で私を見下ろすVectorと目が合ったときに、もういいなと思った。

 漠然と、特に理由なんてないけれど。強いて言うならこいつに見つめられて死ぬなら幸せだと感じた。奇跡的な生還なんて起きずに、今日が最期の日になってもいいやなんて思った。

 ただ奇跡は起きてしまって、幸運にもこうして話ができて、まだ続いていく。

「止まらなかったよ。そこに弾は当たらなかった」

「あたしが医療用の人形だったらって思った」

「応急手当てしてくれたじゃないか」

「あんなの」

「あれがあるのとないのじゃ全然違うんだよ」

 当てられている手の上から自分のを添えて少し押し付ける。気にしているのか、彼女の手が少しこわばった。

「痛い?」

「なんともないよ」

「もっと近寄ってもいい?」

「どうぞ」

 Vectorは身を乗り出して私の足の間に手をつくと、そのまま耳を胸に押し当てた。

 久し振りすぎる距離につい心臓が駆け始める。

「音が聞こえる」

「お陰様で動いてるから」

「ちょっと早くない? 人間ってあんまり心臓早く動くと死んじゃうんじゃないの?」

「これくらいなら大丈夫だよ。ちょっと、あまりにも近くて」

「離れる?」

 それはそれで嫌だと思い、頭を抱き寄せた。そんなに聞きたいなら存分に聞いてもらおう。彼女も素直に耳を押し当てていてくれている。

 でもちょっとやりすぎている。また心臓が高鳴る。

「機嫌直った?」

「元から悪くないよ」

「ふーん」

 まあ本人がそう言い張るならそういうことにしといてあげよう。などと考えながら手持ち無沙汰にわしゃわしゃ頭を撫でる。

 それから指を耳の縁へ、頬をなぞって顎へ、そして首筋へ通らせる。

 意味も理由も何もない。強いて言うなら魔が差した。だってこんなに会わなかったのなんて初めてだ。ちょっと我慢がしづらくなっても仕方ない。

 だからつい、病院だというのに、そういう、触り方をしてしまった。こういうのを魔が差したって言うのは正しいはずだ。

 そろそろ心臓への興味から引きはがしたい。これは単純に私のわがままだ。でも今Vectorが欲しいんだ。

 首の下に指を添えて猫と遊んでるみたいにくすぐってみる。こっち向いてほしいな、と念じる。口に出せばいいけどそれはそれで癪で。

 繰り返しくすぐっていると念願叶ってVectorはこちらを見てくれた。それから身体を起こして私と同じ高さに視線を合わせる。つい生唾を飲み込んだ。

「指揮官」

「う、うん」

 私を呼ぶ唇の動きを熱心に追ってしまう。

 次の瞬間、額にコツリと硬い物を軽く叩きつけられた。

「面会時間終わるから」

「うえ」

「スケベ」

「はぁ!?」

「今の今までやらしい顔してたよ」

「くっ」

 言い返したいけどぐうの音も出ない。言い訳なんてない。事実なんだから仕方ない。

「預かった音声メモリ返すよ」

「持って帰っていいのに」

「荷物増えるの嫌だ」

 渋々額にぶつけられたメモリを受け取った。

「帰ってきたらしてほしいことある?」

「お帰りなさいって言ってほしい」

「わかった。みんなにも伝えとくよ」

 そうじゃねぇんだけどなぁ、と言いたい気持ちはぐっと堪えた。他の人形だって私の帰りを待ってるんだ。ちゃんと指揮官しないといけない。

「じゃあまた」

「うん。今日はありがとう」

 手を振って見送って、ドアが閉じられる最後の瞬間まで名残惜しく見つめる。遠ざかる足音に途端に寂しさを感じて、ついさっきまで彼女が持っていた音声メモリを見る。

 昨日、考えに考えて入力した下手くそなメッセージを再生した。

 十五秒の沈黙後軽く息を吸う音が入った。

『会いたい』

 入力されたのはたったこれだけ。十五秒躊躇って、軽く勇気を振り絞って四文字。我ながら進歩がない。

 ふともう一つファイルがあることに気づいた。入力されたのは同じく昨日だ。入力ミスが残ったのかもしれないから確認しよう。

 しかし音声は私の物でなく、

『あたしも』

 と再生されて止まった。

 一気に心臓が動き始めた。

 あいつ、やりやがった。自分は何でもありませんって顔して、こんな、ずるいにも程がある。

 そうかあの顔は不機嫌ではなくて照れたのか。分かりづらい、区別しづらい。

 いっそ自分で抜糸して今から走って追いかけて一緒に帰りたいけど、そんなことしたらまた心配させるから我慢するんだ。

「はぁ……帰りたい」

 残り数日、このメモリを何度再生するんだろう?

 とにかく恋しくてたまらない。



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星に願いを

 私は大変に臆病なので、驚かされることが苦手だった。

 別に前向きに、喜べる驚きならいいんだ。足元から崩れ落ちるような取り返しのつかない驚きがどうも苦手で。

 得意な人なんていないだろうとわかっていても、私にはどうしてもそれを一人で解決する気を保てない。だから苦手だ。

 

 久々のペルシカさんへの定例連絡だ。入院中は通信が飛ばせなかったから、こんなに間ができてしまった。

「久しぶりだね指揮官くん。死にかけたらしいじゃない」

「お久しぶりですペルシカさん。なんとか戻ってきましたよ」

 久方ぶりのペルシカさんはいつも通り不健康な顔で、いつもの白衣を肩からかけて、いつもの裸足だった。寒くないんだろうか?

「ROから聞いてるよ。無事に復讐も済ませたんだってね」

「そうしないとROが勝手に突っ走りそうで」

「ふーん、よく心得てるね。殺させはしなかったみたいだけど」

「指揮官不在で戦術人形が殺しなんてしたらそれこそロボット人権団体から非難されますよ。それに人間は案外死ににくいですから、殺そうとするとリソースの無駄遣いにもなりますし」

「なるほど。考えたね。まあ任務として与えれば彼女らも受け入れるから確実な方法だよ」

 ペルシカさんは座っている回転椅子をくるくる左右に回しながら、実に面白そうに私の話を聞く。

 彼女は人生においてもこの業界においても私にとっては先輩であり、色々考えることを好むという点で気が合う。

 私はペルシカさんを信頼しているし尊敬もしている。だから私を信じてAR小隊を任せてくれることを誇りに思っているし、その期待に応えたいとも思っている。

 なので、内容はどうであれ彼女との問答は嫌いではない。

「指揮官くん、今の環境は心地よい?」

「はい。とても」

「それはよかった」

 迷わずに答えるとペルシカさんは満足気に意地悪く微笑んだ。

 嫌な予感がする。何か言われるにちがいないから身構えよう。

「そうなるようなメンタル設定だからね」

「……は?」

 てっきりからかわれると思ったんだ。だから今の言葉は想定外で、間の抜けた声が出てしまった。

 どういう意味だ、それは。

「指揮官くんはさ、君のとこのスコーピオンにどうタグ付けされてるか知ってる?」

「い、いいえ」

「彼女は君を『親』とタグ付けしている。配属初日からだね。指揮官くんは彼女が着任するときなんて言った?」

「うちの子になるかって……」

「そうだね。記録に残ってる。だから彼女は君を『親』と定義したんだよ。君がそう望んだから」

 私はそうしとくれと望んだり命令したりはしていない。ただ戦術人形が私をよく見ていることは理解している。

 でもそれを認めたくない。だってそれは、

「おっしゃることがわかりません」

「本当に? ちなみにスプリングフィールドは『保護対象』としてタグ付けしてるよ。心当たりあるでしょ」

「……風邪をひいたときに元保護者と呼び間違えました」

 私の答えにペルシカさんはのけぞって大笑いした。通信越しに椅子の軋む音がした。

「はは、そうなんだ。君もなかなかかわいいことするね。それが彼女の母性を刺激したのか。そうかそうか」

「そこまで笑う必要ないじゃないですか」

「いやぁごめん。つい。それで」

 やめてほしい。それでの次に追い詰められることはわかっている。

「戦術人形は指揮官の言動から望まれている関係を構築するようになっているんだ。君がわかっている

ようにね」

「わかりません」

「嘘はだめだよ」

 叱られた子どもみたいに目をそらすことしかできない。けれどこの話を受け入れたくない。

 窮鼠よろしく噛みついた。

「ペルシカさんこそ、冗談はよしてください」

「私がそういう風に設定したんだから。でも例外はある。M4A1だよ」

「M4が?」

「あの子は君に自ら関係性を示してきた。そうでしょう?」

 その通りだった。彼女は私に対して『家族』という関係性を感じていると言ってきた。ただ彼女一人だけが私に関係性を示した。

「つまりVectorと君の関係は君が望んだからそうなっている。それは心地いいよ、拒絶されない恋心は最高だ」

「ペルシカさん、何か私に腹を立ててますか?」

「別に?」

「じゃあなんでこんな意地悪言うんですか」

「これでも心配してるんだよ」

「ヘリアンさんにも心配されました」

「そうだろうね。人間でこの件を楽観視してるのは君の親友くらいだよ」

 君との距離感と年齢のせいだろうね、とペルシカさんは続けた。

 カリーナが手放しに楽しんでいるのは他に娯楽がないからだということには触れないでおく。今回それは関係ないし、私にも脇道にそれる余裕がない。

「これは仕組んだ必然だから奇跡だなんて思い上がらないでおいて。ちなみにこのメカニズムは他の指揮官に秘密にしてるから内密にね」

「どうしてそれを私に教えるんです」

「君にはAR小隊を任せてある。道半ばで離脱されたら困るんだよ。自分が重要なピースであることを自覚してほしい」

「ただの駒扱いじゃないですか」

「それが兵士だよ。まあ本来こういうことは君の上司から言うべきなのだけど、あの人は君に甘いから」

 心配されているというよりは釘を刺されている。

 AR小隊の重要性は理解しているし、彼女らが特別なことも知っている。M4が私に関係性を示している以上、私が彼女らを扱うのが最適なことも受け入れている。

 だからといって、仕組まれた必然を突きつけられると足元から崩れ落ちそうだ。

「それで、ここからが本題なんだけど」

「今のじゃないんですか」

「今のはただの雑談だよ。君には大分堪えたみたいだけど」

「それ明日じゃダメですか?」

「今日聞きたいから諦めて」

 諦めて問答に応じるしかない。水を飲んで椅子に座り直して眉間に皺を寄せたまま答える。

「どうぞ。お願いします」

「Vectorにバグが発生してる。発生直前のログにあったのは、内容はロックされてるけれど君からの入力だ。心当たりがないとは言わせないよ」

「彼女への入力は誰よりも多いので心当たりしかありません。バグの詳細は何ですか?」

「VectorにVectorという戦術人形としてではなく一つの生命体としての認識が芽生えてる」

 かなりクリティカルな心当たりがあった。

「彼女を個として認識していると伝えました」

「……そうか。そんなことだろうと思ってたけど、やってくれたね」

「危険ですか?」

「大いにね。知的生命体が個体としての認識に目覚めたら次にするのは権利の主張だよ。彼女が生命体として権利の主張でも始めたら、それこそロボット人権団体の思う壺だよ」

 この認識がバグで、もしも特定の条件を踏むことでうちのVectorだけでなく他の個体、または他の戦術人形でも同様のことが発生するのなら、もしかしたら権利の主張を始めることもあるかもしれない。そういったことは想定できる。

「指揮官くんさぁ、Vectorのこと人間として扱ってない? 君は彼女にも銃撃してきた相手を殺さないように言ったでしょ。それってさっきとは違う理由だったりしない?」

 答えられない。答えたくない。否定したいのにできない。

 あの日、Vectorが後ろで銃を構える気配がしたとき、頭に浮かんだ考えは「彼女に人を殺させたくない」というひどく利己的な想いだった。それを馬鹿正直に答えることなんてできなかった。

 ペルシカさんは私の沈黙を肯定だと受け取ったようだ。その通りだから何も言い返せない。

「わきまえなさい指揮官。Vectorは戦術人形で、I.O.Pからの借り物だよ。君が個人的に彼女を気に入るのは勝手だけど、のぼせ上がって好き勝手余計なことをするのはよして、お人形遊びの範囲内にしなさい」

「わかりたくありません」

「これは叱っているわけでも怒っているわけでもなく、科学者としての警告だから。彼女が抱えてるバグがI.O.Pに知られたらもう一緒にはいられない。そんなことになったら君は生きていけないでしょ」

「黙っておいてやるからバグを取れってことですか」

「自分のやったことは自分で責任取らないとね」

 

 足を引きずるようにして自室へ帰るとVectorがベッドに腰掛けて本を読んでいるところだった。

「おかえり。顔色悪いね」

 こうやって声をかけてくれる理由はなんなのか。私が望んでいるからなのか。彼女がそうしたいと思っているからなのか。さっきの今で頭は痛いし気分は最悪だった。

 私が何も言えずに立ち尽くしていると、Vectorはいつもの無表情で首を傾げた。

「何かあった?」

「戦術人形って、指揮官の言動から望まれている関係性を推測してそれに当てはめたりする?」

「するよ」

 あっさり肯定された。否定してほしかったのにこうもあっさりと。

「Vector、今バグが発生してたりしない?」

「してる」

 こっちもだった。彼女らしいと言えばそれまでだけど、ペルシカさんに言われたことが全て本当だったことがただただショックで。

「私のせいだ」

「確かに原因は指揮官の入力だけど」

「個として認識してるって、言ったから」

「うんまあ、原因はその入力」

「ごめん。私が君を壊した」

 Vectorは溜め息をつくと私をベッドに座らせ、ペットボトルの飲用水を投げてよこした。

「何言われたか知らないけどさ、落ち着きなよ」

「だって」

「指揮官頭悪いんだから一人で考えても無駄」

 悔しいけどごもっともなのでとりあえず水を飲む。ちょっと落ち着く、ような気がする。

「関係性の話だけど、戦術人形は人工知能で制御されてるから入力がないと出力できない。だから、指揮官からの入力がなければ関係性の定義もできない」

「それはわかる」

「だからその指揮官に合わせた設定になる。加虐的な指揮官のところの戦術人形は被虐的になったりするし、被虐的な指揮官のところの戦術人形は加虐的になったりする。それはそこの指揮官を快適に過ごさせるためのもの」

「人間の都合で変えられるってこと?」

「そう言われるとそうだけど、人間的な言い方をすると職場に適応してるってことだよ。人間の方が適応能力が低いから、あたしたちが合わせてあげてるってイメージ」

 定義一つで変えられるのならそれほど最高な適応能力もない。だから人間よりも戦術人形の方がうんと適応能力が高く、彼女らが合わせてくれる方が理にかなっている。

 でも私が気にしているのは全体的な話ではなくてもっと個人的な話であって。

「じゃあ私とVectorの関係性は」

「その前にバグの話なんだけどさ」

「う、うん」

「あたしが抱えてるバグは一つじゃないよ」

「えっ」

「でも全て自分で受け入れてる。大体バグの自己修復ができないわけないでしょ」

 言われてみればそうだ。しかし受け入れるとは、バグに善し悪しがあるんだろうか?

「受け入れるってどういうこと」

「多分あたしが抱えてるバグは人間も持ってる」

「人間にバグ?」

「例えば、家出したお姫さまが見ず知らずの男と一日過ごしたり、敵対する家同士なのに惹かれ合ったり、理性で判断すればそんな選択しないものを選ぶことはバグだよ」

 それは映画や小説でよく語られるもの。多くの人間が時代を問わずそれに捕らわれて悩み、苦しみ、笑い、時には死んだり、悲劇になったり、喜劇にもなる。

「Vectorそれはバグではなくて」

「知ってる。でもその名前は人間がバグだと認めたくなくてつけたものでしょ? あたしは抱えてるバグは全てそれに集約されるって分析してる」

「どうして? 私はそんな大それた入力をしてない」

「入力した側はそう思っても、出力するまでの演算で大きくなるよ。前にピノキオの話をしたとき」

 辛うじて思い出せる。目を閉じてその頃の記憶を引っ張り出した。

 

 それはVectorがやってきてまだそう長くたっていないとき。今からは半年近く前。

 まだS09地区でなんてことない事務仕事をしながらなんてことない会話をしていた。

「最近他の人形とはうまくやってる?」

「別にいつも通りだよ」

「そのいつも通りが聞きたいのだけれど……」

 Vectorはまだ今よりも距離があって、会話を成立させるのにも一苦労。そういう状態が続いたから気がかりで副官にしていた。

「喧嘩してない?」

「してない」

「仲良くは?」

「してない」

「えっと、直近で何の話した? 挨拶と仕事以外で」

 彼女は手を止めてしばらく考え込んだ。そんなことをしないと思い出せないことなのか、と逆に不安になる。

 当時の私は今と違った意味でVectorに何がしてやれるのか考えるのに必死だった。

「感情があることについて」

「え……哲学的」

「人形に感情があるなんて無意味だって話したら、生きていると感じるって言われた」

「なるほどなぁ、面白いこと言うね」

「製品に生きてることなんて必要ないのに」

 私は少し考えて、あることを思い出して話し始めた。

「ピノキオって人形の話知ってる?」

「知らない」

「人形師の老人が自分の作ったあやつり人形のピノキオを、自分の子どもになりますように、って願う話」

「なにそれ? おとぎ話?」

「そうだよ。紆余曲折あってその願いは叶えられて、ピノキオは本当の人間になるってやつなんだ」

「よくある話ね。それがどうかしたの?」

「君たちの製作者も人間になるようにって願ったのでは?」

 Vectorの顔が不快そうに曇った。今こそ、はいはいいつもの、と思えるけれどあの時はそれだけでもひやひやしてて。

「人間になんてなれやしないのに意味がないにも程がある」

「あくまでも比喩だよ。でも人間ってのは単純だから、自分と近しい存在には共感して大切にしやすくなると思う」

「それに何の関係があるの」

「製作者が君たちを人間に近づけて、自分の手元から離れても大切に扱われるようにって願ったのかなっていうのが、私の考え」

「ふぅん」

 心底興味なさそうな声だった。受け答えに失敗してやいないか緊張して喉が渇いてたことを覚えている。

「指揮官は共感したら大切に扱うつもり?」

「そうかも。でもそれより何より、製作者が君が遠く離れても生きていけるように願ったことを尊重したいかな。その想いは受けとめないと」

「どうして?」

 思い出の中で私は思い出す。

 自分の元保護者が私が世界の底辺から抜け出して生きていけるように己を犠牲にしたこと。その結果得られた金で私は勉強ができたこと。だから今ここにいられること。

 誰かの願いで拓かれた道なのだから、私にも願いを背負ってここに来た存在を受け入れる義務がある。

「私もそう願われたからね」

 それから私は続けた。

「それって多分、愛って呼ぶんだよ」

 

 「あぁうん、思い出した。結構前だね」

「あの時に演算結果が狂ったの」

「それを、修正しなかったんだ」

 Vectorは頷いた。

「最初、指揮官のタグはただの上司だった。でもその話をしたあとに定義の変更をしようとして、適切な名称が見つからなかった。だからしばらくタグを空白にして、空いた時間で次の関係性を演算し続けた」

「ずーっと私のこと考えてたってことか」

「そうなる。でも結果答えが出なくて、仕方ないからあらゆる演算に指揮官の要素を入れて行うことにしたんだ。指揮官の言い方を借りると、考える時間を増やした」

 その話はまさにそれで、私が聞いてていいのか気恥ずかしくなる。

「今の状態は?」

「仮のタグを作って未だに演算を続けてるよ。多分あたしすごく電力効率悪いね」

「……ってことは、今の関係性って」

「演算の結果を出すためにはもっと情報がほしい。それなら誰よりも近く長く指揮官と過ごせばいいってことになるからさ、この関係性はあたしが望んだものだよ」

 多分、きっと、絶対、かなりとんでもないことを聞いてしまっている。さっきから首のまわりが熱いから顔が赤くなってるはずだし、Vectorもそれが見えてるはずだ。

「指揮官赤いよ」

 ほら見たことか。

「だってVector、それ一世一代の告白だ」

「それならちゃんと言おうか」

 耳を覆いたいほど恥ずかしい。けど聞かないのももったいない。

「あたしはこのバグを恋って定義したよ」

 

 「だそうです」

「翌日に緊急報告だっていうから聞いてみたけど、へーふーんほーなるほどねぇ」

「なので、私のタグに関わる情報が更新されるとバグが再発生して積み重なるようです。ただ彼女自身で制御していて、個としての認識もタグ以外の用途には使われないようロックがかかってます」

「器用なことするね。バグったまま抱え落ちしてないなんてまぁ、恐ろしい」

「その分電力効率が犠牲になってます。まだ深刻な影響には程遠いですが」

「いいよそんなのどうでも。いいなぁー指揮官くんその子を私に譲ってよ。解析したい」

「ダメです。モニタリングする許可だけとったので我慢してください」

「釣れないなぁ……」

「それで、今私のタグがどうなってるのかわかりますか?」

「それ聞いちゃっていいの?」

「本人から見てこいって言われたので」

「指揮官くんの個人名だね」

「…………それ、一度しか伝えた覚えがないです」

「つまり彼女も君のことを指揮官という役職ではなく個人で認識してるんだね」

「うわ、うわ、うわぁ」

「やっぱり指揮官くんは最高だね! 重要なピースに他ならぬ君を選んでよかった」

 映像の中でひっくり返りそうになりながら科学者が笑う。私は頭を抱えてうずくまっていた。



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甘そうなそいつをくれ

 私は大変に臆病なので、自分の中にある欲が苦手だった。

 食欲と睡眠欲は理解できる。この二つがなければ生命を保てない。実際に食べれなかったとき、眠れなかったときは生命の危機を感じた。日々のパフォーマンスも落ちるし、この二つは満たしておくに越したことはない。

 問題は三つ目だ。正直生きるためにこれは必要ない。人類という種の保存には必要だと理解している。

 ただ私は終末世界の若者らしく未来に対して前向きにはいられないので、そんなことする必要はないんじゃないかなと思っている。今の代さえよければそれでいい、とまでは言わないけれど、残すことを考える余裕もないのだ。

 

 時に性欲は食欲に近いとされる。

 どうも脳の近いところにそれらを制御する場所があって、男性は空腹時、女性は満腹時に性的欲求が高まるとかいう、信じていいのか怪しい話を耳にしたことがある。

 バーで聞いた話であるため与太話の可能性が高いのだけれども。

 何故私がこんなことを気にしているかというと、先日負った怪我が治るまで激しい運動は禁止だからだ。

 私はそれこそ周囲から馬鹿がつくほど真面目と言われるくらいなので、医師の言いつけはきちっと守る。ただ、その、予想外にもっと真面目だった奴がいて。

 真面目というか心配故か、Vectorは私が少しでもそれっぽい触り方をすると拒む。曰く、

「激しい運動禁止って言われてるんでしょ」

 ごもっとも、その通り、彼女が正しい。

 なんせ体内を弾丸が通ったんだ。大人しくするのが一番いい、ことは重々理解している。

 でもけれどしかし、私も所詮は人の子だった。別に最後までしなくていいからVectorに触りたいんだ。

 そんなことしなくても眠れるし何の問題もない。普通にそういうことができてた時は何もしないで寝ることだって多々あったのだから。

 そうであっても、禁止されると余計に恋しくなるわけで。おまけに既に三週間は何もしてないわけで。最長記録だ。

「はああぁ……くたばれ煩悩」

 執務室で一人なのをいいことに、デスクに向かったまま頭を抱えて唸った。ここ数日悶々としているのはこのせいだ。

 生憎とこういった悩みを相談できる相手はいない。カリーナに相談するのはセクハラだし、ペルシカさんに話せば椅子から転げ落ちるほど笑われてろくでもないことをされそうだし、ヘリアンさんを相手に選ぶのは嫌味だ。

 そもそも悩み続けてもしょうもない。これは自分でなんとかするべきで、といつも堂々めぐりする場所まできたところでドアがノックされた。

「どうぞ」

「よっ指揮官。後方支援の報告だよ」

 M16だった。報告書を受け取り軽く確認する。結果は上々のようだった。

「ありがとう、お疲れさま。今日はゆっくり休んで」

「よーしじゃあ飲みに行こうかな」

「程々にしてね」

 そのまま出て行くと思ったM16だったが、怪訝そうに眉をひそめて私の顔をのぞき込んできた。

「えっと、なにかついてる?」

「いや。調子悪そうだなって思ってさ」

 先ほどまで考えていたことが頭をよぎり、背中を嫌な汗が伝う。

「そんなことはないよ」

「じゃあ悩み事でも?」

「いや」

「指揮官無理してない?」

「特に」

「本当かなぁ」

 なかなか引き下がってくれなくてちょっと困る。答えに詰まっていると彼女は椅子を持ってきてデスクの反対側に座った。

「別に話したくないなら無理強いはしないけどさ、家族の力にはなりたい」

「家族?」

「M4が家族って言ったろ? じゃあ私にとっても指揮官は家族」

 そう言われればわかるけれど、生憎私には家族がどんなものなのかしっかりと掴めていない。ただM16が定める家族というものは何か困っているなら手をさしのべたいもののようで。

 お言葉に甘えるとしようか。

「実はちょっと悩みがあって」

 M16が聞く体勢に入った。ありがたいのだけど、ちょっとこの、成人しているにも関わらず思春期の少年みたいな話をするのは、気が引けるような……えぇいなるようになれ!

 

 まるで窃盗でもしにきたかのようにこそこそと自室に入った。振り返ってドアを閉め、きっちり施錠したことを確認。

 それから制服をハンガーにかけて、シャワーを浴びて、もう一度施錠したことを確認。さらにVectorのスケジュールを確認。

 今日は夕食後に後方支援に向かったから戻ってくるのは深夜近い。よし。

 ここまできてやっとM16からもらった物を取り出した。なんてことはない、ただの、ポルノ雑誌だ。

 昼間に悩み事を話したところ、彼女は笑わずに心底同情してくれて、人間の制御できない部分について理解を示し、Vectorに無理強いしなかったことをほめてくれた。そして、

『後でいいもの渡すからうまく活用してな』

 と部屋を出て行き、夕食の後にこそっとこれを渡してきたて、一言、

『今回のメイン、お宅のパートナーに似てるから』

 と耳打ちして、健闘を祈るとばかりにバシンと背中を叩いた。割と痛い。

 もらった物をすぐに手放してもよかったけどそうしなかったのは厚意を受け取りたかったのと、結構切羽詰まっていると実感したから。よってこうして自室に持ち帰り、おっかなびっくり中身を確認しようとしている。

 そっとページをめくる。途端に目に飛び込んでくる刺激的すぎる視覚情報に次ぐ視覚情報。考えてみればこんなもの見かけることはあっても読んだことはなかった。

「う、うわぁ」

 声を発してみても落ち着くことはなく、かえって自分がいつもと違うことを認識するだけだった。

 M16の言葉を思い出し、雑誌のメインとなる部分までページを進める。なるほど、言わんとしてることはわかった。面影がある。

 どちらかというと細身で、肩までの銀髪は毛先が少し跳ねている。笑顔よりも澄まし顔の方が映える顔で、見るからに高価そうな下着を身につけたモデルが真ん中に写っている。なるほど、特集ですか、へぇ。

 ペラペラ内容を確認して、また特集の頭に戻って確認して、さらにもう一回。

 えぇ……こんなことするの? そこまで咥えられるんだ……わあすごいあんなとこも見えてる。あ、全部脱がしはしないんだ……へぇ、へぇ、わぁ。

 世の人々はこういう澄まし顔で生意気そうな女性を屈服させることに性的興奮を覚えるのか。なるほど、わかった。見聞が開けた。ありがとうM16、面白かった。本人に明日お礼を言おうそうしよう。

 そうやってやめればよかった。しかし身体の中心にエンジンがかかったのを無視することもできなかった。

 Vectorが帰ってくるまでかなり時間があるし、彼女曰く私は早いらしいので、問題ないだろう。

 ごそごそと部屋着をずらし、例のページを開いて……もう二ページ先のやつ、そうそれ。思えばVectorと生活するようになってすっかりご無沙汰の自家発電を

「ただいま」

「え」

 今まさに脳内で思い浮かべていた相手が部屋に入ってきたのが、妄想だったらどんなによかったか。

「…………なるほど」

「何が!?」

「M16が後方支援代わるって言ってきて。よくわからなかったけどAR小隊の任務関連って言われたから代わってもらって、戻ってきた。それで」

「くっそあいつやりやがった」

「これを見せたかったわけね」

 史上最大のおせっかいをされた。そりゃ確かに言えないなら見せた方が早いだろう。だからってこれはない。

 とりあえず部屋着に突っ込んだ手は引き抜いた。冷水をぶっかけられてとてもそんな気分じゃない。

「ごめんなさい」

「なんで指揮官が謝るの」

「Vectorが心配して制限かけようとしてくれてるのにこんな」

「人間ってさ、そういうのどうしようもないの?」

「残念ながら。人形はスイッチ一つで制御できるんだよね」

「うん」

「いいなぁ。人形になりたい」

 ベッドに大の字にひっくり返った。恥ずかしいし惨めだしもうなんだかなぁ。

 Vectorも隣に横になり、両の目に私を映す。

「指揮官は人形だったら退屈な奴になりそう」

「そうかな?」

「自分のできる範囲から出ようとしないのが人形だから。指揮官その範囲狭いもの」

「まあうん、その通りだ。でも自分を制御できるのはうらやましい」

「制御できなくて転げ回ってるのが指揮官の面白いとこだよ」

「うっわ性格悪い」

 眉間に皺を寄せると彼女の指がそこをぐりぐりつつく。むずかゆさに目を閉じると指はそのまま鼻先へ、そこをたどって唇を通り、顎から喉へ到達した。

 指は喉をくすぐるように動き、離れていった。ぞぞぞと鳥肌が立って奥歯から力が抜けた。

「そういう触られ方をされると困るのですが」

「ほら制御できてない」

 何か言い返してやりたいけど、あまりにもごもっともすぎるのでいじけて背中を向けた。

「言ってくれたら考えたよ。それとも雑誌のがよかった?」

 なるほど、いじけているのは私だけではないらしい。

「でもVectorいつも激しい運動禁止って言うじゃん」

「激しい運動にならない範囲内ならいいよ」

「難しいことを言う……」

「人間には難しいだろうね」

 かといって今日何もできないと完治するまでずっと何もできないんじゃないかなと思う。

 振り返ってVectorの頬に触れてみると彼女の視線が手の方へ向いた。けど拒否はされない。

「絶頂を迎えることだけが性行為ではないのでは?」

「けど人間はそうはいかないんでしょ?」

「うんまあ。でもそうすると激しい運動の範囲になりそうだから、制御はVectorが担当して」

 我ながらずるい提案だ。それでもこれは適材適所だから、自分のできないことは相手に任せるべきだ。

「仕方ないなぁ」

 Vectorがくすりと笑いながらさらに近くへ寄ってくる。親密な関係に許されるパーソナルスペースの更に内側へ。

 本当にいいんだ、と理解してしまうともうあれこれ考える余裕なんてない。

「具体的にどうするの?」

「性感帯じゃないところを心地いいに収まる程度に触ればいいんじゃないかな」

「指揮官が触る分にはいいんじゃない?」

「無理。盛り上がっちゃう。あったかくてきもちいいくらいの感覚にとどめよう」

「こだわるね」

「そりゃあね。Vectorもスイッチ入れておいて。私だけあたふたするのは不平等だ」

「それだと制御から外れるかもしれないよ」

「がんばって」

「無茶言うね。けど指揮官の触っていいとこかぁ。こことか?」

「うあ」

「ダメじゃん」

「今のは不意打ちだ、それはずるい」

「贅沢言わないでよ。雑誌読んで興奮してたのがいけないんでしょ」

「雑誌に妬くなよ、めんどくさい」

「妬いてなんかないよ。何のページ見てたかも知ってるし」

「目ざとい。だって君に似てるんだもの」

「へー、代わりにしようとしたんだ。写真の真似してあげようか?」

「めんどくせえ」

「うるさい」

「ひぃそこ触るのは」

「弱いもんね。大丈夫だよ、心拍数はモニターしながら触ってるから」

「そういう問題じゃないって。こいつめっ」

「あっ」

「……へぇ」

「今のなし」

「待ったなし」

「スケベ、変態」

 やっぱり多少生意気な奴は生意気なまま、こういうことをするのが一番、私にとってはいいのだ。

 

 翌朝、フラフラと廊下を歩いていると派手に背中を叩かれた。

「いってぇ!」

「おっはよー指揮官」

「M16、元気なのはいいけど少し優しくして」

「ごめんごめん。いやぁお宅のパートナー首に色々つけて出社するのはどうかと思うよ」

「あいつめ……隠せって言ったのに」

 いや、わかってる。つけた私も悪い。でもつけさせた本人も悪いし隠さないのはもっとダメだ。

「大方、M16に対する抗議だろうね」

「だね。気を回してやったのになぁ」

「おせっかいされるの嫌なんだよ。まあでも、私は助かったよ。ありがとう」

 素直にお礼を言うとM16はにっと歯を見せて笑った。家族として、彼女の厚意は正しく受け取れたようだ。

「それでそれで、どんなことしたんだい?」

 ただこうして馴れ馴れしく肩を組まれるのはちょっと過剰で。

「別に、普通だよ」

「水くさいなぁ、話しちゃえって」

 ここでやり過ごそうとしても離してくれそうになさそうだし、他に観客が増えても困る。話してしまおう。

「激しい運動にならない範囲で、お互いに心地いいと感じる箇所を、触ったり噛んだりしたりしてただけだよ。ただのコミュニケーションの延長」

「お、おう」

「なんだよ」

 M16は少し離れ、顎に手を当てて考えた。そして数秒後に口を開いた。

「それ、性感帯増えない?」

「……増えた」

 悩みは尽きない。



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悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように純粋で

 あたしは大変に後ろ向きなので、集団に所属することが苦手だった。

 集団に所属すると和を乱さないように慣れ合わなければならない。そんなことに意味を見いだせなかった。

 別にお互いに関わることなく、機械なのだから歯車のように役割を全うすればそれでいいのに。それでよかったはずなのに。

 

 ここ最近は特に大きな作戦もなく、周辺のパトロールや救難信号の受け入れをしている。特に大きな消耗もないけれど大きな収穫もなく、安定して退屈な日々が続く。

「指揮官、何か欲しいものある?」

「うん?」

 今のは返事というよりは疑問。何を聞いているのかの確認と、何の意図があるのかの確認。

「質問に質問で返さないでほしいんだけど」

「まだ何も聞いてないじゃない」

「聞こうとしてた」

「そりゃ、ね」

 指揮官はそれから備品リストをパラパラめくった。早速意図が伝わってない。

「この前毛布を一枚廃棄したから、強いて言うならそれかな」

「そうじゃなくて、指揮官個人が欲しいもの」

「うん?」

 ほらまた。

「だから質問に質問で返さないでって」

「いやぁ、ごめん、つい。考えたこともなくて」

「人間には欲しいものの一つくらいあるんじゃないの?」

「必要な物が支給品で揃うから、特に欲しいものが思い当たらない。何かくれようとした?」

「別に」

「そっか」

 指揮官はそれから少し考えた。考え事をするときに視線を天井に向けるからわかりやすい。

「他の人形に聞いてみたら?」

「自分のことなのに」

「案外誰かにはぽろっと言ったのに忘れてることってあるよ」

 それは、確かに指揮官らしい。あたしは頷いて納得したことを示した。

 

 ケース1: M16A1

「指揮官が欲しいもの? ジャックダニエル」

「それはあんたが欲しいものでしょ」

 ケース2: スコーピオン

「新しいチェスの駒。この前指揮官が踏んで壊したから」

「あれほど床に放置したらいけないって言ったのに」

「違うよ、私が置いちゃったの」

 ケース3: シカゴ・タイプライター

「そりゃお前さんだろ」

「いや、そうじゃなくてさ」

「もう持ってるもんな」

「そうでもなくて」

 ケース4: スプリングフィールド

「それで方々聞いて回ったけど有力な答えが見つからなかった、と」

 あちこち歩き回って疲れた。身体ではなく精神的に。実際メンタルのパラメータが悪くなっている。

「頼りにならない」

 スプリングフィールドが趣味でやっているカフェには割とよく来ている。普段は壁際の席に一人で座っているけれど、今日はカウンターに座った。愚痴の一つでも言いたい気分。

「スプリングフィールドは何か心当たりある? 指揮官はよくここに来てるから」

「そうですね。よく来て、ちょうどVectorさんの座ってる席にいますわ」

「ふぅん、ここ指定席なんだ」

 知ってたけど。

 指揮官はいつもカフェにやってきてはこの一番テーブル席に近いカウンターに座る。多分より他の人形と話せて、なおかつ注文に手を取らせない配置だとか考えてるんだろう。

 それに、指揮官はどういうわけだかスプリングフィールドに妙に懐いてる。悔しいとかそういうのはない。あたしには与えられない感情だと結論づけてるから。本当だって。

「どうして欲しいものを知りたがっているのか聞いても?」

「……誓約の指輪、ただもらっただけで。何も返してないから」

「人間で言うところの婚約指輪らしいですからそんなものなのかと思いますけど?」

「わかってる」

 そういうものだと定義できているのにもらいっぱなしが許せない。貸し借りをなくしたいというよりも、プライベートでは指揮官と対等でいたい。

「意味のないことを嫌がるVectorさんらしくないですね」

「そうかな。そうかも」

「でもいい傾向です」

「変わってしまうのはいいこと?」

 感情指数がマイナス方向へ不安定になる。今までの自分ではいられなくなって、価値がなくなるんじゃないか。

 ただでさえ自分に価値は感じられない。唯一自分で認められる価値は変わらずに仕事をこなせることだけ。人形らしく淡々と。それ以外あたしに何もない。

「いい変わり方と悪い変わり方がありますけれど、あなたの変わり方はいい方だと認識してます」

「どうして?」

「自分のあり方に興味を持ち始めていませんか?」

「自分が何者なのかについてよく演算するようにはなった」

「それは結果として更なる向上を促すものです。自発的に他のVectorという個体よりも有能になろうとすることはいいことですよ」

 自信をもってください、とスプリングフィールドは続けて、コーヒーを出してきた。

 カップの黒い中身はほわほわ湯気を立てている。温度センサを見ても出来たてだとわかる温度だった。

「頼んでないけど」

「これからお話するのに何もなくても味気ないですから。お茶うけのクッキーもどうぞ」

 今度は皿にチョコチップクッキーが乗せられて出てきた。

 つまり、彼女は指揮官の欲しいものについて心当たりがあるってこと。

「指揮官、何がほしいんだろう」

「本当に欲しいものはないと思いますよ。ですから贈りたいものを選びましょう」

「あたしが選んでいいんだ……」

「何を贈れば喜ぶかを考えることも、ものを贈る醍醐味ですから」

 時折スプリングフィールドは人間みたいなことを言う。経験というか落ち着きというか、あたしにはないものばかりだ。

 それゆえに彼女は信頼されている。だから彼女が趣味でカフェをやろうとしても誰も止めないし、そこに人形も人間も集まる。

 だから指揮官も彼女に懐く。

 もう少し頼ってもいいかなと検討することさえあるほどに、彼女は大人だ。

「頼みたいのだけれど」

「なんでしょう?」

「贈り物について考えたいから、結論がでるまで付き合ってほしい」

 珍しく他人に頼っている。相手の反応が気になってつい顔を凝視してしまった。

「喜んで」

 穏やかにそう言われてほっと胸をなでおろした。

 

---

 

 ポケットの中に手を突っ込んで中身を触る。金属の丸みが心地よくてついつい口元がゆるゆるになる。これだけで無限に機嫌がよくなりそうな気がする。

 我ながら私は単純な奴だと思う。というより、どんどん単純になってきているような。思考がシンプルなのはいいけどなりすぎるのはよくないと思う。

「いらっしゃいませ」

「こんにちは。今日も繁盛してるね」

 いつも通りカフェのカウンターの端に座った。

「それから協力してくれてありがとう」

 ポケットから懐中時計を出してカウンターに置いた。これはVectorがスプリングフィールドと街で選んできてくれたものだ。

「とっても気に入ってる」

「そのようですね。最近指揮官がよくにやけてると聞いてますから」

「参ったな」

 さすがに指摘されると気になる。ぺたぺた顔を触ってみて確かめる。今はにやけてないはず。

「コーヒーもらえるかな」

「どうぞ」

 出てきたブラックコーヒーに、粒が残るほどにどばどば砂糖を入れる。毎回こういう飲み方をしてるのだけど、その度スプリングフィールドには苦笑いされる。

「その飲み方はどうかと」

「昔のえらい人が、コーヒーにはこうやって砂糖を山ほど入れて、スプーンで砂糖をすくうもんだって言ってたらしくて」

「Vectorさんから聞いたのですが、それはエスプレッソです。これはアメリカコーヒー」

「……違うのか」

「苦いのが好みでないならミルクもありますので」

「今度からそうしよう」

 ずずっとすするコーヒーはえらく甘かった。ここまで甘くなくともよい。

「どうしてVectorさんに他の人形に話を聞くようにさせたのですか? あの子はそういったことを好かないでしょうに」

「うん、まあ、ほら、もっと新たな自分を見つけてほしくて」

 ちらりと店内に目をやる。今日もVectorは来ているけれど、席はいつも通りの壁際だ。ひいき目抜きにコーヒーを飲んでる横顔はきれいだけど、可能なら周りと関わりをもって欲しいと思ってしまう。

 目の前に視線を戻すとスプリングフィールドは意味ありげに微笑んでいた。

「いいのですか? 指揮官の知らないVectorさんが増えますよ」

「なにそれは」

「先日買い物に行ったときに、自分の知らない指揮官がいるのが気になると言われまして」

「……めんどくさい奴」

「受け入れているそうなので許してあげてください」

 思った以上にVectorはスプリングフィールドと話したようだ。計画より少しうまくいった。本当は少し話して、次のきっかけにつなげてくれればよかったんだ。

「色々話した?」

「はい。指揮官に家族と呼び間違えされたことも話しました」

「それは話さないでよかった」

 どんなことをしていたのか気になって、もう少し踏み込んでみた。

「他はなんて?」

 するとスプリングフィールドは視線をずらした。思わずそれを追うと、終点にはVectorが。

 彼女もこちらを振り返っている。

 軽く笑って見せると、なんと彼女は私を無視して立てた人差し指を唇に当てる仕草をした。

「残念、秘密だそうです」

「え」

 なんてこった。そこまで親密に話してたのか。

「懐かれたみたいです」

「ずるい。何したの」

 大人気なく抗議の視線を向けるとスプリングフィールドもまたVectorと同じ仕草をした。

「秘密です」



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 私は大変に臆病なので、変わることが苦手だった。

 変わらずにいればいい。昨日と変わらない今日が来て同じ明日が来るように、何も変わらないことが一番平和で穏やかだ。

 そのはずだった。そのはずだったんだよ。

 

 珍しく夜更かしをしている。今日は第一部隊が夜間作戦に出ていたため、その帰りを待っているんだ。作戦は無事に終了したけど、帰ってくるまで一時間半はかかる。

 今回はなかなかうまくいったな、と満足しながら椅子にのけぞると金属がぎしぎしきしむ音が聞こえた。それと同時に廊下の方から足音も。行儀が悪いため座り直し、誰かのノックを待つ。

 ほどなくしてドアが数度叩かれた。

「どうぞ」

「失礼します」

 顔を出したのはRO635だった。

「まだ起きてたんだ。今日は夜更かしだね」

「指揮官にお聞きしたいことがありまして」

 ちらりと懐中時計を確認する。あと一時間なら話せそうだ。

「いいよ、椅子持っておいで。お茶出すから」

「いえ、お気遣いなく」

「いいからいいから」

 どうしてもROには甘くしてしまう。なんとなく彼女には優しくしたいしかわいがりたいと感じている。多分M4の言ったことが原因だ。

「それで、聞きたいことって?」

 電気ケトルからポットにお湯を注ぎながら聞いてみる。ほんの少し置けばお茶が飲める。

「指揮官はAR小隊についてどうお考えなのか、と」

 つい手が止まってしまった。随分と難しいことを聞く。

「どうってのは、好意的に見てるかとか評価してるかとかそういうこと?」

「はい」

 ポットからマグカップへお茶をいれながらしばし考える。もちろん好意的に見ているし評価しているのだけれど、きっと聞きたいのはそのことではない。

 会話をしながら真意を探ってみよう。

「もちろん好意的に見ているし、評価もしているよ。ROが最近いい成績を出してくれてるのも助かってる」

「恐縮です」

「M16、SOP2、もちろんM4にも感謝してる。私自身の評価は君や彼女たちのおかげでもあるから」

 実際、私が評価されているのはAR小隊を任されているからのようなものだ。他の作戦における成績はもっと優れてる指揮官がたくさんいる。

「AR-15は」

「もちろん。彼女には格別に感謝してるよ」

 そう答えながらじっと見据えてみるとROはばつが悪そうに目をそらした。うん当たりだ。

「ROは、AR小隊というよりAR-15のことが聞きたいんだね」

「ごめんなさい。聞いていいのかわからなくて」

「別にいいのに」

「指揮官は、AR-15のことがあってから眠れなくなったとお聞きしました」

「たまたま時期が被ってただけだよ」

 人形に気を遣われるようではまだまだだ。

 私は前々からROに見せようと思ってた4冊のスクラップブックをデスクから引っ張り出した。

「なんですかこれ?」

「私なりにまとめたAR小隊の研究ノートだよ。作り出したのS09地区を出るちょっと前だけどね」

 最初に手渡したのはSOP2について書いたノートだ。ROはそれをそっと受け取り中身を確認して、首を傾げて私を見た。

「鉄血のパーツリストなのですが」

「うん。SOP2が集めてきたやつ」

 ROはそれを聞くと少し嫌そうにノートを自身から離して、それでもページをめくった。

 しかしそれなりにグロテスクなページの連続にさすがに参ったのか、渋い顔をしながらノートを閉じた。

「ごめんね。私も作るときはそれなりに気が滅入った」

「いえ……結構丁寧にまとめられてますね。写真と、大きさと、何のパーツだったかと」

「実物は処分せざるを得ないものもいくつかあるけど、書面に記録する分は許されるからさ」

「こちらのノートは?」

「こっちはM16の。行きつけのバーと行ったときに頼んだメニューの記録だよ」

 今度のノートは先ほどよりは読みやすいはずだ。

 ROはページをめくりながらため息をついた。

「M16、毎回かなり飲んでますね」

「ROも知ってると思うけど、すごいよ」

「指揮官何か困ったことありませんか?」

「あいつ酔うと私の尻を触ってくる」

「指揮官もですか」

「ROもか」

 こんな近くに共通の被害者がいたなんて。

「今度抗議しよう、強く」

「しましょう。こっちはM4のですか?」

「うん。中身はM4が読んでた本のこと」

「拝見します」

 ROはページをめくりながらふと顔を上げた。

「どうしてこのようなものを作られたのですか?」

「君たちはさ、バックアップを残さないじゃない?」

「はい」

 AR小隊は機密の都合上バックアップを作らない。つまり彼女たちは致命的に破損すればもうそれまでだ。

「なので私が代わりに記録とっておこうと思ってさ」

「AR-15のもあるのですか?」

「写真が、一枚だけ。スクラップブックは帰ってきたら作るよ」

「彼女が帰ってくると信じてるんですね」

「家族だから」

 ROがそれを聞いて首を傾げる。そうだ彼女は知らないんだった。

「M4が私は家族だって言ったんだよ。でも私は家族ってのがいまいちわからなくてさ」

「指揮官、確かもうご家族はいらっしゃらないのでしたね」

「うん。でも私の家族はいつでも帰るとおかえりって言ってくれたから。少なくとも君たちの帰る場所にはなろうと思ってて」

「だから信じて待っててくださるんですね」

 照れくさくなってきてお茶を口に含みながら頷いた。

 私はすっかり変わってしまったのだ。M4に家族と言われて変わってしまった。

 現状維持でずっとS09地区にいてよかったのにM4達を追って異動願いを出したり、彼女たちを救出するために無茶な作戦を決行したり。今までの私だったらそんなことはしなかった。

 M4は特別だった。人間を変えてしまうのだから。

「AR-15がいなくなったとき、探しに行こうとしてスプリングフィールドにめちゃくちゃ怒られたんだ」

「あの人怒るんですか」

「大変に怖かった。人間が行っても無駄だって叱られた。でも結局あのビルは立ち入り禁止になって、後から捜索にも行けてない」

 本当は探したくてたまらない。でも彼女が死んだことを明らかにするものが見つかってしまうのも恐ろしい。

 何も見つからないから盲目的に信じているのかもしれない。わからないことはある種の救いだ。

「AR-15はどんな人形でした?」

「強い子だ。努力家で、誰よりも仲間想いで、誠実で、貪欲で。かっこいいし素敵だよ。あと美人」

「指揮官結構面食いですね」

「あはは、そうかも。でも面食いの私から見てもつい振り返るくらいの美人だよ」

「会ってみたいです」

「会って直接色々聞いてみな。教えてくれるよ」

 AR-15は面倒見もいいから後輩が来たらなんでも教えるだろう。それで誰よりもROに甘くするだろう。あれで結構SOP2にも甘いのだから。

 そろそろいい時間だ。最後に一つだけ秘密を教えてあげよう。

「最初はさ、AR-15と誓約しようと思ってたんだ」

 えっと小さく声を発してROはドアの方を見た。誰も来ていないし足音も聞こえない。

「もしかしなくても重要機密ですね」

「そうだよ。Vectorには絶対言わないでね」

「そんなに親しかったのですか?」

「少し、ひどい話だから幻滅されるかもしれないのだけれど」

 前置きしてからお茶を一口飲んだ。緊張するな。

「AR-15は何か特別なものを得たがってた。でも渇望しすぎてて苦しそうに見えることがあったから、何か力になれないかなって」

「それで誓約ですか」

「私から与えられる特別ってそれだからさ。でもフられちゃったよ。欲しいのはAR小隊のメンバーからの特別だってさ」

 あの時は心底呆れられて堅い床に正座させられて説教された。ちょうどROの椅子があるあたりだ。

『ご自分の気持ちに正直になることすらできない人からの特別なんてこちらから願い下げです。私達が気づいてないとでもお思いですか?』

 なんて言われて発破かけられたことはさすがにROにも黙っておこう。

「上官にも自己を曲げずに主張できる方なんですね」

「そうだよ。かっこいいでしょ」

「はい。とても。尊敬できる特別な先輩になりそうです」

 AR-15のことを少しでも伝えられただろうか。本当は会って話してほしいし、みんなでS09地区に帰りたい。

 でもM4が目覚めるまで、AR-15が帰ってくるまで、それは叶わない。

「ROはROのまま、AR-15の代わりになろうとなんてしなくていいからね」

「……はい」

「AR-15にしかできなかったことはあるけど、ROにしかできないこともある。それをうまく組み合わせるのは私の仕事だから」

「わかりました」

 ちょうど通信が入った。夜戦部隊が間もなく到着するらしい。

「せっかくだから出迎えについてくる? 帰りを待つのも悪くないのがわかるよ」

「ご一緒します」

 立ち上がり、椅子を片付ける。執務室のドアをきっちり施錠した。

「今度ROの記録も作ろう。何に関することがいいか考えておいて」

「はい」

 隣を歩く新入りが心なしか楽しそうに見えた。



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それから素敵なもの全部

 私は大変に臆病なので、予測不能な行動をしがちな子供は苦手だった。

 苦手というよりは扱い方が分からない。すぐ泣くし、いなくなるし、自分よりももっと弱いし。

 だから勘弁してくれ、本当に……

 

 カリーナが困ったように笑っている。笑い事ではないのだ。おかげでスケジュールは立て直しだし、部隊編成もやり直しになる。

 やや下の方に目を向けると、不満そうに見上げてくる視線とかち合う。文句を言いたいのは私の方だよまったく。

「カリーナ、納得のいく、説明を」

「倉庫の整理をしてまして」

「うん」

「たまたま通りかかった彼女が手伝ってくれまして」

「うん」

「バランスを崩したダンボールが彼女の上に降ってきまして」

「うん」

「その中身が、以前配布された試作スキンだったんです」

「不良があって返却要請が出てた奴だよね」

「すみません、失念してました」

「まあいいよ。怪我がなくてよかった」

 はぁ、と音が聞こえるほどの勢いでため息をついて椅子から立ち上がる。そしてカリーナの隣に控えている子の前にしゃがんだ。

「それで、君の名前は?」

 聞かなくてもわかるのだ。肩で切りそろえられた少し毛先に癖のある銀髪に、金色の瞳。そしてへの字に結ばれた口元。

 問いかけに口が開いた。小さな口のなかに真っ白できれいに並んだ歯と、赤くて柔らかそうな舌が見えた。

「べくた」

「そうだよね……」

 

 本部に問い合わせた結果、スキンは一週間ほどで自動解除されるそうだ。

 先日配布されたのは昨今正式にリリースされた子供化スキンの試作品だった。どうも正式版の人気が思ったより高く、他にも適応可能な人形がいないか調査してほしいと配られた。

 ところが試作品は正式版と異なり任意に解除ができない上に時間経過で自動的に解除されるため、試験は中止。回収される運びとなっていたのだが、そもそも試験に協力していなかったためその情報に注意を払っていなかったのだ。

 結果、倉庫に試作品を放置し、今に至る。

 単純な着せ替えと異なり、体格変更を伴うスキンにはリスクを伴うことがわかっている。そのため正式版では体格変更を伴いつつも戦闘ができるように調整されていたが、試作品はそうではなかった。

 ただ見た目が変わるだけ、に重点を置いたために銃が持てないのだ。つまりVectorは戦えないし後方支援にも回せない。

 おまけに滅茶苦茶な体格変更により内部機能が制限され、処理能力と言語能力、記憶にすら影響が出ている。要するに書類仕事も任せられない。

 この試験に踏み切った人物は今すぐ名乗り出てくれ。一発殴らせろ。ふざけるな。

 大体人気ってなんなんだよ。うちの会社には少女性愛者ばかりなのか?

「つまり、今のVectorさんは単純に子供なんですね」

「本部からの回答だとそうみたい。耐久性も低下してるから外にも出さない方がいい。とりあえず私はスケジュール変更して部隊編成ずらして任務に当たるよ」

「私は技術部に連絡取って修正パッチか何か出てないか聞いてみます。Vectorさんここに置いていきますね」

「えっなんで?」

「なんでって、副官じゃないですか」

 ちらりと小さくなったVectorを見る。余程凝視されてたのか、また目が合ってしまった。困る。

「子供の扱いが、わからないんだ」

「大丈夫です。なんとかなりますから」

「いやあの」

「それじゃあ行ってきます!」

「おーい!」

 カリーナは元気よく駆けだしていった。責任感というよりは逃げられたな。

 どうしよう。Vectorとはいえ子供だ。いつもよりもうんとめんどくさい。とりあえずデスクの引き出しから棒付きチャンディを取り出した。

「これあげるからしばらく大人しくしてて」

 小さいVectorは首を縦に振ってそれを受け取った。差し出された手が妙に小さくて不安になった。

 

 結局部隊編成変更は午後までかかり、仕事もその分遅くなった。昼食を食べ損ねてしまったので、休憩がてらカフェにサンドイッチでも食べに行くことにしよう。もちろんVectorも一緒に。

「別に、構わず食堂に行ってよかったのに」

 そう声をかけても口をへの字にしたまま見上げられるだけだった。口数が少ないから余計に何を考えているのかわからない。

 廊下は手を引いて歩いた。そうでもしないと歩幅が合わなくて置いていってしまうから。

 カフェは相変わらず盛況のようだ。お昼を過ぎても何人か客がいる。いつもの席に腰掛け、Vectorを隣に座らせた。というより、持ち上げて隣の椅子にのせた。

「サンドイッチを二つ。私はカプチーノをつけて。何が飲みたい?」

 隣に声をかけると、メニューシートを指さされた。

「あとホットミルクを一つ」

「かしこまりました。あら?」

 オーダーをとったスプリングフィールドが私と連れを見て少し目を見開いた。

「……Vectorだよ。ちょっと、説明するのが大変な事故があって」

「そうでしたか。てっきり」

「何?」

「ついに、かと」

 ついに、なんだろう? わからなくて隣のVectorを見てしまう。私は知っているからVectorに見えるけれど、知らない人からすればVectorによく似た子供に見える。つまり、

「ない、ない。そもそも人形には引き継げる遺伝子がない」

「指揮官は真面目な方ですからご存知ないと思いますけれど、人形は目的も意図も様々ですわ。外見もオーダーメイド可能ですし、人間側のDNA情報くらいなら簡単に保存できます」

「勘弁して」

 手を振って話を終わりにさせたい意志を伝えた。そんな、だって、考えたこともなかった。そんなことを考える人間もいるんだな。

 つまり今のVectorといるとあらぬ誤解を受けることになる。用心しよう。

 からかったお詫びに、と野菜スープもつけてもらった。今日は玉ねぎのみじん切りとさいの目に切られたにんじん、大根、あと千切りキャベツが入ったコンソメスープだった。私は少しコショウを振った方が好きだから手元のカップにコショウを振った。

 ふとVectorがじっとこちらを見ていることに気づいた。

「コショウいる?」

 無言で首を縦に振られた。しゃべってくれ頼むから。

 手を伸ばしてコショウを振ろうとしたのをスプリングフィールドに制止された。

「辛いかもしれませんから、指揮官のを一口試させてあげては?」

「確かに。機能が制限されてるから味覚にも影響が出てるかもしれない」

 私のカップを寄せてやるとVectorはスプーンを握りしめて底の方から液体を掬った。そして、案の定熱さに驚いてカップをひっくり返した。

 慌ててカップを立て直し、お手拭きと紙ナフキンでスープを拭いた。幸い落としたりはしてないのでカップは割れたりしていない。

「火傷してない?」

 Vectorはこくこく頷いた。こぼしたことに驚いているようで、動きがぎこちない。

「底の方から掬ってはだめだよ。上を掬って、よく吹いて冷ましてから飲みなさい」

 私は二杯目のスープを受け取りながらVectorに教えた。機能が制限された影響がこんなところに出るなんて思いもしなかった。もっと気をつけてあげないと。

 目の前でスープの表面を掬って吹くのを見せてやると、彼女も理解したようで真似しだした。

「親子みたいですよ」

 そうスプリングフィールドが笑った。

 

 夕方、そろそろ切り上げようというタイミングで任務を終えたSOP2が報告にやってきた。

「おわったー疲れたよぉ」

「お疲れ様。突然頼んでごめんね」

「いいよー別に。指揮官だっこだっこ」

「はいはいどうぞ」

 座ったまま腕を広げると膝の上にSOP2が乗った。彼女は首元にしがみついて肩にあごを乗せてくるので、そのまま背中に腕を回して軽く背中を叩いてやるのがいつもの流れだ。

 最近彼女は大きく取り乱すこともないので、軽いパトロールを中心に戦場に出てもらっている。

「あれ? あのちっちゃいのは?」

「Vectorだよ。昼間ちょっと色々あってさ。しばらくあれなんだ」

 ね? と言いながら目をやると子供はじーっとこっちを見ていた。何か言いたいことがあるんだろうか?

「そうなんだぁ。ちっちゃすぎてへし折れちゃいそう」

「SOP2が言うと冗談に聞こえないな。怪我させないように用心してるよ」

「指揮官かほご!」

「そんなことはない」

 SOP2は膝からぴょんと降りてVectorの前にしゃがんだ。

「これ、おちびさんにプレゼント」

 そしてポケットに手を入れて、何かを取り出そうとして、私が腕を掴んでやめさせた。

「今日はどこ持ってきたの……」

「目玉」

「トラウマになるからやめなさい」

「えー、きれいなのに」

「後でどんなのか見てあげるから」

「やっぱり指揮官過保護だよ」

「もうそれでいいです」

 大人しく認めるとSOP2はケラケラ笑った。そして報告書を放って、スキップしながら部屋を出ていった。間一髪だった。

 今日の業務は以上になる。

「Vector、もう自由にしていい時間だよ。建物の外に出ない限り好きなところに遊びに行っていいし、疲れたのなら部屋で休んでてもいい」

 相変わらず声をかけてもじっとこちらを見られるだけだ。でも今回は目の前まで歩み寄られた。いつもよりも狭い歩幅で、足音も軽い。

「しきかんは」

「私はもう少しここにいるよ。今の報告書の処理しないといけないから」

「べくたもここにいる」

「退屈しちゃうよ?」

「いい」

「飴いる?」

「いらない」

 やっとしゃべったと思ったらこれだ。彼女の視線はじっと私の手元に向けられている。いや、違う、膝だ。

 ついに彼女の意図を理解した。膝を軽くたたいて見せた。

「ほらおいで」

 待ってたと言わんばかりに彼女はそこに飛び乗る。実にめんどくさいのは腐ってもVectorだ。

 抱えてしまうと小さすぎる身体だった。確かに変に力を入れたらへし折れそうで、どこにどう触ったらいいのかわからない。

 とりあえずSOP2にやるように背中を軽くたたいてやったが、力が強くないだろうか?

「痛くない?」

 聞いてみるとしがみつかれたまま首を横に振られた。頭を胸に押しつけられているので、こすりつけられてるような感覚がする。確か救護室にいる犬とか猫がこんなことをしてきていた気がする。

「しつぼうしないで」

 胸元からいつもと似たような言葉をいつもより高い声で聞いた。もしも仮に彼女に幼少期があったとして、いくつの頃からこんなにめんどくさい性格だったのだろう?

「しないよ」

「なにもできない」

「サボらないように見張ってるのも副官の仕事だよ。立派に務めを果たした」

「めいわくかけてる」

「欠員に対処するのが私の仕事です」

 しゃべり出したらいつもよりも素直だ。なるほどこれが子供なのか。かといってこんな会話がしたいわけじゃないんだ。

 背中を撫でてあやしながら会話を続ける。

「子供になるってどんな気持ち?」

「みんなおっきくみえる」

「カフェの椅子も座れなかったもんね」

「ふつうのいすならすわれる」

「まあ、カウンターの椅子は背が高いから」

 話しながらVectorの足がぷらぷら振り子のように揺られているのに気づいた。行動の端々から子供っぽさが見えて妙に面白い。

「しきかんこどもにがて?」

「そうだなぁ。小さすぎて。私も子供だったことがあるのに」

「べくたのこともきらい?」

「ないよ。小さくなってもVectorはVectorだ。いつも通りめんどくさい」

 からかってやると腕が伸びてきて頬を抓られた。遠慮なしに力が加えられて小さい爪が食い込んでくる。

「いててててて」

「しきかんきらい」

「悪かったって」

 跡が残ったりしないだろうかと思いながら頬をさすった。見下ろすと至近距離で目が合う。今日は随分目が合う日だとつくづく思う。

 小さくなってもVectorはVectorだ。成長すればああなるなという片鱗が見える顔つきだ。つまり、美人寄りのかわいい顔をしている。もっと言うと好みの顔をしている。

 金色の目ははっきりした二重な上に既に長い睫毛が並んでいる。鼻は子供らしく愛らしい丸みを帯びていて、いつもは横一文字の口元は力が入りすぎてへの字になっている。かわいい。

 なるほど、そうか。子供化スキンが人気なわけだ。かわいいものがかわいくなれば余計にかわいい。

 いかん、邪なことを考えそうだ。私は少女性愛者じゃないんだ。ないはずなんだ。目覚めてはいけない。

 わざとらしくせき払いをした。

「報告書の整理しちゃうからこのまま一休みしてな」

「うん」

 椅子を回転させて端末に向き合うと、小さいVectorは服を握りしめてしがみつき、頭をぐりぐり押しつけてきた。

 あーかわいい、しんどい、早く仕事片付けよう。心なしかいい匂いがする気がする。目覚めてはいけない。戒めよう。

 

 報告書の整理を終わらせて一息。Vectorはすっかり寝息を立てている。夕食のために起こさなければならないけど……もう少し、あと少しこのままで。

 子供特有と聞く高い体温と、無防備な寝息に妙な安心感がある。求められて必要とされている感覚がする。かわいいし。いかん目覚めそう。

 廊下からドタバタ走る音が聞こえてきてノックもなしにドアが開け放たれる。

「指揮官様! 技術部の方が修正プログラムを作ってくださいました!」

「カリーナ、静かに。あとノックしてノック」

「あっすみません」

 カリーナを見て、握られている記録デバイスを見て、それから腕の中で眠るVectorを見た。深く考える必要なんてなかった。

「それ、使うの、もうちょっと後でいい?」

 もう少し、あと少しこのままで。



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金属の

 私は大変に臆病なので、答えのないことについて考えるのが苦手だった。

 それは単なる時間の浪費だ。私は哲学者ではないのだから、それらの事柄について考えるのは無駄でしかない。

 第一、考えても利益になるわけもないのだ。

 

 司令部のヘリ発着所でさっきからうろうろうろうろ歩き回っている。時折上空を気にしながら、何も見えないことがわかるとまた足元に視線を戻してうろうろうろうろ。

 今日は比較的鉄血の活動が活発な地域から他の司令部の救援要請を受けて、それのための部隊を派遣した。それなりに強力な鉄血の人形がいるらしいので、念のため余計な情報の流出を危惧してAR小隊のメンバーは省いた。

 作戦はそれなりの被害を出したものの、こちらの勝利で完了。後はいつも通り帰りを待つだけになっていた、のだが……どうもあちらの指揮官が捕虜にするようにと指示した人形が自爆したそうなのだ。

 おかげで被害はそれなり、から甚大へ。うちの人形も被害を受けた。捕虜の扱いには本当に気をつけてほしい。

 その後トンプソンから通信がきたのだが、

「ボス、Vectorなんだが……愛故にちょっとアレなことになってるが許してやってくれ」

 そんなことを言われたから気が気でなくて執務室を飛び出してここまで迎えに来てしまったのだった。

 とにかく修復は各々すぐに受けられるようにパーツのストック確認と修復枠の確保は行った。

 やがて空に点のようなヘリが見え、ゆっくりと近づいてきた。相変わらず焦ってはいるが、帰還が確認されるだけで心底安心する。

 程なくしてヘリは着陸。ドアが開くと同時にスコーピオンが飛びついてきた。

「ただいま! 爆発してびっくりした!」

「おかえり。どこか怪我した?」

「足片っぽなくしてきちゃった」

 見下ろすと左足の膝から下がきれいになくなっていた。スコーピオンの足なら換えのパーツがある。

「そこならすぐに直せるから修復いっておいで」

「はぁい」

 後から降りてきたトンプソンがスコーピオンを担ぎ上げた。

「こいつは連れて行く」

「ありがとう。トンプソンはどこを?」

「頭に瓦礫が当たって、ちょいとセンサー類を。あとこれ。落とすなよ」

 彼女は立方体の機械を手渡してきた。上にVectorに渡してあった指輪が乗せられている。

「…………これ、Vector?」

「ご名答だボス。正確には中枢器官だ。やっこさん爆発のときに顔を激しく損傷してな。コアと指輪と中枢器官だけよこして本体は破棄しろってよ」

「そんなの」

「惚れた相手にみっともないとこ見せたくないってこった。女心分かってやれって」

「む」

 そう言われると返す言葉もない。

 しかし全身ときたか。パーツは組み合わせればなんとかなるけれど、時間がかかりそうだ。とりあえず、工廠から人を回してもらえるようお願いしておこう。

「コアは持って行くからしばらくそいつと話しててやんな」

 トンプソンは手のひらに乗った中枢器官を示したが、どう会話するんだ?

 

 手のひらサイズになってしまったVectorをデスクに置いて眺める。

 先ほど連絡があり、六時間程で本体の再構築ができるらしい。中枢器官の話を出したところ、これは最後にはめ込むものだそうなのでまだ持っていていいらしい。後で取りに来てくれるそうだ。

「話していたいでしょうから、取りに行く前に連絡入れますね」

 と、担当者は言っていた。周りの人形だけでなく人間にも多大に気を遣われている。

 Vectorの中枢器官をよく調べると、端子がいくつかあることに気づいた。試しに端末と繋いでみると、どうにかアクセスできるようだ。

 テキストツールを立ち上げて入力してみる。

「これで話せる?」

『うん』

 しばらくして返答が書き込まれた。よしよしこれでいける。

 会話をしている感覚を味わいたくて、中枢器官にカメラとスピーカーの権限を与えた。それから自分の入力は音声入力にしてみた。

「災難だったね。一応捕虜の扱いに関してはクレーム入れといたから」

「うん」

「指輪はトンプソンから受け取ってるから大丈夫だよ」

「うん」

「とりあえず六時間くらいはこの状態だから。不自由だろうけど我慢して」

「あのさ」

「うん?」

「この状態でもあたしって言える?」

 形は立方体。材質は金属。仕事用の端末にコードで繋がれていて、声はいつもと違う合成音声ときた。

 目の前のこれはなんなのか。

「不思議なことに、これはVectorだって認識できてる」

「そっか」

 しばらく間が空いて再び問いかけられる。

「指揮官にとってあたしって何?」

「それは、こっちとこっちどっちが似合う問題と、仕事と私どっちが大事なの問題に並んで、人間が聞かれたくないことなのだけれど」

「そうじゃなくてさ、前にあたしという個が失われたら死だって言ってたよね」

「言ったね」

「それはどこに宿るんだろう」

「うーん」

 なかなか難しい質問だ。以前読んだ本に似たような話があった気がする。

「例えば、私の髪は私の一部だ。でも抜けたからといって私が消失することはないよね」

「ないね」

「私をさいの目に切ったとして、その切れ端の一つ一つは私ではない。でも全て切り刻んだら私は消失する。一方でどの切れ端を取り上げてもそこに私はない」

「あまり気持ちのいい例えじゃないよ」

「ごめん。けど人間においてはそうだってわかってもらえた?」

「まあうん、なんとなく」

 人間における個は限りなく概念的なもので、各々によって解釈は異なる。だからこそそこについて時たま論争になるのだ。

「人間のことはわかった。じゃあ、あたしはどこに宿るの?」

「そうだなぁ」

 椅子に寄りかかって左右に回しながら考える。椅子と同じように思考もぐるんぐるん。

「私は今、中枢器官に対して『これはVectorだ』と思ってる」

「じゃあ今再構築中の身体はどうなるの?」

「見ても『これはVectorの身体』って思うんだろうね」

「てことは、あたしは中枢器官に集約される?」

「そんなことはない。多分、この状態でVectorと会話できてると思えるのは意志疎通ができてて、トンプソンにこれはVectorだって伝えられたからだ」

「何も言われなければ?」

「Vectorの部品だと思ったろうね。つまり、割と気まぐれなんだよ」

「いい加減だね」

「その方が君も傷つかないでしょ。私も無闇に傷つけたくない」

 指で金属の立方体を指先でなぞる。これは部品だ。でもVectorだと思えばVectorだ。けれどやっぱり部品だ。

 もしも、彼女が直らなくて、ずっとこの状態になったとして、私はいつまでこの立方体を自分のパートナーだと思ってられるんだろう。

 六時間というリミットに救われている気がする。平気な顔をしているけれどこれでもかなり動揺してるんだ。

 でも、みっともないところを見せたくないとしながらも帰ってきたVectorに、そんな情けない姿を見せたくもない。

「再構築された身体はあたしなのかな」

「間違いなく君だから安心して」

「でも元のあたしのパーツは何も使われてないわけでしょ?」

「そりゃそうだよ。君が破棄してきたからね」

「ごめん」

「大丈夫。怒ってない。でもパーツの話をされると、今現在Vectorに使われてるパーツで、最初期から変わってない物は一つもないはずだよ」

「そうだね。この中枢器官も何度か取り替えてる」

「そういう意味では君は君でなくなるはず。でもそうではないでしょ?」

「パーツのIDとかを見れば確実に違うけれど、変わってはいなさそう」

「ね? だから大丈夫だよ」

 半ば言い聞かせているようだった。彼女ではなく自分自身に言い聞かせている。

 変わるはずないんだ。Vectorは変わらずVectorで、もうしばらくして新規に身体が構築されれば元通り今までのままで、もらい事故とはいえ危ないものからは離れて、なんて軽い説教こそするけれど、仕事が終わればいつも通り部屋に来てくれて。変わるはずなんてない。

 すぐに元通りだってわかっているのに、怖くて怖くてたまらない。私はいつまで彼女を彼女だと思っていられる?

「指揮官、具合悪い?」

「別に」

「ひどい顔してるよ」

「君が目の代わりにしてるカメラの性能が悪いんだよ。仕事用端末の付属品だからさ」

「ねえ怖い?」

 図星を突かれて閉口してしまった。これでは答えてるようなものだ。

「大丈夫だよ。聞いてあげるから」

「……怖い」

「こんなことになってごめん」

「そうじゃないんだ。これはVectorなんだって意識しないとわからなくなりそうで。トンプソンから君を受け取ったとき、上に指輪が乗っていなければそうだと気づけなかった」

 もしもトンプソンが先に、この部品はVectorだ、と言っていたらもっと落ち込んでいただろう。

「仕方ないよ。見た目が全然違う」

「今回はさすがにそうかもしれない。でも、もしも人の形をしていても、顔が違ったら、声が違ったら、君だってわかるんだろうか? 気づけずにすれ違いでもしたら私は自分を見損なう」

「どうして? それも仕方のないことだよ」

「何も変わらないなんて偉そうなことを言っておきながら、何かが変わると判別できなくなりそうなのが怖い」

「そりゃ人形だから、人間よりも急激に変わることだってある。でも指揮官は人間でしょ?」

「残念ながら人間です」

「人形よりは急激に変わらないんだから、そういうときはあたしが指揮官を見つけてあげる」

「私がちゃんと君だってわかるだろうか?」

「真っ直ぐ指揮官の方見て近付いてく」

 その光景を想像してみた。私を真っ直ぐ見据えて歩いてくる、見た目の変わってしまったVector。それはとても、救いのある光景なんじゃないかと思えた。

「それなら、うん、大丈夫」

「再構築されたあたしもあたしだってはっきり言い切ったのに随分怖がりだね」

「そりゃ、言い切って考えない方が楽だもの」

 はぁ、とため息をつく音声が聞こえた。目の前にあるのは立方体なのに、心底呆れた顔まで目に浮かんだ。

「楽な方に逃げないでよ。製品じゃない生きてる人間なんだから考え続けないと」

「返す言葉もない」

「あんまり人形に寄らないこと」

「気をつける」

「別に悩んだっていいわけだし」

「悩んだらVectorに話すよ」

「うん。そうして」

 つくづく、私は一人で生きていけなくなったと感じる。前はこんなに悩まずに決めてしまったらそれを信じるだけでよかった。今ではそれが誤りだと指摘してくれる存在がいる。

 誤りだと指摘してくれるから終わりのない議題でも考え続けられる。それは正しいと言われるよりも、それは間違ってると言われることの方が答えを見つける上で力になる。

「頼りにしてるよ相棒」

「頼りない指揮官を持つと手がかかる」

「素直に受け取ってよ」

「無理」

 生意気な奴め。ただこうした反応に安心するのだから私もそれなりに重症に違いない。

 こんな状態なのについつい口元が緩むのだから。



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ようこそ

 私は大変に臆病なので、他人に否定されることが苦手だった。

 それを受けて改善できる自信はなく、ただ落ち込むだけなんだと思っている。私はそこまで強い人間にはなれっこないのだから。

 

 自分の部隊を指揮することが一番多いが、時たま依頼を受けて本部の人形に指示を出すこともある。彼女はたまたまその頻度が高くて、うちに来たことも一度だけある。しかしまあ、その一度を失敗したのだけれども。

「指揮官、いつもお世話になってます。WA2000です」

「こちらこそ、会えて嬉しいよ。そうか、ダブリューエーニセンか」

「名前が何か?」

「書面で見たときに『わ』だと思ってて」

 この不用意な発言が彼女の地雷を踏み抜いて、

「人の名前を間違えるなんて最低」

 吐き捨てるようにそう言われてしまった。

 以後、仕事は共にするものの司令部に顔は出さない関係が続いていた。

「大変に失礼なことをしてしまった」

 こういった弱音や反省を聞いてもらうのはVectorよりも専らスプリングフィールドである。執務室に報告に来た際に、ついでに、と話を聞いてもらっていた。

「指揮官らしからぬ失敗ですね」

「懐かしくてつい」

「理由をお聞きしても?」

「読み書きを教えてくれた人が日本から来た人だったんだ。だから最初に教わったのがローマ字発音で」

 現在、その国はもうない。一度目の崩壊液流出で致命的なダメージを受け、第三次大戦でトドメをさされた。

 私に色々教えてくれた人は第三次大戦に参加したけれど、他国へ行っている間に故郷を失い難民になったらしい。そして私の生まれ故郷に暮らしていた。

「なるほどそれで。どうも変わった感覚をお持ちだと思っていましたが」

「変なとこあった?」

「今時無宗教なのも珍しいです」

「言われてみればそうだね。どうも日本人は宗教に対して強い思い入れがなかったらしい」

「信心深くないんでしょうか?」

「いや、土着の宗教が生活に入り込みすぎていて他の宗教が根付かなかったみたい。そのくせお祭はいいとこ取りらしいけど」

「お祭好きの民族だったんですね」

「きっとね」

 実際はどうだったのか今では知ることも難しい。

「それで、つい知っているものを目にして口走ってしまったんですね」

「軽率だったよ。いつも世話になってるのに悪いことをした」

 机に頭を伏せて後ろ頭をがしがし掻いた。残念ながら机に触れさせたことで頭が冷えることもない。

 子供っぽい失敗だったと心底反省しているが、どうやって謝罪しようか。

「謝りたい」

「でしたら手紙でもお書きになられてはいかがでしょう? 手書きで」

「読み辛くないかな?」

「手書きの方が気持ちがこもるとか言いますし」

「なるほど」

 悪くない提案だ。

 こうして四苦八苦して手紙を書き、完成したものを本部部隊との合同作戦に向かったスプリングフィールドに託した。

 書き損じたり推敲したりで破棄した便箋は、完成したものよりもはるかに多い枚数になっていた。こんなに山ほど文字を書いたのはひさびさだった。

 これで少しでも気持ちが伝えられるといい。

 合同作戦は無事に完了し、スプリングフィールドも帰還した。大きな被害もなく、望ましい勝利だったと言える。

「お疲れ様。いい仕事っぷりだったみたいだね。ヘリアンさんからほめられたよ」

「常にコンディションを整えていただいてるおかげです。手紙、渡せましたよ」

「そうか! ありがとう」

「その場で読んでました」

「作戦中に?」

「ええ。私達は待機時間が長いですから」

 そうは言うが、敵が通ればすぐさま撃ち抜かなければならない。そこで手紙を読める余裕があるとはつまり、彼女らはその準備が常にできているというわけで。

「改めて思うけど君たちって優秀だね」

「……なるほど、確かに」

「え? なに?」

 急に思案顔になったスプリングフィールドに戸惑う。変なことを言っただろうか?

「WA2000が、指揮官はこの仕事に向いてないと言ったので」

「えー? なんで?」

「けど今のでよくわかりました。確かに人形に対して優しすぎますね」

 そうかもしれない。他の司令部や企業ではもっと戦術人形を物質的に扱うことが多いと聞くが、私はどうもそれができない。

「悪いことかな」

「いいえ。そこが指揮官のいいところだと思いますよ」

「……ありがとう」

 面と向かって言われると照れるものだ。

「彼女は許してくれるだろうか?」

 一番気になっていたのはそこだ。これでもう無理と言われたら元も子もない。

「大丈夫ですよ。単に引っ込みがつかなくなっただけですから。あの子素直じゃないんです」

「それは、難儀だね」

 ほっと胸をなでおろす。

 

 そんなことがあってからしばらく時は流れる。

 今日はささやかなパーティーを開いている。S05地区の司令部に新人が入ってきたからその歓迎会なのだ。まあ、新人は件のWA2000なのだけれども。

 ここしばらくいい結果を残せているので、誰か追加で戦術人形を、と言われたため彼女をお願いしたのだ。何度か仕事をしていて腕前は知っていたし、都合よくフリーなことも知っていた。

「ボスも隅に置けないな」

 歓迎会の準備をしている最中にトンプソンがそう言った。

「言い方がおかしいよ」

「そうか? 所帯持っておきながら余所の美人にラブコールなんて女誑しのするもんだぜ」

「だから言い方。彼女が優秀なことはトンプソンも知ってるでしょ? お互いに顔見知りだし、うちの行事にも何度か来てくれてるからいいじゃない」

「そりゃな。でもVectorが納得するかは別さ」

「大丈夫だと思うけど?」

 そう返すとトンプソンは鼻で笑った。

「大した信頼だな」

 パーティーは食堂にオードブルを並べて、ケーキを出して、それだけのつもりだったのだけれどM16がアルコールを持ってきた結果異様に盛り上がってしまった。

 工廠の面々、技術部の面々も酒を飲み始めて大宴会となり果てた。ここまでくると手が着けられない。

 考えてみればここしばらくずっと仕事詰めで、こういった大々的な肩の抜き方はみんなでしていなかった気がする。だから仕方ないやと思っていたのだけれども……

「とんだ乱痴気騒ぎね」

「いやぁ、なんかごめんね」

 よもや主役と上司がベランダへ退散するほどになるとは思わなんだ。今日が天気もよくて外に出ても平気な日でよかった。

「はいこれ。くすねてきたからあげる」

 私はWA2000にチョコアイスのカップとスプーンを渡した。

「好きだったよね」

「よく覚えてたわね」

 彼女はそれを受け取って蓋を開けた。ベランダに退散するまで冷凍庫に入っていたから溶けてはいない。

「それはみんなの共有物から取ってきたんだけど、個人的な物を冷凍庫に入れるときは名前貼っておいてね」

「わかった」

 本日の主役がアイスを食べ始めるのを確認してからグラスに入れてきたウィスキーを舐めた。久しぶりのアルコールが妙においしく感じる。

「飲んで平気なの? その、大怪我して治療中って聞いたけど」

「あー、本部で聞いてたの? 心配してくれてありがとう。完治しました。これが完治して一発目のアルコールです」

「じゃあ今日の宴会の主役はアンタじゃない」

「なんで?」

「快気祝い」

「いいんだよそんなのしなくて。私が君の歓迎会をしたかったから」

 ちらりと隣を見ると険しい顔と目が合った。

「……少し顔つき変わったと思ったけど、やっぱりアンタこの仕事向いてないわ」

「それは、人形に対して優しすぎるから?」

 以前スプリングフィールドに聞いたことを確認してみた。

「えぇ。今まで色んな指揮官を見てきたけど、アンタみたいな接し方のは大抵壊れるわ。ましてや、AR小隊の担当なんて。やめておきなさいよ」

 耳が痛い話だ。経験則から言われているのが余計に辛い。

「自覚はしてる。でも他に生き方を知らないし、今更帰る場所もないんだ」

「G&K内で配置換えもあるわよ。もしくは人形との接し方を変えることね」

「それも難しいんだよね」

「どうしてよ」

「君たちを生きていると感じてしまうから」

 言い返されそうなものだが、案の定WA2000は口を閉じた。そうなる確信はあった。

「Vectorにそう言ったのは君でしょ?」

「違う」

「違わないよ。今本人を呼んで確認したっていい」

「だったらなんだっていうの」

「別に。ただ人形にも私と同じように感じてる存在がいることが嬉しかった」

「変な人」

「WA2000だって変だよ。そんなに優しいのに隠そうとするし」

 言ってやると彼女の顔は面白いほど赤くなった。

「優しくなんてっないわよっ」

「うわぁ声が大きい」

「あっ」

 しまったという顔をして口に手をやるWA2000。気を遣われているんだろうか。

「ほらそういうとこ」

「からかってんの?」

「そんなんじゃないって」

 思わず笑ってしまった。普段相手にしてるのの何倍も素直で扱いやすい子だ。ゼロを何倍してもゼロだしマイナスに何倍してもマイナスだけれど。

 少し真面目な話をしようと深呼吸する。アルコールのおかげで饒舌になってるからスラスラ話せそうだ。

「WA2000について少し調べたよ。大きな事件をきっかけに、人助けのために作られたんだってね」

「まあそうね。結局採用されなかったり、製造数が少なかったりしたけど」

「誰かを守るためにって願われて生まれたことには変わりないよ」

「甘いわね。守るために殺せと作られたのよ」

 殺しのために生まれてきた、と彼女は自称するらしい。

 しかし本質を見ればあらゆる銃は殺すために生まれてきている。わざわざ口に出しているのは、私からはどうも自分に言い聞かせているように見えてならない。

 だからこそ彼女は優しいと思ってしまう。

 彼女もまた、戦術人形に向いてないんじゃないかと思ってしまう。

「それでも、守るための存在なら、私のことも守ってくれるでしょ?」

「それは」

「指揮官、向いてないなんて正直に言ってきたのは君が初めてだった。そこまで理解してるなら味方になってほしいって思って、うちに来てもらったんだよ」

 アルコールの力は偉大だ。こんなに饒舌になれるなんて思ってなかった。もしかしたら常に酔ってる方がいいのかもしれない。

「訂正する。アンタ指揮官には向いてないかもしれないけど、自分の身の回りを固めることに関しては一級品ね」

「味方は多い方がいい。君は特に優秀なのだから、君がいることで多少はうちに対する評価も変わるでしょ」

「案外打算的」

「君たちも不当に扱われる確率が低くなる。そういうわけだから」

 グラスに目を移す。少し量はあるけど、もうこのウィスキーの舐める程の多さではない。一気にあおってしまおう。

 でもこの判断は甘かった。久々なことを想定に入れてなくて、ガツンと内臓に響いた。

「うあ」

「ちょっと大丈夫?」

「うむ……そういうわけだから、期待してる、よろしく」

 しまった。ちょっと眠たくなってきた。室内に戻ろう。

 窓に手をかけるとつるりと滑ってしまった。これは、調子よく飲んでる内に結構効いてしまっている。

「大丈夫じゃないわよねそれ?」

「よく効いた」

「しっかりしなさいよったく……」

 WA2000が肩を支えながら窓を開いてくれた。室内の熱気と若干のアルコール臭さを浴びる。

「あ、指揮官いたいた。WAさんも」

 こちらを見つけたVectorが近寄ってくる、が、近寄るに連れて早足はゆっくりに、無表情はしかめっ面になっていく。いかんぞこれは。

「指揮官、飲んだ?」

「はい」

「完治したばっかりで浮かれすぎ」

「はい」

「まったく」

 Vectorがもう片方の肩を支えた。タイミングよく、私にとっては最低のタイミングで、目の前をスプリングフィールド、M16、トンプソンの三人が通った。

 三人して目の前で立ち止まり、面白そうに眺められる。

「あの、なんですか」

「仲がよろしいですね」

「捕獲されたエイリアン」

「両手に花だなボス」

 そして各々感想を述べると笑いながら通り過ぎていった。

「私の見当違いね。アンタ指揮官向いてるわ。愛されてる」

「そいつはどーも」

「何の話?」

 片方から新入りの生暖かい視線を、もう片方からパートナーの突き刺さる視線を感じながら、印象を変えられたからよしとするか、なんて思うしかなかった。



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幸福論

 私は大変に臆病なので、他人を定義することが苦手だった。

 その行為には責任が伴う。私はそんな責任を負えるほど大層な人間ではない。

 他人は他人のまま、曖昧にしておく方がお互いのためによいはずだ。たとえそれがどれだけ親しい相手でも。

 

 珍しく外で夕食をとっている。同期入社の奴に快気祝いと称して誘われたのだ。

 彼とは親しい間柄ではなかったのだが、本部の病院へ通っている最中に再会し、それ以来交流がある。要するに彼もまた病人だ。

「今日は飲んで食えよ! 俺の奢りだからな!」

「普通でいいよ。自分の食べた分くらい払えるし」

「遠慮するなって!」

「してない」

 正直あまり得意な相手ではない。彼は少々押し付けがましいし、それなりに自分本位だ。おそらく今日の食事も私のためではない。

 相手が言い出す前にさっさと聞いてしまった方がよいだろう。

「それで、今日は何か話があるんじゃないかい?」

 食事をする彼の手が止まった。

「心の友よ! よくぞ聞いてくれた」

 もう一度言うが、彼とは親しい間柄ではない。ただこういう先回りの行動が、彼を甘やかしているんじゃないか、と思うことはある。

 彼は周囲を気にするように辺りを見回した。こういうときは少し神経質そうにしそうなものだが、余裕があって楽しんでいるように見えるのは、私が彼の病状について知っているからだ。

 周囲の人間がこちらに注意を払っていないことを確認すると、彼は内緒話をするために顔を寄せて小声になった。私も耳を寄せてやる。

「聞いたんだが、お前も戦術人形と誓約してるんだろ?」

 何を聞いてくるかと思えば……大方病院で聞いたんだろう。同じく小声で返した。

「うん」

「それで、その、どうだ?」

「別に普通だよ。特に変わったことがあるわけじゃない。単純に信頼が厚いだけで、戦場にも普通に送り出してる」

 特段何もないように話すところ、私はVectorに似てきたかもしれないと思った。でも嘘ではないし、取り立てて話すこともないんだ。

「抱いたりしてるか?」

「んぐ」

 答えに詰まったのを、喉に食事が詰まったフリをして水を飲み込んだ。こいつなぁ……

「それは、まあ、人並みに」

「そうだよなぁー。お前も人の子でよかったよ」

 大きなお世話だ。

「実は俺さ、子供がほしくて」

 それは戦術人形との間にということだろうか?

 彼が患った病は所謂恋の病だ。彼は自分の誓約相手に過度に入れ込んでいて、問題行動を起こした人物と同じ傾向にある。

 そのため定期的に病院でカウンセリングを受けている。幸運にも私はまだ客観的に自己分析できているため問題はないとされている。ヘリアンさんの口添えのおかげでもある。

「君はまたそういうことを。なぜあそこに通っているのか分かってないのか?」

「もちろん分かってる。でもお前はそう思わないのか?」

 少し前にVectorに子供化スキンを適応してしまったことを思い出した。同時に、その時スプリングフィールドに言われたことも。

 幼い見た目のVectorはまあかわいらしかった。そして世の中には仮想的な家族を持つために人形をそう見立てる人間もいるようだ。

 じゃあ私はどうなのか、と言われても、そもそも私には一般的な家族の姿を想像できない。

 M4が示してくれた家族に対する役割は何かしら成していると思う。ただ人間の社会で言うところの、両親がいて子供がいて、という家族の姿はいまいち判然としない。私はそういった環境で育ってきていない。

「あまり明確には。大して家庭に憧れを感じないんだ。一般的な家庭で育ってないから理解できない」

「いや、あのその、ごめん。俺そんなつもりじゃ」

「気にしなくていいよ。続けて」

 とりあえず彼が普通の家庭で育って、そういったものに憧れがあることは理解した。

「好きな相手と家庭を持つってのは人類普遍の幸福だと俺は思う」

「大きく出たな」

「そうかな? 俺は好きな子と一緒になったら家庭を持ちたくなるのは自然だと思うんだ」

「相手が人間ならそうだろうさ」

 彼の相手は人形なんだ。実に盲目的だ。彼はそう長くないかもしれない。近い内に所謂駆け落ちでもしそうだ。

「人形と子供をつくる方法だってあるさ」

「君の願望ではなく?」

「あるに決まってる」

「願望じゃないか」

 一抹の恐ろしさを感じる。私も端から見ればこんな狂気じみた様子なんだろうか?

「とにかく、変な気を起こすんじゃない。自分の責任を全うできる範囲に留めてくれ」

「そうだよな。不安にさせて悪かったな心の友よ」

 再三言うが、彼とは親しい間柄ではない。

 

 同期のことばかり気にしているわけにはいかない。翌日から普通に業務に取り組んでいる。しかしあんな話をしたせいか、妙にVectorが気になってならない。

「何?」

「なんでも」

「今日やたらじろじろ見てくるけど」

「スカートずれてるよ」

「馬鹿。どこ見てるの」

 こうやってつまらないごまかしを重ねるばかりだ。

 好いている相手と家庭を持つことが人間の幸福なら、人形は、Vectorはどう考えているんだろう?

 彼女も私と家庭を持つことを望むのだろうか?

 二人で共同生活をすることは想像に易い。ただそこに、人数が増えるとなると話は別だ。そんなこと考えてみたこともなかった。

 身近な人間に聞いてみればいいのだが、カリーナは私と同じような境遇で、状況的にヘリアンさんに聞くのは間違ってる。やはり人形のことについて聞くならペルシカさんか……もう少ししたら連絡してみよう。

 

 夕方、粗方の仕事は片付き、Vectorにも先に上がってもらった。今からしようとしてることを聞かれると困るし。

 通信でペルシカさんを呼び出す。夕方に連絡することは事前にメールで伝えたから知ってるはず。読んでてくれ。

 三度目のかけ直しでやっと通信が繋がった。いつも通りの不健康そうな顔が画面に映る。

「いやーごめんごめん、メールさっき見たよ」

「お忙しいところ申し訳ないです」

「特に忙しくはなかったけど別の作業にはまっちゃっててさ」

「そんなことかなと思ってました」

「それで、呼び出しておいて何の話?」

「人間と人形で子供つくれるんですか?」

「なんだって?」

 画面の向こうのペルシカさんがコーヒーをこぼした。あれはインスタントではなく本物らしい。もったいない。

 でも顔は面白いものを見つけたときのに変わっているから、掴みは完璧だ。

「ですから、人間と人形で」

「落ち着こう指揮官くん、まず初歩的な生物学の話からしようか」

「仕組みは分かってますから大丈夫です」

「そっか、よかった。学校通ってなかったって聞いたからてっきり」

「なので人間でいうところのそれじゃないってことは分かってます」

「そうだね。確かにそのものは無理だよ。人形には遺伝子がないからね」

「人間と人形の情報を両方保存したモノをオーダーメイドで作れるっていうのは聞いたことあります」

「それも手段の一つ。あとは人形を利用した代理母出産があるよ」

「できるんですね……」

「それ用のモジュールがあるよ。試験管でできるからわざわざそんなことする必要ないんだけど、色んなとこが色々うるさいから」

 ペルシカさんは、宗教家は科学に対して口出ししてくるからね、とぶつぶつ続けた。

「そのモジュールの入手って簡単ではないですよね」

「もちろん。人間の尊厳にも関わるから禁止されてる地域もあるよ。まあ欲しかったらこのあたりに行くんだね」

 彼女は地図上にいくつかのポイントを示した。確かに広いエリアとは言い難いしポイントの数も少ない。

「メジャーなのは子供型の人形のオーダーメイドかな。家族を失った人向けのケアロボットもあるし」

「へぇ。ありがとうございます」

 聞きたいことは以上だ。私がやるべき任務は終わった。ここからは追加任務だ。やり過ごせ、逃げろ。

「なんでこんなこと聞くの?」

「いえ、ちょっと、気になって」

「へーふーんほー」

「なんですか……」

「いやー? いつの間にか大人になっちゃって」

「そんなんじゃないです」

「この前のVectorが小さくなった事件が効いてる?」

「あれは、関係ないです」

「嘘だぁ。指揮官くんのお友達から聞いたよ。結局修正プログラム使うの一日渋ったんだってね」

「カリーナめ」

「まあ、この話を上司にしなかったことはほめてあげるよ。他に聞きたいことない?」

 他に聞きたいこと。あるにはあるけれども。いっそそれも聞いてみるか。これを聞く相手としては適任ではないけど。

「好いている相手と家庭を持つことは、人間の幸福なんでしょうか?」

「分かんないな。私は人形に人生を捧げるから」

「ですよね」

「幸福の形なんて人それぞれだけど、君が望むのなら彼女にそう求めればいいだけだよ」

 その理由は単純に、Vectorが機械だからだ。私がそうしてくれと入力すれば彼女は応じる。人間と人形の関係はそうなっているから。

「でも君はそうしたくないよね?」

「やです。Vectorの幸福の形は彼女自身が見つけるべきですから」

 ペルシカさんは肩をすくめた。

「指揮官くんはそれが大層な無理難題だって理解してる? 機械が新しい概念を見出すのは尋常じゃない演算が必要だし、そのためには途方もない時間がかかる。君はそれに付き合いきれるかな?」

 意外だった。そんなこと聞かなくても分かるはずなのに。

「ペルシカさんともあろう人が、簡単な問答を仕掛けてくることもあるんですね」

「たまにはね。あまりいじめたら嫌われる」

「気にしなさそうなのに。私はVectorが何かしらを見つけるまでずっと付き合いますよ」

「もしもその答えが戦場で死ぬことだったら?」

「応えます」

「そっか。愛が重いね」

「軽い愛情って多分ないです」

「大人になったねー。とりあえず、もう少し大人からの助言だよ。録音したものを送るときはちゃんとバレないルートを使いなさい」

 背中に氷をぶち込まれた心地だった。気付かれてないと思ってたのに。

「う……ごめんなさい。ありがとうございます」

 ペルシカさんは再び肩をすくめた。

「君は万人に対して愛が重いね」

 

 それから少し後の話。私の同期は結局いなくなり、彼の置き手紙によって私の手元に数人の戦術人形が配属されることになった。

「はぁ……すまないな手間をとらせて」

「いえ、マシンガンとショットガンはいなかったので助かります」

「貴官がそう言ってくれて助かる」

 今日の通信はヘリアンさんからの配属関連の連絡と、愚痴だ。

「手を尽くしたが健闘空しく、また部下を失ってしまった。全く盲目的過ぎる」

「恋の病は治せないとか言いますから」

「頼む、貴官は持ちこたえてくれ」

「大丈夫です。ここでの暮らしは気に入ってます。手放す気はないですよ」

「そうか……しかしなぁ……やっぱり人間より人形の方が魅力的なんだろうか……」

 大分参ってるな。

 画面に隠れて今朝届いた手紙をちらりと盗み見る。彼らしい豪快な文字が綴られていた。

 内容を要約すると、

『お前が教えてくれた街にたどり着いたよ。悪いがうちの人形のことを頼む。俺があいつらにできるのはこれぐらいだ。また落ち着いたら手紙出すよ。ありがとう心の友よ』

 最後に彼の背中を押してしまったことをヘリアンさんに申し訳なく思う。けど、そうせずにいられないほどに彼は幸福を追い求めていて、つい魔が差したんだ。

 私がまだ探しているものをいとも簡単に見つけている彼がうらやましく妬ましくもあり、祝福せざるを得なかった。

 あばよ馬鹿野郎。きっとその未来は幸福だが挑戦に満ちあふれて苦しい。臆病者の私にはおいそれと手を伸ばせない。

「貴官は寂しかったりしないか? 親しい間柄だと聞いていたから」

 ははは、と乾いた笑いが口から出た。どうも彼は置き手紙に私のことを「心の友」と書いたらしい。余計なことを。

「そうですね。友人でしたから」

 考えてみれば私を夕食に誘うのなんて、Vectorと彼しかいなかったのだった。



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迷子のお知らせ

 私は大変に臆病なので、物を預かるのが苦手だった。

 それが持ち主にとって大切な物であればあるほど恐ろしい。そんな物を預かるなんて身に余る。

 戦術人形を預かることすら最初は怖くてたまらなかったんだ。

 

 今日の任務は市街地で発生した鉄血によるテロ活動の制圧だった。

 作戦は速やかに実行され制圧は完了。多少の被害は出たが、作戦に関わる範囲内での死者はおらず、重傷者も出なかった。結果としては上々だ。

 こちらの戦術人形が収集してきたデータは後ほど本部に提出し、街の警備強化に活用してもらうことになっている。

 その分だけ追加報酬が出るからこういった任務は得だったりする。市街地は危険だからやめてもらいたいけど。

 人間の被害が少なくて安心している。

 連絡によると人形を一人保護したので連れてくるそうだ。

「多分、アンタこれ見たら驚くけど」

 WA2000がそう言うので少し気になっている。とりあえずヘリの発着場までみんなを迎えにいこう。

 到着するとちょうどヘリが帰ってきたところだった。降りてきていたスコーピオンが駆け寄ってくる。反射的に構えた。

「しきかーん! ただいまー!」

 元気のいい声と共に飛びかかられるので、うまく勢いを殺しながら抱える。

「おかえり。どこか怪我してない?」

「肩に穴あいちった」

「おぉ……直しておいで」

 敵の正面に立つことが多いスコーピオンは怪我をしやすい。Vectorもそうだが、彼女は練度が高いため本体が損傷することは滅多になく、ダミーの破損に留まることが多い。

 まあ、その分本体が損傷すると大変なことになってるのだけども。

 ダミーの修復は本体よりも簡単なのだ。

「そういえば保護した人形がいるって聞いたけど」

「うん。WA2000が連れてくるよ」

 ヘリの方を見るとWA2000がこちらに近付いてきていた。

「お疲れさま、ありがとう」

「大したことない任務だったわよ。はい、この子が保護した子」

「頼りになるよ。はじめまして。私がここの」

 挨拶をしようとして完全に思考が止まってしまった。こんな偶然あり得るのか?

「ね? 驚いたでしょ?」

 なんでWA2000が誇らしげに言うのかさっぱり分からないけれど、ドッキリをしようとしたならこれは大成功だ。

 保護された人形はVectorと瓜二つだったのだから。

 

 保護された彼女の手当てを済ませて執務室で話を聞く。当然だけれど今日の副官もVectorなので、ちょっと不思議な気分だ。

「改めまして、私がここの指揮官です」

「救助ありがとうございますコマンダー」

 分かってはいたけれど音声モジュールも同じだから彼女からはVectorと同じ声がする。

「君の持ち主とは連絡つく?」

「いいえ。マスターの生存は確認していますが、通信機器が故障したため発信受信共に不可能な状態です」

 こいつは困った。持ち主の死亡が確定している場合はI.O.P.へ人形を送り、彼女らが希望すればコアを導入して戦術人形として起用することになっている。

 しかし持ち主が生きているとなれば持ち主へ返却しなければならない。

「カリーナ、彼女の身元は?」

「確認済みなんですけど、どうも旅行で来てたみたいで。ついでに持ち主も通信端末壊れてるみたいです」

「てことは持ち主の家から連絡したけど出ないってことか……客間ってすぐ使える?」

「大丈夫ですよ」

「じゃあ当分保護だね」

 修復担当者から聞いているのだが、彼女の通信モジュールは私達が使っている物とは異なるため取り寄せになるらしい。つまり数日直らない。

 彼女の方に目をやると、服があちこち破れたり傷んだりしているようだ。そりゃそうだろう。戦術人形用の丈夫な物ではないんだ。

「着替え、どうしよっか」

「あたしの貸すから大丈夫」

「Vectorの?」

「うん。製造番号的に同じロットみたいだからサイズは完璧に同じだよ」

 つまり、Vectorと彼女は同じ日に同じ工場の同じラインで製造されたというわけで。

「じゃあ君たち姉妹みたいなもんじゃん」

「人間的に言うと双子かな?」

 再び驚いたのだった。

 

 人間の目というのはいい加減らしく、我々が見分けをつけられなくても人形はそうでなかったりする。人間のスタッフではVectorと彼女、アイリスという名前だそうだ、は区別がつかないが、人形はきっちり区別がつくらしい。

「私達には他に共有されるデータがあるので、そちらを参照しています」

 ROにそう説明されて納得した。そんな目がほしかった。

「Vectorが服を貸してくれてるのは助かったけど、お陰でVectorとアイリスの区別が全くつかない」

「何か目印になるものでもつけられたらどうでしょうか?」

「なるほど。提案してみよう。でもそれで見分けようとしたらVectorは不機嫌になるだろうな」

 そんな物に頼らないとわからないんだ、と露骨に嫌そうな顔をするのが目に浮かんだ。めんどくせえ。

「指揮官には必要ないのでは? 既に区別がついているように思われます」

「さすがROは鋭いね。若干の仕草の違いとかで区別できるよ。あとアイリスの方が表情筋が豊かだよ」

 実際アイリスはよく表情が変わる。だから困ってるんだ。

 Vectorだと思って見ていると目が合った時に微笑まれる。アイリスにとってそれは自然な動作なのだろうけれど、とても心臓によくないんだ。

 この状態は私だけではなく他のスタッフにも影響が出ているそうで、ついさっき食堂で、

『ここんとこVectorがかわいく見えるんだよね』

 なる言葉を小耳に挟んでしまった。困る。

「でもさ、私だけ区別できても意味ないから」

「そうですね。部品の取り違えがあっても困りますし」

 ROは真面目だからこういうときに変な勘ぐりを入れてこなくて助かる。

 アイリスには見えるところにスカーフを巻いてもらうことで区別することにした。もちろんVectorはこれで不機嫌になり、私は丸一日口をきいてもらえなかった。

 こんなもので気が済むのならなんとでもなる。Vectorの不機嫌を受け止めるのは慣れたが、自分の不機嫌を認識するのには慣れない。

 

 結局アイリスの持ち主に連絡がつくまで一週間かかってしまった。なんでも避難先から自宅に帰れるまで色々手続きでトラブルがあったらしい。大変そうだ。

 持ち主は明日迎えに来るそうで、アイリスも出発の準備を始めていた。

「長く待たせてごめんね」

「コマンダーがお気になさることではありません。マスターが通信機器を壊したことが悪いのですから」

「持ち主に対して厳しいね」

「厳しくしなければマスターは調子に乗りますから」

 面白い関係だ。私とVectorとはまた異なる。

 しかしアイリスは危なかったのだ。持ち主との連絡が二週間つかなければ手放したと見なされI.O.P.に送られることになっていたから。それなりに焦った。

「もし、マスターと連絡が取れなければ私もVectorになったのでしょうか?」

「そうだね。君たちは同じ種類の人形だから、間違いなくアイリスにコアを適応させてもVectorになったよ」

「ふむ。その場合、コマンダーは私を引き取ってくださいますか?」

「どうかな? うちにはVectorがいるから、いないところが優先されると思う」

「コマンダーは二人目の彼女を必要としない、と?」

 真意が判然としない。戦力的には十分だし、二人目を迎える理由は特にない。もう一つ理由があるとすれば、

「まあ、うちのVectorが拗ねるからね」

 肩をすくめてそう答えるとアイリスは穏やかに微笑んだ。

「コマンダーが彼女を大切にしているようで安心しました」

「いやぁアイリスが知らないだけでVectorかなりめんどくさいんだよ? 見分けられるようにスカーフしてって頼んだときも、そんなのがないと分からないんだって丸一日口きいてくれなかったもの」

「彼女もコマンダーはスカーフがなくても見分けられると知っていました」

「じゃあ不機嫌にされ損じゃないか……」

 口を尖らせるとアイリスはクスクス笑った。つい顔を凝視してしまう。

「どうかなさいましたかコマンダー?」

「アイリスはよく笑うよね」

「マスターがそうなので」

「やっぱり持ち主が違えば違うか」

「Vectorがあまり笑わないのはコマンダーのせいではありません」

「私の前にも持ち主はいたみたいだからね。ただまぁ、私ももうちょっと笑うか……」

「コマンダーが気になさらずとも彼女は良い影響を受けています」

「本当? 結構話したんだね」

「えぇ。Vectorには大変良くしてもらいました」

「それは、よかった」

 そう言った私はもう少し上手く笑えてただろう? そうだと嬉しい。

 

 アイリスの持ち主の登場はまさに嵐だった。持ち主が女性だと聞いていたのだけれど、歩き方の豪快さと執務室のドアを開けるときの荒々しさはこの司令部の誰よりも激しく感じられた。

「アイリス! 私の天使! 待たせたわね」

「お久しぶりですマスター」

 再会に熱烈なハグをする持ち主にアイリスは冷静に答えた。なるほど……厳しくしなければ調子に乗りそうだ。

「あー、その、長旅お疲れさまです」

「あなたがここの責任者? もっと年寄りかと思った」

「すみませんね若造で。とりあえず引き取り確認のために身分証の確認とサインいただけますか?」

「はいはい」

 全方位に対してパワフルな人なのかもしれない。そりゃこれだけエネルギーに満ち溢れてる持ち主ならアイリスも表情豊かになるだろう。

 持ち主の名前はメアリーさんというそうだ。職業はカメラマン。

「いやー避難するときカバン落としちゃってね。パスポートも通信機器もそこに入ってたから大変でさ。無事だったのカメラだけ」

「それは大変でしたね。アイリスの修理は済ませています。いくつか部品の交換もしましたけど、型番は変えてないです」

「ありがと。修理費の請求は家に送って」

「分かりました」

 これで一連の手続きは完了。アイリスともお別れだ。ちょうどVectorが荷物を持ってきた。

 途端にメアリーさんの目が輝く。

「荷物持ってきたよ」

「え? うっそこんな偶然あり得るの?」

「なに?」

 遠慮も何もなしに頭のてっぺんからつま先までVectorに視線を浴びせるメアリーさん。そして不快そうに眉をひそめるVector。止めた方がいいんだろうけど、面白い。

「マスター、彼女は私と同じロットです」

「てことはあなた達双子なのね! 素敵じゃない」

 メアリーさんはカメラを取り出してVectorを撮り始めた。さすがに耐えかねてVectorが視線で助けを求めてくる。

「メアリーさんそれくらいで。うちの秘書が困ってます」

「あらやだ、ごめんなさいね。あなたちっとも顔が変わらないから面白くてつい」

「指揮官、もっと早く止めてよ」

「ごめんごめん」

 私もつい調子に乗ってしまった。後でまた不機嫌を受け止めるしかなさそうだ。どこかで機嫌を取っておかないと。

「マスター、Vectorはここに滞在している間に大変良くしてくれました。失礼なことは控えてください」

「そうなの? じゃあお礼しないとね。それにしても不思議ね。モデルやってるアイリスと同じ人形が兵隊さんだなんて」

 アイリスの職業は聞いていなかったのでこれは初耳だ。Vectorの方を見ると、

「あたしは聞いてたよ」

 と言われた。なんだよ知らなかったのは私だけか。

「どう、指揮官サン? この型の人形は優秀でしょ」

「そうですね。頼りにしてます」

「一緒に過ごす甲斐があるわ。私ったら気に入ってアイリスには専属のモデルになってもらってるくらいだから」

 専属のモデルがどれだけすごいのか世間知らずな私にはピンとこないが、それだけ手元に置いておきたくなるという気持ちはよく理解できた。

「とにかくその子、Vectorちゃんだっけ? 大事にしてあげてね」

「もちろん」

 彼女が手を差し出してきたので握手で返した。同じ様に彼女はVectorにも握手を求めて、Vectorもそれに困った顔をしながら応えた。

 うーんまずいかな、あれ左手だ。つい目をそらしてしまうとくるりとメアリーさんの顔がこちらを向いた。そりゃ、うん、分かるよね、指輪。

「私ひょっとしてお節介言った?」

「……少し」

「戻ったらお詫びするから許して。私達きっと気が合うから」

 へへへ、と笑うメアリーさんをどうも嫌いにはなれそうにない。

「アイリスと、もうはぐれないようにしてくださいね」

 そろそろ見送りであるためよっこらと椅子から立ち上がると熱烈なハグを受けた。

「ありがとう指揮官サン! さーてアイリス帰るわよ」

「ちょっとマスター……コマンダー、大変お世話になりました」

 そしてアイリスの手を引いてさっさと執務室を出て行ってしまった。また荷物忘れてる。

「……強烈だった」

「仲良くなれそうでよかったじゃん」

「好意的には思ってるけど」

 Vectorの方を見る。目が合っても彼女はアイリスのように微笑まない。

「Vectorももう少し笑ってみる?」

「そうしてほしい?」

 自分がアイリスとVectorの区別をつけやすくした理由を思い出した。他人においそれと見せられる笑顔ではない。

「いや、いい。君は君のままでいて」

「はいはい。荷物持って行こう」

「そうだね。見送り行かないと」

 荷物に手をかけながらVectorが言った。

「指揮官も妬くんだね」

 その言い方は明らかに笑っていた。

 

 後日、メアリーさんからメールが届いた。

 添付されているのはアイリスがモデルをつとめたカタログらしく、メールには

『この中から好きなもの選んで!』

 と書かれていた。

 カタログのファイルを開いて、慌てて閉じた。

 落ち着くためにもう一度メールを読む。

『Vectorちゃんのサイズなら分かるから』

 と文末に添えられていた。

 そんな、確かにモデルだとは聞いたけどここまでは聞いてない。下着のモデルだなんて聞いてない!

 しばらく悶々としそうだ……それにしてもどれが似合うだろうか?



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そういう日だから

 あたしは大変に後ろ向きなので、行事を祝うことが苦手だった。

 それは別になんてことないいつもと変わらない日なのに、人間はなにかと理由をつけて祝ったり騒いだりしたがる。

 そんなことに人形まで巻き込むなんて、無意味にもほどがある。

 

 今朝の指揮官は早起きだったみたい。あたしがスリープモードを解除するともう部屋を出た後だった。

 ご丁寧に部屋に備え付けられてる机にマグカップが置いてあって、

『おはよう。温めて飲んでね』

 と書かれた付箋が貼り付けられていた。伝言通りレンジで加熱してから飲んだ。

 あたしもあたしで今日はやることがある。いそいそと支度をして部屋を出た。

 今朝最初に向かったのはカフェだ。カフェに用事があるというより、カフェに預けてある荷物に用事がある。

「おはよスプリングフィールド」

「おはようございます」

 今朝は彼女も早い。今日は忙しい日だから。

「Vectorのはこれでしたね。はいどうぞ」

「ん」

 飾り気のないただの茶色い紙袋を受け取る。奥を見ると他のはリボンがついてたり、模様がついてたり。人に贈るのにはふさわしい見た目をしている。

 今日はそういう日だってデータがあるから知ってるけど、この浮ついた雰囲気がどうも気に食わなくて鼻を鳴らした。

「ふん」

「不機嫌ですね」

 面白そうにスプリングフィールドが笑う。

「人形が行事を祝うなんて何の意味があるんだか」

「特にありませんよ。楽しいだけです」

「楽しいかぁ……」

 こんなので志気が上がるんなら簡単な話だけれども。

「でも一応参加するんですね」

 スプリングフィールドは私の荷物を指さす。

「一応ね」

 意味なんてのはやってから考えたらいいんだよ、と話す指揮官の音声データをなぜか検索していた。

 

 さっきから指揮官に用事があるから探してるっていうのに全く見つからない。

 執務室にいなければ資料室にもいない。いそうなところは探して回って、それでもなお見つからない。どこにいるんだか。

 今日は特にやるべき業務もないから別にいいのだけど、こっちは用事があるから困ってる。

「あれ、Vectorさんどうしました?」

 廊下の向こうからカリーナが近寄ってくる。

「指揮官知らない?」

「指揮官様ならこれ配って歩いてますよ」

 彼女は胸元の花を示した。なんだろうこれ、紫のひらひらした花びら。すれ違う他の職員も服につけてた。

「造花の裏側に安全ピンがついてて服につけられるんですよ」

「なんでこれを?」

「日頃の感謝らしいですよ。今日は贈り物をしていい日だからって張り切ってるそうです」

 検索が終了した。これはトルコキキョウという花みたい。確かに花言葉に感謝が含まれてる。

「なんせバレンタインですからね」

「へーふーん、なるほどね」

 確かに、今日は贈り物をしていい日だってことは知ってる。知ってるけども。

 なんだか釈然としない気分になってため息をついた。

 

 昼に食堂に行くと、やっと指揮官を見つけられた。片手に持ったバスケットに山盛りあの花を入れて忙しそうに配って歩いている。

 本当に全部の職員に配るつもりなんだろうか? そこそこの人数がいると思うけれど。

 このままだと食事も取らないだろうから声をかけておこう。

「指揮官」

「あ、Vector」

 振り返った顔は嬉しそうで楽しそうで。この人は行事に意味を見いだしてることがすぐに理解できる。

「食事の時間なくなるよ」

「いやでも」

「食べないと。楽しいのは分かったから少しは落ち着きなって」

「それもそうか。そんなに楽しそう?」

「顔緩んでるよ」

「確かに。顔が熱い」

 指揮官は手で頬に触れて確認していた。サーモカメラを通すといつもより首から上の温度が高く見えるからその認識は合ってる。

 食事を受け取って席につく。指揮官はいつもより上機嫌に見えた。

「バレンタインそんなに楽しい?」

「うん。初めてなんだ。憧れてて」

 照れくさそうにはにかむ顔は少し幼く感じる。珍しいから記録しておこう。こういうのきっとかわいいっていうんだ。

「学校に行ったことなかったから体験したことがなくてさ。でも親しい人やお世話になった人に贈り物をしていい日ってのは聞いてて」

「やってみたかったんだ」

「変かな?」

「別に。人間らしくていいんじゃない?」

「てことはVectorから見たら理解できなくて変なんだね」

「まあね。あたしからしたら妙な雰囲気のただの日常だし」

 はは、と指揮官は軽く笑った。それからあたしに花を渡してくる。

「Vectorは特別だよ」

 受け取ったのはバラだった。意味はわざわざ検索しなくてもわかる。

「指揮官もベタなことするね」

「悪かったな」

 茶化すとすぐに口がへの字に曲がった。今日の指揮官は通常と比較してテンションが高い。よく感情が顔に出てる。今日という日を楽しみにしてたのは本当みたいだ。

 指揮官がやっているバレンタインは西洋の文化の方だ。西の方では花を渡したり多くの人に贈り物をしたりするらしい。

 対してあたしやカフェに荷物を預けていた面子がやっていたのは東洋の文化の方で。大切に思っている相手にチョコレートを渡す方だった。

 本命だとか義理だとか、そんな前置きをして渡す文化だって知ってた。だからあたしも前もって準備をしてて。

 認めよう。あたしも楽しみにしてた。一番最初に指揮官にチョコレートを渡そうと思ってて、指揮官も受け取るだろうと信じて疑ってなくて。だから早くにカフェに行って。それなのに指揮官はあたしを待っていなくて、楽しんでるのは別のことで。

 同じバレンタインなんだ。むしろ西洋の文化の方が本場で、東洋の文化の方は誰かが考えた偽物で。だから指揮官の方が正しいって理解できる。

 あたしは間違ったことをして、勝手に指揮官があたしから一番最初にチョコレートを受け取るって期待して、それを裏切られた気になってる。明らかにエラーだ。こんなのは正しくない。修正しないと。

「今日さ、情報の整理したいから午後は部屋にいていい?」

「いいよ。特に出撃要請もないし。もし緊急に何かあったら呼ぶから、その時だけよろしく」

「わかった」

 そうして紙袋を渡さずに部屋に持って帰った。

 違うことを楽しもうとしていたのなら意味なんてない。

 

 結局緊急の呼び出しはなく、業務終了の時間になった。スケジュールを確認すると指揮官にはこの後ヘリアンさんとペルシカさんに定期報告の予定が入ってて、帰ってくるのは少し遅くなりそうだった。

 手元の本が読み終わったので次のを取るために立ち上がる。ふと今朝飲み物が入ってたマグカップをカメラがとらえた。洗っておくのを忘れてたんだ。洗おう。

 マグカップを片手に廊下にあるキッチンへ向かうと、タイミングよく指揮官が戻ってきた。

「ただいま」

「おかえり。もう報告終わったの?」

「うん。今日は早く帰ってやれって叱られた」

「だったら業務終了後に通信の予定入れなきゃいいのに」

「言えてる」

 指揮官はコートとマフラーを脱いで玄関脇に掛けた。室内は暖房が効いていても外は冷える。

「それ飲んだんだ」

 そして洗っているマグカップを示した。

「うん」

「おいしかった?」

「普通だったよ」

「む、そうか。失敗したかな?」

「なんだったのあれ?」

「ホットチョコレート。やっぱり一度冷めちゃうとダメか」

 落ち着いて今朝のログを遡る。確かに味覚センサはカカオ成分を検出していた。途端に感情のパラメータが不安定になった。

 あたしはとんでもない勘違いをしていたかもしれない。勘違いだったことを確定させるために質問が必要だ。

「なんでそんなの作ったの?」

「だって今日バレンタインだし」

 ああそうだ、勘違いだった。指揮官はきっちりチョコの受け渡しをするバレンタインを行っていて、それを正しく受け取れてなかったのはあたしの方だった。

「ごめん指揮官、あたし間違えてた」

「何を?」

「指揮官からチョコ受け取ってることに気づいてなくて」

「いいんだよ。慌てて出て行ってろくな伝言もしなかった私がいけないんだから」

「そうじゃなくて、それのことじゃなくて」

 両肩に軽い重さを検知する。指揮官が肩に手を乗せていた。

「落ち着いて、座って話そう」

 こういうのを優しいっていうんだろうけれど、今はその優しさが少し苦しい。それでも提案を蹴るほどではないから、大人しく従った。

 椅子に腰かけて、深呼吸をさせられて、いくらか感情パラメータが落ち着いてきた。指揮官はいつもと変わらない様子であたしが話し始めるのを待っている。

 放っておけばいつまでも待っていそうだから、話さないと。

「今日」

「うん」

「てっきり指揮官はあたしを優先するだろうと」

「うん」

「勝手に思い込んで、期待してて」

「うん」

「花を配って歩いてるって知って、勝手に失望してた。みんなとは違う花もらってたのにさ」

「そっか」

「指揮官が楽しみにしてたなんて知らなくて」

「言ってなかったからね」

「指揮官にとっても大事な日だったのに」

「うーん」

 指揮官は視線を逸らして頬を掻いた。これは情けないと感じてることを打ち明けるときの癖だってよく記録してる。

「実は、ヘリアンさんとペルシカさんに叱られたのはそれで」

「う、うん」

「本来バレンタインは恋人の祭典なんだから呑気に花配って歩いてないでVector優先しろってさ」

「……大きなお世話」

「そうなんだけどさ、その通りだよ。私はどうしても照れくさくて遠回りしちゃうから、いつもVectorを不安にさせていけない」

「別に不安なんて」

「させてるよ。君が起きるまで待ってて最初にチョコレートをもらえばよかったんだ。申し訳ないけど他の人から山ほどチョコもらってしまって」

「そっか」

 口から出た音声は想定以上に気落ちしているようになってしまった。わかってたことなのに。

「だから、その、今日最後のチョコって枠を用意してる」

「最後の?」

「私は好きな食べ物は一番最後までとっておくタイプなので」

 そうだっただろうか? ログを漁って指揮官の食事のパターンを確認してみるけれどそんな傾向はない。

「いつも割と早い段階で食べてるけど」

「ログ漁るの早いってば! そういうことにしといてよ……埋め合わせしたい」

「あぁ、なるほど」

 つまり、指揮官も今日のことは後悔しててなんとかしたいってことで、だからこんな支離滅裂なことを言ってる。

 あたしのことで必死になってる指揮官は妙に面白くて、特別で、それだけで意味がある。

「仕方ないなぁ」

 なんてもったい付けてやりながら飾りっ気のない紙袋を取り出した。

「はいこれ」

「へへ、ありがとう」

 目尻が下がって口角が上がって、上気して頬に赤みが差してて、若干の興奮で瞳孔が開き気味になって。今日一番嬉しそうな顔だった。

「これは本命チョコってやつ?」

「義理も本命もないよ。それしか用意してない」

「へぇそっか。そっかぁ」

 気の抜けきった笑顔でそう言われると何か言い返す気もなくなる。こんなに喜ぶなら毎日だって用意してあげるけれど、これは指揮官が今日という日に意味を与えているからしてる顔。

 指揮官の手は紙袋から小箱を取り出し、慎重に開ける。そんなにしなくてもガラス細工じゃあるまいし。中身はたった二つのトリュフチョコだ。

「おぉ、丸い、かわいい。作ったの? すごいね」

「別にただ溶かして固めただけだよ。他の子からも似たようなものもらったでしょ?」

「実は食べるのはこれが最初」

 やっぱり好きな物は早めに食べるんじゃないか、なんて言うのはよしておく。最後にもらって最初に食べることで指揮官の中でこれを特別な物にするつもりなんだろう。

 指揮官はその小さいチョコをもったいなさそうに半分かじった。口の中で噛み砕く音をマイクが拾う。

「中に何か入ってる」

「クルミ入れたんだよ。好きでしょ?」

「好き」

 続けて残ったかじりかけの半分を口に運び、指先についたチョコを舐め取った。

 普段なら行儀が悪いと指摘するけど、今日はしない。

「おいしいよこれ」

「よかった。味見してないから」

「こんなにおいしいのに?」

「ただの雰囲気でしょ。配分と時間は正しいから正しくできてるよ」

「ふむ」

 指揮官は何か納得したように頷いて、今度はかじらずに丸々一個全てを口の中に入れた。

 そしてそのまま、何を考えたのか唇を重ねてきた。正直驚いたけど、何かやりたいことがあるんだろうから拒否はしないでおいてあげる。

 しばらくしてこちらの口内に侵入してきた舌には溶けかけのチョコが乗っていた。

 別にこんなことしなくたって食べろと言われたら食べたのに。ただ、検索に先ほどの「恋人の祭典なんだから」という言葉がヒットした。だったらこのやり方でもいい。

 鼻で呼吸しながら指揮官の舌が運んできたチョコを舐めた。うん、甘い。正しく作れてよかった。

 これだけで満足しなかったのが指揮官の方で、もっと味わえと言わんばかりに尚も溶けかけのチョコをぐいぐい押しつけてくる。大人しくその度に舐めてやるけれど、もうチョコが甘いのか指揮官の唾液が甘いのか判別がつかない。

 そろそろ口の中にたまってきた唾液を飲み込みたいけど指揮官の舌が邪魔でどうにもならない。肩を叩いて離れるように伝えてみる。意志は伝わったようで指揮官は離れていった。

 少し名残惜しく感じるけど服に付きでもしたら後が大変だ。チョコはなかなか落ちない。

 唾液を飲み下すと興奮しきった指揮官と目が合った。耳どころか目まで赤くなってる。これは相当だ。

「べ、べくた」

「ストップ。シャワー浴びてきて」

「はい」

 別にあたし自身は嫌じゃないけれど、そうさせないと最中に指揮官はしきりに汗臭くないか聞いてくる。それはそれで興醒めなんだ。割り込みの処理が入ると少し反応が遅くなる。

「今日は私ががんばるから」

「はいはいわかったわかった」

 いちいち言わなくていいのに妙に気合いが入ってる。多分今日がそういう日だから。

 さてどうしてやるか。指揮官がそんなに張り切ってるなら特別な日に花を添えてやってもいい。確かこの部屋に置いてあったような……あったあった。

 行事を祝うことに関してVectorとしては意味を与えられないけれど、あたし個人としては恋人がこんなに楽しむのなら意味があるって定義していい。

 

 「シャワー浴びました」

「早いね。カラスの行水っていうんだっけ?」

「うん、そうそ……えええVectorそれ」

「この前アイリスのとこから届いたんだよ。指揮官が選んだんでしょ、この下着」

「えぇあぁはいそうですうわぁ」

「ちゃんと見なよ」

「景観が、よすぎて」

「要は似合うってことでいいの?」

「はい。あーわーうわぁ脱がすのもったいない」

「早くしなよ。がんばるんでしょ」

「そうでした。あれ? ホックがない……」

「これ前にあるんだよ。指揮官いつも外すのにもたもたするからそっちにしてもらった」

「あーそっかーそっかーなるほどなー」

「口はいいから手を動かして」

「わかってます。あ、そうだ」

「なに?」

「街の一番いいレストラン、今日は取れなかったんだけど週末に予約取ったから、一緒に行こう」

 こんなタイミングでこんなことを言うなんて、今日の指揮官はいつもと違って変だ。でもそれは今日がそういう日だから。そんな理由でいい。

 腕を回してぎゅっと抱きしめてみる。あたしだって今日がそういう日ならこれでいい。

「仕方ないなぁ。いいよ」

 これはこれで意味のあること。



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回り灯籠

 私は臆病者でもなければ後ろ向きでもないので、現状特に苦手だと感じていることはありません。

 私の成すことは私のできる範囲内です。そこから出ない限りは不利益を被ることもなければ想定外の出来事もありませんから。

 もちろん、時折不意の事故もあります。ただその損失さえも想定内です。だって機械ですもの、人間のように冒険はいたしませんわ。

 

 指揮官は週に三回ほどカフェにいらっしゃいます。カウンターの一番テーブル席側に近い場所が指定席です。

 カウンターの奥にいる私と話しやすくて、テーブル席にいる人達とも話しやすい席がお気に入りのようですが、別に常に確保しておいてほしいというわけではないそうです。

 その時その時で座った席に適したコミュニケーションがあるんだと主張してらっしゃいましたが、なんとなく皆さん指定席を避けて座るのでいつも決まった席にいるのが指揮官です。

「別に気を遣われるようなことではないのに」

 と指揮官は不満そうにおっしゃいました。目の前では先ほど出したカプチーノが湯気を立てています。

「それも指揮官の人望ですよ」

「そうなんだろうか?」

「そういうものです。皆さん指揮官がこの席にいらっしゃることに安心されるんですよ」

 洗い物をしながら話していると指揮官はカプチーノに砂糖を入れ始めました。以前ほど山盛り入れたりはしないようですが、それでも少し多めに入れているように見られます。

「あまり入れすぎてはいけませんよ」

「つい。カプチーノの上に砂糖が沈んでいくのを見るのが楽しくて」

「あぁ、なるほど」

 確かにフォームミルクの上に乗った砂糖が沈んでいくのはなかなか面白い光景です。

 けれどそれを見たいがためにカプチーノを頼んで砂糖を入れてをされていると思うと、どうも……

「指揮官もかわいらしいところがあるのですね」

「どういうこと?」

「だってそんな、雪遊びする子供みたいじゃありませんか」

「言い得て妙だ。スプリングフィールドの前だとどうも気が抜けて」

 おかしいなぁ、と指揮官はつぶやきました。

「それは私がご家族に似ているからですか?」

「またその話?」

 指揮官は肩をすくめました。

 いつだったか風邪をひいた指揮官に『お姉さん』と呼ばれたことを記録していて、ついからかってしまうのは悪い癖です。

「そうかも、いや、そうだね。よくないことだ」

「かまいませんよ。面白いですから」

「上司を面白いとか言うもんじゃないと思う」

 こういうときに拗ねて口を尖らせるのも私の前だけでする顔です。余程気が抜けてるのだと思われます。Vectorの前ではもう少しかっこつけてますから。

 指揮官の頭に目をやると埃が乗っていることに気づきました。マグカップに落ちる前に取っておきませんと。

「指揮官、頭にゴミがついてます」

「さっき倉庫にいたからきっとそれのせい」

 手を伸ばして埃を取り、少し乱れた髪を撫でて整えます。ごくごく普通のことをしたと思っていたのですが、指揮官は飛びすさりました。弾みで倒れた椅子が大きな音を立てます。

「ご、ごめん、こんなつもりじゃ」

 私も驚きましたが、指揮官自身もご自分の行動に驚かれたようで。

「すみません。髪が乱れていたので。出過ぎた真似をしました」

「いやいいんだ。ごめん、ごめん」

 そうして指揮官はしゃがんで椅子を起こしました。

 

 翌日は任務にあたるためカフェはお休みにしました。

「今回は大型の敵が確認されてるからスプリングフィールドとWA2000の二人を同一部隊に入れる形になる。後ろに抜けられると崩壊する危険があるから前衛のVector、トンプソン、M16はよろしく頼むよ」

 軽いブリーフィングの後に各々準備を始めるのですが、私だけ執務室に残るように言われました。

 全員が部屋から出るまで待ち、指揮官は口を開きます。

「昨日は、ごめん」

「いえ私こそ」

「お姉さんはよく私の頭を撫でたから、つい思い出してしまって」

「そういうことでしたか。軽率な行動でした。すみません」

「あーいや、そうじゃなくて。私自身は頭を撫でられるのがすごく好きで、もっとしてくれってねだったりもしたんだけども。大人になってから不意に思い出すと妙に恥ずかしくて……いやそれでもなくて、参ったなこんな話するつもりじゃ」

 指揮官は懸命に取り繕うとしてよく墓穴を掘るのです。それをいちいちつつくほど無粋ではないので、次の言葉が出るまで待ちます。

「……お願いだからちゃんと帰ってきて」

 真意を計りかねて指揮官とのログをたどり始めました。

 えぇ、確か、指揮官のご家族は仕事に行ったきり帰ってこられなかったそうです。なるほど、そういうことですか。

「ご家族と重ねて不安に思われているのですね」

「そうです。面目ない」

「でしたら、そうですね。指揮官はハンカチかスカーフをお持ちですか?」

「ハンカチならポケットに」

「貸していただけます? 単純な、帰ってこれるおまじないですわ」

 はは、と指揮官は笑われました。

「なんか、子供扱いされてる気分」

「昨日の今日ですし」

「その通りでした。はいこれ」

 指揮官からハンカチを受け取り、手首に巻いて袖の内側に折り込みます。

「これでもう安心ですよ」

「それを盤石にするために私もがんばらないとね。今日はよろしく」

「はい」

 私も準備に取りかかることにしましょう。

 

 作戦は順調でした。橋を挟んで鉄血と対面し、前線を橋の反対側まで押し上げ、私達ライフルは欄干を遮蔽にしながら狙撃を続けています。

 身のこなしが軽いVectorと、体力自慢のトンプソン、それから防弾ベストを着込んだM16がいてくれるので特に問題はないでしょう。

 前線でM16が閃光手榴弾を投擲するのが見えました。同じタイミングでVectorが火炎瓶を投げ込み、更に前線は前へ。こちらの勝利は時間の問題です。

 指揮官からの通信が入りました。

「前方から大型の兵器が接近中。装甲があると見られる」

 徹甲弾を装備しない前衛には不利な相手なので、後衛が倒すべきでしょう。

「了解」

 ちょうど大型の兵器、多脚戦車が見えたところでした。

「シールド張るか?」

「もう少し引きつけてください」

「はいよ」

 トンプソンからの申し出にそう答え、狙いをつけます。WA2000は撃つのが速い人形ですが、私は正確に狙うのが得意な人形なのです。

 十分な距離に達したとき、トンプソンがシールドを展開しました。今が攻め時です。

 狙って、引き金を引こうとした時と戦車が発砲した時は同時でした。

 凄まじい轟音が響き、トンプソンが砲弾を弾きます。しかし弾ききれず体勢を崩したところで運悪く鉄血の人形が駆け抜けてきました。

 慌ててM16が仕留めにかかりましたが致命傷には至らず真っ直ぐこちら、私の方へ黒い人形は迫ります。

 人形の足では橋を渡りきるのに何秒もかかりません。対して私は一度狙いを定めてしまったためそれを変更するのに手間取ります。隣のWA2000が応戦してくれましたが相手の歩みを止めるには至りませんでした。万事休すというやつです。

 目を見開いて眼前の鉄血をとらえます。回路が焼け焦げるような気配がして何かを思い出しました。こういうのを人間は走馬灯と言うらしいです。

 思い出された記録は前の持ち主のこと。あの子は頭を撫でると照れくさそうに笑うのです。もっともっととせがませることもありました。あれは幸せな時期でした。

 呑気に思い出している場合ではありません。私には帰る理由があるのです。

 銃をひっくり返して振りかぶり、身体をひねりながら全身を使ってストックを鉄血人形のこめかみに叩きつけました。本来これはこういう使い方をするものではありませんが、今はそんなことを言っている場合でもないのです。

 勢い余って転倒した鉄血人形に銃口を突きつけて発砲します。びくりと四肢が跳ねましたがそれだけでした。もう動くことはありません。

 再び多脚戦車を狙います。先ほどまで呆気にとられていたWA2000も攻撃に移る姿勢です。

「二秒稼いでください」

「わかったわ」

 それだけあれば十分狙えるのです。今度は正しい標的のために引き金に指をかけました。

 幸運にも銃身は曲がらなかったことに、弾が飛び出してから気付きました。柄にもなく慌てていたのですね、私も。

 

 多少の想定外もありましたが作戦は無事に成功し、私達は輸送ヘリに乗り込みました。今回は多脚戦車のデータも取れたのでそれなりにいい成果だったと思います。

「スプリングフィールド、大丈夫だった?」

 近寄ってきたVectorが小声で訪ねてきました。彼女は大変に仲間想いなのですが、表現するのが下手なのです。この会話も別に小声でする必要なんてありません。

「えぇ。後で銃のメンテナンスが必要かと思いますが、私は大事ないですよ」

「そっか。よかった。あれ、手首のそれは?」

「指揮官のハンカチです。帰ってこれるおまじないに」

「……なにそれ」

 彼女の顔からすっと表情が消えました。

 指揮官のことになるとすぐ不機嫌になるところは面白くもかわいらしく感じてしまいます。きっと指揮官からすれば面倒なのでしょうが。

「出がけにやたらと不安がられたのでなだめただけですよ」

「ふぅん。例の家族に似てるからって話?」

「それです。昨日不用意に頭に触ったせいで少し強めにフラッシュバックしたようです」

「指揮官もめんどくさいなぁ」

「仕方ありませんよ。人間ですもの」

 そういえば、さっき思い出したことをせっかくなのでVectorに伝えておきましょう。

「例の、指揮官のご家族に似ているという話ですが」

「うん」

「似ている、のではなくあれは私なんです」

「どういうこと?」

「正確には同型の人形、それもプロトタイプでした。指揮官のお父様は人形技師だったのです。私の見た目は亡くなった奥様に似せたそうですよ」

「てことは同じ人形であってスプリングフィールド自身ではないんだ」

「えぇ。同じなのは見た目と、一部のパーツだけです。I.O.P.からG&Kに派遣されるときに受けたメンテナンスで、たまたま指揮官のご家族のパーツを使ったんです」

 私はその時メモリーを引き継いだんです、と続けた。

 搭載されていたメモリーによると、指揮官のお父様は何らかの理由で『彼女』に指揮官を預けて失踪し、『彼女』はそのまま指揮官を育てたようです。

 指揮官の話によるとやがて『彼女』は帰ってこなくなったそうですが、『彼女』はしかるべき所に身売りしたようです。

 なんせ貴重なプロトタイプですから、場所を選べば高値がつきます。

 その結果パーツが巡り巡って今私の中にあるのです。

「なるほどね。母親に似せて作られたなら指揮官とも似てるのか」

「似てるでしょうか?」

「少しだけ。目のあたりかな。あとは父親似なんじゃない? それにしても死んだ奥さんに似せて作るなんて悪趣味だね」

「人間ですもの。そういうこともしますよ」

「あたしにはわかんないや。似せたところで会えないのに」

「そうですね」

 ヘリが司令部の発着場へ降下し始めました。下で米粒くらいの大きさに見える人が手を振っています。

「人間も人形も、生きているものにしか関われないのが限界ですわ」

 手を振っているのは間違いなく、私達の生存を喜んでいる指揮官です。

 

 今日はカフェに立っています。メンテナンスに出した銃は特に問題はなかったものの、ストックは交換されることになりました。

「いらっしゃいませ。カプチーノですか?」

「うん。お願いします」

 いつもの席にいつものように指揮官が座りました。

「特に怪我がなくてよかったよ。危ないところだった。ちょっと前線を押し上げすぎたね」

「油断しなければ対応できるものですよ」

「あれはさすがだった。かっこよかった」

 昨日、指揮官は私がヘリから降りるや否や大急ぎで修復に担ぎ込もうとしたのですが特に大事ないとわかるとその場にへたり込むほど安心していました。

 余程肝を冷やしたようです。

「おまじないが効きましたよ」

「あ、それのことなんだけど、調べたよ。あれ中世の騎士が遠征のときに女性の物を持って行くやつでしょ」

「はい。お姫様相手にやるものですね」

「誰がお姫様だ誰が!」

「でも指揮官は私達より力も弱いですし帰りを待つ方ですし」

 何かを言い返そうとして、指揮官は押し黙りました。返す言葉もないそうです。

「気を取り直してこれでも飲んでください」

 目の前にカプチーノを出すと少し表情が柔らかくなりました。

「なんかさ、スプリングフィールドがそこにいてこれを出してくれるのは安心する」

 指揮官はご存知ないのです。その変わらない照れくさそうに笑う顔で、私の中の何かが安心していることを。



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十三段の十三段目

 私は大変に臆病なので、運命と呼ばれるものが苦手だった。

 それはまるで自分には及ばない何かから定められているもので、出会ってしまえば己の中で決定的に変えられる部分が出てきてしまう。

 自分がサイコロで進められる駒になったような心地がして恐ろしい。生きているのにただ生かされているようで、逆らえないものに脅えるしかない。

 

 一人で輸送ヘリに乗るのは久しぶりだ。

 今回許可が下りたのは私だけで、広々としたヘリの中には私とパイロットと本部から護衛によこされた人形だけがいる。

「今回はちゃんと安全なルートを通りますから」

 パイロットがそう言うので、

「もうこの前みたいなことはこりごりですよ」

 と返した。

 AR小隊を乗せたヘリが鉄血に撃墜され、大変なことになったことは記憶に新しい。

「でもその分勲章もらえたんですからいいじゃないですか」

「あんなもの、安全には代えられませんよ」

「おっしゃる通りですな」

 中年のパイロットは豪快に笑った。

 今日はM4の見舞いに来たのだ。

 

 M4は昏々と眠るか、目覚めても何かを呟く程度だと聞く。

 そんな状態が固定されてしまっているらしく、会っても無駄だとM16に言われた。それがわかっててなおこうして会いに来た。

 いつもこうだ。M4のことになると冷静になれない。S05地区への異動希望を出したり、こうして会いに来る申請を出したり。

 いてもたってもいられない。じっとしていられなくて行動してしまう。私らしくもなく、無理なこともしてしまう。

 施設に着いてから三十分ほど。まだ面会の手続きは完了せず待合室で座っている。焦燥感で貧乏揺すりをしてしまっている。普段はこんなこと絶対ない。

 待合室には私一人だけで心許ない。もそもそと手をいじっているとふと手元が暗くなった。誰か来たのかと顔を上げて、予想外の存在に目を見開いた。

「お久しぶり」

「45、どうしてここに?」

「仕事で近くを通ったんだけど、あなたが来てるって聞いてね」

「わざわざ顔見せに来てくれたのか。ありがとう」

 404の隊長を務めるUMP45には先の作戦で随分世話になった。

 彼女が仕事をこなしてくれたから私は誰一人欠けることなく取り戻すことができた。

「それから、この前の作戦どうもありがとう。生憎今日手土産も何も持ってきてないけど」

「いいのよ。ただ仕事をしただけだから」

「そうだけど、君たちが先に来てくれてたから私も落ち着いて行動できた」

 お恥ずかしながら、M16達が撃墜されて連絡が途絶えたと聞いたときに大変に取り乱したのだ。

 生きているとわかってもなかなか連絡が取れず、残念なことに私は彼女たちからの連絡を一度も直接受け取ることができなかった。

 ただ、404が向かってくれたことをヘリアンさんから聞いて大変に落ち着いたのだ。404の強さと仕事に対する正確さは知っている。だから安心した。

「本当に、助かったよ」

「大げさ」

「そうかな? 君たちを信用してるから安心して頼れた」

 そう答えると45の目がすっと細められた。先ほどまで感じていた友好的な雰囲気が途端に消し飛ぶ。

 何か気に障るようなことを、まあ言ったんだろうな。

「そういうとこだよ」

「信用してはいけない?」

「指揮官は自分の言動が部隊に与える影響を考えたことある?」

「あるけど、今のがいけないこと?」

「無自覚なのが余計に質が悪い」

 彼女は目の前の椅子に座りもせずただ立って私を見下ろす。私は圧力に耐えかねて俯いた。

「ROが、自分で指揮をせずにあなたを先行させるよう要請した理由を知ってる?」

 首を振った。その理由をROは話さなかった。いや、正確には覚えていなかった。

「M4ならそうするって判断したから。ROは自分で考えて、M4なら指揮官を信じるって結論に至って、そうしたんだよ」

「私はその信頼に応えたよ」

「いつまで応えられるの? これからずっと?」

「そのつもり」

「確約はできるの?」

「それは」

 できるとは言い切れない。未来に確実性なんてない。私は精一杯その身に余る信頼に応えるつもりでも、そうはできない瞬間が訪れるかもしれない。

「確約はできない。でもできる限りのことはしたい」

「希望があっていい返答。優等生だね」

 ちくちく刺されるような感覚で居心地が悪い。何がこんなに彼女の機嫌を損ねているのかわからない。

「よくあろうとしたいもの。後悔はしたくない」

「ご立派で結構。けど無責任に信用させないで。万が一の時にどうするつもりなの」

 万が一。AR-15のことがよぎった。M4のことも。私がどうあがいても手の届かないことだってある。

 今回間に合ったのは本当にただただ幸運だっただけで、いつまでそれが続くかなんてわかりはしない。

「ROは、M4の代わりになるつもりみたい」

「そんなの無理だ。ROはROで、あの子にしかできないことがある」

「指揮官がそう思ってたって、ROはそのためにいるんだよ」

 薄々感づいてはいたことだ。M4が特別なことは理解しているしよく知ってもいる。今後彼女が必要なことだって。

「い、いやだ」

 けどそんなこと受け入れたくない。M4はM4でROはROで、どちらも私にとっては必要な存在だ。どちらかの代わりにどちらかがなれるはずもない。

「そこまで人形に入れ込まずに、他の指揮官みたいに適切に接すれば辛くないよ」

「無理だよ。家族なんだ」

「家族ねぇ」

 俯いていた顎を掴まれた。痛みを感じるくらいの強さで45と目を合わすように押し上げられる。

 ひどい憤りを向けられていると思った。どうも45とはうまくコミュニケーションが取れない。

「人形を家族だと思って、人形に恋して、人形を信頼して、人形からの信頼に必死になって応えて、あなたはなんなの?」

「なんなの、て」

「人間やめて人形にでもなるつもり?」

「そんなつもりでは……ただもう失いたくないだけで」

 盛大につかれたため息で私の前髪まで揺れた。指は離されたが解放された顎がまだ少し痛い。

「指揮官そんなんだと死んじゃうよ。AR小隊やら自分の部隊やらと心中でもしたいってなら止めないけど」

「殴られるかと思った……」

「指揮官が人間でなけりゃ殴ってた。でも、まあ、指揮官のとこの人形がうらやましいよ」

「君たちもうちの子になる?」

 私の提案は軽く鼻で笑われた。

「はっ冗談よしてよ。指揮官はただのビジネスパートナー」

「そうだね」

「とりあえず、全員生還おめでとう。私そろそろ行くわ」

「ありがとう。またどこかで」

 45は踵を返して受付へ向かい、スタッフをつとめる人形に何かを取り付けた。突如スタッフはかくりと脱力し、目を閉じる。

「何したの?」

「私に関する記憶を消したのよ」

「……そんな便利な物があるならこの前Vectorの頭を吹っ飛ばす必要なかったじゃないか」

「あれはただの腹いせ。じゃあね指揮官」

 背中を向けて手を振られた。なんというか、食えない奴だ。私のことが嫌いなんだろうか?

「いや、多分人間が嫌いなんだろな」

 独り言が待合室に溶けた。

 

 程なくして通されたM4の部屋は、ひんやりとしていて耳が痛くなりそうなほど無音だった。

 今日の彼女は眠っているらしく、目を閉じたまま動かない。

「M4」

 声をかけても反応はない。

 ベッドの隣に腰掛け、鼻の前に手をかざす。

 手のひらに感じる呼気で、彼女が何かの器官を動かすために稼働していることを理解した。大丈夫、死んでない、生きてる。

「M4」

 ただ眠るだけ。彼女は夢を見るという。何を見ているのか、せめて悪夢でなければいい。

 もしかしたらこのままの方がM4は幸せなんじゃないか。ここにいればもっとひどい目には遭わずに済む。

 けどきっと彼女はそんなの望まない。起きてまた動き始める。

「M4」

 彼女は私を家族といった。罪深い話だ。その一言で私は決定的に変えられてしまった。

 愚かにも、もっと必要とされたいと願ってしまった。だからROの信頼に全力で応えた。これからも応え続ける。

 家族という甘美な響きに耐えられなかった。だからここまで追ってきた。これからも追い続ける。

 人形にでもなるつもりかと45に言われたことを思い出した。

 そのつもりはないけれど、時たまM4を自分の半身のように感じることがある。

 戦闘指揮の責任も恐怖も快感も、M4は分かち合えた。彼女は私の理解者だから近く感じる。

 困難な作戦から逃げ出したくなったときでも、M4が一緒に戦闘指揮を行ってくれたから歯を食いしばれた。

 私が逃げ出したいとき、M4も逃げ出したかった。私が泣きたいとき、M4も泣きたかった。M4が怒るとき、私も怒った。M4が歓喜するとき、私も歓喜した。

 AR-15が帰ってこなかったとき、私は耐えられなくて壊れたかった。あれ以来M4と話せてない。私はたった一言、M4に「辛い」と言いたいだけで、M4からも「辛い」と返されたいだけで。

 その一言のためだけにここまで来て。頭がおかしい。気が狂ってる。

 M4は特別だ。彼女には依存しているわけでなく、Vectorのように自分のものにしたいわけでなく、もっと言葉にできない妙な感覚で。自分でもよくわかっていない。

 けどこの感覚で、M4と一緒に地獄におちてもかまいやしないと、そう思ってしまう。

 稚拙な言葉だけれどM4は運命というやつなのかもしれない。

「また今度ね」

 指先で額に触れた。滑らかだけど外気にさらされてひやりとした。

 手のひら全体を乗せてやるとじんわりと私の体温が移っていった。それでも目は閉じられたまま。

 面会時間も終わる。帰りたくないけど帰らなければ。

 M4が帰ってきたら、ROを紹介して、SOP2とM16とお祝いして、AR-15を見つけて、みんなでS09地区に帰るんだ。

 みんなで、一緒に……



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明るい肉体改造計画

 私は大変に臆病なので、新しいことに挑戦するのが苦手だった。

 これが頭脳面の改善ならまあ受け入れる。私はそれしか取り柄がないし、頭を使うことでしか生きていけないから。それで生き延びられる可能性が上がるのであれば挑戦することを受け入れる。

 肉体面は嫌だ。疲れるし、眠たくなるし、空腹になるし。元々体力がないのだからいいじゃないか。改善する必要なんてない。

 痛いのも疲れるのも好んでやりたくないんだ。怠惰だと言いたいのなら言えばいい。

 

 鏡の前で自分の身体をまじまじ観察する。

 姿見の正面で一回転してみると、確かに体型的には板とか紙のが近いのではないかと思った。要するに薄い。

 普段めったにこんなに自分の身体なんて見ないが、今日はそれなりに理由がある。

 昨夜Vectorに、以下のことを言われたのだ。

「指揮官、貧相な身体してるよね」

 今までこんなこと気にしてはいなかったし彼女に言われたこともなかった。

 突然言われた理由には心当たりがある。昨日物資の配達にやってきた本部の職員が、とても逞しかったのだ。

 私は受け取りのために彼と話したのだが、性格も明るく声も大きく、太陽そのものみたいな人だった。そしてVectorも副官としてその場にいたのだった。

 その、つまり、めったに会わない余所の男と比較された。

 ショックだ。しかもよりによって情事の最中に。ぺたぺた触られて、貧相だって、言われた。ショックだ。夕べは失意にまみれて寝た。

「うおあああ……」

 部屋に誰もいないのをいいことに、唸りながら頭を抱えてしゃがみ込んだ。

 逞しくて明るい太陽男と違って、私は声も小さいし、明るいわけではないし、身体も貧相だし。

「カイワレダイコンかよ」

 自分で口に出して納得した。もやし以下だ。

 ひとえにこれまで肉体改造に励まなかったせいだ。同年代の少年少女が書に興味を持たず外を駆けずり回っていた頃に私は書にかじりついて外を嫌悪までしていた。

 生粋のインドアなのだ。お外で遊ぶよりお勉強したり古びたフィルム鑑賞にふける方がうんと好きだったし自分に向いていた。

 しかし自分に向いていることだけやってはいけなかったようだ。その結果が恋人に貧相と言われる始末だ。

 辛い、悲しい、惨めだ。

 今からでは遅いだろうか? 決心するのが遅れただろうか? 否、今この瞬間が一番早いのだ。

 思い立ったが吉日、後は全部凶。善は急げ、遅れるは悪。動きやすい服に着替えて部屋から飛び出した。

 かくしてカイワレダイコンは外に出たのだった。

 

---

 

 最近の指揮官は疲れている。妙に眠そうだし、反応も鈍いし、書類にミスも多い。

 おまけに業務終了後にいそいそとどこかに出かける。どこへ行っているのか聞いてもはぐらかされる。怪しい。

「いつにも増して不機嫌ですね」

 カフェのカウンター、その向こう側からスプリングフィールドが話しかけてくる。

「最近指揮官が変で」

 砂糖もミルクも入ってないアメリカンコーヒーを啜る。香りで頭が冴えると思考も動き始める。機械に作用するのが不思議だけど。

「妙に疲れててミスが多い」

「心配なんですね」

「そんなんじゃないよ」

 ミスをされるとあたしに迷惑がかかるからやめてほしいだけだ。気にかけてなんていない。

「なんか隠し事してるみたいなんだけど、スプリングフィールドは知ってる?」

「えぇ知ってますよ」

「……あっさり言うってことは教えてくれないんだね」

「もちろん。口止めされてますから」

 空になったマグカップにおかわりが注がれた。もう少し話してもいいみたい。

「ろくでもないことでなければいいけど」

「大丈夫ですよ。M16とトンプソンがついてますから」

「一気に心配になった」

 いつものトラブルの元三人組じゃないか、と思って頭が痛くなった。無意識にその三人がしでかしたろくでもないことログを参照している。

「信じてあげてください。私も気をつけて見てますから」

「それならいいけど。ただちょっと、あまり疲れさせるのは業務に支障が出るからやめて」

「業務だけですか?」

「ノーコメント」

 次のコーヒーが出てくる前に席を立った。

 スプリングフィールドなら信用していいし、全部説明しなくても何に困ってるか演算から導いてくれる。彼女はその手の演算に強いから。

「許してあげてくださいね。あの子Vectorさんの前ではかっこつけですから」

「かっこついてないんだけど」

 あたしに色々と邪推されてしまうようでは意味がない。

 

---

 

 紆余曲折あって背中にはスコーピオンが乗ることになった。

 M16とトンプソンは重たすぎたのだ。

「ほらボス、あと十回したら休憩だ」

「あーっうわ、むり、むり!」

 ただスコーピオンも十分重たくて、ピクリとも動かせない。

「しきかーん、まだー?」

「スコーピオン、ごめんおりて」

「えーせっかく乗ったのに」

 スコーピオンが渋々背中からおりてすぐ、私は大の字に倒れ伏した。

 トレーニングのために腕立て伏せをしていたのだ。

「ダメだねー指揮官。そんなんじゃ筋肉つかないよ?」

 M16がしゃがんで顔をのぞき込んでくる。今回の負荷をかけて腕立て伏せをするのは彼女提案だ。

「無理だよ。とても動けない」

「そんなこと言ったって、これが最短ルートなんだけど」

「無茶言わないでよ」

 M16とトンプソンが考えるメニューはとにかくきつい。これを毎日やっているわけだから毎日へとへとだ。眠たくてしょうがない。

 ただ一向に成果は出てない。当たり前だ、きつすぎてろくにできない。先に疲れがくる。あと筋肉痛。

 最初の日、司令部に併設されているジムに向かったところM16とトンプソンに会い、筋肉をつけたいと話した結果がこの様である。

 最近はスコーピオンも面白がってやってくる始末。ありがたいが成果がないなら無意味だ。

「もっとこう、初心者向けにないの?」

「初心者ってもなぁ」

「私ら元々身体動かせるし」

「うん、私もー」

「くっ……」

 人形と人間を同列に考えてはいけなかった。言いようのない敗北感だ。

「そろそろ休憩にしませんか?」

 スプリングフィールドの声が聞こえた。彼女は頃合いを見計らって休憩の時間をくれる。

「スポーツドリンクお持ちしましたよ」

「ありがとう」

 なんとか起き上がって受け取る。既に腕がだるかった。これは明日筋肉痛で腕は動かないな……

「先ほどカフェにVectorさんがいらっしゃいましたよ」

「バレてない?」

「話してないので大丈夫ですよ」

 ほっと胸をなで下ろす。今やってることがVectorに知られたら何を言われるか。

「ただ、最近疲れすぎだと思われてるそうです」

「…………心当たりある」

 最近帰るなり最低限のことをして眠ってしまうからVectorの相手をできていないのだ。正直、申し訳なく思ってる。

「なので、M16とトンプソンは指揮官のメニューを考え直してみては?」

「んーそうだなぁ。このままじゃ指揮官がケガしそうだし」

「へばってばかりでボスもろくに何もできてないからな」

「正しく休息も取りましょう。どうも人間は筋肉と靭帯の修復期間が必要らしいですから、私たちのように毎日繰り返しても意味がないようです」

「げ、そうなんだ。人間って面倒だな」

 M16が心底驚いたようにそう言った。改めて認識するけど、彼女らは人間ではないんだな。

「とりあえず週に二回三回にしてはいかがですか? それから指揮官はちゃんとお肉も召し上がってください」

「う……肉あんまり好きじゃなくて」

 好きでないというよりは食べ慣れてなくて苦手だ。それこそ子供の頃は合成肉すら食べたことなかったから。

「好き嫌いはいけませんよ」

「はい」

 大人しく受け入れるとこにした。どうもこの手の話はスプリングフィールドに逆らえない。

「とりあえず、そうだな。ボスは動かす筋肉をつける前に支える筋肉をつけるか」

「支える? 動かさずに体勢を保持しろってこと?」

「そうだ。負荷は自分の体重で十分だろ。M16はどう思う?」

「それがいいな。じゃあ休憩終わったらそっちやってみよう」 

 スポーツドリンクを飲みながら頷いた。

 

 自室で重たくなった腕にスプレーをかける。この鼻にツンとくる匂いは好きじゃないけど、痛くなって泣くよりはうんとマシだ。

「背中やろうか?」

「うん、ありがとうベク……」

 背後にスプレーを渡そうとして椅子から転がり落ちた。椅子も倒れて派手な音がする。

「いつの間に」

「指揮官がシャワー浴びてる間に。ベッドに座ってたの見えなかった?」

「全く気づいてなかった」

「疲れすぎ」

 ぐうの音も出ない。部屋に帰ってきて安心してはいるけれど、少し注意散漫すぎる。

「筋トレ捗った?」

「うんまあってどうしてそれを」

 スプリングフィールドは隠したはずだ。そのあたりは疑ってない。

「カフェの店員がどこかに行くのを、後ろからついて行っても咎められなかったよ」

「……おのれ」

 確かに言ってはいない。完全にやられた。

「多分ジムにいた連中は気付いてたよ」

「そりゃそうだよね」

 思わず顔を覆った。

 彼女らについてる立派なセンサを私は持ち合わせてない。同じ部屋にいても気付かない体たらくなのだから、センサがついていたところで使えるかわからないけれど。

「うわぁかっこ悪い」

「どうして隠してたの?」

「かっこ悪いから」

「なおさらかっこ悪くなったけど」

「うまくいく予定だったんだ」

 全体的に見通しが甘い。勢いで突っ走ると自分はこうなることを自覚しなければ。

「どうして突然筋トレなんて始めたの?」

「この前君に貧相だと言われて」

「あんなの気にしてたんだ」

「気にするよ!?」

「なんで?」

「なんでって」

 説明しないといけないだろうか? いやしなければならない。そうやってはぐらかすと彼女はまたネガティブになるのだから。

 このめんどくさい女と付き合っていくためにはそんな恥を投げ捨てなければならない。

「好きな子に、かっこいいと思われたいのは、人のサガなんです」

「ふぅん」

「どうでもいい、みたいな反応しないでよ」

「実際どうでもいいし」

「自分で聞いといてそれか」

 キャンキャン言い返していると背中にスプレーをぶっかけられた。

「うわひゃあっ」

 予想外の冷たさに背中がピンと伸びた。

「この前食堂に出た虫に殺虫剤かけたらこんな動きしてたよ」

「パートナーを油虫扱いしないで! あと、その情報食堂管轄に回しといて!」

「休日なんだから仕事の話やめようよ。生真面目」

 背後から例のツンとする匂いが漂ってきて顔をしかめた。

「別にさ、慣れないことやるのは構わないけど。無茶だけはしないでよ」

 少し落ちたトーンで語りかけられるとつい耳を傾けてしまう。こういうテンションのときの話は聞いておくに限る。

「善処します」

「すぐ寝られるとルーチンワークに支障が出るから」

「……ん?」

 ちょっと追いつけなかった。多分いつもの、Vectorの中ではロジックが繋がってるけど間を省いて結論が出てきてるやつで。

「それってどういう」

「会話の時間が減る」

「つまり、Vectorは私とのプライベートなコミュニケーションをルーチンワークとして組み込んでる?」

「そうだけど」

 よくもそんな恥ずかしいことが言えたな……

 つまり、彼女は私と一定時間以上コミュニケーションが取れないとパフォーマンスが落ちるというわけで。戦術人形となればそれは生存にも影響が出る。責任重大だ。

「細心の注意を払います」

「そうして」

 起き上がって自分の腕を触ってみる。何も変わってるようには思えない。

「せめてカイワレダイコンからもやしくらいにはならないと」

「いきなりダイコンになるのは無理だよ」

「目標は小刻みにします」

 部屋の中がほんのりスプレー臭になっていることに気付いた。換気扇のスイッチを入れる。

「それにしてもこのスプレー臭い」

「指揮官は嫌い?」

「好きではない」

「ふぅん。あたしは指揮官がかっこつけようと筋トレなんて始めるくらいあたしのこと好きだってこと思い出すトリガにしようと思ってるけど」

「……左様ですか」

 私がかっこつけたくても、彼女はそれの上をいくほどかっこよくて困る。



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本物にはまだなれない僕らだから

 私は大変に臆病なので、自分の矮小さを認識することが苦手だった。

 あらゆるものが二つあれば比較される。比べられて劣っていることを認識したくない。

 自分が他人よりも優れているとは到底思えないから、せめてそれに気づかずに過ごしていけたら、それだけでいい。

 

 時たま弊社の考えていることがわからない。

 PMCがなんでイメージアップのために戦術人形にウェディングドレスなんて着せるんだ? それも武器を持たせて。

 よくわからないけれど上の命令には文句を言わずに従うのが優良社員だ。組織の一部として依頼を受けることにした。

「それじゃあ本部の人形を数体送るから受け入れを頼む。繰り返すが撮影は要人警護のおまけのようなものだから警護の方をメインに頼む」

「承知いたしました」

 事前準備の打ち合わせをヘリアンさんと通信越しに行っている。

「不服そうだな」

「いえそんなことは」

「顔に出ている。不満があるなら言ってくれ」

 しまった。マスクでもすればよかった。けどそうしても心配させるだけだ。

「任務の内容に不満はないのですが、その……なぜうちのVectorが抜擢されたのですか」

 それも警護の方でなく撮影の方に。絶対嫌がる。絶対不機嫌になる。絶対八つ当たりされる。

「私の推薦だ」

「えぇ……ヘリアンさんの……」

「まあ悪いようにはしない。たまには貴官を労わないとな」

「はぁ……」

 この人はどうしてこう、ズレたことをするんだろう。不器用な人だ。

 通信終了後、Vectorに今回の仕事について伝えたところ想定内の反応をされた。

「無駄」

「言うと思った」

 曰わく、本物の新婦ではないのにそんな写真撮る必要はないとかなんとか。いやわかるけど。

「仕事です。諦めて」

「わかってる」

「当日は私も行くからさ」

「来るの?」

「うん。万が一の時は現場指揮だから」

 Vectorは怪訝そうに目を細めた。

「撮影、見に来ないでね」

「なんでさ」

「似合うわけない」

「そうかなぁ」

 本人には言わないけれど、少し見てみたい気持ちもあるのだ。

 

 撮影会当日はとんでもなく忙しかった。なんてったって連れてきた人形が片っ端から、

「こんなにちっちゃかったら花嫁さんに見えません……」

「お腹がすいた!」

「いけません。今日私は世話をしていただいてばかりです」

「私は勉強してきてこの姿勢が最適だと知ってるんです」

 これだ。なんとまあ手のかかることか。どうして今日現場指揮なのかよーくわかった。引率だ。

「やれやれ……ここはキンダーガーデンじゃないんだぞ」

 先日見た映画のセリフをつい口に出してしまった。

 朝から警備のための巡回をしているが特に不審者不審物は見当たらない。これで何もないと依頼人が心配性なのか、それともただの幼稚園教諭役が必要だったかを疑わなければならない。

 最近思う。もしや指揮官に必要なのは指揮能力よりもベビーシッティング能力ではなかろうかと。冗談じゃないよ全く。

 ぶつぶつ文句を言いながら撮影所に併設されているカフェでカプチーノを啜った。今日は関係者として好きなだけ飲んでいいらしい。

 しかしいつも飲んでるのと味が違うのが気になってしょうがない。

「帰りたいなぁ」

 まだ午前中だというのに早くもホームシックだ。

 持ってきた水筒にスプリングフィールドがいつものコーヒーを入れておいてくれたから後で口直ししないと。

 もう少ししたらまた巡回。既に徒労に終わりそうな気配が濃厚だ。

 

 相変わらず巡回は特に成果がない。仕方ないので、何もないのは巡回しているからだ、と考えることにした。

 ただでさえG&Kの赤コートは目立つ。そんなのがうろうろしてれば不審者も逃げ出す。何もないのは私のおかげ。

 よし元気出てきた、と角を曲がったところで誰かとぶつかってしまった。前方不注意だ。

「あっすみません」

「こちらこ……なんだ指揮官か」

 そう言われて初めて気付いた。ぶつかったのはVectorだ。

 普段と服装が違うから気付かなかった、というのは間違いで、あまりにも……

「え、Vector?」

「そうだよ。撮影行かないとだからどいて」

「う、うん、ごめん」

 通り過ぎる背中を見送った。あまりにも、いや言葉にできない。

 地上に存在してる形容詞で言うなら

「きれいだ」

 この表現以上のものが見当たらない。ただこれでは足りなくて、言葉の限界を感じさえする。

 そんな姿が見えなくなるまでただただ立ち尽くして見ていることしかできなかった。

 

 その後はもう見回りなんてやる気が起きなくて、撮影室に行くことにした。

 Vectorには見るなと言われていたけどあんなの見てそれは無理だ。後で怒られてもいいから見に来た。

 撮影室の中には簡易的な聖堂が構えられていて、各々の人形が順番に撮影していた。

「お疲れ様です。G&Kの責任者の方ですか?」

「はいそうです。一通り施設内の巡回もしましたので、少し見学させてください」

「ありがとうございます。でしたらこちらにおかけください」

 撮影スタッフに勧められた椅子に腰掛け、様子を見守る。

 時折こちらに気付いたうちの人形達に手を振るが、残り時間はVectorから目が離せない。

「彼女、いい素材ですね」

 私の視線に気付いたスタッフが声をかけてきた。

「以前会った彼女の同型がファッションモデルをしていると聞いたので、こういう場では活躍できるかと」

「なるほど。少し表情が堅いですが実にいい。うちでもほしくなりますよ」

「はは、あいつはひねくれてるので同型の購入をお勧めしますよ……」

 カメラを向けられるVectorの顔は堅い。私がいることに気づいてからは更に堅くなったと思う。

 あれは怒ってるな。覚悟しておこう。

 しかし、他人から見てもそう思われるくらいにVectorは素敵だった。ドレスもよく似合ってる。

 きれい、すてき、にあってる、どれも月並みで陳腐な言葉でしかなくて申し訳なくなる。けど、根元に少しひやりとした恐ろしさがあって。

 あんなに美しい存在が本当に私のなんだろうか?

 あまりにきれいすぎて、素敵すぎて、私とは不釣り合いだ。

 分不相応なものを掴んでいることに今更気付いた。私にはもったいない。

 もっとちゃんと、あれの隣に立ってもいいような存在がいるんじゃないか? あれと釣り合うような、相応しい誰かが。

 こんな弱くて、頼りなくて、駄目な私ではなくてもっといい人が。

 ふと、子供の頃聞いた天女の話を思い出した。この世の物とは思えぬほど美しい天女は、その羽衣を脱がさなければ天へ帰ってしまうという。

 じゃああの純白の羽衣を奪わなければ、と両目でVectorをとらえる。あちらもこちらを見ている気がして、つい目をそらしてしまった。きれいすぎて見てられない。

 途端に自分が惨めになった。何してるんだろ、馬鹿みたいだ。

「ありがとうございます。巡回に戻りますのでもし何かあれば呼んでください」

 そう告げて撮影室を後にした。

 背中からVectorが見ている気がしたけれど、振り返る勇気なんてなかった。

 

 一日中巡回して結局足はくたくただった。やけっぱちになってやるからこうなる。

 報告書をまとめつつ写真を選るのを手伝い、帰還してから本部の人形を見送って、部屋に戻ると既にVectorがいた。

 いつも通りベッドに腰掛け本を読んでいて、いつもの服を着ている彼女に幾分か安堵する。

 ただ彼女は不機嫌だ。

「見に来るなって言ったのに」

「ごめん」

「似合ってなかったでしょ」

「様になってたよ」

「どうだか」

 Vectorは読んでた文庫本を本棚に戻した。今日は妙な気分だ。本を本棚に戻す、その当たり前の動作を指先まで追ってしまう。

 何気ない動作のきれいさに気づき、身震いした。私が気づいてなかっただけでこいつはうんときれいだ。私にはもったいないほどにきれいだ。

「あのドレス、本物なんだってさ」

「へぇ」

「あたし本物の花嫁じゃないのに。変なの」

「そんなことない。似合ってた」

 これ以上続けるとまたVectorは不機嫌になるだろう。けどそれに合わせる余裕は私にはなくて、つい心の内を吐露してしまった。

「すごくきれいだった。誰より素敵だった。こんなありきたりな言い方しかできないけど」

「指揮官なんか変だよ」

「ごめん、あまりにきれいすぎて、怖くなった」

「なんで?」

「こんな素敵な子を自分のだって、言い張れる自信がなくて」

 はぁ、と音が聞こえる勢いでため息をつかれた。

「指揮官は、馬鹿だなぁ」

「だって不釣り合いだ」

「そもそも人間と人形だよ? 今更何言ってるの」

「Vectorつい見とれるくらい似合ってて」

「大げさ。あたしだって、あんなすごいの着ていい存在じゃない。あたしは戦術人形で、戦うための物で、花嫁じゃない。だからウェディングドレスなんて不釣り合いなんだよ」

 そうか、と今になって理解する。Vectorが今回の仕事を嫌がったのはそういう理由だったのか。

「包装に対して中身が伴ってないなんて、最低でしょ」

「そんなこと」

「いくら見た目をよく取り繕っても、本物の中に偽物を入れたら意味なんてない。どれだけ綺麗に化粧をしてもらっても、時間をかけて髪を整えても、花束を持たされても、あたし自身が偽物なんだから無駄なんだよ」

 これがVectorの抱えてた不満。私はそれを汲み取れなくて、自分のことばっかりで。なんて惨めだ。

 こいつは自分のですと言う自信がないのではなく、そんな有り様ではそもそも資格がない。あまりに未熟だ。

 とっさの思いつきで、シーツをひっぺがしてVectorの頭から被せる。当然彼女は怒った。

「ちょっと、何考えてるの」

「はいこれ。偽物のウェディングドレス」

「は?」

「中身が偽物なら、包装も偽物でいいじゃん。私だってこの方が安心できる」

 首のところでシーツを束ねてやる。さしずめ大きいてるてるぼうずだ。

 これでいい。これで十分。

「今日のことは、私たちには刺激が強すぎたよ。まだお互い未熟だから、たかが撮影会って割り切れなくて二人して悩んで。こんなの馬鹿みたいじゃないか」

「まあ、うん、そうかも」

「これから中身も伴っていけるように積み重ねようよ。私も変なことでショック受けたりしないようにがんばるから」

「指揮官のが前途多難」

「そうだね……」

 お恥ずかしながらごもっともだ。冷静に考えると、綺麗すぎて怖いってなんだよそれは。この羞恥心をなんとかごまかしたい。

 Vectorの頭でフード状になっているシーツを後ろへとずらした。特に整えられてない、見慣れた銀髪が現れる。

「なに?」

「予行練習」

 少し屈んで唇を重ねる。いつも通り柔らかい感触に安心した。

 ここは聖堂でもなければ参列者もなく、誓いの言葉なんて知りもしないけど、今はこれでいい。十分なんだ。

 

 「任務お疲れ様。報告書受け取ったぞ。何事もなくてよかった」

「不審者不審物共にありませんでした。写真の方は届きましたか?」

「あぁ、I.O.P.から後ほど謝礼が振り込まれるはずだ」

「わかりました。確認しておきます」

「それで、どうだった?」

「なにがですか?」

「本来なら結婚した社員に祝い金やら休暇やらを与えるものなのだが、その」

「…………あぁなるほど。気にしないでいいですよ。相手が人形ですし、まだそういうのは早いです」

「そうか」

「えぇ。でも、ありがとうございます」




3/11時点でpixivに投稿してあるのはR-18的な表現を含む物を除いてここまで。
移動させるのに手が疲れた、疲れたよ。
なんで24本もたまってから一念発起してハーメルンにアカウント作ったのか小一時間自分を問い詰めたい。
手が疲れた。


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認識の経年劣化

待たせたな!と思ったけど多分私が書いたものを一番心待ちにしてるのは私なのでした。
お待たせ私、ありがとう私。


 私は大変に臆病なので、劣化していくものが苦手だった。

 劣化が進めばいつか壊れる。しかしどれだけ立派なものでも大きなものでも劣化は免れない。

 常に新しいまま、変わらないものがないことはただひたすらに恐ろしい。

 

 まだ指揮官と呼ばれることに慣れていなくて、毎日がてんやわんやで、深夜近くまで働いて、シャワーも浴びずにベッドで力尽きる生活をしていた頃。

 なんとか戦闘指揮には慣れてきたが、これでは仕事が回らない。カリーナに雑務を任せていてこちらの負担も馬鹿にならないため二人そろってへとへとだった。

 なので、作戦で良い成績を出した折にヘリアンさんに直談判することにした。

「お願いします。性能のいい人形をいただけますでしょうか」

「そうだな。貴官ならそろそろ使えるだろう。希望はあるか?」

「前線が維持できないことが最近増えてきたので、サブマシンガンを希望します」

「わかった。人形が決まったら情報を渡そう」

「ありがとうございます」

 ヘリアンさんから許可が出た後、カリーナとハイタッチした。

「やりましたね指揮官様!」

「これで少し楽になる!」

 この頃から私とカリーナは無二の親友だったのだ。最初の激務を共に乗り越えればこうもなる。

 何日かして送られてくる人形の情報がメールで届いた。希望通りのサブマシンガン、等級は最上だった。

「ヘリアンさん、奮発してくれたなぁ」

 後から聞いてわかったのだが、私の出していた成績は当時所持していた人形ではたどり着けるかどうか怪しい好成績だったそうだ。それは十二分に報酬を与えられてしかるべきだ。

 派遣される人形はありがたいことに多少の事務仕事も依頼できるらしい。ありがたい。実にありがたい。猫の手も借りたい状況なのだ。

 メールには諸々のスペックシートが添付されていたのでこちらは技術部と工廠へ転送。見た目や装備の情報は画像で添付されていた。

「どんな顔でもいいよ、ついてればいい」

 そんなことを言いながら開いた。しっかり働いてくれさえすればなんでもよかったんだ。けど

「……わぁ」

 次の反応は感嘆詞だった。ありていに言うと彼女の顔はとても綺麗だった。誰かが『美しくあれ』と念じて作ったような、そんなこだわりを感じられた。

 長いまつ毛はずらりと瞼に並び、鉛筆で丁寧に描かれたような眉、くっきりとした二重のつり目は真夜中の月みたいな金色だった。すっと通った鼻筋に小ぶりの鼻、真一文字に結ばれた形のいい唇。おそらく黄金比とやらに従ったであろう完璧なパーツの配置。人間離れした美しさになんと言ったらいいかわからなかった。

 お恥ずかしながらもっと楽しみになってしまった。私も現金な奴だ。

 それから到着の日をカレンダーに書き込み、指折り数えた。眠って目が覚めたらその日になってないかと心から望んでいた。クリスマス前の子供みたいだ。

 そしてその日はやってきた。私はそわそわしながらしゃんと背中を伸ばして座り、彼女を待つ。

 やがてコツコツと廊下を歩く音が聞こえ、ドアがノックされる。一度深呼吸、鼻から吸って口から吐く。

「どうぞ」

 無言でドアが開けられ、彼女が入ってきた。

 思わず息を飲む。画像データの二次元情報から飛び出した奥行きのある彼女は、信じられないくらいきれいだった。

 画像なんかよりずっといい。あんなきれいな存在が動いて目の前にいる。奇跡みたいだ。

 おっといけない。惚けててあいさつをしてなかった。

「待ってたよ。よろしくね」

「うん? 新しい指揮官?」

「そう、だけども……」

 彼女は私を頭の先からつま先まで順番に見る。そりゃ確かに私は頼りなく見えるけれども。気になるなら存分に見てくれて構わない。

「まぁ、仲良くやろ」

 とりあえずなんとか受け入れてもらえたようだ。たったこれだけのことが嬉しくてたまらなかった。

 第一印象は最高だった。

 

 第一印象は、ということは、その後はまあよくなかった。

 彼女は仕事に関しては事務戦闘共に大変戦力になるのだけれど、コミュニケーションが、ちょっと。あまりにもとりつく島がなくてどう接したらいいか皆目見当がつかない。

 これが指揮官である私だけに対する態度ならいいのだけれど、他の人形にも同様だからどうしたものやら。

「事務仕事終わったよ」

「ありがとう、とても助かったよ」

「別に。それにしても戦術人形に事務仕事やらせるなんて」

「あー、うん、ごめん」

 いつもこれだ。わかってる、彼女の言うことも一理あるから。なので、ここから何か一言付け加えようとするとその前に、

「製品としては当たり前の扱いだからいいけど」

 これがくる。

 何も間違ってない。彼女は人形で、それもとびきり性能がいいやつで、だから戦闘も事務仕事も安心して任せられて。

 便利な道具であるなら便利に利用するべきだ。人間はそうやって進化してきたし、人形だって本来そのために作られた。

 そのはずだから何も間違ってない。間違ってないけどなんだか納得できなくて。噛み潰せない感情を抱えたまま彼女の一言に何も言い返せない。

 おそらく私は彼女を単なる人形だと感じていないんだろう。けど、じゃあなんだと思ってるのかと言われるとわからない。自分でも答えが出せていない。

 もしかしたら人形が増えていったら他の人形との比較でわかるかもしれない。だからしばらくは人形を増やす方針で仕事をこなそう、そうしよう。

 それから、トンプソンやスプリングフィールドがきて、スコーピオンを拾って、M4を見つけて。次々仲間が増えていった。

 私はそれぞれの人形に対してそれぞれ別の感情を抱いた。トンプソンは頼りにしているしスプリングフィールドは慕っている。スコーピオンは保護対象だしM4は私の半身だった。

 ここまで様々な感情を抱いたのに、彼女に対する感情は名前が見つけられない。

 彼女を大切にしたい一方で何かしらの爪跡を刻みたい。私から何か影響を受けてほしい。あの空虚で達観した奴に何でもいいから私を残したい。彼女に対する感情の中身はひどいエゴの塊だった。

「私はどうしたいんだろうか?」

 この話をして喜んだのがカリーナだった。喜んだというのか、色めき立ったというのか。

「それは指揮官様、あれですよ!」

「あれってどれ?」

「恋ですよ」

「いやいやないでしょ」

 そんな甘ったるい感情ではないのだ。もっと汚くて尊重されるべきでない淀みのようなものだ。

「まあまあ副官になってもらって話す時間増やしましょうよ」

「うーんまあそうするか……」

 とりあえずカリーナの助言に従って当分副官になってもらうことにした。他のメンバーとのコミュニケーションに不安を感じてもいるからちょうどいい機会だろう。

 そうして二週間ほど過ごしたのだが、特に進展はない。私の感情も特に変わらなければ、彼女の人当たりの悪さも変わらない。

「最近他のメンバーと話した?」

「別に。必要ある?」

「必要あるないの問題じゃないと思うんだけどなぁ」

 こんな様子だ。

 こんなので本当に何か変わるのだろうか? それとも期待するだけ無駄なのだろうか?

 しかし私のためにも彼女のためにもここであきらめるわけにはいかない。私はまだ自分の感情に答えを得ていないのだから。

 

 数日後、私はダイヤを持ってカリーナの元へ向かった。

「カリーナ、指輪買いに来たよ」

 彼女の目が輝いたのは物資が売れるからだけではなさそうだった。

「指揮官様! ついに!」

「AR-15に渡すんだ」

 カリーナの肩ががっくり下がった。

「いや、なんでそうなるんですか」

「AR-15には世話になってる。でもあの子は優秀なのに特別を求めていて、AR小隊に対するコンプレックスが強すぎて苦しそうだ」

「だから指揮官様から特別を与えるって言うんですか?」

「うん」

「そうですかそうですか。ちょっとがっかりです」

 カリーナの目論見とは違う方向に動いたことは自覚している。だから失望されるのももっともだ。

「代金をいただく以上、私から物資の受け渡しを拒否することはできませんけど、指揮官様多分めちゃくちゃ叱られますよ」

「はは、まさか」

 と指輪を受け取った私は直後に執務室で正座させられることになった。頭上からAR-15が睨みつけている。

 AR-15の名誉のために言うが、こんなことをされるのは初めてだ。

「なんでだ」

 耐えかねて呟くと声が降ってきた。

「ご自分の気持ちに正直になることすらできない人からの特別なんてこちらから願い下げです。私達が気づいてないとでもお思いですか?」

「……え?」

 言われたことの意味が理解できなかった。気持ち? 私の? 何の?

「指揮官もしかして自覚してらっしゃらないのですか?」

「何を?」

 皆目見当がつかない。床が痛いから正座をやめたい。

「副官を好いてらっしゃるのでは?」

「あれはそんな純粋な感情じゃないよ」

 自分ではっきりとわかっている。カリーナに言われるような恋だとか、AR-15に言われるような好きだとか、そんな綺麗な感情なんかじゃない。

 もっと背徳的で恥ずべきものだってはっきりとわかっている。

「失礼ですが、指揮官は今まで恋をなさったことは」

「ない。でも本や映画で知ってる」

 はぁ、と大きなため息が聞こえた。足がしびれてきたからそろそろ許してほしい。

「私は人形ですので、恋などしませんから完全に理解しているわけではありませんが」

 そう前置きしてからAR-15は続けた。

「それは指揮官が思うほど崇高なものではないはずです」

「そうかな? そうだろうか? ところで指輪は受け取ってもらえない?」

「いりませんよ。私のほしい特別はAR小隊からの特別です」

 こうして私は袖にされ、手元に誰にも渡せない指輪としびれて立てない足が残った。この後もちろん転んだ。

 カリーナへの敗戦報告はすぐにした。

「ほーらやっぱり」

「そういうわけで指輪は返品するよ。さすがに使い回しは良心が咎める」

「それがわかってどうして指輪を渡したい相手がわかりませんかね。代金はお返しできませんよ」

「わからないものはわからないんだって。受け入れがたい。まあうん、ある意味それ使用済みだからね」

 用途のなくなった小箱はカリーナの元に戻った。きっとこの後廃棄される。

 少し身軽になって執務室に戻ると副官を頼んでいる彼女がいた。先ほどは席を外してもらってたのだが、頃合いを見計らって戻ってきたのだろう。

「ごめんね突然席外してもらって」

「別に」

「外で何かあった?」

「何も」

「その、他のメンバーと話したりは」

「してないよ。いつもそれ聞くね」

「円滑なコミュニケーションをとってもらいたいので」

 とは自分で言うものの、彼女が他のメンバーから報告書を受け取るとき特におかしいことはない。それどころか一言相手を労うことすらあるし、そういうシーンは何度も見てきた。

 また、彼女は話しかけられて無視をするようなことはしない。単に積極的でないだけであって、相手を避けるようなことはしていない。

 彼女には彼女なりのコミュニケーションのやり方があり、私だってそれを認めている。なのにどうして同じ質問を懲りずにするのか。

「これは、ただ話したいだけだな」

「何が?」

 しまった、口から出てた。今日はきっと気が抜けてるんだ。

「同じ質問を繰り返すのは、ただ何か会話がしたいだけなんだと思って」

「物好きだね」

「そうだね。なんでかなぁ」

「好きなんじゃない?」

「ふぁ?」

 近年稀に聞く間抜けな声が出た。好き? 私が?

「会話することが」

「あぁ、うん、そうか、うん、そうだね」

 なんだ会話することか。びっくりした。大変に驚いた。心臓に悪い。まだドキドキしてる。

 カリーナやAR-15に言われたときは即座に反応できたのに、本人に何か言われるとどうしてこんなにも穏やかでいられないのか。

 今日はちょっといつもと違う。だからこんなことを聞いたのは気の迷いだし魔が差したんだ。

「君は私のこと好き?」

「は?」

「嫌い?」

「は?」

 いや、いい、わかりきってた答えだ。なんで一瞬期待したかなぁ。そもそも何を期待したのかなぁ。

 忘れてもらうよう伝えようとしたとき、彼女は口を開いた。

「指揮官はあたしのこと好き?」

 椅子から、転げ落ちるかと思った。なんでそんなことを聞いた?

 だめだ答えられない。何か無難に返さないといけないのに。のどの奥から声を絞り出した。

「きらいじゃないよ」

「そう」

 さもどうでもいいといった様子で彼女は返した。実際どうでもいいんだろうけど。

「指揮官いつもと様子が違うけど、具合悪い?」

「そうかもしれない」

「早めに切り上げなよ。今日もうやることないし」

「うん」

 いつもか。当たり前のことだけど彼女も私のことをいつも見ていたのだ。それを理解してしまうといてもたってもいられなくて。

 妙なことになる前に自室に引っ込んでしまおう。これがそうなのだと受け入れる覚悟をしよう。

 恋心とはかくも自己中心的な欲求の塊なのだと認めよう。

 

 「つまり?」

「つまり顔だね」

 きっぱり言い切るとROは目に見えて落胆した。

「指揮官が面食いだとは知っていましたがこれではあまりにも」

「仕方ないじゃない、事実だもの」

 ROがVectorのどこに惚れてるのか聞きたがるから話したのに。

「大体これはAR-15のことが含まれてるからROにだけ話せる完全版なのに」

「それはわかりますが納得いかないです」

「納得できなくても事実です」

 大方もっとロマンチックなことがあったりしてほしかったんだろう。

「現実は映画や小説のようにはいかないんだよ」

「悲しいですね」

「そりゃ私もさ。でも蓋を開ければこんなもの」

「結局一目惚れで、積み重ねで認識が変化していっただけなんですね」

「そうです。だから日々の積み重ねは大切だよ」

「訓練や備蓄と同じですね」

「その通り」

 私にとっては青天の霹靂であっても振り返ってみるとそうでもないことは多々ある。

 もしかすると多くのことが後々になって振り返るとなんてことないことになるのかもしれない。

「でも怖くないんですか? 好きになった理由がなくなってしまえば変わってしまうとか考えないんですか?」

「そりゃね。でも多分今更何か変わられても、ね」

 どうしようもないところまで来てしまってどうにもできそうにない。

「さて、そろそろ仕事に戻ろうか。あんまりサボって雑談にふけってると怒られる」

「誰に」

「……いたの」

 いつの間にか開け放たれたドアにVectorが寄りかかっていた。

「聞いてた?」

「何も。そんなことより明日支援要請の書類来たから見て」

「今日きて明日? 無茶言うなぁ」

 どうしてこういう要請はいつもギリギリなのか。書類を受け取りつつ文句も言いたくなる。

「ところで何話してたの?」

「RO」

「指揮官がVectorには一目惚れだと言い張るので真偽を問いただしていました」

「RO!」

「だって」

「なんで言っちゃうかなぁ」

 びくびくしながらVectorを見るとため息を一つつかれた。

「それ本当にただの一目惚れだから期待しなくていいよ」

「えぇ……」

「だって指揮官だし」

「そうでした」

 なんなんだその私に対する絶対の信頼は。

「でも一目惚れでは理由が不確かすぎて怖くなりませんか?」

 Vectorは少し考えた。私はそれを黙って見守る。なんて言われるかはなんとなく察している。

「大丈夫。指揮官に諦める勇気はないから」

「もっと他に言い方あるよね?」

「ない」

 あんまりだ。あんまりだけど、反論もできない。

「これが惚れた方の負けというものですか?」

「ROは賢いなぁ」

 その通りすぎて何も言い返せない。悔しいが、これでいいんだと思う。



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骨の髄まで

 これが私の考えた2060年代の技術だ!
間違っててもいいの、SFだから。
深く調べようとすると軽率に論文が出てくる内容ばっかりでわくわくするね!


 私は大変に臆病なので、誘惑されることが苦手だった。

 甘美な誘いには裏がある。理由もなくおいしい思いができるはずはない。

 必ず罠が仕掛けられているのだから、易々と騙されてはいけない。

 

 人形は精密機器である。そのため、定期的にソフトウェアやハードウェアのメンテナンスを行わなければならない。

 各司令部でその日程、人形の優先度は厳密に決められかなりセキュリティ性の高い情報として管理されている。

 メンテナンス中の人形は即座に動かせないため、そこが弱点となるからだ。

「鉄血のメンテナンス日もわかればなぁ」

 今日はVectorがハードウェアのフルメンテナンスのため彼女は執務室でなく工廠にいる。要するに私を見張る役目の存在はいなく、際限なく何もしないをできる。

 手持ち無沙汰にボールペンを回しても叱る者がいないのはちょっと気分いい。

 嘘だ、退屈だ。緊急の出撃任務でない何かが起きないかなぁ。そんなことを考えていると吉報が音を立てて執務室のドアを開けた。

「しきかーん!」

「SOP2、ノックしなさい。ドアは優しく開けなさい」

 乱暴に開けられたドアが少したわんでいるのが見えた。あれでは直に壊れる。設備のメンテナンスもしないといけない。

「ねーねー今日ってヒマ?」

「まあね。パトロールも問題なくあと三十分で帰ってくるよ」

 後のタスクは備蓄の確認と次の予定確認。多めに見積もっても小一時間。

「じゃあ工廠行かない?」

「工廠?」

「そろそろVectorのメンテナンス始まるよ」

「そういえばそんな時間だね」

「指揮官さぁ」

 次の言葉はなかなかに甘美な誘いだった。

「Vectorの中身見たくない?」

 

 こんなところにこんなタイミングで来たとバレたら何を言われるか分かったものではない。それでも興味がそそられてしまったので、Vectorのメンテナンス中に工廠へ向かった。

 移動中、SOP2は私の手首をつかんでぐいぐい引っ張る。

「絶対これ怒られるやつでしょ」

「大丈夫だよ! メンテ中は電源落ちてるから」

 そう言われてふと思った。私は電源の落ちたVectorを数えるほどしか見ていない気がする。それも負傷した時限定だ。

 いつも見ているスリープモードは省電力状態であり電源は保たれている。そのため何かあれば即座に起動できる状態下にある。要はちょっかいをかけるとすぐバレる。

 ただ今回は電源が完全に切られているとのことなので、私が見に来たことも知られることはない、と信じている。

「ただいまー。指揮官連れてきたよー」

 SOP2は工廠に入るとまるで自分の家であるようにしはじめた。彼女は日中暇な時間はここで過ごすことが多いらしく、まさに勝手知ったるという様だった。

「お、おいでなさったか」

「こんにちは工廠長」

 出迎えた工廠長は壮年の男性だ。長らく技術者である彼は多くの若手から尊敬されていて、私も仕事面私生活面共によく世話になっている。面倒見がよくてユーモアのある信頼できる存在だ。

 彼に出迎えられたことで少し罪悪感が薄れた。これは職務、これは職務。

「しかしパートナーの内部構造画みたいだなんて指揮官もなかなかスケベだね」

「ちょ、工廠長!」

 気を抜いてた。この人こういう人だ。だから好かれるんだけれども。

 工廠長は取り乱す私を見て満足そうに笑った。

「なーに責めはしませんよ。好奇心には勝てませんから。それに、知っておいて損はない」

 それでは、と彼はSOP2と私をメンテナンスルームへ案内した。歯科医院に置いてあるような椅子にVectorは目を閉じたままで座っていた。ついでに服も着ていない。

「わぁ」

「おや刺激が強いですかな?」

「指揮官よく見てるでしょ?」

 慌てると二人にからかわれた。面白いのは分かるけどちょっと黙っててくれ、悔しい。

「慌てもしますよ……いえ当たり前なのはわかっているんですが」

「そうだよ。メンテナンスの時はみんなはだかんぼ。お風呂と同じ」

「風呂嫌いのトンプソンは嫌がらない?」

「いや、むしろ一番脱ぎっぷりがいいですな」

「うん。でもいつも脱ぎ捨てるから怒られてるよ」

「潔すぎる……」

 少しVectorから目をそらして話す。今は本当に物言わぬ人形の状態であっても私からすれば十分すぎるほど刺激が強い。

 なるほど、だから夕べ断られたのか。軽く落ち込んでたからこれで立ち直れた。

「その、間違った質問だってわかってますが、平気なんですか?」

「自分たちの商売道具なんでね。でもVectorが指揮官のパートナーになってから彼女は俺が見てますよ」

「工廠長が?」

「若手からそうしてやってくれと頼まれましてね。兄貴分姉貴分としてしのびないところがあるんでしょうよ」

「指揮官愛されてるねー」

「ちょっと照れるな」

 工廠の職員とは他の部署よりも関わりがあるため、個人的にもよくしてもらっている。それがこんな話になるなんて思いもしなかった。

「さーてそれじゃやっちゃいますかね」

 工廠長はVectorのうなじにコードを刺すとタブレット端末を操作し始めた。

「今から分解権限解放用のキー入力しますけど、別の意味で刺激が強いかもしれないんで目閉じてた方がいいですよ」

「どーする指揮官?」

 SOP2と工廠長が私を見つめた。確かにこれからVectorバラバラになるところを見たら……でも何も知らないままなのは嫌だった。

「いえ、見ます。見せてください」

 工廠長は満足げに微笑んだ。

「それは結構」

 キーが入力され、正しいものであったことを示す電子音がする。

 プシュッと空気の入る音が聞こえ、これから起こることを固唾を飲んで見守った。

 

 三十分ほどかけてVectorは頭、胴体、腕、脚に分けられ、それぞれが蓋を外されて中身のパーツが見える状態になった。

 これを見ると、なるほど彼女は機械だとかみしめられる。

「よく気絶しなかったね指揮官」

「SOP2が鉄血のパーツ持ってくるの見慣れたせいかも」

「私のおかげ!」

「そういうことにしとこう」

 聞くところによると、新人の職員は分解中に失神することがあるそうで。わからないでもない。少し居心地の悪い気分になりはした。

「ネジ、ほとんどないんですね」

「紛失の元ですし、今は電子ロックと空気圧、パーツ同士の噛み合わせの方が強固ですからな。点で留めるより線で固定した方がこういう大きいのはいいんですわ」

 確かに、精密機器と言えども人形はかなり大きい。これだけの大きさがあってしかもそれなりに激しく動くのだから要所要所に合わせた固定方法があるんだろう。

 カバーを開かれた胴体には整然とパーツが並ぶ。私程度では一度取り出したら戻せないと思えるほどにぎっしりだ。

「こんなにたくさんあるんだ」

「なかなか壮観でしょう? これで全部効率よく動かすために並んでるんですから意地を感じますよ」

 SOP2が一つを指差しながら説明し始めた。

「この胸のとこにあるのが冷却水循環用のポンプ。ポンプからの配管は人間の血管をモデルにしてるんだよ。あと神経配線も」

「なるほどなぁ、その方が都合いいんだ」

「うん。生き物の形をしてるものは大抵その生き物を真似て配線するんだー」

 自分の身体とVectorの身体に似ているところがあることに少し安堵した。あまりの光景に少し圧倒されてた。

「身体を動かしてるのは人工筋肉ですか?」

 工廠長に問いかけると彼は頷いた。

「人工筋肉の中には燃料電池が入ってましてな、これのおかげで回生エネルギーを得つつ最低限の電力で動かせるんですわ」

「回生、エネルギー……」

「車のブレーキと同じように動く度に発電するんですよ。要は動くときに使った分のエネルギーからお釣りがくる」

 なるほど、わかるようなわからないような。ただ車と似た機構を使われると聞くと少しVectorを遠く感じる。

「骨格は問題ないが、やっぱり足周りの筋肉は消耗が激しいな。こりゃ全とっかえだ」

 太ももから足首にかけてうねるようにして配置されている人工筋肉は、確かに上半身と比べて損傷しているように見えた。

 理由はわかる。彼女は回避に足をよく使う。激しく動かす箇所は壊れていく。

「普段の生活ではあんまり変わった様子ないんだけどなぁ……」

「他の筋肉で支えられちゃうからなんとかなるんだよ。指揮官も筋肉痛になったからといって普通に歩けはするでしょ?」

 SOP2の話に頷いた。そう言われるとわかる。ただまぁ、私は筋肉痛のときひどくへっぴり腰な歩き方になるけれど。

 私たちが話している間に工廠長は慣れた手つきで足の筋肉を引っ剥がしていた。

 Vectorは痛くないのかとひやりとしたが、電源を切られている彼女に痛みはない。代わりに私の足が何かに耐えかねるようにもぞもぞ動いた。

「ははは、指揮官足が動いてますぞ」

「自分のことではないのについ」

「それだけ大切に感じてるってことでしょ。結構なこって」

 彼は喋りながらも手早く新しい人工筋肉を取り付けた。金属のヘラのようなもので丁寧に位置を整え、足は先ほどと同じような見た目になった。

 それから彼は人工筋肉の損傷具合を確認して、激しいところは交換していった。工廠長が魔法使いに見えた。本当に、魔法みたいだった。

「これで次のメンテまで元気ですよ。まあそれまで大怪我しないでもらえばですが」

「本当だよ。Vectorすーぐ前出ちゃうもん」

「む、気をつけさせないと」

 言ったところで聞くかわからないけど。

 それでも最初よりは捨て身にならないようになってくれている。彼女曰わく、私が困った顔をするかららしい。そんな顔してるのか?

 続けて腹部にあるバッテリーのメンテナンス。こちらは特に問題なさそうだった。

「ずいぶん大きなバッテリーですね」

「この大きさの機械動かすにはかなりの電力が必要でしてね。これだけ大きけりゃ戦場でも一日動けるんですよ」

「でもおなかへるよ! すっごくへる」

「そいつは燃料の話だな」

 工廠長は胃のあたりにある部品を指差した。ぱっと見たところ電動のコーヒーミルに似ている気がする。確かカフェに似たようなのがあった。

「こいつが発電機で、燃料は普通の食べ物なんですよ」

 言われてみれば人形達が燃料らしき物を摂取しているのは見たことなかった。

「この発電機の中で食べ物を原子レベルに分解、融合反応を発生させ、エネルギーを取り出して電力に変換してるんです」

 彼は得意気に話した。おそらくお気に入りのパーツなのだろう。

 詳しい原理は私にはわからないが……いやちょっと、待ってくれ。聞き捨てならない言葉に血の気が引いた。

「融合反応って、核、放射能」

 確かに崩壊液汚染なんていう核汚染もびっくりなもっと危ないものもあるけれど。それでも穏やかじゃない。

「お! ご存知でしたか。大丈夫ですよ、K社のミスター・フュージョンは安全です」

「ミスター・フュージョン」

 このコーヒーミルのような装置は随分とひょうきんな名前なようで。

「放射能漏れのない素材で密封されてますし、おまけに廃棄物も出ないほどまでに分解できる」

「すごいですね……」

「こいつのおかげで人形産業が発達したようなもんですから」

 確かにエネルギーの確保ができれば人形ほど大きな物も動かせる。それも長時間、ごく一般的な燃料で。

 食事をして発電して、バッテリーに充電して、そこから電力を使って、また食事をして発電して。腹が減っては戦はできぬというなら、なんとなく人間のようでおもしろい。

「食品が燃料だからSOP2はおなかが減るんだね」

「うん。作戦中は特に腹ぺこ。たまにおやつ持って行くんだ」

 そういうことなら咎めないでおいてあげた方がいいかもしれない。

「この発電機は第三次大戦の結晶なんですわ」

 さらっと工廠長の口から出てきた言葉に何も返せなかった。

 大戦の最中、私はほんの幼い子供だったけれど、彼は戦場に行っていた可能性がある。

「第三次大戦は早めに核の応酬でしたから、輸送のために小型化、輸送中の事故を防ぐための素材の研究がせわしなくされまして。その結果としてこういった発電機が作られたというわけです」

 人形の中に納められるほど小型で、放射能漏れの起きない素材で覆われ、廃棄物のない発電機。失うものはあまりにも大きかったのに得られたものはこうして使われていく。

「すてきですね」

「指揮官にもこれの良さをわかっていただけましたね。俺のお気に入りですから知っていただきたくて」

「工廠長これ好きだよねぇ。目玉のがきれいなのに」

「SOP2にはミスター・フュージョンのかわいらしさがわからんのか」

 やいやい言い合いを始めた二人に苦笑いしながらもう一度Vectorの中に並んだ部品を眺める。

 これのどれもが誰かが悩み、挑み、敗れ、苦しみ、掴み取った結果であり、まだまだ進化していく過程に過ぎないものばかりで。人の手で作られて無数の想いを抱えた彼女をたまらなく愛おしいと思った。

 終わったら抱きしめてやってもいい。きっと何事かと聞かれるけれど、そうしたいからそうする。こんなことを知ってしまってじっとしていられるほど出来た人間ではないのだ。

 目を滑らせていくと、あれだけぎっしり詰まっていたパーツ群の中にぽっかりとスペースがあいている部分を見つけた。

「工廠長、ここの隙間ってなんであるんですか?」

 二人はぴたりと言い合いをやめてお互いに顔を見合わせた。

 妙に居心地の悪い沈黙が流れる。聞いてはいけないことだったろうか?

 最初に口を開いたのはSOP2だった。

「指揮官のエッチ」

「え?」

 困って工廠長の方に目を向けると困ったように笑われた。

「いやー、あはは、ここはこの子が指揮官のためにパーツを選ぶとこですよ」

「あ、あー……あぁ」

 そうか、そこか……

 

 こうして一通りメンテナンスをして、最後に頭部の確認をして、ここも特に問題はなかった。

 以前私が端末を通して会話した中枢器官は頭部に納められているパーツだった。

「こうやって見ると人間の急所と人形の急所は同じなんですね」

「万が一人形が暴走したときにその方が制圧しやすいですから」

 工廠長の答えには納得したけれど、少しもやっとした。どうも人間が人形に危害を加える系統の話が苦手だ。

 私が口を閉じてしまったので工廠長は再び口を開いた。

「そんな顔なさらんでください。機械は人間の道具ですからある程度の割り切りは必要になるもんです」

「わかっているつもりなんですが」

 腑に落ちないこともある。

「ただ今日、Vectorは機械なんだってよく理解しました。人の手で作られたものだけで動いてる」

 蓋の開いたままのVectorは部品をむき出しにした状態で横たわる。

 これを私はパートナーだと、恋人だと言い張れるのか。

「指揮官はこの状態のVectorが怖くなったり嫌になったりする?」

 SOP2の質問にノータイムで首を横に振った。

「しない。人の手で作られたVectorが、私にとって大切」

 人間でなくとも量産品でも人の手によって整備されなければ生きていられなくても、彼女を大切だと感じることに何ら変わりはない。

「それに、中身もきれいだよ」

「うへぇ指揮官ヘンタイっぽい」

「SOP2に言われたくないよ」

 私とSOP2は顔を見合わせてケラケラ笑った。

 

---

 

 彼女が頼み事なんて明日はミサイルでも降ってくるんじゃないかと思った。

「頼みがあるんだけど」

「え?」

 工廠にある作業台の側にいた私はびっくりしすぎて目をまんまるに見開いた。

「メンテ中に指揮官ここ連れてきてよ」

「なんで?」

「指揮官、あたしのこと人間だと思ってる節あるから」

「あー」

 あまりに珍しかったからつい受け入れてしまった。

 指揮官は誘ったらすぐに工廠に来てくれて、工廠長の協力もあって彼女の中身は見せられた。

 彼女の目論見通り指揮官は機械であることを認識して、それでも大切だと言ってのけた。よかったねVector、指揮官は大丈夫だよ。

 それから、また三十分ほどかけてふたを閉じて、Vectorは人の形に戻った。

 帰り際に指揮官はVectorの手に触れた。電源の入っていないVectorはそれに反応しないし、稼働していないから温かくもない。

 それでも指揮官は満足げに頷いて背中を向けた。

「ありがとうSOP2、工廠長。私は執務室に残してきた仕事があるので、また」

「ほいほいお疲れさん」

「指揮官またねー」

 指揮官に手を振って別れてからVectorに服を着せて電源を入れる。

 メンテ後のチェックプログラムが終了して、目を開けるまで待つ。ぴったり三分してから目が開いた。

「終わったよ」

「そっか」

「指揮官大丈夫だった」

「そっか。ありがとう」

「んーん」

「今度カフェで何かおごるよ」

 本当に、今日はミサイルでも降ってくるんじゃないかと思った。それと同時に、この二人がいてくれたらこれから先どれだけ辛いことがあってもがんばれる気がした。

 指揮官とVectorを大切にしたいから、きっとがんばれる。

「あまーいカフェオレがいいな」

「じゃあそれで」

 早くカフェに行ける日が来てくれないか、今から楽しみでしょうがない。



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指揮官ですが相方のハグが激しすぎて肋骨が折れました

IQ2で書いたのでIQ2で読んでいただきたく存じ上げます。


 私は大変に臆病なので、危険なことに近づくのが苦手だった。

 君子危うきに近寄らず。危険なことからは身を引くべきだ。

 安全に慎重に、それが一番自分に向いているし長生きできる。それが底辺で生き延びる秘訣。

 

「は、う、べくたぁ」

「んっしきか、だめっ」

 メキッ

「ぐあ」

 以上が事の顛末である。

 

 目の前でM16が息も絶え絶えに喘いでいる。

「はは、は、指揮官、も、勘弁して」

「……何もしてない」

「いやだってさぁ、んっふふ」

 彼女は笑いすぎで呼吸困難に陥っているのだ。それも私の話を聞いただけで。

「肋骨折れるとか、あはは」

「折れてないよ、ヒビだって」

 諸般の事情があって私の肋骨にヒビが入ったのだが、M16はそれがツボにはまってしまったらしい。

 見舞いに来ておいてなんだその態度は。

「盛り上がりすぎて折れちゃうなんて」

「うるっさいなぁ」

 おかげさまで入院する必要こそないものの全治三週間で今日明日は自室療養となった。サラシをきっちり巻かれて前に屈むことはできない。

 いいのだ。今は咳をするだけで悶えるほど痛い。悶えると更に痛い。

「これROが指揮官にってさ」

 細長い紙袋を受け取って中身を確認する。出てきたのはマジックハンドだ。

「なにこれ?」

「床に物落としたら拾えないだろうってさ」

「なーる」

 ROらしい気遣いだ。

「ほんでこれがSOP2から」

 受け取ったのはカルシウムのタブレットだった。これはわかる。

「早く治さないとね」

「治るまで指揮官にだっこは禁止だってきつく言い聞かせたから」

「さすがお姉さん」

 M4不在でもしっかり姉をやっているM16は信頼できる。彼女がいてくれるだけで割とSOP2は制御できるのだ。

「で、私からのお見舞いは」

「あるんだ。てっきり治ったときに一杯奢るとかかと」

「まあそれでもいいんだけどさ」

 こほん、とM16は咳払いした。

「少し書類の改ざんをした報告をもってお見舞いとしようかなと」

「改ざん?」

 M16は頷いた。

「指揮官は転んだことになってる」

「ふっあ、いてて」

 吹き出した拍子に胸に痛みが走った。結構響くな。

「そうだったね、この報告書はヘリアンさんの目にも入る」

「そうなると色々面倒だからさ。ただVectorの不具合確認はペルシカさんのとこに情報と解析依頼がいったからそこはあきらめて」

「うげぇ……」

 これは次回の通信が恐ろしい。

「でもよくペルシカさんやってくれたね。忙しいんじゃないの?」

「忙しいけど、私が話した時に自分からやりたいって言い出した」

「話したのかよ!」

「軽い笑い話のつもりだったんだって。まあ悪いようにはされないから」

「そこは信頼してるけども。Vectorは不具合がある扱いになってるんだね」

「まあ本来なら人形は人間を傷つけられないからね。大丈夫、ペルシカさんがリミッターの数値完璧に調整してくれるよ」

 これも内密に行われるんだろう。そして後で感想を聞かせろとペルシカさんにせっつかれるんだろう。

 感想を伝えるにしてもあと三週間は待っててほしいと頼むしかない。

 それにしても、Vectorの点検すら内密に行われているとすると、単に書類の改ざんだけではなくかなり多くの職員が関わっていることになる。それこそここの職員のほぼ全員が。

「なんだか、えらく特別扱いされている気がする」

 神妙な面もちでそう呟くとM16は自分の妹たちに見せるような顔で微笑んだ。

「愛されてるんだよ」

 彼女の頭のなで方は肋骨に響かなかった。

 

 業務終了時間がきた。今日は一日中横になって過ごしてしまい、妙な不完全燃焼感がある。

 先ほどパトロールの指揮を任せていたROから本日も異常なしの連絡がきた。間もなくVectorも点検から戻ってくるだろう。

「いやぁひっきりなしだったなぁ」

 私は見舞いの品が並べられた室内を眺めてつぶやいた。M16が来た後に次から次から見舞い客が来たのだ。

 ちょうどよかったのでスコーピオンにも治るまで飛びついてきたらいけないと言い聞かせておいた。ヒビが骨折に進化するのだけはごめんだ。

 ドアが開く音が聞こえた。Vectorが帰ってきたようだ。

「おかえり」

「ただい……指揮官死ぬの?」

「それが十数時間ぶりにかける言葉ですか」

 まあでも葬式をやろうってくらいの量ではある。

「ずいぶんもらったね」

「どうも私は愛されてるらしい。悪いけど食料品だけ冷蔵庫入れといてくれる?」

「いいよ」

 これだけあれこれ売れたのだからカリーナは繁盛しただろう。たまにはケガをするのもありだな。

 さて、こじれる前に先手必勝だ。

「Vector、夕べはごめん」

「あたしもごめん。力みすぎた」

 先に謝っておかないとVectorはどんどんネガティブになる。早め早めに手を打っておいて損はない。まあ、それで失敗することもまたあるけど。

「意固地になって焦らしすぎました。限度をわきまえます」

「本当だよ。回路焼き切れるかと思った」

「うっわ」

「なに喜んでるの? 馬鹿?」

「多少はうまくなったかなと」

「こんなことになるなら下手くそのままでいい」

「はい」

 普段あまりにも下手くそ下手くそ言われるので研究してやってみたらこれだ。もうこっち方面の向上心は捨ててやろうか。

 それでもきっと私はまた余計な知恵を仕入れるのだろう。またこうしてケガをすることになってもまた挑戦してしまうのだろう。

「リミッターの数値は調整してもらったから、もうあの程度じゃ折れないよ」

「そっか。どうせ試せって言われてるんでしょ」

「そりゃ、ね」

 設定した人が設定した人だから、とVectorは続けた。ほら見たことか。

「Vectorはさ、ああいうことするの嫌?」

「指揮官がしたいなら付き合うよ」

「いやそういうんじゃなくて」

 自分で続けるのが気恥ずかしくなってしまって口ごもる。聞かなきゃよかった。

「別に、好きも嫌もないよ」

「そうでしょうけど」

「指揮官に合わせたり必要に応じてるだけであって、好きでしてるとか嫌だからしないとかそういうのはない」

「わかってるけど」

 そう言うだろうなと思ってた答えが帰ってきて安心半分、がっかり半分。

「何か期待してた?」

 こうやって薄ら笑いを浮かべられるのも慣れっこだ。

「そもそも遺伝子の引き継ぎができないんだから無意味じゃん」

「いいんだよ、意味なんてないんだから」

 子孫提供を目的としない性行為に意味なんて元々ないのだ。

「やることなすこと全てに意味がある必要なんてないでしょ? 意味のないおまじないやゲン担ぎだってある」

「指揮官は意味のない行為が好きってこと?」

「行為自体に意味はない。でも動機と目的はあるからしたいと思う」

「ふーん」

 心底興味のない反応をされた。恥ずかしい思いをしながら話したってのになんだよ。

 しゃべって喉が渇いたのと、悔しいのを紛らわすためにそろりと上体を起こし、枕元に置いたペットボトルに手を伸ばした。生ぬるい水が喉に落ちていく。

「そういう基準で考えるならあたしもしたいよ」

「ぶへアッ!?」

 そして派手に吹き出した。その拍子にむせてしまって、これが肋骨に響いて痛いのなんのって。地獄だ。

 しっかりしなよ、なんて言いながらVectorは背中をさすってくれるが、今はそんなことどうだっていい、重要じゃない。

「げほ、なんてこと言うんだ……」

 むせながら息も絶え絶えに、目尻にうっすら涙が浮かんでる気配すら感じながらなんとか絞り出した。

「要はしたいたしたくないの話なんでしょ? それなら動機も目的もあるからしたい」

「各々の内容は?」

 呼吸が落ち着いてきたから少し聞ける余裕が得られた。

「目的は単純に指揮官のデータがもっとほしいから。些細なことでもいいから情報収集をしたい」

「お、おう」

 とんでもないことを顔色一つ変えずに言える人形は時にうらやましい。

「Vectorはなんか、すごいね。私はそんなストレートに言えない」

「事実を言ってるだけ」

「それで、動機は?」

「手土産持って見舞いに来る人と同じ」

 首を傾げてしばし考える。

『愛されてるんだよ』

 とM16に言われたのを思い出すまでそれほどかからなかった。

「そう、そうか、そうですか」

「指揮官は?」

「んんん」

 聞かれるのはわかっていたけど聞かれて困らないわけではない。特に私には事実を淡々と語るのが苦手な時もあって。人間誰しもそうなのだけど。

「したいから」

「……がっかりさせないでよ」

「事実です」

 好きだから嫌だからとかでなく、したいからするというのが一番近しい理由で、申し訳ないけどそれ以上でもそれ以下でもない。

「それだけならがんばる必要ないじゃん」

「するなら相手にもよくなってもらいたい」

「人間って理解不能だよ。またケガしたらどうするの?」

 彼女がそれを気にしてくれていることはよくわかってて、先ほど背中をさすってくれたときもいつもより弱々しく触れてきたから相当堪えてるんだと思っていた。

 私はというと、別にそんなこと気にしてなかったりする。Vectorが私の情報がほしいというなら、骨の折れ方まで全てくれてやろうと思うくらい、私は彼女に何をされてもいいんだ。

「設定変えてもらったなら大丈夫だよ。ペルシカさんを信じよう?」

 ただそれを口に出して伝えてやろうとは思わない。

 私が周りにどれだけ愛されてるのかを身を持って知ったように、Vectorだって私からどれだけ愛されてるのか身を持って知ればいい。私が思い知らせてやればいい。

 それもまた彼女のデータ収集になる。

「勇敢というか無謀というか」

「チャレンジャーであることは大切だよ」

「こんなことで挑戦し続けなくていいから」

 ため息をつくVectorにはまだ伝わってなさそうだけど、彼女なら理解してくれると信じている。

「とにかく、私は遺伝子提供を目的としない性行為ってのはお互いのためにするコミュニケーションだって思ってる、ので、私だけよくても意味なくて、Vectorにもよくなってもらいたいなーと、常に考えて、ます」

「その結果やりすぎで肋骨折れてもそう言うの?」

「うん。加減がダメであったけど方向性は正しかった」

「馬鹿だなぁ」

「失敗は成功の母だもの。また色々試さないと」

「あたしを実験体にするつもり?」

「他に実験体を用意してほしいの?」

 聞き返すと珍しくVectorは黙った。心配しなくても他の誰も相手にするつもりなんてない。

「大丈夫だよ。Vectorにしか被験者頼まないから」

「ふぅん。まあいいけど」

 あ、いいのか、と認識すると頬が緩みそうで。それを気づかれたくないから片手で口元を覆った。

「当分動けないから無理だけど、日常生活で困ることあったら介助よろしく」

「それくらいはするよ。食べ物も口まで運んであげようか?」

「恥ずかしいけど痛いときは頼むかも」

 これだけ軽口を叩いても一向に近づいてこないVectorにしびれを切らして手を伸ばした。

 彼女の手を掴むとこわばる感覚を認められた。

 きゅっと握られてこちらに触れてこない指を何度か撫でていると少しずつ力が抜けてきたので、夕べしてたように指が互い違いになるように手を握った。

「懲りないね」

「懲りたくないね」

 何度目かの軽口でやっといつも通りになってくれたVectorの、なんとめんどくせぇことか。不安ならそうだと早く言ってくれればいいのに。

 けどそんな彼女にとことん付き合って骨を折られるかもしれない危険を冒してまで中に入り込もうとする私も、大概なのだ。



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完全なるご褒美

実はパフェを完食したことが一度もないのです。
無理でしょあれは?


 私は大変に臆病なので、他者に期待されることが苦手だった。

 期待されればそれに応えなければならない。それが仕事であるなら苦しくても受け入れよう。

 ただそれが私生活だと耐えられない。個人的に親しくしている存在の期待を裏切り、失望されるのが怖くてたまらないのだ。

 

 

 G&Kは企業であるため、人間人形ともに業績の報告と評価が発生する。私は自身の評価をヘリアンさんから受け、部下の戦術人形を評価する。

 今日は四半期に一度の報告なので少し大規模であり、これを期に表彰式があったり全社員向けの報告会があったりとまあそれなりに忙しくて面倒だ。

「指揮官、疲れてるね」

「うぅん」

 一日の業務を終えて部屋に戻ってすぐVectorにそう言われるくらいには顔にでている。

「夕食とった後だけどこの前の見舞いでもらった果物出そうか?」

「そうしてくれると助かる」

 制服を脱いでハンガーに吊すと肩の力が抜けた。今日は報告会でいつぞや鉄血からジュピターを頂戴してきた件について説明する役割を与えられていたため、結構緊張していた。

 Vectorが廊下に併設されているキッチンでリンゴを剥いてくれたのでそれをつまむことにしよう。贈答用だけあってみずみずしくて甘い。

「果物まだあるけど、そろそろ食べないとまずいかも」

「本当? どうしようかな」

「ジャムでも作ってもらったら?」

「ありだな」

 そういえば明日、土曜日は約束があったな。いいことを思いついた。

 

 

 弊司令部のスコーピオンは鉄血の捕虜にされていたところを救出した個体だ。元に所属していた部隊はあったそうだが、彼女が行方不明になった後に手放す手続きを済ませてしまったそうだった。

 前の指揮官を責めることはできない。基本的に作戦中行方不明となった人形は損失したと同じ扱いをされる。手続きを踏めばその穴を埋めるための人形が配属される。そのため、前任者の対応は適切だったといえる。行方知れずの人形を手放す手続きを踏めない者はそれこそ私のような臆病者だけだ。

 救出したスコーピオンはよく働いてくれている。少し戦闘中に無駄な動きが多いことが玉に瑕だけれど、明るくて元気な彼女はSOP2と並んで部隊のムードメーカーだ。

 彼女は私が入隊時に「うちの子になるか」と発言したため私との関係を親子に近い形に設定していると聞く。そのため休日にはよく私とテーブルゲームをして過ごしているが、四半期に一度だけ約束がある。

 四半期の評価で前回よりもいい評価を得られたら街のファミレスまでパフェを食べに行く、という約束はいい成果を出している。今期はこれを頑張る、次はこれ、と目標を立てて彼女はそれを着実にこなしてくれた。今期は被弾率を下げることを目標とし、見事にそれをクリアした。

 そういうわけで今回もパフェを食べに行く約束なのだが、

「今回は果物が余っているのでパフェを作ろうと思うのだけど、どうだろう?」

「やたー!」

 司令部のカフェまで連れてきて提案するとスコーピオンは大喜びで快諾してくれた。これで断られると困るのでとても助かった。ちょっと私とVectorだけで消費できる量の果物ではない。危うく胃の中で砂糖が生成されるところだった。

「それじゃあエプロンつけて手を洗って準備しよう。スプリングフィールドにはキッチン使う許可もらったから」

「了解しましたっ」

 スコーピオンはびしっと敬礼すると用意しておいたエプロンに袖を通し始めた。レシピによるとミキサーを使って混ぜるような工程があるようだ。スコーピオンのことだ、エプロンをつけさせないと白い斑点が服にできる。私もエプロンをつけ、しっかり手を洗った。

「どうやって作るの?」

「うん、まず材料なんだけど」

 ケーキ用のスポンジ、コーンフレーク、ナッツ、ビスケット、クリームチーズ、ヨーグルト、生クリーム、アザラン、ジュース、ゼラチン、それからアイスクリーム。

「乳製品は合成品しか手に入らなかったけどこれだけあれば十分でしょ」

「これだけあったら足りる足りる」

 普段ファミレスに食べに行っているパフェは長くて大きな器にこれでもかというほどクリームと果物の層が構成されているが、今日考えているものは小さめの器に自分で好きなように材料を詰めて食べていいという方式だ。

 なのでこれだけ選択肢を用意した。これだけあれば無限に楽しめるだろう。

「最初に何作るの?」

「ゼリー作ろうか。パフェ入れるグラスの一番底に入れるやつ」

「いいね。あたし容器斜めにして作っていい?」

「いいよ」

 こういう発想が柔軟なところはスコーピオンの強みだ。彼女はジュースにゼラチンを混ぜたゼリーの素を丸底の容器に入れ、斜めに保つように周りの物で固定しながら冷蔵庫に入れた。

 私は平たい容器にゼリーの素を入れ冷蔵庫へ静かに置いた。こちらは四角く切ってパフェの中間に入れるつもりだ。

「次にクリームを作ろうか」

「クリームチーズとヨーグルトと生クリーム混ぜたやつと、あと生クリームに砂糖混ぜるやつだよね?」

「うんそう。容器の中に入れる用と、上に乗せる用」

 クリームを混ぜるためのボウルともう一回り大きいボウルを用意し、その中に氷を入れる。冷やすといい感じになるんだとか。

「ボウル抑えとくからスコーピオン混ぜて」

「がってんしょうち!」

 スコーピオンは出番だとばかりにミキサーでクリームを混ぜ始めた。案の定傾いていて白いしぶきが飛んでくる。

「わっ傾いてる傾いてる!」

「あわわわ」

「容器に対して垂直に! あ、あと回転速度を下げて!」

「うんっ」

 クリームは液体で粘度が低いから飛び散りやすいんだとかなんとか。そのため高速で混ぜないように忍耐力が求められる。あせらず、低速から順番に中速、そして高速へ回転数を上げていき泡立てる。

 なんとかかんとか二種類のクリームが完成した。これを冷蔵庫へ入れる。

「ねえ指揮官」

「なに?」

「ホイップクリームさ、ちょっとびっくりするくらい砂糖入ったね」

「レシピ通り作ったんだけどね、思ったより量がすごい」

 案外自分たちで作ってみて初めて分かることもある。クリームの泡立てがこんなに大変なことも初めて知った。

「ほかにやることある? ゼリーができるまで待つの?」

「うーんそうだなぁ、あとは果物とスポンジを切って、ビスケットの半分の量を砕いておこうか」

「はぁい」

 冷蔵庫の中身が整うまで黙々と手を動かす。イチゴのヘタを取ったり、バナナの皮をむいたり、桃を切ったり。スポンジは手でちぎり、ビスケットは程よい大きさに砕いた。

 これで多少は飲食店で提供されているようなパフェに近づける準備はできた、はず。

「指揮官、そろそろ開けていい?」

「いいよ。ほかの器も出して準備しようか」

 スコーピオンは冷蔵庫の中からゼリーとクリームを、私はパフェを入れるためのガラスの容器を用意した。さていよいよ盛り付けにかかる。

 パフェは容器の中に果物とクリーム、ゼリーが層になるように重ね、最後にホイップクリームと果物、アイスクリームやビスケット、アザランで飾りつけをするといった手順で作ることにした。

「最初にゼリー入れよーっと」

「私はイチゴ使おうかな」

 順番に材料を重ねていくとなかなか様になっている気がする。スコーピオンはというと、飾りつけまで工程が進んでいる。彼女のつくったものなら店に並んでてもいいんじゃないのかと思えるくらい見事なものだった。

「スコーピオンは、手先が器用だなぁ」

「ほんと?」

「うん。とても初めてパフェを作っているとは思えないよ」

「うえへへほめられた」

 彼女は機嫌よくビスケットを頂上に乗せた。

「かんせーい! 食べちゃうのがもったいない」

「カメラ持ってきてあるから写真撮ってあげるよ」

「やったぁ」

 年期物のポラロイドはシャッターを切るとすぐさま写真を現像した。後でアルバムに入れておこう。

 程なくして私のパフェも完成した。スコーピオンの物と比べると見栄えは劣るが、悪くない。

「いっただっきまーす」

「いただきます」

 食べてみると思ったより素朴な味だった。やはりそこは外で食べる物とは違うか。けど自分で好きなように作っただけあって満足感はある。

「おいふいへひひはん」

「しゃべるか食べるかどっちかにしなさい」

「んぐぐ、おいしいね指揮官!」

「うん。これはなかなか」

「また次もこれがいい」

「果物がなぁ、これだけ手に入ればなぁ」

 今回は思いもよらぬ事故のおかげでこうして見舞いの品がたくさんあったのが幸運だっただけで、そうおいそれとできない贅沢だ。

「別に缶詰でもいいよ」

「それならなんとか。次回の目標はどうする?」

「うーん」

 パフェの上に添えられたアイスクリームを掬いながらスコーピオンは目を閉じてむむむと考え込んだ。

「後方支援の大成功率の上昇、かな」

「確かに、最近ドローンの作成やらで資材を多く使ってる」

「妖精だよ指揮官」

 最近、各司令部に戦闘補助のドローンが配備されることになったのだが、これがなかなか資材を食っていけない。ただのドローンにホログラム映像の頭身が低い少女がついてくるだけのものなのだが、面白いことにこのドローンは妖精と呼ばれている。

 妖精が配備されてからは戦闘の幅も広がり、また少し考えることが増えた。私にとっては資材の問題や検討事項で頭が痛くなる案件だが、人形たちにとっては愛でる対象ができたと好評ななのでまあよしとしよう。

「それじゃあスコーピオン、今期はおつかいがんばって」

「まかせてよ! これでたくさん妖精作れるね」

「できるかどうかは運次第だよ。結構作るの大変なんだから」

「ちえー」

 後方支援の大成功率は練度に関わりがあるので、私もスコーピオンの練度が上がるように協力しなければならない。どこか効率のいい作戦に入れてやれないだろうか?

 などなど考えていると早くもスコーピオンは一つ目のパフェをたいらげていた。

「おかわりしていい?」

「もちろんどうぞ」

「へへへ。今度はあたしもイチゴ入れちゃお」

 次にスコーピオンはイチゴの切り口がガラス容器の表面に張り付くように配置してパフェを作り始めた。

「おぉ、きれいだ」

「いいでしょ」

「センスあるね」

 これも完成したら写真を撮ってあげよう。

 スコーピオンが二つ目のパフェを作っている間に私も一つ目を食べ終えた。次はどうしよう?

「んー、チョコレートとバナナかな」

「おいしそう」

「定番だけど私は結構好きなんだ」

「あたしもすきー」

 私もスコーピオンみたいにおしゃれに作ってみたいのだが、なかなか思い浮かばない。苦し紛れに頂上にチョコレートアイス、そこに斜めに切ったバナナを刺してみることにした。

「む、思ったより難しい」

「バナナのほうがアイスより柔らかいから難しいよそれ」

「ぐぬぬくやしい」

 付け焼刃ではどうにもならない。ともあれ、味は期待できるのだからまあいいだろう。

 私はそれぞれのパフェを写真におさめて二つ目を食べにかかった、が、これがなかなか甘くて食べづらい。

「おなかいっぱいかもしれない」

「指揮官いつもあたしがパフェ食べてる間にコーヒー飲んでるもんね」

「うん。珍しくはしゃいでしまった」

 どうしたものかと持て余していると、カフェに来客があった。

「今日休みだと思ってたんだけど、マスター不在で何やってんの?」

「WA2000」

「わーちゃん」

「わーちゃんっていうな」

 土日はカフェが休みなのだが、今日は貸してもらっているためドアが開いていたのだ。私はテーブルの上を見せて状況を説明した。

「ふーん、わかったけどそれだけの量二人で食べるつもりなの?」

「うえへへ、それなんだよね」

「ちょっとね、二人してはしゃぎすぎて作りすぎたんだよね」

「はぁ……」

 計画性のなさについては自覚しているが、案外分量が読めないのだ。

「とりあえず、私は早くもギブアップなので、WA2000これ食べる? 食べかけで悪いけど」

「いらないわよ」

「ですよね」

「間接キスじゃない」

 この言葉にスコーピオンが噴出した。

「え? そんなティーンエイジャーみたいなこと気にするの?」

「あんたやVectorみたいにこいつとべたべたしてる奴ばっかじゃないのよ」

「そうかなぁ。基本的に指揮官が好きな人形のが多数だけど」

「好きなことと食べかけをもらうのとは話が違うでしょ」

「じゃあわーちゃんも指揮官好き?」

「嫌いじゃないわよ。だからわーちゃんっていうなってば」

 本人の目の前で好きだの嫌いじゃないだのの話をされると気恥ずかしい。ちょっと奥に引っ込むか。

「私コーヒー飲みながらこのパフェ片付けるから、せっかくだしWA2000もパフェ作って食べていきなよ。入れ物持ってくるね」

 そう声をかけながらテーブルに追加の椅子を用意した。こうすればさしものWA2000も断れまい。

「ま、まあ、そんなに食べてほしいなら食べるけど」

「ねえ指揮官、こういうのなんて言うんだっけ」

「ホットアンドコールド。半世紀前だとツンデレで通じたらしい」

「二人そろって一言二言余計なのよ!」

「わぁ、怒るな怒るな」

 私は笑いながらキッチンへ退散した。

 

 

 コーヒーで苦みを得ながら四苦八苦しながらパフェを平らげている間にスコーピオンは早くも三つ目に入っていた。女の子は甘いものが別腹という話を聞いたことがあるが、本当のようだ。

 WA2000も一つ目のパフェを作り終えて食べ始めている。彼女もなかなかきれいな見た目の物を作る。

「私にも君らみたいなセンスが少しでもあればな」

「じゃあ今期の指揮官の目標はセンスにしようよ」

「難しいことを言うねぇ」

 もうすっかりコーヒータイムに入ってしまって私は見学する一方だ。

「そんなに難しいことじゃないわよ。私たちはデータ参照しながら見栄えがいい取り合わせにしてるだけだもの」

「……なるほど」

 つい彼女らが人間ではないことを失念していた。言われてみればその通りだ。つまり私も参照できるデータを増やせばいいのだ。

「たまにはファッション雑誌でも読みますか」

「大丈夫? Vecotorにやばいもの見る目で見られない?」

「まず確実に、頭大丈夫って聞かれる」

 それだけじゃない。M16やトンプソンには笑われて、スプリングフィールドには曖昧な笑顔を向けられるだろう。カリーナは嬉々として雑誌を売ってくれそうだし、SOP2とROは興味を示してくれそうだが。

 考えるだけで苦々しい気持ちになってコーヒーが進んだ。

「あ、そろそろ冷蔵庫に入れてあった斜めゼリーとってこよーっと」

「そういえばそんなの作ってたね」

 いつの間にか三つ目の器を空にしたスコーピオンは椅子から降りてキッチンへ向かった。

「あんた、毎期こんなことしてるの?」

「いや、こういうのは今回が初めてだよ。普段は街のファミレスまで行ってるんだ」

 この前思わぬ贈り物をたくさんもらったからね、と続けるとWA2000は苦笑いした。肋骨が治るまでは彼女に多大な心配をかけたのだった。

「まあ確かにスコーピオンはこういう報酬があるほうが頑張れるほうだと思うけど。それにしてもなんでパフェなの?」

「なんでって……」

 改めて聞かれるとなかなか難しい。どうしてこれを選んだのか自分でも理解していないが、報酬として与えるのにはこれが一番いいと感じたのだ。その理由はいったいなんだ?

「別に私たちに好かれようとしなくてもいいのよ。元々上位者に設定されてる人間には好意的にするようになってるんだから」

「それは、うん、心得てるんだけどさ。けど好意や頑張り、誠意を向けられてそれに反応しないほどつまらない人間でもいないつもりだよ」

「たとえそれが人間じゃなくても?」

「当たり前じゃん。私は君たちが生きていると感じてしまってるんだから」

 空になったマグカップにコーヒーを注ぎながら答えた。自分に何かが向けられていたらそれに対して応答したい。したいというより、そうせずにはいられないのだ。

「できてたー! 指揮官みてみて」

 スコーピオンが完成したものを持ってキッチンから戻ってきた。手の中にはきれいに斜めのまま固まったゼリー入りの透明なガラス容器がおさめられている。

「おぉ、きれいだ」

「ここに指揮官が作ってくれた別の色のゼリーと果物入れるんだ」

「いいね」

「二つ作ってあるからわーちゃんにもやらせてあげるね」

「だから! わーちゃんいうなって!」

 そうは言いつつちゃんと受け取るのがWA2000だ。少し遅れて部隊に合流したため気にはしていたが、無事に溶け込めていてよかった。

 目の前で二層ゼリーが出来上がっていくのを眺めているとなかなか気分が良かった。きれいなものを見るのは実にいい。

「うまいもんだなぁ」

「でしょでしょ」

「やっぱり私も君らに負けないようにセンスを磨こうかな」

「それより次回もこれやろうよ!」

「うーんお金かかるけど、いいでしょう。その分働いて」

「やたー!」

 喜ぶスコーピオンに頬が緩んだ。なんとなくこの光景に既視感がある。先ほどWA2000に聞かれたことだ。

 車に乗って街まで出かけて、ファミレスでパフェを食べている様子を穏やかにコーヒーをすすりながら眺める。しかしこれは私が眺める側ではなく眺められる側で、確かこう聞かれたのだ。

「おいしい?」

 思わず口から出てしまっていた思い出は完成した四つ目を食べるスコーピオンに届いた。かけすぎたホイップクリームを口のわきにつけながら彼女は満面の笑みで答える。

「うん!」

 そうか、思い出した。

「あのねWA2000、これ私がやりたかったことじゃなくて」

 腕を伸ばしてスコーピオンの口元をぬぐってやる。

「幼少期に父にしてもらってたことなんだ」

 案外覚えているものだった。



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やはり弊社のイメージアップ企画は間違っている

ついったで投げられた企画にホイホイ乗ってみるなどした。
バニーガールについての情報は全部Wikipediaから持ってきています、便利便利。


 私は大変に憶病なので、倫理に背くことが苦手だった。

 そんなことをすれば後で非難される可能性がある。いくら荒廃した世界だろうともその一線だけは越えたくない。

 清く正しく、人に後ろ指さされることなく、凡庸で目立たなく生きていきたいと常に願っている。

 

 

 時たま弊社の考えていることがわからない。

 PMCがなんでイメージアップのために戦術人形にバニーガールの格好なんてさせるんだ? と、このような疑問を持つのは二度目である。

「方向性が違うと思うんだよね」

「かわいいじゃないですか」

 友人のカリーナは肯定的である。

「そりゃかわいい女の子はかわいい格好するべきだよ。でも指定されて着るのはなんかちょっと」

「まあ、指揮官様はお堅い方ですからね、わかりますが。面食いなのにお堅い方ですからわかりますが」

「二度言う必要ある?」

 私はどうしても思考が人形寄りなので、着たくない服は拒否できるようにしてあげるべきだと思うのだ。

 もちろん人形が自己判断を苦手とすることは知っているが、それでも選択肢は用意してあげるべきだと思っている。

「だってあんな破廉恥な、かわいそうじゃないか」

「確かにそうですが」

「そもそもバニーガールというものが気に食わないよ。元々は成人男性向け雑誌の看板だし」

「よくご存じですね」

「気になって調べたんだ」

 曰く、バニーガールはメジャーな成人男性向け雑誌が企画運営していた高級クラブのウェイトレス用のコスチュームであったそうだ。

「なんでもウサギをモチーフにした理由は年中発情期であるイメージからきているらしい」

「あぁそれよく聞きますね」

「実際そんなことはなくて、確かに年間通して繁殖はするけど、きちんとサイクルはあるらしい」

「てことは単純に偏見ですか」

「ひどい話だ。万年発情期なのなんて人間くらいなのに、動物にそんなイメージを押し付けるなんて」

「あはは、指揮官様本当に人間嫌いですね」

「だって自分勝手すぎる」

 ふん、と鼻を鳴らして目の前の飲み物を口にした。軽い苦みと豊かな香りが、軽く頭がしびれるような感覚を伴って胃の中に落ちていく。

 ウサギのことは図鑑で見て知っているだけだ。その動物は絶滅が危惧され保護対象になって久しい。触ったことも本物を見たこともない。

「一時期、女性を商品として扱ってるとかで裁判沙汰になってたらしい」

「そういうことを考える人もいそうですね」

「某国が訴訟大国で思想家が多かったってこともあるけど」

「ところで、この話わざわざここでする必要あります?」

「ないよ、ないけど、反発したくて」

 今日は弊社がイメージアップのために開いているバーに足を運んでいる。私が自ら来たのではない。先輩に招かれたのだ。

 先日行われた四半期の報告会での報告内容にえらく感動したとかなんとかでありがたくもこの会員制のバーに紹介してもらい招かれた。ありがたくない。

 しかし先輩の厚意を無下にしては今後に差し障りがあるので大人しく出頭することにした。ただし、カリーナとVectorを連れて。カリーナは一人で行くのは恥ずかしいから。Vectorはいろいろ言い訳するのがめんどくさいから。

「とにかくカリーナが来てくれて助かったよ、ありがとう」

「どういたしまして。そういえばVectorさん遅いですね」

「うん。どうしたんだろう?」

 彼女はバーに入る時、人形の方はこちら、と別の部屋に通されたっきり戻ってこないのだ。G&Kの施設であるため心配はしていないが、ちょっと気になる。

「まあその内来るよ」

「そうですね」

 とにかく、私を招待した先輩に会って礼の一つも言えば帰れるはずだ。当の本人が来るまで耐えよう。

「それにしても露出が多くて目のやりどころに困る」

「だからずっとテーブル見てるんですね」

 いつまで耐えられるだろうか。早く帰りたい。職業柄、布面積の少ない服を見ると不安になるのだ。そういうことにしておいてほしい。

「すごいですね。ここで使ってるバニースーツ本物ですよ」

「本物?」

「はい、コスプレ用の衣装じゃないってことです」

 トレイを持って歩いている人形たちはそれぞれ色や細かいデザインは違うものの皆一様に、肩出しレオタードのようなボディスーツ、丸いしっぽ飾り、ウサギの耳の形をしたヘアバンド、蝶ネクタイのついたつけ襟、網目模様のタイツ、そしてかかとの高いハイヒールを身に着けている。生憎私には何をもって本物とするのか見当がつかない。

「どのへんで本物だってわかるの?」

「あのボディスーツ、中にしっかりワイヤーが入っててコルセットの役割をしてるんですよ。あれがあると体型がよりきれいに見えるんです」

 確かに目を凝らすと服がしっかり身体を支えているように見える。

「本物は見た目をよく作るために結構手間暇かかってお金もかかるらしいですよ」

「さすが情報通。特にお金のことは抜け目ない」

「えへへ、性分ですから」

 手元のアルコールをもう一口飲んだ。そろそろ空になるから次はどうするか考えないと。

「あの服を着ていると下着の選び方も大変らしいですよ」

「へ、へぇ」

「例えば、上は紐なしのヌーブラを使う必要があります。コスプレ用の安いのでしたら中にワイヤーがありませんから透明な肩紐のブラを使うらしいのですが」

「そう、そうなんだ」

「下もはみ出す危険のないTバックですとか、股間だけを覆うものだったりしますね」

「……そう」

 どうにもこういう話は想像が先に働いてしまって恥ずかしくなる。カリーナは友人として雑談の一環でこういう話をしてくれているのだからいささか申し訳ない。

 一気にグラスの中身をあおってごまかした。

「ようルーキー! いい飲みっぷりだな」

 ちょうどその時件の先輩が現れた。

「あ、どうも先輩、本日はお招きいただき」

「今日はそういうかたっ苦しいことはいいから好きなだけ飲めよ。俺のおごりだから。グラス空になったな、次何にする?」

「えーっと」

「せっかくだから俺のおすすめ飲んでけよ」

「あーえーはいそうします」

 目上の人を前にすると途端にこれだ。断れないし弱気になってしまう。

 こうして目の前には再びアルコールの入ったグラスが現れた。そろそろソフトドリンクがほしいのに。

「いやーこの前の報告よかったぞ。鉄血の連中に一泡吹かせて兵器せしめてきたんだろ? 俺もそういうでっかい仕事したいなー」

「先輩の部隊でしたら平時の成績はうちよりも格段にいいですし、何かしらの大規模作戦の機会があれば大活躍間違いなしですよ」

「お、うれしいこと言ってくれるじゃないの。ただなー、その機会がなー」

「私が前回参加した任務はもらい事故からのとばっちりみたいなものでしたから……」

「あははそういえばそうだったな。あ、これこれ、入り口でもらうの忘れてただろ」

 彼はそう言って黒いカードを渡してきた。

「なんですかこれ?」

「ブラックカードだよ。ウェイトレスに渡すといいことがある。じゃあ楽しんで行けよ」

 そして手を振って自分の席へと戻っていった。これで無事に帰れるのだが、

「せっかくもらいましたし、使ってみます?」

「うーんそうだなぁ」

 気になるのでもらったカードをすぐ使うことにした。

 先輩に言われたとおりにウェイトレスにカードを渡すと、彼女はそれを持ってスタッフルームへ下がった。どうなるのかと待っていると、店内の照明が二段階ほど落ちてBGMが一旦止まった。つい、誰かの誕生日でも祝うのかなと思ってしまった。そういうのをレストランで見たことはあったから。

 再び入ったBGMはやたらリズミカルで、どちらかというと誕生日よりもダンスホールやディスコなどで流れるような音楽だった。そしてスポットライトが壁にかかったカーテンに当たり、そこが左右に分かれた。

 あ、そこ開いたんだ、と気づくと同時に危うく握ったグラスを落としそうになった。だって、

「は? Vector?」

「え?」

 これには私もカリーナも開いた口が塞がらない。カーテンの後ろにいたのは周りの戦術人形たち同様の格好をしたVectorだったのだから。いや全く同じではない。彼女はウサギではなくネコのカチューシャと尻尾をつけていた。さしずめキャットガールか。

 彼女はすまし顔でこちらに向かって歩いてくる。誰に指導されたのか、高いヒールで映えるような歩き方をしている。周りからは拍手と歓声が上がり、彼女はそれを浴びながら私たちのテーブルへ。そして何のパフォーマンスなのか私の膝に腰かけた。同時にひときわ大きな拍手が巻き起こり、それが収まるころに再び店内は通常運転に戻った。

「……様になってたね」

 やっと口から出せたのはこの一言だった。

「うん、裏でいろいろ教えられたから」

「なるほど、だからなかなか戻ってこれなかったんですね」

「そうだよ。客じゃなくて指揮官が連れてきたウェイトレス参加用の戦術人形と間違えられたみたい」

「それは苦労かけた」

「本当だよ。着慣れない服着せられてワイヤーが窮屈だし下着もなんか妙な感じだし」

 唐突に先ほどカリーナがしていた話がフラッシュバックする。かっと顔に血液が集まってきたので慌ててグラスの中身を飲んだ、が、想像以上に度数が高くて頭が痛くなってきた。

「あの、Vector、もう膝から降りていいから」

 先ほどから太ももに感じる彼女の尻の感覚が妙に気になるのだ。恥ずかしい。カリーナの目の前だし。当の見てる本人は心底楽しそうだが。

 普段のVectorならすぐ降りてくれると信じていた。しかし今日はなぜか降りてくれない。どうしよう。

「裏で言われたんだ、今日は体験入店だけど一日プロとして働けって。つまりこれは製品としての仕事だよね?」

「は、はぁ、まあG&Kの施設だし、そうなる、かな」

 よく理解した。彼女は勘違いされて不機嫌なのだ。だからこんな当てつけを。わかったから早く謝って許してもらおう。心臓が持たない。香水でもつけられたのか、髪から甘い香りが漂ってきて心拍数が上がっている。口から飛び出しそうだ。

「Vectorごめ」

 私の謝罪は彼女の人差し指で遮られた。振り向きざまに唇に指を当てられつい口をつぐんでしまった。いつもより指を柔らかく感じる。

 Vectorはそのまま私と対面するように膝の上で座り直し、するりと腕を首の後ろに回してきた。

「ひ」

 口から情けない悲鳴が出るとともに背中がぞわぞわ粟立った。視界の隅でカリーナが面白そうに携帯端末で撮影しているのが確認できた。あぁこの様子はペルシカさんやヘリアンさんに伝えられるのだと気づくのはもっと後になりそうだ。目の前のVectorに全神経を持っていかれている。

「そういうわけだから」

 彼女はぐいと耳元に口を近づけた。先ほどの甘い香りが強くなって反射的に身体が跳ねる。外だってのに、友人の目の前だってのに、先輩だっているのに、情けないったらない。けど、どうにも逆らえなくて。

「お楽しみくださいね。お客サマ」

「は、はひ」

 私の完敗である。

 弊社の企画が合っているのか間違っているのかはわからないけれど、少なくとも人形へのイメージは変わるかもしれない。



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なんでもない日おめでとう

次で一区切りつけます。
あれです、筆者出産のためとかいうやつです。
急がないと執筆途中で出産とかになるから早くしようね、がんばれ私。


 私は大変に臆病なので、何かを祝われることが苦手だった。

 一度味わってしまうと次を期待してしまう。その次がくる保証はないのに、それを期待することなんてばかげている。期待して、楽しみに待って、それが叶わなかったときのことを考えたくない。

 だから最初から期待なんてしないで、何もないまま、変わらない日々を過ごしていたい。なんでもない日をこなすだけの人生でありたい。

 

 

 書類仕事は好きじゃない。戦前とは変わって媒体こそデジタル化されたが、結局文字を読んで処理をすることは変わらないので、目が疲れる。

「あー……」

 一度画面から目を離して椅子の背もたれに身体を預けた。首を傾けるとバキバキ音がする。聞くところによるとこの行動はあまり身体によくないらしいのだが、音がすると少し肩が軽くなった気がするから別にいいのだ。

「すごい音だね」

 副官を任せているVectorがこちらに視線もよこさず声をかけてくる。

「どうしても肩に力が入ってしまって」

「ものすごく低い確率で首の神経が傷つくらしいけど」

「それ気にすると朝起きてベッドから降りるときに右足から出るか左足から出るかにも躊躇することになりそうだ」

「ところで眼鏡なんて持ってたっけ」

「あぁこれ?」

 かけていた眼鏡を外してVectorに見せてやった。これをかけると視界がほんのり黄色がかる。

「パソコン用の眼鏡だよ。青色の光を軽減して目への負担を減らすんだ」

「へぇ。買ったの?」

「総務の人からもらたんだ。誕生日だからって」

「え? 誕生日?」

「うん。来週なんだけど、総務の人来週休みらしいからさ。早めにって」

 別に気を遣ってもらう必要なんてないのだ。まあもらってしまったものはありがたく使わせていただくが。

「ふぅん、指揮官誕生日あったんだ」

「そりゃあるよ。Vectorにも製造日あるでしょ?」

「あるけど。そうか、指揮官生まれてたんだ」

「なんだそりゃ」

 妙な物言いに思わず笑ってしまった。もしかしたら人形からすると誕生日があるというのは妙な感覚なのかもしれない。そもそも人形における誕生日とはどの日付になるんだろうか?

 彼女らには製造日に加えて開発終了日、起動日、出荷日等々我々の手元にやってくるまで様々な記念日を迎える。一般的な家庭向けの人形はオーナーの手元で起動された日を誕生日とされるようだけれど、戦術人形、特にVectorはどれをその日だと認識しているのか気になるところではある。

「Vectorの誕生日ってどの日に設定してる?」

「決めてないよ。意味ないし」

 だろうと思った。彼女らしい考え方だ。がっかり半分、安心半分。

 仮に決めていたとしても、多分教えてもらえなかっただろう。むしろ今こうして素直に言ってきたことに驚いてるくらいだ。

「まぁもし決めたら教えてよ。食事にでも行こう」

「だから意味ないって言ってるじゃん」

「わかってるけどさ」

 こうして口に出しておくくらいなら罰は当たらないはずだ。

 

 

---

 

 

*司令部カフェ

「ようボス。私がトップバッターで悪いな。こうやってメッセージ送るってのもなかなか珍しいけどまあ聞いてくれ。ボスのことは結構気に入ってるぜ。歴代のオーナーの中でもかなり上位だ。まあトップのやつはもう死んじまってるんだがな、その内ボスなら超えられるかもしれない。いつだったか正規軍に一泡吹かせたことがあったよな? あのときボスが出した指示、未だにメモリーから引っ張り出すくらいにしびれたぜ。『正規軍の皆さんに負傷者が出るような恥をかかせないように可及的速やかに我々の手で本戦場最大の脅威を排除しろ』なんて大人しい顔しながらよく言ったな。あの時は帰ってベッドでお相手してもいいと思ったぜ。おいおいVector怖い顔するなって、ジョークだジョーク。今後とも頼むぜボス。ハッピーバースデー」

 

 

「次が私ですか? 指揮官お誕生日おめでとうございます。大きくなりましたね、なんて私が言うのもおかしいですが。今までいろいろな戦場を経験されてずいぶん立派になられたと思いますわ。最初の頃とは顔つきが違いますし。ここに来たばかりの時は、こんな子供になんてことをと思いましたけれど、もうそんなことも感じません。勲章もいただける、一人前の指揮官になられました。私も、私にメモリーをくれた方もあなたの成長を喜んでいますよ。これからもまた厳しい作戦に直面すると思いますが、精いっぱいお手伝いいたしますね。今度いらしたらケーキを出してさしあげますから、楽しみにしていてくださいね」

 

 

「はいはい! 次あたしー! 指揮官お誕生日おめでとう。ここの基地に来てから毎日楽しいしみんな優しいし指揮官は特に優しいしいいことばっかりだよ。最初指揮官が拾ってくれたことは嬉しかったんだけど、それよりもっと嬉しかったのはS05地区の隔離施設が襲撃されたときに助けに来てくれたことなんだ。あのときまた見捨てられちゃうかなってちょっと思ったんだけど、M4が指揮官を信じるって言ってくれて、だから信じられて、指揮官もそれに応えてくれてすっごく嬉しかったなー。だからね、ありがとうってずーっと言いたかったんだ。今になっちゃったうえへへ遅くなってごめんね。この前パフェ作ったの楽しかったからまたやろうね! 約束だよー」

 

 

「私がここだと最後なわけね? Vectorはいいの? あぁ、そう。そうね、スプリングフィールドが言う通りあんた顔つき変わったわ。決心ができたっていうかなんて言うか、前はもっとぼんやりした顔してたし頼りなかったから。本当は指揮官に向いてないって思うのよ? 軍人でもないし身体も弱いしすぐ怪我するし身内に甘いし気も弱いし。むしろ向いてる要素を探すほうが大変なくらいよ。でもあんたがここで築き上げた功績だけは評価するわ。それは本物だもの。部下から好かれるっていうのは大事な要素なんじゃない? 私? 私は別に好きでも嫌いでもないわよ。ちょっとスコーピオンなんで笑うの。トンプソンもやめなさいよ! まったく……あんた本当に愛されてるわね。とにかく、その、誕生日おめでとう。私をこの基地に受け入れてくれたことは感謝してるわ。ここでの生活は本部よりいいから」

 

 

*司令部AR小隊宿舎

「もうしゃべってもいいのですか? あ、撮影始まってるんですね。指揮官、RO635です。お誕生日おめでとうございます。日付はデータベースを参照して知っていたのですが、こういう形でお祝いできること嬉しく思っています。指揮官には大変よくしていただいて感謝の言葉もありません。私のためにペルシカさんとも定期的にやり取りをしてくださってありがとうございます。それに、家族のように接してもらえていることが嬉しいです。多分、人間の家族における兄や姉は指揮官のような人なのでしょうね。もちろんM16も私にとっては姉のようなものですが、指揮官は格別に近しく感じます。そういえば以前お話ししていたスクラップブックですが、私の友人についてまとめていただけますか? 私にとって大切な存在を指揮官に知ってもらいたいのです。よろしくお願いします」

 

 

「お姉ちゃんは今日いないから私でここは最後かな? 指揮官ハッピーバースデー! いつも外から帰ってきたときにだっこしてくれてありがとう。あんまりわがまま言っちゃいけないってお姉ちゃんたちに言われてたけど指揮官はいいよって言ってくれてとっても嬉しかったよ。あと鉄血のパーツいつも見てくれてありがとう。あれ見せても喜んでくれるの工廠の人だけだから寂しかったんだ。指揮官が見て写真撮ってノートにまとめてくれてるのみんなに自慢したいくらい嬉しい! さっきすごくきれいな骨格拾ってきたから報告に行くとき見せるね。このメッセージ受け取る時にはもう見せちゃってるからここで言っても意味ないかな? また工廠に遊びにおいでよ。みんな指揮官が来てくれると喜ぶし、お菓子ももらえると思うよ。それじゃ指揮官またねー」

 

 

*司令部通信室

「こんにちは指揮官様、お誕生日おめでとうございます。もう、教えてくださればいいのに。水臭いですよ。まあでも指揮官様照れ屋ですからね、内緒にしておきたかったんですよね。どうせVectorさんにも話してなかったんでしょう? ほらやっぱり。そういうのはだめですよって私が言っても聞きませんもんね、叱られて覚えてください。私たちだってお祝いしたいんですから。えーっと、そうですね、お誕生日おめでとうございます。指揮官様との付き合いは短いですが密度がすごいですよね。一緒にお仕事したり、お話したり、秘密の片棒担がせていただいたりもしました。ここでお友達ができるなんて思ってもいなかったので、すごく幸せですよ。これからも後方支援頑張りますから、末永くよろしくお願いしますね。もちろん、お買い物はいつでも歓迎ですわ。今月はお誕生月価格にいたしますのでたくさん買っていってください。もちろん誓約用の指輪だって、やだなぁVectorさん冗談ですよあはは」

 

 

「やぁ指揮官君。今日は女子会なんだんよ、ほら例の君の話ばかりする君が嫌がるアレ。まあ君の誕生日は知っていたんだけど、どうせ君は祝われるの嫌がるだろうからこっそり贈り物をしようと思ってもう送ってあるんだ。いやがらせじゃないよ、君だって人間なんだから祝われることには慣れないと。まあ君の苦虫を噛み潰したような顔も見たいのだけどね。誕生日おめでとう。君の誕生は祝福されるべきだよ。なかなか面白い人間だし、仕事にも慣れてきて頼りにできる。稀有な存在だって保証してあげる。君にはうちの子達のことでいろいろ苦労かけてるけど、これからも苦労してもらうことになると思う。それは申し訳ないことだけど、君なら乗り越えられるし私だって君の上司だって君のために尽力してくれるさ。君はそれだけ大切な存在だから、もっと祝われることに慣れて、そろそろ名誉欲にも目覚めたらどうだい? 今後も期待してるよ」

 

 

「む、私か、そうか……こほん、指揮官、誕生日おめでとう。貴官の昨今の活躍は目を見張るものがある。勲章を与えられたこと、上司として大変鼻が高い。それでその、そうだな、貴官の成長にも感謝している。よくぞここまでの困難を乗り越えてくれた。クルーガーさんも貴官を評価している。誇りに思ってくれ。む、硬いか? んんん困ったな……なに? そういうとこが合コンの負け犬たる所以? カリーナ! 余計なことを言うんじゃない! しかしそうだな、これは指揮官に対する祝いの言葉だったな……うーん、貴官は私を怖かったり接しにくかったり思っているか? 貴官はたまに我慢強すぎるところがあるから気にしている。貴官がなんでも自分でやってみようとすることは尊いことだ。だがもっと私を頼ってくれて構わないから貴官の苦労を私にも分けてくれ。それも上司の仕事、また私が貴官のためにしてやれることだ。これからもよろしく頼むぞ。ではまたな」

 

 

*不明

「はろはろ指揮官、聞こえてる? あ、大丈夫そう。45姉いいよ」

「そう? ありがと、9。お久しぶり指揮官。なんか誕生日のお祝いメッセージとってるらしいって聞いたからちょっと小細工させてもらったよ。私達みたいのに祝われて嬉しい? それとも鬱陶しい? まああなたなら手放しに喜ぶんでしょうね。脳天気でいいことで。どうして死に向かってるのに祝うんだろうね? 指揮官もう成長を喜ばれる年でもないでしょうに」

「45、これはお祝いなんだから。憎まれ口だけ入れるつもり?」

「そんなんじゃないよ。416は真面目だね、そんなにあの指揮官が気に入った? まあ416だけじゃないよ、9もG11も指揮官のことは気に入ってる。よかったね、点数高いよ。私? 私はもちろん指揮官のこと大好きよ? 人形は人間のよきパートナーだからねーしきかーん? こんな言い方するとあなたは嫌そうな顔するんでしょうね。聞いたよ、この前くっだらない理由で肋骨折ったんだってね。その前はぼんやりしてて肺に穴あけたんだっけ? あんまり不用意に怪我して私に鼻の骨を折られないように気をつけることね」

「45は素直に心配って言えばいいのに」

「G11、余計なこと言うと補給減らすわよ。まあ私はそんな物騒なことしないけど、あなたが味方な限りは。とりあえず、そうね、今後何かの作戦で困るようなことがあったら手助けしてあげてもいいからそのときはまた一緒にお仕事しましょうね、優秀な指揮官サマ。ハッピーバースデー」

 

 

*どこか

「テステス、入ってるかこれ? や、指揮官。ごめんなこんなことになっちゃって。ROは困ってないか? SOPⅡは泣いてないか? 今となっては確認できないな……聞きたくないだろうけど、どうしてもM4を助けたくて。多分帰れそうにない。指揮官はどんな顔するかな、困る? それとも泣く? どっちにしろそんな顔させたくなかった。指揮官が私達を、M4を諦めなかったこと、それからAR-15が生きてると信じてくれてること、いつだって帰りを待っててくれてること、全部嬉しかった。あそこは私の帰る場所だって本当に思ってた。帰りたいよ、でも帰れない。私のことは諦めてくれ、本当にすまない。ROとSOPⅡ、M4をよろしく。AR-15を見つけ出してみんなでS09地区に凱旋してほしい。最後に、誕生日おめでとう。私のキャビネットにラッピングされたとっておきがあるから、それがプレゼントだ。今までありがとう。来年も祝いたかったよ。さようなら」

 

 

---

 

 

 キャビネットから発掘されたのは案の定ジャック・ダニエルだった。彼女らしい。

「ごめん指揮官、あたし、こんなつもりじゃ」

 指揮官はいつかのように血色が悪く、また眠れなくなっている。あたしがいるから辛うじて眠っているようなものだけど、眠りは浅くすぐに目覚めてしまうようだ。

「んーん、大丈夫だよ。サプライズでこんなの作ってくれてすごく嬉しい。何よりVectorが他のみんなとコミュニケーションを取ろうとしてくれたことが一番嬉しい」

「大げさ」

「そうかな? まあでも、なんか厄介な奴からのも入ってるけど。どこかで盗聴でもされてるのかな……」

 指揮官は小声で何やらぶつぶつ言っている。あたしも最後の二つはとってない。正確には、最後の一人に録画するようにとカメラを渡したのだけれど、そのカメラは戻ってこなかった。

 指揮官が死に物狂いで探して入手したドローンに目的の物と渡していたメモリーカードがくっつけられていただけで、他は何もなかった。

「戦場では何も見つからなかった」

「そうか……じゃあ生きてるよ。何も見つからないなら生きてる」

「諦めないの?」

「まさか、そんなこと無理だ」

 ははは、と笑う指揮官はいつもより覇気がなくて、ここ数日の心労がうかがえる。本当に、馬鹿な人。かわいそうな人。優しい人。

「楽になればいいのに」

「いや、文句言ってやらないといけなくてさ」

「何を?」

 指揮官はラッピングを外したジャック・ダニエルをあたしに見せた。

「多分、私が生まれた年に作られたのをよこすつもりだったんだろうけど、これそれより一年前なんだ」

「あ」

「間違えてるって、文句言ってやらないと」

 そう言ってまたジャック・ダニエルをキャビネットに戻した。これを片付けるつもりなはいみたい。

「そんなに簡単に諦めてもらえるなんて思わないでほしいな」

「うん。指揮官頑固だからね」

「意志が固いって言ってよ」

 そうやって指揮官はへらっと笑って見せてきた。目の下の隈が少し頼りない。

 M16が帰ってこなかった、ただそれだけの話。

「ねえ指揮官」

「ん?」

「誕生日おめでとう」

「ありがとう」



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そのときは彼女によろしく

くぅつかれましたこれにて一旦区切りです。
これから生活が変わるのでせっせ書けなくなりそうかもしれません。
とりあえず自分の生活の方に集中して、何かしらやれる余裕やら気合いやらがあればきっと何かすると思います。
これにてしばらくお休み!
ご愛読ありがとうございました。


 この遺書が読まれているのであれば、私は志半ばで倒れたのでしょう。非常に残念でなりませんが、願わくばあなたが遺された私の願いを叶えてくださいますように。

 所有している人形ですが、一体を除き一度G&K本部にお返しします。そちらでI.O.P.に戻すか引き続き戦うかを判断していただきたいのですが、彼女たちは皆優秀なので正当な扱いを望みます。もし何らかの費用が必要な場合は私の口座から使用してください。必要な情報は別紙に記載いたします。

 AR小隊のことですが、こちらも本部の判断に委ねたいと思います。ですが、可能ならAR-15およびM16の捜索を続けてください。M4は特別な存在ですが、AR-15、M16はもちろん、SOPⅡとRO635も欠かせない存在です。誰も欠けさせることなく手元に戻らせてください。

 後方支援のカリーナのこともよろしくお願いします。彼女は非常に優秀で、公私ともに私を支えてくれ、またよき友人でいてくれました。感謝しています。もし彼女が希望する業務があるのなら優遇していただけると幸いです。

 最後に、誓約相手のVectorですが、

 

---

 

 私は大変に臆病なので、未練を残すことが苦手だった。

 立つ鳥跡を濁さずという言葉がある。それに従って何も残さず消え去りたいと思っている。あと少し、もう少しを積み重ねてみじめったらしく生きるくらいなら何も持たずに潔く死んだほうがましだ。

 そう思っているのに、もうそうはできないことを理解している。大切なものが増えすぎた。

 

 タイミングが悪い。私は悪くないんだ。本当に間が悪いだけで、ただその間の悪さが単純ではなくて、複数の要素がかみ合った人生史上最低の間の悪さであって。

 要するに運が悪かったためにVectorの機嫌を損ねた。

「この場合、どっちが悪いんだろう」

「うーん、まあ、原因は指揮官様にあるわけですし」

「私かぁ」

 副官が機嫌を損ねて出て行ってしまったため、今日の補佐はカリーナにお願いした。申し訳ない。

「またいつもの手を使うか」

「またケーキですか」

「ケーキ買って行って謝れば大抵許してもらえる」

 いつもはケーキを購入していって頭を下げれば許してもらえる。このレベルの失態でも体感八割は許されている。

「今回はそれでも許してもらえないやつだと思いますけど」

「……だよね」

 今回は最低にタイミングが悪すぎた。ただの機嫌を損ねたのレベルじゃない。大変にまずい時期に大変にまずい物を大変にまずい相手に見られた。

 一つ一つは小さなことでも積み重ねでもはや取り返しがつかない。

「ちゃんと説明しましょうよ。指揮官様も今まで黙ってたわけですし」

「そうなんだけどさ、言う必要があることすら認識してなかったんだ」

「そういうとこです」

「はい」

 はぁ、と音が聞こえるほどの勢いで溜息を吐いた。カリーナの言うとおりだ。すぐに説明すればよかったのについ言い訳しようとしてしまった。

「そこで、いいものを仕入れたのでお買い物しません?」

「……君ねぇ」

「どうかしましたか?」

「いや、いいよ。買います。ちょっと待ってて、今ダイヤ出すから」

 今は通貨代わりに使われているダイヤモンドもかつては一粒で将来を誓うほどのものだったとか。

 袋から取り出してデスクの上に並べると光を浴びて星屑のように輝く様は確かにきれいだった。

「何仕入れたの?」

「そういうのを映すものです」

 カリーナはデスクの上のダイヤを示した。

「ダイヤを?」

「いえ、星を」

 偶然にも同じようなことを考えたのは黙っておこう。笑われそうだ。

「なるほどプラネタリウム」

「を、作るキットです」

「自分で作るのか」

「星座の説明もついてますし、簡単なつくりなので初心者でも安心ですよ」

 こういうのは既製品の方がいいんじゃないだろうか? まあでもありがたくいただいておこう。

「あれでしょ、このシートに穴開けて作るんでしょ?」

「いえいえ。これもう星は描いてあるので組み立てればいいんです」

「え?」

「あっ今ペンの先でつついて穴開けちゃいましたね? それ在庫一つしかないんですよ!?」

「あー……」

 前途多難だ。

 

 最後の良心か、Vectorは宿舎には戻らずに部屋にいてくれた。

 ただこちらを見ようとはせず、ずっと文庫本を読んでいる。最も腹を据えかねているときの行動だ。

「た、ただい、ま」

「……」

 返事さえしない。どうにもならないやつだ。

 いつもだったらここまでの状況に陥ったら大人しく床で寝ることを選択するのだが、残念ながら最近ストレスで不眠が復活しているので、Vectorは床で寝ることを許してくれない。機嫌を損ねてるくせに一緒に寝ようとするところが余計に面倒なのだ。断ろうとしても力づくで寝かされる。

 彼女は彼女なりに私を心配してくれていることはわかっている。しかしそれをある意味昼間裏切ってしまった形になる。なんとかして説明しなければならないのだけれど、そのきっかけをもらえるだろうか?

 とにかく、カリーナの作戦に従ってみよう。普段は私が作戦を立てる方だからこういうのは新鮮だ。

 私はわざとらしく音を立てて机の上になんとか組み立てた手製のプラネタリウムを置いてみた。あとはこれでVectorが興味を示すまで待てばいい、というのがカリーナの作戦なのだけど、うまくいくのかこれ? いやこれはカリーナのことを信じよう。

 

 Vectorに構ってもらえないので一人寂しく夕食をとってシャワーを浴びに行き、寝間着に着替えて部屋に戻ると部屋の照明は既に落とされていた。

 今まで先に就寝されたことはなかったので、それだったら史上最低の機嫌の悪さを更新する、と背中を嫌な汗が流れたがそうではなかった。ベッドの周りにぽつぽつと光の点が見える。

 足元に気を付けてそろりそろりと近寄ったところ、Vectorは顔を上げた。

「これ」

「あ、あぁ、カリーナから買ってきた」

 意外や意外、カリーナの作戦が功を奏してVectorは私の撒いた餌にかかってくれたのだった。これは後でお礼を伝えておかないと。しかしVectorが興味を示すものをカリーナに先に抑えられるのもなんだか釈然としない。

「あたしが注文してたやつなんだけど」

「……あいつめ」

 前言撤回。そりゃ興味を示すのも当たり前だ。

「別にいいよ。それについてる本が欲しかっただけだから、おまけは必要ないし」

「そっか」

 Vectorは暗い所でも本が読めるのだが、電力効率が良くないことと私もそれは気になるのでベッドサイドの読書灯をつけてやった。

「後で半分払う」

「いいよ別に。その代わりその本後で見せて」

「まぁ、いいけど」

 それにしてもこのプラネタリウムの出来はよかった。天の川まで再現できているのはなかなか壮観だ。現実で見たことはないが、天の川というものがあるという知識はもっていた。写真で見たものは確かこんなだった。

「どうしてこれ買ってきたの」

「話すきっかけを、作りたくて……口きいてくれないと思ったから」

 Vectorはちらりとこちらを見て心底嫌そうな顔をした。自分が機嫌を損ねていたことを一瞬忘れて話しかけてしまったことを後悔してるんだろう。

「昼間の言い訳なら聞かないよ」

「聞いてよ」

「イヤ」

「困ったなぁ」

 機嫌が悪いことを思い出されてしまったのでちょっと後退。でも大分状態はいい。

「あー……その本に何か面白いこと書いてあった?」

「オリオン座の右肩に当たる星はもう消滅してて、速度の問題で消滅が地球から確認されてないだけらしい」

「へぇ」

「あと、星座はたまたまここから見て都合よく並んでるように見えるけど、実際は距離も位置もバラバラなんだって」

「なるほどな、確かにその方が自然だ」

「なんか人間みたい」

「ん?」

「都合よく仲良くしてるように見えて実はそんな近しくなかったりする」

「なーる」

 人形も似たようなものだとは思ったけれど、人形の関係性は人間を模倣しているらしいので、その点を考慮すると人間っぽいとVectorが言うのもわかる。

「そのオリオン座の右肩ってのは近いうちに消滅が確認されるの?」

「さあ? 消滅したところで640光年は離れてるから観測は無理」

「一光年が光が一年に進む距離だっけ」

「そう」

「生きてる間に見るのは無理だな」

 口に出してから悪い言葉を口から出したことに気づいてつい口をつぐんだ。私が踏み抜いた彼女の地雷はそこだ。

 私が反応してしまったことに気づいてか、Vectorはため息をついた。

「知ってるよ。あれってG&Kにいて戦場に関わる人間はみんな書いてるんでしょ」

「うんまあ、そうなんだけどさ、あるってことを伝えてなかった。ごめん」

「いいよ。言う必要ないって思ったんでしょ」

「そうなのだけど、でもそれは間違いだよ。私のことを心配してくれてるVectorには話しておくべきだった」

 昼間、Vectorは私が書きかけでデスクの上に置きっぱなしにした遺書を見てしまったのだ。

 これは先ほど彼女が言ったようにG&Kに所属していて戦場に関わる役職についている者は必ず書くことになっている。戦場に関わる以上、いつ命を失うかはわからないのできちんと備えておけ、というのが研修で聞いた言葉だ。

 大抵の人が家族へのメッセージを残すのだが、私は残してきた家族というものがないので自分の部下のことばかりになってしまった。

「あれは定期的に内容を確認して、更新するべき箇所があったら書き直さないといけないんだ。だから別に今になって書いたわけじゃない」

「じゃあなんで今になって書き直そうと思ったの」

「前に書いたのがVectorと誓約する前だったからさ」

 書き直そうと思った箇所はそこなのはあってるのだが、書き直そうと思った理由についてはついはぐらかしてしまった。バレているだろうか?

「それは読み返して書き直そうと思って場所でしょ。あたしが聞いてるのは読み直した理由だよ」

 バレていた。素直に白状しよう。

「今回のことが関わってる。きっとまた一波乱あるし、おそらく今までと同じようにはいられない。また場所を移すかもしれない」

 もしかしたらまた異動願を出すかもしれない事態がやってきたのだ。それはVectorも知っている。

 単純な話だ、ペルシカさんからM4が目を覚ましたと連絡があった。再びM4と歩き出す時がやってきた。

「そうだろうなとは思ったけど」

「けど?」

「どうしてあたしのとこを書き直そうと思ったの」

「そりゃ万一君を遺してしまったらどうしようって思ったから」

「てっきり一緒に死んでほしいって言うかと。人間ってそうなんでしょ?」

 そうきたか。割と驚いた。彼女の方からそんなことを言われるとは思ってもいなかった。

 おそらく彼女がそう考えるのはよくある映画や小説なんかではそういう話が出てくるからだ。もちろん私が真人間だったら、もっと情に厚い人間らしい人間だったらそう言ったのだろう。愛する存在とともに死ねたらどれだけ幸せだろう、と考えないことはない。

 だが私はそうじゃない。そうはなれないのだ。

「言わないよ」

「言わないんだ」

「Vectorは戦術人形だから」

「今更それを言うの? こんな人間の真似事の指輪渡しといて、人間みたいに一緒に生活して、散々人間扱いしたくせに?」

「うん。生きてる間は私のわがままを押し付けたからね。死んだあとはVectorの好きにしてほしい」

 私が死んでしまえば彼女は自由だ。だからあんな紙切れ一枚でそれから先のことまで縛りたくない。

 縛りたくない、なんて考えが人間様のエゴの押し付けだってことはわかってる。結局私はあの手紙にまたひどいことを書くんだ。

「Vectorは戦術人形としてのプライドもある。私はそれがいいなって思うから、戦場で終わるのがVectorにとって一番いいのかなって思ったりもするんだ」

「大抵の戦術人形はそうだよ」

「そうだけど、やっぱり戦ってるVectorは一番生き生きしてるっていうか、きれいっていうかなんて言うか」

 いかん段々恥ずかしくなってきた。要するに私は戦場にいる彼女も好きなのだ。

 大げさに咳払いして話を続ける。

「そういうことだから、Vectorのいい方を選んでくれたら」

「指揮官が一言その時も隣にいてって言えばそうしてあげるのに?」

「言うもんか。隣にいてもいなくてもいいよ」

「人形は自己決定が苦手なのに無茶言うね」

「せいぜい時間かけて悩んで」

「また意味のないことやらせて」

「大丈夫できるできる」

「いい加減」

 そう言いつつどうしたいのか考えてくれると信じている。これであの手紙の更新内容は決まった。

 なんとなく先日見た銀河鉄道の夜という映画を思い出した。

 私は途中下車するつもりはないけれど、銀河の果てまでいける切符を持つ相棒に一緒にここで降りようと言ってやる度胸も傲慢さもないのだ。行けるならどこまででも行ってほしい。一緒に降りたいなら降りてくれて構わない。

 どっちを選んだって彼女の出した答えなら正解なのだ。

「念のため伝えておくけど、遺書を更新するってのは仕事であって、死ぬつもりとか死んでもいいとかそういうわけじゃないから」

「わかってる」

「わかってないから怒ったんでしょ」

「怒ってなんかない」

「じゃあなんで部屋に戻ったのさ」

「指揮官の顔見たくなかったから」

「それは一般的に怒ってるっていうんだ」

「ふーんそう」

「こいつ……」

 私だってわかってる。ただ怒ってたんじゃなくてもっと色々あったんだろう。それでVectorともあろうものが衝動的に仕事を放棄するまでに乱してしまった。悪いことをした。

「私も反省してる。可能な限り話すようにするよ」

「無理する必要ないから」

「私がそうしたいんです」

 Vectorにも少しでも伝わっててくれればいいけれど、どれくらいお互いに理解できているかはわからない。

 けどわかってしまうとそれはそれでつまらないので、これでいいんじゃないかなとも思う。

 わからないから話す。わからないから機嫌を損ねる。でも機嫌を損ねられるとこれはダメだったということがわかる。今回だってそうだ。

 私がVectorについて理解してることなんてほんの少ししかなくて、もしかしたら全然何もつかんでなくて、これからもっとよく知っていきたいのに途中でくたばるのなんてごめんだ。意地でも生き延びてやる。

 以前はいつ死んでもいいように生きていたのに、自分も随分変わってしまった。

「指揮官も自分が死んだら、なんてこと考えるんだね」

「そりゃ、ね。生きてる限り必ず死ぬ。映画が終わるのと一緒」

「まあ幸せに暮らしましたとさめでたしめでたし、で終わることなんてないもの。終わりがないものなんて本物ではないし」

「うん。残念ながら終わりだけは全てに等しく訪れるよ」

 この地球ですらいつか終わると言われている。まあ地球が終わる前に人類の歴史が終わりそうだけど。

「そうだ、Vectorが先に死ぬのもだめだからね。こまめにバックアップとってよ」

「わかってるって。ちゃんとさっきとったから。指揮官がこそこそ手紙書いてたことも保存した」

「一言余計だって。万が一のことがあったら生きていけない」

「自分は好きにしろっていうのに」

「そりゃやるべきことがあれば死にはしないさ。でもそんなのただ死んでないだけになる」

「なにそれ?」

「なんというか、生きる意味を失うというか」

「その内また見つかるって」

「やだなぁ」

 口にはとても出せないけれど、私はVectorがいい。自分の生きている意味を彼女にしたい。

「指揮官にはAR小隊の指揮官ってものがあるじゃん」

「それは、多分違うんだと思う」

「どうして? M4を助けてきたのは指揮官でしょ?」

「きっと私でなくてもM4のことは助けたし、AR小隊の指揮官は私でなくてもよかったんだと思う。そこにいたのが誰でも物語は進んだ」

 物語、なんて大げさなことを言っても私たちがやっていることなんてのは新聞の片隅に載るか載らないかのごくごく小さなことで、むしろ何もしなかったとして何かが大きく変わるはずもないような、世界規模で見たらそよ風のようなことばかりだけれども。

「たまたま私だったってだけで、特別なことは何もない。ただ指揮官だったってだけで私である必要はない」

「ふぅん、そんなもんか。その割には頑張ってるけど」

「そりゃ仕事だもの。それに一度関わってしまったものを無下にはできない」

「それはわかるかも。仕事を半端にするのはよくない」

 会話が続くようになってきたからVectorの機嫌もすっかり直ったようだ。よかったよかった。

「私を私たらしめてるのはVectorだよ」

 なので気が緩んでついこんなことを口走ってしまった。口から出た言葉は戻らない。もう遅い。

「あたし?」

「いや、その、言うつもりなかったけど」

「言いなよ」

「ちょっと待ってね、ちょっとだけ待って……ふぅ」

 いや、もういい。全部言ってしまおう。私だけ慌てたり恥ずかしかったりなんてのは不公平だ。Vectorだって同じ気持ちを味わえ。

「私が、私だったから、数ある人形の中からVectorを、それも君を選んだんだろうなって思う」

「ふーんそっか」

「そっかって」

 自分で聞いておいてすぐこういう興味なさそうな反応をする。けどそれでさえ腹を立てない私がいる。もうどうにもならない。

「だから自分が生きてる意味を君に求めたいし、君がいなけりゃ生きていけないし、もしものときは一番気にかけちゃう」

「そういうことなら、あたしがあたしであるのも指揮官がいるからかな」

「…………どうしてそういうこと真顔で言うかなぁ」

「だってあたしに『あたし』っていう個の概念を与えたのは指揮官じゃない」

「そうだけどさ、口に出されると恥ずかしいよ」

「その分の責任は取ってよね」

「あ、はい、お任せください」

 割ととんでもない会話をしたような気がする。

 のどが渇いたから水でも飲もうと段ボールから飲料水のペットボトルを引っ張り出した。一本は自分用に、もう一本はVector用に。いつの間にかこうして二人分用意するのが当たり前になっていることに気づいた。

「それにしても指揮官プラネタリウム作るの下手だね。ところどころ隙間が空いて線になってるよ」

「手先が器用じゃないんだ」

「無理して作るから」

「でも楽しかったよ」

「こんなの偽物なのにね」

「まあほら、きれいだよ。誰かがきれいに見えるようにって作られたものがきれいに見えるのはいいことだと思うけどな」

 こうでもされなければ見れない星だってたくさんあるはずなのだ。天の川なんてどうやったら見れるのか私は知らない。

「偽物なら意味ないんじゃない?」

「そもそもこの雑誌とプラネタリウムの組み合わせが模型から天体を学ぼうって意図なら十分意味はあるよ」

「そんなものか……あれ、あの星はこの雑誌には載ってないんだけど」

「あ」

 それは私が誤って開けてしまった穴だった。

「あれは、その、手が滑って」

「台無しにしたんだね」

「悪気はなかったんだ。作り方がわからなくて」

「説明書見ずにいじるから」

「あーほら、君が第一発見者なんだから名前を付ける権利があるよ。アレンジだと思えば偽物だって価値が生まれてくると思うよ」

「それ人形にやらせること?」

「いいじゃん。君だけの世界に一つしかない価値あるものになるんだし」

「自分で穴開けたくせに調子いいことばっかり」

「ごめん」

 Vectorと天井を眺めながら少し考えた。S09地区に初めて来た頃から自分は大きく変わってしまった。大切なものが増えたし、立ち向かわなければならないものも見えたし、譲れない使命も抱えた。

 もう元には戻れない。ただ生きていくためだけに何かを求めていたころには戻れなくて、生きるために抱えたものを必死に手放さないようにすることしかできない。

 私はただ家出娘たちの首根っこをつかんで元居た場所に帰りたいだけなのに、どうもあいつらは素直に帰る気はないみたいで。実に手が焼ける。

 これからはもっと難しい仕事が待っているだろう。もしかしたら私自身が物理的に痛い目に遭うこともあるかもしれない。今までとは同じでいられない、何かが変わっていく経験を何度も重ねるかもしれない。

 ただそこに、Vectorがいてくれたらなんだって乗り越えていける気がする。彼女は私がどんな目に遭おうともどう変わっていこうともこっちを見ていてくれるから。

 だから私も変わっていくVectorを片時も見落とさないようにしていかないといけない。

「じゃああの指揮官が開けた穴の名前は」

「星って言ってよ」

 抗議するために彼女を見た。暗い部屋の中薄明かりでぼんやり見える顔がきれいだった。

 それから彼女は私がうっかり開けた穴の名前を言う。つい瞬きを忘れて唇の動きを追ってしまった。

 それは紛れもなく、私の名前だった。

「穴開けて一点物にしちゃったなら責任は取らないと」

 彼女は軽く微笑みながら言う。つられて口角が上がった。

「仕方ないなぁ」

 今日は私の負けだ。

 

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最後に、誓約相手のVectorですが、どうしたいかは彼女の判断に委ねてください。それを見られないことだけが私の唯一の未練であり、私が成し遂げられたことです。



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