サイコパスは時に正しい道を (夜ノとばり)
しおりを挟む

遠藤春乃
いじめる権利


図書館でいじめについての本を読んだ。
色々感じることがあって、家に帰ったらキーボードを叩いていた……。


 ふとした時に、とても残酷な気持ちが心に沸き上がってきたことはあるか?

 この話は、そういう気持ちがデフォルト状態のサイコパスがいじめられている人間を救う、正義の寓話(ぐうわ)だ。

 ……心して、読みたければ読んでくれ。

 

 

 

 俺はどこにでもある県立高校に通う、どこにでもいそうな高校生。

 身長、体重、成績から外見、親の職業に至るまで、どこまでも普通、平凡極まりない国家の手本ともすべき少年だ。

 こんな人間が生産する人生のどこに面白さがあるのか、それは画面の前の皆さんが等しく感じるところだと思う。

 ところがどっこい、俺は一点だけ、他の人間どもと明らかに違う点がある。

 ……誰かどこかに俺の心の中がのぞけるやつがいたら、おそらく一秒とかからずに理解してくれるのではないだろうか。

 正解を発表しよう。

 俺はサイコパスである。

 皆さんはサイコパスについてどのようなお考えをお持ちだろうか。

 「常軌を逸した行動をとる」「頭がいい」「中二病と似てる」「何考えてるかわからない」

 いずれも間違いではない。

 ひとたび表に出れば世間を騒がせること間違いなし、それが俺たちサイコパスである。

 しかし一般に、世間のさらし者になるような奴は本当のサイコパスとは言えない。

 「人を殺してみたかった」なんて大っぴらに言う奴はただの馬鹿だ。

 本当に賢いサイコパスは無闇に軽々しく発言などしない。

 「俺、サイコパスだから」なんて公言してるやつはただの承認欲求に侵されたマヌケである。

 本当に賢いサイコパスは、常人と全く変わらぬ生活を送り、常人と普通に仲良くし、傍目からは何の変哲もない一般人Aとして認識されている。

 なぜかって?

 理由は至極単純。面倒事を起こしたくないからだ。面倒だからな。

 皆さん勘違いされているかもしれないが、サイコパスが必ずしも異常人格というわけではないぞ。

「サイコパス」という語は総じて「『反社会性パーソナリティー障害』という精神病者」を指し(病人とはまた違うんだから厄介な話だ)、主な特徴として「良心が欠如している」「冷淡で共感というものを知らない」「罪悪感が皆無」などがあるとされている。

 しかしそれらの特徴と一人一人の性格は常には一致しない。

「良心が欠如」していても「良心」という概念を知ることはできるし、良心を兼ね備えた人たちと生まれた時から付き合っていれば嫌でも覚える。おかげで今ではどんな状況で何をすれば「良い」のか、直感的に知っている。それを覚えるまでが辛かったのではないかと問われると、まさしくそのとおりであるが。

 それと同様に「冷淡で共感できな」くても「親切」や「共感」がどういうものか、ある程度は理解しているし、「罪悪感が皆無」ゆえの弊害はすでにこれでもかというほど経験済みだ。もうこれ以上めったなヘマをすることも無いだろう。

 俺はその辺のことはよくわきまえているつもりだ。

 うぬぼれと言われれば反論が思いつかないが、こうとしか表現のしようがないので許していただきたい。

 ……とまあこの通り、サイコパスであっても普通に生きることは難しくない。最近の言葉でいうと「全っ然可能!」である。

 俺はその典型といえるだろう。

 今日も俺は友達と一緒に学校に通い、授業中は真面目にノートをとり、休み時間になれば隣の席の人間とだべる。

 こんな生活を小学一年生の時から続けている。

 これまで通った学校もクラスメイトも先生も性格の良い人間ばかりで、俺は日々の生活、いじめのない生活に何の疑問も持たずに生きてきた。

 そして、その生活は高校入学と同時に打ち砕かれることとなる。

 この高校にはいじめが存在した。

 入学当初は誰しもがそわそわし、活気のあったここ俺の教室も、時間のたつにつれて友人関係もまとまり喧騒に包まれるかと思いきや、今では水を打ったように静かである。

 沈黙だ。

 俺は黙々と机に向かって前の時間に出された宿題に取り組んでいるが、教室の隅で時折交わされる、誰かさんへの嘲笑めいた話し声は嫌でも耳に入ってくる。

「それでさ、あいつ……○○なんだよ」

「うわマジキモッ」

 俺より後方の机で女子が聞こえよがしに会話している。実に楽しそうに。

 キモイという言葉に、標的とされている人物がビクッと反応する。

 それを見て、彼女らはしめたとばかりに盛り上がるのだ。

「まってあいつ今動いたし」

「きっしょ」

「吐きそうw」

「学校くんな」

 こんなやり取りを聞かされていては、いかにサイコパスの俺といえども居心地が悪い。

 標的は俺の二つ前の席で小さくなっている女子、その名も遠藤。下の名前は春乃だがまあどうでもいい。要するにいじめの被害を受けているかわいそうな奴だ。

 俺はいじめられている人間ではなくいじめている人間のほうに興味がある。

 教室の後ろの時計を興味なさげに振り返る。

 なんか文句あるの、とでもいうように一人の女子が俺の顔面を直視するが、俺の視線が時計に行っていることに気づき、友達との会話を再開する。またキモイキモイ言い出した。語彙力の無さがうかがえる。

 そう、この女、中川有紗(なかがわありさ)がこのいじめの元凶だ。入学してから二か月間、クラスメイトを観察していた俺には分かる。

 というか、俺は聞いていたのだ。放課後の教室で中川が「……あいつ、なんかウザいからハブらない?」と友人たちに提案するのを。

 廊下で自分のロッカーを漁っていた俺は意味もなくそれを続行しながら教室の中に耳をそばだてた。

 そしてその中の一人の男子が軽いノリで「確かに。気色悪いよなー遠藤って」と同意を示したのを皮切りに、芋づる式にその場にいた全員が賛成、次の日から遠藤は無視されるようになった。

 いじめなんてひも解いてみればこんなものか、とその時の俺は少々がっかりしてしまった。もっと闇が深いものだと思っていたから。それこそ殺意を覚えるようなものかと。

 解決してやりたい、と強く思った。

 もちろん遠藤のためではなく、俺のため。

 先生によく見られたいだとかいじめを収めて英雄(づら)したいわけではない。

 残念ながら、その震える背中を気の毒に思ったわけではない。

 ただ単に、気に食わないのだ。

 吹けば飛ぶような軽い気持ちで人の青春を踏みにじる人間が。

 あんな人間に人を傷つける権利など無い。そう俺は感じるのである。

 遠藤に好意は無い。助けてしまえば遠藤は楽になれ、同時に精神的に成長する手段を奪われることは知っている。

 でも俺はやる。

 中川にも特に恨みはない。きっと無意識にやっているのだろう。

 だからこそ許せない。許してはいけないと俺は思う。

 俺は「因果応報」を信じる人間だ。

 人の心を踏みにじったやつは、いつか同じように、誰かに何かを踏みにじられるものだ。それは世の鉄則であると俺は考える。

 

 ……だから、俺があいつを踏みにじって何が悪い?

 

 己の欲せざるところ人に施すことなかれ。孔子が放ったその一言は、断罪する者にとっては時に無意味になり得る。生徒の将来を思って叱りつける教師のように。殺人者に死刑を宣告する裁判官のように。

 罪の裁きは必ず下される。この場合俺がやることで、それがほんの少し、早くなるだけなのだ。

 親だのカウンセラーだのが手を焼く必要は全く無い。なぜならここに、自主的に解決を目論(もくろ)んでいる奴がいる。

 止めてやるんだ。

 絶対に俺の仕業とバレないようにいじめを止め、なおかつ二度といじめなんか起こそうと思わないほどに元凶である中川に打撃を与える方法を探す。

 さて、何から始めようか。

 まず手っ取り早い解決法は、担任の加藤にいじめの情報をリークすることだろう。ここ数か月のホームルームでの言動を見るあたり、加藤はまだ気づいていないようである。

 職員室に忍び込んで担任の机にこっそり告発文書を忍ばせるか?あまり現実的じゃないな。

 それにこのやり方だと彼女たちが「この野郎チクりやがったな」とますます激しいいじめを遠藤に浴びせる可能性がある。

 ……まあいいか。もしもそうなったらいくらでもやりようはある。

 悪化すればするほど、改心したときに受けるダメージも増えるってものだ。

 被害者が生きているうちならまだましなんだろうな。いじめは殺人にもなりうる。そして死人が出れば鈍感な世間サマだって事の重大さに気づくんだぜ。

 だが、たかがいじめ。人の死が必要だろうか?もちろん否だ。そうだよな。

 中川、俺はお前を絶対改心させてやるよ。

 お前のしたことの重さを、何の関係もない俺が教えてやる。どんな手を使ってもな……。




まずは今の状況を整理しないと。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

いじめの現状整理

遠藤は被害者。
中川は加害者。
俺は第三者。

……それがどうした?


「うわ、今日も来た」いじめの元凶、中川より吐き出された薄っぺらい言葉に、俺は教室の入り口へと目を向ける。

 そこより入りくる人物はいじめの標的、遠藤。唇をぎゅっと引き結んでいる。

 退屈そうにしていた中川達は、待ってましたとばかりに彼女に罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせた。

「来ないでほしかったな」

「生理的に無理」

「キモイ」

「空気悪くなったわ、喘息(ぜんそく)になりそう」

 気分悪そうに男子が毒を吐けば、女子はきゃーっはっはと笑い声で応じる。

 遠藤は肩をこわばらせながら、自分の席へ向かった。

 本当に喘息になってしまえ。今自分が何を言ったかがわかるだろうさ……。

 俺はいじめの首謀者、中川の一挙手一投足を意識しながら、読書を続けていた。俺の席は中川の席の二つ前なので直接見ることはできないが、声を聴くことは十分に可能だ。

 遠藤が席についても悪口は収まる気配を見せない。

「デブがよく学校来る気になるよな」

「ほんとそれ。クソデブがよぉ」

「調子乗ってるとラーメンのダシにすんぞ」

「ただし誰も食べませんw」

「スタッフもいただきませんw」

「デブ」

「デーーブ」

「デーーーーーーーーーヴ」

 男子が遠藤に一歩づつ詰め寄る。ちなみに遠藤はそこまで太ってはいない。「太ってる」の定義ってなんだ。考えても無駄だこいつら何も考えていない。

「デブちゃんは言葉も話せなくなっちゃったのかな?」

 嗜虐(しぎゃく)的な笑みを遠藤の眼前に突きつける。

 そして示し合わせたように爆笑。

 頭の悪い野郎どもだ。もう少し言葉にバリエーションはないのだろうか。幼稚だし。

 俺の位置からは見えないが、きっと遠藤は目に涙をためているんだろう、と容易に想像がついてしまう。

 彼女は悪いことは何もしていない。していないことを挙げればきりがないが、要するに中川達の暇つぶしに利用されているだけである。

 友達作りが少しばかり遅れただけでこれかよ。心の中で(つば)を吐く。

 ふと、思い出した。

 いじめをする人間には家庭環境に恵まれていない者が多いとどこかで聞いたことがある。心がすさむと他人に危害を加えることにも抵抗がなくなってしまうんだとか。

 親から冷たく扱われて、その腹いせにいじめをした結果、世間からも疎まれるなんて本当に最悪だと思う。いじめっ子の精神状態のほうが心配になってくる始末。

 で、そのようにいじめをする後ろ姿は、その子の親御さんの背中によく似ているんだろうな。皮肉なものである。

 地獄が繰り返されるのだ。

 でも、それがどうした。

 いじめっ子の立場に立って何が解決するというのだ。

 理由もなくひどい仕打ちを受けるのは誰であろうと気の毒である。それは確かにそうだ。

 しかしここは学校。

 これは意味もなく暴力をふるういじめっ子に向けた言葉だ。

「そういえばこの前さあ……」

 中川が唐突に別の話題を振った。

 中川を取り巻くクラスメイトは「何だよもう終わりかよ」とでも言いたげだ。がっかりしている。

 遠藤はほーっと肩の力を抜き、椅子の背に体を預けた。

「この前、遠藤が触った所の手すりがめっちゃテカッててさ、マジ汚ぇ!と思って」

「遠藤さんは手汗がすごいんですっ☆」

 中川にいじりを終わらせる気はなかったらしい。(だま)された。

 男子の一人が嬉々としてそれに呼応する。男子のぶりっこって気色悪いな。

 遠藤は硬直。戦慄している。

 俺は時計を見るふりをして中川達を振り返った。

「臭すぎて死ぬかと思って、そんで一生懸命手ぇ洗ってたら皮むけてきちゃってぇ……」

 よくもそんなに抑揚をつけて話せるもんだ。呆れを通り越して感心しちゃうぜ。

 中川は自分の手の平をしげしげと見つめる。唇がほんの少し吊り上がったのがはっきりと分かった。

 待っているのだ。

 男子の答えを。

 自分の手を汚さないために。

「死刑w」

「激臭スポットを増やした罪で」

 冗談めかして馬鹿な男子が騒ぐ。

「いやマジそれだわー」中川だ。

 中川は高揚感を隠しもせずに立ち上がり、俺の横を通り過ぎて遠藤を取り囲む男子どもの一歩後ろについた。

「遠藤とか死んでもそこまで変わらんくね?」と男子。

「そうだな死んでいいな」

「まあ、遠藤なんてうんこみたいなもんだし」

「うんこに生きる価値なし☆」

「ファブリーズが効かないだと……」

「流しちゃおうか♪」

「そうしようそうしよう、キュッ」名前も知らない男子がレバーを引くジェスチャーをして見せる。

 ジャ―――!と誰かが発した大声で爆笑が起こる。

 腹を抱えて笑う男子、女子、中川。

 見て見ぬふりのクラスメイトもさすがにこれには耐えきれなかった模様。一緒になって笑っている。

 俺は苦笑する。

 遠藤は机を見つめながら泣いているのだ。小さな肩を壊れそうに震わせて。笑い泣きの中川とはえらい違いだ。

 こいつ、上手くやりやがったな。

『初めに死ねと言い出したのは男子。私はその口車に乗せられただけなんです』という自分に都合のいい状況を、中川は馬鹿男子を巧みに利用してまんまと作りやがった。現に今の会話も全て馬鹿な男子どもによるもの。中川はただ笑っていただけだ。

 仮に今教師に見つかってしまっても、怒られるのはきっと主に男子だろう。

 糾弾(きゅうだん)を受けるのはいつだって実行犯だ。

「あいつが言い出した」と言われても「こんな大事になるとは思ってなかったほんの軽い気持ちでやった今はそれを後悔しているごめんなさい」と泣けばたいていの大人は納得してくれる。

「そうかそうか君もつらかったんだね」ふざけるなよ。

 人の本心なんて誰にも分からないからな。演技がうまけりゃ本当にどうにかなってしまったりする。泣くふりして手で顔を隠せば表情も知られることはない。もういっそ女優にでもなったらどうだ。

 ……でも忘れるなよ。俺からしたら中川もその他諸々の女子男子もいじめの実行犯だからな。

 いじめに関与してない俺が言うんだから間違いない。

 俺はいつも通り自分の席で読書にふけっているが、耳は遠藤や中川のほうに釘付けである。

 中川はかなりの凶悪犯だな……。

 今日もいじめは続いている。

 

 

 

 休み時間のたびに罵倒されるってどういう気分なんだろうな。俺には経験が無いので理解できないが……。

 午前中の授業をすべて消化し、教室は昼食時、ワイワイガヤガヤとやけに無機質な騒音に包まれている。

 遠藤はいつものごとく一人。

 二つ後ろの席の俺も似たようなものだから安心しろ、と声をかけてやりたくもなるが、彼女は中川達のいる後ろなど振り返りたくもないだろう。

 それに俺が遠藤のことを意識していると思われるのは避けたい。

 陰ながらいじめを止めたいのであれば、まずは標的にならないことが先決だ。

 購買で適当に買った焼きそばパンを食し、五時間目の移動教室の準備を始める。教科はたしか家庭科だったはずだ。

 と、ここでまさかのハプニングが発生。

 遠藤に話しかける女子がいる。

 相手は、入学当初、遠藤とよく話していた女子、(みなみ)

 遠藤が初めて話しかけた女子でもある。

 俺の中のおぼろげな記憶をたどれば、二人は普通に仲良さそうにしていたと思うのだが、今では立派に遠藤を無視している一人である。……友情って何なんだろうな。

 ともかく、遠藤がまともに人と話しているのを見るのは久しぶりだった。

 変だな。無視されてたはずなのに。……いや、今はもう無視ですらないか。いじめは言葉による精神攻撃へと形を変えて、悪化していく一方だ。

 そうでなくとも、南の態度には違和感を感じざるを得なかった。

 妙に遠慮がちで、目を合わせない。合えばそらす。不自然極まりない。

 何か裏があるんじゃないか。ついそう思ってしまった。

 そんなわけないよな。

 そんなわけない。

 裏があるに決まっているさ。

 俺の後方の席から中川のくすくす笑いが聞こえてくるんだもんな。きっと南に何か命令したんだろう。

 ちらちらと前の二人の様子をうかがいながら俺は移動教室の準備を進める。クラスの連中は移動を始めていた。

「えっと…………次の授業、家庭科から理科に変更になったらしいよ……。先生が伝えておいてくれって」

 言いにくそうに、「二人だけの秘密」めかして南は囁く。周りに聞かれないように注意を払っているようにも見えた。

 そこに楽しげな空気はない。当然だ。二人は友達なんてたいそうなものじゃない。ただの、いじめの加害者と被害者なのだ。

「……うん、それだけ」

 至極簡単に、南は会話を終わらせる。

 じゃあね、というせめてもの別れの言葉を遠藤は待っていたはずだ。

 その期待には応えずに南は身をひるがえす。南は遠藤に背を向けて、遠藤は南の背中を見つめて、どちらも辛そうに顔を歪めた。

「……そっか、ありがとう」

 遠藤は弱々しくお礼を言い、教科書を出し始める。

 南はそのまま去っていく。向かった先の廊下では、中川がニコニコしている。いつの間に……。

 心底楽しそうに南の肩をポンポン叩く。……お前も俺の仲間か?

 彼女達はさっさと教科書をもって行ってしまい、その時間、中川がそれ以上遠藤と関わることは無かった。

 中川が「いじりもそろそろ飽きた」のであれば、第三者である俺の手出しは無用になり、遠藤は無事、平穏を手にすることができるだろう。

 が、中川の淡白な行動が俺には不可解なものに見えて仕方がなかった。

 

 

 

 遠藤春乃は家庭科教師の雨宮に教壇(きょうだん)の上で怒鳴られている。

 くすくす笑いがそこらじゅうで起こっている。

 南の言っていたことは嘘っぱちだった。時間割に変更はなく、この授業は家庭科の授業で、一人理科の用意をしてきた遠藤は現在進行形でキレ性の家庭科教師、雨宮にこっぴどいお叱りを受けている。

 俺は念のためにと持ってきていた家庭科の授業の用意を机上に出し、ふっ、とため息をついた。

 授業開始のチャイムが鳴って雨宮が教室に入ってきて、やっと遠藤は(だま)されたことに気づいた。

 遅いんだよと思ったが、遠藤は南を信じていたかったのかもしれない、と思い直した。完全なウソと分かってしまうまでは、南を疑いたくはなかったのだろう。曲がりなりにも一度は毎日のように会話をした仲だから。無垢(むく)な笑顔で挨拶を交わし合った友人同士だから。

 遠藤の中ではまだ、続いているのだろう。元に戻れると思っているのだろう。

 無理だとは言わない。きっと俺が成功した事例を知らないだけ。

 彼女は南との関係の修復を望んでいる。だから南につかれた嘘のことも言わなかったのではないか。

「南に騙された」と本当のことを言ったって、中川達に口裏を合わせられたらセンセーにも信じてもらえないのは目に見えているけれど。

 教師とはそういう生き物だ。基本的に多数派の言うことを聞く。少数意見は尊重こそすれ適用はされない。

 教師だけじゃない。人という生き物がそもそも多数派重視なのだ。

 だからそれを振り切って教師にいじめの対応をさせるには、教師、できれば担任に強い問題意識を起こさせなくてはいけない。

 そのために最も有効な手段は、教師に面と向かって助けを求めることではない。

 密告だ。

 人は秘密には必ず何らかの意味をつけたがるものだ。例えばさっきの遠藤と南の会話であるなら、あえて小声で話すことによって遠藤に南と友達と呼べる関係だった頃の記憶をよみがえらせて「私たちはまだ続いてるんだ」と錯覚させ、それを真っ向から裏切ることで心に深い傷を負わせる、とかな。これはおそらく俺の考えすぎだが、裏切られた側はそこまで裏読みしていまうくらい傷つくんだぜ。

 懸念としては、教師もとい学校に解決の意思がない場合だが……、……それはおいおい考えていくとしよう。

 ということで、まずはうちの担任の加藤にいじめが起きていることを知らせてみるか。

 俺は真顔で教壇上の遠藤(怒られている)を眺めながら、いじめを止めるための計画を練り始めた。

 

 

 

 キーンコーンカーンコーン

 チャイムが鳴り、散々だった家庭科の授業が終わりを迎える頃には、俺のいじめ告発計画はまとまっていた。ちなみに授業中、遠藤はずっとうとうとしていたし、中川は終始クスクスクスクスうるさかった。遠藤は夜あまり眠れていないのかもしれない。精神が不安定だと寝つきがどうしても悪くなるのだ。中川はどうでもいい。

 計画の全般はこんな感じだ。

 明日提出する予定の宿題の中に、いじめの告発文書を紛れ込ませる。俺がやったとバレないように、文字はパソコンで打ったものをあらかじめ自宅で印刷しておき、ポケットに忍ばせて登校。回収の際にノートとノートの間にそっと入れる、といった具合だ。

 提出するのは数学のノート。そして俺は数学の係。つまり運ぶのは俺だ。

 そして、人目につかないところまで来たら、告発文書をノートの隙間に押し込む。バレることは無い。

 ことを済ませた後は担任の出方をうかがう。一応シミュレーションはしておくつもりだ。

 ……さて、これで今日の授業も終わりか。俺は教科書をもって椅子を立つ。

 中川が出入り口付近でいじめ友達とこそこそ話している。遠藤は早々と教室に戻ったようだ。

 俺はポーカーフェイスで表情筋をがっちり固めて中川達の横を通り、教室へ帰ろうとする。

 そこで、聞き捨てならない文句が俺の耳に飛び込んできた。

「明日の放課後、しばらく教室に残らない?みんなでさ……」

 その言葉で俺は完全に察した。どうやら授業後に残って遠藤の机や教科書に落書きをするようだ。どうせ今日は見たいテレビかなんかがあるんだろう。……いや、下見をする可能性もあるな。だとしたら計画的犯行だ。

 また被害が増える。

 それはそれで結構だ。

 エスカレートすればするほど、いじめの手口は雑になっていくからな。決定的な証拠もつかみやすくなる。

 カメラに収めるのも、ビデオに録るのも、今よりはるかに簡単になってくる。次第に周りが見えなくなっていくのだ。

 それを使って、今度はいじめの犯人達に絶望を味わわせる。

 ……悪いことはしちゃいけないよ?中川さん。

 

 とにかく、明日だ。

 告発と、落書きの処理。とりあえずはこの二つ。

 処理といっても、素直に落書きを消すわけじゃない。

 さあ、どうしてくれようか……。俺は教室で帰り支度をしながら、そのことばかりに心を奪われていた。




あいつが動き出す。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

いじめは予期した方向へ

いじめは善か、それとも悪か?


 世の中には二元論がはびこっている。

 行いは基本的に善か悪かのみで判断され、罪の重さによってそれ相応の刑罰が科される。

 ……いや、この言い方は良くない。判断するのは偏見入り混じる人間だ。いくら良心のみに基づいていても、間違った判決を下すことはある。

 そもそも法を定めたのも同じく偏見にまみれた人間である。可能な限り私情を抜きにしたのは間違いないだろうけれど。

 国内でもっとも公平公正に近い判断が成される場所、それが裁判所だ。

 しかしそこですら間違った判決が出ることはあり、実際、これまでに何件かの冤罪が発生している。

 それでは学校はどうだろう。

 生徒をの裁くことは生徒指導の教師に一任されている。必要に応じて職員会議は開かれるが、基本的に校則破りの叱責は生徒指導の教師により行われる。

 校則は親同士の会議で決められたものだ。司法の専門家なんてついていない。

 何が言いたいかといえば。

 偏った刑罰は俺や君が想像するよりはるかに身近で、日常的に起こっているということだ。ある時は「お仕置き」またある時は「制裁」さらにまたある時は「報い」へと言葉を変えて。

 制裁はどこにでもある。夕暮れ時、俺一人、斜陽でオレンジ色に染まった、いじめの痕跡がありありと残る教室に入ってきた今この瞬間にも。

 君を普段裁くのは親か?教師か?友人か?少なくとも自らの良心のみにもとづいた裁判官でないのは確かだろう。

 人は一般的に己の自尊心を根拠として他人を見ている。有体に言うのなら、フィルターや色のついたレンズを通して。

 そして彼らは未熟な自分を棚に上げ、他者を裁く。

 彼らは自分が気に入るもの、都合の良いものは善、気に入らないもの、自己に不利益をもたらすものはどんな理由をつけてでも悪と言い張り、決めつけ、それを罪とする。

 別におかしくはない。

 そうでもしないと二元論は成り立たないから。天使と悪魔、良心と邪心もまたしかり。

 彼らは明らかに善としか見えない行動でさえも悪とするスキルを持っている。

 善は善でも「偽善」だ、と。

 どうやらニセモノは悪ということらしい。

 彼らの中では自己中心的な目論見を背景とした善は偽善となるのである。心根が悪なら行動は悪だ、とそういう思考回路なのだろう。

 愚かな考えである。

 人間なんてものは一人残らず自己中心だ。自己中心を悪とするなら人類はみな平等に悪魔の化身だろうな。人助けが未来の自分助けならば人助けは自分のためにやっていることになる。他人のために動くことで満足感を得られるのなら結局自分のため。自分の利益なのである。

 損得勘定はまあいいとして。

 彼らは目的だとか目論見だとかにとても敏感に反応し、それらを忌み嫌い、心根で善と偽善と悪を分ける。

 そもそも人の心根を知ることはできないというのに。超能力者じゃないんだから。少なくとも俺にそんな能力はない。

 試しに今俺が何の数字を考えているか、当ててみてくれ。

 シンキングタイム。

 時間切れ。

 正解発表。

 答えは11254。誰が正解できるというのか。

 よって心根は不可知、善か悪かなんて判別できないということになるのだが…………人間、わからないことなら何とでも言える。言ったもん勝ちである。邪推(じゃすい)の精神をいかんなく発揮して彼らは自分と味方以外のすべてを悪とする。

 それはそれで構わんのだが。

 俺に害がなければいい。俺は自己中心だから。

 しかし本来人間に善悪などはない。ここは強調しておきたい。

 だから俺は人をイイモノとワルモノに分ける彼らを信じない。自分は絶対にイイモノだと信じて疑わない彼らを。他人を信じようとしない彼らを。

 例えば俺が「彼らから見てワルイこと」をしたとしよう。

 彼らから見て俺はワルモノである。

 そうなったらいくら違うんだと言い訳をしても無駄である。彼らの常識の中で俺は「悪」と大決定してそこから一歩も動かない。

 彼らに認められたければ、それこそ彼らの常識を変えでもしないといけない。

 彼らは自分の常識は世間一般の常識にのっとっているつもりなのだ。

 例えば、空き缶を投げる奴はどうあがいたってワルモノにされる。たとえそれが誰にも当たることなくごみ箱に入ったとしても。ホールインワンだと騒いでも。それが悪いコトと知らなかったとしても。

 ()()()()()()()()()()()は。

 自分のやったことならどんな理由をつけてでも善にするんだろうな。いろいろと棚に上げて。都合のいいことだ。

―――それではここで問題です。

 彼はクラスメイトの机に落書きをしています。

 彼はイイモノですか、ワルモノですか?

 ワルモノですね。これだけなら。

 

 中川、南、一ノ瀬、大谷……。彼はいじめの首謀者と追従者の机に次々と「犯人」の文字を書いていきます。一つずつ筆圧の強さと字の大きさを変えています。これはいじめをよく思わないものが複数いるというアピールですね。

 定規を使って線を引いているので、筆跡で犯人が特定されることはありません。定規とペンは教室にある担任の加藤の備品を使用。一応ペンは水性なので消しゴムでこすれば消すことはできます。

 彼はちらりと遠藤の机に視線をやります。

 中川達のやり方は驚くほどに、最初にしては悪質なものでした。

 机の板上には寄せ書き。ウザイ臭いきもいんだよ死ねシネヤ死んじまえクラス一同より。まったくもって言葉足らずですが、傷つくことは請け合いですね。

 机の周りに散らばっているのは天使の羽ではなく、破られた教科書の残骸。白い部分ばかりなのはせめてもの優しさでしょうか。

 彼の頭に今日の昼休みの出来事がよみがえります。

「一ノ瀬」「大谷」「南も」一人ひとり名前を呼んで中川は自身の席に仲間を集め、いじめについて会議を始めました。議題は「遠藤の机に放課後何書いてやろうか」です。

 彼の席は中川の二つ前ですから、ワクワクだかイライラだかを抑えきれずに大声で会話する彼女らの声がガンガン耳に入ってきました。落書きに参加する人間も、誰が見張りをするのかも、すっかり筒抜けでした。

 知ったからには動かないわけにはいきません。彼は帰りの挨拶と同時にカバンをもって教室を抜け出し、トイレに駆け込んでそのまま身を潜めました。

 いつもより数分遅く中川達の声が外を通り過ぎた後で、彼はそろそろとトイレを抜け出して教室へ。カギはかけ忘れたのか、かかっていませんでした。

 行ってみれば、遠藤の机にひどい落書きが残されていました。机の中にあったふちがびりびりの教科書をめくるとそこにも落書きが。

 こんなことをすれば見回りの教師がすぐ気付きそうなものですが、悲しきかな、この学校には教師の見回り制度がありません。職員室からすべての教室の窓が見えるのが原因でしょうか。誰が残り何をしようが、教師に気取られることはおもしろいくらいに無いのです。

 しばらく絶句していた彼でしたが、おもむろに教卓からペンと定規を取り出し―――今に至ります。

 ……よし。

 たった今、落書き犯の机への落書きが終了しました。ハンカチでペンと定規を清めて(指紋をふいて)、教卓の中にそっと入れておきましょう。

 遠藤の机をキレイに拭いて、下に散らばった紙くずをごみ箱にポイして、出来上がりです。

 彼はイイモノでしょうか、ワルモノでしょうか?

 

 

 告発文書作戦は無駄だったどころか大失敗に終わった。加藤に問題意識を起こさせることはできなかった。

 それもあろうことか、加藤は「こんな紙が紛れ込んでいたんだけど、誰か心当たりあるか?」と帰りのホームルームの時間にクラス全員の目の前で公開しやがった。

 教室中が恐怖で静まり返った。これまで知らんぷりという名の中立の立場を貫いてきた生徒達はそれの意味するところに気づき、一斉に目を見開き、息をのみ、凍り付いた。

 開いた窓から湿った嫌な風が吹き込んでいたのを覚えている。

 思わず舌打ちが出そうになった。

 加藤はいじめを食い止めるどころか助長する側に回ったのだ。

 悪気はなかった?知ったことか。結果的に助長したのであればそれは罪だ。故意か過失かはどうでもいい。もはや加藤は敵だ。馬鹿男子と同列である。馬鹿+加藤でバカトウだ。

 ともかくこれで、遠藤が助けを求めることのできる人間はここにはいなくなった。この学校にいるかすら怪しい。

 恐怖と絶望で震えていることしかできなかった遠藤。哀れ。

 一方、中川達だが……。

 結果から言おう。

 中川達は逆上した。

 やはりといったところである。

、それはまだ想定内だ。

 密告があろうとなかろうと、遅かれ早かれ加藤がいじめを話題に出せば、クラスの連中は一人残らず「遠藤が教師に助けを求めた」と思い、必然的にいじめはひどくなっただろう。何もしなくたってひどくなっていくのだから、結果オーライともいえる。

 だから加藤にいじめの事実を密告しようと決めた時から、遠藤がいつか暴力を受けるであろうことは内心で予期していた。

 ところで、中川達が反省していじめをやめるなんてことはこれっぽっちも考えていなかった。それはひとえに俺の性格の悪さによるものであるのだが……。

 実際、奴らにいじめをやめる気などなかったらしい。

 それはいいとしよう。ただ単に中川達がいじめっ子の鏡なだけである。

 問題は中川の態度だ。

 あいつ、()()()()()()()()

 加藤が文書を公開した瞬間に。ふっ、と。「へえ、抵抗するんだぁ」とでも言わんばかりに。

 自分が痛めつけた被害者の必死の抵抗を、中川は嗤笑(ししょう)したのだ。

 そしてホームルーム後、遠藤は中川に肩を組まれて逃げられないように拘束されて、俺がトイレに身を隠して十五分ほどしたところで中川ファミリーにトイレの前をやさし~く連行されていった。

 場所は屋上だ。俺が教室を出る寸前に、あいつらのこそこそ話がばっちり聞こえていた。

 十五分間何をしていたかといえば、教室に残された無残な机や教科書から察するに、遠藤(押さえられて動けなくしてある)の見ている目の前で、遠藤の教科書を破ったり落書きしたりしてたんだろうな。まさに外道。

 なるほどあいつに良心なんてものは無いらしい。人には誰にでも良心は備わっているものと思っていたんだがな。どうやら俺の勘違いだったようだ。

 ……なら、こっちもやり方を変えよう。

 いささか早すぎるかもしれないが、なにせいじめの根絶には迅速な対応が求められるんでな。

 改心する気のない人間の改心なんていらない。

 今までの俺は甘かったようだ。

 罪悪感を与えてやれば、人は改心すると思い込んでいた。人は()()()()()ものだと偏見を抱いていた。端的に言うなら、正攻法で攻めるつもりでいた。

 動かぬ証拠をとって、所構わずばらまいて、徹底的に中川を(つぶ)す方向に修正する。

 何が正攻法だ。

 何が正義だ。

 俺が机に落書きをしていた間にも、遠藤は屋上で中川達に暴力を受けているのだ。

 思えばもう屋上にまで進出しやがった。昨日までは遠藤の机もまっさらだったのに。手の速いことである。感心しちゃうぜ。

 俺の落書きを見たら、やっこさんさらに気が高ぶって、遠藤にもっとひどい暴力を振るっちゃうだろうな。

 それでいい。

 耐えろ遠藤。いじめの解決には、お前がいじめられることが必要だ。

 あと五日間これに耐えれば、遠藤はこれ以上いじめられなくて済むようになる。

 とはいえ、明日は土曜日。中川達がこの犯人アートを目にするのは月曜日だ。

 中川ファミリーにとっては欲求不満、遠藤にとってはひと時の安らぎの二日間がやってくる。

 俺は準備するものがあるので、それの調達だ。

 どんな手を使ってもいじめを止める(中川を潰す)

 上手くいけば、あと一週間でいじめ(中川達)は終わる。




改心してくれたら何もしなくていいんだけど。
もし、してくれないのであればやりすぎもやむを得ないのかもしれない。
罪を犯すのは人間。
裁きを下すのも人間だから……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

いじめ相手には何をしてもいいらしい

遅れましたが、書けたので投稿します。


 さーて、用意しましたのはー、こちらっ。手のひらを返して片手を腰にやる。端の丸まったカーペットの上に物が並べられている。

 折り畳み式はしご(約一メートル)、ガムテープ(はがせるものとそうでないものの二種類)、ひも、スマートフォン、付属のケーブル……のみ。

 結局、休日にした準備といえば、家の物置からはしごを引っ張り出すくらいだった。

 たったこれだけでいいのかって?

 十分だ。

 あとは(おとり)のネット端末が一台あれば万事OK。それはネットカフェのパソコンで代用が聞くので、わざわざ購入する必要はない。

 ついでに言えば、というかこれが最重要事項ともいえるが、このやり方なら足がつかないのだ。

 にゃはははは、とふんぞり返って高笑いしたくなるのを抑える。

 流れはこうだ。

 

 1.授業終了とともにそれとなく教室を出て、誰よりも速く屋上へダッシュ。持参したはしごを使って屋上の最上部に上る。

 

 2.屋上にやってきて遠藤を痛めつける中川達の一部始終を、ガムテープでカモフラージュしたスマホのカメラで撮る。ムービーで。

 

 3.1→2を五日間繰り返す。

 

 4.週末にネットカフェでスマホからパソコンにデータを移し、コーヒー飲みつつ架空アカウントからSNSに動画をアップ。

 

 思ったより簡単だったのではなかろうか。

 そうだろう。

 人を社会的に殺すのは案外簡単だからな。

 とはいっても、まあ俺が晒したところで、炎上したところで、別に中川達に前科がつくわけでもないし。

 ただ恥をかくだけである。あいつらの将来には全くと言っていいほど影響しない。

 中川達が思い知ってくれればそれでいいのである。

 俺は二種類のガムテープをそれぞれ数枚ずつ切り取って勉強机の端っこにぺたぺたと貼っていく。

 影響させる方法もあるけどね。方法は単純。遠藤の仕業っぽく中川達に嫌がらせをしまくって、キレた奴らが遠藤を殺しでもすれば、奴らが致死罪に問われることは間違いない。誰が犯人かなんてのは、クラス中の常識にまでなってるからな。言い逃れは不可能。

 要するに遠藤の家族がいじめの犯人を訴えれば、犯人達は前科を免れないのだ。

 ……別にそうなってもいいけど。

 多分そこまでの事態にはならないだろう。

 中川達にも頭はあるから、自己保身くらいそっちで考えるだろうさ。

 余計なことをしなければ中川達はネットで叩かれるだけで済んで前科もつかないんだから、出来るなら余計なことはしないでいただきたい。そのほうが穏便にカタがつく。

 そんなことを考えながら俺はハサミではがせるほうのガムテープの一片に丸い穴をあける。スマホのカメラのレンズの穴である。

 それを丁寧にスマホの裏側に貼り付けて、その一面をはがせるテープで埋め尽くす。レンズの穴が隠れてしまわないように気を付ける。

 その上からはがせないガムテープを同じ手順で切って貼っていく。

 これでスマートフォンの細工は完了。

 次ははしごだ。

 はしごの段に二メートルほどの長さに切ったひもを結び付けておく。

 通学用のリュックサックに収め、背負って飛び跳ねておかしな音がしないか確認する。

 よし、OK。異常なし。

 もう特に下準備が必要なものは……ないな。

 俺は他の物もしゃしゃっとリュックに突っ込み、そこからは夕食、入浴とまったくもっていつも通りの生活を営んで、さっさと眠りについた。

 

 

 はいはい、やってきました僕らの学び舎、高等学校。

 校門をくぐるのにこれほど清々しさを感じたのはいつぶりだろう。

 透き通る青空は俺や遠藤を祝福してくれているようだ。決して中川達ではないことを切に祈る。

 ……それにしてもいい天気だ。雲一つない青空に恵まれました。これも皆さんの日ごろの行いがいいからだと思います。

 湿り気を含んだ六月の風は声帯によさそうですねえ。

 無駄話はさておいて。

 俺のリュックには文字通りはしごが入っている。

 じゃあ普段持っていく荷物はどこに入れているの?と疑問に思った方もいることだろう。

 普段持っていく荷物か。そんなものはない。

 教科書は教室の外に設置されているロッカーに全部入れてあるので家には持ち帰らないからな。宿題がある日は別だが。

 かばんはいつも机の横にかけている。うちはロッカーにバッグを収納しないタイプの学校なのだ。

 つまり普段カバンの中はスッカスカで何も入っていないということである。週に三度、体操服が入るくらいだろうか。

 それではみんなのカバンには何が入ってるのかといえば、教科書を律儀に持ち帰っているのだ。もしくは学校と関係ない図書とか持ってきてる。漫画とか小説とか。

 だから俺は気づかれない。面白すぎるほどに。顔には出さないが。薬の売人の気持ちがわかるようだ。

 得意のポーカーフェイス(真顔)をたたえながら、靴を履き替え、一階にある自分のクラスへと足を向ける。

 初夏ということで気温も上がってきているが、まだクーラーはついておらず、行き交う生徒たちは皆、夏服の襟を緩めていた。

 ぱたぱたとスリッパを鳴らして、開けっ放しになっていた教室のドアをくぐる。

、室内は騒然としていた。

 考える間もなく、思い当たることがあった。

 俺がこっそり「犯人」と中川達の机に週末に落書きしたんだった。もともと落書きされていた遠藤の机はすっかりキレイにしておいたんだった。

 さりげなくクラスメイトの様子を観察しつつ、少し戸惑うような動作をしてから俺は席に着いた。

 俺が週末に机にかいた犯人の文字は消されていた。

 が、クラスの雰囲気は先週とは全く異なっていた。

 今まで見て見ぬふりをしていた人間達が教室のあちこちに散らばり、それぞれが大きな声で同じような会話を繰り返している。いじめの元凶には目もくれずにだ。

 元凶たちが険悪なムードを醸し出すが、彼らには何の効果がない。

 いじめっ子を怖がる気持ちよりも勝っている感情があるのだ。

 そう。

 彼らは犯人アートを目撃したのだろう。そしてその目撃談は中川達が止める間もなくクラス中に拡散したのだろう。

 教室のそこかしこで「誰がやったんだろうな」と会議が繰り広げられ、時々、非難めいたというよりは好奇心に満ちた視線が俺の後ろにいる中川達(被害者)に送られる。

 隣の席の奴が話しかけてきた。名前は軽部だがまあどうでもいい。

「おい、お前も聞いたか」

 顔を近づけて軽部は聞いてきた。思いのほか真剣な表情だった。

「……なんかあったの?」

 ここは不思議そうに聞き返すのがいいだろう。

 軽部はうんとうなづき、ちらりと中川達を見て小声で早口にしゃべりだす。

「いや、それがよ……。朝、山口が学校に来てここのドア開けたらさ、いくつかの机に『犯人』って落書きがしてあったらしいんだよ。そんでよく見てみたら、遠藤をいじめてた奴の机だけに書いてあったとか。それも、定規で引いたようないびつな文字だったらしい。ホラーだよな」

「……今は無いみたいだけど?」

「ああ、中川が後から来て消させたんだ。すごい剣幕だったぜ。見た途端に金切り声上げてさ。しばらく歯ぎしりしてたけど、急におとなしくなったんだよな。なんでか知らんけど」

「へえ、流石にばれるとまずいと思ったのかな?」

「……ばれても、あの加藤だからな」

 まだ登校していない遠藤の席をちらりと見て、気の毒そうに軽部は小さくつぶやいた。本当はどう思っているのか。

「加藤だもんね」

 適当に相槌(あいづち)を打ちながら横目て中川の様子をうかがう。

 中川はぎゅっと眉根を寄せて不審者の目つきで教室中を見まわしている。明らかに疑心暗鬼の表情だ。

 どうやら俺の仕掛けた罠にはまってくれたようだ。一つ一つ字体と文字の(あら)さを変えておいたかいがあった。

 勘違いしてくれたんだな。

 いじめをよく思わない行動派がこの中に()()いる、と。

 いじめは基本的に数の勝負だ。数が多いほうが勝つ。それは中川も百も承知のことだろう。

 今この状況では、中川グループより、圧倒的に中立派が多いのだ。

 その中に複数の反逆者が紛れ込んでいると知ったら。

 もちろん、こう思うよな。

 

―――中立派は全員、私たちの敵なんじゃないか?

 

 自然と中立派の人間を疑ってかかるようになる。

 何の悪気もなく中川達に都合の悪い噂を拡散する彼らは中川の目にはどう映るだろうか。

 計画通り。数の力って怖いだろう?中川……。

「……来たぞ」

 馬鹿男子が憎々しげに言う。

 遠藤が沈んだ表情で俺の横を通過し、席に着いた。

 馬鹿男子がつかつかと遠藤に歩み寄る。

「いや……」

 中川が声だけで制した。こしょこしょと馬鹿男子に耳打ちをしているようだ。

「ぁあ~~。なるほどねぇ……」

 馬鹿男子は答える。

 不快な声だ。これは俺の想像でしかないが、きっと表情も気持ち悪い。

 どうせ「放課後に好きなだけやればいいでしょ」とでも言われたんだろ。とっさにいやらしいこと考えたんだろ。

 安心してくれ全部俺が撮ってやるから☆

 俺は心の中で密かに笑って、(わら)って、(わら)い……。

 

 

 帰りのホームルームも終わりに近づいている。

 今日の中川達はおとなしかった。平和だったなぁ……。

 よし。気を引き締めていこう。

 本当の地獄はここからだ。

「きりーつ。気を付け。さようなら!」

 今日の日直が帰りの挨拶をした。

「「さようなら!」」

 俺はさりげなく、しかし素早く教室を出て階段まで早足で向かう。

 ここで、周りに誰もいないのを確かめて。

 スリッパを脱いで足音を消し、階段を屋上まで駆け上がりましょう。

 着きました。

 屋上に通じる扉は可能な限り音を立てずに開けましょう。閉めるのも忘れないように。

 そよ風が気持ちいいですが、はあはあ言ってる暇はありません。

 すぐに階段室の裏手、運動場から見えない位置に回り込んで、下ろしたリュックからはしごを取り出します。

 カチャカチャと手際よく組み立てて、階段室の上へさっそく上っていきましょう。

 ここはこの辺の建物の中では一番高いので、上ってしまえば誰にも見られる心配がないのです。

 さらに階段室は備品室も兼ねているので屋根の面積が広く、組み立てたはしごを折りたたまずに置いておけます。

 極めつけは何といってもその高さ。三メートル近いんです。はしご無しには上れません。すごいですねー。

 ……とか言ってる場合じゃねえ。

 あらかじめ結びつけていたひもを利用して、はしごをそおっと引っ張り上げる。意外と重い。腰を痛めないように慎重に……。

 俺はポケットからスマホを取り出し、カメラを起動、レンズを階段室の後ろ側、運動場からは死角になって見えない方にちょいっと出して(うつ)りを確認する。

 完璧だ……!

 はがせるガムテープをピッと切ってスマホを固定する。

 ガチャ バーン

 屋上の扉が乱暴に開けられた。

 来たか。俺はもしジャンプされても見えないように体を伏せた。

 首を動かしてはしごとリュックの位置を再確認。問題はない。

 わらわらと聞き覚えのある声の連中が屋上に出てきた。中川達と馬鹿男子、遠藤である。

 中川と遠藤の声は聞こえないが、おおかた中川が怯える遠藤の肩を捕まえているんだろう。耳元で適当な脅し文句でも囁いて助けを求められなくしているに違いない。

 連中の声は運動場から見えない階段室の裏側へと移動していく。

 俺は手を伸ばしてスマホの画面の左下、ムービーボタンをタップする。

「きゃっ」

 遠藤が声を上げる。突き飛ばされたのだろうか。

 ドンッと音がして振動が伝わってきた。遠藤が壁にぶつかったのだ。

 予想通り。

 中川、やっちまったな。遠藤がいるのは()()()()()()()()()()()()

 そうだよな。運動場から見えないほうがいいもんな。壁に押し付けて逃げ場を無くしたいよな。

「落書き……お前だろ」

「……誰とやった?」

「教えて?友達でしょ?」中川が問い詰めにかかる。

 優しい声だなぁ……、いじめてるくせに。断じて友達じゃないぞ。

「……知らない……」

 遠藤は首を振るが、

「あ?」

 馬鹿男子が冷えた声音で威圧する。

「ひっ」

「言えよ。オラァ」蹴りが入る。

 鈍い音から一拍遅れて、

「うっ」

 遠藤がうめいた。うずくまり、地面に手をついて吐息を漏らす。

「…………」

「……」

「駄目だ、こいつ何も言わねえよ。始めようぜ~」

「うん、そうだね。やっちゃえやっちゃえー」

 何その諦めからの嬉しそうなセリフ。残酷さも感じさせてくるとか三色団子かよ……。

 まったく、笑えない。

「はっじまっるよー☆☆」

「死ね死ねっ」

「今日も臭かったね遠藤さん!」

「今日も変わらないでいてくれたご褒美っ」

 (ひざまず)いた遠藤を横から蹴り飛ばす。

 またしても鈍い音がして、

「うぅ……」

 二の腕を押さえて遠藤は泣きだした。

「わ、キモッ」

「ありえん」

「視界に入らないでほしい」

「おい、お前らもやれよ」

「私やる」

 中川が前に出て、ガッと遠藤の足元、太ももあたりを踏みつけた。

「あっ」

 遠藤があえぐ。

 男子は軽く絶句し、女子は色めき立つ。

「声もキモイ」

「死んで」

「消えてください」

「ほら、南もやりなよ。()()でしょ?」

「えっ……」

「もしかして、できない?」

「あ、いや、」

「そんなことないよね?」

「……うん…」

 ニコニコ笑顔の中川に背中を押されて、

 なるほど、肉体と精神、両方から攻めるやり方か。

 一番効果の大きい方法だな。

 遠藤も南も二人の友情も、完璧にズタズタだ。

 よくやるよ。

 でもな、中川。

 そのやり方は良くない。

 その脅し交じりの連帯感が、いじめのメンバー全員の顔をカメラの前に晒す結果になってるんだぞ。

 

 この後、遠藤は散々蹴られ続け、それでもまだ足りないような顔をしながら中川ファミリーは「行こ行こ」とか言いながらぞろぞろ帰っていった。

 一人屋上に放置されたのは遠藤。

 彼女が痛みにきしむ体を起こしてふらふらと下階に消えていくまで、俺はただうつ伏せ状態のままスマホのカメラを回し続けた。

 十分足らずの出来事だったが、これが彼女の精神に及ぼす悪影響は計り知れない。

 助けるわけにはいかなかった。

 世間にいいカッコするのは目的ではないから。それに今更助けたところで、今まで見捨ててきた人間が何を言える。どんな慰めの言葉をかけられるというのだ。

 ……いや、そんなことはどうだっていい。

 とにかくこの映像が証拠になる。部外者の俺が映り込むわけにはいかなかった。

 

 

 家族もすっかり寝静まった日付も変わりがけの自室。

 部屋の明かりを消し、耳にはイヤホンをつけて、俺は何度も何度も暴力の副産物として発せられる遠藤の悲鳴を聞いている。

 金曜の夜のことである。

 あれから五日間、俺は同じ手法で中川達のいじめ映像を撮り続けた。

 そしてとうとう中川達にカメラの存在に気づかれることなく、金曜の夜を迎えた。

 今日も遠藤はちゃんと自分の足で歩いて帰っていった。耐えきったのだ。

 ここで、一つだけ予定外の出来事があったことを告白せねばなるまい。

 いじめは五日間で合計一時間弱にも及んだ。

 その動画をすべてスマホに入れておくとどうなるか。

 めちゃくちゃ重くなる。

 使いづらくてしょうがないが、処理落ちしないだけましか。

 明日、ネットカフェでこのスマホの映像を晒せば、俺の任務は終了。めでたくトンズラできる。それまでの辛抱だ。

 念のため、一通り見返しているところである。

 撮っている間は映像を見ることはできないので(見てたら頭が見えてバレる)、音だけ聞いていた俺にとっては実質初見ともいえる。

 無言で、早送りの動画を目で追っていく。

 ……。

 ……!

 待てよ……!

 ……!

 へ、へぇ―――、こういうことまでするんだ、最近の子は。

 馬鹿男子はいじめている女子を(はずかし)めたりするんだ―――。

 ()んじゃうんだ。

 触っちゃうんだ。

 へぇ―――。

 ………。

 ……。

 …。

 。

 名前は確か××××だったな。

「確か」じゃない。何度も確認済みだ。

 映像の中で何度も名前が呼ばれている。(おも)にドン引きする女子の声だが。

 ノリなのか何なのか知らんが、見逃せないな。

 遠藤が抵抗できないのをいいことに。

 日付は金曜日の放課後となっている。今日じゃないか!特に音がしなかったから気づかなかったぜ……。

 と、その時。

 イヤホンで塞いだ耳に中川の言葉が反響した。

 冷たく濁った、例えるなら泥水を固めた氷のような。

『やれやれぇ……クスクス』

 くにゃりと吊り上がる唇はまるで三日月のように。

 見開かれた瞳は焦点を失って。

 中川、お前はいったい何を考えている……?




遠藤は病院送りにされずに済みました。精神的にはズタボロでしょうが。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

晒せや晒せ、いじめ祭 (前編)

締め切りも設定してないけど遅れて申し訳ない!
書きあがりましたので投稿します。


「お母さん……」

 涙声で一言絞り出すように(つぶや)き、遠藤は階下に姿を消していった。

 今日は土曜日。

 俺はネットカフェに行く準備を整え、問題の映像を見返していた。

 そうだよな。あのバカトウを見た後じゃ、教師にはもう頼れないよな。

 母親には打ち明けたんだろうか。

 学年主任か校長あたりに相談はしたんだろうか。

 まあ何にしろ、学校側にそれらしい動きはなかった。

 そうか。

 見捨てられたのか。

 

 

 少しだけ、イライラしていた。

 いじめの映像をここまでまじまじと見たのは初めてだったというのもある。

 正直言って、俺はこれまでいじめを()めていた。

 知らなかったし。

 最初の方は面白いと思っていた。

 まるで自分には関係のない話のようで。それこそ、アニメでも見ている感覚で。

 だんだんといじめっ子達の目が焦点を失っていき、それにつれていじめの仕打ちもひどくなっていくのを、何の感慨もなく見つめていた。

 元に戻るのはいつになるのだろう、と考えながら。

 

 あいつらの目が焦点を取り戻す時、それは多分、自分のしたことの重大さを自覚した時だろう。

 その目に浮かび上がる色は、おそらくは絶望。

 苦悩の日々が始まるのだ。

 それを味わわせてやりたければ、周りの誰かがちょーっとだけ気づかせてやればいい。

 あとはそいつがあれもこれもと罪悪感にむしばまれていくのを観察するだけだ。

 

―――罪は重いぞ?

 

 

 ……と、以前は得意気に考えていたものである。

 控えめに言って、黒歴史。

 その頃の俺は「自覚してくれないやつがいる」ことを全く計算に入れていなかった。

 端的に言って、馬鹿だった。

 心がマヒしちゃってるやつ。慣れちゃってるやつ。そういう人間――社会には必ず一定数いる――には正攻法が通用しない。別の方法をとる必要がある。

 調教である。

 無理矢理にでも制裁を加える。常人と同じ扱いをしてちゃ永遠に自覚してくれないからな。

 何しろ、本人は全然、悪いことだと思っていないんだから。

 当たり前のように他人に暴言を吐き、気に入らなければ躊躇(ちゅうちょ)なく突き飛ばし、足蹴にして相手が怯えるさまを楽しむ。

 中川達には()()()()()()

 だんだんと、見ているのが嫌になってきた。

 悩み苦しみ、葛藤(かっとう)することは人間の人間たる所以(ゆえん)である。

「バレたらまずいけど、先生に怒られたくないけど、悪いことだと分かってるんだけど、やらずにはいられない」そういった矛盾を抱えながらやるから、ワクワクする。面白い。

 だが、今の状況はなんだ。

 バカトウを筆頭にいじめの事実ををひた隠しにする、授業後の見回りさえ無い学校内で、いじめが趣味の奴らが普段通りに振る舞っている。

 そんなの見て何が楽しい?

 全然、全っ然、面白くない。

 ゴミを見ている気分にしかならないな。

 でも、結局のところ、彼らは心が麻痺しているだけなのだろう。

 最終的には「あんなことしなければよかった」と後悔するような薄っぺらい奴らだ。

 誰が後悔させる?

 俺だ。

 影ながら、中川ファミリーを痛めつけてやる。

 ふっ。

 お前らはあと数時間の命だよ、中川……。

 

 

 変わり映えのしない私服に身を包み、ポケットに財布、スマートフォン、付属のケーブルが入っていることを確認し、好きな歌を口ずさみながら家を出た。

 ネットカフェまでの道のりは自転車で約二十分。調べてみたら案外近場にあった。

 とはいえそれはあくまで俺の主観であり、そのネットカフェは俺の家からも学校からも程よく離れた位置にある。

 これくらい離れていれば、住所から俺が特定されることもないだろう。安心だ。

 どうしてネットカフェを選ぶのかといえば。

 ネットカフェのパソコンは、シャットダウンや再起動をするごとに履歴やそれに準じるデータが残らず削除される仕組みになっている。だからパソコン自体に犯行の痕跡が残らない。位置情報から発信源を特定されたとしても、ここは単なるネットカフェである。

 完璧だ。ぬかりなし。

 

 

 そういえば、俺が今からしようとしている行為は、世間一般的には「ひどい」と認識されるものなのだろうか。

 なんだかそんな気がする。

 別に中川達のプライベートを晒すわけではない。学校でこんな出来事があったとSNSで発信するのと大差ないと思うのだが。事実いじめは学校であった出来事なわけで。匿名ってのがいけないのか?いや、自分の身を守って何が悪い。

 ……何をセルフ言い訳してるんだ俺は。

 

 そんなこんなしているうちに目的地に到着し、俺は自転車を止め、自動ドアをくぐって入店した。

「いらっしゃいませ~。あちらの角の席にどうぞ」

「……」

 店員が柔らかい口調で席まで誘導してくれた。

「ええと、キャラメルラテで」

 適当な飲み物を注文し、パソコンを立ち上げて適当なサイトを閲覧(えつらん)する。

 しばらくすると、店員が仕切り戸を開けて飲み物を置いていく。

「飲み物をお持ちしました。それではごゆっくり~」

「あざす」

 店員が立ち去ったのを確かめて、俺はポケットからあらかじめ忍ばせておいたスマホとケーブルを取り出した。

 動画のせいで重くなったスマホがゆっくりと時間をかけて起動する間に、甘ーいキャラメルラテを一口すする。

 うまい。また来よう。

 ……。

 さてと。

 始めていこうか。

 スマホとケーブル、ついでケーブルをPCに接続する。

 PCの画面にちょいんとタブが出現した。

 マウスを動かしてエクスプローラーを開き、タブからピクチャに動画を貼り付けて保存、を繰り返す。

 十分前後の動画が合計で五本。

 一つ一つ再生して画質や抜け落ちがないかを確認する。

 よし。

 データを移す作業は完了。次の作業に移る。何言ってんの俺。

 エクスプローラーはそのまま放置して、今度はブラウザを開く。

 ホームからログインページに飛び、「アカウントの新規作成」ボタンを押す。

 架空アカウントを作るのである。「架空」という言葉を聞くだけで妄想が爆発してしまう君は重症だ。今すぐ作家になりなさい。

 手順は極めて簡単。

 

 1.適当な氏名を打ち込む。……そうだな、「神子柴神楽(みこしばかぐら)」としておこう。

 

 2.ユーザー名も適当に。「MikosibaKagura」、と。

 

 3.パスワードを二度入れれば完成。別の所に入力したでたらめなパスワードを切り取って二度、貼り付ける。一度しか使わないので覚えやすさは無視だ。ハッキングされないように何の脈絡もない長いものにする。

 

 4.利用規約に同意。

 

 はい出来た。簡単だったでしょ?

 あらかじめ作っておければ楽だったんだが、今の時代、スマホは位置情報を常に発信し続けているから、犯人()の居場所を知られないためにはここで全ての作業を進めるしかなかったんだよな。

 ともかく。

 これで下準備は完了。

 あとはこの「神子柴神楽」のメールアドレスをもとにTwitter、Facebook、Instagramのアカウントを作り、例の動画を#拡散希望でばらまくって寸法だ。

 Facebookは本名しか登録できないと定められているが、登録の際の証明はいらない。

 今しがた世に生まれた彼女「神子柴神楽」に友人はいないし、顔写真もないから身元がばれ、アカウントを消される危険性はゼロ。

 しかも、五言と喋らないうちにアカウントの主は姿をくらます。

 その内容が問題になるんだけどね。

 それでも運営が動くことは無いだろう。

 なぜかって?

 そりゃ、間違ってこのアカウントを凍結でもしてみろ、即座に「陰謀論」が(ささや)かれることになるからな。

 俺はマウスを動かし、キーボードを叩き続けた。

 

 

 

 人の心って本当にわからない。

 今も画面の中で暴力を受けている遠藤が何を考えているのか。「やめて」「痛い」という言葉が本心から出た言葉なのか、はたまた高度な演技によって作られたものであるのか。中川の浮かべている笑みが楽しさによるものであるのか、単に残酷な光景を目にして唇がひきつっているだけであるのか。俺はこの状況を悲しく感じているのか、楽しんでいるのか。俺は何のために中川達の死角となる屋上の屋根の上からスマホのカメラを中川達に向けていたのか。

 時々わからなくなる。自分のしていることも、他人の考えも。

 しかし、願いはある。

 遠藤にあまり痛い思いをさせたくはないし、中川達にも自主的にやめる意思があるのならそうしていただきたいところだ。

 遠藤を称賛するわけではないが、プライベートも知らないような他人(親友も恋人も)を、何もわからずとも「信じていたい」というその心は、愚かながらも素晴らしいことであると思う。

 きっとそういった姿は俺が将来たどり着くべきものでもあるだろうし、遠藤が少なくとも以前は持っていたものだ。今も持ち続けているんだろう。

 それは同時に今の俺が最も排除すべき考え方でもある。

 信じていては進まないこともあるのだ。疑って疑って疑って初めて、問題事は解決に導かれる。それは私情を一切必要としない。

 俺は俺によって悪事と判断される事柄を、匿名で白日の下にさらす。

 卑怯とも思われるかもしれないが、そうでなくては俺や俺の家族に危険が及ぶ可能性がある。俺は英雄面ができないのだからそこはトントンということで。

 主要アカウントを作り終え、動画に添える中川グループの名前のリストもすっかり打ち込んでしまい、俺はもう一度、いじめ映像を見直していた。もちろんヘッドホンを装着している。

 あとは動画のURLを貼り付けて送信ボタンを押すだけとなっている。

 ふぅと息を吐き、伸びをして、キャラメルラテを一口。

 動画は金曜日の遠藤が××に揉まれているシーンにさしかかり、俺は目を細める。

 なんだこの気持ちは?

 俺が童貞であるがゆえの嫉妬だろうか。

 違う。

 圧倒的な、嫌悪感だ。

 確か、××って彼女いたよな……。教室で無駄にでかい声で話しているのを聞いたぞ。

 なるほどね。

 だからか。

 明らかに慣れた手つきだ。

 そうだな。

 少し、書き足しておこう。

 動画に添える文句はこうだ。

 

『うちの高校ではいじめが起こっています。どうか遠藤さんを助けてください。メンバーは、首謀者の中川さん、一ノ瀬さん、荒川さん、元親友の南さん、レイプ未遂の××くん、大谷くん、倉田くんの七人です。#拡散希望 #いじめ #■■高校

 

 どうだ、中々に、情に訴えかける文章だろう?

 追加したのは××の前の「レイプ未遂の」という部分。

「これはどう見たってレイプだろ!」と炎上させるための一ひねりだ。

 厳密には、揉むだけだと定義上、レイプとはいえない。

 だからどうした。

「レイプ」という言葉に威力があるのだ。

 せいぜい派手に炎上して、レイプ魔扱いされるがいいさ。

 いやあ。

 平和じゃないね。

 治まらないね。性欲も、心の傷も、炎上も。




とうとうあいつが㊙映像を晒します。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

晒せや晒せ、いじめ祭 (後編)

平和って、なんだ。


 

「平和な世界」は作れると思うか?

 俺は不可能だと思う。

 そもそも平和とは何だ?

 戦争がないこと?傷つく人がいないこと?みんなが笑顔でいられること?そんなところか。

 それでは問うが。

「戦争を無くそう」とプラカードを掲げて街を行進する人たち。

 あなた方は喧嘩(けんか)をしないのか?

 戦争は国家同士の喧嘩だ。

 それを無くそうと止めることは「私は誰とも喧嘩をしない」と(ちか)うようなもの。

 それだったら自分の周りの人間関係を断ち切らないとな。

「少々の意見の食い違いは我慢する」ってのは無しだぜ?いつか爆発するだけだから。

 意見の相違のない世の中?なにそれだったら誰の考え方に統一すんの?

 はいはい俺だ俺だ言わない。

 一緒にいるのに喧嘩しちゃダメとか拷問かよ。人類を皆賢者だと思ってない?

 喧嘩を無くせないなら戦争もなくせないね。

 よって戦争を無くすのは無理。

 

「誰も傷つかない世界」を目指す人たち。

 お前らは親の気持ちを考えたことがあるか?

 お前らの親が一度でも「こんな子生まなきゃよかった」と本気で考えなかった保証はあるか?

 人間は親やら先生やらに常に迷惑をかけながら生きている。

 存在は迷惑に直結するのだ。

 嫌いな人物の死を願ったことくらい誰でもあるだろう?

 親だから大丈夫だという考えが間違っていることは数々の虐待事件から証明済みだろ。

「そこは愛で受け入れろ」お前は鬼か。親をちゃんと人間としてみてる?

 自分すらたどり着けない理想論を他人に押し付けるんじゃない。

 よって誰も傷つかないのは無理。新世界でも創造してろ。

 

「みんなが笑顔でいられる世の中にしよう」と言う人。

 これ、理論上は可能だな。

 地球上にいる全員の表情筋を吊り上げればいい。

 頑張って。

 物理的に不可能だけどね。

 まあ「理論上」というのであれば、武器を用いた大規模な紛争という意味で「戦争」を無くすことは十分に可能だ。

 今の世の中とかがまさにそんな感じだろう。

 多種多様な思想が蔓延(まんえん)し、かつての多数派は分裂、数えきれない少数派へと形を変えている。

 武器を用いた戦争はネット上での口論へと変貌(へんぼう)を遂げつつある。

 ……ネット上なら誰も傷つかないってか?

 ちゃんちゃらおかしいわ。

 ネットでの悪口は、直接面と向かって言われるよりもダメージが大きいんだぞ。

 しかもその何の気なしに書き込んだ悪口は全世界に発信される。

 一言でより大勢の他人を傷つけられる時代なのだ、今は。

 マシンガンよりもたちが悪いじゃねえか。

 心の傷は見えないからな。

 

 おい。

 これが()()か?

 

 

 まあぶっちゃけ、今現在、世の中は平和であると思う。

 うちの国で今のところ戦争は起こっていないからな。

 他国にはあるよ。

「それは平和じゃない」何様だよ。

 平和平和と騒ぎ立てられるのは平和な国で生きているからだ。

 今は平和じゃないと思い込むことで、平和になれば自分は幸せになれると思い込んでいる。世界が変われば、自分も変われると思い込んでいる。

 自己矛盾の(かたまり)だ。

 自分は平和な地でのうのうと生きながら、「平和実現」を叫ぶのだ。

 そういうやつに心の平和はやってこない。

 お前なら分かるよな、中川。

 人間は傷つけあうものだ。定期的に戦争(けんか)して、どうにかこうにか仲直りして、やっとその関係性を保っていける(もろ)い存在だ。

 しかし、戦争(それ)が許されるのは、当事者の背後に「理解したい」という心情がある時だけ。

 逃げたな、中川。

 お前は自分が気に入らないものを始末するために、無関係なクラスメイトを巻き込んで残虐な行為に手を染めた。

 遠藤を理解してやろうとしなかったんだ。

 人は自分の欠点を他人の中に見出だす。

 怖かったんだろ?

 遠藤が自分とどこか似ているのが。

 自分の親と似ているのが。

 実はシンパシー感じてたんだろ?

 そのうち、嫌になったんだよな。

 大っ嫌いな親/自分に似てるから。

 だから、消そうとした。

 蹴って殴って懲らしめて、自分に言い聞かせていたんだ。

「こんなの自分じゃない」と。

 異論は認めない。いくらか自制心は動いたかもしれないがそんなことはどうだっていい。

 中川。

 俺はお前が気に入らない。

 だから傷つける。

 戦争だ。

 これじゃ俺も中川と同レベル、ってか。

 だったら何?

 人間を裁くのは人間。

 低レベルな人間を裁くのは、そいつと違う育ち方をした同レベルの人間だ。

 気に入らないから(おとし)めて。欲望のままに相手を(はずかし)める。

 結局のところ、俺も中川も、ストレスが溜まっていたんだろう。

 そうして愚かにも、やってはいけないことを犯した。

 同じだよ。俺もお前らも。

 相手を傷つけて快感を得ているのさ。

 今から俺のすることは馬鹿なことかもしれない。

 だが俺はやる。

 あいつらがあいつらのやり方でやるなら、俺は俺のやり方で。

 マウスのカーソルでなぞって動画のURLをコピーし、開きっぱなしにしていた三つのアカウントのそれぞれの投稿欄に貼り付け、貼り付け、貼り付け。

 同じ内容の投稿コメントが三つ。

 凝った首を回してほぐしながら椅子の背にもたれかかり、天井を見上げる。

 薄暗い電灯のともった半個室の上は天井まで抜けており、洋風のファンがゆっくりと音を立てずに回っている。

 キャラメルラテをまた一口。

 中川、一ノ瀬、荒川、南、××、大谷、倉田。今頃あいつらは何をしているのだろうか……。

 

―――平和な世界は作れない。

 どうあがいたって争いは無くならない。

 人間だもの。

 ところで。

 世の中には二種類の人間がいる。

 する側と、される側の人間だ。

 どちらかだけ選ぶのは不可能。必ず、人間はその両方を経験するようになっている。

 これは紛れもない真実だ。

 お前は人を傷つけた。

 だからお前は傷つけられなきゃならない。

 やられる側に回ってもらう。

 ××、辱めるのは楽しかったか?気持ちよかったか?

 自分が逆の立場だったら、なんて考えたことが一度でもあったか?

 それを俺が、ワンクリックで教えてやるよ。

 せいぜい辱められるといい。

 マウスの動きを確かめて。

 Facebookに投下。

 Instagramに投下。

 Twitterは文字数制限があるので、五回に分けて投下投下投下投下投下。

 動画がきちんと動くかどうかを確認確認確認。

 Facebookをログアウト。

 Instagramもログアウト。

 Twitterもログアウト。

 そしてこのパソコンに残されたすべての証拠を一掃すべく、再起動をかける。

 

 

 ……終わったな。

 終わった。

 PCとスマホからケーブルを取り外し、スマホの動画データは削除して、真実をすべてポケットにしまいこんで俺は店を出た。

 人の不幸の味のするキャラメルラテは最後まで飲まずに置いてきてしまった。

 

 

 中川はいじめを後悔してくれるだろうか。

 いや、後悔しろ。

 取り返しのつかないことだと反省しろ。

 絶望しろ。

 謝罪しろ。本気の涙を流せ。

 なんとか許されろ。

 演技なんかしなくたって許してもらえるさ。

 そして「()()()()()()」ものだと知れ。

 

 

 一ノ瀬宅。

『それでは次のニュースです。昨日○○時頃にあちこちのSNSにアップロードされた動』

「……!」

 テレビを見ていた父が突然硬直した。

「?どうしたのお父さん」

 お父さんは恐る恐るテレビの画面を指さした。

真琴(まこと)……これ、お前じゃないか…?」

 違った。

 お父さんが指さしていたのは、画面の中の……私だった。

「え……嘘…でしょ…?」

 

 

 大谷宅。

 居間で一人で適当にテレビを見てくつろいでいた。

 何の気なしに切り替えたチャンネルで、それは取り上げられていた。

 ……僕だ。上からの撮影でわかりにくくはなっているが、それは確かに××や中川とやったいじめの映像だった。

 呼び鈴が鳴る。家族が帰ってきた。慌ててテレビのチャンネルを変え、うなだれ、呟いた。

「……マジ有り得ないんですけど」

 

 

 倉田宅。

 スマホでSNSをスクロールしていた。そのツイートが視界に入るまで延々と。

 まず目を疑った。俺の苗字が「××」「大谷」という見覚えのある名前と一緒に並んでいるではないか。そして……それに添えられた動画。

 再生するまでもなくスマホの電源を落とした。乾いた笑いと共に自分に言い聞かせる。

「何かの間違い☆」

 

 

 南宅。

 家族団らんのひと時に、それは耳に飛び込んできた。お父さんもお母さんもすぐにうちの学校の生徒だと気づいた。

 ……()()()()()()()()()()()()()

 気づいてくれても良かった。怒って、罵ってくれて良かった。私はテレビの映像に釘付けになっていた。

 春乃ちゃんが……泣いていた。直前に蹴ったのは、私だ。

 嫌だ。見たくない。見たくない。涙が出る。でも、見なきゃ。見ておかないといけない。なぜだかそう思った。

「春乃ちゃん……っ」

 

 

 ××宅。

「××!なにこれ!」

 母に服の(すそ)を引っ張られて自室からリビングに引きずり出された。

「ああもうなんだよ、今勉強しようと…」

 TVの画面を一目見ただけで、俺はその場に崩れ落ちた。

「これ……あんただよね…」

 動画が再生されていた。それも、それも……一番決定的なあのシーン。

 その時はつい、ノリでやってしまった。女子はドン引きしていた。その一部始終が…撮られていた。

「あ、あ」

 全てが凍り付いていく。これまで部活動で積み上げてきた実績も、高校に入ってやっとできた彼女も、高得点のテストも、みんなみんな。

 俺は自分の両の手を見つめ、自分の行動を悔いた。

 そうして、叫んだ。

 自分はここにいると、自分自身に、知らしめるように。

「うわあああああああああああ!!!」

 

 

 荒川宅。

「くそッ……誰がやりやがった……!」

 中川有紗(ありさ)の舌打ちが飛び出す。

 なんだこれは!?

 荒川から電話をもらってきてみればこれだ。

 液晶テレビの画面に私たちの姿がでかでかと映っている。

「ど、どうしよう有紗ちゃん」

 横で荒川桃花(ももか)が泣きそうになりながら、私の袖を握りこんでいる。

 その仕草と顔の良さも相まってとても可愛らしいが、今はそれどころではない。

 どうすればいい?

 考えろ。考えろ。

 とりあえずしばらくは家の電話線を抜くしかない。

 学校もここまで大々的に報道されてる手前、電話を掛けないわけにはいかないはず。

 こんなこと親が知ったら大変なことになる。

 絶対に知られては駄目(だめ)だ。

 横で青くなっている荒川の家はかなり裕福という話だから、娘の経歴に傷をつけないためなら少々金を出してでもどうにかするだろう。

 けれど私は……。

 ……!

 ……まだいける。無かったことにできる。

「荒川」

「有紗ちゃん……」

 荒川に耳打ちする。

「話があるの」

 

 

 今日の朝のニュース。『■■高校でいじめ告発 生徒によるものか』

 昨日もやっていた気がするんだが。

 今日は月曜日。

 ついに遠藤が安息を得る日である。取材はされるだろうけど。

「あれ、■■高校って、あなたが通ってる高校じゃない?」

 母が横で驚いている。

「そうだよ」

 朝食のトーストをほおばりながら適当に答えておく。

「いじめなんてある高校だったかしら……?」

 いじめくらいどこにでもあるだろ。俺は今まで知らなかったけど。

「あるよ。……うちのクラスでは」

「え、それじゃ、あなたのクラスの人がネットに動画を上げたってこと?」

「かもね」

 犯人は母さんの目の前にいるが、俺はそのことを顔には出さない。サイコパスのたしなみである。

「ということはこれで、今までいじめられていた子も助かるのね。……取材の嵐に巻き込まれないといいけど」

 おお……親子の思考って案外似るものだな。

 それもそうか。かれこれ十六年も一緒にいるんだもんな。

 少なからず影響も受けるさ。

 虐待する親の子供がいじめをするのも道理だ。別に俺の親は裁判官ではないが。ついでにアルセウスでもない。

「くれぐれも気を付けてね。いじめられそうになったら先生に言うのよ」

「動画上げるからいいよ」

「そうね」

 そう言って母さんは笑った。

 

 

 

 やってきました我らが母校、■■高校。

「神子柴神楽とは誰なんですか!」

「神子柴神楽とは誰なんですか!」

「神子柴神楽とは誰なんですか!」

 正門は新聞記者やら取材班やらでごった返していたので、裏門の方から入るかとUターンしかけたところで、報道陣の声に紛れて、聞きなれた声が聞こえてきた。

「神子柴神楽とは誰なんですか!」うるさいこいつじゃない。

「いじめを止められなかったのは私たち教師の責任です!すぐにでも遠藤さんの親御さんに謝罪に行かせていただ」

「雨宮先生!」

 大柄な体育教師と思しきジャージ姿の教師がマイクと彼女の間に割って入る。

 あれはキレ性の家庭科教師、雨宮……。

 彼女は号泣しながら報道陣に向かって叫び続ける。

「気づいてあげられなかったんです!遠藤さんは苦しんでいたのに!私は、私は……」

「先生どうか落ち着いてください、雨宮先生」

 ジャージの教師はなだめようとする。

「遠藤さんごめんなさい、ごめんなさい……!」

 その姿を最後まで見届けることなく、俺は裏門から登校した。

 きっと彼女は、十日ほど前に授業の用意を忘れた遠藤をこっぴどく叱りつけてしまった時のことを言っているのだろう。

 以前はただのキレ性だったのに。

 いじめが人を良い方に変えたのだ。

 このように、いじめは加害者や被害者及びその周辺にいる人間にも反省を促す。

 だからいじめはいいことである。

 は?

 あくまでそれは結果論だ。「いじめのおかげで強くなれた」と言ってる有名人もいるけど、あくまでそれは結果だよ。結果。

 いじめが無いに越したことは無い。

 でも、あるんだから仕方ないよね。

 反省できるようにしてやらなくちゃあ。

 いじめたやつはいじめられちまえ。

 もっとも俺は自分の手は汚さない。中川、お前がそうしたように。

 お前をいじめるのは……世間だ。

 誰かの死を願った人間は、誰かに死を願われるのがお似合いだぜ。

 

 教室に入ると、中川ファミリーは一人残らず欠席していた。遠藤も学校を休んでいた。

 ……だろうと思った。

 道理で教室が平和なわけだ。

 わいわいがやがや、今までよりずいぶんと心地良い喧騒(けんそう)だ。

 数あるグループの話題はただ一つ。

「神子柴神楽とは誰か」これだけ。

 俺が戸惑う演技をしながら席に着いた。

 隣の席の軽部が話しかけてくる。

「なあなあ、今日のニュース見たか?」

「見たよ」

「あの映像って、スマホで撮ったんだろ?すごいよな」

 どこがすごいんだろうか。

「そういう話だね」

「ちょっとお前のスマホ見せてくれよ」

「え?うん、いいよ」

 ポケットからするりとスマホを取り出し、軽部に見せる。

「うーん、お前も違うか」

「何が」

「や、『神子柴神楽は屋上のどこかにスマホを固定していたはずだから、神子柴神楽のスマホには細かい傷がたくさんついている可能性がある』って昨日の昼のワイドショーでやってたもんで。悪いな」

 スマホをポケットにしまう。あと、いちいちフルネームで呼ぶの?

「別にいいけど、俺、あんまり遠藤と仲良くないからな」

「だよな。やっぱ女子を助けるっていったら彼氏とかだよな。いるのか知らんけど」

「神子柴神楽っていう名前は女っぽいけどねー」

「まさか百合!?…なんつって」

「これはキマシタワー」

「や、それにしてもさ、神子柴神楽って、相っ当傲慢(ごうまん)な奴だよな」

「なんで?漫画でよくありそうだとは思うけど」

「だってよ、『神』っていう字が二回も出てくるんだぜ?これはもう自分=神だと思ってるでしょ、って話」

「何で聞いた風なの?」

「これもワイドショーで言ってたんだよ」

「そこまで言うか……?」

「それな」

 

 

 会話が終わった後で、俺は心の中でにやりと笑った。

 名前の意味?

 あるわけないだろう。「かっこいい名前」で調べたら出てきた苗字に、同じく調べたら出てきた名前を引っ付けただけだ。

 頭でっかちな専門家は在りもしない意味を求めてさまよってるといい。

 あとな。

 スマホは傷をつけないようにガムテープで補強したんだよ……。跡も残らないようにはがせるものとはがせないものの二種類を使ってな……。

 屋上と同じ白い色のガムテープを使ったことでカモフラージュにもなった。

 これぞ一石二鳥。

 俺は大人から見ればまだ子供だし、金もないから大規模な仕掛けも準備できなかったが、その代わり、少なくとも大人より柔軟な発想をすることはできた。

「たかが子供のやること」だからってあまり舐めていてはいけない。

 ……。

 子供のやることだからどこかに必ず穴があるなんて考えは、一体、いつの時代からあるんだろうな。

 

 

「相手が嫌だと思ったらいじめ」という名言がある。迷言というべきだろう。

 この理屈だと中川達は今いじめられていることになるわけだ。

 気の毒に思ってはいけない。

 いや、そんなこともない。何を思おうと自由だ。

 あくまで一意見として俺は思う。

 因果応報だ、と。

 遠藤をいじめるのは楽しそうだったな。

 世間にいじめられるのは楽しいか、中川?××?

 

 

 その後一週間ほど、中川ファミリーの大半は学校を無断欠席した。

 ほとぼりが冷めるのを待ったのだろう。マスコミに住所を特定されるのを避けたのかもしれない。

 ただ一人、××だけは、それから二度と学校に来ることは無かった。

 県外に転校していったという話だ。

 こことは違う土地で新たな人生を歩み始めてくれるといい。

 一度の失敗くらいでそう簡単に人生は終わらないっての。

 挫折も恥ずべき過去も、長~い一生の中ではほんの小さなものだ。

 いい経験したな、××。

 お前は二度とこの失敗を繰り返さない。誓ってもいいぞ。

 遠藤はその次の日から学校に来ていたが、校門付近で毎日「神子柴神楽に心当たりはあるか」と取材されるらしく、その対応に疲れているようだった。

 それでも、遠藤にとってはうれしい悲鳴だろう。

 待ちに待った平和がついに訪れたのだから。

 南は遠藤に泣いて謝っていた。

「いいよ。謝ってくれたし」

 そう言って南の手を取った遠藤の優しい微笑みを俺は忘れない。

 なぜだかわからないが。

 俺にはどうしても、理解できなかった。

 友情ってなんだろうか。

 

 

 

 ……これで終わりならよかったのにな。

 惨劇(さんげき)の舞台はまだ幕を閉じようとはしなかった。

 これは始まりだった。

 (みにく)(みにく)内輪揉(うちわも)めの、始まりだったのだ。




これにて第一章が完結しました。

今後この物語は、作者の受験勉強の本格化に伴い、更新が滞ることが予想されます。
もしかして楽しみにしててくれた方、ごめんよ……。
ちなみにストーリーはまだ三分の一も進んでないんだよな……。

一応、ここまで物語を作ってきたうえで参考にした文献を紹介しておきます。

いじめ 心の中がのぞけたら―漫画 明日がくる 本山理咲
いじめ 心の中がのぞけたら2―漫画 明日がくる 本山理咲
いじめ 心の中がのぞけたら3―漫画 明日がくる 本山理咲


それではまた、作品の前書きか後書きでお会いしましょう。
できれば早いうちにね!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

一ノ瀬真琴
終わり、始まり


暇を見つけてはちょこちょこ書いてたのがやっと書きあがりましたので投稿します。
待っててくれた人、ありがとう。
すっかり忘れてた人、君は正常だ。


『おい…見たかよこの動画:RT(リツイート)

『炎上不可避』『マジでありえない』『生々しくて吐いてしまいました』『シンジラーレナーイ』『被害者の…遠藤さんだっけ。かわいそうすぎでしょ』『これがこの国の現状(キリッ』『圧倒的クズ共』『ひどすぎるww』『通報しました』『■■高校の制服。校章の色から全員一年生と断定』『明日の一面に確定』『動画内で死ね死ね言ってる、お前らが死ねwww』『男の子が女の子の胸を触ってましたよね・・・(-"-)』『氏ね氏ね氏ねーー』『犯人を殺してやりたい』『特別に許す』『卑劣な集団やな』『なんですかこの動画!問題なんてレベルじゃないでしょ!』『重罪』『あの男子ちょっとだけうらやま絶対に許さない』『初見の感想:コッコノ、クソゴミドモガッ・・・!』『ほんとそれ』『気づいたら涙出てた』『いじめをする奴は全員ksってはっきりわかんだね』『見ればわかるただのクズやん(笑)』『人でストレス発散するなんて(# ゚Д゚)』『こういう奴らが社会をダメにするんだ』『丸刈り野郎絶頂で草』『放っておいた教師にも責任はあると思います』『国レベルで取り組むべき大問題』『いじめ禁止法の制定求ム』『な、7対1だと……??』『しかも相手は女子まさしくカスの所業ですね』『どうしてこんなことするんだろう?正当な理屈があるなら聞いてやるぞ言ってみろオイ』『理由はいいから逮捕はよ』『男子も女子もキモ過ぎた』『いじめられるようなことしたんだろ。自業自得』『シ・ネ・ヨ』『タヒね』『特定班よろしく』『末恐ろしい人達もいたもんだ』『ああいう子たちが将来モンスターになっていくんですよ。あっ今でもそうかニッコリ』『スッ(中指を立てる)』『一体教師は何をしていたのか』……。

 

 例の告発動画へのネット民たちの反応だ。

 ただしこれらのコメントは全て、動画を流してから二十四時間のうちに書き込まれたもの。

 

 現在、俺が流した動画は一つ残らずネット上から削除されている。アカウントも含めて全て、だ。

 

 

 終業の鐘が鳴る。教壇上のバカトウはチョークを動かす手を止めた。

 「それじゃ、今日の授業はここまで。次回はこの続きから始めます。日直、号令~」

 先週初めの事件など何事もなかったように、バカトウは爽やかに言う。

 やけに元気なのには理由がありそうだな。

 立ち直った? 違う。きっと学校ぐるみの隠蔽(いんぺい)工作の一環だ。

 そうだろう? 自分が担任してるクラスの机の落書きになぜだか全く気付かなかったバカトウさんよ。

 「起立。気を付け。さようならー」

 「「さようならー!」」

 バカトウと同じく元気に挨拶をして今日のすべての授業が終了、放課後に突入しクラスは一気に騒がしくなった。

 部活動の集合時刻までしばし談笑する者、さっそく部活バッグを肩に担いで教室を飛び出す者、部活動に所属せずまっすぐ帰宅する俺や中川ファミリーなど……。

 中立派を通したクラスの大多数の顔(俺や中川ファミリーを除く)に、先週の騒動の面影は残っていない。

 騒動前も騒動後もバカトウはほとんど通常運転だったからな。

 騒動後のホームルームの第一声は「忘れなさい」だった。やはり教師の生徒に及ぼす影響は大きいといったところか。

 さて。さてと。

 これでひとまず一連のいじめは終わったとみていいだろう。中川達が今回の騒動で相当冷や汗をかいたであろうことは間違いないからな。

 静かな日常が、いじめのない日常が戻ってくる。

 バカトウ先生も用済みだ。目立たない教職員というあるべき、過去そのようにあった姿を取り戻してくれるといい。

 遠藤は今日も南と二人で帰る模様。仲が良いのはいいことだ。

 二人を横目に、俺は一人、達成感に酔いしれながら帰途に就いた。

 

 

 斜陽が俺の背中や家々を柔らかいオレンジに染めている。西の空にきれいな夕焼けが見えた。

 道に斜めに伸びた影がリズムよく上下するのに合わせて脳内で流行りの音楽を流している。

 俺は日頃と変わらぬポーカーフェイス(地顔)を保ちつつ、全くもっていつも通りにいつも通りの道を歩いている。

 ……尾行はされていない。

 心の中で胸をなでおろすが、それもそのはず。

 一般的に見て、俺はただのしがない高校生。たまたま自分のクラスでいじめが起こった、ただの災難な少年。尾行する意味もなければされる筋合いもない。

 後ろなんて気にしないのが一番だ。しかし、気になってしまうのだから仕方がない。

 靴紐(くつひも)がほどけた体を装い、車が来ていないか確認するふりをして後ろを振り返る。誰も来ていない。よし。靴紐を結びなおして歩き出す。

 家の玄関を入れば誰にも見られる気遣いは無い。

 早速右手にスマホを操作し始める。帰ってすぐに見るものといえば、もちろんこれだ。

 猫の画像に決まってるだろう。

 鼻歌を歌いながら靴をそろえ、この時間の家には誰もいないことを知りつつ小声で「ただいま」を呟き、冷凍庫から取り出したアイス片手に二階の自室へと階段を上る。右手はスマホを操作中である。

 しばらく写真フォルダ内の猫の画像を堪能した後、いくつかのSNSを開き、「いじめ ■■高校」で検索をかける。

 俺が流した元のつぶやきには全くヒットしない。代わりに、

『なんで消された?』『さすがに不適切だったのでは』『ワイドショーでもやってたのに』『検索かけてもワイドショーの映像すら見つからん』『ということは……アレか(察し)』『アレやろな』 

 といったつぶやきがちらほら見られるだけだ。

 ……アレ、か。

 やはり、あの噂の通りなのか。

 

 

 そんなものは根も葉もない勝手な噂。金持ちへの嫉妬が引き起こしたたちの悪い妄想だ。そう思っていた。

 先週の中ごろから流れ始めたまことしやかな風説。

 初めは耳を貸さなかった。だが、噂が囁かれれば囁かれるほどそれは現実味を増していき、信じざるを得ないほどになったのだ。

 

―――荒川さんのお父さんがしたらしいよ、()()()()

―――先週の日曜日に、学校の周りに見慣れない高級車が止まってるのを見た人がいるって。高そうなスーツ着た人に、校長先生が何度も頭下げてたって。

 

 察しのいい人にはもうお分かりだろう。

 いじめ告発騒動の裏でアレが動いたというのである。

 金。

 そう、金だ。

 荒川父、病院経営者で市内でも有数の金持ち、荒川寿典(ひさのり)のポケットマネー。

 荒川寿典が学校、雑誌社、インターネット、その他諸々に働きかけて情報の拡散を阻止した、と。

 馬鹿な。

 ネット上の情報が簡単に消えるわけがない。

 問題となった動画を拡散した神子柴神楽(みこしばかぐら)のアカウントが消されたのは、ひとえにその動画が不適切かつショッキングなものとして公式に認定されたためだろう。

 一人の人間の一存で重要な情報が根本から削除されるものか。そんなことはあり得ない――

 ……いや。相手は大人、ましてや金持ちだ。

 金を積んでハッカーを雇えば、難解なパスワードの解読くらいわけないだろう。FacebookやTwitterなどという大企業に圧力をかけることももしかしたら可能なのかもしれない。

 もう一度動画をネットに上げるだけの話と思われるかもしれないが、動画のデータは最初に投稿した時点で消してしまった。

 いつまでも動画データをスマホに入れていたらいつかバレる。

 証拠は何も残さないことにしたのだ。データの転送に使用したUSBはその日のうちに処分した。

 証拠を残さないためにやったことがこんな風に裏目に出るとは。

 いや、そもそも投稿は消されない予定だったんだ。アカウントごと消されるなんて思ってもみなかった。

 ……お手上げだ。畜生(ちくしょう)

 金持ちには勝てない。

 

 

 ……意外と簡単な作業だった。でも…効果は絶大だ。

 あの日私、中川有紗(ありさ)は荒川桃花の家を出た後、匿名で荒川の父である荒川寿典(ひさのり)に電話をかけた。

 『……荒川寿典さんですね?』

 『あなたの娘さんがSNSで晒されています。大変ですよ』

 『……汚れちゃいますね、桃花さんの経歴』

 『早く削除した方がいいですよ。できるものならね』

 目撃者の証言が瞬く間に犯人の犯行声明に早変わり。犯人は私じゃないけど。きっとどこかの馬鹿な正義漢だ。

 私の脅迫じみたアドバイスを、荒川寿典はどのように受け止めただろう。

 娘のため。一秒でも早く元ツイートを消さねば、と思ってくれたようだ。

 この電話をかけた数時間後には例の元ツイートは跡形もなく消えていたんだから間違いない。

 さすがは金持ち。仕事が速い。

 もちろん、何も対策をせずに丸腰で電話したわけじゃない。できる限りの工夫を凝らしたんだ。

 推理ドラマも良し悪しだね。あれはとても参考になった。

 ・電話番号から犯人の居場所を特定。

 ・話を長引かせて逆探知をかけ、犯人の居場所を特定。

 ・声を録音して、声紋から犯人を特定。

 推理ドラマで、犯人からの電話への警察の対応三か条だ。

 基本的に警察はこの三つの方法を駆使して容疑者及び犯人の位置情報を割り出し、容疑者を絞り込み、真犯人を確保する。

 だから、この三つを不可能にしてしまえばいい。そうすれば匿名の電話がかけ放題だ。

 つまりこうだ。

 ・位置情報を知られても困らない公衆電話を使えばいい。

 ・非通知の短い電話をかければいい。

 ・声を加工して声紋鑑定を出来なくしてしまえばいい。

 念には念を入れる。公衆電話は駅やショッピングモールをはじめとする「二台以上がまとまってある場所」のものを使うことにした。

 変声器なんてプロの道具は持っていないので、マスクで代用する。

 これで電話はいくらでもかけられる。

 さて、最大の難関は電話番号をどのように仕入れるかだが……これも想像の百万倍簡単だった。

 うちの高校の弱気な校長にこれも匿名の電話をかけて、いじめの事実を雑誌社に話すと言って脅したら、慌てふためいて荒川寿典の書斎の電話番号まで教えてくれた。

 そして私は荒川寿典に電話をかけた。数時間後、ネットの混乱のおおもと、あの忌まわしいツイートはきれいに消し去られた。

 私が電話なんてかけずとも消える予定だった可能性もあるが、今となっては知る由もなければ知る必要もない。目的は達成できたのだ。

 ミッション・コンプリート。

 ……始めはどうなることかと思ったけど。

 やってみれば簡単じゃん。いけるいける。

 

 

 ……例の騒動から二週間が経った。

 今日もうちのクラスは平和だ。外のことは知らん。

 今は昼休みを挟んだ五限目。俺たちは家庭科室に移動して、人が変わったように穏やかな雨宮先生の家庭科の授業に耳を傾けている。

 耳と傾けている……といっても昼食後のこの時間帯、眠気をこらえて欠伸(あくび)をかみ殺している者は一人や二人ではない。

 中には俺のようにまどろみに身を任せる不届き者もいる。

 隣の席の軽部なんぞは正にその類だ。机に突っ伏して堂々と寝るとは。

 そうやってあまり教師をなめているとな。

 「軽部君!起きなさい!」教壇から軽部に怒声が飛んだ。

 こうやって起こされる羽目になる。

 「怖えー…」

 「前と変わってないじゃん…」

 「寝れると思ったのにぃ」

 小さな文句があちこちから聞こえる。寝させねえよ、と心の中でつっこんだ。

 騒動前後で、クマとパンダくらいの落差で温和に変化した雨宮だが、怒る時の声量はそのままだ。

 それでいいのだと思う。

 生徒を叱れないような教師は教師失格だ。あれこそ模範的な教師の姿ではないか。

 今日も、授業中に人を(さげす)むクスクス声が聞こえることは無い。平和だなあ……。

 あれから中川ファミリーに目立った動きは見られない。

 昼休みにこそこそと丸聞こえの会議をすることもないし、放課後に遠藤が優しく屋上に連行されることもない。

 いじめをやめる気になってくれたのなら幸いだ。

 いじめは何も生み出さないのだから。

 ……そうでもないか。俺は俺の二つ前の席で眠気と格闘中の遠藤を見やる。

 騒動以来、遠藤は入学時よりずっと活発になった。よく笑うようになった。

 その笑顔の向こうにいるのは南、かつての加害者側の人間だ。

 友情とは壊れかかるたびに強くなるものなのだろうか。今では遠藤が南と話さない休み時間は無いほどにまで、二人の友情は回復している。

 いじめから解放され、どん底の精神状態を脱却した遠藤は、ここ二週間、いつにもまして幸せそうだ。

 ……あまり認めたくはないが、この場合。こういった場合は。

 いじめが結果的に人を良い方に導いたのだろう。

 

 

 俺はいじめが嫌いだ。

 いじめる側の人間も嫌いだし、無抵抗にいじめられるだけの100%被害者も同じくらい嫌いだ。

 しかし。

 世間にはよく「傍観者もいじめる側と同罪」という見方が転がっている。

 俺はその思想が一番嫌いだ。憎んでさえいる。

 いじめる人間がいなければ何も生まれないのに。

 そんなクズをのさばらせたのは誰だ?指導し、愛の鞭を振るうことを怠ったのは誰だ?

 大人だろう。

 仮に今ここに、学校でタバコを吸っている不良がいるとする。

 大人はどうする?

 叱るよな。注意するよな。

 では仮に今ここに、学校でいじめをする者がいるとする。

 ……大人はどうする?どうした?何をした?

 叱れよ。注意しろよ。バカトウ。雨宮。誰だっていい。

 叱らないことが愛だと?ふざけるんじゃねえ。

 容赦なく鞭を振るえ。()()のままでいさせないように。あんたらにはその権利がある。与えられているはずだ。

 悪を罰しろ。善であることを良しとしろ。勧善懲悪、あんたらも習ったよな。

 生徒の模範となれ。人としての手本を見せろ。

 黙認以外にもやれることはあるだろう。

 しっかりしろよ。

 おい――!

 

 

 チャイムが授業の終了を告げる。現実に引き戻された。

 知らず知らずのうちに自分の世界に入り込んでしまっていたようだ。

 今日も残すところあと一時間。さて、もう少し頑張りますか……。

 クラスの大半が教室に戻り人もまばらになった家庭科室。俺は席を立ち教科書を抱えて家庭科室を出ようとした、その時。

 

「嘘…なにこれ……」

 

 不穏な空気を感じ、俺は思わず振り返っていた。呟いたのは中川だ。

 元いじめメンバーの一人、一ノ瀬真琴(まこと)が机でノートを広げて戦慄していた。中川が横からノートを覗きこんでいる。

「どうしたの?何かあった?」

 雨宮が穏やかな微笑と共に二人に駆け寄り、机上のノートを見ると「くっ」と声を漏らし、顔がゆがむほどに歯噛みした。

 そんな雨宮を一瞥(いちべつ)しただけで、何が起こったか察しがついてしまった。

 雨宮は可能な限り感情を殺した声で、放心している一ノ瀬に尋ねる。

「……一ノ瀬さん」こぶしを握り締めた腕が震えていた。

 俺は静かにため息を吐く。まとめた教科書やノートを最寄りの机に置き、一ノ瀬達と距離を詰める。

「何か心当たりは?」

 俺は興味本位の表情を作って。

「……!……ないです」一ノ瀬は明らかにぎくりとした。理由はもちろん、()()からだ。それは雨宮も動画を見て知っているだろう。

 俺は三人に近寄り、雨宮と中川の間から机上のノートを盗み見る。

 雨宮が息を吐く。悩ましい、とでも言いたげに腕を組む。

 雨宮の、静かなる激昂(げきこう)の理由は。

 ……きっとまた。

「どうしてこう次々と……」雨宮は額を押さえる。

 予想通りだ。

 広げられた一ノ瀬のノート。綺麗な字で授業内容がまとめられたやや空白の目立つそのページ、その欄外に。

 ……落書きがあった。

 ボールペンで『いなくなれ』と、ノートとは違う筆跡で書かれている。

 

 へえ。まだ続けるんだ。

 

 自分でも気づかず俺は笑っていた。

 哀れみでも嘲笑でもなく、俺は驚いて感動して――もしかしたら少しばかりは喜んで――笑った。

 平和な日々も、長く続けば退屈な日常でしかなくなってしまう。

 そうすると人は新たな刺激を、非日常を求めて彷徨(さまよ)うようになる。

 ある人間は、刺激を得たいがために、社会で悪事を働く。

 またある人間は、刺激を得るため、他人が犯した悪事を見つけ、裁くのだ。

 俺はいじめが好きではない。目にすれば怒りを覚える。

 だが、それは退屈を紛らわしてくれるスパイスでもある。

 俺は一つのいじめを終わらせたことで偶然にも、見出してしまったのかもしれない。

 人を裁く喜びを。正義で人を傷つける快感を。

 退屈な日々が、終わる。

 そして再び、地獄が始まるのだ。いじめが、学生なりの知恵と威信をかけたゲームが。




また始まる。そして何かが……終わる。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

またかよ

 正直、ゾクゾクした。

 新たなる謎を手にした快感だろうか。こんな風に感じたのは生まれて初めてだ。

 探偵小説では主人公が新たな事件に心躍らせるシーンがあるが、あの主人公は今思えばサイコパスだったんじゃないか。

 そして同時に、「また面倒なことになった」とも思うのだ。

 我ながら矛盾していると思うが、あいにく矛盾や混沌は俺の大好物だ。ご飯何杯でもいけちゃうぜ。

 これまでと手口が違う。

 それが一ノ瀬のノートを見た時の第一印象だった。

 手口が違うということは、犯人が中川じゃない可能性がある。どうせ中川だろ、と断定が出来ない。面倒なことだ。

 試しに一つ、カマをかけてみるか。それで尻尾を出せばこっちのものだ、と密かに舌なめずりをする俺である。

「またかよ」と俺は苦々しく口にした。

 中川達の反応を見る。

 中川、一ノ瀬、雨宮の目が一瞬こちらを向き、複雑そうに伏せられる。

 まずはこれが当然の反応だろう、愚痴を吐かれていい気持ちはしまい。

 問題はその次だ。

 本音というのは演技の直後にもろに出るものだからな。

「……」

「……」

「……」

 黙りこくる三人だった。

 いや、相手の出方をうかがっているともいえそうだ。

 荷物を置いた場所にそそくさと戻り、雨宮と話す中川、一ノ瀬を観察する。

 ここでは「さりげなく」に徹するのがポイントだ。しつこいようだが、バレては元も子もないからな。

「どうしてこんなことするのかな……」

 落とした肩を回すようにして居住まいを正し、雨宮はつぶやく。

「……」

「……」

 二人は黙っている。いじめをした経験があるものとしては耳が痛いだろうな。

「……違う…よね?」

 雨宮は遠慮がちに尋ねる。

 目線は一ノ瀬と中川の両方に向けられているようだが、問い詰めたいのは中川だろう。

 あなたの仕業ではないよね?、と。

 いささか礼儀に欠ける行為だが、そうしたくなる雨宮の気持ちも分からなくはない。

 中川は憎むべきいじめの元凶だったのだ。

 俺だったらこれほど控えめに聞ける気がしない。間違いなく初めから中川を犯人として決めてかかっただろう。

 まあ疑われて当然だ。犯人は現場に戻ってくるとも言う。そもそも、中川は違うと断定できる要素が無いのだ。

「いやいや。ないですそんなこと……」

 以外にも中川はぶんぶん首を振って否定した。

 もちろん、犯人が犯行を認める道理はない。しかし……仲間に手を出しはしないとでも言いたいのだろうが、いくら何でもあからさますぎやしないか。

 明らかに動揺している。

 登校し始めてから約二週間、こいつはクラス内でもことさらに慎重に振舞ってきたというのに。

 やはりこいつが犯人か。

「……」

 一ノ瀬は引き続きノートに向かって放心状態を継続している。

 騒げば騒いだだけこの間の事件を蒸し返すことになるからな。正しい選択だ。

「じゃ、他の人か……。一ノ瀬さん、誰か心当たりのある人はいる?」

 雨宮は心なしか不愛想に中川との話を切り、今度は一ノ瀬に、一度した質問を繰り返した。

 そのサバサバとした態度から、雨宮が中川への疑いを微塵も捨てていないことが察せられた。

「いない……です」

 一ノ瀬は答えた。いすぎて誰だか分からない、と。

「……そうよね」

 雨宮は同意した。いない方がおかしいわよね、と。

 雨宮と一ノ瀬が二人してため息を吐く。

 俺は「いい加減教室に戻るか」という様子で教科書を抱えたまま手持ち無沙汰に三人の様子をうかがっている。

 すると、腕を組んだ中川の流し目と目が合った。

 俺が目を細めると、中川は口元を引き締め、視線を一ノ瀬に戻す。額に汗がにじみ、心なしか暑そうだった。

 これは何かあるなと中川を凝視していると、今度はしっかり顔をこちらに向けて睨まれた。

 まずい、俺が中川を疑っていることがバレたか。もしくは変態だと思われたか。きっと前者だろう。 

 が、少しばかりヘマをやらかしてしまった。

 今日のところは撤退しよう。嫌われるのは別に構わないが、こちらの捜査を邪魔されては困る。

 俺は荷物を抱えて教室を出た。いや、出ようとした。

「あれ?どうしたんですか?そろそろ次の授業が始まりますけど」

 素っ頓狂な声をあげて家庭科室を覗いたのは、バカトウだった。

 眉がピクリと動く。

 ピッと体中の毛が逆立つような感覚を覚えた。反射的に振り返ると、一ノ瀬はノートを閉じ、中川は机の前に立って一ノ瀬とノートを隠すところだった。

 お呼びじゃないぞ、帰れ。

「いえ、特には……」

 雨宮は言葉を濁す。

 話すだけ無駄だろう。

 バカトウは先日のいじめの隠蔽工作の一員だった。

 それどころかこいつは被害者の必死の訴え(実際は俺が偽造したものだが)をいじめの犯人の前で暴露した。

 その日からいじめには暴力が加わるようになった。隠蔽者どころか、こいつは「支援者」にまで堕ちたのだ。

 そんな人間に今回のことが知られても、またもみ消されるだけだ。

「そうですか。それでは。……生徒は早く教室に戻れよ。遅れてくると、勘違いされるぞ」

 いたって真面目な口調で付け加え、バカトウは廊下に消えた。

 嵐が過ぎ去ったような心持ちの四人、それぞれの心には強烈なわだかまりが残った。

「……はい」

「すぐ戻ります」

「……引き留めて悪かったわね。遅れないうちに教室に帰りなさい。遅れないうちに」

 不自然に残っている理由をごまかしつつ、雨宮はバカトウの言葉の一部を繰り返す。

「大丈夫です」

「……」

 家庭科の用意を抱え、無言の一ノ瀬と中川に続いて、俺も家庭科室を出た。

 部屋を出る間際に雨宮がため息をつく音が聞こえた。

 顔を合わせることもなく、俺の前方で中川と一ノ瀬は階段を上る。頭にバカトウの言葉が反響している。

『遅れてくると勘違いされるぞ』

 分かっている、そんなことは。

 そんな真っ当なセリフは、お前が言うべきじゃない。

 正義のヒーローがこっそり助言として与えてこそふさわしい言葉だ。

 あんたは底なしの悪者でいてくれた方がいいんだ。散々悪党チックに振舞ってきたくせに、急に手のひらを返さないでくれ。

 あんたが真面目な口調で真っ当なことを言ったせいで、否が応にも意識してしまうだろう。

 クズ以外の何者にも見えないバカトウのような教師でも、人並みの良心は持ち合わせていると。

 いじめを黙認せざるを得ない理由があったのかもしれないと。

 いじめを結果的に助長したことに対して罪の意識を少なからず持っているのかもしれないと。

 そう意識してしまったら、戻れなくなる。

 もう誰も責めることが出来なくなってしまう。

 許しがたい罪ですら、誰もが犯す間違いの一つとして受け入れざるを得なくなるだろう。

 ああ、こんな気分はうんざりだ。消えてしまえばいい。

 

 

 クラスメイトの輪の中で意味もない話題に花を咲かせる夢をしばし見ていたが、目覚まし時計が耳をつんざき、暗澹たる気分で朝を迎える。

 バッグを肩に下げ、ローファーに足を通すと、靴下に包まれた足が落書きまみれになった錯覚を覚え、冷や汗が噴き出る。

「今日は学校に行きたくない」と、笑顔で自分を見送る母親には言い出せず、ふらふらと道路に出る。

 一歩一歩学校へと歩みを進めるにつれて、自分がしたいじめを他人からされるのではないかという重圧がみるみる高まり、息苦しさに何度も立ち止まる。

 一つ目の難関である下駄箱に到着し、祈るような思いで汗ばんだ手を自分の上履きに伸ばす。

 安堵のため息を長く吐き、教室のドアをくぐる。

 はっとして机を凝視すると、遠目に机はきれいなままだった。

 ひとまず安心だと席に着く。すると、気が付いてしまった。

 机の端に小さな文字で、確かに鉛筆で「キエロ」と書かれていた。

 胸にぴりりと痛みが走る。

 心臓がどくどくと鳴り、顔面の筋肉が痙攣(けいれん)する。

 昨日机の中に置き忘れたノートは破られてはいなかったものの、決して開くまいと固く決意する。

 だが、授業があるのだから仕方がない。

 恐怖におののきつつもノートに手をかけた。

 またも安堵の息を吐き、おおよそ普段と変わらず授業を受ける。

 しかし再び絶望に襲われる。

 昨日写したノートの中央部分にうっすらと書かれた「バカ」を見つけてしまった。

 思考と視線ばかりがパニックし、暗い空間に幽閉されたような閉塞感を覚える。教室はもはや出入り口を封鎖された巨大な石室にしか思えない。

 まだいくつも()()んじゃないか、発見できていないだけで。

 怖い。

 歩くと足を引っかけられそうな予感がする。

 誰かに監視されているのではという疑念がまとわりついて離れない。

 どうして私だけ。他の人は?

 

 

 沈んだ表情で一ノ瀬はきょろきょろと教室内を見回した。

 夜も眠れていないのだろう、目にくっきりと青黒いくまが浮き出ている。

 想像してみてくれ。

 これが一ノ瀬が受けているいじめである。

 陰湿だ。

 陰湿でないいじめなんてあるのか?という話だが、とにかく陰湿だ。陰湿極まりない。

 程度としてはむしろ軽い部類に入るだろう。嫌がらせ以上、いじめ未満とでもいうべきか。

 問題は、最初の発見からかれこれ一週間が経過しているが、犯人が割れる気配が微塵もないことだ。

 どういうことだ。

 なぜ犯人が出てこない。

 いじめを仕掛けずにいじめが出来るかよ。絶対どこかに仕掛けるタイミングがあるはずだろうが。まさか相手は魔法使い⁉ ナンチャッテ!!!

 軽い頭痛を覚え、額に手をやる。考えただけ気が滅入って仕方がない。

 ざわざわとやかましいがどこか平和な教室内の喧騒は俺一人をいじめの渦中に置き去りにしていくように、やけに耳に響いた。

 何度か放課後にこっそり居残ってみたものの、見つけられたのはこの学校には教師の見回り制度がないことと、あとは静寂くらいのものだった。

 教室の床はある程度掃除が行き届いていて、ノートの切れ端は散らばっていないし、机にも目立った落書きは見当たらない。

 怪しげな動きを見せるクラスメイトもいなければ、外部から侵入してくる人間で一ノ瀬とかかわりを持つ奴もいないのである。偶然だとは思うがそれはちょっと寂しくないか。

 要はノートを細工している奴などいなかったのだ。

 犯人の手口は「本当は、犯人なんていないんじゃないか?」と思いたくなるほど巧妙、そして狡猾(こうかつ)だ。

 クラスメイトの大半はこのいじめの存在にすら無頓着だ。一ノ瀬と中川もとい雨宮が隠しているせいでもあるが。

 暴力で一ノ瀬が傷つけられないのは喜ばしい。

 ただ、全く尻尾を出さないのである。

 一見綺麗な机やノートにターゲットである一ノ瀬が今日は大丈夫かと安心したそばから、本人が凝視しないとわからないレベルの悪趣味なイタズラが仕掛けられているんだからな。手足も何も使わずに……。

 なんとも(しゃく)に障るやり口だ。

 やるならきっちりやりやがれ、はっきりせいやボケ、などと考えてしまうのは不謹慎だろうか。

 やり口は単純極まりない、ノートの落書きを発見させるだけ。だが効果は抜群だ。

 ポケモンに例えるなら毒タイプ。

 じわじわと相手を追い詰め、ターゲットを自ら破滅へと向かわせる。

 謎なのは、先の事件の加害者の中で一ノ瀬のみがこうしたいじめを受けている点である。

 

 

 

 夕暮れ時の自室。

 明かりのともることのない部屋で開いた窓の隅でひらひらと揺れるカーテンをぽけっと眺めながら、今日あった家庭科室での会話を逐一(ちくいち)思い返していた。

 

 

 いやはや、バレずに済んでよかった。

 家庭科室で疑われた時はどうなることかと思ったけど。なんかアイツもいたけど。

 ギリギリセーフ。雨宮先生、完全に出し抜いちゃいました☆ バカトウ、何それ?

 一ノ瀬だって私が犯人だと疑ってるだろうね。なんせ前科一犯ですから。

 でもね、次は絶対バレないんだ。

 何でかって?

 以前バレた時は誰かに尻尾を(つか)まれて、撮られて、晒された。

 だから今回は、尻尾が無い。手がかりが残っていないんだ。犯人はおろか、仕掛け人すら出てこないよ。邪魔な仲間はもういない。

 この意味が分かる?……そう、絶対バレないってこと。

 もう一度言うよ。

 絶対バレないから。

 




書くの遅れましたってレベルじゃねえぞオイ!(半ギレ)


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。