どうしようもない転生者とダメ男製造マシーン (クロエック)
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1話
なのは、はやて、フェイト。
小学三年生からの付き合いであり、共に死線をくぐり抜け深い友情で繋がった三人。
忙しい仕事の合間を縫って休日前の夜に集まり共に理想を語り合った夜。
衣服も乱暴に床に脱ぎ捨て広いベッドで三人川の字になって眠り、朝のニュースを聞きながらゆっくりと微睡みから目覚めていく。
自身の契約するタワーマンションの一室。
そこで自分の両隣にいる友人の存在を感じながら目覚めた高町なのはは、この友情を永遠のものだと思った。
「ふぁ~~ぁ。また魔道士犯罪のニュースかぁ……ミッドの治安、はようなんとかせなあかんよなぁ」
「そのためのはやてちゃんの新部隊、でしょ?」
「はよ形に出来たらええんやけどなぁ……」
「大丈夫。はやては頑張ってるよ」
「……あんがとな、ふたりとも」
八神はやては二人の友人に微笑んでから、両の掌を組んで腕を高く頭上に伸ばした。
「う~~~ん!」
思い切り伸びをし、朝のニュースで少し憂鬱になりそうになった気分を追い払う。
理想を形にする事の難しさにもどかしい思いをする毎日だが、自分には頼りになる味方がたくさんいるのだと。そしてその代表でもある二人に、まずはまた今も助けてもらった恩返しをしなくてはと彼女は思った。
「ふたりともお腹すいてへん? よかったら朝食つくろ思うんやけど」
「やったぁ。はやてちゃんの朝食だぁ!」
「あはは、そないに喜んでもらえると嬉しいけど昨日の残りに手を加えるだけやしあんま手の込んだ事する気はあらへんよ?」
「そんなこと言って毎回はやてちゃんの作る朝食って美味しいじゃない~」
「そんな思てたん? なのはちゃんのお墨付きが頂けるとは嬉しいわぁ」
笑顔でなのはにそんな返事をしながら、心の中でほくそ笑むはやて。
口では残り物の有り合わせだと嘯きながら、実はこれは彼女の巧妙な計算であった。
この3人で語り明かす時は基本的になのはの部屋に集まる。
自分の家ではヴォルケンリッターも交えての賑やかなあつまりになってしまうし……勿論それだって何も悪くないのだが、3人水入らずというのとは少し違う。フェイトの部屋も問題があるので必然的に毎回なのはのマンションで飲み明かしているのだ。(ミッドチルダではアルコールの年齢規制がない)
そしてなのはの部屋の冷蔵庫は基本的に中身は悲惨な状況だということもわかっている。
はやてには及ばないもののそれなりに料理を含めて家庭的なスキルを持ち合わせているなのはだが、その日常的な振る舞いは家庭的どころかどこの部族からでてきたのかと問い詰めたくなるような生粋の
そんななのはは自身が料理スキルを持つにも関わらず、日々の食事をエナジーゼリーと栄養ブロックとビタミン錠剤、そしてインスタントで済ませることが多いことを友人たちは把握していた。
(と言うかそもそもこのマンション寝る以外の目的でちゃんと帰ってるんか?)
何度も来ているが内装や家具が何年も一切変化がない。
テレビに付属している録画機器などももう型遅れの古いものだし、最初にセットで購入してから一切使っていないのではないかとはやては密かに疑っている。
友人と共に無理はするなと口をすっぱくして毎度飽きもせず言い続け、強制的に定期的な健康診断への連行も行っているので体調に問題がないことはわかっているが……教導隊では仮眠室で寝泊まりしデスクに向かったままカロリーブロックをかじる職場の地縛霊がいるともっぱらの噂らしい。
自分のことを棚に上げてなのはのワーカホリックぶりに呆れるはやて。
さておきそんななのはルームへお邪魔する際、彼女は毎度抜かり無く買い込んだ食材を持ち込む。
そうすればなのはの性格的に自分が持ち込んだ食材を腐らせないようにと、少しの間だけ自炊をするだろうと言う計算もあるが、単純に忙しい友人達へ自分の手料理を振る舞いたいという思いもあった。
そして夕食を作る時から、その残りを次の日の朝にどのような朝食に変化させるかまで彼女は計算に入れている。最小限の手間で効率よく味に変化をくわえアクセントになる食材も、きちんと買い揃え持ち込み済みである。
毎度残りものにちょっと手を加えただけだと言っているが、それはこのたぬきの巧妙な嘘であり全ては計画の内なのである。
そんな自分の生活面までも考えられた計画を張り巡らされているとは露知らず、なのははただ料理自慢の作る美味しい朝食への期待に心を踊らせていた。
……もうひとりの友人の持つ携帯端末が、その音を立てるまでは。
ポコン。
気の抜けた音とともにショートメッセージを送り合う事のできる通話アプリが周囲に着信をしらせた。
それを聞いたフェイトが花が咲くような笑顔を浮かべて携帯端末を手に取り、そんな彼女をみるなのはの表情はフェイトとは対象的に一気に不機嫌そうなものへと変わっていく
両極端な友人を見るはやては引きつった笑いを浮かべて困り顔を浮かべた。
昨日なのはの家に泊まるって話だったけど今日は帰ってくるの?
もしすぐ帰ってくるんなら朝食用意するから教えてくれ。
端末へと送られたメッセージを読み終えたフェイトが顔をあげ、そわそわとした様子で口を開いた。
「あの……はやて、私の朝食なんだけど……」
「あ~、ええよ気にせんで。はよ帰ってあげーな」
「う、うん……ごめんね」
「ちょっとフェイトちゃん? せっかくはやてちゃんが朝食を作ってくれるって言うのに」
「ストップやなのはちゃん。むしろ引き止めて泊まらせたのはうちらの方やんか。なのはちゃんかてフェイトちゃんの気持ちもわかるやろ?」
「そんなのわかんない」
取り付く島もない、と言う様子のなのはにこりゃあかんとはやては頭を抱えた。
「な、なのは……ごめんね?」
「謝るくらいなら早くあの穀潰しを追い出して」
おろおろと謝罪の言葉を口にするフェイトに対しても辛辣ななのは。だがその言葉をきいたフェイトも一転して柳眉を逆立てなのはを睨みつけた。
「いくらなのはでもコウに対して酷いこと言わないで」
「私は酷いことなんて言ってない。穀潰しなのは事実でしょ?」
「そんな事ない。コウは私が帰ったらおかえりって言ってくれるし料理だってしてくれる。疲れてる時にマッサージしてくれたり頭をなでてくれたりするもん」
「そんなのただのヒモじゃない!」
「だから酷いこと言わないでって言ってるでしょ!」
「フェイトちゃんがそうやって甘やかすからコウ君がどんどんダメになるんでしょ!!」
「どうどうなのはちゃん。抑えて抑えて!」
ボルテージがあがっていく裸Yシャツのなのはを慌てて裸Yシャツのはやてが慌てて羽交い締めにする。
百合の花が咲き誇りそうな絶景だが残念ながらそれを見たのはフェイトだけだし、その実態は百合の花どころかひたすら残念な争いだった。
何しろこの話題になるとはやての友人二人は完全に平行線なのだ。
この世界には一人の転生者がいた。
名は斑木綱と書いてマダラギ・コウと読む。
前世は引きこもりニートで重度のオタクで、その事へのかなりの自己嫌悪と暗い未来への緩やかな絶望を抱く毎日であった。
さりとてその現状を覆すほどの行動力も克己心も持てない人間に与えられたまさかの奇跡……しかも生前好んでいたアニメの世界への転生と言う大逆転だ。
何故そんな事が起こったのか理由はわからないが彼は喜んだ。狂喜乱舞したと言っていい。
原作知識に加えて何故だかあった才能チートと幼少期からのスタートダッシュ。
彼の能力を本人はチートとは言うものの、その世界における最高レベルの才能があるというだけの話であり無条件の勝利を約束するようなものではなかった。力を身に着け使いこなすためには努力も必要だったし、どれだけ強くなったとしても戦えば怪我もするし死の危険もある。
だが前世にない不思議な力を身につけ操る為の努力は彼にとって苦ではなかったし、怪我や痛みだって耐えられないというほどではない。非殺傷設定という便利な力も重圧を忘れさせる一因となり、半ばゲーム感覚で浮かれていた事と自分は大丈夫だという無根拠な楽観とが合わさって恐怖から目を反らすことができていた。
やりたいと思ったことはトントン拍子にうまく行った。
不幸になった筈の人間を助け、犠牲をなくし、可愛いヒロイン達に好意を持たれてハーレム気分を味わった。
自分の努力や行動が必要な所や無条件に周りに好感を持たれるわけではなく普通に塩対応されたりする所も、その世界で得られたものが単なるチートの恩恵ではないと満足できる要素だと思えた。
彼にはまるでこのリリカルなのはの世界が自分の為に用意されたもののようにすら感ぜられた。
この世界がもし剣と魔法のファンタジーだったのであれば。
迷宮に潜り魔物を倒して富と名声を得るような世界であれば……彼はそのまま順風満帆な人生を送ったのかも知れない。
あるいはいつかその幸運も力尽き、慢心の代償を支払うことになっていたのかもしれない。
しかし彼はそのどちらにもならなかった。
いや、なれなかった。
魔法というどれほどファンタジーな力が溢れ、それを使って戦うことで英雄と呼ばれる事ができる世界であったとしても……リリカルなのはの世界は技術的な差異はあれど文明的には彼の前世である現代日本と大差がないのだ。
つまり……働かねばならないのである。
例え英雄と呼ばれるような人間でも、それはそれとして毎朝出勤しなければならないのである。上司が居て部下が居て始末書や報告書を書き給料を貰い税金を収めなければならないのである。冒険者ギルドだとかそういう都合のいい日雇い派遣会社は存在しないのである。
彼がそれに気付いたのは中学生になったころだった。
小学生の間はよかった。
放課後の時間に好きなだけ魔法の練習をしたり女の子と仲良くしたり、原作イベントが有る時はそれをこなしてみたりするだけだった。
両親は厳しくも優しく、ご都合主義かと思えるほどに不気味な子供だった彼にも理解と愛情を持ってくれたため、彼はきちんと学校に通いいい子にしてさえすれば殆ど自由にやりたいことがやらせて貰えた。
しかし中学生になる頃に、彼の耳には近づいてくる現実の足音が嫌でも入ってくる。
ミッドチルダへの移住、及び時空管理局(聖王協会)への正式所属。彼の周辺にいた可愛いヒロインたちはそれぞれの夢や理想を抱いてものすごいスピードで自分の道を邁進していく。
彼は自分も当然その流れにのるものだと思いこんでいて……そしてふと気づいたのだ。
管理局に入局するということは自衛官と警察官を兼ねる(場合によっては検察官なども加わる)過酷な職業に普通に就職するという事なのだと。
元引きこもりニートの彼は社会を恐れていた。
労働や仕事上の人間関係への病的な恐怖があった。
別にブラック企業に就職して過労死寸前まで追い詰められたとかそういう過去があるわけではない。ただ肌に合わない……彼には勤め人という生き方がどうしても耐えられなかったのだ。
管理局への本格的な入局を打診され、その仕事について説明を受けた時に彼はその事実を思い出した。
そして思ってしまった。自分には到底耐えられないと。
考えてみますとだけ返事をして逃げるように地球へと帰った彼は、地元の中学校に通い与えられたモラトリアムでなんとか息継ぎをする。しかしそこでも将来という足音から逃げることは出来なかった
アリサ・バニングスと月村すずか。
彼にとっては魔法少女三人娘程ではなくとも懇意にしていると思っている同級生の可愛い女子二人だ。
ミッドチルダへの移住を考えている魔法組とは違い地球に残るこの二人だが、共に資産家の娘であり頭脳容姿共に優れた才女でもあった。
そんな二人だから、将来設計はまだ遊ぶことばかりな同級生と比べると年齢不相応にしっかりとした考えを持っている。
彼が魔法世界への移住と管理局への入局に消極的な姿勢であると知ると、必然的に地球での将来を考えるならどうするかという話題が持ち出されることになった。
手近な所で高校受験をどうするつもりなのか。
中学に入ったばかりにして既に有名進学校、文化的にも優れた名門校、一貫教育の有名私学、果ては世界的名門校への留学までもが視野に入れられている所はさすがの二人である。
そして彼にもどうするのか。どういう希望があるのかと聞いてくるのだ。
進学するだけであれば別に難しい事はない。
今生で得られたチートな体は努力を水が染み込む砂のように吸収してくれたし、その才能も魔法に限ったものではなく記憶力や計算力、思考速度や並列思考にも及んだおかげで学力的には今すぐ飛び級で海外の有名大学に入るぐらいのことは出来るようにさえ思えた。
生まれた家も経済的な困窮があるわけでもないし、望めば奨学金やら特待生などの待遇も得られるだろう。
だがそれをしてどうするのか。
何しろ彼にはやりたいことがない。逆にやりたくないことなら幾らでもある。
前世で流行った商売や流行のアイディアを参考にして起業したりすることも考えたが、人を雇ったり動かしたりしなければならないことを考えるととてもやる気になれない。投資や投機で稼ぐのは自分がすぐ調子にのったり落ち込んだりとギャンブルに向いていない性格なのはわかっていたし、大きな借金などを作ってしまう事を考えると恐ろしくて手が出せない。
いや、とにかく働きたくない。絶対に働きたくない。
それは彼にとって確かな事実だったが、しかし同時にまた同じ過ちを犯して周囲の人間に迷惑をかけたくないという思いもまた持っていた。
ただ自分の無能や無気力の結果としてそうなってしまったというだけで前世でだって望んでニートになったわけではないのだ。
そこで彼は一つの暴挙にでた。
魔法世界で一人で生きてみたいんだ、と両親を説得し単身ミッドチルダへと渡界。
管理局に協力する嘱託魔導師としてしばらくの間活動した後……彼はホームレスとなったのだ。
社会の中に身を置く事には恐怖しながら文明の利器や娯楽にはどっぷりと浸かり、山奥で隠者の様に生きる事もできない半端者。
しかし今生の彼には強力な魔法能力や優秀なデバイスの恩恵があった。彼はそれを活かして力づくでその両者を両立させようとしたのだ。
怪我や病気もある程度魔法でなんとかなる。
衣服もバリアジャケットでなんとかなるし、対環境防護によって住居も適当でなんとかなる。
優れた魔法デバイスは投影モニタや万能通信機器としても動作したのでミッドチルダの一般ネットワークの通信範囲内……スラム街の一角などにいれば最低限の情報サービスも受け取ることが出来る。
とりあえず食料さえなんとかできればいい。
捌き方や食べれる種類などはネットから拾える情報を頼りにしながら自然が豊富な場所や近次元世界へ転送魔法で移動し、力押しで野生動物を狩り野草や山菜を採るなどすればいいと考えたのだ。
無論それが無計画で浅い考えであることは彼自身にもわかっていた。そんな思いつきがうまくいく筈もない。それでもダメだったらそれはそれで良い。後は野となれ山となれだ。
そんな自暴自棄な気持ちで彼は野に下り……当然のようにそれは上手く行かなかった。
体はいつも泥に塗れ、形相はやつれボロボロになり、ストレスや不眠で目元には濃い隈が染み付いた。
しかしギリギリで致命的な破綻も避け続けていたのもまた事実だった。少しずつ食料調達にも慣れ、勝手に住み着いた廃屋も整い始め、快適に水浴びが出来る泉なども見つけ、彼にとって妥協できる範囲の労働……魔導師としての(彼にとって)極簡単な仕事を頼まれる代わりにデバイスのメンテナンスなどを頼む事ができるスラムで無免許営業を行っていた地下デバイスマイスターなどともツテができた。
管理局での仕事を辞め住居を引き払った事を心配する周囲の人間にも、自分の生き方を模索しているだとか修行中だとか言ってごまかした。
無茶な言い分であったが、実際に彼は幼少期から突飛な行動や普通とは言えない鍛錬などを繰り返していたので、長期の山ごもりでもはじめたのかと周囲はそれで心配はしつつも納得してしまったのだった。
そのまま無茶な生活を続けいつか決定的な破綻を迎えるのか。あるいはそんな生き方に適応するのか。
しかし彼はこの二択でも、そのどちらにもなることはなかった。
転機は一人の少女……フェイト・テスタロッサが彼の下を訪ねてきた事だった。
元の知り合いに会えばきっと甘えてしまう。そう思っていた彼は周囲に一人で修行に集中したいから会いにはこないでくれと言い含めており、実際定期的な連絡をとっていたこともあって今までは誰も彼には会いに来なかったのだが……その時フェイトが彼の下を訪れたのはそうした事情ではなかった。
難関である執務官試験を晴れて突破し新米執務官としての仕事をこなし始めていた彼女は、今とある一連の犯罪事件を捜査する仕事についていた。
それはミッドチルダで起きている違法なデバイスパーツや質量兵器の取引に関するもので、その捜査に行き詰まった彼女は彼がミッドチルダのスラムに身を置いている事を思い出し助言を求めに来たのだった。
そうした事情を聞かされると彼もフェイトを邪険にはできず、スラム街で培ったツテや知識を活かして彼女の犯罪捜査に協力することにしたのだが、流石にその間は毎日狩りの獲物を探したりするわけにもいかず彼の生活を見かねたフェイトの言葉もあって彼女の部屋に厄介になることになったのだ。
その時は、ふたりともその同居生活もほんの一時だけの事と思っていた筈だった。
実際、その事件の捜査は彼が協力し始めてから驚くほど簡単に進んだ。
そして程なくして違法取引犯罪の首魁と目されていた人物を逮捕、フェイトの仕事はばらばらになった違法取引の買い手や売り手など個々人に対する余罪の追求などの細々とした処理案件となり、彼が助言できる事もその必要もなくなったのだった。
しかしフェイトはその案件の担当から外れたわけではない。
すなわち事件が完全収束したというわけではない。
だからまだ協力関係を解消しないほうがいいし、その間は同居生活も続けたほうが都合がいい。
そんな理屈でフェイトは彼を部屋に引き止め、彼もまたその言葉に頷いた。
それは表向きの理由とは違う二人の利害の一致があったからだった。
彼は元々怠けたり遊ぶのが大好きな生粋のニートマンである。
ゲームのレベル上げのような自分が楽しめる努力であれば苦にしないが、そうでないことは酷く嫌がる性質の人間だ。
それでも勢いにまかせて野外生活をはじめ、実際にやってみたその苦労に翻弄され、気付いた頃には感覚が麻痺してずるずるとそれを続けられていたが……フェイトの部屋というぬるま湯に浸ってしまうととてもその生活に戻りたいとは思えなくなってしまったのだった。
そしてフェイト・テスタロッサは元々かなり寂しがりやで愛情に飢えた人間であった。
そんな彼女が執務官としての仕事を始めるにあたってプレシアの下を離れ、信頼する使い魔アルフさえも病に伏せがちな母の許に残したのだ。毎日誰も迎える者が居ない自室へ帰ることにフェイトは無意識下で強いストレスを感じていた。
次元航行船に同乗する部隊付きの執務官と言う仕事のやり方も考えているため躊躇していたが、このままミッドチルダ勤務を続けるならば、なのはが提案したルームシェアの話を本格的に考えようかと思っていた矢先のことであった。
部屋に帰れば出迎えてくれる相手がいる。
仕事に疲れていれば労ってくれて、温かい料理を作って待っていてくれて、共に食卓を囲んでくれる。
それも自分と母を助けてくれた恩人の一人……信頼し、淡い好意を抱いていた相手となればフェイトがその生活を続けたいと思ってしまうのも無理はなかった。
彼が早く修行に戻りたいという様子を見せていたならば彼女も躊躇しただろうが、あからさまに部屋でごろごろとだらけて快適に過ごしている様子であったのでフェイトにとって彼を引き止めることをためらう理由はなかった。
これがなのはなのであれば自分が働いている間ひたすら部屋でぐーたらしている人間に対してお説教の一つもしたのであろうが、間の悪いことにフェイトはそうしたことが出来る人間ではなかった。
それどころか彼女は自分の大切な人間が過酷な現場に出ることをあまり良しとは思えず、自分が面倒をみることで安全な所に居てもらえるのであればむしろそれに喜びを見出すタイプの人間であった。
そうして生活を共にする中で際限なく相手を甘やかしてしまうフェイトと、そうした誘惑をはねのける我慢のできないコウは……ずるずるとダメな共依存の典型のような関係を築き上げてしまう。
それでも本人達は楽観的であった。何しろフェイトには金がある。
時空管理局の執務官は高額の役職手当が貰える上に、母であるプレシアから毎月かなり贅沢に暮らせるだけの仕送りが送られてきているからだ。
特別な趣味もなくそうしたお金でただ預金口座を太らせるだけだったフェイトは、彼が無収入の野外生活を送っていた事情もあり一緒にいる間は自由に使っていいと予備のクレジットカードをそのまま彼に預けてしまうぐらいだった。
むしろ彼が欲しいと言うのであればお金ぐらいいくら渡したとしても自分と母を救ってくれた恩を返すには程遠いとすらフェイトは思っていた。
ともあれ彼が使うお金も食事で贅沢をしたり勝手にインテリアを買い揃えたりソシャゲに課金しまくる程度だったのでフェイトにとっては全く負担ではなかったし、既に担当する事件もとっくに別のものになっていたがなんだかんだと理由をつけてずっと彼がこのまま部屋にいてくれたら良いなぁなどと考えていたのである。
……その事実をなのはに知られるまでは。
最近フェイトちゃんの付き合いが悪くなった。
高町なのははそう思っていた。
勿論、二人の休日が合う時には予定を話し合って一緒に過ごすのは変わらない。
はやてちゃんも交えてお泊まり会をするのも変わらないし、連休に一緒に地球へ帰ったりプレシアさんのところへ顔を出したりするのも変わらない。
しかし事前に予定をあわせていなかった時、自分が急に休みになった時などにスケジュールを確認しフェイトも休みであれば連絡すればいつでも付き合ってくれた筈の彼女が……最近は既に予定があると断られることが増えてきたのだ。
怪しい、となのはは思った。
一人の休みなんて持て余してしまう仕事以外にやることがないフェイトちゃんに休日の予定があるだと?
単に無趣味なだけのフェイトと違い純粋ワーカホリックであるなのはのその思考は完全なるブーメランなのだが、彼女はそれを棚上げしてフェイトの行動を訝しむ。
そしてそれをはやてに相談し……面白がった彼女の提案で休日のフェイトを尾行して……見てしまったのである。
二人でおしゃれな雑貨屋に入っておそろいのマグカップなんぞというものを購入しているフェイトとコウの姿を。
彼女はまず首をかしげた。
もうそんな仕草が似合う年から抜けつつあるというのに、人差し指をあごにあてて可愛らしくそのかんばせを傾けた。
自分達との接触を絶ってまで厳しい環境に身を置き生き方を模索している(という事になっている)コウ君が何故フェイトちゃんと幸せそうに(なのは主観)一緒にいるのか? それがわからない。
そして考えてもわからないことは知っていそうな相手に聞けばいい。まさしく名案だと彼女はおもった。
コウとともにキャッキャウフフと油断丸出しだったフェイトの肩が、静かに背後から叩かれる。
振り返るフェイト。
「フェイトちゃん……お話、聞かせてくれるよね?」
八神はやては当時の事を振り返りこう供述する。
「あのとき私はフェイトちゃんの心配をするんじゃなくなのはちゃんの目が自分に向いていないことに安堵してしもたんや。そのことは今でも後悔しとる。友人失格や。なんべんでも謝る……だからもう二人共堪忍してくれへんやろか?」
「はやてちゃん離してよ! 今日こそはフェイトちゃんとコウ君にガツンといってやらなきゃいけないの!」
「私とコウがどういう風に暮らしたってなのはには関係ないでしょ!」
「関係あるもん!」
「ない!」
「あるよ!」
すごい力だ!
厳しい体力勝負の教導隊に身を置いている間に、いつの間にか生身でもここまで身体能力に差がついていたのか。なのはを羽交い締めにして必死に食い止めようとするはやてはぼんやりとそんな事を考えた。現実逃避である。
「だいたいそんなこと言ってなのはは前もコウにお話とかいって訓練室に引っ張っていって虐めてたじゃないか!」
「虐めじゃないもん! フェイトちゃんの所で腐ってるだけじゃだめだってわかって貰おうとしただけだもん!」
「そんなの余計なお世話だよ! だいたいなのはは前から脳筋すぎ! 皆がなのはみたいに戦うことが大好きなんじゃないんだから!」
「なっ!? だ……だからってコウ君みたいに何もしないでぐーたらしてるなんてダメに決まってるでしょ!」
「ぐーたらなんてしてない! 専業主夫だったらあのぐらい当たり前!」
「別にフェイトちゃんと結婚してるわけじゃないじゃん!」
「私はしたって構わない!」
「そんなの許さない!」
「なのはの許しなんかいらないよ!」
誰か助けてくれ!
そんな八神はやての祈りに応える者がどこにいるだろうか。しかしてそれは居る……そう、今ここに。
「そこまでにしておけ二人共……主が困っている」
「リインフォース!」
三人水入らずのお泊まり会、と言ってもそれぞれのデバイスまで身につけていないわけではない。
当然レイジングハートもバルディッシュもプライベートにいちいち口を挟まないだけでこれまでの会話は聞いている。
勿論もうひとり……あくまでデバイスの身として上記の二人と同じ様にこの場では出しゃばらないようにと待機形態ですごしていた人物……夜天の書管制人格リインフォースも同席はしていたのだ。
そして主の祈りと嘆きにこたえ、その身を顕現させたのである。
「デリケートな問題だと承知しているが、お互いその事では冷静になれないと自覚しているのだから不用意に争わずにはいられないものか?」
「だってフェイトちゃんが!」
「だってなのはが!」
「わかったわかった。話ならゆっくり聞いてやるから先ずは落ち着いてくれ」
白熱する二人を闘牛士の如く冷静に抑えるリインフォース。
はやては自分の相棒の頼れる姿に感涙し……そして思うのだ。
リインフォースを救ってくれたんは感謝しとる。他のもあんじょうお世話になっとる。
だからといってこれは無いんやない?
最近3人で顔を合わせると高確率で勃発するこの争いと最終的に二人からはやて(ちゃん)はどっちの味方か、と問い詰められることに疲れ果てた彼女は、心の中でコウに対して恨み言を漏らした。
(私ん家に転がり込んで来てくれたんなら、もっと穏便に養ってあげたんやけどなぁ……)
そんな思いとともに、今日はすこしだけなのはちゃんの味方をしようと八神はやては思ったのであった。
□斑木綱
転生者でありオリ主枠、生粋のダメ人間。魔導師ランクはSぐらい。
やったこと。
・プレシア救出とフェイトとの和解。
・リインフォース救出とグレアムとの和解。
・三脳との和解。スカリエッティの研究方針転換(穏便な方向へ)
・そしてホームレスからニートへ
□フェイトそん
ダメ男製造マシーン。
典型的な共依存体質なのだがスペックが高いので別に不幸にはならずそれでなんとかしてしまう超パワーの持ち主。
□なのはさん
スパルタ出身の鬼教官。
自分の手にかかればヒキニートでも一ヶ月で一端の兵士にしてやれると思っているが、友人だけが家庭を持つことになって自分は取り残されるのではないかと密かに恐怖している。
□たぬき
人間に化ける程度の能力。
世を忍ぶ仮の名は八神はやて。
最近は友人二人の言い争いにシグナムの話を引き合いに出されるのが辛い。
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2話
フェイト・テスタロッサは憤慨していた。
彼女の親友である所の高町なのはが、あまりにもわからず屋だからである。
最近ははやての新部隊設立に向けて三人で集まる事が多くなったのだが、その度にフェイトちゃんがコウ君を甘やかすからダメになるんだと毎回煩いのである。誰にも迷惑をかけていないし自分達は幸せだというのになのはは一体どういうつもりで文句ばかり言ってくるのだろう。
フェイト・テスタロッサは考える。なのはは何にもわかっていない。
昔からあの親友は思い込んだらすごく頑固な所があってそこが彼女の魅力でもあり、そういう所も勿論大好きなのだがこういう時は流石に辟易してしまう。
そもそもだ。
「私は……結構コウには厳しい」
きりっとしたキメ顔を見せつつ、フェイトは風に向かってそう独白する。
わからず屋のなのははフェイトがコウを無制限に遊ばせていると思っているのだろう。
(けどそんなことはない。この前だって―――)
「コウ、ただいま」
ガチャリとドアを開け、フェイトは自身が契約しているマンションの一室へと帰宅する。
あーおかえりーと気の抜けた声が部屋の奥から玄関へと返される中、彼女は上着を脱いで冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出しコップへと注ぎながらリビングへと足を踏み入れる。
そこには夢中で大画面での一人称型の陸戦型魔法射撃戦ゲームを遊んでいる男がいた。クズニート転生者のコウである。
彼はフェイトを振り返ることすらなく必死に手にした専用コントローラーを操作していた。
被弾し血をながしていることを演出しているのか、画面は半透明な赤いエフェクトに包まれておりどうやら彼は今戦場に背を向け必死に安全地帯へと逃走を図っている最中の模様である。
―――が、駄目。
必死の逃走も虚しく背後からの攻撃に撃ち抜かれ、画面には死を表わす文字がでかでかと映し出された。
あーくそ。まじでくそと彼は口汚く画面を罵りながらカーペットをどんどんと拳で叩いた。
フェイトはそれを見て呆れたように小さく吐息を漏らしながら思った。実際に戦う時はたとえ戦力差があっても驚く程しぶとく戦うというのに、何故ゲームになると彼はこうも下手なのだろうかと。
しかし偉そうにそんなことを考えているが彼女の対戦ゲームの腕は大体においてコウと五分である。
「コウ、そのゲーム朝もやってたけどまさか一日中やってたんじゃないよね?」
ぴたり、と床を叩く手を止めて彼は振り返りこう言った。
まさかそんなわけはないだろう? と。
「バルディッシュ?」
『Yes, sir. 』
あ、やめろ! と叫ぶコウを無視してバルディッシュは家電の統合制御コントロールを呼び出す。
フェイトの契約しているこの高級マンションはサービスの一貫として全ての電化製品をAIによって最適に管理され、所有者がリモートで様々な操作を指示することも可能ととても便利なハイテクルームなのである。
バルディッシュはそこからログを呼び出してゲーム機やモニターの過去の稼働状況を調べたと言うわけだ。あぁ何という監視社会であろうか。
人権侵害だと喚き床を転がるコウを、フェイトは腰に手を当てて睨みつけるように見下ろした。
「やっぱりずっと遊びっぱなしだったんだね……」
ジト目で見つめてくるフェイトに対しコウは下手な口笛を吹いてごまかそうとするが、そんな態度は彼女には通じない。
フェイト・テスタロッサは厳しいのだから。
「コウ……ちょっとこっちに来て」
厳しい口調でそう言いながら、返事も聞かずに彼女はコウの肩をぐいと掴み上げリビングから引きずっていく。
やめろーとダダをコネられても彼女は決して許さない。何故なら彼女は厳しいウーマンだからである。
フェイトは寝室の大きなベッドにコウを放り投げ馬乗りになると、その腕を捻り上げてガッチリとホールドした。
そしてなんと体重を掛けてゆっくりと関節や腱を捻じ曲げはじめる。堪らずコウからはギブギブギブ!と言う声があがるが、しかし彼女は容赦しなかった。
「ほらこんなに強張ってる! 同じ姿勢でずっと居るのはよくないから、せめてちゃんとストレッチは挟んでって言ったのに!」
フェイトはそう言いながら、コウの強張った筋や腱を入念に引き伸ばし解きほぐした。
彼女は厳しいので健康を損なうような無茶なゲームプレイは決して許さないのである。その厳しさはたとえドロップ率が3倍になる周年キャンペーンの最中であろうとも徹夜プレイをさせないという徹底ぶりだ。
強張った体をバキバキと解きほぐされたコウにやり返してやると言われて体勢を入れ替えられ、フェイトの仕事で疲れた体を無駄に凝った指圧技術で解きほぐしにかかられたりもするが彼女は決して容赦しないのだ。
(それにお金だって無制限に遊びに使わせているわけじゃないのに)
頑固者のなのははわからないようだが、フェイトとてちゃんと経済観念というものは持ち合わせているのだ。
例えば先日も―――
「え、お金がないの? 課金したいからなんとかしてくれ?」
コウから告げられた言葉にフェイトは首をかしげた。
口座にはまだまだだいぶ余裕があったはずだし、コウに預けてあるものと同じカードで彼女は昼間食事をしたがその時には問題なく利用できていたのだ。
どういう事かと詳しく聞いてみると、フェイトは申し訳なさそうに彼を説得しはじめた。
「コウ……ミッドチルダのお金なら自由に使ってくれて良いけど、日本のお金は地球に出かけた時に使うためのものなんだよ。経済をむやみに混乱させないようにって、両替もきちんと申請してからじゃないと出来ないし個人利用は上限もあるから……」
そう言って日本円の使用は控えてくれるように言葉をつくしたのだが、しかし彼は日本のゲームで遊びたいのだと強く主張する。
これにはフェイトも参ってしまった。何しろ彼女自身そういった娯楽方面ではミッドチルダより地球の日本文化に軍配があがるのは認めざるを得ないところなのである。
すずかやアリサと遊びに行ったりするために余裕を持たせてあったはずの日本円の貯蓄だが、先日コウに強請られて日本の最新ゲームハード各種とハイスペックゲーミングPCを周辺機器込みで全て揃えてしまったのが痛かった。
しかしせっかく買ったそれらが死蔵されるのはフェイトにとっても忍びない。
「じゃあ今回だけなんとかするけど、これからは日本円の使用は制限をつけるから。毎月……えーっと10万円くらい? え、普段はそんなにいらない? どうせネトゲはできないから? ……とにかく10万円まででそれ以上は相談してからにしてね」
――――なんてこともあったのだ。
わかったと頷いていたコウの顔を思い出し、フェイトは鼻息を荒くする。
石頭のなのはにはわからない様だが、自分だってきちんとコウの使うお金はちゃんと管理しているのだ。
だと言うのにあの高町なのは彼氏いない歴=年齢はこうも宣うのだ。
どうせフェイトちゃんは料理音痴だからコウ君が毎日御飯作ってくれるからデレデレしてるんでしょ!
何という暴言だろうか。
フェイトはそれを聞いた時あまりのショックに口を金魚のようにパクパクさせることしか出来なかった程だ。
(なのはは私を簡単に餌付けできるちょろい欠食児童かなにかと勘違いしている)
全く許せぬ勘違いであった。
確かになのはもはやても料理が上手い。それに比べて自分がちょっとばかりその分野に於いて劣っていることは間違いないことはフェイトも認めざるを得ない。三人で集まった時も自分はレタスをちぎるとかそういう役目ばかりだというのも受け入れよう。
しかしだからと言ってそれは食べる側のスタンスとは全くの無関係の筈だ。
料理が出来るくせに毎日カップ麺やブロック栄養食をエネルギー源にしているどこぞの固定砲台とは違うのだ。
(私は……味には煩い)
フェイトはそう自認している。
コウが先日打った蕎麦を食べた時も彼女は一口食べてすぐに気がついたのだ。
「コウ。これは……柚子でしょ?」
にやり、とドヤ顔のフェイトに対し彼はパチパチと拍手をした。正解である。
その日コウが作ったのは柚子皮を浮かべた鴨南蛮蕎麦であった……そしてドヤ顔のフェイトを見ながら匂いと見ためで誰でもわかると思いつつも、彼がそれを口にする事はなかったのである。
「ふふ。でもコウ……この蕎麦……葱はあわない……かなっ」
またもドヤ顔である。
フェイトはそう言って自分の椀に入っていた葱をコウの椀にぽいぽいと移し替えた。
南蛮そばなのに……と呟くコウを全く意に介さない。まさしく食の帝王の姿である。
(確かに私はなのはやはやてが作る料理に文句を言ったことはない)
今まで彼女は何を作ってもらっても基本的に美味しい美味しいと言ってきた。
しかしそこには親友である彼女達が自分の為に作ってくれたものだから、と言う気持ちがあったこともまた事実なのだ。
(ちょっとなのはには、それで勘違いさせちゃったのかな)
だとしたら悪いことをしてしまったとフェイトは思った。
気遣うばかりが常に相手の為になるわけではないと彼女は理解しているのだから。
(私は……コウが作ってくれた料理でも不出来な部分にはちゃんと口を出してる)
そんな事を思っているフェイトだが実際には彼女はただ単に蕎麦についてくる葱が苦手なだけである。
コウはなんとかそれを克服させようと色々なバリエーションを出したりしているのだが、毎回このように葱だけ自分に押し付けられてしまっているのであった。
思い起こしたエピソードを頭の中で反芻し、フェイトはうんうんとひとりごちた。
「うん……私は、結構コウには厳しい」
おまけ
自分は母親失格だ……そう考えている人物がいた。
彼女こそプレシア・テスタロッサ。フェイトの母である。
自分は二人目の娘であるフェイトに対し、余りにもひどい仕打ちを行ってしまった。
そのことは悔やんでも悔やみきれるものではない。
余りにも辛いことが多かった彼女の幼少期を思うと、せめてこれからの人生に幸多くあれと願わずにはいられない。
しかし彼女はまた自分にそのように思う資格が果たしてあるのだろうかとも思ってしまうのだ。
今更自分がどの様な顔で母親面するのかと。
たとえ周囲が……そしてフェイト本人が、どれだけ許してくれたとしても彼女は自分を許せない。
それに、彼女はフェイトに対し未だどう接していいかわからないのだ。遠い昔……アリシアを相手にどのように愛情を注いでいたのかすら、彼女は最早思い出せない気がした。
プレシアは思う。そもそもアリシア相手ですら自分は良い母親ではなかったのではないだろうか?
記憶を振り返れば、仕事ばかりにかまけて余りにも家族と接する時間が少なかったように思える。
アリシア、フェイト、亡き夫……これほど周囲の人間に愛されておきながら、それを返すことが出来なかった人間。
自分は人を愛することが出来ない女だ。
プレシア・テスタロッサは自己についてそう結論付ける。
「プレシア~、焼き上がったよ~」
「あらそう……じゃあ切り分けて並べておいてくれる? 今お茶を入れるから」
愛娘であるフェイトが彼女の身を案じて残した使い魔アルフ。
その彼女に呼ばれ、プレシアは物思いを止めて椅子から立ち上がったのだった。
ガトーショコラ。
それは卵白をしっかりと泡立てた卵白にチョコレートと生クリームを混ぜ合わせ焼き上げることで生まれるふんわりしっとりと二重の食感とビターチョコレートのほろ苦さが特徴的なお菓子である。
プレシアはそれを銀のフォークで上品に一口すくい取り口へと運ぶ。
目をつむりゆっくりと咀嚼して、その甘さとほろ苦さを味わってから飲み込む。
そして口の中に残った甘さと苦味を、口に含んだミルクティーのなかに溶かし込むようにしてその味の変化を楽しみながらお茶を飲み下す。
そして静かに目を開きこう宣言した。
「……これが一番出来が良いわね。今回はこれをベースにするわ」
がつがつとガトーショコラを食べていたアルフは、プレシアの宣言に眉根を寄せる。
「あたしゃ最初に作ったやつのほうが良いと思うけどねぇ。これは苦すぎやしないかい?」
その言葉を聞いたプレシアは、アルフを嘲るように鼻を鳴らした。
「使い魔のくせにわかってないわね。あの娘はこのぐらいの上品な大人の味が好きなの。最初につくったのは甘すぎだわ」
「そうかねぇ? フェイトは甘いお菓子も美味しそうに食べてたけど……」
「それはあの娘は優しい娘だもの。どんなお菓子でも美味しくないだなんて周りに言うわけはないでしょ」
「……まぁそうかも知れないけど」
「けどあの娘が本当に好きなのはこういう上品なケーキ。それに私が入れた紅茶をあわせた物が一番喜んでくれるの」
本当にそうだろうか、とアルフは内心で疑問に思う。
確かにフェイトはプレシアが作ったケーキやなのはの家のシュークリームなども喜んで食べてはいた。
しかし自分と二人だけの時、フェイトが自分で買ってきて楽しんでいたのは……主にコーラとポテチだった。
特にポテチは新作が出る度にチェックして今回の商品は出来がいいだの悪いだのと、自分を相手に得意げに語っていた主の姿を思い返すと、なかなかプレシアの言葉に全面的な賛同をする気にはなれないアルフだった。
そんなアルフの内心など知らずプレシアは如何にフェイトが自分の手作りのケーキを喜んでくれたかを得意げに語り、そして都合三度目となる試作の結果を踏まえて、次に自分の下を離れ頑張るフェイトへと送る新作ケーキの本格制作にかかることを宣言するのだった。
彼女はプレシア・テスタロッサ。
自称人を愛することが出来ない女である。
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3話
空戦魔導師。
それは選ばれた者の称号だ。
単純に飛行魔法を発動するだけであればその難易度は初級魔法の卒業レベルでしかない。
しかし基本的にこの魔法は常時起動し続けねば意味をなさず、またその制御も起動中は片時も怠ることは出来ない。それもただ単に魔法的に制御を保てばいいだけではなく自分と周囲の位置関係をつねに3次元的に把握し望んだ位置を保つための独特のセンスが必要になってくる。
その上で……上記の条件を完全に満たしながら十分に余力を残し複数の魔法を起動し操ることの出来る魔力量とマルチタスクの能力を持ち、敵味方の位置を立体的な感覚で捉えて魔法戦闘を行うことが出来る者。
それが空戦魔導士と呼ばれる人間だ。
高町なのははその非凡な才能が自身に与えられた幸運に時折感謝する。
空戦魔導士の事を、重力の軛から解き放たれた者達と称する人達がいる。
しかし自分の感覚ではそれは違うとなのはは思っていた。
どくん、と血が沸き立つ独特の感覚。
脳裏に冷たい針を突きつけられたようになのはは身に迫る危険を察知する。
『flash move.』
レイジングハートが主の意思を汲み取り高速移動魔法を起動する。
なのはは己の相棒たるデバイスが起動したその魔法の制御を引き継ぎ、仮の移動先として設定されていた安全重視の後方退避となるポイントをキャンセル。空白となった代数に高速で座標を打ち込みながら全身に力をいれて魔法の起動にそなえる。
高速移動魔法の起動。
彼女の体は退避ではなく、逆に危険を感じた方向へ……そこから僅かにそれるような角度で目にも留まらぬような速度で飛翔した。
隠蔽を施され、高速でなのはへ迫っていた魔力弾が彼女のバリアジャケットを掠めた。
目に映る景色が高速でシャッフルされ、急な移動の負荷でギシギシと全身の関節が軋むその感触。
全身で感じる慣性と重力。
なのはは思う。
重力の軛から解き放たれた人間? とんでもない。自分達ほど重力の鎖を全身に感じている者がどこにいると言うのだろうか?
のんびりと地上を歩いている時には決して意識しないその力を全身に絡みつかせながら、それを無理やりねじ伏せ、抗い、解き放たれる!
天地が逆さまとなったなのはの体が、灼けた空気を伴って空中へと投げ出される。
開けた視界の先でこちらを振り返ろうとしている幼馴染に対し彼女は愛用の杖を構えて言うのだ。
「ディバイン……バスターッ!!」
自身の発する魔力光にその姿を遮られていても、彼女は自分の幼馴染が今犬歯を剥き出しにするように口の端を歪めていることを確信していた。
何故なら……自分もそうだから。
嗚呼……これが空だよ。
まさにこの様な時、彼女は自分が空戦魔導士として生まれついた事を感謝せずにはいられないのだった。
うごごごごごご、なんで負けたー!と叫びながら、男が地団駄を踏んでいる。
なのははそんな幼馴染の姿を見て微笑んだ。
チェーンバインドをあいつの足に噛ませてやった所までは完璧だったのに……とぶつぶつと呟くコウに、彼女はタオルを手にして歩み寄る。
「あはは。確かにあれはあぶなかったよ……コウ君最初からあの形に追い込むのを狙ってたの? それとも咄嗟に?」
最初からだ、と彼女が手渡したタオルを受け取りながら彼は憮然と答えを返す。
「そっかぁ……」
そうだとすると開幕の戦闘プランから自分は後れを取っていたわけだ。
今回はコウの厄介な防御を抜きやすくするためアクセルシューターにアレンジを加えて臨んだ模擬戦であるというのに、それ込みで一歩先を行かれていたのかとなのはは今回の戦闘を分析していく。
「にゃは」
思わず小さい頃からの癖である少し変わった笑い声が口から漏れてしまう。
楽しい。
気心のしれた実力伯仲した相手との空戦程楽しいものがどれだけこの世にあるだろうか?
少なくとも自分には中々思いつかない。
悔じぃぃ~~おい! これ三本勝負でしょ!先2本取った方の勝ちだから!今0-1だから!
そんな声を模擬戦室に響かせる幼馴染に、なのはは笑顔で頷いた。
「勿論! 今日はとことん付き合ってもらうんだから!」
精根尽き果てた、と言った様子で床に倒れ伏した一組の男女。
なのはとコウは、お互いの頭が向き合うような形で大の字となって天井を見上げていた。
なのはが一勝すればコウは三本勝負だと言い、コウが連勝すればなのはは五本勝負だと主張する。
そんなやり取りが繰り返された挙げ句、最後は相打ちの形で地に落ちた魔導師達。二人の荒い呼吸の音が、自然環境を再現するように作られた風に流されていく。
高町なのはは頭上で自分と同じ様に倒れている幼馴染の事を想う。
彼と一番付き合いが長い人間は自分で間違いない、と。
思い返せば自分の父が大怪我をして入院した時。
一人ぼっちで公園の隅にしゃがみこんでいたあの日、彼と出会ったのだ。
それからというもの……毎日、いつでも、当たり前のように一緒にいたのだ。
たくさんの事を話しあったし様々な事を共に経験して育ってきた。
お互いの両親よりも、他のどんな親友よりも、長く濃密な時を過ごしてきたと言う確信があった。
だからこそ想う。
自分達には、こういう生き方が合っているのだと。
空を駆け……空で生き……そしていつか空で散る。
どうしようもなくそんな生き方に焦がれている。
なのはは思う。
コウはどうしてか組織に属して働く事を酷く恐れている様子だが、それは食わず嫌いのようなものだと。
確かに煩わしい人間関係、嫉妬やしがらみ、出世競争だのなんだのとドロドロとしたものは出世コースを走っている親友から何度も耳にした。
広汎で責任重大な仕事をいつも取り扱っている執務官の親友も、容疑者、被疑者、被害者、利害関係者、協力者……あれやこれやと様々な立場の人間と交渉したり宥めたり脅したり、利害を調整したりと聞いているだけでなのはの頭が痛くなるようなことをやっていて、本当に凄いなぁと感心せざるをえない事も事実だ。
しかし世の中そんな大変な仕事ばかりではない。
少なくとも武装隊を渡り歩いて教導隊に落ち着くまでの間、嫌な人間関係なんてなかったし役割だっていつも極シンプル……課せられるのは戦う事だけだった。
別に思考停止しているわけではないけれど上司だって同僚だって信頼できる相手だったし、戦う相手がおかしいと思った時は抗議ぐらいした。理由だってきちんと説明してもらえたし、それで納得できない答えが返ってきたようなことだってない。
そしてこんな自分が戦うことで誰かの笑顔を守ることに繋がっているとも実感できる。
概ね自分にとっては言うことのない理想の職場だ。
確かに、労働環境……と言うか連続勤務時間などはちょっと悪い所があるかも知れない。
しかし自分は使ったことがないけれど、相応の結果を出したエースであれば希望により勤務形態に融通が利くはずだ。
同僚の小さな守護騎士なども、はやての予定に合わせるために何度か休暇の申請などを出していたことを彼女は思い出す。
だから怖がっていないで一度働いてみれば良いのだ。
きっと彼にも水が合うに違いない。
異例だが、彼の実力と自分達の推薦があれば嘱託魔導師からの教導隊入りとて無理というわけではないのだ。
その上でどうしても肌に合わないと言うのであれば、辞めることを引き止めようとは思わないのに。
ただ、最初の一歩を踏み出して欲しいだけ。
そのために少しだけ、彼の手を引いてあげたいだけ。
そうすれば、思ったより働くなんてなんてことないな……なんて軽口を叩いてきっとあっさり馴染んでしまうに違いない。
そうしてまた、自分の隣に立ってくれるに違いない、と。
なのはは地面に倒れ伏したたまま、右手を強く握りしめて拳を形作る。
フェイトちゃんはわかっていない。
コウ君は間違いなく戦いに生きる人間なのに。
ヒモニートみたいな生活で腐っていたって満足なんか出来るわけないのに、あの魅力的なフェイスとボディで私の大切な幼馴染を誘惑してどうする気なのだ。
確かにフェイトちゃんが物凄く美人で気立てもよく収入もたっぷりあって最高の女性なのは認めよう。
本音を言うと噛み締めた口から血が出るほど悔しいけれど、コウ君がフェイトちゃんと結婚するのだと言えばそれだって祝福できるつもりだ。……たぶん。きっと。めいびー。
けれど彼の生き方を不自然に歪ませるようなことは許せない。
だって普通に考えてフェイトちゃんみたいな娘が何でもしてくれてお金も無制限に貢いでくれるとか、どう考えても男の人だったら誰でもダメ人間になっちゃうじゃん!
だから私がなんとかして目を覚ましてあげないといけないのだ。
そう考えて彼女は意を決して口を開いた。
「ねぇコウく」
ところでなのは最近はちゃんと休んでる?
しかし彼女の言葉はそんな彼の疑問の声に遮られてしまったのだった。
「え?……あ、それは……その~……にゃ、にゃははは」
いや笑ってごまかしてもだめだよ?
どうせエンドレスブラック労働してるのわかってるから。
無慈悲に告げられるそんな言葉の内容になのはは模擬戦の疲れによる心地よい汗とは全く別の、冷たい汗をだらだらと顔に浮かべた。
(密告者は誰なの!!)
金髪巨乳か? たぬきか? それともまさか疑似幼女か!?
ぐるぐると疑心暗鬼にとらわれるなのはに、コウからの追い打ちが突き刺さる。
なのはさ~前に散々休めって言ったのに無理して落ちかけた挙げ句に俺達にすごい迷惑かけた時、もう絶対しませんって言わなかったっけ?
また私はワーカーホリックのバカですって張り紙顔にはって一週間過ごしてみる?
「やめて! それは許してなの!」
無理はしていない。無理は決してしていないのだ。
なのは的にはきちんと余裕をもたせて仕事をしているつもりなのだ。
第一月1でメディカルチェックをうけてオールグリーンなのだから、客観的にも問題は無いはずなのだ。
わかったわかった。言い訳はいくらでも聞いてやるよ。
その声と共にじゃり、と砂を踏む音がなのはの頭上から聞こえる。
彼女はいつの間にかコウが立ち上がり自分を見下ろしていることに今更ながらに気付いた。
なのはからは彼の表情が逆光で隠れており、まるで闇の悪魔に睨まれているかのように見える。
じゃあこの後居酒屋にでもいってゆっくり……おはなししようか?
「い、いやぁ~~~~!?」
おまけ
高町士郎。
高町なのはの実の父親であり、永全不動八門一派・御神真刀流、小太刀二刀術と言うちょっと普通ではないハイパー古武術の継承者。
かつては要人のボディガードを生業としていたが、テロに巻き込まれ瀕死の重傷を負った事で後遺症が残り引退。
以後、血なまぐさい世界からは足を洗い喫茶店「翠屋」のマスターとして穏やかな生活を送っている元戦闘民族である。
「士郎さん。シュークリームが焼き上がったから、表に出しておいてくれるかしら?」
「あぁ、わかったよ桃子」
愛する妻とともに小さな喫茶店を経営し、穏やかな時間を過ごす日々。
以前の自分からは想像もできなかった生き方も、なってみればそう悪くないものだと彼には思えた。
「なのはは……」
思わず彼は遠い異国……どころか異世界で戦いに身を置いている愛娘の名前を口に出す。
「なのはがどうかした?」
「あ、いや……なんでもないよ。ただ元気にしてるかなってね」
「そうね。日曜日のビデオメールが届いたばかりだけど、やっぱり心配よね……」
そう言って眉根を寄せる桃子を見て、彼は自分の迂闊なつぶやきを悔いた。
彼女は特に暴力沙汰とは無縁の世界の人間で、なのはの事を人一倍心配しているのはわかっていたと言うのに。
「はは、頼りがないのは無事の知らせなんて言うけど、毎週欠かさずビデオメールが貰える今の方がずっと良いのは間違いないんだけどね」
「えぇあなた。コウ君にはいくら感謝してもしたりないわ」
「はは……」
私はワーカーホリックのバカですという張り紙を顔に貼り付けながら、家族への定期連絡を杖に誓わされていた愛娘の事を思い出して士郎は乾いた笑いを浮かべた。
家族を振り返ることを疎かにし、戦いに身を置くことにかまけていたのはかつての自分もまた同じで、その事を怒られ正座で反省させられ足が~と震えていたなのはの姿は今思い返しても身につまされるのだ。
武術の素質はまるで遺伝しなかったくせに、自分の気質を一番受け継いでいたのがあの次女であるとはどんな皮肉だろうか。
(見た目は誰が見ても恭也が俺似でなのはは桃子似なんだがなぁ……)
愛する妻と子がいた身のくせに、戦いに生きることを止められなかった自分。
下手をすればあのテロで命を落としていた可能性だって十分にあったのだ。もしそんな事になっていたら残された家族はどんな思いで生きる事になっただろうか?
自分の生きる場所は刃切り結ぶ所にある。
ずっとそう信じて生きていたというのに、戦闘者として一線に立てなくなって初めてそれが思い込みに過ぎなかったことを覚った。
(こればかりはいくら口で言っても伝わらないからな……)
願わくばなのはには自分の様に追い詰められてではなく、もっと早く他の生き方も悪くないものだと気付いて欲しい。
(だが、まぁ……)
なのは……何してんの?
鉄扇ならぬ鉄のハリセンという珍妙なものを手に氷の様な冷たい声でそう言いながら娘を見ていた彼。
「な、何ってもう学校に行く時間だから……」
そう言って顔の張り紙を剥がそうとするなのはの手を彼は容赦なくそのハリセンで打ち付けたのだ。
「痛いっ! え……冗談じゃなく痛いよ! 凄い痛いよそれ!」
なのは、一度で理解してくれよ? そうじゃなきゃ何度も叩くことになるから……。
彼のその声を思い出し高町士郎は思うのだ。
学校にはそのまま行け。
「い、いやぁ~~~~!?」
「きっと彼がいれば、なのはも大丈夫さ」
「そうね……きっとなのはも……」
高町士郎。
今は小さな喫茶店のマスターとして、幸せに生きているなのはの父親である。
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4話
管理局員は大なり小なり皆忙しい。
それは時空管理局と言う組織が持つ慢性的なマンパワーの不足……もしくは抱えた案件の過剰な多さが原因であろう。
しかしそれでもかつての彼……ユーノ・スクライアほど忙しい人間は管理局全体を見回してもそうはいなかっただろうとクロノ・ハラオウンは思った。
「それなのにあの時毎日遊んでばっかりのアイツに僕の仕事を増やされたんだけどどう思う?」
「……じゃあ無視すればよかっただろう」
「それが出来たら苦労はしないってクロノだってわかるだろ!」
どんっ、とジョッキをテーブルに叩きつけながらユーノ・スクライアは年上の友人であるクロノ・ハラオウンに対し溜まった鬱憤を言葉にして吐き出した。
コウ、ユーノ、クロノの三人はジュエルシード事件以来の長い付き合いだ。
いくつかの大事件の際には周りを強い女性陣に囲まれていた環境の中で第一線に立っていた仲間ということもあり、三人は今まで貴重な休みを調整して男だけの飲み会を開催し近況を語り合う程度には気のおけない関係を築いていた。
「何がここの検索使い辛いから関連するワードの評価値を随時フィードバックさせて外部の人間でも情報が拾いやすく出来るようにしてくれだよ! ご丁寧にシステムの原型まで設計してから渡してくれてさ! 気軽に言うけどそれを組み込むのにどれだけ苦労すると思ってるんだよっ!」
「いや、だから嫌なら要望なんて無視すればよかっただろう?」
「だってそれを実装したらその後の僕らの仕事の負担が軽減されるのは目に見えてるじゃないか!?」
負担が減るんだったら良いじゃないか……と言う言葉をクロノは喉から出かかった寸前でなんとか飲み込むことに成功する。
そんな正論を叩きつけては眼の前で思い出し涙を流す年下の友人があまりにも哀れだったからだ。
無限書庫。
それは時空管理局が誇る巨大な情報の集積庫であり……そしてその情報の多さ故に目的の情報を引き出すことが困難などうしようもない魔窟でもある。そんな情報の迷宮を探索するチームを作って陣頭にたち、遺跡発掘一族の看板に偽り無く凄まじい勢いで埋もれた記録を発掘整理した勇者こそ今クロノの眼前にいるユーノ・スクライアだ。
その実力と功績によってどんどんと責任と仕事が倍増トントン拍子に出世し司書長内定となった、まさに三人の中の出世頭だ。
尤も残りのその1人は今現在ヒモニートなので出世競争もなにもないのだが。
それでもまさか生え抜きの局員ではなく外部協力者の一人に過ぎなかったユーノが、この短期間で一部門の長にまで上り詰め、立場としてはクロノすら追い抜くなど10年前には1人を除いて誰も予想しえない結果と言えた。
その例外の1人である友人はつまみが切れちゃうじゃんと言って台所に籠もってしまったのだが、彼が過去に行った所業を思い出しながらユーノはテーブルに突っ伏してその体を震わせた。
「そりゃあ悪意がないのはわかるよ? でもさー、善意のアドバイスっていうならシステムの改変まで手伝ってくれたって良いじゃないか。なのにあの時あいつはこれからフェイトと一緒に第6管理世界に旅行だから~って……ずっと泊まり込んで疲れ果ててそろそろ一息つこうかなと思ってた僕にそんな話ふっといてこれから旅行って、いくらなんでも酷いだろ!?」
「あ~……まぁ、そう……だな」
愚痴るユーノにそう同意しながらクロノは初めて知った事実を面白く思っていた。
(無限書庫が簡易的に使いやすくなったのはあいつがきっかけだったのか……)
仕事上その改善に助けられた部分も多々思い当たってしまう為、クロノはコウを責めることはできない。しかし彼にはユーノの気持ちも痛いほどよくわかる。
そんな友人間の板挟みにクロノは思わず苦笑してしまう。
(あいつのいつものやり口だからなぁ……)
その風変わりなクロノの友人は、過去に何度も同じ様な前科があるのだ。
放っておけば致命的になるような大問題や大事件の予兆等をどこからともなく見つけてきて、その上で実際に行動する際に一番大変な所を人に押し付けてくるのだ。
殆どの場合それが立場的にも能力的にも適材適所になっているから性質が悪い。
しかも狙ったようにクロノ達が仕事に忙殺されて疲労困憊な所にそう言う案件をもってくるのだからたまらない。一時期クロノは本気でコウの事を厄介事を持ってくる疫病神か、見えている地獄へ自分から突き進まねばならない様に道案内をする死神に見えた事があるぐらいだ。
善意で動いてくれているのはわかる。
確かにやらないといけない事だったのも理解している。
勿論感謝も尊敬もしているのだが……コウからちょっと相談があるんだがと切り出されると、クロノは今でも反射的に身構えてしまうぐらいにはトラウマであった。
「しかもあいつその旅行からもどってきて……毎日山のように届く局員からの資料請求を捌きながら必死にシステムの基礎改変を終えて疲れ果てた僕になんて言ったと思う?」
「……聞きたくない気もするが、聞くよ。言ってくれ」
「んん……ごほん! いやー、アルザス凄い良いところだったわー。自然が一杯で素朴っていうかさ。やっぱ人間たまには自然の中でゆっくりしたほうが良いよ。マジで癒やされるから。温泉にゆっくり浸かるのも最高だしユーノもたまには休暇とって体休めたほうが良いよ? あ、これお土産の温泉の素ね。あ、それとも砂浴び用の砂の方がよかったか?……ってふざけてるだろ!?」
ご丁寧に声真似までしてユーノは当時言われた言葉を一句一句まで再現し叫んだ。
何年も前に言われた筈のセリフを詳細に覚えているあたりに彼の怒りの程が窺える。
「こっちはコウの置き土産のせいで司書一同が無限書庫に泊まり込んで、この作業が終われば楽になるからって皆で必死で励まし合ってさ……やっと一段落ついて倒れ伏してる僕に対して言うに事欠いてたまには休めって君のせいで休みが消し飛んだんじゃないか! しかも自分はフェイトと温泉に浸かってゆっくり癒やされてきて僕へのお土産は温泉の素!? あと僕はフェレットじゃない!!」
「わかった! わかったから落ち着けってユーノ。酒がこぼれてる……ちょっと酔ってるんじゃないか?」
「はぁ……はぁ……そ、そうかな。久々に一緒に飲んだからちょっと飲みすぎたかも。トイレ行ってくるよ」
「ああ、行って来い」
哀れなユーノをトイレに送り出し、クロノは思わず敬礼した。
司書長内定へのお祝いだからと言って辺境の珍しい酒や最近評判の良い酒などをコウと集めた席だったが、少し調子にのって飲ませすぎたかも知れないと彼は内心で反省する。
反省するのだが、しかしこの三人……結局飲み会の度に同じことを繰り返してカオスを生み出してそのまま全員が眠りこけるのが定番なのであった。
まぁ貴重な同世代の友人男三人として彼らも異性がいない場所で、羽目を外し好きなことを言い合える席が必要だと思っているからなのかもしれない
「しかし第6管理世界……アルザス地方か」
口にだしてユーノの愚痴のなかに含まれていた言葉を反芻するクロノ。
(だとすると今の話はあの召喚魔法を使う子をフェイトが引き取った時の話かな……)
制御が困難な力を抱えて故郷を追い出され、管理局で保護された後も身の置きどころがなく持て余されていたらしい小さな少女。
偶然に彼女と知り合い、その境遇を哀れに思ったフェイトが手を差し伸べ保護者となった。
そしてその少女は今は力も制御できるようになり、辺境の自然保護区で嘱託の保護官アシスタントとして独り立ちしているんだったかな、とクロノは脳裏から記憶を掘り起こす。
(名前は確かキャロ。アルザス地方に住む少数民族ル・ルシエ出身の娘だったっけ……)
執務官として長年様々な犯罪捜査に関わってきた職業病として、彼は無意識に今しがた入った情報を整理し過去の記憶とすりあわせて当時の状況を推察を始める。
件の彼女が制御困難にあった竜使役の術。
コウはその制御の手助けとなる情報を探すために無限書庫を漁っていたのだとすれば動きの辻褄は合う。
(検索魔法もそれなりに扱えるあいつがル・ルシエ一族の召喚術について調べ、その過程で無限書庫の利用に関しての不満点と改善案をまとめてユーノに放り投げる。そしてフェイトと共にその子を連れてアルザスへ……かな)
その結果として少女が持て余していた自分の力を制御する手助けとなったのであれば紛れもなく良い行いであろう。
副産物として無限書庫の情報が扱いやすくなったことも素晴らしいことだ。
(間違いなく良いことをしている……筈なんだがな)
クロノは苦笑と共に嘆息する。
良いこと……なのだが、その過程で実際に一番苦労しているのはユーノ以下の司書一同であり、きっかけを作った本人はのほほんと温泉旅行では愚痴の一つも言いたくなるのもしょうがない。
キャロと言う子の事にしたって、またぞろアルザスでル・ルシエの一族の人間たちに色々と無茶振りをしたのではないだろうかとクロノは推測する。
(結果的には良い方向に行くから、その一族と管理局との関係悪化とかはないだろうけど……)
会ったこともないその一族の人間達が自分やユーノと同じ様に苦虫を噛み潰したような顔をしたかも知れないと思うと、クロノは思わず笑ってしまった。
(まったくコウってやつは)
働くのはいやだなどと嘯きながらも、そんな風に周囲の人間の為になんだかんだと動いてしまう人間だからこそ、二人共コウとこうして気兼ねなく付き合える仲でいられるのだろう。
「ただいま~」
そうしてクロノが1人グラス傾けながら物思いに耽っているとトイレからユーノが帰ってくる。
すると丁度そこに、ちょっとそこのテーブル空けてくれるか? と二人に声がかけられた。台所から出てきたコウが沢山の小さな料理を大皿に載せて持ってリビングに入ってきたのだ。
「あぁ」
「うん」
二人はコウに返事をしてテーブルの上を片付けて大皿を載せるスペースを作り出す。
そして彼がそこに皿を載せると、その上に載った料理を見たユーノは驚きの声をあげた。
「コウ、この料理って……」
問いかけるユーノに対し、コウは折角ユーノの祝いの席だからなと言って笑う。
彼が持ってきた料理。それは穀物と椎に似た木の実を粉末にして水で練り上げ様々なハーブを練り込んで生地を作り、その生地で果物のジャムから野菜とひき肉の練り物まで様々な具材を包み込んで油であげて食べるダンプリングの一種で……それは昔ユーノが二人に振る舞った事があるスクライア一族に伝わる伝統料理だったからだ。
以前の飲み会の席でユーノがそれを振る舞った際に、その素朴でありながら驚きに満ちた味わいの料理に感銘を受けたコウが作り方を教えてくれとユーノにせがんでいた事二人は思い出す。
あれから結構俺なりにアレンジしたから、ユーノからしたら変かもしれないけどな。
そう前置きするコウの言葉を他所に、ユーノは素手でひょいとその小さな料理をつまみ上げ口に入れる。
そしてもぐもぐと咀嚼し、飲み込んでから彼は口をひらいた。
「いや、僕にとっても十分美味しいよ。ありがとうコウ」
いやいやお粗末様ですとコウが返して二人が笑い合う。
それを見ながらクロノもその料理を一つ手にとって口に含んでみた。
(ん……甘い)
香ばしく上がった生地から想像するものとは違った甘い味がクロノの舌の上に広がった。
干した杏の様な果物を包んで作られたのだろうか? しかし生地の香ばしさと練り込まれた香草の味がその素朴な甘みと調和して、デザートではなく確かに食事の副菜や酒の友だと納得できるものに仕上がっている。
「うん。美味しい」
糖分を魔力変換するレアスキルを持っているのではないかと疑いたくなる程なんにでも砂糖を大量に添加する母の影響もあり、甘いデザートはあまり好みではないクロノだったが逆にこういう一風変わった一品料理やつまみは彼の好みにも合っている。
新しい肴も来たことだしと三人は改めて酒をグラスに注ぎ合い、その杯を鳴らした。
「乾杯」
しかし様々な味が楽しめる料理とはいえ、酒の肴がこれ一つではやはり口寂しい。
やはりもう一つ……次は自分がまた酒が進むような「肴」を出さなければとクロノは思った。
先手必勝。
この三人の集まりではそれが重要なのだ。
(ところで、いい加減コウはフェイトとの事をはっきりさせたらどうなんだ?)
この一言を次の肴にしてやろうとクロノ内心でほくそ笑む。
フェイト自身はコウに責任をとって貰いたいだなんて思っていないよ、などと言っているみたいだがそんな事は関係ない。
ミッドチルダの法令上でも、三年以上男女が同棲関係にあれば、事実婚に準じると見なされ内縁の夫婦としての義務や権利が発生するのだ。
なのはもはやても、コウがフェイトとの関係をはっきりさせないから宙ぶらりんのままじゃないか。
責任とってね♪ とエイミィに言われて自分は覚悟を決めざるをえなかったのに、コウだけそんなラブコメみたいな状況で居続けるのは許されないのだ。
そんな八つ当たりのような感情でクロノは言葉のナイフを鞘から抜き放とうとする。
しかしその機先を制し、先に口火を切ったのはそのコウだった。
ところでクロノはエイミィと付き合うことになったんだよな?
その言葉が、三人の間の空間にぽんと放り込まれる。しかしクロノに焦りはない。
(コウめ。先手を焦るあまり自分から墓穴を掘ったな)
エイミィと結婚を前提に正式に付き合うことになったのは最早決定事項だ。
その件に関しクロノは既に覚悟完了している。エイミィの事は好きだし必ず幸せにしてみせるという思いもちゃんとある。
「そうだよ。やっぱり男として取るべき責任は取らないとね」
「おー、さすがクロノ」
クロノのその言葉に感心するユーノ。コウもぱちぱちと拍手をして同意した。
(よし、このままそろそろコウもフェイトに対しちゃんと責任を取ったほうが良いんじゃないか、と繋げて―――)
じゃああの猫姉妹はどうすんの?
そして続けて放たれたコウの言葉で、クロノの体は石と化す。
開きかけた口からは言葉の代わりにビシリとひび割れた音が響いた気がした。
「あ、それそれ。僕もそれ気になってたんだよね」
(まずい、ユーノまで!)
2対1の構図。
これはこの三人の集まりにおいて絶対に避けなければならない敗北必至の陣である。
「猫姉妹って? な、何のことか……」
「……? コウが言ってるのはあのリーゼロッテとリーゼアリアの事だよね?」
ユーノの言葉にコウが頷く。そして二人は揃ってクロノを見つめ彼の回答を待った。
二人に見つめられたクロノは顔中に急に汗をだらだらと浮かべ始める。そしてクロノが言葉に詰まっているとコウは容赦なく彼に追い打ちを欠けてきた。
今度グレアム提督から使い魔を移譲されるって聞いたけど?
通常主のみに忠誠を尽くし生死を共にしようとする使い魔が、存在を保ったまま他者に移譲される例はそう多くはない。
クロノ・ハラオウンは近日中にその稀有な例に加わる予定の男なのだ。
「あ、あの二人は使い魔だし……エイミィとの事とは関係……ない……ような……気が……」
男としての責任って言っといてそれはないんじゃないの?
言い訳するクロノの言葉をコウはさっくり一刀両断にする。
ギル・グレアム。そしてその使い魔二人と協力して闇の書事件を解決に導いて以降……クロノはエイミィとは別にリーゼ姉妹からも猛烈なアプローチをかけられ続けていた。
それは彼の周囲の人間にとっては既に周知の事実である。そのぐらいあの姉妹のモーションは露骨だったのだ。
その上で、今回の使い魔移譲の契約締結である。
クロノとて彼女達に主として望まれた事が嬉しくないわけがない。
何しろ彼にとってリーゼロッテとリーゼアリアは幼い頃からの大切な師匠なのだから。
彼はロッテからは体術と搦手不意打ちを含めた実践的な技術と心構えを。
アリアからは魔法の技術と正当な戦術や持っておくべき様々な知識や心得を学んで育った。
その教えは厳しかったが、二人は本当に親身になって幼いクロノに接してくれたし……奔放でいたずら好きなロッテと、優しく穏やかなアリアと言う二人の「猫のお姉さん」はクロノにとって異性に魅力を感じるという事の原体験でもあった。
そんな二人が自分にはっきりと好意を表して迫ってきた上で、近日中に正式に彼女らの身を譲り受けることになるのだ。
持ち前の一途さと義理堅さからエイミィに操を立て続けてきたクロノは、紛れもなく立派な男なのだが―――
「クロ助~。あたしとしては使い魔と関係を持っても浮気にはならないって思うんだけどどう思う?」
「どう思うもなにも知るか! 第一君は僕の使い魔じゃないだろっ」
「ふ~ん、そういう事言うんだ……」
「クロノ、エイミィさんとは話をつけておいたから」
「アリア? 何を言って……」
「私とロッテの二人だったらしょうがないから受け入れるって言って貰えたから」
クロノの脳裏にそんな少し前の二人の「猫のお姉さん」の姿を思い起こされる。
それで、男としての責任が……なんだっけ? どういう風にとるの?
男三人集まって行うぐだぐだ飲み会。
その夜は……まだまだ長い。
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5話
フェイト・テスタロッサはマダラキ・コウの事が好きだ。
大好きだと言っていい。
なのはとどっちが好きかと聞かれたらかなり困ってしまうぐらいには好きだ。
そのなのはからは最近フェイトちゃんはちょろいだとか、ダメ人間製造機だとか言われるがとんでもない話だとフェイトは思っている。
別に誰彼構わず受け入れて甘やかすようなつもりはないし、好意を持った相手に対して大小の差はあれど、お世話をしたいとか甘えて欲しいとか、守ってあげたい尽くしてあげたいと思うのは当たり前ではないだろうかとフェイトは思っている。
実のところそれが素直に受け入れられないなのはの方こそ、子供じみているとすら密かに彼女は思っていた。
(なのはったら未だに勝負事には手を抜けない性格だし……照れ屋のくせにすぐ格好つけたがるし……ちょっと中二病入ってるし……)
なのはの駄目エピソードぐらいフェイトの記憶のアルバムにはいくらでもあるのだ。
だがそれは今重要ではないのでしまっておくことにする。
重要なのはフェイトが好意故にコウの我儘を受け入れているということだ。
だから彼女は今まで大抵のことは笑って受け入れてきた。
とんこつラーメンの研究だ!
などと言い出したコウが何日もスープを煮込み続け、家具はおろかフェイトの替えのスーツまでとんこつの匂いが染み付いてしまった時さえも彼女は笑って許した。
自分の部下である執務官補佐のシャリオ・フィニーノ陸士に変な目で見られても全く気にしなかった。決して毎日とんこつの匂いを漂わせて出勤してくる事をシャーリーに不審がられているのに気付かなかったわけではない。
捜査となれば優れた観察力を発揮するのに日常ではどうしてこうもポンコツなんだろうと自分の補佐に思われているのにも気付かず、久々に日本風の本格らーめんが食べれて嬉しいなぁ等とご機嫌だったわけではないのだ。
ともかくフェイトは普通の人だったら怒り出すような事をコウにされても気にしない。
だがそれにも例外はある。
そう、彼女にだって我慢できない事と言うのは存在するのである。
(だいたい私が毎日忙しく仕事をしてるっていうのに、コウったら毎日遊んでばかり……)
きちんと結婚した上で主夫だというのであればその関係は対等と言えるが、ただ居候をして養ってもらいながら好きにしているだけのコウでは彼女の機嫌を損ねることは許されない。
(私だってもっと一緒に遊んだり食事に行ったりしたいのに。もっと親密になりたいのに……)
だと言うのにコウはフェイトにとって我慢ならない部分に踏み込んでしまったのである。
(それなのに私を差し置いて二人で……)
あ、おい! てめートゲ甲羅ははんそくだろ!?
「知りませんね。マ○ヲカートはルール無用でしょ?」
やめろー!!
「……どうしてエリオは私じゃなくてコウとそんなに仲良くなってるの?」
おかしい。こんなことは許されない。
フェイト・テスタロッサはそう思うのだった。
エリオ・モンディアルはプロジェクトFと呼ばれる人間の記憶を転写する技術を用いて生み出された特殊なクローンである。
それは倫理的人道的な観点から違法とされる技術だったが、自分の息子の死を受け入れられなかった富豪のモンディアル夫妻はその禁断の技術にすがって息子を取り戻そうとし彼を生み出したのだ。
そして自分を両親から生まれたただの人間だと、疑いすら抱かずに何不自由なく過ごしていたエリオの生活は、ある日突然に終わりを迎える。
人工的に高い魔力資質を持った魔導師を生み出す計画……人造魔導師計画を研究する違法な機関の人間がエリオがプロジェクトFで生み出された存在であることを嗅ぎ付け彼の身を拉致しようとしたのだ。
しかもその際に彼は自分の出生の秘密を両親の目の前で聞かされ、そして信じていた両親はそれを否定するどころかやはり自分達の息子は死んでいたのだと言って諦め抵抗を止めてしまう。
だったら今ここで生きている僕は一体何だって言うんだ!?
僕は……僕は母さんと父さんの子供じゃ無いっていうのかっ!!
違法な研究者達に拉致されたエリオはそこで非人道的な実験を繰り返され……研究所を摘発した管理局によって保護された頃には、彼の心は荒みきってしまっていた。
皮肉にも望まぬ違法な研究によって自覚させられた高い魔力資質と「電気」への魔力変換資質。それを用いて暴れるエリオを保護施設の人員もどうしようもなかった所に、手を差し伸べたのがフェイトだった。
誰かの身代わりとして生み出されたのだとしても……いや、だからこそ私達は本当の自分に向けられた愛情を心の底で望んでいる。愛なき故に傷ついたからこそ、その傷は愛情でしか癒やされることはない。
そう考えるフェイトにとって、エリオを見捨てるなど考えられない事だった。
誰もそれをこの子に与えないと言うのなら、私がそれを与える。
彼の境遇に己の生まれを重ね見たフェイトは、文字通り体を張ってエリオと向き合い、その真摯で献身的な彼女の態度は少しずつエリオの荒れ果てた心を癒やしていった。
今現在、エリオが元の生真面目で素直な少年へと戻ることが出来たのは間違いなくフェイトの献身のおかげであると言えるだろう。
フェイトから直接相談を受けたコウでさえ、この件には立ち入らなかった。
ただフェイトの深い愛情と共感だけがエリオの心を癒やしたのだ。
そして精神的に立ち直ったエリオに対し、フェイトは自分と一緒に暮らさないかという話を持ちかける。以前に保護者になった相手に同じ話を持ちかけた時は固辞されてしまったが、今度こそと言う思いがフェイトにはあった。
何故なら先例であるキャロにとって、フェイト達は勿論恩人ではあったとしても彼女は別に人間不信になっていたわけではない。そもそもキャロは愛情なく生まれ育ってきたわけでもないし、故郷を追われる事になった事情も理不尽とは言え彼女自身は納得していたのだ。
制御できず持て余していた危険な力の問題さえ解決すれば、キャロはいかようにも生きる道を選べる立場だった。
仲良く三人で暮らし精一杯愛情を注ぐのだと意気込み鼻息荒く持ちかけたその話を、キャロにあっさりと「そこまでご迷惑はかけられません。私は大丈夫です。ありがとうございます」と笑顔で断られてしまった時のことはフェイトにとってちょっとしたショックだった。
むしろお前なんかと一緒に暮らせるかバーカ!嫌いだ!と罵られたほうがショックは少なかったかも知れない。
まったく屈託の無い笑顔でフェイトの提案を断り立ち去るキャロの後ろ姿に、フェイトはよろよろと手を伸ばしながら心中で叫んだのだ。
なんで!? め、迷惑なんかじゃないのにー!
今でもたまにそれを思い出してしまうフェイトであった。くすん。
しかしエリオは違う。
彼には自分が必要だ。今度こそ彼に本当の愛情を持って接する家族の暮らしが必要なんだ。そんな確かな手応えと強い決意を抱えて、今度こそうちの子にならないかとエリオに持ちかけたフェイト。
――――が、駄目っ。
再びありがとうございます。僕は大丈夫です。そんなご迷惑はお掛けできませんの3コンボを食らって彼女はKO負けを喫してしまう。
最早笑うしか無い……だが、彼女は諦めなかった。
都会暮らしは慣れないのでとさっさと自然保護隊へと就職を決めてしまったキャロと違い、エリオはその特殊な生まれもあってしばらくは管理局に保護される身分だという事をフェイトは把握していた。
だからまだまだチャンスは有る。
少しずつ仲良くなって距離を詰め、挽回を狙うのだ……と計画するフェイト。
そして彼女は忙しい仕事の合間を縫ってこまめにエリオの様子を見に行き、手土産も欠かさず、困ったことはないか、体調は問題ないかと常に気をかけ精一杯親身に接した。
そうして彼女が親身になればなるほどエリオからは尊敬と感謝の念を強め、ますます迷惑をかけないように早く自立しなければと思わせてしまっているのだがフェイトはまったく気付いていない。
(おかしい……私の計画ではもうエリオは私の弟みたいになっている筈だったのに何故か上手くいかない……)
そうしてフェイトの計画が空回りしている間に、暇だけは売るほど大量に持て余している1人の男が暗躍を開始する。
ご存知マダラギ・コウである。
彼はエリオがすっかり立ち直ったと聞くと彼の元へ顔を出し、どうせお前もただ保護されてるだけで暇だろう等と言って好き勝手に自分の遊びに付き合わせ始めたのだった。
最初は戸惑いを見せていたエリオも一緒に過ごす内にコウはただ自分が遊びたいだけだとわかると、身構えているのもバカバカしくなってしまったのかどうせなら自分も楽しんでやろうと彼と共に素直に遊びに興じるようになっていく。
そしてある日――――
「ただいまー」
「おかえりなさいフェイトさん」
普段とは違う出迎えの声。
だがフェイト・テスタロッサは焦らない。コウからエリオが遊びに来ることはちゃんと聞いてあるのだ。
「うん、いらっしゃいエリオ」
冷静に応えながらもその時フェイトのテンションはあがっていた。
きっかけは何にせよエリオが家に遊びに来るようになったのだ。これは計画の大きな前進と言えると彼女は考えいた。
だが次の瞬間彼女は大きなショックを受けることになる。
「コウー! フェイトさん帰ってきたよ~!」
おー、おかえりー。こっちも出来上がるからエリオ運ぶの手伝ってくれー。
「わかった~!」
(え、呼び捨て!? しかもなんか口調も気安い!?!?)
自分がこんなに頑張ってもまだ駄目なのに何故、とフェイトはその衝撃で目眩が起きそうになった程だ。
「え、エリオ……」
「……? フェイトさん、どうかしましたか?」
「こ、コウとは随分仲が良いんだね」
「え、そんな事ないと思いますけど。普通ですよ」
「そっか、普通かぁ……よく一緒に遊んでるの?」
「そんなでもないです。一緒に遊ぶのはコウが誘ってきた時ぐらいで……」
(聞き間違いじゃない。確かにコウって言った。私はフェイトさんなのにコウって言った)
最早フェイトはエリオの言葉を聞いておらず、ただその呼び方だけを脳裏に反芻していた。
この日、彼女の心には燃え盛るコウへの怒りの炎が宿る事になる。
以来、彼女は自分も連れて行けと強引に二人の遊びについて行ったりしたのだが当然ながらエリオが尊敬する"フェイトさん"を呼び捨てにするような事になるはずもなく、しかも無職のヒモニートであるコウがフェイトの仕事中にエリオを誘うと彼女にはどうしようもないのだ。
「こんな筈じゃなかったのに……」
フェイトの計画、ぷろじぇくと・ふぇいとの完遂は……遠い。
おまけ フェイトのなのはメモリー
なのはの勝負事への熱の入り方はちょっと普通じゃないとフェイトは思っている。
自分だけがそう思うのだろうかと思って彼女は昔はやてにも相談したことがあるが、彼女も同意見だったのでやっぱりそうだよねとフェイトは深く頷いた。
それが模擬戦でという話ならまだわかるのだ。
教導中に自分の能力を制限し、想定したハードルを相手が超えられたらギリギリ自分に勝てるという想定で散々に教育中の部隊を叩きのめす。
これはわかる。そもそも教導隊の仕事とはそういうものだろうとフェイトも思う。
しかし相手部隊がめげずに試行錯誤を繰り返し、問題点を解決し、やっとなのはにその刃が届く……となった時にたまたま新しいカウンター戦術を思いついたので思わず迎撃して全滅させてしまった……なんて話を聞いたときには思わず呆れてしまった。
まぁそれでもなのはだし模擬戦での話だから―――
(いや、やっぱり酷いよね)
そこは素直に負けてあげるべき所だろう。
居酒屋でその話が暴露された時、なのはは「ハンデを付けるのは良いけど勝てる手があるのにわざと負けることなんて出来ないよ~」とか言い訳していたが、フェイトとはやてどころか同じ教導部隊のヴィータだって彼女の事を白い目で見ていた。
しかしフェイト自身も実戦の場に立つ人間であったので、いざ戦いとなれば常に勝利の手を模索し咄嗟の時は反射で最適な動きをしてしまう、というのは実のところわからないでもなかい。
だから内心ちょっと引いたけど、そのことは彼女にもぎりぎり理解できる範疇だった。
しかしなのはの負けず嫌いは別にそういった場面に限ったことではない。
(私、あの顔未だに覚えてる……)
フェイトが思い出すのは闇の書事件が解決した少し後、彼女がなのはの家にお泊りをさせてもらった次の日曜日の朝の出来事だ。
二人で散歩に出かけた彼女となのはは、たまたま公園で老人達とゲートボールに興じているヴィータと遭遇した。
近所の老人たちに可愛がられている様子を二人に見られたヴィータは少しバツが悪そうだったが、それでも話は弾み、そして二人も少しゲートボールに交ぜてもらうことになったのだ。
と言っても経験も無いしルールもよくわからないので上手く出来るはずもなかったのだが、ゲートボールはチーム制の競技であったためチームメイトとなったヴィータや他の老人のフォローが的確だった事もあり二人は楽しく遊ぶことができた。
そしてゲーム終盤、運の良さも味方して自分達のチームの勝利がほぼ確実となった時にそれは起こった。
ちょっとしたなのはのミスプレイから相手の攻撃がはじまり、それが奇跡的に怒涛の連続攻撃となってまさかの大逆転を許してしまったのだ。
かなり珍しい逆転の仕方になったらしく、これには双方のチームが驚きこんなことあるんだなぁと笑っていた時のことだ。
フェイトも一体何が起こって逆転となったのかよくわからなかったが、めったに起こらないような珍しいことが起こったのだということは周りの反応から理解できた。
「なのは、なんだかすご……」
その親友にかけようとしたフェイトの声が思わず止まってしまうぐらい、なのはは暗殺者みたいな物凄い目つきで逆転劇のきっかけとなった己のミスプレイでアウトボールとなった球を睨みつけていたのだ。
手にしたスティックも折れるんじゃないかと言うぐらいに力いっぱい握りしめていて、フェイトはなのはに声をかけるのを断念せざるを得なかった。
別にたまたま参加しただけのゲームぐらい負けたっていいじゃん!とはとても言えない形相である。
(なのはって……もしかしてちょっと変なのかな……)
フェイト・テスタロッサはこの日初めて自分の親友の性格に疑問を抱いたのであった。
高町なのは。
勝負事に於いて『手を抜く』『わざと負ける』『自分のミスで勝負を台無しにする』は絶対に許せない女である。
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