結城 友奈は勇者である 神の揺り籠 (ヴィルオルフ)
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第1話 ピースフル・デイズ(平穏な日々)

「結城友奈は勇者である」第1話より少し前から、このお話は始まります。


 讃州中学には、不思議な名前を冠した部活がある。家庭科準備室を間借りして部室としているその部活の名は、『勇者部』。

 『人のためになる事を勇んでやる』部、すなわち勇者部――要はボランティアだよね?というツッコミは野暮につきスルー。創設から1年少しの歴史の浅い部活動だが、何事にも積極的に、そして真剣に取り組む部活だ。

 その部室にて。

「今日から遂に我が勇者部に新メンバーが加わるわ!さあ、この子が我がマイシスターよ!」

 黒板を背に腰に手を当てて。創設者にして部長、3年生の犬吠埼 風が堂々と宣言した。一歩横にどいてその新入部員、というか妹を促すと、少女は一度深呼吸してから自己紹介を始めた。

「い、犬吠埼 樹、です……よ、よろしくお願いします――!」

 本人は頑張って声を上げたのだろうが、常に勢いのある風と比べれば随分と小さい。チラ、と風を見る仕草も相まって、“小動物”という印象を与えてくる。

「もう、樹ってば緊張し過ぎよ」

 風は妹の態度にも慣れたものなのか、少し眉を下げて肩を叩く。

 もっとも、この部に入ったならば人見知りだろうが関係は無い。樹の正面にいた赤い髪の少女が瞳をキラキラさせながら寄ってくる。

「樹ちゃんって言うんだね!私は2年生の結城 友奈、よろしくね!」

 去年の春に風に誘われて勇者部に入ったこの結城 友奈という少女。常ににぎやかに日々を楽しみ誰にも気さくに接するからか自然と好かれるその様を一部の者は「コミュ力おばけ」と称するとかしないとか。

「ハ、ハイ。こちらこそ」

 樹の特技が占いと聞けば、四葉のクローバーの押し花を手渡したり自身を占ってと頼んだり。風と同様グイグイいくタイプな友奈は積極的に樹に話しかける。

 勢いに呑まれそうな様子の樹に、今度は車椅子に乗った少女が声をかける。

「ほら、友奈ちゃんったら。樹ちゃんが焦っちゃってるわ」

 友奈が『太陽』ならば落ち着いた物腰のこちらは『満月』。濡羽色の長い髪の少女は穏やかな表情で樹に向き直り、

「――取り出しますはこの帽子」

 帽子からハトを出すという手品を披露した。友奈とは別の方向でこの少女もトリッキーだ。

「すっごいよ東郷さん!」

「い、今のはどうやって……?」

 友奈も一緒になって少女――東郷 美森の手品に食いつく。手品のタネ明かしを友奈と並んで聞いているうちに、樹の緊張はほぐれていった。

「うんうん、さすがは友奈に東郷。樹ももう打ち解けてるわ。我が勇者部の誇る逸材ね!」

 その様子に満足そうに頷く風に、

「まあ、4人だけでやってきたんだ。逸材にもなる」

 静かな声が横から聞こえた。

 風よりも頭1つは高い身長に短めに切りそろえらえた髪。目つきはややもすると鋭く、美森とは別の意味合いで大人びた少年だ。そして、風と共に勇者部の立ち上げ時期から活動していた古参でもある。

 部屋の隅で腕組みしながら友奈たちのやり取りを見ているその少年に、風は少し苦笑しながら、

「そー言う白羽くんは、なかなか仏頂面が治らないわよね。もっとにこやかにした方がいいわよ?」

「治そうにもこれが素だ」

 肩をすくめて少年が答える。その声が聞こえたのだろうか、手品で盛り上がっていた面々もひと段落し、樹が少年の方に向き直った。

「あ、ス、スイマセン!先輩がまだいたのに……」

「気にしなくていい」

 軽く表情を緩めて返事をすると、少年は静かに名を名乗った。

「3年、白羽 涛牙(しらはね とうが)。雑務と力仕事を中心に応対している。これからよろしく。いもうと」

 涛牙のあいさつによろしく、と返そうとしていた樹は、最後に投げかけられた一語にキョトンとした。

「いや、白羽くん。“いもうと”って」

「『犬吠埼の妹』、略して“いもうと”だ」

「いや略になってないでしょうが」

 半眼を向ける風に向けてそういうが、風は頭を抱えて言い返してきた。と、横から友奈も口を挟む。

「涛牙先輩、苗字じゃなくて名前で呼べばどうでしょう?わたしの事も“結城”じゃなくて友奈でいいですよ?」

「あ、私は今まで通り“東郷”でお願いしますね」

「って東郷さん?!ここはむしろ東郷さんも名前で呼んで、っていくところじゃ?」

「ごめんね、友奈ちゃん。私はその一線は譲れないの」

 なぜか別方向に話が流れ出す友奈と美森を脇において、涛牙は風に向けて話をつづけた。

「……苗字で呼ぶのが慣れている。名前呼びは、その、気恥ずかしい」

「え、えっと――他の人の前で“いもうと”呼びは私の方が、その、変な感じがしてしまいます……」

 ここで折れたらずっと“いもうと”呼びだろうと感じ取った樹が言うと、涛牙は少し口を尖らせた。

「ならどう呼ぶ?2人揃っている時に『犬吠埼』と呼んだら2人とも反応するだろう?」

「あの、私は、名前で呼ばれてもいいですよ?」

 そう言われて、風の顔を窺うが微笑を浮かべて頷くだけ。友奈と美森はお互いの呼び方で話が盛り上がっている。仕方ない、と涛牙はため息を小さくついて、

「ならば今後は、樹と呼ばせてもらうが、いいか?」

「はい。私からは涛牙先輩とお呼びします」

 小さなひと悶着こそあったがこれで顔合わせは終わりだった。風は軽く手を叩いて全員の注目を集めると、

「さて!これからはこの5人でやってくわよ!ちょうど4月の終わりごろに幼稚園での人形劇の依頼が入ってるから、当面はそれが目標ね!」

 勇者部に届く依頼は多岐にわたる。部活動のヘルプが多いが、猫の飼い主探しや川のゴミ拾い、或いは幼稚園でのレクリエーション手伝いも依頼が入ってきている。

 尚、リクエストとして勇者部オリジナルのストーリーに出来ないかとも言われてる。そこは多才な美森にシナリオの骨子を任せるとして、流す音楽を考えたり背景を準備したり、というのも勇者部で進めていくことになる。

「え、ええっ?!」

 それらの説明を受けて、樹が驚く。風から事前に勇者部については聞いていたのだが、さすがにここまで本格的とは思っていなかったのだ。

 そんな樹に、涛牙が声をかけた。

「まあ、これが勇者部の日常だ。すぐに慣れる」 

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

深夜の街は街灯の灯りだけでは照らせない闇をそこかしこに孕んでいる。

「例えばこれだ」

 後ろから聞こえてきた声に、スーツ姿のOLは振り返った。

 そこはいわゆる路地裏だった。通りから一歩ずれただけで街灯が少なくなったそこは、奥が見通せぬ故に無限の長さがあるように見える。

 そして女の足元には、女のスーツよりも一目で上等と分かる服を着こんだ中年の男が怯えたようにうずくまっていた。まあ、怯えるだろう。自分より華奢な体格の女に片手で宙づりにされたなら。

 声をかけてきたコート姿の男は手にしたライターに火をつける。だが、そのライターから生まれた火は、真っ当な火ではなかった。

 白い炎。自然にはあり得ぬ色。

「男を人目につかない場所に誘い出してパクリ、か。シンプルなやり口だ」

 前に踏み出しながら腰の鞘から剣を抜く。細身の両刃剣は背後からの灯りを受けて鈍く輝いた。

 対する女は。

 獣のようなうなり声を上げた。

 いや。それは本当に『人間の女性』だろうか?

 大の大人を軽々と持ち上げる膂力。吸血鬼の如く伸びた牙。白い炎に照らされて不可思議な刻印が浮かび上がった瞳。そして助走もなしに数メートルを跳躍する身体能力。

 そう。この女の姿をしたモノは、その実、人間ではない。それは、人の姿をした怪物。

「『ホラー』!」

 叫び、コート姿の男も前に飛び出す。低い体勢で、跳びかかって来た『ホラー』と呼ばれた女の下を潜り抜ける。

 女の方は空中で一瞬拍子抜けの顔を見せた――てっきり正面から斬りあうと思ったのだ。だが、すぐに思い返す。逃げ道を開けてくれたのだ、使わない手はない。跳びかかった勢いのまま更に表通りへの道を駆け抜けようとして。

「ギャッ?!」

 足元からせり出してきた光の壁にぶつかる。障壁の術。足元を見れば地面に1枚のカードが落ちている。ちょうど、コートの男がいたあたりに。

(罠!)

 気づいた時には、女の胸元から鋼の輝きが生えていた。背中から胸を貫いて。

「あばよ」

 無情な宣告と共に、剣を引き抜くとコートの男は更に刃を振るう。頭頂から両断されて、女――いや、ホラーは黒い塵と化して虚空へ消えた。

 鞘に剣を収めて、中年男を見ると、件の男は気絶していた。どうやらこの場にたどり着いた時には意識を失っていたらしい。

 コートの男はしばし様子を窺っていたが、腰のポーチから1枚のカードを取り出した。その表面には複雑な紋様が刻まれている。文字のようにも見えるが、文字とすればそれは日本語とも外国語とも違う、不可思議な形状だ。

 それを中年男の額に貼りつけ、懐から取り出した万年筆で一撫ですると、カードは淡い輝きと共に燃え散った。

「これでよし、と。どうだ、ディジェル?」

 コートの男が、不意に問いを発する。その場で起きているのは当人だけのはずだが。

「おう、ちゃ~んと効いてるぜ。お前さんの術」

 応える声がどこかから聞こえる。その声に一つ頷くと、男は路地の奥、闇の中へと立ち去って行った。

 

 

 天には月と星の瞬き。地には街灯と家々から洩れる照明の輝き。それはともに、闇に散らされた光の粒。

 その光と闇の狭間に1つの影があった。

 夜風にコートの裾をたなびかせ、影は静かに街を見下ろす。街は、先ほど人と怪物の戦いがあったことなどまるで知らずに昨日と何かが違う――しかし大きくは変わらない時間を過ごしている。

「つまりは、それが日常ってわけだな」

 囁きは風に乗り虚空へと広がる。影が1つしかないなら、囁きは誰が聞くこともない。はずだが。

「……なら、陰我がない日はむしろ異常なのか?」

 今度の声は、影の口元からのつぶやき。

「そりゃそうだろ。陰我消滅の夜は20年に一度、言ってみりゃイベントだぜ」

「そういわれると、そんな気もするな」

 言うと、影は顔を上げて空と街を見る。遠目には美しいこの夜景も、中に入って近づいていけば綺麗だけではないという事を知る。

 美しく見えてもそれだけとは限らない。

「ま、それが魔戒士の日常ってやつだ」

 締めくくるような声に、影は小さく苦笑した。答える代わりに、別の事を口にする。

「――今日のところはこちらは落ち着いたようだ。向こうに行くか」

「あいよ」

 そうして影はマンションの屋上から跳びだし、紛い物の星空の中へ姿を消した。

 

 神世紀300年、4月。

 この先に待つ変化の時代を、まだ誰も知らない。




ゆゆゆと特撮のクロスオーバー……仮面ライダー、ウルトラマン、戦隊シリーズと様々な良作品があります。
なら、マイナーだけどコイツがいてもいいじゃない?というノリで頭の中のイメージをひねり出したのがこのSSです。
文章がなかなか簡潔に出来ないので見辛いかと思いますが、お付き合いください。


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第2話 カラミティ・ピクチュアル(禍の肖像)

前話では触り程度ですが、今話ではガッツリと魔戒騎士のバトルが描かれてます。牙狼のアニメ版の動き回るバトルシーンをイメージしています。


 4月のうららかな日差しの中、犬吠埼 風は軽快に自転車を走らせていた。鼻歌も軽やかに住宅地を走り抜けていく。

「♪~~、♪♪~♪」

 今風が向かっているのは今回ホームページから入って来た、とある依頼の目的地だ。

「モ・デ・ル~、モ・デ・ル~♪絵、の、モ、デ、ル~♪」

 風が今日取り組む依頼は、画家志望の青年からの肖像画のモデルの依頼だった。それも風を指名である。

 なんでも街で見かけた少女に「これはっ!」というインスピレーションを受け、たまたま『勇者部』の事を知り、探してもらおうとホームページを開いたら活動報告の写真に件の少女がいて、それが風だったという、偶然が重なりあった末の依頼だった。

「これが女子力のなせる奇跡ってヤツね……我ながら恐ろしいわ、女子力……」

 部室で、窓の外を見ながらドヤ顔で呟いた風を、他の4人が反応に困る、という顔で見ていたことは、風は知らない。

 

 その家は、住宅街から離れた場所にあった。敷地を囲う壁から家までは20メートルほどはあるだろうか?庭には木が生い茂り、さながら林の中に家が建っているような錯覚さえ覚える。

「元は農業を営んでいたそうでね。後継に恵まれずに手放した土地と家を買い取ってアトリエに改修して――僕はそれを更に貸してもらっているのさ」

 とは、今回の依頼人でありこのアトリエで絵を描いているという青年、八十村 浩介の言だ。

 自然光を多く取り入れるために一面が全部窓ガラスとなっている部屋で椅子に腰かけながら、風は視線だけで周りの壁に掛けられた肖像画を見る。

「あたしは絵の事はよくわからないんですけど……お上手ですね」

 下書きなしに描き進めるスタイルと聞いていたが、飾られた肖像画はどれも写実的で美しい。絵の具で描かれているはずなのに生命の瑞々しさが表出しているかのようだ。

「いや。ほめてもらえてうれしいな。一度スランプに陥ってから鳴かず飛ばずになったんだけど――どうにか新しい段階に進めたのかな」

 微笑みながらも、八十村は手を止める事もなく筆を走らせる。

 さすがに中学生の身では夜分までいるわけにもいかず、学業や勇者部の他の活動もある以上は何日もモデルをやり続けるわけにもいかない。八十村にもそういった風側の都合は伝えてあり、ならば素早く仕上げよう、という事で話がまとまっている。全身ではなく上半身を画題として、最初に風の肌と絵の具の肌色で色を合わせる事で大まかに描き上げ、後で細かい仕上げをしよう、という流れだ。

 長くは居られないことを謝ると、八十村は「いや。こちらこそ話を請けてもらっただけでもありがたいくらいだ」とその好青年な笑顔を崩すこともなく答えてくれた。

 そうして窓から入る光がオレンジ色になったころ。

「こんな具合、かな?」

 八十村が動きっぱなしだった腕をようやく止める。満足げに頷く様子を見ると、納得のいく仕上がりになったようだ。

「いや、本当に助かったよ、犬吠埼さん。やはりいいモデルに恵まれると、絵筆のノリもよくなるね」

「いえ。こちらこそ得難い体験をさせてもらって、ありがとうございます」

 風も立ち上がると頭を下げる。座りっぱなしなのは少々大変だったが、絵のモデルというのはいい経験になった。今後美術部からのモデル依頼が入ったらマイシスター樹や友奈にも薦めてみよう、とか思いながら。と、八十村が口を開いた。

「じゃあ、完成前だけど一度見るかい?」

「えっと、それじゃ――」

 どんな風に自分が描かれているのか、興味が無いと言えば嘘にもなる。が。

 ピンポ~ン!

 風が答える一瞬前、チャイムの音が響いた。2人揃って玄関の方を見ると、数拍おいてまたチャイム。しかも今度は連続で鳴り出す。

「――いたずらか何かですか?」

「さあ?宅配便の類は縁遠いんだが……まあ、ちょっと見てこよう」

 と言って八十村は部屋を出た。

 

 夕刻になり暗くなった廊下を、特に明かりをつける事もなく八十村は玄関に向かう。その顔は、風に見せていた人好きのする物からは一変していた。内心の苛立ちを抑えきれないように。

 未だ響くチャイムを煩わしく思いながら、ドアチェーンは外さずに玄関ドアを開く。

 その目に、白い炎が突きつけられた。

 

 八十村が部屋を出て。

 風は改めて部屋を見渡す。そっと、鳥肌の立つ腕をさすりながら。

 部屋に入った時はまだ明るかったので気にしていなかったが、夕暮れ色に染まった部屋の中で見る壁の肖像画の群れには、美しい以上に怖さが勝っている。

 実をいうなら。この家に入ってからずっと背筋に冷たい感触があるのだ。依頼人の手前明るく振舞ったが、本音を言えばすぐに立ち去りたいという感覚が消えてくれない。怪談やお化け屋敷の類が滅法ダメな風だが、この家、或いはこの部屋から感じるのはそれらとは違う、もっと差し迫った感覚だ。

 こちらからは見えないあのカンパスに自分がどう描かれたのか。興味があるのは事実だ――ソコに何があるのか、わからないのが怖い、という意味でだが。

 一度大きく息をつき、改めて肖像画を見る。

 美しいとは思う。油絵でカメラに届くほどのリアルさを表現する技術は八十村の稀なる才を示している、はずだ。モデルの生命力をも表現したその肖像画たちは、まるで生きているようにさえ感じる――感じてしまう。

(変ね。あたしってこんな事考える方だっけ?)

 直感が危険を感じ取っているようでどうにも落ち着かない。理性で考えれば、絵が生きているなど馬鹿げた事なのに。

 玄関の方から、何かが激しくぶつかる音が聞こえたのはちょうどその時だった。

「へっ?!」

 激突音はすぐに部屋まで近づくと、最後には扉が砕ける――その破片と共に転がり込んできたのは、八十村だった。闖入者と格闘の末に押し込まれ、最後に放たれた蹴りを受けて扉を砕きながら転がり込んだとは、風にわかるはずもないが。

 勢いを殺そうと1つ後転して起き上がった顔は、先ほど見た好青年の表情は欠片も残っていない。歯を剥いて眼を尖らせて戸口を睨む姿は、むしろ獣という方が近い。

「な、なにが」

 八十村の形相に数歩後退しながら尋ねるのと。

 キイィンッと、奇妙に甲高い音が響いたのが同時。未だ照明のつかない部屋に、蹴破られた扉の方から一瞬の光が差し込む。

 音に誘われて部屋の出口を見て――風は今度こそ言葉を失った。

 そこには、鈍い鉄色の鎧で身を包んだ人影があった。

 全身を覆う鎧はまるでゲームやマンガの中に出てくる西洋――300年前に滅んだ異国――の戦士のよう。部屋に踏み込んでくる足音は重く、その鎧が本当に金属製であることを窺わせる。

 右手に握られた剣は日本の刀とは違い分厚い刃を持ち、剣身とほぼ一体化した鍔からは手を守る機能を持つのか、柄と並行にナックルガードが伸びている。

 だが、なにより異彩を放つのは頭部だった。現実の西洋の騎士や兵士の、バケツやヘルメットのような兜はそこにはない。そこにあるのは、狼の頭。

「狼の、騎士……?」

 風が呟いたその言葉は、闖入者の姿をこれ以上なく正しく示していた。

 その狼の顔は一瞬風の方を見て、次の瞬間には疾風と化して八十村に斬りかかる。斬殺の現場を想像して目を閉じた風の耳に聞こえたのは金属がぶつかる音。見れば、いつの間にか八十村の手に握られたペインティングナイフが騎士の剣を受け止めていた。

 が、騎士は慌てることもなく更に一歩踏み込み、空いていた左の拳を八十村の腹に打ち込む。と同時に右手は剣を逆手に持ち替え下から掬い上げるように切り込む。八十村の着ていたシャツが引き裂かれ、その身体から液体が溢れる。

「ヒッ?!」

 風が引きつった悲鳴を上げる。だが八十村はそこで倒れる事もなく大きく後ろへ跳ぶ。助走なしに数メートルを、どす黒い――人間の血とは違う黒い血を零しながら。

「オノレ……私の芸術の――邪魔をスルナ!」

 濁ったような声で叫びながら、両手を振り上げ――近づこうとする騎士に向けて、交差するように振り下ろす。途端に、壁の肖像画から黒い腕が伸びて騎士にまとわりつこうとする。騎士は接近を止めてその場で宙がえり――しながら刃を振るい黒い腕を切り払う。さらに着地と同時に独楽のように身を翻して近づく腕を切り刻む。

 斬られた腕は霧のように散るが、肖像画の周囲には同じような黒い霧が渦巻いている。

 一度距離を取れた事で少し落ち着いたのか禍々しく口角を吊り上げる八十村に、騎士は切っ先を突きつける。

「芸術?……食事の間違いだろうが」

 兜越しのくぐもった声に、明白な怒りと侮蔑を乗せて。それが八十村の癇に障ったのか。

「キサマァァァ!」

 咆哮と共にその身体がまるで内側から弾けるように膨れ上がり――その姿は異形へと化けた。絵筆やキャンバスを中心に絵画道具を寄り集めて人型にしたような、怪物としか言い表せない姿へ。

「な、なによ、これ……」

 気づけば風は尻餅をついてその場を見上げていた。あまりの事態の急変に頭がまるでついていけない。

 そんな風を捨て置いて、怪物と騎士が切り結ぶ。肖像画の群れからの腕、怪物から放たれるドブ色の液体(絵の具だろうか?)、手に握られたパレットナイフやペインティングナイフらしき凶器が騎士に襲い掛かるが、騎士は踊るようにその全てをいなし、怪物に肉薄――が、怪物の方も身軽に天井まで跳んで刃の間合いから逃れる。そんな攻防が瞬く間に繰り広げられる。

 尻餅をついたまま窓の方へと後ずさる風は、途中でふと視線を感じた。そちらを見ると、乱闘の中で床に転げたのだろうイーゼルと、そこに乗った自分の肖像画がある。仕上げには確かに遠いのだろうが、そこには確かに風の上半身が描かれていた。

 そんな、キャンバスの中の風が、絵の中から現実の風を睨む。絵だと思っていたソレが、実は人間でした、とでも言うように。

 更には絵が動いて両腕を前に突き出すと、それは黒い霧のように伸びて風を絡めとり、キャンバスへと引きずり込もうとする。

「い、イヤァァァッ!」

 悲鳴を上げながら風は悟る。八十村の肖像画が生きているように見えたのは、間違いではない。絵は生きているのだ――自身のモデルを引きずり込んで、絵の中に閉じ込めて。

 態勢が悪いせいで風は踏ん張る事も出来ない。キャンバス――いや、キャンバスに見えるナニカが迫るのに為す術もない。

 だから。風が助かったのは騎士の刃のおかげだった。

 悲鳴を聞くや騎士は自身の剣を風を掴む腕へと投げつけた。まっすぐに飛んだ剣は腕を刺し貫き風を解放する。

 代わりに、それまで怪物の攻撃を阻んでいた剣が手元から消えた騎士は怪物の攻撃を徒手空拳で阻むしかなかった。霧の腕は殴られたくらいではものともせず、逆に殴り掛かった左腕に、そして脚に絡みつき、騎士の動きを封じる。

 その様子に怪物はニンマリと笑う――もはやその形は人間の物とはかけ離れているのに、そういう気配が伝わる。

「バカメ。剣ヲ捨テルトハナ」

 その声は禍々しく濁っていて――しかし八十村の物とわかる。先ほど騎士からぶつけられた侮蔑をそのまま返すように怪物は動きを封じられた騎士に嬲るように近づく。

「驚カサレタガ、所詮半人前ノ魔戒騎士ダッタカ」

 その余裕からか。騎士の空いた右手が一瞬動き、1枚のカードを取り出すところを見落とした。右手を振り上げカードを握りつぶすと、光と衝撃が周囲に走る。

「グオッ?!」

 霧の腕はその衝撃で霧散。自由を取り戻した騎士は即座に剣の下へ駆ける。壁の肖像画からの腕が遅れて騎士の後を追うが、剣を拾いなおす方が早い。そのまま身を翻して刃を一閃。腕の束をまとめて薙ぎ払う。

 のみならず風の襟首をつかむと、風を上に放り投げつつ窓に向かって剣を振りぬく。その剣圧により――有り得るとすれば――窓ガラスがまとめて砕け散る。

 その様子を、スローモーションとなった視界で風も見ていた。自分を捕まえようとしていたのだろう霧の腕が、放り投げられた自分の下を通り抜けるところも。剣を振りぬいた騎士が更にもう1回回転して回し蹴りを放とうとしている様子も。その蹴りがちょうど自分が落ちる軌道に重なる事も。

(ちょっ?!)

 見えていても避ける事は出来ない――何しろ空中にいるのだから。せめてもと自分を抱きしめるように腕を回すのと、蹴りが風の胴体に打ち込まれるのはほぼ同時。

 そのままアトリエの外まで蹴り飛ばされ、地面にバウンドして中庭の木に叩きつけられる。

「ゴホッ、ゲホォ!」

 激痛と、肺から空気が絞り出されるような息苦しさでむせる。視界は涙で滲み、意識は苦痛で閉ざされようとする中で何とか顔を上げると、アトリエの天井が爆発したように砕けたのが見えた。

 黄昏の空に浮かぶ不似合いな黒――怪物の異形。だがそれは次の瞬間には両断されていた。狼の騎士が振るった剣で。夕日を浴びて、その鉄色の鎧は橙色に染まっている。まるで――

(炎……) 

 怪物が塵と化す中、風の意識も闇に落ちていく。その一瞬前、コートを羽織った男の姿が見えたように、風には思えた。

 

 次に意識が戻った時。風は病院にいた。

「あれ……?」

 ベッドの上で起き上がると身体のあちこちが痛むが、見る限り大きな怪我はなさそうだ。と、病室の扉が開き、

「お姉ちゃん!」

 目を覚ました風を見つけて、泣きはらした顔の樹が抱き付いてくる。

「あ、樹?ってイタ、イタタタ!」

 加減無しに抱き付いてきたせいで痛みが走るが、樹は構わずに抱きしめ続ける。そんな騒ぎに、廊下から更に覗き込んでくる顔があった。

「あ!風先輩起きたんですね!よかった~!」

「安心しました。樹ちゃんから急報が届いた時はどうしたものかと……」

 制服姿の友奈と美森が病室に入ってくる。美森は車椅子だが、神世紀300年の病院はバリアフリーも極めて進んでいる。2人も目を覚ました風を見て心から嬉しそうな表情をしている。

「友奈に、東郷?えっと、あたし、何が?」

 なんで自分が病院にいるのか、風にはわからない。起きる前の記憶では、自分は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()覚えていない。

 そんな疑問に答えたのは、最後に入って来た涛牙だ。

「依頼人の――八十村、だったか?のアトリエでガス爆発があったそうだ。で、犬吠埼はそれに巻き込まれて担ぎ込まれた――だったか、樹?」

「ガス爆発……?」

「そうだよ!ホント、お医者さんから急に電話が来て、お姉ちゃんが意識不明で入院って!」

「あ~、そうだったの?」

 全然覚えていないので、風としてもそう答えるしかない。涛牙は1つ頷くと、

「まあ、怪我は大したことないらしい。気絶も頭を打ったわけでもないそうだ。明日には帰宅して構わない、と」

 壁にかかった時計を見れば、時刻はすでに夜8時を回っている。そこそこ長い間気を失っていたらしい。

「そっか……ごめんね樹。心配かけちゃって」

「うん――本当に心配したよ」

「わたしたちも心配しましたよ、風先輩!」

「まさかこんな事が起こるなんて、思いもよりませんでした」

 友奈や美森もベッドに近寄り風の手を握ってくる。見れば樹だけでなく2人も瞳は涙で潤んでいる。

 涛牙は一歩離れたところで様子を眺めているが、感極まった様子こそないものの普段より少し緩んだ表情は、安堵している内心の現れのようだった。と、涛牙の表情が少し変わる。片方の眉が少し上がり眉間に皺。更に軽く首を傾げる。

「お姉ちゃん?」

「――へ?」

 樹の声にふと我に返る。

「なんで、涛牙先輩を見てるの?」

 言われて、自分が涛牙をじっと見ていたのだとようやく気付く。だが、風にしても何故涛牙を凝視したのかはまるで分からない。

「あー、なんだろ。ボーッとしてたみたい」

「起きたてだからな。まあ、今日は養生するといい。では俺はこれで」

 言うと、涛牙はサッサと踵を返して病室を出ていく。背中越しに軽く右手を振ったのはバイバイのつもりなのかもしれない。

「――もう、涛牙先輩はなぜこうもさばさばしているのかしら。御国の男児たるもの情に厚くあるべきだわ」

 美森が少し怒ったようにいう。基本的にドライな涛牙と、大和魂を重んじ情緒を好む美森はあまり反りが合わない。

「ま、白羽くんはあんなモンでしょ」

 涛牙とは勇者部を設立した頃からの付き合いだ。長いとはいえないが、涛牙の人となりは多少わかる。

 口数少なく表情もあまり変わらないので冷たい人間と思われがちだが、他人を突き放しているわけではない。以前、幼稚園で園児たちの遊び相手を依頼されたことがあったが、その時涛牙は園児たちに囲まれて無表情ながらアタフタしていたが追い払ったりはしなかった。思うに人付き合いが得意ではないのだろう。

 今回も、きっと知らせを受けてからずっと不安だった樹たちが風とたくさん話せるようにしたのだろうと、風は思う。

 それはそれとして。

「明日には退院ってことだけど――樹、今夜は大丈夫?1人で寝られる?」

 家事全般がダメで朝起きるのも苦手な樹の心配の方が重要だ。幸いというべきか、明日は休みなので起床については今は心配しなくてよいが。

 聞かれて、樹はあ~、と苦笑いを浮かべた。

「……その、ちょっと、怖いかな……。あと、お料理も」

「夕飯のおかずはまあ作り置きがあるけど。でも樹が夜の家で1人、ってのはあたしも気になっちゃうわね」

「じゃあ、樹ちゃん、今日はわたしか東郷さんの家でお泊りだね!」

 早速友奈が食いつく。美森も少し考え込む――フリをして、

「私の家なら、樹ちゃんと友奈ちゃんが揃って来ても大丈夫よ。お部屋も布団も用意できるわ」

「決まりだね!東郷さん、お邪魔しま~す!」

「え、え?え!?」

 瞬く間に埋められていく外堀に樹の方が目を白黒させる。半ば予想通りの流れに苦笑して、風も樹の背中を押してやる。

「ほら。お世話になるんだから 樹も東郷にお礼いいなさいな」

「え?いいの、お姉ちゃん?」

「モチのロンよ。仲を深めるいい機会だと思いましょ」

 風に言われて、樹も心が決まる。1人で夜を過ごすことになるかも、と内心怯えていたのだからむしろ渡りに船と言える。

「じゃ、じゃあ東郷先輩。今夜はよろしくお願いします!」

 

 それからしばし雑談に花を咲かせてから、友奈たち3人も病室を後にした。

 改めてベッドに横になれば、眠気が押し寄せてくる。一度気絶したから眠くならないかとも思ったがそうでもないらしい。

 ぼんやりと睡魔に身をゆだねながら、ふと、風は思った。

(そういえば、幼稚園の人形劇ってもうすぐだっけ……)

 週が明けたら練習しないと。そう思いながら、風は再び眠りの世界へ旅立っていった。

 

 ――八十村 浩介が消息不明となった事。そしてアトリエの跡地から、数か月前に行方不明になった女性の所持品が見つかった事を知るのは、数日後の話だ。

 




「牙狼」のクロスオーバー作品なのに出てきた騎士が黄金でないというこの詐欺具合よ……


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第3話 オン・ユア・マーク(始まりの兆し)

前回から随分と時間がたってしまいましたがようやく第3話が出来ました。
バトルもストーリーの大きな進展もない話だというのに、ああでもないこうでもないとやってたら前回投稿からひと月以上経過、元号が変わるタイミングでも出せないという……

お気に入りさせていただいている作者の方々はもっと早いペースで面白いお話を書けているのを見ているとホントすごいなぁと思います。

更新遅めのタグ通り、月1で更新できればいいなというレベルですので、もしも待っている人がいたら気長に待っていただければ幸いです。


 夕食の片付けと洗い物を終えて。風はリビングのソファに座ってどこともなく宙を見上げていた。

 2年ほど前に両親を亡くした犬吠埼家では風が家事全般をこなしている。一時期は樹も風を手伝おうとしていたが、数日で樹は何もしない方がスムーズだという結論が出た。それ以来風は学生生活の傍らで樹の母親代わりも務めている。

 慣れてきたとはいっても15歳の少女にはなかなか厳しいことではある。そこに加えて自身も最前線に立って活動する勇者部もあるとなれば、時には疲れ果てる事もある。

 だが。今彼女が虚空を見ているのは疲労が原因ではない。

 一度目をつむってから、風はだしぬけに立ち上がると自分の部屋に入るとスマホを手に取り、アドレス帳を開いてある番号を呼び出す。数度のコールの後、目当ての人物の声がスピーカー越しに聞こえてきた。

『白羽だ。どうかしたか、犬吠埼』

「ん。ちょっと話がしたくて。今大丈夫?」

『ああ』

 涛牙の返事を聞いて、風は静かに口を開いた。

「大赦からのメール、見た?」

 大赦。300年前世界を襲った殺人ウイルスの猛威からこの四国の地を守り、日々の糧をも生み出しているという神、『神樹』を奉る組織だ。その影響力は計り知れず事実上四国、即ち現在の人類世界の支配者と言っても過言ではない。

 そんな巨大組織が一介の中学生である風にメールで連絡を取る理由。それが、風が心を乱している原因だ。

『いや。俺には届いていない。――なんと?』

 涛牙の返答に顔をしかめる。どうやら彼はあくまで“補佐役”で、大赦からの連絡は自分が窓口ということか。当人からもそう聞かされていたが、改めて事実を突きつけられると風の気分はより一層落ち込む。

「……『御役目までまもなく』ってさ」

 それが、今日の夕刻に風のスマホに送り付けられたメールの内容。誰にも、勇者部のメンバーや樹にさえ、自分に大赦と繋がりがある事は伝えていない。樹は、2年前に死んだ両親が大赦の職員であった事は知っているだろうが。

 『御役目』。それはこの2年間、風に絡みついてきた因縁だ。

 ソレがあるから、風は自身の目的のために歩き出すことが出来た。

 ソレがあるから、『勇者部』は生まれたし、友奈や美森といった仲間と出会えた。今では、かつて胸に宿った暗い熱情は鳴りを潜め、もっと前向きに、この日々を続けていきたいと思えるようになった。

 そして。秘め隠しているソレを暴露せねばならないかもしれない事が、今では恐ろしい。

 今までのように部長として、先輩として、姉として迎えてくれるだろうか?嘘つきと罵られ、暖かい場所であった勇者部を壊してしまうのではないか?

「……選ばれない、わよね?」

 そんな恐れを滲ませた言葉に、涛牙が空けたのはほんの一拍。

『確率というなら、0か100以外は断言できないな』

 その回答に、涛牙はこういう受け答えをすると分かっていても、風はグ、とうめき声を零す。実際その通りだ。他にも『御役目』を任される候補者は四国各地にいる、と聞いているが、その全員に等しく選ばれる可能性がある。当然自分たちもそうだ。候補である以上は選ばれない可能性はあっても「選ばれない」と断言はできない。

『何か、気になる事が?』

 涛牙に聞き返されて、風は一度息をつくと、

「……こないだの人形劇、あったでしょ?」

『ああ』

 

 先日行った、幼稚園での人形劇の話だ。

 ストーリー自体はそう複雑ではない。悪事を働く魔王と、それに立ちはだかる勇者という、園児たちにも分かりやすい正義と悪の構図。

 だが、普通なら勇者と魔王が戦い勇者が勝利する、という分かりやすい展開になるところを、美森が練り上げたストーリーは一捻りを加えていた。力でその場にある悪を懲らしめるのではなく、相手と言葉で分かりあおうとする。大人であっても難しい、だからこそ子供のうちから心に宿してほしい、優しさのお話し。

「話し合えば、また悪者にされる!」

「そんな事ない! 君を悪者になんか絶対にしない!」

 台詞はそう多くはない。だが、その短い言葉の中で、魔王が完全に『悪』ではないらしいこと、善であるはずの村人の方にも『悪』があるらしいこと、そして勇者が止めたいのは魔王ではなく争いであること。そんなメッセージが絶妙に含まれている。

 このストーリーを読んだとき、勇者部メンバーはみな思った。よくもまあ幼児向けのお話でこれだけ書き込めるものだ、と。

 東郷 美森。中学2年生にして末恐ろしい才である。

 が。何事も好事魔多し。

 物語のクライマックスで、勇者の人形を任されてテンションが上がっていたらしい友奈の腕が舞台にしていた書き割りにぶつかったことから事態は混迷していく。

 倒れた書き割りに驚いて固まる園児。そんな園児たちの表情を見てやはり固まる友奈と風。脇に控えていた涛牙がすぐに書き割りを立たせるも、今度は友奈がセリフをド忘れし、テンパった友奈は台本をすっ飛ばして魔王を倒す流れに突き進んでいった。

 劇自体は、樹が流したミュージックがちょうどバトルに関わるものだった事や美森が咄嗟に園児たちに「勇者を応援して!」と促して劇に巻き込むことでどうにかこうにか形となったし、園児たちにはまあ分かりやすい話になったので大盛況ではあったのだが。

 

『あれが、どうかしたのか?』

 涛牙に尋ね返されて。風は自分の中のわだかまりを言葉にしていく。

「あれさ。友奈や東郷が咄嗟にアドリブしてくれなかったら上手い事収まらなかったわよね」

『まあな』

「あたしさ、部長なのに場を収めること全然出来てなかったでしょ。友奈がアドリブ始めるまで、正直頭の中真っ白だったわ」

 それが風の胸中にわだかまりとして残っている。

 人形劇でのアクシデントにも適切に対応できなかった自分が、『御役目』でみなを率いていくことが出来るのか。今度自分の肩にかかってくるのは人形劇の成否ではない、仲間たちの生命健康だ。

『自分はこれから未体験の事態にみんなを引き連れていく。それが、不安か』

「ウン」

 風の答えに、涛牙はフゥと小さく息をつき、

『お前が結城のアドリブを受け入れなければ、あれは結城が馬鹿をやっただけの舞台になっていた』

 そう返してきた。

『あのアクシデント。解決の端緒は確かに結城のアドリブだ。だがそれに応じた犬吠埼や東郷の機転も無ければ盛況には終わらなかっただろう』

「そ、そう?」

『俺はそう考える。だからアドバイスするのなら――そうだな。変わらずにいろ』

「え?いいの?ここはリーダーとして心構えを新たにした方がって思ってたんだけど」

『お前は充分に頼れる勇者部部長をやっている。下手に変わろうとしてもおかしくなるだけだと思える』

 そんな涛牙の言葉に、風は少し表情を綻ばせた。

「そっか……。アリガト、元気出たわ」

『それならいい。ただし、今の心持ちからも、変わるなよ』

「?それって?」

 風の質問に、電話越しの涛牙の声は普段よりもさらに重い気配を含んだ。

『後ろめたさを忘れるな、という事だ。それを忘れる事も、“変わる”ことには違いない。それも、悪い方に』

 その内容に、風はまた顔が強張るのを感じた。涛牙が言っていることは、要約すればこの不安を抱えたままの気持ちでいろ、という事だ。

「……結構、厳しいこと言うわね」

『口先の気休めは毒にしかならないだろう?』

 そう言いながら、涛牙の声の調子が元に戻る。

『気休めといえば、逆にどれだけ可能性が高くても100%でないなら選ばれない余地もある。気にし過ぎても意味はない』

「ホントに気休めだわね」

『気休めだからな』

 まったくもって気休めにしかならない涛牙の言葉だったが、風の気持ちは少し楽になった。なるほど、自分1人で溜め込んでいても解法は見つからないものらしい。

「これこそ、『悩んだら相談』ってやつね」

 友奈たちを勇者部に引き入れた時に作った『勇者部五箇条』の1つを呟くと、

『ならちょうどいい。1つ相談がある』

 涛牙の方からそんな事を言い出す。

「え?なに?白羽くんも何か悩み事?」

『悩み、といえるか。今日話していた文化祭の出し物の件だ』

 今はまだ4月の終わりだが、10月の文化祭に向けて出し物を決めよう、と言い出したのは風だった。

 昨年は勇者部も出来たてホヤホヤ。依頼は少ないものの経験も少ないせいで普段の活動に追われてバタバタしていて、結局勇者部は何も出し物を出来なかった。

 その反省を踏まえて、今年は早くから文化祭に向けてアレコレ活動をしておきたいというわけだ。

「ああそれ。そういえば、白羽くんは樹ともども大人しめの報告会希望だったわね」

『正直、突飛なアイデアが思い浮かばない』

「いや、突飛でなくていいんだけど……」

『部活動報告以外となると、俺の少ない独創性では対処しきれない』

「――なんかコレがやりたい、とかはない?」

『食べ歩き』

「思いがけない方向性?!え?食べるの好きなの?今日だって『かめや』じゃ小盛のざるうどんで済ませてたじゃない?!」

『食べるのは好きだ。……肉うどんを4杯いける犬吠埼からみれば少食に見えるかもしれないが。そもそもうどん、というよりは麺類全般が好きではないと言っただろう』

「か~、もったいない。もったいないわ!うどんが苦手なんて、ホントに人生を損してる!」

『そこまで言うか』

 ……………

 等々と話を弾ませていると、風の耳に樹が風呂から上がろうとする音が聞こえてきた。

「あ、ゴメン。なんか長話になっちゃったわね」

『まあ、長くしたのはこちらの話題だが』

「それもそうね。まあ、なんか気は楽になったわ」

『ならよかった』

「じゃ、おやすみ。また明日」

『ああ、また明日』

 電話を切って充電スタンドに立てると、風はリビングに戻った。風呂上りの樹に冷蔵庫で冷やしているゼリーを出してやろうと思いながら。その顔から、電話をかける前の険は取れていた。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 スマホをポケットに戻して、涛牙は小さくつぶやいた。

「文化祭で出る食べ物は、多くがうどんだと……っ」

 勇者部どころかクラス全体でも『好きな食べ物:うどん』が多いとは知っていたが、よもや文化祭でもそうだとは。そういえば去年は図書室での展示発表の待ち受け係を勇者部の活動で頼まれていたな、と思い出す。おかげで文化祭を見て回ることはほぼ出来なかった。

「ハハッ。食べ歩きにゃあ不向きだわな」

 胸元から聞こえる声に渋面を見せて。

 夜空の下で、涛牙は大きなため息をついた。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 勇者部のメンバーが持つスマホから、『樹海化警報』のアラームが鳴ったのは、翌日のことだった。

 




今回は御役目開始前の風にフォーカス当ててみました。
アニメでは樹に意味深なことを言う程度でしたけど、書いてみると正直風の状況って中学3年生にあるまじきハードさなんですよね。両親は亡くなり、樹の世話をみつつ家事全般とりしきり、勇者の御役目始まるまでは勉強もちゃんと出来ておまけに勇者部の部長にして実働メンバー。更に更に大赦からの指示も聞きつつ誰にも相談できない、と。
ウン、普通なら勇者になる前に過労か心労で倒れるわ。

さて、そんな風が大赦がらみの愚痴を零せる涛牙の立ち位置は?それはまた今度。


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第4話 ビギニング・フェアリーテイル(戦記、開幕)

ようやく第4話、アニメで言うところの第2話になります。

ですがここで残念なお知らせ。
VSヴァルゴ戦ですが、アニメ本編と同じ流れです。なので友奈決意の変身シーン含めて全面カットとなります。つまりこの話はヴァルゴ戦の翌日の場面ですね。
戦闘シーンを期待してくださっている方には申し訳ないです。

当然のことながらヴァルゴさんも出番カットです。

乙女座「解せぬ」




「――早速、昨日の事を説明していくわ」

 放課後の勇者部部室。普段なら部員たちがワイワイと雑談やこれからの活動についてにぎやかな会話が交わされるその場所が、今この時は張りつめた空気に満たされていた。

 いつもと違うのは室内の空気だけではない。黒板を背にする風と、風と向き合って席についている友奈、美森、樹。皆が皆、真剣なだけではない、もっと複雑な感情を秘めた顔つきで視線を交わしている。美森に至っては睨んでいる、という形容が正しい。

 普段と変わらぬ表情なのは、もともと無表情な涛牙くらいだ。部屋の隅で棚に寄りかかって、説明は風に任せている。

「昨日も話したけど、アタシは、大赦から使命――『御役目』を仰せつかっているの。それが、昨日の戦い。まずは何故戦うのかってところから話していくわ」

 一度苦虫を噛み潰したような顔をしてから、ミーティング開始前に黒板に描いた絵を示す。それは言葉で表すなら「幼稚園児が書いた、ボウリングのピンに目鼻をつけたナニカ」という代物だが。

「こいつが昨日戦った敵――『バーテックス』。壁の向こう、殺人ウイルスの中から生まれた人類の天敵。こいつらが壁を越えて攻めてくるという事が、神樹様のお告げで分かったの」

「あ。それ、昨日の敵だったんだ……」

「あ~でもこんな感じだったよね」 

 樹と友奈がそんな感想を零す。1つ頷いてから、風は後をつづけた。

「目的は神樹様を壊して人類を滅ぼすこと。以前にも襲ってきたことがあって、その時は追い返すので精一杯だったそうよ。そしてバーテックスがまたやってくるという事も分かった。それで、大赦は神樹様の力を借りる事でバーテックスを倒すための戦力を作り上げたの。それが――」

「それが、勇者……」

 友奈のつぶやきに、やはり風は頷き返す。

「そう、勇者システム。人智を超えた力には、同じく人智を超えた力で立ち向かうってわけね。ただ、神樹様の力を授かれるのは、限られた人――無垢なる少女だけ」

 そこで一つ息をついてから、風はその先を続ける。

「大赦は極秘に四国中の少女の勇者適性を調べて、適性の高い子を集めてチームにしていたの。あたしに与えられた指示は、この讃州中学に通う勇者候補をチームにする事」

「じゃあ、勇者部って……」

 友奈が、恐る恐る先を促すと、風は一度唇を噛んでから、

「――そう。勇者部は、勇者候補を集めるために作ったのよ」

 俯きがちに、そう答える。

「少し前にあった結城からの新人勧誘についての質問があったが、犬吠埼が答えを濁したのはそのためだ」

 涛牙にそう言われて、友奈は3月ごろの事を思い出した。

 

 4月からの新入部員勧誘はどうしようかと話を振った時に、風は「もう有力な新入部員がいるわ!まあうちの妹だけど!」とは言ったが、それ以上は何も動く気配がなかった。

 1年前、入学してどの部活に入ろうかと思案していた時に、風から勇者部のチラシを受け取ったのが、友奈と美森が勇者部を知ったきっかけ。聞けば風が主導となって最近立ち上げた、人助けを活動内容とする一風変わった部活動。友奈はその活動内容と『勇者』という言葉の響きから入部を決めた。

 部の立ち上げ時からいた涛牙も加えた4人で様々な人助けを続けてきたが――今年は勧誘のチラシを用意している様子もなかった。

 そういえば、去年も中途での勧誘はしていなかったし、確かに変わった活動内容だから入ろうとする人は多くないだろうが人手があって困るわけではない。どうしたのかな?と感じていたのだが。そんな裏事情があるとは思いもよらなかった。

 

「じゃあ、涛牙先輩も?」

 促されて、涛牙は一つ頷いてから答える。

「俺は勇者ではないので戦えないが、犬吠埼の活動を補佐するよう上から指示を受けている。まあ、チームの活動内容を決めたのは犬吠埼当人だが」

 これほど活動するチームでなくてもよかったのだが、といいながら涛牙は肩をすくめた。事実、彼が知る限りでは他のチームは放課後にメンバーがおしゃべりするくらいの、サークル程度の集まりがほとんどだという。学内の部活動としてこうまで積極的に動いていたのはこの讃州中学 勇者部だけだろう。

「え……じゃあ、お姉ちゃんはどうして勇者部を?」

 樹からの質問に、風は苦く答える。

「さっきも言ったけど、他にも大赦からの御役目で作られたチームはあるの。どのチームが選ばれるかはその時が――バーテックスが襲ってこないと分からない。選ばれない可能性の方が大きかったのよ。アタシは、せっかく集まるんなら人助けになるような事を出来るチームにしたかった。1人だけだと気恥ずかしくても、みんなで集まれば人のためになる事を勇気をもって出来るようになるかな、って」

 それは、友奈と美森を勧誘する際に語った勇者部創設の目的だ。表向き・建前でしかないとしても、犬吠埼 風という少女が勇者部を創った理由に嘘はない。

「風先輩……」

 かつて笑顔と共に語られた部の目的を、今は罪悪感の苦みを滲ませて語る風の姿に、友奈は言葉も出ない。樹も、見たことがないくらいに重苦しい風の姿になにも言えない。

 だが、沈黙が流れたのも少しの間だった。

 1つ深呼吸をして顔を上げた風の表情は、険や苦みを呑み込んだ真剣さを取り戻す。

「話を戻すわね。ともかく、アタシ達勇者部は神樹様の勇者として選ばれた。神樹様からのお告げ――『神託』って言うんだけど、それによるとバーテックスは12体。昨日1体倒したから残り11体を倒し、神樹様をお守りする事。それが勇者の役目よ」

「バーテックスを撃退できなければ人類は終わり。戦えるのは勇者だけ。極めて困難な状況なのは確かだ」

 涛牙の言葉に小さく頷き、風は後を続ける。

「バーテックスが襲来すると時間が止まり、樹海っていうバーテックスと勇者が戦う世界に変わる。神樹様から戦うための力は授けられるし、精霊バリアがあれば大抵の攻撃は防げるわ。……そういえば友奈、精霊が出てきてるけどどうしたの?」

 実を言えば。話が始まる前から友奈の頭上には精霊がいた。デフォルメした牛に花びらのような形の羽が生えた精霊が、手足をダラリと伸ばした猫のような態勢で覆いかぶさっている。

「アハハ、牛鬼ってば、勝手にスマホから出てきちゃうんですよね……。家で出てきた時は驚きました」

 ちょっと困ったように言いながら、友奈はポケットから出したジャーキーを精霊――牛鬼に差し出す。寝ぼけたような顔つきの牛鬼は、それでもジャーキーを手にするとモグモグと頬張りだした。

「ジャーキー……。共食いですか?」

 樹の言葉にウ~ンと首を傾げる。頭が傾いても牛鬼は器用に頭に載ったままだ。

「なんつーか自由な精霊ね……。ウチの犬神も樹の木霊も大人しいのに」

「周囲がどうあれ自身の在り方を曲げないというのは、ある意味結城らしいとも思えるな」

 そんな感想をつぶやきつつ、風は改めて咳払いすると話を進める。

「アタシたちが勇者に選ばれた事で、大赦もこれからはアタシたちのサポートをしてくれることになるわ。先生たちにもこの件については――重要なところは省かれるにしても――連絡が行ってるしね」

「ああ。だから昨日は先生からは何も言われなかったんですね」

 授業中にスマホのアラームが鳴ったものだから先生から注意を受けるところだったのだ。その注意の言葉の途中で時間が止まり、バーテックスとの戦いになったわけだが、戦いが終わって教室に戻っても、クラスメイトも先生も、何があったのかと追及してくることはなかった。

「お前たちについては『神樹様からの神聖な御役目を任されたので、急に姿が見えなくなることがあるが気にするな』といった内容が教師から通達されたようだ。好奇心から深入りする者がいるかもしれないが、そこは秘密で誤魔化せ」

「あと 戦いの際の注意事項としては、樹海がダメージを受けると、樹海化が解けた時に、現実の世界にも何がしかの災害が起きるらしいわ。長時間バーテックスが居座っても同じくね」

 更に告げられた注意事項に、樹と友奈の表情が強張る。昨日の敵は爆弾をポコポコと生み出しては撃ち込んでくる敵だった。身を守る精霊バリアがあると聞いていたし実際にバリアの恩恵も受けたが、だからといって好き好んで受けとめるものでもない。なので避けられるものは普通に避けていた。

「も、もしかして昨日の戦いでも……」

 樹が恐る恐るという感じで口にすると、涛牙が軽く首を横に振りながら答える。

「ニュースや新聞では特に報道はない。犬吠埼に連絡がないなら騒ぎになるようなことはなかったと見ていいだろう。気にするな」

「ただバーテックスが暴れまわって良い事なんて何もないわ。奴らが暴れて大惨事、なんてことにならないように、あたし達が頑張らないといけないわ」

 そう締めくくって、風は再び部員たちを見つめる。

「お姉ちゃん……」

 樹が小さくつぶやく。姉が何かしら秘密にしていることがあるのはなんとなく察してはいたが、こんな大ごとだとは思いもしなかった。

 

 部室内に沈黙が落ちる。だが、それはすぐさま振り払われた。

「――それって、勇者部の部活動と同じですよね」

「友奈?」

「勇気を出して、世のため人のためになる事をする!それが勇者部、ですよ!さっき風先輩も言ったじゃないですか。何のために勇者部を作ったのかって!」

 勢いよく立ち上がると、握りこぶしを構えて友奈は吠える。

「神樹様の力が弱まったり倒れたりしたら、クラスの人やお父さんたち、他にもたくさんの人が大変なことになる!わたし達がそれを守れるなら、それこそ頑張らないと!勇気を出して!」

「友奈さん」

 見上げる樹に頷き返して、友奈は高らかに声を上げた。

「勇者部五箇条一つ、『為せば大抵何とか成る』!風先輩、わたし、勇者をやります!」 

 その表情は一片も臆することなく。友奈は世界を守る戦いに踏み出すことを決めた。

 それを見て、樹も心を決める。いや、元から樹は決めている。昨日の戦いでも樹は風の後に続いて、2番目に勇者システムを起動させたのだから。

「もちろん、私もついていくよ、お姉ちゃん。お姉ちゃんや友奈さんの背中は、私が守るからね」

「樹……」

 言われて、風はかすかに涙ぐむ。いつも自分の背中に隠れるようにしていた引っ込み思案な妹が、自分と共に戦ってくれる。これが御役目絡みでなければ、樹の成長を喜びうれし涙にむせび泣き、『かめや』でうどん祭りをするところだ。

 

 涛牙もそんな部員たちを見て小さく表情を緩ませ――ミーティングが始まってから一言も話していない美森を、その握りしめられた拳を見て、ス、と視線を鋭くした。

「……なんで、もっと早く、勇者部の本当の意味を教えてくれなかったんですか」

 そんな美森の口から出たのは、ひどく抑揚を欠いた言葉。

「友奈ちゃんも樹ちゃんも、一歩間違えれば死ぬかもしれなかったんですよ」

 その平坦さが、爆発寸前の怒りをギリギリ抑えたものだと、わからない者はここにはいない。1人を除いて全員がその怒りの気配に圧される。

「――バーテックスの事は極秘事項だ。そして秘密は知る者が少ないほど漏れにくい。勇者に選ばれるかわからない状況で裏事情は話せない。――そもそも、言われて信じるような話でもない」

 気圧されることなく涛牙が答える。確かに、友奈や樹が今の風の話を聞いて納得できるのは、バーテックスの脅威と樹海という異界、そして勇者の力を自身で奮ったからだ。それらの体験がなければどんなに真面目に言われても笑い飛ばしてしまっただろう。

 そんな正論をつき返されても、美森は暗く俯かせた顔を上げようとはしない。

「こんな大事な事、ずっと、黙っていたんですか。……せめて一言、話してほしかった」

 そう呟くと、車椅子を動かし、一堂に背を向けて部室から去っていく。

「東郷さん?!」

 友奈が後を追って出ていくと、窓からは5月も近い春の陽光が差し込むというのに部室内は暗い気配に支配された。

 

 

「ウアアァァァ。どぅしよぉぉぉ?!」

 やがて、風は奇妙な抑揚をつけて呻きながら頭を抱えだした。涛牙も視線を鋭くしたまま、頬を掻いている。

「白羽くん、どうしよ!?」

 風に言われても、涛牙自身もムムム、と呻きながら、

「勇者の辞退が出来るなら、東郷は抜いてもらえるか?」

「いや、東郷さんが気にしてるのは私たちの事のほうじゃ……」

 涛牙の意見に樹がダメ出しをする。

「ダメか。なら全員辞退を――」

「どっちも無理よお~」

 泣き出しそうになりながら風が言う。

 以前、勇者に選ばれたら辞退出来るのかを大赦に聞いてみたことがあるのだが、その時の返事は「神樹様に選ばれた者以外は勇者になれない。よって辞退は認められない」とのことだった。呪術的な紐づけがどうの、という事だったが正直な話、風には原理はわからない。

「なら、ひとまずは謝る事から始めるしかないな」

「そ、そうね!誠意を尽くして謝らないとね!」

 気を取り直したのか、自身の精霊――犬神を対面において、風は謝罪のシミュレーションを始めた。

 一方、樹はポケットからタロットカードを取り出し、姉と美森が仲直りできるかを占いだす。樹の占いはかなり高い確率で当たると勇者部の面々やクラスメイトに評判だ。

 そうして、引いたカードは。

「『塔』のカードか。意味は?」

「えっと、災害や災難の暗示。他には――信用の失墜、失望……」

 悪い意味がそろったカードに、さすがの涛牙も言葉に詰まる。だが、

「聞きかじりだが、タロットはカードの向きで意味が変わるのだろう?逆向きだったら?」

 タロットではカードはその向きによって意味が大きく変わるという。ならいい意味につながる暗示も出るのでは、と思ったのだが。

「引いたのは正位置です……。それで、逆位置でも、苦悩や窮地の暗示が……」

 ダメだった。こうなるとよく当たる樹の占いが却って仇になる。

 

 こちらのやり取りが聞こえていたのだろう、頭を抱えて呻く風にため息をつきながら、涛牙はぼやいた。

「――しかし、東郷が御役目を嫌がるとはな。意外だ」

「そうなんですか?」

 改めてタロットを並べながら聞いてくる樹に頷き返して、

「日ごろ愛国心だの護国の英霊だのと言っているからな。乗り気になりすぎて前のめりになるのを危惧したくらいだ」

 言って、廊下の方を見る。まだ美森も友奈も戻ってくる気配はない。

「そ、それはさすがに……。確かにそういう方面に熱くなる事もありますけど、基本的には14歳ですよ。怖いものは怖いですって」

「そうか……。予想外といえばお前も予想外だ。戦いにはしり込みするだろうと思って疑いもしなかった」

 性格的に争いごとに向いておらず、運動神経抜群というわけでもない。そんな樹が勇者として戦えるのか。風が大赦に勇者の辞退が出来るのか問い合わせた理由の1つでもあるし、涛牙は涛牙で樹をどう言いくるめるかに人知れず頭をひねっていた。

「まあ、自分でも意外だなって思いますけど」

 苦笑いしながら、樹は続ける。

「お姉ちゃんは1人でもバーテックスに立ち向かおうとしたんです。なら、妹のわたしも一緒に戦わないとって、そう思ったんです」

「姉のため、か」

「えっと、ダメでしたか?もっと世界のためじゃないと、とか……」

 不安げに言う樹に、涛牙は首を振る。

「いや。世界がどうこうという大仰さよりはずっといい」

 ただ、と涛牙は後を続けた。

「とっかかりは誰かの後を追って、でいいが、いずれは自分の動機を見つけた方がいい」

「そういうもの、ですか」

 樹が見返すと、涛牙は窓の外に遠い視線を向けて、

「――誰かの後追いだけで進むと、その相手を見失った時に動けなくなる」

 その言葉は、何故だか涛牙自身に向けたもののように、樹には聞こえた。

 

 

「ううう~、軽い感じだと火に油になりそうだし、かといって土下座まで行くと逆に気遣わせそうだし……。どう謝れば……」

 犬神を抱えて未だ悩み続ける風。さすがにうっとうしくなってきたのか、涛牙の視線が少し鋭くなる。

「――何か、いい話はないか?」

 言われて、樹が伏せたタロットをめくろうとした。その時。

「「!」」

 けたたましいアラーム音が、風と樹のスマホから鳴り響く。

 勇者部全員がインストールしている連絡用アプリ、『NARUKO』。その実は大赦が作成した勇者支援用アプリであり、勇者に選ばれた者が持つ『NARUKO』は樹海が展開される際には事前に警報が鳴る仕組みになっている。

「うそ、これって」

「そんな、連じ」

 驚愕に満ちた2人の声は、当人の姿ともども突然に部室から消える。残されたのはめくりかけのカードと、涛牙のみ。

 

『神樹が結界を張るまで、ふた呼吸ってとこか』

 なのに、涛牙以外の声が聞こえた。涛牙は自身の胸元を見下ろして、

「ああ。すぐに反応できれば、適切な術を用いれば樹海に侵入することも不可能じゃなさそうだ」

 誰もいないはずの場で、誰かに話しかける。

()()はこの事に自力で気づいたわけか。とんでもねぇな』

 声に頷く涛牙の表情は、常にないほど険しい。

「――だが、勇者の近場にいないとアラームが鳴っていることは分からない。()()がここに気づくのがいつか、それが問題だ」

『ここは名前が名前だ。油断は出来ねぇぞ』

「わかってるさ、ディジェル」

 そこで言葉を区切ると、涛牙は自分の頬を叩いて気持ちを入れ替えた。

「とりあえず、茶でも入れておこう。東郷の牡丹餅は茶請けによさそうだ」

『ま、今のお前さんにできる労いはこのくらいだわな』

 そんな声に、胸元を指ではじくと、服の下から何か金属質の音が響く。ありうるとすれば、姿なき声の主はそこにいるのか。

 棚に向かいかけて、ふと樹がめくろうとしたカードを開く。開いたカードが正位置か逆位置かはわからないが。

 出てきたカードは『太陽』。

 涛牙は知らぬことだが、逆位置では人間関係の失敗を、正位置では成功や仲直りを暗示するカードだ。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 そこは、果てしない闇が広がる場所だった。

 明かりを放つのは、入口からここまでの床。そして眼前にある、ここの主人が座する椅子だけ。常識的に考えれば、その大きな部屋の天井と壁が暗がりに隠れて見えていないだけ、のはずだが。

 天井も壁も無かったとして不思議はない。なにしろここは『番犬所』、現世の狭間にある異界だ。

 その異界にて。

「――以上が、報告になります」

 涛牙は番犬所の主人に報告を行っていた。

 見た目でいえば、主人は少女だった。纏うドレスも肌も、髪さえも雪のように白く、瞳の赤は血の如く深い。

 豪奢な椅子に座るその少女の脇には、男物の礼服を纏った女が2人控えている。長い黒髪の女は白いタキシードを、短い金髪の女は黒い燕尾服。手にした杖は同じだが、握る手は左右別々だ。

 そんな従者を従える少女は、ニヤリと笑った。

「ふむ。昨日勇者になったと思えば、早々に4体のバーテックスを撃破したとな」

 その言葉に、涛牙は跪いたまま頷く。

「神樹の神託は随分外れるようになったようだが、現場の努力で問題は帳消しといったところか。なぁ?」

 もしここに、一般人がいれば今の言葉に絶句し、或いはその不敬に怒り出すだろう。

 人類を守護し、日々の糧や資源を恵みとして与えてくれる神、神樹に敬称もつけず、むしろ軽んじるような口調だったのだから。

 だが、ここには一般人はいない。ここにいるのは――涛牙を含めて――光ある世界の裏側に踏み込んだ者たちだ。

「勇者システムの機能向上と、精霊バリアなる機構を導入したことで、事前の訓練なしでも戦果を挙げられるようです。実際、目立つ負傷は負っていません」

 涛牙の言葉に、少女は軽く鼻を鳴らす。

「300年の蓄積の賜物といったところか」

「はい。それで、今後の動きは?」

 尋ねる涛牙に、答えてきたのは従者たちだった。

「白羽 涛牙。貴様の任務に変更はない」

「勇者の傍に控え、ホラーから守護する。その務めは終わっていない」

「他の候補チームに配した面々も、これは変わらない」

「貴様のチームが動けなくなったのち、新たに勇者となる可能性がある故」

 従者の回答に了解と答えて、涛牙は立ち上がった。

「では今後も勇者部の補佐を続けます」

 答えて踵を返そうとすると、涛牙の胸元から声が上がった。

『ガルムさんよ、ちょっと確かめておきたいんだが』

「ふむ、何かあるか?魔導具ディジェルよ」

 それは、涛牙が首から下げる首飾りだった。悪魔の頭部を象った鋼色の装飾の、その口が開閉して言葉を放つ。

『その勇者がホラーと遭遇しちまった時さ。その場を収めた後、普段なら記憶を消してるわけだが、神樹の加護だの精霊バリアだのがある相手に使っていいものかね?』

 聞かれて、少女――番犬頭、ガルムはフム、と少し考え込むと、

「――勇者の精神に応える勇者システムと、記憶に手を出す術、か。影響しない道理もないし、かといっておいそれと試すわけにもいかぬな。……致し方ない。記憶を消す術は使うな。代わりにホラーと関わらぬよう一層注意せよ」

『応さ。だってよ、涛牙』

「お前な……いや、気づいてなかった俺も俺だが。ともかく、承知しました、ガルム。彼女らが関わらぬよう注意します」

 ガルムに頭を下げて、涛牙は改めて踵を返した。

 だが、出口の一歩手前で涛牙は立ち止まり、背中を向けたままガルムに尋ねた。

「――最後に。“クナガ”の行方は?」

 その問いに、ガルムはため息を一つついて。

「四国各地で誰が討滅したかわからぬホラーの形跡はあるが、当人の行方は杳として知れぬ。襲撃された騎士や法師の話も聞かぬ」

「――そうですか」

 言って、涛牙は番犬所から退出していった。

 




以上、第4話でした。

涛牙の素性についてはバレるところまで引き延ばすことも考えたんですが、読者にしてみれば部外者面でウロチョロするキャラがいても邪魔なだけだし、明かされなくても自然と察せられるよね、という事で明かすことにしました。勇者部面々にバレるのは先の話になりますが。

尚、話の中で出てきたタロットの暗示はネットで調べて見つけたものです。アニメ本編では違うカードだったと思いますが、ネタのために調べてみたらいい感じの解説があったんでそちらを使ってみました。


ここまででバトルは魔戒騎士が1回だけ……。
勇者とバーテックスのバトルは、もうしばらく待ってください。ゼロにはしないつもりなので……。

蟹・蠍・射手「ハブられたっ?!」





雑談になりますが、ゴジラKoM見てきました。
評論では悪い意味で使われていましたが、個人的には怪獣バトル山盛りで楽しい映画でした。日本で作られていたVSシリーズと空気感は似ていたと思います。逆にシン・ゴジラが性に合う人はちょっと合わないかもしれません。
出現以降、電撃や嵐を操って暴れまわったギドラも大怪獣の威厳がありましたし、3つの首がそれぞれ意識を持ってるらしい仕草もよかったです。
後はラドン。お前ギドラとやりあってよく死なずに済んだな。


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第5話 ウィッシュ・トラップ(望みの落とし穴)

さて、お待たせしました第5話です!

今回はゆゆゆ本編では2話と3話の間のお話です。バーテックス襲来の時はお知らせが来るけど、ホラーはそうはいかないんですよねぇ。
というわけで今回は涛牙のバトル話です。


グラブルとFGOをそれぞれやってるんですけど、グラブルの夏イベ・・・鮫映画がくるとは思ってなかった。しかも結構ガッツリと鮫が来てたし。



 夕焼けに染まる空の下、1人の少年が子犬を連れて散歩をしていた。

 その白い子犬は、少し前に新しい家族として少年の家にやってきた。最初は恐る恐る接していたがほどなくその犬の人懐っこしさにほだされ、こうして散歩をするくらいに仲良くなった。

「♪~♪、♪――ん?」

 そんな、上機嫌に鼻歌交じりに町中を歩いていた少年が、ふと足を止めたのはなんの変哲もない道端だった。ただ、そこに少年の目を引くものがあった。

「うわぁ」

 そこに転がっていたのは、少年が大好きなヒーロー番組の主人公の人形。それもついこの間の放送で出てきたパワーアップした姿の人形だ。素の状態よりもゴツい金色主体のアーマーは、苦戦していた怪人をあっという間に倒してしまう活躍も相まって少年の心を鷲掴みしていた。

 そんな人形が、特に汚れた様子もなく道に落ちていたら。

 少年は人形に駆け寄って、それを持とうとした。落ちているものはお巡りさんに渡す、という事を母親や幼稚園の先生から言われているが、そんな言い聞かせは突然訪れた機会の前に頭からは吹き飛んでいる。

 だが、少年が人形を手にすることはなかった。

「ワゥッ!」

 いつの間にか少年は子犬のリードを離していた。そうして動き回る自由を手にした子犬は、ひと声吠えると人形を咥え、ダッと駆け出してしまった。

「あ?!」

 気づいた時には遅い。子犬は脇道の路地の奥に姿を消し――その路地の暗さに怯えた少年は、そこから先に進めなかった。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 勇者部とは、世のため人のためになることを勇んでやる部である。

 中学生の活動である以上、学内の部活や委員会の手助けはよく舞い込む依頼だが、美森が整備したホームページを通して、ご近所からの依頼が入ることもある。

 今、友奈が驚いた顔で聞いているのも、そんなご近所さんからの依頼だ。

「ワンちゃんが、行方不明?!」

 その依頼は、近所に住むとある母親からのものだった。以前、勇者部が携わった子犬の里親探しの依頼の際、その家では1頭の子犬を引き取っていた。

 人懐っこいその子犬を息子も気に入り、すぐに家族のように打ち解けたらしいのだが、その犬が昨日の散歩中に急に走り出し、以来帰ってきていないというのだ。

「――この犬ね。確か、かなり大人しい性格だったはずなのに」

 美森が過去の依頼を掘り返して、件の犬の情報を確認する。

「で、その子を探してほしいってことなの。本当は勇者部総出で掛かりたいんだけど……」

 風が苦い顔をして言う。

 間の悪いことに、以前から入っていた依頼がいくつかあり、風と樹、美森は予定が入ってしまっている。さらに言えば、車椅子を手放せない美森にはこの手の動き回る依頼はさすがに難しい。

「じゃあ、空いてるのはわたしと涛牙先輩ですね?」

 友奈の確認に涛牙も頷く。

「俺はあまり動物に好かれないんだが――まあ、仕方ない」

 その犬の里親探しの際に、子犬にひたすら吠えられた事を思い出しながら、涛牙と友奈は依頼人の元に向かうことにした。

 

「で、見失ったのはこの辺り、と」

 泣きじゃくる子供――タクヤといったか――と困りきった母親から話を聞き出して。件の子犬を見失ったという路地を見ながら涛牙はつぶやいた。

 陽は傾きかけているもののまだ表通りは十分明るいのだが、その路地は両脇を背の高い建物に挟まれているせいかひどく薄暗い。そのせいで普通に道を歩いていたら簡単に見落としてしまえるような場所だ。

「昨日からここで迷ってるんですよね……早く助けてあげないと」

 意気込む友奈だが、普段なら考えなしに歩き出しているだろうに、今日は何故だか足を踏み出す勢いがない。涛牙にしても見たことがない様子だった。

「どうした」

「あ。えっと……なんだか気味が悪いなぁって」

「犬吠埼でもあるまいに」

 どんな時も勢いよく前向きな風だが、オカルト絡みの話は大の苦手である。いつだか幼児向けの読み聞かせの時、うっかり涛牙が怪談を読んだところ、子供たち以上に怯えていたこともあるくらいだ。

 その時も友奈は怖がる子供を宥めてはいたが、怯える様子はなかったはずだ。

 不審には思いつつも、それならそれでやりようはある。

「――なら、俺が先に入る。俺を嫌がってこっちに出てくるかもしれないから、そこはお前が捕まえろ」

 涛牙は動物に好かれない。それでも犬に常日頃から吠えられるわけでもないのは、犬のほうが離れていくからだった。犬の里親探しに時に吠えられた時も、抱えようと近づいたら吠えられるほどに嫌がられたが手を離せばさっさと離れていった。

「え?1人で大丈夫ですか?」

 友奈もその事は知っている。路地で犬の鳴き声で大騒ぎにならないかと不安にも思ったのだが、

「問題ない。結城は動物に好かれているんだ。俺よりはお前に寄って行くだろう」

 涛牙は自信満々に頷くと路地に入っていった。

 

 そうして、友奈の視界から外れたところで。

「ディジェル」

 涛牙は小さくつぶやくと服の胸元から首飾りを出す。悪魔の顔のようなそのアクセサリーは、ともすれば悪趣味に見える装飾だが、不思議と涛牙に似合わない様子はない。そのアクセサリー、魔導具ディジェルが答える。

『ああ、感じてるぜ。間違いない。ホラーの気配だ』

 返答と同時に駆け出す。

 小道の奥を見据える涛牙の目は、さながら狩人のように鋭さを増していた。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 涛牙が路地に入って行って、10分ほど。

「……大丈夫かな」

 不安そうな表情で、友奈は薄暗がりに満たされた路地を見つめる。動けない自分に疑問を感じながら。

(なんで?なんで、わたし、足が竦んでるの?)

 友奈自身は怪談やオカルトは特に苦手というわけではない。もっと幼いころにお化け屋敷に入って、他の子たちは大泣きする中で一人ケロッとしていた事もある。

 なのに。こんな小道を怖がっている。

(もう!わたしは勇者なのに!)

 そうだ。自分は勇者――世界を守るためにバーテックスと戦う使命を背負った勇者だ。幽霊くらい、バーテックスに比べればどうってこともない。

 気を取り直して、友奈も路地に足を踏み入れる。涛牙1人に任せるより2人で手分けして探すほうがいい、はずだ。

 と、そんな友奈の耳に、小さな鳴き声が聞こえた。

「あ?!」

 気づいて耳を澄ます。それは、犬の声だった。

「!もしかして、行方不明の子かも?!よぉっし!」

 パン、と自分の頬を叩いて気合を入れなおすと、友奈は声のするほうに駆け出して行った。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 風のように駆け抜けて。

 ディジェルのホラー探知能力に従って路地裏を駆け抜ける涛牙が足を止めたのは、ガラクタが散乱する行き止まりだった。

 いわゆるゴミ屋敷から溢れたのか、あるいは単に近所の人間が邪魔なものを一旦置くのに使っているのか。そこまではわからないが。

「ホラーの気配は?」

 聞くと、ディジェルは少しの間をおいて答えてきた。

『あ~、ホラーはここにはいないな。ただ、ゲートが開いてる』

 ゲート。それは簡単に言ってしまえば魔界に棲まう人喰いの異形――ホラーが現世に出現する通り道だ。基本的にはそれは“陰我”と呼ばれる邪心・邪念の集まった器物“オブジェ”、もしくはそれに触れた陰我ある人間自体を指すのだが。

『――こりゃあ珍しい。ここにある物たちが宿すわずかな陰我が偶然に組み合わさり、魔界との道が開いてる』

「じゃあ、ホラーが出入りし放題、か?」

 ディジェルの説明が正しければ、ここからはホラーがいくらでも湧いて出るという事になる。さすがに顔を青くして涛牙が聞くと、ディジェルからはからかうような声が返ってきた。

『いいや。こうした自然発生したゲートは条件が揃わないと通れないし、この不安定さなら通れるのも一度に一体だけだ』

 その返答に、ホッと安堵の息をつき、涛牙はガラクタの山を見渡した。

「ひとまずここのゲートは処理しておくか」

『それがいい。放っておいていいことはないからな』

 一つ頷いて。涛牙は懐のパスケースから1枚の、複雑な紋様を描かれたカードを取り出した。“力”を込めて宙に放つと、カードは一度輝き、鞘に収められた剣を虚空に吐き出した。

 2点間接続、『引き寄せ』と呼ばれる法術だ。

 鞘から剣を抜き、手近なガラクタに突き立てる。鼓膜を揺らすことはない、しかし心に響く悲鳴がかすかに聞こえた。陰我が絶たれた時の声だ。

「これでよし、と」

 鞘に剣を戻す涛牙に、ディジェルが声をかける。

『ゲートはな。だがこのゲート、何者かが通った形跡はあった。ホラーの気配も消えてねぇぞ』

 やれやれ、とぼやいて踵を返す。

 涛牙が()()の気配に気づいたのは、その時だった。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 どれくらい走ったか。

 聞こえてくる声に従い進んだ先。ひと際暗い道で、友奈はついに子犬を見つけた。

 モコモコとした柔らかそうな白い体毛。子犬らしい丸みを帯びた体つき、垂れた丸い耳。つぶらな瞳はまっすぐに友奈を見ている。

 ポケットから、美森にプリントしてもらった犬の写真を取り出して、見比べる。間違いない。この子が姿をくらました子犬だ。

「見つけたぁ~」

 ホッと息をつく。後は怯えさせないように近づいて、抱え上げるだけだ。

「ほら、だいじょうぶだよ~。こわくないよ~」

 穏やかに声を掛けながら近寄る。僅かに子犬が後ずさる様子が見えれば足を止めて、ポケットから子犬用のジャーキーを取り出して誘うように揺らす。ジャーキーに誘われたのか牛鬼まで出てきたが、そちらは無視。

「タクヤくんも待ってるよ。はやく帰ろう?」

 友奈が危険ではないとわかったのか、或いは食べ物に吊られてか。少しずつ近寄ってくる子犬に笑いかけ、手を差し伸べる。

 

 スマホから着信音が聞こえたのは、子犬まであと少しというところ。

 驚いたのか跳ねて距離を離した子犬にアァ、と残念な声が漏れる。鳴り続けるスマホを取り出すと、そこには意外な名前が出ていた。恨めしそうに軽くにらんでから、着信ボタンを押す。

「もう、なんですか涛牙先輩!今いいところだったんですよ?!」

 あと少しだったのに、と言い募ると、向こうからは戸惑うような声が聞こえてきた。

『何のことかわからないが。例の犬を見つけたから報告している』

 

「……え?でも……」

 

 受話器越しの言葉に、今度は友奈が戸惑う。視線を地面に戻せば、そこにはやはり写真通りの犬がいる。

『首輪に依頼人の名前が入っている。間違いないだろう』

 いわれて、気づく。

 確かに今友奈の前にいる犬は写真通りだ――里親に貰われていく前の姿、そのままだ。

 当然といえば当然だが、飼い犬には首輪をつける必要がある。少なくとも散歩させていたというのだから、タクヤの手から飛び出したとき、リードのついた首輪をしていなければおかしい。

(じゃあこの子、そっくりさんだったんだ)

 美森ならすぐにそう考えただろうが、友奈はそこまで考えが及ばなかった。勇者部に残っていた写真と同じというだけで、イコールに結んでしまった。

『今から戻るが、結城は元の場所にいるか?』

「あ、あの!実は犬の声が聞こえたんでわたしも路地に入っちゃってて」

『そうか。なら元の場所に戻ってくれ』

「はい!――あ、そうだ!涛牙先輩、タクヤくんの犬じゃないんですけど、野良犬、なのかな?綺麗な白い子犬がいるんです!連れて行ってもいいですか?」

 里親を探すなりなんなり、勇者部でやれないかと思い聞いてみるのだが。

『いや。実はこっちの犬は怪我をしている。結城が医者に連れて行ってくれ。そっちの犬は――まあ、俺が何とかしよう』

「は、はい!」

 さすがに、怪我している子犬と、大人しそうでもどんな性格かわからない犬を一緒に連れていく事は友奈にはできない。手分けは必要だろう。

 通話を切って、自分の前にいる子犬に声を掛ける。

「……ごめんね、わたし、早とちりしちゃった。タクヤくんのお家の子犬じゃなかったんだね。大丈夫、ちょっと怖いかもだけど、わたしの先輩さんがあなたを助けに来るから!ここでちょっと待っててね」

 一つ謝って、友奈は元来た道を駆け出した。

 

 そうして取り残された子犬に、別の方角から声が掛けられた。

「残念だったな」

 子犬が振り向くと、そこには讃州中学の制服姿の男子がいた。ちょうど通話の終わったスマホをポケットに戻しながら。

 腰には鞘に納められた剣。そしてスマホを持たない腕には、制服の上着で包まれた子犬を抱えている。

 その子犬は全身血と傷にまみれているが瞳は刺し貫くような強さで()()()()()()()姿()をにらんでいる。

『ホラー、ルァテプ。獲物が欲しがっている物に姿を変えて近づき、同じ影に入った時に獲物を喰らうホラーだ』

 少年の胸元の魔導具が解説する中、首輪のない子犬は唐突に溶け崩れ、軟体の蜘蛛もどきに姿を変えた。そのサイズは先ほどまでの子犬とは違い、少年――涛牙の身の丈ほどもある。 

「あれが本体か」

『ああ。もっとも、大きさも形も自由自在だ』

 涛牙とディジェルが話す間に、蜘蛛もどき――ルァテプはその胴体から前触れなく触腕を伸ばした。細く鋭いその触腕は、石壁くらいなら容易く貫く。

 が、抜き打ちで放たれた剣はその触腕を弾きとばす。  

「では、さっさと済ますか。弱点は?」

 抱えた子犬を地面に置いて、涛牙は切っ先をルァテプに向ける。

『本体はスライム状だが、魔導火にはめっぽう弱いぜ』

 ディジェルの言葉に頷いて、涛牙は剣の切っ先を天に翳し――円を描いた。

 甲高い音と共に宙空に光の輪が描かれ、そこから空間を突き破って鎧が召喚される。

 

 狼を象った頭部をもつ、鈍い鉄色の全身鎧。表面は滑らかで頭部を除けば装飾の類もほぼ無いその鎧はシンプルな意匠だ。

 その鎧の銘はハガネ。魔戒騎士の血筋、その開祖が纏うとされる鎧。菫色の瞳に闘志を燃やして、涛牙は剣を構えた。

 

 眼前の敵をどう見たのか。ルァテプは一度身を沈めると一跳びで数メートルを跳ね、壁を蹴って更に跳ねる。複雑な動きで涛牙を惑わす魂胆だ。

 対する涛牙は後ろ腰から魔導火のライターを取り出し、右手に握るナックルガード付きの魔戒剣に火を灯す。白い炎が煌々と燃え上がる剣を、涛牙は正眼に構えた。

 凪いだ水面のように動じず、惑わされない涛牙に、ルァテプは背後から不意に跳びかかる。が、その脚は振り向きざまに放たれた剣に弾かれる。返す刃がルァテプの胴に迫るが、ルァテプはとっさに伸ばした脚で方向を変えて浅手ですませた。だが、魔導火で焼かれた箇所は軟体に戻らない。

 軋るような声を出すルァテプに、涛牙は相手の次の手を考える。このホラーは、擬態能力は高いがそれ以外の知性はほぼないようだ。

(正面からの奇襲は弾かれた。跳ねまわって背後からの攻撃もダメだった。なら次は――)

 思索は、ルァテプが空高く跳んだことで断ち切られた。

 これまでにないほど高く、涛牙の真上に跳ねたルァテプは、胴体から何本もの触腕を伸ばし、柵のように涛牙の周囲に突きたてる。これで涛牙の退路を断った。そう考えたルァテプは腹にあたる部分を鉄杭の如く変化させた。

 触腕は魔導火を纏った剣でも容易くは切り飛ばせない。このまま脚を縮めれば涛牙を上から串刺しに出来る。剣で防いだとしても落下の勢いと重さで押し潰せる。

 その予測を現実にしようとルァテプは一気に地面の涛牙に突撃した。

 対して涛牙はしゃがみ込むと、指で地面に印を描き、吠えた。

「縛!」

 刹那。周囲から放たれた多数の光の縄がルァテプを空中でからめとる。

 高速回転でもしていたら容易く束縛は出来なかったろうが、そのまま落ちてきていたルァテプはあっさりと拘束されてしまう。

 宙づりになったルァテプを見上げて、涛牙は言った。

「悪いが、俺がここに来たのは結城とほぼ同じタイミングだ」

 友奈より早くルァテプに到達していれば、単にルァテプを奇襲で仕留められただろうが、友奈がいては「犬を斬り殺す」様を見られる恐れがあった。だから、友奈をここから引き離すために電話をしながら、罠を仕掛けていたのだ。

 目を凝らせば、この場を囲うように魔戒文字の描かれたカードが配置されている。光の縄――封縛縄はそこから伸びていた。

 後は術を起動させるための印を結べばいい。

「こっちの罠のほうが、上手だったな!」

 魔戒剣を描いた印に突き立てる。剣身の炎が印からカードへ、さらに封縛縄へと走り、ルァテプの全身を包み込む。

「!!!!!!」

 声なき悲鳴を上げながら、吊るす縄が失われたルァテプが落ちる。だが、すでに奇襲の体を失った今、それはただの落下に過ぎない。そして下には剣を構えなおした涛牙が待ち構える。

「オオッ!」

 気合一閃。

 柔軟性を失ったルァテプの身体はその一撃で両断され、塵も残さず霧散した。

 

 鎧を送還して、涛牙は元の直剣に戻った魔戒剣を鞘に戻す。次に取り出したのは『引き寄せ』の術の対となる『転送』のカード。これで剣は定められた元の場所に送り返される。

『ホラーの気配は消えたぜ。これで一件落着だな』

「そうだな」

 ディジェルの言葉に、大きく息をつく。

 精霊バリア、とやらがどの程度の性能かは知らないが、ホラーの捕食に対して効果があるかはわからないし試しようがない。記憶消去をおいそれと使えない以上、ホラーから勇者を守るのは普段以上に注意がいるという事を改めて実感する。

 気を引き締めなおして、子犬に近づく。

 軽く唸り声をあげる子犬に苦笑しながら抱きかかえる。

「なんでこんなに嫌われるんだろうな?」

 実を言えば、涛牙にしてもそこが不思議に思うところではある。別段動物嫌いというわけでもないし、ホラーと戦った後は邪気祓いを兼ねて香を焚いたりもしているのだが、何故だか動物が寄ってこない。

『ホラー関係なしに体質なんじゃねぇか?』

 ディジェルの答えに遠慮はなかった。

「……そういうものか」

 ちょっとだけ残念に思いながら、涛牙は駆け出す。友奈よりも先に路地の入口に戻るには道でない場所を駆け抜ける必要があった。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 友奈が路地の入り口に戻ると、先に戻っていた涛牙から子犬を手渡された。

 その傷だらけ、血まみれな子犬の様子に、友奈は心を痛めた。

「この子、なんでこんな」

 涛牙に抱えられた時は緊張でもしていたのか小さく唸りながら目を開けていたが、友奈が抱きかかえると途端に安心したのか子犬は目を閉じてしまった。お腹が呼吸のたびに伸縮しなければ、死んでしまったと思っても仕方ないくらいだ。

「さてな。カラスか野良猫か――。ただ、命にかかわるような怪我はないようなのが幸いだ」

「――そう、ですね。じゃあ急ぎましょう。お医者さんが開いてるうちに!」

「ああ。場所はわかるか」

「はい!調べました!」

 言って友奈は小走りに駆け出す。急ぎながらも子犬に負担をかけないようにした走り方だ。

「ところで、結城。さっきの話だが」

 横に並んで走る涛牙が呼びかけると、友奈は怪訝な顔で、

()()()()()()()()()()()

 聞き返してくる。涛牙は少しだけ黙ると、

「待ってるはずの場所から勝手に動かれると、困る」

「ご、ごめんなさい……」

 叱責に表情を沈ませる。確かに、自分が最初から入り口で待ち続けていれば、もっと早く動物病院に連れて行けたかもしれない。

「まあ、いい。罰として依頼者への連絡は任せる」

「ハ、ハイ!」

 夕暮れの商店街を走る友奈の頭からは、自分が路地裏に入った理由も、そこで見かけた犬――の姿をしたナニかの事も消えていた。

 

 

 後日談。

 子犬は動物病院で手術を受けて無事に一命をとりとめ、数日後にはタクヤの元に戻っていった。タクヤと子犬は今日も仲良く遊んでいる。

 




と、いった感じでお送りしました第5話です。

今回はホラーが出てくるゲートについて、ちょっと独自の解釈を加えてみました。牙狼本編だと、ホラーは陰我あるオブジェから出てくることになっていますが、炎の刻印やVLのようなアニメだと「どっからこんなに湧いて出た?」って数で素体ホラーは現れるんですよね。
なので、条件がそろえば魔界と現世がつながることもある、というようにしました。

次回はいよいよ赤いツンデレが参戦する予定です。どうぞお楽しみに。


最後に、今回出てきたホラーや涛牙の鎧について、ちょっとした解説をどうぞ。
・ホラー、ルァテプ
 “時間の流れ”の陰我に憑依するモラックスと似たタイプのホラー。特定の陰我ではなく自然発生したゲートや他のホラーが開いたゲートの残滓を通って現世に出現する。
 標的となった人間が欲しいと思う物に形を変えて現れ、催眠効果で持ち帰らずにいられないように仕向け、“同じ影”に入った時に影を通じて獲物を喰らう性質がある。この“同じ影”というのは単に1つの影というだけではなく、消灯した室内も「1つの影」にカウントされる。ただし引き出しやポケット等の中に入れた場合はカウントされない。
 また、ある程度時間が経ったり距離が離れると「欲しいものを持ち帰った」事自体を忘れてしまう。タクヤが「ヒーローの人形を拾おうとしたら犬が持って行った」事を親や勇者部に伝えていないのはこのため。友奈もこの影響で「路地で別の犬を見つけた」事を忘れている。
 誘惑・催眠効果があるのはあくまで『人間』に対してのみなので、タクヤが連れていた子犬にはヒーローの人形はスライム状の物体Ⅹと見えており、本能的に嗅ぎ取った危険性からタクヤから引き離した。
 知能はホラーとしてはかなり低く、子犬を本来の姿に戻って痛めつけたものの動かなくなったので放置するほど。

・ハガネ
 魔戒騎士の纏う鎧の中でも、もっとも初期の鎧。造形は簡素で装飾の類もない、中世ヨーロッパの一般兵が着ているようなシンプルな形状となっている。
 あらゆる魔戒騎士の鎧はこのハガネに始まり、代を重ねて各々の色と形を得ていくという。ただし、魔戒騎士の鎧は一子相伝だが、兄弟がいた場合継承できなかった者は魔戒法師となったり不測の事態があった場合に鎧を継ぐことになるため、神世紀300年代にハガネを着ているというのは極めて異例。
 涛牙の鎧は、腰の紋章は五角形で腰回りに法術に使う魔戒札やカードを収めるホルダーが追加されている。



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第6話 ブラン・ニュー・ブレイブ(5人目の勇者)

第6話、どうにか7月中に投稿することができました。
サブタイトル通り、ここから赤いアイツが登場です。果たして彼女のツンデレ振りをどこまで自然に描けるか・・・指摘などがあればぜひとも!


 前回の3体同時襲来から1ヶ月半。そのバーテックスはただ1体で侵攻してきた。

 勇者アプリのマップ機能に表示された名は山羊型――カプリコーン・バーテックス。

 その威容を前に風は思う――山羊要素、どこ?

 4つの脚のような器官を胴体から伸ばした姿はなるほど、四足獣を思わせなくはないが。なにゆえ山羊なのか?犬でも猪でもよくないか?

(前回の3体はネーミング分かりやすかったんだけどね~。あ、でも1体目も乙女型とかいう割には乙女の要素ってどこにあったんだか)

 大赦のネーミングセンスに一抹の不安を感じながら、迫るバーテックスを睨みつける。

 

 その風の背後には、勇者装束を身にまとった友奈、樹、そして先の戦いの中ついに勇者として戦う事を決意した美森が並ぶ。

「う~、ひと月以上たってるから戦い方覚えてるかなぁ」

「だいじょーぶだいじょーぶ!初めての時だってすぐに慣れたんだし、ちょっと動けばすぐ思い出せるよ!」

「友奈ちゃんの言う通りよ、樹ちゃん。私だって初めてでも上手くやれたのだから」

「東郷さん、すごかったよね!勇者になった途端にバーテックスをドーン!って!」

 

 後ろで盛り上がる3人に苦笑する。

 実際、前回友奈の危機についに勇者となった美森が見せた力はすさまじかった。拳銃・散弾銃・狙撃銃という3種の銃撃で、3体のバーテックスのうちスコーピオンに大打撃を与え、サジタリウスに至っては『封印の儀』で引きずり出された『御霊』――バーテックスを構成する心臓部――を撃ち砕いてみせた。

 サジタリウスの御霊は危地を逃れようと高速移動していた。そんな的を狙撃一発で撃ち抜いたのだからとんでもない才覚だ。

 

 とはいえ、皆を引っ張るリーダーとしては、ここで歓談されてばかりもいられない。

「はい、みんな一回バーテックスに集中して!」

 注意を促すと、他の面々もサッと顔を引き締める。

「樹の言ったとおり、1ヶ月以上経ってるからね。気を引き締めてかかるわよ!」

「「「ハイ!」」」

 風の号令に、各々が構える。美森は手にした狙撃銃の照準をバーテックスに向け、風も大剣を正面に構える。武器が籠手の友奈はボクサーのスタイル――父親から教わったという武道の影響か――、腕輪から放たれるワイヤーが武器の樹は軽く腰を落としてすぐに飛び出せるような自然体。

 

「怪我しないように慎重に!樹海が傷つかないよう迅速に!勇者部、行くわよ!」

 武器の特性と本人の性格から、大まかな隊形は決まっている。美森が遠距離から狙撃し樹はワイヤーで牽制、風と友奈が接近戦だ。

 

 いざ、飛び出そうとして。

 

 突如バーテックスの表面で爆発が起きた。

「へ?」

「東郷さん?!」

 友奈が振り向くと、そこには困惑顔の美森がいた。

「いいえ!私はまだ何も」

 言葉の最中にもさらに爆発。ふと気配を感じた友奈が振り仰ぐと、赤い人影が空を駆け抜けていく。

 

 投げ放たれた刀はバーテックスに触れるや爆発。その爆発を牽制に使って人影はさらにバーテックスに接近。召喚した双剣を振るいバーテックスを切り刻んでいく。

 神の力を纏う勇者の武器でも、バーテックスはその巨体ゆえにそう易々と倒れはしない。が、受けたダメージを修復するのも容易くはない――傷を負わせたのは神樹の“力”なのだから。

 そして赤い人影も斬った程度でバーテックスが倒れないのは承知の上。本命の狙いはここからだ。

「あれ!『封印の儀』で出てくるカウントじゃ?」

「ウソ?!1人で?」

 友奈が気づき、風が驚く。バーテックスの御霊を露出させるための『封印の儀』。友奈たちは複数人でバーテックスを囲んで行っていたが、あの赤い人影、いや、勇者はそれを単独でやってのけている。

 

 ほどなく、バーテックスから逆四角錘の物体、御霊が吐き出される。が、御霊も黙ってやられはしない。突如周囲に紫色のガスを放ち、煙幕の如く目くらましをかけてきた。精霊バリアが発生していることを見ると、ガス自体が有害な代物。友奈たちは迂闊に近寄れず、美森の狙撃もさすがに相手が見えなければ放ちようがない。

 

 だが。

「見えてんのよっ!」

 赤い勇者の動きそのものには何の影響も与えず。目で見えなければ気配で探るとでもいうのか、放たれた刃は御霊を捉え、両断した。

 輝く粒子と化して消滅していくバーテックスに、赤い勇者はフン、と鼻を鳴らす。

「殲滅、完了!」

『ショギョームジョー』

 傍らに浮かんだ鎧人形のような姿の精霊が呟く中、赤い勇者は近寄ってきた勇者部に振り返り、

「――こんなぼけっとした連中が、本当に神樹様に選ばれた勇者だっての?」

 辛辣に言い放つ。

「そういうアンタはどこの誰よ?」

 ムッとした風が尋ね返すと、赤い勇者は誇らしげに胸を張ると、自分の名を告げた。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

「改めて、大赦から派遣された正式な勇者、三好 夏凛よ」

 涛牙がざっと見たところ、なるほどその身のこなしは相応の訓練を受けたものとわかる。茶色の髪を2つに結った髪型も動きやすさを求めたものだろう。

「正式な、ね」

 感心した涛牙の呟きは、しかし夏凛には挑発に聞こえたらしい。

「そうよ。たまたま選ばれただけのトーシロ連中とはわけが違うわ!大体アンタ何者。なんで勇者候補を集めたはずのチームに男がいるのよ?」

 喰ってかかられた涛牙は、表情を変えずに返答する。

「犬吠埼の補佐役として派遣されている、白羽 涛牙だ」

「いや、名前は別に聞いてないわよ!あたしは部外者がいるなんて聞いてないって言ってるの!」

 言われて、涛牙は風に話を振った。

「犬吠埼。大赦から、新しい勇者が来るという話は?」

「いいえ、初耳」

「つまりはそういう事だ」

「いや、何が?!」

 

 どうやらわからなかったらしい。小さく肩をすくめて、涛牙は続ける。

「勇者同士でさえ連絡が行き届いていないんだ。勇者の補佐役のことなど、正式な勇者に伝えることでもないんだろう」

 口調にかすかに混ぜた棘を感じ取ったのか、夏凛がム、と押し黙る。と、その隙間に美森が口を開く。

「でも、なぜこのタイミングで?」

 

 勇者部がバーテックスと初めて戦ったのは5月の始め。しかも2日連続で襲撃を受けている。正式な勇者というならなぜその時から樹海にいなかったのか。

 

 そんな問いに、夏凛は勝気な表情のままで答えてきた。

「あたしだって、すぐに出撃したかったわよ。でも大赦は二重三重に万全を期している。最強の勇者を完成させる為にね」

「最強……」

 涛牙の呟きに、夏凛は自身のスマホを見せながら後を続ける。

「そう。あんた達、言ってみれば先遣隊の戦闘データを得て、完璧に調整された勇者システムを扱う完成型勇者、それがあたしよ。それに――」

 と、何を思ったのか手近にあったブラシ箒を手に取ると手先で器用に振り回し、

 

「――あんたたちと違って、戦闘の為の訓練を長年受けて来ている!」

 言葉とともに友奈たちに突きつける。

 

「……黒板に、当たっていますよ」

 背後の黒板に柄が当たらなければ、それは実に決まった動きだったろう。

 

 先ほどまでのすまし顔が次第に朱に染まる様子を見ながら、涛牙は一度瞑目してから取り繕うように言った。

「まあ、心得があるのは確かだろうな。単独でバーテックスを撃破可能だというし」

「そ、その通り!あたしが来たからには完全勝利間違いなしよ!大船に乗ったつもりでいなさい!」

 改めて胸を張る夏凛。

 

 その夏凛の前に、友奈がヒョイと近寄る。ニコニコとした笑顔を浮かべながら。

「そっか! じゃあよろしくね、夏凜ちゃん!」

「……へ?」

 疑問を浮かべる夏凛に、友奈は無邪気に後を続ける。

「ようこそ、勇者部へ!」

 その言葉をしばし咀嚼して。意味を理解した夏凛は喰ってかかる勢いで言い返す。

「ちょっと!部員になるなんて話、一言もしてないわよ!」

「え、違うの?」

「違うわ! あたしはあんた達を監視する為にここに来ただけよ!」

「監視って、アンタねぇ……」

 さすがに苛立ちを覚えて風が視線を強めるが、

「偶然選ばれたってだけの素人集団なんて、完成型勇者のあたしが監視してなきゃ御役目を果たせるとは思えないわね!」

「ほっほぉう……」

 夏凛は風に向き直るとそう言い放った。風が、その口元を引きつらせる。

 

 険悪な空気が両者の間に漂う中、

「――一理ある」

 涛牙が夏凛側に立つようなことを言った。

「白羽くん?!」

 驚きに声を上げる風に、涛牙は軽く片手を上げると、

「事実として、勇者部は偶然に勇者に選ばれた身だ。御役目の達成に不安を覚えるのも無理はない。故に監視――というよりは監督役を買って出るという。まあ、妥当な意見だ」

「あら、わかってるじゃない!」

 理解を示すような発言をする涛牙に、風はムッとした顔を見せ、夏凛は表情をほころばせる。

 

 だが、涛牙が監視を監督と言い換えたことでふと美森は気づいた。

「……あら?それはつまり、勇者部の近くにいつもいるって事じゃ?」

 そう。監視だろうが監督だろうが、つまりは勇者の傍にいる必要がある。

「そっか!じゃあやっぱり夏凛ちゃんも勇者部に入るんだね!」

「ちっがーう!」

 友奈の言葉に再び夏凛が吼えるが、

「なら、部員でもないのに勇者部の近くに現れることをどう周囲に説明する?」

 涛牙の質問にぐ、と言葉を詰まらせる。

「離れていたら監視は出来ない。近くにいるには理由が必要になる。違うか?」

 畳みかけるように言われて、ついに夏凛は大きくため息をついた。これ以上抵抗しても――それも無意味な抵抗を――しても埒が明かない。

「あー、もうわかったわよ。形だけは入部してやるわよ、形だけは」

 

 不承不承、といった様子で夏凛が答える横で、涛牙が風に向けてウインクをした。風もここで気づく。夏凛をおだててからの一連の展開、涛牙の掌の上だ。

(うっわー、意外と人の考えを誘導するのがうまいわ、白羽くん)  

 初めて見た涛牙の一面に内心冷や汗を垂らしながら、夏凛から入部届を受け取る。

「じゃ、改めて。ようこそ勇者部へ。歓迎するわ」

「……形だけって言ったでしょうが」

 内心の不満が返事に混じるが、そんな夏凛に涛牙はさらに告げる。

「むしろ三顧の礼で迎えたい。人手不足は切実だ」

 その言葉に美森と樹が頷く。

 

 日々積極的に人助けにまい進する勇者部。裏向きの事情を知らない人は入れられないため、舞い込む依頼に応えきれていないのが実情だったりする。

 

「――なんだってそんな活動しちゃってんのよ……」

 痛む頭に手を当てて、夏凛がうめく。すでに4体のバーテックスを退けたというからもっと気合が入っているのかと思っていたらこのザマである。

 人類の未来が賭かっているとちゃんと理解しているのか。そう叫びたい衝動をどうにか抑える。

 

 重く深いため息をついて、改めて勇者部の面々を眺めるが、補佐役とかいう涛牙を除けばほぼ全員がノホホンとした腑抜けた表情。

「まったく、先が思いやられ」

 る、とつぶやこうとして、視界の隅によぎった物を二度見する。

 

 自身の精霊が、牛のような姿をした精霊にムッチャ齧られていた。

 

「ギャー!義輝ー!」

 

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

「まったく、とんだ連中だわ」

 夕焼けが世界を染める中、運動着姿の夏凛は砂浜で二刀を振るって一人稽古に励んでいた。ブツクサと勇者部の連中への愚痴をぼやきながら。

 

 牛のような精霊、牛鬼を従える友奈は見た目も内面も第一印象そのままのノホホン系だし、東郷(本人から苗字で呼ぶように強く求められた)はそんな友奈にべったり。何故か精霊が3体もいたが――身体が不自由な分、精霊の補佐が多く必要なのだろう。1体とはいえ喋れる義輝の方が優れている。きっと。多分。

 1年生の樹は断りなく人を占っては『死神』のカードを引き当てるし、部長の風は大赦の御役目の隠れ蓑にしては大袈裟なチームを作る始末。選ばれることを考えていなかったのか?

 補佐役とかいう涛牙は物の見方は御役目の事も考えている様子はうかがえるが、さりとて風たちの部活を止めさせようという気配もない。

 

 挨拶を終えた後、夏凛が帰ろうとしたところに懇親会だとか言い出して馴れ合おうとするくらいだ。普段から放課後も普通に部活をやっているところを見ると、勇者に選ばれた後も勇者部とやらを止めて訓練にあててもいないのだろう。

「ま、神樹様が選んだとはいえ素人だもの。あたしがしっかりしないとダメね」

 それこそが、大赦が完成型勇者である自分に求めることだと改めて胸に刻む。自分が先頭に立って御役目を果たし――

「人類を、守る!」

 決意の言葉と共にとどめの一太刀を振るい、素振りを終える。

 もともと、夏凛は2年ほど前に次代の勇者候補の1人として素質を見出され、他の候補者と切磋琢磨した末に勇者となる事が認められた。

 その際に大赦からは、バーテックス撃退の御役目が始まった際に神樹様に選ばれた()()の未熟な勇者たちを、夏凛が正式な勇者として導くことを期待されていた。

 

 そう考えれば、勇者部が使命感に薄い連中であってもそれはそれ。自分がその分しっかりすればいい話だ。

 タオルで汗をぬぐいながら近くに置いていた荷物を抱えて、家路を歩む。

 

 今、夏凛はあるマンションの一室で一人暮らしをしている。讃州中学の勇者たちを監督するために大赦から与えられた部屋だ。

 まだ住み始めて間もないが、一番大事なトレーニング器具はすでに据え付けてある。

 一人暮らしについても、勇者候補の訓練の際には訓練施設で寮暮らしだったので問題はない。

 まだ馴染んでいない自宅のカギを開けようとして。

「?」

 ふと、視線を感じて夏凛は周囲を見渡す。

 近くには他のマンションもあるが、特に人影らしいものは見当たらない。

(気のせい?)

 首を傾げつつ、改めて自宅に入る。

 

 

 

 その様子を、一匹の異形が見ていた。見た目ならば象のような鼻が伸びた金魚といった不思議な生物だが、一番の異常はソレが空を飛んでいることだろう。

 魔界竜。ホラーとはまた別に魔界に棲まう生物で、人によく慣れた性質から手懐ければ尾行や偵察も出来る器用な生物だ。

 そして、使いようによっては魔界竜が見たものを使役者が見ることも出来る。

『へえ。あのガキンチョ、結構いい勘してるじゃねぇか』

 ディジェルの感嘆に、涛牙も魔界竜を通した映像を見ながら頷く。

「勇者になっても研鑽を欠かさない、か。犬吠埼は三好の言い草に苛立ったようだが、三好の方も勇者部を温いと苛立っていたわけか」

 自身も鍛錬を日常としてきた身として、涛牙は夏凛の態度に納得がいった。長年訓練してきたというなら自負もあるのだろう。

『で、どうするんだ?』

 ディジェルに聞かれて、涛牙は軽く口元を緩めると、

「勇者をホラーから守る。変わりはしない――見回る場所と相手が増えただけだ」

 万年筆の形を模した魔導筆を通して、魔界竜に戻るよう指示を出すと、涛牙は夕暮れの街を歩きだした。

 

 




夏凛ちゃん、涛牙の口車に乗せられて気づいたら入部していたの巻。
アニメ版の友奈の人懐っこさと義輝捕食未遂事件からの怒涛の勢いに呑まれた入部もいいですけど、ここでははっちゃけないキャラである涛牙が搦手を打つことでの入部としました。

夏凛が視線を感じるシーン、当初は涛牙が離れてみてた事にしようかと思ったんですが、書いているうちにどうにもうまい書き方が見つからず。涛牙は一応法術も使える設定にしているのでここはサポートアイテムを使ったことにしようと考えた結果が魔界竜のドローンカメラ化でした。アニメをやっている「鬼滅の刃」で出てきた“矢印が見える札”のようなものを使って映像を飛ばしていると思ってください。

さて、次回は夏凛堕ちるの巻ですが・・・かわいく出来るかな?


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第7話 バース・デイ(三好 夏凛は勇者部所属)

今回でアニメ第3話まで到達です。
自分でこうしてSS書いてて思いますけど、正味25分のアニメの中に詰め込まれる情報量ってすごいですよね。




「――って感じで、スゴかったんですよ!夏凛ちゃん!」

「ほう」

 美森の車椅子を押しながらも、器用に身振り手振りを交えて友奈が話すのは、水泳の授業での夏凛の活躍だった。

「水泳部の人から入部しないか、と誘われてたわね」

 美森もそう言うが、当の夏凛は友奈や涛牙より数歩後ろを歩きながら、フン、と鼻を鳴らす。

「すごくなくちゃ世界なんて守れないのよ。さっきも言ったでしょ」

 今も勇者部の部室に向かっているのは、形だけでも勇者部に所属している以上は部室に行かねばならないという義務感からか。

 友奈が浮かべた苦笑に、涛牙も一つ頷き、素直に感想を述べた。

「頑なだな」

 夏凛が嫌そうな顔をしたのは見なかったことにしておく。

 

「結城 友奈!入りま~す!」

「東郷 美森、参上しました」

 それぞれの挨拶とともに部室に入っていく2人の呑気さに、夏凛は露骨に顔をしかめる。――気になったのは、美森が入室する時なぜか敬礼していた事かもしれないが。

「普通に入ればいい」

 涛牙はそれだけ言うと特に声をかけずに部屋に入る。ハァ、とため息を一つついてから、夏凛も遅れて部室に入った。

「みなさんこんにちわ」

「お。みんな来たわね」

 先に来て今日の予定を確かめていた風と樹が顔を上げる。が、夏凛は風の前に置かれているプリントに目を止めると、露骨に顔をしかめた。

「ちょっと!何よこの子ども会のレクって?!」

「ん?勇者部に入った依頼だけど?」

 キョトンとした顔の風に、夏凛は眉間にしわを寄せる。

「っ!バーテックスがいつ現れるかわからないって時に!」

 御役目の大切さを分かっていないのか、と叫びそうになる夏凛の肩に涛牙が手を載せる。

「三好」

「なによ?!」

「カッカしても、いいことないぞ」

「~~~!」

 落ち着いた表情で言われて更に激昂しそうになるが――暖簾に腕押しだろうという予感を感じて、結局深いため息をつくに留める。

「ったくこのトーシロ連中は……」

 気を紛らわせようと夏凛はカバンから煮干しの袋を取り出し、中身をポリポリと食べだす。

「あたしたちがしくじったら人類が終わるかもしれないってこと、ホントに分かってんの?」

「「「……………」」」

 他の部員たちは黙り込んだ――その煮干し袋を見て。少なくとも、女子中学生のカバンから煮干しが出てくると考えたことはなかった。

 その沈黙を、自分たちの緩さを自覚したのだと捉えて、夏凛は更に後を続ける。煮干しを食べながら。

「そりゃ昨日は、完成型勇者であるあたしがいれば勝利間違いなし!って言ったけどね。だからってアンタたちが御役目を軽んじていいってわけじゃ」

「いや、それはいいが」

 割り込んできた涛牙の声に、そちらを睨むと、涛牙は夏凛の抱える煮干し袋を指さして聞いてきた。

「なぜ、煮干し」

 夏凛にしてみれば、その質問は全くの見当外れだ。

「は?各種ビタミンに栄養素、何より手軽ですぐ食べられる。煮干しこそ完全食よ!」

 夏凛の力説に、あまり表情が変わらないはずの涛牙が呆けたような顔で言う。

「そうか。……そうか」

 

 諦めたような涛牙の答えに一つ満足して、夏凛は御役目についての話を続ける。部室に来たのはそもそもこのためだったのだが。

「さっきも言ったけど。バーテックスがいつ出現するかはわからないわ。アプリの解説文にもあったと思うけど、大赦では襲来は20日程度の間隔で発生する、と想定していたわ」

「襲来に周期があると予想されていたんですね」

 さすがに御役目の話となれば緩い空気は払拭される。

 美森の言葉に夏凛は頷いて、

「その通り。でも、実際には――」

「2日連続襲撃の後はひと月半も間を置いてから。しかも2回目の襲来は3体同時。……周期も何もないわね」

 風の言う通りだ。大赦の襲来予想は御役目開始の最初から外れている。

「で、大赦では、今後もこの傾向が続くだろうとみてるわ。襲来時期の目安は不明、場合によっては複数同時攻撃もありうるってね」

 緊張から樹がゴクリと唾を呑み込む。

「あたしはそういった事態でも対処できるように訓練されてるけど、あんた達はそうじゃないんだから気をつけなさい。命を落とすわよ」

 精霊バリアだって絶対万能じゃないしね。そう付け足して、夏凛は手近な椅子に座る。

「……まさかとは思うけど、『満開』があるから何とでもなるとか思ってないでしょうね?」

「『満開』?」

 ふと気づいた様子で夏凛が口にした言葉に、涛牙が首を傾げた。

「ああ。あんたのNARUKOは勇者用の説明文は起動してないんだったわね。風からは?」

「特に聞いてはいない」

 涛牙の答えに夏凛が風を見ると、風は露骨に顔を背けた。どうやら補佐役である涛牙には伝えていない情報だったらしい――或いは、伝え忘れてたか。

 フム、と少し考えて。夏凛は不意に友奈に指を向けた。

「ハイ、そこのチンチクリン!『満開』とは何?!」

「えっ?クイズ?え?」

 指さされてパニクる友奈に、車椅子ながらスス、と美森が近寄る。

「はい、勇者アプリに説明が書いてあるわ」

「あ!ホントだ!」

「それは、カンニングなんじゃ……?」

 樹からのツッコミを受けながらも友奈は美森から見せられた画面を覗き込んで、内容を咀嚼し、

「戦闘経験値を貯める事でレベルを上げ、より強くなる事。それが『満開』です!」

 教室で先生に指名された時のように答える。

 対する夏凛は。

「大事な事なんだから、流し読みで済ますんじゃないわよ……」

 呆れ顔で呟き、後を続ける。

「まあ、そういう事。勇者装束に花を象った『満開ゲージ』っていうのがあって、それが全部溜まったら『満開』を使えるってワケ」

「ある種の強化システムか?」

 そう聞いてくる涛牙に夏凛は頷き返す。

「そ。『満開状態』自体は時間制限があるけど、この『満開』を繰り返すことで勇者はより強く神樹様の御力を振るえるようになるのよ」

「ふむ……」

 納得した様子の涛牙とは別に、美森がふと手を上げる。

「夏凛ちゃんは満開は経験済みなの?」

「……いや、まだ」

 気まずそうに夏凛が答えると、ここぞとばかりに風がからかい出す、

「なーんだ。あんたもレベル1なんじゃ、アタシ達と変わらないじゃない」

「き、基礎戦闘力が違うのよ! 一緒にしないでもらえる?!」

 そこはすでに先日のバーテックス撃破でわかっている。なので風もそれ以上はチャチャを入れたりしない。

「OK、わかったわ。で、こっからは勇者部の依頼の話よ」 

 そう言って話題を変える。

 

 風は机の上に置かれていたプリントを夏凛を含めたメンバーに配りだした。

「今度の日曜日、子ども会のレクリエーションの手伝いをするわ。折り紙の折り方を教えてあげたり、一緒に絵を描いたり、やる事は沢山あるわよ」

 風の説明に、友奈は顔を輝かせる。

「わぁ! 楽しそう!」

「……なんでアンタが楽しそうなのよ……」

 夏凛が怪訝な顔で聞くが、涛牙がそっと首を振るのを見てそれ以上の追及を控える。友奈は基本いつもこんなのだろうと受け入れる他ないのだろう。 

「夏凛には、そうね……。元気な子達の、ドッジボールの的になってもらいましょうか!」

 風の提案に夏凛は驚いた。

「はっ?!何で私まで!」

 詰め寄るが、風は余裕の表情で1枚の紙を差し出す。入部届。

「在籍する以上は、勇者部の活動はしてもらうわよ。白羽くん、夏凛共々ドッジボールお願いね」

「ああ」

「ってちょ!待ちなさいよ!あたしにだって予定ってもんが!」

 さすがに夏凛も怒りを露わにするが、

「夏凛さん、日曜日に予定があったんですか?」

「い、いや、特には……」

 樹に聞かれて、訓練以外何もない事をつい素直に言ってしまう。

「なら、勇者部の活動に慣れる意味も含めて、一緒にやりましょう?」

 穏やかな、しかし有無を言わさぬ圧のある美森の言葉に、う、とたじろぎ。

「な、何で私が子供の相手なんかを……!」

「もしかして、子供たちと遊ぶのは嫌?」

 とどめに、友奈が夏凛のことを本気で心配する表情を見て。夏凛はついに根負けして呟く。

「わ、分かったわよ。日曜日ね。丁度その日は空いてるわ……」

 かくして夏凛も日曜日のレクリエーションに巻き込まれることになった。

「――緊張感のない奴ら」

 もう何度目かわからないため息をつきながら夏凛は小さく毒づいた。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 そして当日。

「遅いわね」

「来ないな」

「夏凛さん、どうしたんでしょう……」

 子ども会のレクが行われる児童館で、夏凛を除く勇者部は迫る開始時間にやきもきしながら夏凛を待っていた。

「もしかして、部室に行ったのかしら?」

 美森が言うが、涛牙は先日配られたプリントを改めて見直し、

「ちゃんと『現地集合』と書いてある。考えにくいな」

 文武両道を地で行くという夏凛がそんな初歩的なミスをするとは涛牙には思えなかった。

 フム、と顎に手を当てて考えていた風は、今度はスマホで夏凛に連絡を取ろうとしている友奈に話を振る。

「友奈、電話は?」

「ううん……一度つながったんですけどすぐ切れちゃって。掛け直しても今度は電源が切れてるってアナウンスが」

「――充電切れか?」

「……かも、です」

 名残惜しむようにスマホの画面の見つめながら友奈が答える。と、不意に何かに気づいたように顔を上げた。

「か、夏凛ちゃんに何かあったのかも!病気とか怪我とか事故とか!」

「お、落ち着きなさい友奈!」

 慌てだす友奈を宥めて、風はチラ、と集まっている幼児たちの様子を伺う。まだ開始時間には早いが、気の早い子供たちはすでにソワソワと落ち着きをなくしている。

「お姉ちゃん、どうしよう?」

 同じく様子を伺いながら、樹が聞いてくる。決断を迫られて、風は決めた。

「よし!残念だけど夏凛抜きで進めるわ!白羽くん、ドッジボールの的、1人だけどお願い!」

「ああ」

 予定では、夏凛と涛牙が別のチームとなってやりあうはずだったが仕方ない。

「前みたいに子供たち泣かさないでよ?!」

「……善処する」

 以前、幼稚園で園児たちと遊んだ際。涛牙はドッジボールでその運動神経を遠慮なく活かし、外野にいようが内野にいようがボールを手にすれば相手を容赦なく全滅させる大人げなさを発揮したことがある。

 当然手加減なしにボコられた園児たちは大泣きして風に友奈、美森までもが総がかりで宥める羽目になった。

「アタシたちは予定通り折り紙やお絵かき担当で!夏凛についてはレクが終わってからよ!」

「「「は、はい!」」」

「それじゃあやるわよ!勇者部、ファイトー!」

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 結論から言えば。夏凛は集合場所を勇者部部室と思い込んでいた。

 プリントはもらっていたし、折り紙教室もあるというので子供たちに教えられるように勉強もしていたのだ。だが、風の説明が丁寧だったことで却ってプリントを見返す事を怠った。

 その結果が、集合時間より早く部室に来て他のメンバーを待ちぼうけするというオチだ。

 気づいた時にすぐに連絡を入れればよかったのだろうが、残念ながら夏凛は他の部員の電話連絡先をスマホに登録していなかった。

 NARUKOアプリはあるのでそれで連絡を取れなくもなかったが、タイミング悪く友奈からの着信が入った事で夏凛は慌てふためき、うっかり通話切断をしてしまったのだ。

 そうして更に慌てぬいた末。夏凛はスマホの電源を切った。帰って鍛錬に時間を使うことにしたのだ。

(そうよ。あたしは完成型勇者。部活なんてやってるヒマは、ない)

 一度は口にした『レクに出る』という言葉を反故にした事や、せっかくかかってきた電話に応えなかった事。そんな後ろめたさを振り払うように砂浜で双剣を振るうが。

「……身に入らない」 

 木剣の先まで意思が通るような感触を得られない。ただただ決まった型の動きをしている、そんな感覚だ。

 それでも夕暮れまで剣を振るったのは、身体に染みついた訓練の習慣故か。だが、普段なら心地よく感じるはずの疲れが、今日に限っては鉛のように重い。

「……帰ろ」

 呟いて、夏凛は荷物をまとめて自宅に戻った。

 

 帰る途中、夏凛は胸中でずっとこれでいいのだと呟き続けた。

 自分は世界の未来を背負っている、日々を鍛錬に費やす事こそ正しい、普通に部活動などやる必要はない……。

 だがどれだけ考えても、胸のつかえは消えてくれない。

 部屋に戻っても、そのモヤモヤは消えず、むしろ膨らんでいく。

「ああ、もうっ!」

 モヤモヤをどうにかしようと、ランニングマシーンの上を無心で走っていると、突然チャイムが鳴った。

「?」

 チラ、と玄関の方を見やりながら、何だろうかと思う。宅配便?私物の類はすでに全て届いているはずだが。

 と考えているうちに、チャイムが連続して鳴り響く。 

「な、なに?!」

 しつこく響くチャイムに夏凛もさすがに動揺し、ふと思いつく。

 階下の部屋の住人が、ランニングマシーンの音がうるさいと怒鳴りこんできたのかもしれない。器具を設置する時に、騒音対策は充分にしたつもりだが、うるさいと感じるかどうかは相手次第だ。そして、勇者は大赦に属しているがそれは公にされるものではない。

 不意に感じた身の危険を振り払うように、夏凛は木刀を握ると玄関に向かった。鳴り続けるチャイムのリズムと呼吸を合わせ、ココと感じた刹那に扉を勢いよく開ける。

「誰よ?!」

「ヌ」

 扉に突き飛ばされて涛牙が軽く呻きながら後ずさる――涛牙?

「あっぶな!なによいきなり!」

 そう声をかけてきたのは風。その傍には樹と友奈、美森もいる。

「な、何度もインターホン押してくるそっちが悪いでしょ?!って何しに来たのよ?」

 夏凛が言い返すと起き上がってきた涛牙が口を開いた。

「元気そうだな」

「へ……?」

「友奈が電話入れても反応ないから、急に倒れたんじゃないかってみんなして気にしてたのよ。で、様子を見に来たわけ」

「あ……」

 言われてみれば当然といえる対応だ。だが、夏凛はそれが分かっていなかった。

 どう謝ったらいいかと夏凛が悩んでいるうちに、風を先頭に勇者部がゾロゾロと夏凛の家に入っていく。

「んじゃ、立ち話もなんだし、あがらせてもらうわよ」

「おじゃましまーす!」

「って、ちょっと待ちなさいよ! 何勝手にあがってんのよ!」

 夏凜が喚きながら阻止しようとするが、一旦出遅れてしまえば勢いで勝る勇者部には届かない。

 追いかけようとして、玄関に涛牙が立ち尽くしているのを視界に入れてしまう。

「――どうしたのよ?」

「一応、俺も思春期の男子だからな」

 女子の部屋に無遠慮に踏み込むつもりはないらしい。が、

「あぁもう!そんなところで立ってないで、白羽くんも入りなさいよ」

 風は遠慮というものをもっていないらしい。言われた涛牙が視線で入っていいか問いかけてくる。

「ああ、もう!許しがなかったらどうする気よ?」

「廊下で待っている。夜道に女子だけというのは、危ないだろう」

「おお!女子力ならぬ男子力の高い発言ねー!」

「いや関心するな。そしてアンタはコイツくらいの遠慮は持ちなさい!」

 言われても、風は口笛を吹くような仕草で聞かなかったフリをする。そこに、樹の驚く声が聞こえてきた。

 

 慌てて部屋に戻ると、

「す、すごい!ランニングマシーンがあるなんてスポーツ選手みたいです!」

「勝手に触らないで!特にボタン周り!」

 樹はランニングマシーンに興味があるのかチョンチョンと指先で触っている。夏凛が注意する一方で、キッチンからも声が聞こえてくる。

「……水しかない」

「勝手に開けんなー!」

 冷蔵庫の中身を見て驚いている友奈に文句を言うが、友奈は気にした様子もない。

「越してきたばっかだろうとは思ってたけど……なんか殺風景すぎない?女子力低くなるわよ」

「知るか!?」

 涛牙、美森と共にテーブルの上に紙皿やら菓子やらを並べながらそんな事をいう風に怒鳴り返し、夏凛は更に後を続けた。

「何なの?いきなり来て何やらかしてんの?嫌がらせ?!」

「んなわけないでしょ。ま、連絡一つなかったのはどうかと思うけど。……こんなモンね。友奈~」

 レクリエーションをさぼった事への仕返しかと疑う夏凛に、風は肩をすくめて返事をしながら友奈に声を掛ける。

 そうしてテーブル傍に来た友奈の手には大きめの箱があって。

 

「夏凛ちゃん、ハッピーバースデー!」

「「「「誕生日、おめでとう!」」」」

 

 箱の中には、イチゴの乗ったショートケーキが1ホール。ケーキの上には、チョコの板に『誕生日おめでとう』とメッセージが書かれたデコレーションもある。

「これ、どうして……」

 呆気に取られている夏凛がつぶやくと、風は懐から入部届を取り出した。

 そこには名前、住所、そして、()()()()()()()()がある。

「あんた、今日が誕生日なんでしょ? ここに書いてあるわよ」

 そう。入部届を見ていれば、夏凛が住んでいる場所も、今日が夏凛の誕生日という事もすぐわかるのだ。

「ウアァァァ……」

 気恥ずかしさで顔が赤くなっていくのを感じながら呻く夏凛に、更に追撃が。

「友奈ちゃんが気づいたのよ。ちょうど夏凛ちゃんの誕生日と今日のレクリエーションが同じ日だって。それで歓迎会も兼ねて誕生日会を開こうという事になったの」

 美森の解説に、ウグ、と夏凛が呻く。

「向こうにも事情を説明してね。サプライズでレクと一緒にやろうとしたのよ。それがいきなり音信不通だもの、焦ったわ」

 風にも言われて夏凛は呻くほかない。

「もう少し早く来るつもりだったんだけど……ドッジボールで子供たちがすごく盛り上がって、遅くなっちゃったんだ。ごめんね」

「……………」

 

 何故か友奈に謝られて。夏凛は顔を俯かせると、

「……バカ、ボケ……」

「んんっ?!」

 

 いきなり聞こえてきた罵倒に友奈もさすがに言葉をなくすが。

 再び上げた夏凛の顔は、先ほどとは違う赤で染まっていた。

「た、誕生会なんてやった事ないから――なんていえばいいのかわかんないのよ!」

 そんな夏凛に、風はフフと笑いながら。

「そんなの簡単よ。じゃあ改めて言うわ。せーの」

「「「「「誕生日、おめでとう!」」」」」

「……あ、ありが、とう」

「よく出来た!」

「こ、子供扱いすんな!」

 などと言い合ううちに、ふと誰かが笑い出して。それはすぐに皆に伝播していく。

 

 三好 夏凛はこの瞬間に、心情の意味で勇者部の一員となった。

 

 それからは皆で菓子やジュースを飲みかわし、樹が夏凛が練習のために使っていた折り紙に気づいて夏凛がしどろもどろになったり。

 友奈が文化祭で演劇をやろうと言い出して風を筆頭に皆がそれに乗っかってあれよあれよという間に文化祭の出し物が決まったり。

 静かだが殺風景なはずの夏凛の部屋は、気づけば騒がしくも楽しい場所になっていた。

 

 尚、涛牙もこの場にいるのだが、彼は相槌くらいで口を開かなかった。

 後で風がその沈黙の理由を聞いたところ。

「俺も、何を話せばいいのかわからない」

 との事だった。 

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 商店街から少し離れた場所にあるとある雑居ビル。その前に、学校帰りの夏凛はいた。

「ここね」

 手元のメモを見ながらつぶやく。下校時、靴箱の中に入っていたこのメモには白羽 涛牙の名前と、この建物の2階に来るようにとの一文が添えられていた。

 1階の薬局脇にある階段を上がり、2階フロアの店舗前に立つ。

 

 夕方から開店するダイナー、『グアルディア』。そこが、涛牙が来るように指定した店だ。

 

 ドアを押し開いて中に入ると、店内はカウンター席とボックス席が4つほどとあまり広くはない。照明は明るすぎない程度で、カウンターには口ひげを蓄えた壮年男性がグラスを磨いている。

 場違いな感じを受けながら店内を見渡すと、夕焼けに照らされたボックス席に涛牙が座っていた。

「来たか」

 涛牙の対面に座ると、夏凛は握っていたメモを突き付けた。

「で?なんでこんなんで呼び出すのよ?アンタもあたしもNARUKO使ってるんだし、一言入れりゃいいでしょ」

 先日の誕生会の折、夏凛はNARUKOの勇者部グループに登録済みだ。手書きのメモを使ってやり取りする必要はないはずなのだが。

「三好のメールを知らないからな」

 涛牙の返答に、眉をしかめる。

「……そーいえば、アンタってNARUKOのメッセージほとんど使ってないわね」

 誕生会後に参加したメッセージで、涛牙はほぼ無言。最後に夏凛が『おやすみ』と入れた後にようやく『お休み』と帰ってきた程度だ。

「メッセージアプリは苦手だ。一言返そうとするうちに話が流れていく」

「あ、そう」

 窓の外を遠い目で見ながら、涛牙が答える。

「じゃ、メールアドレス教えておこうか?」

「助かる」

「まあそれはそれとして。結局何で呼び出したのよ」

「ああ。本題に入ろう」

 話の軌道修正を図る夏凛に、涛牙も頷き返して。

「知る限りのバーテックスの情報を教えてほしい」

「……いいけど、なんでよ?」

 訝る夏凛に、涛牙は一度目をつむり、

 

「4対8なら策の練りようもないが、5対7ならまだ作戦次第で優位をとれる」

「それって!」

 何を言おうとしているのか察した夏凛の叫びに、涛牙はただ静かな視線で答えた。

 

 

「7体のバーテックスの総攻撃。一番あり得る展開だ」




夏凛加入イベントも終わり、いよいよ結城 友奈の章の山場が近づいてきております。
オリ主なのにバーテックスと戦えない涛牙なので、まだしばらくはアニメ通りの展開となっていく予定です。オリジナル展開開始までまだかかりますがお待ちくださいませ。


牙狼、雷牙主役の映画がついに公開されるようですね。You Tubeで予告編見ました・・・。
うっそぉバラゴ来るの?!鋼牙に大河も出演あり?!いや、マジどうなるんだ映画のストーリー。
近くで公開してくれるといいなぁ・・・。


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第8話 ネオ・レゾリューション(決意、新たに)

暑かった夏も終わり、少し涼しい季節になってきました。
自分は気候が急に変わると体調が崩れがちなので、一度秋めいてきたらそのまま秋に進んでほしいんですが、今年はどうなるでしょうかね。

さて、このお話も第8話。にぼっしーも勇者部の一員となったわけですが。

おや、お客さんが来るようですね。



「さぁて、今日も依頼が盛りだくさんよ!」

「……受ける依頼を加減しなさいよ」

 放課後の勇者部部室に響く風のハキハキした声に呆れたようにツッコむ夏凛。

 先日の誕生会で夏凛も勇者部の一員としての意識を持ったが、それはそれ。大赦の完成形勇者としては御役目にも力を入れてほしいな、とは思うのだ。

 そんな夏凛の気持ちを知ってか知らずか、風は依頼を振り分けていく。

「まずは、園芸部の花壇整備の手伝い!これは友奈と樹にお願いするわね」

「任せてください!」

「了解、お姉ちゃん」

「こっちは図書委員会から、貸出記録のデータの取りまとめ。これは東郷に任せるわ」

「はい。書物の知識はお国の礎。誠心誠意尽力させていただきます」

「じゃあ次。一般生徒からで、登校中に拾った猫を学校に連れてきていたら逃げ出して行方不明に……。これはアタシと夏凛でやるわよ」

「あんたと、2人で?」

「ま、夏凛もまだ入部したばかりだし、ここはベテランと組んで勇者部の活動を知ってもらおうかなってね。あとついでに校内案内も」

 風に言われて、夏凛はチラ、といつも通り部室の隅に立つ涛牙を見た。

「それはコイツでもいいじゃない?」

 視線で示されても涛牙は特に反応しないが、風の表情がニマリと歪む。

「おお~?これは意外な組み合わせか~?」

「オッサンくさいわね、あんたも」

 半眼の夏凛に、風はニマニマ笑いを引っ込めずに言葉を続けた。

「でも残念、白羽くんには校外からの依頼があんのよ。近くの小学校で、ウサギ小屋の修理の依頼よ」

「ああ」

 素っ気なく答えると、涛牙は部室の隅の工具箱を手に取る。

「あっそ。まあいいわ」

「それじゃみんな、今日の勇者部活動開始よ!」

 風の号令を受けてそれぞれ動き出す部員たち。

 

 その中の一人、涛牙の背中を見ながら、夏凛は先日の事を思い出していた。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

「7体の、一斉攻撃……」

 涛牙が告げた、残り7体のバーテックス総攻撃という可能性。さすがの夏凛も慄いて後ずさり――ソファに躓いてそのまま座り込む。

「そこまで驚くか?」  

 返す涛牙の声はただただ平静。テーブルに置かれたコーヒーを一口すすって後を続ける。

「あ、当たり前でしょ?!」

 対する夏凛の声には怯えが混じる。

「7体同時なんて――そんなの、最悪の事態じゃない!」

 実のところ、大赦からも連絡は入っている――残るバーテックスの大規模な攻撃は想定されうると。

 だが、残る7体が全て襲来するとまでは大赦では考えられていない。そんな、有り得なさそうな事態を「一番可能性がある」と断じたのは、夏凛が知る限り涛牙が初めてだ。

 そんな夏凛の狼狽えを、涛牙もまた不思議に思った。

「最悪の事態は想定して損はないと思うが?」

「それは、まあ……」

 呻きながら座り直すと、音もなく水の入ったコップがテーブルに置かれた。見るとカウンターにいた男(店のマスターだろうか)がいつの間にかお冷を注いで差し出していた。 

「風には、その話はしてるの?」

「いや。さっきも言ったが4対8だと策の練りようがないから黙っていた」

 

 単純な数で倍、質の点ではバーテックスは勇者1名と渡り合うには充分なスペック。しかも勇者側は、神樹様を守らなければならない上に美森が素早く動けないため、足を使ってかく乱することも難しい。

 そのうえバーテックスを完全に撃破するには『封印の儀』が不可欠で、それには儀式を行う者と露出した御霊を破壊する者が必要となる――1人で実行可能だとは、夏凛が参戦するまで風も涛牙も知らなかった。

 よしんば1人で封印・撃破出来るとしても、バーテックスを封じている間は勇者側も身動きが取れない。結局数で勝るバーテックスは自由に動き回れる個体が複数残ることになる。詰みだ。

 

「東郷は最初勇者となれなかった――戦う精神状態でなかったらしい。なら、迂闊に最悪を伝える事は心を乱して命取りになりかねない」

 バーテックスがどれだけ強敵なのかは4人の勇者全員が肌身で感じている。2戦目の3体同時攻撃を切り抜けられたのは、土壇場で参戦した美森が思いもよらぬ才覚を持っていたからに他ならない。

 そうして敵の脅威を実感した上で、それが8体同時攻撃、しかも有効な対策なしなどと聞かされれば、怯え竦むのも無理からぬ話だ。

「危険が見えていて、しかし話しても事態が好転しない――補佐役としては、歯痒い限りだ」

 そこまで言うと、涛牙は大きくため息をついた。

「三好が加わったおかげで、迎撃策を練る余裕が出来た。俺は、勇者たちには無事に御役目を終えてもらいたい。協力してくれ」

 そうして頭を深く下げられては、夏凛としても突っぱねるわけにいかない。

「――わかったわ。あたしの知る限りの情報を見せるから、いいプランを考えて頂戴」

 こうして、夏凛は涛牙とバーテックスについての情報交換をしていった。 

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 そんな事を思い出しながら、行き交う生徒たちに猫の行方を聞き込みする風の背中を夏凛は眺めていた。 

「う~ん、さすがに見つからないわね」

「猫がまだ校内にいるとは限らないわよ。逃げ出してからも時間は立っているだろうし」

 すでに学校の外に出たのではないか、と夏凛が言うと、風も難しい顔をした。

「町にまで捜索範囲を広げるとなると、人手が足りなすぎるかぁ。どうしたものやら」

 ブツブツと考え込む風に、ここが頃合いかと夏凛は声を潜めて口を開いた。

 

「――風。涛牙からは」

「バーテックスの話?」

 先ほどまでの溌溂した声とは打って変わった静かな返事に、夏凛は小さく頷く。

「ええ」

「メールで見たわ。バーテックスの詳しい情報アリガト」

 口調こそ軽いが、風の声に混ざった怯えを夏凛は感じ取った。

「怖いのね」

 夏凛が言うと、風の表情が強張る。図星か。

(当然よね)

 勇者にならんとして長年訓練を受け、日々鍛錬を欠かさない自分でも聞かされればたじろぐのだ。偶然に選ばれた風たちが怯えないわけがない。

「あたしなら戦いながらでも周りに指示を出せる――そんな訓練も受けてるのよ。あんたには向いてないわ」

 そんな夏凛の言葉に、風は。

 

「――勇者の御役目はアタシの役目で、アタシの理由なのよ」

 硬い声で返す。その言い草に、夏凛は小さく眉を顰めた。

「?それって――」

「アンタは後輩なんだから、黙って先輩の背中を見てなさい」

 そこでこの話は打ち切りという事か。先ほどよりも勢いよく廊下を進む風に、夏凛は小さくため息をついて後をついていく。

「で、話を戻すけど。猫探しのアイデアはない?」

「一気に戻すわね。――そうねぇ、猫に効くサプリでもあれば」

 

 

 そんな2人の姿を、廊下の影から伺う人影があった。

 うなじ辺りで髪を切りそろえ、讃州中学のものとは違う制服を着た少女だ。放課後だから他校の人間がいてもおかしいとは言い切れないが――校庭や図書室を覗き込む様子を目にする教師がいれば首をかしげたことだろう。

 幸いというべきか、当人が周囲に注意しつつ気配を殺しているからか。ここまで少女は見咎められずに校内を動き回っていた。

 話しながら角を曲がる風と夏凛の後を、少女は足音を忍ばせて追いかけて。

 

「さて」

 曲がった先で腕組みして仁王立ちしている夏凛と正面から向かい合う。

「ひょっ?!」

 足をもつれさせて転んだ少女を見下ろして、夏凛が視線を尖らせる。

「あんた、ずいぶん前からあたしたちの事をつけまわしていたわよね?何が目的?」

「あ、アワワワ……」

 夏凛に気圧されて、その少女はただただ怯え震えるしかない様子だった。

 答えない少女に対して夏凛は苛立ちを募らせて――

「ええいっ!初対面の相手を怯えさすな!」

 風のチョップが夏凛の頭をひっぱたいた。 

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 少女は、加賀城 雀と名乗った。

 曰く、愛媛の中学に通っているが、勇者部の事を聞いてはるばる訪ねてきたそうだ。

「わ、私、昔からすっごい臆病で!だからもっと……もう少しでいいから勇気を持てるようになりたいんです!」

 涛牙を除く全員が依頼を終えて戻ってきた部室で。オドオドとしながらもそう言った雀に、友奈が意気込んで答える。

「勇気を持ちたい――これって勇者部に相応しい依頼じゃないですか!」

「フム……こういったところからも我が勇者部の名が広まっていくのね。ククク、アタシの中の女子力が昂るわ」

 などと樹が苦笑いするようなセリフを言いながら、風は黒板に『加賀城さんが勇気を持てるようにする』と書き込むとメンバーに向かって声を掛ける。

「さて、勇気っていうとメンタル面よね。どうすればいいかしら」

「そうなると心理学に関わる話でしょうか……。調べてみます」

 美森がパソコンでネットを検索する中、夏凛はフ、と笑うと雀に近寄る。

「あ、あの、何か……」

 初遭遇の際の恐怖が残っているのか怯え切った顔つきの雀にさすがに内心傷ついたが。それは脇に置いて手にした煮干しの袋を突き出す。

「あんた、臆病を直したいんなら煮干しを食べなさい」

「え」

 何を言われているのかわからない、といった表情の雀に、夏凛は滔々と説明を始めた。

「煮干しにはカルシウムやアミノ酸といった身体にいい栄養が詰まっているけど、これらが効くのは身体だけじゃないわ。不安を和らげたり気分を高揚させたりする作用もあるの。だから煮干しを食べればあんたの問題はおおむね解決よ」

「は、はあ」

 よくわかっていないという感じの雀に煮干しの袋を持たせていると、続いて樹が挙手をする。

「お!夏凛の次は樹ね!」

「うん、お姉ちゃん。えと、加賀城さん。何かに怯えるっていうのは、『分からない』事が理由なことも多いと思うんです。占いを勉強して未来の事が分かるようになれば、怯えることも少なくなるんじゃないでしょうか。タロット占いなら私も少し教えられますよ?」

「えと、はい……」

「ふふん、加賀城さん?うちの樹のタロット占いはけっこー当たるのよ。教わっておいて損はないわ」

 風が満面の笑顔で樹を称えると、樹は顔を赤らめながらタロット占いの方法を説明し始めた。

 そうして樹の解説がひと段落したころ、横合いから美森がメモを差し出してきた。

「ざっと調べてみただけですけど、臆病を治す方法が書かれている本をいくつかまとめてみました。近くの書店や図書館で探してみてください」

 一度目標が決まれば全員が揃って全力を尽くす。これが勇者部の強みの一つだ。

「あ、ありがとうございます……」

 もっとも、初対面の雀にとっては面食らうところもあるようで、ポカン、と音が聞こえそうな抜けた表情で頭を下げてきた。

「え、えっと。これで勇気を持てるようになると思います。それじゃ、そろそろ帰らないといけない時間なので……」

「そっか。雀ちゃんは愛媛から来てるんだもんね」

 時計を見ながら友奈が言う。讃州市が愛媛に近い方だといっても隣の県だ。散歩がてらに来れるような距離ではない。

「は、はい!いきなり押し掛けたのに色々とよくして下さってありがとうございました」

 そうして改めてお辞儀をした雀は部室を後にしようとして。

「ん?猫?」

 と窓の向こう、校舎の屋上の縁で寝ている猫を見てつぶやいた。

 声につられて一同揃ってそちらを見て。風は慌てたようにポケットから猫のイラストが描かれたメモを取り出した。

「あああ!依頼されてた迷子の猫!加賀城さん、お手柄よ!」

 言うや否や部室を飛び出していく。車椅子の美森は気軽に動けないため部室に残ったが、樹に夏凛も後を追う。

「雀ちゃん、わたしたちも行こう!」

「え?アッハイ……」

 そして友奈に促されて、雀も一緒についていくのだった。 

 

 

 屋上の縁、日当たりのよいその場所で、猫は気持ちよさそうに寝そべっていた。と、不意に猫が目を開いた。視線の先には屋上につながる扉がある。

 部室に残った美森から猫の様子を電話越しに聞いていた風が扉を開き、勇者部の面々と雀が揃って猫に近寄っていく。

「よっしゃ、あとはどうにかして捕まえれば」

 そう言いながら、風の視線が周囲を見る。

 猫がいるのは転落防止用の柵の向こう側。柵は腰の辺りの高さなので乗り越えればいいがその先の足場は狭い。バランスを崩せば万が一もあり得る。

 だが猫が身を起こすのを見て、友奈は迷わず柵を乗り越えた。

「わたしが捕まえてきます!」

「ちょ、友奈?!」

「あ、危ないですよ!」

 夏凛や樹が注意するが、友奈は狭い足場を確かめながら猫と向かい合った。

「アワワ……」

 見ている側の雀が歯の根も合わない様子で見守る中、友奈は猫を怯えさせないようにゆっくりと近づいていく。

「だいじょーぶ。こわくないよ~」

 猫の方も自分に近づくニンゲンに気づいて周りを見回すが、逃げ場がないと悟ったのか或いは元々人には慣れているのか、特に抵抗せず友奈に捕まえられた。

 友奈も優しい手つきで背中を撫でながら、柵の向こうにいた樹に猫を手渡す。

「よし、これで依頼完了――」

 ホッと息をついた、或いは気の抜けたその一瞬。

 

 突風が友奈のバランスを崩した。

 

(え)

 

 突然の事に、友奈は声一つ上げられない。

 猫に気を取られていた風、樹、夏凛が一歩反応が遅れる中、友奈の危機に気づいたのは雀だった。咄嗟に柵越しに友奈の手を掴む――が、引き戻すどころか一緒に落ちていく。

 やけにゆっくりとなった友奈の視界から異変に振り向きかけた風たちの姿が消えて、友奈の腕をつかんだままの雀と、初夏の空が代わりに映り込む。その空もだんだんと遠のく。

(あ。落ちたんだ)

 地面にぶつかる数瞬の間、友奈が思えたのはそんな事。様子を部室から見ていた美森は、きっと悲鳴を上げているだろう。

(ごめんね、東郷さん)

 ただ、身体はとっさに雀を抱きかかえた。

 自分が落ちるのは、自分のせいだ。だが、雀は遠くから勇者部に助けを求めてきただけで何の落ち度もない子だ。自分のせいで雀まで命を落とすなんてあってはならない。

(雀ちゃんは死なせない――!)

 そんな決意とともにギュッと目を閉じて。

 

 

 横合いからの衝撃に吹き飛ばされる。

 

 

 一瞬意識が飛ぶほどに頭が揺れたと思えば次の瞬間には身体を擦りおろされるような痛みが走り、最後には硬いものにぶつかって動きが止まる。

 

「あ、う……」

「ふ、ぇぇぇ」

 雀共々痛みに呻きながら身体を起こすと、友奈が打ち付けられたのは校舎だった。全身から感じる痛みが、逆に自分たちが生きている事を伝えていた。

「い、いきてるぅぅぅ!」

「ホ、ホントだぁ~」

 身体を見下ろすと、夏服の時期なのでむき出しだった肘や膝を広く擦りむいたが、傷自体は深くはない。しばらくはお風呂に入った時に泣きたいくらい沁みるだろうけど。後は制服についた足跡はクリーニング店に持ち込まないと消えなさそうだ。

 目に涙を浮かべて雀と共に無事を喜びあい。

 

 

「それで」

 

 

 聞こえてきた声に、友奈の涙は引っ込んだ。

 錆びたブリキ人形のような動きで声の方を見ると、男がゆっくりと立ち上がるところだった。

 その男がいる場所は、ちょうど友奈たちが落ちたであろう場所で。

「花壇整備をしているはずの結城が、なんで屋上から落ちてくるのか。説明はしてもらえるんだろうな?」

 友奈を見下ろす涛牙の視線は、いつもよりもずっと冷たかった。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 部活などで勇者部のそばから離れる時、涛牙は密かに魔界竜を放っている。だが涛牙が扱えるのは1匹が限度だし、そもそも情報をリアルタイムでやり取り出来るほど便利でもない。何か異常があった時に涛牙の元に戻ってくるとか、その程度だ。夏凛が来た当初に様子を伺った時も法術の札を使わなければ魔界竜が見たものを見るようなことはできない。

 なので友奈がバランスを崩したその時。依頼を終えた涛牙が戻ってきていたのは偶然だったし、ふと上を見たのも偶然だった。

 

 友奈と、友奈の腕をつかんだ少女が揃って落ちるのを見たとき、さしもの涛牙も一瞬思考が止まった。

 だが、身体の方は出来る最善のために動き出す。工具箱を手放して疾走、落下地点に割り込もうとする。

 その動きの後を思考が追いかけ――受け止めるにも自分が下敷きになるにも少し足りないと悟る。

 ならば、どうする?

 ――死ななければいい。

 左脚に全力を込めて跳ぶ。落ちる友奈の動きの先を捉え、そこに右脚を渾身の勢いで打ち込む。

 涛牙が全力で放った跳び蹴りは友奈に直撃し、友奈が地面に直接たたきつけられることを防いだ――代わりに、横に蹴り飛ばされたことで地面を転がされ、あちこち擦りむくことにはなったが。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

「加賀城さん、本当にゴメンナサイ!」

「遠路はるばる来てくれた人に怖い思いをさせた。申し訳ない」

 保健室で擦り傷の手当てを受ける雀に対して、涛牙と風は深々と頭を下げた。

「い、いえいえそんな!私も結城さんも擦り傷で済んだんですし!」

 そんな2人を宥めながら雀が言うが、「生きてるからヨシ!」などと言える話でもない。

「それでも、やらなくていい危険を冒した挙句に人を巻き込むなど言語道断だ。部の年長者として改めてお詫びする。結城にも俺から改めて注意する」

 涛牙に言われて、雀は隣のベッドに腰かけている友奈に――米神の辺りをさすりながら未だ痛みに呻いている友奈に目を向けた。

 

「ううう、まだ痛い……」

 保健室に来る前、事の成り行きを説明した友奈は、涛牙から有無を言わせずアイアンクローをかけられた上に、雀を促して保健室に行くまでの道中を頭をつかまれた状態で引きずられた。途中で屋上から降りてきた勇者部の面々が止めなければ保健室までそのままだったろう。

 

「えと、結城さんも悪気があったわけじゃないと思うのですが……」

 さすがに痛々しい友奈の様子に雀も助け舟を出すが、

「悪気がないならなお質が悪い」

 その一言で切り捨てられる。話を聞いている周りの面々も冷や汗をかくが、涛牙の言い分は正論であった。

「えと、でも私も一緒に落ちたのは私が結城さんを掴んだからで」

 そう言うと、涛牙は不意に気づいたように友奈に顔を向けた。

「そういえば、結城。礼を言っていないな?」

「……言う前に思いっきり頭締め上げられたんですけど……」

 小声でぼやきながら、ようやく痛みが引いてきたのか、友奈は雀に近寄るとお礼の言葉を口にした。

「雀ちゃん、助けようとしてくれて本当にありがとう!雀ちゃんは自分が臆病だって言ってたけど、すごく勇気があるんだね!」

「あ~いや。それは勇気というか身体が勝手に動いたというか……」

「咄嗟に動けるだけ大したものだ」

 涛牙がポツリと口を挟む。

「加賀城さんがただの臆病者なら、竦んで動けなかっただろう。考えるより先に助けようとした。これだけでも、勇敢と呼ぶには足る」

「でも……結局何の役にも立てなかったですし」

「それを言うならわたしだってそうだよ。というか、わたしが雀ちゃんを危険にさらした原因だよ……」

「ああ、友奈ちゃん落ち込まないで!」

 自分で言って自分で落ち込む友奈を美森が励ますのを横目に、風が言う。

「危ない事や苦しい事に頑張って立ち向かえるのが“勇気がある”って言われる人だとは思うわ。でも、それって周りの人がそう言ってるだけで、本人がどう思ってるかはその人次第よ。ホントは怖くてたまらなくて、でも頑張ってるのかも知れないし、ね。それこそさっきの加賀城さんみたいに」

「そ、そうでしょうか……私、本当に臆病で。いつも悪いことが起こることを想像しちゃうし、怖そうな人を見ると目を付けられないかって思っちゃうし」

 尚俯きがちに言う雀に、涛牙が言う。

「最悪を想定するのは、悪い事じゃない。危険からは距離を取るのが一番だ」

「え?」

「それが出来ないなら立ち向かうしかないが。俺が思うに、加賀城さんは危険を察する臆病さとそれでも動ける胆力を併せ持つんじゃないだろうか」

「え、えええ?!」

 褒められた事に仰天する雀の手を、立ち直った友奈が握る。

「わたしだって臆病だよ。危ないのも痛いのもすっごく怖いもの。でも、友達が困っていたら、わたしはどんなに怖くても友達を助けたいと思う。さっきの雀ちゃんみたいに」

 友奈の朗らかな笑みに、雀は自分の心が暖かくなるのを感じた。

 

 

 

「(結城は考えなしに動きすぎだと言ってやった方がいいだろうか)」

「(シッ!今いい話でまとまってるんだから!)」

 そんな涛牙と風のヒソヒソ話は、幸い他の者には聞こえなかった。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 雀の見送りと、友奈の早上がりでその日の部活は解散となった。

 樹に買い物を頼んで先に帰ってもらった風は、夕日の差し込む部室で大きく息をつく。

(本当に、無事でよかった……)

 友奈と雀が屋上から落ちた瞬間、風は全身が氷になったような寒さを感じた。もし涛牙のファインプレーがなく2人が命に関わるようなことになれば、誰に言われずとも責任を取って死のうかと思ったほどだ。

 

(でも、それも今更の話よね……)

 

 次に感じるのは自己嫌悪。

 本人たちに秘密でバーテックスと戦う御役目――命を賭けた戦いに引き込んでいたのは自分だ。精霊バリアがあるからといって危険極まりない事に変わりはない。

「怖いか。犬吠埼」

 そうして机に突っ伏していると、不意に声が掛けられた。見ると、涛牙と夏凛が並んで風を見ていた。

「ええ、怖いわ……こんなに怖いのね、自分のせいで誰かが死ぬかもっていうのは」

 これまでもバーテックスと戦う時に感じていなかったわけではない。だが、皮肉にもバーテックスとの闘いとは関係のない場所で、風は自分の判断ミスが仲間を、友人を殺しかねないという恐怖に向き合った。

 柵の内側から猫を捕まえられるように虫取り網でも探しにいっていれば。友奈が柵を乗り越えた時に頑として制止していれば。友奈が柵の内側に戻るまで目を離さずにいれば。あんな事故は起こらなかったんじゃないか。そんな仮定が消えない。

「なら」

 言いかけた夏凛を、手で制する。

「だからこそ、勇者部を始めたアタシが逃げるなんてマネ、出来るわけないでしょ」

 そう。大赦からの命令であったとしても、勇者部を作り、メンバーを集めたのは自分だ。それを、例え専門の訓練を受けてきた夏凛であっても、ハイそうですねと預けられるわけがない。

「アタシは逃げないわ」

 硬い、しかしその内側に激情を秘めた声に、夏凛もそれ以上言い募る事は控えた。

 代わりに、涛牙が手にしたチェスのセットを風の前に置く。

「なら、最悪に備えて出来る限りの事はしておこう」

「ええ」

 今日味わった恐怖を決して現実にしないために。

 犬吠埼 風は決意を新たに勇者の御役目と向き合うのだった。




第8話いかがだったでしょうか。

今回は樹の歌の話――ではなく、くめゆからのゲストが中心に来たお話でした。くめゆ小説版のエピソードにアニメでの風と夏凛のやり取りを一部混ぜ込んだ感じです。

今後の話でくめゆが絡んでくるかは未定ですが、一応「ゆゆゆ」アニメがベースになっているのでサブストーリーで少し出てくるくらいかな、と思っています。

それではまた次回お会いしましょう。


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第9話 テイク・ミー・フォワード(この手を引かれて)

前回からひと月以上かかりましたが、どうにか第9話が出来ました。

相変わらずの遅筆ぶりに加えて、今回は少し短めになってますが、気長にお付き合いくださると幸いです。




 友奈転落騒ぎからしばらく経って。

 日増しに夏が近づいてくる中、勇者部の活動は普段通りを取り戻していた。

 

 友奈は、この春を通しての勇者部の活動をまとめた校内新聞のレイアウトを考え、美森は勇者部のホームページを更新中。

 夏凛は描いてきた猫の飼い主募集のポスターを見せてその絵心のなさをからかわれ、風は常に煮干しを食べる夏凛に「にぼっしー」とあだ名をつけて即拒否される。

 

 そんな、いつも通り賑やかな勇者部の部室で。

「はぁ……」

 伏せていたタロットカードをめくって。犬吠埼 樹は小さなため息をついた。

 別段、隠すつもりがあったわけでもないが、周りに聞かせるつもりもない、そんな小さなため息だ。賑やかな部室で聞き取る者はいないと樹は思ったのだが。

「ん?どしたの樹?」

 姉妹ならではの勘でも働いたのか、夏凛とじゃれ合っていた風がふとした様子で声をかけると、他の面々もそれにつられて樹に注目してくる。

 こうなると、樹が何も言わないわけにもいかない。

「……今度、音楽で歌のテストがあって。その結果を占ってたんだけど……」

 手元のカードは「死神」。

「……意味は、『失敗』、『破局』、『結果が出ない』……」

 不吉な絵柄も相まって、悪い展開しか思い浮かべられない。

 先日、雀に対して「将来が分かれば勇気を持てる」とアドバイスした樹であるが、悪い未来が見えてしまうとそれはそれで怖気づくものだと実感してしまう。

「ま、まぁまぁ!あまり気にすることないわよ!ホラ、正月のおみくじだって必ず当たるわけじゃないし!」

「そうだよ!それにまた占ってみれば結果も変わるかも!」

 風と友奈がいう意見も一理ある。樹は改めて自身のテストの結果を占ってみた。その結果は。

 

「『死神』が、4連続、だと……」

 本気で慄いた様子で風が呻く。一体どれだけの確率をすり抜けたんだ。

 これには見ていた全員が困った顔をするしかない。更に落ち込んだ様子の樹をフォローするにも、彼女の占いの的中率の高さを無視できない。

 そんな周囲の様子に、樹は表情をなお一層暗くした。

 

 妹を愛する風が、そんな落ち込んだ樹を放っておけるわけもなく。

「こうなったら、アタシたちの力を結集して、樹を助けるしかないわ!」

 黒板に『樹を歌のテストで合格させる!』と書き込む。

「勇者部は困っている人を助ける部活!それは同じ部員であっても例外ではないわ!」

「わたしも賛成です!」

 と友奈が言えば、部内の大勢は決まったも同然だ。

「あ、ありがとうございます……」

 畏まったように肩をすぼめる樹を囲むようにして、涛牙以外が相談を始める。

「で、歌がうまくなるにはどうすればいいんだろう?」

 友奈が首をかしげると、美森は柔らかな笑みを浮かべて即答した。

 

「アルファ波を含む声を出せれば問題ないわ」

 

「「「「え」」」」

 いきなりの発言に友奈たちの声がハモる。その顔に浮かんだ怪訝さに気づかないのか、美森は後を続けた。

「良い音楽や歌というのは、アルファ波が出ているかどうかというのが大きく関係してくるのよ」

 広げた掌で何かをさするように円を描く仕草も交える美森に、風と樹の頬が引きつる。他方、友奈は表情を輝かせて、

「そうなの、東郷さん?!すごいよ樹ちゃん、さっそくアイデアが出てきた!」

 普通に美森の博識に感心した様子だ。

 一方、自身も健康に強い関心のある夏凛はすぐさまスマホを取り出して調べ出した。

「アルファ波……。リラックスしている時に発生する脳波……」

 いや、これ声に混ぜられないんじゃ。

 そう後を続けようと思ったが、夏凛を向いた美森の(黒いオーラを放つ)笑顔を見て止めておく。

 

「あ、あの、東郷先輩。私、そもそも歌うことが苦手で……」

 樹の言葉に、美森もアラ、という顔をする。そもそもの問題点だ。

「樹は1人で歌ってるときは上手いんだけどね。人前で緊張するのが問題かしらね」

 風の言葉に皆が頭を捻る中、涛牙が遅れて部室に入ってきた。

「……どうした?」

 雁首を揃える面々に涛牙が尋ねる。

 風がこれまでの流れを一通り離し終えると、友奈が声を掛けてきた。

「涛牙先輩!涛牙先輩は樹ちゃんの歌の上達にアイデアはありますか?」

 聞かれて、涛牙は少し考え込む様子を見せてから、

「緊張してても自然と歌えるくらい身体に染みつかせればいいんじゃないか?」

 ある意味脳筋的な意見を出す。その意見に、

「つまりは――習うより慣れろ、ですね!」

「まあ、小手先の技術よりは効果があるかもね」

 友奈と風が頷きあう。樹の歌唱力向上に向けて、方針はここに固まった。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

『♪~』

 カラオケ店、「MANEKI」。名の通り招き猫のイラストを看板に掲げた店だ。

 その店内の一室で、勇者部一同を前に風はポップな曲を軽やかに歌い、聞き手は備え付けのマラカスやタンバリンで風を盛り上げる。

「は~い、みんなありがとー!」

 晴れやかな顔で歌い上げた風がマイクを掲げて言うと、友奈は手にしたタンバリンをより一層かき鳴らす。

 

 樹の歌テスト対策はある意味単純だった。

 人前で歌うのが緊張するというなら、慣れている勇者部メンバーの前で自然に歌えるようになって自信をつければいい。ついでに課題曲を歌えばテストの練習にもなって一石二鳥。

 かくして勇者部一同、今日の依頼をひとまず終えてから揃って「MANEKI」に足を運んだわけだ。

 

「さすがお姉ちゃん」

「風先輩上手~!」

 樹と友奈の称賛にフフン、と得意げな顔をする風。そんな様子を夏凛はさほど興味なさそうに眺めていたが、次に予約を入れていた友奈からマイクを差し出された。

「夏凛ちゃん、一緒に歌お?」

「は?」

 いきなりな誘いに目が点になる。

「あ。夏凛ちゃんの知らない曲だった?」

 友奈が口にした曲名自体は夏凛も知っているものだったが。

「いや、あたしは別に歌うつもりは」

 夏凛とて歌が苦手だったり人前で緊張したりという事はないが、別段歌うつもりはなかった。必要以上に馴れ合う気はないし、そもそも樹の歌唱力アップが目的なのだからみんなで歌うこともない。そう思っていたのだ。

 

 だがそんな夏凛の振る舞いが、風のからかい心に火をつけた。

「そうよね~。さすがにアタシの後じゃしり込みしちゃうわよね~?」

 ニンマリとした顔で採点機を示す風。その画面には「92点」という高評価が。

 ――負けず嫌いな夏凛を動かすには充分な燃料が投下された。

「――友奈、マイク貸しなさい」

 先ほどとは打って変わって闘志に燃えて、夏凛は友奈と共にテレビの前に並ぶ。

「完成型勇者を、なめんじゃないわよ!」

 風に向けて啖呵を切り、友奈と共に歌い始める。

(犬吠埼、三好の扱いに慣れてきたな)

 カスタネットを叩きながら涛牙が内心つぶやく中、2人のデュエットが流れていく。

 夏凛にとっては初めて歌う曲だったはずだが、それでもリズムや音程を上手くバックミュージックや友奈の歌と合わせながら夏凛は見事に歌い切った。やがて採点が行われ、出てきた数字は――「92点」。

「どうよっ!?」

 勝気な表情を風に向ければ、返ってくるのは大きな拍手と風たちの満面の笑み。隣では友奈も楽しそうな笑顔を見せている。

 今更らしくないことをしたと気づいて夏凛は頬を染めた。

 

 続いて流れてきたイントロは、ここまでの曲がテンポの軽い傾向だったのに比べて、どこか行進曲のようなリズム。

「あ。私が入れた曲」

 と、美森がマイクに手を伸ばす中。

 友奈、風、樹が突如立ち上がり、背筋を伸ばして右手で敬礼の姿勢を取った。

「え?なに?」

 呆気にとられる夏凛をよそに3人の表情は真剣そのもの。立ち上がらない涛牙に美森はピク、と口元を震わせたが、気を取り直して歌いだす。

 だが、そのリズムも歌詞も、一般的な女子中学生が好むタイプとは違う歌だった。何だ、古今無双って。御国のためにって。

「……なにこれ」

「さあ」

 夏凛が涛牙に聞くが、涛牙はただ首を横に振るだけだった。

 

 やがて美森が歌い終わると、直立不動だった面々も何事もなかったようにソファに座り直した。

「ね、ねえ友奈。今のって……?」

「ああ。東郷さんが歌う時にはいつもこうしてるんだよ」

「そ、そう……」

 どう反応すればいいのか、といった様子で夏凛が呻く一方、美森は涛牙に向かって目じりを吊り上げた。

「涛牙先輩!前にも言ったじゃないですか!御国を守る防人のための歌なのだから敬礼をしてほしいと!」

「嫌だといったはずだ」

 にべもなく切り捨てた涛牙に美貌を歪めてヌググとする美森。友奈がすぐさま間に入ってとりなすが、涛牙はまるっきり知らん顔だ。

 

 そんな空気の中次に流れてきたイントロは。

「これって――」

「あ。私です。テストの課題曲で」

 マイクを手に樹が前に出る。

 表情からして不安でいっぱい、マイクもかすかにふるえる両手で握っている様子は、樹が――この慣れているはずの勇者部の前でも緊張しきっている事を如実に示していた。

 曲名は『早春賦』。皆の視線が集まる中、樹は一度深呼吸してから歌い始め――

 

 ――緊張のせいか、最初の一音で音程が大きく乱れた。

 

 それに焦ったのか声を正そうとして失敗し、そこで更に慌てて――の悪循環。結局最後まで歌い切る事なく、樹は歌を中止した。

 

 ソファに戻って俯く樹に、風はやさしく声をかける。

「やっぱり硬いかな」

「うう、誰かに見られてると思うと、それだけで緊張して」

 肩を小さくする樹の様子に、夏凛はこれは重症だ、と結論づけた。

「まあ、最初の予定通り、この面子の前で緊張しないようになればイケるでしょ!」

 風がそう言いながら、不意にマイクを涛牙に回す。

「ホラ、次は白羽くんよ!」

 言われて、涛牙は本気でキョトンとした。

「樹の歌唱力訓練だろう?後は樹が歌い続けるのでは?」

 涛牙の言葉に、樹が「ウェェェ?!」と奇妙な悲鳴を上げるが、風は涛牙に苦笑いを返した。

「いやいや。みんなで歌い合ってまずは緊張をほぐさなきゃでしょ。で、白羽くんって打ち上げに誘ってもあまり顔出さないし歌わないし。せっかくの機会、白羽くんも歌いなさいな」

 涛牙が困惑した表情で周りを見渡すが、一同涛牙の歌声に興味津々の様子を見せる。美森だけは先ほど邪険にされた意趣返しなのか挑発的な顔だが。

「……わかった」

 仕方なしにマイクを手に取り、選曲用の端末を操作。

 

 流れてきたイントロに、他のメンバーがみな「おや?」という顔をする。

 涛牙が選んだ曲は『荒城の月』。『早春賦』と同様、音楽のテストで歌われる名曲である。

(まさか……私のダメっぷりをはっきりさせるつもりですか?!)

 樹が顔色を青くする中、涛牙は静かに呼吸を整え。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……」

 歌い終わって、涛牙は静かにマイクを下した。この手の娯楽には疎いが、やってみると悪くないと思う。

 余韻に浸りながらテーブルを囲むメンバーを見ると。

「「「「「……………」」」」」

 全員が、なんとも難しい顔をしていた。

「どうした?」

 涛牙に聞かれて、お互い視線を交わし。意を決した風が小さく咳ばらいをしてから、涛牙の歌に評を下す。

 

「ゴメン。お経にしか聞こえなかった」

「――そうか」

 涛牙が採点画面に目を向ければ、「10点」という低評価。

「え、えと。涛牙先輩。音楽の成績って……」

 躊躇いがちに尋ねる友奈に、涛牙はほんのかすかに残念そうな気配を見せながらも、どうという事もないように答えた。

 

「1だ」

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 翌日もテストに向けた樹の歌唱力アップ計画は続いた。

 特に夏凛は喉の調子を向上させる栄養を含むサプリを大量に持ち込んで樹に勧めたりしたのだが、やはり人前で緊張するという樹のあがり症の克服には至らず。

 

「はぁ……」

 風呂で湯船に漬かりながら、樹はまた大きなため息をついた。

(あんなに協力してもらってるのに、全然うまく出来ない……)

 昨日の涛牙の提案に沿って樹がひたすら歌ってみるという荒療治も試してみたが、緊張からの音ズレが恥ずかしくてどうしても最後まで歌いきれない。

 

 うつむきがちにしていると、ふと近くに気配を感じた。見ると、樹の精霊、木霊が樹を覗き込んでいた。

 マリモから芽が生えたような姿の木霊に表情はないが、心配しているような気配を感じるくらいは樹にもできる。

「大丈夫だよ、木霊」

 安心させるように声をかけて、樹は不意に歌を口ずさんでみた。

 その歌声は、みんなの前で歌う時とは打って変わって音は外れずリズムも狂ったところのない、カラオケ店での風や友奈たちに勝るとも劣らない上手さだった。歌につられてか木霊もリズムに合わせて飛び回るほどだ。

 

 そうして歌う樹に、不意に声が掛けられた。

「やっぱり樹、1人で歌うと上手いじゃない」

 慌てて振り向くと、風呂場のドアから風が顔を覗かせていた。

「お、お姉ちゃん!?聞いてたの!?」

 樹が聞くと風は1つ頷き、

「樹はもっと自信を持っていいのに。ちゃんと出来る子なんだから」

 そういうとドアを閉める。

 

 風の言葉に、しかし樹は自信を抱くよりも先に勇者部のみんなの前では歌えなかった情けなさや申し訳なさの方を先に感じてしまう。

(お姉ちゃんはああ言ってくれるけど……私、どうしても自信が持てないよ……)

 

 

 近づいてくる審判の刻(歌のテスト)に、樹は未だ光明を見いだせずにいた。




カラオケはたまに遊びに行くんですが、基本1人で行ってますね……。歌いたい歌をノンストップでどんどん歌いたいというか、下手の横好きだから聞かれるのがハズいというか。
それはさながらこの話段階でのいっつんの如く。中学時代に歌唱力テストがなくてよかった……っ。


それと映画の「牙狼」、見に行ってきました!
物語の中心となるであろう謎の列車がまさかアレだったりとか、ポスターにも出てたあの面々がガッツリ出てたりとか、まさかまさかのヤツが暴れまわったりとか。
冴島家の「牙狼」の集大成と言える作品でした。


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第10話「フューチャー・ゲイザー(未来を見つめて)」

2020年、あけましておめでとうございます。

前回から2か月も空いてしまいましたがどうにか続きを書くことが出来ました。
遅筆で申し訳ないですが今後ともよろしくお願いいたします。


 ――あれは、2年前の秋の事。大橋で大きな事故があった日。

 夕方に、突然うちに見知らぬ人がやってきた。

 時代錯誤な神職の服装に、顔全体を隠す仮面を付けた人たち。ただ、仮面についた7つの枝と5つの根を持つ木を象った紋様の事は私もお姉ちゃんもよく知っている。

 四国で一番大きな組織、『大赦』の紋章だ。お父さんもお母さんも大赦で仕事をしているから、そのマークは見知っている。

 けれど、お父さんもお母さんも(仕事場の事はわからないけど)うちや街中では仮面をつけたりはしていなかった。

 その事に怯えてお姉ちゃんの後ろに身を隠した私をよそに、神官さん達は話があるとお姉ちゃんを連れて行って。

 

 少しして帰ってきたお姉ちゃんから。お父さんとお母さんが死んじゃったと教えられた。

 

 それからは元の家を引き払って讃州市に引っ越して。新しい学校に通うようになって。

 慌ただしさがひと段落したころには、お姉ちゃんは“お母さん”にもなった――料理に掃除、洗濯その他の家事も。お母さんがしていた事を全部やれるようになっていた。

 それだけじゃない。家事の合間を縫いながら、私の勉強も見てくれて。学生の本分である勉強も、学校が急に変わったのに前にもまして力を入れて優等生と褒められるほど。更には勇者部の部長として、校内に限らず町中でどんどんみんなのためになる事をして褒められ、頼りにされている。

 その毎日はせわしなくて、でもとても充実した表情で毎日を送っている。それが私の姉、犬吠埼 風だ。

 そんなお姉ちゃんは私の自慢で。

 でも、同時にその大きな背中を見ているだけ――もしくは背中に隠れて、手を引かれながら後をついていくだけの自分の事を、恥ずかしいと思うこともあって――。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 部活の時間も終わり、夕日が差し込む勇者部の部室で、涛牙と風はチェス盤を広げて向かい合っていた。

 もっとも、実際にやっているのはチェスではない。

 風の側には5色のシールを貼ったポーンの駒とキングの駒が。涛牙の側には「ア」「タ」「リ」「レ」「ジ」「ピ」「水」と一文字が書かれたシールを貼った7種の駒が横一列に並んでいる。

 5人の勇者で神樹を防衛する勇者の『御役目』。これから訪れ得る最悪――残り7体のバーテックスの総攻撃を想定したシミュレーションだ。

 

 当然の事ながらルールも違う。普通なら一手ごとに攻守が変わるがここでは自分の手番で手駒は全て1回は動かせることにしている。

 そんなわけで。涛牙は手駒を横一列のまま一斉に前に動かした。全7体のバーテックスが一斉に攻め寄せてくる。これが涛牙が想定する最悪だった。

 

 対して風はその盤面を睨みながら難しい顔をする。

 何日か前からこの展開のシミュレーションをやっていて一度もしのぎ切れていないのだから仕方がないか。

 涛牙も急かす気はない。ここでどれだけ悩み、知恵を出せるかが、この事態が現実になった時の役に立つのだから。

 そうして風は長考を続け――

 

「白羽くん」

 不意に声を掛けてきた。

「ギブアップか?」

 聞き返すと、風は真剣なまなざしを涛牙に返し、

「樹のテストの件、いいアイデアはない?」

 全く関係のない事を尋ねてきた。

 

「――ここで、それを聞くか」

 しばしの絶句を挟んで漏れた涛牙の声には、多少ならず呆れの気配が混ざっていた。

「だーってー!みんなでアレコレ試してるけどうまくいってないんだもんー!バーテックスも大事だけどこっちもアタシには大事なのよー!」

 アウゥと呻く風に涛牙はため息をつく。

「別に、うまくいかなくても死ぬようなことはないだろう」

「いや、生き死に絡むような話にされるのもアレだけど……」

 さすがに引き気味になりながら、風は後を続けた。

「ホラ、姉としては樹が凹むところは見たくないし、クラスのみんなに樹のスゴイ所を知ってほしいな~てのもあるのよね」

 

 言いながら、風は手元の駒のうち4つを分散して進め、青いシールを涛牙側の駒の1つに貼る――美森が狙撃してます、という印だ。

 

「うちって2年まえに引っ越してきたから、樹も昔からの友達とは離れちゃっててね。人見知りな方だからこういうきっかけがあると友達作りやすいんじゃないかって思うのよ」

 そう続ける風に頷き、涛牙もまた駒を動かす。シールを貼られた駒は足止めされたものとして、残りの駒で分散した勇者を各個包囲していく。

「下手なら下手なりに声を掛けられるがな」

「体験談?」

 先日のカラオケで音楽の成績が悪い事を明かした涛牙の言い分だ。不穏を感じた風が聞くと、

「ああ。随分と囃し立てられたが、ひと月もすれば皆飽きたようだった」

「ダメじゃない……。白羽くんはメンタル鋼だろうけど樹はそうじゃないんだから」

 あまりアテにはならない話ではあった。

 

「ホント、どうしたモンかしらね……」

 本格的に樹のテストの方で悩みだした風に、ため息をついて。

 涛牙は先日の事を思い返していた。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 樹の歌唱テストの日が近づこうとも、勇者部への依頼は関係なしにやってくる。

 そんなわけで、涛牙は河川敷の清掃の依頼を受けてゴミ拾いをしていた。

 河川敷や海岸のゴミ拾いは勇者部にちょくちょく入ってくる依頼で、勇者部の黒一点である涛牙はこの手の依頼を率先して受けている。依頼が増えてきた最近では、勇者部からの参加が彼1人という事も増えてきた。

 

 だが、今日は。

「珍しいな」

 樹が同道していた。

 涛牙が改めて言うように、人見知りであったり身体を動かすのが得意とは言えない樹が、風の下を離れて体力勝負な依頼に就くのは珍しい。

「……ちょっと、身体を動かしたくて」

 弱気な声で答える樹に、フム、と涛牙は得心する。

(気分を変えたくなったか)

 テスト対策は連日続いているが、目に見えるほどの成果は上がっていない。じっとしていると焦りばかりを感じてしまうから、身体を動かすことで気を紛らわせるつもりなのだろう。

「無理はするな」

 多少の気遣いを込めてそういうと、涛牙はゴミ拾いを再開する。

 

 神樹という明確な崇拝対象が実在することもあってモラルが高いと言われるこの時代だが、だからといってゴミをポイ捨てする人がいなくなるかといえばそうでもないし、強風で飛ばされたゴミが川に行き着くこともある。時には、古い家財道具や家電が置き去られていることもあったりする。

 

 

 ――そうした器物が陰我を宿すオブジェにならないとも限らない。警戒はして損はない。

 

 

 そうしてしばらく作業を続けていると、ふとした様子で樹が口を開いた。

「……あの、涛牙先輩」

「なんだ」

 手を休めずに尋ね返すと、樹はしばし言葉に迷ってから、意を決したように聞いてきた。

「涛牙先輩が勇者部にいる理由って何ですか?」

「――藪から棒だな」

 改めて振りむけば、樹は涛牙にしかと目を向けていた。

 真剣な質問だと理解して、涛牙は素直に答えた。

 

「そのように指示されたからだ」

 そう答えると、樹は露骨に困った表情をした。

「なんでそんな事を聞く?」

 気になって聞き返すと、また少し口ごもってから、樹は答えてきた。

「この間、家の事や勇者部の事で、お姉ちゃんにばかり大変なことをさせちゃってるって話をしたら、お姉ちゃん、理由があるから頑張れるって言ってたんです」

「ふむ」

 涛牙が相槌を打つと、樹は後を続けた。

「……私、理由なんて何もなくて。勇者部に入ったのも、勇者になったのも、みんなお姉ちゃんについていっただけで」

 空を見上げて樹は言う。夏の近づく空は突き抜けるような青で、その広さと深さに却って気分が沈んでいく。

「そう考えてたら、なんだか色々分からなくなってきて。涛牙先輩はどうなのかなって思ったんです」

 

 深いため息をつく樹に、涛牙は春先の事を思い出した。勇者に選ばれバーテックスとの戦いが始まった時、樹が勇者として戦うことを選んだのは、確かに、姉である風が戦うから、だった。

 今改めて樹が悩むようになったのは、それだけでは自身の理由に足りないと感じるからか。

「助けになれずに、すまんな」

 実際問題として、涛牙が勇者部にいる理由は先ほどの通りだった。それがなければ、勇者部には混ざっていなかっただろう。

 

「だが、大体の場合、理由なんて“人から言われた”とそう変わりはしないだろう」

「……そうでしょうか?」

 弱気な顔をする樹に、肩をすくめる。

「今、俺たちがゴミ拾いをしている理由は?」

「勇者部に依頼があったからです」

「そうだ。そう頼まれたからだな。では学生がテスト前に勉強に力を入れるのは?」

「……テストで、いい点を取りたいから?」

「そうだな。それが何故かと言えば、親の望みに応えるためや、周囲に笑われたくないとかだ。どうだ?大袈裟な理由でもないだろう?」

「それは、まあそうですけど」

 

 あまり納得出来ていないような様子の樹に、涛牙は後を続けた。

「犬吠埼の理由は俺も知らないが。勇者部については大赦の指示。家の事はお前がかわいいから世話を焼きたがっている。そんなところだろう」

 風が妹を可愛がっている――というか溺愛している――という事は去年のうちから勇者部員は皆察していたし、樹が入部してからはその予想に間違いがなかったことを改めて実感しているので涛牙はそう言ったのだが。

 樹の悩み顔が晴れる様子は見られなかった。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

「――理由を深く考えすぎか?」

 ポツリと呟いた声に、風はン?と首をかしげたが、涛牙にとっても独り言に過ぎない。手を振る仕草で話題を追い払う。

「まあ、ダメだった時は犬吠埼が宥めてやればいい」

「うまくいかないこと前提にしないでよ?!」

 そう言う風も、ではどうすればよいか?となるとアイデアがあるわけでもない。

 

 最大の問題は、樹が人前で緊張しすぎることだ。それを解消さえ出来れば――普段口ずさむように歌うことが出来れば――テストは何の問題もない。

 腕組みをして風が難しい顔をしていると、不意に風のスマホが震えだした。

「?白羽くん、ちょっといい?」

「むしろ今日はこれでお開きにするか」

 いっそ樹のテスト対策に集中すべきと思った涛牙の言葉に頷いてから、風は電話に出て、

 

『風先輩!わたし、いいアイデアがあるんです!』

 

 友奈からの電話に、風は感嘆の声を上げた。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 そして、テスト当日。

 放課後の勇者部部室に樹が入ると、すでに部員が勢ぞろいしていた。

「樹ちゃん、テスト、どうだった……?!」

 緊張した面持ちで聞いてくる友奈に、樹は。

「歌のテスト、ばっちりでした!」

 笑顔と共にⅤサインを見せると、涛牙を除く全員が歓声を上げた。

「やったね!樹ちゃん!」

「みなさんのエールのおかげです!」

 友奈とハイタッチをしながら、樹はポケットから、ノートのページを切り取った寄せ書きを取り出した。

 

 それは、友奈の思いついたアイデアだった。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

『樹ちゃんが緊張しちゃうのって、1人でみんなの前に出るせいじゃないかと思うんです!』

 友奈がそう思ったきっかけは、勇者部の活動中の事。

 幼稚園の手伝いに行った時、みんなと一緒にいると元気にはしゃいでいた園児が1人になると大人しくなるのを見て、不意にカラオケ店での樹の様子とダブるものを友奈は感じた。

 1人で歌うとき樹はたどたどしい歌い方になったが、他の人と一緒に歌う時、樹の歌は緊張を感じさせなかったのだ。

『だから、樹ちゃんはその場には1人だけど、わたしたちがいる、一人っきりじゃないよって伝えられたら、きっと緊張せずに歌えるんじゃないかって』

 

 それは、或いは発想の転換と言えた。

 ここまで、樹を含めた全員が、如何に樹が“1人で”本番の緊張を乗り越えるかを主眼を置いていた。

 

 だが。樹が緊張する理由が友奈が気づいた通りであれば。

 

 テストに向かうのは樹1人でも、そこに勇者部のみんながいつもそばにいるという安心感を感じることが出来れば。緊張を和らげてテストでうまく歌えるようになるかもしれない。

 美森に相談して「なるほど」とお墨付きを得た友奈は、美森と共に練ったアイデアを風に伝えたのだ。

 

「前もって伝えるよりは、その場で驚かせるような形がいいと思うわ」

「なんで?東郷さん?」

「事前に伝えられても、テストで緊張するのは自然なことだもの。緊張を解して余裕を持たせるというなら、予想だにしない出来事を起こして緊張自体にヒビを入れてしまうのがいいと思うの」

「なるほど!サプライズだね!」

 あるいは、バラエティ番組で流れるドッキリ企画と似ているかもしれないが。

 

 とまれ、方向性が決まったからには後はそちらに突き抜けるのみではあった。テストまで時間もないし。

 他の生徒や教師の手前、大掛かりな真似は出来ない。確実性の高い方法は寄せ書きでの励ましのメッセージ。

 テストでどの歌を歌うのかはすでに把握済み。寄せ書きを使うページに挟んでおけば、当日開いた途端に目に入るというプチサプライズだ。

 

『テストが終わったら打ち上げでケーキ食べに行こう!』――友奈

『周りの人はみんなカボチャ』――美森

『気合よ』――夏凛

『周りの目なんて気にしない! お姉ちゃんは樹の歌が上手だって知ってるから!』――風

『案ずるよりやってみるといい』――涛牙

 涛牙の一言の脇に、風のモノだろう筆跡で「音楽1より」と書き足されていたが。

 

 樹が朝に弱い事を活かして、風がテスト当日の朝、樹の隙をついて教科書に挟み込んだ寄せ書きは、友奈の思った通りの効果をもたらしたのだった。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 その日の帰り道。自転車を押しながら風は樹と並んで家路を歩いていると、不意に樹が声を掛けてきた。

「あのね、お姉ちゃん」

「ん?どしたの?」

 風の質問に、樹ははにかむような表情を見せてから、

「私、やりたい事が出来たよ」

 と伝えてきた。

「えっ、何々? 将来の夢? お姉ちゃんにも教えてよ」

 風にしてみれば、いつも控え目、引っ込み思案だった樹が自分から将来の目標を語りだしたのだ。テストの成功の事も併せてかなり話題に食いついてくる。

 だが、樹はニッコリと笑いながら、

「……秘密♪」

 とだけ答えた。

「えぇ~。誰にも言わないから教えてよ~。ね?」

 風が重ねて尋ねても、

「ダーメ、恥ずかしいもん」

「ちぇー、残念」

 心底残念そうに言うが、その時の風の表情は穏やかに笑っていた。

 風は、樹の事は大体分かっている――気弱そうに見えて心の深いところで存外しっかりとしていることも含めて。無理に聞き出そうとしても話はしないだろうと風は思った。

「……でも、いつか教えるね」

「OK。じゃあ、その時まで楽しみに待つとしますかね」

 いつかは分からないけど、先々に楽しみな事が出来た。

 そんな事を思いながら、風は朗らかに笑った。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 お姉ちゃんには、私に何か大きな目標が出来たように聞こえたかもしれないけど、実際のところはそんな大げさな事じゃない。

 やってみたいことが出来た。

 歌のテストの後、クラスのみんなに歌声をほめられて、その中でふと出てきた言葉が自分に引っかかった。その程度の話だ。

 でも、これは私にとって初めて、自分の気持ちに従って、自分だけでやりたいと思った事。

 

 お姉ちゃんの背中に隠れて、背中を追いかけているだけの自分が情けないと思う事もあった。変わりたいと思うこともあった。

 思うだけじゃ何も変わらないと知っていても、その一歩を踏み出していいのか、と躊躇っていた。それがお姉ちゃんを、自分を助けてくれるたった一人を困らせてしまわないかと。

 

 でも、歌のテストの一件で分かった。

 お姉ちゃんだけじゃない、友奈さん、東郷先輩、涛牙先輩、夏凛さん。勇者部の皆さんは私のテストのためにたくさんの助けをくれた。

 私はたくさんの人に助けられている。一人っきりじゃないんだって。

 ――きっと、お姉ちゃんや友奈さんは「何をいまさら」って言うだろうけど。

 

 だから、私はもっと勇気をもって踏み出していい。躓いても手を貸してくれる人がいるんだから。

 そして。いつかは私自身が人に手を差し伸べられるようになりたい。

 

 うまくいくかどうかはやってみなくちゃ分からない。上手くいかなくて、お姉ちゃんに残念な報告をすることになるかもしれない。

 でも。こうして少しずつ自分で決めて行動することを積み重ねていけば、私はお姉ちゃんと並んで歩けるようになるはずだ。

 

 

 

 うん、と自分の気持ちにブレがない事を確かめて、私は『最初の一歩』を踏み出した。

 




そろそろゆゆゆ本編前半の山場、バーテックス決戦編に近づいてきました。
バトルの熱さをマシマシチョモランマに出来たらいいなと思いつつ、更新を頑張る所存です。


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第11話「グランド・バトル(決戦)ー1」

いよいよ勇者部の決戦が始まる――!


 ある夏の夕暮れ。普段と変わらぬ黄昏色の中。

 

 人類の未来を賭した戦いは、何の予兆もなく始まった。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 四国を囲む巨大な壁――神樹の起こした奇蹟の1つであり、殺人ウイルスの蔓延る外と内を隔てるその壁は、世界が樹海化した時も変わらず聳えている。

 

 その壁のすぐそばに、巨大な6つの異形が現れていた。

 バーテックス。神樹を壊し、人を滅ぼさんとする悪意の申し子。

 バーテックスたちは、様子を伺うようにしばし壁に沿って留まっていたが、やがて動き出した。

 

 蛇のような細長い体躯をくねらせて先陣を切るのは、『牡羊型』ことアリエス・バーテックス。

 七色に染まった根が覆う樹海の大地、その上をアリエスは奥にそそり立つ神樹を目指して進む。

 

 進む。進む。

 進む。進む。進む。

 進む。進む。進む。進む。

 進む進む進む進む進む進む進む進む――

 

 平坦だった大地は、次第に根がうねるように複雑に絡み合い、地面の起伏は神樹に近づくにつれて大きくなる。

 もっとも、宙に浮いているアリエスには大した障害にもならない。異形はただ、進み続ける。

 

 その、無人の荒野を行くが如き進行に、或いはアリエスは奇妙さを感じたかもしれない。

 何の妨害も障害もないまま、神樹へ近づけることを、変だと思ったかもしれない。

 だが。結局アリエスは速度を落とすことなく樹海の中をただただまっすぐに進み続け。

 

「今!」

 

 己の後を追っていたバーテックスが攻撃されて、初めて動きを止めた。

 

 攻撃を受けたのは『牡牛型』――タウルス・バーテックス。

 名前が示す通り、牛の如き大きな角を生やしたそのバーテックスは、先行するアリエスの後を少し離れて追っていた。

 

 その角に、突如として銃弾が撃ち込まれる。

 倒すには及ばないが、その攻撃にタウルスは勢いを抑えられ、

 

 ――ガガガガン!

 

 更に何発もの狙撃が角に叩き込まれる。たまらず後退するタウルスの様子を視界に納めながら、アリウスはタウルスを襲う狙撃の出処を見定める。

 

 ――いた。

 

 神樹から伸びた根が作る起伏の隙間に潜み、美森はタウルスにライフルの攻撃をひたすらに撃ち込み続ける。アリエスには目もくれずに。

 

 敵を見つけたアリエスはすぐに攻撃に移る。

 アリエスの攻撃方法は、電撃。頭部から放つその一撃でタウルスを妨害する勇者を倒そうと美森を正面に捉え。

 

「甘いっ!」

 

 物陰から飛び出した夏凛がチャージされていた電撃もろとも頭部を切り裂く。

 

 アリエスの周囲は、神樹から伸びた根が複雑に入り組んでいる。それは勇者が身を潜めて接近するのに丁度いい死角がいくらもある、という事でもある。

 その有利を活かして、半ば囮の役割も担った美森に集中したアリエスに、夏凛は奇襲をかけることに成功した。

 

 バーテックスが人間のような視覚を持っているのかはわからなかったが――どうやら、障害物を透視するような感覚器ではないようだ。

 

 深々と切り裂かれたアリエスだが、まだ致命傷ではない。自身のもう一つの能力をすぐさま発動させた。

 斬られた頭部が、それぞれ頭部へと再生していく。

 増殖・分裂。それこそがアリエス・バーテックスの持つもう一つの能力。他のバーテックスがダメージの修復止まりなのに対して、アリエスは斬り落とされた部分から増える事が出来る。

 

「なっ、増えた?!」

 

 さすがにこれは知らなかった夏凛が驚愕の声を上げる。その隙を逃さず、アリエスは2つに増えた頭部から改めて電撃を放つ――!

 

「させませんっ!」

 

 ――よりも先に、アリエスの背後から姿を見せた樹のワイヤーが頭部をまとめて絡めとる。

 

「っ、ナイス、樹!」

「夏凛さんっ!今のうちに!」

 

 樹の呼びかけに、夏凛は刀を数本召喚して投げ放ち、アリエスの周囲を囲むように地面に突き立てる。

 

「「封印、開始!」」

 

 2人の呼びかけに応えて、勇者アプリの封印機能が発動。アリエスの動きが固まり、その身体から御霊が露出する。

 バーテックスにとって致命の弱点たる御霊。当然その場を逃れるために足掻こうとするが。

 

「何も、させない」

 

 彼方からの銃弾が、出てきてすぐの御霊を貫き砕く。

 

 ――アリエスから美森の姿が見えているなら、美森からだってアリエスの姿は見えている――

 身体が七色の光に霧散する中、その事を、アリエスは理解できただろうか。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

『友奈ちゃん、風先輩!1体仕留めたわ!』

「さっすが東郷さん!」

 精霊に持たせたスマホから聞こえる美森の報告に、友奈は喜びの声をあげ、風は小さくガッツポーズをとった。

 

――突出するバーテックスがいるなら、そいつは囮だ――

 

「こっちの読みがうまい事当たったわね!」

 涛牙と繰り返したシミュレーションを思い返しながら、風が言う。

 

――バーテックスに知性があろうがなかろうが、一斉に攻め込むのが一番合理的だ。

――もし一体が先行してくるなら、そいつは囮だ。頑丈なのか特殊能力持ちかは知らんが、倒されにくい奴だろう。

――勇者がその一体に集中する間に、他が自由に動き回るか或いは集まった勇者を一網打尽にするか。そんな策はあり得る。だから――

 

「――だから、先頭の一体は極力引き付けておいて、他のバーテックスを抑えてから速攻撃破する」

 

 そんなアドバイスに沿って戦闘開始前にみんなに伝えた迎撃プラン。それがうまい事かみ合ってくれた。

 ありがたく思いながら、風もまた大剣を揮い、クラゲのような姿のバーテックスを打ち据える。

 

 『魚型』こと、ピスケス・バーテックス。

 地中を“泳ぐ”事で勇者の攻撃を受けずに移動することが出来るこのバーテックスもまた、タウルスと共に近づいてきていた1体だった。

 

 地中を進んでいたピスケスも、タウルスが攻撃を受けた事を何がしかの手段で感知すると同時地上へと飛び出し、

 

「よっしゃ来たぁ!」

 

 待ち構える風の切り上げに宙に打ち上げられ。

 

「勇者ぁ、キック!」

 

 更に飛び上がっていた友奈に蹴り飛ばされ、その先に移動していた風の斬撃で身体を切り裂かれた。

 

 勇者アプリに搭載されているレーダーは、地中に潜航したピスケスをも捉える事が出来る。最初からいることが分かっていて能力も把握済みなら、待ち伏せは難しくない。

 

 封印の儀には至っていないためまだ倒せていないが、友奈と風の妨害でピスケスはアリエスのフォローに向かうことが叶わなかったのだ。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

『こっちはアタシたちで抑える!夏凛はもう1体を!』

「任せなさ――」

 

 風からの指示に応えようとした夏凛だが、その声は辺りに広がった大音声で遮られる。

 

 美森がアリエスの御霊を射抜くために射線を外した一瞬。タウルスは可能な限りの速さで移動し追撃から逃れていた。そして生まれた猶予に、タウルスは攻撃へと転じたのだ。

 

 頭にあたる場所にあった鐘。それを鳴り響かせることで発生する轟音こそが、タウルスの武器だった。

 

 打ち上げ花火の音は、離れていても腹の底に響く。より近い距離で、より強力な音を放たれればどうなるか。

「う、ぐ……!」

「き、気持ちわるい……っ」

 平衡感覚も内臓も揺さぶられ、夏凛と樹が膝を落とす。

 バーテックスの攻撃を防ぐはずの精霊バリアも、この音は攻撃――少なくとも致命的な攻撃――とは見なさないのか発動しない。

 

「やられたっ!」

 

 距離の近い2人ほどではないが響く音に顔をしかめて、美森が自身のしくじりに気づく。

 

 タウルス・バーテックスの能力は、大赦でも確認できていなかった。

 名前、そして特徴的な角から、以前倒した『蠍型』――スコーピオン・バーテックスと同様接近戦を仕掛けるタイプと判断したため、角へ攻撃を集中させたのだが、まさか音による攻撃とは想像していなかった。

 

「なら!」

 

 失敗に気づいたならすぐに取り返す。その意気を込めてライフルの照準をタウルスの鐘に合わせて引き金を引こうとした、その時だ。

 

『東郷さん!上!』

 

 スマホから聞こえる友奈の声に空を仰ぎ、頭上から迫る火球に美森の顔色が変わる。

 

 過去の事故で足が不自由な美森は、勇者となっても走り回ることは出来ない。移動には勇者装束の背中から伸びたリボンのようなパーツを使うものの、他のメンバーのように跳躍することは出来ない。

 

 つまり美森は、回避行動がとれない。

 

 炸裂する火球に呑まれて、美森は吹き飛ばされた。精霊バリアで怪我はないが、衝撃でタウルスへの攻撃の機会が失われた。

 

「今のは――」

 

 起き上がりながら美森は遠方を見据える。

 

 未だ最後尾から動かない『獅子型』レオ・バーテックス。星を思わせるように身体が中央から縦に割れ、そこから再度火球が打ち出されたのは丁度その時だ。

 迫撃砲のように放物線を描いて飛ぶ火球は、落下の最中に軌道を変えて美森へ迫る。どうやら追尾機能があるらしい。

 

「この!」

 

 ライフルは連射には向かない。武器を散弾銃と拳銃に切り替え、火球に向けて撃ちまくる。

 

 撃ち込まれる銃弾の1つが火球に刺さり、爆発を起こす。

 爆風をこらえてレオを睨み返すと、すでにレオからはいくつもの火球が連続して撃ち出されていた。

 

(まずいっ!)

 

 火球の群れに弾雨で応戦しながら、内心で呻く。このままでは轟音に晒されている夏凛と樹が危ない――!

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

「風先輩!東郷さんが!」

 その様子は友奈からも見えていた。

「しゃらくさいわねっ!」

 

 舌打ちしながら風はピスケスに切りかかるが、ガスの目くらましに怯んだところに体当たりを受けて弾かれる。大したダメージではないが、風の心に焦りが増していく。

 

 地中へ潜らせないことでピスケスを釘付けにしていたはずが、逆にピスケスに足止めされた状態になった。美森の支援が封じられたままでは、タウルスの攻撃にさらされている樹と夏凛が危ない。

 

 少しの思案を挟んで、風は友奈に指示を飛ばした。

 

「仕方ないっ!友奈、一度コイツを潜らせる!」

「えっ?!」

「コイツのガスも体当たりも精霊バリアなら耐えられるわ!いったん見逃して他のみんなを助けに行く!」

「わかりました!」

 

 答えて、友奈はピスケスに突進、気づいたピスケスは頭部を上に反らせる。これまで下から上へと繰り返された攻撃にカウンターを合わせようとしたのだ。

 

 だが、今度の友奈の攻撃は打ち上げる攻撃ではない。

 

 頭部を振り下ろすピスケスとすれ違うように友奈は宙に跳び、牛鬼の力で拳に炎を纏わせると、炎の一部を下への推進力にして組み合わせた両拳をピスケスに振り下ろす。

 

「勇者ぁハンマー!」

 

 叫んだ技名の通り、ハンマーのように打ち込まれてピスケスが地面に叩きつけられる。どうやら地中潜航はピスケスの意思がないと使えないらしい。

 

「とぉりゃあぁぁぁ!」

 

 そうして動きを止めたピスケスに、大剣を常より巨大化させた風の渾身の斬撃が叩き込まれる。その一撃は、ピスケスの胴体を半分ほどまで切り裂いた。

 そこに更に、未だ空中にいた友奈が正拳を打ち込もうと突進する。これ以上はまずいと感じたのか、ピスケスは能力を発動させて地中へともぐりこんだ。

 

 追撃こそ叶わなかったが、2人でピスケスに足止めされる状態は解除できた。

 

「後ろに下がっていったみたいね」

 レーダーを見ると、ピスケスのマーカーが後退していくのがわかった。

「風先輩!急ぎましょう!」

「そうね。また仕掛けてくるかもしれないからレーダーには注意して!」

 頷き合って、2人は仲間の下へ駆け出した。

 

 




な、なんとか2月中に1本投稿できた・・・

いや、もちょっと早く書けるかな~とか思ってたんですがどうにも展開がうまく広げられずにこんなザマに。
しかも結構文字数は少なめという、「こんなはずじゃなかった」が重なってしまいました。

ホント、更新が遅くて申し訳ないです。


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第12話「グランド・バトル(決戦)―2」

前回の投稿をした日のニュースを振り返ってみれば、コロナウイルスのニュースがじわじわと広がりだした頃でした。

それからひと月半。
まさかここまで事態が進むとは想像もしてませんでした。

せっかく春が来ても気分は軽やかにとはいきませんが、どうにかこらえていきましょう。


「こな、くそ……!」

 自身を叱咤するため、夏凛は叫んだ。つもりだったが、声は己の耳にさえ届かず、ただただタウルスのかき鳴らす轟音が響き続ける。

 

(精霊バリアが、働かない?!)

 

 勇者を守る最大の盾、精霊バリア。

 バーテックスの如何なる攻撃も阻むそのシステムは、これまでの戦いでも勇者たちを守り抜いてきた――傷も残さずに。このシステムを開発した大赦の研究部門は大したものだ。

 だが、そんな大赦の研究部門も想定はしていなかったのだろう。ただ音を響かせる攻撃というものは。

 

 実際、タウルスの音は、神樹の力で強化された勇者の平衡感覚を乱し、打ち付ける圧は内臓まで震わせるほどだ。

 しかし、それだけではある。一瞬で鼓膜が破れたり、頭蓋の中身がぐちゃぐちゃになるような事はない。ただ耐え難いくらいに不快というだけだ。

 

 それ故に、“危険な攻撃”を防ぐ精霊バリアが発現しない。

 任意の発動では不意の攻撃に対応できないために自動発動のみとしたことが、ここで裏目に出た。

 

(このっ!)

 一瞬耳から手を放して刀を投げつけるが、音波が威力を殺してタウルスへのダメージとはならない。

(どう、すればっ!)

 完成型勇者でありながらこの体たらく。自身の不甲斐なさに夏凛が歯噛みする中、もう一人、心中に炎が灯る勇者がいた。

 

(こんな、音……!)

 犬吠埼 樹は大人しい少女だ。姉のように人を引っ張るタイプではなく、友奈のように明るく前向きというわけでもない。美森のように確たる意見を口にする事も苦手だし、夏凛のような自信もありはしない。

 

 そんな樹にも好きなものがある。

 勇者部の皆に支えられて、自身の将来の夢になった歌がある。

 

「歌は――音は、人を幸せにするための物。こんな音はー!」

 キッとタウルスを睨みつけ、樹は右手を突き出した。勇者装束に備えられた腕輪から細いワイヤーが伸びる。

 その細さ故に音の影響を受けずに宙を進んだワイヤーは、タウルスの頭上の鐘に絡みつき、その鳴動を抑えつけた。

「く、ぬうううう!」

 尚も鐘を鳴らそうとするタウルスと樹の力比べ。身体のサイズはまるで違うが、樹は渾身の力でワイヤーを引き絞り、音を鳴らすまいと踏ん張る。

 

「よっ、しゃあ!」

 音の束縛から解放され、夏凛が地を蹴る。音で揺さぶられた影響は少なからず残っているが、このチャンスを逃すわけにはいかない。

「だぁぁあっ!」

 走りながら、先ほどは不発に終わった投剣を再度投げ放つ。

 今度は何物にも止められずに宙を奔った刀はタウルスに突き刺さり、小さいながら爆発してタウルスの体躯を削る。

 

 反撃に転じた2人を、しかしバーテックス側が放置するはずもない。この場にいる敵は、タウルスだけではないのだから。

 レオから放たれ続ける火球のいくつかが、軌道を変えて樹へと殺到する。

 夏凛が火球を迎撃すればタウルスが回復し、タウルスへ集中し続ければ樹が攻撃を受ける。精霊バリアでも衝撃を殺せない以上、いつかは樹による拘束が外れてタウルスの音響攻撃が再開される。そんな見込みだったのだろう。

 

 だが。

 

「たあああ!」

 

 樹に迫る火球を、友奈の拳が打ち砕く。爆発の衝撃を精霊バリアで受けつつ、逆に宙で移動するための勢いに変えて、連撃を放って火球の群れを潰しきる。

「友奈さん!」

「樹ちゃん、大丈夫?!」

「はい!」

 頷く樹にホッとしてから、友奈はタウルスを改めて見据える。

 

「友奈!ピスケスは?!」

「ひとまず後回しで!」

 夏凛の問いかけに簡潔に答えて、友奈もタウルスに攻め寄せる。

 

 夏凛が後方を見れば、美森に降り注ぐ火球は風が大剣で叩き落としていた。この分なら美森も反撃に転じられるだろう。

 そうした様子を見て夏凛は考える。

 ピスケスは地中潜航能力とそこからの不意打ち体当たりが危険だが、精霊バリアがあれば吹き飛ばされる以外に実害は少ない。ならば。

 

「友奈、あたしたちでコイツを封印するわ!」

「OK!」

 アリエスを撃破した時と同様、夏凛は刀を複数生成。タウルスの周りに向けて投げ放つ。範囲内にいれば勇者をまとめて抑え込めるタウルスは、或いはレオ並みに危険だ。

 

 だが、タウルスもやられっぱなしではない。

 樹との引っ張り合いの最中、タウルスは突如として前進に転じた。放たれた刀をいくつか弾きながら。

「わわっ?!」

 その動きに対応できずに樹が蹈鞴を踏んだところで再び後退。踏ん張りが効かなくなった樹は今度は前につんのめる。

「樹ちゃん?!」

 友奈からの声に、しかし樹は、

「大丈夫です!それより、早くバーテックスを!」

 倒れこみながら、しかし鐘への拘束は外さず。むしろ一層の力をこめてタウルスを封じようとする。今タウルスの音を自由にさせるわけには行かなかった。

「――やるじゃない」

 気弱だと思っていた樹の奮闘を小声で称えながら、夏凛は改めて剣を作り出して。

 

 ゴゥ、と身体を流すほどの風にさらされた。

 

「ちいっ!」

 風上を見れば、呼び名通りの姿をした『天秤型』ことライブラ・バーテックスが回転しながら近づいていた。損傷を負ったタウルスと入れ替わるつもりか。

 ライブラの能力は、『暴風を発生させる』こと。自身の身体そのものを回転させる必要があるため、本来なら一つ所に留まって風を起こすのだが――風の威力低下に目を瞑れば移動しながらも風を起こせたようだ。

 

「ア、アワワワ!」

 高度を上げながら後退するタウルスに引っぱられていた樹だが、ついに足が地面から離れてしまった。そこに襲い掛かる強風が、少女の身体を揺らし、振り回す。

「ああ、樹ちゃんが?!」

「樹?!いったんワイヤー解きなさい!」 

「で、でもここで離したらまたあの音が……!」

 夏凛の指示に樹が反論する中、彼方からの銃弾がタウルスの鐘やその土台を叩き砕く。

「!東郷さん!!」

 友奈の歓声に、牛鬼が支えるスマホから美森の声が答えた。

『牡牛座の鐘は私が壊すわ!樹ちゃんを捕まえて!』

 さらに狙撃の連打。ワイヤーが捉えていた箇所が全て壊された事で、樹も宙に放り出される。

「ひやぁあああ!?」

 強風に飛ばされる樹を友奈がキャッチして地上に戻すが、さすがに負担が大きかったのか、樹は地面にへたり込んだ。

「うう、目が回ります……」

 力なく頭を揺らす樹に、少しすれば治るだろうと安心しながら、夏凛は迫るライブラ・バーテックスを見上げる。このまま風力を上げ続けられたら、タウルス同様に動きを封じられる。

 

 突破口は、一点。

 

「とりゃああああ!」

 勇者の力をフルに活かして、ライブラの風を捉えながらも更に上へと跳躍する。

 台風や竜巻と同じだ。荒れ狂う風の中心点――即ちライブラの真上は、風の影響を受けない空白地帯だ。

(そこから一気に崩す!)

 誘導性のあるレオの火球も、暴風の影響で夏凛という小さな的を捉えきれない。回転するライブラのその更に上を取って。

 

 自身に迫る水球が見えた。

 

 ライブラの後ろに控えるもう1体のバーテックス。青いボディから2つの球体が伸びた『水瓶型』アクエリアス・バーテックス。その能力である『水流・水球操作』で作られた水球が、ライブラの死角をカバーしていた。火球や勇者よりも質量のあるそれは、強風の中でもまっすぐに夏凛に向かった。

 

 受ければ身体を弾かれるか水に囚われるか。いずれにせよライブラの妨害は出来なくなる。

 

 故に、夏凛は構わず刃を振りぬいた。

「たあああ!」

 刀身どころか自分の身体よりも大きな水球だが、夏凛の一刀の前に両断される。

 その水球の影に隠れて打ち出されていた2つ目も、二刀使いの夏凛の前に断ち割られ――その背後に更にもう1つ。

 

「連打?!」

 

 さすがに体勢を崩した夏凛に3つ目の水球は切り飛ばせない。迫る水球に驚愕した自身の顔が映り込むのが夏凛にも見えた。

 

「危なーい!」

 

 そんな夏凛の窮地を救ったのは、夏凛に遅れて跳び上がっていた友奈の燃える鉄拳。

 精霊の力を纏わせていたからか、拳が触れるや水球は弾け飛ぶ。水しぶきを全身に浴びる事になった友奈だが、砕けた水球は勇者の脅威ではなくなったようだ。

 

「友奈?!――助かった!」

「うん!夏凛ちゃん、一緒に!」

「応!」

 

 友奈の言葉に頷いて、夏凛と友奈は共に宙を蹴ってライブラへと突撃。斬撃と拳をその真芯に打ち込む――!

 

 

 

 ――筈だった。

 

 

 

 奇妙な手ごたえと共に、夏凛の刃も友奈のパンチもライブラに食い込まず。

 回転するライブラに逆に弾き飛ばされる。

 

「なっ?!」

 弾かれ、風に流されながら、夏凛は今の手ごたえを反芻する。

(なに?弾かれたんじゃない……。刃筋が立たなくて――滑った感じ?)

 

 思い浮かぶのは訓練時代の事。

 剣術では剣の打ち込みへの対処として、刀身自体で防ぐ他に、相手の剣筋に自身の刀を添わせ、“いなし、逸らす”という防ぎ方がある。その技が巧みであれば、まっすぐに振りぬいたはずの刀が、ズレる手ごたえさえなく見当違いの方に流されるほどだ。

 ライブラへの攻撃が外されたのは、それに近い感触だった。

(でも、バーテックスにそんな技術があるはずない!)

 謎の事態に冷や汗を感じながらも、身を翻して着地。そんな夏凛の近くに、同じく友奈も落下し――

 

「ふぎゃっ?!」

 

 足を滑らせて顔から地面にぶつかる。

「……何やってんのよ」

 風に堪えながら振り向いた夏凛の表情に少し呆れが混じるのも仕方ない。えへへ、と誤魔化しながら立とうとして、

「ふぇっ?!」

 今度は尻餅。ぶつけたお尻をさすりながら、友奈は少し首を傾げた。

 

「友奈さん、大丈夫ですか?!」

 駆け寄る樹が手を差し伸べる。自身も風に振り回されて目を回した身、友奈もそうだと思ったのだ。

「う、うん。ありがと、樹ちゃん」

 だが、友奈はむしろ平気だった。座りこんではいても目が回っている感じは全くしない。何で立てないんだろうと思いながら樹の手を握り返そうとして。

 

「「え?」」

 

 疑問は、友奈と樹から同時に。

 

 握りあうはずの手がツルリと滑ったのだ。

 

「――どうしたの!?」

 さすがに不審を感じた夏凛の問いかけに、友奈は、

「それが――なんか手が掴めなくて」

 と答える中、樹は友奈に差し出した手の指をこすり合わせる。

「友奈さん、これ、水じゃないです」

 

 勇者装束はそれぞれ形が異なる。友奈の装束は両手ともグローブに覆われた形状だが、樹は指や掌はむき出しだ。

 だから、手触りで気づけた。

 

「水というよりは――石鹸水とか、油とかの感じです」

 

 樹の言葉に、友奈は自分の身体を見下ろす。アクエリアスの水球を砕いた影響で、友奈の全身は濡れネズミ状態だ――ただの水ではなく、ぬめる水で。

 

「まさか――」

 

 夏凛の声に混じる焦り。ふと全員がアクエリアスの方を見やり。

 

 それは丁度、アクエリアスが大量の水を放水してきたところだった。

 

「――2人とも逃げてぇっ!」

 

 友奈の叫びに夏凛と樹は地を蹴って高所に移るが、友奈自身は立てないまま放水を受ける。

 放水も、直撃なら精霊バリアが発生したかもしれないが、着弾地点は友奈の少し前あたり。樹海の地面を広く濡らしながら水は友奈に押し寄せ、その身体を呑み込む。

「わああぁぁああぁぁあぁ?!」

 怒涛の水流を受けて、友奈はその勢いに押し流され、流され、流され流され流され……止まることなく地面を滑り続ける。

 果ては、神樹の根のうねりが作る起伏からウォータースライダーの如く放り出され。

 

「友奈ちゃぁぁぁん?!」

 

 とうとう美森たちのいるところまで滑ってきた。

 風が大剣の腹で止めなければ、それこそ神樹の根元まで滑っていったかもしれない。

 

「だ、大丈夫、友奈?!」

「だ、だいじょうぶですぅ……」

 

 風の質問に答える間にも、友奈の身体はゆっくりと回転している。地面との摩擦がロクに発生していないようだ。

 

「触ったら無茶苦茶滑る水……。なんつー明後日の方向な攻撃を」

 呆れるように風が言うが、美森の声にはむしろ脅威への恐れが混じる。

「まずいですよ、風先輩」

 狙撃を放ちながら言う。ライブラは分銅状のパーツが銃撃を防ぎ、アクエリアスは水の膜で威力を削いで美森の攻撃を無効化している。

「どうして?」

「あの水がある限り、バーテックスに近づけません!」

 美森の言葉に、風も現状に気づき、息をのむ。

 

 

 勇者では、バーテックスを倒せない。

 バーテックスの再生能力は、勇者全員が攻撃しても削りきれはしない。だからこそ、『封印の儀』で弱点である御霊を露出させ、破壊することで倒している。

 その『封印の儀』は、バーテックスに近づき、囲まなければならない。故にまずはバーテックスに攻撃を加えて動きを鈍らせてから『封印の儀』に持ち込むのが勇者の戦闘スタイルだ。

 そして、勇者のほぼ全員が接近戦を挑むスタイル。美森の狙撃や樹のワイヤーは、バーテックスに近づき高い攻撃力を連続で打ち込める友奈・風・夏凛を補助するものだ。これは、バーテックスを鈍らせた後速やかに『封印の儀』に移れる意味でも理にかなっていた。

 

 アクエリアスの水は、そんな勇者の手札を封殺する代物だった。立つこともままならない状態ではバーテックスに攻撃を加えられず、どうにか『封印の儀』が出来たとしても御霊を破壊するのが極めて困難となる。

 

「なんて事よ!」

 歯噛みしながら、風もライブラとアクエリアスを睨みつける。2体は特に動かず、風と水をばらまくことに専念している。

「――防御の、コンビネーションってわけ?」

 2回目の戦いで現れたスコーピオン、キャンサー、サジタリウスのトリオを思い出す。近接・遠距離・反射と防御の能力に特化したこの3体は、それぞれの能力を組み合わせることで勇者を追い込む脅威となった。

 今、ライブラとアクエリアスもまたそれぞれの能力を組み合わせることで、勇者の攻撃を封じるコンビとなった。強風で動きを鈍らせ、ぬめり水で勇者の動きを封じ、更に風で遠くまで押し流す。勇者を近づけさせないという点では最悪に質の悪い組み合わせだ。

 

 音の攻撃で精霊バリアを無効化するタウルスも交えれば、勇者が傷つくことこそないが逆に何もさせないトリオになるだろう。

 

「じゃ、じゃあ風先輩!バーテックスがずっと樹海にいるってことですか?!」

 回転しながらの友奈の言葉に、風は改めてギョッとする。

 バーテックスが長く居座れば樹海がダメージを受け、そのダメージは現実世界に転嫁される。勇者に選ばれた時、最初に説明されていたことだ。

 バーテックスの勝利条件は、勇者を倒す事ではない。ただただ居座るというだけで、神樹の力を削ぎ続ける事が出来る。

 

「ど――」

 どうすればいい?

 涛牙を相手にしたシミュレーションでもこんな展開は考えたことがない。必死に頭を捻る風に、しかし状況は止まりはしない。 

 

 

「7体目?!」

 

 攻めあぐね、マップを見ていた夏凛が叫ぶ。未だ動きを見せていなかった7体目のバーテックス、『双子型』ジェミニ・バーテックスのマークが前進しだしたのだ。咄嗟にその方向を見るが――何も見えない。

「東郷!双子型が動き出した!そっちで見えない?!」

 夏凛からの報告に、美森もその方角に視線を向ける。マーカーに反応こそあるが、それらしき姿は見えない。

「まさか――透明なバーテックス?」

 だとすれば最悪だ。マーカー頼りで攻撃を当てるとは、美森にしても自信をもって言えそうにない。

「アタシが抑える!東郷、ここ頼むわ!」

 言って、風も夏凛たち前線に躍り出る。確かに、風の大剣や膂力は敵の動きを抑えるには役立つだろう。友奈が戦力外となった以上、勇者の防衛ラインを維持するには風は不可欠だ。

「お願いします!」

「頑張って、風先輩!」

 後輩たちの声援を背に受けて、風は樹海を駆けていく。

 

 

 そんな中で。ジェミニの姿を見つけたのは夏凛だった。

「――あれ?」

 姿なきジェミニの影を探す中。ふと視界の隅に上がった土煙。気になったソコに注視して。

 

「いた、見つけたわ!」

「本当ですか、夏凛さん?!」

「ええ!あの土煙よ!樹はマーカーで確認して!」

 樹がマップアプリを見れば、確かに土煙の辺りに『双子型』のマーカーがある。

「間違いないです!さすが夏凛さん!」

「フッ、完成型勇者ならどうってことないわよ!」

 ドヤ顔で答えながら、しかし夏凛は気になる事があった。

「にしても、姿がまだ見えないわね。レオも追い越してそろそろ見えてもいいのに」

 言いながらマップを見ると、双子型のマーカーはかなりの速さで迫っている。アクエリアスを追い越すのもほどなくだろう。なのにまだ姿が見えない。

(透明?いや、なら土煙を上げるのはおかしい。他の連中と同じく浮いてればいいんだから)

 疑問を抱きつつも美森にも連絡、迎撃の準備をして。

 

「あ?」

 

 樹が呆けたような声を出す。

「どうしたの?」

 夏凛の問いに、樹は迫る土煙を指さす。その示す先を見て。

 

「は?」

 

 夏凛もまた、呆けた声を上げる。

 確かに、そこに異形がいた。穴をあけた1枚の板に、首と両手を拘束されたような姿をしたソレが、ジェミニ・バーテックスなのだろう。

 だが2人が呆けたのは、その姿に、ではない。

 

 小さいのだ。他のバーテックスに比べて。

 ジェミニは目算で2、3メートルほど。他のバーテックスが数10メートルなのに比べれば、両足で地を駆けてくるのも含めて、あまりにも異端だ。もっとも、ライブラの強風で煽られない程度には重量もあるのだろうが。

 見つけられないのも当然だ。バーテックス=巨大という先入観が、姿を探そうとしたときに意識を上に向けてしまい、地面付近を見落とすことになる。勇者アプリにレーダー機能がなければ、完全に不意を突かれるところだ。

 

「――でも、見つけた!」

 

 夏凛からの連絡で美森もジェミニを捉えた。なるほど小型と速さを追求した姿は不意を突くには適しているが、ばれてしまえばそれまでだ。

 相手の速さを加味して照準を合わせ、引き金を引くのに1秒もかからず。放たれた狙撃弾はライブラの暴風の影響も受けず突き進み。

 

「んなっ?!」

 

 夏凛が驚愕する。

 ジェミニは小さくサイドステップ。軽やかに銃撃を避けた。

「そ、そんな?!」

 美森もまた焦りの声を上げる。速度を碌に落とすことなく方向転換が出来るとは思いつかなかったのだ。

 

 しかし。

「――なら!」

 そこですぐに別の発想に至るのは、頭の回転の速さゆえか。

 次に美森が狙ったのは、ジェミニの進む先、その足元。動きを鈍らせてから次撃で確実に当てるための牽制弾を撃ち込む。地面につこうとする足を撃たれれば転ぶほかにない。

 

 だが、撃った瞬間にジェミニは回避に転じた――撃たれた瞬間に、弾丸の軌道も着弾地点も分かるとでもいうのか。脚にさらに力を籠め、ジェミニが跳ねる。足元を狙った一撃は虚しく地面を削るに留まった。

 

 

 ――美森の予想通りに。

 

 

「逃がさないっ!」

 避けられない状況を作るのが目的なのだから、転べばよし。跳び上がる回避もあり得るが、地面を走るバーテックスなら空中では身動きとれない。

 

 本命の狙撃をジェミニの胴に放ち――

 

 それさえもジェミニは予想していたのか。

 足を振り上げ、銃弾を蹴り弾く。大型のバーテックスの体躯も削る威力を有する銃弾は、しかしジェミニの足に傷を残すこともなかった。サイズこそ小さいが、足の強度は並はずれているようだ。

 

「そんな……」

 自信のあった本命の一撃を阻まれて、美森の口からは力ない呟きが漏れた。

 

「東郷さん、しっかり!」

 そう励ます友奈も、自分の声に焦りが強く含まれていることに気づいている。何しろ現在、友奈は未だ立ち上がることも出来ないのだから。

 

 

「なんつー避け方よ……」

 

 夏凛たちと合流した風が、戦場の様子を見て呻く。バーテックスが「避ける」というのもこれまでほとんど見ていない光景だというのに、銃弾を蹴り弾くとは。

「感心してる場合?!あたしたちでジェミニを抑えないと、抜かれたら追いつけないわよ!」

 夏凛の叱咤に頷き返し、風が前に出る。

「アタシ、夏凛、樹の順でどうにか動きを抑えるしかないわね。転ばしたらすぐに封印するわよ!」

 あの速さに対応出来るか。それが勝負の分かれ目になると、風は理解した。一度防衛ラインを抜かれたら、走って追いつけるとは思えない。

 

「あの水場ですっころんでくれりゃいいんだけどね……」

 

 こちらの攻め手を封殺したアクエリアスの水場。立ち入れば転倒不可避の地帯にジェミニはどう出るか。対応出来ずに転倒してくれればいいのに。

 

 

 そんな風の願望は、当然ながら叶わない。

 

 

 小さくジャンプしてアクエリアスの水場に飛び込んだジェミニは、バランスを取りながらより一層早く地面を滑走していく。その姿、まさに。

 

「スケートかーい!!!」

 

 渾身のツッコミを入れながら、風が大剣を数10メートルまで巨大化させる。踏ん張りの効かない水場に入らず、かつ広範囲を薙ぎ払うにはうってつけの形態だ。

 その横薙ぎを、ジェミニは上体を大きく後ろに反らし、ブリッジのような姿勢を取ることで回避した。

 更にその姿勢で進行方向を横に変え、身体を起こせば滑らかに複雑なカーブを描いて夏凛の連続投剣を回避。樹のワイヤーはその場で高速回転しつつ足技で切り払ってみせる。バーテックスとは思えない妙技。

 

「フィギュア、スケート……」

 

 呆気に取られた樹がそうこぼしても無理はない。

 

「このおっ!」

 風の2撃目。今度は剣の腹でぶっ叩くような薙ぎ払い。これなら地面スレスレまでを攻撃範囲に含めることができる。

 だが、未だライブラの強風が荒ぶ中、そのモーションはどうしても素早く、とはいかない。ならば銃撃も見切るジェミニには通じない。

 

 大剣の一撃を軽やかに跳んで避け――のみならず、刃を踏んで更に跳ぶ。

「!!」

 慌てて剣を普通サイズに戻すが、もう遅い。加速と回転の勢いを載せたジェミニの必殺キックが風に襲い掛かる。

「うああ!」

 大剣で受けても尚強烈な衝撃を受けて、風は弾き飛ばされた。

 

「このおっ!」

 風を蹴り飛ばしたことで生じたわずかな隙に夏凛が切りかかる。だが、夏凛の斬撃が届くには僅かに足りず、一度着地を許してしまえばジェミニの速さは勇者を上回る。

 数歩後ずさってからの、夏凛を飛び越える前方宙返り。

 トリッキーな動きに夏凛は追従出来ず、振り向こうとした時には背中に痛撃を受けて前に突き飛ばされる。夏凛の背中を足場代わりにして、ジェミニは更に前進したのだ。

 

「お姉ちゃん?!夏凛さん?!」

 頼りになる2人が容易く抜き去られて、樹は悲鳴じみた声を上げた。今、ジェミニと自分との間には誰もいない――自分が、最後の防衛線だ。

 再び地面に降り立ったジェミニが、人間のように顔を上げる。当然そこに表情などないが――

 

「!」

 

 ニヤリという笑みが見えたような気がして、樹は一歩後退る。その怯みに付け込むように、ジェミニは一気に駆け出した。

 

「っ、ああああああ!」

 弱気を叱咤して樹がワイヤーを振りぬく。自身を捉えようとするその攻撃を、ジェミニはやはり足技で払おうとした。

(!そうだっ!)

 だが、樹のとっさの判断が先ほどの二の舞を阻む。

 

 放ったワイヤーの、張力を消す。張りつめた糸なら斬り弾けるだろうが、ただ風に漂う糸はそうはいかない。ジェミニの足に絡みつく。

 そこで再び張力をつければ、ジェミニの片足を封じられる――!

 

 樹が自身の閃きを実行に移すより、ジェミニの対応は早かった。これまでを上回る速さで樹に突進する。

「きゃあっ!」

 木霊が展開した精霊バリアにぶつかるがおかまいなし。樹を巻き込んでジェミニは神樹への突撃を続ける。

 

「樹ちゃん!?」

 美森が狙撃銃を向けるが、引き金を引けない。樹を巻き込んだ事でジェミニの速度は落ちたが、逆に樹に当たる恐れが出てしまった。バリアが防ぐといってもはいそうですかと撃てるほど、美森の肝は鋼鉄ではない。

「!東郷さん、上!」

 友奈の声に顔を上げると、いったん収まっていたレオの火球が再び降ってきている。ジェミニの突破を支援するように。

 

「……抜か、れた」

 こちらも火球の雨を受けながら、夏凛が青ざめた顔で呟く。

 勇者の身体能力では、ジェミニには追い付けない。美森の狙撃も奏功しない以上、ジェミニを止める術はない。

 

 レオのような強大なバーテックスに押し負けるような事は、夏凛も覚悟してはいた。

 だが、あんな小さな、足の速さに特化したような相手に、戦うことも出来ずに負けることは、考えてもいなかった。

「そんな……」

 力の抜けた呟きが夏凛の口から洩れる一方、身体を起こした風もまたその光景を目の当たりにして、叫ぶ。

 

 ジェミニの突進に巻き込まれ、姿が見えなくなった、大切な妹の名を。

「樹ー!」

 

 

 

 

 その叫びが、樹の耳に届いたわけではない。

 ジェミニの体当たりと高速移動に巻き込まれて引き離されている上に、神樹の根にぶつかりそうになれば精霊バリアが発生して弾かれそうになって揺さぶられているのだから、聞こえるわけがない。

 

 だが、樹の心には、自分の身を案じる風の叫びが確かに聞こえた。

 

(お、姉ちゃん……)

 

 また姉に心配をかけてしまっている事が、不甲斐なかった。

 風の背中に守られて、いざ脅威と向き合えば怯む自分が情けなかった。

 並びたいはずの背中が遠ざかっている事が悔しかった。

 

 このままバーテックスが神樹様にたどり着いたら、世界もろともに、自分は姉の隣に立てないままで終わってしまう。

 

(そんなの、嫌だ!)

 その激情が、閉じかけていた瞳を押し開く。

 眼前にはジェミニ・バーテックス。世界を滅ぼす敵。力比べでは自分は及ばない壁をどうすればいいのか。

 

 樹の中に答えはない。

 

 だが、頭が答えを出すより先に、身体が動いていた。

 スマホを手の中に呼び出し、画面をタップする。

 

 

 勇者システムには、勇者をパワーアップする機能が含まれている。それは、戦いを通して蓄積された神樹様の力を一気に解放することで、通常を遥かに上回る力を勇者に与える、まさに逆転の切り札。

 その機能の名は。 

 

 

「満、開!」

 

 

 その刹那。

 宙に鳴子百合の花が咲き誇った。




アクエリアス・バーテックス、水が飲まれないよう喉に絡む粘性を獲得するの巻。

牙狼、まさかのTV新シリーズですよ。
基本1話で起承転結があった今までのシリーズとは違い、ホラーとの闘いより「神牙」で強調された「業深い人間」が更に前に出てきて、人間同士でゲーム(?)の中で殺し合いが行われるという展開は、挑戦的で好みが分かれるでしょうね。個人的には「う~ん?」です。
神牙の如くバッドエンドに進むのか、或いは光が差し込むのか……ひとまず最後まで見てみましょう。


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第13話「グランド・バトル(決戦)―3」

外出自粛のゴールデンウイークという、外に出ても遊べる場所がほぼ無かった5月の連中、天気もよくて行楽日和が多かったのにチクショウ。

そんな鬱屈をどうにかぶつけて、バーテックスとの決戦を最後まで進めることが出来ました。


 鳴子百合を象った光の花。その輝きを、その場にいた全てが目にした。

 最も近くでその光景を見たのは、放たれた光に弾き飛ばされたジェミニ・バーテックスだった。

 着地したジェミニが顔を上げた先。光の花の中心。そこに犬吠埼 樹はいた。身に纏う勇者装束を、白を基調として神職を思わせる形の満開装束に変えて。

「すごい……!」

 軽く手を握るだけでも分かる。感じる。今、自分の身体に途方もない力が満ち溢れている事に。

 そして、様子を見ているジェミニに強いまなざしを向ける。

「ここから先には、通さない!」

 樹の気迫に押されたのか、ジェミニは一歩後退り――しかし、一拍を置いて再び駆け出した。

 

 ――ジェミニはバーテックスの中でも特異な方面に特化した個体だ。

 とにかく神樹に到達する。その一点を突き詰めた結果の小型化・高速化がジェミニの武器と言える。

 逆に言えば、何がどうあれジェミニに出来ることはただ1つ。障害を突破して神樹まで突き進むのみ。

 

 そして。樹の武装はジェミニにとって最悪の相性だった。

 

 教えられなくとも、樹自身が今の自分の力を理解出来ていた。

 『満開』したことで背中に追加された装備――後光を象ったような円環についた蕾が花開く。その1つ1つが、普段樹が使っているワイヤー射出機と同じもので。

「いっけえぇぇぇ!」

 叫びに応えるように、無数のワイヤーが辺り一面に放たれる。それはさながら投網の如く。

 ジェミニがどれほど早く動けても、動ける空間全てを抑えらればもう速さは関係ない。宙を駆けるワイヤーに瞬く間に絡め取られる。足で斬り払おうと藻掻くが、ワイヤー自体の強度も跳ね上がったため効果がない。

 そうして四肢を拘束されたジェミニに、樹はとどめを刺す。

「――おしおきっ!」」

 右手を握り締めると、その動きに連動するようにジェミニを捕らえたワイヤーが締め上げ、その体躯をバラバラに刻み上げる。

 後には元のサイズに応じるように小さな御霊が残り――それも、ワイヤーの1本に刺し貫かれて光と散った。

 

「あれが――『満開』」

 その様子を見た風が呟く。

 『封印の儀』なしに、バーテックスを正面から撃破するほどの力。ジェミニが特別脆い可能性もあるが、切り札というだけあって圧倒的な力だ。

「お姉ちゃん!夏凛さん!」

 見事にジェミニを撃退して近づいてきた樹に、風の方から飛びつく。

「わ、わわっ?!」

「樹ぃ~!よくやったぁぁぁ!思ってた通り、樹はやれば出来る子~!」

 抱きしめ、頭を撫でる姉に、樹の方が面食らって赤面する。

「お、おねえちゃん?恥ずかしいよぉ」

 もっとも、こうして手放しに褒められて悪い気はしない。こそばゆい気持ちになりながら風の抱擁にしばし身を委ねる。

 

 樹の上げた大金星を心底喜びテンションが上がり続ける風だが、傍から見ていた夏凛は、

(あ、これ放っておいたら止まらないやつだ)

 感動しきりの風を軽くはたいて、まだ残る問題に目を向ける。

「ハイ、それくらいにする。まだ終わっちゃいないんだから」

 視線の先では、ライブラの暴風とアクエリアスの放水がまだ続いている。

「そ、そうですね夏凛さん。タウルスも傷が治ったら出てきますし」

 樹にもそう言われて、多少ふくれっ面をしながら風も敵を見る。動いていないところを見ると、完全に「待ち」に徹して樹海へダメージを与える事に集中しているようだ。

「……あの強風とぬめり水を突破しないと、ひたすら泥仕合よね」

「そうね。樹のワイヤーでここから攻撃出来ない?」

 夏凛に聞かれて、樹は少し考え――首を横に振る。ヒョイと浮かび上がり、

「多分、ここからじゃ届かないと思います。それに、ワイヤーが強くなった感じもありますけど、さっきみたいに刻める気はしないです」

 勇者に変身すると、自分の力で「何が出来るか、出来ないか」がなんとなく分かる。その感覚に従えば、自分の武器ではさすがに巨体を持つバーテックスにはとどめをさせる威力はない。

「何とか近づければいいんだけどね……」

 近づけないという難題をどうするか。当初の問題にぶち当たって、風は樹から改めてバーテックスに向き直り――樹を二度見した。

 

「ど、どうしたの、お姉ちゃん?」

「樹、()()()()?」

 あまりにも自然に宙に浮いている樹を見上げる風に、樹も不意に気づいたように答えた。

「あ。ホントだ。――なんだか、空を飛べるみたい」

「ええ……」

 その様子を見て、夏凛も呆けた声を上げる。大赦で訓練していたとはいえ夏凛も『満開』については知識でしか知らない。空を飛べるようになるとは思っていなかった。

 だが、樹の返事を聞いて、風はニンマリと笑みを浮かべた。

「お、お姉ちゃん?」

 不審がる樹に答えずに、風は自身の満開ゲージを見る。左太ももにあるゲージは、すでにチャージ完了を示す光が満ちていた。

「――これならイケるわね」

「風、アンタも」

「ええ。樹があんだけかっこよく決めたんだから、アタシもいいとこ見せないとね!」

 吠えて、駆け出す。

「お姉ちゃん、私も!」

 後を追おうとする樹を、夏凛が押しとどめる。

「樹、落ち着いて。まだまだ後が続いてるんだから、慌てて動くより他のバーテックスに注意しなさい!」

「ハ、ハイ!」

 その間にも風は大地を駆け、アクエリアスの水場の縁まで到達し、

「どぉりゃあああ!」

 ライブラに向かって全力で跳ぶ。暴風がその小さな体を木の葉の如く吹き払おうとする中で。

 

「満開!」

 

 裂帛の声と共に、樹海の大地から七色の光が風に収束し、オキザリスの花を象った光が空に咲き誇る。

 その光に包まれ、神々しい満開装束となった風が、ライブラの暴風を突き抜ける。

 その突進に危険を察したのか、アクエリアスが放水を放つ。放水と言えど、径を絞り強烈な勢いがあれば石をも裂くウォーターカッターとなる。まともに受ければ勇者と言えど危うい。

 

 まともに当たれば、だが。

 

 アクエリアスの放水をヒラリとかわし、風は手にした大剣――満開したことで更に巨大化し、身の丈をはるかに上回るそれをライブラへ振り下ろした。

「はあっ!」

 真芯を両断せんと放った一撃を、ライブラは仰け反るかのように斜めになる事で即死を避ける。

 だが、半身を切り飛ばされたことで、回転していた上半身は支えを失い後方へと吹き飛んでいく。

「ちっ!」

 仕留めきれなかったことに舌打ちしながら風はもう1体の厄介者、アクエリアスに視線を向ける。

 直撃は危険と悟り、アクエリアスは巨大な水球で自分を覆う。斬撃の威力を落とすための、いわば水のバリアだ。

 

 だが。

『風先輩、左へ!』

 美森からの連絡に従い横へどくと、アクエリアスの前には朝顔を象った光が。

 そこから現れた美森の満開は、樹や風のそれとは趣が違った。

 

 巨大な砲身を複数伸ばした、浮遊する円盤のような戦艦。その上で、満開装束を纏った美森は右腕を振り上げた。

「ワレ、敵軍ニ総攻撃ヲ実施ス!」

 同時に砲身が一斉にアクエリアスに集中、太い閃光を連射する。

 普段の狙撃銃を遥かに上回る威力の砲撃が連続して突き刺されば、アクエリアスを守っていた水のバリアもあっという間に弾け飛び、アクエリアスの体躯を削る。

「このままトドメを!」

 さらに美森は砲撃のエネルギーを船体正面の一点に集中、収束砲撃として発射した。その威力は先ほどの砲撃を更に上回る。当たれば水のバリアごとアクエリアスを霧散させるに足る。 

 文字通り必殺の砲撃。最初の砲撃斉射で動きが鈍っていたアクエリアスに回避の術はなく。

 

 故にアクエリアスを救ったのは、地中から飛び出したピスケスだった。

「「なっ?!」」

 風と美森が揃って驚く中、ピスケスはアクエリアスを突き飛ばし、代わりに砲撃に呑まれその身体を光の粒子へと返していく。 

「バーテックスが、仲間をかばった?」

 呆気に取られながらも、美森は再び砲身をアクエリアスに向ける。戦いの流れを取り戻した以上、ここで一気に趨勢を決めるべきだと直感したのだ。

「東郷さん、危ない!」

 不意に掛けられた友奈の声にハッと息をのむ。その時には、レオが放った巨大な火球が美森に迫っていた。先ほどまでの火球とは違う、必殺を企図した一撃。精霊バリアで防ごうとして。

「くっ?!」

 感じた悪寒に従って咄嗟に船体をよじって回避。遥か彼方で火球は炸裂し、その爆風はバリアの上からでも強い衝撃を美森に通した。

「な、なんて威力……!」

 自身の収束砲撃に匹敵する威力だ。迂闊に受けていたらそれこそ満開状態が解除されていてもおかしくない。

「東郷さん!大丈夫?!」

「!友奈ちゃん?!」

 地面にいたため爆発の影響が少なかった友奈が美森に声を掛ける。

「友奈ちゃんこそ大丈夫?」

「うん!今ので濡れてたのがマシになったくらい!東郷さん、わたしも――!」

 熱を伴った爆風の影響でかなりぬめりがマシになったらしく、たどたどしくも立ち上がった友奈が自身も『満開』しようとスマホを手に取る。

 

 そんな友奈に頷こうとして、

「――待って友奈ちゃん」

「え?」

 ふと視界の隅に起こった変化が、美森から顔色を奪う。

「――まだ、使っちゃダメ」

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 同じころ、こちらも爆風で態勢を崩していた樹と夏凛もどうにか立ち上がる。

「あれが、レオの本気ってワケ?!」

「すごい威力です……」

 炸裂した辺りを見ればキノコ雲が立ち上っている。樹海にどれだけの悪影響があったか、正直考えるだけでも恐ろしい。

「2人とも、大丈夫?!」

 風が空から呼びかけてくるのに揃って頷き返すと同時、突如レオの方が明るくなる。

 疑問を浮かべながらそちらを見て。

 

「今度は何?!」

 風がどうにか疑問の声を上げる。

 ライブラとアクエリアスを屠る間に近づいてきたレオ・バーテックスが突如として灼熱したような姿になると、半壊していたライブラとアクエリアス、修復を待っていたであろうタウルスがその灼熱の中に溶け込んでいく。

 

 さながら太陽のような火球が樹海の空に生まれ――そして弾ける。

 そこには、新たなバーテックスが誕生していた。

 

 先ほどまでのレオを尚上回る巨体。タウルスの角やアクエリアスの水球等、一体化したバーテックスの特徴を残すパーツ。どこか均整がとれていたレオとは違う歪な禍々しさを漂わせる風貌。

 

 称するならば、「レオ・スタークラスター(集いたる星)」。

 レオであり、しかしレオ・バーテックスではない新たなバーテックスの出現だった。

 

 その威容に、勇者部も気圧される。夏凛さえ無意識に半歩後退るほどだ。

『みんな!』

 そこにスマホ越しに友奈の声が響く。

「友奈?!そっちは無事?」

『大丈夫です、風先輩!』

 風の問いかけに答えて、友奈は更に後を続ける。

『この合体したバーテックスさえ倒せば御役目完了ですよね!わたしも満開使えます!』

 確かに、合体したことでバーテックスの数自体は残り1だ。満開で強化されることを考えれば、友奈の満開が加われば倒せるかもしれない。

 

 だが。

 

「――その前にアタシが仕掛けるわ。満開の力で仕留めきれるか、試してくる!」

 数は減ったが合体したバーテックスだ、パワーアップしているのは確実。満開で御霊もろとも倒せるか、推し量る必要はある。

 そんな勇者側の相談をよそに、レオ・スタークラスターは無数の火球を生み出し、一斉に撃ち出してきた。

「散って!」

 指示を飛ばして風は火球の雨あられの中を満開の出力で突っ切る。直撃こそ避けるが火球は近寄ればそのまま炸裂し、風の軌道に沿って炎の花が咲き連なる。

 もちろん他の勇者たちにも火球は怒涛の勢いで迫る。

 追尾してくる火球を美森が砲撃でまとめて潰し、樹は無数のワイヤーで切り裂き、夏凛は接近すれば炸裂する特性を逆利用して誤爆させる。

(さっきまでより威力がデカい!)

 直撃でもないのに精霊バリア越しに揺さぶられ、風は合体したバーテックスがかなり強力になった事を実感する。それでも強引に近づき、大剣を揮う。

「おおっ!」

 生み出された水の防壁を勢いと質量で物ともせずに引き裂き、レオ・スタークラスターに一撃。その威力に身体を削られ、レオ・スタークラスターが少し後退する。

 

 まともに入った一撃で、仕留めきれない。

(硬い!)

 手に返ってきた痺れを感じながら、風は合体したバーテックスへの評価を改める。

 こいつはいわば、“満開したバーテックス”だ。満開した勇者ならバーテックスは『封印の儀』なしでも倒せるが、コイツは力押しだけで倒せるほど甘くない。まして、

(この『満開』、ずっとは使ってられない)

 感覚的に分かる。『満開』による強化は一時的なもの。使い切ってしまえば元の状態に戻る他ない。そうなればこのバーテックスは押しとどめる事さえ難しい。

 ライブラの如く回転して大気そのものをぶつけてくるレオ・スタークラスターから一度距離を取る。後方から美森の砲撃がレオ・スタークラスターに突き刺さるが、アクエリアスやピスケスのように削り切るには至らない。

 

 ならば。

「友奈は満開をとっておいて!こいつは『封印の儀』で倒す!」

 いつも通りの正攻法で倒す。それしかない。

 

 そんな勇者たちに、細かな火球の連打では埒が明かぬと考えたのかレオ・スタークラスターは火球を収束させ、太陽のような巨大なエネルギー塊を生み出す。

 特大火力で勇者を倒す。力で圧倒しきるつもりのようだ。

 通常状態のレオの収束火球が『満開』した美森の最大火力と同等だった。ならばレオ・スタークラスターの収束火球の威力はどれほどか。

 

 ついに放たれた収束火球の前に、風は真正面から突撃する。

「お姉ちゃん?!」

「風先輩?!」

 樹と友奈からの悲鳴交じりの声に、風は毅然と叫び返した。

「コイツはアタシが防いで見せる!勇者部一同、封印開始ィ!」

 大剣を掲げ、精霊バリアと飛行の推進力の全てを費やして、火球の進行を防ぐ。接触してすぐ炸裂しないのは、風が近すぎるせいで爆発の影響をレオ・スタークラスター自身も受けるからか。

 

 そしてレオ・スタークラスターにとってもこれが全力の攻撃である以上、その周囲を勇者が囲んでいくのを妨害できない。

「やろう!みんな!」

「ええ!」

「わかりました!」

「ったく、私にもいいとこ残しなさいよね!」

 友奈の声に合わせて4人が『封印の儀』を開始する。

 レオ・スタークラスターの足元に封印を示す紋様が現れ、動きそのものが封じられる。

 風が受け止めていた火球が突如炸裂したのはその時だった。

 

 時限式だったのか足元の勇者を無理やり引きはがそうとしたのか、或いは爆発を抑えていたのはレオ・スタークラスター自身で封印のせいで抑えられなくなったのか。それは誰にもわからないが。

「お姉ちゃん?!」

 爆発をモロに受けて風が地面に叩きつけられる。精霊バリアはあれどその衝撃は相当なもの、満開装束も元の勇者装束に戻ってしまっている。だが、そんな満身創痍であっても、

「――ソイツを、倒せぇぇぇ!」

 勇者部の部長として。バーテックスとの戦いを率いる者として。風は今なすべき事を叫ぶ。レオ・スタークラスターを倒し、御役目を終わらせることを。

 その檄に、駆け寄ろうとした樹も表情を引き締めて『封印の儀』に集中する。

 

 そして。遂にレオ・スタークラスターの御霊が露出して。

 

「「「「ハアッ?!」」」」

 全員が声を上げた。

 レオ・スタークラスターと同じほどに巨大な御霊が、遥か上空に浮かんでいたから。

 

「大き……すぎるよ……」

 呆然としながら樹が。

「大きさイコール強さだっての……?!」

 さすがに慄きながら夏凛が言う。天高くに鎮座されてはそもそも手が出せない上に地上から見ても分かる巨大さ。たどり着けても壊しきるまでに『封印の儀』が効力を失ってしまう。

 レオ・スタークラスターの御霊の防衛策とはつまり、“壊しきられないようにする”ことなのだろう。確かに、これは勇者では壊しきれない。

 

 ――通常の、勇者なら。

「大丈夫!おっきくても御霊なら、いつもみたいに壊せばいい!」

 友奈が叫び、

「乗って、友奈ちゃん!私の『満開』なら友奈ちゃんを乗せてアレの傍まで行ける!」

 美森が友奈の傍に円盤を寄せる。

 友奈が飛び乗ると、美森は自身の戦艦に全力での上昇を念じた。

 

 そうして空を進むと、進む先から何かが飛んでくる。

「やっぱり、妨害手段自体もあったのね」

 呟いて、美森は飛んでくる障害物を砲撃で落としていく。時折砲撃を御霊自体にも撃ち込むが――大きな破壊には繋がらない。

「この御霊の強度――一気に壊すなら」

「満開が必要、だね?」

 友奈の問いかけに頷き返して、美森は更に速度を上げる。御霊までの距離が急速に縮まっていく。

「私の全力で友奈ちゃんを届けて見せる!だから」

「ありがとう、東郷さん。見てて、やっつけてくるから!」

 美森の願いにこたえて跳躍し、友奈もまた切り札の名を呼ぶ。

 

「満っ開!」

 

 桜の花を象った光が閃き、満開装束となった友奈が御霊へと突撃する。

 拳を振りかぶれば、『満開』によって追加された巨大なアームも連動するように振りかぶられ、

「ハアァァァァァァっ!」

 拳の一撃が、御霊に大きなヒビを入れる。

 ここまで巨大なら、御霊も拳の一撃程度では砕けない。バーテックス同様の修復能力で損傷を補おうとする。が。

「アアアアアア!」

 友奈が連続でパンチを放てば、修復を上回る速度で御霊が破壊されていく。

 

 一撃の破壊力で風に、連撃の早さで夏凛に迫る。破壊力と速度の両立こそが結城 友奈の本領だ。

 

「みんなを守って――」

 砕く。砕く。砕く。

 繰り返される打撃が御霊の内側を抉り砕いていく。

「――わたしは、勇者に、なる!」

 内側を砕かれ、御霊の修復もそちらに集中する。中にいる友奈ももろとも潰す勢いだ。その圧迫を受けて、しかし。

 友奈は苦悶の表情を浮かべながら、その脳裏に勇者部の皆を思い浮かべる。

 風が、樹が、夏凛が、そして美森が。自分の背中を押してくれた。この場所にたどり着かせてくれた。

 ならば、諦めるわけにはいかない。

「勇者部五箇条!一つ、なるべく諦めない!」

 ありったけの力を拳に込めて、御霊の中を砕いて進む。自分がどれだけ進んできたのかは気にしていられない。とにかく行き着く先まで、むしろ抉りぬいて向こう側に飛び出すまで壊し続ける心づもりで拳を揮う。

「五箇条、もう一つ!なせば大抵――なんとかなる!」

 その声と共に、揮った拳の先にこれまでとは違う感触。どこかガラス細工を砕いたような気配と共に、友奈の周りに迫っていた御霊の中身が光となって散っていく。

 

(御霊を、壊せた!)

 

 それと同時に、友奈の装束が元の勇者装束に戻っていく。

 御霊の破壊に全霊をつぎ込んだことで、『満開』が解除されるのも早かったようだ。

 脱力感と共に宙に投げ出された友奈を、同じく勇者装束に戻っていた美森が受け止める。

 足元には、朝顔を象ったような足場。満開が解除される時に、足場となっていた部分だけ残したようだ。

(東郷さん、やっぱり器用だな)

 そんな事を思いながら、自分を抱きとめた美森を見上げる。

「お疲れ様、友奈ちゃん」

「えへへ、美味しいところだけもらっちゃった」

 お互いの無事な姿に安堵しながら、友奈と美森は笑いあう。

 地上では、こちらも満開状態が解けた樹がフラリと倒れる。

「っと」

 夏凛が抱きとめると、樹は静かな寝息を立てていた。風の方も、ずいぶん静かだと思ったら意識を失っていたらしい。

「……ま、あれだけ頑張ったんだもんね」

 この調子だと、空から戻ってくる友奈や美森も気を失っているだろう。 

 七色に輝く花弁が天空を含めた全てを包み込んで樹海化が解けていく様子に、御役目が終わったのだと感じながら夏凛もまた目を細めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして。

 瞬きする間に、世界は色彩溢れる樹海から、見慣れた景色に戻っていた。

 もう2年、見続けている単色の天井に。

 一つ大きな息をついて、窓の外を見やる。そこには夕暮れの赤に染まった空がある。

 これもまた見慣れた空だ。昔は雲の形が変わる事を楽しんでいたことがあったはずなのに、ベッドから動けずに見る空では楽しみを見いだせないのは何故だろうかと思わなくもない。

 瞼を閉じれば、そこに浮かぶのは先ほどまで見ていた樹海の様子と――樹海の空に咲いた4つの花。

「まいったなぁ」

 折を見て話をしたいと思っていたのに、機会を探っているうちに事態が最後まで進んでしまった。残る全てのバーテックスの襲来と、それ故に避けられない『満開』の使用。そして12()のバーテックス撃破。

 これで、彼女たちは勇者の御役目を解かれ、普通の生活に戻っていくことになる――自分の心中を離せないままに。

 慎重に動いたことが仇になったか。けど自分の話を聞き入れてもらうには必要なステップがあって――。

「くやしい、かな」

「失礼いたします」

 物思いにふけっていたせいか、声を掛けられるまで部屋に人が近づいていることに気づけなかった。

 気を取り直す意味も含めて、どうぞ、と答えると、扉を開けて神官衣と仮面をつけた人物が、半ばひれ伏すような姿勢で入ってきた。声からすると女性のようだが。

「ただいま、当代の勇者様が御役目を無事終えられたとの連絡がございました」

「うん、そうみたいだね~」

 無事。なるほど、無事だろう。誰も命を落としていない、どころか大した怪我も負ってはいないのだから。

「これも偏に神樹様の御加護と、御身のご献身の賜物と存じます」

「大袈裟だね」

 感情のこもらない返事を返されても、神官にはたじろいだ様子はない。ひとまずの報告は終わったようで、改めて深く頭を下げると部屋から出ていく。

 その背中にため息を一つついて。少女は改めて窓の外を見やった。無機質な天井よりはそちらの方がマシな風景だ。

 決戦を見る中で食いちぎった口元から赤い血が流れている事は気づいていない。

 神官は、少女を一度も見なかったために。少女は、皮膚の触覚が失われているために。




戦闘開始から終了まで3話も費やすとは、どんだけ~。
この3話、オリ主は出番なし。勇者じゃないから仕方ないけど、どんだけ~。


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幕間「勇者部部室にて」

ども、ヴィルオルフです。

バーテックスとの決戦が終わってこのお話も次の段階へと進むわけですが、今回は息抜きというか、本筋に入れてよかったんだけどうまく落ち着かなかったというか。そんな感じの幕間話です。

ヤマもオチもない駄弁り系ですが、どうぞ。


「ねえ、白羽くん」

 夕日の差し込む勇者部部室で、風と涛牙は盤を挟んで向かい合っていた。バーテックスとの戦いに備えたシミュレーションだ。

「なんだ。犬吠埼」

 盤面を睨んで勇者をどう動かすか思案していた風の呼びかけに応じると、風は視線を動かさぬままに続けてきた。

「ホントに、バーテックスがまとめて来るって思う?」

 それは、幾度も行ってきたシミュレーションで勝ちを拾えていない事からの焦りが言わせた弱音かもしれない。

 これまで涛牙は7体のバーテックスをまとめて進める戦法を取り、風を蹴散らしてきた。数と質でゴリ押すやり方への不満が含まれた問いに、涛牙は肩をすくめて答えた。

「知恵があろうとなかろうと、それが効果的だ」

「そう?」

 眉間にしわを寄せる風に、涛牙は頷き返し。

「勇者が毎度1人ずつ増えてるだろう?」

 言われて、風はああ、と返す。

 最初の戦いでは、風と樹がヴァルゴ・バーテックスと戦っている最中に友奈が勇者として参戦し、そこから撃破への流れが出来た。

 2戦目。3体のバーテックスを相手に3人が苦戦する中、怯えを克服した美森が勇者となり、やはり反撃の起点となった。

 そして先日の3戦目。4人の勇者が迎え撃とうとするのを尻目に、夏凛が横合いから突撃。単独で撃破するという快挙を成し遂げる。

「これだけ続けば、知恵があるなら次の戦いで6人目が来ると考えてもおかしくない」

「……いるの?6人目」

 聞き返す風に、肩をすくめて答える。

「知らん。だがバーテックスがこちらの都合を知っている道理はない」

 むしろ知っていたら怖い。

「話を戻すと、勇者が6人出てくると仮定すれば、6体投入は確実だ」

 勇者が6人、バーテックスが6体なら、1対1の状況に持ち込まれれば『封印の儀』が使いづらくなる勇者側が不利になる。

「残りの1体は?」

「6体投入して撃退されれば、残り1体がどれだけ強かろうと数で押されて負けるだけだろう。なら、7体目も投入する方が勝算が増す」

 勇者とバーテックスがサシで戦うことになっても、7体目もいるバーテックスは1体が自由に動けることになるわけだ。

「バーテックスに知恵があるなら、そうなるか~」

「知恵がないならないで、攻めてこれる全員が一斉にかかってくるだろうしな」

 バーテックスが一度に複数体攻めてこれるというのは既に分かっている。侵攻出来る上限数が分からない以上は、残りのバーテックスが全て現れることを考慮から外すことは出来ない。

「神樹様から、何体攻めてこれるのかの神託があればねぇ」

 風の愚痴に返そうとして、ふと涛牙は顔をしかめた。

「……考えてみれば、襲来予報の一つもないな」

 勇者達に来る知らせは、バーテックスが襲来したその瞬間の警報だけ。「明日攻めてきそうです」と予報が来たこともない。

「まあ、神樹様を殺そうとするのがバーテックスなんだし、神樹様にも分からないことがあるってことじゃないかしら」

「――そんなところか」

 あまり深く考えると神樹様への不敬になりそうな気がして、2人は話を切り上げた。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

「ねえ、白羽くん」

 夕日の差し込む勇者部部室で、風と涛牙は盤を挟んで向かい合っていた。バーテックスとの戦いに備えたシミュレーションだ。

「なんだ。犬吠埼」

 風の呼びかけに応じると、風は視線を口を尖らせて文句を続けた。

「一斉に来られるとどうしようもないんだけど。どうしよう?」

「――どうしたものかな」

 言われて涛牙も頭を掻く。

 盤上では、バーテックスを表す駒が横一列に並んで前進している。涛牙が考える、最悪の状況なのだが。

「自分でやっておいてなんだが、押し返す流れが思いつかない」

「でしょおぉぉぉ!?」

 奇声を発しながら立ち上がり、風は盤を指さした。

「もー!単独で封印出来るのが夏凛しかいないし!夏凛とアタシたちで2つずつ封印出来ても他に手が回らないし!」

「東郷の狙撃で5体を足止めできれば、速攻で数を減らすことで何とかならなくもないが、な」

 横一列のバーテックスを、単独封印可能な夏凛と友奈・風・樹のチームで両端から封印・撃破し、東郷は残る5体を狙撃で撃ちまくって反撃をさせないようにする。

 さすがに、理想論にすぎる。

 東郷の狙撃一発でバーテックスが完全に動きを止めるか。照準を変えながら撃ち続けて百発百中という真似が東郷に出来るか。『封印の儀』をしても御霊は抵抗してくるがそれを即座に潰せるか。

「撃たれても動きを止めないバーテックスがいたらその時点でプランが破綻するな」

 夏凛とて、1体を封印・撃破しながら他の1体を相手にするような真似は無理だろう。

「ホント、きっついわ」

 大きなため息をついて、風が座り直す。

「何か、いいアイデアない?」

 聞かれて、涛牙はフムと考え込み。

「――東郷が動き回れれば、攻め方の自由度は増すか」

 足が不自由な美森は固定砲台となるしかない。その前提で、これまで机上演習は進めてきた。美森が最終防衛ラインであり、そこから先に進まれてはならないというわけだ。

 だが、美森が動きながら攻撃できるようになれば、取れる戦術の幅は増える。勇者を無視して神樹へ侵攻するバーテックスがいても、無理して止めずに、神樹到達前に追いついて倒せればいいわけだ。

 だが。

「どうやってよ。そりゃ勇者装束に足代わりのアームがあるけど、アレじゃ走り回れないのよ?」

 過去の事故の影響で足が不自由な美森は、勇者になっても移動補助用のアームでゆっくりとしか動けない。自転車でも持ち込んでアームでペダルを漕げたところで、勇者の移動力に追いつけるものではない。

 風の指摘に、涛牙は一つ頷いて、

「樹がおんぶするのはどうだ?」

 樹の武装は右腕のワイヤー射出機。徒手格闘の友奈や、両手で武器を握り揮う風、夏凛と比べれば、腕を振り回さなくてもいいし、樹のポジション自体が他のメンバーのフォロー役だ。美森を背負って動き回れば、美森の移動砲台化には大きな貢献となるだろう。

「補助用のアームで樹にしがみつくようにすれば、樹の両腕が塞がる事もないしな」

 そんな涛牙の言葉に、風はその様子を脳裏に思い描く。

 

 攻め来るバーテックスに突き刺さる狙撃。

 バーテックスがそちらに向かって反撃しても、その時には狙撃手はその場を離れてまた別の標的を抉る。

 地上の物陰から、或いは上空からの銃撃がバーテックス一行の動きを混乱させ、ダメージ覚悟でバーテックスが向かっていっても、ワイヤーに動きを阻まれ銃撃に晒され、遂には封印の憂き目にあう。

 そうして、樹海の大地に雄々しくたつのは、美森を背中に背負った樹――

 

「うん、ダメね」

「なぜ」

 即答した風に涛牙が聞き返すと、風は軽く頭を振って、

「東郷の思った通りに樹が動き回るにも、樹の動きに東郷が合わせるにも、付け焼刃じゃね」

 それもそうか、と返す涛牙に、“建前の”言い訳がうまくいったと風は思った。

 

 風の脳裏に浮かんだ、美森を背負った樹。

 その瞳から、ハイライトが消えていたから。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

「ねえ、白羽くん」

 夕日の差し込む勇者部部室で、風は涛牙に問いかけた。

「なんだ。犬吠埼」

 風の呼びかけに応じると、風は少し首をかしげて疑問を口にした。

「なんで東郷には声を掛けないの?」

 東郷 美森は、勇者部切手の才女だ。

 頭の回転は速く知識も豊富。

 凝り性の気があり、一度興味を持てばとことんのめり込む気質もある。勇者部のホームページは美森が作っているが、彼女がホームページ作成に手を出したのは入部の後。僅かな期間でプログラミング技術を身に付けてみせたわけだ。

 そんな美森が作戦立案に加われば、自分よりよほど良い作戦を練れるだろうと風は考えたのだが。

 涛牙は、苦笑の気配を漏らしてから答えた。

「確かに、東郷は頭がいいが、俺の見立てでは、アイツは秀才型だ」

 知識や経験を力に変えられるタイプだ。イレギュラーな事態がない限り、確かに美森が作戦を立てるのは有効ではある。

「だが、その分未知の事態に即応出来るタイプではない――実際、勇者に選ばれた時にはかなり困惑していたというしな。バーテックスの能力は未知の部分も大きい。下手に知った気になると知らない事が出てきた時にパニックになる恐れがある」

「……なるほど」

「付け加えると、東郷は凝り性だ。直感でしかないが、こうと決めたらそこから抜け出せない気配がある。作戦を立てたらその流れが変わる事を許容できない、というか」

「あ~確かに。カッチリしすぎてるというか」

「しかも事は自分も含めた生命に関わるからな。迎撃プランを考えさせたら張り切りって作ってガチガチの代物になりかねん」

 立案者が知る情報だけで戦場が推移する、などという事はない。思いもよらぬことが起こるのが現実で、バーテックスはそれこそ未知の部分の方が多いくらいだ。実際、残る7体のうち2体はその能力さえ分かっていない。

「――そういうわけで、東郷には声を掛けなかった。事前に先入観を持たせるより、現場で得た情報から対応をくみ上げた方がいいだろう」

 涛牙の答えに、風もなるほど、と頷く。

「そっか……。白羽くんも色々考えてるのね」

「まあ、な」

 

 そうして2人は、改めてバーテックス迎撃のシミュレーションで向かい合う。

 

 7体のバーテックスの総攻撃の日は、もうすぐだった。

 




高機動型東郷 美森!おぶった人間は(メガロポリスの下敷きになって瞳が)死ぬ!


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第14話「ギャップド・ルーチン(違う日常)」

夏らしい暑さが次第に身体に堪えるようになってきました。
今年の夏は、暑い中にマスクもするのがマナーになりかねない状態なんですよね。注意しないと熱中症に襲われそうです。
皆さんも無理せず水分タップリとりましょうね。


今回はちょっと短め。
キリがいいところで切ろうと思うとココがいいかな、と。


 バーテックスの一斉襲撃を返り討ちにした後、現実世界に戻ってきた友奈たち勇者一同は皆疲労困憊、夏凛を除いて気を失ってしまっていた。

 夏凛からの連絡を受けて讃州中学に急行した大赦によって全員が大赦に所縁のある病院への運び込まれ――その翌日。

 

「……ヒマねぇ~」

 昨日も検査後に集まった談話室で椅子に腰かけて、アンニュイな面持ちで窓の外を見やりながら、風はそうつぶやいた。

 窓の外にあるのは平穏そのものの街の様子。

 

 昨夜のニュースでは、各地で起きた異変――突風、高潮、山火事、水道管の破裂など――を伝えていたが、死傷者がいなかったこともあって今日の報道は落ち着いた様子だった。

 バーテックスによる被害の発生を止められなかったことは悔しくもあるが、誰も怪我をしなかったというのは喜ばしい事だ。

 

「昨日あんだけ動き回ったんだし、ちょうどいいでしょ」

 というのは、テーブルに肘をついた夏凛。こちらも手持無沙汰にしている様子を見ると、暇なのは同じようだが。

「アハハ。夏凛ちゃんがのんびりした事いうなんて珍しい」

 ベッドで上体を起こしている美森に付き添っている友奈の声に、夏凛は少しム、としたものの、言われたこと自体は事実なのでそれ以上は言い返さない。

「まあ、昨日からこっち検査やらで動けないからねぇ」

 風の言う通り、病院に担ぎ込まれた後は身体に異常がないか等の検査をいくつか受け、時間も時間であったのでそのまま病院で一晩を過ごし、今日一日は静養と経過観察に充てられていた。

 今後は、問題ないと診断されたものから家に帰る事となるが、それまでは大人しくするしかないわけだ。

 

「でも、これで御役目も終わったんですね」

 美森が言いながら、わき机に置いたスマホを見やる。

 以前のスマホとよく似ているが、これは大赦から昨日渡された新品だった。

 

 以前のスマホには、風からの指示でインストールした「NARUKO」アプリが入っていた。メッセージアプリに偽装されたソレは、神樹に選ばれた少女に勇者の力を与える、勇者システムのソフトでもあった。そして御役目が終わった以上勇者システムはもう使う必要もない。

 大赦にとって勇者は機密事項そのものだ。なのでソフトをインストールしたスマホは大赦が回収し、勇者システム以外のデータをそのまま移した新しいスマホが各自に配られたわけだ。

 

「そうね……長いようで、結構始まればアッという間だったわね……」

 激しくも鮮烈な時間を懐かしむように風が言う。

 

 と、不意に扉をノックする音が聞こえた。

 どうぞ、と風が呼びかければ扉は開かれ、その向こうから見慣れた仏頂面が覗き込む。

「邪魔をす――どうした」

 常と変わらぬ調子の涛牙の声が、途中で変わる。理由については、まあ心当たりもあるので、風はまあね、と返して室内に招き入れた。

「左目、やられたか」

 涛牙が言う通り、風の左目には眼帯が巻かれている。負傷を負ったのか、という涛牙の問いに、風はフフン、と笑い返し。

「この目が気になるか……。これは先の暗黒戦争で魔王と戦った際に」

 何やら語りだした風に、夏凛がつまらなさそうに補足を入れる。

「左目の視力が落ちてるんですって」

「ってちょっと夏凜! 昨日と同じツッコミ入れないでよ?!」

 ポージングまで取っていた風があたふたするが、それを夏凛は冷めた目で見返す。

「だったらせめて違うコト言いなさいよ。“魔王との戦いで名誉の負傷”って昨日友奈にも同じこと言ってたでしょーが」

 容赦なしのツッコミに崩れ落ちる風を見下ろしながら、涛牙は分かる範囲の事を口にした。

「目を抉られたわけじゃないんだな?」

「エグっ!?そんな大怪我だったらアタシだって大人しく横になってるわよ?!」

 涛牙に言い返しながら立ち上がると、風は一度息をついてから説明を始めた。

「バーテックス7体相手にして大立ち回りの上に『満開』も使ったからねぇ。さすがに疲労が溜まりまくったみたいで、お医者さんが言うにはその影響だってさ。療養してれば治るそうよ」

「そうか」

 フム、と頷いて、涛牙は持ってきた手提げ袋を机に置いた。

 

 何か、と他の面々も集まる中、袋から出てきたのは紅茶の飲料と紙箱に紙皿、フォーク。

「なら、この土産はちょうどいいか」

「も、もしや?!」

 気づいた風が顔色を変える中、箱を開けると中から出てきたのは果物がたくさん載ったケーキ。

「「「おおおっ?!」」」

 それを見た面々が驚きの声を上げる。

「見覚えあるわ、コレ。たしか白羽くんの」

「ああ。下宿先の売り物だ」

 涛牙は現在、夏凛同様一人暮らしをしている。ただし、彼が住んでいるのは商店街から少し離れた雑居ビルに店を構えるダイナー、つまりは夕方から開くレストランだった。

 曰く、「親類の知人の伝手で住まわせてもらっている」と、以前風は説明を受けたことがあった。

「……売れ残りじゃないぞ」

 そんな事を言いながら、涛牙は皿にケーキを盛り付けていく。

「なるほど。疲れた体には甘いものが効くってわけね」

「甘味は幸福を味わえる」

 風の言葉に涛牙が返すが、一方夏凛は少し渋い顔。

「……甘いものが嫌いってわけじゃないけど――健康的にはどうなの?サプリや煮干しの方が」

「それは、退院してからでもいいんじゃ」

 苦笑しながら美森が言う傍で、樹もまたウンウンと頭を振って――。

 

「?」

 その様子に涛牙がつと眉間にしわを寄せると、それを察した風が小さく手招き。

 配膳を終えた涛牙が近寄ると、風は声を潜めて樹の現状を説明した。

「樹もアタシと同じでね。樹の方は声が出なくなっちゃったのよ」

「なんだと?」

「こっちも療養すれば治るって言われてるわ。だから変に気にしないで」

 そういう風だが、その表情には微かに暗いものが混じる。一時的とはいえ、樹に不便をかけることになったことが心苦しいのだろうと涛牙は思った。

「風せんぱ~い。いただいちゃいますよ~」

 友奈が声をかけてきたので風も席に戻るとケーキを取る。

「よっし!昨日もお菓子で乾杯したけど、今日もやるわよ!勇者部おつかれ~!」

「「「お疲れさま!」」」

 言って全員がケーキのおいしさに舌鼓を打つ。

 

 そんな中で。ケーキを口にした友奈の表情が一瞬曇った事に涛牙は気づいていた。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 讃州中学 勇者部は、その名の通り部活動である。

 ただ他の部活動と違い、その活動範囲はかなり広い。校内の他の部からのヘルプが多いが、一方でホームページを見た一般市民からの依頼もちょくちょく入ってくる。

 そう、ホームページは勇者部の窓といっていい。故に。

 

「――ページに一文追加したいので教えてくれ」

 翌日再び病院を訪ねて、涛牙は美森に教えを請うた。

 夏凛は今日退院していたがその他の面々は退院までまだ少しかかると、昨日涛牙は聞いていた。特に美森は検査に時間をかける必要がある、と。

 加えて、風の左目と樹の声が不調をきたしていることは、軽く考えていいものでもない。樹はしばらくは一人での活動は出来なくなるし、風も片方の視界が効かないとなれば外での活動は控えめにするほかない。

 

 つまり、今までのような頻度で依頼を受けていくわけには行かなくなった。

 ホームページで告知することで、依頼件数を減らす必要があると、涛牙は考えたのだ。

「なるほど。確かに連絡文を入れておくのはアリですね」

 涛牙からの説明を受けた美森もなるほど、と納得する。

 以前から勇者部にはけっこうな頻度で依頼が舞い込んできていた。それらを美森が中心となって振り分け、部員全員で各々力を尽くして依頼をこなしてきたのが勇者部だ。

 それが校外も含めた各方面からの好評に繋がっているのだが――そこに今回の一件だ。今まで通りに依頼を受けていくわけにもいかない。

「私が退院してから――とも思いますが」

「いつ退院か分かったのか?」

「いえ、まだ。――そうですね、兵は拙速を尊ぶとも言います。早いうちに告知した方がいいですね」

「やり方を教えてもらえれば、俺で何とかする」

「……涛牙先輩、パソコンの類は苦手ですよね?」

 と聞く美森に、涛牙は頷きながら、

「まあ、なんとかする」

 勇者部五箇条、一つ。なせばたいてい何とかなる。

「わかりました。じゃあ一通りの流れを――」

 

 こうして美森から教わったことをメモに取った涛牙は、病室を後に

「涛牙先輩。聞きたいことがあります」

 しようとしたところで、美森から呼び止められた。

「なんだ?」

 振り返ると、美森は何か思いつめたような表情を虚空に向けていて。

 

「――『満開』について、何か知りませんか?」

 その曖昧な質問に、涛牙の方が顔をしかめる。

「どういうことだ?」

「……私は今、左耳が聞こえません」

「なに?」

 美森の告白に、涛牙は視線を鋭くする。

「友奈ちゃんも、味を感じないそうです。最初は気のせいと思ってたみたいですが、昨日のケーキが決定打になったようで」

 

 美森が友奈の異常を察したのは、実を言えば決戦の当日。検査を受けた一同が集まった場で、ジュースを口にした友奈が変な顔をした時だ。

 そして昨日のケーキ。普段なら美味しいと味の感想を言う友奈が、舌ざわりの滑らかさといった感触の感想しか言わなかったことで異常が確実なものと気づいた美森は、友奈と二人っきりになった時に友奈を問いただし――味が分からなくなったことを知った。

「それは――悪い事をしたな」

「いえ、友奈ちゃんも決戦当日は気のせいだと思ってたそうですから」

 

 そういうと、美森は一度気を静めようと深呼吸し、後を続けた。

「私の耳、風先輩の目、樹ちゃんの声、友奈ちゃんの味覚。お医者様は疲労や勇者として戦った反動だと言いますが、私は――何だか納得できないんです。危険な攻撃は精霊バリアが守っていたし、これまでの戦いの後に、疲労や反動で不調が起きたこともありません」

 『満開』を使ったことで普段は無害化されていたものが表に出てきた、と考えられなくもない。だが、それならそう言えばいい。「『満開』のせいで不調が起きた」と。だが、医師たちは過労のせいだという。勇者システムの不備や限界ではなく、ただの疲れだと。

 

 顔色の悪い美森の横顔を見やって、ふと涛牙は尋ねた。

「?三好に異常は」

「夏凛ちゃんは何の異常もないようです。不調があるとは言ってませんでしたし、煮干しの消費量も普段と変わりませんでした」

「……煮干しを健康バロメーターにするな」

 確かに夏凛が常日頃から煮干しを食べているが。それで好調不調を測るのはいかがなものか。

 ともあれ。涛牙が答えられることはただ一つ。

 

「――犬吠埼が知る以上の事は、俺は知らない」

 この事実だけ。

 

 そんな涛牙の返事に、美森はそうですか、と返したが。

 涛牙に向けられた視線に、小さな疑念が混ざっていることはすぐに分かった。

 美森にしてみれば、あくまで大赦から勇者の代表として指名された風と、その風を補佐するために“上”から派遣された涛牙とでは、涛牙の方がより事情に通じていると見えるだろう。

 それが、「何も知らない」と言い出せば、何がしかの裏を感じるのは自然なことだ。

「――ひとまずは、様子を見ろ」

 そして、涛牙が返せるのもこんな返事だけ。

 なにしろ、勇者システムについては涛牙は本当に何も知らないのだ。以前風が部員に向けて語ったこと以上の事は、何も。

「そう、ですね。私の考えすぎかもしれませんし」

 そんな美森の声を背に受けて、涛牙は美森の病室を後にした。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

「何が、起こっている……?」

 

 その呟きの答えられる者は、彼の周りには誰もいない。




FGO、復刻ラスベガスやってました。
去年もストーリーは最後まで行けたしやれるかなと思ったんですが…なぜか最後まで進めず。
寝る間も惜しんでとか金リンゴ食べまくってとかやった覚えはないんですが、実はかなり無理くりやってたのかなぁ…?
FGOの復刻イベントって、「ライト」という割にはライトじゃない気がするんですが、どうなんでしょう?


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第15話「セカンド・アドベント(改めて、勇者部へ)」

ひたすらぐずついた天気の7月が終わり、いよいよ8月、夏本番!
今度はやたらと暑くなるんでしょうか?去年はかなぁり厳しかったし、オリンピックやったら熱中症続出か?と言われてましたね、そういえば。それどころじゃなくなるとは思いもよりませんでしたが。

そういえば、神世紀の天候ってどうなんですかね?四季はあるにしても、異常気象は無かったのかな?


 バーテックスとの決戦から数日。

 涛牙が勇者部部室でパソコン画面を睨んでいると、廊下から足音が聞こえてきた。

 振り向くと同時に扉は開かれ、

「おっ。やっとるわね」

 先日、姉妹揃って退院した風が入ってきた。

「ああ――。それは?」

 涛牙が示したのは、風の左目。入院中は、医療用の眼帯がつけられていたのだが。

「フッフッフッ。カッコいいでしょ?」

 今風がしているのは、黒い眼帯。端に小さく花のイラストが入っているが、なるほど全体としてはカワイイよりはカッコイイという印象が来る。

 

「……まあな」

 ――の、かもしれない。涛牙にはよくわからないが。

 よくわからないので適当に答えていると、風がパソコンを覗き込んできた。

 そこに映るは勇者部のホームページ。ただし、バーテックス決戦前の物とは少し違っている。

 

『部員の体調不良につき、当面の間、活動を縮小します』

 

 トップページにそう書かれている。

「これって、白羽くんが?」

「ああ。東郷にやり方を聞いて、昨日一日がかりでようやくだが」

 言いながら、キーボードを見ながらゆっくりと操作して依頼メールを確認していく。

「まあ、確かに今まで通りとはいかないわね……。校内はともかく、校外は」

 自分たちの不調の事を思い出しながら言う。自分は眼帯をしていることもあって一目で分かるし、樹もパッと見で分からないが声が出ないという大きな影響を受けている。静養という意味でも活動縮小は避けられないだろう。

 

「期末テストも近いしな」

 学生の本分を涛牙が言えば、風の顔色はサッと青ざめる。

「そ、そうね……」

(忘れていたな)

 犬吠埼 風。最近テストの成績が落ち込んでいる模様。

 

「まあ、依頼自体がちょうど落ち着いた時期だからな。タイミングは悪くなかったろう」

 急ぐような依頼がない事を確認して、涛牙はページを閉じて大きく伸びをした。

「やはり、電子機器は苦手だ。東郷の帰還が望まれるな」

 そうしているうちに、やはり廊下から足音。

「結城 友奈、来ました!」

 友奈と、その後に続いて樹がお辞儀をしながら入ってくる。

 だが、その後に続く人影がいないことで、風が首を傾げる。

「ん?夏凛はどしたの?」

 風が同級生の友奈に尋ねると、今度は友奈がキョトンとする。

「あれ?わたしより先に教室を出て行ったんですけど……。涛牙先輩、夏凛ちゃんは?」

「――そういえば、見ていないな」

「あら。夏凛らしくないわね。昨日とかは?アタシたちより先に退院してるはずだけど」

 風に言われて涛牙はつと考え込み、

「覚えていないな」

 先ほど風には言ったが、ホームページへの一文追加で画面に齧りついていた。気づけなかった可能性はある。

 

 ――胸元に隠しているディジェルなら気づいたろうが、存在を隠している現状ではディジェルも声を掛けるわけには行くまい。

 

「どんだけ集中してたのよ……」

 呆れたように言うが、風も涛牙が電子機器に不慣れな事は重々承知している。

 と、樹が風の服の裾を引っ張る。気づいた風が顔を向けると、手にしたスケッチブックのページを見せてきた。

『かりんさん、なにか用事があったんでしょうか?』

 それを見て片眉を上げる涛牙に、風が解説を加える。

「ま、声が戻るまでの応急処置ってとこね。スマホにメモのアプリ入れてってのもアリだけど、こっちの方がすぐに書けて見せやすいし」

 ウンウンと頷く樹に、なるほど、と答えてから、涛牙は後を続けた。

「用事があるにしても、断りくらいいれると思うが」

 これまでも何やかんや言いながら部活に参加していたのだ。律儀な夏凛が何も言わずに欠席というのは、考えにくい。

「サボリ、かしらねぇ」

 訝し気に風が呟くが、友奈が口を挟む。

「でも、お誕生日からは欠かさず来てましたよ?」

 ムムム、と涛牙を除く3人が首をかしげるが、これといった理由が思い浮かばない。

 

「――無断欠席の罰として、腕立てとかやらせようかしら。1,000回くらい」

 などと風が言うが、

『かりんさんならできそうだね』

 樹のツッコミに冗談冗談と答える。

 

 そんな中で、友奈は意を決した目で風に問いかけた。

「……風先輩、今日って勇者部の依頼はありますか?」

「ん~?特にはなさそうだったけど……。白羽くん?」

「ああ。図書委員からの資料整理くらいだな」

「ならわたし、夏凛ちゃんを探してきます!」

 言うと友奈は外へと駆け出していく。

 

「居場所に心当たりが?」

 が、涛牙の一言で立ち止まる。

「――ないな?」

 涛牙の念押しに、軽く視線をさまよわせながらも友奈は頷いた。

「で、でも家は分かってますから。いざとなれば夏凛ちゃんの家で待ってれば」

 確かにそれはそうだが。では“いざとなる”まではどうするのか。

「……暑い中で走り回るのか」

 なんとなく予想がついた涛牙の質問に、友奈はアハハ、と引きつった笑いで返事をした。

「いや、友奈。それはさすがにダメでしょ」

 風の言葉に樹も頷く。だが、友奈が、行方をくらました夏凛の事が気になってしょうがないという事は涛牙にも察せられた。

「まあ、心当たりはある」

 言って涛牙も席を立った。

 

「犬吠埼、悪いが」

「OK、図書委員の依頼はアタシと樹でこなしてくるわ」

 ウインクを交えた風の返事に軽く頭を下げて、涛牙は友奈を引き連れて部室を後にした。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 緩やかに赤みが増していく空の下。

 引っ越してきてから鍛錬に使っている海岸で、夏凛はいつも通りに二振りの木剣を揮っていた。勇者部部室には顔を出さずに。

 揮う剣の軌跡は流麗。身のこなしもさすが訓練を積んだ完成型勇者らしい堂に入ったものだ。

 だが。

 

(戦い、終わっちゃった……)

 

 内面は千々に乱れ切っていた。

 訓練を受け、最終アップデートを経た勇者システムを揮う完成型勇者。それが自分だと、夏凛は強く意識していた。

 他の、偶然に神樹様に選ばれた勇者たちの先頭に立ち、12体のバーテックスを撃破し、完全勝利を人類にもたらす。そのために夏凛は訓練を積み重ねてきた。

 

 だが、蓋を開けてみれば初陣の次に全戦力の決戦に突入、それ以前から戦っていた素人4人がゲージが溜まっていた『満開』を駆使してバーテックスを屠る中、自分に出来たのはフォローくらい。

 さらに、戦いが終わった時、不意に夏凛は気づいた。気づいてしまった。

 御役目が終わった後、どうするのか。それを考えていなかったことに。

「フッ、ハッ!」

 こうして鍛錬に励むのも、技量を磨くためというよりも、習い性になった行動を繰り返すことで気持ちを落ち着かせるためと言った方が近い。

 

 もっとも、それで考えが纏まるなら苦労はしない。

 結局汗みずくになるまで身体を動かしても、これからの事については何も思いつけない。

 砂浜に仰向けに倒れこみ、浮かない表情で空を見上げながら、ここしばらく頭に渦巻く言葉を口に出す。

 

「私、これからどうすれば良いんだろ……」 

 

 そんな弱気な独り言に被るように、不意に聞きなれた声が夏凛の耳に届いた。

「夏凜ちゃーん!」

 身体を起こして声の方を見ると、手を振りながら友奈が駆け寄ってきた。その後ろには落ち着いた足取りの涛牙も見える。

「やはり、ここだったか」

「ど、どうしてここに?」

 自分がどこで鍛錬しているのかを他の面々に話したことはなかったのになぜここに。

 そんな意図を含めて夏凛が尋ねると、友奈も自身を連れてきた涛牙を向く。2人の視線を受けて、涛牙は肩をすくめた。

「鍛錬と言えば砂地だろう」

 讃州中学に近く、人目も少ない砂地と言えば、この海岸に他ならない。

 そんな推理を披露されて、友奈は感心しきりに、夏凛は痛いところを突かれたような声を漏らした。

 

(――まあ、実際は様子を盗み見してただけだが)

 気配を隠して夏凛の様子を伺うくらいは涛牙には朝飯前だ。まあそれは口にすべきではないので黙っておく。

 

 その間に、笑顔の友奈に後ろめたさも感じながら、夏凛は口を開いた。 

「……で、何しに来たのよ」

「何って、決まってるよ。夏凜ちゃんが勇者部に来てなかったから、誘いに来たんだよ」

「……………」

「このままじゃ、サボりの罰として、腕立て500回とスクワット3,000回、更には腹筋10,000回させられる事になるんだけど」

(犬吠埼の軽口よりも桁が増えている……?)

 シレッとした顔で友奈から飛び出た言葉に涛牙の頬が軽くひきつった。

「でも、今日部活に来たら全部チャラになります! さぁ、来たくなったよね?」

 もはや誘いではなく脅迫の類と化した言葉に、しかし夏凛は首を横に振った。

 

「……ならない」

「えっ? 部活来ないの?」

「――まあ、行かなければ罰もクソもないな」

 涛牙の呟きはスルーして、夏凛は言葉を続けた。

「……もう行く理由がないのよ」

「え? 理由って?」

 怪訝な表情で問い返す友奈に、夏凛は淡々と答える。 

「私は、勇者として戦う為にこの学校に来た。勇者部にいたのは、他の勇者と連携を取った方が何かと都合が良いからよ。それ以上の理由なんて、ない」

「夏凜ちゃん……」

 最初静かだった夏凛の声は、次第に強くなる。

「大体、何考えてんのよ! 勇者部はバーテックスを殲滅する為の部なんでしょ! そのバーテックスがいなくなったら、そんな部、もう意味なんてないじゃない!」

 

 その叫びに友奈が返したのは、静かな否定。

「違うよ」

 穏やかに、気遣う優しさをにじませながら、友奈は続ける。

「勇者部は、みんなで楽しみながら人に喜んでもらえる事をしていく部だよ。そして、今は夏凛ちゃんも仲間なんだよ」

「……大赦の後押しがあっても、バーテックスを倒すための部活、なんて設立理由が通るわけもないな」

 その言葉に、夏凛は先ほどの激情から覚めたように、躊躇いながら否定の言葉を重ねる。

「でも……、私、戦う為に来たから……。もう戦いは終わったから……。だからもう、私には何の価値もなくて……あの部に居場所もないって思って……。そもそも、私があそこにいられる理由なんて何も……」

 視線を逸らしながら言い募る夏凛に、ふと気づいたように涛牙が口を開く。

「転校の指示でも来たか」

 その言葉に、友奈が誰よりもたじろいだ。

「ええっ?!夏凛ちゃんが!?」

「元々援軍として学期の途中に転校してきたからな。引き上げの話があってもおかしくない」

「そ、そんな?!本当なの?!」

「来てない!来てないわよそんな話!?」

 友奈につられるように夏凛も慌てて否定するが、涛牙はむしろ腑に落ちない表情を見せた。

「そうなのか?」

「そ、そうよ!――今のところは、だけど」

「なら、話が来るまでは、部活も含めて今まで通りでいいじゃないか」

 そう言われてしまえば、反論の余地がない。

 今のところ、大赦からは今後の身の振り方についての連絡は来ていない。どこか別の学校に行くとか、大赦本部に召集されるとか、そんな話は何もない。だからこそ夏凛は学校には来ていたのだ。

 ならば。一度は入部届を出した以上部員であり、部活に出ない道理はない。

「で、でも……」

 それでも何か言おうとする夏凛に、涛牙は追い打ちをかける。

「三好」

「な、なによ」

 

「――お前。これから先、何十年かの人生。ほんの一時“勇者”だったことだけを誇って生きていくつもりか?」

 

「!」

 予想外の方向から痛いところを突かれて、夏凛が息をのむ。

 大赦内はともかく、一般社会では“勇者”は存在自体が極秘。勇者の健闘が知られることはない。いや、大赦の中でさえ“勇者”として称えられる事はあれど、それだけで、例えば大赦中枢に席が設けられるような事はない。

 つまり、部活に出ない夏凛が外からどう見られるかと言えば、「幽霊部員やっている一女学生」でしかない。

「――そ、そんなわけないでしょ!」

 喰ってかかる夏凛に、フ、と鼻を鳴らし、涛牙は言った。

「なら、部活にも出ることだ。三好向けの依頼はそこそこある」

 そのまま友奈と夏凛に背を向けて歩き出す。言いたいことは終わったというように。

「ったく。なんつー言い草よ……」

 そんな背中にぼやく夏凛に、友奈はフォローを入れた。

「まぁまぁ。あんな言い方だけど、涛牙先輩なりに夏凛ちゃんを気にしてるんだよ。……きっと、たぶん……」

「そこは自信ないのね、あんたでも」

 半眼で指摘する夏凛にタハハ、と苦笑いしながら、友奈は続けて言った。

「でも、さっき夏凛ちゃんが言ってた、戦いが終わったら居場所がなくなるなんて、そんな事は絶対ないよ。夏凜ちゃんがいないと部室は寂しいし、夏凜ちゃんと一緒にいるのが楽しいと思ってる。わたしは夏凛ちゃんの事、大好きだよ」

 友奈から素直な好意を向けられて、夏凛は顔を赤く染めて、ため息を一つついた。

「まあ、確かに涛牙のいう事も一理あるし。そうまで言われたらしゃーないわね。もうしばらく付き合ってあげるわよ」

「やったぁ!」

 夏凛の返事に喜んだ友奈は夏凛に飛びつき、砂浜に少女たちの歓声が響いた。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 図書委員からの依頼中に不意に震えたスマホ。一言断って廊下に出てから、風は美森からの電話に出た。

『風先輩、相談したいことが』

「どうしたの?東郷」

 その返事にしばしの沈黙を挟んでから、美森は相談を始めた。

『その、『満開』について詳しく知りませんか?例えば――後遺症とか』

「――後遺症?」

 不穏なセリフに聞き返すと、意を決したように美森は後を続けた。

 

『実は、決戦の後から私や友奈ちゃんも不調が起きたんです。友奈ちゃんは味覚、私は左耳の聴力がなくなりました』

 

「――え?」

 言われて、今日の友奈の様子を思い出す。今までと何ら変わらない様子だった。

 

「そんな……。あの子、そんな素振り少しも」

『……友奈ちゃんですからね。心配を掛けまいと思って黙っていたんだと思います。問い詰めるまでは私にも黙っていたくらいですから』

「なるほど……」

 親友である美森にも打ち明けていないとなれば、こちらから言い出さない限り黙っていただろう。

 

『後遺症の話に戻りますが、先日涛牙先輩にも尋ねたのですが、知らないとの事で。風先輩はもしかしたら、と』

「……ゴメン、アタシも初耳よ。大赦からは何も聞かされてないし――」

『――大赦も把握出来ていなかった、ということですか?」

「……多分、ね」

 

 そう。勇者システムは()()()()()()()()使()()()()()のだ。実際に使ってみたら思ってもいない事が起こることだってあり得る。

 そのはずだ。

 

「ともかく。アタシから大赦の方には確認を入れてみるわ。お医者様だって治るって言ってるし、気にしすぎても却ってよくないでしょ」

『それは――そうですね。何の関係もないかもしれませんし』

「うん。何かあったら連絡ちょうだい。それじゃね」

 電話を切って、風は外を見た。

 

 夕暮れに染まる空に、何故か背筋が冷える気配を覚えて、風は小さく身震いした。

 




ネットサーフィンしていたら、「ゆゆゆ3期」が始動とのこと!
……え?それなりに綺麗にまとまってた勇者の章の続き?また敵が出てきて戦うの?

これこそが、終わる事のない生き地獄……ッ?!
 


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第16話「サドン・インパクト(祖父、来たる)」

ようやっとアニメ「ゆゆゆ」第1期の折り返しまで来れました。
3期が始まる前にどこまで進められるかなぁ・・・。


 夏の夕焼けが空を染めだす頃、今日も友奈は美森の病室に見舞いに訪れていた。

「東郷さ~ん、お邪魔しま~す」

「あら、友奈ちゃん。今日もお見舞いに来てくれたのね」

「もちろんだよ!学校であったことを東郷さんに話すのは新しい楽しみだもん!」

「フフ、ありがとう」

 言いながら友奈が席に座るのに合わせて、美森は手元のノートパソコンを閉じた。

「東郷さん、何か調べ物してたの?」

 聞かれて、美森は一瞬困った顔をしたが、すぐに元の穏やかな笑顔に戻す。

「え、えぇ。大した事じゃないけど……」

「う~、気になるなぁ~。あ!教えてくれたらわたしも手伝えるかも!」

 友奈にそう言われれば、美森に敢えて沈黙するという選択肢はない。

 

「調べていたのは、この国についてのことよ。私達が暮らすこの国の歴史や文化、特殊性及び正しい在り方を神世紀以前からの国家に比較考察して現在の護国現想の源流をヤマト神話との関連性に求める事の意義そして私達が今後担う時代の正しい在り方を」

 意気揚々と話し出した美森に、

「えっと、ごめんね。何ノ話かワカラナイヤ」

 思考がショートしそうになった友奈がなんとか口を挟む。

 

「あっ。ごめんなさい。つい熱が籠っちゃって」

「う、ううん。いいよ東郷さん。わたしこそ分からなくてごめんね」

 そうして、友奈は今日の出来事を話し始めた。授業の事、勇者部の面々の様子に今日の活動――

 

「そうだ!実は今日、部室にお客さんが来てね――」

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 7月も半ばを過ぎ、暑さが堪えるようになってきた。

 そんな夏の放課後。教師に頼まれて書類運びを手伝った涛牙が勇者部部室に来ると。

「……………」

「……………」

 友奈と風が机に突っ伏していた。

「――」

 さすがに訳が分からず棒立ちしていると、2人の傍にいた夏凛が軽く手を挙げながら挨拶してきた。

「来たの?少し遅かったわね」

「まあな。それで、これは?」

 身じろぎもせずにいる友奈と風を示すと、夏凛は苦笑いを浮かべて、

 

「テストの成績が悪かったんですって」

 

「「ぐはあっ!?」」

 夏凛がそう言うと同時、友奈と風が跳ね起きながら苦悶の声を上げる。再び突っ伏すことはなく、しかし頭を抱える2人を見て、涛牙もため息を一つ。

「そこまで落ち込むか」

 そんな涛牙のぼやきに、風が言い返す。

「だぁって!今まで見た事ないよーな点数だったのよ?!かつて『神童風ちゃん』と呼ばれた身としてはショックよ?!」

 言い募る風の視界の外で、樹がヒョイと上げたスケッチブックには『テストの点はともかく、その呼ばれ方は初耳』と書かれているが。

 

 また、友奈も、

「とーごーさんがいなくてー学校の楽しみが4割減しててー。なんだか授業にも集中できなくてー」

「東郷の割合が多い?!」

 夏凛のツッコミに、

「ちなみに夏凛ちゃんが勇者部に来ないときは更に3割減だったよー」

「友奈は学校に勇者部しに来てるんかい!?」

 追加のツッコミを入れてから、まあこんな感じよ、と肩をすくめる夏凛に、涛牙は頷き返した。

「大体わかった」

 分かってしまえばそれ以上追及することもないので、大人しく空いていた窓際の席に着く。

 

 もっとも、友奈の調子が出ない事については美森の不在だけではないだろうと皆分かっている。

 

 先日、部活終わりに友奈がお菓子を買ってきた事で判明した、友奈の味覚異常。

 美森から友奈の味覚異常を聞かされていた風がうっかり口を滑らせたことで樹や夏凛もそれを知る事となった。

 勇者の御役目に巻き込んだ形の風や、この時に『満開』を用いた勇者が全員不調を抱えたことを知った夏凛はひどく落ち込んだが、それも友奈当人が「すぐに治るよ」と言った事でみな明るさを取り戻した。

 

 だが、だからと言って何を食べても味がしないという状況が、風ほどではないが食べる事が好きな友奈にとって調子が上がらない原因となるのは当然ではあった。

 

「さて、今日はなにやろうかしらねぇ」

 落ち込むのを止めて身体を起こした風が、そんな事を呟く。

「依頼は来てないの?」

「さっき見たけど、今日はなんも来てないわね~」

 涛牙がホームページに入れた一文、そして生徒の口を通して広まった勇者部の現状。それらが影響を及ぼしているのは間違いあるまい。

 

 無関係の第三者から見れば、ある日突然部員のほとんどが入院し、退院しても視力やら声やらに不具合を抱えた状態。その上1人はまだ入院中。何かがあったと誰でも考えるし、そこに詳しい説明がされなければ何やら得体のしれないコトが起きていると感じてもおかしくない。

 神樹、という形で神の実在が証明された神世紀。説明できない不審事にオカルトが絡んで語られることも少なくない。なんとなく得体が知れなくなって、頼みごとをし辛くなるのも不思議はない。

 

「じゃあ今日はどうするのよ?」

「ん~。文化祭の演劇の話を詰めようかと思ったんだけどね~」

 大道具の準備は涛牙の独壇場だし、音響のような裏方は得意とする美森から教わって樹も出来る。風や友奈は人前で演じる事には慣れているし、夏凛は何事もそつなくこなせるだろう。

 だが、それ以前のハードルがある。

 

「衣装とか脚本とかは、東郷も交えて話さないとうまく行かないでしょうね」

 足が不自由という点を除けば、美森は全てにおいて人並み以上に出来る。人形劇での人形の衣装や脚本も美森が中心となって作り上げてきた。その美森抜きで動くのは宜しくない。

 

『じゃあすることがないね』

 樹がスケッチブックに書いた文字に、そうね、と腑抜けた声で答えて、風は決断した。

「……もういいや、今日は全力でだらだらしよう!」

 そういうと、風は扇風機を自分の横に置いて机の上で溶けたようにだらだらし始めた。

「風先輩、扇風機取るのずるいですよー」

 友奈も同じようにだらけて机に転がる。

「いーのよ。アタシ部長だから。アタシ部長だから」

「ずるいっ! 権力の悪用だー」

 などと言いながら、樹も交えてだらけだす。

 

 首を振る扇風機1台を囲む3人に夏凛は呆れた顔を見せるが、ひとまず愚痴を言うのは止めておいて、真面目にしようと心がける。

「涛牙。その、人形劇とかの台本って残ってる?」

「ああ」

 戸棚の中からファイルに挟まった台本を取り出して渡すと、夏凛は中身に目を通し始める。勇者部としての経験が一番少ない夏凛は、これまでの台本を見ることでイメージトレーニングに使おうというわけだ。

「真面目だな」

 一言呟いて、涛牙は自分の席に戻る。大道具中心の裏方である涛牙はあまり台本の類は使わない。

 

 そんな中でも、だらけた3人はウダウダとぼやき合うが、そのうち、不意に風が声を上げる。

「何かが足りない……そう、東郷の牡丹餅が足りない!」

 なんとなく予想していた友奈は驚くことなく風を見上げ、

「急に叫ぶんじゃないわよ?!」

 いざ台本読みに集中、としていた夏凛は驚いてツッコミをいれ、涛牙はため息一つで風の奇行をスルー。樹はササッとスケッチブックに筆を走らせ、机にだらけたままでヒョイと見せる。

『たべものなんだね』

 と書かれた文字に込められたのは姉の食い意地に対する呆れか、女子力を謳いながらそれが下がる言葉を口にする事への哀れみか。

 

「健啖なことだ。なかなか元気でよろしい」

 

「東郷の牡丹餅はおいしいからね~。暑くてもイケるわ」

「ですよね~。季節に合わせて味付けも変わるんですよね~」

「どんだけこだわりがあんのよ、牡丹餅に――ん?」

 だらけきった風と友奈の言葉にツッコミを入れながら、ふと夏凛は顔をしかめる。割り込んできたた声に聞き覚えがない。

 気づいた友奈や風、樹が声の方に顔を向ければ、いつの間にやら部室に見慣れぬ人物が入り込んでいた。

 

 白髪に、顔には深く刻まれた皺。目元は穏やかそうに見えて鋭く、シャンと伸びた背筋と相まって活力に満ちているように見える。

 服装こそ、黒を基調に装飾が施された見慣れない恰好だが、そこに違和感を感じないのはよほど着慣れているからか。

 

 そんな闖入者を見て、涛牙は。

「!」

 一拍の硬直の後に即座に開いていた窓へと飛び出そうとして、

「ぐぎえっ」

 窓から飛び出そうとしたところを襟首掴まれて引き戻された。

 

「え?」

 呆気に取られた声を上げたのは、突如として闖入者が視界から消えた風か夏凛か。ジタバタ暴れる涛牙を見た友奈か。

「まったく、突然飛び出そうとは何事だ?」

 落ち着いた声音からは涛牙の奇行をまるっきり気にしていない様子が伺える。そのままヒョイと涛牙を放り出すと、床を転がった涛牙は軽くせき込みながらその男性を見上げた。

「じ、じじじ、じ、じじ――」

 悠然と向き直る老人に、涛牙は震える声を上げた。

「――じいちゃん!?」

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 突然の来客に、勇者部一同が慌てて姿勢を正しながら椅子を促すなどしてしばし。

「初めまして。白羽 海潮(うしお)と申します。孫が世話になっているようで」

 椅子に腰かけて、その老人――海潮はそうあいさつした。

「あ、えっと。アタシ、部長をやってます犬吠埼 風です。えと、先ほどは見苦しいところをお見せして」

「いや、こちらこそ急にお邪魔してしまい。驚かせたようで申し訳ない」

「いえいえ。アタシたちも何だか気が抜けていたみたいで。すいませんでした」

 そんな穏やかな挨拶を交わす風と海潮を眺めながら、友奈たちは視線を涛牙に移す。

 

 大きめの机を囲んでいる勇者部一同と海潮から離れて立っている涛牙の様子は、明らかに普段と違う。

「なんか、無茶苦茶ソワソワしてるわね」

「どうしたんだろうね?時々窓の外を見てたりするし」

 夏凛と友奈のヒソヒソ話に樹も首を振って同意する。

 常日頃の、表情乏しく冷静沈着な涛牙とはまるっきり違う。時々身体を揺らしては何かを探るように周囲に視線を飛ばす様は、落ち着きのない子供のようだ。

 

「てか何で窓の方見てんのよ。飛び降りようとか?」

「まっさかー。怪我しちゃうよ」

「そうよね」

 小声でそんな事を言い合っていると、ついに涛牙が口を開いた。

 

「それで、何でここに?」

 普段通りの、しかしどこか震えが混じる声で尋ねると、海潮はごく当たり前といった様子で答えた。

「なに。久方ぶりに孫の顔を見たくなったのでな」

「なら部屋に来ればいいだろ。……何もないけど」

「学校の様子を見に来てもよかろう?」

「――」

 何か言い返そうとして、しかしどう返せばいいのか思いつかず、涛牙は難しい顔をしながら黙り込んだ。

「犬吠埼さん。うちの涛牙、何か問題を起こしたりはしていませんかな?」

「いえいえ。確かに無口だし普段から仏頂面だったりしますけど、細かいところを見てたりするんで、幼稚園で子供たちと遊ぶ時なんかは結構頼りになりますよ。体力勝負な依頼だと本当にVIPですから」

「ほほう。いや、人見知りする方なので人との交流が多いと気後れしているかと心配しましたが。なるほど、それは安心だ」

 にこやかな海潮の言葉に、

 

「ひ と み し り」

 

 意外な事だというように風が呟く。

「何時の話だよ、まったく」

 涛牙が小声で呟くが、その表情は普段の鉄面皮からはずいぶん崩れて、拗ねた子供のようだった。そんな涛牙を見ながら風はニヤニヤと笑顔を浮かべる。常日頃の年不相応な落ち着き具合とのギャップは、付き合いの長い風からしても目新しく新鮮だ。

「なんか、年相応って感じね」

「そうだね。こっちの方が話しやすそう」

『いつもは声を掛けづらいですからねぇ』

 そう話す夏凛たちを涛牙が睨むが、威圧は通じなさそうだ。

 

 と、風と談笑していた海潮が不意に涛牙に話を向ける。

「ところで涛牙よ。こういう時は冷たい飲み物を用意するのが、お前の為すべき事と思うが?」

「ん?あ、ああ」

 答える涛牙に、海潮はひょいと財布を放り投げた。

「皆の分、適当に買ってきなさい」

「――わかったよ。……確かに、気が利かなかったか」

 ため息一つついて涛牙が外に出て行く。 

 

「え?おじいさん?そんなアタシたちは」

 慌てた風が止めようとするが、海潮は鷹揚に笑う。

「ハッハッハッ。気になさらず。孫が面倒見てもらっているお礼と思って」

「は、はぁ……」

 穏やかそうに見えて意外と押しが強いんだな、と風が思っていると、海潮は微かに居住まいをただした。

 

「涛牙は先も言った通り人見知り――いや、正直に言えば人と触れ合う事が苦手な男です。務めとは言え多くの人間と関わる事には慣れておらず、何かよからぬ事を起こさないかと不安でした」

 真剣な顔でそう言われて、風は頭を振った。

「大丈夫です。白羽くんはしっかりした人ですよ。そりゃあ、無口で無愛想なところもありますけど、周りに無関心だとか、離れたがってる事はないです。勇者部の活動もアタシのサポートもちゃんとやってくれています」

 風の言葉に、友奈も頷く。

「はい。涛牙先輩はわたし達が見落としたことや気づいてない事を見てくれる人です!」

 ウンウン、と樹も夏凛も同意するのを見て、海潮は厳めしい顔を綻ばせた。

「そうですか。涛牙も良い人の縁に恵まれたようだ」

 感慨深そうに頷いて、海潮は微笑んだ。 

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

「――それで、涛牙先輩が買ってきたのが普通に水でね。みんなでそれはないだろー!ってツッコミ入れちゃったんだ」

 そう締めくくった友奈の話、美森は穏やかに笑みを浮かべて聞いていた。

「そっか。涛牙先輩、実は人見知りする人だったのね」

「みんなで驚いちゃったよ」

 にこやかに笑い合いながら時間は進む。

 

 やがて見舞いの時間を過ぎて友奈が帰ってから、美森は閉じていたパソコンを開いた。

 その画面に映っていたのは、しかし、美森が語ったような論文の類ではなかった。

 勇者部の――いや、勇者の御役目を果たした5人の名前と日付が項目となった表。その日付はバーテックスとの決戦の翌日から続いていて、各員の欄には、夏凛を除いて同じ一言が書き込まれている。

 

『改善の兆しなし』

 

 その表は、決戦後に勇者たちが負った不調がどうなったのかを記したもの。

 決戦からすでに1週間以上経ち、しかし不調を負った4人の不具合は何も変わらない。

「……私たちと夏凛ちゃんの違いは、『満開』を使ったか否か」

 小さく呟いて美森は改めてパソコンの電源を落とす。

 

「涛牙先輩の親族が勇者部に現れた。――大赦の関係者が」

 風は両親が大赦に働いていて、そこから讃州中学の勇者候補の取りまとめ役となった。そして涛牙は、上役からの指示で風の補佐をしていると言っていた。

 つまりは涛牙は風以上に大赦と関わりがあるはず。その祖父も大赦の関係者と見て間違いないだろう。

 

 そして大赦の関係者という点で言えば、当然のことながらこの病院とそこに勤める医者も大赦の関係者だ。

「夏凛ちゃん以外は、身体機能の一部が失われたまま。なのに病院は不具合を残したままで3人を退院させている」

 そんな判断を下したのが、大赦と関わりのある医者たちである。

 ならば涛牙の祖父、海潮の来訪が意味するものは。

 

「退院した勇者の様子を窺いに来た。そういう事、よね」

 

 窓の外に目をやれば、夕焼け色の空は次第に暗く移り変わっていく。

 窓の外を鋭く睨む美森の瞳には、暗い影が浮かんでいた。




ゲリラ豪雨、というか、一時に集中してガッツリと雨が降るのって1日雨降りなのよりも鬱陶しさというか厄介な気分になりませんか?一日雨なら最初からしっかりした傘を持ちだせるけど突発的だと折りたたみに頼るしかなくなるし・・・
そして外に出ている時だけ大雨という流れに。


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第17話「バック・トゥ・デイズ(そして日常へ)」

さて、今回でようやく東郷さんが退院してきます。
決戦終わってから退院まで4話もかかるとは。更新も遅いですが展開ものろくてすいません。

元の日常が戻ってきた勇者部ですが、一方でなにやら蠢くものも出てきたようで。


 薄闇が落ちる部屋の中、涛牙は眼前の相手に意識を研ぎ澄ませていた。

 僅かな動きも見落とすまいと涛牙が集中を高めていく一方、相手は普段と変わらぬ穏やかな様子を保ち、

「!」

 次の瞬間には涛牙の視界から消えた。

 かすかに感じた気配に合わせて剣を揮うと、それは頭上から放たれていた棒を打ち弾く。

 

 相手が油断ならぬと知っていたが故に極度に集中し――それが逆に視界を狭めていたことに、後から気づく。

 

 得物を弾かれたにも関わらず、相手は体勢を崩すことなく着地。同時に棒を揮って涛牙が踏み込まんとする先に楔の如く打ち込む。

「く!」

 屋内で、天井もそう高くはないこの部屋はリーチの長い武器は却って不利となるのに、それを感じさせぬ自在な棒捌きは、見るだけでその技が円熟の物であることを知らしめる。

 ならば、と後退し、空いた左手で懐から万年筆――その形をした魔導筆を取り出し、筆先を相手に向ける。

 円を描くように筆先を揮えばそこに魔導陣が浮かび、魔導力が収束、弾丸として放たれた。

 

 視界に残像のみを残して飛ぶその魔導弾を、相手は瞬時に魔導力を込めた棒を自身の正面で回転させ、盾の如く弾き散らす。

 のみならず、その先端が描いた円をなぞる様に光弾がいくつも生まれる。涛牙がやった魔導弾生成を、より容易く、より多くやってのけたわけだ。

「――ハ」

 そんな小さな声と共に棒の先を突き付ければ、いくつもの魔導弾が涛牙に向かって殺到する。顔色を無くした涛牙がどうにか身をよじり、跳ね、かわし、或いは弾丸を切り弾くが、それは相手から見れば大きな隙だ。

 

 肉薄。そのまま無音の気迫と共に棒を振りぬく。

 胴を打たれた涛牙はそのまま壁まで吹き飛ばされ、鈍い音を立てて叩きつけられた。

 

 痛みにあえぎながらも剣を構えなおす涛牙を見下ろして。

「思ったより、鈍っていないな」

 構えを解きながら、白羽 海潮はそうつぶやいた。

 

「……思ったよりって、なんだよ……っ」

 苛立ちを交えた口調で涛牙が言うと、海潮は肩をすくめて答える。

「儂の下から離れて、学生生活を送りながらの一人暮らし。鍛錬の時間は減るし、街には誘惑も多かろう?」

「で、心配して俺の様子を見に来たわけか。馬鹿にすんなよ」

 

 フン、と鼻を鳴らして涛牙も剣を鞘に納める。鋭く響いた鍔鳴りは、涛牙の苛立ちを言外に語っていた。

「俺は、早く一人前になりたいんだ。未熟なうちに手抜きなんてしないよ」

『そーそー。学校終わったら、一人稽古するか勇者のストーカーかしかしてねぇよ』

「ディジェール。ストーカー言うな。勇者候補――今は勇者か。その身辺警護は番犬所からの指示なんだぞ」

『ハハッ。悪ぃ悪ぃ』

 胸元に言い返す涛牙に、海潮は難しいしかめっ面を見せた。

「もうちょっと遊びたがってもよかろうに。儂だって若い時分は街に出かけてナウなヤングらしい事をしたいと思ったぞ?」

『海潮翁、いくらなんでも死語が過ぎるぜ……』

 

 ディジェルのぼやきはひとまず放置して涛牙が魔戒筆で宙を一薙ぎすると、鍛錬のために暗くしていた部屋に灯りが戻る。

 

 涛牙の暮らす部屋は、『グアルディア』というダイナーが入る雑居ビルの中にある。

 部屋自体はフロアの半分ほどはありかなり広いのだが、ベッドや机、学生生活を送るための家具はその部屋の一角に押し込められ、残りのスペースは、壁際にいくらか鍛錬用の器具がある他は何もない。

 コンクリートむき出しの壁や天井には魔戒符が多数貼り付けられ、居室というよりは武道場の一角という方が近い。ちなみに、今部屋を明るくしたのも魔戒札が光を放っているからだったりする。

 

「じゃあ、俺の様子見が讃州に来た理由か」

 水を海潮に差し出しながら、涛牙が聞く。

 勇者部の面々には『孫の顔が見たい』と来訪の理由を述べていたが。

 涛牙が知る祖父――白羽 海潮は強く峻厳。第一線こそ退いたが、法師でありながら未だに並みの魔戒騎士を凌ぐ力を持つ。その力量は現役の騎士や法師達も一目置き、番犬所とは別の形で重鎮と見なされることさえある大人物だ。

 

 薄情とは言わないが、孫の顔見たさに地元を離れることは考えられない。

「――まあな。顔を見たかったのも嘘ではないんだが」

 水を一口飲むと、海潮は部屋の片隅に目をやった。そこには海潮が持ち込んでいた荷物が置かれている。

「まあ、道具の差し入れと、伝えたいことがあってな」

 道具については、涛牙としてはありがたい限りだ。涛牙も魔戒札くらいは作れるが、同じ魔戒札でも腕の立つものが作った物は効果が抜群に跳ね上がるし、より複雑な道具は涛牙には作れない。

「ありがたいけど、伝えたい事?」

 つまり、番犬所を通さない生の情報ということか。

 怪訝な顔をする涛牙に、海潮は一拍置いてから口を開いた。

 

 

 

 

 

 

「東郷 美森。ただいま勇者部に帰還しました」

 不意に耳に入った声に、涛牙はふと我に返った。

 壁に寄り掛かった姿勢で声の方を見ると、ようやく退院の許可が出た美森が迎えに来た勇者部一同に向けて敬礼をしているところだ。

 

「うむ、お勤め御苦労!」

 そんな美森に合わせたノリで風も敬礼を返す。行き交う患者や看護師が数名、怪訝な表情を浮かべるのを見て、夏凛は小さくため息をついた。

「……全く、こっぱずかしい事を」

「これで勇者部メンバー、全員復帰だね!」

 心底嬉しそうな友奈の声に皆が頷く中、少し離れた場所にいた涛牙が声を掛ける。

「この後は家にそのまま直帰か?」

「そうですね……。送迎の自動車を手配してもらっていますが――まだ少し時間がありますね」

 そんな美森の返事を聞いて、車椅子のグリップを握った友奈が提案した。

「じゃあ、ちょっと屋上行ってみようよ。今の時間だと、夕焼けが綺麗じゃないかな?」

「お!いいわね。じゃ、行っていいかちょっと聞いてくるわ!」

 そう言って手近な職員に駆け寄る風に、ヤレヤレといった様子で肩をすくめてから涛牙も後を追う。

 

 その背中を、美森が鋭く見据えている事に気づく者はいなかった。

 

 屋上の扉を開けると、そこには茜色の空が一面に広がる美しい風景が広がっていた。

「ん~!夏でもこの時間は涼しいわね~。風も気持ち良いわ!」

 風の感想に頷きながら、一同はそこから見える街の景色を眺めた。

 夕焼け色に染まる通りを行き交う人々。家々から零れる灯り。いつもと同じ日常を皆が過ごしている街の姿がそこにはあった。

 

 それを眺めて、友奈は感慨深く呟く。

「わたし達が、この街を守ったんだね」

「うん」

 美森が頷くと、続いて風が口を開いた。

「ま、普通の人達は、アタシ達の戦いの事なんて何も知らないんだけどね」

「そこはしょうがないわよ。殺人ウイルスの中からバケモノが生まれて襲ってきます、なんてパニックになるだけよ」

 夏凛の言葉に風もそうね、と頷いて言った。

「……でも、みんなが勇者として戦っていなかったら、この世界は無くなってた。……ここに住む人は、みんな死んでいた」

 友奈たちは改めて街を見やる。

 

 そこには危機の事を知らずに日々の生活を送るたくさんの人がいる。

 勇者部はその活動から多くの人と関わり合ってきた。商店街の人たちや町内会の参加者、幼稚園の児童や他所の学校の生徒たち。他にもたくさん。

 バーテックスの侵攻を阻めなければ、そうした人々は皆命を落としていた。

 

 世界を救った、と言われてもそうそう自覚は出来ないが、多くの人々の暮らしを守る事は出来た。街を眺めているうちに、そんな想いが刻まれていく。

 

「みんな、今更だけど、本当にありがとう」

 そうしてみんなで街を見ていると、風が改まって礼を述べた。

「騙すように勇者部に入れて、何も知らせずに大赦の御役目に巻き込んだのに。こんなアタシと一緒に戦ってくれて、すごくうれしい」

 ずっと胸の奥に残っていた罪悪感を吐き出すようにそう言うと、友奈は困ったような笑顔で返す。

「も~。風先輩気にしすぎですよ。御役目も終わったんだし、気にしなくていいですよ」

 友奈の言葉に樹もウンウン、と頷く。続けて夏凛も、

「勇者の御役目に選んだのは神樹様なんだし、アンタがアレコレ背負いこむことじゃないでしょ。責任感あるのはいいけどね。涛牙くらいにドッシリしてなさいよ、部長」

「……何か良くないことを言われた気がする」

 言葉とは裏腹にまるで動じる様子もなく呟く涛牙に、皆でクスクスと笑う。

 

 そして、美森はふと呟いた。

「私、初めての戦いの時、凄く怖かった……。怖くて、逃げ出したくて……。でも、逃げなくてよかった」

 かつて御国を守る為に戦った人々も、この当たり前の日々を守りたかったのだろうと思うと、そんな護国の英霊たちと同じ場所に立てたことに誇らしささえ感じる。

 そんな心中を吐露できるくらいに、美森は眼下の景色に感じ入っていた。

「ねえ、友奈ちゃん。私、ちゃんと勇者、出来てたかな……?」

「もちろん!すっごく勇者出来てたよ!」

 友奈に褒められて、東郷も微笑み返す。

「ありがとう、友奈ちゃん」

 

 そんなタイミングで、ふと夏凛がポケットの中からの振動に気づく。

「あ、ちょっとごめんね」

 断りを入れてスマホを取り出すと、そこにはメール着信のマーク。確認すると、差出人は『大赦』となっていた。

(もしかして)

 一瞬息を呑んでから内容を開く。

 『申請受理』という件名で届いていたのは、こんなメッセージ。

『申請は受理されました。あなたは卒業まで讃州中学にて勉学に励みなさい』

 

 数日前。未だ今後の身の振り方について連絡が来ないために夏凛の方からある連絡を送っていた。

 讃州中学に残り続けることを希望することを。

 その返答が、これだった。この学校にいていいという事。

 

 それを見て夏凛の表情が緩んだのに、美森は気づいた。

「どうしたの、夏凛ちゃん。嬉しそう」

 言われて、夏凛は慌てだした。勇者部の人柄に絆されているとはいえ、夏凛が思う自分とは『凛とした完成型勇者』なのだ。

「べっ、別に喜んでないから!」

「ねえねえ夏凛ちゃん、どんなメールなの?」

「ば、人のプライベート詮索すんじゃないわよ?!」

 そうして夏凛を中心に皆がワイワイとにぎやかになる中で、ほぼ同じタイミングで届いたメールを見た風の表情は硬くこわばっていた。

 

『勇者の身体変調と満開の後遺症については、現在調査中です。しかし貴方達の肉体の異常は見つかっておらず、変調は一時的なものと思われます』

 

 大赦に向けて発した、身体の不調と『満開』の関係についての質問への回答。

 そこには、この不調は一時的なものであろうとの見解が書かれていた。

 自分よりも『勇者の力』や『満開』について詳しい大赦からの見解だ。信じていい。

 

「……………」

 

 そのはずなのだが、何かシックリと来ないところがある。

 難しい顔をしていると、ふと背中に視線を感じた。

 振り向くと、心配した表情で樹が見ていた。

 心配ないわよ、と声には出さずに笑顔を見せれば、樹も納得したように笑みを返した。

 

 そう。心配はない。自分たちは御役目を果たし、ごく普通の中学生の日常に戻るのだ。

 そして日常と言えば。

 

「そういえば、もうすぐ夏休みね。アンタたち、何するか考えてる?」

「ああ、もうそんな時期ですね。入院していたからちょっと感覚が」

「中学に入って2度目の夏休みかぁ。なにしよっかな?」

 もうすぐ始まる夏休みの事で、友奈が何をしようかと考えだす。

 そこに最初に口を挟んだのは、意外にも夏凛だった。

「う、海に、行く……とか」

 小さくはあったが、その一言は周りに充分聞こえていた。

「え、何て?」

「な、何でもないわよ!」

 耳に手を当てるジェスチャーをする風に夏凛が怒鳴り返すが、もう遅い。

「だよね!夏といえば海!」

 同じく聞いていた友奈が賛成を示す。

『山でキャンプも』

 スケッチブックで樹も意見を出す。続いて美森が、

「夏祭りも楽しみね」

 と言えば、風も夏休みにしたい事をぶち上げる。

「花火もやっとく? やるからには、打ち上げ花火100連発ぐらい!」

「多っ?!」

 夏凛のツッコミが綺麗に入り、皆で笑い合う。

「こうしてみると、やりたい事って結構あるわね」

 美森の言葉に、ならばと友奈が言う。

「なら、全部やればいいよ!全部やろう!」

「よっしゃ!そんじゃ勇者部一同、この夏休みは思いっきり遊ぶわよ~!」

「「「お~!」」」

 

「夏休みの宿題、忘れるなよ?」

 涛牙の言葉には、とりあえず全員で耳をふさいでおいた。

 

 おとぎ話のような戦いが終わり、勇者たちは日常に戻る。

 勇者にならなくても、勇者部は続いていく。

 時間は、いくらでもあるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(そう、日常が返ってくる)

 夏の予定で盛り上がる一同を遠目に見ながら、涛牙は街に目を向けた。

 友奈や風たちが見たように、そこには勇者の御役目もバーテックスの事も知らずに人々が過ごす日常がある

 そんな日常に潜む、ホラーの影も。

 未だ番犬所からの次の指示がない以上、勇者たちの御役目が終わっても、涛牙の為す事が――日常が変わるわけではない。

 

(いや、違う)

 だが、胸中で頭を振る。先日、海潮から告げられた一言が、この日常を砕きかねないことを涛牙は察していた。

 そう、ソレは近づきつつある。

 

 ――“クナガ”が、香川に近づいている――

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

「アアアアアアア……」

 夜の路地裏で、男が上げた悲鳴はしかし音になりはしなかった。

 それは、貪られる魂から響く悲鳴。人の耳には入りはしない。それを聞く者は――

「ァァァ――ふぅ」

 その男の魂を喰らい、肉体を奪った怪物しかいない。

 

 ホラー。魔界に棲まい、人の「陰我」を辿って現世に現れる怪物。そして大抵の場合、ホラーが現世に現れた時にはその器となった人間が犠牲となっている。

 「陰我」に満ちた人間。或いは彼・彼女は何がしかの悪を為したのかもしれないが、それは果たして魂を喰われ、永劫の苦しみに落ちるほどの悪であるのか。それは誰にも――ホラー自身にも分からない。

 

 ホラーが分かるのはもっと単純な事。

「さテ、腹ガ減っタな」

 自分たちの餌である人間が数多いる現世では、いくらでも人を喰えるという事。

 

 ニヤリ、と笑みを浮かべてホラーは奪った器の歩を進め。

「!」

 そこに、いつの間にか黒い人影がいた。

 さっそく獲物が現れた、と舌なめずりをしようとして。

 黒い影が踏み出すに合わせて後ずさったことに、ホラー自身が困惑する。

 

 なぜ?自分が狩る側なのに?

 

 そんな疑問に戸惑っているうちに、人影は剣を抜き放った。

 夜闇の中でなお鋭く輝く刃を見て、ホラーは目の前の影が何か理解する。

「魔戒騎士か!」

 運がいいと思ったのは間違いだったと、ホラーは毒づいた。ホラーが人を狩るならば、魔戒騎士はホラーを討つ。人外の力を持つホラーをして、容易い相手ではない。

 

 戦うか、逃げるか。

 迫られた二択で、ホラーは逃げることにした。視界の隅には、中身の入ったゴミ箱。これで目潰しをしてその間にどうにか――。

 

(おかしい)

 

 逃走を図ろうとした刹那、不意にホラーの脳裏に疑問がよぎる。

 そう、おかしい。

 魔戒騎士であっても人に憑依したホラーを見分けるには、魔導火で照らすなどの手順がいるが、この騎士はそれをしていない。

 自分が人に憑りついたのを見ていた?ならばなぜすぐに斬ろうとしない?

 まるで、人がホラーに憑りつかれるのを、待っていたような――。

 

「まさ

 か、と言い切る事は出来なかった。

 

 逃げ道を探して視線を動かした一瞬。その一瞬で、騎士の刃はホラーを両断していた。

 斬られたホラーは邪気となって剣に流れ込む。流れ込み、更に刃を遡って騎士自身の力となっていく。

 

「アアアアアアア……」

 夜の路地裏で、ホラーが上げた悲鳴はしかし音になりはしなかった。

 それは、貪られる魂から響く悲鳴。人の耳には入りはしない。それを聞く者は――

 ホラーを屠り、その邪気を己の力とした怪物しかいなかった。

 

 と、足を引きずりながら新たな人影が路地裏に現れる。灰色のロングコートに手には直剣。

 全身怪我だらけながら、彼はこの地域を任された魔戒騎士だった。

「貴様!」

 灰色コートの魔戒騎士は、黒い魔戒騎士に剣を突き付ける。

 何を問う必要もない。つい先ほど、ゲートの気配を察して急行した彼の前に立ちふさがり、徒手空拳で叩きのめした者こそ、この黒い魔戒騎士――外法に堕ちた騎士なのだから。

 敵意を向けられて、しかし黒い騎士は何ら興味を示さず。

「おのれ!」

 灰色コートの騎士が踏み込もうとした瞬間、背を冷やすほどの風が黒い騎士から吹き寄せる。

 一瞬目を閉じ、次の瞬間には、黒い騎士の姿はどこにもなかった。

 




なんか夏が終わったと思ったら急に冷え込んできた気がする。
やっぱり季節のおかしさが段々深まってる気がするなぁ。


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第18話「サマー・サンシャイン(楽しい夏休み)」

バーテックスとの戦いが終わった勇者一行に、大赦からのプレゼントが。


 夏には魔物が棲んでいる。

 

 抜けるような青空。汗ばむ陽気。昂る気分。そういったものが重なって、夏の時期、人は驚くほど無防備になる。

「へぇ~ここがそう?」

「肝試しに使えそうじゃん!」

 ビーチで男どもにナンパされて、うら若き美女たちが海岸沿いの洞窟に踏み入れたのも、そんな緩んだ気分の故か。

 街中なら、同じようにナンパされたとしても、相手のお誘いにホイホイ乗ることはないだろう。如何なギャルとてそこまで気を緩めはしない。

 だが、真新しい水着を着て颯爽とビーチで遊んでいる時にナンパされれば、油断の一つもするのも無理はない。

「あ~、夜はここ難しいかもなぁ。潮が引いてないと歩きじゃ入れないさ」

 先導する若者――日焼けした肌に染めた髪、ピアスをつけたいわゆるチャラ男が言うと、ギャルたちは何が可笑しいのかケラケラと笑う。

「まだ奥があるんだ。天上に穴開いててさ。陽がさすとキレーなんだわ」

「うわ~。メッチャ楽しみ!」

 ギャルたちの後ろから続く、これまたチャラ男の言葉にギャルたちは更に盛り上がり、濡れた足場に気を付けながら進んでいく。

 

 自分たちの前後を行く男たちの目が血の色に染まっていることに気づくこともなく。

 

 ――夏には魔物が棲んでいる。

   

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

「青い空!」

 夏の太陽が眩しく輝く空を指さし、風が吼える。

「青い海!!」

 続いて指を前方に突き出し、白波が陽を照り返す海を示し。

「そして浜には――この、ア・タ・シ!!!」

 最後にはセクシーポーズ、とでもいうのか、どこかクネッとしたポーズを取る。

 オレンジ色のツーピース水着に包まれた肢体は15歳ながらナイスバディといっても差し支えないモノ。同年代の男子なら注目すること間違いなし。

「……いや、ホントに何やってんの?」

 そんな風の背中に、呆れた声を掛けるのは夏凛。こちらも白の水着姿で、風の物と比べるとスポーティーな出で立ちだ。 

「フ。夏凛には分からないかしらね。ワタシから溢れる女子力の波動が」

「うん。分からないし分からなくていいわ」

「も~、10台の夏なんだからもっと弾けなさいよね~。せっかく鍛えられてていいスタイルしてんだから」

「アンタはちょっとはっちゃけすぎよ。ホラ、樹だって困り顔よ」

 そういって夏凛が示した先では、エメラルドグリーンの水着を着た樹が苦笑しながら風の様子を眺めていた。

「ムゥ……。せっかくの旅行なんだから全力で楽しまないと損なのに……」

「そこはまあ、分からなくもないけどね」

 残念そうな顔をする風から海へ目をやって、夏凛はしみじみ呟いた。

 

「大赦が用意した、勇者へのご褒美だものね」

 

 そんな夏凛の視線の先では、ピンク色の水着を着た友奈が、ビーチ用の車椅子を押しながら美森と笑い合っていた。

「ン~!波が気持ちいい~!」

「そうね。まだクラゲが湧く頃でもないし、海で遊ぶにはちょうどいいわね」

 足元に寄せる波にはしゃぐ友奈を見上げながら、美森も柔らかく微笑む。

「これで夜は温泉かぁ……。すっごく贅沢してる気分だな~」

「海で遊んで旅館で温泉につかって……。行き来の交通費も宿の代金も全部大赦が持ってくれるというし、至れり尽くせりね」

「ううん、ここまで来るとなんだか悪い気がするなぁ……」

「まあ、世界を守った報酬といったところだし、たっぷりと遊びましょう?」

「――うん!そうだね!」

 美森の言葉に納得して、友奈は車椅子を押しながら軽く駆け出した。

「涛牙先輩も来ればよかったのにね」

 そんな友奈の言葉に、美森は浜辺にパラソルを広げた勇者部の方を見る。そこに涛牙の姿はなかった。

「……まあ、『勇者』へのご褒美、とは涛牙先輩も言っていたけど」

 

 

 数日前、風のスマホに大赦から届いたこの慰安旅行の件。

 大赦から誘われていたのは、涛牙を除く5人だった。

 不審に思った風が涛牙についての連絡を入れるも、返ってきたのは『この度の旅行は、神樹様に選ばれバーテックスと戦い、これを撃破なされた勇者様へのせめてもの御礼でございます』との返事。

 一人残される涛牙が不憫と思いつつ当人に言えば、

「いや、妥当だろう」

 と返される。

「身体を張ったのはお前たちだ。補佐役程度の俺まで厚意にあずかるわけには行かない」

 と固辞され、更には私用が入っているとまで言われて結局少女5人で遊びに来ているわけだ。

 

 

「……ちょうど涛牙先輩にも用があったというし。お土産話を持ち帰るのが一番かしら」

 美森の言に、友奈は残念そうな顔を見せるが、そこはそれと気を取り直す。

「お土産かぁ。何がいいかな?……海藻の押し花?」

「それは、押し花に分類していいのかしら……?」

 友奈の呟きに冷や汗を一つ垂らしながら、美森はそう答えた。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 そうして勇者たちは日が暮れるまで海での遊びを満喫した。

 風と夏凛が水泳競争をしたり。

 水に浮かぶ車椅子に乗る美森と並んで友奈も動物型の浮き輪に乗って波に揺られたり。

 砂浜では棒倒しをしたり、或いは美森が砂で城の立体像を作ったり。

 スイカ割では、最初に挑戦した樹が見事一撃でスイカを割って見せたり。

 

 夕焼けが空を覆うまで楽しんだ後、旅館に戻って温泉を堪能して海水と一日の疲れを洗い流して今日泊まる部屋に戻れば、そこにはすでに夕食の準備が整えられていた。

 

「え?」

「なに、これ……」

 唖然、とした声が誰ともなく漏れる。

 

 全員が座れる大きな机の上に並ぶのは、大きなカニ。船盛になった新鮮な刺身もさることながら一人につき1杯のカニのインパクトはすさまじかった。

『すごいごちそう!』

「このカニ、カニカマじゃないよ! 本物だよ! ご無沙汰してます! 結城 友奈です!」

 興奮した友奈に至ってはカニのハサミを摘んで握手する始末。

「あ、あの……。部屋、間違えてませんか?」

 さすがの風も驚愕を通り越して困惑する。恐る恐る、といった感じに女将に問いかけるが、

「とんでもございません。どうぞごゆっくり」

 そういって部屋を後にする。つまりこの、人生で一度お目にかかれるかという御馳走が。

 

「え?あ、これ、食べていいんだ……」

 呆気に取られた様子で呟く風の口元には、早くも涎が垂れかけている。

 その様子に、このまま放っておくとマズいと感じた美森が席に付く。

「ま、まあこれも御役目を果たしたご褒美でしょうし。席に付きましょう?」

 その言葉に、それもそうかといった感じで各々手近な席に付く。

 だが、ふと気づいたように樹がスケッチブックにこんな事を書き込んだ。

『でも友奈さんが……』

「あ……」

 その一文で全員が思い出す。友奈の味覚異常は、まだ治っていない。当然これだけ豪華な料理であっても味は感じられない。

 気まずい雰囲気が漂い始めたその時、友奈が箸に手を伸ばし、刺身を取るとパクリと食べてしまった。

「おぉっ! このお刺身のコリコリした歯ごたえ、たまりませんねぇ!」

「え」

 更に他の刺身を食べて、幸せそうな表情を浮かべる。

「ん~! この喉越しもいける!」

 唖然としていたが、不意に気づいて美森が口を開く。

「もう、友奈ちゃんったら。いただきますが先でしょ」

「そうだった、ごめんね!でもお腹ペコペコで、つい」

 そんなやり取りに風は叶わないな、という顔をした。

 

 友奈は、自分の味覚異常で他の面々が気まずい思いをしないようにと率先して料理を口にしたのだ。そして美森もそれを察して友奈の行儀をたしなめた。

 そんなごく普通のやり取りを通して、友奈は皆に「気にするな」というメッセージを送ったのだと、風は理解した。

 

「――そうね。昼は思いっきり遊んだんだし。せっかくの御馳走、早くいただきましょう!」

 風の言葉に夏凛や樹もああ、と納得し、改めて料理に向き直り。

 

「「「「いただきます!」」」」

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

「あ~。美味しかった~」

 皆が思い思いに楽しんだ食事も終わり、従業員が片付けと布団のセッティングをして戻った後。

 ダラリと足を楽にしながら友奈は満足しきりな声を上げた。

『ほんとうに』

 樹もとろけ切った顔でスケッチブックに書き込む。

「いつかあんな料理を日常的に食べられる身分になりたいわね。自分で稼ぐなり、良い男見つけるなりして」

 風の言葉に、樹はサラサラと書き込んでスケッチブックを掲げる。

『後者は女子力が足りませぬ』

 樹が的確な指摘をするも、風は首を傾げるばかり。

「ええ~そうかなぁ」

「風、結構ガッついてたでしょが。東郷くらいに綺麗な仕草してから言いなさいよ」

 そういう夏凛も、厳しく見ればマナーに悖る事をしてはいたのだが。細かいところまで指摘してせっかく楽しい場を盛り下げるようなことは美森もする気はない。

「東郷さん、普通に食べてるはずなのに綺麗だったよねぇ」

「そ、そうかな?あまり気にせずにいたけど」

 友奈に褒められて照れる美森に、ムムム、と風は唸る。

「メガロポリスを擁しながら礼儀作法もごく自然にやってのける……。よもやこの女子力王の大敵が身近にいようとは」

「メ、メガロって……?」

 温泉に浸かっていた時も羨ましがられた両胸に再び視線を向けられて美森はたじろいだ。その仕草が心のナニかの琴線に触れたのか、風はグヘヘ、とでもいうような笑みを浮かべる。

「いやぁ。敵に学ぶってのも大事な事だし?普段何を食べてどんな事をしたらメガロポリスな感じになるのか……。ぜひとも聞かせてほしいなぁ」

 にじり寄る風に座ったまま後退りながら、美森は樹に顔を向ける。こんな時に風を止めに入るのが樹なわけだが。

「――」

 樹もまた、興味深そうに美森を見ている。更には、偶然視界に入った友奈も、顔は赤らんでいるが止めに入る様子はない。

(あ。これは助けにならない)

 迫る風に絶望的な気配を感じながら、美森は身をすくませ。

「大概にしときなさいよ、女子力カッコ笑い」

 風の後頭部に夏凛のツッコミが冴えわたるのだった。

  

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 そうして夜が深まるころ。

 全員が布団に入るに合わせて、風が口を開いた。

「さて。年頃の女子が集まった旅の夜。どんな話をするか、分かるかしら?」

 そう話を向けられて、夏凛は少し考え込み、

「えっ? えっと……。辛かった修行の体験談……とか?」

「違う」

「はい! 正解は、日本という国の在り方について存分に語り合う、です!」

「東郷、それは多分アンタの話をみんなして聞くしか出来ないわ。下手したら徹夜になりそうだし」

 自信満々に答えた美森にダメ出ししつつ、風は答えを知っている妹に問いかける。 

「樹、正解は?」

『コイバナ……?』

「そう、恋の話よ!」

 風の言葉に、なるほど、と友奈は頷く。確かに夏凛や美森の提案よりは年頃の少女らしい話題だ。

 だが。

「じゃあ、誰か恋をしてる人は……」

 言って見回すが、挙手する者は誰もおらず。

「ま、まぁ勇者とかでみんな忙しかったし!」

「そもそも、プライベート以外は部活でほぼみんな一緒にいるわよね」

 夏凛の指摘に、それもそうかと苦笑い。

 そこで夏凛が話題の張本人に水を向ける。

「……っていうか、そういうアンタは、何か体験談とかあるの?」

 そう聞かれて、風は懐かしむような目で口を開いた。

「……そうね。あれは」

『チア部の話はなしで』

 話し出した風を遮るように、樹がスケッチブックを差し出す。

「チア部……?」

 分からなかった夏凛が友奈に尋ねると、苦笑いをしながら友奈が話し出した。

「去年なんだけど、依頼で風先輩がチアリーディングの助っ人に出てね。で、チア姿に一目惚れ?しちゃった人からデートに誘われたらしくて」

「へえ」

「まあ、実際にはデートにはならなかったんだけどね」

「オイ」

 白けた目を向けられて、風が抗弁する。

「イヤ、だってさ。同年代の男子って、なんか子供に見えるもん。そいつもスマホにイヤラシい画像とか入れてて、休み時間に男子達に見せてるようなやつだって知ってたし」

「それをコイバナで話そうとした、と」

 夏凛が呆れた様子で言うと、美森も後に続ける。

「ついでにいえば。事あるごとに私たちはこの話を聞かされました。そろそろ2ケタに届くかしら?」

「ええ……」

 件のチア部の依頼がいつかは知らないが、去年の初夏頃の話として月1ペースではなかろうか?

「せめてデートしたとかならともかく、ねえ」

 なるほど、樹さえもが冷めた眼差しで風を見るわけだ。

 そんな夏凛の言葉に風はグヌヌ、と顔をしかめ――しかし不意にニヤリと笑った。

「そんな事を言っていられるのも今のうちよ……。なにせ、アタシ、今日、ナンパされたから!」

「「「な、なんだってー?!」

 

 

 

 そう、あれは屋台にお昼を買いに行った時の事ね。

 何を食べようかな~って思ってたら、急に声を掛けられたのよ。

「ねぇ、そこの彼女。俺たちと遊ばない?」

 振り向いたらさ、まぁ少し年上?くらいの男がいたのよ。まぁ髪は伸ばしてるわ染めてるわ、表情はだらしないわで。チア部の男子どもと同じくらいにイヤラシそーな奴が何人か。

 いくらアタシだって、「こりゃダメだ」くらいには思うわよ。で、断ったらマァしつこい。

 『穴場のスポット知ってるぜ』だとか『君みたいな美人が1人だと悪いヤツに捕まっちゃうよ』だとか。そりゃアンタらでしょっての。

 友達連れとか言ったら更に食いつきそうだし、どうしたもんかな、って思ってたらさ。

「お嬢さんが困ってるぜ?その辺にしときなよ」

 って別の男が割って入ったのよ。

 いや~これが最初の連中とは大違いでね。

 多分、大学生くらいかしら。背は高くてスラッとしてて、でも見てわかるくらいに筋肉ついてて。

 同じように髪を染めてても、こっちはチャラい感じはしなかったわね。夏に浮かれてって感じがなかったわ。

 で、睨まれた連中は尻尾を巻いて帰っちゃってさ。お礼を言ったらさわやかに笑って、

「礼を言われるほどじゃないさ。だが、男っていうのは美女に弱いもんさ」

 で、アタシの顎をクイッとして言うのよ。

「邪魔じゃなければ、君の隣にいてもいいかい?」

 

 

 

「どう?これぞ女子力って感じでしょ!?」

 キャ~、とでも言いだしそうな勢いで語る風に、オォォ……と全員が感心した声を漏らす。

「こ、これが本当のナンパ……」

『お姉ちゃん、すごい』

 頬を染めた友奈と樹にフフン、と得意げな顔をする風。一方の夏凛は、やはり顔を赤くしていたが、

「フ、フン。1人で歩き回ってたらそんな事もあるでしょうよ。――まぁ、確かに黙ってれば風は美人だし?」

 斜に構えた言い方をしてしまうが、得意満面な風にとっては色恋沙汰に縁のない夏凛の負け惜しみにしか聞こえない。

 そして最後に、興味津々な様子ではあるが平静を保つ美森が尋ねる。

「それで、その男性とは?」

「……連れの女の人がいて。耳引っ張られてどっか行っちゃいました……」

 一転して落ち込み、枕に顔をうずめる風に、一同はしばし顔を見合わせ。

「「「『ご愁傷様』」」」

 ――他に、どういえばいいのか分からなかった。 

 




カニって綺麗に食べようとすると大変ですよね。
足から身をほじくり出してるうちに細かくなった身が飛び散ったりする印象が。きっと本当の料亭で出るようなカニは軽い力で大きな身が出るんだろうなぁ。


話変わって、FGOやってるんですが最近終わったぐだぐだイベント、短い間に新登場のキャラがガッツリ活躍してて、笑いとシリアスもキレイに混ざっていて面白かったです。
で、キャラがよかったんで貯めてた石でガチャを引いて……

卑弥呼と斎藤さんが来てくれました!

ガチャ運がすこぶるよくない自分としてはうれしかったですね。


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第19話「サマー・ナイトメア(夏の魔物)」

一時は秋と思うくらいに暖かい日もあったのに、終わるに随って冬の気配がムッチャ強まった11月でしたね。

この小説ではまだ夏なんですがね。


 人生初のナンパ話――或いは自身の女子力を証明する色恋話。

 そのオチを真正面から暴露されて、風はただただどんよりとした空気を纏った。

 ウゥゥ……と呻くその様子に、こういった時に場を和ませる友奈もさてどうしたものかと言葉を探すしかない。

「そ、そういえば」

 と、話題を変えようと口を開いたのは美森だった。

 美森にしてみれば、件の口説き落としに来た男の姿を見かけなかった事からの悪気のない質問だったのだが、それで風を傷つけ部屋の雰囲気を盛り下げたとあれば挽回せねばと思うのは自然だった。

「風先輩と涛牙先輩の馴れ初めはどうなんですか?コイバナではないですけど、興味があります」

「そーいえば、わたし達が入部した時にはもう2人とも一緒に活動してましたよね?」

 友奈にもそう言われて、風は無茶苦茶渋い顔をしながらも話し出した。

「アタシが白羽くんとあったのは、讃州に越してきて少しした頃ね……」

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 『グアルディア』と看板を掲げた店に入って、風は店内を見渡した。

 夕日が差し込む店内は、広くもないのに客もおらず、余計に閑散とした様子に見える。

 ここに来るまでにネットで調べても、ホームページもなければさして評判も聞かないような料理店。何でこんな場所に風がいるのかといえば。

 

「――犬吠埼 風か」

 

 不意に横合いから声を掛けられる。

 振りむけば、夕日に照らされないカウンター席から立ち上がる影があった。

 風よりも頭半分ほど上の背丈だが、その鋭い眼差しとニコリともしない表情が、普通の男子ではないことを証していた。

「……アンタが?」

 不審な視線を崩さずに、風はポケットから手紙を取り出す。

「上から、お前の補佐をするよう命じられた」

 その手紙を一瞥してそう答える男に、風は一瞬出入り口に視線を向けながら、挑みかかるように口元を歪める。

「補佐、ねぇ。こんな手紙一つで顔合わせさせるなんて、大赦って大したモンね」

 

 学校帰り、玄関先に待ち構えていた神官から無言で手渡されたのだ。このくらいの皮肉は許されるだろう。そんな内心を滲ませながら言う。

 

「――ああ。大したものだ」

 一方の男は、表情を何も変えずにそれだけ返す。

 そして、そのまま黙り込む。特に話すことはないというように。

 そんな男を睨みながらしばし。

 ひたすら続く沈黙に、風の方が根負けした。ため息を一つついて、言う。

「補佐って、なにすんのよ?」

「お前の手助けを」

「……料理、とか?」

 冗談半分の言葉に、初めて男の顔が変わる。眉間にしわを寄せて、困ったことを言われた様子だ。

「……味に期待するな」

 真面目に受け取って真面目に答えてきた男に、内心あちゃあと思いながら言い返す。

「いや、今のは冗談よ。乙女の家に男子を入れるのは、ねぇ」

「そうか」

 露骨にホッとした様子を見せる男に、

(これは厄介な付き合いになりそうね……)

 そんな事を思いながら、それでも風は仕方ないと割り切る。

 

 元より、見ず知らずの少女を丸め込んでグループを作るという厄介事を御役目として指示されている身だ。補佐――と言う名のお目付け役だろうが、まあ大目に見よう。

「ま、いいわ。じゃあこれからよろしく。えっと……」

 そういえば手紙に名前が書かれていなかったと思い返す風に、男は一つ頷いて。

「白羽 涛牙だ」

 そう名乗った。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

「――で、それからは勇者部の事とかでアタシの手助けをアレコレしてもらったわけ」

 そうして説明を終えて、風はフアァと欠伸を一つ。

「ね?コイバナ要素ゼロでしょ?」

「たしかに」

 相槌を打ちながら美森が頷く。

「ホントーに無愛想なのね、アイツ」

 夏凛も呆れた顔で言う。

「アハハ……。話してみると冷たいわけじゃないんだけどね」

 友奈がフォローを入れるが、

「またまたぁ。友奈だって白羽くんと話すのに結構時間かかったじゃない」

『そうなんですか?』

 樹がスケッチブックで驚きを表すと、友奈も苦笑いしながら。

「……話しかけようとするとジッと見返してくるから何だかプレッシャーがかかって……。涛牙先輩とお話しするのに勇気が必要だったのは内緒です!」

「マジか」

『友奈さんでさえ』

 友奈の告白に夏凛と樹が心底驚き、美森も「慣れるまでは怖かったわねぇ」などとぼやく。

 

 そんな話をしているうちに、眠気が近寄ってくる。ふと気づくと夏凛が寝落ちしていた。

 夜更かしは身体によくないという事で、照明を消して友奈たちも眠りについた。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 夜闇が深まるころ。

 暗い道を進む男たちがいた。どこかよたついた足取りは酒に酔っているようにも見えるがその目だけは爛々と冴えわたっている。

 ポツポツと並ぶ街灯が時に男たちを照らし出す。

 日に焼けた肌に派手な色に染めた髪、耳にはピアスを付けた若い男たち。昼間、風をナンパした男たちだ。

 真夜中に遊び歩いていても不思議ではない――のだが。しかし彼らは足元はおぼつかなくとも歩み自体にふらつきはない。何か、目的地があるように。

 

 そうして、彼らはとある旅館にたどり着いた。

 この地で長く愛される老舗の旅館。だが、この旅館に若者たちが宿泊しているわけはない。

 

 今日は、讃州中学 勇者部の貸し切り状態なのだから。大赦が、そのように手配しているのだから。

 

 若者たちはその建物を見上げて――ニヤリと口角を吊り上げる。見咎める者もいない中、若者の一人が駆け出し――

「ギャッ?!」

 伸ばした手が虚空で弾かれる。強い静電気が奔ったかのような衝撃があった。

 たじろぎ、訝しみ。しかし若者にそれ以上の行動は許されなかった。

 物陰から飛び出した人影が、若者の背後を走り抜けざまに右腕を横に薙ぎ払う。その手に握られた剣が奔り、若者の首を刎ね飛ばす。

 何が起こったかわからぬままの表情を浮かべたまま首は宙を舞い――地に落ちるより先に黒い靄となって身体もろとも霧散する。

「「!」」

 突然の出来事にたじろいだ男たちが、飛び込んできた人影に顔を向ける。

 丈の長いコートを翻し、手には鈍く輝く魔戒剣。

「アイツらもついてないな」

 小さく呟き、白羽 涛牙は剣を構える。

 

 実のところ。涛牙は勇者部一同とは別ルートでこの地を訪れ、離れた場所からずっと勇者部一行を見守っていた。

 旅館の周りにホラーを退ける結界を張ったのももちろん涛牙だ。念のため、程度の備えではあったのだが、まさか本当に襲われるとは。

「ディジェル。こいつらは」

『分からん。だがお嬢ちゃんたちに目をつけてたのは確かだ』

 

 ホラーは基本的に夜に活動する。が、人に憑りつき擬態しているならば昼でも動き回る事は出来る。

「ナンパしながら物色か。趣味が悪い」

 涛牙が言い捨てると同時に、残る2人の男たちが獣の如く唸りをあげて跳びかかってくる。数メートルは離れていても、そんなものは一瞬あれば詰められる。

 

 剣を揮って男たちの拳を切り払いながら、涛牙は小さく舌打ちした。

(完全な擬態型か。厄介な)

 

 ホラーがゲートとなった人間を喰らい現世に現れるとき、その姿はいくつかのタイプに分かれる。

 一つは、ホラー固有の姿を取る者。俗に力あるホラーが現世に現れた場合の姿とされ、憑りついた人間の陰我に応じて特殊な能力を発揮し、魔戒士を苦しめる。

 二つ目は、素体と呼ばれる状態のままでいる者。あまり力のないホラーがこの姿を取るとされ、特異な能力こそ持たないが、背に生えた翼で空を飛び回ることが出来る。

 

 そして三つ目。憑りついた人間の姿そのままでいる者。二つ目と同じく力のないホラーがこの状態になるとされ、特殊能力も飛行能力もないのだが、これはこれで厄介な相手でもある。

 何しろ、ホラーとしての異形の姿を取らないままで活動し続けるのだ。人が多ければ多いほど、容易く人の波に紛れてしまえる。今の状態を傍から見れば、剣を持った涛牙に勇敢な市民が立ち向かっているようにさえ見られかねない。

 

「ふっ!」

 挟み撃ちにしようとするホラーたちを、そうはさせじと涛牙も軽快に跳ね、蹴り、拳で打ち、剣を揮う。

 だがホラーもさるもの。一人が突きこまれた剣を敢えて急所をずらして受け、剣身を掴みとめる。その隙に、ホラーの背後からもう1体が頭上を飛び越え、涛牙の背後を取った。これで完全な挟み撃ちとするつもりだ。

 だから。涛牙はホラーが着地した時には剣を手放していた。ホラーが振り向きざまに放つ裏拳は上体を沈ませながら放つ海老蹴りでカウンターを取り、懐から取り出した魔導筆を揮って法術で追撃。剣を抱えたまま蹈鞴を踏んだホラーは、柄を握り直しながらの前蹴りで突きとばす。

 

「――これで決める!」

 

 吠えて、剣を頭上に翳し切っ先で円を描く。

 空間が裂け光が差し込む。誓いを捧げる騎士の如く剣を胸元に引き戻すと同時に光はひと際輝き、収まった時には涛牙は全身をハガネの鎧に包まれていた。

 その姿にたじろいだ擬態ホラーが離れようとするが、涛牙はそれまで以上の踏み込みで間合いを詰める。

 右片手の袈裟斬りで先に一度突いていたホラーを切り伏せ、勢いそのままに身を捻る。渾身の力を込めて法術でたじろいだホラーに突進、その心臓に魔戒剣を突き立てる。

「グオォォオ……」

 怨念を感じさせるうめき声をあげながら、2体のホラーは霧散していった。

 

 その様子を見届けてから、涛牙は鎧を解除した。ハガネが輝きと共に魔界へと送り返されると共に、涛牙も安堵の息をついた。

「フゥ」

 完全な擬態型のホラーは、はっきり言えば弱い。徒党を組んでも、未だ一人前とは言えない涛牙が蹴散らせる程度ではある。これで数がもっと多ければ手にあまりもしただろうが。

「とりあえずは一安心」

 

 そんな呟きを漏らしたのが間違いだったのか。

 突如として影から伸びてきた触手が、涛牙の四肢を絡めとる。

「なに?!」

『しまった?!こいつらは――!』

 ディジェルが慌てる声は、しかし涛牙の耳には入らなかった。

 触手が涛牙を締め上げると共にとんでもない力で振り回し、手近な壁に叩きつけたからだ。

「ぐぁっ……」

 苦悶の声を上げる涛牙を、闇の中から放たれた触手が厳重にからめとっていく。

 身じろぎも出来なくなった涛牙に、闇から足音が近づく。鋭い視線を向けた先には――気弱そうな眼鏡の青年がいた。

「お前は……」

 先ほどの擬態ホラーの顔ぶれと合わせて思い出す。

 昼に風をナンパした男たち――擬態ホラーから少し離れて立っていた男だ。様子を見る限りではナンパ男たちの小間使いのようだったが。

 

 動けなくなった涛牙を嘲笑うように笑みを浮かべて、眼鏡の青年の身体は弾け飛ぶ。

 現れたのは、ホラーらしい禍々しい身体に、首から上がクラゲのような形に肥大した異形。頭から伸びた無数の触手は、涛牙を絡め取ったものと同じものと見える。

『こいつは……バーデス!そうか、さっきの奴らは端末か!?』

「なにっ!」

『こいつは人の魂だけを喰らう!そして魂の無い身体を操る事が出来るんだ!喰った魂の情報を基に動かすことで、生きてるようにな!』

 ディジェルの説明を聞いて悟る

 

 先ほどの、擬態ホラーと思っていたナンパ男たちは、獲物を探し、狩場へ誘い込み――或いは襲い――喰らうための端末であり、同時にホラーを倒したと思って油断した魔戒士を返り討ちにするための囮。涛牙はその罠に嵌ってしまったのだ。

 

「くそっ!」

 舌打ちをする涛牙を嘲るように、バーデスは踵を返して旅館へと向かう。無力化した魔戒騎士にとどめを刺すよりも目を付けたエサ――勇者部の面々――を喰らう事を優先したのか。

 涛牙が張っていた結界はすでに効果を失っている。バーデスは悠然と門をくぐり――

 

「グォ?!」

 先ほどの涛牙の結界など足元にも及ばぬ強力な結界で弾き飛ばされた。

「油断大敵、ね」

 涼やかな声が聞こえる。見ると門の陰から、魔戒法師の装束を纏った美女が気配も感じさせずに現れていた。

「だな」

 次いで聞こえたのは青年の声。同時に緋色の影が涛牙の視界を駆け抜け、バーデスを更に大きく弾き飛ばす。

 地面に叩きつけられたバーデスは、それでも身軽に立ち上がり、触手を放つ。銃弾にも匹敵する速度のそれを、しかし緋色のコートを纏う男は手にした剣を一閃、容易く叩き落す。

「気を抜くのは、明るくなってからだぜ」

 言いながら、男――魔戒騎士は迎撃に揮った刃を止めることなく自身の左右に円を描く。

 魔戒騎士を挟み込むように現れた空間の裂け目から輝きが溢れ、次の瞬間、騎士は鎧を身に纏っていた。

 

 ルビーの如き赤い鎧は、重厚さよりも軽快に立ち回る事を求めたスマートな姿。その手に握るはレイピアのような細身の直剣。

 その騎士の名を、涛牙は知っていた。

 この地域を管轄する番犬所に属する中でも有数の実力者――称号持ちの魔戒騎士。その名は。

 

 穿 裂 騎 士  朱 狼(シュラ)

 

 バーデスは、たじろぎながらもやはり触手を放つ。先ほどよりも遥かに多くの触手が頭から放たれ、しかしシュラは優美な身のこなしと剣捌きで軽々と打ち弾く。

 のみならず、攻撃の隙間を見極めると風の如く駆け寄り斬撃を放つ。甲高い風切り音が鳴り、バーデスの四肢を切り裂いていく。

 怒涛の攻撃にバーデスが後退すると、シュラは左の半身に構えた。矢を引くように右手を引き絞り、左手は弓に見立てたように正面に突き出す。

 

 次の瞬間。

 

 シュラは文字通り烈風と化した。

 涛牙にさえその突進は残像しか見えず。

 大気を揺らす轟音が響いてそちらを見やれば、刺突を放った姿勢のシュラと、胴体に大穴が空いたバーデスの姿があった。

 

 切り裂き、穿つ。まさに称号の通り。固有の姿を以て出現したホラーに対してまるで危なげなし。

「さすがだ……」

 そんな涛牙の呟きを背に、シュラは鎧を解除した。そこにいたのは、風をナンパから助けた男だ。

 

「ったりめーだ。一人前の騎士なめんなガキ」

 涛牙の呟きを聞いていたらしく声を掛けてくるが、その様子は風に見せていた好青年とはまるで違うチンピラらしき口調。だがそこに悪意の類を感じさせないのは、いつもこの態度なせいか。

「その子供相手に喧嘩腰になるんじゃないわよ、緋柳(ひりゅう)

 そんな男――緋柳をたしなめるように美女が口を挟む。

「ンだよ、巳鈴(みれい)。半人前がいっちょ前をやろうとしてトチったんだからこんくらいいーだろが」

「あら。私の覚えてるかぎりじゃ、アンタは15の頃は師匠のシゴキから逃げたがってたと思うけど?」

「うっせーなー。ホラーに殺されかかっちゃいねーよ。――戦ってもなかったけど」

 そんな言い合いをしながら、しかし2人はまるで警戒を解いていない。少なくとも涛牙には気を抜いたようには感じられなかった。

 

「――危ないところをありがとうございます」

 言い合う2人に、涛牙は膝をついて礼を述べる。緋柳は巳鈴との話を止めて涛牙に向き直った。

「大したこっちゃねーよ。奴は元々こっちで狩る予定だったんだ。テメーが割り込んで痛い目みただけだろ」

 口ぶりに呆れをにじませながら緋柳が言うと、巳鈴は肩をすくめた。

 

「まあ、私たちも奴の動きを読み誤ったところがあるんだけどね」

『ほう、そりゃどういう事だ?』

 ディジェルが尋ねると、緋柳が頷いて答えた。

「バーデスは餌場に相手を誘い込む習性があってな。で、さっさと討滅しようと餌場に殴り込んだらもぬけの殻だったわけだ」

「慌てて周囲を探ったら、その子――涛牙、だったかしら?あなたが潜んでいるのが見えてね。で急いで来たわけ」

「よほど勇者が美味そうに見えたのかねぇ」

 

 そして、巳鈴は難しい顔をしながら後を続けた。

「番犬所も何を考えているのかしらね……。年が近いから近くに置きやすいというのは分かるけど、これで守り切れるの?」

 その言葉に、涛牙は言い返せなかった。

 一つの油断が生死を分けるホラーとの戦いで、自分が死にかけたのは事実だ。

 これまで倒してきたホラーは、半ば不意打ちで主導権を握った上で仕留めてきた。正面からホラーとかち合って常勝出来るほどには、涛牙はまだ強くない。

 その沈黙に肩をすくめて、巳鈴は言う。 

「まあ、より一層の修練に励みなさいな」

 言うと巳鈴は踵を返す。緋柳もフン、と鼻を鳴らすと涛牙に言い捨てる。

「大体、守るってんならもちっと傍にいてやりゃいいだろ。それを遠間から監視なんぞ。なんだ、薄着の美人は目の毒だ~てか?」

「ッ……」

 その軽口にカッとなりながらも、涛牙は沈黙を返す。

(あ。マジ?)

 冗談のつもりだった緋柳はその反応で色々と察した。これは、深入りすべきじゃなさそうだ。

「ま、まぁ頑張れや若造」

 言いおいて、緋柳も巳鈴に続いて立ち去った。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 日の出前。夜空が白み始めるころ。

 美森は部屋の椅子に腰かけ、夜が明ける様子をじっと見ていた。

 と。

「……東郷さん?」

 不意に呼びかけられて振り向くと、寝ぼけ眼の友奈が傍に立っていた。

「友奈ちゃん。起こしちゃった?」

「ううん。何となく目が覚めちゃって」

 そういって友奈も美森の向かいの椅子に座る。と、ふと気づいた。美森の手には使い古したリボンが握られている。

「肌身離さず、だね。そのリボン」

 そのリボンが、いつも美森の長く美しい髪を結わえているものだと、友奈は知っている。

「ええ。私が、記憶を無くす事故に遭った時に握っていたものだって」

 その言葉に、友奈は少し驚いた。

 美森が事故に遭い、足の自由と2年ほどの記憶を無くしていることは、友奈も聞いている。だがリボンもその事故に関わっているとは思っていなかった。

「誰のものか分からないけど……これはとても大切なもの。そんな気がして」

 だから、使い古しても新しいものに変える気になれなかったのだと美森は言う。

「そうだったんだ……」

 そうして2人、海を眺めて。

「――戦いは、終わったのよね」

 不意に、美森は呟いた。

「バーテックスの名前は、12星座になぞらえられていたわ。でも、星座って他にもあるでしょ?」

「あ~うん。わたしも詳しくないけど……」

 困ったように言いながら、友奈も美森が言いたいことを察した。

「……本当に、終わったのかな……」

 そう呟いた美森に、友奈はそっと立ち上がると背中から抱き留めた。

「大丈夫。もう戦いは終わったんだよ。ほら、勇者システムが入ったスマホは大赦に渡してるんだし」

「それは、そうだけど」

「なら、変に考え込んでもしょうがないよ。わたしたちには分からない事はいっぱいあるんだし」

「――そうね。確かに友奈ちゃんの言うとおりね。一人で考え込みすぎたかも」

「アハハ。わたしはあまり考え込まないから、東郷さんがいると助かるけどね」

「もう。友奈ちゃんったら」

 他の部員たちを起こさないように小声で笑いながら、2人は明るくなる空を見やった。

 

 きっと今日も快晴。楽しい夏はまだまだ続くだろう。




かくしてゆゆゆ夏イベントは終了。
ここからは世界の真実が顔を見せる不穏な展開になっていきますよ~。

尚、今回出てきたオリ騎士ですが、今後顔を見せる予定は実はありません。



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第20話「エクストラ・ステージ(終わらざる戦い)」

結城 友奈の章、ようやく折り返し。



 9月。楽しかった夏休みも終わり、讃州中学は2学期に入った。

 勇者部も夏休みモードから平常運転へ戻り、生徒や近所から入る依頼を請け負っていく。

 

「それじゃ風先輩、行ってきまーす!」

「お~う。よろしく友奈。樹も頑張ってね!」

 風の声援を受けて頷き返して、樹と友奈は校外へ。

「じゃ、そろそろあたしも」

「頼む」

 夏凛は剣道部からの稽古相手に。

「風先輩。今日はみんな現地解散でしたね?」

「うん。友奈と樹は遅くまで掛かりそうだし、剣道部も夏凛が腕利きだから熱が入るらしくてね。東郷の資料整理は早く終わりそう?」

「はい。ですがそういう事なら、私も終わったら友奈ちゃんに合流しようと思います」

「あー。集中し過ぎると時間が過ぎるの忘れるからねぇ、友奈は。じゃそっちはお願い」

「お任せください。東郷 美森、これより活動を開始します」

「うむ。ご苦労!」

 そんな小芝居をして美森も今日の部活へ出発する。

 涛牙は今日は特段予定はなく、風は文化祭に向けた演劇の台本作りをする予定だ。

 

 そうして手元の原稿用紙に向き直って。

 風は、にこやかに保っていた表情を消す。それは台本に集中するため――ではなく。

「ねえ、白羽くん」

「ああ」

「バーテックスの残党、来ないわね」

「そうだな」

 終わったはずの御役目にまだ部員たちを付き合わせなければならない。その後ろめたさからの無表情だった。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 事の始まりは、夏休みも終わりに近づいたある日の事。風のスマホに入った大赦からのメールだった。

 

『敵の生き残りを確認。次の新月より40日の間で襲来――』

 

 風からの連絡を受けた涛牙と共に部室を訪れた風が見たものは、ジェラルミンケースに納められたスマホ。以前自分たちが使っていた、つまりは勇者システムが入っているソレ。

「嘘、なんで……。バーテックスは、全部倒して……」

 豪華な食事と温泉旅館でのリラックスからまだそう日もたっていないのに、この急転直下。慄きながら言う風の肩に手を乗せて、涛牙は鋭く言った。

「大赦が把握していた全部、だったんだろう」

「でも!それって神樹様からの神託なんでしょ?!それで分からないって!」

 言い募る風に、涛牙は小さく首を振る。

 

「神樹様は、万能じゃない」

 

 確かに神樹は今の世界の要。その恵みが与えられることで四国に住む人々は何不自由ない生活を送れている。まさしく神の所業と言えるだろう。

 だが、逆に言えば神樹の力で出来るのは四国の維持だけ。バーテックスを倒すには、神樹の力を揮える勇者が必要だし、そもバーテックスの発生源とされる、かつて全世界に広がった殺人ウイルスを駆除することも出来ていない。万能とは言えない。

「見落としがあった――そういうこと?」

 風の言葉に頷き返す。そして涛牙は静かに告げた。

「――戦いは、終わっていない」

 

 

 

 

 翌日、部室に召集された勇者部の面々は、風から御役目の延長を聞かされた。

 終わったはずの戦いに、脈絡なく告げられた延長戦。

 聞かされてすぐは、みな困惑した表情を浮かべていたが。

 

「まっそいつを倒せば済む話でしょ?生き残りの1体や2体どんと来いよ!」

 

 夏凛の勝気な言葉が停滞した空気を打ち破る。

「そうだね!この間の一斉攻撃だって何とかなったんだし!」

「残党、というからにはそう多くもないでしょうしね」

『勇者部五箇条、なせば大抵なんとかなる!』

 キリ、と表情を引き締めた樹が掲げたスケッチブックの言葉に、風は心から感動した。勇者の御役目が始まってからこっち、樹がどんどん頼もしく成長している。

「いきなりな事なのに――ありがとう、みんな」

 ならば。みんなが怖気ず勇気を示すならば。勇者部部長にしてチームリーダーたる風自身が引っ込んでいては始まらない。

 

 窓際に立ち、風は外に向けて声を上げた。

 

「よーしバーテックス! いつでも来なさい!!」

 

 

 

 

 といった事があったのが、夏休み中の事。

 2学期が始まってもうすぐ2週間。バーテックスの残党とやらは未だ現れない。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

「――全然来ないね、バーテックス」

 あくる日。美森の車椅子を押しながら、不意に友奈が呟いた。

 何の前触れもなしに襲来されるのも嫌だが、来ると予告されておいて来ないでいられるのもそれはそれで気になってしまう。

 そんな、普段より少し表情のすぐれない友奈に、美森は微笑みながら言う。

「敵を気にしすぎるのも良くないわ、友奈ちゃん」

「東郷さんは落ち着いてるなぁ。どうしたら落ち着いていられるの?」

「そうね……。やはり、かつて国を守り戦った英霊たちの記録を見返して、常在戦場の気持ちを心掛けているからかしら?友奈ちゃんも良ければうちで見る?」

「出、出来れば分かりやすくアニメになってるのがいいな~」

 

 などと話しながら、2人は部室へ入る。

「結城 友奈入りまーす!」

「こんにちは」

 部室には、すでに友奈たちを除くメンバーが集まっていた。

「お!2人とも来たわね」

「ウィーッス」

『ウィースです』

「全員そろったか」

 各々挨拶しながら定位置に付く。

 

「さて。今日は特に依頼が入ってないのよね。東郷、ホームページの方は?」

「えぇと。風先輩、こちらも今日は何もなしです」

「なんだ、じゃあ今日はやる事なしね」

「依頼の方はね。じゃ、今日は文化祭に向けた準備を進めましょうか?」

 

 そう話す風と、部屋の隅でジッとしている涛牙を見て。美森は胸中で不審を募らせていた。

(もう、この間の決戦から1ヶ月以上経っているのに、誰も不調が治っていない)

 美森自身の聴覚、風の視力、友奈の味覚、樹の声。

 激闘による過労と医者から説明を受けていたが、ひと月経っても回復しないというのはおかしい。

 医者が誤診した?

 ありえなくはない。だが、幾度かの検査でそれとなく聞いても「身体に異常はありません」の一点張り。

 

 そして、おかしい事はもう1つ。

 

「あわわ?!また出てきちゃった!?」

 友奈の慌てた声にそちらを向くと、友奈の傍には牛鬼と、そして手足が燃えている猫のような精霊が現れていた。これは『火車』。今回渡されたスマホと共に友奈が手にした、新しい精霊だ。

 牛鬼と違って素早い火車を友奈が追いかけているうちに、その騒ぎに触発されたのか皆の精霊も次々に飛び出してくる。

 

 風のスマホからは、犬神と、名の通りイタチのような姿をした『鎌鼬』が。

 樹のスマホからは、木霊と、鏡を頭上に乗せたような姿の『雲外鏡』が。

 美森のスマホからは、青坊主、刑部狸、不知火、そして新たな精霊である『川蛍』が。

 夏凛のスマホからは、義輝が。

 

 飛び出し、好き勝手に動き回る様子は、さながらお遊戯の時間の幼稚園の如く。美森の号令で、美森自身の精霊は整列出来るが、それほどの躾をしているのは美森くらいのようだ。

 

(これも、おかしい)

 

 整列して落ち着かせた自分の精霊を見ながら、美森は考える。

 なぜ、精霊は増えた?精霊は勇者の武装を司ってもいる。事実説明書を確認すれば、美森の使える武器に浮遊砲台が加わっていた。他の面々も新機能が追加されているのだろう。

 

 ならば、なぜ夏凛には精霊が――新しい機能が追加されていない?例えば遠距離攻撃が出来るようになれば、夏凛はより強力な勇者となれるのに。夏凛だけ強化しないのはおかしい。

 

 自分たちと夏凛の違いは?完成型勇者であるか否か?訓練を受けているか否か?或いは――満開しているか否か。

 

 そういえば、満開することで勇者はより強く神樹様の力を揮えるようになるという。精霊や使える武器の増加が、勇者の強化といえるのなら。

 

 満開をした自分たちとしていない夏凛。身体に不具合が起きた自分たちと起きていない夏凛。精霊が増えた自分たちと増えていない夏凛。

 嫌な符号が重なっていく。

 

「ってギャアァァァァァ!義輝ぅぅぅ!」

「ああっ!ダメだよ牛鬼!食べちゃダメ!」

「友奈……。東郷ほどじゃなくていいから、精霊を躾ときなさい」

 

 大騒ぎしている他のメンバーを眺めながら、美森は嫌な考えが膨らむことを止められなかった。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 どうにか全ての精霊を落ち着かせて。誰ともなしに大きく息をつきながら、ふとした様子で風が口を開いた。

「犬神たちが戻ってきて賑やかなのもいいけど、こうバーテックスが来ないと不安にもなるわね」

 その言葉に、樹も困った表情で頷く。

「神託で、いついつ来ます、って分からないかな?」

 友奈の疑問に口を開いたのは涛牙。

「以前も、いつ来るか分からなかっただろう?」

「ですよね~」

 グダる友奈に、今度は夏凛が言う。

「ま、あたしの勘では来週辺りが危ないわね」

「勘、かぁ」

「何よ?昔から言うでしょ、女の勘は当たるって」

 まして自分は完成型勇者だ。戦いの勘は鋭い、はず。

 そう続ける夏凛に苦笑いを浮かべながら風は会話に入ろうとして。

 勇者のスマホから流れてきた『樹海化警報』が、勇者たちの平穏を打ち破る。

「えぇっ!?」

「噂をすれば、ね」

「狙ったようなタイミングで来ちゃったわね」

 ぼやくように言って、しかし風は、そして他の勇者たちも顔を引き締める。

「いよいよね。バーテックスの残党、きっちり殲滅してやるわ!」

 夏凛の宣言に勇者一同頷き、そして――。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

「狙ったようなタイミ」

 涛牙が聞き取れたのは、そこまで。勇者たちは神樹の力で時間が止まった中でも動けるが、涛牙はそうはいかない。

 そして、世界が終わっていないなら、勇者の勝利で戦いも終わっただろう。

「……茶でも入れておいてやるか」

 美森が牡丹餅をよく持ち込むので、勇者部部室にはいつのころからかポットと湯呑と茶葉と急須が揃った。牡丹餅と合わせて出せば疲れも和らぐだろう。

 そう思って涛牙が準備をしていると、不意にバタバタという足音が聞こえてきた。

「?」

 焦ったような気配を感じて涛牙が眉を顰めると、同時に部室の扉が音を立てて開かれる。

 そこにいたのは、やはり焦った表情をした風。

「どうした?」

「……友奈と、東郷は?!」

 慌てふためいて辺りを見渡す風に、さすがに剣呑なものを感じとる。

「ここにはいない。何があった?」

 涛牙の質問に、答えてきたのは夏凛だった。こちらも焦った表情をしているが。

「戦いが終わって帰ってきたら、友奈と東郷がいないのよ!」 

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 樹海が解除される光に瞼を一度閉じて。

 友奈が目を開くと、そこは見慣れた讃州中学の屋上ではなかった。屋上の物と似た祠があるが、それ以外は見たこともない景色だ。

「あれ?……どこ?」

 覚えのない風景に首を傾げる。次いで周囲を見渡すと、車椅子に座った美森がいた。――美森しか、いなかった。

「と、東郷さん。ここ、どこか分かる?それに他のみんなは?」

「……いえ。私にも分からないわ」

 言いながらスマホを取り出し、現在地を確認しようとする。友奈も、こちらは風たちに連絡を取ろうとスマホを取り出して、しかし端末が何も反応しないことに気づいた。

 

「電波が、入っていない?」

 異常の原因に気づいた美森が呟く。だが、今の四国で電波が届かない場所などそう思いつかない。

 訝しみながら改めて周りを見ると、遠くにひしゃげた橋のシルエットが見えた。

「あれは……瀬戸大橋?2年前に事故で壊れた……」

 とすれば、讃州市からはそこそこ離れている。なぜこんな場所に?

 

「よかった~、うまく行ったね~。会いたかったよ、わっしー」

 

 不意に、知らない声が聞こえた。

 柔らかく、のんびりとした少女の声だ。

「え?」

 声の出処を探ると、友奈たちからは祠の陰になった位置に、大きなベッドがあった。

「ええっ?!」

 さすがに驚いて、友奈はつい大声を出してしまう。だがそれも仕方ないだろう。そのベッドは、まるで病室にあるようなベッドなのだから。

 どう考えても、外に置くようなものではない。

 

 そして、そのベッドに横たわる人物の姿に、今度は友奈と美森は息を呑んだ。

 見える限りではほぼ全身を包帯に覆われ、口元と左目だけが露わになっている少女の姿を見れば、そうもなる。

「あ、あの」

「あなたたちが戦っているのを感じていてね~。こっちに来てーって呼んでたんだよ。うまく行ってよかった~」

 それは、友奈たちの身に起こった事の説明だったのだろう。美森を見ると、ひとまず納得できた、というように頷いた。

「あの!あなたが、わたしたちをここに連れてきたんですか?」

 

「うん、そうだよ~。私、あなたたちとお話がしたくてね~」

 それはつまり、この少女は、神樹様の力に手を出せる、ということだろうか?途方もない事を聞かされながら、ひとまず友奈は会釈をした。

 

「あ。あの、えっと……。わたし、結城 友奈って言います!」

「……私は」

 

「東郷 美森、さんでしょ?」

 

 名乗るよりも先に名を当てられて、美森が身体を震わせる。なぜ、私の名前を?

「えへへ~。一応先輩だからね~。後輩の名前くらいは知っておかないと~」

 先輩、後輩。

 そう言われても、友奈はこの少女に心当たりがない。自分の知る限り、身近にこんな大怪我を負った人はいない。

 では、美森か?そう思って美森を見るが、美森も首を横に振るだけだ。

「ああ。まだ名乗ってなかったよね。私は、乃木 園子」

 そうして、少女は自身が何者かを告げた。

 

「2年前に勇者として戦った――そう、先代勇者、ってところかな」

 




風のズンドココースターまで、もう少し。


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第21話「メイズ・ワンダラー(さ迷う願い)」

2020年最後の投稿となります。

ようやっと友奈の章の山場に入る事が出来ました。2020年中にここまで来れてよかったです。
・・・ええ、亀の如き更新速度でスイマセン。


 昨日とは打って変わって、低い雲が立ち込める空の下。

「先代勇者……?勇者は死なない、代わりに――身体を供物に捧げる?」

 友奈と美森から昨日起きたことを聞かされて、風は力なく呟いた。

 

 昨日。バーテックスの残党襲来を――多少のトラブルもあったものの――危なげなく撃破した後、友奈と美森が讃州中学の屋上に戻されなかった。

 NARUKOにメッセージを入れても反応はなく、電話を掛ければ圏外。陽も沈んで警察や大赦に連絡しなければ、となった頃にようやくNARUKOに返事があって安堵したのもつかの間。

 風にだけ、普段は使わないメールを通して入ったメッセージ――「明日朝、屋上で」

 美森からのその連絡に従って屋上を訪れて、風は、友奈たちから昨日の説明と――彼女たちが聞かされた事実を伝えられた。

 

 風の呆然とした呟きに、美森は一つ頷いてから話を続ける。

「決戦の後――いいえ、『満開』を使った後、私たちの体はおかしくなりました。お医者様たちは過労による一時的なものと仰っていましたが、あれからふた月経とうというのに治る様子はありません。そして彼女、乃木 園子によれば、この身体機能の一部欠損は『満開』の代償。莫大な力を得る代わりに身体機能を供物として差し出す『散華』によるものだと」

 美森の言葉に身体を震わせながら、傍らの友奈を見ると、友奈もまた強張った顔で頷いた。

 

「で、でもさ。そんな、先代勇者なんて聞いたことないし。その、園子さん?の妄想だとか」

 いささか失礼だと感じつつも、風は反論する。自分が大赦から聞いていた説明では、以前のバーテックスは追い返すので精いっぱいで、倒すためにこそ勇者システムが生まれた。そのはずなのだから。

 だから、自分たちが初代勇者。自分たち以前の勇者はおらず、故に先代勇者などいない。

 そんな思いは、しかし。

 

「乃木 園子は言っていました。自分たちの時は、追い返すので精いっぱいだった、と。神――神樹様に見出されるのは無垢な少女のみ、穢れなき身だから大いなる力を宿せるとも」

 

 美森の言葉に退けられる。その説明は、自分が大赦から受け、春に自身も勇者部部員たちを前にした説明と同じだったから。

「なにより、話の最中に現れた大赦の神官たちが、乃木 園子の一声で平伏したんです。彼女は大赦でも崇め奉られる立場だと言っていました。本来神樹様をこそ崇める大赦が、個人をそれほど崇めるという事は」

「……何度も満開して、身体のほとんどが神樹様への供物になった。だから、神樹様に近しい存在になった?」

 美森の言葉を先取りすると、美森はハイと返す。

「満開を繰り返すと、より神樹様の力を授かれる。勇者システムの解説にはそうありましたが、その意味するところは、そういう事ではないかと」

 つまり、身体の一部が神樹様の供物となるから、神樹様から与えられる力も増える。そういう事か。

 そして、その可能性はすでに示されている。

 夏凛以外の勇者は、精霊が増えた。『満開』した勇者たちは。

 

 背筋を這い上がる冷たい気配に身体を震わせながら、しかし風は一度大きく深呼吸する。騒ぎ出そうとする感情を、どうにか抑え込む。

「それ、樹や夏凛には話した?」

 確認のために尋ねると、ここまで口を閉ざしていた友奈が答える。

「いいえ。まずは風先輩に相談をって」

 その言葉に、ホッと胸をなでおろす。

 

 出てきた話はあまりに重大すぎる。今聞かされたばかりの風も、そして友奈や美森も。もたらされた情報をどう受け取ったらいいのか分からず、持て余している。

 

 ならば。

 

「じゃあ、2人にはひとまず話さずにおいて。確かなことがわかるまで、不安にさせたくはないのよ。アタシはこれからも大赦に問い合わせて、何かわかったらすぐに連絡するわ」

 ひとまずは現状を静観することを伝える。

 

 実際のところ、乃木 園子からの情報は真偽の確認も出来ていないことではあるのだ。美森の話に出てきた神官たちも、園子の仕込みでないとは言い切れない。

 友奈と美森も、迂闊に話を広げる気にはなっていなかった。風の言葉に2人も頷き、

「それと、涛牙先輩にも内密に」

 硬い声で付け加える美森に、風は顔をしかめる。

「え、なんで?」

 その問いに答える美森の顔は、ひどく厳しかった。

「涛牙先輩は、大赦から送り込まれた人間です。それも、自分は戦わずにいます。彼は、補佐という名目で私たちを観察、いえ、監視する人間ではないですか」

 そんな美森の不信を拭うことは、風にはできなかった。その材料も、なかった。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 友奈たちから『散華』の事を聞かされて数日。

 何かの歯車がかみ合ったかのように、風の下には心を痛める出来事が立て続けに起きた。

 

 例えば、廊下で樹がクラスメイトらしい女子たちとやり取りしているのを見かけた。  

 女子たちが残念そうな顔をしてその場を去っていくのを見て、気になった風は樹に声を掛けた。

「今のって、クラスの友達?」

 気づいた樹が頷くのを見て、風は後を続けた。

「なに、遊びに誘われたの?行ってきたらいいのに」

 妹に友達が増える事は風にとっても嬉しい事だ。なのでそう促すと、樹は手元のスケッチブックに文字を書き込み、それを見せてきた。

『カラオケで歌うのが好きな人たちなんだ』

『私がいると、気を使ってカラオケ行けないから……』

 そんな樹の表情は、微笑んでこそいるが寂しさが隠し切れないほどに滲んでいて。

 風は、そんな樹に何も言えなかった。

 

 

 

 

 

 例えば、樹の担任から話があると呼び出され、

「樹さんについてですが、一部の授業に支障が出ております」

 と、衝撃的な一言を告げられた。

「えっ?! あの子が、誰かに迷惑をかけたんですか……?」

 樹に限ってそんな事は、と前のめりになる風に、教師はひとまず落ち着くように言ってから、

「いえ、樹さんご自身についてで……。音楽の時間に歌の練習が出来ませんし、他の授業でも教科書の音読や指名からの発表に問題が……。ある程度は対応出来ていますが、今後も続けられるか、となると……」

「……………」

 教師の言葉に、風はただ俯くしかできない。

 音楽は言うに及ばず、他の教科でも質問に答えたり意見を発表したり。声を出す必要がある場面はいくらでもある。

 樹から何も言ってこないのは、教師が不自然にならないように努力しているのだろう。だがそれもいつまでも続けるわけにもいかないし、いつかは樹自身が気づく。

 それを理解して、風に出来る事は、ひとまず樹とも相談してみると伝えることくらいだった。

(大丈夫……。きっと、治るから……!)

 そう心で繰り返す風は、自身の足元が覚束なくなっている事にも気づけなかった。

 

 

 

 

 

 そして、つい先ほどだ。

 

 以前、犬吠埼家の食卓は賑やかな声が飛び交っていた。お互いに今日あった事を話し、或いは取り留めのない会話を重ねながら食事をとっていた。

 決戦以来、そんな風に会話が弾む事はなかった。樹が声を出せなくなり、スケッチブックで筆談するしかないとなれば、無言の時間になる事は避けられない。

 

 ここ数日続いた心配事に加えてそんな重苦しい気配が漂うことに、風の方が耐えきれなかった。

 なんとか盛り上がる話をしようとして、口を開く。

「あー、えっとさ!」

「?」

「ほら、ここんところずっと天気良くないじゃない?折り畳み傘とか、用意してた方がいいわよ?いつ降るか分かんないし!」

 言われた樹はコクコクと頷くが、結局それ以上は会話が広がらない。なんとかしようと、風は別の話題を出した。

「あ~……。そういえばさ、文化祭の劇、そろそろ練習を始めないとね!」

 だが、風は気づいていなかったが、この話題こそが地雷だった。

「……………」

 浮かない顔をした樹に、風も怪訝な表情を見せる。

「ん? どしたの樹?ハッ!まさかアタシの脚本がダメダメだとか?!」

 そんな風に、樹は迷ったような様子を見せて、しかし箸をおいてスケッチブックに言葉を綴る。

 

『私、セリフのある役はできないね』

「……あ、そっか……」

『だから、舞台裏の仕事をがんばるね』

 健気な樹の態度に息を詰まらせる風は、どうにかして妹を励ます。

「だ、大丈夫だって! 文化祭までには治るよ!」

 そんな風の励ましに返ってきた樹の頬笑みは、しかし、どこか余所余所しい、取り繕ったような笑みのように風は感じた。

 

 

 

 

 

 夜も深まり樹が寝静まったのを確かめてから、風は鏡に映った自分の顔を見つめる。

(治らないなんて、あってたまるか。絶対に、治る)

 そう自分に言い聞かせるが、しかし鏡の中の自分の左目は、退院した時と変わらず光を映さない。

(何も悪い事なんてしてないのに……。そんなのってないわよ)

 樹だけではない。友奈も美森も、顔も知らぬ多くの人々の平和を守る為にあんなに頑張った。

 見上げるほどの巨体を誇示するバーテックスに立ち向かい、誰に知られることもなく世界を守ったのだ。

 そんな、命を賭けて頑張ったみんなに待っているのは平和で幸せな未来であるはずだ。

 

 そう、御役目を果たした自分たちに神様が報いてくれないはずはないのだから。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 そうして迎えた週末。風は努めて普段通りに家事を行っていた。

 朝に弱い樹がノロノロと起き出せば着席した樹の前に暖かいミルクコーヒーを差し出し、樹の頭が回転しだしたころにオムレツとトーストを出す。

 普段と変わらない休日の朝だ。

 

 違いがあったのは、それからしばしして。正午になろうかという頃だった。 

 さて昼食の後はどうしようか、久しぶりに樹とショッピングでも行こうかしら、などと考えていた風の肩を、樹がポンと叩く。

「ん?どしたの、樹?」

 なにやらリクエストが?と思って振り向くと、樹が手にしたスケッチブックにはある一文が。

『これからちょっと出かけて来るね。お昼は外で食べるから』

「うん、OK。気を付けるのよ?」

 うん、と頷く樹に、風はふと気になった。

 確かこの間、クラスメイトに誘われたのを断っていたような。

「あ、樹。出かけるって、この間見たクラスの人と?」

 聞くと、樹は首を横に振った。

 では、散歩だろうか?それにしては時間が半端というか、微妙というか。

 

 まさか。

 

「ま、まさか樹、デ、デデデ、デートとか?!」

 不意の思いつきに、つい樹の肩を掴んでしまう。

 小動物的な可愛らしさを全方位に振りまくマイシスターだ。引っ込み思案が改善された樹のラブリーさに死角はない。ならば異性とのお付き合いがあっても不思議ではない。

 そんな事を考えながら樹ににじり寄る風の目は血走っていた。肩を掴まれた樹としては、如何に尊敬する姉と言えど正直怖い。

 思いっきり首を振って否定すると、風も正気に戻ったのか一つ大きく息をついて肩を離した。

「そ、そう。それならいいわ。改めて気を付けてね。あ。もしも男子との付き合い方に困ったらアタシに言いなさいね?讃州のビーナスと呼ばれるアタシの女子力に掛かれば樹の悩みは軽く吹っ飛ぶわ」

 そんな風に、心底困ったような――そんな異名で呼ばれたことないよね?とでもいうような――苦笑いを浮かべて、樹は出かけて行った。

「そっかぁ、デートとかはまだ早いかぁ。でも樹ならすぐに彼氏が出来そうよね」

 そんな事を呟いていると、風のスマホにメールが届いた。

 差出人は――東郷 美森。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 ドアを開けると同時に、ベルが小さくなる。

 店の入り口には『OPEN』の看板がかかっていたし、そもそも相手から指定された場所がここなのだから気後れする必要はないはずなのだが、陽が差し込んでいるはずなのにどこか暗い気配を漂わせる店内は、なぜか居心地悪く感じてしまう。

 さて、どこにいるのだろうかと顔を巡らせようとするのと。

「時間通りか」

 声を掛けられるのは同時。

 声のする方を見れば、自分に背中を向けたままの姿勢で少年が座っていた。ちょうど少し早めの昼食を食べていたようだ。

 

(何で分かったんだろう)

 犬吠埼 樹はふとそう思う。

 確かに今の時間に会って話をすることはお互い承知していた。だから分からないこともないのかもしれない。この時間にお客さんがいないというなら猶更だ。

 だが、本当にそれだけだろうか?

 前々から、この先輩は何か変だと思っていた。いつも自分たちの後ろに控えていて何くれと手を貸してくれる、頼りになる人だ。

 

 まるで、いつ何時でも自分たちの様子を伺っているかのように。

 

 それでいて、不審を感じないのも不思議ではある。監視というよりは――見守っているような。

 

 そうした気になる事はひとまず置いておくとして、樹は時間を取ってもらったことに頭を下げる。

 樹が頭を上げると、ちょうど少年がこちらに向き直るところだった。

「それで、相談というのは?」

 かすかに眉間にしわを寄せて。白羽 涛牙は問いかけた。




話のタイミング的には、ちょうどダウナー展開に落ち込む手前のところで年越しとなりましたね。
来年もどうかこのお話しにお付き合いください。


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第22話「ディテクト・タイム(『満開』考察)」

さて、2021年1発目がようやっと出来ました。

友奈の章もクライマックスが近づいてきてます。今回、ついにあの娘が……!


 犬吠埼 樹はずっと姉の――風の背中を見てきた。ほんの2つ年上なだけで、両親亡きあと自分を支えてくれた大きな背中を。

 いつかそんな姉と肩を並べたい。それが、樹の夢だった。

 

 だからこそ分かる。

 

 バーテックスとの決戦が終わり、夏が過ぎていく中で、少しずつその背中が翳りを纏う様子を。

 学校や部活の間、ともすれば家で過ごしている間も、風は変わらず勇者部部長として、姉として、頼れる年長者であろうと振舞っていた。

 だが、それでも時に弱気の気配を漏らすことを隠しきる事は出来ない。特に、その背中を見てきた樹にすれば。

 時が経つほどに何故翳りが増すのかと言えば、やはり身体の不調が治らないからだろうと樹が考えるのはごく自然な事。

 

 樹自身も早く治る様にと喉によい事を調べたりはしたが功を奏さず、自分も含めた勇者部の面々はみんな不調が治らないのだ。勇者になる切っ掛けとなる勇者部に招き入れた風が後ろめたく感じるのも無理はない。

 

 逆に、先の見通しが立てば風の調子もよくなるのでは?

 そう考えた樹だが、さて誰に話をするべきか。

 姉から不安の種を取り除くための相談を姉にするわけにもいかない。

 友奈や美森は自分と同じくそもそも勇者の事を深く知っているわけでもないし、夏凛は、

(多分、夏凛さんも知らないよね)

 部活中、自分以外のメンバーを不器用ながら気遣う様子は樹も気づいている。不調について知っていれば普通に話し出しているだろう。

 となれば多分、夏凛もこの不調について詳しいわけではない。

 

 なら、消去法で1人しか残らない。

 大赦から、姉の補佐として派遣されてきた、この人なら、何か分かるかもしれない。

 そう考えて、樹は教えられていたアドレスにメールを送り、こうして顔を合わせる事が出来た。

 

 

「何か食べるか」

 テーブルの向かい側でベーグルを食べていた涛牙に声を掛けられて、樹は頷いた。

 午後に出かける用事があるという涛牙に合わせて会う約束をしたので、風にも昼ご飯は外で食べると言ってある。少し早いがここで食べてもいいだろう。

 そう思ってメニューに目を向け――そこに並ぶ数字に少し固まる。

 そこにあるのはファストフードのチェーン店とは違う金額。中学生のお小遣いにはちと厳しい。

 その様子を見て取って、涛牙が助け舟を出した。

「ズレた時間を指定したのはこちらだ。奢る」

 頭を下げて、それでもなるべくお高くないものとしてサンドイッチを頼む。

 そうして頼んだものが来るのを待つ間に。

「相談は――犬吠埼のことか」

 涛牙の質問に、樹は頷き、用意していた質問をぶつけた。

 

『身体の不調は、治ると思いますか?』

 

 そのストレートな質問に、涛牙はしばし動きを止めてから口を開いた。

「俺は勇者システムについてはまるで詳しくない。その前提で、俺個人の所感ということでなら、だが」

 そう前置きしてから、涛牙は感じていることを言う。

「……治らないのではないだろうか」

 その一言で表情を凍らせる樹に、内心謝りながら、涛牙は先を続ける。

「不調が出てもう2ヶ月近く。良くも悪くも変わらないなら、現在の状態で安定していると考えるのが自然だ」

 それは、つまり。

『もう、お姉ちゃんの目は』

「ああ」

 言い切られて、樹の目に涙が浮かぶ。風の目だけではない。自分の声に友奈の味覚。美森の左耳の聴力。不具合で失ったそれらは、もう戻らないだろうと言われたのだ。

 うっすらとは感じていた、しかし明確に言葉にされたその事実に、樹が拳を握り締める。

(なんで、こんな事に……っ)

 希望が潰えた事に憤りを感じる中で、涛牙は尚口を開く。

「原因は――やはり『満開』の反動だろう」

 それは、樹もそうではないかと思っていたことではある。俯きながら頷くと、涛牙は先を続けた。

「溜め込んでいた力を一気に解放する『満開』。その反動が大赦の予想を上回ったんだろう。結果、体機能の一部が損傷を受けた」

 淡々とした説明を受けながら、不意に樹はスケッチブックに何かを書き込み始めるが、涛牙は言葉を続ける。

「三好は『満開』を繰り返すことでより神樹様の力を使えるようになる、と言っていたが、それは身体が『満開』の発揮に慣れていくという意味だったのだろう」

 それは、トレーニングを繰り返すことでより負荷の大きい運動が可能となるように。

 だが、そうして慣れていけるだろうと見込んだ大赦の予想を、『満開』の反動は上回った。結果、勇者たちの身体に不具合が発生してしまった。

 

 大赦にしてみれば、まさか『満開』の不備で体機能が失われたなど伝えられるわけもない。だからひとまずは「問題なし」と言って取り繕ったのではないか。それが涛牙の考えだった。

 将来的に治せる見込みがあればよし。治せなかったら――バーテックスの呪いだとでも言っておくのだろうか。

 

 そう推論を述べているうちに、樹は書き上げたスケッチブックを涛牙に見せた。

「む?」

 急いで描き上げたせいで荒れた筆致だが、人型に向かって地面から矢印が何本も伸びている様子を描いたことが分かる。

「……これは?」

 尋ねる涛牙に、樹は余白に一文を追加した。

『『満開』したときはこんな感じでした』

「つまり……樹海から力が流れ込んでいた?」

 涛牙の言葉に樹は頷く。最初に使った自分はよく見えなかったが、風が『満開』する様子はしっかりと見ている。

 

 そして、涛牙は難しい顔で考えを巡らせ――不意に目を見開いた。

「樹……繰り返すが、俺は勇者システムに詳しくない。だからこれからいう事も、あくまで推論、思い付きだ。正しいとは限らない」

 改めて言い置く。その様子は、最初に断りを入れたときよりもずっと重々しい。

「勇者の力とは神樹様から受け取っている物。そして神樹様は四国の生活圏全てを支える必要がある。だから、勇者が使える力とは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()となる」

 一度言葉を切ってコーヒーを飲み干す。ちょうど樹が頼んだサンドイッチが来たが、手を付けられる気配ではない。

「だから俺は、『満開』とは事前に貯めておいた勇者の力を一気に使うものと思っていた。だが、実際には神樹から『満開』分のエネルギーが更に渡されていた。そうすると、おかしいことになる」

 

――もしも『満開』時のエネルギーが最初から勇者の力として用意されているなら、『満開システム』自体が不要だ。『満開』状態で使えるエネルギーを最初から扱えるようにすればいいだけなのだから。

 だが、実際には『満開システム』は使用に制限や条件がある。つまり『満開』のエネルギーは本来勇者が戦うために用意されている分とは別、四国全体を支えるための神樹の力から取り出していることになる。

 それは言い換えれば、『満開』を使うほどに神樹自体がダメージを受けるに等しい事態だ。

 

「『満開』で神樹の力を必要以上に使えば、バーテックスにより樹海がダメージを受ける事と同じことになりかねない。その事態を避けるためには、必要以上に消費した神樹様の力を補う他にない。では、どうやって補うか――」

『お供え』

 震える手つきで書かれた言葉に、涛牙も頷き返す。

「身体の一部を供物として提供することで『満開』で消費した分の力の補填とする。そうすれば神樹様のエネルギーはプラマイゼロ。ついでにいえば勇者は身体を差し出した分神樹様との繋がりが強くなり、結果通常扱える力が増していく」

 その仮説がもたらす回答は、ひどく残酷なものだ。

 反動による負傷なら、神樹の加護だか何かを用いれば治せたかもしれない。だが、供物としての喪失なら――。

「――失われた体機能は、治る余地がない」

 失わせたのは、神樹そのものなのだから。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 夕暮れが空を染め始めた河川敷。その川面に小石が投げ込まれ、小さな波紋を広げる。

 その様子を暗い表情で眺めながら、樹はもう何度目かのため息をついた。

 

 あの後、涛牙は用事があると言ってどこかへ行ってしまった。去り際にケーキを奢りながら。

 ノロノロと食べたサンドイッチもケーキも美味しかった――はずなのだが、口にしていた時は正直何も感じなかった。

(ああ、友奈さんって今はこんな感じなのかな)

 そんな事を不意に思うくらい、涛牙の言葉は樹に衝撃を与えていた。

(治らない、かぁ)

 それも、神樹様の力をお借りすれば治せるかも――というわけにもいかない不治の喪失と聞かされてしまえば、こうもなる。

 この時ばかりは今自分が声を出せないことに感謝する。もし出せていれば、酷い悪口や或いは悲鳴を上げていただろうから。

 だが、そんな現実逃避もいつまでも出来るわけじゃない。そして、午前中のように普通にしていられるわけでもない。

(お姉ちゃん、絶対気づくよね)

 樹が見ていたように、樹の事をよく見ているのが風だ。隠していても落ち込んでいることを悟るだろう。

 そうして尋ねられた時、自分は誤魔化せるか?

(無理だ)

 むしろ、聞かれれば率先して伝えたい。知ってしまった事実(涛牙は仮説と念押ししているが)、その重さを分かち合ってほしい。

 けれど、知れば風は自分以上のショックを受けることも分かる。大赦の指示とはいえ、友奈や美森、樹を勇者部に集めたのは紛れもなく風で、勇者の御役目に関わらせたことを気に病んでいたのを樹は知っている。

(ホント、どうしよう)

 そんな心の矛盾に陥って、樹はこうして河原で時間を潰していた。

 と、樹の丸まった背中に声が掛けられる。

「……樹ちゃんっ?!」

 妙に切羽詰まった、聞きなれた声。

 振り向けばそこには予想通りの人がいた。

(友奈、さん?)

 けれど。顔色を失い怯えたような表情は、樹の知る結城 友奈のそれとはかけ離れていた。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 同じころ。

 こちらは海岸沿いの防波堤に腰かけながら、夏凛は今しがた大赦から届いたメールを冷めた目で見据えていた。

『犬吠埼 風を含めた勇者4名が精神的に不安定な状態に陥っています。三好 夏凛、あなたが他の勇者を監督し、導きなさい』

(出来るわけないでしょーが)

 あいにく自分は戦闘訓練は積んでいても、悩みを聞いたり解消したりといったカウンセリングなんて習っていない。むしろ人とのコミュニケーションは不得手なほうだ。

 

 自分以外の勇者が、どこか落ち着きのない状態になっているのは、夏凛だってわかる。

 特に、風・友奈・美森の3人だ。

 バーテックスの残党との闘いが終わった後、正しくはその翌日から。この3人の様子がおかしくなった。3人とも隠そうとしているようだが見ていれば分かる。樹が不安定になっているのは、むしろこの3人の様子を見ているせいだ。

 涛牙とも内々に話はしたが、急に様子がおかしくなった理由は不明。だが、解消に必要な事は分かる。

 

 決戦後に起きた不調の回復。未だ治らない身体が治れば、それだけで元に戻るだろう。

 そしてその筋道を立てられるのは、勇者システムを熟知し、神樹様とのやり取りさえある大赦をおいて他にないのだが。

(こっちに丸投げされても、ね)

 そもそも様子がおかしいと分かっているなら、誰か神官だか何だかが直接来るのが筋だろう。大人たちは顔も見せず、声も聞かせず、ただメールの一文だけで思い通りになれという。

 

 如何に完成型勇者として大赦に属する夏凛といえど、不信を抱くには充分だ。

(神聖な御役目を担う勇者様に不用意に接するのは畏れ多い、だったかしら?――どうやら言い訳だったみたいね)

 やれ敬意をだのといいながら、実のところ大赦の面々は勇者に近づきたくないらしい。

 

 そう思いながらも、仲間のメンタルケアは確かにしないといけないのも事実だ。今はまだいいが、このままだと部活の方にも影響が出かねない。

 ちょうど、近くに犬吠埼姉妹が住むマンションがある。

 風は他の部員を誘った負い目があり、樹は最年少な事に加えて、声を失っている。どちらも色々と参っていておかしくない。

 不調のない自分が行って何が出来るか、とも思うが、愚痴や不満の1つは聞くのが完成型勇者としての務めだろう。

 そう思ってマンションに向かおうとして。

 

 けたたましくガラスが割れる音が響いた。

 

 音の出処は――上?

 見上げた夏凛の視界に、宙を奔る人影が見えた。

 黄色い服、手にした大剣。それは、樹海の中では見慣れた、しかし現実世界ではその装束を纏う必要のないはずの。

「風?!」

 何が起きた?!なぜ勇者の力を使っている?!バーテックスが来た様子もないのに!

 混乱する夏凛の耳が、声を拾う。

「潰す……潰してやるっ!」

 その怒声に込められた憎悪は、凡そ犬吠埼 風のものとは思えないほどに深かった。

 




風、爆発する。
その経緯はまた次回で。

今回の話を書いていて改めて思いましたが、ゆゆゆ世代って他ののわゆ・わすゆ世代と比べて大赦の関与が無茶苦茶少ないですね。勇者システム渡して「あとはよろしく」みたいな感じでしかないのは、さすがに質が悪いっすよ。


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第23話「レックレス・ファイア(暴走)」

風さん、暴走するの巻。

今回もちょっと書式に手を加えるタグを使ってみました。


 夕日が差し込む部屋の中。

 犬吠埼 風は、自宅のリビングに力なく座り込んでいた。

 普段の溌溂とした気配は消え失せ、虚ろな視線は今を映していない。

 その瞳に今映るのは、数時間前。呼び出されて向かった美森の部屋で起きた出来事だった。

 

 

 

「――それで東郷。話したい事って?」

 ことさら軽い口調で言うが、風は美森が話したい事について、ロクなものではないだろうという予感しかしなかった。

 今ここにいるのは、風と美森、それに友奈。先日、『満開の真実』を共有した面子だ。夏凛や樹、涛牙がいない状態で話す事となれば、つまりはその事なのだろうと察しが付く。

 風の問いかけに一つ頷いて、美森は自身の机の引き出しから、棒状の物を取り出した。

 長さは30センチほど。黒い拵えのソレを手に取ると、美森は手慣れた様子で中身を引き抜いた。

 現れたのは鈍く輝く金属の刃。

(短剣?)

 なぜそんなものが引き出しの中になるのか。そもそもなぜ取り出したのか。

 見ている2人が疑問に支配される中。

 美森は迷わず刃を喉元に突き立てた。

「東郷さんっ?!」

 友奈の悲鳴が響く中、首を切り裂こうとした刃は、しかし、姿を現した青坊主により止められた。

「東郷?!アンタ何やってんのよ!今、精霊が止めなかったら!」

 慌てふためきながら問い詰める風を、

「――止めますよ、精霊は」

 美森の言葉が押しとどめる。酷く静かなその言葉には、しかし激烈な感情が込められていた。

「ここ数日、私は何通りかの方法で自害を試みてきました。切腹。首吊り。飛び降り。一酸化炭素中毒。服毒。焼身……。それらは全て、精霊に止められました」

 淡々とした口ぶりだが、その内容に友奈も風も背筋が凍る。

 一度興味を持てばそこにのめり込む性格だと知ってはいたが、こんな時にまでその性格が出てくるとは。

「なんで、そんな」

 そう呻く友奈の言葉を無視して、美森は更に言葉を続ける。

「システムを使って勇者になっていなくても。端末の電源を落としていても。精霊は勝手に動いて私を守った」

 その視線が向けられた先は、離れたテーブルの上に置かれた美森のスマホ。友奈が手に取ってみると、電源が入っていない。

 と、その動かないはずのスマホから精霊・刑部狸が飛び出し、美森の手から短刀を取り上げた。

「何が……言いたいの……?」

 かすれた声で尋ねる風に、美森はやはり感情の見えない声で答えてくる。

「精霊は、私たち勇者の戦う意思に呼応して私たちを助けてくれる存在だと、そう思っていました。でも違った。精霊は、勇者の――私たちの意思に従っているわけではない。別の道理に従って行動している」

「別の、道理?」

「勇者を、どんな形の死や負傷からも守る。勇者自身の意思を飛び越えて。それに気づいたら、精霊の存在には別の意味がある様に思えるんです」

「どんな、意味よ」

「精霊は、ただ勇者の御役目を助けるものなんかじゃなくて、勇者を御役目に縛り付けるものなんじゃないかって。死なせず、戦わせ続ける為の装置じゃないかって」

 その言葉に、友奈と風の視線は刑部狸に向かう。

 そこにいるのは、普段見るときと変わらない、愛嬌を感じる精霊の姿。

 いつもそばにいて、時には手を焼かせることもあって、そして戦いの中では守ってくれた。

 牛鬼は気ままにスマホから現れては食べ物を美味しそうに食べて。犬神は名の通り犬のようになついていて。木霊や義輝もそれぞれ樹や夏凛と親しんでいて。

 だが、美森の言葉を聞いた後では、その裏に悍ましいナニカが潜むような錯覚を覚える。

「で、でも!守ってくれるなら、悪いことじゃないんじゃないかな!」

 友奈の言葉は、そんな愛らしい精霊を庇うもの。この子たちは、決して悪い存在ではないと、友奈自身が信じたい気持ちの発露。

 それを受け止めて、美森も頷く。

「ええ。確かに、勇者を――私たちを守るためとすれば精霊は決して悪いものじゃない。でも、これで、乃木 園子の言っていた言葉の半分は正しい事が証明された」

 そう。美森が本当に確かめたかったことは、『勇者が死なない』という事ではない。

 

 あの日、乃木 園子は言っていたのは2つの事。

 一つは勇者は決して死なないという事。もう一つは、『満開』に隠された対価、散華。『満開』によって失われた身体機能は――

「神樹様への供物になってて……もう、治らない……?」

 友奈でさえ呆然とするしかない。

 

 決戦の後に味を感じなくなってからもうふた月。その間、食べ物を口にするたびに友奈はその無感覚に人知れず心を削られてきた。

 それでも、いつか治るという希望があったからこそ常と変わらぬ陽気さを保っていた。それが、もう治らないと分かれば、いつまでも明るく振舞うことが出来るだろうか?

 

 そして、美森の話はここで終わりではない。

「それだけじゃない。先代勇者・乃木 園子という前例があったのだから、大赦はもちろん知っていたことになるわ。『満開』システムの代償を。でも、それを私たちには隠していた。いえ、今だって治る見込みがあると言い続けている。……乃木 園子は、2年たっても治っていないのに」

 勇者となった自分たちを支えてくれる組織、そのはずであった大赦の欺瞞。それこそが、美森が話したい事だった。

「それ、じゃあ……」

 フラリと膝から崩れおちて、風の口からは虚ろな呟きが零れる。

「樹の……樹の声は……もう。アタシ、知らなかった……知らなかったの……。身体を捧げて戦う……それが勇者……。樹を……みんなを勇者部に入れたせいで……みんなの、身体が――」

 その瞳からは次第に焦点がぼやけていく。その様子に感じた怖じ気を振り払うように、友奈は声を張り上げる。

「でも!でも、もうバーテックスは全部倒したんだよ!だから、もうこれ以上悪くなんて――!」

 だが、その言葉が風に更なるどん底がある事を悟らせる。

「おわって、ない」

「え?」

「白羽くん、言ってた……。12体って、神樹様が分かった数だって。もっといてもおかしくないって――」

 その言葉に、美森が頷く。

「友奈ちゃん、今使っている端末は、勇者システムが入った物よ。一度大赦が回収して、延長戦だからと戻されたもの。それを取りに来ないという事は」

 ――まだ、自分たちの戦いは終わっていない――

 

 昏く深く落ち込んでいく部屋の空気。

 そこに風の慟哭が響いていく。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 気づくと、風は自宅のリビングにうずくまっていた。

 どうやって帰ってきたのか、風は覚えていない。多分、友奈が連れてきてくれたのだろう。

 だが、風は動く気になれなかった。いっその事、ずっとこのままでいたいとさえ思う。

(アタシのせいで。アタシが、復讐を望んだから……)

 

 復讐。そう、復讐こそが、風が勇者の御役目を受けた理由だ。

 2年前、両親が事故で亡くなったと大赦の神官から聞かされた時。風は、その事故の原因を聞いていた。

 

 バーテックスの侵攻による影響。それが、両親を死なせた原因。

 即ち、バーテックスさえいなければ両親は死なずにいたという事。

 

 神官たちからそう聞かされて。

 両親を失って、これからは妹と2人で生きていかなければならない。そんな不安に揺れる風の心に、バーテックスへの復讐心が生まれた。

 バーテックスが両親を狙ったわけではないし、両親が無理に人助けをしなければ死ななかったかもしれないとは分かっている。

 だが、支えとなるものを失ったばかりの風を立ち直らせるには、例えそれが負の性質であっても、突き動かす激情が必要だった。

 

 ――バーテックスを殺せるなら命もいらない、とまで、のめり込んだわけではない。

 自分が万が一死んだら、樹は今度こそ独りぼっちだ。それは何より避けねばならない。

 それでも、自分が御役目に選ばれることがあれば、何をおいてもバーテックスを打ち滅ぼそうとは思っていた。

 

 だから、大赦からの勇者候補勧誘の指示には文句なく従った。見ず知らずの少女に、何も明かさずにいることには罪悪感こそ感じたが。

 妹もまた勇者候補と言われた時はさすがに焦った。勇者から辞退させることは出来ないかと尋ねたりもした。

 

 それでも、いざ自分が勇者に選ばれた時。

 他の部員への申し訳なさ、バーテックスへの恐怖の感情と共に、両親の仇を討てるという昏い悦びもまたあったことを、風は否定できない。

 そうして、バーテックスは12体全てを倒せた。

 どのバーテックスが件の事故の原因かは分からないが、これで両親の報復を果たせた。そう思っていた。

 だが。そのための代償は――。

 

(樹は、もう、話せない――。友奈は、もう、味が分からない――。東郷は、左の耳が、聞こえない――)

 

 果たして、まっとうな対価と言えるか。これから先、何十年かのハンデを負うというのは。

 そしてそれは、遡っていけば自分の、樹にも話していない、個人的な復讐心が始まりだ。

 その罪業の何と重い事か。

 自分もまた騙されていた、などとは言い訳にもならない。

 

 心をズタズタされて、周りの事も頭に入らず、風は只々座り込み続けた。樹が帰ってくることも、夕飯の用意をすることも、もはや風の頭からは抜け飛んでいて。

 だから。不意に焦点を合わせたのは、取る者のいない電話が留守番に吹き込んでいく言葉。

 

『もしもし、犬吠埼 樹様のお宅ですか?私、伊与乃ミュージックの藤原と申します。先日ご応募いただきましたボーカリストオーディションの件で――』

 

 それが、風の自制心を叩き壊した。  

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

「ど、けぇぇぇっ!!」

 自身と同じく勇者に変身して立ち塞がろうとする夏凛に本気の斬撃を放つ。

 訓練を受けたといっても、一撃の破壊力は風が上だ。空中で受けたこともあって夏凛は派手に吹き飛び――しかしすぐさま立ち直ると風に追いすがる。

「アンタ、何やってんのよ?!」

 一度切り結んで、夏凛は理解した。今の風は、冗談でなく人を殺せる状態だと。だからこそ何が何でも止めねばと跳びはねて進む風の前に立ち塞がる。

「一体、何を――」

「大赦を、大赦を、潰してやるっ!」

 尚も問いかける夏凛を薙ぎ払い、風は更に進む。

 

――録音中の留守電に慌てて出ると、相手は改めて名乗り、言った。樹が、ボーカリストオーディションの一次審査に合格した、と。

 

「大赦を、潰す?!なんで!」

「アイツらは騙してた!『満開』に後遺症がある事も知ってた!なのに何も知らせずに、アタシたちを生贄にしたんだっ!」

 

――電話を終えて樹の部屋に入る。机の上のノートを見れば、そこには喉によい事や、治ったらしたい事が書き記されていた。

――ノートパソコンを開くと、ダウンロードしたのだろう、喉の調子を整える諸々の情報があった。そして。

 

「っ適当な事を」

「適当じゃない!アタシたちの前にも勇者がいた!その勇者が『満開』の犠牲になっていた!友奈と東郷がソイツとそれを見ている!」

 

――『えっと……これで――あ!もう録音されてる?ボ、ボーカリストオーディションに応募しました犬吠埼 樹です。讃州中学1年、12歳です。よろしくお願いします――』

――『私には大好きなお姉ちゃんがいます。お姉ちゃんは強くてしっかり者でいつもみんなの前に立って歩いていける人です。反対に私は、臆病で弱くて、いつもお姉ちゃんの後ろを歩いてばかりでした。でも本当は私もお姉ちゃんの隣を歩いていけるようになりたかった。 だから、自分の力で歩くために、私自身の夢を持ちたい。そのために今歌手を目指しています』

――『実は私、最近まで歌を歌うのが得意じゃありませんでした。あがり症で人前で声が出なくて……。でも、勇者部のみなさんのおかげで歌えるようになって、今は歌を歌うのが本当に楽しいです!そして、私が好きな歌を一人でもたくさんの人に聴いてほしいと思っています』

――樹の声でそう残された、オーディション用の音声ファイルがあった。

 

「それって――先代の?」

「アンタは知ってたの?!アタシたちの前に勇者がいたって!『満開』で身体を生贄にしたって!?」

 

――樹が、自分の知らないところで悪戦苦闘しながらも1人で夢に向かって歩こうとしていた。それを知って風の顔色は更に悪くなる。

――そこに、大赦からのメールが届いた。中にあったのは、素っ気ないこんな一言。

――『勇者の身体異常については調査中。しかし肉体に医学的な問題はなく、じきに治るものと思われます』

 

 風の怒号に、夏凛はたじろぐ。

 夏凛は知っていた。自分たちの前に勇者がいたことを。何しろ自分はその先代勇者の1人が使っていたスマホを継承し、完成型勇者となったのだから。

 だが夏凛は知らない。先代勇者、おそらくは複数人いたであろう彼女たちがどのような経緯で御役目を退いたのか。

 もしも。バーテックスとの闘いで命を落としたのではなく、『満開』の後遺症で戦えなくなったのだとしたら?

 

「そ、それは――」

 どうこたえるべきか。戸惑う様子に何を見たのか、風は跳ぶのを止めて地に足をつけ、担ぐように剣を構える。

 ここまではお互い跳びはねながら切り結んできたが、夏凛を振り払うよりもここで倒す方が大赦に早く着くと風は判断した。

「どうでもいいっ!今までも勇者を犠牲にして、今度はアタシたちが犠牲!それが事実!」

 そして、踏み込む。全力の突進から、地に足をつけて全身の力を集約させた一撃。避けも躱しも出来ずに夏凛は二刀を以て受け止め――そのまま押し込まれる。

「ぐ、うううっ!」

 歯を食いしばりながら耐えるが、単純な膂力が違う。それに――。

「何でこんな目に遭わなきゃいけない?!何で樹が声を失わないといけない!?夢を諦めなきゃいけない!?」

 叫ぶ風の表情は、正に鬼気迫るもの。相対すれば、その形相だけでも意気を挫く。

 そして迸る叫びは怒りと憎しみと悲しみに満ちた、心底からの感情。これほどの赫怒を前にして、尚も勘違いだと言えるほど、夏凛は図太くもなければ勇者システムを知っているわけでもない。

「あんな苦しい思いして!怖い思いして!必死に戦って勝って世界を救って――」

 そこで、不意に風は鍔迫り合っていた大剣を引き戻し、夏凛の掲げた二刀の下に潜らせると一気に跳ね上げる。虚を突かれた夏凛の手から刀が弾け飛ぶ。

(あ――)

 体勢を崩されて、夏凛は尻餅をつく。顔をあげれば、そこには天を突くように掲げられた大剣。そして涙と共に憤怒を溢れさせる、悪鬼のような形相の風の顔。

「――その報酬が、これかぁっ!」

 大剣が夏凛に向けて振り下ろされる。

 

 その一瞬。

 耳を劈くような甲高い轟音が響いた。

 

「なっ?!」

 その金属音と、何より振り下ろそうとした剣を横殴りにされたせいで、風が蹈鞴を踏む。勘に任せて横を向くと、ちょうど空から何かが落ちてきた。

 鈍い音を立てながら舗装された地面に易々と突きたったのは――。

「……剣?」

 夏凛が訝し気に言う。

 確かに、地面に突き刺さったのは剣だった。刃渡りは60センチほど。鍔のないまっすぐな剣だ。これが、風の大剣に当たったものか。――振り下ろす刹那を狙ったとはいえ、勇者の構えを崩すほどの勢いで?

 

「……アンタは」

 一方、風が見たのはその更に向こう側にいる人影だった。その声には、夏凛に向けた激情以上に、冷たい怒りの気配が混じる。

 夏凛もまたそちらも向き、息をのむ。

 

 身に纏うのは、丈夫そうな素材で出来た黒い服。その上から、脛までの丈があるオリーブドライ色のコートを羽織る。

 足元はこれもしっかりとした拵えのブーツ。手にはめた指ぬきグローブは、手を保護しながら剣をしっかりと揮うためか。

 未だ夏の暑さが残る中、その衣装は異様に尽きる。

 

 なのに。ソイツが身に纏っているだけで、なんの不自然も感じさせなくなる。その装束こそが彼の自然体であると。

「それで」

 突き立った剣を引き抜いて一閃。響いた風切り音はどこまでも鋭い。

「何をやっている、犬吠埼」

 その声は普段と変わらぬようで、やはり鋭く。

 

 白羽 涛牙は、剣を片手に問いただした。




涛牙がついにゆゆゆストーリーに割り込んできました。
さて、次回、風を止めることができるのか?


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第24話「ランブリング・エッジ(剣刃舞踏)」

これまでゆゆゆのバトル部分に絡められなかった涛牙がいよいよ関わってきます。

負の感情に支配された風に、涛牙は如何に立ち向かうのか?


「何をやっている?犬吠埼」

 壊れた瀬戸大橋を臨む公園で、海から吹く風にコートを翻しながら、涛牙はただ静かに問いただす。

 だが、問われた風の表情が無に変わっていく様子を、夏凛は見ていた。怒りが収まった――わけではない。夏凛の背中を冷たくさせるのは、風からあふれ出すフツフツとした憤怒だ。

「そう……そうだったわね……」

 深く深く。圧し込めた怒りは沸点を飛び越えている。

「ちょ、風。待ち」

「アンタは――ずっと、アタシたちを、騙してた」

 怨嗟に満ちた言葉は静かに。しかし、それを聞き取った涛牙は一つ頷く。

「ああ」

 いつもと変わらない、短い返答。それが風の怒りを爆発させた。

「潰してやるっ!アンタも大赦も、潰してやる!!!」

 その踏み込みの速さに、夏凛が目を剥く。先ほどまでの戦いのときよりも、その突進は更に速い。

 

 夏凛相手の戦い、風は無意識ながら手加減があった。

 共に肩を並べてバーテックスと戦った勇者の仲間だし、自分たちを気遣っていたことも気づいている。なにより、風にとって潰す敵はあくまで「大赦」。夏凛はいわば障害でしかなかった。

 だが、涛牙は違う。

 共にバーテックスと戦ったわけではないし、当の大赦から派遣されたお目付け役。障害ではなく、敵だった。故にその突撃は夏凛に対するそれを上回る速さで、突進からの唐竹割も容赦なく速い。

 一閃された斬撃は地面を深々と切り裂き、突風を巻き起こす。バーテックスを討ち滅ぼす一撃だ。ただ立ち尽くしていた涛牙など薄紙同然で

 

「それは、ダメだ」

 だから、その声に風は背筋を冷たくした。

「これは、人に向ける力ではない」

 風の大剣を自身の剣で抑え込んで。涛牙はただ静かに告げる。

 涛牙の動きが見えていたのは夏凛だった。

 夏凛自身でさえ避けきれないだろう速さの風の一撃。それに対して涛牙は、ただズレた。

 風が刃を放ったその刹那。交錯するように半歩踏み出し、左足の親指を支点に半身に開く。まっすぐに振り下ろされた風の大剣を、涛牙はそれだけで無効化した。

 のみならず、振り下ろされる風の剣に自身の剣を合わせ、振り下ろす勢いを加速させる。

 結果、風の大剣は深く地面を切り裂いた――風の、勇者の膂力を以てしても容易く抜けないほどに。

 

「くっ、この……!」

 大剣を抜こうとするが、抜けない。地面に深く刺さったこともあるがそれ以上に、妙に重い。

(コイツ……こんな力を!)

 昏い気持ちが零れだす風を見やり、涛牙は言う。

「勇者の力は、バーテックスを討つ力だ」

 正論。だが、感情的になった人間に対する正論は、感情を逆撫でするしかない。

「うるさいっ!治らないって知ってて素知らぬ顔してたお前が言うな!」

 その怒号に、

「――仮説が当たりか」

 ボソリ、と呟く涛牙に、風は表情を更なる怒りに染める。

「何のことよ!?」

「樹に聞かれた、治るのかと。仮説と前置きして、治らないだろうと答えた」

 その言葉に、風の表情が抜け落ちる。

「――は?」

「そうか。事実治らないのか。――後で改めて伝えるか」

 とぼけたような涛牙の言葉は、風の耳には入らない。暗くなった視界に浮かぶのは、樹が手を伸ばし、届きかけた輝ける未来(ユメ)と、『満開』の真実を知って絶望するだろう樹の顔。

 それが、風を更に荒ぶらせる。

「ガアアアァァァッ!!!」

 地面から抜くのではなく、突き刺さった地面もろとも涛牙を吹き飛ばすつもりで、大剣を渾身の力で振り上げる。勇者の力はアスファルトを砕きながら、大剣を抑えていた涛牙をもろともに宙に跳ね上げた。

 弾き飛ばされた涛牙を追って、風も地面を蹴る。横薙ぎの刃は着地する涛牙を過たずに捉えていた。

(仕留める!)

 殺意を込めた必殺の斬撃。涛牙はそれをただ見ていた――落ち着いた瞳で。

 甲高い金属音が一つ。そして、風の目に映ったのは、大剣をすり抜け正面に着地した涛牙の姿。

「なっ?!」

 風の一撃に涛牙は自身の剣を打ち込み、激突の衝撃を活かしてきりもみ回転。迫る大剣を背面跳びの要領でかわしてみせたのだ。

 そして、大剣を振りぬいた風は逆に無防備を晒す。その風の顔面に、涛牙が刺突を見舞った。

(しまっ――)

 予想外の反撃に風の身体が咄嗟に竦む。視線は自分に向けられた切っ先につい釘付けとなり――そこでピタリと止まる。

「?」

 生じた隙と、上体が反れた一瞬を、涛牙は逃さない。剣を手放してかがみこみ、身体をコマのように回転させながら左手で腰から抜いた鞘を風の足首に見舞う。打ち据えるのではなく、足を引っかけるような動き。

 バランスが崩れていた風はその変化に対応できない。片足が宙に浮いて仰向けに転びそうになる。そこに涛牙は剣を掴み直しながら更に接近。肩から風の身体に触れ、

「はっ――」

 気迫と共に踏み込む。体当たりだ。踏ん張る事も出来ずに風は押し飛ばされた――宙に浮いたまま2、3メートルは飛ばされただろうか。

 更に風に追撃を加えようと奔る涛牙に、風は破れかぶれに大剣を振るう。追い払うために素早く振るわれたその大剣はさすがに避けきれないとみて涛牙は自身の剣で防ぎ、そのまま大きく弾き飛ばされる。

「っと」

 だが、そんな勇者の一撃をまともに受けて、剣は折れも曲がりもせず、涛牙自身も危なげなく着地。軽く息をついて構えを取り直す。

 一方の風は、この攻防で上がった息を整えようと大きく呼吸を繰り返した。

 

 そんな2人の様子を見れば分かる、どちらに余裕があるか。

 

「なんでよ」

 だから、風の口からは怨嗟が漏れ出す。

「そんなに強いのに!なんでアンタは戦わないのよ!」

 その叫びに、涛牙はただ一言返す。

「バーテックスと戦えるのは、勇者だけだ」

「――ふざ、けるなぁッ!!!」

 冷たい返答に、風は再び吠え猛る。開いた数メートルの距離を一息に詰め、大剣をがむしゃらに振り回す。

「強いんなら戦いなさいよ!知ってたんなら教えなさいよ!そうすれば、樹や友奈たちを巻き込むことなんてなかった!後遺症で苦しむことなんてなかった!」

「お前が知る以上の事は知らないんだが」

 対する涛牙は軽やかにかわし続ける。揮う剣は風の攻撃をいなし、鋼のぶつかり合う音が鳴り響く。

「嘘つけ!みんな知ってたんでしょ!?『満開』の代償も!バーテックスがまだいるってことも!」

「バーテックスの数は、確かに。だが代償の事は知らなかった。知っていれば先に教えている」

「なにっ!?」

「――代償ありのシステムと知っていれば、本格的な特訓を進言した」

「!」

 何度かの剣戟の後、涛牙は後方に大きく跳んだ。軽く手首を振るって痺れを紛らわせて、再度構えなおす。

「俺も見込みが甘かった。勇者を使い捨てるとは思っていなかった」

 それは涛牙の本心だ。バーテックスから人類を守る最終戦力こそが勇者。他に候補者がいるとはいえ、当然大切にするものと思っていた。

 身体機能を対価とする機能について伝えておかないなど、想像もしていなかった。

「そうと知っていれば。部活を控えさせてでも戦闘訓練に重きを置いた」

 風や夏凛とシミュレーションするだけでなく、他のメンバーも交えて心身共に戦いに向けて鍛えるくらいの事は提案する。

「強く言わなかったこと。それは俺の落ち度だ。それを加味しても、言わせてもらう――勇者の力はバーテックスに向けるもの。人に向けるものじゃない」

「うるさいっ!」

 吠えて、風は再び切りかかる。突撃からの横薙ぎ。対する涛牙も風に向かって踏み込み――地面を這うほどに体を沈めて風とすれ違う。振り返ろうとする風。だが、その首が不意に変な方向に引っ張られる。

「?!」

 

 原因は、涛牙だった。

 勇者の姿となって三つ編みになった、ツインテールの長い髪。それは当然風の後を追って動く。そして、髪を掴むくらいでは精霊バリアは発生しない。

 すれ違いざまに風の髪をひと房つかみ取って、涛牙はそれを軽く引っ張ったのだ。当然、髪とつながった頭は引っ張られる動きに従って変な方向に曲げられ、姿勢も容易く崩れる。

 後ろに引き倒される風の背中に、涛牙の足が添えられ、そのまま上に蹴り上げられる。

 縦回転しながらどうにか風は地面に手を突こうとして、その手を剣を収めた鞘に打たれて顔面から地面にぶつかる。狗神がバリアを張って防いだが、咄嗟に目をつぶったところを横合いから涛牙に足で押されて地面を転がされれば、自分の態勢も分からなくなる。

 

 そうして気づけば、風は背中から涛牙に抑え込まれていた。

「ぐっ?!」

 身をよじろうとするが、うまい具合に関節を固められたせいで、勇者の力でも振りほどけない。

「ひとまず、落ち着け」

 上から降ってくる涛牙の声に、ギリと歯噛みする。勇者を容易く抑え込める力があるのに、バーテックスとの戦いを勇者に押し付けていた大赦に向ける怒りが更に増していく。

「繰り返すが、勇者の力は――」

 言葉を続けた涛牙が不意に口をつぐむ。涛牙の視界の隅に、フワリと精霊が出現したから。イタチに似た姿をした風の精霊、鎌鼬。

「!」

 咄嗟に跳び退り、鎌鼬が放った小刀をかわす。今の風は、動きを止めても攻撃自体は可能だったのだ。それはバーテックスに対しては牽制程度の効果だが、人間に向ければ十分命を奪える。

 そうして自由になった瞬間に、風もまた攻撃を放っていた。大剣を叶う限りの速さで振り抜く。

 

 切っ先に、小さな手ごたえがあった。

 

 肩にぎこちなさを覚えながらも風は大剣を構えなおす。その視線の先で、蹈鞴を踏みながらも涛牙も構えを取った。鞘を腰に戻し、右の半身に構えた、居合の姿勢。

 その涛牙の頬から血が吹きこぼれる。

 

「あ……」

 その赤を目にして、風は息を詰まらせた。

 一方の涛牙は、かすかに視線を向けただけ。傷を意に介していないのは明白だった。

「ア、アタシの邪魔するからよ!」

 咄嗟に口から出た声は震えていた。犬吠埼 風は勇者に選ばれる心の持ち主だ。他人を傷つけるのが好きなわけでない。それでも、その優しさを圧してでも彼女にはやらなければならないことが――。

「どうした、犬吠埼。震えているぞ」

 傷を拭いもせず尋ね返す涛牙に、風の方が後ずさる。そんな風ににじり寄りながら、涛牙は続ける。

 

「まさか、大赦に殴り込んで、血が流れないと思ったか」

 

 その言葉に、ヒュ、と風の喉が震える。そんな風の様子に、涛牙は目を眇めた。

「勇者の力を揮えば、人は容易く蹴散らせる。大剣でそれをやれば――両断された死体が山となるだろうな」

 或いはそれは、「まさか考えていなかったのか?」という呆れまじりの視線か。

「バーテックスと違い、死体は残る。血や臓物をまき散らして。当然、死体の片付けも必要だ。動物の餌になるにしても時間がかかるしな」

「あ、う」

 言われて、風は更に後退る。のみならず、大剣を握る手が、足が、口元が震えだす。自分がしようとした事、その先にある事を突き付けられて。

「ああ、返り血を浴びれば血の匂いが自分にもつくな。服や手足は――変身を解けばいいが。そして、そんな状態で、お前は樹におかえり、という事になる」

 その言葉が、風を完全に打ちのめした。手から力が抜け、大剣が地面に落ちる。

「うあ、あああぁぁぁ」

 力なく膝をついて、慟哭する。

 

 大赦に乗り込み、そこにいる連中全てに思い知らせる――大剣で斬り捨てる――血まみれになって死体の山を築き、その手で樹に晩御飯を作る?

 出来るわけがない。そんな姉の姿を見て、樹が喜ぶはずもない。

 つまり、自分がやろうとしたことは、樹のためでもなんでもない。自分の鬱憤を晴らすだけの――。

 

「じゃあ、どうすれば、いいのよぉ……」

 地面に爪を立てて、風は呻く。

「大赦に言われるままにみんなを巻き込んで、命がけで戦わせて、きっと治るってぬか喜びさせて。アタシは、どうすれば、顔向け出来るのよ……っ」

 それは、悔恨だ。

 最初の戦いの時、風は自分1人で戦うつもりだった。

 何の事情も知らされないままに、友奈も美森も樹も世界を賭けた戦いに巻き込まれたのだ。訳も分からず戦えと言われて、すぐさま頷ける者がどれだけいるというのか。

 なのに、樹も、友奈も。何も分からないままに自分と共に戦ってくれた。それが風にとって、どれだけ心強かったか。

 だが。今となっては思ってしまう。自分1人でやればよかったのではないか、と。せめて『満開』は自分だけ使っていれば。友奈も美森も樹も、御役目の後は当たり前の日常に戻って、笑って生きていけたはずなのに。

 自分に後遺症が残っても、それは皆を守った勲章のように思えたのに。

「せめて、大赦に思い知らせないと、ダメじゃないよぉ」

 そうして自責の念に潰されていく風に、涛牙は構えを解いた。もう、風に戦意はない。そして、視線をずらして言う。

「なら、当人と話せ」

 背後から近寄る足音にえ?と風が顔を上げると、勇者姿の友奈と、樹が、いた。  

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 夕暮れが迫る河原で、友奈と樹は肩を並べて座り込んでいた。無言で。

 どちらも口を開けなかったのは、見かけた相手の様子が普通ではなかったから。

 友奈にしてみれば、暗い面持ちで川面に石を投げ込む樹は尋常でない落ち込み様に見えたし、樹からすれば、友奈の表情は始終追い詰められたように見えた。

(何か悩んでるのかな……?もしかして、風先輩から、散華の事を聞いちゃってるのかな?)

(友奈さん、どうしたんだろう。こんなに難しい顔してるなんて。……もしかして、今までも一人の時はこんな顔になってたのかな?)

 結果、相手を1人にすることも出来ず、かといって抱えた悩みを打ち明けては相手を潰してしまいそうで、という奇妙な拮抗状態が生まれていた。

 そんな時に、夏凛から飛び込んできたNARUKOメッセージ。

『風が暴れてる!来て!』

 メッセージを一読して、しばし見つめ合って。

 2人は大慌てで勇者に変身、アプリに表示された風と夏凛を全力で追ってきたのだった。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

「あ……」

 2人の姿を見て、風は顔色を更に青ざめさせる。2人とも自分が勇者部に――御役目に引き込み、その果てに身体の機能を散華させた相手。

 何か言おうとして、しかし言葉は出ないで喉を鳴らすしかできず。

 そんな風に、一歩前に出たのは友奈だった。

「風先輩」

「っ……」

 何を言われるのか、身体を固める風に、友奈は柔らかく微笑みかける。

「こんな事は、やめてください。風先輩が人を傷つけるところなんて、見たくないです」

「でもっ!」

 言い募る風に、友奈も視線に意思を束ねて突き返す。

「もし後遺症の事を知らされていても!きっとわたしたちは戦ったはずです!『満開』だって、他に方法が無いなら、迷わず使っていました!」

 それは、紛れもない事実。

 先の決戦の折、『満開』を使っていなければバーテックスの侵攻を止めることは叶わなかった。代償があると知っていたとして、恐れて『満開』せずに世界が終わる結末を受け入れる勇者は誰もいない。

「でも……後遺症があると知っていたら、アタシはみんなを巻き込んだりしなかった。そしたら!みんなは無事だったんだ!」

 そう叫ぶ風の頬をペチン、という音を立てて平手が打った。

 軽い、強い力がこめられていない平手打ち。けれど、それは風の心に強く響いた。

「え……」

 唖然とした顔で見返すと、平手を振り抜いた樹が、フルフルと首を横に振っていた。

「いつき……。でも、アタシが樹を巻き込んだせいで、夢が」

 尚も続ける風に、更に首を振り、樹は1枚の紙を見せる。

 それは、1学期の歌のテストの時に、樹を上がり症から解放した寄せ書き。

 怪訝な顔で寄せ書きを見る風に、樹はペンを取り出して余白に言葉を連ねていく。

『私は、ずっとお姉ちゃんの後ろをついて歩いてた。自分から何かするのが怖かった。でも、勇者部に入ってお姉ちゃんやみんなに助けられて、自分で何かを決める勇気が持てた』

「樹……」

 震える声で妹を見上げる風に微笑んで、樹は更に書き加える。

『勇者部のみんなに出会わなければ、自分は歌が好きなんだってことも、歌いたいって夢を持つことも出来なかった。勇者部に入って、本当によかったよ』

 そう記された寄せ書きを見て、風の瞳からまた涙があふれ出す。だがそれは怒りと憎しみからの涙ではない。悲劇に見舞われた悲しみと、そこから立ち上がろうとする強さからの涙。

「いつ、きぃ……」

 もう、風の中の憎しみは収まった。騙していた大赦への怒りも、燻りこそすれ力で思い知らせようという気持ちは失せた。

「ごめんね、アタシ、なさけないおねえちゃんでっ……!」

 まだ自己嫌悪を残す風を、樹はそっと抱きしめる。

 情けなくなんてない。風がこれほどに怒り狂ったのは、共に戦った勇者たちのため。みんなを大事にするからこそ、それが蔑ろにされることに憤るのだ。

 勇者部もそうだ。本来なら部として作る必要もない、人のために活動する部活。そんな部を作った風が、情けないなんてない。

 そんな樹の気持ちが心を通して伝わったのか、風は表情をクシャリと歪め――ずっとこらえていた泣き声を上げた。

「う、うわぁあああああああああああああああああああん!」 

 

 

 そんな様子に自身ももらい泣きの涙を浮かべながら、友奈は2人から少し距離を取る。ここは姉妹水入らずにする場面だ。

 それに、気になる事もある。

「それで、涛牙先輩は――」

 なんでそんな格好をしているのか、なんで勇者となった風と戦えるのか。それを聞こうとして。

「夏凛ちゃん!?」

 夏凛が、涛牙の背後から刀を突きつける場面に驚きの声を上げる。

 一方の涛牙は、死角から切っ先を向けられていることに、まるで気づいているように悠然と夏凛を振り返る。その、落ち着き払った視線を見返して、夏凛は言葉を紡いだ。

「――あたしには兄貴がいてね。少し年は離れてるだけどこれがとんでもなく優秀で。若いのに大赦のそこそこの立場になるくらいなのよ」

 ……実のところ、夏凛はそんな兄と比較され続けてきた。何をしても優秀な兄と、それに追いつけない妹。両親もまた、兄は褒めても夏凛には「なぜ兄のように出来ないのか」という態度だ。その兄は夏凛を庇ったりほめたりするが、それが猶更夏凛の自尊心を傷つける。

 そんな夏凛にとって、勇者としての資質を見いだされ、選抜を経て勇者と選ばれたことは、そんな兄にも出来ないことを自分が為しているというある種のプライドそのものでもあった。

「それで、さ。兄貴に聞いたのよ。勇者候補への補佐について」

 一方的とはいえ確執ある兄へ質問するのは、夏凛にとっては或いは御役目以上のプレッシャーだった。それでも、確かめたい事があったのだ。

 白羽 涛牙。勇者の補佐役。彼についての話が、大赦からは何も聞かされていなかったから。そして、その結果。

 

「――勇者の補佐役なんて、大赦は派遣してないそうよ」

 その夏凛の言葉に、友奈もえ?と声を漏らす。大赦の次は、勇者部の黒一点として頼りになった涛牙が嘘偽りを騙っていたというのだから、無理もない。

「話しなさい、白羽 涛牙。アンタは、何者?」

 射貫くような夏凛の視線、そして見えてはいないが友奈からの疑念の目。それを意識しながら涛牙は小さく息を吸い。

 不意に辺りを包んだ気配に目を見開き、あらぬ方向を向き直る。

 

「驚いたな。勇者が現にいるとは」

 

 同時に聞こえてきた新たな声に、友奈と夏凛もまた同じ方を振り向く。そこには、先ほどまでいなかったはずの人影があった。

 声と背の高さからすれば成人の男性。伸ばした黒い髪に、全身をスッポリと隠す黒いマントと文字通りの黒尽くめ。残暑の折は見るだけで暑苦しくなりそうだ。

 だが、感じるのはむしろ冷たい気配。背筋を伝うのは冷や汗か。

 その黒尽くめは、樹の背後に立っていた。そして、その手にした鋼が夕日を照り返している。その黄昏色の光は樹の背に突き立ち、風の背中から抜けていて――。

「え?」

 見間違いかと思い、友奈は目を瞬かせる。だが、見直しても変わりはない。

 黒尽くめの男が持つ刃が、犬吠埼姉妹をまとめて串刺しにしていた。

「……地元には、運が転がっているものかな」

 そう嘯く男の顔は、穏やかな微笑みを浮かべて。

 

「――クナガァァァァァァ!!!」

 

 黄昏色に染まる世界に、涛牙の咆哮が響き渡る。

 




花は陽光の下に咲くもの。
刃は夜闇に閃くもの。

ならば両社が交わるのは、黄昏時こそ相応しい。





なんてね。


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第25話「ブラッド・ブレイド(神威喰らう刃)」

春ですね。桜はずいぶん前から咲いていますが、昨年同様外で楽しむ気持ちになれないのは残念です。

仕方ないから家の中で過ごしましょう。
ちょうど春だから新作アニメがドシドシ始まってるしね!


「――クナガァァァァァァ!!!」

 獣の如き咆哮と共に、涛牙は疾風と化して飛び出した。

 ただ一足で距離を詰め、剣を抜きざまに切りつける。

 対する黒尽くめ――クナガと呼ばれた男は、軽い仕草で樹と風から刃を引き抜くと一歩前に出て涛牙の斬撃に自身の得物――緩やかな弧を描く刀を割り込ませた。

 剣と刀が激突し――大気が震えるほどの衝撃が辺りにまき散らされる。

「っ!?」

 荒れ狂う大気に友奈と夏凛が慄く中、涛牙と黒尽くめは鍔迫り合いを挟んで視線を交わす。

 憤怒と憎悪を束ねて噛みつかんとする涛牙と。

 微かに口角を上げ、微笑ましいものを見るように優し気な黒尽くめ。

 その黒尽くめが、訝るように表情を変える。

「危ないな」

「なにっ!?」

 全く脈絡のない言葉に涛牙が声を上げると、黒尽くめはふと視線を背後に向けた。

 その視線の先では、舗装された地面に一直線の傷が走っていた。あり得るとすれば、涛牙の剣から放たれた剣圧が地面を切り裂いたとでもいうのか。

 そしてその地面の傷は、倒れ伏す樹と風のところでだけ途切れていた。まるで、黒尽くめが割って入った事で途切れたとでもいうように。 

「勇者が怪我を負うだろう?」

 視線を戻して言う黒尽くめに、涛牙の表情が更に一層怒りに歪む。

「言えた、義理かぁっ!」

 噛み合っていた刃を引き戻し、刀を避けて突き込む。読んでいたように黒尽くめは横合いに跳びのき、涛牙は黒尽くめを追って斬り込んでいく。

 

 2人が離れていったおかげで、友奈たちは風と樹に駆け寄る事が出来た。

「風先輩っ!樹ちゃんっ!」

 折り重なるように崩れ落ちた2人は共に勇者への変身が解けていた。

 一瞬、最悪の事態を予感した友奈だが、風のうめき声が小さく聞こえたことで少しだけ安堵する。

「ぅ、ぁあ」

 傷口から走る痛みに、風も樹も身体を震わせる。無理もない。勇者として戦ったといっても、身体を刺し貫かれる経験などあるはずもない。

 当然、友奈もどうすればいいのかわからず、近寄りはしてもただ狼狽えるばかり。

「か、夏凛ちゃん!どうすれば」

「ああ、お、落ち着きなさい!」

 夏凛とてこんな怪我を見るのは初めてではあるが、完成型勇者として訓練を積み重ねた経験がどうにか状態を見定める助けとなった。

 風と樹が抑える傷口からは、滲みだした血が服をジワジワと染め上げている。逆に言えば、大量の血が噴き出すような、太い血管を傷つけるような傷ではない。

「大丈夫、2人とも急所は外れてるわ!ともかく傷をハンカチかなんかで押さえて!!」

「わ、わかった!」

 言われて友奈が傷口を押さえるのを見ながら、夏凛は離れたところで切り結ぶ涛牙と黒尽くめに注意を向ける。

 

 鋼のぶつかる金属音、そして時には地面を剣圧が打つ音を響かせながら、涛牙は剣を振るい続けていた。

 全身を躍動させ、身体を捻りながら繰り出す刃。その勢いは怒涛の如く。対する黒尽くめの動きは、余裕を感じさせる緩やかなもの。しかし涛牙の剣はどれもかわされ、或いは弾かれる。

 そうするうち、不意に黒尽くめは再び表情に訝るものを混ぜた。止まることなく打ち込まれ続ける刃とそれを放つ涛牙の身のこなしに視線を鋭くして、ふと気づいたように呟く。

「この太刀筋……お前、涛牙か?」

 その一言に一瞬、涛牙の動きが止まり、

「キサマァァァッ!!」

 更なる憤激と共に刃が奔る。だが、黒尽くめの身のこなしは先ほどよりもより滑らかに、優雅に。

「男子三日会わざれば、というが……ああ、もう2年か。なるほど、腕を上げるわけだ」

 懐かしむような呟きを零しながら刀を振るう。刃がぶつかり合う音が幾重にも重なり――次第に音が変わっていく。金属が擦れ合わさる音の方が増えていく。

「くっ!」

 自身の剣が、防がれるでも避けられるでもなくいなされる――刃の流れが操作される。その実感が涛牙を焦らせ、不意に生まれた黒尽くめの隙に刃を突き込む。否、突き込まされる。

『涛牙っ!』

 胸元から制止の声が届くよりも先に、涛牙の刺突は切っ先を刀に巻き込まれ、流される。黒尽くめの内懐へ。涛牙の身体もまた黒尽くめの元へ巻き込まれ、

「――だが、若いな」

 小さな声と共に、吹き飛ぶ。

 黒尽くめが空いた手で放った掌底。その一撃で涛牙の身体がさながら蹴られたサッカーボールのように打ち出される。

「ぐあっ?!」

 痛撃に顔をしかめながら、倒れ込むまいと足を地面に打ち付ける。靴底が地面に擦れる跡を残しながら勢いを止めれば、ざっと10メートルは吹き飛ばされていた。追撃に備えようと顔を上げて――黒い人影が視界にいないことに気づく。

 どこだ?

 視線を振って探そうとして。

「優先することを間違えたな」

 

 その声は、2人の戦いに目を奪われていた夏凛の背後から聞こえた。

 夏凛が、強張った身体でぎこちなく振り返ると、そこに黒尽くめがいた。風の傷を押さえる友奈のすぐそばに。刀を振り抜いた姿で。

「え?」

 そして友奈の呆けたような声が、キン、という音に重なる。音の出処は友奈の右手。友奈が視線を向けると、手甲が綺麗に両断されていた。

「え」

 光の粒となって手甲が、そして勇者装束が消え、その下から、一文字に血を零す手の甲が現れる。

「あ、ああぁあ」

 遅れて感じた痛みに、友奈が怯えた声を漏らす。

「こ、このおっ!」

 その声にハッとした夏凛が切りかかる。勇者の力で放たれる刃は光の如く奔り、だが、切っ先が届こうとする刹那に黒尽くめの姿が揺らぐ。

 風切り音のみを残して、夏凛の攻撃は残像を切るにとどまる。

 そして、また少し離れた場所にユラリと黒い人影が凝りつく。風と樹を、そして友奈を切り裂いた刃を眺めながら、黒尽くめは、一人ごちるように言葉を続けた。

「私を、凌駕出来る見込みがあったわけではないだろう?なら、大事な事は、攻め立てるより如何に勇者を守るかの立ち回り」

 ス、と切っ先を涛牙に向けて。しかし声を表情も穏やかなままで、黒尽くめは言う。

「いささか、頭に血が上りすぎだ」

 その、教え諭すような声に、涛牙は更なる怒りを滾らせる。

「だ、ま、れえェェェ!」

 絶叫と共に、剣を構え――いや、切っ先を天に向ける。黒尽くめがふと眉間に皺を寄せるのと、切っ先で虚空に円を描くのが同時。

 

 そして、宙空に光の輪が刻まれる。

 

「っ!」

 それを見て、黒尽くめが初めて表情を強張らせる。

 涛牙が剣を振り下ろすと、その光の輪、空間の裂け目がひときわ輝き、そこから落ちてきたモノが涛牙を包み込む。

 そこに現れたのは、鈍い鉄色の全身鎧。手にした剣は一回り長く、分厚く、ナックルガードがついたものへと変わっている。

 そしてその頭部は、狼の如く。

「……ハガネ?」

 黒尽くめの言葉に合わせるように狼は顔を上げて、次の瞬間には地面を蹴り砕きながら黒尽くめに迫る。さしもの黒尽くめも、不意を突かれたこともあってこの速度に対応しきれない。刀を立てて刺突を受け止め――先ほどの涛牙のように吹き飛ばされる。

「ぬ!」

 弾き飛ばされながらも地面を蹴って態勢を立て直したところに、吹き飛ばした勢いに尚追いつく速さで涛牙の剣が迫る。頭上から迫る剣を黒尽くめが防ぎ――その足元がひび割れる。その威力に黒尽くめが動きを固めたところに、空中で身を翻した涛牙の回転斬りが追撃をかける。黒尽くめもまた身を翻しながら反撃の刃を放つが、全身を覆った金属鎧ごと斬るとはいかない。

 先ほどよりもなお一層速く鋭い連撃に、黒尽くめは悠然とかわす事も叶わない。涛牙の勢いにそのまま押されていく。

 そして、涛牙が腰を据えて打ち込んだ一撃に弾き飛ばされ――黒尽くめの背中に何かがぶつかる。

「?!」

 咄嗟に見れば、そこには街灯の柱があった。ちょうど、黒尽くめの後退を邪魔するように。

 そして、不可避に生じた隙を涛牙は見逃さない。踏み出す脚に一層の力を籠め、渾身の横薙ぎを放つ。

 大気が爆ぜるような衝撃が奔り――しかし剣を振り抜いた涛牙の視界に黒尽くめはいない。

 一瞬の訝り。

 だが、感じた気配に咄嗟に左腕を掲げると、そこに上からの一撃が打ち込まれる。腕を掲げなければ、頭を打たれていただろう。

 刃の主、黒尽くめは涛牙の上方にいた。背後を取られたはずの街灯の柱。その柱の側面に立っていた。重力を無視するかのように、地面に対して水平に。

「悪くない反応だ」

 余裕を取り戻した様子の黒尽くめに、涛牙は舌打ちを一つ。刀を振り払うと、黒尽くめの立つ柱の側面に自身も足をかけ――柱を駆けのぼる。

「このっ!」

 黒尽くめと同じように重力を無視して、剣を打ち込みながら柱の側面を前進する。黒尽くめも打ち込まれる剣を弾きながら後退する。だが、街灯もそう長さがあるわけではない。後ろに下がるスペースは見る間に失われる。地面にいるのと同じように下がり続けられるわけではない。

(今度こそっ!)

 逃げ場のない状態に追い詰める。その一念で涛牙は攻め込んでいく。そして街灯の先端まで黒尽くめを追いつめ。

「?!」

 不意に、黒尽くめが消える。どこに?そう思うより先に、五感が黒尽くめを察知した。自分の背後だ。

 街灯の先端に追い詰められようとする中、黒尽くめはすでに次に進むべき場所の光明を見出していた。なるほど、柱は長くはなく、後退できる距離も多くはない。

 だが、代わりに、柱の側面は一つではない。自身の立つ面以外にも、側面自体はある。

 端に追いやられ、涛牙が更に勢いを込めたその瞬間。黒尽くめは今まで無視していた重力を活用した。蛇のように街灯に絡みつきながら柱を伝い下り、涛牙を潜り抜けて背後を取る。

 そうして改めて構え直せば、そこには隙を晒す涛牙の背中。そのがら空きの背面に、黒尽くめが刃を叩き込む。涛牙の攻撃を弾いていた軽いものではない、斬ると決めて放つ一撃。

「おおっ!」

 気迫と共に打ち込んだ斬撃に、涛牙は遥か高くまで打ち上げられた。

「……落ち着いていれば、こうも容易くはないだろうに」

 ぼやきながら軽い身のこなしで地上に舞い戻る。

 

 そんな黒尽くめに、夏凛は全力で斬り込む。着地間際を狙って、死角から突進しての唐竹割。相手が人間だとかは、眼前で繰り広げた剣戟と傷ついた仲間の姿で吹き飛んでいる。勇者に傷を負わせる力を揮う相手に容赦は出来ない。

 必殺を狙った一撃を、しかし黒尽くめは振り向きもせずに防ぎ、勇者の膂力に吹き飛ばされる。

「あれをっ?!」

 驚いたのは夏凛の方だ。例え手を血で染めても、と覚悟を決めた攻撃さえこうも容易くかわされてはたまったものではない。

 対する黒尽くめは、無理のある態勢で防いで吹き飛ばされたというのに転んだりもせず身軽に立て直す。

 そうして左手を夏凛に向けて差し出し、クイッと手招きする。かかってこいというように。

「っ!」

 応じて、夏凛は二刀を縦横に振るい、時には蹴りを交えて攻め立てる。

 だが、後退しながら守りに徹した黒尽くめを押し切れない。一刀で以て夏凛の二刀流をいなし、蹴激は掠めるか否かの紙一重で避ける。勢いは夏凛にあるが、その勢いが黒尽くめを仕留めるに届かない。

(なんてっ、技量よ!)

 傍から見ていても確かだった相手の腕前。直接相対して猶更に実感する。夏凛も長年訓練を重ねてきたが、コイツは文字通り年期も桁も違う。

 そうして数合切り結ぶ中、落ちてきた涛牙が地面に激突して大きな音を立てる。

 その音に夏凛が一瞬身を強張らせ、その隙をついて黒尽くめが後方へ跳ぶ。

 ほんの一足で10メートル近く開いた間合い。途切れた攻めの流れを立て直そうと踏み出して。

 踏み出した先に、黒尽くめの刃が閃いた。

 夏凛の前進に合わせて黒尽くめも前に飛び出し、右半身に右腕を大きく伸ばした片手殴りの斬撃。踏み出したその瞬間を狙われたせいで夏凛はかわせない。防ごうにも不意を打たれたせいで、左の刀を割り込ませるには間に合いそうにない。

 だが。勇者には最強の防御手段がある。

(こっちには精霊バリアがある!)

 精霊バリアでこの不意打ちをしのいで、カウンターで確実に潰す!一瞬にそれだけを思考して、夏凛は右の一刀を放つ。

 なにしろ神樹様の御力で展開される、バーテックスの攻撃さえ防ぐバリアだ。黒尽くめの剣がどれほどの切れ味であっても、神樹様の加護を切り裂くには届かない――!

 

 その思いを、黒尽くめの一閃が引き裂く。

 

 夏凛は、一つ勘違いをしていた。

 精霊バリアは、勇者の戦う意思に従って展開されると。

 だから、勇者に変身していたとはいえ、完全に不意を突かれた風や樹、戦う意思はなくアタフタしていた友奈は、精霊バリアを展開できなかったと。

 大赦から受けていた説明以上の事を、夏凛は知らない。

 彼女は知らない。精霊は勇者の意思とは関係なく動き、精霊バリアもまた勇者を傷つける物事に自動的に発生することを。

 風も、樹も、友奈も。夏凛の見ていないところで精霊バリアは発生していて――それが効果を発揮することなく両断されていたことを。

 

 黒尽くめの放った斬撃が駆け抜ける。

 精霊バリアも、割って入った義輝も、勇者装束さえ両断して。

 その剣閃は止まらない。跳ねあがり、夏凛の右の刀、その刀身を断ち割り、すれ違いざまに更に複雑な軌跡を描く。

 

 そうして背中合わせに足を止めて。

 

 夏凛の左肩から右の脇腹へ。装束を裂かれて覗いた柔肌から血が零れる。

 それだけではない。

 肘先、二の腕、肩口、脛、腿。背面に回って背中に膝裏。

 全身を余すことなく切り刻まれて。

 血を吹き出しながら、夏凛は絶叫した。




個人的に、ゴジラSPは今のところかなりいい感じだと思ってます。
見上げるほどの怪獣が暴れまわるのもいいけど、アニゴジSPだと「なんか有り得そうなサイズ」なのがこれはこれでヨシ!な感じです。キャラの会話とかも専門用語多いわりに聞きとりやすくていいし。

あと、アニメじゃないけど東離劍遊記第3シーズンも楽しいです。いやぁ、人形劇ってあそこまでやれるんだ、と。
実は涛牙の戦い方とかはこのシリーズのバトルシーンをイメージしてます。文字にすると結構難しいですけどね。


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第26話「フォールン・ソード(久那牙)」

はい、どうにかこうにか続きです。
投稿履歴見てみると、去年の5月はレオ・スタークラスターとのバトルだったんですね。あれが1年前かぁ。


「ぎっ――!」

 全身から押し寄せる激痛に、夏凛の喉は声を上げることさえ一時出来なかった。

 何が起きたのか、涙で滲む視界にさっき見た光景が再生される。

 時の流れが遅くなったかのような世界に奔る、そこだけ時間の滞留から逃れた速さの斬撃。その一撃は精霊バリアに触れ――何物にも邪魔されないかのようにバリアを引き裂く。

 夏凛の精霊・義輝が刃の軌道に割り込み、これもまた何の抵抗も為せずに両断される。

 そうして駆け抜ける剣閃は複雑に舞い踊り――。

「――、ああああああ!」

 地面に転がりのたうち回る中でようやくあふれ出た悲鳴は、自分の口から溢れたというのにひどく遠い。

 痛みから逃れようと意識を手放しかけている自分に気づいて、気絶だけはすまいと念じて顔を上げる。気を失ったら正直次に目が覚ます様子を想像できない。

 蹲りながらもどうにか顔だけでも上げようとする夏凛の視界の隅で、やはり立ち上がる者の姿が映った。

 遥か上空、見上げるほどの高さから、舗装された地面が凹むほどの勢いで落ちてきたはずだが、涛牙は軽くふらついた程度で起き上がった。

 そして涛牙の目に映るのは、全身を流血で染めた夏凛の姿。

 

 轟、と。

 

 人の口から出たとは思えない咆哮を上げて涛牙が地を蹴る。勇者の疾走を凌ぐ突撃と、その勢い全てを乗せた攻撃は文字通り渾身の一撃。

 その一刀を黒尽くめは正面から迎え撃つ。激突の波動が吹き荒れる。

 自身もその波動を受けながら、しかし黒尽くめは余裕の笑みを崩さない。

 一方、衝撃に弾かれるのをこらえながら涛牙が怒声を放つ。

「ガアアアァァァッ!」

「やれやれ、頭に血が上りすぎだ」

 言って、黒尽くめが鍔迫り合いから刃を翻して反撃を打ち込む。その一撃を剣で受けて、涛牙はそのまま吹き飛ばされた。

「っ!」

 背中から転落防止の柵に叩きつけられ、その柵が根元から折れ飛ぶ。

 そのままでは柵もろともに涛は公園の外に落ちることになる。が、涛牙は咄嗟に歪んだ柵を掴むと身体を引き上げ、落ちる柵を足場にして元の地面に舞い戻る。

 悠然と刀を掲げる黒尽くめを睨み据えながら、涛牙は手を振って痺れを取った。

(威力が……!)

 先ほどまでの打ち合いとは、黒尽くめの剣の力が明らかに違う。ただ一撃で手がしびれるほどの威力。これはまるで。

「さすがは勇者の力。喰らえばこれほどになるか」

 答え合わせは、黒尽くめがしてきた。それは涛牙が脳裏に浮かべたことと同じだった。

「勇者の力――神樹の力を、取り込んだのか!?」

「その通り。まあ、一番いい斬り方がわかったのは今しがただが」

 平然と言ってから、黒尽くめはその切っ先を未だに蹲って震える風と樹に向けた。

 

「直接斬って取り込もうとすると、うまく行かなかった。一息に吸い上げようとすると力の流れそのものが止まってね。ブレーカーのようなものかな?神の力が急激に流れると身体が壊れるのかもしれない」

 さらに、切っ先を友奈に向ける。ビクリ、と身体を震わせる友奈に微笑みながら、言葉を続ける。

「意味深に光っている――紋様?それを狙っても同様だった。溜まっていた力が吸い上げられる際に、やはりブレーカーが落ちる」

 その言葉に、変身が解けた3人をチラと見て涛牙もその理由を悟る。

 風や樹は直接その身体から。友奈は満開ゲージの溜まった手甲から。それぞれ勇者の力を喰らおうとしたのだろう。だが、一息に吸い上げようとして、逆に神樹から流れ込む勇者の力が強制的に断ち切られ、結果、変身が解けたということか。

 

 ならば、未だ変身は解けず、しかし傷の痛みに呻く夏凛は。

「で、彼女で最適解が分かった。薄く浅く切り刻めば、吸い上げられる力は少なくなるが――同時に、ブレーカーが落ちることもない」

 言われて気づく。黒尽くめの構える刀の周りに、チラチラと光の粒が漂っていることに。目を凝らせばその光は夏凛の方から流れてきていた。

 夏凛も、黒尽くめの解説を聞いて自分の身に起きていることを理解する。

 全身を切り裂かれて血をしぶかせて。しかし、その傷が重傷というほどではないと夏凛は気づいていた。

 身体に食い込んだ切っ先は、せいぜい数ミリ。薄皮一枚とは行かないが肉を切るというには浅い。

 そして、そのくらいの傷は、神樹の加護ですぐさま治る。装束も同様すぐ直るはずだ。

 だが、そんな、普段ならすぐさま消えるはずの傷が、消えない。装束も再生されない。

 ……傷を治すために神樹から注がれる力が、そのまま黒尽くめの刀に呑み込まれているから。

「時間は相応にかかるが、満足するまで力を取り込める。なかなか良いだろう?」

 言って、軽く剣を揮う。それだけで遠くに立っていた柱が縦に両断された。

 涛牙が渾身の一撃で為した、剣圧だけでの斬撃。それを、特に力を込めた様子もなく同じことをしてみせたのだ。

「こ、のっ……」

 どうにか立ち上がろうとする夏凛だが、身体を動かそうとするたびにどこかから鋭い痛みが走る。

 確かに、傷は多いが深くはない。だが、薄紙で指先を切っただけでもその痛みは集中を容易く乱すくらいにはある。それよりはずっと深い傷が全身に走れば、それは意識を飛ばしかねない激痛だ。

 そんな痛みを抱えながらでは、動けたところで万全の攻防は出来ない。その上、受ける傷が増えれば黒尽くめが取り込める力も増えかねない。

 そんな夏凛の危惧を肯定するように、黒尽くめは友奈に顔を向けた。

「さて。君はまだ掌を裂いた程度。まだ勇者として戦えるだろう?」

 言われて、友奈の顔に恐怖が浮かぶ。

 この黒尽くめは当たり前のようにこう言ったのだ。「全身切り刻むから、勇者になれ」と。

「この、外道がぁっ!」

 黒尽くめの言葉に、幾度目かの怒号を発して涛牙が攻め寄せる。もはや打ち合うたびに発生する衝撃が涛牙の顔や手足に浅い傷を生み出すが、構わず斬り込む。

「どこまで道を踏み外す!」

「外れた道の先にしか、私の求める境地はない」

 だが、どれほど斬り込もうと黒尽くめの防御は微動だにしない。友奈の方を向いたままで、涛牙の攻めを丁寧に受け止め続ける。

(涛牙、先輩)

 傷を増やしていく涛牙の姿に、自分はどうすればいいかと友奈は自問する。

 答えは分かっている。アプリを起動して勇者になればいい。

 そうすれば、この黒尽くめは自分に集中する。涛牙が傷を増やすことはなくなるだろう。

 代わりに。自分は全身を切り裂かれる。料理の最中に包丁で指を切ってしまった時の痛み、それを遥かに上回る痛みを全身に刻み込まれる。この黒尽くめが満足するまで。

 その、途方もない恐怖が友奈に変身を逡巡させる。そうする間にも、涛牙は傷を負うことも顧みずに攻撃を続けて。

 

 刹那。黒尽くめの死角、背後に小さな光が灯った。

 その輝きに友奈が気づいた次の瞬間には、地を這うような銀閃が黒尽くめの足を刈り取る。

「!」

 いや、足を取られたように見えたのは錯覚だった。

 気づけるはずのない攻撃を、しかし黒尽くめは咄嗟に高く跳ねてかわす。

 そうして宙に浮いた黒尽くめの上から、更なる銀の光が3つ落ちてくる。黒尽くめの刀がそれを受け止めて、光の正体が露わになる。

 それは3又の爪。銀色の身体をした獣がその手の爪を振り下ろしていた。

「これは――」

「だあぁぁあ!」

 黒尽くめの呻きを、涛牙の叫びが打ち消す。

 空中で上から押し込まれた黒尽くめに向けて、涛牙も跳び上がりながら掬い上げるように斬り込む。上からの攻撃を刀で防いでいる以上、黒尽くめは刀では防げない。

 故に、黒尽くめは腰の鞘をベルトから抜き取るとその鞘で涛牙の攻撃を防いだ。上下からの攻撃を共に受け止めて、黒尽くめが空中で停止する。

 そして。

 

 乾いた破裂音と共に、黒尽くめが大きく吹き飛ばされた。

「?!」

 聞きなれない音に友奈が身を竦ませる。夏凛が視線で黒尽くめを追うと、一度背中から地面に打ち付けられたがすぐさま起き上がって後方へと跳ぶ。その残像を、銀の獣が振るった尻尾が切り裂いた。そのままでいればその一撃を喰らっていただろう。

 そうして顔を上げた黒尽くめは、先ほどまでの余裕を宿す穏やかなものではない。抜き身の刃のような鋭い真剣なまなざしで、破裂音がした方を見据えていた。その方向から。

「――あれを凌ぐか」

 その声に、勇者たちは聞き覚えがあった。ハッと振り返る。

 剣士とよく似た、しかし複雑な紋様が縫い込まれた黒い装束。その視線は黒尽くめと同様にどこまでも鋭く。そして、その手に携えたライフルは、銃口から硝煙をたなびかせて。

「じいちゃん!」

 涛牙の呼びかけにも答えはせずに。

 白羽 海潮は刃の如き視線を黒尽くめに突きつけた。

 

「さすがの隠形。この距離で気配も感じないとは」

 心底の感嘆と共に、黒尽くめが口を開く。ライフルで狙撃されたというのに、その身体には傷一つない。

「あの状況で防がれては、感心されても喜べんな」

 落ち着いた声音に、氷点下の怜悧さを伴わせて、海潮はその視線を更に鋭くする。視線の先には、黒尽くめの左手がある。

 正しくは、左手の中指に装着された指輪だ。指輪と言っても宝石が埋め込まれたわけでもない、中指の根元を覆うようなサイズの代物だ。アクセサリーという感じはしない。

 そして、その指輪の表面に何かが擦れたような傷がついていた。

 

 狙撃を受けたその瞬間。

 察した黒尽くめは咄嗟に鞘を手放し、自由になった左手の指輪で狙撃を弾いたのだ。

 

「弾を防げたのは偶然の産物。改めてさすがと言わせていただく。海潮翁」

 言いながら、黒尽くめはス、と空いた左の掌を翳す。すると、地面に落ちていた鞘が不意に浮かび上がり、黒尽くめの手に収まった。そのまま納刀すると、鞘を腰に戻す。刀を抜いたままでは非礼だとでもいうように。

 対して、フン、と鼻を鳴らして海潮は歩を進める。スリングを用いてライフルを背中に背負い直すと、指先で印を結び、その手に身の丈ほどの槍を召喚する。穂先は錐状、口金から太刀打ちまでに布が巻かれた槍だ。

「自分には悪運がある、とでもいうつもりか?久那牙(くなが)

 言われて、黒尽くめ――久那牙は小さく肩をすくめた。 

「巡りあわせはあるか、と」

 言って、マントの下から何かを取り出す。伏せたお椀の形をした、ガラス製品。お椀の中央には、縁のぶつかるサイズの部品が釣り下がっている。

「……風鈴?」

 友奈が呟いた通り、それは短冊のない風鈴だった。それを見て、海潮と涛牙の視線が鋭さを増す。

「バーテックスの襲来を知らせる風鈴。かつて大橋に吊られていたもの」

 そういって久那牙は顔を海に向ける。そこには、2年前の天災で崩れ落ちた大橋が無惨な姿をさらしている。

「使えそうなものを探しに来てみれば、樹海にしかいないはずの勇者がいるとあれば。機を逃すのは勿体ない」

「本来は、樹海に割り込んで勇者を襲うつもりだったか」

「はい。他に勇者を襲う機会などありますまい」

 風鈴を懐に戻しながら、当たり前のことのように返してきた返事に、歩む海潮から怒りの気配が吹き溢れる。

「正道を外れ、人に刃を向け。その先に何を手にするつもりか」

 問いに、久那牙は一瞬瞑目し、答えた。

「――強さの極みを」

 その答えに、海潮は小さく頭を振る。

「そんなものは、我らの目指す先ではない」

「しかし、私が目指すものはそこにしかない」

 年長者から諭され、その言葉が正しいと認め。しかし、久那牙は譲らない。

 その姿勢に、

「ふ、ざけんな!」

 怒声を放ったのは涛牙だった。

「俺たちの力は、人を守る為にあるものだ!アンタもそう言っていただろうが!」

 普段からは想像もつかないほどに感情をさらけ出す涛牙に、勇者部の面々は息を呑む。

「私はもう“魔戒士”ではない。それはお前も分かっているだろう」

 激情をぶつけられても動じない久那牙にギリ、と奥歯を噛みしめ、涛牙は改めて剣を構える。

 そんな涛牙の傍に銀色の獣が2頭並ぶ。

 

 金属製の身体に狼と人が混ざったような頭部。その手足や尻尾には、鉈のように分厚い爪が閃く。

 魔戒獣・狼狗(ローグ)。白羽 海潮が使役し、或いは自らの判断で動き回り、並みのホラーなら狩り屠ってみせる絡繰り仕掛けの獣。

 

 自分も交えて4対1ならば、或いは。

 そう思いながら闘志を滾らせる涛牙を、海潮の揮った槍の石突が打ち据えた。後頭部を襲った不意の一撃に涛牙が苦悶の声を上げる。

「ぐあっ?!」

 咄嗟に顔を上げる。いつの間にかすぐそばにいた海潮が涛牙に向けていたのは、久那牙相手と同じ冷徹なまなざし。涛牙が息を呑むより早く、今度は下から跳ね上がった槍の柄が涛牙の顎をとらえ、跳ね飛ばす。

「ぶっ!」

 空中で回転しながら地面に叩きつけられる涛牙を友奈たちが唖然と見つめる中、久那牙だけは苦笑を浮かべて肩をすくめた。

「逸るな涛牙。まずは為すべきを果たせ」

 穏やかな祖父ではなく、冷厳な先達としての言葉に涛牙の表情に疑問符が浮かぶ。それにため息を一つついて、海潮は槍の穂先を風と樹に向けた。

「!」

 何をされるか分からず、せめて割って入ろうとした友奈の前で、穂先が円を描く。その軌跡に沿って、光で出来た文字が浮かび上がる。その光輪を押し出すように海潮が槍を突き出すと、弾けた光が風と樹を包み込む。

「風先輩?!樹ちゃん?!」

 慄く友奈の前で、しかし風と樹の表情から痛みへの苦悶が消えていく。ほどなく光が消えて、風は恐る恐る貫かれた箇所に触れた。

「……治ってる」

 急所を外れていたとはいえ身体を貫通する深い傷のはずだった。だが、傷は塞がり、痛みも消えた。服に開いた穴がなければ、刺された事が嘘のようだ。

 その様子を見つめて。

 涛牙の顔に脂汗が滲む。自分が何を忘れていたのか。久那牙にさえ指摘されていた事に今更思い当たり、ゴクリ、と喉を鳴らしたところで、三度襲い掛かる槍の一撃で打ち上げられ、そのまま夏凛の傍に着地する。

「さっさと治してやれ」

 久那牙からは視線を外さずに告げてくる海潮にコクコク、と頷いて、涛牙は懐から万年筆とカードを取り出した。訝し気に見上げる夏凛にカードを突き付け、万年筆でカードをなぞる。

 カードから溢れた光が夏凛を包み、その全身の傷を消していく。

「……なによこれ」

 神樹という形で神の存在が証明されたとはいえ、ゲームやアニメのように魔法だの呪術だのという事柄まで一般的になったわけでもない。夏凛は確かに大赦謹製・完成型勇者であるが、訓練の中でそういったオカルト方面は特に指導されたこともない。勇者の力として顕われている神樹の加護以外にこんな事が起こるなど、夏凛は考えたこともなかった。

 海潮がヒュン、と槍を振るえば、夏凛から久那牙の刀に流れていた光の粒も散らされ、霧散する。一度切った際に繋がっていた力の流れ道が断たれ、夏凛の勇者装束も完全に直った。

 目を丸くしながらも立ち上がる夏凛と、ばつの悪い顔をしながら改めて剣を構え直す涛牙。その様子をやれやれ、といった様子で眺める久那牙に、海潮は静かに言葉を向ける。

「目論見が崩れたというのに、残念そうではないな」

「まあ、またやればよいだけの話ですから」

「……儂が許すとでも?」

「押し通すのみでは?」

 そこまで言葉を交わして。

 押し黙った久那牙と海潮から、不意に殺気が吹きあがる。それはあっという間に辺りに満ちて、勇者たちの背筋を凍らせた。

「あ、う」

 足を竦ませながら、友奈が呻く。ジリジリと、どこかにある発火点に向かって高まっていく気配のプレッシャー。海潮が槍をユルリ、と構え、久那牙の右手が柄に触れて。

 不意に、久那牙の視線が自身の懐に向くと同時、友奈たちのスマホから異常なアラーム音が響きだす。

「ふいぃ?!」

 緊迫した場を砕く警報音に変な声を上げる友奈たちとは別に、涛牙と海潮がまさか、と目を見開く。

「……本当に、素晴らしい巡りあわせだ」

 言って久那牙は懐から1枚のカードを取り出し、握りつぶす。瞬間、光る文字で編まれた陣が久那牙を包み込む。

「させんっ!」

「この!」

 海潮と涛牙も同様に、光で出来た陣を作り出す。

 瞬間、世界の時間が止まり、彼方から七色の光が押し寄せてきた。

「じゅ、樹海化?!」

 夏凛が驚愕の声を上げる中で、世界は色彩溢れる樹海と化した。

 




なんでも、大満開の章は2021年秋だそうで。

やべぇ、それまでには終わらねぇ・・・。


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第27話「ラッシング・ダスト(群れ為す脅威)」

空模様が雨がちな時期になりましたね。
ただ、梅雨というには「雨の一日」感がない感じがしますね、スコールよろしくザッと降る感じで。

ジメジメした空気って、なんか憂鬱になりますね。


 地平の彼方から迫る、七色の花吹雪。それが通り過ぎる一瞬、瞼を閉じていた友奈が目を開き直すと、そこは色彩に満ちた樹海となっていた。

 ある種見慣れたその風景。だが、そこにいるはずのない人影があった。

 涛牙、海潮、そして黒尽くめの剣士、久那牙。

 勇者しか入れないはずの世界に割り込んできた3人。よく見ればその足元、光で編まれた陣の内側は樹海の地面ではなく、アスファルトとなっていた。

「……………」

 誰かが飲んだ固唾。それが合図になったように光の陣がほどけ、その場所も樹海と変わる。その上にいた者たちは、樹海に残したままで。

「これが、樹海か」

 反射的に、海潮が周囲の様子を視線で探る。その刹那に、久那牙は納めていた刃を抜き放っていた。

 刃の届く距離ではない。だが、すでに久那牙の斬撃は刃が届かずとも剣圧だけで相応の切れ味を宿す。

 鞘の中で刀身に込められていた魔導力を同時に解き放った居合抜き。その一閃は突風と化してその場にいた全員に襲い掛かる。

「くっ」

「きゃあ?!」

 咄嗟に目を庇って手をかざしながら、涛牙は不意打ちに対して全霊での迎撃態勢を取り――結果として久那牙の思惑通りになった。

 土煙が収まる時には、久那牙はすでに姿を消していた。

「……いない?」

 警戒を解かずに周囲の気配を探るが、感じ取れる範囲にはもう久那牙の、背筋を冷やすような気配は感じない。

「――壁の方へ向かったな」

 同じく警戒しながら呟いた海潮に頷き返して、涛牙は剣を納めた。

 勇者が使うスマホから響く警報。それが意味するのはバーテックスの襲来だ。勇者の力を取り込むことが出来る久那牙ならば、勇者の力で撃退出来るバーテックスの力もまた取り込めるだろう。

 いずれにしても、久那牙がどちらに向かったのか見当をつけようとバーテックスの姿を探す涛牙の耳に、呆けたような声が届いた。

「なに、これ」

 それは、スマホの画面を見ていた夏凛から洩れた呻き。

 何が起きたのかを確認しようと勇者システムのマップ機能を目にして、夏凛は自分の目を疑った。 

 海を示しているはずの青い場所に、赤い領域がじわじわと広がっていく。そしてその赤い範囲には名前が付けられていた。

『星屑』。

 その赤いマークは、これまでは12星座の名を冠するバーテックスに付けられていたもの。ならばこの『星屑』とやらもバーテックスで――それが、マップ全体を覆うほどに神樹の結界内に入り込んでいるという事。

「そんな……なんで」

 悪夢でも見たように夏凛が呻く。一方、友奈も同じようにマップを見て、別の事に気づく。

 樹海でも大きく目立つ四国を囲う壁。その壁の表示の上に、青いマークがあった。そのマークが示しているのは。

「東郷さんっ?!」

 ここにいない美森が、何故か壁の上にいる。しかも美森のすぐそばに星屑が入り込んでいるらしい穴もある。

「東郷さんが、囲まれちゃう!」

 言うや友奈は勇者に変身。止める間もなく跳び出していく。

「あ。ちょ、友奈?!待ちなさい!」

 正体不明の敵のど真ん中に突っ込んでいく友奈の後を追って、夏凛もまた跳びだそうとする。その夏凛に涛牙は一つ声を掛けた。

「三好。久那牙を見たら迷わず逃げろ」

「……わかったわよ」

 迂闊にやりあえばどうなるかは身に染みている。苦い顔をしながら、夏凛は友奈の後を追って飛び出した。

「ではバーテックスは勇者様に任せ、久那牙を追うか」

 槍を担いで歩き出す海潮に、2体の狼狗が付き従う。祖父の言葉に頷いて涛牙も樹海のどこかに――おそらくはバーテックスを狙って壁の方に、だろう――姿をくらました久那牙を探そうとして、

「え?」

 戸惑った風の声に、ふと振り返る。

 すでに勇者装束に身を纏った樹が不安と疑問が混ざった顔で、スマホをタップし続ける風を見る。未だ、私服から変わっていない風を。大赦のやり方がどれだけ気にくわなかろうと、ここは樹海、勇者たちの戦場だ。そこで無防備を晒すというのはあり得ないことだ。

「……犬吠埼?」

 涛牙が声を掛けるが、風は構う余裕もなくスマホの画面を叩き続ける。だが、どれだけ必死になってもスマホからはエラー音が鳴るばかり。

「なんで――なんでよっ?!」

 その画面には、勇者システムからの警告文が表示され続けている。

『勇者の精神状態が安定しないため、神樹との霊的接続を生成出来ません』

 それは、風が勇者として戦えないという宣告だった。 

 

「この、このっ、このぉっ!?」

 どれだけ必死にボタンを押しても勇者に変身できず、エラーが出続ける。それはつまり、風の闘志が折れてしまった事を意味している。

(無理もないか)

 その必死で――しかしその奥にある怯えと不安を隠す事が出来ていない表情を見て、涛牙は思う。

 世界のため、人類のためと大義を掲げた大赦。その正しさを信じるからこそ、風は勇者の御役目に向かうことが出来た。

 だが、その大赦が裏で勇者たちに幾つもの隠し事を重ね、その果てに風は怒りに身を任せて荒れ狂った。仲間である夏凛と切り結ぶほどに。

 友奈と樹が追いつき、どうにかその怒りを抑え宥めたところで、今度はその身に本当の傷を負わされた。急所を外さなければ命にさえ届きかねない、傷。

 一時に多くの事が起こりすぎて、風の心は未だ混乱のただなかだ。勇者として御役目に向かえるほどに安定するには、本来なら相応の時間が必要だっただろう。

 そこに突如として発生した緊急事態。慌てて勇者になろうとしてエラーが出て、更に心が千々に乱れてしまう悪循環に風は陥っていた。

「……放っておくわけにはいかんな。涛牙、貴様は残って守れ」

 遂に膝から崩れ落ちた風を目にして、海潮は静かに涛牙に指示する。言い返そうと向き直る涛牙に、海潮は不敵な笑みを返した。

「けど」

「お前、儂より強いか?」

 単純なその問いへの答えは、やはり単純。

「……じいちゃんのほうが、ずっと強い」

 唇を噛んで答えた涛牙に頷き返し、海潮は狼狗を従えて樹海の奥への歩を進めだす。

「彼女らを守れ。バーテックスを蹴散らすよりよほど我らの勤めだろうさ」

「――わかったよ、久那牙も譲る」

 不満げに返す涛牙に、海潮は苦笑した。

「奴は後回し、まずは世界と人を守るのが我らにとっても筋というものだ。――もう少し、心を落ち着けろ」

 言って、駆け出した海潮と狼狗の姿は、瞬く間に見えなくなった。

 その背中にしばしふくれっ面を向けてから、一つ深呼吸をして、涛牙は改めて風の方へ振り向いた。

 呆然とした表情で座り込んだ風の姿は、普段の快活な気配との反動もあって、惨めにさえ見える。樹が肩をゆすっているが、自失した瞳は焦点を結ばず、ただ虚ろに蹲るだけだ。

 反応を返さぬ風に樹の表情も切羽詰まっているが、涛牙が近づいてきたのに気づいて顔を上げる。

「犬吠埼を隠せる場所がない。ここで迎え撃つ」

 告げられて樹の顔が怯えに歪むが、涛牙にしても他の手がない。魔導筆と魔導札を取り出し、法術を発動させる。光の粒となった魔導札がフワリと風を囲むように広がり、半透明のドームを作り出した。

「?」

「隠れ身と防御の結界だ。……無いよりマシ、程度だが」

 首を傾げた樹に軽く説明する。隠れ身は人間なら気づかれることはなくなり、防御結界はホラーを押し退ける程度の効果はある。

 逆に言えばその程度。バーテックスの攻撃をどこまで防げるかは分からず、隠れ身もバーテックスがどう周囲を把握しているか分からない以上気休めと見るべきだ。

「手短に説明する。バーテックスは人間を襲う。俺が前に出てひきつけるからお前が仕留めろ」

「!」

 突然の説明に慌てふためいた様子を見せる樹だが、構わず涛牙は言葉を続けた。

「無理でもやらなければ喰われるだけだ。犬吠埼も、お前も、神樹も」

 その言葉に身体を硬くして。しかし、一度深呼吸をすると腹をくくったかおずおずと頷いた。

 その様子に頷き返して、涛牙が前に出る。スラリと剣を抜き放ち、軽く腰を落とす。

「犬吠埼は任せる」

 その言葉と共に、不意に樹海の陰から白い異形が現れた。

 

 ソレは、敢えて言うなら足のない昆虫、というのが近いだろうか?

 サイズはワゴン車より一回りほど大きい。全身は大きな頭とつながった胴体で出来ていて、頭部はそのほとんどを口が占め、その口の両横に十字のようなパーツが目のように備わっている。

 これまで戦ってきたバーテックスとはまるで違う生物めいた、しかし致命的に生命とはズレた怪物。それが。

(これが、星屑……!)

 樹が心中で声を上げ、同時に星屑が樹に目を止め。

「――オォッ!」

 同時に涛牙の斬撃が星屑を両断する。

 数10メートルはあったはずの距離を一息で詰めて放った渾身の一振り。魔導力を込めて放ったその一撃は剣身以上の斬撃となって星屑を斬り伏せる。

 両断された星屑が光の粒子となって霧散する。その様子は、樹がこれまで戦ってきたバーテックスと同様だ。

(アレも、やっぱりバーテックスなんだ)

 納得と同時、背筋が冷たくなる。勇者アプリのマップ機能、その画面のほとんどを赤く染め上げたのがこの星屑ならば。

(星屑が――バーテックスがたくさんいるんだ……)

 その予想の通り、霧散した星屑の向こうから更に多数の星屑が姿を見せる。

 

 涛牙の姿を認めた群れが揃って歯を打ち鳴らし、そのうちの一体が突進してくる。

 その大きさからは想像出来ない速さ。だが、噛み合わせた歯は涛牙を捉えることは出来なかった。

 激突の一瞬前、涛牙は星屑をヒラリと跳び越えた。のみならず宙で身体を捻り、回転の勢いのままに星屑を数度斬りつける。

(……ダメか)

 だが、着地した涛牙は苦い顔をする。確かに星屑の身体に切り傷がついた。だが、その傷はユルリと修復されていく。

(両断しないと、俺では仕留めきれないか)

 元よりバーテックスには通常の武器は通じない。両断しきれば倒せるというだけでも御の字だが、多数を相手取っていては渾身の一撃はそうそう打ち込める余裕がない。

 事実、星屑の群れの中に着地した涛牙めがけて他の星屑たちが前後左右から突っ込んでくる。

 その突進に、涛牙は一度深く息を吸い、逆に星屑に向かって踏み込む。

 星屑同士が衝突しないように空けていた隙間。星屑自身のサイズもあってその隙間は、決して小さいものではない。そしてその隙間を突くことが、涛牙には出来た。

 星屑の身体に触れるか否か。その紙一重に己の身を滑り込ませ、星屑の攻撃をかわす。星屑の攻撃方法は顔の正面にある口による噛みつきのみ。正面にさえ立たなければ脅威はない。

 すり抜けた群れの最後の一体にはすれ違いざまに掌底を打ち込み――貼り付けた魔導札を更に圧し込む。炸裂した魔導力が星屑の体躯を突き飛ばし、涛牙に攻撃をよけられた他の星屑にぶち当たる。

 そうして生まれた猶予に、涛牙は取り出していたもう1枚の魔導札を剣で突き刺した。

「灯火――纏装!」

 カードに込められた術が発動し、剣身が白く燃え上がる。死角からの星屑の突撃を身をよじってかわすと同時、おかえしとばかりに斬りつける。

 やはり両断には至らぬ斬撃。だが。

「いけるな」

 焼かれたせいか治らない傷と、動きを鈍らせた星屑を見て小さく呟き、更に数度燃える剣で斬りつける。

 星屑は悲鳴を上げるようなことはない。だが、傷つけられた星屑はたじろぐように涛牙から離れた。その様子を見ていたのか、他の星屑たちも途端に動きを止める。

 だが、その停滞は涛牙にすれば隙でしかない。

 戸惑ったように動きを止める星屑の群れに、先ほどよりもなお速く斬り込む。

 すれ違いざまに薙ぎ、地を這うように身をかがめながら星屑の腹を裂き、前方宙返りと共に斬りつけつつ蹴りこんで地面にぶつける。

 燃える刃の一撃は星屑にとって致命傷ではない。だが、治らぬ傷を与えられて星屑たちの動きは固くなっていく。

 先ほどと同様に涛牙がジャンプ斬りから着地しても、星屑たちは突進しない。どころか距離を取る様に後退していく。まるで何かに怯えたように。

 そうして距離が離れれば、涛牙が次の手段を取るだけの猶予も生まれる。

 懐から魔導筆を取り出し、力を込める。

「索縄よ!」

 吠えれば魔導筆から魔導力の紐が伸びる。その一端を剣の柄尻と結びつけると、涛牙は剣を投げ放った。

 燃える剣が星屑の身体に突き立ち、その身を焼く。だが武器を無くしたのを好機と見た星屑が涛牙に襲い掛かろうとして。

「――おおっ!」

 魔導力の紐を引っ張れば、星屑の身体から剣が抜ける。そのまま紐を握る腕を縦横に振り回せば、それはさながら先端が刃で出来た鞭。宙を跳ね踊る刃が星屑たちの身体を焼き刻む。

 もちろん、その攻撃は必殺には程遠い。治らないといっても星屑の身体からすればそのダメージは微々たるもの。だが、だからといって迂闊に近づいていいものか。

 そんな星屑の逡巡を感じて、涛牙は一度剣を手元に戻すと、今度は上空へと投げ放つ。

 放たれた切っ先は、ちょうど涛牙をスルーして先に進もうとした一体の星屑に突き刺さる。思いもよらぬ攻撃を受けて、上空にいた星屑が身じろぎする。

 同時に涛牙が高く空へと飛び上がる。その急な動きを、ある星屑は慌ててその後を追いかけようと飛び上がり、またある星屑は呆気に取られたようにただ地上近くから見上げる。

 そこへ。

「樹!」

 涛牙の声に応じて、トドメ役の樹の攻撃が宙を切り払う。放たれたワイヤーの斬撃は、涛牙しか見えていなかった地上付近にいた星屑を寸断していった。

(あれ?すっごく脆い?)

 これまで戦ってきたバーテックスと遜色ない硬さと思っていた樹は、その手ごたえの軽さに驚きながらも更にワイヤーを操り星屑を切り裂いていく。

 一方、涛牙を追って飛び立った星屑たちはほどなく涛牙に追いつこうとしていた。当然だ、人間は空を飛べない。高く跳ねても後は落ちるのみ。

 だから涛牙も、魔導紐に込めた自身の魔導力に命じる。

(縮め)

 瞬間、魔導紐が縮まり、涛牙の身体を更なる高み――剣を突き立てられた星屑まで押し上げる。上空にいた星屑を足場代わりに、涛牙は、星屑の腹の上に立った。頭を下に、重力を無視して。

 更には剣から手を離し、自身の頭上に放った魔導札を魔導筆でなぞりあげていく。

 魔導札が燃え上がり、その炎が鏃と化す。8つの鏃を迫る星屑たちに向け、涛牙が詠唱と共に魔導筆を振るった。

「灼刃、穿牙!」

 刹那、放たれた鏃が迫る星屑たちに突き刺さり――内側から爆発する。涛牙が使うには隙が大きいものの、素体ホラーならこの一撃で討滅可能な程度の威力がある法術だ。

 体内から炸裂した法術にさすがの星屑たちも重篤なダメージを受けて動きが止まる。そんな星屑の合間を縫って、足場にした星屑から剣を抜き取った涛牙が地上へ向けて跳ぶ。傷ついた体躯で尚涛牙を追おうとした星屑たちは、やはり涛牙の揮う刃の鞭で接近を阻まれ。

(やあー!)

 既に地上の星屑を一掃していた樹の追撃であっさりと屠られていく。

 

 こうして、星屑の第一陣はさほどの時間もかからず殲滅されたのだった。

 

 星屑の姿が見えなくなったことに、樹はホゥ、と大きく息をついた。

 一度の攻撃で容易く撃破出来る相手、それも突入した涛牙へ星屑たちが集中したことで樹の方には近寄る事もなかった。それでも、たくさんの敵を相手にして涛牙にも注意しながら攻撃するのは、樹にとってはかなり負担だった。

「よくやった」

 涛牙も星屑がいなくなったことで一度樹の元まで戻ってきた。言葉少なにほめる涛牙は、星屑の群れの中に突入したというのにかすり傷の一つも負っていない。

(……何であの高さから飛び降りて平気なんだろう?)

 さっき涛牙が足場にした星屑は、真上を見るくらいには見上げないとならない高さだったのだが。

 そんな事を樹が訝しむ間に、涛牙は風の姿を見ていた。結界の中でうずくまったままの風の姿があった。

 体育座りの姿勢で、顔を膝に埋めたその様子は、復調には程遠い。

「……星屑がこっちを狙ううちは、神樹に向かわれることもないか?」

 風の様子に困ったように頬を掻きながら涛牙がボソリと呟く。樹海の奥、神樹に星屑の群れが向かえば手に負えないのは事実だ。基本的には人間を襲う性質のバーテックスなら、ここで迎え撃ち続ければ神樹には向かわれないだろう。

(もっとも、長くは保たないか)

 ここにいる人間を襲うよりも神樹に向かう方が良いと星屑が判断すればそこで破綻する思惑だ。

 それ以前に、延々と襲われ続ければいずれ涛牙は体力が、樹は集中力が尽きる。そうなれば、やはり終わりだ。

 そんな涛牙の考えを察したのか、樹の顔色は悪い。その泣きそうな表情に苦笑いを返して、涛牙は声を張り上げる。この場を維持する最大戦力は、勇者・犬吠埼 樹に他ならない。

「今のでやり方は分かったな?後は樹海が解除されるまで同じように続けるぞ」

 言われて樹が自身の頬をはたいて顔を引き締める様子を見て、本当に芯が強い、と涛牙は改めて思い、

『――涛牙、上だ!』

 胸元から響いた警告に、ハッ、と空を仰ぎ見る。樹は一瞬今の声が何なのかと目をパチクリさせて、しかし緊迫の気配を見せた涛牙を見て、自分も空を見る。

 いつの間にか、新たな星屑の群れが現れていた。

 群れがいるのは数10メートルほどの上空。樹ならともかく涛牙にはまともに手出しが出来ない高さだ。

(無視していくつもりか?!)

 あっさりとこちらの狙いが潰されたことに涛牙が息を呑むのと、上空の星屑たちが動き出したのが同時。

「?!」

 突如として共食いを始めた星屑に、樹が表情を歪める。声が出たなら、「ヒッ?!」とでも悲鳴が漏れたかもしれない。

「ディジェル、あれは?」

 涛牙も咄嗟には何が起きたのか分からず、胸元の魔導具に呼びかける。涛牙の疑問に、ディジェルが答える。

『聞いてはいるだろ?バーテックスの融合強化の話』

「――あれが、か」

 言われて思い出し、涛牙はギリ、と奥歯を噛みしめた。

 その視線の先で、お互いを喰らい合っていた星屑たちはやがて2つの球体となり、ユルリと高度をおろしていく。それなりの数の星屑が喰らい合って生まれたはずのその球体は、しかしサイズ自体は星屑とそう変わらない。

 睨みつける涛牙と足を竦ませる樹の目の高さまで下りてくると、不意に球体の表面に星屑のソレと似た目が浮かび上がる。だが星屑の時は顔面のほとんどを口が占めていたが、今度は口は現れない。

 浮かび上がった目をギョロギョロと動かし、涛牙達を見つけると、球体の一部が波打ち、更に形が変わる。

 球体から不意に伸びた2本の触手。ユラユラと動くうちにその先端は形を変えた。一本は鋭く尖り槍の穂先のようになり、もう一本は円形の板に形を変える。

 それらを球体の身体の前に構えれば、それは槍と盾を構えたような状態だ。さながらそれは、バーテックスの『兵士(ソルジャー)』。

「チイッ……」

 涛牙が苦み走った舌打ちを零す。涛牙が知る限り、融合強化されたバーテックスの力は融合前を当然上回る。

 そんな涛牙の焦りを感じ取ったか、ユラユラと動かしていた槍の穂先がふと動きを止め、次の瞬間、残像を残して放たれた。




春に始まったアニメもあっという間に最終回を迎える時期になりましたねぇ。
個人的に、ゴジラSPは当たりだった気がします。毎回ワクワクしながら見てました。
サンボルは、これまでのシリーズと比べると1話ごとのバトルが薄味だったかな?


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第28話「ブレイブ・リバイブ(戦え、絆のために)」

あっれ~。
なんか筆が進まなくて前回から2ヶ月経っちゃったんですが。
もちょっとスムーズにいくかと思ったんですがね……。


 複数の星屑たちが融合して新たに生まれた2体のバーテックス――ソルジャー。予備動作のない刺突が開幕の合図となった。

 最初の攻撃を涛牙は横に大きく跳んでかわしたが、樹は咄嗟に避けることが出来なかった。勇者の力を使えるといっても樹自身が咄嗟の行動に慣れているわけではない。

 身を竦めながらも、しかし樹にはかすかな余裕があった。精霊バリアの強度なら防げるという余裕が。

 事実バリアは槍を受け止め――

「?!」

 微かに、破砕の音が樹に聞こえた。

 実際には音として聞こえたわけではない。五感とは違う不可思議な感覚が、精霊バリアにひびが入った事を音として捉えたものだった。

 咄嗟に身体を捻ったその場所を、勢いを減じたとはいえ殺傷力を有する槍が引き裂いていく。

(なんで?!)

 顔を青ざめさせながら木霊に目をやって、その身体に空いた穴を見つけて目を見開く。そして理解する。

(さっき、刺された時!)

 精霊バリアごと貫かれたせいか、或いは気づかぬうちに木霊が割って入っていたのか。

 いずれにせよ、あの黒尽くめの攻撃で精霊自身もダメージを負っていたのだ。そのまま星屑との戦いになだれ込んだせいで精霊バリアが機能を回復しきっていない――?

 樹の背中を冷たい感触が走る。身を守る最大の力である精霊バリアがないなら、攻撃はそのまま自分に通じてくると理解して。

 再び襲ってきた槍に、声なき悲鳴を上げながらワイヤーを絡ませ、宙に固定する。

 武器自体も威力が戻り切っていないのか、バーテックスの巨体を刻んだこともあるワイヤーがソルジャーの槍を刻み切れない。

 そして槍が使えないならとソルジャーが盾を振り上げ、叩きつけてくる。対して樹は雲外鏡と共に新たに手にしていた力をかざす。

 半透明のシールドが展開され、それがソルジャーの攻撃を受け止める。

 迂闊に動けない膠着状態となった中、ソルジャーは盾を幾度となく叩きつけ、樹も半透明のシールドを操って必死に攻撃を防ぎ続ける。

 

 チラリと涛牙を見るが、そちらでは涛牙が身軽に動き、刃を縦横に振るいながらソルジャーの苛烈な攻撃を凌いでいる。

 時にかわした触手に斬りつけ、或いは斬撃の圧を飛ばす遠当てで反撃を加えているが、触手には傷もつかず掲げられる盾は遠当てで容易く防がれている。

 ソルジャーの攻撃は涛牙には当たらないが、涛牙の攻撃も通用しない膠着状態。樹を助けるには届くまい。

(こ、の……)

 ワイヤーもシールドも、少し気を抜けば相手の攻撃を止められなくなる。

 その事実に寒気を覚えながら、樹はただひたすらにその場で耐え続ける。

 

 そんな樹の姿を、風はただ力なく見つめていた。

 涛牙が張った結界のおかげか、2体のソルジャーは風にはまるで気づいていないように戦いを繰り広げている。

「樹……」

 風の見つめる先で、樹は必死にシールドを操って攻撃を防ぎ、時にはシールドをぶつけ返して戦っている。表情こそ見えないが、その背中から樹の緊張と恐れ、そして――引き下がらないという気迫を風は感じていた。

「なんで……」

 どこまで勇者の真実を聞いているかは分からない。だが、満開の代償として声を失った事はもう樹も分かっているだろう。もう、声を出すことは出来ないという事を。

 せっかく見つけられた将来の夢も、それどころかクラスメートとの談笑さえも失ったというのに。

「なんで……戦えるの」

 足を竦ませ、引け腰になって、もういやだと投げ出してもおかしくないはずだ。引っ込み思案で、大人しくて、自分が背中で守ってきた樹なら。

 

 けれど、今、樹は戦っている。

 

 盾を打ち込まれるたびに衝撃に足をとられそうになりながら、必死に踏ん張り、反撃さえしながら。

 その必死な背中を見て、風の脳裏をつい先ほどの光景が過る。

 

――『私は、ずっとお姉ちゃんの後ろをついて歩いてた。自分から何かするのが怖かった』――

 樹が見せた、ずっと心に秘めていた弱音。立派な姉の背中に守られていた、弱い自分を後ろめたく思う気持ち。

 

――『でも、勇者部に入ってお姉ちゃんやみんなに助けられて、自分で何かを決める勇気が持てた』――

 だが、樹はその弱さを乗り越えた。支えてくれる仲間がいたから、樹は風の背中から前に進むことが出来た。 

 妹としてただ守られているばかりではなく、肩を並べて、助け合えるように。

 音声ファイルの中で、樹自身がそうありたいと願っていた通りに。

(ああ……)

 不意に風の心にある思いが浮かんだ。樹は、ずっと自分が守らなければならないほど弱くはない。自分の知らないうちに成長しているのだ。

 そして今、樹は自分に背中を見せて戦い続けている。

「アタシの隣を歩きたいって――隣どころか、前に立ってるじゃない……」

 知らないうちに成長している樹の姿が不意に滲む。

 知らずに零れていた涙を拭った時、風は、一つの変化に気づいた。

 

「樹!上!!」

 その声に、打ち付けられる盾に集中していた樹は上の方を見る。

 そこに、もう1本の槍があった。

 それは、ソルジャーの背中側から伸びた3本目の触手。蠍の尾のように反り返ったその先端は樹に向けられている。

 気づいた樹がシールドを割り込ませようとするが、ここまで連打されてきたソルジャーの盾が押し付けられてくる。雲外鏡のシールドを自由にさせないように。

「――!」

 樹が息を呑むのと同時、槍が打ち出される。いや、それは正しくは槍ではなく、鏃。

 槍の刺突よりも更に速く、鏃は精霊バリアに突き刺さり、一瞬の拮抗の後にバリアを突き抜ける!

 シールドを圧し込まれたせいで動けない樹を掠めて、鏃は樹海の地面に突き刺さった。槍と違って精霊バリアに激突した際の衝撃を鏃自体も受けて軌道が変わったようだ。

 だが、それはただの幸運でしかない。2つの攻撃を凌ぐだけで手いっぱいだった樹に、3つ目の攻撃は対処できない。

 いや、それどころか。

 引きつった顔で、涛牙の方を見る。涛牙とソルジャーの戦いは変わらず続いていて――そちらのソルジャーが伸ばした3本目の触手が自分を狙っていることに気づいた。樹が戦っていた方のソルジャーも、再生の要領で新たな鏃を生成していく。

(ま、ずい)

 感じた瞬間に、涛牙と戦っていたソルジャーが鏃を放った。

 今度こそ自分の命に届く凶器を悟って、樹の思考が白く染まる。

 命の危機に、時間の流れが遅くなったような感覚を覚える。風の悲鳴も遠ざかる様に小さくなる中、鏃はまっすぐに樹を目指して進む。

(や――)

 その視界の中で、不意に鏃に何かがぶつかった。

 どれほどの勢いなのか。後から放たれたはずのソレは鏃に後ろからぶつかり鏃を弾き飛ばす。更にソレは回転しながら宙を舞い、もう1本の鏃をも妨害して地面に落ちる。

 

 涛牙が投げ放った剣は、その一挙動で樹の窮地を2つ救って見せた。

 だが、それは涛牙が武器を手放したという事でもある。ソルジャーの槍を捌いていた剣がなくなれば、ソルジャーの攻撃は涛牙を途端に追い詰めていく。

 地を這うような薙ぎ払いに足元を狙われて跳び上がったところに襲い掛かるのは渾身のシールドバッシュ。盾に打ち据えられて、涛牙の身体はバットで打たれたボールのように吹き飛び、地面に叩きつけられる。

 そうして、涛牙を倒したソルジャーは速やかに槍の穂先を樹に向ける。バーテックスにとっての天敵である勇者を何よりも先に排除するために。

 自分に向けて放たれた槍に、ついに樹は目を瞑って。

 甲高い激突音が、槍が防がれたことを告げる。

 見開いた樹の目に飛び込んできたのは、鮮やかな黄色の装束を纏った、誰よりも見慣れた背中。

「――まったく、自分が情けないったらありゃしない」

 ちいさくぼやきながら、風は大剣を振り抜く。樹を打ち据えようとするソルジャーを斬り伏せるための一撃だったが、風の勇者の力も回復しきっていないようで、当のソルジャーの盾に阻まれ、その体躯を弾き飛ばすにとどまる。

 槍を拘束していたワイヤーも勢いで解けたが、身動きが取れなかった樹にとってはむしろありがたい。

「樹が肩を並べたいって言ってんだ、アタシが立ち止まっててどうすんのよ!」

 いつも耳にしている、自信と気迫に満ちた姉の声を聴いて、樹が安堵の表情を見せる。肩越しにその表情を見て自分も笑みを浮かべながら、風は剣を構え直す。

「ごめんね、樹。もう大丈夫!」

 その言葉に頷いて、樹は風の隣に立つ。姉妹の視線の先では、2体のソルジャーが槍と鏃それぞれの触手をうねらせる。

 

 一瞬視線を交わして頷き合って、風と樹は同時に地を蹴った。一丸となってソルジャーに突撃する。

 先んじた風の斬撃をソルジャーは盾で受け止める。動きが止まったその一瞬に、盾を構えた触手を狙って樹のワイヤーが宙を奔る。触手の強度は盾には及ばず斬り飛ばされ、盾が大剣を押しとどめられなくなる。

 二撃目を放とうとした風に、もう1体のソルジャーが槍を放つ。風の攻撃を遅らせるためのその攻撃を樹のシールドが防ぐ。樹に守られながら、風が再度の刃を放つが、ソルジャーは槍を掲げてそれを受け止め、先ほどと同様に弾き飛ばされる。

「っええい!風船か!」

 槍ごと叩ききるつもりだった風が悔し気に怒鳴る。相手がもっと踏ん張っていれば力任せに押し切れるのだが、妙にフワフワしているせいで防がれるとそのまま距離が空いてしまう。

 そんな風の罵声に応じるように、2体のソルジャーがそれこそ風に流される風船のような動きで左右に分かれる。姉妹が1体に集中すれば挟み撃ち、二手に分かれれば先ほどまでのように分断して泥仕合。そんな目論見か。

(どうする?!)

 集中と分散、どちらが良いか。

 一瞬の迷いの中で、彼方から放たれた光弾が片方のソルジャーの体躯に激突する。

「!」

 ダメージ自体は大したことがなく、焦げたような跡もすぐに修復される。が、この攻撃を放ったのは――。

「白羽くん!?」

 風が見やった先で、涛牙は魔導筆を振るって更に光弾を放つ。顔や服には相当な勢いで盾に吹き飛ばされた跡が残るが、うっとおしいと思ったのかソルジャーが放つ鏃も転がって容易く避ける様子をみれば、わかるような怪我はない。

 その様子を見て、樹がクン、と顔を引き締める。

「樹?!」

 不意に風の前に出ると、雲外鏡のシールドを展開する。

 怪訝な顔をする風に、樹は視線で離れた地面を示した。そちらを見ると、地面に転がった剣がある。

「!OK、まかせた!」

 樹の考えを理解して、風が剣に向かって走る。涛牙も交えて3対2にすればこちらが有利になる。

 それを察したのかソルジャーそれぞれが邪魔をしようとするが、樹は眼前の1体にシールドを押し付けて行動自体を妨害しにかかる。もう1体が樹に攻撃をしようとするが、風が地面に突き立てた大剣が樹への射線を阻む。

 自身のミスを悟ったソルジャーが狙いを風に移す頃には、すでに風は涛牙の剣までたどり着いている。転がる柄に手を伸ばし、

「受け取れえぇぇえええ?」

 勢いそのままに投げようとして、その手にかかる重量につんのめる。

 何かの間違いかと思って掴み直すも、持ち上げようとすれば風の――神樹の力で強化されているはずの腕力でビクともしない重さが伝わってくる。

「な、ナニコレ?!」

 軽くパニックになる風をよそに、ソルジャーは改めて槍を構える。

「ヤバッ!」

 大剣を再構築して、と浮かぶがそうなると樹が無防備になる。それよりは回避に徹すればなんとか。

 そう覚悟を決めた風の前で、地面から生えた光の縄がソルジャーに絡みつき、その身体を地面に押し付ける。

「犬吠埼!」

 声と共に涛牙が駆け寄ってくる。一方でソルジャーは身じろぎ一つで拘束をほどくと、今度こそはと槍を風に向けて放った。

 だが、そこに涛牙が割って入る。

 地面に転がった魔戒剣を拾うと身を翻して一閃。放たれた槍を綺麗に打ち弾いた。

「えぇ……」

 ピンチが遠ざけられた安堵以上に、勇者でも持ち上げられない剣を平然と揮う涛牙に絶句する。その視線を受けて涛牙は少し難しい顔をして、

『んな気落ちすんな。ソウルメタルは腕力じゃ持てねぇよ』

 涛牙のものではない声に、パチクリと目を瞬かせる。

「ディジェル、後にしろ。……戦えるな、犬吠埼」

 言われて、風は軽く頭を振るった。涛牙については分からないことが出て来すぎて何を問い詰めればいいのかすぐには分からない。けれど。

「――ええ!やれるわ!」

 自分たちの味方だということは、どうにか理解できる。なら、今はバーテックスを倒すことに集中するだけだ。

「なら、こっちは俺が。あっちをやれ」

 言うと、涛牙は剣を頭上に掲げた。

「――わかった、すぐに戻るわ!」

 言って風は樹が抑えているソルジャーに向かって駆け出す。その様子を背に、涛牙は切っ先で頭上に円を描いた。拳を胸元に引き戻すと、空間の裂け目から降りてきた鎧がその身に纏われる。

 ソルジャーが放った槍の二撃目を、ハガネを纏った涛牙はその籠手で受け、弾き飛ばす。

 その様子にたじろいだように、ソルジャーは鏃を涛牙に向けた。星屑由来の白い体躯が、鏃の付近だけ赤くなっているのは、これがありったけの圧力を込めた一撃だからか。

 対して、涛牙はライターを取り出し火を灯した。魔導火を剣身に這わせると魔戒剣全体が白い炎を上げ燃え盛る。

 そこに、鏃が放たれる。

 勇者であっても残像を捉えるのがやっとの速さの狙撃。その一撃を涛牙の剣が迎え撃つ。燃える白炎の斬撃が鏃を受け止め――いや、鏃を受け止めたのは、燃える刃の軌跡。振り抜いた剣から放たれた燃える剣圧こそが鏃を受け止めていた。

 そこに、返す刃で涛牙が二の太刀を放つ。宙で押しとどめられた鏃は二連の衝撃を受けて遂に砕ける。

 鏃を砕いた2つの斬撃。十文字を象るその軌跡に、涛牙は押し出すように剣を突き出した。

「おおお!」

 途端に十字の炎がソルジャーに向けて殺到する。ソルジャーは盾を突き出して防御するが、その衝撃は風の斬撃にも迫る威力を有していた。ソルジャーの身体が後方へ弾かれる。

 だが、防げた。盾の向こうにいるであろう標的にソルジャーは槍を放った。

 

 大技の後の隙。そこを突いたはずの反撃は、しかし空を切った。

 

 盾を正面からどかしたソルジャーの視界には涛牙はいない。彼はすでに高く宙を跳んでいた。

 ソルジャーもそれに気づき、鏃と槍を揃って涛牙に向ける。空中なら逃げる術はない。

 そう考えただろうソルジャーの視界に、不意に割り込む影があった。視界の中心、涛牙に向かって宙を進む、白い三日月。

 それは、ソルジャーの盾に防がれた炎の剣圧だった。盾に弾かれ、しかし霧散はせず。白い炎は涛牙共々空を舞っていた。そして、涛牙にぶつかり、その鎧を白く燃え上がらせる。

 自爆?否。

「――烈火、炎装!」

 魔導火をその身に纏って己が力を増大させる、魔戒騎士の奥義、『烈火炎装』。『灯火纏装』はこれを真似て剣の攻撃力を底上げしたものだが、『烈火炎装』は攻撃力だけでなく防御力も増大する上にその増加量も大きく上回る。

 そして、それだけではない。

 放たれた鏃を剣で薙ぎ払い、次いで突き出された槍の穂先を、涛牙は空中で横移動してかわす。

 鎧に纏った炎を操作し、バーニアのように自身を加速させる。これもまた『烈火炎装』で出来ることだ。

 ソルジャーが空ぶった槍を戻すよりも速く、涛牙は魔導火を操って下に加速。着地と同時に正面へと突進していく。対してソルジャーは鏃の再生と槍の引き戻し、その時間を稼ぐために盾を突き出した。

 その盾に涛牙の横薙ぎが衝突する。と、同時に涛牙はコマのように回転し、盾の横を回り込んでいく。

 涛牙が滑り込んだ先は、ソルジャーの盾を構える触手の付け根。そこは槍も鏃も死角となる場所だった。回転で得た勢いの全てを刺突へと変えて、渾身の刺突をソルジャーの胴体に突き立てる。

 

 先ほど法術の弾丸を撃ち込んだ時に涛牙は気づいた。ソルジャーの胴体、その強度は星屑と同等程度だと。

 星屑が多数融合したのにサイズが変わらなかったのは、武具とそれを構える触手に強度を集中させるためだったのだろう。

 故に。

 鎧の装着と『烈火炎装』で強化された涛牙の剣はソルジャーの体躯を抵抗なく貫く。

 それでも、ソルジャーは何とか涛牙に一矢報いようとする。触手の動きは変幻自在。鏃を向けるならばどうにか――。

 そうはさせじと、涛牙は鎧に纏っていた魔導火を魔戒剣に集中させる。火力を増した魔戒剣の炎はソルジャーの身体を内側から激しく燃やし。

「吹き、飛べ――!」

 更に魔導力を込め、魔導火を一気に炸裂させる。

 体内で発生した爆発に耐え切れず、ついにソルジャーは爆裂、その身体を七色の光に霧散させた。

 

 召喚した時の逆戻しのように、涛牙から鎧が離れ、虚空へと帰る。

 その様子を、風と樹は揃って眺めていた。

 樹が相対していたソルジャーの撃破はあっという間だった。

 風が近寄るのにあわせて樹がシールドを解除。同時に距離をとりつつワイヤーを放つ。前に出ようとしたソルジャーの触手が切り裂かれたところに風が大剣を叩き込めば、それで決着だった。

 だから、2人とも涛牙の戦いを見ていた――明らかに勇者とは別種の力を揮い、バーテックスを倒す様を。

「……片付いたか」

 小走りに駆け寄ってくる涛牙に訝しむ視線を向けて、風は改めて問いを放つ。

「アンタ……本当に何者?」

「……………」

 その問いに。涛牙は眉間に皺を寄せてしばし黙り込み、

「――俺は、番犬所の魔戒騎士だ」

 観念したように素性を口にした。

「……は?」

 もっとも、聞かされる2人にとっては、口にされても分からない単語であるが。

「――番犬所というのは魔戒士が所属する組織で、魔戒士というのは」

 2人が浮かべた疑問符に答えようと涛牙は更に説明を始めるが、そこに横やりが入る。

『待て待て涛牙。おしゃべりは落ち着いてからにしろよ』

 割り込んできた声に驚いて、風と樹が周囲を見渡すが、自分たち以外には誰もいない。

 一方で涛牙は胸元の首飾りに視線を向けて、

「しかしな」

『一から丁寧に説明してたら時間がかかるだろ、って言ってんだ。話してる間にバーテックスに抜かれたら笑えねぇよ』

 ムゥ、と口を尖らせて涛牙が話をする先。悪魔を象ったような飾りが、口元を開閉させて言葉を発していた。

「な、なにそれ?!」

 風が問いかけると、答えてきたのは首飾りそのものだった。

『初めましてだな、お嬢ちゃんたち。俺はディジェル、コイツの相方さ』

「……相方?」

 その言葉にふと近くに浮かぶ精霊を見る。

 どう考えても、精霊とは別物だ。

「ああ。助けられている」

 とはいえ涛牙の口ぶりからは全幅の信頼を感じられるので、風は小首を傾げながらもひとまず納得した。

『で、だ。ともあれバーテックスをどうにかしないとならないんだ。潰しながら壁に向かおうぜ』

「壁に?ここで迎撃するべきじゃないか?」

 足場を固めて攻め寄せるバーテックスを迎え撃つつもりだった涛牙の問いに、ディジェルが鋭く返す。

『開ける穴が1つとは限らんぜ』

 その言葉に、涛牙がハッと表情を厳しくする。

「そう、か。穴がいくつも開けば対処出来なくなるな」

 顔を上げて壁の方を見やる。ここからでは異常は見えないが――もしかしたらすでに次の穴が開き始めているかもしれない。

「2人とも。そういう事だ」

 涛牙に言われて、風と樹も顔を引き締め直す。

「しょうがないわね。アンタについては後回し。今出てきてる連中ぶちのめしながら行きますか!」

 その言葉に頷いて、涛牙も含めて3人が壁の方へと駆け出す。

「って、アンタも来るの?」

「……バーテックスだけならともかく、ここにはヤツもいる。久那牙を抑えられるのは俺だけだ」

 その言葉には納得しかない。

 原理は不明だが、勇者に関わる力をまとめて無効にし、取り込んでさえ見せる怪物相手に、勇者は無力でしかない。 

「ヤツが出てきたら全力で逃げろ。単純な身体能力ならさすがに勇者の方が上のはずだ」

 アドバイスに頷いて、風たちは足を速め。

「しかしまずいな。とうとう神樹の壁をバーテックスが壊せるようになったか」

 それは独り言だったのだろうが、耳にした風も改めてゾッとする。だが、そこに疑問符を差し込む者がいた。

『どうかね?バーテックスに出来るものかどうか』

 ディジェルの言葉に、涛牙が言い返す。

「だが、実際穴が開いただろう?対勇者級の――確かレオ、だったか?アレの火力なら壁を壊せるんじゃないか?」

『イヤ、ソイツは西暦時点で出現してる。ヤツに壊せるなら当の昔に穴だらけだろうさ。おそらくだが、神樹の壁は“バーテックスが干渉できない”みたいな概念が本質のはずだ。『天の神』ならともかく、バーテックスには壊せないだろうよ』

「なら、誰が」

 不意に涛牙の脳裏に下手人が浮かぶ。

「アイツか?まさか――」

 普段の言動からはないだろうと思い直し、しかし、以前の顛末も思い出して、有り得ると思い至る。

「だが、何のために」

 考えこもうとする涛牙の背中に、慌てた声が掛けられる。

「ちょ、ちょっと白羽くん。聞きたい事があるんだけど?!」

「なんだ」

「――何で、西暦の話が出てくんの?」

 その質問に振り返りながら、涛牙は特に変わらない口調で答えた。

「バーテックスが初めて現れたのが西暦末期だろう?」

「は!?いや、何言ってんのよ!その時現れたのは殺人ウイルスで、そこから最近バーテックスが生まれてきて――この、星屑?とかいうのはバーテックス擬き、なんでしょ?!」

 その風の言葉に、涛牙はアァ、と理解のズレに納得した。

「今までお前たちが戦っていたのは、()()()()()()()()()()()バーテックスだ。あの白い連中、星屑と呼んでいるようだが、あれが本来のバーテックス」

 そこで一呼吸おいて。

 涛牙は彼が知る真実を語った。

「――300年前、人類を滅亡に追いやった存在だ」

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 途中で現れる星屑を蹴散らし、友奈は壁に向かって樹海を跳ねていく。

 最初は時々見かける程度だった星屑の数は、壁に向かうごとに増えていき、壁に近づいたころには大群と呼ぶにふさわしいほどになっていた。

 壁の外から樹海に入り込んでくる星屑の群れ。それが潜り抜けていくのが、壁に開いた巨大な穴。

 その穴のすぐそばに、青い装束の人影があった。

「東郷さんっ!!!」

 その傍らに着地して、最初に友奈は安堵の表情を浮かべた。

 

 突然の、星屑と称されるバーテックスらしきものの襲来。敵である星屑が一番多くいる場所に1人でいる美森が一番危険であることはすぐに分かる。だから友奈は大急ぎでここまで来た。

 その美森は友奈に背を向けたまま立ち尽くし、時折近づいてくる星屑を浮遊砲台で迎撃している。星屑たちも美森に群がるよりも樹海の奥に進もうとするものの方が多いようだ。

「よかった、東郷さん無事だったんだね!」

 喜びの声を上げて近寄る友奈の足が、

「――来たのね、友奈ちゃん」

 振り向いた美森の顔を見て、止まる。

 美森が浮かべているのは、友奈のよく知る柔らかい微笑みではない。バーテックスに向けていたような鋭く、硬い面持ち。

 静かに過ぎる声も合わさり、友奈は不意に足を止めていた。

「……東郷、さん?……あ、その、なんかアラームがビーッてなってて、東郷さんを探したらここにいて。その、危なさそうだし、一度戻って」

 訳の分からない焦りに突き動かされて言葉を繋げる友奈の肩に、背後から手が掛けられる。

「っ、夏凛ちゃん!?」

 肩越しに振り向いて、こちらも鋭く研ぎ澄まされた表情を見せる夏凛に、友奈が息を呑む。

 そんな友奈を引き戻しながら、夏凛は美森に向かって声を上げた。

「アンタ、何をしたの!?」

 その問いに、美森はただ静かに言葉を返す。

 

「――壁を壊したのよ」

 

 その答えに友奈は息を呑み、夏凛は切っ先を美森に突きつけた。

「アンタ……自分が何をしたか、分かってるの?!」

 四国を囲う壁は、かつて世界を覆った殺人ウイルスから人を守る為に神樹の力で作られた、神聖極まりないものだ。それこそ、家々の神棚や神社さえ足下に及ばないほどの。、

 それを破壊するなど、神樹に選ばれ、人類を守る御役目を背負った勇者の行いではない。

 そう突きつけられても、美森の強張った、悲壮な表情は揺らがない。

「ええ、分かっているわ。こうして壁を壊せば――バーテックスが入ってきて、神樹にたどり着けば世界は終わる」

 その答えに、友奈がビクリと肩を震わせた。今、美森は、敬称をつけずに神樹を呼んだ。

 夏凛もまた唖然とした表情で見返す中、美森は更に声を張り上げる。

「みんなを、友奈ちゃんを助けるためには、これしかないのよ!」

 言うや、美森は不意に後退し――その姿が消える。

「え?」

「とうごう、さん?ど、どうなってるの?なんで、東郷さんが見えなくなったの?!」

「わ、分からないわよ!」

 言いながら、美森が消えた辺りに夏凛が切っ先を差し出すと、不意に空間が水面のように震える。美森が消えた時も、やはり同じような波紋が宙に浮かんでいた。

「この先って――」

「壁の、中心から向こう、よね……」

 たじろぎながら、それでも美森の後を追う事を決心して、友奈と夏凛はその境界線を飛び越えた。

 

 その向こう側に思いもよらないモノがあるなど、知る由もなく。




気づけばもう9月が始まりますよ皆さん。
ゆゆゆの新作も10月からというのに未だ友奈の章が終わっていない鈍足で申し訳ないです。
ホント、気長にお付き合いくだされば幸いです。


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第29話「デタッチング・ヴェール(壁の向こうの真実)」

とうとう10月になりますね。「結城友奈は勇者である~大満開の章」がついに開幕です。

そんな中、相変わらずの鈍行列車。未だ友奈の章の決着がつかないこの作品。
どうか気長に先をお待ちくださいませ。


 時間は少し遡る。

 

 友奈と風に勇者システムの真実を告げた後、美森はとある場所を訪れていた。

 大赦が運営に関わる総合病院。その一室。

 中から返ってきた声に病室の扉を開けて、美森は室内の様子に息を呑んだ。

 広い部屋の中に置かれた、1つきりのベッド。それだけならば単に個室を使っているというだけで済ませられるだろうが。

 

 そのベッドは、まるで神社の御神体や祭具のように、鳥居を模した天蓋の中で祀られていた。

 入口からベッドまでには通り道が設けられているが、その周囲の床は人形(ヒトガタ)で埋め尽くされ、壁や天井は無数の護符が貼り付けられている。

 車椅子を動かして中に入りながら、美森は察した。

 ここは病室である以上に、彼女を――神樹に身体を捧げて戦った勇者を祀り上げる廟なのだ。

「こんにちわ~。来てくれたんだね、東郷さん」

 そのベッドに寝ている少女から、その境遇を思えばなんとも柔らかい声が掛けられる。その言葉に、ベッドの傍らから少女の顔を覗き込みながら、美森は首を横に振った。

「『わっしー』、でいいわ、園子さん。記憶は失っているけれど、2年間、私は『鷲尾 須美』という名前だったのだから」

 その返事に、少女――乃木 園子は少し目を見開いてから、苦笑いを浮かべた。

「……そっか。調べたんだね」

「ええ。まあ、きっかけは園子さんの一言だったのだけど」

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 バーテックスの残党を撃退し、園子の願いによって瀬戸大橋のたもとに戻されたあの時。

 彼女はこう言った。「会いたかったよ、わっしー」と。

 その後、『満開』システムに隠された『散華』の情報を聞かされたわけだが、話したのはそれだけではない。「わっしー」とは何か、という事も友奈が園子に尋ねていた。

 その時、園子はこう答えた。「大切な友達の名前で、つい呼んでしまった」と。

 だが、落ち着いて考えればそれはありえない。

「大事な友達の名前なら、なおさら他人に向かって言ったりしないでしょう?」

 美森に置き換えてみれば、見も知らぬ他人を友奈、と呼んだようなものだ。それが大切な相手であればあるほど、他人にその呼びかけをするとは思えない。

「そして、私は2年間の記憶がない。『わっしー』と呼ばれるとしたら、記憶喪失の期間がある私の方でしょうね」

 そうやって考えを巡らせれば、その2年間について不審な事はいくらも出てきた。

 記憶を失い、リハビリに専念し、退院し、引っ越し、友奈と出会って友達になって。急な生活の変化や勇者部活動で慌ただしくしていて気にしていなかったことは確かだが。

 

 例えば、家の中に小学校の卒業祝いの品が見当たらないことだったり。

 例えば、失われた2年間分の写真の類がない事だったり。

 例えば、病室に誰も見舞いに来なかったことであったり。

 

 自分は、2年間の記憶を失っただけで、逆に言えばその2年間、覚えていなくても自分は普通に生活を送っていたはずだ。

 当然、学校行事は色々あっただろうし、教室では先生から授業を受けていたはず。

 友達については……自分は愛国精神が強かったりやたらとこだわりの強いところがないでもない。教室ではポツネンとしていたかもしれない。というか、記憶にある小学3年生ころはそうだった。 

 だがそれでも。

 同級生が大きな事故に遭って、お見舞いもしないほど薄情な子はいないはずだ。先生だって生徒を見舞うのが自然だろう。

 記憶を失い、目覚めた病室の事を思い出す。

 そこには、回復を願う寄せ書きや千羽鶴の類は何もなかった。それどころか、先生も同級生も、誰も顔を見せることがなかった。

 まるで、記憶を失う前の自分は通っていたはずの学校にいなかったかのように。

 

 ゾッとする感覚を覚えながら、そもそも自分がどんな事故に遭ったのかも知らないことに気づく。

 インターネットや当時の新聞を調べてみても、美森がかつて住んでいた地域でそんな大掛かりな事故のニュースは見つからなかった。

 代わりに目についたのは、神世紀298年の春から秋にかけて頻発した原因不明の災害のニュース。 

 勇者の御役目についての話を知っていれば、この災害の原因に察しが付く――バーテックスが樹海に与えた被害は、災害という形で現実世界に転嫁される。

 

 そうして様々な事を調べて行って最後に自身の戸籍を確かめて――美森は、自分が一時期「鷲尾 須美」であったことを知った。

 鷲尾 須美。あだ名がつけられるとしたら――「わっしー」。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

「……自分の事は最後にしたんだ~」

 美森の話を聞き終えて、園子はそうつぶやいた。

「まずは外堀から埋めるのが良いと思って」

 敢えて両親や医師も口をつぐんで虚偽の話を聞かされていたことを思えば、直接調べてもダメではないかと美森は考えた。なので核心の周囲から先に固めたわけだ。

「……前に言ったかもだけど、大赦ももうあやふやにごまかしたりはしなくなってるんだけどね」

 そんな園子の言葉に軽く咳払いをして、美森は話を戻した。

「以前母から聞かされたことがあるわ。私の家は大赦で働く家系の血が入っていると。今から4年前、きっとその経緯もあって私は勇者としての資格を認められて、あなたと一緒に戦い――そして『散華』の影響で、記憶と足の機能を失った」

「正しくは、あなた『たち』だね。私の現役時代は勇者は3人組だったから」

「……少なくないかしら?」

 園子の言葉につい疑問を投げかけると、園子はまた困ったような笑顔を見せた。

「元々勇者は大赦中枢の関わる家柄から輩出されていたんだけどね。適正者はどんどん減っていって、2年前の戦いの後はとうとう身内ではやっていけなくなったんだ。だから大赦は、四国全体で勇者の素質を持つ人を調べたんだよ」

 聞かされた解説に一つ頷いて、美森は先を続けた。

「私は、退院した後に今の家に引っ越した。友奈ちゃんのお隣の家に。これも、大赦の指示だったの?」

「そうだね。なんでも彼女、結城さんは勇者としての適性が一番高かったそうだから。次代の勇者としては最有力候補だったんよ。とうご――わっしーは記憶こそ無くしたけど、身体や感覚には実戦の経験が残っているし『満開』を使った分勇者としての力も精霊の数も増している。次の戦いでも結城さん共々勇者に選ばれればその力を発揮してくれるだろう、ってね」

「……そんなに激しい戦いだったの?」

 美森の質問に、園子は微かに虚空を見上げてから答えた。

「あ~。勇者システムが最新の――つまりは『満開』システムを導入したものになったのは最後の戦いだけ。それまでは精霊バリアもないしバーテックスの御霊封印システムもなかったから、体を鍛えてないとやってられなかったね~。『散華』は気に入らないけど、精霊バリアはありがたかったな~」

 とんでもない話を聞かされて、美森も難しい顔で呻く。バーテックスの脅威に立ち向かう勇者に身を守る装備がないとは。

「そんな……。っ、まさか、両親は」

「バーテックスだとかの詳細は教えられていないけどね~。勇者の御役目の大まかなところや『散華』については教えられてるはずだよ」

 不意に口をついた言葉に答えを返されて、美森の顔色はどんどん悪くなる。両親という、ある種最後の心の拠り所さえ大きく揺さぶられているのだから無理もない。せめて痛みが軽くなるようにと、園子は付け加えた。

「――勇者とは、神樹様直々に選ばれた栄誉ある存在。喜ばしいことだと納得した――ううん、するしかないんだろうね」

「じゃあ、風先輩は?『散華』については何も知らなかったようだったわ」

「犬吠埼さんは、大赦から派遣されてはいるけど立場は勇者候補でもあるから。勇者向けの情報以外は教わってないだろうね」

 聞かされて、美森はギリ、と拳を握り締める。

「やはり……涛牙先輩が監視役……」

 その小さな呟きに、園子は小首を傾げたが、美森が口を開くのが速かった。

「なんで――私たちがこんな目に」

「それは、バーテックスが神樹様を狙ってくるから。バーテックスを倒せるのは神樹様に選ばれ力を与えられた勇者だけ」

「でも!神樹様の御力なら、殺人ウイルスを消す事が出来るのではないの?!四国の人々が豊かで平和に暮らせるのは神樹様からの恵みがあるから!なら、殺人ウイルスを消すくらい出来てもいい!そうすればバーテックスだって!」

 普段の落ち着いた様子とは程遠い、切羽詰まった美森の様子に、園子は一度瞑目して。

「――世界の真実、この世界がどうしてこうなったのか。私は話せるけど――知りたい?」

「え?」

「こうして祀られるようになってからね、大赦の偉い人とか巫女さんから色々と教わる事が出来たんよ。だから――私はわっしーに真実を話せる」

「……………」

 その言葉に、美森はしばし動きを止めた。

 彼女、乃木 園子から語られる真実は、サラリと言われた分だけでも自分たちの“当たり前”をいくつも砕いてきた。その彼女が、知りたいかと念押ししてくるほどの“真実”。それはどこまでも恐ろしい。

 だが、目を背けて見ないようにしている事も、美森には出来ない。

 だから、美森は。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 それからしばし。

 四国を囲う神樹の壁、その一角に勇者装束を纏った美森の姿があった。

(この、先に)

 乃木 園子が語った世界の真実が、この先にある――あまりに荒唐無稽でスケールが大きく、そしてどこまでも悍ましい真実が。

 青ざめた、を通り越して土気色でさえある顔をどうにか引き締め直して、美森はソッと壁の先へと歩を進めて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なに、これ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少し前に自分もそう呟いた事を思い出しながら、唖然とした夏凛が漏らした言葉を美森は聞いた。

 無理もない。こんな光景を目にすれば、誰だって口に出せるのはそんな言葉だけだ。

 

 どこまでも広がる赤、紅、朱。火の海、という言葉が生易しく感じられるほどの灼熱の世界。それは、理科の授業で習った太陽の表面を思わせる。

「これが、神樹の結界の外にある、本当の世界。世界はとっくに滅びている」

 太陽フレアのように吹き上がる炎を見ながら、美森は言葉を紡ぐ。

「殺人ウイルス、なんていうのは嘘。300年前に人類を滅ぼしたのは、天の神と呼ばれる存在が遣わした人類を粛正するための怪物。生物の頂点たるモノ――即ち、バーテックス」

 園子から聞かされた話を口にしながら、美森はギリギリと拳を握り込んでいく。

「その時人間に味方をした大地の神々が集まって1つになったのが神樹様。四国だけは、神樹が作った宇宙まで届く結界のおかげで無事だけど、それ以外の地球の全てはバーテックスに、天の神に制圧された。そして」

 上空を見上げた美森の視線を追って、友奈が目を見開く。

 そこには無数の星屑が寄り集まり、喰らい合い、何かを作り上げていた。組み上がっていくそのシルエットを、友奈は知っていた。

「あ、あれは――最初の御役目の」

「そう、バーテックスはまた生み出される。残党、なんてとんでもない。私たちが死に物狂いで、身体の機能さえ捧げて倒したバーテックスは、いくらでも生み出されるようなモノなのよ!」

「うそよ、こんなの、あたし、聞いてない」

 夏凛がそう力なくつぶやくのを聞きながら、美森は更に言葉を連ねていく。

「バーテックスはまだこれからも攻めてくる。何度も何度も。それこそ次は、12体が一斉に攻めてくるかもしれない。レオ並みに強力なバーテックスが基本になるかもしれない。そうなれば――『満開』をしないと倒せなくなる!何回も『満開』して!身体の機能をどんどん無くしながら!」

 その悲痛な叫びに、友奈は無意識に後退る。それほどに美森の言葉は痛烈だった。

「そうして身体の機能も、楽しかった日々の記憶も、大切なものをどんどん失いながら戦って、最後には何のために戦うのか、いえ、自分が何なのかさえ分からなくなるほどに戦い抜いて。けれどそうして守った世界には――もう未来なんてない」

 神樹の結界で守られた四国以外は全て滅んでいる。それ以外の、四国が豆粒にしかならないほど途方もなく広い世界の全てが敵の、天の神の制圧下にあるということ。それは、神樹と天の神の力の差をこれ以上なく見せつける事実だ。

「――これ以上、皆を、大切な友達を犠牲になんてさせない。勇者という生贄に、友奈ちゃんを捧げさせたりはしない!そのためには――こうするしかないの!」

 そうして改めて美森はライフルを構え直すと、その銃口を足元――神樹の壁に向ける。

「ま、待ちなさい!」

 驚愕から立ち直り切れていないが、その動きに気づいた夏凛が制止する。その声に美森は一度動きを止めて、夏凛に向き直った。

「なぜ止めるの?これしか私たちが生贄から逃れる方法はないのよ?」

 問われて、夏凛は声の震えを精神力で抑え込みながら返す。

「わたしは、大赦の勇者だから。世界を守る事が、わたしの――勇者の御役目なのよ」

 その返事に美森は悲しそうに首を横に振った。

「御役目なんて――子供に命がけの戦いを押し付けるための方便じゃない。そもそも、夏凛ちゃんだって、世界の真実も、いえ、『満開』の対価の事も知らされずにいたでしょう?」

 その言葉に痛いところをつかれ、ぐ、と夏凛が押し黙る。

「っ、わたしは!」

 それでも何か言い返そうとした夏凛に、美森が更に言葉をぶつける。

「そもそも、もう大赦にとっては、『勇者』は使い潰せる道具でしかないのよ」

「「な!」」

 あまりにあまりな言葉に、夏凛のみならず友奈も驚愕の声を上げる。

「と、東郷さん!そんな言い方!」

「でも、事実よ友奈ちゃん。園子さんが言っていたわ。友奈ちゃんは一番勇者適性が高くて、勇者に選ばれる可能性が高かった、と」

「え?」

 言われて、友奈が呆けた声を上げて――まさか自分が選ばれたから風や樹も選ばれたのか、と顔を引きつらせる。その様子にまた首を振って、美森は続ける。

「大事なのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という事。春に、今回のバーテックスの最初の襲撃があるまで、大赦も誰が勇者になるかわかってはいなかったのよ」

 大赦だって馬鹿ではない。誰が勇者になるか分かっていれば、最初からその少女を招聘して戦闘訓練を施してからバーテックスとの戦いに向かわせただろう。先代の勇者がそうだったように。誰が勇者になるか分からないからこそ、あちこちに勇者候補のチームを秘密裏に作らせていたのだから。

「――夏凛ちゃん、あなたは言っていたわね。『長年訓練を受けてきた』と。長年、というからには、まさか春に戦いが始まってから訓練を詰め込まれた、というわけでは――ないわよね?」

「あ、当たり前でしょ?!そんな程度で完成型は名乗らないわよ!?」

 最後の方で急に首を傾げた美森に夏凛が怒鳴り返すと、そうよね、と一旦納得した顔を見せて、美森はついに核心に踏み込んだ。

「ならどうして、夏凛ちゃんは勇者に選ばれると()()()()()()の?さっきも言った通り、一番適性が高い友奈ちゃんが勇者になると決まっていないのに」

「そ、それは――」

「夏凛ちゃん。あなたの使っている端末、それは、先代勇者から継承されたものではないかしら?訓練修了のお祝いだか証だかで」

 その言葉に、夏凛が後ずさる。

「そ、それが、どうしたって――」

 震える声に含まれる、『聞きたくない』という気持ち。それを察して、察したからこそ、美森は夏凛の急所を突く。

「つまり。“勇者が使っていた端末”を使えば、誰でも勇者になれる、という事よ」

 その一言に、夏凛が引きつった悲鳴を漏らした。

「そう考えれば、夏の決戦の後に大赦が新品を用意してまで私たちの端末を回収したのかも腑に落ちるわ」

「で、でも。あれは、勇者アプリは大赦の機密にあたるからって」

「確かに勇者アプリは大赦の機密でしょうね。でも、それなら私たち以外の勇者候補は?四国中に何十人といたはずの候補者たちも勇者アプリを端末に入れていたはず。中身としては同じなのだから、候補者全員の端末を回収したのかしら」

 その指摘を聞かされた2人から、あ、という呆けた声が漏れる。

「機密保持も必要だけど、大赦にとって本当に必要だったのは、“勇者が使った端末”そのもの。それがあれば、誰でも勇者に仕立て上げられる!」

 ――実際には、適性などの問題もあるだろうが。“勇者が使った端末”――勇者端末を持つ少女は、御役目に伴う神樹による選別以前の段階ですでに勇者と認定される事は、外ならぬ夏凛が証明している。

「そして、精霊バリアと『満開』を搭載した勇者システムは、訓練を受けていなくても、私たちのようにバーテックスの侵攻を阻止出来る、出来てしまう!実際にはただの悪あがきでしかないのに!」

 美森の絶叫に、夏凛が蒼白な顔色でフラリと後退る。

「で、でも東郷さん……バーテックスが神樹様を倒しちゃったら、世界が滅んじゃうんだよ?何も知らずに平和に暮らしている人たちが、みんな死んじゃうよ!?」

 それでも美森を制止しようとする友奈の言葉に、美森は癇癪を起した子供のように頭を振った。

「わかってよ友奈ちゃん!このまま戦い続けても私たちはどんどん大切なものを失っていくだけ!いいえ、私たちだけじゃない、私達が戦えなくなったあとには、また何も知らない少女たちが勇者となって終わりのない戦いを続けていく!勝ち目のない戦いを延々続ける生き地獄!そんな未来、私は耐えられない!」

「……………」

 普段の落ち着き払った様子をかなぐり捨てたその声に友奈も圧倒される。

 

 そして、そんな勇者たちのやり取りはバーテックスにとっては隙でしかない。

『!』

 不意に牛鬼が姿を現しバリアを張ると同時、大きな爆発がいくつも炸裂した。

 吹き飛ばされながら友奈が見たのは、形を整え切ったヴァルゴ・バーテックスがこちらへと近づいている様子。その尾部からは尚も爆弾が放たれ、結界の壁際にいた勇者を屠ろうと炎の花を咲かせていく。

 

 

 東郷 美森の姿は、爆発の向こうに消えていった。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 樹海の大地を、星屑の一団が進む。ある物は宙空を、またある物は地面の近くを。彼方に見える大樹、彼らの標的へ向かって愚直に。

 そんな彼らの前に、不意に人間が現れる。

 星屑にとって人間は第一の目標だ。地面近くにいた星屑たちが狙いをその人間へと変えて――次の瞬間、疾駆した人影が星屑の群れに斬り込む。

 オリーブドライのコートを翻し、手にした剣閃が星屑の身体に傷を与える。人間には傷つけられないはずの星屑に。

 強襲に動きを乱した星屑たちに、続いて黄色の人影が突進する。

 動きを鈍らせた星屑たちは風の剛剣の一薙ぎに消し飛ばされる。その傍らに、宙を舞っていた星屑をワイヤーで切り払った樹が降り立ち、再度3人が走り出す。

 勇者2人よりも先を駆ける涛牙の背中に、風は軋るような声で言葉をぶつける。

「――じゃあ、壁の向こうって火の海なわけ?!」

「そうだ」

 壁に向かって走りながら風と樹が聞かされたのは、自分たちが知らない西暦末期の事。

 西暦2015年のバーテックスの侵攻。神樹の力による四国の守護と3年の猶予を得た当時の勇者の戦い――そして敗北。大敵、『天の神』によって灼熱の地獄と化した壁の外の世界。

 勇者システムの真実も残酷だが、世界の真実は更に過酷だった。

 顔色を悪くする一方の姉妹を知ってか知らずか、涛牙は淡々と続ける。

「ただ、実際にはこの樹海と同様の呪的なものだろうとも思われる。バーテックスは人間以外に積極的に攻撃を加えたことがない、らしい」

「――だから、その、灼熱地獄もそう見えるだけかもって?」

「ああ。まあ、確かめようはないが」

 当てになるようなならないような言葉に、風はやってられない、とばかりに頭を振る。

「ああ、もう!大赦はどんだけ嘘をついてんのよ!」

 苛立ちと共に吐き捨てる。

 勇者システムの嘘に加えて、授業でも散々教わる神世紀の始まりについてさえ嘘で塗り固められているなんて、ただでさえ底を割っていた大赦への有難味が更に急降下していく。

「まあ、言い逃れは出来る。世界を滅ぼしたのは殺人ウイルス(バーテックス)殺人ウイルス(バーテックス)から生まれるのがバーテックス(対勇者級バーテックス)。大まかには間違っていない。ウイルスのサイズが、自動車並みという点を伏せれば、な」

「詭弁じゃん?!」

 風の指摘にも、涛牙は肩をすくめるだけで受け流す。それに風はキー、と頭を掻きむしる。

「まったく!それで尻ぬぐいがこっちに回ってくるのはムカつくわ!この騒ぎが終わったら色々ふっかけちゃるわ!」

「ああ。終わって世界が残っていれば、な」

 冷たい指摘に風も思考を切り替える。バーテックスが神樹に到達して世界が終われば、文句をぶつける先もない。

「――それで、東郷が壁を壊したかも、ってのは、マジ?」

「消去法だがな。バーテックスには壁を壊すことが出来なかった。この300年の間一度もな。神樹自体が壁を保てなくなったのなら壁全てが崩れるのが自然だ。となれば後壊せそうなのは、勇者だけ」

 そして、あの時勇者は全員大橋の見える公園に集まっていた――東郷 美森以外。

「あれだけ愛国精神や国防精神が強い奴がそうするのは、あまり想像がつかないんだが、な」

 何しろバーテックスが神樹に到達したらそこで人類は終わり。美森が愛する日本、その生き残りである四国も当然終わりだ。

「……………」

 だが、風は苦い顔をした。

 勇者システムに隠された真実を語った時の美森の表情。あの思い詰め方はただ事ではない。自分と同じように、或いはそれ以上にやらかしかねない、そんな気配があった。

 と、そんな風の裾を樹が引っ張る。

「どうしたの、樹?」

 聞き返す風に、樹がスマホの画面を示す。そこに、壁の上を進む美森のマーカーがあった。壁を越えようとする『乙女型』やその向こう側にある友奈と夏凛の方ではなく、むしろ逆の方に。

「東郷?!まさか、ホントに?」

 背筋を走る冷や汗を感じる。彼女は本当に――やる気か。

「――犬吠埼、俺を飛ばせ」

「はっ?!」

「奴が何かやらかす前に説得するなり抑え込む必要がある。打ち出すのは樹でもいいが、一番速く東郷のところに着く方法はそれだ」

 言いながら涛牙が指し示したのは、風の持つ大剣。

 涛牙が何を言っているのか、しばし考え込んで――気づく。

「……マジ?」

「急げ、時間がない」

 急かされて、樹の方を見ると、泣き出しそうな顔で首を横に振っていた。

「――わかったわ。なんかヤバい事になっても恨まないでよ?!」

「着地の衝撃を和らげる術なら知っている」

 そういう問題じゃないんだけど!――と言い出しそうになるのをこらえる。これ以上壁に穴を開けられれば対処しきれない。それは何としても止めなければ。

 一度大きく息を吸うと、風は腰を落として力を大剣に集中させた。

 風の意思を受けた犬神の身体が光り――同じように一度光った大剣の剣身が長大に伸びる。星座型バーテックスをも両断できるほどに、大きく。巨大化したその剣を、腹面で打つように構え直して振りかぶる。

「っどおりやぁぁぁああああああ!」

 風が渾身の気迫と共に大剣を振り抜く。その、掬い上げるような横薙ぎの軌道に、魔戒剣を盾にして涛牙が飛び込む。

 

 衝撃音と共に、文字通り野球のボールのように打ち出された涛牙が樹海の空を飛んで行った。

 




犬吠埼カタパルト!剣で打った相手を遠くまで飛ばせるぞ!(尚着地は打ち出した相手が頑張る)


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第30話「ビリーブ・マイセルフ(信じられるモノ)」

なんかちょっと前まで結構温かかったのに、いきなり冬みたいな寒さが来てませんか?
穏やかで過ごしやすい秋はどこにいったんでしょう?
神世紀の四国は、四季はあるけど急に季節が進んだりとかはないんでしょうねぇ。ちょっとうらやましいかも。


「あ、う……」

 全身の痛みに呻きながら、友奈はヨロヨロと身体を起こした。

 見渡せばそこは炎の赤は欠片も見えない樹海の中だった。近くには変身が解けた夏凛も横たわっている。

「夏凛ちゃん、しっかり!」

 抱きかかえれば、うぅ、と小さく呻く声が聞こえる。どうやら気を失っただけのようだ。ヴァルゴが放った大量の爆弾。その爆発そのものは防げたが、衝撃までは精霊バリアでも防げなかったのだろう。よく見れば友奈自身も変身が解けている。気を失っていたのは友奈もだったらしい。

 改めてそっと夏凛を横たえて顔を上げる。

 そこにあるのは、神樹によって作られた四国を守る壁。

 西暦から300年の間、人類はこの壁によって外界の殺人ウイルスから守られてきた――学校の授業でそんな事を教わった事をふと思い出す。

 それは、間違いではないのだろう。だが、全く正しいわけでもなかった。

 

 あの壁の向こうにあるのは、人がいなくなった大地ではなく、炎に包まれ星屑が徘徊する地獄そのもの。自分たちが見ていた壁の向こうも空の色も、全ては神樹が結界の中に映し出した書き割りのような物。

 その地獄からバーテックスは神樹を、ひいては人類を滅ぼそうと無限に現れ、神樹に選ばれた少女は勇者となって終わりのない戦いを強いられる。 

 

 その真実の、何と残酷な事か。

 

 そして、美森は決断した。果てしない戦いを強いられる世界を終わらせ、友奈たちを生贄の運命から解放することを。それが、世界を終わらすことであったとしても、果てしない苦悶をこれ以上自分に、友奈に、勇者たちに味あわせないために。

「東郷さん……」

 爆発が遮る一瞬前に見た美森の顔は、見たことがないほどの激情と、そして涙を浮かべていた。

(わたしは――)

「きっと、何か出来ることがあったはずなのに」

 不意に零れた呟き。それを耳にした瞬間だった。

(本当に?)

 その声にハッと周りを見渡すが、倒れ伏した夏凛以外は誰もいない。そういえば、風や樹はどうしたのだろう?

(風先輩や樹ちゃん、後は涛牙先輩に海潮さん。周りにいた人たちの様子に何も気づいてなかった)

 そう。自分は気づいていなかった――美森の異変にも。

 後からならばいくらでもいえる。彼女の表情に硬く険しいものがたびたび覗くようになっていたと。涛牙に向ける視線に冷たさがあったと。だが、それらは全て後知恵だ。

 大親友だ、友達だと言いながら。乃木 園子から話を聞いてからずっと、美森が抱えた苦悩に気づくことがなかった。

 それだけではない。衝撃的な真実を知らされた後、自分はどうした?

 

 何もしていない。

 

 真実を知らされて、しかし自分はその後何もしなかった。風のように大赦を問い質すことも、両親に御役目絡みの話を改めて聞くことも、美森のように園子からの話を確かめる事も。何も。

 そんな自分が――何が出来ると?

「あぁ……」

 己の内側から聞こえる声に弱弱しく頭を振る。自分は何もしなかったのだと指摘する内心の声は、友奈の心に鋭く突き刺さった。

 呆然とする友奈の視界に、不意に星屑が割り込んできた。遠くに見える星屑の群れは、それでも友奈の存在を察知したのかその向きを変えて近づいてくる。

「――あ」

 そこで自分がまだ戦いの場にいたことを思い出し、友奈はスマホを取り出して変身のための画面をタップし、

 

『勇者の精神状態が安定しないため、神樹との霊的接続を生成出来ません』

 その無情な一文が、友奈が勇者となる事を否定する。

 

「そ、そんな……」

 それは奇しくも風に起きたものと同じ状況。

 友奈の精神状態が、勇者として戦いに赴けるものでないとシステムが判断したことによる、変身の拒絶。

「何で!何で変身できないの?!」

 何度画面をタップしても、勇者アプリは反応しない。

 

 慌てふためきながらも、しかし友奈の頭の冷静なところは理由を察している。

 美森の凶行を止めたいと思う。けれど、彼女は彼女で友奈たちを生贄扱いの運命から助けたいと悩み、考え、決断した。

 世界が滅びる、無関係な人も死ぬ。そんな自分が思いつく結果は美森は端から承知しているだろう。それでもなお、美森は親友の、友奈のためにと行動している。

 

 一方自分はどうか。

 風や美森がどれだけ傷つき、思い詰めているか、自分は気づいていなかった。支えようと行動を起こさなかった。部活仲間で、親友だというのに。

 

「わたし――友達失格だ」

 相手の気持ちも分からない者が、友と呼ぶなどおこがましい。そんな冷たい言葉を、他の誰でもない友奈自身が自分に向けている。

 そんな状態で振るえるような勇者の力ではない。

 遂に膝から崩れ落ちた友奈に、星屑がその咢を開いて襲い掛かり――。

 

「――何が、失格よ」

 風の如き剣閃が、星屑の群れを寸断する。

 倒された星屑たちから霧散する光の粒。その中で、深紅の勇者装束を纏った夏凛の声が友奈に向けられる。

「友達に、失格もクソもないでしょうが」

   

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 声にならない泣き声を、聞いた気がした。

 

 揺蕩う意識の中で、夏凛はふと自分が夢を見ていることに気づいた。

 夢の中で、幼いころの夏凛はずいぶんと泣いていた。両親からは優秀な兄と比べられて残念がられ、その兄からは気遣われ。それが悔しくて寂しくて、心の中でずっと泣いていた。

 だから、勇者の候補となった時、夏凛は迷わず手を挙げた。

 勇者――無垢なる()()だけが選ばれる、大赦の中でも特に栄誉ある御役目。兄がどれほど優秀であっても決して勇者にはなれない。

 そうして夏凛は勇者候補として訓練に励み、()()()()()()()()()ついに勇者として選ばれ、御役目を退いたという先代勇者の端末を継承した。

 嬉しかった。誇らしかった。選抜された完成型勇者として、他の候補者たちに恥じぬ働きをしようと気持ちを新たにした。

 ……勇者部と合流した当初、夏凛がツンケンしていたのは、そういった背景があったのだ。

 だが。

 

(そうね……東郷の言う通りだわ)

 自分と同じように勇者候補として集められた少女たち。彼女たちは誰もが素質を認められた者たち。彼女たちの誰もが端末を継承して勇者となり得た。自分はその中で競争を勝ち抜いたというだけだ。

 つまり勇者端末を持たせればその少女は次代の勇者と出来る。勇者は――その栄誉とは裏腹に――使い捨てが効く道具となり果てる。

 使い物にならなくなるまで戦いに臨ませ、戦えなくなれば別の少女に端末を渡す。そうすればバーテックスと戦い続けられる。大赦の上層部はそう考えているのだろう。

 

 自分があれほどこだわった『勇者』という立場は、内情を知ってしまえば大した価値があるわけではないのだ。

 大赦の面々も、口では敬っている風だが、実際のところはどうなのやら。何しろ勇者たちに顔を見せに来た神官は一人もいないのだから。

 自分が戦えなくなれば、或いはあの時勇者の座を競い合った誰かが自分の端末を引き継ぎ、戦いに赴くのだろう。どんな口車で誘いをかけるのか、そこは少しばかり気になるが――よほどの偏屈者でもなければ謹んで受け入れるだろう。外から見ているだけなら、神樹様に選ばれたという栄誉は何物にも代えがたいのだから。

(アイツはどうかしら……。一度認めなかったのに今更と拒むか――神樹様とかにホレ見たことかと言うか)

 最後まで勇者の座を争った相手――ライバルと言えるかもしれない少女の顔を思い浮かべながら、夏凛はふと目を開く。

 その目に映るのは、力なく座り込んだ友奈と、そこに躍りかかろうとする星屑の姿。

 いつもの闊達さのない友奈の姿にいつかの自分の姿が重なった気がして。

 再び勇者に変身する夏凛に迷いはなく。身体に染みついた剣技は過たず星屑を切り裂いた。

 

 

 

 

 

「夏凛、ちゃん……」

 その、らしくもない弱弱しい声に苦笑しながら、夏凛は友奈に向き直った。

「友奈。アンタ、どうしたい?」

 夏凛の問いに、友奈は、かすかに考え込んでから答えた。

「わたしは……東郷さんを止めたいよ。世界が壊れちゃったら、東郷さんとも、みんなとも一緒にいられなくなる!……でも、わたし、東郷さんの気持ちを考えてなかった。そんなわたしが今更」

 そう言い募る友奈にため息を一つついて、夏凛は言った。

「じゃあ、アンタも実は世界なんて終わっちゃえって思ってた?東郷は、友奈がそう思っていると考えてるみたいだけど」

「そんな事ない!確かに、東郷さんの言う通り未来はないかもしれないけど!それでも、終われなんて考えない!」

「そうよね。つまり東郷も友奈の気持ちをすっ飛ばしてるわけだけど。それで友達辞める?」

「……そんなの、嫌だ」

「そーゆーこと。そりゃ相手の事を考えるのも大事だろうけど、ちょっと気持ちを考えなかったくらいで友達関係終わらせてちゃキリがないわ」

 ポン、と友奈の肩を叩いて、改めて夏凛は壁の方を向く。

「友奈。あたし、大赦の勇者として戦うのは止めるわ。勇者部の一員として戦う」

「え?」

「誰かから役割を与えられてソレを達成したら褒められる。それも悪いわけじゃないけど。それ以上に。あたしはあたしが納得できるモノのために戦う!」

 泣いてる顔って見たくないのよね。

 そう言い残して、夏凛は足場を蹴って開けた場所へと出た。その視線の先、樹海の空には無数の星屑が今も我が物顔で浮かんでいる。 

 敵は星屑。夏凛1人でもどうとでもなるが、無数の大群を、1体も通してはならないとなれば話は別だ。一瞬でも早く、一体でも多く倒し続けなければならない。

 そして、そのためには二刀では足りない。星座の名を冠するバーテックスを主敵として調整された勇者システムは、大多数の雑兵狩りに向いているというわけではない。

「ったくウジャウジャと。ウイルス呼ばわりも無理ないわね」

 呼吸を整えながらぼやいた傍らにマップ機能を起動させたスマホを持った義輝が浮かび上がる。その義輝を見て、夏凛は顔をしかめた。

 義輝の身体を、両断するような線が走っている。先ほど久那牙から受けた、勇者の力を喰らいつくす刃。精霊である義輝が治りきっていないという事は。

「精霊バリアもなしかぁ」

 少なくとも、アテにすべきではない。

「ま、しゃーない」

 受け入れて、ふとスマホの画面を切り替える。そこには、自分の誕生日パーティの時に撮られた写真が写っている。

 そこにあるのは、撮影係だった涛牙を除いた勇者部の笑顔。この後に待ち受ける決戦も、『満開』の対価も知らずにいたころの年頃の少女らしい笑顔だ。

『諸行無常』

 義輝の言葉に、ふと笑う。あれから3か月ほどしか経っていないというのに、ずいぶんと懐かしい感じがする。

 或いは、これで見納めかもしれないが。この笑顔を守る為になら自分は遠慮なく戦える。

「さぁて。そんじゃあ行くわよ!これが、讃州中学2年、勇者部所属!三好 夏凛の、全、力、だあああぁぁぁ!」

 咆哮と共に、夏凛は高々と宙に舞う。

 勇者の力で強化されたジャンプ力にものを言わせて星屑の群れに突っ込むと、手近な星屑を斬りつつ足場にして群れの中を駆け抜け、手当たり次第に星屑を斬り屠る。

 星屑は数こそ多いが強度も速さも大したことはない。足場代わりに蹴飛ばしただけでも撃破されることさえあるくらいだ。 

 だがそうして群れを切り拓いていけば、やがて星屑たちがバラけるのは当然だ。そうしてバラバラになる事で夏凛が追いきれなくなれば、夏凛の目的は達成できなくなる。

 それに。

「ちいっ!」

 視界の隅から飛んできた爆弾に気づいて、跳ぼうとした向きを変える。爆風に煽られながら爆弾の飛んできた方を見れば、身体を構築し終えたヴァルゴ・バーテックスが壁を越えて現れていた。

 いや、それだけではない。ヴァルゴの後から更なる異形が侵入してくる。

 

 胴体から球体の連なった尻尾を生やした、2戦目に出現したバーテックスの内の一体、スコーピオン・バーテックス。

 4本足の動物めいた姿をした、3戦目に夏凛自身が倒したカプリコーン・バーテックス。

 そして夏の決戦の際に現れた、ライブラ・バーテックスと、ピスケス・バーテックス。

 5体の星座型バーテックスが、夏凛の前に姿を見せた。

 

「ハ!大盤振る舞いね!」

 空中に投げ出されながらそう吠える。口角が上がったのは、不敵な笑みか引きつった笑いか。まあどちらでもいい。

(夏に潰したデカブツが復活してるってことは……ジェミニは2体セットってわけじゃないのね)

 決戦の後、9月に残党として現れたジェミニ・バーテックス。名前から2体で一体かと思っていたが、どうやら単に他より先に作り直せただけだったようだ。大赦の名付けも紛らわしい事だ。

 ともあれ。強大な星座型バーテックスと多数を誇る星屑の連携。質と数、どちらでも圧倒する腹積もりなのだろう。

「だから!こっちもありったけで行くわ!」

 言って、夏凛はスマホの画面を開く。そこに表示されるのは、『満開』システムのボタン。

 以前の決戦の際にはチャージが足りていなかったせいで使えなかったが、一度大赦に回収されても久那牙に斬られて勇者の力は吸収されても、満開ゲージはそのまま残っていた。そして星屑を潰したことでゲージは完全に溜まりきった。

 

 どちらかに集中したらダメなら。全部まとめて潰しきる!

 

「満・開!」

 樹海の空に赤いサツキの花が咲き、その輝きの中から満開状態となった夏凛が姿を見せる。

 背部から巨大な4本の剣とそれを握る腕を生やしたその形態は、友奈の満開形態と似通ったものだった。その腕の一本を振りかぶり、星屑の群れに叩き込む!

 刃から伸びたエネルギーが剣の間合いの先にある星屑たちまで呑み込んでいき、その一薙ぎで星屑の群れが半壊した。更に無数の刀を生成し、投剣の如く射出すれば星屑たちはあっという間に殲滅されていった。

 うざったい星屑の群れを潰しておいてから、夏凛は満開状態の飛行能力を活かして星座型たちへと突撃する。その狙いの先は――丁度近くにいたヴァルゴ。

 察したヴァルゴが爆弾を連発し、更には布状のパーツで夏凛を近づけまいとするが、夏凛は更に速く斬り込んでいく。その速さに爆弾は適切な位置で炸裂できずむしろ爆発で夏凛を更に加速させ、布は大刀の一閃で寸断される。

 ヴァルゴが全ての抵抗手段を失った一瞬。その一瞬に夏凛は構わず刃を打ち込んだ。

「勇者部五箇条、一つ!あいさつは、きちんとぉぉぉ!」

 その一撃で、ヴァルゴは両断され霧散した。『満開』なら封印の儀は必要ない、斬れば倒せる!

 だが、バーテックスも黙ってやられはしない。滅びる一瞬前、ヴァルゴが打ち出していた爆弾が夏凛の傍で炸裂する。

「ぐうっ!」

 肌が焼けたような感触を覚えながらその場を飛びのいた夏凛を追って、スコーピオンの針が迫る。大刀で受け止めたところに、いつの間にか上空に浮かんでいたカプリコーンがビームを放つ。

「ビーム?!つぅ!」

 精霊バリアが軋みを上げながらビームを防ぐ。その衝撃に敢えて抵抗せずに弾かれながら、しかし身体を翻してスコーピオンの尾を断ち切り、更に上空へと飛んで隙を晒していたカプリコーンを両断する。

「勇者部五箇条、一つ!なるべく諦めない!」

 5体のうち2体を仕留めて、残る3体を見定める。どれを真っ先に落とすべきか。

「――ライブラ!」 

 『満開』には時間制限がある。それまでにライブラを潰さなければ、ヤツの起こす暴風の中では身動きが取れなくなる!

 ライブラに向かって突っ込もうとした、その瞬間。

 

 『満開』が、解除された。

 

「なぁっ?!」

 以前見た友奈たちの『満開』に比べて解除が速すぎる。

(なんで?!)

 何とか宙で態勢を立て直して足から着地し、すぐさま跳び退った地面を、ライブラの分銅が打ち据える。巨体が持つ質量は、ぶつかり合うだけでも充分脅威だ。

 身をかわした夏凛に、尾が治りきっていないスコーピオンが、残った部分だけで薙ぎ払う攻撃を仕掛けてくる。かわすには余裕がなく、仕方なしに夏凛は刀でその攻撃を防いだ。

 その時に、右腕の感覚が消えていることに気づいた。

「!選りにもよって!」

 薙ぎ払いの勢いを殺しながら着地すると同時に、補助パーツらしき装備が腕に生まれるが、はっきり言って焼け石に水だ。風のような一撃型ならともかく、夏凛が身に付けたのは技巧を活かす戦い方。武器の握り方も含めて微細な力加減が必要となる。

「どこ持ってかれるのもイヤだけど!せめて影響少ないのからにしてほしいわ!」

 文句を言いながらも、考えたのは『満開』についてだ。

(あたしは友奈たちと違って“神樹様に選ばれた”勇者じゃない。勇者端末を受け継いだ形で勇者になった。だから――『満開』の効果が短い?)

 あり得なくはない。実際、バーテックス1体2体程度なら夏凛同様の短時間の『満開』でも問題にはならないだろう。

(まあ、3体もいるから問題なんだけど!)

 その3体目、ピスケス・バーテックスはいつの間にか姿を消していた。マップを見れば夏凛の傍にはいるようだから、地面に潜って様子を伺っているのだろう。

 ライブラの分銅と、治りきったスコーピオンの尻尾が足並みを揃えて夏凛に襲い掛かる。それを或いはかわし、或いは防ぎながら夏凛は樹海の大地を跳びはね駆け回る。

「ぬ、ううう……!」

 半ば挟み撃ちの状態で、性質の違う攻撃を、思い通りにならない動きをする右腕に難儀しながらもどうにかしのぐ。とにかく2体の攻撃に意識を集中させて、

「っここで?!」

 足元に感じた違和感に、ピスケスからの攻撃を察する。と同時に真下から勢いよく飛び出したピスケスによって夏凛は高々と宙に打ち上げられた。

 予感があったために不意こそ突かれなかったが、それでも巨体を活かした突撃に夏凛の意識が揺さぶられる。

 そこに追い打ち。ピスケスがその頭部から煙幕を放つ。

「何を!?」

 スコーピオンの尻尾かライブラの分銅か、或いはこの場を離れる気か。夏凛の脳裏に幾つもの可能性がよぎる。

 その煙幕に向かって分銅と尻尾が同時に打ち込まれ――それぞれが激突。その衝撃で火花が散り――。

 巨大な爆発が起こった。

 ピスケスの煙幕は爆発性だったのだ。電気、火球、或いは摩擦。そんな着火するきっかけがあればそこから爆発し勇者を攻撃する。場合によっては勇者自身の行動がトリガーともなる、初見殺しの罠と言えるだろう。

 その罠にかかった夏凛は爆炎に呑まれ。

「勇者部五箇条、一つ――よく寝て、よく食べる!」

 煙を吹き払いながら、健在の夏凛が姿を見せる。

 

 その姿を見て、友奈は息を呑んだ。

「夏凛ちゃん?!そんな、また満開を……」

 そう、爆発の中から現れた夏凛は、再び満開装束を纏っていた。

 ライブラとスコーピオンとの攻防は、再度満開ゲージを貯めるためだったのだ。そしてゲージが貯まったなら、出し惜しみはしない。

 その姿に、友奈は悲鳴を上げた。

 当然だ。『満開』を使えば、その分身体機能が失われていく。勇者システムの真実を知った今、『満開』を使うためにどれほどの勇気が必要な事か。

 そして悟る。さっき夏凛が言った言葉は何の余分もない本心。夏凛は、自分が納得できる事のために――勇者部のために、今戦っているのだと。

 

 何を失うか分からない、そしてそれは戻ってこない。それが怖くないわけはない。ここから先に続く未来にやりたい事もいくらでもある。

 だが。それらを失う事を恐れて。あのお人よしの集まりな勇者部が壊れたままで終わるのは、どうしたって夏凛は納得できない。

「まだまだぁ!」

 己を鼓舞する声を上げて、夏凛はライブラへと急降下する。だがライブラも受け身のままではなかった。

 全身を回転させながら、同時に無理やり分銅を放つ。乱気流を纏ったその一撃を夏凛は大刀を交差させて防ぐが、そのわずかな間隙にライブラは夏凛の軌道から少しだけズレた。

 結果、夏凛の攻撃はライブラの天秤を斬り落とすも本体にはトドメを刺し損ねた。

「しゃらくさいっ!」

 舌打ちしながら追撃をかけようとした夏凛の視界に、不意に白いナニカが映り込む。

 咄嗟に手にした刀でソレを切り払ったところで、ソレが星屑だと気づく。

「!まさか、もう寄ってきた?!」

 最初に『満開』を使って目に付く範囲は確かに殲滅した。

 だが、穴から入ってきた星屑が全て夏凛の視界にいたわけではなかった。神樹へと進むモノが大多数だったが、壁際をうろついたり樹海の大地の近くにいたりと、夏凛の掃討から逃れた星屑はそれなりにはいたのだ。

 そして、その星屑たちは星座型の戦いに引き寄せられ、ついに夏凛の邪魔となったのだ。

「!マズい!」

 そして夏凛は気づく。星屑がここまで来ているのなら。

「友奈ぁぁぁ!逃げてぇぇぇ!」

 

 スマホから響いた夏凛の悲鳴。自分に逃げるように促す声。

 聞いて呆気に取られた友奈だったが、言われるがままに逃げ場を探そうと辺りを見渡して。

「ひっ?!」

 物陰からフラリと現れた星屑と目が合う。

 お互いが動きを止めたのは、ほんの一瞬。

 本能で人間を襲う星屑はすぐさま友奈を標的とし、一方の友奈はどうすればいいかを決めかねて硬直したまま。

 星屑の咢が友奈をかみ砕こうと迫り――奔り抜けた刃の閃きが星屑を斬り屠った。




ゆゆゆ大満開の章、まさかのくめゆアニメ化から入りましたね。勇者の章の裏側とか補完の流れで行く感じですか。

まあ、勇者の章のあの終わり方からまた勇者が戦うことになるのは、まあ鬼展開ですもんね。


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第31話「ヒーロー・リボーン(再起の桜)」

どうにか・・・
どうにか、書き上げられました、第31話。
大満開の章 最終回後に上げる内容がコレで申し訳ないです。

相変わらずの遅筆ですが、楽しんでいただけると幸いです。


 友奈に襲い掛かろうとした星屑が、縦に両断されて霧散する。

 その残滓の向こうで、ユラリと海潮が振り抜いた槍を引き戻しながら立ち上がる。

「あ、海潮、おじいさん……」

 なぜ勇者ではないのに倒せるのか。ボンヤリとそんな疑問が浮かびながらも、友奈は呆けたように相手を呼ぶことしかできなかった。 

「どうしたのかね、勇者のお嬢さん」

 肩越しに掛けられた声に、友奈は我知らず顔を微かに逸らす。それだけで、海潮は粗方を察した。

「戦えないのか」

 その声に肩をすくませた友奈に、海潮は微かに苦笑を漏らした。

 ごく当たり前の生活を過ごしてきた身で、この状況で喚き散らさないとは――まったく大したものだ。

「ならば。また立ち上がれるまで儂らが守ろう。狼狗!」

 海潮の命令に、傍らにいた鋼の獣が不意に友奈の傍に寄り付き、友奈を守る様に陣を組んだ。

「だ、ダメです!その、あれは星屑って言って」

 友奈を置いて前に出る海潮にそう呼びかけるが、海潮は軽い微笑みを浮かべて歩を進める。

「命ある限り、人を守る。それが、魔戒士(我ら)の使命でな」

 言いながら、海潮は槍に巻かれていた布を解き放った。揮えば、布はバサリと広がり複雑に刺繍された紋様を示す。

 海潮が振るっていたのは、正しくは槍ではなく戦旗。魔戒法師が揮う武器の一種だ。

 海潮が旗を振るえばその軌跡に沿って幾多の魔界文字が宙に浮かび、

「ハッ!」

 気迫の声と共に、幾多の光弾が迫る星屑を迎え撃つ。一発二発では星屑も怯む程度だったが、10数発も受ければついに耐え切れずに散滅していく。

 だが、そんな同族の死を踏み越え或いは盾とし、数体の星屑が海潮に迫る。老体を噛み砕かんとその口を広げる星屑に、海潮は戦旗を構え直し、

「灯火纏装」

 静かに術を発動させた。オレンジがかった魔戒の火が戦旗の穂先に燃え上がり、振るわれた刃に星屑が斬り屠られる。

 その身のこなしは流麗にして淀みなく。星屑たちの突進は、まるで自分から海潮の餌食になろうとしているようにさえ見えた。

 そうして星屑の波を一つ越えて。海潮は印を結ぶともう一本の戦旗を召喚した。両手に武器を携えて、樹海に吹く風に旗をたなびかせながら、海潮は星屑の群れに斬り込んでいった。

 

 一方、星座型バーテックスを相手取っていた夏凛は星屑と空中戦を繰り広げながらライブラが生み出した竜巻になにか隙が無いかと目を凝らしていた。

 ただの竜巻ならば、満開状態の機動力で突っ切ることも出来るのだが、敵もそれを許しはしない。

 ライブラの足元に陣取ったピスケスが、ひたすら煙幕を吹き出し続けているのだ。おかげで竜巻自体も黒く染められライブラとピスケス、更にはやはりライブラの傍に陣取ったスコーピオンの姿が見えない。

 だが、夏凛にとっての問題は、敵が見えない事よりもこの煙幕だ。

 爆発性を持つ煙幕を孕んだ竜巻。迂闊に飛び込めば自身を囲んだ爆発が起きかねない。というか今も竜巻のあちこちで爆発が起きている。イルミネーションで飾られたクリスマスツリーもかくや、といったところだ。

 しかも。

「!」

 不意に竜巻から突き出されたスコーピオンの針を、追加装備の大刀で防ぐ。

 星屑と戦いながらうっかりでもスコーピオンの攻撃が届く距離に近づけば、スコーピオンの攻撃が繰り出される。どういう手段か知らないが、竜巻の中からでもバーテックスは夏凛の位置を捕捉できるらしい。スコーピオンの尾も突き出す際に爆発で傷つくが、バーテックスの再生能力の前では大したダメージにもならない。切り落としたところで、少し経てば治っているだろう。

「くそっ!」

 竜巻を上から飛び越えようにも、黒い渦は見上げるほどに高く伸びている。それこそ宇宙まで届いているのではないかとさえ思える。

(あたしの『満開』じゃ竜巻が途切れるまで上ったら時間切れになる!素の状態でバーテックス3体一気に潰すのは――)

 脳裏に浮かんだ「無理」の一言を頭を振って打ち払う。つい先ほど啖呵を切ったばかりではないか。「勇者部五箇条、なるべく諦めない」と。

 ジリ貧はダメだ。今の『満開』が切れた後、ゲージを貯めきれる自信はない。

 改めて覚悟を決めて、加速のための距離を取る。その動きに警戒を覚えたのか、星屑たちが夏凛と竜巻の間に割り込んでくる。星屑たちも風に流されまいと動きが鈍いが、集まれば突撃の勢いを削ぐ盾にはなるだろう。

「だったらそれごと!」

 障害もろとも突き抜けるつもりで背面の大刀を全て正面に向けて突撃の構えを取る。

 全てを賭けた大勝負に大きく息を吸った。その時だ。

 

 不意に下の方から星屑の群れに向けて光弾が奔り、直撃を受けた星屑の体躯が揺れる。

「え?」

 咄嗟に光弾の出処を見れば、黒い装束の老人が樹海を走って近づいてきていた。

 竜巻の壁になっていない星屑たちが老人に向かうが、老人が戦旗を振るうたびに切り裂かれ、粒子と化して散っていく。

「アイツ?!」

 零れた声を聴いたとでもいうのか。老人――海潮は夏凛の方を見ると高く跳び上がった。旗で風を捉えたとでもいうように悠然と宙を飛び、途中で近づいてきた星屑を切り裂き或いは旗で殴り飛ばし、ついには夏凛の大刀の上にフワリと着地する。

「ちょっ、なんなの?!こんなところに!」

 夏凛の詰問に、海潮はフム、と小首を傾げながら、

「無論、力になりに」

 言うと、竜巻に向き直る。

「あの奥に標的がいるのだろう?」

「そうよ!ここから一気にぶち抜いて」

「では、儂も手助けしよう」

 言うと、海潮は両手の戦旗を大きく旋回させた。旗の軌跡に沿って魔法陣が2つ浮かび上がる。

「ハッ」

 海潮が戦旗を薙ぐと、2つの魔法陣から光の蝶が無数に飛びだし竜巻へと向かっていく。途中で盾となっている星屑の群れとぶつかるも、蝶は星屑には目もくれずに竜巻へと向かい、当然の結果として暴風にちぎられ、散っていく。

「はぁ?」

 その意味不明な術に夏凛が呆気に取られる。いや、星屑たちさえ戸惑ったような動きを見せたが、蝶は無害と理解したのか改めて竜巻の盾となる。

 

 その時には、すでに海潮の仕込みは終わっていた。

 

 戦旗の片方で不意に彼が走ってきた道を指し示すと、そこに突如無数の光弾が灯る。ここに来るまでに振るった旗の軌跡。そこはすでに海潮の魔導弾の砲台となっていたのだ。

「灼刃穿牙――緋雨(ひさめ)

 その詠唱を合図に、文字通り燃える鏃が豪雨の如く星屑に突き刺さり、爆裂し、星屑たちを打ち倒していく。

 さらに海潮は背負っていたライフルを手に取り竜巻へと向けた。

「待って!あの煙は爆発するわ!」

 夏凛の警告に、問題ないとばかりに頷いて。海潮は迷わず発砲した。夏凛が言ったとおり小さな爆発が竜巻の表面で起こり――。

 竜巻を横に割る様に、巨大な魔法陣が浮かび上がる。

 先ほど放った光の蝶は、遠隔で大技を放つための準備だ。砕けた蝶は魔導力となり、竜巻に呑まれながらも法術の発動する起爆剤となっていた。そこに、同じように魔導力を込めた銃弾が刺さり、術が発動したのだ。

 魔法陣の中心は、ちょうど竜巻の中心でもある。つまりはライブラの直上。そこに生まれたのは、巨大な燃える槍。

「灼刃穿槍――(つい)

 海潮の声に従い放たれた槍は瞬く間にライブラを抉り、地面に刺さって爆発へと化ける。その爆発は竜巻に混ぜられていたピスケスの煙幕に反応し、更なる爆発へと変じ――竜巻を覆うように展開されていた結界によって威力が内側に押し込められた。この結界も海潮の仕込み。蝶の残骸を使い、竜巻自体を覆うように術を発動させたのだ。

「では、とどめは勇者殿にお任せする」

 それだけ言うと、海潮は気楽な様子で宙に身を躍らせ――いつの間にか現れた光の球にヒョイと乗る。

 何を言えばいいのか、といった顔をしていた夏凛だが、ハッと気づけば、竜巻も煙幕も止まり、バーテックスたちが一時的に動きを止めていた。

「ああ、もう!」

 言いながら、しかし生まれたチャンスを逃がすことなどできない。山ほどある聞きたい事を置き去りにして、夏凛は最高速度でバーテックスに突撃する。すでに『満開』装備からは消失が近い事を示すように光が零れている。もう余力はない。

 生き残っていた星屑もその突進で消し飛ばし、夏凛は目に付いたバーテックス、ピスケスに迷わず突っ込んだ。

 夏凛の接近を察してピスケスは地面に潜ろうとした。だが、炎の槍がちょうど直撃したピスケスの動きは機敏とはいかない。地面に沈もうとしたその瞬間に、夏凛はすでにピスケスを捉えていた。

「勇者部五箇条、一つ!悩んだら相談!!」

 その一閃でピスケスは三枚おろしに断ち割られ、霧散する。

 突撃の勢いを無理やりに殺しながら夏凛が見上げた先には、損傷を治して再び回転を始めるライブラが。そして夏凛から少し離れたところには尾を突き出そうとするスコーピオン。

(まだ、保ってよ!!)

 散りゆく『満開』に全霊で願う。せめて後一体!

 その願いが、或いは神に通じたのか。

「縛鎖よ」

 海潮が放った術――標的を括りつける魔導力の鎖が、スコーピオンの尾とライブラの胴体を結びつける。

 ライブラの回転は結果としてスコーピオンの尾、ひいてはスコーピオン自体を引き寄せ、衝突させ、奇妙な具合にからめとらせた。

 丁度、一撃で2体仕留められる状態へ。

 それを見逃す夏凛ではない。

 残る力全てを注ぎ込んで絡み合ったバーテックスに突進。バーテックスの足元から一気に天へと飛び、4本の大刀と自身の二刀を縦横無尽に揮い、バーテックス2体を滅多矢鱈と切り刻む。

「勇者部五箇条、一つ!為せば大抵、なんとか、なあぁぁぁる!!!」

 あらん限りの声で吠えて空の高みから大地を見下せば、ライブラもスコーピオンも共に光の粒へと霧散していく。

 都合5体の星座型バーテックスを、夏凛はついに倒しきったのだ。

 

 だが、その代償は軽くはない。

 不意に夏凛の『満開』装備が解除されると、次いで勇者装束まで解除される。

 一瞬の浮遊感と、次いで重力に引かれて落ちる感触にぞっとしながらしかし同時に納得もしている。

(結構、無理したからなぁ)

 本来ならピスケスを仕留めた時点で『満開』は解除されていただろう。それを気合と根性で押し留められたが、それは勇者としての力を一滴残らず消耗することに他ならない。勇者の力は神樹から供給されているが、一旦使い切ってしまえば勇者への変身を維持出来ないのも仕方ない。

 ともあれ再度変身すれば問題ない。が。

(あ、ヤバ)

 変身が解けたせいか、右腕はピクリとも動かず、スマホを入れたポケットに手が届かない。スマホを操作できなければ勇者には変身できない。

 浮かんだ冷や汗を置き去りにしながら夏凛の身体は地面に向かって一直線に落ちて行って。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 樹海を飛び回る星屑に、不意に跳びはねてきた鋼の獣が襲い掛かる。

 前脚の爪を巨大化させた攻撃に星屑の身体が大きく切り裂かれる。だがそれは星屑にとっては致命傷ではない。傷を治しながらも反撃に出ようと向きを変える。

 対する狼狗も星屑に向き直ると、その首元から不意にライオンの鬣のようなパーツが広がり、障壁が展開された。更にそのまま星屑とぶつかり合い、星屑の動きを止める。

 途端に、狼狗の背中が左右に割れて中から伸びた砲身を星屑に突きつけ――発射。真芯を撃ち抜かれた星屑が消滅する。

 もう一体の狼狗も背中に砲を展開し、星屑に向けて砲撃を次々と撃ち込む。星屑の胴体を撃ち抜かねばさすがに倒しきれないが――前線へと駆けて行った海潮に向かった星屑が多いのか、こちらに向かってくる星屑は狼狗2体で抑え込める程度でしかなかった。

 

 そうして守られながら。

 友奈は夏凛の戦いをジッと見ていた。

 群がる星屑を払いのけ、3体のバーテックスと切り結び、時間切れになりそうな『満開』を気合で維持して、ひたむきに戦い抜く、真紅の戦士の姿を。

 

 そこには、紛れもなく勇者がいた。

 胸に抱いた勇気を糧に、如何なる困難も危機も乗り越えていく、友奈が“こうありたい”と思う勇者が。

 

 そして夏凛がついに最後のバーテックスを撃破した時、友奈は歓声を上げた。

「夏凛ちゃん!!!」

 その、ほころんだ笑みが、落ちる夏凛を見て途端に凍る。

「ああっ?!」

 変身も解けて落ちていく夏凛の姿に、友奈は、意識するよりも先にスマホをタップした。

 先ほどまで作動しなかったはずの勇者システムが起動し、光る花びらが走る友奈を包み――友奈を再び桜色の勇者として立ち上がらせた。

 落ち行く夏凛に向かって全力で跳ぶ。

「かりんちゃああぁぁぁんんん!!」

 聞こえた声に夏凛が振り向こうとした時には、友奈の腕が夏凛を包み込んでいた。自由落下の衝撃が夏凛には伝わらないように、優しく。

「ゆうな……、もう、大丈夫そうね」

「――うんっ!」

 言われて、友奈は思い出す。

 初めての御役目の時。自分は最初から戦えたわけじゃない。美森が自分に逃げるように言った時こそが、友奈が勇者となった瞬間。そう――。

「友達が危ない時、それを助けないなんて、そんなの絶対に嫌だ!」

 友達を――人々を守りたいからこそ、友奈は勇者となり、御役目という名の戦いを選んだ。

 なら自分がやらなきゃならないことは決まっている。

「わたし、東郷さんを止める!東郷さんが世界を終わらせるなんて、そんなの嫌だ!」

「――上出来よ」

 ようやく普段の調子が戻ってきた友奈に安堵しながら、夏凛はそうつぶやいた。

 ほどなく友奈は危なげなく着地。抱きかかえていた夏凛を下ろそうとして、

「おっと」

 夏凛が力なく尻餅をつく。そうして足の様子を伺って、夏凛は2度目の『満開』の対価を知った。

「今度は、左足か」

 右の方は問題なく動かせるが、左足はまるっきり動かない。右腕と同じように。

「それが、夏凛ちゃんの――?」

「みたいね。――本当に、なんでこう大事なところから供物にするんだか」

 友奈の手を借りながら、右足に力を入れて立ち上がる。精霊・義輝がポケットから取り出したスマホを左手で受け取り変身アイコンをタップすれば、再び夏凛の姿が勇者の物に変わる。

 右腕と左脚を包み込むようなパーツが追加されているが。

「――うん。なんか全然慣れた感じがしないわ」

 動かないわけではないが、慣れ親しんだ動きを再現するには遠く及ばない感触に渋い顔をする。

「そんな」

 その様子を見て、友奈の顔が悲痛に歪むが、それに夏凛は苦笑で答える。

「――ま、5体まとめて相手にしたんだもの。抜かれて神樹様を倒されるよりはずっとマシ。それにバーテックスの撃破数、これであたしがダントツじゃない?」

 冗談めかした言葉に込められた、「変に背負いこむな」という意味を察して、友奈はうん、と頷いた。

「さて。ひと段落はついたことだし。そろそろ色々と聞かせてもらおうかしら!?」

 不意に声を張り上げて夏凛は辺りを見回す。壁近くで障害物が少ないこの辺りは身を隠すような物陰もない。

 ないのだが。

「……………」

 空にも地面にも、海潮の姿はなかった。

「――いなく、なっちゃった?」

 目を離していたのは事実だが、それでもこうも姿をくらまされるとは思っていなかった。ギリ、と夏凛が歯ぎしりする。

「おのれぇぇぇ。人のいいおじいさんと思っていたら~」

「まだ星屑もいるから、危ないのに……と思ったけど、なんか星屑を普通に倒してたよーな」

「涛牙共々まるっきり分からないわね……。しょうがない、とりあえずは東郷を止めて、その上で涛牙を問い詰めましょう!」

「ほどほどに、ね?助けられた立場であるし」

 少しだけ緊張を緩めたおしゃべりをしてから、友奈と夏凛は美森の下へと跳んで行った。

 

 その様子を見る者の気配には気づかぬままに。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

  

 その頃。美森はそこから離れた壁の上にいた。

 爆発の勢いで友奈たちとは逆の方に飛ばされたが、美森にとっては好都合だった。あの2人に本気で邪魔をされたら、妨害を潜り抜けて壁を壊すのはほぼ無理だ。

 目を凝らせば、大穴が開いた壁から星屑やバーテックスが侵入し、神樹の方へと向かっていく。おそらくは夏凛や友奈もあの辺りにいるのだろうが。

「――もっと穴が増えれば、風先輩たちが来ても対応できない」

 勇者にとって最大の弱点を、美森は理解していた。それは、人数だ。

 一騎当千を体現するその能力値故にか、勇者は少数精鋭。先代は3人、当代の自分たちも5人しかいない。

 敵が、同じく強大だが数は少ない星座型バーテックスならそれでもいいが、雲霞の如く押し寄せる星屑相手だと少数精鋭は対応しきれなくなる。一騎当千の英傑は、1万の敵を押し留められるわけではない。

 旧世紀の時代、日本とアメリカが戦争した時と似たものだ、と美森は思う。如何にパイロットの質が良くても、大多数の敵が押し寄せれば抗しきれず呑み込まれる。

(そして。私がその後押しをする)

 昔日本軍を苦しめ追い詰めた敵国の戦略を自身がマネして今の世界を終わらせる。その事実にチクリと痛むものを感じて、しかしそれを振り払う。

「でもこれで――私たちの生き地獄は終わる!」

 己を鼓舞するように声を上げてライフルの銃口を足元の壁に向け。

 不意に、元々出していた川蛍以外の精霊たちが美森の周囲に現れる。

(今更邪魔を?!)

 と脳裏に浮かぶよりも先に、精霊バリアに強烈な衝撃が走り、美森の身体が横に吹き飛ぶ。

「――!?」

 転ばぬよう踏ん張りながら見れば、細長いナニカが勢いよく壁上の地面を転がっていく。と、ソレは不意に跳ね上がり伸ばした両足で勢いを殺していく。

 そう、美森にぶつかったソレは人間だった。オリーブドライのロングコートを纏った、美森もよく知る少年だった。

 彼も敵だと美森は理解している。それでも尚、樹の結界で動けないはずの彼がここに来れる理由が分からず、美森は息を呑んだ。

 転がる勢いが収まってから、彼はユラリと立ち上がる。その手に、鈍い輝きを宿す剣を構えて。

「これ以上は、やめろ」

 美森に向けられた白羽 涛牙の視線は、手にした剣のように鋭かった。




大満開の章、防人組だけでなくのわゆ組まで出てくるとは思ってませんでした。
それぞれ薄味になった感じもありますが、神世紀の大赦の上層部や300年前の様子とかがアニメで登場したのはよかったと思いますね。


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第32話「ブレィム・ソード(過ちを咎めるもの)」

お待たせしました、ようやく涛牙が美森と腹を割って話をします。


……………


いや、ホントこんなに時間が開いて申し訳ないです、ハイ。


 暗い樹海の空を、壁に向かって小さな影がすっ飛んでいく。星屑たちはそれに気づかず、或いは気づいてもその勢いに追いつけず自分たちの後ろへと飛んでいくその影を止めることが出来ない。

 それは、風の助力で壁へと急ぐ涛牙だった。強烈な風を受けながらも一直線に神樹の壁へと突き進んでいく。

『ハッハァ!こりゃ速いな!』

 ディジェルの気楽な声を聞きながら、涛牙は目を凝らして美森の影を探す。壁の上に着地することは出来そうだが、懸念が的を得ていた場合、美森を探すのに手間取れば結局穴を開けられてしまう。

(東郷、お前は――)

 まさか、とは思う。だが、風が後先考えない暴走をしでかしたのを見たばかりだ。御役目絡みとすれば、美森が暴走しないと断言はできない。

 微かな焦りを覚えながら、不意に涛牙の視界に青い人影が写り込んだ。

 樹海にいる人間は、一部の例外を除けば勇者だけだ。

「犬吠埼、いい仕事をする!」

 目標ピッタリに飛ばしてくれた風を称賛して。

 こちらに気づかず背中を向けている美森に向けて、涛牙は抜き打ちの横薙ぎを打ち込んだ。

 

 魔導力を込めた斬撃と精霊バリアが激突する衝撃。その反動を利用して横合いへと弾かれながら勢いを殺す。

 丈夫な魔導服を通して尚伝わる衝撃に息を詰まらせながらその苦痛を押し隠し、態勢を整えた涛牙は美森に切っ先を向けた。

「これ以上は、やめろ」

 言われて、こちらも弾かれながら、美森は驚いた表情を浮かべ――それが次いで怒りの顔に変わる。

「涛牙、先輩っ……!」

 一瞬美森の腕が手にしたライフルを構えようとして、涛牙が剣を鞘に納めたことで気が逸れる。銃口を下に垂らしながら、美森は険しい顔つきのままで涛牙を睨み返す。

「――やはり、あなたは樹海に入れたんですね」

 その声に、涛牙は軽く頭を振った。

「本来は入れない」

 その返事を誤魔化しと捉えて、美森の頭に血が上る。

「ふざけないで!あなたはずっと私たちを騙していた!バーテックスと命がけで戦って、『散華』で苦しんでいるのを、素知らぬ顔で眺めていた!」

「騙しているのは事実。だが、『満開』の対価とやらについては知らなかった」

「嘘よ!」

「事実だ」

 言い合いながら、涛牙が考えているのは時間稼ぎだった。

 

 勇者部というチームに対して、涛牙はあくまで部外者・傍観者だ。部長を支えるという名目でやり取りが多かった風に対しても、心通わせるようなことはなかった。

 そんな人間が思い詰めた美森を説得出来るかと言われれば、涛牙自身も無理だと判断する。

 だからこそ。風や友奈たちが美森を説き伏せるための切り札となる。

 友奈が近くにいないのが気になるが、同じように暴走してそこから落ち着いた風がいれば頭を冷やさせることが出来るだろうと、そう考えていた。

 

 美森が歯噛みした隙間に、涛牙は言葉を差し込む。

「深呼吸して落ち着け。壁を壊して何になる」

 その言葉に、瞳に更に剣呑な気配を浮かべながら、美森は言い返す。

「――友奈ちゃんのためよ!」

「……は?」

 さすがに意味が汲み取れずに聞き返した涛牙に、美森は勢いに任せて言い募った。

「あなたも知っているんでしょう?!世界の真実を!神樹が作った結界の外は灼熱地獄!バーテックスはそこからいくらでも現れる!そうして攻め込んでくるバーテックスを、私達が身体を張って防ぎ続けなくちゃならない、身体の機能を失いながら!」

「まあ、そうなのだろうな」

 涛牙が返した気のない相槌に、美森は癇癪を起こしたように頭を振った。

「ふざけないで!勇者を――友奈ちゃんを生贄にしながら続ける戦いに何の意味があるの!?いいえ、意味なんてない!どれだけ世界を守り続けても人間に勝機なんてない!天の神がどこにいるのかさえ分からないのよ!?」

 悲痛な美森の訴えに、しかし涛牙は感じ入る事がなかった。むしろ戸惑いを増しながら、口を開く。

「否定はしないが――それで、なぜ、壁を壊す?」

 どうしても理解が及ばない美森の行動を問いただすと、美森は見下すような笑みを浮かべた。

「壁が壊れれば、バーテックスが神樹を倒して世界が終わる!そうなればもう勇者が戦う必要はなくなるわ。勇者という名の、世界を維持するための生贄が、いらなくなるの!」

「……その時には、結城も含めて全員死んでいると思うが」

 当たり前の指摘に、一瞬美森の笑顔が凍るが、それでも美森は言い返す。

「でも!友奈ちゃんがこれ以上傷つくことはなくなるわ!このまま世界が続けば、一体どれだけ『満開』と『散華』を重ねていく事か!そうしてどんどん身体の自由を失って、最後はベッドに横たわる事しか出来ない末路だというなら!ここで、そんな残酷な結末を断ち切ってしまえばいいのよ!」

 その言い分に、涛牙は喉奥にせり上がる苛立ちを呑んで反論を返した。

「それを、結城は望んだのか?」

「っ」

 言葉に詰まった美森にため息を――いや、落ち着くための深呼吸を一つついて、涛牙は言葉を続ける。

「相手が望んでいないなら、お前がやっているのは“余計なお世話”だ。結城が賛同しない限りは、壁を壊そうとするな」

「――友奈ちゃんは、優しいから。世界を守るためなら、自分は後回しでいいと考えてしまうわ。そんな友奈ちゃんに聞いたって、断られるのが当然よ」

「そこまで分かっているなら、壁を壊すな」

「でも!それじゃ友奈ちゃんはただただ失っていくだけよ!いえ、友奈ちゃんだけじゃない。風先輩も樹ちゃんも夏凛ちゃんも、戦いが続く限り生贄であり続ける!そして、大赦以外の人はこの戦いの事を何も知らない!私たちがどれだけ傷つき失っても気に留める事もない!」

 

 決戦の後、平和を守ったんだと満足しながら見下ろした街並みを思い出す。

 あの時に感じた誇らしさは、嘘ではない。けれど、無償の善意一つで、自分がこれから失うであろう将来を埋め合わせることなど出来はしない。

 

「だから!友奈ちゃんたちを救うために、私は!」

 美森の悲痛な叫びを。

「――それが、国を愛し守る、ということだろう」

 涛牙から放たれた一言が斬り伏せる。

「な――」

 絶句した美森を見据えて、涛牙は静かに、ひどく静かに言葉を続ける。

「見返りはなく、称賛もなく。それでも生まれ育った国を守る為にその身を粉にして迫る脅威と相対する。お前が好む護国の英霊とはそういうものだろう」

 冷たく、刃のように鋭く。涛牙は普段の美森の言葉を以て美森自身を責め立てる。

「敵が強大でも。戦いの終わりが見えなくても。自分の戦いが未来を繋げると信じて、名は残らずとも彼らは戦い抜いた。それが、お前が憧れた存在だ」

 その声にグ、と息を呑んで。しかし美森は反論の声を上げる。

「だからって」

「結城が傷つくのが嫌だというなら、お前がその分戦えばいい」

「――」

 涛牙が被せてきた言葉に美森が絶句する間にも、涛牙は続けていく。

「『満開』の反動で身体機能が失われるというなら、尚更、お前が、結城たちよりも果敢に戦えばいい」

「そ、れは。でも」

「戦い自体がもう嫌なら、スマホを壊して、そこから飛び降りればいい」

 そうして涛牙が指さしたのは、外側の壁の縁。結界の中からは見えないが、その縁の向こうには炎の海が広がっている。

「精霊バリアがどれだけ強固でも限界はあるだろう」

 容赦ない指摘に、美森の背に冷や汗が伝う。

「どうあれ、世界を道連れにするのは筋違いだ。――止めろ」

 巌とした一言に、美森は慄き――。

「――イヤ」

 取り繕いの無くなった言葉が漏れ出す。

「イヤだ、イヤだよ!一人ぼっちで戦うのも!死ぬのも!友奈ちゃんを忘れるのも!忘れられるのも!腫物みたいに気遣われるのも!私は、友奈ちゃんと一緒にいたいの!ただ友達でい続けたいの!でも、勇者の御役目が続く限りそれは叶わない!だから!」

 言って、美森はライフルの銃口を足元に突きつけ。

 そのライフルが弾かれる。

「?!」

 顔を上げれば、涛牙がいつの間にか剣を抜き放っていた。

 剣の間合いには程遠いはずのその距離を、涛牙が抜き打ちに放った遠当てが走り、美森のライフルを弾いたのだった。

 

 そして、その涛牙は。

「それが、お前か」

 静かな呟きに続いてクツクツと小さく肩を震わせ、呆れたように小さく笑い出した。

「な、何が、おかしいのっ……!」

 そんな美森の声に、涛牙が向けたのは笑顔だった。常日頃鉄面皮を通してきた涛牙が見せたその笑顔は、しかし、友奈や多くの人が浮かべる笑顔とは違った。

 口の端を吊り上げ歯をむき出しに見せる、猛獣が牙をむいたようなその笑みから伝わるのは、楽しさではなく、怒りだ。

「これが笑わずにいられるか。国を愛するだの国防精神だのを散々に言い募って人にも求めていたお前が、いざ土壇場になれば一番かわいいのは自分だと言うんだからな」

「何を――!」

「ああ、もっと早く気づくべきだったんだろうな。初めての御役目の時。国を守る勇者の御役目に腰が引けてたあの時に。――お前は国を愛しているんじゃない、『国を愛する自分』が好きなんだってな!」

 涛牙から聞いたことがない怒声に美森は身を竦ませた。

「ち、違う!私は確かに国を愛して!」

「その国を滅ぼそうとしてる奴が言えた義理か!」

 怒鳴りつけて、涛牙は切っ先を美森に突きつけた。つられるように美森もライフルの銃口を涛牙に向ける。

「俺の務めは人を守ることなんだが――世界を滅ぼされちゃたまらないんでな。東郷、お前が世界を壊そうというなら」

 スゥと涛牙から表情が消えた。

 

「ここで、潰す」

 

 宣言と同時、涛牙の姿がブレる。

 涛牙が仕掛けてくる事は、美森も当然頭の隅には入っていた。

 それでも尚、不意に横に動いた涛牙を銃口で追うことが出来なかった。ワンテンポ遅れて照準し直そうとした時には、涛牙は速度を落とすことなく逆方向に踏み出し、美森に迫る。

(フェイントッ!?)

 改めてライフルを向けた先に涛牙はいた。だが、美森の予想よりも涛牙はずっと近づいていた。振るった剣の切っ先がライフルの銃口に絡みつき、見当違いの方に弾かれる。

「!」

 ライフルを引き戻すか、拳銃かショットガンを呼び出すか。迷ったのは一瞬。しかしそれは涛牙が肉薄するには充分な隙だった。

 美森の腕の内側に潜り込んで、鳩尾に軽く拳が振れる。

 反射的に美森が押し返そうとした瞬間に、涛牙は全力で踏み出した。

 後ろ足から発した力の流れは脚、腰、胴から腕へと伝わり、拳の先にある美森の内臓に突き刺さり、衝撃が少女の身体を突き飛ばす。

「かはっ……」

 如何なる威力か。美森の身体がその打撃で吹き飛び、地面を転がされた。だがそれ以上に。

(呼吸、が)

 横隔膜を綺麗に捉えた打撃に、呼吸を阻害されて美森が呻く。

 勇者の力は確かに身体機能も向上させているが、だからといって関節を無視して手足が動くわけではないし、呼吸するためには横隔膜の伸縮が必要なのも変わってはいない。必殺の攻撃は防ぐ精霊バリアも、致命的でない攻撃には反応しないし衝撃まで無効化できるものでもない。

 美森が呼吸を取り戻すことに集中した隙に、涛牙は美森への追撃を加えようと踏み込んでくる。身体を起こそうと地面に手を突いた状態では美森は銃を撃てない。

 だから、美森は別の攻撃手段を呼び出す。

(かわ、蛍!)

 その意思を受けて、精霊・川蛍とその対応する武器が美森の傍に浮かび上がる。

 精霊は勇者の武器に応じて増えている。先の決戦の後に美森が手にした川蛍が象徴する武器は、浮遊砲台。美森が持ったり引き金を引くことなく攻撃できる武器だ。美森からの攻撃の意思を受けて、浮遊砲台からの射撃が放たれる。

 美森が復調するまでの時間を稼ぐための攻撃だ。めくら撃ちに近いが、涛牙の足を止めるには充分だった。のみならず一条の閃光が偶然だが涛牙への直撃コースを取った。

 剣を掲げて涛牙が防ぐが、星座型バーテックスにも通用する威力だ。剣は軋みもしなかったが伝わる衝撃に涛牙の身体が大きく弾かれる。

「ぐぅっ!」

 そうして距離が離れてしまえば、美森が俄然優位となる。

 復調した美森は両手に散弾銃を呼び出し、浮遊砲台からの射撃と合わせて撃ちまくれば、涛牙はひたすら逃げ惑う他にない。

(いいえ!油断してはダメ!)

 しかし美森は自戒して気を抜くことを戒める。

 当然だ。散弾を幾度も撃ち続けているのに、涛牙は大きく左右に飛びまわり全て避けきっているのだから。避ける先を狙った浮遊砲台の射撃もアクロバティックな動きでかわし、或いは剣で受けて防いでいる。優位だなどとは考えられない。

 そしてなにより、こうして涛牙を抑えていては本命の、壁の破壊が出来ない。美森の持つ最大火力はライフルだがそれでも壁に穴を開けるのは一発で、とはいかない。武器を持ち替え、壁に向ける隙を見せれば、涛牙は充分美森の妨害が出来る。

 そうして時間を稼がれれば――友奈たちがここに来る。そうなれば美森の望みはかなえられなくなる。

 内心の焦りを隠しながらひたすら撃ち続けるうちに、不意に美森の視界に白い影が割り込んできた。

 星屑だ。樹海の中に入って、しかし神樹に向かうことなくさ迷っていた一体が、騒ぎに感づいたのか寄ってきたのだった。その星屑は背後から涛牙へと迫っていく。

 その様子に、美森は。

(好機――!)

 自分の行いは正しいのだとさえ感じた。正しいがゆえに、世界が後押ししているのだと。

 背後から近づく星屑は当然涛牙には見えていない。このままもう一歩追い込めば、彼は星屑の餌食になる。私が手を汚すまでもなく、死んでいなくなる。

 ザ マ ア ミ ロ。

 そんな、普段なら思いもつかないような言葉が美森の脳裏をよぎる。そしてその衝動に従って美森は更に涛牙を追い詰めようと攻撃を撃ち込み。

 これまで左右にかわしていた涛牙が高く跳ねる。後方宙返りで美森からの銃撃を、そして星屑の噛みつきを、紙一重でかわして星屑の背後に降り立つ。そして。

「――灯火纏装ッ!!!」

 白い魔導火が剣を覆う。美森からの弾雨の中では使う余裕がなかったが、星屑が障害物になるなら充分やれる。

 そして、大上段に構えると渾身の力で斬りおろす!

 その一撃で星屑は両断されて霧散し――白く燃える刃が宙を駆ける。

 涛牙を見失ったと思えば星屑を貫いて迫る、美森が予想だにしていない反撃。白刃は精霊バリアに――ではなく美森のすぐ前の地面に衝突、炸裂して土煙を巻き上げる。

 咄嗟に顔を庇った美森は、しかし同時に犯したミスを悟った。散弾がなければ、涛牙は浮遊砲台の攻撃だけなら避けて接近できる!

 そう直感した時には土煙を割って涛牙が美森まで迫っていた。

 咄嗟に散弾銃を放つが、下からの切り上げられて銃口は弾かれていた。散弾は何もない上に向けて放たれただけだった。

 美森の両脇を通って浮遊砲台が左右から涛牙を狙うが、側方宙返りで射線から逃れたと思えば跳ねて砲台を蹴りとばし、或いは剣で砲台を弾き、狙いを定めさせない。

 一度撃つとコッキング動作をしないと続けて撃てない散弾銃を消して美森は拳銃を呼び出す。小回りの利く連射可能な武器だが、涛牙を狙おうとしても突き出された切っ先や鞘が邪魔をする。

 力で阻まれているなら勇者の腕力で強引に銃口を向けられるが、涛牙の逸らし方はそうではない。銃を向けようとする力を逆利用して美森の攻撃を無力化していく。

 突きつけた銃口に切っ先を絡められて向きをずらされる。或いは打ち合った銃を力点として涛牙の身体自体が銃口の先から逃れる。途方もない技量を以てして初めて出来る避け方だ。

 加えてその俊敏な動きで美森を翻弄する。右に避けたと思えば背中に回り込み、浮遊砲台が背後を向けば美森を飛び越えて正面に現れる。喉笛に突き出された鞘を拳銃で防いだ、と思った時にはまたもや視界から消えて、腕を引っ張ってバランスを崩そうとする。

 猿のようにトリッキーな動きに、美森はひたすら混乱させられていく。

「こ、の――!」

 焦りと苛立ちが、美森の動きから一瞬精彩を欠かせる。その隙を涛牙は見逃さなかった。

 何度目かの跳躍。また背後を取られると思った美森はすぐさま振り返り――そこに誰もいないことに一瞬動きを止める。その美森の頭を、ただ上に跳ねただけの涛牙の両足が挟み込み、落下の勢いを活かして美森の頭を投げ飛ばす。

 俗にヘッドシザーズ・ホイップと呼ばれるプロレス技に似た投げ方で、美森は地面に叩きつけられた。

 倒れ込んだ美森を涛牙はリフティングするように蹴り上げる。勇者は涛牙の腕力では抑えつけられない。浮遊砲台があるなら関節を極めて地面に押し倒してもダメだろう。ひたすら翻弄して音を上げさせる他ない。

 ボールのようにグルグルと回転させられて、次第に美森の平衡感覚が覚束なくなっていく。それを見計らったかのように、涛牙は後方回し蹴りの要領で、浮いた美森の身体を思いっきり蹴り出した。涛牙と言えど、数10kgはある美森の身体をリフティングし続けるのは無理がある。

 蹴り出された美森は地面に打ち付けられ、ゴロゴロと転がり――。

 いや、転がり続ける。

「なにっ?!」

 自身の蹴り足の勢い以上に転がっていることに涛牙が気づいた時には、もう遅かった。

 美森の背中のアーム。移動を補助する装備であるソレは、長さは実は一定ではない。ある程度ならば伸縮して美森を移動させている。そのアームが思いっきり伸びて、美森を壁の上から樹海側へと押し出す。

「――しまった!」

 美森の狙いに気づいた涛牙が壁の縁から身を躍らせたその時。

「『満開っ!』」

 眼下に巨大な朝顔の光が咲き誇る。

 剣を壁に突き立て足に魔導力を込めて踏ん張り。壁に立った状態で下を見れば、そこには円盤のような形状の戦艦が浮かんでいた。それを操るのは、当然、東郷 美森だ。

「これで、終わりよ!」

 軽く頭を振って意識をハッキリさせて。美森は腕を壁に差し向ける。その動きに従って戦艦から伸びた7つの砲身もまた壁へと向く。

 残る1つの砲身は、過たず涛牙に向かっていた。

「マズっ!」

 壁面を駆けあがる涛牙の背中に向けて。そして眼前の神樹の壁に向けて。

「全砲門、斉射ぁ!」

 極大の砲撃が叩き込まれた。

 

 閃光。轟音。

 目と耳を圧する衝撃が過ぎ去って。

 

 美森が目を開けば、眼前に在った神樹の壁には巨大な穴が開いていた。上を見上げれば、涛牙の狙った砲撃の跡がやはり壁を焼き貫いている。

「や、やった……っ!」

 遂に、神樹が作り上げた生き地獄に穴を穿ったという高揚に、美森は引きつったような笑みを浮かべた。

 これで壁に開いた穴は2つ目。バーテックスが更に押し寄せてくるだろう。勇者の対処が間に合わなくなるほどに。

「これで、みんな救われるんだわ……!」

 言いながら背後を見る。そこには遠く離れた彼方に聳える神樹の姿がある。あの雄々しい姿も程なくバーテックスの攻撃に晒されて崩れるのだと思うと、背徳的な悦びが胸に浮かぶ。

 或いは、ここから砲撃でも見舞おうか。そんな事さえ思いつく。

 撃ったところで角度が一度もずれれば当たらないだろうし、そもそも攻撃が届く距離でもない。勇者の攻撃は極論陸から壁まで届けば十分なのだし、『満開』状態の自分と互角のレオ・バーテックスとて壁際から砲撃を撃たなかったのは射程距離不足だったのだろう。

 だが、自分たち勇者が抱えた苦悩や痛みを神樹に知らしめることにはなるかもしれない。それはそれで愉快だと思いながら美森は戦艦の向きを変えようとして。

「驚いたね」

 不意に聞こえた声に、ゾ、と背筋が凍る。それは、勇者のみんなや涛牙の声ではない。

 慌てて声の主を探せば、砲身の一つに悠然と立つ黒尽くめの姿があった。

「対勇者級が来たのかと思えば見かけるのは基本のバーテックスばかり。どうした事かと思っていたが。まさか、勇者が神樹の結界を壊すとは」

 呆れたような口ぶりで語る男の表情は、しかし穏やかなものだった。子供の悪戯を微笑ましく見守るような、そんな微笑を浮かべている。

 その自然な姿に一瞬硬直し、しかし美森が感じたのは背筋が凍るほどの恐怖。この黒尽くめが何者なのか、そんな疑問を振り切って本能が死力を以ての排除を命じていた。

 何機もの浮遊砲台の狙いが定められ、次の瞬間には銃口から光が放たれる。

 幾条もの閃光は文字通り光の速さで黒尽くめに殺到し。

「ほっ」

 ひょい、と。そんな擬音が似合うほどの軽い動きで振るわれた刀がその全てを斬り払う

 バーテックスを倒せるはずの攻撃を人間が軽々無効とした、その事実に美森が硬直する合間に、黒尽くめは軽い足取りで砲から離れ、美森が立つ船体に羽のように降りる。

 そうして美森を見返して、黒尽くめは少し表情を変えた。何か、皮肉を感じたような苦笑を浮かべて、ふと視線を逸らす。その視線の先にあるのは、美森も見ていた神樹の巨体。

「無垢なる少女が勇者に選ばれると言うが、主義志向は選考基準ではないのかな。はて、どんな基準で選ばれるのやら」

 言って、黒尽くめは刀を振るった。力を込めた様子もないその一閃が、脇にあった満開の砲身を薄紙のように両断する。断ち切られた砲身は光の粒となって霧散した。

「――え?」

 現実離れした光景に呆ける美森に、黒尽くめは気楽な様子で切っ先を向けた。

「これから君を切り刻むが――もしかしてそれは、世界のためには良い事になってしまうのかな?」

「ひっ――」

 言って、軽い足取りで近づく黒尽くめに向けて、再度浮遊砲台からの攻撃が放たれる。今度は黒尽くめを半包囲するように展開された浮遊砲台からの、それも一射ではなく連続射撃だ。刀一本では捌ききれず、そう広くない足場では避けられるはずもない。

 しかし。不意に黒尽くめの姿がぶれる。閃光が貫けたのは、黒尽くめが残した残像だけだった。

 驚愕に美森が息を呑んだ刹那に、浮遊砲台の1つが破壊される。咄嗟にそちらを見やるとその場から黒い影が飛び去る残像が見えた。

 そしてまた視界の外で浮遊砲台がまた1つ破壊される。更に1つ、また1つ。美森が何もできないままに、全ての浮遊砲台が破壊された。

 愕然とする美森の正面に、再び黒尽くめの姿が現れる。息一つ乱さぬ漆黒の影に美森の顔が恐怖に引きつる。

 その様子に満足したように黒尽くめは刀を引き寄せ、迷いなく突き出す。

 腹を目掛けて放たれた刺突に、精霊バリアが展開され――一瞬さえ保たずに貫かれる。

 青坊主を始めとする精霊が切っ先の前に割って入り――何の抵抗もなく貫かれる。

 勇者の持つ防御機構の何を以てしても止められないその凶刃は美森に迫り――

 

「――オァアッ!」

 頭上からの声に咄嗟に刀を引き戻すと、斬りおろされた刃を受け止める。

 落下の勢いも加味した攻撃を危なげなく受け止められても、それは涛牙にとっては想定内だ。前方宙返りの要領で身体を捻りながら空中回し蹴りを黒尽くめの頭に放つ。

 半ば不意打ちといえる蹴りを、しかし黒尽くめは仰け反ってかわし、そのままサマーソルトキックで涛牙にカウンターを打ち込む。かわせず、きりもみ回転しながらも、涛牙は黒尽くめと美森の間に割り込んだ。

「と、涛牙先輩……」

 つい先ほどまで敵対し、過剰火力で命を狙った相手が、今度は自分を守る様に黒尽くめに立ち塞がっている。

 何がどうしてこうなっているのか分からない美森に背を向けながら、涛牙はフンと鼻を鳴らした。

「さっき言ったぞ。俺の務めは、人を守る事だとな」

 その言葉に、フフ、と笑いを零したのは、向き合う黒尽くめだ。

「その勇者は壁を破壊した。世界の終わりを招こうとしているんだが。それでも守る必要はあるのかな、涛牙」

 面白がるような声音の黒尽くめに、涛牙は剣を向けた。

「お前に切り刻まれて、勇者の力を好き放題喰われるのを見る気はないってだけだ。久那牙」

 内にある激情を静かに抑え込んだ声音で返されて。黒尽くめ――久那牙はフム、と微かに片方の眉を上げる様子を見せた。

「ああ、先の4人のようにはさせない、という事か、なるほど」

 言って、久那牙はふと気づいたように続けた。

「ところで、お前はどう思う?勇者に見初められる者について」

「……何が言いたい?」

「もう2年前か。一緒に見ただろう?赤い装束の勇者の最期を。死の淵で尚世界を守らんと奮戦した彼女の後継が、何があったかは知らないが世界を壊そうとした。神樹が勇者を選ぶ基準は何なのか、気にはならないか?」

 面白がるような口ぶりの久那牙の言葉に、涛牙は殺気を解き放つことで答えた。直に向けられたわけではないはずの美森が、あてられて息を詰まらせるほどの殺気だ。

「別に。神の思惑なぞ知らん。そしてお前が勇者の品性を語るなよ――赤い勇者を死なせたお前が!」

 鋭い言葉を返されても、久那牙はむしろ首を傾げた。

「私が彼女を?変な事を言うものだ。お前が――そして私が見た時には、もう腹に穴を開けていただろう?如何に勇者と言えど胴に穴が開いたら神樹の治癒力も届かないというものだ」

「ああそうだな。確かに致命傷だった、長くは保たなかったろうさ。だがな!お前がデカブツ3体を嬲りながら喰ってなければ、あの子は……友達に別れを言うくらいは出来たはずだ!」

「――断末魔の血まみれの姿でサヨナラと言われたら、あのくらいの年頃だと却ってトラウマになりそうな気がするがなぁ」

 苦笑しながら、スイと久那牙もまた切っ先を涛牙に向ける。

「ともあれ、頭に上った血は落ち着いたと見える。これなら、その太刀筋に陰りもあるまい」

 その切っ先をチョイチョイと揺らし、久那牙は穏やかに言う。

「2年の研鑽の成果。改めて見てやろう」

「――上等!」

 一度溢れた殺気を再び胸の裡に押し留めて。

 次の刹那、2人の剣士の刃が激しく交わった。




 最初の、涛牙と美森が言い争うところは結構スムーズに書けたはずだったんです。
 ――壁から落とされた美森と壁走り涛牙のアクロバット戦とか。
 ――樹海内で美森がぶん投げられまくるとか。
 ――なんなら法術のロープで結ばれて振り回されて星屑にぶつけられるとか。
 色々考えてたんですが、何だか上手い事纏まらず。
 一しきりドンパチやりあってから久那牙が乱入させるとなると更にゴチャゴチャとなって行く始末。
 あれやこれやと書き直していってまあ纏まったかな?となったのが今回の話です。

 ……2カ月もかけてコレかぁ……


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第33話「オール・アッセンブル(勇者、集結)」

まだまだ続くよ友奈の章最終戦!
星屑の群れ、星座型複数と来て、次は魔戒騎士同士のバトルです!


大穴開いてたら、また来るよね、アイツら……


 ギィンッ!とかん高い音を立てて、涛牙と久那牙の刃が激突する。ぶつかった一点から発せられた衝撃が、涛牙のコート、久那牙のマントをたなびかせる。

 ギシリと鍔迫り合いの気配が見えたが、次の瞬間涛牙は刃を翻すや身体ごと回転して斬り込む。

 対する久那牙は刀を立ててその横薙ぎを防ぎ――瞬間、防いだ刀を潜り抜けた刺突が久那牙を襲う。

 防がれた反動を活かして、涛牙は剣を引き戻しながら左手に持ち替え、回転の勢いそのままに踏み込んで突きを放つ、半ば不意打ちの連撃だ。

 だがその刺突を久那牙は身を捻ってかわし、その流れのままに左薙ぎを打ち込む。ちょうど先ほどの涛牙の動きをなぞる反撃に、跳んでかわす事も刺突を戻して防ぐ事も出来ない涛牙は、無理やりしゃがみ込んで刀を避けた。

 だがそうして動きが鈍くなれば、涛牙の反撃よりも久那牙の追撃が先に来る。

 横薙ぎに繋げて放った回し蹴りが、身体を沈めた涛牙を捉える。蹴撃の威力を踏ん張って抑える余裕もなく、涛牙の身体が吹き飛び、『満開』装備の砲身に叩きつけられる。

「ぐぅ……」

 痛みに呻く涛牙に向けて、万全の態勢から久那牙が放った平突きが迫る。

 転がるように避けたところに刀が突き立つ。何の抵抗もなく砲身を貫いた刃は、そこから涛牙を追うように斬撃に転じた。相当な強度があるはずの砲身は、しかし何の抵抗も示さぬ滑らかさで切り裂かれ、切っ先が涛牙へと迫る。

 刺突から横薙ぎが振り抜かれるまでほんの数瞬。そのわずかな猶予に、しかし涛牙は剣を刀の軌道に割り込ませた。剣を肩で支えながら斬撃を防ぎ――その勢いに弾き飛ばされる。

 踏ん張るほどの余裕がなかったせいだが、むしろ踏みとどまったら久那牙の猛攻に晒されていたかもしれない。

 涛牙が踏ん張るだろう場所を斬りおろす刀の残像と、今度こそ根元から寸断されて消えゆく砲身にそう思いながら、かすかに見える隙に涛牙が改めて踏み込む。その隙が誘いであっても、受けに回っては数手と持たない事を涛牙は理解している。

 怒涛の勢いで涛牙が攻める。刺突、薙ぎ、斬りおろしに斬り上げ。剣を左右に自在に持ち替えながらの攻撃は曲芸のようだが、上中下段に振り分けられるその攻めは全て必殺を期しての物。剣にも身のこなしにも澱みはなく、留まる事のない連撃が放たれる。

 対する久那牙はむしろ穏やかな動き。指揮者がタクトを振るうかのような滑らかな刀捌きが、しかし一歩もその場を動かないうちに涛牙の攻撃を全て迎撃する。

 どころか、涛牙の攻撃に隙間が出来た瞬間に反撃が放たれる。それを受けて涛牙が守りに回った途端、久那牙の攻撃が怒涛と化した。涛牙の太刀筋をそのまま返すような攻めに、涛牙は後退するしかない。

 だが、そう広くない足場ではあっという間に追い詰められる。

 やむなく跳んで砲身を足場にすれば、久那牙の斬撃は砲身もろとも涛牙を襲う。砲身は足場には出来ても久那牙の攻撃の盾にはまるで足りない。

 それは涛牙も分かっている。砲身が斬られる間に涛牙は前方宙返りで久那牙を跳び越えながらその背中に斬りつける。が、久那牙はそれも見越していたのか。涛牙の攻撃は久那牙が翻したマントに触れる事しかできず、逆に久那牙の回転横薙ぎが涛牙の腕を浅く切り裂く。

「っ、まだまだぁ!」

「ふむ、悪くないな」

 腕力で身体を跳ね上げながら吠える涛牙と、息一つ乱さず評価する久那牙。力量差を如実に示すその様子に、しかし涛牙は臆せず――久那牙は悠然と――踏み込んでいく。

 

 再び始まる剣戟の応酬。途絶えることなく連なる金属音に晒されながら。

「ぅ……」

 美森は只々身体を硬直させていた。

 目の前で繰り広げられる、人間同士の本気の殺し合い。初めて目にするソレに慄いていることもある。

 だが、それ以上に。

「あた、まが」

 頭蓋の内側で、脳がこねくり回されているかのような感触がある。

 2年前。勇者。赤。守る。死。別れの言葉――マタナ?

 2人が交わした言葉が意識を飛び交い、失った、いや、奪われた記憶の空白を刺激する。その奇妙な感触が、美森をよろめかせていた。

 『東郷 美森』という存在が撹拌されるように、意識が、そして視界がグラグラと揺さぶられる。

(にげ、ないと)

 今の状態から逃れようとして、美森は船体を操作した。

「うおっ?!」

「おっと」

 急激な後退に、不意を突かれて涛牙と久那牙が蹈鞴を踏む。それでも足場に留まった2人に、美森は半ばヤケになりながら船首を上空へ向けた。

 上空へと急上昇し、左右に激しく旋回し、きりもみ回転しては急制動と発進を繰り返し。その勢いでどうにか2人を放り出そうと美森は苦心する。だが、そんな大きく揺さぶられる戦艦の上で。

「ハッ!」「ふむ」

 涛牙と久那牙の剣戟が続く。

 擦り足を使って、両足が船体から離れないようにして。跳ねまわる事こそなくなったがその分苛烈に剣を交わし、或いは拳を打ち込む。軸足を活かして回転しながらの攻防は、さながら2つの独楽がぶつかり合うかのようだ。

 むしろ、無茶な操船を行う美森の方が、その揺れのせいで平衡感覚を鈍らせる始末だ。

「こ、の……」

 軋るような声を上げて、美森は最後の手段を取った。深呼吸と共に握っている球体に力を込める。

「おちて――落ちてぇ!」

 絶叫と共に、船体をきりもみ回転させて天地が逆さまとなったところでそのまま水平飛行に移る。いわゆる背面飛行だ。

 天地が逆転し、美森の黒髪が、涛牙のコートが、久那牙のマントが重力に従って地面へ伸びる。

 やった当の美森自身、球体を握る力が緩めば、身体を固定する装具がない以上地面に向かって真っ逆さまだ。

 だというのに。

「おま、なにトチ狂ったことを……!」

 涛牙も久那牙も落ちる様子がない。涛牙は必死の形相だが、久那牙に至っては穏やかな呆れ顔を変えもしない。

「さて、いきなり不利になったかな?涛牙」

 どころか、平然と逆転した甲板の上を進みだす。

「なんの、これしき……!」

 逆さまの足場で、2人は重心を低く保ちながら相手との間合いを測る。魔導力を足に込めて床に足をつけている現状、迂闊に飛びまわるのはこの2人にも無理があった。

 だから。2人は美森にとっていい的だ。意識を振り絞って浮遊砲台を呼び出し、2人に向けて放つ。

 狙ったのは、胴体ではなく足元。逆さまになってさえ2人が船体の上にいられるのは――なぜ出来るのかは美森には分からないが――足元が身体を支えているからだ。そこがなくなれば、2人もまた落ちるしかない。

 その美森の狙いを察したのか、久那牙は大きく後方へと跳ぶ。水平に近い跳び方で、彼はまだ無事な砲身に(重力を無視して)着地しようとした。

 一方の涛牙は行動が遅れたのか、足場を崩されそのまま落下する。

 いや。

 その身体が不意に宙で留まる。上下逆転していた姿から、頭が上へと来る普通の態勢で。

 空いていた手から伸びた魔導力の縄が、命綱として涛牙の身体を宙に浮かせたのだ。

 そして、着地間際の久那牙に向けて涛牙は剣を投げつけた。

「ぬっ?!」

 さすがに虚を突かれて久那牙が呻く。それでも咄嗟の反応で剣を弾いたのは流石という他ない。

 だが、弾いたはずの剣が宙で軌道を変えると回転しながら久那牙の足元を狙う。

(魔導力での操作か!)

 剣一筋の久那牙はここまで得手ではないが、法術も修めた涛牙なら、なるほど、手放した剣を自在に操る事も出来るだろう。

 足に込めた魔導力で砲身に着地しようとした一瞬。そこに割り込んだ剣が久那牙の魔導力を乱し、足元を疎かにさせる。

 久那牙の意識が自身の足元に向いた瞬間、涛牙の二手目が動いた。

 宙を舞う涛牙の剣に向けて、涛牙が懐から一枚の魔導札を投げ放った。

 札を破壊することで法術が発動するタイプのその札は、剣に斬られて破壊され、込められていた捕縛術が久那牙を襲う。魔導力の輪で絡め取られて、それを解除しようと魔導力を込めることで久那牙がもう一手後手に回る。

 術の解除に久那牙が集中した一刹那。手元に戻した剣を握り直し、涛牙は渾身の魔導力を込めて一息に解き放つ。

「オオオォォォ!」

 これが斬撃の遠当てならば、久那牙は或いはかわしたかもしれない。だが、涛牙は()()()。込められた魔導力は、いわば塊となって久那牙に襲い掛かり、その身体をついに砲身、つまりは足場から叩き落した。

 ついに船体から姿を消した久那牙に、涛牙は小さくガッツポーズを取る。それを見ながら、さすがに逆さまの限界を迎えた美森は船体の上下を元に戻した。 

「……………」

 お互い相手から顔を逸らさぬまま、呼吸を整える。美森は『満開』装備の砲身を半分破壊されたがまだ壁に穴を開けることは出来る。対する涛牙も、バリアが発生しない程度の攻撃で美森を翻弄することは出来る。

 そんな一瞬の均衡を。

 鈍い、ドゴッという音が崩す。

 音の出処は、美森の丁度真後ろ。美森が振り向けば、そこにあったはずの『満開』装備、後光のようなパーツが両断されている。

「え?」

 美森が呆けた声を上げる一方、涛牙は視界を奔った閃光を追って顔を上げた。宙空で勢いを失い、今度は下に落ちようとしているのは、緩い弧を描く鋼の輝き。

「くそっ!」

 何が起きたのかを察して、涛牙は魔導筆を取り出すと美森に向けて捕縛縄を放ち、その身体を引き寄せる。不意を打たれて涛牙に抱えられた美森の眼前を、重力に引かれた刀が通り――『満開』の船体を刀身が貫く。とどめを刺されてついに『満開』の戦艦が崩壊する。

 宙に投げ出された涛牙が下方を見れば、そこには落下しながらも刀を投げ放った姿勢の久那牙がいた。

(落ちながら、刀を投げつけてきたのか!)

 勇者の力を一方的に喰らえる刃だ。こうして投げつけるだけでもその危険性は変わらない。そして、久那牙も手放した武器を手元に引き寄せるくらいは普通にできる。

「させるか!」

 吠えて、涛牙は美森を手放すと宙で態勢を変えて、美森を足場代わりに蹴って下へと加速した。

「ひゃあああぁぁぁぁぁぁ……」

 美森の悲鳴がフェードアウトするが構わず、涛牙の視線は久那牙と、久那牙に向かって落ちる刀に集中する。

(アレ)さえなければ、イケるか?!)

 咄嗟の思い付きで、涛牙は今度は刀に捕縛縄を放った。法術の縄が刀の柄に絡みつき、見た目とはかけ離れたその重さが涛牙に伝わる。

「これなら!」」

 思った通りの手ごたえに、涛牙は縄を縮める。その重量故、涛牙の手元に引き寄せることは出来ず、逆に涛牙が刀に引き寄せられる。

 今度はその刀を足場代わりに蹴り飛ばし、涛牙は更に久那牙に迫る。

「ここで決めるっ!」

 涛牙は自身の正面に魔戒剣の切っ先で宙に円を描いた。生じた光の輪に飛び込み、突き抜けた時には涛牙の身体はハガネの鎧を纏っている。

 涛牙と久那牙ではその力量差は隔絶している。だが、それでも鎧を纏った状態の涛牙は久那牙に届きうる可能性がある。久那牙とて空を飛びまわる事は出来ず、今は手元に武器もない。ならば、これはまさしく千載一遇の好機だった。

「ハアアアアアアアアア!」

 渾身の気迫を剣を込めて、涛牙はさながら彗星の如く久那牙に迫る。

 

 それを見て、久那牙は感心したように呟いた。

「状況の変化への対応、微かな機を逃さぬ眼力、迷わず全てを賭け台に乗せる胆力。なるほど、カッとならなければこれほどにやるか」

 涛牙の技量、そして精神を共に評価し、ひとかどの物だと認める。

「だが――」

 その上で、久那牙の表情から緩やかな笑みが消える。

「深みが足りない!」

 不意に久那牙の周囲の空気がゆがむ。

 それは、久那牙から膨れ上がった魔導力。ここまでしかと抑え込まれていたソレを、久那牙が解放したのだ。

「なっ、うあああ?!」 

 涛牙を驚愕させたのは、その魔導力の規模。

 相手を怯ませる程度ならば一流の魔戒士であれば出来る。だが、超質量を有するソウルメタルで出来た武具を纏う涛牙が、空中で押し留められ、次いで吹き飛ばされるとなれば、それはもう暴威と評して余りある。

 落下の軌道を変えられて放り出される涛牙を目の端に捉えながら、久那牙は危なげなく着地した。高層ビルもかくやと言うほどの高さから落ちたというのに、その着地は羽のように軽く静かだ。

 そして次の瞬間、疾風のように駆け出すと、ちょうど地面に落ちようとしていた涛牙に向けて跳躍からの前蹴りを放つ。

「ガアッ!」

 蹴られた涛牙の身体が、サッカーボールのように吹き飛ぶ。地面に叩きつけられ、バウンドし、数度地面を転がってようやく態勢を立て直して顔を上げる。

 そこにはすでに久那牙がいて、魔導力を込めた拳が涛牙の顔面に向けて放たれたところだった。

 左頬を捉えたストレートに涛牙の頭が大きく揺らぐ。そこに更なる追撃として放たれるのは顔、膝、胴と打ち分けた連続蹴り。先の前蹴りのような威力こそないが、その分速く、上下に揺さぶるように続け様に蹴り込まれて涛牙がよろめくように後退する。鎧を纏っているというのに、久那牙の一撃は途方もなく重い。

 後ろへ下がる涛牙に、久那牙はすぐには追撃をかけず、代わりにス、と手を伸ばした。そこに寸分違わず、先ほど手放した刀が落ちてくる。魔導力で引き寄せていたのか――或いは、落ちる場所を想定して涛牙を攻めていたのか。いずれにせよ、久那牙の図抜けた技量を知らしめるには充分だ。

 その事に涛牙が呆気に取られたのはほんの僅か。だが、それは久那牙に対しては致命的な隙だった。

 瞬間、剣閃が上から下へと走り、涛牙の脳天を打ち据える。

 反応も出来ないまま前かがみになった涛牙に、久那牙の更なる連撃が打ち込まれる。

 顎を打ち上げるように放たれる切り上げ。勢いそのまま全身を翻しての左薙ぎ。からの右胴。逆袈裟。袈裟斬り。米神辺りを左右から斬りつけ、涛牙の意識を更に揺らす。

 暴風の如き連続攻撃に、涛牙は為す術もない。攻撃を剣で防ごうとしても、防いだと思った次の瞬間には別角度からの攻撃が涛牙を襲っている。

(く、そ――!)

 為されるがままの涛牙の耳に、ひときわ強い踏み込みの音が届く。

 咄嗟にかざした剣が久那牙の切り上げを防ぎ――防いだ剣ごと、涛牙の身体が宙に打ち上げられる。

「?!」

 それがどれほどの威力だったのか。涛牙が思考するより先に、久那牙が更に打ち込む左右の切り上げが涛牙の両腕を弾く。

 宙にあって完全な無防備状態を晒す涛牙に向けて、久那牙は弓を引き絞るように刀を構えた。渾身の踏み出しの勢いを余すことなく腕に伝え、閃光の如く突き出す。

「ハアッ!」

 魔戒騎士の鎧も、全身を完全に覆っているわけではない。動かす必要がある関節部分を筆頭に、鎧で固められていない隙間はどうしても存在する。

 

 故に。樹海の地面を削るほどの勢いで打ち込まれた刺突は、鎧で覆われていない涛牙の腹を深々と貫いた。

 

「か、は……」

 受けたダメージに鎧が解除されて、露わになった涛牙の口から血が溢れる。苦悶に呻きながら見返す涛牙に向けて、久那牙は静かに言葉を続けた。

「好機を逃さないのはいいが、むしろ飛びつきすぎたな。私をもっと強固に拘束するなり、追い越して着地間際を狙うなりした方がよかったな。ああまで目に見えて飛びついてきたら、こちらも対応するというものだ」

 串刺しで宙づりにされながらも、その言葉に睨み返す涛牙に、久那牙はまたフ、と表情をやわらげ、

「剣に術。色々と手数があるのも悪くはないが――どちらも半端では器用貧乏だぞ」

 言うと刀を抜き。浮いていた涛牙の足が地に着くより先に強烈な蹴りを浴びて涛牙の身体が宙を吹き飛ぶ。高々と放物線を描いた涛牙の身体は、

「ぁぁぁあああああああ?!」

 丁度落ちてきていた美森に激突。2人はもつれ合って地面に落下した。

「グフ、ッ」

 涛牙が美森の下敷きになって更なる苦痛に呻きながらも、勢いのままに2人とも地面を転がる。 

「う、あ……」

 へたり込みながらもどうにか意識を保つ美森が、意識をハッキリさせようと頭を振り――当てた手先に不意に水気を感じる。

 訝しみながら手を見下ろせば、その掌は赤く血で染まっている。

「ヒッ?!」

 慌てて、武器を持たない左手で頭をさすろうとするが、動かそうとした左腕はピクリとも動かない。これが、先ほどの『満開』の代償か。

 だが、落ち着けば頭部からの痛みを何も感じない事に美森も気づく。そもそも頭が割れるほどの衝撃を受けて、こうも簡単に意識を取り戻せるわけもない。

 なら。この血は。

 ジャリ、と地面を踏みしめる音を立てて、涛牙がよろめくように立ち上がる。その足元の血だまりがジワジワと広がっていくのを見て、美森は手を濡らした血が誰のものか理解した。

「と、うが――せんぱい」

「大人しくしていろ」

 呼びかけに一言で返す涛牙の息は浅く、荒い。それでも美森を守ろうと言うように前に進み出る涛牙の足取りに、腹から溢れた血が跡をつけていく。

「あ、ああぁ……」

 血で染まる樹海。それがまた美森の失われた記憶を刺激し、揺り動かす。

 そのうめき声を背にしながら、涛牙は態勢を整える。腹部の傷はかなりの深手だが――治癒の魔導札のストックはなく、涛牙の使える法術は内臓まで届くような負傷を治せるほどの能力はない。

 窮地において尚、瞳から闘志を失わず。せめて呼吸を整えようとする涛牙の様子に、久那牙は軽く目を眇めた。

「まだやるか」

「当然だ」

 問答は端的に。余裕の態度で待ち受ける久那牙目掛けて、涛牙は傷をおして踏み出そうとして。

「おっと」

 軽い口調で久那牙が刀を頭上に掲げ、死角から跳びかかってきた夏凛の攻撃を受け止めた。 

「私に不意打ちは――」

 夏凛に向けて言おうとした久那牙の言葉が不意に途切れる。

 受け止めた攻撃に、力も勢いも感じられなかった。まるで、ただ置かれたような攻撃。その不自然に振り返った時、すでに夏凛は着地していた。

 いや、着地というのもおかしい。なにしろ踏ん張るでもなく足に力が入っていないかのように倒れ込んでいくのだから。

 その倒れ込む勢いそのままに、背中をつけてブレイクダンスのように大きく回転する。振り返った瞬間上を見ていた久那牙の不意をついて襲い掛かる蹴りに、さしもの久那牙も避けきれずに蹴り飛ばされる。

 蹴った反動で夏凛が立ち上がる。と、そこに呼びかける声があった。

「夏凛!剣投げて!」

 声に反応して、夏凛が両手の刀を空に投げ放つと、そこに大剣を構えた黄色い人影が交錯する。

「これはどうだぁ!」

 一度地面にバウンドして、しかし痛痒を感じさせずに立ち直る久那牙に向けて、風が大剣で打ち返した刀が襲い掛かる。

「ぬ」

 その速さは普通に投げつけるよりも遥かに速い。咄嗟に防ごうと久那牙は刀を掲げる。が、狙いの正確さはどうしても劣る。打ち出された刀はどちらも久那牙への直撃コースは取らず。

 自身への攻撃が外れたことへの、一瞬の安堵。その隙を狙って今度は風の大剣が投げつけられる。

 今度は速さも狙いも申し分ない。久那牙は反射的に後ろへと跳び、大剣が地面に激突する。その剣に、桜色の影が駆け寄る。

「やっちゃえ、友奈!」

「どぉりゃああああああ!」

 夏凛の声と、友奈の気合が重なり。友奈のドロップキックが大剣を久那牙に向かって吹き飛ばす。迫る壁のような刀身に、久那牙は切っ先を突き立て大剣を崩壊させるが、大剣自体が持っていた勢いまでは消せない。空中にいては踏みとどまることも出来ず、久那牙は更に大きく吹き飛ばされた。

 吹き飛ばされ、地面を靴底でこすりながら久那牙が構え直すと、そこには5人の勇者と涛牙が揃っていた。

「みんな――なんで」

 状況の急変に呆気に取られる美森に、風が苦笑したような顔を向ける。

「あんだけ派手に戦艦が動いてたら、そりゃ目立つわよ」

 樹海の空を無茶苦茶な軌道で飛びまわった、美森の『満開』武装である戦艦。あれを見れば、どこに美森が――今止めなければならない相手がいるか一目瞭然だ。

「アンタに言いたい事は色々あるけど!今はとりあえずこの場をどうにかするわよ!」

「――バーテックスを倒しきれば樹海は解除され、お前たちは学校に戻れるはずだ。ヤツは、俺が抑える」

 痛みを堪えながらの声に顔を向けて、風は涛牙の腹が赤く染まっていることに驚く。

「白羽くん――その怪我?!」

「致命傷じゃない。急所もきれいに外されてる。ただ、急いでくれ。久那牙を抑えられる時間はそうない」

 言いながら涛牙が一同の前に進み出る中、美森は声を上げた。

「ま、待ってください!風先輩!この世界はもう――」

「火の海でバーテックスはいくらでも来るってんでしょ?!もう白羽くんから聞いたわよ!その上で!世界ぶっ壊すのは反対なのよ!」

 吠える風の傍らで、樹も頷いて賛同の意を示す。

「何で――そうまで自分を犠牲にしようなんて」

 分からない、といった表情の美森に、厳しい面持ちで友奈が向き合う。

「自分を犠牲にだとかそういうんじゃない。わたしは、世界が終わってなんて欲しくない。まして東郷さんが世界を終わらせるなんて、絶対にイヤだ!」

「そんな事!」

 言い争いが始まりそうな気配に辟易としながら、涛牙は傷をおして剣を構える。

「……くれぐれも、東郷を自由にするなよ」

「――ええ」

 風の返事と同時、涛牙が全力で駆け出す。だが、腹部に負った負傷はその速さを大きく減じさせていた。ふらつくことこそないがせいぜい陸上選手程度、魔戒騎士には及ばない。

「その意気やよし」

 応じて久那牙も飛び出し、瞬く間に2人の距離が詰まる。

 互いに得物を振りかぶり、切り結ぼうとした、その一瞬。

 不意に涛牙の姿が消える。転移の法術、と久那牙が意識すると同時。

「――灼刃烈牙、驟雨」

 詠唱に続いて、周囲から無数の光弾が迫る。

 涛牙と打ち合おうと刀を振るい出したその瞬間を狙われ、さしもの久那牙も顔色を変える。

 振り抜く勢いを無理やりに変えて光弾を切り払えば、炸裂性を有していた光弾が盛大に爆裂する。

 押し寄せる衝撃に反射的に目を閉じ、身体を固める。その背に冷たい殺気が突きつけられる。

 いつの間にいたのか。気配を殺してこの場に来ていた海潮が、地を這うような低姿勢で久那牙の背後に迫っていた。

 法術の炸裂が生む音と衝撃を隠れ蓑にした接近。気配さえも当てにできない確殺の奇襲。

 それでもなお、刀を背後に回し構えて久那牙は迫る槍先を防いだ。

「これしきの事で!」

「まあ、防ぐだろうさ」

 防がれることを、海潮は予期していた。穂先を刀身に絡め、強引に地面に押し付ける。片手握りでは抵抗も叶わず、刀が久那牙の手からもぎ取られる。

「む?!」

 そこに、頭上からの気配を感じる。

 転移の法術で久那牙の頭上に飛び出していた涛牙の、捻りを加えた回転斬りだ。更に海潮は態勢を低くしての横薙ぎ払いに動いていた。

 上も背後も左右も。逃げ場は塞がれ、素手では防げない。前に逃げようと槍が突きに転じれば貫かれる。

 いくつもの攻め手を重ねて必殺の状況を生み出す。多くの手札と経験が作り上げる、搦手の妙。

 

 涛牙と海潮が作り上げた、久那牙にとっての確殺状況。

 そこに、矢の雨が降り注いだ。

 

 豪雨のように叩き込まれる光の矢。地面にぶつかり轟音が上がる中。

「――無事?!」

 巨大化させた大剣を傘代わりにして、風は呼びかけた。

「っ、ああ」

「いや、助かった」

 応えたのは、樹のワイヤーで巻き取られた涛牙と海潮だ。

 涛牙&海潮と久那牙の戦いの傍らで友奈と美森がにらみ合う中。ふと、離れたところにある2つ目の壁の大穴の向こうに何かが光った事に気づいたのは風だった。

 それが何か分かったわけではないが、マズいと感じた風は樹に指示を飛ばして、今まさに久那牙を討とうとした2人を引き寄せた次の瞬間に、光の矢の雨が辺り一面に降り注いだのだった。

「これは――」

 その光の矢に、風は、そして樹も見覚えがあった。

 

 一方、友奈と夏凛、そして美森は異変を察してこちらは飛び退った。大穴の方を見返して、そこに大きな影を認めて。それぞれの顔に緊張が走る。

「まだ、いたの……?」

 友奈の慄いたような声に応じて、夏凛は渋い顔をする。

「まあ、いるわよね。夏の決戦で潰した奴もさっきいたんだし」

 大穴から姿を見せるのは、先ほど夏凛が相手にしたものとは別の、星座型バーテックスたちだ。 




無印牙狼からして、魔戒騎士は結構重力を無視する。木の幹に立ったり、壁を走ったり。これ、豆知識。

星座型バーテックス第2陣「お邪魔しま~す」
勇者部一同「帰れ!」


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第34話「ブラック・ブレイズ(呀)」

うい、お待たせしました。
第34話、お届けです。

毎度時間がかかって申し訳ないです。なかなか友奈の章が終わらない・・・



 美森の砲撃により大きな穴が開いた神樹の壁。その穴から這い出てくる巨影に、勇者たちは見覚えがあった。

 先頭に立って樹海に入り込んできたのは、防御と反射の機能を有する板を自身の周囲に展開する、キャンサー・バーテックス。

 次いで侵入してくるのは、アリエス、タウルス、アクエリアス。初夏の決戦で撃破したはずのバーテックスだが、この3ヶ月ほどの間に再度生み出されていたようだ。

 そして最後に、先ほど矢の雨を降らせたサジタリウス・バーテックスが姿を現わす。

「コイツらっ……!」

 軋るような声が夏凛から洩れる。先ほど仕留めた5体の星座型が直接的な攻めを主体とするなら、ここに来た組み合わせは勇者を封殺することを得意とするバーテックスだ。特にタウルスの音とアクエリアスの粘性の水はすこぶる性質が悪い。場合によってはあっさりと抵抗不能に陥りかねない。

「終わりよ、友奈ちゃん」

 表情を強張らせる友奈に向けて、美森の声が届く。

 バーテックスたちへの注意を残しながら振り向けば、こちらもバーテックスに注意を払いながら美森がライフルを友奈に向けていた。

「――東郷さん」

 青ざめ、追い詰められた表情の美森に友奈も静かに構えを取る。分かっている事だった、美森を言葉で止められないという事は。

 それでも美森の凶行を止めようというなら。自分の願いを突き通すためなら。

 父から教わった拳を人に向けて揮う他ない。 

 美森もまた、その友奈の態度で彼女が不退転の決意を固めた事を悟る。友奈は世界が終わる事を認めないし、そのためなら自分と戦うことも避けないと。

 視界の端で立ち位置を調整する夏凛には左手の散弾銃を向ける。『散華』で機能自体は失ったが、補助パーツのおかげで動かす事、そして手にした銃器の引き金を引く分には問題ない。

 後は何かのきっかけがあれば、友奈・夏凛と美森の戦いの火蓋が切られるだろう。

 そんな勇者側の内輪もめなどバーテックスはもちろん知った事ではない。侵入してきた5体は横並びに整列し――不意に、その動きが止まる。

「?」

 その様子を風が訝しむ。何かの作戦か、或いはこれから一気呵成に押し寄せるのか――そう思った時、バーテックスの顔?が一斉にある一点に集中した。

 その場所――先のサジタリウスの掃射で立ち上った土煙が晴れていく先で、黒いマントが翻る。

「なぁっ……」

 あれだけの矢の雨に晒されたというのに、久那牙の身体には傷一つない。せいぜいマントの端が破れた程度だ。涛牙と海潮が樹によって引き戻されたあの一瞬で刀を取り直し、降り注ぐ矢の雨を切り払ったというのか。

 軽い手つきでマントの埃を払って。そこで久那牙は自分がバーテックスに注目されている事を察した。

「ん?」

 久那牙が軽く首を傾げると同時、硬直していたバーテックスがついに動き出した。

 アリエスの触覚から雷撃が迸り、久那牙の頭上から降り注ぐ。

 その雷を刀の一閃で切り払いながら久那牙が後退すると、次いでアクエリアスが両脇の水球から放水を放つ。ウォーターカッターのような強烈な放水は、久那牙を両脇から挟むように振り回される。

 交差する放水を高く跳んでかわす久那牙を、更なる追撃が襲う。

 サジタリウスの2つの口のうち、閉じていた上の口が開き、そこに巨大な1本の矢が形成されるやすぐさま放たれる。

「ちっ」

 舌打ちしながら刀で受けるが、先ほど風の投剣を防いだ時と同様に矢そのものは砕けても矢が持っていた衝撃までは無効化出来ない。吹き飛ばされ、アクエリアスの放水で濡れた地面に着地し、そのまま滑っていく。

「おっと……!」

 それでも態勢を崩さずに済ませる久那牙だが、これで足を使って逃げる道を封じられた。

 そこに、タウルスが鳴らす鐘の音が響く。轟音に顔をしかめた風だが、鳴らされた音が次第に高音になっていく事に気づく。

「これ、音が……?」

 タウルスをよく見れば、前に突き出した2本の角が細かく振動している。更には、樹が指さした先で、角に挟まれた空間自体も何やら波紋のように波打っていく。

「あの角――増幅器か!」

 何が起きているか涛牙が察する合間にも音はみるみると高くなり、遂には人間の可聴域を超える。その瞬間。

 

 ィンッ!

 

 そんな、耳には聞こえない音と共に、タウルスから収束した超音波が放たれた。

 樹海の大地の表面を、撒き散らされた水を。分解し微塵としながら、破壊音波が文字通り音速で久那牙に襲い掛かる。

「ハアッ!」

 迫る脅威を察して久那牙が刀を地面に叩きつけるや、地面を浸した水が噴き上がって障壁となる。が、超音波に触れれば水の障壁は飛沫に変わる。1つ目の波は防げても、後に連なる音はそれだけでは防げない。

「――なんとっ?!」

 驚愕しながらも久那牙は魔導札を用いて障壁の術を展開する。だが、それも容易く砕け散り、久那牙の身体は超音波の渦に吹き飛ばされた。

 目に見えず、受ければ跫音の波と共鳴振動で内臓をグチャグチャにされて死に至る必殺の攻撃。精霊バリアは致命傷こそ防ぐが、脳を揺らすような轟音を防げるかどうか。

 音を増幅するための時間は必要だろうが、他のバーテックスと連携すればそこも補える。そんな驚異の攻撃に、勇者たちがゾッとする。

「なんて攻撃よ……!」

 呻くような夏凛の声に恐れが混じっていても仕方ない。分かりやすい脅威であるレオの火球とはまた別種の危険だ。

「く、う」

 水と障壁術を間に挟んだとはいえ、それを受けて眩暈程度で立ち上がれる久那牙もまた怪物じみているが。

「――なるほど。力そのものならともかく、力を載せただけの音は、さすがに斬れないか」

 軽くよろけながらも、久那牙はアクエリアスによって濡らされ滑るはずの地面に悠然と立ち上がった。真剣な面持ちでバーテックスたちを見つめ――フムと合点する。

「ああ。私を知っているのか。遭ったバーテックスは全て喰らっているが、バーテックス自体に情報共有の機能でもあるのかな?まあ、西暦時代も毎度全滅しながら次の策を講じていたというあたり、有り得る話か」

 言いながら、口元に左手を寄せる。

「ならこちらも――本気で()ろうか」

 左手のペンダントに息を吹きかける。すると、ペンダントが昏い輝きを放った。闇のような輝きという、矛盾した光を。

「あれは!」

 その輝きを見て、涛牙が身を起こす。その顔はこれまで以上に険しくなっていた。

 久那牙が大きく腕を振るえば、その動きに応じて闇色の光が虚空に円を描く。

 それが何を意味しているのか、バーテックスたちが分かっていたわけではないだろう。

 だが、久那牙の健在を察してタウルスが再度鐘を鳴らし、サジタリウスの下の口に矢の雨が充填される。

 それらを見ながら。慌てる素振りもなく久那牙は左手を天にかざし、円環もまた久那牙の頭上に移動する。

 充填を終えると同時、サジタリウスから矢の豪雨が放たれる。先ほどの攻撃よりも更に密集した、一点集中の矢の雨だ。人一人がくぐり抜けるような隙間もないその斉射を受ければ、精霊バリア無しの勇者もミンチと化す。

 そんな弾雨が迫るのを見ながら、久那牙は天から何かをつかみ取るように左手を胸元に引き寄せた。円環からの光がひと際強まり――そこにサジタリウスの攻撃が着弾した。

 先ほどの不意打ちを更に上回る土煙が朦々と立ち上り。

「――フンッ!」

 内側から膨れ上がった気迫に、一息で吹き散らされる。

 その奥から、黒い人影が現れた。

 

 手にしていた刀はより分厚く、大きく、身の丈ほどの全長を持つ大太刀に変わり、その身に纏うのは涛牙のハガネよりも、遥かに重厚で、鋭利なシルエットの黒い鎧。

 だが、その黒は、黒曜石やオニキスのような光沢のある黒ではない。

 爪牙や鋭角な箇所からわずかに鈍い銀色が覗く他は、影か或いは夜の闇がそのまま人型に押し固められたような、艶も照りもない、暗黒の色。

 その鎧の()を、涛牙は知っている。その鎧が宿す禁忌の深さと共に。

「……キバ」

 

 それは闇に魂を売り渡し、歩むべき正道を外れた魔戒騎士が宿す禍つ名。

 

 暗 黒 騎 士 (キバ)

 

 血の如き真紅の瞳で、キバの鎧を纏った久那牙はバーテックスに向き直る。ただそれだけの動作で、バーテックスたちがたじろいだように震える。

 友奈たちもまた、その全身で感じたのは刺すような寒気だ。そこに暗黒の鎧が在るというだけで、樹海の空気が冷たく、重くなったような錯覚を覚えるほどの。

 或いはそれは、恐怖だったのか。サジタリウスが上の口を開き、1本の長大な矢が形成される。広域を制圧する矢の雨でなく、その一撃で相手を屠るための必殺を期した矢だ。

 悠然と歩みだすキバに向けて放たれたその矢は、勇者であっても迂闊に受ければ武器を弾かれそのまま射抜かれるほどの威力を有する。

 だが、そんな必殺の矢が。

 キバの鎧に触れるや光の粒子に霧散する。小動もしないキバの歩みを見れば激突の衝撃さえ存在しないかのようだ。

 その様子に明らかにたじろいだサジタリウスを入れ替わるようにアクエリアスがキバに突撃する。体躯の両脇にある水球、その一つがまるで拳のように振り上げられ――歩を進めるキバに向けて叩きつけられる。

 その水球をアクエリアス自身が切り離し後退したところに、アリエスの雷が降り注ぐ。

 雷撃を纏った水流が球体の中で蠢き、渦巻く水の流れと圧力が中に囚われたキバをすり潰そうとする。一方、タウルスは頭上の鐘を激しくかき鳴らし、双角の狭間で超音波を増幅させていく。増幅する音波により角に挟まれた空間が歪み――さらには光り始める。

「な、なに?!」

 風の声に答えたのは海潮だった。

「音で大気が歪み――光が散乱するほどに屈折しているのか」

 先ほどの破壊衝撃波を尚上回る威力をキバにぶつけようとするタウルス。その標的であるキバは、渦巻く水の中でありながら誓いを立てる騎士のように悠然と刀――黒炎刀を構えた。

 そして。

「――ハアアアッ!」

 そんな咆哮が聞こえたのは、キバを捉えていた水球が弾け飛んだからだった。

 アクエリアスが水球を解いた――わけではない。キバの内側から膨れ上がった魔導力が、バーテックスの水球を打ち砕いたのだ。

 先ほど空中の涛牙を弾いた魔導力の解放。それすらも圧倒する力の奔流は、文字通り天を突くほどに荒れ狂い、水球も雷撃もまとめて弾き散らす。

 自由を取り戻したキバが黒炎刀を振るうと、掲げた刃が蒼く燃え上がる。久那牙の魔導力で灯った蒼炎は瞬く間に膨れ上がり、その火力が跳ね上がっていく。

 ギロリ、と。キバが向けた視線がタウルスに突き刺さり。答えるようにタウルスから光が放たれる。それは可聴域を超えた超音波によって分解された空間そのもの。大気の超振動により触れる物を分解・切断する超音波メス。

 何物も切り裂く超音波メスがキバに向かって奔り。

「オオッ!」

 対するキバが黒炎刀を振り抜き、膨れ上がった蒼炎がキバの眼前の空間、そこにあった大気全てを焼き尽くす。

 

 サジタリウスの矢やアリエスの雷撃、アクエリアスの水は“バーテックスの力そのもの”であるのに対して、タウルスの攻撃は、実際に存在する『音』にバーテックスの力が乗ったものだ。

 それ故に、バーテックスの力を取り込むキバに対して、タウルスの攻撃は確かに有効だった。

 だが。一方で、実際に存在する『音』は大気の振動、波であることから逃れられない。つまり。

 

 真空を、超音波は進めない。

 

 タウルス必殺の超音波メスは、キバの一撃によって生じた真空と、遅れてそこに流れ込む膨大な空気によって空間自体が乱されたことで無効化されたのだった。

 相応の溜め時間を要する必殺の一撃。それを無効化された事実にバーテックスの反応が遅れる。

 その隙を、キバは逃しはしない。 

 未だ荒れる大気を突き抜けて、キバが疾走する。

 一歩目で最高速に到達したキバはさながら黒い風だ。瞬く間にバーテックスたちの布陣に割り込み、その標的をタウルスに定める。

 タウルスに駆け寄り、角に向けて身体を捻りながら跳躍。独楽のように回転しながらタウルスの角と交錯する。

 当然、その回転には黒炎刀の刃付きだ。

 ガガガガガガッ!と削り取る音が連なり、タウルスの角の一本がズタズタに切り刻まれていく。深々と抉られたその傷は――修復しない。

 勇者たちが切られた時と同じだ。回復するための力が黒炎刀に吸収されるせいで、バーテックスの回復能力が発揮されないのだ。

 そして、キバの攻撃は止まらない。

 角の根元まで切り刻んだ勢いのままにタウルスの身体に飛び乗ったキバは、その巨体の上を駆けて頭上の鐘までたどり着くと、鐘を支えていた台座を根元から切り裂き、宙に舞った鐘を蹴り飛ばす。キバから受けたダメージが回復できない以上、この時点でタウルスは戦闘能力のほとんどを失った。

 もっとも、無力化程度でキバは止まらない。

 地面に落ちる鐘を追って両断する勢いで、キバは黒炎刀を樹海に叩きつけた。金属がぶつかる甲高い音が響き――手にした黒炎刀が姿を変える。

 身の丈を越える長大な刀。刀身と鍔、柄までが刃と一体化したその形は、刀剣というよりは握るための穴が開いたギロチンのような、そんな姿だ。

 そんな巨大刀――黒炎斬光刀を手にキバはタウルスに振り返り、再び風となる。

 黒い残像を残してタウルスの周りを駆けまわり跳びまわり、黒炎斬光刀を縦横に振るう。その一撃は黒炎刀の時よりも遥かに深く、鋭く。タウルスの巨体が瞬く間にズタズタに刻まれていく。

 抵抗できずに破壊されるタウルスに向けて、サジタリウスが空から矢の雨を降らせる。高い再生能力を活かし、同胞(バーテックス)もろとも敵を攻撃する戦法でキバをタウルスから離そうとしたその攻撃は、しかし、無意味だった。

 降り注ぐ矢の雨もバーテックスの『力』の塊である以上、キバの鎧の前では牽制にさえならない。矢の雨の中で尚キバは存分に暴れまわり、タウルスが壊されていく。

 そしてついにトドメの時が来た。

 天高く舞ったキバが闘気を込めて、黒炎斬光刀が激しく燃え上がる。見上げた友奈たちからは、それはまるで夜に浮かぶ青い三日月のように見えた。

 その三日月をキバは振りかぶり、

「ハアアアアアアアッ!!!」

 渾身で振り抜く。

 タウルスの身体に着地すると同時に叩き込まれたその斬撃は、その一刀でタウルスの巨体を真っ二つに両断した。

 その一撃で体内の御霊さえ破壊されたのか、タウルスは動きを止めるとそのまま末端から七色の粒子へと霧散し。

「コォォォ……」

 その粒子は天に還ることなく、キバの鎧に呑み込まれていく。

「――マジ?」

 風から唖然とした声が漏れる。

 勇者である自分たちも確かに斬られ、勇者の力を吸い取られたが、バーテックス――それも星座の名を冠する完成型を倒し、喰らいつくすとは思っていなかったのだ。

 その様子を残るバーテックスたちも見ていた。

 奴らは慄くように後退し、空いたままの大穴から逃げ出そうとしていた。キバはもはや、ヒトのような意思や感情などないはずのバーテックスがそれでも怯える相手なのだ。

 そんな撤退を、それも元々の足の遅さのせいでゆっくりとした退避を。まさかキバが許すはずもない。

 黒炎斬光刀をゴウ、と振るい、横に大きく掲げる。

 未だ蒼い魔導火が燃える刃にタウルスから散っていた粒子が鎧と同様に呑み込まれていき――空よりも尚青かった炎が変わっていく。濃く、深く、昏く。

 刃が粒子の吸収を止まったとき。まるで無数の色が混ざり合った果てのように、その魔導火は黒く染まっていた。

 黒く燃える切っ先を一度バーテックスたちに向けて。キバは刃を大きく振りかぶり。

「オオオオオオオッ!!!」

 一度回転して勢いをつけたうえで、思いっきり横薙ぎに振り抜いた。黒く燃える炎の斬撃が、撤退しようとするバーテックスたちを巻き込むほどに広がり宙を走る。

 迫りくる漆黒の三日月に立ち塞がったのはキャンサーだった。身の回りの板を操作して迫る斬撃にぶつける。防御板自体の強度と、遠距離攻撃に対する反射の性質を活かしてこの一撃を凌ごうとしたのだ。

 黒炎と防御板が激突し――防御板は一瞬さえ保たずに両断される。反射の機能はそれ自体が発動しなかった。防御板で防げなかった以上、黒い斬撃は軌道上のバーテックスたちをまとめて斬断する。

 阻もうとしたキャンサーが。キャンサーに守られていたサジタリウスとアクエリアスが。胴の半ばで両断された。

 それだけでは終わらない。

 黒い炎はバーテックスの身体に燃え移り、薄紙に火をつけたような勢いでその巨体を焼いていく。

 回復や再生を許さない、どころではない。あの黒炎は、一撃でも喰らえば対象を燃やし尽くすまで止まらないというのか。アクエリアスに至っては、水が詰まっているはずの水球さえもが燃えていく。

 その巨体が燃え尽きる様を見て、キバはふと気づいたように呟いた。

「……直接斬らないといけないようだな」

 バーテックスを撃破した時に立ち上る粒子が、燃え尽きる3体からは上がらない。ただただ黒く燃えて――灰も残さず消えていく。黒い魔導火で燃やし殺してはバーテックスを吸収出来ないようだった。

 その様子にかすかな落胆を覗かせて。

 

 キバは勇者たちに向き直った。

 眼光に晒され、勇者たちも揃って後退る。

「あんな、一瞬で」

 つい先ほど、同じように星座型バーテックス複数を相手取った夏凛の声に含まれるのは掛け値なしの恐怖だ。

 自身が『満開』を複数使ってようやく撃破した敵を、久那牙は――漆黒の鎧を纏った怪物は文字通り蹴散らしたのだ。なまじ戦士として鍛えられたからこそ、次元の違いを肌身で思い知る。

「……『満開』並みってわけ?」

 夏凛が恐れを零すのと同様に、引きつったような声を風が漏らす。星座型バーテックスさえ瞬殺する様を見せられては、歩み寄る黒騎士への恐怖はかつて相対したレオ・スタークラスターすら上回る。

 姉と同様に慄き、身体を硬くする樹の肩を、不意に海潮がポンと叩いた。ハッと見上げた樹に軽く微笑んで、海潮が、そして風の傍から涛牙が進み出る。

「ちょ、白羽くん?!」

 自殺行為とさえ思える2人の様子に風が声を掛けるが、涛牙は振り向くことなく言った。

「力比べなら、勇者が圧倒する。ヤツはただ――勇者にもバーテックスにも相性がいいだけだ」

 魔戒騎士は、鎧を纏ったからといって身体能力が何十倍にも強大化するわけではない。キバの鎧を纏った久那牙も生身で切り結んだ時とそこまで変わるわけではない。もしあの段階で勇者並みの力なら――涛牙はすでに死んでいる。

 

 久那牙が勇者を、そしてバーテックスを一方的に叩けるのは、その刃を勇者・バーテックスが防げず或いは回復出来ず、キバの鎧を纏われれば攻撃が通じないという、その特性によるものだ。

 それは、或いはバーテックスに対する皮肉か。

 西暦の時代、バーテックスが人類を滅ぼす脅威となった最大の要因は“人間の力では倒せない”という一点に尽きる。それに比べれば数の脅威も進化能力も大した事はない。

 軍隊の兵器も火器も、自動車の激突・爆発も、或いは人が振り回す棒や鈍器も、星屑を倒すことも傷つけることも出来なかった。

 それ故人類は一方的に殲滅され、神の力を揮い星屑を倒せる無垢な少女――『勇者』だけが一抹の希望となったのだ。

 キバがバーテックスに突きつけたのは、まさにその返礼だ。バーテックスの攻撃はキバに通じず、キバの攻撃をバーテックスは防げない。

 だから。

 

「儂らでヤツは抑えよう。なので勇者様、バーテックスの討伐を」

 海潮が視線で示した先。キバの背後に残されたアリエスが所在なさげに佇んでいる。

 樹海内に入ってきたバーテックスの、おそらく最後の一体。アリエスがいる限り樹海は解除されない。キバがアリエスを守るような態度を見せるのはそれを見越してのこと。

 当然と言えば当然か。キバにとってアリエスは何の脅威でもないのだから。そして勇者も、鎧を纏ったキバに対しては無力でしかない。

 キバと、わずかな時間と言えど戦えるのは――神に由来する力を持たない涛牙と海潮だけだ。

「白羽くんたちが黒尽くめを抑える間に、バーテックスを潰せ、てことね」

 頷いてくる涛牙を見て、風も涛牙に声を掛けた。

「――分かった。そっちは頼むわよ」

「ああ」

 短く答えて、涛牙と海潮は前に出ると涛牙は剣を、海潮は槍をキバに突きつける。

 その様子にキバは脚を止め、失笑したように肩を震わせるとこちらも黒炎刀を構える。

 半身の態勢で片手に武器を構えるその姿は、不思議と似通っていた。

 途端に空気が張り詰めていく中で風はいつでも飛び出せるように姿勢を低くし――樹も同じように腰を落とす。

 風が視線で問うと、樹も緊張に青ざめた顔でしかし頷いてきた。

 何をするか樹も理解していると気づいて、風は奥歯を噛みしめた。

 バーテックスを倒す方法は2つだ。『封印の儀』か『満開』か。

(『封印の儀』じゃ時間がかかるしその後出てくる御霊まで壊さなきゃならない――一発で潰すなら)

 『満開』で行くしかない。身体機能の何かを引き換えにする、『満開』で。

 風は自身の満開ゲージに目をやる。夏凛と、涛牙と、星屑の群れと。戦い続けたことでゲージはすでに溜まりきっている。ならば樹もゲージは溜まっているだろう。

 自分1人では久那牙に阻まれる可能性は高い――バーテックスを倒されたくないなら勇者に注意を払うのは当然だ。だが樹を2人がかりなら?成算は上がる。

「――ごめんね、樹」

 謝罪に首を横に振る樹にもう一度内心で謝って、風は自身の集中を高める。僅かな隙も見落としてはならない。

 何か合図があったわけではない。だが、不意に涛牙と海潮、久那牙が同時に地を蹴る。開いていたはずの距離はあっという間に剣戟の間合いとなり3人がそれぞれに武器を振るう。

 

 瞬間。空が赤く染まり。

 炸裂した爆発が辺りを薙ぎ払った。




牙狼シリーズで悪堕ちした騎士といえば、コイツだよね。


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第35話「マイ・フレンド(この絆は消えない)」

はい、夏の熱さや急な雨に負けながらも何とかかんとか続いています、このお話。


 噴き荒れる轟炎。立ち上るキノコ雲。

 自身が放った火球が彼方に齎した破壊の様子を、その巨体はただ静かに見据えていた。

 ジェミニを除けばみな巨大な威容を誇る星座型を尚上回る巨躯。体躯の中心から放射状に伸びる角が表すのは、鬣か或いは後光か。

 レオ・バーテックス。単機のバーテックスとしては最強たる一体。

 美森が空けた最初の穴から侵入を果たしたその姿は、しかし以前の決戦で見せた雄々しい姿とは一変していた。

 他の星座型を凌駕する巨体と『満開』無しなら当代の勇者さえ圧倒するスペックは、裏を返せば再構築までに要する時間も他の星座型よりも長くなる。

 未だあちこちが欠けた様は、このレオ・バーテックスが未完成であることを如実に示している。

 そんな万全とは言い難い状態ではあるが、それでもレオは紛れもなく最強のバーテックスでありその脅威が聊かも欠けていないことは、先の収束火球の破壊力からも明らかだ。

 そして、レオ・バーテックスは進撃を開始した。

 中央の角が2つに割れてそこから多数の火球を呼び出し、自身の周囲に展開させつつ、再度収束火球のチャージを開始。その上先ほど火球を叩き込んだ方向に正対しながら、カニのように横向きに神樹へ向けて動き出す。

 それは敵に対する最大級の警戒態勢。

 攻撃手段自体は長距離砲撃と小型の誘導弾に限定されるレオにとって、接近されることは避けたい事態だ。故に、小型誘導弾で接近を阻みつつ最大火力を絶え間なく撃ち続ける戦法をレオは選択した。

 収束火球がチャージされるやすぐさまレオは砲撃を発射。

 樹海に極大の破壊をまき散らしながら、レオは神樹へと進撃していく。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇
 

 荒れ狂う熱波。周囲を一掃する衝撃。

 齎された破壊にさすがに頭を振って意識をハッキリさせながらも、暗黒の鎧はすっくと立ちあがった。 見渡す限り全てを薙ぎ払うような威力があったはずだが、その動きには澱みがない。

「……………」

 切り結ぶ直前の横やり。その一撃がもたらした破壊を見渡せば、そこには久那牙以外誰もいない。

「まさかな」

 消し飛んだか、と浮かんだ考えを一蹴する。キバの鎧はバーテックスの攻撃を無力化出来るが、空中で炸裂したあの火球の熱や衝撃はそうはいかない。その自分が生きているのだから――あの2人も死んではいまい。単純に、吹き飛ばされただけか。

 そんな事を考えていたのが、或いは隙だったか。

 不意に背後に気配が膨れ上がる。

 振り返った先、未だ漂う土煙を突き抜けて突進してくるのは――アリエス・バーテックスの巨体。

「!」

 さすがに黒炎刀を振るう暇もなく、正面から激突されて久那牙はそのまま地面に転がされた。

 純粋なパワー勝負では、キバの鎧を纏っていても久那牙は星座型には遠く及ばない。激突すればそのまま押し負けるのは必然だ。

 アリエスはそこで止まらない。

 突進の勢いそのままに頭部をキバにぶつけ、樹海の地面とこすり合わせながら一気呵成に押し込んでいく。

 それは、一矢報いようとする気概か、レオへの脅威を抑え込もうという意思の表れか。体当たりからの圧し込みでキバをどうにかしようとしている。

 密着状態では黒炎刀を振るうことも出来ず、拳で殴りつければアリエスの体躯が削れるが――もとより他の星座型よりも強力な再生能力を持つアリエスはそのダメージをすぐさま修復する。

 そうして地面に押し付けられる久那牙の視界に遠くから飛んできた火球が入り込むやすぐさま炸裂。熱と衝撃がアリエスもろとも久那牙を襲う。

「ちいっ……」

 それなり程度のダメージが蓄積していくのを感じながら、久那牙はアリエスをひたすら殴り続ける。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇
 

「う、うぅぅ……」

 不意打ちの爆発に吹き飛ばされたのは、友奈たち勇者も同様だった。

 精霊バリアで怪我こそないが吹き飛ばされた衝撃に呻きながら、友奈は身を起こした。

「――さっきのは」

 見覚えは、ある。

 最強のバーテックス、レオの放つ火球。

「そっか、最初の穴から」

 考えれば、当たり前の話だった。夏凛が大立ち回りを演じたさっきの戦い、初夏の決戦で倒したバーテックスも出てきていたじゃないか。なら、レオだって復活していておかしくないし、穴が空いたままなら入ってくるのも当然だ。

 穴を塞ぐ導具なんてないからどうしようもない事ではあるが。注意を払わないのは迂闊だった。

 反省と、沈みそうになる気を取り直して顔を上げると、そこに牛鬼がスマホを持ってきた。

 樹海のマップ画面には、散り散りになった勇者たちと、神樹に向かう『獅子型』、そしてそれとは関係ない方向に突き進んでいく『牡羊型』の文字。

「二手に、別れた?」

 勇者を分散するつもりかと思った友奈がつい声を上げる。

 だが、勇者を分断すればそれだけバーテックスにとっての脅威は減るし、どちらも放っておいていいわけでもない。「神樹に到達されたら終わり」なのは、どのバーテックスも同じことだ。

 そしてマップ画面では、他の勇者のマークは動いていない。レオの火球が飛んできたことは皆分かっているだろうに動いていないという事は、気絶か何かで動けないという事か。

「――なら!」 

 動ける自分が行くしかない。

 手甲の満開ゲージを見れば、あと少しで溜まりきりそうだ。1人でも――何とかなる、かもしれない。

「結城 友奈、行きますっ!」

 自らを鼓舞しながら、友奈は大地を蹴って高く跳躍した。

 

 一度目の跳躍でレオの姿を遠目に捉えた友奈は、その後数度の跳躍でレオまでかなり近づいた。

 その間にもレオは収束火球を生成しては遠くへ撃ち込み、そのたびに遠くで――しかし場所を移動しながら爆発が巻き起こる。

 勇者である自分に火球が飛んでこないのが気になったが、樹海の地図を見ていて友奈は気づいた。

「さっきから――アリエスに撃ってる?」

 どうも火球の飛んでいく先にアリエスがいるらしい事を察して小首を傾げる。仲間意識があるか分からないが同じバーテックスに向けて何故攻撃をするのか?

 疑問が浮かぶが、いや、と気持ちを切り替える。火球をぶつけてこられない今が接近のチャンスだ。

 だが、レオだって友奈に気づいていないわけではない。

 周囲に浮かんでいた小型の火球が、いくつも友奈に向かって飛んでくる。或いは、勇者に対しては数で制圧する事が適していると学習したのかもしれない。

「――押しとおる!」

 もちろんそんなことで友奈は止まらない。

 繰り返していたジャンプから、着地と同時に全力ダッシュに切り替える。

 追尾能力を持った火球はそんな友奈を追い、或いは先回りするように飛んで友奈に迫る。よくよく見れば、それは炎を纏った星屑だ。なるほど、星屑が元になっているなら途中で軌道が変わるのも納得だ。

 これが初見なら友奈も面食らっただろうが、生憎小型火球が追尾してくるのはもう知っている。

 接触する間際に地面に軽く蹴る。フワリと舞った友奈は火球を跳び越えざまに、回転蹴りの要領で火球を蹴り抜く。

 精霊・火車の能力で蹴り足は炎を纏っている。おかげで火球自体の炎の熱は友奈には伝わらず、蹴った瞬間に炸裂した火球の衝撃は精霊バリアで受けて移動に利用する。

 蹴られた火球の爆発に他の火球も巻き込まれていくのを背後に、友奈はレオに向けて全力で駆け抜ける。

 レオもまた友奈に向けて小型火球の弾幕で迎撃しようとする。が、友奈の突撃力なら急ごしらえの弾幕を突き抜けることは出来る。

(近づいて――一気に決める!)

 渾身の力を込めて大地を蹴り、弾幕へと飛び込む友奈の頭上を、後方から迫る閃光が抜けていく。

「えっ?!」

 友奈の跳躍より速く閃光は小型火球に着弾し――発生した爆発が友奈の突進を抑えてしまう。

「今のって――!」

 押し返されながら、閃光が放たれた後方を振り返る。

 ずっと遠く。姿は豆粒のように小さいが――勇者として強化された視力で、友奈には翻る黒髪が見えた。

「――東郷さんっ!」

「バーテックスの、邪魔はさせないわ!」

 互いに声は聞こえないが。2人の勇者の視線がぶつかり合う。

 

 その一拍を、レオ・バーテックスは見逃さない。

 

 胴体中央、左右に分かれていた角が更に大きく広がり、そこから大量の火球が、文字通り押し寄せるように友奈と美森双方に向けて降り注ぐ。

「、このっ!」

 徒手空拳で切り抜けるにはさすがに無理がある。友奈は一度後方へ跳ぶと、追ってくる小型火球を引き連れながら回り込んでレオへ迫ろうと樹海を跳び、跳ね、駆け回る。

「ちいっ……」

 他方、美森はその左腕に新たな武器を装着した。先ほどの『満開』の結果増えた新しい武器だ。引き金を引くようにイメージすると、銃身が回転しながら怒涛の勢いで弾丸を放ち始める。途切れなく連なる発射音はチェーンソーのようにブオォォォ……と連なり、迫る火球を次々迎撃していく。

「対空機関砲、ということね」

 樹海の空に無数の爆発を起こしながら、しかし美森の注意は迫る火球にはない。

 沈黙していたライフルを、不意に構えて放つ。

 閃光は空を切り裂き、間にたまたまいた火球を貫き、レオに向かって跳んでいた友奈に襲い掛かる。

「うわぁっ!」

 精霊バリアにより直撃こそしないが、レオに取り付こうとしていた友奈を邪魔するには充分だ。体勢を崩した友奈は、彼女を追ってきた火球の群れに呑み込まれ――

「とりゃあっ!」

 ――るよりも前に。友奈のストレートが振り抜かれる。拳が触れる距離ではないが、精霊・牛鬼の力を纏った拳から燃える衝撃波が放たれ、迫ってきた火球をいくつか巻き込み粉砕。同時に起こった爆発が後続の火球をもまとめて破壊し連鎖爆発が派手に起こる。

 ひとまず火球の脅威がなくなった事を確かめながら、しかし友奈は思案する。

(ただ飛びつくだけじゃ東郷さんが邪魔してくる。レオの影に回り込む?)

 1人でレオを倒そうというなら『満開』しかない。だが『満開』には制限時間がある。使うなら極力近づいてから使いたいし、だから何とか取り付こうとしているのだが。

 だが、レオも勇者に接近されることを嫌っている。未だ開いたままの角から次々と星屑を吐き出しては燃やして火球と化し、友奈と美森に向けてバラ撒き、さらに一部を自身の周りに漂わせて接近に対するカウンターとしている。文字通り物量に物を言わせた戦法だ。

(なら、やるしかないね)

 一度大きく息をついて見上げたレオの巨体。その更に上に。

「バーテックスの邪魔はさせない!」

 再び『満開』を果たした美森が、戦艦の上から砲口を友奈に向けていた。

「と、東郷さぁぁぁん?!」

 レオの周りを固めていた火球も余波でまとめて吹き飛ばしながら、光の柱が友奈の周囲に突き刺さり、友奈の悲鳴は爆発の中に消えていく。

 美森は眼下から上る土煙を険しい顔で見下ろして。

 その土煙を突き破って飛び出してきた友奈に向けて2撃目を撃ち込む。

 だが、友奈も『満開』を果たして飛行能力を獲得している。ヒラリと砲撃をかわすと、速度を増して美森へと吶喊する。

「うあああぁぁぁぁぁ!!!」

「さ、せ、ない!」

 友奈の背負った巨大アームが美森の砲身を掴もうと迫り、させじと美森が船体を錐揉みさせてかわす。かわしざま、戦艦が空を走り出し、背後に向けた砲から放った砲撃が友奈に襲い掛かり、しかし振るわれたアームが砲撃を弾き散らす。

「友奈ちゃん――もう、諦めて!」

「そんなの、絶対にイヤだ!」

 美森の言葉を一言で拒否して、友奈は美森にではなくレオへと向かう。友奈にとって、まず最初にどうにかすべきなのはレオ・バーテックスに他ならない。

 それを察して、美森も急激な方向転換からレオと友奈の間に向けて砲を撃ち込み、両者の間に割り込む。

「っ!――バーテックスが神樹様にたどり着いたら、わたし達の世界がなくなっちゃうよ!」

「それでいいの。どれだけ供物を、犠牲を重ねて行っても、私達の戦いは終わらない。いいえ、私たちが戦えなくなってももっとずっと続いていく……そんな世界なんて、いっそ消えてしまった方がいいのよ」

 レオに近づこうと飛びまわる友奈に向けて、美森の戦艦から連続して砲火が迸る。8つの砲を順繰りに撃つことで美森は砲撃の弾幕を作って見せた。

「そんな事、東郷さんでも勝手に決めていいわけない!」

 消耗を減らそうと紙一重での回避を続けながら叫ぶ友奈に、美森も砲撃と共に叫び返す。

「なら、世界のためなら私たちがどうなってもいいなんて、大赦が決めていい理由もない!」

「っ」

 痛いところを突かれて押し黙る友奈に、美森はさらに続ける。

「大赦が、私たちの知らないところで決めていたの。数名の勇者を生贄同然に、延々と戦わせて、世界を――四国しか残っていないこの世界を維持しようと。世界の真実も、『満開』の代償も、大事な事には全て口を噤んで!神聖な御役目だって、選ばれたことは誇らしいことだって口先だけで持て囃して!」

 それは紛れもない事実だ。大赦は勇者に、世界に多くの事を隠していた。自分たちは何も知らないまま、“神聖な御役目”を果たそうと力を尽くし、御役目を成し遂げた自分たちを誇らしく思っていた。

 大赦にしてみれば、温泉旅館の休暇程度で大喜びする自分たちは、実に都合のよい駒であったろう。

「そしてこれからも戦いは続く……。私も、友奈ちゃんも、風先輩も夏凛ちゃんも樹ちゃんも!無限に押し寄せるバーテックスに、身体の機能も、記憶さえも失いながら戦い続ける。そんな生き地獄、私には耐えられないっ!」

 叫びながら放った砲撃が友奈に襲い掛かる。

 砲撃を或いはよけ、或いは拳の一撃で打ち落としながら。レオに近づこうと友奈は懸命に空を駆ける。

「それでも――わたしは諦めない!世界をここで終わらせないっ!」

「それは――勇者だから?!」

「そうだよっ!わたしは、東郷さんを、みんなを守るために勇者になったんだっ!」

「勇者だからって、大事なものを守れるわけじゃないっ!」

「そんな事――!」

「そんな事があるのよ!私は、きっとそうだった!」

 泣き声が混じった美森の絶叫に、友奈が動きを固くする。それは明確は隙だったが、砲撃は飛んでこない。美森もまた胸の中にある激情に振り回されていた。

「――大事なものがあったはずなの。無くした記憶の中に。友奈ちゃんと同じくらいに、大事な仲間――友達――ズッ友の事が」

「……ズッ友?」

 美森の普段の言葉遣いとは合わない言葉に友奈の眉間に皺が寄る。当の美森も、何故その言葉が浮かんだのか分からず、首を振るう。

「らしくないよね。でも、不意に浮かんできたの。大事な友達を示す言葉として。――きっと、誰かにそう言われて、私もそれを素直に受け入れていた。でも、それが誰だったのか、もう思い出せない」

「東郷、さん」

「2年前、私は先代勇者として戦った。戦って戦って戦い抜いて。でも、その時の事は全て私の記憶からは失われた。大切で、守りたかったはずの事も全部、『散華』の供物として捧げられた。それが勇者なのよ!」

 あふれる涙を拭う事もなく、美森は叫び続ける。

「それがどれだけ大切であっても、『散華』は容赦なく奪い去る!今度は友奈ちゃんや勇者の部のみんなの事を忘れるかもしれない!大切なものさえ守れないなら勇者なんてなる意味がない!戦う意味もない!」

 その美森の叫びを受け止めて。友奈は真っ向から言い返した。

「でも!それで世界が終わったら本当に全部無くなっちゃう!今までの思い出も、将来の夢も!園子さんが覚えていた東郷さんの昔の事も消えちゃう!これからまだ何とかなるかもしれないのに、ここで終わったらどうにもなくなっちゃう!わたしはイヤだ。そんな終わり、絶対にイヤだ!」

 見返す瞳に迷いはなく。そのまっすぐな視線にたじろぎながら、それでも美森は友奈を攻め立てる。

「こんな――こんな生き地獄を、どうしてまだ続けようって言うの!?」

「地獄なんかじゃない!だって、東郷さんがいるもん!」

「!?」

「わたしが勇者になったのは――あの日、東郷さんを守りたかったから。これから先も東郷さんと一緒に生きていきたいから。だから――世界を終わらせようというなら東郷さんでも止める!」

 決意に満ちた言葉に、美森の心が揺らぐ。だが。

「でも――どんな決意も願いも、勇者の戦いが続けばいつか失われるのよ!『散華』の前では、友奈ちゃんだって私の事を」

「忘れないっ!絶対に忘れないっ!」

「そんな、事――言い切れるわけが」

「だって――わたしが忘れないって決めたから!心の底から、むちゃくちゃ強くそう思っているから!」

 それは、どうしようもなく感情論だ。根拠なんてない。そもそも相手は神樹――文字通りの神だ。その前に一個人の願いなど木っ端に等しい。

 けれど――そもそも神樹は天の神の暴虐に苦しむ人間の願いに応えて、四国を結界で囲い、人類を終末から守った。

 ならば。友奈の思いが、或いは神樹に聞き届けられたら。

「いいえ――そんな筈がない。神が、そんな」

 そう、常識的に考えればそんな事は起こりえない。神とは人の上に在るモノ。下々たる人間の願いをいちいち聞き届けるなどあり得ない。まして一個人の願望などもっての外。

 友奈の全霊の叫びをロジックで否定する。

 

 それは、高速で飛びまわる友奈と美森の戦いの中で、致命的な隙だった。

 

 思考に没頭した一瞬。それを美森の隙と見た友奈はレオに向かおうとしていた軌道を突如美森へと向けた。

 友奈の言葉を否定しようと頭を回転させていた美森は、その急な動きに追いつけない。もとより相応に大きな乗り物に乗った状態の美森と、あくまで身体一つ、背中に追加武装を背負った程度の友奈では小回りの点で差がある。

 正面から組み付いて砲身を背部のアームで握りつぶし。その背部パーツに分離を念じれば、背部パーツだけを残して友奈の身体が自由になる。

「え?」

 組み付かれた衝撃、そして『満開』装備が身体から外せたという事実に不意に美森が呆けた声を上げ。

「だから東郷さん――!もう止めてぇ!」

 振りかぶった友奈の右ストレートが、美森の頬を綺麗に捉えた。

 

 その拳に敵意や殺意があれば。或いは意識を刈り取るほどの威力があれば。精霊バリアは自動的に美森を守っただろう。

 だが。友奈の正拳は姿勢こそ綺麗だが威力は大したことがなかった。本当に、ただ感情的になっている美森を止めたいだけで打ち込まれた拳は精霊バリアの発動要件を満たす威力には程遠く。美森はただ床面に転がるだけだった。

 とはいえ痛みや衝撃自体は普通に伝わる。

 ヒリヒリとした痛みが美森の脳に伝わり――荒れ狂っていた感情が不意に落ち着きを取り戻す。

「あ、う……」

 呆けたように上体を起こすと、友奈がそんな美森を抱きしめてきた。

「もう一度言うよ。忘れない。わたしは、東郷さんを、忘れない」

「……うそ」

「嘘じゃない」

「うそよ」

「嘘じゃない」

「うそよ――嘘よ」

「嘘じゃない、嘘じゃないよ。約束する」

 うわごとのように繰り返す美森に、友奈も繰り返し誓いを返す。

「わたしは東郷さんを忘れないし、1人にもしない」

「――本当に?本当に、一緒にいてくれるの?」

「うん。わたしも、東郷さんと一緒にいるのがいいから」

「……う、ううぅぅぅぅぅぅ……。友奈ちゃん、ゆうなちゃぁん!」

 とうとう子供のように泣き出した美森の背中をあやすように叩いて。美森がようやく落ち着いてくれたことに友奈はホッと息をついた。

 

 強烈な熱波が2人を襲ったのは、まさにその瞬間だった。

 

 熱と、それに伴って膨張した空気の衝撃。

 それは美森の戦艦を襲い、その船体を大きく吹き飛ばした。

「「ヒャアアアッ?!」」

 突然の出来事に2人の悲鳴が重なる。

 意識を戦闘状態に戻した美森が戦艦を操作して態勢を立て直し、同時に周囲の異常に気付く。

「――明るい?」

 明るさが全体的に変わらない樹海において、まるで日の出のような明るさがここいら一帯を照らし出している。

「あ、アレ!」

 友奈が指さした先を見て、美森の顔が引きつる。

 そこには、太陽のような巨大な火球があった。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇
 

「――フンッ!」

 黒い炎に包まれた拳が、アリエスの身体に突き刺さる。

 黒炎刀で斬るのが最も効率的な吸収法だが、キバの鎧もまた材質は黒炎刀と同じデスメタル。バーテックスの体躯を穿てばそのうちにある力を吸収していくことは出来る。

 青い烈火炎装を纏ってひたすら殴りつけて少しずつバーテックスの力を喰らい、最後には魔導火を黒く染めて殴りつければ、アリエスの体躯がついに黒炎に燃え上がり出す。

 他の星座型を超える修復・再生能力と分裂能力を組み合わせることでひたすらキバを抑えつけてきたアリエスだが、バーテックスの力全てを焼却する黒い魔導火の前では少し燃えにくい程度の差にしかならなかった。

 キバを抑えていた体躯が失われ、身軽に立ち上がったキバが黒炎刀を一閃する。

 その斬撃が完全なるトドメとなり、アリエスはついに滅び去った。

「――随分とてこずった」

 独り言をつぶやき、周囲を見渡す。

 樹海のマップの類を持っていない久那牙では、今いる辺りがどこかも分からないが。遠くの空が明るくなっていることは気づいた。

「次は、あちらか」

 言って歩を進めだし。

 そちらから来る人影に、足を止める。

 漆黒の装束に、両手に構えた戦旗。

「――行かせはせんよ、久那牙」

 装束にあちこちに焦げた跡を残しながら。白羽 海潮は厳然と暗黒騎士の前に立ち塞がった。




レオ・バーテックス「なんかオレの周りでブンブン飛び回ってるなぁ。こっちはスルーされてるなぁ。せっかくの出番なんだし目立ちたいなぁ。……せや!」


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第36話「ブレイジング・サン(劫火の使徒)」

な、なんとか月1をキープできたか・・・?


 色彩溢れる樹海の大地で、2つの黒が対峙する。

 片や暗黒の鎧に身を包んだ騎士、久那牙。

 対するは、漆黒の装束を纏い戦旗を構える老人、白羽 海潮。

 絡み合った視線を先に逸らしたのは久那牙だった。揺らいだ視線は海潮の足元に控える鈍色の獣に据えられる。鋭角だった狼狗(ローグ)の身体は、しかし今は超高熱で溶かされたようにグニャグニャとなっており見る影もない。

狼狗(ローグ)か……なるほど」

 久那牙が呟く。

 火球が炸裂したあの時、2体の狼狗(ローグ)もあの場にいたのだろう。恐らくは久那牙と海潮・涛牙が切り結ぶ刹那の隙を突くために。そして、そこに火球が飛んできた。

 周囲一帯を薙ぎ払うほどの威力と熱量を秘めた火球だ。ただの障壁法術では防ぎきれまいが、狼狗(ローグ)が割り込んで盾となれば――海潮が概ね無傷なのも納得できる。

「――涛牙は?」

 当然、同様に無事であろう涛牙の事を尋ねると、海潮は小さく鼻で笑う。

「気になるか?今更」

「不意打ちは正直受けたくないので。……加減を間違えるとうっかりで殺してしまう」

 言いながら久那牙が歩を進める。金属が擦れる音を響かせるその歩みに、油断の気配はない。

「随分な上から目線だ。涛牙は貴様よりよほど筋がいいぞ」

 海潮も、戦旗を翻しながら距離を詰める。 

「貴方に言われるまでもない。海潮翁――()()

 かつてそう呼ばれていたことを思い出して、海潮が顔を一層しかめる。

「儂を師と呼ぶなら――今からでも遅くない。外道に堕ちたことを悔い改めて、大人しく番犬所の沙汰を待つがいい」 

「そうはいかない。私には目的がある」

「……それは、流花(るか)を悲しませてまで果たす事か」

 その一言に久那牙の動きが止まり――期せずして膨れ上がった殺気が海潮の足をたじろがせる。

「――最強となる事。それだけが、私の歩みに意味を持たせる」

「貴様、もしや」

「事ここに至れば言葉は不要。そうでしょう、師よ」

 溢れた殺気を納め直して、久那牙は黒炎刀の切っ先を海潮に向ける。

「どいていただく。断るならば、力づくで」

「侮りがすぎるぞ、久那牙」

 対する海潮も、2振りの戦旗を器用に翻して構える。

 一拍の間を挟んで。

 嵐のような勢いで2人が切り結ぶ。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 友奈と美森が争う中。

 自身の体躯を一撃で粉砕する火力がすぐそばで振り回される事を感知しながら、レオ・バーテックスは自身の戦術を変更する必要を感じ取った。

 小型の誘導火球による牽制は不発に終わり、収束火球の砲撃は妨害者のスピードには対応できない。

 今はこちらに集中していないが、集中しだせば自身は容易く撃破されるだろう。

 それでは目的が達成出来ない。

 では、どうする?最善の行動は何か?

 人間に翻訳すればそんな事を思考していたレオ・バーテックスの、これが回答だ。

 ――自身が破壊されるよりも先に、標的へ突撃、これを破壊する。

 勇者2人が相争う間に、先に侵入していた星屑、或いは自身の能力で持ち込んだ星屑の全てを取り込み、レオ・バーテックスは自分自身を巨大な火球と化した。

 それは最悪接近さえできれば炸裂の余波で以て神樹を破壊できる攻撃法であり、同時に攻撃を受けてもすぐには撃破されないための防御法でもある。

 

 そして、太陽の如き火球は神樹へと突進していった。

 

 その火球の前に立ち塞がり突撃を止めようとするのは、友奈と美森だ。

「く、うううぅぅぅ!!!」

「この、お!」

 自身の推進力全てをぶつけて火球と化したレオを押し返そうとするが――止まらない、止められない。

 残った砲身を突き出して美森が砲撃をありったけ叩き込むが――削れない、怯まない。

 もとより、『満開』した勇者と同等の戦力を最初から持っていたレオ・バーテックスだ。それが自身の全てを燃やし尽くす勢いで特攻を仕掛ければ、『満開』勇者を超える事はあり得た。

「と、ま、れぇぇぇえええ!!!」

「ウ、アアアアアア!!!」

 友奈と美森がどれだけ渾身の力を振り絞っても、レオの侵攻が止められない。

 そして、咲き誇った花は散る定めだ。

 友奈の装束から桜色の光が零れ落ち――『満開』が解ける。

「しまっ?!」

 勇者と言えど、『満開』なくば空を飛ぶことは叶わない。飛行能力を失った友奈はレオの突進に弾かれ、そのまま地面へと落下していく。どころか、勇者装束も解除されて私服へと戻ってしまう。

 星座型5体を相手に『満開』を強引に維持したことで変身そのものが解けた夏凛と同じく、強引に力を繋ぎとめていた反動が出たのだ。

「友奈ちゃんっ!?」

 遠ざかる声に何が起きたのかを察して、しかし美森は何もできない。友奈が抜けたことで一層勢いを増したレオの圧力が手を伸ばすことさえ許さない。

「わた、しは……」

 今更ながらに、自分のしでかした事を後悔する。

 世界の真実を知り、絶望して。友奈が苦しむくらいならと愛する国を滅ぼそうとして。友奈を苦悩させ、戦わせ、『満開』も追加で発動させて、挙句がこれだ。

「私は――なんてことを」

 壁の上でぶつけられた涛牙の言葉が思い浮かぶ。彼の言葉は、他人事ではあるが正しく的を射ていた。

 筋違いの癇癪にあれやこれやと理由をつけてさも正論のように見せかけた自分の言い分は、涛牙には何の共感も与えられるはずもなかったのだ。

「う、うぅぅ」

 自分の情けなさにとうとう美森の瞳から涙がこぼれ出す。視界がぼやけるのに合わせるかのようにレオの勢いが増していく。いや、美森の抵抗が弱まっているのか。

(こんな私が“勇者”だなんて烏滸がましい)

 そんな諦めが美森から力を奪い。

「勝手に諦めるなぁぁぁっ!」

 すぐそばで響いた怒声が、諦観と涙を拭き散らす。

 顔を上げれば、それぞれ『満開』を発動させた風と樹がレオを止めようとしているところだった。

「風、せんぱい……樹ちゃん」

「言いたい事は色々あるけど――まずはコイツを押し返す!やるわよ!」

 風の檄に樹も頷き、渾身の力を込めてレオを押し留めようとする。

「どぉりゃああああああああああ!」

 2人分増えた抵抗にレオの突進の勢いが減り。

「あたしを、忘れんなぁっ!」

 半身の機能を奪われても尚、更なる『満開』を行使した夏凛が加わる。

「夏凛ちゃん――みんな!」

「讃州中学勇者部、ファイトォォォ!」

 風の叫びに、声はなくとも樹が、夏凛が応える。

 1人では足りなくても、傍にいるみんなで助け合い困難を乗り越える。

 1人では思い悩み迷走する難問も、共に知恵を出し合ってみえる答えもある。

(そうだ。私は、最初から1人じゃなかった。勇者部で助け合ってきたんだ)

 そんな当たり前のことを忘れていた自分に改めて腹を立てて。美森もまたありったけの力を込め直す。

「「「ハァアアアアアアアアアアア!」」」   

 勇者たちの渾身の叫びに応じるように湧き上がる力が、遂にレオの突進を押し留める。

「く、ぬぉぉおおおおお!」

 風が更なる力を込めるが、レオもまた押し戻されまいと抵抗し、両者が拮抗する。

(このままじゃ……っ)

 軋むほどに歯を食いしばりながら、夏凛は焦る。『満開』には制限時間がある。それが尽きれば、その瞬間に自分たちの敗北、ひいては世界の終わりが確定する。

 だが、今ここにいる勇者ではレオを押し留めることが限界だった。レオを倒すには、あと一手足りない。

 

 その、最後の一手。

 精霊バリアで地面との激突こそ免れたが、地面に倒れ伏した友奈は、苦悶の表情で身体を動かそうとした。

「く、ぬぅぅううう!」

 散華で奪われた対価は、両足の機能。腿から先の感触が全て無くなり、ピクリとも動かない。ただ態勢を変えようとするだけでも、友奈は自分の腕を使って足を動かさねばならない。

 だが、どうにか上体を起こした友奈は見た。

 咲き開いた花弁が太陽を押し留める様を。それぞれの想いがぶつかり、一度はバラけたかに見えた勇者の気持ちが、この世界を護る為に再び一つに固まった光景を。

 だが、レオ・バーテックスもただ押し留められたままで待つことはなかった。球体の後ろ半分が揺らぎ、自身の炎をロケット推進のように吹き出し、4つの花弁を強引に突き破ろうとする。

 

 レオ・バーテックスも理解しているのだ。この輝ける花びらこそが最後の障害。これさえ突き破れば自身の目的、神樹の破壊は成るのだと。

 そして、時間を掛けて確実な突破と突入を行うよりも、力をどれだけ削ぎ落そうとも一刻も早い突破をレオ・バーテックスは選んだ。自身を撃破しうる脅威があると知っているなら、逆転する暇を与えない速攻は理にかなっている。

 

 友奈にそうした事が分かるわけではない。

 だが、レオ・バーテックスが無理やりに正面で邪魔する勇者を蹴散らそうとすることは分かった。

 そして、邪魔するだけで精いっぱいのみんなではバーテックスにトドメは刺せず、それが出来るのは自分だけだということも。

 ならば。

「こんな、ところで――寝てる場合じゃない!!!」

 吠える。だって、わたしは!

「わたしは――讃州中学、勇者部!」

 その叫びに応えるように、牛鬼が光輝いたかと思うと樹海の大地から友奈に直接力が流れ込み――次の瞬間、友奈は『満開』装備をその身に纏っていた。

「結城――友奈だぁぁぁぁぁぁ!」

 桜色の閃光と化した友奈がレオへ向けて空を駆け抜ける。

 その様子が見えたわけではなくとも、友奈の魂の叫びは同じ勇者たちにも感じ取れた。だから、その友奈の背を押すように、美森たちもまた声を張り上げる。

「行って、友奈ちゃん!!」

 美森が。

「勇者部五箇条ォ!」

 風が。

「一つ、なるべく諦めない!」

 夏凜が。

「(一つ、為せば大抵!)」

 声は出せずとも、樹が。

 勇者部五箇条――彼女たちが掲げた誓いを紡いでいく。そして、その締めは。

「なんとか、なあぁぁぁぁぁぁる!」

 渾身の叫びと共に、レオ・バーテックスが放つ噴射炎に逆らいながら友奈は太陽を思わせる灼熱に突進する。

 

 地上から放たれた流星がレオに突き立ったのは、その瞬間だった。




・・・なんか、纏まり悪い話でスンマセン。


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第37話「サン・セット(太陽を墜とせ)」

どうも。今月の更新です。
実は今回の話を書いている中で、「レオが火球のままだったら、涛牙が何もしなくても普通に勇者ズで倒せね?」と気づき、前回の話に一部追記をしました。後だしじゃんけんですいませんが、興味があれば読んでみてください。

話は変わりますが、5周年を迎えたゆゆゆいが10月で終了となるようです。
本筋のストーリーをあまり進めていなかったのですが、どうやらストーリーを読むのはフリーになったようなので、花結いの物語を急いで読み進めたいですね。
いや~、ステージクリアしないと読めない状態が続くとしたらどうしようと思いました。


 神樹へ迫る太陽と、それを阻もうと咲き誇る花弁。

 コートを風に煽られながら、神樹を背にして涛牙はその様子を見ていた。

「……………」

 ギリ、と軋む音を出したのは、食いしばった奥歯か、握り締めた剣の柄か。魔戒騎士では本来届かない次元の力の激突に、自身の力の不足を見せつけられる。

 それでも、涛牙はこの場を投げ出さない。投げ出せない。眼前に浮かべた魔導筆は、無力を理由に使命を疎かにすることを戒める。

 その魔導筆は、ひどく年季の入った物だった。軸に刻まれた手指の跡は、手入れをしながら長い年月振るわれてきた証で――この魔導筆は涛牙の物ではない。

 これは、海潮から涛牙に託された物だ。世界を――人を守る、そのために。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 ゴウ、と刃が風を斬り、鋼の衝突音が樹海に響く。

 海潮と2体の狼狗(ローグ)、それに対する久那牙が駆け、跳ね、飛び交い、4つの影がぶつかり合う。

 飛び掛かる狼狗(ローグ)の爪を黒炎刀が切り払い、死角から放たれる狼狗(ローグ)の砲撃は大きく跳び退る。その着地間際を狙いすまして、鎧の隙間目掛けて戦旗の穂先が突き込まれる。

 キバの鎧は全身を覆うが、関節部分を始めとして隙間はある。隙間を埋めるように霊獣の革が用いられているが、強度は当然金属部分に大きく劣る。互いに動き回る剣戟の最中に、海潮は当たり前のようにその隙間を突いてきた。

 久那牙もそれをただ見過ごすわけもない。聊か強引に身体を捻って金属部分で穂先を受ける。隙間を抉られる事は避けたが、突かれた衝撃までは相殺できない。

 強引な防御故に崩れる態勢を見越して狼狗(ローグ)が死角から飛び掛かるが、それは久那牙の予想にあった。突かれた勢いに敢えて堪えず、狼狗(ローグ)の爪を紙一重でかわし、返す刃を狼狗(ローグ)の体躯に叩き込む。歪んだ体躯を更に軋ませて吹き飛ぶ狼狗(ローグ)を一瞥もせず、更に続けて切っ先を宙で躍らせれば、海潮が放っていた光弾の群れが切り払われる。

 不意打ちの術を阻まれて。しかし海潮もそれは予想の裡。戦旗を翻して久那牙に追撃をかける。突き、薙ぎ、払うごとに旗が翻り、発動した法術が或いは光弾、或いは縛縄、或いは海潮をテレポートさせて久那牙を攻め立て。

 久那牙もその全てを払い、弾き、先読みして切り結ぶ。

 ギシリ、と刀と戦旗が鍔迫り合うや、両者身体を翻しての回し蹴り。久那牙は後方回転の踵蹴りで首筋を狙い、海潮の地を這う足払いは踝を襲う。

 両者空振りに終わるが、そこからさらに斬撃、或いは薙ぎの追撃が走り、互いの攻め手を墜とし合う。

 久那牙の、体力と勢い、そして鎧の防御力を活かした攻め。

 海潮の、経験と手数、そして2体の狼狗(ローグ)を活かした攻め。

 激突する両者はちょうど拮抗していた。

 だが。

「ぬうっ?!」

 切り結んでいた海潮が、遂に大きく跳ね返される。

 狼狗(ローグ)を合わせて3体がかりの攻めを迎撃し続けるためには切っ先の速さが必要であり、それ故久那牙は揮う一太刀に力を込める余裕はない――はずだった。

 だが、その道理を覆し、海潮の薙ぎに合わせた剣閃は、片手斬りながら必殺を期すだけの力が込められていた。絶え間なく打ち合いながらその中で少しずつ力を蓄えていた、久那牙の一手だ。

 大きく後退させられた海潮に、狼狗(ローグ)の1体がフォロー役として従いもう1体が飛び掛かるが、3人がかりで抑え込めていた久那牙を狼狗(ローグ)1体、それも万全でない状態で邪魔できるはずもない。飛び掛かってきた狼狗(ローグ)を、返す刃で正面から捉え、両断する。

 発声機能のない狼狗(ローグ)に、断末魔の悲鳴はない。ただ縦一文字に両断された体躯が、力なく樹海の大地に転がる。 

「これで――」

 狼狗(ローグ)が1体失われれば、海潮と久那牙の間の拮抗はもうない。あとは海潮がどれほど凌げるか、時間の問題だ。

「終わりだ」

 そして久那牙に時間を掛けるつもりはない。この戦いの後には、広い樹海のどこにいるか分からない勇者とバーテックスを探さなければならないのだから。

 一跳びで迫る久那牙に、海潮もさすがに追い詰められたか。法術で煙幕を張りその中に身を隠す。

「悪あがきを」

 毒づきはしたが、久那牙に焦りはない。姿が見えずとも、気配と、煙の流れを見れば、煙幕の中の動きを読むのは――不可能ではない。

 事実。

 横合いに振るった黒炎刀は、ちょうど煙幕を突き破って飛び掛かってきた狼狗(ローグ)を捉え、切り裂いた。同時、その逆サイドから海潮が突進してくる。

「隙を突いたのだろうが、甘い」

 強引にでも一撃を加えようとしたのか、両の戦旗を大きく振りかぶった海潮の態勢は常より隙が大きかった。そんな隙だらけの胴に、久那牙は滑らかに切っ先を突き出す。

 振り下ろそうとした戦旗を防御に回そうにももう遅い。

 切っ先は、海潮の腹に突き立った。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 時はしばし遡る。

 樹海を焼き払うような爆発。

 炸裂の寸前に異変を察して無理やりに障壁を張ったが、それだけならレオの収束火球の前には薄紙程度にしかならない。

「ぐ、あ――」

 自身にのしかかっていた狼狗(ローグ)をどかした涛牙は、障壁と狼狗(ローグ)を越えて尚全身を蝕む痛みに呻いた。

 見れば狼狗(ローグ)はその全身が焼け溶けている。ソウルメタルとまでは行かずとも人界の金属とは比べ物にならない強度を持つ魔戒獣の装甲が余波でこれとは。つくづくバーテックスの強大さを思い知る。

「無事か、涛牙」

 かけられた声に振り仰げば、同じように爆発を逃れた海潮がいた。傍らの狼狗(ローグ)のダメージも同程度だが、海潮の動きには怪我を負ったような強張りはない。

「……どうにか。っつう」

 全身の痛みを感じながらも涛牙も立ち上がる。幸い、動けないようなダメージは涛牙も負わなかった。

「さっきのは?」

 海潮の問いに、涛牙は一度大きく呼吸をしてから答えた。

「多分、レオ・バーテックス。12体の対勇者級の中で最強、だったはず。強大な砲火力と、通常の勇者では傷つかない頑丈さを両立させたヤツだ」

 それを聞いて、海潮はしばし目を閉じて考えを巡らせた。

 涛牙が身体を動かして違和感を紛らわせる間、海潮は何をすべきかを考える。海潮が即断即決出来ないほどに事態は混迷を極めている。が。それでも方策を見出せるのが、海潮がベテランであることの証拠だ。

「涛牙」

 呼びかけられて。久那牙を追う事を考えていた涛牙の眼前に、海潮は魔導筆を差し出した。

「?これは?」

「これを使い、勇者様を助けろ」

「……なにを?!」

 何を言っているのか。そう言い返そうとして、しかし海潮の眼光に涛牙は口を噤んだ。

「久那牙は確かに討伐する敵だが、それは今日でなくてもいい。だが、明日を迎えるには、バーテックスを倒さねば」

「、けど!」

「涛牙。我らが為さねばならないことは何か」

 問われて。涛牙は唇を噛みしめて答えた。

「……ホラーを、討つこと」

「何のために?」

「……人を、世界を。ホラーから守るために」

「そうだ。ならば今やらなければならないことが何か。分かるな」

 その声に。涛牙は躊躇いながらも頷いた。差し出された魔導筆を受け取る。

「?何か結んで……」

 そこで、筆の軸に何か結わえられていることに気づいた。触れてみて、それが魔戒札とは分かったが、一体何の術が――。

『海潮、お前』

 察したのはディジェルだった。これでも長く海潮と付き合いのある魔導具だ。海潮がやりそうなことは察しがつく。

「やらなきゃならんことは、やってみせねばな」

 声に込められた感情を察して。涛牙もハッと海潮を見返した。

「じいちゃん。まさか」

 大きく目を見開いた涛牙に海潮が返したのは、どこか困ったような苦笑い。

「いつかその時は来るものだ。覚悟ならこの道を選んだ時にしている。それは、お前もそうだろう、涛牙」

「けど……っ」

「――まさか、人ではなく世界を護るとは思わなんだが。まあ、悪い気分でもないな」

 フ、と笑う。それは、全てを決めた者の微笑だ。

「涛牙。儂の孫よ。我ら魔戒士の使命を果たせ。それが、何よりも為すべきことだ」

 言われて、涛牙はしばし顔を伏せて。

「……わかったよ、じいちゃん」

 絞り出すように言うと、泣き出しそうになった顔を上げる。それでも涙を零さないのは、せめてもの意地か。

「行け、涛牙!」

 言われて涛牙は聳える神樹を目印に走り出し。

 その背を名残惜しむように眺めてから、海潮もまた樹海を走り出した。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 黒炎刀に貫かれた海潮から、久那牙は確かに手ごたえを感じた。

 金属を削り抉るような手ごたえを。

「――なに?」

 海潮を刺したならばあり得ない手ごたえに、久那牙の動きと思考が一瞬止まる。

 それが、隙だった。

 背後から回された腕が首元を締め上げ、同じく戦旗の柄が膝関節を固めるように差し込まれる。

「ぬ、あ!?」

 視線だけで探れば、それは海潮の仕業だった。袈裟掛けに斬られた傷から血を零しながら、しかし凄絶な笑みで、キバの鎧ごと久那牙の身動きを封じていた。

 では、刺し貫いた海潮は?

 見直せば、黒炎刀に貫かれた海潮の姿が揺らぎ、解けた幻術の下から現れるのは、口から胴体をまっすぐに貫かれた狼狗(ローグ)の姿。

(幻術で……互いの姿を入れ替えた?!)

 煙幕で姿が見えなくなったあの瞬間だろう。気配と煙の流れは読めても、その向こうで何をしているかは分からない。姿を入れ替える術くらい、海潮は容易く使うだろう。それを察知出来なかったのは、あの煙幕に何がしかジャミングの仕掛けがあったのか。

 そもそも、煙幕に久那牙を巻き込まなかったのがおかしい。海潮は久那牙が生まれる前から戦ってきたベテランだ。我が身を覆っただけの煙幕では攪乱しきれないことは承知していたはず。

 そうして姿を入れ替えて。

 狼狗(ローグ)姿の海潮が先に飛び出し、後から海潮姿の狼狗(ローグ)が飛び掛かる。なるほど、狼狗(ローグ)に次いで海潮を斬ったとあれば久那牙も張り詰めていた注意が緩むという物。まして背後からなら組み付くくらいはわけもない。

「だが……何のために?!」

 敢えて命を危険にさらすような手を、何故選んだ?

 疑問に、海潮は答えず関係のない事を口にした。

「ウ、グ……。貴様こそ、なぜどちらも必殺を避けた?」

 その問いに、久那牙が固まる。

 最初の狼狗(ローグ)(中身は海潮)の迎撃は、ともかく速さをこそ優先した。だから必殺には至らなかった。では、海潮(中身は狼狗(ローグ))は?心臓でも首でもなく、なぜ脇腹を突いたのか。

 それは。

「外道に堕ち、最強を目指すと嘯きながら……人を殺すことは避けたいか」

「……………」

 その一言に押し黙る。

 その沈黙をどう思ったか。フン、と鼻で笑い、海潮は腕に力を込めた。

「最後の一線だけは守るか。律儀と捉えるか、もっと手前で守れというべきか……っ」

 傷の痛みに呻きながら、海潮は久那牙を取り押さえる。

「即死でなくとも、その傷……。放置すれば命を落とすぞ、師よ!」

「案ずるな。貴様に殺されることはないさ」

「なに?」

 ひどく落ち着いた言葉に不穏を感じた久那牙の問いにかぶせるように、

「やれ!涛牙!」

 海潮が鋭く叫んだ。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 ジリジリと太陽が迫り、涛牙の周囲も次第に熱を上げていく中。 

 不意に、魔導筆が震える。

『ッ涛牙!』

 時が来たことを察したディジェルが叫び、

「ウ、アアアアアア!」

 咆哮を上げて涛牙が魔戒剣を振るいハガネの鎧を纏うと、剣を左逆手に握り魔導筆を剣の柄に据えた。まるで、矢を弓に番えるように。

 否。それは紛れもなく矢を放つ構えだ。

 証拠に、膨れ上がった魔導力が剣の柄から溢れて弓の柄のように形を成し、魔導筆を包む魔導力は、魔導筆自体を鏃と為した矢と化す。

 これこそ、魔戒騎士と魔戒法師が協力して放つ、魔戒の奥義が一つ――

「――光矢、流星!!!」

 放たれた一撃はまさに流星の如く弧を描き、太陽へと着弾する。

 魔戒法師が己の武器を騎士に託し、魔戒騎士は法師の信に応え自身と筆に込められた法師の魔導力を束ね増幅させて必殺の一撃と為す。両者の信頼と絆があって初めて使える奥義、『光矢流星』。

 その威力は魔戒騎士や魔戒法師の扱う技の中でも最上級に属し、涛牙が放った『光矢流星』も友奈の勇者パンチに匹敵する威力を有する。

 

 その程度では、太陽と化したレオ・バーテックスには痛痒とならない。

 池に小石を落としたような波紋を残して、必殺のはずの『光矢流星』が霧散する。鏃として放たれた魔導筆は当然に砕け、軸に結ばれていた魔導札も弾ける。

 そして。

 

 一瞬視界が暗転し、次に久那牙の眼前にあったのは太陽の如き灼熱。 

「な、にいぃぃぃ?!」

 さしもの久那牙が絶叫する。

 これこそが、海潮が魔導筆と共に涛牙に託した、救世の一手。

 魔導筆に結わえられていた魔戒札は緊急時にすぐ使えるように細工が施されたもので、破ったり潰したりすれば事前に込めていた法術が発動するようになっていた。

 そして込められていた術は『引き寄せ』。事前に指定したものを術者の手元に転移させる術だ。

 レオ・バーテックスに当たり砕けることで発動した『引き寄せ』は、相手を自身が砕けたその場所に転移させる。そしてその対象は術を刻んだ海潮本人で――海潮に組み付かれていた久那牙もまた、その転移に巻き込まれたのだ。

 キバの鎧を纏った状態では転移のためのマーキングを弾かれる。だが、海潮自身の転移に巻き込むことは可能だった。

「さあ、たんと喰らえ」

 狼狽する久那牙の背に向けて言うと、海潮はキバの鎧の背中に掌を当てる。デスメタルの鎧に直で触れたことで掌が裂け血が噴き出すが、構わず。海潮はありったけの威力をキバの背中に叩き込んだ。

 当然、踏ん張る足場もない久那牙は正面に吹き飛び、灼熱の中に叩き込まれる。

 そして、キバの鎧が太陽を――レオ・バーテックスが変じた灼熱を喰らいだす。

 言うまでもないが、この太陽はあくまでレオ・バーテックスが姿を変えただけのもの。太陽の如き姿は、実のところバーテックスの力の塊でしかない。故に、バーテックスの“力”を無尽蔵に喰らうキバの鎧が放り込まれれば、太陽は揺らぎ、歪み、黒い鎧に少しずつ呑まれていく。

「グアアアアアアッ!!」

 灼熱に叩き込まれて、久那牙もたまらず苦悶の声を上げる。熱そのものも堪えるが、鎧になだれ込む“力”の奔流が鎧そのものは壊せずとも久那牙の肉体に大きな負荷を与えてくる。

 どうにかここから離れねば、と魔導力を放って態勢を変える久那牙に向けて、海潮は更に大技を放った。

 揮う戦旗の旗と穂先が方陣を描き、宙空に刻まれた陣が白く燃え上がる。その中心点の先、藻掻く久那牙に向けて、海潮は渾身の力で以て戦旗を投げ放った。

「緋鳥――炎陣!!!」

 方陣を突き抜けた戦旗が纏う白炎は鳥の姿を為し、その羽ばたきで更に加速。久那牙に激突するとその暗黒の鎧を更に太陽の中へと押し込んでいき、太陽は更にその形を崩していく。

 

 レオ・バーテックスが突然勢いを失った事は、死に物狂いで踏みとどまっていた美森たちも察した。

「圧が……」

 ギリギリで拮抗がやっとだった光の花弁が、いつしかレオ・バーテックスをじわじわと押し戻していく。

「全部――出し切れぇぇぇえええ!!!」

 風の叫びに呼応するように。満開装束から光を零しながら、4人の勇者が力を振り絞ってレオ・バーテックスを押し返す。

 それは、レオ・バーテックスの背後から迫る友奈にとっても助け船だった。美森たちが押し返す分、レオ・バーテックスの中心まで早く到達できる。

「う、おおおおおおおおお!!!」

 勇者の力をありったけ手甲に載せて、友奈は太陽の中へと突撃していく。

 

 レオ・バーテックスが変じた火球。その中はこれが紛い物と思えないほどに太陽そっくりだった。灼熱を宿す力が奔流となって荒れ狂い、中に飛び込んだ友奈に襲い掛かる。

 強固なはずの満開装束も、これほどの力に晒されることは想定していなかったのか。端の方から焼け焦げ、砕け、塵と化し。遂には背部から伸びた巨大なアームまでもが砕け、通常の勇者装束に戻ってしまう。

(それでも!何が何でもバーテックスを、倒すっ!)

 失われる装備を目にしながら、友奈が咄嗟に考えたのはそれだけだ。自分も含めて全員が限界なのだ、この機を逃せばそこで終わりだ。そんな結末、認めない!

 精霊バリアを全力で展開しながら灼熱の世界を進む友奈の前に、やがて目指したものが現れた。

 巨大な逆三角錐。

 バーテックスの心臓部にして唯一の急所。御霊。  

 もはや勇者装束さえ維持しきれず、光と散って私服へと戻っていく中で。

 それでも、桜色の手甲はまだ残っていた。

「と、ど、けぇぇぇぇぇぇぇ!」

 その拳を御霊にぶつける。

 

 瞬間。

 一瞬の静寂を挟んでレオ・バーテックスが極大の爆発を起こし、光が樹海に満ち溢れたのだった。




ようやく……。
ようやく、風暴走から続く連戦に区切りがつきました。見返してみたら実に10話もかけてたんですね。長かった……。
鈍足更新にお付き合い下さりありがとうございます。
ゆゆゆ第一章も大詰めです。


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第38話「シリアス・ゴシップ(涛牙の事情)」

星座型バーテックスとの連戦集結からふた月近く……
お待たせしました。ようやっと決戦が終わった勇者部の様子をお伝え出来ます。

今回は主に涛牙の説明回となります。


 こうして、2度目の大決戦は終わりを迎えた。

 初夏の決戦の時と同様、樹海化が解けた後に勇者たちは大赦の職員によって回収され、すぐさま入院となった。

 前回は1日経たずに全員復調していたが、今回は戦闘の時間も規模も大きかったせいか勇者たちの負担も大きく、丸一日寝込むほどだった。

 そんな勇者たちの体調診断の結果は、「医学的な問題なし」。

 もちろん風や美森がそんな診断を真に受けるわけもないのだが、詰め寄られた医者は「本当に、医学的には何も問題ないんです」と必死に弁明していた。

 その弁明が正しかったと分かったのは、退院して数日が過ぎたころ。

 初夏の決戦の際の『散華』の分も含めて、『満開』の供物となった体機能が勇者たちの身体に戻り出したのだ。

 美森に至っては、先代勇者であった2年前に供物となった記憶や足の機能までもが戻ってきた。

 2年間動かなかった足が、碌なリハビリも無しに問題なく歩き回れるようになるのを見てしまえば、なるほど、医者の言葉も的外れではなかったのかもしれない。

 なぜ散華の供物が戻ってきたのか。

 大赦に問い合わせてみても、向こうも向こうで困惑しているのか「詳細不明」との回答しかない。

「きっとね~。神樹様が勇者たちが諦めない姿を見て、人の可能性に希望を感じたんじゃないかな~」

 とは、園子が美森からの問いに返した考えだ。彼女もまた、美森たちよりは時間がかかっているものの供物は戻ってきているとの事だ。

 もっとも、20回に及ぶ『満開』を経て身体の多くを供物としたとはいえ園子自身に神樹の意思を測ることは叶わないのだが。

 ともあれ。当代の勇者、讃州中学勇者部は勇者の御役目から解放され、普通の少女としての生活を取り戻していった。

 

 一人を、除いては。

 

 この日も、勇者部の面々は病院を訪れていた。

 中庭の東屋で、病院着のままの1名を囲んで学校や日常生活で起きたことを各々話すが――その1人は、話に何の反応もしない。相槌を打つことも、一緒に笑ったり驚いたりすることも。そもそも、その少女の瞳には意思の光が灯っていない。どこに焦点が合う事もなく、ただ茫々と瞼を開いているだけだ。

 友奈のそんな様子に、ついに美森は耐え切れずに声を震わせた。

「……私は、一番大事な友達を、犠牲にしてしまった……」

 それは美森にとって途方もなく重い代償だ。突き詰めれば美森が暴走したのは、友奈がこれ以上勇者の御役目、特に『満開』に伴う散華でこれ以上身体機能を奪われないためだった。

 だが、半ばカッとした勢い任せで突き進んだ結果が今の友奈の有様とすれば、本末転倒も甚だしい。

「あんな事をしなければ……っ」

 まさにその通りではある。が。

「言うな!もう話し合ったでしょ。――誰も、悪くはないんだって」

 声を荒げたのは風だ。彼女もまた御役目の真実を知って暴走した口だ。怒りの矛先を向けたのは大赦へだったが、或いは美森と同様に神樹に牙を剥いてもおかしくはなかった。樹や夏凛も、先に暴走した仲間がいたからひとまず落ち着けたという側面もある。隠されていた真実を突き付けられて激昂せずにいられるほど、勇者といえど寛容ではないのだ。

「……友奈さん。私、押し花の栞を作ってみたんです。でも、友奈さんみたいに上手く行かなくて」

「さっさと起きなさいよ、バカ」

 樹と夏凛の声にも、友奈は応えない。

 少しずつ冷たさを増す秋の風が、その場の熱量も奪うように吹いた。魔導火の小さな火では、深まる秋の寒さを押し返すには足りない。

 だが、揺らした白い灯から見えることもある。

「どうだ、ディジェル」

『明るさや声に反応自体はしてるな。五感が潰れたわけじゃなさそうだ。となると原因は』

「――魂、か」 

『何かの拍子で魂が身体から離れてる感じだ。身体が生きている以上、繋がりが断たれたわけじゃないだろうが』

「……迂闊な手出しは却って危険か」

『それこそ超一流の法師でようやくだ。半端者が余計な事をするくらいなら名前を呼び続ける方が余程マシだな』

「だそうだ、東郷。犬吠埼。これからも呼び続けてやれ」

 そんな、安心させようとするような言葉に皆小さく息をついて。

 ……………

「へ?」

 割り込んでいた声にハッと顔を上げる。

 誰も気づかないうちに友奈の前にしゃがみ込んでいた少年が、ちょうど立ち上がるところだった。

「し、白羽くんっ?!」

 風の呼びかけに振り向いたのは、白羽 涛牙だった。驚きに上ずった声に返すのは、以前と変わらない落ち着いた、或いは無感情な返事。

「ああ」

「い、いつの間に?」

 それこそ幽霊のように姿を現わした涛牙に心底驚いた樹が問うと、涛牙は軽く頷き返した。

「お前たちが連れ立っているのを見かけて、ついてきた」

「ぜ、ぜんぜん気づきませんでした……」

「お前たちに気づかれるような隠形はしない。そちらも、結城の事で頭がいっぱいだったようだが」

 答える涛牙の背後から、夏凛が固い声をぶつける。

「――今まで、どこに行ってたの」

 切っ先を突き付けるような夏凛の問い。

 夏凛や風が学校に復帰してすでに数日。だが、涛牙は決戦以降ずっと学校を休んでいた。

 聞き質したい事があるのにその相手が不在の状況が続いて苛立っていたところに、脈絡なく相手が現れたとあれば夏凛が棘を向けるのも無理はない。

 そんな夏凛の質問に、涛牙は遠くを見やり、告げた。

「……秋の夜に海で泳いだんで、体調崩して寝ていた」

「へ?」

 抜けた声を漏らした風に向けて、涛牙は苦みを噛み潰したように苦笑する。

「樹海が解けたらそのまま海に落ちて。日も沈んだ中で岸を目指して泳ぎ続けて、どうにか陸には上がれたがそこで力尽きて。気絶してる間に風邪をひいた」

 そういえば、と皆思い出す。自分たちは勇者の御役目が終わったら自動的に校舎の屋上の祠に転送されていたが、これも勇者システムに備わった機能だ。その恩恵にあずかれないなら、樹海が解けた時、現実世界のその場所に放り出されることになる。

「えっと……大変でしたね?」

「気にするな。鍛えている」

 樹の気遣う声に答える涛牙に、今度は風が鋭い視線を向ける。

「――夏凛から聞いたわ。大赦は勇者の補佐役なんて派遣してないって」

「ああ」

 静かに答える涛牙に迫るように風が続ける。

「あの時言ってた、バンケンジョだかマカイシだかっては関係あるの?」

「ああ」

『今日はそいつを話にも来たのさ、なぁ?』

 不意に聞こえた声。周囲を見渡す風たちに、涛牙は胸元の首飾りを見せた。その、悪魔の顔を象ったような飾りの顎部分がカチカチと動き、

『よう。改めてコンニチハだ』

 何やら軽快に話し出す。

 風と樹は一度見たことがあったが、初めて見た夏凛と美森は目を丸くする。

「な、ナニコレ?!」

「喋る通信機、かしら?きっと……」

『違ぇよ。この首飾り自体が俺自身さ。俺はディジェル。涛牙を助ける魔導具だ』

「――マドウグ?」

「魔戒法師が作る、魔戒士を助けるための道具をそう言う。ディジェルはホラーの気配を探る力を持つ魔導具だ」

「ホラー?」

「何だか、また新しい単語が……」

 詳しい事までは知らない風と樹もディジェルに注目する中で。

「俺が何者なのか、ここで話そう」

 居住まいを正して、涛牙は語り出した。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 光あるところ闇あり。古より、人は闇を恐れた。

 闇の先、目に見えない向こう側へ行った者が戻ってこないから。闇の中には得体の知れないナニカがいて、それが立ち入ってきた全てを呑んでしまうから。

 その恐怖を越えるために、人は数多の努力を、知恵を積み重ねた。

 火を焚いて灯りをともし、家を建て、番犬を飼い、大勢で集まり、集落を柵で囲み。或いは人の文明とは、闇を少しでも押しやる為にこそ発展したのかもしれない。

 かくして、人は闇を退けた。夜の訪れは手に負えずとも、都会では夜も家々に電灯が灯され、街灯は道が全くの闇に沈むことを許さない。

 だが。そうしてどれだけ光を手にしても、闇がなくなる事はない。それは足元にあり、背後にあり。

 そして、心の中にある。

 陰我。人の内に生ずる邪心、欲望。それを呼び水としてヤツらはやってくる。

 陰我を宿す人間、その心の隙間に付け込み、憑りつき、魂を喰らって身体を乗っ取り、闇に潜んでは人界の人々を喰らっていく怪物。

 魔界から忍び寄るその異形を、ホラーと呼ぶ。

 人界の力ではホラーを倒すことは叶わず、力無き人々はホラーの恐怖にただ恐れおののく他なかった。

 だがやがて、ホラーと戦い、退け、打ち倒す者が現れる。

 自身の裡にある命の力、闘気や魔導力と呼ばれるそれを元にした法術を振るい、魔界と現世の交わりを抑える者――魔戒法師。

 魔界に由来する金属、ソウルメタルの武器と鎧を用いて、現世に現れたホラーを討滅する者――魔戒騎士。

 闇に潜み、人知れずホラーと相対し、人界に希望の光を齎す者。即ち『魔戒士』。

 魔戒士たちは、彼らを束ねる『番犬所』の指揮の下、人の歴史と等しい時間、ホラーとの暗闘を続けてきた。西暦が終わり、神世紀になっても尚変わる事なく。

 

 そんな神世紀298年。

 番犬所から各地の魔戒士に指令が下された。

 全国の勇者候補。彼女たちをホラーから守れ、と。

 その任務の都合上か、指令が下されたのは半人前と言われてもおかしくない若年層が中心。実際に各地の管轄を守る魔戒士からは異論も出たが番犬所の決定が覆る事はなかった。指令を下されたのが、直接ホラーと戦うことが少ない魔戒法師の若手が大半だったことも関係しているかもしれないが。

 

 そして、白羽 涛牙もこの指令を受けた1人――その中でごく少数の魔戒騎士の卵――だ。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

「こうして、俺は讃州中学に派遣された。この地域の勇者候補をホラーから守る為に」

 説明を終えた涛牙が向けた視線の先で、風たちは困惑しきった表情で顔を見合わせた。

「……信じられないか」

「まあ、ね」

 言われて向き直った風たちの顔には、困ったような苦笑いが浮かんでいる。この手のオカルト話が大の苦手の風でさえ、あまりの突拍子のなさに怯えるより先に困惑している。

(まあ、無理もないか)

 とは、涛牙も思う。

 実在する神である神樹。そして神樹を奉じ社会的に信用されている組織である大赦。そういった下地があって初めて風も勇者やバーテックスの話を受け入れたはずだ。それらがなければこんな反応にもなる。

 

 そもそも、こうして魔戒士について話す羽目になる事態をこそ涛牙は避けるべきだったのだが。

 あの日、風と夏凛が切り結んだ公園に涛牙がいたのは、偶然だった。

 久那牙が大橋付近にいるとの知らせを受けて涛牙は海潮共々その地を訪れ、辺りを警戒していた。そこでうっかりと勇者同士の戦いを見てしまったのだ。挙句勢いに任せて風は夏凛を叩き潰そうとしていた。

 咄嗟の行動で剣を投げつけてしまったのが、涛牙にとって最大のしくじりだ。

 平然と対峙していたように見えただろうが、実のところ内心ではどうしようかと慌てていたものだ。

 そこに探していた久那牙まで現れて混戦になるわ、バーテックス襲来が重なり樹海に割り込むことになるわ、バーテックスやら美森やらキバの鎧を纏った久那牙やらと連戦するわ、魔戒士としてはご法度な振る舞いを続けることになってしまった。

 実のところ、こんな説明をせずに済ませる方法自体はあるのだが――。

(それは止めろと言われているしな)

 他に都合のいい作り話も考え付かず、結局涛牙はただ事実を話すしかなかった。

 

 一方で、風たちも涛牙の話を作り話と一笑に付すことは出来ない。

 ホラー。魔戒士。人知れず続く両者の戦い。あり得ない、と切り捨てるのは簡単だが。

 先のバーテックスとの決戦、そしてその前の現実世界で起きた風と涛牙、黒尽くめの乱戦。そこで涛牙や彼の祖父である海潮が見せた身体能力や、ゲームやアニメの魔法のような術は、この目で見た紛れもない事実だ。

 この世界にある人知を超えた超常の力が、神樹から与えられる勇者の力だけではない、と考えれば、有り得ないとも言えない。

 少し考え込み、夏凛が口を開いた。

「でもさ。そんな、人が喰われるなんて事件、聞いたことがないわよ?」

 困惑した様子の夏凛の言葉に、涛牙はああ、と頷きつつ続ける。

「“喰われる”と言ったが、ホラーに喰われた人間は何の痕跡も残さない。文字通り、消えるんだ」

 血も肉も骨も、身に付けていた物も含めて。ホラーの餌食となった者はその存在の全てが、痕跡も残さずホラーに喰い尽くされる。

 今でも、毎年少なからず行方不明者は現れている。その中にホラーの犠牲者が混ざっていても不思議ではない。

 そう告げられて、風はふと周囲を見回した。

 入院患者やその見舞い客が散歩や日向ぼっこを楽しむ、病院の中庭の光景。ごくありふれた昼下がりのひと時。

 この中に、もしかしたら。

「ホラーとかいうのが、いる?」

「かもな」

 涛牙の返答に、風は絶句して息を呑んだ。

 そんな風の様子をからかうように、ディジェルが口を開く。

『疑心暗鬼でビビるだろ?だからホラーの事は隠されてんのさ』

「俺たち魔戒士でもホラーを一目で見分けることは出来ない。ディジェルのような魔導具で気配を探り、魔導火や魔導鈴で潜んでいるホラーを暴いて、初めて見分けがつく」

『大赦だってバーテックスの事は隠してるんだ。ホラーの事が隠されてるのも納得ってもんだ』

「そうですね……」

 真実が残酷である事。それを身を以て知っている美森が呻いた。

 壁の外で、あからさまに怪物然としているバーテックスの事だって、もしも今公開されれば社会はパニックになる事は容易に想像がつく。

 涛牙の言葉を信じるなら、ホラーという怪物は人の姿に擬態して人の集団に溶け込んで、虎視眈々と獲物を狙っているという事になる。情報が出回れば、パニックどころか社会そのものが崩壊しかねない。

 背筋に冷たい気配を感じながら、美森が疑問を口にする。

「その話が本当なら、その番犬所、というのは、大赦の中にあるか協力関係にあるのですか?」

 勇者候補を守るために派遣されたというなら、最低でも大赦と協力関係を結んでいると美森は踏んだ。そうなら、後から大赦を通して涛牙の言葉の真偽を確かめることも出来る。

「いいや。大赦と番犬所に関係はない。大赦の連中は、勇者部に俺という異分子がいること自体知らないはずだ」

 涛牙の返答はさすがに美森も想像していなかったが。

「ええっ?!いやいやそれは無いわよ!アタシ大赦との連絡で白羽くんの事伝えてるし!?そもそも大赦がアタシたちを引き合わせたんでしょうが!」

 慌てふためく風に、涛牙は頭を振った。

「手紙でグアルディアに来るよう指示されたんだったな。手紙を渡したのは、大赦の神官だったか?」

「そうよ!学校帰りに手渡しされて!」

「ソイツが大赦の神官だと、どうしてわかった」

「それは……神官の格好してたからよ」

『制服って奴は一目でどこの所属か分かるからなぁ。裏を返せば、それらしい格好をしていたら案外誤魔化せちまうもんさ』

 ディジェルの揶揄うような声に、風は押し黙る。

 あの日、無言のまま手紙だけ渡して去っていったあの神官。仮面をつけているから当然顔も分からない。大赦の神官だと風が考えたのは、ただ、神官の格好をしていたからだ。

 あの仮面と装束の下にいたのは、本当に大赦の人間だったか?

「……じゃあ、あの神官は――神官じゃなかった、の?」

 呆気に取られたように風は呻いた。一方、考えを巡らせていた夏凛が続いて口を開く。

「でも、アンタたちは、誰が勇者候補かを知っていたのよね。大赦の、それこそ上層部でもなきゃ知らないことを」

「――まあ、順当に考えれば、大赦内を探れる魔戒士関係者がいるんだろう。誰かは分からないが」

『魔戒士の歴史はそれこそ人類史と同じくらい長く深いんだ。設立300年ばかしの新参が探れるほど軽くはねぇよ』

 どうということもないような返事に、夏凛は顔をしぶく歪める。

 涛牙の言葉を意訳すれば、大赦という最大権力を握る組織の中に潜り込んだスパイがいて暗躍しているという事でもある。無視していいことではない。

「……なら、番犬所とかいう連中が知らぬ間に世界を動かせるってわけ?」

 夏凛の声に棘が混じるのも無理はない。だが、涛牙はこれも頭を振った。

「人の世界に手を出さない。魔戒士の掟だ。俺たちが狩るのはあくまでホラーのみ。人間同士の諍いは関わらないし、例え世に悪政が敷かれてもそれを糺すのは人間自身であるべきだ」

『実際、ヨーロッパじゃぁ魔戒士が悪魔の使いと見做されて狩りだされる羽目になったが、当時の魔戒士たちは人に危害は加えず、ひたすら身を隠して世間が落ち着くのを待ってたそうだ』

「?魔戒士は、人間以上の力があるのよね?反撃とかしなかったの?」

 風の質問に、涛牙は小さく鼻を鳴らして答える。

「只人に危害を加えてはならないというのも掟だ。破れば魔戒士の力を封じられるか、粛清されるか。元より人を守るのが魔戒士の使命。ただヒステリーに煽られた人間を殺すなど許されるものじゃない」

「……………」

 巌としたその言葉にみな黙り込む。

 特に、『満開』の代償にキレて大赦に殴り込もうとした風と、世界の真実に絶望していっそ滅ぼしてしまおうとした美森は顔色を悪くしてバツが悪そうに身じろぎした。それぞれが暴走していた時、止めに入った涛牙が静かに、或いは激昂して怒って見せるわけだ。

 秋の冷えた風が沈黙の空間にそよぐ。

 その静寂を退けようとして、風が口を開く。

「それで、白羽くんはこれからどうするの?」

 その問いに、涛牙はバツが悪そうに答えた。

「番犬所からの指示が来た。現状維持とのことだ」

「アタシたち、御役目からは解放されたんだけど、それでも守るの?」

「また回ってくるかもしれないだろ。それに、久那牙が絡んでくる恐れもある」

 また勇者になるかもと言われて身体を固めたところに付け加えられた名前に、皆が息を呑む。

「クナガ……って、あの黒尽くめよね。神樹様やバーテックスの力を喰ってた」

 勇者とバーテックスの戦いそのものを粉砕しかねないイレギュラー。切り結び返り討ちにあった身としてゾッとするほどの恐怖を思い出しながら訪ねる夏凛に、返事を返したのはディジェルだった。

『ああ。曲津木 久那牙。当代最強の魔戒騎士と呼ばれた男さ』

「……今では暗黒騎士――最悪の堕落を果たしたクソ野郎だ」

「ヒッ?」

 言い捨てる涛牙の声に混じっていたのは、掛け値なしの怒りと憎悪。零れた殺気にあてられて樹がへたり込む。腰が抜けた彼女を抱きかかえながら、夏凛が先を促す。

「暗黒……って」

「人の犠牲を省みなかったり、外法の技術でホラーの力を利用したり。そんな正道を破った魔戒騎士に付けられる蔑称だ」

『その中でも、久那牙は最悪だ。纏う鎧に自分自身を喰わせた上で鎧を支配し返した事で、奴は《心滅暗黒騎士》キバとなった』

 ディジェルの説明に、え、と樹が声を上げる。

「と、涛牙先輩も鎧を着てましたね?あれ、そんなに危険なんですか?」

「ソウルメタル製の鎧を纏っていられるのは99.9秒。それを越えたら鎧が装着者を喰らおうとする」

『ソウルメタルもまたホラーと同じく魔界に属するモノ。扱いを間違えればただじゃすまねぇ。魔を以て魔を制す、故に魔“戒”騎士ってぇわけだ』

 そんな危険なものを使っていたのか、と慄きながら、風が先を促す。

「それで、そのキバが他と違うっていうのは?」

「キバは暗黒騎士の中でも特別で、倒したホラーを喰らう事で力をどんどん増していく事が出来る。本来ならホラーが現世に出てくる事自体を防ぐのが魔戒士の務めだが、キバはむしろホラーが出れば出るほど強大化する」

 ホラーが現世に現れるという事は、最低でも1人、陰我を宿すオブジェに触れた人間が喰われているという事だ。それを良しとする時点で魔戒士としては失格だ。

「ホラーを喰らう。力が増す……」

 涛牙の説明を聞いて、考えを巡らせた美森が一つの結論に至った。

「まさか、勇者やバーテックスも?」

 『満開』状態の装備さえ平然と切り裂かれた事を思い出す。星座型バーテックスの群れを平然と蹴散らした事も。

 久那牙が用いる剣と鎧。そのどちらもが「神或いは同質の力を吸収できる」とすれば、あの訳が分からない事態も説明はつく。

「だろうな。ただ、なぜ勇者の力やバーテックスを吸収できるのかは分からない」

「……分からないの?」

「そういえば、白羽くんの剣って星屑を斬ってたわよね?魔戒士ってバーテックスも倒せるの?」

「そこもどうしてかは分からない。なぜ魔戒剣でバーテックスが――最弱の星屑とはいえ斬れたのか……」

『ホラーを斬れるのは魔戒由来のソウルメタルの武器だけ。バーテックスを倒せるのは神樹由来の勇者の力だけ。そういった特殊性がたまたま通じたんじゃないか、たぁ思うが……分からんな』

「バーテックスとの戦いは、神樹が張る結界の中で行われる。樹海結界に割り込むことが出来ると分かったのは2年前。それも実例は一度だけだ。あまりに情報がない」

 思案がちに呟く涛牙の言葉に、不意に夏凛は察した。

「あ~、もしかして。勇者候補の護衛ってだけじゃなくて、神樹様の結界がどう張られるかとかも調べてたんじゃ?!」

「そうだな」

 番犬所からの指令を思い返して涛牙は首肯する。勇者たちに警報が届いてから樹海が発生するまでの猶予や、成り行きとはいえ樹海でバーテックスと戦った感想は番犬所に伝えている。

 星屑レベルならともかく、対勇者級は凄腕の魔戒騎士が束になっても相手にならなさそうだが。そんな戦場に魔戒士が飛び込んで何をするのかまでは涛牙も知らないが。

「……なんか、ホントあちこちで誤魔化されてたのね、アタシたち」

 呻くように風が言う。大赦の隠蔽よりはマシな話だが、涛牙の隠し事も(必要な事とは分かるが)気分はよくない。

「すまない」

 小さく頭を下げる涛牙の、しかし風たちから視線を逸らそうとしない姿勢には好感が持てるが。

「ま、いいわ。白羽くんの事情も分かったし。力仕事役は勇者部にも欠かせないしね。これからも、よろしく」

 言って差し出された右手を、

「恩に着る。こちらこそ改めて、よろしく頼む」

 涛牙も握り返した。

 

 

 神世紀300年、秋。

 人知れず世界を護る(勇者)(魔戒騎士)、その歩みが交錯した。




ゆゆゆいもサービス終了しましたね。

正直ストーリーをほぼほぼ進めていなかったので、花結いの章後半からきらめきの章はお話だけを追える機能があってマジ助かりました。


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幕間ノ2「大赦の交渉」

何とか2022年ギリギリに新話投稿出来ました。
世の中が大いに揺れ動いた年が終わりますが、次の年はよい事がある年になってほしいですね。


 大赦、元老院。大赦の最高意思決定機関である。

 かつて神世紀の始まりの折は、神樹から頻繁に下る神託に基づいて社会を導いていた事からほぼ全員が巫女で構成されていたが、時代を経るに従って神託の頻度が減り、神世紀100年代からは実務を取りしきる高位神官たちに巫女を束ねる巫女長が混ざる形となっている。

 四国各地から上げられる種々の情報、巫女長や神祇官からの祭祀に基づく助言、更には神樹からの神託。それらを精査し、社会を動かし方策を練る。神世紀が始まって300年。その手法に是非はあれども彼らは人類の未来と存続のために動き続けてきた。

 その元老院が、今は重苦しい気配に包まれていた。

 彼らの前では、勇者システムから抽出された戦闘記録が映し出されている。

 本来なら、元老院の面々が一々見るようなものではない。まずは勇者システムの開発部門や戦闘関連の部門が確認、精査・分析した資料がレポートとしてまとめられた上で元老院に提出されるものだ。

 だが、今回はそうはいかない。これほどの異常事態、一部署で抱え込むには無理がある。

 

 勇者と切り結ぶ少年。星屑を蹴散らす老人。

 そして、『満開』した勇者も星座型バーテックスも、等しく貪る黒い剣士。

 その映像は、神樹の傍に仕え、人知の及ばぬ奇跡をいくつも知っている彼らにとってさえ衝撃的だった。

 

「……由々しき事態だ」

 重苦しく、しかし掠れたような声で、元老の一人が呟く。それを皮切りに、元老たちが次々に言葉を発する。

「我らのあずかり知らぬところに、こんな者どもがいたとは」

「それどころか、我々が秘匿した世界の真実を把握しているなど、一体どこから情報を得たというのだ」

「人が神の尖兵を倒せるはずがない。そんな事はあってはならん」

「しかし、現に彼らは神樹様の御力、或いは他の神性の力も含めて用いた形跡がないと」

「大赦が知らぬことがこの四国にあってはなりません。至急素性を探りましょう。そして――」

 うむ、とその場の全員が頷いた。

「――我らの力となってもらおう」

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

「やあ」

 商店街から少し離れた場所にある雑居ビル。

 呼びかけられて、玄関口から顔を覗かせた少年は相手を見返した。

 仕立てのよいスーツに眼鏡をかけたその青年は、一見すればどこにでもいるような爽やか好青年だ。だが。

「君が、白羽 涛牙くんだね」

 訝し気に見返されて、表情を崩すことなく声を掛けられるなら、その胆力はそうとうに座っているとみるべきだろう。

「そういう、アンタは?」

 問い返されて、青年は懐から身分証を取り出した。特徴的な紋章が描かれたソレは、青年の所属を雄弁に語っている。

「僕は三好 春信。君に話があるんだ」

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 招かれた涛牙の部屋は、10代の少年の部屋とは思えないくらいに殺風景だった。

 壁や天井はコンクリートむき出し、家具の類も必要なものしかない。くつろげるような空間でないことは確かだった。

「大赦の神官の割には、普通にスーツ姿なんだな」

「まあね。よほどの高官か、勇者に関わる立場でなければ、神官服は儀式の時に着るくらいだよ」

「三好、ということは、アイツの兄か」

 茶を出しながら確認する涛牙に、春信は頷く。

「ああ、夏凛が世話になっているようだね」

「お互い様だ。それで」

 テーブルを挟んで春信の向かいに腰を下ろして。涛牙は鋭く問い質してきた。

「大赦の幹部が、何の用だ」

 最初は軽い世間話から、と考えていた春信だったが、涛牙は世間話など不要とばかりに本題に斬り込んできた。出鼻をくじかれた形になったが怯みは上手く誤魔化して、春信もまた率直に本題に入った。

「……なら、単刀直入に言おう。君に、そして君の知る限りの人々に、僕ら大赦に協力してほしい。無論、お礼はさせてもらうよ」

 その言葉に、涛牙はス、と目を細めた。

「なぜ?」

「……ここだけの話だが。大赦では天の神への反攻作戦を計画している。だが、用意できる戦力は潤沢とはいえない」

 声を潜めて春信が言う。

 天の神への反攻計画。それはかつて大赦が生まれた時より、秘かに温められてきた大目標だ。

 西暦を終わらせた戦い、『終末戦争』。襲来したバーテックスの脅威に対し四国の勇者たちが戦ったものの力及ばず、当時は“大社”と称した大赦の前身は生贄を捧げる事で講和を勝ち取った。大赦という組織名自体、“天の神に大いなる赦しを得る”という意味がある。

 だが当然、勇者は、人々は、諦めてなどいなかった。

 密かに力を蓄え、いつかバーテックス、ひいては天の神を倒して奪われた世界を取り戻す。無惨に奪われた命に報いるために。

 そのために勇者システムは西暦から300年、脈々と強化されてきた。

 かつては星屑の群れにも苦戦するほどだったが、今や星屑は軽く蹴散らし、完成型とも称される星座の名を冠したバーテックスとも十二分に渡り合えるほどだ。

 だが、神樹に選ばれた少女が神樹の力を用いて戦うという機構上、勇者システムの最大の欠点、“数を用意する事が出来ない”という点はどうしようもなく残り続けた。ここまで少数精鋭の勇者のグループで対抗出来ていたのは、結界を越えて侵入出来るのが星座型バーテックスだけであり、いわば質と質の戦いだったからだ。

 しかし、壁の外に攻めこむとなれば、星屑の大群も相手にする必要がある。質と量が揃った敵と戦うには今の勇者システムでも不利を強いられる。

 量産型勇者のプランも動いてはいるが、それとて用意できるのは数十人程度で焼け石に水。世界どころか日本列島をカバーすることも出来まい。

「――君やお祖父さんのような、神樹様の御力を借りることなくバーテックスと戦える人がいれば、人類は四国から打って出る事が出来る」

 だから、大赦に協力してほしい。

 そう頭を下げる春信を、涛牙はフ、と鼻で笑った。

「300年。歴史を改竄してまで自分たちで情報を独占し続けた連中が、随分調子のいい事だな?」

 皮肉を交えた言葉に、春信もグ、と言葉に詰まる。

 なぜ今を生きている人々がバーテックスを知らず、勇者を知らず生活出来ているか。それは偏に大赦による情報操作だ。

 神樹の庇護の下、人が安らかに生きるためには残酷な真実は必要ない。ずっと昔、そう判断した大赦は終末戦争の生存者が全て亡くなった神世紀100年ごろから歴史の改竄を行ってきた。歴史の教科書の記述を変え、バーテックスに関わる資料や書籍の類も検閲の下に次々消していく。そうして出来上がったのが、大赦のみが全てを知り、社会活動の一切を取りしきり、人類の舵取りを行う今の体制だ。

「自分たち大赦と勇者こそがバーテックスと戦うと決めたのはお前たち自身だろう。最後まで続けろ」

「だが!バーテックスを倒せる力があるのなら、バラバラに戦うより一つにまとまった方が」

「元々こっちはこっちで為すべき戦いがある。バーテックスとの戦いは管轄外だ」

「なら、バーテックスに通じる力についてだけでも、教えてもらえないか?」

「断る。そもそも生活のほぼ全てを鍛錬に費やして10年以上かかる上に星屑相手がやっと程度の力だ。今から着手したところで意味がない」

「……人類を守ろうという気はないのかい?」

「人を守る戦いをずっと続けている。お前たちよりずっと前からな」

 すげない涛牙の言葉に、春信は大きくため息をついた。

「ずっと前から、か……。けれど300年前、人類を守ったのは紛れもなく勇者と神樹様の力だ。君たちは、何をしていたのかな?」

 微かな皮肉を込めた言いざまに、涛牙は遠い目をした。

「さてな。何しろ今四国にいる同胞はほぼほぼ全員、昔から四国にいた者の末裔だ。外から逃れてきた者はごく少数。星屑の数に押しつぶされただろうが、その地で人を守ろうとしていたんじゃないか?」

「……………」

 煽りのつもりで発した皮肉をサラリと返され、春信が押し黙る。

「ああ、そういえば四国の戦いは1年保たなかったが、諏訪は3年抵抗し続けたそうだな。案外、諏訪地方にいたヤツが人知れず奮闘してたのかもな」

 続けられた言葉に、春信は身体を硬くした。涛牙の発言には、とんでもない情報が差し込まれていたからだ。

「……諏訪が滅んだと、知っているのか?」

「だから、四国も襲われるようになったんだろう?諏訪を囮に四国の籠城体制を確かにする、か。大のために小を切る。お前たちの基本姿勢はこの時に育まれたようなものだな」

 そう。大赦は諏訪が墜ちてから四国が襲われるようになったと知っている。だが。

「――当時、市民には『諏訪には生存者がいた』という情報が流されたそうだ。諏訪の壊滅を知るのは、大社の上層部や勇者様本人だけだったらしい」

「それで?」

 訝しむ涛牙に、春信はようやっと笑いかけた。頑なな涛牙の態度を突き崩すための隙を見つけられたから。

「つまり、君の仲間は大赦という組織の中にいる。ああ、昔から“人を守る戦い”とやらを続けていたと言うんなら、大赦のどこかに紛れていても不思議はない」

 言って、春信は立ち上がる。余裕ありげに座っている涛牙を、上から押しつぶすような気迫を込めて春信が言葉を繋いだ。

「……大赦を、僕らを甘く見ないでくれ。内側に紛れ込んだスパイを探すくらいはもう始まっている」

 勇者システムに残された、讃州中学 勇者部・白羽 涛牙という存在。

 大赦が把握していなかったその少年について、なぜ見落としたのかという議論も当然行われた。

 その中で発覚したのが、風や夏凛が大赦に提出していた連絡メールが、大赦側の文面で一部改竄されていたという事実だ。例えば夏凛が合流した時、或いは慰安旅行を贈呈した時。勇者からのメールでは涛牙の存在が明記されていたが、大赦が受け取った文面からはその部分が違和感のないように削除されていた。

 良くも悪くも秘密主義でありよほどの事がなければ外部から人を招き入れない閉鎖性を有する大赦にとって、部外者が侵入しているという事実は大問題となった。

 だが同時に、元老院にその情報が上がったという事実こそが、部外者はあくまで末端にいるに過ぎない事も示している。中枢にその手が伸びているなら、問題が発覚する前に消しているだろうから。

 そしてそういった“ネズミ”を狩りだす裏の仕事人たちを、すでに大赦は有している。

「赤嶺、か。かつて多大な功績を立てて以降、公安組織を束ねる地位を世襲している、だったか」

 薄い笑みを浮かべて、涛牙が言う。その内容に、やはり大赦の内情が漏れていると春信は小さく息を呑んだ。

 神世紀70年代、大赦に反抗する者たちを秘密裏に排除するために組織された『鏑矢』。その一員だった赤嶺 友奈はバーテックス信仰者による破壊活動を阻み、以降赤嶺家は代々公安組織を束ねる家柄となった。

 言うまでもなく、これもまた大赦の内側にだけ通じる話だ。一般にはそもそも公安組織の存在は秘されている。

「そう、赤嶺家にはこれまでの――200年を越える蓄積がある。内に入り込もうとした危険分子を狩りだした事も一度や二度じゃない。大赦に潜り込んだスパイを特定するのも時間の問題だ。そして」

「――見つけ次第、関係者も含めて全て排除する。だが、大赦に協力するなら大目に見てもいい。そういう事だろう?結局、自分たちが相手の下になる事はしたくないわけだ」

 またも先読みされて、しかし今度は春信は頷き返した。

「僕だってこんな事はしたくない。だが、全ては人類のためだ。君が言う通り、大赦は大のためなら――人を守り、世界を取り戻すためなら――何だってする。人道に悖る事でも、勇者や巫女を使い捨てる事でも!」

 最後には喚くように言い放つ春信を、涛牙は面白いものでも見るような目で見返した。下から見上げているというのに、春信には上から見下ろされているように思えた。

「そして最後には外道を為した者が残り、こう言う。『彼らの犠牲は無駄ではないし無駄にはしない。必ずや世界を取り戻すのだ』……まずは自分たちを賭け台に載せる事からやってみてほしいな」

 変わらぬ憎まれ口に言い返せず、春信は腰を下ろした。

「お前もそうか?自分は人目につかない奥に隠れて、持ち込まれた戦果だけを頬張りたいと?」

「いいや」

 即答し、春信は続ける。

「僕は、妹を守りたい。勇者に選ばれる事は防げなくても、御役目の中で命を落とす事はしてほしくない。……君たちの力や知識があれば、僅かであっても夏凛や当代の勇者様の助けになれる。そのためなら、僕は自分を犠牲にすることも厭わない」

 それが、春信の本音だ。

 家族に喜んでほしい、誇りに思ってほしいと願って自身の才覚を磨き、若くして大赦の幹部の末席名を連ねるようになった結果が、両親は春信を褒める一方で夏凛を蔑ろにし、夏凛は夏凛で春信への劣等感を拗らせて、不仲を招く種になっているとは笑えない。

 勇者の資格自体は神樹の判断に任せる他ないが、夏、そして先だって発生した2度の大規模な戦いの後も次の勇者を示す神託がない以上、当代の勇者がまだ御役目を務める事になる見込みは大きい。

 だから、春信はこの勧誘に名乗りを上げた。

 バーテックスと戦う術が神樹に見初められない大人も手に出来るのなら、その力で勇者の、妹の戦いを少しでも助けたいと。春信の本当の思いはそれだった。

 春信の瞳を覗き込む涛牙に、そんな内心が見えたかどうか。

 ぶつけ合った視線を先に逸らしたのは涛牙だった。小さく頭を振り、苦笑する。

「残念だがさっきも言った通り、容易く身に付けられる力じゃない。幼少から鍛錬していればともかく、お前が会得するのはおおよそ不可能だし、当代の御役目に間に合いもしない」

「っ!……未来の、人々のためを思ってくれ」

「お前個人はともかく、大赦という組織を信用する気にはならんね。助力するのは断るよ」

 冷ややかな物言いに春信は深く、深くため息をついた。

「上にそう伝えたが最後、君たちはこの四国から消されてしまうぞ。大赦は紛れもなく四国を支配している組織なんだ。今までは見落としていても、一度認識したならもう逃れる場所など残されない」

 最後の脅し文句を、しかし涛牙は鼻で笑う。

「やればいい」

 荒れる内心を抑えつけて、春信は席を立った。

「残念だ。形は違えど人を守るという点は同じだったのに。残念だ」

 そう言い捨てる春信に、涛牙はふと手を挙げた。

「ああ。最後に一つ聞いておきたいんだが」

「――なんだろう?」

 

「私の変装、気づいたかな?」

 

 春信は、決して涛牙から目を逸らしたり、瞬きをしたりはしていない。なんなら遭遇してからずっと涛牙の一挙手一投足を注視していた。

 なのに。

 眼前の涛牙の姿が真っ白い少女に変わった瞬間は、まるで分からなかった。

「なっ?!」

 慌てて一歩下がる時には、コンクリ打ちの殺風景な部屋も変わっていた。もっとも、足元が明るいだけでどこまでも真っ暗な空間というのは、殺風景を通り越して異様でしかないが。

「な、何が」

 混乱する春信を、その赤い瞳で面白そうに眺めながら、白い少女――ガルムが言う。

「生憎、お目当ての小僧は療養中でな。代わりにワシが来客に応じてやったというわけさ」

 と、春信の背後からドサドサッと音がする。

 振り返れば、そこには男装した女が2人と、気絶した多くの男女がいた。スーツ姿に私服、土方の作業着やコンビニの制服、格好は様々だが。

 男装の女たちが床に放り出したのは、その気絶した男女の顔写真の貼られた大赦の身分証。

「こ、これは……?」

「事がうまく運ばなかった時にすぐさま小僧を消すための人員だろう。お前さんには伝えておらなんだようだが、ま、暗殺役の事を交渉役に伝える必要はないわな。知っていれば態度に漏れるかもしれないが、知らなければ漏れようがないというわけだ」

「……………」

 自分もまた詳細を知らされずに使われていた事については、春信はさほどショックはなかった。大赦はごく当たり前にそういう事が出来るということくらいは、春信も分かっている。

「我らも息の長い組織なのでな。権力者という奴がどう動くかくらいの蓄積はあるさ」

 春信は咄嗟に身構えようとするが、それよりも先に男装の女たちに組み伏せられる。

「く、このっ!離せっ!」

 振りほどこうともがくが、岩でも載せられたようにビクともしない。動かせるのはせいぜい首くらいで、その眼前にガルムが指を突き付けた。

「な、何を、する気だ……」

「ああ、安心しろ?大赦を乗っ取ろうとかそんなつもりはない。ただ……」

 その指に複雑な紋様を煌めかせて。ガルムは肉食獣めいた笑みを浮かべた。

「ちょうど、“窓”の補充をしたいと思っていたんだ」

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 勇者システム開発部門。その部屋の扉が不意に開き、神官姿の男が入ってきた。

「失礼するよ?」

「おや、春信殿。これはどうした事で?」

 部署違いの春信の姿に、室長が声をかけるが、春信は微笑んだまま、懐から鈴を取り出した。

「?」

「ああ、気にしないでくれ」

 言って鈴を鳴らす。と、室内にいた全員の瞳から意識が抜ける。それを確かめて春信は手近なパソコンにこちらも懐から出したお札を貼り付けた。

 途端、CPUに納められているはずの映像が春信の周りに浮かび上がる。

 春信がその画像に手をかざしヒラリと動かすたびに、涛牙や海潮、久那牙の映った箇所がデータそのものから消え、代わりに消えた前後で食い違いがないように振舞う勇者たちの偽造映像が差し込まれていく。

 そうしてしばらく後。

「こんなものでよいか」

 春信の口から、少女のような声が漏れた。サッと腕を揮うと、浮かび上がっていた映像が再び筐体に吸い込まれていく。

 そのまま春信は部屋を出ていき、しばし廊下を歩くと不意に立ち止まる。周りを確認し人影も防犯カメラの類もない事を確認してから、春信は指を鳴らした。

 と、春信の身体から真っ白い少女、ガルムの姿が抜け出してきた。幽体離脱のような状態のガルムはそのまま靄のようになってその場から立ち去り。

「はっ?!」

 不意に春信は目を覚ました。勇者システム開発部門の面々の意識が戻ったのも同時だ。

「僕は、何を……。何かやる事があったような……」

 だが、どうにも思い出せない。むしろ、それはどうでもいい事だというような気持が湧いてくる。

「まあ、いいか」

 大赦の役目であれば、誰かが教えてくれるだろう。そんな事を思いながら、春信は歩き出した。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 大赦、元老院。大赦の最高意思決定機関である。

 かつて神世紀の始まりの折は、神樹から頻繁に下る神託に基づいて社会を導いていた事からほぼ全員が巫女で構成されていたが、時代を経るに従って神託の頻度が減り、神世紀100年代からは実務を取りしきる高位神官たちに巫女を束ねる巫女長が混ざる形となっている。

 四国各地から上げられる種々の情報、巫女長や神祇官からの祭祀に基づく助言、更には神樹からの神託。それらを精査し、社会を動かし方策を練る。神世紀が始まって300年。その手法に是非はあれども彼らは人類の未来と存続のために動き続けてきた。

 その元老院が、今は重苦しい気配に包まれていた。

 彼らの前では、勇者システムから抽出された戦闘記録が映し出されている。

 本来なら、元老院の面々が一々見るようなものではない。まずは勇者システムの開発部門や戦闘関連の部門が確認、精査・分析した資料がレポートとしてまとめられた上で元老院に提出されるものだ。

 だが、今回はそうはいかない。これほどの事態、一部署で抱え込むには無理がある。

 

 激昂する犬吠埼 風と切り結ぶ三好 夏凛。互いを思うが故に『満開』を持ちだして戦う東郷 美森と結城 友奈。

 そして、最強のスペックを有しながら、暴走した勇者を止める事もバーテックスと戦う事も拒否した乃木 園子。

 それらは、神樹の傍に仕え、勇者と導いてきたと自負する彼らにとって衝撃的だった。

 

「……由々しき事態だ」

 重苦しく、しかし掠れたような声で、元老の一人が呟く。それを皮切りに、元老たちが次々に言葉を発する。

「勇者同士が戦うなど、前代未聞ではないか!」

「勇者・三好は何をしていた?!他の勇者を諭し導くために派遣したというのに!」

「戦闘技能優先で選出したのだ。メンタルケアまでやれというのは酷だろう」

「そもそも、必要な情報を出し惜しみした我らが責めを負うべきでは?」

 喧々諤々とした言い争いは、しかしほどなく落ち着く。結局誰が悪いといえば、神樹に見初められる無垢なる心を持つ勇者ではなく、そんな勇者を激昂させた大赦なのだから。

「――我らからも補佐する大人を派遣すべきでしたか?」

「馬鹿を言うな。そも、勇者様に我ら世俗に塗れた大人が迂闊に接触するのはよろしくないというのが伝統であろう」

「それはそうですが……」

「ともあれ。勇者様に迂闊な隠し事をすることの危険性はこれで明らかかと。今後の接し方の参考といたしましょう」

「そうだな……」

 こうして会議は終わり。三々五々に解散していく中、元老たちはみな同じことを考えていた。

(何だか、前にもこんな事がなかったか?)

 小さな疑問は、しかしもっと他に考えるべき将来の課題にあっという間に押し流される。

 

 こうして、涛牙たちの事は消されたのであった。




と、いうわけで。
涛牙たちの情報を大赦はフルロストしましたとさ。
この後、涛牙は第39話で勇者部の面子に魔戒士の事を話しますが、それが大赦に伝わる事はありません。風や夏凛が報告しても春信憑依したガルムに潰されます。


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第39話「プロミス・ランド(狭間の世界)」

どうもこんにちは。

またまた前回から間が空きましたがなんとかエタらずにいます。


「あれ……?」

 ふと気づくと、友奈は変な場所にいた。

 見渡す限り渦巻く灰色の世界。水の中に浮いているようでもあり、或いは紐で宙に吊られているようでもあり。無重力というのはこういうものか、とさえ友奈は思う。その割には手足は普段通りに動かせるが。

「ここ、どこ?」

 どう考えても見覚えなどない、誰もいない空間ではさすがの友奈も不安からつい独り言が口を突く。

「えっと、たしか、わたしは――」

 気づく前の事を思い返す。

 荒れ狂う熱波、空を駆け抜ける飛翔感。そして突き出した拳に何か固いものが触れた感覚。

「そうだ!わたし、バーテックスの御霊を壊そうとして!」

 御霊に拳を当てて、そして御霊が光を放ちながら弾けた。その瞬間まで思い出せた。だが。

「それで、ここはどこ?」

 樹海ではないし、壁の向こうにあった灼熱の世界とも違う。全く知らない謎の空間。

 上も下も右も左も、ただただ灰色の空が広がるだけで何か目印になるようなものは見当たらない。

 疲労も空腹も感じることがなく、それ故時間間隔さえ曖昧になっていく。

 進もうと思えば泳ぐような感覚で前に進むことは出来るが、それで見える景色が何か変わるかと言えば何の変化もない。

 どれだけ動き回ろうと変わる事のない風景は、友奈の心を容赦なくすり減らしていき、いつしか友奈は膝を抱えてただその場に漂うだけになってしまった。

 何をしても変わらないなら、無理に動く必要はない。足掻いたって全部無駄になるかもしれない。それならここでただじっとしていれば――。

 そんな後ろ向きな心持でいる中で。

「……とうごう、さん」

 何も考えないようにしていても、ふとした瞬間、大切な親友の事が脳裏をよぎる。

「そうだ……わたし、東郷さんと一緒にいるって約束してた」

 ここでただ浮かんでいるだけでは、その約束は果たせない。どころかこんなところに居たら、美森をただ悲しませるだけだ。

 美森だけじゃない。風も、樹も、夏凛も。そしてきっと涛牙も。

 友奈が戻ってくることを、彼女たちはきっと信じて待っている。

 それなら。こんなところでウジウジしているわけにはいかない。

「勇者部五箇条、なるべく諦めない……っ」

 勇者の誓いを口にして、自らを奮い立たせる。

「わたしは勇者。勇者は根性、絶対に帰るんだ!!!」

 自身の中の熱量を叫びに変えて。その目を決意で閃かせて友奈は再び虚空を進みだす。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 どれだけ進んだろうか。

「――?」

 無心に前進する友奈が、ふと何かに気づいた。

「――なんだろう」

 相も変わらず灰色が広がる空間であることに変わりはない。だが、ふと思いついて目を閉じ、感覚を研ぎ澄ませれば、自分を引き寄せる気配を感じ取る事が出来た。

「!何か、ある!?」

 それが何なのかは分からない。或いはバーテックスに関するものかもしれないが。自分を呼んでいるというなら、何か分かる事があるかもしれない。

「よし!」

 何もわからずにいるよりはいいだろう。そう考えて、呼び寄せる気配の方へ向かって友奈は飛んだ。

 

 そしてそれからしばらくして。

 

「あ」

 前方の広がっていた景色の中に、点のようなものが見えた。

 見えた、と思った途端、その点は見る見るうちに大きくなり、それが人影であると察した時にはすでに友奈はその人物のすぐ前にいた。

「うわわ?!」

 ぶつかりそうだと思いストップを自分に命じる。危うく頭突きをかますギリギリで友奈の身体は止まった。

「あ、危なかった……。す、すいません!」

「いや、いい」

 涼やかな声に相手を見る。

 落ち着いた声音から大人の女性かと感じたのだが、実際にはそうでもなかった。

 背丈は自分と同じくらい、見たことのない制服に身を包んだ姿から考えると年も同じくらいだろうか。伸ばした髪がかすかにそよぎ、キリ、とした眼差しは意志の強さをうかがわせる。その姿を見て友奈は自然に美しいと感じた。

 だが。

 そんな美少女に、無表情のままジイッと見つめられ続けると、さすがに友奈も居心地が悪くなる。

「あ、えっと……」 

 何か話さなければ、と思い、口に出たのはこんな言葉。

「わ、わたし!讃州中学の結城 友奈っていいます!」

 とりあえず名前を交換するところから始めよう。友奈が思いついたのはそれくらいだった。

「ゆうき、ゆうな……」

 とりあえずの反応は引き出せた。友奈の名前を繰り返す少女に友奈は続けて、

「ハイ!それで、あなたは」

「なぜここに来た?」

 誰なのか、と聞くより先に少女が先に質問してくる。

 出端を挫かれて肩を落としたものの、ひとまず会話は成り立ちそうだと思い返して、友奈はひとまず答えた。

「えっと……気がついたらこの世界にいて。それで、なんだかこの辺りから呼ばれている気がして」

「そうか」

 そう言うと少女は周りを見渡す。

 そこにあるのは当然、何もない灰色の世界だけだ。

「呼んでいる相手はいるか?」

「その、あなたじゃないなら、いないですね……」

 確かにこの場に引き寄せられた感覚はあるのだが、それを納得してもらう術が友奈にはない。

「――どこか行く当てがあるのか?」

 しばし沈黙がその場に降りてから、少女は再度問いかけてきた。その質問に、友奈は迷わず答える。

「わたしは――みんなのところに帰りたいです」

 相手の目を見返していう友奈に、少女は少し考え込むような仕草をして、不意に友奈のお腹辺りを指さした。

「ソレを辿ればいいのではないか?」

「?」

 言われて自分の身体を見下ろす。

 ここまで気づいていなかったが、友奈の身体は勇者装束でも私服でもなかった。何というか、足のある霊体という感じか。

 そして、そのへその辺りから、細い紐のようなものが伸びていた。

「これは――?」

「お前の身体と魂の繋がり。それが目に見えるようになったものだ」

 少女に言われて、弄っていた紐をパッと離す。なんだか下手に千切れたりしたら大変な事になりそうだ。

「うわわっ?!」

「容易く千切れるものではない。そしてそれを伝っていけば、お前は自身の身体に戻れる」

 言われて、紐の先を見やってみる。

 それは、自分の背中のほうにずうっと伸びていた。

「……もしかして」

「元の身体から離れていたようだな」

「わ、わたし実は危ない状態だった?!」

「そうだな。身体から魂が抜けた状態が続くと本当に死ぬこともある」

「うわあぁぁぁぁぁぁ……」

 少女の言葉に友奈は頭を抱えて呻いた。本来戻りたい方向とは逆方向に進み続けていたというのだから当然だ。

「戻りたいなら、早く行くがいい」

「ハ、ハイッ!」

 帰り道が分かったのなら、こんなわけわからない場所に長居する理由はない。魂の紐が伸びる先に進もうとして。

「あ、あの!」

 その前に、踏みとどまる。

「どうした?」

「えっと……あなたも、元の場所に帰りませんか?」

 友奈を見送る姿勢の少女に尋ねる。自分がみんなの元に戻る助けになってくれた人が、こんな何もない場所に居続けるのは不憫に思えたのだ。

 だが、少女は首を横に振った。

「ここは、約束の場所だ。果たされるべき約束があり、誓いがある。それ故に、ここにいる」

「約束……」

「――お前には関わりのない事だ」

 確かな拒絶の意思を込めて言い切る少女に、友奈はそれ以上何も言えなかった。

「生を望むなら急ぐがいい。猶予は永遠ではないのだから」

 その上こうも促されては、友奈に出来ることは魂の紐を伝って帰る事だけだ。

「ありがとうございました!」

 深々と頭を下げて、友奈は改めて紐の先に向かって飛び出していく。

 その背中を、少女は見送る事はなかった。友奈が踵を返してほどなく、少女はまた虚空に顔を向けていた。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 魂の紐を伝って、友奈は進む。

 相変わらず景色が変わらないし時間が進んでいる感覚もないが、今はこの紐を辿ることに集中する。

 あの少女の言葉が嘘や出鱈目でないという保証もないのだが。不思議と感じ取れるものがあった。彼女はわたしには興味がない。だからわざわざ嘘をつく理由もない。友奈はそう思えた。

 そうして進むうちに。

「え?」

 不意に、遠くに青い鳥が飛んでいることに気づいた。

 友奈が気づいたと同時に鳥の方も気づいたのか、羽をはばたかせると友奈の傍に舞い降りる。

「青い、カラス?」

 その烏は牛鬼と同じく精霊のように見えた。こんな世界に精霊がいるのなら、の話だが。

 友奈が見ているとカラスもそのつぶらな瞳で友奈を覗き込んだ。そして何かを確かめたように一声鳴くと再び舞い上がり、友奈を振り返りながら先へと進みだす。

 その飛び行く先を見れば。

「あれは!」

 灰色だったはずの世界。その彼方に、微かな光が見えた。

「うん!」

 少女、そして青いカラスが自分を元の世界に導いてくれる。そう確信して友奈は更に気合を入れて光に向かって進んでゆく。

 灰色の世界が少しずつ光に溶けていく中で。

『――、――、――』

 ふと、友奈の耳に音が聞こえた。

 光の彼方から聞こえてきたその音は、次第にハッキリと聞き取れるようになっていく。

 

 それは、友奈の大親友の声だった。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 友奈以外の勇者部全員が復帰して少し経つ。季節は進み、秋は少しずつ深まり街路樹もその葉を赤く染めだしていく。

 そんな秋の夕方。美森は今日も病院に来ていた。もう日課となった友奈の見舞いだ。車椅子で連れ出した中庭で横に並んで座るのもいつもの光景だ。

「『――勇者は、どれほど傷ついても、決して諦めようとはしませんでした』」

 普段は、美森はその日の出来事を友奈に向けてつらつらと話している。だが、その日は違った。

「『全ての人が諦めてしまったら、それこそ世界は、闇に閉ざされてしまうからです』」

 手元の冊子に目を落とし、そこに書かれた文字を口に出していく。

 普段ならその日の出来事を話す美森だが、今日は手元の冊子に目を落としてそこに書かれたセリフを口にしていく。

「『勇者は、自分が挫けない事がみんなを励ますのだと信じていました。どんなに辛くても、勇者は明るく笑っていました』」

 静かな中庭に美森の声が静かに、しかしハッキリと響く。

「『そんな勇者をバカにする者もいましたが、勇者は笑っていました。意味がない事だと言う者もいましたが、それでも勇者はへこたれませんでした』」

 そんな美森と友奈に、冷たさを日々増す秋風が吹く。

「『みんなが次々と魔王に屈して、気づけば勇者は独りぼっちでした。勇者が独りだという事を誰も知りません』」

 その冷たさに抗するように。或いは秋のもの悲しさにつられるように。

「『独りぼっちで魔王に立ち向かう勇者は、けれど、諦めることは、ありませんでした。……諦めない限り、希望が、終わる事はない、から、です――」』

 美森の声に、次第に感情と、涙が混ざり出す。声が震え、瞳に涙が浮かぶ。

「『勇者は、思うのです。何を失うより……希望が失われることが、一番、恐ろしいと』」

 そこが限界だった。感極まった美森の手の中で書類がクシャリと潰れ、その中に美森は泣き顔をうずめた。

「それでも……それでも、私は……!1番大切な、友達を……失いたくない……!」

 美森の失われた記憶ももう戻っている。御役目を通して絆を結び、互いを生涯の親友と呼び合った3人の勇者。だが、1人は命を落とし、1人は幾度もの散華の果てに寝たきりとなり――自分は全てを忘れていた。

「嫌だ……!嫌だよ……!寂しくても……!辛くても……!ずっと……!ずっと、一緒にいてくれるって、言ったじゃない……!」

 どんなに大事なものでも失われるときは失われる。それを美森は知っている。それでも友奈が約束したから。友奈は美森を忘れないし独りぼっちにしないと、美森は信じている。

 けれど友奈が意識を取り戻さない事が、美森の不安を掻き立てていた。

「お願い……お願いだから……起きてよ、友奈ちゃあぁぁぁん!!!」

 悲痛な叫びが辺りに響く。

 

 

 

 

「と、うご、う……さん」

 

 

 

 

「は?!」

 微かな声に顔を上げる。

 無だった友奈の顔に、微かな笑みが浮かんでいた。

「ゆ、うな、ちゃん?」

「うん、聞こえてたよ……東郷さんの声……」

 そして、友奈はぎこちなさの残る動きで美森の方を向く。意思の光を取り戻した友奈の瞳からは、美森と同じように涙が零れ落ちる。

「ただいま――東郷さん」

「お帰り、友奈ちゃん」

 

 

 かくして結城 友奈もまた、自身が守ったありふれた日常への帰還を果たしたのだった。

 

 

「ねえ、東郷さん。これは?」

 感極まった再会が落ち着いて。

 美森が持つ書類を指さして友奈が尋ねると、美森は泣きはらした顔をどうにか笑顔にしながら答えた。

「文化祭の、演劇の台本よ。風先輩の、力作なの」

 言って、美森は読み上げていた箇所を見せる。

 

 

 そこはいよいよクライマックスの場面。

 勇者に向けて、魔王が残酷に叫ぶ。

『結局、世界は嫌なことだらけだろう!?』

 それでも、独りぼっちで尚立ち上がった勇者は吠える。 

『世界には嫌なことも悲しいことも、自分だけではどうにもならないこともたくさんある。だけど、大好きな人がいればくじけるわけがない。諦められるわけがない!その人たちのために、勇者は何度でも立ち上がる。だから勇者は絶対負けない!』

 

「東郷さん、これって――」

「うん。私たちが、御役目の中で見つけた、大切な事」

 

『そう、なんだって乗り越えられるんだ。大好きなみんなと一緒なら!』

 その勇者の真摯な想いが、強大な魔王を打ち倒す。これは、そんな英雄譚。

 

 




結城友奈の章、(ようやっと)終了!

これからいくつか話を挟んだら、いよいよ決着編・勇者の章に突入します。まだ完結まではかかりますが、気長にお付き合いくださいませ。


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第40話「ウインター・ステップ(訪れ)」

御役目という名の嵐を越えて、勇者たちは守ったありふれた日常へ戻っていく。
だが気をつけろ。
日常の中に陰ある限り、ヤツらの足音もすぐそこにある


 梢の葉も落ち、冬が深まりゆくある日。

 廊下の途中で、不意に白羽 涛牙は足を止めた。

 何かを堪えるように目を閉じて深呼吸。再び開いた眼差しは、普段よりも剣呑な鋭さを増していた。

「はぁ……」

 ため息を一つついて気分を落ち着かせてから、再び歩き出す。

 廊下ですれ違う生徒や教師も、ある者は表情に困惑を浮かべ、またある者は困ったように苦笑いをする。遂には涛牙を目にした年嵩の教師が小さく頭を下げてきた。

 自分ではどうにもならないんでどうにかしてくれ、というジェスチャーだ。

 そんな反応も、部室に近づくにつれて聞こえてきた音を考えれば無理からぬことではあった。

 それは、凡そ中学校の中で聞こえてはいけない類の音であった。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

「うどんうどんうどんうどんうどん!ウドンウドンウドンウドン!!饂飩饂飩饂飩饂飩饂飩!!!」

 ギターを掻きならしながら少女が声を張り上げる。

 その周りでは風がドラムを華麗に叩き、キーボードからは樹が弾くメロディが流れる。だが、ベースを弾く夏凛ともども3人の顔にはどこか諦観が浮かぶ。

「ぅんうまあぁぁぁい!!!!」

 何故だか琵琶を弾く美森と、お子様ランチに刺さっているような小旗を振っている友奈だけは楽しそうだ。

「わあ!カッコイイ歌だね!」

「うどんが、沁みるわ」

 だが、その称賛にギターを弾いていた少女は何かスイッチが入ったように吠えた。

「ウオオオオオオ!私のロックはこんなものかーーー!!!」

 周囲が気圧されるほどの咆哮。だが、

「ギターは友だち~。よしよし」

 先ほどまでの狂乱が嘘のように落ち着きを取り戻す。

「……なんか、ヤバいサプリでもやったの?」

 夏凛がそう言うのも無理はない。

「サプリはないけど、常識なんてぶっ飛ばして、テッペン取ってやんよー!」

「いや何の!?」

 またぞろテンションを上げる少女に風がツッコミを入れるが、少女は聞く耳を持たない。

「ドラムの風先輩、キーボードいっつん、ベースのにぼっしー!そして琵琶のわっしーにパフォーマーゆーゆ!これだけ揃えば怖いもんな~し!」

「パフォーマー?旗振ってるだけ――」

「ええ!テクノバンドにパフォーマーは不可欠よ!友奈ちゃんの愛らしさなら何をやってもバンドを華やかにするわ!」

「わ~い!頑張るね!」

 夏凛の疑問を美森が強引にぶった切り、乗っかった友奈が張り切り声を上げる。

「テッペンとってやんよぉぉぉ!ぬがああああああ!!!」

 再び少女が声を張り上げ、

 ガラリと扉が開いた。

 その向こうから覗く涛牙の座った目つきに、少女が一瞬「ヤベッ」という顔をするが、

「ヘェイ、白パイセンも“Yusya-Bu!”バンドに入らないかムギュ」

 勢いで押し切ろうとした少女の頬を、涛牙の手が掴んで声を出せなくする。おちょぼ口になってモガモガを呻く少女からを目の端に捉えながら涛牙は静かに口を開く。

「――それで、何をやっているんだ?」

 冷たく押し殺した涛牙の声に、少女――乃木 園子の頬を冷や汗が伝う。

 一方、涛牙の視線を受けた風は苦笑いしながら肩をすくめた。

「いや~。乃木が『青春を取り戻すんよ~』とか言いだして。青春と言ったらバンドだとか何とかでこんな感じに」

 指先で器用にスティックを回す風の返事に、涛牙は軽く首を傾げた。

「……青春って、15歳かそこらくらいからじゃないかと思うんだが」

「そう?進んでる子は中学入るくらいから青春なんじゃない?知らないけど」

 興味なさそうに言い捨てる夏凛に小さく頷いて、涛牙は更に視線を楽器に向けた。

「で、これはどうした?」

 これに答えたのは樹だった。

「えぇっと。何だかトラックで運び込まれてました」

「大赦のか?」

「だったかしらね?ちゃんと見たわけじゃないけど……」

 何となく宙を見上げて言う風の言葉に、呆れたような声音が上がる。

『神官どもも、大赦に務めてまさか楽器を中学に運び入れるような仕事があるとは思わねぇだろうなぁ』

 胸元から上がったディジェルの声にため息をもう一つついて。涛牙は園子の頬を掴む手を離した。

 ウウウ、と頬をさする園子に座った視線を投げてから、呆れたような声で涛牙は言った。

「バンドで青春もいいがな。放課後でも、場所は、せめて、選べ」

 言いながら示すのは、勇者部部室となっている家庭科準備室。言うまでもなく、防音措置は施されていない。

「……音楽室なりなんなり、楽器鳴らしても音が漏れない場所を借りたらいいだろう?」

 その言葉に、風がかすかに頬を引きつらせる。

「あ~。やっぱり楽器の音うるさかった?」

「……一番響いていたのは、乃木のシャウトだがな」

「ギャフンッ」

 よく分からない悲鳴?を上げる園子だった。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 さて。

 何故に乃木 園子が勇者部の部室にいるのか?話は数日前にさかのぼる。

 

 勇者部のメンバー同様、園子もまたかつての戦いの中、散華によって失った機能を取り戻していった。さすがに20回を越える『満開』は相応に多くの身体機能を失わせ、そこに2年という時間も加わった事で他の勇者よりも復帰は遅くなった。それこそ心神喪失していた友奈よりも時間がかかったくらいだ。

 それでも、時間こそかかったが園子もまた失われたモノを、ありふれた少女としての日常を取り戻したのだ。

 そして。勇者の御役目から解放された園子は普通の生活に戻り――なぜか讃州中学に編入してきた。

 地元である大橋市にある中学、もっといえば小学生時代に通っていた神樹館の中等部にではなく、讃州中学に来た理由はと言えば。

「そりゃあもちろん!わっしーと一緒に中学生活を送りたかったからだぜ~」

 ――との事である。

 前触れなく現れた園子に、わっしーこと美森を始めとした勇者部メンバーはごく当たり前に歓迎した。

 一人、夏凛だけは。

「あ、あの伝説の勇者が……」

 などと衝撃を受けたり。いつも間にか園子の中でつけられていた「にぼっしー」なる綽名で呼ばれて身をよじったりしていたが。

 

 だが。公立中学に大赦マークの入ったリムジンで乗り付けてくる少女が常識の範疇で動くわけもなく。

 もともと直感やひらめきに秀でる上に頭の回転も知識もある文字通りの天才少女が、そのアクティブさを全開にすればそりゃあもうとんでもない事になるわけで。

 まして乃木家と言えば、一般にも大赦有数の名家と知られる名門だ。そんな名家の御令嬢がヤンチャをしていて、面と向かって物申せる者など大人を含めているわけもなく。

 校内で園子は瞬く間に注目の的になっていた。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

「ううう。バンド“Yusya-Bu!”は今日を以て解散なんよ~。解散ライブなんよ~」

 ところ変わってカラオケ店で。ギターを撫でながら愚痴っている園子に美森は慰めの声を掛けた。

「そのっちしっかりして。音楽性の違いはぬぐえなかったのよ」

 その声を背中に扉を閉めて。

 涛牙は小さく呟いた。 

「……音楽性の違いはどこにあった?」

「ハイ、そーゆうヤボなツッコミは無しよ」

 呟きを聞きとがめた風に肩をすくめるジェスチャーを返して、2人はつれだってドリンクサーバーへと向かう。空になった飲み物の補充だ。

「ま。いーじゃないの。乃木も含めて、みんな普通の女子中学生の生活を送れてるんだし」

「普通の中学生は、いきなりバンドの楽器一式揃えたりは出来ないと思うが……」

「まぁねぇ」

 ぼやきながら飲み物をグラスに注いでいく涛牙の、あまり変わらない表情にそれでも見てわかる程度の不機嫌が浮かんでいるのを見て、風は小さく苦笑いを浮かべた。

「なんかさ。白羽くん、変わったわね」

「ん?」

 意外な事を言われた顔の涛牙に、風は続けた。

「前は周りが何やっててもダンマリで我関せずな感じだったのに。最近は結構喋るしツッコミも入れるし。特に乃木に」

「……初対面でいきなり綽名をつけようとする相手に遠慮する義理がない」

 

 思い出すのは、園子が編入してすぐさま勇者部に入ってきた時。

 すでに綽名をつけていた美森や友奈以外も、園子はすぐさま綽名で呼び始めたのだった。

 風は「ふーみん」、樹は「いっつん」。夏凛は先述の通り「にぼっしー」。

 その流れで、園子は涛牙にも「(シラ)リン」と綽名をつけようとしたのだ。

 その瞬間起きたことを、風は忘れない。

 窓際で気配なく佇んでいた涛牙が、綽名を呼ばれた次の瞬間には園子の頭を掴んで挙句片手で吊り上げようとさえした事を。

「――上流階級だから分からないかもしれないが。人を容易く綽名で呼ぶのは控えた方がいいぞ」

 ドスの聞いた声で脅されれば、園子と言えど頷くしかない。もっとも、“リン”を抜いて「白先輩」ならOKが出て、園子は複雑な顔をしたわけだが。

 

「あいにくと俺は世間体を気にする必要がないからな。名家の出だろうと関係ない」

 ムスッとした顔で言い切る涛牙に、アハハと乾いた笑いを零して。風はグラスを並べたトレイを持ち上げた。

「そーゆう事ね。でも、前に比べるとホントに話するようになったじゃない。あ、人見知りが治ったとか?」

 言われて、こちらもグラスの乗ったトレイを持った涛牙は小さく首を振った。

「実を言うとな。人見知りは確かだが、それ以上に――普段、何を話したらいいかが分からない」

「ええ……」

「相談事への対応とか、話す内容が明確ならいいが、雑談めいたことだと途端に困る。話のネタがないし、うっかり魔界絡みの事を話したらまずいし。だから、無口で通していた」

 番犬所から許可が出ているので勇者部には魔界の話をしたが、本来これは秘匿事項だ。聞かれた時は、相手の記憶を消すなりの対応が必要となるが、勇者に対しては心に手を加える類の術がどう影響するか分からない。なので勇者部の面々の前では余計な事を話すわけには行かなかったのだ。

「なんだ。無口だったのってそういう事」

「しゃべりが達者でない事も事実だけどな」

 困ったような気配を滲ませる涛牙に、風は悪戯めいた表情を浮かべた。

「なーらー。アタシたちでその辺克服させてあげよっか?歌唱力ともども」

「不要だ」

 言い切る涛牙に風はさらにウザ絡みする。

「えー。ちょうど樹が歌の練習に力入れてるし、ついでにいいじゃない?」

 煮干し絡みとかで揶揄われる時の夏凛はこんな感じなのか……と思いながら、涛牙は改めて断る。

「押し売り不要だ。……それはともかく、樹が歌を?」

 話を変えるのに使えそうだと即断して尋ねると、風は素直に頷いた。

「そ。あの子ったらアタシの知らないところでアイドルのオーディション受けてたのよね」

「樹がか」

 姉を敬愛する樹が風に黙ってオーディションを受けるというのは、涛牙にしても意外だった。

「しかも!一次審査通ってたのよ~♪いや~上手い上手いと思ってたけど、世間に認められるほどだったとはね~♡」

 無茶苦茶上機嫌になった風に頷いていると、急に落ち込んだ顔になる。

「――分かったのが、よりによってアタシがブチ切れた日だったけどね」

「……あ~」

 『散華』の真実を知って風が大赦を潰そうと暴走した日の事と悟って、さしもの涛牙も遠い目をした。なるほど、あの日の風の暴走はただ真実を知らされただけではなかったのかと理解する。

 暗いオーラをまき散らして、風はさらに続ける。

「で。病院に担ぎ込まれた時にその辺の話ししててね。あの頃は治ると思ってなかったから、辞退ってことで連絡入れちゃったのよ……」

 その後で『散華』で奪われた身体機能は順次戻ってきたのだが、後の祭りという奴だ。

「だから、次のチャンスがあれば、か」

「そうよ。今度こそ機会を逃さないようにってね」

 話しているうちに、勇者部が使っている部屋に戻ってきた。微かに漏れてくる声は、デュエットでも歌っているのか夏凛と樹だ。

 夏凛が上手な事は知っているが、なるほど、樹もそれに引けを取らないくらいに上手い。

「で?白羽くんはどうする~?」

 その声に返答が無く、風が振り向くと、涛牙は何やら後ろの方を見ていた。

「……どうしたの?」

 聞かれて、

「いや……」

 口ごもるように返す涛牙の顔は、妙に引き締められていた。

 

 

 軽い足音が遠ざかっていく音は、誰の耳にも届かなかった。




はい、「神の揺り籠」は新たな章に入ります!
ゆゆゆ「勇者の章」までの間のお話となり、要するにオリジナル展開ですが、どうか楽しんでくだされば幸いです。


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第41話「フェイク・ステージ(偽りの夢想)」

栄光の座。そこに座れるのはただ1人。
その1人になろうとして、皆が必死に手を伸ばす。
自分を磨き、アピールし、その手に栄光を掴もうとする。
だが、中にはそうじゃないヤツもいる。
足を引っ張り、妨害し、妬みや嫉みに身をゆだねる。

その邪心が滅ぼすのは、まず真っ先に自分だとは思わずにな。



 幼いころから、歌が好きだった。

 わたしが歌えば、家族も友達も笑顔になって、上手だねって褒めてくれた。

 だから。

 もっとたくさんの人にわたしの歌を聞いてほしくて。笑ってほしくて。褒めてほしくて。

 応募したボーカリストオーディション――結果は、一次審査落選。

 

 悔しかったし悲しかったけど、突破した人は互いに鎬を削って、一番の歌手に選ばれるために頑張っているんだと、そう思っていたのに。

「……辞退?」

 わたしが懸命に手を伸ばして届かなかった壁。それを越えておいて――辞退?都合が悪いくらいで?

 鏡に映るのは、悔しさに泣きはらした自分の顔。落選を知らされた時よりもその顔はよっぽどひどい。

 あの時はただ悲しいだけだったが、今は、悔しい・憎たらしいという感情が膨れ上がっている。

 その、鏡の中の自分の顔が歪み、話し出す。

『バカにしてるのよ。その気になればうかるからってね。いや、違うかも』

「……合格者を減らして、愉しんでる……?」

『そうよ。面白半分でオーディションに出て、合格の席を奪っておいて手放す。本気で挑んでいる人が墜ちるのを見るのは、さぞ愉しいでしょうね』

 普通に考えればあり得ない話だ。だが。

『腹立たしいでしょう?悔しいでしょう?憎いでしょう?』

 眼前の影の声は、当たり前のように心に染み込んでくる。被害妄想というべき想いが、いつの間にか自分の中で真実となる。

 当然だろう。その影は自分なのだから。

「にくい……」

『ええ。その恨みを晴らしたいでしょう?なら、わたしにその身を委ねなさい』

 いいや、違う。それは。その影は。

「はらす――うらみ……?」

『そうだ――代わりに――ヨコセッ!』

 陰我を介して魔界から来る人喰いの怪物だ。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

「ねえ、犬吠埼さん」

 帰り際、不意に声を掛けられて。樹は振り返った。

 そこにいたのは、樹のクラスメートだ。1学期の歌のテストを機に仲良くなり、カラオケに誘われるようにもなった間柄だ。

「うん?どうしたの?」

「新しいカラオケ店が出来たんだって。一緒に行かない?」

 問われて、少し考え込み。

「うん、いいよ」

 冬になって早く陽が暮れるようになったが、放課後に少し遊ぶくらいの猶予はある。 

 

 そして連れられてきたのは、メインストリートから少し離れた場所。聳えるのは確かに、真新しい建物だ。

「へ~。いつの間に出来てたんだろう」

「さ、行きましょ」

 促されて、しかし樹は少し待って、と告げた。

「お姉ちゃんに連絡入れておくから、ちょっと待って」

 メールで友達とカラオケに行く、とメッセージを打ち込むと、樹もエントランスで手招きする友人についていく。

「犬吠埼さんは歌上手いから、楽しみだわ」

「エヘヘ、ありがとう」

 お世辞に笑い返しながら、背後で自動ドアが閉まる音に樹は小さく息を呑んだ。

 帰り際に話しかけられた時から、その友人に感じていた違和感――嫌な気配。それが少しずつ深まるような、そんな気がして。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

《♪~♪~♪》

 不意に懐から聞こえてきた音楽に、涛牙は歩みを止めた。

 着信メロディーを鳴らすスマホの画面には、「犬吠埼 風」の文字。

「もしもし」

『白羽君っ!樹を見た?!』

 電話に出たとたんに聞こえてきた切羽詰まった声に、さすがに涛牙も驚く。

「ど、どうした?」

『樹が、樹が帰ってこないのよっ!友達とカラオケ行くってメール入れて、それっきり!』

「なんだと?」

 見上げれば、日が沈み宵に入った空はすでに濃紺に染まっている。樹のような真面目な中学生ならもう家にいる時間だ。

「――電話は?」

『繋がんない!電波届かないとか言ってるわ!』

 今の時代、街中で電波が届かないなどあり得ない。

「わかった。こっちも探してみる。犬吠埼は――」

『友奈たちにも連絡入れたわ!樹のクラスメートとかに何か知らないか聞いてもらってる!アタシも商店街とかあたるわ!』

「浮足立つなよ?大切なのは冷静さだ」

 普段は年長らしく頼れる風だが、何のかんの言っても14・5の少女だ。生来の責任感もあって、変なアクセルが入ると暴走する危険性もある。涛牙が念押しするのも無理はない。

『お願い!樹を助けて!』

 涛牙の注意を聞いていたのかいないのか。慌てた口調のままに切られた電話に軽く顔をしかめて、涛牙は懐から魔導筆を取り出した。その筆先を虚空に躍らせ、魔界竜を呼び出す。勇者部のメンバーの周りを警戒させていた魔界竜だ。犬のように、とはいかないが、多少なりとも知っている相手だ。手掛かりなしよりは探しだせるだろう。

「探せ」

 短い指示にこたえるように、魔界竜はヒラリと空を舞った。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 ほどなくして。魔界竜に導かれた涛牙はとある建物の前に来ていた。

「ここか」

 見上げた建物は、確かに「カラオケ」と書かれた看板を掲げていた。店名は、聞いたことのないものだが。

 それ以上の問題は、場所だ。商店街のメイン通りからいくつか小道に入った先。客商売の店が出来るとは考えにくい。まして、この辺りは樹に限らず讃州中学の生徒が気軽に来る場所でもない。

『さぁて、鬼が出るか蛇が出るか……』

 胸元のディジェルの言葉に一つ息をついて。涛牙は扉を押し開けた。

 入ってすぐのロビーにはカウンターがある。が、そこに店員の姿もなければ、客が歌っている声も漏れ聞こえない。訓練を経て常人よりも耳がいい涛牙にも聞こえないのは、よほど徹底した防音措置が取られているのか、或いは――。

「!」

 考えを巡らせるよりも先に。感じた気配に振り向く。

 ロビーから廊下へ繋がる出入口に、いつの間にか少女が立っていた。讃州中学の1年女子用の制服を着た少女だ。

「どうかしたんですか?」

 年頃のかわいらしい声で訊いてくる少女に、しかし背中に走った悪寒に従って涛牙は迷わずライターを懐から取り出した。白い魔導火を灯し、少女の目に炎を映す。

 少女の瞳に、ホラーに憑依された紋章が浮かぶことは、なかった。

「――この子は、ホラーじゃないな」

 微かに混ざる安堵。だがそれを戒めるようにディジェルが警告する。

『だが、無関係でもねぇな』

 魔導火の火を見て、少女の目は何の変化もなかった。ホラーの紋章が浮かぶこともなければ、瞳孔は開きも閉じもせず、視線が揺れる火を追うこともない。

「傀儡!?」

 気づいた涛牙が口に出すのと、数メートルあったはずの距離を少女が一歩で詰めるのが同時だった。側頭部を狙う飛び蹴りに鞘を掲げて盾にするが、伝わってきた衝撃は半端ではなかった。堪えきれずに吹き飛ばされる。

「痛ぅっ!?」

 呻く涛牙の隙をついて、少女が更に追撃を仕掛けてくる。獣のように飛び掛かり、腕や脚を滅茶苦茶に振り回してくる。広いとは言えないロビーで、力任せの連撃は相応に厄介だった。繰り出される攻撃をどうにかかわし続けて、涛牙も舌打ちする。

「く、の!」

 なにより、この少女はただ操られているだけだ。剣を抜いて応戦するわけにもいかない。さらに言えば。

『マズイぞ涛牙!この嬢ちゃん、このままじゃ壊れちまう!』

 ディジェルの指摘通りだ。傀儡の術でホラーに操られているこの少女は、本来の身体強度を超えた動きをしている。この状態が続けば、手足の関節や筋肉が酷使の果てに壊れてしまう。事実、最初の跳び蹴りを放った脚は鞘を――つまりは金属の塊を思いっきり蹴ったせいで青くなっている。骨にヒビくらい入ったかもしれないが、操るホラーには傀儡の痛みなど関係ない。潰れるまで使うだろう。

「分かってる!」

 言い返しながらも涛牙は壁際に追い込まれた。逃げ場を封じた形になった少女の顔に歪んだ笑みが浮かぶのは操り主のホラーの愉悦か。一拍、追い詰められた魔戒騎士を嘲るように眺めて少女が襲い掛かる。

 だが。その一拍が涛牙に猶予を与えた。

 迫る少女の腕を、涛牙は高く跳躍してかわす。背後の壁を蹴って少女を飛び越えると同時、一拍の猶予に懐から抜いた魔戒札を着地点に放ち、鞘から抜いた切っ先と鞘の先端を札に突き立てる。と、魔戒札から放たれた白い炎が剣と鞘を包んだ。

「灯火――纏装!」

 標的を逃がし振り向いた少女が見たのは、二刀で首元を挟み切るように剣を振るう涛牙の姿。

 轟、と風を切るような音と共に同時に降りぬかれた剣と鞘は、少女の正面スレスレで先端が激突し、甲高い金属音を響かせ――途端に少女がガクリと力を失い崩れ落ちる。

 古来、鈴の音のような甲高い音には邪を祓う効果があるという。魔戒士の間でも、ソウルメタルの響きは、ホラーの影響を減じさせる効果がある事が知られている。そこに魔導火の炎まで乗せれば、如何に涛牙が半人前であっても傀儡を外すことが出来る、というわけだ。

「――凌いだか」

 ホッと一息入れて、涛牙はひとまずその少女を建物の外に放り出した。この建物がホラーの縄張りなら、建物内に放置するのは危うい。

『オオウ、だんだんと匂ってきてるぜぇ。ホラーの気配だ』

 ディジェルの声に廊下に目をやれば、ロビーから繋がる廊下は、気づけば照明の一つもない無明の闇と化していた。

「行くか」

 小さくつぶやき、涛牙は闇に閉ざされた廊下へと足を踏み入れ――背後の光が途端に断たれるのと、床の感触が消えるのが同時だった。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

「……あれ」

 気づけば、樹は大きな鏡の前にいた。

 曇り一つないその鏡に映るのは当然自分の姿だ。

 童顔気味の顔にそこはかとなくキリッとした印象を与えるように魅せる化粧。可愛らしさを押し出した若草色のドレスに、シックながらもキラリと光るアクセサリー。

 テレビに映るアイドルのような格好の自分が、そこにはあった。

(私、なんで……?)

 胸中に疑問が浮かぶ。そうだ、確か自分はクラスメートに誘われて、カラオケに――

 疑問が形となるその瞬間に、ノックの音が聞こえる。ハッとして振り返ると、そこには自分のマネージャーがいた。

(マネージャー?――そう、マネージャー。ここは控室で、私はここで待ってて、だから迎えに来るのはマネージャーで)

「樹ー?準備はどう?」

 扉を開けてマネージャーが入ってくる。一瞬ぼんやりとした人影に見えたが、それは、姉の犬吠埼 風だ。

(うん……お姉ちゃんなら、アレヤコレヤあった後に私のマネージャーになってもおかしくないよね)

 そう樹が思い浮かべると、ぼやけていた風の姿もハッキリと見えてくる。パンツスーツ姿も大人になった風には似合っている、ように見える。

「準備……?」

 そもそも準備とは何か?疑問の声は小さくて樹自身の耳に入るのがやっと。だが、首を小さく傾げた様子から察した風が苦笑しながら言い足してくる。

「もう!今日は待ちに待ったコンサートの日でしょ?せっかくの大舞台なんだし、もうちょっと気合い入れなさいよ」

 風に言われるたびに、樹の意識にソレが浮かび上がってくる。

 そうだ。私はボーカリストオーディションに合格して、アイドルとしてデビューして、順調に人気になっていって、それで、コンサートを開くのだった。

(え?)

 そう思うこと自体に疑問を感じるのに、その疑念を考えようとすると意識がぼんやりと溶ける。

「う~ん、ちょっと調子悪い?緊張してる?」

 心配そうにのぞき込んでくる風に、

「あ。な、何でもないよお姉ちゃん。うん、ちょっと緊張してる、の、かな」

 心配かけさせるのはよくないと思って、そうはぐらかす。それを見て風は尚も困ったような表情をしたが、

「――うん、緊張しすぎなだけかな」

 樹を安心させるような口ぶりでそう言う。そうして風自身も考えを切り替えたようにドアを示すと、

「ま!案ずるより産むが易しよね。お客さんが待ってるし、頑張ってきなさい、樹!」

 樹の背を軽くたたいて立ち上がらせる。

「うん、お姉ちゃん」

 何か釈然としないモノを感じながら、樹は風に促されて扉から部屋の外へと歩き出した。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

「ハア、ハア、ハア……」

 そろそろ冬だというのに、汗だくで息を切らせているのは犬吠埼 風だ。涛牙に連絡を取った後も、彼女は樹を探してあちこちを走り回っていた。

 だが、樹の行方は杳として知れない。どころか涛牙との連絡もつながらなくなった。

(つか――クラスメイトも行方知れずって、なによ!)

 友奈たちが調べたところ、樹をカラオケに誘ったクラスメイトとやらも帰宅しておらず、少女の両親もちょうど探し始めたころだという。

 更には友奈たちが樹のクラスメイトたちから聞いた話では、件の少女は数日前から様子が少し変だったらしい。昼間に声をかけても反応が鈍かったり、あまり遊び歩く方ではないのに夕方すぎの商店街、それも裏道の方で見かけたとか。

「何が、起きてるのよ……」

 何か分からないが、なにかが起きている。そんな予感がジワリと風の胸中に影を落とす。

 と、ふと視界の隅に映るものがあった。

 淡く光る、チョウチンアンコウのような怪生物だ。

 ソレは風が自分を見つけたことを察すると、フラリと宙を泳いでから小道の先へと進んでいく。

 そんな、怪しい存在を前に。

「…………」

 風は意を決して後をつけた。普段なら怯えてパニックになりそうなものだが――樹のためだ。怖いものなどない。

 そうして裏道を進むことしばし。怪生物は小さな空き地で飛ぶのをやめた。

「ここって――」

 ふと思い出す。少し前、商店街で勇者部活動をしていた時だ。この辺りで長年続いていた駄菓子屋だかなんだかがついに潰れたとか何とか。だから空き地がある事は不思議ではない。

 だが。その空き地に讃州中学の制服を着た女の子が倒れているのは不思議を越えて異常だ。

「ちょ、大丈夫?!」

 抱え起こすが、完全に意識を失っている。そしてよく見れば、その少女は樹を誘ったという少女だ。

「あなた……。ねえ、樹はどうしたの?!」

 揺さぶるが反応なし。

「――樹ー!どこにいるの、樹ぃー!」

 声を張り上げる風の背後。

 

 微かな鞘走りの音と共に、剣が抜き放たれていた。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 長く続く廊下を、風の先導で歩く。その向こうにある暗がりからは賑やかな音と光が漏れているのが樹にも分かった。

「?」

 不意に何かが軋むような音が樹の耳に届く。振り向けば、そこには扉の開いた部屋があり、その向こうでは、演劇の稽古だろうか、何人かの男女が木剣を振るっている。

 だが、その扉はさっきまであっただろうか?

 疑問と共に、チラチラと廊下を窺うが、樹の目に入るのはただただ白い壁だけだ。

 せり上がってくる不安に唾を呑みこむ樹を、不意に風が振り返る。

 不安に染まった樹の顔にヤレヤレというように苦笑いをすると、風は樹の背後に回ると背中に手を添えた。

「ほら。みんな樹のことを待ってるんだから!トップアイドルの歌声、聞かせてきなさいな!」

 励ますように背中を押されて歩を進める。

 そうだ。私はアイドルになって、有名になって、ナントカ賞を取って――今日は凱旋コンサートで――。

「みんな……?」

「みんなはみんなよ。でしょ?」

「そうだよね……」

 そう、みんな待ってる。友奈さん、東郷先輩、夏凛さんに園子さんに。

「涛牙、先輩」

 ふと零した名前に、風が苦笑して答える。

「もちろん来てるわよ!讃州中学勇者部だもの!」

 聞いた瞬間。違和感が形になる。

 涛牙は、勇者部であり、中学生であり――そしてそれ以前に魔戒士だ。陰に潜み人知れず人を守る者だ。勇者部にいたのも、樹たちが勇者で、勇者をホラーから守るためだ。

 勇者の御役目はもう終わっているのに、こんな人目に付く場所に堂々とくるだろうか?

 いや、そもそも今はいつだ?私はいつオーディションを受けなおした?勇者の御役目が本当になくなったのはいつ?デビューは?ナントカ賞って本当に何?!

「涛牙先輩は……魔戒士なのに?」

 その問いに、背後で風が固まる。

 振り返った先の風の表情は、愕然としていた。

「なぜ、それを」

 呻くような答えに、文字通り夢から覚めたように樹の意識をハッキリさせた。

「知らないはずないよね。お姉ちゃんも、一緒に聞いてたんだから」

「魔戒士の事を只人に知らせていた?暗黙の了解を破っていたというのか」

 その声は紛れもなく風のものだ。顔もいつもと変わらない――中学3年の風の顔つきに、いつの間にか変わっていた。いや、大人になった風の顔こそ、ただ夢の中でそう見えていただけだったのか。

「なに、ここ?」

 周囲の光景も、さっきまではハッキリしていたはずがぼやけ、揺らいでいく。尋常な状態でないのは確かだった。

「何って――樹の夢の舞台じゃない」

 言って近寄る風の手を払いのけ、ついでに身をひるがえして来た道を戻る。樹の服を掴もうと風が腕を伸ばしてくるが、樹は壁を手でついてその反動で風の腕をかわす。風の指が、鉤爪のようになっていたのがチラと樹の目に映った。

「逃げるなっ!」

 風の、いや、風の姿をしたナニカの怒声に顔を歪めながら、樹は例の開けっ放しの扉に飛び込んだ。

 飛び込んだ先、昼の日差しのような明るさに一瞬目を奪われて――次の瞬間、破砕音と共に風景がガラスのように砕ける。

 次の瞬間には、そこは肉の壁、としか形容できないおぞましい空間となっていた。巨大な生物の胃か腸のような、赤黒い肉塊が蠢く中で、しかし樹が怯えすくまずにいられたのは、その中に見知った少年がいるからだった。

 目をつぶり肉の地面に片膝をついた姿に、何かに負けたのか、と思うが、よく見れば地面に突き立てた剣を中心に張った結界で身を守っていた。

「涛牙先輩っ!」

 樹の叫びにも反応を示さないが、駆け寄る。幸いにも結界は樹を弾くことはなく、肩をゆすられて涛牙も目を開いた。

「……樹、か。助かった」

「助かる?」

 意外な言葉に首をかしげると、ディジェルが説明をしてきた。

『ここはホラーの腹の中さ。ホラー・ネペンシィア。取り込んだ獲物に都合のいい夢を見せて眠らせて、生きたまま喰らう陰険ヤローだ』

「……油断が、過ぎた。踏み入った途端に呑まれてこのざまだ」

 咄嗟に張った結界も、文字通り咄嗟の付け焼刃。肉体自体はともかく、意識はネペンシィアの術中にはまってしまったのだ。

「だが、お前が接触したことでホラーの夢に綻びが出来て、なんとか起きれたわけだ。礼を言う」

 立ち上がると、周囲に視線を巡らせる。それに倣って樹も周りを見れば、気味悪い肉の壁が変わらず蠢いている。

「――動かないな?」

『まあ、胃袋の中の餌を殴るヤツはいねえわな』

 軽く言うディジェルに、涛牙は小さく顔をしかめて続ける。

「出る方法は?」

『……吐き出してくれればいいんだが、コイツ我慢強くてなぁ。中で暴れても口は開けんだろうよ』

 かわされる言葉に、樹の顔が青くなる。

「やだ、そんな……」

 せっかく夢から覚めたというのに、その先でこんな終わり方なんて却って残酷だ。

 膝から崩れる樹を見下ろして。涛牙は一つ決意を固める。

『涛牙』

 気遣うようなディジェルの声にもこたえず、呼吸を整えると、正眼に構えた魔戒剣に自身の魔導力を静かに込めていく。一部の無駄もないように、丁寧に。

「……頼まれたからな」

 その小さな呟きは樹の耳には届かなかったが、涛牙にとっては関係ない。ただ、死力を尽くして脱出するだけだ。

 瞬間。空間が軋みを上げた。

「ひゃあっ?!」

 まるで地震のような揺れに、樹が悲鳴を上げる。

「!なんだ!?」

『こりゃあ……。外からだ!外からこじ開けてるんだ!』

「そ、外からは開けられるんですかぁ!?」

 ディジェルの言葉に樹が悲鳴交じりに声を上げる。確かにディジェルは、中からは逃げられないと言ってたが。だが。

「チャンスかっ!」

 懐から魔戒札を放ち、剣身に魔導火を灯らせる。

「灯火纏装――からの!」

 もとから込めていた魔導力もあり、常より噴き上がる炎を収束させ、大上段から振り下ろす。

「行けぇっ!」

 白く燃える三日月が宙を奔り肉壁と激突。瞬間、再びガラスが砕けるような音と共に世界が割れた。

 

 一瞬の浮遊感ののち、足裏が地面に触れた感触に顔を上げ、サッと周囲を探る。

 夜陰が落ちた路地裏。背後にはカラオケ店。傍らには同じようにホラーの裡から吐き出されて座り込む樹に、少し離れたところに折り重なって倒れている風と、傀儡にされていた少女。

 そして正面。

 魔戒剣を突き出した、銅色の鎧の魔戒騎士。プロテクターと呼ぶ方が近い涛牙の鎧と比べれば、纏う鎧の重厚さ・強固さは、この鎧が幾代も重ねてきた時を物語る。

 称号こそないが、彼はこの地域を守っている魔戒士の1人だ。

『ンオオオォォオオオオ!?!?!?』

「!ヒイッ?!」

 背後から響く怨嗟に、つい振り向いた樹が悲鳴を上げる。

 カラオケ店の壁面から肉の触手が湧き出し、絡み合い、その肉塊の表面に人間の口のようなモノが現れた。その、ウツボカズラを醜悪にこねくり回したような異形こそが、ホラー・ネペンシィア。

 狩場から動き回ることはできないが、結界で自らの姿を隠しながら餌を物色する、ディジェルのいう通り陰険な性質のホラーである。

 だが、隠れ潜む狩場を暴かれればネペンシィアの優位はない。

「白羽の。合わせろ」

 低くつぶやかれた銅色の魔戒騎士の声に、涛牙は強く頷く。

「はっ!」

 応え、樹を引っ掴むと身を翻す動きで切っ先で召喚の円を虚空に刻み、ついでに樹を空き地の外の道まで放り投げる。

 地面にぶつかりムギャ、とあまり可愛らしくない悲鳴を上げる樹を尻目に、空間の裂け目から光が差し、涛牙の身体をハガネの鎧が包む。

 その間に銅色の騎士は自身の魔戒剣に魔導火を灯していた。烈火炎装。剣身に緑の炎が燃え上がる。と、その切っ先が涛牙の前に差し出される。

 ためらいなく、涛牙はその剣に自身の剣をぶつけた。甲高い音が響き、涛牙の剣もまた魔導火をまとう。

「ハアアアアアアッ!!」

 裂帛の気合いを込めて剣を横薙ぎに振りぬく。燃える三日月が宙を駆け、咄嗟にネペンシィアが張った防御結界を破砕する。

「――フンッ!」

 その刹那、瞬時に間合いを詰めた銅色の騎士が最上段からの唐竹割を叩き込む。燃える斬撃はネペンシィアを縦一文字に両断し。

『ミギィヤァァァァァァ……』

 ホラーの悲鳴が一瞬響き、瞬く間に消えていく。触手が生えていたカラオケ店もまたネペンシィアの一部だったのか、黒い靄と化して霧散する。

 邪気が祓われた後、そこにはただ空き地が広がるだけだった。

 

「イタタタ……」

 樹が顔を上げた時には、すでに魔戒士の戦いは終わっていた。

 鎧を送還した涛牙が安堵したように大きく息をつき――銅色の鎧の魔戒騎士が樹に向かって歩を進める。歩く最中に鎧を解除して、現れたのは険しい表情の壮年の男だ。

 男は樹の前に立つと、懐から魔戒札を取り出した。それを自然に樹の額に突き付け――

「お待ちを」

 涛牙が割って入る。

「……何の真似だ」

 低い問いかけに、涛牙はサッと片膝をついて、

「ガルム神官から聞いておりませんでしょうか。彼女は当代の勇者です」

 その答えに、男はスゥと視線を細めた。刃のように鋭くなった視線で樹を、そして涛牙を見る。

「不可侵だ、と?」

「はい。心に手を加えることは厳に慎むべしとの達しも受けております」

「――フン」

 それが不愉快なことなのだろう。忌々し気に鼻を鳴らすと、しかしガルムーー番犬所の指示とあれば聞かないわけにもいかないと、壮年の騎士は一歩引いた。

「いいだろう」

 それだけ言うと、男は踵を返して夜闇に姿を消していく。

「……父親ともども、掟を破るのかと思ったぞ」

 そんな捨て台詞を残して。

 

 ギリィッと奥歯を噛みしめて憤怒の気配を抑え込む涛牙に、樹はヒッと悲鳴を漏らした。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 それから少しして。落ち着きを取り戻した涛牙と樹は、気絶したままの風と少女をひとまず運ぶことにした。路地裏に放置していてはホラー関係なしに危なっかしい。

 その中で。

「……記憶を、消す?」

 先ほど壮年の騎士が何をしようとしたのかを涛牙に聞いて、返ってきた答えに、背中にクラスメイトを背負った樹がいう。

「ああ。前にホラー絡みのことは世に出ないことは話したが。喰われた被害者や斬ったホラーは痕跡を残さないが、目撃者や巻き込まれた者への対処もあってな。それが、記憶を消すという手段だ」

 そう返すのは、風を抱えた涛牙だ。

 いわゆる「お姫様抱っこ」ではなく、コートで風を包んで脇に抱えたその恰好は、色気も何もない。樹がそれはないだろう、と苦言を呈したが、

「両手が塞がっているといざというときに困る。背中におぶっても動きが悪くなるしな」

 と言われればさすがに返す言葉もない。

 それはさておき。

「……そんな事も出来るんですね、魔戒士って」

 少しばかりの怖さを感じて。そしてそれに自己嫌悪を覚えて樹が呻く。

「怖がるのは自然なことだ」

 涛牙の言葉はわずかばかりの慰めにはなった。

「前に、そのことを言わなかったのは?」

「東郷がいたからな……」

 ああ、と樹も頷く。

 かつて勇者だったころの記憶が『散華』の供物となっていた美森にとっては、記憶を自由に消せるというのは確かにヤバい。

「――樹、悪いがこれは内密に頼む」

「はい、わかりました」

「助かる」

 樹の返事に満足したのか小さく頷く涛牙の背中を、樹はジッと見据えた。

 脳裏に浮かぶのは、ホラーの中で見た夢の光景。

 アイドルとなることが樹自身の夢なら、あの演劇の稽古らしい風景は、涛牙の夢だったのだろう。なら。

(あそこで、剣の稽古をしていたのは――)

 細かいことは樹もハッキリとは覚えていないが。

 あれは、涛牙自身と――。




これまでになく更新時間が空いてしまいました。申し訳ないです。
なんかPCが無茶苦茶不具合起こしたり、プライベートが忙しかったりとありまして。

なんとかエタらないようにしていきたいです。


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第42話「カース・ワーズ(這いよる怨嗟)」

誰だって、自分の姿が外から見えてるわけじゃない。自分にそのつもりはなくても、己を誇るその様子を他所からは高慢ちきに見られたりするものさ。
そうして買った妬みや恨みが時を経てぶちまけられることもある。謙虚さってヤツも世渡りには大事になるぜ。

なに?まるで覚えのない八つ当たり?
……受けてもケガしないようにするしかないか。



 打ち寄せる波の音をBGMに、トレーニングウェア姿の夏凛はいつも通り砂浜で木刀を振るう。軽やかに剣が跳ねる様は、夏凛の技量の程を雄弁に示している。

 事実、夏凛は大勢いた勇者候補の中から選抜されたただ1人の完成型勇者だ。選ばれるには自身を磨き上げる鍛錬は絶対不可欠で、そして元からの生真面目さが鍛錬を日常の一コマと為していた。

 そうして風切り音を伴って振るわれていた木刀が、不意に止まる。フゥと一つ息を整えて、夏凛は砂浜近くの道路を見上げる。

 丈の長いコートを羽織った涛牙が、夏凛を見下ろしていた。

「いつからいたのよ」

「20分ほど前から」

「……声かけなさいよ、気づかなかったわよ。たまたま目に入ったからいいものの」

「集中していたようだからな」

 いうと、涛牙は軽い足取りで夏凛に近づく。彼が足を止めたのは、ちょうど夏凛の剣の間合いのわずかに外。何があっても対応できると、そう涛牙が判断した距離。

「それで、俺を呼び出して何の用だ」

 普段とは違う警戒を涛牙がしたのは、このためだ。部活が終わったプライベートの時間を概ねトレーニングにあてている夏凛から呼び出しを受ける。普段はない事が起きれば、なにかあるのかと注意を厳にするものだ。それこそ、気配を隠した隠形で様子を窺ったりもする。

 そんな涛牙の様子に夏凛も表情を引き締めなおすと、自身の荷物からもう1本の木刀を取り出し、その柄を涛牙に向ける。

「あたしと、手合わせしなさい」

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 夏凛にとって、『完成型勇者』という称号は重大な意味を持つ。

 自身の誇りの象徴であり、結実した努力の証明であり、自分の在り方を規定するものでもある。

 先代勇者の端末を継承するために四国各地から集められた勇者候補。その中からただ1人選ばれたのが夏凛だ。裏を返せば、他の多くの候補者たちを足蹴にして夏凛は『完成型勇者』の座をもぎ取ったともいえる。

 事実、最後まで夏凛と勇者の座を競い合った候補者には、或いは夏凛以上の実力を持ちうる者もいた。彼女は自分を鍛え上げること以外に意識が向いていないように夏凛には見えたが、それでも自分は彼女を凌駕しているかと言われれば、夏凛はNOと答える。

 だからこそ、選ばれた自分は尚のこと勇者の名に恥じぬようにと過ごしてきた。御役目を見事成し遂げるよう鍛錬も欠かさなかった。そんな自分は強いのだと、そう思っていた。

 だが。秋のある日その自負は粉砕された。

 勇者となり身体能力は跳ね上がっていた状態で、剣閃さえ見切れぬ斬撃を放ってきた黒尽くめの剣士、曲津木 久那牙。

 そして、その久那牙と拙いながらも剣で渡り合う、白羽 涛牙。

 特に涛牙は、同年代なのに夏凛を圧倒する技量を持ち、そして夏凛が気付けないくらい自然に隠していた。

 それは夏凛にとっては悔しい事であり――同時に、自分をより高める足掛かりになると思えた。

 そして今日。

 自身の体調・気組み、全て万全と見て取った夏凛は、涛牙に挑戦を申し込んだのだった。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

(何が、万全よっ!?)

 砂浜を転がされながら、夏凛は今朝がたの自分に文句をぶつけた。

 転がされた勢いを活かして飛び起きる。夏凛の正面、砂浜に悠然と立つ涛牙の姿に、ギリと奥歯を噛みしめる。

 木刀を握る右手を前に差し出した、半身のようなそうでもないような不思議な構え。一見すれば隙だらけのようだが、実際は違う。

「テアァァァ!」

 気合いの声を入れて駆け出し、渾身の一刀を見舞う。風切り音を発して振るわれた一撃は、しかし涛牙の掲げた木刀で受け止められ――そのまま明後日のほうに巻き落とされる。

(つぅっ)

 手首に走る痛みをこらえながら更に夏凛は二刀の連撃を加速させた。真向、袈裟切り、横薙ぎ、切り上げ……左右の剣を巧みに操り、全身を躍動させていくつもの連撃を重ねていく。

 それに対して。涛牙はその連撃を丁寧に捌いていく。

 技の出かかりを抑え、届きそうな攻撃を防ぎ、刀身を絡めて明後日の方向に受け流す。

 二刀の夏凛に対して涛牙が手にするのは木刀一本。手数で言えば夏凛が圧倒する、はずなのだが。涛牙はその一刀を自在に躍らせる。夏凛も鍛錬の中で剣舞のように木刀を振るうこともあるが、涛牙の剣は夏凛のそれを上回る。持ち手の左右や握りの順手逆手がコロコロ変わるその様は、軽業と言ってもいいくらいだ。

 だが、そんな一見すれば軽いように見える剣には、しかしぶつかりあえば夏凛の方が押されるくらいの力が込められている。柔軟にして強靭。涛牙の剣はそんな相反する要素が高度に組み合わさっていた。

「っのお!」

 その防御を切り崩そうと更に夏凛の剣は速さを増すが、それでも涛牙の剣舞をかいくぐれない。

 どころか。

「――!」

 不意に涛牙の右腕が霞んだように見えた時には、下から跳ね上げられた一閃が夏凛の二刀をまとめてうち弾いていた。

 両手からすっぽ抜けた木刀がそろって砂浜に突き立った時には、夏凛の首筋に木刀が触れていた。

「勝負あり、だ」

 静かな断言にしばし夏凛は呼吸を忘れる。木刀が首から離れると、夏凛はそのまま砂浜に座り込んだ。

「また、負けた」

 また。そう、まただ。

 涛牙と手合わせを始めて2時間ほど。寸止めながら全身至るところを木刀で打たれ、剣を叩き落され。或いは必死の思いで涛牙の木刀を手放させたと思えば、そこで「やった」と思った隙を突かれて徒手空拳で制圧され……。

 冬だというのに汗だくになるほど動き回りながら、しかし夏凛は結局涛牙に一撃も当てることが叶わなかった。

「俺も長年鍛えているからな」

 心情を慮ってか涛牙がそう言ってくるが、息も切らさず汗も薄く浮かぶ程度の様子を見れば、夏凛にすれば何の慰めにもならない。ましてや。

「――アンタ、全力じゃなかったでしょ」

 睨むような心地でいうと、涛牙は軽く眉間にしわを寄せた。そんな表情を見返しながら続ける。

「前に風とやりあってた時はビョンビョコ飛び回ってたでしょうが。それを持ち出してないんだからアンタの全力とは思えないわよ」

 吐き捨てるように言われた言葉に、涛牙は眼を丸くした。

「あれは――反則だろう」

「反則?」

 意外な言葉が出てきたことに夏凛がキョトンとすると、ディジェルが口をはさんできた。

『ありゃ魔導力で身体機能を増幅させてただけだよ。増幅なしの涛牙なら――身体の扱いはともかく――普通の人間より少し上くらいさ』

「スタミナ自体は単に鍛錬の賜物だ」

 付け加えるように涛牙が言う。

「つまり、あたしの剣がまるっきり通じないのは純粋に技量の差ってわけね……」

 それはそれで自尊心が傷つくものだが。その痛みを呑みこんで夏凛は腰を上げた。その表情に暗いものを浮かべながら。

「……結構、剣の腕には自信があったんだけど」

「……………」

 そのボヤキに涛牙はただ黙り込むしかなかった。慰めるような言葉は持ちえない。

 涛牙と夏凛の間にあるのは隔絶した生い立ちの差だ。どれほど大赦に関わり深い家柄であろうと、夏凛が生を受けたのはごく当たり前の人間社会。対して涛牙が生きてきたのは、人外の怪物と渡り合うため人の枠を超えることが求められる世界で、涛牙はその中でも幼いころから鍛錬を積んできた身だ。

 純粋に、経験値が違いすぎるのだ。

『そう言いなさんなや。嬢ちゃんがいい筋してるのは俺も認めるぜ。もっと積み重ねていったら、涛牙ともいい勝負になるさ』

 取り繕うようにディジェルが言うが、夏凛は力なく苦笑しただけだった。

「――あたし、そろそろ帰るわ」

「気をつけてな」

 黄昏を受けるその背中は普段より弱弱しく。

 自分をより高めるはずの足場が実際には壁だと突き付けられて、夏凛は肩を落として帰路に着いた。

 

 砂浜に残った涛牙は、その弱弱しい背中に気遣うような視線を向けていた。

『克己心があるのは結構だがなぁ。結局簡単に強くなれるわけじゃねぇんだよなぁ』

 そんなディジェルの呟きを聞きながら、不意に涛牙はその顔を近くの岩場に向けた。睨むような気配を滲ませて、しばし。

「あれれ~、気づいてたんだね~。見られないように気を付けたんだけどな」

 どこか間延びしたような声と共に、岩陰から姿を見せたのは制服姿の乃木 園子だった。

「気配を察するのは得意でね」

 そうは言うが、こうして姿を見せれば人を自然と引き付けるオーラのようなものを発しているのに、隠れようとすれば夏凛が気付かないくらいには気配を隠してみせるのは天性の才能か。

「それで、コソコソ隠れて何をしている」

 そう問いかける涛牙の声に混ざるのは、警戒の気配だ。

 四国最高の権力組織である「大赦」、その筆頭家格を持つ乃木家の令嬢であり、美森ともども先代勇者であった少女。それも、ただのホワホワ系ではなく頭の回転の速い天才型。それが、学校でも部室でもない場所で、隠れるようにして会いに来たとなれば、涛牙も警戒する。

 その手に訓練用の槍を持っていれば、猶更だ。

 掌中で弄ぶように布を丸めた穂先を躍らせながら、園子は足取り軽く涛牙に近づく。

「そうだね~。白先輩と色々お話がしたいんだよね~。ホラ、ゆーゆやわっしーの事は大赦から聞いてたけど――白先輩は部室で会ったのが初めてだったからね~」

 言われて涛牙も思い返す。

 初めて園子が勇者部の部室に姿を現したとき、ニコヤカに話していたはずの園子が、涛牙を見た時、確かにキョトンとしていた。ちょうど勇者部の自己紹介のタイミングだったこともあり、その場はそのまま流されていったが。

「あいにく、雑談の類は苦手だ」

「ん~、なら、ホラーっていうのの事を話してほしいな~。わっしーから又聞きはしたけど、にわかには信じられないしね~」

 園子の言葉に、だろうな、と呟いて、涛牙は視線を園子から沈む夕日に移した。

 そうして晒された背中に、園子が不意に動きを止めた槍の穂先を向ける気配を感じ取りながら、以前勇者部の面々に話したことを言おうと口を開き、

『涛牙っ!悪いが急ぎだ!』

 切羽詰まったディジェルの声に顔をしかめる。

「どうした?」

『三好の嬢ちゃんの帰る道に、ホラーの気配だ!』

「え?」

 その言葉に園子が呆けた声を上げる。一瞬の意識の空白。

 次の瞬間、涛牙の姿は園子の前から消えていた。

「へ?」

 視界に残った残像を追って園子が振り向くと、一跳びで道路までジャンプしていた涛牙が、着地と同時に風のような速さで駆けだすのが辛うじて見えた、

「え?え?」

 さっきまで涛牙がいた場所を二度見するが、彼の足元の砂は軽く散らされた程度。ごく普通のジャンプとそう変わらない力の込め方で、自分の目に留まらない速さで動けるというのか。

「……えぇっと……」

 普段なら素早く回転するはずの頭脳が空回りするのを自覚しながら、園子もまた涛牙を追って駆けだした。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

「はぁ……」

 胸の内のモヤモヤを吐き出すように、夏凛は深々とため息をつく。

 元々実力差があるだろうことはわかっていた。なにしろ、勇者システムを使って尚圧倒された久那牙と斬り結ぶ技量が涛牙にはあるのだ。

 だが、それを加味しても、一太刀浴びせるどころか掠らせる事も出来ないとは思っていなかった。

(積み重ね、か……)

 言われた言葉を反芻して、また落ち込む。言い分を信じるなら、物心つく頃から涛牙は剣を振るってきたという。今の時点でさえ彼は人生の半分以上を武に捧げてきたといってもいい。それも、おそらくは自分とは段違いの密度で、だ。

 生きてきた世界の違い。それを思い知らされて夏凛はまたため息をつこうとして、

「っ」

 不意に足を止める。

 つい先ほどまで集中していた余韻か、或いはもっと単純に嫌な予感か。背筋を貫くように走った寒気が夏凛の意識を外に向けさせる。

 トンネルの中、オレンジ色の照明に照らされた道の先に、いつの間にか人影があった。

 ボロボロになったスーツ姿の中年。眼鏡もレンズが割れ、フレームが歪み、よろめくように歩を進めるその姿は、彼がどんな大怪我を負ったのかと本来なら心配させるところだが。

 如何に夏凛が注意を払っていなかったとしても、その男はつい先ほどまでいなかったはずだった。そして、重傷を負っているはずなのにその視線は夏凛に鋭く注がれている。

 そのおかしさと、なにより本能的な恐怖に突き動かされて、夏凛は仕舞っていた木刀を手早く構えた。悪寒が多少動きを鈍らせた感触があるが――大丈夫、ちゃんと動ける。

 そんな夏凛に、男の表情がこわばったように蠢き、唸るような声を上げる。

「ァ、オォァ、オゥイィィィ……」

 よろめいた動きがとまり、グンッと膝を沈ませるや、

「オァイイィィアア、アアアアアアッ!!!」

 壊れたような絶叫と共に飛び出す。10数メートルはあったはずの距離が、ただの一跳びでゼロに変わる。

 その人外の動きに夏凛は追いつけなかった。が、体勢の不利こそあれど打ち込まれる拳に木刀を合わせる程度には間に合った。

 間に合って――吹き飛ばされる。

「んぬぁ?!」

 人外の膂力に驚愕しながら弾かれた勢いを殺そうとして、咄嗟に考えを切り替えて逆にその勢いを活かす。一度後転して地面を蹴って更に距離をとる。奇襲を受け止めた時、握る手のひらを通して感じたミシリと軋む感触。それが夏凛に逃げの手を打たせた。

 起き上がった時には、男は大きく腕を振りぬいていたところだった。ちょうど、夏凛が堪えようとしたその位置で。もし本能的に踏みとどまっていたら、今の一撃をモロに受けていただろう。

 だが、咄嗟の機転で男の追撃は空振りに終わり、逆に夏凛にとって絶好の隙となった。遠慮なくその顔面に木刀をぶち当てる。

 返ってきたのは、それこそ木の幹に打ち込んだような感触。男の頭は傾きもしない。続けて放った片手突きも男の胴体にめり込む気配もなく、夏凛は全力で後退、距離を取った。

「フッ、フゥ」

 荒く息を整える間、男は打たれた顔面や腹を軽くさするような動きをした。全く効いていないというわけではなさそうだが――大したダメージになっていないようだ。シャアァァ……と威嚇するような声を上げると、再びグッと膝を沈め、再び飛び掛かってくる。

「伏せろっ!」

 その瞬間に声が届く。何を考えるより先に咄嗟にしゃがみこんだ夏凛の頭上を、涛牙の身体が飛び越えていく。

 放たれた矢のように突きこまれた跳び蹴りは、夏凛に向かっていた男にとっては完全に不意を突かれたカウンターだ。顔面をモロに蹴り飛ばされてたまらず後退する。

「涛牙……っ」

「下がれ」

 安堵の声を漏らす夏凛に背中越しに言い捨てると、涛牙は手にした鞘から剣を抜き放ち斬りかかっていく。

 たじろいでいた男が気付いた時には、すでに放たれた斬撃が男を斬り裂いていた。

「ギャアゥッ?!」

 男の身体から零れたのは、赤い血ではなく、どす黒い体液。改めて確かめるまでもない、この男はホラーだ。さすがに一太刀では致命傷とならないが更に後ずさる男に、涛牙は更に攻め込んでいく。薙ぎ、突き、拳に蹴りを絶え間なく浴びせかけて、そのたびに男は態勢を崩して後方に押し込まれていく。

 破れかぶれに振り回した腕がトンネルの壁を削りながら涛牙を襲うが、涛牙は腕を掲げてその一撃を受け止め、お返しとばかりに踏み込みボディーブローを打ち込めば男の身体は宙を舞って吹き飛んでいく。

(あれが、本気の涛牙)

 紛れもなく人外の膂力を発揮しているのは、先ほど聞いた魔導力による強化、というやつなのだろうと思いながら、夏凛はジリと後ずさる。背を向けて逃げるのは論外だが、自分が踏み込める戦いでないことくらいはわかる。

 一方、涛牙も一度攻めの足を止めてホラーの観察に移った。このホラー、おかしい。

「シギャアァァァ……」

 自分の攻撃を受け続けてまだ倒れないことはいい。だが、この反応は。

「ディジェル」

『ああ、ここまで頭がないヤツは珍しいぜ』

 人の陰我、すなわち心の闇や隙をついて活動することから、ホラーは悪辣で知恵が回るモノがほとんどだ。頭を使わずただただ本能のままに暴れまわるのは、依り代となった人間とよほど相性が悪いか、魔界においても雑魚の部類か――或いは、ただそれだけで充分なほどに強いか、だ。

 勢いのままに押し込んでよいのか。疑念が涛牙の足を止めさせ、それがホラーの付け入るスキになる。

 男が勢いよく腕を伸ばす。パンチどころか剣の間合いでさえない距離。当然それは攻撃にはならない。

 だが、袖口から伸びたナニカは届く距離だった。幾本も放たれたソレを反射的に切り払いながら涛牙は横に避ける。

(布?包帯か?)

 色は黒いが、見えた形状と手ごたえからそう予測を立てて、涛牙は逆の腕から更に放たれる布を払い続ける。伸ばした布は一度戻す必要があるようだが、それでも剣の間合いの外から攻撃が出来るとなればホラーにとっては有利だろう。

(だが、一本調子だな。雑魚の部類か)

 しかし、今度は布攻撃一辺倒になったことを見て、涛牙は素早く思考を切り替える。少なくともコイツは、けた外れの怪物ではない。ならば。

「速攻っ!」

 吠えて、涛牙が跳ねる。

 トンネルの天井や壁を速度を落とすことなく飛び回る。その速さに男はかく乱され、放つ布の攻撃も破れかぶれの目くら打ちとなる。そうして無暗に動いて生まれた隙に、跳躍の方向を変えた涛牙が素早く切り込み攻撃を重ねていく。

 ジャウッと涛牙が跳躍を止めた時には、もはや男は全身に負った傷から黒い体液を噴き出した半死半生の態となった。ヨロヨロとうずくまりそうになる様子に、涛牙はとどめを刺そうと必殺の気迫を込めて斬りこんだ。

「ハァッ!」

 その踏み出した瞬間に、ホラーの全身を布が包み込む。擬態を解き、本性を顕したのだ。

 攻撃に使っていた布で全身を覆ったその姿は、さながら黒いミイラだ。普通のミイラとの違いといえば、頭部のほとんどを眼球代わりの巨大なレンズが占めているところか。だが、すでに斬撃の間合いの中だ。変身したところで斬られることに変わりない。そう涛牙が察しても無理はない。

 だが、ディジェルが発した声には驚愕としくじりの気配が混ざっていた。

『コイツは?!マズイ!』

 だが。涛牙が制動をかけるよりもレンズがカッと光を放つ方が早かった。その光に照らされて、涛牙はそこから動けなくなった。

(な、に?)

 声を上げようとしたが、それすら叶わない。指一本どころか、視線すら動かせなくなり困惑する涛牙の耳に、ディジェルの声が届く。

『コイツは、ホラー・イルデュアン……。ヤツに見られたモノは動けなくなる……!』

 翻っていたコートさえ動きを止める中で、イルデュアンが満足そうに肩をゆするとその顔からレンズが蠢きながら外れる。透明な球体――眼球なのだろうそれは光を放ったまま宙に浮かび、イルデュアンの顔には奥から生えるように新しいレンズが現れる。

 ただ一手で攻守が逆転した窮地に歯噛みする涛牙の様子をしばし眺め――イルデュアンは踵を返すとまだそこにいた夏凛を見据える。

『んだとぉっ?!』

 てっきり涛牙に止めを刺すものと思い慄いていたディジェルが素っ頓狂な声を放つ。だが、そんな声にもイルデュアンは構うことなく、片腕を夏凛に向けた。

「っ!」

 目まぐるしく動く戦いに圧倒されていた夏凛がハッと気づくが、イルデュアンの腕から布が伸びる方がずっと速い。放たれた布――いや、それは昔のカメラに使われていたネガフィルムだった――は次の瞬間には夏凛に触れる距離まで迫っている。

 咄嗟の反射で身をよじっていなければ、腿を貫通されていただろう。だが、かわしきることは出来なかった。

「痛っ……!?」

 ザックリと斬り裂かれた傷からの痛みに夏凛が蹲る。剃刀の如く鋭利な切れ味を有するネガフィルムの一撃は、彼女の足から自在に動くための力を容赦なく奪っていた。傷口に手を当てれば、零れる血が指の隙間からにじみ出る。

「う、あ――」

 なんとか立ち上がろうと夏凛ももがくが、動こうとするたびに走る痛みに立ち上がることも出来そうにない。そんな夏凛の姿に満足したようにイルデュアンは肩を揺らし、悠然と夏凛に近づいていく。それは紛れもなく勝ちを確信した強者のしぐさだ。

(く、そっ!)

 その様子を視界の端に映しながら涛牙は内心歯噛みする。それまでの優勢に進めていた戦いがただの一手で覆され、あまつさえ無力化された自分をしり目に人を食われるなど、魔戒士としてあるまじき醜態だ。だがどれほど焦り魔導力を練り上げても光を浴びせられた身体は視線すらも動かせない。

 ほどなくイルデュアンは夏凛のすぐそばにまで歩を進めた。

 抵抗の余地を失いながらも毅然とにらみつける夏凛だが、その目端には微かに涙が浮かび歯の根が合わなくなった口からはカチカチと震えた歯がぶつかる音がする。

 そんな姿を見て、イルデュアンはカハァと声を零した。口がないのでわかりづらいが、恐怖を取り繕う夏凛の様子を愉しんでいるようだ。夏凛の顔を覗き込むように屈みこむ。

 そこに渾身の勢いで、園子は槍の穂先を突きこんだ。

 大きな岩を殴ったような反動に危うく槍を落としそうになったが、それでも園子の一撃はイルデュアンを怯ませる効果はあった。驚いたような仕草でイルデュアンが数歩下がったところに園子は割り込んだ。

「園子?!」

 思ってもいない闖入者に夏凛が驚いた声を上げる。その声に園子はイルデュアンから視線を逸らさぬままに答えた。

「危ないところだったね、にぼっしー」

 駆け去っていった涛牙の後をどうにか追っていて出くわしたこの場面。何が起こっているのかは園子にもまるっきりわからなかったが、夏凛がナニカに襲われているということだけわかれば、それで充分だった。

 先代勇者として鍛錬を積み、命がけの戦いを生き抜いてきた経験が、園子に攻撃の選択を迷わず取らせた。

「アレがなにかよくわかんないけど――私の友達を傷つけようというなら、許さないよ」

 言葉の最後は眼前の怪物に向けたものだった。普段の明るさをかなぐり捨てた低く押し殺した声。直に向けられたわけではない夏凛もビクッと震えるほどの威圧感を持つその言葉も、イルデュアンは首を傾げるような仕草を返すだけだった。園子の言葉も気にせず、イルデュアンは再度夏凛に向かおうと歩を進める。

 その一歩目に合わせるように、園子は槍を振るって連撃を打ち込む。自身の力と遠心力を足し合わせ、さらに頭部を中心に狙った打撃は人間相手なら軽くノックアウト出来る威力がある――はずだが、打たれ続けるイルデュアンはしかし特段の反応もない。縦横に繰り出される槍の攻撃を、避けも防ぎもせずに受け続ける。

 それは、園子の攻撃が速くて反応できないというわけではない。

 一度息を吸おうと園子が攻めを緩めた一瞬。

 その一瞬で、園子は首元をねじ上げられて壁に叩きつけられた。

「?!……っ!?」

 何が起こったのか、園子にはまるで見えなかった。何か声を上げようにも、潰れるかと思うような力で締め上げられた喉からはかすれた呼気が漏れるだけだ。

 そんな園子をイルデュアンは覗き込む。その異形に射すくめられて、園子は背筋に冷たいものを感じた。が、イルデュアンは再度首を傾げるような仕草をして、そのまま園子を放り出した。

 もっとも、イルデュアンに特に力を入れたつもりがなくても、ホラーの膂力は人間を圧倒する。放り出された園子にすれば、叩きつけられたように感じるくらいの衝撃が走った。

「ゲホッ!」

 せき込みながらどうにか上体を起こすと、イルデュアンは再度夏凛のそばに近寄っていた。園子にも、動きを止めさせられた涛牙にもまるで興味がないようだ。

 痛みに呻きながらどうにかしようと思考を巡らすが、滅多打ちにしてもまるで意に介さない怪物を相手にどうすればいいのか、園子にも分からない。分かるのは、人知の及ばない怪物が夏凛を――せっかく出来た友達を傷つけようとしていることくらいだ。

 いや、違う。

 園子の脳内で冷静な箇所が異を唱える。その声に導かれるように、園子は後ろに目を向けた。そこにあるのは、球体のレンズから放たれる光に照らされて宙でピタリと固まったままの涛牙の姿。

『嬢ちゃん!眼をどかしてくれ!』

 ディジェルからの声に、園子は一瞬視線を彷徨わせ、すぐに何を言われているかを察した。

「っ、このおっ!」

 そばに転がっていた槍を手に立ち上がり、園子が涛牙に向けて駆けだす。走る中で槍を振りかぶり、眼――球体レンズに向けて振りぬく。

 槍で打ち据えられてもレンズは吹き飛んだりはしなかったが、向きが少し変わる程度の影響はあった。涛牙を照らしていた光もまた別の方を向き、同時に涛牙の身体は自由を取り戻した。

「!ハッ!」

 着地と同時に剣を振りぬく。両断されたレンズは黒い靄となって霧散した。

「白先輩っ!」

「助かった!」

 言うと、涛牙は魔導火のライターを着火、剣身に灯した炎をすぐさま撃ち出した。

 背後の異変を察して振り向いたイルデュアンが放ったネガフィルムの群れと白炎の三日月がぶつかる。ネガフィルムは燃え落ちながらも炎の勢いを弱め、イルデュアンにダメージが入ることはなかった。

 だがもとより涛牙の狙いはイルデュアンの優先すべき敵を自分に向けなおす事だ。白炎が迎撃された時には、すでにイルデュアンに突進している。走りながら切っ先で頭上に円を描き、鎧を召喚する。

 対するイルデュアンも、再び涛牙を邪魔しようと頭部のレンズに光を集めていた。

 この光に照らされたモノは何であれその動きを止める。その拘束力は絶対だ。それこそ相手を殺すためには一度光を止めなければならない程に。光を放つ眼は強い力を受ければズレてしまうが、今度は涛牙と、その奥にいる園子も光の照射範囲内だ。今度こそ逃れる道はない。

 次元の裂け目からハガネの鎧が召喚されるのと、まばゆい光が放たれたのは同時。

 如何に魔戒騎士の鎧でも、イルデュアンの光に照らされては動くことはかなわない。ハガネの鎧もまた宙に浮いたまま固定される。その様はまるで標本のようで。

「カハァッ」

 イルデュアンから漏れたのは安堵の吐息か。それこそ人間ならば口の端を吊り上げた笑みが浮かんでいるかもしれない。

 照射される光の端から涛牙が飛び出して来たのに気付くのが一瞬遅れたのも、その安堵ゆえか。

 イルデュアンの能力は、「その眼から放たれた光に照らされたものを固定する」もの。先ほど涛牙が固定された時も呼吸は出来たし、光に直接照らされていなかったディジェルは普通に口を動かして話すことが出来た。

 その特性を察して、涛牙は一つ罠を張った。鎧を直接身にまとうのではなく、自分の正面に一式を呼び出したのだ。

 自分の前に全パーツが揃って呼ばれた鎧、その陰に隠れてイルデュアンの光をやり過ごす。さらに羽織っていたコートを脱いで光に直接照らされれないための障壁として、涛牙はイルデュアン必殺の光の外へと逃れ出た。

 予想外の動きにイルデュアンの反応が遅れる。その一瞬に涛牙が投げつけた魔戒剣は、光を放つイルデュアンの眼の端に突き立ち、光が消え失せる。

「ギヤァァァッ?!」

 動きを止めさせていた光が消えて、自由を取り戻した鎧を涛牙が纏う。イルデュアンに刺さっていた魔戒剣もその形状が変わり、大きくなった剣身が更にイルデュアンの傷を広げ、よろめかせる。

 その柄を掴むと、涛牙は独楽のように身を翻し剣を引き抜くと同時に再び魔導火を剣に纏わせた。

「烈火、炎装!」

 イルデュアンの脇を駆け抜けながらの横薙ぎ一閃。白く燃える剣閃が水平に薙ぎ払われる。

 夏凛を背後にかばいながら残心の構えを取る涛牙の前で、上下に両断されたイルデュアンは燃え上がりながら崩れ落ちた。

「――ふう」

 確実に致命傷を与えたことを確かめて涛牙が息をつく。が、イルデュアンの身体が再び動いたことで構えなおす。

『オイオイ、まだ動くってか?!』

 さしものディジェルも驚く中、イルデュアンの上半身は這うように蠢き、夏凛に向かって手を伸ばした。

「ヒッ!?」

 その身体が、一度溶けるように崩れ、人間の姿へ変わる。最初に夏凛の前に姿を見せた、あの中年男の姿だ。

 そして、その口から、言葉が漏れる。

「ゆ、るさ、ない……。ゆる、せない……」

 地の底から這い出るような怨嗟の滲む声に、今度こそ夏凛は凍り付き、涛牙もまた気圧される。

「うらぎりもの――。人でなし――」

 最初、奴はまともに話せなかった。ホラーらしく奸智を働かせるようなこともなかった。それが討滅されて滅びる間際に人語と知恵を取り戻すとは、何たる皮肉か。

「恨んでやる……。憎んでやる……。断じて、貴様を、認めるものか」

 もはや手遅れの負の念を垂れ流し、男は夏凛に這い進もうとする。この男の中に、一体どれほどの怨念が詰め込まれているのか、察する事も出来ずに夏凛は伸ばされた手から逃れようと身体を縮こませた。

「永遠に、呪われろっ……。乃木 若葉ぁぁぁ!!!……」

 最後の絶叫を残して、男は黒い靄と化して消えた。その様はホラーの最期に間違いない。

 今度こそホラーの脅威が消えたことを察して、涛牙は鎧を解除する。だが、男の残した断末魔の叫びは耳の奥にこびりついている。それは、夏凛も、イルデュアンが斬られたのを見て駆け寄っていた園子も同じことだった。

 誰ともなしに顔を見合わせ、言う。

「「「……誰?」」」

 男の怨嗟の相手に、心当たりがなかった。




あれ~……。
あっれ~……。

なんか、前回の投稿から半年も過ぎてる……。危うくエタるところだった……。
PCの調子が悪くて買い替えたりとかあったけど、こんなに更新が遅くなるとは思ってもみませんでした。
鈍足更新とは言っていましたが、楽しみにしていた方には申し訳ないです。

来年は……更新頑張りたいですっ(小並感


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第43話「オールド・ダイアリー(勇者御記)」

“現在”を積み重ねて未来が作られる。
“今日”の足元には過去が重なっている。
先人の残した記録を読み解くがいい。そこにはかつての「今日」が記されている。



 乃木 園子の家は広い。

 大橋市にある実家は言わずもがな、讃州中学に通うために借りたマンションの部屋も広い。夏凛が今住んでいる部屋も一人暮らしには充分以上に広いがそれを大きく上回る。それこそ親子4人家族が普通に暮らせるほどの広い間取りなのだ。実家を離れる条件として家事手伝いの従者が通っているそうだが、手伝いがいなければ掃除だけでも一苦労だ。

 そんな園子の家で。

「これが、そう?」

「うん。この中にあったんよ」

 園子を含めた勇者部の面々が顔を突き合わせて、一冊の本を囲んでいた。古めかしい装丁の和綴じ本の表紙に刻まれた文字は、『勇者御記』。

「ゆうしゃ……おん、き?」

「いえ、これは“ゆうしゃぎょき”よ。友奈ちゃん」

「ぎょき?」

 聞きなれない言葉にキョトンとした顔で聞き返す友奈に、美森は一つ頷き、

「『御記』というのは、身分の高い人が書いた日記の事。『勇者御記』なら、勇者が書いた日記、ということになるわね」

「勇者が残した、日記……」

 友奈の呟きに皆が神妙な面持ちで勇者御記を見る。

「実家から送ってもらった本の中に混ざってたんよ~」

 言って園子が顔を向けた先には段ボールが何箱も積まれている。

 園子は小説を書くのが趣味の一環で、小学生の時分からネットに小説を投稿して好評を博していた。その小説のネタに使えないかと送ってもらったのが、この段ボール箱の山だ。その中に混ざっていたということは、

「ってことは、乃木の先祖が勇者だったってこと?」

 風の問いに答えるのは夏凛だ。

「でしょうね。先祖が勇者だったなら、乃木家が大赦の筆頭家名なのもおかしくないわ」

 勇者の素質がある者を大赦の外にまで求めたのは当代が初めてで、それ以前は大赦の上層部を中心に勇者は見出されていた。そして、勇者や巫女の素質がある少女を輩出した家は自然と発言力を高めていく。その流れに沿えば、園子の先祖に勇者がいても何の不思議もない。

 それに頷いて、園子が後を続ける。

「私も世界の真実を聞かされた時に、ご先祖様が勇者だったってことは聞いてたよ。まあ正直その頃は神官さんたちの言葉は聞き流してたけどね。で、この御記を見つけて中を見ていたら、()()()()があったんだよ」

 言って、園子は御記を開いてあるページを示した。

「『乃木 若葉』。苗字が同じだから、多分この人が私のご先祖様なんだろうね」

 その名前に、その場の全員が息を呑む。

 先日、夏凛と園子がホラーに襲われたことは既に全員が知っている。そして、そのホラーが断末魔に呪いの言葉を放った相手こそが、『乃木 若葉』だ。つまり、あのホラーが狙っていたのは、『乃木 若葉』だったということになる。

 だが。

「でもこれって、書かれたのって」

 慄いたような風の言葉に、園子も頷き返す。

「うん。御記に書かれた日付は西暦――今から300年前のことだよ」

 その言葉に、友奈も改めて御記を見下ろす。

「えっと……。あれ?夏凛ちゃんを襲ったホラーが呪っていたのが乃木 若葉さんで――若葉さんは300年前の人で……。あれ?」

「なんでそんな昔の偉人狙ってるはずが夏凛を襲ってんのよ!?」

 人違いだわ時代も違うわ、なんでそんな事が起こるのか理解できずに風が喚く。

「涛牙先輩は、何か分かりませんか?」

 樹が声をかけた先は、部屋の片隅で壁に寄りかかっている涛牙だった。呼ばれた涛牙は、しかし苦虫を噛んだような渋い顔で顔を横にふった。

「分からん」

「即答っ?!」

 風の叫びに、涛牙も深いため息を一つつく。

「まず、ホラーが特定個人をつけ狙うことは、基本的に無い。ホラーに憑りつかれた人間がどんな恨みを抱いていようと、出現したホラーにはほぼ関係ない」

『ホラーに憑依された時に心底恨んだ人間が目の前にいれば優先的に襲いもするだろうが、一度人界に来ちまえば、あとはホラー自身の選り好み程度だからなぁ。美食家よろしく手間暇かけて標的を美味くするヤツもいるが、イルデュアンはそういうタイプじゃないぜ』

 ディジェルの解説も加わって、一同は猶更顔をしかめた。

「じゃあ、その、乃木 若葉が狙われたのはどうしてよ?」

 夏凛の問いにも、涛牙が返せたのは肩をすくめることだけだ。

「ホラーの考えることなぞ分からん。そもそも、イルデュアンがまともな状態だったかどうか」

「?」

「番犬所で、現場近くでホラーが出現した形跡がないか確かめたんだが、ここしばらくそんな事はなかった。で、出現したホラーが討滅されていない案件がないかも調べたんだがこちらも空振りだ。ただ、300年ほど前に、ホラーがどうなったか分からない案件があった」

「分からない、ですか?」

「普通はそんな事ないんだがな……」

 ゲートが開いてホラーが現世に出現すれば、番犬所がそれを察知し、近場の魔戒士に討滅指示が出される。その後は討滅されれば魔戒士がその報告を上げるし、しくじればホラーの被害が続く事でその後の動きが分かる。現れたホラーが完全に見過ごされることは極めて稀だ。

 だが、300年ほど前にその稀な件が起きた。当時の番犬所から指令を受けた魔戒士が探索をどれだけ行ってもホラーが見つからず、かといってホラーによる被害も報告されず、ホラーの行方が霞みのように消えてしまったのだった。その後10年近く探索は続けられたが成果はなく、他のホラー対処も行う必要があり、ついに未解決のままで終わってしまったのだ。

『その時に出てきたのがイルデュアンなら、陰我ある人間に憑依したはいいが、何がしかの理由で身動き取れずにいるうちに、当の人間の陰我が強すぎてイルデュアンが逆に呑まれたのかもなぁ。んで、300年経ってようやく出てきて暴れた、と』

 ディジェルが先だって出現したホラーの事を思い返しながらそう付け加える。

「なんつーはた迷惑な……」

 風が頭を抱えるのも無理もない。夏凛が襲われた一件は完全にもらい事故だ。

「なら、もしかして若葉さんに夏凛ちゃんが似てるってことかな?」

 と疑問の声を上げた友奈に、

「――一応、御記にご先祖様の写真もあるんだけどね……」

 そう言いながら園子が御記のページをめくると、確かにそこに少女を写した写真があった。

 凛とした佇まいに強い意志を宿した瞳。片手に刀が収まった鞘を携えているが、その姿勢には気負いの類は見えず、当人にとっては自然体の立ち姿なのだと写真越しにさえ分かる。

 そんな少女の写真を皆で眺めて。

「――似てる、かなぁ?」

 園子がやはり首を傾げながらつぶやく。

「その……キリッとした目つきとか、刀を持ってるところとかは、似てるといえなくもないかな~って感じですよね……」

 戸惑いがちに呟かれた樹の言葉に、みな頷く。確かに似てるといえないこともないように思えるが、その程度だ。 

「正直、これで人違いで襲われたっていうのは腹立つわね」

 憮然とした表情で夏凛が吐き捨てる。その言葉に園子たちも苦笑いするしかない。何とか無事に済んだとはいえ、冗談抜きで命の危機だったのだ。見当違いでそんな目に遭えば愚痴の一つも言いたくなる。美森もまたこんな事を口にした。

「そもそも勇者に遺恨を持つなんて、罰当たりにもほどがあるわ」

 神樹に見初められた人類の守護者こそが勇者だ。その勇者を恨むなど信じがたい。美森のセリフにはそんな思いが秘められていた。

『しゃあねえさ。あの頃は勇者の存在は広く知らされていたからなぁ』

 どこか呆れたような声で言うディジェルに、涛牙が問いを投げかける。

「お前、西暦時代のこと知ってるのか?」

『まあな。っても巷の風聞程度だが。それでもあの頃、勇者は人類の希望と随分宣伝されてたもんさ。んで、戦いが終わって神世紀に変わった後も“勇者・乃木 若葉”の名前はアチコチで聞いたよ』

 どこか懐かしむようなディジェルに、園子は小さくため息をついた。

「そうして人々に広く知られて、社会を動かす立場にもなれば、どこかで逆恨みを買うこともあったのかもね」

「有名税ってヤツね」

 理不尽なものだ、と続けながら風が言う。人類のために戦い、人々を導き、身を粉にしたのに恨みを買うのは全く理不尽な話だ。

「本当に、ね」

 形こそ違うがやはり理不尽な目に遭った身として、園子が呟いた言葉にはひどく実感が籠っていた。

「それにしても……西暦時代の勇者の記録があったのね」

 その古びた拍子を軽くなでながら、感慨深げに美森が言う。歴史が好きな美森にすれば、ずっと昔に実際に生きていた人が残した文書となればそれだけでも心惹かれるものがある。

 と、美森がここで友奈が口を開いていない事に気付いた。

 どうしたのかと窺ってみると、友奈は乃木 若葉の写真を驚いたような顔で凝視していた。

「友奈ちゃん?どうしたの?」

 声をかけられて、友奈はハッと忘我の淵から戻ってきた。

「あ、東郷さん。……えっと、この若葉さんの顔が、どこかで見たことある気がして」

「え?でも、西暦時代の人よ?」

 風が訝しむように聞くと、友奈は眉間に皺を寄せて記憶をたどり、

「そうだ!最後の戦いでバーテックスを倒して――そのあと気づいたら変な場所にいて、そこで会った、ような気がするんだ。わたしが目を覚ませたのもそのおかげだったのかも」

「また曖昧な」

 呆れたような口ぶりの夏凛だが、真剣な友奈の眼を見ていると、そんな事もあるかという気がしてくる。ずっと昔の勇者が未来の勇者を助ける、という非現実的な事象も、勇者という超常の力が絡むならあり得ないとは言えない。園子も同じように感じたのか、

「もしかしたら、ご先祖様がゆーゆを励ましたのかもしれないね~」

 という。

「なんだかドラマティックですねぇ」

「フフ、樹ってこういう話が好きよね」

 からかうように言った風だが、ふと視線を感じてそちらを向くと、涛牙が何やら不思議な顔つきで風を見ていた。

「――って、白羽君どしたの?」

「いや……。怯えないんだな、と」

「ああ。確かに風先輩の苦手な幽霊やオカルト絡みですね」

 美森の解説に一瞬ビクッと震えた風だが、すぐに気を取り直す。 

「それはそれ!これはこれよ!つかそこらの幽霊と勇者を一緒にするんじゃないわよ?!」

 ちょっと怯えたような声を張り上げる風にひとしきり笑って。

「――せっかくだし、もっと中身見てみよっか」

 友奈がふと漏らした言葉に、みな頷くと改めて勇者御記のページをめくっていく。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 御記は2018年の夏から始まっていた。ちょうど四国へのバーテックスの攻撃が始まったころだ、とは園子の説明だ。

 だが、ページをめくるうちに全員の表情は曇っていった。

「――なんか、ほとんどが消されてるんだけど」

 もともと文章の一部が消されていた箇所があった御記だが、2019年を過ぎたころから、めくるページの多くで書かれているはずの文字が上から塗りつぶされ、中身がまともには読めなくなっていた。特に御記の後半には1ページ丸まる消された箇所まである。

 その様子に夏凛が慄いたようにつぶやいた。

「勇者の日記も検閲されるとはね……」

「大赦の秘密主義、だろうな」

 涛牙がフン、と鼻で息をして言う。

「今では、バーテックスや勇者絡みの話は表社会にはまるで出てこない。歴史の授業でも西暦末期の事は「殺人ウイルスの蔓延」で片づけられる。経緯は分からないが、大赦はバーテックスの痕跡を消す事を選び、推進したんだろう」

「神世紀に変わった後はバーテックスの襲来はずっとなかったみたいだからね~。大赦の中はともかく、他の人たちには伝えない方が心の動揺を抑えて平和が保たれると判断したんだろうね~」

 大赦の行動に理解を示すように言う園子だが、その表情には不満が滲んでいた。

 良かれと思っての情報隠蔽。それを是として進めていく組織の体質。それらが年々強化されていった果て。勇者たちはろくな情報も与えられず、ただ勇者の力だけ渡されて脅威と戦うことを求められ、挙句に身体を供物に捧げるような戦いに駆り出された。不満を覚えない方がどうかしている。

 辺りに満ちた暗い気配を振り払うように風が声をあげる。

「ま、まあまあ。今は最後まで読みましょ」

 御記は変わらず検閲箇所が多いが、それでも何とか読み進めていくとわかってくることがあった。

「1人で書いた日記じゃないのね。多分、一緒に戦った勇者みんなで回し書きしてたのよ」

「交換日記みたいだね」

 確かに、わかる範囲では御記に書かれているのは、戦いの様子よりも勇者となった少女たちが感じる日常がそれぞれの文体で書かれている。

 戦いに向けた意気込みや仲間、いや、友達の様子。心中の不安といったことも書かれていて、交換日記という友奈の感想も間違いではない。

 文面から読み取れた名前は、乃木 若葉の他に『土居 球子』『伊予島 杏』そして、『高嶋 友奈』。

「わたしと、同じ名前?」

 友奈が驚いた声を上げる。自分と同じ名前をまさか昔の勇者の中から見つけるとは思ってもみなかったのだ。

「偶然かしら?」

「う~ん、違うと思うな~」

 風の呟きに園子が答える。

「昔聞いたことがあるんよ~。生まれてきた女の子がこんな仕草をしたら『友奈』と名付ける風習があるんだって」

 と言って園子は手の甲を軽く打ち合わせた。

「多分、ご先祖様も一目置くような立派な勇者だったんだろうね~。だから高嶋 友奈さんにあやかって名前を付けるようになったのかな。一種の縁起担ぎだね~」

 園子の言葉に頷いて、美森はそっと御記を撫でる。

「『友奈』という名前は、西暦の勇者、高嶋 友奈から始まり、神世紀の長い歴史の中で受け継がれてきたのね……」

 歴史に思いを馳せてそういう美森に、なぜか風が乗っかる。なんか片目を抑えたようなポーズをとりながら。

「フ、そうか。オヌシは、結城 友奈は――友奈因子を持つ、友奈の一人であったか……」

「――何言ってんの、お姉ちゃん」

 冷めた口調で容赦なく切り捨てる樹に、みんな軽くふきだしてしまった。

 ひとしきり笑いあって、友奈たちは改めて御記に目を向ける。

「あちこち消されてしまったけれど、それでも、残された記述からだけでも色々分かったわね」

 美森の言葉に、うん、と頷いて友奈が続ける。

「西暦の時代にも大変なことがあって、でも当時の勇者が頑張って人類を守った。わたしたちの今の生活は、ずーっと昔からの、たくさんの人たちの積み重ねのおかげなんだね……」

 友奈の言葉に、みんなで頷いた。

  

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 園子の家からの帰り道。すでに日の暮れた道を友奈たちは談笑しながら家路を歩く。

 和気あいあいとした一同から少し遅れて進む涛牙は、ふと足を止めた。

 先に問われた、なぜ夏凛がホラーに狙われたのか。それも、ホラーにとって大敵と言えるはずの魔戒騎士へのトドメを後回しにするほど優先する理由は何なのか。

 ……彼女たちには言わなかったが、ホラーが特定の人間を優先して狙う場合が、一つある。

(いや。考えすぎか)

 だが、涛牙は頭に浮かんだ考えを振り払った。

 年頃の少女らしく楽しく過ごしている友奈たちに、余計なことは言うべきではないと、そう思ったのだ。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 夜闇の中で。

 白刃が一閃しホラーが断末魔を上げて消え失せる。

 邪気を刃に、そして己の身に蓄えながら、曲津木 久那牙はふとその表情を歪ませた。

(どういう事だ?)

 今しがた斬り捨てたホラーのみならず、ここ最近屠ったホラーのほぼ全てが、()()()()()久那牙に近づいてきた。

 よほど強さに自信があるならともかく、大抵のホラーは魔戒士に接触しないように活動する。

 当然と言えば当然で、己を害する可能性のある相手とは関わらないのが一番だ。だというのに、何故かホラーから久那牙の近くに寄ってきていた。

 足を使って狩り出さなくてよいのは良いが、異常が続けば不審も覚える。そして、この異常が始まったのは。

 思い当たる節があり、久那牙は懐からとある新聞記事の切り抜きを取り出した。たまたま見つけた、新聞の片隅に掲載されたとある部活のメンバーが並んだ写真。それを見て、

「……讃州中学、か」

 久那牙の視線は、遠く讃州市の方角を見据えていた。 




どもども。毎度スパンが長くてすいません。
頭に浮かんだ展開はあってもそれを文字にするとえらく苦労しますね、ホント。

ところで、年明けからまさかの牙狼の新作が放送されましたね。正直牙狼VRで「もうシリーズは終わりかな」と思ってたので、流牙主役で始まった時は驚きました。
さらに驚いたのが、「ハガネの鎧」を使うサブキャラ「白羽」創磨って。
苗字モロ被った!?
生身のアクション多めで結構楽しんでます。どうにか最終話前に1話投稿出来てよかった……っ。


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