【ONE PIECE】天駆ける竜 (柚木 彼方)
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後悔と懺悔の始まり
「5分」


ぎゅん、と視界が急に切り替わって、現れたのはボロボロのベッドと、そこに横たわる一人のか弱い女性だった。

 

ははうえ、と知らないうちに口からこぼれ出ていた声に女性は反応する。

 

 

「おいで、ロレンソ」

 

 

ああ、その腕に久しぶりに抱かれたい。あなたのごめんなさいという声はもう聞きたくないけれど、優しくか弱いあなたと、もっとふれあっていればよかった。もっと話していればよかった。

そうすれば、こんなにつらい「5分」は生まれなかっただろうに。

 

幼い頃の私は、なんと答えたんだったか。ぐるぐると考えてーー思い出した。

 

 

「……母上は、こうなるって考えていなかったの…? ドフィが、ロシーが、酷いことされるってわからなかったの…? それとも、知っててここに来たの?」

 

 

おねがい、…やめて。こんな言葉紡ぎたくない。もう一度あの人のあんな顔、見たくないんだ。

幼い頃の私、その口を塞げ。そうしないと、もう、取り返しがつかなくなる。

 

 

「ロレン…」

 

「…ッ父上も母上も! 私たちのことなんか考えないで…父上はあほだし! 母上は体が弱いし! ドフィとロシーはちっちゃいし! …どうしろって、言うの? ーー私にどうしろって言うの? 母上!! 答えてよ!?」

 

 

母上の顔が、白くなっていく。瞳に、枯れ果てたかと思われていた涙が、溜まっていく。

私の心臓も速くなっていた。そっか、この時私、しまったって思ったんだっけ?

 

 

母上がけほけほと咳き込み始めた。持っていた欠けたコップが、床に転がる。水が私の足まで跳ねた。

 

 

「けほ、っ……、ロレン、ソ…っ、ごめんなさ…」

 

「ーーッ!!」

 

 

ばん!! と古い木製の扉を荒々しく開けた。

 

だめ、戻って!!! と心で叫ぶけど、「過去」の私にそれは届かない。過去は、変えられない。

 

 

謝る母の顔が、嫌いだった。でもーーそんな顔をさせる自分が、何より嫌いだった。

 

 

変えられない過去を見せられるのは、つらい。

 

 

自分の無力が、子供さが、憎い。

 

ーー自分の罪を眼前につきつけられる、まるで拷問みたいな悪魔の実だ、と思った。

 

 

こんな力、欲しくなかった。

ーー…ううん、欲したのは私。でも、これは本当に「強さ」なんだろうか?

 

 

(私は、弟たちが守れれば、それでよかった)

 

 

生まれつきの勘のよさ。身体能力の高さから、ちょっとした海賊の真似をすれば、あっという間に動きが身に付く戦闘のセンス。

 

それじゃ足りないから、ドフラミンゴにもそれなりのことを教えた。

ロシナンテはあんまり戦い向きじゃなかったから、頭を使うようにと教えてーーでも、救えなくて。

 

 

(……海賊のほら、なんとかデッケンとかいう…あれと同等の呪いをかけられても足らないくらい、ひどい姉上だ)

 

 

苦笑すらできなかった。

 

もうこのとき彼らは、私にも母上にも父上にも…期待なんてしてなかっただろう。ごめんね、ドフィ。ごめんね、ロシー。

 

 

 

ーーもういっそ、あなたたちに私を殺して欲しいくらいだ。

 



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1.空虚な瞳

天竜人(わたしたち)は、人を笑顔にすることが難しい生き物なのだ、と私が学んだのは、この世に生まれ出てから6年ほど経ったころだった。

どうしてそんな子供(しかも天竜人の)がそんな考えに至るようになったかと言えば、それは両親の影響があるだろう。

 

私の両親は昔から「下界で暮らしたい」という天竜人の中でもかなり異端な考えの持ち主であった。

下界で人間と手を取り合って、慎ましく暮らしていきたい。それが父と母の理想だった。

 

 

そんな両親のもとに私、ドンキホーテ・ロレンソが産まれ、4年して更に弟が産まれ、それから更に2年するともうひとり弟が産まれた。長男の名前をドンキホーテ・ドフラミンゴ、次男をドンキホーテ・ロシナンテという。

 

 

「…! あねうえ!」

 

「!! …あねうえ~~!!」

 

 

私9歳、ドフィ5歳、ロシー3歳の今。

 

どちらもかわいい弟たちだ。

いつも散歩から帰ってきた私に飛び付き、撫でろ撫でろとすりよってくる姿は愛しいの極みで、頬がだらしなく緩んでしまう。

 

 

ーーが、今日はなんだか少し違うようだった。

いつも私が帰ってくるのにいち早く気付き、私に抱きつく面積を弟より取ろうとするドフィが、声はすれど姿は見えず。

 

代わりに、半べそをかいたロシーが前につんのめりながら駆け寄ってきたので、それを支えて転倒を防いだ。

ひっく、と肩を揺らしているロシーに「どうしたの?」と優しく問いかけてみる。

 

 

「あにうえが…あねうえ、あにうえを止めて…!」

 

「ドフィ? ドフィがまたなにかしたの?」

 

「あにうえ、ピストル持ってるの…」

 

「…はぁ!? ピストル!!?」

 

 

私は慌てて立ち上がると、ドフィの声がした方に走った。

 

ドフィはけしてロシーと違う育てかたをしたつもりはないんだけど、なぜかまさに天竜人という感じにすくすく育っていて怒ると感情を止められないと言うか、すぐに「処刑」をしようとする癖がある。

まったく、どうしてこうなったんだか。

 

 

私が帰ってきたとき声がしたし、その後銃声は聞こえていない。だから撃ってはいないと信じたいけどーー。

 

親戚のドンキホーテの方々が、誕生日プレゼントにと5歳のドフィにピストルを渡したのは、まあ仕方ない。ここでは誰でも持って(しまって)いるし、他の人にドフィが貰った誕生日プレゼントだ。文句は言うまい。

 

けれど私はドフィにピストルは使うなと言い聞かせていた。撃ったら怒るよ、と。

 

 

ロシナンテはそんなことできない子だからよかったけれど、ドフィはわからない。しかも親がアレだ、叱るとは思えないのだから私がしつけるしかないのだ。

 

とりあえず心当たりのある部屋を片っ端から開け放っていってーー異様に静かなのに、怒りと人の気配がする部屋をひとつ見つけた。

 

 

この怒りの気配ーー鋭く刺すような、だがそれでいてどろりとしたーーはドフィだ。5歳にしてこんな…なかなかないと思う。

 

私はその部屋の扉をおもいきり開け放った。

 

 

「ドフィ!!!」

 

「!! 撃ってない! 撃ってないえあねうえ!!」

 

「…撃ってない? ……本当に?」

 

 

辺りを見てみるが、……うんなるほど? 撃ってないのは本当みたい。

けれど奴隷の青ざめようを見ると、構えられはしたらしい。まったくもう。

 

 

「ふー…なんだ、姉上びっくりしちゃった。ドフィが私の言いつけを守るいい子で良かったわ」

 

「…なんで撃ったらダメなんだえ? 飽きたし、動きも遅くなってきてるし、そうなったら捨て時ってみんな言ってたえ」

 

「あのねえ、動きが遅くなってきてるって、そりゃ休ませなきゃ疲れちゃうもの。だからゆっくり休ませてあげなきゃ」

 

「なぜおれが奴隷を気づかうんだえ!? 意味がわからないえ!」

 

「ドフィ。…生きてるの。人なのよ? 私はドフィにそんなこと言ってほしくないし、人を撃ったり殺したりしてほしくない。…ドフィ、姉上のお願いを聞いて?」

 

「……だって、」

 

「ドフィ。…お願いよ、いい子だから。頭のいいドフィだから、わかるでしょ? 何人も殺して何人もまた買うより、効率のよさが」

 

「……うん」

 

「いい子。ありがとう。大好きよ」

 

「…おれもだえ」

 

 

そういってぐりぐりと頭を押し付けてきた。

 

かわいい弟だけど、この説得が毎回大変だ。

ドフィが納得してないのは目に見えてわかるけど、仕方ない。

 

 

「それからドフィ、ロシーも怖がらせたんだからきちんと謝ってね? そうしたら、おやつにしよう!」

 

「わかったえ!」

 

 

ドフィの育て方は、どこで間違えたのかーーいや、間違えては、ないのか?

だってここでは異端は私たちで、ドフィは「普通」なんだから。

 

 

まあ一番のギモンは、父上と母上のあの優しすぎる心はどうやって培われたのか、なんだけど。

 

 

「ごめんなさい、……弟が、ひどいこと」

 

 

一応奴隷の男の人に謝っておいたけれど、その目は心の中になんの言葉も入っていっていないかのよう。私の苦手な目。

 

 

 

ひどく空虚で、濁っている。



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2.私の天使

しばらくして、おやつの用意しなきゃ、と部屋に戻るとロシーがにぱっと花の咲くような笑みで近づいてきて、そのまま転けた。あーあー。

 

 

「ロシー、大丈夫? そんなに笑って、どうしたの?」

 

「あにうえがお花取ってくるって! ぼくのぶんも…えへへ」

 

「お花?」

 

「あにうえとぼくの部屋に飾るのと、あねうえに謝るためのって言ってた!」

 

「…まって姉上泣いちゃいそう」

 

「え!? あねうえ、泣かないで…?」

 

 

お花摘み、というからてっきりトイレかと思ったら…違うらしい。

 

ドフィが遊びにいくのと奴隷を買いにいく以外で外に出るのはあまりなかったし、それに物を取りに行くためって! 成長したなあ…かわいいなあ…

さっき休ませろって言った奴隷を連れていったのはアレだけど、まあ、うん。迎えに行ってやろう。

 

私を困惑した表情で慰めようとするロシーを笑顔で撫でて、「ドフィを迎えにいってくるね」と伝えると、自分も行くと言うので、じゃあわかったとしっかり手を繋いだ。

 

 

手、ちっちゃーい! ほんと、うちの弟たちってばどうしてこんなに可愛いの?

憎たらしい近所のガキ…じゃない、近所の子とは大違い。ああ、私の天使。

 

 

「ドフィどこかなーっ」

 

「あにうえ…」

 

 

どこかなー、どこかなー、と声をかけつつ探してみるけど、どこまで行ったのやら、見つからない。

 

途中お菓子とジュースをロシーにあげた。ロシーだけだと可哀想だから、ドフィのも持ってきている。

家にもいっぱいおやつはあるけど、小さな子はそんなん関係無いからね。

 

 

ここらへんで花が摘めそうなとこなんて限られてるのに、どこに行ったんだろう?

 

ーーなんて首をかしげていると、ドフィがたまに遊びにいく家の近くから、ドフィの声が聞こえた。

 

 

「ドフィ?」

 

 

ロシーにここで待っててね、と言い聞かせてから呼び掛けをしてそこに近づいていく。するとーーいた。

 

 

「くっそ~…! やめるえ、このゴミが!!」

 

「むふふ~! だからその奴隷を使うえ、ドフラミンゴ~」

 

「…っ、ダメだえ!!」

 

「!!? ドフィ!!」

 

 

そこには、憎たらしい近所のクソガキーーその奴隷に幾度もなく挑み投げ飛ばされているドフィと、それをにやにやと眺めているクソガキの姿があった。

 

慌てて駆け寄り、クソガキの奴隷を手で制す。……鼻血が出ていたので、それをハンカチで拭いた。

 

頭にかぁっと血がのぼるのを確かに感じながら、私はクソガキの方を振り向く。

 

 

ーー最近天竜人の子供の間で流行っている遊びがある。

奴隷同士を戦わせて競う遊びだ。

 

胸くそ悪いしやめなさい、と弟たちには言いつけてあったけどーードフィはそれをしていたのだろうか?

いや、でもそれならどうしてドフィがこんなボロボロになる?

 

 

「ドフィ、なにがあったの?」

 

「……あいつ、あねうえを『頭がおかしい』とか言ってバカにしやがったんだえ! だから言い返したら…奴隷で戦って勝ったら撤回するとか言って…でもあねうえと奴隷は休ませるってやくそくしたから…おれ……」

 

「…! ドフィ……」

 

「…あねうえ…あねうえにあげる花…散ったえ…! ーーおれ、こいつ絶対許さないえ…!!」

 

 

ドフィの手に握られていたであろう花はもう花弁が全て散って茎のみ。ドフィの心を表すように、萎れていて。

 

 

ーー私の中で、プツンとなにかが切れた音がした。

 

 

「…こんの……クソガキ!!」

 

「ぶべらァッ!!?」

 

 

パァンといい音がして、クソガキが吹っ飛んだ。

クソガキの体は大きくバウンドすると、元々立っていたところから数メートル先で止まる。

 

どうやら気絶しているようだ。…まあそりゃそうか、「親父にも殴られたことないのに!!」の代表みたいなヤツだし。平手打ちでもかなりのショックだろう。

 

 

「家族に手ぇ出したら許さない!! 次はないと思いなさいよ!! 次やったらぶっころすから!!」

 

 

聞こえてないと思うけど、一応言っておいた。

 

後ろで呆然としているドフィを立ち上がらせて…うん、大きな怪我はないみたい。

 

ほっと息を吐いてから、ドフィのことをこれでもかと抱き締める。

 

 

「ドフィ…ああ良かった……私の天使…」

 

「…っ、あねうえ……でも…あねうえにあげる花が…」

 

「いいのよ、ドフィ…気持ちだけでもすっごく嬉しい。私今、世界で一番幸せな姉上ね。本当にありがとう、

愛してる…」

 

 

そういっておでこにキスをすると、ドフィは嬉しそうに、そしてくすぐったそうに体を揺すって笑った。

 

 

「おれも嬉しかったえ」

 

「ん?」

 

「あねうえが、『次やったらぶっころす』って言ってくれて、嬉しかったえ」

 

「あっ……やだドフィ、アレは…あんな汚い言葉使うつもりはなくてね、ええと……嘘、じゃないんだけど…」

 

「フフフ!」

 

 

ドフィがとても嬉しそうに私の手を引く。

私があんな言葉使ったら、ドフィたちの教育上良くないってのに……私のバカ。

 

「真似しちゃダメだからね」と念を押すけど…ダメそうだなあ。

 

 

「ロシー!」

 

「あにうえ…! あねうえ! …あ、あにうえ怪我…!」

 

「これくらい大丈夫だえ、ロシー!」

 

「待たせちゃってごめんね、ロシー」

 

 

ううん、と首を振るロシー。だけどたぶん、寂しかったよねと申し訳なくなる。

 

 

「ロシーの花も、散ってしまったえ。悪いえ」

 

「ううん…!」

 

「あねうえ、あねうえには誕生日にもっと綺麗なのをあげるえ!」

 

「ありがとう、ドフィ」

 

 

奴隷のひとは休ませなきゃだから、二人を乗せることはせず、代わりに私がぎゅうっと手を握った。

 

私が抱っこしてあげられれば良いんだけど、お姉ちゃんとはいえ9歳が5歳と3歳を持つのは無理だから。

 

 

「ありがとう、二人がいい子で姉上幸せよ」

 

 

体は小さい私だけど、体より大きい精一杯の愛情を、二人には注いでおこう。

 

後悔しないように。




もうひとつの方もきちんと更新します…申し訳ないです


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3.いいこと、わるいこと

「あねうえは、『いたん』なの?」

 

「へっ?」

 

 

弟であるロシーから発せられた小さく、ストレートな疑問に、レンはきょとんとしてしまった。

 

時は遡ること数ヵ月前。

 

ロシーは姉が苦手であった。

周りの大人や友達は本人の前では姉を「大人びている」とそれはそれは褒めるが、陰では「異端の子」と呼んでいる。

 

ロシナンテもドフラミンゴとは違う恐怖を姉に感じていた。

人と違うことができる……それは、何より勇気と人の目を気にしない精神が必要だからだ。

 

 

だからまだ幼いロシナンテには、姉がひどく怖い生き物に見えて仕方がなかった。

 

 

「あねうえ……みんなと一緒にしよう?」

 

「みんなと一緒?」

 

「みんなとおんなじことしないと、ダメだよ……いたんって、言われちゃうよ…。ぼく、あねうえが言われるの、いや」

 

 

ロシナンテにしてみれば、みんなと合わせることは姉の身を守ることだと思った。だから奨めたのだ。

 

 

けれど姉は、嫌ともわかったとも言わずにロシナンテの話をうなずいて聞くと、勢いよく立ち上がり、こう言った。

 

 

 

 

「よし、ロシー、おさんぽ行こう! 姉上と、ふたりで」

 

 

 

 

ロシナンテがドフラミンゴ抜きで姉と散歩に行くのはこれが初めてだった。

外には蝶が飛び、花が舞い、高く豪華な建物が至るところに建っている。

 

聖地マリージョア。楽園のように、美しいところだ。

 

 

「…ロシーは、ここ、きれいだと思う?」

 

「…? うん…」

 

「それが例えば、人の不幸の上に成り立っているものだとしても?」

 

「……? むずかしいよ、あねうえ…」

 

 

姉は小さくごめんね、と微笑むと、ロシナンテの手をもう一度強く握った。

ロシナンテは姉の言いたいことがよくわからなくて、首をかしげる。

 

 

姉がたぶん、ここがきれいだと思っていないことは、なんとなく伝わったけれど。

 

 

「ロシーは大きくなったらどうするの?」

 

「どうする……なにか、するの?」

 

「そうねー、ここの人たちは、何もしてない人がほとんどだけど…人は違うのよ。働くの」

 

「はたらく……」

 

 

あまり馴染みのない言葉の羅列に、ロシナンテは姉の言葉を繰り返すことしかできなかった。

 

 

「働いて、家族を養ったり欲しいものを買ったりして、守りたいものを守るの。それって、すてきじゃない?」

 

「…! かっこいい」

 

「でしょ? ねえロシー、……なにもしなくていい、なにもすることのないなんて未来ほど怖くて、不安定なものはないわ。…だから姉上、怖いの」

 

 

怖い? 素直に驚いた。この姉に、怖いものがある。

そして同時に、自分の目の前に敷かれていると思っていた道が音をたてて崩れ去るのが見えた。

 

働く。知っている。でも、自分の未来に不安を持ったことなんてなかった。

 

思わず泣きそうになると、姉があわてふためいたので頑張って涙を引っ込める。

 

 

「もちろん、姉上がドフィとロシーは守るわ。…でもね、ロシー。しっかりした自分の道は、自分で作っていってほしいの。自分の目で見て、感じて、考えて」

 

「自分の目で見て、感じて、考える……」

 

「そう。それでもマリージョアがいいなら、姉上反対はしないけど」

 

 

そう言って苦笑した姉が、本当に自分を案じているのを感じて、ああ、この姉の弟で良かったとロシナンテは心から思った。

 

この人は、自分の考えを持っている人だ。きちんと持っているから、「異端」と呼ばれてしまうのだ。ここの人たちは、何も意見をもっていないから。

 

 

「父上と母上がほら、考えなし……じゃない、優しいからアレだけど、いいことも悪いことも、自分で考えていかなきゃね」

 

「…うん!」

 

「ありがとうね、姉上の心配してくれて。…ロシー、大好きよ」

 

「ぼ、ぼくも!」

 

 

いつの間にか姉への恐怖は消えて、逆に姉からの言葉がすとんと胸に入ってきた。

 

自分の目で見て、感じて、考える。

 

 

「あねうえ、いたんなんかじゃない。…ごめんなさい」

 

「! いいのよ! 確かにここでは私は変な子だから…だけど、考え方で他人にどうこう言われる筋合いはないから! 私は大丈夫!」

 

 

姉は異端じゃなかった。

 

 

 

ひどく苦しい呪文に蝕まれている、ただの子供であったのだ。

 

とーーロシナンテは後に知ることになる。



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4.子供だから

ある日、話があると言われて父上と母上に呼ばれた。

両親がいつになく真面目な顔をしていたのでどうしたのかと心配になってしまったが、……考えてみて、ひとつの可能性に行き当たった。

 

 

「父上、母上。お話って?」

 

「レン。ここに、座ってくれ」

 

 

母上がにこ、と笑うがその顔は作り物だと察する。…私、何かしたかな。

近所の子をぶっ飛ばしたこと以外なにか問題を起こした覚えはないから、心当たりが…たぶん、ない。うん。

 

 

よいしょ、と椅子に座って父上と目を合わせる。

一体なんの話を、と私が冷や汗をかきかけたとき……父上がバッ、と両の腕をバンザイでもするかのようにあげた。

 

唐突な父上の行動に、私ポッカーン。母上とろけるような笑顔。…は? え、なに?

 

 

「喜んでくれ、レン! 下界で暮らせることになりそうだ!」

 

「……下界? 暮らす?」

 

「そうなのレン。私たちの夢が叶うのよ!」

 

 

いやいやいや。ちょっと待ってほしい。

下界で暮らすのが父上と母上の夢だったのは知ってたとして、べつに私は暮らしたいとは思っていない。

 

そりゃあ、ここでだえだえアマスアマス言ってぐうたら暮らしていく気もないし、働くのは素敵だと思うけど、今? って感じだ。

 

 

だって、私たちまだ子供だし。それに父上と母上、あなたたちわりと考えなしでしょ? ……なんて、言わないけどさ。

 

 

「……で、でも父上、母上。ドフィは反対すると思うな。ロシーもほら、いきなり環境を変えるのはちょっとかわいそうな歳の気も…」

 

「大丈夫だ、あの子たちにも人間として暮らすことの素晴らしさを教える。それに子供のうち、というのが大切なのさ」

 

「大切なのさって…あぁ……まぁ…無駄かな…」

 

 

あなたたち、奴隷の目を見たことがある? と問いただしたい。奴隷の目はひどく濁っていて、涙も枯れきっていて、そこにあるのは絶望と恨みという炎だけ。

 

でもそれは「奴隷」という恐怖と「死ぬ可能性」という足枷によって抑えられているにすぎない。もし、その枷のないただの「怒りの塊」が、その矛先が私たちに向いたら、どうするつもり?

私たちは為す術なく死ぬだろう。ひどく苦しめられて死ぬだろう。

 

 

(想像力の欠如。正しいと思ってしまっていることを前にしたせいで、そんなこともわからないのかな)

 

 

「私たちはなにもしていないから」で見逃してもらえる恨みじゃない。「私たちは人間として生きていきたいと主張しているから」で人間にはなれない。

 

人間は恐ろしいものだ。

自分がされていなくとも、他人の痛みのために人を恨める。痛めつけられる。

それは俗に「絆」などと言うのかもしれないが、美しいように見えてその勘違いは恐ろしい。

 

奴隷じゃなかった人間も、天竜人を恨んでいる、この世の中で。天竜人であることを捨てた、天竜人なんて。

 

 

「ーーいいんじゃ、ないかな。だってそれが、父上と母上のむかしからの夢だったもんね! よかったね!」

 

「! ああ、レン…! お前には大変な思いをさせているが…きっと下界は素敵なところだ。家族5人で慎ましく、楽しく暮らそう」

 

「うん!」

 

 

私の父上と母上は、そりゃ「いい人」だ。

いい人は、誰かを食えない。食い物にされるだけ。

 

そして父上と母上は「大人」だ。

子供はまだ大人にひょこひょこついていくことでしか、生きていけない。悔しいことに。

 

 

 

ーーさあ、私のかわいい天使たちが他人の食い物にされないように、滑稽な処刑対象にならないように、

 

私が、死んでも守らなきゃ。



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5.家族愛、のハズだ

それから数ヵ月して、引っ越しの業者が家に入ってきた。その頃には全員誕生日は過ぎて、1歳増えていた。かといって、変わったところがあるかと聞かれれば特にないんだけど。

 

 

豪華な装飾品や食器、テーブルや椅子などを丁寧に包み、運んでいく。

 

大人たちの慌ただしい雰囲気というか、そういうものに耐えかねたらしいドフィとロシーが、窓辺に座っている私のもとへと駆けてきた。

 

 

「姉上、下界に引っ越すのかえ?」

 

「うん、そだよー」

 

「やったえ。奴隷が取り放題だえ!」

 

「いやいや…それはどうかと」

 

「なぜだえ?」

 

 

産地直送だえだと何だのと騒いでいるドフィは置いておいて、問題はロシーだ。

私は屈んで同じ目線になると、「お引っ越し、いや?」とロシーに聞いた。

 

 

「嫌だったら言ってくれれば、姉上が止めてあげるよ?」

 

「ううん…いいんだ。父上と母上の夢だもの」

 

「そっか…」

 

「それにね姉上、みんな下界は汚いって言うけど、ぼくまだ信じないよ。自分の目で見て、感じて、考えて…そうして、自分で決める!」

 

 

でしょ? と首を傾けてはにかんだロシーに、心臓を撃ち抜かれた。こ、この子ってやつは…!! とんだ小悪魔に育ててしまったものだ。

 

かわいいなあ、とドフィとロシーの頭をなでくりまわして、散々撫でて撫でてーー気がすんだところで、「荷物をまとめておいで」と二人の背中を押した。

 

 

さて、これで後戻りはできない。

下界に天竜人が護衛もなしに行ったーーしかも住むとなって、無事でいられるなんて思っていない。

 

 

「父上、母上」

 

「なあに? レン」

 

「どうしたんだい?」

 

「…下界で怖いことがあったら、どうしよう?」

 

「怖いこと?」

 

 

両親はほぼ確定した未来を言った私を、その言葉を、たぶん冗談だと聞き流した。

そして初めての引っ越しと下界に対する不安が娘をこうするのだろう、とでも思ったのか。私をぎゅうと抱き締めてきた。

 

 

「怖いことなんてないさ。私たちも彼らも、同じ人間なのだから」

 

「…そうだったらいいね、父上」

 

「ああ」

 

 

本当に、そうだったらいい。

でも、そんなわけない。

 

「そう」なってしまったとき、1番に心配なのはドフィとロシー…そして母上。母上は、体が弱いから。

 

 

「母上。下界に住んだら、家事手伝うね。あんまり忙しくしちゃ、ダメだからね!」

 

「ええ、ありがとう、レン」

 

 

母上は花のような人だ。

可憐で、きれいで、可愛らしくて、ーー脆くて弱い。

そして、その血は少なからず私にも受け継がれていて。

 

ストレスに弱くて、運動神経は良いのにあんまり長い時間動くと、体力をすぐ消耗するところ。それが私の体の欠点だ。これは、母上も同じ。

 

 

まずいな、これからの生活大丈夫かな、と不安が募るけれどーー仕方ない、親がこんなだから。

 

 

「…大丈夫、大丈夫」

 

 

私をつき動かすのは、きっと家族愛。



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6.成長と失敗

そこからは、なんとも早かった。

マリージョアを出て、島に着いて、チップを回収されて…私たちはこの瞬間から、人間になった。

ただ心配なのが、この両親。ほんとに…ほんとに…!!

 

 

(こんなでっかい家買いやがってぇぇええ!!!)

 

 

慎ましく暮らそう、なんて言ったくせに家は全然慎ましくないし!! ていうか、こんな豪華な家を持った家族がいきなり越してきたら不自然極まりないし!!もう、なんていうか、全部に言いたい。アホなの!!? ねぇ、あんたアホなの!? 知ってたけどさ!

 

金銀財宝の山にがしゃんと飛び乗ったドフィが、早速奴隷を買いに行こうとはしゃぐので、父上が「もう奴隷は買わない」と宥めると、一瞬でドフィの顔が困惑に変わった。うん、そうよね。なるよね。

 

 

でも、やっぱりここで長く暮らしていたいなら、ドフィを教育し直さないとダメだ。

この子はたぶん、すぐに「天竜人独特のアレ」を発動させるだろうから。…マリージョアから持ってきていたあの銃、捨てた方が良さそう。

 

 

 

 

 

ーーなんて考えていたのが、数日前。時って速い。

 

おやあ、大丈夫そうかな? ってくらいなにも起きなかったのは、たぶんドフィが不貞腐れて外にでなかったおかげ。

 

 

「姉上、外に行こう? 空気がとってもきれいだよ!」

 

「うん、ロシー。…ドフィ、一緒に行こうか!」

 

「……帰りたいえ、こんなところ。…奴隷もいないし遊ぶものもない! つまらないえ! 姉上!!」

 

 

ロシーはここへ来て少し成長したような気がする。ただの甘えん坊さんだったのが、自分でいろいろなところに行くようになったし、何より言葉がはっきりしてきた。

 

代わりにドフィは感情が少なくなって、退屈も寂しさも全て怒りに塗り替えてしまっていた。…私、ドフィの怒っているところ、苦手なんだけどな。

 

 

「うんうん、いきなり生き方変えるのは難しいよね。…今は父上が仕事がなくて、持ってきたものしか使えないから好きなものたくさんは買えないけど…楽しいこと、探しに行こう? ね?」

 

「……」

 

「ドフィの新しい楽しいこと、見つかるかも」

 

「………うん」

 

 

のろのろと立ち上がると、ぶすっとした表情でドフィは私と手を繋ぐ。

仕方ないかあ、今まで完全な天竜人ライフだったんだし。慣れないのもわかる。

 

 

外に出て、空気を肺いっぱいに取り込むように息を吸った。

うん、すうっとしてて気持ちいい。

 

 

「行ってきます、母上…かあさま!」

 

「いってらっしゃい」

 

 

私たちの家は海沿いの、街からちょっと離れたところにあるから、街までは歩かなきゃいけない。

それもまたドフィの不機嫌の原因であったのか、さらに怒りのオーラが強くなった。

 

まずいなあ、お菓子買ってあげたら機嫌直んないかな、と考えつつ、街のコンクリートを一歩踏んだ、その時。

 

 

「おい!!」

 

 

ドフィが鋭い声で叫んだ。…まずい!!

 

 

「なぜひれふさねェ!!! きさまら無礼だぞ、おれの前を横切ったな!? 誰か銃をもて!!! おれを誰だと思ってるんだ!!!」

 

「ドフィ!!」

 

「姉上、だってこいつら…ムグッ」

 

 

ドフィの口を塞いで、ロシーの手を引いて、駆け出した。まずい、まずい、まずい!!! きっと何人か勘づいた。ここは政府非加盟国。無法地帯にほぼ等しい。

 

ああもう、街につれ出すんじゃなかった、不機嫌なドフィを!!

 

 

「姉上…!」

 

「ムゴ、ムガ!!」

 

「ちょっと静かにしててねドフィ! ロシーもごめんね、走って!」



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7.始まってしまった

「かあさまただいま!! ごめんなさい、お夕飯の準備手伝うのちょっと待って!」

 

「え、ええ。どうしたのレン?そんなにあわてて?」

 

「なんでもない!」

 

 

走ったせいか疲れている二人の弟たちに謝って、私は自分の部屋に飛び込んだ。大丈夫、まだ来ないはず。

私が天竜人だったとき、親戚の人から貰った宝石類。そして、ロシーが大好きな飴玉の包み紙。その包み紙に、宝石類を手早く包んだ。見た目はなにも、おかしくないはず。

 

そうしたら肩かけカバンにそれを詰め込んで、水やお菓子、…あと仕方ないから威嚇ぐらいに、とドフィから取り上げていた銃も入れた。

これで、なんとかなるはずだ。…たぶん、大丈夫。

 

 

(家族は、私が守らなきゃ)

 

 

きっとこれから来るであろう怒りと恨みの塊から家族を守るためには、私が頑張らなきゃ。

 

 

だって私は、お姉ちゃんなのだから。

 

 

 

 

 

 

(あれれ? おかしいぞ?)

 

 

そう決意を固めて早数ヵ月。

…なーんもない。いや、本当に。何もない。

 

気のせいだったのかな? いや、でもそんなはずは。

 

首をかしげまくっている私にドフィとロシーが不思議な視線を送ってくるけど、まあ気にしないで。

夕飯であるハンバーグがいい香り。でも、意識はそっちにいかない。ごめんなさい、母上。

 

 

「いただきます!」

 

「…どうかしら? 今日のハンバーグは美味しくできたと思ったのだけど」

 

 

ぱくっと一口食べてみて…ううん、ちょっと焦げている。まぁ、元々料理なんてしたことのない母上だったから、この進歩はかなりのものだ。

私も母上と一緒に料理をして、それなりのものは作れる。一応人が食べれるレベルのものは、だけど。

 

私の反応がイマイチなのを見て、母上は少ししょぼんとしてしまった。ご、ごめんなさい母上!

 

 

「お、おいしいよ母上!」

 

「本当に?」

 

「うん! ちょっとお焦げがあるところもすきー!」

 

「お焦げ? おかしいわ…今日は焦げていないはずなんだけれど」

 

「えっ?」

 

 

口の中にはほんのり、焦げ臭いのが広がっている。でも、母上は焦げてないって言ってるし…それに見た目的にも、真っ黒ではないし…むしろ、普通だ。

 

じゃあこれは、なんの臭い? と考えたとき。謎の寒気がつつ…と私の背中を撫でた。

 

あわててドフィとロシーの方を見る。ドフィもロシーも口いっぱいにハンバーグを頬張っている。…やっぱり!!

 

 

焦げ臭いとあんまり食べないドフィが、食べている!!

 

…いや、弟の成長を喜んでいる訳じゃなくて。問題なのはそこじゃない。

 

「私だけが焦げ臭いと思っているのでは」というところだ。…だとしたら、なぜ。

 

 

嫌な予感がして立ち上がる。行儀は悪いけれど、私の部屋へ急いで、カバンをひっつかんで辺りを見回した。

 

ーー焦げ臭い。家の中が。

 

そう気づいてしまった瞬間、私は外にいる大量の人の気配を感じてーー駆けた。

 

 

「みんな逃げて!! はやく!!」

 

「姉上…?」

 

「レン、何を…」

 

「家が焼けてるから!! 裏口から逃げて…っ!」

 

 

なぜ、という顔をしている両親を無理矢理に外へ押し出す。ーー案の定、家は人々のもつ松明によって焼かれていた。まだ全焼ではないが、家からはもうもうと煙が上がっていた。

 

 

(始まってしまった……)

 

 

慌て、不安げな顔をするドフィとロシーに「大丈夫だよ」と私は声をかけた。

 

 

その声が、震えないように気を付けながら。



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8.生き延びて

とりあえず走った。死ぬほど、といったらさすがに大袈裟だけど、走った。そうしているとここに来てからとっくに1年なんか過ぎていて。

走って走って、いろんなところに寝泊まりして、食べ物をあさってーー行き着いたのは前の家とは天と地の差。ゴミの山の横に建つおんぼろな家だった。

 

ドフィは虫がいる、家の臭いも吐き気がする、と騒いでいたが、私はそれを宥めて母上をベッドに連れていった。

咳が出ていたし、顔色も最悪だったから。

 

 

「母上…」

 

「けほ、っ…ごめんなさい、レン…」

 

「…いいの、母上。気にしないで」

 

 

これがあなたたちの夢の、本当の姿である。

哀しそうにも、絶望にも見える母上の感情は想像できるけど、それでも。

 

 

(あんなに他の人にも止められていたのに…)

 

 

こうなることは考えられたはずなのに。

親の考えなしに絶望する11歳ってなんかやだ…。

 

 

「…姉上」

 

「? ドフィ」

 

 

うつむき気味で私に力いっぱい抱きついてきたドフィは、少し落ち着いたようだ。

それでも瞳の奥の鋭い怒りを宿した瞳は変わってないけど。

 

 

「どうしたのドフィ? 大丈夫よ、姉上がいるから…あ、そうだロシーは? 父上は?」

 

「……姉上も、休むんだえ」

 

「え? なんで? 姉上は大丈夫だけど…」

 

「そんなわけないえ!!!」

 

 

突然の大声にびくりと体が揺れる。ど、どうしてそんなに怒ってるの?

 

 

「母上があんなに疲れていて、姉上が疲れていないわけがないえ! 姉上、ずっと…ずっと大変そうだえ!」

 

「…ドフィ……」

 

 

ドフィの言葉に、じわっと目頭が熱くなるのを感じた。ほんと、この弟は…。よく見てくれている。

けど、弟に大変そうと思わせてしまったのは、私の失敗だ。気遣わせてしまった。それがとても胸に刺さった。

 

 

「ありがとう、ドフィ。その気持ちが、すごく嬉しい。けど、姉上は本当に大丈夫よ。だからドフィ、ゆっくり休んで」

 

「…姉上は、いつも気持ちしか受け取らないえ」

 

「そうかな? じゃあどうしよう…一緒に休む?」

 

「…! うん!」

 

 

うん、わかってた。ドフィ、さみしいだけなんだよね。とたんに笑顔になったドフィに連れられて、ギシギシと軋む床を歩く。

 

ーー途中、どこかに電伝虫をかけている父上を見かけた。

ドフィはそれをただ黙ってじっと見つめると、また少し不機嫌になって廊下を歩き出す。……父上の背中が、やけに小さく見えた。

 

 

可哀想だ。ドフィとロシーが。

どうして、ドフィとロシーがこんなに重い現実を見なくちゃいけないんだろう?

せめてこの家に生まれていたのが、私だけであればよかったのに。

 

そうしたらこんな子供が、傷つくこともなかったろうに。

 

 

「ドフィ」

 

「……」

 

「大人になるまで、生き延びるのよ。そうしたら、自由になれるんだから。父上と母上について行かなくても、生きられるようになるんだから」

 

 

少し驚いたような顔をしたドフィだったが、なにかを噛み締めるような顔をしたあと、静かに頷いた。

ドフィが私の言葉に一度で素直に頷いてくれるのは初めてでちょっと驚いたけど、嬉しかった。

 

そう、あなたたちには自由になる権利がある。空を駆ける力がある。

だから生き延びて。どうか、生きて。

 

 

 

 

私の命を足蹴にしたって、構わないから。



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9.親不孝娘

それからというもの、ドフィは癇癪を起こさなくなった。むしろ、生き延びようと必死になっていった。時にはゴミを漁り、時には物を盗み、途中見つかったのか殴られる蹴られるなどの暴行を受けて帰ってくる日も少なくなかった。

それでも弟たちは泣かずにめげずに、生きようとしていた。

 

私はそんな強さを、弟たちに持ってほしくなかった。

でも生きろと説いたのは私なのだから、どうしようもない。生きてほしいけど、私を足蹴にしてもいいけど、頼ってほしい。そんな矛盾した想いがそこにあった。

 

 

ーー母上の体調は、日に日に悪くなっていっている。

咳は止まらないし、顔色も真っ白。美しかった母上の顔は、もはや見る影もなかった。

また、看病している私の体力や気力も、徐々に無くなりそうだった。

 

母上の命が持たないことは分かりきっている。こんな生活が続けば。そして、こんな生活が終わらないことも分かりきっていた。

だから私はこの人に産んでもらっておきながら、親身に看病しているフリをしながら、一番に母上の命を諦めてしまっていたのだった。

なんともひどい娘である。

 

 

「母上、ご飯だよ」

 

「レン、ごめんなさいね…けほっ…私がこんななばっかりに…」

 

「………」

 

 

私は何も答えずに、なけなしのお金で買った少量のお米を使ったお粥を使い捨てのスプーンにすくった。

ここまでまだ噂は届いていないはずだから、とただの子供のフリをして買ってきたお米だ。

本当はドフィやロシーにも食べさせてあげたいけど、母上にあげなかったら逆に私が二人に怒られる。

 

こうなってから、父上と母上は毎日のように私に謝ってきた。ごめんなさいね、すまない、と。

ずるい人たちだ。今謝られたって、私の傷は……いや、私のはどうだっていい。

ドフィとロシー、私の天使たちの傷は一生癒えないだろう。私はそれを、赦さない。

 

 

母上の謝る顔は嫌いだ。今にも泣きそうな顔で、謝ってくる。それが本当に申し訳ないと思っている顔だから、逆に私は問いただしたくなるのだ。こうなるってわからなかったの? と。

 

ふらりと視界が揺れた。疲れが溜まっているのかめまいがして、私は眉間の辺りを手で揉んだ。

 

すると、母上が私のそれに気づいたのだろう。そしてーー何を思ったのだろうか、私に両手を広げてきたのである。

 

 

「おいで、ロレンソ」

 

 

ぷつん。

 

私の奥で、前に聞いたことのある……何かの切れる音がした。感情を塞き止めていた何かが壊れたのだろうか。心に流れ込んできたのは、どうしようもない怒りと、悲しみと、焦燥感だった。

 

 

「……母上は、こうなるって考えていなかったの…? ドフィが、ロシーが、酷いことされるってわからなかったの…? それとも、知っててここに来たの?」

 

 

今までの思いが、つらさが、言葉になって流れ出てくる。止めなきゃって思うのに、出てくる言葉と涙は、もう止まらなかった。

私は、焦っていた。このままだと弟たちの心が壊れてしまう。殺されてしまう。ーー私の守るべき人が、守れないまま終わってしまう。

 

それはいやだ。いやだ! いやだ!!

 

けれど。……けど。

私は、まだ12歳だった。もう、いろいろ手一杯。どうしたらいいのか、もう、全然わかんない。

 

 

「ロレン…」

 

「…ッ父上も母上も! 私たちのことなんか考えないで…父上はあほだし! 母上は体が弱いし! ドフィとロシーはちっちゃいし! …どうしろって、言うの? ーー私にどうしろって言うの? 母上!! 答えてよ!?」

 

 

母上の顔が、さらに白くなっていく。

 

やって、しまった。

散々言ってから我に返って……絶望した。つらいのは、母上なのに。

つらいのは父上と母上で、全部知っていて黙っていたのはーー私だ。

 

 

母上がけほけほと咳き込み始めた。持っていた欠けたコップが、床に転がる。水が私の足まで跳ねた。

 

 

「けほ、っ……、ロレン、ソ…っ、ごめんなさ…」

 

「ーーッ!!」

 

 

たまらなくなって、駆け出した。逃げ出した。すがるような母上の視線から逃げたくて。あの目を、見たくなくて。

殺してしまった。殺してしまった。母上の心を、私が殺してしまった。

 

汚いことをなにも知らない母上だった。それを、守りたかった、のに。

一番汚れていたのは私だった。母上が私を産んだのは、間違いだったんじゃないかなあ。

 

 

そんなことを考えながら走って逃げて、私は街まで逃げた。ほっと息を吐いて、頭を冷やそうとしばらく街をぶらつくことにした。

 

 

 

 

ーーだからその日その時が、私が母上と話し、触れあった、最後の瞬間になり……

結局私は母上を看取れないという、最高の親不孝娘になったのだった。



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10.ドン・キホーテの道標

母上がいなくなってーーいや、亡くなっても、泣いている暇なんてなかった。

ロシーはその時は耐えきれず泣いていたけど、ドフィは父上を睨み付けたまま動かなくて、家庭内の雰囲気はさらに険悪なものになっていった。

また、父上は母上がなくなったことで、私たちを守らなくてはと必死になっている。そんなこと望んでいないし、期待もしていないんだけど。

 

私は消失感も後悔も全て踏み潰して、生き延びること、また家族を生かすことに全力を注ぐことにした。

それに本気で全力を注げるようになったのは、母上が亡くなってから1年以上経ったころだけど。

 

 

今現在、母上の食料が必要なくなって、かなり不謹慎だけど弟たちのごはんを少し買うくらいの余裕ができた私は、お米を買って家に帰ってきているところだった。

 

 

「ドフィ、ロシー。ただい……ま…」

 

 

けれどそこに、家はなかった。

 

焼け焦げて、木片と炭のみになった「家だったもの」がそこにあった。呆然として、…父上は? ドフィとロシーは!? と辺りを見回す。

すると、そこに私を手招きする手があった。我慢できずにロシーが顔を茂みから覗かせている。どうやら、隠れていて無事だったようだ。ああ、よかった。

 

 

「全員無事でよかっーー」

 

 

た、と言いかけて。私は今にもロシーに襲いかかろうとする人の気配がすることに、今更気づいた。やば、近い!!

あわてて緊急のものが入っているバッグを漁った。けれど特に何もない。……「あれ」、以外は。

何にも気づかず私を待つ家族に、今大声を出したところで間に合わない。ああ、でもなあ。ドフィの教育に悪いけど、でもーー。

 

そう心では葛藤していても、私の手はひんやりとして重い「それ」をしっかりと掴んでいた。

心臓が嫌な音を立てる。私が今やろうとしていることは、それは……。

 

 

(ーーっ、家族を守るため!!!)

 

 

パァン、と乾いた音が辺りに響いて、「私の」家族が肩を震わせて、驚いたように私を見た。

その横では頭から血を流し、死んだことに気づいていないかのように、凶悪な顔のまま死んでいる男がいた。

あねうえ、と私を呼ぶ声がする。

 

けれどそんな声に応えている暇は、なかった。

 

 

「走って!!!」

 

 

父上がハッとし、私を見る。

「撃ちやがったぞ!!」という男たちの怖い声が聞こえてーーゾクッとした。

それでも、叫ぶしかない。父上、どうかお願いします。頼りないあなただったけど、それでも……あなたは私の父上だったから。

 

 

「走って!! 私のことは気にしないで!! …あとから、行くからっ!」

 

「ロレンソ…っ!!」

 

「お願い、早く行って!!」

 

 

まって、と立ち上がったロシーも、わめき散らすドフィも抱えて、父上は泣いていた。大の大人が、なんで泣くかな。

父上、私はあなたのそういうところが、嫌いだったよ。

 

 

「姉上、あねうえぇ!!」

 

「離せ!! っ、姉上!!!」

 

 

でもね。

 

そういう風に父親ぶって、子供のことを命を張ってでも守ろうとするところは、他の家の父親にはなかったし、それはすんごい自慢だった。

ちょっと考えなしなところはあるけど、私たちの幸せを一番に考えての行動だったんだって、後から思えば分かるよ。

 

父上。母上。ドフィ。ロシー。

 

……かみさま、お願いします。

私の愛しい家族を、殺さないでください。

幸せだったんです。迫害されても、殴られても蹴られても。あの家庭を失うのは嫌だった。あの家庭が、好きだった。何より、尊かった。

貰った宝石より、装飾品より、あの場所は輝いていて。幸せでした。どんなときより幸せでした。ーー世界一、幸せでした。

 

 

だから、かみさま。

私がいなくなっても、彼らに、あんな家庭をあげてください。

幸せだなあって、ポロリと口から出るような家庭を。

 

私のことなんか忘れて、幸せになれる居場所を。

 

 

「いたぞ!!! 天竜人!!」

 

「っ、あぁァッ!!」

 

 

ずしゃ、と音がして、私の腹部に矢が刺さった。とてつもない痛みに、意識が飛びかけたけどーーまだ、動ける。今のはちょっと、ビックリしただけだ。

まだ、やれる。止められる。

 

 

(自由になってね、ドフィ、ロシー)

 

 

それが私の人生の目標。道標。

見失わないように。盲目にならないように。

 

 

「ッ、うぁぁああ!!!」

 

 

大したところじゃないから、矢を引き抜いて。お腹の怪我から血がどばどば出ては来なかったからほっとしつつ、私は落ちていた丈夫そうな木の枝をひっつかむとーー勝ち目がないのは知りながらもーー私を睨み、殺そうとする大人たちの中に、飛び込んでいった。



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11.安いものだ

私はそのあと、必死になって戦って、大人を殴り、殴られて。けれど大人に子供が敵うわけもなくて、後ろからの重い衝撃に、意識を手放してしまった。

 

だからだろうか。

数秒にも感じられる時が過ぎて、激痛で私の意識は引っ張り上げられた。

目を開くと、そこはどうやら街のようだ。やっぱり、ここまで噂はもう来ていたんだな。

 

 

(どうなってんだ、私の体…)

 

 

意識がさっきまでなかったはずなのに、私の体はきちんと縦になっている。

地面に足がついて…あれ、手が動かない。

 

もしや、と思って恐る恐る右手を見て、左手を見てーー叫びそうになるのを必死に耐えた。

激痛の原因は、これか。

 

 

(見てるだけでいたい…いや、実際痛いんだけどもね? にしたって、これは…縄がなかったのか、襲いかかってきた腹いせか…ああ、いたい…!!)

 

 

私の体が縦になっていたのも、手が動かないのも、私を目覚めさせた激痛も…すべて、これ…。

そう、私の掌から甲、そして建物の壁へと貫通し、私を固定している釘のせいであったのだ。

くら、とまた意識が飛びかけるのを必死に繋ぎ止めて、深呼吸をする。

 

 

(これをどうにか抜けて、逃げ出す方法はひとつしかない。どうやら見張りはいないようだし、…あわよくば弟たちも助けにいきたい)

 

 

そう決心を固めて、私はもう一度右手と左手を交互に見た。…緩いのは、そうだな…右手かな。

右手をグッと握りしめて、痛覚を無視した。

ぐちゃ、とか嫌な音も、信じられないくらいの痛みも、脳には届いていたけれど、全力で無視した。感覚の受け取り拒否である。

 

 

「ウッ、あァァッ、!!」

 

 

ぐりん、と釘をどうにか壁から引き抜いて、歯で手からも引き抜いた。

さて、と左手も同じことをしようとする。けれど左手だけ違う人がやったのか、妙にしっかり打たれていた釘は、右手と同じようにはいかなかった。

 

痛みが手全体に広がるだけで、一向に抜ける気がしない。

ふと、私が打ち付けられている通りの少し先に、人が集まっていく気配がした。

 

 

「子供たちは許してくれェ!!!」

 

「父上…もう死にだい“よ……!!!」

 

(父上!! ロシー!! ドフィ!!)

 

 

よかった、という気持ちと早くしなきゃ、という焦りが混じって余計抜けない。

くそ、くそ、くそクソクソクソ!!!

 

ここで守れなくてなにが姉上!! なにが大丈夫!! 私は嘘つきにはなりたくない。弟たちだけには、嘘はつきたくないんだ!!

 

ーー足元に転がるひとつのナイフが目に入った。

それを見つけたときの感情といったら…歓喜に近かったかもしれない。これで家族を救える。これで。

一瞬でこれをどう使うか、なんて決めていた。手から抜けない釘、落ちているナイフ、急がなくちゃいけないこの状況。私はそっと肩にナイフを当てた。

 

私ってば、もしかして神様なんてやつにとうとう振り向いてもらえたのかな?

 

 

(…なんてね。そんなものがいるんだったら、私たちはこんな風になってないし、そもそも奴隷なんていないし、天竜人だっていないだろう。不幸なひとはいないだろう)

 

 

人ひとりに対して幸せの量ってのは決まっていて、例えるならコップの水である。

 

もっと水がほしいのなら、他人のコップから水を入れるしかない。

何もないところから水はでないように、誰の幸せも奪わずに、誰かが幸せになることはないのだ。

誰かの幸せを踏み台にして。誰かの幸せを奪って不幸を注いで、自分のコップは幸せで満たす。

 

私たちの祖先はそうやって生きてきたから、その報いなんじゃないか。親の恨みもなにもかも引き継いで行くのが、家系ってもんだから。

 

 

そう考えているうちに、「腕の切断は終わって」、腕が釘に刺さったままぷらーんとなった。

私の肩からは血がとめどなくあふれている。やば、死ぬかもなあ。

 

 

「せめて、弟たちを…最期に」

 

 

見たい。そう思った。

私が考え事をしている最中に、なぜかさっきまでぎゃいぎゃいとうるさかった通りは静かになっていて、父上の命を乞う声も聞こえてこなかった。…もしかして、もしかしてもう全部終わって…行ったらあるのは家族の死体とか…ないよね?

 

ぶるり、と寒気がしたけど首を振って、身体中が痛いけど腕とお腹を主に庇いつつ、うるさかった通りへ到着した。

 

 

「……なに、…どういう、こと?」

 

 

そこには、恨みを呪文のように吐き続けている人も、矢をもって泣いている人も、……なにも、誰も、いなかった。

 

…いや、倒れているというのが正しい表現だろう。

皆同じ、泡を吹いて倒れていたのだった。

不思議に思ったけれど、とりあえず紐でくくりつけられている家族たちを見つけて、身体中から力が抜けた。無事だ。無事だった。生きていた…生き延びていた。

 

 

「父上、ど、ふぃ……ろ、しぃ」

 

 

どんどん体の力が抜けていく。おかしいな、と思いながら家族に手を伸ばすけれど…届かない。高すぎる。それに、家族も気絶しているようだった。

ドフィを除いて。

 

 

「……っ、…ひっく」

 

(そんなに泣いて…可哀想に……おいで、大丈夫、大丈夫だよ…ドフィ……)

 

 

でも、体が思うように動かなかった。

ばしゃ、と生暖かい液体に顔が触れる。もう耐えきれずに地面に伏してしまった。

これは…なんだろう。鉄臭いし、あったかいし、…それに赤い。きれいなカーマインレッド。

 

 

(ああ、これ、血だわ……)

 

 

そう気づいた瞬間、急速に意識が遠くなっていった。まずいなあ、死ぬのかなあ。

必死に家族に手を伸ばすけど、届かない。

 

私の視界には私の右手と、なきじゃくるドフィの二つが、ほんの一瞬だけ鮮明に映ったあと……ふっ、と何もかも見えなくなってしまったのだった。



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嫌悪の終幕
12.ジジイと死に損ない


オリキャラと既存悪魔の実前所持者捏造注意。


つん、と消毒薬のにおいが鼻に届いた。

ゆっくりと目を開くと、そこには真っ白な天井が広がり、ライトが光っていた。眩しくて、目を細める。

 

ここは一体どこだろう。私はなにをしていたんだっけ。なにも思い出せない。ううん、と首を捻ると同時、お腹に激痛が走った。

見ると、手術の痕がある。…縫ってある。ほえー。すごいもんだなあ、と感心してから、待てよ、一体誰が? と考えてーー視界の隅にいた老人が目に留まった。

……ん? え?

 

 

「う、わぁ!!?」

 

「!? なんじゃい、うるさいわ!!」

 

 

いやあんたもな、という言葉は、恩人かもしれないこの人の前では言わないでおいた。

 

目の前にいるのは、だいぶ歳のいったおじいさんだ。けれどシワひとつない白衣を着こなし、顔色はよくないがキリッとした顔をしている。

ベッドに寝転がって起き上がらずに私をまじまじと見つめているのは、どうやら変態だからじゃないらしい。

 

 

「……おはよう、ございます」

 

「ああ」

 

「あの…あなたが、私を?」

 

「そうじゃ。穴の空いた腹も治し、傷口の荒さが最悪じゃった腕も繋げてやった。文句あるのか」

 

「いや、文句なんてそんな!!」

 

 

あるわけない、と言い……私はひとつ、思い出した。

そうだ、家族!!

 

 

「あの! 私の近くにいた大人と、子供ふたりは…!」

 

「ん? そんなん居らんかったぞ」

 

「えっ…」

 

「よくわからん鼻水男が居たが…でかすぎてその後ろまでは見えんかったわい」

 

「は、はぁ」

 

「それに、今にも死にそうなガキが居たんじゃ、放っとけという方が鬼じゃろう」

 

 

鼻水男? いや、それは関係ないだろう。

うちに鼻水男なんていないし、父上が鼻水まみれになってたとしても、うちの父上そんなに大きくないし。

よくわからない、と首をかしげていると、おじいさんが「しかし」と怪訝そうに私を見た。な、なんでしょう。

 

 

「そんな怪我、まだ子供のお前がなぜするハメになった? 最近街のやつらが騒がしいと思っておったが、なにか関係があるのか?」

 

 

びく、と体を揺らした私になにか確信めいた視線を送ってきたおじいさんは、ため息をひとつ吐くとベッドから立ち上がった。

その体には点滴の管が何本かあり、一目で体調が優れないとわかる。

 

…母上と、同じ顔色してるもの。

そう思った瞬間、大粒の涙がぼろんぼろんと私の目から出てきて、おじいさんはぎょっとしていた。ご、ごめんなさい。

 

わわ、涙が止まらない。嗚咽も出てくる。こんなん、産声とドフィとロシーが初めて歩いたときくらいじゃないかなあ、ほんと。

 

 

「う、うぅ~…!! うぇ~ん…!!!」

 

「なっ、泣くんじゃない! ま、まて。落ち着け、そうじゃ、うーんと、えーっと、とりあえず泣き止め! なぜ泣いとるのか話さんと訳がわからんわ!」

 

 

この人は、恐らく子供とかが苦手なんだろう。

扱いがなれてない感じするし、テンパってるし。

 

でも、雑でも、ゴツゴツざらざらしたお年寄り特有の、あの安心する手で涙を拭ってくれたから、おじいさんはきっと昔多くの女の人を心酔させたプレイボーイに違いない。…なんてね。

 

とりあえず嗚咽と涙を引っ込め(ようと努力し)て、おじいさんにこれまでの事情を話した。

 

元天竜人であること。一家五人で下界へ来たこと。家が燃やされたこと。迫害されたこと。それでも弟たちを守りたかったこと。母上が死んだこと。弟たちを逃がして、自分は壁に釘で打ち付けられたこと。……意識を手放す前に弟たちをみて、よかったと思ったこと。

 

引かれるかな、とか、同じように迫害されるかな、と身構えながら話していた私の頭には、いつの間にか大きな手が乗っていた。

 

 

「……頑張りすぎじゃ、バカ娘が」

 

 

その声はたまらないくらい優しくて、でも私はふるふると首を振った。

 

 

「そんな、…頑張れてなんか、ないです。だって親不孝だし、弟たちは最後まで面倒見られてないし、…つらい思い、させちゃったし」

 

「それはお前の親がアホだからじゃ」

 

 

はい。ぐうの音も出ないです。

けど、自分で思うのと他人に言われるのとではなんだか感じ方が違って、ちょっとイラッとした。

親をアホと言われたことに。…なんでだろう?

 

 

「…でも、私は姉上だから。大丈夫です。守らなきゃ、家族を。私がーー」

 

「大丈夫じゃないわ!!!」

 

「!?」

 

 

急に大きな声で怒鳴られて、私は飛び上がってしまった。きゅ、急になんですか!!? いきなりステーキもビックリだわ!! …あれ? なに言ってんだ、私。

 

 

「親に苦労して、弟に苦労して、殴られて蹴られて、矢で射られて釘で打ち付けられて!!! どこが大丈夫なんじゃ、言ってみィ!!」

 

「…ッ、でも私は大丈夫なんです!!! だって、だって家族を守るっていう役目が…」

 

「“守る”ということは自分を蔑ろにすることじゃないと分からんのか!!? 他人に守られることもできない者が、他人を守るなどとのたまうなァ!!!」

 

「!!」

 

 

だって、ともう一度呟いた声は、かすれていた。

止めたはずの涙が、落ちてくる。この地獄みたいな生活の思い出が、走馬灯みたいに頭を駆け巡った。

私はこの生活の間、……一度だって、家族に助けを求めただろうか。お願い知恵を貸して、とか、お願いたすけて、とか、言っただろうか。

 

ーーー否。

 

 

私は守られる気はなかった。

父上より、母上より先を見ていると、家族を見下していたから、私は、守られることをしなかった。

それはなんて、弱い行為なんだろう。

でも、聞いて。私は誰かを守ることでしか、いきる意味を見つけられなかったってとこも、あるんだよ。

ほんの少しの劣等感と、天竜人たちからの疎外感。

 

寂しかったんだよ、ねえ。寂しかったからーー守るためって言って、私のエゴで、ドフィとロシーを、溺愛していたのかも、と思うと笑えた。さいてー。

 

 

「……人生のすべてを分かったような顔をするんじゃないぞ。自分を最低だとも思うな。お前が弱いのなんざな、百も承知じゃ。お前の強さに、期待なんぞしとらん」

 

「……っ」

 

 

悔しくて、でも言う通りで。

けれどね、やっぱり最低って思っちゃうよ。だって、私はきっと、エゴでしか動いていないエゴ人間なんだから。

その餌食になったのが、私の弟たちだっただけ。

 

ふっと自嘲気味に笑ったーーそのとき。

 

 

「ーーー強さに期待なんか、されてなくていいんじゃ。お前はまだまだ、……クソガキなんじゃからな!! はっはっは!!」

 

 

優しい、優しい言葉だった。

はっとして、震えてーー今にも泣き出してしまいそうだった。いや、もう泣いていたけれど。

おじいさんは今度はテンパらずに涙を拭って、にかっと笑った。

 

ああ、そっか。

 

私の心には妙な納得があった。

…クソガキって言われたのが、嬉しかったんだなあ、私。

昔から大人びてるだの何だの言われてきたけど、心では叫んでた。私、子供だよって。

 

ああ、嬉しいんだ。ーー見て、もらえたことが。

 

 

「だが、…お前が家族に注いだ愛は、忘れちゃァいかんぞ。それは、本物の愛! 強さの源じゃ!」

 

「つ、強さの、源…?」

 

 

この人は、どんな人生を送ってきたんだろう。

とても気になった。話を聞いてみたいと思った。

 

おじいさんはげほんっ、とひとつ咳き込むと、呆れたようにに息を吐く。

 

 

「……はぁ。まったく…わしの人生最後の手術がこんなガキで、しかも説教までしなきゃならんとは。最後まで、ついとらんの」

 

「…人生最後の手術?」

 

 

おじいさんは、寂しそうに笑った。



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13.クソガキ

おじいさんは、私に色々なことを話してくれた。

 

おじいさんが「オペオペの実」という悪魔の実の能力者であること。おじいさんはもう治せない病にかかっていて、命があとわずかしかないということ。治す気はないから今日なにか治療したらベッドで死を待つのみにしようと思っていたことなど。

 

だから私を見つけて治療したものの、体力を使いすぎてもうお迎えが来そうだな、なんて思っているらしい。

 

 

「おじいさん…そんな…」

 

「はっはっは! なぁに、すぐ死ぬわけじゃないわい! …ああそうだ、お前、船はいらんか?」

 

「へ?」

 

 

いきなり何を言い出すかと思えば。

聞けば、昔船で旅をしていて、そのときの船が未だのこっているらしい。中には珍しい品や道具、探せば悪魔の実もあったような気がするし、死ぬときに多くのものは遺したくないらしい。

だから、だったら私がもらってくれた方がいいと。

 

 

「それにほれ、お前家族を探したいんじゃろ? ここは世界政府非加盟国じゃからな…お前の家族はここにはもう居らんと考えるのが妥当じゃ。ずっと居れるほど治安もよくないしな」

 

「おじいさんは、街の外れに住んでますもんね…」

 

「ああ。…それに確か、つい昨日…お前がまだ寝ていたとき、海軍の船が一隻きたな。もしかすると保護されとるかもしれん。情報を集めるのも、手かもな」

 

「お、おじいさん…っ」

 

 

なんて優しいひとなんだろう。

厳しいけど、優しい。…くーっ。こんな旦那がほしい。なんて、14歳が思うくらいにはおじいさんイケメンだった。

 

 

「というか、船に悪魔の実があるんですか?」

 

「ああ。…わしの妻のものがな」

 

「お、おお……」

 

「形見にと、亡くなってから必死に探したんじゃ。だが…もういいさ」

 

 

ま、やっぱり奥さんいますよね。いるに決まってるわ、うん。

おじいさんの言っていた扉を開けると、…なるほど、ヨットみたいのじゃなくて、しっかり船室もあるそれなりにでかい船だった。すごい、いいやつだ。丈夫そうだし。

 

きい、と扉を開けると少しホコリが積もっていた。後で掃除しよう。

入ってすぐキッチンがあって、ベッドもあって、お風呂もある。すげー。

奥は倉庫になっていて、…あ、これかな悪魔の実。四角い…長方形の、ふしぎな形してる。

 

 

「ーーそりゃあな、『リモリモの実』だ」

 

「え!?」

 

 

いきなり後ろにいたおじいさんにも、「リモリモの実」っていう名前にも驚いた。

なに、リモリモって。

 

 

「これを食べたものは、リモリモの実のリモコン人間になる。超人系じゃな。時を進めて未来を見たり、過去の映像を見たり、時や物の動きを止められる。また使いこなせば、ものを操れるようにもなるぞ」

 

「な、なにそれ…」

 

 

リモコン人間? ってことは、機能を聞く限り…テレビのリモコンとかと、おんなじ感じか。早送り、早戻し、一時停止。…あれ、操れるってどういうこと?

 

 

「リモコンはテレビだけじゃなく、ラジコンなんかもあるじゃろう? 無機物や意思のない物ならば自在に操れるようになる」

 

「す、すごい」

 

「ただ…早戻しで過去にいっても、干渉はできんぞ。過去の自分の目線で『再生』されるだけじゃ。未来を見るのもまたそう…見るしかできん」

 

「一時停止は?」

 

「それは干渉はできる。だが…あまり長い時間時を止めると、反動で自分の過去に飛んでしまう。…『五分』だけな」

 

 

それからいくつかおじいさんに質問をして…なるほど? リモリモの実、か。

 

 

「食べます!」

 

 

これで少しは強さというものが分かるかもしれない。面白いことがあるかもしれない。

泳げなくなったって構わなかった。

やりたい、と思ったことをやってみたかった。

 

構わない、お前は妻に少し似ているから、と豪快に笑ってくれたおじいさんは、私に生きる術を少しと、応急手当の方法、食料と電伝虫を渡してくれた。いつでも連絡をいれろ、と笑った。

 

 

「もう無茶はせんか?」

 

「う…た、たぶん」

 

「自分を蔑ろにするんじゃないぞ」

 

「はぁい」

 

「怪我がないようにな」

 

「ありがとうございます!」

 

 

怪我を治してくれて、さらに船までくれた。

優しすぎるので理由を聞いたら、目をそらしたおじいさんだったけど、その耳が真っ赤だったのを私は見ていた。かーわーいーいー!! 奥さん大好きか!!

 

 

「振り向くんじゃないぞ、いいな! まっすぐすすめよ!」

 

「うん!」

 

「はっはっは! 頑張れよォ、クソガキ!!」

 

 

おじいさんがぐっと親指を立てて、いつまでも私を見送ってくれた。

見えなくなるまで、ずっと。

 

 

ーーーあのあと、おじいさんの渡してくれた電伝虫で何度か電話をかけたけど、繋がらなかった。…理由は、あんまり考えないようにしてる。

けれど、おじいさんの渡してくれた物と、命。それから言葉。思い出す度、お腹と左手の縫い傷が熱くなる。

 

 

(頑張るよ、あなたの救ってくれたクソガキは)

 

 

しゃり、と不思議な果実をかじった。

 

 

「ーーー~~ッ、マッッッズ!!!??」



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閑話.ピエロは真似る(ドフラミンゴ視点)

ーーー自分は無力だ。そう気付いたのは、憎き憎き人間共に迫害されて、追い詰められて……姉を、失ったときだった。

気高く、頭がよく、優しく頼りになる姉で、いけないことをすれば容赦なく叱るし、逆に彼女の嬉しがることをすればこれでもかというくらい撫でられ、愛された。

 

責任感の強い、自慢の姉。

迫害されても母が死んでも、気丈に、自分たちを心配させまいと笑っていた。

 

だから愚かな自分は、姉がいなくなるなんて考えてもいなくて。

 

 

「逃げて!!!」

 

 

悲鳴のような声が聞こえた数瞬後、乾いた音と真横からの血しぶきに、父と弟三人で肩を揺らして固まってしまった。……あのときおれがすぐに動いて姉の手を引っ張れていれば良かったのだが、まあそれはただの願望に過ぎないのだし、語ったって意味がない。

 

姉の手にはおれから取り上げた銃が握られていて、その姉の行動に対し、驚きと共に少しの歓喜をおぼえた。ああ、姉もおれと同類だ。言ってしまえば極端な身内主義。なんだ、姉はおれとよく似ていた。

 

姉上、と声をかけて走りよろうとしたおれの小さな体は、憎き男によって抑えられた。

意味のないときだけ父親面する、ゴミのようなあの男に。

 

 

「離せ!!! っ、姉上!!!」

 

 

抱えられながらも必死に姉の方を振り返った。

ーー姉は昔と変わらない優しさの溢れた笑顔で、笑っていた。安心したように、微笑んでいた。その腹を矢が貫いても。

なぜだ、なぜ、なぜ、そんな顔をしていられる?

疑問と、怒りと、無力の痛感。そんな色々なもので押し潰されそうで、おれは思いきり暴れたのに、この男はびくともしやがらなかった。このクソヤロウ、どうして、どうして!!

 

 

(おれはこいつのようには決してならねェ!!! 家族を捨てて、逃げるような男には、決して!!!)

 

 

どういう神経してるんだと思った。

いくらしっかりものの姉とはいえ、こいつの子供なのに。まだ幼い、子供なのに。

それに逃げろと言われ、涙ながらに逃げる父親なんざーー存在価値は、ねェ。

 

絶対に生き延びてみせる。

おれは殺されない。生き延びて、追いかけてくるこいつらを、姉を傷つけたこいつらを、殺してやる。

存在価値のねェこいつも、殺してやる!!

 

死ねない理由が、ここにある。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーー結局、おれは死ななかった。

それは望み通りであるし、良かったとも思う。

できたばかりの“家族”に囲まれながら、おれはふつふつと心の奥から出てくる怒りを静めようとしていた。

……おれたちが火炙りにされていたところの地面に、ひとつ妙なものがあった。

大きな、大きな血だまり。こんな量出血したら助からないだろう、という量の血。

 

 

『ど、ふぃ……』

 

「………」

 

 

覇王色の覇気であいつらを気絶させた直後、そんな声を聞いた気がした。

それにトレーボルから聞いた話…いや、正確にはトレーボルが街で聞いた話じゃ、建物にもうひとり子供が釘で打ち付けられている、なんてことを言っていたらしい。

だから街を徹底的に探したが、お目当ては見つからなかった。

 

血だまりは謎のままだが…いい。これから姉の体は探す。気がかりな血だまりも、もう他のやつらの血でどれだかわからなくなってしまったし。

ふう、と息を吐いて無理に口角を上げた。…姉と同じようにすれば、あんな無理しいな姉のことが少しでも分かるかもしれないと思ったからだ。

 

 

(おれが、家族を守る。傷つけるやつは皆殺しだ)

 

 

姉も、こんな気持ちだったのだろうか。

 

父親は殺した。マリージョアですら役に立たなかったあいつの首は、もう粉々にして海に捨てた。

ロシーはいつの間にか居なくなっていた。散々探したが、見つからなかった。もし拐われたなら見つけ出して、拐ったやつらは人の形だったことすらわからないほどに刻んで、肉塊にしてやろう。

 

 

「……あねうえ」

 

 

そう呟いて、頭を抱えた。

姉上。姉上がいない世界で生き延びてもおれは、なにも楽しくなんかない。楽しくなんかない世界で姉上のようにいつでも口角を上げて生きるのは……とても、虚しい。

 

 

もう流さないと決めた涙が、一粒だけ地面に落ちた。

 

……これで最後だ。もう、許されない。泣くことは。

にいっと再度唇に弧を描かせるとーーおれは家族のもとに一歩、踏み出した。



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閑話.呪われてない“大丈夫”(ロシナンテ視点)

「…まだ泣いているのか」

 

 

自分を引き取ってくれたセンゴクのその問いに、ロシナンテはふるふると首を振った。

もう、泣いていない。涙を、流すわけにはいかない。自分は、強くなるのだ。

 

生まれてからずっとドジっ子だった自分。歩けば転ぶ、ものを持てばそれを壊す。

そんな自分が嫌だったし、ドジっ子なんてスキルいらないとずっと思っていた。こんなスキルがあって似合うのは、かわいい女の子くらいだ、と。

 

けれどそれをいつも受け止め、笑って「かわいいなあ」と言ってくれたのは他でもない、最愛の姉だった。

 

強く、優しく、頼りになる姉が自分は大好きで、いつもくっついていた。

こわい兄であるドフラミンゴも容赦なく叱り、時には尻を叩き、それでもまるごと愛してくれる姉は、慈愛の女神が地に降りてきたようで。

 

 

『自分の目で見て、感じて、考えて』

 

 

姉が言い、ロシナンテが反芻したその言葉は、彼の人生の道標となった。

 

…どんなことがあっても、姉の教えを守り抜く。それが残された自分が、姉にできる贖罪である。

ーーロシナンテが最後に見た姉の姿は、腹部を矢が貫いていたものだったから。

それでも自分たちの身を案じ、心配させまいと笑っていた。…それはロシナンテにとって、とても残酷に見える表情(かお)だったけれど。

 

姉は生きていると信じたい。あのとき、ドフラミンゴの不思議な力によって助かったあのとき、確かに聞いた気がしたから。

自分の名を呼ぶ、弱々しい姉の声を。血だまりに倒れ伏す、音を。

 

 

『ろ、しぃ…』

 

 

あのあとすぐに気を失って、気がついたら父親に抱かれていた。目の前には銃を構えるドフラミンゴがいた。

そのあとはもうーー思い出したくもない。

姉がいたら何と言っただろうか。黙っていることはしなかっただろう。ドフラミンゴを宥めて、銃を渡すように言っただろうか。それとも、……抱き締めただろうか。

 

どれも、自分にはできなかった。

ドフラミンゴがこわくて、でも家族を失うのもこわくて。止めようとしても無駄で、あとはもう泣くしかできなくて。

怒りと恨みにとり憑かれたドフラミンゴが、どれほど恐ろしいものか、痛感した。

 

あのときの声は、幻聴だったのだろうか。それとも、お化けだったのだろうか。

幻聴なら、もう一度耳に響いてほしい。お化けなら、自分の目の前に現れてほしい。

どちらにせよ、ロシナンテは姉に会いたかった。姉と離ればなれになるなんて考えたこともなかったから、会いたいと思うことも初めてだった。

 

自分の幼さを呪った。無力さを憎んだ。けれど人を憎まなかったのは、姉が「自分の目で見て、感じて、考えろ」と教えたから。自分を救ってくれたものは人に見えて、優しさを感じて、憎むべきでないと考えたから。だからーードフラミンゴのようには、なるまいと。

 

 

(生き抜いて、頑張って、働いて……姉上。守れるようになってみせる。強くなるよ。ドフラミンゴをとめてみせる。だっておれ……弟だから)

 

 

姉だから頑張っていた彼女に代わって、弟だから頑張ってみせる。覚悟を決めた。

なにもしなくていい、なんて天竜人の教育はウソだった。姉の言う通りだった。

……下界に住む、天竜人。

 

 

(大丈夫だ、姉上。おれたちももう、異端だよ)

 

 

そう心の中で言って、笑った。

もう泣かない。強くなる。

姉がいつも言っていた、確証のない、自身を縛るだけの「大丈夫」じゃなくて、他の人が安心できる「大丈夫」を。

それを、口にしたい。

このセンゴクさんーー義理の父の元で、おれは海兵になる。兄を、止める。

 

 

 

死ねない理由が、ここにある。



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家族を捜して何千里?
1.捜し物は何ですか?


さて、これからどうしよう。

波に揺られてゆらゆら。呑気なロレンソはこれからのことを一生懸命(?)考えていた。

なんてったって今まで正真正銘の箱入り娘だったのである。世界貴族だったのである。海の勝手なんざわからないし、航海術なんてあるわけない。詰んだ。

あるのは自身の能力と食料、そして宝石類。あと船と愛。

海賊なんかに襲われたら活用できるのは能力くらいしかないような、行き当たりばったり少女。

 

軽く詰んだし船は海に任せっぱなし。

今まで家族のために頭をフル回転させていたツケでも回ってきたのか、考えていることと言えば空あおーいとか呼吸たのしーいとか、そんなことのみである。もうだめだ。

 

 

(家族捜さなきゃなあ…でもあのドフィが大人しく海軍なんかに保護されてるかな…? というか今まで何があっても私たちを見捨ててきた海軍が、私たちを保護するか?)

 

 

いろいろと考えれば考えるほど可能性はぎゅんぎゅん萎んで、ロレンソのやる気も萎んでいった。

あんな窮地に立たされていない上、今家族はここにいない。しかも安全かも知れないなんて可能性があると、なんだかやる気も失せてしまうものだーーなんて。

 

 

(だ、ダメ。ダメダメダメ!)

 

 

私が一番に諦めてどうする。

私は長女、私は長女。家族を守る義務が…アッ、自分は蔑ろにしないように、家族を守る義務がある。うん。

ドフィやロシーのかわいい顔を思い浮かべて、頬が緩んだ。あんなかわいい弟たちを放ってなんかおけるもんか。捜さないでいられるかってんだ!

 

……でも、なーんにも情報がないんだけどね?

 

何も言わなかったから気づかなかったかもだけど、実は私、船で旅立ってから余裕で1週間くらい経ってるから。もう。早いでしょ? 時なんて早いもんなのよ、これがさあ。

その間あったことなんていったら、海賊に襲撃されたけど逆に海に落としたとか、なんかでーっかいウミヘビ? みたいのが居たからそれを倒したりとか、ハリケーンに巻き込まれそうになって慌てたとか、そんな程度。

 

ちなみにウミヘビはあのあとからずーっとついてきている。

能力を使って動きを読んでボッコボコにしたら気の毒なくらい寂しそうな顔ですりよってきて、頭の上に「仲間にしますか?」の表示がでそうなくらいだったから、連れていくことにした。ごめんねドフィ、ロシー。姉上変なペット連れになっちゃった。それでも迎えにいくからね。

 

正直言うとここまで弟たちに執着する理由は何だって感じだけど、生存確認できたらそれでいいかなって感じもする。

生きててほしいから捜すけど、無理に私と一緒に暮らさせようとか、目の届くところに居させようとか、そういう気はないかな。

 

うん、とひとりで頷いていたら、ウミヘビくんがシャーッと鳴いた。え? お腹すいたのかな?

……少しだけど、弟たちのお守りから離れたせいか私は達観的というか、のほほんとした人間になってるっぽい。

 

 

「ごめんねぇ、お腹すいたよね、ドフィ二号」

 

「!?」

 

「ん? あ、ゴメン。なんか機嫌いいときの弟と似ててつい」

 

 

適当に口をついて出た名前で呼んだら怒った。やめてやめて、いくら私でも君の牙にある毒はつらいよ。

 

このウミヘビくん(ドフィ二号)の牙には毒が入ってて、噛まれたら終わりだ。甘噛とかもシャレになんない。

あと、なんか液状のものを多少お腹にためておくことができるらしくて、能力者の海賊がきたら海水でもぶっかけてもらおうかな、と考えている所存。

 

 

「お金稼がなきゃな…弟捜すにしても何にしても。ねえドフィ二号」

 

「シャーッ!!」

 

「ふ、不満か! え、えーっと、名前、名前ね……」

 

 

どうやら二号は嫌らしい。

仕方ないなあ、と考えて、まあ鳴き声とかから取るのが妥当かなと。

 

 

「じゃあシャーくん」

 

「………」

 

「わ、わかった! シャクなんてどうだ!」

 

「…シャーッ」

 

 

仕方ないからそれで許してやるよ、みたいな顔された。

ネーミングセンスなくてごめんね。

だって名前なんてつけたことないし、あったって白犬にシロ、くらいだもの。

 

 

「じゃあシャク。私はこれから何をすればいいと思いますか!!」

 

 

いやウミヘビに聞くってのもおかしな話だけど。

答えが返ってくるわけもなし、私はため息を吐いた。

ウミヘビにまでアイデアを求めるようになるとは。こんな情けない姿、弟たちには見せられないなあ、と。

ーーそのとき。

 

 

「…っぶ!?」

 

 

顔に何かを投げつけられた。危ない、これが銃弾とかだったら完全に死んでましたね、と冗談にならないことを考えた。

放られた方を見れば、なんだかムスッとした顔でシャクが立って(?)いる。

放られたものは……宝石類と、商船のチラシ? なにこれ、ずいぶん前のチラシじゃーん、なんて眺めてーーハッとした。

 

そっか、宝石類売ってお金つくって、ここの船の珍しいものとか売ってまたお金にして珍しいもの買って、売って……商売すればいいじゃん!

そうすれば人脈も広がるし、弟たちの情報が出てくるかも。

 

 

「シャクお前天才かー!!」

 

 

ヘビだと思ってナメててごめんね。

救いのシャクだ。

 

そうと決まればさっさと行動。

ええと、換金できるとこってここらにあったっけ、と私は素早く地図を見る。昔の地図だけど、今と変わんないはずだ。

そうして地図で島を見つけたら、シャクの首に縄を引っかける。シャクはその毒で海獣も仕留めるから用心棒的にちょうどいいし、航海術のない私の船を引いてくれる頼もしい存在だ。

 

 

「早速れっつごー!」

 

 

こんなにテンションが上がることって今までなかった。

やっぱり少しお守りから離れたのは正解だったかも。まあもう弟たちに会いたいけど。

にひ、と笑うとシャクの頭を撫でて……さあ、家族捜しの旅へ!




オリジナルキャラクターぶっこみ、すみません。
ロレンソの子供らしさというか、今まで封じ込めてたものが少し爆発した性格になっちゃいました。長女って、大変なんですね。

たぶん私が姉だったら、ロシーよりドフィを可愛がっちゃうかもしれません。
私が単にドフラミンゴ大好きっていうのもあるんですが、わがままな弟って可愛いですよね。
ロシーのドジっ子もかわいいと思うんですが、どちらかと言えば大きくなってからの方が可愛いかな? とか思います。皆さんはどうでしょうか。

もしかしたらこれからも後書きに、関係無い話をぶっこむかも知れません。
邪魔だったら言ってくださいね。


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2.換金所と何でも屋

またオリジナルキャラクター出てきます。
これから兄弟どちらかと再会するまでオリジナルキャラクターかなり出てくる可能性高いので、苦手な方は注意。






黄ばんだ地図片手に船を寄せた島は、かなりきれいで派手な街があった。換金するところもありそう、助かったあ。

通りすがりのお姉さまに「はぁい、かわいいお嬢さん」なんて手を振られて、私の気分は絶好調であります。

…にしたってまあ……派手な女性が多いなあ。服も、顔も。

道の途中には美容院的なおしゃれなお店もあるけど、うーん。私はロングがいいかな。

 

なんせ、私は母上似のマイルドな顔。対してここの方々はハデというか、はっきりしたお顔。あっちがコーヒーゼリーなら私はまろやかプリンである。

まろやかプリンに元気はつらつショートカットは似合わない気がするな、と肩を竦めた。

 

とりあえず、本来の目的である換金所に足を向けた。

こんなに派手な街の中に建っているのに、ここの店だけ落ち着いた雰囲気なのは、なにか理由があるのだろうか。

 

ドアを開けると、カランといい音がした。ドアにベルがついている。

そっか、ここ換金所だし、誰か来たとき分かんないとお金盗まれるかもしれないもんね。

 

 

「……おやまあ、小さなお客さんだね」

 

「ふぁっ!?」

 

 

考え事をしていたら、後ろから声をかけられた。い、いつの間に!!?

私が目に見えて怯えているのがわかったのか、主人らしき女性はくすっと笑った。落ち着きのある、大人の笑みってやつだ。いいなあ……。

見たことのないパイプ…キセル、って言うんだっけ? それを子供の前だからか懐にしまった店主さんは、換金カウンターの中にあるイスにどさっと腰かけた。

 

ああ、動作ひとつひとつが色っぽーい。

 

 

「ようこそ、換金所“ザクロの実”へ。…なにか御用かしら、お嬢さん?」

 

「は、はい! あの、これ、お金になりますか?」

 

「ん……?」

 

 

カバンから出した飴玉……と見せかけた宝石を、ころころと取り出した。

私に価値はわからないけど、一応宝石。そんなに安くはならないだろう。

女性は差し出された宝石を色々な角度から見て、明かりに照らして、触ってーーーフゥ、とそれをカウンターに置いた。

 

 

「……お嬢さん、これ、どこから盗って来たんだい? かなり良いものじゃないか。…だいぶ高い貴族しか持ってないような物だよ。例えば、世界貴族とかね。…返してきな」

 

「違います。それ、私のです。家から持ってきました」

 

「…何だって? じゃあなにか、お嬢さん世界貴族かなにかかい?」

 

 

はい、元。

なんて言えるわけないから、「いやその…ちょっと」と言葉を濁す。

元天竜人だとは言えなくても、盗人と思われるのは心外だった。

 

 

「とにかくそれを売って、お金を集めなきゃなんです。商売初めて、人脈広げて、家族を捜さなきゃ」

 

「商売? お嬢さんが? その歳で?」

 

「私の船には、珍しいものとかたくさんあるから…珍しいもの屋さん、します」

 

「ーーーップ、あはは!」

 

 

不意に、女性が吹き出した。お腹を抱えてけらけらと笑う姿は、私と変わらない少女のように見えた。

「あは、お腹いたい」と笑う姿にきょとんとする私を見て、女性は涙を拭ってまた笑った。

ち、ちょっと!?

 

 

「いや、ぁ、ゴメン、面白いねぇお嬢さん! 珍しいもの屋かぁ、そりゃあいいや!」

 

「いいと思ってる笑い方じゃない気が…」

 

「いや、いいよ! いい! よし、オバサン協力しちゃおう! お嬢さんの商売をサポートだ!」

 

 

元気なきらきら笑顔で女性はグッと親指を立てた。ど、どういう? と頭にクエスチョンマークを踊らせている私に、女性ーーーアオさんというらしいーーーは内容を教えてくれた。

 

まず、私のところに客が来て、物を買ってお金が入る。そのお金の少しをアオさんのお店に渡すことで、アオさんのお店から好きなものを取ったり、アオさんの人脈で手に入るものを私にくれたりする、ということ。

すると、私のお店には何でもあるようになる。だからーーー

 

 

「何でも屋をやりゃいいじゃないか!」

 

「な、何でも屋って…! そんな大層な」

 

「珍しいもの屋よりはいいと思うけどね?」

 

「うぐぅ……」

 

「心配すんなって! いいものあるんだ!」

 

 

そう言ってアオさんが出してきたのは、…なにこれ、手袋? 白い薄めの手袋だ。

防寒性は無さそうに見えるその手袋を自慢気に掲げて、アオさんは笑った。秘密兵器だ、と。

 

 

「これ、不思議な手袋でさ。なんか昔の魔女が作った、とか悪魔の持ち物、とかウワサのある手袋なんだけど…不思議な力があって!」

 

「不思議な力?」

 

「ドアとか窓とか、空間と空間の境の扉をこの手袋を着けて開けると、その先が自分の行ったことのある、思い描いた場所になってる」

 

「……なにそれ」

 

 

理解しがたいが、アオさんが「契約の記念にあげるよ」と言ってきたので有り難く貰うことにした。

…そっか、これでお客さんができて、そのお客さんに呼び出されても行けるってことですね。

何でも屋にはもってこいの道具だ。ひええ。

 

とりあえずアオさんとの契約も済ませて、さて。思ったよりトントン拍子で話が進んでるから驚いちゃう。

 

 

「それよか、この“何でも屋”っていうのを広めなきゃ」

 

「そうねえ。まあチラシとかはこちらでつくってあげるけど…宣伝力としては、イマイチかもね。…あ、そーだ」

 

「なんですか?」

 

 

悪戯っぽい笑みを浮かべたアオさんが、唇をチロリと舌で舐める。

めっちゃ妖艶だけど嫌な予感しかしないぞ。

アオさんは口角をニッと上げて、私を指した。

 

 

「海軍に商売しなさいな」



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3.海軍と何でも屋

アオさんに言われてすぐ、私は自分の船に戻された。

手袋使ってみたけど、言われた通り変な力だった。ひええ。

 

悪魔の実の能力者は実を2つ食べるとボッカーンだって聞いた覚えがあるんだけど、これは大丈夫なのかな? …大丈夫、なのかな!!?

でも今はそんなこと気にしてる場合じゃない。いいこと思い付いた、と言わんばかりのアオさんの顔。そのアイデアを実行しなかったらどうなるか…今日出会ったばかりでも、彼女の瞳の奥の鋭い光を見逃さなかったわけがない。ひええ。

 

だから、私は今、海軍の船の前に堂々といるわけである。

内心ビックビクだけど、そこは迫害生活で培った鋼メンタルを駆使して。よかった、お豆腐メンタルじゃなくって。

 

 

「なんだ、君は…? 子供が一人で船に乗るなんて、危ないぞ。早く自分の家に戻りなさい。何なら、送っていこうか?」

 

 

まあ、海軍の反応なんてこんなもん。だって私、14だもんね。知ってたよ、うん。

でも私はただの14歳じゃないのだ。

家族を捜すため海を旅する、姉上なのだ。

こんなところで海軍ごときにへこたれる姉上じゃないぞ、見てろよ神!!

 

 

「は、配達から珍しいものの販売、換金までなんでもござれ! 海上便利屋何でも屋、“ザクロの実”! です!」

 

 

あっぶない、最初噛むかと思ったぞ!?

それでもアオさんの考えてくれた何でも屋のキャッチフレーズ、言い切りましたよさあどうだ! と海軍さんを見ると……ですよね、固まってら。

そりゃそうだ、船でゆらゆらしてて迷子かと思った少女が突然訳わからんキャッチフレーズペラペラ言い出して、しかもそれが何でも屋なんて言い出すんだから。

 

えへ、とおどけようかとも思ったがここでそれは愚策。キッと真面目な顔をして海軍さんを見据えた。さあ、ここで客になるか、否か。

 

海軍さんたちの中で一番偉そうな人が、困惑した様子で口を開いた。

 

 

「…ええと、君は…なんだ、何でも屋?」

 

「は、はい!」

 

「何でも売っているし、頼んで良いのか? 例えば……ここらの獰猛な海獣たちを鎮める、とか」

 

「はい!」

 

「ここから少し遠い、海軍本部への届け物とか?」

 

「はい! どんな宅急便より先に届けられる自信があります!」

 

 

そういうとその海兵さんは「そうか…」と言って黙りこんでしまった。

えっえっ、なに、なにかまずいこと言っちゃった? 黙らせること言っちゃった!?

 

海兵さんを黙らせるなんて初めてであたふたしていると、海兵さんに肩をガッシリと掴まれた。ぎゃ!? せ、セクシャルハラスメント!!?

ーーーなんてふざけてるヒマはなく、海兵さんから思わぬ言葉が発せられた。

 

 

「…君にいくつも頼みたいことがある。構わないか?」

 

「へっ!? ……ハッ、も、もちろん!!」

 

「ありがとう。報酬ははずむ」

 

 

び、びっくりした! てっきり疑われるものだとばかり! ……いや、疑われてるからこそ、か? 物は試しだと言わんばかりの視線が送られている気がする。

これで本当に子供のクセに役に立つなら良し、でまかせだったならただの子供、とーー。

 

 

(こ、これは、試されている…!)

 

 

これからの人生がかかっている。これで活躍すれば名も広まってお金も集まり情報も集まり、家族を捜しやすくなる。活躍できなければ海軍には悪い意味で有名になり、情報もクソもなくなる。アオさんにも面目が立たなくなる。

 

それだけはマズイ。それだけは。

 

 

(なんとかやり遂げる。私の力で。大丈夫、大丈夫よ。そう言って今まで家族を守って……きた、もの)

 

 

おじいさんに「大丈夫じゃない」と叱られたけど、今はーーもう。私の大丈夫は、私を縛る呪いじゃないハズだ。たぶん。

 

やるしかない。それしか道はない。

 

 

 

それしか道がないならそれをやるしかない。私がやるからには、大丈夫なんだ。



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4.エゴイスト

結果から言えば、私の初仕事は大成功であったと言える。

 

まず始めに頼まれたのは、ここら一帯の海獣の鎮圧。これは楽勝だった。シャクの力をもってすれば。

海獣たちは天敵とも言えるシャクの登場に顔をひきつらせ、慌てて海中に逃げていった。

立ち向かおうとして来た海獣は、シャクのゴハンになりましたとさ。めでたしめでたし。

 

次に配達。この北の海(ノースブルー)から海軍本部のあるシャボンディ諸島まではかなりの距離あるぞ、と言われたがそんなのは関係無かった。船内の扉からシャボンディ諸島のよく知らない酒場のドアへワープ。シャボンディの人たちには酒場から出てきたようにしか見えないだろうが、私はたった今、北の海(ノースブルー)から来たのである。

 

お届け物でーす、北の海(ノースブルー)の海兵さんから、と海軍本部の前に立つ人に声をかけて荷物を渡すと、驚かれた。送った日付が今日じゃないか、と。

そうですよー、なんて白々しく渡して印鑑をもらうと、私はまた颯爽とここに戻ってきたわけだ。

 

 

「君は…すごいな。一体何者なんだ?」

 

「何でも屋です!」

 

「いや、それは知っているさ。名前は?」

 

「え!? うーん…」

 

 

ドンキホーテ・ロレンソなんて名乗った暁には、面倒なことになりそうだ。なんてったってドンキホーテ。なんてったって元天竜人!!

 

 

「…な、何でも屋です」

 

「名乗れないと言うわけか?」

 

「いやあ…その。私の名前は何でも屋ですってことで」

 

 

誤魔化すように笑えば、仕方ないと言うようなうなずきが返ってきた。

 

そうして海軍さんたちは去り、私はホッと息を吐くーー間もなく、忙しくなっていった。

なんとなんと、海軍さんたちの評判のおかげか「何でも屋」なるものの噂はぐんぐんと広まり、電伝虫が鳴り止まなくなってきたのだ。

アオさんはそれに笑い、私は笑ってられないほど忙しくなる。

 

時には海軍時には海賊、街に寄って売ることもある何でも屋。電話一本で現地まで秒で来るというのだから、そりゃもう人気だった。

配達、売買、依頼事。家族を捜すため、という目的で始めたはずなのに、もうこのまま暮らしていけるくらいにはお金が貯まっていた。やばぁ。

忙しくしていれば、時もどんどんすぎる。いつの間にか私はぐんぐん成長して、ただの子供だった体も、今じゃ見違えるよう。胸なんか特に。それに母上似の顔は更に母上似になった。わぁい。

 

でも時がすぎることで困ったのは、何より大海賊時代だった。凶悪そうな顔をした海賊さんに襲われることは多くなったし、お届け物の場所も大いに広がった。

 

 

「いいんじゃないの? アナタが有名になれば弟君たちも出てくるかも」

 

「いやぁ…でも名前名乗ってないし。なんかもう、数年捜して出てこないと…参っちゃいますよね」

 

 

参っているけど諦めないのね、と笑うアオさんは私をよくわかってる。

ここ数年捜しても、ドンキホーテのドの字も出てこないなんて、泣いちゃうよう、姉上。

うう、と涙目になっていると、プルプルプル、と電伝虫が着信を知らせた。なんだよもう。

ガチャと取れば電伝虫の顔が凶悪ににゅーっと変わる。……うわあ、この顔…うわぁ……。

 

 

「配達売買なんでもござれの何でも屋…」

 

『…葉巻2箱』

 

「アッ、ハイ」

 

 

お得意様であるからか、定例文なんて聞かずにブッチしやがったあの男。くっそむかつく。

でもそんなこと言えばシャクに負けず劣らずな毒でやられることは分かってる。うん。

あの人、苦手なんだよな。表裏激しいし、怖いし、かなりのエゴイストだし。怖いし。…大事なことだから2回言ったぞ。

 

 

「いやだあああ苦手だああああの人おおお」

 

「良いじゃない。気に入られてるんでしょ? べつに普通にいい男なんだから」

 

「いい男!? …だとしても無理…ああ嫌だ…」

 

 

船にあの人の好きな葉巻あったっけ、と記憶を辿る。…あー、あったな、たぶん。

ありませんすいませんができない。だって何でも屋だから。何でもござれとか言っちゃってるから。

 

あーあ、ドフィとロシーに会いたいな。生きてるかな、私のこと覚えてるかな。

今ごろ、なにしてんのかな。生きてたらドフィ17、ロシー15か。うん、まだかわいいだろう。

 

 

「早く行かないと、怒られるわよ」

 

「はぁい!」

 

 

家族に、会いたいな。



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5.葉巻とエゴと猫かぶり

はあ、と溜め息を吐きつつ、配達主さんの部屋のひとつ前の部屋の戸にワープ。…あ、トイレだ、ここ。

相変わらず派手めな家に、謎のオブジェ。どういう趣味を、という言葉は飲み下した。

コンコン、とお目当ての部屋をノックする。少しの沈黙の後、「…入りたまえ」なんて声が。うへぇ。

 

 

「べつに私なんだから猫かぶんなくていいじゃないですかー何でも屋でーす」

 

「…てめェ以外が来たときに困るからな。やって損はねェ」

 

「私の背筋にイヤーなものが走るからやめてと…あっハイ、葉巻です」

 

 

余計なことは話すなと言わんばかりに睨まれた。だから苦手なんだよ、この人。

ドフィやロシーがこんな大人になってないように祈ろう、と思う。

こんな皮肉とエゴと猫かぶりでしかできてないような男になんて…なってても、弟たちなら……いや、だめ。

 

私と一応同い年で王下七武海で、アラバスタの英雄なんて言われているこの人の名は、サー・クロコダイル。

実際はものすごい猫かぶりでエゴイストで皮肉屋ないやーな人ですよ、はい。

 

 

「クハハ…てめェの配達は早いからいいな…。どうだ、後ろ楯に王下七武海を持つ気はねェか?」

 

「ないですって、何回言えば分かるんですか」

 

「…釣れねェ女だな」

 

 

まァいい、と早速葉巻を蒸かしている彼は、いつも私の勧誘をする。けれどこの人の部下になって良いことは無さそうだし、信用されている気はしない。運送業は信頼がイチバンだからね、ダメ。

そんなことを考えていると、クイクイッと手招きされた。え、なに。

 

 

「まだなにか欲しいものがーーキャッ!?」

 

 

突然手を引かれ、優雅に座るクロコダイルさんの胸にダーイブ。…な、なんだこれえええ!!?

元箱入り娘は少女漫画ですら最近のはえっちぃからダメなんぞと言われて見たことないのに!! なにこの展開!? は、ハレンチです!!

いきなりの出来事にあたふたしている私を見て愉快そうに笑うクロコダイルさん。…む、ムカつく!!

言っておくけど、この人と恋愛フラグ建てる気はないから!! 私は!!

 

 

「クハハ…そんなに無防備で大丈夫か?」

 

「…ッ、ご心配どうも!!」

 

 

ゾクッとして慌てて体を離すと、鼻スレッスレを義手がかすめた。あ、危ない!!

毎回この人は私で遊ぶから嫌になる。

まだニヤニヤと笑っているのは私が避けると分かっていたからか。くそう。

 

 

「お前、海軍に味方する気はねェんだろう? だが海軍はお前を手駒にしようと奮闘している…クハハハ、実に滑稽だな。…もう一度聞く、おれと手を組まねェか? そうすりゃ海軍のしつこいアピールもなくなるだろう」

 

「…アピールされるのも、嫌いじゃないんで」

 

「……ふん…わからねェな、てめェは」

 

 

ならばもう用はないとばかりに手を振られた。そ、そんなことされなくたって帰るわ!

 

ほんと、クロコダイルさんってわからない。

なに考えてるのか。私を利用して何をしようとしてるのかも。

とにかくクロコダイルさんに配達した後は胃がキリキリと悲鳴をあげるので、早急に休ませてあげようと思う。ごめんね、胃。

 

扉をぱたんと閉じた後でも、クロコダイルさんの独特な笑い声が聞こえた気がした。疲れてんのかな。




このときロレンソ21歳、クロコダイル21歳、ドフラミンゴ17歳、ロシナンテ15歳です。
クロコダイルは王下七武海に入ったばかりで、海賊をやっつけてくれる海賊と新聞にも載ったりしていたころでした。




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6.すれちがい

『ーーじゃあ頼む』

 

 

そう言って電伝虫を切ったのは、海軍本部の中将…あれ、今は大将だっけか? の、人だった。配達の依頼だ。

海軍に関わっているくせに海軍について大して知らないのは、単に興味がないからだとお分かりいただきたい。それに詳しくなってしまったら、海軍サイドになることは目に見えている。それは何かと面倒だ。

誰にでもものを売る何でも屋として、何かの側についてしまうのはいただけない。

 

 

「仕事行ってくるね、シャク」

 

 

本音を言うとシャクも連れてってあげたいし、シャボンディ諸島に一緒に行って観光したい。

けど北の海からシャボンディまでいくのは、なかなか大変なのである。

海賊も多いしね。

 

ごめんね、と謝って、船の扉を開けた。

 

 

「……いくらやっても慣れないなあ」

 

 

景色がぐるりと変わるというのは。

なんかこの仕事についてから、手袋マジ使うようになった。能力も使うけど、それは海賊に襲われたときとか、生物とかを届けに行かなきゃいけないとき。

ちなみに手袋はいったことある場所や、鮮明に思い出せる場所にしか行けないので、初めて行く土地ーーとくにシャボンディ諸島なんかは、アオさんに連れていってもらうことがほとんどだ。アオさんお世話になってます。

 

さて、と辺りを見回して……あった、海軍本部。

でっかい建物とずらりと並ぶ海兵さんは、海賊から見れば恐怖の塊であろう。可哀想に。

 

けれど大海賊時代の今、この新世界へのルートであるシャボンディの治安が海軍本部によって保たれているというのは、大切な事実なのだ。

 

 

「こんにちは。何でも屋です」

 

「はっ! お話はうかがっております! どうぞこちらへ!」

 

「え?」

 

 

届けに来ただけのはずが、中に通された。

なんでか、と考えてはみるけれど、いい理由が浮かばなかった。

バカバカしいけど、こんな「もの」のために何でも屋を活用してるとか恥ずかしい、ばれたくない、だから重要なもののフリとか、ないよね?

いや、まさかね。だって相手は海軍大将。ありえん。

 

 

「こちらです。…大将、何でも屋の方が」

 

「あぁ…もう来たか。さすがだな」

 

 

失礼します、と声を出し、扉を開けた。

ガチャリと重々しい音がして、まず目に入るのはでかい部屋。他の海兵なんて何人かで同じ部屋らしいから、かなり良いと思われる。

後ろに掲げられた正義の字と、気難しげな顔。パリ、と彼の食べているものが軽い音を立てた。

 

 

「お久しぶりです、センゴク大将。おかき、届けに参りましたよ」

 

「しーっ!! あまり大きな声で言うな…。おかきのために何でも屋を使っているとバレては敵わん」

 

「……えぇ…やっぱり…えぇ…」

 

 

海軍大将、仏のセンゴク。

無類のおかき好きのおじさん、という印象しかないのだけど。

 

この間ガープ中将におせんべいを届けたときに偶然出会い、美味しいおかきはないかと聞かれ差し上げたところ、えらく気に入り今じゃいい金づる…じゃない、お得意様だ。

何でも屋が来る度おかきが増えてるんだからみんな気づいているハズなのに、妙な意地を張りたがる年頃なのかな? 隠したがる。

 

 

「配達ご苦労。代金だ」

 

「確かに。まいどあり!」

 

「…来てもらって何だが、もういいだろうか。何でも屋からおかきを購入しているなどと、息子にでも知られては困る」

 

「あー例の義理の…わかりましたよ、はいはい」

 

 

センゴク大将には義理の息子がいるらしく、それには特に意地を張りたがる。

お義父さんはすごいんだ、みたいのを期待してるのかな?

ばれてるのに。ばれてるのに。

 

変な意地に付き合うのも大変だ、と苦笑し、手袋をはめる。

 

 

「じゃ、またのご利用お待ちしてます!」

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

カチャ、と扉が開いて、湯飲みを持った男が、部屋に入ってきた。

男は湯飲みを落とさぬよう慎重に机に置くと、増えているおかきを見て苦笑する。

 

 

「センゴクさん、おかき増えてませんか?」

 

「ん? あ、ああ。部下に買いに行かせたからな」

 

「ふうん」

 

 

男とて知っていた。義父がこのおかきを大量に買い占めるのは、何でも屋からだけだと。

便利な何でも屋は噂に聞いていて、でもそんなに急ぐほどの宅配物も無いし、と利用はしたことがない。

してみたいなあ、どんな人なんだろう、と思ったことはあるけれど。

 

 

「…そういえばロシナンテ。ドンキホーテファミリーの動きが最近激しくなっていてな…」

 

 

ほわんほわんとそんなことを考えていた彼の頭だったが、一瞬で切り替わる。

ドンキホーテファミリー。彼の最大の敵。止めるべき海賊。愛していた人のいる場所。

 

 

「おれは、何でもやりますよ」

 

 

昔、決めたから。

自分の目で見て、感じて、考えて。

 

 

「ーー兄を止めるためだ」

 

 

まっすぐな彼の名は、ドンキホーテ・ロシナンテ。

残虐で無慈悲な海賊の、実の弟でありーー

 

今や世界を飛び回る何でも屋の弟でもあることは、彼も知らない事実であった。



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7.壊れたメス

朝、電伝虫の音で目が覚めた。

寝ぼけ眼でそれをとれば、「おはよう、目ェ覚めてるかい?」なんて陽気な声が頭に響いた。

…すごい眠い。昨日は倉庫の整理をしていたから、寝るのが遅かったのだ。

睡眠時間って大切だな、と思い知らされる。

 

 

「起きたばっかりのところ悪いけど、なぜか私のとこにアンタへの依頼が来てるんでねェ。医療器具の修理。アンタ、物の時間巻き戻せるだろ? 頼んだよ」

 

「…はぁー、い…」

 

 

欠伸混じりに返事をして、布団を退ける。

暖かい陽射しがいい感じ、なんて思っている暇はなかった。

さっさといつものカーキシャツに、黒のズボン。上と同じカーキのパーカーを羽織った。ちなみにこれは、アオさんが昔着ていた服らしい。

もう着ないというのでいただいた。何着もあるから便利。

 

 

「こんにちはーぁ」

 

 

いつものドアを開けて、聞き慣れたベルの音が私を迎えてくれる。

カウンター奥からひらりと手を振ったアオさんは、早速布にくるまれた何かを持ってきた。

 

 

「これさ」

 

 

しゅるしゅると布をほどいていくと、そこには折れたメスがあった。

真ん中からきれいにポッキリ折れている。一体何があったらこうなるんだ?

まじまじとそれを眺めても何も始まらないので、私はとりあえずメスの時間を巻き戻して直した。これで元通り、とマジックのように大袈裟な動きで手を広げたら、さっさと行けとでも言わんばかりにメスと住所を書いた紙を渡された。

 

 

「え、届けに行くんですか?」

 

「当たり前じゃないか。医療道具さ、早く届けた方が良いに決まっているだろう?」

 

「いやまあ、そうなんですけど…」

 

 

じゃあこのメスどうやってここまで届いたんだと聞いたら、普通にさらっと宅配便だとぬかしおった。

じゃあ返すのも宅配便で良いじゃない、と抗議したが「客が宅配便を使うのは良いが、お前は即行けるんだから良いだろう」とのこと。…いや、いやいやいや!

 

 

「言っておきますけど私ここ、行ったことないですから! 手袋使えませんよ!?」

 

「ん? あぁなんだい、同じ北の海なんだからすぐだろう? ほら、アンタのあの、ウミヘビ…シャクに引いてもらえばすぐさ」

 

「宅配便の方が安全な気が…」

 

「アンタが荷物を守ればいい。…まさか守れないだなんて言う気は」

 

「ないです!! 行ってきます!!」

 

 

バアン、と扉を勢いよく開けて船まで走った。くうう。恩人には逆らえないってもんさ。

ごめんね、シャク。君の力めちゃくちゃ借りるよ。あとで美味しい海獣のお肉いっぱいあげるからね。

 

船に着くと、シャクはわかっていたかのように待っていた。心なしか目が輝いている。

まあ、そうだよね。久しぶりだもんね、船引くの。一緒にどこか行くのもさ。

本当の目的はコレじゃないけど、この仕事結構楽しくなってきちゃってるし、この仕事しながら家族が見つかればいいなぁって思ってる。大きくなったドフィもロシーも、毎日想像しながら寝てる。きっとイケメンになってるんだろうなって。ーーさて。

 

 

(フレバンスーー…白い町、か)

 

 

行ったことない国だなあ、と不安が心を揺らした。



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8.白い町“フレバンス”

わあ、と思わず吐息が漏れた。

私が初めて来たこの国の名前は、フレバンス。

 

草木も町も何もかも真っ白。

そこではどこもかしこもが賑わっており、天才的な画家が描いたような町だった。

笑う人々も画期的な町も、全てが理想。この世の楽園、と形容するに相応しい場所だ。

 

幼い頃の記憶ではあるものの、マリージョアより美しいかもしれない。…嫌だな、あそこに住んでいたのはもう10年以上も前になるのに、まだマリージョアの風景を思い出せるのはーー少なからず故郷に未練があるからだろうか?

 

 

「配達しなくちゃいけないのは、えぇっと…と、とらふぇる……とらふぁる…ーートラファルガー、さん」

 

 

不思議な名前だなあ、と思いつつ町の人にトラファルガーさんの家を聞くと、どうやら町一番のお医者様らしい。そこだよ、と指さしてくれた家は普通に大きかった。

この家も例に漏れず真っ白で、清潔感溢れるというか…。おとぎの国に来たみたいだ。

……こんなに幸せな国が、あっていいのだろうか。違和感がする。…こんなこと考えたって仕方ないか。

 

 

「トラファルガーさん、お届け物です!」

 

 

しーん。いや、町の騒音のせいでまったく静かではないんだけど、家の中からは物音ひとつしない。

おかしいな、医者だと聞いてたからここは医院のはず。そう思って看板を見ると、…なに、今日の今の時間、お休みなの!? 困るな…。けどお医者様だって人、休まなきゃやってらんないもんね。仕方ないか。

 

というわけで、町を少しぶらついてみることにした。

忙しい時間のピークはまだだから、それまでに届けられればラッキー。散歩しがてらトラファルガーさんを探そう。

 

まだそんなにおなかがすいていないから、ぷらぷらと歩くだけで、何かを食べることはしなかった。

…というか、ここの食べ物にはこの町が白く染まっている原因である「珀鉛」という鉱石が含まれているらしいね。それに何だか嫌な気配を感じて、食べなかった。

高く売れて加工しやすく富を生む鉱石。そんな…そんな人間が得しかしないものが、あるはずないんだけど。

 

 

(神様のイタズラってやつかな?)

 

 

若干胸にもやもやしたものを抱えながら歩いていると、トンと私にぶつかってきた小さな人影があった。

「いてっ」と言って尻餅をついたその子供を慌てて立ち上がらせて謝る。

キッ、と睨んできたけどそんなに迫力がない。なんか小さい頃のドフィみたいだな、なんてしみじみ。

 

 

「どこみてあるいてんだよ!」

 

「ご、ごめんね! ちょっと考え事してて!」

 

「あるきながらするなよな!」

 

 

拙い言葉で私を叱るのは、3歳くらいの男の子。

3歳に叱られる20と少しって最悪じゃんか…。

 

再度ごめんねぼく、と眉を下げて謝ると「おれのなまえはぼくじゃない!」とお怒りのご様子。

うーん! この年頃の子供ってめんどくさいんだね! ドフィとロシーはあんまりにも私にベタベタだから知らなかった!

「そっかぁ、じゃあお名前何て言うの? 私ロレンソ」なんて軽く話しかけたら、じろじろと疑いの目で見られた。

なに、不審者だと思われてないか?

わかんないよ! この歳の子との最適な接し方!!

 

 

「…おれは、ローだ」

 

「ロー?」

 

「ん。トラファルガー・ロー」

 

「んっえっ? トラファルガー?」

 

 

予想していなかった姓に耳を疑う。トラファルガー? 今、トラファルガーって言った?

やったじゃん! この子に案内してもらえば、配達完了! また電伝虫が鳴るまで船でぐうたらしてられる!

 

 

「ろ、ローくん! あの、私何でも屋!」

 

「……は?」

 

「何でも屋です! えっと…お届け物! あなたの…お父さんかお母さんに! 壊れたメス直りましたーって!」

 

「…あぁ、そういえばとうさまとかあさまが、メスを修理に出したっていってた」

 

「うん修理した! どうしてこんなにポッキリいってたのか分かんなかったけど直しといた!」

 

 

はい! と元気よく小包を渡す。

渋々といった感じで受け取ってくれたローくんだったけど、…あっそうだ、これきちんとした大人のサインがないとダメなんだったわ。

 

 

「ローくん、お父さんかお母さん近くにいる? サインお願いしたくて」

 

「おれじゃダメなのか?」

 

「いや、うーん、…いいのかな。いいのかも」

 

 

ダメダメダメ!! と私の心の天使が止めるけど、この子ならお父さんかお母さんにしっかり渡してくれそうな気もする。

…いや、でもなあ!!

 

しっかり仕事をするべき、という天使とこの子なら大丈夫だって、と囁く悪魔がいる。

……けど、でも、いや…っ!

しっかり仕事をするべきじゃないか。だって弟たちに会いたいんだろう? みたいな声が天から降ってきた。ですよねー!

 

 

「ご、ごめんねローくん。やっぱり大人のサインがないとダメなんだ」



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9.滅亡の宣告

どうにかこうにかトラファルガー夫妻に会い、サインもらうと、ロレンソはローくんとお別れしてさっさと船に戻っていたーーのだが!!

 

 

「あんのワニやろおおおお!!」

 

 

船に戻って扉を開けた瞬間、プルプルとうるさい電伝虫がお出迎えである。たまったもんじゃない。

それでも仕事だからと愛想よく電伝虫に出れば、相手はなんとクロコダイル。踏んだり蹴ったり。泣きっ面に蜂。とにかくロレンソの怒りのボルテージが最高潮に達してしまうくらい、タイミングは最悪だった。

しかも依頼といえば、義手に含ませる毒の配達。シャクの毒とその他諸々の海獣の毒とかを混ぜ合わせてコトコト煮詰めた、魔女の薬みたいな毒。…毎回思うがこの男、趣味が悪い。

 

せっかくフレバンスに行っていい夢見れそうとか思っていた自分をぶっ飛ばしたい衝動に駈られるが、さっさと小瓶に詰めて持っていかないと今度は私が痛い目を見る。

アラバスタのカジノへ扉を開いた。

 

 

「何でも屋です、クロコダイルさん」

 

「…あァ、入れ」

 

 

何でも屋です、と先に言っておけばあの虫酸の走る敬語を聞かなくてすむのだとロレンソは学んだ。

同い年の、しかも性根の腐ったやつの猫かぶりなんて見ていて良いものじゃない。目から摂取する毒である。この毒なんかより数倍強いだろう。

新聞を読んでいるクロコダイルは、いつもと違いロレンソをからかってこなかった。

ラッキー、と思いつつもその記事に目がいく。

 

 

「ああ、フレバンス。綺麗ですよね、あの町。今日行ってきました。確か珀鉛でしたっけ、あんなに町が白い理由って」

 

「まァな。…だが、他人の不幸の上以外じゃ幸福は成り立たねェことくらい…てめェも知ってんだろう?」

 

「…そうですね。かなり違和感はありましたけど…さして不幸そうな人が居なかったのも事実。奴隷なんて居なかったし。…それが引っ掛かりましたけどね」

 

「クハハ…てめェはずいぶん冷静に分析するんだな? …まァいい…どうせ今更変えられる運命でもねェんだ、なに言ったって無駄ってもんさ」

 

「……変えられない、運命?」

 

 

心にざわ、と何か妙なものがうごめくのが分かった。

私とて、あの国にどんな闇があったって、拭えるとは思っちゃいない。思っちゃいないけど…。

美しさの裏には、必ず何かある。綺麗なバラにはトゲがあるように。常にニコニコ愛想のいい人ほど、過去に何かあるように。

あのおとぎの国に入ったとき、感嘆とともに胸騒ぎを感じた。なぞの冷や汗が背中を伝ったのを覚えている。

 

 

「……クロコダイルさん。何か、知ってるんですか?」

 

「…なんだ、興味を持ったか? それとも…“他人の不幸の上にしか成り立たねェ幸福”は、てめェの地雷だったか?」

 

「うるさいです。…今回のお代、タダでいいんで。フレバンスのこと、教えてください」

 

 

何ができるってわけじゃない。

むしろ何もできないけれど、知らないよりはいいと思う。

ーー無知は罪、なんてよく言ったものだ。

何も知らないことは罪。何も知らなかったうちの母親は、歴史と家系の渦で命を落とした。

父親も弟たちも、安否は不明だけど被害者であることに変わりはない。

 

 

「フレバンスの定められた運命って、何ですか。…“珀鉛”って、一体なんなんですか」

 

 

クロコダイルさんはさもおかしそうに笑ったけど、気にしない。

これはお代。クロコダイルさんからもらうべきもの。

こっちが勝手に決めちゃったけど、こちとら元世界貴族だ。ワガママに関して右に出るものはいない。

 

 

「珀鉛ってのはーーーてめェの今手に持った小瓶、そのままさ」

 

「……え?」

 

 

今まさにクロコダイルさんの机に小瓶を置こうとしていた手が、ぴたりと止まる。

言っている意味がイマイチ分からなくて、でも理解できてしまって、…声が出なかった。

 

 

「珀鉛ってのは…毒だ。掘り出さなきゃさして害のない、だが取り扱えば確実に人体を蝕んでいく、毒だ。フレバンスの国は……もうそう永くはもたねェだろうな」

 

 

クロコダイルさんからは面白そうな表情が一気に消え、ただ嘲笑うような、軽蔑するかのような瞳が、北の海の方向へ注がれていた。



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10.男の心、女知らず。(クロコダイル視点)

クハ、と喉の奥から沸き上がってきた笑いが、声として弾けた。

不可解そうな瞳でこちらを見る何でも屋に、気にすることはないと言うと息を吐いた。

 

目の前で自分のことでもないのに悲壮感漂わせているコイツは、ほんの数年前ーー大海賊時代が始まったばかりの頃。七武海に入った俺の耳に、「何でも屋」なるものの噂が届いたのが出会い。

試しにいつも取り寄せている葉巻を頼んでみたところ、連絡してから一分足らずで届けに来たことは、記憶に新しい。

何でも屋などというから力仕事のできそうな男かと思っていたが、これはとんだ誤算。むしろ華奢で色白な女だった。

 

透き通るような肌に、すらりとした四肢。人懐っこそうに輝く瞳はうるんでいて、常に微笑を浮かべているその表情からは、少しの闇が見え隠れしていた。

一言で言えば、魅惑的。

一人の女に一途になったことのないクロコダイルでさえ、一瞬目を奪われたほどであった。

 

だから、名前を聞いた。何でも屋としか名乗らない彼女の頭を鷲掴みにして、眼前に義手をちらつかせた。

だが彼女は強情で、拷問慣れしているのかというくらい揺らがなかった。まあそれは、クロコダイルの興味をさらに煽るだけに終わったのだが。

 

 

『むぐ…! い、言いますよ! 言いますから…ほんともう……いたいって!』

 

 

ギシギシと頭蓋骨が軋む勢いで頭を掴むクロコダイルに根負けしたらしい彼女は、「ドンキホーテ・ロレンソ」という地上で聞くはずのない名前を名乗った。

 

 

(ドンキホーテ……)

 

 

クロコダイルの頭には、汚い顔をした天竜人とかいう常識はずれの存在と、もうひとつ。

最近北の海の方で勢力を広げていると聞く、一人の男の顔が浮かんでいた。

その男の人を見下したような笑みと、この女の笑顔を照らし合わせる。

性根が腐っているか否かは大きな違いではあるが、常にニコニコ気味が悪いところはよく似ていた。

また、この女が家族を捜しつつ仕事をしていると話を聞いて、さらに確信を持った。ロレンソというこの女は、ドフラミンゴとかいう桃鳥野郎の血縁であると。

 

だが、黙っていることにした。

弟が弟がとたまに話してくるコイツに、「弟は残虐非道な海賊になっている」と伝えるのは、面白味もあるが少し哀れなような気がしたからだ。…いつも葉巻を頼んでいなければ、頼っていなければ、言ったかも知れないが。

 

 

「なにをそんなに笑っているんですか?」

 

「いや…優しい優しい何でも屋はフレバンスを放っておけねェのかと思って、笑っちまっただけさ」

 

「な…ッ」

 

 

「可哀想と思って何が悪い」と口に出さずとも顔に出ているコイツは、実に分かりやすい。

同時に、哀れみは何より惨めな気持ちになるかもわかっているはずだ。その気持ちの相違というか、一人の人間の内にまるで二人いるようで、不思議なやつだと思った。

 

どこまでも優しくあろうとする心。人は恨まないで。悲しみにとり憑かれないで。そうあろうとする心。

けれどもその彼女の心の内に、ぐるぐると渦を巻く黒い気持ちがあることも、クロコダイルは知っていた。

家族を救えなかった弱さ。迫害に折れかけた心。身体中の傷は、ロレンソの心をじわじわと蝕んでいるはずだろう。ーー事情は知り得なくとも、クロコダイルは心を読んだかのように理解していた。それだけコイツが分かりやすいのだ。

 

 

「クハハ…別に、可哀想と思うことは構わねェ」

 

 

思うことで、なにもできない無力さを改めて感じ、傷を抉っていくのはお前自身。

壊れていっている。自分の手で。

 

 

(…気付いちゃ、いねェんだろうな)

 

 

彼女の心は誰より優しくて、誰より脆いことに。

笑顔の裏は、きっといつも無表情。そんなロレンソを、柄にもなくクロコダイルは心配し、哀れんでいた。

 

たとえ、彼女が自分に苦手意識を持っていたとしても。



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11.少し背が高いのだから

「クロコダイルさん?」

 

 

クロコダイルが黙ったのを不審に思ったのか、ロレンソが顔を覗き込んできた。その顔をよく見て、疲労の色が滲んでいるのをクロコダイルは感じとる。

はァ、と大きなため息をひとつ吐くと、「てめェはなんでそんなに頑張るんだ」と怒ったように聞いた。

突然のことにロレンソは訳がわからず、すっとんきょうな声をあげている。けれどしばらくすると意味が分かったのか、頬を膨らませた。

 

 

「だから、いつも言ってるじゃないですか。家族を見つける為です」

 

「…もしその家族が、お前の考えに…反するような形で生きていたら、それでも良いのか?」

 

「……え?」

 

 

きょとん。そんな効果音が似合う、無駄に子供みたいな顔。背も高く、顔は大人の女のはずなのに、時折見せる子供のような表情は、クロコダイルの心を大いに掻き乱す原因であった。

 

ロレンソはしばらく考えて、唸って、にこっと笑った。

その笑顔が、たまらなく輝いているように見えて、クロコダイルは目を擦る。バカバカしい。

 

 

「生きていてくれたなら、それでいいです。生き延びたら自由に生きなさいって言ったのは私だから、どんな道を歩んでても、なにも思いません」

 

 

生きていたら、それでいい。それだけでいい。

そう彼女に言わしめるソイツは、もう残虐非道な海賊だというのに。

何も知らないからこそ言える言葉なのか。それとも知ってしまっても尚、この女はそうほざくのだろうか。

けれど彼女のこの、本当に愛しそうな顔。記憶の思い出のアルバムをめくっているのか、懐かしいような形容し難い顔をしている。

心から愛しているのが伝わって、見えたのは一瞬であるが彼女はきちんとした「姉」なのだと思った。

 

ロレンソが弟に会うことで、何か変わるのだろうか。

彼女の心の黒い気持ちや演技くさい笑顔が、姉としてのただの意地だとしても、取り払われたりするのだろうか。

弟たちに醜い自分は見せたくない、という意地が今、この歳で発動したらーー彼女は、変われるのだろうか。

 

俗に言うお節介というやつであることは、クロコダイルも重々承知していた。

だが、家族のため家族のためと、頑張り続けるコイツに、1日くらい休みを与えてもバチは当たるまいと思ったのだ。

 

たまには優しくしてやろう、なんていたずら心。クロコダイルは咳払いをすると、紙に何かをさらさらと書いて手渡した。

 

 

「…ここへ行ってみたまえ」

 

 

クロコダイルの突然の猫かぶりに鳥肌を立たせながら、ロレンソは紙を受けとる。

そこには聞いたことのない地名と、場所が書いてあった。

 

 

「“スパイダーマイルズ ゴミ処理場”…なんですか、これ」

 

「…私から君へのプレゼントが、そこに“居る”はずだ」

 

「プレゼント? 居る?」

 

「…つべこべ言わずに行ってみたまえ、ロレンソ君」

 

「ひっ…行きます、行きますからその敬語やめてください…ひぃ……寒気が…」

 

 

クロコダイルも、家族のために死に物狂いで働いている同い年の少女の欲しいものを知っていて、しかもそれが手の届く場所にあるのだとすれば……少し、高いところにあったとしても、取ってやりたいと思う心はあったのだ。

クロコダイルの唯一の弱点。唯一、彼が心の奥では少し、信じてしまっている女。

 

バカバカしい、と思えども、葉巻の減るスピードがすべてを物語っていた。




少し早いですが、逆転勝利がなさそうと判断し…。
出会わせることにしました。

……本当のことを言うと、もうこれ以上延ばせないぞっていう作者の力不足でした。


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ファミリーと家族
1.スパイダーマイルズ


ここが、と見渡した町は、至って普通の町。スパイダーマイルズ。

スパイダーマイルズなのにヘビがいて良いのか、と思われてもアレなので(スパイダーマイルズじゃなくても居ないに決まってるのだが)、シャクは船でお留守番してもらうことにした。

アオさんにクロコダイルさんからの妙なプレゼントとかいうものの話をし、スパイダーマイルズに行くということを伝えたところ、少し目を見開いてから、あっさりとオーケーしてくれた。

 

 

「にしたって、あの人からのプレゼントって…怖いな」

 

 

今までプレゼントなんかもらったことないし、クロコダイルさんのプレゼントなんてロクなもんじゃないだろう…なんて考えてしまうけど、人で判断しちゃダメだよね! プレゼントはいいものかもしれないし!

プレゼントが「居る」って言っていたのは気がかりだったけど。

あのクロコダイルさんが、選ぶ言葉を間違えたとも思えない。

 

スパイダーマイルズ ゴミ処理場。

そこは私が船を寄せたところから少し距離があった。

ていうかそこらへんはあんまり治安が良くないらしくて、道を聞くたび「やめておけ」と言われた。

言われる度「何が居るんですか」と聞くのだが、みんな一様に首を振るだけ。そんなことが何回も繰り返されていると、私もだんだん怖くなってきた。

 

まさかとは思うけど、そこには人身売買の仲介人(ブローカー)的な何かがいて、クロコダイルさんはそれに私を売るつもりだった…!? とかただの妄想をしたつもりだったのに、なんかそれで納得してしまう。そんな気がしてきたってやつだ。

 

 

「何が居るのかくらい誰か教えてよ…!」

 

 

それくらい良いじゃない、と思いながらプラプラしてみる。

何が居るのか分からない以上、ゴミ処理場ってところに行く勇気はない。

だから思いきってクロコダイルさんに連絡してみたのだけど、所用で居りませんなんて女の人の声が残酷に響いただけだった。ひどいんだ!!

 

ゴミ処理場こわいし、クロコダイルさんでないし、怒ったせいでおなかがすいてきたし。

途中港にめちゃくちゃ派手な海賊船らしきものがあってびっくりした。北の海っていっても、こんなに大きな海賊船を持つ海賊がいるんだー、と驚いた。

けれどそれはデザインが微妙というか、私ならこれは選ばないかも、というやつ。フラミンゴの形。フラミンゴ、フラミンゴか……。

 

もしこの船のデザインがバナナワニだったらぶち壊してた、という思いはさておき、とにもかくにも腹ごしらえ。食べ物屋がたくさん並んでいる通りを歩いていたら、いい香りのするパスタ専門店があった。これはいいね!

 

外には順番待ちでもしているのか、小さな男の子と女の子が立っている。そんなに美味しいのかな。楽しみだぁ。

 

そんなウキウキした気持ちで扉を開けた私を迎えたのは、店のがやがやとした喧騒でも、店員さんの元気な声でもなかった。

 

 

そう、私を迎えたのは、頬をかすめるくらいギリッギリを通った流れ弾と、人々の悲鳴。

それから床をすべて染めてしまうほどのーー血だった。



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2.荒くれ者たち

またもうひとつ、今度は酒瓶がこちらへ飛んできて、私はウエスタン映画よろしく倒れた机に隠れた。危機一髪である。

なにこれ、と思いながらちらりと状況を確認するように辺りを見た。倒れている机、人。それからこのお店の店員さんらしき女性が、身長3メートルはあろうかという鼻水男に言い寄られている。拳銃をつきつけられているところを見ると……あまりいい雰囲気ではなさそう。

 

カウンター席に座ってそれを眺めているのは、同じく3メートルほど身長のある男。

黒のスーツにふわふわのピンクコートというなんともミスマッチとも思える格好だが、それでも着こなしてしまっているのは、男の長身と…サングラスで目はよく分からないが、端正な顔立ちのおかげだろう。

 

 

「や、やめてください…っ、キャア!!」

 

「べへへ~! そう照れるんじゃねェ!」

 

「オイトレーボル、次はおれに貸せよ? ウハハ!」

 

(…っ! あいつら…!!)

 

 

今まで必死に抵抗していた女性が組み敷かれ、トレーボルというらしい男に跨がられる。

それを愉快そうに眺めている赤い服の男にーー虫酸が走った。

最低。その一言に尽きる。

 

 

「…おい、トレーボル。ディアマンテ。おれたちはそういうことをするために今日ここに来たんじゃねェぞ」

 

「べっへへ~、なァに、体に教えねェとわからねェこともあるんだぜェ?」

 

「…ハァ。おい、今ここでするべきことは“平和的解決”だ。そうだろう? お前たちが“何をすればいいのか”くらい…分かるよなァ?」

 

「も、申し訳ありません…っ! 許してください!」

 

 

会話を聞くに、このレストランの人がピンクコートの人たちになにかやらかしてしまったようだ。

ピンクコートの人からはふつふつとした怒りが、その部下らしい人たちは相変わらず女の人の上から退いていない。…どころか、鼻水男なんかはシャツのボタンを外し始めた。マズイ、マズイ、マズイって!!

 

そんなシーンを見ている趣味なんてない。

それに、こういうことの苦しみは…苦しんでいる人を見るのは、世界で一番嫌いだ。

 

 

(もう、どうにでもなれ…っ!)

 

 

一時停止。時間を一瞬止めて、大股で鼻水男の横に移動して、回し蹴りの準備をする。

うん、死ぬかもしれない。この床に転がってる人たちみたいに。

けど、大きくなったから。大人になったから。この女性に助けられなかった母を重ねている訳じゃないけど、…けど、あの頃みたいに無力じゃないって、自分で思いたいから。

 

 

「“再生”」

 

 

メキィ、と足が肉に食い込む音がする。

「べへぇっ!?」とマヌケな声をあげて、男は吹っ飛んだ。

壁にぶつかって動かなくなったのを確認して、女性を助け起こす。

 

 

「大丈夫ですか?」

 

「は、はい。……あっ」

 

「え? ーーー…ッぐウっ!!?」

 

 

いきなりのことに息を吸う暇もなく、私の首を片手で鷲掴みにし、私を宙にぶらんと浮かせたピンクコートが、ひとごろしの目で私を睨んでいた。足が地に付かなくて、混乱のままに足をじたばたさせる。

サングラスで隠れているのに、そのレンズの奥にある瞳は、おかしいくらいに冷静に「殺してやる」という念をこちらに送ってきていた。

ピンクコートは私の気道をギリギリ締め上げて、確実に窒息させようとしている。…ああ、死ぬのかな。

 

……と、ぶっ飛ばされた鼻水男が叫んだ。

 

 

「殺しちまえェ、ドフィ~!!!」

 

 

……ドフィ?

沈みかけた意識が、引き戻される。父と母譲りの美しい金髪に、既視感がして…目を見開いた。

サングラスは変わっているけど、背は大きくなっているけど、声は低くなっているけど。

ドフィだ。……私の、天使。私の、かわいい弟。

 

 

「や、めて……ドフィ…」

 

「……あァ?」

 

「…ドフィ、おねがい…あねうえ、く、るしぃ…、から…ぁっ」

 

 

涙目になる。視界が霞んで、見えなく……。

 

 

「…………あね、うえ?」

 

「っ、ゲホッゲホッ!! …っは、ぁ、ハァ、ハァ…」

 

 

子供の呟きみたいなそれと同時に、私は床におもいっきり落とされた。

いきなり自由になった呼吸と強かに打ったお尻、両方に悶えながら、状況を把握しようと頭をフル回転させているらしい我が家で一番頭のいい弟。

動揺と疑いの入り混じった視線を正面から受け止めて、私はにっこりと笑った。

 

 

「ダメよ、ドフィ。…人の嫌がることしちゃ」

 

 

ね? とだらりと垂れたドフィの手を触ると、ガシリと握られてーー見上げた弟は、世界で一番幸せだというように、にんまりと笑っていたのだった。



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3.昔と今(ドフラミンゴ視点)

ーー始まりは、この店の“不手際”だった。

 

 

「……フッフッフ…おれの飯に毒を混ぜるとは、いい度胸してるな?」

 

 

そうカウンターの女に声をかければ、魔法にでもかかったかのようにソイツは硬直した。

この店と、おれを邪魔に思う海賊が繋がりを持ち、おれを殺そうとしているのは知っていた。

知っていて、この店に飯を食いにきた。その意味は……分かるだろう?

きれいに盛り付けされ出されたパスタを皿ごとおれがひっくり返す。それが開戦の合図だった。

 

客に扮していた男共が次々とナイフを取り出しておれに向かってくる。ーーが、その刃はおれに届くことなく床に落ちた。

何の為にディアマンテとトレーボルを連れてきたと思っている?

 

 

「こんなんでドフィを殺そうなんざ笑止千万だ、んね~!!」

 

 

全くもってその通りだ。

おれが手を下すまでもなく、ディアマンテとトレーボルによってそいつらは地に伏していく。

おれはただ、肩肘をついて退屈に、それを眺めていれば良いだけだった。

 

店の女が許しを乞うて来ようが、ディアマンテやトレーボルがその女をどうしようがどうでもよかったが…用件はそれじゃない。

おれはその女を見ながら、「やるべきことは分かっているな」と笑った。

ここの金と、所有権。それを渡せばお前は“自由”だ。

……まぁ、自由になったあとどうなるかなんて、知らねェがな?

 

トレーボルが女に跨がる。

少し気が早くねェか、と呆れたがあきらめた。こいつは昔からそういうやつだった。

特に今女に飢えているわけでもなし、おれは冷めた目でそれを眺めてーーその瞬間。

 

 

「べへぇっ!?」

 

「!?」

 

 

さっきまで居なかったはずのもうひとりの見知らぬ女が、トレーボルの顔面に華麗な回し蹴りを炸裂させた。一瞬起きたことが理解できずに固まってしまう。

だがすぐに「家族が傷つけられた」と脳が判断すると、考えるよりも先に、おれの手が女の喉をひっつかんでいた。対応できなかったのか、苦しそうな声を出した女は、抵抗のつもりか混乱からか足をじたばたさせていた。無駄なことを。

 

おれの家族を傷つけたやつを、おれが生かしておくと思うのか。

 

ギリリ、と絞めあげる力が強くなる。

もうすぐ首の折れる音が聞こえるはずだ。無惨な姿で死ぬがいい。

薄っぺらな正義感。自分を蔑ろにする行為。誰かを思い出させて、異様にイラついた。

 

 

「殺しちまえェ、ドフィ~!!!」

 

「……!?」

 

 

…ふと、女の目が、見開かれた。

遠くなりかけていたと思われた意識が戻って、おれの顔をまじまじと見つめ始める。

それの意味が分からなくて眉を寄せると、女はかすれた声を出した。なんだ、まだそんな力があったのか。ならもっと強く絞めてーーー

 

 

「や、めて……ドフィ…」

 

「……あァ?」

 

「…ドフィ、おねがい…あねうえ、く、るしぃ…、から…ぁっ」

 

 

言っている意味が…分からなかった。

この女がおれを「ドフィ」と慣れた口調で呼んでいることも、自身を「姉上」と呼んでいることも。

 

掴んだまま、容姿を見る。

金色の滑らかな髪に、陶器のような肌。すらりとした四肢だが、左手には包帯。また左脇腹には縫い傷。

これは…あのときの傷か? おれたちを逃がし、矢で射られた…おれの、最後にアンタを見た瞬間の。

はっとして見ると、母によく似た年頃の女が、苦しそうに、今にも事切れてしまいそうな顔をしていた。混乱と慌て。すぐに手を離す。

 

 

「…………あね、うえ?」

 

「っ、ゲホッゲホッ!! …っは、ぁ、ハァ、ハァ…」

 

 

絞められた首と打った尻をさすりながら苦笑にも近い表情を浮かべてくる精神の強かさは、確かに姉のものだ。

他人だと思っていたからイラついていた正義感も、姉ならやりそうだと納得して、顔には自然と笑みが広がる。

 

 

「ダメよ、ドフィ。…人の嫌がることしちゃ」

 

 

ああ、姉だ。柔らかい笑みも、華奢な体も、鈴の音のような声も、すべて、すべて。おれの姉だ。

酸欠状態だったからか上気している顔に、そっと触れる。目尻から頬、と優しく撫でてやれば気持ち良さそうに目を閉じた。

なんて愛しい生物だろう。この世界の中で今、おれは誰より可愛らしく愛しい女に触れている。

 

 

「大きくなったのね」

 

「フフ…あんたは綺麗になったな」

 

 

そう? と嬉しそうに聞き返してくる姉は、昔よりずっと可愛らしく、美しくなっていた。

華奢で白いのにしっかりと芯を持っている姿は、幼く、母と変わらず体が弱いながらも自分たちを守ったときそのままで。

 

 

「もっとこっちへ来い…姉上」

 

「ハイハイ」

 

 

「仕方ないわね、私の天使ってば」と数百、数千の薔薇に劣らない笑みを見せてくる姉。

そう、そうさ。

ギシリと指を動かして、このまま姉を操ってしまいたいのを我慢する。

 

昔は弱かったが、今度こそ。

 

 

「フフフ…フッフッフ!! こんだけ近けりゃ、守れるってもんだ」

 

 

おれの糸は、決して姉を逃がさない。

愛して、閉じこめて、おれが守ってやる。

昔とは違い、おれは力を手に入れたのだから。



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4.ドンキホーテファミリー

絞められた喉をさすって咳き込むと、ドフィは「悪かった」と言って申し訳なさそうな顔をした。

ドフィが自分から素直に謝るなんて、と思ったけれど、私の見ていなかった15年ほどの間に、彼にもいろいろあったのだろう。

悲しいかな、その離ればなれになってしまった年数と一緒に家族として暮らした年数とでは、離ればなれになった年数の方が多いというのだ。

私これ、姉って名乗って良いのだろうか…。なんて考えてしまう。

 

 

「ドフィの姉ちゃんなんだったら先に言ってくれ、んねー!」

 

「あ、ごめんなさい」

 

 

アナタのしようとしてたことがムカついちゃって、と真顔で返せば「似てるわー! ドフィに似てるわー! 鼻出るわー!」なんて意味の分からないことを言い出した。

鼻出るわって、もう出てますけど。

鼻炎? と思ってティッシュを出そうとポケットを探っていると次の瞬間、ふわりと体が宙に浮く。

驚いてその原因である弟を見ると、満足そうに私をプリンセスホールドしていた。なぜ。

 

けれど、昔は手を引いてやっていた弟が抱き上げてくれるというのは成長を感じて嬉しいし、何よりこんなイケメンに抱き上げられる機会なんてそうそうないのだから、堪能しておくのがいいだろう。

 

私が抵抗する気がないのを感じとったのか、昔よりちょっと悪い笑みを浮かべると、つかつかと出入り口に向かうドフィ。

 

 

「ドフィ、この店と女、どうする? 始末していいならするが…ウハハ!」

 

「あァ…放っとけ。どうせ海賊は皆殺しにしちまったんだからな」

 

 

……可愛い弟から“皆殺し”なんてこわいワードが聞こえた気がしたけど、きっと空耳だよね?

 

フフ、という笑い声が降ってきたことで、弟が自分を見ていることに気付く。

プリンセスホールドされていることで顔の真横にきた胸板に頭をもたげると、ドフィはくすぐったそうに笑った。

手、大きくなったな。声変わりもしてるし、背なんて3メートルくらいあるし。いいなあ。私もこんくらい大きくなりたい。

 

 

「フフ…何を考えてる?」

 

「あっちょ、前見て歩きなさいよ! …んー? 成長したなって。姉上嬉しい」

 

「成長、ねェ。…フフフ!」

 

 

ギィ、とお店のドアを開けて外に出ると、外に立っていた男の子と女の子が「若様!」と走り寄ってきた。…ワカサマ?

というか、この子たちも仲間だったんだ!? と驚く私に笑いかけると、ドフィは二人の頭をするりと撫でる。

…お兄ちゃんだな。やっぱり成長したな。

 

 

「若様、そちらの女の人はだぁれ?」

 

「フフ、あァ。おれの姉だ」

 

「若様のお姉さんだすやーん!?」

 

「まあ! だからそんなにお綺麗なのね!」

 

「お、お綺麗!? あ、ありがとうね…?」

 

 

洋服をすすめてくる店員ばりの褒め方をしてくる10にもならなそうな少女に、ちょっと驚く。

けれど褒めてくれることに対しては不快感はないので、素直に受けとることにした。

キラキラとした目で私を見てくる少女は、名前をベビー5というらしい。…な、名前?

隣でアイスを食べている男の子はバッファロー。

今から向かうらしい拠点にはまだ“ファミリー”がいて、全員揃ってドンキホーテファミリーというらしい。へえぇ。なにそれぇ、って感じだ。

 

 

「早く全員の名前を覚えろよ? 姉上はファミリーの幹部に…そうだな、二代目コラソンにでも」

 

「へ? 幹部? 何言ってんの、ドフィ? 私海賊にはならないよ?」

 

「……あ?」

 

 

ピキイ、と町全体の空気が凍ったようにも感じられた。



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5.思い出したくないこと

なんで、という不満満載オーラを放つドフィだけど、私にはそっちの方が訳が分からなかった。

いや、会えたことはラッキーだと思う。成長を見られてすっごく嬉しいし、これからもちょくちょく様子を見に来ようかななんて思っていたのだが、入るなんて一言も言っていない。むしろ何でそうなったのか聞きたい。

空気も凍りそうなこのオーラ。すぐ近くにいると息苦しい。威圧感。…なんだろう、すごいなコレ。

 

 

「だって姉上、今お仕事してるんだもの」

 

「…お仕事、だァ?」

 

「何でも屋っていうのよ。どうぞごひいきにね」

 

「何でも屋…」

 

 

その名前に心当たりでもあったのか、ドフィの空気がフッと緩む。

横にいた子供たちが息を吐くのが分かった。ごめんね、苦しかったよね。

 

すると突然、ドフィは肩を震わせて笑い始めた。

ちょ、弟がすごい笑い上戸になってて姉上戸惑いを隠しきれないよ。冷や汗が背中を伝う。これ、言わない方がよかったやつかな。一抹の後悔。

私を抱く手には力がこもって、正直痛い。だからさっきから名前を呼んでいるのだが、聞こえていないかのように笑っている。やだもう怖いって。

 

 

「フッフッフ…! 何でも屋…聞いたことはあったが、まさかアンタだったとは! とんだ死角だった。まさかあんなにボロボロだった姉が五体満足で世界を飛び回ってるたァ思わなかったもんでな」

 

「私も、まさか弟が海賊やってるなんて思わなかったけどね」

 

 

海賊っていうかほぼマフィアなんですけどね。ヤのつく自営業っぽいけどね。そっちの方が納得したかもしれない。

…なんて言ったらまたすごい威圧されてどんな手を使ってでもファミリーに入れさせようとしそうだから言わない。

 

 

「入れない代わりに、珍しいものとか欲しかったら連絡くれれば大抵あるから。あと秒で配達してほしいときとか。葉巻とかおかきとかそういうものでもオーケーだからさ」

 

「フッフッフ! まァ今はその関係でも構わねェさ」

 

 

今は、と愉しそうに言うドフィは、どんな作戦を立てているんだろう。

嫌がる私を無理矢理入れないのは、そうすると私がドフィからさらに離れるだけだと分かっているからに違いない。だからこそ、一筋縄ではいかない作戦を仕掛けてくるはず。

注意しなきゃ、と溜め息を吐いた。

 

 

「ところで拠点ってどこなの?」

 

「ん? あァ、この町のゴミ処理場だ」

 

「……ゴミ処理場?」

 

 

「嫌か?」と聞いてくるドフィにぶんぶん首を横に振ってーーそうか、そういうことだったのか!!

クロコダイルさんが言ってたプレゼントって、ドフィか!!!

クロコダイルさん、ドフィの居場所知ってたのか…! だから教えてくれたのか…わざわざ…。

そう考えると土下座して感謝を述べたいくらい嬉しかった。く、クロコダイルさんアンタって人は…っ!

今までクソワニ野郎とか言っててごめんなさい。たまに火がつきにくい葉巻を渡すのやめます。ごめんなさい。

 

心の中でひたすらに謝る私を、ドフィは面白そうに見つめていた。

そんな私と話をしてみたいと思ったのか、ベビー5が私のことを呼ぶ。

 

 

「あの、若様のお姉様!」

 

「あ、私ロレンソ! レンって呼んで!」

 

「え? い、いいのかしら…? じゃあ、レンさん!」

 

「なぁに?」

 

「お家に着いたら、若様が私たちくらいのころのお話が聞きたいわ! それから、レンさんのお話も!」

 

「えぇー…かなりグロテスクだからやめておいた方がいいかなーって思うんだけど」

 

 

「そうなの?」と首をかしげるベビー5改めベビーちゃん。

そうなんだよな、まだ幼いベビーちゃんには刺激が強いかも、と苦笑いしながら言うと、ドフィも「そうだな」と同意してくれた。

 

 

「だが、おれには話せ」

 

「えっ」

 

「あのあと何があったのかも、今までのこともだ」

 

「えぇー…」

 

 

この弟に言うのか…。なんか、もう思い出したくないし言いたくないしな…。精一杯悲しそうな顔をしながらきゅっとドフィの服を掴んでみる。するとそれまで「当たり前だろ」みたいな顔をしていたドフィが押し黙った。よっしゃァ!!

まあ、思い出したくないのは本心だけどね?

 

 

「…嫌か」

 

「…思い出したくない、かな」

 

「……そうか。分かった」

 

 

ありがとう、と微笑んで、二人の世界を作ってしまっていることにご不満らしいベビーちゃんに「べつのお話ならしてあげる」と言ったら、まるで花が咲くように笑った。可愛いな。ドフィこの子どうやってゲットしたんだろう? 拐ったりしてないよね?

 

 

「どんなお話?」

 

「そうね…私がお仕事で行った町のお話はどう? 素敵だなってベビーちゃんが思ったら、私今度行ったときお土産買ってきてあげるわ」

 

「本当に!? 嬉しいわ!」

 

 

ああ素直で可愛い。弟も可愛かったけど、妹も欲しかったな。

…ああでも、こんなに可愛い妹が居たとしても、私たちみたいな目に遭わせるのは嫌だな。私じゃ守りきれないだろうし。釘で打たれてたりしたら私もう壊れちゃう。

 

 

「素直で可愛いねぇ、ベビーちゃんは」

 

 

そんな緩みきった私の顔は、どうやらドフィの想像通りだったようだーーーというのを、私はあとから知った。



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6.駄々っ子若様

拠点に着くと、ドフィの言っていた「ファミリー」たちが私たちを迎えてくれた。

居るのはマスクの青年と、おじいちゃんとおばさん、仮面を着けた筋肉がすごい人、「イーン」という口癖が特徴的な人と、それから赤ちゃん。

…なんか個性的だな。ファミリーって。

 

 

「若、その女は…」

 

「あァ、おれの姉だ。ロレンソという」

 

「まあ! 若のお姉様ザマスね!! さすが、美しいザマス!」

 

「フッフッフ…姉上に傷ひとつでも負わせたヤツにはおれが死を与える!」

 

「えっ!?」

 

 

ちょっとそういうのやめて、とドフィの服をつかんで揺さぶるけど、まったく気にしていないようだ。ちょっと本当にやめて! そんなん私がつらくて死んじゃうから!!

ああ…と私が肩を落としていると、おじいちゃん…ラオGというらしいおじいちゃんが、「若」とドフィを呼んだ。 …というかさっきから、若ってドフィのことなのは分かる。分かるんだけど…。ドフィって若って年齢じゃなくないか…、と頬をひきつらせた。

まあマフィアだし。ヤのつく自営業だし(違う)。

 

 

「実は……」

 

「あん?」

 

 

ひそひそ、とラオGがドフィに耳打ちする。

その途端、ドフィの口角がにぃっと上がって「そうか」なんて。……いや、嫌だなあ。嫌な予感しかしないなあ。

ドフィに下ろされたことで隣に立つことになったグラディウスという青年に「なんの話?」と尋ねてみた。

 

 

「…おおかたベビー5のことを騙したバカな男の居場所を突き止めた、といったところだろう。おれに聞くな」

 

「いや、おれに聞くなとか言う割に結構知ってんじゃん? グラディウスくん…だっけ」

 

「黙れ。おれが忠誠を誓ったのは若にだけだ」

 

「そっかー…ふふ、可愛い」

 

「かわ……っ!? き、気色悪ィこと言うな!!」

 

 

グラディウスくんを見ていると、なんかフレバンスで会った男の子…ローくん、だっけ。それにちょっと似てて、かわいく見える。

そんなやり取りをみてうまくやれていると安心したのか、ドフィは「少し行ってくる」とそのまま扉へ向かった。えー、姉上が来たのにどっか行っちゃうの?

 

 

「姉上はいつまでここに居れる?」

 

「んー…仕事しながらになっちゃうよ? 夜ご飯と朝ごはんだけ食べることになるかも」

 

「構わねェ」

 

「じゃあ…4日は居れるかな?」

 

「あ? 少ねェだろ」

 

「少なくないよ!!」

 

 

明らかに不満、という顔をしてくるけど私だって仕事が忙しいのだ。

居れて1週間。14年経営してきて初の休みをとったとしてもそんなに居られないはずだ。

まあ、休みをとるなんて選択肢を伝えたら是が非でも休めとか言ってきそうなのがこのドフィという弟なので、言わないことにしたけど。

 

 

「…い、一旦4日で我慢してくれない? いきなりだし…しばらくしたらちゃんと……1週間くらい居れるようにするから」

 

「結局短ェよ。3日しか増えてねェだろ」

 

 

呆れたように溜め息を吐くドフィだけど、なんでそっちが被害者面してんだ。大変なのはこっちだわ。

元々家族を捜すための何でも屋だったから見つけたら辞めてもいいかなって思っていたけど、しばらくやっているとこういう生き方もいいなって思ってきてしまったのだ。

 

 

「ごめんね。か、代わりにドフィの欲しいものとか…ある?」

 

「姉上の時間だな」

 

「く……っ!」

 

 

代わりにっつったでしょ! と言いたいけど可愛い弟の頼みなのである。

心がきゅんきゅんしてしまって、もう言うこと聞くしかない…気がする。

というか、私の天使の願いを聞かないの? と心の私が言っているのだ。

 

結局ーーー私が折れた。

 

 

「分かった…分かったわ。とりあえず今日から4日ここで過ごして、1週間したらまた来るから…。まとまった休みもって」

 

「フフフ! 姉上ならそうしてくれると思ってた」

 

 

ありがとな、と額にキスをされて悪い気はしない。

溜め息を吐く私を、バッファローがけらけらと笑った。

 

 

「しばらく空ける。今日の夕食までには戻る」

 

「はーい若様!」

 

「いってらっしゃい、ドフィ」

 

 

ひらひらと手を振ってドフィを見送る。

…と同時、懐の電伝虫がぷるぷると震えていることに気付いた。



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7.子守りの苦悩

「ごめんね、ベビーちゃん」

 

「仕方ないわ、お仕事ですもの!」

 

「うっ……ベビーちゃんの物分かりが良くて感激なんだけど…」

 

 

ロレンソは涙ぐみつつ、この子には両手いっぱいのお菓子でも買って帰って来てやろうと決心する。

ドフラミンゴを見送った直後、かかってきた電話は案の定というかなんというか、依頼だった。

これがクロコダイルとかからだったらまだ良いのだが、なんとこれが不運。

 

海軍中将、ガープからであった。

 

海賊の拠点で海軍の英雄からの連絡を取るのはどうなんだ、という感じだが、「今場所が場所なんで待っててください」なんて言って待ってくれる相手でないことはロレンソも重々承知している。

なんせこのロレンソに「クロコダイルとかからだったらまだいい」とまで言わしめる男であるのだから。

 

 

『孫の喜ぶようなおもちゃを用意せい! 金はいくらでも払うわい!!』

 

『はっ!? え、ちょ、ガープさ…』

 

『東の海ゴア王国フーシャ村! 待っとるぞ!』

 

 

無慈悲にも切られた電伝虫を片手、頭痛を感じてロレンソは眉間を揉んだ。

自由人ってのは本当に迷惑な生き物だ。自由人…というのも、少し意味が違うが。

自由に自分の人生を歩んでいる、という点で意味は合ってはいるのだが、何せ自由すぎる。我が道を行きすぎる。仮にも海軍というきちんとした職についているのだ。人の人生に文句を言うものではないと理解しているロレンソでさえ、「もう少し決まりに縛られてください」と呆れるほどであった。

 

だからといって彼が海兵たちから嫌われているというわけでもなければ、不平不満を言う者はーーセンゴクを除きーー居なかった。

それなりに人望はあり、自由で、強い。

彼が海兵でよかった、と思うものは海軍や政府に多数いるだろう。…逆に海賊からしてみれぱ、厄介極まりないのだけれど。

 

 

「孫ったって…ええと、いくつだっけ? ひーふー……2歳…2歳のおもちゃ!?」

 

 

孫が産まれたんだ、と顔を気色悪いほどに緩ませて自慢してきたのはそう、2年前だったはず。

つい5年前にも「孫を引き取った」と電伝虫で騒いでいた気がするがーー彼のは良いんだろうか。

 

海賊王ゴールド・ロジャーの息子。悪魔の子、要らない子などと言い殺せ殺せと海軍が騒いでいた頃が懐かしい。

何でも屋に子供が居るわけねーだろバカ、と追い返したことをつい最近のように覚えている。…実際は、海軍の英雄が匿っていたのだけど。

 

 

「どうも、お待たせしましたーぁ」

 

「きゃあ!? …って、レンさん!」

 

 

東の海ゴア王国フーシャ村の酒場、と考えながら船のドアを開けたら、一瞬でここに着いた。初めてここに来たのも、アオさんに連れてきてもらったとき。だから手袋ですぐなんだ。何者なんだろあの人…。

 

迎えてくれたのは可愛い女の人。確か…マキノ、ちゃん?

 

 

「こんにちはマキノちゃん! ガープさんいる?」

 

「ここにはいませんよ! 確か…ルフィと山に行ったはずです! もうすぐ帰ってくるかも」

 

「あー…あの人も飽きないな…生まれたばっかの子を連れて…。…分かった、ありがとうね!」

 

 

そう告げて酒場を出ると、確かに少し遠くから赤ん坊の泣き声が聞こえてきていた。

恐らく、いないいないばあでもして泣かせているんだろう。…あれって子供を泣き止ませるためのやつだった気がするんだけど?

矛盾と疑問を感じながら、私はそちらに足を向けた。



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8.育児放棄のスペシャリスト

目の前で泣きわめく我が孫に、祖父であるガープはほとほと困っていた。

この自分の「いないいないばあ」なるもので義理の孫のようなものであるエースは泣き止んだというのに、我が孫ルフィはなぜ泣き止まないのか。

育児放棄のスペシャリスト。育児放棄の家系。その代表である海軍中将、ガープにはその理由がまったく分からなかった。

 

 

「ルフィ! ほ~れ、じいちゃんの変顔じゃ!」

 

 

ほれ、と顔を覆っては変顔を見せ、また顔を覆っては別の変顔を見せの繰り返し。

だが孫の泣き声は止むどころか、一層強くなっているようだ。

困った。実に困った。海軍中将ガープがここまで苦悩するのは、エースを引き取るか否か葛藤していたとき以来だろうか。

…と、その時。自由奔放ジジイのもとに、救いの手がさしのべられた。

 

 

「ほらルフィくん見て。カッコいいでしょう? 海賊サーベルよ」

 

 

スッと孫の前に差し出された空気を入れるビニールおもちゃと白い腕。見るとそこには、ガープがさきほど連絡したばかりの女が、ルフィと同じ目線にしゃがんで笑っていた。

相変わらず来るのが早い。ガープは助かったと息を吐く。

子供になれていない自分より、子供慣れしているらしいこの何でも屋に任せた方が、ルフィは泣き止むことが多かった。

でかしたとばかりに女の背中を叩くと、「やめてください」と呆れたように手を払われた。

 

 

「自分じゃ泣き止まないからって、私を呼ぶの勘弁してくださいよ。誕生日プレゼントとかならまだしも」

 

「ぶわっはっは! いいじゃろ、別に。大事な用でもあったか?」

 

「…まあ、少し」

 

「そうか、そりゃ悪いことをしたな!」

 

「全然悪いと思ってないでしょう?」

 

 

溜め息を吐きながら、「エースくんはコルボ山に?」と聞いてくる何でも屋。紙袋に男児用の服が入っているのを見ると、大事な用があったと言う割にはきちんと子供のことを考えているように感じる。

そのお人好しさにガープは感心しつつ、肯定の返事をした。

 

 

「エースは絶賛反抗期中じゃ!」

 

「…確か6、7歳でしたっけ。難しい年頃ですね」

 

 

その言葉はエースと誰を重ねているのか。分かりはしなかったが、懐かしそうなその瞳に、確かに「姉」というものの姿を見た。

エースに服を届けにコルボ山に行くと言うので道案内でもしようと思ったが、構わないと断られた。

「貴方が居たらエースくん出てきませんし」とまで言われてしまった。自分は野生の熊か何かなのだろうか。

…いや、野生の熊にすら挑むようになってきたエースにとって、自分はもっと恐ろしい猛獣か? そう考えて笑った。

 

 

「…なに笑ってるんですか? 気色悪い」

 

「ぶわっはっは! お前、客には辛辣じゃな!!」

 

「迷惑なのにお得意様だと困るんですよ、ほんと」

 

「ぶわっはっは!!」

 

 

そうは言うものの、他人から見て彼女は、商売をしている時が一番彼女らしいと感じる。

自由を体全体で堪能している、といった印象を受けるのだ。

客への気配りも豊富な品揃えも、文句なしといったところ。…態度はどうにかしてほしいが。

 

「ガープさん以外にはちゃんとしてますよ」と笑う彼女は、それでも楽しそうだ。

初めて会ったばかりの彼女は中将などに会うごとに毎回ガチガチになっていたが、今じゃ大物の海賊に、センゴクなども客だと聞いている。大したものだ。

 

 

「そうだガープさん。ここら辺にお菓子とか売っているところありませんか? 弟たちや子供へのお土産に買って帰りたいんです」

 

「ん? 何じゃ、家族見つかったのか!!」

 

「まあ、弟がひとりとその取り巻きが何人か…」

 

 

それでも十分幸せそうに微笑むのだから、彼女にとって家族とはどんなに尊い存在かわかる。

特に彼女は家族を見つけるために働いていると聞いていたから。

 

 

「残念じゃが、ここにはそんな店はないな。あるのは酒と自然…お菓子やら見た目が綺麗な物が欲しいなら、ゴア王国城下町へ行くべきじゃ」

 

「城下町、ね…分かりました、ありがとう」

 

 

ビニールのおもちゃ代と配達代を払い、エースの服代も払おうとしたが止められた。

これは自分のただのお節介だから、と。

 

エースが成長していることも見越しての服のサイズ。さすが長年何でも屋を営んでいるだけのことはある、と感心した。

颯爽とコルボ山に向かう背中を、ガープはひとり静かに見守っていたのだった。



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9.緊急帰宅速報

コルボ山は、雄大な自然と綺麗な空気が特徴的な、ロレンソのかなり好きな場所である。

ロレンソが住んでみたいと思うところトップ10に入るくらいに、彼女はコルボ山が好きだった。

 

 

「とったどー」

 

 

襲ってくる猛獣も含めて。

今日仕留めたのは大きな虎。このコルボ山には猛獣なんて死ぬほどいて、こんなに大きな虎でも序の口というのだから参ってしまう。

これも一応彼に渡せばご飯になるのかなと、尻尾を掴んで引きずり持っていくことにした。

 

この虎もロレンソを襲ったのが運の尽き。華奢だがついているところには肉がついているロレンソに涎を垂らしながら襲いかかった時点で、この虎の運命は決まっていたのである。

そもそもロレンソに涎を垂らしながら襲いかかってくるのは虎のみならず、コルボ山から抜けて別の町に行ったとて、男に同じことをされるのがオチ。そんなロレンソの不満は高まっていて、いつもなら避けて逃げる! がモットーのロレンソが、今回は得意の蹴りで倒してしまったのだ。

 

 

「虎っておいしいのかな…?」

 

 

そんな疑問をぽつり、口にしたとき。ガラガラと鉄パイプを引きずる音が聞こえて、ロレンソは振り返った。

そこに小さな人影が見える。

 

 

「エース!」

 

「…久しぶりだな、レン。お、虎狩ったのか」

 

「毎回毎回しつこかったから! エースにあげるよ!」

 

「ほんとか? ありがとな」

 

 

テンションの差が激しいが、このエースという少年、きちんとした7歳児である。

そしてこの女、れっきとした三十路手前である。

なのにロレンソのほうが子供っぽく見えてしまうこの現象は、一体なんというのだろうか。

「なかなかでけェな」と嬉しそうに笑う少年は、ポートガス・D・エース。海賊王ロジャーの実の息子であり、今はコルボ山の山賊、ダダンに育てられ暮らしている。

 

 

「最近はどう? ダダンさんに嫌なこと…はさせられてないか」

 

「ああ。別に大丈夫だ」

 

「そっか! …あ、エース! 今日エースに服持ってきたんだ!」

 

 

はい、と大きな紙袋に入れて渡されたのは、エースにちょうどいいサイズの服たち。

どうしてこんなにちょうどいいサイズのものが分かるのか、と聞いては見るのだが、「なんとなく」としか返ってこない。

あのマキノでさえ採寸しないとダメだというのに、年に数回会うか会わぬかというこの女が、どうして分かるのか。エースは不思議でならなかった。

 

 

「礼は言っとく」

 

「ふふ、素直じゃないな。…っと、ゴメン。ちょっと電話」

 

 

慌てて懐から電伝虫なるカタツムリを取りだし、喋り始めるロレンソ。

その声がいつも客に向けている声とは違って、エースは首をかしげる。…どふぃ、って誰だ? そんなにお得意様なのか? といったように。

 

 

「ーーーうそ、」

 

 

…突如、ロレンソが目を見開いて電伝虫の相手を問いただしていた。

どうしたんだと声をかけようとしたが、ロレンソの纏うなにかピリピリとした空気に、生唾を飲むことしかできなかった。

それがロレンソの大きすぎる「動揺」という感情であることに、エースは気づくことはなく。

 

 

「…すぐ、帰るから。…うん。ご飯の準備しててあげるよ……は? …うん、わかった」

 

 

ガチャリと通話を切ったあと、ロレンソは申し訳無さそうに後頭部を掻く。

混乱と、焦り。なんとも言い難い表情をしていた。

 

 

「ごめん、エース。帰んなきゃ」

 

「なにかあったのか? その…ドフィ、ってやつと」

 

 

彼女は、聞こえてたのかと苦笑にも近い笑みを浮かべる。

 

 

「……弟がさ、見つかったんだ」



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10.揃った家族

ロシー、と呼びかけるとその大柄な男は勢いよく振り返ってーー転けた。

キャハハ、とベビーちゃんが笑う。同じようにトレーボルやディアマンテ、その他大勢がロシナンテのドジッぷりに笑っていた。

 

ベビーちゃんを騙したという男を町ごと破壊していたドフィのもとに、たまたま通り掛かったロシーが声をかけたのだという。

ドンキホーテ海賊団の名は聞いていたが、スパイダーマイルズまでくるお金がなかった…ちょうどそんなときだったという。ドフィが来たのは。

 

 

「ロジーッ…!!!」

 

 

涙声で抱き締めると、最初は「なぜ!?」「どうして生きて!?」みたいな顔をしていたロシナンテだったけれど、次第に抱かしめ返す力が強くなって、終いには私の肩らへんがロシーの涙やら鼻水やらでベットベトになっていた。トレーボルにも劣ってない。

 

それを微笑ましそうに見ていたドフィは、これを祝って高い酒を開けるというので、私も何でも屋で取り扱っている中でいちばん高いお酒を開けることにした。

 

 

『何でも屋をしているのか?』

 

「うん、そうだよー。知ってる?」

 

『知ってる』

 

 

ロシーは顔にペイントをしていて、しかもタバコを吸うようになっていた。なんてこった。

でもドジは健在で、しかもタバコを吸うようになったせいか被害は増しているような気がする。

 

私が何でも屋をやっているというのを聞いて少し驚いていたが、すぐに冷静になって笑ってくれた。

なぜか喋れないらしく筆談だけど、書かなくても言いたいことはだいたいわかる。だから書く前にロシーの聞きたいことの答えを言ってあげると、また驚かれた。

だって姉上だもん。

 

 

『会いたかった』

 

「…うん、私も」

 

『姉上にいっぱい話したいことがある』

 

「本当に? 私も聞きたいな」

 

 

…本当は、ちょっとだけ。会うのが怖かった。

15年もおれたちを放ってお前、何でも屋なんてやってたのかよって殴られて当然だと思っていたから。

母上から逃げて、弟たちも助けられなくて、それでも私が姉上を名乗るなんて…良いのかな、本当に。

怖い。すごく。

弟たちに見放されるのが、世界一怖い。弟たちに嫌われるのが、きらい。

 

ワガママだ。

“できなかった”のは運命のイタズラでもなんでもない、ただの私の非力さのせい。

 

 

「……ごめんなさい、ロシー。…ごめんなさい、ドフィ」

 

「……姉上? 何を謝って…」

 

「……私ッ…貴方たちの姉を名乗る資格なんて…、ないのにッ…!! 私、貴方たちのこと…助けられなかったのに…」

 

 

ああ、私は酔ってるんだな。いつもなら弟たちの前で泣いたりなんかしないもの。こんなきもちにならないもの。

こんな気持ちにならないほど、私は性格わるいのだし。

 

 

『姉上』

 

 

うつむいた視界を紙が支配し、無理矢理ロシーの顔を見させられる。

まっすぐな視線がただただ痛くて、目を背けた。

その背けた視線の先には厳しい目をしたドフィがいて、目のやり場がなくなる。ジーザス。

 

 

『姉上は、おれたちを助けてくれたよ』

 

「……うそよ」

 

『本当』

 

 

目を合わせたロシーは怒っているような、悲しいような、不思議な目をしていた。

私っていつからこんな卑屈になっちゃったの? もしかして酔っているだけで、元々私の心にはこの気持ち、あったのかなあ。

 

けれどスッとロシーは優しい顔に変わると、紙を書き連ねる。

 

 

『姉上がいたからここまで生きてこれた』

 

「………ロシ、」

 

『自分の目で見て、感じて、考えて』

 

「!! …ロシー、わたし」

 

『ありがとう』

 

 

『ありがとう姉上』と紙がかざされると同時、私はロシーに抱きついて号泣した。あーあ、恥ずかしい。三十路手前のいいオバサンがさ。

けど一度出た涙はなかなか止まんないもんで、ドフィも抱き寄せて思いきり泣いた。

周りのファミリーたちも「いい話だ」みたいな感じで涙ぐんでたけど、ごめんこれやっすいドラマじゃないんだわ。

 

お祝いの場で泣いてごめん、と謝ったらベビーちゃんが「いいんです!」と明るく言ってくれたからまたそれも私の涙腺を刺激した。いい子って泣ける。

 

 

「フッフッフ、姉上の場合約30年分の涙だからなァ? 思いきり泣けば…ッ、いてェ」

 

「まだ30年も生きてないですー!」

 

 

失礼しちゃう、なんて言いながらドフィの言葉は素直に嬉しかった。

いい弟たちを持ったなあ、と心から思った。

 

いい父と母にも恵まれていたと思う。考えなしの甘ちゃんだったけれど。

……ああそうだ、父上は。父上はどうしたんだろう。

 

 

(……いや、このドフィのことだから)

 

 

ーー生きてはいないだろう。

だってこんな世界に来ることになった元凶なのだ、とドフィは思っただろうから。

 

私は何も知らないふりをしていよう。居なかった。だから知らない。

その方がきっと幸せだ。私も、ドフィも、ロシーも。

 

 

(…エゴだなあ。クロコダイルさんのこと言えないなあ)

 

 

目の前で肉を詰まらせて転げ回るロシーを見て、ドフィと目を合わせて笑いあった。



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11.自己中になれない(ロシナンテ視点)

テーブルに突っ伏してぐーすか眠る姉を、心から愛しいと思った。

 

ドンキホーテファミリーに潜入することを決め、何か気に入らないことでもあったのか町を破壊していた兄、ドフラミンゴに接触した。

ドフラミンゴは案外あっさり自分を受け入れ、ドンキホーテファミリーに入るよう言ってきた。

それに頷きここに来てみれば、幹部という立場を与えられる始末。トントン拍子で逆にこっちが疑ってしまう。

だからおれは眉間にシワを寄せて、一体これはドフラミンゴの真意か作戦か探っていたのだ。

 

だがそんなとき、後ろからかけられた優しく柔らかい声に振り向けば、そこには母上ーーに、よく似た女性がいた。

目に涙を溜めて自分をぎゅうぎゅう抱き締めてくるその女性に初めは戸惑ったものの、すぐに気付いた。

 

ーー姉だ。

 

姉上、と声に出しそうになるのを必死に耐えて、泣きながら抱き締め返した。

姉上の服が濡れても、おれの服が濡れても、お互いに手を離さず抱き合っていた。

 

…姉上が生きていた。それだけでもうおれは飛び上がりそうなほど嬉しくて、でも同時に悲しくて。

どうして姉上がこんなところにいるのだろう。もしかして姉上も人への怒りにとりつかれてしまったのか?

そんなことを考えて、姉を疑った。

 

 

(ーーおれは、バカだ!!)

 

 

姉はそんな人間じゃない。やはり姉は父上と母上の子供だ。あのときの、優しい姉上のままだった。

あんな目に遭ったってのに、おれたちを助けられなかったと泣いて詫びる姿に、どうしようもなく胸が締め付けられる。どうして姉上はそんなに強く、弱いのか。

 

 

「……弱いだろう? 相変わらず…」

 

 

ドフラミンゴがワイングラスの中のワインを飲み干して、ぽつりと呟いた。

その表情はいつものゾッとするような笑顔ではなく、考え込むような真顔。

ロシナンテとしてはその顔の方が気持ち的に楽なので、すぐに返事ができた。

どういう意味だ、というように首をかしげる。

 

 

「コイツは昔っからそうさ…他人はどんな手を使ってでも守るのに、自分のことを守るのは下手くそすぎる」

 

「………」

 

「…いつか、壊れるだろうな」

 

 

守りを捨てた獣のように猪突猛進。当たって砕けろの精神。その一種の“強さ”は尊敬するが、時に当たった場合砕けるのは姉の心になるだろう。

 

他のファミリーたちが居なくなって姉弟だけ、静かな部屋に、ドフラミンゴの椅子が軋む音が響く。

ドフラミンゴは寝ている姉の顔にかかった髪を耳にかけてやり、露になった白い顔…その額に、そっとキスをした。

恐ろしくなるくらい、優しいキス。

 

 

「ーーおれは、それが見てェ」

 

『兄上?』

 

「フフ…姉上が壊れんのはいつか…まァ大方、家族がひどく傷つけられたり居なくなったりーー死んだりしたら、だろうが…そりゃァねェな。何せおれがロシナンテ…コラソンを守っている」

 

「…………」

 

「……フフ、つまらねェことを言ったな」

 

 

お前も寝ろ、と優しく言われて、ハッと現実に戻った気がする。

 

ドフラミンゴの深すぎる愛を、見てしまった気がした。とても歪で、ドロドロに溶けていて、まるでドフラミンゴの能力のように絡み付いて離れない愛。

姉上への執着心と、姉上の強いが脆い心を壊してみたいと思うそれは、あまりに危険。

やはり姉上はここにいるべきじゃない。姉上は、ドフラミンゴといるべきじゃない。

 

姉上を抱き上げて、部屋に運ぼうとしているドフラミンゴの背中を見る。

…さっきのは抑えきれない感情が、酒に酔って出てきたんだろう。だが、ドフラミンゴは酒に酔っていなくとも感情を抑えるのが苦手なやつだ。

もし何かがきっかけで、塞き止めていたものが消えてしまったら。

 

 

(言うべきだろう。姉上には、おれの正体を)

 

 

姉上はきっとドフラミンゴに言ったりなんかしない。おれのしていることの否定もしないだろう。

だっておれに自由を教えてくれたのは、姉上なんだから。

 

姉上が今何でも屋をしていると聞いたときは驚いたけど、姉上らしいと思った。

姉上も、「ロシーらしい」と笑ってくれるだろうか。

 

 

“ーーー逃げて!!!”

 

 

もう姉上にあんな声を出させたくない。

あんな声、聞きたくない。

 

おれは、強くなったんだ。



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ifストーリー
もしクロコダイルさんがお相手だったら


エイプリルフールということで、『もしこうだったら』の話を。
本編待ちの方、興味ない、こんなクロコダイルさん(その他キャラクター)は嫌だ、という方は飛ばすことをおすすめします。


「……葉巻はもうやめることにした」

 

「えっ!!?」

 

 

衝撃の告白に、私は手に持っていたクロコダイルさんの葉巻を取り落としそうになってしまった。

 

慌ててそれをクロコダイルさんの机の上に置くと、「何でですか!?」と理由を尋ねる。

もしかして、好きな女性に葉巻を吸う人は嫌だ、などと言って振られたのだろうか。それとも、歳を気にし始めたのだろうか。それとも、ただ単に飽きたとか? 気になりすぎていろいろと考えてしまう。

そんな私の様子を見てか、呆れたようにフッと笑ったクロコダイルさんは「バカか」と。…は? バカ?

 

クロコダイルさんが葉巻をやめる理由を尋ねただけなのにバカと言われるのは心外である。

なぜそう言われなきゃならない、と詰め寄ると、今度こそ完全に呆れのこもった溜め息を吐いたクロコダイルさん。

 

 

「日付を見ろ、バカ女が」

 

「…日付? バカ女!? し、心外です!!」

 

「そっちに反応してんじゃねェよ」

 

 

ちら、とクロコダイルさんの部屋にかけてあるカレンダーを見た。ええと今日は……4月の1日である。……あーっ!!?

そうか、今日はエイプリルフールか。

仕事続きでそういうイベントに縁遠くなっていたから、気が付かなかった。

午前中だけなら嘘を吐いていい日なんて変わっている、と下界へきたばかりのころは思ったものだ。

 

だからクロコダイルさんってば葉巻をやめるなんて嘘を。

そう考えるとクロコダイルさんが無性に可愛く見えてきてしまった。え、なに!? 私を騙そうとしたの? 葉巻やめるって言って私が驚く姿をみたいなーって思ったの!? なにこの人、かわいい!!!

 

 

「……気色悪い顔すんじゃねェ」

 

「く、クロコダイルさんって意外に可愛いんですね…! 今度からクロコさんって親しみをこめて呼んで良いですか?」

 

「親しみだと? バカにしてるの間違いじゃねェのか」

 

「いやまさか!!」

 

 

本当はクロコちゃんとかが良かったけれど、それで呼んだら確実に砂にされる。だってクロコさんでも青筋浮いてるもん。クロコさんマジ怖い。

クロコさんが可愛い嘘を吐いたのが悪いのに、今にも私を殺さんばかりに目が据わっているのはおかしいと思う。私はこの理不尽な怒りに異論を唱えたいです!!

 

 

「…それに、おれが葉巻をやめる訳ねェ」

 

「まあ、知ってます。大好きですもんねえ」

 

「……クハハ。まァ、それもあるがーー」

 

 

ガシリ、と顎を掴まれて引き寄せられる。アッこれデシャヴだぞ! 名前無理矢理聞かれたときとおんなじだこれ!!

前回名前を無理矢理聞かれたときはこのあと眼前に義手をかざされたから仕方なく答えたけど…。今度は何だ、なにをするつもりなんだーーーと身構えていたら、クロコダイルさんの口から出した煙が顔に直撃してむせる。な、なにすんのこのひと!! サディスティックワニ!! ……なーんて考えて目を開ける、と。

 

 

「ーーてめェがわざわざおれのところに来る機会を…おれが無くすわけがねェだろう?」

 

 

すっごく悪戯っぽい笑みを浮かべたクロコダイルさんが、目の前にいた。

その触れんばかりの距離と、発せられた言葉のせいで私は硬直。

けれど、クロコダイルさんはすぐに私から手を離すと、心から楽しそうに笑った。

 

 

「く、くく、クロコダイルさん!? い、今のも、エイプリルフール…ですよね!? ね!?」

 

「さァな……」

 

「ちょ、クロコダイルさん!!」

 

 

何も答えず背を向けるクロコダイルさんと、真っ赤な顔で追いかける私。

嘘を吐き返す余裕は、私にはなかった。



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もし姉じゃなく奴隷だったら(性的描写あり?)

この「天駆ける竜」は元々こういうお話にしようかなって思っていた物の、アレンジというか抜き出しというか…!
これを連載しようと思うと、かな~~~りアダルトな感じになってしまって、完全にRー15じゃないな、18になるな…と思って路線を急遽変更したのが今のお話。
もしかするとこれが「天駆ける竜」というお話で、もしかするとこの子が「ロレンソ」だったかも、というのをお楽しみください。

(直接的な描写は控えていますが、万が一不快感があったりアウトでは? という場合はお申し付けください。また事前に、苦手な方は飛ばすことをおすすめします)


早朝、ドレスローザ。

 

ギシ、とベッドが軋んだのは、3メートルほどもある大きな男がベッドからカーペットに降り立ったからだろう。

その音によって目を覚ました「ドレスローザ国王」の妾は、自身を照らす陽光に目を細めながら、その体を起こした。

 

 

「…おはようございます、ドフラミンゴ様」

 

「あァ…体は平気か、ロレンソ」

 

「ええ、全く。…もう慣れてきているから」

 

 

しわくちゃになったシーツ、裸の男女、未だ残る夜の熱。この状況を見れば昨晩、ドレスローザ国王とその妾が「何をしたか」などは想像に難くないだろう。

 

ロレンソ、と呼ばれた彼女はドレスローザ国王…ドフラミンゴの物。

白い肌に焼き付けられた“人間以下”の証明である「天駆ける竜の蹄」は、彼女がドフラミンゴの一生の奴隷であることと、ドフラミンゴの元以外では生きていけないことを物語っていた。

 

ロレンソは、ドフラミンゴが“人に堕ちる”前に買った自分より年下の奴隷であり、下界に降りるとき解放されるはずである奴隷たちの中で唯一、自分の意思でついてきた者である。

 

 

“ーー私は、あなた様の元以外では生きられない。飛べない鳥なのです”

 

 

飛べない鳥は自分で餌もとれない。生きてはいけない。けれど死ぬのなら、貴方のために死にたい。あなたのどんな“欲”を満たす存在でもいい。

だって私は、貴方のところ以外で生きていく術を知らないのだから。

 

 

「フフフ…ロレンソ、お前はいちばん“具合”がいい」

 

 

いたずらに女性を抱くことはあれど、一人の女に執着して抱くことはないドフラミンゴ。

一度抱いた女は二度と抱かぬか、飽きれば行為の途中でもそのまま捨てるか。そのどちらかであった。

だからロレンソは、ドフラミンゴが執着している珍しい存在。

 

ドフラミンゴが幼いころから共に暮らし、苦楽を共にし、自分に最も依存していて自分を最も理解している。だが同時に最も恐怖しているロレンソ。

 

美しい顔に、鈴を転がしたような声。他の男の目にも、ましてや女の目にすら晒したくないと思わせる美しい肉体。

締まるところは締まりがあり、強調すべきところは強調されている。男の夢、欲望が詰まったような体つき。

 

 

「お前を自由にはさせない。一生だ。一生、おれの元にいろ、ロレンソ」

 

「…いつも言っています。私は、貴方のところ以外で生きていく術を知らないと」

 

「フフ…だが知ったらどうなる? お前は出ていくかも知れねェ」

 

「……知った、ら…?」

 

 

現に実の弟であるコラソン…ロシナンテは、自分を裏切った。

それは“世間”というものを知ったからだとドフラミンゴは考えている。知っていなければ、あの可愛かった弟がおれに牙を剥くことはなかったろう。

 

 

…あのミニオン島でのことを思い出しているのか、口角がギュンと下がったドフラミンゴの唇を、ロレンソは慰めるようにそっとなぞった。

 

あの10年ほど前の事件から、ドフラミンゴはファミリーへの気持ちが一層強くなったように感じる。まるで、血の繋がりなど信じないと言うかのように。血の繋がった家族のことを全て、忘れようとするかのように。

あのときからロレンソにはドフラミンゴがただの可哀想な男に見えて仕方がなかった。

 

 

“っ……! 一緒に来るか、ロレンソ!!”

 

“え……?”

 

“お前が自由になる、手伝いをしてやる!!”

 

“ーー! ……わたし、は……”

 

 

あの日の半年前。

珀鉛病の少年を片腕に抱え、もう一方の手で私に自由を与えようとしてきた、コラソン。

あのときの彼の行動の意味は今でもよく分からないけれど、たぶんファミリーに潜入していた間ずっと、私を哀れんでいたんだろう。だから、私を連れだそうとしたんだろう。たぶん、だけど。

 

 

“私は、いいわ。……自由ほどこわいものはないから”

 

 

そう言ってコラソンとローの乗った船を押し出し、セニョールにコラソンの書いた書き置きを渡した。

彼が喋れたことも、海軍からのスパイだったことも知ってたけどドフラミンゴに話さなかったのは、私の心にまだすこし残ってた「情」だと…信じたい。

 

それでもあの日、撃たれるコラソンをただ見つめることしかできなかったのは、……恐怖からか、忠義からか。

 

 

「…知らなくていいわ…自由なんて。貴方のとなり以外の場所なんて、知らなくていい」

 

「フフフ…フッフッフ!! そうさ、…それでいい」

 

 

そうなるように今までしてきたんだからな、と笑うその人はまさに悪のカリスマ。

 

けれど私は知っている。

あの日、中将おつるに追われながら私が見た、宝箱から出ていく影は、必ず貴方を倒しに来ると。

貴方は、彼に自分の糸が絡みついていて、彼はどの道を行こうとも必ず自分のところへ戻ってきて不老手術を施すか死ぬかしかないのだ、と考えているようだけど、…私は違う。そうは思わない。

コラソンの遺したあの少年は、貴方の造り上げてしまったあの復讐の少年は、きっと貴方を倒すだろう。

 

 

(破滅へ向かって歩いているようなものね。…ドフラミンゴが居なくなったら私、どうしたらいいの?)

 

 

1ベリーの価値すら知らないこの私が、どうやって、貴方なしで生きていけというの?

わからない。だって私は、物心ついてすぐの時から貴方の奴隷だった。

 

 

「…何を考えてる? ロレンソ」

 

「気になるの? …貴方のこと、よ。…貴方は?」

 

「フフ…奇遇だな、おれもお前のことを考えていた」

 

 

どさり、とロレンソはドフラミンゴに押し倒される。

3メートルの巨体が再び勢いよくベッドに舞い戻ったせいで、ベッドは大きく跳ねた。

まだ朝の6時。ドフラミンゴは今日、昼の1時から仕事がある。戦争中の国と、武器の密売に関する取引だ。

まだ時間があるな、と笑えば、目の前の女も妖しく笑う。

 

 

「愛しているわ、……ドフィ」

 

 

ーーーここは愛と情熱の国、ドレスローザ。



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もしも海軍だったら

もしもロシナンテと共に海軍に入っていたら。
クザンフラグちょっとあり。





「へんたァァい!!!」

 

「ぶべっ!!?」

 

 

すごい勢いで廊下の壁にぶち当たった中将クザンに、近くを通り掛かった大男が溜め息を吐いた。

またか、という気持ちの溜め息である。

 

このクザンという男、毎日毎日万年雑用の女性に言い寄ってはぶっ飛ばされている阿呆であった。

海軍の中でも強さは指折り。この女好きな性格と放浪癖さえなければ、もっと同じ中将であるサカズキと同じくらい信頼を集めていたであろうものを…と皆思っている。

 

 

「いやァ~…釣れねェもんだな、レンちゃんは。なァ、ロシナンテくん。君からもオネーチャンになんとか言ってやってくんない?」

 

「無理ですよ、クザンさん。それに姉上に家でクザンさんの話しようものなら睨み殺されそうになりますもん」

 

「え、なに? おれそんなに嫌われちゃってる? まいったなァ~…」

 

 

嫌われるのも当たり前である。

なんてったって毎回ロレンソに話しかけるときの定例の挨拶が「あれ? またデッカくなったなァ、スーパーボインちゃん」なのだから。

その度に雑用とは思えぬ力でぶっ飛ばされているクザンに、上司としての威厳など微塵もない。

今ごろ顔を真っ赤しているであろう姉の声がクザンの吹っ飛んできた部屋から聞こえ、ロシナンテはもううんざりである。主にこの懲りない男に。

 

 

「ほんともう嫌!! 嫌い、だーいっ嫌い!! 助けてお義父さぁん! 助けてロシー!! もうこの際ドフィでもいいからぁ!!」

 

「ちょ、姉上! さりげに悪魔呼ばないでくれ!」

 

 

ドンキホーテファミリーに潜入に行く、というのを止められたのはいつだったっけか。

行ったら姉上死ぬ、とまで言われてしまって行けなくなったのを覚えている。

 

けれどそんな兄も今では七武海。海賊だからといってここで名前を呼んだりしたら出てきそうなのがあの悪の魔王である。ひょっこり出てきて皆殺しにして帰りそうなのである。

 

 

「姉上、おれがいるよ!」

 

「ううっ…ロシー…! あのクソ氷野郎のセクハラ本当にどうにかならないかな…? あの目で見られる度にこの胸切り取りたくなるの」

 

「は、早まるな姉上!」

 

 

本当にげっそりしてきた姉に心からの哀れみと心配をかけつつ、とにもかくにも家に返すことにした。

クザンさんに出くわしこうなった姉ほど困ったものはない。

センゴクさんにも姉が気力を失うからやめろと言ってもらってはいるのだが、この女好きには聞こえていないようだ。

 

 

「あー…悪魔が…悪魔が追いかけてくるーぅ…氷魔神……ーー死に晒せ!!!」

 

「うお…」

 

 

容赦なく撃ちやがった、と頬をひくつかせる暇もなかった。すぐに再生しては追ってくるクザンに向かって、躊躇いなく何発も。

 

 

 

これが昔ドフラミンゴに銃を使うなと言っていた姉の姿です母上、とロシナンテはもはや悟っていた。




ロシナンテがドンキホーテファミリーに潜入しなかったらローはどうなるんだよあァん!? って思った方。
……スルーでお願いします。


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もし主人公が長男だったら

桔梗様のリクエストより、「主人公が長男だったら」です。
(女の時よりちょっと性格が過激になっておりますが、ご了承ください。怒ったときのロシナンテ寄りになっちゃったんです)




ドンキホーテファミリー、アジトにて。

 

金髪を見苦しくない程度に伸ばした爽やかな男が、ギシギシと軋む椅子に座って、本を読んでいた。

2メートルと少しという大きな身長に、もっふもふの紺色のコート。

長い睫毛に縁取られた瞳は、活字をすらすらと追っていく。

 

 

「レンさぁん!!」

 

 

ふと、男が顔を上げる。目の前には半泣きでーーしかも頬を赤くした少女がいた。名前をベビー5という。

彼は少女を「ベビーちゃん」と呼んで可愛がっていた。

自分を見つけて安心したのか、えぐえぐと泣き出す少女を慰め、だいたい検討はついているものの何があったのかを聞いてみることにした。

…答えは、分かっていた通りだったのだが。

 

男は笑顔で少女の頭をするりと撫でると、ベビー5が来た方向につかつかと歩いていく。

することはーー決まっていた。

 

 

「ーーオイロシー!! お前ベビーちゃんの顔をなァに容赦なくブッ叩いてんだ!! ちょっと来い!!」

 

「!!」

 

「てめ、逃げんなァ!!」

 

 

弟の首根っこを掴んで引きずる様は容赦なし。

昔の迫害から弟たちを守るため、鋼となった精神と力、そして容赦のなさはさすがのコラソンでも震え上がるほどだった。

ドフラミンゴまでとは行かないものの、本当の家族以外への無慈悲さはかなりのものだし、弱いものを傷付けたときの怒り様ったらないのだ。

案の定止めようとしたトレーボルがひと睨みで引き下がる。

 

 

「おれはロシーをそんな風に育てた覚えはねェ!! だいたい子供以前に女の顔を殴るなバカ野郎!」

 

『わるかった』

 

「その『わるかった』は何度目だ!!」

 

 

こつんというかゴツン、というげんこつがコラソンの頭に落ちる。それをファミリー全員が呆れたように眺めていた。

ファミリーではない兄に最高幹部であるコラソンがガンガンゴンゴンげんこつを喰らっていては威厳ってもんが、とドフラミンゴは時折口に出すのだが、「子供を殴る組織の威厳が何だって? あ?」という言葉によって口を閉じるしかなくなっていた。

兄強し、ということである。

 

かといってドフラミンゴが兄を邪険にするかと言われればそんなこともなく、むしろくっついている方である。ブラコンというやつだ。

強く優しい兄。顔はどちらかといえば母似であるのでドフラミンゴが顔を見てムカつくこともなく、仲は良い。

 

 

「ベビーちゃーん、ごめんねぇ!!」

 

「ううん、大丈夫です!」

 

「ドフィもちゃんと注意しろよ! ベビーちゃんお前のためにいつも頑張ってんだから!」

 

「フフフッ! あァ」

 

 

げんこつが痛かったのか涙目になってしまったコラソンをロレンソはするりと撫でると、「ごめんね」と笑った。

その笑顔が輝いて見えて、コラソンは目をゴシゴシとこする。錯覚だろうか?

 

 

「さ、ご飯にしよう」

 

 

ドンキホーテファミリーにいる間、ロレンソがご飯当番である。

料理の腕はここにいる間に確かなものになっていて、ロレンソも料理が好きになったようだった。

腕捲りをして、さて何を作るかと意気込んだ。

 

 

何でもする、何でも屋。

それはドフラミンゴの大好きな、実の兄である。



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もし主人公が三男だったら

桔梗様のリクエストより、「もし主人公が三男だったら」です。
ドフラミンゴのブラコンが強くなっているかもしれません。




ロレンソは弱い。ただでさえ女のような名前に、母譲りの病弱な体。白く透き通るような肌と指通りのいい髪は、時に女に間違えられるほどだ。身長はおれの脚ほどしかなく、服のサイズもだいぶ違う。手足なんかは筋肉もほぼなく細かった。

おれの大事な弟。ロシナンテも大事だが、体格も筋肉もおれと然程変わらなくなって戻ってきたロシナンテとは違い、この弟は小さく細いのだから、守らなければという思いは必然的にこちらへと注がれる。

 

 

「フフフッ! 今日の調子はどうだ、レン?」

 

「んー…? あに、うえ…?」

 

 

昨日の夜、久しぶりに熱を出して寝込んでいたロレンソ。ベビー5と外で遊んでいたらしいが、外にあまり出さないせいか免疫力がこれでもかと低いロレンソは、ウィルスをもらってきたらしかった。

おれの弟にウィルスを移したやつが分かれば血祭りにあげてやりたいところなんだが、残念ながらそんな今しか使えない上に気持ちの悪い能力は持ち合わせていなかった。

乗っけられているタオルをどかして、手を当てる。今まで水に濡らしたタオルを乗っけていたから表面は冷たいが、やはりまだ奥は熱かった。

 

ロレンソはおれたちと出会うまで、一人で何でも屋なんてものをやっていたらしい。

もちろん体の弱いロレンソにそれ以上何でも屋なんて訳のわからない仕事をさせるわけにはいかなかったので、今はロレンソもファミリーの一員である。

おれたちが居なくて、どうやって生きていたのだろうか。怖いことはなかっただろうか。その腕の傷は何なんだ、と問い詰めたいことはたくさんあったが、具合の悪い者にそれを聞くというのも躊躇われる。

 

 

「兄上の手…きもちいー…」

 

「フッフ、そうか?」

 

「つめたーい…」

 

 

えへへ、と笑うその顔は、とても愛しい。

ああ、ずっと側に居ればいい。そうしたら一生、お前を守ってやろう。

座っているベッドがギシ、と軋んだ。

 

 

「兄上、しってる…?」

 

「ん?」

 

「手が冷たいひとはね、心が温かいんだって…。……兄上の心は、温かいんだね…」

 

 

心が、温かい? 素直に首をかしげた。

手の温度と優しさが反比例するってのか? あり得ねェ。

おれが今まで何人を殺してきたと思ってる? 父も、人間も、人間以下も、すべて殺してきたおれの心が、温かいだって?

それは、おれの仕事を知らないから言える言葉だ。フフ、と喉の奥から笑いが込み上げてきた。

けれど、それでいい。お前は知らなくていい。それに、お前におれの冷たい感情が向けられることはないのだから、おれの心は温かいと錯覚させてやってもいいと思った。

 

 

「そうか…フフ。さァロレンソ、寝ていろ。ジョーラに粥を作らせる」

 

「うん……」

 

 

愛しい愛しいおれの弟。

例え誰が裏切ろうとも、お前だけはこの鳥籠から出さないと決めている。

 

バタンと後ろ手に閉めたドアから寝息しか聞こえないのを確認すると、おれは抑えきれそうになかった笑いを吐き出した。



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もし主人公が次男だったら

桔梗様のリクエストより、「もし主人公が次男だったら」です。

ベビー5視点になります。




若様には、弟がいる。

その人はすごく綺麗な目をしてて、私を可愛がってくれて、コラさんとも仲がいい。

若様にとっては弟で、コラさんにとってはお兄さんなんだって。面白い。

その人はロレンソーーレンさんといって、すごく頭がいいところとかご機嫌に笑うときは若様にそっくりなのに、コラさんに負けず劣らずのドジっ子だ。けれど私の紅茶を吹き出さないようにきちんと冷ましてから飲むし、転ける回数を減らそうとしているところは、コラさんとちょっと違う。

 

私はたまに、コラさんみたいにドジっ子でも良いじゃない? と言ってみるのだけど、レンさんは苦そうに笑いながら首を横に振ってしまうの。

 

 

「ぼくは、兄上とロシーの役に立ちたいんだ。なのにドジして足手まといなんて嫌だからね」

 

 

ロシーのはもう仕方ないけど、と笑うレンさんはドジしてすごくボロボロだったけど、楽しそうだった。

でも、その気持ち分かるかも。

私も若様の役に立つためって思うと、頑張れるもの。やっぱり若様って、素敵な方なのね!

レンさんも居て、コラさんも居て、若様が居たらもう私たちに敵はないわ!

だって若様も、同じように言っていたもの。

 

レンさんはコラさんや若様ほど身長は高くないけど、やっぱり普通の家の天井じゃ頭がぶつかりそうになっちゃうみたい。

それでドジだから、コラさんと合わさって転けたときの床の振動はすごいけど、若様は笑って眺めていた。

 

若様があの二人を見るときの顔はすごく優しくて、ちょっぴりうらやましい。だってあの目を向けられるのは、きっと本当の家族だからでしょう?

 

 

「レンさん、本当にファミリーに入らない?」

 

「ん? なんで?」

 

 

なんでって、と黙る。

なんでって、レンさんが仕事へいったりしてしばらく帰ってこない日が続くと、若様は目に見えて不機嫌になったり、落ち込んだりするんだもの。

若様からそんなにいっぱい愛をもらってるのに、その手を振り払うなんて、ひどい。ずるい。うらやましい。

けれど、何でも屋さんをやってるときのレンさんが一番生き生きしているのを私も若様も知っているんだ。

だからあんまり強く出られないし、そんなレンさんの表情を消したくないと思ってしまう。

 

 

「…兄上が、何か言ってた?」

 

「い、いいえ! けど…いつも…心配そうだから」

 

「!」

 

 

心配そう、という言葉を出すとレンさんは驚いたような嬉しいような、不思議な顔をした。

しばらく目をパチパチさせてから、ポリポリと頬を掻いている。

 

 

「そ、そっか…心配、かぁ……」

 

「? レンさん?」

 

「ぁ、いや、うーん…。…ベビーちゃんさぁ、ぼくがここに入ったら、兄上喜んでくれると思う?」

 

「! も、もちろんです! コラさんもきっと喜ぶわ!」

 

 

そうかな…と照れたような顔をしているレンさん。い、一体何があったの?

事情はよくわからないけれど、今回の勧誘はかなりうまくいったらしい。初めて「考えてみるよ」と笑って返された。

や、やったわ!

 

 

(若様のために何かできた!)

 

 

レンさんがこう返したと聞いたら、若様は喜んでくれるかしら?



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つらいことなんていくらでも
1.泣け


痛いって、なんだっけ。

 

悲しいって、なんだっけ。

 

お腹すいたって、どういう感覚なんだっけ。

 

死ぬって、…つらいんだっけ。

 

12にしてこの世の地獄を見せられた。どれだけ自分たちが今まで身分というものに守られていたかを知った。家族を迫害された。時に貞操の危機に陥ることもあった。

人間の結束力とは怖いもので、ひとりだとできないこともたくさんいればできるようになる。それは人間のいちばんの強みで、いちばんの狂気。

 

怖かった。毎日死と隣り合わせで、死神と友達になれちゃいそうだった。

つらかった。弟たちが傷だらけで帰ってくるのを見ることも、死にゆく母から逃げることも。

痛かった。だって手に釘を打たれたんだもの。だって矢がお腹を貫いたんだもの。だって片腕を自分で切ったんだもの。

 

死んじゃいたかった。…死んじゃいたかった。

そうしたら何もない。責任も、迫害も、恐怖もない。お腹も空かないし、それにほら…母上にも会えるかもしれない。

 

 

「ーーー死にたかった……」

 

 

今日の私は涙脆い。

私のベッドに座って、優しく涙を拭ってくれる弟。悪のカリスマだとか天夜叉とか呼ばれてるのに、その顔はとても哀しそうだった。

ごめんね。ごめん。

 

 

「……だって痛かったの」

 

「あァ……」

 

「お腹だって空いてたし」

 

「あァ」

 

「…こわ、かったし……ッ」

 

「あァ」

 

「……もう、死んじゃいたかった」

 

 

ドフィのスーツを力いっぱい握って嗚咽を閉じ込めようとしたけれど、涙は溢れて止まらなかった。

弱くちゃダメなのに。強い姉上でいないと、私が姉上でいる意味がないのに。

…なのにどうして、こんなに声が震えるの?

 

誰かに抱き締めてほしい。背中を撫でてほしい。頑張ったねって言ってーー殺してほしかった。

 

いや、迫害の中ででもよかった。

とにかく心が壊れてしまいそうにならないギリギリで、死んじゃいたかったのに。

誰にも悲しみなんて吐き出す必要ないって、思ってたのに。

 

 

「…っ、う……!」

 

「…泣け」

 

「っ、ど、ふぃ……」

 

「…泣け、姉上。…アンタは、もう頑張った」

 

 

ぐいと抱き寄せられて、背中を撫でられた。

ああもう、どうしてしてほしいって思ったことを、すぐにドフィがしてくれちゃうの。

 

 

「…ドフィ……っ、ドフィ…!!」

 

「………」

 

「痛かったよ…! 怖かった…!! つらかったよ…!! ドフィ、ドフィ…っ!!!」

 

「あァ、…そうだな」

 

「…っう、……うあああああああああッ……!!」

 

 

痛かったよ。怖かったよ。つらかったよ。

でもそんな中で、家族は何より尊かった。

 

バカだ。あのとき私、神様にお願いしたのに。「彼らが私なんか忘れて幸せになれるように」って。

なのにいちばん執着してたの、私じゃない。

ドフィの首に腕を回して泣いた。ドフィはぽんぽんと私の背中を叩いてくれた。

眠いだろうに。姉の弱さなんて、聞きたくないだろうに。

 

 

“おいで、ロレンソ”

 

 

懐かしい母上の声が、聞こえた気がした。

あのときの、最後の母と触れあう機会。私が最低な行動をとった、あのとき。

あのとき私が私の弱い部分を母に見せたから、ああなった。私が我慢すれば、ああはならなかった。

 

あれから母上のことに関しては後悔しかしていない。

だから私は、人に弱い部分を見せることが苦手だ。相手だって迷惑だろうし。

 

 

「……落ち着いた。ありがとう、ドフィ」

 

「もういいのか」

 

「うん。……やだ、ドフィのスーツ汚れちゃった!?」

 

「あ? 構いやしねェさ。いくらでもある」

 

「ええ…いいの? 高そうなのに」

 

 

あーあ。ロシナンテのこと言えないわ。トレーボルに劣らないベタベタ。本当に申し訳ない。

ごめんすぐ代わりのスーツでも仕立てる、と言おうとしたが「構わねェ」の一言で黙らされた。

うーん若様、つよい。

 

 

「べつに良いさ。…姉上が今度は1週間、ここに居るんだからなァ?」

 

「ひぇっ……アッハイ……」

 

 

とても嬉しそうに笑ったドフィは、私に掛け布団をかけてから「おやすみ」と囁くと、部屋から出ていった。

そのイケメンにポーッとしながらも、さて明日はどんな依頼がくるだろう、と考えつつ眠りについた。



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2.朝と目玉焼き

「あ、おはよう!」

 

「…なにをしてる?」

 

「え? 見て分かんない?」

 

 

きょとんとして問えば、「分かるが…」と口をつぐんだのは幹部のピーカ。

不思議な仮面と、男の人にしては少々高いソプラノボイスが特徴的。

声を気にしてかあまり私に話しかけてこなかったピーカが珍しく私に話しかけて来たので、これはチャンスと会話を続けることにした。

 

というか、ドンキホーテファミリーの人達全般…いやベビーちゃんとかバッファローは置いといて…あとそう、唯一の女性であるジョーラさんはたまに話しかけてきてくれるからアレなんだけど、それ以外の人たちからあんまり接触がなかった。特にグラディウスくんなんかは。

 

たぶん私が海軍とも繋がりを持っているから危険視しているんだろうけど…いや私別に海軍サイドじゃないし。と心の中で反論を続けている今日この頃。

 

 

「朝ごはん作ってるの。目玉焼きでいい? いいわよね? てか目玉焼き以外もう無理」

 

「ならなぜ聞いた」

 

「んー? やだって言ったら飯抜きにしてやろうかと思って」

 

「…………」

 

「じ、冗談だよ!」

 

 

ここの人たちは冗談が通じないから困る。

なんだコイツ、みたいな顔をされたけど無視だ無視。私は傷ついちゃいないのさ。

卵をパカパカ割って焼いて皿に乗せる。ベビーちゃんには「私がやります!」と可愛く止められそうになっちゃったけれど、私だってここにお世話になっている身。朝ごはんくらい作りたい。

 

……なんて思ってふと、横を見るとピーカが私をガン見していた。えっなにこわっ!? と身構える。

するとポツリとピーカが聞いてきた。

 

 

「……お前は、おれの声を笑わないのか」

 

「…へ? 声? なんで?」

 

「おれの声は…高いだろう。他の男より」

 

 

気持ち悪くないか、と聞いてくるその目は、「気持ち悪い」と言いでもしたら即殺されそうで少し怖かったけど…。

気持ち悪いと言われるのを恐れる目であることも確かだった。一瞬固まった体が緩んで、フッと笑う。

突然の笑みに驚いたのか、眉間にシワを寄せたピーカが「何を笑っている」と私を睨んだ。

 

 

「なんだか…怖くなくなっちゃった。あなたのこと」

 

「…何を、」

 

「とっても可愛くて好きよ、私」

 

「!!?」

 

 

一気に顔が赤くなった。あ、かーわいー。

けれどバカにされたと思ったのか、肩を震わせている。ちょ、ちょっと待って!

 

 

「ごめんなさい、悪い意味じゃないの! ただ…」

 

「…………」

 

「…すごくつらい思いをして、笑われるのを怖がったり、傷つけられることを嫌う人を見ると…ドフィたちを思い出しちゃって、守りたくなるの。母性本能? 庇護欲? …なんて言うのかしら?」

 

 

ピーカに真顔で見つめられた。ちょっと、真顔はキツいって。

 

そんな顔されたって仕方ない。だってこれは一種の性癖みたいなもんなんだ。

守りたくなる顔。強気で恐ろしい仮面の裏に隠した、今にも泣きそうな顔を見つけるとーーどうしても、嫌いになれない。

 

それに、声なんて良いも悪いもあるもんじゃないんだから。ピーカの声が高くたって低くたってピーカだよ。声の高さだけでできてる訳じゃないでしょあなた。……というようなことを伝えたら、今度は笑われた。解せぬ。

 

 

「…お前はおかしいな」

 

「えっ」

 

「……そしてドフィに似ている」

 

「そ、そうかな?」

 

 

最近ドフィに似ている、とよく言われる気がする。

というかクロコダイルさんも私とドフィが似てるから姉弟だって気づいたんだろうし。

ドフィと似てる、か。まあドフィが母上似だからしょうがないか。

 

もう一度「おかしなやつだ」と笑ったピーカは、ふとして私の手元のフライパンを見た。……あーっ!!?

 

 

「や、やだ、焦げてる! ピーカのばかぁ!!」

 

「!? お、おれのせいじゃ…」

 

「あーもう!!」

 

「…す、すまない?」

 

 

コゲコゲの目玉焼きの完成である。やっちまった!

 

 

(…まあいいか)

 

 

ピーカと打ち解けられたから。

 

何があった、と駆けつけてきたドフィたちに「何でもない」と笑いつつ、駆けてきたせいで転けるであろうロシーを受け止めるように、ピーカに言っておいた。あの巨体で転けられて皿をひっくり返されちゃたまらないから。



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3.お久しぶりと苦い報告

「おはようございます…」

 

「おや、」

 

 

アオさんが目を丸くして「久しぶりだね」と私を出迎えてくれる。

彼女には私が弟たちを見つけたということは伝えてあり、よかったよかったと心から喜んでくれた。そのせいかあまりここに寄れなくても構わないとすら言ってくれて、本当に良い上司を持ったと思う。

ただ弟たちを見つけるきっかけを作ってくれたクロコダイルさんとは、あれから連絡がとれていない。

英雄記事はたまに見るから生きてはいるんだろうけど、忙しいのか連絡をしても出なくなってしまった。葉巻の注文も最近ない。

 

お礼が言いたいのに言えない、というのはかなりつらいもので、いつも心に引っ掛かりがある感じだ。

特に彼は海賊。いつ本当に連絡がとれなくなるかわからない。

 

 

「どうだい、弟くんたちとは」

 

「仲良くできてます。可愛いままでよかった」

 

「そうかい」

 

 

けらけらと笑うアオさんは、懐かしいような目でキセルを蒸かしていた。

ああそっか、私がアオさんと出会ったのはもうーー15年ほども前なんだ。

そう考えると長い付き合いで、よく私の面倒を見てくれたな、と頭が上がらない。

シャクもだから15年ほどの付き合いで、前から大きかったのにまだまだ成長中。かわいいものだ。

 

ドフィ二号なんてアダ名をつけて怒られたのも、珍しいもの屋をやると言ってアオさんに笑われたのも、もうそんな昔なのか。

 

 

「アンタは変わらないね、昔から。良い意味でさ」

 

「アオさんも昔と変わらずステキですね」

 

「ふふ、ありがとう。…昔は獣みたいな目ェしてたけどねぇ、アンタ」

 

「えっ…けもの!!? 私が!?」

 

「ああ。何としてでも生き延びてやるっていう獣みたいな目さ」

 

 

…確かに救ってもらった手前、簡単に命を散らすような真似はできないと躍起になっていた記憶はある。

何があっても生きてやると。家族を探して、生き抜いてやると。

 

だから怖かったけど、海軍相手に商売もしたし海賊相手にも商売した。

スパイダーマイルズでは自分の命を蔑ろにした感否めなかったけど、あれは蔑ろっていうか後先考えなしなだけだったってわかってほしい。それにドフィだったからギリギリセーフ。

にしたって獣みたいな…えぇ? そんな風に比喩しますかね?

 

ひどい、と頬をふくらませてアオさんを見ると、笑いながらも私の頭をポンポンと撫でてくれた。

まだ子供扱いされてるな。

 

 

「んで、今日はどうせしばらく休みたいって話じゃないのかい?」

 

「…! そうです!!」

 

「いいよ。というかアタシは、アンタに毎日働いてもらわなきゃいけないほど貧乏じゃないし、構わないって言ってるだろう?」

 

「で、でも…」

 

「まあ、そういうところがアンタの良いところだけどね…」

 

 

呆れたように笑ったアオさんは、早く行きなとばかりに手を振ってくれた。

なんていいひと。こんないいひとなかなかいないぞ。

 

ありがとうございます、と一礼してお店を出ようとする。

するとアオさんが急に、私を呼び止めた。

少し言うのを躊躇するかのような声に、首をかしげる。

 

 

「どうしたんですか?」

 

「……あの、…あのねェ。アンタにわざわざ、言うことじゃないかも、知れない。…かも知れないんだけど」

 

「……?」

 

 

心なしか、アオさんの肩が震えているような気がして、疑問が募る。

一体どうしたというのか。

 

 

「……アンタの客に確か、そこの人が居たような気がして、…報告程度に言っておく。言っておくだけだ。いいね?」

 

「は、はい…?」

 

 

アオさんがすぅ、と深呼吸をした。

 

 

「ーーーフレバンスが、滅亡寸前だ」



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4.優しくない(ロー視点)

隣で命乞いをしていた男の頭が撃ち抜かれて、おれはあわてて路地裏へ逃げた。

この町はもう終わりだ。そう告げるように大きな炎が町を包み、飛び散った臓物や血が地面を見えなくする。

 

珀鉛病。それは恐ろしい“感染症”として周りの国々に伝わり、フレバンスは隔離された。

原因はこの町を「白い町」と言わしめていた珀鉛という鉱物。それはなんと毒で、自分達は金のために珀鉛を掘らされ、そのせいで死んでいけと言うのだ。

あらりにも残酷で、受け入れがたい現実。

けれど友人やシスター、家族の死を見たあとではもう何もかも、受け入れるしかないと悟った。

 

発砲音があちらこちらで響く。助けてくれと喚く声が消されていく。

 

生き残りは、と仲間に確認する他国の兵。その声に、どうしようもなくゾッとした。

おれたちを人として見ていない声。駆除の対象としてしかおれたちを見ていないその声は、自国に帰れば優しいものに変わるんだろう。

その人間の二面性というものがとてつもなく怖くて、震えた。

 

おれたちが死んでいって、喜ぶ人がいる。

おれたちが駆除されて、安心する奴等がいる。

おれたちが消えることで、ほくそ笑むところがある。

それが何より悔しくて、生きている意味も価値もないと言われているようで、腹立たしかった。

 

復讐したい。

 

おれの仲間を、家族を殺して安心した奴等をぶち殺したい。

ぶち殺して、笑ってやりたい。

お前らの命の価値だってこんなものなんだ、と。

 

 

「…っ!? おい貴様、何者だ!!」

 

「止まれ! 止まらないと撃つ…ぐっ!?」

 

 

突然、兵たちの慌てたような声がして、建物の間から覗き見る。

するとそこに、明らかに兵ではないーーしかもこの国の人間でもない女が、兵をなぎ倒してそこに立っていた。

先程まで人を撃ちまくっていた兵は倒され、気絶している。

…な、なんだ、あいつ。

 

パチリ。目が合ってしまって慌てる。

やべえ、どうしよう。

 

 

「…あ!!」

 

「!?」

 

 

女は目を輝かせておれを見ると、すごい勢いでこちらへ来てーーおれを抱き締めた。

突然の謎の行動に、俺はなにもできなかった。

生きてたよかった!! と意味のわからないことを言って抱き締めてくる、こいつは誰だ?

その声に何だか聞き覚えがあるような気がして、首を捻った。

こんなおかしな知り合い、いた覚えはない。

 

 

「ローくんだよね? そうだよね? トラファルガー・ローくん」

 

「…あ、……っ、だ、誰だよ」

 

「ハァ、…何でも屋です! 覚えてないかも知れないけど!」

 

 

何でも屋。その名前が引っかかった。

昔どこかで聞いた気がする。何でも屋です。……何でも屋です、か。

ハッと記憶が呼び覚まされて、思い出す。

メスだ。メスを修理してくれた女。

幼い頃の記憶だから曖昧だけど、変な女だったから覚えていた。

それが、どうしてここに。

 

 

「な、…なんでいるんだよ!?」

 

「フレバンスが滅亡寸前だって聞いて、ハァ、飛んできたの…っ、他の人は?」

 

「…分からねェよ! 父様も母様も、妹も死んだ!!」

 

「っ!!」

 

 

何でも屋と名乗る女はそれを聞いて、うんと悲しそうな顔をする。

何でだ。何で関係無いお前がそんな悲しそうな顔してんだよ。意味わかんねェよ、と泣きそうになった。

それからものすごい力で抱き締められて、「つらかったね」なんて。

 

 

「バッ…近寄んな!!」

 

「え…?」

 

「珀鉛病は感染症だって思ってんだろ!? なら近付くなよ!!」

 

 

知識不足のバカが、そう言っているだけなのに。それを鵜呑みにしたやつらのせいで、こうなっている。

珀鉛病は感染症じゃない、中毒だ、と他国の医者に訴えかけ続けていた父様。それを無視し、殺した政府。

政府は確実にこの国を地図から消す気だ。語り継がれるだけの、おとぎの国にしちまうつもりだ。

 

おとぎの国じゃなくていい。幻想的じゃなくたって、そんなに裕福じゃなくたっていい。

望まれて生きたかった。家族と生きたかった。

どうしてそれが、許されない? おれたちはただ、生きたいだけなのに。

 

 

「ーー珀鉛病は感染症じゃないよ。知ってる。…知ってるよ」

 

 

優しい掌と共に、そんな声が降ってきておれは反射的に顔を上げた。苦しそうな笑顔がおれを見つめている。

ぽかん、と口を開けたまま見つめていると、まっすぐな目で見つめ返されて、戸惑ってしまう。

 

 

「なん、で……」

 

「…ちょっと、ね。けど、珀鉛病は中毒だって知ってるから、私はきみから離れない」

 

 

理解してる人がここにいるよ、と微笑まれて、困る。

どんな反応をしたらいい? だっておれは今、絶望と歓喜…両方に呑まれている。

はは、と乾いた笑いが口をついて出た。なんだ。…なんだ。

 

 

「わかってくれてるやつが、いたのか」

 

 

それだけで少し、救われた気がした。

……けど、世界はそんなに甘くない。

 

 

「居たぞ!!」

 

「ーー…っ!」

 

 

嫌な発砲音と共に、女の胸から血が噴き出した。

目の前に舞う血に後ずさりしてしまったが、すぐに何が起きたか理解して血の気が引く。おれといたせいで、この女が、撃たれた。

やっぱりおれは、生きていない方が…。

 

 

「逃げて、ロー!!!」

 

「…っあ、」

 

「なにボーッとしてんの、生き延びろ!!」

 

「で、でも」

 

 

血が噴き出ているのに立ち上がり、次々と兵をなぎ倒す女の強さに驚いた。

女はキッと自分を睨み、叫ぶ。

 

 

「いいから、生きなさいって言ってんの!!! ばか!!」

 

 

まるで、悲鳴のような声だった。

その声に押されるように足が動き、地面を蹴る。

後ろからおれを狙って撃つ音が聞こえたが、そのあとすぐに女が兵を殴る音もした。

なんなんだ、あの女。どうしておれを助けてくれたんだ?

白い悪魔。ホワイトモンスター。…ああ、なんてひどい言葉だろうか。

 

庇ってくれた女のせいで死ぬに死ねなくなったおれ。

なのに、生きててほしいひとは居ない。どこにも。

 

 

世界は、おれに優しくない。



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5.苛立ちではなく焦りであって

家に戻ると、ドフィが血相を変えて私を医務室に連れていった。

胸、腕、足を撃たれたせいか、出血していたからだろう。そんなに急所でもないから慌てる必要ないのに。

 

 

「一体なにがあった!! 誰にやられた!? 少し仕事に行っただけでどうしてそうなるんだまったく!!」

 

「そんな怒んないで…イテテ。ちょっと滅亡寸前の国に様子見に行っただけだよ…」

 

「“様子見に行っただけ”、だァ? …ならそうはならねェだろうが!」

 

 

ドサリと苛立たしげに椅子に座らされた。…いや、慌ててる? 私が怪我したから。

可愛い、なんて笑ってる場合じゃないけど、普通に嬉しいなあそれ。

私の傷を確認して、そこを止血しつつドフィの大きな手が傷口を包む。

糸での応急処置ね、と理解した。

 

暖かい部屋と手が、気持ちいい。

思わず寝そうになったけど、ドフィのこわーい声で現実に引き戻される。

 

 

「どこに行っていた?」

 

「ん…フレバンス」

 

「……フレバンス…白い町、だな。珀鉛病だったか」

 

 

こくんと頷く。ドフィのことだから、正しい知識を持っているのは知っていた。

珀鉛による珀鉛病とそれに対する政府のひどい行動、近隣諸国との戦争などのつらさひどさも、知っているはずだ。

眉間にシワを寄せたドフィが、「それで?」と尋ねてくる。

どうして行ったのかは言及しないようだ。私が感情で動く人間だと知っているからかな?

 

 

「まあ、ひどかったの一言に尽きるでしょ」

 

 

ごうごうと燃える国。生き残りを探し、見つけては射殺する兵たち。

涙を流しながら息絶える人たちと、それを人とも思わない者たち。

それはまるで地獄絵図。同じ人の命のはずなのに、どうしてこんなに扱いに差があるのかと疑問しか浮かばなかった。

 

生きているかもと期待したトラファルガー夫妻と娘ちゃんは亡くなっていて、生き残っていたローくんは目が濁りかけていた。

 

吐き気と苛立ちがこみ上げてきて、我慢ならなくて、どこの国のか知らない兵を十数人ボッコボコにして戻ってきた。こっちもかなりボッコボコにされてたし、増援呼ばれたし。

 

とにかく、ローくんが逃げれてればいいんだけど。

 

 

「…ホント、柄にもない喧嘩しちゃった。いつもはもっと計算高いはずなんだけど」

 

「嘘つけ。いつも当たって砕けろだよ、アンタは」

 

「はぁぁ? そんなことありませんー。姉上ナメんなよコラ!」

 

「どうだかなァ?」

 

 

挑発的に笑いかけてきたドフィを殴ってやろうかと思ったけど、治療してもらっている手前無理である。チクチョウ。

 

 

「あんまり無理はするんじゃねェ。…いいな?」

 

「はぁーい」

 

「今日は夕方までここを空ける。コラソンと留守番でもしとけ」

 

「え? ロシー…じゃないコラソン、連れて行かないの? なんで? ハブり? 姉上許さないよそういうの」

 

「違ェよ」

 

 

これからもしかしたら戦るかもしれない、と伝えられて納得した。

なるほど、ドジすぎてつれてけないと。

撃たれたら士気が乱れるし足手まといだしそりゃそっか。

ドフィだってロシーが大事みたいだし。

 

残ってる私たちが狙われる可能性は、と聞いたら即答で「ない」と言われた。

ああそう、下っ端くんたちがスパイダーマイルズには居てくれるわけね? はいはい、了解したわ。

 

治療が終わったらしいドフィの手がスッと離れる。

 

 

「気を付けてね? 怪我したら姉上ドフィ傷つけた人倍返しで済ませる自信ないから」

 

「フッフッフ! おれがその場で切り刻むから安心しろ」

 

「…んねーんねー、物騒な会話してるとこ悪ィけど、もういくぞ、ドフィ~」

 

 

あ、いたんだねトレーボル。

って言うとまた何かにつけて…例えば表情とか「ドフィと似ている」といちいち言ってくるトレーボルに絡まれるから、何も言わずに手を振って送り出してあげた。

 

 

「コラソン、ドジ踏むなよ」

 

『わかってる』

 

 

ドフィとロシーが会話(?)をして、ドフィは満足そうに出ていく。

 

 

「コラソン、暇だね! 何しよっか?」

 

 

ソファーに居心地悪そうに沈む我がもうひとりの天使に、そう笑いかけた。



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6.成長とはすごいもんで

何しよっか、と問いかけたその時、ロシーがパチンと指を鳴らした。

 

 

「“サイレント”」

 

 

え? 今、喋らなかった?

と言おうとしたのだが、私たちの周りを謎のドームみたいなものが覆って口をつぐむ。

これは…悪魔の実の、能力?

驚いてロシーの顔を見た。額には汗が浮かんでいる。

 

 

「…姉上、…悪い」

 

「コラソン……ロシー」

 

 

私の顔色を伺うようにするロシーだけど…。これは一体、どういうことなのかな?

疑問しか浮かばない、という私の顔を理解したのか、ロシーはとても簡単な答えを出してくれた。

その事実に、開いた口が塞がらない。

 

 

「MC.01746、ドンキホーテ・ロシナンテ中佐。…それが、おれだ」

 

 

騙すようなマネしてすまない、というロシーの声は、昔よりず~~~っとかっこよくなっていた。

なに、うちの弟たちイケメンな上にイケボなのか!

あ~あ、私もきっと男に生まれてたらイケメンだったんだろうな。イケメン三兄弟だったんだろうな。

いや、この二人のところに女として生まれるんだったら、妹がよかったかも。

こんなイケメンが兄上、なんて最高だろうから。

ないものねだりしたって虚しいだけだけどさあ。

 

 

「そっかそっか、24で中佐! いいね、出世コースじゃない? 姉上嬉しいなあ」

 

「…!? お、怒らないのか?」

 

「へ? 何に? どうしてうちの弟たちこんなイケメンなんだって?」

 

「い、いや! そうじゃなくて…おれの、仕事で」

 

 

ロシーの仕事。ロシーは海軍で、ドフィは海賊。要するに敵同士ってことは…うん?

ロシーは転職したの? あれ?

 

…あ、そうか!

ロシー潜入か! 潜入調査っていうあれか!

なるほど、それでばれないように顔にペイントして、そんな奇抜な格好してるわけね? 理解した!

へーぇ、ほーぉ、と頷いていたけど、「特に言うことなし」とロシーに笑いかけたら変な顔をされた。

 

 

「だってロシーの仕事じゃん? 仕方ない仕方ない。間違ってるとは思ってないんでしょ?」

 

「ああ、いや、そうだけど…」

 

「ならいいと思うけど? てか、ロシーが海賊って合わないなって思ってたんだ。逆によかった!」

 

「……!」

 

 

だってあんなに優しいロシーだもの。そんなことするわけないよね。

だってそれぞれに歩んだ道だし。ロシーが選んだなら文句は言うまい。

 

つーか姉上は心配です。ばれた場合ヤバくない? ってな意味で。

基本姉上は中立だからこの件に関してはドフィに言いませんけど、これからヒヤッヒヤだなあオイ。

 

手をふるふると震わせて私を見るロシーはどうしたんだろう。

すんごい泣き笑顔だけど。何があった。

 

というか最近襲撃多いなって思ってたのはロシーが原因だったんだね。

ロシーが来たとたんだから、ちょっと怪しいかもしれない。そこに関してはたぶん上の人が決めてるんだろうから、何にも言えないけどさ。

ばれないでほしいし、ドフィにもあんまり捕まんないでほしい。でもロシーには海軍やっててほしい。複雑な心境だ。

 

 

「まぁ、いつだって姉上はロシーの味方だからだいじょーぶ! 潜入に関しては何とも言えないけど、応援してるからさ! ドフィもちょっと応援してるけど」

 

「…ッフ、はは! ああ、姉上はそれでいい。…それがいい。巻き込みたくないしな」

 

「……けどドジなロシーが潜入か…ふぅん、へぇ」

 

 

ここに来るまで色んな苦労があったんだろうな、と考えて撫でまくりたくなる。

…ああそうだ。

 

 

「それ、音消したりする能力? 便利ね!」

 

「! ああ、よく分かったな。ナギナギの実だ」

 

 

姉上がドフィ側じゃなくて良かった、と笑う姿はもうイケメンだ。

ドフィがラスボス系イケメン(?)なら、ロシーは爽やかイケメンだな…うーん、これはいい。

特にステータスない姉上でごめんな、ドフィ、ロシー。心の中で静かに謝っておいた。



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7.忌むべきは出生か、運命か

「とりあえず、姉上に言っておきたいことがある」

 

「うん?」

 

「…今すぐここを出ていってくれ」

 

 

…うん? ともう一度聞き返しそうになってしまった。ここを、出ていってくれ? それは、一体どういう意味なんだろうか。

あっもしかして、潜入の上で私、めちゃくちゃ邪魔だとか?

それとも、姉が職場(?)に居るって、嫌かな? ロシーにとっては。

そうなんだったらドフィに相談して出ていこうかな、なんて考えた。

 

けれど違うようで、周りを窺うような仕草をしてから、ロシーがひそひそと話し出す。

 

 

「…ドフラミンゴの姉上に対する執着と愛は、深すぎる」

 

「え?」

 

「おかしいんだ、本当に。…姉上、頼むから逃げてくれ。ドフィの手の届かないところに。じゃないと、冗談なんかじゃなく姉上、鎖に繋がれて一生ドフラミンゴのところに居させられる可能性だってある!!」

 

「鎖!? い、いや、いやいや…」

 

 

大袈裟な、とロシーを宥めるが、ロシーは止まらない。頼むから、と可愛い弟にここまで懇願されると心が揺れるが、とにかくロシーを落ち着かせることが第一だ。

昔やってあげていたように背中を叩いてあげると、ロシーはぐっと押し黙る。

そこから頭を撫でてやり、一旦落ち着いたらしいロシーは、「取り乱して悪かった」と息を吐いた。

けど、…鎖かぁ。やらない、とも言い切れないし…なんか苦い気持ち。

 

それでもロシーが言うほど緊急事態でもないでしょ? と聞き返せば真顔で首を横に振られた。うそん。

そんなにヤバいの? ドフィのシスコンって。あの子どっちかってーとマザコン側だと思ってたんだけど。

…いや、うちでファザコンの方があり得ないからしょうがないんだけど。

 

 

「私そんなに愛されてたのね。フフ」

 

「姉上、笑い事じゃ…」

 

「だいじょーぶよ、ロシー」

 

 

愛されてて怖い、なんてないから…と笑うけど眉間にシワ寄ってるぞー。信じてないだろ。

けど嬉しいことは嬉しいし、鎖に繋がれるのは御免だけど、ロシーが私を心配してくれたのも嬉しい。

なんだろう、今日は悲しくて嬉しい日だ。

 

 

「もし何かあっても、私姉上よ? ドフィぶっ倒して逃げるに決まってんじゃない。あの天夜叉より先に産まれた女をナメないでよ!」

 

「そ、そんなこと…」

 

「天上天下唯我独尊みたいなドフィも、ドジで優しいロシーも、二人合わせたみたいな存在が私だから! あんたたち、私似だからね!?」

 

「…………」

 

 

あァ……みたいな顔された。おいなんだその顔。分かるってか? 分かるってかチクチョウ。

納得したようなしてないような顔をしているロシーをぎゅうううっと抱きしめて、にっっっこり笑ってやった。

ドフィとロシーが自由に生きてきたように、私も今まで自由に生きてきたんだ。自由さでは負ける気しないからね!

それに、私の心配するより自分の心配しなさい。潜入海兵さん。

 

 

「ロシー?」

 

「……姉上、でもおれ」

 

「“大丈夫”」

 

「!」

 

 

昔から使ってきた、魔法の呪文。

私を縛り付ける、まさに鎖。

私が大丈夫と言ったことは大丈夫。だって私が大丈夫にするのだから。

今までも大丈夫だった。問題なし。大丈夫!!

 

 

「ロシー、私の名前はドンキホーテ・ロレンソだよ? …自分のことくらい守れる、つよーい姉上になって、戻ってきたんだから!」

 

「姉上…」

 

「だからロシー、心配しないで。…ありがとう」

 

 

誰より優しい私の天使。

例えあなたがここから逃げても、誰も責めやしないでしょうに。

実の兄なのに怖い。常に死が近い。だってドフィは身内でも裏切れば殺すから。

なのに本気で嫌えないロシー。兄を止めたいだけの、ロシー…。

 

気づいてた。ドフィとロシー、日常生活の中で見ても、どこかに決定的な溝かあると。

 

 

(…今度こそ神様に、振り向いてほしいんだけどな)

 

 

今までの人生で神に祈ること計数回。

そのうち願いを叶えてもらったことはない。

元天竜人という存在でありながら神様に嫌われてるなんて、どこまでツイてないんだか。

 

さあ、また神様にアピールしてみよう。

 

 

私の愛しい弟たちに、幸せがありますように。



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8.優しいままの貴方で

突然だが。ドフィは私をアジトから少し離れたところにある倉庫には近付けない。

それはなぜかって言うと答えは簡単で、そこでは人が売られているからだ。

 

常にディアマンテやトレーボル、その他幹部たちが見張っているから私は入れさせてもらったことがなくて、だから彼らが居ない今日、少し見てみたいと思う。

ドフィが私をここに入れないのは、たぶん私がこういうことを嫌うのを知っているから。

初めて知ったときは驚いたし、詰め寄った。可哀想な子供の気持ちは、貴方が誰より理解しているはずでしょうと。

けれどドフィは笑みをまったく崩すことなく、私の話を聞かなかったのである。

私の前ではあまりこの仕事は見せないが、それでもファミリーが経済的破綻はせず儲かっているということは、人身売買が活発に行われているという証拠。

天竜人としての感覚が残っているのか、奴隷はゴミにも等しいという考え方を未だしているらしいドフィには困ったものである。

 

 

「あっ……ロレンソ様! どうしてこんなところへ?」

 

「んー? …弟の仕事、見たくて」

 

 

だからどっかいけ、と手を振ると男はヘコヘコしながら下がっていった。

調子のいい男はキライだ。さっきまで子供を容赦なく殴っていたクセに。

 

どこを見ても汚い。

糞尿は垂れ流しだし、どう見たって家畜小屋より汚い。全員の首には首輪と鎖が繋がっているし、目はほら、私の大嫌いな濁った目。

助けてくれ、と喚く気力さえ失ってしまっているそれは、どこまでも悲しい色に染まっていた。

 

ズキ、と胸がいたくなる。ドフィはどうしてこんなことをするんだろう?

自分を虐げた人間たちに対する恨みが天竜人のような考え方を増幅させ、この人たちをゴミとしてしか映しださないのだろうか。

そう考えてみれば、ドフィは昔からプライドの高い子であったし、そうかもしれない。

いつの間にか隣に来ていたロシーが、私の手をぎゅっと握った。見上げると、眉を下げて首を横に振っている。だめよ、ロシー。そんな顔したら、貴方が優しいままだってバレちゃうじゃない?

子供嫌いだって最近頑張って演じているのに。

 

 

「……ロシー」

 

 

むせかえるような臭い。普通だったらすぐに出ていきたいと思うだろう。体に臭いが染み付いてしまう前に、と思うだろう。けれど何だか、そんな気持ちにはなれなかった。

彼らも母親から生まれ育てられてきた、同じ人だというのに、ドンキホーテファミリーに捕まってしまっただけで、もう人生を諦めなければならなくなってしまったの?

そんなの、あんまりだと思う。

 

 

「…目を逸らしちゃだめよ、ロシー」

 

「!」

 

「絶対、目を逸らしちゃ、ダメ」

 

 

これが現実だと、受け止めなければいけない。目を逸らしてばかりじゃ生きていけない。何もかもに背中を向けていちゃ、いけないんだ。

受け止めなければいけない。私たちはこの人たちの人権で食べていっていると。

横からロシーの歯ぎしりが聞こえた。強い悲しみと怒りが、ひしひしと伝わってくる。

さすがにこれは、弟が可愛いからなんて言って許す訳にはいかないことだった。

ドフィの生き方に口を出すつもりはないけど、これはひどいと思うんだ。

 

くるりと踵を返して、出口へ向かう。

恨めしそうな視線が、とても痛かった。とても怖かった。

いつかこの視線に殺される日が来る、と直感した。

 

 

「…ふーっ」

 

 

外へ出て、あんまりいい空気とは言えない空気を吸い込む。

あそこは空気が云々というか、雰囲気が最悪だった。

 

 

「見ておいて良かった。またひとつ勉強になったもの」

 

「?」

 

「…光の部分ばっかり見てても生きていけないのよ」

 

 

照らされる人がいる。照らされない人がいる。

今日フレバンスを見てそう感じたから、今日ドフィが居ようが居まいが、ここは見に来るつもりだった。

おかげで悲しさは増したけど、私の世界は広がったと思う。

あそこにいる人たちは救えない。無力だということも知れた。勝手な自己満足だけど、それでも良かった。

光の部分ばっかり見てきた幼少期よりは、マシだと思いたいしねぇ。

 

 

「ロシーも、頑張るのよ」

 

「……あァ」

 

「! ちょ、能力解かない!」

 

「す、スマン。つい、返事したくなって」

 

 

姉弟付き合いも、マシに出来るようになりたいし。



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9.感情が遅れてやってくる

そろそろ帰ってくるころだろうと思って、ドフィのための椅子を整えて、他の人たちのためのお茶を用意した。

ロシーにもそれを手渡してあげて、私もその横にすとんと腰かける。静かな時間だ。何も考えずにポケーッとしていられる時間なんて今まで全然なかったから、新鮮。

横に座るロシーに寄りかかって、そんなことを考えていた。

 

 

「ただいま帰りました、レンさん!」

 

「お帰りなさい、ベビーちゃん。お帰りなさい、ドフィ」

 

「あァ。…フフ、なんだ、気が利くな?」

 

「いえいえ。…お帰りなさい、みんな」

 

 

どかどかとなだれ込むようにアジトへ戻ってきた彼らはテーブルの上のお茶を見るや否や、行儀作法なんかそっちのけでガブ飲みする。えーっ。

ドフィやベビーちゃんはコクコクと行儀よく飲んでいたけれど、ディアマンテなんかほんと論外。思いきりのんでは思いきりゲップをしていた。

ほぼ条件反射みたいな感じで「やめなさい」と叱ってしまう。これは癖ね、癖。

ディアマンテは言われて爆笑しているけど、そんなんじゃモテないんだかんな!!

 

けれど、あんまり熱くしなかったせいかロシーも吹き出さずに飲んでいるし、良かった良かった。

みんなの服にところどころ血が付いているのは気になるけど、たぶん全部返り血だろう。

念のため、「誰も怪我してない?」と聞いておく。

 

 

「うーんと…、確かセニョールがちょっと撃たれてた気がするわ!」

 

「えっ!?」

 

「オイ、余計なことを言うんじゃねェ、ベビー5。こんなもん、酒でもかけときゃ治る」

 

「治るわけねーわ!! ちょ、来なさいこのハードボイルド!」

 

 

衝撃。酒でもかけときゃ治るって、なんじゃそりゃ!!?

さすがハードボイルド、なんて私は騙されません。抵抗するセニョールを連れて、医務室の椅子に座らせた。この間の私とドフィみたいだわ。

 

消毒液と止血剤、包帯を取り出した私にとうとう勘弁したのか、セニョールは大人しくなった。

最初からそうしていなさい、と少しブーメラン気味なことを言ってから、血の滲んでいる腕にそっと清潔なタオルを当てた。

ピク、と眉が動いたけど声を出さないのは、ハードボイルドなのかな?

大人の男ってよくわからない。

 

 

「…倉庫に行ったか? レン」

 

「! …匂う?」

 

「……いや…」

 

 

おれたちの留守中なら行くかもしれないと思っていた、と言うセニョール。じゃあドフィにもばれてるのかな? ふぅ、と小さく息を吐く。

セニョールは呆れたというように私を見た。

 

 

「そんなことをして何になる? 救いたいのか?」

 

「そこまで自惚れてないわよ」

 

「…なら、なぜだ? 若はお前を彼処に連れていきたがらなかったことを知っていただろう」

 

「知ってる。…知ってる、けど」

 

 

ーー初めて弟を、理解できないと思ってしまったから。

頑張って理解しようと、してみた。してみたんだけど、無理だった。それだけ。ただ、…それだけだ。

理解できないことを理解しようとすることは案外難しくて、無理をして理解しようとしているのがロシーには伝わったらしく、そういう意味での首振りだったんだろう。アレは。

 

ごめんねドフィ。姉上ひとつだけ、ドフィのこと理解できないや。

 

 

「…ダメと言われたら行きたくなっちゃうって女の気持ち、分かるでしょう? セニョール」

 

「…フン、まァな……」

 

「ドフィにもそこらへん理解してもらいたいもんだわ」

 

 

はい終わり、と包帯を巻き終わったセニョールの腕をさすった。

止血もしたし大丈夫だと思うんだけど。

少し触ったり腕を曲げたりして動きを確認していたセニョールが満足そうに笑ったから、安心する。動きに支障はないみたいだ。

とりあえず次から怪我をしたら隠さずに言うことを約束していただいて、セニョールは出ていった。

あー慌て疲れた、と私は医務室のベッドにダイブする。

ドフィが用意してくれた私の部屋のベッドよりかは固かったけど、寝心地は悪くなかった。

この世界に来て最初の家のベッドと似てるなあ、と懐かしくなった。

 

寝れなくなったら、母上が子守唄を歌ってくれていたっけ。あの人の声は、綺麗だったな。

目尻から頬をそっと撫でて、「愛してる」と囁いてくれたあの人は、今どうしているだろう。私が心を殺したあの人は、私を恨んでくれているだろうか。

 

……ああ、そっか。

 

 

(あの人が女神だったから、その心を殺した私への罰として、神様は願いを聞いてくれないのだろうか)

 

 

そうかもしれない、きっとそうだ、と謎の確信が私の心を支配した。

そうかあの人が。考えてみれば生まれてから今日まで、私を抱き締めて子守唄を歌ってくれたのは、あの人だけだったな。

…大事な人を、なくしたんだな。

 

悲しみが数年遅れでやって来た。妙な喪失感。後悔と嫌悪が心の中で渦巻く。

これはきっと、母が亡くなってからすぐに出てくるべき感情だったはずなんだけど。

料理を頑張っている母の背中も、熱を出したときに覗き込んでくる心配そうな顔も、もう二度と見れないんだっけ。

……この気持ちは、一体なに?

 

 

「…え……?」

 

 

じわ、とシーツが濡れていっていることに気付く。慌てて目元を触ると、見慣れない透明な液体が、目から流れ出ていた。

拭えど拭えど出てくるのに、嗚咽はない。ただ、流れているだけ。

近くの鏡にうつった、無表情で泣く女性。それが自分だと気付いて、どうしようもなくゾッとした。

 

 

感情が遅れて来たとはいえ、私は母の死に本気で涙も流せない女なの?



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10.言い訳をさせてほしい

しばらくすると、あの不気味な涙もぴたりと止まって、私の目には泣いたあと特有の赤みと、ひりひりした感じだけが残る。泣いたって知られたくないから、ドフィたちの元に戻る前に少し外へ行こうと思った。

窓を開けて外に出ると、そこは小鳥のさえずりなんか聞こえなくて、聞こえるのはうるさい人の声。

助けてくれって泣き声ひとつでも聞こえてくればこの胸も痛むんだろうけど、生憎そんな声を出すような人は殺されたか売られたかで居ないだろう。

 

 

(…魚、釣りたい)

 

 

唐突にそんなことを思った。けれどこんなゴミ処理場じゃ無理だからと船に向かう。

そこには久しぶりの私の帰還に喜ぶシャクが居た。

シャクは放っておいても魚を獲るから普通に生きていけるし、逃げてもいいよと言っているのに逃げない。それは言葉を分かってないからなのか、ただ一緒に居たいと思ってくれているからなのかはわからないけれど。

でも船に戻ったときに誰かが待っててくれているのは、素直に嬉しかった。

 

船の倉庫から釣竿を取り出して、途中買った魚を刻んで丸めた魚団子的なものを針にくっつける。釣りは初心者だけど、釣れるだろうか。

 

 

「…おっ」

 

 

意外。あんまり経たないうちに釣れてしまった。

慌てて持ってきたバケツに水を張り、その中に魚をぽーん。

すごい私才能あるかも、とか思っている間にもどんどん魚が釣れてしまう。やばーい。

さすがにとりすぎて食卓が魚料理ばっかってのもドフィとかバッファローとかが不機嫌になりそうだから、ほどほどにしておこう。

…デリンジャーって半魚人だけど食べるのかな? 魚。

 

というかバケツごとファミリーに持って帰ることにしたんだけど、どうにも重い。まあバケツには水と魚が入ってるから重くて当たり前なんだけど、重すぎない? もうちょっと水少なくして、魚も減らせば良かった。後悔の極み。私としたことが。

 

けれどバケツを持って数メートル歩いてしまったし、今更戻るのも面倒くさい。

ゴミ処理場までそんなないんだから、トレーニングだとでも思って頑張ろう。ロレンソふぁいと。自分で自分を応援しながら、アジトへ向かう。

あっ、あと少し! この階段上ればすぐだわ、やった!

 

 

「ただいま! …え?」

 

「なッ…、お前!?」

 

「えっえっ、どういう状況!? と、とりあえず…わー!!」

 

「わぶっ!!?」

 

 

ーーガチャンコ、とドアを開けたら目の前に手榴弾ぐっるぐるに巻き付けた男の子が立ってました。なぜ?

 

その顔にはすーんごい見覚えあったんだけど、とにかく手榴弾、目の前にはドフィ、とあったんでとりあえず可愛い弟と幼い少年のために、持っていたバケツの中身…要するに魚ごと水をぶっかけてしまった。混乱してたと言い訳させてください。

びちびちぃ、と心から気持ち悪い動きで魚が跳ねる。釣っといてごめんなさい。けど、キモいんだもの。

使い物にならなくなってしまった手榴弾を呆然と眺めていた男の子が、顔を上げて食ってかかってきた。どうどう…。

 

 

「てめェ、なにしてくれてんだ!! つーか、なんでここに居るんだよ!!?」

 

「え!? ご、ごめん…? ロー、くん。…ていうか生きてたんだね、良かった!」

 

「うるせェ!! お前のせいで、おれの計画はオジャンだ!!」

 

「あはは、ごめん」

 

「笑ってんじゃねェ!!」

 

 

うーん、荒んだな。…変わってない気もしなくも……いや、荒んだな。

ていうかフレバンスの悲劇からほんとすぐにここまで来るとか、やべぇな!?

いやこれからローくんどうすんだろって思ってたけど、まさかこんな早くにまた再会するとは。しかも、手榴弾なんて物騒なもの巻き付けて。

 

 

「私ねぇ、ここのボス…ドフィのお姉ちゃんなの。名前はドンキホーテ・ロレンソ。よろしくね!」

 

「…………」

 

 

姉、ということに少し目を見開いていたローくんだったけど、すぐにフンと顔を背けると、ドフィに向き直った。

あー、無視された。とりあえずビチビチキモい魚を回収しておこうかな?

拾っているとベビーちゃんも手伝ってくれて、嬉しかった。うん。

 

拾いながら聞いた話だと、ローくんはこの世界に復讐したいだとかなんとか。だからドフィのもとへ来たのか。ふーん、へーぇ、ほーぉ。

 

フレバンスの件が昨日の深夜で、今日の夕方にここにいるってのは……うん、すごいなこの子。

やっぱり医者の息子だからか、頭が良いのかな。

私が釣りにいってる間にいつの間にか居なくなっていたロシー。居たら即ぶっ飛ばされてたね、良かったね。水をぶっかけられてぶっ飛ばされてはさすがに不憫すぎるからね。

とにかくドフィはその心意気は認めたのか、滞在は許可していた。ファミリーに加えるか否かは少ししてから決める、というのだ。審査制なの!?

 

 

「…とにかく姉上。アンタがやったんだ、魚くせェそのガキを洗ってやれ」

 

「おっけー。ごめんねぇ、ローくん」

 

「っ、うわ、離せよ!」

 

「離さナーイ」

 

 

ひょい、と持ち上げれば悔しかったのか小さな拳で叩いてきた。へっへーん、痛くも痒くもないんだな!

子供相手に大人げないけど、ちょっとしたおふざけってやつだ。

 

浴室の扉をおもいっきり開けて、服を脱がせたローくんを中に放り込む。

「女とは入らねェ!!」って叫んでたけど無視だ。だって血みどろだし汚いし。

そんな思春期の男の子みたいな台詞は捨ててからファミリー入んないとダメよ、と私もお風呂に入る。…あーでも視線を背けてくれるのは紳士だね。

 

 

(……白い…)

 

 

聞いた話の通りだ、とあんまりじろじろ見ているのがばれない程度に痣を見る。

これが、珀鉛病。…つらそうだなあ。

ちゃぽん…と平和な音しか響いていない静かなお風呂で、そんなことを考えた。



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11.資格がない

「…お前、どうして珀鉛病のこと知ってたんだよ?」

 

「!」

 

 

背を向けられたまま投げられた質問に、驚いた私は何も返すことができずにうつむいてしまう。

それは、と何か言おうとしても、言い訳のようにしか聞こえないであろう。

 

だって言えるわけがない。ずっと前から珀鉛というものの毒に気付いていたなんて。フレバンスが滅亡することを知っていたなんて。こんな少年に、言えるわけがない。

ギリギリと胸を締め付ける罪悪感。ずっと無言を貫く私を不審に思ったのか、ローくんが振り向いた。

私はそれをぎゅっと、抱き締める。

慌てたような声を出すローくんにお構いなしに抱き締める。ごめん、と呟きながら。

 

 

「…言えないの。ごめんなさい……」

 

「…………べつに」

 

「けど、あなたを助けたいと思う気持ちは本当よ。もし、あなたを救う手だてが見つかったら…そのとき、改めてローくんに話すわ」

 

「……」

 

 

言えない私は、まだ弱い。

 

結局終始無言で私とローくんはお風呂を上がった。抱き締めたとき以外、ローくんはこっちを向いてくれなかった。

さっさと体を拭いてしまったローくんが、ボロボロの服を着て戻って行ってしまう。ちょ、新しい服くらい用意するのに!

慌ててローくんを追いかける。途中会ったジョーラにローくんの洋服を頼んでおいた。

たぶんさっきの部屋に戻ったんだろうな、と考えて、私は濡れた髪を結わえてドアを開けた。……が。

 

 

「!?」

 

 

ガシャンとものすごい音が目の前の窓からしたと気付くのに、数秒かかった。

前には、しまったという顔をしたロシーとディアマンテとトレーボル。そして「しんだ!!」と顔を真っ青にしているベビーちゃんとバッファローだった。

……なんだ、えーと? うちの弟が、ローくんを…窓割って投げた、で合ってるのかな?

 

 

「ばっ……バカ!!!」

 

「!!?」

 

 

ばっちーん! とロシーの顔を平手打ち。心がいたいけどしょうがない。ローくんになんてことすんだ!!

 

 

「ディアマンテもトレーボルも見てないで助けなさいよ役立たず!!」

 

「オイオイ、仮にも最高幹部のおれたちに役立たずってのは…」

 

「子供ひとり守れない男なんか居なくても一緒よ!!! もー信じらんない!!」

 

 

こっちにとばっちり飛んでくると思った、とげんなりしているディアマンテだけど、ほんとに毎回毎回…! ロシーも少しやりすぎだけど、止めもしないなんて信じらんない!!

 

後ろでジョーラとラオG、意味がわかってるのか知らないけどデリンジャーが大爆笑していた。

「やっぱドフィの姉だな…」なんて目をしてるディアマンテとトレーボルは無視。

私はこの二人となかなか相性が悪いらしい。

ドフィは何してるのか知らないけど、注意してもらわなきゃ。敵わん。

 

ゴミ山に突っ込んだ! とベビーちゃんが言っていたので、走ってローくんを探す。

すると言った通り、ゴミ山の上で血まみれのローくんが腕や足を震わせて、血の流れている頭を押さえていた。せっかくお風呂入ったのに。あーあ。

 

 

「ローくん、大丈夫? 骨は折れてない? ごめんね、ロ…コラソンが」

 

「ッ…ゆるさねェ……あの、男…!」

 

「えっ」

 

「復讐してやる…!!」

 

 

子供らしからぬ声で、怒りを露にしたローくん。その眉間にはシワが寄っていて、拳は強く強く握られていた。あー、ヤバいかもロシー。この勢いだと殺されちゃうかも。

じわ、と背中に冷や汗が広がる。…この感覚、小さい頃のドフィが怒ったときとよく似てる。

よく似すぎてて、すごく心配になるのだけど。

 

 

「ローくん…」

 

「…近寄んな」

 

 

伸ばした手は、払われてしまった。

まっすぐにコラソンを睨むローくんに、心が締め付けられる。

救えないのかな。昔のドフィみたいに。この子の心は、助けてほしいと泣いているはずなのに。それが、見えないだけのはずなのに。

その感情を覆い隠すのは、恨みと悲しみ。

 

 

(…そんな感情をエネルギーにして生きてたら、目が見えなくなっちゃうんだよ)

 

 

大事なものが見えなくなっちゃうんだよ。

でも、フレバンスのことを事前に知っていたくせになにもしなかった私に、そんなことを説く資格があるはずもなかった。



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12.身長=弟の脚

とりあえず、ローくんに手を振り払われちゃったショックからは立ち直って、私は夕食の準備をすることにした。

最近何でも屋には美味しそうな食料も入ってくるので、料理には困らない。

それに今日は多くのものを町で買い、ちょっとしたもののみ作ればいいというドフィからのお達しだったので、ジョーラにピザやら何やらを買ってきてもらって、私は簡単な焼き魚を焼いていた。今日釣ってきたやつである。

 

だが最近ドフィが私に対し過保護になりつつあって、今もキッチンにはジョーラやらベビーちゃん、更にはグラディウスまで居る。

やけどをしてはいけないとドフィに言われているらしいが、最近いきなりなんなんだろう?

もしかしてまた、ドンキホーテファミリーに強く勧誘されるのか? それは勘弁だ。

 

 

「オイ、若のところへ行っていろ。魚くらいおれでも焼ける」

 

「え、いや、いいよ? だって私ここに居させてもらってる身だし…」

 

「黙って行け。お前のメシは味が薄いんだ。おれがやる」

 

 

マジか。味が薄いんなら言ってくれればいいのに。

少し頭を膨らませながら私を追い払ったグラディウスだけど、大方ドフィの指示だろうね。そんなことを思いながらいつもご飯を食べる部屋へ向かう。

けれどそこにドフィは居なくて、ロシーだけが窮屈そうに座っていた。

相変わらずタバコを吸っていて、まぁ立派なヘビースモーカーになったもんだ。

でもご飯を食べるところで吸わないの。ぺいっとタバコを口から取り上げた。

手の甲で火を消して、デコピンをする。

 

 

「ご飯を食べるところで吸わない。おっけー?」

 

『すまない』

 

「わかったならよーし」

 

 

ドフィは? と首をかしげながら聞くんだけど、ロシーはわからないと言いたげに首を横に振る。

なんだよ、人をここでの唯一の仕事場であるキッチンから追い出しといて居ないとか。腰に手を当ててプンスコ怒っていたら、ロシーが『ドフィに何か用なのか?』と紙を見せてきたので今度は私が首を横に振った。

 

 

「ドフィがグラディウスを使って私をキッチンから引きずり出してきたから」

 

「…………」

 

「最近また過保護になって…ファミリー勧誘再チャレンジする気じゃないかなあの子」

 

 

そうふざけて言ったのに、ロシーは眉間にシワを寄せて黙り込んでしまった。

そんな、深刻そうな顔をさせるために話したんじゃないよ!?

一気に表情が暗くなってしまったロシーを慰めようと、私は大きくなってしまった天使の膝に乗る。わー、昔はあんなに小さかったのに。

そして優しく撫でてあげると、気持ち良さげに目を細めた。私は今がチャンスとロシーに話を切り出す。ローくんのことだ。

 

 

「ロシー。ローくんにあんまり意地悪すると、いつかグサッてやられちゃうわよ?」

 

『大丈夫だ』

 

「ううん、大丈夫じゃないからねー。うん」

 

「?」

 

 

なぜわかる、って顔をされた。

なぜ、…なぜねぇ?

許さないって言っていたし、とは言っても子供がそんなことをまさか実行するわけないとロシーは思っているだろう。

どうやってこの胸騒ぎを伝えようか、と思ったときに、そういや似てんのが居たわと気付く。そうだ、あの子に例えれば分かりやすいかな?

 

 

「あのね…ロシーにぶっ飛ばされたあとのローくんが、ドフィの小さい頃に似てたの」

 

「!!」

 

「だから何されるか分かんない。私も見ておいてあげるけど…気を付けてね」

 

 

ロシーのことは例えローくんからだとしても守るつもりだ。

ロシーの喉がこくりと音を立てる。

額に少しの冷や汗が見えた。私もたぶん、今同じ顔してる。

不安を煽るようなこと言ってごめんロシー、と頭を撫でてあげた。

 

そこに、ドフィが戻ってくる。

 

 

「フッフッフ! 二人して何をしてる?」

 

 

おれのところにも来い、と椅子にどっかり座って自分の膝をポスポス叩くドフィに、仕方ないなと笑いかけた。ロシーは不安そうな顔してるけど、大丈夫だって。

あー、この子もでかくなった。ほんのちょっと前まで私より小さかったのに、今じゃ私の身長なんてドフィの足の長さくらい。なんてこった。

 

 

「あーあ、大きくなっちゃって」

 

「フフフ! まァな!」

 

「成長が見たかったー」

 

 

あの天使たちがここまで大きくなる過程をず~~っと見ていたかったな…と遠い視線を送る。

別れたときはめっちゃ小さかったのに、再会したら3メートル弱ってかなり驚くからね。

ドフィはかなりご機嫌なのか、私が髪をわしゃわしゃしても大人しい。…いや、わしゃわしゃしてるからご機嫌なのかな?

 

そのうちドフィの頭にでも犬耳が見えてきそうだ。

それを想像して、ドフィの頭を撫でながら小さく笑った。



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13.弱かったことを思い出す

ふっと意識が沼のようなところの底から上がってきて、ゆっくりと目を開けた。

…いつの間に、私は外に出たんだっけ。

吹き抜ける風がお酒で火照った体にはちょうどよくて、大きく伸びをしようとした。

 

 

(…あれ?)

 

 

頑張って腕を動かそうとしてみるのだけど、なかなか腕が動かない。あー、なんか重いし…酔ってるのかな。

 

酔っているせいか、ここまできた記憶がすっぽりと抜けてしまっている。

ええと、今まで何してたんだっけ? 夕食の準備を追い出されて、ドフィたちと戯れてて、そうしたらご飯が運ばれてきたんだ。

そうしたらどこかへいっていたローくんも戻ってきて、色々と話を聞いたって記憶がある。

もう何も信じていない、なんて寂しい台詞も聞いた気がする。

それで、可哀想で、何もできないのが悔しかったからヤケ飲みして…これか。あ~あ。

 

寄りかかっている家の壁は廃墟なのか眠っているのか、ボロくて誰の声も聞こえてこなかった。

周りは木々しかないし、月が私を照らすだけ。

しーん、と静かなここに一人でずっといたら、気が滅入りそうだからそろそろ帰ろうかな。

 

 

(……あれ?)

 

 

クンッと誰かに手を引かれているような感覚で、前に進めない。

誰? とそこを見たけれど、誰も居なかった。なのに手は微動だにしない。手首から先ほどさえ見えない暗闇だけど、誰もいないことくらいわかるつもりだ。

頑張って自分の手を引くのに、動かない。一体私の手に何が起こっているの、と目を凝らしたり手をじっと見ようとするのに、どんなに至近距離に行っても、手首から先は見えなかった。どういうこと?

 

 

(そういえばここ、見たことある気がする。どこだっけ…?)

 

 

どうにかしなきゃと辺りに人の気配をうかがっていたとき、妙な既視感がすることに気がついて、腕を動かそうとするのをやめた。

ここ…とても、懐かしい。あんまり長い時間居たら覚えているはずだから、依頼で寄った町なのだろうか?

けれどそれだけで、こんなに懐かしくなるものかと不思議に思う。それはそれで違和感があった。

 

なにか、足りない。ここに居たことはあるけれど、ここに何かあったはず。私はじっと、草ばかり生えた地面を見る。私がここに居たとき、ここには何かあったはずなのに、何もないなんて、おかしい。

 

 

「なに、か…」

 

 

カラン、と金属の何かの音がして、ふと地面を見た。

ひゅ、と息を呑む音が誰もいない町に響く。私のさっきまで見つめていたところに、いつの間にかナイフが突き刺さっていた。

これは、このナイフはーーー。

 

じわじわと左腕に何かが広がっていく感覚がする。驚いてよく見ると、そこにあった傷が赤くにじんで、血がポタポタと垂れているではないか。

声をあげて目を瞑りたいのに、なぜかそれを凝視してしまっていた。流れる血の量が多くなっていく。次第に、腕がなにもしていないのに千切れ始めてきた。

なんで、どうして、どうして。

 

そしてなぜか鮮明に見えるようになった手には、懐かしいかな、釘が何本も打ち込まれていた。

 

涙目でそれをずっと見つめ続けていると、いつしか腕は完全に千切れ、地面に転がる。釘はいつの間にか消えていた。

“あのとき”はじっくり見ていなかったからなんともなかったが、改めて見たそのグロテスクさに私は、嘔吐してしまう。

 

 

「ウッ、…オエ……!」

 

 

気持ち悪い、気持ち悪い。

そうだ、ここは……私たちが、迫害された町。すべての始まりの町。

 

私の……大嫌いな、町。

 

 

「ーーン、………レンーー」

 

(だれ…?)

 

 

遠くで私を呼ぶ声がする。

それはだんだん近づいてきて、視界を揺らす。やめて、ただでさえ気持ち悪いのに…。

 

あ、もしかして、母上かな?

そっか、お迎えがきたのか。

なら、我慢するよ。だって私は、貴女に謝りきれない傷を与えたのだから。

ならば、視界がぐわんぐわん揺れることくらい、どうってこと、ないよねーーー。

 

 

「ーーレン!!」

 

 

ドフィの必死の声に、目を覚ます。

勢いよく起き上がって「なんだ、夢か…」ってやれれば良かったんだけど、生憎そんな気力はなかった。

なんだか体は重いし、寒気がする。気分は最悪だ。

服は汗でべったりだし、ファミリーの人たちはうるさい…。一体なに?

 

ひんやり冷たい、大きな手が額に乗せられる。

手を乗せた張本人であるドフィは、顔をしかめて私を抱き上げた。

 

 

「部屋へ運ぶ。すげェ熱だ」

 

「は、っ……ドフィ…? わたし、熱…あるの?」

 

「あァ。寝てる間に魘されて、吐いちまうくらいはな」

 

「へ……?」

 

 

飲んで少しうとうととしていた私が、片付けたあとの机に突っ伏して寝ていたらしい。そして突然、吐いたと。

ベビーちゃんがすぐに気付いてタオルで拭いてくれたおかげでなんとかなったが、熱がひどいとのこと。

ベビーちゃん様様だ……なにか美味しいお菓子でもこんどあげよう…。

 

 

「どっかから貰ってきたんだろ。とにかく休め。姉上は体が実際は弱いんだからなァ?」

 

「実際は、って…なによ……」

 

 

失礼しちゃう、と言い返したかったのに、声が出なかった。

最悪だ。あんな夢は見るし、こんな熱は出るし。

 

せめて、恨めしそうな顔の母上でも出てきてくれれば、気持ちも楽になったろうに。



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14.これで似てると言われても

「…38.5だ」

 

 

ピピピピ、と軽い音を立てる体温計と共に、残酷な一言が投下された。

頭を鈍器で殴られたようなショック。けれど同時に冬の海水でもぶっかけられたような寒気が襲ってきたので、私は気だるい体を頑張って動かし、のそのそとベッドに潜り込んだ。

目の前には呆れたような顔をしたドフィが、ベビーちゃんにタオルと水桶を頼んでいる。

 

皆さんお忘れかもしれないが、私は母上似なのである。体が弱いのである。主に極度のストレスとか、疲れとか。

フレバンスに慣れない全速力で行ったのが祟ったか? と原因を探すけど、特に思い当たる節がない。……ああでも、下界に降りて来てから、熱を出していなかったっけ? そう考えればまあ、久しぶりの発熱ってことでいいかな。

 

 

「魘されていたと聞いたが、…何か夢でも見たのか」

 

「ん? うん。じゅう…なな年くらい前かな?」

 

「…あァ……そういや、そのことで話したいことがあったな」

 

 

けれど今はいい、と言われて首をかしげる。何が聞きたいんだろう?

ぼうっとした頭じゃそんなこと考えられなくて、眠ろうとする。でも重い意識と熱い体が私が夢の世界へと入ることを許してくれない。寝たいのに。

頭が痛いから積極的に話したいって気分じゃないし、汗が出て気持ち悪い。

久しぶりの発熱だからいいや、なんて思えたのは束の間だった。もうやだ。熱下がってー。

 

そんな私の様子に気付いたのか、ドフィが「水を取ってくる」と出ていった。

やだ、そんなに顔色悪い?

 

近くの鏡で顔を見ようと上半身を起き上がらせたその時。ナイスタイミングでドアが開いてロシーが部屋に入ってきた。

どうやら寝ていたところを起こされたらしい。ごめんね。寝癖ついてるよ。

 

 

「……大丈夫か?」

 

「しーっ…! ダメだってば、ロシー」

 

 

私を心配してくれるのは嬉しいけど、すぐに声を出すのはやめた方がいいと思う。

能力解かない、と顔の前でバッテンを作ったら、仕方なさそうに能力を発動していた。

そうしていつもの筆談に戻ると、私の上半身をぐいぐい押し込んでベッドに戻そうとしてくる。え、えー!?

結局『寝てくれ』と書かれた紙には逆らえなくて、顔を見ることは断念。別にいいんだけどさ?

 

 

「姉上、水を…なんだロシー、起きたのか」

 

『姉上が具合悪いと聞いて』

 

「フフ…まァ、そうだな」

 

 

枕元の小さな机に、透明な水がコトンと置かれる。

それを手でそっと触ると適温で、気づかいができる子になったのかと感動してしまった。イカンイカン。

熱出した上にいきなり感動の涙と言えど泣き出したら、今度は情緒不安定と心配される。

その心配だけはされたくないもんだ。

 

体が熱いのに寒気がやばい、という熱あるあるな症状だったけどとにかくドフィの持ってきてくれた水をちょびちょび飲んだ。

うん、飲まないよりはマシかな。ありがとう、とドフィに微笑むために笑顔でそっちを向いた。ーーのだけど。

 

ドフィもロシーもすごく変な顔をしていて、スタイリッシュに視線だけで二度見してしまった。

ドフィは眉間にすごいシワ寄ってるし、ロシーなんかもう目が充血して泣きそうだし。何があった!?

 

 

「…フ、フフ……笑えねェな? コラソン…いや、ロシー」

 

「笑えないってなにが? ドフィめちゃくちゃ笑ってるけど? ってかロシーはどうしてそんな顔して…」

 

「……!」

 

 

私の天使ロシーの目から、大きな涙がぼろんぼろん落ちてきた。ま、待って、泣き止んで!

拭えど拭えど涙は出てきてて、私が混乱してしまう。

けれどロシーは泣きながら必死に紙にペンを走らせて、私の眼前につき出してきた。思わずのけぞってしまう。

 

 

『亡くなる前の、ベッドの上での母上に似ていた』

 

「……えっ? 母上?」

 

「…フッフッフ!!」

 

 

似ているってのも罪なもんだ、と頭を撫でてくるドフィだけど…

いや、いやいや! ちょっと待て。

 

 

「死なないからね? 私…っゲホ、死なないからね!?」

 

『死ぬな姉上!!』

 

「だからただの熱だわ!! …ゲホッ!」

 

 

頭痛くなってきた、と顔色を悪くする私に、ドフィがそっと毛布をかけてくれる。

紳士…だけど、死んだ母に似てるってあんまりじゃない? 亡くなった人の亡くなる直前に似てて泣かれるなんてどんな反応していいかわかんないわ。

しかも母だしね。

 

とにかくロシーがえんえん泣く理由がわかって良かった。

こうなるなら、もっと具合悪くならないように頑張ろう。具合悪くなる度にロシーに泣かれるなんて御免だからね。

 

ブルッ、と寒気がして私は頭まで毛布を被った。



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15.助けるから

ギシ、というベッドの軋む音で、徐々に意識が上にのぼってくる。

なにかひんやりとしたものが額に乗っている。タオルとはまた違う…小さくて柔らかくて、少し頼りない小さな何か。

私は不思議に思って、それを掴んだ。

 

 

「!? お、起きてたのかよ!」

 

「あ…ローくん…か……」

 

 

じゃあこれは、と手に掴んだものを見ると、それはローくんの小さな手だった。

手を掴まれて身動きがとれないのか、めちゃくちゃ睨んでくるローくんの手をパッと離す。

…ローくんの手、冷たくて気持ち良かったな。それに、思っていたより小さかった。

やはり子供なんだなと改めて感じる。ドフィが夜寝付けないときに入ってくる用にかなり規格外になっているこのベッドで、ローくんの身長は小さすぎた。

 

どうしてここへ、という視線に気付いたのか、ローくんは視線をあっちこっちへやる。

少し緊張しているのは女の部屋だから? とニヤニヤしていたんだけど、その考えは打ち砕かれた。

 

 

「…お前、体弱いんだろ。なのに、おれなんかのために無茶したからそうなったんじゃねェのかよ?」

 

 

驚いた。素直に驚いた。この子、そんなこと考えていたのか。

それで責任を感じて、心配して、ここに来たのか。

いつもはかなり濁った目をしているローくんだけど、今だけはただの可哀想な子供に見えた。

本来はきっと、こう見えるべきなんだろうけれど。

 

健康的な肌とは対照的な白い部分が増えてきていることが、日に日に悲しかった。ローくんも焦っているのか、日に日に荒んでいる気がする。

けれど心から心配できるその気持ちがあるのなら、まだ手遅れじゃない。

ふかふか帽子に手を乗せて、軽く微笑む。

 

 

「違うわよ。免疫力がなくなってただーけ。心配しないで?」

 

「…けど」

 

「それに、自分のこと“おれなんか”って言うの、やめて? あなたはそんな小さな存在じゃないんだから」

 

 

ここの子たちは、そんな言葉に目を輝かせやしない。

なにもしなくていい、なにもしなくても好きだとベビーちゃんに言っても、あり得ないと怒られる。心の底から否定される。

ローくんだってそうだ。あなたは小さな存在じゃない、と言っても表情は動かなかった。きっとあり得ないと思っている。

ここの子たちの心はかなり複雑で、傷付いている。でも、必要なものはひとつのはずなんだ。

 

もう少ししてから言おうと思っていたことを、言うことにする。

ちょっと薄暗いルートからの情報だけど、確かだ。

 

 

「あのね、ローくん。もしローくんを助けられる悪魔の実ってのが手に入ったら、肝臓を治すのよ」

 

「肝臓?」

 

「珀鉛病っていうのは、体に鉛が蓄積されることによって発症するものなの。そしてその鉛は、肝臓に散らばってる」

 

「なっ…」

 

 

どうしてそんなことが、という顔をされる。そりゃそうだよね。誰も知らない情報なんだもの。信じられなくても、仕方がない。

けれど言っておくべきだと思った。医者の息子のローくんだから、理解は難しくないだろうし。

 

 

「肝臓を全て切除することはできないけど、その悪魔の実ってのの能力で何とかできたら…いいなって」

 

 

集めた情報はこれだけ。あとは悪魔の実任せだけど、私はそれができそうな悪魔の実を、ひとつだけ知っている。

 

 

“守るということは、自分を蔑ろにすることじゃないと分からんのか!!?”

 

 

オペオペの実。

私を救ってくれた、生きることを教えてくれた、恩人の実。

 

それをローくんに見つけてあげたい。私もローくんに生きることと救いを与えてあげたい。

あなたは生きていいんだよって、胸を張って言いたい。自分は生きていいと、言わせてやりたい。

 

 

「…ぜったい、ローくんを助けるから」

 

 

もう一度掴んだ小さな手は、震えていた。



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16.さみしがりや

時系列がごっちゃになってきている方もいるかと思いますので、少し整理させていただきます。

ドフィに出会う(2年前、今話で4年前、ドフィ24歳)

ロシーに出会う(2年前、今話で4年前、ロシー22歳)

休みをもらいにいってフレバンスのことを聞く(2年前、今話で4年前)

ローと再び出会う(今話で2年前になる)

ロレンソが熱を出す(今話で2年前になる)


です。わかりにくかったり矛盾点があればお教えください。
時の流れが早くてすみません。


結局そのあとも眠って、目を覚ましたのはもう一晩経ってからであった。

体調は良好。朝から電伝虫もなりっぱなし。仕事いかなきゃね!

ドフィには「病み上がりがすぐに仕事すんな」と言われているけれど、熱のせいでちょっと仕事を休んでしまっているのだ。けれど、だいぶ前に1週間と4日お休みをいただいたのでそんなに病み上がりだからって休まなくてもいける。ドフィは「それは二年前の話だ」って言うけどね?

帰りはいつも深夜になることが多いけど、ちゃんとファミリーに戻っている。基本的には。

…あー、でも、最近は戻れていないかもしれない。少し忙しくなってしまったせいで。

 

 

『ーーというわけで、アジトが変わった』

 

「あ、そうなの? わかった」

 

 

それに、最近ドンキホーテファミリーはアジトが結構変わる。

取り引きとかが拡大しているらしく、最近はリヴァースマウンテンの方に移動しているかな?

話を聞く限りはあんまり変わりなく、ロシーはドジだしローは医学書を読み漁る日々。……あとこれはさっき聞いたんだけど、ドフィはローを右腕として育て上げる気らしい。…正直心配しかないけど。

 

左手に電伝虫、右手にペンをもってアジトの場所をメモする。

ドフィの声の奥で、撃ち合いの音が聞こえたのは、恐らく海軍とやりあっているんだろう。最近海軍がしつこい、と愚痴を言うドフィ。うんごめんね、それそこにいるドジっ子のせいだわ。…なんて言わないけど。

 

ドフィからは一日に一度、必ず安否を確認する電話がかかってくる。

怪我はしていないか、なにか面白いものは入っていないか、今日は帰れるかなどエトセトラ。

だいたい全部に首を横に振る結果となってしまうのは申し訳ない。けど私だって働いているのだ。

 

 

『…帰れるときは連絡しろ』

 

「はいはい」

 

 

ドフィは切るとき、毎回そう言って切る。

けれど連絡するからって言ってるのに、会話の中にいつも「今日帰れるか?」という質問が入ってくるのは可愛い。寂しいのかな? ごめんね。

あんまり寂しい思いをさせると嫌われる、と何かの本で見たことがあるけど、何の本だっけ? 犬の本だっけ? 「弟のきもち」みたいな本だっけ。忘れちゃった。

 

まあでも寂しい思いをさせないことに越したことはないので、毎日頑張って働いて、早く帰れるようつとめている。

けれど大抵が偉大なる航路だとか新世界だとか、そういうところからの依頼になってしまうので、手袋ひとつとはいえ北の海まで戻り、またシャクに船を引いてもらうってのも、と考えたときにどうしても船で寝てしまった方が早いと思ってしまうのだ。

 

 

(…そういや昔から、ロシーよりドフィの方がさみしんぼだったな)

 

 

外で遊んで遅くなったときとかに一番に抱きついてくるのも、寝れないときに私の布団にもぐり込んでくるのも、ドフィだった。

大きくなっても、まだあまりそういうところは変わっていないのかな? と考えて頬がゆるんだ。



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17.2つの宝物

私はファミリーに戻れない日が続き、ドフィからの一日一度の連絡もあまり来なくなり、2年という月日が経ってしまった。

 

その間一度もドフィたちの顔を見れなかった訳ではないが、2年前のようにゆっくりのんびり家族時間を楽しむことはできなかった。

時折珍しいものが手に入ったら電伝虫で伝えていたし、綺麗な宝石だとか綺麗な景色の写真だとかは、必ず手紙と共に送っていた。

返ってくるドフィからの手紙やベビーちゃん、バッファロー、そしてたまにローの手紙も嬉しくて、やる気が出てくる。

ロシーからは転けている写真がよく送られてきていたけれど。

 

そんなある日。

 

 

『ーーロシーが、ローを連れて出ていった』

 

「……ほー」

 

 

そんなことを告げられた。

いや興味なしかよ平和かよ、とドフィの少し苛立ちの混ざった鋭いツッコミが飛んでくる。

いや、だって。

 

 

「ロシーだったらそうしそうって思ってたよ?」

 

『…………』

 

「はは…まあ、帰ってくるまで待ってたら?」

 

 

ドフィとしては自分に相談もなしに右腕候補と実弟が出ていったことが気にくわないんだろう。

それに旅の途中でローが死んだらどうする、という思いも重なってこんな声なんだな。分かりやすい。

帰ってくるまで待て、とは言うものの、ローの命の時間は残り少ないだろう。

うーむ。どうしたものか。

 

 

『……それに、不審な点がいくつかある』

 

「フシン? なにが?」

 

『…ロシーが居なくなったとたんに、海軍の追手がピタリと止んだ』

 

「!!」

 

 

ウッ、と息を呑んだ。まずいまずい、ばれてるってロシー!

電伝虫の表情でドフィが今どんなに複雑な表情をしているかがわかる。疑いたくはないが、疑っている顔。

この仮定が確信に変わったら、まずいことになりそう。

ドフィはロシーを許さないだろう。そうしたら、きっとーー。

考えて寒気がした。そんなバッドエンド、見たくない。

なるべく動揺が分からないように、白々しい表情を作った。

 

 

「偶然じゃないの?」

 

『いや…おれの情報網だと、おれたちの居場所をすぐに特定し追ってきていたのが止まっているらしい。…ロシーの消えた時期と重なる』

 

 

情報網? ドフィは海軍内に情報網を張っているの?

だとしたらそれは、脅された海兵か…あるいは…。

 

 

(…そういやロシーのこと、“2代目”コラソンって言っていたな)

 

 

ということは、1代目がいたということ。

1代目は死んだの? ううん、そんな話聞いてない。だとしたらーー潜入?

その考えに至って、ドフィなら考えそうと頷いた。

にしても笑えない。ファミリーに海兵が潜入しているのに対し、海賊が海軍に潜入しているだなんて。

海軍に知り合いはたくさんいるが、その人たちでも嗅ぎ分けられないほどのスパイ? …それはすごいな。

 

押し黙った私の耳に『何かあったか?』というドフィの声が届く。

…私、……私は……。

 

 

「…あんまりロシーを疑わないであげて? 姉上、悲しいから」

 

『…フフ、あァ……なるべくそうしたいさ』

 

 

私は、どっちに味方するべきなんだろう。

真っ直ぐで素直で、ドジだけど優しいロシー。

ちょっとワガママだけど、誰より私のことを理解してくれて、心配してくれるドフィ。

どっちも私の宝物。どっちも私の天使なのに、どちらかにつくということは、どちらかを敵に回すことになる。

 

 

「じゃあ、私まだ仕事があるから」

 

 

ガチャンと逃げるように電伝虫を切って、下を向いた。

心臓がうるさい。この決断は、私の運命を決めるだろう。

 

 

“こいつ、姉上をバカにしやがった!”

 

“あねうえは、いたんなんかじゃない”

 

 

ドフィか、ロシーか。

そんなの……

 

 

「……そん、なの…」

 

 

ーーー決められるわけ、ないじゃない。



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18.最初から選択肢はひとつだった

こんな悩んだのは人生初じゃないだろうか。暖かい春島を歩きながらそう思う。

というかどうしてこんな、どっちの弟を選ぶかなんかで悩まなくちゃいけないんだ。最初からドフィが海軍にいれば良かったんだ。

運命というものにムカムカとしたやりようのない気持ちをぶつけたかったけど、どうしようもない。

 

草木をかき分けかき分け、息を切らしながら歩く。近道しようとしたのに、とんだ道に入ってしまったものだ。木と草と虫しかない。うぇ…。

 

私は飛ぶ虫が嫌いだ。なぜなら飛ぶから。どこから来るか分からないからだ。

逆に地を這う虫は踏まないようにすれば良いからなんとも思わない。

さすがに疲れて、切り株に座って休憩する。久しぶりに外へ出したからか、シャクがはしゃいでいた。よかったね。

「先に行って居るかどうか見てきて」と頼むと、嬉しそうに行った。うーん、できる子。

 

私はリュックを開けて、十数年前から集めていた珀鉛病に関する資料を取り出す。

クロコダイルさんから話を聞いたときから、少しずつ集めていたものだ。中にはまだ珀鉛病なんて知られていなかったから予想に近い症状や原因が記されているものもあるが、ないよりマシだろう。

その中には前ローくんに言ったように、肝臓のことも書いてあった。

医療に疎い私が、分からないなりに頑張ってみた。あとは運次第。

 

 

「…あ、居た?」

 

 

シャクがご機嫌そうに戻ってきた。

大方ロシーが怖がったんだろう。シャクはそういうの喜ぶからね。

ありがとう、と頭を撫でて案内してもらう。ーーすると、分かりやすい声が響いてきた。

 

 

「ギャー!! ヘビが戻ってきた!!」

 

「っ、コラソン、どうすんだよ!?」

 

「そ、そうだな、えーっと…“怖いものが逃げていくの術”!!」

 

「屁じゃねェか!!!」

 

 

…このペア、なんか割と仲良くやっているらしい。

コントみたいなやり取りが聞こえて、思わず笑いながら顔を出してしまった。

とたんにロシーの顔が綻び、ローくんは対照的に顔をこわばらせる。

 

 

「姉上!」

 

「やっほう、ロシー。久しぶり、ローくん」

 

「…お前、何しに来たんだ? もしかして、ドフラミンゴに命令されてきたのか?」

 

「えっそうなのか!?」

 

「いや違うし」

 

 

すぐ信じちゃうロシーは何なんだ。

ファミリーでもないし、そんなわけないでしょと首を横に振る。ローくんの顔が安心したようにゆるんだ。…そんな顔するようになっちゃって、まー。

ロシーといると安心するのかな。まだコラソン呼びとはいえ、他の大人たちと違うということは頭の片隅で分かっているようだし。

 

とりあえず重いリュックを下ろして、地面にどかっと座る。

その横に堂々とシャクもやって来た。

 

 

「それも、姉上の?」

 

「うん。ペット。シャクといいます」

 

「お前のだったのか…」

 

 

驚いて損した、とローくんが口を尖らせる。驚いたのか、可愛いな。

ロシーは興味津々で頭を撫でてみたり体を触ってみたり、やりたい放題。

ローくんはローくんで「解剖してみたい」なんて物騒なこと言ってるし、困ったもんだ。

ちらとローくんを見る。白いとこ、だいぶ増えたな。

 

 

「とりあえずさ、私の船に来ない? 話しておきたいこととかいっぱいあるし、お風呂入ってないでしょ? ご飯だってファミリーから荷物ひっつかんで抜け出してきて良いもの買えてると思ってないし…」

 

「ぐっ…そ、そうだな」

 

 

案の定、ロシーのお腹がきゅうと鳴った。

ローくんのお腹も小さく鳴る。

 

 

(…これは、ドフィを選ぶとかロシーを選ぶとかじゃない。ローくんを助ける、それひとつだけ)

 

 

弟を選ぶんじゃない。だってローくんを助けてあげたいって思いは、ドフィもロシーも一緒なんだから。

だったら私も私のやり方で、ローくんを助けるだけ。

 

もう、救えないのはまっぴらだ。



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19.声をあげろ

案内されたのは、少し離れたところの船だった。

中には大量の物があり、奥には倉庫らしい部屋の扉が見える。

今まで見たことのないような装飾の壺や食器類が並んでいるのを見ると、やはり自分の姉は何でも屋をやっているのかと実感する。

 

 

「はい、これ」

 

 

パサ、と唐突に机に投げて渡された資料の量に、ロシナンテは目を見開いた。

座れと促され、ローと共に座ったソファーはふかふか。寝転がれば数秒で眠りについてしまえそうなほどのふかふかさだったが、ロシナンテに今そこはどうでもよかった。

いくつもの封筒に、これでもかと資料が詰め込まれている。

 

資料をいくつか取り出してみると、そこには珀鉛の解析結果やその毒性についてこと細かに記されていたり、似たような中毒を調べたものが載っていた。

ただ日付を見ると、珀鉛病というものが世に知れ渡る前に調べていたらしく、中毒だけでなく感染症も疑っていたらしい。それにはバツ印がついているが。

 

 

「こ、こんな…どうして? どうやって?」

 

「どうしてって問いに対しては、ローくんを助けたかったから。どうやってって問いには…うーん、あんまり答えられないかも。グレールートだから」

 

 

ロシナンテもローも呆気にとられていた。

グレールートなのは仕方ないとして、このロレンソという女の情報収集力と人脈に、ただただ圧倒された。

目の前の彼女はものすごくドヤッている。どうだ、ビックリしたか、という心の声が今にも声になりそうだ。

けれど、ロシナンテが日付を指し「このころから知ってたのか?」ともうひとつ問うと、その顔はすぐに曇ってしまった。

一気にお通夜のような雰囲気になった船内に、ロシナンテはドジったと頭を抱える。

 

 

「…今更、言い訳するつもりはないわ」

 

「…? 言い訳?」

 

 

うつむくロレンソと、首をかしげるロー。

言わなくていい、言わなくてもいいんだぞという視線をロシナンテは向けるものの、自分が作ってしまった雰囲気。

今更ブレイクするのも空気の読めない男となってしまう。どうあがいてもロシナンテはドジっていた。

覚悟したような姉の顔に、ロシナンテは何を言うのかとソワソワする。

本当にすまん。思いきり地雷を踏み抜いてしまったかもしれん。

 

 

「……フレバンスが滅亡することを、私は十数年前から知っていた」

 

「なんだって!!?」

 

 

ーーだが、叫んだのはロシナンテであった。

思いきり立ち上がると同時に椅子に足をとられ、後ろにスッ転ぶ。

くらりとするほど強く後頭部を打っても、今回はすぐに立ち上がることができた。

信じられない。だって珀鉛の正体が毒であることは、政府しか知らなかったはず。

この人は、政府にまで繋がっているというのか?

 

自分より落ち着いているローと、自分が起き上がるのを心配そうに見る姉。

けれど今、ロシナンテはそんなことより姉のカミングアウトの方が重要であった。

椅子に座り直し、落ち着いたフリをしながらいつの間にか用意されていたお茶をすすりーー熱くて吹いた。

 

 

「お前のせいで話が前に進まねェじゃねェか!!」

 

「だ、だって姉上!! そんな情報、一体どこから!?」

 

「私の、…うーん……知り合い? 商売相手?」

 

 

…うやむやにされた、のか? ロシナンテは眉をひそめる。

姉の商売相手というのがすごく気になる。

その商売相手は、恐らく政府の情報が入ってきやすい立場だということだ。

そしてひとつの国が滅亡するかもしれない、なんて情報を、そんなやつがタダで渡すか? 普通。

姉はなにか弱味でも握っているのだろうか。それとも、情報を教えてもらえるような関係だった? 例えば、恋人とかーーそれとも、体を……?

 

 

「いや姉上はそんなことしねェェェ!!!」

 

「うるっせェよコラソン!!!」

 

 

いい加減黙れ、とローに一喝されて、ロシナンテは一旦正気に戻った。いや、……いやいやいやいや。あり得ねェ。万が一にもそれはねェ。万が億にかわってもねェ。

だって姉上はそういうことをして金を稼ぐことは嫌いなはずだ。

だとしたら、どうして……?

頭にクエスチョンマークが躍り狂う。

 

 

「あ、姉上。その情報をくれたやつは…何か見返りを求めてきたか? 何かされたりしなかったか?」

 

「見返り? 情報の? ないよ、まさか! いつもの礼だ~っつって。ドフィの居場所教えてくれたのもその人だしね。いい人だよ。…怖いけど」

 

「ドフィの、居場所も…?」

 

 

ますますおかしい。

そんな人が、姉上に情報を…無償で…?

 

 

「…あっ」

 

「ん?」

 

 

わかった。ロシナンテは昔を思い出した。

そういえばロレンソは気づいちゃいなかったが、昔彼女本人がひっぱたいたというドフラミンゴの知り合いの天竜人は、姉のことが好きだったはずだ。

 

生意気なクソガキ、と珍しく姉が睨んでいる存在だったから何をしたのかと思えば、弟であるドフラミンゴに姉をからかうようなことを言い、怪我をさせたとか。

そんなことをすれば嫌われるに決まっているのに、解せないと喚いていたあいつはバカだったんだろうか。

 

そんなように姉が気づいていないだけで、その情報源のやつは姉が好きなんだろう。…あくまで仮定だが。

だが彼女の話しぶりからして、男だとロシナンテは直感した。

 

 

「話を続けていいかな? …えと、だからね? ローにはほんと、なんて言っていいか、わかんないんだけど…珀鉛病のことを事前に知ってても何もできないって分かったから、医療がわかんないなりに頑張ったつもり。…これで許してほしいって言うわけじゃないけど、少しでもローの助けになれたらって…思ったの」

 

「!!」

 

 

そこで、二人は理解する。

出会ったときからずっと、ロレンソがローに向けていた目は、いつもどこかに悲しみを宿していた。

その理由は、珀鉛の毒性を知っていたのに救えなかったという罪悪感からのものだったのか、と。

 

でも、机に頭をつけて詫びる彼女に、ローはぽつりと呟く。

 

 

「許してほしいって、何がだよ?」

 

「え? だ、だって」

 

「アンタはおれを撃たれてまで助けてくれた。今だって助けようとしてくれてるその気持ちには感謝してるよ。それに、十数年前から調べてくれてたんだろ? …謝ることなんか何もねェじゃねェか」

 

 

それは、この旅でローの徐々に溶かされてきた心から出た、素直じゃない感謝の言葉。

まだ、病院は怖い。コラソンだって少し怖い。ロレンソだって怖いであろうローにとって、この言葉は大きな一歩であった。

まだ、ドフラミンゴのようになりたいという気持ちが消えたわけじゃない。

けれど、少し悪くないとも思えるローがいた。

 

 

「ろ、…ロ"ー!!!」

 

「うわァ!!?」

 

 

突然、ロレンソが机を越えて抱きついてきた。

その勢いにのけぞったスピードのまま、椅子ごと後ろに倒れてしまう。

それでもお構いなしにロレンソはぎゅうぎゅう締め付けてくる。苦しい。暑苦しい。

 

 

「私、決めた!!」

 

 

横のコラソンも鼻をすすっている。

 

いきなり大声をあげたロレンソは、ローから体を離した。その顔には、今まで見たことのないようなキラッキラとした笑み。

その顔に一瞬呆気に取られると同時、一抹の不安が。

 

 

「ーーローを救って、ローを幸せにする!!!」

 

 

けれど発せられたそれは、…ローがもう望まないと決めたものを与えてみせるという、決意と約束の言葉だった。




今回はなぜか珍しくこんなに長くなりました。驚きましたか?

長いお話を読んでいただいた後で恐縮なのですが、1日の更新量が売りであった私から、更新量が減るというお知らせです。

今まで1日3話が可能だったのは、春休みだったからです。正直に言います。夜更かししてたからです。
なのですが、実は私柚木 彼方、今年で受験生という大変忙しい時期になってしまい、1年ぶっ通し(特に受験シーズン)は更新が1日1~2話となってしまいます。最悪1日更新がないこともあります。

「お前更新量だけが売りのクセに何言ってんだ」という方、そうですよね、すみません!

拙い文章ながらも応援してくださる方、待っていてくださる方も、すみません!

なるべく更新できるよう頑張るつもりでいます。これからも応援いただけると嬉しいです!


ifストーリーの募集はコメント欄にてしていますので、そちらは停止しません。お気軽にどうぞ!


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20.親と呼べる人がほしい

それからというもの、ロレンソはローをくん付けせずにそのまま呼ぶようになり、今までコラソンとローの徒歩か小型の船での旅だったのが、ロレンソの船に乗り治療法を探す少し大きな旅になった。

 

その途中、食料補給に立ち寄った町で、ローは港近くの階段に座り、コラソンとロレンソを待っている。

コラソンは食料を買いにいくと言い、ロレンソはドジってそれをぶちまけないようについていったからだ。

一緒にいくか、と問われたけど、ローは首を横に振って答えた。

なんだか今は、明るい二人と町を歩く気分ではなかったというのが理由。

 

ーーこの町は親子が多いな。

 

ぐるりと周りを見ての感想はそれだった。

風船片手に夕飯の買い物をする親子。一緒に遊んでいる親子。叱られて泣いている子供も、褒められて笑っている子供もいた。

幸せそうな町だ。いつでもお祭りのように賑わっている。

 

 

「おかあさーん、早く早く!」

 

 

もう捨てたと思っていた心の片隅が、なぜかずきりと痛んだ気がした。

とても哀しくなる。惨めになる。だんだん息が苦しくなって、あの日の業火を思い出す。

 

 

「ねーねーおかあさん、あの子はどうしておとうさんやおかあさんといないの? 他の子はみーんないるのに」

 

 

無邪気な言葉が、死にたくなるくらい深く胸に刺さった。どうして、……どうして?

どうしておれの両親が死ななきゃならなかったのか。どうしてラミが死ななきゃならなかったのか。どうしてフレバンスは滅亡しなきゃならなかったのか。どうしてなんて考えていたらキリがない。

けれど、どうしてだったんだろう。

どうしておれじゃなきゃダメだった? みんなそうだろうけど、おれはあんな思いしなくなかったよ。

 

ぎゅっと帽子を目深にかぶる。哀れみと純粋な疑問の視線が、つらかった。

いつもは憎まれ口しか叩かないこの口なのに、心の本当に深いところを抉られた時には声が出やしないなんて、情けねェ。

くやしい、くやしい、くやしい。やっぱりおれは、ドフラミンゴのようになって、世界をーーー。

 

 

「ロー!」

 

 

そんなことを考えていたローの耳に、明るい女の声が届いた。

ふっと現実に戻ってきたような気がして振り向く。そこには、袋に大量の食材を詰め込んでブンブン腕を振るコラソンとロレンソがいた。ローはぎょっとする。

 

なぜなら、ーーそれはコラソンとロレンソの格好にあった。

コラソンはいつも通りドジでも踏んだのかびしょ濡れだし、その上コートにタバコが点火している。上は大火事、下は洪水、これコラソン…てな具合である。

だがローを何よりぎょっとさせたのは、ロレンソまでもがびしょ濡れだということだ。

袋とその中身は大丈夫なのに、本人たちだけビッショビショ。一体何があったというのだ。

 

 

「買い物終わったぞ、ロー! 異常はねェか?」

 

「今目の前に」

 

 

「ん? 目の前?」と首をかしげるコラソンに、「お前のことだよ!」と怒鳴りつけると、ロレンソがまぁまぁと咎めてきたので一旦落ち着く。

だが同時に、ロレンソのその格好についても疑問しかなかったので、ローは聞いてみた。

 

 

「え? あ、いやぁ…水に落ちそうになるロシーを助けようと思ったら、一緒にドボンって。いやぁ、シャクがいてよかったよ」

 

「アンタもか…っ!」

 

「へへ、私ロシーといたらドジっ子になっちゃうみたい」

 

 

とまんざらでもなさそうに笑うロレンソは、やはりかなりのブラコン。

あのドフラミンゴに対してもだいたい「可愛いからな」で許してしまうし、ワガママは聞いてあげているところをよく見た。

あんなイカツイ男でも、姉から見たらいつまでも可愛い弟なもんなのかとローが学んだ瞬間である。

その間にもコラソンは転けているし、火は消えていないし。このかなりのドジにプラスして、一緒にいると連動してドジになる女なんかいたら、この旅はお先真っ暗だとローは頭を抱えたーーそのとき。

 

 

「あの子のおとうさんとおかあさん、ちょっとドジだけど、カッコいいしキレイ! いいなあ!」

 

 

先程の子供のがらりと変わった羨望の声が耳に届く。

怖くて見れていなかったそちらを見れば、キラキラとした視線がコラソンとロレンソ、ローに注がれているではないか。

なれないそれに、ローは妙にくすぐったいような感覚がした。

こいつらが、父と母…? 少し笑える。

 

 

「…親子だって、私たち。ねぇ、アナタ?」

 

「ははっ、そう見えんのか。…あっ、もしかして嫌だったか、ロー?」

 

 

ちょっとおふざけをしながらも、自分の顔色をうかがってくる彼らは本当に不器用だと思う。

優しくて不器用で、愛を知っている人たちだ。そのまっすぐさに驚くぐらいの彼らが両親なら…とても、幸せだろう。そうとても。

 

 

「…どうでもいいよ、ばーか」

 

 

だから神様、少しだけでも許してほしい。

珀鉛病に侵されゆくおれに同情してくれとは言わないけれど、願い事をひとつだけ聞くくらい、してくれたっていいと思う。

袋から飛び出している魚の尾を見つけて、おれは笑った。

 

 

「…船に戻るぞ、とーさま、かーさま」

 

 

「い、今なんて!?」と聞き返してくる二人に、おれはもう、なにも言わなかった。



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21.夜も静かに咽び泣く

1日がもうすぐ終わる。…今日は野宿だ。

あたたかいこの春島で野宿は苦ではない。そのため気分がいいのか、姉は船に積んである酒とつまみを追加で取りに行った。

ロシナンテはひとり、先程まで座っていた場所に再度座ると、考え事をし始める。ローのことだ。

 

ーー最初心にあったのは同情だと、彼は断言できるだろう。

 

ドンキホーテ・ロシナンテ。ドンキホーテ家という天竜人の一家に生まれた可愛い次男は、ある日突然地獄へと落とされた。

初めて感じる痛み。初めての空腹。初めて衣食住に困るという初めてづくしの経験は、まさに不幸と言えるものであった。

 

その途中母を亡くし、姉を犠牲に生き延びる。だが父は兄に殺され、兄は極悪非道な海賊へと堕ちていく。不幸の連鎖。

 

頼れる者がいない。人が恐ろしい。明日生きているのかわからない、といった恐怖はロシナンテもよく知っていたし、知っていたからこそ、このローという少年を可哀想と思った。

だが、その同情というもののみでできることは限られていた。いつしか少年を救ってやりたいと彼の正義感が訴えるようになり、とうとうたまらず飛び出してきて約半年。

ホワイトモンスターだ何だと貶されることはあれど、明確な治療法は今のところ見つかっていない。

珀鉛病という病気の重さと、迫害の根深さを甘く考えていたロシナンテの失態だった。

唯一姉が十数年探して分かったのは、肝臓に鉛がたまっているというもの。かなりの収穫ではあるが、まだ足りない。

 

可哀想だと思った。いつ死ぬかわからない不安を、恨みと世界への怒りで塗り潰そうとしているこの少年が、幼い頃の兄と重なった。

あのとき自分がもっと強かったら? あんなに子供じゃなかったら?

もしもの世界なんてないけど、あの頃からずっと、そう考えてしまっている。今だってそうだ。己の不甲斐なさに泣けてくる。

 

 

「…ロシー」

 

 

顔中から出るもの全て出しているロシナンテに、そっと影が歩み寄った。

月明かりに照らされて輝く、母と似た指通りの良さげな髪。華奢な腕にはビール瓶が二本と、スルメイカが抱えられていた。

姉はビールを一本、瓶ごとロシナンテに渡すと、横に腰かけた。しんみりとした雰囲気に、なにも話せなくなる。

 

 

「久しぶりね、こうやってのんびり話すの」

 

「あァ…そうだな」

 

 

姉の声は不思議と心地よく、流れるように耳に入ってきた。

そういえば、昔話や子守唄を歌ってくれていた母の声も、こんな風に聞きやすかった覚えがある。

人が人を忘れるとき、一番初めに忘れるものは声だと聞いたことがあるが、姉の声はきっと一生忘れないだろうという自信がロシナンテにはある。

 

昔話。昔よく、母や姉、そして兄までもがDの話をしてくれていたのを覚えていた。

悪い子はDに食べられてしまう、といって子供をしつけるのが主流だった。かくいう姉も、ドフラミンゴやロシナンテにそう言っていたものだ。

昔はDなんて何なんだか分からないし、教えてももらえなかったので普通の子なら「嘘だ」と言うのかも知れないが、ロシナンテの場合は情報量が少なく胡散臭くても信じてしまっていた。純粋だったのである。

 

 

「私、ローを助けたい」

 

 

ポロリと無意識に出たような姉のその言葉に、ロシナンテは横を向く。

すると同じように柔らかくこちらを見ているロレンソと目が合い、つい「お、おれもだ」と声がうわずってしまった。

ローを助けたい。その気持ちに、嘘はない。もちろん姉もだ。

けれど心のどこかで、姉を巻き込みたくないと思っている自分がいる。今自分がしているこの行動で、ドフラミンゴは確実に自分が裏切り者だと悟っただろう。もうファミリーには戻らない。戻れない。この旅が長引いたときから、そう決めていた。

 

戻れば海兵だという証拠をつきつけられるか、気付いていないフリをして利用し、殺されるか。とにかくもう弟という立場を利用して潜入することは不可能だろう。

背中を冷や汗が伝う。殺されるかもしれないという感情が見えてきて、すがるように姉を見た。

 

 

「あのさ…ありがとうね、ロシー」

 

「え……?」

 

 

唐突に礼を言われて予想外だったロシナンテは、返す言葉を見失ってしまった。

横に座る姉は自分を見て、優しく微笑んでいた。張っていた気が緩んだ気がする。

 

 

「今まで私の代わりに、ドフィを止めようとしてくれたんでしょ?」

 

「! い、いや…その」

 

 

姉が居なくなって義父に引き取られ、自分の弱さを知った。助けられないと、支えられないと生きていけないのだと痛感して、姉の大切さと苦労を知った。

昔から頭のいい姉は先を見越したように行動をとり、勘もよく、少し体は弱いが運動神経は抜群だった。おまけにドフラミンゴの扱いもうまい。

そんな姉が輝いて見えていた。ああなりたいと思った。姉ならきっと、海賊に堕ちていった兄の手を掴もうと、引き上げようとするだろうと思ったから、自分の生き甲斐をそれにした。

微力でも、姉の代わりになろうとした。

 

だからつらい訓練も頑張れたし、兄を見捨てようと思わなかった。

どんな形であれ、救う。弱い弟だけど、泣き虫な弟だけど、兄が好きだったのは事実だ。

だからその反面、本気で兄と敵対してしまったとき、兄に銃を向けられるのか不安でもあったのだけれど。

 

 

「私ね、ずーっと…逃げてたんだと思う。ドフィと出会ってからの4年間」

 

「逃げてた? …いや、姉上は、」

 

「ううん、逃げてた。…怖かったの。あの、倉庫に居た人たちの目が。濁って、感情のない…私の苦手な目」

 

 

そういえば、ロレンソは昔から「奴隷の目が苦手」と言って奴隷を持とうとしなかった覚えがある。

苦手ならくりぬけばいい、などとのたまったドフラミンゴの尻を叩いていたっけ。あの頃が懐かしい。

 

 

「その目をした人にはきっと復讐される。昔もそうだったでしょ? だからあの倉庫に行くのは正直いやだったし、ドフィにも軽くしか注意してなかったわ。…でも、それじゃダメ。もっとしっかり叱らなきゃ。じゃなきゃ、それは逃げてることになる。目を逸らしてることになる」

 

 

まっすぐと水平線を見つめながら、自分に言い聞かせるようにロレンソは語っていた。

逃げてはいけない。目を逸らしてはいけない。それはロレンソの生き方そのものであったし、ロレンソの償いのようなものなのだろう。

天竜人が人を幸せにすることは難しいと、そう幼い頃姉は呟いていた。諦めも混じったようなその言葉を、小さかったロシナンテは首をかしげながら聞いていた。

でも今、姉はその考えを壊そうとしている。諦めずに、希望を持とうとしている。

昔から何事も達観し、先を見すぎていたせいで足元のおぼつかないロレンソの、小さな成長であった。

 

 

「…私もう、逃げない。他人からも、ドフィからも、ロシーからもローからも」

 

 

見たことのないくらいたくましい笑み。

それは後先考えなしなのに変わりはないはずなのに、昔自分自身を犠牲にしてロシナンテたちを生かそうとしていた姉の笑みとは、少し違う気がした。

 

 

「ロシーだって、こんなに立ち向かっているんだもんね」

 

「…姉上……」

 

「ありがとう、ロシー。他人のために泣ける子に育ってくれて、姉上すごく嬉しい」

 

 

ロシナンテの顔からボロボロと落ちる涙を拭って、ロレンソは思いきりロシナンテを抱き締めた。

約20年。長い月日を経て、こんなに立派になった弟を誇りに思わない姉がいるわけがない。

 

すん、と鼻から息を吸うと、懐かしい姉の香りがしてロシナンテはまた泣いた。

変わっていない花のような香り。転けて泣くといつも抱き締めてくれていた、大きな大きな存在。

それが今、すっぽりと包み込めてしまうほどに小さい。なんと華奢な体なのだろう。ロシナンテは知らなかった。

 

 

「絶対、ぜーったい、ローを助けて幸せにしよう」

 

「…っん"、う"ん…!!」

 

「楽しみだなぁ。きっとお父さんに似るぞ、ローは」

 

 

ロレンソは少し先でこちらに背を向け眠ったフリをし、肩を震わせて泣いている少年を視界に入れると、心から愛しそうに笑った。



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22.家族だという証明

約20年ほど前ーー聖地 マリージョアにて。

10月の23日その日、ドンキホーテ家長男ドンキホーテ・ドフラミンゴは誕生日を迎えていた。

 

 

「めでたいえ、ドフラミンゴ!」

 

「わちきからはこれをやるえ!」

 

「大きくなって! これをあげるアマス!」

 

 

自分と同じドンキホーテの姓を持つ親戚中からお祝いの嵐とあって、家の中はてんてこまい。

料理は用意するわ客への対応はしなくてはで、奴隷もメイドも執事も父も母も、とても忙しそうであった。

ロシナンテからは花冠をもらい、たくさんのケーキを前にしたドフラミンゴはこれでもかとご機嫌。

なのだがひとつ、気がかりなことがあって素直に祝われることができない。

その理由は、姉である。姉のロレンソは先ほどからムッスリと機嫌悪そうに椅子に座って、むしろ少しばかりこちらを睨み付けているくらいに思えた。

なにがそんなに気に入らないのか。今日の主役が自分ではないから? いや、姉はそんな子供っぽくないし、なによりこういうことは誰より祝ってくれるから、なおさら怖いのだ。自分は姉に睨まれるようなことをしただろうか。

 

 

「姉上? なぜ怒っているんだえ?」

 

途端、姉はきょとんと自分を見る。どうやら無意識だったようだ。

眉間のシワをほぐすような仕草をすると、ロレンソはドフラミンゴをこれでもかと抱きしめた。「誕生日おめでとう」という言葉も添えて。

 

 

「怒ってたわけじゃないわ。ごめんね?」

 

「大丈夫だえ! …でも、何かあったのかえ?」

 

 

いつも笑顔の姉のあの表情は、なかなか怖いものがある。だから訳を尋ねると、とても微妙な顔で、ドフラミンゴの手元を見つめた。

どうやら姉は、ドフラミンゴが誕生日プレゼントに貰った「とある物」が気に入らないらしい。

 

 

「…ドフィ、お願いだから、その銃は使わないでね。飾りにして。お願い」

 

「なぜだえ? みんな持ってるえ」

 

「……お願いだから」

 

 

頭痛でもしたのか眉間を揉むような仕草をした姉は、すぐに悲しいような表情をする。

そういえば姉は、こういう武器は嫌いだったか。

男心というものをくすぐるそれを片手に持ちながら、銃への憧れと大切な姉のお願いの狭間で、ドフラミンゴは揺れていた。

…まあ結局、姉のお願いとあらばドフラミンゴは頷くことになるのだが。

 

 

「いい? ドフィ。人や奴隷に銃を向けるときは、私やロシー、父上や母上にも銃を向ける覚悟を持ちなさい」

 

「!? そ、そんなの嫌だえ!!」

 

「無理でしょう? なら、使わないで」

 

 

…あのころは素直だった、とドフラミンゴは笑う。昔は意味も分からぬまま頷いていたが、今なら多少はわかる。

簡単に言えば、自分がされたら嫌なことを他人にするなということだ。

それから毎回、イラついて奴隷に銃を向けることはあれど、撃ったことはなかった。

…初めて銃を撃ったのは、父を殺すときだったか。そして、あんなものは昔のはなし。

 

 

(…アンタを撃つ覚悟も、コラソンを撃つ覚悟も、してきたつもりだ)

 

 

心の中で、しばらく会えていない姉に語りかける。実弟への疑いは、確信に変わりつつあった。

そして姉が弟と居ることも知っている。そこに自分の将来の右腕が居ることも。

 

手の中の銃を見つめて、息を吐いた。

結局血の繋がりなんて、なんの意味もないものなのか。そう考えると、すごく空虚な気持ちになる。

ーー証明してほしい。血の繋がりは、何にも代えがたい強いものなのだと。弟と姉は自分を裏切ってなどいないのだと。

安心させてほしい。もう自分は家族を失う必要などないのだと。

願わくば、この銃をつかうことのないように。

 

 

「…コラソンに電話をかける」

 

「ウハハハ! とうとうか、ドフィ」

 

「あァ…」

 

 

ついこの間、オペオペの実の情報を手に入れた。

どんな病気も治せる上に、ドフラミンゴの長年追い続けた夢ーー不老不死の手術。

 

元天竜人の上に覇王色の覇気持ち、そしてこれからドレスローザという国の頂点に立つ予定の男とはいえ、寿命と年齢、肉体の衰えには敵わない。

一刻も早く不老手術をする必要があった。それに、コラソンを使う。

ローを治させ、自分に不老手術を施させる予定だ。

例え裏切り者かもしれなくとも、こうして使えばいい。万が一違うなら…その行動で証明してほしい。

 

 

「ーーおれだ、コラソン」

 

 

自分はドフラミンゴの弟なのだ、……と。



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23.ここで開花されても

レンさん、という声で目が覚める。

暖かな気候と髪を揺らす風が心地いい。

……ここはどこだっけ?

 

 

「ん…ロー?」

 

「レンさん。朝飯、目玉焼きでいいか?」

 

「うん。…ん、……うん…?」

 

 

レンさん? と聞き返すと、ローはふいと目を逸らした。…この子今、私のこと、レンさんって呼んだの?

突然のことに一瞬反応が遅れてしまった。けれどすぐに体を喜びが支配する。わああ、と感動で目をキラキラとさせている私を鬱陶しそうに、けれど照れたように見るローは本当にツンデレだ。

昨日の小さく震えていた背中を思い出す。私たちの想いが伝わったんだと思うと、こそばゆくて、…でも嬉しかった。

ああ、この子を救ってあげたい。その気持ちはこういうことをされれば、増すばかり。

 

 

「な、なんだよ?」

 

「くっ…ふふ、ううん、何でもない。…ふふ!」

 

「き、気色悪ィぞ!!」

 

「ごめんごめんって」

 

 

とすんとそこに座れば、ローに腕をたくし上げられてくすぐったい。

ローたちと旅をしている間に、実は私はローに時たま子供の頃の傷を診てもらうことがあった。主にお腹の傷と、腕の傷。お腹の傷はもう特に心配するべきことはなくて、少し色が他の皮膚と違うくらい。

ただ腕は診てもらわなきゃいけないところが2つもあって、ちょっと時間がかかる。

 

釘を打たれた手のひらと、自分でぶった切った腕の繋ぎ痕。

私が一度自分の人生というものを捨てた証拠であり、自分の存在価値を思い出させてくれる誇り。

それをまじまじと見つめては、ローはいつも「ふしぎだ」と呆れたように言うのだ。

 

 

「これ本当に自分で切ったのかよ?」

 

「うん。落ちてたナイフでサクッと」

 

「…ならもっと傷口がグチャグチャで、切るのに時間がかかるはずなんだ。そしてその間の出血量でアンタは死んでるはずだ」

 

「ひえっ」

 

「一体何がどうなったらこんなことに…?」

 

 

ローは私を研究動物とでも思っているんだろうか? じっくり私の腕を見つめてみたり、振ってみたり、触ってみたり。最悪「もう一回自分で切ってみてくれよ」なんて真顔で言われるからほんと怖い。

あのときは多分脳内麻酔かなんかかかってたから痛みとかどうでもよかったけど、今やったら確実に痛みで死ぬ。できるわけない。

 

それでもやってみろとせがむローは将来サディスティックドクター確定だ。完全に育て方をを間違えた気がする。

 

 

「はいっドクター! 私に剣の才能が死ぬほどあるとか!!」

 

「そうなのか?」

 

「あ、いや…使ったことないっス」

 

 

なんだ妄想かよ、みたいな気持ち全部詰まった舌打ちが飛んできた。いたい!

でもでも、もしかしたらそうかもしれないじゃん!? 剣持ったことないし使ったことないけど、剣士の知り合いはけっこういる。だから気になってどうしたらそんなになるのか、と尋ねたことがあるのだが、大したアドバイスは得られた記憶がない。

だいたいみんな「斬る斬る斬る、って考えるんだよ」みたいなことしか言わない。

これだから体育会系は苦手だ。なんでも感覚で教えようとしてくる。

 

 

「んー…」

 

「まあ消毒もそんなに必要ないし、おれは…こ、コラさんを起こしてくる」

 

 

あーそっか、コラさんって呼ぶのも初めてだよね。ロシー喜ぶだろうなあ。

そう微笑みながら、昨日の夜中ここの近くに寄せた船から刀を適当に見つけて、鞘から抜いた。これはワノ国、という鎖国国家から流れてきた名刀…らしい。全然わかんないけど。

刀の才能…ね。あるわけないんだけど、ちょっと持ってみたい。

 

…あ、いいこと思い付いた。ちょっと斬り真似してみよう。かっこいー!

 

そうだなあ、せっかく刀持って斬り真似するんだから、カッコいい技名とか考えたい。うーん。

 

あ、そーっと斬る技とかどうだろう。音もなく斬る技。ロシーの能力とかぶせてさ!

姉弟の連携技みたいでかっちょいいー。

 

遠くで目を覚ましたロシーがくるくる回っている。コラさんって呼ばれたんだろう。電伝虫めっっっちゃ鳴ってるけどいいのかアレ。確実にドフィだけど。

 

まあとりあえずほっといて、私は自分の才能を探してみたいと思います!! 実際はただのごっこ遊びというか刀持ってみたかっただけというか!!

でも心だけは一流剣士のつもりなので、斬ると連呼しつつ刀を構えて岩に向かいーー

 

 

「“凪刀”」

 

 

ーーーーしーん。

特に何もなかった。当たり前だよね。だって経験ないんだもの。技名もパッと出なんだもの。

ある意味では、静かになった気がしなくもない。

だって同時にかわいいかわいい弟の声がそこに響いたのだから。

 

 

『おれだ、コラソン』

 

 

途端電伝虫の顔がにゅっと変わって、唇が弧を描く。あードフィな久しぶりー、と見えてるはずもないのに手を振ってみた。ローとロシーにすごい顔された。ごめんて。

 

 

「……ん?」

 

 

そこで、ふと気づく。

…あり? 岩、おかしくね? てかなんか、…うん、ずれてね?

なに!? と思ってソロソロと近づくと、なんとなくではあるが、岩がずれているような気がした。不安に思いながらも、そっと岩を触る。

…………と。

 

 

『オペオペの実の情報が手に入っ…』

 

「うわぁぁああ!!! 岩、斬れたぁぁぁあああ!!!?」

 

 

ずり、と岩がずれて、大きな音と共に地面に落ちた。




お久しぶりです、柚木彼方です。
ついに5日も更新を休んでしまいました。大変申し訳ないです。

今なぜか私の機械でルビがふれないので「凪刀」の読み方ですが、ふつーです。
「カームソード」と読みます。
音なく相手を斬れるといいなぁなんて(願望)

ロレンソ刀使えますが滅多に使わせません。ロレンソに刀は似合わない、という方。ご安心ください、ロレンソはなんでもできちゃうだけなんです。

これからもよろしくお願いします。


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24.とうとう来た

だいぶ遅くなり申し訳ありません!


「どうした? ずいぶんとうるせェな?」

 

「うっ、ううん!!? なんでもないけど!?」

 

 

電伝虫の向こうでドフィが訝しげな顔をしている。

当たり前だがロシーも顎が外れそうなほど驚いていて、またそれはローも同じだった。

言わなくてもいいな、と判断したので先を促す。しばらくムッとしていたドフィだったが、先ほど言いかけていた驚くべき情報を話し始めた。

 

オペオペの実の情報を手に入れた。それを奪うつもりである。そしてそれを、コラソン、お前が食べろ…そんな話。

 

まさか本当にオペオペの実が見つかると、そして本当にそれをローのために使うと思っていなくて、私は驚いてしまった。それと同時に、複雑な感情。

 

だって確か、オペオペってーー。

 

 

「ドフィ? 口を挟むようで悪いけれど、本当にロシーにそれを食べさせる気?」

 

「なにか問題があったか? …それともアンタが食うか?」

 

「いや、そもそもオペオペって医術がないと無理だし、ロシーなんかドジの王様だよ? オペオペなんか食べて、ローの内臓の位置忘れて戻せないとかありそうだよ?」

 

 

ロシー涙目。うん、ごめんね。

でもこうでもしないとドフィは説得できない気がするからさ。

 

ローは想像して真っ青になってるし、ドフィも「あァ…」みたいな顔になった。

作戦としては成功だったみたいだけど、ロシーの心をめちゃくちゃに殴ってしまったのは大変に申し訳なく思っています。はい。

 

 

「じゃあ姉上、アンタが食え」

 

「いやだから医術がね? だからそういう意味でいうと、ローが適任なのでは?」

 

「……」

 

 

不老手術で私たちを犠牲にする気がないなら、という言葉は呑み込んだ。

 

ーーオペオペの実の最上の技、不老手術。

ドフィがそれを見逃してるわけがないもんね。

そう考えて、悲しくなった。可愛い可愛い弟が、私たちを踏み台にしてまで世界を壊そうとしてるんじゃないかって事実に、涙が出そうになった。

 

ドフィの声は電伝虫から聞こえてこない。

裏切りの疑惑のあるロシーと、そちら側にいる姉は犠牲にすることを考えられても、右腕として認めた男を犠牲にすることはどうやら嫌らしい。

 

まったく、ワガママな弟だ。

 

 

「…まぁ、誰に食べさせるかなんてのは手に入れてから決めようよ」

 

「…フフフ! あァ、そうだな」

 

「んじゃー、待ち合わせ場所は…なんだっけ、ミニオン島? だよね。またその時にね!」

 

「そうだな。…フッフフ、気をつけて来い」

 

「ドフィも気をつけて! 体調崩さないように!」

 

 

少し不気味な笑みを浮かべて、電伝虫は切れた。

ふぅ、と大きく息を吐く。ドフィの計画はよく分かった。…これから私たちがどうすべきなのかも。

 

とりあえず、もうドフィたちと仲良しこよしできはしないだろう。

オペオペの実をーー奪おう、ドフィたちより先に。

 

ロシーは今海軍に連絡しているからそれはいいとして、私の船を使ってミニオン島まで行く。そうしたら…待ち合わせの1日前くらいには着くだろうか。それがいい。

あとはバレルズ海賊団からオペオペを盗んで、できればドフィたちに出会わずにオサラバして、どこかに隠れながら暮らしたいな。

 

想像して、頬が緩んだ。

 

 

「よし行こう、ロシー、ろ……ロー!!?」



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25.不幸中の幸い

ローがこんな風になっているとき、あのボロい船で旅をしていなくてよかった、とロシナンテは心底思った。

 

ミニオン島に向けて船を出して早一日。発作か、病状が急に進んだのか、ローは突然高熱を出し寝込んでしまった。

あわてふためくロシナンテに姉はすぐ自分の船にローを寝かせるよう指示して、なんとか命までは繋ぎ止めている。不幸中の幸いだ。

けれど息は浅く、とても気の抜けるような状況ではない。

 

チャンスをくれ、とロシナンテは心から天に祈った。

 

先程の姉と兄の会話を聞いて、姉は少し悲しそうな顔をしていた。諦めにも近いそれは、遠い昔、聖地マリージョアで見たものと酷似していて、ロシナンテは悟る。

もう、もとには戻れない。引き返せない。兄は自分達を裏切り者だと見抜き、犠牲にしようとしている。戻れば、殺されるーーーと。

 

姉と兄の会話は、はりつめた空気に無理矢理上から優しさを振りかけたような歪なものだった。

お互いにお互いの腹のうちは分かっていて、言わないだけ。「犠牲にしようとしてるでしょ」「どちらかが犠牲になれ」を暗に言い合っている、嫌な会話。

二人とも笑顔だったのに、その仮面の下は真顔だったろうと断言できる。

 

ドフラミンゴは完璧な身内主義者だ。

だがそれは、先に生まれてきたロレンソにもあることを忘れてはならない。

 

やはり、似ているのだ。姉弟だから。

 

 

「ロシー、ちょっとは寝なさい」

 

「! 姉上……」

 

 

奥から姉がホットミルクを持って現れた。ピンクのマグカップにほどよい温かさと甘さで入れられているであろうそれは、昔眠れなかったとき母が入れてくれたものと、よく似ている。

それを両手で受け取って、ドジらないように冷ましてから喉に流し込んだ。具合の悪いローの横でドジをしてはいけない。そう体に言い聞かせて。

 

同じようにピンクのマグカップを両手で包んだ姉は、ローを見て優しく微笑んだ。

記憶のどこかがくすぐられる。

 

 

「…姉上は、年々母上に似てきてるな」

 

「えっ、…そう?」

 

 

姉はこてんと首をかしげてから、困ったように口角をあげる。

ーーなぜだか姉は、再会してから今日まで、母の話をされることを嫌がっているようだった。

理由は知らないが、いつも母の話をするたびに、困ったような顔しかしないのだ。だからあまり、出さないようにはしていたのだけれど。

 

ドジった、と頭をかく。同時に欠伸が出てしまって、姉上にコツンと頭を突かれた。

 

 

「ほーら。眠いんじゃない」

 

「っそ、そんなことねェ! まだまだ起きてられるぜ!」

 

「はいはい、もういいから。ローのことは私に任せて、ロシーも寝なさい」

 

 

ちょうど飲み終わったホットミルク。マグカップを取り上げられて、おれはやむなくベッドへ放り投げられた。

キッ、と姉を睨むけれどーーおれの睨みなんか無駄らしい。余裕の笑みにはねかえされた。

 

 

「お歌を歌ってあげようか、ロシー。昔、ドフィとロシーがDを怖がっちゃって眠れなかったときに歌ってあげたやつ」

 

「い、いいよ! そんな子供じゃねェし、おれ…」

 

「あ、そう? いいのかな? 悪い子はDに食べられちゃうぞー、がおー!」

 

「姉上…」

 

 

呆れたようにおれが笑うと、姉も懐かしむように笑った。

Dに食べられちゃう。それで昔しつけられたし、見たこともないDってやつに怯えたりもした。懐かしい思い出。

 

なんだか姉のテンションが異常に高くて笑ってしまう。寝転がっているせいか、だんだんうとうととしてきた。瞼が重い。

 

 

「…ロシー、フレバンスのこと、きちんとローに聞いておいてあげてね」

 

「ん…?」

 

「ロシーは、知っててあげて」

 

 

瞼を閉じさせるように、姉の手が撫でてくる。

それが心地よくて、睡魔にあっという間に足を掴まれる。

 

 

「ちょっとで良いから、あの頃に戻りたいな。ねぇロシー」

 

 

する、と意識を手放しかけたそのとき、姉の少し震えた声が、耳に入ったような気がして。

 

 

「ーーーかぞくが、ほしい」

 

 

聞き返そうとしたけれど、おれは睡魔にあらがえないまま、眠りへと落ちていった。



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26.卑怯者と罵ってほしい

まずロシーと、これからの作戦について話し合った。

ドフィは必ず時間通り、ミニオン島にくるだろう。そうして気づく。待機している海兵に。弟が、私が、裏切ったということに。

まぁ裏切ったもクソも、ローを助けたいだけの行動だ。裏切りといわれるのは心外であるが、もうこれは仕方ない。

 

私はもう一人の弟と姉弟喧嘩をすることに決めた。

 

 

「見えた。あれがスワロー島だ。そして、ミニオン島」

 

「ひ~……あ、あれ、おつるさんの船じゃんか…」

 

「あァ」

 

 

とりあえず私とロシー、ローはここで別れる。私は先にバレルズ海賊団のもとへ。ロシーにはローをゆっくりできる安全な場所へ一旦おいてきてもらうことにした。

 

彼らのアジトは実に分かりやすい。

私は念のため…まぁ使う気は満々であるのだがピストルを一丁と手榴弾をひとつ、それからペットボトルに詰めた海水を持っていった。何があるかわからないし。

それから止血用の包帯だとか。

 

ローのボディガードにシャクもつれていくことにした。

 

 

「じゃあ先にいって様子をうかがってくる」

 

「わかった」

 

 

雪道を歩いて、アジトと思われる建物に近づく。

そこからは下品な笑い声と酒をグラスに注ぐ音が聞こえてきた。バレルズ海賊団と海軍との取引では、膨大な金がバレルズ海賊団に渡るらしい。だとしたらこんな大きく騒ぐのもわかる。ここでまちがいないようだ。

 

窓からそっとのぞいて間取りを確認。…そんなに広くないみたい。オーケー。

電灯はひーふーみ、それからロウソク。あれをうち落としてからロシーが音なしで実を奪えば、この作戦は完璧だ。あとはドジらなければ。

 

外に見張りは6人ほど。中に人は…10と少し。まぁ援護すればバレずにいけるだろうな。

 

 

(……まっててね、ロー)

 

 

ガチャリと重い音を立てる手の中のピストル。ぎゅっとにぎりしめて、空を仰いだ。

あのかなしい少年を救うため。あのこの未来を作るため。

 

 

「姉上」

 

「! ロシー」

 

 

なるべく音を立てないようにと慎重に近づいてきたロシーが横に来た。

息は切れていて、腕の中にローはいない。…よし。

 

 

「あの電灯を銃で撃って。そうしたら私が窓を思いきりあけるから、さっさと中に入って実を盗むの。…全速力。オーケー?」

 

「あァ、もちろん」

 

 

ガチャン、とロシーの手元の銃が音を立てた。

いくよ、と目線を送る。ぐだぐだしていられない。ドフィより先に、奪わなくては。

 

一瞬の照準合わせのあと、ーーロシーが引き金を引いた。激しい発砲音と、ガラスの割れる音。

 

 

(よし!)

 

 

混乱の声に混じって窓を開け、ロシーをまず突っ込んだ。そのあと私も入って、奪うのに邪魔になりそうな人を蹴散らしておく。

ちら、とロシーを盗み見ればーー…はやい。もう実を持っていた男をぶん殴り、オペオペの実を手中に入れていた。

 

さすがだ。身のこなしを見て、ああ、中佐だもんなぁと感心してしまう。

あんなにちっちゃかったロシーが、と嬉しくなった。こんな状況だけど。

 

 

「出るよ!」

 

「っ、あァ!」

 

 

ひそ、と話しかけて、入ってきた窓から再び寒い外へと身を投じた。ふかふかの雪がクッションになって、さっさと起き上がれる。

実は、と確認すれば、しっかりとロシーの手の中に。

思わずガッツポーズをしたくなったけど、まだ早い。まずはローのところへ戻らなくては。

 

そのときだ。

嫌なピンク色が、私の視界に飛び込んできた。

 

 

(ーーヌマンシア・フラミンゴ号!!!)

 

 

ドフィの乗る船。それが今まさに、この島に船を寄せてこようとしていた。海軍の船にバレないよう避けているから、気づいているだろう。私たちが裏切ったと。

 

 

「…ロシー、走って」

 

「姉上…!?」

 

「いいから早く!」

 

 

早くローのところへ、と振り向こうとすれば、泣きそうなロシーに腕を掴まれた。

ギリ、とすごい力で掴まれて、思わず顔を歪める。

 

 

「いやだ」

 

「ロシー!」

 

「いやだ!! もう姉上を置いていくのはいやだ!!!」

 

 

ああ、まずいなあ。バレルズ海賊団の人たちが集まってきちゃう。海岸沿いにはドフィ。それにまだ先には見張りの人もいるんだよ?

愛しいわがままだけど、その傷がどんなに深いのか知っているけれど、ーーそれを聞き入れることは、今はできない。

 

 

「今は私じゃないでしょ!? ローを助けるために来たんでしょ!!」

 

「でも…!!」

 

「お願いロシー!! 姉上のお願いを聞いて! ローを助けて!」

 

 

誰か私を卑怯者、ずるいやつ、と罵ってほしい。ロシーの傷を知っていたのに、ローの大切さを知っているから、それを利用して諦めさせようとしてるなんて。

何て最低な姉だろう。

ゾロゾロとアジトの外へと出てきたバレルズ海賊団に、ロシーが冷や汗を垂らしたのを私は見逃さなかった。

 

 

「先にいって! 私は大丈夫!」

 

「っあ、姉上…っ!」

 

 

思いきり押して、ロシーをわざと転けさせる。その勢いのままに、下へといけばいい。

見張りもほら、私に引き付けてあるから大丈夫。うまくいく。私は大丈夫。

 

 

「ーーーごめんね、ロシー」

 

 

涙目で転がっていく弟に、そっと微笑みかけた。



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27.“絶対零度”

サク、と雪を踏む音に顔をあげる。疲労困憊という言葉が嫌というほど似合う私の耳に、懐かしい声が届いた。

 

 

「ずいぶんとハデにやるじゃねェか、姉上?」

 

「…一面雪景色でその服、目がチカチカするわ」

 

「フッフッフ! そりゃ悪かったな」

 

 

足元に転がるバレルズ海賊団の人たちをその長い足で軽く転がしたドフィは、心底愉快そうに笑った。

一方ボロボロで立ち上がるのも億劫な私は、座り込んでアジトの壁に背を預けながらドフィを見上げている。

後ろにはじっとこちらを睨み付けるファミリーたちがいた。もちろん、ベビーちゃんもバッファローも。

 

 

「で? どうしたの、ドフィ。姉上疲れてるんだけどなぁ」

 

「…フフフ!」

 

 

わざとらしく両手を広げてお芝居みたいに笑っても、ドフィは笑みを崩さなかった。

 

 

「平和的にいこうぜ、姉上。…オペオペの実はどこにある?」

 

「えー? 知らないな…私は持ってないよ?」

 

「ならコラソンか?」

 

「んー、ロシーも持ってないと思う。…っていうか」

 

 

悪戯っ子のように笑って、言葉を紡いだ。

 

 

「そもそも今、この世に“オペオペの実”は存在してないんじゃないかな」

 

 

訳がわからない、という顔をしたドフィに、私は謎解きをしてあげない。

そんなことしなくたって、ドフィはきっとすぐ行き着いてしまうだろうから。

今にも破裂しそうなグラディウスが私を蔑んだ目で見つめてくる。それでも攻撃してこないのは、きっとドフィの命令だ。

 

そっとロシーとローのいる方向へ視線を向ける。戦っていたからわからなかったけど、あっちから特に何か騒ぎは聞こえてこなかったはずだ。

恐らくもうロシーはローにオペオペの実を食べさせている。そしてローには珀鉛の溜まっているところは教えてあるから、あとはそれを取り除くだけ。

 

見上げた空にさっきまでなかった細い線がいくつもあるのに気付いて、笑いそうになる。

どうしよう、ピーンチ。逃げ場はない。

 

 

「…! おいテメェら、すぐにコラソンを捜せ!!」

 

 

と。ドフィが声を荒くした。どうやら気づいたようだ。

「そういうことか」と無理矢理口角を上げてこちらを睨んでくる弟に、そっと微笑みかけた。

ごめんね。

 

 

「ったく…余計なことをしてくれやがったな、ロレンソ」

 

「余計なこと? 余計じゃない、必要なことよ」

 

「必要なこと? おれの邪魔をすることがか?」

 

「違う。ローの命を救うこと。ドフィだって救いたがってたでしょ?」

 

 

ギリ、と音がしそうなほど歯を噛み締めたドフィは、胸ポケットに手を伸ばしてーーやめる。

はりつめた空気の中に、私の大嫌いな男のねばねばとした声が響いた。

 

 

「殺しはするな。…瀕死で持ってこい」

 

「了解だ、んねー!」

 

「…ドフィ!」

 

 

ロシーたちの居場所に検討をつけたのか、歩き出そうとしたドフィを引き留める。

振り返り私を見るドフィの目は、もう家族へのものではなくなっていた。

 

 

「…あんたを手に入れるためなら、おれはあんたを傷つけることもいとわねェよ」

 

「……ドフィ…」

 

「ーーあんたは“おれの”姉上だ」

 

 

ゾクリとしたものが背中を駆け抜けた。

…ロシーが言っていたのは、これか。

 

迷わずロシーたちのところへ歩き出すドフィを止めようとしたけれど、ダメだった。トレーボルが邪魔をする。このハリボテ野郎、と睨み付けると、トレーボルは私の顔を下から覗き込むように見てきた。キモい。

 

 

「んねーんねー、またドフィのこと一人にする気~?」

 

「…したくないわよ」

 

「べへぇっ!?」

 

 

近すぎるので手榴弾をひらひらと見せつけると、見事逃げてくれた。距離ができる。

 

 

「あ、ふーん。なるほど、火、苦手なの?」

 

「いきなりすぎて鼻でるわー! 冷静だなァ!! べへへ!」

 

 

冷や汗をかいているトレーボルに、さて次はと思考を巡らせる。あまり考えていられる時間はない。ロシーとローが危険なのだ。

考えている間に飛んでくる攻撃を避けたり反撃している最中、ふと、持ってきたものの中に海水があることを思い出した。

相手は能力者。私もだけど、かからないようにすれば問題ないかな? それに、かからなくても問題ない。

 

ポシェットの中からペットボトルに入った海水を取り出すと、蓋を開ける。あとはどうやってかけるかだ。ゆっくりかけられるほどの隙があるわけもない。

 

 

(……投げつけて斬ろう)

 

 

あわよくばトレーボルも斬れればいいな、なんて安直な考えで、成功とか失敗とか考えるより先に私は投げていた。

 

 

「…あ」

 

「べっへへ~!! 残念だった、んねー! バカめェ~!!」

 

 

バシャン、なんて音がしたけれど、海水は地面に広がっただけでトレーボルにはかからなかった。失敗。

トレーボルは私を嘲笑うかのように広がった海水を踏みつける。完全に効果を失った海水を両足で踏みつけては、私を煽ってきた。

 

 

「ーーーバカめ」

 

 

かかった。

 

私は即座に能力を発動して、トレーボルの足元の海水の時間を止める。

ピタリと止まった海水は、どれだけ暴れても離れないだろう。私の能力が途切れない限り。

 

 

「べへェ!!? う、動かねェ~!!!」

 

「…しってる? 粒子って」

 

 

今度は私が挑発するように下から覗き込む。

にや、と口角をあげると、私は丁寧に教えてあげることにした。

 

 

「例えば水の温度は、その粒子の動きの激しさによって変わるの。激しければ高温。大人しければ低温ってね。だから私は、水の粒子の動きを“止めた”んだ。そうすると、どうなるかわかる? 大人しければ大人しいほど低温なんだから、そうね…名付けてーー」

 

 

右手の人差し指をピンとたてる。

 

 

「“絶対零度”」



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28.好きも嫌いも抱き締めて

トレーボルはなんとか引き留めた。

でも、時間がない。

重い体に鞭をうって、足を動かした。

 

走れ、走れ、走れ。

バッドエンドがくる前に。

後ろから追い縋る死神に、追い付かれる前に。

 

 

(お願い、間に合ってーー!!)

 

 

聞こえてくる銃声は、きっと気のせいだ。

消えてしまえ。雪にかきけされてしまえ。

この銃声は、きっと、バレルズ海賊団のものに違いないーーーそう、願っていたのに。

 

 

「ーーーロシーッ!!!!」

 

 

目の前に広がる光景を、信じたくはなかった。

 

けれど銃口から煙をくゆらせているドフィと、血を流して倒れているロシーを見たとき、私は心のどこかで「やっぱり」と思ってしまったのだ。

 

駆け寄って、息を確認する。

浅いけれど、まだ息はある。意識はないかもしれないだろうけれど、まだ助けられる。

 

 

「…ひどい」

 

「ひどい? 裏切り者に対する罰に、ひどいも何もねェ…」

 

「……家族、なのに」

 

「あァそうさ。…だがコイツは家族でありながら、おれたちを裏切った!! …アンタもそうだ」

 

 

銃口を向けられた気配がした。

それなのに、何も感じない私は、どうかしてしまったのだろうか。…いや、元々どうかしていたんだ。

 

包帯では抑えきれない血を流すロシー。早く、どこか病院につれていってあげなきゃ。助けなきゃ。

 

私よりずっと大きいロシーを抱き上げた。火事場の馬鹿力ってやつだろうか。重みを感じない。

 

 

「…おれが逃がすとでも?」

 

「……どいて、ドフラミンゴ」

 

 

初めてってくらいに呼んだ愛称以外の呼び方に、ドフラミンゴは少し眉を動かした。

動揺してるんだな、と思った。それ以外になにも感情は浮かんでこなかったけど。

怒りに支配されるって、こんな感じなのか。不思議。

 

 

「シャク」

 

 

雪の中に隠れていた大蛇が姿を現したことで、ドフラミンゴファミリーが一瞬退いた。その隙は見逃さない。

シャクの背中に手早くロシーを紐でくくりつける。

 

 

「ッア……!」

 

 

胸を貫く弾丸は、気にしない。今は関係無いことだ。

朦朧としかけた頭でくくりつけたロシーに掴まって、シャクと共に斜面を滑り降りる。

後ろからファミリーの怒号が聞こえてきた。……何発撃たれただろう?

 

 

「待て!!!」

 

 

ドフラミンゴの怒号のような、それでいて悲鳴のような声が聞こえてきた。

 

可愛い可愛い私の天使。……そんな風に、今は呼べる状況じゃないけれど。

 

 

「っ、ローに必要なのは恨みじゃない、悲しみじゃない!!! 愛されること、ただ、それだけなのよ……っ!!」

 

 

ドフラミンゴファミリーに最後の力を振り絞って叫ぶ。

ドフラミンゴの能力からの脱出はシャクに任せた。

 

 

「ーーーあなたたちにローは、渡さない!!!」

 

 

血を吐きながら、叫んだ。

ロシーを抱き締めてる手にもベットリとした血が広がってきて、焦る。このままじゃ海に飛び込んだあと、ロシーは助からないかもしれない。

どうにかできないだろうか。どうにか……。

 

 

「っうわ!!」

 

 

シャクが糸を咬み千切り、跳んだ。さすが、毒蛇。

少し遠くにとめてある船までシャクは泳いでくれるだろうけど、ロシーの命が危ない。

 

ーーー咄嗟の判断だった。何が起こるかもわからずに私は……

 

 

「“巻き戻し”」

 

 

そうして意識を手放したのだ。



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閑話.“鬼哭”

砲撃の音に噛み砕かれて、今にも消えてしまいそうな泣き声が、ミニオン島に響いていた。

止まることを知らない、この世界のすべてを恨んでいるかのような声。

それはその声を発している少年の故郷が焼き尽くされた時より鋭く、悲しげだった。

 

この世に必ず救いはある。慈悲深い手はさしのべられる。そう、故郷のシスターが言っていたのを思い出す。

言う通り、優しい優しい人たちが、少年の前に現れた。

暖かい笑顔と心で、凍った心を溶かしてくれた。助けてあげたい、と泣いていた。何も知らないクセに、と迫害に怒ってくれた。それはこの世のすべてを否定しようとしていた少年の心を大きく動かし、世界に色をつけてくれた。

冷たい心が割れて、心臓が鼓動している感覚を、とても間近に感じられたというのに。

 

その人たちは、もういない。

 

少年を守って、きっと死んでしまった。

見てはいないけれど、声が出ていることが何よりの証拠。

昔は恩人にこの声で怒鳴り散らしていたくせに、今はーー声が出なければいいのに、と心から思う。

いつまでもずっと、あの人の魔法にかかっていたかった。

 

大袈裟な動き。派手なメイクに喜怒哀楽豊かな表情の彼は、まさにピエロ。

けれど彼はそんな滑稽なものではなく、人に本当の笑顔を届ける人だった。

そしてその姉、時折頭を心配するほど考えなしな彼女。

素直でまっすぐ、と言えば聞こえはいいが、自分を犠牲にすることに躊躇いのないおかしな女。

 

少年には生きていてほしいと言うのに、自分はすぐ命を捨てるような真似をする。

 

彼、彼女たちのそれが危なっかしくて、……幸せだった。

でも、もう笑えない。一緒にバカをして、笑うことは叶わない。

なぜなら彼らは、もうローの手の届かないところへ行ってしまったからだ。

ついさっきまでいちばん近い場所だったはずなのに、おれが行けなくなったとたんにそっちへ行くなんて、ひどい。いじわるだ。

 

だっておれは生きなくちゃいけないのに。

 

 

“安眠じゃ、おれの右に出るものはいねェ!!”

 

「……こら、さん…」

 

 

コラさん。安眠じゃアンタの右に出るヤツはいねェんだろ?

おれを寝かせてくれ。

何も聞かなくていい、何も思い出さなくていい。“凪”のように静かに、おれを眠らせてくれよ。

 

 

“ローを救って、ローを幸せにする!”

 

「レン、……さん…っ!」

 

 

早くおれを幸せにしてくれ。

おれはこんなに泣いている。全然幸せじゃない。

珀鉛病よりずっと、ずっと。胸が痛いんだ。

そこの雪陰から飛び出してきてくれよ。なあ。隠れてんだろう、どうせ。

 

笑って、…笑って、おれのところにいてくれよ。

 

 

「ーーうわ"あぁぁぁあ"あ"あ"あ"あ"あ"!!!!」

 

 

今だよ、今だ。今なんだ。

…今、信じられる人が欲しいんだ。

 

このままレンさんの言っていたように肝臓を治せば、きっとおれはもう、ホワイトモンスターなんて呼ばれない。

病院に行っても追い出されない。

肌を見ただけで怖がるバカも居ない。

 

なのに、

 

……なのに、あんたたちだけがここにいない。

 

 

“愛してるぜ!!!”

 

“あんたたちにローは、渡さない!!!”

 

 

 

それだけでこんなに寒いなんて、おれは知らなかった。

後悔しても、もう遅い。

 

遠く遠く、どうやっても手の届かない空へ、少年は哭いた。



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29.ただ優しいはもういらない

(……遅いねェ)

 

 

いつもなら来る時間なのに、とアオは壁時計を見上げた。

ザクロの実は今日は休業中だ。生憎の雷雨に、帰ってこない部下。

じわじわと過ぎていく時間に、どうしようもない不安が胸を満たしていた。

 

アオの不安はよく当たる。

 

 

18年前。

自分のところにやって来た少女は、傷だらけのボロボロだった。

誰も信用していない目に、汚い服。にしてはその布は上質であったこととなかなか高価な装飾品を持っていたことで、訳ありだと確信した。

名前を聞けばドンキホーテなんて名乗るものだからこれにはビックリ。下界に降りてくる天竜人なんて珍しいどころか初めて見た、といえば苦笑された。親がアホだったらしい。

 

人への対応だとかが一般人すぎて、最初は猫でも被っているのではと疑っていたのだが、時が過ぎるにつれその気持ちはなくなっていった。

 

彼女は普通の女の子だった。

 

 

『ーー弟を、捜しているんです。きっと寂しくて、泣いてると思うから』

 

 

それが口癖のように、毎日毎日働いては、お得意様を増やし七武海に翻弄され、楽あり苦ありの商売を18年自分と共にやってきたのだ。

 

よくがんばった、と毎日のように言ってやっても満足はしていないようだったし、弟をみつけてからも「これが私の生き甲斐なので」と働き続けた。

 

そんなうるさい毎日になれた今、彼女が休暇をとっていなくなってしまっているのは、どこか寂しいものがあった。

前までこの静けさは当たり前だったはずなのに、どうしてか、物足りない。

キセルが味気なく感じた。

 

 

「!」

 

 

プルプルプル、と電伝虫が鳴り響く。

その主はすぐにわかって、溜め息を吐いた。出たくない。

 

 

「……いつもどうも、お世話に」

 

『ーー聞かせろ。そこに何でも屋はいるか』

 

「…いや? 両替商しかいないよ。彼女、長期休暇とっているから…どうしてだい? 今まで聞いてきたことなんかなかったのに」

 

『…ならいい』

 

 

うちの“お得意様”だ。

私の苦手なひと。けれど今日はなんだか不機嫌で、まるで今日の天気みたい、なんて冗談じみたことを考えた。

 

 

「だいたいアタシと何でも屋は“フルネームすら知らない間柄”だって言ってるだろう? それとも何、信用できないって?」

 

『……いや、信用はしているがなァ。一応、だ』

 

「そう……何でも屋、便利だよ? そっちも使ってみたら?」

 

『……使わねェさ。第一、…もう使えなくなる』

 

「?」

 

 

ギィ、と下手くそな航海士でもいるのか、町の港に船を擦り付ける音がした。窓の外を見る。

わりと大きなーーアレは、ロレンソの船だ。ほっと息が出た。

 

 

『また用があれば連絡する』

 

「ええ、いつでも。ーーー“若様”」

 

 

受話器を置いて、肩の力が急に抜けた。

 

今の相手は、少し前からのお得意様だ。名前を「ドンキホーテ・ドフラミンゴ」といってーーーたぶん、ロレンソの家族。

けれど相手はここにロレンソがいる、ということを本人から聞いてか、なぜかここの両替商…つまり私を使うようになった。偶然両替商がほしかった、などと嘘を並べて。

その理由は定かではないけれど、きっと私を通じてロレンソを見張ろうという魂胆か。それとも単に両替商がほしかっただけか。その両方か。

 

このことはロレンソには言っていない。ドフラミンゴにも、私とロレンソはあくまで雇い主と部下、そういう関係であると伝えてあるから、たぶん私が彼をロレンソの弟と知っていることを相手は知らないだろう。

 

……しかし…。

 

 

『もう使えなくなる』

 

 

この言葉が気がかりだった。これはいったい…?

ーーーすると。

 

 

「だずげでぐれ!!!」

 

「!?」

 

 

すごい勢いで扉が開かれて、小さな…10と半ばくらいの子供が、顔から出るものを全て出して泣きついてきた。

驚いて立ち上がる。目の前の子供は驚くくらいボロボロで、昔のロレンソを思い出させた。ーーじゃなくて。

サイズが合っていなかった。なにもかもが。ずるずると引きずっている趣味の悪いハートのシャツに、ハートモチーフの帽子。

 

な、なんなんだろうか。男の子を抱き止めて、同じ目線にしゃがんだ。ゆっくり話を聞く。

 

 

「どうしたんだい? 一体…」

 

「あね”っ……! あね”う”えを、だずげで…っ!!」

 

「……姉上?」

 

「ッ…姉上が!! ドフラミンゴにっ、撃たれて…っ!!!」

 

 

ピキ、と私の中の何かが凍り付き、パズルのピースが埋まったようは錯覚に陥った。

ドフラミンゴに、撃たれた。姉上。…それは、つまり。

 

 

「ロレンソ……?」

 

「っん”、う”ん”…!!!」

 

 

外はひどい雨。しかも相手はドフラミンゴ。

優しすぎるあの子に何が起きたのか……想像に難くなかった。

 

 

「ッ、ロレンソ!!!」

 

 

私は雨の中、船へ向かって走り出した。



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30.見覚えがありすぎる

ゆっくりと目を開けると、そこには見慣れた天井があった。

 

金で装飾されたそこには、天使だとか星だとかメルヘンチックなものが描かれていて、目を刺激しない程度のライトは温かい。

ふかふかのベッドは体を包み込むように私を受け止めていて、起き上がるのが億劫になるようだ。

 

 

「…レン? 起きたの」

 

 

そっと扉が開かれて、トレーに水の入ったグラスを乗せた女性が、私のもとへとやって来た。

その姿に、息が止まる。

 

 

「…はは、うえ」

 

「おはよう。よく眠れたかしら?」

 

 

天竜人のはずなのに、わざわざ自分で水を持ってきて私のおでこに手を当てるそのしぐさは、紛れもなく母上だった。

ひんやりとした細い手が気持ちいい。猫のように目を細める。

 

 

「魘されていたようだから、水を持ってきたの。…何かあった?」

 

「ん、…んーん。ない」

 

 

そう、と微笑んで頬を撫でてくるその手つきが懐かしい。

 

もしかして、今までのことは全て夢なんじゃないだろうか。

母上が死んだことも、父上が死んだことも、ロシーがあんな目に遭ったことも、ドフラミンゴと喧嘩したことも、…かわいそうな子と、かわいそうな国があったことも。

全部全部長い夢で、全部嘘で、本当は何もなくて、このままベッドから起き上がって服を着て部屋の外に出れば、ドフィとロシーが抱きついてくる。それを微笑ましそうに眺める父上と母上がいる。そんな普通だった毎日に、戻れるんじゃないか?

 

そう考えて、母上を見た。

にこ、と首をかしげつつ微笑むその姿は、私の心を締め付けるに十分すぎた。

 

 

「うそ、なんだよね」

 

「…レン?」

 

「全部嘘で、全部夢で、全部…なかったこと、なんだよね? ねぇ、そうでしょ、母上」

 

 

いきなりこんなこと言ったら、私の夢のことなんて何も知らない母上は困るだろうな。

そっと顔をあげた。

 

 

「レン?」

 

 

……あ。

少し、目を見開く。

 

 

「何を言っているの、レン」

 

 

滑るように頭を撫でる手。

 

私は、気づいてしまった。

 

 

「全部、夢よ?」

 

 

ーーーこの人は、母上じゃない。

 

 

 

×××××××××××××××

 

 

 

ゆっくりと目を開けると、ざぁざぁと雨の降る音が耳に届いた。朦朧とする意識に鞭をうち、起き上がろうとする。

 

 

「い”っ……!!?」

 

 

雷に打たれたように身体中を駆け抜けた痛みに、私はベッドへと舞い戻った。

じんじんとした消えない痛みが私の上半身を支配して、どうしようもなくいたい。つらい。

首だけ起こして自分の体を見ると、上半身を全て包帯が覆っていた。そこにはじんわりと血が滲んでいて驚く。

一体なにが。……あのあと、どうなった?

 

ぼうっとしたまま必死にロシーをシャクに結びつけていたのは覚えている。その間にめちゃくちゃ撃たれたことも。

けど、そのあとが…。

 

 

(…ロシー、……ロシーは?)

 

 

ロシーはどうなった?

あの出血で海に飛び込んで、助かったとは思えない。

気絶する直前、ロシーに何か能力をかけたような覚えがないこともないけど、何せ記憶が曖昧だし、何をしたか覚えていないのだから不安すぎる。

 

痛みを理性でねじ伏せて起き上がった。

しんと静まり返ったここは…ザクロの実、だろうか。

 

 

「ぁ、アオさ……」

 

 

呼ぼうとして、自分の声が死ぬほど掠れていることに気がついた。

すきま風みたいな声しか出ない。何てこった。

 

こうなったら歩いて探しにいこう。そう意気込んで……止まる。とある人物を視界にいれて。

 

 

「……え」

 

 

それは、かわいい男の子だった。

美しい金髪はくるくるといろんな方向にとびはねては、その少年の瞳を隠していて、ちょこんとしたその愛らしさは、ーーうちの次男に酷似していた。

ぽかん、と数秒見つめ合って、…先に動いたのは少年だ。

 

 

「姉上!! 起きたのか…っ!!」

 

「えっえっ」

 

「あっ、まだ寝ててくれ!! ちょっと待ってろ、今アオさん呼んでーー」

 

「ちょちょ、待って…っ」

 

 

涙目で鼻をすすりながら振り返った少年は、記憶は曖昧ながらも昔のロシーによく似ていて、目をぱちくりさせる。

これは、一体…?

 

 

「っ姉上…! 姉上のお陰で、おれ、いきてるんだ…!! ありがどう、……よがっだ…!!!」

 

「ろ、しー…?」

 

 

私の問いかけにコクンと頷いたロシーらしき少年は、嗚咽混じりに私にこう言った。

 

 

「姉上がおれに“巻き戻し”を使ってくれたから、おれの体は13年若返って、傷が消えて助かったんだ」



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31.干渉するべきじゃないもの

「…えっと」

 

 

私にしがみついてなきじゃくる小さいロシーと、粥を持ってきたアオさん。その二人に囲まれて、まだ頭の整理ができていない私は冷や汗を流した。

正直、聞きたいことはたくさんある。あのあとどうやってここへ来たのか。どうしてロシーはこんなに幼くなったのか。その他諸々。

 

 

「聞きたいことが多そうだね。…いいよ、答えよう」

 

「ありがとうございます。…じゃあ、いいですか?」

 

 

アオさんが少し口角を上げたのをオーケーの合図と受け取って、私は口を開く。

まず、一体どうやって私たちはここまでたどり着いたのか。

だいたい、手袋はなかったはずだし、意識すらなかった。それがここまでこれる理由は…

 

 

「シャクさ。あの子がアンタたちをここまでつれてきた。そして、町についたとき意識を取り戻したアンタの弟…ロシナンテが、店までアタシを呼びに来たってワケ」

 

「シャク…」

 

「あの子は今、船で休んでる。ところどころ撃たれていたしね」

 

 

やっぱりか。

あの子は賢いから、私たちを助けるならここしかないと選んだのだろう。

船まで歩けるようになったら、ご褒美の魚をいっぱいあげよう。ありがとうといっぱい言おう。

 

さて、次に。ロシナンテについて。

 

 

「…これについてはアタシもわからない。けど心当たりがあるとすれば、アンタのリモコン能力…“巻き戻し”。これ以外ないと思うけど」

 

「使った記憶はなんとなくあります。あやふやに…人に効くかわからないけど、傷を治すくらいできたらなって。まさかこんなに巻き戻すとは思わなかったけれど…」

 

「年齢としてはだいたい12、3くらいだと思うよ」

 

 

アオさんが困ったように笑う。

 

 

「聞けば、元の歳は26だって? 半分遡ったのか、すごいね」

 

 

ロシナンテは照れ笑いつつ泣きながら頷いた。

自分に引っ付いてくる温かみを懐かしく思い撫でると、ああ、泣いてしまいそう。

弟たちの成長過程を見られなかったことが後悔のひとつだった私からすると、これはかなり嬉しいサプライズであった。記憶の中のものより少し成長しているロシナンテにだらしなく頬が緩む。

 

それからアオさんが私を回収して、町のお医者さんになんとか助けてもらった、という過程を聞いて、やっと私はこの数日間の状況を把握することができた。

 

……にしたってひどい。ひーふーみ、…軽く7発は体に穴が空いているし、呼吸する度骨が軋む。生きづらいなぁ、くそぅ。

 

点滴に繋がれたこの状態では満足に動けない、足に力が入らなくて歩けすらしない。

まったく不自由な体にしてくれたもんだ。お陰さまで体には銃痕が7つ残るだろうし、姉弟の間には決定的な溝ができた。オーマイゴッド。

 

 

「でも気を付けな、レン」

 

「気を付ける? 何に?」

 

「巻き戻しされて、巻き戻しが終わってるってことは今、ロシナンテは再び成長をしてる。成長期をまた迎えたりするってことだ。…元に戻っているからね」

 

 

ああ、そうか。巻き戻しをして私が意識を失ったから13年若返ってとまっただけであって、また再度成長しているのか、ロシーは。…と、いうことは?

 

 

「要するに、アンタが死ぬかロシナンテに早送りをかけるか、もしくは今から13年たったそのとき。アンタが塞ごうとしたロシナンテの傷は再び現れることになる」

 

「!」

 

 

ロシーが体を揺らした。そりゃ怖いよな、あんな激痛が再び現れることになるかも、なんて言われたら。

 

 

「また巻き戻しをすることは?」

 

「できないだろうね。悪魔の実はそんなに万能じゃないはず。やってみても構わないが…アンタかロシナンテに何らかのデメリットが生じることは確かだよ。特にアンタのような“時”に干渉する能力者は」

 

 

病人のそばだからか、キセルを取り出しかけてやめたアオさんの手は、行き場を失って宙をさ迷い、ベッドの上の私の手にそっと重ねられる。その手はどこか、汗ばんでいるような気がした。

 

 

「干渉することが許されるもの、許されないもの。…時の流れは人が干渉するべきじゃないものだ。今回は何もなかったかも知れないけれど、いいね、時なんて操るものじゃないよ。いつかおかしくなる時が来る」



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32.旅立ちの日に

「これからどうしようか?」

 

「そうだな…」

 

 

ベッドに腰かけてきたロシーを撫でつつ、これからについて話し合うことに決めた。

 

居場所を失い、敵対した相手の情報網がものすごい今、何でも屋を再開してしまうのは危ない気がした。

せっかく消息不明になっているのだ。自分達からわざわざ尻尾を出しにいく理由もない。

閉業かな、と笑った。お金は十分すぎるくらい貯まってる。これから二人で暮らしていく分には、困らないはずだ。

ああ、ローを捜す旅に出るのもいいかもしれない。けれど今私たちが接触して、3人まとめてドフィに見つかるのもアホみたいだ。

 

 

「姉上」

 

「ん? どうしたの? 何かしたいことある?」

 

「…おれやっぱり、ローのことが気がかりだ。今会いに行くべきじゃないのは知ってっけど、無事かだけでも知りてェ」

 

「……だよねえ」

 

 

さてどうしたもんか、と頭を悩ませた。

私だってローのことは気になるのだ。それでも慎重に動いてしまう。

 

 

「ローについては調べておくつもり。…それより今は、私たち。今ここで大きく稼ぐような必要はないから、おとなしくしていて問題はないけど、あんまりアオさんに迷惑もかけられないし」

 

「あァ。…住む家を決めなきゃな」

 

 

住むならどこだろう。北の海は選択外だ。ここの海はだいたいドフィの配下だから、居て良いことは何もないのだし。

やっぱり東の海かな。いちばん平和だし、住まわせてもらえそうな場所なら検討はついてる。

ドフィにも嗅ぎつけられなそうで、尚且つ安全。さらに情報が手に入りやすいところ。

 

そっとロシーの頭を撫でて、「引っ越す準備をしよう」と笑った。

昔もこんなことあったな。

 

 

「東の海に、とても平和な村があるの。そこに住もっか!」

 

「早いな姉上…」

 

「何事も迅速な行動が大事! ごめん、姉上今あんまり動けないから、アオさん呼んできてくれる? 話さなきゃ」

 

「仕事はいいのか? 姉上仕事が生き甲斐みたいなところあっただろ?」

 

「そりゃそうだけど、今やるべき! ってことでもないし…また落ち着いたら何か暇潰しやるわ。気にしない!」

 

 

 

 

×××××××××××

 

 

 

「良いんじゃない? いい判断だと思うけどね」

 

「本当ですか? えへへっ!」

 

 

引っ越すことをアオさんに伝えれば、すんなりオーケーが出た。

私は大して持ち歩くような荷物は持っていない。ちょっと黒の強いグレールートに浸ってたときに取り扱ってた悪魔の実ももう全て売り捌いてしまったし、品物は骨董品だとかそんなものばかりになってしまった。

基本お金は手元にあるし、貯金は船の倉庫に。

 

 

「東の海は平和だしね。それにアンタがいこうとしてるのはフーシャ村だろう? あそこはいいよ、のどかだ」

 

「ですよね! …そこにいる面倒なジジィはおいといて、ですけど」

 

「アッハッハ! そうだね。…決めたなら急ぎな。いつここにアンタの弟が嗅ぎ付けて来るかもわかりゃしない」

 

「こわいこと言わないでくださいよ…」

 

 

持っていくべきなもの…いや全部金品だけど、それを持って、ロシーを連れて、私はここを去ることに決めた。

もちろん傷は完治してないけど、のどかなあそこでゆっくり療養しようと思う。

 

 

「しばらくはここへ来ないほうがいいかもね」

 

「えーっ!? 来ていいときは連絡くださいよ?」

 

「ふふ、まぁ、そうだね…」

 

 

アオさんはここへ来たときとなにひとつ変わらない笑顔を私に向けた。

 

ここへ来て早18年。永遠の別れではないだろうが、ここを離れる時が来てしまったことを心から悲しく思う。

最後に、と甘えるように抱きつけば、いい香りが抱き締め返してきた。

私に居場所、生きる術、仕事…全てを与えてくれたこの人は、第2の母と言っても過言ではないだろう。

 

 

「……また戻っておいで。ここはいつでもアンタの家さ」

 

「…っ、はい」

 

 

ロシーの手をそっと握る。

ここにはじめて来たときは一人だった手が、今ではふたりぶん。

にこりと笑って、ドアノブを捻る。ドアを開ければ、そこは東の海ゴア王国フーシャ村。

 

 

「ーーー行ってきます!」

 

「…いってらっしゃい、レン」

 

 

光輝く新生活へと、私はーー私たちは、足を踏み出した。



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かぞく、はじめまして
1.新生活、はじめました


「わぁ、いらっしゃい!」

 

「あーっ、マキノちゃーん!」

 

 

バタバタと居酒屋に現れた私たちを見て嬉しそうに微笑んだ若き店主に、思わず顔を綻ばせた。

 

時は数分前、北の海からここ東の海へとやってきた私たち姉弟。私たちはぜひここの村に住むため、この村の情報通でありそうなマキノちゃんを訪ねていた。

 

グラスの当たる音と、あんまり品のない笑い声。それでもここの居心地がいいのはなぜだろう。

緊張しているらしいロシーをつんと小突いた。かわいい。

 

 

「レンさん、今日もお仕事? ガープさんってば容赦ないんだから、もう…」

 

「あはは…ガープさんに容赦がないのは認めるけど、今日は違うんだ。仕事じゃなくて、完全な私用」

 

「私用? 珍しい! ついでに良かったら寄っていって!」

 

 

嬉しいお誘いに深くうなずくと、「ここに家を紹介してくれる人いない?」と聞いてみた。

しばらくキョトンと私の言葉を噛み砕いていたマキノちゃん。けれど少しして、言葉の意味を理解したのか、カウンターを勢いよく叩いて前のめりになる。え、ちょ、近い! 勢いすごい!

 

 

「うそ、ここに住むの!?」

 

「う、うん…ダメかな?」

 

「だめなわけない! だめなわけないわ! やった!」

 

 

うそ、やった、と騒いでくれるマキノちゃんに、今度は私がキョトンとしてしまった。まさかこんなに喜んでくれるなんて。私が住むことで喜ばれたのはドフィ以来…あれはどうなんだろう、半ば強制?

 

とにかく嬉しいらしいマキノちゃんは私の手をひっつかんでぴょんぴょん跳ねた。あぁ、可愛い……。

 

 

「あ、この子は…えと、弟のロシナンテ」

 

「弟? へえぇ、想像してたより幼いんですね?」

 

「ま、まぁね! あはは」

 

「よろしくお願いします、…マキノ、…さん?」

 

 

ロシーとしても自分より年下に継承付けははじめてかもしれないけど、仕方ない。今は13歳なのだから。

ヘンテコ能力で13歳の可愛いショタに戻されちゃった実際は26歳の海軍本部中佐なんです~、北の海のボスみたいな凶悪海賊に潜入調査してたらばれて死にかけてこんな姿になりました~、なんて某高校生名探偵みたいなストーリーは通じないだろう。

それを説明するくらいなら、多少「お父さんとお母さん頑張ったのね~」感が否めなくとも素直に「弟です」と言った方がマシってもんだ。

 

可愛いわね、と言われて膨れっ面のロシー。でもそのあとにお姉さんに似てる、と言われて反応に困ったままキャンディを貰ったため、絶妙な表情で飴を舐めている。…そういうところが可愛い。

 

 

「空き家を持ってる人はいるわ。案内するわね! それから村長に挨拶にいって…あ、ルフィ大きくなったわよ! 外にいるから後で会いに行きましょう! きっとロシナンテくんも仲良くなれるわよ! それから…」

 

 

アツい。マキノちゃんがアツい。

よほど嬉しいのか、小さくスキップすらしながら居酒屋を放り出して家を持っている人のところへ連れていってくれた。大丈夫なの、お店。

…ああでも村の人しか居なかったみたいだし、大丈夫かな。いい人ばかりだし。

 

すると、話においていかれ気味のロシーが袖をくいくいと引いて尋ねてきた。

 

 

「…なァ姉上。ルフィ…って、やっぱり同い年くらいの子供だよな…?」

 

「そうよ。確か…6歳?」

 

「ベビーたちより下じゃねェか…うまくやれるかなァ……」

 

 

どうやらルフィくんとうまくやれるか不安らしい。まぁこの間まで子供嫌いを演じていたし、優しいロシーとはいえ今は自分も子供なのだ。どうしていいかわからないんだろう。

 

 

「大丈夫よ、ルフィくんいい子だし」

 

 

少し肩を強ばらせ気味のロシーの手を握りしめた。



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2.太陽みたいな海賊

住みにくくは無さそうな木製の小さな家に案内されて、ほうと息を吐いた。

 

 

「…ちゃんと家を持つのなんて18年ぶりくらいだわ」

 

 

マリージョアから下界に降りてきて初めて住んだあの家以来、私には我が家と呼べる何かはなかった。

船か、ドンキホーテファミリーの船か、野宿。慣れてしまったそれに不便だとか苛立ちだとかは無かったけれど、ふかふかのベッドや帰る場所、安心できる家という存在に対して、憧れに近いような何かを持っていたような気がする。

 

少し驚いたような顔をした家の持ち主のおじさんだったけれど、すぐに事情を察してか何も聞いては来なかった。

 

またロシーに聞いたところ、私たちくらい歳の離れた姉弟なんてそうそういるはずがない、ということで、姉弟という関係はどうなんだと耳打ちされ、私も少し冷や汗をかいたが、マキノちゃんは何も言っては来なかった。

変なところで世間知らずと言うか考えなしなところが出ちまうのは考えものだな、とも言われた。悲しい。

 

 

「クレイオさん、うちで働いたらいいわ」

 

「酒場で?」

 

「そう。お家賃とか色々、高くはないけどお給料もだせるし」

 

 

部屋に荷物を置いてぐるりと見回していると、マキノちゃんがそう言ってくれた。

…マキノちゃんは疑わしいくらい優しい。けれどその優しさをいちいち疑うなんてことはしなかった。

昔だったらしたかもしれないけれど、今はそんなことしないし、できない。

 

 

「姉上がするなら、おれも何か手伝いを」

 

「あらほんと?」

 

「あーっダメダメダメダメ」

 

 

小さいとはいえ奇跡にも近いドジっ子のロシーに、食べ物などを扱う仕事は向いてないだろう。

何より火傷などが心配だ。

 

 

「マキノちゃん覚えといて、この子奇跡的なドジっ子だから」

 

「ドジっ子?」

 

「そう。立てば転ぶし歩けば転ぶし、ちょっと火に近寄るとどこかしら燃えるんだから」

 

「姉上~…っ!」

 

「あら…」

 

 

恥ずかしそうにうつむいたロシーだけど、仕方ない。ごめんね。ロシーは目一杯遊んでてくれていいのよ、ルフィくんと。

…あれ、そういやルフィくん、まだ見てないな。いつもなら飛び付いて来るのに、なんでだ?

遊びに忙しいのか、忘れられたのか。

 

 

「マキノちゃん、ルフィくんは?」

 

「あぁ、ルフィは…今頃酒場に戻ってきてるかも。最近、ずーっとついて回ってる人たちがいるんです。…行きます?」

 

「そーね…行ってみよっか、ねぇロシー」

 

「お…うん」

 

 

ロシーは精一杯子供っぽくしようと努めていた。気を抜くと、どこか大人びた雰囲気が出てしまうからだろう。

……生き物の時を遡らせる、なんてこの世の禁忌にも近いことをしてしまった…その罪悪感と、けれど救えたことへの嬉しさと、どうしてもむずむずとするこの感じ。けれどロシーを失うことに比べれば、他の感情も縮まった寿命も、惜しむに足らないものだ。

 

 

「…あれ、なんかさっきより賑わってない? 酒場」

 

「そうなの。今この村には、海賊が来ててねーー」

 

 

ぴた、と私とロシーの歩みが止まった。

…海賊、という言葉に過剰に反応してしまう。…彼らな訳がないと、わかっているのに。

 

 

「あ、安心して! とてもいい人たちよ。ルフィもなついているの」

 

 

不安げな私たちに気付いたマキノちゃんがそう笑うけど、ひきつった笑みしか返せなかった。

フーシャ村に海賊って。ちょっとガープさん。ここ貴方の生まれ故郷じゃないんですか。護れよ。仕事しなさい。

海賊ってなにそれ美味しいのくらいの平和な村かと思っていたから、ちょっと驚いてしまった。

 

海賊のいる店に入るって、なんか嫌なんだよなぁ。大丈夫かな、いきなり弾丸が頬を掠めたりしないよね。大丈夫だよね?

 

 

「こんにちは、皆さん。ルフィも」

 

「おうマキノ! 酒、貰ってるぜ!」

 

「オレンジジュースもだ! 宝払いで!!」

 

 

開けたそこは酒臭く男臭かったが、弾丸が頬を掠めたりすることは無かった。

ぶつかりあうグラス音に、下品な笑い声。でもどこか少年味を含むそれは、聞いていて不愉快にはならない。

ガヤガヤとうるさいそこをマキノちゃんの後に続いて通り抜けて、カウンター席にちょこんと座るルフィの近くに寄った。

 

 

「ルフィくん」

 

「ん? ……あーっ!! ロレンソじゃねぇか! ひっさしぶりだなーっ!」

 

「久しぶりルフィくん。大きくなったね」

 

 

椅子から飛び降りんばかりの勢いで目を輝かせるルフィくんを撫でてあげると、私の服の裾を掴むロシーの力が、ちょっと強くなった気がした。

 

 

「おいで。…ルフィくん、この子はロシナンテ。私の…弟なの。今日から私たちここの村に住むから、仲良くしてあげて」

 

「ほんとか!? よろしくな、もじゃもじゃ!」

 

「も、もじゃ…っ!?」

 

 

驚きのネーミングセンスにロシーは引き気味だったけど、まぁルフィくんのことだ、すぐに仲良くなっちゃうだろう。

小さい子なんてそんなもの、とニコニコして見ていると、隣のお兄さんが話しかけてきた。

 

 

「ほぉ、ソイツ弟か? ずいぶん歳が離れてるんだなァ!」

 

「え、ぁ、いや、まぁ……」

 

「ははは! まぁ、色々あるもんさ! お嬢ちゃんも呑もうぜ!! ここに住むってんなら祝いだ、奢ってやるよ!」

 

「それは……どうも」

 

 

麦わら帽子を被ったその人は、赤い髪と太陽のような笑顔が印象的だった。

周りからお頭、と呼ばれているのを見る限り、どうやら彼がこの海賊たちのボスらしい。

へー、若いのにすごい。

 

 

「ロレンソっていいます。よろしくお願いします」

 

「おれはシャンクスだ! よろしくな!!」

 

 

にっ、と差し出された手は、躊躇いなく握った。

出された酒も飲み干した。

彼はだいぶお酒に強いようで、付き合わされる私もかなりの量を飲まされた気がする。

 

 

「姉上、呑みすぎだ」

 

「……ん…」

 

 

ーーロシーが裾を掴んでそう止めるまで、私は飲み続けていたらしい。バカだ。

気付けば夜もだいぶ更けていて、帰らなきゃ、とぼやけた頭で考える。

さっきまでうるさかった店内も、酔い潰れた男たちばかりだ。…う、酒臭い。

とっくに帰ったらしいルフィくんと話し疲れたというロシーの手を握り、奢ってやるよと言われたとはいえ、少しはと考え、マキノちゃんにお金を渡した。

 

 

「……ずいぶん必死になるもんだな」

 

「ん…シャンクス、さん」

 

「おれたちを頑張って信用できる人間だと思おうとしてんだろ? 嬉しいなァ」

 

 

静かな店内に、けらけらと笑い声が響いた。

 

 

「……ごめんなさい」

 

「いや、いいのさ。今まで色々あったんだろ? 仕方ねェよ」

 

「いいえ、…とても失礼なことです」

 

 

まっすぐ見つめてくるその瞳に、隠し事はできないと察した。

おちゃらけているようで真面目。海賊なのに太陽のよう。そんな雰囲気を纏わせる彼は、今まで会ったことのない人間だと感じる。

 

 

「今まで、私に優しくしてくれる人は、疑うまでもなく心の底から優しい人ばかりでした」

 

 

でも、幼い頃に触れてしまった人間の心の深い部分。黒くてドロドロとした、救われることのない憎しみ。恨みの力。

そこを見てしまったせいか、私はまず初めに疑う事から入る、嫌な人間になってしまった。

そこから疑わしいところを一つ一つ消していって、そして信用する。……そんな嫌な人間に。

まず信じる、ということができる人間には、なれなくなってしまった。

 

 

「……ひどいですよね」

 

 

ロシーがそっと裾を握る。

震えている肩を、心底愛しいと思った。

 

 

「んなこたねェさ」

 

 

ぽん、と頭に手が置かれて、顔を上げる。

……そこには、太陽みたいな笑顔があって、息を呑む。

 

 

「頑張ってきたんだなァ、お前」

 

 

ーーーああ、そうか。

 

きゅっと心臓が締め付けられるような痛みと共に、視界が歪む。

狼狽えと似た感情が、心に溢れた。

そっか、私はずっと、この言葉を言われたかったのか。

母上にも父上にも言われずにすべては終わってしまったけど、たぶん私は、誰かに「よく頑張った」って言われたかったんだろう。

 

誰かに認めてほしかった。わがままは言えないけど、困らせたくないけど、褒めてほしかったんだなぁ。

 

 

「……姉上」

 

「…ロシー……」

 

 

私はよく頑張った。

ならこれからもきっと頑張れる。

 

 

「……シャンクスさん、ありがとうございます。おかげで、やる気出ました」

 

「おう! そりゃよかったな!」

 

「私、明日からここで働きますんで、よろしくお願いしますね!」

 

「お、マジか! またな!」

 

 

子供のようにぶんぶん手を振る彼に笑いかけて、ロシーの手を引いて店を出た。

夜風が気持ちいい。

 

 

「ロシー、姉上頑張るね」

 

「ん?」

 

「頑張って働いて、少しここで平和に暮らしたら、ローに会う旅に出よう。きっと生きてるよ」

 

「…そうだな!」

 

「良いお医者さんになってるだろうから、ロシーを元の年齢に戻すとき開いちゃう傷口を治してもらおうね!」

 

「こ、こわいこと言わないでくれよ姉上」

 

 

さあ、新生活を始めよう。



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