彼は優れていた。故に常人ではなかった。
彼は察知する才能がありながら、許容する心がなかった。
彼はどこまでも優しかった。だからこそ人を恨めなかった。
故に彼は、壊れてしまったのである。黒く陽の差さないどこかへと………
ならなかったのである。
確かに彼は壊れた。精神を汚染され、完膚なきまでに叩きのめされ、ガラスの心は破片すら残らないほどに粉砕されてしまった。しかし、それでエンディングを迎えるとはいかなかったのである。
それを縁と言っていいものか。
「アタシが守ってあげる。もう誰にも傷付けさせないからね」
「もう離れちゃダメ。あたしから離れたらきっと死んじゃうよ?」
「今まで辛かったでしょ?私を使って、貴方の手足にして?貴方のためなら何だって叶えてみせるから………」
「フフフ………もう世迷い言に毒される必要は無いんだ。さぁ、行くべき場に行こう、私と2人で………」
「安心して!アナタを傷付けるような奴は駆除すればいいんだから!」
しかし、形はどうあれ、それで少年が救われたのも紛れも無い事実なのである。
少年は苛まれた。14年の人生の中で、実に10年を退廃と暴力と狂気の中で過ごした。その聡明さは自らを縛り、また無慈悲に心を突き刺した。
救いの手を差し伸べた彼女達は、確かに正気とは呼べなかったかもしれない。しかしそれは、どこまでも救われず、暗澹に堕とされ続けた彼を本気で愛した証なのである。その偏愛もまた、愛なのである。
しかし許容量と限界値というのは確かに存在するもので、そして彼には、その変革はあまりにも突然すぎた。
「あぁ、そんな、やめてください。そんな、私には………それは………荷が重い、です………」
逃避としか言えなかった。が、しかし、恥と外聞を捨てるには彼些か聡明過ぎた。
より論理的に
より倫理に則り
より己に正当性を傾けて
主張というものはそうしなければならないというのが、彼にとっての常識だったからこそ。
拒めなかった。彼女達の愛という名の毒牙を、毒牙と知りつつもそれを振り払う事が出来なかった。
「貴方は少し優しすぎるのよ?」
流麗な金髪をたなびかせる少女はそう指摘する。それに対し、少年は言った。
「優しいのではない。人の悪意に触れるのが嫌な、ただの現実逃避です」
自虐的に、しかし的確であった。自分の事は自分が一番知っている。それは彼に対しても有効で、どこまでも正しく自分を見ていた故に、涙を流してそう返した。
純白の乙女達に影が差す。
皮肉にもそれは、確かに愛の形のひとつであった。
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今井リサの慈愛(表)
(特に)ないです。
彼女が彼と知り合ったのは、何てことのないある日常の一幕であった。
スタジオ
あるいは逃げたと表現した方が正しいか。
「ゴメンね〜、
「構いませんよ月島さん。私も丁度暇を持て余していたので」
京と呼ばれた少年は、月島という女性と同程度の身長しかなく、成長期の男子としては年不相応と言える。
「誰も来なかったでしょ?」
「ええ。来るとしたらここら辺りからでしょう」
店番、と言うにはあまりにも襲い来る暇が大きく、また伽藍堂の店内はどうしようもなく静寂故に目立った。
「一番乗りはどこだと思うね?」
「やはり固いのはRoseliaでしょう」
「ホントのところは〜?」
「大穴で湊さんのソロ利用」
茶番劇ではあるのだが、話題に事欠かないのもまた事実。その壮大な無駄話を広げ、そうこうしているうちに学校は放課後へと突入したようで、来店者は訪れる。
「開いているかしら」
「勿論。お早い到着で、湊さん」
「
「私の場合、時間に比例して暇が増えるものでして。スタジオは空いていますので、ご自由にどうぞ。それから頼まれていたものです」
「ありがとう。後で聞いておくわ。まぁ貴方の事だから大丈夫でしょうけど」
「ご期待を裏切らないよう祈っています。ええ本当に」
「それから、リサちゃんが心配してたわよ。また倒れたんですって?」
「お恥ずかしながら」
他愛のない話。訪れた客こと湊友希那と京の間に一切の笑顔はなく、どちらも無表情のまま能面のように話すだけだが、感情がこもっていないわけではない。友希那はそう告げ、スタジオに入っていった。
その後も各々の都合で時間差はあれど、着々とメンバーが揃っていき、残すところあと1人となった。
「リサちゃんは?」
「さぁ」
「さぁって………もしかしてこの前のアレが響いてるんじゃ?」
「………それは由々しき事態です。そうなれば私にも責任があるというもの」
心優しい月島まりなにとって、あまりこういった責任の所在を示すというのはあまりいい気分がしないのだが、彼はこうでもしないと力を貸してくれない。
「京!」
が、どうやらその必要はなかったらしい。
「………リサさん。既に皆様揃っていますよ」
「それより京っ!大丈夫なの!?どこか痛いところはないの!?」
「五体満足です。全快です。だから少し離れて………」
今井リサ。バンドグループ『Roselia』のベースパートを担う少女。
容姿や表面上の喋り方は所謂ギャル系であり、京の苦手の直線上を駆け抜け、現代の若者を突っ走るイマドキな彼女であるが。
実は、料理上手で家庭的。
実は、お節介な世話焼き。
実は、虫やお化けに悲鳴をあげる乙女。
正直知り合って間もない頃の京は彼女と深く関わろうとしなかったが、人は見た目で図れないということで。
「本当に?本当に大丈夫なんだよね?」
「2度言わせないでください」
「………うん、ゴメン………ね?」
「もう皆様お揃いです。ご迷惑をかけてはなりませんよ」
「うん………」
わかりやすく肩を落とし、リサはスタジオへと入っていった。
「ちょっとキツかったんじゃない?言い方」
「今日はかなりあっさりしていました。これがいつもならあと3時間はあのままだった。気にかけるべきは私ではなく、メンバーの方々です」
「そうなんだけどさぁ………」
冷徹なまでに正しい。それでいて、その京の言葉の根幹にあるものは有限な時間を友人に割くべきという彼なりの心遣い。
あまり強く言えない。どころか、優しさといえば褒めるべき。
「いいですねぇ、実に青春ですね」
そう薄く笑う彼の言葉には、羨望、哀愁、凡ゆる感情が込められていなかった。
「おや、今日はお早い」
防音室から少し漏れる声と音をBGMに、読書に興じること実に2時間。唐突に防音扉が開く。ひょこりと顔を出したリサが、ばつが悪そうに話す。
「あ〜、うん。ちょっとね。アタシは早退」
「珍しい事もあるものです。体調が優れませんか?」
「うーん、なんかこう………体じゃないんだけどね」
「心労ですか。無理はなさらず、リラックスしてくださいね」
「ありがと。今から帰るの?」
「ええ。やんごとなき事情があるもので」
「じゃあ一緒に帰ろ。アタシも1人じゃ寂しいからさ」
「………構いませんが」
まことに残念な話だが、非常に厄介極まりないが、仕方のない事なのである。
黄昏時は既に過ぎ、太陽に代わり月が照らす頃になると、やはり年頃の女子高生が1人で外出というのは相応しくない。
「リサさん」
「ん〜?」
「口実としては三流ですよ」
「……………あ〜」
流し目でリサを見て、要点だけをそう述べる。彼女は頭を掻くと、降参とばかりに苦笑する。
「スゴいねぇ、京は。お礼になでなでしてあげよう」
「そういうのいいんで」
「あぅ。冷たいなぁ」
「常識的と言っていただきたい」
彼の思考は鈍感と呼ぶにはあまりにも研ぎ澄まされ、平凡と呼ぶにはあまりにも聡明で、普通の男子高校生と呼ぶには凡ゆる面でその能力を凌駕していた。
人を見て、人の仕草を見て、人の表情を見て。
「それよりさ、演奏、聴こえてた?」
「微小ではありますが、あそこの防音室はそこそこ技術が古いので音が漏れます」
「どうだった?ねぇどうだった?」
「どうと申されましても、Roseliaが出来た経緯を知っていますので、いつも通り高水準としか言いようが」
自らの立場を鑑み、そしてRoseliaの部外者として決して深入りせず、しかしメンバーを知る者として一方的に突き放す事をしない。当たり障りのないと言えばそれまでではあるが。
「京って、ほーんと口が上手いよね」
「こういうのは逃げ方の問題なんですよ」
「へぇ〜………」
こと、煙に巻くという事においては彼の得意分野である。
「そんな事より、いいんですか?」
「何が?」
「あの湊さんが早退を許すとなれば、相当ご自身の中で妥協したか、それとも嫌な顔をしたか」
あのスタジオを利用するバンドグループは様々だが、その中でも湊友希那率いるRoseliaは、実力において飛び抜けている。それもこれも湊友希那の悲願のためとされ、リサを含む他のメンバーもそれを了承した上でメンバーを組んでいるのだが。
「あぁ………」
「リサさん?」
彼女の顔が翳る。それを彼は見逃さなかった。
(地雷を踏んだか………?)
まさかと思うが、世には万が一という言葉がある。リサはRoseliaに並々ならぬ思い入れがあっただけにあり得ないと信じたいが、それでも見たものを消す事は出来ない。
「ほら、友希那も京の事気に入ってるし、紗夜も頼りにしてるしさ。結局みんな京が心配なんだよ」
「そう………でしょうか」
「うん。だからさ、京は優しいから抱え込んじゃうんだろうけど、やっぱり
慈母のように微笑む彼女に、取って付けたようなセリフは似合わないようだ。
「………はい。何かあれば、今度はお願いします」
「うん。あ、アタシこっちだ」
「では、さようなら」
「明日はどうなの?CiRCLEにいる?」
「明日は少し私用がありますので。月島さんに任せています」
「………そっか」
「申し訳ありません」
「いーのいーの。用事なら仕方ないよ。そんじゃね」
「ええ。また明後日となるでしょうが」
例えば、堪えられない悲しみがあったとして。喪失にさえ似た疑念が苛み、それが苦しみになったとして。ある時にそこから救われたならば。
単純なもので、救済者に恋慕を抱く。
彼女の場合、それが京という少年であった。
Roseliaのボーカルである湊友希那は、良くも悪しくも純真であった。芯が強く、しかし自らが信じたものを時に盲目的ともいえるほどに信じる少女であった。その性格は強いリーダーシップを発揮すると共に、他人との確執を生むキッカケにもなり得てしまった。
リサはそんな友希那の性格を、幼馴染として理解していた。そして理解すれども、共感する事は出来なかったようだ。
「アタシ………最低だよ。幼馴染として、友希那の事、わかってあげられないなんて」
数ヶ月前に、リサは京にそう弱音を吐いた。今井リサという少女は歳相応に無知で、不器用で、しかしどこまでも健気であった。だからこそ、器用に生きる彼に助言がほしかったのだろう、ほぼ無意識に近い状態で出た弱音であった。
「貴女は些か優し過ぎる。自分本位は悪ではありません。世の人や私がそうしているように」
「アタシは………」
「では言い方を変えましょうか。他人の心の支えを全うしようなんて超能力者にでもなってからのたまってください」
「……………」
リサは優しかった。それは京に対しても例外ではなく、助言が欲しいと思いながら辛辣な言葉を浴びせて欲しくないという矛盾を抱え、そして矛盾する事に申し訳なく思いながらいるリサの心に深々と突き刺さった。
「心でも読んだら、真に湊さんの意思に添えるでしょう。でもそれは不可能です。私も、貴女も」
どこまでも正しく、冷徹で、それでいて残酷。しかしリサにとっては思ってもみなかった。
どうすれば友希那が笑顔になれるか。その一点に限っていたリサの前提をひっくり返すそれは、衝撃であると共に天啓のようであった。
「あはは………そう、だよね………うん、そりゃそうだ………はは………」
涙がとめどなく溢れ、それに対し京が、不要な慰めや憐憫の言葉をかけなかった事をリサはよく覚えている。確かに物言いは冷たかった。突き放された気だったした。
しかし、それ以上に救われた。出来ない事を出来ないままにするというのが、悪い事ばかりでないと、あるいは時に苦悩のタネとなり得る妄想をシャットアウトするという意味で大きな意義があった。
広い視野で、しかし、自分の手に余る事に独力で突っ込まない。
思えば、それに救われた。リサの中で京は、ただの知り合いから良き友となり、そして何度か弱音を受け止め、彼の言葉を知るうちに、それは慕情へと変わった。
しかし、奇妙なのはひとつ。
———京は強い。自分の全てを巧みに隠し、古傷を偽装し、時に自分の性格さえも作り上げて。ある時空中分解しかけたRoseliaを修復した。
だからこそ、だからこそ自らを偽り、人の心を僅かに二言三言で動かす強さを持つ彼を………
(どーしてそうなっちゃったかなぁ………)
心の強さという面の、その出水京という1人の人間の。
弱くなれば、彼もまた歳相応に、傷付いた雛鳥のように、母に泣きつく稚児のように。
今井リサという1人の人間に、溺れてしまわれるのだろうか………
口角を吊り上げ、不気味に笑うその彼女の顔に、純粋さは、あるいは本来彼女が持っていた筈の人懐こさは既に失せ、あるのはただただ邪悪さを孕んだ笑みであった。
休日の話だが、度々リサは彼の家を訪れては、甲斐甲斐しく世話をする。その理由は単純明快で、世話を焼く事が喜びだと、屈託のない笑顔で答えた。
「うん、嬉しいよ。アタシはこうやって京のお世話をするのが、楽しいし嬉しい」
人の心を掴むために、京は様々な努力をした。高校生にすらなっていない子供の言葉を届かせるために。それが思わぬ形で花開く事になろうとは思わなかった。
ある時、リサは言った。
「なーんか京の事、ほっとけなくてさ。危なっかしいっていうか、たま〜に無茶苦茶しそうで怖いっていうか」
それの致すところは一体全体どんな欲求が彼女の中で渦巻いているのか。残念ながら、人の心を読めない京ではそれを理解しかねる。思えばそれが誤ちだったのかもしれないが。
そしてまたある時、京とリサが知り合ってから親交を深めた頃。また言った。
「ね、ね、ね。どうだった?上手くやれたかなぁ」
そして、兆候は現れ。
「あはは、いいのいいの。アタシがやりたくてやってるんだから。だからさ、もっとアタシに頼ってくれていいんだよ?」
後戻りするべき場所がどこだったのか、それは最早振り返る事しか出来ないが。
「ふふふ、そっかそっか。いいんだよ〜。アタシはちゃんとわかってるからね」
ある休日の事。二階建てのアパート。1DKほどの部屋のゲームチェアに腰掛ける京の耳に、ベルが鳴る。
「はい」
機械を通してで少しばかりの変容はあれど、妙にハイテンションなその声には聞き覚えがある。
「やっほー。突然ゴメンね。今ちょっと大丈夫?」
「リサさんですか?少々お待ちを」
扉を開けると、立っていたのは思い描いた通りの人物であった。容姿だけで醸し出される陽気さと、それと対比されるように柔らかい笑顔。
「ちょっと用事があってさ」
「どうぞ。中で聞きますので」
「あ、ホント?ありがとね」
「ええ、まったく狭い部屋ですがよろしければ」
「アタシそういうの気にしないの〜。それじゃお邪魔するね」
「はい、どうぞ」
狭いは狭いが、京も清潔さを保っている。いや、清潔、というよりは………
「なーんもないね」
「荷物開けてませんから」
それは生活感がないと言った方が正しい。リノリウムのフローリングには傷も汚れもつくられておらず、家具らしい家具もなく、物寂しく部屋の隅に机が据えられているだけである。
「京、もうお昼ご飯食べた?」
「いいえ」
「何か作ってあげよっか。アタシ、結構料理得意なんだよ」
「いいので?」
「もっちろん。リクエストは?」
「高カロリーなら何でもいいです」
「もう、なーんでそういう事言っちゃうかなぁ。じゃあ何か、お肉使ったもので」
小さく佇む冷蔵庫の中身を漁りながら、リサは物憂げに話す。
「よろしくお願いします」
妙に小綺麗水回りで、水垢のないシンクや使われた形跡のない皿。リサが恨めしげに京へと詰め寄る。
「………さては朝も食べてないな〜?」
「人は1日の断食で死なない構造になってます」
「そういう問題じゃない!まったく………ホントに京はアタシがいないとダメなんだから〜」
誰が食事にエネルギー効率だけを求めるというか。その様子だとマトモどころか食事すら摂取していないようで、身体には目立った異常はないものの、リサは目敏く捉えた。
手際よく切り、焼き、盛り付ける。
「はい、どーぞ」
「………美味しそうですね」
「むふふん。そりゃアタシが本気で——あぁんもう、ちゃんといただきますしなきゃダメでしょ?」
「いただきます」
「はい、召し上がれ」
ただ京が昼食を頬張るだけ。ただそれだけの画を、リサは満面の笑みを貼り付けて、ただじっと顔を京の方に向けている。
「………ん〜?別にぃ?」
「それより今日は何用でございますか?」
「あ〜、このブレスレット、期間限定でしょ?なーんで持ってんの?買ったの?」
「ちょっと」
どうにも、彼女は下手くそだった。彼とは違って。それがある種の哀れみというか、京は俗に『自分が出来るのに貴女は出来ないんだ』と言えるタイプの人間なだけあって、的外れながらもそれ以上の指摘を彼自身が拒んだ。
「あ〜、もしかしてアタシ、邪魔?」
「決してそのような事は。というか邪魔だったら電気料金請求してから門前払いします」
「地味にえげついなぁ………んじゃあいーよ。早速本題いくから」
芝居がかって拗ねるような仕草を見せる。幼子のように口を尖らせ、ぶーたれたように鼻を鳴らし、
「あ〜………」
満足したように、長く溜息をひとつ吐くと、まるで世間話をそのまま出すように、まるでなんて事のない日常の一幕に落とし込むように、
あるいは策謀に塗れたとして………
「ポストに入ってた」
「……………?」
おもむろに一枚の写真をテーブルに置く。
なんて事ない、ただのビル街を切り取った1枚。
一体どこの企業の現行犯だと、場違いな事ながら吹き出してしまいそうになるものの。
それは虫の知らせとするには理論的に組み立てられ、出来過ぎているが、とにかく常人の第六感を五感に収めた彼だが、所謂それは猛烈に嫌な予感がするというもので、伸ばした手をそのまま引っ込めた。
「……………」
知りたいという単純な知的好奇心が頭を擡げる。知ってはならないという理性と競合しながら、激しくせめぎ合う。
今井リサは不器用である。しかしそれが気にならないほどに彼は、純粋に知りたかった。
「どうしたの?」
「いえ………何か………」
「………そっか。やっぱり辛い?」
「いや………」
京にとって、それは避けるべき、あるいは忌むべき、あるいはその両方を成すべきだった。
彼は鈍感でなければならなかった。しかしながら不思議なもので、そこに恐れはなかったという。
「よしよしいい子だ。リサさんはちゃーんとわかってるから安心してね」
基本的に表裏、として2話構成にしようと思ってます。今回は表ですね。
裏がどうなるのかは知らん。
ちなみに筆者の語彙力はこれくらいの量で限界を突破しました。
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今井リサの慈愛(裏)
難しい、難しいなぁ………
思えば今井リサの慕情がどこから恋慕に変わったのか。決定的にコレだと言えるようなものといえば、幼馴染であり親友である湊友希那の苦しみを理解する事が出来ないと嘆いた彼女に対して、その前提を根っこからひっくり返した事だろうが。
リサは己の中で、意識を変えられた事を救われたと形容した。
京、あぁ、京———
ただの、と言えばやや語弊があるかもしれない。しかし、恩人に過ぎなかった出水京という少年の、ある孤独という傷に触れてしまったら、止まれなかった。
彼のその強さは見せかけだった。どこまでも冷静な彼は、薄皮1枚を剥がせば歳相応より遥かに脆弱で、惰弱で、人という恐怖に怯えていた。
それをリサが知る事になるのは唐突であったが、彼女には彼のトラウマを知った事への後悔はない。寧ろ感謝したいくらいだ。
どうして?京にとってはアタシ達に合わせる事だってキツいでしょ?そんなに頑張らなくてもいいんだよ?
しかし、それを口走る事は憚られた。それは彼の努力に対する冒涜なのではないか?そう考えると、リサの個人的な欲望は、京に嫌われてしまうかもしれないという恐怖に押し込められたのである。
しかしそれも………時間の問題なのである。
まだ出会って間もない頃は、Roseliaのメンバーにそうしたように彼にも話しかけた。
過去のある時、CiRCLEにて。
「やっほー。出水クンでしょ?友希那から聞いてるよん」
「おや………また系統が違う方が出てきましたね」
「人を動物みたいに言わないでほしいなぁ………」
「どうなさいました?」
「いや、休憩だから。今日は新しい友達をつくりたいな〜ってさ」
「おや。では列に並んでいただかないと」
「あっはは!ナマイキ〜」
基本、相手の性格に関わらず快活さを欠かないリサではあるが、しかし彼女も人間、得意苦手というものはある。そしてそれは、実は一時的とはいえ京にも向けられていたのである。
レジカウンターに座り、何やら外国語が羅列された学術誌を穴が開くほど見るその姿は、どことなく友希那か、あるいは同じくRoseliaのギタリストを彷彿とさせた。
しかし、彼はどうやらその凛々しい外見とは裏腹に、冗談好きで気さくな少年であった。あまりにも予想と違った事もあり肩透かしをくらったが、それでも初めて会話する異性が、柔和な人間でよかったと安堵した。
「何読んでんの?」
「心理学の本ですよ」
「うぇ〜、難しそう」
「そんな事ありません。言語が難しいだけで、書いてある事自体はいくらでも要約出来ます」
「そうなの?」
「所謂ライフハックのようなものです。誰にでも当てはまる曖昧な事を自分にしか当てはまらないと思い込むとか、やるなと言われるとやりたくなるとか、色んな行動を同調されると無意識下で仲間だと思い込むとか」
「へ〜………そういやそうかも。あ〜、それ言われるとわかるわ〜」
彼女も高校生となれば、未成熟な意見のひとつやふたつ出てくるものだが。
俗に言う『お高くとまってる』というのは何も財力に限らず、頭いい奴が頭いいぶってる、という一見矛盾ながらもそうではない要素がある。
それが無くて、また二重に安堵した事もリサはよく覚えている。
あるいはそれを慕情と形容するならば、過去であれ今であれいくらかおかしかった。慕うという意味では正しかったのかもしれないが。
そしてある時、突然知った。その兆候を掴んだのは、京とリサが知り合い以上の関係へとなろうとしたその時。
確実に、リサの感情はあれから歪んでいったのだろう。
「ねーねー京。あのさ………」
いつものように、ちょっとした愚痴から会話に華を咲かせようとしていた時だったか。
「あぁ、リサさん。おや?今日はRoseliaの皆様はお休みですか?」
「うん。友希那が作詞に集中したいんだってさ」
「彼女は音楽に関して才能豊かですからね」
「そういえばさ、何で京は友希那と仲良くなったの?」
「仲良く………なっているのでしょうか。あれは」
「そりゃもう。あれはリサ姉的に見てかなり仲良さげよ」
「そうですか。もしも本当なら、彼女は私の初めての友達ですね」
「………そうなんだ」
過去を顧みるというのは、若年ならば殆どしないが、他人のそれが気になった。それはおそらく、退屈故の気まぐれだったが。
「シャイボーイだったのかーい?うりうり」
「貴女みたいなコミュ力オバケに言わせればですが」
「それ褒めてる?貶してる?」
「褒めてるに決まっています」
リサは自分の事に関していえばいくらか不器用だが、他人を見る目は普通以上に優れている。
「京、いるかしら」
「いつでもここに」
「あれ?友希那、どったの?」
「ちょっと詰まってて。また力を借りられないかしら」
「勿論いつでも」
———今アタシが話してたのに………
どこか横取りをされたような、子供のようではないかと言われれば、彼女は子供だ。
「リサ?私の顔に何か?」
「あ、いや、ううん!何でも。珍しいなって」
「あぁ………そうね。彼には才能があるのだから。頼らせてもらってるわ」
友人に嫉妬するのはみっともない?
違う。悪いのは友希那で、アタシはただ話していただけで。
だって友希那は何も知らないでしょ?アタシと違って。
彼がどれだけ苦しんでいるのか、どれだけの喪失と孤独の果てに、悲しむという感情を捨て、普通の人間らしさを破棄した苦痛に喘いでいるのか。
その子は普通じゃないのに。どこでどうやって傷付くかわからないのに、友希那にとって普通はその子にとっての普通ではない。
アタシならそんな無神経な事しないのに………
「………さっきから気になってたんだけどさ」
「はい」
「痒いの?」
友人になりたい、と言わなくても意識するであろう。服の上から皮膚を掻く姿は、何やら疾病を心配してしまうが、彼はそれを笑って受け流した。
「生まれつきでして」
「あ、うん、何かゴメンね?」
「いいえ。私とした事が、失礼を」
しかし、彼女は見逃さなかった。シャツの右腕に滲んだ赤黒い血の斑点は、たかが数滴滴下したに過ぎない筈なのに、どこか痛々しく見えた。これを贔屓目と言うのだろうか?
「来客はないようなので、私はそろそろお暇致します。リサさんも早く撤退した方がよろしいかと」
「………うん」
その日はどうも、寝付きが悪かった。
彼の微笑は偽物で、彼のもたらす信頼は贋作で、また彼の心理は巧みに隠させれている。
無理しないで。
自分を大切にして。
そんな月並みな叫びは心の中にしかならないもので、それが届く事もなければ実る事もない。
もっと誰かを頼って。
そしてその変遷はより黒く、より常軌を逸して。
———-もっとアタシを頼って。
それを秘め、今に至った。
「ふふふ………いや〜、いいなぁ。こういう風にしてあげるのは初めてじゃない?ガード硬いもんね」
「……………」
まるで借りてきた猫のよう。程よく発育した胸に抱きとめ、頭を撫でると、密着している京の体から力が抜けていく感覚が伝播した。
「……………」
「んふふ〜。どう?」
「………良い加減です」
「カタイなぁ」
仄かにシトラスのように香り、京が体制を変えようとすると肌が擦れ、艶めかしく悩ましい声をあげる。
「ん………甘えんぼさんめ。逃げないから焦らないの」
「………ここまでされるのは初めてです」
「……………そっか」
その言葉の意味するところを、リサは痛いくらいに理解していた。離れないように強く抱き締め、逃がさないようにすらりと伸びる足を絡め、胸に顔を埋めさせ、自分の上気した顔を見られないように包むように抱く。
「すみません」
「いーの。遠慮しないで。アタシ知ってるんだから」
「知って………え?」
確かに不可解だった。親愛の証と呼ぶにはあまりに過激なその行動は単純におかしかった。おかしかったが、それでも彼女の肢体と甘く囁かれる言葉は何かの薬のように心に浸透し、支配し、溶かした。
しかし、彼の頭はそのリサの言葉に敏感に反応し、それを拒んだ。
「知って………いや、それ、は………」
そしてそれは恐怖へと。
リサは全てを知った。彼の仮面の肢体、薄皮を剥がした本性を。過去に何に傷付けられ、何を恐れ、何に震えたのか。そして彼の古傷を知り、突き付けた。
「何を………何、を………仰って………」
まったく、このような企みは苦手な筈だったが。彼の心の隙間を。確かにそんな物ないように思えた。しかしそれは彼が隠していただけで、そこには常人を遥かに上回る闇と隙間が。
それをリサ自ら見つけ、それを自ら抉り、自らが埋める。
それは深く傷付いた我が子を慈しむ母のように。しかし内に孕むのは、紛う事なき黒だった。
「何で逃げようとするの?ヒドいなぁ………」
「馬鹿な!そのような………そのような事が!」
「わかるよ。色んな京を見てたから」
「私にっ、そのような事実は………!」
その言葉を待たずに、リサは強引に京の服の袖をまくる。
「隠すんならもっとやらないと。可愛いのう」
夥しい数の切り傷は赤らみ、瘡蓋は剥がれ、その傷は手首にまで侵食していた。鉄錆にも似た血の臭いが鼻をつく。中には閉じた後に開いたと思われるものさえあった。
「全部知ってるって。聞くのはしんどかったけど、でもアタシ、頑張ったよ」
「そんな………」
絶望の淵に立つまでもなく、叩き落される。そんな事あってはならない、それはあり得てはならない、しかしそれは、非常に残念ながら、逃避すべき現実は立ちはだかったまま離れない。
「あン………こら、そんなに暴れないの。ダメだぞぉ、どうせ逃げられないんだから………」
「んぐ………」
その行動は口から出る言葉よりも多くを物語った。物理的な拘束………ではない。
これは慈愛
これは慈悲
これは………狂気ではない。
「だから、さ。これでアタシにも、あると思うんだ」
「何が………」
「アタシなら、京の事、愛していいと思うんだ」
阻んでいるのが彼の悪虐だったのなら、その強引さは仇となっただろう。しかしそうでなかったら。あるいは彼が、誰よりも他人を想いそのトラウマを自らの内に押し込めたのだとしたら。
アタシならそれを取り払える。
受け入れられる。
いや違う。そんな及び腰ではない。それは、
「アタシにしか出来ないんだから」
「………」
その言葉に凝縮された底知れぬ恐怖は、その主が与える底知れぬ安堵の前に霧消してしまいそうであった。今まで経験した事のない充足感と安堵感は、忘れていたそれを思い出させた。
「ん………」
「そうそう。それでいいの。今まではこう出来なかったんだもんね。ってか今までがおかしかったんだよ」
その言葉は壊れかけた彼を深く安心させる善ではあるが、どこまでも堕落させ、あるいは依存させる悪でもあった。それが蜘蛛の糸となるか、張り巡らされた罠となるか。それは最早リサの匙加減ひとつとなった。
「全部知ってる。だからアタシにだけはこうしていいの。京はよーく頑張ったんだから」
溶解し、瓦解し、崩壊すれば、後は落ちるべきところに落ちるだけとなる。
「………こうされたのは初めてです」
「誰かに抱き締められるのが?」
「愛がどうだと説かれるのは」
「別に説いてるわけじゃないんだけどなぁ」
「理解し難いですね」
「今はそれでいいよ」
彼がどれだけの荷重にどれほどの期間耐えていたのかわからない。それでも………
「ふふふふふ………」
閉じ込める必要などない。下手くそな愛の言葉など必要ない。彼の中で自分の存在が大きくなれば、それだけでいい。どれだけ肥大していくのか、どれだけ逃れられなくなっていくのか。楽しみでならない。
だからこそリサは………
「これは?自分で付けたの?それとも付けられたのかな?」
「………いや」
「そんな顔しないでよ。アタシ悲しい」
傷口をなぞり、彼の頭の底に沈んでいた鈍色の記憶を思い出させる。それはそれは丁寧に、言い聞かせるように。
「離………して………」
「うん?離してほしいの?」
「………」
「い、や♪」
徹底的に打ちのめし
そしてひしゃげた心を優しく抱きとめ、受け入れ、そしてそのまま引き摺り込むのである。
しかしリサは、決してその修復を許さない。それをして京が己の手の内から離れてしまうのなら、
壊してしまえ。
そうすれば、彼はアタシの胸の中に飛び込んでくれる。アタシの腕の中で安息を求めてくれる。
それを救うのは、彼を理解し、彼の全てを許容出来る自分しかいないのだと。
「でも閉じ込めるのも悪くないかもね………なんて」
すやすやと、芳しい香りと柔らかな体にあてられて、彼は本能のままに微睡んだ。
今井リサという少女の、慈愛そのものに絡め取られて。
その次の日から、周囲の人間が驚く変化があった。
彼はほんの少しではあるが微笑を浮かべるようになった。それについて問われると、京は必ずこう言うのである。
「植物は種類によって、高濃度で汚染された水でも育つそうですよ」
足りんかったらすみません。これから頑張りますので許してくださいお願いします別に何もしないけど。
あと次回誰にするかは決まってません。
ご意見くださればそれで書くかも。
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美竹蘭の純情(表)
いやね、書くのは少し遅れましたけれども。
思えば彼女は、ただ寂しがり屋という少女らしい少女であった。その根拠は?
Afterglowというバンドが存在している事、に限る。
「ここは………どうしよう?」
「アタシは別に変えなくてもいいと思うけど」
「何故私はここに………」
殺風景なある一室。ガールズバンド『Afterglow』のメンバーである美竹蘭、宇田川巴ともう1人。駆り出されたと言うべきか叩き起こされたと言うべきか、とにかく1週間のうち2日しか用意されていない休日の片方を、惜しげもなく消費させられているのである。
「あんたがあたしと2人きりは嫌だってゴネるから巴がいるんでしょ」
「いやぁ、美竹さんのような美人相手だと恥ずかしくて」
「湊さんと似た波動を感じるってひまりに愚痴ってたの、知ってるから」
「左様でございますか」
ひたすらに五線譜に音符を書くという、単調に思えて恐ろしく頭を回転させる作業の全てを、京は2人の少女と会話をしながら完璧にこなす。手を動かしていても、都合の悪い情報を流すスキルも健在で。
「あと巴を名指ししたのも」
「そういやさ、何でアタシなんだい?」
「心の拠り所です」
「は?」
「というのは冗談で、性格の問題です」
「そ、そっか………」
あえて言葉を悪くすればそれは緩衝材という事なのだが、それは何より性格が良くなければならないのも事実。これがまた、宇田川巴にうってつけの役割であった。
「あたしが性格悪いみたいなんだけど」
「ぶっきらぼうで沸点が低いという意味では、決して的外れではありませんね」
美竹蘭。Afterglowのギターボーカルを務める少女。初対面の人間はほぼ例外なく彼女を無愛想でぶっきらぼうと評価するだろうが、それは単純に口数が少なく人見知りをしているだけ。
寂しがり屋で等身大で歳相応、クールという言葉は不適切とも見える少女である。
「宇田川さん、そちら私が引き受けます」
「んお?そうか、悪い」
「お気になさらず」
「あんた巴にだけ優しくない?」
「いいえ。必要とされる時だけ優しいんです」
「あたしが必要としてるんだけど」
「引っ張り出したの間違いでは?」
結構根に持つ性格なようで、事あるごとに蒸し返す。安楽の地ことベッドの中から引き摺り下ろされて作曲の手伝いをしてほしいと、仏頂面で命令と勘違いしそうなお願いをされた事は、いくら盾にしても卑怯と思われないだろう。そんな不条理である。
「なぁ京、ここはもうちょいテンポアップした方がいいんじゃないか?」
「そうなるとキーボードの人が死にますが」
「出水、ここは?」
「ここの四分音符は余計です」
「じゃあ———」
「ちょっと待って、私はここに手伝いとして来たんですよね?」
まずその気配から。起こっていなくても、起きる兆しが見えればそれには口を噤む事なく言及すべきなのである。そうでなければ流されるままにそれが当然となってしまう。なので、言った。
何か配分おかしくない?と。
「………頼りにしてる」
「その手には引っかからないんですねぇ、それが」
「あはは………なぁ京、やっぱアタシがやろうか?」
「いいえ、宇田川さんはお気になさらず。全てはこの反骨赤メッシュ女が原因なのですから」
「変なアダ名付けんな」
「親しみを込めて」
言葉そのものは尤もらしいが、内容の蓋を開けばそれは子供の小競り合いと言う他ない。詭弁を捏ねてのらりくらりと相手の言葉を躱すだけでなく時に反抗するのは、学生らしいといえばらしいが。
「ここのパートは?」
「モカよ」
「だったらもうちょい詰めても大丈夫ですね」
蘭が彼を呼んだのは、何も嫌がらせをしたいからというわけではない。
(専門なんだからちょっとは配分多くしろ)
とは少し脳裏をよぎったものの、手伝ってもらっている身分で言える範疇を超えていると、すぐさまそのような思考は捨て去った。
「これでどうよ」
「完璧です。流石宇田川さん」
「そうか?照れるな………」
「こっちも終わった」
「まぁ美竹さんはいつも通りですね」
「何じゃそりゃ………」
このデジタルの時代に、紙の五線譜にシャーペンを走らせるというえらくアナログな手法を用いたせいで、3人で分担しても半日以上の時間がかかった。
「何だってパソコンで5、6時間で済む事を態々………」
「だって使い方知らないし」
「ゴメンな。使い慣れてないからさ」
「………別に構いませんが」
ばつが悪そうに京は呟く。
京には我を通すだけの度胸が些か足りないわけで、どこまでやっても多数派には勝てない。
「仕事は終わったので、私は失礼します。お2人とも、バンドを頑張って」
「何だ、聞いていかなくていいのかい?」
「お腹空いてヤバいんです。お腹と背中がくっついて内臓の圧縮がヤバい」
「飴玉ならあるけど」
「ありがとうございます」
頭を使っただけだというのに、うつ伏せになったまま体を引き摺る様はまるで瀕死の重傷を受けたかのようだ。
「お、おい………大丈夫か?」
「本当、これは経験した人にしかわかりません。飢餓というのは徐々に体を蝕んでいくのです」
「腹減ってるだけじゃん」
「2、3週間断食でもすりゃいいんです」
応酬はその後何度か続いたが、2人とも口を動かすと同時に後始末を器用にこなしている。どうしたって気が合わない理由が今ひとつわからない巴にとっても奇妙な、しかしどこか笑えてならない。
「やっぱりあんたら気が合うんじゃないか?」
「「誰がこんな奴と」」
「仲良しじゃないか」
などあった。対面は劣悪そのもので、出会った途端に隙を見つけては憎まれ口を叩く、模範的な友情とは間違っても言えない2人の間柄。
「何で蘭は京をいっつも呼び出すんだ?」
「あいつ、作詞作曲は天才的だし」
しかし蘭は彼の実力を正当に評価して、その力を受け入れ、来たるべき時に備えて頼る事さえある。
「なぁ京、お前蘭の事は嫌いなのか?」
「好きになれそうとは驚きです」
「じゃあ何で一緒にいようとするんだ?」
「彼女が実力者である事は違いありません。ポスト友希那の最有力候補ですね」
そして京もまた、蘭の一長の部分に目を向け、贔屓目も偏見もまた抜きにして正確に把握出来る、あるいはそれに努める人間であった。
「京、今度付き合ってよ」
「残念でしたね。私は貴女と違ってナイスでボインなお姉さんが好みなんです」
「終いにはシメる」
「おお、怖や怖や」
「やめろって2人とも」
どうにも、掴めない。というより、蘭にとっての京は掴み所があまりにも多過ぎて掴みきれない。まったくおかしな話だが、矛盾するようだが、2人の関係は表面上といえばその通りで、深くあるといってもその通りである。
「今日はありがとう。その………助かった」
「私も、いい経験になりました。今後もご用命の際はよしなに」
それでいて別れの挨拶も欠かさない2人であった。
それをどうしようもないと形容されるだろうが、それでも2人はこの関係に不満はない。
正確には、なかった。
「蘭さん」
「何?京」
「デスクトップミュージックを習いたいというその気概は確かに汲みました」
「じゃあ教えてよ」
「パソコンの使い方から教えろというのは流石に予想外です」
「こういうのは経験した事ないし」
「まったく時代はデジタルだというのに………」
Afterglowの歌う作詞作曲を一手に担う蘭も、流石に疲労と時間の消費に抗う事は出来ない。というわけで、その負担を軽減するだけでなく、音程の調整や完成した曲のテストをソフトの内部だけで可能な音楽ソフトの教えを蘭は請うた。
しかし問題はひとつ、蘭の家庭についてだ。
「私、蘭さんのお父様は苦手なのですが」
「あたしからちゃんと言っとくから」
「超不安」
「ちょっとは信用してよ」
「あの頭ん中明治時代の人が娘の話なんて聞きますかね」
「京?」
「おっと」
微かに溢れた不適切な発言をいなされつつも、青白く発光する電子の画面に釘付けになる。
「ピアノはここ。ここに打ち込むのがそのまま音になります。再生ボタンはここです」
「ミックスは?」
「一度楽器ごとの譜面を設定してからになります」
その場に青春感のカケラもないのは、甘酸っぱさどころか塩味に満ち溢れているせいであろう。というのも、2人はあまりに冷静過ぎた。大人びた、といえば聞こえはいいものの。
2人の指が触れる。
「あ、ゴメン。あれ?こっちのボタンじゃないの?」
「失礼。あぁ、そちらの操作は少し複雑で………」
目的の前には男女の触れ合いなど二の次三の次のようだ。
「なるほど………これは確かに便利かも」
「でしょう。いちいち紙の譜面なんてやってられませんよ」
「ありがとう。ねぇ京、お礼がしたいんだけど」
「え………」
「………何?」
「明日は槍でも降ってくるのかなと」
「バカにしてる?」
「意外性に驚いていたのです」
そして、その辺りから蘭は、バンドと関係のない場所で京に会うようになった。そしてよく、笑うようになったと巴は話す。吉凶を占うではないが、それでもAfterglowは他のバンドと比べて、言葉を悪くすればいくらか排他的だ。それはこのバンドが結成されたキッカケにまで遡る事になるのだが。
蘭は寂しがり屋。ともなれば、自分を理解してくれる人間が必要になり、そしてその役割はメンバーが担っていた。
「ねぇ京、こういう時ってどうしたらいいと思う?」
「仕方ないので2、3発ぶん殴ってください。ええ、その真っ赤に燃える右手で」
彼女の友情を求める欲求は確かに満たされていた。しかし、渦巻く孤独をそれで埋める事は不可能。何故かと問われればひとつ、人の欲望に終わりはない。
「あんたって本当、ムカつくくらい話し上手で聞き上手だわ」
「何故でしょうね」
段々と、しかし確実に。終わらない欲望は肥大し続ける。これらはそのキッカケとなった、蘭の中で変わりゆく京という人間への評価の変化である。
前兆というのは、し難い事はあっても出来ないという事はない。しかし、それは認知バイアスのジレンマ。人は起こった事に対処出来ても、起こりそうな事に備えるのは難題なのである。
「あたしの、友達になってほしい」
「勿論。ではこれからは、良き友人として」
歯止めをかけられるとして、彼女はあえてかけなかったとしたら、果たしてそれは業となってしまうのだろうか。
大体4000文字くらいを目標に書きたいなぁと思う今日この頃。
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美竹蘭の純情(裏)
理由?蘭のヤンデレがどうしても想像出来なかったからです。すまん。
蘭にとっての終着は、実はあまり彼女自身があまり意識していない。なるようになれ、とばかりに今を精一杯、彼女なりに楽しんでいた。それを可能にしていたのは幼馴染ことAfterglowの間にある麗しき友情なのだろう。
だからだろうか。
「私では力不足のようです」
「そんな………どうして?」
「私では、貴女方の美しい友情に介入出来ないようだ」
ひどく眩しく見えたからこそ、京はそれから遠ざかりたいと思った。己の価値の齟齬が怖かった。目を背けたいと思ってしまったから。
「い、いや、いやいや、いやいやいや………」
「動揺しておられますね」
「当たり前でしょっ!どうして、そんな………」
「別にどうってことありません。元々あってはならなかったものが消えるだけですからね」
「そんな、そんな事って………」
身勝手な逃避と詰られても、罵られても構わない。別れてしまえばそれでなかったことに出来るのだから。
世界が違う、なんて子供じみた事を言うつもりはない。しかし、彼女達の奏でる言葉は、京の理解の遥かに外側にあった。
真の意味で理解し合えない。そしてその原因は、足りていない京にある。だからこそ、関係をリセットするべきだと考えた。彼にとっては、友人という何気なく思えるその間柄すら尊く見えた。
自分には、その荷を背負うだけの器はなかったようだ。
「貴女には素敵なご学友がいらっしゃる。どうかご自愛ください、私といては貴女も毒される」
「そんな………」
「別に今生の別れになるわけではありません」
「だからって、納得出来るわけないでしょ!?」
「そうでしょう。しかしこれは貴女のためでもあるのです」
強引、傲慢。それでいて稚拙かつ一方的。この立場が逆であったらと思うと、京は自分自身の妄想の中で戦々恐々するばかりだ。
しかし、やらねばならない。まったくとんだ偽善だと己を嘲笑してやりたいところだ。
京は惑う。
「お互い切磋琢磨しましょう。良き
それが正しさと信じている。しかし、それは偽善を前提として。答えがひとつじゃないのなら、それを見つけられない京はひどく盲目であった。暗中模索の果ての果て、彼のたどり着いたひとつが正答である事を願った。
「お許しください。私も、私に失望しています」
「……………」
これが決定的であれば、京は自ら墓穴を掘った。しかしそれは最早、神さえわからない。当然ああなってしまった蘭も。真に知る人間は誰一人としていなくなった。
京にはそうあってほしくなかった。そう思ってしまうのは勝手なのだろうか。
それを許し難いと憤れるのか。その資格はあるのか。それを問い続けると、頭のどこかが溶けていくような気がした。それ以上に理解し難い。
眩暈。
嗚咽が漏れ、眩んでしまった蘭では京の真意の全てに辿り着けなかった。彼の言葉はどこかで夢想のようにゆらゆらと揺れるばかりであった。
「………嫌だ」
それを執着と呼ぶにはあまりにも薄弱であった。どうにも、蘭はその強烈な見た目とは裏腹に心の内は脆かった。
だからこそ、蘭が思ったのはただひとつ。
側にいたいのではなく、側に置いて欲しい。その思いは募るばかりであった。
蘭と京は、そう短くない時間を良き協力者として、その後の短くない時間も友人として過ごした。それを切り捨てられるのは当然憤りもあったが、何よりも悲哀に打ちひしがれた。
「………京?」
「はい。確かに私は出水京ですが」
ご丁寧に3コール目で電話を取った京の、そんな間の抜けた声は、幻聴かもしれないが、蘭にはひどく鮮明に聞こえた。
「あたしも、色々考えた」
「………そうですか」
「でさ、こうも考えたんだ。あんたは確かに頭がいいし、機転も利く。それなのに何であんな事を、しかも突然言ったのかなって」
友情がそれを邪魔するならば、それを圧殺しても。そして、あるいはそれを彼に話さなければならないというルールは存在しない。手玉に取られるくらいなら押し込んだ方がいいに決まっている。
「ほう。では名探偵蘭さん。その答えは出ましたか」
「言うわけないじゃん」
心底驚いたとまではいかずとも。肩透かしをくらったという意味では、京は少しばかり驚いたというのも正解かもしれない。
「おや………それはまた」
「言ったでしょ。あんたは頭がいいって。あたしが言いたいのは、あんたがあんな事言ったのは気まぐれじゃないって知ってるから、って事」
「そうですか。それは実に良い事です。自己顕示欲を抑えて、推論という手の内を明かさない。蘭さんはやはり数段大人びてらっしゃる」
「どうも。ところでさ、京」
「はい」
ご丁寧に細かく分析してくれたところで、蘭は露骨に話題の舵を切る。あるべきを話そうと、用事とは無関係な、蘭の秘めたる個人的な情を紡ぐ。
「あたし、京が凄く考えてあんな事言ってるんだと思う。あんたは何考えてるかわかんないけど、悪い奴には見えないから」
「光栄です」
「でも、やっぱりおかしいって思うのは、あたしの我儘じゃない」
「当然です。いくら道理が通っているとして、あれは普通許されない事でしょう。あれの責任は私にある」
「じゃあ………何で言ったの?」
「必要だからです。そうでなければならない」
「………そっか」
どこかで、友人という関係に固執していたのかもしれない。そんな妖しい思考が蘭の頭をもたげる。受話器越しからは彼の呼吸音すら聞こえない。
「仕方ない………ですか」
「うん」
声を聞きたい。
協力者として。そう彼は言った。もう友人にはなれない。彼は、良き友として笑ってくれない。慰めの言葉もかけてくれない。
「きっとおかしくなってるかもね」
「………十分おかしいかと」
蓄光塗料で薄く光るアナログ時計は午前3時を指していた。
考えた。彼の側にいられるには。彼が側に置いてくれる存在とは何なのか。
答えは出なかった。
というより、彼女はマトモ過ぎたようだ。
涙を流した。答えは出たから。最早彼女の歯止めは壊れてしまっていた。猶予があるのなら蘭はいくらか踏みとどまっただろう。しかし、そうも言っていられない。
「………京」
「………蘭さん」
決定的な蘭の決意から経つ事僅かに数日。京の部屋のドアベルの音色が反響する。
「あたし、色々考えた。多分これが正解だよ」
蘭は考えた。決して途切れることのない繋がりを求めたが、人間というのはひどく曖昧で、不確実で、不確定要素そのものである。だとしたら………
必要なのは、愛しているという浮ついた言葉ではない。
形にしなければならない。たとえ彼が変わったとしても変わらない物質的な繋がりが。彼女のたどり着いた答えは確かにおかしいかもしれない。しかし、最善のものと信じてやまないのなら、きっとそれは上策なのだろう。
「友達にさえなれないなら………仕方ないよね」
「正気ですか?」
「ふふふ………うん。もう離れてほしくないからさ」
らしくない。まったく彼女らしくない。屈託のない笑顔ははにかむよりも百花繚乱とさえ言えるだろうが、そこに蘭らしさはなかった。いや………より正確に言うとなれば。
「うふふ………これからよろしくね」
それをただの知り合いに見せてはならない。その笑顔は、尊き友人のためでなければならない。
「裏切られたなんて思ってないよ。だからさ………もう、捨てないで」
そうであってはいけない事があるのなら、逆もまた然り。彼女は自ら、人以下に成り下がろうとした。
友人なんておこがましい?ならば、その立場など喜んで捨てる。いや、その必要すらなく、京は蘭と良き友でいる事を捨てた。そう、これは京からのメッセージ。友人ではない関係でなければならない。
彼の側にいるためにカタチを変えよう。たとえそれで尊厳を放り捨てる事になったとしても。
「これなら、こんなあたしなら、あんたの側に置いてくれる?」
それが世界の常から外れていたとしても。
「………とても正気とは思えない」
「そんな事どうだっていい。どう?これであたし、隣にいる資格、あるよね?」
自分に人間としての尊厳を捨てさせろ、とばかりに、蘭はこれ見よがしに首に巻き付いた首輪を強調した。
「友人という関係に固執した結果がこれですか。貴女は今、大切なものどころか自分自身を捨てようとしているのですよ」
感情的になってはならない。落ち着かせるのであって、論をぶつけ合うのが目的ではないのだから。京は悟すような口調で、しかし非難を滲ませた視線で蘭を見る。
「そうしないと、京はあたしを捨てるんでしょ?」
「………と、言いますと?」
「理由はわからない。昨日は強がってあんな風に言ったけど、やっぱりダメだ。あたしは、京がいないと」
あってはならない。しかし、あってしまった。京は苦悶のように顔を曲げ、歯を軋ませる。よもや無表情でこんな爆弾をぶち込んでくるなど、京にも予想が出来なかったのだから。
「あはは………京の匂いがする………」
丹念に調べるように、京の体を這い回る。
「ねぇ、おねがぁい。奴隷でも、ペットでもいいからぁ………捨てないで。側にいるだけでいいの。それ以外はいらないから………」
たったの数日。その数日で彼女のどこかは決定的におかしくなった。
妄執?ただの寂しがり屋というだけでは、どうなったってこうはならない。それこそ、彼女が何か精神を苛まれていたとしか考えられないくらいの変質に、京は冷静さを削がれていた。
「寂しい………な。寂しいよ、京………」
それから。
「なぁ京」
「はい」
「お前それ………どうした?」
「聞かないでください」
巴の声色は感情をよく写すが、今はそれが辛い。
「いつからそんなに………まぁ、仲がいいのはめでたいけど」
「私にもよくわかりません」
わからないわけないだろ、という指摘が飛ぶのは明らかだが、まさか美竹蘭が倒錯してしまっているなどと言える筈がない。そう誤魔化すだけで精一杯、胃は痛くなるばかりである。
「本題はそこではないでしょう」
京の右腕に絡み付いて離れない、どころか、形のいい鼻をひくひくと動かして彼の香りに身悶えしながら抱き着く腕の力を更に強めて眠る蘭を引き剥がす術はない。
元々、失うかもしれないというストレスを溜め続けた結果、京が早過ぎると思っていたあのタイミングで偶然彼女はおかしくなってしまったのか、それとも決定打となる何かがあったのか。
「私にもわかりません」
「そっか」
京が確率として最も
「巴さん」
「うん?どうした?」
「蘭さんですが、高校以前に孤立した事はありませんか?」
「………いきなり?」
「ええ、いきなりです」
「………まぁ、中学の時に、少しな」
「そうですか」
学生時代の孤立となると、蘭の性格故に、女子特有の闇の側面かとも考えたが、ある時Afterglow結成のキッカケを思い出す。
「あぁ、クラス替えどうこう………」
「何だ、蘭から聴いてるんだな」
「少しだけですが」
それを踏まえても尚、京には答えを見つける事が出来なかった。少なくとも彼にとっては盲点で、とにかく正解とは思えないほどであった。
たったそれだけの事。
孤立とは言えないではないか。
京はその理解について及ばなかった。
蘭は、皆の前ではいつも通りバンドに打ち込んでいるようだった。しかしある時、バンドのメンバーのある1人はそれを、今までと違って『焦っているよう』と形容した。
「お帰り、京」
「………蘭さん」
「ねぇ、あたし、ちゃんといい子で待ってたよ」
京が一人暮らしでなかったら軽く修羅場であった。蘭は入り浸るどころか居つくようになり、自らを都合良く使ってくれて構わないとさえ言うまでになった。
「ん………あは………」
服従している証と言って指を舐り、マーキングするように体を擦り付ける。
「今日はちょっと遅かったね」
「少し手間取りまして」
「良かった。本当に不安だったんだから」
彼女の憂う禁断症状というものがあるらしいのだが。
ここまで知りたくないと思うものも久しい。
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白鷺千聖の慟哭(表)
でも好き。
その2人の全てを神のように見下ろして、身勝手に評価するならば、10人中10人が異口同音で答えるだろう。
最悪であったと。
事の発端は、既にインターネットの動画サイトで自身が作詞作曲した楽曲が、ミリオン規模で評価されていた京に、ある話が舞い込むところから始まる。
「私が?芸能人の?」
「そうっす。是非是非、お願い出来ないかなーなんて」
「………お話はありがたいですが」
大手芸能事務所から、不意打ちのように詳細な情報を渡したい、なので担当の者を送る旨の電子メールが京のパソコンに送り付けられてから僅かに2日後の事。軽過ぎるフットワークに驚嘆しながらも事の詳細に耳を傾ける。
「だ、ダメっすか」
「作詞や作曲は趣味が高じただけですので。あまり表舞台に繋がるような事は」
「大丈夫っすよ。別にそんな、一緒にインタビューみたいな事はありませんから」
「違う。それはまったく的外れです。えぇと、大和さんでしたか」
「え、えぇ………的外れっすか」
「貴女方が有名になるのは喜ばしい限りでしょうが、それで裏側に潜入みたいに言われると凄まじく困るんですよ」
「う、うーん………」
芸能事務所からのメッセンジャーを任された少女こと大和麻弥は唸る。
「じ、ジブンも言ってて悲しいっすけど、ほら、超メジャーになるとは限らないっすよ?」
「広告塔までキッチリ完備してですか」
「ゔ………」
元々、顔を出さずに音楽活動が出来るという理由で動画サイトへの投稿という形を取った。京が今恐れているのは、バラエティによくある『あの人気グループの裏側』として自分に視線が集まる事。
(何だってガールズバンドを芸能人でやろうと………)
発案者がこの場にいたらグーで1発お見舞いしてやりたい。メジャーマイナーの垣根がない音楽活動というのが、その自由さがバンドの最大の利点だった筈だが。
そして、京が足踏みしたまま前進出来ない最大の理由というのが、その広告塔の存在である。
「白鷺千聖さん。私もドラマを見るので、よく存じています」
「そ、そうっすか………」
「ガチですね」
「は、はは、ははは………はい」
白鷺千聖。幼少期から子役として活躍していて知名度も高い若手女優。彼女を宣伝材料としているのは、芸能界の深みを知らない京でもよくわかる。最早滲み出るとかそのようなレベルに留まらないほど露骨であったが、それが叶った場合が難しい。
「有名になる事も、そのために努力をする事も良い事です。しかしそれに私は必要ない」
「そ、そんな事ないっすよ!」
「今わざわざ『おたくらの努力に巻き込むな』ってオブラートに包んで言ってあげたんですけど」
「す、すんません………」
そりゃ渋るよな、とは大和の思いそのものである。そもそもユーザーネームとIPアドレスから特定というのも、中々グレーゾーンなお宅訪問なだけにそれだけで好感度だだ下がりだろうに、突然芸能人がバンドやるから作詞作曲して、と頼むのは失礼に失礼を重ねている。
「断ったら後日4、5人で突撃してくるとかありませんよね?」
「そ、そんな事しないっすよ!」
どうやらイメージはプラスマイナスゼロからマイナスに振り切れてしまったようだ。
「でも諦めないっすよ」
「そういう事、笑って言わないでください」
一匹狼の実力者をチームに入れたいスポーツ漫画の主人公かと辟易しながらも追い返した。
そして後日。
「………」
「交渉2日目っす」
「大和さん」
「はい」
「ブラックリスト入りです」
「ほわっつ!?」
確かに4、5人で突撃して来るなと言った。ここがワイドショーの論争よろしく紛糾してしまったら京のストレスは限界を突破してしまうから。が、しかし………
「どうも」
「連れて来たっす」
「あのさぁ………」
狙ってやっているのか、それとも天然なのか。兎にも角にも過去を顧みるより先に、未来を憂うより先に、今をどうにか乗り切らなければならない事態に追い込まれた。厄介な機材おたくが厄介ごとを持ち込んでしまったのが全ての原因だ。
「こんなところを週刊誌にすっぱ抜かれたらたまったもんじゃない」
「あら、私にも好みってものがあるのだけれど」
「それはまた、頭がおめでたいようで何よりです」
「妄想力豊かって意味じゃ貴方も頭がハッピーなんじゃないかしら?」
「おや、事務方で引き篭もっていてもよろしかったのですよ?」
「どこかの引き篭もりがゴネてるって聞いたから仕方ないわ」
「私も広告塔が仕事してくださったら言う事なしだったのですが」
「は?」
「あ?」
「お、お2人………」
とまぁ、このように、テレビで見た女優と
「いえ、これ以上はよしましょう」
「そうですね。話すべきを話しましょう」
2人の切り替えの速さに翻弄されながらも、とにかく話を先に進めんと意気込む。
「こういうのって普通ファミレスとかで待ち合わせるものでは?」
「いやぁ、こういうトコ以上に視線を集めるんすよ」
「何でこんな時限爆弾みたいなヒト連れて来たんですか」
「悪かったわね」
「本題!本題入っていいっすか!」
もう勢いを交えなければ、この2人の間に散る火花は火ダルマへと変わってしまうようだ。麻弥は想定外にくらくらとしながらも繋ごうとする。
「本題も何も。私では実力不足ですのでお断り申し上げた筈です」
「いけないわ、出水さん。私は貴方と仲良くなれそうにないけど貴方の才能はネットで燻らせるには勿体無い」
「ええ。私も貴女と相容れないでしょうが、貴女のその女優としての魅力は私ではないやり方で輝くべきです」
ひどく奇妙ではあった。お互いに似ているというか、そう思えばどこか纏う雰囲気は違っていたり。言葉の数々は冗談かと思えば、しかし浮ついたような笑いを2人とも見せず。
しかし2人とも、それぞれ
「どうしてもダメっすか」
「どうしても、ではありません。しかし私が願うのは貴女方と真逆を行く。どうしたって支障をきたす」
「今はそれで構わない。私達は貴方のためにあえて期待しない」
「………お見通しですか。まったく、貴女さては友達少ないでしょう」
「余計なお世話よ」
まさか短期間でこうも動いてしまうとは。彼女はギャップどころか猫被りで言葉に棘があり初対面だろうが関係なくそれを発動する面倒この上ない人間だが、気遣いは常人以上。他人に期待しないなんて捨て身の説得を行えるのだから、その力は計り知れない。
「………まったく、メンバーを想う反動がこれですか」
「不器用な女でごめんなさいね」
「どうだか。代理を立ててもいいんですよ」
「あら、それはこちらのセリフね」
不敵に微笑む千聖を真っ直ぐ見据える。斯様な論客はお呼びでないのだが、どうにも、彼女は一筋縄ではいかない。それがどうしても引っかかったのかもしれない。
「引き受けましょう。しかし貴女方との接触は無し。如何でしょう」
「………わかったわ。それで事務所に問い合わせましょう。こちらからもひとつよろしいかしら?」
「交換条件をなさるおつもりですか?」
「まさか。ちょっとだけ、2人で話をしたいだけよ」
「………今日はもうお引き取りください。後日、そちらから連絡をくだされば合わせます」
「家に」
「やめてください」
面白い、まったく面白い。ただの反抗期を拗らせた歳下の少年かと思えば、どこか自分と似ていた。
意地に拘らず柔軟にある、もしくは一歩引いた目で自分すら俯瞰視する。
情熱が悪しきとは言わない。努力は卑しいと言わない。しかしそれがもたらす結果が悪ならば、その過程も自ずと悪である。
「また会いましょうね。今度はお洒落なカフェにでも行って」
「いやぁ私、そういうマイナスイオン多めなところは苦手なんです」
「ふふふ、私もよ」
何となくという人間の気まぐれは厄介なもので、初対面だというのに、どこかでもっと話したいとの欲望は燻った。
それからというもの。
「いい曲だったわ。レコーディングも楽しかった」
「そうですか」
完成した曲の受け取り、という名目で千聖が京の部屋に入り浸るようになった。彼にとっては迷惑といえば迷惑ではあるが、血相を変えて追い出すほどの事でもなし。と半ば諦めにも近い黙認を貫いている。
「バンドの活動は?」
「オフの日よ」
「そうですか。珍しいですね」
「あら、そうかしら」
「また黒い方の千聖さんが囁いているのかと」
「そ、その話はもういいでしょ………」
あるPastel✳︎palettesのメンバー曰く、初期の頃は地獄そのものであったらしい。それはつまり、企業がどうだ、金がどうだという闇話で、一時の千聖もどっぷりその沼にはまっていたらしい。エンターテイメントと実益の狭間で揺れる彼女は葛藤の末に実益を取ろうとした。
「何だか馬鹿みたいよねぇ………」
「それは自虐ですか?それとも運営への意見具申ですか?」
「さあ、どうかしら」
「私としては、その頃の貴女の決断は正しかったと思いますが」
「そうかしら」
「良かったですね。パスパレが分解しなかったのは宣伝の中核たる貴女が踏み止まったからです」
恥ずべき事と、そうでない事を教わった。彼は見方によっては理屈っぽいと評されるだろうが、それは京をそう見る連中よりも理屈がわかるという事。何より道理と理屈を重んじなければならない職業上、彼の話はどこか重みがあった。
「貴方、啓蒙家にでもなったら?」
「いやぁ、力不足ですよ」
なんて事のない雑談をしたかと思えば、
「でね、彩ちゃんが『千聖さんは新人スタッフいびりが凄そう』って言うのよ」
「わかります」
「どこが」
「目を見る度に思います」
もっと友達らしく。
「京、貴方変わってるわよ」
「千聖さんには言われたくありません」
シンデレラストーリーでは決してない。ただ、日常の一幕を切り取って言葉にするという事が、どうやら自然と壁を瓦解させたようだ。それは聞く側である京も、話す側である千聖もまったく予想外であった。時間の問題ではない。
このように、知り合い以上と言える関係に一度だってなる事自体が、である。
「本当は役得とか思ってるんじゃないの?」
「まったくその通りで。ただの引き篭もりが今をきらめく女優と雑談が出来るとは」
「あぁ、思ってないわね」
「これでも神話入りのプライドがあるんです。おたくの事務所、発掘が遅いのでは?」
「ふふふ、まったくそうね」
2人は絶対に、お互いのプライベートに干渉しない。するのは仕事の愚痴か、あるいはそこから話を持っていって癖の強いメンバーへのちょっとした不満くらいか。それでも、千聖にとって居心地は良かった。
自然と顔が綻び、それが常となるまではそう時間がかからなかった。
彼女も、ドライな彼女なりに信頼を置こうとした。出発点はやや銭が絡んで下世話なものだったが、友人という尊い関係に憧れ、それを掴めるところまで来ていた。
だからこそ、ある亡失は最悪な形で顕現し、白鷺千聖という人間をそのまま変えてしまったようだ。
どうして、という純粋過ぎる疑問には、京は答えてくれなかった。
そして、千聖は自答出来なかった。
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白鷺千聖の慟哭 (裏)
思えば、兆候はあった。なのに何もしなかった?そうではない。彼は許さなかった。自分のための慟哭も、憐憫も。これが許されないのなら、しかしそれで友人であれるのなら、それは矛盾なのではないか?それを友情とは呼べないだろう。
「ねぇ、京」
「はい」
「貴方、芸能界に入ろうとは思わなかった?」
「ある芸能人のファンというだけで芸能界を志す人間はいませんよ。例外なく、存在しないでしょう」
「………そうね」
案外、憧れの目なんてそんなもの。憧憬というのは冷めるもので、千聖もまたその1人であった。
「千聖さんは逆に、芸能界を放り出したくなる事はないのですか?」
「いっぱいあるわよ」
「ですよね」
「でもそういうわけにはいかないわ。一度でも世間様に顔を出してしまったら、抜け出すのは容易ではないもの」
「まったくその通りで」
ある時、いつものように茶を嗜みながらこの救いようのない世界を学生なりに見据えていた時の事。
「京、平日は空いてるかしら?」
「ええ、基本的には。どうせ保健室登校ですし、どうとでもなります」
「平日の真昼間に投稿してると思ったら、そういう事だったのね………」
彼がアイドルバンドことパスパレに曲を提供してからも、本人名義ではなくハンドルネームでインターネットに投稿している。本人曰く『こっちが本業』らしいが、楽しみなようで何より。
ではないらしい。
アレルギーを患っているが如く、彼は芸能界をひどく忌避していた。バンドのメンバーに会う度、取り繕ったような急造の笑顔で誤魔化す。今でもまともに話せるのは麻弥と千聖に限られる。
「人と接するのは苦手なの?」
「何をカウンセラーみたいな事を」
「ふふ、そうね。私とした事が」
2人とも、色々な人間の顔色を伺ってきた。
1人は身を投じた世界で必要なものだったから、もう1人は………
眩暈。
「どうして………」
「……………」
懐疑。
「ごめんなさい………許して………」
「……………」
そして決壊。
「え………そんな………それ、本当なんですか?」
ある程度規制がかかっているとはいえ、芸能事務所というのは不特定多数が集まると言える。
事務所は本人の許可を得て、作詞作曲の名義を出水京ではなく、ネットのハンドルネームを使い、謎多きシンガーソングライターとして紹介した。千聖も満足な出来だったのだが、問題はその後だ。
「出水君がパーソナリティ障害………本当ですか?」
彼は何も言わなかった。言えなかったのではない。少なくとも、彼は仕事に関係する全てを千聖に告白してきたし、千聖も丁寧にそれに応えて、逆もこなしてきた。
「わかりました。本人に………ええ、問題ありません。彼は私を信用しているので」
電話が2台があればと思ったのは初めてだ。震える手で画面をタップし、コール音にもどかしさを感じる。ガチャリという音と共に堰を切ったように話す。
「京?今どこ?ちょっと今から会えないかしら?どうかしら」
「珍しいですね、千聖さん。何をそんなに慌てていらっしゃるのですか?」
「………貴方の事で話があるの。緊急よ」
「そうですか。そう………ははは、もしかしてバレてしまいましたか」
「………隠してたの?」
「千聖さん、どうして私と貴女が今の関係になれているか、おわかりですか?」
「その話は会ってしましょう。ここで待ってるから」
「こことは、どこでしょう」
「わかってる癖に」
自ら首を絞めたのかもしれない。日中は、仕事も含めて全てが頭に入らなかった。
夜はどうにも、千聖の職業柄と言うべきか何と言うべきか、とにかく苦手だ。暗いというのはそれだけで不安を掻き立てる。見えないというのは、余計な想像力を働かせる事になるからだ。
「待ちましたか」
「本当に来るのね」
「呼ばれたから来たんですがねぇ」
「ウソウソ。待ってたわ」
冗談めかして千聖は笑う。
「その………嫌だった?」
「何がです?」
「ゴメンなさいね、知らなくて」
「別に構いません。私が言わなかっただけですから」
いつもの皮肉も、愚痴も、全て無くして急にしおらしくなった千聖は今まで見ないような儚げで、散りそうな顔で俯いていた。
「違う。もっと早く気付けた筈。ごめんなさい、ごめんなさいね………」
「どうか気に病まないでください。私が意図して言わなかった」
「どうして………?」
「………
違う。そんな言葉を、そんな顔で、声で、絞り出すように、苦痛のように、話してほしくなかった。
「友達だったら………もっと頼ってよ………」
「わかりませんね、まったく」
まったく不器用なもので。初めて異性の口から聞いた友人という言葉に、まるでプロポーズを受けた生娘のように少しだけときめいてしまったのである。
「どうして………どうしてっ、そんな!」
そして、眩暈。
そんな事で、友達を語って欲しくなかった。友のあり方を、そんな風に解釈してほしくなかった。
それがたとえ、献身だとしても。
貴方が自分を自分で守らないのなら、私が———
千聖は変わっていた。突然、二重人格がスイッチするように変貌したのではない。
どこかで人を避けているように見えた。しかしそれは千聖の見当違い。
本当は、選んでいた。完全に隠し通せるほど抜けた人間………ではない。彼が求めていたのは、うっかり事故で漏れてしまった時に、切り捨てても、あるいは切り捨てられてもダメージを受けない人間。
そういう意味では、ビジネスパートナーでしかない彼女はうってつけであった。
「私のためにそんな事しないで。私は、貴方にそんな事させてまで………」
「………すみません。これは私の咎です」
「……………」
強く抱き締めた。彼はいつ爆発するとも知れぬ時限爆弾を抱え、それを無邪気に爆発させようとする人間から守り通してきた。
無神経だ。無理筋だ。それでいて、私は勝手だ。
罪悪感が千聖の全身を突き刺す。結局のところ、自分は彼の力と才能以外に目を瞑った。
出水京を選んだ自分は間違っていない。その証明のためだけに、彼の心など最初から存在しなかったように、彼を引き摺り出した。
「………私、最低だわ」
「千聖さん、どうかそれ以上は」
「京………」
「はい」
「私の事、許してくれる?」
違う。私が言いたいのは違う。こんな浅ましい、おこがましい事じゃない。
「許すも何も、貴女を恨んだ事は一度だってありません」
違う。そんな優しい言葉をかけないで。いっそ罵って。私は何て………
「償わせて………そうじゃなきゃ………私、おかしくなりそうよ」
京は、彼女を諭そうと出かかった言葉を嚥下した。彼女の信じる贖罪を、償うべき人間がいるのに許されない。それほどの生き地獄で彼女は、きっと壊れてしまう。
気にしないでほしいという言葉が、千聖の心を思う正義から、自分の言葉で人を壊したくないという偽善に堕ちた。
「辛かったのよね………ごめんなさい………」
千聖もまた、彼を慈しみ、この手で抱き締める間は、ほんの少しだけ罪悪感を紛らわす事が出来た。
彼女の贖罪は、何も苛烈を極めるというほどの事でもなかった。罪悪感はあるものの、それで自傷に走れば京が悲しむ。それがブレーキになっていた。
その代わり、と言ってはなんだが。
「いいのよ、京。私がやっておくから」
だとか
「貴方はゆっくりしてて」
果ては
「何だか………おかしいわ。貴方に頼られると、満たされるの」
どうやらその嗜好すら捻じ曲げられてしまったようで。最早彼女の贖罪という言葉は形骸化してしまい、言い訳に成り下がってしまった。
千聖にとって、彼がどうしようもなく愛しい。
力なく項垂れる彼も、救いを求めてもたれる彼も。
いけないわ………これは罪を償うためなのに………
「やん………」
どうにも、面白くない。しかし、素敵だ。罪を償う、なんてもっともらしい大義名分を盾にして自分の欲望を満たしている。背徳的な快感が全身を駆け巡ると………
彼がどう考えてるだろうか。そんな事を忘れ、望むべき姿の自分との乖離を想像すると、また何か人道にさえ背くような罪の味がする。
「………落ち着いた?」
「はい。もう大丈夫、大丈夫です。ありがとう」
余韻のように罪悪感が千聖を苛む。あぁ、彼の気持ちを踏み台にして快感を貪るなんて………
しかし、それに気付く様子のない京はいつも通りの鉄面皮を被ると、感謝の言葉まで述べた。
「ねぇ、京………」
「はい」
「偶に、偶にでいいから、こうして抱き締めさせてほしいの。そうすれば、落ち着くでしょ?」
まるで京が望んでいるからしてやるんだとばかりに。どうしたって自分の汚さを見せず、彼のためと盾を構えて。今の千聖の中にあるのは、この期に及んで彼を騙す罪の意識と、それを知らずに彼女に安息を求め続ける憐れで、それでいてどうしようもなく愛おしい彼を抱き締めた残り香の快楽である。
「ごめんなさい、ごめんなさい………あぁ、はは………」
泣いているのやら、笑っているのやら。折衷したような彼女は一見矛盾する感情を抱えて、涙を流しながら口元を歪ませた。
「ごめんなさい………気持ちいいのが止まらないの………」
相反する筈の感情がかき混ぜられる。
もう、手をこまねくのはやめよう。
千聖は京を抱き締める時、絶対に顔を見せない。
自分は罪を償わなければならない。快感に蕩けてはいけない。僅かに数センチ顔を上げれば顔を赤らめ、惚気るように上気した千聖の顔がある。
「ええ、ごめんなさい………私の勝手で、貴方の傷を………」
言葉は彼に浸透する。しかし彼女の本意は、どこまでも、京の信じる千聖を裏切る。
「千聖さん?」
「ん、どうしたの?」
「例えば私が、必要ないと貴女を突っぱねたら、貴女は納得しますか?」
「おかしな事を言うのね、京」
それはタラレバの話であった。が、それを興味本位で話してしまった事は避けるべきだったかもしれない。理路整然としていれば良かったのか、と問われればそれには頷きかねるところだが。
「必要ないなんて言わない、いいえ、言えないでしょ?」
「………まったくその通りで」
遅効性の毒に侵されるように、お互いはお互いに既に依存していた。
京は千聖の醸し出す自己満足と背徳の優しさに、千聖は京の持つ本質的な弱さに。
京は最早、彼女のもたらす充足感に絡め取られ、千聖は彼に依存される事に依存してしまった。
恋は盲目とは言うものの。それは傍目からすれば需要と供給の関係でしかない。しかし、たとえそうだとしても、第三者が愛を疑おうとも。
偽ろうとも
欺こうとも
「愛してるわ、京」
「はい、私もです。千聖さん」
それは、確かに愛だった。
人によっては後味悪いエンドかな?
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弦巻こころの賛美歌(表)
皆様のおかげです。本当にありがとうございます。
やったぜ。
ライブハウスCiRCLEはいつも通り。
いつも通りの晴天と、いつも通りの静寂と、いつも通りの物寂しい店番と。どうしようもなく身を刺す退屈は、どうやったって跳ね返せない。まったく、アルバイトというのも楽ではないが。
「やぁ京。今日もいい天気だ。こんな日は恋のひとつでもしてみたいね」
「シェイクスピアが言ったのは、晴れたり曇ったりの話ですよ」
「京!何だか今日は気分がいいの!何でかしら!?」
「人は太陽光に精神的な充足感を得るようですので、その効果かと」
「京くん!お腹減ってない?コロッケ、食べる?」
「野菜増し増しじゃないと食べれないんです、私」
その全てをぶち壊すように入って来た3人の少女と、その背後からおずおずと申し訳なさそうに2人の少女が顔を見せる。
「京さん、凄いですね………」
「あの3人を同時に捌いてる………」
驚嘆というより、単純に引いているだけとも取れるが。とにかく世界を笑顔にするバンドことハロー、ハッピーワールド!の3バカと形容される面々に対してまったく臆する事なく、律儀に質問に答えている。
「いつもご苦労様です、奥沢さん。こちら完成致しましたので」
「あぁ、本当ですか。ありがとうございます、いつもいつも」
「いいえ。私も中々新鮮な体験でございました」
「何々?何が新鮮なの?」
「主に貴女のおかげで」
ハロー、ハッピーワールド!の曲の作り方はやや変わっている。それどころかバンドのあり方も一線を画している。それもこれも全ての元凶はこの金髪少女のせいなのだが。
弦巻こころ。自由奔放をそのまま顕現させたような少女。快活、と言えば聞こえはいいものの。その柔軟が過ぎる発想は突拍子もなく、無邪気でありながら天衣無縫。
ちなみに弦巻家の総資産は京も予想しかねている。
「しかし珍しいですね。弦巻家の豪邸で大体の事は済むというのに、何用でございますか?」
「貴方に会いに来たわ!」
「おや………それはまた、大所帯で大変恐縮ですが、面白いものは出ませんよ」
「貴方の顔を見れたから満足だわ!」
「そうですか………」
それでいて、こころは京の天敵であったりもする。思えば彼女に勝てたと思えた事がない。何か突拍子もないと思えば、実は彼女なりの理論に基づいているもので、実際にそれで難局を見事に突破した例も多い。
ハロハピの乱痴気騒ぎの元凶かと思えば、困難を打破する銀の弾丸ともなる。
始終の全てに至るまでを理論として先に組み立てる京とは真逆を行く彼女であった。
「じゃあね!バイト頑張って!」
「はぁ………」
嵐のような少女と言うべきだ。気まぐれに来襲しては静謐そのものをぶち壊す。
「アルバイトではないのですが………」
どうにもテンションの差のせいで、彼の萎んだ声は届かないようだ。
陽と陰をそれぞれが体現したかのような2人は、生きる世界が何から何まで違う。お互いが普通に生きていれば決して交わる事がないのだが、果たしてこころがイレギュラーだったのか京が強運だったのか。
「京!ちょっといいかしら!いいわよね!?」
「いいですが」
「望遠鏡!私の望遠鏡が!」
「それは双眼鏡です」
一度現れれば、そこがどれだけ荘厳極まっていようともしっちゃかめっちゃかにしてしまうであろう嵐を呼ぶ少女。
「ちゃっちゃと分解しますから離れてください。利き手が動かない」
「あぁ、ごめんなさい!」
ある時は、何故か天文部である筈の彼女が、双眼鏡が壊れたと絶叫してCiRCLEに突入して、襟を掴んでぶんぶんと激しく前後させる。
「私が機械に強いとご存知でしたか?」
「いいえ。花音が、頼るなら京だって言ってたわ!」
「あぁ………そうですか………」
頼られるというのは嬉しい限りだが、市街地に迷い込んだ野生動物よろしく引っ掻き回すのは勘弁してほしい。ドライバーで手際よく分解し、こころと会話を成立させながら淡々と修理する。
「えらく本格的ですね」
「お父様が買ってくれたの」
「それはまた、羨ましい」
「どうして?」
「お金があるから、権力があるから。それを正しい人間が持っていたとしても、その使い方が正しいとは限りませんから」
「ふぅん………薫みたいな事を言うのね、京」
「一緒にしないでください」
3バカその1から、その2のようだと形容されるのは、京にとってどうしようもなく屈辱だ。たとえそれが演劇部のエースのようだと暗に言われても、嫌なものは嫌だ。
「レティクルがおかしいのはプリズムの凸レンズが欠けていたからです。2枚挟んでいて内側の方。集光がおかしくなったんです」
「凄いわ!京は何でも知ってるのね!」
「何でもは知りません」
お気に入りを直してもらって、飛び跳ねて喜ぶ姿はまったく高校生らしさのカケラがありはしないが、見ていて飽きる事もなし。天真爛漫というのは傍観している分には疲れる事もない。
「ねぇ、京」
「はい?」
「何だか貴方、とても悲しそうだわ」
「根が暗いだけです」
「………本当に?」
「何です?突然」
「いえ………気のせいかしら?」
「ええ。人は間違う生き物です」
こころは奔放に見えて、人をよく見ている。そしてそれをしまっておけないのである。京は自分を見て、そしてそれが露見しないよう上塗りする。彼女は僅かな手がかりだけでその核心を突こうとしていた。
まったく、天敵というのはどうすれば対処出来るというか。どこかに情報でも転がっていないものか。
「望遠鏡直してくれてありがとう!それじゃあね!今度は一緒にお茶しましょ!」
「ええ、予定が開いた時にでも」
相も変わらず、始終常に賑やかな彼女であった。
「双眼鏡なんですけどね………」
どこかで彼女は、楽しんでいたというより楽しませたかったのかもしれない。彼女は世界が笑顔であれ、と願ったが、最も近くにいる当の彼は、いつも物憂げに活字に目を落とすばかり。
「京!遊びましょ!」
「インターホンを鳴らしてください」
破天荒、文字通り天荒を破る彼女だが、それは破らなくていい。というかそれは近所迷惑に他ならない。
「たまの日曜くらい、お友達とお出かけしてはいかがですか?」
「どうして?京もあたしの友達よ!」
「いやそういう事ではなく」
「じゃあどういう事?あたし、京の話は難しくて偶にわからなくなるわ」
「………いや、もう。いいでしょう。それで何用で?」
「遊びましょ!」
「はい………はい?」
説明しているようでまったくされていない。一体どんな手でどんな結末を迎える事になるのかまったく予測出来ない。彼女の楽しさへの嗅覚と俊敏さは最早野犬じみている。
「貴方と遊ぶために迎えに来たのよ!ほらほら!」
窓の外に黒服の気配を感じてしまったがために、それを無理矢理跳ね除ける事は出来なかった。
弦巻こころの周囲は、常に黒服と称される謎の集団が警護している。名前の由来はそのまま、黒色のスリーピースにサングラスという通報されかねないビジュアルであるためなのだが。流石お嬢様を警護しているだけあり、様々な能力はSP顔負けなのだが。京も偶に黒服を見失う。
「だったら私を呼べばよかったのでは?」
「楽しい事には自分から行かなくちゃ!」
「はぁ………」
その心意気はエンターテイナーとしては素晴らしいが、アパートに黒塗りのリムジンを横付けするのは勘弁してほしい。待機しているのがあの黒服な上、車まで黒尽くめとなるとその道の方にしか見えない。
「京は頭もいいし、音楽の才能だってあるのに、どうしてそんなに悲しそうなの?」
「また唐突ですね。根暗なだけです」
「京は楽しくないの?」
「楽しんでいますよ。作詞も作曲も編曲も楽しい。ただそれを顔に出すか出さないかの違いです」
「そうかしら。何だかとても、無理してるように見えるわ」
「貴女の目は見かけによらず鋭い。しかし間違える事もある」
彼はこころに痛いところを突かれると、口癖のようにそう言って逃れた。常に自分が正しいとは限らない。
人間はミスをする生き物と言われているが、それは精神論の問題ではなく、脳の構造上、人間があらゆる環境下において100%でいれる事は不可能とされている。
ドラマチックな展開での決断だろうが、命をかけた男気溢れる決断だろうが、失敗する時は失敗する。老婆心といえば少しばかりの語弊はあるが、彼女が立ち止まるより前に躓いて派手に転んでしまわないか心配にはなる。
「着いたわ!」
「相変わらず建てるサイズと場所間違えたみたいな邸宅ですね」
古都にでも置いておけば遺産にでもなるだろう。一体誰の趣味で西洋の古城の如き邸宅になったのか。色々な意味で京の視線と興味を掴んで離さない弦巻邸である。
「お父様はとってもロマンチックなの。だからかしらね」
「あぁ、そうですか。お父様のご趣味ですか」
財を築き上げたとなれば、それである程度自由であれるのは権利だろうが、建てるなら大陸国家に立てた方が良いのではないか?というのは余計だろうか。
「そうだわ!まだ聞いてなかった!」
「何をです?」
「京のご両親の事よ!」
「………あぁ」
「京?」
完璧な不意打ちだったとはいえ、彼は自慢の演技力で、『ちょっとだけテンションが下がった』程度に留めた。反抗期の高校生らしく、それもまたえらくリアリティに満ちているのだが。
どうにも、家族の事は苦手だ。
「私の事は良いでしょう。言った筈ですよ。貴女の全てが正しいとは限らないと。それは着眼点の成否にも言える事です」
「………貴方はとっても不器用さんなのね」
「そうですね。性根が暗いとこんな感じです」
まるで自分の中にある核心に気付いていないように。白々しいが、回避するには有効な手段である。一点張りが通じるという強さを、ここまで振るわなければ意味もない。
「それで、遊ぶというのは?」
「バンドの演出を考えてほしいの!そういうのにも詳しいって薫が言ってたわ!」
「まぁ、はい。平均以上には。どこです?」
「ここでね、ミッシェルをドカーン!ってさせようと思ったら、美咲に止められたの」
「………まぁ、彼女達は通じ合っていますからね。やめた方が賢明かと」
何やら不穏な擬音には、常識人藤沢のセンサーが反応したようだ。当然どこをどうドカーンとしようが、中の人が悲惨になるようではスプラッターに様変わりしてしまう。
「演出用の花火があるでしょう。火薬は我々が使うには過ぎた物です」
「その通りだわ!流石ね京!やっぱり凄いわ!」
あぁ、某クラゲのドラマーはこんな気分にいるのか、と、少しばかり彼女の心象が理解出来そうだ。褒められて困惑する、というのも中々、こころの言葉でないと出来ない珍しい現象である気がする。
尊い1匹の熊と1人の常識人の命が救われたところで、続きを読む。
発案者が弦巻こころと瀬田薫と北沢はぐみであるという点に猛烈な不安を感じたが、ミッシェルがドカーン以外は意外にも許容範囲に収まっていた。
「京は色んな事が出来るけど、貴方の将来の夢は何かしら?」
「私ですか?特に決まっていませんが、そうですね、初任給が高そうな仕事を」
「………しょ、にん?どうして?」
「モチベーション管理です。またの名をスタートダッシュ」
「ふーん………やっぱり色々考えてるのね」
感心しているのか、それとも自分がしらない深みを見据える彼を物珍しいと思ったのか。ペンを取ると、彼女は次の雑談に入ろうか、というほどごく自然に、京の左手に自身の両手を重ねた。
「それとも、考えなきゃいけなくなっちゃったの?」
まずは彼女がしつこいくらいに京の近くにいようとした理由を、まずは考えなければならないようだ。
突然のフリ。
今回はほぼ伏線回と化してしまったので、なんか内容が………すまねぇ。
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弦巻こころの賛美歌(裏)
正しさを決めるのが人ならば、正しさを決める人間の正しさを判断するのは誰か。
誰が見張りを見張るのか。
古代ローマの詩人、ユウェナリスが詠んだ風刺詩『女性への警告』からの抜粋である。果たして、誰かの正義の裁定を下すその人は、本当に正義を貫いているだろうか?
「ねぇ、京。京はご両親に会いたいと思う?」
「死人は生き返らない。その結論ありきで考えれば、会いたくないと答えるでしょう」
「そっか。そうよね………ごめんなさい」
「別に、どうという事はありません。慣れですよ」
果たして逸らすのが正解なものか。普通、好奇心は猫を殺すが、彼女の好奇心は他人を突き刺しかねない。しかし、彼はあくまで平静を装う。そうでなければならない。
「それよりも貴女へのご恩を返せていません」
「あら、そんな事気にしなくていいのに。友達を助けるのは当たり前でしょ?」
「……………」
京はこころに借りがある。彼はそれを恩と形容し、それが拘束具となっている。彼女にはその気など全くないのだが、それでは彼は恩を享受し続けるだけ。人として堕落する決定的な一打どころか、金の亡者にさえなり得る。
こころの優しさと懐の深さに無条件で浸る羽目になれば、最悪に最悪を累乗したような人間に変貌してしまうだろう。
「友達ですか………」
「そうよ」
人1人を援助する事くらい、弦巻家には容易い事。友達、という一定のボーダーラインがありながら惜しまなかった理由は、手放しても惜しくないはした金だからだろう。
「それにもったいないわ。貴方の才能は、ちゃんと使ってあげなくちゃ。貴方のその力は、色々な人を笑顔に出来るんだから」
「………ありがとうございます」
「だからね、京」
「……………」
察知。
彼が鈍感でいれたなら、もう少し違う言葉をかけたのかもしれない。あるいは、違うやり方で接したのかもしれない。しかし物事は恐ろしいほどに単純で、残酷なまでに不変のもの。
「貴方を陥れた、傷付けた、貶めた。そんな奴らの事なんて忘れて。これからは、あたしが貴方の全てになるの」
果たしてそれを妄信と呼ぶべきか。
こころはどうやら深淵に触れてしまったようで、京の与り知らぬところで、いつのまにか、どす黒く染まってしまったようだ。
よろしくない。非常によろしくない。
鉄面皮の裏で慄く。
「もう過ぎた事です」
「そう………そう?本当に?貴方はそれで満足なの?」
流石に彼女の暴走は到底許容出来ない。正直、彼女のあらゆる力を振るったら小国くらいなら簡単に転覆出来てしまう。
富というのは恐ろしいもので、人を狂わせると言う。が、しかし、そうシンプルであっても人は変われない。
「どうして?どうしてあんな害虫を庇うの?貴方を突き落とした害悪なのよ?」
「違う。それを聞いてどうするのです?貴女はそれを知らずにいれば、なんて事ない、普通の友人でいれたのに」
知らない方が幸せ。それは深淵に触れるというばかりではない。知らず知らずの内に、ある大切な人の傷をこじ開けてしまったとしたら。
「貴方のためにさせてほしいの」
それは偽善だ。どんな理屈を並べようとも、どれだけ筋が通っていようとも、彼の望みから逸脱してしまえば、それまで。彼女の紡ぐ言葉全て、大義としての意味をなさない。
「お願いです。忘れてください。そしていつも通りの友人でありましょう」
「イヤ」
「………何故です?」
それでもこころは、京の望みを拒んだ。止まらない理由は彼女らしく、単純明快。
「貴方が正しいんだもの。正しいのならそう言わなくちゃいけないわ」
「正しい………?私がですか?」
「ええ、もちろん!貴方は正しい。それなのに散々虐げられて、癒えない傷まで残されて。あり得ないわよね?」
正しきを助け、悪しきを砕く。彼が悪意に飲まれて口を噤んでしまう現状は、彼女にとって到底許せる事ではなかった。
大義は彼にある。ならば、それを実行に移せば全てが終わるではないか。永遠に彼の全てを締め付ける呪縛から解き放つ事が出来るではないか。
「駄目です。そんな事あってはならない。貴女には私の良き友人であってほしい。だからどうか………」
どうして?
どうしてあんな、人でなしを庇うの?貴方が正義で、奴らは悪。救済されるべきは貴方で、地獄に突き落とされるべきはあいつらなのに。
何が貴方を縛っているの?どうしてそんなに勇気が出ないの?
わからない
わからない
わからなくて
「………まだいるのね?貴方に手が届くすぐ側に。あの薄汚い連中が」
貴方の泣いた顔なんて見たくなくて
助けたくて
壊れた貴方を受け止める全てになりたくて
「………せめて、友人としてのありかたくらい普通でいさせてくださいよ………」
偽ってほしいと、涙を流して懇願するのは、彼の信じる普通の友達なのだろうか?
「……………許さない」
不義に罰を。そして、見放された哀れな少年に救いの手を。
その日から、こころは彼の内側についての詮索をしなくなった。偶に元気がないと激励しに来る以外は、今まで通り、破茶滅茶で天衣無縫で、笑顔を届けるバンドとして活動している。
「京!貴方が作った曲、大好評だったわよ!」
「そうですか。それは何より。私も作った甲斐があるというもの」
「それでね、今日はもう一個話があるの」
昼下がりのCiRCLEに来襲したこころに、また彼女のテンションに振り回されるのかと戦々恐々するばかりであった。事実、その気は隠しきれていなかったのだが。しかし、彼女が明朗快活、語尾を跳ね上げるような喋り方をしないという事は、楽しいバンド談義は早くも終わりを告げたようである。
「はて、何事でしょうか?」
「お父様のお友達に慈善事業の人がいらっしゃってね。貴方の事を話したら、是非援助させてほしいって」
「どっからそういうコネが生まれるのでしょうね」
こころの父の顔の広さを端まで覗いていくと、何れこの世界の闇の部分にさえ繋がってしまいそうで、そう聞くと身近な筈のこころは弦巻家の系譜だけで末恐ろしい。
「どうかしら?貴方の才能を、埋もれさせるなんてもったいないわよ」
「………こころさん、神様を信じますか?」
「へ?」
「信じますか?」
「信じるわ!この世界には不思議な事がいっぱいですもの!」
「そうですか。実は私も信じています」
脈絡がすっ飛んだわけではない。彼なりの理論で、倫理で、観点で、見定めてあらゆる思考を網羅して、結果出したものだ。
「だからこそ、神がもたらした運命も信じます。私は幸せにさせてもらえなかった。それが神の思し召しです。子は親を選べない」
「それは、貴方がこれから幸せになっちゃいけない理由にはならないわ」
「貴女は私にとっても救いでした。けど、私ではいけません。貴女が救うべきは私ではない」
きっと、こころは鋭くはあるが器用ではない。であれば、道を示すのは彼女のため。
しかし、出来ない。
彼女の妄信を捻じ曲げるほどの強さが彼にあったとしても、それを口にする事はないだろう。
「私はきっとこれを乗り越えられない。だから忘れるんです。おかしくなってしまう前に」
だからこそ、自分でやってしまえばいい。その不幸と、そのせいでもたらされる可笑しさが伝播する前に。あるいは、それで誰かがどうにかなってしまう前に。
「人として当然の事すら求めない貴方が?まだ正常だと言うの?」
しかし、こころはそれを許さない。大義がありながら振るわない彼は、既に人としての権利さえ捨ててしまったのではないか。
「あたし、わからないわ」
「当然でしょうね」
理解しろと京は言わない。
こころの憂いている、京の抱える全ては、事実として彼だけでの鎮火は不可能ではない。しかし、それで高校生にすらなっていない京が失うものは計り知れない。
それすらも、致し方なしと割り切る彼はとっくにおかしいのか。
「貴方がそう言うなら………」
「ご理解いただけたようで何よりです」
ゴリ押しでねじ伏せようとも、2人はいつも通りでなければならない。それは、つまらない事で暴走しかけたこころをそこから遠ざける意図もある。
「………京」
「はい」
「あたしは貴方の味方だから」
「………はい」
空気が抜けたように、枯れたように萎んだ声色は、こころの慰めを受け止め切れていない事を物語っていた。
「………大丈夫?」
「大丈夫です」
そう言って、京はCiRCLEを後にした。壁に掛けられたアナログ時計を見ると、丁度彼の勤務終了時間を指している。
いい時間稼ぎというか、外出の正当化というか。
「………嘘つき」
貴方が出来ないのなら、貴方の正義は消えてしまう。そうなれば、生き地獄とさえ言える苦悶の時を、家という閉じられた空間で延々と味わう事となるのだ。
強く握った筈の彼の右手は、いとも簡単にすり抜けた。
「それはまた、らしくないですね」
「ですよね?何かあったんでしょうか」
奥沢美咲の話によると、こころは私用があると言って練習を急遽中止した。それだけならば騒ぎ立てるまでもないのだが、しかし。
「ちゃんと京を見張っていてね!サプライズなんだから!」
との事。
「京さん、何かしました?」
「まったくわかりませんね」
言える筈がない。まったくおかしな話で、彼は事態を正しく認知しながらも、淡々と話した。それどころか、平然としらを切った。
手も震えず、冷や汗も浮かべず。動揺する素振りは一切見せない。
「はいどーん!!」
「うぇあ!?」
「こころさん。どうなさいました?」
「貴方に会いに来たわ!美咲もお疲れ様!」
「は、はぁ………」
嵐の前の静けさというのは美咲の存在そのものだったようだ。
「こころ………」
「美咲!京はどうしてたかしら!」
「いつも通り。何か小難しい本読んでた」
「よし!」
「何が?」
「帰るわよ、美咲!」
「あ、はい、すみません。それじゃあ、京さん」
「ええ。良い一日を」
いつも通りといえばいつも通り。こころにとっての日常を想像すれば、大概の非日常はちょっとした想定外で済んでしまうだろう。あなおそろしや。
「最新のニュースをお伝えします。新宿区の住宅で夫婦が意識不明の状態で発見されました。警察は事件事故、更に現場に吐血の痕跡が見られる事から、何らかの中毒症状や感染症の疑いも視野に入れて捜査しています」
ニュースキャスターが、無機質に用意された原稿を読み上げる。
こころは笑った。
因果応報、自業自得、当然の報い。神がいないのなら、人が下す他ない。それが彼のため。
正義のため。
正義のため………?
「京」
「………」
「貴方は正しいの。悪いのはあいつらなのよ。だからそんな顔しないで。貴方は頑張ったんですもの」
それを免罪符にするつもりだ。彼女は遂に持てる力をもって、自らの信じるものを成した。
たった1人の想い人のために。
その理由は至って単純。彼が、正しかったから。京は自分自身を救う事が出来なかった。
「愛してるわ、京」
悪逆に制裁を。そして、愛する彼には甘美な悦楽を。
「これからはずっと一緒よ。もう何にも貴方を縛らせないわ」
「私にそんな資格があったら………」
「あるわ。貴方は正しいんだもの」
呪いのように吐き出される正しいという言葉。こころの言葉は隙間をつくり、こころは確実に浸透する。
「これでようやく私達の愛を育めるわね」
そう。彼は正しい。だからこそ、救われて同然、幸せになって当然。それを邪魔する人でなしこそが真の邪悪。
「楽しいわね!京!」
その財力を遺憾なく発揮した模様。
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山吹沙綾の献身(表)
ぺちん、と赤子のような力で軽く頰を叩くような乾いた音が鳴る。寝ぼけ眼のまま目を開けると、どうしようもなく蛍光灯の明るさが目を刺すようだ。
「おはよ、寝坊助さん。朝ご飯出来てるよ。っても11時だけど」
「………住居侵入」
「ご挨拶だなぁ、大家さんが心配してたよ。今度は本当に倒れてるんじゃないかって」
「あの人も酔狂なものです。まぁここを事故物件にしたくないという意味では納得出来ますが」
「そこは心配してくれてるって言おう?」
勉強机に突っ伏してたっぷり5時間、同じ体勢のままだったせいで背中が少し痛むが、伸びをするといくらかマシになった。
「我が家のセキュリティーが心配です。沙綾さんやバンドの皆さんでなければ起き抜けに催涙スプレーだったものを」
「それ言えるって事は心配ないよ、うん」
山吹沙綾。ガールズバンドPoppin’Partyのドラム担当で、姉御肌枠。面倒見の良さに関しては既に完成されているのか、よく言えば粒揃い、悪く言えば曲者揃いのバンドを、相談相手という立ち位置で陰から支えているのだから、縁の下の力持ちである。
面倒を見たいのはバンドメンバーやその仲間達に留まらず、外部委託の京にまで及んだ。
大家公認という権力をこれでもかとぶん回し、遂には借主に無断で家に入るようになった。
「朝ご飯もお変わりないようで」
「そんな事言う子には、もう作ってあげないぞ〜?」
「時下益々ご健勝の事、お慶申し上げます」
「まったく………」
死活問題故の変わり身か。とにかく食生活に関して無頓着を極限まで突き詰めたような彼にとっては、健康的で文化的で日本的な一汁三菜はごちそうである。
「さては昨日………というか今日も碌に寝てないでしょ?」
「はははまさか」
「冷蔵庫のエナジードリンク………」
「ちなみに私は24時間戦えます」
「古いなぁ………」
舌鼓を打っていると、愛用のスマートフォンが鳴る。メッセージを受信したようで、バナーには堅っ苦しく月島まりなとある。
「誰?まりなさん?」
「そのようです。まったく朝っぱらから何用でしょうか」
「もうすぐお昼だけどね………」
悲報:風邪をひいた私氏、出勤不可能の模様
「何でちょっと掲示板っぽいの?」
「趣味じゃないですかね」
「ってか出勤って言うんだ………」
「彼女もまた社会という荒波の中で戦う戦士なのです」
とにかく、万年人手不足に喘ぐCiRCLEで1人が離脱するというのは、それだけであのライブハウスがサービス残業もやむなしのブラックバイトと化す。
「急ぎましょう」
「いそ………急いでる?」
「早食いは消化不良や消化器官の不全を引き起こします」
「あ、そう………」
いまいち緊張感に欠けるが、彼なりに急いではいるという事か。それで何が変わるのかを教えてもらうのはまた後にするとして、一通りの身だしなみを最低限に留め、メッセンジャーバッグを肩から下げてさっさと出て行った。
「ちょ、待って!」
「はい、待ちます」
「ありがとう………いやそうじゃなくて。忘れ物」
そう言って沙綾が渡したのは青色のUSBドングル。一瞬何事かと思い京がバッグの中身を見ると、確かにそれが欠けていた。
「危ない」
「あんまり焦らないでね」
躓いた感は拭いきれないものの。兎にも角にも不足していたものがあったという教訓を胸に歩いた。
「違う、違うよ京。そっちは逆」
「おや、そうでしたか」
「いつもどうやって行ってるの………?」
いつも1人でいる彼の生態について、謎が深まるばかりであった。
「いやぁ、申し訳ありません。手伝ってもらっちゃって」
「いーのいーの。逆に大丈夫だった?足引っ張ってなかった?」
「まぁ正直効率性を度外視したかなとは思っていましたが」
「あ、うん………ゴメンね」
今日は1日何もなし、とは聞いていたものの。しかし、ハロー、ハッピーワールドの面々との会話を成立、デスクトップミュージックのソフトウェアを改修、ライブハウスの事務、更にはRoseliaとAfterglowから求められる助言に答える等々、手が何本どころか体がいくつあっても足りない業務を淡々とこなす姿は流石と言うべきか。
沙綾自身も何か力になりたいと思い、自分の持つ楽器の知識でソフトウェアについて助言をしようと思ったが、そこはプログラミングの世界に突入するためあえなく撃沈。
「いっつもこんな大仕事なの?」
「今日は特別忙しいですね。主にあのボーカル2人のせいで」
「あぁ、うん、そっか………」
本来は、バンドへの助言は業務に含まれないのだが。
「必要とされているのなら私もそれを断る理由はありません」
と、律儀に全ての問いに答えている。それはRoseliaやAfterglowの、専門家顔負けの用語に溢れたものから、Poppin’Partyやハロー、ハッピーワールドのボーカルに代表される、底抜けに明るく途方もなくアバウトな問いから、Pastel❇︎Palettesの、主に元子役な彼女から繰り出される闇と業が深そうなものまで、多岐にわたる。
「休憩時間終了です」
「え、もう?」
「今頑張っておけば後でオーナーにボーナスを強請りやすくなる」
「悪いなぁ………」
「先行投資と言ってください」
「いやもう強請るって言っちゃってるし」
「カットで」
「無理」
主たるものである筈のCiRCLEでの接客というと、全員知り合いな様子で、多少おざなりになっている感覚も否めない。が、どうやら彼はその分余った情熱を音楽に注いでいるようだった。
「月島さんがダウンしてなかったら、今頃は設備の整った自宅でやっている作業なんですが」
「まぁまぁ………」
やれる事をやるのは当然、しかしどうにも、良し悪しで選別する権利くらいはある。まったくイレギュラーとは恐ろしいもので、おかげで鼻白む暇さえない。
「業務終了です」
「え、もう?」
「やる事をやったらおしまい、当然でしょう。時間は有限です」
「残りは?」
「スタッフにどうにかさせればいいでしょう。元々私は今日ここにいる筈ではないのです」
ライブハウスCiRCLEの就業事情はホワイトなもので、スタッフの数は少ないながらも行列が出来るほど大人気というわけでもなし、常連客4グループと偶の調整でやって来る1グループを主軸にしておけば、事務作業と比較にならないほど単純である。
「へぇぇ………じゃあ私も」
「えっ」
「えって………何?」
「本日沙綾さんのご予定のほどは」
「みんな赤点取った香澄につきっきりでさ」
「高校の勉強程度、市ヶ谷さんだけで充分でしょう」
「私もそう思って」
「で、私の住居に侵入したと」
「もぉ〜、別に嫌じゃないって京も言ってたじゃん」
「推進したわけではありません」
これ以上監視がつくのは勘弁だ、とばかりにその申し出を丁重にお断りしようと試みる。
「駄目」
どちらに道理があるのか、一瞬見間違うほどの即答であった。何が悲しくて友人程度の女子高生に私生活まで掌握されなければならないのか、甚だ疑問である。
「………もう勝手にしてください」
「ありがと」
天を仰いで、これはもうこちらが折れる他膠着を打開する術はないようだ。
「それにしてもさぁ、不思議だよね」
「何がです?」
「寝不足なのにクマもできてないし、疲れてないように見えるよ」
そういう話はバンドのメンバーとやってくれ、と言って会話を始める前にぶった切る事も不可能ではなかったが、退屈は金で買えない。美容に造詣もあったものでない京に出来るのは、おうむ返しとならないように会話を成立させるだけである。
「そうでしょうか」
「うん。何かちょっと羨ましいような、羨ましくないような」
「いい事ありませんよ。私はそういうのが顔に出にくい体質のようです」
「えぇ〜、何それ、夜更かししてもお肌荒れないって事じゃん」
今時の女子はまったく理解不能。論理で身を固める京の想定の範囲を超えるものである。
「無痛症をご存知ですか?」
「ううん。何それ?」
「字にすればわかるのですが、要するに痛みを感じない人の事です。無汗を伴う場合もありますが」
「へぇぇ〜、そうなんだ。凄いね」
「羨ましいと思いますか?」
「そりゃ………いや、うーん………」
羨ましい、と言いかけたのは自らの愚考であった、と沙綾は恥じた。それと同時に、彼の話の意図を知る事になる。まったく回りくどいが。
痛みを知れないという事は、人間が自らの行動を律する安全装置が存在しないという事だ。
汗をかけないという事は、体温調節の機能がそのまま失われた事を意味する。
彼のように肌の変色が乏しい体質では、あらゆる異常環境において表面的な変化を示す事が出来ない。
表裏一体。
「汗臭さとオサラバできる体と、冷房の温度調節で凍死する体、どちらが欲しいでしょうか?」
それは例え話、あるいは他人事。しかし彼は奇妙にも、彼は笑っていた。
「やだなぁ、例え話ですよ、例え話」
沙綾は、何かとつけて京が心配だ、と話しては、彼の面倒を見る。
「またコンビニ弁当ばっかり」
「ええ、あれは実際お手軽です」
「そういう問題じゃない。ちょっとは栄養価ってのを考えなきゃね」
「私にそんな難しい事を要求しないでほしいですね」
「ほんっとーに………天才ってやっぱどこか一般人と違うのかな」
主は料理。彼は音楽を自分の領域に支配し、学生としての本分である筈の勉学を『生き抜く上でのオマケ』としながらも、好成績を維持する程度には偏差値とIQも優れているのだが、しかし。
「大体ね、ある程度決まってるでしょ。健康そうな食べ物とそうじゃないのって」
「そんな難しい事わかる筈ありません。顕微鏡でも持って来いって話ですよ」
「言い訳しない。普通に食べてれば不健康にはならないんだから」
「それ沙綾さんの基準ですよね?」
「ちーがーいーまーす。共通認識です」
「もしや牛込さんと?」
「全世界共通認識!」
屁理屈をこね回しては沙綾を困惑させる。馬鹿と天才は紙一重と言うべきか、とにかく私生活に一切の拘りを持たない京は、徹底してコストと労力を切り詰めようとする。そして面倒な事に、それをどうにか自慢の頭で正当化しようとするのである。
「はい、基本は野菜と肉のバランス!何でもかんでも炭水化物で補給出来ると思わない事!」
「しかし野菜は弁当にも」
「少ない!」
「はい………」
人間の体は繊細なもので、栄養を摂り続けても死ぬという厄介な特性さえある。
京はそれを気にも留めていないのか、それとも知識すらないのか。いつか体の中に爆弾を抱えてしまうのではないかという不安ばかりが膨らむ。
だからこそ、元々面倒見のいい沙綾は京を気にかけている。彼の抱える悩みというのは、青春特有の甘酸っぱいあれやそれではなく、冗談抜きで命に関わるものなので。
「まったくもう、ほんっとに京はしょうがないんだから」
どことなく彼女が満更でもなさそうなのも、その性格故である。
表………平和じゃねぇか。
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山吹沙綾の献身(裏)
あんまり表層の言動がヤンデレらしくないですが、まぁ、そこは表面上ではなく「沙綾が京と一緒にいるため」とお考えいただけると幸いです。
深夜2時。草木も眠る丑三つ時を妄信して、絶対にその時間に目を開けない人間もいるらしい。動機は不純ながらも健康的なものだが、京も同じかと問われればそうではない。
何せ時は金なりを地で行く彼の事で、1日が24時間しかない事を嘆くのは口癖にさえなりつつある。
「はい。出水ですが」
「あ、出た」
「………沙綾さん。何事ですか?」
「寝なさい。不健康でしょ」
「あのそれブーメランですよ」
電話を取るというのは、たとえタップ一回でも億劫なものだが。本当に身を案ずるならば自分の慣れたやり方でやらせてほしいと言えば、あるいは京を気にかけて沙綾が倒れるようでは本末転倒であると言えばいくらでもやめさせる事は出来るが。
彼はそうしなかった。
「私はいいの。京はどうなの?」
「私だって体の事を考えていますよ。ただ健康は金で買えますが時間は金で買えないだけで」
自分の意思の押し付けは、その大義の在り方に関わらず対人関係を悪化させる一因となる。彼女の論は彼女なりに導き出したもので、同じ労力ならば突っぱねるより流す方がいいに決まっている。
「まぁ………ひと段落つきましたし、そちらの仰せのままに」
「うむ、よろしい。それじゃあね」
「はい」
沙綾の生活に興味が、というより危惧すべき何かがあるような、その片鱗を見たような気がする。
「まさかあの人も夜型なのか………?」
高校生らしいといえばらしいが、彼女はブーメランを恐れない強い心を持っているようだ。
「ふふふ………」
愉快、何と愉快な事か。山吹沙綾は笑った。
彼が眠れない理由も、彼が暗闇にいようとしない理由も、全て知っている。お節介から一度電話をかけてみたが、案の定であった。
やりたい事があるなど口実に過ぎない。彼が何かに恐れている事も、彼が何に恐れているかも知っている。
『起き抜けに催涙スプレーだったものを』
彼はその呪いから未だ解き放たれていない。逆に、年が経つごとに締め付けられている。
それを私が解き放ってやれたら、きっとそれは甘美なものになるだろう。しかし………果たしてそれだけで終わっていいものか。救うだけ救って、自分の使命はそれで終わったとばかりに突き放す。それは最早偽善ですらないのではないか。
彼を大海に突き落とし、お前ならやれると押し付けて見えもしないゴールを提示する。偽善や独善ですらない、純然たる悪である。
目を見開いて、その現実を受け入れて。
彼を救うだけではいけない。真に彼のためを思うならば、その身だけでなく、その後降りかかるであろう火の粉までを見通さなければならない。もっとも、彼はその重要さを認知しながら委ねている節もあるが。
その理由は………知るよしもないのであるが。
「難しいなぁ、京は。まったくもう」
それもまた、愉快ではあるのだが。
京自身、まだ沙綾についてわからないところがある。
彼も彼なりに現代の若者らしく自己評価は低めではあるが、それでも異性が親しく話しかけてくるという事実を受け止めれば、嫌われているわけではないと言える。が、しかし、山吹沙綾はその中でも京への好意が露骨だ。
「京、疲れてない?大丈夫?」
事あるごとに、あるいは何かにつけて、沙綾は京の側にいようとする。明確な目的はひとつ、彼に世話を焼きたいそうだ。とにかく大家公認であるという事実を引っさげてやってくるものだから手のつけようがない。
「いやあのですね」
「ん?」
「鍵閉めてましたよね?」
「愛の力だよ」
「鍵の力に決まってるでしょう」
鍵を開けて何をするかといえば、特に有害な事はしない。どころか、手料理に家事にと京を世話するので、断るに断れない。ものぐさで溢れる京にとっては、彼女の存在はありがたくさえあった。
「あ、またこんなにお菓子買って!」
「3割引の魔力ですね」
「まったくもう………体に悪いでしょ」
「頭にはいい薬です」
「体悪くしたら意味ないでしょ!」
と、今となっては様式美と化した京と沙綾の攻防ではあるが、最近は沙綾の方が折れる事を知らなくなってきた。
「本気で心配してるの。本気でだよ?」
と懇願するようにされては、京も語気を強められない。何とか有耶無耶にはしているものの、どこか沙綾は焦っているように見える。
「………別にどうって事ありませんよ」
「違う。貴方の体は貴方だけのものじゃないんだから」
「どうだか」
短く、吐き捨てるように京は言う。
悪ぶるつもりはない。
そして、沙綾の訴えもわかっている。
しかしどう言い換えたって、それはいくらなんでも勝手なのではないか?
健康でいるメリットを享受するのが京ならば、不健康であるデメリットを仕方なしと受けるのもまた京である。
至極単純。別にそれを、わざわざややこしくする事もあるまい。その気持ちだけありがたく受け取っておく、というわけにはいかないのだろうか?
それが彼の思うところである。
「納得いかないって顔してる」
「当然でしょう」
まったくわからない。どうしても理解に到達出来ない。
そんな京の心を個性と呼べるか否か。その答えは三者三様。
「もう………」
中でも沙綾のようになるのは少数派だろうが。
「自分を大事にして。じゃないと私、心配でおかしくなっちゃいそう」
………京の切なる言葉は、届かなかったようだ。
「本当にしょうがないなぁ、京は。私がいないとダメダメなんだから」
溢れ出る歓喜を噛み締めた沙綾がうっかり口にした言葉である。
疑いようもなく、沙綾は京に恋慕を抱いていた。しかしそれは単なる恋と呼ぶには行き過ぎていた。彼女は彼の糧のひとつとなる事に自らの存在価値を誤って認知し、その使い方を間違えた。
彼の支えである事。生きていく全てである事。不足したあらゆるものを補えるように。
愛おしい。愛おしくて仕方がない。他人を受け入れるという弱さも、遠ざけようと自分で自分を貶めるその蛮勇も全て。
———-離れてあげないよ、京。
全てを委ねてもらうその日まで………いや、彼の全てを握る事がようやくスタートラインに立ったという事だ。
その暁には、山吹沙綾は彼の生きる基盤であれる。母親のように、あるいは姉のように。朝から夜まで彼に頼られる。それだけできっと沙綾の心は満ち満ちる事だろう。失われてしまった彼に与える事が出来るのだから。
何て
何て
何て
「ステキ………」
美しい恋物語な事か。
何も変わりはしない。京の周囲は、独白の前と比べても何一つ変容したところなどない。ライブハウスにいれば姦し娘が台風上陸が如く京に話を振り、競い合うための対バンという至極面倒くさい状況に巻き込まれ、偶に常識人組から労られて。
まるであの日だけが空白となって抜け落ちたよう。京を取り巻く環境は変わる事がなかった。
「あれ?さーや、いないと思ったらこんなとこに!」
「あはは………ゴメンね香澄。こういうワケなんで………」
「申し訳ありません戸山さん。お宅のドラム、拝借しています」
「もう………お手伝いするならするって言ってよ!私だって何か出来たかもしれないのに………」
「ゴメンって………ほら、多分みんなもうすぐ着くよ?スタジオで待ってたら?」
「これから2組ほどお客様がいらっしゃる予定ですので、そこを占拠されると業務に支障をきたします」
「うん………」
そう、いつも通りに戸山香澄が底抜けに明るい声で暇潰しに興じ
「あたしの方が早かったです………!」
「認められないわ………!」
「またやってるんですか、あの2人は」
「まぁ、ライバルっていいじゃん?」
「あぁいうのはどんぐりの背比べと言うのです」
「ふーん………あんまこっちに飛び火してほしくないなぁ」
「まったくです」
ストイックボーカル組がまたわけのわからないところで自尊心に火がつき、偶に京に飛び火して
「ねぇねぇ京くん、ちょっと聞いてくれない?」
「はい」
「今日さぁ、事務所の人に何か追い出されたっていうか、すごく強引に休みなさいって言われてぇ」
「まぁ、仕方のない事かと」
「何で?」
「そういう事情です」
大人の世界の深淵の底を垣間見て
「京!家の中を見てもいなかったから来たわよ!」
「馬鹿ですか貴女は」
怒って
表層に見える全ては、正常に動作しているように見える。
「京………今日も、ね?」
「………はい」
徐々に、しかし確実に、沙綾は京の心の中に入り込んでいった。表向きは甲斐甲斐しく世話をする彼女だが、それは純真と呼ぶにはあまりにも行き過ぎたもの。
「うん………?」
「どうしたの?」
「………いえ」
そこになかった筈のものがある。逆に、ある筈のものが消えている。最初こそ些細なもので完結していたものの、今では無視出来ない、というよりどうしようもない。
「そんなもの必要ない。私がいれはいいんだからさ」
「そんなの捨てちゃいなよ私と貴方にはもう関係ない事でしょ?」
「もうそんなものなくてもいいじゃない。そのために私がいるんだから」
とにかく徹底して、沙綾は自分の役割が省かれる事を嫌う。自分がやると京が進言しても、とにかくじっとしていろ、休め、と言うばかりで手を回させてくれない。
「沙綾さん」
「ん?」
「ここ最近はずっとそんな感じですが。お体は?」
「大丈夫だよ。大丈夫だから心配しないで。もっと私に頼ってくれてもいいんだよ?」
まるで話が進歩しない。通じているには通じているのだが、いつもこの辺りで話は切られて終いとなってしまっている。
沙綾は歓喜に身悶えした。まったく嬉しくて仕方がない。
彼の側にいれる。彼が頼ってくれている。沙綾にしなだれかかる京は、どうしようもなく魅力的であった。
しっかりと抱き締めて沙綾の体を感じさせると、彼はそれを受け入れるようにだらりと体を脱力させる。どうしたって愛おしい。
「いいなぁこれ………」
このまま沙綾は自分の生きがいだけで、どれだけ京にとっての大きな存在となれるのか。
それが沙綾自身、楽しみで仕方がない。
今はまだ、京にとっての便利屋であっても構わない。いずれ、時間はかかっても親しい関係であれるように。
ゆくゆくは………
「………ふふふ」
他の誰にでもない、山吹沙綾にだけ縋り付く、脆弱な出水京をさらけ出した彼を徹底的に慰めて、甘やかして、堕落させて、依存させて。
いずれ外など見えなくなるように。
深い傷を舐める天使か、それとも彼につけ込んで意のままにしようとする悪魔か。
知らない人間は知らない。言える事はそれしかない。
「そうそう。もっと人に頼らなきゃ」
もっとも、その深みまで知る人間などそこにいやしないが。
表側がただの押しかけ女房なだけに、ヤンデレ半減にも見えてしまうさーやちゃん回。何せ良し悪しも反響もわからんもんで………これでいいんかなぁ。
RASはちょっと待ってください。ガルパ民の筆者には未知のエリアなので、一旦飛ばします。すまねぇ。
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松原花音の跪拝(表)
筆者はどうしても、主人公をヨイショする物語が苦手なので凄まじく書く手が止まりました。内容もかなりそういう要素を抑えめにしましたが。
でも仕方ない。
ライブハウスCiRCLEで、今日も嵐が吹き荒れる。
「そうだわ!もういっそミッシェルを打ち上げましょう」
「何言ってるんですかねこの人は」
「本気なのが恐ろしいところにございます」
どうしても演出が決まらない、と店番をしているライブハウスへ突入したハロー、ハッピーワールドの面々を捌くのは容易ではない。常識人2人がいないとなれば、振り回されるだけ振り回されるが、幸運な事に京はそういった場にはまだ遭遇していない。
「花音はどう?何か案はないかしら」
「ふぇ?ううん………そんな、私は素人だし………」
「いいのよ、そんなの関係ないわ!面白いかそうじゃないかですもの!」
「知らない人間から知ろうとするのはお互いにとって酷な話です。如何でしょうか花音さん、案はこちらで出しますので良し悪しを奥沢さんと判断していただけませんか?」
「う、うん………ありがとう。ゴメンね、私、役に立たなくて………」
「弦巻さんが破茶滅茶してるだけですからお気になさらず」
松原花音。決して悪い人間ではない。寧ろ、行動力が低いというのはこのバンドの中だけの話であり、端的に言えばそもそも比較対象がおかしい。あの3バカに勝る行動力がある人間など、片手の指だけで数えられるくらいだろう。方向音痴、気弱、そして他人からの頼み事を断れないという三拍子揃った巻き込まれ体質でもある、悲哀の乙女である。
「あまり押し付けてはなりませんよ。弦巻さん」
「こころって呼んでほしいわ!」
「あーはい、そのうち」
とにかく、3バカのやりたい放題に常識人コンビが巻き込まれ過ぎないようにするのも急務である。
「ゴメンね、ありがとう」
「過重労働ですからね」
こころも根っからの善人ではあるものの。吹っ飛ぶ時はとことん箍が外れてから吹っ飛ぶので、押さえ付けられる人間がどうしても必要になってしまうのである。
「暫定案は並べておきますので、続きはスタジオでどうぞ」
「そう?ありがとう!みんな行きましょ!」
「あ、待って〜!」
京自身、たとえ気心の知れた仲であってもあの輪の中に入りたいと、どうしても思えない。実際こころ達が見せる破茶滅茶な側面はあくまで一面でしかない事など承知しているが、しかし、京に言わせれば違う。
あんなのが二面も三面もあってたまるか。
とにかく、静かである事を良しとする京とはとことん合わない。仲が悪いだとか遺恨があるとか、どちらかが一方的に相手を嫌っているとかではない。寧ろ仲は良好な方だ。
「難儀ですねぇ」
きっと仲が良い故の弊害もあるだろう。友達、という関係が絶対正義でない事がわかる。
それでも花音は、見かけによらずタフというか、順応性が高いというか。
「理解し難いですね………」
「そうかな?慣れだと思うけど………」
「私は無理です」
「そ、そうなんだ………」
ある時、カフェテリアで京が角砂糖を消費していた時。元々内気で、バンドメンバー以外との深い関わりがあまりない彼女にとって京は気を許せる相手らしく。彼女の相席のお願いを受け入れたところから始まる。
花音は優しく、気弱で、内気。属性近縁種である京にとっては、弦巻こころや北沢はぐみと比較して接しやすい人物
とはならない。普通の男子高校生と比べるといくらか華奢で低身長な彼と話していても、口では頼りになると言いながらどこかよそよそしい。それが違和感となり、距離感を測れずにズルズルとここまで来ている。
「ふぇぇ………わかんないよ………」
「また弦巻さんからの無茶振りですか?」
「あ、うん………」
「助言程度なら出来ますが」
「でも、京君、忙しいでしょ?」
「ずっとふぇぇを聞かされるよかマシです」
「ご、ゴメン………」
彼女も不器用なもので、臆病という事もありやたら弱音が多い。それがどう、というわけでもないのだが、叶うならば静かであってほしい。無茶を振った方も振った方だが。
「別に出来ないなら出来ないで良いではありませんか」
「そういうわけにもいかないよ………任されてるんだもん」
「難しいですね、貴女も」
「うん………」
力不足であるという弱音を吐きながら、しかし、その内向的な性格のせいで断りきれない。難儀である。こころも善意で経験させる、というよりメンバーが5人しかいないのだから個人の能力を高めたいというこころの狙いは正しいが、いかんせん花音は自己評価の低さのせいでそれが締め付けられる原因となってしまっている。
「やはりメンバーにこだわっている様子ですか」
「うん。こころちゃんはそんな感じ」
「何とも彼女らしいですね」
圧倒的な財がありながら、こころはそれを使いたがらない。仲間達で始め、そしてそれを仲間達で完結させる。それがハロー、ハッピーワールドのあるべき姿で、そこには何人たりとも過干渉を許さない。弦巻こころらしいというか、令嬢らしからぬというか。
「私も、言われた事くらいは出来るようになりたいから」
「そうですか。やはり集団というのは難しい。私の頭では理解出来ません」
「そうかな………居場所が欲しいっていうのは、多分みんな考えるものだと思う」
「それには同意しますが」
何とも健気な事である。
「息抜きでもしませんか。そんな面倒な事休みなしでやるおつもりですか?」
「あ、うん………ところでさ」
「はい」
「砂糖、入れ過ぎじゃないかなって」
「デフォルトです」
「そ、そうなんだ………」
思考のほどは共感を呼べないようだが。
「やはり花音さんから見ても不健康ですか?」
「何か、病気にならないか心配だなって」
「今井さんにもまったく同じ事を言われて、自宅から砂糖と蜂蜜が消えました」
「そ、そんな事しないって………」
「わかっています。だから相席をお断り申し上げなかったのですから」
飽和これこれ、心配になるくらいには紅茶の中に角砂糖が溶けてなくなっていく。
花音には強硬手段に出れるだけの膂力も度胸もありはしないのだが、油断は禁物。可愛らしさに惑わされると、家の中から不健康であるとして脂肪と糖が綺麗さっぱり消えて無くなる。遡る事これより2週間前、Roseliaの件で嫌というほど思い知った。
「玄関開けて白金さんがいたらそりゃ油断もします」
「そ、そうだね………」
同じ系統というか、一念発起するであろう人物が花音の所属するハロー、ハッピーワールドにも若干1名存在するので、要注意。京にとって、特に目の前のクラゲは、Roseliaの根暗巨乳こと白金燐子と同じポジションになりかねない。
「仲良しなんだね、みんなと」
「………まぁ、良くしていただいてはいますが」
「羨ましいな。私はほら、内気だから」
「別に無理をする必要はありません。貴女と友人以上の存在になりたい人間なら、向こうから声をかけて来ますよ」
「そうかな………」
「だからバンドなんて集団行動が出来ているのでは?」
京に言わせれば、自分以外の誰かが自分と同じ意思や目的を持っているだけでそれは集団であり、それで行動を共にするのだから集団行動である。
「………そうだね。ありがとう」
「どういたしまして」
「凄いね」
「何がです?」
「心の持ちようの問題なのに、凄く説得力があるっていうか。あぁ、そうだなって思うの」
「思ってもらうために喋っていますからね」
「実際に出来るっていうのは凄いと思うな」
褒められ慣れていないと奇妙な事に、照れ臭い以前にどこか居心地の悪さというか、そういった意味での気分の悪さを感じる。素直な花音には申し訳ないが、それは京にとっての悪手である。
「あ、ゴメンね。何か、いけない事言っちゃったかな………」
「いえ、特に何も。私も悪い気はしません」
「そ、そう?何か怒ってるみたいだったから」
「顔は元からです」
しかし、花音もまた成長するもので。バランサーと言うか性格もまた均整が取れているというか。良くも悪しくも尖っている他の皆と比べると、他人の心の移り変わりにも機敏に反応出来る、そういう意味では器用な彼女に、京も居心地の良さを感じているのだが。
「何だかケーキも食べたくなってきました」
「え、これ以上甘いもの食べるの?」
「よろしければ花音さんも如何です?奢りますよ」
「私はいいかな………太っちゃいそう」
「ケーキ一切れ食べたくらいじゃどうにもなりませんよ」
「そうだけど、塵も積もればさ………」
「ドラムの運動量なら、塵も消えそうですが」
「や、やめよ!この話!」
「私はただスイーツの提案をしただけなのですが………」
運ばれてきたショートケーキを、京は几帳面に切り分けて口に入れる。
年頃の女子ともなれば体型を含めて自分の容貌が他人にどう映っているのか気になるものだが、それでも花音は些か度が過ぎる。
「やはり足を引っ張りたくないという思いがそうさせますか」
「………すごいね」
「花音さんみたいな人は例外なくそんな感じです」
「それがわかるのも、すごいと思うな」
花音は何かと、京に対して『すごい』と言う。例えば心の内を言い当てた時、思い悩んでいた彼女に筋道を提案した時。自分よりも他人を立てるのは心優しい彼女の癖なのかもしれないが、一度それを、やめてほしいと京が口にした事がある。
「京くんは凄い人だもん。それを言ってるだけだよ」
この時点で、『あぁ、やめてくれないんだろうな』と察知した京はこれ以上しつこくその話題を出すのをやめた。花音は変に意固地というか、聡いというか。本気で譲ってはならないものとそうでないものをよく分析している。
「私も、京くんみたいに要領よく生きれたらって思うの」
「私はあのバンドで上手く立ち回る花音さんを参考にさせていただきたいのですが」
「ふぇ?う、うーん………」
「お互い気苦労が減りませんね。まぁあのバンドはそれすら楽しめるのですが」
あのバンドは確かに良くも悪しくもガールズバンドの中では破天荒を起こす存在だろう。しかし、何を引き起こすかについて言えば楽しみで仕方がない。それがサプライズになるのかただのびっくり箱と化すかは、こころのみぞ知るだが。
「どうすればいいのかなぁ………」
「まだそれで悩んでいるのですか?」
「うん………」
こころから押し付けられた、もとい頼まれた仕事が進んでいないと思えば、彼女は悩んでいた。
元々、世界を笑顔にしたいとこころが始めたバンドに、半ば強制された形で入った花音であるが、活動を重ねるごとにこころの不思議な魅力に引き込まれた。
花音自身、そのあまりにも壮大過ぎる言葉に最初こそ面食らったものの。弦巻こころは、その壮大で荒唐無稽とさえ思える夢に邁進している時が一番彼女らしく、輝いていた。
では自分は?
その入り方さえ受け身だった自分に、そのどうしようもなく魅力的な夢を共に追いかける資格があるのかと問われれば、きっと答えられない。
「みんな凄いなって。そう思えば思うほど、私には何があるんだろうなって」
よくある事だ、と京は思う。しかし、それで辟易する事はない。友人であれば、という一種の贔屓目だとしても、彼女なら本当にその沼にはまりかねない。それほどまでに、松原花音は純粋だった。
「貴女は私を、凄いと言いました。そんな私にその言葉をかけるのは間違っています」
「………そうだね。ゴメンね。こんな事、妬み嫉みなのはわかってるんだけど………」
偽る事は大罪だが、この場に限ってはその必要さえないようだ。
「弦巻さんの人を見る目は確かです。人の能力を熟知している。だから滅茶苦茶であれど無謀ではありません。中核として必要とされている、そんな貴女が羨ましくて仕方がない」
彼は続けた。真剣にそれに耳を傾けていた花音はこの後、弱音を吐かなくなった。成長したのだと、こころは歓喜したようだ。
あえてここで切ってみた。最後にどんな言葉を続けたのかはご想像にお任せします。
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松原花音の跪拝(裏)
ちなみにこの裏編は、こころ裏編と繋がっています。で、RASが名前だけ出てきます。慣れとして、このお話はアニメ世界線です。
「花音さんが体調不良ですか?」
「ええ。心配だから様子を見てきてほしいの。ダメかしら」
こころからの突然の依頼が舞い込む。花音はどこぞのキーボードとは違い、自分の限界を理解した上で課題を課す。それを知っているだけに、京には拭えない違和感が燻る。
「彼女はあまり無茶をしないタイプの筈ですし、無理が祟ったというわけではなさそうですね」
「京は人と接するのが得意って聞いたわ。お願い出来るかしら」
「勿論。頼みとなれば」
「ありがとう!」
体調を崩すとすれば、流行病かあるいは怪我が悪化したか。とにかく花音は、悪い方へ悪い方へとシミュレーションを動かす癖で、本番で拍子抜けするパターンが多い。それもあって無茶をするような人間ではない。
「出水と申します。松原さんはいらっしゃいませんか。弦巻こころさんからの申し付けです」
「京くん?」
「体調を崩されたとか。こころさんが心配されていますよ」
「あぁ、うん。ごめんね」
ドアを開けて姿を現した花音は
「こころちゃんが?」
「ええ。体調不良と聞きましたが。おや?」
「うん。寝てたら良くなったから大丈夫。多分明日の練習には出れると思うから」
「それは重畳」
顔色も良く、疾病の一般的な症状とされる食欲不振や睡眠不足は見受けられない。本当に寝て回復したのか、それとも単に軽微だったのだろうか。とにかく大事ないようで幸運。でなければハロハピの団結力をこの場でまざまざと見せつけられるところだった。
「………ねぇ、京くん。お礼したいから、よかったら家、どうぞ」
「はぁ、お邪魔でなければお言葉に甘えようと思いますが」
「全然。寧ろ歓迎だよ。どうぞ」
「申し訳ありません、病み上がりに」
「ううん。私も京くんが来てくれて嬉しいから」
「そうですか」
露骨。花音の京を見る目が変わってしまった事を、ほんの1分かそこらで彼が察知したのは、京が器用だったのか花音が不器用だったのか。
京とて超能力者ではない。考えを読む事は出来ないが、それでも、花音の向けるそれが羨望という生易しいものでない事は手に取るようにわかる。
「お医者様には?」
「大げさだよ」
「そうですか………しかし療養はなさってくださいね」
「そう、かな?私は大丈夫だけど」
「ある国で、1人のインフルエンザ患者が潜伏期間中に微熱を出した。それで治ったと誤解した患者が出勤したせいで、都市を巻き込むパンデミックが起こりました。CiRCLEには行くべきでない。勿論今こうして貴女のすぐ側にいる私も」
極端なのは京本人も承知だが、大事なのは根拠を示すこと。多少話を飛躍させても、京は多少無理やり、花音に無理をさせない事とした。
筈なのだが。京が体調不良を知ってから5日、しかし花音が体調を崩してからは1週間以上経っているようで、その間に彼女はどうやら行くところまで行ってしまったようで、それが違和感の全てを物語った。
「やっぱり京くんが正しいんだね」
「いいえ。そのような事は。やっぱり?」
「うん。私も色々考えたんだよ。出会った時から全部。そしたらね、わかったんだ」
「まさか、考えたというのは………」
「うん。これだけでわかっちゃうんだね。やっぱり京くんは凄いな」
「体調不良の原因はそれですか………」
「私、京くんみたいに頭良くないから、ちょっと難しい事考えたら頭痛くなっちゃった」
才能とは厄介なもので、天才と言われれば無条件で敵対視されるのが常。そうでなければ、持て囃されるか。
「やっぱり貴方が正しいんだね。こころちゃんが言った通り」
正しいという呪い。その呪いにかかったのはこころだけではなかった。どうも彼女が吹聴しているのか、京が持つ正しさを、まるで宗教のように信奉しているようにさえ見える。しかし、歩く破天荒でアホの子でもあるこころとは違い、花音は数倍タチが悪い。
「凄いなぁ、凄い。そうだよね。京くん、私なんかより頭いいもんね」
「花音さん?」
「ねぇ、こころちゃんが言ってたよ。京くんはどんな状況でも正しくあれる人だって」
「そんな………いえ、そのような事は、決して」
「謙遜しないでよ。私はちゃんと知ってるから」
テーブルに置かれた京の手を、花音がそっと取る。
どこか虚ろで、盲目になっているような。それが友人として、背中を預けられる信頼だったのなら青春の1ページになったものを。元から花音にそのつもりなどなかった上、京も先輩との淡いロマンスを期待きて来たわけでもない。
「ねぇ、ひとつ、頼まれてくれないかな。一生のお願い」
「………何です?」
「その正しさ、私のために使ってくれないかなって………」
花音は京の訪問から2日後に復帰した。バンドの中ではいつも通り、こころや彼女を取り巻く3バカに振り回される常識人のまま、何も変わっていない。ただ一点。ハロー、ハッピーワールドの面々も、それを良い変化と捉えているが、その真意はそうでないらしい。
「ねぇ京くん、ここはどうしたらいいかな?」
「別に無理して変える必要もないでしょう」
「そっか。ふふ、そうだね。ありがとう」
「いえ、構いませんよ」
頼る事が多くなった。それ自体は大変よろしい事だが、花音の心中は穏やかではない。
京くんがそう言うなら従わなくちゃ。
京くんが言うなら間違いない。
正しいんだから………
盲目的というのも、完成されるとそれは依存になってしまうわけで。しかしそれを本人は、勿論悪しと思っていない。拒む理由がないからだ。
「花音さん、何だか最近京さんを頼る事が多くなりましたね」
「頼りにされて悪い気はしません」
「いやあれは、ちょっとマズイのでは?」
「………確かに、鵜呑みにするのはよろしくないですね」
花音を見ていると、京のアドバイスをまるで天啓のように絶対的な信頼を寄せている。それは宗教的といっても過言ではなく、最近は信奉も服従へと変わりつつある。どれだけ天然であっても、花音は間抜けではない。分別もある、どころか、ハロハピの中でもはっちゃけない柔和な常識人だった筈だが。
「京くん、ちょっといいかな」
「はい。失礼、奥沢さん」
「ええ、ごゆっくりどうぞ」
あまり聞かれたくない話を、少し店の裏で聞くだけ。そんな軽い気持ちだったのだろう。事実として、そのようなムードでまさかそれ以上をするとは思えない。
「美咲ちゃんと、何話してたのかな?」
「これから実のある話をしようと思っていたところです」
「………そうなんだ」
「どうしたんです?貴女らしくない」
らしくない、というのは様々な意味が込められている。便宜上ではあるが、京は今の状態の花音を異常であるという位置付けにしている。
本人は単に相談しているだけという認識でも、時に命に関わる問題さえ京に投げつけてくる花音を正常などと評価出来ない。どこかで彼女の思考が変わってしまった理由があるのだろうが、今となってはその理由が二の次三の次になってしまうほどには花音の変わりようは進行が早い。
「別に、いい変化だよ」
「そうですか。そうだといいですが」
しかも花音にとっては、人を信じるというだけの事らしく、寧ろいい変化だと話す。
「でもよかった」
「何がです?」
「私、貴方が導いてくれないとダメになっちゃった。他の娘と話してると、不安になっちゃうな………」
彼に服従していればそれで正しくあれる。それに取り憑かれてしまったが最後、彼の存在抜きに自分を語れなくなる。両手を京の頬に添えると、そっと唇を重ねる。ついばむように感触を確かめたかと思えば、追い込むように舌をねじ込み、後頭部に腕を回す。決して逃がさないように。
花音が主導権を握ったまま、欲のままに濃密な時間を過ごした。
「ご経験が?」
「そんなわけないよ。貴方にあげたいって、ずっと思ってたんだから」
「それは………いや、わかっています。理解した上で聞きたいのは、誰から、というところです」
「聞いてどうするの?それは貴方と私のこれからに関係あるの?」
「ありません。ただ知りたいだけです」
「……………RASのキーボードの娘から」
「RAS?あの小生意気なDJのバンドですか?そんなの………」
いた。確かPoppin’party辺りは、あのバンドと少ないながらもある程度親交があった。であれば、Galaxyの辺りにも広まっていると考えるべきか。
「ダメだ………あのキーボードがいる辺り秘密は守られそうにありません………」
元凶候補ナンバーワンのキーボードはパスパレファン、そしてRASのギターはポピパファンと、どう足掻いてもSPACEに繋がる要素しかない。
「プライバシー、プライバシーってなんだ………」
「でも関係ないでしょ?」
「は?」
「貴方の事を思ってるの。だからお願いよ。そうやって私だけを導いて。私だけに道を示して。そうじゃないと私、いけなくなっちゃったから」
膝をついて京より目線を下にすると、手を取ってそう懇願する。京は鋭いとはいえない、しかしやや切れ目がちな目元で決して穏やかといえる目付きをしていないが、どうやらそれが花音の奥底に眠っていた新たな嗜好を呼び起こしたようだ。
「あはっ………何だか、京くんに見下ろされるの、癖になりそうかも………」
「私にそちらの趣味はありませんが」
「そんな事言わないで。私が下になるんだもの」
会話に限界がある。というより、彼女が言葉でなく行動でその忠義を通そうとする花音には論をぶつけても意味はない。
「そろそろ戻りましょう。こころさんが爆発したら止められません」
「………うん」
彼の言葉には従うが、その理由に女がいるのはどうしたって気にくわない。暗い影を落とすのはその忠誠心かそれとも嫉妬心か、どちらにせよ花音は"今までした事のない顔"で恨めしそうに彼を見た。
私から目を背けるなんて………
「ねぇ、京くん」
「はい?」
「京くんが導いてくれるのは私だけでしょ?」
彼もまた、それを誰かに望んだのかもしれない。しかし、それが叶ったと喜ぶべきではない。それはつまり、上下関係をつくる事に他ならない。当然、憚れるのだが、彼女はそれを許しそうにない。
「貴方の側にいていいのは私だけ。言葉を信じていいのも私だけ。そうじゃないと私が生きていけないから………」
沈黙は金。時に黙り込むという行為は、雄弁よりも多くを語ってしまう。花音もまた、服従を明確に拒まない彼を見て肯定と受け取った。言葉にしなければ意思を汲めないなど従者として三流だとの事だが。
「………花音さん」
「ん?」
「今日の練習は?」
「京くんの事があるのでって言っておいたから」
「それでいいのかハロハピ………」
その告白から、花音は一切包み隠さなくなった。それ自体、彼女の思想はどうあれ自分というものをようやく意識し始めた花音ではあるが、それについて喫驚したのは最初だけ。彼の適応力が優れているのか、あるいは花音の表現力が優れているのか。
「私は貴方の下にだけいるの。それ以外は知らないから」
手に入れた、という言葉には語弊があるかもしれない。しかしそれでも、手中に収まっているという意味ではまったくの間違いというわけでもない。
「んふふ………」
猫がじゃれつくように、擦り寄る。すると京はそれを突き離す事をせずに優しく撫でるのである。
「はぁ……ん………」
いつのまにか彼に忠誠を誓う、という事が彼女を濡らしているらしく、京といる時はいつも白い肌を上気させて瞳を潤ませている。
「ねぇ、次はどうしたらいいの?貴方のためなら何だって出来るから、一言命令してくれればいいんだよ?」
「絶対に、私から離れないでください。いいですね?」
あまりこの状態にトリップした彼女を人目にふれさせるわけにはいかない。彼はその一心で、自宅に入り浸らせておく事で外出を食い止めた。それだけの話だが。
「………はい、ご主人様♡」
盲信というのは恐ろしいもので。文字通り見えていないのである。
遅くなってすみません。難産だったんや。
ちなみにオリジナル小説はそのうち書くつもりです。最近のブームに乗っかって異世界ものですかね。知らんけど。
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白金燐子の拘泥(表)
なんか一瞬だけ日間ランキング7位になってたらしいですね。
ありがてぇ、ありがてぇ………
彼の書いた詞は、インターネットのアマチュア特有のものである事が多い。典型的なJ-POPとは少し違う。
「私は英語を歌詞に使いません」
「どうして?」
「決まっています。日本人だからです」
日本語の歌詞の中に英単語を混ぜ込むという事を好んでしないのは、京に限らず、彼の同業者も同じ事である。だからこそ、中途半端にロック調にならない、メッセージ性が強い、という点でアイドルの歌と一線を引いて、ネットや動画共有サイトから新たなジャンルが生まれたのかもしれないが。とにかく彼は、日本語歌詞に英語を混ぜる事を、語彙力が足りないからぶち込めという『逃げ』であるとし、そうある事を嫌った。
「私にも、ネット界で人気があるというプライドはありますから。言いたい事は言います。音楽番組のイチ視聴者としてもね」
「そうなんだ………」
「面倒くさい男でしょうか」
「ううん。自分の意見が言える人って、素敵だと思うな。わたしはそういうの、出来ないから………」
白金燐子。会話だけで見るならコミュ障、ゲーマー、臆病と、多数派から爪弾きされる存在だが、それでもRoseliaのキーボードを担うという実力、意見があればRoseliaの頭である湊友希那に真正面からぶつかる芯の強さ。やはり人は見た目で判断出来ないもので。京も、そのおどおどしたような容貌に騙されて面食らった1人である。
もっとも、ゲームを思えば人混みも他人との会話も怖くないとは白金燐子本人の談である。
「と、いうわけで、お宅のドラムの理解力に合わせると私のものではなくなる」
「そうだよね………ごめんね。自分勝手で。友希那さんが、京くんの事凄く頼りにしてたから」
「こちらこそ。しかし私にも譲れないものはありますので」
「うん。ごめんね」
京が書く曲の特徴は、小説のような歌詞。心象の描写や風景の描写などが、高校生にもなっていない少年が絞り出したワードとは思えないほど的確な、しかし難解な言葉で表現されている。彼曰く、
「日本人の理解力の問題」
との事らしいが、そんな煽ったような言葉でも、ネットのイベントで使われたり大百科で曲の個別記事が作られたり。自信過剰にならない程度には根拠のある自身という事で、そこもまた少年らしくない。
「それに湊さんは音楽以外はポンコツそのものですが、逆に言えば音楽の才能は天賦のものなので。貴女が心配する事は起こりません」
「いやそういう事じゃなくて………ね?」
「おや、的外れでしたか」
「その、お客さんもそうとは………ね?」
「問題はありませんよ。義務教育レベルの語彙力で私も曲を書いていますので」
燐子はやはりというか、バンド全体を見ても高い教養を身につけているだけに心配ないのだが、それでも偶に、曲中でAメロで張った伏線をサビで回収する、といったちょっとしたミステリー小説のような構成には苦労する事が多い。
「京くんはそういうやり方が得意なんだもんね」
「はい。それで湊さんも満足している事ですし」
「うん、そうだよね。何言ってんだろ、私………」
「しかし、曲中に擬音を入れるのは私としても初の試みですし、どこかでやってみたいですね」
彼は新し物好きというか、好奇心を満たすという意味では恐れを知らないというか。とにかく、自分の許さないラインでなければ積極的過ぎるくらいに新たなものを取り入れる。そこに厳正な審査というストッパーはあれど、アイデアは思い描くだけならばそこには益も不益もない。
「疲れましたね。貴女はどうです?」
「わたし?わたしはそんなに………」
「ま、そうですよね。鍛えてらっしゃる事でしょうし」
「でも、疲れてるなら無理しない方がいいよ。ちょっと休も?」
「………そうですね」
しかし当然、オフの日にはゲームの関連こと目先の餌にしか釣られない燐子が、バンドと関係のない作詞作曲談義をしに来たというわけではなく。同バンドのベースパート、面倒見の鬼系ギャルこと今井リサのお達しである。
ある事情のせいで京の肉体は常人のものより脆弱になってしまっている。そのため、疲労が溜まる事で起きる身体への害は時と場合によっては命に関わるものさえある。
しかしこれもまた、ある事情により京は病院に行く事が出来ない。そのため、過労防止の見張りが必要となる。京は頭脳明晰で、体の異変を敏感に察知出来る筈なのだが、何故かそれをしようとしない。少し前に一度それを問うた人物がいるのだが、その時ははぐらかされたようだ。
「今日はいい天気ですね」
「………?そう、だね?」
「最近は荒天続きでしたからね」
「6日連続夏日だったけど」
「よく太陽に当たると紫外線がどうの、と言いますが、実は日光に当たらないのは内臓に悪影響を及ぼしますよ」
「まさか………」
「というわけで、行きましょうか」
「い、いや………わたしはいいかな、って」
苦楽を共にするRoseliaの面々、そして繋がりのある他バンドのメンバーとは問題なく会話出来ているものの、それでも不特定多数が集まる場所は苦手としているようで。なので、そこを全力でえぐる事にしたのだが。
「というわけでご一緒に」
「ダメ。またそうやって追い返そうとするんだから」
音楽については、相談のしようがいくらでもあるが、しかし。京については燐子の中で相談すればよしとはならないようだ。彼がどうあってほしいのか、彼とどうありたいのか、考えは人の数ほどいるもので。
「はぁ………私なら大丈夫です。無茶はしませんよ」
「この前そう言って風邪ひいたよね?」
いつかの気弱な彼女はどこへやら。こと、京のことに関しては燐子も強気である。
「あれは不測の事態でした。私が前もって解熱剤を飲んでいなければ危篤状態に陥った事でしょう。危なかったですね」
「あの時は本当に、私達も大騒ぎだったんだから」
「大袈裟ですよ」
「それで死んじゃうかもしれないんだよ?」
「その時は潔く認めましょう」
「ダメ。絶対ダメ」
しかしそれは、かえって京へ意見出来る強さというものを養ってしまったようだ。意見するというのは人として大事な要素ではあるが、それがお節介に変わるとは京も聞いていない。燐子はRoselia内では年功序列と性格のせいで敬語を使う事が多いのだが、こうして強い口調での会話は、どこか別の人間のようにも思える。
とにかく、普通の人間は体温が45度に達すると死に至るとされているが、京の致死量はもっと低い。常人が寝込むくらいの体温で緊急搬送されるレベルとなれば、燐子の不安はもっともなのだが、当の本人は大丈夫だと言うばかり。
「今まで死んだ事ないので」
「そういう問題じゃない」
自分の身に潜む危険を知っていながら無茶苦茶をしているとしか思えない。
「こっちには奥の手があるんだからね………」
「ほう、それはどのような?」
「あこちゃんと弦巻さんに———」
「やめてやめろやめなさいやめてください。それはいけない。それは私の心がもたない」
「あの2人とわたし、どっちがいいか選んで」
「はい。申し訳ございません」
他バンドで、接点もこれといってない2人だが、あの近縁種が出会った時にはいよいよ疲労が蓄積して限界を迎える。テンションという一点に絞れば、下手をすれば某コロッケ娘と組むよりも凄まじい化学反応が起きてしまう。
「奥の手って脅しですか」
「脅しに聞こえたんだ………」
あのはっちゃけひとつで、京とは相容れない事が会話するより先にわかる。ハロハピの3バカに然り、宇田川妹に然り、不発のあの人に然り、テンション高い枠は総じて、ギャップ、あるいは裏側がない。つまり無邪気すぎる点が非常にやりにくい。前提が固まる、もしくは用意のしようがあるという意味で、何を抱えているかわからない、白鷺千聖や湊友希那、あるいは燐子のような人物は会話がしやすい。
彼女はそんな京の嗜好を理解してそう言っている。
「みんなが悲しむから、あんまり自分の事をいじめないで」
「………弱りました。私は努力しているだけなのですが」
「全部無駄になっちゃうかもしれないの。それはわたしだって嫌だから。だからこうしてお節介を焼いてるの」
青春スポーツもので、主人公が怪我を負って引退を余儀なくされるだとか、それに向き合うだとか、京の場合は違う。たかが風邪、たかが怪我。しかしそこで命のやり取りをしているのだ。
「だから。京くん自身のためにも、休んで」
「………はい」
彼だって、何も自殺願望で突貫しているわけではない。頼りにされるという喜びは、きっといつか、頼りにされなくなるかもという恐怖と常に隣り合わせだ。全てが狂ってしまった幼年期から、学生にすらなれていない14の子供が発揮出来る価値というのに、彼もまた苦しんでいるのかもしれない。
「あぁ、もう………ほら、寝るならベッドで、ね?」
「燐子さん」
「どうしたの?」
「貴女はどうです?今井さんは、Roseliaに自分が必要とされているのかを常に自問していました。貴女の性格を見るに、絶対的な自信を持つようには思えませんが」
人間は時に論理のカケラもないもので、手軽に持てるのは根拠のない自信である。人はそれを楽観と呼ぶが、それを是正する事は容易ではない。一度凝り固まった思考では凝り固まった答えしか出ない。
どうにも、彼女は演奏する事を楽しんでいても、それ以外に対する興味が初めからないように思える。
しかし………
「それで死んじゃうわけじゃないでしょ?」
命は何よりも重い。困難ではあるが不可能ではない、といえば、大概のものは天秤にかけられた時、命より軽いだろう。
偽善などというつまらない事を喚くつもりはない。正義だ道徳だなどと関係なく、命はたったひとつで、やり直しがきかないというのは事実である。それを喜んで投げ捨てるような行為は、きっとマトモなままでは出来ない。
だからこそ、認められないという不名誉も、燐子にとってはひどく陳腐に見えた。それはショックだろうが、音楽というのは自分を構成する要素のひとつでしかない。決して、全てではない。
「すごく落ち込むだろうし、すごく抱え込むと思う。だけど、世の中なんて、一個ダメだから生きる道が断たれるほどハードコアじゃないよ」
「達観していますね。いや、学生が背伸びしているだけですか?」
「京くんより先輩なのよ?」
「湊さんと氷川さんの前ではいっつもオドオドしてる癖に」
「あの2人を同時に相手すればわかるよ」
「ちょっと私は遠慮しておきましょうか」
彼女なりに、命の大切さを説いたのかもしれない。誰かに説教なんて彼女らしさのカケラもないが、京を思いとどまらせるために、手段を選ばないのか。それとも、今の物怖じしない白金燐子がRoseliaの皆にも見せない彼女の姿なのか。それは謎だが、知る気にもなれない。
「燐子さんがコミュ障を発動しないとは。私ってそんなに馬鹿っぽく見えますか?」
「ううん。とっても可愛らしいと思うよ」
「あぁ、そうですか。うん、はい。まったく嬉しくない」
と、気の合う友人のような、信頼し合うビジネスパートナーのような、どうともとれない関係のある日の一幕。
「ちなみにこの楽曲、キーボードパートはこうなっております」
「………え?」
「頑張ってください。それから腱鞘炎のお覚悟を」
「絶対許さない………」
それだけでは、言い表せないものも多少は孕んでいるかもしれないが。
コミュ障ダウナーじゃないりんりん。筆者は大好きです。妄想すると自然にフヘヘってなります。
キャラ崩壊タグついてるし大丈夫だよね?その辺のクレームは受け付けませんよ私。
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白金燐子の拘泥(裏)
筆者はチーレムアレルギーですが、チートじゃなけりゃハーレムは好きです。
その一報は、瞬く間に駆け巡った。
「燐子。それは本当かしら?」
「はい………」
「参ったわね、よりによってこんな時に………わかったわ。燐子、彼の様子はどう?」
「今は安定しています」
「そう………よかったわ」
「あの、友希那さん」
「どうしたの?」
「彼の件、わたしに任せていただけませんか?」
「………わかったわ。お願いね」
「はい。お任せください」
友希那はここで、自分が行くとは言わなかった。彼の事に関しては、あまりにも未知の部分が多過ぎる。そしてそれを知れる人間と知れない人間に分かれている。友希那は後者だ。だからこそ、前者としての感覚を持つ燐子に任せるべきと判断した。
ベッドの中ですやすや寝息を立てる京は、燐子の目から見てどこにでもいる普通の少年でない要素が見当たらない。反抗期で卑屈になるような、学生らしく社会そのものに疑問を持つような。しかし、掛け布団を捲るとその普通とはまったく違う光景が目に映る。
赤い斑点のようになった注射痕や赤い線を引いたような刺傷と切傷、目を背けたくなるほど痛々しい傷痕は物語っている。普通に生きていればつきようのない量の傷だが。
「友希那さん、その………」
「信じられない?」
「………はい。とても、信じられるものではありません」
「私もそうよ。だけど、それは紛れもない事実。あの子がそれを受け止めているのに、私達が目を背けるわけにもいかないわ」
「そう………ですね」
京は自身を根暗と評しながらも、その物怖じしない性格やユーモラスな語り口のおかげもあってか、ハードな友希那からソフトなリサまで幅広く対応している。
「それじゃあ、任せたから」
「あの、その………」
「どうしたの?」
「本当………というか、信頼してもいいんですよね?その、京くんの情報………」
「確かめようがないわ。私は彼相手に尋問なんて、恐ろしくて出来ないもの。どんなしっぺ返しをくらうかわからないわよ」
「………はい」
「ごめんなさい。ちょっと忙しくなったから切るわ」
「どうか………したんですか?」
「リサが暴れ出したわ」
「は、はぁ………」
電話の向こうから、ドタンバタンと騒がしい音に加え、知った声同士がいくらか荒くなって聞こえる。どうやらあの面倒見の鬼の禁断症状が出てしまったようで、それをあのポテトと中二病が必死に抑えている現場に運悪く燐子が着信をかけてしまったようだ。
何か、響いてはいけない鈍い音を残して電話は切れた。
「………」
今は、あちらは3人に任せておこう。とにかく、今は京の事に集中しなければならない。
ゆっくりと頰をさすると、彼はくすぐったそうに声を漏らした。
「可愛い………」
蒼白な肌には夥しい数の傷痕がついているが、そのどれもが瘢痕化していない。適切な治療がされていないか、それとも治癒するより早いペースで新たな傷が出来たのか。
「何でこんな事出来るんだろ………」
社会に出れば、とんでもない巨悪や理不尽が待っている。しかしその穢れを知らない女子高生にとってはそれが、怒りを通り越した疑問にしかならなかった。話は全て聞いた。だからこそと言うべきか、それでもと言うべきか。
理解不能。
意義不明。
それでいて、存在理由も不明。
「馬鹿みたい………」
やってしまおうと思い至った時点で、彼をこうしたどこかの誰かは、きっと知らないのだろう。弄ぶだけ弄んで地獄に突き落とした子供が、今は新進気鋭の女優や名家のご令嬢の寵愛を受けている事など。結局のところ、挫かれるべきがどちらかなど明白だ。
「ん………寝ていましたか」
「あ、おはよう」
「今何時です?」
「1時」
「あぁ、半日無駄にした………」
どれだけ彼が天才でも、出来ない事はある。それは摂理に逆らう事。きっと彼に出来ない事のひとつが不運にも、子供にとっての全てに逆らう事が当てはまっていたのだろう。
「京くん、大丈夫?体は何ともない?」
「おかげさまで。燐子さんはいつからここに?」
「ちょっと前から。友希那さんが心配してたよ」
「そうですか。それはご迷惑を」
燐子は、あえてリサの事を伏せた。京に彼女は荷が重い。人には誰しも、1人になりたい時間というのがあるもの。しかし、その意思に反ってでも燐子は側にいるべきであるとした。理由は、ある情報筋を信じるならば、という但し書きがつくが。
「良かった………」
「大袈裟ですよ」
「本当に死んじゃうんじゃないかって、心配だったんだよ?」
「別に、どうという事はないでしょう」
「そういうのが、いけないんだよ」
「もっと自分を大切にしろと?」
「うん」
「貴女は、おかしな人ですね」
「そうかな?」
「ええ。おかしいです」
思わず京のツボを刺激するところであった。悪ぶりたいわけではない。自分を大切に、何て言葉にわざわざするまでもなく生きとし生けるもの全てが行なっている事だ。だからこそ、燐子の言葉がおかしくて仕方がない。
「貴女のその言葉、とっても矛盾しています」
「どうして?これ以上ないくらいわかりやすくて、貴方を第一に考えてるでしょ?」
「私を誘拐してですか」
「保護してる、の間違いだよ」
「ほう………」
物は言いよう。いや、行動がまったく伴っていないという意味では物は何も言ってくれないようだ。窓には分厚い板が打ち付けられて太陽の恵みが遮断され、ドアには何やら近未来チックな錠前がかけられ、燐子の懐にも穏やかでない拘束具がしまってある。
「そういった趣味が?」
「全然。でも、動けない京くんを見てると、ちょっと興奮するかも………」
「私にそんな趣味はありません」
ここがどこなのかはわからない。何せ観察し、推理し、導き出すより前に眠らされてしまったのだから。
「知ってますか?睡眠薬って猛毒なんですよ?」
当然、一般で処方される睡眠薬は吐き気を催す成分が含まれていて大量に摂取出来ないようになっている。しかし、その成分は自殺防止用に後付けされたもの。そして、相応の設備と技術があれば後から外す事も可能。
「ペッ、資本主義の暴力ですか」
ちょうど、そんな事に大枚をはたけそうな金髪が1人いた。なるほど彼女なら、薬事法違反のど真ん中を突き抜けてもその事実を消しゴム出来るだろう。
「このままだと京くん、本当に死んじゃうよ?」
「それで有形力の行使に出たと?」
「言葉じゃわかってくれそうになかったから」
「そんな事ありませんよ」
「あるからこうなっちゃったんでしょ?」
「正当化です」
「正しいもん」
事実として、京は無理がたたって倒れたという事ではない。燐子が使用した魔法で眠ったというだけで、彼自身今のところはすこぶる元気である。
ただ、彼も知らない事を除けば、の話ではあるが。
「どこまで私の事を?」
「何でそんなに傷だらけなのか、とか、色々」
「誰から?」
「トップシークレット」
「いえ、いいです。予想出来ます。カルテの情報を横流しされるようなどデカイところは、残念ながら1人しか知りませんが」
どうやら彼女は大活躍のようだ。
「さて………これであの人でなしに傷付けられる事もなくなったね、京くん」
「私は今、人生最大の恐怖を感じているところてす」
「どうして?」
「そういうところですよ」
無知の恐怖というか。ここまでの事を良かれと思っている、という点が主にいただけない。
Q.有形力の行使は確かに強引だろうが、しかし、その思いはただ一途に、無理をしてほしくないという彼女の善意である。それの想いだけでも汲めないものか?
A.本人の同意なしに閉鎖空間に置く事を監禁と呼び、それは
というところには、やはりらしさが出ているのだろう。
そう決められているから。そういうルールだから。
覆しようがない。それはある意味、不可能への免罪符となり得る。
「何を言ってるの?こうなったらもう、私が貴方のルールなんだよ?」
相手が正常でいてくれれば、の話だが。
「………そうですか」
根底にあるものは、心配だからとか、無理してほしくないからだとか、純粋なものかもしれない。しかしその想いまで正しくあれないのなら、それは身勝手にもなるのではないか。彼女のその言葉は、そんな京の反抗を瓦解させたようだ。
最早、言葉が通じる段階はとうに過ぎている。
京がどう感じていようとも、そうさせたという事実さえあれば充分だろう。
「私は………疲れていたのでしょうね」
「うん。そうだと思うな」
素直に反省の言葉を述べると、満足そうに燐子は京の頭を撫でた。
この場、この状況、彼女の微笑み。慈愛という言葉は間違っても似合わないようだ。
東京23区のある都市で、一家3人がまとめて失踪した。家族構成は至って普通の父と母、それから子の3人。現場には、致死量ではないが母親のものである血液が床に付着しており、警察は事件性が高いとの判断を出した。
「あんなのに支配されてたら、京くんが穢れちゃう。だから、保護だよ。私は貴方を思ってるの」
家族はそれぞれの関係も、よくあるもので、聞き込みによると中学生くらいの息子は自閉症であると母親がよく話していたとの事。
「辛かったよね?怖かったよね?でもそれも今日でおしまい。これからはずっと私が一緒だから」
燐子があやすようにぎゅっと体を寄せると、京の体の冷たさを感じる。燐子の熱がじわりと伝わっていくらか熱を帯びているようにも思えるが、人間の体温とするにはあまりにも冷たい。
「こんなにされちゃって………ん、ほら、そう。ここに頭のっけていいから」
ベッドの上で正座をして、太ももの上に京の頭を乗せる。最初は抵抗感に身をよじらせていた彼も、決して痩せ過ぎていない肉感や石鹸か香水の心地良さには勝てず、10分とかからずに寝息を立てはじめた。
「可愛いなぁ、本当に………」
彼は涼しい顔をしているが、救いを求めているようだ。決して消える事のない関係に固執しているようで、だからこそ、声に出さずとも尊いものを欲しているようだ。
彼は強いが、完全ではない。
付け入る隙といえば言葉は悪いが、多くの友人がいるのがその証拠だ。
「長かったなぁ………」
1年近くだろうか。それだけ何も知らずに、普通を装う彼に馬鹿正直に接していたのは。だからこそ、知ってから押し寄せた後悔の波は凄まじかった。
何も知らず
何も成さず
知ろうともせず、そして成そうともしなかった。
ただの友人でありたいなどと、過去に戻れたら1年前の自分に数発お見舞いしてやりたいところだ。
「ね、京くん………ゴメンね。今まで辛かった分も、一緒にいようね。ここで私と2人きり………」
時を戻せないならば、進む時の中で何かを成すしかない。それが燐子の場合は、これだった。
「ん………」
「京くん………?寝てるよね?」
どうやら、止まらないようだ。どこまでも無防備な彼を見ていると、どうにかしたくてたまらない。
さて、彼は当然、生まれてこのかた知るべきを知らずに生きてきたわけで。ソレは本来ならば双方の同意が求められるが、燐子が自分で話した通り。
彼が従うべきルールは白金燐子そのもの。
「………いいよね?2人きりだもんね。ふふ………ふふふ………」
彼の背中を持ち上げて顔を近付け、濃厚なキスをする。蹂躙するように口内をねぶり、身体そのものを支配するように、束縛するように強く抱き締め、そしてそのまま力を抜くように彼の体を押し倒した。
「いっぱいイイコトしよっか………クスクス………寝てる時にするのは4回目かな?」
4回ともなれば手馴れたもので。誰も見ていないというのに、娼婦のように腰をくねらせ、スカートを捲り上げて絶対領域を眠る京に見せつけたりと、1人で楽しんだ後で、事にかかる。
「もうぜーんぶ知ってるんだから。貴方がどうすれば満足してくれるかなとか、どこが一番感じるのかなとか。寝てる時だってあんなに気持ちよさそうにしてたんだから、起きてる時にシたら京くん、私に逆らえなくなっちゃうかもね………」
胸の谷間に顔を埋めさせると、服越しでは伝わらないしっとりとした感触が全体に染み渡るようで。
「だから、ね?寝たフリしてないで、いい声で啼いてほしいな」
次の日から、京は彼女に対する一切の抵抗をやめた。
王道監禁ヤンデレ、りんりん。なんか今回は際どい描写多いですね。
まぁ趣味なんですけど。
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青葉モカの執心(表)
この世の人々は十人十色、性格も趣味も嗜好も様々。ともなれば、必要なのはそれを理解する心と許容する精神。
とは、道徳の文句である。しかし、確かに存在するのは、合う合わないだけでなく、それ以前の問題も考えられるわけで。
「おっすー、京くーん」
「おはようございます。お早いようで」
「そりゃーもう。モカちゃんは健康第一だからねぇ」
「だったら山吹ベーカリーを封印しては?」
「ひどーい。あたしから生きがいを奪うの〜?」
「もう少し生きがいを見つめ直しては?」
青葉モカ。マイペースな女の子、と呼べばいいものの、その自分のペースというのがあまりにもゆっくりな少女。バンドをしている以上団体行動は人並みに出来るものの、それ以外ではゴーイングマイウェイを遂行し続けるAfterglowのギター枠。ゆっくり生き過ぎて趣味は『睡眠』らしい。
「商店街行くのー?」
「ええ。モカさんも?」
「あたしはー、つぐのとこー」
「羽沢さんの?貴女がベーカリーの匂いに釣られないとは、明日は槍でも降ってくるのでしょうか」
「むー。あたしだってー、パン以外食べれないわけじゃないんだよー?」
「貴女のは好きの範疇を超えています」
クリスマスだがイブの時は、とにかく某コロッケ娘とモカで、コロッケとパンの二重奏であった。あれは、京が練り上げた作戦をこころの財力で成し得たからこそどうにかなったものの、どちらかが欠けていたらと思うとゾッとする。
禁断症状とか、出てくるのだろうか。
「ここで会ったのも何かの縁だし、一緒に行こっかー」
「まぁ、構いませんが」
「手ぇ繋ぐ?」
「貴女がそうしたいなら。ほら」
「………んー」
「如何されました?」
涼しい顔で京が手を差し出すと、モカはそれを手に取らず、彼の顔をむくれながら見た。
読めない。まったく読めない。京は聡いが、全知全能でもエスパーでもない。年頃の女子高生達は、いくら隠そうと思ってもどこかで表情が変化する時、癖という形で特徴が出るものだが、彼女にはそれが見られない。笑いたい時に笑い、悲しむべき時に悲しむ。喜怒哀楽があまりにも単純過ぎるせいで、読心も何もあったもんじゃない。
「足らない」
「はい?」
「女の子と手を繋ぐんだよー?男の子だったら恥じらってくれてもいいじゃーん」
「少女漫画の世界でやってください」
「モカちゃん、自信なくしちゃうなー」
「そう言っていられる余裕があるのは大変よろしい事です」
モカほどの美形に流し目でふっと微笑まれると、何か新たな嗜好を開拓されてしまいそうだが、残念ながら京がモカに抱いているものは今のところ謎だけである。
「いいねぇ。何だかデートみたーい」
「連れ回される予感がします」
「だってさー、商店街の用事って話、ウソでしょー?」
「………なぜばれたし」
「モカちゃんはなーんでもお見通しだよーん」
「はぁ、そうですか。それはようござんした」
「テキトー」
どころか、逆にエスパーが如く心を読まれる事さえあるのだからたまったものではない。京もモカとは交友があるので、天敵という表現は正しくないかもしれないが、苦手であるという事に違いはない。
「それじゃーいこっかー」
「どこへ?」
「つぐんとこ」
「え゛?」
「はい、けってー。ほら、はーやーくー」
「あっちょ、引っ張らないでください」
その謎過ぎる思考回路で看破されたかと思えば、彼女の庭こと商店街を連れ回されて。そのような扱いを受ける事十数回。人と接するパターンというのはいくつか存在するが、そのどれもが当てはまらない彼女に苦心する事同程度。未だ引っ張られている。
「京くんはブラックダメなんだよねー?」
「よくご存知で。どなたからの情報ですか?」
「いんや、なーんかそうなのかなーって」
「フィーリングですか、そうですか」
羽沢珈琲店には、お手伝いのつぐみも、もう1人アルバイトのブシドー系フィンランドハーフもいないようで、やかましく大集合とはならなかった。
「美味しいですね」
「そりゃあもう、つぐんとこのだからねー」
「これはリピーターが増えるのも頷けます」
「何か食べないのー?」
「小腹は空いていませんので」
「ありゃ、つぐの懐は当分寒いだろーねー」
「残念です。私が空腹でないばっかりに」
そこからは、他愛のない話が続いた。最近学校がどうとか、周りのメンバーの交友関係がどうとか、あとは新作のパンがどうとか。周りを振り回しているようで、実は周りをよく観察している彼女らしい視点というか、常人には理解出来ない切り口のものもいくつか存在したが。
「モカさん、凄まじく人をぶん回してますね」
「そーかなー?」
「上原さんの心労についてはお察し致します」
「ひーちゃんはねー、そういうリズムつくってくれるところあるからねー。アフグロの中でも流れっていうかー」
「予定調和?」
「そーそー。それそれー」
「可哀想に………」
モカに付き合う、それもそれが毎日となると、想像したくない。彼女も純粋に楽しんでいる故ストレスにはならないだろうが、疲労にはなるだろう。心身ともに擦り減らしそうだ。
「そーいやさ、京くんは何で曲作ろうと思ったの?」
「えらく唐突ですね」
「そーんな事ないよ。みんな気になってるけど言い出せないだけ」
「聞いたって楽しいものではありませんよ」
「あたしは気になるなー。どういうキッカケでみんなと仲良くなったのかなーとかー」
「そんなもの、月島さんに聞けばよいのでは?」
「プライバシーの侵害だよー」
「だから本人から聞くんですかそうですか………」
無断ならばいけないが、その逆ならば許されると。本人の口から許しをもらうだけでなく、その先までを聞けるのだから手間は省けるだろう。らしいといえばらしいが、迷惑ではある。根掘り葉掘り聞いても、暇潰しになる程度の面白みもないのだが。
「なんとなくです」
「………ほーんとーにー?」
「ええ。なんとなく」
「へー………」
「ドラマチックでなくて申し訳ありませんね」
「いーやー。むしろそっちのが好きになれるかなー」
「そうですか。それは何より」
互いを尊重しているようで、それでも2人は歩み寄っていない。ただの知り合いかと言われれば違う。互いに気心の知れていると思っているし、だからこそ込み入った話が出来るというもの。しかし同時に、友人と言われればそれも違う。モカにとってあるべき友人との付き合いは、それこそAfterglowの面々のようである事。腫れ物を扱うようにというのは、モカ自身友人としての付き合い方だと思っていないし、それは京も同じ。奇妙な間柄ではあるが、2人はそれを忌むどころか保っているように見える。
「モカさんこそ。一個人を重視する貴女が『言われたからやった』などとは仰らないでしょう。それとも友人に義理立てする理由が?」
「そんなん、楽しそうだったからだよー」
「そうですか。そういうところは実に貴女らしい」
「やだなー。それ、褒めてる?」
「ベタ褒めですね」
「ほーん………」
午後3時から、現在時刻4時半までの間。店側もモカの存在で気遣っていたのか、コーヒー1杯だけで1時間半、2人席のひとつを占拠し続けた事になる。会話が弾むというのは時に恐ろしくもあるもので。
「そろそろ帰ります」
「おうおう、お疲れー」
「自分の分は自分でお支払いください」
「えー………女の子に払わせるのー?」
「デートでもしてから言う事です。では」
「ちぇー………」
偶然出会って、そこから始まっただけの話。幸いな事に京の予想は外れ、言うほど連れ回されはしなかったものの。
外出は当分控えようか。彼女の存在ひとつで、予定どころか調子まで狂う。
「京くん、家どっち?」
「あっち」
「あ、じゃあ途中まで一緒だね」
「ゑ?」
結局、その日はモカが京宅の玄関先までついて来たところで2人はそれぞれ別れた。
「やーやー京くん」
「………どうしてこうなるんですかね」
「トモちんの意思を継いでいるんだよー?」
「あぁ、彼のとんこつ醤油ですか………」
ある日曜、昼下がり。インターホン三連打に右手が真っ赤に燃えそうになるが、その正体を知ってその気すら失せた。
「お邪魔ー」
同じグループの姉御肌こと巴も過保護なもので、京は直情的な姉貴分として一定の信頼を置いているものの、その意思を継ぐのが彼女となると考えものか。グレーのパーカーでストリート風に決めた彼女は遠慮を知らないようで。
「それで、宇田川の姉の方の意思というのは?」
「京くんが無理しないように、見張り」
「別に徹夜なんてしませんよ」
「無理するっていうのは徹夜だけじゃないんだよー?」
「私は確かにやりたい事に追われていますが、死にたがりではありません。無理などしませんよ」
「本当だったらトモちんもつぐもひーちゃんも、あんなに心配しないんだなーこれが」
「彼女達も心配性ですね」
「仏の顔も三度までだよー?」
「仏じゃないくせに………」
何故だか、間延びしていてハイボルテージさと真逆を行く筈の彼女がやかまし屋のように見えてならない。言葉の魔力というか、何というか。
あえて言葉にするならば、それは京にとって雰囲気がうるさい。
「ほー、ここが京くんの家ねー」
「面白いものはありませんよ」
「すごーい。パソコン超メカメカしい」
「何しに来たんですか貴女」
「むふふー、モカちゃんを舐めてはいけんよ京くん。あ、でも首筋の辺りならちょっとだけ———」
「本当に、何しに来たんです?」
「真面目な話していい?」
「私は最初からそれを求めています」
すると、モカはパーカーを床に投げてベッドに入り、下半身を掛け布団に埋めたまま京の方を向き、にやにやと意地の悪い笑みを浮かべる。
「………何ですか」
「わかってるくせにー。いいんだよー、おねーさんが慰めてあげようぞ」
「誰がですか」
「まったくもう、素直じゃないなー」
モカ自身が何をしたいか、京に何をさせたいのか、瞬時に理解したのはどうやら、京にとっての失敗だったようだ。巴の意思はどうやら口実だったようで、隠していたのはこれだったようだ。
「役得役得。こういう寒い日はあっためあおっかー」
「ウチエアコンありますよ」
「ストップ、温暖化」
「文明の利器ですよ」
「ここになー、湯たんぽがあるじゃろー?」
「……………」
「いいんだよー?ほれほれ」
飄々としているせいで、彼女の真意はわからない。彼女も奔放なもので、狙うものもわかったものではない。
「楽しくなってきたねー」
「わかりません」
「っていうか、もっとこっち来なよー」
「えー………」
「あたしはねー、今日は是が非でも京くんをダラけさせるって決めたんだからー」
「えー、あー………」
出どころはわからないが、バレていると思っていいだろう。徹夜だけが無理をするという行いに該当するわけではない、と言ったのが京に確信をもたらした。
「あたしはなーんでもお見通し」
「まったく、敵いませんね」
「明日も一緒にいてあげよっか」
「学校に行ってください」
「京くんはー?保健室行かなくていいのー?」
「私はいいんです。だって保健室登校なんてしてませんから」
「………おぉう?なんぞ?話が違くないかーい?京くーん」
あのおっぱいキーボードが声域を突破して絶叫しそうな爆弾を投下する。はて、モカを含めてガールズバンドパーティ総勢25名、それが周知の事実だった筈だが。
「あれは嘘です」
「まじでぇ?」
裏では違う系統になるんだな、これが。
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青葉モカの執心(裏)
果たして愛とはどういうものか。京が気障ったらしく考えさせる理由も全て、彼女らと知り合ったのが原因だった。
「モカさん?」
「おう?どったの?不法侵入?」
「馬鹿ですか貴女は」
羽丘女子学園。中高一貫の女子校。そう、女子校である。腕の関係者腕章が消えた瞬間に京は世知辛い世に圧殺されてしまう事だろう。まったく、その準備段階に入ったかと思うと笑えないが、お得意様からの呼び出しを跳ね除けるわけにもいかない。
「蘭さんはいらっしゃいますか?」
「なして?」
「わかりません」
「おうおう、お疲れお疲れ」
「貴女達のリーダーっていつもこんな感じなんですか?」
「蘭はリーダーじゃないよ?」
「え?」
今にして思えばの話だが、思えば、それが彼女達の身勝手や偽善だったとしても京はこの寵愛を受け入れただろう。
「モカさんは?」
「あたしは呼ばれてないしー」
「………そうですか」
女子校を男子が1人で歩くというのは精神衛生上よろしくないが、しかし、誰かに見られている気がするなんて結局ほとんどが自意識過剰で終わる。
「蘭さん?」
「入って」
「失礼します」
屋上まで来いと最初にメッセージを受け取った時は、いよいよ文字通り年貢の納め時かと戦々恐々したものだ。確かに言われてみれば、あの赤メッシュも和太鼓ドラムもその気配はあったのだが。
おかげでメッセージを受け取ってからの三日間、食事は1日3食しか喉を通らなかったし、夜しか眠れなかったし、恐怖のあまり心拍数が102まで上昇した。
「夕焼けをバックに決闘ですか?」
「あんたあたしを何だと思ってんの?」
「赤いメッシュ」
「それはそれでどうかと思うわ………」
名前がAfterglowという事で、京も、『まぁ、そうなんだろうな』程度には感じていた。
「最近、モカと仲良さげじゃん」
「小姑ですか貴女は」
「別にそういう事言いたいんじゃない。最近、あんたにご執心みたいだから気を付けて」
「モカさんの性格ですよ?」
「モカは興味ないものにはとことん興味ないけど、興味を持ったものには執着するから」
「野犬みたいな人ですね」
が、京の予想は外れてしまったようだ。色々誤解した蘭と一悶着あると思いきや、逆に京を心配する言葉をかけられてしまった。
モカは好き嫌いがはっきりしているとは、本人の口からも聞いている。彼自身お眼鏡に叶ったようでほっとしたのも良き思い出だ。しかし、好きなものに対して執着するとは聞いていない。それも2人の関係性ならば信憑性も高いのが余計に不安を加速させる。
「それだけ」
「そうですか………わざわざありがとうございました。では」
「ん。今度良かったら練習に来なよ」
「時間があれば」
精神を擦り減らしただけに見合う成果があったとは言い難い。蘭の性格で嘘をつくとは考え難いが、眉唾と思わざるを得ない。京から見た彼女のスタンスは来るもの拒まず去る者追わず。近付くものに対しても去るものに対しても基本無頓着で、ただAfterglowが例外なだけと考えていたが。
「よーっす京くん。早いねー」
「あまり彼女はお喋りではありませんからね」
「で、何話してたのん?」
「グリーンピースの攻略法を」
「えー?美味しいのになー」
「同意見です。が、彼女もそうとは限りませんから」
彼女は彼女らしくあってほしい。それは蘭やモカはもちろん、彼女達と関わる全ての人間に対してだ。それは今のところ、京が口を噤むだけでいい。それだけで、何てことなくまた戻る。京よりも遥かにモカとの親交が深い蘭だけにしかわからない何かを感じ取ったのだろう。
「この後ヒマー?」
「残念。先約があります」
「まるで人と約束してるみたいな言い方だぁ」
「悪いですか」
「べっつにー。そんじゃーね。また明日」
「明日は平日です」
はにかんで笑う彼女は、そのまま彼を見送った。
「………嘘つき」
まるで彼女の中にもうひとつの人格が眠っているが如く、モカの顔は怒りに歪んだ。
彼は嘘をついたという認識が自分の中にない。ただ、人と言っただけで。それがどんな状態にあるか、なんて言っていない。ある無縁仏に、京は花を持って足を運んだ。無縁仏に祀る者がいるというのも、また矛盾ではあるのだが。
「んー?」
まさか偶然とは言うまい。
モカ自身もよくわかっているが、ここでは学校帰りのノリなど通じる筈がない。場所が場所、それに何より、彼女は意図してここに来たのだから。
ラフなパーカーとカーゴパンツに花とは、プロポーズにしてはファンキーだと思いつつ後をつけたら、予想外にも墓地だった、というところ。木陰から息を殺して見守っているところである。
(ご両親?)
そういえば、京の両親の話を今まで一度も聞いていない。噂程度に、亡くなられたのではというものはモカの耳に入っていたものの。
(あー、こりゃ………)
どうやら事情は複雑に絡み合っているらしい。どうにも彼は、大切な肉親を亡くした悲劇の人、とは思えないような顔つきをしているのだから。そこに暮石がありますね、程度にしか認識していないであろう目は、冷めていない。
決して冷めてはいないのだが。
いつも通りすぎやしないか。
何があってそうなったのか。何をされてそうなったのか。
「知りたいな………」
ただただ、純粋に。
それから。
「………?」
「どうしたんです?突然何もいないところに何かいるように見せかけてこちらを驚かせる宇田川さんの真似はやめてください」
「どんな仕打ち受けてるんですか氷川さん」
気のせい、ではない。第六感というものはひどく曖昧ではあるが、その存在感を発揮させられたというか。
「今日は集まる予定はありませんよね?」
「はい。私が個人的に呼び出しましたから」
「そうですか………そうですよね」
視線。思春期なら人の目が気になるだとか、そういった自意識に関わるようなものでなく。文字通り、視線が刺さるような感覚に襲われる。抱くものは恐怖とは違う。しかし、感じてよかったと言えるものではない。
「気のせいですかね」
「このアパート、曰く付きではありませんよね?」
「もしや氷川さん、そういった類のものは苦手ですか?」
「……………」
「すみません。私が悪かったのでそういう目をするのはやめてください」
Roseliaのギター担当、性格が似過ぎて一時期姉妹説が囁かれた事もある。そんなRoselia五姉妹の姉枠こと氷川紗夜からの要請を受け、京は自宅に彼女を招いた。
の、だが………
「………やはり気になる」
「………そこまで言われると私も気になってしまいます」
直感、という恐ろしく曖昧なものではあるが、それでも、感受性が高過ぎるというのは考えもので。
「気のせいですよ」
「そうですかね」
まぁ、気のせいではないのだが。灯台下暗し、クローゼットの中に何かが潜んでいるなど夢にも思わない一般人は確認などしないだろう。だからこそ、家の中では以外と簡単に盲点を作り出せる。
(あぁ………)
ぺたりと座り込むモカの熱視線は、京には届いていない。
(あたし………ヤバいかも………)
ただただ、知りたかった。しかし今は、軽率だったと過去の自分を戒めたい。目の届かない場所には、彼が目に届いてほしくないと願うものがあるものだ。
A4サイズの紙1枚を見て、両手が震えた。そしてそれは彼の者達に対する怒りへと変わっていった。そのまま息を殺して憤怒に震えた。だからこそ、理解すべきという使命感をモカの中で加速させてしまったようだ。
「はぁ………んんぅ、あー………」
悩ましい。非常に悩ましい。モカにとっては、自分の知らない彼の側面があるというだけで、彼の中の未知を覗こうとしている自分が禁忌を犯しているようで、どうしようもなく興奮してしまう。
「あ゛………んん………は………」
粘着質な水音と、それだけで男を誘惑してしまいそうな妙に艶かしい声が自然と出る。
「いっ………んぐ………あ………あは………」
神経に染み渡るような快感が全身を支配し、脱力感で背中を壁に預ける。
(………そろそろ帰るのかな?)
動きが慌ただしくなった。行為に夢中だったせいでモカは気付いていなかったが、スマートフォンをカバンに仕舞わないまま紗夜はドタバタと出て行った。
しんと静まり返る室内。未だ冷めない余韻で自然と荒くなる息がいやに大きく聞こえる。
「………ヤバい」
いよいよ、自分で慰める程度では体が満足出来なくなってしまった。無防備な背中が、飛びつきたくて仕方がない。が、そういうわけにもいかない。
(知ってるよ)
全て知っている。彼の全てを。彼の趣味嗜好から異性のタイプ、愛飲するドリンクから嘘をつく時の癖まで全てお見通し。
彼の脳が他人と違う構造である事も。
それのせいで恐ろしく燃費が悪い事も。
全てを。
「………おーい、もしもーし。モカちゃんだよー」
彼の
「軽っ」
食べるものを食べているのか心配になるほど軽い。
「最近野菜ばっか食べてるからだぞー、京くん」
そのまま丁重にベッドの上に乗せると、溜まっていた欲が噴出する。
彼は眠っているのではない。意識を失い、しかも覚醒するために使用出来るエネルギーが枯渇している状態だ。25人もいれば、誰かしらが起こしに来る。彼は再始動を完全に他人に頼っているからこそ、然るべき手順を踏まなければ絶対に起きない。
「ん………ふふふ………」
なすがままだ。何せ意識がないのだから。
ペロリと舌舐めずりをすると、京の唇を貪った。とにかく京を陰で見守る存在でありたいと願ったが、人として持つ欲望には抗えない。
いつもは草葉の陰から、あるいは電柱の陰から、またはこうして京の自宅にある隙間から、彼からひと時も目を離さずにいるのだが、そのうちそれだけでは足りなくなってしまった。
こうして、彼が意識を失ったタイミングを見計らってお邪魔する事がほとんど、今回は少しばかり予定が狂ったが、する事は変わらない。
「あ、すご………」
最初のうちは彼の手の指を
今では眠る彼を好き放題に犯し尽くす事が楽しくてたまらない。
最初は確かに痛みも伴うものだったが、慣れは偉大だ。今となっては自由自在だ。
「んー………いぃ、あ………ふ、ぐぅ………んん、あ゛!くふう………」
気絶しても夢を見るのだろうか。それはわからないが、いつも彼は息が少しだけ荒くなる。
「感じてるのかなー?京くーん。知らないところで、こんな事されてるなんてっ、夢にも思わないかなー?」
生理現象は完全に停止していないようだ。彼の温もりを文字通り体全体で感じながら、うっかり眠ってしまわないように諸々を拭き取り、隠滅が完了した後にそのまま家を出た。
「ゆっくりお休み………」
「あ゛ー………」
翌日の放課後。ある公園に集まったAfterglowと京の事。雲ひとつない晴天の下ではあまり相応しくない呻き声。
「どうしたー、京。あんまりそういう声ばっか出してると、幸せが逃げるぞ」
「疲れました………」
いつもなら小粋なジョークでも挟めただろうが、今の彼にはその余裕がない。
「疲れたー………」
「ゲームしてたの?」
「おかしいですね。徹夜もしていませんしブルーライトを浴びていません。それだけのエネルギーを取り込んでいませんから」
「まぁでも、京くんって色々むつかしい事考えてるし、頭が疲れてるんじゃない?」
「そうでしょうか………」
今現在のメンバーは、京を入れて5人。1人足りないわけであるが、いつもの気分屋でも行かないというのは珍しいようだ。
「モカさんは?」
「わかんない。ちょっと遅れるって言ってた」
「珍しいですね」
「うーん。どうしたのかな」
「モカらしくないが………」
「おーうみんな、集まってるね。お疲れちゃーん」
タイミングでも見計らったように、モカはそう声をかけた。平日の午後だというのに私服で。
「いやーゴメンねー、ちょっち長引いちゃって」
「構いませんが、私はそろそろ限界です」
「どったの?」
「何か疲れが取れないんだと。小難しい事ばっか考えてるからじゃないか?」
「………へー」
あくまでいつも通り。ただいつも5人だったAfterglowという全体の中のパーツであるために、モカは表情を崩さなかった。京はよく人を見ている。怪しいと思えばそれを確かめるまで止まらないだろう。だからこそ、ここまで来て全てをおじゃんにするわけにはいかない。
「モカも来たし、行こっか」
「ええ。では皆様、また」
「ありがとな、待ち合わせの暇潰しになんて付き合ってくれて」
「いいえ、とんでもございません。私も楽しかったので」
ここで京は離脱。バンドの練習か何かだろうが、どうやら今日は京の気が乗らない日だったらしい。
そして………
「あたしねー、練習の後用事あるんだ」
「珍しいな」
「ホントホント。家以外でモカちゃんがいるとこって、学校かCiRCLEかベーカリーだったのに」
「ひどーい。つぐはあたしを何だと思ってるのー?」
やるべき事が終わった彼女は、向かうべき場所に向かう。まるで自宅に戻るように足取りに迷いがない。
「ふふーん。待っててねー」
チャリンと、金属音がする。彼女の手に握られた2つの鍵が鳴った。ひとつは彼女自身の、もうひとつは………
「ありゃりゃ、今日は早寝だね、京くん。ふふふ………」
ストーカーと化したモカちゃん。んで、京くんの不思議な体。
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市ヶ谷有咲の憧憬(表)
曰く、彼女を手懐けるコツは野良猫を手懐ける感覚であるらしい。
「まぁそんな簡単にはいかないんですが」
「あ?今私に話したのか?」
「いいえ。独り言です」
「そっか」
黙々と部屋の一角で作業をする少女がぴくりと反応を見せる。
「おい、またこんなモン食ってるのか?」
「あ、何でゴミ袋なんか漁ってるんですか」
「お前なぁ、何でこういう事、するかなぁ!」
「あだだだだ………」
市ヶ谷有咲。相手を罵ったり、淑女にあるまじき口調で他人を圧するように話すものの、その荒々しさの中に仲間を思う心がある、もしかしてもしかするともしかしなくてもツンデレ少女。ツインテールにツンデレという要素のテンプレートに反して、巨乳。
「死ぬぞ、死ぬぞお前!死ぬんだぞお前!」
「あっちょまっ、吐く、吐きますから待って」
「吐け!その不健康なモン全部吐け!」
「あぁー待って、お待ちください。舌噛みそう」
「……………」
鬼気迫る表情でがくんがくんと肩を揺らす有咲と、無表情のままに揺らされる京。両者の立場と表情は逆になってしまっているが、それは単なる性格の差でしかない。
さてな、押しが強い有咲と引く事を主戦術とする京は水と油のようだが、どうしてこうも仲睦まじくあれるのかだが、それはひとえに彼女のツンとデレにおける後者である事だろう。
「言ってるよなぁ、いっつも、沙綾と!」
「あい」
「そこに正座」
「フローリングですよ」
「あ゛?」
「あい」
押してダメなら押し切るという手は彼女の常套手段であるが、それはとても有効な手段だ。引き続けられない彼にとっては特に。
「あのな、私だって何もこういう説教ばっかしたいわけじゃねーんだ」
「ではしなければいいのでは?」
「お前な、自分の立場わかってんのか?あ?不摂生しなけりゃ済む話なんだよ………」
「ほれとほれはふぇふふぇふっふぇふぁ」
女子らしからぬ力で頰をつねられると、京の脳裏をよぎるのはいつも決まってそれだ。もっともそれは、カウンターパンチもかねているのだが。
「………ごきげんよう」
「だぁぁ!うるっせぇぇ!!」
「別に黒歴史だなんて思っていません。あれもまた有咲さんの一面でしょ。ギャップですよギャップ」
「そういうとこが余計なんだよお前よぉ………」
過去に一度だけ、京は所謂猫被りの有咲と会って会話をした。流星堂という質屋に足を運んだ時である。
「あの………」
「はい、如何されました?」
「そのぉ、疲れませんか?」
「まったく疲れませんね」
「そうですか………」
この頃の京はPoppin’party全体との交流がなく、会話も京にとって話しやすい存在に絞られていた。人間的に成熟した発酵少女のドラムだったり、不思議と波長が合う、全てのウサギを統べる女王のリードギターだったり。一級チョココロネストはいまひとつだったが。まだキーボードとギターボーカルとはお互いの顔を知らない関係だったので、まさかこんな近くにいるとは有咲も京も思わなかった。
「それから店員さん」
「はい?」
「無理をしておられますね。何か私に不都合が?」
「い、いや………すみません、ジロジロ見ちゃって。忙しそうだなと」
「多趣味ですから。メカも気になりますしオブジェも気になります」
3度目の訪問辺りになって、有咲の方が先に気付いた。沙綾が話す謎のクリエイターと何かと似てやいないか。偶然かで片付けるのは簡単だったが、それで素直に捨て置けるほど頭の中が愉快ではない。ので、
「あんた、香澄の知り合いかよ?」
少々面食らったように有咲の方を見るが、すぐに京は平常運転に戻る。
「いいえ。山吹さんと花園さんと個人的な交流があるだけです」
「そうか。まぁ、香澄はお前と真逆っつーかな。いや、りみも知らないのか?」
「ええ。残念ながら」
「いや、私が言うのもナンだけどさ、何のキッカケで出会えるわけ?その2人」
「偶然でしょうか」
「んなわけねぇだろ」
「いえいえ。あれはそう、私が学園にウサギ狩りに行った時の事です」
「それ長くなるか?」
「お時間80分ほどいただきます」
「馬鹿………」
初めて彼と本格的に会話をした感想はといえば、それを抱けないくらい彼は正体不明だった。あえて言うならば、
「おたえと仲良く出来た理由がわかる気がする」
「光栄です」
「光栄なのかよ………」
有咲がようやく拾えたものといえばこれくらいである。なるほど確かに、フィーリングが合いそうだ。彼のウサギハンターと2人きりになった時、どういった会話が展開されるのか未知数な怖さも感じるが。
「そっちが素なんですね、市ヶ谷さん」
「私のこっち側を知った奴は例外なく名前呼びだぞ」
「why?」
「お前とはこれっきりじゃない気がしてな」
「ま、おたくのバンドも書いていますしね」
「やっぱお前だったのか」
「はい。今明かされる衝撃の真実」
「いや、予想はついてた」
「そうですか。チッ………」
「おい」
バンドのメンバー以外で、ここまで他愛のない話が続いたのは初めてかもしれない。正体不明ではあるが、どこか魅力的ではある。
(何だこいつ)
実に形容しがたい。しかし、それに触れ合っていたいと思うのもまた事実である。
「この乾電池、フィラメントがタングステンではありませんね」
「あぁ?あー、それ、乾電池だったんだ。いや電池っぽい形してたけど」
「19世紀の遺物です。まさかこんな物があるとは」
「そうかぁ?そんなん骨董品屋に置いてあるだろ」
「これ骨董品じゃないんで」
「ふーん………」
彼には所謂オタク的な趣味があるようで、とにかく興味を惹かれたものに関して知識は広く深く、ミーハーの域をとうに超えている。おかげでその道の方々とマニアックな会話が可能になるのだが。
有咲も遠巻きに見ただけだが、某お山を彩るアイドルと某機材オタクメガネとの会話をほぼ同時に成立させていた時は、彼の頭の中身を本気で知りたいと思ったくらいだ。
「これは1日2日じゃ足りませんね」
「別にいつ来てもいいんだぞ?商売でもあるんだから」
「いえ、私は眺めるのが趣味であって買うのは趣味でないので」
「細けえなぁ」
「大雑把よりはいい筈です」
「どうだか」
有咲自身、予想外だったものの予定外ではなかった。どこか子供っぽいというか、理屈っぽいというか。知識はあれど、常識が伴っていないように思える。悪い人間でない事は誰が見ても明らかではあるが、どうやらこれで山吹沙綾と親しくなったようだ。
「あぁ………鉱石ラジオですか。またレアな………」
「お前、多趣味だな」
「機械の全てに興味があるのです。モーターパーツも、それを動かす電池も、外殻の材質まで全て」
「変わってんな」
「そうでしょうか。理解出来る力があれば興味も湧きます」
「そういうもんか?」
「そういうもんです」
今にもオーバーホールしそうなほどに目を輝かせる彼は、やはりいつもと違う。表情こそ変わらない鉄仮面だが、とにかく歩き回りながら物色しながらも疲れを見せない。そして、有咲も長い時間彼を観察しているせいで傾向がわかってきた。
彼は壺や絵画のような美術的な物品に一切の興味を示さず、20世紀やそれ以前の機械製品に強い興味を示す。特に構造や材質が不明な物、現在ほとんど出回っていないものに目がないらしい。ロストテクノロジーに惹かれるようだ。
「そろそろ閉店だぞ」
「失礼。長居し過ぎたようです」
「別にいいよ。この辺はもう買い手も見つからないだろうしな」
「もったいない。今では再現出来ない黎明期の技術ですよ」
「買えばいいじゃんか」
「置き場所に困るじゃないですか」
「わかんねーな、お前は本当に」
その言葉に返事を返さず、フッと微笑んだ京は、右手の人差し指を立てる。
「どうした?」
「これ、おいくらですか?」
「あ?ただの歯車じゃねーか」
「どうしても欲しいんですが」
「お前本当に何考えてんだ?」
「非売品ですか?」
「いいよそんなの。持ってけ。どうせ倉庫の肥やしになるだけだかんな」
「そうですか、ありがとうございます」
錆びた歯車をひとつ、貰い受けると、意気揚々と流星堂を後にした。
「なぁ、ちょっといいか」
「はい」
「ちょっとした心理テストなんだ。父親の葬式に来たある男に母親は一目惚れした。その後母親は実の息子に手をかけた。何でだ?」
「心理テスト?ブラックな頓知かと思いました」
彼は少し考えるように意味もなく視線を移すと、ひとつの答えを弾き出した。
「葬式を開けば男に会える」
彼の思考回路はどのような材料からどの過程を経てこの結論に至ったのか。
彼しか知らない。何ともナンセンスでブラックユーモアだ。
「そうか」
彼女も、それ以上は言わなかった。
時折、彼は職人顔負けのツールを駆使して機材の修理をしている場面をCiRCLEで見る。
「お前何でミキサー分解してんの?」
「主に月島さんのせい」
「何やらかしたんだよあの人………」
「聞きたいならご本人の口から。罰としてスタジオ裏で部品のユニット化作業に追われています」
「いや………遠慮しとくわ。何か忙しそうだし、出直すよ。その作業終わったら連絡くれ」
「いえ、構いません。丁度休憩が欲しかった。後はネジを締めるだけなので、月島さんにお願いします」
「マジで何がどうなったんだろうな………」
ベースアンプにもたれかかり、スポーツドリンクをラッパ飲みする。牛込りみと戸山香澄と知り合うより前、京がPoppin’partyの作詞や作曲を手伝うようになってから数ヶ月が経過した頃の京は有咲と比べてもいくらか見劣りするほど華奢で病的に肌が白い。
「それで、ご用とは?」
「お前さ、手先器用な方だろ?つかそうじゃなきゃ機械の修理なんてしないもんな」
「はい。で?」
「 さっきスタッフから渡された。まりなさんのだ」
「直接言えばいいじゃないですか。コミュ障の片思いか」
「怒ってるお前は怖いんだと」
「人をサイコパスみたいに………」
有咲から渡されたのは、1枚のメモリーカード。手のひらどころか人差し指の腹と同じくらいの大きさしかないそれを、有咲の前の言葉と繋げて考えると、予想はより悪い方向に進んでいく。
「まさか………」
「直してくんね?」
「無理です」
「まぁそう言うなよ」
「言います。私が電気屋に見えますか。そういうのはプロに頼んでください」
極小のメモリーカードを修復するには、特殊な工具だけでなくネットワークの方面からアプローチをかけるだけの技術も必要ある。彼には後者があっても前者がない。いくら彼が大器晩成を凌駕する天才だとしても、物理の法則には逆らえないもので、不可能は不可能なのだ。
が、しかし。
「まぁまぁ。まりなさんのプライベートショットとか、写ってるかもしれねーぞ?」
「あるわけないでしょ。特殊な性癖過ぎますよそれ」
「あ?何だ、知らねーのか京」
「何がです?」
本気で疑問をぶつけてしまった有咲は、目を丸くして驚いた。そしてそれを京はキャッチする。
「あの人結構、そういうの残すタイプの人だぞ」
「前言撤回。お引き受け致しましょう」
ネタ切れの予感………
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市ヶ谷有咲の憧憬(裏)
彼はいつも、気怠げだ。
興味あるものをとことん追求する反面、そうでない時の沈み具合は凄まじい。食う寝るさえも億劫だと、ある時話していた。そういう時の彼はどこか眠たげでもあり、そういう時はいつも決まって
「何やってんだお前」
「荒ぶる鷹のポーズ」
「あっそ」
決まって意味不明である。
とにかく彼のマイペース加減と意味不明さのせいで手を焼く人間はそこそこ多いが、有咲はそれを見事にスルーしてさよならする場合がほとんどだ。
「なぁ、あそこのやつ取ってくれ」
「私160しかないんですけど」
「私より背ぇ高いじゃんか。脚立あるから」
「まったく………見返りは?」
「性格悪いなお前」
「ボランティアは趣味じゃないんです」
「沙綾んとこで1個奢ってやる」
「よし」
そうして意気揚々と脚立に乗って手を伸ばす。元々、同年代の男子と比べてもいくらか低身長な彼が脚立で
「おい………大丈夫か?」
「はい」
うつ伏せに落ちたとはいえ、顔をがっちり防御した上に脚立は60センチあるかないかの高さ。痛い事はあってもそれ以上の事は起こらないだろうと考えていた。
「お、おぉい!京!?」
「はい?」
「お前どうしたんだそれ!!」
有咲の考えが甘かったわけではない。誰も予想は出来ないだろう。
「あー………」
水色のシャツを侵食するように、じわじわと真っ赤な血が流れ出ていく。だらりと垂れた彼の手からも伝って落ちていき、その姿は瀕死の重傷とする以外に形容しがたい。
「傷口が開いた」
「バカッ、じっとしてろ!」
「そういうわけにもいきません。止血しなくては」
「私がやるから動くな!」
とにかく血に対する忌避感がそうさせたのか、有咲は存外冷静だった。救急箱を持ってくると、手際よく包帯を巻いていく。熟練の救命救急士のようだった。
「これでよし」
「素晴らしい手際ですね。ありがとうございます」
「んなこたどうでもいい。色々説明しろよ」
「説明って?私がB級ホラーのゾンビ顔負けの出血をした事以外に説明すべき事などありませんが」
「それを言ってんだ能面チビ」
「私より低身長の癖に何を仰るか」
「血ぃ出してんのに元気だなお前………」
「慣れです」
どうにも緊張感に欠ける。出血の量は素人目でも致死量手前なのだが、彼の抑揚のない声では狼狽える様子が一切見られない。らしいといえばらしいが、一言で言えば普通じゃない。有咲までその雰囲気に流されそうになるが、彼はどういうわけか50センチ近い高さからの落下で全身の血液の5パーセント近くを失っているのだ。
「き、救急車呼ぶから、じっとしてろよお前!」
「必要ありません」
「バカかお前!」
「もう止まりました」
「………は?」
べったりとついた血液のせいで見えないが、実は既に出血は完全に止まっている。しかし一度に出たのが多量だったために、滴り落ちて血溜まりをつくっている。
「あー、色々聞きたい事はあるが、どうした?」
「体質の問題で、こういうのはよくあるんです。ちょっとした衝撃で傷口が開く」
「そうだったのか。悪い」
「いえ。私も言わなかったので」
「言ってくれりゃ………ってわけにもいかないか。ゴメンな。ご両親にも謝っておくよ」
「いえ、それには及びません。両親も慣れてますから。最近じゃ泥被ったみたいな感じで叱られます」
「たくましいな………」
「はい。なので有咲さんが謝ると私が謝らせた事になってしまうので」
そういえば、と有咲は思い返す。ここまで彼と様々な話をした。バンドの話やなんてことのない雑談まで、友人らしく話してきた。その過程で一度だけ家族の話もした。軽い気持ちで、彼のような頭脳明晰な子供で、親も誇らしいだろうと。
はて、あの時彼は何と言っただろうか。
「そういう事なら、わかった。風呂くらい入ってくれ。あとそのスプラッターな洋服も洗うから」
「その間私は女物を………」
「ちゃんと男物があるから安心しろ」
「それは良かった」
詫びの言葉は素直に受け取らなければ、それは謝罪した側に対する非礼である。
脱衣所にあった衣服をセスキ炭酸ソーダに浸けて洗濯機に突っ込む手前で、あることに気付く。
「なんだこりゃ」
丁度二の腕の辺りに、焦げ茶色の点がふたつついている。そういうワンポイントかとも一瞬思ったが、どうやら熱で焦げたようだ。何ともミステリアスだが、どうにも尋常でない。ヤケドでもしたのかと思ったが、それにしては痕が綺麗に円形を描いている。
「なぁ、ちょっといいか?」
「はい?」
「お前、ご両親とは上手くやってんのか?」
「ええ、
「やっぱりか………」
彼自身、もはや隠すのも限界を迎えたと感じ取った。
それ以上に彼をその方向に向かわせたのは、誤魔化しようがないという以外にも理由がある。
「もう終わりました」
「それで、仲良くなっても一人暮らしのままか?」
「……………何で知ってるんですか」
どこかで彼女を侮った。
その後、有咲の動きは早かった。必要なものを必要な時に必要なだけ。あの、異常を尋常に変える金髪のお嬢様の全面バックアップのもとである。
「………あの」
「どうした?野菜もきちんと食べろよ?」
「いや、私根菜はアレルギーでして」
「何だ。悪い、私が食べとくから」
あの事件からというもの、有咲はよく京の自宅に訪れるようになった。ある時は夕飯を作ると言ってアポ無し突撃をしたり、外に出ると言ったら自分が来るまで待てと言って、たかが100メートルかそこらの距離のために流星堂からやって来たり。
「私、料理をしてみたいのですが」
「ダメだ」
「何故?」
「危ないからに決まってるだろ。私がやる」
「悪いですよ」
「そんな事あるか。いいからじっとしてろ」
「………はい」
とにかく、彼が何かをしようとすれば何かと理由をつけて断る。最も多く口にするのは危ないから、そう言って彼女は彼を立たせようとすらしない。
「ずっと沙綾が羨ましかった」
「はい?」
「可愛い弟がほしかった。お前みたいな」
「………わかりません」
「そうか?お前だって頼れる誰かがほしかったんじゃないのか?」
「………いや、それは」
「不器用だな。そういうとこも可愛いけど」
拒絶しようとすればするほど、彼女は近寄ってくる。それは全てを見透かしているのではない。ただ、彼女は1人でいる彼の精神的な支柱になるため、彼の心に浸透しようとしているに過ぎない。
「私にそれだけの価値が?」
「当たり前だろ」
「あー………」
何が美しいものか。有咲もそんなストーリーにも飽きたところだ。ああなってしまっては彼女も、常道が何だと言っていられない。
「これくらいがちょうどいいんだお前には。またあんなになってみろ、今度は本当に死ぬぞ」
「死なないようにできてます」
「そんなわけあるか!」
突然有咲が肩を掴んで壁際まで追い詰める。
「わかってんのか?血が全体の半分出たら人間って死ぬんだぞ?」
致死量は全体の半分が失われると失血死すると言われているが、3分の1が失われた時点で重篤な状態に陥るとされている。今回は閉まっていた傷口が開いた、それだけと言えばそれだけだが、当然打ち所次第では筋肉まで達していたと思われる。
「私を不安にさせないでくれ、お願いだから」
「………すみません」
今度は優しく有咲が京を抱きしめる。壊れ物を触るように。そして、壁と挟むように京にじりじりと彼に迫る。
「仲良く、しようか。私、結構自信あるんだ」
心配で仕方がない。でも、その方法を片っ端から試す余裕がない。有咲は賢い。だからこそ、ここではあえて出水京という一個人ではなく人間そのものに視野を広げた。
人間が生きていく上で欠かせないもの。その全てを掌握すればいい。彼を手元に置けばいい。足りない何かを補えば、それを握れば、有咲の言葉を聞いてくれる。もう無茶などしない。
「私の言葉を聞いてくれ。そうすればお前はもうこんな風にならないから。な?」
彼女は今までの自分に後悔していると話した。それを取り戻すかのように、とにかく京に世話を焼く。そしてその理由は、きっとそこまで純粋なものじゃない。
「いいか、台所には絶対に入るな。つーかお前そっから動くな」
「は、はぁ………」
「夕方には帰ってくるから。外出んな。絶対だぞ」
「わかってますから。早く行った方がよろしいかと」
「待て、まだ確認が済んでない」
「そこはもう6度目です」
その後も有咲は、彼の身体に対して害になりそうなものを排除した。おかげで色々と物寂しくなったものだ。
「いいな?絶対に外に出んなよ?」
「それも5回目です」
その後も何とか京が説得して、渋る有咲を送り出した。最後の方、ドアの辺りの攻防はちょっとした暴動のようだった。色々滞りそうだが、あの心配性の鬼の処遇についてはバンドメンバーに任せることとした。
「あー………チッ」
袖をまくると、痛々しい切傷や注射痕に混じって、見慣れない赤い斑点が新しく皮膚に浮かんでいる。何かを刺したようなものではない、あるいは虫刺されというわけでもない。
「好き者ですねぇ。市ヶ谷有咲さん」
傷口を撫でる彼は、笑っていた。
「京!京!」
「ん………あぁ、寝ていましたか」
「大丈夫かっ」
「こうなるのは久しぶりです。ご心配なく。5年前は大体いつもこんな感じでした」
「はぁ………」
午後5時。有咲が見たのは床に倒れて動かない京だった。一瞬息が止まったような衝撃が走り、すぐに揺すって起こす。彼は単に眠っているだけだった。
「大丈夫か?大丈夫なんだな?」
「ええ。大丈夫。大丈夫ですので離して………」
「ダメだ。絶対ダメだ。やっぱりお前は私がついてないと」
今度は力強く、それでいて容赦がない。鬼気迫る表情で、彼の感触を確かめるように京を自分に抱き寄せる。
「もう我慢できない。あのクズどもに任せてたら間違いなく死ぬぞお前」
「ならばどうしろと?」
「さぁな」
「………解せないですね」
京にとっても、その話の意図を掴んだ事は後々後悔する事になりそうだ。彼女はどこか小狡いというか、京もこれまで総勢25人の異性と友人になったものだが、彼女はその中でも、お腹真っ黒女優こと白鷺千聖に似ている。あまりディープな話題で弁論を開きたくないタイプというか、あまりにもそう、というわけではないが、奸計に優れていそうという京の予測は外れなかったようだ。
「私がお前の
「正気ですか?」
「お前こそ何考えてんだ。拒む理由なんてないだろ」
「……………」
思わず目をそらす。
「お前をこれ以上傷付けさせない。お前のためにも、
そう言って彼女は、優しく彼の頬を撫でる。
「これでもう心配いらないな」
獲物を射程内に収めた彼女は、舌舐めずりをして狂喜を隠した。
エクストリーム過保護系策士、有咲ちゃんでした。筆者の実力ではツンデレの有咲の性格を180度変える事はできなかった………
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湊友希那の寵愛(表)
友希那編が終わったら死ぬ予感
彼は基本的に、嫉妬するという事がない。当然妬み嫉みをパワーにするタイプの人間もいるだろうが、京はそれに当てはまらない。故に、合理的に考えたのだ。妬んだところで、それがどうなるわけでもない。それが負の感情となるのなら、持つメリットなどないに決まっている。
「こんにちは、京」
「はいこんにちは。どういったご用件で?」
「ちょっと力を借りたくて。いいかしら?」
「勿論」
湊友希那。実力派ガールズバンド、Roseliaのボーカル。小柄な女子らしからぬ力強い歌声やボーカリストとしての才能は勿論、決して妥協を許さない努力家。それでいて作詞に関する知識もあり音感も優れるという、天は二物を与えずという言葉を疑いたくなるような音楽の才媛。ただしそれ以外については推して知るべし。
クールビューティに猫を愛する愛猫家でもある。
「ここはどういう言葉が適切かしら」
「語彙力不足で英語をぶち込むのは高校生がやりがちなミスです。前後や全体の雰囲気を考えると………」
「………なるほど。ありがとう。やっぱり貴方を頼って正解だったわ」
「いえいえ。どうです、この後はやれそうですか?」
「いえ、この後を頼むわ。ラス前の文句について悩んでてね」
「そうですか。やはり貴女は完璧主義だ」
「当たり前でしょう」
彼女はプライドが高く完璧主義者。高校生らしからぬストイックさを持つが、それだけと言えばそれだけ。
別に高慢ちきというわけでも、自信過剰というわけでもない。だからこそ京を頼るという事をしながら、バンドを組むという事をしている。友希那は京から見ても面白い人間で、自分を上げる事をしても他者を下げる事を絶対にしない。クールで大人びていて性格が悪いようで、話せばまったくそういうわけでないという、矛盾したような性格が同居している。
「こう言っては失礼なのだけど、そういった知識はどこで学んだの?」
「別に、人間の脳は反芻すれば覚えるように出来ています」
「そういうものかしら」
「そうじゃなければ人類は絶滅の一途を辿ります」
「貴方は偶に、話をわざと大きくするわね」
「お気に召しませんで?」
「正直、わかりにくいわ」
「それは失礼」
ばつが悪そうに京がむくれると、慰めるように頭を撫でる。
「ふふふ………」
「ふっ………」
我慢していた笑いが吹き出す。
「貴方が笑うのはまりなさんの前だけだと思ったわ」
「失礼な。私だって表情筋が死んでるわけじゃないんですよ」
「じゃあ瀕死じゃない」
「貴女にだけは言われたくないです」
その日はさっさと終わらせるべきを終わらせて、友希那はお礼とリサのクッキーを置いて帰っていった。
「………甘っ」
翌日、ライブハウスCiRCLEにて、Roseliaの練習に来て欲しいとのメッセージを受信した。その日の、しかも約束の時間2時間前にそういったことを頼むのはらしいといえばらしい。そして約束の時間に間に合うくらいに家を出ると、偶然にも同バンドのベース、今井リサと出会った。
「おぉう京、珍しいじゃん。どったの?」
「おたくのボーカルに、練習に来いと」
「ありゃりゃ。何かあったのかね」
「どうせ美竹さんあたりとどんぐりの背比べでもしているのでしょう」
「そん時は間に入ってあげてよ?」
「それはRoseliaの潤滑剤こと貴女の役目ですよ、リサさん」
「えぇー?ライバルといる時の友希那はかなーり頑固だからなぁ」
「ならAfterglow側の潤滑剤に任せましょう。どうにもならなかったら仲良く喧嘩してる2人を肴にジュースでも飲みましょう」
「性格悪いぞー」
拗らせているという意味ではあのボーカル組も中々のものだとは、あえて口にしなかった。
CiRCLEでは準備万端といった様子で、既にメンバーが揃っていた。それにしても、女子高生がバンド活動の楽器を準備する光景に対し、『物々しい』という感想を抱くのもRoselia故なのだろうか。
「よっすー」
「どうも」
「あら、2人とも一緒だったのね」
「偶然ねー、京」
「ええ。リサさんが裏路地で時間を調整していた事以外はまったくの偶然でした」
「……………」
「リサ?」
「あははー………」
まったく、よく観察していなければ京はこの場で自意識過剰の笑い者になるところだった。もう何百回とやったシミュレーターが功を奏する事になるのは京自身も予想外の展開だった。あるとしたら、もう少し先の話かとばかり思い込んでいた。
もっとも、そのシミュレーターは彼が3度瞬きをすれば終わるものではあるのだが。
「まぁまぁ。遅れたわけでもありませんし」
「そうね………」
「それで湊さん、そろそろ私を真昼間に呼び出した理由を説明しても良いのでは?」
「不服かしら?」
「ご存知ないかもしれませんがね、私、外に出るのは得意でなくてですね」
「いいじゃない。美女に囲まれてるわよ」
「黙って猫と戯れてろ」
「口調変わってるし………」
若干ピリついた雰囲気、というより友希那が遠慮していないだけなのだが、とにかくそこを仕切り直すためにリサが割って入る。
「あこと燐子は?」
「呼んでないわ」
「おっと?」
「今日はこの3人よ」
「また珍しいですね」
「そうかしら?」
「湊さんとリサさんの間に私ですか」
「貴方の事だもの」
「私ですか」
大変よろしくない予感がする。というより、話題が自分の話し合いを聞くというのが果たして意味をなしてくれるのか、甚だ疑問である。誰かの家を使わないという辺りがガチさ加減なのだろうが、それにしたってライブハウスでするような事もなかろうに。
「一体なんです?もうちょい呼ぶべき人がいるでしょう」
「予定がね」
「あっそうですか」
友希那は京に顔を向けて目を見ると、ひとつ諦めたように溜め息を吐いた。
「そんなに警戒しないで頂戴な。世紀の重大発表があるわけじゃないんだから」
「じゃあ何ですか。リサさんのバイト先が燃されたとかですか」
「物騒過ぎるなぁ………」
「まりなさんがね、最近構ってくれないって」
「………は?」
その疑問符に全てが集約されていたと言っても過言ではない。
『進んで体を追い込みにいくとかとんだマゾヒストですね』
などと供述してアウトドア派を見下す京が外出したとなれば、友人のためかあるいはやんごとなき事情故か。事実今回は前者に当てはまったため鉛のようになった体を動かして来たはいいものの。まさかこうなるとは予想も出来なかった。というより、したくなかった。
「キレそうなんですけど」
「キレる若者ね」
「死にたいらしいな」
「うぉい、ちょい待って京。落ち着いて。ほれ、お姉さんの抱擁をあげよう」
「………リサさんを呼んだのはこれが理由ですか」
「いつもリサかまりなさんにベッタリだものね、貴方」
「まったく、そのようなふざけたことで呼ばれる私はいい加減怒ってもいいと思うんです」
「貴方、怒ったって何もしないじゃない」
「殴ったら手が痛くなる」
そうは言っているものの、リサが腰に手を回して京を止めなかったら今頃どうなっていたかはわからない。世の中、もしかしたらという便利な言葉で色々化けるものなのだから。
「ヘタレですかあの人は」
「反抗期の息子とどう接していいかわからないんでしょうね」
「誰がですか、誰が」
「え、マジ?それマジ?」
「鵜呑みにすんな筑前煮」
「アタシのこと?ねぇそれアタシのこと?」
「本気の話をすると、貴方がまた無茶やらかしてるんじゃないかって、ずっと心配してたわよ」
「無茶は合理的ではありません。だからやりません。そう言えば彼女は満足してくれるでしょうか?」
「しないでしょうね」
「私にどうしろと」
史上最大級に頭を悩ませることになりそうだ。わかりやすく側頭部に手を置いて頭を抱えていても、ただいたずらに時間を浪費するばかりである。
「私のことになるとあの人は一生懸命ですってセリフ、中々自分に自信がないと言えないですよね」
「京!帰ってきてー!」
「目玉焼き食べたい」
「憂えているわね」
「一体私が何をしたというのか」
「貴女に心配はかけません詐欺」
「重罪ですね」
「京のことだと思うなー」
過去、いざこざとまではいかないものの、月島まりなとは少しばかり行き違いがあった。今はもう完全に和解しているものの、その後遺症のおかげで彼女は京に対してバンドメンバーと違う接し方をする。おかげでストレスとストレス緩和の同時多発攻撃である。
「友人として忠告するけど、あんまり人を合理的だなんだで考えない方がいいわよ」
「肝に銘じます」
「じゃなきゃ貴方、色々危ういわよ」
「生命が?」
「貞操が」
「もしかして友希那さん、疲れてます?」
「絶好調よ」
やりにくいったら。同族嫌悪と似たものかもしれないが、無表情お茶目の友希那は知り合いの中でも一、二を争うほど心が読めないお人なだけあって、彼女は今も京の良き友人であり天敵である。
「私貴女に何かしました?」
「貴方は私の友達よ」
「………帰ります」
「で、どうなの?反抗期なの?」
「違います。そういう気分じゃないだけです」
「まりなさんだって貴方のために頑張ってくれてるんだから」
「わかっています。そこまで恩知らずではありませんよ」
友希那と京の間に何かあるかもと、緩衝材として呼ばれたリサではあるが、彼女も一定の興味が湧かないでもない。彼女が知る限り湊友希那はここまで他人に羽目を外すようなタイプではない。京も同様に、他人に心を開くタイプではなく、誰かに頼らない一匹狼だった。
「変わったねぇ、2人とも」
「そうですか?」
「最初から京はこんな感じじゃない」
「友希那さんもですよ」
「どっちもどっちだと思うなー」
友希那に出遅れたとはいえ、リサも初期の頃を知る数少ない人物である。2人の仲睦まじさを知るという事でもあるわけだが、友達になってからの彼女達はどこまでもマイペースというか、自分のペースで生き急いでいるというか。まったく変わらないわけでもないが、2人とも素で能面なだけに表面上は何も変わっていないように見える。
「とりあえず、まりなさんに日頃の感謝でも伝えなさいって話よ」
「態度で示してますから」
「甘いわね。そういうのは形にしないと不安になるのが女なのよ」
「何言ってるんですかね」
「あーもう、そろそろ出よ?あんまりスタジオ占拠してちゃ悪いからカフェ行こうよ。アタシお腹減ったな」
「………私も丁度糖分が欲しいと思っていたところです」
「そうね。行きましょうか」
3人の会話は弾んだ。弾み過ぎて少しばかり熱が入る点もあったが、ローテンションを引きずり続けるよりはいい筈だ。その辺もまた、京と友希那らしいというかなんというか、良くも悪しくも遠慮しなくなってきたという事だ。変に完璧過ぎるよりはこちらの方が、いくらか年相応というもの。
「友希那ってさぁ、京の事、好きなの?」
「それここでしなきゃダメな話ですかね。ねぇリサさん」
良くも悪しくも。
「おかしな事を聞くのね、リサ。大好きに決まってるでしょ。今すぐにでも結婚したいしというかいっそもう襲って既成事実を××して××して作ってもいいと思っていたところよ」
年相………応?
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湊友希那の寵愛(裏)
ある日、珍しく京が歩き回り、身振り手振りを交えながら落ち着かない様子で電話をしている様子を友希那が目撃した。
「京?」
「はい」
「誰と話してたの?」
「………別に」
「約束したでしょう?隠し事はなしよ」
「………はぁ」
やはり、友人相手となると上手くいかない。京は軽く頭を掻くと、ため息をひとつ吐いて話す。持っていたスマートフォンをベッドに放り投げると、力なく椅子にもたれかかる。
「私を、引き取りたいと」
「………本当に?」
「ええ。先方はすぐにでも、と焦っているようでした」
「どうするの?」
「どうでしょう。どうするのが、正しいんでしょう」
「何を言っているの。そんなの、私とまりなさんが許すわけないでしょ」
「では逆に問いますが、どうしろと」
「それは………」
彼の私室が静寂に包まれる。逆に、付き合いが長い友希那だからこそ黙り込むだけで済むというだけに留まっているのかもしれない。今、懸命に受け止めているところで、彼が首を横に振らない言葉を探して組み立てている最中だ。
「………拒めばいい。貴方には味方が大勢いるわ。名家のご令嬢から大手芸能事務所の女優までね。昔の貴方とは違う」
「出来るでしょうか」
「貴方がやらないなら私がやるだけよ」
当然といえば当然、彼は心理的に束縛されている。臆病にはなっていない、というより、彼は自ら思考した結果、その必要なしと判断した。しかしそれでも、記憶というのは厄介にもそれを繋ぎとめてしまう。
「引き延ばせるだけ引き延ばす。それで反応を見て決めましょう」
「馬鹿な話もあったものね。また逆戻りよ」
「結局私は、ただの子供です。どれだけ粋がっても子供は親から離れれば生きていけない」
「そのためにまりなさんがいるの。私だって。だから安心して、決別なさい」
友希那が笑って京の頭を軽く撫でると、彼は少しだけ顔を綻ばせた。彼はいつも業務用の顔をしているが、ふとした時に素の彼が覗く瞬間がある。しかしそれも誰でもいいというわけでもなく、特に親しい月島まりな、湊友希那、今井リサ、それからあと数人に絞られる。
「私は、誰かの足を引っ張る事になる」
「そんな事ないわ。貴方は享受して当然の幸せを享受出来なかった。あの人でなしのせいで。普通じゃなかった事を普通に戻しただけよ」
「貴女になら、それが出来ると………?」
「当然でしょう。友達ですもの」
意を決して。どうにもおおごとになる反抗期のようだ。彼はスマートフォンを手に取った。
思わず顔が緩んでしまいそうだ。友希那は笑いを必死に押し殺す。
彼は自らの言葉でもって呪縛と決別した。呪われた家であろうとも、その人間がマトモであればそれは『救い』である。彼女にとって京がそうだった。彼は常人、どころか最早人間離れした才能がありながら、普通である事を求めた。それは余裕だとか才能ある者の悩みだとかそういうものではなく、単に彼の才能を『上』にして、彼の家とその家族を『下』にしたら、収束するところは『中』であるというだけ。
京がそのまま、等身大でいられるのだ。友希那にとってこれ以上の喜びはない。
「ええ………ようやくです。まったく長かった。これで彼は何にも縛られない」
「ええ、はい………ふふふ、わかっていますよ」
怪しく微笑んだ。
「ただ今帰りました」
「おかえりなさい。待ってたわよ」
そしてその変わり身たるや、一種の芸のように高速であった。
あの決別の日から、友希那は京の家に度々通っている。ただ顔を見ているだけというわけでなく、彼が決心し行動した故に懸念されるある事を防ぐためである。
「今日も大丈夫だった?」
「はい。変わりありません」
「そう。それは何よりね。おかしい奴はいなかった?」
「はい」
彼には価値がある。それも、『勉強が出来る』だとか『スポーツが上手い』だとかとはまったく比べ物にならない次元の価値が。そしてそれは、万民にとっての価値。つまり、金を生む。それを野放しにする筈のない連中というのは、一定数存在するわけだ。当然彼女はそれを許さない。
彼が望まない。それより何より、湊友希那はそれを望まない。
「そういえばご存知ですか?最近この辺りで不審者が出没するらしいですよ」
「あら、それは困ったわね。どうしましょうか」
「何をです?」
「別に外に出る必要ないわよね?貴方確かこの前、1週間一度も外に出なかったって言ってたわよね」
「ご容赦」
「冗談よ」
思えば、歪であってもこのような会話は変わらなかった。
彼女は何を理念に京と接しているのか。それは誰が見てもどんな文言でも明らかだ。
「ええ。確かに私ですが。何ですって?よくもまぁ、いけしゃあしゃあとそんな事が言えるわね」
「知ってるのよ?もう親権どころか接近禁止令まで出されてるんでしょ?もう貴女はあの子の親じゃない。ルールがそう定めたように、あの子に近付かないで」
「私?そうね、貴女とは違う。私はあの子を傷付けないし、人として見ているし、何なら素敵な男性よね、彼」
「………私はあの子を導ける存在よ。エゴで人形みたいに彼を扱った貴女とは違う。わかったらもう関わらないで。関わろうともしないで。あの子を正しい方向に導けるのは私だけなんだから」
許されるものか。スマートフォンを持つ右手が怒りで強く震える。散々彼をいたぶった癖に、散々彼の人としての生き方を否定した癖に、彼の価値ひとつで手のひらを返したように彼の理解者の皮を被る。
「あら、今日は眠ってる方の日なのね」
ほとんどの人間が知らない京の秘密。知っているのはまりな、友希那、リサの3人のみ。それは、彼の歩んだ———
「ん………」
「おはよう、京」
「………寝てましたか」
「ぐっすりね。おかげで私が———」
「それ以上言わないでください。いや、本当に」
「あらそう?」
「どれくらい寝てました?」
「私が来た1時間前にはもう寝てたから、それ以上ね」
「そうですか………」
どうも、あの冗談めかしたような会話が続かない。空気というか流れというか、長く友人として接していると、表情以外からでも第六感がはたらくものだ。
「本当に、やったんですか、私は」
「ええ。そうね」
「私はどうすれば」
その言葉に反応して、友希那の両手が京の顔を挟むように頰に触れる。
「私が貴方の道標になる。だから安心して。安心して、私に従って」
「………」
それが彼女のするべき事であると信じて疑わない。当然だろう。今の彼女はまさしく恋に盲目。彼を正しい方向へ導く事を手段のひとつとしているのならともかく、今の彼女にとって京を導く、というのは至上命題にして義務であるのだから。
「不安かしら」
「勿論」
「でも仕方のない事なのよ。貴方は確かに聡明だけど、同時に無知だから」
「私はきっと貴女を裏切る」
「そんな事ないわ。いいえ、そんな事はさせない」
「させない、ですか」
「ええ。させない。そんな事許さない」
「それは………何故?」
「何故?おかしな事を聞くのね。今までは友人としてだったけどもう我慢ならないわ。私が貴方を導く主人で、貴方はただ私に従えばいい。あぁ、貴方を守るにはこれしかないわ!」
ただ手中に収めたい、とは少し違う。これは友希那曰く真っ当な欲望で、それはつまり、今まで正しくあれなかった京を正しくある方向に導くという全て。
それが崩れてしまうとどうなるのか、想像に堪えない。
それを母親のようとは間違っても言えないようだ。そして最もそれの拒みにくい理由はただひとつ。
「違う。貴方にそれは早過ぎるわ」
「違う。それではいけないわ」
それが自己満足でない事。真に他人のためとなれば、京も真正面から否定するのは憚られる。
ある時、たった一言で友希那が豹変した事があった。
「違うっ!馬鹿な事言わないで!」
思えばあれも、京が浮かべる友希那という人間と、友希那が浮かべる京という人間に相違があったからかもしれない。
「私に従いなさい!私だけの言葉を噛み締めなさい!そうでなければ貴方はっ、また毒される事になる!そんなの許さないわ!!」
湊友希那はあまり感情を表に出さないとばかり思い込んでいたため、あれにひどく動揺した記憶がある。
毒される。
彼女はどういうわけか、京の身の上を聞いても憐れまなかった。憐憫は自己満足の類義語とは言うものの、彼女に限って言えば、それの欠片すら見られなかった。しかしそれは口にしていなかっただけで、相当なストレスになっていたのだろう。哀れみだとか悲しみだとかそれより前に、込み上げるものがあったらしい。
それが何なのか、あまり想像したくない。
「京」
「あい」
「最近どう?」
「変わりなく」
「そう。それは何よりね」
今に至るまでがやけに長く感じた。
「心配し過ぎですよ」
「足りないわ。全っ然足りない。もう私が目を離した隙にあいつに奪われると思うともうダメだわ」
「私の意思で決別した。もう戻れません。戻れば私の命が危うい」
「力は野蛮人の常套手段なのよ」
「どうでしょう。では私と貴女のため、貴女が出来る事とは?」
「手段なんて山ほどあるわ。貴方を導くためだもの」
彼女は京に執着しただけではない。寧ろ、人間にあるべきものが欠落してしまっている。
「どうして………」
数日経った頃。友希那は誰が見てもわかるほどに怒っている。人が怒る理由など単純なもので、望まなかったからだ。
「貴方は頭がいい。衝動的な事をするとは思えない。どうしてそんな事をしたの?」
「私も色々考えた、とだけ」
「そう………そうなの。へぇ………」
怒り方には性格が出るが、彼女はまるで人格がふたつあるように激昂したり、口調こそ冷静だが言葉に怒りを込めたり。まず京が話して感じたのは、友希那の精神状態。
動揺しているでは済まされないほどに、友希那の精神は摩耗されている。余裕がない、というのは当然京の事。友希那の言う頭がいいというのは、成績の良さというよりも、人の行動の先読みや欺くなど、思考力と言った方がいい。だからこそ、彼女は危惧しているのだ。
いつか京が、正しいと信じた主観に囚われるのではないかと。
「貴方のためにっ!私が必要なの!もう二度と不幸にしない、もう二度とどん底に落とさない!」
それは躁状態と鬱状態の波のようで、京にとってもある種の恐怖だった。
「私に従いなさい!!」
京は存外脆いようだ。
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氷川日菜の最適解(表)
京はその性格の通り、可能な限り静かでいる事を望む。分かりやすく言えば、白金燐子や松原花音のようなタイプが理想的、ハロハピの乱痴気騒ぎ担当の3人はあまり得意でない、という事だ。
しかし、明るければ明るいほど京とは合わない、という法則には例外がある。最たる例は筑前煮好きのギャルこと今井リサだろうが、実は1人だけではない。
「けーいくーん!」
「あ………?」
それが、今日もやって来る。
「邪魔です」
「邪魔しに来たんだよ!」
基本、スペアキーは出回っていると考えて構わない。というより、彼の住むアパートの大家は寛容が過ぎる。おかげで彼の部屋のキーは貸し出しフリー状態だ。
「あっそ。とりあえず出てけや。日菜」
「イヤ!」
氷川日菜。氷川姉妹のやかましい方。パスパレのオーディションを何となく受けて何となく合格した、に始まり、とにかく逸話に事欠かない天才児。ただし彼女は理路整然としたギークのような天才ではなく、あくまで彼女の感性に従って動く。野生動物が如き嗅覚で本人曰く『るんっ』と来たものを探す。
「日菜、白鷺さんに何を吹き込まれたのか知りませんが、とにかく今、貴女のせいで私のパーソナルスペースが侵害されているのです」
「だからぁ、そのためにやってるんだってば」
「何たるや、貴女には善人の心がないらしい」
「えぇ〜?そんな事ないよぉ〜?少なくとも京くんよりは」
「驚きですね。紗夜さんの説教でも聞いて欲しいものです。爪の垢煎じて飲むより効果的だろうさ」
京と日菜の間には、言い争いと呼べるほどに会話が弾んでしまう事だ。そして、鍵をポケットにしまってコートを羽織って、外出の準備を整えているその間にも京は器用に体と頭と口を同時に動かしている。
「どっか行くの?」
「どこへ行こうが勝手でしょう」
「そういうわけにもいかないよ。あたしがちゃんと見張っとかないと」
「私には弁護士を呼ぶ権利があります」
「まっさか京くんはー、そーんな酷い事しないよね?」
「どうだか。今のうちに閉所に慣れておいた方がよろしいのでは?」
高校生とその歳下が話す内容とは到底思えない内容だが、それも2人の間では通常運転というか通常運行というか、挨拶のようなものというか社交辞令の前段階というか。
「変わらないなー、京くんは」
「その言葉、そっくりそのままオマケ付きで貴女に返します」
「そういうのを素敵っていう女の子もいるけど、変えるとこは変えないと。そういうのは頑固って言うんだよ」
「それ、ブーメランだってわかってますよね?」
「えぇ〜?」
「貴女は始終そんな感じ、あの姉はカタブツで融通も効きませんが、それ故に苦労が偲ばれます」
月島まりな、湊友希那、今井リサ。この3名は特に初期の頃の京を知る人物であるが、あえて知るという優劣を付けるのであれば氷川日菜はその3名と比べて浅いながらも、長い付き合いの部類には充分入っている。3人が極初期だとして、氷川日菜とその他の面々は初期になる。
「最初の方は野良犬みたいだったのに」
「貴女は最初の方どころか今も野良猫そのものですよ」
「にゃんにゃん!」
「うるさいです」
傍目からはイチャつくバカップルに見えなくもない、こともない、ようなこともないかもしれないが、日菜は横に並んで歩く京の違和感を察知して立ち止まる。
「ホントは無いでしょ?用事」
「よくご存知で」
「だってよく使うじゃん。そういうやり方」
「見破られたのは初めてです」
「見破られそうになったのは?」
「赤メッシュ軍団のパン娘以来です」
彼女もまた、他人を見ていなさそうで恐ろしいくらいに観察しているというか。一番他人というカテゴリに関心を示さなそうな人間が、実は一番人を見ているという点においては、日菜も同じ部類に入るかもしれない。もっとも、彼女は観察した上で付け入る事を避けているのだが。
「あらら。で、訳もなく出掛けてどうするつもりだったの?」
「そのまま貴女の事務所に向かって白鷺さん辺りにパスしようかと」
「えぇー?せっかく今をときめくアイドルバンドが家にまで来てあげたんだよ!?」
「そういうマウント取ろうとするとこです。今の貴女を知ったら、ファンは面倒で潰される事を恐れるでしょうね」
「ひっどーい。あたしそんなに面倒な女じゃないよー?」
「10秒前の自分の言葉を思い出してください」
日菜は確かに天才肌で、京曰く、一見すると脳みそのサイズさえ疑ってしまうほどに馬鹿騒ぎをする理解不能な人物であるものの、存外学業の成績も優秀で、仕事をタフにこなしているという意味では聡い少女だ。だがしかし、京が言う『一見すると』の部分があまりにも大き過ぎる。
「それとさぁ、いっつもお姉ちゃんとあたしの事、姉の方とか妹の方とか言うけど、あたし京より年上!高校生!」
「………で?」
「妹の方ってやめて!せめて日菜って呼んで!」
「最近はちゃんと呼んでいるでしょう」
「何か名残があるじゃん。何か、姉だからどう、妹だからどうっていうのがあるのかなって」
「………そういう意図はありませんが、そう思わせたのならお詫び申し上げます」
「じゃあちょっとあたしに付き合って♪」
「それが狙いですか、このカラス女」
どうにも、弱い。虚を突かれるというか何というか、どうにもお互い純真無垢とはならない。同じパスパレの中でも某まん丸お山を相手にするのとは全く違う。
「事務所には絶対に行きません」
「千聖ちゃんとお話すれば?」
「あー………今はそういうモードに入ってない」
「じゃあ今はどういうモード?」
「面倒を全て放り投げて家でゆっくり休みたいモード」
「……………」
「……………」
「………もしかして面倒ってあたし?」
「それ以外に何があると」
察しがいいのも交流の賜物だ。
「私は芸能人とは付き合わないつもりだったのですが」
「でもしょうがないよ。ね?」
「ええ、残念ながらそのようです」
京はくるりと踵を返す。日菜はそれを追う事もなく、ただ一言声を掛けた。
「あたしはあの時の事、後悔してないから。貴方もそうだって信じてる」
「だといいですね。私はこれまで、自分の中で色々な事を変えてきましたから。犯罪倫理から好きなカキ氷のシロップまで」
最近は、偶然ではあるがパスパレのメンバーと関わる事が多くなっている。まったくいつシャッターを切られるかわかったものではないのに、呑気なものだと戒めたくもなる。
「私が何をしたというのか」
「そう言うものじゃないわ。芸能人と一緒よ。喜びなさい」
「今の発言を加味して尚喜べると思えるその頭、実に興味深いです」
「あら、CTスキャンでも撮ってみたらどう?」
「輪切りにしてしまえば貴女の口も閉じれるでしょうね」
「ふ、2人とも………」
Pastel✳︎palettesのふわふわピンクこと丸山彩には荷が重い。あいも変わらず京と千聖は犬猿の仲で、およそ未成年とは思えない会話を展開している。
「私が暇に見えるとは驚きです」
「違うの?」
「自分の何と他人の何を比べるのもそちらの勝手ですが、よほど自分達を敬虔な労働階級と思ってるらしい。そうじゃなきゃ他人に暇などと中々言えませんよ」
「権利っていうのは義務との釣り合いが必要なのよ?」
「例えば?女優の不干渉義務とかですか?」
「そうね。ビジネスパートナーとの接触不可分の権利とかかしら」
「銭でも積めばいいものを」
「貴方、コメディアンの才能があるわよ」
「そういう貴女はナルシストの才能がおありですよ」
この2人はまず、皮肉と脅しを無しに会話が出来ないものかと彩が憂う。そして監視役こと氷川日菜は
「ねーねー彩ちゃん。あの2人ケンカしてるの?」
「うん………うーん………」
などと呑気なものである。
「で、スキャンダルを恐れない勇者諸君は何故私を呼び出しました?」
「ただお茶したかっただけ」
「帰りたい」
「帰さない♪」
「白鷺さんさては、友達少ないですね?」
「どうかしら、今ここに3人いる」
「おっと………」
虚を突かれる。懇談会はその後3時間になった。日菜はいつもに比べて大人しく、京に話しかける事も少なかった。珍しい、とは思いつつも、人には浮き沈みというものがある。そこに大して驚く要素などありはしないのだが。
「日菜さん」
「なぁに?」
「………いえ、何でもありません」
「えー?何それ、すっごい気になる!」
こうして釣ってやれば、いつもの氷川日菜なのだが。
「やー、楽しかったね、京くん」
「それ嫌味ですか?」
「ん?何で?」
「………もういいです」
彼のような人間にとってはマイナスイオンは劇薬そのものだ。特に現代の流行りがどうだという話題にはついていける気がしない。幸いだったのは、それを前面に押し出さんとするあざといタイプの人間がパスパレにいなかった事くらいだが、それでも困った事に人間の耳はそこそこ高性能なのである。
「何が楽しくってあんなところに?」
「るんって来たから」
「言語化してください」
「わかるでしょ?」
「わかるわけありません」
どこまでもフィーリングで生きるというか。自らの興味の事となるととにかく第六感どころか第七感辺りまで使う彼女をどう理解せよというのか。京にとっては甚だ疑問である。
「逆に来ないものは何ですか?」
「それは、るんって来ないものを見ないとわかんないよ」
「それで今までどうにかなってるんだから、貴女は人生得してますよね」
「うん!もう毎日楽しい!」
「さいですか………」
「京くんは楽しくないの?」
「貴女みたいに能天気とはいかないので」
何を気取るでもないが、それでも、やはり京は気苦労が絶えない。それは今こうして実践している、他人に合わせるという行為がそのまま当てはまるし、そうでなくても彼がよくする予測というのは、時として被害妄想にも似たストレスを与えるものだ。
「じゃあどうしたら楽しいの?」
「何者にも邪魔されない空間で趣味に没頭する事でしょうか」
「そういうのがるんってくるの?」
「………えぇ、まぁ」
やはりわからない。彼の中で、正解と思わしき候補はいくつかあるのだが、どれも掠るだけで正解とは言いがたい。とにかく仮定を置いて進めるしかないのである。
「でもでも、2人の方が楽しい事だってあるよ!ね?あたし達、友達でしょ?」
「………」
「ね?」
やはり、弱い。純真過ぎるというのに振り切れていると、どうにもいつものように、具体的に言うなら白鷺千聖のようにとはならない。
「そうですね。友達です」
「でしょでしょ!それじゃ明日も———あ………」
「どうしました?」
「やっぱり明日はゆっくり休もっか。京くんも大変だろうし。それじゃあね!ばいばい!」
そして何とも嬉しきかな、2人の変人が進化した瞬間である。
日菜ちゃんの予定だったのですが、ある読者様からいただいたアイデアは、日菜ちゃんではなく次の人になる予定です。
はい、つまり、友希那さんの次は日菜ちゃんを書くことが決定してた→あれ?でもアレもコレもええやん→でも日菜ちゃんにはもうアイデアあるからなぁ→でも日菜ちゃんも細かいとこ固まってないなぁ
の無限スパイラルで葛藤してました。結果、次々回は固まってるのに次回が固まらないという謎現象が発生しました。すみませんでした。
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氷川日菜の最適解(裏)
現実逃避も兼ねて魔法科の二次創作辺りでも書こうかな………
果たしていかがなものかと頭を捻る。どうにも度し難い。
「あたしがやるの!おねーちゃんはうるさい!」
「何ですって!?貴女に任せると出水君がもう2度と喋れなくなります!いいから私に預けなさい!」
「いーやー!あたしがやるの!」
姉妹喧嘩はよそでやってくれと言いたいところだが、生憎、今の彼にはそれを口にして彼女達に介入する気力がない。
ちょっとした事がキッカケで京は40度近い高熱を出した。原因が原因なだけに、おそらく簡単に体温が下がらないだろうという事で、学業に支障がない程度に看病してもらおうかとスマートフォンを手に取ったまさにその時、突撃してきたのが氷川姉妹である。
「貴女は芸能人でしょ!メンバーに迷惑かけるだけじゃ済まされないのよ!」
「おねーちゃんに言われたくない!」
人気バンドのメンバーに、芸能人。中々ないだろうと思っていた京の見通しが甘かった。何せ高熱を出したせいで思考力が奪われていて、その上脳の出力をセーブしなければならない状況だ。そして奇跡的にこのメジャー姉妹の予定が合わせて空白になってしまい、今に至る。
「見なさい!これを微熱とでも言うつもり!?感覚勝負でどこまで行く気なのかしら!」
「じゃあおねーちゃんはどうするのさ!また友希那ちゃんのお達しひとつでほっぽり出すの!?」
加熱の様相は治まるところを知らない。議論はここに来る前に完結させてほしかったものだ。が、それすらも言葉に出来ない。とにかく、筋肉を動かす事が億劫なのだ。
「とりあえず、終わらないようなら外でやってください」
と、ようやく絞り出した言葉がこれだ。しかしヒートアップして参ったものの、氷川姉妹もそれを放っておくほど目的を見失うというわけでもなく。
「京くんは寝てて」
「出水君は無理しないで。これは私達の問題よ」
「私の体が懸かってるんだから私の問題です。とにかくそれをやるなら近所迷惑にならない場所でやってください」
彼女達に引っかかったのは、近所迷惑というワードではなかったようだ。とにかく優先すべきを京とした場合、どうしても『私の問題』というワードを聞き逃すわけにはいかなかった。自分に関わる問題な上彼の性格に反する状況を作り出してしまっている現状を見つめると、京のストレスは相当なものと想像が今浮かんだ。
「………私は優しいので妹に譲ります。私は優しいので自分にも出水君にも無理はさせません。私は優しいので近所迷惑も考えています。何てったって私は優しいので。私は優しいんですからね。私は優しいので出水君の言葉を無視しません」
「あっ、はい」
紗夜は最早隠す気を感じられないほどに憎悪を放出しているが、それは火に油を注ぐようなもので、それを敏感に感じ取った日菜は紗夜に目を向ける。
「………何?」
「何でもないわ」
そう言って、紗夜はやや乱暴に扉を閉める。
「ふう………」
それで勝ち負けがどう、とはならないのが姉妹故である。これは勝ったのではなく、凌いだに過ぎない。彼を巡っては特に狭き門で、これは一時的に手中に収まっただけ。
「大丈夫?」
「熱が上がった。人間は45度の体温上昇が致死量です。あと5度」
「え゛っ?」
「というわけで、ちょっと、寝ます。おやすみなさい」
「あ、うん………冷えピタ買ってくるね?」
「すみません。ありがとうございます」
体温が上がったのなら、冷却しなければならない。もっと言えば、解熱しなければならない。発熱はウィルスや細菌への防なのだから、寝るだけでは特にどうなるわけではないのだが、結局動くか動かないかの二者択一しかないのだ。
彼の視界が暗転するまで、そう長い時間はかからなかった。
「ムカつく………ムカつく………」
一方で、いつもの天真爛漫な顔はどこへやら。日菜は呪詛のようにムカつくと零しながら歩いていた。問題は、実の姉である氷川紗夜。どうしたって許される筈がない。彼女はわかっていながら自分の邪魔をしている。そう思えば思うほど、憎悪は肥大するだけで縮小することを知らない。
(あたしは京くんの事を本気で思ってるのに………)
理屈らしい理屈はない。ただ、自分が気に入っているものを盗られているような気がしてならないという子供じみたものではあるが、とにかく日菜にとって許せない事である。
「許せない………あたしの方が………」
憎々しげに目を吊り上げ、親指の爪を噛む仕草は最早純真無垢で天真爛漫な彼女と別人そのものだ。自分は心から京を想い身を捧げるが、姉は違う。姉はただ、略奪したい異常な性癖を孕んでいるに過ぎない。そう考えれば考えるほど、日菜の中で出水京という男の存在が膨れ上がるばかりだ。
「京って甘いもの好きだったよね………」
長年隣で見たからわかる。実際彼は脳の活性化言いながら糖分を摂取しまくった結果、リサが激怒して砂糖禁止令を出した事が過去にあった。彼のハイキャパシティ過ぎる脳が摂取したものを速攻で消費しているせいか、彼はその辺りの生活習慣病とは無縁だったが。
「懐かしいな………」
心を開いているのかいないのか、なんて、あの時はどうでもよかった気がする。ただ彼が楽しんでくれるのならそれで良かった。しかし、今となっては彼も楽しむどころではなさそうだ。
「ん………」
沼にハマろうとしていた日菜を呼び戻すが如く、スマートフォンが振動する。京からの電話だった。
「京くん?どうしたの?」
「いえ、別に緊急というわけではありませんが。1人は中々寂しいものです」
「………変わったね、京くん。前だったら絶対言わなかったよ」
「一種の防衛本能のようなものでしょうか。孤独死なんて言葉もあるくらいですし」
「もう、変な事言わないで!すぐ帰るから!」
京が自分を頼ってくれたという喜びと、高熱で文字通り死にかけない限り他人に頼らないという少しの寂しさ。らしいと言えばらしいが、それでも口にしたい。もっと頼ってほしいと。
「おねーちゃんじゃなくてあたしが………」
幼稚なのはわかっているが、それでも、どこかで勝ったような気分があった。氷川紗夜の妹、という姉にとっての付加価値を初めて抜けられたような気がした。
「………ふふっ」
それが嬉しくてたまらない。彼を愛する事で、1人の人間でいれるような気がした。稚拙ながらも、それを存在意義に出来たような気がした。
「うん!お熱下がった!」
彼女は変に完璧主義というか、そこは氷川の血筋かもしれないが、妥協を嫌う。だからこそ徹底的に
「流石あたし!」
「………もうそれでいいですが」
気持ち悪い。京にとってはこの空間そのものが不快だ。何せ明らかに日菜の様子がおかしい。2人きりというこの状況、相手が芸能人であれば本来喜ぶべきところだが、察知した日菜の異常に熱のせいで出る倦怠感にと、それどころじゃない。
「それでいいですが、日菜」
「ん?なーに?」
「何か、焦っていますか?」
「別に………何で?」
「紗夜さんについて、よろしくない感情を抱いていますね」
「おねーちゃんは関係ない!」
どうしても分からなかった不快感の正体はこれだ。氷川日菜に最も欠けているものは、主観である。どうしても主に姉が来る。しかし自我の目覚めと共に日菜の中から絶対的な姉の存在というものが消え失せる。今の彼女は、自分を取り戻そうとしている最中だ。
「あたしが、氷川日菜が貴方を想ってるの!おねーちゃんは関係ないでしょ!あたしが、あたしの、あたしだけなのに!!」
と、言えば聞こえはいいものの。その実日菜は被害妄想を糧に京への想いを募らせているに過ぎない。京もそれを知っているからこそあえて口にしなかったが、不愉快には耐えられなかった。その代償は、最早言うまでもない。
「何でいつも、優等生ばっかり!あたしは笑ってただけなのに!あたしは反面教師じゃなきゃいけないの!?アイドルってだけで近寄っちゃいけないルールでもあるの!?」
どうやら彼女はナイーブらしい。あるいはナーバスになっているのか、睨みつけるような彼女の表情を見たのは京が初めてだろう。しかし問題なのは、京が日菜の気持ちを真に理解出来ない事にある。
兄弟もいない。
誰かに劣等感を抱いた事もない。
羨望されるような仕事もしていない。
氷川日菜と出水京はあまりにも逆を行き過ぎている。だからこそ、間違っても君の気持ちがわかるなんて言えなかった。それが出遅れた原因なのかもしれないが。
「貴方は違うと思ってたのにっ!!」
「………私も丁度そう思っていました」
どうしても、声に気持ちを込められない。理想を他人に求めるというのがどれだけ不甲斐なさを出してしまっているか日菜はまだ理解出来ていないが、それでも京には言えなかった。
「お許しください。私は貴方の理想になれなかったようだ」
「……………いや、だって………あう………」
しかし、突き放した相手が本当に離れてしまうと寂しくなってしまうのはティーンエイジャー特有のものだ。
「………日菜?え、ちょ、待っ………」
「ゴメン。でもね、あたし、おねーちゃんの妹としてじゃなくて、氷川日菜として京くんのことが好きなの」
「日菜?それは抱擁じゃなくて鯖折りで………」
「許せない、許せない、許せない。あたしはただ愛したいだけなのに、どいつもこいつも邪魔ばっかり!」
「肋骨が締まる………」
「おねーちゃんは違う!あたしから貴方を奪おうとしてる癖に!京くん、騙されてるんだよ!?」
彼女を構成するものは、怒りに任せている全てである。それを崩す事を考えたのも一瞬の気の迷いのようなもの。それをやったらいよいよ矛先がどこに向くかわからない。
彼は固く口を噤んだ。
日菜は、京を愛するという点においても紗夜と競おうとした。コンプレックスを抱えるという事は、自分をよく見ているという事だ。そういう事なのだが、これは日菜が自分を見てしまった故に起きた事である。
「まだ、まだ!あたしが愛さないと、京くんはおねーちゃんのところに行っちゃうんだから!」
「日菜………」
「あたしはおねーちゃんの分身じゃない!おねーちゃんが好きだったから、京くんの事を好きになったんじゃない!」
それは最早、意地で押し通しているようなもので、理屈で語っていなかった。言い聞かせている、というのもまた近いかもしれない。京の背中に覆い被さるように抱きつく彼女は、首筋に顔を埋めるようにして口元を押さえながらも叫んだ。
「京くんは、わかってくれるよね?」
「そう思うのも、無理はありません」
「そうだよね」
言えなかった。間違っても、どう口が滑っても。
氷川紗夜という別人を使う事で自分を見出すのは、果たして『主観』と呼べるのだろうか?
そんな事言えるはずがない。絶対に。
自我の目覚め日菜ちゃんでした。多分これも、後味悪いエンドだと思います。
趣味です(迫真)
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氷川紗夜の乖離(表)
まったく人間というのは愚かなもので、合理、合理と言いながら、言い聞かせないと不合理になってしまうその行動が不合理なのです。
「出水君、少しよろしいですか?」
「今ですか?」
「はい。湊さんとどのような話をしていたか、お聞かせ願えればと」
「別に。あの人の口から出るのは1から15くらいまで音楽の事ですよ」
「………そうですか」
普通に会話をしているだけのはずなのに、気分は警察官に尋問される容疑者だ。京は内心辟易する。
氷川紗夜。ガールズバンドRoseliaのギタリスト。その修験者の如き恐ろしいストイックさの賜物か、高校生らしからぬ実力を持つ少女。真面目さが前面に出過ぎている故に、彼女が風紀委員に所属していると話した時には10人中10人が口を揃えて『ですよね』と言ったとか。真面目に生き、真面目にギターに向き合い、真面目に犬を愛でて、真面目にジャンクフードに舌鼓をうつ華の女子高生である。
「話は変わりますが出水君、学校へは?」
「行ってません」
「何故?」
「差し当たり問題はないので」
「大ありです。良いですか、確かに義務教育と呼ばれる段階は過ぎていますが、それでも高校に進学するという選択をした以上その形態は問いませんが、勉学には励むべきです」
「落第はしていませんが」
「行きたくなければ行かなくていい。その習慣が身につく事が危険だと言っているのです」
彼女は真面目で勤勉を是としているせいか、京とは親しい仲と呼べるような関係にない。ふとした事で小言か説教が飛ぶのは日常になりつつあり、京もこれを予知する能力と聞き流す能力を身につけた。そして、今思うところはひとつである。
「思ったより優しいですね」
「………はい?」
「優しいですよ。いや、ただ頭がお堅いだけかと思っていた私が馬鹿みたいだ。おみそれいたしました、氷川さん」
「………そう言われたのは初めてです」
「おや。そうでしたか。予想外ですね」
「それは私のセリフです」
どうにも、調子が狂う。それはお互い様のようで、謎の気持ち悪さは残るばかりだ。まったくやりにくい。2人が相手に抱いたのはまったく同じ疑念であった。
「貴方はおかしな人ですね」
「随分な言い草ですね、氷川さん。妹と和解した反動がこれですか」
「………否定は、出来ませんが」
「あっ、そう………」
彼女とその妹、氷川日菜との間にはかつてわだかまりがあった。というのも、小さな努力を積み上げる努力型な紗夜と対象的に、日菜は天性の才能でそつなくこなす。それが相当なコンプレックスとなっていたようで、その溝は深かった。最近ではそんなカタブツな姉も丸くなったが、妹を思うという庇護欲が迷子になっているようだ。
「とにかく、必要なのはやるべき事を気分がなんだと言って反故にしない事です!」
「はーい………」
そして京にとって一等最悪なのは、彼女がまた間違っていないというところにある。彼女が暴君だったらまだ逆らいようもあったものの。そうでなければ従わない方が悪だ。形態は問わないが勉強をしなさい、という辺りに特に紗夜の配慮が感じられる。おかげで京に出来るのは、返事をして実行はしない『やります詐欺』だけである。
「そろそろ休憩が終わりますね」
「別に話しかけなくてもよかったんですがね」
「そういうわけにはいきません。学校は違えど、貴方と私は良き仲の先輩と後輩でしょう」
「縁もゆかりも日菜任せでしたけどね」
「な゛あ………それとこれとは話が別です」
カタブツがなりを潜める、というのは京にとっても良い結果となった。真面目さは失っていないため紗夜の言葉はいい啓発になるが、思考が凝り固まっていないおかげでとっつきやすい。今までの彼女が高校生とかけ離れていた事もあって、やりやすい事この上ない。
「では練習頑張って。応援していますよ。カフェでお茶でも飲みながら」
「貴女さては、私の話を聞いていませんね?」
「聞いた上で言ってます」
「なお悪い!」
相変わらず彼女達はストイックというか、限度を知らないというか。今井リサのクッキーをエサに待ち続けること実に3時間。休憩後にこれなのだから、果たして体力が底なしなのか熱意が底なしなのか。
「あるぇ?京?」
「こんにちはリサさん。早速ですがクッキーよこしやがれください」
最初に違和感に気づいたのはリサだった。テーブルに突っ伏したまま動かない人がいたので何事かと近寄ってみれば、整えていない黒色の短髪にリサ自身が選んだグレーのパーカーと黒色のカーゴパンツに見覚えがあった。
「お、おう………どったの?誰か待ってた?」
一体何がどうなって瀕死になってしまったかと恐々するばかりであったが、その原因は誰もがよく知っていた。
「ええ。といっても、待ってたのは私ではなくてですね」
「やっほーおねーちゃん!あとみんなも!」
「お、ヒナじゃん」
「日菜?どうしてここに?」
「なんかね、京くんがまりなさんと話してたから、何かなーって」
「わからんでしょう?こいつはいつもそうなんです」
「いや、まぁ、うん………そだね………」
リサも、否定したいが否定出来ないようで、苦笑が止まらないようだ。
弦巻こころ、北沢はぐみ、戸山香澄、etc.………性格のせいで京と合わない人間はいるが、彼女もその1人だ。まず、行動が読めない。あまりにも感覚的過ぎる彼女との相手は、野良猫を相手にしている気分になる。
「そんで、どったのヒナ?愛しのおねーちゃんに用事?」
「んー、別にこれといってないけど、一緒に帰ろ!おねーちゃん!」
「………まったく、出水君が困っているでしょ」
「いやいいんで、早くそのじゃじゃ馬を連れて帰ってください。私が過労で死ぬ」
「もう………わかりました。これ以上負担をかけさせるわけにはいきません。帰るわよ、日菜」
「はーい!付き合ってくれてありがとね、京くん!」
「もう二度と付き合わん。次はイマジナリーフレンドでも連れてきてください、日菜」
「友達を連れてくればいいの?」
「違う」
そんな姦し地獄は勘弁願いたい、とばかりに京は立ち上がって歩き出した。そのままRoseliaは解散する形となり、リサと友希那が京と同じ方向へ、あこ、燐子と紗夜、日菜もそれぞれ別の方向へ歩いた。
氷川姉妹は良好な仲を深めているが、それでもテンションの高低において紗夜はまだまだ日菜より低い。そのせいか会話という感じではなく、日菜が喋り倒すというのが常であったが。最近はそれも消え、対等になりつつある。
「日菜、貴女確か出水君とは長い付き合いよね?」
「うん。何で?惚れた?」
「断じて違います。月島さんと話していた、というところが気になっただけ」
「そっち?まりなさんは京くんのお母さんみたいなものだもん。京くんもすっごく懐いてる」
「普段の会話は到底仲良しのそれとは思えないのだけれど………」
「反抗期なんじゃない?」
「そうかしら………?」
思春期であれば不思議がる事もなし。しかしあの万年能面の京にそんなものがあるのかも怪しい。紗夜は日菜ほど付き合いは長くないが、良くも悪くも彼の特徴を掴んでいる彼女にとっては、反抗期というのはどこか引っかかる。
「やっぱり惚れた?」
「どうして貴女はそういう方向に持ってきたがるのかしら」
「だって〜、あのおねーちゃんがだよ?」
「彼に興味があるのは確かです。しかしそれは恋慕などではありません」
「ほんとーにー?」
「本当です。貴女が期待しているような事は間違ってもありません」
「まりなさんなら知ってるよ。どんな女の子が京の好みなのか」
「………別に、だから何です?」
「拗ねないでよ」
「拗ねていません」
紗夜は真面目故に嘘を吐くのが苦手で、自分はクールを気取っていても偶にボロが出る。特に顔、特に特に表情に出る。皆近寄りがたいから近寄らない、つまりそんな嘘を吐けない紗夜という側面を知らないが故にマイナスイメージを抱くが、知ってしまえば案外年相応な乙女だ。
「ただもったいないと思っただけです。頭脳明晰でありながらまだ彼は1%程度しか実力を出せていない。今井さんから大体聞きましたが、彼にはチャンスが与えられて然るべきです」
「ほーん………でもあんまり世話焼き過ぎると京くんも困っちゃうかもよ?」
「それは………そうだけど………」
「京くん、頭いいんだからさ、あたし達よりずっと凄い事考えてるかもしれないじゃん?京くんの事考えたら、待った方がいいかなーって」
「………それもそうね。確かに、そうだわ」
「でしょー!あたしすっごくいい事言ったよね!」
「そういう事を自分で言わなければ完璧なのだけれど」
「ぶーぶー」
要するに、彼女は奥手。だからこそ他人と知り合い以上の接し方が困難で、時にそういった事に無知故に発想が空回る。他人を寄せ付けないというイメージも彼女にとっては枷となったようで、経験値も足りない。Roseliaの中でも、同年代の集まりという中で能動的になれるのは音楽の事くらい。それ以外は友希那のように、あこやリサに任せるばかり。
どうにかしたいと思っても、やり方がわからない。板挟みで苦しんでいるのだろう。
「そうだ、あたし、おねーちゃんの事応援してるからさ、もう一個アドバイスしたげる」
「応援って………まぁ、ありがたいから聞くけど」
「あたしと喋ってる時に嘘吐くと敬語になる癖、直した方がいいよ?」
「………!っ〜〜!!〜〜!?」
紗夜が発火したように顔が赤くなり、声にならない声をあげる。
「日菜!?ちょっ、貴女っ………」
「帰ろ!おねーちゃん!あたしお腹ぺっこぺこー!」
「待ちなさい!」
少し前までは、こんな風にふざけあう事もなかっただろう。狼狽する紗夜も、心のどこかで心地よさを感じていた。
翌日、花咲川女子学園校門前にて。氷川紗夜は敏腕を振るっていた。
「そこの貴女、ピアス等は禁止されています。貴女も、そちらの貴女はスカート丈に注意してください。そちらのあな………た………」
「どうも」
「出水君………」
「はい。確かに私は出水京です」
日を跨げばどうにでもなる、というのは浅はかな考えだった事が今になって紗夜に後悔として襲いかかる。
『嘘吐くと敬語になる癖』
「っ………〜〜〜!!!」
顔が熱い。見せられるものではないだろう。紗夜自身も朝っぱらからそうなってしまった自分に対して混乱するばかりだ。羞恥のせいで両手で顔を覆うと、逆にそれが変になってしまうようで、ジレンマである。
「い、出水君?な、なじぇ、何故っ!?」
「こちらの学校の異空間さんに呼び出されまして。どうやって入校許可が出るのか、知りたくもありませんが」
「そ、そうですか………もしですよ?その、もしよろしければご案内致しましょうか?」
「ありがとうございます。女子校を男子1人が歩くのは精神衛生上よろしくない。是非お願いします」
「は、はい………行きましょうか」
どうにも、呼吸が上手く出来ない。自分らしくない、そう平静を装う事も忘れてしまうほどに。どうしてしまったのか、胸に手を当ててもわかるはずがない。
「い、出水君?」
「はい、如何なさいました?」
「そ、その………」
『惚れた?』
そんなはずない、と論理的に否定しようとしても、頭が上手く働かない。だからこそ、聡い彼女はそれに逆らうのをやめ、順応しようとした。
「その………予定が空いていればで、いいので、あの、今度、お茶でも如何ですか?」
「ええ、喜んで。今日でも構いませんよ」
「きょっ………いえ、や、よ、喜んで!」
戸惑っていた彼女が、恋慕を知るのはまた少し先になる。
今度は何書こうかな………
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氷川紗夜の乖離(裏)
え?ネタ切れ?
そうですけど何か?()
統計的に、同じ10代では兄弟よりも姉妹の方が『仲は良好とは言えない』と答えるのが多いらしい。原因はわかっていない。脳科学的な問題かもしれないが、人間の脳はまだ半分以上解明されていない謎がある。だからだろうか。
「はい、どうぞ」
「あの………」
「もしかして野菜は嫌いかしら?」
「いやあの………」
「ダメよ。健康には気を付けないと」
「………いえ、前にブロッコリー食べて倒れた事を思い出しまして」
「そ、そう?こめんなさい、軽率だったかしら」
「いえ、あの時は免疫が弱ったからです。今は何ともありません」
「そう………」
彼女はそれを、矯正と呼んだ。どういうわけかわからないが、とにかく不摂生を謳歌する彼から目を離せなかったようで、こうなっている。紗夜が京にここまでする理由は本人しか知らないが。
「箸の持ち方はそうではありません。こうです」
「………」
「はい、そうです。よく出来ました」
実際のところ、友達という距離感を測りかねるという事は紗夜に限ってないだろう。彼女は不器用だが馬鹿でも間抜けでもない。逆に、唯一不器用という以外に欠点らしい欠点がない。だからこそ、京も知り合い以上友人未満という関係の心地よさに凄まじくどハマりしてしまったわけだが。ここ最近はそうとはならないようで。
「ご馳走さまでした」
「お粗末様でした。では一緒に」
「………本気ですか?」
「私は冗談が嫌いです」
矯正。紗夜の言うそれは決して危機的状況とは言い難い。彼女は普通の生徒らしく学校へ行けと言っているのではなく、ただ学校へ行くという形態を取りなさいと言ったいるに過ぎない。教室へ突撃する必要もないし、すでに様々な分野で博士号レベルの知識を有する京に今更中学生レベルの授業を受けろとも言ってない。落とし所であったはずの保健室登校さえしなくなった彼に、せめてその落とし所まで戻って欲しいという、彼女にとっても中々の妥協ではあるが。
「私も一緒よ。だから大丈夫」
「………はい」
「手でも握りましょうか?」
「いえ、大丈夫です」
紗夜は京に提案した手前表情に出しにくいだろうが、心配性だ。しかし紗夜が心配するあれやこれは杞憂である。しかし京が言葉にしないのだから与り知らぬのだが。頭がいいというのは時に凄まじい障害になるもので、周到な彼女にとっては、彼の身に降りかかるあれこれをシミュレートしただけで胃が痛くなってくる。
「ほら、もっと寄りなさい。危ないわよ」
満員、というほど凄まじい混雑ではないが、腕を動かすのがはばかられる程度に混み合ってきた電車で、紗夜は京を庇うように自分の体の方へ抱き寄せた。風紀を取り締まるといっても彼女も年頃の少女で、ほのかにシャクヤクの花の匂いが香る。
「危ないって………何が?」
「どこに不埒な輩が潜んでいるかわからないわ。だからこっちに寄りなさい」
「………はい」
京の気のせい、あるいは思い違いかもしれないが、紗夜は三人称を用いる事が少なくなったような気がする。代わりに二人称で京を表す事が多くなった気もする。それが何だと問われれば、引っかかっただけなのであるが、疑問を持つとどうしてもそれに対して鈍感になれないのは京の悪癖である。
「紗夜さん」
「どうしたの?」
「私の学校、何故知っているので?」
「今更じゃないかしら。もう半年くらい前からみんな知ってるわ」
「それ誰がバラし………いや、若干2名当てはまる」
「でも感謝しています。こうして貴方を見守れるのだから」
「………何故そうしようと?」
「あら、わかっているとばかり」
「私は超能力者ではありません」
「ふふっ、そうね」
紗夜にその気はないのかもしれないが、どこか皮肉めいたように聞こえた彼女の言葉に京は口を尖らせる。それを彼女は慈愛をもって笑い飛ばした。
「昔からね、可愛い弟がほしくて」
「………弟、ですか」
「そう。貴方は素でやっているのかもしれないけど、何だか反抗期の男の子みたいで可愛いのよ」
「そんなの受け取り方次第じゃないですか」
「ほら、そうやって変に理屈を作ろうとするところなんて」
「放っておいてください」
「ふふふ、こめんなさいね」
大人びているようで、その優れた思考力を何故かもっともらしい屁理屈をこね回すのに使う。本人はそうでないかもしれないが、紗夜から見れば子供っぽい。
「行きましょうか」
「え?」
「えって………不満かしら?」
「流石にそこまで付き合わせるわけには」
「一緒に電車に乗った時点で今更よ。ほら、どうにかして私の目を欺かれても困るから」
「しませんよそんな事」
「どうかしらね」
おそらく今の紗夜は強硬手段に出たとしても己の信念を曲げないだろう。今京に出来るのは紗夜の行動を心の中で許容せず、しかし行動そのものを許容する事だけである。
「でもやっぱり、最初は私も驚いたわよ」
「どの辺りが?」
「学校に通おう、なんて思ったところがかしらね」
「私だって、自分が全知全能と思った事は一度もありません」
「殊勝なのは大変よろしいことよ」
会話は紗夜が望んだ通りのものだった。思わず笑みが溢れそうになるが、今はそうあるべきではない。
「何だか姉が出来た気分です」
「………あんまり無理しないで。そういう話題は自分の首を締めるわよ」
「こういう形で接したのは紗夜さんが初めてですから」
「そう………ありがとう。行ってらっしゃい、京」
「ええ」
彼を見送った。そして彼が雑踏の中に消えていくのを確認すると、彼女は笑った。
「………ふふふ」
獲物を定める蛇のように。
今日は平日なのだが、花咲川女子学園は記念日か何かで休校だった。まさかその日と京が登校を決心した日が一致するとは何たる奇跡か。
「ふふっ」
柄にもないとリサは笑うだろうか。しかし喜ばしい。本当に弟が出来たような気分になった。家に帰るまでずっと顔がにやけっぱなしで、おそらく変な目で見られた事だろうが、どうやら紗夜は気にも留めなかったらしく、帰宅して鞄を投げ捨ててベッドにダイブして枕に顔を埋めて足をバタつかせるまで、まったく無駄のないスムーズな動きだった。
理知的で、合理的ながらもどこか幼稚で未発達。やはり完璧な人間などいないという事か。どうにも、紗夜自身も感情表現が豊かとは言えないが、出来が悪い弟を世話している気分に浸っていた。恍惚としたように赤らめた頰を両手で押さえて左右に振る。
「あぁ〜もう何て可愛いのかしら。おかしい、おかしいわ。あんな子が実在するなんて………」
守ってあげたい。彼をあらゆる危険から遠ざける、つまり自分の下に置いて離したくない。
しかし、それは先輩としてでなく、あるいは親愛なる友人としてでなく。まだ未熟な弟を守る姉として。家族として、彼を愛して愛して愛し尽くしたい。
「大丈夫かしら………」
しかし、その庇護欲は時に過剰に反応するようになってしまう。自分の目に入っていないと不安で仕方がない。
まさか京に限って、他人とのトラブルなどないと考えたいが、それでも万が一というのがある。というより彼の悪癖は時に他人との衝突を招く可能性がなきにしもあらず。
「いいえ、信じた以上信じ続けなければ」
そう、そこを違ってはならない。信頼関係にさえヒビが入りかねないのだろうか。
そういえば、いつだったか、こうなっていない時の氷川紗夜と出水京が知り合った時に言葉をかけられた。
『家族には………少し憧れますね』
その言葉が強く焼き付く。
「京………氷川京………ふふふふ……」
その日は、休んだ気がしなかった。様々な意味で、浪費する事となってしまった。
「あは………そう、そうよ。存分に甘えなさい。貴方のお姉ちゃんですもの………」
当の本人はそこにいない。にも関わらず、紗夜は満足とでもいうように蕩けたような顔で身震いした。
いつか彼は言っていた。結局、『ありきたり』というのは大多数の人々が信じているからこそ生まれる信心深さを表すものでもあると。だからこそ、後悔しているだけじゃ前に進まないというのは、正しいからこそありきたりになった。自分はその正しさを貫くのだと。
「終わりました」
「もう?」
「問題は難解でしたが、出題傾向がワンパターンでした。正直、幼稚園受験の方が難しいでしょうね」
「もう市販されてる問題集じゃこれ以上の難易度はないわ」
「残念です」
ある日、京の自宅にて。彼は勉学に目覚めたようで、その知識量をいかんなく発揮した。おかげで彼のレベルに問題集が追い付かない事態が発生。出題傾向が簡単と言われては、いくら問題そのものが難しくてもその意味をなさない。
「もう、仕方ないわね。じゃあ問題」
「どんとこい」
「1+1=2を倍積完全数の総和に基づいて証明しなさい」
「………?………!?………!!」
彼は案外単純なようで、とにかく知的好奇心が最優先である。油性ペン片手にホワイトボードが置いてある別室まで全力疾走していく姿は、微笑ましく映った。
「本当、子供みたいね………」
あんな一面を自分にだけ見せてくれている。そう思うと、愛おしかった。そして、
「あでっ」
「あっ、もう。何をやっているの」
いけないわ。そんな、転んで貴方の綺麗な肌に傷が付いたら。あぁもうどうしてそうなるのかしら。
「チッ………ここだけ何故か滑りがいい。陰謀ですかね」
「不注意でしょ。ほら、大丈夫?立てる?」
京が私の手に触れてああいけないわそんな私と貴方は頼り頼られる存在であって手が柔らかいとかずっと撫でていたいとかずっと保管していたいとか
「ええ、大丈夫です」
違う私達の愛し愛されるっていうのはそんな爛れたものじゃなくて姉弟愛であってあの子との間には———
「ふふ、ふふふふふ………」
家族に向けるべき愛。それを紗夜は決定的に間違えた。
「ねえ、京?」
「………何です?」
いつもなら、計算の邪魔になるから200時間は1人にしろと強い口調で喋る京はそうしなかった。いつもの凛々しい彼女ではない。甘ったるく、媚びるような、女性らしさをアピールするような蠱惑的な声。
「少し、ね」
大変よろしくない予感がする。しかし、それで逃げようとする気にもならなかった。説得のしようがないわけではないと。しかし、それを京は後悔する事になる。
「………しちゃったって、本当?」
「何故それを………」
過去が忌まわしいのなら、それは彼方へ飛ばしてしまうに限る。しかし彼にはそれが出来ない。挑発するようにその美顔を狂気を孕んだ吊り上がったような笑顔で真っ直ぐ見る紗夜と、それをまた真っ直ぐ睨む京。場は一触即発ムードになった。
「本当かどうか、それを知ってどうするおつもりですか?」
「いいえ。どうにもしないわ。ただ知っておきたいだけ」
「それを、信じろと」
「ええ。私を、お姉ちゃんを信じてほしいわ」
「………私の弱みを握ったおつもりですか?」
「そんなわけないじゃない。姉は弟の味方になるものよ」
会話が成立しているようで、成立していない。あまりにも突然告げられた姉弟宣言には、京も、戸惑いを隠すのが精一杯だ。
「いいのよ?私の胸を借りるつもりでいても。だけどあんまりいじめられるとお姉ちゃんも悲しいから」
「何を言っているんです?」
「思えばあの時の私があそこまでになったのもそういう事だったのよ。ね?」
「……………」
それを受け入れるべきか、受け入れざるべきか。それとも彼の頭脳で導かれる第三第四の選択肢を
彼には決断出来なかった。
多分次は新しい小説書くと思いまする。作品は魔法科、単純に書きたくなったってのもありますが、どうにも満足いく話が書けんくなってきた。
別にこっちは休載するわけでもエタるわけでもなく、ちゃんと話が浮かんだら書きますんでご安心をば。あすとらの長いリフレッシュと思って許してつかぁさい。
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花園たえの提言(表)
日曜日、ある昼下がり。ライブハウスCiRCLEのカフェエリアでは、京が何をするでもなく、ただただ惰眠を貪っていた。
とある事情で自宅が使用不可能になってしまったため、仕方なくこうして太陽光線に灼かれながら眠るほかない。まったく神は乗り越えられる試練しか与えないというのはどういうことか、その先人の言葉も霞む苦行である。椅子もテーブルも硬いせいで、座るだけで安眠が妨害される。
「おはよ」
「………何ですか」
「暇そうだったから。私も暇だし」
「私は暇じゃないんですが」
「嘘。京が寝るしかないっていうのは相当暇してる証拠」
「………それはそうですが」
声をかけてきたのは、彼がよく知る人物だった。
花園たえ。彼女を知らない人間と知る人間の間では大きな印象の齟齬がある。前者が抱くのは、おそらくシャイでクールビューティなギタリスト少女。しかし後者が抱くのはマイペースかつ天然ボケ、ストイックではあるものの、その情熱はウサギを愛でるかバンドに心血を注ぐか、両極端な少女である。
「バンドの皆さんは?」
「今日は弾きに来たんじゃないの。別の用事」
「その用事に私は必要ですか?」
「ううん。全然」
「………恨みますよ」
「こんなとこで寝てたら背中痛めるよ」
「いいでしょ。用事があるなら済ませてくださいよ」
「もう終わった。あとは京と戯れるだけ」
「ウサギとやってください」
実は、彼女も苦手だ。ひたすらハイテンションな人間が京にとって悪い相性かと言われればそうではない。たえのように過ぎたマイペースな者、パスパレの武士道夢見る北欧人のようなタイプもそれに当てはまる。京はたえに対し、ローテンション枠の中でも1、2を争うほどに苦手意識を持っている。
「マジチョベリバって感じ」
「死語だよそれ」
出来ることなら1人でいたいものだが、それを許してくれそうにない。込み入った会話をしますとばかりに、何も言わず彼の対面に座る。京は苦虫を噛み潰したような顔になるが、何だかんだ、話に乗ってしまうというのが魔力である。たえはあまり学校方面での顔が広くなく、だからこそバンドのメンバーと固まっているイメージが強い。凄く会話が上手い、というわけでない彼女だが、京と相対する時は饒舌になる。理由はわからない。
「私お腹減ったし、何か頼もうかな。京は?」
「別にいいです」
「そう。ここのパフェは美味しいのに」
「今日はそんなに頭使ってないので」
「急にぶっ倒れられても私が困るし」
「そんなヘマはしません」
「この前したじゃん」
「あれは事故です」
「違うよ。故意だよ。明らかに自分でやったでしょ」
彼女もまた、京をよく知る人間。ただし、Roseliaの愛猫家よりも親交は浅く、Pastel✳︎palettesの感覚派の次点と言ったところ。それは彼女の特技というか変態性というか、とにかく普通でない彼女の感性がそうさせるのか知らないが、彼女は人を知るということに天性の才能があるらしい。だからこそ、カオス極まるPoppin’Partyでも順応出来ている。それどころか、彼に対しても強気でいられる。
「はい、あーん」
「………何のつもりですか」
「嘘ついてる。今凄く、何か考えてる。私達には考え付かないようなことだけど」
「………では、お言葉に甘えて」
京にもたえにもそんな意図はない。そもそも2人は恋人などではなく、一定の距離を常に置いている。お互いがお互いに、ある程度の領域の不干渉を決め込んでいて、こういったムードを嫌う傾向にある。筈なのだが、今日ばかりはいつもと違う。暇潰しにしてはらしくない。
「甘い」
「そりゃパフェだからね」
「実際、用事とは何だったんですか?」
「んー?気になる?」
「いえ、いいです。どうせ月島さんに何か聞いたでしょう?」
「凄い、京ってエスパー?」
「心にもないことを。彼女に何を?」
「秘密。乙女の」
「貴女自分のこと乙女なんて言う人間じゃないでしょうに」
まりなに話を聞く、ということが単なるバンドの打ち合わせならいいのだが、残念ながらたえの口から放たれた言葉を総合するとそうでない方の可能性が強い。追求したいところだが、彼女に有効かどうか。彼女は感情表現に乏しいというわけではないが、本音を隠すという意味ではAfterglowの赤メッシュやRoseliaのポテトより一枚か二枚上手だ。
「ま、あんまり気にしないでよ。喧嘩する気はないからさ」
「私も和が乱れるのは嫌です」
「京、また難しい事考えてる」
「癖みたいなもんです。気にしないでください」
「違う。使命感に駆られてる」
よく観察している。本来は褒め言葉の筈なのだが、その言葉とともに湧き上がるのはちょっとした不快感である。たえの方は使命感に駆られているわけではなく、楽しんでいる。どこか推理ゲームに興じている様子というか趣味で彼の本質を見抜こうとしている。しかし彼はそれに憤りは感じなかった。どうこう勘繰られるのには慣れたくなかったが慣れてしまっている。
「何か悩んでる?」
「いいえ、まったく」
「そう?難しい顔してたから」
「いつもの事です」
いつまで実りのない話をするのかと、正直辟易するところだ。最早雑談ですらない。彼女の暇潰しになるのは、同時に彼にとってもそうなる。筈だったのだが、残念ながらそうとはならなかったようだ。パソコンもない、スマートフォンもない、デジタルというのは便利なものだが、同時に依存という敵でもある。人との会話には通信制限もバッテリー残量も気にする必要などないが、それでも一長一短だ。
「帰ります」
「どこに?」
「こうなれば実力行使です。多少のリスクはありますが」
「また誰か傷付けるの?」
「ええ。必要ですから」
たえのわざとらしい言葉に対して、彼はどこまでも冷静だった。というより、興が削がれたといった方が正しいか。
「まったく、変わらないなぁ、京」
「変わっていてほしかったですか?」
「友希那先輩辺りはそうかもね。でも私は変わらないのも凄いと思うよ」
「そうですか………」
何の慰めにもなりはしないが、説得材料にはなったようだ。少し前のめりだった自分を見つめ直し、冷静なままに座り直した。たえは最初から今に至るまで穏やかかつ無表情を崩すことなく、あいも変わらずスプーンが止まらない。どこまでもマイペースな彼女の姿も、頭を冷やすいい材料にはなったかもしれない。
「やっぱりもう一口食べる?」
「………いただきます」
2人からしてみれば、やや自分の体にリスクを抱えたお悩み相談だが、傍目からすればそうと思われないかもしれない。しかしそれは彼らにとってはどうでもいい事のようで、数人の視線が集まっていてもまったく物怖じしない。
「恋人だって思われてたりして」
「そんな馬鹿な」
「京は知らないと思うけど、あーんってするのは恋人同士くらいなんだよ?」
「じゃあ何でやったんです?」
「別に。私達そんなので恥ずかしがるような関係じゃないでしょ」
「矛盾しているような、していないような」
「そんなに難しく考えないでいいよ。親愛の証って思ってもらえれば」
「親愛ですか………」
怪訝そうにたえを見る。彼女の言葉の通り、京は恋愛観が現代と少しズレている。恋愛下手、というわけではない。頭脳明晰で観察眼に優れ、人を見る目も十分にあるので、難聴が生じているわけではないが、しかし。たえ曰く、彼はそうであろうとしている。
「君にはわからないかな。わざと目を瞑っているんだもの」
「さあ。私にはさっぱりですね」
「ほら、そうやって鈍感ぶって女の子を泣かせる」
「言い方。言い方ってもんがあるでしょう」
「違うの?」
「違う。何もかも違う。私だって好きで色恋に突っ込まないわけじゃないんですよ」
「へぇ〜………」
たえは挑発するように微笑を浮かべながら京を見る。
「その手には乗りませんよ、ウサギワンダーランド野郎」
「野郎じゃありませーん。乙女ですー」
が、しかし、彼はそう容易くルールに乗らない。ここでは彼の好みの
「ねえ、この後暇?」
「ご存知かもしれませんが、暇じゃないですね」
「知ってる。京が思い直してくれたらなって思っただけ」
「何でちょっと私が犯罪者っぽいんですかね」
「京、もうハジメテはリサさんで捨てちゃったんでしょ?」
「いや言い方」
「え、違うの?」
「……………」
たえはニヤつきながら京の双眸から目を離さない。
「ふふ………何か矛盾するみたいだけど、京って変わった?」
「はぁ………どうでしょう。私も戸山さんや皆さんに影響されているのでしょうか」
「私は?」
「悪影響なら」
「ひっどーい。私だって、何もしなかったわけじゃないんだよ?世間の事を全然知らないお子様に色々教えてあげたじゃん」
「一個違いで何言ってんだ」
しかし、そう言われてたえは興味なしとばかりに目をそらす。
「いいじゃない。ちょっとくらいお姉ちゃんぶっても。貴方の事が心配なの」
「………そうですか。それはまた」
彼女も、リサや友希那ほどではないとはいえ、事情を知る人間の1人だ。だからこそ、京が何を求めているかをよく知っている。いつもは香澄に近い友人のような接し方をしているが、これでもたえは内に秘めた庇護欲を押し込んでいる方だ。彼女が表に出している性格は、どこか他人を茶化すような、丁度京にとっての白鷺千聖のようなタイプだが、本質はまったく異なる。どちらかといえばの話だが、リサのように、上に立って慈愛のままに抱き締めたいタイプ。
「私はね、一個違いだろうがカンケーない。身の上とかそういうのも無しで、京の事好きだから」
「好き、ですか」
「うん。大好き。言ってなかったっけ?」
「私の知能指数を利用出来そうだなとは聞きました」
「誰から?」
「市ヶ谷さんから」
「あの娘ね、ツンデレだから。京は頭が良くて凄いねって言ってるの」
「へー………」
「私は、ちゃんと好きだよ」
「へー………」
それこそ興味なさげ。下手をすればたえとの雑談よりも興味を持っていないかもしれない。
「そういう演技、良くないと思うな」
「そちらこそ」
「じゃあ友達として聞くけど、どこまで演技でどこまで本心?」
「今だから言えますが、ほとんど全部演技。そちらは?」
「今だけ言えるけど、全部本音かな」
2人は笑った。お互いの本音を本音のままに。
本音で語ったおたえと、本音が出てきた京君のお話でした。
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花園たえの提言(裏)
そういえば何となく読み返していたら、ヤンデレの代表格を結構書いてないような気がしてた。もしかしたらあすとらのが息を吹き返すかもしれません。
「………それでね、王子様のキスでお姫様は目を覚まして、幸せになったんだって」
「へぇ〜」
「興味無さげだね」
「興味ありませんからね」
「うわっ、ヒドいなぁ」
ライブハウスCiRCLEのカフェエリア。京とたえは、意味もなく雑談するのに最適な、暑過ぎない曇天の白昼に会話を弾ませた。
「所詮粘膜の接触でしょう」
「うっわー、そういう事言っちゃうんだ」
話題などその日の気分とお天道様の機嫌次第。本日の題目はお伽話とメルヘンチックであるようだ。基本的に、メルヘン許容派のたえとメルヘン排斥派の京ではあまり話が合うという事もないが。それは単に、『現実主義者を気取って背伸びをしたい年頃の若者』というような感情ではない。
「本当に助けたいのか、謎が残りますね」
「ま、空想の産物だしね」
「それを言ったらおしまいですよ」
「それもそっか。でも素敵じゃない?」
「何がです?」
「お姫様が毒で眠っちゃった時、多分王子様はなりふり構わなかったんだよ。京が言ったように、ただの粘膜同士の接触だとしても。あるいは最期の時を過ごしたかったのかも。どちらにしても素敵じゃない?」
「………確かに」
感傷がどう、という事ではない。文字通り自分の体を絞り出すようにやった、姫を想う故の行動。あるいは死が二人を分かつまで、をそのままにやろうとした儚くもロマンチックな別れ。それを理解しないほどに彼も人でなしではない。
「片方だけ取り残されるなんて辛いもんね」
「そうですね………」
「………京はどう思う?」
「別に………強いて言うならば、やはり物語は物語でしかありません」
歯切れ悪そうに話す京に引っかかるたえであったが、しかし。彼女はマイペースであれど無神経ではない。秘密くらい誰にだってある。まして彼の立場ともなれば、秘密どころか墓場まで持って行きたいタブーさえあるだろう。
「そっか。大人だね、京は」
「卑屈になっているだけです。大人ぶっているわけではありません」
「ふふふ。そういうところは変わらないか」
「変わって欲しかったですか?」
「んーん。私はそういうのは気にしないかな。リサさんとか友希那先輩とかは気にするだろうけど」
「そうですか………」
「そっ。私はそういうのじゃなくて、京が幸せなら全部いいの」
たえは笑った。さながらそれを夢見る無垢な少女のように。
その日は休日だというのに随分と慌ただしかった。主にそうなった原因は彼女達の旺盛な行動力にあったのだが。
「どういうつもりかしら?」
「圧倒的にこっちのセリフですよ友希那さん。何です?一体」
珍しく友希那が京の家を訪れたと思えば、凄まじい膂力で壁際まで追い詰められ、現在は仁王立ちの彼女によって逃げ道を塞がれてしまっている状態である。
「いいえ。こちらのセリフよ。これは最早問いただすなんて優しいものじゃないの」
「そんなイタリアンマフィアみたいなこと言われましても。落ち着いて、事情を一から話してください」
どうにも平和的に解決出来る予感がしない。
「花園さんがいるでしょう」
「いますね」
「交際をしていると声高に叫んでいたけど、どういうことかしら」
「はっ?」
平和的にならない理由はこれであった。流石にそんなもの分かるはずがないと反論しようとした京より早く、友希那が口を開く。
「貴方の返答次第では穏やかじゃなくなるわよ」
しかしこの女、ガチである。指を数本明後日の方向を向かせるくらいの勢いで京を問い詰める。もう問い詰めるという範囲を超えてしまう寸前だが。
「まさかそれを鵜呑みにしたのですか?」
「そんなわけないでしょう。鵜呑みにしていないからこうして問い質しに来たのよ」
「では質問を変えますが、私の言葉を信じますか?」
「………言葉によるわね」
「ダメじゃないですかっ。全然ダメじゃないですか。私が言ったところで逆効果なやつですよそれ」
「認めれば楽になるわよ」
「警察もビックリ」
京とて常に考えている。仲良しパーティーメンバーの男女比1:25ともなれば、誤解も生まれるべきして生まれるだろう。問い詰める、という行動は友希那らしいといえばらしい。やっていることは圧殺だが。
「まずですね、ご存知かと思いますが、私基本的にそういうの気にしてられないんです。そりゃ貴女達は確かに美少女ですが、こっちは死活問題抱えてるんで」
「そう………」
「………信じてませんね?」
「まりなさんやリサに比べたら付き合いは短いものね」
「そうですか………」
もはや、歩く惚気噴霧器と化してしまったたえに直接聞く他道はない。が、少しばかり彼にも焦りがあったのだろう。よりにもよって商店街に入ってしまったとなれば。
『私がいればいいんじゃないの?どうして?どうしてそんな、私が必要なはずでしょ?』
『あんた、いい度胸してる。私だけの主人になったんじゃないの?飽きたら捨てるつもり?』
『あれぇ?おっかしーなあ、今日の京くんには予定なんてなかったはずだけど………足りなかったかな………』
と、住人に常連客にと凄まじい視線を向けられて、心身を摩耗しながら商店街を抜けたところ。いよいよ噂が噂どころでなくなったようで、背中を見せれば背後から襲いかかられそうなほどに殺気立っている。
(パン屋!貴女同じバンドのメンバーでしょうに!)
身内の問題なら身内も手を貸して欲しいものだと、心の中で思っても、声に出さなければ伝わらないもので。
「あれ、京。どうしたの?」
しかし唐突に、運命の女神が京の味方をしたようだ。散歩でもしているのか、やけに軽装のたえとばったり出くわした。
「貴女を探していました」
「………何それ、告白?」
「違うし白々しいし。もう聞くこと全部聞いてるんですよ、こっちは」
「そっか」
悪びれるでもなく、喜ぶでもなく。ただ淡々と彼女はそう反応を返した。
「何故このような事を?」
「別に。事実を事実のまま言っただけだよ」
嘘をついていない。それはつまり、彼女はそう本気で思っていることを表している。いつものぼけっとしたような顔から彼女の表情がどう変わるかを注意深く観察する。
「よく絵本とかであるヤツだよ」
「………申し訳ありませんが、仰っている意味がわかりません」
「そう。そっか、京ってそういうの興味ないもんね」
「絵空事から学べることがあれば、私だってとっくに学んでますからね」
「カタイなあ」
隣を歩いて横顔を覗くと、たえは薄く笑っていた。
「お答えください。いつからそれが貴女の事実になったのですか?」
「なーんか引っかかる言い方だなあ………ま、いいけど」
京がそうやって核心に迫るような問いをしても、やはり笑みを崩さなかった。
「私にとってのじゃない。それが事実なんだってば」
「………私と、貴女が、恋仲であるという事がですか?」
「そう」
「いつからですか?」
「そんなの、出会った時からに決まってるよ。あの時からずっと、今もこれからも。ね?」
素早く観察し、分析する。彼女は一体どこからそれに取り憑かれたのか。思い返しみても、そのような前兆もなかった筈。
「私はちゃーんと理解があるから、友達を何人つくっても別に構わないけど、本命は私一人だから。そうでしょ?」
いつものたえは、天然ボケに見えてその深層が見えない。いつもそれを薄気味悪く思って、深く突っ込まれないような会話を心がけ、二人きりにならないよう注意を払ったつもりだった。
今はそうして観察するまでもなくなった。明らかに彼に対してよくない感情を向けている。
「私にはよくわかりません」
「今はまだ、ね。いいよ。ちゃんとわかってくれるように私も
彼女は笑いを絶やさない。どこまでも彼女は、自らが信じるものを信じている。その信じるもののために、彼女はどうなってしまうのか。それは彼にも理解しかねるところ。
「答えてください。貴女は私とどうありたいんですか」
「どうありたい?もうなるべきものになってるから関係ないよ。私と貴女はもう結ばれてるんだから」
それについてこれ以上突っ込むのは下策と考えた。どんどんと思考パターンが黒ずんでいくのが手に取るようにわかる。
「京は運命って信じる?」
「信じたい………ですが、ないと思います」
「どうしてそう思うの?」
「そのようなものがあるのなら、私はその運命に嫌われてしまった。それを認めたくないだけですよ。貴女のように、運命に好かれた人に対するただの嫉妬です」
「へえ………」
その答えを待っていたとばかりに、たえは彼女は口角を吊り上げる。
「それじゃあさ、これから幸せになろ?今まで出来なかったことも、私達なら出来るよ。私が京の一歩、手助けしてあげる」
「……………」
「ねえ、今一番したいことは何?私に教えて?」
たえの笑みが徐々に凶悪になっていく。それすらも運命と呼ぶのは、あまりにも彼を冒涜している。貴方の全てを理解しているとばかりに、私だけが理解するとばかりに、徐々に彼の視線を狭めていく。そしてその免罪符は、運命という都合のいい言葉だ。
たえが、京の頰に優しく触れる。
「運命の相手は一人だけ。それが私なの。わかるよね?」
「………」
「わかるって、言って?」
いよいよ有無を言わさないようになった。これ以上二人きりというのは危険なのではないか。
「それはまだ早計というものです。では」
「もういいの?」
「ええ。とりあえず疑問は解けたので、概ね満足です」
「そっか。私も結構いい暇潰しにはなったかな」
「それはよかった。私も長丁場を乗り切った甲斐があるというものです」
あくまで平静を装って、京はその場を離れる。あのたえに背中を向けるという行動のせいで、少しでも気を抜けば不自然に走り出してしまいそうになるが、理屈だなんだではなく単に胆力と気合いで乗り切った。
(つくづく私らしくない………)
普段ならばもう少し熟考しただろう。
「ねえ」
不意に、声がかかる。焦りを悟られないように顔は向けずにいると、足音が近付く。
「まだ何か?」
心の中で悪態を吐きながらもそれに応じる。たえは彼の耳元まで顔を持っていくと、少し低い艶っぽい声で囁く。
「逃げてもいいけど追いかけるからね」
どんな顔をしているのか。それを知りたくなかった。それを知ったら、いよいよ出水京はたえを普通に見られないと、何より自分自身が一番悉知しているから。だからこそ、たとえ手遅れだと薄々わかっていてもどこか期待してしまう。京は聡明だが、同時に人間らしくある。
もうたえを普通と認定出来ない。だが、どこかに淡い期待がある。たえは辛い時に共にいてくれた、救いになってくれた人の一人だから。
「そうですか」
「そう。王子様とお姫様を邪魔する奴はみーんな消えて、二人は幸せになりましたとさっ」
「めでたいですか?」
「もちろん」
「そうですか………」
うやむやにして今度こそその場を去った。
「ふふふ………」
彼の真意を知ったのか、あるいは単に想い人とのなんてことのない会話が嬉しかったのか、それはたえ本人にしかわからない。京はたえに、いつも通りの関係でありたいと願った。しかし彼女がそうとは限らない。
そう、彼女には、運命という、京と共にあるべき絶対的な要素が味方についているのだから。
「逃げられるわけないじゃん。運命なんだから………」
そして少なくとも、たえも京と偶然出会う運命をただ指をくわえて待っていたわけではないということだ。
体もってくれよ!10万UA突破だァ!
というわけで、10万UA突破、総合評価も1000pt突破、ありがとうございます。これも読んでくださっている皆様のおかげです。
この度は2ヶ月以上更新されないなんて事態で、本当に申し訳ない。
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若宮イヴの歓喜(表)
さて、京は確かに頭脳明晰である。まだ高校生にもなっていないにもかかわらず、勉強会では香澄語話者にコロッケ娘にふわふわ(自称)アイドルにと常に教える側で、成績優秀なツンデレキーボードやポテト風紀委員にも常に新たな知恵を与える側として立っている。
曰く、人を見るのは人しかいない。故に自分以外に自分を見る誰かがいて、それによって自我もつくられるということである。
が、しかし。
「おかえりなさい!ケイさん!」
「……………」
時には京の知恵と観察をもってしても不可解なことに出会う。それが彼女だ。
現在時刻は正午。家に帰ると外国人美女が正座で三つ指をついたまま不法侵入という、本来なら混乱しか生まないこのシチュエーションである。正直、顔見知りでなかったらガラ空きの顔面に数発打ち込む自信があった。
若宮イヴ。フィンランド人とのハーフにして帰国子女。このワードを聞いた時、京は随分と焦った。何せ隣国の言語は覚えていたが肝心のフィンランド語はまったくの手付かずだったのだから。一週間の突貫作業、1分辺り2万語のペースで覚えたのはいい思い出である。
ステレオタイプな日本に憧れる、ごくありふれた外国の少女といった感じ。何よりブシドーなるものに強い憧れがあるらしいが、その定義は曖昧になってきている。純粋で人懐こく無邪気だが、それ故に想像の斜め上を行ってしまうことも。
「鍵は?」
「チサトさんから頂きました!」
「自称正統派………」
ハーフのモデルにお出迎えされるというのは、本来喜ぶべきなのだろう。それは自分の与り知らぬところで自宅の鍵のやり取りがされていなければだが。イヴのようなアホの子………もとい裏表がない性格でなければ即刻通報案件だった。
「チサトさんが言ってました。ケイさんはいつも頭をはたらかせているから、顔に出ないけどとても疲れていると」
「はあ。公然の事実になってしまっているようなので隠しはしませんが。そうですね」
「そこでパスパレで考えました!いつもお世話になっているケイさんに恩返しが出来ないかと!」
恩返し、という言葉のチョイスに何やら違和感を覚える。
「それはまた、アイドルバンドとして恐れを知らないというか何というか」
「満場一致で私が選ばれました!」
「それはようござんした」
絶対に、あの子役あがりの真っ黒女の仕業だと少し殺意が湧く。ここで人を振り回す天才こと日菜をぶつけない辺りに変な周到さを感じてさらに殺意が湧く。ここは安全策として、機械の話にならなければ常識人のドラマー、大和麻弥に白羽の矢が立ってほしかったが、最早そう焦がれることさえも千聖の罠なのだ。
「もうちょっと余裕があればよかったんですが………」
「?」
「お気になさらず。こちらの話です」
滑りかけた口をなんとか軌道修正する。この時ばかりは耳聡い麻弥や、最早京にとって存在が陰謀の千聖でなくてよかったとつくづく思うばかりである。
しかし京自身すでに言ったが、いくらなんでも恐れを知らない、というより軽率過ぎる。コンセプトを見た時は、彼も正統派アイドルのパチモンか、あるいはあるものをごった煮したキメラかと思ったものだが、出来てしまった上支持を集めているものは認めざるを得ない。そして面倒なことに、メディア露出は事故を引き起こす。
「あのですね、若宮さん」
「はい!」
「私、実はそんなにストレス溜めてないんですよ。それに若宮さんも、こんなワケの分からないことしない方がご自身のためです」
「ダイジョウブです!」
「いやあの、何が?」
「楽しいし嬉しいので!」
「そうですか、はい。それは喜ばしいことです」
その上、イヴの性格がコレなおかげで心配と緊張という名のストレスが限界を突破しそうだ。本人は単に、日本という文化に馴染めていないだけで本質的には明るくあるがまた違った人物なのだろう。しかしここは、ステレオタイプな日本の知識しか入らない外国人。文化の壁というのは、かくも高いものである。おかげで快活な女の子が、快活なアホの子になりかけている悲劇。
「京さん、好きなものは何ですか?」
「またえらく唐突な………」
「私、ちゃんと京さんに恩返ししたいんです!」
「そう仰られましても」
「男の胃袋を掴むんです!」
「それあれでしょ、好きな男にアプローチするとかそういう次元でしょ」
しかし、追い返すわけにもいかない。これがまったくやりにくいもので、彼女には打算が一切ない。恐らく恩返しというのも本意で、それ以外に何も求めない。だからこそ、最上級にやりにくい。
「別に、胃の中に入ればただの栄養素になるんですから、何食おうが一緒ですよ」
「いけません!」
「ほら始まった………」
友人というのは尊いものだ。いくら京でも、それくらいはわかる。だが、友人に感化されるのにだって限度というものがある。
「いいですか、サーヤさん曰く、栄養だけが重要なら一生点滴だっていい。美味しい料理には栄養補給以上の価値があるんです!」
「グルメ漫画の主人公ですかあの人は」
やたら食にこだわる理由が、何かと言い訳と屁理屈で手の込んだ食事を避けようとする京自身の業であるが、本人はそれを知らない。
「こんな一方的なおもてなしがあってたまりますか」
「おもてなし………ブシドーです!」
「一方的だって言っているでしょう」
そして沙綾の影響をモロに受けてしまっているイヴは中々厄介である。そもそもブシドーは日本的っていう意味じゃねーからなとは言わなかったが。
「サーヤさんとアリサさんに教えていただきました。日本の伝統的なお食事です」
用意されたのは焼き鮭と、白米と、味噌汁。
「これは伝統的な朝食です」
が、しかし、致し方ない。知らないのだから。そもそもこれは厚意であり、いくらそれが斜め上であろうとも、それを無下にする鬼畜にはなれない。昼食で白米という炭水化物の暴力が来ようとも、美女に昼食を振舞われる喜びで相殺しなければならないのだ。
「………美味しいです」
「よかったです!」
別に何を飾るでもない、ただありのままに言うべきことを言っただけ。それに喜ぶイヴ。そして午後一時を示すアナログ時計、伝統的な日本の朝食。
(何だこれ)
困惑するばかりである。正直、事情を説明されても困惑している。いや、物事の全てを見ようとするから一見意味不明になってしまうのだ。
「チッ………」
清純派女優(笑)か、あるいは氷川の瀟洒じゃない方か。けしかけたと思われるのはその二人に限られた。
「どうかしましたか?ケイさん」
「いいえ。ちょっと考え事をしていました」
「むぅ………ケイさんは難しいことをいつも考えているって、チサトさんが言ってました」
「いつもではありません。考えるべき時に考えるべき事を考えているだけです」
「今考えるべき事………は、何ですか?」
そういう一面があるせいでストレスフルになってしまう京を案じたというのに。あまり気分がいいものではないだろうが、イヴは純粋に、知らないものを知ろうとする。それが逆に今までにないことで、凄まじい違和感の正体である。
「色々ですかね」
考えるべきことは、と言われればそれはそれは今日の晩御飯から100年後の日本国の経済状況まで多岐に渡るが。今はそれよりも聞くべきことがある。
「そういえば若宮さん、一番肝心なことを聞いていませんでした」
「はい!何でしょうか!」
「貴女自身は何に対しての恩返しなのでしょうか。私、貴女と知り合ってからそんなに経ってませんよね?」
お礼をしたくなるほどに働きを評価してくれる。それは大変嬉しいことだ。が、恩返しを受けるほどに過重労働をしているかと問われれば、あるいはこうして手厚いサービスを受けるほどなのかと問われればそれには疑問が残るし、人選にも違和感がある。
「貴女は私と会ってからまだそんなに経っていないでしょう。抵抗はありませんでしたか?」
「どうしてですか?もうケイさんと私、お友達でしょう?」
「………そうですか。そうですね。貴女はそういう人です」
「はい!ケイさんもパスパレのみんなもバンドの人達も、みんな私の、大切なお友達です!」
心配になるほどに純粋。しかしそれがまた彼女らしい。
「貴女はきっと万人に愛される」
「はい!ありがとうございます!」
芸能界の理などわからないが、イヴは敵になる事が馬鹿らしいほどに無垢で真っ白な存在だ。だからこそ、京は羨ましいと思うと同時に、少し妬ましく思ってしまう。
「私は貴女のようになれなかった」
「………?」
「いえ。何でもありません」
失言だった。先程からよく口が滑る。見ると、イヴはどこか寂しげに笑っていた。
「私はケイさんのことをよく知らないかもしれません。でも、ちゃんと知っていくつもりです。それに私達は、ちゃんとケイさんの事が大好きですから。ケイさんにも、信じてほしいです」
いつもの天真爛漫な彼女とは違う顔。子供に言葉を効かせる母親のような柔和な微笑みで、イヴは言った。
その日の家路はイヴにとって、残り香を噛み締めるものになった。
「えへ、えへへ、えへへへ………」
締まりのない顔で、夕暮れの中歩く。
あくまで、知り合いの知り合いだった彼と親しく話せたのは一番の収穫だった。近寄りがたいというか、彼がそれを拒んでいるようというか。呼び出されれば不機嫌そうな顔を貼り付け、千聖としょうもないような言い合いをするような彼に、どこか苦手意識があったのかもしれない。
それでも純真過ぎる彼女は、彼と友達になりたいと願った。そんな羨望もあった。
「やっほーイヴちゃん!」
「ぴゃあ!ヒナさん!?」
「そうだよお。素敵なお友達のヒナちゃんだよお!」
突然背後から抱き締められ、思わず肩がびくんと震える。
「いやあ、どうしてるかなーって不安だったけど、その顔だとばっちしオッケーって感じだねえ」
「は、はい!ちゃんとケイさんとお友達になれました!」
「そかそか、そりゃよい事じゃ。あ、そうだ。ちょっとだけお茶してかない?京くんと何があったか聞かせてー」
「え、ええ?今からですか?」
「うん。みんな集まってるよ。みんなイヴちゃんのお話聞きたいってー」
もうすぐ日が暮れる。明らかに、話を聞くのニュアンスが異なる罠であるが。
「はい!是非ご一緒させてください」
「お、よきかなー。そんじゃ行こっか」
待ち構えるのは、最早質問が拷問に変わっていると言っても過言でない面々であるとはつゆ知らず。
「へえー、まっさかイヴがそんなにねえ」
「完全に不意打ちでしたが、まあ親切心ですし」
「ふーん………」
午後七時半、京宅。合法スペアキー組の一人である今井リサが、曰く禁断症状が出たらしいので招き入れることとした。
『禁断症状って何ですか?』
『え、それ聞く?聞いちゃう?それ聞いたら私もう———』
そこから先は聞かないことにした。とにかく夕飯に家事掃除にと万能で、他人のお世話大好きなリサの顔色が優れない理由はそれだったらしい。満足世話を焼けなかったことが気がかりなようだ。
「ちょっと妬いちゃうなあ。アタシだって友達でしょ?」
「友達………リサさんは姉のようです」
「姉かあ………」
安心したような、寂しいような。そんな複雑な感情を抱えながらも、リサは言う。
「でもよかったね。友達できて」
「………はい」
その言葉を噛み締めるように、京は笑った。
書いてて思った。とりとめがなさすぎる。
でもまあ表編なんてこんなもんです。
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若宮イヴの歓喜(裏)
カチカチと、アナログ時計の針が刻まれる。椅子の背もたれに背中を預けて舟を漕ぐ少年、京は、いつもと比べて考えられないほどに無防備である。いつもなら1時間に1回のペースで周囲の安全確認を挟むものだが、今日はそれがない。
当然だ。俗に過保護組と呼ばれるのは、リサ、友希那、沙綾、まりなだが、Roselia二人はバンドのため、まりなはそのバンドが利用するCiRCLEのため、沙綾は同じバンドメンバーの戸山香澄に引っ張り出されたため。要素が重なり、保護者が心配性を拗らせて突撃してくる要素がない。だからこそ深い眠りについている。ベッドを使わない理由は、寝たままの姿勢だと即応が出来ないからである。
「ん………ふあ………」
そうして、誰かに揺すられるでもなく穏やかな陽気に包まれて目覚める。そういえば昼食の備蓄はあっただろうか、また栄養補助食品のゴミが見つかったらリサと沙綾辺りの堪忍袋の緒が切れるだろうか。そんなとりとめのないことを考えながら台所に行くと。
「!?」
思わず肩をビクつくかせ、二、三歩飛び退いてしまった。別に黒光りするアイツがいたとか、居直り強盗に遭遇したとかそういうわけではなく、ラップでぐるぐる巻きにされたおにぎりが二個置かれていた。
「………ああ」
驚いたは驚いた。しかし、それから落ち着くまでに数秒しかかからないのは本人にとっても凄まじく不本意な慣れである。過保護お化けになりつつあるリサか沙綾か、あるいは月島まりなか。その辺りの計画的犯行と思えば、それ以上勘繰ることもない。
「美味しい………」
明太子と鮭が入ったもので、それ以上のものを感じるほど複雑な料理でもないのだが、それでも美味なようで、舌鼓をうっていた。
ありがたいにはありがたい。このところ仲の良い少女達の見えないところで冷蔵庫のエネルギーゼリーと戸棚のエナジーバーを行ったり来たりするような生活で、普通の食事など久しいものだった。が、今回はアプローチが今までと異なるところを京は不審がった。
(いつもなら起こすか、待っているものだったが………)
まあ彼女達にも事情というものがあるだろう。あまり頼り過ぎるというのにも慣れるのは良くない。彼女達には、バンドという優先事項があるのだ。自分のような不登校に等しい社会不適合者を気にかけてくれるだけ、本来なら女神として崇めたっていいくらいなのだから。感謝の意を込めて手を合わせる。
そういえば、おにぎりはやけに温かかった。
正直に言えば、京の中にはやりたいこととやるべきことを同じような列に並べているというのが現状である。
「あ、おはよう!京君!」
「丸山さん。どうしたんです?こんなところで」
「え、お仕事だけど」
「あ、そう。はあ………いやいや、うーん………なるほど」
「待って、その反応何!?」
ある時、京にあるスタジオに呼び出されるという受難が降りかかる。何だって自分がやらにゃいかんのだ、という抗議はもちろんしたが、適任だからというあまりにも酷い理由で一蹴された。予想をいい意味で裏切られたのは、知り合いが思いのほか集まっていた点。
「ちょうどよかった。これ、若宮さんに」
「イヴちゃんに?」
「彼女のものでしょう。そんな趣味持ってそうなのも」
「そうだね………」
彩の掌に収まるサイズのバッジは、赤地に金の丸が施された、いわゆる戊辰戦争の錦の御旗を模したもの。こんな歴史的かつマニアックなものを携行するのはイヴくらいなものだと当たりをつけていたが、まさに大当たり。
「直接渡したら?」
「私がこんな場違いな場所にいる理由がこんなものなんてお笑いです。ここから一秒でも早く抜け出したい」
「ゆっくりしていけば?」
「そんな理由も資格も気持ちもありません。というわけでこれは貴方に託しました」
「うーん、私は全然いいけど」
「いいけど、何です?」
言葉に詰まる彩。そんなに後ろめたいような会話もしていないだろうに、と京が首を傾げる。しかし言い知れぬ嫌な予感が頭をよぎる頃。
「アヤさん!ケイさん!」
そこに煌びやかにドレスで着飾った当人、イヴが合流する。いつものキーボードを奏でる姿が絵になるせいで、そういえば彼女はモデルだったなと思い出すまでに十数秒の時間を要した。いつもの人懐こい笑顔で二人に駆け寄る。
「あ、おはよ、イヴちゃん。もう上がり?」
「はい。ケイさんは、どうしてここに?」
「それもこれも忘れ物が悪い。はい、貴方の物です。確かに返しましたからね」
「え………」
いつも笑顔で、快活。そのイメージが強かっただけに、その表情は見たことのないものだった。笑顔が引きつり、数秒後にはその作り笑いも消え、そして俯いて黙り込んでしまった。
「若宮さん?」
「もしかして、めちゃくちゃ大事なものだったとか?」
「どっちかと言えば忘れたサイドに責任があると思うんですけど」
「しー!そういうこと言っちゃダメだって!」
二人もこんなところで怒るイヴなんてレアケースを見たくない。さっさとやるべきことをやって帰ろうかと京が目論見た辺りで、イヴは顔を上げる。
「ありがとうございます!」
「………はい」
罵詈雑言でも吐きかけられたら、特殊な性癖を持ち合わせていない京は沈むところまで沈んでしまっていたし、本人もそれを覚悟していたが、すぐにイヴは笑顔を取り戻した。
「ちょっと用事が出来たので、失礼しますね!」
「はあ………」
「彩さん、今度は一緒に帰りましょうね」
「うん………」
いそいそ、イヴはその場を去っていった。
「何だったんだろ今の………」
「私に聞かれても困ります」
残された二人は、ただただ怪訝に彼女が去った方向を眺めるだけだった。
「そ、そうだ京君!今度時間がある時、カフェに行かない?」
「それ、白鷺さんも一緒ですか?」
「ううん。私と二人で」
「………前向きに検討します」
「そっか。ありがと……。あれ?ああ!休憩時間がっ!」
「はあ、頑張ってくださいませ」
彼も彼で、叫ぶ彩から離れるように去り、彩はドタバタと現場に向かっていく。
「……………チッ」
物陰に隠れるイヴは、恨めしそうに指を噛んだ。
さて、京の部屋は、整理整頓されているかと問われれば部屋による。使用頻度が少ない居間やキッチンは綺麗な状態を保っているが、仕事部屋はケーブルが張り巡られていて、紙束がクリップで留められずに辺りに散乱している。基本、誰にも見せないのでこの姿を保っているのだが。
「……………」
今は違うが。果たして夢遊病の無意識か、凄まじいペースで記憶が抜け落ちてしまったのかは知らないが、京の部屋はここまで整頓されていなかった。分類され、クリアファイルに綺麗に入れられた書類の束、埃が取り払われた計器類。一瞬、物が無くなったのではと誤認したほどに、整然としていた。
(いやちょっと待て)
とにかく状況を整理しよう、と扉を閉め、居間に座る。可能性を挙げよう。まずそうしなければ、0が1にもなりやしない。京は熟考する。
一番最初に浮かんだのは、やはりというか、そういう事が大好きな2名の知り合い。今井リサと山吹沙綾。なのだが、少し考えてその可能性は弾かれた。そもそも彼女達には常識がある。特異過ぎる京の常識に、合わせているのだ。ものぐさな彼が危なっかしいので、彼に頼まれてはいないが、やりたい事はやりたい。こんな嵐のように引っ掻き回すような事はしないのである。
(引っ掻き回すというより、綺麗になってますが)
そんなどうでもいいことを考えつつ。待てよ、と頭を捻る。
昼食→部屋が綺麗になる(推定)→忘れ物の発覚→届けに行く→今に至る
としたら、京は誰かの侵入を許しそれに気付かないまま少なくとも24時間近くを過ごした事になる。
(いや、落とし主とこの件は別物か………?)
だとしたら、推定される時系列も異なるというもの。ある程度の当たりをつけたものの、しかしどうしたものかと、首を傾げる。届けに家を出た隙にとなれば、若宮イヴは一番先に外れるが。
(違う、もっと前か………)
悪態を吐く。確実に、深い眠りに落ちていた時だ。忘れ物も、その時のものだろう。近くどころか、同じ敷地内の同じ家の同じ部屋にいたというのにまったく気付かなかった。
人の第六感は、気配という曖昧なものを感じ取って目を覚ます事があるらしい。しかし睡眠というのは脳が休息を取っている状態。そんな時にどう感じ取るのだという、人間の知られざる可能性のひとつであるが。彼がしていたのは睡眠ではなく、電池切れとそれによる充電。気付けるわけがない。
(彼女が………)
ほぼ黒となったのが、彼女。そんな彼女といつも通り言葉を交わしたという事実が、重くのしかかる。彼女はあの時、顔で笑っていたが、心の内はいかなるものだったか。
同じように笑っていたのだろうか?それとも、また違う、いつもの彼女からは想像も出来ないような黒い一面を覗かせていたのだろうか。想像を掻き立てられるが、もうその答えは聞けないだろう。彼女を、今までと同じように見れる自信が京にはない。
スマートフォンと財布をズボンのポケットに突っ込み、コンビニにでも行くふりをして家を出た。
「おおう、もしもし?どったの?京」
「リサさん、今お忙しいですか?」
「もうちょいで休憩終わりだけど、なあに?」
「じゃあ手短に済ませます。一番最近、私の家に来たのはいつですか?」
「先週くらいかなあ。なんかその辺りから京もしっかりし出したから、世話焼けなくなってお姉さん悲しいぞお」
「そうですか。近いうちに手が付けられなくなると思うので、その時はまたお願いします」
「ほいほい」
ありがとうございます、と言って京は電話を切った。
まあ、ある程度予想はしていたが、いかんともしがたい。京が自分の中で既に黒を確定させている事もあるが、沙綾には電話をしなかった。
では次は、と、出来ればかけたくなかった番号にかける。
「自称正統派、聞こえてますか」
「私、結構耳はいい方なの。んで、自称って?」
「そんなもの後でいい。若宮さんについてです」
急かすように会話を展開させようとする相手は、自称正統派女優の白鷺千聖。出来れば危急の事態には避けたかったが、コンタクトを取れる保証があるのもまた彼女だけというジレンマを抱えての通話である。
「イヴちゃん?どうして?惚れたの?」
「何でそういう方向に持って行きたがるんですかね」
「冗談よ。それで、どうしたの?」
「最近の彼女の様子を聞きたくて。例えば単独行動が多くなったとか、何かと理由を付けて集団から離れるとか」
「………やっぱり惚れ———」
「そういう事言ってるんじゃねえですよ。ん?」
「はあ………分かったわよ」
前置きが長い、という不満は漏らさなかった。
「まあ、貴方の言った通り、最近増えたわね。あまり気にしてはないけど」
「そうですか………ちなみに今は?」
「今もいないわ。そういえば、さっき見た時は尋常じゃないくらい急いでたわよ」
心臓が跳ねる。嫌な汗が背中を伝う。まったく、察しが良すぎるのも考えものだと、笑顔がどこか引きつった。
「………分かりました。ありがとう」
電話を切り、自分の部屋のドアをアパートの廊下から眺める。部屋の中から、引き戸を開けるような乾いた物音がした。おそらく物置の戸が開いたのだろう。
ここは京の家だ。だというのに、中々開けられない。
どうすれば文字通り家の中で待ち受けるものに相対出来るのか。その答えが浮かぶ事は、遂にはなかった。
Q.このあとどうなったでしょうか。
今回のお話は実験的。イヴちゃんサイドない上にセリフも登場も少なかったですね。ニンジャ。ダメだったら次回から戻します、はい。
そしてモカちゃんとさーやを足して二で割った感じになったブシドーちゃんでした。こうでもしないとネタが尽きるんや………
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瀬田薫の迷妄(表)
え?そんなBOTない?
ぶっちゃけ似たようなもんやろ(小並感)
前半はいつもの薫様、中盤から後半にかけては真面目な薫様となっています。
前略、月島まりな様。
ほんの10年前は無一文で天涯孤独だった私ですが、何の因果か今は友達のうち100%が異性でこざいます。ええそうです、出会った当初は可愛げのない子供だった私も、人並みの感情で人並みの生活をする子供になれました。
世の中には、異性と上手く喋れないと仰るセンチなティーンエイジャーもいらっしゃるらしいです。正直私にはそれが分かりませんが、それも人並みでしょう。
が、しかし。
「京!京!ああんもう、一緒に星を見ましょう!ねえ〜京〜!」
「けーくん!今ならハロハピのみんなも一緒だよぉ〜!」
「ルイーザ・メイ・オルコット曰く、雲の向こうはいつも青空なのさ。というわけで京君、共に青天の霹靂を五感で感じようじゃないか」
神の悪戯かは存じあげませんが、友達の友達はおかしな人ばかりです。
友達を選ぶ、というのは贅沢である。既に友達100人できるかなのうち四分の1を達成している京が話すと凄まじい嫌味に聞こえるが、これは紛れもなく彼自身の思想である。
一緒にいて楽しい楽しくない含め、相性はあるだろう。だがそれは、改善しない言い訳にはならない。結局のところ人間関係の良し悪しなど、本人達がどれほど努力をして、それをどれほど積み重ねたかによるのだ。友達を選ぶなんて贅沢がまかり通るのは、自分の友達として相応しい人間ではないなどという、エゴなのだ。
が、しかし。
「やあ」
「……………」
限度というものが、万事には存在するのだ。
「おおっと、閉めないでおくれ。なに、恥ずかしがることはない。共に宇宙の星々の脈動を感じようじゃないか」
「……………」
瀬田薫。友人、と呼べるかどうか、この際それは隅に置いておくとして、京としては、一対一で会話をするという環境においては彼女が一番
遠目から見れば、知的な雰囲気漂う王子様系の格好いい女性。しかしこうして近くで会話をすれば、話すことはとんちんかんそのもの。偉人の名言は使い所や意味を間違えるわ、好んで読む哲学者の意味を理解出来ていないわ、ナルシストなせいでそれに自覚がないわ。常識人の皮を被ったバカ、ハロハピ三馬鹿の一柱である。
「そんなに照れなくていいじゃないか。私は尊き友人と迷える子猫のためなら、こうして自ら出向くこともやぶさかではないんだよ?」
「それは光栄でございますが。同じバンドの面々はどうしたのです?」
「ああ、彼女達かい?こころとはぐみは快諾してくれたのだが、どうにも花音と美咲はシャイでね」
「………あっ、そう、ですか」
とにかくこの瀬田薫という女性は、ナルシズムに染まってしまっているが、その自信はまったくの空想というわけではないのが、またきまりが悪い。彼女は演劇分野においては天才的で、そこもファンが集まる理由なのだ。顔だけではない。
「話を戻そう。どうだい?参加してみたくはないかい?」
「……………そうですね」
「その返事が聞けてよかった。時間は追って伝える。それでは、さらば」
そうして颯爽と去っていく彼女は、去り際も完璧だったとしか言えない。
「………天体観測の話ですよね?」
やたら表現が詩的だったせいで、本筋からズレかけたことに首を傾げた。誘うなら普通に誘えよというのは、まあ野暮である。彼女にとってはあれが普通なのだから。
「京!もう、遅いわ!」
「けーくんったら朝型さんなのかな?」
「いいじゃないか。人生とは自分を見つけることではない。人生とは自分を創り出すことだと、かのバーナード・ショーも話している」
来たはいいが、何ともカオスだ。女性が3人寄れば姦しいとは言ったが、この組み合わせは京にとっては荷が重い。ハロー、ハッピーワールドの緩衝材こと奥沢美咲か松原花音が欲しいところだが、無い物ねだりは愚者しかしない。
「今日は雲がなくてよかったわね」
「そうですね」
「元気がないわね」
「今何時か分かってますか?夜の11時ですよ?明日学校なんですよ?貴女達、マジで何してるんです?」
こころは少し憂うようにして、彼女らしくない重々しい口調で告げる。
「あたしはあんまり貴方の事をよく知らないから、お話して仲良くなりましょ?今回は、あたしの好きな事に付き合ってほしいの」
誘いという名目でごり押しされ、日付けの変わり目を臨む時間帯に呼び出され、突然仲良くなりたいと言われ、趣味に付き合えと言われる。それでも恨めないのは、彼女の人柄なのだろうか。
「ねえ京、あれは何?」
「獅子座」
「ねえねえけーくん、あれは?」
「乙女座です」
「京、あれは?」
「うしかい座………いやちょっとタイム」
興奮した様子で変わる変わる望遠鏡を眺める3人に対して、京は光度や色彩、一等星の配置で予測をする。が、しかし、本人はまったく楽しめない。当然だ。図鑑で得た事を実際にやっているに過ぎない。だが、それの何にハマったのかは知らないが、テンションが下がる様子がまったくない。
(わからない)
ツボがまったくわからない。置いてけぼりになったような感覚だ。
「少し休みます」
「疲れたの?」
「ええ、少し。あとは皆さんでお楽しみください」
「私が付き添おう」
「いえ、構いません」
「私が構うんだ。二人は楽しんでいてくれたまえ」
「そう?だったら薫に任せようかしら」
「薫くん、よろしくね」
離れてもいいなら、ますます連れて来た理由がわからない。別に電話でもよかったじゃないかと愚痴をこぼしながら、少し離れた位置にあるチェアに腰掛ける。テーブルを挟んで向こう側には薫が座った。
「すまないね。彼女は見ての通りお転婆だから、こうして人を振り回してしまうんだ」
「それは分かっています。誘いに乗ったのは私ですから。ただ………本当に疲れてるだけです」
「フフフ。そうか。君は優しいんだな」
足を組んで頬杖をつき、優雅な様子で紅茶を………加糖のそれを飲む薫は、視線を合わせずに京と話す。彼もまた、はしゃぐ二人を遠目で見ながら話していた。
「優しい………そうでしょうか」
「そうさ。行かない言い訳なんていくらでもあるだろうに、しっかり誘いには乗るんだな」
「………まあ、はい。そうですね。そういう風になるんでしょうか」
彼にはどうしても分からない。それほどまでに天真爛漫で人を惹きつける魅力に溢れた彼女が、バンドというものにこだわる理由が。こころは不自由などない筈なのに、普通の友達というものにこだわる理由が。その真意が知りたかった。金持ちの道楽なのか?それとも彼女自身が心の底から願っているのか?
「私も、友人がほしかったので」
しかしそうは言わなかった。
「………そうか」
しかし、そのシンプルな答えを考えるようにして、やや萎んだ声が薫から出る。
「私はね、どこまでも純真無垢な彼女が、好奇心だけでどこまで突き進むのかが知りたい。打算だとか、そういったものを度外視できる彼女がどんな物語を紡いでいくのか。そこに興味があるんだ」
視線を感じたと思い彼女の方を向くと、薫はジッと京の方を見ていた。彼が彼女の方を向くと、ちょうど目が合った。
「悪趣味ですね」
「そうかい?そそられるじゃないか」
「私はただ、人付き合いをしているだけです」
「そうか。それは私ともかな?」
「………何故、そのような事を聞くのです?」
「いや、君とは他人の気がしなくてね。お互いに、自分の感情に正直だ。そうだろう?」
薫がどうして満面の笑みを浮かべるのか。それもまたわからなかった。
「白鷺さんの話では、貴女は変わってしまったとの事ですが」
「………京君は、滑稽だと笑うか?」
「いいえ」
「では私には、何が足りないのかな?」
白鷺千聖の名前を出すと、彼女は悲しげに笑った。自嘲も含まれているのだろう、滑稽だという言葉を彼女から聞くのはこれが初めてだった。お悩み相談なんてガラじゃないが、といくらか乗り気ではい気持ちを消して、話すべきを話した。
「………貴女は聡明で、優しい人です。だからこそ思考という枷のせいでそうならざるを得なかった。人には後ろめたい過去くらいあります。それを引きずるばかりでは前に進めない。貴女に足りないものは、
慰めるでもない。そんな優しさのようなものではなく、京は求められたのみを答える。彼女はフッと、吹っ切れたように笑った。
「いや、柄にもない。美咲が、お悩み相談するなら京に限ると強く推していたものだから、つい私もやる気になってしまったよ」
「軽いノリでそういうムードに引っ張るの、やめてもらっていいですか」
「悪かった、悪かった。そんなに起こらないでおくれ。友人として、ちょっとした相談みたいなものじゃないか」
「………まあ、はい。それじゃあそれでいいです」
なんだか馬鹿みたいだ、と頭を抱える。彼女もまたどこか荒唐無稽に見えて、本質的には人をからかうタイプなのかもしれない。
「でもよかった。悩んでいるのは本当だからね、こころやはぐみでは、ああいった答えは得られなかっただろう」
「彼女達と比べられるのは心外ですが………嬉しいです」
「そう、お礼は素直に受け取らなければね。そうだ、お返しと言ってはなんだが、君の悩みも教えてくれたまえ。私が解決してあげよう」
「偉人の格言でどうにかするおつもりですか?」
「ふふふ。まあ、話してみなさい」
イエスともノーとも言わないのか。胡散臭い占い師にでも引っかかったような、そんな心境だった。
「………最近の悩みですか。Roseliaの面々の強襲が増えた事以外は、特にこれといったものはありませんが」
「………強襲?」
そこは素直に訪ねてくれたではいかないのか、と不思議に思う薫だが、しかし。そういえば、と省みると、確かに今井リサをはじめとする保護者組は年々過激になっている感が否めない。
「私には理解しがたいのですが、それが彼女にとっての趣味と言いましょうか、やりたいことと言いましょうか。そういったものと同列のような気がしてならないのです」
「それはまた、随分と贅沢な悩みじゃないか。好かれるのはいい事だ。嫌われるよりずっとね」
「そんな事はわかってます。が、私とて同じ学生という身分です。彼女達におんぶに抱っことなれば、それがズルズルと引き伸ばされてしまう感じがして」
そして危惧しているのは、それが常習化してしまうこと。薫も、悩みは贅沢だと言ったものの、確かにこれは深刻だと思い直す。彼の望みならば受け入れてしまうだろう。そういう意味でも、甘いのだ。いずれそれが常態化すれば行き着く先は………
「………考えただけでも恐ろしいな」
「でしょう?」
それはそれで、保護者にとっては望むところなのだろうが、彼はそれを受け入れるには些か常識的過ぎた。
「どうでしょう。このお悩み、解決出来ますか?」
解決出来るものならしてみせろ、という挑戦的な言葉である。そうとなれば、受けて立たなければならないというもの。
どう答えるべきだろうか。受け入れた方がいい?一言言って突っぱねるべき?いや、そうであってはならない。彼も思いつかないような、斜め上から回答を与えなくてはからないのだ。彼がやったのとはまた別なように。そして、天啓のように閃いた。
「ありがとう、とただ一言言えばいいさ」
「……………?……………??」
彼は結構顔にでる。難題にぶち当たるとそれが顕著だ。
「答えを持ってきてくれたまえ。期待しているよ。シェイクスピア曰く、楽しんでやる苦労は苦痛を癒すのだ」
遠くで、こころとはぐみが京と薫を呼ぶ声が聞こえた。
筆者が趣味で読んでるweb小説でも、中々の確率で偉人の名言が引用されたりしてますが、実際結構意味違ってるのがあります。何でそんなに使いたがるんでしょうね?教えて偉い人。
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瀬田薫の迷妄(裏)
その日は晴天で、珍しく京が外出でもしようかと考えるほどだった。真昼間よりも少し時間が経っているため、昼休み中のサラリーマンも学生もいない、ある意味深夜よりも人通りが少ない時間帯だ。その筈、なのだが。
「やあ」
「……………」
瀬田薫は、今日もおかしい。
「相変わらず恥ずかしがり屋だな、君は。それもまた魅力だが、あまり無視されると私も少し寂しいぞ?」
「平日昼間に何してるんですか?」
「まったく、想い人への開口一番がそれとは、ムードというものが分かっていないな、君は。その不器用さもまた可愛らしいが」
「………そう」
どうしてそうなったのかは、薫本人にしかわからないが、想い人などという言葉ひとつで、彼女は彼を縛ろうとしている。
「遅過ぎるなんて事はない。どうだろう、これからデートでもしないか?」
「学校に行ってください」
ぴしゃりと、関係を遮るようにして放たれた。しかし薫はそれに臆することなく、むしろ嬉々とした様子で返した。
「そういうわけにはいかないな。今日は記念日じゃないか。放課後だけと言わず、盛大に祝おう」
「いいえ、放課後だけで十分です。そして私は学校生活なんて諦めてるから自分の事を棚に上げてもう一度言います。学校に行ってください。そして友人とのかけがえのないひと時を過ごしてください」
言い聞かせるように、京は繰り返す。薫は貼り付けていた笑みを剥がし、嗜虐的に目を吊り上げ、今度は話しかけるなどという生易しいものではなく、迫るという言葉がぴったりと当てはまる。
「忘れてはいけないよ、京君。私と君はもう運命共同体なのだから。もう君が何をしたって引き離せないよ?」
「私の運命共同体なんて、そんな好き者はいませんよ」
「………それが君なりの考えなのだな」
「事実確認です。………私用がありますので、私はこれで。貴女もあまり好きにやり過ぎると、雷が落ちますよ」
しかしそれに大した反応も見せず、そう言って彼は踵を返して歩いた。不気味に笑う薫を残して。
「京!!!」
どうやら今日は厄日らしい。というのも、朝っぱらからこれなのだから。仰向けになって眠る京が、何故か息苦しいと目を覚ましたら、弦巻こころが馬乗りになって叫んでいた。
「起きてっ!ねえ、起きてったら!!」
「起きてますよ………」
「もう、薫がいないからあたしが来たの!ねえ京、かおるがどこにいるか知らないかしら?」
「知ってたら私もこんなとこで寝てはいませんでしたが………それ、本当ですか?」
「本当よ!まったくもう、あたし達に一言もないなんて困ったものだわ!!」
何を叫んでいたかといえば、連絡もなしに薫が行方知れずになったこと。相当頭に来ているようで、口を膨らませて不機嫌そうに京を見下ろす。それはそれは、彼女のように元気が溢れている年頃の少女の声は起き抜けに聞くにはあまりよろしくない。
「弦巻さん、とりあえずどいてくれませんか?」
「や。一緒に薫を探すって言ってくれなきゃ、や」
「……………お手伝いしますから」
「はーい、ありがと」
「ところで今何時ですか?」
「午前5時」
「バカですか貴女は」
誰が目覚まし時計の代わりをやってくれと頼んだか。そう思って二度寝でもしようと掛け布団に手をかけるが、目ざといこころはそれを物言わぬ圧だけで阻止する。そうでなくても、すっかり目が冴えてしまって二度寝は困難な状態にある。
「何だってこんな時間に………彼女だって寝ているでしょうに」
「さっき電話で話したもの」
「何してるんですかね」
「でも、急に切ったのよ!行き先もわからないし………」
「その時彼女は何と言っていたのですか?」
「京を愛してるっていう事を証明するって」
「……………」
意識を完全に覚醒させるために洗面所で顔を洗っていた京が、三面鏡に頭を盛大に打ち付ける鈍い音が聞こえる。
「京!?」
「おおう……………」
頭を抑えてうずくまる京の側に駆け寄り、我が子を慰めるように慣れた手つきで頭を撫でる。
「もう、おっちょこちょいね。こぶになってないかしら?」
「………大丈夫ですから。それよりその言葉、本当ですか?」
「ええ、そうたけど。どうして?」
「いえ………悪い予感というか、上手く言えませんが、よろしくない未来が見えるというか」
「どうして?」
「直感ですが………私には————」
言いかけた時、タイミングを見計らったようにこころの携帯が振動し、メロディーを奏でる。着信のようで、相手は渦中の薫その人だ。
「噂をすれば何とやらですね………スピーカーにしていただいてもよろしいですか?」
「わかったわ」
京は若干ひりつきが残る頭をさすりながらリビングへ戻り、テーブルに置かれたこころの携帯から聞こえる薫の声に耳を傾ける。
「まったく朝が早いじゃないか、こころ。元気がいいのは大変よろしい事だが、あまりお転婆だと淑女らしくなくなってしまうよ?」
女性をナンパするような気障ったらしい口調は、やはりいつもの薫と変わらなかった。所詮直感なんてそんなものか、と京が思い直そうとした時、思わぬ攻撃をくらったのだ。
「京君はどうしてる?」
「京?すっごく眠そうにしてるわ」
「付き合わせたのか?ダメじゃないか、こころ」
「ごめんなさい。でも薫が心配だったの。それはあたしも京も同じ思いよ」
「………京君がいるのか?」
「何ならここで話聞いてますよ、瀬田薫さん」
こころの側にいる、という事は、彼女がポロッと零したという場合を除いて考えられない。どうしても白々しい演技に見えてしまう。そう思うのは考え過ぎではない筈だと、警戒を強める。あまり猜疑が先行するのはよい対応とは言えないが、それをしなければならない理由がある。というより、最近できた。
「貴女のせいでこっちはこんな時間に叩き起こされたんです。今どこにいらっしゃるか存じませんが、貴女が抜けて迷惑を被るのはバンドだけじゃないんですよ」
「そんなに怒らないでおくれ。こころの非礼は私が詫びよう。だがこれは必要な事なんだ。私達にとっても、君にとってもね」
「………?」
そんな思わせぶりな言葉が、まさにそれだ。
「解決したのでいいですね?」
「ええ。ありがとうね、京」
「何もしていないような気もしますが………私用が出来ました、私は出かけます」
「あら、そう?」
「いやいや、そう?ではなく。お帰りください」
「むう〜………」
「そんな顔してもダメです」
そして毅然とした京の態度に、こころは早々に折れた。ほとぼりが冷めた頃にまた突撃はするだろうが、今日は勘弁してやるといった具合だ。
「そうだ、ねえ京」
「はい」
いつもの天真爛漫で明朗快活なハキハキとした声でなく、比較的重い彼女の声に、京もそれに応えるわけではないが、自然と眉間にシワが寄り険しい顔付きになる。
「薫はね、ああ見えて怖がりなの。好きな人が壊れることを怖がってる」
「……………」
日曜日の夜は特に憂鬱だが、今日に限ってはそれがない。お互いに。
「やあ。君の方から呼び出しなんて珍しいな」
「………ええ。少し用事が出来まして。夜に深い意味はありません」
別に深い意味はない。京はそう言うが、夜というのは何かと都合がいい。いわゆる深夜テンションというのは別に深夜に限った話ではない。一過性の躁状態は、自律神経の混乱によって引き起こされるとされる。要するに、そういうテンションになると人は理屈で説明出来ないような行動をする。
「私に、何を聞きたいのかな?」
「私の元家族に何かしましたか?」
だからこそ、こうして直線的に進むのがいい事だってある。薫は少々驚いたように見開いた目で京を見てから、事態を飲み込んで落ち着いたあとに。
「フフッ」
笑った。
「………何か?」
「いや。君はそんな事を気にしていたのかい?」
「どういう意味です?」
おかしいのはどちらか。薫のクスクスという上品な笑いは、そう問いかけているようだった。
「奴らは報いを受けただけさ。君を傷付けた利己的な怪物。囚われていた君を、私が助け出した。何ともおとぎ話のようで素敵じゃないか」
「それで、あんな事を?」
「運命共同体じゃないか。私は君を救ったんだ、感謝される事はあっても罵倒される事はないぞ」
「……………」
「どうしたんだ?」
薫が饒舌になっていくと、京は黙り込んで彼女を見るだけになるようになった。どうしたのかと彼女は身を案じる。いつも、常識的と言えない感性を持つ彼だが、電池切れの件もある。黙り込むというのは、あまりいい変化ではない。しかし京はそうではなく、ただ一言彼女に放った。
「本当は?」
「……………」
そして今度は、薫の方が口を閉じる番となった。どこまでも心を見透かす彼は、口から出まかせなど通用しないといった毅然とした様子で相対する。
「………死ねばいいのさ」
「何ですって?」
ボソリと呟いた後、薫は声を張り上げる。
「君を傷付ける人でなしはこの世には必要ないんだよっ!!求めるのは君が普通である事だけだ!そうでなければ死ねばいい、死んで当然なんだっ!!」
案外あっけなく化けの皮が剥がれたが、それも含めていつもの彼女らしくない。
彼女は博愛主義者だった。自分をある種の頂点と考えているからこそ、その下を平等に愛していたし、実際京もその恩恵に預かっていた。しかし今の彼女はどこか選民的で、そしてその中心に京がいる。そういう意味では、より恋愛観は普通に近付いたといえるが、彼女の主張は決してそうではない。寧ろ、悪化の一途を辿ってしまっている。
「わかるだろう。価値を貶める人間は存在している価値なんてないんだ。私はいい事をしているんだよ」
悪びれる様子もなく、笑いながらそう言い放つ。それは大義があるからと信じて疑わないからであり、それを知らしめたいがためだ。一体どうして、そこまで固執するのか。
「貴女が、そう信じているのですね?」
「まさか君も、間違っているとは言うまい。随分
「………それは、はい。否定はしません」
「ならいいだろう。存在してはいけない害悪が消えた。これでもう、君を傷付ける者はいない」
ここで別に何の因果もないが、突然前触れもなくこころの言葉が脳裏に浮かぶ。
「私は貴女の事をよく知りません。どうしてそこまでするんです?」
「どうして?どうしてだって?」
熱を帯びた感情は、いつしか京にも向けられるようになる。
「君が私にとってどれほど尊い存在かわからないのか!?」
「わかりません。わからないから、教えてください」
飛び火するとどうなるかわかったものではない。京は出来る限り自分の中で角の立たない言葉を考える。いつもなら絶対にやらないような気の遣い方だが、彼だって常に向こう見ずで猪突猛進で感情論をぶつけるというわけにはいかないのだから。
「私と君はひとつなんだ。離れてはいけない、絶対に切ってはいけない関係なんだ!!それをあの人でなしどもがっ、人でなしどもがぶち壊したんだぞ!」
凄まじいまでの敵愾心は、奪われたくないという気持ちの表れ。彼女は気取ってはいるものの、やはり心の中で奪われるという警戒心がそうさせるのだ。
「わかってくれ。これは私だけじゃない、君のためでもあるんだ」
情緒が安定していない。これ以上は危険と判断した京は、問答を切り上げて休ませようとする。
「………ダメだ」
しかし、その動きを察した薫は京の腕を掴む。
「ここで今、答えてくれ。私の行いは正しかったと。そうでなければ、私は迷いと悩みでおかしくなってしまいそうだ………!」
それは、願っているなどという可愛らしいものではない。正しいと言わせてみせるという確固たる意志。
悪い事と思えない。それは紛れもなく京の気持ちそのものだ。しかし同時に湧き上がる疑念。
正しいと言えば、彼女は正常に戻ってくれるのか?いや、そもそもこれは異常と断ずるべきものなのか?
大量の情報が頭を駆け巡る。その度に彼は、あるひとつの予想が組み立てられては瓦解していくのだ。
異常、正常、異常、正常、異常、正常………
ここで答えは出そうにない。鈍色の薫の瞳を見てもなお迷いが捨てられない自分はきっと正常でないのだろうという自嘲も含めて、彼の顔には笑顔が貼り付いていた。
なんか色々ごっちゃになったな薫様。
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宇田川巴の悲願(表)
年齢関係なくいつも敬語で他者と会話する京とて人間、相性の良し悪しというのは確かに存在する。ハロハピの三馬鹿に代表されるように悪いものもあるが、しかし。別に苦手だから嫌いというわけではないのだ。だからこそ、いざ面と向かって会話をするとなると倍苦しむ羽目になる。そんな面倒な人間関係でも、彼と特に相性がいいとされるのは、押し過ぎないという点にある。そういう意味では、古い知り合いでない彼女は貴重な存在なのだ。
ある日の夕暮れ、そんな彼女と出会ったのはまったくの偶然であったが、ある意味幸運だった。
「なあ京、今度の日曜にメンバーのみんなで合わせ練習するんだけど、お前も来てくれないか?」
「それは………どういう立場で?」
「作曲した張本人として」
「……………そう、ですか。残念ですが、その日は先約がございますので」
「そっか。ならしょうがないな。悪い」
「いいえ、こちらこそ」
宇田川巴は、典型的な姉御肌というか、サッパリとした性格の姐さん気質というか。繊細だったりハイテンションだったり、ツンデレだったりマイペースだったりするメンバーを上手くまとめているだけあって面倒見がよく、何かあるたびに京もお世話になっている。168cmという長身とその快活ながらどこか世話焼きな性格で京も言われるまで気付かなかったが、なんと高校一年生。バレンタインチョコは貰う側らしい。義理か友か、あるいはそれ以上かというのは、彼も考えるのをやめて久しいが。
「なあ、ちょっと商店街寄ってかないか?」
「構いませんが………私にどうしろと?」
「どうしろってわけじゃないけど………いいだろ?お前、いっつも一人でさっさと帰るし。みんなも寂しがってるんだぞ?」
「別に今生の別れでもないというのに………それで、それと何の関係が?」
「要するに、アタシの抜け駆け」
「あっ、そう………別に構いませんが」
時にこうして、集団に馴染まない京に対しても何かと世話を焼こうとする。強者の余裕というか、陽キャの慈悲というか、愛されキャラの憐憫というか。若干余計なお世話感が強いがしかし、彼女もまた根っからの善人なもので、断れば悪と断ぜられるのは残念ながら京の方になってしまうのだ。
「腹減ってるか?」
「お腹と背中がくっつきそう、とまではいきませんが、それなりに」
「お、ちょうどいい。軽食でもつまもうぜ。アタシが奢るからさ」
「私と共に空腹を満たすのに、コスト以上の価値が?」
「そういう事じゃないんだよなあ………」
少し困ったように頬を人差し指で掻いて笑う。巴にとっては、彼のくどくて理屈っぽいところもまた個性なのだ。それを是正させるでもなく、彼女は苦心を苦笑に変えていた。いくら人の心に疎い彼でも、鈍感というわけではない。
「………まあ、お付き合いさせていただきます」
「そっか。何か悪いな、気を遣わせちゃったか?」
「いいえ、単に私がひねくれているだけです。貴女に非はありません。小腹が空いていたのも事実ですし」
「なあんだ、そうだったのか。じゃ、早いとこ腹に入れないとな」
ゆえに、厚意を無下にするという事は出来そうにない。多少強引に手を引く彼女に悪い感情を抱けないのも、また自分の弱さになりそうだと、京は弱さを呪った。
「つぐみのとこの新メニューに、タルトが追加されててな」
「何ですって?」
「食いつくなあ、お前。甘党って本当だったんだ」
「世の中には辛党などという、痛覚を香辛料で刺激して美味いなどとのたまう紳士がいらっしゃいますが、まったく理解不能ですね」
「あっはは………そういうもんか?」
「そういうもんです。さあ行こうすぐ行こうさっさとやろう。ほら早くしてください」
「わかった、わかったから」
正直、彼も子供なんだなと、子供ながらに巴も思った。打算的というか、いつも計算尽くの点は歳不相応で、それが魅力であり不気味な点でもあった。
「美味いか?」
「とても」
「それはよかった」
しかし好物の前では正直過ぎるくらい正直で、とにかく遠慮をしない。それどころかその知性でもって、財政を圧迫し過ぎない程度に注文を重ねるのだから、ある意味愚直よりタチが悪い。
「美味しいってさ、つぐみ」
「嬉しいけど………本当に、よくそれだけ入るよね。私とそんなに体格変わらないのに」
「どうせ糖分は頭が消費するので。いくら食おうが同じようなものです」
「羨ましいなあ………それ。食べ放題ってこと?」
「胃袋に余裕がある限りは、そういう事ですね」
「ええ〜………」
「そうか?ちゃんと運動すればいいんだから、そこまでの事じゃないだろ」
「巴はいいけど、私は違うの〜」
しかし、つぐみから見て、微笑ましく見守る巴とそれを気にする様子もなく食い気に走っている京は、どこか姉弟のように見えた。年齢がさほど変わらないにも関わらずそう見えてならないのは、姉御肌気質の彼女の影響か、あるいは巴がそう望んで見せているのかもしれないが。面倒を見慣れているというか、漢気に溢れるというか。つぐみ自身よく世話になっているのでよくわかる。
「そういえば二人って、知り合ってそんなに経ってないよね?」
「ん?ああ、そうだな」
「そもそも共通の知人の紹介でしたからね」
「誰、それ」
「青葉さんですよ」
「モカ!?うっそ!?」
そしてここでまた、予想だにしていなかった名前が出る。
「嘘じゃないんですね、これが」
「そんなに意外か?」
「ひまりちゃんかと思ってたから………」
青葉モカは、基本的に誰にでも気安いが、だからこそマイペースで突拍子がなくても、友人と呼べる存在はバンドの外でも一定数存在する。しかし論理で動く京と正反対を行くモカとは、親しくなるキッカケというのが、またわからない。意外な話で、彼にとってても扱いやすいであろう上原ひまりと最後に知り合ったというのは、因果の気になるところだ。
「実は私、アフグロの中で一番最後に知り合ったのが上原さんなんですよね」
「それはまた。あの子明るいから、てっきり早く知り合ってるかと思った」
「そういえば、京と知り合って長いのって誰なんだ?」
「そっか、巴ちゃんじゃないんだよね………」
あまりにも二人の順応が早いので忘れかけるところだが、二人はまだ知り合ってそこまで時間が経っていない。
「凄いなあ。二人とも、本当の姉弟みたいだよ」
「そうか?」
「私は思った事がありますよ」
「まったく………調子のいいヤツ」
「姉だと思っているので、もう一個注文していいですか?」
「お前な………」
「あはは………ちょっとオマケしとくね」
「悪い、つぐみ」
「ううん、いいの。私も、来てくれて嬉しいから」
ますますらしい。巴がいつにも増して生き生きしているというだけでなく、いつもの理屈をこねくり回して人より優位に立とうという意思がまるで感じられない。それどころか、彼女に委ねているところさえある。
「お前、自重しないな」
「好きなものの前ではそんな事関係ないんです」
「人の金じゃなければいい事言ったっぽいのになあ」
「こんな機会はもうありませんから」
「そうか………?」
「そうです。これから忙しくなるのでしょう?」
「それは………まあそうだけど」
そういえば、と巴は彼の表情を観察する。先程から表情が変わった事がなかったが、それでいて言い回しも面倒な上に些かくどいが、それは紛う事なき本音だった。
「別にいいんだぞ?遊びに来たって」
「水を差すような真似は出来ません。私はそこまで、無神経ではありませんよ」
「別にそんな事ないさ。みんな喜ぶぞ」
「………そうですか。ではいつか、お言葉に甘えて、適度に茶々入れに行きますよ」
「茶々入れって………まあ、待ってるよ」
時計を見て、頃合いだと思った京は、4皿目のタルトを完食したところでつぐみに一言ありがとうと言って店を出た。
「まだ満足してないんだろ?」
「自腹で食べる事も考えましたが………そういう気分でもなくなりましたし。今日はそろそろ帰ります。誘ってくださってありがとうございました」
「おう、そうか。それじゃまたな」
「ええ」
彼は一人になりたがりというか、多くの人々と同じく干渉されるのは構わないが過干渉を嫌う傾向にある。しかし人々と違うのは、それを言えるか、否かというところにある。
気安くものを言い合える友人という関係においては珍しく、直接的過ぎる否定の意を言えない。必要に迫られれば口にする事はあるものの、友人であるという点においてそれは相応しくないものだ。そうなったのには理由があると、巴でなくてもそう考えるところだ。
「ああ、そうだ」
それを探るのは彼にとっても酷だろうと、帰ろうと背中合わせになったところで、京が思い出したようにして言葉を放つ。何だ、と返しかけたところで、それより先に彼は二の句を継いだ。
「貴女が姉でよかったらと思う事があるのは、本当ですよ。心からそう思ったし、今でも望んでいます」
「……………そっか。嬉しいよ」
「ええ。では、またそのうちに。奢ってくれてありがとうございました」
きっと何かがあった。それはわかっているが、逆に言えばそれしかわからない。手が届きそうで届かない、この世にこんなにも辛い仕打ちがある事を巴は知った。それはきっと、彼が受けたものに匹敵するだろうというのは都合のいい仲間意識のようなものだろう。
ただ、知るべきかそっとしておくべきか。その迷いが、ぐるぐると彼女の頭の中を渦巻くばかりだった。
彼は迷いを断ち切るようにして、趣味と仕事に没頭した。一週間と数日が経つ頃には、あんな風に弱い面を見せる事はついになくなった。放課後にファストフード店に目をやると、Roseliaのメンバーのリサと友希那と京が、テラス席でテスト談義をしていた。
「うーん、まあ可もなく不可もなくかあ………あ、京、テスト何点だった?」
「外部試験と学校の定期試験は別物ですが………まあ、いつも通りでしたね」
「だよねえ。京はいっつも100点だもんねえ………友希那は?」
「いつも通りね」
「………ねえ京、今回も」
「ええ、勉強会ですね。その代わり氷川さんと白金さんの参加を求めます」
「わかった、わかったから」
いつも通りに見えるが、そうではない。それを、彼女達………、京と旧知の仲であるリサや友希那は、あえて触れないのだ。それが地雷だから。では巴自身も、今まで通り友人として、彼に接していればいいものか。いつも脳裏に焼き付いたものが離れないのだ、彼の寂しげな顔が、目を背ける事を阻害しようとする。
「なあ京、今いいか?」
「ええ、どうぞ。どうかしました?」
しかし、解散となったタイミングがよかった。一足先に京が輪から抜け出すと、思わず声をかけた。
「ああ、英語のテスト受けたって聞いて。どうだったかなって」
「偶然ですね。先程あのお二人と同じ話をしていたんですよ」
「あ、ああ………そうなんだ………」
聴力に優れていましたとは、ここでは言えなかった。欺いたという罪悪感が彼女を苛むが、それもまた、必要だと思えばそれはいくらか軽くなった。これから起こす事の方が大事だと暗示をかけると、さらに罪悪感は減っていった。
「何か、焦ってるように見えて。大丈夫か?」
「いえ………特に、焦っているというような事は。何かに追われているというわけでもありませんし」
「……………」
「もう行っても?」
「やっぱり家族が羨ましいのか?」
急ぐようにというより、避けるようにしていた彼の動きが止まる。それが的外れな言葉であったのなら彼はいつもの仏頂面で否定しただろう。しかし、そうはならなかった。ただ眉をひそめて巴の目を見るだけだ。しかしそれに圧倒されるというわけでもなく、彼女はそれを許したまま続けた。
「アタシは本当の家族じゃないし、こんな事言うのは余計なお世話だって思われるかもしれないけど」
しかしやはり、どこかで臆病風に吹かれる自分がいるのだ。そんな前置きをしてから、意を決したように放った。
「何かあったら頼ってくれ。本当の、姉貴だと思ってくれて構わない。アタシが力になるからさ、あんまり抱え込まないでほしい」
「……………」
まったく、これを言う事を決意するのに時間がかかった。そして彼は、意外そうに目を丸くすると、ふっと微笑んで、言った。
「………ええ。ありがとうございます」
それ以上は何も、言わなかった。肯定するでも否定するでもなく、ただありがとうと言って彼は去っていった。何か間違えたのかと、彼女の心に最悪のケースが想定される。しかし、その最悪は起こりえない。巴が投げかけた言葉は正しかったから。
京は巴に背中を見せていた。涙を流した彼を、彼女は見なかった。それもまた、彼なりの意地のようなものなのだろう。
それを彼女の前で捨てるまでに、そこまでの時間はかかりそうにないが。
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宇田川巴の悲願(裏)
「京!!」
その日、宇田川巴は人生でも五指に入るくらいに焦燥していた。ここまで焦ったのは、いつぞやの蘭の父親騒動以来だったかもしれない。事の発端は30分ほど前。Afterglowの元気枠兼空回り役の上原ひまりからの電話にあった。
『はあ!?京が倒れた!?』
我ながら、あそこまで大きな声が出たのは初めてかもしれない。頭を殴りつけられたような衝撃のせいもあるだろうが、そう驚愕してしまった理由は、彼がそうなってしまったという出来事そのものにあった。彼は年齢不相応に冷静で、客観的だ。だからこそ、自分を損なうような無茶はしないと考えていた。が、どうやらそういうわけでもなし。
「大丈夫かッ!?」
「どうも」
「……………」
そうするまではよかった。駆けつけるまでは。前例があるゆえに、必死になっていた巴の反応は至極正常だったと言える。しかし、今回は例外のものだったのだ。病院のベッドで半身を起こし、何食わぬ顔でそう挨拶をする京に、思わず巴はモカでも上げなさそうな素っ頓狂な声を上げる。
「倒れたんじゃ………」
「ああ、その節はご迷惑をおかけしました。もう大丈夫です。全快しました」
「……………うん?」
「おや、私の説明が悪かったのでしょうか。要領を得ない」
固まること数秒。つまりそういう事なのだと思考から答えを導き出すのに十数秒かかってしまった。しかしその時、確かに答えは出たのだ。
「………おま、お前なあ………」
「事を大きくしてしまった申し訳ありません。しかし前例の一件もありますし、私としてもこうする他に仕方ないのです」
張り詰めていた緊張の糸がプツンと切れる。一瞬だけだが、走りながらも最悪のパターンを考えてしまっていたところだった。もしもこんな事で今生の別れになってしまうのではないか。そう思うと、どうしようもなく涙腺が緩んでしまうのも。全て杞憂だったのかと膝をついた。わかっている。彼は悪くない。ただ体が不安定なだけで、寧ろ彼は必死に生きようとしているのだ。しかしそれでも、あるいはだからこそ、所謂このような肩透かしを喰らってしまうような一件がどれだけ自身の精神を摩耗するか、巴にとっても苦い薬とはいえいい経験になった事もまた事実だ。
「本当に何ともないのか?」
「ええ。お医者様も、体力が回復し次第退院して構わないと。というかちゃんと自分で1日3食を食べるのなら入院の必要すらないと」
「それで、なんて言ったんだ?」
「1日なんて1食で生きていけますと」
「バカ………お前、ほんとバカ………」
ただそれ以上の問題があるとすれば、彼の方か。とにかく彼は生きる上での活動である食事や睡眠などに無頓着というか、何というか。やりたい事がやるべき事を上回る、典型的なダメ人間というか。ガールズバンドの様々な面々と知り合っていなければ、あるいはそんな彼女達の保護がなければ、とっくのとうに人知れず倒れ伏して冷たくなっているタイプの人間だ。
「仕方ない。アタシがお前の面倒見てやる」
「それはありがたい」
「退院したあともだぞ」
「………何故?」
「お前、自分でわからないのか?冗談抜きでいつ死んでもおかしくないんだぞ」
このままでは命が危うい。それは巴も他のメンバーも京自身もわかりきっている事なのだ。だが、しかし。
「それもまた、私らしくていいじゃないですか」
ふとした時に、やる気が急降下する。安定化出来ない自身の肉体を必死に繋ぎ止めようとするのは、死が怖いからではない。死より恐ろしい地獄が待っているからで、それを回避出来るのならばここで枯れても悔いはない、というのが彼の死生観。それが枷なのだ。
「いいわけあるか。アタシが面倒見るからには、そんな事させないからな」
「……………そうですか。はい、わかりました」
そしてこうと決めた巴はとにかく一直線で頑固なのだ。そんな彼の死に対する余裕のようなものを見せられては、放っておくという選択肢などもう捨て去られてしまった。こうなっては彼も、首を縦に振る以外ない。というより、彼女がそれ以外させない。
「今は医者に言われた通り、体力を回復させろ。話はそれからだ」
「はい、わかりました」
悪いようにされないだろうが、その悪いようにというのが誰から見た答えなのか。それはきっと、この病床で考えるばかりでは永遠に出ない答えだろう。
「それじゃ、何ともないならアタシは帰るけど」
「そうですか。それではまた」
「あんまり無茶はしないでくれよ?」
「やだなあ、するわけないじゃないですか」
「胡散臭え………」
人のいい笑顔でそう話す彼が、イマイチ信用できない。しかし、残念ながらその辺りの探り合いは純粋な巴の苦手とするところだ。胡散臭いが、信じるしかない。
退院すれば、どうせ———
そんな思考を巡らせる彼女は、自身の恐ろしさについて自覚がなかったのだ。
それからというのはとてもあっけないもので。正直、大切な人が入院しているというのに巴の中にはカケラほどの緊張感もなかった。容態が急変しただとか、そういった事も特になく。当然といえば当然、病院に駆け付けた瞬間全快ですなどと言われるのだから、それも削がれるというものだろう。
「ああ巴さん、その節はご迷惑をおかけしました」
「まったく………本当に何もなかったな」
何もないというのが一番なのだろうが、しかし。とんだ大ごとを予想していただけに何か引っかかるものが彼女にはあった。一方で、京はそんなものは知らないと、澄ました顔で話す。
「ええ。お伝えしました通り、気を失って目を覚ましたら全快ですよ」
「何か心配して損した………」
「私は嬉しかったですよ。たとえ無駄足だったと言われたとして、無関心でないだけマシというものでしょう」
「言われたのか?」
「ええ。美竹さんに」
「それは本意じゃないからなあ」
が、巴がよく知る親友の一人、美竹蘭はそうもいかなかったようだ。彼女はそうもいかないようだ。純粋というか、変に律儀というか。それもまたらしいのだが。
———本当に。
突然の事。それは、彼の無防備な後ろ姿を見て彼女の中に降って湧いた感情だった。
「お前は本当に、真っ直ぐだな」
「………?どうしたんです、藪から棒に」
「いや、蘭の話でな」
そう繕うが、実は巴自身もそうでない事は承知している。自分でも戸惑っているが、我ながらいいように取り繕ったものだと、自分の作り話の才能を一瞬疑ったものだ。どうして、突然そんな風に思うようになったのだろうか。
「確かに。彼女はとても真っ直ぐな人です。だからこそ他人とぶつかったり、反抗したり出来るのでしょう。羨ましい限りです」
「羨ましいのか?」
「ええ。自由で、それでいて象徴的でもある」
「そうか………」
きっと彼は、それが憧れではなく一種の偶像視である事を自覚していないのだろう。自分には到達出来ない領域にあると知っていながら、それを追い求める事をやめられない。軽い中毒のようなものだろう。特に彼のように、多感な時期を満たされないまま過ごしたような人間にとっては、それが救いになる事もあるのだ。
「アタシは別に、京はそのままでもいいと思うけど」
「……………」
だからこそ、巴はそうした憧憬を許さなかった。
つまるところ、彼女は許せなかったのだ。結局彼の体について杞憂に終わったことではなく、誰よりも彼が自身を軽んじたこと。
「お前、無茶苦茶だって言われた事ないか?」
「今貴女に言われました」
「アタシ以外には?」
「月島さんに」
「やっぱりか………」
きっと彼に、自分の体を大切にしろと話しても、それは響かない。何よりそれが真理であると信じて疑わない彼の前では、全てが無意味なのだ。
「お前は本当に、しょうがない奴だな」
「それはよく言われます」
「本当にしょうがない奴だ。アタシがどれだけ心配したと思ってるんだ?」
「ええ………申し訳ありません」
今日に限って彼はどこまでも素直というか、しおらしい。それがよくなかった。彼女にとっても、彼にとっても。それは、好きになってしまった男にどうやって近付くか。それだけが彼女の頭の中で渦巻く。その隙を与えてしまったという点、彼はそれを振り払えなかったという点。
「お前は本当に………」
「………」
「………アタシがどんな気持ちだったか、わかるか?」
「いいえ」
「だろうな」
その構図は、悪さをして叱られた子供のようにも見える。
彼は正直だった。しかしそれは、京が誰かに心配された事がないから、そういう考えに至らないというだけの事。それは巴も既知の事。それでもなお、彼は自分を酷使する事をやめなかった。巴にとってそれがどうしても我慢ならなかった。
彼は鼻血を流し、白目の部分も赤く染まっている。眼球の毛細血管が数本千切れて出血したのだ。
「どうしてそんなになるまで放っておいたんだ?」
「やめ時がわからなくて」
「お前………」
彼はどこか不器用というか。こういう事が度々起きる。だから必要なのだ、こういう時のストッパーというやつが。そしてそれは、彼にやり込められない頑固さと強情さがなければ務まらない。
「とにかく無理はするな。いいな?」
「………はい」
「よろしい」
納得したように巴は言ったが、その実彼女は一切信用していない。
きっと彼は、また自分を壊すだろう。
「お前は私が管理する。私が正しい方に引っ張ってやる」
「………そうですか」
そしてそれは、彼もよくわかっているだろう。何かキッカケがあれば、自分は自分を完膚なきまでに叩きのめすだろうと。だがそうはさせないと、立ち上がった。
「私の意思は?」
「あるかそんなもの。今度こそお前の心の臓が止まるぞ。そうはさせるか」
彼女は優し過ぎた。だからこそ、死ぬなら勝手に死ねなどとは言えなかった。
「お前が死ぬと悲しむ奴がたくさんいるんだ」
そこには、いつもの彼女はいなかった。神経を尖らせて彼の周囲に目を光らせているのだ。
彼を守りたい、なんてただの建前。あるいは正当化に過ぎない。その本質は、何としても隠し通したいと思うほどに黒いものだ。
彼を守りたい?違う。それは、彼を納得させたいがために放った嘘八百でしかない。彼女の真実は、そこにはなかった。
「大丈夫か?」
「もう随分と、マシになりました」
「そっか」
今日も彼女は、彼を監視する。彼はきっと知る由もないだろう。あるいは、知っていてなお閉口しているのか。どちらにせよ彼女の前で言うべきではない事だ。
「でもまだだ。お前は放っておくとすぐ無茶をする。アタシの側から離れるな。アタシの目の届かないところに行くな」
それはおよそ、お願いをしているとは見えなかった。肩を掴む力、黒く淀んだ双眸。暗に、約束を破ったらどうなるかわかっているな、というニュアンスの脅しにさえ聞こえる。
「………ええ」
「本当にわかってるか?」
「……………」
そして彼は、嘘がつけない。彼女の追求に屈してしまうのは秒読みだったが、彼自身も驚くくらいに早かった。
「約束出来ないのか?」
「………明日私がどんな行動を取るのか。それを決めるのは今の私ではありません。それに———」
「それに………何だ?」
「必要とされなくなるまで、それが私の存在意義だと思っていますしね」
それでいて、彼は友人と呼べる人物に対しては純粋だった。今はそれが仇になってしまっているが。
「何を言ってるんだ………ダメだ、そんなの。ダメに決まってる。話を聞いてなかったのか!?」
「私は選べないんです。貴女達のように、誰を好いて、誰を嫌うかなんて」
予想以上だ。巴は爪を噛んで悔しそうに顔を歪ませた。予想以上に彼の心を縛っている。それが彼女にとってどうしても許せなかった。
退院すれば、どうせ私が一番近くで面倒見る事になるんだから。
そう思っていた自分は甘かった。今彼女は権利こそ勝ち取ったものの、まだ途上の段階だ。期待していなかったといえば嘘になる。彼女もまだ高校生、理由もなく期待してしまうものだ。しかし、そうとはならなかった。彼はまだ、忘れられずにいるのだ。
———でもまあ、それはそれでいいさ。
希望はある。京はいくらか無防備というか、外側からの悪意には敏感だが、内側に入ってしまうと途端に鈍感になってしまう。それが彼の弱点であり、人間らしさ。
「ゆっくりでいいさ。ちょっとずつ慣れていこうな」
本当に、調べ尽くすまで時間がかかった。
彼の弱さを、知るまでに多くの時間を要した。それまでずっと、自分は気前のいい歳上気質だった。これからは、もう違う。
「正義とか悪とか、そんな小難しい事はどうだっていい。って、お前と私の未来の前じゃ、全部どうでもいいんだけど」
これからは、彼を想う一人の女として。彼を憂う保護者として。永遠に彼を見守り続ける。そして必要ならば、手を下す。
「お前に何があったか知らないけど、アタシはお前の味方だ。一生な」
呼吸が浅くなった彼の頬を撫でてそう話す。
自分がそうなる原因を作ったと知りながら、彼の薄紫色の唇に自分の唇を重ねた。
やるなと言われた事をやるド天然、出水京。
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丸山彩の罪と罰(表)
テレビで煌めくアイドルを見て、彼女の隣にいれたらと思った事は?あるいは、その先まで考えた事は?
何も恥ずかしがる事などない。思春期の健全な少年のたくましい妄想力ならば、それくらい夢を見るのも珍しくない事だ。自分が高嶺の花とお近付きになるなんて、人によっては飽きるほどしている事でもあるだろう。
「京君!ねえ京くーん!!ねえってばあ!」
「……………」
それが実現した時、嬉しいという感情が湧くか否かというのは、この際考慮しないものとする。
「テストが、テストがヤバい!!もう一週間しかないのにぃ!!」
「そうですか」
こうして、学業がままならないと喚く彼女がそうであれば、華の女子高生アイドルとお近付きになりたいなんて思いは彼の中でとうに失せた。
駆け出しのアイドル、丸山彩については筆舌に尽くしがたいが、とにかく覚えるべきは、彼女は性格的にもアイドルに向いていない。長らく研究生として表舞台に立たなかった事も原因だろうが、あがり症でアドリブに弱く、負の感情が出やすいため涙もろい。その上ダサTを着る、自身考案の決めポーズはセンスなし、そして今もこうしてテストがピンチだと年下の京に泣きつく。ダメさ加減はオフの時でもとどまるところを知らない。
「ねえ〜助けてよお〜京く〜ん………」
「控えめに言って勉強しなかった貴女のせいでは?」
「そうたけど〜………」
一方で彼は、どこまでも冷静というか、CiRCLEに来るよう仕向けた白鷺千聖に対して静かに怒りを燃やしているというか。その件に彩本人はまったくの無関係なのだが、態度には出てしまう。
「言っておきますが、直前で詰め込むのは脳科学的観点から見ても非効率的です。今の時点で6割がた遅いとお考えください」
「過半数じゃん!」
「そうですよ。何で今まで勉強しなかったんですか」
「日菜ちゃんに連れ回されて………」
「ああ………なるほど………」
ゴチャゴチャ言ってないでさっさと勉強しろ、を丁寧語で言おうかとしていたが、氷川日菜の名前が出てからはそうも言っていられなくなった。なるほど確かに、彼女なら、友人を立てるがゆえに押しに弱い彩を連れ回していてもおかしくない。
「彼女、あんなのでも成績優秀ですからね」
「ホント、人間って不公平だよね………」
「悟りの境地に至らないでください」
「どうして私ってこうなのかなあ?才能なのかなあ」
「さあ。私は授業も受けていませんし、アイドルでもありませんので、貴女の心労を一つも理解できませんが」
「うう、バッサリ………」
彼女は天真爛漫で自由奔放で馬鹿みたいに明るいので誤解されがちだが、姉に負けず劣らず成績優秀で、才能はギターだけに留まらないといったところである。記号選択問題を、彼女曰く『るんっ』と来るものを選べば例外なく全問正解すると聞いた時は、流石に京も第六感という曖昧なものを信じ込みかけたものだ。
「まあ………教えろと言われれば教えますよ。別に断る理由もありませんから」
「ホント!?ありがとー!!」
「その代わり期間限定パフェはそちら持ちですよ」
「ゔっ………」
どうにかお財布と相談せざるを得ない事態にまで持ち込まれはしたが、それもまた先行投資というものだ。
「始めましょうか。どの教科を?」
「えーと、国語と数学と理科と社会と………」
「すみません、パフェもう一つ追加で」
「待って!?」
とはいえ、勉強においてたっぷり半日使って、とはならない。人の脳のキャパシティは千差万別で、京のように24時間休みなしで円周率を記憶し続けられる頭は特異なものだ。寧ろ彼女のように、嫌いな事に関しては特にやる気が削がれるのが正常なのだ。
「きゅう………」
「まあ、今日はこれくらいでいいでしょう」
「あ、ありがとござましー………」
特に彼女は、夢であるアイドルという仕事に正直過ぎる。それは疎むべき事ではなく、その努力を褒め称えるべきなのだろうが、学生の本分ば勉強である。それを蔑ろにしていい理由とはならない。
「及第点でしょうか」
「大丈夫かなあ………」
「絶望的とまではいきませんよ。後は貴女の努力次第です」
「そう………?」
「ええ」
「わ、わかった。私、頑張るね!」
彩は気合い充分といった様子で拳を握り決意を新たにする。一方で京は、彩の財布の紐を無理矢理緩ませて得たパフェを、表情を変えないまま貪るという言葉がぴったりなペースで食べ進めていく。
「………そんなに美味しいの?」
「非常に美味です」
「へえ………」
「あげませんよ?」
「ええ!?そんなあ………」
「これは私が正当な労働で手に入れた報酬です。1mgでも損なわれればそれは見合っているとは言えません」
「ちょっとだけ、ね?」
「ちょっとセクシー路線に変えても駄目です」
ちょっとした小競り合いは、彩がスイーツに対する執着を捨てるまで続いた。ちなみにそのキッカケとなった言葉は、『糖分の過剰摂取は肥満とそれに類する生活習慣病のリスク』についてだった。正直棚上げな気がしないでもないが、真っ直ぐ過ぎる彼女はそれについて何も言わなかった。それよりも肥満という言葉が彼女のアンタッチャブルに触れてしまったためだ。
「はあ〜………」
吹っ切れたとは言わないが、テーブルに頬杖をついて彩は束の間の休息を取る。その間の気まずさが彼女にとってはどうにも居心地が悪いらしい。
「京君ってさ、やっぱり天才なんじゃない?」
特に着地点も決めていない雑談は、そんな一言から始まった。
「何故?」
「だって、授業受けてないのにテストは満点なんでしょ?」
「一応、学校には在籍している事になっています。つまり私は学生、学生の仕事は学ぶ事です。それを粛々と行なっているだけですよ」
「そうじゃなくって、それが出来るのが凄いなって。私なんていっつも赤点ギリギリだし」
「それは勉強の仕方の問題です。1日で100覚えるより、100日かけて1ずつ覚えた方がいいに決まってる」
「うーん………」
「そもそも中高生程度の学習に、才能なんて必要ありませんよ」
「そうかなあ?」
「じゃなきゃスパルタもいいとこです」
その次の言葉を、京は飲み込んだ。彼女がどんな意図で自分を賞賛したのかをここで察知したから、これ以上教育論についての持論を展開するのもナンセンスだと感じたから。沈黙が気まずいという理由で突如始まるなんてことのない雑談を終わらせたかったというのもあっただろうが。とにかく彼は、授業を受けずにテストで満点を取る方法について、日々の反復の成果だとして無理矢理決着させた。
「私にも出来るかなあ」
「出来ますよ。でなければ、高校が存在する意味がない」
そうして、少々斜め上の角度からのアドバイスで終わりなき雑談に終止符を打った時だった。
「頑張ってるわね、二人とも」
「千聖ちゃん」
「げえ、怪人一面相」
「貴方は相変わらずね。女優とアイドルで両手に華なんだから、喜んでもいいのよ?」
高校生女子にしてはいくらか低い、妙に艶っぽい声の主は京の天敵四号、白鷺千聖だった。最早身構える間もなく奇襲のようにやって来た彼女に対して慣れたようで、彩もヒヤヒヤではなく、またかという呆れのような気持ちで観察することとなる。
「女優の腹の中が真っ黒ともなれば、返品してその上にお釣りが来ますね」
「もしかして馬鹿にしてる?」
「いいえ。人間心理のエゴイズムとノワール的観点から総合される多面性のある人格について論じようと思いまして。よろしければお時間いかが?」
「それはとっても楽しそうだけど、今日は遠慮させてもらうわ」
「そうですか。じゃ彩さん、お達者で」
「え?」
「貴方はどうするの?」
「帰ります。どうぞお友達同士、どうぞ親交を結んで」
彼も、この場に彩がいた時点で少しばかりの予測はしていただろう。逆に言えば、少しだけだった、というのが今回彼が残した汚点である。お騒がせバカか、機材バカか、あるいは武士道バカならばいくらでもいなす方法があったものの、今回ばかりは4分の1という確率を甘く見た。丁度よく、席を立つタイミングとなったのは幸運だったが。
「つれないわね」
「つれてたまるかってんですよ。いいですか、隣でグチグチ言う壊れた鉱石ラジオ女は必要ないので、さっさとパスパレに回れ右して帰ってください」
やや語気を強めて千聖に釘を刺すようにして言って、やや小走りになりながらカフェを後にした。
「千聖ちゃんって、京君と仲いいの?」
「仲がいい………とは思ってるわよ。一方的に」
「い、一方的………」
「私も知り合ってそこそこ経つのだけど、どうもお友達とは呼ばせてくれそうにないわね。友希那ちゃんとかリサちゃんには懐いてるけど」
「そうなんだ………もしかして千聖ちゃん、嫉妬してる」
「別に、あの二人は特に京と付き合って長いし、あまり求め過ぎるのも酷でしょう」
「何か、顔怖いよ千聖ちゃん………」
やはりというか、何というか。彩にとって彼は、年齢不相応な聡明さを持つという点で尊敬しながらも、理屈っぽくて無愛想で、近寄りがたい存在だ。千聖の事は尊敬しているが、彼と友人以上になろうとしている点においては理解に苦しむところだ。
「京君ってさ、魅力的かな」
「どうして?」
「あの子、何というか、その、悪く言うつもりはないんだけど、自分の事、軽く見てるんじゃないかな」
「……………」
「魅力的以上に危なっかしいというか、向こう見ずっていうか………あっ」
それが、彼と接して彩が感じた全てだった。整ってはいるが、それが気にならないくらいに、彼の感情は安定しているように見えて不安定だ。憐憫さえ感じる眼差しで彼が去っていった方を見る彩は、自分だけの世界に入ってしまっていることにようやく気付き、狼狽える彼女を見て、千聖はクスクスと笑う。
「彼に対してそう思ってるなら、友達になれるわよ」
「えっ」
「だって、何も感じないわけじゃないんでしょ?というか、そこまで感じてるなんて凄いわ。私には無理よ」
「そ、そうなのかな………?」
「ええ。よく人を見てる証拠ね。流石というか、彩ちゃんにとっては普通なのかしら?」
「そんな………私は………」
「お似合いよ、二人とも。私も応援するから」
「うん………うん?」
いくらか齟齬が生じている事に気付かない、彩であった。
京の朝は遅い。彼自身が夜行性なせいもあるだろうが、彼は脳の活動時間と活動量が多いほど多くの休息時間を必要とする。そもそも睡眠時間と活動時間のバランスが不安定なので、普通の人間の生活リズムに合わせられないという問題もある。
ので、普通はあまり彼の家にお邪魔する事はない。それを彼女は知らなかった。あまりにも欲が加速してしまった結果だろう。
「お邪魔しまーす………」
そこに一人でやってきたのが彩だ。というのも、彼女にとって知りたいというエゴである。そして思った事には思った。
(あれ、これ、私ストーカーじゃない?)
しかし、そのエゴに体を預けるには彼女はいささか純粋過ぎた。そんな良心の呵責に苛まれながらも、謎めいた彼を紐解こうとしたのだ。
そうして色々物色してはみたが、収穫はゼロ。というより、あまりにも情報量が少ないのだ。参考書がギッシリと詰まった本棚、無地のベッド、クローゼットの中身は今の季節に合わせた服が二着だけ。必要最低限でローテーションするためだろう。これではただの勉強好きでファッションに疎い学生という事しかわからないのだ。強いてそれ以外を挙げるとすれば、彼もまた努力家だったところくらいか。
(頑張ってるんだなあ………)
授業を受けないというハンディキャップを、彼は恐ろしい量の自習によって埋めていた。カフェで言っていた、中高生の勉学に才能なんて必要ないという言葉は、彼のコンプレックスだったのだろう。
いつだか、千聖が彩に言ってくれた、努力を続けられるのもまた才能という言葉。千聖がそうして彩に言葉をかけたのは、彩が京に思っている事と同じ思いからだろう。そして彩が感じた彼に対する危機感もまた、正しかったのだ。
「無茶、しないでね」
そう言って、彩は京の頬を撫でた。彼を探るのは、まあ今日でなくてもいいだろう。
本小説において、素でヤンデレ疑惑がある千聖パイセン定期。
年末年始多分きっとおそらく、投稿は滞ると思われます。というか投稿出来るかわかりません。悪しからず。
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丸山彩の罪と罰(裏)
ピッ、ピッ、と、無機質で作業的で規則的な機械音が虚しく響く。真っ白な病室のベッドには、酸素マスクをしたまま眠る京が、その傍らにはそれをじっと見つめる彩。その二人の存在感だけが辺りを支配する。
眠る彼は言わずもがな、彩もまた表情筋が死んだように、いつもの天真爛漫な笑顔も大粒の涙も見せなかった。パイプ椅子に腰掛けて微動だにしない。見守っている、という表現が正しいかどうかも怪しいものなのだ。
「彩ちゃん」
「千聖ちゃん?どうしたの?」
「もうすぐ閉まるわよ」
「そっか………わかった。準備するから待ってて」
それはどうやら、閉院時間まで続いていたようだ。白鷺千聖の呼ぶ声でようやく元に戻ったといった様子で、いくらかやつれながらもいつもの気丈な笑顔を覗かせる。千聖は心配そうに彩を見つめるが、そんな彼女を知ってか知らずか、彩は取り繕った笑顔を見せる。無理をしている事を隠し切れていない笑顔だ。
「今日もずっといたの?」
「うん。いつ京君が起きてもいいように。せっかく目覚めたのに誰もいないようじゃ、あの子が可哀想だから」
「………そう。あまり無理はしないでね」
「大丈夫だよ。ありがとう」
おぼつかない足取りで、彼女は病室を後にした。彼女は笑顔だけでなく行動でも気丈に振舞っているものの、無理をしている事が漏れてしまっている。元々彼女は努力家で、それでもアイドルらしく笑顔を見せているような人物だった。しかしそれで、無理をする事に慣れてしまった彼女はこういった行動を取りがちだったが、ここに来て歯止めがかからなくなっている。そうなってしまった原因は病床で眠っている。
「早く起きてね。そうじゃないと、暴動が起きるわよ」
いつもの冗談も返す相手がいなければ物寂しい。千聖は悲しげに笑って、彩に次いで病室を出た。
彼の体は特異的というか、ただ病弱であるとか精神障害があるとか、そんな言葉だけで片付けられないものだった。その中でも、意識障害に関するものは特に奇異なのだ。
一週間前。京は缶ジュースをラッパ飲みしながら芸能事務所の廊下を歩いていた。本来ならば関係者以外立ち入り禁止の場所ではあるが、ただのインターネットの住民である彼は関係者なのだ。首からそれを示すIDカードを下げてある一室に入る。
「お、おはよう、京君」
「彩さん。おはようございます」
「ごめんなさいね。急に呼び出して」
「………別に、構いませんが。勢揃いとはいかないんですね」
「私を見た途端そういう顔するの、やめてもらえないかしらね。まあいいけど………」
待っていたのは、彼にとってもいつも通りというか。白々しい笑顔を見せる千聖が足を組んでセレブさながらの姿勢で座り、その横でそんな彼女のオーラにあてられて縮こまる彩だった。千聖の言う通り急な呼び出しだったので一体何事かとガラにもなく急ぎ足だったわけなのだが、特に緊急事態とはならないらしい。
「アイドルに呼び出されるなんて幸せでしょ?」
「じゃとりあえず彩さんだけにしてくださいよ」
「そう言わないで。私は共通の友達として、中途半端にコミュ障な二人の仲を取り持ってあげようとしてるのよ」
「誰が中途半端にコミュ障ですか」
「私コミュ障じゃないよ!?」
「二人とも、お互い満足に話せないじゃない」
「ゔっ………」
「………否定はしませんが」
千聖がこのように下世話な話をするに至るには理由が様々あった。まずパスパレの面々と京の会話には、何ら問題はなかったのだ。千聖とは言わずもがな、日菜とイヴは持ち前の明るさと純真さで彼の警戒心を瞬く間に解いて強引に懐に入り込み、麻弥は少々引っ込み思案だったが、彼が知識を総動員させて彼女の趣味の話を合わせると性格が丸ごと入れ替わったように饒舌になった。そこで問題となるのが、彩についてである。とにかく彼女と京は、図らずも相性が悪いのだ。彩は純粋だが京はどこまでも計算尽くで、同じようにあがり症でアドリブに弱く、そんな自分に対する評価が低いところまで京は真逆を行くのだ。
そんな気まずさもあって、パスパレの中でも彩と京の距離感は微妙だった。
「元々明るい子なのに、どうして彼の前ではこうなのかしら」
「うう………私にもわかんないよお………」
「貴方も貴方で、普通に話せないのかしら」
「私に聞かれても困ります」
ナイーブというかナーバスというか。彩は京の睨み付けるような視線がどうしても苦手だった。彼に悪意がない事はわかっていても、無機物を見るような目にはどうしても耐えられそうにないという自分の意思も尊重したいと、拮抗してしまう。彼女が善良であるがゆえに悩んでしまうのだ。
「別に無理する事もないでしょう。私だって無理しないくらいの接し方で彼女とは接してきたつもりです」
「私もそう思ったんだけどね。本人にとってはそうじゃないらしくて」
「そうなんですか?」
「うん。何だか私だけ壁があるっていうか、このままじゃダメだなって」
「私も直すべき点は直しますが、人の性格も様々ですから相性の良し悪しだってあります。それに貴女と仲が悪いのではなく、他の面々が懐深く入り過ぎてるだけですからね」
「それはそうだろうけど、やっぱり焦っちゃうな。みんな仲良いし」
疎外感に対して敏感になったり孤独に不安を感じるのはティーンエイジャーによくある事だが、彼女はそれが顕著だ。連帯と信頼を強めたいと思う、協調性を重んじる彼女らしいといえばらしい。その気持ちは京としても可能な限り汲んでやりたいが、しかし。
「じゃあまず目を合わせるところから始めましょうか」
「えっ」
「いや基本中の基本なんですが」
どうにかしたいという思いと、どうにかなるという理屈はまた別問題である。恐る恐るといった様子で彩は千聖の方から京の方へ、錆びたブリキ人形のようにギリギリと首が向く。
「……………」
「………」
5秒経過。
「……………」
「………〜〜〜〜!!!」
10秒経過。
「ゴメン!無理っ!!」
15秒経過………しようとしていた。
薄く濁った瞳で見つめられるという緊迫感に耐え切れなくなった彩は脱兎のごとく逃げ出し、部屋には目を丸くして驚く千聖と、やってしまったと気まずそうに目を閉じる京だけが残された。
「やっぱり怖いんじゃない」
「うるさいです」
何故そうなってしまったのか、彩自身にも曖昧だ。しかしどうにかなってしまったがゆえに、自分は京のあの人を人と見ないような目で見られる事がどうしても好きになれなかった。彼の心の暗部そのものな気がしてならず、そこに何も触れてはならないという第六感の警告もあった。3日後のこと。
「人見知りをする性格でもないのに、どうしたの?」
「千聖ちゃん………」
「今すぐ克服しろとは言わないけど、あんまり露骨だと彼も傷ついちゃうわよ」
「そうだよね………そうなんだけど………」
頭ではわかっているのだが、恐ろしさがそれを阻害する。そしてそんな自分に嫌気がさしているにも関わらず、それでもなお消えない。
「嫌いってわけじゃないんでしょ?」
「もちろん!大好きだよ!大好きなのに………」
それを葛藤と呼んでしまっていいものか。苦悩している彩にかける言葉が見つからなかった。
そして、4日が経つ。果たしてどうやってこれを克服したものかとあれこれ考えながら出勤している彩のスマートフォンが振動する。
「もしもし、千聖ちゃん?うん………えっ、嘘………」
あまりの衝撃に数秒呼吸を忘れ、激しい動悸とまるで平衡感覚が失われたような混乱が彩に襲いかかる。まさか、つい先日まで普通に話をしていた人物がそのような事に、と一種の現実逃避のように思考回路が結果に追いつかないのだ。しかしそんなわけがないと思い続けるのにも限界がある。弾かれたように彼女は走り出した。
まず病院の手続きの煩わしさに焦りを増幅させながらも何とか乗り越え、数百メートルにさえ感じてしまう廊下を駆けて彼の眠る病室の扉をやや乱暴に開ける。
「京君!」
そう声を張り上げても、彼の声で何かが返ってくる事はなかった。あるのは、規則的に聞こえる心電図モニターの電子音だけだった。呼吸器を装着し点滴を通して眠る彼は、実際に眠っているだけで、声をかければ起きるのではないかと思えてしまうほどに安らかだ。どうしてこんな事になってしまったのか、それを千聖は大まかとはいえ説明してくれたにと関わらず、こうして対面するとそれも吹き飛んでしまう。彼がこうして倒れてしまった理由は特定の病ではなく、ただ元々ガタが来ていた体が限界を迎えてしまった。つまり脳は生きているが、意識は回復しない。原因は恐らく、彼のいくつもの古傷と体内に蓄積した毒素。明日にはけろっと目を覚ますかもしれないし、一週間かかるかもしれない。1ヶ月かかるか、一年かかるか、それ以上かかるか。今はまったく予想が出来ない状態らしい。
まるで近親者の訃報を突きつけられたように、あまりにも突然引き離されたような気がして、彩は彼の頬を撫でる。悲しみで涙が溢れるよりも前に、ある意外な感情が芽生える。
(京君の顔って可愛いな………)
いつも険しそうな顔で作業をするか、千聖の絡みを鬱陶しそうに振り払うか。とにかく心から笑ったところを見ない彼女にとっては、眉をひそめず目付きも鋭くならず、リラックスして眠るような彼はどこか歳下らしい、あどけなさが残る可愛らしい顔を見るのは初めての事で新鮮だった。
悲劇的な筈なのに、どこかそれが彼の新たな一面を知れたような気がしてしまった。
「彩ちゃん」
「千聖ちゃん………?」
「ちょっといいかしら」
「うん………」
そんな彼女を現実から引き戻すように、千聖が背後から声をかける。
「ええ。まだ話してないわ。この事を知ってるのはまりなさんとリサちゃんと私しか知らない」
「四人目はどうして私なの?」
「私の独断と偏見。彩ちゃんなら比較的冷静に受け止めてくれると思って」
「……………そっか。うん」
そう言われて嬉しいやら悲しいやら。とにかく自分は数少ない、事情を知る側となったのだ。
「………しばらく一人にしてくれないかな?」
「ええ」
彩の後ろ姿を見て、千聖は察した様子で病室を出る。彼女もまた混乱と戦っているのだ。お互いに一人になりたかったという意味ではそれが一番だろう。
「………京君」
もう一度彼の頬に触れる。そうして一層確信を深めた。
そして今に至るまで彩は欠かさず彼の傍らで待った。きっとその彼女の行動は、誰の目から見ても健気だと言われるだろう。あるいは、無茶だと言われるか。いずれにせよ彼女にマイナスイメージを抱く者は決して多くないだろう。表面上の彼女を見ただけでは。
「はあぁぁぁ〜………可愛い、可愛いなあ京君。目を閉じてるだけで何でこんなに可愛いんだろ………いいなあ、幸せだなあ………」
恍惚とした表情で頬を赤らめ目を潤ませながら、唇が触れてしまいそうな距離にまで顔を近付けて彼の顔を凝視する。彼女は今、文字通り安らかに眠っている彼に対してどうしようもなく行き場のない慕情を爆発させる自分とそれを抑えようとする自分との戦いを繰り広げていた。
そしてその戦いとはつまり、目覚めさせるべきか否かという選択肢に直接繋がるのだ。
「どうしよ………やっぱり元気な京君が見たいような………でもでも、こうしてリラックスしてる君の顔はこんなに可愛いんだから、これが直に見れないのは寂しいような………うーん………」
しかし、それに対する答えは彩自身が意外だと思うほどにあっさりと出てしまった。彼は意識がない、彼は喋らない、彼は肯定しないが、同時に否定しない。そのままでいてくれれば、こんな歪んだ気持ちを彼に見られる事なく彼を愛する事ができる。
「喋らない君はとっても可愛いよ………京君」
眠りに落ちて物言わない彼の耳元で、微笑みながら妙に艶っぽく彼女は言った。
こんな気持ちも知られる事なく愛せるのなら、これは幸せだと言えるだろう。たとえ一方的だとしても。
この作品が一話完結じゃなかったらこのまま終わるところでしたね………。あすとらの先生の次回作にご期待ください。終わりませんが。
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羽沢つぐみの矜持(表)
その日の彼は、どうにもうだつが上がらなかった。街の喧騒や友人が楽しそうに話す賑やかな場、誰かの話す声でさえも彼にとっては耳障りな雑音にしかならなかった。どうしても、誰か親しい人間と話すという気分になれず、死に体になったがごとくの様子でモカを頼った。彼女は理由を聞く事もなく余計な詮索をすることもなく、彼女の店について教えてくれた。
「それでここに?」
「ええ」
息も絶え絶えといった様子で彼がやって来た時は、彼女も一体全体何事かと狼狽えたものだ。また体が壊れる無茶でもしたのかと、彼女は困った様子で苦笑した。
羽沢つぐみは、実家である羽沢珈琲店を手伝う高校生。幼馴染である4人の更なる結束のため、あるいは孤独にならないためにバンドをやろうと発案した。ただそれだけ———というのが、本人の談。とにかく彼女は典型的な多感な女子高生といった具合で、真っ直ぐな努力家ながらも自己評価が低く、その努力というのも自分の実力を疑うゆえのものである。実力がどうとかセンスがどうとか、そういったものに対する憧れが強いため迷走すると長い。ただし最近は自分なりの考えややり方を見つけたようで、前のように自分を卑下したりする事はなくなったのだが。
「でもどうしたのかなあ。急に誰とも話したくなくなるなんて………まさか心の病気とかじゃないよね?」
「それはないでしょう」
「そうだよね。私とは話せてるんだもんね。………うん?私とは話せるんだね?」
「ええ」
「どうして?」
「私にも分かりません」
「四六時中誰かと接してたからじゃないかな。慣れてないんだよ、きっと。安静にしてた方がいいんじゃない?」
「………そうでしょうか」
「無理しないで。最近、みんなと話せてないっていうのは気にしないでいいよ」
「円滑なコミュニケーションをですね」
「どっちでもいいから」
その分気が強まったというべきか。彼女は物怖じしなくなったというか吹っ切れたというか、前の彼女なら上手く彼の長広舌にやり込められていたであろう場面においても臆する事なく自分の言いたい事を言うようになった。当然それは良くも悪しくもあるのだが、本来の性格のおかげもあってか悪しき方向にはたらくような事は起きていない。
とにかくそのひどく曖昧でいかんともしがたい彼の現状を打ち破るだけの材料はここにはなく、つぐみも苦しむ彼を放っておけるわけがないという具合で、状況はいい方向に転ばないのだ。彼を責めるのは容易だが、決して彼女はそれをしなかった。彼もまた苦しんでいるだろうから。朝起きて、『あ、今誰とも話したくないかも』なんて思いに至った自分を許さないだろうから。いつものように家に閉じこもらないのか、とは聞かなかった。彼が考えなしに、人と喋りたくないと言いながら外出するという矛盾を孕ませるとは考えにくかったから。きっと彼なりの理由があるのだろう。
「コーヒーでも飲む?」
「お願いします。ありがとうございます」
「いいの。そもそもここ、珈琲店だし」
「砂糖は?」
「どうせ微糖じゃ足りないだろうから待ってて。追加で持ってくる」
いつものように彼女は笑い、店の奥まで引っ込んだ。
どうして人と関係を断ちたいと考えるのか、どうして中でつぐみが例外なのか。実は彼は自分自身をよく分析してその答えをとうに見つけていた。理由は単純で、求められることに苦痛を感じだから。そして傷心の今の彼の精神状態と彼女の性格はちょうど噛み合っているのだ。
求められるという事は悪い事でない。頼りにされている、あるいは期待されていると言い換えれば良き事だ。そして頼るガールズバンドの彼女達が悪いというわけでもなく、対人のコミュニケーションに関して平均以下のメンタルである京が色々と余計な事を考えて勝手に自滅しているだけだ。そしてそんな彼に対して、自らを普通と思い込む彼女は、表に出さないながらも彼の事を一人の学生としてでなく、作詞作曲家として見ているだろう。それでも自己評価の低い彼女にとって、オフの彼に仕事の話題を振るのは憚られる行いだ。それが都合がいい。彼女は実に『普通』であり、普通に接してくれる。今はそれが幸福だ。
「はい、どうぞ」
「どうも」
「ブラックは駄目なんだっけ?」
「あれは人間が飲むものじゃありません」
「ちゃんと人間が飲むものだよ」
元のままではただの焦げ茶色の苦い汁なのだが、と彼は断ずる。角砂糖を軽くダースで入れてかき混ぜて、湯気が立ち上るコーヒーを恐る恐るといった具合で飲む。
「そんなに入れるの?砂糖」
「いつも通り美味しいです」
「もうそれコーヒーの味しないんじゃない?大丈夫?」
「コーヒーなんて私にとっては風味がする程度でいいんですよ」
「変わってるなあ………話は聞いてたけど、やっぱりかなりの甘党さんだね、京君って」
「砂糖は偉大です。何せ脳を働かせるエネルギーになる」
「嗜好の問題だと思うんだけどなあ………」
コーヒー………というより最早、コーヒー風味の砂糖の湯掻きのおかげでいくらか上機嫌な彼は、いつもよりテンション高めな様子だった。彼の中にあった、胸焼けしてしまうほどに嫌気がさすという事もなくなっていったのは大きな進歩だろう。彼女は付き合ってあまり時間が経っていないが、それでも人をよく見ている。普通には程遠いながらも、普通に近付いていった事も容易に判断できた。さらに彼女の観察眼をもってすれば、このような事もわかる。
「そろそろわかったんじゃない?何で急にそんな気持ちになっちゃったか」
「……………それは」
彼は聡い。それだけでなく、主観を排除して自分自身を客観視する事も。彼にとっては自分をあるがままに評価する事など容易なのだ。何故急に、何故この日、何故恩人にそんな恩知らずな思いを。一度立ち止まって考えれば、それの答えを出す事など彼にとっては朝飯前。しかし彼にも教育相当の良心というのはあるもので、彼女にとっての親友や良きライバルである面々を拒絶する理由は、話す事が憚られる。しかしそれでも、つぐみは慈母のような優しげな笑みで彼の懸念を吹き飛ばす。
「いいんだよ。君の事だもん、きっと辛い何かがキッカケになってるんでしょ?話したくなったらでいいから、今はゆっくり休んでてね」
「はい。ありがとうございます」
「それじゃ、何かあったら呼んでね。時間も時間だし、多分お客さん少ないと思うから」
「……………はい」
「あんまり思い詰めちゃダメだよ」
最後のつぐみの言葉には頷く事も出来ず、彼は俯いた。
つぐみから見た京は過剰なくらいに努力家で、しかも平気な顔をして無茶苦茶をする。人畜無害な顔をしているというのに、果たしてどこにそのような力が眠っているのか教えてほしいくらいには。聡いゆえにどこか年齢不相応な性格や態度、小生意気な口の利き方も何度かあったが、それもまた彼なりの期待に応えようとする姿勢なのかもしれない。見ている側からすれば肝を冷やす場面に遭遇した経験もあるが。それでも彼はとことんまでに自分を追い詰める。彼の生き方は普通の学生が普通に勉強して、普通に友達付き合いをして、普通にバイトをするのとはまったく違うのだ。時折、多少荒っぽい手段を取ってでも彼を休ませるべきなのではないかと思っている自分が彼女の中には存在する。休めという警告にどうしたって首を縦に振らない彼にはどんな説得も響かないのでは、と。遠目に見ても、彼は心身ともに限界といった様子で、とてもじゃないが放置して様子を見ようなどという気にはなれなかった。
「京君」
「はい」
「ちょっと来て」
「はい?」
「いいからこっち」
「え、いや、ちょ………」
つぐみの良心が彼の放置を許さなくなってからの行動は早かった。狼狽する彼の手を掴み、店の奥まで半ば引きずるように連行していった。
「はい」
「え?」
「こっち」
「………え?」
「だから、こっち。早く」
「……………は、はあ」
やけに積極的になった彼女はソファに座り、自分の太腿を指差して微笑む。
「どうぞ」
「………何故?」
「何故じゃない。ほら早く、今度はいつ倒れちゃうかもわからないんだから休ませてあげようっていう、私の気持ちだよ?」
「そう………ですか」
「うん、そう。私の目が黒いうちは過労で倒れましたなんて絶対許さないんだから」
「一体何が貴女をそうさせるんですか」
「責任感と、好きって気持ちだよ。ほら早くして。どうせ君は口で言っても聞かないんだから」
「うわなにをするやめ———」
言っても聞かない彼に対しては少々の実力行使も辞さない構えを取るべきと、無言の圧力か手を出すかを自身の中で問うた結果、9対1で腕力と膂力をもってわからせるべきとの結論に至った。そこで立ち尽くす京の手を掴んでソファに座らせ、体を倒す。
「もう一度聞きますけど、何故?」
「君が自分で何とかしないから。あとは私がこうしたかったからかな」
「………おかしな人ですね、貴女は」
「ひどーい」
所謂膝枕の姿勢となり、彼は柔らかくハリがある女性の腿に頭を預ける。ふわりと柔軟剤と少し香水のような匂いもした。彼女も年頃の乙女ということで恥じらいもあったが、その辺りはすぐに慣れたというか、それどころでないというか。もしもこれで不愉快などと言われた日には、ショックで寝込む自信さえある。しかしその心配はするに値しなかった。彼は最初、そこまで低年齢ではないと心のうちで反論しながらも、僅かに1分ほどで瞼が重くなり、そのまま目を閉じて眠りについた。疲れがそれほど溜まっていたのだろう。
「私は本気で君の事を———あれ?もう寝ちゃったの?」
すやすやと安眠している事が一瞬でわかる穏やかな寝息が聞こえる。こうして彼を見ていると、つぐみにとっては不器用な弟みたいなものだ。そんなに疲れていたならば休めばよかったという言葉は彼にとって受け入れがたい言葉なのだろう。そうして自分に非はないんだというわがままくらいは許してあげてもいいだろうと、頭をそっと撫でる。
「もう、あんまり無理しちゃダメだぞ〜。君が無理すると悲しむ人がいっぱいいるんだから。わかってるの?」
そうして彼女は、五年前とちっとも変わらず不器用な想い人に苦笑するしかなかった。
つぐみが寝てしまっていたという事に気付いたのは目が覚めてからだった。重たい瞼を開けてまず自分について承知すると、ソファに寝かされている。慌てて飛び起きて周りを見ると、彼がソファの向かい側にパイプ椅子を持ち出して座っているのがわかる。
「何事!?」
「何事もないです」
「京君………何で私寝かされてるの?」
「寝かせるべきだと思ったので」
「………京君はいいの?」
「ええ、おかげさまで。貴女はどうですか?」
「うん。ありがとう。私も大丈夫だよ」
「本当に?」
時計を見ると、2時間ほど眠っていたようだ。そのまま閉店時間に突入したため自分がいなくても特に大きな混乱はなかった筈だとつぐみは考える。それよりも今は、彼に気を遣わせてしまった事が気がかりだ。普通ならばつぐみが京を気遣うべきであった筈なのに、彼は自身も疲弊しながら彼女の疲労を簡単に見抜かれてしまっていたようだ。
「大丈夫だってば。私の事はいいから」
「………それ、私にも同じ事を言わせるおつもりですか?」
「……………」
「私も大丈夫です。貴女に迷惑だと言われない限りは心配し続けますよ」
「………本当に、不器用な子」
「貴女には言われたくありません」
「もう、結局君も同じなんだから!」
「どうだか」
どこまでも不器用な利他主義者。鏡を見たような彼の性格がそうである限りきっと自分はいつまでもこんな調子なのだろうと、つぐみは笑った。そんな自己犠牲が極まって倒れたその時は彼に看護でもしてもらおうか、そうすれば彼の視線も独り占め出来るだろうか。そんな夢想が、更に彼女の顔を綻ばせた。
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羽沢つぐみの矜持(裏)
何が悪いんですか。パソコンスマホ側が悪いんですか(憤怒)
羽沢珈琲店は日中にも関わらず『CLOSED』の看板がドアにぶら下がっている。理由は明白だが、それを知るには同時に店内を見る必要がある。
「ご予定があるのなら、そう言ってくださればよかったのに」
「ううん、いいの。君の事ならいつでも歓迎だから」
「ありがたいですが………」
「私がやりたくてやってるんだからいいの。君が気にすることじゃないよ」
「………そう、ですか」
店内では、沈む京とそれを慰めるつぐみが二人だけの世界に入っていた。
実は明確に事の発端というのがあるわけではない。短時間で劇的にどうにかなって、つぐみが自身の店に呼んだだとかそういうことではなかった。ただ長きに渡って積もり積もった彼の暗黒面に対して抱いていたつぐみの不安が爆発したのが、たまたま京本人が来店していたタイミングだったというだけで。休日の真昼間からこうして顔を見せているうちはいいが、その前は何か、人体の健康を軽く冒涜するような所業をしていたのではないか、それに対して何も感じないという恐ろしい麻痺があるのではないか。そう思うところからつぐみの心配性というのはとどまるところを知らない。
「最近はどう?ちゃんと休めてる?」
「ええ、いつも通りに」
「本当に?」
「嘘を吐く理由もないでしょう。よりにもよって貴女の前で」
「………それどういう意味?」
「どういうも何も、そのままの意味です。最近上原さんが愚痴を零していましたよ。自分は無茶する癖に他人の無茶は断固認めないと」
「それは仕方ないよ。みんな努力家で凄いと思ってるけど、休むことくらいしないとバテちゃうもん」
「………あっそ。まあ、皆さん危機管理くらいしているでしょうし、そこまで過敏になることもないのでは?」
「京君が言っても信用度ゼロだよ」
「うるさいです」
ここまで綺麗に自分のことを棚上げする人間もそういない、と。話ながらに京は驚愕した。人の気質は十人十色というがそれでもだ。つぐみは妥協を許さない努力家だが、それは美徳であると同時に枷でもある。事実思い詰め過ぎや体の酷使で不調をきたし、更に酷い時はぶっ倒れる事も珍しいが起きないわけではない。その点を彼女は自覚していないどころか気合いの問題と思っている節さえあるようで、とにかく自分の過労を許しながら他人が無理をするのは許さないという矛盾を抱いているのだ。それは京に対しても例外ではない。
「頑張るのはいい事だけど、京君は色々思い詰め過ぎなんだよ。一回くらい失敗したって、期待外れだとかそんなの思うわけないんだから。もうちょっと肩の力を抜かないと」
「そういうものでしょうか」
「うん、そういうものなの。だからほら、そう考えたら自分のしてる事って全然ギリギリじゃないでしょ?」
慈母のような柔和な笑みで慰めるつぐみに対してそれブーメランですよ、と言える筈もなく。というより彼女が他人に話す努力論は正論そのものなので言い返すような点もなく。ただ彼女は誰かのためにそう言うのだ。
ここで問題なのは、つぐみが究極の利他主義者なのか。それともただ自己矛盾を棚上げするイマドキの女子高生らしい女子高生なのか。それはどちらとも取れるだろう。他人を案ずる彼女も、意地になって自分は頑張らなければならないと暗示のように言い聞かせ続ける彼女もどちらも羽沢つぐみなのだから。どちらと断ずる事が出来ないというのも、京の葛藤を加速させる。私もそうだが、貴女も大概無茶苦茶だと言っても彼女は聞かないだろうから。
「ほら、私の事はいいの。君は頑張り過ぎなんだからちょっとはいたわらなきゃダメ」
自分の事なんてどうだっていいと、それを行動で現すように、背筋正しく席に座る京を胸に抱きとめる。
「大丈夫。みんな優しい娘達だから、そんなに思い詰めなくても大丈夫だよ」
自分の事を棚に上げて卑怯なものだが。それでも、彼女の言葉は身に沁みた。
自分はどうしようもなく卑怯だろうと、その自覚はある。つぐみは度重なる疲労で眠る彼の頭を撫でる。自分でも都合のいい論を、よりにもよって理論の権化たる京に対してよく出来たものだと。だがそんな暴論であっても、なりふり構っていられなかった。
彼は平気で徹夜をするし、30時間座りっぱなしもするし、飲まず食わずのまま作業をすることもある。時にはそれらを同時に背負ってでも。そんな無茶をする原因はつぐみ自身が言った通り、期待や要求に完璧に応えようとする事、それに加えて自己評価が低い点。自分が完璧を遂行するにはこれくらいの苦行がなければ達成しえないと思っているところだ。どうしようもないわけではないが、それを行うには大きな犠牲を払わなければならないという思い込みが追い詰めている。実際は、その思い込みで自分を追い詰めている行為そのものが枷となっているのだが。それでも彼は、止めようとはしないだろう。自分のように。どうすればいいのか?答えは簡単だ。
自分が彼を管理すればいい。誰よりも彼を理解している、自分ならばきっとそれが出来る。それについては、ずっと考えきた事。しかし最近は、彼女でも自覚がないうちにその思考は徐々に危険な方向へとシフトしている。
「教えて。どうすれば君は、
きっとその問いに彼が答える事は、ないだろう。それをわかって尚、彼女は問わずにいられなかった。
「君が自分で自分を大切にしないなら、私がやるからね」
決意とともに。
「うん………んん?」
京が目を覚ましたのは、以前使わせてもらったソファではなかった。そこは上等なベッドで、鼻腔をくすぐるのは柔軟剤の匂いとつぐみそのものの香り。当然だろう、ここはつぐみの自室のベッドで、彼女が間近にいるのだから。
「おはよ、寝坊助さん」
「………?………???………!?」
京が状況を呑み込むまでに10秒ほどかかった。まず理解して脳が処理するよりも先に、ベッドの心地や背中に当たる柔らかな女体の感触が飛び込んだのだから処理が追い付かない。耳元で艶やかに囁くつぐみの声はまるで人が変わったようで、背中側で見えないがつぐみの表情どころか性格まで曲がったのではないかとさえ思ってしまう。
「羽沢さん?」
「んもう、どうしてそんなに他人行儀なの?つぐみって呼んでよ」
「いや何か、別人のような気がして」
「変なの。私はつぐみでしょ?」
「………そう、ですね。あの、それで、ここは?」
「私の部屋」
「何故?」
「何故って………わからない?君のせいだよ」
「まったく思い当たる節がありませんが」
「本当に仕方のない子。君がいけないんだよ。君が無茶苦茶したら一体どれだけの人が悲しむと思ってるの?」
事もなげにつぐみは話し、問答の間も実に穏やかだった。それと対照的に京の混乱は悪化の一途を辿るばかりで、この場を脱して詳細な説明を求めるべきとする彼の理性に従おうとする。
「ダメよ」
両腕の抱き締める力が強まる。やはり楽器の演奏というハードワークをこなすために鍛えているようで、まったく抜け出せる気がしない。
「本っ当に悪い子。ここまで言っても言う通りにできないの?」
「これでは拘束と同じではありませんか」
「そうだよ。だってこうするしかなかったんだもん。やりようはもっとあったけど、それじゃ君が可哀想だと思って、こうして私がついてるの」
「これでは貴女にまで不自由が生じてしまいます。それで本当にいいんですか?」
「全然いいよ。君が私の知らないところに行っちゃうより全然いい」
「………本気ですか」
どうにもならない。というより、どうにかさせてくれない。声色こそ優しいつぐみだが、行動は絶対に自由に行動させてやらないという信念にも似た強過ぎる意思を感じる。
どうしてこうなってしまったのか。それはおそらく自分に原因があるので、京は強く言い返す事が出来ない。どころか、その通りですと屈する事もまた可能性として浮上してしまっている。どうにか平和的に諦めてくれないものかと色々シミュレートを脳内でしたものの、既に強硬手段に出たつぐみは怖いもの無しだ。下手をすればこれ以上の手段に悪化しないとも限らない。というより、そうなる可能性が高い。
優しい声に惑わされることなく彼女の真意を観測した京は、それでも首を縦に振れない。
「つぐみさん」
「なあに?」
「私をどうするおつもりですか?」
「……………ほえ?」
「こんな強硬策を講じて、そのあとは何もなしですか?」
「そうだけど」
「は?」
つぐみは体勢を変えて仰向けに京を寝かせると、その上にのしかかる。
「何かしてほしいの?」
「……………いえ」
本当にどうしてしまったのか。あるいはどうしてこんなになるまで放っておいたのか。いくらなんでも変わり過ぎではないかと頭を抱える。
「うふふ。夕方だけど、お腹すいてるなら何か作るよ」
「……………ええ。では、お願い出来ますでしょうか」
「ん、任せて。君は待っててね」
つぐみに言われて時計を見ると、もうすぐ日が落ちる時間である事がわかる。
(4時間近く寝ていたのか………)
他人の家でそれだけ爆睡してしまったのかと罪悪感に苛まれるが、正直今の彼はそれを感じるどころじゃない。
(私に用事があるからそうしたものかと思いきや………)
叩き起こされれば京も起きた。お帰りくださいと言われれば帰った。しかしそうされなかったということは彼女の単なる嗜好の話なのか。
その後、簡単なものでごめんねと言ったつぐみが作った、ちょっとした料理を摘んだ。そこまではよかったと知るのは彼女だけだ。
「んー………」
真っ暗な部屋でスタンドライトの明かりを頼りに、つぐみは大学ノートにメモをしていた。その内容は………。
卵:2個
白飯:150g
鳥もも肉:1/6枚
玉ねぎ:1/8個
トマトケチャップ、バター、塩、コショウ
先程彼が食べた料理の材料で、分量が書いてある右には摂取カロリーまでもが几帳面に書いてある。何がしたいのか、それは単純明快。
「ちょっと多いかな?どうせ京君、運動しないし、もう少しカロリー落としてもいいかな」
管理したい。彼に関係する全てを、自分の眼中に収まるようにしておきたい。食事はその一つだ。しかしそれだけではない。勉強机の写真は彼の家で撮られたもの、ノートには彼の外出先と滞在時間まで細かく記され、そしてそのノートには彼がリラックスしている瞬間として何百枚もの盗撮写真が挟まっている。
彼はつぐみがこんな事をしているとは知る由もない。だからこそこのような犯罪じみた行動が出来るのだ。
「失敗だったなあ。あそこまで狼狽える京君、すっごく珍しいし可愛いから撮っておけばよかったかも」
そうして悔やみながらも彼女は笑った。こうしてまた、理解出来ない出水京の要素が一つ減ったのだ。ただでさえ、一度心を開いた人間を無慈悲に突き放せない京の事だ。自分が京の文字通り全てを理解し、掌握するまではそう時間はかからない。
そうなればあとは、つぐみが京の全てになる。そんな未来まで妄想すると、そこから先は歯止めがかからなくなってしまう。
言いなりにさせたい、そしてその口で自分にとっての全てだと言ってほしい。
「ずっと君の味方だからね………」
今彼は、自宅の勉強机で独学ながら外国語を学んでいる。才気溢れて前途有望で、危なっかしいくらい純粋で友人を疑えない。そんな彼に仇なす存在が現れた時に、頼れるのは自分だけだと。絶対にそんな存在を勝ち取ってみせると、つぐみは強く決意した。
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大和麻弥の憂慮(表)
彩、千聖、日菜、イヴ。Pastel paletteの面々は今、悩んでいる。ある一人を除いて。
「フヘヘ………フヘヘへへへ………いいですねえいいですねえ。この腹に響くような重低音。京さんのチューニングあってこそです」
「少しばかりスネアの並列処理をいじりましたが、どうやら正解だったようですね」
「フヘヘヘヘ………」
それもこれも、スタジオ入りした瞬間からこのような光景を見せ付けられたせいだ。驚くとともに、悩んでいる。電子ドラムと、そのスネアドラムに縋り付いて恍惚とした表情を浮かべるパスパレのメンバー、大和麻弥。そしてそれを意にも介さずドライバーやレンチなどの工具をせかせか片付ける京。統一感のない実にカオスな光景が広がっていた。麻弥について言うことはない。機材オタクな彼女の事だ、おおかた最新式の電子ドラムにお目にかかる事が出来て舞い上がっているのだろう。ちなみに彼女の独特の笑い方、『フヘヘ』について千聖はお気に召さないようで、事あるごとに矯正しようとするがその甲斐はなく。アイドルバンドのメンバーとしてあるまじきだらけぶりにご立腹の様子だ。
「麻弥ちゃん?それから京君も。何をしているのかしら?」
だがオフの時にどうこうというのも息が詰まるものだろう。千聖は自身でそうわかっていても声色が隠せていない。
「ひぇぇ!?ち、違うんすよ千聖さん!これはただ京さんの知識とドラムに敬意を表していただけといいますか!」
「………説明してくれる?」
「たまにはアコースティックも叩いてみたい、と彼女からの要望で」
「京さん!?」
「………そういうのは事務所とスタジオの外で、お仕事も関係ない時に完全プライベートで楽しんでねって、私言ったわよね?」
「………っす」
「京君も、あまり悪ノリはしない事。この忙しい時に………」
「私は与えられた仕事をこなしただけ———」
「ん゛?」
「………申し訳ありませんでした」
千聖にドスの効いた声で凄まれて、京はなすすべなく頭を下げる他なかった。いつも通りである事を確認するだけの練習ならば千聖も言う事はなかったのだが、今は時期が悪い。ライブ本番まで1ヶ月を切り、本来ならばもっと追い込みをかける時期なのだ。その時間に大事なドラマーと大事な縁の下の力持ちを遊ばせておくわけにいくまいという強い意志を持った千聖には抗えるはずもない。彼女はこのバンドに対して思い入れが強いのだ。
「千聖ちゃん目ぇ怖っ」
「この時期はいつもあんな感じだけど………」
「ケイさんもマヤさんも楽しそうでしたね!」
上から日菜、彩、イヴは、なんだいつものパターンかと特別気にするような素振りもない。それほどまでに麻弥と京というのは何かしら起こすような存在なのだ。二人は共通して知識が豊富だ。特に麻弥は機材に関して言えば右に出る者がいない、そんな彼女と専門用語飛び交う会話をこなせる人間というのもまた京くらいなものだ。本気でそのような会話をさせようとは誰も思わないが。
「もう………。練習始めるわよ」
「うっす………」
「では皆様頑張って。麻弥さんも、あまり千聖さんを困らせないように」
「ええ〜………。ジブンのせいっすか」
「明日同じ事してたら京君にもお仕置きよ」
「………チッ」
薄く笑う千聖に対し、京はわざと聞こえるように舌打ちをして部屋を出た。
「千聖さん、嫌われてるんすかね」
「……………」
「あ、すみません。何でもないっす………」
人は努力でできている。技術や知識を身につけるというのは、実はそれほど才能というのは必要ない。どちらも反復すれば染み込むように身につく仕組みになっているからだ。人の体や、脳みそというのは。ただそれにしたって、彼はいささか度が過ぎる。高校生手前にして、知っている事より知らない事を数えた方が早いと言われるほどに知識を溜め込んでいる彼は、専門家との話もお手の物だ。
無事に予定していたライブが終わり、また束の間リラックスする時間が出来たパスパレの面々。
「やはり電子式は200ボルトが———」
「でもそれだとファイバーケーブルのレイテンシーが———」
「では従来の電線にして電圧を印加するやり方で———」
「ゴム被覆で低圧制御を———」
嵐のように飛び交う理系専門用語に、遂に他のメンバーが根をあげる。主に千聖と彩が。
「ああぁぁ!!」
「ど、どうしたんすか彩さん!?」
「無理っ!全然何言ってるかわかんないよ二人とも!何の話!?実験の話!?」
「そんな事ないでしょう。会話のレベルは中学三年生ですよ」
「それはない」
「千聖さん?」
とにかく京と麻弥は、二人合わさるとこうなる。二人にとってはこの程度は日常会話のちょっと上程度のものだが、早口でまくし立てるような話し方のせいで残る四人は置いてけぼりである。それに我慢ならずに噴出したのは成績が少しばかり不安な彩だった。麻弥自身もここまで意気投合した理由は果たして何だったろうかと省みる。
元々彼女は、メガネを外した時のビジュアルがいいと、悪く言えば千聖の急造案でこのグループのメンバーになった。彩のように理想のアイドルを思い描いたわけではなく、裏方ゆえに千聖のように業界人としての矜持も特にない。ただグループの輪を乱さないように、求められた事を求められるだけやろうとした。その程度で自分はいいと、半ば諦めのような自嘲もあった。彼と親しくなったのは、そうした自分に思い悩んでいた時だ。
「そういう発想があるのなら、貴女は正常な人ですよ。正常というのはつまり、自分の中に信じられる基準があるという事です」
高説を垂れるでも、説教をするでもなく、ただ自分の基準が信用に足るのだろうと、そう言っただけといえばそれだけ。しかし年頃の麻弥にとっては不干渉も過干渉もしないその言葉に救われた。
「私は貴女が羨ましい」
「え………?」
いつか彼はそう言っていた。麻弥のように信じられる自分が羨ましいと。彼のように実力も知性もある人物から出る言葉としては意外だったのでよく覚えている。しかし皮肉めいておらず、冗談めかした様子もなかったので、その真意を問い質そうとした。しかし考えれば単純な事であったのでやめた。自分を信じれる事が羨ましい。そう言う彼は、自分を信じれずにいるだけだ。慰めの言葉をかけようと思ったが、そんなものは意味をなさない。彼もそれを求めたのではなく、ただ無意識にポロリと溢れた程度のものなのだろう。
「ジブンはただ、好きな事をやってるだけっすよ。京さんはそうしてないだけ。それだけの差だと、思いますよ」
「好きな事ですか………。本当に?」
「………ええ。そうっすよ」
「そうですか」
それ以上彼は何も言わなかった。きっと麻弥が意地を張っていると分かり、同時にそのまま動かないことも悟ったからだろう。やりたい事ではなく、やらなければならない事。彼女にとってバンドというのはそういうものだ。
その意識は直すべきか。
答えは否。夢を追いかけるのは魅力的な『善』だが、それを押し付けるのはどうしようもない『悪』だ。彼女は彼女なりの理由で努力をしているのだから、それはそれでいい。人の心まで矯正する権利などない。彼女は確かに業界人で裏方で現実主義者だが、それはこのバンドで頑張ってはならないという理由にはならない。
「京さんは、夢追っかけたいとかないんすか?」
「それ関係ありますかね………。別にありませんよ。そんな事してる時間も余裕も。そういう事も含めて、羨ましいのです」
「はあ、そうなんすか………」
「凄い事ですよ。やりたいままにやりたい事が出来るなんて。特に彩さんや日菜さんやイヴさんなんか特に」
「あー、ですねえ。あの三人は特にやりたい放題っすからねえ」
「いやもう先週のあの三人と来たら———」
「ジブンなんてこの前———」
自分達とは対照的に、そうして好きな事を出来るような人間もいる。それが二人にとっての反骨のようなものを笑った。どうしようもない人間だっているのだ。自分達がそうであるように。まったくどうにもならないものだと、義務に駆られた者同士はそう自嘲するしかなかった。ただ辛くはなかった。それもまた生き方なのだろうと笑い飛ばす相手がいるのだから。
「不公平ですねえ………。チョコレートいります?」
「そうっすねえ………。あ、すみません。いただきます」
どうにも生きにくい世の中だ。麻弥が生きる芸能界も京が生きる普通の世の中だって。それでも、隣に誰かいるというのは心強いものだと、もう少し生きにくい世界で生きてみる活力にもなった。
………などあった。こうして省みればなんてことのない、ただの愚痴というか。ナードのジョックに対する嘆きというか。とにかく高尚な会話という事は間違ってもなかった。それでもあれで救われたのだから。彼はその気があったのか知れないが。
「あぁ〜いいっすよぉ!いいっすよ京さん!この唸るような重低音!完璧っすよ〜………」
「楽器で遊ばないでくれないかしら」
スタジオに設置された楽器の設定をあれこれ変えては楽しげに話す二人に対して、千聖は少し不機嫌そうに言う。主な理由は何が楽しいのやらさっぱりわからない。普段は千聖も他の誰かの趣味にケチをつけるような器が小さい人間ではないが、下手をすれば楽器を丸ごとダメにするハイリスクな遊びをよくもまあ出来るものだと、神経さえ疑ってしまう。
「いいじゃないっすか千聖さん。遊び心っすよ遊び心」
「千聖さんにはわかりませんか。この機械に触れる喜びも意のままに操る快感も」
「そんなもの一生わからなくていいわよ。ほら片付けなさいな」
「ええ〜………」
「早くなさい。ほらさっさと行くわよ」
とにかくこの二人は付かずにいても離れずにいてもやかましい。千聖のストレス負荷が中々のものだが、別に強く叱りつけるでもなく溜め息を一つ吐いた後、羽目を外し過ぎないように警告をして千聖は彼らとともにスタジオを出た。まだはしゃぐ声を聞くに二人はまるで玩具を与えられて喜ぶ子供だ。後ろを歩きながら会話に華を咲かせる二人の声を聞いて千聖は頭を抱える。
「そういうのって楽しいのよね?」
「わからないんですか?」
「わからないって言ったでしょ」
「………悲しいっすね」
「はあ゛ん?」
「………っす」
どうしても千聖にはわからない。だが彼らにはわかるようだ。彼らにとってそれは、生き辛い世を生き抜くための手段にしかならないのか、あるいはそれが高じたものでしかないのか。どちらにせよ二人にとって楽器を楽しむというのは仕事を楽しむというとの同義、そうするために努力した結果だろう。趣味でさえも仕事のためのツールの筈。だがそれでも。
「あなた達、楽しそうね」
自分達が思っている以上に今の生き方を楽しんでいる。仕事も趣味も友達とのやり取りも全て含めて。そんな二人を千聖は憂えた。
パスパレで準レギュになりつつある千聖さん。貴女もう個人回終わりましたよね?
しょうがねえだろ大好きなんだから。
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大和麻弥の憂慮(裏)
これはハードが悪い。
最近、京は他人と接触していない。
別に精神を病んだとか誰とも話したくなくなったとか嫌いになったとか、そんな深刻な話ではない。ただ単純に休んでいるだけだ。そして彼にとって休むというのは、生命活動以外のあらゆることをしないということにある。テレビのスイッチが切れるように、急激に意識が落ちる彼の体は一人暮らしと絶望的に相性が悪い。一人暮らしで風邪を引くと、本気で死ぬかもしれないと覚悟をする人間は多く、彼も似たような精神状態に陥ったこともある。そういう時に話し相手になってくれるのは親交があるバンドメンバーの少女達だった。だがしかし、最近はそれを一人で乗り切る方法まで思いついた。彼の中で何らかの心情の変化があったのか、あるいは休息を取るのも命がけという矛盾を解消したのか。それは定かではないが、とにかく彼は一人でいる事に対して嫌悪感や恐怖感を感じなくなった。
つまり彼は、それまで必要としていた彼女達との会話やそれによって得られる満足感を感じるまでもなくなってしまったということだ。
寂しくはあったが、同時に喜ばしい事でもあった。彼は強くなったのだから。しかし満場一致ではいそうですねとはならない。集団というのは常にそういうものだ。
「最近私達の事、呼ばなくなったけど何かあったの?」
「孤独を克服したと言いますか」
「ええ〜なんすかそれ!京さん今まではキャラ変したくらい弱々しかったのに!」
「そこまではいってませんっての」
「それにしても急にそんなになったのね。どうして?悟りでも開いた?」
「出家しませんよ私は。別にそんなのではなくてですね。考えを変えただけです」
「悟ったんじゃないすか?」
「違う」
ある時、千聖と麻弥と京でデートという名の座談会を開催していた時に、ふとそんな話が持ち上がった。メンバーに少々偏りがあるのは、千聖の説得というかゴリ押しというか、そんな感じの力学が働いたせいだ。これ以上は何も言うまい、京だってまともな生活と貞操が惜しい。とにかくその二人に加えて立候補したのが麻弥になるのだが、思いのほか楽しんでいる。
「京さんもいよいよ独り立ちっすかねえ」
「今までしてなかったみたいに言うのはやめてください」
「してなかったでしょ?」
「……………してましたし」
「あっ、はい。そうすか………」
逡巡する事三秒。色々記憶に残っているが、それでも最後は絞り出すようにそう言った。麻弥もその気配をかなり前から察知していた。便利な言葉ではあるが、つまり言うなれば彼は聡い。いつかは寂しさに苛まれるような精神的な負担さえも克服してしまうであろう事については、特に。寧ろ今までそうやって思考を変えなかったというのに驚いたくらいには。
「まあ色々な方を見習って。友希那さんだとか蘭さんだとか、燐子さんだとか、その辺りに」
「偏ってるわね」
「逆に聞きますけど、例えばリサさんに聞きます?上原さんとか」
「………なしっすね」
「ないわね」
など、出発点も着地点も曖昧な完全なる雑談の内容は主に彼の変化についての事がほとんどだった。他にも彼が変わると誰が泣くだとか、誰が喜ぶだとか、誰が狂うとか、バンドのメンバーに関することも。泣くのは主に甲斐甲斐しく世話をしていたリサと友希那の辺り、喜ぶのは友人として接していた蘭とつぐみか。
その座談会はその話題だけで一時間近くもったが、パスパレに仕事の相談があるという件でこの日は解散となった。別れ際に麻弥が、京に声をかける。
「ちょっといいすか」
「はい、何でございましょう」
「本当に、その………」
「………ええ。これなら独立する日は近いでしょうね」
「そうっすか………。なあんだ、ジブンは結構前の京さんも好きだったんすけど」
「あまり他人の足を引っ張るわけにもいかないので」
「………あのう京さん、中学生すよね?」
「関係ありません。今ここで物を言うのは年齢ではなく環境ですから」
聞いた感じでは、彼には向上心があった。自分はまだ子供だからだとか、そういった逃げ道もあっただろうがそうはしなかった。色々世話になっているが、世話をしている側もただの学生である事をよく理解しているのだ。若干一名、高校生離れした財を成す女子高生がバンドに知り合いとしているのだが、その上彼がヒモになる事もウェルカムだが、それは京が納得出来ない。などあって彼は高校生になるのを待たずしてあらゆる点での自立を模索しているのだ。
「凄いっすね」
「そうするしか道がないのです。それ以外に道があれば、私だってこんな事しませんよ」
茨の道を進もうと思っているのではなく、進むしか道がない。それは謙遜でもなんでもない彼の本心だが、そういった事は重要ではない。重要なのは道がないという事を受け入れて覚悟を決めている一点。
「………そうっすか。応援してますよ、ジブンは。なんてったって京さんですから」
「ありがとうございます」
「見た目は子供、頭脳は大人な京さんっすから」
「あのそれ褒めてませんよね」
笑い合った後、二人は背を向けた。振り返ったのは麻弥だけで、京は背を向けて歩いている。麻弥はそんな彼の背中をじっと見る。
「………まさか、そんな」
思わず呟きが漏れてしまった。
数日経つと、彼は具体的なプランを練るようになった。高校入学のための費用はどうするか、大学は、あるいはその後はどうするのか。主に金銭面に重点を置いて綿密に計画をしている。
「この辺りはまだ不安が残るわね。余裕があった方がいいんじゃない?」
「ええ………」
「そっちはジブン的に考えてそれでいいと思うんすよ」
「私任せてくれませんかね」
現在はバンド以外の仕事で席を外している彩、日菜、イヴの三人を待ちつつ暇を潰しているところだ。が、あまりこういった作業を他人に任せるわけにはいかないと彼は頑なに介入させなかった。千聖は早々に諦めて部屋を出たが、麻弥は最後まで名残惜しそうに京の方を見ていた。
彼はデリケートというかあまりプライベートを詮索されたくない性格である。当然全てをひた隠しというわけではないが、人一倍用心深くもあるのだ。なのでそれに配慮を見せた形になるのだが、麻弥は納得しない様子だった。当然それを口走るような事はしないが。
(京さんは一人で抱え込み過ぎなんすよ………)
必要だと思っていたが、そうではなかった。彼は強くなったが、それは同時に助けを必要としないという事でもある。
寂しい………。いずれそうなってしまうのではないかと思うと、まったく喜べない。いつしかそれを麻弥は独り立ちというポジティブな意味に捉えられなくなりつつあった。何せ彼の意図がわからない。良くも悪しくも常人とは思考パターンが違うのだろう。いずれそう思ってしまうだろうその時は、麻弥にとって今やってきたのだ。
「捨てられる………」
何だってそう思ってしまうのか。それは麻弥自身理屈で説明しろと言われても出来ない事だろう。しかし一度それが浮かんでしまったのだから止められない。自分には彼しかいないと思うのはこれよりずっと前だったのに、今では闇が深いものへとなってしまっている。その自分への怖さを感じていない麻弥は、盲目的に京を想っているだけだった。戻って彼に直談判しようと何度も頭をよぎった。しかし、このまま彼の好きにさせてやるべきという良識と欲望の呵責という板挟みのせいで脚が重い。彼の事は好きだ。それは恋慕と言ってもいい。だがそこに必要以上を持ち込むべきかどうか。
「どうも、麻弥さん」
「京さん………」
もっとも、足を動かす必要さえないのだ。そこには缶ジュースを片手に、彼女の苦悩など知らず立つ京がいた。
そこからの彼女はタガが外れたといってもいい。しかしそれは本来意図して使われるものとは少し違う。
「ああ京さん、それはジブンがやっときますよ」
「あのですね麻弥さん」
「あ、すみません。ホントすみません。ウザかったっすか?もうしないんで許してください」
「いや、あの………」
麻弥はある時からいつもこんな感じだ。そうなってしまった。
きっとそうなってしまった原因は、京も気付かないほどに些細な変化が麻弥にあったせいだ。それは誰が悪いというわけでもなく、そうなってしまったものなのだ。だからそうなってしまった結果だけが今京に突き付けられている。麻弥はこうして何かと気にかける、本来の気質がそうさせても、彼が『はい』以外の返事をしようとすると途端にこうなる。元々低かった態度がさらに低くなるどころか自虐の域にまで入ってしまっているのだから。どうしたものかと、京も口を噤んだ。
何もしないわけにもいかない。しかし、何をすればいいのか。そんな事ないと彼女の考えを善意のような何かで全否定していいものか。そのまま後ろ暗い彼女の思考を肯定していいものか。どうしてもその判断がつかずに、気圧されるばかりだった。
「どうしたんです?」
「いえ、何もないっすよ。本当に。ホント、ごめんなさい」
「いや私微塵も怒ってませんけど」
「ごめんなさい、早とちりしちゃって………」
これはもうダメではなかろうか。そう口にしてしまうとまた面倒になる予感がしてならない。なのでこうして閉口せざるを得ないのだ。
「………。でしたら私はそろそろお暇させていただきますので、皆様にもよろしくお伝えください」
「帰っちゃうんすか?」
「お三方が長引くそうなので、この日は破談となりました。では、私はこれで」
「あ………。………わかりました。それじゃ、また」
「ええ、また」
京は麻弥に背を向けて帰っていった。どうしてもその後ろ姿が、最後になってしまうのではないかという強い危機感を募らせていく。何の根拠もない、真に妄想そのものであるのだが、そんな負の思考が止められない。
元々麻弥には恋慕があった。それが依存に近い愛情に変わってしまったのは彼女も何故だかわからない。そうなってしまったという結果だけがこうしてまとわりついているのだ。
ある日、京は写真が収められたアルバムを見ていた。しかし写っているのは京本人がバンドメンバーの誰かと撮った、あるいは撮らされたものばかりだ。愛想の悪い一人の少年と、花のように笑顔を咲かせる少女達。記念に一枚持っていけと押し切られた数々の写真だ。それ以外の誰かと京が写っているものは一枚もない。
そういえばあの時はそんな事もあったと感傷に浸っていると、突如インターホンが鳴る。アルバムをしまって玄関の扉を開けると、訪客は麻弥だった。
「京さん………」
「麻弥さん?どうしたんです?」
「………」
「とりあえず部屋に———」
俯く麻弥は何かを迷っているようで、ゆっくり考えさせるためにも家にあげようとする。しかしその言葉を待たずして麻弥は京の両肩を掴んでその場に押し倒す。
「………麻弥さん?」
「……………京さん」
「はい」
「ジブンはもう、必要ないんすか?」
「はい?」
こうして秘めたる想いを伝えるのは初めてなのだから、彼が戸惑うのも無理はない。しかしそんな混乱など御構い無しに麻弥は鬼気迫る表情で言う。
「ジブンは京さんの事が好きなんです。京さんは頭いいからわかってるでしょ?でもそんな気付かないフリして」
「……………」
「図星なんすね。やっぱり」
彼も鈍感とはならない。麻弥のような見目麗しい女性が向けるのだから嫌でも鋭敏にもなる。しかし気付きたくなかったのだ。それが純情とはならないから。贅沢と言われても、許容出来るものではなかった。
「ジブンはっ!貴方のために存在したいんです!だけど貴方が必要ないと言うのなら!こうするしかないんです!たとえ嫌われることになったとしても、ジブンは貴方に必要とされる存在になりたい!いけませんか!?」
いつもの彼女とはあまりにかけ離れている。圧倒されていてかける言葉も見つからない。
「お願いです………。必要ないなんて言わないで………。捨てないでください………」
まったく的外れもいいところだ。しかし、その本気度の前には彼も押し黙るしかない。
言葉こそ泣いて懇願しているが、行動はそうではない。首にかけられた手の、皮肉めいた温かさを感じながら、彼はどうにか二の句を絞り出そうとした。
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牛込りみの切願(表)
最近、京は疲労が蓄積している。それが目に見えて、つまりいつも仏頂面な彼が隠せないほどに侵食しているとなればこれは只事ではないと、出会う友人全ての懸念であるが、彼はどうしてもそれとそれに関する全てに干渉して欲しくないらしく、大丈夫だとか引き際は弁えているだとか、そういった事しか口にしない。逆にそこまで拒絶されると、たとえ根拠などあろうがなかろうがやましい何かがあるのではないかと勝手に勘繰ってしまうのが悲しき十代、ひいては人間のサガなのである。
だがしかし、どれだけ好奇心が先走っても聞けない。面と向かっては聞けない。どう頑張っても聞けない。どうせ彼の事だ、自分の健康管理の話から人間の身体構造学知見から疫病と精神ストレスによる身体的罹患についてあたりまで話を広げてうやむやにするだろう。どうしようもない。論理武装すら捨てた天才というのはここまで手ごわいものだったかと疑問を覚えるほどに。
なので少女達も、策を練った。
「頑張れりみりん!京君の全てが懸かってる!!」
「気張れよー、りみ。こういうのはお前の役回りだからなー」
「りみりんならハートゲットできると思うから、頑張って」
「あはは……。あとでいくらでもチョココロネあげるから、ね?」
尊い犠牲、もとい癒し系に癒されよう作戦である。どうしてこんなことになってしまったのか、今回の生贄枠こと牛込りみは頭を悩ませた。
まあこうなってしまった原因は簡単かつ些細なものである。テンションでどうにかしようとする香澄やこころ、母親のように口うるさくなってしまう有咲や沙綾、京に甘いせいで説教が説教の体をなさないリサや友希那では確実に彼が心を開かない。こういう場合に求められるのは常識人かあるいはあまり積極的でない聞き上手なタイプで、最終候補はりみ、花音、美咲、巴の四人にまで絞られたのだが、ここで問題が生じた。
花音が赴くとどうなるか?確実にその親友千聖が黙っていない。美咲の場合はこころが、巴の場合はモカが、それぞれ厄介なガチ勢としてくっついてくる。それはもう、弱った彼に付け入る隙を虎視眈々と狙って。それを危険視した幾人かが無理やり調整した結果りみということになった。本人がそれを知ったのが、彼の家にたどり着く五分前のことである。それはもうこれまでにないくらい狼狽えたのだが、親友の手前怒るような事もできず、京のためと言いくるめられてしまったのだが。
「京君?いる?」
どうにか平静さを取り戻して、冷静とした顔を取り戻してら他の四人が退散したタイミングでりみがインターホンを鳴らして声をかけても反応がない。これはいよいよ不調と不機嫌が限界突破してベッドでふて寝でもしているのか。そうだとしたらあとはもう時間が解決してくれる事を待つしかない、ほとんど詰みに近い状態だが、三十秒ほどたっぷり使って京がドアを開けた。
「何か」
「最近元気がないみたいで、心配で………。大丈夫かなって」
「………とりあえずどうぞ」
「あ、ごめんね。お邪魔します」
視線で人が殺せるかもしれないほどに目つきの悪い京が出迎えて、家に入るよう促す。
「その………いいの?」
改めて対面すると、不機嫌どころか怒りに満ち満ちているように見えてならない。ただ憮然としているだけでなく、敵意のようなものを放っているとも取れる。だからこそここまであっさりお邪魔できると考えていなかったりみとしても、彼が何を企んでいるのかまったく見えなかった。まさかここで愚痴を延々と垂れるつもりかと恐れるが、どうやらそうではないらしい。
「話し相手がそちらから来るとは思いませんでした」
「話し相手?わ、私が?」
「煩わしくない、押しが強くない、詮索しないの三拍子揃っている人は貴重ですから。正直私も四、五人ほどしか頭にありません。貴女もその一人です」
「あ、ありがとう………」
「私もただの人間です。一人は寂しい。そういう環境が落ち着く人もいるそうですが、私はそうではなかったようだ」
彼も人間らしいといえば聞こえは悪くなってしまうが、りみにとっては意外だった。一匹オオカミ気質というか何というか、人との関わりを意図的に避けていた理由を勝手に測ってしまっていたのだが、それに反して彼の理由は単に話し相手がほしかった。ただそれだけ。寂しい気持ちが彼にあったという言い方は無礼だあるが。こういう時こそ一人になりたいのではと考えていた。
「でもちょっと、安心した。京君ってそういうタイプに思えなかったから。ギャップだね」
「野郎のギャップなんて需要ありませんよ」
彼は本意ではない様子だった。強がりだとかそういったものではなく、どうやらそういう個性として片付けられる事を嫌ったらしい。そこはりみ自身もあまりフォローとして上等ではないと省みる。
「そんな事ないって。少なくとも私たちにとっては」
これもそうだ。まったく自分の口下手が恨めしいが、どうやらそれすら気にならないほどに沈んでしまっているらしい。
「そんな話はどうだっていいんです」
「露骨に話逸らした」
「こういう時の雑談というのはですね、そういうものではなくて。私でも貴女でもない第三者の話題で広げていくものだと」
「そういうものかなあ」
「そういうものです。ストレスの原因から目を背けるためにも、それが必要なのです」
そのストレスの原因について詮索する勇気はなかった。京が先に言った三要素が求めているのならば、それを尊重しなければならない。普段裏方として心労の絶えない、それを知ってもらう事も出来ない立場にいる彼を労るくらいしようと考えた。
「でも私は全然いいよ。京君の事ならいくらでも聞けるから。聞かせてほしいな」
「………」
真っ直ぐな瞳でそう言われると、彼も毒気を抜かれたように茫然とするしかなかった。ここでりみは三要素の一つを欠く事となってしまうのだが、京にはそれが意図したものでないであろう事がすぐにわかった。
「そういう事、あまり他人に言ってはなりませんよ」
「………?うん?うん。京君がそう言うなら、うん。わかった。じゃあどんな話からしようか」
「聞いて得するような話は何もありませんが、そうですね。それでは私と有咲さんが、昼食代と盆栽の剪定を戸山さんに任せる権限を賭けて指スマ対決をした話から———」
りみからすれば予想外の連続ではあったが、それでも心地よいものだった。
その日が発端となったのかは不明だが、京は快調に向かっていった。完全に元の調子に戻ったというわけではないが、順調に回復していった。
「たまにそうなっちゃう時あるけど、京君は何が原因なの?ストレス?」
「まあ、そんなところでしょうか。フラッシュバックというか何というか。そういうのが来るとああなってしまう。その節はご迷惑をおかけしました」
「ううん。全然いいの。むしろもっと頼ってくれてもいいんだよ?いつも相談とか全然ないから、私もみんなもそっちの方が安心すると思うな」
「そういうものでしょうか。まだまだ貴女たちの事は理解できそうもありません」
「まあゆっくりでいいよ」
曰く、それは突然起こったものではなく今までも数度あったらしい。昔のトラウマがフラッシュバックすると、それを押し込めて正気を保とうとする防衛機能がはたらくらしい。医学は専門外なのでこればかりは京にも詳しく説明できないが自律神経系がどうだとか、防衛機制がどうだとか、そういった話らしい。それは抑え込む事ができる彼が強いのか、それともトラウマが消えかかっているのか。何とも判断しかねるが、とにかく一般人によくある感情の浮き沈みと同列に扱ってくれて構わないという彼の言葉にはりみも頷くしかなかった。
しかし彼女にもわかる事はある。それはいわゆる十代のセンチメンタルだとかそういった軽いものでは決してない、抑える事ができたにせよ消えかかっているにせよ、彼の不断の努力によって軽傷のようになっているが、トラウマになる何かが起こってしまい、それによって心に深い傷を負ったという事実に変わりはない。まだりみは京と付き合って長くはないが、それは理解していた。
そして彼が望むものは憐憫ではない。そんな非効率的で何も生まない感情論など欲しくないのだろう。
「しかしまあ、本当に辛くなったら相談はさせていただきます。その時は頼ってもいいですか」
「もちろん。どんと来いだよ。私だって京君より年上のお姉さんなんだから」
「貴女確か妹でしたよね?」
「関係ないの。私より年下なんだから」
「お姉様ぶるのが一日ほど遅かったようですがね」
「もうっ」
だからこそ、それに応えるべきだと思った。ここからは彼がどうバンドに貢献しているだとかそういったレベルの話ではなく、単に個人がそうでありたいと願っただけだ。上等な願いとは言えないだろうがそれでもいい。
「京君、甘いもの好きだったよね?」
「好きですが、残念ながらチョココロネは趣味じゃありません」
「そっかあ………、残念」
「しかしお付き合いはします。沙綾さんのお店で?」
「うん、当たり。行こっか」
「予定外の寄り道ですね………」
「こういうのも学生らしくていいでしょ?」
「………。ええ、そうですね」
例えば、京には誰かから無事を願われる事を望んでいないとする。それでも彼女たちは祈る事をやめないだろう。
「わかってはいましたが、美味しいですね」
「そうだねえ………。めっちゃ至福〜」
新鮮な外の空気を吸いたいという京の突然のリクエストにお応えして、りみは街に繰り出した。繰り出したといってもいつもの商店街、いつもの山吹ベーカリーでいつものパンを買ったに過ぎないのだが。それでも食事がいつも保存食品かインスタント食品だった彼からしてみれば、手作りというのは珍しいらしく、確かめるように慎重に齧っていたが。
「好きですね」
「もう大好きなの〜。わかるかな、わからないかな」
「まったく分かりませんが、貴女がそう言うならそうなのでしょうね」
「でも本当によかったの?奢るって言ったのに」
「いいんです。私がそうしたいので。貴女も年上ならば年下のワガママくらい聞いてください」
「その言い方、ズルいなあ………」
今日は雲ひとつない晴天で、触れる外気は穏やかだ。ベンチに座って他愛もない雑談をしているだけでも飽きないというか。どちらも話し上手ではないという自覚がありながらも、つまらないという事もなく。むしろ不必要な事を喋り過ぎないというのはどらちにとっても気が楽だった。新鮮な空気を吸って、濃過ぎない内容の話をして、舌鼓をうつ。なんだかやっている事はしょうもないのだが、そんな時間がゆっくりと流れるような感覚が楽しかった。
「京君、これからどうする?」
「私は別にこのままでも構いませんが、貴女はそうもいかないでしょうし、そろそろお開きとしましょう」
「そっか。それじゃあ、明日は練習あるんだけど、よかったら見に来てね」
「ええ。予定は空けておきましょう。ではまた明日」
「うん、また明日ね。バイバイ」
どうかこの、何でもなくつまらなくも尊い日常が続きますように。彼がそれを望まない、ただの自己満足の身勝手だとしても。どうか、彼にかつての災難が降りかからず、皆と幸せに暮らせますように。
彼の過去など一つも知らない、偽善だと言われても。きっと何かがあった事に変わりはない。友人として、彼が悲しむような事が起こりませんように。そう願わずにはいられなかった。
友人の弟に指スマしようぜと言ったら、何それと冷たく返されて少し傷心したあすとらのです。
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牛込りみの切願(裏)
というわけで途中で失踪しかけたりもしましたが、拙作を読んでくださりありがとうございます。
短編集みたいなのを一年で41話って少ない……。少なくない?
時には無垢に思える、切実で一途な願いも人を狂わせる。りみの場合はそれがあった。しかし彼女には常人と異なる特殊な性質が同時に存在していたのだ。それは、彼女の中での恋というものがどんなものなのか、自覚があるという事だ。
自分は出水京という男が好きだ。愛してると言っていい。しかしその愛が異常なものであると、それもまた事実なのだという自覚がある。
「はあ………」
そう、自分はおかしいのだ。どうしようもなく狂っている。少し大げさかもしれないが、視野の狭い女子高生は自分を省みるとどうしてもそう思ってしまうのだ。きっと自分が正常でない事に、彼女は混乱している。いずれ受け入れてしまうのではないかという思いもあり、しかしそれは恐怖ではない。狂ってしまう自分も、牛込りみを構成する要素の一つでしかないのだから。そう考えてしまうと、驚くほどに訪れるであろう変化に対して何も感じなかった。
「あ、もしもし、京君?」
「どうかなさいましたか?」
「ううん、もしかしたら追い込まれてどうしようもなくなってるんじゃないかなって」
「ええ、正直二進も三進もいかないところです。それで?」
「ちょっと私も作業が煮詰まってて。よかったら一緒に気分転換しない?せっかくだし二人で」
「………構いませんが。どちらで落ち合いますか?」
「別にどこでもいいけど」
「おい、言い出しっぺ、おい」
だからこそ、焦がれる想い人に会うというだけで我を忘れるような事もなかった。時刻は午後七時。夜なので暗いには暗いが人通りが途絶える深夜というわけでなく、そこまで危険というわけでもない。近所の児童公園で合流すると、りみはラフなシャツで、部屋着と見間違うところを見るに突発的な衝動である事が伺える。
「えらく唐突ですね、りみさん。まあいいですけど」
「ごめんね」
「いいですって。気分転換が必要なのも事実ですし。いい機会でした」
「そお?だったらよかったけど………。京君にもスランプとかあるんだね」
「私も人間ですので。りみさんは音楽の作業で支障が?」
「うん。私、みんなと違って不器用だから。どうしてもこんな感じで、うわぁぁ〜ってなっちゃうの」
「私もそういう経験はありますよ。あまりに遅々として作業が進まないと、全て投げ出したくなる」
りみは自己評価が低い。それは同時に、他人に対する評価が高いという事でもある。バンドメンバーの少女達やライブハウスの面々だけでなく、全バンドの音楽製作に携わる京に対しても例外なく。機械のように精密に作業をする彼を見てその手腕を羨んだ。そんな彼も当然といえば当然、人間なのでミスをするしやる気が削がれる時もある。それがりみにとって意外だった。
「そうなんだ………」
「なんだか酷い誤解が今解けたような気がしました」
「き、気のせいじゃないかな………」
精密機械のような彼もそうして浮き沈みもあるというのが、彼女の中で救いにもなった。やはり完璧な人間など存在しない。そう思えば、自分が何をしたわけでもないがいくらか心も楽になる。自己満足と自意識の高揚のために彼を利用する悪辣さはあったが、それも必要なものだと目を瞑った。そうでなければ、善人にはなれないから。
りみにとっては趣味のようなものだが、とにかく彼は見ていて飽きない。様々なバンドの様々な年頃の女子と話しているからなのだろうか、彼の反応も彼に対する反応も様々だ。最初はその程度だったが、最近は単なる人間観察ではなく目で追いかけているといった方が正しい。結局のところ、彼の魅力というのは話す相手が反抗期真っ盛りだろうが常識はずれの大富豪だろうがコミュ障のゲーマーだろうがそれに合った会話ができるという点にあるのだが、残念ながらこの時のりみは知人以上の会話をしなかった。込み入った話はスランプから逃避するようにしたあの時が初めてだ。彼が苦手だとかそういった事ではない。
つまり、変わってしまってほしくなかった。誰かと接する彼を見ていたいがその中に自分は含まれていない。自分が介入した事で何かが変わってほしくなかった。今のまま、皮肉屋で背伸びしたようなニヒルさで、しかし彼の性格ゆえにそれらがどこか『子供が大人ぶっている』とは終わらない京という人間のままでいてほしかった。
「お前からも言ってくれよ、香澄にさあ。あいつのテストがヤバいとバンドもヤバいんだから!」
「言うには言いますが、響かないと思いますよ。当の本人が———」
「あ、おたえ!みてみてー、でっかいクワガタムシ!」
「あの調子ですし」
「あの年がら年中お星様バカは………」
「ツンデレ盆栽巨乳女子高生も大変ですね」
「うっせえ!!」
どうか、このいつもの景色をいつも通りに。それだけでよかった。だが最近は笑えない事がある。どうやら京にも変化の兆しがあるらしく、最近はいつもの調子とはいかないようだ。忌むべきは誰でもなく彼自身の変化だが、りみにとってはそれも許容できないものだった。
「許せない………」
彼女はただ変化に臆病だった。だからこそ許せなかった。有咲と笑う京は一見いつも通りだが、どこか世を儚むような諦観も見られた。
「京君」
「はい?」
「最近どう?」
「さい………え、どうしたんですいきなり。元気ですが」
「そう。それならいいんだ」
「………?」
おかしい、おかしい、おかしい。こんな事は間違っている。人として、彼女達の友人として。あってはならない。略奪愛なんてフィクションの産物でしかないのだから、現実であっていいはずがないのに。
あまりにも候補が多過ぎて絞り込めないが、京には好きな人がいる。それが誰かわからないが、きっと秘めたる想いがあるのだろうが、りみにとってはそんな事どうだっていい。とにかく自分が好きなのだから彼の事情など考慮するにも足らず、まずは自分の意思が最優先に。そうなってしまう事が自分の異常性なのだろうか。そう己の内に潜むものを考えると、まるで自分が自分でなくなるような感覚に苛まれる。
自分はこんなじゃなかったのに———。
つい三日ほど前はこんなに盲目的ではなかった。普通に彼を見ていて楽しいと思う程度だったのに、今では執着の方が勝っている。一体どうしてこんな事になってしまったのかと、終わりのない問いについて考えるのはもうやめた。
「うん、本当によかった」
「はあ、ありがとうございます………?」
違う、違う。そんなわけない。いくら心の中で否定しようとしても、抗えない。
「ねえ、京君。例えばだよ、例えばの話だけど」
「はい?」
「ずっと好きだった人が自分じゃなくて別の誰かを好きになってたら、どうする?」
「典型的ですね………。まあ物語ならば略奪もよし駆け落ちもよし不倫もよしですが、現実ではそうもいかない」
これだけは聞きたくなかった。自分の中の感情を吐露する事と変わりないから。たとえ京に気取られないとわかっていても聞きたくなかった。聞いてしまった以上後戻りはできないがしかし、目の前の彼も、自分が望む答えを言ってくれそうにない。
「鈍感。見なかった事にして次回を待て。残念ながらそれしかないでしょう。苦渋の選択ではありますが」
「……………そう。そっか」
「納得のいく答えでしたか?」
「そうだね」
納得はした。それを受け入れられるかは別問題だが。
「京君もそう思ってるのかな?」
「まあ、私には度胸も何もあったものではありませんし。きっとそうするでしょうね。非常に残念な話ですが」
もう彼は、変わってしまったのかもしれない。そう考えるとどうしようもなく胸が苦しい。今までのようにとは、もういかないのだろうか。
いや、まだ手はある———。
「京君」
「ああ、牛込さん。奇遇ですね」
「ちょっといいかな。時間は取らせないから」
「ええ、構いませんが」
彼は変わってしまうが、自分は変われない。そんな時にどうすればいいのやら。結局のところそれは、彼の場合実は簡単なやり方でどうとでもなるのだ。
「ちょっと私の家に来ない?」
「家………。家?何故?」
「いや………。お互いを知るために」
「まあ、構いませんが」
突然の誘いで京はいくらか訝しむように間を持たせた後に了承した。彼も鈍感になってしまったものだ。
その日はりみが同じバンドの面々と別れてから京と合流し、二人で家路についた。彼女には二歳上の姉がいるのだが、最初こそ男を連れて行くというりみの言葉足らずから生まれた誤解があったもののすぐにそれを京がフォローし、姉ゆりもどうやら彼を気に入った様子で嬉々として受け入れた。人畜無害そうな顔立ちで歳下というのが大きかったのだろう。弟にならないかと勧誘を受けた時は、いくら美女とはいえ110番案件を抱えたものかと恐れたものだ。
「キャラが濃かったですね、お姉さん」
「まあね………」
通された彼女の部屋は女性らしいとからしくないとか以前に、詳しくは言わないが趣味が前面に押し出されている部屋だった。顔には出さないが。
「座っていいですか?」
「え?ああ、うん………」
「そ———」
そういえば最近は貴方にも覇気がない、とお悩み相談から始めようとしていたその時だった。
首筋に鋭い痛みが走る。まるで電流を流されたような、という例えが当てはまるかと思えば、それは比喩ではないのだ。それから昏倒するまでの時間は一瞬だったが、その間の景色を京の脳は素早く処理した。倒れる彼を目の当たりにして自分のしでかした事の重大さに気付き罪悪感を募らせ、徐々に顔が青ざめていくりみが。首の神経に一過性の麻痺が生じ、一時的とはいえ気道が閉まり息が吸えない。
「———あ………」
喉を右手で掻き毟るように押さえてから十数秒で意識を失った。
「貴方がいけないんだから———」
そんな禍根とも責任転嫁とも取れる発言を最後に。
彼女が何より許せなかったのは、変わる事。りみにとっての普通が普通でなくなる事で、今回はその沸点を遥かに上回ってしまったことになる。原因は彼にもわからない。つまり意図する事なく自然とそうなってしまってしまったわけだ。いつも通りの性格で、いつも通りの会話で、いつも通りの展開に。それから逸脱する事が許せなかったようだ。どうしてか、と問われてもその答えはりみにしかわからない。ただ人間観察に支障をきたすだとか単にそうしなければ恋愛を語れなかっただとか、そういった具合の、りみの倒錯的で完全なエゴでありその押し付けである。
「貴方はそのままじゃなきゃいけないの。いつも通りの貴方じゃなきゃ………。そうならないならいっそ———」
いっそ、どうしようというのか。そこから先が聞き取れなかった。霞む視界と平衡感覚を失った頭で考えようとしても、どうしても上手く回らない。
「ダメ、ダメ、ダメ!!貴方があんな事になったらもう耐えられない!あんな状況になるなんて!だから………だから、ごめんね。こうしておけばいいの。こうしておけば、このままの京君をずっと見ていられるの。ずっと変わらないままの京君が私の側にいて、そのまま死んで、一生記憶に残るんだよ。素敵な事でしょう?ね?ね?」
京は喋る事ができないというのに、同意を求めるようにその光ない瞳で彼の目を覗き込んで言う。彼は表情を動かさずに耳を傾けるくらいしかできない。
「死ぬ時もどうか、そのままの京君でいて。そうじゃないと、私おかしくなりそう………!!」
———自分はただの被害者なのか、それとも来るべき予測不可能な変化に対して救われた存在なのか。彼にはわからなかった。
(ゆりルートは今のところ)ないです。筆者がネタ切れで死ぬ予感がするので。というか今も瀕死ですヤベエ。
このお話で出てきた変化ってなんのことぞ?という方は、まあ待たれよ。
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宇田川あこの慕情(表)
1ヶ月お待たせしてしまったようで、申し訳ありません。何かと大変な時期ですね。筆者は職種の都合上家にいたくてもいられねえんだよと憤る日々でございます。小説書く時間も確保できないし。
不定期更新タグをつけようかと思う今日この頃ですが、この山場もオチもない拙作を見てくださってありがとうございます。
基本的に、京は誰かを嫌うという事をしない。苦手とそうでない人間の差はあるものの、他人を嫌いになるという事はない。人間関係の上限は慕情で下限は苦手。例外なくそうでしかない。彼は聖人君子でないため自分とかけ離れた価値観の人間に対しては苦手意識をどうしても持ってしまう。底抜けに明るい人間、押しが強い人間等々。ハロー、ハッピーワールドに固まっているが、それだけでなく他のバンドにもちらりほらりとそういった少女がいる。
「深淵の監視者たちよ、我が、えー、あー………」
「晩鐘の調べ」
「晩鐘の調べの下に集い傅くがよい!」
「満足しましたか?」
「うん!とっても!!」
「さいですか………」
人の数だけ価値観があるものだと、自分は人間観察でベストセラーを書けるのではないかと錯覚してしまいそうなほどに京の友人は個性豊かだ。
宇田川あこという少女を京の目線で一言で表すのならば、痛くない中二病。というのも先にあったようにボキャブラリーが貧弱なので痛いというところまで到達していないというものだ。とにかく元気で明るく、場合によっては歳上だろうが関係なくアダ名呼びで敬語も使わないフレンドリーな少女だ。彼女があの宇田川巴の妹と京が聞いた時は、目と耳を同時に疑ったものだ。似ても似つかないじゃあないか。主にキャラと毛色と趣味嗜好が。
「京君って頭いいんだね。りんりんみたい」
「それ微妙に褒め言葉じゃありませんからね」
「ええ?どうして?」
「私は人の目から隠れるために道端で突然ワンタッチテントを開きませんし、SNS限定で饒舌になったりしませんので」
そこそこ褒められていない褒め言葉をいなして京は己を省みる。さて、どうして彼女のようなそばに置いておくだけでストレスの元になるような少女、宇田川あこ(一つ歳上)の勉強を見るなどという地雷を踏み抜いてしまったのか。それがまた面倒な事情というか縁のせいというか、友情の悪用というか匙を投げられたというか。
話は一週間ほど前に遡る。Roseliaはプロも注目する技術を持つバンドであるが、それはたゆまぬ努力のもとに成り立っているものだ。なので当然練習も相応にハードなものだ。
が、まだ学生である彼女達の本分は勉強である。その両立も含めてガールズバンドなのだ。
しかし問題が起きた。五人のうち四人は問題なかったが、ただ一人、あこだけが壁にぶち当たる。
「テストの点数が………ヤバいッ!!」
「なんか同じような事態に対処した事があるような気がします」
補習を受けなければ成績落第となる。しかし四人には、勉強に励みバンド活動に精を出しながらついでにあこの先生になるという激務を背負わせるわけにもいかない。というわけで、友希那とリサに交互に頼み込まれること二日で京の方が折れ、あこの成績を向上させるために家庭教師の真似事をしている。幸い彼女は成績こそ悪いのでスタートラインは下の方であったが、呑み込みは中々早いので苦労はしないだろう。
そして五日目の今日。前回赤点を取った単元の復習が一通り終わって小休止をとると、やはり無言に耐えられる性分でないのか、あこは積極的に話しかける。
「京君はさあ、歳下だよね?」
「そうですね。宇田川先輩」
「あーあ、なんかちょっとショックだなあ。そっかあ、あこ、歳下の子に教わってるのかあ」
「能力の問題であって、年齢の問題でないかと」
「それはそれで傷つく!!」
最初こそ勉強がどうだ頭の出来がどうだ才能がどうだと愚痴を零すあこに対して相槌を打つだけと彼にとっても簡単なお仕事だったが、徐々にあこは絡み上戸のようになっていき、京は天才だなんだと持ち上げるように見せかけて課題を回避しようとしている。ただしその企みは見破った彼によって阻止された。課題は体温が人間の致死量にまで達さない限りは絶対に完遂してもらう。慈悲はない。
「京君手伝ってよお……」
「何故教える立場の私が」
「京君はいいの?人に教えるだけで」
「そこまで切羽詰まっていませんので」
「おぼぼぼぼ……」
ペンを持つあこの手が震え始めるがそれを尻目に京は彼女の教科書に目を落とす。中学生レベルならば他人に教えるくらいわけないが、それは他の人物も同じだ。Roseliaの成績良好組、彼女の親友である白金燐子は特に、仲も大変よろしく京のポジションに収まるにはうってつけの人物であるはずなのだが、何故かそうはならなかった。そう、本当に何故か。理由はわからない。というよりどちらも語ろうとしない。きっと諸事情により代役を立てられたのだろうと納得させたが果たして真意はいかなるものか。
「京君、ここわかんない」
「十分前に教えましたが」
「忘れちゃった」
「どうして代役が私なのでしょうか」
こんな事なら鬼風紀委員長であり真面目が服を着て歩いているような紗夜にでも任せた方がよいのではないか。彼女なら巨大な物差しを坐禅の警策が如く扱って肩か背中を打つくらいはするだろう。
「本当に、文系と理系の開きが凄いですね。どうしてそこまで数学と理科が苦手なので?」
「だってえ、数式とかナントカの法則とか定理とか、難しい事ばっかりなんだも〜ん。逆に何で京君は出来るの?」
「ふむ……。思うにあこさんは突き詰めないと気が済まないタイプとお見受けします」
「ほえ?」
「百まであったらその全てを理解して自分のものにしないと気が済まない、ということです」
「あ〜うん。確かにそうかも。バンドとか思いっきりそうだもんね」
「勉学においてそれは不要です。何故その法則がそうなるのか、と考えたいタイプなのでしょうが、正直それは考えるだけ損です。定められた法則があるのなら、それはそういうルールなんだと深く考えないでください。時としてそれが必要です」
柄にもないアドバイスだがキャラも矜持も知ったことか。自分は使命を全うして自由になりたいんだ。
しかしそんな邪な考えであってもアドバイスはアドバイス。的を得ている有用なものだ。あこは優等生とは言い難く性格も年相応だが、バンド含め好きなことを追求しなければ気が済まない真面目さも併せ持っている。美徳であるが、時としてその生き方は窮屈になる。真面目はいいが、馬鹿真面目になる必要はないという事だ。
「京君からそんな事言われるなんてなー」
「どういう意味ですか」
「京君はいっつも真面目でお堅い感じなんだもん。そういう不器用な生き方してるんじゃないかなって、寧ろこっちが心配してたんだから。主におねーちゃんとか、あたしとか」
「私、そういう目で見られてたんですか?齢十五を手前にして器用な生き方に煮詰まった子供であると?」
「言葉は難しいけどそういう事なんじゃない?」
「………そうですか。私って普段そういう………」
その過程で発生した誤解は後々解いておくとして、そんなことよりと軌道修正に入る。真に話すべきは自分の事ではなくあこの事なのだ。
「貴女の口から出ましたのでいい機会です。ハッキリ言っておきますがあこさん、貴女グイグイ来すぎです。押しが強い。正直初対面の時はブラックリスト入りでしたよ」
「そ、そんなあ……。あこ的には明るくハッピーな女の子になったつもりだったんだけど……」
「正直怖かったです。ずっとリサさんの後ろに隠れていたでしょう?」
「恥ずかしかったんじゃなくて?」
「怖かったです」
「ガーン……」
この際だからと京から突然のカミングアウトである。
遡る事数ヶ月、まだ京が見識を深めていなかった頃である。友希那とリサの親切心もといおせっかいによって交友関係を無理のない程度に広げようと画策され、燐子と紗夜ののちにあこと初めての邂逅となった。前二人が比較的穏やかだったので油断していたところに彼女である。
『やっほー!京君だよね!いやあ可愛いなあ男の子なのに!あこの事はあこって呼んでね!お友達になってくれると嬉しいな!よろしく〜!』
ただテンション高めな自己紹介なだけというのに卒倒しかけた。というか側にリサがいなければ確実にしていた。今よりもっと感情の起伏ち乏しく激しく人見知りだったので、目を輝かせて近寄ってくる同年代の女子に対しては恐怖さえ覚え、同時に何か陰謀めいたものさえ感じた。そう時間が経たないうちに彼女はそんな高度な考えはできないとわかったので事なきを得たが。それでも最初は、ただ積極的であるというだけで苦手だった。仲良くなろうもしてくれているあこには申し訳ないが、それこそ人付き合いの方法は十人十色であるのだからコミュ障もコミュ障なりに方法というものがある。脱コミュ障の先輩である燐子に倣うべきである。それがRoselia全員と知り合って得た彼の教訓であった。が、初期の京はあこの好奇心の強さというか首を突っ込むメンタルの強さというかその辺りを甘く見ていたと言わざるを得ない。
『凄いね京君、ハイテクだね!あれ、ここはどうやってるの?』
『京く〜ん、勉強教えて〜。紗夜さん忙しそうだしおねーちゃんはアフグロで練習中だし、もう京君しか頼れないんだよぉ〜』
『ねえねえ京君、今暇?暇ならあことりんりんと一緒にゲームしない?こういうオンラインゲームでね……』
侮っていたものだ。まさかここまで友情を押し売りしてくるタイプの人物だったとは思わなかった。そして燐子の絶えぬ気苦労も段々とわかってきた。あこのように善意だけで人を振り回せるというのは稀有な存在だ。お陰で燐子も東奔西走して友情を育んでいる事だろう。
だが自分とは少し波長が合わない。嫌いというわけではなく、ここまで陰と陽で差があると燐子の前例もあまり信用ならないものだ。彼女にはゲームという友人をつくるツールがあったが、京には何もない。ないから開拓してみようとも思わない。自分はそういう怠惰な人物なのだ、憐憫で面倒を見てくれているまりなや友希那やリサが例外なだけで、友達というのは高望みが過ぎる。つまらない人間とくっつく必要もない、それがあこにとってもきっと最善の選択になる。
だがそうはならなかった。というよりそうさせてくれなかった。
『あこ、友達になりたいだけだったのに……』
苦手というだけで嫌いというわけではない。近付くべきか遠ざかるべきか葛藤している中でそう涙ながらに訴えられると弱い。美少女を泣かせる趣味はない、突っぱねる理由もない、何より自分には選り好みするような資格もない。家族も友人もいない子供と友達になってくれるような希少で善良な人物を自分の性格一つでなかった事にしていいものか。そこに大きな疑問を抱いた。
そして今に至るのだ。当たり障りのない天気の話から趣味嗜好の話に発展していき、今となっては家にお邪魔するような間柄になっている。
「休憩終わりです。ほら再開してください。じゃないと貴女と一緒に私にまで雷が落ちる」
「ええ〜。もうちょっと〜……」
「いけません。さもなくば私の代役に紗夜さんを立てる事となりましょう」
「え〜……。うーん……。わかったよお……」
「はい、よろしい。今度からも、私の電話をかける手が震える前に実行していただきますよう」
そうしてまた、あこにとっては長い長い勉学の時間である。彼もメリハリがあるというか切り替えが早いというか、いつにも増して張り切っているのか教師モードを徹底している。
「京君はさ、なんでそんなに頭良くなろうと思ったの?」
ふと気になった。あこにとって彼は天才だが、それ以上に努力家である。前に彼の自宅で高校生組から借りたと思われる教科書の山と積み上げられた大学ノートが見た事が印象に残っている。そこまでして明晰であろうとする理由は何なのか。その原動力とは?歯止めのかからない知的好奇心か下手をすれば中卒になりかねないという危機感からか。彼は少し目を泳がせて考えた後に短く答えた。
「反骨心でしょうか」
最初はその答えの真意をまるで理解できなかった。
あこと京のちょっとした馴れ初め、そして京のぱーふぇくと人生相談回でした。
終息するのはいつになることやら……。皆さんもお体に気を付けてくださいね。筆者も頑張ります。ノルマにウイルスと敵は強大ですが。
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宇田川あこの慕情(裏)
元々京は低血圧というか、ダウナーというか。いつも憂鬱そうでかったるそうにしながら日々を生きており、どうしたってクラスの中心ではしゃぐような人間とは相容れない子供である。それでも、天性の陽キャの宇田川あこが彼に懐くのはそう難しいことではなかった。同学年の男子生徒はとにかく我が強く、屁理屈をこね回して自分は頭がいいと思い込む『痛い存在』だったので、それと対比すると控えめなだけという遥かにマシな性格という事もあり早々に彼と接近した。上級生、特に彼女が所属するRoseliaはボーカルの友希那に然り紗夜に然り性格も姿勢も大人びていた。そんな二人と接するうちに自然と彼女たちのような人間に畏敬の念が湧いていたというのもあるかもしれない。
最初はそれこそ同学年の話し相手ができたような、そんな軽い出会いだった。しかしやがて彼を理解していくうちに双子の兄を持ったような気分になった。無口でスマートで、我が儘を聞いても冷静に対応してくれる、駄目な時は駄目だと叱ってくれる、結果を出さなくとも努力し続けた事を褒めてくれる。まあ、気恥ずかしいのかおにーちゃんと呼ぶ事を許してはくれなかったが。
だがあこは満たされた。姉がいる事で十割満たされてはいたが、京のおかげでそれも限界突破したところである。
「ちょっ……待っ……あ〜!!また負けた〜!!」
「口ほどにもないですね。顔洗って出直してきてください」
「むうう……」
休日のある昼下がりのことである。家庭用ゲーム機でアクションゲームに興じている二人は実のところ高校受験を控えた受験生であるが、とてもそうは見えない。京の方の理屈は至極単純、死ぬ気で猛勉強などしなくても高校受験くらいどうにでもなるから。では、お世辞にも頭がいいとは言えないあこの方はというと、こちらもまた単純で息抜きである。何せ前日は姉である巴監督の下机に向かうことを強要され、尋常でないストレスを蓄積しているためそれを発散する意図もある。先程から別のストレスが溜まってはいるが。
「もーやだー!全然勝てないじゃん!別のことやろ!べーつーのこーとー!!」
「はいはいかしこまりましたよ。しかし他には何があったか……」
ぎゃあぎゃあと駄々をこねたあこはこうなると長い。京は、明らかに家具より積み上がったガラクタの方が占有面積が広い自宅を探して回ることにした。
とはいってもあるのは実用性ではなく希少価値で選んだコレクターズアイテムのようなものばかり。あのじゃじゃ馬が眺めて満足するとは到底思えず、あれやこれやと悩んでいるうちにスマートフォンが振動する。電話は巴からだった。
「はい。出水とかそんなもんじゃない方です」
「じゃあどの方なんだよ……。いきなり電話して悪い、あこはどうだ?」
「……氷川姉妹も私から見てそこそこアレですが、貴女もシスコンですね。別にいつもと変わりませんよ。いつも通り賑やかでいらっしゃる」
「そうか……。迷惑かけてないならいいんだけど、お前同い年の異性と普通に会話できるのか?」
「ナチュラルに失礼ですね。私にもできますよそれくらい。まあ、バ……裏表のないあこさんがやりやすいというのは否定しませんが」
「今バカって言いかけなかったか?」
「気のせいでしょ。それで、ご用件は以上ですか?」
電話の内容は巴らしいもので、妹のことを案じていたり案じていなかったりするものだった。正直京はいつかは来るだろうなと思っていた。だってシスコンだもの。
巴には自覚がないかもしれないが、あこと一緒にいる京を見る彼女の目が些か恐ろしい時がある。まあ可愛い妹が異性と接しているというのはそれだけで不安要因なのだろう。京は兄弟がいないのでその気持ちはまったく共感しかねるが、理解できないわけではない。
「最近あこの様子がおかしくてな。一応気を付けてくれ」
「何そのフワッとしたアドバイス……。気を付けろとは?後ろから刺されるとかそういう話ですか?」
そんな妹をよく見ている模範的な姉からの連絡は、幸運な事に妹に近付くなという警告ではなかった。
「そういうワケじゃないけど……。何かこう、何て言えばいいんだろ、京を見る目がちょっと違くないか?」
「そうでしょうか。普段のあこさんが私をどう見ているのか分からないので、比べようがありませんが」
「そうか?なーんかおかしいと思うんだけどなあ、アタシ」
「……姉である貴女が言うなら、一応注意はしておきます」
あこの実の姉である巴の言葉だ、あまりにアバウトすぎて何をどう注意すればいいのか分からないが、とにかく心に留めておいた方がいいだろう。
「京くーん!大変だ!これ、急に画面が!画面が真っ暗に!壊れたァ!」
「それはただの電池切れです……。とにかく巴さん、また何かあれば追って連絡を」
「おお。分かった。悪いな、あこの面倒押し付けちゃって」
「致し方ありません。日菜の馬鹿と合わさって歩く騒音公害になられるよりはマシですから」
「そ、そっか……」
やや諦念を含んだ言葉に、巴は曖昧な反応しか返せない。京はそれではと言って電話を切った。
気を付けろとは言われたものの、あこには特段変わった様子はない。
「ボタン押しても電源入らないよ?」
「ですから、電池が切れてるんです」
「……じゃあ充電して?」
「乾電池は基本的に充電しないんですよ」
「でも充電できるヤツもあるよね?」
「これは違うんで。たかが電池に再充電とか、私がそんな面倒なもの持ってるわけないでしょう」
いつも通り京が理解できないほどに頭が残念な様子で、巴がわざわざ連絡を寄越してくるようなものではない。少なくとも京には、自分が気付かないほど些細な変化である事以外に何も感じる事はなかった。
「さっきの電話っておねーちゃん?」
「はい」
「ふーん。何話してたの?」
「特に何も。終わりのないきのこたけのこ論争について意見交換をしていました」
「へー……」
京の背中にもたれかかるあこがどんな顔をしているか、彼には見えない。しかし彼女底冷えするような声だけで、尋常でない様子を察することができないほど彼も間抜けではなかった。
ある時、京は過労で倒れる一歩手前まで働いていた。何でもガールズバンドの大きなイベントがあるとかで、普段は閑古鳥が鳴くライブハウスとその従業員一同もこの時ばかりは悲鳴を上げていた。給料が増えるかもしれないというまりなの嬉しい悲鳴と、学生アルバイトには無縁の話だという京の怨嗟である。
「お疲れ〜」
「お疲れた……」
「今度お昼奢るからさ、ね?」
「どうせコンビニで買った菓子パンでしょ」
「今度はちゃんとファミレスで奢るから〜」
カウンターで京とまりなは雑談に興じている。まあ主に当日招集で重労働を強いられた挙句給料が変わらないという事でご機嫌斜めな京をまりなが宥めているのだが。
「京くーん」
そこに事情を知らずやって来たあこは子犬がじゃれるように彼の腕に自分の腕を絡め、何ならスンスンと鼻を鳴らして匂いを楽しむように顔を綻ばせる。
「あこさん……。Roseliaの皆さんは?」
一方で京は美少女に懐かれている現状について喜ぶどころかやや苦言を呈したい様子だ。彼が嬉しいことを嬉しいと言わないのは今に始まった事ではないが、今回は照れ隠しもクールガイもなしで素直にそう思ってしまっているのだ。
「なんかみんな難しい話してるから、あこはこっちに」
「いやメンバーでしょうに、貴女。何やってるんですか」
「まあいいじゃない。私、ちょっと機材の整備とかやってるから。どうぞお二人で仲良くね」
「それ気を遣ったとは言いませんからね」
そんな心情を知ってか知らずか、まりなは青春しろよとばかりにその場を離れる。それは単に遠方からものを眺めてニヤニヤしているだけだ。そんな遠回しな抗議の甲斐なく、二人のその姿勢は公衆の面前に晒されることとなった。
「今日ね、友季那さんから褒められたんだよ」
「おめでとうございます」
「心がこもってな〜い〜!」
とにかくあこはこの調子で、端的に言えば絡みが激しくなっている。最初は気付かないほどだったが、最近はそれが顕著だ。
「私、今結構眠いんですけど」
「じゃあ、寝よ?」
「寝よ?じゃなくて。どいてください」
「ヤダ」
「……何故?」
「あこが離れたくないんだもん」
「いやいやいや……」
だが、いつまでもそんな風に不毛なやり取りをしているわけにもいかない。
「ええい、こちとら疲れてるんです。どいてください」
「ヤダ。一緒に遊んで。どうせおねーちゃん辺りと仲良くするんでしょ?」
「誤解を招く表現はおやめください。CiRCLEの打ち上げの集まりに呼ばれただけです。というかそれに耐えるために今休むんですよ」
切実な様子を装って事情を説明しても、どうやらあこには響かない様子で逆に燃料を注ぐ結果となってしまった。
「ヤダー!あこが京くんの一番じゃなきゃヤダ!」
「何を訳の分からない事を……。別に今生の別れというわけではないでしょうに」
「わかってない!京くんは全然わかってないよ!」
「わかってないと言われましても。ああもう離れてください!」
「いやー!!」
実力行使で剥がそうとするが、悲しきかな非力な京ではあこと拮抗してしまっている。
(どうしてこのような事が……)
あこは明るく、精神的にも年相応であったがここまで無理筋を通そうとするようなわがままな少女ではなかった。そのような兆候もなかった筈だが。京はひたすら考えたが、省みてもこれといって思い当たる節はない。彼にとっては突然こうなってしまったという事だ。
「今私は疲労でこの上なく不機嫌なんです。離れてくださらないと怒りが爆発してしまいそうです」
「……イヤ」
「怒りますよ」
「……………」
京が強く牽制するとあこの力が緩む。その隙に多少強引に離れるとあこは暫し茫然とした様子で立ち尽くし、京を見て、そして視線を落とし。
「……………ぐすっ」
そして、溢れていたものを抑えきれなくなったようだ。
「ああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!!いやっ、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」
あこの絶叫とも取れるような号泣に、京は驚愕して言葉を失う。
「どうじでっ、なんでぇ!?離れないでよぉ!やだ!やだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!うあああああああああああぁぁぁっっっっ!」
「ちょっと、あこさん———」
「うぇぇぇ……うぇぇぇぇぇぇぇぇぇんっ!!びえええええええええええええええええええぇぇぇぇっっっ!!」
突然堰を切ったように泣き出したあこに京の言葉は届かない。喉が裂けんばかりの悲鳴でかき消され、本人にはまったく聞こえていないようだ。
「行かないでよぉぉぉぉぉぉぉ!!行っちゃやだああああああぁぁぁぁぁぁ!!ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
そしてその絶叫は疲れ果てたあこが気絶するまで続いた。糸が切れた人形のように崩れ落ちた彼女を支え、どうにか椅子に座らせる。文言は大体が怨嗟と嫉妬、そして懇願であった。そして京はわけもわからないまま落ちてしまったあこを介抱し、泣き声を聞きつけてやって来たライブハウスのスタッフ一同に諸々弁解し、そして原因究明に漕ぎ着けた頃には凄まじく疲弊していた。
「もしもし、巴さんですか?」
「おう、京か。どうした?」
疲労が蓄積している体に鞭を打つ事にはなるが、こうなってしまった原因が自身にある可能性を捨てきれない京はこのまま終わらせることができない。責任感というか、中途半端に情を捨てきれないせいだ。
「どうしたもこうしたも、おたくの妹の非常事態について聞きたい事が山ほどあります」
「あこが?どうかしたのか?」
「絶叫したのちにぶっ倒れました。女子を泣かせた畜生という濡れ衣を着せられた私には説明を受ける権利があります」
「……うーん、あー。怒ってるか?」
「貴女に原因があると言うのなら、あるいは。あんなあこさんを見た事がありません。ああなった原因は何でしょう」
「それがな〜……」
どうも歯切れが悪い巴に対して、この後も詳らかにはできないが数度恫喝するような言葉を京がまくし立てると、観念したように巴は喋り出す。
「原因はホントに分からないけど、二週間くらい前からかな。急にお前の事を聞かれるようになってさ。アタシもそこまで詳しくは知らないって言ったんだけど」
「二週間前、急にですか。別に何もありませんでしたよね?」
「何もなかったな。だからアタシも困ってるんだけど……」
「……そうですか。ありがとうございました」
「おう。あ、お前今日空いてるか?」
「今予定が埋まりました。どうやら私の与り知らぬところで私の影響が出ているようなので、無視はできません」
「真面目だなあ」
「人並みにですがね。何かあったら追って連絡します」
そこまで聞いて、京は電話を切った。それから出来たのは、手を握って離さないあこの手を振り払わない事だけだった。
結局あこが目覚めたのは夕方になってからで、いつものような溌剌とした様子ではなく暗澹とした気持ちのようで口数も少ない。
「あこさん、先程は———」
正直まったく心当たりがないが、とりあえず原因があると平謝りしようとする。しかし彼女は虚ろな表情で視点も定まらないままにポツリと呟く。
「あっちに行っちゃヤダからね。死んじゃヤダからね。あこはあの人達とは違うからね。……殺しちゃダメだからね」
まるで呪詛のように、蚊の鳴くような声で呟き続ける。
「……馬鹿な。どうしてそんな事が」
その言葉を聞き、京は驚愕のあまり言葉を失った。それは京が最も封印したい過去に関する言葉であり、トラウマに直結しかねないもの。いわば爆弾のようなもので、知る人物はごく一部だ。
「殺しちゃダメ、ダメ、ダメ。そんな事したら、あこが君を……。そしたら一緒になれるかな?」
京の殺意にも似た鋭い視線と、あこのただひたすらに空虚な眼差し。二人の思っている事がお互いに届く事は、遂になかった。
世間は第二波がヤベェ雰囲気ですが、皆様も感染には気を付けて。在宅ではそもそも仕事が成り立たない筆者からの切なる願いでございます。
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上原ひまりの常道(表)
京から見て、上原ひまりという少女は近寄りがたい存在だった。気立てはよく善人である事に間違いはないのだが、底抜けに明るくイマドキの女子高生らしい感性を持ち、どこまでも京と逆を行くような人だったから。それでも苦手と嫌いは異義語であり、彼女自身京に対しても持ち前の明るさでぐいぐい来るとはいえ嫌っているわけではない。
ないのだが。
「京君!京君けーいーくーん!コレ、おすすめの映画!最近暇してるって蘭から聞いたから!」
「ああ………どうも。何ですこれ、青春恋愛もの?」
「そう!主人公が京君に似てるなーって、今仲間内で密かな人気」
「……ああ、カタルシスものですか。あまり私の趣味ではないのですが……」
「そんなこと言わないでよ〜。あ、じゃあ一緒に見よ?アフグロのみんなも呼んで。楽しいからさ〜」
ないのだが、こうした押しの強さには若干辟易しており、是正していただきたいものである。当然それを突きつけるような真似はしないが。
「少女漫画原作ですか」
「いやいや馬鹿にできない出来だよ」
「いえ、あの瞳孔が異様に肥大した漫画を馬鹿にしているのではなく。あれの恋愛観は私にあまりにも合わないので」
「あ〜、感情移入できないとかそういうこと?」
「まあそういうことですね。あまりに突飛であれば尚更です」
「例えばどんなの?」
「芋けんぴ……。いえ、ではなく。甘酸っぱい青春学園ものは大抵私の肌に合わない」
「ほとんど合わないってことだよね?」
「そうと言っても過言ではないですね」
「いやそうなんだよ」
特に着地点など定めていない会話であるが、ひまりは興味を持った。普段能面のような無表情を貼り付けて修行僧のような簡素な生活を送る彼であるが、どこまでもそうというわけではない。年相応の面が少ないというだけである。その少ない年相応の一つが今こうして同年代のひまりといて、ガールズバンドといういかにもな趣味を手伝っているという事だ。
「じゃあじゃあ、京君ってどういう恋愛が好きなの?」
「じゃあって……。関係あります?」
しかし当然、ひまりがこの手の話を持ってきた狙いはここにある。
「あるよお。どういう恋愛をしたいのかなとか、そういう話題をしたことなかったじゃない?自分で言うのもなんだけど、お友達って可愛い子ばかりなのにそういう話も全然聞かないし〜」
「ああ……。そういえばそうですね。別にそういう話題を振られた事がないので皆さん興味ないのかとばかり」
「あるって!すっごい興味あるよ!どういう女の人が好みなのかな〜とか、あるんでしょ?」
「皆無というわけではありませんが………ひまりさん」
「うん?」
「話しませんからね。こんな実のない話を延々と」
「そんな!?」
彼女はこの手の、恋愛に関する話が大好きだ。それはもはや渇望するに飽き足らず自ら探し求めるほどに飢えており、それの関連で京もよく付きまとわれている。ただでさえ女子校のガールズバンドという男性が徹底的に排除された環境において唯一とも言える男性である京はよく突っつかれる存在なのだ。ひまりのようないい意味で、あるいは他の悪い意味で。
「休憩時間中の私を引っ張っていったのは貴女ですよ、ひまりさん。このままでは私の貴重な休憩時間が浪費されてしまいます」
「そう言われてもなぁ。私は正直、京君の恋愛の話だけでもう二時間くらい大丈夫だけど」
「変わってますね」
「そんなことないよ。みんなそう思ってる。みんな君の事が大好きだから」
「………そうですか」
思わず京は俯く。あまりに彼女が純粋過ぎてそれに目をやられるところであった。大好きというのはつまり、異性としてではなく友人としてということであり、と言い訳がましく言い聞かせなければならなくなった。ひまりという人物は中々に曲者で、底抜けに明るいという事で京と対局にあるような人物にもかかわらず彼のように物静かで静寂を好む人物にもグイグイ来る。これもまたフィクションの産物のようで、そういえばそんなシチュエーションもあったなと思い出す。
まあなんて事のない、ありがちな
『なんか王道だったね』
『でも面白かったじゃん!』
『モカちゃん的には〜、可もなく不可もなく〜』
『そうかぁ?アタシはああいう主人公はな〜』
『私はよくできてたと思うけど……。京君はどう思った?』
「私個人的には無し寄りの無しで』
京にはあまり響かなかった事をよく覚えている。彼も映画の主人公のように物静かで、ジョックスと違って運動も苦手で、サブカルチャーに関して明るいが、それでも決定的に違う部分があった。臆するか、臆さないかという違いだ。京はコミュニケーションもままならないような人間ではない。気遣いもできるが、それ以上に歯に衣着せないような物言いもする。その映画で主人公はおろおろするばかりで魅力がなかった、半端に自分と被るところがあるからこそ見ていられない存在だった。見ている分には面白いという感情さえ湧かなかった事を覚えている。
(いやいやいや、似てない似てない)
そんなシチュエーションになんぞ似ていてたまるかと、京は否定する。
「ど、どうしたの京君。そんなに見つめられたら私———」
「あり得ないです」
「何が!?」
「なんでもありません。ほら映画見るんでしょ。私でよければ付き合いますよ」
否定するあまりうっかり漏れた心の声にひまりは混乱するが、京は涼しい顔でそれをなかったことにする。そしてそこにいい感じに転換できる話題があったのでそれを使う事にした。
「あ、結局見るの?」
「見ますよ。褒めるにしても扱き下ろすにしてもね。一番の悪は食わず嫌いをする事です」
「そういうものなの?」
「そういうものです」
ただまあ、単にそんな不毛なやり取りを終わらせるためだけに映画を見たいと言ったわけではないが。それに京の自覚はない。
「他の皆さんも呼びますか?」
「うーん、私としては二人きりで観たいなー、なんて……。いいかな?」
「…………」
しどろもどろになりながら、先程までとは打って変わってひまりは自信なさげに言う。
「ダメ……?」
困ったようにひまりが笑うと、京はそれに対して特になんの感情も抱かずに平坦な口調で了承した。
「別に構いませんよ」
それに対してひまりは呆気に取られたのち、どうにか冷静さを取り戻す。
「そっか、ありがとう!ちょっと待っててね!」
「ウチは風呂トイレ別ですので」
「違う!ちょっと電話かけるだけ!」
「そうですか。ではごゆっくりどうぞ」
一瞬彼女の表情が曇ったが、すぐにいつもの調子でひまりはパタパタとアパートの廊下に出た。
「このクソ暑い中外で電話ですか」
そう言ったのちに京は小さく溜め息を吐いた。
うだる炎天下でひまりは凄まじい自己嫌悪に苛まれていた。ネガティブがすぎるあまり過去のあれやそれを掘り返してはまた気が沈んでいくという負のスパイラルにまで陥っている。
(やっぱりアレかなぁ。京君って恋愛沙汰とか興味ないのかなあ)
人を見た目で判断してはいいけないと言うが、京に関しては本当に見た目の通りの人物だ。聡明だが理屈っぽい、合理性大好き、そしてそれ以外は大嫌い。今回の事もあくまで友達付き合い、親しい人間がいた方が何かと有利という合理的な判断の下なのかもしれない。
様々な意味で、彼はひまりの中で遠い人だったし、今も少しそう思えてしまう。何を考えているか分からないというのは、単純だがそれだけで人を遠ざけてしまう。
『なんか怖い……。すごくヤバい薬とか作ってそうで……』
かつての自分がそんな被害妄想にも似た漠然とした不安を抱いていた事を覚えている。彼からすれば迷惑な事この上なかっただろう。幼馴染の羽沢つぐみが紹介してくれたというのであまりそのような詳らかにできないような感情を抱きたくなかったが、あの時の彼は凄まじかった。人を人とも思わないような、ひまりが上手く言葉にできないような正体不明の何かがあった。
『そんな事ないよぉ。ちょっと何考えてるかわからないだけで、いい子なんだよ?』
正直、つぐみの信頼がなければ京とひまりは出会っていなかったか、そこまで深い仲になっていなかっただろう。
『え、それそうやってやるの!?』
『裏技ですよ。高校数学程度ならこれくらいでどうにでもなります』
『ほぇ〜……。頭いいって本当だったんだ』
『嘘だと思ってたんですか?』
『ゔっ……。その……、ごめん……』
そんな事もあった。今省みれば中々恥ずかしいものだが、まあ馬鹿正直だったものである。
『京君って好きな人いる?』
今に繋がる事でもあるが、知り合ってまだそこまで経っていない頃にそれを聞いた。あの時彼は逡巡するように目線を泳がせ、ひまりと視線を合わせる事なく呟くように言った。
『人間的に好きな人はいます。憧れですね』
少しだけ笑った様子の彼を見たのはそれが初めてだった。今も時折彼の笑顔には吃驚するのだから、京を喋る能面か何かだと思っていた当時の衝撃は凄まじかった事だろう。
『そうなんだ。どんな人なの?』
『馬鹿みたいに優しい人です。底抜けに明るい人でもありますね』
『そうなんだ……。いい人なんだね』
『まあ、その人になりたいとは微塵も思いませんけどね。というか絶対なりたくないです』
が、すぐにその貴重なシーンは終わりを迎えた。
『あ、あれ……?そうなの?』
『私があんなのになったらそれこそ人生終了しますよ。それも周りの人たちも巻き込む最悪な終わり方をします』
『なにそれこわい……』
この後京はその人物になりたくない理由をまるで鬱憤を晴らすがごとく事細かに連ねていったが、それでもやはり京がその人物を意識している様子であるらしかった。
「やっぱりその人が好きなのかなぁ……」
あの時は特になんの感情も抱かなかったが、今は違う。いや、それが重要な課題になりつつある。
最近は様々な感情を覗かせるようになったが、それでもまだ感情は読めない。誰かに好意があるのかどころかそもそも恋愛に興味があるのかさえ不明瞭だ。まったく厄介なものだ。
厄介だが、そうでなくてはならないと思っている自分もいる。彼のような人間がそうでなくてはならないと。
「うん、そうだよね!」
やるなら自分の力であの能面に恋というもんを教えてやるぜ、と勇み足で部屋に戻る。
「遅かったですね」
居間ではやはり無表情の京が興味なさげに無表情でそう言う。それのせいでその勇み足が止まってしまう。やはり彼にとってはそんなもの俗物に過ぎないのだろうか。
「どうしたの?私の顔に何かついてる?」
「いえ。ちょっと意識していないようにしているだけです」
「……?」
それしか言わない彼の言葉からでは、ひまりは知る事もできなかったのである。
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上原ひまりの常道(裏)
それまでひまりと京の関係といえば気の置けない友人であった。周りから見ても、本人たちもそう思っている。まあ要するに学生同士が友人になったらこうなるだろうというお手本の通りのものであった。だが最近はそうも言っていられない。
「何してるの?京君」
「ああ、上原さん。別に何をというほどの事もありませんが、ほら」
キッカケは些細なもので、ある日の休日にひまりが外出していた時のこと。近所の児童公園で見慣れた後ろ姿が見えたので近寄ってみたら、案の定それが京だったのである。普段は是が非でも外に出ようとしない京が誰かに引っ張り出されることなく公園にいる事に驚いたひまりは好奇心一つで声をかけた。
「うん……?」
京は蹲って地面の何かを見ていた。膝に手を当てて姿勢を低くし覗き込むと、そこにいたのは一匹のアリであった。原因は不明だがどうやら瀕死のようで、今は最後の力を振り絞って6本の脚をジタバタと動かしている。
「あれ、どうしたんだろ、アリさん。可哀想だね」
「……そうですね。私には看取ってやる事くらいしかできません」
「いつからいたの?」
「十五分ほど前でしょうか。私が見つけた時にはもうこの状態でした」
「そうなんだ……」
相変わらず表情は無そのものであるが、いつもと比べて声の調子が重い。ひまりは他人の心について鋭敏とはいかないが、彼の心中が分かってしまった。案外センチというか、言い方は悪いが京が路傍の石にも等しい小虫を気にかけるというのが意外だった。
「そういえば私に何かご用ですか?」
アリが最後の抵抗虚しく生き絶えたところで遅いくらいの本題に入る。切り替えは早いが、虫の死なんて人間にとってはその程度のもの。というよりもひまりの方が京に話しかける口実にしていたような節さえある。
「ううん。ただ何やってるんだろうなって気になっただけ」
「そうですか。私の用事はもう終わったので、どうします?解散にしますか?」
「えぇ〜。せっかくならどこか行こうよ。あ、つぐみのとこ行かない?この前新商品できたって喜んでたし」
「オシャついたところは守備範囲外なんですが……。まあご一緒させていただきます」
「やったあ!それじゃ早速行こっか」
「その代わり私は自分が頼んだもの以外にビタイチ払うつもりはありませんからね」
「京君、そんなこと言ってたら女の子に嫌われちゃうよ?」
「男性にたかる女性は超がつくほど嫌いですので、私としても丁度いいですね」
「まったくもう……」
一つの本題が終わってからの雑談はいつもの調子のいつもの京だった。人並みに良心はあるがそれだけ、という、要するに常人な様子の彼だけがひまりには映っていた。人との交流そのものをまったく重視しようとしない欠点も、憎らしいほどによく回る口も、好物のために手段を選ばないような子供っぽさも。だからこそこの時はその予兆すら掴む事ができなかった。
結局その日は、京とひまりが甘党と辛党について論じていたところに途中からつぐみが入った事で議論が白熱し、結論が出ないまま終わった。
「辛党の人って痛いのがいいんだ……。変態さん?」
「そんな事もないと思うけど……」
一足先に京がお暇した羽沢珈琲店では、ひまりとつぐみが益のない会話を展開していた。というのも京は用事があると言ってさっさと帰ってしまい、取り残される形になってしまったのだ。
「ていうか女の子から誘ったのにさっさと帰るとかひどくない!?」
「まああの子はなんというか、自分の時間が流れてるからね」
華の女子高生にして青春を謳歌するということを体現するひまり。普通歳の近い男女が一緒にいればもう少し甘酸っぱいものになってもおかしくないというのにそんな気配も感じられない。いや寧ろ京の方が興味を示していないように思える。
「む〜……。納得いかん。私よりも大事な用事って何よぅ」
「そういえば最近、動物とよく一緒にいるよ。野良猫とかスズメとかと」
「え、何それ。動物と戯れてるの?京君が?あの京君が!?」
「いやあのってどの……。気持ちは分かるけど……」
あまつさえ可憐な少女より動物に興味を示している。元々普通でない事はなんとなしに感じていたがやはり一筋縄ではいかないようだ。しかしひまりはこの程度でへこたれない。
「まあ頑張ってね。あの子、頭はいい癖にその辺は経験ないから疎いの」
「任しといて!さっさと惚れさせてやるんだから!」
ひまりは勇んで店を出る。とはいえ不安がないわけではない、つぐみが言うように京はちょっとどころでなく不思議、宇宙と交信していると言われてもうっかり信じてしまうかもしれないような少年なのだ。果たして恋愛に興味があるのか、まずそこから怪しい。
「ん……あれ?」
あれこれ思索に耽っていると、視界の端に見慣れた服が映る。服は着れさえすればなんでもいいと最低限のものしかないのでよく覚えている。街灯もろくに灯っていないような裏路地で何をしているのか、地面の植物とお話でもしているのかと暫く陰から様子を窺う。
ひまりからは背中しか見えないが、地面にしゃがみ込んで何やら忙しく両腕を動かしている。
(何してんだろ)
その疑問は早々に解決された。ここでひまりが幸運だったのは、そのおかげで彼にその存在を悟られなかった事である。彼が立ち上がり、体という遮蔽物がなくなった事でその全貌が明らかになった。
「ひっ……」
思わず上擦ったような悲鳴が漏れるが、どうにか聞こえる前にそれより飲み込んだ。彼が丁度見下ろしていた位置には野良猫が変わり果てた姿で横たわっていたのである。しかも大量に血を流し、耳や尾が切断され、脚は本来あり得ない方向に折れ曲がっている。もはや幻覚と言い訳ができないほどにしっかり目に焼き付けてしまい、ひまりは込み上げる吐き気と戦いながらどうにかその場を後にした。ひまりが消えた現場で京は一人、手にべっとりと付着した血を眺めていた。
それからというもの、ひまりはすっかり持ち前の明るさが消えてしまっていた。考えるのは想い人の見てはいけない一面を見てしまった事への後悔、その光景への恐怖と疑念である。
(どうしてあんな事……)
京は不思議な人物だが、悪人ではなかった。どれだけギリギリのラインを通っていても、超えてはならない一線をちゃんと認識していた。彼は聡明なのだ。だからこそ、一線を意識していながらそれを超えたという最悪なパターンが頭から離れず、ひまりはこうして浮かない顔のままでいるのだ。
あの時、顔が見えなかったのも一つの問題だ。当然あの場でうっかり目が合うのもマズいのだが。
(あの時、どんな顔してたんだろ……)
そういった邪念とは一切無縁のひまりにとってはまったく理解できない事で、同時に理解したくない事だ。分からないがゆえに想像を掻き立てる。アレをしている時、彼はどんな顔だったのだろうか。まさかとは思うが、笑っていたのだろうか。もしそうだとすれば人の良心を信じたいひまりには到底受け入れられない。
「……あ〜!!もう!」
色々小難しい事を考えてから分かった事だが、ひまりに複雑な思考というのはできない。そうしている間にも疑問が山積するばかりなのだ。無意味な事をするのではなくせっかくの休日を有意義に使いたい、そう考えたひまりはテレビをつける。だらしない姿勢でリモコンを操作していると、
『次のニュースです。地裁は一昨年、入院中だった当時11歳の息子の点滴に水を混入させた疑いで起訴されていた無職、———被告に懲役十年の判決を下しました。裁判長は———』
一瞬、呼吸が止まる。まさか、偶然と思いたいが、そうではない予感がしてならない。出水という姓で、しかも年齢が計算と一致する息子、しかも報じられた病院は近所。暫し情報の処理が不可能になるほど茫然自失し、自分を取り戻したと同時に慌ただしくスマートフォンを掴んで電話帳を開き、またそこで止まる。
もしもこれが本当だとしたら、今自分がやろうとしているのは傷口を抉る事に他ならないのではないか。しかしそれでもひまりは若干の躊躇ののちに電話をかける。一瞬にしてあらゆる迷いが頭を駆け巡ってからの判断であった。その疑念を抱いてしまった以上、それを見なかった事にできず確かめたくなってしまったのである。
「もしもし京君?……うん、そっか。そうなんだ。……ごめんね。いやどうしてって……いや、キミがいいならいいけど……うん」
しかし決心してかけた電話は僅か十秒で終了した。彼は折に触れて、自分に母親はいない事を強調していた。それが何を意味しているのかは言うまでもない。
あれからひまりは色々と考えたのだが、当然の考えというものに辿り着くまでにそこそこの時間がかかった。やはり良心というものが邪魔をしていたのだ。それを捨てた時にようやく本質が見えた。
(あれ?これ別に京君何も悪くなくない?)
京はどこまでも被害者だった。存在そのものを都合よく利用され、散々痛めつけられて捨てられる。個人としての尊厳さえも否定された。その結果
仕方ない、仕方ない。彼が狂っていても、倫理のカケラさえなくても、たとえそれが原因で命を奪う事になったとしても。それが支える事だろうとも考えた。
京は悪くない。悪いのは彼をあんなにしてしまった全てだ。だがそれが危険な思考回路である事をひまりは承知していない。罪を憎んで人を憎まずなど成り立つ筈もない。京が不幸な生い立ちで精神的に不安定な事に同情の余地はあるだろうが、その精神の安定のために殺された者たちの無念はどうなるのか。いくら悲劇的で御涙頂戴の生い立ちであろうとも、危険人物であるという結果が変わる事はないのだから。
だがひまりはそれに目を瞑ってでも、京を救う事を決めた。独りよがりで普通なら忌避したくなるような方法で。それは、彼が抱く咎ごと彼を受け入れるというもの。まったくまともじゃない。
連続殺人鬼の多くは人を殺害する前兆として、動物に対して虐待を行う者が多いらしい。それに則れば京はいつその聡明さでもって暴発するか分からない爆弾のようなものなのだ。下手をすればそれが顔見知りに向かないとも限らない。
「おはよう京君」
「……おはようございます」
「どうしたの?私の顔に何かついてる?」
「いえ……。何でも。今日は何用で?」
「うん、ちょっと巴から用事を預かってるんだけど。いいかな?」
「ええ勿論。どうぞ」
だがそんなもの知った事かと、ひまりは事情を知りそれを京に把握させながらもこれまで通りよき友人としての関係を続けている。
表向きは。
だが裏側では、まるで自分が危険で孤独な少年と友情を育むひたむきな少女である事に酔っている。
「それでね、ここなんだけど……」
「またノウハウもないのに突喊したんですか、あの豚骨醤油は」
「あはは……。まあそんな事言わないでさ、アフグロのみんなを助けると思って、ね?」
「尻拭いは手助けとは言わないんですがね……。少々お待ちください」
「はーい」
作業する京とそれを見るひまり。一見普通の少年少女で、そこだけ切り取れば特に言及するべきところもないように思える。だが京は先程から作業しつつ様々な生物の効率的な解体方法を頭の中で思い描き、鮮血が飛び散るような残虐な妄想に耽っている。ひまりもひまりでその気配を感じながらも、それを庇護する対象として見てしまっているのだ。
誰からも愛されなかった京には、これから愛される権利がある。そして愛するのが自分の役目だとひまりは信じて疑わない。
「……見ていて楽しいですか」
「うん?まあ、結構楽しいよ」
「ならいいですが……」
たとえ彼が狂人だったとしても、想い人として愛を注ぐ。それが真理であるとこの時ひまりは確信した。それはキッチンで血のついた柳刃包丁と石頭ハンマーを目にしても揺らぐ事はなかった。
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奥沢美咲の餞(表)
青天の霹靂———。突然発生する大事件や出来事を表現する言葉。本来の用法としてあまりいい意味で使われることはないらしい。
まさにそれが、京が光景を目にして最初に抱いた感想であった。あるいは逆に言うなれば、それ以外に何も感じようがないのである。光景を説明してくれる人がここにいないともなれば尚更だ。
「あの……」
「……………」
「ちょっと……」
「……………」
「奥沢さん……」
「……………あい」
「これは……どういう……」
そして更に悪い事に、事情を説明してくれる熊もいないのである。目前の倉庫でミッシェルぬいぐるみの頭と胴体が大量に散らばる惨状に京は不機嫌そうな低音でオリジナルミッシェルこと奥沢美咲と視線を交わすことなく彼女を問い詰める。
「実はこころが……」
「ですよね、そうですよね。知ってました」
一応そうでない可能性も含めて問うたのだが、あまりに予測可能過ぎる答えに京は皆まで聞くことをやめた。ハロハピの面倒ごとといえば同バンドの三馬鹿が起こすものであるが、その中でもこころのトラブルメーカー率は群を抜いている。財力と突破力と天真爛漫さがある種の不協和音を奏でたせいでこうなるものなのかという現実をまざまざと見せつけられたものである。
奥沢美咲をどう表現するべきか。そう問われて一番最初に浮かぶのが常識人という言葉だ。当然それは筆舌に尽くし難いほど凄まじくキャラが濃いハロハピの面々に比べると若干影が薄いという事の類義語であるが、それは正しくもあるが間違ってもいる。花音が振り回される常識人だとしたら、美咲は三馬鹿を止められる常識人だ。そうでなければ花音は泣きじゃくりながらバンドから逃げ出し、京はストレスと忙しさで内臓をやられていたところだろう。影は薄いが、失った時の痛みは多大なもの、それが美咲という存在だ。
「まさかこの前言ってたミッシェルランドの遺物ですか?」
「そういうことです……」
そんな美咲の溜め息が止まらない理由が分かった。実際それを聞いて京も溜め息が出る。
ミッシェルランドという名の悪夢はどうやらハロハピの仲間内だけ、京の預かり知らぬところで始終していたらしく、同バンドの良心その一こと松原花音の訴えによって露見したものである。こころ、はぐみ、薫の三馬鹿はミッシェルと美咲が別の生物だと思っており、ゆえにハロハピも六人だと思い込んでいる。そしてこころがなんの気なしに放った素朴な疑問、ミッシェルの出身地についてポツリと呟いたところ、ノリに任せて美咲はミッシェルランドなどと言ってしまったのだ。
で、そこからの流れはハロハピの様式美というか、ここまでテンプレ
というか、いつも通りこころの行動力が爆発した結果ミッシェルが増殖しテーマパークが出来上がるという非常事態に陥ってしまったのである。
「というかよく無事に帰還できましたね」
「うーん、なんというか私もよくわからないんですよ。ちょっと詳しい記憶がないっていうか、門をくぐって中に入ったところまでは覚えてるんですが……」
「なにそれこわい……。テーマパークどころか魔境ですね」
こころの財力も恐ろしいが、その結果魔境が如きテーマパークが出来上がる。そんな錬金術じみた結末も恐ろしいものだ。なんだ大量のミッシェルって。
「ミッシェルランドの遺恨は早いところ整理してしまいましょうか」
「助かります……」
「そういえば松原さんは?」
「あの三人の気を逸らしてます」
「そうですか……。とんでもない重荷を押し付けてしまいましたね。松原さんの精神が健康なうちに終わらせてしまいましょう」
「そうですね……」
という事で、美咲はあの日の遺産を京の力を借りて倉庫を占拠している大量のミッシェルの整理整頓を始めた。
インドアを貫く京は下手をすれば女子にも見劣りするくらいに非力であるが、それでも頼まれた以上は不義理を通すような事があってはならない。普段まったく使わない筋肉に鞭を打って着ぐるみを搬出していく。
「お金についてはもう触れませんが……。本当に、よくここまで集める気が起きましたね。そこまで好きなんでしょうか」
「いや多分ネタにしてるだけだと思いますよ」
「そうですか?まあ彼女たちならそんな気持ちがあっても驚きませんが」
休日を使ってわざわざやっているのだ、これをただの作業として終わらせてしまってはいよいよ虚しいままに終了してしまう。それが嫌で美咲も京も会話が弾む。
「正直意外でした。奥沢さんはああいったタイプとは相容れないとばかり」
「あ〜、まあ、実際そうですよ。加入も無理矢理だったし、ついていけなかったし、やめる事を考える余裕があったらやめてたと思います」
「へえ……。それが今まで続いているのだとしたら、やはり弦巻さんはかなりの人たらしということでしょうね」
「……否定はしません」
話題に事欠かないハロハピだが、やはりその中心にいるのはこころだ。美咲も京も積極的に何かを成し遂げるというより、誰かに導かれて自分の仕事をこなすタイプ。だからこそ自分がどんな状況に置かれているか、つまり導かれる人物が誰なのかというのは自分のその日の体調よりも大切な事だ。なので自然と、美咲も京も自分そっちのけで他人の話ばかりをする。
「確かに弦巻さんは無茶苦茶ですが、結局その無茶をやり通してしまう。そう考えると彼女は天才ですね」
「私はこころの頭の中が分かりませんよ」
「あれは分からない方がよろしいかと。小宇宙のようなものでしょうね」
京はそう冗談めかして笑うが、美咲にとっては冗談にもならない。どこからそんな発想が出てくるのか、常人どころか人間の殻さえ破らなければあんな風にはなれないだろう。
「奥沢さん、劣等感がありますね」
「……それは」
「私も同じです。いくら教科書を読んでも、学校で成績が良くても、彼女の良さというのは真似できないでしょう」
むしろ勉強という型にはめられるからこそ彼女のような柔軟さを身に付けられないのだろう。京は続ける。
「やっぱりそうですか」
「ええ。しかし、誤解を恐れずに言うならそれだけです」
「……?」
「彼女がフラグシップである事に変わりはありませんが、そんなもの弦巻こころという一人の人間がそうであるという一つの事実でしかないのです」
京の言葉はやけに小難しく回りくどいものだが、要は割り切っているのだ。弦巻こころが常識で測れないほど発想力豊かで、強烈なリーダーシップを備え、誰にもできないことをやり通す意志の強さがあるなど、言ってしたえば今更なものだ。それを妬む暇があったら、もっと別の事に頭を使えばいい。
「彼女には財も才覚もある。けれど私や奥沢さんが持っているものが欠けているのです。客観視ですよ」
人間のような社会的な動物は、何より自己顕示欲が強い。それはあるコミュニティの中で必要とされたいという至極真っ当な欲望だ。ちょっとした経験のおかげで、京にはその気持ちが痛いほどよく分かる。
「私は今のハロハピがベストだと思っています。それは弦巻さんがリーダーだからだとか、北沢さんと瀬田さんがいるからだとかそういう意味ではありません。いや寧ろ、あの三人しかいなかったら事故もいいところです」
やはり行動は奇怪な癖に人を見る目はマトモかつ超一流なこころのおかげだろう。初めてハロー、ハッピーワールドというバンドを知り、そのメンバー全員のおおよその人柄を知った時、あまりによく出来過ぎているので敏腕プロデューサーでも雇ったのかとさえ思えた。
「よくまぁあんなにピッタリ過ぎる人材を見つけたものです。私、驚きましたよ」
「そんなにですか?」
「それはもう。またどっか芸能界の人のほっぺたを札束でぶん殴ったのかと思いましたが、人選はまさか弦巻さんご本人だったとは」
「でも私は、こころにとって『ミッシェル』との橋渡し役でしかないんですよ」
しかし美咲は結成当初から変わらずこんな感じだ。ミッシェルに通ずるから価値があるのであって、奥沢美咲自身は特に何もない普通の女子高生。そんなもんだというのが、ごく普通の感性を持つ美咲の意見だ。
「そうは言いますがね奥沢さん。正直言って、弦巻さんは何でもありな人なんですよ。それこそ奥沢さんをお役御免にして野生のミッシェルを捕まえたろうなんてことができるだけの行動力も金もある。成功するかどうかは別ですが」
「それは……そうだけど」
しかしこころがもし本当に、美咲にミッシェルとの意思疎通役としての期待しかしていないのだとしたら、もっと早くに美咲はバンドを抜けて本当の意味で普通の女子高生に戻っていただろう。そうしなかったのは、美咲が弦巻こころの人間性に惚れて離れたくなかったというのもあるだろうが、それ以上にこころの方が美咲を手放したくなかったように思える。
「本当にサヨナラしたいなら喧嘩別れでもしたらいい。けど弦巻さんにはそれができなかった。あの人は欲張りです、楽しい事が大好きで、そのための仲間は一人も手放したくない。弦巻さんは奥沢さんにミッシェル以上の価値を見出していると思います」
「そう……でしょうか……」
「ええ。私だってお悩み相談役として必要とされていますもので」
そもそもそんな事を気にするようなガラじゃないように見えて、美咲も悩んでいたのだろう。それぞれにオンリーワンの要素があってそれが輝いているが、普通に生きてきただけの自分にはそれがない。ではそれをどうやって出そうかと考えた時にどうしてもミッシェルという存在をアテにしてしまう。そういう弱さも含めて、このままの自分でいいものかと悩んだ。
「奥沢さんも律儀ですね」
「やるなら全力ですよ」
こころのご相伴に預かるという時点で、それは肩の力を抜く事を許されたようなものだ。変に肩肘張らず、彼女と楽しい事を共有すればそれでいい。多少の空回りも笑い話になるだろう。だが美咲にはそれが分からない。どうしようもなく真面目で、ハロハピを思い過ぎているからだ。
「場を乱さないのが奥沢さんの使命のようなものですが、肩肘張り過ぎるのも一人だけ別方向を向いてしまう原因の一つですよ」
京がそう言うと、美咲は黙り込む。ハロハピの常識人でいようとするあまり力み過ぎていないかという京からの忠告に、反論できなくなったのだ。
「私は、焦っていたのでしょうか」
「ええ。そうだと思いますよ」
しかし美咲はどこか吹っ切れたようで、照れ臭そうに笑った。
「なんかすみません、面倒くさい相談をしてしまって」
「いいえ。友人のためですから」
「私、ちょっと向こうを片付けてきますね」
京の直接的な返しは想定外だったのだろう、羞恥で顔を真っ赤に染めた美咲は居た堪れなくなったのか倉庫の奥の方へと向かっていった。
(まあ、良しとしようか)
思ったことを思ったままに言葉にしただけ、高説でさえない。しかし納得してくれているようならそれでいいか。そんな事を呑気に考えた。
「うわっ」
奥からそんな美咲の声が聞こえる。何かぶつけたのか、それともミッシェルの頭でも降ってきたのか。とにかく助けようと美咲のもとに向かおうとするが、奥から出でるものがあった。
「奥沢……さん?」
しかしそれは人と呼ぶにはあまりにシルエットが大き過ぎる。やはりというかミッシェルだった。
「どうしたんですか……?」
ミッシェルは答えない。そのまま京の横を通って倉庫の出口に向かって緩慢な動作で歩く。
「奥沢さん……ですよね?」
やはり、返事はなかった。
この小説は基本1話完結です。←ここ大事。イイハナシダッタノニナー
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奥沢美咲の餞(裏)
……初期に比べりゃまだ遅いですが。
美咲がハロハピにおける常識人である事に疑いようはない。そうでなければ京があれこれ相談もしないし、愚痴を溢すこともない。それについては疑いようもないのだが、最近はそうも言っていられない事情がある。一に、ハロハピのことを美咲一人に押し付けるわけにはいかない。メンバーたちは悪い人間ではないのだが、やはり感性が普通な人間にとってはどうしてもズレてしまうのだ。初めのうちは些細だと思っていたそのズレが、いつのまにか大きな歪みとなって———。そんなことが、まだ精神的に未熟な高校生という年齢では起こるものだ。
「お疲れ様です奥沢さん」
「ああ、どうも……」
美咲はある空き教室で机に突っ伏して、起きているのか眠っているのかも分からない状態であった。しかし京が声をかけると、緩慢な動きで上体を起こす。
「今日もまた、相変わらずのご様子で」
「これが相変わらずって相当ヤバいですよね?」
「いやあ、青春するには体力がいりますね。隣、失礼しても?」
「何日経ってもそれは聞くんですね。もちろんどうぞ」
京は美咲の隣に座る。最近は放課後になってからこれが習慣化してしまっているのだ。
メンバーたちの暴れっぷりについて愚痴を溢したり、逆に益にならないようななんでもない話で時間を潰したり。本当に時間の使い方は様々で、その日の二人の気分次第といったところだ。
「今日はどんな無茶苦茶を?」
「なんか……スカイダイビングがどうこうって。くだらな過ぎて途中から聞いてませんでしたけど」
「空中でパフォーマンスをする、という事でしょうか」
「いやいやいや無理無理無理。ツッコミどころ多過ぎますよ」
「まあ、物理法則と人体の限界はいくらなんでも金の力で解決できませんからね」
まあ、話題に事欠かないのはやはり愚痴なのであるが。小さな変化であるが、ここ最近の美咲は少々口が悪くなっている。口では楽しいと言っているがやはり美咲の感性には色々かストレスがかかっている事だろう。京もそうなる自信がある。
「まあいいんですけどね。私もやりたくてやってるんで」
「ええ、承知していますよ。どうですか、常識人その2こと松原さんは」
「花音さんは、まあ……いつも通りというか。そんな感じです」
「そうですか。つまり奥沢さんの負担はそこまで変わっちゃいないと」
「ええ、まあ。そんな感じです。ホント、自分で言うのもなんですけど私ってよくやってますよね」
「ええ、本当に。それは誇っていい事かと。私にはその苦労を理解する事はできませんが……」
「いいんです。京さんはそういうスタンスでいてほしいから」
「そうですか?奥沢さんがそうお望みならばこのままでいますが」
美咲本人も言った通り、彼女は本当によくやっている。好きか嫌いか、合うか合わないかというよりもやるべきかやらざるべきかで物事を判断し実行に移すというのは中々に難しい。モチベーションの浮き沈みが激しい未成年なら尚更だ。
美咲は大人びた存在だと、京はどこかそれを当てにし過ぎていたのかとしれない。
日曜日、ある昼下がりの事。寝起きだというのにスマートフォンに弦巻こころからの着信履歴があった時の心境たるや、計り知れないところさえある。虚弱な体に鞭を打ってライブハウスに向かうと、危惧していた通りハロハピの面々が勢揃いであった。
「来たわね!」
「来ちゃいました」
「へいよー京君!コロッケ食べる?」
「へいよー北沢さん。残念ながら今は脂質制限期間中ですのでまたの機会に」
「やあ出水君……。今日も儚くも美しい木々の散り際がよく映えると思わないかな?」
「ええ、その通りで。風に薙ぐ落ち葉の調べも趣あるものでございます」
まず三馬鹿の先制パンチをいなす。ライブハウスで楽器も演奏せずに何をやっているのかと思ったら、どうやらまたこころの創造性と美的センスとその他諸々の感性が爆発してしまったらしく、それに巻き込まれた感じらしい。全員の表情からも見えるが、はぐみと薫は似た者同士でノリノリ、花音は不安げ、美咲はいつもの事かと気にも留めていない様子。
「弦巻さんは私に何をさせたいので?」
「京には特別な仕事を頼みたいの!」
「はあ、特別ですか。初めに断っておきますが、あまり高等な事はできませんからね」
「常に私の側にいてもらうわよ!」
こころは何を自信たっぷりに、自分の側にいることが特別な事になると言えるのか。富や名声に興味がないこころがどうしてそう思ったのかは不明であるが、とにかくそういう事らしい。
しかしそれを面白く思わない人物が若干一名いた。当然声を大にしてそれはおかしいと言う事もなく、表面上は和を見出さずにいるのだが。どこからか硬いものがパキンと割れる音がする。何事かと思い皆がその方向を見ると、美咲の手にはかつてシャーペンとしての役割を担っていたモノが真っ二つに折られ無惨な姿で握られていた。
「……奥沢さん?」
神妙な顔で京が問いかけると、何やら禍々しいオーラを放っていた美咲はすぐにいつもの調子に戻る。
「あ、ううん、なんでもない。……で、なんだっけ?」
「もう、京に私のサポートをお願いするって話よ。美咲ったら聞いてなかったの?」
「あ〜……そうだね、そうだった。ごめん」
「なんかみーくんらしくないね。大丈夫?」
「うん、大丈夫。ホントに大丈夫だから。ちょっとボーッとなってただけ」
本人はそう言うが、どこか取り繕っている感じが拭えない。
「そう?それならいいけど、具合が悪くなったら言ってね」
話し合いが頓挫すると考えたこころは、そう促しつつも話を進めた。尚、結局こころの案については京本人が待ったをかけたことで流れたようである。
京は話し合いが終わってからすぐに美咲を捕まえて話しかけた。
「奥沢さん、三日ほど前から様子がおかしいですよね。よろしければお話聞かせていただけませんか?」
「……いや、本当になんでもないですよ。ちょっとボーッとしてただけ」
「本当ですか?」
「はい」
京はそれで納得する事なく食い下がる。それほどまでに京から見て美咲の様子はおかしかった。美咲本人は隠しているかもしれないが、こころに対する敵意は視線だけで分かるくらいに露骨だった。
「分かりました……。では私はこの話を降りる予定ですので、それを伝えておきます」
「………はっ?」
なんて事ないように、京は言う。当然それを受けた美咲の心中は穏やかではない。
「ちょっと今回ばかりは私の身が保ちそうにないので、残念ですがお断りするという形になるかと」
「いや……嘘でしょ!?」
「こんなつまらない嘘なんて吐きませんよ。私は身の丈に合わない事はやらないと決めているんです。火傷しないためにもね」
実際、それは嘘ではない。人並みに空気が読めるという程度ではこころの側近など務まらない。しかしそれ以外にも美咲の事について観察する意図もあった。一体全体、何をそこまでカリカリする事があるのか、それを探るためである。
「……そうですか」
「メンバーか、黒服さんならこのポジションに収まれるでしょう。私の出る幕ではないと思います」
まあ、やはりそんな美咲に言えない意図があっても、京が語っているのは本音だ。
ハロハピに限らず、京はバンドの輪の中に深入りしようとしない。あくまで求められた助け舟を出すか、あるいは個人的に友人として付き合う程度しかしようとしない。それが彼なりの、個人を尊ぶという事でもある。本人がやるべき事やできる事を奪うべきではない。
「あいつが……」
美咲は俯き、歯噛みする。本人は呟いた程度にしか考えていないその言葉はしっかりと京の耳へと届いていた。ただしその意味まで知れなかった事が致命的であった。
予定していたイベントはつつがなく終了した。途中、自分は降りると言った京がなんだかんだなし崩し的に場を手伝わされるという本人にとっての異常事態はあったものの、結果を見れば成功したと言えるだろう。
しかし一つの遺恨がある。イベント以降すっかり元の覇気を失ってしまった奥沢美咲についてだ。
(なんで私が……)
理由は分からないが、ここ最近の美咲はすっかり塞ぎ込んでしまっている。その理由を探って欲しいとのお達しを受けた京は、彼女の自宅の前にいた。
(……仕方ないか)
京も心配していないわけではない。インターホンを押すと、十秒ほど応答がなかったが、やがてインターホンでの会話をすっ飛ばしてガチャリと扉が開く。
「……お久しぶりです。まあ、三日かそこらですが」
姿を見せた美咲は、いつもと変わらない様子だった。少しばかり元気に欠けているというだけであまり変化はないように見える。
「思ったより元気そうですね」
「ええ、まあ。あ、そうだ。あがってくださいよ。話したい事もありますし」
「いいんですか。それならお邪魔させていただきます」
京にも話があった。大事な話が。もし断られたら土下座でもして頼むところだったので、嬉しい誤算であった。
美咲の家のリビングに通され、テーブルに向かい合わせに座る。そうして改めて表情を見ると、やはり美咲はどこかおかしい。漠然としているが、どこか執着するような、見ていなければならないという使命感さえあるようだ。
「お話ってなんですか?」
そんな視線を隠せていない事を気にしていないのか、それとも無意識なのか。美咲はそう問う。先に話していいと譲ってくれたので、京は遠慮なく切り出す。
「私に不満があるのなら、遠慮なくどうぞ」
京は薄く笑ってそう言った。
「な……」
美咲は暫し言葉を失う。彼女の思考を、いつの間にか京は読んでいた。読んでいた上でそう言ったのである。
「ふ……ざ……ふざけないでッ!!」
そう、分かった上で京は堂々と地雷を踏み抜いた。
「ふざけてなんていません。私はその件について伺いたく」
美咲は椅子を倒す勢いで立ち上がり、鬼気迫る表情で京に掴みかかる。
「
「ふざけないで……私がどれだけ苦しんだか分からない癖にッ!!いきなり顔を出してそんな事言わないでよ!!」
怒っているのか、懇願しているのか。おそらくその両方だろう。その胸の内を吐露する。
「どうしてあんなのが京の隣に!?私がどんな思いで長い間見てたのか知らない癖に、あの泥棒猫がいつも邪魔する!!貴方も貴方よ!どうせ気付いてるのに知らない振りなんてしないで!!」
堰を切ったように早口で捲し立てる。そこにはハロハピの良心はおらず、生真面目で常識的で少しニヒルな奥沢美咲はいなかった。
「私の隣にいて支えてくれると思ったのに!死ねッ!死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!!私だけのものにならない京なんていらない!!!」
いるのは、ただ欲望のままに自分の本性を曝け出す女性だけだ。
「それが貴女の望みですか。バンドメンバーとしてでも、みんなの良心としてでもなく?」
「……そうですよ。貴方が欲しい、みんなの頼れる出水京じゃない、私だけのために存在してくれる貴方が欲しかったのに!」
「そうですか。もう気持ちは充分伝わりましたよ。なんというか、その熱情を隠すのに今まで苦労したでしょうね」
しかし京は間近で美咲の声を聞き、壁際まで追い詰められていても冷静だ。それにすっかり熱を奪われ、美咲も息を荒らげてはいるが勢いが消えてしまっている。
「……そんな言葉が欲しいんじゃないんですよ。返事を、返事をしてくださいよ」
「回りくどいのはお嫌いですか?」
「緊張のせいで、うっかり貴方を殺してしまいそう」
「おお、怖い怖い」
殺してしまいそうというその言葉、女子高生特有の軽口や冗談ではない。黒く濁ったような瞳で睨み付けられてはいくらうら若き乙女の前でも縮み上がってしまうというもの。京は冗談めかしてからかうように笑う。
「貴女は魅力的な人です。ですが……すみません。私は貴女の隣に立つ資格などない。私はとっくに、汚れてしまったから」
「何を……言ってるんですか……」
そして京の決定的な一言が、美咲に火を付けた。
「人を殺した。二年ほど前の事です」
美咲は笑った。それはもう、タガが外れたように喉が裂けんばかりの狂喜である。
「あれが!?嘘でしょう!?あはッ、あははははははははは!!!傑作だわ!!」
暫く腹がよじれるのではと思うほど笑った美咲だが、そのピークが過ぎ去ると、美咲はゆっくりと掴んでいた手を離す。
「ますます好きになっちゃったな……」
そしてまた、ゆっくりと京の首に両手をかける。
「ねえ、二人きりになろうよ。もう誰にも邪魔されたくない、私たちを妨害する奴なんて誰もいないところに」
そして徐々に力を入れていき、当然京の意識が遠のいていく。もう彼に話すような体力気力が無くなったその時に、美咲は舌なめずりをしてこんな事を言う。
「知ってるよ。湊さんが知るずっと前から」
それを最後に京は完全に意識を手放す。
「すぐ私もそっちに行くから」
美咲は恋焦がれる乙女のように頬を紅潮させ、最期にそう言った。
今年の年末年始は忙しくなりそうです。
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北沢はぐみの咎(表)
ということで、年末年始のゴタゴタですっかり遅れてしまったはぐみ編でございます。
時刻は深夜1時。草木も眠る丑三つ時。良い子はもう寝る時間である。しかし花咲川女子学園の校門前にはそれに逆らうようにして人影が二人分ある。
「あわわわわ……怖いよぉ……」
「じゃあ別にこうしなきゃいいじゃないですか……」
今回のうっかりミスに付き合わされてご機嫌斜めな京と、そんな彼の様子など気にならないくらいに怖がっているはぐみである。
北沢はぐみはいい意味でも悪い意味でも有名人だ。前者の意味は商店街の元気印として、後者の意味は花咲川の異空間こと弦巻こころとフィーリングが合うちょっとアレな人物としてである。ハロハピでも持ち前の明るさと猪突猛進さを生かして、カンフル剤兼三馬鹿の一角として活躍中だ。
そんな恐れ知らずにも見えるはぐみであるが、今回はそうもいかない様子。何せ相手は深夜の学校という、ホラーの代名詞のような場所があり今からそこに進入しようというのだ。
「早く用事を済ませましょう。この時間帯なら警備員はいないでしょうが、絶対とは限らない」
「ゔゔ……怖いぃ……」
「我慢してください。そもそもあなたがやらかしたのが原因なんですから」
「そうだけどぉ……」
何故二人が不法侵入をする羽目になったのか。原因は主にはぐみにあった。単純に校内にある物を忘れたのである。
「本当に嫌なら、明日回収すればいい話でしょう」
「そういうわけにはいかないの!『ミッチー』も今頃寂しがってるよ!」
「……ああはい、そうですか。じゃあその意気で先行してくれませんかね」
「それはちょっと……ね?京くん、お願い」
「はっ倒しますよ……」
京もうろ覚えであるが、とにかくはぐみがミッチーというニックネームを付けたソレが動物ですらないことはよく覚えている。確か熊か何かのぬいぐるみだった。京はそのぬいぐるみが置き去りにされて寂しがっているというなんともメルヘンな理由で深夜1時に呼び出され、これから不法侵入という罪を犯そうとしているのである。
はぐみの切実な願いに折れて引き受けてしまった以上仕方ない。京は心の中で愚痴が止まらないまま、閉ざされた校門を乗り越えて敷地内へと進入した。
「なんかもう怖いんだけど……」
「まだグラウンドですよ」
「もうなんか、暗いとこは全部怖い!」
「あまり大きな声を出さないでください」
グラウンドを抜けて後者裏に行き、ある教室の窓を開ける。そこはあらかじめ解錠されており、その犯人は京本人だ。
「本来なら私の仕事はこれだけだったんですがね……」
そうぼやきながら、京は屋内に入った。内部はやはり完全に消灯されており、懐中電灯がなければ夜目になっていても危うい。そしてシンと静まり返り外と隔離されたほどの静かさは、学校を舞台にしたホラーが多いのも頷けるくらいには不気味だ。
「うわあ……うっわあ……」
約1名、その空気に当てられてすっかり気分が沈んでしまった者がいる。
「本当に行くんですか?」
「い、行くよ……。はぐみ、逃げない!」
「そうですか。時にはぐみさん、校舎のような広い建物を探す際は二手に分かれた方が効率的かと思いますが。いかがでしょう」
「無理!無理だよ京くん!一人にしないで!!」
「分かりましたから、大きな声は出さないでください」
京は恐れずに進んでいく。そのおかげもあって、探索はかなり早く進んでいく。サクサクと進んでいく中ではぐみはどうしてもそれが気になって仕方がなかったのだ。
「京くん、怖くないの?」
京の振る舞いはまるで恐怖という感覚が抜け落ちているようだった。粗い息遣いも、体の震えも、恐怖をした時の人間の生理現象というものがまったくないのだ。
「怖くないですね」
京はキッパリとそう言った。それが強がりや空元気でない事は、言葉よりもその堂々とした態度が物語っている。
「怖いというのはこちら側、受け手側が感じるものです。だから自分が克服するだけで、その感情は消えて無くなる」
「……??」
つまりそれはどういう事なんだと、はぐみはポカンとした表情で呆気に取られる。
「雰囲気に流されず自分が怖いって感じなければ最強、という事です」
その表情を見て京はそう端的に言った。この学校の雰囲気は、怖いと思わせるようはたらきかける事しかできないのだ。最終的に怖がるか怖がらないかは本人の自由。それを理解してしまえばいい。
「そっか〜。そういうものなんだね〜」
はぐみは感嘆する。この際、それができれば苦労しないとかそういう批判は抜きにして、まあ彼女にとっても大発見という事だ。
「まあ当然、訓練は必要になりますが。北沢さんもやろうと思えばできますよ」
「そうなの?今度教えてよ!」
「今度と言わず、今やりましょう」
「……ほえ?」
「何やら聞いた話だと、
学校の怪談というのは花咲川にも例外なくあるもので、京の耳にも入っている。数年前に不慮の事故だか殺されただかで死んでしまった女子生徒の亡霊がどうにかという話だが、京はベタなことこの上ない類の話と一蹴できる。しかしはぐみに効果は抜群のようで、京が話題を出すと慌てて止めに入った。
「やめてよ京くん!よ、寄ってきちゃうかもしれないでしょ!?」
はぐみはかなりその手のものを信じるタイプのようだ。人類皆友達の精神を持つ彼女ならばひょっとしたらと思ったが、どうやら全然そんな事はないらしい。怖いものは怖いようだ。
「そうは言いますがねはぐみさん。たとえこの世の者でないとしても先輩には挨拶しておくのが筋でしょう」
「真面目かっ!いやいいよそういうのは!早く探して帰ろ?ね?」
「……仕方ありませんね。それでは次はどこを探しましょうか」
軽くからかってはみたが、あまりに反応がガチなのでどこか罪悪感がある。京も幽霊ハントをしに来たわけではないし、そんな事をするほど暇でもない。昼間のはぐみの足跡をたどり、さっさとモノを見つけて撤退しよう。という事ではぐみに次の目的地を問う。
「お、音楽室……」
はぐみは青ざめた顔でそう答えた。
「……音楽室ですか。なるほど」
対照的に、京は笑った。というのも、音楽室は音楽室で少女の霊が出るとの噂があるのだ。
「丁度いい。同一人物か確認しましょう、はぐみさん」
「え゛っ」
「こんな時間に付き合わされたんです。これくらいの報酬は受けて当然というもの。そうでしょう?」
「そ、それはそうだけど……」
はぐみも痛いところを突かれて口籠る。
「え、いや、ちょっと待って」
しかし京の一言を拾い損ねていた事に気付き、待ったをかける。
「なんですか」
「報酬って言った?」
「言いましたね」
「報酬なの?」
「はい」
「お化けを探すことが?」
「はい」
「なんで!?」
迷いの無さすぎる答えに、はぐみの疑問が噴出する。京の頭の中を理解し難いと感じたのは、彼の教養の深さを目の当たりにした時。そして今のようにマトモでないと感じた時だ。
「なんでって……気になるからですよ。どうしようもなく。雰囲気に当てられたからでしょうか、超常的なものを解き明かしたくなってきた」
「分かんない……はぐみは全然分かんないよ、その気持ち……」
「そうですか?まあはぐみさんが理解していようがいまいが、付き合わされたお返しとして引きずってでも連れてきますが」
そしてこうなるとどうにも止まらないのも京の特徴である。
「まあ、音楽室で2人の用事が終わるかもしれませんし。行きましょうか」
「うう……ゔぅぅぅ〜……」
苦渋の決断であるが仕方ない。はぐみは逡巡ののちに逃げ出したい気持ちを抑えると決め、京についていくこととした。
「はぐみさん、歩きにくいです。もう少し離れてください」
「無理」
「あっはい、そうですか……」
そんな一幕を挟みつつ、2人は音楽室の扉の前に立つ。扉にはすりガラスがあって中の様子を詳しく窺う事はできない。
「開けますよ」
「う、うん……」
京が扉を開けると、当然であるが無人の音楽室が暗闇に包まれていた。様々な楽器が整然と並び、年季が入っている楽器もチラホラ散見される。
「あれではないですか?」
そしてここまで無茶を通した甲斐あってと言うべきか、京にとっては少々物足りないがアッサリと目当てのものは見つかった。
「よかったー!!ありがとね、京くん!」
それを手に取った瞬間、今まで怯えるばかりだったはぐみに笑顔が戻った。
「ふぅむ。まあ良しとしましょう」
京にとっては不発に終わったが、それでも真の目的が達成されたのは喜ばしい。そんなわけで歓喜のはぐみと複雑な思いに揺れる京が音楽室を出ようとすると……。
不意に、つい先程まで静寂に包まれていた音楽室に音が響く。備え付けられたグランドピアノの鍵盤を弾いた時の音だ。
「ぴわあぁぁぁ!!?」
はぐみはついに受容できる恐怖のキャパシティを超えたのだろう。悲鳴というか、奇声をあげてなりふり構わず大急ぎで音楽室を後にした。音楽室には一人、京が残される。正確には、彼は残ったのだ。
「こんばんは幽霊さん、お会いできて嬉しいです。が、残念ながら私には霊感というものがありません。あなたの姿を見る事はできない」
ただの怪談話かと思ったら、ソレは実在したのだ。京が心躍ったというのが大きな理由だ。まるで初対面の人間に当たり障りのない挨拶をするみたいに、見えないが確実にいる何者かに声をかけるのだ。
「それでも構わないというのなら……。どうぞ、お好きなように」
京は手近な椅子に腰掛ける。その声が届いたのか、それとも彼女に初めからその意思があったのかは分からない。見えない彼女はゆっくりとピアノを奏で始めた。曲名はショパンの『別れの曲』である。そして仮に彼女を高校生と仮定した場合、技術はそのレベルを超えている。4分ほどにまとめたので短いが、ちょっとしたコンサートのピアノソロを聴いているような気分だ。
「綺麗ですね。相当努力なされたのでしょう」
京の言葉は世辞でも誤魔化しでもない。素人にもそれが分かるくらいに美しい演奏だったということだ。京は拍手をし終わったのちにそう意見を述べる。
「ねえ幽霊さん。演奏を聴いた代わりと言ってはなんですが、私の話も聞いてくれませんか」
京は立ち上がり、そう言う。返事があるわけでもないので沈黙は肯定と受け取って勝手に話すのだが。
「私の親はね、頭がおかしいんです。アレに比べたら幽霊なんて可愛いものだ」
話というのは身の上話である。ただ不幸な身の上を哀れんで欲しいとかそういう事ではなく、人に話せないような話だから今こうして口にしている。
「今逃げ出してったはぐみさんなんてのは、私みたいなのにも声をかけてくれる優しい人で。もうあの頃に比べたら天国ですよね。いやまあ、死んでないんですけど」
そんな着地点に困るような話をして十分ほど経ったろうか。ピアノの蓋が閉じられ、突然舞台は閉幕した。
「おやおや……。フラれてしまいましたか」
ただし、幽霊さんが座っていたであろう椅子の上には先程までなかった観葉植物が置かれていた。
結局あの後、はぐみは決死の逃走で帰宅し、疲れてそのまま泥のように眠ったらしい。
「へー。そんな事がね……」
「まったく、私の深夜の校舎に放置なんかして」
「ごめんね〜……ホントにごめん……。あ、お詫びにコロッケ食べる?」
「お詫びじゃなくて持ってくるでしょ貴女は」
事から数日経った日曜日の午後。京、はぐみ、美咲の三人が特に理由もなく集まっていた。主に話題は夜明け前のアレコレであるが、本当に話題には事欠かない。
「え、演奏聴いてたの?マジで?強心臓すぎない?」
美咲は驚嘆する、というより呆れている。なんだって深夜のコンサートを聴いているのか。強心臓というか、無神経とさえ言えるだろう。
「ホントだよぉ!京くんってばいきなり幽霊探すとか言うし!」
はぐみもそう講義の声をあげる。
「ははは、正当な報酬を要求しただけですよ」
だが京はそれを笑い飛ばす。
「で、その幽霊さん、どうだったの?」
美咲は興味本位でそんな事を問う。話を聞く限りではただ演奏を聴いてほしかっただけの可愛らしい霊という事で、音楽に携わる者として何か感じたのかもしれない。
「かなりの腕前でしたよ。どうします?加入させます?」
「マジ、それこころの前で言わないでよ?」
ただ、その話については否定させていただく。こころなら新メンバーにすると言いかねない。がそれは破天荒の度合いを過ぎているのだ。
「まあ、もう成仏したでしょうし出来ないですが」
「え、京くんってそういうの分かるの!?」
「分かるわけないでしょ。演奏を聴いて欲しくて今まで徘徊していたのなら、もう満足した筈です」
「そっかあ……」
それも叶わないだろう。もう正体不明の誰かは満足して消えてしまったのだから。まあそれはそれで、天寿を全うしたのならいいだろう。
「で、これですよ」
「それがどうかしたの?」
「ただの草じゃん」
ここからが問題だ。幽霊が渡したとも取れる、小さな観葉植物。京は植えられたアイビーの葉っぱは、花言葉で『死んでも離れない』ことを意味する。
「誰が誰から離れたくないのやら……」
京はそう呟いた。
幽霊相手にフラグを立てる男、京。こういう話もやってみたかった。
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北沢はぐみの咎(裏)
京はつくづく思う。自分は恵まれたものだと。
生まれてから今に至るまで、人生の前半はそれはそれは酷いものだった。何せ人間として扱われた記憶がない。だが事実は小説よりも奇なりと言ったところか。今となっては友人もできた。いざという時頼りになる仲間も、頼ってくる仲間もいる。
「はぐみさん……重いのでどいてください」
「女の子に重いとか言っちゃうんだ〜。京くんってば不良だな〜」
中でも頼ってくるという点で押しが強いのが彼女、北沢はぐみである。最近はそれに加えてスキンシップも激しくなっていき、京が座っていると今のように背後から抱き着いてきたりする。特にそれで困るという事でもないのだが、果たしていつからそんな事になったのかは不明だ。
「お勉強してるの?」
「いいえ?これは趣味です」
そして絡んできて何をするのかというと、特に何をするでもない。ただ雑談をしたり、ひたすらくっついて邪魔をしてきたり。
「難しい本読んでるね〜。ホントに趣味なの、これ?」
「はぐみさんも趣味に興じたらいかがです?ほら、晴天ですよ」
まったく、友達さえいなかった自分が『友達のダル絡みがキツい』などと。過去の京が知ったらなんて贅沢な悩みだと殺意さえ湧いたに違いない。
「じゃあ京くんも行こ。お外でキャッチボールしよ」
「なんで『じゃあ』で繋げたんですか。嫌ですよ、私はそういうのに付き合えるほど頑丈じゃないんです」
ましてお誘いを断るなんて。これも過去の京からすれば発狂ものだ。
「……いつもそうやってお断りするけどさ、もしかしてはぐみの事嫌いなの?」
「そんなことありません。ただ、私みたいな屋内での移動さえ億劫に感じるインドアは外で遊べないのです。そういう特性なのです」
言い訳がましく聞こえるが、しかし。京のその言葉も的外れというわけではない。何せ彼の運動能力の欠如は先天的なもので、それは最早神から罰でも受けたのではないかと感じるほどだ。そういうレベルで運動ができない。
「こころさんなんてどうですか。あの人こそアクティブの擬人化みたいな人でしょう。付き合ってくれますよ」
「そういうのじゃないんだよ〜。今は京くんと一緒にいたい気分なの」
「そう言われましてもね……」
友人として可能な限り願いを叶えてやりたいが、無い袖は振れないもの。
「私にはどうしようもありません」
そう言うしかなかった。
最近、はぐみとこんなシチュエーションが多くなった気がする。京も驚いたが、友人という立場にありながらここまで一致する点が無いというのも珍しいだろう。
「京く〜ん!コロッケ、食べなよ!」
「油で揚げたものはあまり……」
「なぁんでぇ!?美味しいのに!」
「そんな事分かってますよ。体質なんです。そんな大量に持ってこられても私の胃が受け付けません」
「ホントにぃ〜?」
「証明しろと仰るのなら食べます。ただし私が胃の内容物を戻す事があってもそれは私の責任になりませんからね」
まず食べ物の趣味が合わない。それも致命的なほどに真逆という形で。しかもそれだけではない。
友人という存在の捉え方も違う。京はかなり穿った見方をする人間で、彼にとって友人というのは利便性のために協定を結んだような関係だ。しかしそういう見方を知らないはぐみにそれは通じない。
「それならしょうがないけど……。あ、今度ハロハピのみんなで食事に行くんだけど、一緒にどう?」
「いえ……。私は遠慮しておきます。あまりそういった集まりは得意ではないので」
それら価値観を構成する前提としてある2人の性格が、あまりに異なるのだ。
僅かな歪みだが、確かにそこに違和感として存在する。
「京くんって、そういうの苦手だったっけ?」
「ええ。残念ですが、私はそもそもバンド活動との繋がりも希薄です。どうぞメンバーでお楽しみください」
京はメンバーたちと関係を断ち切ろうとしているのではない。適切な形での距離感というものをどうにか計ろうとしているのだ。ここで仲良さげにするというのは適切な判断ではない。
「京くんって、あんまり誰かと付き合いたくないタイプ?」
「まぁ、そうなりますね。人付き合いが苦手なんです。こればかりは変えられない」
本当に、何から何まで違う。はぐみは少し肩を落として京を見送った。
はぐみは苦手な存在だが、それでも誘いを断った事については考えるべきところがある。
京にとっては居た堪れない空間になることが容易に予想できても、そこに引き込もうとしたはぐみが悪いとしても、やはり自己嫌悪というのは生じるものだ。
(そりゃ友達から誘われてるなら断ってばっかじゃいけないんだろうけどさ……)
京は溜め息を吐く。人付き合いは大事だがそれでもだが苦手なものは苦手だ。
「で、自己嫌悪してるわけ?」
「そういう事です。だから無害な貴女を呼んだんですよ、奥沢さん」
「なんか嬉しくないな……」
京はライブハウスとその周辺の敷地で多くの顔見知りを認めたが、その中でもこういう話をしやすい美咲に近付いた。そしてそんな悩みを吐露したのである。
それを聞いているのは京の友人だけではない。京が思っているご本人ことはぐみもその1人だ。
(やっぱりそうだよね……)
悲しいが、そういう人間の気質は変えられないものだ。とにかく京のように進んで内向的になろうと、殻の中に入ろうとしている人間と合わないものは合わない。
はぐみはテーブルに置かれたコーヒーに目を落とす。黒色の液体の表面には浮かない顔のはぐみが映っている。
(はぐみと京くんじゃ全然タイプ違うし……)
そう割り切ろうとするが、はぐみはそこまで器用にはなれない。好意まで抱いているが素直になれない理由というのは決して甘酸っぱいものではないのだ。結局のところ、自分と意中の人がまったく異なるという事実に耐えられないだけだ。
「やだなぁ……」
はぐみはポツリと呟いた。相互理解というのは前提条件ではない。その前に理解できるかもしれない要素があって初めて理解が生まれる。だがはぐみと京の間にはそれが、言うならば互いを知るための取っ掛かりがどこにもない。どうにかしたいがどうにもならないのだ。
「私……どうして……」
年頃の少女のセンチメンタルというのは難しいものだ。根本的に脆弱で揺さぶられやすいので、ふとした事で傷付くしそれが思いもよらず深手になる事もある。
今回のはぐみの場合、どうしても許容できないのは意中の人とソリが合わない自分自身だ。まるで示し合わせたように何もかもが違う。
それが自分の存在意義さえ蝕んでしまう。京はそのあたりの機敏に乏しかった。
ある日の事。京は平日の昼間から商店街に足を運んでいた。商店街となると知り合いが数人いるが、今回は北沢はぐみに用がある。
『最近はぐみが元気ないの。京は頭がいいし、どうにかしてくれると思って!』
と、こころから半ば無茶苦茶を押し付けられるかたちで訪ねる事となった。
(そりゃ私だって気になりますけど、ホントに行かせることもないでしょうに)
この溜め息を最後の愚痴として、京は不服そうにしかめた顔をどうにかいつもの仏頂面に戻した。そして精肉店裏側にある住居のインターホンを鳴らす。
「……?」
しばらく待つが反応がない。もう一度インターホンを鳴らし、今度は呼びかける。
「北沢さんのご友人から頼まれまして、北沢はぐみさんに所用がございます。ご在宅ですか?」
それからまたしばらく経って、ようやく当人が顔を出した。
「あ、京くん……。おはよ……」
「北沢さん……?あまり顔色が優れないようですが」
何日かぶりに見たはぐみの顔色は目に見えて悪い。目の下にクマをつくり、やつれている様子で衰弱している様子だ。
「うん……。ちょっとね。まぁ上がってよ」
「そうですか……?では失礼させていただきますね」
はぐみの誘いに乗って、京は中へと足を踏み入れる。部屋の中は当人の様子と異なって綺麗に整頓されている。
(やっぱりおかしくなったのはつい最近か……)
こういう精神ダメージを喰らうと、どうしようもなくやり場のない自分への怒りが湧いてくるのだ。自分嫌いが極まるとこうなるというのは、京もよくわかる。そういう経験があるからだ。
「北沢さん……。ご気分が優れないのは心の問題ですか?」
カウンセリングをするつもりはない。ただ、京の中で予感が渦巻いていたのだ。
「……そんなんじゃないよ」
「北沢さん。私の目も節穴ではありませんので」
京は訝しむようにはぐみにプレッシャーをかける。すると、元々隠し通すつもりもなかったはぐみは、歯噛みしながらもその後作り笑いに切り替えて答える。
「私が好きになった人はね、何も分からないの。何が好きなのか、何を理由にして動いてるのか、ぜーんぶ謎のまま」
それが誰を指しているのかはすぐに分かった。京はそれでも落ち着き払った様子で耳を傾けている。
「好きになったのにさ、これっておかしいよね。お互い友達以上の関係になるのに、本当の事は何も知らないなんて」
はぐみは続ける。
「……無知は許されないんだよ。まぁ、知ったところでなんだって話なんだけどさ」
ここまで聞いて、京は一体はぐみが何を思っているのか理解してしまった。
「確かに私と貴女はタイプがまったく異なるでしょう。それでも相互理解の隔たりになるだけで不可能になるわけでは……」
はぐみはひとつ思い違いをしている。性格だとか趣味嗜好だとか、そういったものは絶対ではない。睦み合う上で有利不利はあろうが、どうにでもなるレベルだ。
ただしそれに気付くのは容易ではない。
「できないんだよ。みんなそれで挫けちゃうんだから。京くんと他のみんながそうでしょ?」
「それはまぁ、その通り過ぎてぐうの音も出ないんですけど」
何せどうにかなると思っているのは京だけだ。彼と親しいガールズバンドのメンバーは全員彼に隔たりを感じている。偶然か、意図的かは彼女たちの知るところではないが、京は常に一歩引いている。それを例外なくはぐみも知っているので、相容れることはないと思っているということだ。
「そういう風に見えた事については私の落ち度です。しかし———」
「君は一回だって興味を持たなかったじゃない!!」
はぐみは話を聞いてくれそうにない。参ったな、と京は内心で焦る。
はぐみ本人はやや錯乱しているようだが、彼女が言っていることは間違っていない。そもそも京という人間は群れるのが嫌いなタイプだ。その対象が異性ともなれば余計に、勇み足とはならない。
「最初から私に勝ち目なんてなかった!貴方は友達とすら思ってなかった!!だからッ……だから私は眼中になかったんだわ!!」
「北沢さん……落ち着いて」
何か我慢の限界を迎えたのか、はぐみはヒステリーを起こしたようにがなる。
「ねぇ、私が違うタイプだから好きにならないんじゃないんでしょ?最初っから、私に興味なんてなかったんでしょ!そうなんでしょ!?」
はぐみは京に掴みかかる。まるで一度は愛を確認して後からそんな事が判明みたいな言い草だ。どうやら彼女の中では京と良い仲になったらしい。
「いや、ですから……」
「違うの!?」
まず落ち着かせようとするが、どうにも痛いところを突かれるせいで進まない。
というか、そろそろ自分を誤魔化して他人に冷静さを説くという事に対する良心の呵責が限界を迎える。
「……全てが違う、とは言いません。しかし、私にそういうものは似合いませんよ。ほら、こういう人間ですし」
「恋愛はできないってこと?」
「そういうことですね」
「……本当に?」
「残念ながら、本当です」
このまま嘘を貫くか、白状するか。京にとってはどっちを選んでも地獄だった。なのでこれは感情的になったと言わざるを得ない。
「……もういい」
はぐみは冷たい声で言う。それは京に告げるというより、自分の中で何か覚悟を決めた独り言のようだ。
「君と一緒になれない私なんて大っ嫌い……」
カッターナイフを取り出し、その刃を自分の喉に添える。さすがにそれは冗談にならないと京は慌ててカッターを把持する手を掴み、どうにか凶器を床に落とす。
「何やってんだ、死にたいんですか!」
はぐみはその場にへたり込むと、恨めしそうに京を睨む。
「……別に、もういいよ。京くんが好きになってくれないなら生きる意味とかないし」
「本気で言ってます?」
「本気だよ」
少々ドスを効かせてみてもはぐみは絆されない。どうやら時間が経って単なる若者のセンチメンタルではなくなったようだ。
「……はぁ、分かりました」
意地になられているとなると、こればかりはどうしようもない。
「お友達から。そこから先は要相談といきましょう」
可能な限り譲歩して、京は自ら折れる事にした。そうしなければこの場が血まみれになる事態は避けられないだろう。
「ホントに!?嬉しい!!」
そんな打算が丸見えな京の言葉に、はぐみは救いを得たかのような笑顔で京に抱き着く。まるで子供のような純真さで擦り寄るが、それだけでは終わらない。
「……でも、嘘だったらホントに死ぬからね♪」
普段の彼女とは明らかにかけ離れた艶やかな声で、自らの命を人質に取りそんな脅しをかけたのである。
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戸山香澄の遷移(表)
ある平日のことである。その日は京も、珍しく気を抜いていた。というのも『体が言うことを聞かない』という割といつも通りな身体異常に罹っていたところ、友人でも屈指の常識人である山吹沙綾が連絡を寄越してきた。これがハロハピの面々だったら大丈夫かとしつこいくらい聞いてくるので鬱陶しいことこの上ないが、簡単に休みをゲット。それだけでなく、普段は短くとも4時間は続く異常事態が幸運なことにものの数分で収まった。
やったぜ、これで1日オフになったぜと喜んだ。そこまではよかったのだが。
「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!けーいくーん!!!」
耳をつんざく悲鳴が響く。最初はひどく驚いたが、その声の主に覚えがある事と自分を呼んでいる事に嫌な予感が止まらない。
「あーもううるさい。お静かに願います、香澄さん」
「だってぇ〜……!!」
戸山香澄。下手をすれば彼女が一番京とタイプが異なるかもしれない。常に前向きで行動力に溢れ、強烈なリーダーシップで引っ張っていく。後ろ向きで行動することに慎重で、誰かに追従する事自分を疑わない京にとっては理解の外側にいる人物である。
「聞いて!ねぇ聞いてよ!ねぇ〜京く〜ん!」
「分〜か〜りま〜し〜た〜。分かりましたから落ち着いてください。ちゃんと聞きますから」
そんな香澄も、他の面々と同じように何故か京にしつこく絡むようになっていった。キッカケはもう覚えていないが、ここまでうるさいくらい快活な人間に絡まれるのはかなりストレスだ。突っぱねたらもっと面倒な感じで絡んでくるので、更なるストレスが予想される。そのためこうして受け入れるしかない。
とにかく近所迷惑のクレームが入る前に香澄を落ち着かせ、話を聞く事にした。
「あのね、私疲れたの!」
全然落ち着いていない様子の香澄は、そんな事を言い始めた。
「は?」
思わずいくらかドスの効いた声で京が聞き返す。そりゃ人間疲れもするだろう。わざわざそれを報告するためにやって来たのか。もしそうだったら平手で引っ叩くのも辞さない覚悟である。
「最近イベントで練習ばっかりだし……やっと終わったと思ったらテスト期間だし……それも終わったと思ったら今度は今までの生活がすっごいしんどいの!」
だがそんな覚悟が吹っ飛ぶほどに、哀れに思えてしまった。香澄のような考えるより体が動くタイプの善人はこうなりがちだ。全力投球過ぎてオフになると常人よりも徹底して省エネモードになる。あの香澄が疲れると言うのだから、相当苦労の絶えないものだったのだろう。
「あ〜……それはご苦労様です」
それは、京にとって実に反論しにくい言い分だ。京は当然バンドなど組んだ事などないのでその苦労が分かるはずなどない。よって努力が足りないだの気合いで頑張れなだの無責任な事を言うわけにもいかず、どうしたものかと悩む。
「もぉダメだぁぁぁぁぁ!!私のやる気が消滅したぁぁぁぁぁぁ!!」
香澄はそう叫んで京に縋り付く。
正直投げ出してしまいたいほどにやかましかった。しかし香澄も苦労していると思うとそれができない。元々彼女はこうしてハイテンションゆえに京とはあまり相性がよろしくないが、言い換えれば何事にも真っ直ぐな人間という事だ。実際香澄は裏表のない善人で、それに助けられた事も少なくない。
「私はどうすればいいのですか?言ってくださらないと、戸山さんが望むようにはできません」
ほんの気休めのつもりで発した言葉、香澄はそれに反応を示す。
「……私が言ったら何でもしてくれる?」
「何でもはできませんが……。まぁ、私にできることなら努力はしますよ」
何やら不穏な空気を感じたので、京はあらかじめ予防線を張っておく。これで無理難題を押し付けられたら香澄へのヘイトが溜まってしまいそうだからだ。
「……撫でて」
「撫でる、ですか?」
「そう。頭、撫でて」
香澄はぐいぐいと前のめりになってそうねだる。頭を撫でるという事が報酬となり得るかなど疑問は絶えないが、今はそんな事言っていられない。言ったら実害が及ぶ気がする。
「……それでいいのなら、いくらでも」
「ホントに?」
京は宣言通り、おぼつかない動きでたおやかな髪を梳かすように撫でる。
香澄は目を細めて気持ちよさそうに京を受け入れる。どこか飼い主に懐いた大型犬のようだ。
(何だこれ)
しばらく香澄が満足するまで続けてみようと思ったが、不思議な状況に京は思わず首を傾げる。
香澄と京は恋人ではない。特に放課後集まるだとかそういう事をしない意味では友達とすら呼べない、気の合う知人という程度だ。その程度なのだが、うっかりラブコメ時空のようなものを作ってしまっている。
「差し支えなければ、私に白羽の矢を立てた理由をお伺いしてもよろしいですか?」
「シラハ?なぁに、それ?」
「……数いる友人ではなく、私にこんな事を頼んだ理由をお伺いしても?」
香澄はどのような意図での質問なのか分からず、小首を傾げる。
「深い理由はないよ〜?そんなに、ケイくんみたいにいっつも難しい事考えてるわけじゃないし」
「私だって四六時中難しい事考えてるわけじゃありませんよ」
「なーんかねぇ、京くんと仲良しになりたいな〜って思いながら歩いてたらいつの間にか家の近くにいて」
「ハトですかあなたは……」
答えもまぁ、何というかフィーリングで生きている香澄らしいものだった。どう反応すればいいのやら、京はとにかく呆れるように言っておいた。
とりあえず、求めていたら第六感が京を感知したという事だ。どうやら大人しく満足するまでオーダーに従う以外に、この奇妙な空間を終わらせる方法はないらしい。
「……これは素朴な疑問なのですが、これで疲れが取れるものなのでしょうか」
京はそう呟いた。嬉しいからいいとか、癒されるとか、そういう曖昧な報酬関係は彼にとってはあまり好ましくないものだ。
京の発想なら苦労した分どこかで食事を奢ってもらうとか、残業代が出るとか。そうやって明確な利を得る事に意味があるのではないか。そう思えてならないのだ。
「うん、バッチリ」
「そうですか……。そういうものですか?」
「うん。みんなそうだと思うな。疲れた時とか落ち込んだ時とかは、誰かに一緒にいてほしいから」
「……分かりませんね。そんなものが原動力になるのですか」
どうしても、意見が返ってきたらそれをまた返したいと思うのは京の悪い癖だ。
「なるの〜。好きでやってる事なんだから、疲れてもそういう感じでどうにかなるんだよ」
「なるほど……。では勉強等になるとこうはいかないと?」
「いかない。全っ然ならない。そういう時は京くんと一緒にスイーツ食べ歩きとかする」
「どのみち私は使われることになってるんですね……」
京にとっては些か説得力に欠けるものだが、そういうものかと納得する。
「私の理解が及ばない領域の話でしたか」
京には、燃え尽きるまで何かをやろうとかそういう意思はない。情熱で己を奮い立たせるような自我もない。だからこそ、そういうものに慣れていない。
「え〜。私と京くんって友達でしょ?」
香澄は少し不満げに、頬を膨らませてそう言う。
京にとっては意外な言葉だった。人類皆友達くらいのノリで言ったのだろう。しかし香澄と京はバンドという共通の利害で一緒になった事はあっても、プライベートを共にした回数はかなり少ない。
そんな人物に、しかも異性に友人と言われるのは違和感もあるしどこかむず痒い。
「……定義付けがなされていないので、私の方からは何とも」
「もう、友達ってそういうものじゃないんだよ」
香澄は頬を膨らませる。しかし口調は優しく諭すようにして言った。
曰く、友達というのは打算ではなくフィーリングに合うかという事らしい。その曖昧な部分を直感的にキャッチできるかが重要なのだと言う。
「分からないですね。……まったく分からない」
京は困惑するしかない。フィーリングとか、直感とか、そういうものが理解できないのだ。
「えぇ〜?京くんは頭いいから絶対分かると思ったのに〜」
「限度がありますって」
どういう風に見られているのか不明だが、とにかく京は器用ではないという事だ。
「その直感に従った結果が、今のバンドですか?」
「そうだねぇ。ほんと、私もよくできたなぁって自分で思ってるよ」
京にとってはその香澄の言葉は意外なものだった。てっきりなるようになった結果とばかり思っていたので、目を丸くして驚く。
曰く、香澄にとってもここまでの結果は予想外のものだったらしい。一度は夢破れた人間や葛藤を抱えた人間なんかが集まって、学生の青春という事で時に馬鹿げたような事もやった。
「楽しかったよ、とっても。今考えると、何やってるんだろって思うような事もあったけど」
ここまで来てやっと、香澄が何を言いたいのかについて気付いた。
どうやら自分は心配されているようだ。京は暫し考えていたが、そういう結論に達して、そういう事かと香澄の目を見る。彼女は慈しむような目で京の事を見ていた。いつも目を輝かせてハキハキしている彼女らしくない。
「私は楽しめてはいないと?」
「うん。だって京くん、いっつも難しい顔してる。ホントは楽しいとかそういうんじゃないんでしょ?」
「残念ながら、そういう性格なもので。馴れ合いは嫌いではありませんが、苦手です。無くても生きていけると思っています」
京はそういう話をするのも苦手だ。あまりいい思い出も無いし、そういう考えを持った経緯も明るいものではない。そういうわけで、京はさっさと話題を切り替えようとわざとらしく溜め息を吐いた。
「別に、昔の事を忘れろなんて言うつもりはないけどさ。私は本音でいてほしいって思うよ。昔がどうだったから今もどうなんて、呪われてるみたい」
いつもは腹が立つくらい能天気なのに、今の香澄は腹が立つくらいに的確だ。
京にだって自覚はある。危機感もある。昔に囚われ過ぎてその傀儡になっている事なんて馬鹿らしいと思っているが、刻まれてしまったものは拭えないものだ。気概一つでどうにかなるようなものではない。今までの京ならば『くだらない事を言うな』と一蹴していただろう。
「……慎重に協議を重ね、前向きに検討させていただきます」
「わっ!京くんがデレた!いつもならスゴい勢いで馬鹿にされるのに!」
「自覚あったんですか……。というかデレていません。そういう感情はありません。私も必要と判断したまでです」
だがそれができなくなったのも香澄のせいだ。彼女が余計な友情などを教えたせいでこうなった。
それを余計なお世話だったとさえ言えず、受け入れてしまった京本人も難儀なものだ。彼自身もどうしたものかと頭を捻るしかない。
何か自分を省みるのに、円滑なコミュニケーションのためなんてお題目を背負うのが初めてだったからだ。
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戸山香澄の遷移(裏)
今も瀕死なのにこれ以上キャラ追加とかあったら死ぬんですけど。
ないよね……?
香澄にとっては何でもないような、ただの日常の風景だった。しかしそれが、いつしか日常ではなくなってきていた。
「あ゛っ!京君!よりによってチョココロネ食べてる!」
「大変美味でございました」
「も〜、りみに怒られても知らないからね」
「私の危機回避能力を侮らないでいただきたい」
ライブハウスでおとなしく店番をしている京の暇を見計らっては、女子同士の会話に巻き込む。どこの誰が言い出すでもなくそんな事をしてからそれなりに時間が経った。最初は困惑していた京も慣れたのか、それなりに楽しんで話すようになっている。
「私は常温保存してあった……もとい、放置されていたパンを食べただけです。その事実のみは認められてもどうということはありませんね」
「またそうやって理屈っぽい事言って……。もう、本当に知らないからね」
「りみに何か言われたら、京ならどうにかできる?」
「牛込さんは優しい方ですので、多分いけると思います」
「悪い顔してるわぁ……」
京、沙綾、たえの悪い会話を香澄は見ていた。いつもなら真っ先に会話の輪の中に飛び込んでいくのだが、今の香澄はそれをしない。ただじっと、物陰から三人の悪事を見守るだけだ。
「……香澄ちゃん?」
たまたまそれをまた後ろから眺めていたりみが、見かねて声をかける。
「ひょえっ!?」
完全に不意をつかれたようで、香澄の口から変な悲鳴が出る。慌てて声をかけてきたりみの方を振り返るが、三人に気付かれていないかと慌ててそちらの方を向く。距離があって気付かれていないと分かるとすぐにまたりみの方に視線を戻した。
「……どうしたの?」
忙しく頭を動かして挙動不審な香澄に対して、りみは訝しげに問いかける。
「い、いや?何でもないよ!?」
「そう……?」
香澄は明らかに何かあるように狼狽を隠せていない。だがりみも深く突っ込んでおかしいと指摘できるだけの材料を持っていない。
「で、どうしたのりみりん。私に何か用?」
「うん、友希那さんがスタジオ空いたって。もう使っていいってさ」
香澄が逃げるように話題を振った事もあって、水かけ論に発展する事もなく終わった。
「そ、そっか。じゃあみんなに伝えておいてくれないかな。私先に準備してるからさ」
「うん、分かった……」
最後はどちらも歯切れが悪く、一旦分かれる事になる。香澄は足早にその場を去っていき、りみは心配そうにそれを見送った。
香澄の心情はあまりよろしくない。とはいえ敵意とか害意とか、そういうものがあるわけでもない。それを覚えてしまった事について混乱しているというのが正確だ。
(どうして私、こんなに……)
香澄はよく言えば直線的、悪く言えば自分を顧みない性格だ。そのため、自分がそんな感情を抱くことになる原因が分からない。彼女がもう少し感情の機敏について聡くあるというか、自分だけで完結できればよかったのだが、彼女くらいの年齢はまだ未熟だ。そういう風に説明をつけて、しっかりと嚥下できればよかったのだが。
「あ、京くん……」
「戸山さん。練習に行かれたものとばかり思っていました」
難しい書類と睨めっこしながら顔をしかめていた京が、顔を上げて少し驚いたように目を丸くする。
「何か私に用でも?」
少し動揺しているようで、それを隠すように京は平静を装って対応する。
「いや……」
いつもの香澄らしからぬ態度に、京も動揺を隠すことができないのだろう。そのせいで普通に会話する事すらままならない。
「あ……。練習終わったら、どこかにご飯食べにいかない?」
どうしたものかと頭を悩ませていると、香澄は慌てていつもの調子に戻した。しかしそれがあまりに不自然すぎて、京も戸惑っている。二人の間に微妙な空気が流れる。
「……そうですね。皆さんが許してくれるのなら、ご一緒させていただきます」
「そっか……うん、分かった。じゃあみんなに聞いてみるね」
「別に無理して誘ってくださらなくても結構なのですが」
「ううん。みんな京くんの事が大好きだから。私もそうだし。だから一緒にいてくれると嬉しいな」
「そうですか……。それは嬉しいです。でしたら、ご一緒させていただきます」
「うん。それじゃ練習が終わるまで待っててね」
香澄は踵を返して、スタジオへと向かっていった。そうして顔を見られないようになると、少し寂しそうな、それでいて恨みや悪意のようなものもこもった香澄らしからぬ闇が垣間見えるような表情に変わった。
「うん、みんなね……」
誰に言うでもなく、香澄はそう呟いた。
ガールズバンドをやろうと言ったから、脇目も振らずそれに打ち込んできた。自分が言い出しっぺで、その選択が間違っていないと思いたかったのだろう。しかし残念ながら、今はその思いが危うくなっている。それもこれも、何かに心奪われて何も手につかないという経験が未だかつてなかったたまだ。何もかもそれのせいだ。
「練習はもうおしまいですか?」
「なーんかみんな疲れててさ。最近忙しかったからかなぁ」
「そうですか。無理をして体を壊しては元も子もありませんし、賢明な判断でしょうね」
どうにも心がモヤモヤする。具体的に言うと、自分にだけそういう言葉をかけてほしい。本当ならば抱いてはいけない醜い嫉妬だ。
「ねえ、香澄ちゃん……」
「うぇ!?ど、どうしたのりみりん!?」
京と沙綾が仲睦まじくしている様子を少し離れて眺めていたところ、突然背後からりみに話しかけられた。注意が散漫になっていた香澄にとっては不意打ちそのもので、慌てて何でもないように繕っても挙動不審になってしまう。
「その、ずっと二人の事見てたから。どうしたのかなって」
「いやっ、何でもない!何でもないよ!?」
どうやら見られていたようだ。しかし後ろ暗い感情に支配されかけていましたなどと言えるはずもなく。何かもっともらしい事を言おうとするのだが、アドリブに弱い香澄はますます挙動が怪しくなっていった。
「そ、そっか……」
少し押され気味になりながら、りみは一応納得した風に言う。そういう風に言っただけで、実際のところは納得と程遠い。
「あのね香澄ちゃん、余計なお世話かもしれないけど……」
そう前置きした上で、りみは話し始める。作り笑いで不器用に、しかし言いたい事をそのまま。
「私はあんまり、香澄ちゃんには我慢してほしくないかな。そういうのって香澄ちゃんらしくないから」
それは人間関係で悩んでいるかもしれないという、そこそこ雑な推測に基づいたアドバイスだ。だが実際、いくらか的を得ていて、それを聞いた香澄はドキリと心臓が早く打った。
「……うん、そうだね。わかったよりみりん。私も正直になってみるよ」
結局のところ、京や他のメンバーがしていたのはとりとめのない会話だった。だが香澄の嫉妬は本人の予想以上に激しかった。
「……私に何かご用が?」
それはいつの間にか行動に起こるようになっていった。衝動を抑えられなかったなんて盛りがついた動物と大差ないが、そうなってしまったものは仕方ない。
香澄はライブハウスの人通りの少ない場所で京を見つけると、思わず壁際まで追い詰める。通称壁ドンとも呼ばれるアレだが、残念ながら現状にはロマンチックさのカケラもない。京も驚いたようで、されるがままといった様子だ。力でどうにもならないという事もあるが。
「……最近さ、さーやとかおたえとかと、仲良さそうだよね。どういう事?」
「どういう事と申されましても……。別に、会って他愛のない話をするだけですよ。それくらいするでしょう」
京も、まさか自分が人生の中でこんなコミュ強のようなセリフを吐くとは思わなかった。
というか、そんなセリフを吐いてしまうほど言い訳に詰まっていた。どう弁明すればいいか、どう誤解を解けばいいかと考えた結果三秒で浮かんだのがこの言葉である。
「私と出会った頃と、全然違うんだね。色んな人と仲良くなって、別人みたい」
だがそれがいけなかった。端的に言うと、地雷を華麗に踏み抜いてしまったのである。
「私にとっては進歩ですよ、戸山さん。おかげさまでまともな社会生活はできるようになりましたんで」
「……そう」
香澄の表情がどんどん暗くなっている。それを知って尚、京は馬鹿正直に更なる地雷を踏み抜きにいった。
ただし、京は香澄が暗いという事くらいしかわからない。『普通に生活できました、ありがとう』という言葉がスイッチになるなど知るよしもないのだ。
「……こんな事になるなら、やるんじゃなかった」
「え?」
香澄の表情は思い悩むような暗い顔から一転、激しい怒りを露わにする。
明朗快活で、誰に対しても人懐こく笑った彼女はもういない。
「こんな事になるなら、みんなに会わせるんじゃなかった!そうすれば京くんはずっと私の事を頼ってくれたのに!私がいないとダメって言ったのは嘘だったの!?」
香澄は嫉妬と敵意を剥き出しにして怒る。
「あれだってあなたが言わせたんでしょうが……。私はね、普通に生きる術があるならそれにしがみつきますよ。小心者だもんで」
だが京の意思は硬い。それを示したつもりであったが、この京という人間はつくづく他人の扱いに慣れていない。
残念ながらこの宣言は、香澄の更なる怒りを呼び起こしただけだった。
「私が必要でしょ!?必要のはず!必要としない京くんなんて京くんじゃないっ!!」
最終的に、怒りはヒステリックを帯び始めた。
どうしてこうなってしまったのかについてだが、京にはまったく心当たりがない。何か一つの大きな出来事がきっかけで、劇的に変わったというわけではない。長い間思っていた事が今日この日に爆発してしまったのだろう。
「戸山さん……大丈夫ですか?情緒が不安定です。疲れているのでは?」
京は怪訝そうに言う。原因の五割はそうやって諭そうとしている京の方にあるのだが。
しかしもう半分は、普段の香澄らしさがないという誤算があった仕方なさも多いにある。
「何言ってるの……?京くんがおかしいんでしょ?そもそも、京くんが私の事いらないって言うから……」
「そこまでは言っていませんが……」
どうにも、話が噛み合わなくなってきた。いよいよ本格的にマズい事態という事だ。いつ正気を失ってもおかしくない。
「……大丈夫ですか?」
「どうして……そんな目で見るの?私はおかしくなんてない。ただ自分の感情に正直なだけだよ」
濁った瞳を京に向けて、香澄は言った。彼女の拘束は未だ、緩む気配を見せない。
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珠手ちゆの上気(表)
やれんのかこれ。
チュチュこと珠手ちゆを月並みな言葉で言い表すとするならば、才媛だ。14歳と若年が揃うガールズバンド界隈でもかなり若い方であるにもかかわらず、実質高校生と同じ地位にある。
音楽に関する才能にも恵まれていて、自信家でプライドが高い事も納得できる実力を持っている。
しかし彼女には、一つ我慢ならない事がある。最近ライブハウスの手伝いとして顔を出している、ある少年だ。
「出水ィ!ここで会ったが百年目!私と———うぉう!?」
ちょうど彼が目の前を通りかかったので、声をかける。決して今日の天気とかそういう平和なものではない。喧嘩腰である事を隠さず、相対する。
「んなもん百年経ってから言ってください」
京はそんなちゆに対して、容赦なく手に持っていたポリバケツをぶん投げた。
「何すんのよ!」
「果てしなくこちらのセリフなんですが」
京はうんざりとした様子を隠さない。基本的に歳下であっても敬語を使う彼であるが、ちゆに対してはそういうわけにもいかない。
「あなたの仕事部屋はここじゃないでしょうが。さっさとお帰りやがれください」
「あぁん?うるっさいわね」
「そっちがでしょうが」
ちゆもそれは同じだ。愛らしい容貌からは想像もつかないようなドスの効いた声で、京に対して一歩も引かない。
「そもそもねぇ、あんたが前に煽り散らかすからいけないんでしょうがッ!ワタシは売られた喧嘩と半額セール品は買う主義よ!」
「何をケチくさい……じゃなかった。私がいつあなたにそんな事をしましたか。そのような記憶はございませんが」
というか、そもそもこうやってバチバチしている理由が分からない。ただし彼にも一応、人より少ないとはいえプライドはある。そのため穏やかに話し合おうとは言わず、それこそ言われたように煽るような口調で疑問を呈する。
「ッハァァァァァ!?ワタシに好き放題言っておいてよくもまぁそんな事言えるわね!?一ヶ月前にあんだけの事があったってのに!」
「一ヶ月前……あっ」
怒り心頭のちゆが口に出した、一ヶ月前の事という言葉。京はそこで、これがただの言いがかりではないという事に気付く。
そういえば、一ヶ月前にたえの紹介でRASというバンドに紹介された時だった。音楽人としては自然な事だが、彼女たちの要件は音楽についてである。
そこで確か、客としての意見を求められたのだ。小難しいテクニックがどうとかの話が出ない、イチ観客としての意見を。
「あれは『あなたの頑張りなどどうでもいい、ただ曲を聴くだけの素人の一般聴衆の話』としっかり前置きしました。それを受け入れたのはあなたです」
「言葉くらい選べるでしょうが!」
「選ばないから素人の一般聴衆だと思うんですけど」
「んなもんあるかぁ!」
納得のいかないちゆは吠える。というか確かにオーダー通りの忌憚ない意見で、しかも的を得ていたが、それにしたってプライドは傷つく。特にちゆのように実力もプライドも高い人間には、クリティカルヒットだ。
「私も実力は欲しいですが、あなたみたいになるなら凡人の方がいいですね」
「ぬわぁんですってぇ!!」
オーダーの通りにしてやったんだから文句を垂れるなと言う京と、解釈違いだと言うちゆ。二人の言い合いは平行線のままで、お互いに納得する事はなかった。だからこそちゆは手っ取り早く白黒はっきりつけたがったのかもしれないが。
「どしたどした〜。喧嘩はいけんよ君たち〜」
と、そこに割って入る人物が現れる。今回はわけあって一人でライブハウスに訪れている、おたえこと花園たえだ。どうやら争うような声を聞きつけて仲裁に動いたようだが、彼女は二人の共通の知り合いだ。よって二人の事を当事者以上に知っている。
「これは私と彼女の問題です。花園さんは手出し無用です」
「そうよ、ハナゾノは黙って見てなさい。この馬鹿に泡吹かせてやるから」
「言うは易くってヤツですよ。このちんちくりん」
「あ゛あ゛ん!?」
正直、たえもこうなる事は予想していた。可能ならば二人がトーンダウンしてくれることを望んで努めて明るく振る舞ったが、ダメだったようだ。
「も〜……。なんでそんなに犬猿の仲なの〜?」
「言われてますよ、猿。キーキー言ったらどうですか」
「あぁん?うるっさいわね、犬っころ」
「は?」
「あ?」
「あ〜、もう。やめなよそういうの。どっちもだってば」
京が苦手とする人物は決して少なくない。それは単に押しが強いのが合わないだとか、どうしても疲れてしまうとか、そういったものだ。普段はそれをおくびにも出さず、よき友人として振る舞うのだが。
ちゆに対してはそれがない。一部某子役上がりの女優兼バンドメンバーなどには気心の知れた友のように無遠慮に接する事もあるが、この無遠慮さはそれとは違う。
「どうしちゃったのさ、京君。キミそんなキャラじゃないでしょ?」
「うるさいです。この人はキャラ変してでも止めますよ」
「チュチュもさぁ。結構一匹狼な感じだったよね。本当に嫌いな奴フルシカトするタイプだったじゃない」
「いいでしょ別に。こいつは気に入らないのよ」
喧嘩と言っても二人の小柄な体では猫の喧嘩くらいの可愛いものだが。
「なんでさ」
京はそもそも他人と積極的に交わるタイプではない。ちゆもまた、どうでもいい事はどうでもいいと歯牙にかけないタイプ。なんだってそんな二人がそこまでお互いに固執するのか。たえにはまったくわからないものだ。
「こいつのっ!こいつの澄ました顔が気に入らないのよ!自己満足で完結して、何もやらない癖になんでもできるこいつが!」
最初に口を開いたのはちゆの方だった。彼女のように導火線が短ければ仕方のない事だが。
「自分がどんだけもったいない事してるかわかってんの!?わかってないでしょ!」
「うるっさいですね。なんですかもう」
うんざりした様子で京は答える。
「前々から思ってたけどねぇ、あんたがやってる事はおかしいでしょうが」
「余計なお世話だっつーの……」
何故そこまでお怒りなのか。同じような才能を持つ者として、スタンスが異なるからだ。
才能は尋常でないものなのだ。ならば、それを使ってこそ意味があるもの。ちゆは常にそう考えている。一方で京は、才能がどうとか持つ者持たざる者がどうとかそんな事どうでもいいと考える。
「使うならもうちょっとマシな使い方があるでしょうが。趣味なんぞで潰していいもんじゃないのよ」
「別にいいじゃないですか。そんなのどうしようが私の勝手です」
「んなわけないでしょ。周りにあれこれやってる時点であんただけの問題じゃないのよ」
「あなたの入る余地はありません」
「いいえ、あるわ。クリエイターが本気でクリエイトしないってのがどんだけ深刻かわかんないでしょうけど」
たえは言い争う二人を見ていた。そして双方の主張を聞いていると、どうにもこれが一触即発の地雷源ではない事に気付く。
(ん〜……?)
というのも、どうにも口の悪さと激しさで誤解されてしまうが、ちゆが言っているのは『優れているのにもったいない』という話だ。単に罵倒し合っているだけではない。
「そもそもプロという立場にあられるあなたと、アマチュアである私を同じ土俵に並べないでいただきたい。それこそレギュレーション違反というものでは?」
「
「ご冗談を。私にそのような力はありませんよ」
「あ〜もう、ほんっとそういうのムカつくわ。人が褒めてんだから素直に受け取れっつーの。言っとくけど、それ謙遜じゃなくて嫌味だからね」
このように、喧嘩っぽい圧力のある口調というだけで内容はかなり平和なものだ。
「あのさ、二人とも」
もしやこれが始終するのだろうか。たえはまさかとは思いつつも、二人に声をかける。
「あん?何よ?」
「後にしてくださいませんか。まだこいつのよく喋る口を封じていないんですけど」
「はあぁ?むしろワタシがあんたをケチョンケチョンにしてやるんですけど?」
やはりというか二人はこれで言い争っているつもりでいた。いやいやそうじゃないだろと、指摘する前に考える。
(ああ、そうだ。この二人、人間の心の機微にめちゃくちゃ疎いんだ)
なるほど、そういう事かと納得する。二人はそれぞれ別の理由で、人間の心というものに鈍感だ。
「……とりあえず往来の邪魔になるから、場所変えようか」
「そうね」
「こいつの金切声は迷惑ですからね」
「あんた、一言余計に喋らなきゃ死ぬ病気にでもかかってるの?」
「お望みなら二言三言でも」
「……」
ないとは思うが、ヒートアップなんて馬鹿な事が起きては困る。とりあえず、たえは廊下ではなくカフェエリアの方に殺気立つ猫二匹を誘導した。
「正直どっちもどっちじゃん。お互い、言ってる事で正しいな〜って思ったらその通りにして、違うなって思ったらやらなければいいじゃん」
「そういうわけにはいきません」
「そうよ。そういうわけにはいかないわ」
「……どうして?」
なんとなく答えがわかってしまうが、念のため聞いておく。
「「こいつの言う事聞くのは癪」」
ですよねと、あまりに予想通りな答えが仲良く同時に返ってきた。この二人、考える事だけでなくそれ以外の部分までそっくりだ。
「あっそ……。別に君らがいいなら私はいいけどさ」
たえとしては、友人二人がここまで仲がいいとわかって何よりだ。
「そういう話はRASの皆さんとやってください。私はそもそも、作曲していると言うのもおこがましい、フリークですから」
「ワタシがいつそんな話をしたのかしらぁ?バンド業界全体の話をしてるんですけどぉ?」
「ウザ……。あなたあれですね、揚げ足取りにかかるところ見ると文系ですね、さては」
「はあぁ〜、もうどうでもいいからさっさと曲出しなさいよ!そんでワタシと戦えぇ!」
「嫌です」
すっかり二人の世界に入ってしまった様子を見て、あるいはヒートアップとも言えるかもしれないそれによって、たえはすっかり蚊帳の外になってしまった。
(なんだ、喧嘩するほど仲がいいバカップルか)
実際のところ、出会った回数が片手の指で数えられる二人は知り合い以上友達未満の二人だ。しかしこのままなら、きっとこれからも仲は良好だろう。高め合うなんて事もあるかもしれない。たえは微笑ましい光景をしばらく見ていた。
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