雲雀は月夜を咬み殺さない (さとモン)
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日常編
1.大空との出会い


雲雀恭弥は並盛中学校の風紀委員長でありながら、不良の頂点に君臨する少年である。

彼は気に入らないものや群れる草食動物たちを仕込みトンファーでめった打ちにする。

並盛の風紀を乱すもの。則ち、校則を守らないものもまた然り。

そこに例外はない。

 

否、一人だけ例外が存在する。

 

雲雀恭弥の悪口を言おうとも、雲雀恭弥の前で群れようとも、雲雀恭弥の前で遅刻しようとも。

雲雀はトンファーを向けない。

たとえその顔が不愉快そうに崩れていても。

たとえ体全身が怒りに震えていようとも。

彼───桂木明祢(かつらぎあかね)だけは噛み殺さない。

 

これは、そんな話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

沢田綱吉は驚いた。

それはもう、とんでもなく驚いた。

先程までの恐怖が全て吹っ飛んだ。

彼にとっては、それほどまでに信じられないことだった。

 

並盛中にはとてつもなくおっかない風紀委員長がいる。

これは並盛の住人ならば割とメジャーなことで、彼は気にくわないものをとにかく咬み殺してきた。

綱吉自身何回も咬み殺されている。

なにより、雲雀の強さというのは並盛最強な訳で。

だからこそ信じられなかった。

 

あの雲雀恭弥を怒らせているというのに全く動じることなく、果てには「この鳥頭」と罵るあの先輩が、未だ咬み殺されていないことに。

 

 

ことの発端は、遅刻してきた男子生徒とそれを咬み殺す雲雀。

そして、その隣を平然と通りすぎようとする少年とそれに引っ張られる綱吉の姿であった。

 

校門前で待ち構える雲雀に怯えていた綱吉の背後から、肩を叩く人がいた。

それが桂木明祢。すなわち、ことの原因の人物である。

彼は怯える綱吉と雲雀を見比べた後、何故か微笑み、綱吉の手首を掴んで校舎へと足を向けたのだ。

なんだこの人!?とは綱吉の心中である。

 

「待ちなよ」

 

無論、それを雲雀が見逃すはずもなく、顔を向けずに二人に告げる。

 

「何?」

 

少年もまた雲雀に顔を向けることはなく、二人はお互いに背を向けあっていた。

場の空気がズドンと重くなる。

一方で綱吉はそれに怯えていた。

なぜ、こんなことになったのか。

 

「桂木明祢、これで何回目だと思ってるの?」

「一年の時から通算42回目。二年になってからは記念すべき20回目かな」

 

眼鏡を掛けた少年の顔には恐怖の類いは存在しなかった。むしろ、笑っている。

背後からは、凄まじい重圧が掛かっているだろうに。

綱吉は震えた。

この桂木という人は命知らずなんだろうか。

五秒後にぼこぼこのぐちゃぐちゃにされている自分を想像した。

普段のヒバリさんより数倍怖い。いっそのこと、咬み殺された方がマシかもしれない。

 

「多すぎだよ」

「知ってる」

「なら減らしてくれない?風紀が乱れる」

「出来るならとっくにやってる」

「ふざけてるの?」

「ひぃぃぃぃ……」

 

カチャリ、という聞きなれたくないその音に、綱吉は叫んだ。

トンファーだ。

間違いなくトンファーだ。

咬み殺される。確実に咬み殺される。

綱吉は頭を抱えた。

終わりだ。

あわや爆発寸前かと思われた時、雲雀はふと何かを思い出してしまったかのように腕を止めた。

手にはまだトンファーの形をしていない仕込みトンファーがある。

 

「……最悪」

 

雲雀の顔は綱吉が見たこれまでのどの顔よりも凶悪だ。

 

「はやく教室に行って、僕の前から消えて」

 

睨む顔は怖いが、それよりもどこか違和感がある。

だが、綱吉はそれがわからなかった。

 

「言われなくてもそうするよ、この鳥頭」

 

そんな思考は桂木の発言で全てすっ飛ぶ。

極めつけはこれだから、綱吉はこの人はとんでもない人だと思った。

だって、この学校の生徒、教師ならこんなことは誰もしない。

獄寺ならば──いや、彼も雲雀の恐ろしさは重々承知のことだろうから、雲雀を少しも恐れていない彼はそれ以上に恐ろしい。

 

 

門を過ぎて、校舎内に入り、雲雀の姿が見えなくなって、綱吉の隣にいた桂木は深くため息をついた。

 

「悪かったな、怖かっただろ」

「え、あ……はい」

「でも、咬み殺されなくて良かったな」

 

彼は安心させるように、優しく笑った。あの校門の前の笑顔とは似ても似つかない。

もしかして、彼は咬み殺されないことを分かっていて、わざと自分の手をひいたのだろうか。

綱吉が咬み殺されないように。

 

「えーと、ありがとうございます」

「礼なんかいらないから、さっさと教室に行きな」

 

彼は、終始笑っていた。

それに違和感を覚えながら、綱吉は言われるがままに教室へと向かった。

 

 

 

「よぉ、ヒバリ」

 

足元から聞こえてきた声に、雲雀は笑みを浮かべた。

 

「やぁ、赤ん坊」

 

少し前から見かけるようになった黒服を纏った奇妙な赤ん坊は、雲雀にとって今最大の興味を向ける相手だった。

およそ穏やかな空間でありながら、雲雀の出す気配は獣のそれに近かった。

 

「ちょっと聞きたいことがあるんだが、いいか?」

「僕に?」

「なんでアイツは咬み殺さねぇんだ?」

 

リボーンが世間話のように聞いた。

雲雀はそれを聞いた途端、それまで浮かべていた笑みをイラついているといった顔に変えると、苦虫を噛み潰したかのように顔をしかめた。

まるで地雷を踏み抜いたかのように。

開けてはならないパンドラの箱に、触れてしまったようだと、リボーンは思った。

 

「言いたくねぇことか?」

 

リボーンの言葉に、雲雀は少し動きを止める。

確かに、アレは触れられたくないことだ。

雲雀の人生における最大の汚点と言ってもいいかもしれないもの。

数少ない、雲雀恭弥が残した後悔。

 

「そうだね……」

 

瞼を閉じれば、あの日の光景は沸々と甦り、雲雀をイラつかせる。

もちろん、今現在の桂木の行動も雲雀をイラつかせるが、それ以上に許せないこと。

 

「あんな彼を咬み殺したところで、ちっとも面白くないからね」

 

──あんな草食動物は咬み殺しても咬み応えがない。

雲雀はそう言って、興が冷めたといわんばかりに制服を翻し、校門から去っていった。

その足音を、いつもより酷く響かせて。




あらすじにも書いた通り、月夜とはうさぎの肉のこと。
この話の場合、月夜とは桂木明祢のことを指す。
肉食生物の雲雀に対する彼はこんなもんです。きっと。
少なくとも今の彼は肉食ではありません。


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2.問い

あの驚愕の光景が忘れられなかった綱吉は、その日一日の間考えることになった。

ぐるぐるとその事が頭の中を回る。

お陰で、元々頭に入らなかった授業が、余計に頭に入らなくなった。

そうやってうだうだしていれば、普段との様子との差違を気にした獄寺と山本にどうしたのか、と訊かれることになった。

 

 

「あのヒバリがですか?」

「そうだよ。あのヒバリさんがだよ?」

「なんか体調でも悪かったのか?」

「いや、そんな風には見えなかったけど……」

 

直前に男子生徒をやっているし、あの人は体調が悪くてもトンファーを振り回しそうだと思う。

 

「妙ですね」

「だよね」

 

綱吉は雲雀のことをよく知らない。

だが、あの不可解な行動には何か訳があるのではないかと思う。

 

「なら、直接聞いてみればいいじゃねーか」

「り、リボーン!?」

「いつまでもうじうじしてないでさっさと聞いてこい、このダメツナが」

 

いつものように蹴り出された。

 

 

そんなやりとりがあって、脅され半ばに綱吉は桂木のいる教室までやって来た。

獄寺と山本はこっそりその様子を後ろで見ているらしい。

綱吉は深いため息をつきながら、教室を覗く。

桂木は窓際の席で何かの本を読んでいたようだが、綱吉が桂木の姿を見つける同時にこちらを見て手をあげた。

本を片付けて扉に向かってくることから、どうやら気づいているらしい。

 

「今朝の一年だな、どうかしたか?」

 

教室の外を軽く見回してから、綱吉のことを見た桂木は首を傾げる。

 

「えーと、聞きたいことがありまして」

「………なんだ?」

 

彼は笑っている。

眼鏡のガラス越しに見える彼の目は、しっかりと綱吉のことを見据えている。

 

「あの、桂木さんはヒバリさんに咬み殺されたことあるんですか?」

 

なんとなく気圧されながら、綱吉はとりあえず聞いてみた。

──刹那の静寂。

桂木は数度だけまばたきをしてから、「あるよ」とあっけらかんに答えた。

その平然とした態度に、綱吉は驚嘆の声をあげる。

雲雀恭弥の恐ろしさというのは、大体身をもって感じるものだ。

一度その対象に入ったのならば尚更。

今朝のように、彼はやはり雲雀恭弥に恐怖を抱いていない。彼を脅威として認めていない。

目の前にいる綱吉や、周りにいるクラスメイトまではいかなくとも、警戒すらしていない。

感じるのは、笑顔の中の嫌悪だ。

そういえば。

そもそも、どうしてヒバリさんは桂木さんを咬み殺さないのだろう?

一度や二度は咬み殺したというのなら、なぜその後は咬み殺さない?

桂木と雲雀の関係は、お世辞でも良いとは言えない。

気に食わない人間はことごとく咬み殺してきた雲雀が、何故彼だけを例外とするのか。

 

「あの」

「そろそろ授業始まるし、もういいか?」

「あ、はい」

 

聞こうとしたことは、迫った時間と桂木の言葉に遮られた。

二人の間になにがあったのかはわからない。

けれど、彼等があぁしていることに違和感を覚えてしまうのはどうしてなのだろう。

 

 

雲雀恭弥が咬み殺さない相手がいる、というのは、実のところうちの学年では有名な話らしい。

同じ学校といっても、二年は一年のことをそこまで把握していないし、逆もまた然り。

最近騒がしくなった学校の一年連中は、俺のことをあまり知らなかったらしい。

だから、あの小柄な少年が酷く驚いた理由を、俺は彼がおかしな質問をしに来てから知ったのだが……。

いや、おかしな質問とはいうものの、実際はみんなが気になることだろう。

普段の雲雀的解釈なら風紀を乱している部類に入る筈なのに、咬み殺されていない稀有な人物なのだ。その疑問はもっともだ。

彼が本当に聞きたかったのは、そういうことだったのだと確信している。

けれど、それを言うわけにはいかない。

何せ、アレはお互いがお互い良い思いを持っていない。

雲雀の性格からして、アレを言いふらされるのはぶちギレで済めば良い方だ。

此方としても言うデメリットはあれ、メリットはないのだから言う筈なんかない。

だから、彼には悪いがその意図を悟っていたとしても、話さない。

とりあえず、退屈な教師の声をBGMに、そろそろ寝ようかと思った時。

 

「ちゃおっス」

「………は?」

 

───赤ん坊がいる。

視線を向けていた窓の外、黒服を纏った見るからに奇妙な赤ん坊がいる。

桂木はまず、自分の目を疑った。

それから目元に手を当てて、自分が眼鏡を掛けていることを思い出した。

そしてゆっくりと教室を見渡して、窓の外を再び見た。

一度目を長く瞑る。

目を開けて、何度か瞬きをする。

───やはり、赤ん坊がいる。

 

「本物?」

 

赤ん坊に聞こえるような、出来るだけ小さな声で、桂木は囁いてみた。

 

「本物だぞ」

 

赤ん坊が流暢な日本語で応えた。

次は幻聴が聞こえたのかと思ったが、流石にそれはないだろうと結論付け、とりあえずは目の前の赤ん坊と向き合ってみることにした。

ここは三階だとか、授業を聞いていないとか、そういうことは置いておいて。

 

「俺に何の用?」

「個人的興味だ」

 

ニヤリと笑う顔は、世間一般の赤子には似合わないが、不思議とこの目の前の赤子には似合っていた。

しかし、この赤ん坊。

見掛けはどこからどう見ても赤ん坊である筈なのに、そこに内包されているものはどうにもらしくない。

 

「その個人的興味というのは?」

「ヒバリは何故お前を咬み殺さない?」

「なるほど」

 

またそれか。

というか、それをいつどこで知ったのか。

そもそも、この赤ん坊は何者なのか。

それらについて考えるにはあまりにも情報が少なすぎる。考えるだけ無駄というやつだ。

桂木は動揺して普段より回らない頭を、どうにか回した。

幸いなことに、彼には中々に優れた頭脳があったので。

 

「君、雲雀の知り合い?」

「さぁな」

「あいつに聞いた?」

「さぁな」

 

この様子だと、聞いたな。

桂木としては非常に困った。前述した通り、彼にデメリットはあってもメリットはなかった。

ぶちまけられたのなら少しは楽になるかもしれないが、今以上に状況が好転するとは思えない。

 

「雲雀はなんて?」

「『あんな彼を咬み殺したところで、ちっとも面白くないからね』」

 

桂木には、それを言う時の雲雀の姿がありありと思い浮かべられた。

物凄く不機嫌そうな顔が今にも襲いかかりそうだった。

桂木はそれを聞いて体を脱力させた。変な言い訳を考える必要がなくなったからだ。

 

「その通りだ。あいつにとって、こんな俺を咬み殺したところでうま味がないんだよ」

 

雲雀がそう答えたのなら、自分はこう答えるしかない。

究極、それに集約されるから。

 

「………」

 

赤ん坊は何かを考えているらしい。

桂木は多分これ以上は聞いてこないだろうな、と思って、暇潰しに赤ん坊を観察することにした。

そうして数秒。

 

「ま、今日のところはそれで許してやるぞ」

 

チャオチャオと去っていく姿に、長靴の国を思い浮かべた。

本当に妙な赤ん坊だ。

温かい日射しに包まれて、桂木は一つ欠伸をした。

近日に何か起こりなそうな嫌な予感がしてくるのは、出来れば無視をして。




この作品、もしも雲雀さんが咬み殺さない人がいたら?という発想では書いてないので、タイトルは実のところそこまであてになりません。

こいつのどこがうさぎ肉なんだよ、とか思うかもしれませんが、うさぎと関連付けたかっただけです。

一応、桂木くんは家でウサギを飼ってます。
名前は大福。真っ白なウサギです。


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3.夜の並盛

最近は、不審者が多い。

 

今年の春から、黒服の男達が町を彷徨くことが多くなった。

昼間から銃撃音だの爆撃音だのが聞こえてくる気さえしてくる。

お陰で、夜は警戒しなくちゃいけなくなった。

前は、警察と不良にさえ気を付けていればそれで良かったのに。

 

例の黒服の男達が堅気の人間な訳がない。

遠目で見掛けたが、あれは血と硝煙を知っていると思う。

日本人ではなく、西洋人らしいので、ヤクザではないだろう。

流石に外国のそれらには詳しくない。マフィアだの、ギャングだの、コーサ・ノストラだの、おそらくはそういった類いの輩か。

並盛町では暴力団と呼ばれるものの力は弱い。

そんなものよりもおっかない秩序様がおられるからだ。

あれは自分のものである並盛で薬物が流通してるのはとことん許せないらしい。

覚醒剤等を資金源とするような組織は、ことごとく咬み殺されてきた。

でも、並盛は別に治安が良い訳じゃない。

そこいらに不良はいるし、暴力団だっていることにはいる。厳密にいうなら、風紀委員会が他所でいうところの暴力団にあたる存在だ。

この辺りの主要な施設は雲雀の支配下にあると言って良いし、夏祭りにショバ代を要求してるのは完全にヤクザもののそれである。

というか、ショバ代に五万もとるのはヤクザの相場よりも恐ろしく高い。下手したら、ヤクザよりも危険な組織だ。

名家の出だからって、金銭感覚が狂ってるんじゃないだろうな。

少し、雲雀を心配してしまう。

別に風紀委員会が嫌いな訳じゃない。雲雀と顔を会わせると大抵あぁなるだけで。

とはいえ、あれが並盛の治安を守っているのも事実である。

彼からすれば、並盛に外様の荒くれ者がいるのは、決して良いことではないだろう。

 

 

桂木はギリギリ不良ではないものの、良い子ではなかった。

と本人は思っている。

桂木家は雲雀家ほどかはさておき、並盛ではそれなりに古くから続く家である。

しかし、地主の家系であったわけでもなく、権力を有しているわけでもなし、桂木本人からすればただ古いだけの家だった。

世の中の若者が悪いことに引かれるのと同じように、桂木は夜の町を度々散歩する。

昼間は風紀委員の目が厳しい。

雲雀の手足である風紀委員は、委員長の雲雀を崇拝しているような節があり、その彼に従わず、攻撃もされない特別は、彼等からしてみれば目上のたんこぶだったのだ。

だから彼は、昼間は比較的おとなしい。

 

桂木は眼鏡を掛けていれば、一見平凡な少年に見えた。彼はまだ成長の半ばであったし、元々雲雀よりも少々小柄だった。

(因みに彼の眼鏡は伊達。理由は理知的に見えるから、という子どもじみたものであったりする。)

すれ違い際に、不良の一人と肩がぶつかる。

 

「おい」

 

夜、小柄な少年が不良達の屯する前へと現れれば、結果は目に見えていた。

──桂木明祢でなければ。

数分後、コンビニ前で不良の山が積まれることとなる。

 

 

夜の町を歩く。

良い子だって、雲雀だって眠る時間。

冬も目前に迫り、吐いた息も白くなる。

時折吹く風の寒さに、フードに潜ませた温もりで対抗する。

桂木明祢は夜を好む。

そのせいで明日の朝に響いているけれど、そんなことはもう気にしなくなってしまった。

咎めるものはいない。

両親はその辺りは放任主義で、文句を言う友人だっていない。

絡むチンピラはちゃんと対処できる。

素性がバレないようにするのはもう慣れてしまった。

学校の遅刻は雲雀がいつもうるさいけれど、彼はもうトンファーを桂木に向けない。

 

「どうするかなぁ」

 

桂木は生温い平穏よりは刺激的な混沌の方が性にあっていると思っている。

だが、敢えて自ら危険な方向へと進むほど愚かではないとも思っている。

結局のところ自分はまだ子供で、何もかもすべて一人で出来るほど完璧じゃない。

目線を下げる。

先程見た不良達とは異なるが、同じように地面に這いつくばるように転んでいる男。

左腕に映える刺青は、日本では見掛けない。一見弱そうに見えて、どことなく強そうで怪しい金髪の美丈夫を、どう対処するべきなのか。

纏う服は外国なんかの若者が好みそうなストリートファッションというやつだろう。

しかし、腰に僅かに見える黒い鞭は使い込まれているのは明らかだ。

それが怪しい。鞭を持ち歩く人間は普通じゃない。

──この人、多分あっち側の人間だ。

この場合のあっちが、果たしてどのあっちなのかは桂木自身も判別をしかねている。

桂木は、生憎とどちらの世界にも詳しくなかった。

 

「……大丈夫ですか?」

 

(例え怪しくとも)目の前で転けた人物を無慈悲に見捨てるほど桂木は冷たい人間ではなかった。

腰の鞭のことは一先ず忘れ、困っている人間に対する優しさとして手を差しのべた。

 

「あー、すまねぇな」

 

青年は桂木の伸ばした手を掴んで、何とか起き上がった。

あっ、と声をあげそうになるのを抑えた。

触れた手のひらは皮が硬かった。体に掛かる負荷は想像よりも重かった。

鍛えられている人間は、筋肉のせいで見掛けよりも重いことを、桂木は知っていた。

 

「あなたは……」

「いやー、助かったぜ。ホテルに行くだけなのに変に何回も転けるんだよ」

 

どこからどう見ても外国人の見た目で、日本人さながらに日本語を話す。

おかしいよなー、と笑う彼は自分のどんくさいところに気付いていないのだろう。

ある意味凄いな、と感心する。

彼は隙だらけだった。桂木が今すぐ攻撃をすれば、簡単に倒せそうだと思うほどには。

 

「怪我は?」

「この通り、大丈夫だぜ」

 

桂木はこれ幸いとばかりに青年を観察した。

とりあえず、怪我は本当になさそうだということを確認してから、男をまじまじと見た。

闇夜には目立つ天然の金髪は、この辺りでは見かけることがないからか、物珍しかった。

例の刺青は左腕だけかと思いきや、左の首筋にもあった。もしかすると、左半身全体に彫られているのかもしれない。

コートには、これといった不自然な膨らみも不自然なシワもない。

元々所持していないのか、そもそも所持する必要がないからなのかは分からない。

 

「よかった」

 

漏れた安堵には、複数の意味があった。

 

「いや、本当にすまねぇな……って、あれ?」

 

男が桂木を見て首をかしげた。

話をすればするほど、青年はそれらしくなくなって見える。

──俺の思い過ごしか……?

目に映る外国人全てが裏社会の人間に見えているだけなのかもしれない。

体を鍛えているだけで、別に特に危険はないのかもしれない。

大体、この人弱そうだし。

桂木は少しだけ警戒を緩めた。

 

「なんですか?」

「あー、えっと、気を悪くしたらすまないが……そのフード、おかしくねぇか?」

 

今度こそ、あっ、と声が出た。

桂木は今の自分の状態を思い出した。

いつもの散歩と違うこと。

確かに、おかしい。

フードの中で、もそもそと何かが動いた。

 

 

親しげな黒服の男達が来たとたん、青年の纏う何かが変わったのを感じた。

隙がなくなったのだ。

変な男だな。

さっきまで弱かったのに。

今では、自分が勝つという光景が浮かばない。

 

「ありがとな!」

 

にこにこと笑って手を振る青年の肩には、小さな亀が乗っている。

その姿が小さくなってから、とうとう張りつめていた警戒を全て解いた。

 

「やっぱりあっちの人だった……」

 

黒服の男達は、皆が皆とはいかないが、殆どの男のスーツに微妙な膨らみがあった。

ボス、と呼ばれていた。

あれでボスか、と桂木は少しだけ落胆する。想像上の組織のトップと全然違う。

思えば、フードの中の温もりはおとなしかった。

 

「最初から心配ないってことか?」

 

もう少し、そちらの知識をつけた方がいいかもしれない。

いつもより少しだけ早く、家路につくことにした。

夜明けには、まだ早い。

 




12月2日の夜。

雲雀さんと明祢くんの関係性が重要なので、彼に近しくなる人に会わせておこうと思って。

22歳なんですよね、あの人。日本ならまだ大学生、社会人成り立てくらいで。
世間一般じゃまだ子供の部類なのかなぁ、と。
でも、そんな彼から見る中学生たちも凄く子どもですよね。(普通かはさておき)

明祢くんの裏社会知識はテレビで得たものです。
彼もまだまだ中学生。
理想と現実が異なることに素直にショックを感じる年頃です。

フードの温もりはいずれ。


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4.桜の前で

幕間の桂木明祢

1月3日
家の用事が落ち着いたので、ウサギたちと餅をついて食べる。
親戚一同からお年玉を貰った。

2月14日
珍しく7時半に登校。自分の下駄箱を封印する。
雲雀の下駄箱のチョコを見て顔を青くする。
帰宅後、母親からチョコを貰う。

3月14日
家族分の晩御飯を作る。



ふいに視界が、薄桃色に染まる。

 

「桜……」

 

淡い色の花弁が、ひらりひらりと舞い落ちる。

そういえば、昨日のニュースで今日あたりが見頃を迎えるって言ってたか。

場所取りの為に早くから来ているんだろう。まだ早朝だというのに、桜並木が騒がしい。

 

「ふわぁ」

 

朝から元気で羨ましい。

秋の暮れに生まれたちびっこウサギ達が、夜に暴走し出したせいで、こちとら昨日からロクに寝れてないっていうのに、騒ぐだけの元気があるんだから。

それに一部の大人ウサギも大人ウサギで元気だし。

顔も名前も知らないご先祖様は、なんてものを飼いだしたのか。

お陰で子孫の俺はあの暴走ニンジン魔どもに振り回されている。

世間の子兎がどうなのかは知らないが、あんな危険な子ウサギ、あんまりかわいいとは思えない。

だって、躾前のウサギは、バーサーカーと言っていいのだから。

 

「やめよう……」

 

あんなことを思い出していたら、気持ちは余計に暗くなっていく一方だ。

心なしか頭痛までしてきたような気がする。

あのおぞましい記憶を浄化させるためにも、ここは満開の桜で心を落ち着かせるべきだろう。

そうと決まれば、話は早い。

足先の方向を変え、桜並木の方へと足を運ばせる。

 

 

少し先で、黒い学生服が揺れているのを見つけた。

 

「雲雀?」

 

この辺りで肩に学ランを羽織ってるのは雲雀くらいだ。

……そういえば、雲雀はこの時期になると毎年一人で花見をしてたか。

雲雀は桜が好きだから。

 

「ん?」

 

なら、どうして桜並木が騒がしいのか。

群れるのも群れを見るのも嫌いな雲雀のことだから、風紀委員なりを使って人払いをしている筈だが。

一番見頃な時に、一番の特等席を占領するものだから、よく町民からは愚痴が出ていたような───

 

「え」

 

身体が、不自然にふらふらと揺れている。身体の運び方が、雲雀のいつものそれじゃない。

まるで、満身創痍といった具合に。

雲雀はめっぽう喧嘩が強くて、もう並盛じゃ、あいつに敵う奴はいなくなっていたから。

あんな姿、もう何年も見ていない。

 

「どうしたんだ、お前」

 

衝動的に、雲雀に駆け寄る。

一歩歩くだけでも辛そうで、今にも倒れてしまいそうだった。足が震えている。

それが、過去の光景とダブって見えて。

心配でつい、手が伸びた。

 

「放っておいてくれる」

 

パシッ、という音と同時にその手が弾かれた。

嫌悪にまみれた顔が映る。

現実に引き戻されたような感覚と、絶対的な違和感。

雲雀なのに、痛くない。

 

「何があった」

 

無理矢理雲雀の肩を掴んで、こちらを向くようにする。

顔色も悪い。

病人だと言われたら、すんなりと信じられる程に。

俺のやけに神妙な顔に折れたのか、それとも雲雀なりに何かしらの考えがあるのか、暫くしてから雲雀は口を開いた。

 

「……変な男におかしなことをされた」

「変な男?」

「桜クラ病だって言ってたけど、君知ってる?」

「知らない」

 

桜クラ病──?

そんな病気、聞いた覚えがない。

語感から、桜に関係する病だということは読み取れるが、具体的な情報までは分からない。

だが、病名と周囲の状況、雲雀の状態から単純に考えるのなら、桜があると立っていられなくなる、とかか?

 

「そう、じゃあ帰るから」

「待て」

 

ふらふらのまま立ち去ろうとする雲雀を止める。

自分が立てた仮説が正しいのなら、確かに早急にこの場を離れる必要がある。

雲雀が足早に立ち去ろうとするのを止めるのはあまり良くないだろう。

だが、敵の多い雲雀をこんな状態で一人で帰らせる方が危険だ。

 

「危ないだろ」

「君の助けは要らない」

 

この頑固者!と罵倒したい心を無茶苦茶に押さえつける。

雲雀がこういう性格なのは昔からで、それにいちいち怒っていたら切りがない。

それに、こうも接触して咬み殺されないのは俺だからであって、本当は殴り飛ばしたい筈だ。

──仕方がない。

 

「悪く思うなよ」

 

狙うは首裏。普段ならさておき、弱っている状態なら、ちゃんと落とせるだろう。

 

「ねぇ」

 

でも出来なかった。

腕が、急に横から伸びてきた手に止められる。

握りしめられた骨が痛い。ギシギシと音が聞こえる気がする。

どこからどう見てもふらふらなのに、一体どこからこんな力が出るのか。

 

「あ……」

 

表情を読み取ろうとして、自分が間抜けだったことに気付く。

 

「今日は、戦ってくれるの?」

 

ぎらぎらとした目つきと、つり上がる口角。心の底から嬉しそうな顔と声色。

肌を突き刺すような、殺気にも似た闘気。

ぶわり、と背筋が凍りそうになる。

──まずい。

こうなれば、雲雀は無理に身体を動かす。

目の前に、ずっとお預けにされていたメインディッシュが置かれているのと同じ。飢えた獣は、待ちわびた肉を喰らおうとする。

雲雀に物理的な攻撃を仕掛けるのは、最も悪手だったことに、何故気付かなかったのか。

止めなければならなかった。

雲雀と戦う気なんて、これっぽっちもなかった。

雲雀の方が強いのはわかっていた。

けど、今のこんな状態の雲雀なら俺だって簡単に倒せる。

でもそうしたら、雲雀は期待してしまう。

 

「………」

「咬み殺してあげるよ」

 

足が震えているのに、上半身と気配は臨戦態勢で。

どう見ても、まともに戦える状態じゃないのに。

目的のためなら、こいつは自分を厭わない。

俺は、雲雀恭弥のそういうところが嫌いだった。

 

「───落ちろ、雲雀」

 

自分でも驚くほど低い声。

そうだ、夢を見せてやる。

起きたらきっと忘れてしまうような、儚い夢を。

 

 

 

 

 

そういえば、昔はよく桜を見に行ったっけ。

ひらひらと舞う花弁の雨を必死に追いかけて、何枚掴まえられるか競争して。

あの頃は難しいことなんて考えずに済んだのに。

もう何年も昔の話になったんだな。

──あぁ、思い出が遠い。

 

 

 

 

 

桂木は雲雀の携帯を使って、副委員長である草壁を呼び出した。生憎と、自分の携帯は普段から持ち歩いていない。

 

「あなたが連絡してくるとは思いませんでしたよ」

「悪いな、草壁」

 

厳つい顔に草を咥えた男が駆けつける。

桂木は彼に雲雀と風紀委員を押し付けて、電話口では話さなかった詳細を話す。

雲雀が意識を失っていることについてだけは、嘘を滲ませて。

桂木が知る情報はあまりに少ない。

雲雀に殴られたのであろう風紀委員と、正体不明の男に掛けられたという桜クラ病という病。

騒がしい桜並木から、とんでもない花見客にやられたのだろうと考察する。

もしかすると、あのおかしな赤ん坊が関わっているのかもしれない。

 

「………」

「そいつ、桜が咲いてる間は機嫌悪いかもしれない」

「でしょうね」

 

草壁は敬愛する委員長を見る。

意識のない雲雀恭弥を見るのは、彼にとってこれが初めてのことだった。

 

「大変だな、お前」

「自分で決めたことですから」

「そういえば、そうだったな」

 

話が終わり、二人の人間を背負って歩いていく草壁の背を見送る。

総重量は100㎏を優に越えているだろうに、足取りは確かだ。

 

 

今でこそ縁起物だが、昔、桜は不吉なものだった。

その儚さゆえに、死や物事の終わりと結びつけられていたという。

桜の下には死体が埋まっている、というのは存外その辺りから来た言葉なのかもしれない。

 

「雲雀に桜は凶と見た」

 

でも、今年の全体的な運勢は吉のような気がする。ちゃんと占ってないからわからないけど。

 

「なんか、嫌な予感がする」

 

今すぐではなく、少し先の未来で、何か面倒なことに巻き込まれる予感。

せめて、それに桂木のあれそれが関わってないことを願いたい。

 

「あー、眠い」

 

帰ろう。

そして寝よう。

今日はもう、頭がロクに回ってくれないようだから。




雲雀さん、桜クラ病になる前は桜好きだったんだろうなぁ、と思いながら書いてました。
群れを見るのが嫌とはいえ、見るために辺り一帯を封鎖するほどですから。

一話で明祢くんは具体的に数を出して遅刻回数を言ってますが、あれは雲雀さんの前で堂々と遅刻をした回数であって、彼が実際に遅刻をした回数ではありません。
因みに、彼は体育祭に参加してません。そういう大勢で盛り上がるということが苦手な気質です。
でも、根は割と真面目だと思います。

草壁さんは風紀委員の中で唯一と言っていいくらいには、明祢くんを敵視していない人物です。


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5.新学年

人混みをかき分け、なんとかして自分の名前を見つけた。

 

「A組か……」

 

桜も緑が見えるようになった頃。

されども心を入れ換えることなく、俺は三年になった。

雲雀?あいつは知らん。

歳が近いのは確かだけど、学年もクラスもよくわからないのが雲雀だ。

春になるとおかしなやつが現れるのが常。

新入生も調子に乗る。ついでに在校生だって調子に乗る。

雲雀はそういうやつらを監視してるか、群れが見たくないから応接室で寝てるかだろうか。

因みに、後ろで胴上げなんかをしてるやつらは俺には見えてないし聞こえていない。

中学生なんだから、二年に進級くらいはさせてもらえるだろ。喜ぶな。

この学校、平々凡々を歌いながら、なんで突出してヤバい奴等が多いんだろう。

雲雀は一体この学校のどこが好きなんだか。

平凡なこの学校を、町を愛しているというのなら、本人は平凡に努めるべきなのでは?

 

「………」

 

馬鹿馬鹿しい。

無理だ。あいつにそんなことは出来まい。

周りを見回す。

徐々に教室へと向かっているらしい。

教室、騒がしいだろうけど、行かなくちゃいけないのか……。

 

新学年というと新クラスとなり、クラスの顔ぶれも大幅に変わったり、変わらなかったりするものだ。

つまり、知らない顔というものが現れるので、自己紹介などという面倒なことをしなければならないのだ。

 

「桂木明祢です。よくサボります」

 

先程よりもざわつく教室。

今思い出したが、俺は同学年では無駄に有名だったのだった。

主に雲雀との関係のせいで。

それ以前に酷い自己紹介だから、まぁ、ざわついても仕方がないだろう。

何人かが当たり障りのない自己紹介をした後。

 

「俺は笹川了平だ!!部活はボクシング!極限に部員を募集中だぁ!!」

 

とんでもなくうるさい奴が現れた。なんだあいつ。

いや、俺はそいつを知っていた。

いつ頃かは忘れたが、あの草壁を雲雀と勘違いし、ボクシング部に勧誘していた人だ。

それに何度か部活で表彰もされていたはずだし、声が大きいから覚えている。

こいつと一年間、卒業するまで同じクラスか……。

体育祭とかなんやらで率先するタイプだろう。

俺の一年間、大丈夫だろうか。

 

不安は現実に形となるものだ。

 

「我がボクシングに入れ、カツラギアカネ!!」

「……却下」

「何ぃ!?貴様、何様のつもりだ!!」

「お前が何様のつもりだよ」

 

笹川了平は、見込みのあるやつを事あるごとにボクシング部に勧誘するという。

実際に見たことは……ないわけではないが、自分かやられるとなるとここまでキツイか。

うん、これは迷惑だ。

 

「俺にはボクシングは向いてないと思うけど」

「そんなことはない。お前はあのヒバリより強いらしいではないか」

「んなわけあるか」

 

話を聞いてほしい。切実に。

俺はそんな正々堂々としたスポーツなんか出来ない。

背徳感が沸いてくるからだ。

自分は既に道を踏み外していて、これからも当分はそうあり続けると決めている。だから、そんなことをしてしまえば、堪えられなくなってしまう。

それを笹川に伝えるには彼との関係が浅すぎるし、それを伝えたところで彼はあまり理解できないんじゃないだろうか。二転三転する話なんかは、苦手そうだ。

そして雲雀より強いとかそんなことは天地がひっくり返りでもしない限り有り得ない。俺の中で、雲雀はいつも頂点に立っている。

 

「今年は去年よりは真面目になろうと思ったのに……!」

 

少しだけ。少しだけ、サボらないようにしよう。

欠席の記録は両親に通達されるのだし、今年は受験の問題もあるから、出席率を上げようと思っていた。

けれど、こんな面倒なことに関わらなければならないのなら、自分はやはりサボるしかないじゃないか──!

まさか、こんなところに伏兵がいたとは。

クラス分けとは想像以上に大事なものだということを知った。

 

「で、どうだ。入るか?」

「入らない」

 

真っ直ぐなところは認めよう。

だが、猪突猛進にも程がある!!

どうすればこの場から離れられるか考えて、咄嗟に頭を押さえる。

 

「ごめん、俺ちょっと頭痛がしてきたから保健室行ってくる」

「む、それは大変だな。早く保健室へ行くべきだ」

「うん、それじゃあ」

 

そして、まさしく字の通り脱兎の如く逃げた。

明日からどうしよう。

同じクラスなんだよな。

毎日頭痛を使うのは無理だよな。

別に笹川が嫌いなわけじゃないけど、毎回あんなのされてたら、本当に頭痛がする気がする。

だって、眩しい。太陽みたいなのは本当に。

 

 

静かな廊下を歩く。

学年の教室ではなく、特別教室がある練を歩いているからか、人の気配は全くない。

 

「保健室なぁ……」

 

屋上は雲雀の前からの根城だ。

今日みたいな春の穏やかな時は、絶好の昼寝日和だろう。

なら静かだし大丈夫なんじゃないかと思うだろうが、あいつは物音をたてるとすぐに起きる。

葉の落ちる音で起きるとか言ってたが、真相は知らない。

咬み殺されないからいいだろうとか思っても、やはりそれも否だ。

咬み殺さないからといって、不機嫌でない訳じゃない。

途中で起こされて、その上不機嫌の種が目の前にいるってなれば、屋上には雲雀の殺意が充満していることだろう。

だから、屋上なんか行けない。

まぁ、保健室ならベッドもあるし、言いくるめばいつも通り何とかなるか。

 

「失礼します」

「あ?今は授業中じゃねーのか」

「………どちら様でしょうか」

 

保健室の中にいたのは、見覚えのない中年の男。

白衣を着てはいるが、養護教諭というにはあまりにだらしがない。

あと、授業中というより、実際はHRだ。

 

「養護教諭だ」

「……」

「俺は男は見ねぇぞ」

「それは別に良いんで、ベッドで寝かせてください」

「サボりか?」

「そんなところです」

 

何か養護教諭としてあるまじき発言を聞いた気がするが、いちいち突っ込む気にもならない。

男はだらだらと椅子に腰かけていた。

それを横目で見ながら、カーテンで区切られたベッドへ向かう。

本当に、ここ最近は一般人という規格から外れた奴が多すぎる。

こんな男にまで気にしていたら、自分が何人いても足らないだろう。

 

「おい待て、ベッドは貸さねーからな」

「寝不足なんです」

「んなもんテメーの自業自得だろうが!」

「承知の上です。お休みなさい」

「おい」

 

保健室のベッドは寝心地が良いと聞かれれば微妙だ。

教室の机で突っ伏すよりは随分マシだけど。

しかし、あの男なんか妙だな。

養護教諭という体裁を保つ気がないんじゃないか。

体裁を気にしない。初めから興味がないか、最早体裁なんてどこにもないか。

……駄目だ。

最近はところ構わず疑心暗鬼に陥っている。

見慣れないもの全てが怪しく感じる。

そういう点でいけば、笹川は楽だといえるだろう。

あんな真っ直ぐな男、隠し事は苦手に違いない。

 

いつから自分は、こんな風になってしまったんだろう。

変わらないものがあるなかで、変わってしまった自分を嘆く。

 

 




授業をよくサボり、夜歩きが趣味で、町の不良をあれしてるなら、それはもう不良と言っていい。
明祢はそれに気付かない。

ロンシャンって、絶対噂になってると思う。

了平お兄さんに目をつけられる人が、同じクラスになったら相当疲れるだろうな。という思いから。
シャマルはあの人、あれで養護教諭してるから不思議なんですよね。


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6.ウサギ捕獲作戦

早朝の並盛のとある家。

ある違和感に気付いた家の住民は冷や汗を流した。

 

「わぁ、大変だ」

 

呑気な声とは対照的に、住民は足早に家を飛び出た。

 

 

綱吉は、足元の白い生物をどうするべきなのか悩んでいた。

白いふわふわな毛並み。長い耳に短い尻尾。赤い瞳はアーモンド型で、見るものの8割が可愛らしいと形容するもの。

──兎である。

白い兎が耳を立てながら、綱吉をじっと見つめている。

 

「兎なのなー」

 

隣の山本がにかっ、と笑う。

 

「なんでこんなところに?」

 

次いで獄寺が上から覗くようにして兎を見た。

彼等がいるのは夕方手前の住宅街のど真ん中。この辺りに野生の兎はいない。

 

「どっかの家から脱走してきたのかな?」

「もしかして、まだ子供じゃねーか?」

 

山本が兎を抱き上げた。

綱吉はもう一度しっかりと兎を見る。

言われてみると、自分がよく知る兎よりも一回りほど小さい。

ひくひくと動く鼻は、なるほど確かに可愛らしいものだった。

おそるおそる触れてみると、予想通りふわふわとしている。

 

「……飼い主の人を探そうかな」

 

まだ子兎なら、飼い主は相当心配している筈だ。気が気でないかもしれない。

 

「流石十代目、なんとお優しい心をお持ちだ!!」

「獄寺くん……」

 

そんなに煽てられるほどのことじゃない。と綱吉は思う。

道徳的に考えれば当然のことだ。

困っている人物に手を伸ばすことと大して変わりない。

 

「とりあえず近所を聞いて回るしか──」

「そこの二年、避けろ!」

 

突然、前方から怒鳴るような大声が聞こえた。

──避けろ?

綱吉が疑問を浮かべた途端、顔にとんでもない衝撃が加わった。

 

「ぐふぇ!?」

「十代目!?」

「ツナ!!」

 

気付いたときには、綱吉は地面に放り出されていた。

視界の端には、白い兎が駆けていく姿。

頭がぐらぐらして視界が安定しない。

綱吉は、子兎に蹴られたのだ。

 

 

「悪い、沢田」

 

桂木が顔の前で手を合わせて謝った。

 

「悪いじゃすまねーだろうがコラ!」

「ご、獄寺くん……」

「まーまー、先輩も謝ってるし取り敢えず話を聞こうぜ?」

 

互いに簡単な自己紹介を済ませた後、桂木は焦りぎみに説明した。

 

桂木の家では、先祖代々昔から兎を飼っている。

これは、桂木の家で信仰する神の使いが兎であると信じられているためだ。

とにかく、桂木家は兎をそれは大事に育てていたが、何故か桂木家で産まれ育ったウサギは、べらぼうに強かった。

それはもう、おかしなくらいに強かった。

大人のウサギなら、餅つきの杵を持たせたら、地面にクレーターが出来あがるくらい恐ろしかった。

被害を恐れた桂木家は、ウサギをしっかりと躾することを決意。ついでに護衛になったら一石二鳥。

そうして、ウサギを護衛とするおかしな家が誕生した。

 

「あの子ウサギは桂木のウサギ。下手な扱いをすると、さっきみたいに蹴り飛ばされる」

 

なんてものを逃がしてくれてんのこの人!?

あ、でも、だから避けろって言ってたのか……。

 

綱吉は桂木に対して怒りを覚えていなかった。

これは、彼の元来の気質によるものである。彼はマフィアのボス候補にしては、人間として甘かった。

 

「ちょうどいいな。ウサギ一匹捕まえられねーマフィアなんて三流だ。お前ら、ウサギ捕獲を手伝ってやれ」

「リボーン!?」

 

無茶苦茶の無理難題を言う小さい悪魔。死神な家庭教師。

リボーンは面白いものを見つけたとばかりに笑っている。

綱吉は恐怖から、体を震わせた。

あんな危険なウサギ、ハッキリ言って関わりたくない。

発端にリボーンが関わっていないとは思うが、リボーンがいるとロクなことがない。

だが、目の前の桂木が困っているのも事実である。

 

「赤ん坊、これは遊びじゃないんだ」

 

真剣な顔をして桂木が言う。子ウサギのことをよく知る彼が言うのだから、間違いなくやめた方がいいのだろう。

だが、それで諦める赤ん坊なら、綱吉は体を震わせなどしない。

 

「じゃあ聞くが。ヒバリとウサギ、どっちがやべーんだ?」

「そりゃあ雲雀に決まってるだろ」

「なら大丈夫だ。ツナはヒバリを叩いたことがあるからな」

 

──嘘だろ!?

綱吉はとうとう頭を抱えた。

それはヒバリさんと初めて会ったときだけど、あれは死ぬ気弾で死ぬ気になっていたからだし、だいたいそうなったのはリボーンのせいだし。

普通の状態でやったわけではない。

あれは綱吉であって、綱吉ではないのだ。たぶん。

というか、

 

「わぁ、そうなのか。なら安心だな」

 

──なにも安心じゃありませんけど!?

悲しいかな、綱吉はリボーンには逆らえない。

その上、頼み事を断ることが出来ない性格なのだ。

 

「困ってるならしょうがねーのな!」

「リボーンさんが仰るなら……!」

 

山本と獄寺は既に承諾している。

最早、綱吉に味方はいなかった。

──でも、桂木さんには前に助けてもらったし。

少しくらいなら、力になろうと思ったのだ。

 

 

「基本は罠だぜ」

 

山本が言った。

皆の視界の先には、急造でこしらえた罠がある。

紐がくくりつけられた籠と、その下にあるにんじん。

まさしく、典型的な罠だった。

それを、遠くから見ているのだ。

 

「あれで来るのかな?」

「うちのウサギはけっこう馬鹿だから……」

 

草むらから、ガサガサという音がする。

 

「来たっ!」

 

現れたのは、白く小さな体躯。

先程の子ウサギだ。

ホントに来た。

 

「しっかりやれよ野球馬鹿!」

「おう!」

 

子ウサギに気付かれないように、小声でやり取りをする。

にんじんを見つけた子ウサギは、鼻をひくひくとさせながら、徐々に罠に近づいていく。なかなかに用心深い。

そして、数分を要した後、罠の中に入り、にんじんに食らいついた。

 

「今だ!」

 

山本が縄を引っ張り、籠が落ち、子ウサギの体を包み込む。

籠はガサガサとしばらく動いた後、静かになった。

 

四人は、籠を取り囲んだ。

 

「いいか、俺が籠を上げるから、それとと同時にお前らは馬鹿ウサギを捕まえてくれ」

 

桂木がそうっと籠に触れ、目で三人に合図をする。

 

「せーのっ!」

 

桂木が籠を勢いよく上げる。

一斉に三人が子ウサギを捕まえにかかる。

 

「捕まえたぜ!」

 

獄寺が腕を掲げた。あどけない顔をしてにんじんを咥えた子ウサギは、自分に何が起こっているのかあまりわかっていない様子だ。

 

「よし、そのまま……」

 

桂木が獄寺から子ウサギを受け取る。

その瞬間。

ぺっ、とにんじんを吐いた。

それも、すごい勢いで。

 

「んなっ──!?」

 

その拍子に、獄寺の腕の力が抜ける。

それを見計らってか、子ウサギは獄寺の手から逃亡する。

気付けば、ウサギは彼等から数メートルのところにいた。

 

「待て馬鹿ウサギ!」

「ここで逃がしたら、次はないかもしれねーぞ!」

 

四人が一斉に走り出す。

ウサギとの距離はあまり縮まらない。

 

「全然追い付かないよ!どうしよう……」

「とにかく今は追いかけ続けろ!」

「で、でもっ!!」

 

綱吉は叫んだ。

 

「ごたごたうるせーぞツナ。マフィアのボスならウサギくらい死ぬ気で捕まえろ」

 

リボーンが一息付く間もなく、拳銃を構え、そして、撃った。

その弾丸は綺麗な曲線を描き、綱吉の眉間を貫いた。

 

「復活(リ・ボーン)!!」

 

彼が撃ったのは死ぬ気弾。

後悔持つものをリミッターを外した状態で生き返らせる特殊な銃弾。

 

「なっ……!?」

「死ぬ気でウサギを捕まえる!!」

 

桂木は自らの目を疑った。

さっきまで気弱だった少年が、オレンジ色の炎を灯して、パンツ一丁で、凄まじい速度で子ウサギに追い付かんとしている。

何が起こったのか。

世にも恐ろしい奇妙な赤ん坊に銃で撃たれて死んだかと思いきや、突然半裸になるとはこれいかに。

桂木は死ぬ気弾を知らない。

 

「捕ったぁああ!!」

 

そうしてあれこれ考えているうちに、あの生意気な子ウサギは、綱吉の手の中にあった。

 

「やりましたね十代目!」

「やったな、ツナ!」

 

追い付いた友人二人が、功労者を称える。

彼等の友人関係がありありとわかるような一面だった。

桂木は子ウサギを見た。

綱吉の溢れんばかりの覇気に獣の本能が気圧されたのか、少しばかり震えている。

 

「えっと、桂木さん……」

 

綱吉の死ぬ気モードが解かれる。先程の気迫は消え去り、普段の気弱な少年に戻った。

再確認させられるその差異に、桂木は内心相当驚いていたが、目の前の自分の家族とも呼べる存在を前にそれを一先ずは置いておくことにした。

 

「まったく」

 

桂木はそうっと子ウサギを抱いた。

穏やかに優しく笑み、毛並みを撫でる。

 

「今度こんなことしたら非常食だからな」

「えっ」

 

にこやかに、けれどけして目は笑わずに、桂木は明日の天気を訪ねるかのような温かさで、そう言い放つ。

ひやり、という冷たい汗を三人は感じた。

大捕物までして捕らえたウサギを、目の前でそうも平然と食糧扱いされるのは彼等にとってなかなかにショッキングなことだった。

明日のウサギの安否を心配する。

 

「ははっ、ジョーダンに聞こえないッスよ先輩!」

山本が持ち前の明るさで、冷えた場を温めようとする。

「冗談じゃないからな」

「………」

 

嘘だろ、と三人の心が一つになる。

前にこういうことがあって、既に食事として食べたことがあるんじゃなかろうか。

そう言われても、何故かすんなりと信じられる自信があることに彼等は戸惑った。

 

「ありがとう沢田、山本、獄寺。俺一人だったら、こいつを捕まえることは出来なかった」

 

綺麗な所作で、桂木は頭を下げた。

 

「い、いえ……」

「今度は逃がすなよ」

「けっこうおもしろかったなー!」

 

三者三様の反応は、桂木には愉快なものに見えた。彼等の性格が一目で比較できるからだ。

 

「お前らに免じて、非常食は止めておくよ」

 

それは免じなくてもやめてあげてください。

綱吉には彼に抱えられている子ウサギの瞳が涙で潤んでいるように見えた。

残念ながら子ウサギは実際には泣いていなかった。それ以前に、自分がどういう立場にいるのかわかっていない様子だ。

 

「今度、礼でもさせてくれ」

 

桂木が笑う。

こうして感謝されるのなら、たまには死ぬ気になるのも悪くはないと、綱吉は思った。

 

背後で、ボルサリーノを被った赤ん坊が笑っていることに、誰も気付いていない。




──それは手の届かない光のようだった。

死ぬ気弾を撃たれてるところを、普通の人が見たら卒倒してもおかしくはないと思う。

ツナくんには何年たってもあのままでいてほしいと同時に、ボスとしての風格をもってほしいという思いがあります。


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7.七夕の魔法

年に一度、この日だけは愛する二人が出会える日。

七夕というと、短冊に願いを書くものだと認識されているが、別にそれだけではない。

七夕は様々な由来が複合されているという話を聞いたことがある。

有名な彦星、織姫の話は中国から伝来されたものだが、短冊そのものは日本由来のものだとか。

家はそういう行事とはあまり縁がないので、町中で見かける短冊に自分勝手に願いを書く。

とはいえ、少しばかり気恥ずかしくて、名前は書かなかった。バレると困る。

 

『町内会の出し物で一位になったら、短冊の願いを叶えてやる』

 

先日、学校帰りにどこからともなく現れた奇怪な赤ん坊は、そんなことを言った。手に、俺が昨日書いて竹に括った筈の短冊を持って。

勿論、俺は信じていない。

そもそも、人様に叶えてもらうようなものじゃない。

でも、もしそれが本当なら、と思わないこともない。

神様でも何でも、それを叶えてくれるのなら、俺は自分の命だって掛けられる。今までがそうしてきたように。

 

「……この状況はなに」

「願いを叶えてもらうために本気なんだぞ」

「純粋だな……」

 

公民館の中では、見知った顔や知らない顔が何か躍起になっている様子。その危機迫った顔は真剣そのものだ。

沢田と山本以外は、という言葉がつくが。

 

「か、桂木さんまで!?」

「俺が呼んだんだぞ」

 

沢田は頭を抱えている。

赤ん坊の傍若無人というか、無茶苦茶なところは、いつものことからなのだろう。

そのやりとりには、もう何度も繰り返したような慣れた雰囲気がある。

 

「……短冊の願い、本当に叶えるつもりなのか?」

「本当だぞ」

「荒唐無稽な話だな。だが、本当ならやる価値はある」

 

赤ん坊の表情から読み取れるのは、半分冗談、半分本気だということ。

判断がし難いが、半分は本気ならそちらにかけるしかない。

それは人の領域ではなかなか難しいことだが、ある観点から考えれば充分価値はある。

 

「桂木さんが本気になったぁ!?」

 

出し物なんぞ準備していなかったが、なければつくればいいだけのこと。

それに。

 

「騒がしいのは嫌いだが、こういう催し物は好きだ」

 

少しばかり、心が踊っているのも事実だ。

 

 

公民館はお年寄りが百人も詰め込まれていた。

よくもまぁ、こんなことを出来たもんだ。赤ん坊のくせに末恐ろしいやつである。

しかしここにいるお年寄りは大体が少しはボケている。

山本がジャグリングを失敗して飛ばした玉で壊れた壁を見て、「暴力はいかん」なんて緩く言葉が出ているのは平和ボケか現状が把握できてないに違いない。

そのあとも、常識を逸脱した出し物ばかりで、正直彼等には一度、常識というものを叩き込んでやったほうがいいんじゃないかと思った。

この時点で俺は、彼等がおかしいことに気付いてしまった。

最近町で聞こえている爆音や銃声は、彼等によるものなのではないかと疑い始めている。

まさか、と思いたい。

……自分の番が近づいてきた。

自分でも馬鹿だと思うが、この際は手段を問わずには要られない。

 

 

「次は、キュートな兎さんを飼っている桂木明祢さんです!」

 

桂木さんの願い事ってなんだろう?

綱吉は想像がつかなかった。

そこまできて、自分が桂木についてあまり知らないことに気付いたほどだ。

 

(ヒバリさんもそうだけど、桂木さんもよくわからない人だよな……)

 

せいぜいが飼っているウサギが危険な程度である。

 

「えーと、願い事は……」

「森屋の和菓子一年分」

「はひっ? でも短冊には」

「和菓子一年分だって言ってるだろ!」

「見掛けによらず強引な人ですー!」

 

ハルの言動は、短冊に書いてある内容と桂木本人が言っている内容が矛盾するのだと言っているようだった。

いや、実際そうなのだろう。

ハルは良くも悪くも真っ直ぐな少女だ。彼女は誤魔化すという行為があまり得意ではない。そもそも彼女には嘘をつくメリットがないのだから、彼女の言うことは正しいに違いなかった。

 

「兎に角、マジックします」

 

そこまで言われると、ハルはしぶしぶといった形で端へ捌けていく。

それを見届けてから、桂木は手のひらを掲げた。

この手をよく見ていてください。というマジシャン風の言葉を加えて。

 

「1、2の3」

 

掛け声と同時に、桂木が手を叩く。

パチン、という音が公民館に響き渡る。

 

「うわ!?」

 

バサバサッ、という羽音が耳に入る。

手が離れると、先程まではいなかった筈の白いハトが突然現れた。

手の中から飛び出たようだった。

 

「おやまあ、凄いねぇ」

 

お年寄りも目を瞬かせる。

 

「や、やるじゃねーか」

 

然しもの獄寺も、これには目を見張る。

確かに、綱吉が素人目に見ても、種も仕掛けもわからなかった。ハトを隠すようなものなんて、どこにもなかったはずなのに。

まるで、無いものがいきなり現れたような感覚だ。

いや、そういう風に見せるのがマジックなのだったか。なら、彼は相当なマジシャンに違いない。

 

「うわぁ……!」

 

その後も、桂木は次々と目を見張るマジックをした。

さっきあったものが消えている。さっきなかったものがそこにある。あり得ない筈のことが現実に起きている。

テンポ良く、それでいて丁寧に繰り広げられるその魔法に、綱吉は目を輝かせた。

思えば、マトモなマジックというものを見たのはこれが初めてだった。

綱吉は感動した。これが普通なのだと。

最初から最後まで、綱吉が呆れたり恐れたり、そういうことは一度もなかった。

 

「97点、イーピンを超えたな」

「今日の最高得点だ……!」

 

リボーンが言った。顔はボルサリーノで見えない。

高得点。それを納得せざるを得ない魅力があった。

獄寺には悪いが、これを越えることはもう無理なんじゃないだろうか。

流石の獄寺も……と振り返ってみる。

 

「十代目、絶対に優勝しましょうね!!」

 

寧ろ、俄然やる気を出していた。

 

 

結局、死ぬ気となった綱吉の見事な剣捌きと、時代劇好きのお年寄り達によって、優勝したのは綱吉と獄寺だった。

だが、願い事はおかしな形で叶えられることとなった。

ただし、綱吉の願いは本人の望まぬものへと改変されているが。

しかしそれは、特に語るべきことでもないだろう。

 

何もかもが終わったあと、綱吉は公民館から出る。

外には眠そうな顔をした桂木が一人、空を見上げていた。

 

「桂木さん、今日はリボーンがすいませんでした」

「いや、別に。それなりに楽しかったから」

「あ、桂木さんのマジック凄かったですね! 俺、あんなの初めて見ましたよ。得意なんですか?」

「……はじめて?」

 

聞いた桂木の表情が、一瞬固まる。

まるで聞いてはいけないことを聞いてしまったみたいだ。

 

「あぁ、あれ。えーと、うん。まぁ、得意……かな」

「?」

 

常の桂木と違い、やけにしどろもどろとした答えだった。

表情も、笑ってはいるが綱吉が最近よくするようになってしまった誤魔化すときの顔である。

 

「ごめん。あー、その、家の用事を思い出したから。じゃあな、沢田!」

 

本当にごめん!と顔を青くしながら妙に急ぎ足で桂木は駆けていく。

その背を綱吉は呆然として見つめた。

 

(あの人、いきなりどうしたんだろう)

 

そうして少し距離が離れたとき、桂木のポケットから、ひらりと風に揺れて何かが落ちる。

 

「あっ」

 

駆け寄って、拾う。

それは紫色の短冊だった。裏を向いていて、何が書かれているかはわからないが、もしかするとこれは桂木の短冊だろうか。

 

「これ、落としまし……」

 

声をかけようと顔を上げたときには、桂木の姿はもう見えなくなってしまっていた。

 

「どうしよう、リボーン……」

 

桂木の家を綱吉は知らない。

だがリボーンならば、知っているかもしれない。

 

「……テメーでなんとかしろ。俺は用が出来たからな、先に帰る」

「え、ちょっとリボーン!!」

 

何故か真剣な顔で、家庭教師は去っていく。

途方にくれて、手元を見た。

そこには桂木明祢の願いごとが書いてある。

 

───昔馴染みが、ずっと元気でありますように。

 

目を見開いた。

 

「これ、って」

 

本当は見てはいけなかったんじゃないだろうか。

名前も書かれていないそれは、間違いなく彼の本音だろう。

彼のいう昔馴染みが誰なのか、そんなことは綱吉にはわからない。

思い返せば、いきなりやる気になった彼。

半信半疑だった筈の彼がやる気になった理由は、これだったんじゃないか。

知られたくなかったに違いない。

だから、押しきったんだ。

リボーンだって、おそらくは九代目にだって、この願いは叶えられない。

それでもこの願いが叶うなら、それはどんなに素敵なことだろう。

くしゃくしゃにも出来ず、綱吉はその場に立ち尽くした。

 

「………」

 

それから暫くして、近くの商店街に行った。

行って、色取り取りの竹を探して、綱吉にできる限り一番高く、それをくくりつけた。

綱吉は神様なんて信じてはいない。空の上の彦星や織姫が願いを叶えてくれるなんて思っていない。

それでも、彼の願いが届けばいいと思った。

彼の大切な人に。

 

 

 

 

──願いは結局、叶うことはなかった。

 




──星が綺麗ですね。と誰にも聞こえないように呟いた。

ツナにとっては、変だけどあんまり怖くない先輩になってる明祢くん。
ふと基本設定出してなかったなぁと思いまして、とりあえず置いておきます。

桂木 明祢(カツラギ アカネ)
並盛中2年B組→3年A組
9月16日生まれ B型
166㎝、57㎏

好きな食べ物
親子丼、和菓子全般(水羊羹系は苦手)
苦手なもの
熱苦しい人

趣味
夜の散歩、水泳

焦げ茶色の髪に黄色みの強い茶色の瞳。奥二重。
風紀委員会に目をつけられるほどの遅刻魔というより、サボり魔。
夜行性で、低血圧ぎみ。日中は眠かったりすることが多い。
実は軽い偏頭痛持ち。
友達が一人もいない。


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8.夜空の大輪

夏は嫌いだ。

熱い、汗ばむ、熱い、喉が乾く、熱い。

許容できるのは、アイスの冷たさと水の冷たさだろう。

暑い夏は、火薬の臭いを思い出す。

 

 

「なんで君達、屋台なんかやってるんだ?」

 

先日の七夕で山本が壊した公民館の壁の修理費を賄うため、屋台を出店した綱吉達の前に、少し馴染んできた声がした。

 

「桂木さん!?」

「放っとけ」

「あはは、色々あったんすよ」

 

それぞれ三者三様の反応を示し、それを見て桂木は笑う。

深くは追求しないが、なんとなく彼は察している。

 

「一本くれ」

「まいどっ!」

 

山本から受け取ったチョコバナナに、早速パクつきながら、桂木は屋台を見る。

 

「ショバ代は乗りきったみたいだな」

 

祭りにショバ代などという無粋にもほどがある言葉が浮かぶのは、この辺り一体を取り締まっている風紀委員。ひいては雲雀恭弥のせいである。

風紀委員の活動費としてショバ代五万を強制的に徴収しているのだ。

綱吉たちはというと、やはりとうにそれを目の当たりにしている。

 

「疑問なんですけど、風紀委員って何者なんですか……」

「並盛町を支配下にしている雲雀恭弥の手足かな」

「並盛町そのものを支配下にしてるんですか!?」

 

それは初耳である。

雲雀恭弥といえば、学校はおろか並盛中央病院ですら手中においているのは知っていたが、まさか町全体とは。

綱吉は自分の学校の先輩がもっと恐ろしくなった。

 

「本当に規格外な奴だな……」

「すげーな……」

 

獄寺も山本も冷や汗を流しているが、綱吉は君らも大概規格外だよ、という心の声を飲み込んだ。

今更過ぎるし、一方に至っては元々殺し屋である。

綱吉は嘆く。リボーンが来てからというもの、綱吉の生活は平凡からかけ離れてしまっている。

 

「なんでもかんでも力で解決っていうのはどうかと思うけど」

「それがヒバリのスゲーところだぞ」

「赤ん坊、だから誰も逆らえないんだよ」

 

桂木はそういう雲雀の側面が好きではなかった。町の治安を守ろうとしているのは認めるが、彼自身が治安を脅かすという問題があるからである。

やっぱり、やってることはヤクザと変わらない。いや、下手をするとそれ以上に危ない。

権力を持つものは寛大でなければならない。

雲雀恭弥、彼の辞書に果たしてノブレス・オブリージュはあるのか。

桂木の口角は上がっているが、目は明らかに遠いところを見ている。

 

(桂木さんも色々大変なんだな……)

 

綱吉にとって、周りが飛び抜けているせいか、比較的常識的な桂木は雲雀のことを除けば、それなりに頼れる先輩になっている。

 

「つーかテメェはいつまで店の前にいる気だよ」

「獄寺君!?」

 

綱吉は瞬間的に思い出す。獄寺にとって、年上は全て敵だったことを。しかし。

 

「……ん、長居してたか。悪いな」

 

不良に属する獄寺の威圧感というのは、一般人には耐え難いものだが、雲雀恭弥を前にして平然と出来る桂木明祢にはあまり意味がない。

 

「美味しかった」

 

彼自身は穏やかな態度で、来たときと同じような軽さで屋台から離れていった。

 

 

 

祭りの騒がしさから、外れたところを行く。

手にはチョコバナナの串。肩には白いウサギを乗せて。桂木は薄暗くなってきた町を歩く。

 

「なぁ大福、俺は彼等が羨ましいんだ」

 

大福と呼ばれたウサギは、アーモンド型の瞳を、自らの主たる桂木に向ける。勿論、ウサギなので返答はできない。

 

「ほら、俺には友達がいないから」

 

カラカラと軽薄に笑い、串を振る姿は、彼をよく知るものが見れば滑稽といわざるを得なかっただろう。

桂木明祢はよく笑うが、本心から笑うことは少ない。彼が数年のうちに身に付けた処世術は、彼の体に染み付きつつある。

 

「………あれでマフィア、ね」

 

謎の赤ん坊が、度々口にしていたその言葉。一度や二度は聞き過ごしたが、拳銃の件といい、その雰囲気といい、間違いなく──。

ドン、という音と光が届く。

やおら顔をあげ、はっと息を吐いた。

 

「……はじまったか」

 

夜の闇に花火が上がる。

目に入る光が、過去の光と重なる。

 

 

 

 

 

 

 

「……行かないの?」

 

縁側に近付くと、そう言われた。

祭りの喧騒は遠くてここには届かない。

鈴のように鳴く姿の見えない虫の声と、俺たちの声だけが響いている。

 

「一人じゃさみしいから」

「ふぅん」

 

黙りこんでしまったソイツを無視して、手に持っていた袋から線香花火を取り出して、足元の蚊取り線香で火をつけた。

突き刺さっていた視線が、手元に移ったのを感じた。

ゆっくりと、火が玉になっていく。次第に飛び散るように火花がパチパチと舞い、じりじりと身を削りながら、その勢いは増していく。

だが、ほのかな風に揺らされながら、火球はしだいに勢いをなくし。

 

「……あっ」

 

最期までの生を正しく使いきったかのように、火の玉は吸い込まれるようにして落ちていった。

二人で玉が落ちた地面を見つめた。

 

「これのどこがいいんだろう」

 

ぽつり、と呟かれる。

大分一般から離れていたソイツは、感性も一般のそれとは異なる。自分には綺麗に見えるものも、彼にはまた違った形に見えるのだろう。

自分は、先日公園で騒ぎ合う高校生が笑いながら言っていたことを思い出した。

 

「人の一生みたいに儚いのがいいんだってさ」

「……人間ってやっぱり変だね」

 

ソイツはもう輝くことのない線香花火を見て、眉を潜めた。

 

「自分も人間だろ」

 

こいつは時折、自分を他の人間と違う生き物のように言う癖があった。人間なのか疑うこともあるが、こいつが人間なのは事実である。

今度は本人にやらせてみようかと、袋から追加の線香花火を取り出そうとした時。

背後で、パンという何かが弾ける音が聞こえた。

 

「うわ」

 

振り返ると、木々と家々の隙間から光輝く炎の花が見えた。

もう始まってしまったのか、と思った。

 

「花火、ちょっと遠いなぁ」

「これくらいがちょうど良いよ」

 

そう言うそいつの顔は、心なしかいつもより和らいでいるように見える。

赤だったり、緑だったり、とりどりの色で咲いては散っていくそれは、考えようによっては人生と捉えることもできるかもしれない。

線香花火と違い、一瞬で駆け抜けていく閃光の瞬き。

花火の音が遅れて聞こえてくるのが、なんだか可笑しかった。きっと、あまりに速すぎて音がついていけないのだと思った。

それは科学的にいえば正しい。けど、いいたかったのはそういうことじゃない。

 

「多分さ」

 

俺達の時間なんて、大きな世界で見たらほんの少しの時間に過ぎないだろう。

けど、大きな花火と手元の花火を見比べて、それから隣の少年を見て、そんなことはどうでもいいんだと思い知らされる。

 

「お前はどっちでもないんだろうな」

「なにそれ」

「だって、早死にも老衰もしなさそうだから」

「話がよくわからないんだけど」

 

一気に機嫌が悪くなったから、直ぐ様ごめんと笑って謝る。それでも、機嫌は少しも直ってくれなかった。

 

「……君はネズミ花火だね」

「え、あんな暴走したことないけど」

 

火花を文字通り撒き散らしながら暴れ回る、恐ろしい花火を想像する。あれで一度火傷しかけたことがあってから、どうにも苦手だった。

 

「邪魔をするんだから一緒だろ」

「全然違うからな!?」

 

俺が言い返せば、したり顔でソイツは笑った。単純にからかわれただけだったらしい。珍しいこともあったもんだ。

その間も、破裂音は響き続ける。

金色の光が枝垂れ桜のようになるのが好きだった。それを誰かと一緒に見て、共有しているというのが嬉しかった。

花火を見ていると、奇妙な感覚に襲われることがある。

自分が外界から隔離されたような、世界が全て幻想であったような錯覚を起こすのだ。浮わついた、現実感の薄い夢のような時間。

 

「来年も、ここで見たいな」

「来年も来るの?」

「駄目か?」

「……仕方ないね」

 

他者を自らのテリトリーに入れることを許容する。それが彼にとっての最大限の譲渡であることを俺は知っている。

幻想に包まれたまま、夜空の大輪が全て散るまで、俺達は他愛もない話をした。

 

時間は砂時計のように流れていく。

次の年、俺達が二人で花火を見ることはなかった。それどころか、共に遊ぶことも同じ時間を過ごすこともなくなっていた。

余った線香花火は、とっくの昔にゴミとなった。

 

けれど、あれは今も忘れられない一夏の思い出。




感想がほしい(切実に)

原作読み返してて、初期の雲雀さん(というか風紀委員)怖すぎだなぁと思いました。
ショバ代を伝統って言ってる辺り長年やってるのは推測に難くないわけですけど、一体いつからなのか。
草壁さんは風紀委員会の良心なのかもしれないと考えています。多分あってる。



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黒曜編
9.火の粉


月明かりの下に夜歩きをするのは、桂木にとっては日常である。

彼の頭と体には、並盛の細かい地理情報が叩き込まれている。夜の暗闇であっても、彼が迷うことはない。

今日も肩にウサギの大福を乗せながら、夜も始まったばかりの閑静な住宅街を悠々と歩いていたが、不意に覚えのある匂いが彼の鼻孔を通った。

先程まで大人しかった大福が、落ち着きをなくす。

桂木の足が止まる。

 

(これは……)

 

大気に分散してほんの僅かしか感じ取ることが出来ないが、鉄臭い、血液の独特の匂いだった。

目を閉じ、その僅かな匂いを辿る。耳に入る、何かの呻き声。

十数歩して、気配を目前に把握する。

目を開けると、見慣れた黒い制服が倒れていた。

 

「風紀委員?」

 

桂木は目を丸くさせる。そして、動揺を隠しながら風紀委員に近づき、あることに気付いて、思い切り顔をしかめた。

 

「……酷いな」

 

開かれた口から見えたのは赤。

本来そこにあるはずの歯は一つもなく、代わりに涎のごとく血が流れていた。簡潔に纏めるなら、歯が全て無理矢理抜かれていたのだ。

痛みによるショックからか、その風紀委員は意識がなかった。

 

「誰がこんなこと……」

 

並盛近辺において、風紀委員は畏怖される存在である。風紀委員──雲雀恭弥の怖さを知る人間は風紀の腕章を掲げる人間に対して攻撃などしない。

考えられるのはそれを知らない人物、もしくは知っていてわざと風紀委員を狙ったか。

桂木は思考を巡らせながら、携帯で救急車を呼ぶ。それと同時にハンカチで止血を試みるが、状況は芳しくない。

とりあえずは救急車が来るまで待機か、とその辺りに座り込もうとした。

 

「うわぁぁぁぁ!!」

「!!」

 

桂木の耳に、恐怖に染まった野太い叫び声が入った。確かなことはわからないが、距離はそこまで離れていないように思われた。

 

「大福!」

 

フードの中のウサギを、道に放つ。

一般的に、兎は優れた聴力を持っているとされている。桂木のウサギといえど、それは変わらない。その聴力を利用して、叫び声の方へと案内させているのだ。

闇夜に映える白い小動物を先導させて、迷うことなく桂木は走っていた。

足音を忍ばせ、気配を断ち、角を曲がる。

待宵の月に照らされて映るのは、二つの黒い影。その足元には這いつくばる男の姿。───風紀委員だ。

桂木は、息を吸い込んだ。

 

「火事だ、逃げろ!!」

 

切羽詰まったような大きな声で、叫んだ。辺り一体に響かせるように。二つの影に確実に聞こえるように。

 

「な、なんら!?」

「めんどい……」

 

影がどよめく。

一人は状況を理解しているのだろう、桂木の想定より冷静だった。

 

「犬、逃げるよ」

「なんでら柿ピー! あれくらい……」

「人が集まる」

 

影の片割れがそう言えば、次第に周りの家々の玄関から灯りが点り始める。

彼らがどういう人物であれ、大勢の人間に目撃されるのは避けたいはずだ。

 

「ちっ……」

 

二つの影が動いた、向こうの方へ小さくなっていく。

去っていく影の姿を、桂木の目は詳細に捉えていた。影のどちらもが着ていた深緑の学ラン、それを彼は知っていた。

 

「黒曜中……!」

 

隣町の黒曜にある、黒曜第一中学校。通称、黒曜中。実行犯は、その生徒であると。

倒れている風紀委員に近付く。ざっと様子を見て、先程と同じように歯が抜かれていることに気付いた。

難しい顔をする。

あぁ、助けられなかったのだ、と。

 

「………」

 

桂木を囲んでいた家々の明かりが、パッと唐突に消えた。

誰も、異変には気付いていない。

 

 

 

 

 

並盛は荒れに荒れていた。

ここ数日、並盛で発生した謎の事件。

土日に風紀委員が七人。そして、昨晩から一般生徒が十二名も被害にあっている。

当初、被害にあっていたのが風紀委員だけだったことから、風紀委員会だけを狙った犯行だと思われていた。が、昨晩から状況は一変。無差別に襲われているのではないかと疑念を抱いた一般生徒は、次に襲われるのは自分なのではないかと震えていた。

そんな時、桂木は並盛中央病院のソファに早朝から腰掛けていた。

怪我人が運びこまれる病院は、被害者が誰であるか確認するのにちょうど良い場所だったからだ。

既に彼はちょっとしたズルをして、入院している並中生を把握している。病院といえどここは並盛。ツテを使って恐喝──交渉すれば、院長は簡単に桂木に情報を教えてくれた。

周りでは、被害にあった者たちの見舞いに来た生徒たちが青い顔をしている。

 

「病院に並中生ばかり──!?」

 

病室の並ぶ廊下の方から、大きな叫び声が聞こえてきた。

桂木がやや緩慢な動きで顔を動かすと、そこには顔を驚愕に染めた綱吉がいた。

綱吉はつい先程病院に担ぎ込まれた、笹川了平の見舞いの帰りだった。

確かに、彼が病院に駆け込んできたときには、まだ人が少なかったが、ここ数十分で急に人が増えだした。今日は平日で、かつ今の時間は授業があるはずなので、ここに来ている生徒は学校をサボって来ていることになる。

桂木は大きくため息を吐いた。

狙われている人間はなんとなく想像がついたが、首謀者の目的がわからない。不良の道楽と言うには、どうにも計画的で残忍だ。首謀者は聡明でかつ冷徹な人間だというのも分かる。

組織的な犯行であることは間違いないし、私怨の類でもないことは明らかだ。

桂木は頭を悩ませていた。

彼には一連の事件が目的ではなく、手段に思えてならなかったのだ。

 

 

「では、委員長の姿が見えないのだな」

「ええ、いつものようにおそらく敵のしっぽをつかんだかと……これで犯人側の壊滅は時間の問題です」

 

手が、ぴくりと反射的に動いた。

二人の学ランを着た中学生が桂木の視界に入る。リーゼント髪のその格好は並中生なら誰もが知る風紀委員のものだ。

桂木は二人のうちの左側の人物をよく知っていた。

 

「草壁」

 

桂木が声を掛けると、草壁はすぐに気づき、そして頭を下げた。

 

「……桂木さん、ありがとうございました」

 

周りの空気が冷たくなる。風紀委員は基本的に桂木明袮を敵視しているというのに、副委員長の草壁が桂木に頭を下げたのだから、それは当然のことだった。

あまり知られていないことだが、当人同士の仲は決して悪くない。

 

「別にいい。人間として為すべき行動をしただけだ。情報だって、こっちも貰ったんだからお互い様だろ」

「ですが、風紀委員の者が助けられたのは事実です」

 

桂木が遭遇したのは、一番初めの事件だった。

歯が全部抜かれた場合、失血死する恐れもあったというが、発見が早かったためか、特に命に別状はなかったらしい。経過観察も問題がないと聞く。

草壁が頭を下げたのは、こういう経緯があったからだった。

だが、桂木としては場の空気が悪くなるのは居心地が悪い。

 

「お前は風紀の副委員長で、俺は委員長様に歯向かう不届きものだ。簡単に頭なんて下げてくれるな」

「恩人にあたまを下げるのは当然のことです。それに雲雀は、歯向かうこと自体には怒りを示していません。あの人が怒っているのは──」

「なぁ、草壁」

 

草壁は思わず閉口した。いや、それ以上の言葉を紡げなかったのだ。

眼前の少年が放つ、鋭い殺気に。

 

「──それさ、今必要あんの?」

 

眼鏡の奥の、琥珀を焦がしたような冷たい瞳。常日頃からつり上がっている口角はその面影を感じさせない。

草壁は思い出す。

それは、触れてはいけない過去からの話だった。

二人が何年も口を閉ざしてきた、草壁すら立ち入ることを許されない領域。

 

「す、すいません」

 

草壁は早急に立ち去るべきだと、咄嗟に謝り、出入り口の方へと足を向ける。

無遠慮に彼の繊細なところに足を踏み入れたのは自分の方だ。敬愛する雲雀も、その話を仄めかすだけで機嫌がたちどころに悪くなるのだ。

彼等が互いに負ったものがなんであるかは、昔も今も草壁には分からないが、並々ならぬことがあったのだろうことは承知している。

 

「………気を付けろよ」

 

背後から、桂木の声が響く。

草壁は態度にこそ出さなかったが、心の中で首をかしげた。

雲雀恭弥が殲滅に出たというのに何故、彼だけは難しい顔をしているのだろうか。

雲雀恭弥は並盛の秩序だ。彼の愛する並盛を害するものは、何人たりとも咬み殺されてきた。

桂木明祢がそれを知らないはずがないというのに。

疑問を浮かべたまま、草壁は部下を伴って病院を出た。

 

その十数分後の話である。

 

「また並盛中がやられた!!」

「風紀副委員長の草壁さんだ!」

「病院出てすぐにやられたんだって!」

 

つい先程出ていった筈の草壁が、移動式ベットに横たわって戻ってきたのは。

 




黒曜編突入!

2話を書いてる辺りから黒曜編の最初の方は書いていたんですが、気に食わなくて八割以上書き直しました。
書き直し前は明祢くんがやけに暗かったし、草壁さんの出番は殆どなかった。

今回の話全く関係ないことですが、ディーノさんの日常編における登場率が多すぎて、本当に仕事できる人なんだなぁと常々思います。じゃなかったら、あんなにイタリア離れられない。
部下さえいれば、完璧なのになぁ……。でも、それがディーノさんのいいところですよね。



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10.対峙

 

「また並中生がやられた!!」

「風紀副委員長の草壁さんだ!」

「病院出てすぐにやられたんだって!」

 

桂木は複雑だった。

あの草壁がという気持ちと、矢張りという気持ち。

雲雀率いる風紀委員の二番を任されている男だ。学校内で彼に敵う相手などそうそういないことくらい、桂木は知っている。

その草壁が倒されたという事実。

 

「まさっかー、あのヒバリさんがケンカで負けるわけないよね!」

 

向かい側で、冷や汗を流しながら引きつった笑みを浮かべる綱吉を見た。

人間とは、最悪が目の前にあっても、その現実をなかなか受け入れられない生物である。

桂木の視界の中で、例の怪しい赤ん坊が草壁の口の中を確認しているのが見えた。

 

「五本か」

 

そう呟いた声を、逃すことはない。

 

(………そうか)

 

赤ん坊がわざわざ自分で確認したということは、そういうことなのだ。

リボーンは綱吉に告げた。

 

「ケンカ売られてんのはツナ、おまえだぞ」

 

桂木はその言葉を盗み聞きして、悟る。

狙われていたのは、彼だったのかと。

つまり、マフィアのボスとなる存在の沢田綱吉を狙っているのだと。

はっと短く息を吐く。

赤ん坊が数えたのは、折られた歯だろう。

並中で、ここ数日の間に運ばれた患者の歯の様子を確認したところ、それは運ばれてきた順に減っていっていることが判った。

折られた歯は、何かを数えているのだ。

それが何なのか、どうしてそうしているのかはわからない。

桂木にとって、目的や手段はどうでもいいものだったが、知らなければならないことだった。

リボーンは、明祢の考えていたことと、概ね同じことを説明した後で、ある一枚の紙を綱吉に見せた。

 

「並盛中のケンカの強さランキング?」

 

やはりそうか、と桂木は思考を回す。

桂木は被害者全員を把握している。無論、誰から順番に襲われたのかも知っている。

被害者が、並盛中の中で腕のたつ人間であることは分かっていた。そして、笹川了平が襲われる直前に気付いた。

まだ、強い人間が襲われていないことに。

並盛で起こった無差別的にも見える一連の事件は、並盛中のケンカランキング24位から順に襲われていたのだ。

そして、そのランキングの一番にいるのは雲雀恭弥だ。

桂木は雲雀ならば首謀者はじきに倒すだろうし、実行犯もその後に咬み殺されるだろうと踏んでいた。草壁への忠告は、実行犯に襲われることを危惧してのことであって、実行犯が例え桂木よりも強かろうと、桂木より遥かに強い雲雀には勝てないだろう。

なにせ、雲雀には弱点という弱点など存在しない。強いて言うならば、子供特有の体の未成熟さだろうか。

 

「オレ達マフィアには『沈黙の掟』というのがある。組織の秘密を絶対に外部に漏らさないという掟だ。

フゥ太のランキングは業界全体の最高機密なんだぞ。一般の人間が知るわけがない」

 

耳の端にそんな言葉が聞こえた。

違和感が、訴えた。

────存在しない?

それは一体、いつまでの常識だ?

心臓が跳ね上がった。ずっと、信じていたものが壊れるような感覚。

 

(桜……!)

 

何ヶ月前だったか。

 

───身体が、不自然にふらふらと揺れている。身体の運び方が、雲雀のいつものそれじゃない。

まるで、満身創痍といった具合に。

 

あれは、雲雀の弱点と言えるものではなかったか。

今は九月だ。桜などとうに緑に彩りを変え、花など咲いていない。だが、それがどうした!

そんなことは関係ない。そんな常識は通用しない。

漸く、桂木は気づく。

 

「雲雀じゃ、六道骸には勝てないっ……!」

 

雲雀恭弥ならば、なんだって出来る。チャック・ノリスの真実が如く、馬鹿みたいに思っていた。

でも、雲雀恭弥は結局、表社会の人間という枠を超えることが出来ていない。彼の愛する並盛りには、彼を超える人間なんて、もういなかった。だから、彼はあの赤ん坊に余計に興味を抱いたのだ。

井の中の蛙は大海を知らない。

とうに並盛を食い尽くしていた雲雀は、上があることを忘れている。

桂木の足が、地を蹴った。

 

 

 

前から受ける風は、向かい風だった。

少年という年頃にしては少し長めな髪が、風に揺れる。

隣町の黒曜へ続く道を、ただ走っていた。

一度、通った道だった。

彼は昨日の夜、この道を行きと帰りの二度通った。満月で、灯りが必要ないほど明るい夜だった。

 

 

ボロボロで今にも崩れそうなほど荒れ果てた廃墟。数年前の朧気な記憶を頼りに、何とか進んでいく。

気配を読む。散乱したガラスを踏む。

足音は一つだけ。

 

「よく来ましたね」

 

響いた声に足を止める。

正面には、月明かりに照らされた影一つ。

 

「お前が事件の首謀者か」

「えぇ、そんなところです」

 

問いに答えた男の影は、古びたソファに腰掛けていた。

通常、暗い室内ではお互いの顔はまともに見えないが、月明かりが窓から差し込む中、夜に慣れきった目は、はっきりとその顔を捉えていた。

 

「それで、君はどうしてここに?」

「やられる前に、やりに来た」

「クフフ、それは随分と面白い冗談だ」

 

穏やかな相手とは対照的に、来訪者の声色は随分と堅い。

桂木は、相対している少年を観察する。

彼の記憶の中では、黒曜第一中学校は荒れていた。不良が蔓延っていたからだ。

事前に調べた情報では、彼はわずか数日でその学校を支配したとされていた。

細身の体躯、端整な顔つき。穏やかな微笑みは、まるで虫一匹も殺せないような透明な少年のそれだった。

目の前の少年は、事前の情報とは印象がかけ離れている。

本当に事件の首謀者なのか?

本当は脅されて、自らがそうであると言っているだけなのでは?

 

(───ダウト)

 

あれは誰だって平気で殺してきたような人間だ。

人は見掛けでは語れない。とはよく言ったものだと、桂木は思う。

彼ほど見掛けが宛にならない者がいるのなら聞かせてほしい───いや、そういう人物は割と近くにいたのだった。

唯我独尊を地で謳歌する見知った顔を思い浮かべた。

それがどういうわけか愉快に感じて、彼はふっと声を溢した。

 

「……何がおかしいのです?」

「お前には関係ないことだよ」

 

ここまで来て、まだ余計なことを考える余裕があることに、彼は驚いた。

目の前の少年、六道骸は胡散臭かった。

これは、骸の風貌がそうだと言っているわけではなく、おそらくはその本質は未だ隠されているものだろうと、桂木が気付いた故だ。

もちろん、桂木の個人的な主観であり、彼以外の他者が見たとき、どうであるかは今は知るよしもない。

 

(失敗したかな……)

 

ナイフだけという手持ちの心許なさに、冷や汗をかいた。

桂木の予想では、首謀者というのはサイコパス染みた、所謂反社会的な思考を持った、一般的な人間社会における異端だった。

実行犯はさておき、あのような手口をする人物はなかなかにひねくれていると思ったからだ。

しかし、骸の纏う空気。なにより彼に宿るその瞳は、そういう生温い思考を塗り替えるものだった。

それは、俗にいうところの表の人間が持つべきものではない。即ち、普通に道を歩いていては認知できない存在、或いはその存在を認知してはいけない存在───領域に属す者達。

裏の人間。裏社会。

桂木が、過去の経験から忌諱するべきだと捉えている、世界の夜。

背筋を悪寒が過ぎた。体全身が細かく震えているように感じた。

 

「何が目的だ」

「おや、それを知らずに来たのですか?」

「想定していたものは全部覆った。お前なら、あれは目的じゃない」

「………」

「わざわざあんなことをする理由はなんだ。一体、何をしようとしている?」

 

裏社会の人間が、わざわざ表の人間を表だって襲うことはない。ましてや、殺さず生かすなんてことをする理由も当然ない。

そして、目の前の人物はその手のことを好むとはいえ、この場合はそれはけして目的ではない。

つまり、その先に何か目的があり、一連の騒動は、その為の布石であるはずだ。

 

「君は、どちら側ですかね?」

 

骸は目を細める。

相対した時にその言葉をだせるということは、桂木明祢はただの表側の人間ではない。

───これは当たりかもしれない。

骸は喜んだ。

けれど。

 

「薄暗い世界はずっとお断りだ。そんなもの、知りたくなんかない」

 

桂木明祢はそう言った。 自分はまだ表側の人間であると。自分はまだ、そこにいたいのだと。

そちら側など、行きたくもないと。

その目は骸とは似て異なる、裏社会を憎む目だ。

 

「クフフフ、面白い冗談だ」

 

六道骸を、直ぐ様そうだと判断できた時点で、こちらがわの素質を持っていることくらい本人も分かっているだろうに。

 

「うるさいな……!」

 

右手に隠したナイフが光った。

 

 

「っ……!?」

 

斬りつけた途端、それは蜃気楼のようにかき消えた。

まるで、はじめから存在しなかったかのように。

いや────。

 

「僕はここですよ」

 

背後から少年の声がする。

桂木はそれに振り向かずに、出来るだけ平静を保つ。

今のを見れば、何が起きたかなんて解ってしまった。

 

「幻術……」

 

今のは幻覚だ。それも、随分と腕のたつ幻術師の手によるもの。

だとするなら、さっきの六道骸は彼の幻術で作られた偽物。

幻術とは、相手の脳に作用して、現実には存在しないものをあるものとして、あるものをないものとして見せる術のこと。幻覚を見せられるということは、脳を支配されているに近しい。

冷たい汗が頬を伝うのを感じる。

まさか、こんなところで他の幻術師に会うことになるなんて思わなかった。

六道骸は油断ならない相手だった。

相手の方が力量は上。

気を抜けば、一息のうちに殺されてしまう。そう思うほど。

だから、慎重にやらないと、こっちが支配されて終わる。

それに。

 

(俺には、出来ない)

 

桂木は骸の目に宿る意志が何であるかを理解してしまっていた。

 

 

 

ナイフの一閃が、月の光を反射して銀色を放つ。

骸はそれを紙一重のところで回避し、桂木の鳩尾に鋭い蹴りを入れる。

 

「ぐぁ……」

 

足に力を込め、何とか耐える。

呼吸の仕方を忘れたかのように、一瞬、息が止まる。

蹴られていないはずの肺が苦しい。

動作後の隙を狙い、空いた左手でなんとか骸の脚を捕まえ、右手の刃を突き刺さんとする。

直後、顎を突き上げる痛み。振動が頭部上部にまで響く。

目の前が、ちかちかと点滅する。骸の姿を、一瞬見失う。

 

「っは……」

 

次いで、左肩に衝撃。

今度は耐えきれずに、地面に打ち付けられる。

また、息が出来ない。

全身が痛んで、正常な痛みを判断できない。

長い棒が、勢いを抑えきれずに骸の手の中で回転する。

 

「口ほどにもないとはこのことですかね」

 

耳鳴りが警鐘のように鳴り響く。うるさい、と心の中で毒づくことさえままならない。

桂木の姿は数分前とは比べるまでもなく、酷いものになっていた。

一方の骸は、左頬に一線の朱を残すだけ。

何のためにここに来たのか。

それは突発的なことに違いなかったけれど、瞼を閉じればその光景はありありと思い浮かべることができる。

それが現実になるのが嫌だったから、困難だとわかっていながらここに来た。

それだというのに、断捨離が上手く出来ない自分がいる。

お前が弱いからだ、と幻聴が囁いた。

とうの昔に知っている、と言い返す。

ゆっくり、立った。

痛みで体全身が熱かった。

 

「その瞳……趣味が悪いんじゃないか?」

 

骸の右目は炎のようなオーラを纏っていた。

 

「同感ですが、僕の前でそんなことがよく言えたものですね。僕はいつでも君を殺せるんですよ」

「だからどうした。それは事実だろう」

 

骸の言うことは正しい。桂木では骸には勝てない。

彼が本気をだせば、きっと一息のうちに死に絶えるだろう。彼にはそれができるのだ。

まるで六道骸に遊ばれているようだと思う。正しく彼はおもちゃだったのかもしれない。

自らの状況を理解していてもなお、減らず口を叩くことができる桂木に、骸は呆れた。

 

「理解に苦しみますよ。どうして、君はここに来たんです?」

「初めに、言っただろ」

「やられる前にやりに来た。でしたっけ?」

「そうだ」

 

見透かすような目が、それは嘘だろう、と言った。

本命はそれではないと、気付かれていたことに、今更驚きはしない。

 

「風紀委員会というやつですか」

「……あれは俺を嫌っている。俺がこんなことをしてやる義理はない。俺は、俺のためだけにここに来た」

 

口が回る。

骸が落ちた眼鏡を踏んだ。

度の入っていない、ガラスが嵌め込まれただけの見掛け倒し。

パリン、と呆気なく壊れた。

 

「それは、どうでしょうかね」

 

骸が動く。

桂木はそれに合わせて体全身を動かす。今までで、一番速い動き。

桂木の左手には、もう一つ、隠し持っていたナイフがあった。

骸の右腕をほんの少しだけ銀色が滑る。

すぐに、左手が骸の棒に弾きあげられる。

その勢いを利用して、バランスが不安定になるのを承知で右足を振り上げた。

骸の左腕を確かに蹴った感覚があった。

 

「甘いですよ」

 

足を払われる。

元々不安定だった体が、簡単に傾く。

桂木はナイフを投げた。

弱いそれは、容易く弾かれてしまった。

 

「あ」

 

赤と青のオッドアイ。骸と目があった。

ナイフを横に薙ぐ。殆ど無意識だった。まるで体が勝手に、意思に沿うように導かれたような。

握力を失っていた右手から、ナイフがすっぽ抜けて飛んでいった。

肩から地面にぶつかっていく。

骸の腹から鮮血が出てきた。

斬れたんだな、と思った。

自分でやった筈なのに、なんとも間抜けな顔をしていた。

 

骸はその時、この男はおかしいと感じた。

桂木が骸の腹を斬ったとき、微塵も害心を感じられなかったからだ。

背筋を滑る寒気を、″骸″は生まれて初めて感じた。

思えば初めから、目の前の標的には殺意というものがまるでなかった。この場にいる動機が、そういう類いであるはずにも関わらず。

骸は彼の中の桂木に対する危険度を引き上げることにした。得体の知れない恐怖が、この場では何より恐ろしかったのだ。

 

「君とは今のうちに契約しておいてもいいかもしれない」

 

倒れた桂木が気付くと、骸の手には三叉に分かれた槍があった。

それを見た途端、桂木の脳裏に色んなものが浮かんだ。

それらは全て、警告だった。

直感か、あるいは桂木の中の何かしらの力が働いたのかもしれない。

あれは駄目だ。

絶対に、あれに傷つけられてはいけない。根拠はないのに、それだけがはっきりしている。

これ以上戦ってはいけないと理解した。

なら、どうする?

あれから、どうやって逃げ延びる?

体はろくに動かない。左腕なんかは殆ど動かないので、ヒビでも入っているのかもしれないが、アドレナリンが出ているのか、もう痛みは感じなかった。

かつん、と足音が近づいてくる。

自分が吐く息は乱れている。

桂木はイメージの中で自分を俯瞰した。第六感すら駆使して、この場を把握した。

違和感を感じた。

それを確認するためだけに辺りを見回した。

一度で彼は必要な情報を脳に仕入れた。

それで、彼の決意は固まった。

 

 

「クフフ……」

 

骸が嗤う。

ふらりと揺れながら、桂木はなんとか立ち上がる。

ナイフを手に持つことは諦めた。拾いに行った時点で、骸の槍に傷つけられることがわかっていたからだ。

目の前の骸を見据える。右目が怪しく煌めいていた。

 

「今宵は、満月だ。こんな夜は馬鹿になるのが良い」

 

自分が舞台の上の道化師にでもなったかのようだった。それは自分よりも、相手の方が似合うような気もするけれど。

もう、そんなことは気にしてなどいられなかった。

 

「……気が狂っているとでも?」

「三月ウサギは初めから狂ってるよ」

 

怪訝な顔をした骸に、桂木は自嘲するかのごとく笑みを浮かべる。

狂ってるくらいが自分にはお似合いなのかもしれない。と、自身を卑下する。

胸に潜む気持ちを、どうにかして耐える。

 

「……君がウサギなら僕はチェシャ猫ですかね?」

 

骸は顎に手を寄せ、暫くしてから、あどけない少年のように首をかしげた。どこからどう見ても、俗にいう優等生の顔だっただろう。

桂木はうすら寒さを覚えた。それは貼り付けられた仮面の笑みだったからだ。

 

「まさか!! 今のお前はせいぜい狂った帽子屋だろうさ!」

「……なに?」

 

それは同列に扱う言葉。

淡い優しさなど、今この時は無用だと分かっているから、桂木はそういう言葉を吐く。

逃げなくてはならないという気持ちが、彼を動かした。

己の利益のために、良心の呵責すら振り切って、勢いのまま、桂木は続く言葉を口にした。

 

「────可哀想に」

「っ……!!」

 

馬鹿にしたように笑い飛ばした表情は一転。骸の境遇を知らぬはずの少年は、彼の人生を心底憐れむように、同情したように眉を下げて微笑んだ。

だがそれは骸の心をざわつかせるのには、あまりに充分すぎた。

 

その目は、嫌いだった。

甘い憐れみなど必要ない。ましてや、同情など。

そんなもので救われるのなら、自分達はこんなことにはなっていない。そんなものは何も救いやしない。

目の前の少年は確かに少年であるはずなのに、嫌な大人のような空気がした。

吐き気を催すほど醜悪なものに違いなかったが。それ以上に、許せなかった。

契約だとか、殺さない程度だとか、そういうものは頭からすっかり抜けていた。

沸き上がる衝動が、目の前の少年を貫けと言ったから。

骸はそれに逆らわなかった。

 

桂木が、笑みを浮かべた。

 

 

「まさか、この僕が一瞬とはいえ欺かれるとはね」

 

けれど、剣先は桂木の体の手前で止まっていた。

貫く間際にあることに気付いたからだ。

───途端、桂木の姿が霞む。

霧のようになって、それは四散した。影もなく。桂木の姿はどこにもない。

残った血痕と初めより荒れた室内がその存在の跡を示す。

血の跡が不規則に外に続いていた。

 

「あの怪我ではまともに動けないでしょう」

 

どうやって逃げたかはわからないが、それは知らずともいい。

いずれ、彼も倒すことになる。それが早まろうが遅くなろうが、計画には大した支障はない。

今も仄かに燻るのは復讐の炎か、それとも先程の衝動の名残か。

 

「……」

 

骸はそっと頬に触れる。

流れた血は、とうに固まっていた。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()が、裏社会に溶け込むことなく、表社会で壊れることなく普通の学生として生きていることが、骸にはどうしても理解が出来なかった。

 

 




いつもの倍くらいの文量でお送りしました。
アリスに関係する下りはわからない人はわからないんじゃないかな、と思って不安です。

骸さんって、同情とか憐れみとか嫌いだろうなぁ。
そんなことを真正面から言われたらムカつくだろうなぁ。

ようやく幻覚の下りが出せて喜んでます。
四話の話はけっして、雲雀さんと話をさせたかっただけではないっ……!

術師ってどのくらいの範囲で何が出来るのかわからなくて、色々捏造がこれから出てくると思いますし、なんなら既に出てますが、骸さんがサンバで「記憶なくすその前に」とか言ってるから記憶だって消せるし、それなら眠らせることだって出来るでしょってノリです。
術師はファンタジー。


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11.侵入

昨日の夜、俺は六道骸と対峙した。

結果は散々。お陰で体はボロボロ。市販の痛み止めは全くと言っていいほど聞かなくて、今も本当は痛くて仕方がない。

ここに医者がいたのなら、きっとドクターストップを掛けられるだろう程度には酷い状態だった。

それなのに、黒曜ヘルシーランドの門の前に立っている。

殆どなにも考えずにここまで走ってきて、今頃になって自分の傷のことを思い出す。

……俺は馬鹿なのだと思う。

門を見ると、南京錠の鍵がしてあった。

昨日はここを乗り越えて行ったが、この左腕で行くのは難しい。

あぁ、こういうところも馬鹿だ。

片腕で人間一人どうやって連れて帰るんだ! 相手は自分よりも大きくて重いというのに!

 

「さて、と……」

 

肩に掛けた少し長い袋を下ろして、中から得物を取り出す。

昨日はナイフ二本なんていう、あまりに心許ない武装でよくこんなところに来たもんだ。普段の散歩のノリでやるんじゃなかった。

さて、ここで問題である。

門が乗り越えられない時、人はどうすればいいと思うでしょう?

答えは簡単。

 

手には餅つき用の杵(桂木のウサギ用強化杵)

それを大きく後ろに振りかぶり、勢いよく前に振る!!

ガッシャァァンン!!という音をたてながら、それはもう素晴らしい具合に吹っ飛んでいく古びた門。

飛距離は大体五メートル。思ったより飛んだ。

まぁ、簡単に説明すると。

───盛大にぶっ壊すのである。

 

「うん、すっきりした」

 

道は拓いた。

後は、思うままに進むだけだ。

とはいえ、ここまで盛大にやると、中の人たちに気付かれる可能性が大いにあるのだけど。

そこはまぁ、今から慎重に行くとしよう。

目的は相手を倒すことではない。

ただ、連れて帰るだけだ。

 

 

気配を殺して、建物を目指す。

黒曜センターというと、もう何年も昔の記憶を揺さぶられる。

ここは複合型の娯楽施設だった。

動植物園やカラオケ、ショッピングセンターなんかが集まっていて、それなりに賑わっていた。

けれど、新道が出来てから、少しづつさびれだし、一昨年の土砂崩れを切欠に閉鎖してしまった。

前に通る旧道にはあまり車は通らなくなった。お陰で、人気は全くと言っていいほどにない。

昨日も思ったが、潜伏先にはもってこいの場所だ。

ここには、何度か来たことがあった。その全てが母に連れられてのものだったが、楽しかったという記憶が薄いので、多分無理矢理だったのだろう。大した思い出にはならなかったのだ。

改めて見て、随分と様変わりしてしまったものだな、と思う。

土砂に呑まれた施設は、昔の名残さえもないものもあった。

こういうことを無常と言うんだったか。

時間は流れていて、形あるものはいつか壊れる。

ここは、それが早かっただけ。

それに寂しさを覚えても、きっとすぐに忘れてしまう。

忘れることは、少し切ないけれど。

 

「うっわあ……」

 

建物の入り口に差し掛かって、ついつい感嘆なのかよくわからない声が零れた。

割れた窓ガラス越しに、死屍累々と言わんばかりに、黒曜生が倒れていた。

………雲雀だ。

いつ頃訪れたのかはわからないが、アイツの圧倒的な強さは、彼等にとっては台風のようだっただろうことは想像に難くない。

 

雲雀の行動を予想する。

雲雀はこの後、真っ直ぐ六道骸のところへ向かっただろう。

そして────負けた。

三月の終わりに、雲雀は妙な病気に掛かったと言っていた。

桜クラ病。

桜に囲まれた状態では立っていられなくなるという奇病。

あの後、詳しそうな奴に聞いたところ、そういう奇病は世界に沢山あるらしい。

その情報を知っているのは、少数であるはずだ。雲雀はあの並木一帯に人払いをしていたから。

だが、相手は得体が知れない。

 

『並盛中のケンカの強さランキング?』

 

そんなものを正確につくることなど、本来は誰にだって不可能だ。

それを情報源として使うことだって馬鹿げている。

 

『オレ達マフィアには『沈黙の掟』というのがある。組織の秘密を絶対に外部に漏らさないという掟だ。

フゥ太のランキングは業界全体の最高機密なんだぞ。一般の人間が知るわけがない』

 

だが、沢田と赤ん坊の様子は、それが信憑性が高いものだと理解しているようだった。

マフィアが、そんなランキングを最高機密にする?

そんなもの、確実に合っているから最高機密にするんだ。独断と偏見によるものではなく、正確無比なランキング。

それを六道骸が手に入れられるのなら、奴は弱点を知ることができたっておかしくない。

例えば、雲雀恭弥の弱点ランキングなんてものがあったとしたらどうだろう。

そこに、桜が書かれていたら?

それを見た人物が、桜を擬似的に用意できる能力を有していたら?

弱点はないという前提は、綺麗に崩れる。

机上の空論は、現実へ変わる。

六道骸は卓越した技量を持った術師だ。彼なら、幻術で桜を雲雀に見せることなど容易に出来るだろう。

今、雲雀がどこでどうなっているのかまではわからない。

 

ズズッ───。

 

少し遠くの方で、何かを引きずりながら進む足音が聞こえた。

 

「………!」

 

いや、音が不規則だから、足を引きずっているのか。

六道骸の一派の一人が、怪我をして帰ってきたのかもしれない。

息を潜ませながら、音の方へと顔を向けた。

血の匂いが、鼻を燻る。

細身の、猫背でわかりづらいが、多分高身長。

その少年は主に右半身に酷い怪我を負っていた。服も肌も、焼けただれているという風で、例えば爆発に巻き込まれたのだと言われたら納得せざるを得ない。

足を引き摺りながら、奥の、昨日六道骸がいたところへと向かっていく背中を見送った。

そういえば、あのシルエットには見覚えがあった。数日前に見掛けた実行犯の姿は、あんな感じだった。

返り討ちにあったのか。

襲われていない生徒で、彼等に勝てそうな人物。その上、爆発物を扱うような人物。

獄寺隼人?

そういえば、六道は表か裏かを気にしていた。そして沢田を、マフィアのボス(おそらくは候補)を探している。

獄寺は沢田のことを十代目と呼び、慕っていた。

逸らしていた現実は、大抵冷たい。

……そうか、彼は裏側の人間なのか。

きっと、ずっとそうだったのだろう。彼は俺とある部分は同じだけど、どこまでも俺とは違う。

 

彼は泣くのを堪えるような子供のような顔で、心底残念そうに笑った。

 

……あぁ、ちゃんとやらないと。

これは自分のエゴだけど、だからこそ、最後までやらないと。

彷徨うように足を進めた。

そうして、半時間ほど彷徨った。

六道のいる部屋には近付かないように、慎重に探して。

暗い廊下を、足音をたてないように静かに歩く。

こういう建物のこういう雰囲気は、昔を思い出すから好きじゃない。

ドクドクと全身が煩い。腹が焼けているように熱いので、傷が開いて血でも出ているのかもしれない。

それでも、足は止まらない。

足音が響く。

 

「──おやおや?」

「……わぁ」

 

黄色い小鳥を肩に乗せている男一人と、同じ顔をした骸骨みたいな男二人。どちらも似合わない学生服を着ている。

なるほど、いかにも悪人面だ。

 

「あんた誰?」

「私はバーズ。この通り、鳥を飼うのが趣味でしてね」

 

小鳥を乗せた男が不気味に笑った。名前がそのままで、偽名なのではないかと疑う。

視線を、その後ろに移す。

 

「後ろのは?」

「彼等は私に忠実な双子の殺し屋です」

 

答えを聞いて、全部飲み込んだ。

相手を判断するには、それだけで十分だったのだ。

 

「……わかった。じゃあ───」

 

 

「───消えてくれよ」

 

桂木の体がふらりと揺れて、消えた。

実際は一呼吸の間に二歩進んだだけだっが、少なくともバーズの目にはそう見えた。

ビュン、という音がして、バーズの後ろにいた双子の暗殺者のうちの一人、ヂヂが壁にめり込んだ。

悲鳴の一つも、聞こえなかった。

 

「ヂヂ!?」

 

ワンテンポ遅れてバーズが声を荒げる。

かつん、という靴音が場に響いた。

 

「驚かないでくれよ。俺はさ、彼をこの杵で叩いただけじゃないか」

 

少年が笑う。

緩くつり上がった口元と嫌悪を滲ませた冷たい瞳が、歪んだような笑みを作り上げていた。

 

「……君は何者だっ!」

 

六道骸のように裏社会に浸かっていたわけではない、一般社会で生きているはずの子供。

牢獄に閉じ込められていたような殺し屋を、いとも簡単に倒して見せた少年が、彼の目には異常に見えた。

 

「そんなこと別にいいだろ。俺はただ、あんたらが嫌いなだけだよ」

 

続いて、一瞬にして片割れのジジの懐までやってくると、木製の杵を自らの手足かのように両手で振るい、顎を強打し、天井まで彼を突き上げた。

落ちてきた体が弛緩していた。呼吸はあるが、外傷が酷い。

 

「………な、ななっ!?」

 

バーズの体が震え、足がゆっくりと後退していく。

そして、目の前の少年に背を向け、一目散に走り出した。

バーズの戦闘能力は殆どないに等しい。彼は、目の前の少年には勝てないことを悟っていた。

 

「悪いな、スタートダッシュは得意なんだ」

 

背後から声が聞こえたと知覚した途端、肩にけして軽くない衝撃が走った。

視界の上から入り込む、シャツの白とズボンの黒。焼けた琥珀色の瞳が、獲物を捉えたとばかりに細められて───。

そこで、バーズの意識は途切れた。

簡単なことである。

彼の腹を、杵の持ち手部分の先端が突いていたのだ。

 

温まった体は、血を通常よりも早いスピードで巡らせる。

耳の周りでドクドクと血流の音がした。白いカッターシャツが、赤く染まり出す。本格的に、傷が開いたのだ。

 

「………不味いな」

 

病院で医師の治療を受けたわけでもない傷は、本当に初歩的な応急処置しかされていない。

何より、ヒビの入っている左腕を無意識に使ったのだ。

激痛が桂木を襲っていた。

けれど足は進んでいく。

彼自身、どうしてここまで体を無理に動かしているのか、いまいちわかっていない。

 

「緑たなびく並盛の 大なく小なく 並がいい」

 

聞き覚えのある声が、聞き覚えのある歌を歌っていた。

 

「……なんだ、案外平気そうじゃないか」

 

桂木は安堵した。

そして、力が抜けた。

とっくに体は限界だったので、そのまま眠ってしまった。

 




桂木明祢
骸戦の際は油断しすぎてナイフ2本とかいう愚行をしたが、今回はちゃんと使いなれた奴を持ってきた完璧()な市民である。
なお、杵は目立つため、普段は持ち運びしていない。
使い方を教わったのは家の小さな白い住民たちからである。

後からやって来た綱吉一行
「おい、門が吹っ飛んでんだが……」
「先に誰かが来たということね」
「一体誰が……?」
「アイツだな」
「あ、アイツって誰だよ!?」


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12.痛み

爆発音で、目が覚めた。

振動が床を通して、体に伝わる。

反射的に体を動かすと、左腕を中心に酷い痛みが走った。

……そういえば、六道との戦いでの傷が開いていたんだったか。

と、どうして自分はこんなところにいるんだろう。何か、やるべきことがあったような気がする。

 

「緑たなびく並盛の 大なく小なく 並がいい──」

 

聞き慣れた歌が、聞き覚えのない高い声で流れる。癖のある声だけど、妙に耳に馴染む。

それで、思い出した。

 

「雲雀は……?」

 

そうだった。自分は、雲雀を助けに来たんだった。

雲雀は助けに来たなんて言うと、頼んでいないだの、借りを作るのは御免だのといっていい顔をしないが。例えそれで恨まれたとしても、どうでも良かった。

俺は雲雀が無事に生きていたのならそれで良かったんだから。

雲雀の歌が聞こえて。あぁ、アイツは無事だったんだ、と勝手に安堵して、それで意識を失った。

……本当に、自分のバカさ加減に呆れてものも言えない。

やるべきことが終わっていないのに意識を失うなんて。こんなところで寝ていたら、殺されたって文句は言えないだろうに。

───ドガァン!!

再び、爆発音が聞こえる。今度は先程よりも近いらしく、音がでかい。更に、近くの壁が崩れていく音がする。本当に近くで爆発しているらしい。

 

「っつ……」

 

どうにかして体を動かそうとするが、全身に走る痛みがそれを許さない。なけなしの痛み止めは、存外効き目があったらしい。

比較的動く右腕を動かす。カランと、杵が指先にぶつかる。右手で、それを掴む。

痛い。でも、これくらいなら耐えられる。

 

「───!」

「────」

 

声が、聞こえる。眼の前の扉の先から、というよりその奥から声がする。

杵を杖代わりにして何とか立ち上がる。ふらついて、体が安定しない。

震える手で扉を開けようとする。だが、一度無理に動かした左腕は、これ以上動くなと警鐘を鳴らしている。

──あぁ、うっとおしい!

眼鏡を投げ捨てた。

 

才能が目覚めた当初、俺は幻覚を意のままに操るということが出来なかった。気を抜くと、好き勝手に幻覚が現れてしまう。

簡潔に言うなら、オンとオフが切り替えられなかったのだ。

当時、まだ十歳になったばかりの俺は焦った。

───どうしよう。このままだと、誰かを傷つけてしまう。

困ったとき、俺はとりあえずウサギを観察した。ウサギは家族であり、師であり、時に弟子である。

すると、あることがわかった。うちのウサギは、普段は(子供や発情期でない限り)大人しい。しかし、杵を持った途端に血気盛んになる。

つまり彼らは、杵を持つ持たないで、オンとオフと切り替えているのだ。

そうか、物を使って切り替えればいいんだ。じゃあ、何を使えばいいんだろう。

そうして家中を探し回り、母の部屋まで入ったとき、俺はようやくそれに出会った。

その時母は、裁縫をしていた。眼鏡を掛けて。

普段、母は眼鏡を掛けていない。だから、余計に目に入った。

───そうだ、眼鏡だ。

人間の全感覚の約八割は視覚が担っているという。当然、幻覚も人間を騙すときは視覚が中心になる。

眼鏡は、フレームやガラスによって、度が入っていなかったしても、裸眼とは少々視界が異なる。

そのお陰か、眼鏡を掛けると、幻覚を無意識のうちに使うなんてことはなくなった。

それから、頭が良さそうに見えるし、顔の印象が変わるし、いいことばかりだということに気づいて、以来ずっと掛けている。

まぁ、今は眼鏡なんてなくてもオンとオフくらい切り替えられるが。

気分的にいうなら、眼鏡がない方が全力は出しやすい。

 

閑話休題。

 

苛ついたので、自分に術を掛けることにした。

幻術は五感を操る術だのと言われているが、実際は感覚というのは五つなんて数じゃ収まらない。

だが、俺達術師は五感以外の感覚をも支配することができる。

つまり、幻術というのは感覚を支配する術なのだ。

痛覚は触覚の一部だと思われることが多いが、実際は別個のセンサーが存在している。痛覚を閉じたところで、触覚そのものがなくなるわけではない。

痛覚を遮断すれば、痛みは感じなくなる。もっとも、痛みがなくなろうと、身体的な障害がなくなるわけではない。

……痛覚というのは人間にとって重要な感覚だ。

痛みは異常を教える。痛みがなければ、自身に危機が迫ったときに対応できない。

それは身体的なものだけでなく、精神的なものにも影響を及ぼす。

痛みを知らない人間は、他者の痛みを理解しづらい。

だから、普段は痛くても痛覚を遮断なんてことはしない。俺は、そういう風にはなりたくない。

 

 

痛みがなくなる。まるで、体が軽くなったみたいだ。けど、それに反して体はぎこちない。

 

「っくそ……!」

 

一度安心してしまったせいで、耐えていた体は、耐えられなくなってしまったらしい。

それでも、なんとか扉に触れ、体全身を使って開けた。

ギィと軋むような音をたてながら、扉は開いていく。

経年劣化した鉄の扉は、痛んだ体には重かった。

 

「ん……?」

 

潜った先には、コンクリートの残骸が散らばっていた。

床はところどころ赤い染みがついていて、ここで雲雀が捕らえられていたのだろうことを想像させる。

……いや、俺が驚いたのはそんなことではない。

目の前で人が、それはもう綺麗に飛ばされていった。

別に、大したことではない──いや、本来はあるのだろうけど、見慣れてしまったせいか、そう思えなくなってしまった。

主に、雲雀のせいで。

見てしまったのは、雲雀が人間をそれはもう盛大に吹っ飛ばす瞬間である。

そして、足元で倒れている獄寺。待て、お前はなんでここにいる。

 

「お前……なんでここに……?」

「は……?」

「ちょっと、何しに来たの」

「何って、草壁がやられたからお前の安否を確認しにきただけだけど」

「確認しにきただけにしては随分と傷が多いようだけど」

「これは別口なんだよ」

 

そういう雲雀もぼろぼろだ。一見しただけでは細かいことはわからないが、相当痛い目にあわされたらしい。

やっぱり、六道には負けたのか。

 

「おい、どういうことだ。テメーはヒバリとは仲が悪いはずだろ。なんでヒバリの安否なんかを確認する必要がある」

 

そうだった。学校では、俺と雲雀は険悪な仲で有名だった。

正直なところ、俺達の関係はそんな単純なものではないし、そもそも険悪なのかどうかも疑問が湧くのだが。

 

「草壁……風紀の副委員長とはそれなりに交流があってな。彼の心配事を減らしてあげようと思ったんだ」

「ワォ、君がそういうことをする人間だとは思わなかったよ」

「減らず口を叩けるんなら、俺は必要なかったかな」

 

話すと、ついこうなってしまうのは、俺達の悪い癖なのかもしれない。

あぁ、だから険悪なのか。

 

「っいい加減にしろ!俺はこれから十代目のところに行かなくちゃなんねーんだ!テメーらの言い合いに付き合ってられるかよ!!」

 

獄寺が声を張り上げた。その内容に、少し気になることがあった。

 

「……もしかして、沢田を六道のところに行かせたのか?」

「それがどうした」

 

六道の狙いはマフィアのボスである沢田なのは間違いない。だが、多分彼らの考えているものと、六道の狙いは少し違っていると思う。あれは命というより、マフィアのボスという立場そのものを必要としているような……。

 

「早く行け! 赤ん坊がいるとはいえ、このままだと手遅れになるぞ!」

「何言って……!?」

「行くよ」

「ヒバリ!?」

 

雲雀が無理矢理ぎみに獄寺を立たせ、肩を貸す。この場合は、お互いがお互いを支えあっている。

雲雀も成長したなぁ。……単純に、借りを返すためかもしれないけど。

 

「おい、ウサギ食い!」

「まだ食ってない」

 

何という不名誉な名前だ。以前彼らの前でウサギを非常食にするだなんて言ったからついたんだろうが、家族を食うような人間に思われていたとしたら心外……いや、あんまり酷いようだったら本当に非常食にはしたかもしれないけど。うちの経済状況を見るに、非常食は当分は必要ないと思うので、多分食うことはないと思う。

 

「そこのメガネヤローから解毒剤を取って、外にいる黒い奴に飲ませてやってくれ」

「……了解した」

 

状況はよくわからない。彼らがやられる前にやりに来たのか、それとも報復の意味があるのか、あるいはどれでもなくて、ただ六道達を止めに来たのか、そういう諸々の事情は俺にはわからないし、おそらくは関係のない話だろう。

本当は、こんな裏社会のゴタゴタに巻き込まれるのも、雲雀を巻き込むのも御免だ。出来ることなら、雲雀の代わりに俺が行きたい。

だが、雲雀は自分を倒した六道を許せないだろうし。そもそも六道は止めてやらなくちゃいけない。

なにより、痛覚を遮断までしないとロクに動けやしない俺は足手まといだ。

彼らの背中を見送る。雲雀も獄寺も、振り返るなんてことはしなかった。

……さて、俺は自分の仕事をするとしよう。

メガネヤロー……たぶん、このニット帽の──

 

「あっ」

 

見覚えがあった。彼のことは、二度見たことがある。その隣の金髪も、なんとなく見覚えがあるが、こちらは多分はっきりと見るのは初めてだと思う。

懐を探る。指先に伝わる、ガラスの感触。多分、これだ。

外にいる黒い奴というのは記憶に覚えがないが、見たら分かる程度には黒いのだろう。

痛覚遮断は、もう少し必要そうである。

 

 

でも、どんなに肉体の痛みがなくなろうと、心の痛みはなくならない。

心なんてものは、どこにもないはずなのに。ないものは傷まないはずなのに、心は痛む。

俺が痛覚遮断を嫌うのは、そういうところだ。

どんなに要らないと嘆いても、その痛みだけは消えてくれないから。

あの日からずっと、その傷は治らずに痛み続けている。

 




昔、なにかの医療漫画で、痛覚のない兵士というものが出てきました。
彼らは痛みを感じないので、死に対する恐怖が全くと行っていいほどに薄かった。まさしく、バーサーカー。見ようによってはゾンビのようにも見えます。
未だに私は、恐ろしかったということだけを覚えています。

書くにあたって黒曜編を読み返していたのですが、骸さんがツナに対し「僕は痛みを感じませんからね」と言っていたことに気づきました。
骸さん自身に痛覚はあると思うので、憑依した先の体の痛みは感じないということなんでしょうが……。

いろいろと痛みについて考えさせられます。


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13.痛みの跡

ズキン、と痛むのは体じゃない。

 

ヘルシーランドの建物を出て、獄寺の言う"黒い男"を探す。

名前を出さず、特徴を言うということは、俺の知らないような人間であるはずだ。

……体は相変わらずふらついている。

辺りを見回すが、それらしき人はなかなか見つけられない。

こんな状況下だ。簡単に見つからず、安全な場所に避難させたんだろう。

 

「大福を連れてこれば良かったか……?」

 

ウサギは人間より嗅覚と聴覚が鋭い。アイツなら、人間自体を見つけるのにそう苦労はしない。危険だからといって無理矢理家に置いてくるんじゃなかったか。でも、アイツは俺の監視という役目もあるしなぁ……。

 

「っん……?」

「声?」

 

ほんの微かだが、誰かの呻き声が聞こえた。

注意深く聞き耳をたてると、近くにいることがわかる。

もう一度辺りを見回すと、先程はわからなかったが、木の影に人の足先が見えた。

警戒しながら覗くと、そこには山本と、見覚えのない黒い男が寝かされていた。

……これが例の黒い男か。

男の息は、毒に侵されているというには随分と穏やかだった。

呻き声を上げたのは山本だったようだ。

 

「えーと、大丈夫ですか」

 

黒い男に声を掛けてみるが、反応がない。

どうするんだこれ。解毒剤を持ってきたはいいが、飲ませ方がわからない。

意識のない人間に飲ませていいものなのか。

せめて注射器とかがあれば血管に差し込んでなんとかなりそうなものだが、そんなものはここにはない。

 

「幻覚で用意できたらなぁ……」

 

残念なことに、幻覚は幻覚。現実世界に物質として現れているのではなく、平たくいうなら脳の錯覚に過ぎない。

トリックアートのように、そこにあるように見えて実際はそこにはないのだから、幻覚で用意なんてことは不可能だ。

 

「………」

 

仕方がない。無理矢理飲ませよう。

 

 

そうして、小瓶の半分の量を飲ませた後、何故か車の音が複数聞こえてきた。

こんなところにいきなり車が通るなんて、なにかあった……いや、何かはあるのだが、それは大多数には知られていないはずで。

複数の足音が近づく。それと、妙なカラカラという何かが回る音。

 

「……誰だ」

 

殺気を滲ませながら問うと、いかにも医療従事者ですといったような風貌の人間が、移動式ベッドを引っ張ってやって来た。

 

「ボンゴレの医療班です。あなたは……?」

「……ボンゴレ?」

 

パスタ?

……いや、待て。そんなわけあるか。

ボンゴレというのは、組織の名前だ。おそらくは裏社会の組織の名前。あの赤ん坊か誰かが呼んだのだろう。

裏社会というだけで正直気分はよろしくないが、これはチャンスだ。

医療班ということは、注射器くらい持っている筈だ。

 

「あの、空の注射器を持っていませんか? この人、毒にやられて。えーと、解毒剤はあるんです」

「……ありますよ」

 

素人がやるよりその道の人間がやる方が確実だろうと、解毒剤を渡し、投与される瞬間を見届ける。

そこから、あっという間だった。

空間にいきなり夜が訪れたように、暗い裂け目が出来て、そこからシルクハットを被った、ミイラと西洋の映画に出てくるような幽霊が混ざったような風貌の男たちが現れた。

果たして、それが何なのかはわからない。

ただ、周りの人間たちは、その亡霊のような彼等を『復讐者(ヴィンディチェ)』と呼んだ。

復讐者は外套の裾から鎖に繋がれた首輪で、黒い男を捕まえた。

 

「なっ、なんで……!?」

「オキテハゼッタイダ」

 

地獄の裁定者の如く、彼等は告げた。

そして暗い裂け目中へ、男を引き摺りながらと戻っていった。

……どうすることも、出来なかった。

呆然とした俺をよそに、医療班は建物の中へ入っていった。

 

しばらくして、沢田と赤ん坊が帰ってきた。

 

「桂木さん!?」

「……あぁ、お疲れ様」

 

何故俺がここにいるのかと驚いている沢田と、一つも驚いた顔を見せない赤ん坊。

沢田はいつになくボロボロで、けれど無事で。六道は負けたのか、としみじみと思った。

俺も雲雀も勝てやしなかったのに、ランキングにもきっと載っていなかったであろう沢田が勝った。

おかしな気分だ。

それは普通に考えればおかしいことなのに、何故かしっくりくる。心どこかで、沢田なら出来るかもしれないという思いがあったんだろうか。

 

「………」

 

雲雀や獄寺、山本に見たことのない女性、それから小さな少年が運ばれていく。

生きているのはわかるが、胸にナイフが突き刺さったように痛かった。単純に、過去のトラウマが現在の俺を責めているのだ。

数年前も、似たような光景を見た。

 

「い″っ!? いでででででで!?」

「!?」

 

沢田がいきなり喚き出した。体を押さえて、苦痛を訴えていた。

いきなり傷が現れたような。いいや、麻酔が切れて痛みが一斉に襲いかかってきたような様子だ。

赤ん坊は、それを筋肉痛だと言った。

筋肉痛とはそういうものだったかと頭を捻ったが、あの沢田が六道を倒すなんてことがあったのだから、それくらいあるのかもしれないと納得することにした。

数秒後、沢田はあまりの痛みに気を失い、赤ん坊はその傍で眠りについた。

 

「……まずい」

 

その様子を見て、思い出す。

すっかり忘れていたが沢田のあれは、数秒後、あるいは数分後の自分の姿だ。

イメージというものは、幻術に重要な要素なわけだが、痛みに悶える自分を想像すると、それが一気に自分に表れる。というより、痛覚を失うというイメージが消え失せ、元の正しい状態に戻る。

──この場合は、忘れていた痛みが一気に襲ってくる。

 

「っあ″ぁ……」

 

あまりの苦しみに喘ぐ。

左腕を中心とした激しい痛み。続いて、負荷を掛け続けた脳が悲鳴をあげ、ズキンズキンと痛み出す。その上、吐き気までやってきた。

辛くて、消えたくて、この意識を保つことが苦痛で堪らなかった。

その不調に頭を抱える。

もはや、痛みというよりただの地獄だった。

 

「大丈夫ですか!?」

 

あまりの様子に駆け寄ってきた医療班の声が、ガラス越しのように聞こえる。

視界が、紫がかった闇に覆われ始める。キンキンと耳鳴りが喧しい。

堪えきれずに、体が傾いた。

──ただ、苦しい。

呼吸の仕方を忘れて、肺に酸素を送り込むことも、声を出すことも儘ならないまま、逃げるように意識を失った。

 

 

 

 

夢を見た。

夢というにはあまりに鮮明だったので、おそらくは記憶の再生だったのだろう。その光景には見覚えがあった。

それを見るのは、別に珍しいことではなかった。

けれど、忘れるのを赦さないかのように、一年に何度か現れるそれには、未だに慣れない。

この時見たのはきっと、今日の出来事があの日のことを思い出させるようなことだったからだろう。

 

薄暗い建物の中に立っていた。

夕暮れに射し込む光は、室内を赤く照らしている。

赤い世界。

目の前の光景を呆然と見つめていた。

 

「あ……」

 

その光景を知っている。

火薬の匂いと、鉄分の匂い。

壁は夕陽と血で、おぞましいほどに赤黒く染まっている。視界が赤い。

膝が笑う。立っていられなくなって、その場にへたりこむ。

視線の先にあったのは、いくつかの人間だったもの。

一つは脳漿を撒き散らし、一つは苦悶の表情のまま自らの首を絞めている。もう一つは拳銃をどこかに向けたまま笑っていて、その先でもう一つも同じようになっている。

そんな様子の死体が、まだいくつかあって。

カラン、と何かが落ちた音がした。

それで漸く、自分がナイフを持っていたのだということに気付いて───絶句した。

べったりと血が付着したその銀色の先には、黒い髪の少年が、腕を、脚を、腹を、胸を、頭を、体の至るところを、まだ新鮮な温かな赤い血に染めていて。

 

───待ってくれ、これは違う(・・・・・)

 

濡れた髪の境目から、切れ長の黒い瞳が俺を睨んだ。

この世の全ての憎悪をぶつけるように、この世の全ての罪を問うように、その目は明らかに俺を責めていた。

 

───違う、こんなものは知らない。

 

「なん、で……!」

 

頭を抱えて、振って、否定する。

これは違う。こんなものは経験していない。これは、俺の知っている記憶じゃない!

 

「でも、誰が有り得なかったと言えるんだい?」

 

少年が言った。

 

「違う! こんな、こんな、俺は………」

 

殺してない。雲雀は生きている。雲雀は生きているんだ。

もうわかっているから。

これは俺の罰なんだろう。

例え、お前がそんなことをしないとわかっていても、俺は自分を責めずにはいられないんだ。

何を取り繕おうが、俺が人を殺した事実は消えやしない。俺が雲雀を巻き込んだ事実は変わらない。

あの時、俺がお前の名前を呼ばなければ、きっとお前は、あんな風にはならなかった。

 

 

 

 

「──おい、大丈夫かっ!?」

「…………あ?」

 

揺さぶられるような衝撃がして、赤い視界が白くなる。

優しい光と、目の前に広がる金色が目に眩しい。

人間がいる。テレビで見る芸能人みたいな顔の、何となく既視感のある男がいる。

 

「誰だ、あんた」

「誰って……いやまぁそうだよな。俺はディーノ。お前、魘されてたんだぜ」

 

ディーノと名乗った男が肩に乗せていた手を離す。

……青い炎が燃えている。

離れた左手の甲に、物凄く見覚えがあった。

 

「亀の人?」

「お、覚えてたのか!? ってことはやっぱりお前、あの時の兎のガキか!」

「……あんた、あの赤ん坊の知り合いだったんですか」

「リボーンのことか? アイツは俺の家庭教師だったんだ」

 

この人、そういえばそっちの人ぽかったな。

待ておかしいだろう。赤ん坊が家庭教師?

一瞬にして冷静になると、周りには黒服の男が何人もいることに気付いた。このディーノという人の部下だろう。

 

「ここは病院だ。気分はどうだ、ボウズ」

「なんであなたたちが俺の病室に?」

 

亀の人の部下が言うには、俺は病院にいるらしい。

だが、これといった接点のない彼等が俺のベッドの前にいるというのはどうにも不自然だ。

 

「ツナ達の見舞いに来たんだが、お前が魘されているのを見てな」

 

病室を見回すと、確かに沢田たちが寝ている。山本に至っては起きて笑っている。

というか、この人マフィアのくせに甘いな。

 

「雲雀は?」

「ヒバリならピンピンしてるらしいぞ」

「リボーン」

 

赤ん坊が現れた。

どうやら雲雀は元気らしい。

それは良かった。良かったんだが、アイツ、下手したら俺よりボロボロじゃなかったか?

やっぱり雲雀は規格外だ。

そして、もう一人、頭に浮かぶ。

逃げるためとはいえ、酷いことを言ってしまった。

 

「……六道は」

「復讐者の牢獄だ。それ相応の罰は受けることになるだろうな」

 

赤ん坊は、いつになく真剣な表情で言った。

確かに六道たちのやったことは許されない。

だが、彼等には彼等の理由があった。

それが例え、歪んだ復讐心だったとしても。

彼等だけに罪があったわけではないだろう。

 

胸に少し棘を残して。

ともかく、事件は終わりを告げた。

 




こどもの日は雲雀さんの誕生日ですね!
おめでとうございます、雲雀さん!
現段階では話の都合上誕生日話を書けないのが悔しいところです。
続いてたら、来年はやりたいですね。

しかしコイツら、本当に過去に何があったんだ……?
(当分先の予定の過去編のプロットを読みながら)

あと一、二話したらヴァリアー編なわけですが、現時点での主人公の交友関係が狭すぎて逆に話が難しい。


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14.眩しい浮雲

並中生襲撃事件から三週間程経った。空気はいまだに暑い。

昼も直前に迫り、生徒たちも昼休みが来るのを今かと待ち遠しく思っている時間。

 

「ヒバリ、ヒバリ。アキ、アキ!」

 

最近周りにいるようになった小さな鳥の囀りが、微睡んでいた頭に覚醒を促す。

可愛らしい小鳥の姿は、今の穏やかな雲雀には何故か妙に似合っていた。

──アキ?

言葉の意味が分からず、頭を傾ける。その間も小鳥は囀り続ける。まるで、何かを見てほしいかのように羽ばたいている。

雲雀は少しだけ頭を持ち上げた。

何があるのだろう、と疑問に思ったからだ。

そして、視界に入ったものを見て納得した。

──あぁ、″秋″ね

学校近くの田んぼのあぜ道が、深紅に染まっていた。風に吹かれて、赤は波のように揺れる。

もう、彼岸花の季節だったのか。と雲雀は目を瞬かせる。

ついこの間まで、並盛は完全な夏の姿だった。

肌に突き刺さるような激しい日差しを浴びて、樹々の葉はその青さを深くしていたというのに。

たった数日病院にいただけ。たったそれだけ見なかっただけで、この町は少し鮮やかになっていた。

雲雀は並盛が好きだ。特に並盛中学校が、さらにいうならその屋上が好きだ。

屋上は季節の移り変わりを感じさせる。

通り過ぎる風が、空で輝く太陽が、広がる景色が、それをありありと示す。

雲雀は穏やかに微笑んでから、大きな欠伸をする。

 

「僕はまだ寝るから、君はどこかへ行ってなよ」

 

人語を解しているのか、小鳥は雲雀の言う通りにパタパタと上空へ飛んでいく。

それは雲雀の好む、自由な姿だ。

 

「緑たなびく並盛の 大なく小なく 並がいい──」

 

黄色い小鳥が楽しげに歌う。

雲雀の好きな並盛中の校歌。

音程が少し外れているけれど、それはまた後で直させればいい。

雲雀の意識はゆっくりと落ちていく。

少し涼しげな風が、学ランを揺らした。

 

 

 

 

朝早くから学校に登校している生徒なら、腹の虫がわめきだす頃。

桂木は頭を押さえながら学校の門をくぐった。

珍しく、彼は日を跨ぐ前に布団に入った。だというのに、朝起きた時、彼はよく眠ったという気分には浸れなかった。

眠りが浅かったからというのもあるが、一番の理由は酷い夢を見たからだ。

先日、桂木は六道骸と対峙し、そこで『心にもないこと』を言った。

それで骸の心を揺さぶり、冷静さを失わせ、何とか逃げおおせたのだが、どうやらそれを骸がなかなかに根に持っていたらしく、とうとう昨晩、桂木の夢に無理矢理干渉してきたのだった。

波長が偶然合ったと骸は言ったが、桂木としては切実にあってほしくなかった。

あの言葉を放ったのは、本当に苦渋の選択だったのだ。

とはいえ、収穫もあったので一概にそうとは言いづらいのも確かだった。

閑話休題。

ともかく、学校に行く気分ではあったので、保健室でベッドを一つ占領することになろうが、とりあえずは登校しようと家を出た。

ここ数週間は怪我や家のゴタゴタのせいで、学校にあまり通えていなかったからというのもあるが、普段からまともに通っていないとはいえ、彼自身はそこまで学校を嫌っているわけでもないし、むしろ好きの部類に入るためだ。

 

「頭痛い……」

 

気分は普段感じているような、寝不足だった。寝不足特有の頭痛と、偏頭痛が同時に来ているような、登校するのを躊躇われる程度の痛み。

桂木は、自分が雲雀に咬み殺されない状態であることを心から喜んだ。こんな状態では逃げることも防御の体勢に入ることもできない。

そんな雲雀は、今頃屋上で伸び伸びと昼寝をしている。

 

「緑たなびく並盛の 大なく小なく並がいい──」

 

門を潜ったところで、やけに高い声の校歌が、頭上から聞こえた。

ところどころ音程が外れていて、発音もぎこちないが、聞いていて不快になるということはない。

誰が歌っているのだろうと疑問に思って、顔を上げて、自分の五感を疑った。

──鳥だ。それもインコではない、ひよこのような黄色い小鳥だ。

 

「なんで歌ってるんだ? というか誰が教えた……?」

 

桂木には、割りと最近にどこかで見掛けたような覚えがあった。

それもその筈。彼は黒曜の事件のときにこの鳥を目撃している。

バーズと名乗った男の肩に乗っていたのだが、彼の記憶には薄くしか残らなかったため、なかなか思い出すことが出来ない。

 

「ああ~ ともに謳おう 並盛中」

 

一番が終わった。

並盛中校歌の歌詞というのは、どうにも向上心に欠けるものだが、桂木はこれが嫌いではなかった。むしろ、生徒には珍しく気に入っている。しかしながら、愛着を持っているかと言われれば頭を悩ませるだろう。

桂木は考える。

 

うちの学校の校歌に愛着をもってるなんて、風紀委員の誰かだろうか。

例えば、雲雀や草壁とか──。

……………。

そういえばこの鳥、屋上付近から飛んでこなかったか?

並中の屋上といえば雲雀のお気に入りの昼寝スポットだ。

もしかしなくても、本当にアイツが教えた?

 

桂木は自分の脳内で、小鳥に歌を教える雲雀を想像する。

 

「………わぁ」

 

雲雀恭弥ならやりかねない。

何故なら、雲雀は誰よりも並盛中を愛しているから。当然、並盛中の校歌にも愛着を持っている。

実際、雲雀は携帯の着メロを特別に作らせた校歌にしている。

そしてなにより、雲雀は動物が嫌いではない。

本人の気質ゆえに檻に入れられた動物には顔をしかめるだろうが、自由な動物ならば、他の人間には見せないような優しげな顔を見せることもあるだろう。

 

小鳥は、なおも歌い続ける。

秋は五感を刺激する。人間は世界から隔絶されて生きているけれど、自己以外を感覚で感じているとき、世界に漸く存在しているような実感を感じることができる。

桂木は悠々と空を飛行する小鳥を見上げながら、耳に入る囀りに合わせて、小さな声で歌った。

 

「君と僕とで並盛の 当たり前たる並でいい

ああ~ ともに歩もう 並盛中」

 

歌詞は三番の最後。

なんて雲雀恭弥に似合わない歌詞なんだろう。

羽を広げて大空を自由に羽ばたく鳥を見て、桂木は笑う。

雲雀恭弥は風紀委員会の委員長だ。

組織の長というものは組織の為にその身を捧げるというが、雲雀にはその言葉は通用しない。

雲雀は縛られることを嫌い、自由に気儘に生きている。

誰かが枷をはめると言うのなら、彼はその枷を引きちぎってでも自由に生きるだろう。

我が道を行く雲雀恭弥を、誰かが止めることなど出来はしない。

何故かと問われれば、それは雲雀が雲雀恭弥だからとしか答えられない。

そういう雲雀の生き方は、桂木には眩しいものだった。

桂木は、そういう風には生きられないが故に。

 

「──ハクシュ、ハクシュ」

「……えっ」

 

桂木は驚いた。

歌い終わった小鳥が、自分のすぐ目の前で羽ばたいているからだ。

それも、拍手を要求している。

 

「アカネ、アカネ。ハクシュ、ハクシュ」

「……君、俺の名前をどこで知ったんだ?」

 

桂木は顔をしかめる。

彼は、下の名前で呼ばれることを好んでいない。

幼稚園児だった頃に女っぽいと、馬鹿にされたことがあるからだ。

しっかりとした意味をつけてくれた父親には感謝しているが、それとこれとは別であるらしい。

今も時折、不良達からふざけて「明祢ちゃん」だの呼ばれることがあるが、その時は雲雀よろしく相手をぶちのめしている。

彼は精神的にも肉体的にもちゃんとした男性である。

 

「ピヨピヨ」

「わかんないかぁ……」

 

小鳥はどこからが頭なのか分からないような体を傾けて、桂木を見る。

普段の彼であれば、仮にこの小鳥が何か名前を言ったとしても、半信半疑だっただろう。

しかし、今の桂木はとにかく頭が痛かったのと、普段人語を解すウサギと共に過ごしているというのもあって、小鳥が「コウチョウ」だの「キョウトウ」だの言っても、それはそれで信じるくらいには疲弊していた。

怪我のせいで母親に酷く心配されたことも、それを助長していただろう。

とにかく、桂木は色々と疲れていたのだ。

ふわふわとした可愛らしい小鳥に癒されたくなるのも、わからなくはないはずである。

 

「あ……」

 

反応の薄い桂木に飽きたのか、小鳥が空高く飛び上がっていく。

小さい体躯は、みるみる小さくなっていく。

桂木は、それをぼうっと見つめる。

 

「君も自由で羨ましいな……。雲雀と同じ、どこまでも気儘に飛んでいける」

 

きっと彼は、気が抜けていたのだ。

誰が聞いているかもわからない校門近くで、混じりけのない本心を晒すなど、常の彼ではあり得ないことだった。

 

「俺も、そうなれたなら……」

 

彼は夜空に浮かぶ星に見蕩れるように微笑んだ。

頭上では、青空のキャンバスに浮いた白い雲が、どこまでも気儘に風に流されている。

すっかり学校のことを忘れてしまっていたが、今の彼はそれで十分だった。

そこには、自由に焦がれながらも、自由になりきれない少年がいた。

 

けれど、誰もそんな彼には気付かない。

たった一人、ある人物を除いて。

 

 

数十秒後、学校中に響く終業のチャイムと、それに伴い昼休みに突入したことによる喧騒によって、桂木は自分が学校の校門前でずっと立っていることを思い出した。




書いてて思うんですけど、桂木明祢の雲雀恭弥に対する思いがなんか強い。自分でやっておいて、拗れてるなぁと思ったり。
そんなこんなで14話です。

多分最初の方で頭を捻らせた方も居られるだろう主人公の名前について、いい加減やっておかないとな、と。

話は変わりますが、実は明祢くん、前話とこの話の間にさらっと誕生日を迎えていたりします。
黒曜編終了が9月9日で、この話は9月の終わり頃をイメージしています。
彼の誕生日は9月17日なので、黒曜編から約一週間後に誕生日だったわけですね。腕を骨折してたので、三角巾したままでお祝いされてます。


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15.虎穴を覗く覚悟

時間は、数時間ほど遡る。

 

「……は?」

 

なんだ、ここ。

清涼な空気を感じさせる瑞々しい緑。空は水色で、ふんわりと気ままに雲が浮いている。ほのかに香るのは、花の匂いだろうか。

仮に楽園というものがこの世にあるのなら、こういうものなのかもしれない。

俺は寝た筈だ。それも、珍しく次の日になる前に。

なので、はっきりと、これは夢だとわかる。明晰夢というやつだ。

ただ、おかしい。

夢というのは精神、あるいは脳の領域だ。記憶を整理している際に浮き上がるイメージであり、それらには作為的な意味はなく、大抵荒唐無稽なものであったり、或いは記憶の再現であったりする。

イメージで人間の知覚を狂わせることに長けている術師の場合、イメージそのものが強いため、夢を見るときはおそらく一般的な人間に比べてハッキリとしたものを見やすいらしいが、これはそれとも違う。

夢であるというのに、現実に近い。

脳の記憶整理の類いではなさそうだ。

 

「干渉でも受けてるのか……?」

 

俺は夢に関しては門外漢だ。

一応とはいえ術師であるため、それなりに知識はあるが、やはり専門家とはいえない。

理由を挙げるとするなら干渉されているのだろうが、干渉を受けるようなことなどした覚えがない。

───いや、あった。

むしろ、それしかあり得ない。

 

「六道骸……?」

 

おそるおそる、浮かんだ名前を口にする。そうでなければいいと、思ってみるが。

 

「───クフフフ」

 

特徴的な笑い声が、場のありとあらゆるところから響いてきた。

最悪だ。まるで、場の支配者は彼であるかのよう───いや、実際それに近いのだろう。

 

「こんにちは、桂木明祢」

 

まるで霧のように、六道骸は俺の前に姿を現した。

それはもう、とにかく妖しい笑みと共に。

白いシャツに黒いズボンで裸足の六道は、数々の人間を殺したとは思えない程の爽やかさだ。

なるほど、見た目詐欺とはこのことか。

 

「……わざわざ夢にご足労頂き、申し訳ない」

「いえ、僕としては君に会いたかったので大した苦労でもありませんよ」

 

悪意がある、いい笑顔だった。

もしかしなくても、あの言葉を根に持っているらしい。

じゃなければ、俺の精神世界に現れる理由なんてないだろう。

会いたかったと面と向かって言われると、なんとなく寒気を感じる。

 

「悪かったとは思っている」

「素直に謝ってほしいわけではないのですが」

「だが、俺が傷付けたのは事実だ」

「君は術師の癖に、恐ろしいほど甘いですね」

 

六道は呆れたような、けれど冷たい視線を向けた。

とりあえずは弁解しておかなければなさそうだ。

 

「甘くないと思うけど、お前の目を見て直ぐにわかったよ。あぁ、復讐したいんだなって」

「それであの台詞が出ますか」

「お前を動揺させるにはぴったりの台詞だっただろう?」

「君ね、本当に反省しているんですか?」

 

不思議だ。あの六道骸とこんな風に会話をしているなんて。

ほんの少し前なら考えられなかった。

根本的なところは変わっていないんだろうが、どことなく雰囲気がやわらかい。

だが、それは仕方のないことだ。

置かされた立場も環境も、前とは異なっている。

 

「してるよ。俺は結局、そちら側には行かなかった人間だっていうのに、身勝手なものを抱いた。恨まれて当然だ」

「……それです」

「ん?」

 

六道が怪訝そうな顔をした。

そんな顔をされる理由がわからなくて、ついつい頭を傾げる。

 

「君のことは調べましたが、過去に君がこちら側に関わった形跡はありませんでした。だというのに、君はやけに裏社会を嫌っている」

「………なかった?」

「えぇ」

「桂木のこともか?」

「そうですが。……それがどうかしましたか?」

 

六道の言葉が、はじめ信じられなかった。

それはあり得ない。だって、おかしい。

過去の記憶が甦る。

血に染まった薄暗い建物の室内。

俺の、桂木の情報が裏社会に出回っていないのなら。どうして、どうして、俺は、俺達はあの時───。

混乱する心を置いて、剥離されたような脳が答えを導きだした。

 

「……情報が、操作されている?」

 

言葉にすることで、心も落ち着く。

つまりは、そういうことだったのだとしたら。

だから、この五年間、俺はこちら側にいられたのだとしたら。

 

「どういうことですか」

「……わからない。俺はそっち側には詳しくないんだ。誰がどんな目的でそれを行ったかなんかわかるわけがない」

「君は一度裏社会に巻き込まれた筈だと」

「そうだ。なのに、その事実が消えている」

「…………」

 

二人の間に沈黙が流れる。

誰が、何のために、どうしてそんなとこをしたのか。

そこまでの理由が"桂木"にはあるのか。

そしておそらく、父はそれを知っている。

脳内で、ある一つの目的が生まれた。

 

「……なぁ、六道。俺と取引をしないか」

「君としたところで僕にメリットはありませんが」

「いや、ある。だからお前は俺に攻撃しなかった」

 

六道は一瞬、目を丸くさせた。

良かった。当たっていた。

六道は、俺が例の発言について悔いていることに気が付いていたのだろう。そして、それを利用してこちらに頼み──あるいは脅迫しようとした。

俺と六道の力関係は、前でよくわかっている。幻術も体術も、彼には及ばない。

だから六道は、俺が断れないと踏んだ。

例え彼が、牢獄に囚われ、身動きが出来ないような状態であったとしても、俺に悪夢を見せるくらいできただろう。

なのに、それをしなかった。彼にはそれ相応の理由があったからだ。

 

「それでも、僕が君のために動く理由にはなりませんよ」

「───教える」

「…何?」

「───桂木の秘密を教える!」

 

一拍置いて、六道の冷たい視線が体にグサグサと刺さってくるのを感じた。

ここ最近マフィア関係者が多いらしいとはいえ、俺が住んでいる並盛は大体平凡だ。そこに昔から住んでいる桂木に、そういう裏事情があるとは普通は思えない。それが普通の考え方である。

だが、取引が成功するためには、情報にそれだけの価値があると思わせることが大事だ。

 

「門外不出の家宝の話だ。権力者が知れば、こぞって欲しがるくらいの」

「……それを僕に教えていいと?」

 

六道は、真意を測りかねているらしい。

残念ながら、自分自身でもよくわかっていない。

話というのは、つい先日、十五歳になり、家宝を引き継いだ折に教わったことだ。父からは確かに誰にも渡すなと釘を刺された。

だが、それはそれである。

 

「物は誰にも渡すなと言われたが、話をするなとは言われなかった」

「なっ……」

 

俺が思ったことをそのまま言うと、六道は呆気に取られたかのような顔をした。その表情は、年相応に中学生らしく見える。それで、ちゃんと同い年なのだという実感が持てた。

六道は少々……いやだいぶ大人びていて、ある種浮世離れしているようだったから、結構新鮮だ。

 

「………クフフ」

「六道?」

 

六道の笑い声が響く。それは、耐えきれずに溢れてしまったような笑い方だった。

 

「……なんだよ、その反応」

「君は面白いですね、桂木明祢。いいでしょう、気が変わりました。取引を受けてあげます」

「本当か?」

「えぇ、もちろん」

 

"桂木"について知りたい。知らなければならない。そんな気がしている。

あの日からずっと頭にあった疑問の答えが、もしかしたら見つかるかもしれない。

きっとこれは、悪魔との契約のようなものだ。あんなに嫌だった裏社会の住人を利用して、俺はそれに足を浸ける。

それは自身を取り巻く環境が変わったからなのだろう。

気付いたときには手遅れだった。ならば、それを受け入れるしかない。

 

「もう、時間ですか」

 

六道が空を見上げた。つられて俺も見上げ、そして気づく。

早朝のような穏やかな青空は、いつの間にか茜色に染まっていた。

斜陽は、物事が終わっていくようなイメージが強い。

 

「ありがとう、六道」

「礼はいりません」

 

おかしなものを見るような目で、六道は俺を見る。

六道の価値観で行くなら、俺が彼に感謝をするようなことはないのだろう。

 

「なぁ、六道。お前は解っていた筈だ。マフィアを全て潰しても、お前の復讐は終わらない。復讐は歯止めが利かなくなった時点で、永遠に苦しむものだ。世界が火に包まれようとも、その憎悪は尽きることを知らないだろう。……だが、今のお前は、少し違って見える」

「やはり君は僕を苛立たせるのが得意なようだ」

「……」

 

何も言い返さない。

 

「いいですか、桂木明祢。僕はこれからも人を殺すでしょう。沢田綱吉の肉体を乗っ取り、世界大戦を勃発させることも諦めた覚えはありません。だから、君のそれは見当違いな推測に過ぎない」

 

六道の言葉は、全くその通りだった。

いかに六道がそうせざるをえない環境にいたとして、彼の性質がそういう環境で育まれたものだとしても、そういうもろもろの背景を含めた現在の彼が、今目の前にいる六道なのだ。

けして、彼の復讐心が消えたわけではないし、彼の冷徹さ、残虐さが消えたわけでもない。

だからこそ、六道の言葉に何も返せなかった。

どうしようが、俺と彼はここに至るまでの道が違いすぎるのだ。

 

「……まぁいいでしょう。では、詳細はまた後日に」

 

六道の姿が霧に隠れるように見えなくなっていく。

それに比例して、世界がどんどんと白くなっていく。

夢の終わりは存外に呆気ない。

夜明けの、橙と紫が混ざったような空の色がないのが本当に残念なくらいだ。俺はあれが一番好きなのに。

そんな箱庭で、俺は誕生日の父の言葉を思い返している。

 

『全部同じなんだよ、明祢。どれも、絶対に他の誰かに渡してはならない』

『……家宝だから?』

『いいや、違う。家宝だから渡してはならないのではない。渡してはならないから家宝なんだ』

 

手の平には、紫色の装飾がされた小さな小瓶のペンダントが転がっている。

父は何度聞いても、この小瓶の中身を教えてはくれなかった。

なんとなく、予想はついているけれど。

 

俺はこれを、いつか自らの手で蝶のように壊してしまうのだろうか。

あるいは、父の言いつけどおりに誰にも渡さないまま、次の世代に託すのだろうか。

これの正体がはっきりすれば、そんな悩みも、いずれ解決するのだろうか。

 

──そして、醒める。

 

 

 

 

 

 

 

それから数日後。

十月に入り、気温も少しずつ低くなり始め、各々の黒曜での傷も全て癒えた頃。

学校のない日の昼間に、桂木が商店街を歩いていたとき。

ふと、彼の視線に小さな少年の姿が入った。

ぽつん、と世界に取り残されたような姿。少年が一人寂しそうに立っていた。

一見、母親とはぐれたような迷子に見えるが、桂木はデジャヴのような違和感を感じていた。

この光景を一度見たことがあるというより、あの少年をどこかで見掛けたことがあるような感覚。しかし、全くもって記憶にない。

彼の頭に浮かんだのは、独特な髪型をした背の高い少年。しかし、その姿はそこにいる少年とは似ても似つかない。

だが、確かに彼にはその姿が小さな少年に重なって見えた。

 

「六道……?」

 

桂木がつい声に出すと、少年はゆっくりと顔を彼に向け、一瞬だけ目を丸くすると、すぐに微笑みかける。

 

「よくわかりましたね」

「え、お前憑依でき……いや、そんな小さい子に憑依して……?」

「僕にそんな情があると思いますか?」

 

動揺する桂木に、少年が鋭い言葉を浴びせる。

その様子を見て、桂木は顔をひきつらせた。

少年特有の外見の可愛らしさは、内面の怪しさによって掻き消されていた。

それもその筈。その少年の中身は、少年本来のものではない。

──六道骸。

先日の並盛中襲撃事件の首謀者にして、他人の体に憑依することができる特異な力の持ち主だ。

桂木は、骸が憑依することが出来るとは知らなかったが、術師の中にはそういう類いの術を扱うものがいることを知っていた。

 

「お前、何してんの?」

「沢田綱吉の体を乗っとろうと思いまして」

「………あぁ、そう」

 

小学校中学年程の少年の体を使って、一体何を企んでいるのかと、桂木が言外に問えば、骸はあっけらかんに物騒な言葉を放つ。

そこで桂木は、先日の事件が沢田綱吉の体を乗っ取るためものだったのだという事実に気付く。あの時抱いていた違和感というのは、正しくこれのことだったのだ。

なるほど、並中生を襲った事件が目的ではなく手段に感じるわけだ。

それはさておき、六道骸はなかなかにしぶとい男だということを、桂木はここ数日間で否応なしに実感させられている。

綱吉の姿を頭に浮かべ、運のないやつだと思った。

 

「で、どう?」

「見れば分かるでしょう」

「わからないよ」

「……それで、頼みたいことがあるのですが」

「おい、無視か」

 

桂木の言葉を無視して、骸は自らのペースで話を続ける。

 

「簡単なお仕事です。君、術師でしたよね」

「まぁ、一応」

 

今更のようなことを聞かれた理由がわからず、首を傾げた。

一応、と言うのは桂木が骸以外に他の術師を知らないからだ。彼にはどの辺りが術師の平均であるかがわからない。しかし、眼の前にいる少年が卓越した術師であるのだろうことはなんとなくわかっている。

 

「少しばかり面倒を見ていただきたいんですよ」

「面倒?」

「──ある少女のね」

 

まだ幼い少年の右目が、妖しく赤色に光り、細められる。

全く甘くない、けれどどこか優しげな、悪魔の囁きのようだった。

 




書けば書くほど意味がわからなくなった話です。
でも必要だったからどうしようもない。

書いていく中で、六道骸と桂木明袮を対比させることがありました。
比べてみると、似ているようで似ていない。けれど、どことなく似ている。そんな感じがしてくる。
それを頭の隅に置きながら書くと、骸にとって明袮は気に食わない人物になりました。

黒曜編後日談は、これにておしまい。
次回からはヴァリアー編です。




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ヴァリアー編
16.目撃と心配


日付も変わり、建物の灯りも消え、町全体が眠りについた頃。

風に髪を靡かせて、少年は一人、ビルの屋上から町を眺めていた。

 

「……」

 

並盛は彼にとっては住み慣れた、愛着のある場所だった。

なにか物思いに耽るときは、辺りで一番高いビルから、町が眠ってから目覚めるまでを見るのが彼のお気に入りだった。

ここ一ヶ月、彼はよくこうしている。

誕生日の日に手渡された家宝と、数日前の取引。そして、一日たりとも忘れることの出来なかったある日の過去。

それらが彼を悩ませていた。

溜まった思いに、無意識のうちに彼の口からため息が溢れる。

そして一息の後に────閃光が走った。

遅れて、静寂を切り裂くような爆発音。

 

「!?」

 

視界の遠くに白い煙を見つけるも、あまりに急なことに理解が追いつかない。それでもなんとか頭を動かし、少年──桂木は急いで煙付近のビルを注視した。

 

青い光が仄かに揺れている。

その直ぐ側に人影が二つ。

一つは屋上の隅に立ち、もう一つは屋上からぶら下がっている。

連想されるものは戦闘。平穏な町には似合わない。

 

「一体なんなんだ……!」

 

彼の頭に、マフィアの四文字が浮かび上がった。

嫌な予感が、寒気となって背筋を走った。

 

 

 

 

 

10月14日。

この日も、桂木は遅刻してきた。

三日前の夜の、謎の爆発と青い怪火、人影。

一昨日、商店街の一角で起きた謎の爆発事故。

そして昨日の

彼はこの三つが関連していると考えていた。それも、マフィアと繋がりがあると。

はっきりいうなら、正しくその通りだったりする。

 

(頭が痛い……)

 

じわじわと側頭部に広がる痛み。

この場合は偏頭痛によるものではなく、疲れと睡眠不足からくるものだ。

原因究明やらなんやら、やらなければならないことが増えてしまったのが原因だった。

 

「寝たい……」

 

学生の本分が学習することだということは、桂木も理解している。しかし、それとこれとは別なのだ。

桂木にはするべきと決めたことがあって、それは学業を疎かにするくらい、彼にとって大事なことだった。

 

「教室には笹川がいるし……」

 

桂木は大きな溜め息をつく。

笹川──了平は常時死ぬ気男と称されるほど、元気があり余っている少年だ。

何故溜め息を、桂木がついているかというと、了平のような暑苦しいと言われるタイプの人間が苦手だからだ。

人間としては、真っ直ぐで嫌いではないのだが、側にいるのは我慢ならない。

 

提げた鞄が肩に食い込む。

その時、学校に似つかわしくない音が桂木の耳に微かに届く。

何かが壊れるような衝撃音。

反射的に、音のする方に顔を向ける。上──屋上だ。

屋上。衝撃音。並盛中。この三つから導き出される答えは明白だった。

 

「本当に、最近何があった……?」

 

桂木は歩を進める。

目的地は屋上。但し、普段雲雀がいない方の屋上である。

 

 

 

屋上では激しい戦闘が行われていた。

一人は細身な体の少年、雲雀恭弥。並盛に住んでいるものならば子供でも知っているような、まさしく泣く子も黙る最強の風紀委員長。

もう一人は太陽の光を反射して輝く金髪の外国人の男。イタリアンマフィア・キャバッローネファミリーの若きボス、ディーノ。

ディーノは来る戦いに備えるべく、雲雀を鍛える家庭教師として並盛中に来ていた。

だが、そんなこと桂木は知らない。

 

「雲雀と亀の人が戦ってる……?」

 

傷だらけの二人が、鞭とトンファーをぶつけ、絡め合う。

なぜ学校の屋上という場所で彼ら二人が戦っているのか。

桂木は困惑していたが、雲雀の顔を見て、どうでもいいと感じる。

 

(なんか不機嫌というか、楽しそうというか……)

 

近年稀に見るほどに楽しそうだというのに不機嫌な顔をした雲雀に、呆れと少しの哀愁が混ざったような顔をする。

こういう時の雲雀がどういう状態にあるのかをよく知っているからだ。

それは獣だ。

この時、桂木の目には二匹の獣が見えた。

 

雲雀がトンファーを勢いよく回転させながら、ディーノの懐に入り込もうとする。

ディーノはそれを素早く後ろに避けて回避し、自由自在にしなる鞭で雲雀を足を捕らえる。

勢いよく引っ張られたそれに足を取られ体制を崩すと、雲雀はその類まれな身体能力で持って宙で一回転し、トンファーを目の前の獲物に投げた。

 

一息もつかせぬような、獣の喰らい合い。

数年ぶりに見た雲雀の本気に、桂木は驚いた。ここ最近見た雲雀の戦う姿は、本気とはいうには足らなかった。

 

(こんなに強くなってたのか……!)

 

桂木の記憶の中で最も新しいのは、もう数年も前のことだ。

笑い、睨み合いながら自分たちの武器を交える、そんな姿。

とうに過ぎ去ってしまった過去は、あまりに古かったのだということを実感する。

口角は自然と上がっていた。

桂木は二匹の獣をしばらく見ていた。

 

 

 

「……ん?」

 

数分後、ディーノが疑問の声をあげる。

視線が増えていたのは気付いていたが、それが時間が経ってもなくならないからだ。

 

「なぁ恭弥」

 

休む間もない攻防の中、ディーノが雲雀に言う。

 

「何」

「あいつ、お前の知り合いか?」

 

ディーノの視線が一瞬だけ雲雀から逸れ、別館の屋上から二人を見ている桂木に向けられた。

 

「………別に」

 

雲雀はトンファーを振りながら、視線をディーノから外さずに答える。妙に不機嫌そうな、どことなく子どもっぽい表情だ。

それが嘘であるということは、誰の目からも明らかだった。

 

「なんだよ、ケンカか?──うぉ!?」

 

日常会話の延長線上のような軽いディーノの問いに、雲雀は無言でトンファーをぶつける。

ディーノ自身はなんとか避けたが、髪が数本切れて落ちていった。

 

「いきなりどーしたんだよ恭弥」

「飽きた」

「飽きたって……お前、さっきまであんなに……」

「寝る」

「せめて手当てだけでも……って、おい!」

 

雲雀は踵を返し、屋上を後にする。その後ろを草壁が追っていく。

ディーノは、その背中をじっと見つめる。

 

「なんなんだよアイツ……」

「拗ねられちまったな、ボス」

「……うるせーぞ、ロマーリオ」

 

残されたディーノを、腹心の部下ロマーリオがからかう。

ディーノは髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜながら、雲雀が去っていった扉と、離れた桂木を見比べる。

弟分は、不仲であるらしいと言っていたが。

 

(リボーンから聞いてはいたが……確かに、不仲っていうもんじゃねーな)

 

赤ん坊でありながら、スパルタな元家庭教師の姿を思い浮かべる。

ディーノは事前に、二人の間柄について少し聞いていた。複雑な仲なのだと。

師は、調べたであろう二人の過去については、何も語らなかった。

それは、ディーノがおいそれと知ってはいけないことだからだろう。

 

「ボス」

「あぁ、わかってる。……来いよ、桂木」

「………」

 

ディーノが目を丸くさせた桂木を見て、快活に笑った。

 

 

 

 

 

二人で並びながら、屋上からグラウンドを見下ろしている。二人は顔を合わせない。

桂木の手の中には水の入ったペットボトルがあり、それを指先で弄んでいる。

 

「えーと、お前と恭弥の関係って……」

「………昔馴染みです。草壁と三人、かれこれ十年以上になります」

 

仲は見ての通りですけど。と続ける桂木の、想像を越える声色の硬さに、ディーノはなかなか反応を示すことが出来ずにいた。

──警戒されている。

そりゃそうか。と彼は考える。

一年近く前、夜中に出会ったときも、やけに警戒されていたことを思い出す。

 

「なんで、雲雀とあんなことをしてたんですか」

 

『あんなこと』というのは、先程の修業──戦いのことだ。

桂木からしてみれば、得たいの知れないマフィアが、昔馴染と戦っていることになるのだから、理由を知りたいと思うのは当然だった。

 

「リボーンにアイツの家庭教師を頼まれた」

「雲雀に家庭教師……。自殺志願者ですか?」

「……な!?」

 

呆れたような声色の桂木の言葉に、ディーノの姿勢が崩れる。

桂木はその辺りのことを良くわかっていた。

雲雀が誰かを師にすることはない。彼の中では、師を必要とするものは弱者であるからだ。雲雀は自身が強者であると信じて疑わない人間だ。

雲雀と出会って二日。実際、ディーノは未だ雲雀に師とは認められていない。

 

「……アイツ、凄く扱いにくいですよ」

「あぁ、それはこの二日で良くわかった」

「群れ嫌いだし、すぐ手が出るし、我が儘だし、プライドが高いし、素直じゃないし……でも、アイツはそういうところが強いんです」

 

(おいおい、素直じゃねーのは誰だよ)

 

心の中で、ディーノは独りごちる。

桂木の言葉には、雲雀に向けられた沢山の想いがあった。

その全てをディーノが推し測ることは出来ないが、少なくとも一つだけは分かることがある。

 

(……こいつは、ただ心配なだけだ)

 

なら、ディーノがすべきことは、彼を安心させてやることだろう。

少し考えて、言葉にする。

 

「恭弥の家庭教師は、俺がちゃんと責任を持ってやる。だから──」

「なんだ。本当に、いい人だな」

「……へ?」

 

お前は安心しろ、と言おうとしたところを、桂木の言葉で遮られる。

なにやら、斜め上からの発言をされた気がした。

 

「残念だ。あなたがマフィアじゃなければ、大手を振ってアイツのことを任せられるのに」

「お前、それは……!」

 

ディーノが桂木の方を向く。その瞬間、桂木はフェンスから体を離し、数歩後ろへ下がる。

 

「俺、もう教室に行きます」

 

桂木は手元の水を一気に飲み込むと、ペットボトルをグシャリと潰した。

それ以上の追求を避けるように。

また数歩、ディーノから距離を置く。

そして、向き合った。

 

「……跳ね馬(・・・)

 

はじめて、桂木はディーノをそう呼んだ。

呼び名が変わったその訳を、ディーノが分からない筈がなかった。

桂木は、綺麗に腰を曲げて、ディーノに深々と礼をした。

表情は読み取れない。

 

「雲雀のこと、よろしくお願いします」

 

ディーノは一瞬、何もできなかった。

桂木の声は、ほんの少しだけ震えていた。

 

『桂木は裏社会を憎んでるぞ』

 

先日、ディーノの師が言った言葉だ。

彼等の過去に何があったのか。

それは、彼等が自分から話すまで、ディーノが知ることは決してないだろう。

 

「おう、任せとけ!」

 

だからディーノは、今の自分に出来る最大限の言葉を口にした。




最近なんだか暑いですね。
朝方、田んぼの隣にいると、上空から雲雀の鳴き声が聞こえてきて、その度に雲雀さんを思い浮かべます。
……凄く高いところを飛んでいる。見上げないと姿が見えない。
昔話によると、太陽に金を返せと取り立てていたりするらしいです。おぅ……強いな……。

ヴァリアー編です。
夜に出歩くから、色々と余計なものを見ちゃう人です。


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17.夜の屋台にて

草壁がロマーリオと、夜のおでん屋で飲んでいた時、突如、背後から身も凍るような殺気を感じた。

勿論、ロマーリオもそれに気付いた。

 

「なんだっ!?」

 

二人がほぼ同時に後ろに振り向いたとき、それはいた。

 

「───草壁ぇ」

「か、桂木さん!?」

 

普段見掛ける姿よりも、幾分か元気そうな桂木が、幽鬼と見間違うかのような雰囲気を放っている。

言い方は、東北のなまはげのようでもあった。

 

「お前は何歳だ? 言ってみろ」

「じゅ、十四ですが……?」

「今何時だと思ってる。そしてこの匂いはなんだ」

 

時刻は十時を少し過ぎたくらい。

匂いというのは、辺りに漂っているアルコール独特の香りのことだ。

桂木の嗅覚は他の人間に比べると、それなりに発達しているため、少し遠くの方からでも感じとることが出来ていただろう。

眼鏡の光で反射してわかりづらいが、その目付きはいつになく鋭い。

声も、一ヶ月前の病院ほどとまではいかないが、随分と低く、威圧感がある。

──怒っている。

草壁は直感的にそう判断した。

 

「待ってくれ坊主、誤解してるぜ」

 

冷や汗をかきながら、ロマーリオが口を挟む。

ロマーリオはともかく、草壁は酒を一滴も飲んでいない。

 

「誤解? 何を言っている。こんなナリだが、こいつはまだ十四の餓鬼だ。夜のおでん屋で、隣で酒を飲むのは控えてもらおうか」

「……なるほど、それは確かに一理あるな」

「というわけで歯を食いしばれ」

 

並盛中ではあまり知られていないことだが、桂木は(サボることなどを除けば)真面目で常識的な人物だった。彼が怒っているのも、その辺りに起因している。

要するに、中学生の草壁が夜中に酒飲みと話をしていることを問題視しているだけだ。

桂木が右腕を挙げる。屋台の光で微かに見えるシルエットは、餅つきの時に使用される杵のよう……いや、杵そのものである。

 

「……ま、待ってください桂木さん!! 流石にそれは……」

「安心しろ。ちゃんと手加減するさ」

「杵持ちのあなたの言うことじゃ信用できません!」

 

草壁は知っている。

彼が杵を持つ時は、大抵が何かがあった時で。それを使うということは機嫌が悪いか、すこぶる良いかである。この場合は、明らかに機嫌が悪い方だ。

実際、彼が杵を持っていたのは、ここ最近何かと物騒で、警戒心が高まっていたからに他ならない。

彼は草壁とロマーリオの二人を見つける前から機嫌がよろしくなかった。

 

「坊主、悪かった。俺が悪い。知り合いが夜中にどこの馬の骨ともわからん奴と一緒におでん屋なんぞにいたら、心配でたまらねーよな」

「………馬の骨はわかってる」

 

桂木はロマーリオがディーノの部下──つまり、キャバッローネファミリーの一員であることを知っている。

彼の機嫌が悪いのは、単に前述したことだけでなく、ロマーリオが自身の嫌うマフィアであったことも関係していたのだ。

 

「桂木さん、俺は大丈夫ですから!」

「………」

「………」

「……ちょっとした冗談だ」

 

その言葉に、場の空気が幾分か緩む。

草壁の言葉に絆されたのか、あるいは跳ね馬の気質を知っていたからかもしれない。

 

「にしては随分とキレていたような……」

「ここ最近は物騒なんだ。出来れば、早く家に帰したい」

「あぁ、そりゃあ……すまねーな」

 

ロマーリオは理解した。

桂木の言う物騒の原因は、キャバッローネは直接関わってはいないものの、こちら側にある。

いくら規格外な中学生だとしても、彼等はあくまで一般の中学生だ。

住んでいる町で、爆発騒ぎやなんやらが起きているのは不安に違いない。

 

「あんたが謝ることでもないし、別に気にしてない。あんたらのことは、そういうものだって割り切ることにした」

「坊主……」

「草壁のことも、普段から真夜中に出歩いてる奴が、とやかく言えるようなことじゃないからな」

 

桂木の趣味は夜歩きだ。

ここにいる以上、彼が今日も夜歩きをしていたのは事実だ。

ひらひらと手を振りながら、この場を去ろうとする桂木の姿に、草壁は違和感を覚えた。

夜歩き…?

昔、彼は夜を怖がっていたのに、いつの間に夜に慣れたのだろうか。

昔と思考が走ったところで、あることに気付いた。

ここ数年、彼の口からあの言葉を聞いていない。

出会った幼い頃から、彼は毎日のようにその言葉を言っていたのに。

降った疑問は、思考を鈍らせた。

 

「桂木さん。貴方は、諦めたんですか?」

「………」

 

草壁はつい、その言葉を言ってしまった。

言ってから直ぐに失言に気付く。

桂木の足が止まる。

辺りの酔った空気が、急激に冷やされる。

それは、忘れようとしていたものを呼び覚ますような言葉だった。

彼の指先が、ぴくりと反応したことに誰も気づかなかった。

 

「……そうだよ。出来なくなったから、諦めたんだ」

 

草壁は息を飲んだ。

感情の削げた、今にも消えてしまいそうな、囁くような言葉だった。

屋台から少し離れた暗がりで、桂木の表情は読み取りにくい。

その姿は、どことなく寂しそうで、頼りなかった。

桂木は草壁に背を向けて、何度か手をさ迷わせた後、フードを深く被った。自分を隠すように。

 

「跳ね馬の側近さん、悪かったな。草壁のことは、区切りが良いところで帰らせてやってくれないか」

 

振り向くことがなく、声の感情も乏しいため、桂木がどういう思いでその言葉を言っているのか、二人には想像がつかない。

ただ、良い顔はしていないのだろうな、とだけ思えて。

二人は何も言わなかった。

そんな彼等を置いて、桂木は一人、夜の町に溶けるように去っていった。

 




草壁は学生服を着ていなかったら、絶対に中学生に見えないけれど、明祢にしてみれば小さい頃から知っているので、どうしても中学生として見てしまう話。
学年的には同じですけれども。


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18.成り立て師弟の距離感

何やら、下品な言葉が聞こえた。

 

「………なにしてんの」

「兎の人……」

 

学校帰り、黒曜の方へ歩いていると、公園のベンチで何やら本を見ている少女と、牛柄の服を着たモジャモジャ髪の幼児を見つけた。

幼児はその……下品な言葉を口にしていて、それを少女に言うように説得しているというか……強要している。少女はそれに、どうやら困っているらしい。

幼児はともかく、そちらの方は知っている。

先日、六道から任された子だ。俺は彼女の師として、幻術を教えている。

クローム髑髏。

変わった名前だが、本人はそれで良さそうなので、突っ込まないことにしている。

 

「隣の子供は?」

「ランボさん? ランボさんはねー、ボヴィーノファミリーのヒットマンなんだもんね!」

「………マフィア?」

「えっと……」

 

自分でも、機嫌が悪くなるのが分かった。

未就学児が自らマフィアと名乗るなんて、色々とどうかしている。

 

「イタリア語を教えてもらってたの」

「この子供に?」

 

彼女の隣でおかしな顔をしながら笑っている子供を見た。マフィアだとはいえイタリア語を、いやそもそも、とても人に何かを教えられるようには見えなかった。

 

「うん……」

「そうか………あー、ランボさん?」

「なに?」

「えーと、兎はイタリア語で何て言うのかな?」

 

様子を見る限り、子供に悪意は見られなかった。この年頃特有の幼稚さがクローム髑髏を困らせているだけだ。

マフィアの関係者だとしても、普通の子供だと思って接すれば、なんとかなるかもしれない。

ポケットに手を突っ込んで、あるものに気付いた。

 

「あららのら、そんなのも知らないのー?」

 

きょとんとした顔で、子供は俺を見上げる。

……そうだった。この子は小さいから、見上げなければならなかったのだ。

それに気付いて、膝を折った。出来るだけ、彼と目線が近くなるようにして、笑いかけた。

 

「あぁ。だから教えてくれないかな?」

「ランボさんは賢いんだもんね! だから教えてやる! うさぎはねー、コニッリョっていうんだよ」

「コニッリョ?」

「そう!」

 

そうだったのか、知らなかった。

どうやら、聞いた分には一応答えてくれるらしい。

ところどころというか、全面的に自分本意なところがあるだけで、イタリア語そのものを教える気はあるのだろう。

 

「すごいな、ランボさんはイタリア語が上手なんだな」

「ランボさんはイタリア生まれのイタリア育ちだから、当然なんだもんね」

「そうか、ありがとう。……ところで、ランボさんは飴は好きか?」

「あめ?」

 

ポケットから手を出して、手のひらの中にあるものを見せる。

 

「あめ玉ー!」

 

牛柄の子供の目が煌めく。

手のひらには、四つほど飴玉が転がっている。

子供は純粋なもので、彼はよだれを垂らして、飴だけを見つめていた。

 

「これはぜーんぶランボさんのものなんだもんね!」

「あっ!? ……いや、えーと」

 

子供が俺の手から、全ての飴玉を取り、そのうちの一つを袋から取り出して口に含んだ。

美味しそうだが、これは強欲すぎやしないか。

助けを呼ぶみたいに、ついクローム髑髏を見てしまう。

これじゃあ、年上として、師として、示しがつかない。

 

「……」

 

彼女は、困ったように俺達を見ていた。

──無理だよな。わかってた。

彼女にそういうことを求めるのは、まだまだ早すぎる。

 

「わかった。これは全部、ランボさんにあげるよ」

「おいしー!」

 

頬を膨らませながら、子供は至極の幸福を味わっている。

わかるぞ、飴は美味しいよな。

だが───

 

「大丈夫かこの子……」

 

知らない人に名前を簡単に教えてはいけないとか、飴玉を貰ってはいけないとか。そもそも、大人の目がないような公園で一人で遊ぶのは如何なものか、とか。

 

「………あっ」

「どうした髑髏。……あぁ」

 

~♪

夕方の五時を告げる時報の音楽が流れていた。確かこれは、子供が帰るように促すようになっているんだったか。

そろそろ、この子供も帰さなくては。

 

「ランボさん、そろそろ──」

「あー! ママンのご飯の時間なんだもんね!」

「……ママン?」

「これあげる!」

 

牛柄の子供は、夕食の時間だと言って、帰ろうとしたところ、髪の毛から何かを取り出して、クローム髑髏に渡した。

目を凝らして見ると、傘の……柄? ………なんでそれが髪の毛から?

俺だけでなく、クローム髑髏もそれを見て首をかしげている。

 

「じゃーねー」

 

手を振りながら、子供は去っていく。

なんというか、場面が違えば嵐のような子供だった。

悪意はない。悪意はないので、余計に扱いに困る。

あれくらいの年頃が、俺は一番苦手だ。

 

「それ、どうするんだ……?」

「持って帰る……?」

 

彼女は子供から貰った傘の柄を、じっと見つめていた。戸惑うように。

出会って数日だが、未だに彼女のことがよくわからない。

六道曰く、それなりの過去があったらしいが、それを俺が暴くわけにもいかないし、そこまでの深い仲を築こうとは思っていない。

 

「……ところで、六道の仲間はいつ頃来るんだ?」

「多分、三日後くらい」

「なら、その辺りは修業はやめておこう」

「なんで?」

 

心底わからない、といった具合に、彼女が俺を見る。

似た顔を、昔見たことがある。

 

「きっと、六道にはそれなりの考えがある。だから、彼等にお前を探すように言ったんだ。交流を深めてくると良い」

「………うん」

 

彼女の中ではまだ遠く、理解できないことなのかもしれない。

六道の考えと言えば、それを無下にすることも出来ない。俺は狡い人間だ。

彼女に本当に必要なのは俺ではなく、六道の仲間の彼等だろう。

だから俺は、彼女と距離を近づけることは出来る限りしないようにした。

自分のためにも。

 

「それはそれとして、今日の修業だな。とりあえず、ここは人目があるから、移動しよう」

 

言えば、彼女は黙って頷く。

俺が歩き出すと、その後ろを一定の距離を保って着いてくる。

二人、微妙な距離感を保って、歩いていく。

俺達には、多分、これくらいが一番良いのだと思う。

 

……彼女と出会った日のことを思い出す。

その時の彼女は、六道に救われたばかりで、右も左もよくわかっていないような様子だった。

 

『お前がクローム髑髏だな? 俺は桂木明祢。こいつは相棒の大福。お前に幻術を教えるよう、六道骸から頼まれた』

『骸様から、話は聞いてる』

 

少女を相手にすると聞いて、緊張を解すのには何が良いか考えて、結局、ウサギを使う手段しか思い付かなかったのは、最終的には良かったんだと思っている。

彼女の視線は、俺と大福の間を行ったり来たりしていた。

 

『お前には六道由来の眼の能力があるが、それは鍛えない理由にはならない。俺はお前自身を鍛えるつもりだから、そのつもりで』

 

それは、六道との取引だった。

俺が彼から情報を引き出す条件として、彼女自身を戦士として育てるように頼まれた。

彼女は特異な体質で、六道眼の力を未熟ながら使える。だが、それに頼りきっていては、彼女自身は育ちにくい。

六道にどんな意図があるかはわからないが、頼まれた以上、やるだけのことはやっておきたかった。

 

『骸様……』

 

悔しいことは一つだけ。

自分以外の術師と出会って、自分の才能の限度が見えてしまったことだけだ。

 

「……そうだ」

 

ポケットに手を突っ込むと、指先に硬い感触が伝わる。

それを取る。

 

「手を出せ」

 

振り向いて、そう言った。

顔を見れば、彼女は目を丸くさせているが、素直に手を出した。

 

「はい、これ」

「………?」

 

その姿に笑いながら、彼女の手のひらに余っていたリンゴ味の飴玉を乗せた。

クローム髑髏は、それを不思議そうにまじまじと見つめている。

 

「食べてみろ」

 

そう言いながら、俺はもう一つだけ余っていたパイナップル味の飴玉を口に放り込んだ。

所詮のど飴だが、何度食べても想像以上に甘い。

彼女の方を見ると、俺の真似をするように袋を破り、口に飴を含んでいた。

 

「美味しいだろ」

「………おいしい」

 

舌で飴を転がす。歯に当たって、カラコロと音がする。

……彼女の受けてきた痛みを、俺は知るつもりはない。他人に深入りするのはもう止めたのだ。

けれど、彼女の師となった以上は、幻術以外のことも教えてやりたい。

それが俺の責任だ。

 

俺が再び歩き出せば、その後ろを先程と同じ距離で少女が着いてくる。

きっと、これが俺達二人の距離感なのだ。

 

日が暮れるにはまだ早い。




クローム初登場です。
修業を楽しみにしていた人はごめんなさい。
人間関係が色々と未熟な二人が師弟になるとどうなるのか。不慣れな彼等のなんとも言えない距離感です。
実は出会って一週間も経ってない二人。

作中の時系列は77を参考にしています。
この話は10月16日の出来事です。


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19.嫌悪

自分が嫌いな人間は、どうしようもない。

その感情をなくすまで、自分が死ぬまで、嫌いなものはいつもそこにあるからだ。

 

 

 

夜道を歩いていて、あることに気付く。

 

「そういえば……最近、笹川が学校にいないな……?」

 

笹川はここ数日、学校を休んでいるらしかった。表向き、理由は不明。

お陰で教室は過ごしやすかった。

確かに静かだ。静かだが、なんというか、普段が騒がしい分ちょっと落ち着かない。

 

(理由は、なんとなくわかっているけど……)

 

風邪なのかと言われても、あの男が風邪になるなんていうことは考えられない。当然だ。

その他で考えられることはただ一つだけ。

マフィア絡みの案件である。

 

そもそも、ここ数日の並盛はおかしい。

雲雀が跳ね馬と修行していたり、沢田たち三人組が休んでいたり、爆発音が山から聞こえてきたり。

彼等が関わっているのなら、おそらく、いや確実にマフィア関連だろう。

雲雀たちが巻き込まれるのは非常に心苦しいが……俺が何かをしようとしたところで、何も変わらないのが現実だ。

なら、俺は不用意に関わらない方がいい。

 

「………嫌だな」

 

ぽつりと呟いた言葉は、誰の耳にも入ることはなく、空気に溶けた。

関わらない? 何を言っているんだ、俺は。

それに足を突っ込む覚悟はとうに終えているじゃないか。

もう、後戻りは出来ないことくらい知っているだろうに。

 

「家のこともわからなくなったし……なんで俺、こんなこと───っ!」

 

不穏な気配を感じた。

薄暗い、命を刈らんとする殺気。俺ではなく、別の誰かに向けられている。

これは……。

屋根の上、黒い影が動くのが見えた。月明かりが男を映し出す。

黒服の、見るからに怪しい男。

 

「───」

 

瞬間的に、頭の中に小さな殺意が生まれた。それはすぐに消えるような、波のようなものだったが、体を動かすには十分な動機だった。

その姿をよく捉える。

……あぁ、なんだ。勝てるじゃないか。

 

足に力を込めた。

集中して、一点を見る。

どこに行くかは知らないが、夜の並盛で事を起こしてもらっては困る。

だから───跳んだ。

 

兎は聴覚だけでなく、脚力も優れている。

ノウサギなら、時速80㎞で走る。

その強さのあまり、自らの足を折ってしまうこともあるほどに強い。

ウサギと共に育ち、ウサギに戦い方を教わった俺は、どうやら少々そちらに寄っているらしい。

その脚力は、並の人間を凌駕する。

 

体は軽く屋根の上まで跳び上がった。

宙に浮いたまま、標的を定める。

それはすぐ先に。杵の間合いに、確かにいる。

好き勝手に滲み出る殺気が、相手に刺さる。

気付かれる。男の顔がこちらを向こうとする。

だが、もう遅い。

 

「……っは」

 

男が屋根に足を着けた瞬間、息を吐くのと同時に杵を振って、その背に強打させた。

 

「っぐぁ!?」

 

低い唸り声。

微かに、骨の折れる音が聞こえた。

吹き飛んでいく男の体は、屋根から道に落ちる。

それを、冷たい目で見ていた。

男からは、裏社会独特の香りがした。俺が嫌うに値するものだ。

 

「なんだ……こいつ?」

 

屋根から降りて、うずくまる男の側に寄る。

顔の一部が隠れているが、相手の顔など知っているはずもないし、知ったところで大した意味はないので問題はない。

どちらかというと、こちら側が顔を知られる放が問題だ。

……フードを被っておいて良かった。

 

「───04(クアットロ)、応答しろ」

「スピーカー?」

 

少し質の悪い音だが、聞き覚えのない男の声が聞こえた。

探ってみると、男の持っているトランシーバーのようなものから聞こえてきているようだった。

クアットロ……どこかの国の言葉で四、だったか?

それが正しければ、あと最低でも三人いるわけだ。

 

「………」

 

無線機を踏みつけて壊した。

そして、未だにうずくまっている男を見る。

つい頭に血が上ってやってしまったが、自分に関する情報を少しでも持たれるのは困る。

 

(……消さないと)

 

別に申し訳ないとも思わないが、俺のことを覚えていてもらっては、何かと不都合だ。

日常に置ける記憶は、全て脳の海馬で整理される。つまり、幻術で脳を支配し、短期記憶を司っている海馬を狂わせる。

そうすることで、桂木明祢は記憶の透明人間になれるのだ。

 

「あんたも俺も、運が悪かったな」

 

幻術の応用で記憶を消すと、男の意識は完全に途切れたのか、声が聞こえなくなって、呼吸音だけが聞こえた。

代わりに耳に入るのは、少し遠い複数人の話し声。なにやら、随分と殺気だっている。

 

「……最悪だ」

 

何かが起こっている。それだけはハッキリとわかった。だが、これは今まで感じたどんな殺気よりも、怒りに満ちた殺気だ。

並盛で余計なことをされるのは許せない。けど、俺じゃ勝てない。

それはなんて歯痒いのか。

無論、裏社会は嫌いだ。

でもそれよりも、なによりも嫌いなものがある。昔も今も弱いままの自分自身。

……あぁ、もう。

 

「最悪だ……」

 

呪う言葉は、いつも自分に向かっていた。

 

 

 

 

これは桂木の知らないこと。

 

「同じ種類のリングを持つもの同士の、一対一のガチンコ勝負だ」

 

彼が一人の暗殺者の記憶を消していた頃。そこから少し離れたところで、学生集団と暗殺者集団が顔を合わせていた。

そもそも、桂木が倒した暗殺者も、この暗殺者集団──独立暗殺部隊ヴァリアーの一員であったのだが、今の彼がその存在を知るわけもない。

彼は知らなかったのだ。

大事な誰かが、もう後戻りできない所にいるということを。

自分がもう、とっくの昔に巻き込まれているということを。

 

結局この日、彼が異変に深く足を突っ込むことはなく。そのまま町を回り、帰路についた。

だが数日後──、彼は渦中の場にいた。




雷撃隊を倒してしまった桂木明祢。
ハッキリ言って、ヴァリアーという集団は明祢にとって最悪です。彼等、暗殺部隊だし、善良ではないですからね。


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20.晴と雷

朝のホームルーム前に教室に入ろうとすると、廊下にここ数日見なかった顔を見つけて、顔を覆った。

 

「笹川………」

 

銀髪ともいえる短髪は、この学年では一人しかいない。

うちのクラスで最も騒がしい男、笹川了平。

 

「む、桂木ではないか。珍しいな、お前が朝から学校に来るとは」

「いや、実は朝から来る方が多いんだが……お前、最近来てなかったが、大丈夫か?」

 

久々に見た笹川は、前に見かけた時と比べて何かが変わっていた。見た目では分からないような、けれど確かにわかる劇的な変化だ。

 

「あぁ、この通り極限に元気だ!」

 

俺のよく知っている顔で、笹川は笑う。

けれど、その拳には先日見掛けたときにはなかった傷が増えていた。

……何があったのか、俺は知ろうとは思わない。知りたくない。けれど、全部知らないままにはしておけない。

 

「……何をしていた」

 

そんな思いが先走って、そんな言葉を漏らす。

声に出してから、自分に驚く。そんなことを聞くような人間ではなかったのだ、俺は。

 

「……相撲大会だ」

 

そう言う笹川の目は、少し泳いでいた。

彼は嘘をついたのだ。彼にしては上手く出来た嘘だったが、嘘に慣れた俺にはなんてことないものだった。

 

「嘘をつくな。あれはそんな生優しいものじゃ──」

「相撲大会だと言ったら極限相撲大会だー!!」

 

両肩を掴まれ、そう力説される。

……流石に、そんなものじゃ騙されない。

 

「ふざけるな、そんな言葉に騙されるほど子供じゃないんだ。相撲大会? だったら、雲雀は関係ないだろう」

 

理不尽をぶつけているのだと、自覚していた。

それを笹川に言ったところで、なにも解決しないし、彼本人も迷惑だろう。

 

「うむ、確かにそうだな」

 

なのに、真っ直ぐなコイツは、真っ直ぐに肯定した。本当に……馬鹿だ。

だが、それが眩しいほどであることはわかっていたのだ。

 

「簡単に肯定するなっ!」

「いや、確かにそうなのだ…………いや、違う?」

 

笹川は自分で言って、自分で頭を傾げている。

 

「………まどろっこしい! 俺には細かいことはわからん!」

「だろうな……」

 

頭痛がしてきた気がして、頭を押さえる。

笹川とは四月から話すようになったが、この数ヵ月でどんな人間なのかよくわかった。

二転三転する話は全くわからないのが彼だし、二年生なのに三年生だと勘違いする程の馬鹿も彼だ。

 

「だが、お前の心配はわかる。その上で聞くが、お前の知るヒバリは簡単に負けるような男なのか?」

 

一転、彼の表情が真剣なものに変わるのを感じた。

 

「それは………」

「極限心配はいらん!」

「何言っ──」

 

笹川は再び俺の肩を掴み、太陽のような笑みを浮かべた。

 

「ヒバリは強い! 仮に負けても、俺が助ける! だからお前が心配するようなことはない!」

「……」

 

笹川は知らないから、そう言えるんだ。なんて言葉は、言えなかった。

迷ってばっかりで、雲雀を信じようとしても、どうしても信じられない俺は、跳ね馬が鍛えているのを知っていても、雲雀が負ける可能性を捨てられなかった。

けど、目の前の笹川はそうではない。

雲雀の強さを知っているからこそ、雲雀を信じている。

俺とは真逆だ。

俺は雲雀の強さを知っているからこそ、雲雀が負けるかもしれないと思っているのだから。

 

「それでも、信じられないよ」

「なに!?」

 

笹川の手を肩からはね除け、教室に入る。

笹川の顔には戸惑いが浮かんでいた。

 

「待て、俺の言うことが信じられんというのか!?」

 

背後からそんなわめき声が聞こえる。

信じられないのは笹川の言葉か、雲雀の強さか、それとも自分自身か。あるいはその全てか。

答えなんてものは、きっと分かっている。

 

「そうだよ笹川。俺はそういうのは信じないんだ」

「おい桂木、俺は極限にプンスカだぞ!!」

「……なんだそれ、ギャグか?」

「許さん! こうなったら正々堂々拳を交わし合うのみだ!!」

「却下」

 

……しまった。いつもの癖で、ついついやってしまった。

教室に居づらくなって、開いていた窓に近づく。

後ろをちらりと見やれば、興奮した笹川がこちらに近づいている。

明日になれば、忘れてくれればいいんだけど。

そう願いながら窓の外へと、文字通り飛び降りた。

 

「桂木!?」

 

着地する。

クラスメートの動揺が聞こえてくるが、今回は知ったことか。

脱兎のごとく、学校内の人目のつかない場所へと逃げた。

 

数時間後、担任に怒られたのはしょうがないと諦めた。

 

 

 

 

次の日の真夜中。

雲が黒い。

 

「あ、鳴った……」

 

今日は朝から、雨が降り注いでいた。

昨日の天気予報通りだ。

夕方からは雷が断続的に降っている。

こんな日はなかなか外には出れない。

大福や他のウサギ達は、建物の中にみんな避難していた。

 

「お前らは呑気で良いな………」

 

ウサギ達はそれぞれ思い思いに行動している。餌を食べたり、遊んだり、喧嘩したり……。

こんなことが出来るのも、うちが広いからだ。

うちの家は、一応昔からあるだけあって、それなりに広く古い和風家屋だ。築何年くらい経っているのか、俺にはちっとも想像がつかない。

 

「あ、光った……」

 

小学生くらい小さかった頃は、意味もわからずに光ってから鳴るまでの秒数を数えたものだ。不思議で、楽しかった。

でも今は理屈がわかっているから、不思議には思えない。

光が速すぎて、音が遅れて聞こえてくるというだけの現象。

 

──ドオォン!!

 

「うわっ!?」

 

耳をつんざくような、胸が浮くような、激しい雷鳴が轟いた。

音速約340メートル。

光ってから三秒ほどだから、半径一キロほどの距離だろうか。

 

「ここから学校までくらいの距離だな」

 

流石に学校に落ちているなんてことはないだろうが、それくらい近いということに少しだけ冷や汗が出る。

 

「あ、また光った……」

 

──ドオォン!!

 

これもまた三秒前後で激しい音が聞こえた。大気が震え、心臓が止まりそうな地鳴りのような音。

振り返ると、ウサギ達が怯えている。

人間には殺人級のキックをかますくせに、雷には怯えるなんて、随分と都合のいい奴等だ。

 

「ほら、もっと奥に入れ──」

 

そう言っている間にも、チカッと光る。

 

──ドオォン!!

 

「………」

 

……いや、流石に多くないか?

雷って、同じくらいの秒数で、連続で三回も起きるものなのか?

まるで、近くに避雷針でもあるかのような……いや、半径一キロ付近に避雷針なんてものはなかったから、そんなわけない。一日で出来るわけないのだから当然──。

 

──ドオォン!!

 

再び同じくらいの音量で轟く雷鳴。ゴロゴロと唸る空。

近年稀な程の天気の悪さだが、それにしたってこれはおかしい。

 

「いやいや……」

 

窓から空を見上げる。

重い雲が幾層にも連なり、積乱雲を形成している。

雲自体に何かおかしなところは見当たらない。……なら、場所か?

 

「と言っても、この天気じゃあなぁ……」

 

そうしている間にも、光っては落ちて、鳴るを繰り返す雷の様子を見ると、出かけることが困難だと判断せざるを得なかった。

 

(流石のマフィアも、雷を操るなんてことは出来ないだろうし……きっとただの偶然だろう)

 

考えを改めると、安心したのか、眠気が唐突に襲ってきた。

瞼が重く、今にも眠ってしまいそうだ。

 

(布団、まだ引いてないんだよなぁ……)

 

窓を閉めると、自分の頬を叩きながら、襖の中にしまってある布団をいそいそと取り出し始める。

今日は早く眠れそうだ。

大太鼓を力いっぱい叩いたような重厚な雷鳴が、またも轟く。

ここまで酷いと、天変地異でも起きたかのようだが、窓から見える周囲に、異変は一つもない。

 

「おやすみ」

 

未だ怯え気味のウサギ達にそう告げて、布団の中に入り込んだ。

目を閉じても、多分悪夢は見ないと信じて。




……タイトルに嘘はなかったのです。

ヴァリアー編もとうとう始まったという感じがします。
まだ主人公は真夜中の学校には訪れませんが……

この話を書きながら、かねてより構想していた未来編の入りというか、詮無い…?話を書いていたのですが、残酷な描写とはこういう時のためにあるんだなぁ、としみじみと思っています。別に、めちゃくちゃなことになっているわけではないですけれども。

あと、明祢のイラスト描いたんで、良かったら見てやってください。

【挿絵表示】


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21.路地裏の鬼事

並盛には廃れた部分がある。勿論、秩序である雲雀にとっては、度しがたい場所であるが……いまだ手のつけにくい場所だ。

そんな場所の荒くれ者共をこちら側に出さないようにするのが、風紀委員だったり、俺だったりするわけである。

 

「……殺されてる?」

「そうなんですよ。地元の殺し屋なんですけど。ほら、あんたが目をつけてた」

 

ここは裏町。

並盛でも、特に荒れた──廃れた地域。

不良なんかよりも危険な荒くれ者や、少数ながら存在する裏社会の住民達がこの場所を好む。

勿論、雲雀恭弥の恐怖から完全に逃れられるわけではないが……。

風紀委員が好んで来る場所ではないし、雲雀も憂さ晴らしに来る程度なので表通りよりは幾分かマシなのだろう。

 

「泳がせておいたやつか……」

「最近なんかあったんです? あんたが裏社会のことを知りたがるなんて」

「……別に」

 

何かはあったが、それをこの男に言うわけにもいかない。

はぐらかして、さっさと話を進めるように促す。

 

「次はどれだと思う?」

「並盛の殺し屋についてなら、あんたの方が詳しいだろ?」

「おい、情報屋。知ってるだろ。俺はそっちは素人同然だってことくらい」

 

俺がそれについて調べだしたのは、ほんのつい最近だ。

六道に聞いた話によると、裏社会には裏社会のルールがあるらしい。

組織の秘密を絶対に外部に漏らさない。

マフィアというのは、一種の秘密結社なのだそうだ。

それにしては、あの赤ん坊はペラペラと自分がマフィアであることを公言していた気がするが……。

 

「ナイフで脅さないでくれます?…………俺の予想だと、次は最近売り出し中の兄弟かなぁ」

 

兄弟で殺し屋なんてするものもいるのか。

殺し屋とは想像以上に、単純で複雑なのかもしれない。

 

「なんでだ?」

「噂によるとヴァリアーの切り裂き王子(プリンス・ザ・リッパー)の仕業って話じゃないですか。あんたも気を付けた方がいいですよ。なんでも奴さん、地元の殺し屋殺しが趣味らしいですから」

「俺は殺し屋じゃない」

「似たようなもんでしょ、夜の秩序様」

「……並盛に秩序は二人も要らない」

「変な餓鬼だなぁ、全く」

 

変じゃない。

並盛の秩序は雲雀でなくてはいけないのだ。そもそも俺である必要はないし、二人も要らない。

俺が夜に出歩いて、そこで害を為すものをとっちめるのは、単に自身のエゴなのだ。それは秩序なのではなく、混沌を押さえているだけのこと。

そもそも、優先順位は町が一番上ではないのだから、俺はどうしたって秩序たり得ないのだ。

 

「……ところで、裏社会っていうのは、おかしなやつが多いのか?」

「藪から棒になんです。……そりゃ、おかしくなかったらあんな世界やっていけないでしょう」

「お前でも正常な方なのか?」

「あのねぇ。俺はグレーでいたいんですよ、出来ることなら」

 

それはもう、グレーじゃないってことなんだ。……気を付けるのは、お前の方だよ。

無論、そんなことは言わなかった。

 

「ところで、いつも思ってるんですけど。なんで顔を隠してるんです? この辺りじゃ、もう殆ど必要ないでしょうに」

「……いつも言ってるだろ、内緒だって」

 

眼鏡にフード。顔は殆ど正しく認識できないだろう。

 

 

 

「あれ、見覚えある?」

 

深くフードを被った少年が、凄まじい速さで走っている。それを、二人の暗殺者が追いかけている。

双方のスピードは並みのそれではない。

 

「ないね。おそらく一般人だろう」

「……ホントにそーかよ。あの動き、ぬるま湯に浸かってたとは思えねーけど」

 

ベルフェゴールは桂木の身のこなしを見て、それが訓練されたようなものであることに気付く。

桂木の体は、幼少から桂木のウサギと共に過ごし、鍛えられた。故に兎に近い筋肉の付きかたをしており、純粋な脚力だけなら、優れた暗殺者すら凌駕するのだ。

 

「最悪だ……!」

 

桂木が二人に追われることになった理由。

それは、数分前まで遡る──。

 

 

 

「貴様よくも弟を!!」

「………?」

 

桂木が情報屋と別れてすぐ。未だ裏町をふらついていたとき、狭い路地から怒号がした。

 

「なんだ、喧嘩か……?」

 

荒くれ者の多いここでは、喧嘩は日常茶飯事だ。しかし、非常に稀なことだが、それで殺傷沙汰になることがある。

桂木は覗くだけ覗こうと、気配を薄くしながら顔を出し……瞬間的に体を180度回転させた。

 

(ダメ、だ)

 

彼は目撃した。

地に倒れ伏した血塗れの死体と、目の前で見えない何かに切り裂かれる男の姿を。

それを笑って見つめる少年の姿を。

 

───まずい。

人が目の前で死ぬという光景を見るのは初めてじゃない。スプラッタと呼ばれるような類いのものも、初めてじゃない。

けれど、そうじゃない。そこが重要なのではない。

あれは、あの手口は、プロの暗殺者……!

 

桂木は駆け出した。

目撃者は大抵殺される。この場にいては、発見される危険性がある。

いや、それも既に遅かった。

 

「ベル、逃げられるよ」

「わかってるっつーの!」

 

何かがくる……!

桂木は咄嗟に路地を曲がる。

直後、背後で小さく金属の落ちた音が聞こえたのを彼が聞き逃さなかった。

 

(ナイフか……?)

 

流石に音だけでは、武器を判別することは出来ない。

桂木は頭の中に地図を浮かべながら、路地を走った。

 

 

 

──現在。

 

(あれが例の切り裂き王子……と、赤ん坊……!?)

 

ちらりと後ろを見やれば、随分と奇妙な二人組だった。

桂木と同じくらいの年頃であろう少年と、顔をすっぽりと覆ったフードで隠した赤ん坊。

だが、その二人は俊足の桂木になんとか着いてきている。

 

(地の利はこっちにある。複雑な道か、表にまで出ればこっちの勝ちだ……)

 

「って、うわっ!?」

 

何か風を切る音が聞こえた気がして、体を体を半身分動かせば、その隣を数本の独特なデザインのナイフが通り過ぎた。

 

「ちゃんと狙いなよ」

「避けるアイツが悪いんだよ」

(いや、投げるお前が悪いんだろ!?)

 

そんな言葉は口に出せず。仮に出したとしても、ベルフェゴールは大して気にも止めなかっただろう。

 

(仕方がない……)

 

桂木は勢いを殺さずに道を曲がる。

壁にぶつかりそうだったので、三角跳びに似たようなことをして回避する。

その瞬間、桂木は消えた。

 

勿論、それに追っていた二人が気付かない筈もない。

二人が角を曲がったとき、あるはずの姿が消えていたのだから。

 

「……おいおいマーモン」

「これは、幻術だね」

 

マーモンが辺りを見回しながら呟いた。

おそらく、まだ見える範囲にいる筈だと。

 

「それなりの術士のようだけど……」

「もしかして例の霧の守護者ってやつ?」

「それなら随分と御粗末だね。今まであんなに居場所を隠してたくせに、間抜けにも姿を晒すなんてあると思うかい?」

 

暫くして、マーモンは「諦めよう」と言った。

 

「なんでだよ」

「こうして会話をしているうちに、逃げられてるからだよ」

 

ベルはその言葉に一瞬だけ考えると、仕方がないとばかりに頷いた。

このような姿だが、マーモンは卓越した術士だ。

二人はその場を後にした。

 

 

 

──その頃、桂木はというと。

 

「はぁ、なんでこんなことに……。あ、臭い……」

 

マンホールの下にいた。

 

桂木は逃げるのが困難だと気付いたとき、マンホールの中──つまり下水道に逃げることを考えた。

しかし、マンホールの蓋は重さ40㎏もするため、完璧に行うには時間稼ぎが必要だ。

彼はそれを幻覚で行った。

マンホールと自分を含む周囲を幻術で誤魔化し、持っていた杵でテコの原理を応用し、重い蓋を抉じ開ける。

中に入り蓋を閉じ、あたかも走り去ったかのように見せれば、それでおしまいだ。

 

(顔は見られなかっただろうな……?)

 

最初からこの手段を取ればよかっただろうと思うだろうが、彼にとってはこれは最終手段だった。

理由は想像がつくだろう。

 

「酷い目にあった……」

 

マンホールから出てきた桂木は、自分の服の臭いを嗅いだ。

 

「やっぱり移ってる……最悪だ……」

 

服というよりは、桂木の全身に下水道の酷い臭いが纏わりついていた。

そう、臭いがとにかく辛いからだ。

 

「これするとウサギが寄ってこないんだよな……」

 

一度家に帰ってシャワーなり風呂に入るなりしなければならないのだが、それまでの間、桂木のウサギ達からは、汚いもの(実際汚いのだが)を見るかのような目で遠巻きにされるのである。

尤も、彼等は嗅覚が優れているのでそれは仕方がないのかもしれないが……。

ちなみに桂木自身も嗅覚はそれなりに良いので、本人にとっても諸刃の剣であったりする。

 

「このまま帰るのか俺……?」

 

桂木はしばらく、その場に立ち尽くした。

 

その後、家に帰ると、玄関で母親に見つかり、凄まじい臭いについて問い詰められたのだが、正直に話すわけにもいかず。

桂木は裏社会に関わるとロクなことがないな、と再確認するのだった。

 

 

これは蛇足だが。

 

「大福? ほら、石鹸で全身洗ったし着替えたから……な?」

 

相棒に寄ってもらえないことで、困り果てる桂木の姿があったとか、なかったとか。




ドキドキ! ヴァリアーとの鬼ごっこ!
を見事乗り越えた桂木は、これからいったいどうなるのか!桂木の運命や如何に!?

……ちょっとふざけました。
ベルの例の現場に遭遇してしまう哀れな明祢くんです。

マーモンですが、クロームの幻覚に騙されている部分もあったことや、フランの幻術は最後には勘の台詞。
術士であっても幻覚の奥にある本当の姿を詳細にとらえるのは難しいという解釈をしています。
また、明祢と二人の距離がそれなりに開いていたことにし、マンホールを閉じたと同時くらいに、二人が角を曲がってきた……と思っていただければ。


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22.嵐と雨

夜、いつも通りに歩いていた。

このときは学校近くを。

 

──ドガァアン!

 

「………は?」

 

凄まじい爆発。

思えば、小さな爆発音はしていたのだ。ただ、花火だろうとずっと誤魔化していただけで。

その日、学校が爆発する所を目の当たりにした。

 

「──ヤバい」

 

まずはじめに浮かんだのは、それだった。

並盛中学校が破壊されているという事実。勿論、自分だって腹立たしく思うが、それ以上に。

 

「雲雀が出る……」

 

雲雀恭弥がそれを許すはずがないのだから。

雲雀の好きなものと言えば、並盛中学校とハンバーグという話は一部には有名な話だが、校舎の破損が嫌いなことは周知の事実だろうと思う。

 

額に手をあて、頭痛が出ていないことを確認する。

うん……今は夜で、体調はすこぶる良い筈だ。

そして学校へ入ろうとして……体が止まった。

いや、後ろから引っ張られたのだ。

 

「んん……!?」

 

フードのが引っ張られているので、首元が少し苦しい。

一体誰がこんなことを………?

振り返ると、赤と青の瞳と目があった。

 

「……ろ、六道!?」

「声が大きいですよ桂木明祢」

「なんでここに」

 

その姿は、紛れもなく六道骸その人だった。

一ヶ月ほど前、六道は裏社会の牢獄に入れられた。だが、類い稀な体質をもつクローム髑髏の肉体を借りて、度々此方に来ているということは知っていたが、なぜ学校に?

 

「今日は行かない方が良い。もう、終わりましたから」

「終わったって、何が?」

「……君、そういえば一般人でしたね」

 

もしや、六道は俺がもろもろの事情を知っていると思っていたのだろうか。

だとするのなら、この憐れむような、呆れたような目は不愉快だ。

 

「骸様、そろそろ……」

「……では桂木明祢、またいずれ」

「ちょっと待て、事情は?」

「クロームにでも聞いてください。これ以上長居すると後が面倒だ」

 

混乱している俺を置いて、六道たちが去っていく。

なんなんだ。一体、俺達の学校で何が起こっているんだ。

学校を見た。校舎のガラスが割れて、煙が立ち上っている。

それをじっと見ながら、六道の言葉の意味を考えた。

そもそも、何故六道が表に出てこんなところにいる必要があるのか。

 

「何を見ていた……?」

 

六道は無傷だった。

なら、戦ったわけではないはすだ。

 

「……………わからん」

 

理解が追い付かないというか、それよりも学校が気になるというか。

だが、あの六道が帰れと言うのなら、やはり帰るしかないのだろう。

 

 

 

 

 

次の日の昼。

黒曜ランドに行く。

聞くと、髑髏は拙いながらも教えてくれた。

 

「マフィアの跡目争い?」

「骸様はそう言ってた」

「……マフィアってのはそういうものなのか?」

 

髑髏から視線をずらし、俺たちをじっと見ていた男二人──城島と柿本に視線をやる。

 

「……違う」

「んなのボンゴレくらいらぴょん」

「そう、か……うん、いや、そうか……」

 

ボンゴレというのは、マフィアの中でも伝統や格式が他とか比べ物にならないほどの規模を誇っている、と六道は言っていた。

それがどのくらい凄いのか、裏社会に詳しくない俺には分からないが、分かりやすく言うなら、トップ企業だと思えば良いらしい。

そのボンゴレの跡目争いというのは、なかなか複雑なのだそうだ。

厳格な血統主義に、ボスと門外顧問からの推薦。

正直、俺には理解しがたい世界だ。

髑髏に視線を戻す。

 

「そこ、油断するな。幻覚が霞んでる」

「あ……はい」

 

ここに林檎がある。

これは幻覚だ。脳がそうであると誤認しているだけで、実際には存在していない。

それが霧がかかったように霞んでしまっている。これでは、簡単に見破られてしまう。

 

「さっきの話の通りなら、相手は術士だ。六道から聞いているかもしれないが、術士にとって、幻術を幻術で返されることは、知覚の支配権を乗っ取られるということになる。弱い幻覚では、相手に通用しないぞ」

「……はい」

 

とは言うものの、髑髏の幻術の腕はなかなかのものだ。六道の能力を借りているとはいえ、彼女自身に才がある。髑髏の才能はおそらく俺より上だ。

 

「それで、何時から見てたんだ?」

「雷戦から」

「雷…………あぁ、一昨日の」

 

あのやけに近くて多い雷は、半ば人為的なものだったようだ。

なんというか、はた迷惑な。

それよりも。

 

「やっぱり、幻覚云々より気になるんだが………」

 

髑髏の体を観察する。

へそだしの黒曜中の制服は、ここ数日になって着始めたもの。髪型は六道に似せてある。これもここ数日のことだ。

いや、そんなことより、そんなことよりもだ。

 

「……こいつ、ちゃんと食べてるのか?」

 

心配なほどに体が細すぎる。

 

 

 

 

「……おかしくないか?」

 

時刻は夜の十一時頃。場所は、並盛中学校の体育館の屋根の上。珍しく、霧が出ている。

一人座り込んで、三人に問う。

 

「なにが?」

「……来たぴょん!」

 

地上には見慣れた顔。沢田たちだ。

その行く先にはB棟があ、る…………。

……………は?

 

「校舎が原型を留めてない……」

「君と雲雀恭弥、その辺りは同じなんですね」

「郷土愛くらい誰だってあるだろ」

 

六道の言葉に悪態をつく。

何故この場にいるのが髑髏ではなく六道なのか。俺の心はかなり平穏ではない。

 

「これが雨の勝負のための戦闘フィールド、アクアリオン。特徴は立体的な構造。そして密閉された空間にとめどなく流れ落ちる大量の水です」

 

雨は確か、山本だったか。

相手は相当な手練れだろうが、大丈夫だろうか。……それに。

 

「山本武……勝って自分のところまで繋いでもらおう」

 

この雨の戦い、実はかなり重要だ。

というのも、ここで山本が負けた場合、リングが相手に四つ渡ることになるため、その時点で詰みなのだ。

つまり、彼が勝たない限り、霧の守護者戦はやってこないわけである。

 

「勝ちますかね」

 

柿本が六道に聞く。

多分、それは愚問だ。

勝つのかどうかなのではなく、勝ってもらわなければならないのだ。

 

「………」

「さぁな」

 

六道は答えずに、俺が答えた。

 

 

 

 

山本と相手の長い銀髪の男──スクアーロの戦いは苛烈だった。

足元は水で浸されているため、思うように動かない。スクアーロの剣には火薬が仕込まれていて、うかつに近寄れない。

そうした中を山本は戦わなければならないのだから、これは過酷に違いなかった。

 

「躱した……」

 

スクアーロが至近距離で放った火薬を、山本はいかなる方法でか回避した。

単純にすごいと思う。俺は剣術はわからないが、これが高度な戦いであることは素人でもわかる。

スクアーロの食らいつくような攻撃に、水を操るが如く攻防を繰り返す山本。

山本が不利に見えるものの、可能性はゼロではないはずだ。

 

「なぁ、六道。スクアーロっていうのはどんなやつなんだ?」

「お前さっきから骸さんに聞いてばかりだぴょん! うっとおしいら!」

「だまりなさい犬。彼は表側の人間なのですから、知らなくても無理はありません」

 

キャンキャンと吠えるような城島を、六道が呆れたように諌める。その言い方にはどことなくトゲがあるような気がした。

 

「スクアーロはかつて、当時のヴァリアーのボスにして剣の帝王と謳われた剣帝テュールを倒し、次期ヴァリアーのボスは確実とまでに言われた男です」

「それって、物凄く強いってことじゃないか……?」

「そうですね」

 

何事もないかのようにさらり、と言っているが、それはだいぶやばいのではないだろうか。

モニターに視線を動かし、二人の戦いを見る。気づけば、山本の体はボロボロになっていた。

 

「山本……」

「心配症ですね」

「悪いか?」

「表の人間としては良いのでしょうが、裏に関わるのならやめたほうが良い。いずれ、それは君自身を滅ぼすでしょう」

「………」

 

六道の言葉に何も言わず、ただモニターを見た。

山本は今に倒れそうだった。だというのに笑って、剣を構えている。

 

「んじゃ、いってみっか」

 

──時雨蒼燕流 九の型

 

そう言って、野球でバットを振るときのような構えをする。

これから何をする気なのかはよくわからないが、その表情は勝利を微塵も疑っていなかった。

 

 

山本が足元の水を巻き上げ、大きな水柱を作り出す。

一度スクアーロの剣を躱したかと思ったが、スクアーロは恐るべき反応速度で追撃する。

山本は凄まじい斬撃を受け、なんとか柱に隠れる。しかし、スクアーロがそれをすぐさま追いかける。

──その瞬間、俺は幻覚を見たのではないかと勘違いした。

スクアーロが巻き上げていった水の中。つまり、彼の後ろに、いるはずのない山本がいたのだ。

 

「……勝ちだ」

 

思わず、そう呟いていた。

 

スクアーロが背後の山本に反応し、義手に付いていた剣の先を反対向きに変える。それは後ろにいた山本の腹を突き刺した。

だが、その途端、山本の姿は水とともに崩れ消える。

 

「水面に映った影ですか」

 

六道の言葉と同時、山本はスクアーロの反応できない角度から、打ち付ける波のように現れたのだった。

 

 

 

山本は勝った。代わりに、スクアーロは鮫に食われた。

ザンザスの笑い声が場に響く。

 

「明晩の対戦は、霧の守護者同士の対決です」

「……で、次はお前らってわけだ」

 

六道の方を見る。彼は怪しく「クフフ」と笑ってみせた。

不思議なことに、その笑みに安心感を抱いている自分がいた。

きっと、髑髏と六道なら、勝つという確信があったのだ。

というより、六道骸が負ける姿を想像できなかった。




迷走してます。
原作にある描写をそのまま使うわけにもいかず、どれだけ纏めてわかりやすくするかが課題でした。
原作では神の視点、あるいはツナよりの視点で語られる場面を、桂木明袮という人物のフィルターを通すことの意味を考えました。

主人公の桂木明袮は最近心配性と化してきたな、と思うのは作者だけではないかもしれません。
もともとここまで(雲雀や草壁以外に対して)心配性にする予定はなかったのですが、彼が人と関わった結果だと捉えると、いい傾向なのではないかと思っています。

本作では、霧戦以前に守護者の戦いを見ていたのは骸、以降はクロームとしています。




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23.霧

「おい、六道。髑髏を使って雲雀に会いに行ったな」

 

髑髏に向かって、俺はそう言っていた。

 

「……骸様が、君の雲雀恭弥に対する情報収集能力には目を瞠るものがありますねって」

「六道に言っておけ、馬鹿にするなとな」

 

どこか遠いところから、きっとクフフ、と相変わらず怪しげに笑っているだろう男の顔を浮かべて、一つため息をつく。ため息をすると幸せが逃げると言うが、正直自分の幸せはとっくの昔に逃げているので、構いはしない。

 

「私、できるかしら」

「……数週間だけだが、お前を見ていて、ついこの間まで幻術のげの字も知らない少女がよくここまで出来たものだと思っている。自信を持っていい」

「……本当に?」

「無駄な嘘はつかない」

 

これはお世辞でも何でもない、ただの本心だ。

家族以外で、ここまで深く人と関わったのは久しぶりだったが、だからこそわかることもある。存外、この時間は悪くはなかった。

 

「お前のできる限りのことをすればいい。俺も六道も、けして責めたりはしない」

「……変な人」

 

髑髏は俺のことをじっと見ながら言った。

 

「俺が?」

「そう」

 

髑髏は首を傾げている。

そこまで言われるほど、自分が変だと思ったことはない。だが、彼女からすればそうなのかもしれない。

懐かしいような表情だ。昔の雲雀は、自分にわからないものがあると、よくこういう顔をしていた。

 

そこまで考えて、腑に落ちた。

……あぁ、なるほど。わからないのか。

 

彼女はきっと、優しさに触れてこなかったのだ。それなら、城島と柿本の側はいやすかっただろう。彼らは露骨に優しく接してこない。それは彼女から戸惑いをなくす。

六道はよく考えたものだ。彼にとっての誤算は、俺が相当な心配性だったことくらいだろう。

 

 

 

 

 

夜。俺は並中の体育館の前にいた。

髑髏と六道の戦いを見届けるために。

 

「た、体育館!?」

 

中から沢田の声が聞こえる。

……まぁ、いいか。

 

「来たか桂木」

「どうも、赤ん坊」

 

中に入ると、いの一番に、あの黒い赤ん坊が声を掛けてきた。それに返事をして、周りを見る。

……なんというか、視線が痛い。

それもそうか。いきなり、今まで来なかったやつが現れたんだから『霧の守護者』とやらと勘違いするのも訳ないか。

 

「ま、まさか桂木さんが霧の守護者!?」

「んなわけあるか」

「じゃあなんでテメーはここにいんだよ!?」

「そりゃあ、来ないわけには行かないだろ」

 

沢田の問いには正直に。獄寺の問いには、曖昧に答えた。二人は不思議そうに頭を傾けるが、どうせいずれ分かることだ。

その時、沢田が何かを察知したように入り口の方を向いた。……あぁ、来たのか。

 

「こっちの霧の守護者のおでましだぞ」

 

赤ん坊が言った。それで十分だった。

振り返ると、まだ見慣れない顔がそこにいた。

城島犬と、柿本千種。

二人の出現に、沢田たちが騒ぎ出す。あぁ、気持ちは分かる。彼らはかつて、お前たちの敵だったのだから。

 

「おちつけ、おまえ達。こいつらは霧の守護者をつれてきたんだ」

 

赤ん坊の言葉に、彼らは思い思いの反応を示す。

 

「う……うそだ。……霧の守護者って……ろ…六道骸!!」

「半分外れだな」

「クフフフフ……」

 

俺の言葉に被せるように、六道骸のような特徴的な笑い声が響く。そして──

 

(Lo nego)

我が名はクローム(Il mio nome è Chrome)。クローム 髑髏」

 

その少女が現れる。

 

「六道骸じゃ……ない!?」

 

場の動揺に、つい笑ってしまった。

 

 

 

 

沢田たちが髑髏のことを六道ではないのか、と疑問に思っていると、獄寺が「だまされないでください!! そいつは骸です!!」と声を張り上げた。

その言葉に、髑髏が「信じてもらえないのね」と眉を下げる。

 

「六道骸じゃ……ないよ……」

「!」

 

沢田の言葉に驚いたのは獄寺たちだけではなく、俺もだった。

今の髑髏の外見は、六道のそれに酷似している。とてもじゃないが、断言できるほどの材料はないに等しい。

 

「かばってくれるんだ」

「どうした、髑髏……」

 

彼女が沢田に近づいていく。……なんだろう。何故か嫌な予感がする。

 

「ありがと、ボス」

 

髑髏はそう言って、沢田の頬にキスをした。

──キスをした?

 

「え゛え゛──!!」

 

沢田と獄寺の叫び声が遠く聞こえる。

目を疑った。

瞬きをする。目の前は変わらない。

そして、脳がしっかりと現実を認識したとき、体が動いた。

 

「なにしてんだ──」

「や、やめなさい! 簡単に他人にキスなんかするな!」

 

獄寺が叫ぶのと同じくらいに、髑髏と沢田を引き離す。

 

「でも、挨拶……」

「ここは日本だ!」

 

誰だ。日本社会で生きてきたであろうこの子にそんなふざけた常識を教えたやつは。

 

「保護者……」

「柿本、聞こえてるぞ!」

 

俺が教えるのは幻術だけでなく、一般常識もだったかもしれないと、今更ながら後悔する。

頭を抑える。頭痛はしていないが、頭痛がしそうだった。

 

「で、どーするのだ? 仲間に入れるのか?」

「入れるわけねーだろ!! こんなどこの馬の骨だかわかんねーよーな奴!!」

 

笹川の疑問に、獄寺が吠えた。

瞬間、背後の二人から殺気が飛んできた。勿論、俺ではなく獄寺にだが。

 

「……ったく」

 

殺伐とする二人に呆れ半分だが、かくいう俺も少し苛立っている。

……仕方がないこととはいえ、曲がりなりにも弟子にした人間が疎まれるというのはなかなかに応えるものがあることを、このときはじめて知った。

 

「犬……千種落ち着いて。あなたたちが決めることじゃないよ」

 

髑髏は苛立つ二人に向かってそう言って、沢田に向かい合う。

 

「ボス。私、霧の守護者として失格かしら」

 

自分は霧の守護者として戦いたいが、あなたがダメだというのなら、それに従うと。彼女は沢田に言った。

勿論、沢田は動揺する。

だが、今ここに霧の守護者として戦えるのは彼女だけだ。

 

「じゃあ、頼むよ」

「な!! いいんですか十代目!?」

 

慌てる獄寺に、沢田は彼自身半分わかっていないながらも、絞り出すように説明した。

 

「うまく言えないけど。彼女じゃなきゃ…いけないのかもって」

 

その言葉が、どれだけ髑髏を安堵させただろう。

彼女は手に持っていた槍をぎゅうっと強く握って、溜めていた息を吐いた。

 

「ありがと」

 

ああ───よかった。

彼女は自分自身でちゃんと進んでいける。俺がいなくても、もう大丈夫だ。

 

「よし、じゃあ俺、帰るから」

「うん」

「……か、帰るんですか!?」

 

沢田が驚いた顔をする。

そもそも、ここに来た目的というのは、彼女が沢田たちに受け入れられることを確認することだ。

 

「うん」

「なんで……」

 

あまり気分はよろしくないが、折角なので答えてみることにした。

 

「この空間、裏社会の人間が多いから」

「えっ……?」

「会いたくない奴もいるし」

 

ヴァリアーとやらを一瞥して、それから髑髏を見た。……この言葉は、六道に届いているのだろうか。

 

「それに……見たくないものがあるから」

 

最後は目を伏せて言う。

目を開けば、皆が呆けたような顔をしていて、ここまで目立つつもりはなかったんだけどな、とだけ思った。

背中に視線が刺さるのを感じる。不愉快だが、仕方がない。それ以上の気持ち悪さは感じたくなかった。

 

すれ違いに、鷲にぶら下がった赤ん坊を見る。……最近の赤ん坊は、あんな風に喋るのだろうか。

 

体育館を出る。

気分の悪さを耐える。

中の様子がわからなくなるまで遠ざかったところで、足が止まった。

 

 

幻術を使うのは良い。でも、幻術の殺し合いだけはどうしても無理だ。

それだけは、過去のトラウマを刺激する。……幻術自体への忌諱はなくなったのに、これだけはなくならなかった。

昔、幻術で人を殺した。それが震えるほど恐ろしかったのを、今でも鮮明に思い出すことが出来る。

幻術を使うことにためらいはない。利用できるものは最大限使ってやればいい。でも、それで人を傷つけるのも、それを見るのも怖い。

だから、逃げ出した。人の傷つけ方だけは六道に任せて、幻術の使い方しか教えなかった。

体育館の外の壁にずるずるともたれながら、頭を抱えて座り込む。

 

「お前は本当に最悪だよ……明袮」

 

自分を罵倒する。

本当に……トラウマってやつは厄介だ。

 

 

 

 

これは別に、誰かに聞かせるものではないが、あの少年はどうも、何かがずれていると思う。

まず、明らかに術士に向いていない。幻術で他人を傷付けることを厭う術士など、術士として未熟にも程がある。

なにより、彼は自分の命に重きをおいていない。今は理由があるから死なないだけで、その理由を失えば、簡単に命を投げ出すだろう程に。

おそらく、そこが一番ずれている。

 

骸は全てが終わった後、水牢の中でそんなことを思った。




弟子に甘いな、君……。

原作の場面の方が難しいなぁ、と思いながら書いていました。


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24.雲と暴走

夢を見た。

お決まりの夢。

夕陽と血に染まった灰色の建物。そこで倒れ込む少年の姿。一人佇む、自分の姿を。

 

「……いつもの夢か」

 

トラウマを刺激されたためか、今日はやけに鮮明だ。

枕元の時計を見る。時刻は、午前四時を示していた。

 

 

 

朝、廃病院に向かった。

ベッドで寝かされている少女が目覚めるのを待った。

眠気が自分にやって来て、大きな欠伸をした頃、彼女は目を覚ました。

 

「城島と柿本は帰ったぞ」

「………」

「帰るなら早く帰れよ」

「そうする……」

 

傍らの鞄と、六道との繋がりである槍を持って、髑髏は走っていった。

 

「……」

 

髑髏の去っていった扉を数十秒ほど見つめる。

息を吸う。廃病院のはずなのに、病院の香りが仄かにする。

そういえば、父は似たような香りをよく纏わせていた。

 

「……帰るか」

 

病室を出る。

 

「あっ」

「……あぁ」

 

出た先で、ちょうど、知った顔と目があった。

 

「沢田、なんでこんなところに」

「桂木さんこそなんでこんなところに……っていうか、昨日はなんで学校に!?」

 

こんな朝から来たのは、他の奴等と同じで雲雀の調子を聞くためだろう。

 

「髑髏がお前らに受け入れられるか気になって……別にそれはいい。跳ね馬ならあっちの病室にいると思うけど」

「あ、ありがとうございます……?」

 

礼を言いながら、指さした方に向かっていく沢田の背を見送る。

……まだ純粋だな。

 

 

 

 

夜、並盛中。

 

「一つ聞きたいのだが、何故桂木がいるのだ?」

「今更かよ」

「ははっ、まぁいいじゃねーか!」

「山本以外酷いな、君ら」

 

そう言いながら、笑みを浮かべた。

自身の本心を悟られないようにするのは、慣れていたから。

 

「今日の主役の登場だぜ」

 

山本が言った。

振り返れば、闇夜に姿を浮かばせて、雲雀が現れた。

 

「君達……何の群れ?」

 

雲雀は本心からそう訊ねた筈だ。

 

「応援に来たぞ!!」

「ふうん……目障りだ。消えないと殺すよ」

「なんだその物言いは!! 極限にプンスカだぞ!!」

 

雲雀の礼の一つもない態度に、笹川は怒りを顕にした。

だが、これが雲雀の常である。

 

「やめとけ、雲雀にそんなこと言ったって聞くわけないんだから」

 

肩を掴み、押さえる。

雲雀の言動に、いちいち怒っていたら、切りがないのはわかっていたから。

 

「なんだ、君いたの」

「居たら悪いのか?」

「別に。……ただ、来ると思わなかっただけだよ」

「………え?」

 

それは、意外な言葉だった。

雲雀は俺のことなんて、どうでもいいものなんだと思っていたから。そんな風に思っていただなんて、想像もしなかった。

雲雀の背後から、ザッという音がする。見ると、ヴァリアーが校舎から飛び降りてきたらしかった。

 

「そうか……あれを咬み殺せばいいんだ」

 

ぎらぎらとした目付きで見据えながら、雲雀は口角を上げた。

 

 

 

 

「雲の守護者の使命とは、何者にもとらわれることなく独自の立場からファミリーを守護する孤高の浮雲」

 

故に、最も過酷なバトルフィールドを用意された。

『クラウド グラウンド』

四方を有刺鉄線で囲まれ、八門の自動砲台が三十メートル以内の動く物体に反応し攻撃する。地中には重量感知式のトラップ……要は地雷が設置され、警報音の直後に爆発する。

常人ならは数秒も立たずに命を落とすような環境だ。

 

「だから校内を改造するのはやめてくれ……」

 

頭がズキズキと痛くなってくる。

戦いが終わった時、もしその地雷が残っていたらと考えるとゾッとする。

なにより、雲雀がそれに怒っていない状況が恐ろしい。目の前の強者を前に高揚感の方を優先しているのだろうが、後々なにがあるかわかったもんじゃない。

 

「それでは始めます。雲のリング。ゴーラ・モスカ VS. 雲雀恭弥。勝負(バトル)開始!!」

 

チェルベッロの宣言。

ゴーラ・モスカの巨体が動き始めた。

 

 

 

桂木は、その圧倒的な光景を目に焼き付けていた。

 

ゴーラ・モスカが足のジェットを噴出し、雲雀に向かって勢いよく飛んでいく。指先の銃の照準を雲雀に合わせ、けたたましい音を立てながら鉛玉を出す。

雲雀は目の前の標的を睨みつけ、その奥の標的を見据えていた。

 

──それは一瞬のことだった。

雲雀の体が動いたかと思うと、次の瞬間には、ゴーラ・モスカの右腕は獣に食い破られたかのように、雲雀のトンファーによってもがれていた。

 

ドォンという爆音と共に、黒い煙がモスカを包んだ。

だが雲雀は、それに関心を向けることは一切なく、すれ違いざまに取っていたモスカのハーフリングを、自身の持っていたもう片方のリングと合わせた。

秒数は、十秒にも満たなかった。

圧倒的なまでの強さの差に、周りは誰もが現実を認識出来ずにいた。

それは桂木も同じこと。

……彼の中で、何かにヒビが入ったような音が聞こえた。勿論、誰の耳に聞こえることはない。彼だけが感じることの出来る、小さく大きな違和感だった。

 

「これいらない」

 

雲雀が完成した雲のボンゴレリングをチェルベッロに渡す。

動揺するチェルベッロを無視して、雲雀はただ一人を見ていた。

 

「さあ、おりておいでよ、そこの座ってる君」

 

有刺鉄線の向こう側、玉座ともいわんばかりの椅子に腰掛けるその人物を。

 

「サル山のボス猿を咬み殺さないと、帰れないな」

 

その言葉に、XANXUSは不敵な笑みを浮かべた。

そして椅子から高く跳躍すると、雲雀のトンファーとその足を交差させた。

着地して、その地点から機械音が聞こえたかと思うと、爆発が起こる。

 

「そのガラクタを回収しに来ただけだ。俺たちの負けだ」

「ふぅん。そういう顔には、見えないよ」

「……雲雀!」

 

笑うXANXUSに、雲雀がトンファーを勢いよく振り回す。

それを見ながら、桂木は耳で異変を感じとっていた。

爆音に紛れて、嫌な音が聞こえる。聞き覚えのある、機械を操作するような音。ここでは聞こえるはずのない音。

 

「チェルベッロ」

「はいXANXUS様」

「この一部始終を忘れんな。オレは攻撃をしてねえとな」

 

──攻撃をしていない……?

 

桂木の脳裏に、嫌な想像が浮かんだ。

もしこれが、初めから勝ちも負けも関係なかったら……?

その時、桂木は悟る。XANXUSがずっと笑みを浮かべていた理由を。

 

「駄目だ、雲雀!!」

 

瞬間、一筋の閃光が雲雀の脚を横切った。

 

「雲雀!!」

 

膝をついた雲雀に、桂木が駆け寄っていく。

その背後では、山本達に向かってダイナマイトが飛んできていた。

激しい爆音と黒煙が、運動場を包み込む。

 

(聞こえていた音はこれだったか……!)

 

桂木の耳に微かに聞こえていた機械音は、暴走する前のモスカの音だったのだ。

 

「……なんてこった。オレは回収しようとしたが、向こうの雲の守護者に阻まれたため、モスカの制御がきかなくなっちまった」

 

XANXUSの笑みは、これを知っていたからこそ出たものだ。

耳の端にXANXUSの言葉を入れながら、桂木は狡猾な男だと彼を評価した。

 

「雲雀!」

「寄らないで」

「っ……でも、怪我してるじゃないか!」

「君のお節介は昔から面倒なんだ」

「止血しないと……」

「いい迷惑だって言ってるんだよ」

 

雲雀は桂木の心配症なところが嫌いだった。

怪我をすれば直ぐに駆け付ける。たとえそれが雲雀だとしても、何かあれば助けようとする。

それは雲雀にとって、自分が未だ弱いように感じることだった。

雲雀は自分が弱者であることを許さない。一人で戦える強者でなければ、自分を許せない。

桂木のそれは、雲雀の弱さを否応なしに雲雀自身に突き付けていたのだ。

 

「縛るぞ」

 

手持ちのハンカチでは縛れないと悟った桂木が、自身の服の袖を千切りながら言う。

雲雀はそれに顔をしかめながらも、トンファーを振るえずにいた。

 

「君、僕が死んだらどうするつもりなの」

「……誰よりも悲しんでやるよ」

「なんで?」

「………なんでだろうな」

 

二人が話している間も、モスカの暴走は止まらず、周りでは爆発と破壊が繰り返されていた。

 

「逃げようにも逃げ場がない……な!?」

 

桂木が周りを見たのは、丁度クロームら黒曜のメンバーが、ガトリング砲とモスカの圧縮粒子砲に挟まれ、袋小路となっていたときだった。

 

「お前ら!」

 

桂木が入ろうとするも、距離がありすぎるため、絶対に間に合わない。

犬と千種は、クロームと共に伏せながら、その衝撃に耐えんとしていた。

だが───

 

そこに、炎の塊が到来する。

あわやこれまでかと思われた三人は、自らが無事であることに気付く。

 

「なんだ……あれ……」

 

桂木の声は、驚愕に満ちていた。

オレンジ色に輝く染め上げるような炎。それを拳と額に灯す沢田綱吉を、彼は初めて見た。

 

 




リボステ観に行きました。
クオリティが凄かった!あれがヴァリアークォリティー……。

ヴァリアー編もいよいよ大詰めに差し掛かってきました。もうちょっとです。


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25.憤怒を知らぬまま

朝から学校に来たとき、おかしなことに気付いた。

見慣れない人間がいる。

そして見慣れない景色……いや、見慣れた景色に違和感がある。

 

「……幻覚」

 

はっきりとはわからないが、これは確かに幻覚だ。

幻術は人間の脳を騙す術だ。

大人数になればなるほど、幻術は面倒になる。

だというのに、こんな場所で幻術を使うということは、誤魔化さなければならない何かがあるのだ。

……例えば、校舎の破損とか。

 

「昨日のあれか……」

 

あれだけ派手に校舎が壊れたら、修理も追い付かないということだろう。

そういえば……あの時は夜で調子が良かったから、あまり気にしていなかったが、あの爆発も幻覚で隠されていた。

おそらくは、あの奇怪な雷もそうだったのだろう。

 

──昨日。

 

窮地に現れた沢田は、俺が知らない顔つきをしていた。普段の彼とは、全く違う表情だ。

彼は暴走したゴーラ・モスカを圧倒した。

だが、沢田が倒したモスカの中から、九代目と呼ばれる老人が現れた。九代目の胸には、沢田がつけた焼き傷がくっきりと残されていた。

混乱する場を置いて、XANXUSは父親を害したものに対する実子の敵討ちという大義名分を掲げた。

これが、XANXUSの本当の狙いだったのだろう。これならば、勝ったにせよ負けたにせよ、彼は綺麗に十代目の座を得ることが出来る。

 

「お前に九代目の跡は継がせない!!」

 

だが、沢田は、それに歯向かった。自分が十代目になりたいからではなく、それは許せないからと。

結果として、明晩に大空のリング戦と称した最終戦が行われることが決定した。

その後、跳ね馬が現れ、けが人たちを運んでいった。

 

「雲雀、お前も行けよ」

「ヤダ」

「ヤダじゃないだろ!」

 

俺が応急手当をしたとはいえ、まだ血は止まっていないはずだ。実際、足がふらふらしている。

だから支えようとして、手を払われた。

 

「要らないよ、そんなの」

 

これが二人の今の距離なのだと実感させられたことに、僅かなショックを受けた。……いや、そういう距離を望んだのは他でもない自分自身だ。何を今更苦痛に感じることがあるのか。

 

それが、昨日のこと。

廊下の窓から、沢田の姿が見えた。彼らも、どうやら学校に来ているらしい。

……日常というのは、普段感じていないだけで、本当は儚く、かけがえのないものだ。俺でさえそう感じることが出来るのだから、沢田だって、感じることが出来るだろう。

 

 

 

 

「桂木……聞いたことがあると思ったんだ」

「あんた、切り裂き王子と一緒にいた……」

 

夕暮れ前。黒いフードを目深く被った赤ん坊に会った。

 

「君に聞きたいことがある」

「聞きたいこと?」

「         」

「……………」

 

昔、似たようなことを聞かれたことがある。

だがそれは、俺に聞かれてもわからないことだ。昔も今も、その答えを知らないままでいる。

 

「それ、は……俺もよくわからない。あんたが何を目的でそれを調べてるかは知らないけど、その真偽を知りたいのは俺の方もなんだ」

「役に立たないな」

「口悪っ……いや、そうじゃなくて、一つ聞きたいんだが」

「なんだい」

「もしかして、あんたらって……そういうこと、なのか?」

「………君に教える義理はないよ」

 

霧がいきなり現れ、前後が分からぬほどに濃くなる。そして瞬きのうちに、目の前にいたはずの赤ん坊は消えていた。

赤ん坊は術士だった。

 

「………アルコバレーノ」

 

六道は彼等をそう呼んでいた。

それはイタリア語で虹を意味する言葉らしい。それが、裏の世界でどういう役割をしているのかは想像も出来ないが、何か特別な名であるに違いない。

もし、俺の推測があっていたのなら、彼らは本当は………。

いいや、それは今の俺が知るべきことでも、考えるべきことでもない。彼らがどういう境遇を持つものであろうと、今の俺には関係のないことだ。

きっと、そうだ。

だから、この胸にある桂木という家への不信感は今は必要のないものなのだ。

今はただ、あのヴァリアーとかいう暗殺集団が並盛から去るまでを待つことだけだ。

 

「………どうせ、今日で終わる」

 

空は全てを包むように、オレンジ色に染まっている。

そういえば、沢田はこの空に似ている。……なるほど、だから大空なのか。

不思議な話だが、彼は勝つのだと、俺は心から思っている。迷いもなく。

彼等が負ければ命がないからというのはある。命は大事にすべきなのだから、当然だ。

だが、彼等が勝てば、その時点で彼等は時代のマフィアの中心人物になる。それは、俺が嫌う裏社会の住人に、彼等がなるということだ。

……少し、思案する。どうしてそうなのだろう、と。

 

 

名は体を表す。という言葉がある。

 

綱吉、とその名前をつけた誰かに、どんな思いがあったのか、俺は知らない。

徳川で綱吉といえば、生類憐れみの令だ。

人間以外の動物に焦点がいきがちだが、あれはけして人間を軽んじたものではない。

道端に死体が打ち捨てられていたことが、ごく平然とあったという。

明日の食も儘ならない母が、生まれた我が子を手にかけることが少なくなかったという。

そこは、今よりもずっと命が軽かった時代。

失われていくものを繋ぎ止めようとした、命をすくう為の法。

『綱吉』がどのような思いで、これを施行させたのか、当人でない俺には見当がつかない。

ただ、そこに至るには、それなりの何かがあっただろうと思うのだ。

 

沢田綱吉がそうであると知ったとき、恐ろしい妄念のようなものが俺を飲み込まんとした。

それはまだ、彼等の日常が日常として機能していた時分だった。

 

傍らの赤ん坊がそれを勧めるのに対し、彼は必ず否定の意を示した。

『マフィアのボスになんてなりたくない』

叫ぶ声は必死と言わざるを得ない。

同時に彼は、自身の周りの人間がそれに関わることに苦言を示していた。

日本人の真っ当な価値観でいうならば、マフィアなどといった反社会的組織は悪であり、それに属することもまた悪である。

当然、それに関わることには危険が生じるし、実際、彼はそれに度々巻き込まれ、その度に怯えていた。

 

しかし、いくら彼がそういう人格であったとしても、やはりトラウマになるほどの過去というものと切り分けることは難しい。

裏社会というものの一端を垣間見てから、俺の人生は一変してしまった。

未だにそれは許せない対象であった。

そう、だからあの日。自らが辿ったやもしれない道を進んだ、六道骸という男を彼が倒した日、俺は一筋の光明を見た。

 

その時、彼は彼の譲れないもののために拳を振るったという。

仲間を大事にするという、ありふれていて容易でないそれを、彼は譲らなかった。

そして、許されざる行為を働いた彼等を憎まなかった。

罪を憎んで人を憎まずとはよく言ったものである。あれは聖書だか何かに書かれている言葉だとも聞くが、彼は正しくそうだった。

六道骸という人物を恐れはするものの、憎んではいない。

六道骸の背景も関わっているだろうとはいえ、それは甘いと言えよう。

 

しかし、だからこそ、自分は絆されてしまった。

気付いてしまった。

例え彼が自分が嫌うものになる者であったとしても、彼自身の在り方は好ましいものだということに。

彼は争いを嫌う。

──眉間に皺を寄せ、祈るように拳を振るう。

あの老人がそう称したその在り方を、俺は美しいと感じる。

徳川の名の中でも、彼に『綱吉』という名をつけたことを、俺は尊いものに思えて仕方がない。

彼はきっと、御大層な名前だと思っているだろう。一般的な物差しで見れば、きっとそうだ。

だが、そんなことはない。あれは彼にこそ相応しい名だ。

彼がマフィアを悪と断じ、それに抗い続ける限り、彼の善性は正しく証明されるだろう。

だから、俺が美しいと感じたその在り方を、諦めないでほしい。

そんなものには成りたくないと拒否する彼のままでいてほしい。

 

そうだ、だからだ。

 

気付いたのは、簡単な事実。

彼がマフィアを否定する限り、俺は彼等がマフィアであることを許容できるということ。

 

 

 

そして、夜が来る。

この日、俺は学校に行かなかった。必要がないと思ったからだ。

確かにXANXUSは強い。だがおそらく、彼ではボンゴレというマフィアのボスにはなれない。なんとなく、そう思った。

けして、XANXUSにその才がないというわけではなく、沢田綱吉だからこそ相応しいというか……。

 

自分の気持ちなのに、言語化するのが難しい。

でも、これは初めて感じる感情じゃない。ただ、久しぶりなだけで。

そう、まだ雲雀との仲が悪くなかった時に感じていた───。

 

「……あぁ、そういうことか」

 

自然と、笑みが溢れた。

つまり俺は、彼等を信じているだけなのだ。

 

 

 

 

次の日の朝、何故かパーティーに呼ばれた。

以前の俺ならば見向きもしなかっただろうそれ。

どうせ彼等はマフィアなのだから、一回だけなら、別にいいか。そう思って、竹寿司の暖簾をくぐった。

 

「桂木さん!」

「やぁ、沢田。生きてるとは驚いたよ」

「生きてます!!」

「生きてるに決まってるだろうが!!」

「まぁまぁ、落ち着けって獄寺」

「大分怪我が治ってきたな、山本」

「ははは、そうっすね!」

 

話していると、これが日常だったということを思い出す。別に、彼等とはそこまで仲が良かったわけではないが。

 

「君が桂木か」

「あんたは、黒曜での……」

 

声をかけられて後ろへ振り向くと、黒い男がいた。

 

「ランチアだ。解毒剤を俺のもとまで持ってきてくれたらしいな。礼を言う」

「俺は頼まれたからしただけだ。それに、実際に解毒したのは医療班だったし……」

「それでも、助けられたのは事実だ。ありがとう」

「………」

 

この人は、マフィアだったと聞いた。なのに、なんだこれは。なんだこれは!

いい人じゃないか!

動揺した気を落ち着かせようと、傍にあった寿司を食べる。

 

「……美味しい」

 

魚そのものが新鮮なのだろう。口に入れると、柔らかくて、いい具合に脂が乗っている。

と、味を堪能していたとき、バタリ、という何かが倒れたような大きな音がする。

 

「デレデレしてるヒマがあったら食べなさい」

「獄寺!?」

 

なぜか、獄寺が白目を剥いて、倒れていた。

 

「なぜにポイズンクッキング───!!」

 

近くにいる女性が持っているのは、いかにも毒々しい料理。まさか……あれ、毒か?

 

「そうだ桂木! 今日という今日は俺とボクシングを……!!」

「しないよ」

「なにぃ!?」

 

笹川の声が、今日は少しも苦しくない。むしろ、楽しい。

 

「……は」

 

ここは騒がしい。

でも、それが心地いい。

忘れていたものが、甦るような感覚。

 

「ははっあははははっ!」

 

面白くて、面白くて。

本当に久し振りに、笑ってしまった。




成長してるのは守護者達だけじゃありません。

いきなり感でてますけど、これでヴァリアー編は終わりです。
やっと未来編です……!


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崩壊事象n(後)
夜半の月


走っている。

いたるところが燃え、泣き声と暑さと血の匂いが包む町を、周りに見向きもしないでただひたすらに走っている。

嗚咽のような声を漏らしながら、正気なのか狂っているのかもわからずに、目的地を目指していた。

目的は唯一つ。ある男を殺すためだ。

 

 

───()()()()()()

明祢は発狂しそうになった。その事実を認められなかった。

 

全てが変わりだした中学生時代から、十年が経っていた。

あのときは、なんだかんだいってまだ平穏だったと、明祢はぼんやりと思い返す。

今は違う。

少し前から始まったボンゴレ狩りは、ボンゴレに属す者だけでなく、それに関わった者ですら対象にする恐ろしい作戦だった。勿論、明祢自身もこの対象になっていた。

幸いなことは、彼が曲がりなりにも術師であったことだろう。だからこそ彼は、今日という日までなんとか生き延びてきた。

多くの犠牲を払って。

町は彼の少年だった頃から随分と様変わりしてしまった。

空爆にでも襲われたかのように、あらゆるものが燃えていた。

明祢が好きだった並盛の姿は、もうどこにもない。

 

「殺す……」

 

呟いた言葉は、獣が唸るような声だった。

大切なものを全て奪われたことによる、身を焦がすほどの憎悪は、とうとう自己嫌悪すら呑み込んだのだ。

 

 

 

鉄製の扉を開ける。錆びついているのか、キィという音が響いた。

……そこに、目当ての男がいた。

白い髪に、白い服を纏って、薄ら寒い笑みを浮かべて、その男は燃え盛る町がよく見える中学校の屋上に立っていた。

 

「あれ? もう着いたんだ。早かったね」

「───」

 

いざ目の前にしてみると、声がうまく出ない。

明祢は荒い息でふらつきながら、それでも男を睨んだ。

許せない、許さない。そんな憎悪が、彼を包んでいた。

 

「お前を、許さない」

「許さない? 何言ってるの明袮クン。君が悪いんだろ?」

「……俺じゃない」

 

確かに、明祢にも罪はあった。だが、一番悪いのは目の前にいる男だ。

明祢が懐から取り出した立方体の箱から、黒く小さな影が飛び出した。しかし、すぐに景色に溶けるように透明になって見えなくなる。

 

「君のそれって、結構厄介なんだよね」

「思ってもいないことを……!」

 

周辺の空気が、明利の怒気で震えているようだった。

空気が動く。

その時、笑みを崩さないまま、白い男が両手を前に広げ、勢いよく手を合わせた。

 

──パァン

 

音が場に広がる。

それと同時に、尋常では考えられない圧力が、桂木を襲った。

白い男の周囲から黒い影が現れ、地に墜落する。

それは明祢の持っていた箱から飛び出たものに違いなかった。しかし、それは先程とは違い、灰色の石のように固まってしまっている。

 

「…………」

「……あぁ、なるほどね」

 

自身の攻撃が外れたことで、明祢の表情は暗い。

その様子を見た男は何かに気付いて頷くと、背後の空間に蹴りを入れた。

 

「遅い」

「知ってるよ」

 

男の目の前にいた明祢が霧散し、代わりに背後から霧が晴れるかのように本物の明祢が現れる。

 

「死ねっ……!!」

 

藍色の炎を纏った右足が、白い男に蹴り殺さんと迫る。

それでも、男は軽薄な笑みを浮かべたままだ。

 

「君の蹴りは受けたくないんだよね」

 

明祢の脚が、男に掴まれる。

彼の蹴りは尋常ではない程の勢いと力があった筈だが、体が一瞬たりとも傾くことなく、男はしっかりと受け止めていた。

 

「……くそ、放せ!」

「放せって言われて放すわけないでしょ。明祢クン、賢いから分かるだろ?」

「俺の名前を呼ぶな!!」

 

なんとか男の手を振り払い、男から距離をとる。

その目付きは、本当に人一人殺せそうなほどに恐ろしかった。

 

「怖いなぁ……でも、そろそろかな?」

「何を───……!」

 

目の前の男が笑みを深くする。

見えたものに、明祢は目を見開いた。

 

「あ………」

 

───幻覚を見た。

黒い髪。黒いつり目。白のカッターシャツ。黒い学ランに、赤い腕章。まだ幼い顔つき。

記憶に焼き付いた、過去の思い出。

紛れもない、十年前の雲雀恭弥の姿だった。

 

死んだはずの昔馴染が、そこにいた。

過去の姿で、変わらずに自分を睨んでいた。

酷く懐かしい姿。

込み上げてきたのは涙だけじゃなかった。

黒い幻覚に手を伸ばす。

触れられるまであと数センチ。

背に隠したナイフを振りかざす。

感情を殺せ、心を殺せ。

 

刃が幻覚の雲雀の首をかき切ろうとしたところで、明祢は目を閉じた。

───わかっていたことだ。

 

「…………」

 

ナイフは黒い幻覚のほんの手前で止まっていた。

明袮は悲痛な笑みを浮かべた。

カラン、と音をたてて、ナイフが手から零れ落ちる。

その手は痙攣するかのように、カタカタと震えていた。

 

「…………ごめん、やっぱり無理だ」

 

自分には殺せない。

彼はわかっていた。目の前の雲雀が幻覚であることも、攻撃が迫っているのだということも。けれど、その体は避けようと動かなかった。いや、動かさなかった。

前から迫ってくる攻撃を、彼はわざと避けなかった。

 

───グチャッ

 

鋭い一突きが、胸を穿った。

息が止まる。体が揺れる。

胸が軽い。痛いのに、痛くない。

明祢は自分の胸を見た。

血が流れて、赤に染まっている。

 

「ゴホッ……」

 

心臓と左肺がなくなった。上手く息をすることができない。

言葉を紡ごうとすると、口から血がゴポリと溢れてきた。手を見ると、自分でも驚くくらい真っ赤に染まっていた。

幻覚で何とか補おうにも、そんな気力も集中もなかった。だから、不完全に命を維持している。

ただ、苦痛が延びるだけの幻覚だった。ただただ、苦しいだけだ。

それでも、幻覚をやめない。

 

「やっぱりね。君に雲雀クンは殺せない」

 

男が言う。

だが、そんな声すら、今の明祢にはどうでもよかった。

それは事実だからだ。

それでも、震える唇で、明袮は笑った。

言わなければならないことがあった。

目の前の男に、一矢を報いることが出来るのなら、それで良かった。

これは、復讐だ。

 

「おま、えは……神、じゃ…ないよ……」

 

離れたところにいる男の両目が、ほんの僅かだけ丸くなったのを、彼は見逃さなかった。

表情を崩せたことに満足して、力が抜けた。

とうとうその場に立っていられず、体が傾く。

手をつくことも出来ないで、そのままの衝撃を体に受けた。

地についたのに、感覚がない。

力が入らなくなっていく。目の前が暗くなっていく。体が震える。寒くて仕方がない。

これが死ぬということか、と明袮は笑みを深める。

 

「そう、か……」

 

死ぬ間際、明袮は唐突に全てを理解した。

ここはもう、()()()()()だ。

どこにも行けない、可能性のない、全てが終わってしまった世界。

ここじゃ駄目なんだ。もっと別の場所、もっと別の時代。こことは別の可能性───いや、可能性がないといけないんだ。

ここに至った時点で、この世界は終わっていた。

自分ではこの男を殺せない。

……なら、しょうがないな。

殺せないのなら、何もできないのなら、生き長らえる意味もない。

そして、全部諦めた。

あとに残ったものは、憎悪でもなんでもない。

燃え残った残滓のようなものだった。

 

「ゴフッ……あァ……」

 

明祢は幻覚の少年を見た。

霞んだ視界の中で、幻覚の少年は何も答えない。彼の記憶の中と変わらずに、不機嫌な顔つきで彼を睨んでいる。

その姿に、言い知れぬ懐かしさが湧いてきた。

 

雲雀を殺せなかった。

どうしても、どうしても、殺すことが出来なかった。

でも、それは仕方がないことだ。

勇気がなかったとか、覚悟がなかったとか、そういう次元の話じゃない。

自ら輝きを放つ、眩しい光。

初めて見たときから、ずっと。雲雀は俺の太陽だった。

月は太陽がないと輝けない。それと同じこと。

雲雀は俺の憧れだった。

だから、殺せなかった。

 

そんな簡単な事実。

涙に濡れた顔で、明祢は笑った。震えた腕で、幻覚の雲雀に手を伸ばした。

返ってくるものは一つもない。

 

別に、なにか期待をしていたわけじゃない。

お前が生きていたらそれでよかったのに、それすらもない。

死に恐怖を抱いたのは、ずっと昔のことだ。今はもう、怖くもない。

死は断絶だ。けど、先の虚無に恐れを抱いたりなんかしない。

何故なら、もっと恐ろしいものが俺を包んでいるから。

大切なものは失ってからはじめて気付くという。失いそうになって、はじめて気付いたけれど、いざ失ってみれば、その喪失がどんなに辛いことかを実感した。

……お前のいない世界は、こんなにも息苦しい。

 

「ほん……と、最悪な世界、だったよ……」

 

今も、自分のことは嫌いだ。

それでも、それなりに良いこともあったのだ。あれもかれも全部失ってしまったけれど。

だから、心残りはたくさんある。

世界も自分も嫌いだけれど、そこにいた人々は嫌いじゃなかった。

 

結局、それが最後の言葉になった。

そのうち、視界が完全に真っ暗になった。

何も見えない。何もわからない。

幻覚の少年ですら、どこにいるかもわからない。

何も感じないはずなのに、パチパチと何かが燃える音だけが彼の耳に入る。

やがて、そんな音も遠ざかっていく。

鳥の鳴き声すら、もう聞こえない。

そして、全てが終わってしまうその最期に、

 

『悪いね、■■』

 

───そんな幻聴が、聞こえた気がした。

 




これは異なる枝の話。

……最後まで、自分が嫌いだった。
そんな一人の青年の物語が終わった話。



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未来編
26.大空の下で罪を犯す


未来編、開幕──




夜の帳もとうに下りた頃、闇夜に紛れる二つの影があった。

 

「本当に大丈夫なんだろうな……?」

「大丈夫ですー。師匠のことですから殺したって生きてますよー」

「いや、そっちじゃなくて……お前が心配なんだよ」

「嫌だなー、ミーはこれでも仕事はちゃんとしますよー」

 

小さい方の影は頭の大きな被り物に触れながら、表情を変えずに言う。その様子に、もう一つの影はため息をつく。

青年は少年の実力を認めていないわけではないのだが、ふざけた性格なので、心配が煽られるのだ。

 

「ちゃんとやれよ」

「明袮さんは心配症だなー」

「……明袮って、言うな」

 

青年は眉間に皺を寄せながらも、少年の頭を被り物越しに撫でる。

少年は表情を変えないままだったが、嫌がる素振りは見せなかった。

 

「でも、本当にいいんですか?」

「あぁ、覚悟は出来てる」

 

青年と少年が、目を合わせる。少年はその瞳を見て、何を言っても無駄なのだということを悟った。思えば、初めて会ったときから、この青年はどこか強情なところがあったのだ。

そのせいで、紆余曲折あって真っ黒い集団なんかの一員になったりしているわけで。

そういえば、あの時なんでこの人は自分に気づいたのだろう。他の誰も気づかなかったのに、この人はすぐに気づいて、あっという間に自分を攫ってしまった。

少年は考える。以前、この人は才能がないと言っていたが、もしかするとこの人、別の意味で実はすごいのでは?

 

「……今はじめて明袮さんのことを尊敬できたような、できなかったような」

「どっちだよ」

 

青年は笑う。かつて浮かべていた軽薄な笑みではなく、どこか自然な笑みを。それは彼の中の十年を彷彿とさせた。

 

「頼んだぞ、フラン」

 

名を呼ばれた少年は、ぼんやりと青年を見る。

やはり青年の瞳には強い意志があり、青年の声は確かに覚悟を決めていた。

 

 

 

 

 

少し伸びた墨色の髪を後ろで束ねた、瞼の上に傷痕のある青年と、フラフラと揺れ、驚愕の表情を浮かべる男が向き合っていた。

男は青年を見て「そうか……お前が……」と呟くと、力が入らないのか、その場に倒れ込んでしまった。

 

倒れた男の直ぐ側にしゃがみ込む。

男は憎悪にまみれた瞳で、俺を睨みつけた。

仕方のないことだ。今までにもう幾度と経験したから、とっくに慣れてしまっていた。

だから、表情は変えない。出来る限り冷徹に、無慈悲に見えるように心掛けた。

 

「確かに、お前には死神の名がお似合いだろうさ」

「……」

 

男に手を伸ばす。男は体を捻ろうとする素振りを見せたが、体が動かなかったのだろう、ただ呻くだけで終わった。

それが見ていられなくて、額に触れる。

───幻術を使った。

男はすぐに目を見開く。そこに、ありもしない幻覚を見ている。

 

「……あぁ……今すぐそっちに……マイ・ファミリー……」

 

男はロクに動かないであろう唇を震わせてそう言った後、天使に出会ったかのような形相で、その直前の言葉が嘘に思えるくらい静かに息を引き取った。

それを見届けて、懐から白い蓮の花を取り出して、男の骸の上に乗せた。

 

溜めていた息を吐いて、周りを見回す。

幸せそうな顔をした骸。骸。骸。骸。骸………。

立って息を吸って吐いているのはたった一人だけ。

彼らを殺した自分だけだ。

『死神』

皮肉交じりに笑みを浮かべて、その名が実にお似合いだと実感する。それから、もっとお似合いの名前があることを思い出す。

 

「死神なんて……疫病神の間違いだろ」

 

『手向けの死神』は決まって、殺した標的に花を手向ける。

白い花を。

祈る。

良識のある者は死者に対する冒涜だと蔑む。あるいは、恐ろしいと。

自分で殺した人間に対して、一体どれだけの人間が心から花を手向けられると思う?

……そんな簡単な質問に答えられないわけはない。答えは殆どいない、だ。

死者は自身が憎悪を向ける相手から花を貰ったところで喜びはしない。ただ、憎悪を募らせるだけだ。

けれど自分に、花に関しては悪意はなくて。ただ、本当に、心から申し訳ないと思っていた。

花は手向けなかったが、これは昔からそうだった。初めて人を殺したときから、自分はその死を背負うと決めていた。

だからこれは、自分の罪に逃げも隠れもしないことへの覚悟なのだ。

死神の餞がただの自己満足だったとしても、それでも、続けよう。

……これが自分の罪に課す、罰なのだから。

 

 

 

 

 

並盛町の一角にあるとある喫茶店で、一人の青年が本を読んでいる。巷の本屋にありふれているような、名の知れた文豪が書いた小説だ。

焦げ茶色の髪の青年に、黒い服を纏った墨色の髪の青年が声を掛ける。

 

「お前が桂木明袮か?」

「……手向けの死神。ブラックスペルのラウロか」

 

声を掛けられた青年は、読んでいた本から顔を上げると、穏やかな日常の延長線とでも言うかのように穏やかに微笑んだ。

 

「ここは場所が悪い……移動しよう」

「……いいだろう」

 

桂木が伝票を持って会計に行くのを、ラウロは待った。時間は十分にあるからだ。

桂木が先に店を出て歩いていく。ラウロはその後ろを一定距離を保ってついていく。

数十分ほど無言で歩き、辺りが木々に囲まれた山になったところで、桂木の足が止まった。そして、振り向きもせずに言う。

 

「ミルフィオーレの死神さんが俺を殺しに来るなんて思わなかったな」

 

ラウロが目を見開く。

 

「気づいていたのか」

「これから人を殺そうとする人間くらい簡単にわかるさ」

 

桂木が振り向き、カラカラと笑う。その姿は、まるで道化師のようだった。

あるいは、実際にそうだったのかもしれない。桂木明袮が術士であることは、とうに調べがついていた。

 

「流石だな」

「マフィアに褒められても嬉しくないけど……まぁ、やろうか」

「……悪いな」

 

辺りに霧が立ち込め、二人の姿は紛れて見えなくなる。

霧が揺らめく。

影が二つから、三つ、四つ、五つ……と増え、そして、なにもなくなった。

 

 

 

花を手向ける。

ラウロは仏教徒ではなかった。

だから、彼は輪廻転生を心の底から信じてはいない。

キリスト教でもないので、生前の善行で何かが救われるとも思っていない。

そもそも、何かの宗教を信仰してすらいない。

彼にとって、神は形而上の存在であり、信じる者にとってはいるのだろうという認識であり、概念に過ぎない。

彼にとって神とはただそこにあるものであり、救うものではない。

それでも、彼は花を手向ける。

白い菊を。

来世などありもしないけれど、輪廻など信じていないけれど。もしあるのならば、どうか次はこんな風に終わらないように、と。

神に祈るのではなく、運命に。

自らの罪を懺悔するかのように、祈る。

 

「すまない」

 

その屍は何も反応を返さない。当然だ。屍は再び生き返って、言葉を発したりはしないのだから。

ラウロは袖を千切りながら、自らの傷の応急処置をする。彼の体には、多くの打撲痕と、切り傷が残されていた。

 

「殺しなんて、したいわけじゃないんだけどな……」

 

空を仰ぐ。青い空に、眩しいくらいの太陽が目に痛い。

 

「ボス……」

 

先代のボスの顔を思い浮かべる。

声はとうに忘れてしまっていたが、それでも、姿形は、思い出は思い出すことが出来る。

全てを包み込むような微笑み。

どんな悪逆非道を犯そうとも、その優しい笑顔を、ラウロはずっと忘れないだろう。

 

 

 

 

 

「他の仲間だが……」

 

十年後の未来に来てしまっていた綱吉達は、現実を目の当たりにする。

山本の声は、綱吉と獄寺の二人に驚き以上のものをもたらした。

 

「この二日間でロンシャンや持田、桂木先輩は行方不明。十年間に出来た知人のほとんども消された」

「山本の父親もな」

「そ…そん…な……」

 

不意に訪れた未来の傷はあまりに大きかったことを、このとき初めて二人は知った。

 

 

 




ごめん……。なんか、ごめんなさい。

ところで、某カエル頭の人、キャラが掴めないんですけど。
あと、骸、骸、骸……。のところで六道骸が大量発生してるような気分がして、不覚にも吹きそうになってました。

前話、夜半の月ですが、活動報告の方に軽い解説書いてます。よろしければ是非。


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27.朝の茜はまだ訪れない

十年。

秒単位に換算するなら、およそ315360000秒。人の一生からすれば短く、けれど長い時間だ。

報せが届く。約三億秒を超えて、彼らがやってきた、と。

無意識のうちに、口角があがるのを感じた。

──あぁ、もうすぐだ。

 

 

 

 

 

 

「失礼します」

「………君は?」

「ブラックスペルのラウロです」

「君が、あの?」

「あの……というのが、何を指すのかは知りませんが、ブラックスペルにラウロは一人だけです」

 

表情は冷徹だったが、敬語そのものは使い慣れているのだろう。そこにぎこちなさは存在しなかった。

入江は驚く。ブラックスペルの主要人物は、ジッリョネロ時代からの荒くれ者が多い。だが、目の前にいる青年からは、荒くれ者というよりは、ホワイトスペルにいる方が似合うと思えるほどの思慮深さを感じた。

 

「えーと、それで、何のようかな?」

「先程日本に来られたということで挨拶を」

「あぁ、なるほど……ホワイトスペル 第二ローザ隊 隊長 A級 入江正一だ。よろしく」

「ブラックスペル 第四チクラミーノ隊 隊長 B級 ラウロです」

 

西洋人らしく差し出された手に、入江は握手をする。

ごつごつとしており、そこには武人らしさが感じられたが、ラウロが武人であるという話は聞いたことがなかった。

術士というのは、一般的に武術は苦手だと聞くが、かの幻騎士や六道骸の例もある。なにより、彼は幻騎士の弟子なのだから、あり得ないことではないだろうと、入江は結論付けた。

 

「それと昨日のことですが、任務完了の報告をと思いまして」

「任務……それって」

「はい。桂木明祢を殺しました」

「!」

 

ラウロは顔色を一つも変えずにそう言い放った。

桂木明祢。入江も、その名前は知っていた。

ボンゴレファミリーの守護者たちと交流を持ち、クローム髑髏に至っては師匠という立場にある男。それを、殺したと言うのだ。

 

「本当に殺せたのか?」

「術士である俺を疑う気ですか?」

「それは……」

 

ラウロはミルフィオーレでは三本の指に入るとされる、優れた術士だった。ボックス兵器も、それに見合う強力なものだと聞く。

その彼が殺したというのなら、本当にそうなのだろう。

だが、入江はいいもしれぬ違和感を感じていた。

ラウロの実力を疑っているのではない。桂木明祢の実力が未知数だからこそ、ラウロの発言に確証を持てずにいるのだ。

 

「花を手向けました」

「花……」

 

ミルフィオーレに所属していて、ラウロを知っているものならば、花を手向けたという言葉がどういうことを指すのかは知っている。彼が人を殺したことの証明だ。

 

「そうか。わかった。白蘭さんには僕から報告しておく」

「……白蘭に報告するほどのことですか?」

「一応だよ」

 

入江はラウロを見た。白蘭と言ったときの彼の表情には、明け透けにされた嫌忌の念があった。

……それも当然か、と入江は思う。ラウロはジッリョネロファミリーに所属していたブラックスペルの一員だ。どんなに彼が慇懃な態度を見せようと、その腹の中はそうではないということだろう。ジッリョネロは、白蘭のせいでジェッソと合併させられたのだ。恨みつらみは当然のことだった。

 

「そうですか。では、俺はこれで失礼します」

 

ラウロは去り際に入江の背後にある、丸く白い装置を見て、口元を緩めた。

入江はそれに気づくことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

報告を終えた。

廊下を歩いていく。自分の足音が反響する。

ここはホワイトスペルの巣窟で、油断はできない。

早く自分の所属へ帰ろうとして早足で抜けていく。周りの奇異の目がうっとおしい。

 

「ラウロ」

 

聞き慣れたくない声が、名前を呼ぶ。

 

「……なにか?」

 

振り返ると、そこには白い服に身を包んだ灰色の髪の男がいた。

サリーチェ・グリージョ。イタリア語で柳の名を持つ男である。

自分は、この男が好きではなかった。ホワイトスペルということもあるが、なにより、彼がこちらのことを嫌っているからだ。尤も、それ以外にも理由はあるが。

 

「お前が桂木明袮を殺したってのは本当か?」

 

──桂木明袮。

ボンゴレ狩りでの標的の一人だった男の名だ。守護者である雲雀恭弥、クローム髑髏の二名と深い関わりがあったこと。中学時代にボンゴレボスと守護者たちが関わった事件の一部に関与していたこと。そして、術士であることから、優先的に殺すように命が出ていた。

……自分が殺した男だ。

 

「そうだが、それがなにか?」

 

事実なので肯定する。すると、グリージョはみるみるうちに眉間にシワを寄せ始める。もともと温厚とは言えない顔をしていたが、余計に恐ろしい顔立ちになってしまっていた。

 

「なにかじゃねぇよ。あれは、俺が殺すはずだったんだ」

「一度逃したことを悔やんでいたのか?」

 

記憶が確かなら彼は一度、桂木明袮を逃している。だが、それは仕方がないことだとも言われている。

桂木明袮はクローム髑髏の幻術の師で、その腕はなかなかのものだった。並の隊員では手も足もでなかったであろうことは容易に想像がつく。実際、Bランクで術士でもある自分でも手間取ったほどだ。

だが、彼の表情にはそれ以上のものが見え隠れしているように見えた。

 

「そうじゃねぇ」

「ならば何故」

「テメェに教えるわけ無いだろうが」

「……確かにそうだな」

 

グリージョは嫌悪に塗れた瞳で俺を睨んだ。

子供ならば泣き出すようなものだったが、生憎と自分は子供ではないし、子供であったとしてもこの程度ならば恐ろしくもなんともない。

 

「もう用がないのなら、俺は帰らせてもらう。ここは居心地が悪いんでね」

「……さっさと行け。お前と関わってるとこっちも気分がわりぃんだよ」

 

グリージョの顔を見た。心底嫌そうな顔をしていた。

自分も嫌そうな顔をしているのだろうな、とぼんやり思いながら、場を後にする。

……彼が嫌そうな顔をしていたのは、真実自分と一緒にいるのが苦痛で仕方がなかったからだ。彼は過去に術士関係で酷い目にあったらしく、以来術士が嫌いなのだという。

術士である自分といるのは、相当耐えることだっただろう。

個人的には別に困るわけでもないし、むしろ好都合なのでそのままでいてほしいところだ。

 

廊下を歩く。

歩きながら、自分の服装を眺めた。

黒い服。自分には似合うかもしれないが、あの子には似合わない。あの子は白い服が似合う子だった。

数年前、ブラックスペルがまだジッリョネロファミリーだった頃を思い出す。

……ギリッと、歯軋りをする音が聞こえた。

許せないのは、自分も同じだ。

 

 

 

 

 

 

綱吉はベッドの中で考えていた。

山本は十年間で出来た知人の殆どは消されたと言っていた。行方不明というのは建前で、おそらくは……。

ロンシャンや桂木、持田とは、特別深い仲だったわけではない。ロンシャンは敵対マフィア、桂木は学校の先輩、持田に至っては一方的に嫌われている。(綱吉自身も、彼のことが好きではないが)

それでも、彼らは殺されていい人間ではなかった。ただ、ボンゴレである自分たちに関わったというだけだ。だが、それだけでは、殺される理由になんてならない。

 

(神様仏様、お願いします。どうか…母さんや京子ちゃんやハル達が無事でありますように…!!)

 

グスッ、と涙を堪えることも出来ずに泣いていた。

獄寺は上から聞こえるそれを、聞こえなくなるまでずっと聞いていた。

 

 

 

 

 

 

「あーあ、ミー疲れちゃったなー」

「う゛お゛ぉ゛い゛!! クソガキ、テメェ大変な時にどこ行ってた!!」

「スクアーロ隊長ー、耳元で叫ぶのやめてくださいー」

「答えろぉ! 三枚におろすぞ!!」

「知人のところですよー」

 

スクアーロの怒鳴り声に、フランは耳を塞ぐ。

知人とは言うけれど、実際はどうなんだろう。誘拐犯? それともニイサン?

あぁ、ニイサンは違う気がする。彼はそう呼ばれるのを厭うだろうけど、別にそんなに深い間柄ではないか。

フランはスクアーロの説教じみた怒鳴り声を右から左へと流しながら、なんてことないように考える。

 

「テメェがいない間にボンゴレ本部は壊滅しやがったんだぞ!」

「あっ、それくらい知ってます。じゃなくてー、なんで同盟ファミリーを助けに行くんですかー?」

「るせぇぞガキィ!! 上司の命令には黙って従え!!」

「隊長ー、それパワハラですー」

 

そういえば、あの人はヴァリアーが嫌いだった。

フランがヴァリアーにスカウトされた時、一番イヤそうな顔をしたのは桂木だったという。フランはその時、桂木に直接会うことはなかったので、それがどんな顔だったかは知らないが、想像には難くない。

 

「死ぬってどんな感じなんだろうな……」

 

桂木明袮が死んだという報せが届いたのは、フランがイタリアについてすぐのことだった。つまり、別れてすぐに殺されたのだ。

だが、フランに後悔はない。本人が覚悟をしていたことを知っているからだ。

死ぬ、師匠ならば答えられるだろうか。あの人は六道を廻ったらしいから、よくよく知っているはずだ。

あぁ、でも、死んだあとに残された世界は知らないはずだから、意味がないか。

 

「つまらねーこと言う暇があったら、作戦会議に加われこのクソガキィ!」

「いつか本当に訴えようかなー。あっ、でもここ暗殺部隊かー……」

 

そう言いながらフランはスクアーロの後をついて行く。

フランはそこまで他人に興味を示さない。

フランにとって、桂木はなんでもない。

けれど、ちょっと考える程度には気に入っていたのだろう。

フランを連れ出したのは、骸ではなく、桂木だったのだから。




主人公不在で一話進むことになるとは……。いや、プロット時点でそうなることは決まっていましたが。

オリキャラ二人は、ミルフィオーレが花の名前が多いですから、とりあえずそういう方向性にはしておきました。
安直だなぁと思ったり思わなかったり。


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28.許しを請うには短い雲間

「野猿と太猿が喧嘩した?」

「あぁ、結構な怪我らしい。おまけに、匣を壊したって話だ」

「あの二人ならやりかねないが……」

 

昔から、彼等がちょくちょく喧嘩をしていたことをラウロは知っている。だが、彼等がそこまでのことを今起こすのかと言われると、頭を悩ませるのだ。

そもそと、そんなものが起きれば、隊長であり、兄貴分でもあるγが黙っているわけがない。

 

「どうする、聞いとくか?」

「やめとけ。どうせ、はぐらかされるだけだ」

「了解」

 

ラウロと話していた部下は、同じジッリョネロ出身の仲間だったが、彼等のやり取りには少しの距離があった。

第四チクラミーノ隊はブラックスペルだが、諸事情あって、ジッリョネロ出身の隊員が他の部隊よりもほんの少し少ない。

ラウロ自身、それを気にはしているものの、態度には一つも出さない。

 

「調べてみるか……」

 

誰にも聞こえないように、ラウロは呟いた。

ラウロの記憶では、第三アフェランドラ隊はボンゴレ狩りに熱心だった。そして、白蘭に対して忠誠心の欠片もない。……もっとも、それはラウロ自身も同じことだが。

つまり、独断で行動をした可能性があるということだ。

ラウロは部屋を出る。

 

「どこに行く気だ?」

「怪我した部下の見舞いだよ」

「……そうか」

 

部下の怪訝そうな視線に、ラウロは笑ってごまかした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「何してたんだい? 沢田綱吉」

「ヒバリさん!!」

 

γを倒した雲雀に、綱吉は喜びの声を上げる。十年前より背が伸び、顔つきも大人のそれに変わっていたが、間違えることはなかった。

 

「山本武と獄寺隼人はその林の中だ」

「え!?」

 

綱吉は雲雀の言葉を信じ、近くの林の中へ入っていく。

木々と地面が抉られた場所に、二人は満身創痍で倒れていた。

 

「獄寺くん!! 山本!!」

「大丈夫。命に別状はありません」

 

綱吉が駆け寄ると、二人の傍らにリーゼント頭の男がいることに気付く。見覚えのある顔だった。

 

「草壁哲矢。雲雀の部下です」

 

十年前の世界では、風紀副委員長だった男だ。

綱吉は、黒曜の一件のときに病院で見かけた姿を思い浮かべていた。

 

「とはいえ、すぐに治療は必要だ…。アジトへ運びましょう」

 

良かった。とへたりこんだ時、林の奥の方から、草を踏みしめる音が聞こえた。

 

「……なにしてんだ、沢田」

「へ?」

 

後ろから声を掛けられ、振り返る。

綱吉の前に、あり得ないはずの人物が現れた。

 

「か、桂木さん!?」

 

焦げ茶色の髪に、顔を隠すような眼鏡。

そこにいたのは、行方不明とされていたはずの桂木明袮だった。

 

「幽霊でも見たような顔だな……というかなんか若くないか?」

 

驚く十四歳の綱吉を見て、桂木も目を丸くさせる。

その声は声変わりしたのか、聞き慣れない低いものだった。

 

「知り合いか、沢田」

「はい、でも……」

「……」

 

だが、綱吉は知っている。桂木明袮は行方不明──つまり、死亡している可能性が高い筈の人間だ。そんな人物が、敵が周りにいるような状況で、こうも平然と現れられるものなのだろうか。

綱吉がぐるぐると思考を巡らせている間、雲雀は桂木を睨むように黙って見ている。

 

(それに……なにかが違うような……)

 

綱吉が感じていた感覚は、初めて感じるようなものではなかった。一、二ヶ月ほど前、あるいはほんの数日前に感じた寒気がするような気配と似ている。

ここ数ヵ月のうちに冴え渡り始めた直感が、違和感を訴えている。警鐘を鳴らしている。

──気付け、と。

綱吉の頭に、ある言葉が浮かびあがった。

 

「幻覚……?」

 

綱吉の口は、頭に浮かんだ言葉を、無意識のうちにそのまま零していた。

 

「……!」

「沢田?」

 

隣にいたラル・ミルチが綱吉を見る。発言した綱吉自身も、自分の発言に後から驚いていた。

桂木が、目を丸くして綱吉を見る。

 

「なるほど……これがボンゴレの超直感というわけか」

 

先程の桂木と同じ声質で、感心するような声が発せられる。それと同時に、桂木の体を覆うように、深い霧が局所的に現れた。

 

「……まさか」

 

霧が晴れていく。その先に、一つの人影がある。

姿がはっきりと見えてきたとき、ラル・ミルチが声を上げた。

 

「貴様は、手向けの死神!!」

「……」

 

そこにいたのは、桂木ではなく、ラウロだった。

ラウロは桂木に似た…というよりは、東洋人の血でも入っているのか、西洋人にしては彫りの薄い顔つきをしていた。

 

「手向けの死神って……?」

「ミルフィオーレの隊長の一人だ。殺した死体が魂を抜かれたようであったからその名がついたと聞いている」

「つまらない通り名だ。まだ死出の花の方が似合ってる」

「そんな冗談を口にできるような状況だと思っているのか?」

「まさか」

 

とはいうものの、ラウロの態度は余裕と言わんばかりだった。もしくは、余裕に見せかけていたのかもしれない。

 

「それにしても、顔と名前を知られているのは、術士としては半人前だな」

 

やれやれ、と肩をすくめるラウロに、綱吉は動揺する。

桂木は行方不明だった。だというのに、この男はわざわざ桂木の姿を利用した。

まるで、気づいてくださいといわんがばかりに。

綱吉には、ラウロが初めて会ったときの骸に似ているように思えた。

 

「桂木さんは……!?」

「あぁ、あの男。桂木明袮なら俺が殺したよ」

「!!」

 

少し思い出すような素振りを見せた後、ラウロは今日の天気予報の結果を言うような気軽さで、そう答えた。

直後、場の空気が一瞬にして冷たくなった。

突き刺さるような殺気を放っていたのは、ずっと黙っていた雲雀だった。

 

「恭さん……!」

「おかしいな、雲雀恭弥と桂木明袮は仲が悪いって聞いていたんだが……」

「……」

 

首を傾げるラウロに対し、雲雀は表情を変えない。

ラウロは笑みを浮かべながら、何か眩しいものでも見たかのように目を細めると、不敵に笑った。

 

「さて、もうそろそろだ」

「何を言って…………!?」

 

ガクリ、とラル・ミルチがその場に崩れ落ちる。同時に、綱吉や草壁も膝をついた。

筋肉に力が入らないというより、筋肉そのものが動かない……麻痺している。

 

「安心しろ。死なれちゃこまるからな、致死量は盛ってない」

「毒だと……いつの間に…」

「俺が桂木明袮として現れたときからだよ」

 

ラウロが全員に見えるように掲げたのは、空になった匣兵器だ。

 

「あんたらにはこのまま、とりあえず気絶してもらうことにし……て!?」

 

ラウロが急に、後ろへ下がった。瞬間、彼のいた場所を通る銀色のトンファー。

黒い瞳が、真っ直ぐにラウロを睨み付けている。

 

「ひ、ヒバリさん!」

 

震える唇で綱吉が叫ぶ。

ラウロは、周りが膝をつくなか、一人だけ平然と二本足で立つ雲雀を見て、驚愕していた。

 

「嘘だろ、ピトフーイの神経毒だぞ」

「なにそれ」

 

信じられないものを見たかのような表情をするラウロ。

雲雀の周囲に、オレンジと黒の鮮やかな色をした小鳥が現れる。

ピトフーイ。特に、ズグロモリモズは、世界で初めて毒を持っていることが発見された鳥であり、その羽根一枚で人間は死亡すると言われている毒鳥である。

ラウロの匣兵器は、霧ピトフーイ。景色と同化させることにより、気付かれない間に毒を仕込み、弱ったところに止めを指す。それがラウロのやり方だ。

ラウロによって強められた毒は、人間大の生物であるのならば数分で動けなくなる。

だが──、雲雀恭弥はその限りではない。

綱吉にとってはつい数日前の出来事になるヴァリアーとのリング争奪戦では、雲雀はゾウすら動けなくなるほどの毒を受けながらも、唯一動いていた人物だ。その雲雀に、そんなものは効かない。

 

「流石は雲の守護者ってところか」

「そんなのどうでもいいよ。……それより、証拠はあるの?」

「恭さん……」

 

草壁は、桂木が死んだなどということが信じられなかった。草壁は桂木にとって、おそらくは同年代の仲でもっとも仲の良かった人物だ。それでも、一定の距離を離されていた。

草壁は思い出す。高校を卒業してから、桂木が並盛にいることは殆んどなかった。

最後に会ったのは、二年ほど前だ。それですら、成人式の時に出会って以来だった。

それでも、生きているということは風の噂で知っていた。

行方不明になったのは、久々に並盛に帰ってきたときのことだったという。

雲雀がそれを知ったとき、どのような思いをしていたかは、草壁ですらわからない。

 

「……これはどうだ?」

 

ラウロが何かを取り出した。

黒い小さな物。それは煤けた指輪のように見えた。

雲雀がそれを見た途端、つけているリングから、凄まじいほどの紫の炎が燃え上がる。

雲雀は確信した。せざるを得なかった。桂木が生きているのであれば、ラウロが持ち得るはずのないものがそこにあった。

雲雀は激昂していた。本人が知覚できないようなところから、その怒りは溢れてきていた。

揺らめく炎は、まるで雲雀の怒りをそのまま具現化させたかのようだった。

 

「俺のことが許せないって奴か?」

「……違う」

「?」

「君がアレを殺したことが許せないんじゃない。君に殺されたアレが許せないんだ」

 

雲雀と桂木の関係は、一言では説明できないほど複雑なものだ。

全く何も知らないものから見れば、それは犬猿の仲のようであり。綱吉たちから見れば、それは長い間喧嘩を続けているような間柄だ。だが、結局はどちらでもなく。桂木が言うように、今は昔馴染みと形容するしかない関係性。

雲雀の様子には、基本他人に無関心な彼には珍しい感情があった。まるで、親しい仲であったかのような怒り。

雲雀を知るものならば、らしくないと言うような。

 

「殺す」

「わぁ、怖い」

 

雲雀の振るうトンファーが、ラウロの頬を掠める。鮮血が頬を伝う。

ラウロの口調は、桂木を彷彿とさせるものだった。執拗以上に、雲雀を煽るかのように。

 

「でも、あんたと戦うつもりはないんだ」

 

ラウロは後ろへ、後ろへと後退していく。

追う雲雀を、ピトフーイの群れが阻む。

 

「γがやられるような相手に、正面からまともに戦えるわけないだろ」

「逃さないよ」

 

雲雀の匣から、紫の炎を纏ったハリネズミが飛び出てきて、ラウロに襲いかかる。

雲ハリネズミによる攻撃は、ラウロに直撃するかと思われたが──、雲ハリネズミはラウロの体をすり抜けていってしまった。その様子は、まさしく煙に巻かれたようだった。

 

「あぁそうだ。雲雀恭弥」

 

別の、離れた場所から、ラウロが現れる。その肩にはγを背負っていた。

唐突に思い出したかのようなラウロの言葉に、雲雀の動きが一瞬止まる。確かに、雲雀は続く言葉を待っていた。

 

「『許さないでくれ』」

「……!!」

「確かに伝えたからな」

 

今までが嘘のような、真剣な表情。

それは、一体誰の言葉だったのか。

「今日は見逃してやる」と言って、ラウロが去る。劣勢だったのは、ラウロの筈だというのに。

雲雀は追いかけない。匣も出さない。

何を見逃すのか。それは後で推測されたことだが、ラウロは綱吉たちが逃げる時間を稼いだらしかった。

そのままいれば、本来は他に誰かが来たかもしれない。

 

数分後、毒が抜けたのか、或いはラウロが何かしたのか、三人とも次第に動けるようになっていた。

 

雲雀がカモフラージュされたアジトに入るとき、綱吉は雲雀の横顔を見た。

雲雀は、知らない顔をしていた。




匣解説
・霧ピトフーイ
大きさ 25cm パワー E スピードB スタミナ D 賢さ B 性格 慎重
設計者 イノチェンティ

体全身に毒を持つ。
霧の炎によって透明な状態となり、毒羽を対象に擦り付ける。
皮膚に触れただけでは体が痺れる程度だが、粘膜接触すれば死に至る場合もある。そのため、扱いには細心の注意が必要。
ラウロによって毒性が強められている。


技とか考えられなくてすいません。
ズクロモリモズは実際に毒のある鳥です。ただ、毒性の強さとかは捏造入ってます。
ピトフーイ=ズクロモリモズというよりは、ピトフーイという種類の中にズクロモリモズがいる感じです。

ラウロさんは毒の扱いに慣れてる人です。
雲雀さんなら効かないというか、効いても無駄だろうと思いました。だってデスヒーターくらって動いてるし。
十年経ってるし、ラウロさんも毒に関しては手加減してますから、余裕だろうなぁ、と。
この場面は書きたかったところです。

誰だって、その喪失には悩まされる。


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29.過去に思いを馳せて

雲雀は一枚の写真を見ている。

二人の子供。

一人は笑い、一人は無愛想に睨み付けているような、そんな写真を。

 

 

初めて会った日のことを思い出していた。

幼稚園なんていう群れの中に入れられて、ムカついてたくさん咬み殺していたときに、雲雀はその少年と出会った。

 

「はじめまして、俺は桂木明祢。俺──うぇ」

 

何の警戒心もなしに、にこにこ笑って近付いてきたのが、彼だった。

勿論、雲雀は他の『草食動物』と同じように彼を殴った。彼の目には、他の人間と同じように見えたからだ。

 

「い、痛い……」

 

当然のことながら、明祢は勢いよく地面に飛ばされた。

明祢は殴られた頬を押さえた。頬は赤く腫れ、唇は切れて血が出ていた。

雲雀は無感動に明祢を見下ろした。そして思った。

 

(また、泣くんだろうな)

 

弱い子供の草食動物は、咬み殺されれば泣くもの。それが雲雀の中の常識だった。

だからこの時も、彼は目の前の草食動物は泣くと思っていたのだ。

 

「………?」

 

体は震えている。

けれど、泣き声はいくら待っても聞こえなかった。

 

「──すごいな、きみ!」

 

それどころか、聞こえてきたのは称賛の声。

雲雀は少しだけ驚いた。それは未知との遭遇だった。

殴っても泣かない奇妙な草食動物、それが桂木明祢だった。

 

「なぁ、名前は?」

 

明祢は笑う。輝いた目で、雲雀を見る。

雲雀は瞬きをする。

不思議だった。頬を赤く腫らして、血を流しながら笑っているその少年は、雲雀が始めて見る生き物だった。

明祢からは、絶対に名前を聞き出そうという静かな圧があった。

それに負けたわけではないが、雲雀は呟くように言葉を溢す。

 

「……雲雀恭弥」

「そうか、よろしく恭弥!」

 

心の底から喜ぶように、明祢は笑う。

その笑顔に、雲雀は虚をつかれたような顔をする。

雲雀にとって、こんな風に接してくる相手は初めてだったのだから、当然だったのかもしれない。

雲雀はわからなくて苛ついて。結局、この直後に明祢を思いきりぶん殴っていた。

 

 

 

 

 

 

「よお、ラウロ。いつになく不機嫌な面してんなぁ」

「………」

 

ラウロが廊下を歩いていると、グリージョに声をかけられた。だが、ラウロは無視をして通りすぎようとする。

 

「待てよ」

「……お前と話すことなんてない」

 

ラウロが不機嫌なのには、理由があった。

 

 

十年前からやって来たボンゴレについて、全十七部隊長ミーティングが行われた。チクラミーノ隊の隊長であるラウロも、勿論これに参加していた。

白蘭の目的はボンゴレリングの入手。否──。

 

「僕が欲しいのは究極権力の鍵。トゥリニセッテだよ」

 

ラウロには嫌いな人間が四人いる。そのうちの一人が、白蘭だった。

ミーティング中、ラウロは白蘭をずっと睨んでいた。

 

ラウロが白蘭を嫌いな理由は、大まかにするといくつかある。

一つは、ジッリョネロを事実上吸収合併したことだ。

彼にとって、ジッリョネロは帰る場所であり、字の通りファミリーだった。突然、家を奪われた憎しみは、なくなるどころか、年々強くなっていくばかりだった。

二つ目は、白蘭の軽薄さにある。いや、正確には底の知れなさと言った方がいいかもしれない。

 

(白蘭は誰も信用していない……これは茶番だ)

 

術士は、その性質ゆえに洞察力に優れた者が多い。ラウロもその例に漏れず、相当な洞察力を有していた。

そして彼は気付いた。

……白蘭は浮いている。空気がではなく、彼自身が世界から隔離されたかのように浮いているのだ。

吐き気がした。嫌いというよりは、受け付けないのだということを、ラウロは理解した。

 

「……トゥリニセッテ」

 

ボンゴレリング、マーレリングの各7つ、計14個の指輪と、アルコバレーノの七個のおしゃぶりの総称とされているが、何故そうなのかは不明だ。

ラウロが知っているのは、それが他のリングよりも特別なのだということだけ。

それもこれも、先代のボスに教わったことだ。

 

 

ラウロの肩をグリージョが掴む。

ラウロは顔をしかめながら、それでも無理矢理通りすぎようとした

 

「待てって言ってんだろうが!!」

 

グリージョの怒鳴り声が、廊下に響く。

周りにいた者達は、何事かと足を止め、彼等二人を見る。

 

「いい加減、迷惑なんだが」

「……あ?」

「お前が桂木明祢に執着しているのは、復讐のためだ。だからこそ俺が許せない」

「おい、待て」

「桂木明祢と似ていて、しかも桂木明祢を殺した俺が憎いんだろ」

 

それは、グリージョの知るラウロではないかのようだった。まるで別人がそっくりラウロの姿を装っているような。

 

「……あぁ、違うな。お前は怖いだけだ」

「黙れ!」

 

ラウロはグリージョの過去を知っている。何故、術士が嫌いなのか、その理由を知っている。

 

「俺は知っているぞ。お前が昔、奴に殺されかけたということを」

「なんで……テメエがそれを知っている!!」

 

グリージョは、ラウロに掴み掛かった。

冷や汗が、背筋を流れていく。

それは、白蘭しか知らない筈だった。他の誰も、そのことを知り得ない筈だった。

 

「嫌いな相手の弱点くらい、知っておかないといけないだろ?」

 

グリージョの目にはその姿が、死神か、あるいは悪魔のように見えた。

ラウロはグリージョが酷く顔を歪ませているのが堪らなかった。

だから彼は、嬉しそうに嗤った。

 

 

 

 

 

 

「──君ね、それがどれだけ大変なことか分かっているんですか?」

 

それはいつの話だったか……。高校卒業間際だったから、七年くらい前のことだ。

誰にも話そうとは思っていなかったが、色々と考えた結果、彼にだけは話しておこうと思って、無理矢理呼び出したのだった。

 

「俺は幻術の才能はなかったからな。こんな方法しか思い付かなかった。……上手くいったら褒めてくれ」

「嫌です」

 

六道との仲は、取引を始めたときから変わらずに続いている。

この頃になると、当初に感じていた罪悪感は薄れてしまっていたので、少し気が楽だった。

ある意味では、六道は自分をさらけ出すことの出来る相手だった。

自分の秘密をある程度教えてしまっているからこそ、彼には話しておこうと思えたのだ。

もっとも、計画のためもあったが。

 

「……まさか、お前と三年も付き合うことになるとは思わなかった」

「僕もですよ。存外、長く持つものですね」

 

三年も経つと、髑髏は六道ほどとはいかないものの、腕の立つ術士になっていた。もう、俺の指導は必要がなくなっていた。次第に、自然消滅的に俺と髑髏は師弟ではなくなっていた。

だというのに、六道は俺との取引を続行した。それが何故なのかは、俺にはわからない。

 

「嫌だなぁ。お前と共犯者なんて」

「僕の方こそ嫌です。僕は君が好きではありませんから」

「………知ってた」

 

共犯者。それは、あまりにも俺達にしっくりとくる言葉だった。

俺の構想は、あまりに無謀だった。少なくとも、一人ですることは不可能だっただろう。

そこで、俺は六道に協力を仰いだ。

その結果が、共犯者である。

 

「なぁ、六道。俺は、変わってしまうのかな」

「藪から棒になんです」

「答えてくれ」

 

俺は六道を見た。六道の左目に映る俺は、今にも泣き出しそうになりながら笑っていた。

変わるのが恐ろしかった。変わりたくなかった。

 

「いいですか。人間は変わるものです。君がいかに不変なものであろうとしても、それは不可能なんです。……けれど、君のそれは変わりませんよ」

「……………そうか。なら、いいんだ」

 

六道は、俺の戯れ言に真剣に答えてくれた。ただの共犯者に、なんでもない俺に、そう言ってくれた。

そこが変わらないのなら、俺はちゃんと歩いていける。

けして、六道を善人だなんて思わないけれど。悪人ではないとは思わないけれど。

……ああ、本当に。彼は悪魔みたいだ。

俺を救う気は、更々ないのだから。

風が吹いていた。六道の少し伸びた髪を揺らしていた。

 

「お前さ、沢田のことどう思ってんの?」

「何を今更。標的に決まっているでしょう」

「……なら、さっさとやればいいのに」

「なにか言いましたか?」

「別に」

 

それをしないということは、そういうことなんだ。

六道は沢田の体を狙っている。未だに世界征服を諦めていないらしいが、実際はどうなのやら。

 

「それで。…良いんですか?」

「あぁ。決めたことだから」

「いえ、そちらではなく。彼は良いんですか?」

「……それ、聞くことか?」

「えぇ」

「いいんだよ。アイツは強いから」

 

思い浮かべるのは、三年前の秋。

暴食の機械兵器を一瞬で倒したとき。

隣から、深いため息が聞こえた。

六道は俺に冷たい。けれど、だからこそ、俺は彼を共犯者にしようと思えたのだろう。

 

「どうして僕は君なんかと取引なんかしたんですかねぇ」

「悪いな、()

「………それ、想像以上に最悪ですね」

 

骸は呆れ混じりに、心底嫌そうな顔をした。

 

 

 

 

 

「君がここまで残酷な男だとは思いませんでしたよ、桂木明祢」

 

その呟きは、七年前から続く現在に向けられている。




桂木は人の名前を呼ばない。彼の中には、彼なりのルールがある。
彼が名前を呼ぶのは、家族と例外だけである。
今は。

未来編が進めば、あぁ、確かに桂木明祢は残酷だな、そんな風に思ってもらえるようになりたいです。


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30.指輪の話

右目の瞼から多量の血を流している少年は、その痛みに顔をしかめながらも、真っ直ぐに女と男を睨んでいた。

 

「ねえ、君。名前は?」

 

女が少年と視線が合うようにしゃがみながら、そう言った。

少年は女の意図を掴みかねていた。それを聞いてどうするのか、と。

その様子に、女は微笑んだ。

 

「その前に手当よね」

 

女は取り出した白いハンカチを、汚れるのも気にせずに少年の傷口に優しく当てる。

少年は首を傾げる。

男は二人の様子を黙って見ていた。

少年は女と男の二人を見比べて、それから周りにいる心配そうな表情をした町の住民たちを見た。至極不思議そうに瞬きをした後、少年は何かを思い出したかのように口元を緩めた。

 

「……ラウロ」

 

少年の突然の名乗りに、女は目を見開いて少年の顔を見る。

血を流しながらも、少年の表情は穏やかなものだった。

 

「そう……私はアリア。素敵な名前ね、ラウロ」

 

女の笑みは、大空の清々しさのように眩しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

十年前 並盛

 

「指輪が燃えたって……いや、まぁ信じないわけじゃないけど……」

 

数日前のリング争奪戦。大空戦のとき、俺は見に行かなかったわけだが、参加していた髑髏が言っていた言葉が気になった。

 

『リングが燃えてたの……』

『なんだそれ』

 

指輪から炎がでるという非現実的な状況は、今ひとつ飲み込みにくかったが、よく考えれば、自分自身がそういう非現実的な能力を有しているのだから、有り得るのかもしれないと思った。なにより、髑髏がそういう類の嘘をつくようには思えなかった。

リングというのは、確実にあのボンゴレリングというやつだろう。リングをはめたXANXUSが血を吐いて倒れたとかいう話を聞くに、曰く付きなのは間違いない。

 

「赤ん坊に聞いてみるか……」

 

あのよくわからない赤ん坊は、沢田をマフィアのボスにするためにやってきた家庭教師だというし、もしかしたらあのリングについて知っているかも知れない。なにより、リングから炎が出るという現象には、少し心当たりがある。

沢田の家に足を向ける。

彼の家は一軒家で、なんというか、これが普通の家庭なんだな。と思えるようなそんな雰囲気があった。……そういえば、沢田の家に来るのは初めてかも知れない。

インターホンを鳴らすと、パタパタと足音がしてから、穏やかな顔つきの女性が出てきた。沢田と似ているので、彼女が母親なのだろう。

 

「どなた?」

「並中三年の桂木明袮といいます。……綱吉くんとリボーンくんはおられますか?」

 

そう尋ねると、彼女は困ったように目尻を下げて「ツッ君の先輩さんなのね」と言った。

その表情が不思議に思えて、首をかしげる。もしかして、いないのだろうか。

 

「でも、ごめんなさいね。ツッ君もリボーン君も家にいないのよ」

「そうですか。どこに行ったとかは聞いていませんか?」

「それがねぇ、なんにも聞いてないのよ」

「聞いてない……」

 

結局、赤ん坊にも沢田に会うことも出来なかった。赤ん坊に至っては、昨日から帰ってきていないらしい。沢田の母親は、心配そうにはしていたものの、俺に何かを言うことはなかった。

 

仕方がないので家に帰ってウサギに癒やされていた。

 

「お前は本当にモフモフだな、大福……」

 

大福は俺が初めて育てたウサギだ。付き添うウサギは大福で二代目で、先代は望月だった。

一般的な兎の寿命は長くて十年程度で、うちのウサギたちも寿命はそれよりほんの少し長い程度で、十五年生きたら良いほうだ。

冬に近づくにつれ、その毛は更にフワフワになって。

……いや、そうではなくて。

 

「跳ね馬なら、もしかしたら」

 

他に候補があるとするなら六道なのだが、六道は最初、ボンゴレの超直感を知らなかったという。そもそも、沢田の名前も顔も知らなかったのだから、ボンゴレに関しては跳ね馬の方が詳しいのかも知れない。

昔、桂木家に関する文献を粗方読み漁ったことがある。その中に、先祖の友人が指輪から炎を出したという話があったのだ。

並盛に沢田家がいることからして、偶然とは思えなかった。

……なにより、古い指輪なら俺も持っているのだ。

 

「流石に関係ないとは思うが……」

 

気になってしまったものは仕方がないと思う。

 

跳ね馬の居場所は知っていた。雲雀に会いに行っているらしい。雲雀は嫌がっていそうだが。

歩き慣れた道を進み、校門を抜けて校舎に入り、階段を上がっていく。

……あれから、雲雀の怪我はどうなっただろう。元々、生命力の高いやつだから、今頃元気に戦っているのかも知れない。

 

「桂木さん?」

 

屋上に続く扉を開けると、扉の側にいた草壁と目が合う。

 

「跳ね馬はいるか?」

「跳ね馬なら、委員長と休憩していますが」

「なら丁度いい」

 

草壁の隣には、跳ね馬の部下のおっさんがいた。

二人とも、不思議そうに俺を見ている。

 

「跳ね馬」

 

大きめの声を出す。視線の先には、跳ね馬の後ろ姿と、右手を見つめている雲雀の姿があった。

俺の声に反応して、二人がほぼ同時に俺の方を向いた。

 

「あれ、桂木?」

「聞きたいことがあります」

「……俺に?」

 

跳ね馬は目を丸くさせるだけだったが、雲雀は一気に不機嫌な顔をして俺を睨む。

慣れているから、怒ってるんだろうなぁとしか思わなくなっているけど、他の人間ならそうもいかないんだろう。

 

「指輪のことです」

「指輪って……なんだよいきなり」

「気になることがあって、話せる範囲で良いんです」

「いやそう言われてもなぁ……」

 

跳ね馬は俺の後ろにいる右腕のおっさんと顔を見合わせて、何かを悩んでいる。その様子から、何かを知っていることだけはわかった。

 

「……指輪の炎の話のこと?」

「え」

「指輪の炎? ……あっ」

 

跳ね馬が焦ったように雲雀を見る。

そういえば……俺がここに来たとき、雲雀は右手を見つめていた。いや、本当は右手にはめている指輪を見ていたのだろう。

つまり、跳ね馬は雲雀には話したのだ。

 

「話せ、跳ね馬」

「敬語は!?」

 

 

「──覚悟を炎に?」

「ツナの死ぬ気の炎と同じだ。リングを媒介としてエネルギーを炎に変換している……って感じだな」

「原理を聞くと納得できてしまいそうのがなんとも言えない……」

 

雲雀のはめている指輪を見る。

ボンゴレリングは確かに曰く付きだが、炎に関して言うなら特に特別という訳ではなく、特殊なリングであればそれを媒介にして炎……死ぬ気の炎を灯せる、と。

 

「ただなぁ、これ結構な機密事項なんだよな」

「………待て、なんで教えた?」

「恭弥がちょっとバラしちまったしなぁ」

「あんたなら誤魔化せたんじゃないのか?」

「誤魔化すんなら無理矢理でもやるが……まぁ、お前ならいずれ知ることになってたと思うぜ」

 

俺が六道からマフィアについての情報を得ている以上、確かにいずれ知ることになっていただろう。

それを跳ね馬が知っているかは置いておいて。

 

「話は終わったかい?」

「雲雀」

「用が終わったんなら、早く帰りなよ」

「わかってるよ」

 

雲雀の冷たい声に、思わずぶっきらぼうに返す。

俺達はいつもこうだ。

お互いわざと険悪な状態にしているかのように、二人のやり取りには相手に対する優しさがない。

距離を測り間違えたのか、測る定規をぶっ壊したのか、今はもうわからない。

 

「お前ら、仲良いな……?」

「良くないよ」

「……右に同じ」

「そういうところだよ!」

 

跳ね馬は突っ込むけれど、残念ながら仲良くないからこうなっているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……骸の方は殆ど計画通り、ボンゴレ側もアジト襲撃が決まった。後は、俺のタイミングだな」

 

一人、暗い部屋で呟いていた。

 

「十年前の沢田達が来ているのは確認済み……あちらでは行方不明になっているのは間違いない。だからこそ、ちゃんと探ってもらわないと……」

 

目を瞑る。

思い出すのは十五年前の惨劇。決別できなかった、とうに通り過ぎた筈の過去。

別に、自分はもういいのだ。こんな風になってしまった自分は、とっくの昔に過去を乗り越えてしまっている。……いや、妥協しただけか。

それでもいい。自分はもう、地獄を歩く覚悟は出来ている。

だからこそ、十年前の自分に託すのだ。

地獄を歩く覚悟も、ただの道を歩く覚悟もどちらも選べない、覚悟ができないあの時代の自分なら、過去を乗り越えた時、本当の炎が灯せるはずだ。

 

首から下げた指輪と小瓶に目を向ける。

大丈夫。もうすぐで、やってくる。

 

「ちゃんと巻き込まれろよ、俺?」

 

 




大人の跳ね馬から見たら、子供が意地張ってるようにしか見えないとか。


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31. 「許さない」

「おいラウロ、召集だぞ」

「……パス」

「お前なぁ、こういうときだけ子供に戻るのはやめろ」

「嫌なヤツに会う気がするんだ」

「……嫌なヤツ?」

 

ラウロの顔は、やけに嫌そうに歪んでいた。

 

 

 

 

 

「……行方不明」

「えぇ。恭さんもそれとなく気にしているようですが」

「……そうか。人さらいの線もある。俺の方でも調べておくよ」

 

十月も終わりを迎え、一週間ほど経った頃。そんな話が桂木の元に転がり込んできたのは、偶然だった。

綱吉や獄寺、山本など、綱吉を中心としたメンバーが行方不明になっていたという。

 

(こないだ、沢田と赤ん坊が家に帰ってないと言っていたな……それに、ここ最近髑髏を見ていない)

 

十一月に入ってから、桂木はクロームとは出会わなくなっていた。連絡を取ろうにも、クロームは携帯電話を所持していない上に、そこまで気にすることでもないと考えていた。

だが、もしクロームが行方不明になっていて、それが今回の綱吉達の行方不明と関係があるのなら、事態は相当大きなものなのかもしれない。

そもそも、人攫いが出たのなら、噂程度でも彼の耳に入っているはずだった。

 

「黒曜へ行ってみるか」

 

草壁と別れた後、桂木は黒曜センターへと向かった。クロームがいなくとも、犬や千種がいるだろうと考えたからだ。

 

「城島、柿本!」

 

二人の名前を大声で呼びながら、建物内に入っていく。

黒曜センターは、複合型施設だったこともあって、その敷地はなかなかに広い。その為、どこにいるかを把握するのは難しいのだ。

 

「うるへーら!」

「あ、いた」

「……何の用」

「髑髏はどこだ?」

 

すると、二人は一斉に黙りこくってしまう。……それで、桂木は何となく予想がついてしまった。

 

「帰ってきてないんだな」

「けっ……」

「柿本、何か兆候はなかったか?」

「ないよ。いきなりだ」

 

千種の声は分かりにくいが、確かにクロームを案じていた。

桂木は二人の表情を見る。ほんの少し、顔色が青いようにも感じられた。

 

「六道からは?」

「なんにもねーんらよ! わかれ兎!」

「なんか機嫌悪くないか、城島」

「クロームがいないから……」

「なるほど」

「そこ、うるへーぴょん!」

 

犬の怒鳴り声に、少しだけ二人の表情が緩んだ。だが、それも束の間のこと。すぐに二人の顔は引き締められる。

 

「どこまで探した」

「黒曜一体は探した」

「並盛で人攫いが出たなんて情報は聞いてない。もしかすると」

「……マフィアか」

「可能性は高いと思うが、まだわからない」

 

桂木は並盛に詳しいが、彼が誰よりも知っているのはあくまで夜のことだ。昼間のこともある程度わかるとはいえ、夜ほどではない。

だとするなら、行方不明になったのは昼間の可能性が高い。

 

「とにかく、こっちも引き続き探しておく」

「すまない」

「テメーが謝ることじゃねーぴょん!」

「……犬」

 

桂木はなにも言い返さなかった。犬がクロームの身を純粋に案じていることを分かっていたからだ。

 

 

 

「桂木、沢田や京子は知らんか!?」

 

ゼイゼイと息を荒げながら、了平が桂木の肩に掴みかかったのは、桂木が黒曜を出てからほんの数時間後のことだ。

桂木なりに綱吉やクロームたちを探していた時、たまたま了平に出会ったのだった。

 

「いや、俺も探してるんだけど……」

「そうか……俺も日本を五周ほどしたのだがな、一向に見つからんのだ」

「日本五周……?」

 

何を言っているんだこの男は。

桂木の目が、信じられないものを見るかのような険しいものになる。

実際、それはあまりにも信じがたいことだったが、目の前の男がふざけた嘘をつかないことはわかっている。

ならば本当か? いや、まさか……?

桂木は混乱した。了平の言葉が本当だと思っているからこその混乱だった。

 

「そうだ。極限日本中を探し回ったのだ!!」

「おぉ、極限……」

 

桂木は口には出さないものの、了平が苦手だ。嫌いなのではない、苦手なのだ。

とにかく、自分のペースが狂わされる上に、了平のドッピーカンの晴れなのである。桂木はそういう性質の人間が一等苦手だった。

 

「………俺には、よくわからないが」

 

おそらく、了平が手を尽くしても見つからないであろうことは桂木でもわかった。これには、自分達ではどうしようもない何かが関わっているのだと、察しがついてしまったのだ。

それは彼の第六感だったのか、はたまた別の感覚だったかもしれない。

しかし、桂木は元来、真面目であり、どこかがさつな性格の持ち主だった。

 

「体を鍛えていれば、いつか会えるんじゃないか?」

 

それはあまりにも無責任な言葉であり、真面目さから来た言葉だった。

桂木の頭の中では、了平が巻き込まれることは確定事項だった。ならば、自ずといつかは出会うだろう。しかし、巻き込まれるということは、マフィア絡みの出来事なのだ。了平がそれを自覚しているかはさておき、強くなっておかなければ、呆気なく死んでしまうことも十分にあり得る。

桂木は考えた。了平には強くなってもらわねばならないと。

ちなみに、桂木の知るところではないが、既に了平は以前よりも強くなっている。

 

「何、そうなのか?」

「………うん」

 

了平の曇りない瞳に、桂木は目を逸らす。騙してしまうという罪悪感が彼を責めていた。

了平は一瞬思案した。

自らが強くなれば、探し求めている人々は見つかるのだと桂木は言った。桂木は難しく、複雑なものを抱えているような人間だが、悪い男ではない。

了平は桂木を見て笑った。

 

「そうか、では極限ロードワークをしながら探してくる!」

「……うん」

 

極限ー! という声とともに了平は桂木に背を向け、シャドーボクシングをしながら走り出す。

桂木はみるみるうちに小さくなっていく背中を見つめながら「早っ」と思わず呟いた。

 

(これだからこの男は……!)

 

桂木は自らの額に手を当て、大きくため息を付いた。

どうしてあんな嘘をついたのか。桂木は自分で自分がわからなかった。

 

「鍛えてたらいつか会えるって……そんなわけないだろ」

 

桂木の呟きは、既に姿が見えなくなっている了平には届かない。

桂木は空を見た。既に夕暮れ時になっていた。

桂木の好む夜がやって来る。

 

「嫌な予感がするのはなんでだ……?」

 

 

 

 

 

第四部隊の部屋で、ラウロは一人だけ残っていた。彼の部隊の者は、殆どがボンゴレアジト迎撃大隊に組み込まれていた。隊長である彼が行かなかったのは、数日前に独断行動をしたことが関係している。

桂木に化けて綱吉らと接触したラウロだったが、実のところ、あれは彼の独断だった。そのため、γら程ではないが、それなりの罰を受けることになっていた。

結果として、彼は第四部隊で唯一アジトに残っている。

ぼんやりとソファに腰掛けてた彼の元に、四振りの剣を腰に差した男が訪れた。

 

「召集に応じなかったらしいな」

「……幻騎士」

 

幻騎士に目を向けたラウロは、幻騎士に対して憎悪を滲ませた表情を隠すことはしなかった。

 

「しばらく見ないうちにスレたか」

「……あんたがそれを言うのか」

 

ラウロが幻騎士に近付き、その胸ぐらを掴む。幻騎士はラウロの手を見るだけで、何も抵抗しなかった。

 

「あんたさえ裏切らなきゃ、ユニ嬢がああなることなんかなかった! 白蘭なんかに救われたからって、信者になりやがって!」

「……口を慎めラウロ。白蘭様は崇拝するに足る御方だ」

 

幻騎士がラウロの手を払う。

ラウロの手は、空で何度か握っては開いた後、行き場を失った。

それでも、ラウロの瞳から憎悪が消えることはなかった。

ラウロは幻騎士が憎かった。ファミリーを売った裏切り者。それが幻騎士だった。

彼は幻騎士の弟子だった。だからこそ、周りからは裏切り者の弟子と呼ばれざるを得なかった。

 

「あんたらのせいでファミリーは崩壊した」

「あのままでは、いずれ終わっていた」

「だから何でもしていいって? あんた最悪だよ」

「……」

 

幻騎士は黙り込むと、踵を返して部屋から出ていこうとした。

 

「逃げるのか」

 

ラウロの言葉に、幻騎士の足が止まる。

場に、ラウロの殺気が充満する。ラウロは激昂していた。

 

「……ボンゴレのアジトを急襲しているとはいえ、万が一のこともある。準備はしておけ」

 

幻騎士はそれだけ言うと、部屋を退出する。

残されたラウロは幻騎士が出ていった扉をじっと睨み付け、目を閉じた。

 

「ユニ嬢は、あんたのこと解ってたんだよ……」

 

一人の寂しい部屋に、ラウロの震えた声が反響した。

 

『それに、あなたの気持ちはよくわかりました』

 

ジェッソのアジトへ向かうと言った時の、自らのボスの笑顔が、彼の脳裏にはずっと焼き付いている。

 

「許さない」

 

幻騎士を、白蘭を。

彼は絶対に許すことはない。




今頃気付いたんですけど、桂木が並盛中ケンカランキングで何位だったか結局わからずじまいでしたね……予定だと千種に言わせる予定だったのに、おかしいな。
彼はあの時点では二位でした。
山本より強かったんですね。それに幻術も込みで入るので、もしかすると当時は雲雀さんに勝てたのかも……くらいの強さです。


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32.歯車は回る

夜になると、目が冴える。

一人、夜風に吹かれていると、その隣に立つ人が現れた。

 

「あなたはいつも、つまらなそうな顔をしているわね」

「……そうでしょうか」

 

彼女は優しい人だった。どこの馬の骨かも分からない俺を、ファミリーの一員として迎え入れてくれた。

そのことに、少し胸が痛む。

彼女は俺を信頼してくれている。だが、その信頼に値するだけの価値が、俺には無いように感じられたのだ。

 

「えぇ、まるで自分を責めているみたい」

「それは……そう、でしょうね。俺は自分が一番嫌いで、だから……」

「自分を卑下するのは駄目よ。あなたは素敵な人なんだから」

「アリアさん……」

 

彼女の言葉は美しかった。それは、彼女の在り方そのものが、俺にとって美しいと感じられるものだったからだろう。

彼女はいつも笑っている。当然、今も。

大空のような包容力で、俺を包み込まんとしている。

その度に実感する。自分の醜さを。

 

「探し物は見つかった?」

 

その言葉に肩がびくつく。とてつもない衝撃を受ける。

それは、知られてはいけないことのはずだった。

 

「なんで……気付いてたんですか?」

「そりゃあ気付くわよ。あなた、分かりやすいもの」

「それ、はじめて言われました」

「そう? 今まで言われなかっただけじゃないかしら」

「どうでしょう。スラムの子供たちにはわかりづらいと言われましたが」

 

ジッリョネロに入る前、ここから近い、スラム街のある隣街で生活をしていた。

幸いにも学はあったので、スラム街の子供たちに勉強を教えることもあって、交流があった。

 

「で、どうなの?」

「……まだ、わかりません」

「そう、早く見つかるといいわね」

「そうですね」

 

冷たい夜風が体にぶつかる。背筋が冷えて、ぶるりと体全身が震えた。

空を見上げると、細かな星々が様々な色に輝いていた。

 

「私ね、長くないの」

「…………え?」

 

唐突に、そんなことを言われて、体が硬直した。聞いてはいけないことを聞いたような、信じていたものがひっくり返されるような恐怖を感じた。

それくらい、その言葉が信じられなかったのだ。

 

「死ぬわ、近いうちにね」

「………なんで」

 

絞り出した声は、酷く震えていた。

それくらいの情はあったことに、内心ホッとしている自分がいた。

アリアさんは微笑んでいる。おかしなくらいに。

 

「呪いなのよ、アルコバレーノの」

「アルコバレーノ……」

「皆には内緒よ?」

 

最強の赤ん坊と呼ばれている彼等。その存在は知っている。けれど、目の前にいる彼女は赤ん坊ではなくて。それでも、彼女の胸にある橙色のおしゃぶりは、確かにアルコバレーノのそれで。

そうだった。この人は、大空だった。

気付いたときには、怒りが沸々と沸き上がっていた。感情がコントロール出来ない。

 

「どうして、それを俺に言うんですか!」

 

俺が怒鳴ると、アリアさんは目を丸くさせて、またいつものようににこりと笑う。

目頭が熱い。涙は出ない癖に、ツラいという感情だけが先走る。

 

「笑わないでください!」

 

縋っていた。彼女の服を掴んで、子供みたいにどこにも行かないでと喚くように、縋りついていた。

彼女は俺の手を優しく握ると、そうっと指を一本ずつ外していった。

暖かい手からは、優しさが感じられた。

 

「母さんからこう教わったの。何を見てしまっても、周りを幸せにしたかったら……笑いなさいって」

 

青空のような優しい笑顔。

俺はこの人の笑った顔が好きだった。

 

「………」

「笑いなさい、ラウロ」

 

アリアさんはそう言うと、俺の頬を摘まんで無理矢理上に上げた。引き上げられた口角は、不格好な笑顔を作り出した。

 

「変な顔!」

「……あなたがそうしたんでしょう」

 

手が離れる。

……どうしてこの人は、こんなに優しいんだろう。

さっきまでの温もりを辿るように、そっと頬に触れる。

いつものように笑みを浮かべると、アリアさんは「下手くそ」と言って、やっぱり笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ヴー、ヴー

 

侵入者が入ったことを告げる警報が聞こえる。

廊下を歩いても、人は殆どいない。

当たり前だ。隊員の大半はボンゴレアジト迎撃大隊に行ってしまっている。今のメローネ基地は、手薄になっているのだった。

 

「……時間、か」

 

流れというものがある。

それは必ず一方方向に流れ、逆にながれることはない。それが、時間というものだ。

時間は川に似ている。急かと思えば、緩やかな時もある。

俺たちは時間の中を泳ぐ。けれど、けして逆らうことは出来ない。

それを覆すのが、十年バズーカだ。

人の手に扱える程度に収まってしまったあの兵器は、おそらくどんな兵器よりも危険で、不安定だ。

並行的に広がる世界は、同じ時刻だとしても、ズレがある。それは過去も同じで、だからこそ望んだ分岐に行けるとは限らない。

だが、仮に望んだ分岐点に辿り着けてしまったら、それは──

 

「考えても仕方がないか。逆に言えば……」

 

間違ったものを正せるということになるのだから。

……いや、まぁ、それは別にいいか。

今気にするべきは、換わる時間が何時なのかがわからないという点だ。スケジュールの中に俺は組み込まれていないのだから、下手をすると『武器』をそのまま俺が持っていってしまうということになりかねない。

流石にそれは避けたい。

 

「俺も変わったなぁ……」

 

嫌いな自分に任せるなんて、丸くなったのか、成長したのか、ただ単に妥協することを覚えたのか。

懐から巾着袋を取り出して、上下に振ってみる。硬いものがぶつかる音がした。

中を確認すると、掌に十分収まるくらいの四角い箱が二つ入っている。

匣兵器。

どちらも、この日のために準備していたものだった。

過去の自分に渡すために、用意していたものだった。

 

『馬鹿ですか、君』

 

骸にそう言われたとき、俺は何も返事ができなかった。だって、それは何一つとして間違っていなかったからだ。

俺は馬鹿だ。だから、こんなことになっている。

ボンゴレ狩りの標的にされたと知ったとき、まさか自分が巻き込まれるとは、なんて呑気なことを思った。

それは想像もしていなかったことだった。

骸にそう伝えれば、彼はハッとしたような顔をしてから、『僕としたことが忘れていました。君はそういう人間でしたね』なんて呆れたように言うのだ。

俺は馬鹿だ。

だから、わざと死ぬなんていうことを思いつくのだ。

……あぁ、でも。あんな顔をさせるくらいなら、やらなければ良かったと、少し後悔している。

 

──驚いた。

まさかあの雲雀が、俺の死に対して何かしら思うことがあるということが、信じられなかった。

雲雀にとって、俺はなんだったのだろう。

 

幼い日の記憶が甦る。

雲雀は、俺を落ち込ませた相手たちを殴って、ついでに落ち込んでいた俺も殴って、すたすたと前を歩いていった。

心配そうな草壁をよそに、俺は雲雀のまだ小さな背中を見つめていた。

 

『何やってんの、置いてくよ』

 

それは俺に向けられた言葉だった。

それが嬉しくて嬉しくて、俺は舞い上がってしまって。

 

『恭弥、ありがとう!』

『……なにそれ』

 

あれから二十年近く経ってしまった。

俺達の距離は離れるばかりで、思い出した目的も、俺には無理そうだった。

だからこそ、過去の俺には、過去の俺だけでも。

 

「俺は馬鹿か」

 

それは今考えることじゃない。

不器用な俺は、目の前のことだけ考えていればいい。

 

「───」

 

白い隊服を纏った男達の姿が見えた。

それに笑みを浮かべ、カメラの死角であることを確認すると、彼等の隣をさも当然のように通り過ぎた。

 

 

 

 

 

 

 

メローネ基地内部。

綱吉は、ふと疑問に思ったことを十年後の了平に聞いていた。

 

「ラウロか……」

「知ってるんですか? お兄さん」

「聞いた話だがな、奴の炎は本来Bランクに相当しないそうなのだ」

「え?」

「ってことは、別の部分でそれを補ってるってことにならねーか?」

「山本の言う通りだ。草壁もそれを気にしていた」

 

草壁は、雲雀の命でラウロについて調べていた。

技量はあっても、元々の炎の量が少ないのだそうだ。だが、逆に言えば、それは炎の量を補うだけの技量を持っていることになる。

 

「気づかない間に毒を盛ってくる相手だ。油断は出来ん」

 

綱吉は考える。

 

(でもあの人……悪い人には思えなかった。まるで、悪ぶっているような……)

 

それは、黒曜の一件の時、ランチアに感じた感覚によく似ていた。

 




十年バズーカなんて危険なもの、五歳児に持たせないでほしい。オメーだよ、ホヴィーノ。
つかっちゃいけないとかじゃないよ、全く。

桂木くん、君はいったいどこで何をしてるの……?


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33.裏切りの花

地響きのような音が、辺りに響く。

 

「なんだ?」

 

地面……いや部屋全体が揺れ、まるで動いているかのような感覚が体を襲う。

いいや、実際部屋そのものが動いているのだろう。

エレベーターに乗っているかのような、微妙な浮遊感を感じるから。

 

「入江正一か……」

 

入江正一。彼がなぜミルフィオーレにいるのか、その理由を推察することは叶わなかった。

学生時代、彼は一般人だった。マフィアの世界に深く関わったことがあったわけではない。白蘭に誘われたとはいえ、死ぬ気の炎を灯すほどの覚悟が彼にあったのかどうか……。

確かに彼はホワイトスペルの実質的な二番手としてメローネ基地で指揮を執っているが、彼からは白蘭への忠誠は感じられなかった。

……骸の話を思い出す。

骸の情報収集能力は恐ろしいまでに高く、本来俺が知ってはいけないようなことも聞いていた。

そのお陰で、自分の行動を予測して行動しているわけだが、事の詳細までは流石に予測できない。

 

「俺は、俺のすべきことをただ成すだけだ」

 

胸元で、チャリと何かがぶつかる音がする。……今も、ちゃんと持っている。それは父から受け継いだ家宝だった。

歩調を速める。狙う相手に会うために。

今度こそ、逃がさない。

 

 

 

 

 

 

草壁達は迷いながらも、歩いていた。

潜入したは良いものの、基地内の施設の配置が変わっていたため、端末のマップが役に立たなくなっていたのだ。

 

「笹川と獄寺の救出は出来ましたが……」

 

草壁は笹川と獄寺を背負っていた。

意識を失った人間二人分の体重が、彼の体にのし掛かっている。だが、その動きは緩慢ではなく、そこからは彼の力強さを感じられた。

部屋から部屋へと移動する。と、その時。

 

(……気配?)

 

一瞬、草壁の足が止まる。それに釣られて、クロームの足も止まる。

草壁は辺りを見回す。何か、人の気配がしたような気がしたのだ。

 

「………あ?」

 

そして、声が響いた。

草壁が咄嗟に視線を動かすと、そこには灰色の髪をした男がいた。

 

「あれは、グリージョ……」

 

草壁の脳裏に、事前に確認していた情報が浮かび上がる。

サーリチェ・グリージョ。ホワイトスペルのBランクで、隊長ではないものの、要注意人物として名が上がっていた。

彼の顔写真を見たとき、雲雀は何故か顔をしかめていたが。

グリージョは草壁達を視認すると、何かを思い出すような素振りを見せる。

 

「そういや、さっき報告があったっけ。確か……侵入者が三人……あれ」

 

グリージョが指差しで人数を数え、首を傾げた。

 

「……四人もいるな?」

 

彼は何度も首を傾げながらも、草壁達とクロームを見る。それから、何かハッと気付くと、口元に笑みを浮かべた。

 

「……あんたらは知らないだろうが、俺は術士が嫌いでな。見かけると、殺したくなっちまうんだな」

 

グリージョはクロームを見てニヤリと笑うと、匣を開匣した。

彼の表情は、嫌悪感を少しも隠していなかった。

 

(まずい!!)

 

草壁は了平と獄寺の二人を担いでいる上に、ランボとイーピンを背負っている。とてもではないが、回避は不可能に思われた。だが、狙われたのは草壁ではなかった。

 

「死ねェ、ボンゴレ!!」

 

匣の中から、青い炎を纏った茶色い生物が飛び出る。それは出っ張った歯に、特徴的なオールのような尾を持っていた。その姿はどことなく狸に似ている。

雨ビーバー。

その大きく丈夫な歯は、クロームを噛み殺さんとばかりに襲いかかってきたのだった。

 

「させない!」

 

クロームが叫び、辺りを霧が覆う。

だが、雨ビーバーの沈静の炎によって、霧の炎で構築された霧はみるみるうちに消えていく。

気付けば、雨ビーバーはクロームのすぐ目の前で迫ってきていた。

 

「クロームさん!」

 

草壁が庇おうとするが、二人を背負った体では、庇うことは不可能だった。

だが──、

 

「キャン!」

 

犬の悲痛な鳴き声のような声が響いたかと思うと、雨ビーバーが地にその体をついた。

直後、ほんの少し先すら見えなくなるような煙が部屋に充満し始める。

グリージョは倒れた雨ビーバーを見る。雨ビーバーはカタカタと痙攣して、意識を失っていた。

 

「この手口は……」

 

煙の中に、人影が映った。グリージョの目には、それは五人分に見えた。

グリージョの頭の中に、一人の男が浮かぶ。

気に食わない、気に食わないと日頃から言っている相手。

 

「……おい、どういうことだ?」

 

グリージョの頬を、一筋の汗が通った。嫌な笑みが自然と零れる。この相手と敵対することは、想像していなかったが、どこか心の底で望んでいたことだった。

 

「どういうことだって? ……こういうことだよ」

 

笑いを堪えきれなかったかのような第三者の声が、場に響く。それは低く、男の声だった。

煙が晴れる。

先程はいなかった筈の人物がそこにいる。

少し伸びた墨色の髪に、瞼の上に傷痕。風に煽られた髪の隙間から見えた左耳には、銀色のイヤーカフ。金色の瞳がグリージョを真っ直ぐに睨んでいる。

その青年は、草壁とクローム達を庇うようにして、彼等の前に立っていた。

 

「裏切りかァ? ラウロ」

「……どうとでも思えばいい。お前を倒せるのなら、今はそんなことどうでもいいさ」

 

その姿はどこからどう見ても、ミルフィオーレのブラックスペルであるはずのラウロだった。

 

「……おい、これは夢か? 殺したい相手が裏切りやがった」

「現実だ。現実でなければ困る。お前を倒すのは、俺だと決めていたんだから」

 

グリージョはどこか狂ったように笑う。

一方、ラウロとそれはそれは嬉しそうに目を細めた。

これから迫る戦いを、長い間待ちわびていたかのように。




短くてすいません。
オリキャラにオリキャラをぶつける蛮行をしました。

裏切りの花とは、ラウロのことです。
彼の名前の元となったのは、とある木なのですが、その木の花の花言葉は「裏切り」


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34.月桂冠はなくていい

──思い出す。

それはもう、十何年も昔の話だ。

あのとき、自分は体の節々の痛みに耐えながら、その光景を見ていた。

大切な人が、銃で撃たれている。

それは、想像を絶する痛みだ。

体の痛みを遥かに越える、胸の痛みだ。

地面に転がっている自分は、無力にもその光景を見つめる。

どうしてこうなったのか。

どうして何も出来ないのか。

少し前の、未だ平和だった頃を思い浮かべる。

……ただ日常を生きていただけなのに、と。

その時になって、ようやく知る。

日常は誰も守ってくれやしない。日常はこんなにも儚い。

簡単に壊れてしまうものだったんだと。

 

黒い髪の男が、アイツに銃を向ける。

照準は心臓に向けられている。

胸の痛みが強くなる。

そうして──ぶつり、という音が脳の奥から聞こえた気がした。

そこからは、朧気にしか覚えていない(鮮明に覚えている)

赤が目に痛かった。

 

全く、今も昔も変わらない。

自分は馬鹿だ。

いつまでも、この過去に囚われている。

言えるのは一つだけ。

……ただ、死んでほしくなかった。

本当に、俺は大馬鹿だ。

だから死ぬ気になれないんだ。

 

 

 

 

 

「なぜラウロが!!」

 

草壁が、信じられないものを見たとばかりに声をあげる。

事実、彼にとっては信じられないことだった。

ラウロは敵であり、彼にとっては桂木の仇にあたる人間だ。

草壁は彼を少なからず憎く思っているし、ラウロ自身が草壁達を助ける理由は思い付かない。

 

「ビーバー!」

「ピトフーイ!」

 

お互いの匣アニマルが、激突する。

ビーバーは単体だが、ピトフーイは群れとなってぶつかり合う。

初めは拮抗していた両者だったが、次第にビーバーの方が優勢になり、そのままピトフーイは雨の炎に呑まれてしまう。

 

「………」

「お前の弱点は知っている。霧の炎は正面からの戦いに向かない上に、お前の炎は元々量が少ない」

「それに、雨と霧では相性が悪い。……俺にとって、炎の量も質も上なお前は、勝てるはずのない相手って訳だ」

 

グリージョの言葉に対し、静かな声でラウロは続きを言う。

 

「あの時はいきなりのことに動揺したが、お前は炎のコントロールが上手いだけで、それ以外は雑魚と変わらん」

「それに加え、サーリチェ・グリージョは術士に詳しい……。確かに、俺が敵うような相手じゃない」

 

自らが劣勢にも拘わらず、ラウロは冷静だった。

脈も、仕草も、どれをとっても動揺は微塵も見られない。

凪いだ風のように、彼は穏やかだ。

それはこの状況下では、異常に見えた。

 

「……だが、俺は術士の定説とは裏切るべきものだと思っている。だから、術士の常識は俺には利かない」

「ほざけ、そんな戯言が通用すると思うな!」

 

ビーバーがラウロに迫る。ラウロはそれを紙一重のところで避けると、顔を草壁たちの方に向け、笑った。

 

「信じてくれ」

 

草壁とクロームは、衝撃を受ける。

その表情には、見覚えがあったからだ。

 

(似ている。あの人と……桂木さんと……!)

 

彼等の中では、桂木はしょっちゅう笑っている。

彼はよく笑う。けれど、笑うのが下手くそだ。不器用で、どこか不格好だ。

ラウロの表情は、それによく似ているのだ。

そして、気付く。

桂木とラウロが似ていることに。

彼が纏っているどこか虚無的な空気は、桂木が纏っていたものと同じ。

もし、ラウロの髪色が桂木と同じ焦げ茶色だったのなら、桂木と見間違えていたかもしれない。

 

草壁とクロームの反応を待たずに、ラウロがグリージョの方を向く。

彼の手には複数の匣。

先程ピトフーイを出したのと同じ匣だ。

 

「霧の戦い方を教えてやる」

 

カラカラ、と何かが複数落ちる音がした。しかし、ラウロはそれを気にした様子もなく、匣に炎を注入する。匣は開き、多数の鳥が勢いよく現れる。

その数は十や二十では到底足りない。百は優に越えている。

その全てが、景色と同化して見えなくなった。

 

「!!」

「空間把握を間違えたら、ピトフーイの毒であの世に行ける」

「だから何だ。お前は術士。あの幻騎士の弟子とはいえ、武術が出来るとは……」

「言っただろう。術士の定説は裏切るべきものだと」

 

瞬間、グリージョの前にラウロが現れた。いや、移動したのだ。瞬間移動ではなく、己の脚力で。

 

「ぐぁっ……!?」

 

ラウロの脚から、強烈な蹴りが繰り出され、グリージョの体が後方に飛ばされる。

しかし、グリージョはビーバーを使って、遠くに飛ばされるのを防いだ。

 

「残念」

「ほざけ!」

 

笑みを浮かべながら肩をすくめるラウロに対し、怒鳴り声を上げるグリージョ。

二人の攻防は、どこか歪だった。

ラウロは幻術と蹴り技を織り混ぜながら攻め、時に匣アニマルのピトフーイを防御に使う。

一方のグリージョは、ビーバーだけでなく銃で攻め、パリングダガーと呼ばれる波打った刀身のナイフを駆使して攻撃を受け流す。

一見、優勢なのはラウロに見えるが、その実ラウロは押されている。

匣の特性とはいえ、毒を扱うのだから、一定の耐性は持っているであろうラウロも、ピトフーイの毒に触れれば無傷で済むわけではない。

ラウロのピトフーイの囲いは、いわば諸刃の剣だった。

それは倒すためというよりも、グリージョを逃がさないための結界のようだった。

 

(何故だ、何のためにラウロは我々を助けた……?)

 

ラウロとグリージョの激しい戦いを見ながら、草壁は考えていた。

ラウロが自分達を助ける理由が、どうしてもわからないのだ。

仲間割れをしてまでグリージョと戦う理由。

それは一体何なのか。何のために、クロームを助けたのか。

自分達を助けなのなら、どうして──桂木明祢を殺したのか。

何より、あの言葉。

『信じてくれ』と、そう言った時のラウロの表情。桂木に似た、あの表情が、草壁を惑わせる。

 

「っち……!」

 

グリージョが舌打ちをした。

ラウロは攻防の中で、彼の視線が自分の方を向いていないことに気付いた。

グリージョの視線の先は、ラウロの後ろ、獄寺と了平を背負った草壁のところへ。

 

「クサカベサン、ウシロ!」

 

草壁はイーピンに名前を呼ばれて、背後を振り向いた。

そして、悟った。

──避けられない。

目前に、青い炎を纏ったビーバーが迫っていた。

複数の人間を背負ったこの体では、到底避けられない。

終わりだ、と思った。同時に、申し訳ないとも。

草壁が攻撃を受けるということは、背負った彼等も攻撃を受けるということだ。

それは、避けなくてはならなかった。

けれど、体はそんなに速くは動けない。

 

「……ったく、世話が焼ける」

 

声が、聞こえた。

それは懐かしい、誰かの声だった。

 

グチャリという、肉の音が響く。

小さな呻き声と血の色。

それらは全て、どこか浮世離れしていた。

ビーバーが、誰かの左腕に噛み付いている。

その誰かは右腕で思い切りビーバーを殴り飛ばしてしまう。

同時にビーバーの歯も抜け、傷口から鮮血が吹き出るように流れる。

その後ろ姿は先程と同じ、墨色の髪を靡かせている。

けれど、懐かしい人と姿がだぶる。

 

「桂木さ……」

「……そこまでいったら、もう駄目だな」

 

諦めたような声が場に響く。

その声に、草壁はやはり聞き覚えがあった。

 

それは、霧が晴れたような感覚だった。

ラウロの顔が、変わった。……いや、伝わってくる印象が変わった。

黒髪も、少し幼く見える西洋人らしい顔立ちも変わらない。けれど、そこにいるのは確かに──

 

「桂木さん……!?」

「最悪な生存報告だな、これ」

 

そこにいたのは、紛れもなく桂木明祢だった。

歪んだ顔には、痛みからか汗が滲んでいる。

 

「どういうことですか……ラウロと貴方は入れ代わっていたんですか?」

「それは……」

 

草壁の問いに桂木が詰まる。

視線を逸らし、地面に向けている。

 

「……桂木明祢?」

 

ぽつり、と零れるような声だった。

グリージョが目を見開いて、桂木を見ていた。

 

「……お前が、桂木明祢だと?」

「わかるだろう? グリージョ。俺がお前を嫌いな理由も、お前が俺を気に入らない理由も」

 

グリージョは今までのラウロとのやり取りを思い返した。

そのどれもが、その顔に嫌悪を滲ませている。それは、はじめて出会ったときからだった。

 

「ということは、お前は……」

「そう、()()()()()()。最初から入れ代わりなどしていない」

 

桂木明祢は、術士だった。

同時に、自身の術士としての才能の限界に気付いていた。

彼は幻術だけでは勝てないことを、生きていけないことを悟った。

だから、別のものを鍛えた。

術士の常識を外れることにした。

ラウロとして生活していく上で術を使ったのは、印象を操作することだけだった。

墨色の髪は染めただけ、顔立ちは化粧をした。瞳の色は、青年になってから何故か自然に変わった。

その上、学生時代は眼鏡を掛けていたから、見慣れた者は気付きにくい。

そこに印象を誤魔化す術を掛ければ、誰も気付きはしなかった。

要は変装した上に幻術を施しただけである。

 

「術士が変装をしないなど、誰がいつ決めた」

「……そう言っていられるのも今のうちだ」

 

グリージョがそう言ったとき、桂木の体がぐらり、と大きく揺れた。

 

「……雨の沈静か」

「ビーバーに噛まれたところから体内に雨の炎が入り込み、体の動きを沈静させる……。お前と手口が似てるのが気に食わねぇな」

 

グリージョが近づく。桂木はふらふらと揺れながら草壁たちの前に立つ。

 

「桂木さん、どうして……」

「弟子と昔馴染くらい、守らせてくれ。それに……アイツは俺が倒さないといけないんだ」

「同感だな。俺も、お前を倒したくて仕方がなかったんだよ」

 

動きにくい体を、無理矢理動かす。

いつ頃、雨の沈静の効果が無くなるのかはわからない。

それに、勘が、そろそろだと告げている。

 

「今すぐ、お仲間ごと殺してやるよ」

「……似たような言葉、昔聞いたなぁ」

 

ぼやきのような言葉を桂木が呟いた直後、桃色の煙が彼を覆った。

 

「!?」

「漸くか……」

 

(精々足掻けよ、桂木明祢)

 

笑う。

自分のことは嫌いだけど、弱い過去の自分なんてろくでもないけど。

それでも、一番可能性があるのは過去の自分だから。

 

(グリージョなんて、踏み台にしろ)

 

目を閉じて、笑った。

 

 

 

 

 

煙が晴れる。

人影一つ、呆然と立っている。

 

「………は?」

 

先程の青年を一回りほど小さくしたような少年がいた。

それは十年前の過去から来た、桂木明祢だった。

 

 




原作の描写だと色々と困ったことがあったので、アニメ版の描写を使った部分があります。
イーピンの言葉や、十年バズーカの辺りです。

ラウロというのは、イタリア語で月桂樹という意味です。ローリエの木です。
桂木の名前の『桂』とは関係のない木ですが、桂の字が入っているので採用しました。


ラウロ
24歳
ブラックスペル Bランク
少し伸びた墨色の髪を束ねた金目の青年。
自分が殺した人間に、白い花を手向けることで有名。
今までに殺した人数を覚えている。
178㎝、65㎏
好き
アリア、ユニ、アランチーニ(イタリア料理)
嫌い
白蘭、幻騎士、グリージョ、自分、無駄な殺生

・ラウロ(月桂樹)の花言葉
「栄光」「勝利」「栄誉」
花「裏切り」
葉「私は死ぬまで変わりません」


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35.必要な混乱

父さんは昔から、病院に近い香り──薬の匂いがした。

それもその筈だ。父さんは並盛中央病院で薬剤師をしているのだから。

 

桂木家は、代々薬剤師をしている家系だ。

古くは戦国時代辺りは、近くの権力者のお抱え薬師として働いていたらしく、あの無駄に大きな家は、その権力者から下賜されたものだったらしい。

……近くの権力者というと、俺にはどうも物凄く覚えのある奴がいるが。いや、まさかそんなわけがない。

その他にも色々と貰っているらしいが、それらは大切な家宝ではあるものの、重要な家宝ではないらしい。

家宝多すぎだと思った俺は悪くない。

俺が今持ってるのは重要な方の家宝である。六道にばらしたのもそっちだ。

桂木家の秘密に纏わるものが重要な方なのだ。ルーツの分かっている(わかりたくないが)方は桂木の秘密には全く関係ない。

関係があったのなら、一か八かで聞いてみたが、関係がないのなら仕方がない。

 

……小さい頃は、父さんに憧れていた。

雲雀はよく風邪を拗らせては並盛中央病院に入院していた。俺はその度に見舞いに行った。

病室に行くと、父さんが雲雀と話している。

雲雀は病院も牛耳っているから、雲雀からではなく、医者や薬剤師の方から会いに行く。

 

『明祢、薬剤師というのは人を助ける仕事なんだよ』

 

父さんは大体、何かを教えながら俺の頭を撫でる。

雲雀にだって、頭を撫ではしないものの、説教じみたことを言う。

俺はそんな父さんが誇らしかった。

俺も、将来は薬剤師になるんだと、薬学の勉強だってしたぐらいだ。

雲雀は風邪をよく拗らせるから、俺が支えてあげようと思ったのだ。それに、人を助けるというのはとても素敵なことだから。

……そんな夢も、思い描いていた将来も、全部あの秋の夕暮れに消えたのだけど。

 

 

 

どこをどう探しても、情報屋に聞いてみても、何もわからなかった。

まるで、突然消えたみたいに、何も痕跡がないのだ。

人が突然消えるだなんて、そんなことはあり得ない。だというのに、それが現実であるかのような錯覚を起こすほど、情報がなかった。

逆に考えれば、情報がないということが情報になるのかもしれないが……。

 

「人が何人も行方知れずになってるってのにそんなことあり得るか?」

 

そう、そこなのだ。

昼間に何人もの人間が行方不明になれば、本来は目撃者が一人くらいは最低でもいるものなのだ。

何故か、それがない。

これは不可解だ。

つまり、目撃者が出来ないほど一瞬で消えたとしか考えられないのである。

そして、そんな力を俺は知っている。

──幻術。

あれなら、可能だ。それはもう楽勝だ。

一般人に悟られずに誘拐、殺害などお手の物である。

だが、それだと説明できないことがある。

あの赤ん坊と沢田のことだ。

六道曰く、この二人には幻術が通じにくいらしい。

なんでも、赤ん坊は相当の実力者で、沢田は類いまれなる直感を持っているのだとか。

赤ん坊はさておき、沢田の直感は術士には天敵と言っていいほどだろう。幻術とは、結局のところ最後には勘で見破るものなのだから。

 

「……探そう」

 

沢田たちのことは嫌いじゃないし、髑髏は弟子だ。それに、人がいなくなるということは風紀が乱れている。

風紀、それは雲雀が大事にしているものだ。

俺だって、町が荒れるのは嫌だ。

歩く。町中を、何かに迫られるように。

そうして、会ってしまった。

交差点の曲がり角を曲がったときに、偶然、そこに雲雀がいた。

 

「雲雀……」

「あぁ、君か」

 

雲雀は、あまり機嫌が良さそうではなかった。

そりゃそうか。並中生徒が何人も行方不明になってるんだから、雲雀の機嫌がいい筈もない。

 

「ちょうどいい。言いたいことがあったんだ」

「……俺に?」

 

嫌な予感は当たる。

雲雀の視線はいつもとなにも変わらない。なのに……何か、恐ろしいものが迫っているような気がした。

 

 

 

 

「話ってなんだよ」

 

その視線が、どういうものか知っていた。

あの師匠面をするおかしな男。彼が彼自身の群れに対するそれと似ている。だが、それよりも不快な視線だ。全く違う。

雲雀は燻っていたものが何であったのかを理解した。

理解した途端、爆発的に増えていくそれを、雲雀は無論押し止めることをしなかった。

それは常と変わらないことだが、普段と違うのは、妙なほどに頭がすっきりしていることだ。

雲雀はムカついていた。

自分を庇護する対象として捉えていた愚かな兎に。

それを今まで覆すことが出来なかった自分自身に。

浮かぶ言葉は、数年前からずっと雲雀の中にあった。ただ、雲雀自身がそれに長らく気付いていなかっただけで。

 

「僕は君に守られるほど弱くない」

 

彼は、その言葉を、改まった気持ちで口にする。

桂木の顔が驚愕に歪み、それから、くしゃりと今にも泣きそうに、不器用に笑った。

突きつけられたのは、紛れもない事実だ。

ようやく、桂木は気付く。いや、目を背けていたことに無理矢理目を向けさせられた。

正面から見る雲雀の、堂々とした姿。真っ直ぐ、目は猛禽類のごとく標的を射抜かんとする。

 

(……なんで、忘れていたんだろう)

 

雲雀恭弥は強い。

最強の守護者と謳われる彼は圧倒的なまでの戦闘能力を持っている。彼がトンファーを得物に振り回したが最後、彼の回りに立つものはいなくなる。

──けれど、それは雲雀恭弥の強さの核ではない。

雲雀恭弥が雲雀恭弥たる所以は、けして単純な武力ではなく。彼の本当の強さというのは、浮雲とも称される、その心の有り様だ。

一分の揺るぎもなく、孤高の存在として凛と立つその在り方こそ、彼の強さの本質だった。

 

「そんな、こと」

 

昔、お前を一目見たときから知ってたさ。

幼い頃、既に周囲と別格の域にいた彼のその在り方に憧れていた。自分にはけして手の届かない領域。空に浮かぶ雲のような、掴みようのない、それでいて確かなその姿に。

けれど、それを忘れていたのは桂木自身だ。

だから、何かを間違っていたとするのなら。それは、彼が大切なものを護ろうと距離をとったことではなく、彼が彼の大切なものを見誤っていたことだ。

 

心配するということは、突き詰めれば『信用しない』ということ。

桂木は過去の出来事に囚われて、本当に大事なことがわからなくなってしまっていた。

 

(なんだ、一体何を忘れていた?)

 

桂木は混乱した。

気付いたときには雲雀から逃げるように走り出していた。

わからなくなってしまったものはなんだったのか。

彼にはそれが思い出せない。いや、思い出さないように蓋をしてしまっている。

本当はどうしたかったのか。自身の感情を、欲を、ずっと抑圧していた。

それは自由の否定だった。

 

 

 

 

「はぁ……ぁ、ああ……」

 

体感にして数分、いや数十分は走っただろう。

息は絶えに絶え、汗で体は濡れていた。

背後からの足音は聞こえない。

一体何から逃げていたのか。それがわからない。

言いも知れない恐怖から逃げたいと願う子供のようだったと思う。

 

「喉……乾いた」

 

幸いなことにまだ並盛だったので、記憶の中の地図を駆使して、近くの自動販売機に立ち寄った。

喉をひんやりとしたスポーツ飲料が通る感覚がする。

美味しくて、ペットボトルをすぐ空にした。

少し辺りを見回して、併設されているゴミ箱に突っ込んだ。

汗は少し引いていた。しかし、大量の汗を服は吸い込んでいて、気持ち悪かった。

ぼんやりと、道を見つめた。当然、なにもなかった。

いや、人はいた。

橙色の髪に、紫色のバズーカを手にした少年がいた。

なにもおかしなところはない。

………ない?

 

「待てよ、そこの」

「ひぃっ!?」

 

何かがおかしいことに気づいた。いや、絶対おかしい。

こんな日本の町中でバズーカを持っている? そんなふざけたことは止してくれ。

 

「そのバズーカ、何に使う気だ?」

「あ……う、うわぁぁ!!」

 

眼鏡の少年が叫びながら逃げ出す。……だが、それは殆ど無意味だ。

脚に力を入れる。

駆ける。

あるいは、兎のように跳ねる。

直ぐ様追い付いて、その襟首を引っ捕らえ、地面に転がす。

 

「どこの誰だ、お前」

 

そこで、はっきりと顔が見れた。

それは眼鏡を掛けた平凡な少年だった。

特筆することなどない、ただの中学生くらいの少年だった。

こんな少年がバズーカを……?

顔は見たことがないから、並中の生徒ではないっぽいが。

 

「ぼ、僕は……」

「まぁいい。とりあえずその物騒なものをこちらに渡してもらおうかっ」

 

ぐい、とバズーカを引っ張る。しかし、少年はやけにしっかり掴んでいるらしく、なかなか離れてくれない。

銃口は俺の方を向いているので少し怖い。

 

「放せ!」

「い、嫌です!」

「いいから放せって!」

 

ぐい、ぐい。バズーカから軋む音がする気がするが、そんなことは知ったことではなかった。

 

「そんなもの持ってどうする!」

「べ、別にいいじゃないですか!」

「いいわけないだろ、馬鹿!」

 

ぐい、ぐい。引っ張って、引っ張って。

なんとか少年から奪えた。と思った。

──カチッ

 

「ん?」

 

嫌な音がした。

そうして気付いたときには、宙に浮いたような感覚がした。上も下もよくわからなくて。

ふわふわとしていた。自分がどこにいるのかわからない。

 

目の前に、煙が充満していた。

バズーカの煙……? いや、ありえない。それなら俺はとっくにお陀仏だ。なら、これはなんだ。俺は今どこにいる?

煙が晴れる。

 

「は……?」

 

目の前の光景が信じられなかった。

場所が変わっているとか、色々とおかしいとか、もうわからなくて。

けど、そこにいたのは、見覚えのある男だった。

その顔を間違えることはない。

……間違えてはいけないんだ。

それは、俺が()()()()()の人間だったのだから。




桂木は10年バズーカの存在を知らないんです。混乱間違いなし。
実は雲雀さんは桂木のこと、全く嫌いじゃないです。

暗い過去はもうすぐ。


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36.無常

 
Un giorno in cui la vita di tutti i giorni è rotta──



その日が、あいにくの曇天だったことは覚えている。

秋口もよくわからないような誕生日直前で、半袖を纏って町を歩いていた。

自分がまだ小学生という職務に勤しんでいた頃。しょっちゅう共に活動する″顔馴染″がいた。

その日も、いつもと同じように顔馴染と、それに付き従う哲矢がいた。

 

「恭弥、今日はなにするんだ?」

「見回りだよ」

 

小学校が終わった放課後には、専ら恭弥に合わせて『見回り』をするのが日課だった。

俺が知る限り、恭弥は幼稚園の頃から風紀委員ごっこ(後に、そう思っているのは自分だけだと判明した)に夢中で、恭弥と遊びたい自分はそれに付き合う形で共に見回りをしていた。

ただし、俺は風紀委員というものになるのが嫌で、ただ勝手に付いて回っている。それに対して、恭弥はなにも言わない。多分、納得しているんだと思う。

この頃はまだ、雲雀恭弥は並盛を支配するまでには至っていなかった。もっとも、それは時間の問題だったが。

 

「昨日も一昨日もその前もしたよ、それ」

「……僕に文句あるの?」

「うっ、あるけどない」

 

俺たちのやり取りは、けして穏やかなだけのものではない。遊びと称して殴り合いをすることは多々あるし、哲矢と俺はイラついた時の恭弥に殴られるし。そもそも、出会いからして殴られた記憶しかない。

でも、それで良かったのだ。恭弥と一緒にいるのは、不思議と息がしやすかったから。俺は恭弥と関わっていることで、自分が不幸になったとは思っていない。むしろ逆だ。

幼稚園の頃の自分の見る目は、我ながら間違っていなかったのだと確信している。

 

「なぁ恭弥。見回りってさ、楽しい?」

「楽しいとかそういうものじゃないけど、楽しいよ」

 

口元を(凶悪的に)緩ませる恭弥は、なるほど確かに楽しそうだった。

当時の並盛は、今よりも少し治安が悪かった。恭弥は、その状況をあまり良く思っていなかった。

雲雀恭弥の名前は広まっているものの、本人の姿形は今ほど知られていなかったから、一部の不良たちは華奢な恭弥を見ると、いいカモだと思って、からかいにやって来る。

かわいそうに。カモは不良たちの方だ。

埒外に強い恭弥にとって、コンビニ前なんかに屯する不良たちは格好の餌食だった。風紀を乱し、群れているのだから、それは当然だった。

俺はそれを少し離れたところから見る。

雲雀恭弥は既に戦闘マニアであり、並盛の秩序だったのである。

 

「哲矢は?」

「俺は恭さんに着いていくだけなので」

 

そもそも、楽しいとかそういうのは関係ないと。

二人はそういう奴だった。

幼稚園で存在感を放っていた恭弥にボコボコにされてからというもの、哲矢は恭弥に付き従っている。そこに一体、どういう紆余曲折があったのかは俺の知るところではない。しかし、恭弥に人を引きつける何かが備わっているのは分かる。

俺も恭弥のそういうところに惹かれた口なのだと思うし。

だから、ついつい恭弥には本音を溢してしまう。

 

「恭弥はいいなぁ」

「何が」

「だって、自分の好きなことを突き通せるから」

 

恭弥には幼い頃からそういう強さがあった。誰にも媚びない、他者に流されない、自らの意思で全てを決める。頑固と言えば聞こえは悪いが、それが恭弥の美徳だ。

 

「そんなに羨ましいなら、君も好きにしたらいいんじゃない」

 

恭弥は振り向きもせずにそう言った。

俺の言葉には、微塵の興味も湧いていないらしい。その様子は紛れもなく恭弥らしかったから、つい笑みが零れる。

 

「それが出来るのは、世界中でもほんのちょっとしかいないんだよ」

「……何で?」

 

ふと、恭弥の足が止まる。先頭だったので、自動的に俺と哲矢も足を止めた。

目を丸くして首をかしげる恭弥は、まだ無垢な子供だった。突然降ってきた疑問を、解決せずにはいられなかったのだろう。

俺は少し考えた。

疲れ切った顔をした、色んな人間を想像した。彼らはどうだっただろう。どうして、あんなに苦しそうなのだろう。

そうして。あぁ、重そうだ、と思った。

 

「たぶん、色んなものが色んな方向から乗っかってくるからじゃないかな」

「……ふぅん」

 

恭弥は自分から聞いてきたくせに関心なさげな様子で、それだけ聞くとまた足を進め始める。答えはあまりお気に召さなかったらしい。

足取りは軽やかで、気を抜くとすぐに置いていかれそうだった。

並盛の町を歩く恭弥に、迷いはない。

いつもと同じルートだからというのもあるが、それ以前に恭弥の頭の中には並盛のありとあらゆる情報がインプットされているからだ。お陰でそれに付き合う俺も粗方の地図情報が頭に入ってしまっている。

あと数年もすれば、俺も並盛全土の情報を覚えてしまうのかもしれない。

それもこれも、恭弥の影響だ。

 

「僕はそんな風にはならない」

 

しばらくして、恭弥が言った。

黒い背中は、俺と同じくらいの大きさだ。なのに、彼の背中は俺と違って、凛としていた。

雲雀恭弥は強い。

確かに、ケンカじゃ負け知らずだけれど、そういう意味じゃない。

その在り方が強いのだ。

だから、俺は恭弥に勝手について行っている。

多分哲矢とは違う、よくわからない理由だけど、恭弥は俺のそれを拒絶しなかった。群れを嫌う彼が、どうして俺を許容するのかはわからない。

俺は一度も恭弥には勝てなかったのに、恭弥は俺と戦うのが好きらしいから、それが理由なのかもしれない。

友達という関係はどうも違う気がするし、顔見知りと言うには近い俺達は、自分たちの関係をどう表していいのかわからない。だから″顔馴染″なんて言葉で形容する。

恭弥は友人を必要としないから。

本当は、そんなのは納得できないけれど。今は、しょうがない。

 

「うん、恭弥ならそう言うと思ってた」

 

恭弥の歩みは、止まらない。

その背中を、俺はずっと見ていられた。

 

 

 

「あっ」

 

商店街を、通り抜けるように歩いていた。

足早に過ぎていった黒いスーツで、灰色の髪の男が、ポケットから何かを落とした。黒くて四角いなにかだ。

近くまで寄って、しゃがんで、それが何かを確認する。

いかにも大人が持っているような、黒い革の四角い財布。手に持つと、想像以上に厚みがあって、なかなかの量が入っていることが伺える。こんな大事なものを落とすなんて、随分と気の抜けた人物だ。

早く渡してあげないと。

先ほど見かけた背中が、十数メートルほど遠くの薄暗い路地に曲がっていくのを捕らえた。急いで追いかけて背を叩く。

 

「これ、落としましたよ」

 

スーツの男が振り返る。仕事帰りのような少し草臥れた顔だった。なんだかやけに鼻が細くて、目がくっきりとしている顔の濃い人。多分外国人だろう。見たことがないから、出張とかで来たのかもしれない。

自分が数分前に浮かべたような、重そうな人間だった。

財布を差し出す。

男は財布と俺の姿とを見比べた後、目を丸くさせて、それから俺を見て。隈のある目を細めて「ありがとう」と言った。ほんの少しぎこちないけれど、思いはしっかりと伝わってきた。

本当に喜んでいるようだったので、こちらも嬉しくなった。自分はこういうのが好きなのだ。人が笑っている顔を見るのが、何番目かくらいに好きだった。

男はそれを受け取って、ジャケットのポケットの中にしまいこんだ。財布の厚みからか、ちょっと膨らんでいる。

 

「あぁ、本当に助かったよ。君はいい子だね」

 

男はとにかく、感謝と世辞を言った。人として当然のことだと思っているので、なんだか照れくさい。

 

「じゃ、じゃあ、俺はこれで」

 

この場にいるのが我慢ならなくて、すぐに男に背を向け、元の道へと戻る。辺りを見回して、恭弥と草壁の背が少し先の方に見えた。目視できるくらいの距離なら問題ない。駆け寄ってさっさと追いつこう。

 

「恭弥、哲矢。ちょっと待っ──」

「君が桂木明袮くんだね?」

「はい、そうですけど………ん?」

 

名前を呼ばれた。

そうだ、自分の名前だ。下の名前は女の子っぽくて少し苦手だけど、たしかにそれは父さんがつけてくれた、俺の名前。

───名前?

それはおかしい、と警鐘が頭の中で鳴った。沸き上がるのは、圧倒的な違和感。

だって、そうだ。自分は、一度も、この男に名前なんて教えていない。仮に誰かから聞いたのだとしても、フルネームなんて、この辺りの人が言うだろうか。

背筋がぞっとするような気持ち悪い気配。信じていたものが、一瞬で覆っていくような。心臓が締め付けられるような、そんな恐怖が俺を支配せんとする。

怖くて、咄嗟に振り向いた。

 

「あ……」

 

眼前に突きつけられたのは、黒く輝くもの。本能的に、それがとても危ないものだということを悟った。

日常が壊れるとき、それは俺たちが気づいたときには手遅れで、俺たちが気付くよりずっと前から隣にいる。

男は確かに笑っていた。

けれど、それは底冷えするような冷たい瞳をしていた。

 

「早くしないとオトモダチも一緒だ」

 

自分に友達と呼べるような人はいない。けれど、それが誰を指しているのかはよくわかった。

だから、無言で頷いた。

 

Grazie,ragazzo(ありがとう、少年)

 

男は銃を向けたまま、路地の先を顎で指した。

路地の先には、黒塗りの車があった。

男に脅されるがまま、俺は車の中へ入る。中には黒服の男が二人もいた。

男の声が背後から聞こえる。

ガタガタと体が震えるのを必死に堪えた。

確かに、拳銃は怖い。だけど、なによりも怖かったのは、恭弥と哲矢がこんな奴等に捕まって縛られることだった。

それが、数秒先の死よりも許せなかったのだ。

 

 




過去編です。

私達は、感情というものに左右されてしまう生き物です。桂木明袮もまた、人間ですから感情に左右されます。
桂木明祢が変わった日の話です。

この話、実は4月時点で既に書き始めてた話なんですよね。発酵してそう(してない)


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37.崩壊の時

大抵の人間は多くの選択を迫られ、多くの間違いを犯す。

ここでいう間違いとは罪ではなく、後悔のことだ。

間違わない人間は後悔など残さない。自分の歩んできた道を、間違っていないと信じられるから。

 

 

 

乗り心地の悪い車に、視界を遮られながら乗せられている。気分は最悪中の最悪だ。

誘拐なんて一度もされたことなどないが、なるほどこれは確かに心細い。大抵の子供が泣くというのもよく分かる。

人より優れた聴覚と揺れ動く車のお陰だろうか。車が右や左へ曲がっていることが、感覚でなんとなく分かる。

頭の中に浮かんだ地図で車の場所を追う。それで、自分がどこに向かっているのか見当がついた。

並盛駅から電車で二十分。──並盛海岸沿いの港だ。

しばらくして、揺れが収まった。

 

「降りろ」

 

黒服の男に引きずられるようにして車から降ろされた。

布越しにわかる太陽の光の赤が眩しかった。

目隠しをしたまま歩かされた。途中で暗くなったので、多分建物の中に入ったのだと思う。

こちらの方には殆ど行かないのでそこまで詳しくはないが、多分貿易関係のコンテナがある場所付近だと思う。

おそらく、彼らは人さらいだ。なんのためにピンポイントで俺を狙っているかはわからないが、これから取引があるのだろう。

そうして数分ほど経った頃、人の気配が増えた。

 

『…………こいつか?』

『あぁ』

 

聞き慣れない言葉で話す、男の声が聞こえた。しゃがれ声ではなく、ハリのあるような声色なので、まだ若いのかもしれない。

 

「おい、お前が桂木明袮か?」

「……そうだとしたら、貴方は俺をどうするんだ?」

 

なんとか出した声は、少しだけ震えていた。

 

「何、聞きたいことがあるだけだ」

 

目隠しを外される。いきなりのことに、視界はぼやけていたが、目の前にいる男が灰色の髪をしていたことはわかった。

しばらくして、視界がはっきりとしてくる。見渡すと六、七人くらいの外国人の男たちが俺の周りを囲っていた。

 

「答えろ、オチミズはどこにある?」

「オチミズ……?」

 

それは生まれて初めて聞いた単語だった。だというのに、何故か耳に残る響きだ。

まるでそれが、自らの血肉に当たり前のように備わっていた知識とでも言うかのように。いや、実際そうだったのかもしれない。その単語を聞いた途端、頭の中にある記憶が浮かび上がった。

 

それは随分と朧げだった。

何かを囲むようにして複数の男女が立っていた。彼らは難しい顔をして、()()()()を見つめている。

 

『残念だが、お前たちとはここでお別れだ』

 

視点の主は、感情の乏しい声色でそんな事を言った。それを聞いた周りは、失望の表情を彼に向ける。けれど、彼はそんな周りの反応を予想していたらしい。くだらないとばかりにため息をつき『いずれ破綻するものに興味はない』と吐き捨てて、彼は聞こえてくる静止の声を無視して、その場を去っていく。

その手には紫色の装飾がされた小瓶があった。

 

──ゾクリ、と酷い寒気がした。

こんなものは知らない。こんなものは見たことがない。なのに、覚えている。

 

「答えろ!!」

「ぐっぁ……!」

 

腹を蹴られ、体が後ろへ吹っ飛ぶ。一瞬、呼吸が止まる。胃にまで痛みが到達していたが、それにしては随分と痛みは遠く感じられた。

焼けるような痛みに、息が苦しい。

 

「知ら、ない」

「……質問を変えよう。若返りの水はどこにある?」

 

若返りの水……?

それは裏を返せば、不老不死の水ということになる。

そこまで聞いて、ようやく、彼らが何を求めているのかを理解した。同時に、それがおかしな事だということも。

 

「……そんなものはない」

 

確かにそのたぐいの話なら、父さんから何度も聞かされた。けれど、あれはおとぎ話で、そんな水は存在しないと、父さんは言っていたはずなのに。彼らはどうしてそんなものを欲しているのだろう。

 

「とぼけるなっ!」

「う゛あっ……」

 

頬を殴られた。ひりついた痛みと、拍子に口の中が切れたのか血の味がする。けど、耐えられないわけではなかった。恭弥のトンファーの方が数倍痛いのだ。このくらいはまだまだ余裕だった。

 

───ドガンッ!!

 

「っ!?」

 

もう随分と、聞き慣れてしまった金属音がした。見ると、扉がひしゃげている。

薄暗かった視界に夕焼けの光を背に掲げた、小さな影が入ってくる。勿論、そのシルエットには、よく見覚えがあった。

 

「恭弥……」

 

不意に出た声は、自分でも驚くほど小さかった。

恭弥のことだ。俺が見覚えのない人間に誘拐されていることに気づけば、何が何でも追いかけて、居場所を見つけ、たどり着くだろう。並盛の風紀を乱した輩を咬み殺すために。

恭弥のことはよくわかっている。だからこそ、ここには来てほしくなかった。

 

「さっきの、……トモダチのためにわざわざ死にに来たのか」

「死に来た……? 何言ってるの、咬み殺されるのは君たちの方だよ」

 

恭弥は服の中に仕込んだトンファーを取り出し、構えた。

その物言いは間違いなく恭弥だった。自分が負けることを少しも疑わない不遜さこそ、雲雀恭弥だった。

 

「来るな!」

 

叫んだ。例えそれが、無意味だったとしても。恭弥をここにいさせるわけにはいかなかった。

パン、パン、と軽い爆発音が二回連続して響いた。

 

 

 

 

 

真っ黒な服に、真っ赤な色が染み込んだ。

どさり、と倒れる音。

雲雀恭弥が、地に付している。

頭が真っ白になった。

 

(どうして?)

 

恭弥はどうして倒れているんだろう。彼は強いから、負けないはずなのに。

いや、自分は知っていた筈だ。

恭弥だとしても、その手の者には勝てないことくらい。

明祢は目の前の現実が許せなかった。

それが嘘であればいいと願った。

けれど、現実は虚構には変わらない。

 

男が明祢に近付いてくる。

固まった脚は、ほんの僅かに動くだけで一向に立ち上がろうとしない。

唐突に、逃げられないことを悟った。

 

「いや……だっ」

「なに、してんの………」

「!!」

 

苦しげな声が耳に入ったと同時に、男の動きが止まる。

雲雀の手が男の足首を掴まえていたからだ。

 

「このガキ……!」

 

激昂した男が雲雀を蹴り飛ばす。

手がほどける。

幼く軽い体は、簡単に地面に叩きつけられる。

 

「ぐぁっ……」

「きょ、恭弥っ!!」

 

雲雀の呻き声を聞いた明祢の叫びが響く。

男が嗤い、止めとばかりに拳銃を雲雀に向ける。

雲雀は逃げられない。

銃声が響く。

 

「恭弥ぁああ!!」

 

明袮はその光景を目撃した。

雲雀が赤に染まっていく。体は撃たれた衝撃に反応したが、その後はピクリとも動かない。

 

「あ、あぁ……あああ」

 

酷い衝撃がした。

胸の中央付近からドクン、と強く打たれる感覚がする。それはゆっくりと間隔を狭めていき、苦しくなるほどの痛みを与える。

全身の毛が総毛立つ。背筋から冷える感覚と、顔が熱く火照る感覚が同居する。

なぜだ? どうして恭弥が血に染まっている?

地に伏すその姿を凝視する。何度瞼を閉じる開くを繰り返しても、そこにある現実は一つも変わることはない。

 

───ぶつり、ぶつりと音が聞こえる。

切れた。

ずっと張り詰めていたものが、左右からの強い引きに耐えられなくなったかのように、繊維の一本一本がちぎれていくように、ぶつりと音を立てて糸が切れた。

詰まっていた息を吐く。

左胸の辺りから激しい衝撃に襲われる。

耳の奥から規則的な衝撃音が聞こえるたびに、自分の中にある人間としての何かが崩れていくような感覚がした。

視界が赤い。

赤い視界では、白い思考では、何もかもをまともに理解することが適わない。

ただ、想像する。夢想する。それを現実/虚構として形作る。

目の前がゆっくりと動いていく。男の一人が拳銃を倒れ伏している誰かに向ける。

軽い爆発音が、場に響いた。

 

 

 

 

 

それは一言で言うならば『異常』だった。

撃たれたのは、新たな血を流したのは、雲雀ではなかった。

灰色の男の隣にいた黒服の男が、頭から血を流して倒れていく。

周りに動揺が走る。

何故、子供ではなく我々の仲間が倒れているのか、と。

彼らは撃った男を見た。そこには少年を撃ったかのように笑っている異常な男がいた。

 

「おい、なにやって……」

 

仲間の一人が肩を掴む。そして、また発砲音が場に響いた。

 

「ああ゛……?」

 

崩れ落ちる。銃を持った男を、信じられないような目で見ながら、倒れていく。

銃を持った男は夢を見ているような気分だった。突然現れた子供を撃ち、殺した。その事実がどうしようもなく面白かった。

 

「馬鹿なやつ」

「何を言って──」

 

酷く冷めた少年の声が聞こえた。

夢が醒める。泡が弾けたような、霧が晴れたような、そんな感覚だった。

 

「あ……?」

 

男はそこで異常に気づいた。倒れているのは誰なのか。銃口をむけた先に倒れているのは一体……?

男は悟る。自分が、仲間を撃ったという事実を。

 

「なんだ、これ…。なんで、ガキじゃなくて……」

「一体どうしたんだ!?」

 

周りの焦る声が聞こえる。だが、それは彼にはすでに遠い。

 

「あんたがやったんだよ」

 

振り向く。

背後に、少年がいた。その瞳は濁っていて、表情からは感情が欠落している。

ゾクリ、と背筋が凍る。これは一体誰だ。これは一体何だ?

男は一歩後ずさる。すると、一歩少年が近づいてくる。

少年の瞳に光はない。それが何よりも恐ろしい。

 

「ほら、見て」

 

少年の視線が後ろを向く。男はつられて少年の後ろを見た。そして、絶句した。

少年の背後に、大きな黒い影が見えた。男は恐る恐るそれを見上げる。

この世の倦怠をかき集めたかのような、ぎょろりとした赤い瞳と目があった。そこには怪物がいる。すべてを飲み込まんとする怪物が、そこにいる。

 

「ひっ……」

「今度はあんたの番だ」

 

怪物があんぐりと口を開く。不定形の手が迫ってくる。

形容できない恐怖が自分という存在そのものを侵してくる。

震える両手で手に持っていた拳銃を構える。

ズガン、と発砲音が響く。

ぐらりと揺れて、男の体が倒れていく。脳漿をぶち撒けて、とうに意識はない。

彼が選んだのは逃避。すなわち、自殺である。

少年はそれを、眉一つ動かさないでただ見ていた。

 

「嘘だ……」

 

若い青年が、呆然と呟いた。

これが悪夢の序章に過ぎなかったことを、灰色の髪をした青年──グリージョはまだ理解できていない。

 

 

 

 

 

夢から醒めた直後のような感覚。

場には、異様な静けさが漂っていた。

夏の花火の煙と、鉄が混ざった噎せ返るような気持ち悪い臭い。場を包むそれは、酷い味がした。

 

「あ、ああぁ……」

 

目が熱く、視界が霞む。

乱暴に目を擦れば、残酷なまでに赤い世界が鮮明に映る。

精神は現実を拒絶し、脳の奥底で自分がこの光景をつくったことを理解する。

胃が蠢いて、喉を熱いものが通る。それを認識したときには、口から胃液を吐いていた。

 

「あ……が、はっ……ぁ」

 

肺に酸素が入り込まない。体に力が入らない。溺れるというよりは、呼吸の仕方を忘れたようだった。

暗い室内がより暗く感じる。

逃げたいのに、固まった筋肉は意思に反して言うことをきかない。

 

……どうして、どうしてこんなことになったんだろう。

いつものように、三人で町を歩いていただけ。ただ、落ちた財布を拾っただけなのに。

どうして。

 

震える体をなんとか支えながら、明祢は目の前を見つめたままでいる。

そこにあったのは、人だったもの達だった。

一つは脳漿を撒き散らし、一つは苦悶の表情のまま自らの首を絞めている。もう一つは拳銃をどこかに向けたまま笑っていて、その先でもう一つも同じようになっている。

頭を抱えて胸から血を出している人間だったもの。体も、手に持っていたナイフも血濡れになって首から血を流す人間だったもの。

死体、屍、骸、朱、肉。

血は酸化して徐々に黒く固まっていく。

 

これは誰がつくった光景だ?

………俺だ。

そうだ。全て、自分がつくった。

恐ろしくて、逃げたくて、信じられなくて、生きたくて、助けたくて、救われたくて、許せなくて、消したくて、殺したくて。

だからそう、全て自分が殺した。

たった一人を救うために。

その重さに、明祢は戦慄する。

 

「──あぁ……」

 

どうして。

頭の中で問いを繰り返す。

熱い体が冷えていく。震え続ける体は、今にも凍えておかしくなってしまいそうだった。いや、もうとっくに頭はおかしくなっていたのかもしれない。

現実に酔ったかのような錯覚を起こした時。

 

その時、彼の耳に微かな声が届いた。

 

「明袮」

「……きょうや?」

 

それは弱々しくも、凛とした声だった。

 

 

 

 




SAN値チェック失敗
一時的発狂 6番 殺人癖
明袮のイメージはそんな感じで。途中の男の描写は自殺癖というイメージ。
後の人々は別の幻覚で殺してます。

桂木明袮は雲雀恭弥が大事です。
彼の心配性は失うことへの恐怖から来ています。実は、二十五歳の彼は冷静に見えて割と冷静でなかったりします。沢田綱吉が死んでいるので、いつ雲雀恭弥が死ぬのかと震えています。


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38.境界線

「お願いします、恭弥を、助けてください……!」

 

ボロボロの体で、黒い少年を背負った少年は、泣きながら男に縋った。

少年の背に負われた少年は、呼吸が浅く、あと少しもすれば命を落としそうだった。

男は戸惑いながら少年たちを見た。友人を助けようと自分に縋る少年が、輝いて見えた。

 

 

 

 

 

目が覚めると、白い天井が見えた。

 

「……起きた?」

 

聞き慣れた声がして、ゆっくりと顔を動かす。腹の辺りがズキズキと痛んだ。

 

「父さん……」

 

自分と似た顔立ちの男に、ほんの少し安心する。ここは安全なのだと、もう危険はないのだと。

 

「親切な人が病院まで運んでくれたんだって」

「恭弥は?」

「恭弥君は……」

 

父さんの目が、横に逸れる。

それで、最悪の想像が頭を過った。それと同時に、あの酷い光景も。

……ゾッとした。

 

「恭弥!」

「明祢!?」

 

痛い体を無理矢理動かして、病室を飛び出た。恭弥はどこにいるのか、大丈夫なのか。大丈夫なわけがない。

だって、体を銃で撃たれたのだ。想像を絶するような痛みがあったに違いない。あの出欠量では、生きているかどうかもわからない。

廊下を歩く看護婦を掴まえて、恭弥の病室を聞く。戸惑う看護婦は、俺の鬼気迫る表情に圧されたのか、集中治療室にいると教えてくれた。

集中治療室……名前だけなら俺も知っている。ICUと呼ばれることもある、重篤な患者がいる部屋だ。

つまり、恭弥は重篤なのだ。

走る。病院には父の関係で何度も来ているから、場所は知っている。

後ろから名前を呼ぶ声がしたけれど、そんなものはどうでも良かった。

恭弥はどうしてそんなところにいる?

答えは簡単だ。俺が、不用意に恭弥の名前を読んだからだ。

恭弥は感覚が優れている。だから、聞こえないはずの俺の言葉を聞き取ったんだ。それが、不自然に途切れていることにも、当然気づいたはずだ。

俺が悪いんだ。俺が巻き込んだんだ。

ごめん、恭弥。

 

 

「恭弥は………?」

 

集中治療室とはいうものの、恭弥のことだから個室なのだろうとは思っていた。部屋の前まで行くと、慌ただしそうな人達が俺を見て驚いた顔をした。

 

「雲雀君ならさっき峠を越えたよ」

 

院長が、そんなことを言った。

権力に弱い人だけれど、悪い人ではないということを俺は知っている。俺はじっと院長の目を見た。嘘は言っていないように見えた。

看護婦の一人が、そおっと扉を開ける。そこには、胸を上下させる恭弥が眠っていた。

安心したら、ぽたり、ぽたりと涙が出てきた。

……あぁ、恭弥はまだ生きている。

 

「よかっ、た」

「明祢」

 

父さんが肩に触れる。慈しむような、優しい手のひら。

 

「昨日のことは、忘れなさい」

「え……?」

「父さんが、後のことはなんとかしておくから」

 

父さんの顔は、見たことのないくらいしっかりとした大人の顔をしていた。

これが、親ということなのだろうか。

父さんは俺の頭をくしゃくしゃと撫でた。

 

「ごめんな、明祢」

 

父さんは笑う。俺には、どうして謝っているのかわからない。

父さんの笑顔の意味がわからない。

 

「父さん……」

 

オチミズって、何?

そう言おうとした言葉は、全部喉の奥で飲み込んでしまって。

瞬時に悟ってしまったのだと思う。これを聞いたら、俺はもう、普通には戻れなくなるって。

だから、聞かなかった。とっくに普通じゃないって、頭のどこかではわかっていたのに。

 

病室に帰ると、父さんに言われた言葉が頭の中を何度も何度も走り回った。

父さんは忘れろ、と言った。けれど、あの鮮烈な光景を忘れることなんて不可能に思えるし、むしろ、あれは忘れてはいけないことだと思う。

俺は人を殺した。間接的だろうが、直接的であろうが、それはもう変えようのない事実だ。

人は罪を犯すと、大小の差はあれ、自らに何かしらの罰を与える。良心があればあるほど、多分それは大きくなる。

俺はこれから、殺した七人の命ぶんを背負って生きていかなくてはならない。それが悪人か善人かは関係なしに。

奪ってしまった命の分、俺は自らに罰を科した。

 

『どうして人を殺したら駄目なの?』

 

物事をよく知らない子供が、無邪気に聞く問い。

人を殺してから、漸くその答えを知った。

 

───命が軽くなるからだ。

 

人が背負える命の数は決まっている。

人は本来、自分一人分しか命を背負えない。

それなのに、人を殺してしまったから、俺は殺した人数分の命を背負わなくちゃいけない。だから、俺の中で自分の命は軽くなってしまった。

俺はもう、俺の命の正しい重さがわからない。

 

「………恭弥」

 

病室の窓から見える夕暮れは、昨日と同じ色をしている。

考えた。

恭弥を巻き込んだのは、俺が名前を読んだのもあったけれど、そうじゃないのだ。

それ以前に、俺が桂木だからいけないのだ。

 

「オチミズ……」

 

オチミズは知らないけれど、若返りの水……すなわち、不老不死の水は知っている。

いいや、本当はオチミズだって知っていた。

冷静になって考えてみると、若返りの水ときてオチミズといえば、あれしか思い浮かばない。

 

『月夜見の変若水』

 

桂木家が信仰する神様が持っているとされる霊水のことだ。

飲むと若返るというやつで、現実には存在しない代物。

当然、俺が持っているはずもない。

けれど、桂木家には、ああいう人達に拐われる理由があったのだ。

だとするなら、俺が親しい人間たちは、俺のせいで狙われる可能性がある。

恭弥はたまたま生きているだけで、今度あったら、殺されるかもしれない。……それは嫌だ。

 

俺は決意した。

もう、諦めると。

恭弥と仲良くするのはやめよう。哲矢と仲良くするのもやめよう。

放課後の見回りもやめよう。

誰とも仲良くならないでおこう。距離をおいて、俺なんかの事情に巻き込まないようにしよう。

怖かった。怖かったんだ。

恭弥が死ぬと思ったら、どうしようもなかったんだ。

だって、恭弥も哲矢も俺の大事な人だから。

父さんと母さんは当分は家族だから仕方ないけど、守れるようになろう。

強くなろう。誰も仲良くならないように、学ぼう。

もう、誰も傷付かないように。

 

この日から、俺は恭弥たちとは極力会わないように、話さないようになった。

 

「最近おかしいですよ、あんた」

「……俺のことは、これから名字で呼べ草壁」

「!!」

 

徹底した。

 

「………どうしたの?」

「きょ、雲雀には関係ない」

「どうして、戦わないの?」

「そんなの、俺の勝手だろ!」

 

徹底したんだ、俺は。

恭弥との会話に、刺が付き始める。

それと同時期だっただろうか。気付けば、雲雀は町の不良の頂点に君臨していた。

小耳に挟んだ情報によると、憂さ晴らしなんだとか。

それに少し、喜びを感じるのは間違いだろうか。いや、間違いに決まっている。

それは、桂木明祢には要らないものだ。

そう、自分との関係が悪化したことに苛立つ雲雀恭弥に喜ぶ桂木明祢なんて必要ない。

 

「……ははっ、馬鹿みたいだ」

 

夜を出歩くようになった。前までは嫌いだったのに、眠れないからしょうがない。

アンダーグラウンドなところにも立ち寄るようになった。境界線を理解するために。

夢を見る。

雲雀が死ぬ夢。自分が、人を殺す夢。

目覚めは最悪で、本当に笑えない。

 

『こっちまで堕ちてこいよ』

 

聞き慣れた自分の声が、嗤いながら囁く。

あぁ、本当にうるさいな。

 

貰った煙草を口に咥えてみる。拾ったライターで火を着ける。

数秒ほどで白い煙が立ち上がって、口の中になんともいえない苦味が広がった。

大人って、こんなのに依存するのか。

息を吸い込む。煙が鼻からの息に踊らされる。

纏わりつく紫煙が鬱陶しい。

 

「まず……」

 

雨が降る。

俺はすっかり、汚れてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

打上花火の終幕のように、ドンッという音が連なる。耳を塞ぎたくなるような不愉快な音。

赤い液体を噴き出して倒れた男。おぞましい笑い声を上げて自らの首を絞めた男。頭を抱えて怯え、とうとう表情を失った男。

雲雀はそれを作り出したのが誰なのかを直感した。

気付けば隣にいた、自らの手足ですらない、牙を持った兎。最初はただの草食動物だったのに、標的に成り代わっていた奇怪な生き物。

自分とは違い、群れを許容していたそれが、群れを見て苦しい顔をするのを知っていた。

それが傍にいることを許した理由の一つだった。

 

(………泣いてる)

 

視線の先のそれは、嗚咽を漏らして蹲っていた。

兎の涙を見るのは、これが初めてのことだった。

憐れとは思わない。

倒れている弱い子どもは自分だったのだから。

 

(………僕は弱い)

 

だから彼はあんな光景をつくった。

だから彼は血の海にいる。

だから彼は、泣いたんだ。

───僕は強くなければならない。

こんなものでは、草食動物と一緒だ。

こんなものでは、自分の領域を荒らすものを満足に咬み殺せない。

こんなものでは、彼の庇護する対象に入ってしまう。

それは嫌だ。それは許せない、許容できない。

僕は強いのだから、弱い自分は許せない。

体は焼けつくような痛みを訴えている。

今も泣いているその兎をまっすぐ見て、雲雀はそんな姿は見たくないと思った。

 

「明祢」

「きょうや?」

 

雲雀の凛とした声が、場に響く。

明祢の表情は、行く場所を見失った迷子のようだった。




ただ、命が軽くなっただけ。

明祢は優しい少年でした。だから、命を大事にしてしまう。それがたとえ、悪人だったとしても。


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39.拙い炎

胃の中のものが、全部出てくるかと思った。

 

「おぇ……」

 

あまりの気持ち悪さに吐き気がした。

何度も目を擦ってみても、何度瞬きをしても、目の前にいる人物は消えない。

だから、これが現実なのだと理解してしまう。

 

「嘘だ……」

 

いや、嘘じゃない。己の感覚と経験は、これが変装や幻術の類いではないと告げている。だとするのなら、これは現実だ。

いきなり景色が変わったことも、大人びた昔馴染みと弟子がいることも、死者が生きていることも、全部理解が追い付かないが、それでも、わかることがある。

ここは戦場だ。

漂う空気には殺気が混じっており、昔馴染みと弟子からは焦りが感じられる。

こちらの方が押されている。

 

「ははっ、最高だ……!」

 

男の声が響く。それは、とうに忘れた声。だから覚えなどない。けれど、その顔は忘れられなかった。

五年前、自分が殺した男。

体が震える。心臓が恐怖に支配される。

でも───、俺にはやるべきことがあるはずだ。

足を動かすと、何かにぶつかったような感触と同時に、カランと軽い音がした。足元を見ると、膨らんだ巾着袋がある。

中からは四角い箱が出てきている。残念ながら、見覚えが全くない。

つい、それを拾う。

 

「なんだこれ……」

「桂木さん!」

「!」

 

草壁の声と同時に鋭い殺気と気配がして、地面を蹴る。直後、自分が先程までいた場所から、破壊音と共に煙が立ち込める。

 

「イタチ……いや、ビーバー?」

 

そこには青い炎を纏ったビーバーがいる。………は? なぜにビーバー?

混乱する俺を他所に、灰色の髪の男は笑う。

 

「ありがとよラウロ! お前ならまだしも、この時代の常識を知らねぇ十年前の桂木明祢だ!」

 

この時代の常識? ……十年前?

疑問が浮かび、草壁を見る。

黒いスーツを身に纏ったその男は、老成したような雰囲気というか、中学生らしい子供らしさが抜けている。まるで、大人になったかのように。

いや、違う。草壁が大人になったのではない。

十年もあれば人は変わるし、常識も変わる。

 

「……そうか、俺が十年後に来たのか」

 

視界の端で青い炎が揺らめく。青を纏った獣が襲いかかってくる。

幸いなことに、それは草壁達を襲うことはない。それだけ、彼の憎悪は俺に向いている。

避ける。今はそれしかできない。

 

「……ぐっ」

 

左腕をビーバーの歯が掠める。専念しても、体には傷が増えていく。まるで貧血でも起こしたかのように、世界が遠くなっていく。

 

「桂木さん、匣と指輪はありますか!?」

「はこと指輪……?」

 

ふと、手に持っていた巾着袋を見た。中には四角い箱二つと、藍色の宝石が填められた指輪があった。

 

「無理だ。十年前から来たお前に死ぬ気の炎は灯せない! 灯せたとしても、ラウロのようなちんけな炎なら同じことだ!」

「死ぬ気の炎……?」

 

ふと、脳裏に跳ね馬の言葉が甦った。

 

『ツナの死ぬ気の炎と同じだ。リングを媒介としてエネルギーを炎に変換している……って感じだな』

 

──覚悟を炎に変える。

そうだ、俺は知っている。実際に見たこともあった。跳ね馬が指輪を通して灯して見せたオレンジ色の炎を、俺は知っている。

手元には指輪がある。

 

「やってやる」

 

手早く、指輪を左手の中指にはめる。不思議なことにサイズはぴったりだ。

灰色の髪の男を見ると、俺が指輪をはめたことに驚いているようだった。

 

……ところで、覚悟とはなんだろう。

日本語としての意味は知っているけれど、覚悟なんてものは目に見えないし、普段意識するものでもない。

俺の覚悟とはなんだろう。

俺は今、何がしたいんだろう。

目を閉じれば、背後の気配を感じる。そうだ、今は彼等を守らなくちゃいけないんだ。

だって、大事な人だから。

 

「……!」

 

藍色の炎が灯る。けれど、それは手のひらに収まってしまう程度に弱く、拙い炎だった。

 

「……はは、やっぱりだ。お前じゃ無理だ。俺の覚悟の方が上だ!!」

「お、おい草壁! はこをどうするんだ!」

「炎を匣に注入してください!」

 

男が笑う。いや、冗談じゃないぞ。男が灯す炎は、俺の二倍……いや三倍は優に越えている。彼の言う通り、俺は彼より下なのだろう。

だからといって、逃げるわけにはいかない。

例え俺の覚悟が、泡沫のようなものだったとしても、ここから退くわけにはいかないのだ。

ぶつけるように、匣に炎を注入する。草壁の言い分なら、多分これで何かが起こるのだ。

──そう思ったのに。

 

「え」

「嘘だろ……」

 

匣は、うんともすんともいわなかった。

 

「は、あはははは! 最高だよ桂木明祢! お前はエンターテイナーの才能がある!」

「く、草壁ぇ……何も起こらないんだが!?」

「炎の量が足らないのか……?」

 

俺としてもこんな筈じゃなかったのだから、笑わないでほしいし、冷静に分析しないでほしい。

俺の予想が正しければ、これはこの時代の俺が準備したはずだ。よくわからないけど。

だというのに、俺が使えないとはどういうことか。

 

「ははっ、俺はもうお前には負けない。俺の方が強い!」

 

男は容赦がない。凄まじい憎悪と攻撃を俺にぶつけてくる。避けてはいるが、攻撃は掠めてばかりで、段々と消耗していく。

絶体絶命とはこのことだろう。

 

「どうすれば…………っ!?」

 

ガクン、と膝が落ちた。指を動かそうとして、ろくに動かないことに気づいた。

何かが阻害しているかのように、体が動かない。

 

「さっきと同じ……あぁ、お前は知らないか」

「雨の沈静……」

 

草壁の焦った声が聞こえる。

でも、頭だけは妙に冷静で、あの炎にはそういう効果があったのか、と考えている。

青い炎が迫る。男の笑い声が聞こえる。

衝撃がして、気付いたときには自分の体が宙を舞っていた。遅れて、腹に酷い衝撃。突っ込まれたのか。

世界が遠い。全てが、遠い。

 

「終わりだ」

 

俺の炎は、覚悟は、ちっぽけだった。

それをどこかで、仕方がないと思っている自分がいた。

だって、そうだ。自分には覚悟なんてない。何もない、空虚な自分。それが、俺の正体だった。

それを十年後の自分はわかっていたはずだろうに、どうして……どうして、俺に開けない匣なんて託したんだろう。

 

「兎の人!!」

「桂木さん!!」

 

声が聞こえる。けれど、あまりに遠い。

どうして、こんなことになったかな。

ただ、怪しいやつを見つけて、追いかけて、揉み合っただけなのに。

それは奇しくも、あの時思ったのと似たようなこと。

自分にとって当たり前のことをしただけなのに、理不尽にも全てを奪われようとしている。そんな現実に直面している。

死にたい感情は、あった。

生きたくない感情は、あった。

自分が嫌いな自分は、自分を認められない自分は、きっと何者にもなれやしない。

誰も、守れない。

あぁ……せめて、匣が開けられたらな。

もしかしたら、何かできたかもしれないのに。

守れたかもしれないのに。

 

『たぶん、色んなものが色んな方向から乗っかってくるからじゃないかな』

 

その通りだった。色んな物が乗りすぎた。重すぎる体は、もうびくりとも動かない。

死を覚悟する。そして、

 

「せめて……」

 

思う。どうせ死ぬのなら。

そう、せめて。

最期に、恭弥に謝りたかったな……。

 

「明祢さん!!」

 

迫るのは銀色の刃。狂喜に染まった男の表情。

とどめだけは、自分の手でやりたいらしい。

後悔が降ってくる。けれど、迫り来る死に対する恐怖はなかった。緊迫した状況で、心臓は喧しく動いている。

ただ、緩やかに世界が動いていく。

 

遅い。体が遅い。流れる景色が、時間が遅い。

頭が回る。思考が回る。世界が分割される。

複数の画面を、全て早送りで見ているようだった。

 

遥か遠くの方から、声が聴こえる。

海に漂う海月のように静かな世界が、急速に変わり出す。

誰かが、名前を呼んでいる。




いきなり十年前から来た奴が勝てるわけないのです。
なんで匣が開かなかったのかは、また次回


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40.雲を目指して

『明祢』

『………それ、やめて。嫌いだから』

 

何年前だったかな。まだ幼稚園児だったから、十年くらい前のことか。

その頃の雲雀は、俺のことをそう呼んでいた。でも俺は、この辺りからそう呼ばれることが嫌いだった。

だから、このときも相当不機嫌そうな顔をしていたはずだ。

 

『なんで嫌いなの?』

『だって、女っぽいって馬鹿にされるし……』

『ムカついたんなら、まとめて咬み殺せばいいのに』

『それが出来るのは恭弥くらいなんだよ』

 

拗ねたように吐き捨てた。

この時の俺は今よりもずっと弱くて、雲雀に殴られてばかりいた。杵を振り回すことも出来なかったから、当然悪ガキたちには敵わなかった。

 

『………君の名前って漢字でどう書くの?』

 

突然、雲雀がそんなことを言った。俺は驚いて、どうしたんだろうと訝しげに雲雀を見た。

雲雀は他人の名前に興味なんか示さないからだ。

 

『こう』

 

ゆっくり、丁寧に、恐る恐る、地面に指で名前を書く。

──明祢

そういえば明祢の「祢」の字は、恭弥の「弥」の漢字と似てる。

書いてから、そんなことを考えた。

雲雀は、書かれた俺の名前をじっと見つめた。それから数十秒して、何かを思い付いたのか、足を動かした。

 

『じゃあ、こうすればいい』

 

恭弥は俺の名前の「祢」の字を、足で消した。

 

──明

残ったのは、それだけ。

 

『……なにこれ?』

『今日からこれが君の名前だよ。いいね、(あき)

 

鈴の音が鳴るように、その声は染みていく。

胸の辺りがぽわぽわとしたのを覚えている。暖かくて、心地が良かった。どうしようもなく嬉しかった。

 

時間はとうに止まっていた。

停滞され、引き延ばされた時間の中で、俺は膨大な量の映画を見ていた。

無限に続くかのような螺旋を降りていく、そんな感覚に近い。

記憶が戻っていく。忘れていた記憶が、泡となっていた記憶が、全部が濁流になって甦る。

 

『明祢さん、恭さんが……』

『恭弥が?』

『見て、自転車』

『へー自転車……って、待って??』

『なにさ』

『それは自転車じゃなくてバイクだろ!?』

 

甦る。

 

『なにそれ』

『並盛中の校歌だよ』

『お前、自分の年齢知ってる?』

『興味ないね』

『馬鹿……』

 

甦る。

 

『母さんが買ってくれた!一緒にやろうぜ!』

『……これ、なに?』

『ゲーム!』

 

甦る。

 

『なにあれ』

『ん? ……あぁ、鬼ごっこだよ。」

『群れてる』

『……確かに』

『でも、追いかけるのは楽しそうだね』

『………わぁ』

 

甦る。

 

そんな記憶の先で、俺がいた。

幼稚園に通い始めたばかり、それくらいの歳。幼い顔は頬が今よりも膨らんでいて、全体的に丸い。触れればすぐに壊れてしまいそうなほどに、弱く頼りなさそうに感じた。

幼い俺は、清泉のように澄んだ瞳で俺を見た。アルバムの写真で見た俺は、こんなだっただろうか。

そんなこと覚えちゃいない。

自分の記憶だというのに、何故か別の視点から見ている。それが不思議だった。

幼い自分が何かに気づいて、急に走り出した。ぱたぱたと足音をたてた先には父さんがいる。俺は父さんの足に、笑顔で抱きついた。

 

『とうさん、聞いて!』

『どうしたんだ明祢』

『俺さ、幼稚園ですっごいやつを見つけたんだ!』

『すごいやつ?』

『うん、すっごく強くて、かっこよくて、なにより誰よりも自由なんだ!』

 

………あ。

これは、雲雀と出会った直後の記憶だ。

殴られた以上に、雲雀と出会えたことが嬉しくて、仕事から帰ってきた父さんに真っ先に伝えに行ったのだった。

それくらいの衝撃だった。

忘れてたけど。

 

なんだか泣きたくなった。

何かを、忘れているような気がした。

螺旋は続く。濁流は止まらない。

 

俺は自由になりたかった。

だから、雲雀恭弥に憧れた。

でも、俺はそうはなれなかった。重たくて、飛べやしなかった。

鳥みたいに、空は飛べなかった。

 

(雲雀恭弥なら、どうするだろう)

 

唐突に、頭に浮かんだ。

雲雀恭弥はどの世界でも雲雀恭弥だっただろう、と。

もし仮にあの出来事がなかったとしても、恭弥は今と大して変わらなかっただろう。

例え俺がいなくても、恭弥は今と変わらない強さであり続ける。

それが雲雀恭弥だ。

例え人を殺したとしても、彼は孤高で気高いまま。何者にも縛られずに自由に生きていく。

 

俺はあの秋の夕暮れに取り憑かれたまま、大事なものを見落としていたんじゃないだろうか。

あいつみたいになりたかった。

強くなりたかった。

それはどうしてだったのか──?

 

螺旋が、終着点を迎える。

 

まだ俺が純粋無垢だった頃。

幼稚園で、一際目立つのに、一人の奴がいた。

幼いながらに強者としての素質を漂わせていたそいつは、触れる全てのものを切り裂く抜き身の刃のようで、誰一人として近寄ろうとしなかった。

だから、そいつに友達なんてなかった。

そもそも本人は、そんなものを必要としてすらいなかっただろう。

でも、俺はどうしてもそいつと仲良くなりたくて。

どうしても、そいつと話してみたくて。

どうしても、友達になってみたくて。

 

『はじめまして、俺は桂木明祢。俺──うぇ』

 

勇気を出して笑顔で近寄ったら、思いっきり殴られた。

それが、俺と恭弥の始まり。

 

(あ、そうだ……)

 

友達になりたかったんだ。

ずっと、なりたくて、仕方がなかった。

 

『桂木さん。貴方は、諦めたんですか?』

『……そうだよ。出来なくなったから、諦めたんだ』

 

なにが諦めた、だ。結局諦めきれなくて、死に際になって後悔してるんじゃないか。

そうだ。死にたくない。このまま死ぬくらいなら、どうして雲雀に何も言わなかったんだろう。言いたかった言葉の一つも、未だに言えていない。

友達になりたいって、結局一度も言ってない。

死ねない。まだ、死ねない。生きたい。言いたい。

 

俺の罪は、誰にも裁かれることがなかった。

警察は証拠がないと捕まえられない。

彼等は裏社会の住人で、しかも密入国者だった。銃も持っていた彼等を、どうやれば十歳の子供が殺したと思える?

指紋なんて付いているわけがない。何せ、幻覚で撹乱されただけなのだ。

証拠は何一つなかった。

後で、彼等は仲間割れをしたのだという結論に至ったと教えられた。

こうして俺の罪は、誰にも裁かれることがなかった。

誰にも裁かれないのなら、俺は自分で罰を背負うしかない。

そうして俺の天秤は、壊れた。

 

でももういい。

多分、この罪は永遠に痛み続ける。永遠に癒えることはない。

それが俺に与えられた罰だ。

仕方がない。

だから、重くたって無理矢理飛んでやる。

前に、前に歩いていってやる。

許されない罪を抱えたまま、生きて、償い続ける。

 

今は、それが俺の覚悟だ。

 

「だからお前には──」

「なにっ!?」

「殺されてやらないッ!!」

 

動かないはずの体を、無理矢理動かす。

軋み始める体、痛みはない。感覚が薄い。それでも、動かす。

脚が動いて、銀色の刃──ナイフを吹き飛ばした。

 

胸が、熱い。

不思議な感覚だった。やけにすっきりとしていて、視界がいつもより明瞭だ。

 

「あ、明祢さん……それ……」

 

丁度胸の辺り。服の下が、()()()()を放っている。

 

「……あぁ、そういうことか」

 

俺は、そこにあるものを知っていた。

服の下にある銀色のチェーンを引き上げる。

そういえば、これも指輪だった。

チェーンの先には、紫色の宝石が埋め込まれた指輪と、これまた紫色の装飾がされた小瓶がある。

指輪は燃えていた。

ゆらゆらと空に浮かぶ雲のように、紫色の炎が揺らめいている。

この指輪は、本来煤けて黒い筈だが、炎のお陰で本来の姿に戻ったのだろう。

それをチェーンからゆっくりと取り外し、自分の左手の中指にある指輪と取り換えた。

 

「………うん」

 

炎が、俺そのものを包み込むほど大きくなる。

先程のグリージョとは比べ物にならないほどの炎の量だ。

 

「わかってたんだな、俺」

 

これが本当の炎。

本当の、覚悟だ。

 

「馬鹿な、雲の炎だと!?」

「雲の炎……わぁ、アイツと同じだな」

 

雲雀の炎なんて見たことがないけど、きっとそうだ。アイツは雲のリングとやらを持っていたのだから、絶対にそうに決まっている。

気付いたときには、落ちてしまっていた匣を拾う。

 

「さて、鬼が出るか蛇が出るか」

「……させるか!」

 

青い炎を纏ったビーバーが動く。

……でも、手遅れだ。

 

「なっ!?」

 

ビーバーが向かった先は、何もない虚空。いや、彼にはそう思えたのだろう。

 

「させない……!」

「ナイス、髑髏」

 

ビーバーが見たのは、髑髏の作った俺の影。

 

「さぁ、ぶっ飛んでいきますか!」

 

どうせなら、月まで飛んで行ってしまおう。

地球の重力さえ無視して、自由に生きてやる。

 

指輪は燃える。

匣にこぶしをぶつけるように、炎を注入する。

カタカタと、匣が動き始める。

膨大な紫色の炎は、確かに匣の鍵だった。

 

……なぁ、恭弥。俺はあの時『俺と友達になってよ』って、言おうとしたんだ。




ずっと、自由に憧れていた少年。

知ってます?兎って一羽、二羽って数えるんですよ。


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41.鎖は壊れ、兎は跳ねる

昔話をしよう。

 

『ねぇ父さん。どうしてうさぎは月にいるの?』

『……それはね、良いことをしたからだよ』

 

兎は、自分が生前悪人であったと考えた。だから、善きことをしようと考えた。

飢えた老人を見つけたとき、兎には何もなかったから、身を投げた。

老人は神だったから、兎の心に感心して、兎を月に昇らせた。

 

うちの家でウサギを飼っているのは、信仰する神の化身が兎だったからというだけじゃない。

そもそも、月と兎は密接な関わりがあるならだ。

桂木家は、その名からして月と関わりがある。だから、若返りの水なんて伝説が、今も語り継がれているんだろう。

そんなもののために人生を狂わされたなんて、俺は許せないけど。

 

カタカタと、匣が震える。

中身は知らないが、十年後の俺が残したものだ。存分に期待しよう。

 

「なっ──」

「わぁ」

 

感嘆の声が零れる。

それは俺の予想を越えていた。

 

灰色の毛並みは光を受けて銀色に輝き。遠く遥かな所まで轟くように、壮大な遠吠えが響く。金色の瞳は鋭く獲物を睨み、紫色の炎を纏ったそれは、山の神の使いと呼ばれるに相応しい姿だった。

 

「お、狼……!」

「デカイ、な……?」

 

その体躯は秋田犬などと比べても明らかに大きい。もしかすると、成人男性一人よりも大きいんじゃないだろうか。

彼、或いは彼女は、俺のことをちらりと見た。金色の瞳は清泉のように澄んでいて美しかった。

 

「一緒に、戦ってくれるのか?」

 

俺が問うと、狼は俺と目を合わせてから、嘲笑うかのようにそっぽを向いた。

 

「えっ」

 

……………困ったことに、俺は雲雀を思い浮かべていた。なんというか、目の前の獣からは自由を好む気質がひしひしと感じられるのだ。

一匹狼、なのだろうか。

 

「は、ははっ……炎がなんだ、お前はそいつを使えこなせないんじゃないか!」

「明祢さん……」

 

いや、違う。彼は見定めているのだ。

俺が主に足る存在か、その在り方を、その力を、意思を、覚悟を見定めているのだ。

俺は一歩、彼に歩み寄った。彼はこちらを見ない。試されていると思った。この、気高い獣に。

……十年後の俺。だからお前は、彼を選んだんだな。

 

「俺はアイツを倒したい。復讐なんかじゃない、俺が今日を生ききるために、一緒に戦ってくれ」

 

狼の目が、俺を射ぬいた気がした。

刹那、獣が駆けた。

向かう先は手負いの海狸。

彼の牙はその肉を突き抜け、骨を砕き、あっという間に肉片と変える。

 

「は?」

 

灰色の男の呆然とした声。その声を聞く前に、俺は走り出していた。

手に収まっているのは、普段から隠し持っているナイフ。

もう、遠慮はしない。

 

「俺はアンタが許せない」

「それはこっちの台詞だ桂木明祢!」

「お前のそれは自業自得だろ」

「俺は俺の仕事を全うしようとしただけだ!」

「そんなの、奪われた側には関係ない。あぁ、でも……アンタもそうなんだよな」

 

俺たちはお互いに奪い合ったのだ。

彼は日常を、俺は命を奪った。

だからお互いに許せないし、許すつもりもない。

俺の言葉は彼だけでなく、俺にも向いていた。

体が重い。雨の沈静とやらの効果は、俺の想像以上に俺の体を蝕んでいる。気を抜けば、一瞬で御陀仏だろう。

なのに、体は熱かった。

アドレナリンが多量に分泌されているのかもしれない。痛みはなく、そのくせ頭は冷静だ。

 

「お前さえいなければ良かったんだ、お前さえいなければ! お前があの時、大人しく諦めていれば……!!」

「────それは違う」

「は……?」

 

男の憎悪は、おそらくは俺が裏社会に向けていた憎悪よりも強い。……例えそれが、間違ったものだとしても。

今更、そんなものに怯えるような子供にはもう戻れない。無邪気なあの頃には戻れない。

俺はあの日のことを、今でも鮮明に覚えている。忘れることなんてなかった。だから、断言できる。

 

「俺が諦めなかったんじゃない。雲雀が、恭弥が諦めなかったから、それに引っ張られだけだ」

 

あの時、恭弥は最後まで抗っていた。それは彼自身の気質もあるけれど、俺を守ろうとしてくれていたのだろう。

恭弥は、誰かのために他人の足を掴むような人間じゃないのだ。

 

「恭弥がいなかったら、俺は死んでた」

 

俺一人だったら、とっくに諦めていた。

元々俺は、自分が好きじゃない。痛いのは好きじゃないが、それだけだ。自分を大切にしようと思えない。

俺があの時、幻術を使えたのは、そこに大切なものがあったからだ。

左手の人差し指に触れる。

 

「だからなんなんだ! 俺は何もかもを失った。何もかもを奪われた! だからお前からも奪ってやりたいだけだ!俺達はただ、生きたかっただけだ!」

「……」

 

その慟哭は、どうしようもなく俺に刺さる。それが、俺が奪ったものの重さだとわかっているから。

俺達が奪ったものは、等価値じゃない。壊れた天秤でも、それは分かる。

それでも。

 

「馬鹿か、お前は」

「は?」

「そんなことをしても、お前は救われないよ」

 

復讐ほど、虚しいものもない。それは永遠に消えることのない焔だ。例え俺が死んだとしても、彼等が帰ってくることはないのだから。

布石を、打つ。

 

「お、まえ……お前お前お前! 許さない許さない許さない!!」

「いいよ、許さなくて。俺もそう思うから」

 

彼のそれが勝手だとしても、俺の中では一生痛み続ける罪だ。いつか、傷が跡になったとしても、ずっと痛みは引かない。

一瞬だけ目を閉じた。思い返したのは、壊れ続けた五年間。生への執着を無くし、痛みだけは嫌だと泣き続けた五年間。

 

「……ごめんな」

「今更謝っても──っ!?」

 

ナイフを振りかざすフリをした俺の影から現れたのは、一匹の狼。それに驚いた男は後ろへ下がる。

そして、背後から脚を噛まれた。

 

「………は?」

 

おもむろに、男は()()()へと振り向く。何かに気付いて、彼は力を抜き、ナイフを落とした。

 

「そうか……雲と霧……」

 

男を取り囲むように、狼の群れがあった。それらは、皆同じ顔をしている。

男と目が合う。それに気付いて、笑ってみせる。

男の背後にいる、俺の幻覚が消える。

一斉に狼たちが距離を詰め、彼を喰らうように咬み荒らす。

 

「狼は群れで狩りをするんだ」

「あ゙がァ!?」

 

脚を喰らう。腕を喰らう。けれど、それは飲み込まず、ただ咬むだけだ。彼等は、ちゃんと俺の意思を汲んでくれている。

しばらくして、狼たちが男から離れていく。残されるのは、血塗れの男だ。

 

「な、んで……俺の方が強い筈なのに……俺はもう、負けない筈なのに……」

 

倒れている男の側に、俺は近づいた。

 

「なぁ、グリージョさん。俺は自分の罪を一生背負うよ。生きて、その自らに罰を与え続ける。あんたに、その覚悟はあったのか?」

 

過去は消えないし、変えられない。失ったものは戻ってこない。道は、戻れない。

その喪失感に悩まされることもあるけれど、それでも生きていかなくてはならない。

永遠に許されることがなくても、許されるように生きなくてはならない。

 

「お、れは……」

 

俺にはもう、命の重さがよくわからなくなってしまったけれど。命が失われるときのどうしようもない喪失感は知っている。胸を襲った、あの悲しみも知っている。

 

「今度は殺さない。生きて、苦しめ」

 

グリージョは目を見開き、それから、傷だらけの手のひらで自らの顔を覆った。

失ったものは、何も答えてくれない。

彼の喪失は彼だけのもの。他人で、ましてや、略奪者である俺が簡単に触れて良いものじゃない。

 

(あき)さん……」

「あぁ、草壁………ぁ?」

 

草壁が駆け寄ってきたのだけど、体がふらついて転けた。多分、五体満足な姿を見て、気が緩んでしまったのだろう。まだ、沈静の炎は俺を蝕んでいるらしい。

 

「久しぶりに、貴方が恭さんのことを名前で呼んでいるのを聞きましたよ」

「……そうだな」

 

寄ってきた狼に凭れる。想像よりも柔らかな毛が心地いい。

俺達は穏やかに笑いあった。

それは、束の間の休息でもあった。

 




14話で、ヒバードが「アキ」と鳴くシーンがあるんですけど、実はあれ「明」の意味なんですよね。
雲雀さんは「明」と「明祢」両方の名前をヒバードの前で言っていたことになります。遅刻してくる明祢を、窓から覗きながら。


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42.遭遇

「ここは十年後の未来で、白蘭って奴に支配されそうだって……どんなSF映画だ?」

「残念ながら現実なんですよ」

 

傷が癒えているわけではないものの、ある程度一人で行動可能な桂木は、道すがら草壁達と現状を確認しあっていた。

 

「……俺はともかく、獄寺や髑髏がこちらに連れてこられたのは計画的だろうな」

「我々もそれは予想していました。……しかし、何故明さんは違うと?」

「それなら簡単だ。ここに来る前、俺はバズーカを持った少年に遭遇している」

「……は!?」

 

驚愕の声をあげたのは草壁だったが、少し前に意識を取り戻した獄寺も、驚きの表情を隠せない。

桂木はそれらを意に介す様子を見せないまま、淡々と当時の状況を話し始めた。

行方不明となった綱吉達を探している時に、偶然その少年を目撃し、揉み合いになったあと、気付けば未来に来ていたことを。

 

「……その少年、こんな顔をしてませんでしたか?」

 

話をある程度聞き終わった後に、少し考える素振りをしてから、草壁は一枚の写真を桂木に見せた。

桂木はそれを一目見て「あぁ」と声を溢す。

 

「こいつだ。写真より幼かったが、間違いない」

「入江正一……!」

 

頷く桂木を見て、獄寺が唸る。

 

「で、だ。遭遇したのは本当に偶然だったんだ。たまたま見掛けただけだからな。しかも、状況的に考えると、俺はバズーカの誤射に巻き込まれたことになるんだ」

「誤射?」

「バズーカを取り合ってたら煙に包まれて十年後にいた。多分、指か何かが引っ掛かったんだろうな」

 

頭を抱えたのは草壁だ。

桂木の話が本当なら、十年後の入江が連れてきたのではなく、十年前の入江が何故か十年バズーカを使って送り込んだことになる。

 

「十年後の俺は、どうして死の偽装なんてしたんだろう……。名前も顔も誤魔化してラウロと名乗っていたのが気になる」

「ただ潜入していたのではないと?」

「潜入だったのかすら怪しい」

 

自分だからこそ感じる違和感だった。そもそも、桂木には潜入する理由がない。白蘭から逃げるため、雲雀を守るためならもっと他の方法があったはずだ。

自分のことだというのに、行動の意図と目的がわからない。

 

「……十年も経つと、もう別人みたいだな」

 

十年という時間の隔たりは、つまるところ同一の他人であることを実感させる。

辿る道が違うのなら、共通するところがあろうとも、最早それは別人といえるのではないか。桂木は草壁を横目に見ながらそう考えた。

隣にいるのは確かに草壁のだが、自分のよく知る草壁とは違う。桂木の知る草壁は、雲雀を『恭さん』とはなかなか呼ばないし、マフィアのことだってまだ殆ど知らない。

 

「おい、あれ……」

「……?」

「ヒバリじゃねぇか」

 

獄寺が前方を指差す。目を凝らすと、砂煙の中に黒い影が二つ見えていた。片方は、桂木にとっては見慣れたシルエット。黒い学ランを棚引かせ、ピンと張った背筋で敵を睨む姿は、雲雀恭弥に相違ない。

だが、様子がおかしい。

 

「……幻覚だ」

 

雲雀の周りを、無数のミサイルが囲んだかと思うと、それらは全て透けて消えてしまう。

その場にいた者全てが、雲雀の末路を悟った。

 

「っ──!」

 

桂木が走り出すも、距離があまりに離れている。その手は届かない。

 

「……ちっ!」

 

桂木の視界の端で、草壁に支えられていた獄寺が動いた。

断続的な爆発音が響く。辺りが黒煙に包まれる。

 

「借りは返したぜ……。つっても、てめーじゃわかんねーか……」

「恭さん!」

 

雲雀は、驚いたように桂木達を凝視し、草壁の姿を認識すると、修羅のような表情を見せた。

 

「助っ人か……死に損ないと一般人では役に立たぬぞ」

 

幻騎士の言葉を気にする余裕はなかった。桂木達はとうに満身創痍なのだ。

 

「ヤバいぞ、草壁……」

「はい……」

 

冷や汗を流して雲雀を見る桂木の言葉に、草壁は崩れ落ちた獄寺と、辺りに倒れている山本とラル・ミルチを見て頷いた。

 

「草壁哲矢。いつ群れていいと言った? 君には風紀委員を退会してもらう」

「!!」

「やっぱり……じゃなくて、恭弥! リングの炎を使え!」

 

ショックを受ける草壁の代わりにとばかりに、桂木が雲雀に指示をした。

 

「リングの炎……?」

「そうだ!」

 

桂木は知っていた。雲雀が、リングから炎を出すことができるということを。

なにより桂木は、自分にできて雲雀にできないなどということはあり得ないと思っているのだ。

 

「リングの炎……跳ね馬みたいな口ぶりがイラつくな。あの男も、これからの戦いに重要になるのはリングの炎だとうるさくてね」

 

リングから光が溢れたかと思うと、雲雀の体を包み込むほどの大きな炎が激しく燃え上がる。

 

「君達なんて、来なくてもよかったのに」

 

桂木はそれを、眩しい星でも見るかのように目を細めて見ていた。

雲雀は、自然体で自分と同じ……いや、それより上を行くのだと。

 

「恭さん匣です! 足元の匣に炎を注入してください!」

「いつから命令するようになったんだい? 草壁哲矢。やはり君から咬み殺そう」

「待て待て! お前の目の前にいるのは強敵だぞ、そんな暇があると思うのか!?」

 

雲雀に助言する草壁の言葉を、命令と捉えた雲雀が、トンファーを構える。そんな様子に、草壁を背に庇いながら桂木が雲雀を嗜めた。

 

「桂木明祢………ふぅん、少し見ないうちにマシな顔になったね」

「へ?」

 

雲雀は桂木の顔をじっと見つめると、どこか満足げに笑んだ。桂木はその笑みの意味がわからず、一瞬呆けてしまう。

勿論、そんな隙を幻騎士が見逃す筈がなかった。

 

「雲の人……後ろ!」

 

雲雀の背後に、不可視の誘爆弾が迫る。クロームの声でそれを察知した雲雀は間一髪トンファーを構え、それを防御した。

しかし、クロームはその一言が精一杯だったのか、その場に崩れ落ちてしまう。

 

「髑髏!」

「クロームさん!!」

「……草壁、こいつは俺が」

 

(あの男……ラウロに似ている……?)

 

クロームに駆け寄る桂木の姿を見た幻騎士の脳裏に浮かんだのは、自らの弟子である黒髪の青年だった。しかし、すぐにそれを頭の端に寄せ、幻騎士は雲雀の方を向いた。

 

「二度も仲間に救われるとはつきがあるな。だが、もう次は……」

「仲間? 誰、それ?」

 

雲雀がそう言うと、体全体を包んでいた炎が更に大きくなる。

 

「跳ね馬が言ってた通りだ……。リングの炎を大きくするのは……ムカツキ」

 

(((違う!!)))

 

それを聞いていた桂木と草壁、そして幻騎士の三人は、心の中で確かに雲雀に突っ込んだのだった。

 

「でも……雲雀らしい」

 

桂木は笑みを溢す。

突っ込んだものの、雲雀の言葉通り彼の怒りに比例して、炎は大きくなっていた。群れることを嫌う雲雀にとって、先程の状況は屈辱だったのだから、そのムカツキも同然だった。

 

「副委員長、桂木明祢……やはり先に、剣士の彼を倒すよ。君達の言うことを信じよう」

 

雲雀の手の中には、小さな匣があった。




ちょっと会わないうち(数時間も経っていない)に少し吹っ切れたような顔になった桂木に会った雲雀さん、少し満足。


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43.逃走と

──キュ……ウプ

 

「………」

 

匣から出てきたのは、雲雀の印象からは遠く離れた小動物。針鼠だった。

 

「ゲプッ」

 

立ち上がろうとするも、重そうに崩れ落ちる。背にある針は、よく見ると伸び縮みを繰り返していた。

その姿を見て、雲雀はおもむろに片膝を着くと、優しく針鼠に手を差しのべたのだった。

良かった。そういえば雲雀は、動物自体は嫌いではなかったのだった。

針鼠は雲雀の存在に気付くと、嬉しそうに近づいていき──背にあるその針は、雲雀の手を貫通した。

 

「……」

 

その程度では、当然雲雀の顔色は変わらないが、針鼠からすればそうではなかった。

彼はその顔を青く染め、それから、増殖した。

 

「なんなんだこれは……!?」

 

棘だらけの球体が急速に巨大化し、増殖していく光景に、この世の終末かと思わんばかりの声を出す。

 

「これは……暴走による超増殖!! 主を刺してしまった精神的ショックと今まで注入されたことのない量の雲の炎によって、雲ハリネズミは増殖能力を制御できなくなってるんだ……」

「説明してる余裕があるんなら、さっさと逃げるぞ! さもなきゃ大穴空けるか、ぺっしゃんこだ!」

「えぇ……幻騎士を退けたまではいいですが、このままでは我々までが犠牲になる!!」

 

そう言っている間に、幻騎士と呼ばれる男の元へ行こうとする雲雀へ声を掛ける草壁を背に、動きづらい体で出口を探す。

万全ならば、草壁が背負っている四人のうちの誰かを引き受けたいところだが、感覚全てが鈍っているこの体では、自分一人で精一杯だ。

 

「クサカベサン!」

「あっちに道あるよ!」

 

小さな子供たちが指差す方を見る。その先には、この部屋と同じような空間が広がっているのが見えた。

 

「よし、とりあえずそこへ!! ──っと」

 

草壁が直ぐに気付き、出口へ向かおうとした時、草壁が担いでいた一人である獄寺の体がずり落ちていくのを見た。

彼は僅かに意識はあるが、満身創痍で自分では体を動かすことが出来ない。

急いで駆けつけようとするも、体はあまりに愚鈍で、無事に彼を出口へ連れていくのは不可能だった。

だが、獄寺を受け止めた者がいた。

 

「!」

「きょうっ!?」

 

恭弥だ。その衝撃たるや、二度目でなければあまりの驚きに崩れ落ちていたかもしれない。以前にも、恭弥が獄寺に肩を貸すのは目撃している。

 

「この男には借りがあるからね。それにここで君に死なれたら咬み殺せない」

 

……あぁ、雲雀らしい言い分だ。

こうして、俺達は無事に別の部屋へと辿り着いた。絶対に安全とは言いがたいが、一時の危機は脱したようだ。

 

「明さんもですが、彼等はもう戦えません。最悪の場合は彼等を連れて脱出を……」

 

その時、枷が外れたような大きな音が背後から聞こえた。

 

「なん──っ!?」

 

殆ど反射的に振り返れば、目の前で先程通った道が封鎖されていくのを目の当たりにする。

続いて大地が揺れ、地響きのような音が鳴り響く。いや、違う。これは。

 

「壁が迫ってくる!!」

「また押し潰される危機か……」

 

他の部屋へと行く通路は閉ざされ、壁は急速に迫ってくる。一難去ってはまた一難。この時代に来てからロクなことがない。

 

「獄寺さんが、この基地は可動式で入江正一の意思で部屋を動かせると言っていた……これのことか! 恭さん、他に匣兵器は!!」

「もうないよ」

「なら、俺のを使え!」

 

雲雀に狼の匣兵器を投げ渡す。俺と雲雀の属性は雲で、匣の属性も雲なのだから、雲雀でも開けられる筈だ。

雲雀は何も言わずに受け取ると、紫の炎を注入した。

開いた匣から、勢いよく、炎を纏った狼が飛び出して壁に衝突する。

けれど、それは壁を貫通することは叶わず、少しの深い傷を作るにとどまった。

 

「耐炎性のナノコンポジットアーマーの壁!!」

「くそっ、こんなところで……!!」

 

逃げ場はない。逃げられない。

そうして、もう無理だと悟ったとき、いきなり視界が白に包まれたかと思うと、強制的に意識は底へと沈んでいった。

 

 

 

 

 

この清涼で美しい世界に、覚えがあった。

自分の意識は現実にない。だが、意識ははっきりとしていて、これは夢だというのに、明晰夢ではないと分かっている。

以前にも、こんなことがあった。記憶にやや真新しいそれを思い出して、いるであろう人物の名前を呟く。

 

「六道?」

「……その呼び方は、随分懐かしいですね」

 

あの時と同じように、霧のようにして目の前に現れた男は、自分の知っている少年よりも髪が長く、大人だった。その瞳には、どこか情のようなものを感じるが、自分には全く覚えがない。

十年。その短くも長い月日が、二人の間を断絶しているようにも感じられた。積み重ねられたものがない自分は、彼のことを殆ど知らない。当然、彼のどこか穏やかな表情の理由も分からない。

 

「無事に成功したようで何よりですが……、今は時間がない。手短に済ませましょう」

 

……成功した? それは、一体何のことだ?

疑問が湧く。俺を見ただけで、成功したと断じることができる要素があるということだ。

それは、十年後の俺との入れ換わりのことか? だとするなら、六道はこのことを知っていたのか?

そんな考えをよそに、六道は構わず話を続ける。

 

「君からの伝言です」

「俺……?」

 

俺──つまり、十年後の桂木明祢が、六道に託したものだということだ。

そういえば、俺がこちらに来たとき、足元には指輪と匣があった。俺が来たのは入江正一と偶然的に出会ったからで、計画に組み込まれていたことではない筈だ。なのに、何故十年後の俺は武器を用意していたのだろう。

それはまるで、俺がここに来ることを予期していたようではないか……?

 

「まさかっ!」

「余計なことを話すつもりはありません」

「そんな……」

 

何もかもが分からない。分からないまま、この時間は終わろうとしている。

だが、六道は真剣だった。俺に分かる僅かなことは、俺が気になっていることを余計と断じることが出来るほどに、この時間は短いということだった。

目を合わせる。今優先すべきことは、伝言を聞くことだと理解した。

 

「『ユニを守れ』」

「ユニ……?」

「僕もそれが最善だと思いますが、君の意図はそれとは別にあるようです。本当に絆されていたのか、また別の理由があったのかまでは分かりませんが」

「いや、お前が何を言ってるのかがよく……?」

 

そう呟くと、面倒だとばかりに睨まれる。どうやら、余計なことは言うなということらしい。

 

「既に君は、僕の知る桂木明祢とは違う。精々、出来る限り足掻けばいい」

「あ、ありがとう……?」

「……」

 

感謝を述べると、六道は苦虫を噛んだような渋い顔を見せる。

俺は何か言葉を間違えたのだろうか。

 

「ろ、六道?」

「……どうやら、もう時間のようです」

 

ぐらり、といきなり世界が揺れ始める。

 

「時間がないのはお前の方ってことか!?」

「いえ、お互いですよ。……それでは、Arrivederci(また会いましょう)

「おい、六道!」

 

六道の姿が霧散する。

以前に六道と夢で会った時とは違い、落ちていくような感覚と共に、みるみるうちに目の前が白く染まっていく。

ユニとは何なのか。この時代の俺は何がしたかったのか。それらを考える暇さえなく。

夢のことには詳しくないが、何となく察した。どうやら、強制的に目覚めさせられるのだと。




お久しぶりです。リアルでバタバタとしておりました。多分これからもバタバタとしています。

この時期の骸の状態が分からないので捏造しています。
白蘭に負けた後にフランに救出されたものの、万全ではないため長時間はいられないということにしています。
その時間と、明祢が目覚めるまでの時間が殆ど同じだったようです。


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番外編
手を取るは林檎


未来編 27.朝の茜はまだ訪れない まで読後推奨





それは今から七年ほど前のこと。

フランスのジュラでも田舎のところに住んでいた頃、おばあちゃんに呼ばれて家から出ると、見たことのないオニーさんが、おばあちゃんと喋っていた。

オニーさんは、ボサボサな真っ黒い髪に縁の厚い眼鏡を掛けていて、野暮ったい印象が強かった。

 

「フラン、このお兄さんが貴方に頼みたいことがあるって」

 

オニーさんはミーのことを見て、驚いたように目を見開くと、すぐに笑って、ミーと同じくらいの目線になるようにしゃがみこんだ。

 

「……アンシャンテ、フラン。今日はよろしく」

 

目の前のオニーさんは、片言なフランス語を言いながら、手を差し出した。

ミーはその手を掴んで握手をしてから、オニーさんの髪を見た。やっぱりボサボサだ。

 

「うわ、ポメラニアンがいる」

「………なるほど」

 

これは手強い、とオニーさんは引きつった笑みをした。

 

 

 

 

 

 

フランは青年(赤塚暁と名乗った)を見上げながら、不思議そうに頭をかしげた。

 

「オニーさんは、チーズを買いに来たんですか? それともワインですか?」

 

フランの住んでいるフランスのジュラ地方は、ヴァン・ジョーヌ(黄ワイン)などのワインやコンテチーズ、モン・ドールなどといったチーズの生産地として有名な地域だ。

実際、フランの祖母もチーズを生産している。

しかし、ジュラでもフランの住む地域はド田舎だった。

 

「モン・ドールは食べてみたいけど、今日はどっちでもないかな」

「じゃあ、何をしに来たんですか? もしかして、観光ですかー?」

「んー……似たようなもの、だな」

「似たようなもの?」

 

眼鏡の奥の暁の瞳は、フランの身長では角度的に見えない。しかし、笑っているのだろうことは容易に想像できた。

 

(変な人だなー、この人)

 

楽しくもないのに、いちいち笑っている。

上部だけの笑みは、フランには不恰好に見えた。

 

「フランに案内してほしいんだ。出来るだろ?」

「……それって、どこですかー?」

 

興味を持ったから、フランは暁について観察しようと思ったのだった。

道は普通の人間が通れるようなものではなかった。川の上流の方からかなり歩いたところにある泉は、人を遠ざけるようにひっそりとしたところにあった。

フランは、険しい道を平然と乗り越えた暁に対し、興味がさらに深まっていた。

 

「ここが泉ですー」

「……なんか、古いって感じだな。泉だけ残っているのが不思議だ」

 

暁は泉の周りを見渡す。

周囲には木々が生い茂り、遺跡らしきものが風化して崩れている。

 

「この泉、ボロクセーだけなのに何の用なんですかー?」

「………うん」

 

暁はしゃがんで泉の水にそっと触れると、何かが気になるのか、口元に手を寄せ、考え込んでしまった。

フランはそれを横から覗き込む。

暁はやけに険しく、難しそうな顔をしていた。

 

「ここも駄目か」

 

何かを確信したのか、ほんの少しだけ頷くと、暁はすくっと立ち上がり、フランの方を向いた。

 

「もういいんですかー?」

「あぁ、確認は済んだ」

「ふーん……」

「すまないな、フラン。疲れただろ?」

「いや、別に」

「そうなのか? フランは凄いんだな」

 

暁はそう言って、フランの頭を撫でる。

フランの頭は、リンゴだった。その上から、暁は優しく頭を撫でるのだった。

残念なことに、フランにはその感触はなにも伝わらなかった。

 

 

フランの家の近くまで帰ってくると、なにやら騒がしかった。

 

「フラン、静かにして俺の後ろにいるんだ」

「どーしたんで……」

「フラン」

 

暁が、神妙な顔をしてフランを自らの背に隠す。フランは不思議そうにしながらも、ふざけている場合ではない雰囲気を感じ取って、大人しく黙っていた。

 

暁は騒がしい方にゆっくりと進んでいく。進むにつれて、言葉がハッキリと伝わってくる。

 

「殺すぞ、ババア!」

「あっ」

 

暁の背後で、フランが声を上げた。

いかにも柄の悪そうな、サングラスを掛けた男たち二人に囲まれていたのは、フランの祖母だった。

男たちとフランの祖母が、暁とフランの方を向く。

フランの祖母の表情は、恐怖で青かった。

暁はフランの手をしっかりと掴むと、男たちを睨んだ。

 

「何をしている」

 

地の底を這うような、明らかな嫌悪を滲ませた言葉だった。

フランは恐る恐る、暁の顔を見上げた。

茶褐色の瞳が、太陽の光に照らされて琥珀色に見えた。

怒っているのだと気付くのに、時間は必要なかった。

 

「誰だテメェ」

「貴様らに名乗る名などない」

「んだとォ!?」

「……貴様らに与えられている道は二つだ。今すぐ立ち去るか、痛い目を見て立ち去るか。そのどちらかしかない」

 

暁の声には、鋭い刃のような気配が込められていた。

男達はそれに冷や汗をかきながらも、立ち去る様子はない。

暁が一つ、歩を進める。また一歩、一歩と進む度、男達の背を流れる嫌な汗は多くなっていく。

 

「っちくしょう!!」

 

やけになったのか、男の一人がナイフを取り出した。

それを見た瞬間、暁は冷静に足を止め、フランは「……おばあちゃん」と呟いた。

 

フランは良い子ではなかった。

当たり前に他人に受け入れられるような子供ではなかった。

フランは悪い子だった。そして、魔法使いだった。

だから、両親に見捨てられた。

フランは覚えている。

初めて魔法を使ったときの両親の顔を。

恐怖に顔を縛られ、一歩ずつ後退りしていく彼等を、フランはどこか遠くに感じていた。

それに、どこかが痛んだわけではない。ただ、遠いと思っただけ。

だから、魔法を使っても……頭のリンゴを見ても、それをフランの当たり前だと受け入れてくれるような人は、フランにとっては可笑しな人物だった。

それが、おばあちゃんだった。

おばあちゃんは何も言わないし、聞かなかった。フランのリンゴについて、何も問いたださなかった。

フランは別に、おばあちゃんが好きだったわけではない。

弁当は不味いし、チーズは固い。……けれど、おばあちゃんの作るチーズは美味しかった。

 

「離れてくださいダサングラス、それはミーのおばあちゃんです。ババアじゃありません」

 

フランは魔法を使うことに決めた。

 

「誰がダサングラスだ!」

 

フランの言葉に男達が激昂する。だが、それフランが動じたような様子はない。

フランは男達を見つめた。

直後、不思議なことが起こった。

男達が、溺れたのだ。

 

「……!!」

 

息が出来なくなった。

ついで、水を飲み込んだ。

気管に水が入り込み、ゲホゲホと咳をする。だが、再び呼吸をしても、そこには水しかない。

彼等は水の中にいた。突然流れ込んできた濁流。いつまでも水上に出られない、無限の水の中に。

結果、彼等は溺れた。

三十秒、このままいけばあと六十秒で気を失う。

 

「……フラン」

 

その時、声がした。それは暁の声だった。いつのまにか、フランの祖母を連れて、フランの目の前に戻ってきていた。

暁はフランの頭を一撫ですると、屈んでフランと向き合い、不器用に笑った。

 

「フラン、お前がやる必要はない」

 

暁が言うと、フランの魔法に異変が起きた。

いきなり、水が引いた。

代わりに現れたのは、巨大な怪物だ。

それは三つの頭を持った狼だった。尾は蛇のように鱗があり、人間一人など容易に一飲みしてしいまそうなほど大きな口が、男達を喰らわんとばかりに開いていた。

 

「ひっ……」

 

ゲホゲホと咳をしていた男達の喉から、引きつった声が零れる。

彼等の顔は、恐怖に支配されている。

三つ首の狼が、力強い声で吼えた。

男達は尻餅をつきながらも、ずるずる後ろへと下がっていく。

彼等はとうに、フランの祖母のことなど忘れていた。

 

「立ち去れ!」

 

暁が大声を張り上げた。男達はそれを聞いたと同時に、一斉に走り出して逃げていく。

それは不思議な光景だった。

フランの祖母は一連の、男達の奇怪な行動を、ポカンとした表情で見ていた。

彼女の視界には、水も化け物もいない。

いきなり苦しみ、怖がり逃げ出した可笑しな男達がいただけだ。

 

「……地獄の門番なんぞ、現実にいるかよ馬鹿」

 

暁は侮蔑するように、男達の背をにらんでいた。

フランは暁を見た。暁も、フランを見た。

 

「……フランお前に話したいことが」

「オニーさんも魔法使いだったんですか?」

「へ?」

 

暁の眼鏡の奥の目が、虚を突かれたように丸くなる。彼の行動のすべてが一瞬固まる。

言葉の意味が、理解できなかったからだ。

 

「ミーは魔法使いです。だからおばあちゃんのところに預けられてるんです。オニーさんも同じなんですか?」

 

聞いて、暁はようやく全てを理解する。

彼は無知なのだと。

同時に、この幼い少年は、自らの力の異質さにも気付いていたのだと。

暁は、心配させまいと微笑んだ。

 

「……フラン、あれは魔法じゃない。幻術っていうんだよ」

 

暁はそう言って立ち上がり、フランの祖母と向かい合った。

 

「失礼を承知で頼みがあります。フランを、こちらで引き取らせてください」

 

暁は、頭を深く下げた。

それはどこか、懺悔するようでもあった。

 

 

 

 

 

暁の後ろを、フランはとことこと歩いてついていく。

荷物は少ない。

あの後、フランの祖母は暁の申し入れを二つ返事で承諾した。随分と呆気のないことだった。

あまりの呆気なさに、申し入れた暁の方が驚いたほどだ。

 

「今どこにいる? ……日本? なら、丁度良い。……頼みが出来た。今からそっちに行く。そうだな……明日だな」

 

暁は電話をしていた。どこになのかは、フランにはよくわからない。

相手はそれなりに親しいようで、暁の口調はどこか気安い。

ピッ、という音がして電話が切れる。

暁がフランの方を向く。

 

「……さて、改めて自己紹介しないと」

「?」

 

暁はいきなり、服装を整え出した。

みるみるうちに、野暮ったい印象は消えていく。

暁は髪の毛を掴むと、思い切り引っ張り──髪がずれた。

 

「……かつらだったんですかー。その歳でかわいそうに……」

「見ろ、ちゃんとあるだろ髪」

 

黒いかつらの下から出てきたのは、焦げ茶色の髪だった。

量はしっかりとしていて、どこにもツルツルとした部分はない。

 

「俺の名前は桂木明祢。よろしく、フラン」

「もしかして、今までの偽名だったんです?」

「そうだよ」

「……名前、そっちの方がらしいですねーアカネさん」

 

暁──桂木は何かを痛むように、一瞬目を細めた。フランはそれに気付いたが、何も聞かなかった。

 

「……そうか、ありがとう」

 

桂木は笑った。やはり、不器用な笑みだった。

桂木の、フランより一回りも二回りも大きな手が差しのべられる。フランは、その手にそっと自分の手を乗せた。

 

その後、二人は日本に渡った。

とある人物に会うために。

 

 

──後に、ある人物は語る。

厄介なものを押し付けられた、と。




「アンシャンテ」
フランス語で「はじめまして」という意味。

話が進んだら番外編ではなく本編に組み込むかもしれませんが、とりあえず番外編ということで。


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