アイズ・ヴァレンシュタインは、ファミリア──延いてはこのオラリオで、剣姫という二つ名を与えられている。
文字通り彼女は剣使いであり、その腕は二つ名がつけられるだけあって非常に達者で、数いる冒険者の中でもトップの実力を誇っているし、その容姿は本当にお姫様を攫ってきたのではと思わせるくらい可憐だ。
そんなヴァレンシュタインとはもうだいぶ長い──もっと具体的に言うのであれば9年の付き合いではあるけれど、僕は未だに彼女とプライベートな交流をしたことが無かった。
僕だってここ、ロキファミリアではそれなりの実力があると自負している冒険者であり、ダンジョン深層への遠征だって行くし、打ち上げと称して複数人で酒場に行ったこともあればダンジョン内で鉢合わせして一時的にパーティを組んだことも有る。
──だが、それだけだ。
戦闘上の、非常に事務的な会話しか僕たちはしたことがない。
だからといって、彼女のコミュニケーション能力や、僕の対人能力に特別問題が有るわけではなかった。
確かに彼女は物静かで口数は少なく、自己主張はあまり強い方ではないが、かといって引きこもり気味だったりとか、誰とも仲良くしようとしないとか、そういう訳ではない。
彼女だって親しい友人はいるし、僕だって同じように(少なくはあるが)良く絡み絡まれる友人がいる。
彼女が親しい友人──例えば、彼女と同じレベル5冒険者であるティオナ・ヒリュテだったり、その姉でありやはりレベル5冒険者のティオネ・ヒリュテと良く談笑している姿を見かけるし、またレベル3冒険者であるエルフの魔法使い、レフィーヤ・ウィリディスに尊敬されていることも知っている。
他にも僕には与り知らぬところで交流を重ねているであろう、そう思えるくらいには、彼女にコミュニケーション能力はあった。
では全く話すことのない僕とヴァレンシュタインの仲が悪いか、と問われたらそれは恐らくノーであろう。
決して本人から聞いたわけではないが、余程のこと──つまり無意識的に彼女の嫌う言動をしているか、僕が彼女を認識する前に生まれた恨まれるような過去が無い限り、そういったことはないと断言できた。
なぜ自信を持って言えるかと言えば、答えは至極簡単だ。
端的に言えば、嫌われるほどの関係を僕等は作り上げていないのだ。
ロキ・ファミリアはオラリオ全体で見てもトップの実力、規模を誇っていて、抱えている人員もそこらのファミリアとは比べ物にならない。
その上このファミリアは、主神の好みもあって女性が多く、男性がかなり少なかったりする。
ほぼ同時期に入ったとはいえ、性別の違いもあり、共通して自ら積極的に関わりに行くような人間ではなかった。
だから僕等は今まで関わることはなかった。
──それで良いのだろう、僕は僕で楽しくやれているし、彼女もまた彼女で充実して過ごしている。
例え同じファミリアで、どれだけ長くいようがそれで個人的な絡みがない人間がいたところで果たして支障はあるだろうか?
非常に現実的な意見として言わせてもらうが、それは全く無い。
だから、僕等はきっとどちらかが死ぬまで、必要最低限の会話だけをするような仲なのだろう。
ヴァレンシュタインもそう思っているだろう、いや、思っていなかったとしても、もし指摘されれば同じような答えに辿り着く筈だ。
それで良いのだ、そういった関係の人間も、一人くらいは悪くない。
そう、思っていた。
だけれども、転機というのは不意に突然やってくるものだ。
ある日のことだった。
もっと詳しく言うのであれば、僕がロキ・ファミリア副団長──リヴェリア・リヨス・アールヴに寝過ぎだと叩き起こされた夏のあくる日のことだった。
分かった分かった、今起きるから出て行けと枕をぶん投げて追い出した後にゆっくりと着替えてから踊り場に降りてきた時だった。
ちょうど集まっていたロキ・ファミリア幹部──団長であるフィン・ディムナを含んだレベル5以上の冒険者たちのほとんどが揃い踏みして僕を見て来た後に、その輪から一人こちらに歩み寄ってくる存在がいた。
それが、アイズ・ヴァレンシュタインだった。
前述の通り、僕等はダンジョン以外で、更に言えばホームでも事務的なこと以外では全く話したことは無い。
その上もっと正確に言うのであれば彼女は歩み寄ってきたのではなく、彼女の友人であるヒリュテ(妹)の方に押される形で僕の前にやってきた。
だが彼女は一言も言葉を発すること無く、伏し目がちに言いづらそうに口を開けたり閉じたりしている。
正直に言えば気まずい。
この状況を誰かが見れば告白でもするのか?と言わんばかりの有様である。
その可能性は絶無と言って良いほど無いと断言は出来るが、少なくともすぐ言葉にするには少々気後れしてしまうような内容であるのは分かってしまった。
どうするべきかと悩んだものの、僕は彼女の言葉をそのまま待つことにした。
後ろでニヤニヤと見守っているフィン達に助けを求めるのは意味のない行動だろうし、かと言って何も聞かずに去ってしまうのは印象が悪い。
だから僕は待つことにした、その判断はきっと万人が正しいと思う判断だったと思う。
実際それは、結果だけを見れば正しかったのだ。
どうしてかと言えば、それはヴァレンシュタインがやっと絞り出した言葉に問題があった。
彼女は少しだけ咳払いをしてからはっきりと、聞き間違いなんて許さないと言わんばかりに正確に、こう言ったのだ。
コンビを組んでほしい、と────
コンビ:コンビネーションの略語でありその意味は何かを行うために二人で組むこと、またその二人、である。
聞き間違いかとも思ったが彼女はあれほどはっきり言ったのだ、間違いだなんてことはまずないだろう。
であればヴァレンシュタインの申し出は、ダンジョンを攻略する際の相棒になってくれ、ということで間違いはない。
正直な感想としては、何で僕? である。
先程から言っている通り、僕と彼女はプライベートなやり取りは本当に、一切したことがないのだ。
誰かからの言伝だったり、遠征の知らせだったり事務的な会話ならしてきたが、それ以外の会話はまるで存在しない。
個人的なやり取りだって全く無いし、強いて共通点を挙げるのであれば同じファミリアである、といったくらいである。
そんな仲、というか関係である僕に対し何故彼女はそんな要求をしてきたのだろうか。
何かの罰ゲームとか? 身内でちょっとしたゲームをして負けたやつは僕とパーティを組む、みたいなそんな残酷なゲームをしていたのだろうか?
だとすれば趣味が悪いというレベルではないが──それはまず無いだろう。
そんな下らないことをするような人間でもあるまいし。
であれば何故なのか。
実力が同じくらいであるだろうから。ふむ、それであれば納得できないこともない。
だが、それだって問題がある。
それを理由にコンビを組むのであればぶっちゃけ僕じゃなくても良い。
それこそ、ヒリュテ(姉妹)だったりウィリディスの方がよっぽど連携は上手くいくだろう。
あえて僕に頼んだ理由というのが見えてこない。
申し出自体は嫌どころか嬉しい部類に入るのだが、如何せん意図が掴めなくて僕は黙りこくってしまった。
そうしてイエス、ノーを答える以前の問題で答えに詰まっていれば彼女は小さく嫌なら良い、と震えて言った。
それを聞いてしまった僕からは断るという選択肢はほとんど無くなってしまった、周囲から注目されているという状況というのに慣れていないことをも相まって、僕はついに考えを捨てて了承した。
了承、してしまったのだった。
──コンビ結成おめでとう、といっても二人共あまり関わったことは無いだろうし、今日は二人でご飯にでも行ったらどうだい?
用意されていたかのような台詞を言い放つフィンに、僕は大して深く考えることもなく頷いた。
それはヴァレンシュタインも同じだったようで、僕等は現在夜ご飯を二人のみで食べに来ていた。
店は──これまた用意されていたように、リヴェリアが勧めた店に来ていた。
派手に目立つような店でもなく、かといって寂れている訳でもなく、簡潔に言ってしまうのであれば僕が普段来ないような、ちょっとお洒落な場所で僕等は料理を食べていた。
しかし、そこに会話は全く無い。皆無、あるいは絶無である。
何度でも言うようだが、僕は決して社交性が無い訳ではない。
それは勿論彼女もだが、だからといって僕等の間に必ずしも談笑が生まれるわけではなかった。
何というか、距離感を測りかねるのだ。
何せ互いの存在自体はこのファミリアに入った時から認知している。
幾度か模擬戦もしているし、遠征の際も最低限の連携はしてきた。
──だが、本当にそれだけなのだ。
言ってしまえば業務的な関係でしか無いのである。
ファミリアは家族であるとは良く言うが、僕等に限っては近所に住んでいる、ということを互いに知っているだけの他人、のような認識でしか無い。
少なくとも、僕にとってはそうだ。
そういう、特殊とも言える関係性である僕等は、その特殊な距離感を縮めようとした結果互いに気まずさを感じながら無言を貫いているというわけだった。
といっても、このまま帰るまでずっと無言であるというのもまたフィン達に申し訳が立たない。
何故かはわからないが、距離を少しでも詰めようとしてきたヴァレンシュタイン同様、僕も少しは踏み込んだ方が良いのかも知れない。
というか、そうするべきなのであろう。
意を決して、僕は口を開いた。
「……ごめんなさい。迷惑だった?」
ヴァレンシュタインは半端に口を開いた僕より先にそう問いかけた。
いつもより少し沈んだ調子の声で、多少の遠慮を見せながら、僕にそう問いかけたのである。
僕は、行き場の失った言葉の処理をしてから、改めて返事をした。
「いや、迷惑だと感じていたらそもそも僕はここにはいない。僕が気になっているのは…その、何ていうのかな……言いづらいんだが、どうして僕だったんだろう、ということだ」
「私は…同時期に入った十華のこと、ずっと気になってたから。でも中々話す機会を見つけられなくて、そしたらフィンが、少しずつじゃなくて一気に距離を縮めてみたらどうかって」
それでコンビを組んでみようかと思った、と。
言われてみればそれは非常に合点がいく話だった。
とても論理的でなおかつ筋が通っている。フィン達が随分ニヤけていたのも、納得がいった。
ただ非常に、そう、とても非常に意外なことであり、想像の埒外であったという面から眼を背ければそれは頗る分かりやすい理由だった。
ヴァレンシュタインが僕のことを気になっていた…? 正直滅茶苦茶意外である。
というかこの場合、興味を持っていなかった僕の方がおかしく映るのだろうか。
そういえば僕の友人──同じようにレベル5冒険者であるベート・ローガからも、一時変なやつだと言われたことがあった。
気にしたことは無かったが、もしかしたら彼女は今まで何とか距離を縮めようと努力をしていたのかもしれない。
──いや、していたのだろう。誰かに相談するということは、そういうことなのだ。
それはつまり僕は極度の唐変木かつ鈍感野郎だったというわけで、それが何となく癪に障って僕は僕自身へ多少の苛立ちを覚えた。
「そうだったのか…それは、すまなかったな。僕はちっともそう思われていたとは、全く気づきもしなかった」
「ううん、十華はきっとそうなんだろうなって、何となくわかっていたから。でも、だから、これから知っていきたいな」
「…そうだな、僕にもヴァレンシュタインのことを教えてくれ、その分僕も僕のことを教えよう」
等価交換というやつだ。そう言えば彼女は何それ、と薄く笑った。
そういえば、ヴァレンシュタインの笑った顔というのをこの距離で見たのは僕は初めてかもしれない。
それは何というか──そう、とても美しく、思わず眼を奪われるようなものだった。
──なるほど、これはベートが惚れるわけだ、と僕は嘆息した。
「それで、アイズとの食事はどうだったんだい?」
「どうだったかと言われれば返しに困るな、ただ、そうだな…面白くはあったよ」
ふぅん、何というか、とても無味乾燥な感想だねぇ、他になんか無いの? とフィンはつまらなそうに言った。
あれから、僕等は普通に会計を済ませ、それなりに弾むようになった会話を上手くキャッチボールしながら一緒にホームへと帰宅した。
帰宅するなり、ヴァレンシュタインはヒリュテ(姉妹)へと連行されていき、僕は僕でフィンに呼び出しをくらって現状に至るというわけである。
因みに部屋は僕の部屋。それほど大きくもなく、されど小さくもなく。
簡素なベッドと本棚、クローゼットといった最低限のもののみ揃えた面白みの無い部屋で僕は尋問されているかのような気分で会話していた。
フィンは僕のお気に入りの安楽椅子に腰掛け、グラグラと軽く上下しながらいつもは見せないようなだらけっぷりで僕に問いかけてきていた。
因みに僕はベッドに腰掛けている、この部屋の椅子は一つしか無いのだ。
「というか、僕等のしてきた会話にあまり面白みを求めるなよ、男女とはいえ、恋仲でもあるまいし」
「それはそうなんだけどね、でも君たちはほら、同じ時期に入ってきたにも関わらずこれまで一切関わってこなかったじゃないか。そんな二人が9年の年月を経て初めてまともに二人だけで食事だなんて、昔から君たちを知っている僕等にしてみれば、ちょっとしたニュースなのさ」
まあ、それは──言いたいことは分かる。
僕だって僕の知り合いにそんなやつがいたら恐らく──いや、絶対に気になってしまうだろう。
とはいえ、いい歳こいたおっさんとも言えるフィンがこうも聞いてくるのは少し予想外……でもないか。
ヴァレンシュタインはフィンからアドバイスを貰って僕をコンビに誘ったわけだし、聞いてくるのも無理ないというものなのかもしれない。
流石に根掘り葉掘り聞いてくるのはどうかとは思うが……それだけ僕等が気にかけられているということなのだろう。
「そうは言うけどさ、幾ら聞いたって何か盛り上がるようなことは話しちゃいないよ。僕等に限っては互いが互いを、初対面の人間レベルで知らないことばかりだったんだから。精々好きな食べ物だったり、苦手なモンスター、お勧めの武器職人とか防具職人とか、その辺さ」
「君たちは口を開けば二言目には必ずダンジョン関係の話題が出てくるんだね……」
「そりゃあ、僕等で共通して話せる話題なんて、それくらいなんだから仕方ないだろ」
「そんなんだから君は何時まで経っても女っ気が無いんだ、語彙が、貧弱」
「うるさいぞぅ!? 僕はまだまだこれからだ!?」
僕はまだ20歳にもなっていないんだ! まだ未来に希望は有る!
というか最後の言葉をわざわざ切ってまで強調するな! 語彙力が低いのは自覚済みだ!
僕だってまるで洒落っ気のない話題を出してしまったとは思ったが、何だかんだヴァレンシュタインはそこから饒舌になったので個人的にはナイスチョイスな話題だと思ったのだが…
プレイボーイなフィンからすれば、やはりそれはあまり活かした話題選択ではなかったらしい、無念。
「あぁ、でも」
「うん? 何だい?」
「明日、ヴァレンシュタインとは一緒に冒険者通りに行くことにはなったな」
「うん!? 何だいそれはそんなことさっき言ってたか?」
「いやほら、お勧めの武器防具とかの話はしたって言ったじゃないか、その時に僕の武器も先日の探索で結構ガタが来てたから、明日にでも見てもらいに行くかなって言ったらヴァレンシュタインもメンテしてもらいたいだかで一緒に行くことになったから、ついでに色々見て回ろうかってなって」
「な、なるほど……デートの約束をしてくるだなんて、やるじゃないか」
「なっ……! だからどうしてお前らは何でも色恋方面に持って行きたがるんだ……」
デート:親しい男女が日時を決めて会うこと、またその約束。
それに当てはめて見てみればやはり僕等のそれはデートには該当しないだろう。
決して僕等は親しいというわけでは無い。
どちらかと言えば親交を深めに行くのである。
つまりこれは……何だろうか、うまい言葉は見つからないが、ちょっとした買い出し……? みたいなものに該当するのではないだろうか。
少なくとも、男女としての好意が入り交じるようなものでは無いと断言できた。
「何を恥ずかしがっているんだい、男女が二人で出かける、それだけでデートと呼べるだろう?」
「確かにその言葉が一番しっくりとは来る、けれども! 僕等のそれは決してそういう方面のものではないだろう……」
「というかデートくらいの単語に過剰反応し過ぎなんだよ、君は。だから童貞のままなのさ」
「さっきからチクチクと心に針を立ててくるのはやめろ!? それとこれとは関係が無いだろう!?」
いい加減泣くぞ!? 僕はメンタルの弱さには自信が有るんだ!
それこそ明日ヴァレンシュタインと朝から出掛ける。それもダンジョンでもなく仕事でもなく、それだけでちょっと緊張しているレベルなんだ!
女性──それも同年代かつ贔屓目なしに見ても美しいと称せる人と、プライベートで朝から出掛けるとか僕史上初の出来事なのである。
しかもこのことが広まりでもすれば僕は明日ベートにボコられることは間違いなしなのだ。
ベートはヴァレンシュタインにべた惚れなんだぞ! そうやって色恋方面に意識を持っていかれると緊張に申し訳無さまでプラスされるじゃないか!
あんまりいじめるなよ! そう言えば、彼は一頻り笑った後にごめんごめんと涙を拭きながら謝った。
「でも正直なことを言えば傍から見てそれはデートにしか見えないし、仕方ないから明日は僕がベートを引っ張り回してあげるよ」
「本当か? それは非常に助かる、ありがとう!」
フィンは笑いながら、ちょっといじめ過ぎたからね、これくらいは任せると良いと言って椅子から立ち上がった。
時計を見れば、彼がこの部屋に来てからもうだいぶ時間が経っている。
思いの外話し込んでいたようだ、フィンは団長でもあるし事務仕事もそれなりにあるだろう。
仕事をするようなら手伝おうかとも言ったが、大丈夫だと断り彼はそれじゃあと部屋を出ていった。
何だかどっと疲れたな、と思いそのまま寝転がる。
寝具が僕の身体をゆっくりと包み込んだ瞬間、閉じられたばかりの扉は勢いよく開いた。
「あ、そうそう、明日はしっかりとお洒落していくんだよ! 髪もきちんとセットしていくこと!」
「うるせぇ! 余計なお世話ですぅ!?」
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親交
翌日。
月から日まである一週間の内の良く晴れた木曜日。
午前十時ちょっと前。
僕は、いつも出掛ける時の鎧姿──ではなく、まあそれなりに見れる服装で北西のメインストリート:通称冒険者通り、その真ん中に位置する噴水前のベンチに座っていた。
待ち合わせというやつである。
僕としてはホームから一緒に行ったほうが効率が良いと思ったのだが、ヴァレンシュタインから話を聞いたのかヒリュテ(妹)から「分かってない、十華は何一つ分かっちゃいないよ!」と謎の説教を受けた結果がこれである。
これでは本当にデートのように見えてしまうので抵抗があったのだが当然聞き入れてくれる訳もなく、例によって僕は女性には弱く。
故にこうして僕は一人寂しく待機しているという訳だ。
因みに今の季節は春夏秋冬の左から数えて二つ目、右から数えて三つ目。
つまり夏、それも真夏である。
真夏の、日。
要するに真夏日。夏は夏でも最も夏な日であった。
降りかかる日光は確実に肌を焼き、照らし出された大地からはもうもうと熱気を立ち込めている。
まあ、なんだ。
つまりは物凄く暑いってことである。
僕が後五歳若ければ後ろの噴水に飛び込み体の熱を一気に冷却しただろうという確信があるほどだ。
何もせずとも出てくる汗を拭いながら水を呷る。
これが無ければ今頃僕は熱中症でぶっ倒れていたと言っても過言ではない。
全く、誰だよ待ち合わせなんてものを考えたやつは…と下げていた頭を回そうとしたら上から
「……ごめんなさい、ちょっと、遅れちゃった」
と、声が降ってきた。
頭を上げる。
頭を上げたときは誰の声だったのかは分からなかったけれども、凡その予想はついていた。
というか、この局面、この時間に声をかけてくる人間なんてのは一人しかいない。
眼の前にいたのは、やはりアイズ・ヴァレンシュタインだった。
だがしかし、いつもと様子が違う。
いや、様子というか何というか。
彼女もまた、普段ダンジョンに潜る時の服装ではなかったのだ。
金の刺繍が施された白い肩出しのトップスに、下は短すぎるのではと思うくらいの蒼いスカート。
足は純白のストッキングに覆われていて、見え隠れしている肌色が眩しい。
心臓がちょっと大きく跳ねたのが分かる、散々デートだ何だと言われただけに変に意識してしまっていた。
少しだけ熱の上ってきた頬を押さえて数秒、息を吸ってから口を開いた。
「数分なんて遅れた内に入らないよ、気にすんな」
じゃあ行こうか、なんて言いながら僕等は歩き始めて、ふと止まる。
──女性の服装は褒めてあげること!
待ち合わせ云々の際に、ヒリュテ(姉)から言われた言葉を思い出す。
首を傾げてこちらを見つめるヴァレンシュタインに、僕は何度か口を半端に開閉してから咳払いを一つ。
「その服、似合ってる。すごく、可愛いと思う」
ヴァレンシュタインは少しの間フリーズした後に、顔を赤らめて、しょぼしょぼした声でありがとう、と呟いた。
はぁ、全く。
今日は暑いな。
「今日ははどういったご用件で?」
「ちょっと無理させすぎちゃったから、見てもらいたくてさ」
三つの槌のエンブレムが刻まれた扉を開き、店、というよりは工房、と言ったほうが正しい建物へと入れば、如何にも職人といった風情のアマゾネスが聞いてきたので、武器を見せながら返せば、それではこちらへどうぞと奥の部屋へと通される。
案内された部屋では、一人の老人が剣を丹念に磨いていた。
──主神・ゴブニュ。
数あるファミリアの中でも商業系のファミリア──具体的に言うのであれば武器防具全般の作成、整備を主とするゴブニュ・ファミリアの主神。
ヴァレンシュタインは知らないが──少なくとも僕の武器は団員を通さず彼に直接渡すように言われている。
と言っても慣れた足取りで着いてきた以上彼女も同じ待遇なのは見て取れた。
二人して彼に己の武装を渡す。
僕が出したのは片方にだけ刃のついた刃物──所謂刀、というやつである。
極東の方から輸入されてきたものであり、あまり使っている冒険者は見かけないが僕は今、何となくこれを気に入っていた。
そしてその隣で共に出されたのは蒼の装飾が入ったサーベル。
デスペレートと名付けられたそれは"
彼女曰く、不壊属性がついていないとすぐに武器を壊してしまうんだとか。
シンプルな感想として怖すぎる。
壊すってなんだ…? どんなちんけな武器だって鉄や鋼を使ってるし一級冒険者ともなれば特殊な鉱石を使っているのをオーダメイドしてもらうことも出来れば買うことも出来るだろ!?
それでもぶっ壊す自信しか無いとか、えぇ……怖すぎる……
「兄ちゃんの方は──派手にやったな。整備は結構かかるぞ」
「ん、それは承知済み、実際どのくらいになりそう?」
「そうさな……」
彼は悩むようにそう言って刀身に指を滑らせた。
改めて見てみれば僕の使っていた刀も結構刃がガタガタである。
自分で思っていたよりも傷は付いているし……うーん、他人のこと言えないな。
暫くそうやって眺めていれば、彼は静かに言った。
「早くても三日ってところだな」
「うーん……おーけー、任せた」
「スペアはあるのか?」
「まあ一応ね」
スペアの武器なら幾らでもあるさ、そう言えば彼はそうか、と刀を降ろした。
次いでヴァレンシュタインの剣を持ち上げて注視する。
彼は「うん…?」と疑問符を浮かべて彼女を見たが、彼女は少しだけ顔を赤らめて少しだけ首を横に振るった。
……? あの二人は何をしているのだろうか。
顔が紅潮しているのは、ここが鍛冶屋であり室温が高めであることから当然だとは思うが、二人して見つめ合って何をしているのだろうか。
ヴァレンシュタインは素早く頭を横に振るっているし、よく見れば目元が割りと本気である。
何だ、心で対話でもしているというのか……?
ついに口に出す会話を捨ててテレパシーを……!?
何だそれは非常に羨ましいぞ!? 僕にも教えろ!? と思ったところでゴブニュが「はぁ…」と大きくため息を吐いた。
「アイズ、お前も三日後だ。一緒に取りに来い」
それで良いな? と片方の眉尻を上げてゴブニュは言った。
「……ん、分かった、ありがとう」
そう言った彼女は少し破顔して、ゴブニュはやはりため息を吐いてやや呆れた顔で僕を見た。
ジッと見つめられて数秒、ふん、と鼻息を吐いた彼はじゃあもう行け、と僕たちを追い出した。
そう、追い出したのだ。
有無も言わせず三日後な、と言って僕たちをポイッと放り出した。
冒険者ならいざ知らず、神に向かって逆らえるはずもなかった僕等は無抵抗のまま投げ出され、無様に尻餅をついた。
「いたた……何時にも増して強引だなぁ……立てるか? ヴァレンシュタイン」
「うん……大丈夫、ありがとう」
先んじて立ち上がった僕はヴァレンシュタインへと手を伸ばし引っ張り上げた。
線の細い彼女の手の平は僕の手のようにゴツゴツしていなくて、何というか、こういうと変態染みているような気がしないでも無いのだが、スベスベしていて柔らかかった。
こういったことを一々気にするからからかわれるのは分かっているのだが、どうしても気にしてしまうのが僕の悪いところだった。
パッと手を離して、何となく自分の手の平を眺めてみる。
ほんのりとだけ残った感触を思い出すように握ったり開いたりしていれば、
「……どうしたの?」
と、ヴァレンシュタインがこてんと首を傾げてこちらを見た。
そう聞かれた途端、僕は無性に今していたことが恥ずかしくなって、誤魔化すように何でも無い、と逃げ出すように歩き始めた。
それから大体一時間と三十分後。
デートと言われた割りには特段それっぽいことも発生することは無く、それどころか正しく模範的な冒険者を体現しているかのような買い物をしていれば、正午を告げる鐘が響いてきた。
正午、十二時、お昼時。
リンゴンリンゴンとオラリオ中に陽気な音色が響いていく。
そうか、もうお昼か。なんて思えばふと、隣からクキュル……といった可愛らしい音が響いた。
横を向く。
当然のように隣を歩いていたヴァレンシュタインと目が合った。
暫しの沈黙。
見つめ合っていた彼女はまるで早送りで茹で上がっているのかのように顔を真っ赤にした。
……うん。
流石にここでご飯にしようか、何て尋ねるような愚行を犯さないほど僕にも良識というものは存在した。
何と言ったってあのプレイボーイたるフィンから小さい頃より手解きを受けてきているのだ。
ここは僕のエクセレントな会話術によって彼女を恥ずかしがらせること無く、また違和感なく適当な飯屋へ連れて行ってみせよう。
さぁいくぜ。
「……ご飯にしようか」
無理だった。
全然不可能であった。
良く考えてみれば僕はこれまで女性経験といったものが皆無である。
それこそこうして二人だけで出掛けるという状況にすら緊張してしまうほどのシャイボーイであったことを失念していた。
これが誤算ってやつか……自分の能力を過剰評価しすぎたぜ。
恐る恐るヴァレンシュタインを見れば、彼女はまるで早送りで茹でられているかのように真っ赤に紅潮していき、「うぅぅ……」と唸った後にしっかりと頷いた。
何か……ごめんな。
僕は心の中で謝った。
適当に腹ごしらえを済ませた僕等は、冒険者どおりを離れてフラフラと、当て所無くただオラリオを歩き回っていた。
というのも、正直午前中で買うべきものは全て買ってしまっていたのである。
だというのにも関わらず、僕等はホームに帰るという選択肢を取っていなかった。
正直に言えば、何故そうしているのかは僕には分からなかった。
それはきっと、ヴァレンシュタインも同じなのでは無かろうか。
ただ、強いて言うのであれば、僕等には帰るべき明確な理由はなかったし、また帰らない理由はぼんやりと、曖昧な形ではあったが存在していたからだ。
何となく、そう、本当にただただ何となく、こうして理由もなく他愛もない話をしながら露店を見ていくのがこの上なく楽しいように思えたのだ。
ヴァレンシュタインは、ダンジョンのことになると途端に饒舌になるということや、ジャガ丸くん(ジャガイモを潰して調味料と合わせてからサクッと油で揚げたおやつ。美味しい。)がこの上なく好きであること、青や白といった色を好むこと、お酒を飲むことを禁止されていて少し不満に思っていることとか、そういった、ともすればどうでも良いと一蹴できてしまうような話を聞くのが、この上なく幸せだったのだ。
そう、幸せ。
楽しいとか、面白い、とかではなく。
僕はこの時確かに幸せを感じていたのだ。
幸せという感情を、味わっていたのだ。
それこそどれだけ話し合っても、それがほんの一瞬にだって感じられてしまうほどに。
不意に、風が吹く。
お昼に大量に購入したジャガ丸くんを未だに頬張りながらこちらの話に耳を傾けていた彼女の金糸のような長い髪がふわりと舞って、袋へかかる。
彼女はムッと眼を細めて髪の毛を払ったが、食べる度に髪の毛は邪魔そうに彼女の横顔を擽っていた。
……ふむ。
ちょっと待っててくれるか、と彼女に伝え、僕は走り出す。
日も落ち込んできた中、目を凝らして周囲の露店を見回してみて、僕はそれを見つけた。
まあ、こんなもんでいいだろう。
「これ一つくれ、幾らだ?」
「うん? あー、それね、700ヴァリス」
「おっけー、これお代ね」
「おう、毎度あり!」
随分とガタイの良い兄ちゃんからそれを買った僕は、やや早足でヴァレンシュタインの元へと戻った。
彼女は僕に言われた所から、道の端っこに身を寄せて、ただ不安そうに、首を傾けながらモックモックとジャガ丸くんを頬張っている。
そんな彼女に、僕は言う。
「これやるよ、髪の毛、邪魔じゃないか?」
昼ごはんの時に気付ければ良かったんだけどな。
そうして僕は、青色に染められた紐状の絹物──分かりやすく言うならばリボンを手渡した。
渡されて数秒、彼女は呆然としたようにそれを見て、次いでハッとしたようにポケットからそろそろと何かを引き出した。
いや、何かではない。
それは髪ゴムだった、あまり使われた痕跡のない、如何にも新品然とした、髪ゴム。
……いや持ってんじゃねーか! てっきり持ってないんだと思って見栄張って買ってきちゃったんですけどー!?
何リボン見せられてから「ハッ……そう言えば……!」みたいな顔してんだヴァレンシュタイン──!?
いや恥ずかしい恥ずかしい! ついに僕の気遣いってやつが輝くときが来たか……とか思ってた数分前の自分を殺したい! いやいっそ殺してくれ!?
ぐわあああぁぁぁぁ………と、急激に熱が昇ってきたのを感じながら僕はそろっと出した手を引き戻そうとした。
そう、引き戻そうとした──もっと正確に言うのであれば、引き戻そうとした腕を掴まれた。
何かを思う前に、手の平からリボンが掻っ攫われる。
そのままヴァレンシュタインは、慣れた手付きで上手に髪を一つにまとめて垂らした。
ポニーテールというやつである。
「えっと……似合う?」
不安げに髪を触りながら、ヴァレンシュタインはそう言った。
──心臓が、バクリと跳ねる。
髪型一つで、見え方はこうも変わるものなのだろうか。
いや、違う。この時ばかりは髪型だけではない。
照れるように薄っすらと頬を染め、眼は伏し目がちに、されどこちらを探るように見つめてくる。
元より整いすぎているくらい整っている容姿も相まって、それは絶大的な可愛さとでも言うべきものを放っていた。
──────。
思考は一瞬にして吹っ飛んだ。
なにか言おうとしたけれども、言葉は出てこない。
ヴァレンシュタインはそれほどまでに画になっていて、僕の語彙ではどう言ったものか全く分からなくなってしまったのだ。
元から赤かった顔が、更に熱を増す。
思いっきりどもってしまうくらい、僕は挙動不審になって、何度か口をパクパクとした後にゆっくりと閉じる。
熱は頭にまで回ってショート寸前だった。
いつもなら無駄に出てくる言葉が今は全く出てこない。
ぼ、僕はどうすれば……と一人葛藤していれば、ヴァレンシュタインは眦を下げて
「やっぱり、似合わない……?」
と、結んだそれを解こうとした。
瞬間、身体が動く。
───それはもう脊髄反射の域だった。
解こうと動いた手首を掴み、反動で倒れないように彼女の身体を支える。
それからほとんど無意識的に僕はヴァレンシュタインの髪を撫でて口を開いた。
「いや、すげー似合ってる。それこそ、筆舌に尽くしがたいほどに、可愛い」
オブラートも何も無い本音だった。
ただただ感じたままのことがそのまま口から滑り落ちるように零れ出た。
彼女の真っ白な肌が、一気に茹で上がる。
そんな姿を見て、僕はようやく正気を取り戻した。
───やっちまった。
つい脊髄で身体を動かしてしまった!?
や、やばい……セクハラで訴えられても仕方がないぞこれは!?
いや、その前に殺されてもおかしくはないな───!? と、震え出した僕に、ヴァレンシュタインは声を震わせた。
「あ、ありがとう……嬉しい……」
と、それからあろうことか僕の片手をギュッと握りしめた。
未だに髪の毛に伸びていた僕の手の平を広げて、グッと握ったのだ。
────は?
ようやく戻ってきた正気がぶっ飛んだ───
「あ、見て、お母さん!カップル!」
「こら、やめなさい!」
───かと思われたが、突如として入ってきた見知らぬ少年の言葉に僕等は同時に、バッと離れた。
それから少しだけ目線を合わせて、やはり眼をそらす。
心臓は全力疾走でもした後かのようなスピードで早鐘を打っている。
……落ち着け。
トントンと自分の胸を叩きながらクールダウンさせていく。
そうして僕は思った。
きっと──二人して脳みそが茹だっていたのだ。
この暑さと、ヴァレンシュタインの可憐さ、それ故に起きた僕の突発的異常行動。
この三つが重なり起きてしまった不運……いやむしろラッキー……? いやいや、やはり不運な出来事であったのだと。
そう、思うことにした。
これは偶然起こり得た、ともすれば奇跡的とも言えた瞬間であったのだと、そう思い込むことにして、彼女に手を差し伸ばす。
言葉少なげに、行こうか、と。
ヴァレンシュタインは顔を赤くしつつも、当然のように僕の手を取った。
ん?
呆けたように違和感なく繋がれた手を見つめ、それからヴァレンシュタインを見る。
彼女は数秒フリーズした後に、ハッとしてから手を離す。
互いにごめん、と謝って、それから一緒に帰路へとついた。
───恐らくではあるが。
飽くまで僕の予想、予測に過ぎないものでは有るが。
僕等はやはり、急激に距離を詰めすぎたのだと思う。
何だかんだ幼い頃から互いのことを知ってはいたが、結局こうして言葉を交わすようになったのはつい先日からなのだ。
それから勢いづくように今日に至り、それこそ時間を忘れるように話し合ったが、僕等の関係で言えばやはり友人にすら満たない……いや、ギリ友人を名乗れる程度の仲でしか無いのである。
つい一昨日までは、赤の他人と言っても差し支えないほどであった僕等だ。
それもこの9年間積極的に関わろうとしてこなかった人間である。
僕等ほど特殊とも言えるような関係性の人間も中々いないであろう。
故に、間違えた。
距離を縮めようとして、無理に縮めすぎた。
だから、僕等は勢いのまま行動し、麻痺したままの頭で考えた。
その結果がこれである。
僕は反射的に動き出すし、彼女もそれに対応してきた。
まあ要するに、正気に戻ったようで、その実戻っていなかったということだ。
そして今、戻ってきた。
そんなところだろう。
僕もヴァレンシュタインも判断能力が鈍ってしまっていただけだ。
そろそろホームが見えてきたところで「ヴァレンシュタイン」と彼女を呼ぶ。
「今日はすまなかったな、その……色々ご無礼を……」
何だか畏まってしまった。
何だご無礼って。
いや、無礼ではあったのだけれども。
「……うぅん、私も、ごめんなさい。でも、今日は楽しかった、よ?」
十華のこともたくさん知れたし。
彼女はそう言ってはにかんだ。
「あ、あぁ、僕も楽しかった、ありがとうな」
またしてもそれに照れてしまった僕は、端的にそれだけ言って返し、ホームの扉を開いた。
それじゃあまた明日、と別れた彼女はやはりヒリュテ(姉妹)+ウィリディスに捕まっていて、僕の前には我らがロキ・ファミリア主神ロキが居た。
それも非常ににやけた面を晒して。
───因みにこれは豆知識なんだが。
ヴァレンシュタインは、ロキの大のお気に入りだ。
ついでに彼女は親バカで、それに加えて色恋ものは大の好物だ。
つまり何が言いたいかって言うと。
朝からずっとヴァレンシュタインを連れ回していた僕は、これからロキの尋問に遭うということだ。
僕は「はぁ…」と深い溜め息をついた。
僕はね、ポニテのアイズが見たかっただけなんだ……
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神託
──ロキ。
我らがロキ・ファミリアが主神。
天上からここ、人界へと降りてきた神の一柱。
オラリオで今、知らぬものはいないほどの知名度を誇る神。
フィン・ディムナを代表とした高レベルの冒険者を次々と輩出し、瞬く間にオラリオ内でも一、二を争うほどのファミリアへと発展させた非常に有能な女神。
特徴的な緋色の髪に、いつも閉じているんじゃないのかと思うような糸目で良く周りを見ている彼女は今、僕に馬乗りになっていた。
背中をパチンと叩いて、ロキは言う。
「さぁて十華ァ……今日はアイズたんと何をしてきたぁん……?」
「どうしてそんなネットリとした言い方をするんだ、気持ち悪いぞ」
「うっさいわ! 良いからキビキビ話さんかい!」
バシバシと叩く勢いを強めたロキにため息を吐く。
参ったな、とそう思う。
神に嘘は吐けない。
これは気持ちの問題とかそういうことではなく。
ただ純然たる事実としてそうなのである。
人の子は神に対して誤魔化すことも騙すことも叶わない。
彼女ら神という存在は、僕等人間の吐いた嘘を見抜くことが出来るらしいのだ。
つまり僕は彼女に何をしてきたのかと問われた時点でほぼ詰みが確定していた。
何度も言うようだが、ヴァレンシュタインは彼女の大のお気に入りなのである。
そんなロキに今日の出来事を言ってみろ。
この場で折檻を食らうこと間違いなしである。
めんどくせぇ……
忘れているかもしれないが僕もれっきとした冒険者であり、レベルだってまあ、低いわけではない。
いや、謙遜はよそう。
僕は一級冒険者だ、ぶっちゃけフィンと殺りあっても生き残れる自信がある。
故に、生半可な攻撃じゃ痛くも痒くも無いわけである。
そして彼女ら神といった存在は、人界に降りる時に、その神としての能力を封印しているらしい。
端的に言えば、ロキは現在そこらの一般人女性と変わらぬ能力しか無いということだ。
だから、彼女に何をされようが特段問題にはならない。
強いて言うのであれば、面倒なのである。
無駄に智慧が回る神だけあってロキは非常に狡猾な手段で嫌がらせをしてくるのだ。
具体例を挙げるのであれば、シャンプーとリンスを入れ替えたり。
僕の日めくりカレンダーを二日ほど先んじて破っていたり。
僕お手製の砂時計を勝手にひっくり返していたり。
そう言った特に目くじらを立てるほどではないが、絶妙にうざい嫌がらせが行われるのだ。
といっても、僕にはやはり包み隠さず話すという選択肢しか無かった。
というのも、別に嘘を吐いても無駄だとか、そんなことは関係なく。
僕はロキに嘘は吐かない。
そう誓ったのだ。
「そこでだな、僕はヒリュテ(姉)の言葉を思い出して──」
「んなっ!?」
「ゴブニュに何故か追い出されて──」
「ほぉん…?」
「腹の虫が鳴いたから───」
「ぷっ……アイズたんきゃわわ……」
「髪の毛が邪魔そうだったから──」
「はぁぁぁぁんん!!?」
「そんで何故か手を差し出してしまった。正直ちょっと違和感すら覚えたよ」
「………ほぉ」
一言一言発する度に面白いくらいリアクションを取っていたロキだったが、最後の言葉を聞いた瞬間スッと、熱が冷めたように表情を落ち着かせた。
え、えぇ……何、最後のが一番琴線に触れちゃった?
おかしいだろ、そこに触れちゃうくらいなら髪の毛の下りで表情変えろよ!
個人的にあそこが一番赤面ものだったんだけどなぁ……
急に静かになったロキの一挙手一投足に注意していれば、彼女は驚くほど──それはもう驚愕の域に達するほど穏やかで優しい手付きで僕の背中を撫でた。
スルスルと、柔らかい感触が肌を伝う。
少しだけ擽ったくて、何とはなしに身をよじればロキは、それこそ慈愛を込めたように声をかけてきた。
「なぁ、十華」
「ん? なにさ……というか何だ、不穏だぞ……」
「良いから聞け、十華は今、楽しいか?」
んん?
質問の趣旨が分からない。
そんなシリアス風な雰囲気まで漂わせて聞くことか? それ?
そんなもの、聞かなくても一目瞭然だろうに。
「あぁ、勿論。ロキに拾われたあの日から、俺はずっと楽しいよ」
「ん、それならええんや、さて、そろそろやろか」
と、ロキは意図が分からないながらも答えた僕の返事に満足して、小さな針を取り出した。
そしてその針を、プツリと己の指に指す。
赤く染まった神の血は、ポトリと僕の背中に零れ落ちた。
瞬間、皮膚に波紋が広がった。
ブワリと広がったそれは、スルスルと僕の身体へ染み込んでいく。
ロキはそれを中心に指を添え、丁寧に僕の背中に刻まれた刻印を更新していった。
【ステイタス】の更新。
僕等のような一般的な冒険者は全員、この【ステイタス】と呼ばれる刻印を背中に刻まれている。
これは僕等が神の眷属であることを意味する、唯一つの証明だ。
また神の眷属と言っても、別に大層なものではない。
僕等みたいなファミリアに属する冒険者というのは皆、そこの主神から"
神達が天上の世界で使う【
それが、【ステイタス】の更新。
神なる力を以て、人の子の上限を超えさせる、人外の術。
この力があるからこそ、神達は僕等人間に尊敬され、敬われているし、僕等はダンジョン攻略とかいう、生き死にを賭けた戦いに身を投じることができているという訳だ。
今回、僕は数週間ほどしていなかった【ステイタス】の更新を建前にロキに尋問されていたのだ。
上半身の服を全て脱いでいたのは、そういう理由だった。
決してアマゾネスのような裸族というわけはないのだ。
ロキと如何わしいことに発展仕掛けていたという訳でも全く無いのである。
終わったで、と言いながらロキは降り、僕はいそいそと服を着る。
そうして彼女は、僕に【ステイタス】を書き写した紙を渡してきた。
「んー……やっぱあんまり上がらないなぁ」
「何言っとるんや。十華はランクアップしたばっかりやろ、そう考えれば馬鹿にならんくらい上がっとるわ阿呆」
「む、そう言われればそう、かも?」
「かも、じゃなくてそう、なんや。そんくらいいい加減分かれ」
阿呆、とロキは重ねて言う。
「ま、それならそうで良いや」
と、ベッドから立ち上がる。
───違和感。
そう、違和感を感じた。
何だか自ら死にに行っているようで、あまり言いたくは無いのだが、僕はその違和感を見過ごせずについに口に出した。
「それにしても──珍しいな。ロキならもっと深くねちっこく、へばりついたガムの如くしつこく聞いてくるかと思ったよ」
「あん? あぁ、アイズたんのことか」
ていうかガムに例えるのやめへん? ウチそこまでしつこい……? と言う彼女に無言で首を縦に振る。
「うん、てっきりもっと根掘り葉掘り聞かれるかと思ったし、今度はどんな嫌がらせを受けるんだろうとすら思ってた」
「十華はウチを何やと思ってるんや!? そんなことで一々ウチがそんなことするかぁ!」
いやだってロキだぜ? 天上でも悪名が高かったと噂のロキ。
如何に主神だろうが──いや、むしろ主神だからこそそこら辺の信憑性が分かってしまう。
この人──神は最高に悪戯好きだ。
そんな目で見ていればロキはため息を吐いてから「そもそもなぁ」と指を立てた。
「ウチはこれでもちょっと嬉しいねん。あまり人と交流したがらない十華が相手がアイズたんと言えども順調に仲を深めようとしているその成長に、ウチは感動すらしてんのや」
「いや僕は確かに友達は少ないけれども、そんなぼっち野郎みたいな言い方はするか?」
「そのお友達も片手で数えられるくらいやないか、だからな、ウチはちょっと安心したんや……」
「ぐ、ぐぬぬ……」
反論できなかった。
僕のコミュニケーション能力は低くはないと自負しているが、言われた通り、確かに僕の人脈はあまり広くない。
「それにな? ウチはこれでも十華のことは信用してんねん。アイズたんに何か如何わしいことをするような男ではないという信用をな」
「なっ───」
ロキ、お前……
滅茶苦茶いいヤツじゃないか……
この僕を紳士だなんて……分かっているじゃあないか。
僕は誤解していたようだ、貴方は悪戯神でも何でも無い。
己の子らをちゃんと見ていてくれているれっきとした女神───
「───いや、むしろこれは確信やな。そう、確信すら持ってんねん。十華みたいな童貞野郎がウチのアイズたんに手を出せるような肝の太いやつでないって信頼しとんねん!」
前言撤回である。
ろ、ロキ、貴様──!!
「数秒前までの僕の感動を返しやがれ――! 何かちょっとあれ、この神実はめっちゃいい神じゃん……とか思った僕が馬鹿みたいじゃないか――!?」
「アッハッハッ、何を言うんや。勝手に勘違いして勝手に後悔してるのは十華やろ?」
「勘違いさせるような言い振りで語ったのはお前だロキ──!? 明らかに嵌めるためのような口上だったろうが!?」
「人聞きが悪いなぁ、全く、これだから童貞くんは……」
「あまり童貞を連呼するんじゃない! 一体僕が何をしたっていうんだ!?」
「調子こいてウチのアイズたんとデートなんてやらかすから……」
「しっかり根に持ってんじゃねーか! 何が信頼だ馬鹿野郎!」
「お、因みになんやけど知っとる? 野郎って男を罵って言う言葉なんやで?」
む?
そうなのか。
であれば相手が女性の場合はどうなるのだろうか。
野の反対は……山か。
この馬鹿山郎!
……うん、絶対に違う。
だとすれば……ハッ!
「分かったぞ、正解は女郎、だ!」
「フッ、良くわかったな……正解や……」
やったー!
ってあれ?
僕は何をしていたんだっけ?
……あぁ、そうだ、思い出した。
「いやそんなことは置いといて──」
「まあウチはどっちも当てはまらんけどな」
「な、何──!?」
どういうことだ!? と思ったのも束の間。
ちょっとロキを見てみれば、その答えはすぐに分かった。
そのツルペタストンな体型を見れば一目瞭然である。
僕は慰めるようにロキの肩に手を置いた。
「そう嘆くなよ、いくら無乳だからといって女性では無い、なんてことは無いんだ。ロキは立派な女性だよ」
「うっさいわボケ――!? ウチは神やからどっちにも属するのは正解じゃないって言っとんのや──! 誰もジブンの体型の話しとらんわ――!!」
「どうどう、落ち着けよ。いくら女性的要素が薄くてもロキはロキだ。もっと自信を持て」
「余計なお世話や――! 誰も自信喪失なんかしとらんわ! 十華のボケ! 馬鹿! あんぽんたん! この童貞が──!」
「そう荒ぶるなよ。無理に隠そうとしなくたって良い。誰だって自分が欠点だと思うところはある。でも、それを凌駕するくらい良いところ持っているのもまた事実だろう?」
「いやどっから目線やねんお前!」
「だからさ、自信を持ってその無い胸も張って生きていこうぜ」
「ぶっ殺すぞお前───!!!?」
閑話休題。
ロキは「んんっ」と咳払いしながら椅子に腰掛けた。
「まあ、さっきの話は別としても、信頼しとるのは本当や。それに、アイズたんはアイズたんで心配なところもあるしな。正直な所コンビ組んでくれて助かったわ」
「うん? あぁ、ヴァレンシュタインは結構無茶するタイプらしいもんな、遠征でもその片鱗見えたし」
「せやろ? まあアイズたんの程の実力なら心配は無いとは思うけど、ダンジョンやしなぁ」
ダンジョン───ここオラリオの下に広がる巨大な地下迷宮。
無限かと思うほど何層にも渡って広がっているそこは、数多のモンスターが蔓延る地獄の場所だ。
どれだけ卓越した技術を持つ達人であろうが、どれだけ準備をしていった熟練者だろうが、何度も死地を超えてきた実力者であろうが、ともすればあっさりと死んでしまう死の迷宮。
そして、そこを開拓するように下へ下へと突き進んでいくのが僕たち冒険者。
そうするべき確かな理由はない。けれどもロマンはある。夢がある。
誰もが未だ見ぬ何かがそこにあると信じて。あるいは己の限界を目指して、もしくはその限界を超えられると信じて。
僕等は果ての見えないダンジョンに、日がな挑戦している。
強大なモンスターに出会って絶望しても、誰かが死んで後悔しても。
それでも僕等はお構いなしに突き進む。
冒険者というのは、皆そんな存在だった。
勿論例外は認めるが。
それでも大多数はそんな感じなのであった。
当然例に漏れず、この僕も。
そしてきっと、ヴァレンシュタインも。
「ソロだと対応しきれないことってあるからなぁ……まあ僕が目を光らせておくさ」
「阿呆か、アイズたんだけの心配をしてるんとちゃうんや。十華もやぞ。」
ちゅーか、無茶をするっていうんなら、お前が一番無茶をするんやから。
ロキはそう言って深くため息をついた。
失礼なやつである。
僕ほど準備は念入りに、しっかりと前情報もチェックしてからダンジョンに潜る冒険者なんてそういないと言うのに。
最早模範的ですらあるというのに。
この超優秀かつThe・お手本的な冒険者などオラリオ広しと言えども僕くらいなものだというのに。
何を言っているんだろうか?
「いや自分のこと過剰評価し過ぎやないか!?」
「いやいや、これこそ正当な評価ってやつだよ。何せギルドの方からも貴方のような冒険者は初めてですって言われたくらいだぜ?」
「それはお前みたいな頭のネジがぶっ飛んだ冒険者は初めてだっていう皮肉や! 気づけ!」
「またまたぁ、そうやって言葉の裏を取ろうとするのはロキのいけない癖だぜ?」
「う、うぜぇ─────!!」
パチンとウィンクまで付けてみればロキに叫ばれた。
確かに今のはちょっとキモかったかもしれない。
反省点だな。
「ハァハァ、まあええ。取り敢えずウチは二人共死ぬほど心配ってことや」
「だから、大丈夫だって。流石に僕たちも長年ダンジョンに潜っていないさ。そもそも何かあっても、大抵のことならどうにかなるし」
「その大抵のこと、で済まないのがダンジョンや、ホンマに気ぃつけろよ」
「理解ってる理解ってる、大丈夫だ。何に代えても、ヴァレンシュタインの命は救うさ」
瞬間、ロキは形相を変えて僕を掴んで引っ張った。
あまりにも急なことだったので、抵抗することもできずに彼女に引っ張られて顔を近づけられる。
額がコツンとぶつかった。
突然真剣味を帯びた彼女の緋色の眼差しが、僕を射抜く。
「何に代えても、なんて絶対に言うな。何にも代えずに、必ず毎日、二人で無事に帰ってこい。うちとの約束や」
ロキは、怒ったような、泣いているような。
二つの感情を混ぜこぜにしたかのような表情で、そう言った。
「────ッ」
驚いてしまって、声が上手く出ない。
どうしてロキが、そんな後悔しているような顔をしているのか。
僕には全く分からなかった。
分からなかったけれども、ロキは冗談などが混じる隙間も無いほど本気で、真剣に言っていることだけは分かった。
「無理も無茶も、するなとは言わへん。冒険者は、冒険するのが仕事や。それはうちかて理解ってる。けれども、絶対に二人で、何も失うこと無く戻ってこい」
約束や。
そう言ってロキは僕の襟を離した。
呆然としてしまって、その場に棒のように突っ立ってしまう。
身動きも取らずに、頭は彼女の言葉を再生し続けていた。
──何も失うこと無く戻ってこい。
なぜだかわからないが、その言葉は重しのように僕の心に沈み込んでいった。
でもそれも、どうしてか悪い気分じゃあない。
どちらかと言えば、心地よい。
それがロキの言葉だっていうのが、少し癪なのだが。
やはり彼女は僕の
「───あぁ、分かったよ。その約束、
「良し、ええ子や」
言質は取ったぞ、もし死んだら飛んでく魂追っかけてどこにも行けへんように檻にぶち込んだるからな!
ロキはそう言ってビシィッと僕を指さした。
「そいつは勘弁願いたいな。まあなんだ、任せろ」
苦笑しながらそう言って、僕はサムズアップした。
剣呑な雰囲気を収めたロキはそれにカラカラと笑って、良し!十華!と僕を呼ぶ。
今度は何だ、と目を細めれば彼女はドンッと瓶を取り出した。
───酒瓶である。
「今夜は呑むで!」
「えぇ、今からぁ…?」
「あったりまえや!ほら、行くで十華! 宴は何時だって突然、やで!」
何だその言葉は。
熟語っぽく言ってもそんな言葉はねーよ。
でも、まあ。
たまにはこういうのも悪くない。
飛び乗ってきたロキを背負いながら、部屋を出る。
ホームでも一番天辺に位置する部屋から飛び出した僕は風をきるように走り出した。
あちこちの部屋の扉を開け放ち、瞬く間にホーム中を駆け抜ける。
「宴の時間だぁ──────! 今夜は特別にロキの奢りの上に、特上の
「なっ……!? そこまで出すとは言っとらんわ──!?」
つまるところ、超高級品である。
具体的に言えば、僕等のような一級冒険者用に作られた武器が買える値段。
桁は最低でも6。ちょっと良さげなのを買えば余裕で7,8である。
そしてロキは、この酒を秘蔵していた。
日がなちびちびと、一人で楽しんでいるのだ。
でもまあ、良いじゃあないか。
皆で楽しもうぜ。
そう言えばロキは「ははは」と苦笑した後に「少しだけやぞ……」と絞り出した。
「言質は取ったぁ───!! 集まれ集まれぇ──!」
ぞろぞろと、団員たちが顔を出す。
もう一度「宴だぁ!」と叫べば、それだけで把握した団員たちは一斉に騒ぎ始めた。
その声は、当然フィンやヴァレンシュタインたちの耳にも届く。
───そう言えば。
ヴァレンシュタインは酒を禁止されているんだったな。
ちょっと後で呑ませてみようと、僕はそう思うのであった。
アイズ出せなかった……
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迷宮
戦闘という項目に限ればアイズ・ヴァレンシュタインという少女は、ロキ・ファミリアの中で見ても頭一つ飛び抜けている。
それは単に冒険者としてのレベルが高いとか、そういう次元の話ではない。
彼女は"戦う"という技能がずば抜けているのだ。
踏み込み一つ、斬り払い一つ、回避一つ、どれをとってもそう。
彼女のそれは天賦の才に、積み重ねられた努力が混じり合い、正しく無窮の武を誇っていた。
しかし、それは彼女単体で完結する程度のモノである。
彼女が前に出て暴れまわる、それを周りがフォローし更に動きやすくする。
彼女はそういう個である武に特化した冒険者である。
────と、そう思っていた。
だが、どうやら僕は見誤っていたらしい。
彼女───ヴァレンシュタインは、恐ろしさを感じるほどに、群としての武が完成されていた。
僕の動きを、まるで手に取るように先読みするのだ。
僕がほしいと思ったところで絶妙にサポートが入り、死角になる位置を必ず彼女は陣取って動く。
それこそ、
正直奇妙な話ではあったが、実際の所僕とヴァレンシュタインの実力──というよりかは、レベルに大きく差が有るわけではない。
大きな差が無い以上、ある程度どう動けば良いのかくらいは何となく察することは可能だった。
それでも彼女の把握能力は常軌を逸しているようにも思えたが、僕が知らないだけで彼女は思いの外連携に長けていた、ということなのだろう。
事実、僕が彼女と組んだのは実に何年ぶり、といったところだ。
それにそもそも、連携が取れないよりは取れている方がずっと都合は良いことは確かで。
だから僕は、特段深く怪しむこともなく、ただ彼女の技量に呆けたように息を吐いた。
次いで、くるりと手元で刀を回してしまい込む。
キン、と軽やかな音が響けば次の瞬間、僕を囲んでいた異形の生物──一般的に"モンスター"と呼ばれるそれらはその身体を六つにして崩れ落ちた。
瞬間肉片は黒い煙と化して、コロリと紫色の魔石が転がり落ちる。
既に僕等の足元には似たような石が幾つも転がっていた。
ダンジョン37階層。
それが僕等が今いる場所であり、ダンジョンでも所謂深層、と呼ばれる階層だった。
何故そんなところに、と言われれば、これが僕等の仕事であるから、としか言いようが無い。
モンスターを殺し、それで手に入れたものを金に換える。
一言で言ってしまえばそれだけで終わってしまうような仕事が、僕等冒険者の一番スタンダードな金の稼ぎ方だ。
スタンダード、ということは勿論他に稼ぎようはある、ということでもある。
例えば、上級冒険者からすればメジャーとも言える稼ぎ方に、
それは他ファミリアや、同じ冒険者、一般人からだったりと依頼を出す人は様々で、絶えることはない。
故に、とあるモンスターからしか取れない素材を取ってこいだとか、死んだ仲間の仇を取ってほしいだとか、下層でしか取れない花がほしいだとか、次の街まで護衛をしてほしいだとか、一口に依頼と言ってもその中身は結構雑多だったりするのだ。
どちらが効率的かと言えば、正直な話それは僕には良く分からない。
というのも、僕はあまり冒険者依頼を受けたことがないのだ。
指定されたモンスターを延々と狩って素材を集めたりだとか、頼まれたアイテムを探しに行ったりとか、そんなことをしている暇があるならば僕は下へ下へと進みたがる気質だったのである。
要するに、金より力を求めていたということだ。
しかし僕はそれについて、深い意味を持っていなかった。
いや、正確に言えば、理由はあったかもしれないが、今となっては何故そこまでしてもっともっと、と己の限界を越えようとしていたのかは分からないのだ。
思い出そうとしても、そんなような記憶は全く掠りもしない。
ただ、僕には強くなるべき理由があって、その為であればどんな冒険だってする覚悟は持っていた、ということだけは覚えていた。
それだけで良い。
それさえわかっていれば、僕はどこまでも戦える。
惰性ではなく、何かしらの理由があれば僕はとことん突き詰めて進んでいけるという確信すら抱いていたのだ。
それについては、奇遇にもヴァレンシュタインも同じ様な意見だったようで。
僕等はあまり下に進みすぎるなよ、と言われているにも関わらず当然のように深層へと足を伸ばしていた。
といっても、レベル5以上の冒険者であれば、ここら辺まで来るのは当然とも言えた。
これより上では、戦力が釣り合わない。
端的に言えば、あまりにも弱すぎて話にならないのだ。
何度でも言うようだが、僕やヴァレンシュタインは富より力を求めるタイプの冒険者だ。
必要になればいくらでも金を稼ごうとするが、生憎今はそうする必要もない。
であれば。
僕等がするべきことは、したいことは唯一つ。
冒険だけである。
冒険とは未知への挑戦で、既知の破壊だ。
────とか何とか言いはしたが、僕等はこれ以上はあまり進む気も無かった。
何故かと言えば、僕等がコンビを組んでからこれが初めてのダンジョンだからである。
何度か組んだことがあるとは言え、それはもう相当前の話だ。
お互いの戦い方を知ったり、どのくらい動けるのかを知ったり、そうやってコンビネーションの練度を上げようという名目で潜っていたのである。
まあ、それも必要ないくらいヴァレンシュタインの実力は高かった訳だが。
何はともあれその辺を測るのに、37階層は非常にうってつけの階層であった。
ダンジョン37階層:別名『
この階層には、闘技場と呼ばれる空間が存在する。
簡潔に言ってしまえばそこは、一定数を上限に無限にモンスターが湧き続ける大型空間だ。
要するに、どれだけ殺してもモンスターが枯渇しない。
それは僕等にとっては、無限に出てくる練習相手に等しかった。
一歩踏み込んで斬り払う。
既にゴブニュから受け取っていた銀の刀は、スパルトイと呼称される全身真っ白な骸の化物を盾ごと斬り裂いた。
一切の抵抗なく振り抜いたそれを、一気に引き絞り、撃ち放つ。
まるでレーザービームみたいな軌道を残して刀は頭蓋をぶち抜いて、同時に横合いから迫るスパルトイは突如起こった暴風で吹き飛ばされた。
──エアリエル
ヴァレンシュタインが好んで使う風の魔法。
それはスパルトイ達を押さえつけ、次いで剣閃が抵抗させること無く斬り裂いた。
剣を振り払い、無防備になった彼女はしかし振り向くことも、示し合わせることもなく。
ただ跳躍した。
直上へと、一切の迷いもなく気軽に跳んだ。
瞬間、斬撃は通り過ぎる。
僕の放った幾条にも重なった斬撃はギリギリ彼女を巻き込まない範囲を微塵に斬り砕いた。
遅れて、僕の後ろで音がした。
骨と骨が擦れ合って、同時に笑うような声がする。
──間に合わない。
超広範囲への攻撃を繰り出した僕の背中はがら空きで、迫り来る骨の槍や剣は躱せない。
けれども焦りは感じなかった。
ただ、信頼と確信だけを抱いて、少しだけ頭を下げる。
瞬間、頭の先を業風が掠めていった。
まるで弾丸のように飛び込んできた彼女は僕の背後を一瞬で更地にした。
砕けた骨の破片が、風に乗って宙を舞う。
少しだけ彼女と僕は自然に、そうするのが極当然かのように背中を軽く突き合わせて、それから弾けるように飛び出した。
ここは闘技場。
前述の通り、安息するような暇はない。
彼女は虚空へ跳んで、僕は刀を仕舞いこんで懐から鎖を取り出した。
先端に重しの付いたそれは生まれでたばかりのスパルトイの首に絡みつく。
同時に、言葉を綴る。
『超えろ、超えろ、超えろ。錬鉄の主よ、汝の縛りは今解き放たれた』
───
詠唱が終わるや否や、鈍色の光は僕の手元から鎖の端まで伸びきった。
瞬間、力にものを言わせて回転するかのように大きく振り抜いた。
少しばかりの抵抗をねじ伏せて、鎖はスパルトイを持ち上げる。
そこで変化は起こった。
精々20m程度しかない鎖は不思議にもその限界をやすやすと超えた。
広大な空間を埋め尽くすしていたスパルトイを、急激に長大した鎖が絡め取る。
中央にいた僕は全てを捕まえたのを確認してから大きく跳躍、それから一気に引き寄せた。
僕を取り囲むようにいたスパルトイ達は当然僕に引っ張られて中央へと集められ、同時に流星が如く、暴風の大砲は撃ち放たれた。
跳んだ僕と擦れ違うように落下した彼女は強制的に集められた骸骨達をぶち抜いた。
風が身体を捩じ切って、剣が全てを斬り落とす。
巨大な爆発が起こったと錯覚してしまうほどの衝撃が辺りを包み、スパルトイ達は一瞬で消し飛んだ。
───絶えず、モンスターは現れる。
天上から産み落とされるように。
ボコリ、と顔を出したトカゲと人が混じり合ったようなモンスターを絡め取って地面に打ち付ける。
全身を叩きつけられたモンスター───リザードマン・エリートは衝撃で地面を跳ね、そして首を落とされた。
血すら付着させないヴァレンシュタインが剣を払い、その隣にふわりと着地する。
「まだいけそうか?」
「もちろん、まだまだ、いける」
「だと思った」
「十華も、でしょ?」
「良くわかってんな……」
僕等は顔を合わせてそう言って。
それが何でか分からないけど面白くて少し笑った、笑い合った。
───僕は先程、彼女は恐ろしい程僕の戦い方を知っている、と称したが。
それは少しだけ誤っていた。
彼女だけが僕の戦い方を理解している訳ではなかった。
それこそ酷く不思議な話ではあったのだが。
どうしてかは全くもって分からなかったのだけれども。
それこそ先程言ったように。
まるで何年も連れ添って共に戦ってきた相棒であるかのように。
僕は彼女の一手どころか二手、三手先まで見える。
恐怖すら覚えるほど、正確に。
僕はヴァレンシュタインの一挙手一投足が完璧に理解できていた。
見るまでもない、確認する必要すら無い。
こうしてくれ、と思ったときにはもう行われていて。
こうするだろう、と思えば実際にそう動く。
僕等の連携は傍から見れば化け物じみたものであると、自信を持って言えるほどだった。
良くは分からないが、これが相性というやつなのかと思う。
冗談かと思うかも知れないが、これが実際あるらしいのだ。
滅多にあることではない、それこそ、何百何千、何万人に一人か二人はいるらしいのである。
僕が今感じているような気持ちを抱かせられるような相手が、どっかにはいるらしい。
ソースはフィンとガレス。
僕は幼い頃からこの二人に教育されたものだから、冒険や戦いに関しての知識は主にこの二人から仕入れたものが多い。
そんな二人から聞いた経験談には、そんな話も混じっていたということだ。
これに関しては大して真に受けず、話半分くらいで受け止めていたものだが、彼らの話に嘘はなかったらしい。
事実、ヴァレンシュタインはこと戦闘においては僕にとって最高のパートナーと呼べた。
それはきっと、彼女もそう思っているのでは無いかと思う。
というかこれで思っていなかったらちょっとショックだ。
そう感じてしまうほどに、僕は彼女との戦いに心地よさとやりやすさ、そして
ん?
懐かしさ?
何でだ?
疑問を言葉にする暇は無かった。
既に生まれてきていたモンスターを相手にヴァレンシュタインは勢いよく飛び込んだ。
さながら撃ち放たれた矢のように。
鋭く跳び出た彼女は風を靡かせ激突した。
それだけで多くのスパルトイを砕き、風は残ったそれらを強引に宙に巻き上げた。
既に跳躍していた僕の前に、骸の群れが身体を晒す。
瞬間、鈍色の光を放っていた銀の刀剣は膨れ上がった。
大剣を超え、まるで巨人が扱うようなサイズになったそれを、豪快に振り抜く。
左端から右端まで、一瞬で振り抜かれたそれは一切合切全てを斬り消した。
壁すらも斬り抜かんと突き立ちようやく止まったそれを戻して鞘へと戻す。
地面から這い出るように出てきたそれらを斬り飛ばしてヴァレンシュタインに
「もう一つくらい下、行くか?」
と声をかける。
ヴァレンシュタインは目の前の敵を一掃した後に振り向いて、ううんと首を振った。
「あんまり下に行くと、戻るのも大変だし、フィン達に怒られちゃうから、やめておこう?」
「ん、それもそうだな、了解」
言われてみれば僕等は既に三日もダンジョンに籠もっていた。
あんまり潜っていればフィン達に心配されるし、ロキには「何時までアイズたん独り占めしてんねん!」と怒られかねない。
リアルに想像してしまって、思わず苦笑した僕はそろそろ戻ろうか、とヴァレンシュタインに問いかけた、その時だった。
音がした。
どこか遠くから、割れるような、砕けるような、爆発するような。
そんな音が響いて、警戒すると同時に、ダンジョンは
感じられるか否か、という程度だったその揺れは次第に強さを増した。
地の鳴動に、上手く立っていられない。
やばい。
やばいやばいやばいやばいやばい!
長年培ってきた僕の冒険者としての勘が全力全開で警報を打ち鳴らしていた。
冷や汗がタラリと頬を伝う。
ダンジョンは、未知の塊だ。
何が起こるか分からない、何が起こっても不思議ではない。
それは、下へ行くほど顕著に現れる特性。
僕は脇目も振らずに走り出した。
揺らめく大地に足を取られながら、それでも身体のスペックでゴリ押ししてヴァレンシュタインの元へと跳ぶように駆けた。
焦ったように僕を見ていた彼女の身体を抱きしめ、鋭く横に跳ねる。
瞬間、爆音。
僕等の立っていた地面から極大の火柱が吹き出て天井へとぶつかった。
真っ赤な火の粉が飛び散って、地を燃やす。
身体が微かに震えているのが分かった。
久し振りに感じる未知に、僕の身体は
火柱は、この大空間を埋め尽くす勢いで数を増していく。
───このままじゃ焼かれ死ぬ。
それだけは駄目だ、僕等は生きて帰らなければならない。
ロキと、そう約束したのだから
「立てるか、ヴァレンシュタイン。一旦逃げ───」
『ア゛──ア゛ァ゛ァ゛ア゛ァ゛ァ゛! ア゛ァ゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!』
言葉を続けることは不可能だった。
穿たれた地面から今まで聞いた覚えのない化物の声が、響くように撒き散らされる。
それだけで、威圧感に身を縛られた。
思考を一瞬奪われて、動きが止まる。
僕より早く復帰したヴァレンシュタインが震える足で、強く踏みしめ僕を引っ張った。
けれども遅かった。
何が遅かったかと言われれば、何もかもが遅かった。
揺れを感じた瞬間、僕等は即座に逃げるべきだったのだ。
多少の傷は厭わずスパルトイを押しのけ退避に徹するべきだった。
火柱に空けられた穴は繋がり合って、僕等の足元に巨大な縦穴を作り上げた。
地面は砕け始めて落下する。
跳躍しようとしても、既に足場は完全に砕けていて踏み込みようがない。
「くそっ……!」
思わずそう吐いて、僕は焦りと共に苛立ちを感じた。
どうにかならないかと、あちらこちらに眼を向けて頭を回すが助けになりそうなものは何も無い。
せめて空を飛ぶ魔法でもあれば話は違ったのだが。
生憎僕にそんな力はなかったし、ヴァレンシュタインのエアリエルもそこまでの自由性は無かった。
焦りが僕の思考を埋め尽くし───ふと、頭を撫でられた。
ヴァレンシュタインは僕をなだめるようにゆっくりと
「十華、落ち着いて」
と言った。
呆けてしまった僕に、彼女はもう一度口を開いた。
「二人なら、大丈夫。何があっても、今度は私が守るから」
慈愛を込めて、彼女は緩やかに笑った。
のほほんと、どんな状況でも大丈夫だと。
僕等なら、何があっても平気であると、僕のことは自分が守ると。
彼女は言ったのだ。
強烈な風圧と威圧、浮遊感を感じさせられている中、僕はそれだけで落ち着きを取り戻していた。
落下しきって瓦礫が作り上げられる衝撃音が響き渡る。
僕等は多分階にして十層以上は間違いなく落ちていた。
そして、その下には必ず巨大な"何か"がいることも、察するのは容易だった。
ポーチからポーションを4つ取り出し二つを飲み、二つをヴァレンシュタインに飲ませた。
そうするのが、当然のように。
僕の手からコクコクと。
体力回復薬と、精神回復薬である。
「取り敢えず最初は様子見で僕がさばく、いけそうだと思ったら一撃、重いのを頼む」
「うん、わかった、任せて」
僕等は短くそう言葉を交わして、ヴァレンシュタインのエアリエルに受け止められながらゆるりと着地した。
暗闇の先から、真紅の眼差しがぎょろりと光る。
地響きを立てながらゆっくりと、這い出るように出てきたそれは、巨人、という呼び名がふさわしいほどにでかかった。
ゴライアスの比ではない。
明らかにそれは階層主で、確実に見たことが無いと言い切れる存在───のはずだった。
しかし僕はそこで、どうしてかデジャヴを覚えた。
グラリと意識が揺れる。
輪郭が揺れて、僕の脳内はこいつは見たことがある、と叫んでいた。
間違いなく初見のはずなのに、僕の本能は知っていると言うのだ。
その差異に戸惑い、それでも僕はそれらを振り払って刀を抜いた。
───この際知っているかどうとかはどうでも良い。
取り敢えず、僕等はこいつを殺さなければならないのだから。
「さて、冒険の時間だ、覚悟しろよ
僕は刀を向けて、そう言った。
予定では後ニ、三話で終わります(真顔)
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想起
それを一言で現すのであれば、"悪魔"だった。
禍々しく捻じくれた二本の雄々しい角に、深紅に光る双眼、閉じられた、額の瞳。
二対の腕を持ち、下半身は馬のような筋肉質な四つ足。
背中には二対のコウモリのような翼を生やし、金の光沢を放つ尾は、さながら蠍のようだった。
まるで誂えられたかのようにポッカリと存在しているこの巨大な空洞の中にありながら、空間を埋め尽くすその体躯はあまりにも巨大。
逃げ場は無い。
先程まで立ち上がっていた火柱の影響か地面や壁は所々溶解している。
ヴァレンシュタインを下がらせながら、ゴクリと喉を鳴らした瞬間そいつは動いた。
いつ、どこから取り出したのかはわからない。
けれども確かに右手に握られていた漆黒の剣は、鋭く振り抜かれた。
───金属音は、響かない。
鈍重な音だけが、響いて広がった。
「ぐっ………うぉぉおおぉ……」
受け止められたのは、ほとんど反射だった。
それはこれまでの経験を押しつぶすような威力で、あまりの重さに足場が埋まる。
馬鹿げた破壊力の込められたその一撃は刀を通して僕の身体に悲鳴をあげさせた。
「あぁぁぁあああぁああああ!!」
全力で抵抗しながら力を逃すように刀を傾ける。
炎を幻視するような造形の剣は激しい火花を散らせながら刀をスライドしていって地に埋まった。
斬撃は遙か後方まで斬り裂いていって、爆風と煙が、僕を包み込んだ。
瞬間、加速。
姿勢を低くしながら駆け出して、グッと身を捻るように回転、跳躍。
僕を狙うように放たれた漆黒の槍が身体のスレスレを通り過ぎて、地を穿つ。
あまりに洗練され尽くしたその一撃は無駄に地面を砕くことはなく、ただ純粋に大地を貫き止まった。
突き立った槍に手を置きながら着地して、滑るように駆け抜け僕は、更に跳ぶ。
少しだけ浮いた僕は真っ黒に染まった腕に着地し、その勢いを持って一気に駆け上った。
長々と時間をかけるつもりは毛頭無かった。
未知の怪物であることに加えて、これだけの巨体にあの膂力。
長期戦になればなるほど不利になるのは明白だった。
だから、僕が注意をひいてヴァレンシュタインの一撃で決める。
奥の手だとか、特殊な能力だとか、そんなものを見ている余裕はない。
弾けるように眼前に飛び込んで、幾条もの剣閃を何度も重ねて斬り放つ。
間違いなく全力だった。
文字通り己に出せる最高速の攻撃だったそれはしかし、
まるで上質なアダマンタイトにでも弾かれたような硬質な音が響いて、刀は弾かれた。
火花が散って、視界を照らす。
「は、ぁ────?」
動揺は判断力を一瞬鈍らせた。
鈍った思考は、致命的な隙を生む。
振りかぶられた拳を、分かっていながらも躱せない。
焦りを抱いた僕を嘲笑うように、強烈な一撃は全身を貫いた。
「───────!?」
悲鳴を上げることすら不可能だった。
叩きつけられた衝撃は身体を砕いて轢き潰す。
骨も肉も内臓も。
何もかもがごっちゃになって等しくゴミと化す。
勢いを弱めることも、ダメージを逃がすことも不可能で、僕は壁まで押し潰されて、それから壁ごと押し砕かれた。
未だに無事な右耳が、己が壊れる音を拾う。
無様に血に濡れながら、それでも僕は力を込めた。
ジャラリと、鎖の音が鳴る。
一本一本の指に丁寧に絡み合わせた鎖が、仄かに光を灯して縛り上げた。
それを、渾身の力で引っ張り上げる。
既に千切れそうな右腕はミシミシと嫌な音と共に軋みながら、それでも一級冒険者の名に恥じない力を見せつける。
ガシャン! と激しく響いたそれは、抵抗するやつの力と少しだけの拮抗を作り出す。
それだけで、充分。
僕等のような一級冒険者にとってはそれだけでも充分すぎるくらいの隙だった。
─────風が吹く。
溜めに溜められていたそれは、まるで嵐を凝縮したかのような力を内包していて、抉るように、消し飛ばすように。
鎖に絡め取られたその腕に、風穴を空けた。
「ア────アァァアァァァアァアア!!!!??」
赤黒い血液が雨のように降り注いで悲鳴が鳴り響いた。
僕を残して落ちていく腕を見ながら、鎖を戻し、万能薬を全身に浴びせかける。
ジュクジュクと、音を立てながら身体が再生していくのを感じながら僕は壁を蹴った。
跳躍というよりは飛翔。
さながらロケットのように飛び出して、滞空しているヴァレンシュタインを抱えた僕は
まるでそこに床があるように。
僕は気軽に蹴った。
彼女を抱えながら後方へ、くるりと回って退けば同時に火柱は突き立った。
熱気が、空気を歪めて溶かす。
揺らめく視界の中で、僕は違和感を覚えた。
───槍が、無い。
あれだけ巨大な武器が霞の如く消えていて、それが収まっていた掌には橙色の魔法陣が幾つも交差するように回っていた。
───魔法。
ダンジョン内のモンスターが魔法だなんて、聞いたこともないがそれは間違いなく魔法だった。
直感的に、不味いと思う。
地に足をつけると同時に僕等は駆け出した。
次の瞬間、極大の魔法陣は光輝いて、空間を埋め尽くすように無作為に炎の矢は放たれた。
雨のように降り注ぐそれに、しかし当たることはない。
否、そもそも当てに来ていない。
それは僕等の眼前に突き立って、次の瞬間その炎は
数百の矢は、数百の怪物へと姿を変える。
「行けるか、ヴァレンシュタイン」
「うん、大丈夫」
僕等が止まることはなかった。
視界いっぱいに広がる炎の群れに飛び込んで、それから互いの背中を合わせて刀を振るう。
踊るように、舞うように。
彼女の隙を埋めるように、僕の死角を消すように。
破竹の勢いで僕等はその全てを蹴散らした。
火の粉が舞って、戦場を明るく照らす。
瞬間、未だ残る炎の群れごと消し飛ばすように、それは放たれた。
闇夜のように深い、黒の剣。
左斜め前方から振ってくるそれは全てを叩き斬る。
当然のように回避行動をとろうとして、同時に火柱は突き立った。
灼熱の柱は、逃げ場を塞ぐ。
「邪魔だ───!」
刀を振るう。
その一閃は確かにそれを斬り飛ばし、出来た隙間に飛び込んだ。
そして、僕は
僕とは違い、蛇のように姿を変えた炎の群れに絡まれた彼女が火柱に飲み込まれるその瞬間を。
そしてそれごと消し飛ばすように落ちてきた極黒の一撃を。
「あ──────」
瞬間、背中が燃えるような錯覚を覚えた。
熱は広がり、頭が激しく痛む。
どうしてか、彼女の声が脳内で響いた。
思考する前に動き出していた僕は火柱へと飛び込んで、彼女の身体を掴み、突破する。
轟音と衝撃、爆風に身を煽られながら、僕は惜しむこと無く万能薬を彼女へと振りかけた。
「十華──私──」
「気にするな、お互い様だろう」
荒い呼吸を必死で収める。
───頭痛が酷い。
背中はずっと熱を持っていて、それは時間を経るごとに増しているようだった。
そんな状況下で僕は何故か、ヴァレンシュタインとの記憶を思い出す。
どうしてか、全て記憶には無かったことで、それなのに全て鮮明に思い返される。
違和感が拭えない。
けれどもそれは事実であると、僕の中の何かは叫びを上げる。
それらを全て無視するように、グッと怪物を見上げれば、またしても鈍痛が頭に響いた。
やはり僕はこいつを知っている。
吐き気すら覚えるその感覚に思わずたじろげば、彼女が支えるように、僕の肩に手を添えた。
あまりに真っ直ぐな瞳だった。
あまりに純粋な眼差しだった。
僕の全てを見透かしているようで、僕の全てを見通しているようだった。
しかしそれに、不快感を抱かない。
どころか安心感すら覚えて、そのことに更に違和感を重ねた。
そんな僕に彼女はゆっくりと
「思い、出してきた?」
と、そう言った。
何だよその口振りは。
それじゃあ、まるで僕が──
轟音は鳴り響き、思考は寸断された。
否、戦場でこんなことをしている僕等が阿呆だったのだ。
振るわれた剣を反射で躱し、続く炎の群れを斬り飛ばす。
瞬間、突風。
風に押されて空を翔けた彼女は怪物の腕へと剣を振り抜いた。
金属音が弾け合うような音が響き、斬り裂かれることはない。
しかし強力な一撃だったそれは、怪物の腕ごと態勢をほんの少しだけ押し崩した。
───抜刀。
彼女が斬ったそこへと寸分違わず合わせ、斬り放つ。
ズルリと、腕は落ちた。
血潮を吹き出して、ゴトリと肘から先が地に落ちる。
痛みに耐えかねるように、怪物は暴れ、絶叫した。
それを見て、油断でも何でもなくただ純然たる事実として、いけると思った。
そうして一歩踏み出して、次の瞬間僕等は吹き飛んだ。
不可視の攻撃に、抵抗することすら叶わない。
一体何が起こったのかすら把握できなくて、無様に壁に背を押し付けることになった僕は怪物の姿を見上げた。
閉じられていた額の瞳が開かれて、黄金色に輝いている。
ドクンと心臓は音を鳴らした。
背中が、燃えるように熱い。
───強烈なデジャヴ。
頭の何処かで、やつとの記憶がちらりと姿を見せた。
それがもどかしくて、何とか掴もうとして身体に力を込める。
──否、込めようとして、込められない。
震える手で回復薬を取ろうとして、怪物が槍を携えるのを見た。
間に合わない、避けられない。
それでもどうにかしようとして、身をよじれば僕の前に彼女は立った。
立ちふさがるように、守るように。
アイズ・ヴァレンシュタインは僕へと背中を向けて、剣を構えた。
「今度は、私が守るから。だから、大丈夫」
そう言った彼女に、眼を奪われる。
言葉の意味を噛み砕くのに、そう時間はいらなかった。
そしてその姿が、いつかの逆だなと、そう思った。
───いつかっていつだ?
僕がいつ、そんなことを口にした?
僕は彼女の何だ? 彼女は僕の何なんだ?
背中の熱が、増していく。
揺れる視界の中で、僕等を屠るようにそれは動いた。
半ば炎と化した黒の槍は空間を赤熱させながら全てを穿たんと放たれて。
同時、業風は全てを巻き上げ凝縮し、さながら矢の如く撃ち込まれた。
風と炎はぶつかり合って、拮抗し、混ざり合って弾け合う。
それは莫大な爆発と衝撃を伴って、槍は穂先からひび割れ決壊し、彼女は不安定に宙へと浮いた。
けれども、彼女は止まらない。
空中にありながらエアリエルは彼女の体勢を整えて、それから銃弾のように飛び込んだ。
風を纏い、空を翔け、敵を穿つ。
ギラリと光る銀の剣は───しかし届かない。
不可視の
青い柄を握る腕は、本来曲がらない方向へと折れている。
受け身を取ることすら出来ずに彼女は地に落ちた。
瓦礫に受け止められて、ゴボリと血を吐き出し、
彼女の瞳は、未だ死んでいなかった。
指の一本すら動かすのも億劫な僕を置いといて、やつは彼女に眼を向ける。
瞬間、彼女は鞠みたいに吹き飛んだ。
エアリエルで風を鎧のように纏った上で、二度三度と彼女は宙で弾かれる。
黄金の瞳に見つめられた彼女に、抵抗の余地はない。
そうして地に落ちて、それなのに彼女は俄然として立ち上がった。
自分は大丈夫だと、そう言わんばかりに彼女は僕を見た。
そんな姿に、見知らぬ記憶が重なっていく。
何度目の、デジャヴだろうか。
デジャヴが重なるごとに吐き気がする。
背中が熱を持つたびに、頭痛がした。
────思い、出してきた?
彼女の言葉が、頭の中で繰り返される。
己の記憶に疑惑をかければかけるほど、強烈な違和感は生まれ続けた。
───彼女とはプライベートなやり取りをしたことがない筈なのに、一緒にいればどこか懐かしい。
───コミュ力は有ると自負するくせに、友人は少ない。
───ちょっと寝すぎたくらいで、自ら起こしに来るほど過保護なリヴェリアがいながら、幼い頃に教育してもらったのはフィンとガレス。
───ステイタスを更新したにも関わらず、アビリティしか見なかった。
───不自然に後悔を滲ませるくらい無事を願うロキ。
───ファミリア内どころか、オラリオ全体で見てもトップクラスの僕等に、下へ行き過ぎるなよとわざわざ忠告されたという事実。
───そもそも、何階層にも渡って火柱はダンジョンを破壊したのに、何故此処にいるのは僕等だけなんだ?
疑問は違和感を呼び、違和感は記憶を刺激した。
僕がそういうものである、と認識していた記憶が形を変えていく。
知らない───いや、違う。
"知らない"ではない。
"身に覚えがない"ではない。
"どこか見たことが有る"ではない。
僕はただ───忘れていただけだ。
ガチりと記憶と違和感の歯車は噛み合った。
白黒になって朽ちていた記憶が、鮮明に色を取り戻す。
あまりにも、時間をかけすぎたことにやっと気づいた。
こうなってしまったことは、仕方のないことであると思い出しながら、それでも迷惑をかけてしまったと奥歯を噛みしめる。
───背中が熱を持つ。
否、背中に刻まれた神聖文字が、爛々と燃えるように熱を発していた。
【
スキル欄に刻まれているその文字の後には、こうした説明が続く。
・強い想いが込められた能動的行動に応じた一時的な器の昇華とそれに伴った強い記憶の燃焼、記憶の再構築。
・記憶を一度でも燃焼した場合、記憶を取り戻すまでこのスキルとそれによる影響に対する認識阻害の発生。
・燃焼された記憶を取り戻した時に限り、能動的行動に応じた能力、器の昇華。
・同恩恵を持ち尚且記憶の対象者である者のみ同じ効果を発揮。
僕の持つ、唯一のスキル。
恐らくこのオラリオで、僕だけが保持するレアスキル。
誰が見ても馬鹿げた性能で、それに見合ったデメリット。
何度も使ってきた、しかし思い出したのはこれが初めてだった。
───思い出す。
僕は───僕等は、こいつに負けている。
スキルに頼った上で、敗走した。
アイズを抱えて逃げるので、精一杯だった。
そうして僕は今までもそうしてきたように、デメリットを受け入れ僕は彼女を忘れ去った。
その後はご覧の通りの結果である。
あぁ、なんて、なんて────
「情けない」
ヴァレンシュタイン───アイズに救われて、守られてばかりな己が恨めしい。
彼女に焦がれた、だから強くなろうと思った。
そんな理由すらも忘れてのうのうとしていた自分が酷く情けない。
血塗れで、身体ももう限界なのに立ち上がる彼女の姿が目に映る。
今なら分かる。
彼女がわざわざ僕をコンビに誘ったことも。
あの日、僕の手を何ら躊躇うこと無く取ったことも。
僕の動きに完璧に合わせられることも。
相性が良いとか、頭が混乱していたとか、そんなこじつけみたいな理由じゃない。
僕と彼女は元より
だからこそ、彼女は僕をここに連れてきた。
生半可なことでは思い出すことはないことを知っていたから、彼女は賭けに出た。
アイズは37階層まで来て暴れれば、こいつが反応することを分かっていた。
己の命を張ってまで、僕の記憶を取り戻そうとした。
やり方が些か乱暴過ぎるだろう、とは思う。
思うが、そうでもしなければ僕もまた思い出すことは無かったであろうことも理解できてしまった。
トン、と地を蹴りつける。
それだけで、僕は彼女の元へとたどり着いた。
蹌踉めく彼女の身体を抱きとめ、最後の万能薬を彼女にかける。
「悪い、待たせた」
「うん……本当、待ちくたびれた」
「帰ったら何でも言うこと聞いてやるから」
「約束、だよ? 守れる?」
「勿論、僕が約束を破ったことがあるか?」
「さっきまで、全部忘れてた癖に……」
「───もう、忘れないから」
「───うん」
彼女を離し、柄に手を置く。
怪物は余裕そうに僕等を見ていて、振り向くと同時に黄金の瞳は輝いた。
瞬間、抜刀。
同時に、僕の腕から先は蒼の光に包まれる。
振り抜かれた刀は見えない何かとぶつかり合って、そして斬り裂いた。
僕を避けるように、大地が吹き飛ぶ。
もう、不可視のそれの種は割れていた。
斥力。
それがあの力の正体だ。
要するに、物と物とが反発し合う力。
だから、鎧を纏ったアイズを弾きはすれどもそれ以上のダメージを与えることはなかった。
そしてそれは、あの瞳に入る範囲内にしか効果は無い。
そうでなければ彼女が弾かれるのと同時に僕の身体もぶっ飛ばされていた筈だからだ。
わざわざ一人だけ狙う理由が無い。
厄介では有るが、分かればどうということはない。
というか、分かったところで今の僕にはあまり関係が無いのも事実では有るのだが。
なにせ力づくで斬り裂ける。
動揺するように瞳を揺るがした怪物に、僕等は踏み込んだ。
蒼の光が、僕等を包む。
身体は異常なほどに軽かった。
僕等は光の帯を靡かせて、地を、空を駆け抜けた。
時には共に、時には離れ。
時折躱しきれないそれを斬り飛ばし、僕等はやつの眼前へと躍り出た。
僕等を阻むように動いた両腕を彼女の剣が斬り落とし、蒼く靡いた風が、不意打ちに気味に放たれた蠍の尾を押し阻む。
グッと刀を構えて宙を蹴った。
「お前にも、一応感謝はしておくよ。凶悪で、強大で、僕を打ち負かしてくれて、ありがとう。お陰で苦労もしたが、全部取り戻せた」
けど、お前の顔はもう見たくないや。
そう言い残して、僕は刀を振り抜いた。
蒼い光が、帯を引いて明るく照らす。
「───────────────────!!!!!」
盛大な断末魔だった。
上から下へ、飾り気もなく放たれた蒼光の斬撃は真っ直ぐに怪物を両断し尽くして、ズルリと割れて崩れ落ちた。
血が吹き出る前に、命の尽きたそれは身体を空に溶かしていって。
残された巨大な魔石が、くるくる回りながら地に突き立った。
でも後日談的なサムシングっぽい何かは書く(多分)
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