迫れ、ショッカー! (柴猫侍)
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君が来た!

 この世は平等じゃない。

 

 

 

 齢4歳にして知った残酷な現実。

 打ちひしがれて、何度も枕を濡らして、それでもヒーローに僕はなりたかった。

 あの画面の向こうで笑っている英雄(ヒーロー)みたいになりたかったんだ。

 

 でも、だからと言って何かをしてきた訳じゃない。

 勉強も頑張って、ヒーロー分析も毎日のように頑張って来た。でも、それはあくまで学校生活や趣味の延長線。

 僕は本当の意味でヒーローになる為の努力をしてなんかいなかった。

 自分の所為だって言われたらそれまでだけど、でも、それでも、誰かに“無個性”な僕でもヒーローになれるって言って欲しかったんだと思う。

 

 そんな時だった―――彼女が僕の前に現れたのは。

 

「“無個性”でもヒーローに? ―――()ーッ! ()ーじゃないですか、その目標! ならまずは……筋肉ですね!! 筋肉をつけましょう!! 一緒に頑張りましょう!!」

 

 僕に手を差し伸べてくれたのは―――。

 

 

 

 +

 

 

 

 それは中学に入ってから半年が経った頃。青々と生い茂っていた木の葉が紅葉し始め、涼やかな風が教室に吹き渡る時期だ。

 僕―――緑谷(みどりや)出久(いずく)は相変わらずだった。

 僕の世代では“無個性”ってだけで珍しい。そんな先天的なハンデを追っている僕が、“個性”を持っている子たちから大なり小なり見下されるのは当然のことだったのかもしれない。

 

 と言うより、僕の幼馴染であるかっちゃん―――爆豪(ばくごう)勝己(かつき)が率先して僕を見下した態度をとるから、必然的に周囲も僕を見下すような姿勢をとるようになってきた。

 ……ううん、これはただの言い訳。“無個性”でも人柄が良ければもっと違っていたのかもしれない。

 だけど、中学に上がりたての子どもにそんな現実を示す時間は、学校内での自分の立場を確立させるには十分すぎる時間だった訳で、結局僕は今を変えられないまま、せめて真面目に過ごしている。

 

 このまま3年生まで過ごす……憂鬱になりながらも、それも仕方のないことだと諦めていた時に、彼女は颯爽と現れた。

 

「今日から折寺でお世話になります! 排打(はいだ)衝子(しょうこ)です! よろしくお願いします!」

 

 弾けるような笑顔が特徴的な黒髪の女の子が転校してきた。

 

「お? 隣の席ですね! よろしくお願いします!」

「へ!? あ、み、みみ、緑谷出久です! よ、よろしく……」

「はい!」

 

 何も知らない彼女は隣の席になった僕に手を差し伸べて、笑顔を向けてくれた。

 その平等な笑顔と共に差し出された手を握る僕は、今日は良い日になりそうだなんて考えつつ、初めて握った(と思う)女の子の手の感触に緊張する。

 同時に憂鬱になったんだ。この子も、いずれ皆と同じような態度を僕にとるようになるのかなって。

 

 出来ればそうなって欲しくないなと考えても、口になんか出せないものだから……僕は後々辛くなるのが嫌だから、この子とは余り関わらないようにしようと心に決めた。

 その矢先だった。

 

「緑谷くんはヒーロー志望ですか!?」

「えっ!? あ、うん、一応……」

「そうなんですか! 実は私もなんです! 因みにお好きなヒーローとかは!?」

「僕の好きなヒーロー? えっと……余りにもメジャー過ぎるっていうかアレだけど、僕はオールマイトが一番好きだよ!」

「オールマイト! 良ーッ! やっぱり王道ですよね、オールマイトは! あの逞しく鍛え上げられた筋肉には彼の努力が目に見えるようですよ!」

「うん! そうだよね!」

 

 さようなら、僕の決意。

 

 一限を終えるや否や隣の席の僕に話しかけてきた排打さんは、僕を釣り上げるに最も適した話題(えさ)を口にした。

 ヒーローに目がない僕だ。例え排打さんみたいに可愛い女の子じゃなくなって、ヒーローの話題を出されたら口が止まらなくなるよ!

 

 それにしても排打さんはグイグイ来る。

 初対面の男子に対し、隣の席というだけでここまで話しかけてくれるだなんて……。

 

 僕は言い様もない多幸感に溺れるがまま、排打さんとのヒーロー談義に熱が入ってしまう。

 

(僕、今日が中学校生活で一番楽しい日かも……!)

 

 今までどれほど色のない青春を送ったかと言われたって構わない。

 

「そう言えばこの前、オールマイトの活躍の特集番組がね……!」

「はい、私も見ましたよ! やっぱり、オールマイトの活躍は語り草ですよね!」

 

「おい」

 

「数日前は『巨大化』の“個性”の(ヴィラン)を倒してたよね! しかもワンパンで!」

「あれも全てオールマイトの筋肉が為せる技ですよ! どうやって鍛えてるのか一度聞いてみたいものですね……」

 

「おいっ」

 

「言われてみれば№2のエンデヴァーも凄い鍛えてるし、“個性”に関わらず鍛えてる人は多いんだろうね! あ、でも“個性”上あんまり鍛えない人も居るよね」

「私は勿論鍛えてますよ! なんたって……」

 

「おぉい! シカトこいてんじゃねえぞ!!」

 

「ぎゃひィ!?」

「うわ!」

 

 僕の目の前―――正確には机が爆ぜた。

 この“個性”は間違いない、彼だ。

 

「か、かっちゃん……!」

「おい、デクぅ……聞き捨てならねえ言葉が聞こえたんだが?」

「聞き捨てならない言葉って一体……?」

「てめえがヒーロー志望ってことだよっ!!」

 

 もう一度、僕の机の上が爆ぜる。

 とは言っても、学校の備品である机を完全に破壊した訳じゃなくて、表面がほんのり煤ける程度の爆発だ。みみっちいと言い換えられることもできるかもしれないけれど、それほどまでに繊細な“個性”の操作ができることを、僕は素直に感心する。それでも学校で“個性”を使うことは褒められたものじゃないけれど……。

 

 だけど、問題はそこじゃないんだ。

 

「ぼ、僕もヒーロー志望だっていいじゃないか……!」

 

 取り巻きの生徒と共に座っている僕に見下すような視線を向けるかっちゃん。

 勉強も運動も僕なんかより凄いかっちゃんは、勿論ヒーロー志望。口や態度が悪いことを除けば、きっと将来はトップヒーロー間違いなしの逸材だってことは素人の僕でも分かる。

 そんなかっちゃんに言われるからこそ時々堪えるんだ。

 

―――“無個性”の僕がヒーローを夢見てることが。

 

 逃避するように視線を落とす。

 その際、きょとんとした顔を浮かべている排打さんが目に映った。事情も知らない彼女は僕が“無個性”だってことも知らない。

 だから僕の発言の意味も分かってないと思う。

 

 そんな時にかっちゃんは余りにも呆気なく告げた。

 

「“無個性”のてめぇにヒーローは土台無理だろ、はははっ!」

「っ……!」

 

 今の僕はどれだけ惨めな顔を浮かべていただろうか。

 高らかに笑うかっちゃんに釣られて取り巻きの生徒たちも一斉に笑い出す。教室の中を反響する笑い声が嫌に澄んで聞こえた。

 ある者は『慣れたものだ』と何も思っていないような視線を向けてきて、ある者は『またやってる』と呆れたような視線を向けてくる。

 

(一人くらい止めてくれたっていいじゃないか)

 

 ヒーロー志望なら、と口に出そうになった。

 

「爆豪くんっ!」

「あ゛?」

「……排打さん?」

 

 項垂れる僕の目の前に立つ人影。

ちょうどかっちゃんとの間に割って入る形になったのは他でもない、排打さんだった。

どんな顔をしているのかは僕には見えないけれど、不思議と彼女の背中が大きく見える。

 

「―――私と腕相撲しませんか?」

「……は?」

「ちょっとしたレクリエーションですよっ! ほら、爆豪くん!」

「てめっ、なに勝手に話進めて……お゛ぉ!!?」

「V!」

 

「え゛ぇ~~~!? かっちゃんに勝った!?」

 

 流れるような運びでかっちゃんと腕相撲をとる体勢に入った排打が、一瞬でかっちゃんの腕を押し倒して勝利した。

 凄い勢いだったから手の甲を打ち付けたかっちゃんが若干悶絶してるけど、僕にとっては女子の排打さんがかっちゃんに筋力で勝ったことが驚きだ。

 

 だけど、すぐに負けを認めるかっちゃんでもない。

 

「っ……今のは無しに決まってんだろ! 勝手に一人で始めやがって! おら、もう一回だ!! 今度は本気でぶっ殺してやる!!」

「その挑戦者(チャレンジャー)精神……()ーッ! でも、そう簡単にやられる私じゃありません……よっ!」

「お゛おおっ!?」

 

 また勝った。

 その後も自分のプライドが許さないかっちゃんが何度も排打さんに勝負を挑むものの、何度やっても結果は変わらない。

 机の上に何度も叩きつけられて真っ赤になった手の甲を押さえるかっちゃんは、かつてないほど険しい表情を浮かべて排打さんを睨む。

 

「てめえ! “個性”でズルしてんじゃねえだろうなァ!?」

「ちっちっち。私の“個性”は『衝撃波(ショックウェーブ)』です。腕相撲にはちっとも関係のない“個性”ですから、今の勝負は単純に私が爆豪くんよりも強かっただけですよ。筋肉の勝利です!」

「っ……! この筋肉女……次は負けねえぞ!」

「ふっふっふ、爆豪くん。イジメていいのは己の筋肉だけなんですよ」

「意味わからねえことほざいてんじゃねえよっ!」

 

 制服の袖を捲り、逞しく鍛え上げられた上腕二頭筋を見せる排打さん。

 彼女に完膚なきまでに負けてしまったかっちゃんは、鬼みたいな形相を浮かべながら自分の席に戻っていった。

 

 かっちゃんはああ見えて潔い部分がある。

 でも、どんな形であれかっちゃんが負ける光景は、僕にとって余りにも新鮮なものだった。

 

「す、凄い……」

 

 女子が男子に勝つだけでも凄いのに、あのかっちゃんに勝つなんて……。

 

 “個性”も使わずに筋肉だけで勝つためには相応の努力が必要だ。

 誇らしげに胸を張る排打さんを観察すれば、腕だけじゃなくて、全身が満遍なく鍛えられていることが窺えた。

 

―――それこそ、僕なんかより……。

 

 そのことに気が付いた時、僕は胸がキュッと締め付けられる感覚を覚えた。

 

―――僕は何をしたっけ?

 

 不意に僕は自己嫌悪に陥った。

 

(ああ……やっぱり……)

 

 排打さんやかっちゃんは、僕と違う世界の住民だ。

 ヒーローを志す人達は、皆須らく努力している。

 

 僕は本当の意味でヒーローになるための努力はしてなかったって、今気が付いた。ヒーロー分析っていう楽な方向に逃げていただけで、“無個性”なりにしなきゃならない努力をしてなかったんだ。

 

 僕はどうしようもない劣等感を覚えて、そっと目を伏せた。

 

 

 

 +

 

 

 

 僕は放課後、とある場所に立ち寄っていた。

 そこは学校のゴミが集められるゴミ捨て場。各クラスのゴミ箱に捨てられた物の最後に集まる場所だ。

 家庭ゴミのように生ものは入っていないけれど、鼻を突く不快な臭いは漂ってくる。

 その前で顔を顰めている僕は、手に『将来の為のヒーロー分析』ノートを手に持っていた。

 

「……」

 

 たくさんのヒーローの“個性”やコスチューム。他にも、戦い方やどんな活躍をしたかを書き綴っているノートだけど、これはもう僕には必要ない。必要ないんだ。

 

「っ……!」

「あー、緑谷くんっ! ここに居たんですね!?」

「は、排打さん!?」

 

 でも、突然どこからともなく排打さんが現れて、咄嗟にノートを背中に隠してしまう。

 

「おや? 緑谷くん、今何か隠しましたか?」

「い、いや、別に!!」

「いえ、絶対隠しました! 私はこれでも目は良ーんですよっ!」

「わあ!? ちょ、ちょっ……!」

「ん? 『将来の為のヒーロー分析』……ふむふむ。ふむむ?」

「あ、あぁ~!」

 

 僕は恥ずかしさの余りそばかす顔を手で覆った。

 分析ったってそんな大層なものじゃない。加えて、別に絵心もない僕が素人なりに特徴を捉えるように描いてみた下手なヒーローの絵がある。男子にだって見られたら恥ずかしいと思うのに、転校してきたばかりの女子に見られたらと思うと、僕は恥ずかしさで顔から火が出そうだった。

 

(さっさと捨てれば良かった……)

 

―――ヒーローになりたいっていう想いと一緒に。

 

「す……」

「?」

「凄いじゃないですか、緑谷くん!」

「えぇー!?」

 

 陰鬱な気分になっていた僕の肩を掴む排打さんは興奮しているようだった。

 

(ち、近い! 女子、顔、目の前!)

 

 現状を頭の中で整理しようとするけど、僕にとっては刺激的過ぎる状況を前に、上手くまとめることができない。

 遂にはキャパシティーがオーバーしてフリーズしてしまう僕だったけれど、構わず排打さんは語り始める。

 

「これ全部緑谷くんが書いたんですか!? “個性”も! コスチュームも! 戦い方まで調べて!? こんなこと、並大抵の意気じゃできませんよ!」

 

 笑顔が眩しい。

 違う、僕はそんなに讃えられるようなことをした人間じゃないんだ。

 

 そう考える僕へ、排打さんは告げる。

 

「やっぱりヒーロー志望なんですね!」

「っ! ……でも、僕は“無個性”で―――!?」

 

 伏し目がちな僕の手を握る排打さん。彼女の僕を見つめる瞳は真っすぐで、とてもじゃないけれど目を逸らすなんてことはできなかった。

 

「関係ないですよ!」

「!」

「“無個性”じゃヒーローになってはいけないなんて、要綱に書いてありましたか!? 私は昔から何度も何度も見返しましたが、そんな文面見たことがありません!」

「そ、それはそもそも“個性”があるのが大前提っていうか、暗黙の了解っていうか……」

「書いてないったら書いてないです! ならば、試験に合格してヒーロー足り得る能力があると証明できれば、ヒーローとして人を救けても良ーということです!」

 

 底なしのポジティブ。僕は排打さんにそんな印象を抱いた。

 だけど、彼女の言葉は不思議と心地よくて、今にも捨てたかった想いを捨てさせないようにする熱がある。

 

「緑谷くんはヒーローになりたくないんですか?」

 

 彼女はちっぽけな僕の決意を揺るがしてきた。

 

「“無個性”だからとヒーローになれないと考えているんですか?」

 

 そうだ、簡単に捨てられる筈がなかったんだ。

 

「緑谷くんにとってのヒーローとは、単なる職業としてのヒーローなんですか?」

 

 僕が子供の頃からずっと―――英雄(オールマイト)に憧れてからずっと抱いてきた想いを。

 

「違います! 人を救けたのならば、その人は須らくヒーローなんです!」

 

 笑顔で誰かを救けたいっていう“夢”は、簡単に捨てられるものじゃなかったんだ。

 

 

 

「緑谷くん()ヒーローになれます!」

 

 

 

―――誰か一人にでも、夢を肯定されたかったんだ。

 

 

 

「っ……う、うぅ……!」

「緑谷くん!? あわわ、私が何か酷いことを言ってしまいましたか!?」

「ううん、違うんだ……嬉しくて……!」

 

 クラスメイトにも否定され、担任の先生にも遠回しに否定され、そもそも最初にお母さんにヒーローになれないと涙で示され。

 そんな僕にとって、例え出会って一日も経ってない子だったとしても、ヒーローになれると言ってもらえたことはこの上なく嬉しいことだった。それこそ、今まで散々馬鹿にされる度に堪えていた涙が溢れ出すくらいには。

 

「ありがとう、排打さん……おかげでもうちょっと頑張ろうって思えたよ」

「いえいえ! これからよろしくするクラスメイトなのですから! ……ところで、ちょっと失礼してもよろしいでしょうか?」

「え? ちょ、わあぁ!?」

 

 って、急に排打さんが僕の学ランの裾を捲って僕の体をマジマジと観察し始めた!?

 

「おうふ、これは……」

「は、排打さん? あんまり見つめられると、その、だらしのない体で恥ずかしいっていうか……」

「―――鍛えがいのありそうな体ですね」

「へ……?」

 

 その時、僕は排打さんの目がギラついたのを見逃さなかった。

 まるで獲物を見つけた肉食獣のように煌めく眼光。小心者の僕にとっては身震いしてしまいそうなほどに獰猛な笑顔を浮かべる排打さんは、逃がさないと言わんばかりに僕の手を握る。

 女子の手! スベスベでさらさらしてて、なんか良い匂いもする……けど、一生懸命筋トレした証であるようにデコボコした掌だった。

 

 僕は、排打さんの努力に対する畏怖と、現在置かれている状況への本能的な恐怖を前に生唾を飲んで、悪意を一切感じない満面の笑みを浮かべている彼女を見つめる。

 

「その……えっと、排打さん……?」

「何はともあれ筋肉です! 人命救助に必要なガッツ、スタミナ! それらを解決するのは筋肉なんです!」

「ひっ!?」

「緑谷くん! 共にヒーローを志す者として微力ながら貴方にお力添えをさせて頂きます!」

「それってどういう……!?」

 

 嫌な予感がして咄嗟に足を一歩引いたが、僕では到底振りほどけそうにない力で手を握る排打さんに詰め寄られた挙句、こう言い放たれてしまった。

 

「―――一緒に筋トレしましょう!!!」

「え……ええええええぇぇぇぇぇ!!?」

 

 

 

 これが僕のターニングポイントの一つ。

 この日から、僕と排打さんのハッスルでマッスルな日々が始まるのだった。

 

 

 

 +

 

 

 

「おはようございます、緑谷くん! 今日は朝からいい天気ですね!」

「う、うん……」

 

 排打さんの笑顔が地平線から昇る朝日のように眩しくて、僕は目を細めてしまった。

 早朝5時に浜辺に集まった僕たち。排打さん曰く、こっちに引っ越してから見つけた絶好のランニング場所らしい。

 

 そんな場所に呼び出された僕。

 彼女の厚意を無駄にはできない―――それと、いつまでも内向的な努力ばかりする自分を変えたくてやって来たんだ。

 だけど、流石にこんなに早く起きるのは正直きつかった。

 

「排打さんは、いつもこの時間にランニングしてるの……?」

「そうですよ! 朝に一汗掻いてから食べる朝ごはんは格別! 朝は一日の資本となる重要な時間帯なのです!」

 

 それにしても、ランニングウェアとランニングタイツ姿の排打さんは、中々どうして……。

 いや、ダメだ! 僕はこんな邪な考えを持つためにここに来たんじゃない!

 

 自分を変えたい、そのきっかけをくれた彼女に応えるためにも、今日から頑張っていくんだ!

 

「排打さん、その、こういうの初めてだから要領とか分からないけど……よろしくお願いします!」

「承りました! 私の手にかかれば、緑谷くんも半年後にはバキバキに仕上がっている筈です!」

「半年後!? バキバキ!?」

「筋肉は一日にしてならず! 己の筋肉の限界を超えて筋線維を千切ることこそが基本です! 常に己を超えていく意気が必要ですよ! 乗り越えた自分の壁の数が、私達を更なる高みへ連れていってくれるのです!」

 

 服の上からでも分かる引き締められた筋肉を見れば、これまでの排打さんの努力が分かる。

 そうだ、彼女の努力が目に見えるからこそ説得力が生まれるんだ。

 “無個性”の僕がヒーローになるためには、それこそ並大抵の努力じゃ足らない。他人の何倍もの努力をしなければならかった。

 でも、過ぎ去ってしまった時間までは戻らない。なら、今からでも出来る限りのことはしなくちゃダメなんだ!

 

 

 

―――だけど、現実は非情だ。

 

 

 

「ぜぇー! はぁー! ぜぇー! はぁー!」

「一先ずこのくらいにしておきましょう!」

「う、う゛んっ……げほっ、ごほぅ!?」

 

 たった30分のランニングがここまできついものだったなんて……!

 体力の無さは自覚しているつもりだったけれど、それにしても浜辺で走ることがここまで体に堪えるとは思っていなかった。

 朝なのにもう足腰がガクガクだ。

 

「これ……絶対……明日……筋肉痛……!」

「そうですね……でも、いつかその痛みが癖になってきますよ!」

「えぇ……!?」

 

 筋肉痛に快感を覚えている……っていう言い方だと誤解されそうだ。

 きっと、自分の限界を超えられたっていう明確な基準があるからこそ、筋肉痛になるまで頑張ったことに喜びを見出しているんだろうけれど、僕はまだまだその段階に進めそうにはない。というより、今まさに一歩前に踏み出すことさえできないほどに疲労している。

 

「先行きが不安だ……!」

「そんな緑谷くんへ、私からの差し入れです!」

「へぁ? わ、ととっ! これって……コーラ?」

「そうですよ! 一汗掻いた後のコーラは最高ですよっ!」

 

 確かにコーラはエネルギー補給に良いっていう噂は聞いたことがある。

 でも、今はロジックなんか関係なしに水分補給がしたかったから、僕は排打さんに続いてコーラの入った容器の蓋を開けた。

 

 そうこうしている間にコーラをラッパ飲みする排打さん。けれど、彼女が炭酸飲料の蓋を開けた時に鳴る炭酸が抜ける音は響いていなかった。勿論、僕のも。

 僕が不審に思いつつ、それでも喉の渇きに耐えかねて容器に口をつければ、その理由がすぐに分かった。

 

「これ……炭酸抜けてるの?」

「炭酸抜きコーラですよ!」

 

(えええええ……!?)

 

 まさか差し入れに炭酸抜きコーラをもらうとは露ほども思っていなかった。

 美味しいけれど……美味しいんだけれど……!

 

「排打さん……いつもコレ飲んでるの?」

「はい、そうですよ! 炭酸の抜けたコーラも中々乙なものでしょう?」

「そ、そうだね……ははっ」

 

 彼女の満面の笑みを前にすれば、否定的なことなんて言えやしない。

 

 でも、後になって気が付いたんだ。

 

 激しい運動の後に炭酸の抜けてないコーラを飲むと吐くって―――。

 

 

 

 +

 

 

 

 排打さんがヒーローを志すようになった理由は、なんてことはないよくある話だ。

 昔、敵の暴走に巻き込まれて倒れてきた重い物に挟まれて身動きがとれなくなった時、近くに居たジム帰りのマッチョたちに助けられたかららしい。

 ……いや、よくある話ではないかな。

 でも、『誰かに救けられた』経験があるからヒーローを志すのはよくある話だ。

 

 僕の場合はオールマイトに憧れただけだから、実体験に基づく志じゃない分、排打さんと比べると少しばかり引け目を感じてしまう。

 

 だけど、“無個性”と知ってるからか否か、そんな僕に対して排打さんはとても良くしてくれた。

 

『緑谷くん! このプロテイン安くて美味しいんですよ!』

『緑谷くん! 今度の日曜日、一緒にジムに行きませんか!』

『緑谷くん! トレーニングの後のストレッチをしましょう!』

『緑谷くん! お古でよろしいなら、私が持っている入門用の筋トレ道具をお貸ししますよ!』

 

 排打さんは良くも悪くも単純な女の子だった。

 

 それまで当たり前だったクラスの皆の僕に対する扱いに異を唱えてくれた。

 当然、そんなことをすれば反発する人達は現れる。けど、困った人を見過ごせないお節介な性格で、人の良い所を積極的に褒めて、それでいて笑顔の弾ける彼女がクラスの輪に入るのにはそう時間はかからなかった。

 

 彼女のおかげか、最近はかっちゃんも僕に余り絡んでこない。その代わり、前より随分と体が逞しくなったような気がする……それはそれで怖いような気が。

 

 なにはともあれ、排打さんが来てから僕の世界は変わった。

 

 何もなかった僕の体に筋肉が付いたのを見ると、以前とは打って変わって自分に自信が持てるようになった。

 

 そうだ! 例えヒーローの資格が取れなくたって、本当に誰かがピンチの時に救けられるような人間であることが大切なんだ!

 

 そんな風に僕を前向きにさせたのは、偏に排打さんのおかげだ。

 彼女を手短に説明すれば筋肉至上主義……じゃなくて、努力家で、明るくて、それでいて困っている人を見過ごせない女の子だ。

 トレーニング中でも、重そうに荷物を運んでいるおばあさんを見つければ手伝って、膝を擦りむいた子供を見かければどこからともなく取り出した絆創膏を張ってあげて、その他にも数えきれないほどの場面に出くわした。

 

 僕から見て彼女は、最早立派なヒーローだったんだ。

 

 でも、そんな彼女だからこそ“無個性”の僕を気にかけて、自分の時間を犠牲にしてるんじゃないかって疑ってしまった。

 彼女は辛い顔を見せない子だから、本当は僕を疎ましく思っているんじゃないか、って。

 だからこそ、どんない辛くて苦しいトレーニングでも、彼女が僕にかけてくれている想いに応えようって、何度も『ダメだ』って挫けそうになった限界を乗り越えた。

 

 だけど、とうとう聞いてしまったことがある。

 

「排打さんは……その、僕のことを迷惑だと思ってない?」

 

 今思えば、本当に人の僕に対する想いに懐疑的だったんだ。

 お母さんに気苦労を背負わせてしまって、同年代の子には自然と下に見られていたから。

 

 付いてきた筋肉とは裏腹に成長しない精神《こころ》から漏れてしまった言葉。

 排打さんは、そんな言葉を聞いて数秒ぽかんとしては、満面の笑みでこう言い放った。

 

 

 

「居心地が()ーッから、緑谷くんと一緒に居るんです!」

 

 

 

 僕は顔から火が吹き出そうだった。

 おかしいな、僕のお父さんは口から火を吹き出す“個性”だった筈なのに、そんな筈は……。

 対して面白くもないギャグが頭の中をぐるぐると巡る。

 そうだ、きっと大それた意味なんてない。単純に、ヒーローを語り合う仲として気が合ってるっていう意味なんだ!

 僕は自分に言い聞かせた。

 

「そ……そうなんだ……よ、よよ、ヨカッタヨ」

「ええ! 私と緑谷くんはヒーローを志す友達でありライバルです! これからも互いに切磋琢磨しましょう! 筋肉を!」

「う、うん!」

 

 彼女は僕に与えてくれた。

 

 

 

 衝撃と、勇気と、まだはっきりとしない胸の熱さを。

 




後編へ続きます。


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貴方が来た!

 私は改造人間です。と言えば語弊がありますね。

 正確に言えば、肉体改造人間です。

 

 小さい頃、マッチョな人達に救けられた経験から人を救けるヒーローに憧れ、その一環として筋肉をつけるためのトレーニングに励んできました。

 オールマイトも然り、エンデヴァー然り、彼等の肉体には隆々とした筋肉が付いています。それはつまり、ヒーローに筋肉が必要であることを示してくれているという訳でしょう!

 

 子供の頃から良くも悪くも単純だった私は、年頃の女の子らしくおままごとをする訳でもなく、一人筋トレに勤しむようになっていました。

 警察官のお父さんからは、『衝子は女の子だから』とヒーローになることに反対されたが、それでもヒーローに憧れる気持ちを止めることはできません。

今となれば、警察官という仕事上個性社会におけるヒーローという職業の苛烈さを知っていたからこそ、娘に勧めたくなかったということは分かります。

 

 ですが、父の言葉の裏に隠された想いに気が付かず、単純に女の子だからと見くびられたような気がした私は、半ばお父さんを見返してやろうという想いからより一層筋トレに励みました。

 

その結果、気が付けば同年代の男の子が引くほどの逞しい体となったのです!

 

「むっふー! 我ながら良ー筋肉です!」

 

 欠かさぬ努力の甲斐あってか、原則“個性”の使用が禁止な小・中学校の体育では、男女ひっくるめてトップクラスの成績を収められました。

 最初はドン引きしていた男の子にも次第に打ち解けられ、女の子には『頼りになる』『彼氏にしたい』と言われるようになったのです。

 

 そしてなにより! 私の“個性”に筋肉は欠かせないのですよ!

 

 

 

 排打 衝子:個性『衝撃波(ショックウェーブ)

 全身から衝撃波を放てるぞ! 繰り出せる衝撃波の威力は、ちょ~と痛いくらいからビル一棟をぶっ壊せるまでの幅広さ! ただし、繰り出した衝撃波の威力に応じて反動が身体に返ってくるから気をつけな!

 

 

 

 私の“個性”は発動型。自分で言うのもあれですが、シンプルながらも強力な“個性”という奴です。

 しかし、しっかりと使いこなすためには衝撃波の反動に負けない体づくりが必要でした。建物を壊すくらいの衝撃波を放てば、それこそ反動で私の全身の骨が折れてしまいます。

 そんな感じの“個性”でありまして、敵を一人倒す度に痛みで悶絶していてはヒーロー活動なんて到底できないでしょう。

 

 だからこそ! 私は強力な衝撃波を出しても負けない体作りのために筋肉を作っていたのです! 決して“個性”を使いこなすために筋肉が必要だということを、後から知った訳ではありません!

 

 そうして健康的な体と共にヒーロー足り得る健全な精神を育んできた私は、諸事情で転校し、現在通う折寺中学校へとやってきました。

 そこで出会ったのは“無個性”の男の子、緑谷出久くん。

 私たちの世代になると逆に珍しい“無個性”でして、以前の学校でもそうだったのですが、マイノリティな“無個性”の子は比較的大人しい傾向にあるようです。

 

 しかし、実際にどんな人かは話してみないと分からないものですから、私は隣の席になった彼に話しかけました。

 

 彼は、一言で言えばヒーローが大好きな男の子。

 

 ヒーローに憧れて、ヒーローになりたくて、でも“無個性”だからとその道の険しさを自覚して俯いている……私にはそう見えました。

 馬が合って楽しく話している最中に割って入って来た爆豪くんも、言動こそ厳しいですが、現実に即した考え方であると思います。

 

 でも、私は彼をどうしても見捨てられなかった。

 

 だから、私は慰める意味で『“無個性”でもヒーローになれる』と訴えました。職業ヒーローではない、人を救けるという意味での存在として。

 彼は私の言葉に頬を濡らすほど喜び、その瞳には燦然たる光が宿りました。

 私の言葉で一人の男の子の夢を救けられた―――とても嬉しい気持ちになりましたが、反面、ここで彼を放り捨てることもどうかと思い、私は彼を筋トレに誘ったのです。

 

 筋肉があればなんとかなる! 私には確信に近い何かが胸の片隅にありました。

 例え“無個性”だとしても鍛え上げた筋肉、ついでに技術と知識があればヒーローに劣らない人財の爆誕です!

 

 そんなこんなで緑谷くんを誘って筋トレに勤しむようになった私でしたが、彼は私の想像を容易に超える人物だったのです。

 

 お世辞にも鍛えられているとは言えない体で私のトレーニングのペースに合わせることは至難の業。しかし、緑谷くんは自分の限界を超えて必死に食い下がってきます。

 唇を噛み、汗が噴き出し、時には口からリバースしてしまったりもしていましたが、決して自分に妥協せず努力する姿に、私は感銘を受けました。

 

 そして、ジンと胸が熱くなる感覚が。

 “無個性”でも必死にヒーローになろうと努力する彼を見ていると、私の胸の内には勇気が湧いてくるのです。面と向かって言うのは失礼ですから、そのつもりはありませんが、きっと彼が“無個性”じゃなければ私はここまで心を動かされなかったでしょう。

 

 

 

 負けていられない。もっと頑張ろうって。

 

 

 

 私が彼の背中を押しているつもりだったのに、いつの間にか私が彼に背中を押してもらっているような感覚でした。

 不思議、とても不思議な感覚。

 でも、決して悪いものではありません。

 

 共に筋トレをして、時にはヒーローを語り、またある時には私の“個性”について緑谷くんが熱く語ってくれました。

 

 私にとって、彼の傍は―――とても居心地が良ーのです。

 

 

 

 +

 

 

 

「『女子中学生、電車内で痴漢を撃退!』か……」

 

 スマホの画面に映し出されている画像。

 そこには警察官に賞状を手渡されている排打さんの姿が映っていた。つい先日、学校でも話題になった話だけど、題名通り排打さんが乗っていた電車内で痴漢を働いた男性を彼女が撃退したというものだ―――一本背負いで。

 

 僕は知っている。彼女がヒーローとして敵に勝てるように、色んな武術に手を出していることを。

 ヒーローによっては、ガンヘッドみたいに各々の創作武術を扱っているけれど、やっぱり応用のためには基礎が重要だ。筋トレ然り。

 

「おはようございます、緑谷くん!」

「あ、排打さん! おはよう! これ見て、ニュースになってるよ!」

「わわっ! こうして見るとなんだか恥ずかしいですね」

 

 そう言って頬に朱が差す排打さんははにかむ。

 見れば見る程、彼女はヒーローが似合っているように思える。“個性”の練度も、鍛えられた体も、性格も、心をホッとさせてくれるような笑顔も。

 

「筋肉女ァ!!」

「むむっ!」

 

 すると、どこからともなく険しい表情のかっちゃんがやって来た。

 

「今日こそテメぇをぶっ殺してやる!! 構えやがれ!!」

「望む所ですよ、爆豪くん!!」

 

 そう言って身構える二人。

 これからは始まるのは、そう、腕相撲だ。

 排打さんが転校初日にかっちゃんを打ち負かしてから、定期的に行われるこのリベンジマッチ。

 でも、わざわざ戦いの場を僕の机に設定することに意味があるのかは、未だ二人に聞けない。そして、いつも排打さんが負けたら僕の方へ倒れるような位置取りをしている理由も、未だ聞けてはなかった。

 

「レディ……ファイッ!!」

 

「おおおおおらあああああ死ねえええええええ!!!」

「ふぬぐぐぐぐごごごご、ふにゃああああああ!!!」

「あ゛ぁッ!!?」

「私の勝ちですね!」

「ちくしょうがあァ!!!」

 

 今回も辛うじて排打さんが勝った。

 前みたいに一瞬で彼女が勝つなんてことはなくなってきたけど、それでも勝敗の結果は排打さんが全勝だ。

 

 彼女に負けるや否や、かっちゃんは悪態を吐いて颯爽と去っていく。

 負けず嫌いのかっちゃんのことだ。最近、学ランの上からでも分かる筋肉は、ヒーロー養成機関最高峰たる雄英高校の入試に合格するためだけじゃない。きっと、排打さんに腕相撲で負けたことがきっかけだろう。

 ナチュラルボーン天才のかっちゃんが、排打さんに勝とうと裏で努力していることは僕にも分かる。昔から何でもそつなくこなしていたかっちゃんだからこそ、『誰かに負ける』っていう事実が許せなかったんだと思う。

 

 そう考えていると、僕は自分の肩身が狭くなっていく感覚を覚えた。

 天才が努力したなら、凡人は一体どうすればいいっていうんだ。

 こればかりは、以前より前向きになれてきた僕でもため息が漏れざるを得ない。

 

「はぁ……」

「浮かない顔ですね、緑谷くん。どうかしましたか?」

「あ、排打さん……い、いや、なんでもないんだ」

「? そうですか。それよりもです! 緑谷くんはどこ志望なんですか!?」

「僕? 僕は……そのぅ……」

 

 腕相撲の後、3年生ともなったことで僕らには進路希望調査のプリントが回された。

 この個性社会、夢見る若者のほとんどはヒーローを志して、各地に存在するヒーロー科のある高校を目指す。

 僕が目指しているのは、オールマイトの母校でヒーロー科最難関とも言われている雄英高校だ。

 

 でも、僕が雄英を目指しているなんて公言したら、皆に馬鹿にされるのは目に見えているし、実際問題限りなく不可能に近い。確か、雄英には普通科からヒーロー科に編入できる制度もあるって聞いているけれど、それだったらまだ他の高校に入った方が可能性はある。

 

「まだ、考えてる途中で……」

「そうですか! 私は第一志望が雄英で、第二志望が士傑です!」

「うわぁ……どっちもヒーロー科じゃ難関のところだね」

「自分の夢に妥協はしたくないですから! 実際、狙っているのは雄英高校オンリーですよ!」

 

 そう言って拳を握る排打さんの姿は眩しい。

 かっちゃんから『筋肉女』だったり『脳筋』だったりと罵倒される彼女だけれど、頭は寧ろ良い方だ。それも努力の賜物なんだろう。

 

「すごいや、排打さんは……」

「そうだ! 緑谷くんもヒーロー志望なら、雄英を受けてみては!?」

 

『ブブーッ!!』

 

 突拍子もない提案。

 だけれど、僕が心の奥で夢を見ていた道を排打さんが口にすれば、ガヤガヤとはしゃぐように騒いでいたクラスメイトの視線が一斉に僕へ向き、途端に噴き出した。

 

「はああ!? 緑谷あ!? ムリッしょ!!」

「勉強出来るだけじゃヒーロー科には入れねんだぞー!」

 

 ほら見ろ。世間の“無個性”への風当たりは強い。

 “個性”が必ずしも戦い方に関連するとは限らなくてもヒーローを務めてる人達はたくさん居るのに、“無個性”だとこれなんだ。

 例え体を鍛えて、サポートアイテムを駆使して、総合的な技術がヒーローに匹敵していようとも、きっと“無個性”がヒーローになろうとすることに対して馬鹿馬鹿しいと思う風潮は変わらないと思う。

 

 だからこそ、僕は……!

 

「僕はヒーローになりたいんだ!!」

 

 声を荒げて立ち上がれば、小鳥のさえずりのようだった喧騒がピタリと止んだ。

 僕の真剣さが伝わったのか、中にはバツが悪そうに顔を逸らす子も居た。

 

 でも、やっぱり僕がヒーローを目指すことを気に喰わない人も居る。

 

「こらデク!!!」

「ひ!?」

「“没個性”どころか“無個性”のてめェがあ~、何で俺と同じ土俵に立てるんだ!!?」

「待っ……違う、待ってかっちゃん! 別に張り合おうとかそういうんじゃなくて……」

 

 僕の机に手を叩きつけると同時に爆破を起こすかっちゃん。

 半ば恫喝に近い言動を取るかっちゃんは、余程僕のヒーローになりたい宣言が気に喰わないのか、いつもにまして険しい表情だ。

 

「まあまあ、爆豪くん。落ち着いてください」

「触るんじゃねえよ、筋肉女!」

 

 そんなかっちゃんを止めてくれたのは、このクラスで唯一彼を止めることのできる排打さんだ。

 にこやかな表情でかっちゃんの肩に手を置いて制止した彼女は、睨んでくるかっちゃんを他所に僕の手を握る。

 

「応援しますよ!!」

 

 余計な言葉は僕を道化のように仕立て上げるだろう。

 だからこそ、排打さんは端的に僕の背中を押してくれた。

 

「う、うん……!」

 

 でも、眼前に排打さんの顔面があるのはちょっと恥ずかしいというか、直視出来ないと言うか……!

 

「ちっ!」

 

 そんな僕の鼓膜を叩く、苛立たし気な舌打ち。

 その音の耳障りがやけに不穏だったのは気のせいだったのだろうか。

 

 

 

 +

 

 

 

 最近、ムカつく女が居る。

 1年と半年ほど前に折寺に来た筋肉女(はいだしょうこ)だ。いつもヘラヘラと媚びるように笑ってやがる癖に、体の仕上がり具合は―――認めたくねーし永久に認めねーが―――俺より凄かった。

 急に吹っ掛けてきやがった腕相撲勝負に負けて以来、雪辱を果たすために俺も体を鍛えて何度もリベンジに臨んだが、未だに勝てたことはない。

 

 勉強は流石に俺の方が出来るが、それでも俺様が誰かに……しかも女に力勝負で負けたことが心底気に喰わない。

 しかも、あいつは“無個性”のデクの肩を随分と持つ。

 

 ふざけやがって!

 この中学で唯一俺と張り合えるような奴が、なんでデクなんかとツルんでやがる!

 

 別に筋肉女が俺の好敵手だとか、そういう訳じゃ断じてねえ。

 だが、何事にも秤みたいに釣り合うべくして釣り合うものがある。凡人が天才に釣り合う訳がねぇし、ましてや天才がわざわざ凡人に付き合うことなんざ無駄以上の何物でもねえ。

 

 俺には分かる。筋肉女はあいつと釣り合うような輩じゃねえ。もっと対等に付き合わなきゃいけねえ奴が居る。

 だってのに、あいつはデクばっかりと。

 俺にとっちゃ路傍の石ころに過ぎねえデクに気をかけて、俺なんて眼中にねえと言わんばかりに軽くあしらいやがる。

 

 それが心底気に喰わない。

 

 勉強も、力も、“個性”も、俺と対等であるべきなのは筋肉女なのに、あいつの目が向いているのはいつもデクばかり。

 

「クソがっ!!!」

 

 胸ん中の鬱憤を晴らすように、コーラにしちゃ汚い中身が入っていたペットボトルを腹いせに蹴飛ばした。

 

「かっちゃん怖ぇ~」

「ま~た今日も排打に……」

「あ゛ぁ!!? あの筋肉女がなんだって!!?」

 

 取り巻きのモブ共がなんか騒いでるが、手に持っていた空き缶を爆破して黙らせる。

 無様に肩を竦めるのが見えたが、そいつらがビビってる姿を見たって、俺の鬱憤が晴れる訳じゃあねえ。

 晴らせるとしたら―――、

 

「私を呼びましたか?」

 

 居やがった、いつの間にか。

 

 俺の神経を逆撫でしやがる元凶が。

 

「なんでてめェが!?」

「いえ、爆豪くんを追って来てみたら『筋肉女』と聞こえてきましたので!」

「自覚あんのか」

「だって爆豪くん、いつも私のことそう呼ぶじゃありませんか。あだ名としての良し悪しは別として、一個人を識別するための名称としてはすでに私の頭にインプットされてますよ! っと、それはともかく……」

 

 ムスっとフグみてえに頬を膨らませやがった筋肉女が、取り巻きのモブ二人を指さす。

 

「こら! 中学生がタバコ吸ったらダメじゃないですか! もしや……爆豪くんも!?」

「吸うかてめェこら! そいつらが勝手に吸ってるだけだ!! 俺ァ関係ねェ!!」

「だったら注意して止めなきゃダメじゃないですか! ヒーロー足る者、法令を遵守する精神を育まなきゃ!」

 

 こういうところだ。こいつのムカつくところは。

 

「んなもんケーサツに任せときゃいいだろうが、んなしょぼい仕事はよー!!」

「ダメだったらダメです! 民間人でも緊急時には現行犯逮捕出来る権限があるんですよ!? ヒーローなんかは特にそうです! “個性”という危険な武器を扱う以上、警察以上に法律にですね……!」

「うぜーうぜーうぜー!!! ヒーローは敵を倒してなんぼだろ!!!」

「敵を倒すだけがヒーローの仕事じゃありません! それに、私は貴方のその言動に物申したくこの場に参上仕ったんです!」

「あ゛ぁ!?」

「緑谷くんのヒーロー分析ノートのことですよ!」

 

 何を言うかと思えば、俺が放課後爆破してやったデクのノートのことらしい。

 “無個性”の癖してヒーロー目指してるあいつに現実見させてやるために目の前で爆破してやったんだ。

 ヒーローは為るべくして為れる選ばれた人間しか務められねえ職だ。

 それをあの“無個性”が務めたとなっちゃあ、それこそヒーローの株が大暴落だろうよ。

 

 寧ろ俺の行いはヒーローの“格”を落とさないための正しい行いだろうが。

 

「それがなんだってんだ?」

「緑谷くんの夢を踏み躙るような真似をして! 流石の私もカンカンですよ、カンカンッ!」

「だァら何の話だ!!?」

「爆豪くんもヒーロー志望なら、その言動を直すべきという話です! 暴力的な言動では救けを求めてる人々に安心を与えられませんから!」

「はっ、馬鹿馬鹿しい! んなもん敵倒した実績ありゃあどうにでもなんだろ!」

「爆豪くんの場合、そういう次元の話じゃないんですよ!」

 

 うちのババアみたいにお節介掻きやがる。こいつの本当にウザいところだ。

 てめェが良いことだと思ってんのか、ズケズケと人の一挙手一投足に文句つけやがる。んなモンはウチのババアだけで十分なんだよ。

 

 てめェが見るべきなのは、もっと他にあんだろうが!

 

「くだらねェ。んなことの為に来たってんなら、俺ァさっさと帰るぜ」

「待ってください、まだ話は……っ!?」

 

 突然筋肉女の声音が変わった。

 そのまま帰ろうとした俺も、なんかあったのかと落としていた面を上げる。

 すると、そこに居たのはドロドロでグチャグチャな得体の知れない―――いや、ヘドロみてェに不定形で臭い物体だった。

 自立して動いてんのは勿論だが、歯や目が浮いてる時点で、それが異形型の“個性”を持った敵だってことは判別できる。

 

「んなっ……!」

「―――良い“個性”の隠れミノ」

 

 俺の『爆破(こせい)』のことを指してんのか知らねえが、ドブ男は一気に俺に覆いかぶさって来た。

 しまった。急すぎて動けねェ……!

 

「ちくしょ……!」

「爆豪くん、危ない!!!」

 

 無様に立ち尽くしていただろう俺を、ドブ男に呑み込まれる寸前に突き飛ばしたのは、他の誰でもねえ。

 

 

 

 筋肉女が、俺を救けやがったんだ。

 

 

 

 +

 

 

 

 今日、僕は史上最大に憂鬱だったと言えよう。

 良いことがあったと言えばあった。けれど、それを帳消しにするような現実を突きつけられてしまったんだ。

 現実を突きつけられることなんて今まで何回もあったことだけれど、今日のは一味も二味も違う。なんたって、その張本人が僕の憧れのヒーロー、オールマイトだったからだ!

 

 下校途中、マンホールから突如として現れたヘドロ敵に襲われた時、颯爽と現れて撃退してくれたオールマイト。

 初めて生で見るオールマイトはやっぱり凄くて、なんだか画風が違うとか筋肉がヤバいとか色々思うところはあったんだけれど、僕は彼に一つだけ聞きたいことがあったから、無理やり付いていって聞いたんだ。

 

―――“個性”がなくてもヒーローは出来ますか?

 

 ずっと聞きたかった。

 一度挫けそうになって捨てかけた夢。でも、会って程ない女の子に『なれる』って言われて心が救われた。

 だったら、憧れのヒーローに『なれる』って言ってもらえたら、僕はもう迷うことなくヒーローを目指せるって思ったんだ。

 

 でも、現実は非情だった。

 

―――相応に現実を見なくてはな、少年。

 

 僕がいつも画面の奥に見ていたオールマイトは、ヒーローの重圧と内に湧く恐怖から己を欺くために笑うオールマイトだったんだ。

 そこで改めて気が付けたんだと思う。

 

ヒーローは命懸け。“無個性”でもヒーローになりたいだなんて、ちゃんちゃら無謀な話だって。

 

(でも……)

 

―――緑谷くんもヒーローになれます!

 

 不意に排打さんの言葉が脳裏を過る。

 

 都合の良い道に逃げようとする僕の心理の所為なのか?

 ずっと憧れてきたヒーローの言葉よりも、今は1年以上一緒に頑張って来た女の子の言葉を信じたくなっている。

 

 誰かに教えてほしい。どちらが間違っているのか、教えてほしいんだ。

 オールマイトが間違っているのか、排打さんが間違っているのか。

 

(……ううん、きっと―――)

 

 そこまで思案したところで、僕は視界に飛び込んできた野次馬の光景に足を止めた。

 どうやら、いつもの野次馬根性で自然と騒ぎのある方へ足を運んでしまったらしい。

 

(何が起きてるんだろう……?)

 

 人だかりから事件現場を覗く為に背伸びをすれば、ドロドロな流動体が誰かに覆い被さっている光景が目に入った。

 

(あの敵って……さっきの!?)

 

 それは、さっき僕がオールマイトに救けられた時に倒された筈のヘドロ敵だった。

 確か、オールマイトがペットボトルに詰め込んで捕縛していた筈だけれど……。

 

(まさか、あの時……!?)

 

 僕がどうしても聞きたいことがあってオールマイトにしがみついていた時の光景が、脳裏にフラッシュバックする。

 あの時のオールマイトは、半ばストーカー染みた行為に走る僕を振り払おうと足をバタつかせていた。

 

 もしかすると。

 もしかすると。

 もしかすると―――。

 

 背筋に氷柱が刺さるような悪寒が僕を襲った。

 

(僕の……所為……?)

 

 

 

「―――俺の所為なんだよっ!!!」

 

 

 

 ふと、聞き慣れた怒鳴り声が聞こえてきた。

 視線を声の方へ移せば、そこにはシンリンカムイに掴まれて運ばれている3人の中学生の姿がある。

 そして、その内の一人こそが怒鳴り声の主。

 

(かっちゃん!?)

 

「放せや、クソがァ!!!」

「ダメだ! あのような悪の権化の下へ君のような若者を行かせる訳にはいかん!」

 

 人命救助のために“個性”を使って器用に人を掴んでは運ぶシンリンカムイに対し、かっちゃんは掌から爆破を何度も脅し、恫喝するようにシンリンカムイに、そして周りのヒーローたちに叫んでいた。

 一見すれば、ただの暴力的な言動をする学生にしか見えない。

 でも、僕にはその声音の奥に潜んでいた悲痛のようなものを感じ取った。あんまりこういうことを言うと本人は嫌がって人を殺すような視線を向けてくるから言えないけれど、きっとそれは幼馴染だから分かったんだ。

 

「あの女ァ、頼まれてもねえ癖して俺のこと庇いやがった!!! その所為で今死にかけてんだよォ!!!」

「分かってる! 君の気持ちはよく分かった! だから今はヒーローに任せて―――」

「棒立ち決め込んでる癖して一端の口聞いてんじゃねえよ!!! 動けや!!! 黙って見てる暇あんなら動けや!!! あの女が息出来なくて死ぬ前に時間稼ぎに動けやァ!!! 戦いもしねえ癖に『無理だ』『待つしかねえ』なんぞほざいてんじゃねえよ!!!」

 

 血反吐を吐きそうなほどに必死な訴えに、遠目からでも分かるほどにヒーロー達の顔が歪んでいるのが見えた。

 そうだ、あのヘドロ敵に体を乗っ取られるには1分もあれば十分なくらいだ。

 どれだけかっちゃんの言う女の人が頑張っても限界はある。例え、相性が悪くても少しでも時間を稼がなきゃ命に関わって―――。

 

(……女?)

 

 僕の視線は自然と敵へと―――囚われている人へと向けられた。

 流動している体を全身から迸る衝撃波で辛うじて突き放して息を吸う少女。見たことのある制服に、見たことのある髪。

 

 

 

 そして、見たこともないような彼女の―――排打さんの泣き顔が目に入った。

 

 

 

 また、怒鳴り声が僕の背中を叩く。

 

「てめェらが動かねえってんなら、俺が……!!?」

「なっ……!」

「馬鹿ヤロ―――!!! 止まれ!! 止まれ!!」

 

 気が付いていたら体が動いていた。

 

 どうしようもなく『彼女を救けたい』って心が叫んだから、体も勝手に―――。

 

 

 

 +

 

 

 

「んんんああああああああっ!!!」

 

 振り絞る。全身全霊を尽くさなければ死ぬという確信があったから、私は最後の力を振り絞るために叫んでは体に力を込め、“個性”を発動します。

 しかし、如何せん息継ぎのために何度も“個性”を使ってきた所為か、疲労で威力は先ほどよりも弱くなってしまっていました。その所為で十分に息継ぎも出来ず、より私は追い詰められていきます。

 本当の本当に全力を出せばヘドロ敵を吹き飛ばすことは可能でしょう。でも、全身を覆うヘドロを弾き飛ばすために全力を出せば、否応なしに周囲の商店街への被害は避けられません。

 

「ぐっ……まだ、まだァ!!!」

 

 まだ負ける訳にはいかないのです。

 こんなところで人生を終わらせたくはない。

 

 私はヒーローになって、たくさんの人を救けて、たくさんの人に幸せになってほしい。

 それが私の夢! それを叶えるためには、こんなところで負けて居られないんですよ!

 

(ヒーローは……!)

 

 悲しいことに体力は有限です。私がどれだけ努力したところでどうやったってこのヘドロ敵を倒せないと悟った瞬間から、解決するためにはヒーローの助力が必要でした。

 

(ヒーローは……!?)

 

 でも、この現場を解決できるヒーローが居ないためか、集まって来たヒーローのほとんどが攻めあぐねている様子。

 

(ヒーロー……)

 

―――どうして、誰も救けてくれないの?

 

 途轍もない不安が私の心を襲いました。

 

 誰か! 誰か! 誰か!

 誰でもいいから救けて!

 

 声に出すことさえ憚られる窮地の中、私は心の中で必死に訴えます。

 誰にも聞こえる筈のない救いの声を反芻し、早く救けに来てくれるヒーローを待つことが、こんなにも辛く苦しいことだとは思いもしませんでした。

……いいえ、一度は体験した筈。幼い頃の思い出。ヒーローを志すきっかけとなった私の原点。

 

 どうしようもなく怖くって、震えが止まらなくて。

 そんな私に温かい言葉を何度も投げかけて……、

 

 

 

 そう、あの恐怖から救け出してくれる人こそが―――。

 

 

 

「排打さぁぁあああああん!!!!!」

 

 

 

 闇に引きずり込まれそうになっていた私の意識を引き戻す声。

 ハッと目を見開けば、前方の野次馬の中から見慣れたモサモサ頭の少年が飛び出してくる光景が見えました。

 

(緑谷くん……!?)

 

 絶叫して猛進してくる緑谷くんが、私の名前を呼んで走ってきます。

 同時に、私の体を乗っ取ろうとするヘドロ敵が、私の体を動かして緑谷くんに攻撃を仕掛けようとします。

 必死の抵抗を試みますが、その甲斐なく私の体は動かされるがまま緑谷くんに手を振るおうとしてしまいました。

 

「しぇい!!」

 

 しかし、咄嗟にリュックサックを投げつける緑谷くんの行動が功を奏し、ヘドロ敵の動きを止めることが叶います。

 

「排打さん、目ェ瞑って!!」

 

 さらに畳みかけようと緑谷くんが懐から取り出したのは、護身用の催涙スプレー。

 中身がぶちまけられて視界が覆われたヘドロ敵の眩んだ目に目掛け、懐に入り込んだ緑谷くんは、催涙スプレーを噴射したのでしょう。

 

「ぐぎゃああ!!?」

 

 悲鳴と同時に緩む拘束。

 同時に露わになった私の手を引っ張る緑谷くんが叫びました。

 

「今だ、排打さん!!!」

「っ、ぁぁぁああ!!!」

 

 BANG!! と轟く衝撃音。

 同時に、催涙スプレーのおかげでヘドロ敵が怯んで拘束が緩んだのと、緑谷くんが引っ張ってくれていたおかげで、私はようやく拘束から解放されました。

 

「ふにゃ!?」

「!? おっぱ……ぎゃあ!?」

 

 致し方のないことでしたが、私の“個性”の余波で若干体勢が崩れていた緑谷くんを巻き込んで、私は地面に倒れてしまいます。

 その際、うっかり胸板で緑谷くんの顔を思いっきり圧迫してしまいました。

 

「大丈夫ですか、緑谷くん!?」

「な、なんとか……って!?」

 

「この……クソガキ共がァ……!!」

 

 震えた怒り声。

 憤怒の形相という言葉がまさしく似合う顔を浮かべているヘドロ敵は、催涙スプレーで開くことすら困難な瞳に涙を浮かばせつつ、私達―――特に緑谷くんの方を睨んでいました。

 すでに掲げられているヘドロの腕。叩きつけられれば、きっと一たまりもない一撃です。

 

「緑谷くっ……!?」

 

 間に合わないと分かっても逃げようと立ち上がろうとした瞬間、私の眼前に両腕を大きく広げる緑谷くんの姿が目に入りました。

 

「排打さん……僕が守るから!」

 

 その背中はとても大きくて。

 

「もう少しだったのに……死ねええええ!!!」

「君を!! 救ける!!!」

 

 とても逞しくて。

 

 そんな彼に振り下ろされたヘドロの腕はピタリと止まる。

 何故ならば、緑谷くん以上に逞しく大きい背中のヒーローが、私達と敵の間に割って入って守ってくれたから。

 

「君を諭しておいて……己が実践しないなんて!!! プロはいつだって命懸け!!!!!!」

 

 

 

―――№1ヒーロー《オールマイト》が来た。

 

 

 

 DETROIT SMASH!!!

 

 

 

 オールマイトは拳一つでヘドロ敵を吹き飛ばしました。

 私がどれだけ頑張っても引きはがせなかった相手を、たった一発だけで。

 余りに現実的でない光景を目の前に茫然とする私。そんな私を現実に引き戻したのは、恐怖に震えながら、それでも私の下に駆けつけてくれた―――。

 

 

 

 +

 

 

 

 空も赤らんできた時間帯。

 僕はかつてないほどの疲労感に苛まれながら帰路についている。

 

 あの後、オールマイトに倒されたヘドロ敵はヒーロー達に回収され、僕はヒーロー達に物凄く怒られた。

 仕方のないことだ。間違っても“無個性”の僕が出しゃばっていい現場じゃなかった。

 今回しこたま怒られたのもいい授業料だったと思えばいい。一歩間違えれば自殺同然の真似をしたんだから。

 

 不甲斐なさや後悔、他人に迷惑をかけたことへの申し訳なさと―――一瞬でも望むことができた彼女の安堵の表情を見た時の喜びが胸の内で混ざって、言い様もない感情が僕の内に湧きだす。

 それと共に自然と漏れるため息。

 

「……はぁ」

「みーどーりーやーくんっ!!」

「うぇ!?」

 

 そんな僕の背後から駆け寄って来たのは、ヘドロ敵に襲われた疲労なんか欠片ほども感じさせない笑顔を浮かべる排打さんだ。

 確か、彼女は僕が怒られている間に他のヒーロー達にタフネスを褒められていたけれど、僕の方が先に帰らされたから、その後どうなっていたのかは知らなかった。

 

「排打さん、大丈夫なの……!?」

「勿論です! 日々の筋トレの賜物ですね!」

「そっかぁ……よかったぁ」

 

 でも、彼女の笑顔を見ることが出来ただけで僕には十分だ。

 

「緑谷くんのおかげですね!」

「え!? い、いや、でも実際に救けてくれたのはオールマイトであって僕はただ無鉄砲に飛び出しただけというか……」

 

 快活な笑みを浮かべる排打さんが、僕の手を握ってそう言うものだから、僕はテンパって視線を泳がせながらブツブツと一人喋り始めてしまう。

 だってそうじゃないか。

 

 僕はヒーローじゃない。

 

「いいえ! 私は緑谷くんのおかげで救かりましたよ!」

 

 僕は“無個性”だ。

 

「もう本当にダメだーっ! って思った時、緑谷くんが駆けつけてきてくれたのを見て、ホッとしたんです!」

 

 僕は君より強くない。

 

「緑谷くんが私を引っ張り出して受け止めてくれた時、本当に安心したんです」

 

 僕はそれでも……。

 

「あの時の緑谷くんは、誰よりもヒーローでした! 私にとってのヒーローでしたよ!」

 

 

 

 僕は―――ヒーローになってもいいのかな?

 

 

 

「緑谷くん、ありがとう!」

「っ……あっ……その……」

「また明日、学校で会いましょう! では!」

 

 面と向かってお礼を言われ、恥ずかしかった僕は思わず視線を逸らした。

 だって、うっかりしたら見とれてしまうくらいに綺麗な顔だったから。

 

 そうこうしている内に、排打さんも逃げるようにそそくさと走り去ってしまった。

 彼女の背中を見送りながら、僕はグッと拳を握る。決意を固めるように、より固く、より強く。

 

「僕が……ヒーロー」

「―――私が来た!!」

「わ!? オールマイト!?」

 

 そんな僕の下へ颯爽と現れたのは取材陣に囲まれていた筈のオールマイトだった。

 僕の憧れのヒーロー。そして、僕に現実を見るようにと告げたヒーロー。

 だからこそ言わなくちゃならないことがある。僕はこの時、そう思わずには居られなかった。

 

「オールマイト!」

「む!? 君に会いに来た私よりも何かを言いたげな君の眼差し……うん! まずは君から話してくれ!」

 

 察してくれたオールマイトに促され、僕は続ける。

 

「僕、貴方に言われてヒーローになることが……ヒーローとして人を救けていくことが大変なことだって分かりました。僕は貴方の言ったことが間違っているとは思いません。でも!」

 

 排打さんの言葉が脳裏を過る。

 

「僕に『ヒーローになれる』って応援してくれた人の言葉が間違っているとも思いません! だって、それは僕の努力次第で正解かどうかが変わるから!」

「少年……!」

「僕は! ヒーローになります! 人を……救けたいから!!!」

 

 これが僕の全身全霊だ。

 “無個性”でもヒーローになる。紆余曲折あったけれど、僕にとってその夢は確固たるものとなった。

 

 一度目はオールマイトに憧れて。

 二度目は排打さんに応援されて。

 そして三度めは『ありがとう』と告げられて。

 

「僕みたいな人間をヒーローと呼んでくれる人が居るから!!! 僕はヒーローになります!!! 貴方みたいに笑顔で人を救けるヒーローに!!!」

 

 必死に浮かべた笑顔で吐き出した想いの全て。

 僕の言葉を聞いたオールマイトは、痩せこけた本当の姿(トゥルーフォーム)になって俯いた。

 するとふぅ~と深い息を吐いてから、眼窩の奥に輝く瞳から放たれる視線で僕を射抜いた。

 

「ああ……そうさ! 君はあの時、誰よりもヒーローだった!!」

「!」

「だからこそ、私は礼と訂正……そして提案をしに来たんだ。―――ヒーローになれる君に!!!」

 

 誰かの言葉だけで突き動かされる僕の想い。

 

 安っぽいとか、軽いとか、そんなことを言われてしまうかもしれない。

 だけど僕にはとても嬉しく重い言葉で、それだけで前に進めるような気になれた。

 言葉で動いてしまう人生も悪くない。いや、きっと言ってくれた人の問題なのかもしれない。

 全力で夢に突き進んでいた人達の言葉が、僕の心を打ち震わしたんだ。

 

 『架空(ゆめ)』は『現実(げんじつ)』に。

 

 言い忘れていたけれど、これは僕が最高のヒーローになるまでの物語だ。

 

 そしてこれからヒーロー『デク(ぼく)』と『ショッカー(はいださん)』の話が高校から始まる訳なんだけれども……それはまた別の話。

 



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