ざっくりハーフのトライアンフ(仮) ~シャングリラ・フロンティア外伝 ヌルゲーマーのエチュード~ (みそぎ 鈴)
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およそ語られる事の無い断章

全方位DTの完全初投稿です。よろしくお願いいたします。


 頭上に舞った紙吹雪の一つ一つに積層型の魔法陣が構築されていく。朝焼けの散乱光を受けた無数のオブジェクトの断片は、システム的なエフェクトを帯びて更に煌々と輝き──青白く点滅を繰り返し回転収束しながら臨界を超えて結実を迎えた。

 拳を振り上げて、吐き出し切った筈の息を飲み込む。刹那、術者の意図を理解した【魔法】と呼ばれるその光の断片達は青白い発光を加速させて、その色を頭上に染まる朝焼けと同じ色の灼熱の炎へと姿を変えていった。

 

 既にその詠唱に意味は無く、それでもプレイヤーはその所作を止めることは無い。

 このゲームは詠唱が全てだ。故に目の前のアバターは、吐き出し切った筈の呼吸を無視して更に詠唱を続ける。不自然なまでに整った生気の無いその顔は、俺を見て小首を傾げながら形良くにこりと微笑んで──

 

 

 

「ああんっ、お義父さんダメですぅっ。皆が帰って来ちゃうっ。弟はっっ…… せめて弟だけにはこんな姿見せられないのっっ、アッッ嫌っっそんなにトントンしないでっ、私グズグズになっちゃ──っっ…… あっっ、あっっ、あぁぁっっっ!! えぇえっ…? いやぁあっ…ちぃ…違うっ…――ちがうのぉっ…あぁっはぁ…だぁあ…めっ!! やめっくぅん…てぇえ…はぁぅくっはぁ…ぅはぁ…っひぃあぁっ!! ダっっっ、ダメったらダメぇ~~~!!!!」

 

 

 

 完全に頭おかしいとしか言えない嬌声がトリガーとなって起動した炎の連弾が俺の全身を包み込み、一瞬で焼失した。何じゃ今のはこらああぁぁっっ!!???

 俺を屠ったアバターのキャラ名は──【サッカーボール】

 

 

 

 

 別のある時は、街と街の間を結ぶ街道のど真ん中。

 背丈は俺の半分ほどのホビットを模したアバターは、落語の寄席よろしく一人芝居を始めていた。俺の足元には極太の樹の根(見た事の無い魔法)が膝上までしっかりと絡み付き、その場から逃れる事は出来ない。

 そうする間にも眼前には人間の背丈の倍以上はある巨大な炎柱が轟々と形成されていき──

 

 

 

「へっへっへ、もう観念するんだな。逃げられないぜお嬢ちゃんよぉ」

『らめぇっ、痛い事しないれぇ… ママぁ、ママぁっ……』

「口答えなんて直ぐに出来ないようにしてやるよ」

『れもぉ… そんなの絶対嘘だよぉっ、ママぁ怖いよぉ助けてぇ』

「いちいち口答えなんてするんじゃねえこのクソアマっ!!ごちゃごちゃ五月蠅え奴にはこうだぞオラァっ!」

『義父さんっ、お義父さんっっ止めてっっ? 何でそんな大きなマッサージ機を持ってるのっ? 嫌っ、怖いっっ近寄らなぃ──…』

「『すっっごいのこれえええええええぇぇぇ~~~~っっっ!!!』」

 

 

 

 一人漫才が言葉を紡ぐ度に逆巻く炎柱は更に猛り狂い、程なく俺はその渦に飲まれて死んだ。おい最後声がダブってユニゾンしてたぞっっっ!つーかまたお義父さん出て来てんぞぉぁぁぁっっっ!!

 俺を焼き殺したアバターのキャラ名は──【piledriver】

 

 

 

 

 更にまたある時は、強制進行イベントの真っ最中。二十人を越えるNPCがオーケストラを演奏する中、突如耳元に妙な音と息が吹きかかる。

 背筋を走る悍ましさに思わず全身を震えて後ろを振り向くと、至近距離には極彩色のグロテスクな唇が至近距離から俺に迫って

 

 

 

「---・- ・ ・・--・ ・・・- --・ ---・- ・ ・・--・ ・・・- --・ -・・・ ・- -・・ ・・ ・・・- --・-・ 」

 

 

 

 ブサイクなタラコ唇しか確認出来なかったアバターのキャラ名は──【glory hole】。それぜってぇモールス信号だろオルァァぁぁ~~~っっっっ!!!

 

 

 

 

 更に更にまたまたある時は、初心者がリスポーンするセーブクリスタルで同じく初心者と思しきプレイヤーとすれ違い──……

 キャラ名は──【オム餡子(あんこ)

 

 

あっ(察し)

 

 

「お前それもうそのまんまじゃねえkうぎょべちょるのりゃりぇうずううううううううううううあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~~~~~っっっっ!!!!!!!!!!」

 

 

 

 数えて四度。俺は準ガチ勢を自称するまでになったキャラクターを、見るからに初期装備丸出しのプレイヤーに徹底的にキルし尽くされた。

 悔しい、であるとか。どうしようもない程イラつく、であるとか。様々な激情が胸の内に渦巻くが、それらに合理的な説明など付かないし、そもそも付ける必要性も感じない。

 今やれる事はただ一つ、俺は無心でゲームからログアウトをして現実世界の端末を漁り────

 

 

 

「こんなクソゲーもう二度とやらねぇ。」

 

 

 

 そのゲームのインストールディスク―― 『スペル・クリエイション・オンライン』 ――を叩き割った。




点滴スキーさんへの愛が足りない……
上手く書けたら後日修正します。


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1-1 意味は無くても、価値の有る的なやつ

 趣味、というものを大人になっても持ち続けることは、きっと割と難しいことなんじゃないかと折に触れて思う。思っている。

 望まない緊急案件一つでも生えやがればその日は望まない残業を強いられることになるし、一人で完結しない其れを持てば、どうしてもそれに派生する人付き合いというものからは逃れることが出来ない。勿論、一人で完結するものもあるが、それも大抵の場合「自分以外の誰かに観測して欲しくなる」自己顕示欲に飲まれて本当に一人では完結していられなくなるものだ。そう、趣味(好き)を持ち続けるためには、そうでないもの(好きじゃないもの)も持ち続けなければならない。

 好きなものが、純粋に好きなだけではいられない。きっとこの感覚は、本来なら貴重極まりないクソガキ時代を、嬉々としてどうしようもない無駄遣いのキャンプファイヤーに火に焼べまくった人種なら、大なり小なり共感してもらえるものだと俺は確信している。それは燃え盛った炎が熱ければ熱い程、その燃料が大衆の日常からかけ離れてものであれば程、注いだ熱意が粘質であればある程、燃やすものが無くなった後に残った余熱の燻った灰の後始末に困ってしまう性質のそれだ。

 そしてそんな時には、新しい何かを探すムーブこそが大人のスマートさというものなのかもしれないと、最大公約数の理性を持つ誰しもがきっと知っている。が、それは中々に難しく、面倒臭く──転んだ時のダメージがデカい。

 モラトリアムの塊と言って良い時期に激しく燃え盛った熱量を、社会の歯車になってから新しく見付けることは非常に労力が必要であり、育てるにはそれ以上のコストが掛かり、そもそもそんな簡単に代替出来るものなら苦労なんて最初からしないのだ。

 

 

 

 

 

 

「デーブちゃぁん、また今日も手抜きしたでしょう。ああいうの若い子の前じゃ良くないと私思うんだけどなあ」

 

 気怠げ──と呼ぶには色気の欠片もない、単にやる気が無いだけの声色が形式的に俺を叱責する。見てくれだけは美人の筈の、しかし俺の琴線には一切掠りもしないその声の主は、そのままカウンターに突っ伏してグラスをからからと回して弄んでいた。

 おいこら、髪の毛めっちゃカウンターに拡がってホラー映画みたいになってんぞ。きったねえなー……

 

「その呼び方いい加減やめーや。つか他のOB達いるかもしんないだろ、その絵面じゃ『酔ってる』って言い訳するにはきつ過ぎんぞ。もう俺は小芝居に付き合わないからな。あんな面倒なの──」

 

「でーじょーぶでーじょーぶよぉー。今日も可愛い子来なかったし、OB勢もお金持ってる人は居なかったしねー。今日は捨て回ってやつですよ。すーてーかーいぃー」

 

 声の主、小比類巻灯(こひるいまき あかり)はカウンターに突っ伏したまま更にへちゃむくれて投げ遣りに追加のオーダーを頼んだ。オセアニア圏屈指の有名人の現地妻、という普通に生活していたら中々お目に掛かれないであろう、それなりに強烈な属性を持つ隣人の目には、本日の会合参加者にはお眼鏡に適う男性はいらっしゃらなかったらしい。

 皆は知ってる? げ・ん・ち・づ・ま。お・も・て・な・し、じゃないぞ。現地妻だ。もう本当にそのまんまのそれ。

 いや、というかそもそも現地妻やりながら他の男を堂々と物色する感性は俺には一切理解出来ないもの(此奴曰く、女なら当然!らしい…)だが、俺が彼女の小言を嫌ったのと同じように、この手の小言は既に仲間内の中では言い尽くされているため今更いちいち突っ込んだりはしない。

 ──こいつ選別対象が居ないところでは本当女捨ててるよなあ…。俺も人の事言えないけどさあ…、何つーか限度ってもんが……まあいいや。このやり取りも殆ど定型句に近いもんだし。

 

 

 ちなみにOB勢と言うのは、まさに言葉の通り「over boy」を意味する。boyと呼べる時代は下手すれば四半世紀前に消し飛んだ過去ではあるが、それとは別に、俺がこの単語を用いたもう一つの意味として、本来居てもおかしくない筈のもう半分である、OG、「over girl」が母数には存在しない、という事も示唆している。要は俺の隣でへちゃむくれている此奴は、この界隈では珍しいgirl(笑)属性の持ち主という訳だ。

 

「デーブ…(ギロリ)

 

 ……勝利くーん、今日もいつものルーティーンではぐらかしたでしょぉー。やっさん(OBの長的なポジション。俺はめっちゃ苦手、つーか嫌い)、明らかにテンション下がってたよ?君、見せ方のセンスあるんだからたまには新しいのやってよ。おねーさん結構楽しみにしてるんだけどなー」

 

 

 同級生だけどな。そしてとりあえずお前は一人称統一しろ。

 ていうかお姉さんと言っても単にお前が一浪してるだけで大学の学年は一緒だったし、年長者としての経緯を払って欲しいならアラサーらしくきちんと振舞え。おっと、アラフォーとか言うなよ? 俺達くらいの年齢的カテゴライズは非常に繊細極まるものだとご理解願いたい。つーか全人類共感して願ってくれ。願え。

 

「良いんだよ。今回は大学から始めた子結構多かったし、チョイスとしては妥当だろ。ていうかそういうテンプレ問答めんどいんですがー…。──あ、お兄さん。この『シンガポール・スリング』、一つお願いします」

 

 ……何かめっちゃけばけばしい酒がグラスで出て来た。知らないお酒って名前で選ぶと大体軽く後悔するよね。

 

 

 

 

 さて、そろそろキーワードでこのやり取りを統括しよう。

 オセアニア圏屈指の有名人、OBとOG、会合、ルーティーン、そして趣味。取り留めなく羅列されたこれらと安酒でぐだる俺達二人を一括りにする共通項。それは、ずばり「手品」だ。

 小比類巻灯──、灯ちゃんの(彼女曰く)パートナーは、パプワニューギニア界隈を中心として活躍する国民的有名マジシャンであり、事実上OGはこのへちゃむくれだけの社会人が集まる月一回の会合は、学生奇術サークル(基本的に専門界隈では手品ではなく奇術と言う)を卒業した以降も手品を趣味とする奇特な人種の集まりであり、ルーティーンとは、演目が始まってから終わるまでに行うマジックの一連の所作を表す単語である。

 

 ちなみに絶賛不評を食らいまくってる俺が今日行った演目は「トライアンフ」と呼ばれるものだ。

 アルファベット表記すると、世の男性の六割くらいがちょっとばかりそわそわしてしまう衣類メーカーを連想しかねないそれは、和訳をすると「征服」、「大成功」、そして「勝利」を意味する。

 これは読み方こそ違えど、この俺、太田隈勝利(ただくま かつとし)の名前と同じ意味を持つカードマジックであり、更に言うと世界でも有数の名ルーティーンでもあるのだ。折角なのでこの機会に是非覚えて欲しい。

 ほら、こういう地道な布教って大切だよね? ニッチな界隈の趣味ってのは放っておくと直ぐに枯渇して勝手に死滅しそうになるから、こういうのは本当に油断ならない。

 

 話が反れた。

 俺が好んで披露する「トライアンフ」は、今日初めて会合に体験参加した大学生サークルの子達に非常にウケた演目であり……、輪番制で回ってくる演目発表会の際に俺が毎回変わらず行うルーティーンだ。

 そして毎回同じルーティーンを行う理由は至極簡単なもので、手品は総じて難しく、見せ方の研究は面倒臭く──失敗した時のダメージがデカい。だから俺はお決まりの慣れ親しんだルーティーンしか披露しないことにしている。

 無論、物々しく会合なんて名乗ってはいても、単に同好の士が内々で集まって見せ合うだけの場において、失敗なんてのは本来ダメージは一切無い筈のものだ。そしてそもそも手品ってのは他人に観測されてナンボのものである。

 ……それでも社会の歯車になって十年を過ぎると、自らの失敗を他人に見せるというのはやはり中々堪えるものがあるんだよね。そういうのって無い?

 俺は有る。めっちゃ有る。

 

 

「はぁー…。あー、まあいいや。君が拗らせてるのはホント今更の事だし…。とりあえずその拗らせ太郎君に朗報だよ。前言ってたあれ、手に入ったから持って来たんだ。要るでしょ?」

 

「えっ、マジっ?!」

 

 急に振られた土産話を耳にして思わず身体を乗り出してしまいそうになり──からの自制心カムバックっ!

 あー、おほん…。良い大人が店内で大声なんて上げちゃ駄目だよね。でーじょーぶでーじょーぶ、俺はもう良い大人、良い大人。大丈夫だ、問題無い。……早く見せてくれっ!!はよはよっ!!

 

 

「あはは……。君、普段からそれ位やる気見せてた方が良いと思うよ? 最近多少マシになって来たけど、ちょっと前の頃とか本当に酷かっ…… ごめん、その目付き本当に怖いからマジで止めてくれない? ふつーに酔い冷める。止めて」

 

 アレを思い出させるなクソが! ていうか人の顔見て何を失礼な!

 一瞬そう思ったが、ここで変に機嫌を悪くされても困る。ここは大人しくスマートな俺を演出してみせよう。……早く現物見せろ!

 まあ確かに、半分泥酔している美人(多分)に酒の場で詰め寄る構図ってのは社会的にアウトな気がするな。努めて自制し、自分のケツをクッションに押し付けて半身になった身体を正面に直して……とりあえずグラスを一口傾ける。

 うーん、明らかにオーダー間違えてるなこれ。甘さを抑える為にレモンとかでバランス取ってるんだろうけど、単純に薄いよこれ。

 

 そんなこちらの小さな葛藤をジト目で睨み付けた後に、「ふぅ」と嘆息して脱力した美人様は化粧と手品道具が詰まったハンドバッグの中から、目的のブツを取り出してくれた。

 カウンターに置かれたそれを目視して素早く回収して自分のバッグに仕舞うと、グラスの残りを一気に飲み干す。やっぱりうっすい、でもこれは今の状況だとちょっと助かるな。

 

「代金の方は……」

 

「お代は今日を含めて向こう三回分の飲み代。駅までは送る。忘れ物確認して。ほら、灯ちゃん、店出よう?」

 

「えぇー……」

 

 

 最速よろしくその場を精算する俺を心底嫌そうな顔をする彼女を無視して、構わず俺は手早く上着を羽織るのだった。



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1-2 starting over(二重の意味で)

 シャングリラ・フロンティア。通称「シャンフロ」。

 一カ月ちょっと前に発売され、専門雑誌が評するところでは「現在某世界記録に比肩する程爆発的に売れている品薄必至」の、同時接続型大規模MMOゲームだ。そしてこれは個人的に多少思うところがある背景を持ったゲームでもある。

 

 

 ゲームの仕様は現在判明している限り酷くクラシックなもので、簡単に言ってしまえば剣と魔法の世界におけるスキルゲーに分類されるそれだ。そしてそんなクラシックなスタイルのフルダイブMMOがそれだけで世間に無条件に受け入れられる訳はなく、当然これには追加情報がある。

 それは言葉にすれば、圧倒的なリアリティ──という割と陳腐な言葉に集約される。これは各種レビューサイトの共通見解だが、これこそが原点にして頂点、的なやつとして世間的には認識されているようだ。あれかね。パスタで言うところのペペロンチーノ的な扱いのやつ、もしくは感謝をしながら正拳突き1000回……これはちょっと違うか。他に上手い言い方は無いだろうか?

 ともあれ、そのシャンフロペペロンチーノはおよそ一世紀前には確立したロボット三原則が準用されるAI技術をおそらくガン無視して超々高度に発展させ、更に意図的にダウングレードさせたことを隠す気すらない思考ルーチンと、水滴一つにまで物理演算を適用した変態的技術を以てゲーム業界を席捲している。世間では既にシャンフロシステムだなんて呼ばれ方で持て囃されているらしい。

 

 そしてこういった設計思想は、俺のような常に合理化を強いられる社畜からすれば到底許容する事の出来ない自慰行為と見えるのだが……まあそれは建前ってやつであって、俺を含む絶対的多数の大衆はこういったモノを本当は何時だって涎を垂らして待っているものでもある。

 圧倒的なパフォーマンスを誇るアスリート、数百年続く古典芸能、ネットの世界に腐る程掃いて捨てるまでに転がりまくっている娯楽小説の一つに至るまで、モブの大衆は最大公約数の正しさなんざ辟易していて──「これが己が信じる正しさだ!」という強烈な自己主張や信念に魅せられるものだ。

 では例えば俺はどうなのか? そんな事はいちいち問われるまでもない。でなければ良いして後生大事にゲームディスクなんて鞄に仕舞い込んだりしないだろ。このゲームを手に入れるまではその評判を知らなかった俺ですら、帰り道に携帯端末で調べた程度のレベルの情報でテンションがちょっと上がって来ている始末である。

 とは言え、このゲームを欲した理由は、俺個人で言えば本来そこに力点を置いていなかったものではあるのだが。

 

 

 社会の歯車になって早十余年。良し悪しに関わらず目の前のタスクにしか興味を持てなくなっていた所謂社畜ど真ん中の俺は、本来ならば気づいて然るべきであった筈の因縁をばっちり見逃してしまい、何処ぞの現地妻様のフリーター生活に力を借りることとなった。――因縁? いや違うか。因縁ってのは少なくとも両想いの関係性に基づいて使われる言葉であって、おそらく俺のそれは違う。因縁って言うよりは、きっと怨念と言う方が近い。まあ今はそれは置いておこう。

 カラコンさえ入れればゲルマン民族の十代女子と言っても全く疑われない容姿を持つあの真性駄目人間(三十路半ば)は、所謂短期コンパニオンとして様々な販売店に伝手とコネを持ち、このゲームを俺に用立ててくれた。対価はこのゲームの定価の倍といったところだが、今何処の量販店でも品切れが続く人気ゲームを迅速に手に入れてくれた点を考えると、オークションサイトで競り落とすよりも大幅に良心的であり、正当な報酬と言える範囲だと言えるだろう。

 まあ実際のところ、俺が一方的に金額指定したんだけど。反論は無かったんだしそこは気にしない。

 

 社会人の集まる手品の会合は歯車の悲哀よろしく毎月金曜日に行われるため、当然ながら翌日は土曜日。つまり今日は土曜日で、明日は日曜日だ。

 カレンダー通りにある程度休めることだけが取り柄の職種についたことが、今回ばかりは幸運に感じられたことに感謝しよう。

 えーっと、VRゲームをプレイする時には、空調と水分確保の手段を整えて、ダイヴ時の床擦れに気を付けるようにするんだったっけか? ちょっと介護臭するよなこういうのって。

 いやいや、軽口を叩いてみたものの大切なことだってのは、数年ぶりにプレイする俺でもしっかり理解出来る。ていうか久々だと正直ちょっとトイレ問題が怖い。……今からでも万全に万全 を期して紙オムツ装備するか? 誰にも見られなきゃセーフだろ。あくまでも最終防衛ラインを持つことの安心感を手に入れることが目的であって、実際に使う訳じゃないし。

 それに昨日の酒はきちんと抜けるよう万全の対策も取ったし睡眠も十分──お陰で既に昼飯も近い時間帯になってしまっているが、コンディション調整の為の必要経費だろうしな。その辺は大丈夫な筈だ。

 えーっと、それから他には他にはぁ──……

 

 

 

「あー。やっぱこれ、浮かれてんのか俺は……」

 

 

 

 年イチのプレゼン準備かよ、俺。舞い上がり過ぎだろ。

 あれこれと準備して忙しなく男のむさいベッド周りを必死に整える構図は、ちょっと他人には見せ辛い絵面だろう。普段は斜に構えていて、今この瞬間もぱっと湧いて出たような浮かれ具合に冷めた視線を自らに下している自分も間違いなくいるのだが、それを押してもなお、初ログインに突き進んでいく浮ついた自分を自覚して思わず苦笑する。

 そしてそんな俺の姿を映した鏡の中には、物憂げな表情のブサイクなおっさんが──……って、そんなのどうでも良いわ!

 まあ、正直楽しみにしてたからね。仕方ないよね。

 とは言え、このまま自分のベッドに付きっ切りになる三十路を晒し続けて肝心のゲームに進めないってのも本末転倒だろう。こういう時は、MMO初心者用まとめサイトの基本事項だけを再度おさらいして────

 

 

 トイレは小も大も済ませた上で水分と栄養補給を済ませる事。

 ガチでやる必要がない場合はベッドに横たわってプレイする事。

 起きてすぐ水分補給できるようにペットボトル飲料水は近くに置いておく事。

 

 

 何だ、全部ちゃんと出来てるじゃん俺。それじゃあまあ、いい加減せーので──

 

 

 ログイン!!

 

 

 

- - - - - - - - -

 

 

 

 久々のダイブにおそらくほんの少し緊張している、のだろうか。

 

 

 バイタル値は正常。色彩の乏しいファーストフェーズでキャラメイクはさっさと済ませた。詳細は後で確認すれば良いだろう。

 「キャラクターメイク最終決定」から遷移を選択した瞬間、瞳は既に閉じているのに視覚として認識出来る電子世界の画面が暗転し、そこから場面が切り替わる。

 ピントのぼやけた──おそらく風景映像が徐々に輪郭を表していくと──、鮮明さを増した世界は一気に加速度を増して昼の荒野を全景に映し出した。うっお、すっげえなこれ。マジで圧倒的なリアリティってやつに偽り無しじゃねえか。砂埃とか舞ってるけど、もしかしてあれって砂が一粒単位で描写されてんのか?

 

 

『遥かな太古、神代と呼ばれる時代があった。』

 

 

 感動している俺に、唐突にナレーションとやたら荘厳なBGMが向けられる。……あれか。プロローグ的なアレか。

 ──音声として聞いた筈の「神代」という単語がスムーズに理解出来る辺り、やはりシャンフロはあのゲームの系譜を継いでいるという事だろう。単語の一つ一つに認識補助補正が入っている事に、俺はシャンフロの礎となっているであろう別のゲームに思いを巡らせる。

 

 

『偉大なる神人達は後世に命を紡ぎ、その姿を消した。』

 

 

 目の前に広がる広大な荒野から場面が切り替わる。今度は夜の森の中で、月明かりを水面に映した湖だ。二十二世紀が見え始めた昨今にでは、最早中々お目に掛かれないガチの自然ってやつだな。

 ……ゲームの中の筈なのに自然とそんな感想が浮かんでくる辺り、このゲームのリアル加減の実力が窺える。

 

 

『時は流れ、神人の遺志継ぐ我々は彼らが願ったように地に広がり、そして大いなる命の流れを紡いでいく……』

 

 

 再度場面が切り替わり、今度は人工物の集合体を丘の上から見下ろす構図になる。所謂剣と魔法の世界に出て来るヨーロッパ基調の街並みのそれだ。

 街の入り口で兵士が荷馬車に乗った商人…で良いのか?旅人に話し掛けている姿が見えた。纏めサイトによると、あれらアバター一つ一つに疑似人格AIが搭載されているとのことだが、本当だろうか。

 

 

『今を生きる我々は、歴史と遺跡の中に息づく過去の遺産から神人達の叡智を掘り起こし、受け継ぎ、讃え、我が物として、暮らしていく。』

 

 

 

「うおっ!?」

 

 思わず声を挙げてしまいそうになるが──今は強制ムービーの途中の為、それは適わない。

 唐突に目の前をサイとライオンを混ぜたようなモンスターが横切っていき、思わず身を竦ませる。……実際にはムービー描写だから、まださっきメイクしたマイアバターを知覚出来る状態じゃないんだけどね。

 そんな取り留めの内思考に揺蕩う俺の目の前でモンスター同士が走り回り、ガチバトルを繰り広げ続けていく。モンスターが牙を剥いた瞬間に垂れ零れる涎と晒された歯肉がいやに生々しい。これグロ耐性大丈夫か? やばい予感するんだが……。

 

 

『さりとて、人の欲求は尽きることは無い。富と、未知と、生きる意味を求めて、彼らはこの厳しく優しい理想郷に挑んで行くのだ。そして人々はそんな彼らを「開拓者」と呼んで敬った』

 

 

 更に場面が変わり、今度は夕暮れの戦場。恐らくこれは戦場だろう。

 人と人と、更にモンスターが三つ巴になって苛烈な戦闘を続けている。――先程のナレーションに「讃え、我が物として」という並列表現に違和感を感じたが、そういう事か。要は対人戦闘もアリって事なのね。……PKされるのって屈辱だよな。いや、今はその思考から離れようってさっきも思っただろ俺。

 目の前の甲冑兵が翼竜っぽいモンスターに齧られたり、魔法使いが派手なエフェクトで兵士とモンスターを同時に吹っ飛ばす光景が十秒程繰り広げられていく内に、徐々にBGMが小さくなり、画面も徐々に暗くなっていく。

 お、そろそろオープニング終了かな。

 

 分かりやすいフェードアウト効果に次のフェーズの期待が高まっていき、まだ知覚されていない筈の身体に力が籠もる。そうやって身構える俺を迎えるかのように最後のナレーションが響き渡り──

 

 

『さあ、開拓者達よ──。世界を拓き、世界を楽しめ!』

 

 

 最後の一声と共に、暗転した視界が一気に光に包まれた。



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1-3 凡人が観測する神ゲー事情

バベル関連は後日修正要


 スペル・クリエイション・オンライン。通称「禁呪」もしくは「スペクリ」。

 数年前、俺にとって浅からぬ悔恨を刻んだこのゲームは、今は既にオンラインサービスを終了した曰く付きの作品である。そして学生やライト層のユーザーからは「露骨に冒険し過ぎたシステム性が悪用されまくったクソゲー」と評されるこの作品は、一定年齢を超えた人間からすれば少し考えるまでもなく明らかにヤバい技術を体現したものでもあった。

 その露骨なヤバさは、一部のプレイヤーからはちょっと笑えないお偉方の意向を汲んでサービスを終了させられたと噂される程であり──俺はそれがただの陰謀論であると思っているが──当時はニュースサイト等でそこそこ話題になった事例でもあった事を、俺は忘れていない。

 

 とは言え、皆はそんなおっさん視点で見たネトゲ事情なんぞ考えた事は無いだろう。

 故にスペクリのヤバさを理解する為には、若干近年のフルダイブ型ゲームの三つの特徴──「身体能力拡張」、「知覚機能拡張」、「意思疎通の共通言語化」について説明してみたい。

 

 

 

 身体能力拡張。

 言葉のとおり身体能力を補正、ないし創造する機能をゲーム内で発露する仕様の総称をこの様に呼ぶ。世に溢れるハックアンドスラッシュのスキルゲーや対戦格闘ゲームのそれらは軒並みこの機能を採用している。あれだ、筋力パラメータを上げればオブジェクトの岩を運べるようになるであるとか、スキルを発動すれば猫のような軽い身のこなしが出来る的な仕様は大体これに類する事になる訳だな。

 これは元々フィギュアスケート等のウィンタースポーツ、とりわけ転倒や失敗が選手生命を一気に縮めかねない競技の練習方法として考案されたプログラムが、ゲームに転用された経緯がある。その為それらの派生として、武道武術、格闘技、書道や茶道と言った「型」を重んじる競技やコンテンツの教材として用いられていたりしているのが特徴だ。

 その他にも、ゲームをゲーム足らしめる為に質量や重力補正なんかもあるんだが──、それは枝葉に類するものとして今は割愛することにしよう。

 

 ちなみにこの仕様は、医療分野における肢体不自由患者のリハビリテーションに技術転用しようという試みが、最近の流行だったりする。そしてその派生で、ゲームに傾倒する余りリハビリ行為を全部ぶん投げてプロゲーマーデビューした、なんて障害者の星のブロンド女子も生み出したらしい。

 ――ゲーマーってのは業が深いのね。病院に通っていたらいつの間にかアイドルプロゲーマーになってました! とかカオス過ぎるだろ。ていうかゲームも良いけどリハビリもしろや!

 ……まあいいや、話を進めよう。

 

 

 

 知覚機能拡張。

 三つの仕様の中で最も歴史の浅いもので、先程俺がオープニングで聞いた「SHI・N・DA・I」という音声を前提知識なく「神代」と認識させたアレなんかがその代表格だ。前提知識も脈絡もない状態で唐突に音源として聞いた(厳密にはフルダイブ中に「聞く」という概念は本来存在しないのだが)特定の固有名詞を、誤解なくプレイヤーに認識させるために用いられる仕様。知覚機能拡張は概ねこういった「未知の情報を便宜上既知の情報として扱わせる」というものに類型される。

 他にも例えばシャンフロで言えば、レンジャースキルの痕跡追跡(トレースチェイス)や、現在最前線組プレイヤーが躍起になって集めている使い捨て技能媒体(スキルグリフ)瞬刻視界(モーメントサイト)辺りなんかも、これに該当することになるだろう。他にも聴覚以外にも視覚情報に適用することで視覚情報に補助線を示したり、疑似的な未来視なんかを体現出来るものも同様の扱いになる──んだが、この理屈だと五感繋がりで味覚とかそういうのにも補正入ったりするのかね。まだ触っていないサブ職決めるにしてもちょっとその辺気になる部分でもある。

 ともあれ、これらは前述のとおり世に出てからの然程時間が経っておらず、本格的に不特定多数のプレイヤーがこれを体験することが出来るようになったのは、スペクリが世界初と言われている。

 

 ――まあ、その世界初の試みは18禁仕様の淫語に塗れて──終末期はデスメタルなんかにも塗れていたらしいが……。これ言っていてもう自分でも意味分からないな。淫語とデスメタルの取り合わせって何由来の世界観だよ。

 淫語はある程度予想された脱線具合ではあるが、それに対抗する為にデスメタルを持ち出そうと考えた奴の脳内に興味があり過ぎるわ!

 

 

 

 

 脱線が続くな。続けよう。

 

 意思疎通の共通言語化。残念ながらこれは説明が長くなる。

 言葉のとおり、人種を問わず意思疎通を可能にする仕様の総称。……歌や音楽でボーダーレスな世界を実現、みたいなアレじゃないぞ? 個人的にはそういうノリは大好物だが、今はそういう脱線は置いておく。

 この仕様の実現については概ね二つのアプローチがあるとされている。前提としてプレイヤーが任意で母国語をデフォルト設定する、という前提の下、一つは「思考情報そのものをオブジェクト指向で一元化処理し、それらをプレイ処理と同時演算翻訳する」、もう一つは「プレイヤーが体感するサーバ情報を数十秒程度現実世界から意図的に遅延させ、言語情報のみを先行処理させる」と言う方法だ。

 ……何を言ってるか分からないって? 大丈夫、俺も伝聞で概念理解したつもりなだけだから、上手く説明出来ているのか、そもそもそれが事実なのかすら自信が無い。故に、分からないって反応は至極当然の感想だ。まあ取りあえず今はそれでも続けるぞ。

 

 まず前者は一言で言えば、思考盗聴と言い換える事が出来る。要は「考えた瞬間それが電極機械に感知され、情報として構築されてしまう」というシロモノだ。もうこれは言ってるだけでもガチでヤバいのが素人の俺でも分かり過ぎるレベルだな。

 故にこれは当然ガチンコの犯罪として、採用しているサービスはこの世に存在しない。……多分。倫理的観点から、内心の自由と言うものはどの国でも重要視されているため、頭の中で考えた事を本人が言葉として発する前に思考者の裁可無しに情報として他人に伝える、という事は万国共通で忌避されているのが現状なのだ。

 サトラレかよ。怖いよね、嘘のない世界って。

 

 対して後者は噛み砕いて言えば「言語として発した情報」と「それ以外のプレイヤーの体感情報」の時間の流れ方が違う、と言えば良いだろうか。

 そもそも言語というものは国や地方によって差こそあれど、基本的に文節単位で言語が確定してからでないと翻訳というものは難しい。また、ジョークやスラング等の類は複数の文節が連なった結果、文全体がまるで違う意味を持ってしまう、なんて事もザラにある。その為、一定以上の精度を持ったAIによるリアルタイム翻訳というのは、事実上実現不可能とされている。

 そこで何処ぞの偉い人が考えたのが、言語情報の独立処理化だ。要は口頭から発せられた言葉を翻訳する体感時間を事前にストックしておき、言語を発する → 翻訳する → 第三者の聴覚に音声として届ける、といった行程を体感時間とは別の時間軸で処理している手法だ。

 

 基本的に電子世界へフルダイブする際には必ずログイン行為が必要となるが、生物である人間が意識を現実世界から仮想世界に飛ばして、そこから脳波やバイタルを安定化させるのには最低でも一分程度は掛かるとされている。しかし、プレイヤーが実際にダイブ完了を知覚するのは多くても三十秒程度だ。故にフルダイブ中の人間は実は「常に三十秒ほど過去の夢を継続的に見続けている」状態にあると言える。

 そして言語翻訳はこの時間差を利用し、過去の情報を知覚して夢の中で発言した己の情報を数十秒の間に翻訳し、己の脳内と夢の中の情報に突合、擦り合わせしていく、というのが理屈らしい。

 無論この手法には欠点があり、時間誤差内で処理すべき情報が蓄積するとオーバーフローした情報が夢の中の情報への突合に間に合わない可能性が出て来るのだが、所謂格闘ゲームなんかではその点も解決しているのが現時点での普及状況だ。あの手の類のゲームは基本ラウンド制であるため、ラウンド毎に時間制限があり、ラウンド情報更新時の転換シーンは基本的に情報入力を一切受け付けない。要はその隙に各種情報をイニシャライズ化しているという寸法らしい。

 

 ちなみにこの意図的な遅延仕様とディープラーニングによる精度の高い高速翻訳処理を併用したのがラストビブリア社の創世(ジェネシス)シリーズである「ノア」、およびその次世代後継演算器「バベル」である。

 そしてこれらはそもそもゲームに限らない米国通信産業の最大手企業の主幹プロジェクトの産物であるため、俺のようなヌルゲーマーでも固有名詞を認識出来る程には有名な話だったりするのだが、まあそこは今は触れなくて良いだろう。

 

 

 

 

 さて、長くなってしまったが、話を一番最初に述べたスペクリのヤバさに戻そう。

 身体能力拡張、知覚機能拡張、意思疎通の共通言語化は、それぞれここ十年のテクノロジー業界を席捲している革新かつ核心技術であるが、結論から先に言うと、その中で社会から最も危険視されているのはズバリ知覚機能拡張だ。

 これは身体能力拡張と意思疎通の共通言語化は出力(アウトプット)側を補正する技術である事に対して、知覚能力拡張は入力(インプット)側を補正する技術である事に起因する。

 

 根本的にと言うか、当たり前と言うか、出力(アウトプット)側の情報はそれが構成された瞬間はサーバ上の電子情報であるため、それ自体を管理者側から操作管理する事は──例え事後的であったとしても──然程難しくないし、その影響もサーバ上の仮想世界の中で完結する。

 しかし、入力(インプット)側の情報はそうは行かない。何たって、知覚した情報はその時点で100%現実世界の人間に還元されるんだからな。リアル側の脳味噌に受信された情報はそれ以上補正の行い様が無い──これは事実上リアル側の人間の機能そのものを拡張する事に他ならず──また瞬刻視界(モーメントサイト)創世(ジェネシス)シリーズが行っている圧縮時間の限定的な実現と相まって、かなり洒落にならない相乗効果も齎すことにお気付きだろうか?

 要は「Hyperbolic Time Chamber(精神と時の部屋)」を現実のものとして実現してしまっており、これは身体的な活動を直接伴わない学習──とりわけ受験勉強なんかにがっつりそのまま転用出来てしまう性質のものなのだ。

 ……無論ここでは敢えて受験勉強なんて可愛らしいものを代表例に挙げているが、実際の転用先には枚挙に暇がなく、きっと世に溢れる沢山の世渡り上手な方々が常人では考えも及ばないような方法であれこれ商売を始めるのだろう。ていうか俺ですらぱっと思いついただけでも、三つくらいは悪用方法があるレベルだわこれ。

 まあそれ以外にも、複数の解釈余地がある筈の音声を任意の単語に強制的に認識させる、なんて思考誘導以外の何物でもない訳で、そういった意味でも全方位やべー印象しか受けなさ過ぎる。一笑に付すような陰謀論であっても、勝手にそこそこ説得力を持ってしまうって背景がもう既に駄目過ぎるし。

 

 

 以上がスペクリの有していたポテンシャルである。俺は専門技術に精通した訳ではない為、適切な説明が出来たかには甚だ疑問が残るが、それでも幾ばくかのヤバさはお分かりだろうか?

 現実世界側の人間に対する機能拡張の可能性を一身に浴びた世界初の仕様。それも不特定多数の人間が同時接続するフルダイブネトゲでの試みと来たもんだ。ここだけ切り出せばもう完全に大規模社会実験だよねこれ。

 

 

 

 

 

- - - - - - - - -

 

 

 

「空高っっ……」

 

 

 オープニングのフェードアウト効果から一気に反転した光の奔流が、少しずつ薄れて消えていく。強制イベントシーンから解放されて意識を取り戻しなから始めに抱いた感想は、そんな頭の悪さを隠し切れない一言だった。我ながら全く脈絡が無い。

 

 

「そして人多っっ!!」

 

 

 続いて二言目に思わず浮かべた独り言的感想は、やっぱり頭の悪さを隠し切れない一言。ていうか一言目と二言目の連続にマジで脈絡が無いし、独り言連発ってヤバいだろ俺。情緒不安定かよ。

 

 俺自身どちらかと言うと、若干の例外を除いて所謂ライトゲーマーに属する人間だと言う自覚がある。故に他作品との比較をするような経験値を殆ど持たない訳で、良くも悪くも率直な感想しか出ないのは元々予想をしていた──……のだが、それを差っ引いても、これは流石にちょっと上手い言葉が見つからない。

 とは言え、誰かに観測されたら黄色い救急車を呼ばれても文句の言えない挙動不審の俺の行動にも、一応言い訳をさせて欲しい。だって空が本当に高いんだよ!!(半ギレ)

 私は詩人ではないのでその美しさをとても言い表す事は出来ない的な逃げ文句を押し殺して必死こいて形容を試みるなら、

 

 ──遠近感を感じて自らの瞳孔が収縮する錯覚に陥る距離感──

 ──視界一面に遮るものなくコバルトブルーの真っ青な空が広がるパノラマ──

 ──微風を受けて前髪が淡く靡いて広大な世界に小さな自我を掴み取る感覚──

 

 こんな感じで言えば多少はその感覚が伝わるだろうか。

 クオリティと呼ぶにはやや要領を得ないレベルのビジュアルに、俺は天を見上げたまま口をぽかんと半開きにして突っ立っている状態を数秒保つくらいには呆気に取られてしまっている。そしてその快晴の空を渡り鳥っぽい雁の群れが横切って行くのが見えた。

 ……空が高いって何だよ。あれか? この上空は最低でも遠近感を認識するくらいには空間全部演算処理されてんのか? さっきのオープニングの砂粒もだけど、何がそこまでさせてんだよ! 変態かよ! ──こういう偏執的な拘り大好き(小声)

 

 そんな呆気に取られて意識が遠くなったまま視界を上空から大地へ下げると、今度はアホ程にうじゃうじゃと──それこそ繁華街のスクランブル交差点を彷彿とさせる程のアバターの群れが、視界にがっつり飛び込んで来る。そしてその多さは強烈に晴れやかな青空と相まって、これでもかという位にシステム酔いの俺を歓迎してくれた。

 大きく開けた街並みの中央通りには多くの露店が並び、その店先にはありとあらゆる品物が文字通り所狭しと陳列されていて、手前から順に青果店、土産物屋、武具の露店、地酒屋に――…あれは子ども向けの玩具だろうか、滑稽な動きをする仕掛け細工の人形を専門に並べてる店なんていったものもあった。

 そして行き交うアバターの恰好も様々で、いかにも高貴な出で立ちをした僧侶の無機的な表情から、品物の値切り交渉をしている主婦といった生活の匂いが滲む光景までを一度に視界に捉える事が出来る。雑多の一言で括れる、それでも快活さに溢れた、如何にも「らしい」ゲームの街並みを見せ付けれては、先程とは違う高揚感が湧いて来るというものだ。

 あぁ、これってプレイヤーアバターにはキャラ名がポップで表示されるのか。アバターの傍に「超合金豆腐」なんて表示されてるが、まさかアレがNPC名って事は無いだろう。

 いや、硬いのか柔らかいのかどっちなんだよっっ!! ……別にツンデレ行為とかじゃないぞ? こういうのは義理だ、義理。

 

 

 

 ──とは言え、さっきの露骨に気合いの入った僧侶プレイヤーアバターなんかと違い、明らかに街の風景に馴染んでいない恰好をしているキャラも相当数見受けられる。それはほぼ間違いなく俺と同じ初ログイン勢の初心者プレイヤー達だろう。

 あれだ。数多あるRPGゲームで言うところの「布の服」みたいな位置付けなんだろうが…… 何て言うか、病院で入院患者が着ているような病衣とか患者衣みたいなやつ? まあ中世文明水準で考えるなら別にこんなもんかなって気もする初期装備だが、とにかくデザインが致命的にダサい。流石初期装備。

 そして更にそんなダサ布の服への注意が一瞬で消し飛ぶ位には頭の悪さ全開でぶっ飛んでるのが、布の服勢のアバターの頭装備が軒並み動物園状態になっている、という事だ。

 先程の露店のラインナップに負けず劣らず、並居るプレイヤーの頭部が馬、狼、鳥(しかも何か数パターンあるっぽい)、河馬、蜥蜴――トカゲもラインナップって、ほ乳類限定じゃないのかよ。変温動物混じってるじゃねえか。まあ恒温動物変温動物って括りは学会で否定されて教科書にも載らなくなって久しいけれども。――とにかく千差万別と言える程デタラメだ。統一感も世界観も無さすぎてヤバい。

 

 

 

 うーん…… クソゲー?

 

 

 

 何かさっきの青空の高さに感動していたのとテンションに落差が起きている事を自覚するのを禁じ得ない。クソダサデザインの布の服を着て、頭だけアニマルしているアバターが大量に闊歩している絵面はかなり滑稽だ。

 ちょっと素に返った感じになって何ともやるせない気持ちになりながら自らの頭装備を外すと、両手の円らな瞳のアライグマの被り物がピュアな視線で俺を見詰めていた。俺はこの視線にどんな表情を返せば良いんだろうか。

 いや、うん。目の前の被り物もリアリティ凄いよ。何か毛のフサフサ感とか触っていて気持ち良いし。でも俺、キャラメイク画面でアライグマに関連するような初期設定したかな。多分そういう要素無かったと思うんだけど。

 

 

 まあ、良いか。最近の若い子にはこういうのが流行なんだろう。

 自分に理解出来ないからって全部否定するのは違うしね。そこの拒否反応にカロリー使う年齢はもう過ぎちゃったし、アライグマ結構可愛いから良いか。

 感動と困惑の一斉攻撃を受けた俺は、思考する事を手放して、装備を整えるべく街の中へ進む事にした。まずはサブ職決めないとな!




 アニマルパラダイスのシーンは原作展開によって大きく修正されるかもしれません。ご了承下さい。
 ……サンラク、お前マジ許さんからな!


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1-4 初めてのシャングリラ

 セルリアンブルーファンタジー。通称「セルブル」。

 現在国内最大手のソーシャルゲーム会社cava_gamesが提供する、シャンフロ同様これまた業界最有力の──こっちは携帯端末でプレイする、所謂ソーシャルゲームってやつだ。

 この作品は数十年前の日本国内ソシャゲ最隆盛期にヒットした作品のリメイク作と位置づけられており、ふわっとボーイミーツガールで始まる剣と魔法の世界における王道寓話展開と洗練されたキャラデザ猛プッシュで、ライトユーザーからヘビィな方々まで幅広く取り込む仕様が主な特徴として挙げられる。

 

 

 例えば俺は、年に一本購入するかしないか程度のゲームですら一度エンディングを見ればプレイ済の棚に収納してしまうライト……、いや、もうはっきり言ってヌルゲーマーだと言う自覚がある訳だが──そういった傾向に合致しない、がっつりハマった作品も少数存在する。

 それらはアルマジシリーズ、スペクリ、三つの国が織り成すストラテジー的なアレ、わくわくアクターズに……、このセルブルくらいだろうか。

 皆お馴染みのログインボーナスやデイリーミッションと言った毎日プレイする事に価値を見出す要素と、期間限定クエストや常時解放されたメインストーリー。こなすべき作業を多次元的に用意するとともに、それらの報酬を良質なデザインのキャラクターにする事でビジュアル的にも訴えてくる、ここ数十年のソシャゲ的鉄板仕様。

 これらはかつてソシャゲ黎明期にcava_gamesが定式化したものとされており、強固過ぎる鉄板仕様は後発のソーシャルゲームの多様性を駆逐してしまったという、業界有数の功罪とまでに語られている。

 

 

 まあ結局のところ、皆こういう分かりやすい世界観って好きなんだよね。きっと。少なくとも俺は好きだ。

 そしてこれらを在り来たりと評する意見は見た事があっても、それそのものを嫌いだと言っている意見は今のところ見た事が無い。少なくとも普通に生活していて嫌いだという意見に遭遇した事は無い──そんな程度には確信を持って言えるレベルのものって言うか。このニュアンスって伝わるだろうか?

 

 

 さて、俺が唐突にここでセルブルについて述べたのには、やはり一応理由が存在する。それは端的に言ってしまえば、シャンフロとセルブルの違いについて比較するためだ。

 シャンフロもセルブルも概ね世界観自体はそれなりに近しいゲームであり、主人公となるプレイヤーアバターのジョブや育成状況なんかも基本的に自由に設定出来る仕様は同様だ。しかし両者にはいくつかの明確な違いが存在しており──それらは突き詰めて言うなら「運営のスタンスの差」に大体行き着くと表現して良いだろう。

 

 セルブルに代表されるソーシャルゲーム群には基本、季節に応じたイベント群が存在し、それらは基本提供される国々の文化や行事をゲーム内世界観に踏襲させた限定クエストを提供する。そしてこれらを進行する際には、必ずマスコット的ナビゲーターや狂言回しが主人公に付き纏い、常に物語を先導するアウトラインが存在するのが一般的だ。この辺は最早様式美と言っても良い。

 これらは言い換えれば、プレイヤーの自由度を一定量奪う代わりに徹底的にストレスを排除する仕様、と表現出来るだろう。未知の世界ってのは、方向性だけ示された位のノリとナビゲーターや自分の経験則なんか込みで初雪を踏む感覚を楽しむってのが一番、って感覚はヌル勢の俺でも共感出来る。

 実際問題、俺もセルブルにはかなりハマったクチであり、個人的にはこういう作品こそがヌル勢にとって一番しっくり来る形なんだと思っている。

 

 一方で、シャンフロはセルブルと打って変わってのハードスタイルだ。

 まず、皆お馴染みのクリスマスや水着イベントなんざ一切存在しない。また、公式HPの紹介自体もその人気に比べると随分と素っ気無い作りとなっており、ましてや愛玩動物的ナビゲーターなんぞも気配も予感も皆無といった有り様だ。

 一応ゲーム内アナウンスを取り仕切る運営公式アバターなんてのは存在するが、それも期間限定扱いであることが既に公式からアナウンスされている始末であり、ぶっちゃけ愛想の欠片一つだってあったもんじゃないってのが俺の印象である。

 

 またシャンフロには現状、所謂「最適解プレイ」というものが確立されておらず、むしろそんなもん知るかレベルで効率厨に喧嘩を売りまくった仕様──ユニークシナリオ、なるものが存在している。そしてこれこそがシャンフロの魅力であり、ハード足らしめる要素と言えるだろう。

 

 例えばステ振り系オンゲってのは殆どの場合、所謂ステータス極振り勢が相当数存在し、彼らは所謂検証勢も兼ねているパターンが非常に多い。各種スキルや魔法のダメージ効率や割り当てられた係数を絶対値・相対値の両サイドから実証していくスタイルはMMOゲーが世間にお披露目されて半世紀、「AdB+C」のゲームダイス理論の係数調査ボランティアな方々はかつての経験則に基づいてシャンフロに挑んだ──訳であるんだが、結果はほぼ惨敗と言って差し支えない。

 圧倒的な評判を得続けているシャンフロにおいて、それでも確かに存在する極少数のアンチ勢。彼らが主張するシャンフロアンチポイントは、こういった再現性の乏しさを否定し、その恩恵に自分があやかれなかった事を声高に叫び続けている点に集約されている、というのが現状だ。

 ……まあ、本音を言うと、その辺の感情は個人的には分からないでもないって言うのは、俺が捻くれているからだろうか。この理屈を突き詰めていくと、『合理性を勘案しない奇行塗れのスーパー有能ゲームプレイヤーが居れば、そいつはシャンフロでトップを張れる』って結論とかになるんだろうが────そんな奴なんて居る訳ねーわな。ははっw

 

 

 そも、ゲーマーには大きく分けて二種類存在する。それは即ち世界観に浸り切るプレイヤーとスコアを突き詰めるプレイヤーだ。

 前者は例えばシャンフロやセルブルを「剣と魔法のファンタジー」と定義し、その為のエッセンスを感じる事に注力する。ゲームとして提供されるインターフェースやユーティリティも含めて「らしさ」を追求し、脳内妄想やSNS投稿、果ては二次創作活動に至るまで自分の人生の一部をそれらに染め上げる……そういうタイプ。

 そして後者はこれらを「ハック&スラッシュのゲーム」と定義し、定められた仕様の中で最適解を模索する事に血道を上げる。RTAや対戦格ゲーにおける数値の大小にこそ価値を追い求めて、文字通り構成要素の全てを用いて精査し、「より正しい」スコアへの道筋を見つけ実証する事を何よりも重要視する……そういうタイプ。

 

 

 別にどちらが正しく、間違っているという話ではない。娯楽コンテンツと提供される全てのものは、関わる人間が楽しいと感じる限り全てが正解と断言して間違いないものだ。スポーツ、ゲーム、小説、それこそ手品に至るまで、他者の財産と良心を侵す事なく笑顔を生み出せる事が出来たのならば、そこに優劣は存在しない。……煽りプレイとかは、まあ──程々に?

 

 さりとてその上で、どちらがより多くのゲーマー、もといプレイヤーの選択肢足り得るかと聞かれれば、それは前者であると俺は考えている。

 後者は言うなればプロゲーマーや求道者の思考のそれであり、ゲームを世界に数多存在する趣味の一つから隔絶した、特別なモノとして捉えた視点に沿うものだ。例えばそれは「貴方はなんのためにゲームをしますか?」と問われた時に、何かしら明確に回答を出来る人種。即ちゲームを自発的に選んだ、もしくはゲームに選ばれた奴等が属するカテゴリであり、ヌルゲーマー勢とはやはり若干違う視点を持った人達と言わざるを得ないだろう。

 僻みや排他的視点と言ったものではなく、ただ単純にガチ勢をやるにはそれなりの熱意とリソースが必要になるが故に存在する、明確な境界線。それでも多くのヌル勢はシャンフロを楽しめており、本来殆ど違いが無かったアンチ勢との間には確実に一点、違いが存在していることを示唆している。

 

 

 要は何が言いたいのかと言うと、シャンフロにおいては「ゲームを能動的に楽しもう」という姿勢が明確に求められるのだ。

 前例踏襲型の極振り勢は一部の狂信者を除いて門前払い、再現性の乏しいユニークシナリオは誰にでも得られるものではない。それは俺達が現実世界で振舞うのと同様に、成功するには主体性を求められる、という事を示している。

 そしてこれらはきっと、ゲームを余す事なく知り尽くして欲しいという製作者側の自己顕示欲故の仕様だろう。俺だって手品というコンテンツでスポットライトを浴びた経験がある人間の端くれだ。創作物に籠められた自意識の表れくらいは読み取る事が出来る。ていうかそもそも、オープニングムービーや公式の標語で「世界を拓き、世界を楽しめ!」って明言されてるからな。

 設計思想が明確であればあるほど、プレイヤーとしてはそこに期待しても良いかなという気分にもなれる、俺はそう考えている。ゲーム熱自体は正直そんなでもない本音なんであるが、上手に惚れさせて欲しいなあと、ぼんやり期待もしている、そんな感じ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

————————————

PN:デブリ

LV:1

JOB:魔法使い(マジシャン)

SUB:薬師

230マーニ

HP(体力):20

MP(魔力):20

STM (スタミナ):15

STR(筋力):10

DEX(器用):15

AGI(敏捷):15

TEC(技量):15

VIT(耐久力):15(6)

LUC(幸運):15

 

スキル

・サイドステップ

魔法

・【ファイアーボールLv.1】

・【スネアLv.1】

 

装備

左右:無し

頭:開拓者のフード(VIT+2)

胴:開拓者の羽織り(VIT+3)

腰:アウターベルト(VIT+2)

足:開拓者のレギンス(VIT+3)

アクセサリー:開拓者のポーチ(インベントリ容量+1)

————————————

 

 

 さて、改めてステータスの現状を再確認しよう。

 

 

 まずはPN、「デブリ」。これは俺が大体のゲームにおいて使用しているキャラクターネームだ。由緒正しきレトロアニメで言うところの、光が差して道となる的な星屑を意味する単語だな。

 ……決してデブでもデーブでもないぞ? ましてやメタボなんかじゃないからなっ!

 

 メインジョブ。これはもう即確定だ。

 キャラメイク画面でアホ程スクロールを強いた選択肢の中で目を引いた「魔法使い(マジシャン)」。キャラロール的な意味でも魔法使い系は好みだが、何よりも読ませ方が良いよな。マジシャン、もうこんなの無条件で一発確定に決まっている。

 ちなみにキャラクターの出自なんて項目もあったが、考えるのが面倒だったので「平凡な生まれ」を選択してみたところ、筋力以外見事なまでに真っ平なステータスと相成った訳である。

 ……一応他の選択肢の中でも「在野の雄」なんてのはちょっと厨二心を擽られるとこもあったんだが、良い歳こいた社畜にはちょっと気恥ずかしいかなとか考えて結局止めてしまった。

 いや、別にいちいち誰に見せる訳じゃないんだけどさ。三十路を超えて自我を捨てるって行為には正直何となく抵抗があるんだよね。

 

 サブジョブのチョイスにはあまり深い意味は無いが、薬師にしておいた。今のところ積極的にパーティープレイをするつもりも無いし、回復について自給自足出来れば良いかな位に適当な思い付きで選んだチョイスである。

 ちなみにこれは後に調べて分かった事だが、この選択は現状初心者が最も多く選択するサブジョブであるらしい。理由は大雑把に二つあり、一つはファステイアの直ぐ傍にあるエリア「跳梁跋扈の森」が植生の豊かな森林フィールドである為に、ジョブとして即戦力の有用性が高い事。

 そしてもう一つは「ファンタジーゲーなんだから将来的には錬金術に進化するでしょ」的なメタ思考故とのwiki先生的ご指摘だ。ちなみにwikiはクソ程重かった辺りにこのゲームの狂気を感じたのはまた別の話になるんだが…。

 まあ、錬金術については俺も考えなかった訳でもないんだが、正直そこまで深追いする程シャンフロをプレイし続けるかどうかも分からない訳で。

 

 最後、魔法とスキル。

 【ファイアーボール】はファンタジーゲーお約束の初級魔法で、効果も言葉通りと言えるだろう。【スネア】は所謂行動阻害系魔法で、使用対象の足元に何らかの変化を引き起こす魔法だ。効果は使用時における対象の接地面によって効果が異なるが、概ね木の根や蔦が爪先に絡み付いたり、数センチ程地面が陥没したりするものが確認されているらしい。

 ……こういうのってクラシックゲーだと土属性とかにカウントされるのが常だけど、シャンフロだとどういう扱いなんだろうか? まあ、急ぐ訳でもないし、その辺もおいおい検証していこう。

 それとスキル「サイドステップ」は使用時にスタミナ減少緩和と回避行動に補正が入るスキルだ。まあ現状、俺はシャンフロをハスクラとして捉えるつもりは無いんだが、運営が初期仕様として準備したものでもあるし、スキル不使用とか気取った縛りプレイをするつもりもない。使えるものは有難く使わせてもらおうかね。

 

 

 

 

 

 

 

 さて、そんなこんなでようやく遂にシャンフロ初めてのフィールドデビューと言った訳だが……

 結論から言うと、シャンフロ、すっげえムズい……。クッソムズい。何だこれ、ギャグかな?

 

 

 

 ──至近距離に迫ったゴブリンが大上段から手斧を振りかざし、無造作に俺の胸元に斬りかかって来た。俺はVR慣れしていない身体で、無理矢理半歩下がり身体を半身して柄に裏拳を叩きこむ。浅い。

 逸らし切れない斧刃の軌道が腕をなぞってカスダメを喰らい──ここで体勢を崩したらそれこそそのままフルボッコにされてしまうだろう。でもな、俺だってそんな往生際は良くないわ、例えそれがゲームだとしてもな。

 軸足に力を籠めて重心を低く保ち姿勢を維持して堪えると、小学生ほどの身長差に位置する顔面に思いっ切りビンタを叩きこんで──

 

 

 「【ファイアーボール】っっ!!」

 

 

 発動! 右手のビンタがゴブリンに直撃する直前、発動した魔法エフェクトは恐らく十数フレーム程の空白時間を伴い──次の瞬間、おもむろに敵の側頭部を派手な爆炎で吹っ飛ばした。まずは一匹!!

 素人目にも分かる程に明らかなオーバーキルであるが、他に攻撃手段が無いのだから仕方がない。そして唯一の攻撃手段にリキャストタイムがカウントを開始される。

 LV1のファイアーボールのリキャストタイムはちょうど10秒。その間の俺は完全に丸腰と同じ状態となる。残りのゴブリンは二匹、どちらもオンボロの武器と携えた、短剣持ちと長槍持ち。迷っている余裕なんざ一切無い。こういうのってゲームプレイの経験則の有無が如実に出るよな。

 

 

 【スネア】発動! 短剣持ちの三歩背後にスネアをぶち込むと、対象判定内距離と認識されたシステムは条件通りに魔法を挙動させる。スネアはその性質上、発動してから実際に物理演算として結果が出るまでに数秒の時間が発生する。故に先撃ちして効果を確定させてから、そこに対象を放り込まなければならない。

 余裕なんざ本当に欠片も無い。短剣持ちに軽装備のマジシャンスタイルのまま全身で突進──リキャスト明けまで後7秒。短剣持ちをスネアの効果範囲内へ押し込んだ瞬間、今度は側面から長槍持ちの攻撃が俺の脇腹を狙って来やがった。あ゛ーっっ!! もうっっ!!

 「サイドステップ」更に無理矢理起動! 前のめりに体重を押し込む動作にスキルで無理矢理追加補正を掛けて、短剣持ちをスネアの判定に無理矢理押し込み切った瞬間──確定したスネアが短剣持ちの足元で光り、そこそこグロい野生児的なゴブリンの脚に木の根として絡み付いていくのが見えた。確か拘束時間は通常モンスター相手に10秒弱だったか。

 

 そのまま短剣持ちを完全にスルーしてバックステップ、長槍持ちを感情のままに思い切り睨み付ける。リキャスト明けまで後4秒。体勢を整えようとする俺に、再度容赦無く長槍持ちの突きが繰り出されやがったわshit! よっ! ほぁっ! イテっっ、クソがっっ!!

 小兵に見合わぬ中々見事な三連突きを二回ほど躱すも、最後の一突きを太腿に喰らってしまった。元々欠片も無かった筈の余裕が今度こそ完全に無くなり、HPの残りはあと僅か。次にクリーンヒットを貰ったら完全にHP全損だ。リキャスト明けまで後2秒。ここが山場か。

 

 スネアの効果が切れるまで後5秒程。ファイアーボールのリキャストが明けるのとほぼ同時に長槍持ちを倒さないと、間違いなく俺は詰むだろう。それでなくとも無理矢理な挙動を続けたせいでスタミナも切れる間近だ。どの道逃げ場は無い。

 VRゲー特有の集中、この感覚は久し振りだ。……そんな感傷に浸る間も無く体感時間が局所的に圧縮され、ほぼ予備動作無しのコンパクトな突きがゴブリンから繰り出される。俺はそれに対するように、前傾姿勢のままピーカブースタイル擬きで穂先に突進──そのまま切っ先を左手の甲と手首で挟み込むように捉えると、鞘走りの要領で穂先から柄まで手首に鞘走らせて直撃を反らす。

 じゃりじゃりと嫌な音が擦れる手首から聞こえて今日何度目かのカスダメ判定が発生し、HPの残りは3。ハッ! クリーンヒットじゃなけりゃ全損じゃねえっつっただろバーカ!!

 

 

 「ん────なろぉぉぉぁぁっっっ!!」

 

 

 動作としてはきっと、相撲の素首落としに近い。

 穂先を捌いて長槍持ちとの距離をゼロまで詰めると、そのまま垂直にゴブリンの頭頂部をアイアンクローで掴んで押し潰す。そのまま間髪入れずに【ファイアーボール】発動!!

 体重を掛けた状態から更に火炎エフェクトがゴブリンを無理矢理吹っ飛ばして撃破。って、うぉぉぃっっ! バックファイアでカスダメ喰らってHP残り1じゃねえかっっ!!

 

 歪んだ高揚感から来る苛立ちと殺意をそのままに、スネアの効果が解けた残りの短剣持ちゴブリンを全力で睨み付ける。ほんの一瞬ゴブリンと視線が合い、遠慮ガン無視でそのまま目を細めると──短剣持ちは一目散に逃げ出していった。程なくして戦闘終了のメッセージログが視界の片隅に流れる。

 

 

 

   んんん…、ぁぁぁぁぁ─────っっ、つっかれたぁぁ~~~~………

 

 

 

 緊張感と言うよりも直接的なストレスに近い全身の硬直が一気に抜けると、思わずそのままへたり込んでしまった。

 

 なんっっだよこれ……。マジでキッツいわ。最初の街の傍にポップする雑魚敵と一戦するだけでこんな消耗すんのかよ──……。いやまあ、うん。正直なところ、かなり楽しい。それは間違いない。楽しいよ?

 ただこれはセルブルのような「強武器揃えて敵をブッパして爽快感!」みたいなノリではなく、自分の手持ちのリソースをどれだけフル回転させて敵を倒すか、と言ったカードゲームやストラテジーゲーに近いフィーリングに思えてならない。最近の若い子は皆こんなレベルで気合い入ったゲームをプレイしてるんだろうか?

 んまあ、単純に自キャラが弱過ぎてあらゆるリソースをブッ込まないと単純に目標に届かないってだけの話ではあるんだが……。ていうか、取り敢えず回復回復っと。

 回復薬だけはそこそこ溜まりまくってると言って良い。さっさとHP回復しないとね。ていうかゴブリン相手にHP残1て。リアル死な安かよ。

 

 

 

 さて、しっちゃかめっちゃかになってしまったんで、状況を整理しよう。あ、やっべ、腰防具全損してる……。

 

 

 現在は、サブジョブで選んだ薬師に関連する初等クエスト「蛍鈴草の採取」をプレイしている真っ最中だ。大体のゲームに存在する、お約束の基礎系クエストってやつである。

 それでもって蛍鈴草ってのは所謂調合系素材の一種で、消費量の多さからそこそこプレイヤー間での価値も高い回復系アイテムだ。24時間が現実とゲーム内で完全同期されているシャンフロにおいて、このオブジェクトは「昼は鈴のような音を鳴らす」「夜は蛍のように光って見える」という性質をヒントに、この跳梁跋扈の森を徘徊して一定数を採取する、と言うのはクエストの達成条件となっている。この仕様は、シャンフロの製作陣がそのリアルさを誇っているが故に設定されたものだと言って間違いないだろう。

 実際問題、俺も如何なく視覚と聴覚をフル活用して採取活動に勤しんでおり、製作陣の意図に異論を挟む余地は無いと断言出来る。あのね、すっげぇリアル。というか各種エフェクトが強弱を巧みに設定されており、質感という意味ではむしろ現実より上ではないかと錯覚するほどだ。

 オープニングムービーでも感じた事ではあるが、活字や写真画像で知っている程度の大自然の心象風景を、システムで本能的に納得させに来る圧がシャンフロには有ると思う。いや、だからと言って魔法のバックファイヤでHP削るところまでリアルにせんでもって話なんだけど、とにかく作り込んだであろうスタッフの執念が凄い。これは良いマジ〇チ仕事ですわ。

 

 

 それでもって、先程の戦闘は、まあ分かりやすい雑魚敵戦闘に死ぬほど苦戦した初心者俺、という、これまた分かりやすい構図だ。

 

 このゲームさん、物理演算まで気合いが入り過ぎたバランスをしている為、放たれたファイアーボールが敵に到達する為の補正が微ホーミング程度に抑えられている。そして所謂「最初の街」の位置付けであるファステイアの近隣モンスターは、今まで確認限り体躯が小さい個体しか見掛けていない。

 結果的に、この二つの仕様をヌルゲーマーである俺が実践戦闘しようとしたところ、ファイアーボールが殆ど敵に命中しない、という現象に見舞われてしまった次第なんである。唐突に始まる魔法的エフェクト的ストラックアウトの適正は、どうやら俺には無かったようだ。

 

 ……ぶっちゃけそれでも暫くはムキになって遠隔攻撃を何度も試みてはいたんだが──命中しなかったファイアーボールの一つが枯れ木に引火して危うく森林火災になり始めた挙句、何処からともなく現れた木こりのNPCプレイヤーの迅速な消化活動を見せ付けられる&お小言を貰う、というコンボを喰らってしまう始末となってしまった。流石シャンフロ、救済措置にも手が混んだ演出捻じ込んで来るよね。

 本音を言うと、消化活動で使っていた土嚢っぽいものを扱う魔法、ちょっと興味があるんだが。まあそれはまた別の話だr────今度はサドンアタックかよぁぁっ!!

 

 

 脈絡なく唐突に戦闘開始のログが流れ、全快させた筈のHPの二割程が削られる。

 背面から「アルミラージ」なる兎の頭突きを足元に喰らって、思わず膝カックンしそうになってしまったのをすんでのところで耐えると、モンスターアバターに正面から向き直ってそのまま「サイドステップ」起動。勢い任せに敵の側面に回り込むと、その特徴的な兎角頭に触れて──【ファイアーボール】発動!

 あっさりと勝利判定を得ると、それと同時にドロップしたのは焼き兎肉だった。うーん、過程すっ飛ばし過ぎ。

 まあ下手にグロい生肉をアイテム化されても、それはそれで困るけどな。とりあえず単体出現ならリキャスト考えなくて良いから楽ではある。

 

 

 エンカウント率が常識的、てのはヘビィユーザーの評らしいが、常識的であるが故に不意打ちとかも割と容赦が無い。とは言え、まあ群れる習性があるっぽいゴブリン以外は慣れれば何とかなるっぽいかな。たまに例外的に番いっぽいアルミラージにエンカウントする事もあるが、それ以外は工夫次第って感じで。

 今のところ攻撃は当たりされすれば一撃で敵を撃破出来ているから、多対一戦闘は徹底的に避けて、ぼっちモンスターだけを存分に辻斬って行くスタイルで行こう。勝利パターンが確定したらそれに徹底的にむしゃぶり付く。これヌルゲーマーの鉄則。

 

 

 無限にポップする疑惑のある蛍鈴草を贅沢に使用してリソースを維持しながら、とにかく一匹だけで遭遇するモンスターだけをひたすら狩り続けていく。バイタル判定にアラートが入り、数時間が経過している事に気が付いて漸く自らの熱中具合に気付いたようだ。まあ要はひたすらぼっちアルミラージだけを狙ってるだけなんだけれども。これが本当の「兎に角(とにかく)」ってやつか?

 ……うーん、親父ギャグがナチュラルに出て来る辺り、マジで気を付けないといけないかもしれない。年齢的に笑えない感キツいわ。──お、新手のカモ(ウサギだけど)発見。経験値ゴチでーす。クエスト報酬もドロップアイテムも収集順調だとテンション上がるよね!

 

 視界に捉えたモンスターは今まで同様体躯は小さく、それこそ童話に出て来る程に分かりやすい兎の恰好をしたアバターだ。おっと、向こうもこっちの接敵判定に気付いたようだ。

 って、あれ? アルミラージってあんな毛色だったっけか? 何か二足歩行してるっぽいし。まあ良い、一応念のために攻撃前にサイドステップも重ねておこう。……三歩───、二歩───、一……、今!!

 

 

 「サイドステップ」起d──────   あへ………?

 

 

 これ以上無いというタイミングで攻撃しようとした瞬間、AGI15の俺を遥かに超える速度を一瞬で叩き出した兎の斬撃によって、俺のHPは一発全損した。………斬撃?

 全損判定が出る刹那、一瞬で俺の首元に迫ったウサギアバターの挑発的な目付きと視線が合い──次の瞬間、俺の視界は死亡判定によるブラックアウトに包まれていったのだった。



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【書きかけ】心象形成

クッソ読み難いです。ごめんなさい。


 心証形成。

 それは私とその生業を存在足らしめる上で、最も大切なものである。

 

 レジデンスレコード、インディビジュアルナンバー、二十二世紀を見据えても尚しぶとく生き残る戸籍制度。

 既に指紋の生体認証が民間データバンクに登録されるまでに至った昨今、個人情報というものが本来の定義から変質し始めている現代において、人を人足らしめ、権利主体として扱う物差しを私達人間は未だ集約し切れていない。

 それは施政者や管理者と言った人々からは好ましくない結果であり、人としての幸せよりも多様性こそを何よりも重んじる人々からは妥協的産物として称賛される在り様なのだろう。清廉過ぎて魚一匹住めない湖と、衆愚に穢れた汚泥の沼のどちらを生きるフィールドとするか、私達は今でも完全には選び取る事が出来ないでいる。

 

 しかしそれでもなお、人と人とが最も先鋭的な理性を賭けて闘う場──法廷闘争で最後に決め手となるものは、いつだって生身の人間の心というものに帰結する──少なくとも私はそう確信している。

 制度として存在する社会機構の揺らぎを排し切れない不完全なこの世界に在って、フランス民法典を祖とし、今この瞬間も平等と云う名の下に経済戦争に明け暮れる私達の理知、理性、尊厳は、喜怒哀楽の根幹とされる酷く不確かで観測が極めて難しい「人間が何故其れを受け入れたか」という心の内の定義によって形成される。

 そしてそれはティーン世代が憧れだけで描く、偏重した文化人類学や心理学でさえ述べられる程に基礎的な、意思疎通の原点そのものと代替定義出来るものだ。

 

 

 『全ての意思疎通は、受け手が許容するか否かに依存する』

 

 

 この一点に集約される事実をハンムラビ法典や人類最大のベストセラーである聖書は「契約」と呼び、その在り様を尊んだ。

 そして私はその契約の根幹を成す、心の象形こそを常に何よりも重んじるのだ。契約こそが、有史人類における全ての人々が無条件で共有し得る最も懐の広い最大公約数の体現であり、その構築と維持、そして発展に己が生涯を賭ける。数千年の昔から先人達が積み上げ続けて来た、原初の暴力に対抗し得る唯一の手段。

 法曹の徒を目指してからの半世紀近い間、この認識は頑として変わる事は──なかった。そう、変わる事の無い筈のものであった。

 

 珍奇なスピーカー音ひとつに粉々にされてしまった私の価値観。見ず知らずの他者から正しさと銘打たれたものというのは、得てして脆いものなのだ、と。

 もしかしたら久方ぶりに痛感したのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 殺風景、の一言に尽きる減菌室を通り抜ける。

 

 例えばそれは無機質であるとか、生気を感じないであるとか、そういった分かりやすい表現ではなく、私はこの光景をもっとあやふやに、それでいて純粋に詰まらない光景だと私はいつも感じている。感情を全く喚起しない、視線の焦点が定まらないままでも歩行に一切の支障が無い、体感時間が曖昧になる廊下と言う名の平行線。

 小説の中でしか知らなかったサナトリウムと呼ばれる施設に初めて赴いた時、イメージとは凡そ掛け離れた猥雑さと汚さに若き日の私は酷く閉口したものだが、今居るこの施設は幻滅する前に抱いていた、記号として大衆が認識しているサナトリウムのイメージに近い。

 起伏の一切無い壁面は乳白色で統一され、無機質な光沢を見せる床はセラミックで施工され転倒防止用塗料を塗抹されている。加えて言えば、本来なら塗抹行為によって化学薬品特有の臭いが建物内に充満する筈であるが、それは過剰とまでに思える減圧式の空調設備の活躍によって一切の臭気も感じる事も無い。

 

 そもそも、環境負荷や費用面を考慮するなら、床面の転倒防止には薬剤の塗抹よりもタイルそのものにスリップ防止加工を施す事で、多少のメンテナンス性と引き換えにその目的を達成される筈のものだ。

 しかしこの建物の主はそれを一切許さなかった。理由は「私が歩く時に凹凸に躓くかもしれないでしょ?」と言ったものであった筈だが、私が認識する限りこの建物の床を歩いた経験のある人間は、建物の管理業者の人間を除けば私一人しか居ない。

 

 

 そう、建物の主も、その主の家族と呼ばれる存在も、このセラミックタイルを踏みしめた事は一度も無いのだ。──私がこの事実に眉を顰めなくなったのは、いつ頃からだったのだろうか。

 

 

 きっと、大なり小なりこの奇異な現状を受け入れ、慣れていったのだと思う。生き馬の目を抜く事でしか存在し得ない激情を常日頃一身に浴び続ける私に、この光景は酷く無味乾燥で滑稽だ。

 三カ月に一度、この建物に足を踏み入れる度に再確認出来るのは、この建物を求めた発注者の大き過ぎる、それでいて矮小な設計思想だけ。

 

 

 

 手荷物と全身に紫外線殺菌処理を施し、三重の減圧・加圧空調処理区域を潜り抜け、その先のうねった蛇を思わせるパーテーションを何度も通り抜ける。

 ドアを開ける行為で発生する気圧変化を嫌って、フロア一つ丸々無菌室化したというひたすらなまでに妄執染みた構造を横目に見ながら最後のパーテーションを躱すと、不意に視界が開けて──これ以上無い位に記号的なサナトリウムの病室を視界に映す。

 そして私とクライアントを隔てる最後のパーテーション、漂白され尽くした真っ白なシーツが天井から吊るされ、布地一枚が唯一最後にお互いを明確に隔てている。この光景を視界に捉えたという事は、今が定刻だ。故に私を出迎える口上も大体予想が出来る。

 

 

 

「まーどかさぁん、今日も時間通りだねえ。ぴったり二分前。いつも思うんだけど、この二分前到着制度あるせいでアポの時間設定、意味無くなっちゃってないかなあ?」

 

 

 明る過ぎない、それで居て清潔に保たれた室内において、私の目の前のカーテンが、恐らくベッドに背凭れたまま半身だけ起き上がっている「人間らしき」棒状のシルエットを影として映し出している。それは宛ら影絵芝居を連想させるが………、その動きも酷く直線的で機械的であって。

 アポイントについて軽口を叩いた声──に似せられた音声は、私の傍に置かれた電子スピーカーから発せられている。人間の肉声に限りなく近づけているのは認識出来る、それでも間違いなく、スピーカーから発せられる電子音。影絵の距離感が確かならば、本来このスピーカーは必要ない筈のものであって。

 

 

 心証形成。

 目の前のこの奇妙な光景が、この仕事を引き受ける上で私がクライアントに求めた、最大の譲歩の形。

 

 

 

 契約という人間の理性を形成するには、その在り様が第三者から見て確かに存在し、意思疎通と合意形成が成されたと観測される事で初めて法的拘束力を持つ。そしてそれらは特定の個人の主観に依存しない、誰にでも納得し得る事象を客体としなければならない。

 故に私はクライアントと契約を結ぶ際には、必ずその本人と顔を突き合わせて意思を確認する。それは自らの身を守る為であり、法曹と言うモノに意味と意義を与える為であり、心の在り様に納得を得る為だ。

 そしてこの程度の行為は別に私でなくても、一般的な経済活動を生業とする人間であれば、この時代にあっても凡そ当然の行為だ。それは電子情報が飛び回るようになった現代だからこそ、実存主義の根拠として重要視されるものでもあるし、本来小難しい理屈など無くとも子供時分に身に着けるべき教養でもある。

 

 このような至極当然の行為である「面会」という場を求めた私であったが、その希望は素気無く断られる事になった。それはクライアントの病歴に起因するとの主訴であり──

 

 

 曰く、箸よりも重いものを持つことは叶わない。

 曰く、基準値より上下6ヘクトパスカルの気圧変動で、身体に重篤な変化を引き起こす。

 曰く、横隔膜の挙動を自力で維持出来ない。

 曰く、人間が触れる常在菌の七割に対しアレルギー反応を起こし、発熱が絶えない。

 曰く、体調が安定している時、その身体は石のように冷たい。

 

 これらは全て()()の疾患症状。それらは先天的なものもあれば、後天的なものもあるのだと言う。

 ……端的に言ってしまえば、この内容の全てについては今でも信じてはいない。およそ生きた人間が許容出来る水準を超えているのは明白と思えるからだ。

 

 戸籍の移記事項は全て確認している。私がクライアントを彼女と呼ぶ性別も、契約行為を為し得る為の年齢も、馬鹿げた依頼と報酬額を出す根拠と示された氏名も、その全てを。

 そしてその上で、彼女の生年月日から逆算した出生当時の医学水準──生体医療、工化学医療のいずれもが当時彼女の存在を受容しなかったのは明らかである。否、本来であれば、それは今この瞬間を持っても、尚。

 形骸化した共産圏の大国が生み出したレセプターチャイルドですらここ数年で公になった程度の混沌としたこの現代では、彼女が述べた筈の疾患は、およそ現代医療がその存在と理解を許容するには収まらないのだ。

 

 

「その遣り取りもいつも通りですね、彬茅(あきがや)さん。今回で六度目でしょうか。毎回思いますが、意味を感じない遣り取りをコミュニケーションの手段として相手に強いるのはハラスメントの最たるものだと思いませんか?」

 

 

 本当つれないよねえ──、と彼女の苗字と彬茅(あきがや)のロゴが入ったスピーカーから発音される。これを発声と呼ぶべきなのかどうかは今の私には未だ分からない。故に取り留めのない思考は放棄しなければならない。

 彼女が行った通り、定刻からは仕事の時間だ。二分の猶予からは既に3秒程足が出てしまっている。




新世界秩序

ノブレスオブリージュが完全に死に絶えた世界。ロイヤルと定義される王族がその有り様故に必ずゴシップや劇場型報道に弱いことと、第二次世界大戦後の第一ヒエラルキー層の内、実業家にならなかった層が複数回の相続行為と課税に例外無く耐え切れなかったこと。
 新自由主義のその先の世界で、意図的に作られた贋作の短期的権威を除く、人間が人間であるが故に自然発生する権威主義を許容しなくなった経済活動において人工知能同士が経済的均衡を生み出した世界をそのように呼称する。
要はディプスロさんの独壇場。


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