機動戦士ガンダムSEED C.E.81 ナイルの神 (申業)
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PHASE-01 悪夢の胎動(1/9)

プラントは首都アププリウスの町外れ。

そこは昼には太陽を拝めず、夜も月明かりが届かない。

そんなある家の2階の、

ほの暗い部屋の中にイスに腰かけた二つの人影が浮かぶ。

「今日は相談があって来たんだけどねぇ……ゴトウダさん?」

声の主は声からして女性らしい。

砂のような色味の巻き髪が右も左も肩まで垂れているのは分かる。

しかし、その背後に光る赤茶けた電灯の影になって、

彼女の顔はまるでポッカリと開いた穴のように見える。

「何でもいいが……

何かの悪巧みに私を巻き込むつもりなら、悪いが乗る気はない。

私も暇ではないのでね」

向かい側の彼は、

その眼鏡により、カメレオンのように大きく見えるその眼を、

すぼめて嘲(あざけ)るが如く相手を見つめている。

「ラクス様に嫌われては困ると?」

次に、この男──クラウス・ゴトウダが、

細長く白いタバコを口に運んだとき、

その目前にあった古びたテーブルに、1枚の小切手が落とされた。

それも、女の手から。

「……何のマネだ?」

「それは前金です……好きな額を書いてもらって構いません。

一応、失敗したときのリスクも考えてね」

「話が見えないな。何をするつもりだ?

仮にも、この国の外務委員長ともあろう者が……」

暗く大きな穴に見えた彼女の顔から、

ミミズでも這ったような動きが見えたかと思えば、

直後に少し顔を下げたことと相俟(あいま)って、

その大きく口角の上がった口元が浮かび上がる。

随分と、狡猾(こうかつ)そうな微笑である。

「……この国は滅びる。そう、遠くない未来にね」

女は、その腰をゆっくりと上げた。

木製だったらしい、そのイスが小さくカタッと鳴った。

その足が2歩、3歩と前に出て、

呆れた顔を浮かべるゴトウダの左腕から黒いオイルライターを奪うと、

キーンという音を立てながら開き、引き起こされた火を、

ゆっくりとゴトウダのタバコへと寄せた。

「お気づきでしょう?」

ライターが閉じられ、タバコの火も煙へと転じる、ほんの数秒、

女の顔が完全に見えた。

それが何に似ていたかといえば、ヒラメであろう。

離れた両目が同じように意地悪そうに笑っていた。

「……フン」

ゴトウダが首を右に振った。

煙がそのモーションに合わせて空中に線を描き、

そして右側にて暗く濃い息としてゴトウダの口より排出される。

「まあ、今日はひとまず、これで……

スコルツェニー参謀長の『オバマ』出征の影響を見つつ、

お互い、よく考えましょう。身の振り方は」

女の気配が足音と共に遠退いていき、やがてはドアを開け、外へ。

その間のどこかで一度だけ、足音が止むと共に、

「暗殺は、最もメジャーな免職方法です。プラントではね。

……ご存じでしょう?よく」

そんな言葉が聞こえてきた。

足音が聞こえなくなった頃になって、ゴトウダもまた呟くのだった。

「道端に落ちた犬の糞のような女め。誰が踏んでやるものか」

などと、その手に握られたタバコ──ゴロワーズの箱を握りながら。




同じように握るにしても、数本ばかしタバコの入った箱と、
単なるメモ用紙とでは、訳が変わってくるもので。
太陽が燦々(さんさん)と降り注ぐ病室にて、
ベッドに横たわる、
全身包帯まみれの木乃伊(みいら)男──ワイリー・スパーズは、
メモ用紙をクシャッと左手で握り潰して、こう漏らした。
「……あのなぁ。アレハンドロ」
彼の視線は、右手側に向けられている。
ベッドの右側にうつ伏せるブドウ色の頭の持ち主は、
何を隠そうアレハンドロ・フンボルト、その人に相違ない。
枕代わりに曲げた両腕を下に敷くこのアレハンドロに、
名前を呼ばれて答える声はない。
「あのなぁ……」
バツが悪そうにワイリーは右手で後頭部をかきながら、
視線を外し、左手側に広がる外の景色に目をやった。
「いや、分かるぞ?俺だってなぁ……ショックなことはよ。
こう何度もこんなことが続きゃ、誰だって嫌になるさ。そりゃあ」
チラチラと目線を下げてアレハンドロを確認しては、
すぐ外にまた目を向けるの繰り返し。
そのうちに手が後頭部より剥(は)がれて、
「俺は病人なの。慰められる立場の人間なんだよ。
どっちかっつーとな!」
語調は強いが、目を合わさないワイリー。
外向きながら、話を続ける。
「……だのに、よぉ?何だよ、連日通いつめて、愚痴りがって。
俺はカウンセラーじゃねぇの!むしろ患者なの!……アンダスタン?」
ムッスリと顔を上げるアレハンドロ。
だが、それでも肩は落ち、顔も下を向いている。
「……悔しいんすよ。俺」
キョロキョロ動いていたワイリーの頭が動きを止めた。
まあ、それでも向いているのは外の方だが。
心なしか、表情も硬くなる。
「何でこうも……上手くいかねぇんだか」


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PHASE-01 悪夢の胎動(2/9)

──C.E.81年4月。
ユニウス戦役以来、実に7年ぶりとなるプラント本国を襲った戦いは、
1週間あまりにて、落ち着きを見せる結果となった。
我々の負った傷は大きい。
参謀本部と呼ばれた軍の拠点グナイゼナウは外壁から大きく損傷し、
やむなく、参謀長ヨーゼフ・スコルツェニーは、
暫定的に本部をアーモリー・ツーに遷すことを決定。
同じく襲撃を受けた、アーモリー・ワンもまた、
その被害はけして小さくない。
過去の大戦に比べれば、期間・人数ともに少数であるが、
それでも1週間あまりで民間人含め数万名もの人間が命を落とした。
となれば、防衛できたから終わり、といくハズもなく…… 


赤ん坊を乗せるゆりかごってヤツは、

自分では移動できない赤ん坊を揺らして満足させるものらしいが、

だとしたら、コクピットってのはパイロットのゆりかごだろう。

丁度、形も似ている。

ただ違うのは、パイロットってのは大人であって、

そんな子供騙しで気が紛れる人種じゃないってとこだ。

『目標地点到達まで、残り3分……』

そういうアナウンスが聞こえてくる。パーディの声で。

このパーディだって、ハサンが死んだときには大分参っていた。

人間の死ってのは、本来そういうもので。

だから、ジョーンだって死を恐れていた訳で。

戦争ってヤツがどんな理屈をつけてもあっていいハズはないんだ。

そんなことは分かっている。

だが、どこかで俺たちは失っている。危機感とか、人の尊厳とか。

モビルスーツっていうデカい鉄の壁が、

命の奪い合いっていう残酷な現実を見えなくさせているのか?

ハッキリとしたことは分からないが。

ジョーンに「怖くないのか?」と問われたとき、

俺は返す言葉を失った。

出てきたのは、どうにも嘘臭い言い訳の文句だけ。

分からない……

何の為に戦うのか?誰の為に?他に方法はないのか?

……ただ、分かっているのは、俺にどうする力もないことだけ。

先日、臨時で開かれた円卓会議は、鎮圧との名目でもって、

ザフト脱走兵への実質的な報復任務の発動を宣言した。

発起人は別人だが、

その実、ヨーゼフ・スコルツェニーの献策みたいなもんで。

それも、目標地点が『オバマ』だとは言わないという手の込み様。

先に言質だけ取っておいて、

しかも指揮権はヴィトー・ルカーニアに譲渡。

失敗してもめ事になろうと、自分には責任が及ばない状況をつくり、

その上で『オバマ』出兵を決定した。

まあ、目的は大体見当がついている。

バスティーユ条約の締結により、

プラントと大西洋連邦は直接戦争ができなくなった。

だが、その直後に大西洋連邦は、

プラントの領土と隣接した地域に宇宙要塞『オバマ』を建設。

プラント側も大西洋連邦のある北米に軍の基地をつくった。 

だから文句は言えないが、

いざって時にプラント本国が攻め込まれる危険があるからってんで、

どうにか、この軍事要塞を落とせないかと、

ここ1年ぐらい、プラントじゃずっと考えられていた。

大西洋連邦も、いずれプラントとは一戦交える考えなんだろう。

ザフト脱走兵を支援して、プラントを弱体化させようとしていた。

らしい。

だから、プラントはそれを逆手に取って、

脱走兵残党の掃討を目的に、『オバマ』を攻撃する。

普通に考えりゃ条約違反だが、

一応、国際法の中には「テロリスト支援の禁止」って条項がある。

いざとなりゃ、これで訴えれば反論は出来る訳だ。

どちらも悪どい商売してやがる。

ただ、問題は証拠があるかどうかって点。

だから円卓会議でさっさと話をまとめて、実行に移す必要があった。

脱走兵が『オバマ』を逃れるより、先に。

……理屈はこう。

だが、色々と問題がある。

ここでの強行から、大西洋連邦との戦争にそのままなる危険。

そしてそれ以上に、人殺しをさせるっていう……

『モビルスーツ部隊……出撃用意』

パーディのアナウンスがまた聞こえた。

次いで体がフッと持ち上がる感覚に襲われる。

理由は簡単。乗っているモビルスーツごと移されようとしているから。

抵抗することは出来ないし、したって意味はない。

ただ、目の端で、

主を失った《ガイア》の姿を一瞥して、歯噛みすることしか、

俺には出来なかった……



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PHASE-01 悪夢の胎動(3/9)

盤面から弾かれたパチンコ玉みたいに、

戦艦『フレイヤ』より排出された俺の《ヴェスティージ》は、

アオスジアゲハよろしく、暗い宇宙に青い翼をはためかせながら、

徐々に降りていく。

上も下も定かじゃない宇宙空間で、

降りるとか下がるって表現が適切かは知らないが。

とにかく、目標となる場所が下に見えていたことには違いない。

目標地点は、軍事要塞『オバマ』。

サザエの殻を思わせる、灰色で歪なこの三角錐からは、

花びらみたいに均等に、ビーム砲がいくつも顔を出している。

『……「オバマ」に次ぐ』

ルカーニア艦隊の「若頭(アンダーボス)」アントン・ランスキーの声。

やることはわかっている。

『テロ勢力「ザフト脱走兵」の幹部が、

寄港に潜伏しているとの情報を得た。

早急な引き渡しを願う。

反対するというなら、実力行使を辞さない……』

早い話が宣戦布告。あるいは恫喝(どうかつ)だ。

ただ、『オバマ』側からの返答はなく、

代わりにサザエより顔を出す例の砲の一門が、

ゆっくりと立ち上がり、

自身の頭上を脅かすアゲハチョウに砲身を合わす。

その様は、高い枝へとその身を伸ばす芋虫のようでもあって。

砲口がこちらに向き、放たれるまで2、3秒程度。

はっきり言って遅すぎる。

こちらには、放たれたビームを避けた上で、

逆にビームライフルで撃ち返す余裕すらあったのだから。

被弾し、あっさりへし折られた砲身。

あとには、

鳥に啄(ついば)まれた後の姿にも似た、

哀れな芋虫の残骸が残っていただけ。

『全軍……突撃!』

アントンの叫び声。

これを嚆矢(こうし)として、このサザエ擬(もど)きの身の上に対し、

ビームの雨が降り注いでいく。

最初は薄い水色のような、緑色のような色をした、

ビームの膜が張り巡らされ、

サザエのボディを守っていたのだが、やはり手数の問題か。

雨粒のいくらかが発生装置を直撃し、この膜に穴を空けてしまった。

ここまでに、恐らく1分もかからなかったろう。

かつサザエの頭上を脅かすカラス似の黒き《ジズ》の群れには、

芋虫の唾に撃ち落とされたものはおろか、

傷ついたものすら見当たらない。

ただ、玉ねぎの皮でも剥(む)いてくみたいに、

蒼い薄皮みたいなビームの膜が消えていく。

その間も、雨は止まない。

降り注ぐ桃色の雨が、サザエの表面を少しずつ傷つけていき、

あちこちで煙を上げ始めている。

その姿は、金網の上で焼かれるサザエに似ていた。

時間としては、そんなこんなで2、3分ほどは経った後だったか。

『……突入!』

と声を荒らげるアントンの号令に、

不揃(ふぞろ)いなカラスたちが魚群みたくまとまり、

獲物を襲う猛禽類(もうきんるい)がごとき素早さでもって急降下、

サザエより上がる煙の中へと消えていく。

俺はそんな様子を、しばらく上空から見下ろしていた。

コクピットの画面下部に映る機体後方の様子には、

ヴァイデフュルトの《ジズ》と、ダイの白き《Im/A-P》の姿がある。

それに今、アレハンドロの《アビス》まで合流した。

カブトガニみてぇなモビルアーマー姿の方で。

『副長!』

ダイがそう急(せ)かす。

後方に佇(たたず)む『フレイヤ』よりは、

丁度カオスが射出されたところ。

円柱型のポッドが機体より分離して、

一気に前進していくのが見えた。

「ああ、わかってる」

右に直り、機体の半身を後方の部下たちへ向ける。

「俺たちもそろそろ……」

そう言いかけたときだった。

『副長!後ろ!』




同じ頃、かの大船『ベルフェゴル』では。
「……アントンの小隊29機の突入を確認しました」 
とのオペレーターの声に続いて、
「順次各隊にも突入させよ」
なんてフェイ・デ・カイパーの指示が。
ブリッジ前方を覆う映画館のスクリーン顔負けな大画面上で、
居並ぶモビルスーツの群れが、
蜘蛛(くも)の子でも散らすように動き出したかと思えば、
やはりサザエの方に急降下していく。
ただ、およそ最も遠方に見える『フレイヤ』の周囲だけを除けば、
暗い宇宙に紛れた黒いカラスどもの姿は、
その一切が消え失せてしまった。
さて、ブリッジ中央では、
例によってヴィトー・ルカーニアが偉そうにふんぞり返り、
眉をかいていたかと思えば、呑気に欠伸(あくび)までした。
欠伸の音に振り返った傍らのフェイは渋い顔で、
ルカーニアを見下ろす。
視線が合うが、ルカーニアは笑うだけ。
依然、その余裕寂々という態度を改める様子はない。
「……睨むなよ、フェイ。こんなもん、ただの戦争じゃねぇか?」
ニィィと口角を上げるルカーニアの表情の意味を、
フェイはまだ知らない。


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PHASE-01 悪夢の胎動(4/9)

空でサザエを見下ろす戦艦5隻。

例えばルカーニアの旗艦『ベルフェゴル』なんかは、

その体型がクジラかジンベエザメみたいであるし、

付随する『ニスロク』も、『ベルフェゴル』より一回り以上小さく、

細身で、またザフト製には珍しい飛行甲板を機首上部に配した形態が、

どうにもコバンザメ臭い。

ロイヤル・イタリアン部隊の『メディオラーヌム』にしたって、

とぐろを巻いた蛇をイメージしたって言われるあの見た目が、

特に大きく口を開いたように見える機首の辺りなんかから、

むしろウツボじゃねぇのかって、気がしないでもない。

他にモーリス・ゴンドーというルカーニア傘下の別の大隊長が、

中型の戦艦『オズボーン』ってのを派遣してきたが、

これのモデルがゴブリンフィッシュっていう魚らしい。

まあ、上手く言えないが、

翼をウサギのポーズでも取る形で前に突き出した姿の鳥、

っていうのが近いかと思う。

ピンとこねぇっていうなら、ゴブリンフィッシュで調べてみな。 

とにかくそんな風で、

いずれの戦艦も魚か海獣みたいな容貌であったが、 

中でも、シャチのように丸みを帯びたシルエットで、

青っぽい灰色の下部と、黒っぽい紺色の上部が、

黄色のラインで隔(へだ)てられ、

丁度シャチの背鰭(せびれ)・胸鰭にあたる部分にて、

鉤爪(かぎつめ)のごとき突起がついている。

それが戦艦『フレイヤ』の姿である。

さて、このとき、中ではどんな様子であったかというと。

「……何をやってるんだか」

そう漏らす声が聞こえてくる。

声の主は、

ブリッジのおよそ中央に置かれた椅子に深々と腰を下ろし、

胡座(あぐら)気味に足を組んだ姿、

その上、足首の上に頬杖までついた女。

アーモリー・ワンでこそ、そこにいなかったが、

何を隠そう彼女こそ、本戦艦の艦長にして部隊の隊長たる、

ルシア・アルメイダその人に相違(そうい)ない。

「……何をやってんのよ。サムのヤツは」

不服そうに話すルシアの視線は傍らに控えるハビエルへ向けられる。

元々、フィリピンワシみてぇな間抜け面のハビエル。

このときは、目が合うなり、その目を丸めて、

なおのこと古いカートゥーンのようなアホ面を晒(さら)す。

とはいえ、そこはハビエル。

伊達に戦艦の副艦長なんかしちゃいない。

すぐに顔を戻して、多少伏し目がちではあるが、状況を説明する。

「……《カオス》の出撃時、パイロットは出撃を宣言しませんでした。

回線も切られています。何か、聞かれてはまずいことがあるか。

もしくは……乗っているパイロットが違うか」

目を閉じ、やや前傾姿勢となったアルメイダ。

「後者でしょうね。クソ」

それは、そうアルメイダが漏らした、まさに直後であった。

彼女らの背後にあったドアが開き、

一人の男が入ってくる。恰幅(かっぷく)のいい白人男性。

名前はトロ。トロ・サンタンデール。うちのメカニックだ。

そして入ってくるなり、

「……留置場から、例の女が逃げました!」

と、叫んだ。




もっとも、このときの俺たちに他所の話に耳を傾ける余裕はない。
何せ、俺が《カオス》のポッドに襲われた。それがまず最初。
脇腹を抉るように突き刺さる光の槍。
ヴァイデフェルトの悲痛な、
『後ろ!』
という叫び声が聞こえたときには、
もうポッドの砲口は光り始めていたところだった。
まったくヒヤリとした。
ただ、
無意識のうちに《カオス》のポッドの動きを確認していたのが幸運で、
反応自体はそう遅れなかった。
我ながら、手足がギリギリ届かない程度の間合いで、
完全でないまでも致命傷を避けられたのは大したものだった。
肉を切らせて骨を~なんて言葉があるが、正に。
左の脇の上辺り、胸よりは少し下辺りに空いた小さな穴。
爆発の衝撃がコクピットの左斜め上より押し寄せて、
体も右側に叩きつけられる。痛いって程じゃなかったが。
こういった芸当はワイリーにやらせとけって話。
フィギュアスケートのイナバウアーじゃねぇが、
背中側に体を反らしつつ飛んで、
その間に右手でビームサーベルを抜く。
第2射はこんな動きで避けられた。
動きそのままに、逆手で、スキーストックを地面に刺すみたいに、
サーベルにてポッドを貫いた。
『あ~あァ……もう少しだったのに』
あの気味の悪い笑い声が聞こえてきやがる。
そして背中のモビィ・ディックを起動させつつ振り返れば、
そこには《カオス》の姿があったが……
『イヒヒヒッ』
カオスの姿があったのは、ヴァイデフェルトのジズの後ろ。
左手を首にかけ、
右手のビームサーベルを横にしてコクピットの前に置いている。
人質を取った、といわんばかりに。
カオスの体は、本来は黒と緑の二色。しかし、今は違う。
およそ腐肉にも似た茶色のボディに、
露出した骨のごとき青みを帯びた銀色の装甲。
丁度、ダーティのそれと同じ。
『どうする?……副長さぁ~ん。ンフフッ』
「ジェイナス……ビフロンス……」 


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PHASE-01 悪夢の胎動(5/9)

危機に瀕(ひん)したとき、人間は1度理性を捨てる。

簡単だ。迷う程の時間がないから。

だから……そこに思った程の葛藤は生まれなかった。

《カオス》の背中から分離したポッドは1つではない。

現に、目の前に立つ《カオス》の身にそれはついていなかったのだから。

大方、俺がヴァイデフェルトの撃つか撃つまいか、

そう悩んでいる隙をついて攻撃するとか、

どうせ、そんな考えだったのだろう。

『……テメェ!』

アレハンドロの怒鳴り声が響いた。

耳を覆いたくなるようなボリュームだったが、

そんなことに手を使っているような余裕が俺にはない。

一瞬だけ、悩んだとしたらほんの一瞬だけだった。

白鯨(モビィ・ディック)の口が1度だけ上に向いた。

さながら、クジラが呼吸の際に海面に姿を現すときのような、

必要だが、やや無防備ともいえる一瞬。

そして吹き出された潮の勢いにも似た、強烈な原動力が俺を動かす。

もういいだろう?善人ぶるのは。

これ以上そんなことしてたら、別のものを失うぞ。って風に。

砲口を下ろす。

「……俺を恨め。ヴァイデフェルト」

そんな言葉を放ったときには、もう引き金は引かれていた。

青白く太い光線が2機を襲った。

『……副長?』

ヴァイデフェルトの声が、俺の罪悪感を加速させる。 

ビフロンスのヤツは、俺なら撃てないと思っていたのか? 

何にせよ、これ自体にはあまり意味はなく、

撃たれた瞬間に、

ビフロンスの《カオス》はヴァイデフェルトの《ジズ》を蹴飛ばした。

これにより、2機ともに攻撃を避けた形になった。

咄嗟にヴァイデフェルトを盾にしなかったのかのは、

逃げるのに必死だったからか。それとも?

……とにかく、回避した《カオス》は、

死角をつく形でポッドで俺に反撃してきて、

しかも今回は見逃していた為、被弾してしまったが、

相手も焦っていたのだろう。

命中したといっても、裏側のコクピットの上辺り、

かつ自慢の翼が盾になり、

背中を押されたかといった程度のダメージにしか感じなかった。

アレハンドロが真っ先にミサイルを撃ち込み、

これはビームサーベルで斬るも、

その隙をつく形で切りつけたダイに、

腕ごとサーベルを持っていかれた。

これにいつの間にか出撃していたシージーも加わり、砲撃を加える。

俺もビームライフルを抜き、ヤツに向けた。

動いていないのは、ヴァイデフェルトのジズだけで。

確認する程、精神的に余裕のない俺は、

容赦なく、《カオス》のコクピットに照準を合わせた。

そのとき……




妙なものを見た。妙な、しかし始めてではない光景。 
俺の体はいつの間にかコクピットの中から飛び出していて、
しかもさっきまで着込んでいた宇宙服を着ておらず、
平時の軍服姿で立っている自分。
背後の世界は、撮影スタジオみたいに真っ白で、何もない世界。
いや、厳密には何もない訳じゃなくて。
まず、俺の手には拳銃が握られていた。
拳銃の種類はシグ・ザウエル製のP220。
俺も使っている拳銃だが、これ自体は俺のものじゃない。
モデルからして違う。
後で調べた限りでは、P220の中でも、
10mmエリートステンレスか、Super Matchのどちらかのモデルで、
とにかく銃身が白かった。
大袈裟かもしれないが、背景の白と合間って、
その手に拳銃が握られていること、その銃身が人に向いていること、
そういった現実を見えなくしているようだった。
この世界にあったものはもう1つだけ。
あったもの……いや、人なんだが。
その女は裸で、地面にへたりこんでいた。
浅黒いといっても、腐って変色したような血色の悪い肌、
縮(ちぢ)れ毛の、緑っぽいブロンドの髪に隠された顔、
右腕はなく、右肩の辺りからダラダラと流れ落ちる血、
左手はそれを押さえようともせず、
ただ地面にパーの形で置いているだけ。
その開かれた指にしたって、木の枝のように細く、
今にも折れてしまいそうだ。
そんな様子なのに、女は……ビフロンスは笑っている。
いや、本当のところどうかは知らないが、俺にはそう見えた。
髪の毛の下から僅かに見える口が、
その口角が上がって見えたからだ。
「何が……おかしい?」
ビフロンスは答えない。何も。
いや、それ以前に、何の変化もない。
腕から流れ落ちる血はおよそ致死量を遥かに越えているように、
というか、そもそも腕からそんなに止めどなく血が出るものかと、
そう思えてくる程にボトボトと溢れていくばかり。
静寂といっていい世界に、この血の垂れていく、
水よりはいくらか重いかといった音だけが聞こえている。
「何がしたいんだ?オマエは、一体……」
この辺りで、ようやくビフロンスの口が動き出す……


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PHASE-01 悪夢の胎動(6/9)

「アナタは、自分が何であるかなんて……説明できるの?」

ビフロンスは笑う。なおも。

「アナタの大好きな、『ルバイヤート』の詩の中にも、

そんな話が出てくるでしょ?

どこから来て、どこへ行くのか。

死んだ後に世界はあるのかしらねぇ……天国とか、極楽とか、

地獄とか……フフッ」

「何がいいたい?」

「……何でしょうねぇ。一体」

ビフロンスが笑うに合わせて、その体が微かに揺れるのが分かる。

風にそよぐ柳の木みたいに。

「……死んだ人の声が聞こえたこと、見たこと、あるでしょ?」

顔を上げるビフロンス。

奇妙な目だった。最初は赤い目をしていると錯覚しかけたが、

実際は白っぽい銀色の瞳をしていた。

ただ、随分と血走っているもので、

どうにも、

その黒目(厳密には赤い目だが)と白目の位置が、

入れ替わってしまったような印象を受ける。

さて、そんな女の問いは死んだ人間に会ったことがあるか、

だったな。

……答えに困った。是も非も答えにくい。

それらしいことは1度、いや厳密には2度あった。

ただ、俺が以前見たものがそうであったかは分からない。

あるいは、白昼夢、都合のいい幻影であったかもしれない。

ただ、もし、本当に彼女が彼女だったなら……

それは、そういうことになる。

「不思議よね……」

俺の思考を遮るビフロンスの言葉。

「時々いるわ。アナタのような人が。

人は死に直面した瞬間、思うことは恐怖しかなくなるのに。

何故かしら。アナタは違う。アナタは思わない。

私はビフロンス。死者の墓に蝋燭(ろうそく)を灯す者。

人が死に触れる瞬間を何度も見てきた。死者を見てきた。

あの日、あのとき、アナタの生殺与奪は私にあった。

死に直面していた。

その意味を理解できない程、アナタは愚かでもないのに。

アナタは動じなかった。

死ぬのが怖くないの?いや、きっとそうじゃない。

でも半分くらいは……望んでいるんでしょ?死ぬことを」

ビフロンスの方から顔を逸らし、辺りを見渡した。

どこまでも白い世界。宇宙のように広く、限りが見えない空間。

見渡すといっても、見るものは何もない。

「いつまで……死に損ねる気?」

ビフロンスの腕がゆっくり伸びて、俺の右腕を掴んだ。

例の白い拳銃を握る腕を。

続いて、顎(あご)が外れてしまったのかと錯覚するばかりに、

口をデカデカと広げ、

ブラックホールも真っ青な暗闇に支配されたその口内に、

白き銃口を押し込んだ。

カエルを丸呑みにするヘビのように。

次に少しばかり口を狭め、銃身を軽く噛む。

そんな状態でなおも、その口角は上がっている。笑っている。

やがてその手を、拳銃を握る俺の手に重ねて、

そこから一言、

「……お先に」

と、口にものが入っているにしては綺麗な発音で告げると、

引き金に当てられた、俺の人差し指を折り曲げさせ、押し出した。

そのまま、引き金が引けるように。

そうしたらどうなるかなんてのは、

わざわざ語らなくても分かるだろう。

当然のように放たれた弾丸が口の中を通り過ぎて、

後頭部を貫通、勢いそのままにどこかへと飛んでいった。

薬莢の落ちる乾いた音が足下にて響き、

だらしなく俺の手に倒れかかる女の体は、

前からも後ろからも赤黒くベトベトな血を垂らすばかり。

明らかに死んでいる。それは疑いようがない。

少なくとも見た目からは。

だのに、

「……下手な芝居だな」

そんな風な言葉が俺の口をついて出た。

そして、

「……ンフフフフッ」

というビフロンスの笑い声。

いや、文字にすると説明しにくいが、

もっと例えば小さな足音のような、低い音として聞こえてきた。

クネクネと身を捩(よじ)りながら、銃口を吐き出すビフロンス。

そして、陸に打ち上げられたクジラみたいに、

顔から地面へと倒れていった。

何が不気味って、ビフロンスはなおも笑っていること。

俺は……ひとまず、拳銃を体の真ん中辺りに持ってきた。

左手を添える。その後、腕を胸の辺りまで持ち上げ、

そこから改めて下げた……ビフロンスを狙って。

後はもう一度、今度は自分の意思で、引き金を引けばいいだけ。

それで終わる……ような気がした。

約1秒後、ビフロンスの上半身が持ち上げる。アシカのように。

血が滝のように流れる口を再び広げ、左手を前に突き出す。

そして、

「……ヒャアアアアアア!」

なんていうケダモノのような叫び声を上げながら、

飛びかかるビフロンスを、俺は…… 



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PHASE-01 悪夢の胎動(7/9)

俺は……さっと左腕で払った。
意識は戦場へと、コクピットの中へと戻っていた。
俺の手が弾いたのは、ビフロンスの身体などではなく、
残った1基のポッドに過ぎなかった。
ふと前を見れば、カオスの残骸。
人間でいう口にあたる部分から、
コクピットがあったであろう胸部にかけて、一筋の穴が空いている。
きっとそこを俺のビームライフルが撃ち抜いたのだろう。
カオスは既に活動を停止している。
パイロットの死体は確認できないが、
きっとビームに焼かれて死んだことだろう。
……ひとまず、1度、俺は胸を撫で下ろした。


内部まで侵攻した、魚群のように群れる《ジズ》の集団。

それを真っ先に襲ったのは、実に何でもない、ひとつの爆竹だった。

黒い釜みたいな小さなそれが、一瞬光ったかと思うと、

内側からヨーヨーの糸みたいにビームを伸ばし始める。

それも四方八方に。

比較的前方に立っていた個体が、

それぞれ腕や足や……節々を、このビームの糸に切り裂かれたが、

流石にそれで死ぬ者はない。

ただ、突然の爆発に、群れの足並みが一時止まった。

それは不味かった。

ビルの陰に隠れるように飛んでいた、この爆竹の持ち主が顔を出す。

両手に、大型のビームマシンガンを2丁、

まるで子供でも抱き抱えるみたいに持った、

《ハイザック》のカスタムモデル。

保護色とばかりに灰色をしていたボディが姿を現しても、

まず視認するまでに時間がかかる。

レーダーの反応に、

『何か……いるのか?』

なんて間抜けた台詞を吐いたある《ジズ》のパイロットが、

『あっ』

と気付いたときには、もう遅い。蜂の巣になっていた。

《ザク》連中が使っていたものよりもいくらも口径がデカく、

また手数も多いと見える両銃が、

一斉に降り注げば、空中で動きを止めた、この間抜けどもを、

1度に7、8機は破壊してみせた。

『……クソが!』

と反撃に出られれば、どこに仕掛けてあったのか、

丸い盾がワイヤーに釣られて、

左右ともに数十メートル離れた位置から近付いてきて、

その表面にあった、最早お馴染みとなったビーム炸裂型のミサイルを、

サイズこそ鼻くそみたいなもんだが、それをもう40、50はばら蒔き、

《ジズ》数機を落としつつ、その視界を遮ってみせる。

《ジズ》のパイロットらも、勿論、その間に棒立ちだった訳ではない。

先陣を切った一人たるアントンなんかも、

レーダーに表示される座標を頼りに砲撃を試みるが、

ただでさえ動く的を狙うのだって難しいというに、

直接見えていないものに当てられる訳もなく。

「……クソがッ」

怒鳴るというより、噛み締めるように。そう漏らした。

レーダーに表示される敵は、何も彼らだけではなく。

文字通りの横槍。レーダー上から見れば、左下の端の方に映っていた、

敵機の砲撃が自身と、その真後ろにいたジズの間を通り抜け、

右斜め後ろにいたヤツを撃ち殺してしまった。

ここにきて、《ジズ》の欠点……いや、密集体系の欠点が顕著となり始める。

とはいえ、ルカーニアも無策ではなく……

「ハリネズミを、前へ!」

アントンが力強く、旗艦『ベルフェゴル』に呼び掛けた。




大西洋連邦が有する宇宙要塞『オバマ』を襲ったザフト兵の目的は、
言うまでもなく、
指導者マーシャル・オートクレールの捕縛ないしは殺害。
では、当の本人はその頃どうしていたかと言えば、
日の当たる店のテラス席で、麦わら帽子を目深に被り、軽装で、
呑気そうにTボーン・ステーキなんて食ってやがる。
「……やけに、騒がしいな」
なんてほざけながら。
横ではラジオが、
『速報です……うっ……宇宙要塞「オバマ」に、
ザフト兵と思われるモビルスーツ部隊の出現を確認しました』
男性とおぼしき、そのキャスターの声というのは、
妙に上擦ったしゃべり方をしており、
恐怖に震えた顔が目に浮かぶようであった。
そんな呼吸の乱れたキャスターが伝えているというに、 
オートクレールに一切の動じる様子はなく、
ステーキの横に置かれていた、
淡いオレンジ色のスープをスプーンで口に運んでいる。
「ホォ……コイツはトマトのスープか。たまげたなぁ……」
そう笑うオートクレールに、
傍らに経つギャルソンらしき女性が説明する。
「はい。サルモレホという、トマトとパンのピューレでございます」
「……美味(びみ)だ」
「ありがとうございます」
一礼するギャルソンの横で、スープの上に乗った一切れのハムが、
オートクレールの口に運ばれた。
この間、ハムはスプーンから大きくはみ出しており、
そして口の手前で遂に落ちてしまったのだが、
オートクレールは、少々下品だが、舌を突き出して、
これを上手く受け止め、口へ喉(のど)へと送った。
「……いい。最高だ」
そう笑うオートクレールの表情は、
間もなく鳴り響いた着信音によって、曇らされることとなる。
曲は『O Toi La Vie』。シャンソンの名曲である。
画面にも通知相手の名前は出ているが、音楽の方でもう気付いた。
「……ノエルめ」
呆れた調子で吐き捨てるように伝えてから、
持ち前のスマートフォンを耳にあてた。
「えらい騒ぎだな。ただの『紛争』だろうに?」
開口一番そう告げるオートクレールに、
電話先のノエルも一言で返した。
『……「戦争」です』
と。


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PHASE-01 悪夢の胎動(8/9)

必死に援軍を求める部下に、ルカーニアの回答は冷たい。

『ハリネズミは出さない。その人数でどうにかしろ』

そんな半笑いのルカーニアの台詞に、

「しかし」

などとアントンが食い下がれば、

『フン……少しは頭を使え!』

なんて笑い混じりの怒声が返ってくるだけ。

「……頭?」

要領を得ないと見えるアントン。その視点はレーダーから動かない。

『それが最善なら、とっくにやってる。

ハリネズミどもじゃ、今回は分が悪い。それだけの話よ』

アントンの脳は、ルカーニアの語る意味を理解できずにいた。

敵はゲリラ戦を展開している。

ならば、障害物を一気に破壊してしまえばいい。

そうすれば、敵は前に出て戦うしかなくなるのだから。

普通はそう考える。これはアントンでなくても。

しかし、ルカーニアは言う。

『もっとよく……前を見ろ』

ハッと顔を上げたとき、アントンの目の前には1機の《ハイザック》。

レーダーには出ていた。

ただ、この濃い煙の中で直接視認する難しさと、

レーダーとして表示できる程度に縮小された世界では、

現実の距離感が掴めにくい。

敵の《ハイザック》は射程ギリギリ、

いや少しばかり遠すぎる程度の場所で、

スナイパーライフルを構えていた。

そのハイザックの頭部が、煙の中より一部だけ見えていた。

ほんの一部。モノアイを映す黒いバインダーの端の方だけが。

それを視認した直後には、もうビームの一発が放たれた後。

アントンの《ジ・ゾウム》は、回避は間に合わず、

頭頂部のやや左側辺りに、大きな風穴が開いて、

次の瞬間にはメインカメラのほぼ半分が消し飛ぶ事態に。

幸運なのは《ジ・ゾウム》のコクピットが頭ではなく腰にあったことで、

アントン自体にはダメージがなかったことであろう。

無線には機体の爆発音が拾われ、

通信中の『ベルフェゴル』に伝えられたようで、

『アントン!』

と叫ぶフェイの声が聞こえてきた。

対して、ルカーニアは呑気なもので、

『ざまあねぇ』

と笑っておいで。

「……無事です。ご心配なく」

一応そう報告するアントンを、ルカーニアはまだ苛めたいらしい。

『……んなことは、通信が続いてる時点でお察しよ』

アントンはこの直後に、

ハイザックがいた方向に一発撃ち返しているが、

手応えはなく、反応も勿論消えてなどはいない。

唇を噛み締めるアントン。それを嘲笑するように、

ルカーニアの話がなおも続く。

『視野を広げろっての。数はてめぇらの方が多いんだ。そうだろ?』

「……はい。レーダーから確認できる限りは」

『だろうが?援軍なんざ勘定するより、今できる最善策を取れ。

簡単じゃねぇか?密集して、各個撃破する。それだけでいい。

他に……質問は?』

回線は他の《ジズ》らの耳にも届いている。

アントンが周囲を見渡せば、彼の方を向いているものが多数。

そこまでなって気付かない程には、アントンも愚かではなく。

彼らが指示を待っている。それぐらいには気が付いた。

「いいえ……了解、致しました……」

首をゆっくり前に降るアントン。

「……モビルスーツ隊に次ぐ。サーベラスだ。

サーベラス陣形を取りつつ、一斉に降下する。

目標……左約500m下部の《ハイザック》!」

誰からという訳でもなく、また疎らでもあったが、

数名の応答する声が聞こえた。




間もなく、『ベルフェゴル』との回線が一時切断される。
そんな頃合いでもって、艦内のルカーニアは皮肉っぽく笑うと、
「通信を傍受されていたら……なぁーんてことは考えないのかねぇ……
あのガキんちょ」
そうフェイを見つめた。
フェイは目を逸らして、下を向いて呟く。
「……酷い人」
ルカーニアにはそれが聞こえた様子はない。
フェイが目を離し、呟き終えるその頃にはもう、
その視線は画面の方に移ろっていたのだから。
「いいんですか?……真実をお伝えしなくて?」
男性クルーが震える口で背中からルカーニアに詰め寄るが、
「通信は傍受されるリスクが高いって言ってんだろ?」
と当人は振り返りもしない。
「角出せ、槍出せ……目玉出せェ~……なぁんてな」
呑気そうに口ずさむルカーニアを咎める者はなく。
それから唐突に振り返ったかと思えば、
「サザエにあんのかねぇ?……角とか、槍とか」
と、フェイの顔を舐めるように見つめるのである。
対するフェイは、見逃さなかった。
ルカーニアの手がボトムズの内側に入れられ、
丁度股間の辺りで指を立てて、膨らませていることを。
丁度、角や槍みたいに。


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PHASE-01 悪夢の胎動(9/9)

同じ頃、俺は。俺たちは。

「……クソッ」

《カオス》の残骸を蹴飛ばし、俺は静かに奥歯を軋(きし)る。

そんな俺に声をかけるものはしばらくなかった。

ただ、そのうちに、

『戦艦「フレイヤ」。戦艦「フレイヤ」、応答せよ』

という音声が聞こえだして。

声の主は、持ち前の嗄(しわが)れた声より、すぐに分かった。

アミルカレ・ヴィスコンティ。

ロイヤル・イタリアン部隊の指揮官である。

『ハッ……戦艦「フレイヤ」より、副艦長ハビエルです。何か?』

『先程から、貴隊に動きが見られないが?』

『……いえ』

そこから妙な間があったのを覚えている。

今思えば、ハビエルとアルメイダの間に、

何らかのやり取りがあったと想像できる。

やがて20秒程度経った頃に、

『本艦において収容していた捕虜がモビルスーツを強奪して脱走し、

今の今まで対応に迫られておりました』

『……なるほど』

ヴィスコンティの一言は重かった。

そこから先に多少の沈黙を挟むこととなる。だから、俺は、

「お前らに……

いや、隊長にも、ルカーニア司令にも話しちゃいなかったが」

なんて話を始めた。

広域の電波で、他の隊にも聞こえるように。

「ヤツは……ジェイナス・ビフロンスは、

あの『ネイキッド・アームズ』のメンバーであった可能性が高い。

今の今まで……というか、今だって、確信がある訳じゃない。

だが、ヤツが強化人間で、

それもプラントのデータにあったものより古いタイプ」

『……何で今それを?』

アレハンドロが問う。

「生きている間は、

不確定な情報は状況を混乱させかねないと思った。当然だ。

だが、今、ヤツは死んだ。殺しちまった。

情報はもう引き出しにくい。

こうなった以上、考えられる可能性は挙げておくべきだと思ってな」

『……ハァ』

アレハンドロの返事はこう、呆れたような驚いたようなもの。

「ヤツが……『アームズ』のメンバーだとしたらだ。

今まで、俺たちはヤツが使っていたモビルスーツからして、

脱走兵のバックにいるのが、大西洋連邦だと見ていたが……

もし、ヤツが『アームズ』なら、この前提は一気に覆る。

もし、そうだとしたら……俺たちの相手にしているものは。

……それはもう、ひとつの国とか、そんなレベルじゃない……

かもしれない。全く……悪夢みてぇな話だが」

『……んなこと、今言われても』

なんて小言を述べようとしたアレハンドロを遮ったのは、

思いもよらぬ、あの人物であった。

『……面白れぇじゃねぇか』

思わず瞠目した。

例の魚のヒレみたいなモヒカンを撫でながら、

舌なめずりする男の顔が容易に脳裏へ浮かんできた。

「……ルカーニア司令」

そこから先、俺が言葉に詰まっていると、

『内部より聞こえる音声からして、

第一陣は既に市街戦を展開しているものと思われます。

……完全に出遅れてしまいました。どうなさいます?』

そう、ダイが諭(さと)すのであった。

「……勿論、このまま『オバマ』へと向かう」

しかし、

『いいや……「フレイヤ」にはしばらく待機しておいてもらおう』

「……ハイ?」

『理由はテメェで考えろ。テメェなら分かるハズだ』

ルカーニアはこんな調子で答えをはぐらかす。

『……テメェならな』

妙に嬉しそうなルカーニアに、何となく不快感を覚えた…… 




さて、当の敵方はというと。
あの《ハイザック・カスタム》は、
今、高層ビルを座椅子代わりにして、腰かけている。
その両手には、あの大きなマシンガン。
いや、マシンガンというよりは、アサルトライフルというべきか。
ブラックライフルことM16小銃によく似た、
見れば見るほど大きなビームライフルである。
そんな《ハイザック》のコクピットには、
ろくすっぽノーマルスーツさえ着ないで座る初老の男。
口扇を振るって踊るジプシー女が描かれた、
青い正四角形型の箱より、白い一本のタバコを抜き出し、口へ。
もう片方の手には、クリッパー製の口紅のような縦長のライター。
ライターの先、紅の代わりに橙色の炎を灯し、
ゆっくりとこちらはこちらで口元へ寄せた。
そうして、歯と歯の間で固定したタバコの先端に、
この炎を灯せば、一瞬赤く染まって、それから黒ずむ。
次にライターの火を消す。
タバコを口に運んだ手で、今度はタバコを口から取り出す。
口から漏れ出す褐色の煙。
数秒、男の顔を覆った煙が晴れる頃、
その手は彼の顎を掻(か)いていた。
こう一服している彼へと、
『……ロコ・オツォ隊長。聞こえるますかね?』
との、ホルローギン・バータルの声が届く。


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PHASE-02 嘆きの破壊者(1/7)

『これは、これは……お楽しみ中に邪魔をしてしまったようで』

燻(くすぶる)る煙の奥で、画面に映ったホルローギンの顔が綻び、

そして、それを隠さんとばかりに軽く頭が下げられる。

「……用件は?」

パイロットの男──ホルローギンが呼ぶところのロコ・オツォが、

こう応じる声は低く速く、そしてやや聞き取りにくい。

『「ハワイ」で「モンロー大統領」の「覚え書き」を見つけた……』

くわえたタバコの先、灰が垂れ下がり始める頃、

ロコはそれをウィスキーのボトルみたいな携帯用灰皿に落とした。

『……頼めますか?』

「あぁ……」

『……では』

画面からホルローギンの顔が消える。線のように細くなって。

するとすぐにロコはピアノの鍵盤みたいな機器に手を伸ばし、

そのひとつを、

本当にピアノを弾くようにして押し、それから、

「……ロビー、聞こえるか?」

と口を鍵盤の側に立つマイクへ寄せた。

『ハッ』

返答した相手は、声からして女性のようだ。

「……『蓋』をしろ」

それに相手は少し間を明けてから、

『……ハッ』

とまた返事をした。回線は間もなく切れる。

そこから2、3秒と経たず、またタバコの箱に手を伸ばすロコ。

レーダー上では、例の密集体系を展開するジズの群れが迫っていた。

「……チッ」

なんて舌打ちをしたのとほぼ同じタイミング、

立ち込める煙の中を抜け出して、《ジズ》の群れの先頭、

アントンの《ジ・ゾウム》が顔を出し、

次の瞬間には更に5、6機の《ジズ》の体の一部が見え始めた。

当然のことだが、そこは相手の方も同じ。

皆、一様にプラズマ集束ビーム砲なんて長ったらしい名前の、

あの長い筒をロコの《ハイザック・カスタム》に向けている。

光出す先端。

しかし、ロコの方はシールドも張らなければ、避ける素振りもしない。

違和感からか、《ジ・ゾウム》が筒を持つ手がやや落ちる。

もっとも、すぐに持ち直して、銃口を向け直すのだが。

コクピットの中では、

空のタバコの箱を怨めしそうに見つめるロコの姿。

上空の敵に目さえも向けていない。

『死ね!』

なんて息巻いたヤツがいた。上空の《ジズ》の中に。しかし……

『……え?』

突如、ビルの天辺から地上にかけてビームのカーテンが舞い降りる。

さながら、ビニール傘のように。

これが正に雨を弾く傘みたいなもので、ビームの雨を弾き、

丁度傘の下に腰かける《ハイザック・カスタム》を守り抜いた。

『なんだありゃ』

『……どうなってる?』

『どうすんだよ、これェ~』

なんて口々に叫ぶ《ジズ》のパイロットの声が聞こえてきて、

それ以外にも聞き取れない小声のヤジが飛び交う。

そんな中、ビルの屋上にあった避雷針のような鋭い突起物から、

逆に緑色のビームの槍が放たれ、ジズらを襲う。

彼らもビームシールドは張っていた。

しかし、そのシールドは位置的に、《ジズ》の顔を守りきれていなかった。

運悪く顔の真ん中に風穴明けられ、撃墜されてしまった。

『……おい、どうなってんだ』

相変わらず、《ジズ》どもは騒いでやがる。

そんな中で、《ハイザック・カスタム》はバックステップで傘の隙間を出、

ボディを緑から再び灰色系の迷彩カラーに染め上げつつ、

頭上に向けて両腕が抱くところのアサルトライフルをぶちまけた。

多くはビームシールドに弾かれたが、

いくらか数機のジズの筒を破壊したり、腕や手足を落としたりした。

『おい!早く撃ち返せ!』

と、アントンは味方の《ジズ》らに檄(げき)を飛ばすが、

何せ、ロコが傘を抜けて、次のビルの陰に隠れるまで、ほんの3秒程度。

まるで反撃が間に合わない。

そして《ハイザック・カスタム》の姿がビルに隠れた頃に、

ビルの避雷針が二度目の咆哮(ほうこう)。

今度は更に、ビームが空中をウミヘビのようにゆらゆらと動いて、

ジズらに噛みつく。

丁度、さっきの《ハイザック・カスタム》の攻撃で傷つき、

腕ごとシールドを失った1機の《ジズ》が首を飛ばされて、

また別のジズなどは股から頭の天辺まで真っ二つに斬られてしまった。

特に後者は《ジ・ゾウム》の傍らであり、

その爆風に押されてその機体が軽く揺れ、

『……クソッ』

なんて小言を、アントンの口よりひねり出させた。



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PHASE-02 嘆きの破壊者(2/7)

『……隊列を乱すな。頭を守れ。
敵もコクピットだけを狙って攻撃は出来まい。
隊列を維持しつつ、敵機を追跡する!』
アントンの力強声明に、
周囲のパイロットらが男女問わず大声で答えるものの、
それを聞き、あるいは見ているヴィトー・ルカーニア本人は、
「……悪手だな」
と嘲笑するばかり。続けて、
「去るものは追わずって言葉、知らねぇのか……アイツは」
そう暇そうに鼻の頭を掻いている有り様。
「……教えてあげないんですか?」
そんなフェイの問いかけにも、
「いらねぇよ」
と一蹴する。
「数は与えてある。バカに突撃しても、大抵は上手くいく。
ダメなときゃ……次の手を考えるだけ」
ゴトンというようなやや湿気った音を立てながら、
背中を座椅子に押し当てるルカーニア。
反論するものはなく、フェイなども顔を逸らす程度。
そんな中、
「敵機接近!」
の急報がブリッジ内に響く。
そのとき、ルカーニアは、
「……メドゥーサ様の御成(おな)ァりィ~ってか?」
なぁんて笑っていて…… 


啄木鳥(きつつき)は食料となる虫を取る際、

先に穴の反対側をつつき、

驚いて穴から虫が出てきたところを食べるという。

さて、少し違うが、啄木鳥よろしく要塞を脅かす《ジズ》の群れに、

このサザエ擬きの要塞からも中に巣食う虫が顔を出す。

ただ、それはただの虫などではなく……

要塞の入口に顔を出したのは、《GAT-399R2/Q ワイルドダガー改》。

《ガイア》と同じ可変機構と、《ガイア》と異なる細身なボディが特徴的な、

この白きモビルスーツを10機余り従え、

一人前に立つは、

『何だよ……あのクモみてぇなヤツは!』

真っ先に声を上げたのは、アレハンドロだった。

クモという喩えは……まあ、あながち間違いではないだろうが、

俺には2匹かの蛇が絡まっているように見えた。

ちなみにだが、ダイは、

『クモ?……ありゃイカかタコだろ……』

なんて呟いてやがった。

それはさておき、姿を現したソイツは、

まずはサザエの陰となって、

こう彼是(あれこれ)と評されるシルエットを見せていたものの、

両手足を広げたX字の体勢から、折り曲げられた歪な台形型となり、

今度は正面を向いたイノシシのごときシルエットと化した。

やがては、あの人工の月が灯りが、コイツを照らし出す。

古き青銅のような黒ずんだブルーグリーンのボディと、

それを守る翼みたいな意匠を施された金色の装甲。

風貌は、

大型モビルアーマー《YMAF-A6BD ザムザザー》を彷彿とさせ、

《ザムザザー》よりはいくらか小さいと見えるが、

肩口より生えるイノシシの牙のごとき黄金の装飾など、

迫力では《ザムザザー》より一段上。

勿論、そんな見た目に怯むザフト兵ではなく、

『……第2陣、前進。目標、大型モビルアーマーを討て!』

なんて叫び声を上げたヴィスコンティに急かされるように、

ざっと20余りの黒き群れが前進。このモビルアーマーに迫る。

うち15機の《ジズ》はやや後方より援護射撃。

残りの5機の《ジ・ゾウム》が接近戦に持ち込む。

しかし、

結論から先に言うが、たどり着けたのは、ほんの1機だけ。

まず、

前足の上に乗っていた高出力・広範囲のビーム砲を撃ち込まれ、

1機が殺られ、1機がシールドごと押し返された。

1発、2発、3発と、《ジズ》らも砲撃を加えるが、

その体の前方に張られた陽電子リフレクターがこれを阻む。

この間に、イノシシの従者ともいうべき《ワイルドダガー》どもが、

3機ばかり高度を上げ、2機ばかり高度を下げ、

残りはイノシシの側につき、その脇腹を守っている。

上に飛んだ《ワイルドダガー》の1機が飛びかかるオオカミのように、

《ジ・ゾウム》の1機に飛びかかり、

喉を噛みきるように、ビームの牙で頭部に食らいつき、撃墜する。

次に飛びかかった別の《ワイルドダガー》は、

《ジ・ゾウム》のビームシールドの上に乗り上げる構図となり、

頭は守ったが、シールドの隙から肩口を斬り裂かれた《ジ・ゾウム》に、

シールドの隙間から撃たれたビームガンの一撃に、

左の足首を撃ち落とされてしまった《ワイルドダガー》。

相討ちといっていい。

イノシシに近付かせなかったという意味では、

《ワイルドダガー》の勝ちだが。

残る1機の《ワイルドダガー》は、

やはり飛びかかったもののタイミングが悪く、

また相手はエースとおぼしき専用カラー(赤系色)の機体。

犬を手懐けるブリーダーのように、1歩ばかし引き下がり、

前屈みになったところを、首をはね、腰を上から突き刺した。

こうして仕留められた《ワイルドダガー》ではあったが、

やはり足止めにはなったといえる。

さて、この間に進めるのは、

残り2機の《ジ・ゾウム》だけなのであるが、

1機は運悪く、イノシシの後ろに控えていた《ワイルドダガー》に、

撃ち殺されてしまっていた。

さて、残った1機。イノシシに近付けた、唯一の《ジ・ゾウム》。

接近中に、敵の砲撃をビームシールドで耐えた上、

撃ち返して、《ワイルドダガー》の1機に手傷を負わせた。

そのまま、ビームサーベルでイノシシを襲うが……



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PHASE-02 嘆きの破壊者(3/7)

間合いを詰めようと前に出た《ジ・ゾウム》。
持ち前の黒いボディが物語る通り、
彼は『高貴なるイタリア人(ロイヤル・イタリアン)』部隊所属。
れっきとしたエリート集団の一員な訳で。
後に映像で確認したときにも、
ビームシールドで頭を守る程度の対応はしていた。
しかも、その手はイノシシ野郎の陽電子リフレクターの隙間を、
的確に狙っており、
あと1秒あればリフレクター発生機の一部を切り下ろし、
2秒あれば本体をも傷つけられたハズだ。
ただし、その1秒すら、イノシシ野郎は与えちゃくれなかった。
野郎の前足がゆっくり持ち上がったかと思えば、
何かがその《ジ・ゾウム》のボディに刺さった……らしい。
この時点では、股の下から垣間見えたイノシシの前足と、
急に上へ押し出され、首を下に折り曲げた《ジ・ゾウム》の後ろ姿しか、
確認出来なかったのだから。
とにかく、この衝撃で動きが止まってしまった《ジ・ゾウム》。 
次の瞬間、敵機に一矢報いえたハズの時間に、
残酷にも行われたのは、《ワイルドダガー》の砲撃。
奇しくも下を向いて肩を落としたように見える《ジ・ゾウム》のボディを、
まずは胸、次は首、そして頭と撃ち抜いて、仕留めた。
イノシシ自体が何をしたのかは、この時は分からず終(じま)い。
《ジズ》の断末魔ともいうべき爆炎爆風の後に、
1歩ばかし引き下がった位置にいてイノシシは、
もう前足を下ろしていた。
パイロットの名前だったのだろう。
『レニー!』
と叫ぶ誰かの声が、空しく響いていた。


ヴィスコンティという男、生来の育ちのよさからか、

激しく檄を飛ばすというのが得意ではないらしい。

それでも語調は強めで、

『……何を攻めあぐねているのです!ホーク小隊長!』

なんて叫んじゃいるが、やはりどうにも迫力に欠ける。

その名前に苦笑いを禁じ得なかったが、戦術的には誤りではない。

機動力に優れる《ジ・ゾウム》が5機進んで格闘戦に持ち込み、

15機の《ジズ》が「く」の字を描くように並び、

真ん中と左右を斜めから撃ちすくめる陣形自体は悪くない。

ただ、相手が悪い。

高い機動力を誇る《ワイルドダガー》の2機が足下より迫る。

レーダーの性質上、高さが文字以上の情報で説明されない為、

モビルスーツの下を通るように移動する《ワイルドダガー》は、

実際には表示されているのだが、

パッと見では動いているのが分かりにくい。

しかも、黒いボディで視認しにくいときている。

そんな訳で、下を潜るように進んでいた《ワイルドダガー》の2機は、

《ジズ》らの砲撃を受けずに接近し、足の方から噛みついていく。

片方が左の足首に、もう片方は更に飛び上がって胸元に噛みついた。

前者はその力で引っ張り、左側に引き倒せば、

咄嗟に気付き、ビーム砲構えた左隣の《ジズ》の方に倒れて、

運悪く、火のついた砲口が倒れた《ジズ》の脇腹を撃ち抜いてしまった。

もう1匹も、もう1匹で、抱きつくように密着してしまった以上、

周囲の《ジズ》も攻撃するに出来ないといった状態。

それでも、抱きつかれた《ジズ》が両手にビームサーベルを形成、

左右からクロスするように脇腹を貫かんとしたが、

また少し遅かったようで。

突き立てた牙はそのままに、もう一度上に飛び上がり、

胸、首、顎と上がっていき、1本線の切り傷を描く。

爆発を始める《ジズ》。首が後ろ向きに折れて、

《ワイルドダガー》が肩を足場に踏み出して、牙を抜き、飛び去る。

ただ、飛び立つ瞬間に、右に2つ隣の《ジズ》が最早助からないと見て、

味方の《ジズ》ごと砲撃を試みた。

これが少しは功を奏したと見えて、

この《ワイルドダガー》の右の後ろ足の太股と、

左の前足の足首を同時に撃ち抜いてみせたのである。

衝撃で体が45度程回転。隙が出来る。

そこを見逃さず、砲撃して仕留めたのは、

このときショットブラスターシルエットを擁(よう)していた、

うちのダイの《Im/A-P》のビーム砲ガルムであった。

誉めてもよかったのだが、

『ズルッ!』

なんて声を上げたアレハンドロを見て、何も言わないことにした。

そんな中、

『……おい、テメェ』

なんて音声が流れた。ヴィトー・ルカーニアによる。

『オマエだよ、オマエ……

さっきの、《フリーダム》もどきのパイロットォ!』

「……何か?」

『何かじゃねぇよ……ハハッ』

鼻の奥に引っ掛かるような、最早咳のようでもある笑い方。

『見ての通りだ。

うちの臆病者(フィフォーネ)どもは固まっちまいやがった。

ヘビに睨まれたカエル……

いや、メドゥーサに睨まれて石にされちまったってか?』

ルカーニアは笑っている。

「……メドゥーサ?」

なんて俺が聞き返しても、答えてくれない。ただ、

『……テメェが狩れ。あのデカブツを』

と命じるだけで。

拒否できるハズもなく、唇を噛み締めながら、やや小声で、

「了解……しました」

と、報告した。



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PHASE-02 嘆きの破壊者(4/7)

──これは後に知ったことだが、

イノシシ野郎の本当の名前は『アルゴル』。

その言葉は古いアラビア語で「人食い鬼の頭」を意味していて、

星座のペルセウス座では、

ペルセウスが掴むメドゥーサの首の場所に位置する星のことを指す。

メドゥーサといえば、あえて語るまでもないことかもしれないが、

ギリシャ神話の怪物。 

ゴルゴーン三姉妹の末妹にあたる「女王」であり、

髪はその1本1本がヘビとなっていて、

宝石のように輝く瞳で見るものを石に変えてしまうとかいう。

勿論「モビルアーマー」《アルゴル》は頭から蛇が生えていなければ、

見たからといって石になることもない。

ただ、その異様なる風体、あるいは未だ謎の攻撃方法からか、

警戒した《ジズ》、《ジ・ゾウム》の群れは正にヘビに睨まれたカエル……

なんてのは、ルカーニアも言ったことだが。

「さてと……」

ダイは後方から高エネルギーのビームを撃ち込んた。

運よく命中したが、結構距離が離れている。

ガルムの射程ギリギリ、

《アルゴル》の姿がまだ小さく見える。

それでも、周囲にいる《ワイルドダガー》の姿がいい指標となって、

そのデカい図体を証明してはいるが。

「……どこから」

なんて考えながら、呟きながら、1歩前へ。

するとアレハンドロが、

『副長!俺たちは?』

と声を上げるものだから、

周囲の視線がこちらに向いているような感覚に陥る。

「命令されたのは俺だけだ……待機としけ」

直後に、ルカーニアのあの笑い声が聞こえたような気がしたが、

確証はない。

ともかく、2、3歩と前に出る。

宇宙空間なんつー前や後ろも定かではない、

いやそもそも道なんてものさえないのに、何歩と言うのも妙だが。

ともかく、そのまま前に進んでいけば、

真っ先に振り返ったのは、あの赤い《ジ・ゾウム》。

俺は何も言わなかった。相手も何か言った訳ではない。

ただ気付いたらしく、道を空けた。

それに呼応する形で1秒程度、

俺が《アルゴル》と向き合う構図となる中央に降り立つまでに、

《ジズ》、《ジ・ゾウム》が中央に1本の道を開いていた。

時を同じくして、ゆっくりと持ち上がっていく右手のカバー。

ジズらの整列が静かに終わる1秒後にはもう、

中身を完全に露出していた。

当然、この間に敵も攻撃を加えてくるから、

左手にはビームシールドを形成。

もうすっかり猫も杓子(しゃくし)もやっているが、

例の半身に構える体勢を取り、身を守ると同時に右手を隠す。

そんな俺の右脇から、《ワイルドダガー》が噛みつかんと飛び付く。

先ほど、下から《ジズ》の群れに飛び込んできた片割れだ。

コイツが飛び付く姿勢を見せ、

やがて飛んできて、そして1歩引き下がった俺に避けられた直後、

味方を殺してはかなわんとばかりに、攻撃の手が止んだ。

それが……丁度いいタイミングとなった。

左手を台座代わりにして、上に右手を置く。

目前では、先程回避した《ワイルドダガー》が方向転換を試みていた。

こうして顔がこちらを向いた瞬間、

俺はビームガトリングを乱射した……




前回のことを踏まえ、今回は随分威力を抑えた。
そのまま撃てば、
味方も多く巻き込んでしまうのは目に見えていたから。
それでも射角を調整し、射程範囲を限定することで、
大きく散らばっていたビームの弾が、
比較的密集された状態でもって放たれた訳であって。
案外、食らった範囲内の相手にとっちゃ、
本来よりも大きなダメージがあったかも知れない。
目の前の《ワイルドダガー》は憐れにも、
悶え苦しむように身を捩(よじ)らせて、間もなく爆発四散した。
この間に、恐らくは1秒とてかかってはいまい。
さて、後方の敵もただではすまない。
アルゴルの後ろについていた連中はやはり穴だらけになり、
すぐに死んだ。
回避行動を取ろうとしたある《ワイルドダガー》など更に悲惨で、
もう少しで射程範囲を抜けるというところまで逃げるも、
足を引っ張られるように右の足首を破壊され、
体勢を崩したところに追撃を受けてしまい、そのまま蜂の巣に。
また、少し前に上から《ジ・ゾウム》に飛びかかったヤツなんて、
俺の砲撃の瞬間に蹴飛ばされてビームが進む道へと放り出され、
丁度《アルゴル》の前に被さるような構図で弾を受け、消し飛んだ。
こうして残ったのは、
『はぁぁ……あああああああッ!』
なんて意味不明な叫び声を上げる、
《ワイルドダガー》1機およびそのパイロットの1人と、
そいつと共に《アルゴル》の陰に上手く隠れてやがったもう1機、
そして、《アルゴル》自体であった。


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PHASE-02 嘆きの破壊者(5/7)

『……オツォ隊長。聞こえますか?』

「聞こえてらぁ」

ロコ・オツォはこのとき、ニコチンが切れたイライラからか、

首筋の辺りを神経質そうに素早く掻いていた。

『……お借りした《ワイルドダガー》の大部分を喪失しましたが』

オツォの指が止まる。

ほんの1秒、いやもっと短かったかもしれない、

だが、次なるオツォの返答まで妙な間があったことは間違いない。

『指示を』

「まだ『ジェファーソン』だ……せめて『マディソン』まで持たせろ」

『……ハッ』

無線はそんな短い会話を届けて後、すぐに途切れた。

「……軽く、言ってくれるもんだ」

そうぼやくオツォだが、そう呑気してもられないらしい。

電柱にもたげて眠る酔っ払いのように、

ビルに背を預け座る彼の《ハイザック・カスタム》の近くに、

近付くジズの反応がある。

相手は1機。

しかし、向こうも学んだらしく、

ボディカラーを保護色とばかりに変色させて、

上手く周囲に身を隠し、正確な位置を悟らせない。

この街にも空気はあるから、音は聞こえてくるのだが、

例のビルが放つ迎撃用のビーム砲火とシールドの音、

あるいは撹乱用にあちこちで行っている煙を吐く爆竹の音が、

接近する《ジズ》の駆動音を消しているらしい。

それとも、重力のない宇宙要塞の中、

スピードを出す必要がないなら、

最悪エンジンなしで動くことも可能ではあるから、

ゴキブリみたいに滑空しつつ近付いて来ていることも考えられる。

どちらにせよ、こうなれば不利はオツォの方。

何せ相手は位置情報からビルの陰にいることは見当がつくのだから。

さぁ、ここからは読み合いだ。

先に手を出せば負ける。しかし、撃たなければ、いずれ撃たれる。

勿論、1発で仕留めれば済む話だが、

「それが出来たら、苦労しねぇ」

……思わず、オツォの口からそんな言葉が漏れる。

両手に握られたアサルトライフルの銃口が空を仰いだ。

レーダーでは敵の高度が分からない以上、

あとは敵の攻撃を待つしかない。

右か、左か……それとも。

「……チッ」

後方から僅かに聞こえた、鉄の焼ける音。

丁度、コクピットの裏側から聞こえた。

瞬時に、機体を動かし、コクピットの位置をずらした。

正に危機一髪。

あと数秒、遅ければオツォの首と胴体は繋がっていなかった。

まさか、ビルごと撃ち抜いてこようとは……

ただ、このロコ・オツォという男、

避けるのも早ければ、仕返しも早い。

ビームがビルを穿(うが)ち、やがて地面に当たって消える間に、

砂埃か何か、ともかく煙が上がった。

敵のジズは間抜けにも、

敵の様子を見んとクラゲのように漂い、近づいている。

色もノーマルカラーに戻り、ビームシールドで身を守る。

一瞬、オツォは敵の位置を一瞬で把握すると、

アサルトライフルの銃身をビル穴に捩じ込み、乱射した。

ジズ側もシールドは張っていたが、狙ったのか、それとも偶然か、

とにかくシールドの隙間を抜いて、《ジズ》の頭を直撃。

1度で顔に赤っぽく焼けた蜂の巣を築き、そして機体が消し飛ぶ。

額から伝う汗をゆっくり拭うオツォ。

「……クソが」



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PHASE-02 嘆きの破壊者(6/7)

フレイヤ・クルーのオペレーター、パーディタ・サトクリフの姿は、

モビルスーツデッキに向かい、走っていた。

若い男性クルー数名が目撃している。

彼らはパーディに間違いないと証言している。

……揺れる胸に見とれていたから、間違いとかなんとか。

彼女が動いたのは、ほんの数分前。

丁度、カオスを乗っ取ったジェイナス・ビフロンスが、

俺たちの前に立ちはだかった頃だった。

彼女がサマンサ・“サム”・スクリーチの捜索、

ひいてはモビルスーツデッキの様子見に席を立つと述べたとき、

隊長のアルメイダはいい顔をしなかった。

それを、監視カメラが壊され、

モビルスーツデッキ側からの連絡もない以上、

誰かが行くしかないと擁護したのはハビエル。

アルメイダも渋々折れたが、

結局黙殺するのみで、見てきていいとは言わなかった。

普段なら、モビルスーツという20メートル前後の巨人が立ち並ぶ、

モビルスーツデッキもこのときばかりは、

たった1機《ガイア》を除くならば、皆失せた後であった。

パーディの荒い息が妙に大きな音を以て室内に響く。

両膝にその両手をついて、下を向いた彼女が、

次に顔を上げたとき、

そこに広がっていた光景は、惨絶の一言に尽きる。

あるものは顔が上を向いた姿勢で漂っており、

何が起こったのか分からないといった表情のまま、

眉間より赤い血の滴を漏らしているばかり。

また、あるものはヘルメットのガラス部分が血で覆われ、

中の様子が分からない。

手に拳銃を握る、喉に風穴の開けた男。

腹部を押さえて俯いたまま動かない女性。

そして、今、ひとつの身体が壁にぶつかって、

その手に握っていたらしい拳銃が離れ、空中に放られた。

何れも死体。生きている者は見当たらない。

皆死んでいる。

およそ人間が、台所の縁に現れた虫けらのように、

小さく見える世界にあって、

30人はいようかという人間の体が何れも浮いたまま、動かない。

無重力空間、血もまた衣類のシミみたく、

空気中を浮いている。

これでは誰が裏切ったのか、誰が抵抗したかすらも分からない。

パーディの喉の奥より何かが上ってきて、

彼女は慌てて口を抑えて、下を向いた。そんな瞬間だった。

背中に銃口とおぼしき鉄の塊が触れたのは。

体は前を向いたまま、顔だけをゆっくりと動かして、

横顔で背後を確認すれば、

「……サム?」

とはいえ、彼女はそれ以上、何かを口にすることは出来なかった。

次の瞬間にはもう、凶弾が残酷にも、彼女の身を貫いていたのだから。



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PHASE-02 嘆きの破壊者(7/7)

「自分では……もっと上手くやれると思っていたんだがな……」
ノーマルスーツを着込み、パーディの背後で、
その反動により拳銃(コルト・ガバメント)を落としたサム。
まあ、落としたとは言っても、
そこは無重力空間特有の落とすというよりは下に飛んだ、
または投げられたというモーションであり、
滑空するように緩やかに、地面へと向かったピストルは、
目的地に至ると共に軽く跳ねた。
それから間もなく、モビルスーツデッキの壁が破られた。
デッキ内を満たしていた空気が堰を切るごとく溢れ、
目には見えない空気というものが、
その動きの激しさゆえに、その存在を露見させるのである。
こうして漏れ出す空気に乗って、
死体たちが艦の外へと吐き出される。
虫けらみたいに。
せめてもの慈悲か?
入り口の側に立っていたサムは、パーディの右肩を掴むと、
荒っぽく突き飛ばした。
その先にはドアがあり、
パーディの体がブリッジの外へと出た瞬間に、
入り口の自動ドアの閉じるボタンを押した。
スッと閉じる間際、謎の大きな影がサムの上に覆い被さる。
後ろ向け、後ろとでも、号令があったみたいな洗練された動きで、
サムが振り返り、見れば、
そこにはうっすら赤みがかった灰色のボディをしたジズが。
この機の肩にも、
赤い星とレフチェンコ・ピストルとのマークがある。
手元のビームガンの銃口はサムに向いているらしく、
サムが振り返った一瞬に、キラリと輝いて見えた。
……だのにサムは動じる様子なく、ポケットを弄る素振りを見せると、
出してきたのはタバコの箱。
銘柄はラッキーストライク。
振り返って背中を見せて、降参するように手を上げ、
同時にこの箱を掲げて見せれば、
相手のジズも銃を下ろし、それどころか膝もついて、
乗れとばかりに手を彼女の前に突き出すのだった。


何よ……仕留めきれてないじゃない」

戦艦『フレイヤ』のブリッジにて、アルメイダが呟いた。

「ドラグーンで……殺れないの?あのデカいの」

見下すように、睨むように、ハビエルに問うアルメイダ。

アルメイダは、顔を隠すように帽子を少し下げると、

「本艦……対モビルスーツの兵器ですが、基本的には牽制目的。

モビルスーツのものほど複雑な動き、スピードはありません。

まして、

あんな大型モビルアーマー相手にダメージを与えられるかどうか……」

「……ダメ元で、使ってみればいいじゃない?」

「あの火力、そしてギミックを見るに、

下手に喧嘩を売ると、こちらがやられかねません」

ハビエルの言葉は真を突いていた。

「……何よ、それ?」

呆れてそう言い返すアルメイダの背中で、

モニターが光り、赤いビームの槍が横切った。

目標は本艦ではなく、『ベルフェゴル』の僚たる『ニスロク』。

その脇腹に大きな穴を明け、あっさり撃沈させてみせた。

やったのは勿論、アルゴルであって、

その様に1度振り返り、

そして『ニスロク』の爆発炎上する様を見届けたアルメイダが、

再びハビエルに顔を向けたとき、もう告げる言葉を失っていた。

「おい、見た?今の」

「戦艦が一撃かよ……」

「なんて火力とパワー……」

騒然となる『フレイヤ』のクルー。

そんな中にあって、帽子に隠されたハビエルの視線の先は、

パーディの席に向いていた。

今、そこにパーディがいない、その席に。 

しかし、彼女の視線はすぐに別の場所へ釘付けにされることとなる。

それは……

あくまで例え話だが、『ニスロク』がコバンザメならば、

彼らはさながら宿主の死に際して、肉体より脱出を試みる寄生虫。

あるいは、母蜘蛛が死ぬと共に散らすとばかりに出てくる蜘蛛の子。

いや、そもそもが、

カタツムリに寄生して、触覚を芋虫のように膨張させる、

ロイコクロリディウムみたいに、

その宿主が死ぬ前から已に、動いていたのかもしれない。

勿論、自分の都合のいい状況を作り出す為に。

少し前後するが、

アルゴルの咆哮に炎上を始めた『ニスロク』という母体を、

食い破るが如く姿を現す《ジズ》の群れ。

その姿は赤っぽい灰色の体に、星とレフチェンコ・ピストルの印。

彼らは『ニスロク』の船体に追撃を加えたかと思うと、

10機あまり、それぞれが3機4機に別れて、別行動を開始する。

あるものは『ベルフェゴル』へ。あるものは『メディオーラヌム』へ。

また、あるものは『フレイヤ』へ……

一番騒ぎが大きかったのは『ベルフェゴル』であって、

「『ニスロク』搭載機が、こちらに接近してきます!」

と叫ぶオペレーター。

「……噂をすれば、ってか?」

角出せ、槍出せなどと歌っていたことなど、

誰が覚えていようか。

傍らにはもうフェイ・デ・カイパーの姿はなく、

こうしたルカーニアの呑気な台詞に、返答できる者はない。

「ビームシールド展開!」

「……右舷損傷!」

「ビームシールドの隙間を抜いたのか?」

「いや、シールド発生装置の一部が破壊された模様で……」

なんて周りが騒いでいようと、ルカーニアは動じない。

例によって、うすら笑いを浮かべながら、様子を見ているだけ。

そんな中……

「うっ、うああああああ」

クルーの誰かがそう叫んだとき、

ブリッジ前方にて、《ジズ》がビーム砲を構え、立っていた……




『……さあ、「5分」ですよ。これで。
よく持たせてくださいました』
そんなホルローギンの声明を、オツォは不服そうに聞いていた。
「……てめぇで言ってちゃ、世話ねぇ」
なんて呟きながら。
『おっと失礼……いや、まあ、もう大丈夫でしょう。
目的は果たした後ですし』
「……フン」
すかしたように鼻を鳴らすオツォ。
画面で不気味ともいえる薄ら笑いを見せるホルローギン。
……彼らの言わんとするところはこう。
ホルローギンは言った。
『ハワイ』で『モンロー』の『覚え書き』を見つけた、と。
まあ、短時間利用される簡単な暗号文だった訳だが。
『ハワイ』は、ハワイ出身のアメリカ大統領バラク・オバマを暗示し、
要塞『オバマ』のことを示唆したもの。
『モンロー』はアメリカの『5』代大統領。
『覚え書き』は英語では『minutes』、別の意味で『分』になる言葉。
繋げてみれば、実に何でもない。
『オバマ』をあと『5』『分』持たせろ、と。
「望みは叶ったか?」
──皮肉っぽく語るオツォに、
『あまり……しかし、成果はありました』
「成果?」
『……ひとまず、離脱してくださいな。
「オズボーン」が迫っています』
右を向くオツォ。
画面右側の奥に見えた穴。
それは『フレイヤ』のモビルスーツデッキよろしく穴が空いており、
空気が漏れ出ていた。
そんな空気をまるでオーラのように纏い、
要塞内部に入ってくる敵。
先程は赤っぽいジズだったが、彼らは青っぽく。
濃い水色に明るい緑がアクセントに加わるボディと、
ザクレブ市旗に描かれたような白い城の紋章が描かれた肩。
そんなジズらが、かの『ハリネズミ』たち同様の重装備で、
『オバマ』に侵入してくるのである。
『大した男ですよ……ヴィトー・ルカーニア。
それとも、モーリス・ゴンドーでしょうか』
「……知るかよ。さっさとずらかるだけだ」
『ええ。ここも、もう終わりでしょうから』
オツォのハイザックが足を上げた。そのまま後方に飛ぶ。
こうして移動しながらも、
煙に紛れて接近する敵を撃ち殺したりして、
『お見事』
などとホルローギンがおだてるが……
「とっくに終わってんだよ。7年前……
デュランダルが死んだときに、な」


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PHASE-03 刹那の戦場(1/7)

ホルローギン・バータルは何故、敵を称賛したのか?
順を追って話していこう。
ヴィトー・ルカーニアの大部隊投入に際して、
脱走兵側は分散してゲリラ戦に持ち込むこととした。
ロコ・オツォの判断は悪くない。
《ジズ》の強みは高火力と密集体型に基づく高耐久。
煙による視界の一部遮断、
ビルに仕込まれた防衛装置による行動範囲の規制。
更に単機で敵部隊の前に現れることで、相手の攻撃を誘う。
オツォの策に誤りはなかった。
相手が上空から延々爆撃を続けるような方法を取り続ければ、
あるいは……とオツォも考えていたが、
敵の司令塔たるアントン・ランスキーにその判断力はなく。
だが、ルカーニアないしはモーリス・ゴンドーは、
より凶悪な策を用意していた。
ホルローギンが提唱していた5分というリミットのギリギリに、
戦艦『オズボーン』の主砲が要塞『オバマ』に穴を開けた。
そこから侵入したのが、例の青い《ジズ》たち。
しかも、場所が絶妙であって。
ゴンドー隊が入ってきたポイントは、およそ『オバマ』の中央部。
つまりは、敵の目前で挑発するように動くオツォと一部の部下と、
遠方にて脱出の準備に取りかかっていた別動隊との間を、
遮断する役割を果たすのである。
それも、ハリネズミの渾名通りの重装備部隊が。
ゲリラ屋だって、ある程度は計算して煙を上げたり、動いている。
それにゴンドーの擲弾兵15余りがやたらめたらに撃ち込んできて、
脱走兵側に被害続出な上に、視界も悪くなる。
いや、何より恐ろしいのは、
ルカーニアの割り切りか、ゴンドーの教育故か、
巻き添えに味方を犠牲にすることをやむなしと切り捨てる、
ハリネズミの非情さである。 
……折角、ホルローギンが仕掛けた、
5分で育つ寄生虫どもが時をほぼ同じくして、
宿主たるコバンザメの腹を食い破り、姿を現したというに。


撤退を始めたオツォの視界には、煙に多少遮られながらも、

多少の状況は見えていた。

彼の集中力が為せる業か?それか走馬灯でも見ていたのだろうか?

目に映る世界がスローモーションとは言わぬまでも、

事象に対して緩やかな時の経過を遂げていくのが感じられた。

味方の《ハイザック》の例の機雷に全身を焼かれて、

頭上に手を伸ばしながら倒れていくのが見えた。

機械の体が、生身の人間のように悶えて見えた。

次の、あれは、敵の《ジズ》だろう。

それを頭から鷲掴み、盾に実を守ろうとした《ハイザック》が見えた。

敵機に慈悲などなく、味方の《ジズ》ごと《ハイザック》を砲撃。

第一射が《ジズ》の腹部を直撃し、2機の体が後方に押し出される。

折り紙を畳むように、その身を屈折させる《ジズ》。

そこから手を離した《ハイザック》は後ろに倒れかけて、

何度か足踏みをする。それでどうにか踏みとどまった。

しかし、攻撃の手は止まず、

盾で守ろうと動かすも、定位置に至るより先に腰を撃ち抜かれ、

散った。

そして……あれは、アントンの機体であろうか?

味方が敵を撃つべく放ったミサイルの何発を食らってしまい、

脚部を破壊されて派手にすっ転ぶ。

更に立とうと両肘を伸ばすにも、

すぐ側で爆発した機雷に今度は右腕を飛ばされて、

また顔から地面に叩きつけられた。

「……クソッタレがッ!」

《ジズ》が近付いてきていた。あのハリネズミみたいな青いヤツが。

近くで見れば蜂の巣みたいなミサイルポッドが一斉に隆起し、

ミサイルを飛ばしてくる。顔を出す蜂の子みたいに。

左肩にあった半分程度は、

オツォのアサルトライフルが巣を飛び出すより先に破壊したが、

右肩のおよそ半分と、両腕の数発が飛んでくる。

とはいえ、オツォは知っていた。

このミサイルらが、

モビルスーツの放つ熱量に反応していることぐらい。

ならば、やることは簡単で。

スラスターの勢いを残しつつ、一度フェイズシフトを切る。

元々保護色で灰色っぽかった《ハイザック・カスタム》が、

これに際してやや黒っぽくなる。

さっきまでの移動の勢いが、

無重力下の《ハイザック》のボディを同一方向へ動かし続ける。

対して不思議なもので、ミサイルはほんの数メートル付近にて、

追撃をやめた。

『……えッ?』

相手のパイロットらしき、若い男性の声がした。

ミサイルのセンサーの範囲はそれほど広くはない。

敵を見失った自動追尾型のミサイルが次に捉えるのは、

最も近い熱源体……つまり自身を放った《ジズ》。

空中で宙返りするように方向を転換すると、

躊躇なく主人を襲った。

『来んなァァ!』

叫んだところで、どうにもならない。

慌ててビームサーベルをめちゃめちゃに振り回すが、

接触した1発が爆発してしまった。

オツォからはその先は煙のせいでよく見えなかったが、

煙の間際から、

尻餅ついた《ジズ》が助けを呼ぶように上げた手を、

ミサイルの1発が直撃するところまでは見えた。

ただ1つだけ厄介なのは、そのスピードである。

オツォには、それが緩やかに見えていた。

まるで自分に助けを求めるように……



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PHASE-03 刹那の戦場(2/7)

「……敵にすがるヤツがあるかよ」
小声でそんな言葉を漏らしながら、フェイズシフトを再始動させる。
黒っぽいグレーで一色だった《ハイザック・カスタム》のボディが、
一瞬で変色し、都市迷彩の保護色に転じる。
辺りではハリネズミどもが依然乱射を繰り返している。
ある《ジズ》は、撃ち尽くしたミサイルポッドを分離させると、
煙に紛れながら進んでくる。
やがて煙の僅かな途切れ目から、相手のビームサーベルが見えた。
煙を押し出すように振り上げられる腕。
サーベルは確かに、オツォの機体を襲ってきた。
《ハイザック》の右手のビームシールドがこれを受け止めれば、
相手は荒っぽくなおも振り上げて、
メインカメラでも破壊するつもりだったのだろうが、
軽く上体を反らされて回避され、
頭部のチューブ部分を切断されるに留まった。
逆に、アサルトライフルで反撃すれば、脆いもの。
下半身から頭まで一筋の線を描くように撃ち込まれて、
上半身ぐらいはビームシールドが守ってくれたものの、
メインカメラには命中。
スパークが起こる中、《ハイザック》がサーベルを払い、押し出せば、
次の瞬間には《ジズ》は爆発して果てていた。
……と、自身は奮闘するオツォであるのだが、周囲は。
足を止めないままで、ぼんやりと周囲を見渡せば、
《ハイザック》の残骸、《ワイルドダガー》の残骸が多く転がり、
ミサイルを撃ちかける《ジズ》に、
ビームマシンガンを撃ち返しつつ引き下がる味方の《ハイザック》の姿。
ビルの影に退避するも(オツォからは見える向きだが)、
引き下がっていくうちに、ビルとビルの隙間に差し掛かり、
そんなところで背後から別の《ジズ》に刺殺されてしまった。
時を同じくして、アサルトライフルでこのジズを狙撃したが、
ワンテンポ遅く、味方の《ハイザック》はもう息絶えた後。
ノックアウトされたボクサーのように膝から崩れ落ちて、
まもなく爆発した。
「こんな有り様でも……作戦は成功か?ホルローギン」
眉間に寄せるシワ。
『えぇ……後はアナタの部下次第ですがね』
「……ロビーは強いがな」
『アナタよりも?』
オツォは答えなかった。 


ホルローギンの言うところも、間違いではない。

モビルスーツ部隊の大部分は戦艦を離れて、『オバマ』内部か、

アルゴルの手勢を相手にしている。

戦艦の周囲にいたのは少数に過ぎなかった。

それでも、『フレイヤ』はまだいい。

アレハンドロの《アビス》と、ダイの《Im/A-P》が頑張っている。

また『メディオラーヌム』にも、

あの黒い《ジズ》がいくらかも張り付いており、

赤い《ジズ》らも攻めあぐねている様子。

問題は『ベルフェゴル』の方で。

モビルスーツ部隊はほぼアントンに率いられて出払っており、

ほとんど戦艦の防衛能力だけで耐えねばならない状況。

遂に今しがた、

ビームシールドにて砲撃を受け止めながら接近してきた《ジズ》が、

ビーム砲を構え、ブリッジに向けていた。

戦艦の防衛機能は既に破壊されており、守るものはない。 

「まさかねぇ……外務委員長様から借りたフネに……ねぇ」

驚いたは驚いたらしい。ただ、顔は笑っている。

それがルカーニアという男。

少し前屈みになって、覆うみたいに顔に手を添えた。

周囲は悲鳴を上げる者、動きを止める者、目を閉じる者いる中で。

ブリッジ前方に立つ《ジズ》。

ベルフェゴル・クルーの生殺与奪は相手に握られているというに。

ルカーニアのこの余裕たるや。

「しっ……司令ィ~?」

震える声で振り返ったオペレーターらしき女性に、

「野晒しだよ……」

の一言と共に、笑うルカーニア。

「……えッ?」

ルカーニアの方を向いていた、この彼女は見逃した。

彼女がその感嘆詞を言い終えるより先に、

一線の光が《ジズ》の頭部を貫くと共に、その衝撃で体が右横に飛び、

ブリッジの視界よりフェードアウトしていく。

すぐにCIC辺りが確認した。

頭上でビームライフルを構えて飛ぶ、《ジ・ゾウム》の姿を。

黄色のボディに黒いアクセントを加えたカラーリンクは、

そうフェイ・デ・カイパーその人のものである。

「……うちの豹頭には敵わねぇだろ?そりゃ」 

フェイだけではない。

周囲には複数の黒い《ジズ》も飛んでいる。

どうやら、『メディオラーヌム』から数機が援軍に回ったらしい。

「つくづく思うねぇ……いい拾い物をしたってなァ……クッ」

隠すように口を押さえた手の隙間から、見えるルカーニアの鋭い牙。

クルーの視線がルカーニアに向く。

しかし、当のヴィトー・ルカーニアは、そんな衆生に興味はなく、

「てめぇはどうだ?……《フリーダム》もどき」

と、戦闘中の俺を……《ヴェスティージ》を見ていた。



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PHASE-03 刹那の戦場(3/7)

アルゴルの原型と思われる《ザムザザー》というモビルアーマーは、
一言で言えばバカにデカいイシガニのようなヤツで。
実寸は知らないが、モビルスーツの数倍はあった図体で、
四肢に仕込まれた強力なビーム砲と、
それこそカニのハサミみたいなクローが武器だった。
最初に戦ったときは結構焦った。
海上での戦闘で、ヤツのハサミに機体の右足を掴まれて、
オモチャみたいに振り回されたのを覚えている。
そこからどうにか巻き返して、倒したから、
今こうして生きている訳だが。
スコアなんてものは一々気にしないもんで、
正確な数は知らないが、その後も何度か遭遇し、何度か倒している。
モビルアーマー戦には結構慣れてる、といっていい。
昔は簡単だった。
接近さえ出来てしまえば、あの頃のモビルアーマーは脆かったから。
並外れたデカい図体ゆえに、
かえって懐に入られると、反撃手段がなかったりしてさ。
勿論、この《アルゴル》の場合は別だろうが……


……警戒すべきは、あの腕。

先程、接近した《ジ・ゾウム》が何らかの反撃に遭い、倒された。

銃ではない、と思う。

銃なら、貫通するか、シールドで弾かれていたハズで。

モーションが不自然だった。

撃ち殺されたなら、すぐに爆発していたハズであって。

同じく、ビームシールドで弾いたとしても、

動きを止めるという判断にはならない。

となれば、恐らく武器は……

「やれば、分かることか」

距離を取りつつ、ガトリングを掃射してもいいが、

流石に今度は避けられるだろう。

コイツは威力こそ強烈だが、反動が強すぎて、

撃ちながら動く目標に合わせて向きを変えるなんて芸当は、

まず無理と考えるべき。

という訳で、モーションの少ないモビィ・ディックをけしかけた。

例のリフレクターで受けにくるかと思えば、

アルゴルは回避しつつ、前に出るという判断を下した。

なるほど、これ程に高出力のビーム、

撃っている間に隙が出来ると見たのだろう。

可哀想なのは、その後ろにいた《ワイルドダガー》の1機。

《アルゴル》が盾になってくれるとの慢心ゆえか、

シールドも張っておらす、

モロにモビィ・ディックの砲火を浴びて、藻屑と散った。

さて前に出た《アルゴル》。

《ダーティ》や《ムナガラー》ほどではないとはいえ、

その図体に似合わす、これが意外に速い。

モビィ・ディックを撃ち尽くし、畳むまで、せいぜい2、3秒。

そこから次の1秒が経つか否かという頃合いには、

もう刃が届くぐらいの間合いにはいたのだから。

折り畳まれるまでの間、俺も呑気に様子を見ていた訳じゃない。

ビームピックを抜いて、投擲。それを右、左、右と3度。

第1射、第2射は上手く避けられ、

第3射に至っては当たったものの、

そこはイノシシでいう前足の付け根の辺り。

痣(あざ)のような小さな傷を少し残した程度で、

猪突猛進とばかりに勢いよく突き進む《アルゴル》を止める力はなく。

「まあ……そんなもんか」

1歩程度、後退する。

そうして……後退していたのに、追い付いてきやがったのだ。

左から抜いたビームピックを、投げる暇はなかった。

やむなくリーチに難はあるが、ビームサーベルのように持ち換え、

ヤツを迎え撃った。 

インパクトの瞬間、リフレクターでも張るかと思えば、

そんなことはせず、ただ前足を振り上げた。

嫌な予感がした。とても嫌な予感。

普通なら、みすみす相手の方から腕を出してくれたのだ、

思いきってピックで突き刺しに行くだろう。

だが、それは相手も当然気付くことであって。

何故、前に出した?フェイントにしてはあからさまな動き。

直感的に動いた。避けねば、と。

全く下がってばかりだが、これも必要なる後退。戦術的回避。

……まあ、とにかく、結論を言おう。勘は当たった。

ワン公がお手をするように無様に突き出された腕には、爪があった。

それも、指先からではなく、掌から生えた爪が。

後方からは見えないハズである。

俺も回避した瞬間に、指と指の僅かな隙間から、辛うじて見た。

次の瞬間、もう俺の足が止まった頃には、

既に爪は消えていた。

昔、何かの本で読んだな。漫画だったか?

確か、バグ・ナグとか言うんだっけか。

指と指の間から鋭い刃が顔を出す、インドの隠し武器。

意味するところは『虎の爪』。

……『爪』?……いや、あれは寧ろ肉食獣の『牙』みたいだったが。

「一筋縄じゃ……いかないってか?」

向き合うアルゴル。

先程、ビームピックが切り裂いた場所が白い煙を上げている。

獲物を見つけ、腹を空かせたイノシシが、

その興奮ゆえに白い息を吐いているように。

「……イノシシ狩りだ」



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PHASE-03 刹那の戦場(4/7)

そのとき、《アルゴル》のコクピットでは。
『ノルマは達した……もう無理に出張る必要はないぞ?』
との呼び掛け。声の主はロコ・オツォである。
『……ホルローギンのヤツに合わせる必要はないんだぞ?』
「本気で……おっしゃっているのですか?」
『あぁッ?』
オツォの犬が唸るような聞き返しの言葉に、
コクピットに座す彼女は答える。
「今なら……殺れるんですよ?《フリーダム》を。かの伝説を」
後ろ姿を見れば、
目につくのは、後頭部のヘルメット末端より垂れた髪。
黒と茶色と、色の異なる毛がドレッドヘアよろしく束ねられ、
まるで首筋に絡まったヘビみたいで。
「少し打ち合ってみて……確信しました。殺れます」
両手よりそれぞれ2本ずつ指を伸ばして、
その指先を合わせて四角形を作り、
そこから手を胸の前へと突き出せば、カメラのフレームのようで。
この小さな枠の中に、《ヴェスティージ》が綺麗に収まるのである。
対して、画面越しにコクピット内を見るオツォの目に映るのは、
うってかわり、彼女の翡翠色の瞳がフレームいっぱいに光っていた。
『油断するなよ?相手は仮にも……』
「機体はともかく、パイロットは大した腕ではないかと。
こちらの暗器を見抜いたのは、恐らく偶然。
恐れるまでもありません……
少なくとも、本人でないことは明らかですから」
オツォはそれ以上、反論しなかった。ただ、
『……なるだけ早く帰ってこい』
とだけ言い残して、回線を切った。
もっとも、そんな上司の忠告も、
獲物を丸呑みにするヘビがごとく、
口を開けて敵を見据えた、この女の耳には届いていないようだった。


そう、慢心するのも無理はないことで、

現に俺は攻めあぐねていたのだから。

接近戦におけるモビルアーマーへのアドバンテージが、

このアルゴルには通用しないらしい。

しかし、距離を取ったとしても、決定打に欠ける。

……俺が、《ヴェスティージ》のスピードに慣れていないのを、

差し引いても。 

『援護が必要ですか?』

ダイの声。

「いや、ここは俺一人の方が上手くやれる……」

『……了解』

回線の切れる音がした。

俺はひとまず、ビームピックを投擲した。

先程、ビームサーベル代わりに使っていたヤツだ。

そして、投擲する片手間に、ビームライフルを抜くのであって。

ピックの刃が、《アルゴル》の張ったリフレクターに阻まれる直前、

俺は上から下へ落ちる感じで、ライフルを撃ち込んだ。

被弾箇所より煙が巻き上がれば、

俺は逃げるように退避して、武器を持ち換える。大剣カーテナに。

突っ込んで来い。仕留めてやる、と。

これが《ダーティ》の煙じゃない以上、敵の座標は表示されている。

距離はまだしも、高度については感覚的には分かりにくいが。

弱点があるとしたら、上か下か。

もっと動物っぽい言い方するなら、背中か、腹か。

ヤツの手足は短い。本当にイノシシみたいに。

あのリーチなら、体の中心には手も足も届くまいて。

多分、チャンスは一度。

前進してきた《アルゴル》を、上に飛んで刺し殺すか、

下に潜って突き刺すか。

ヤツの砲口は恐らく上にしか向いていない。

下は……確認できていないから、ないというのは早計だろうて。

ここは、敵の攻撃がおおよそ予想できる上を。

……なんてゆっくり考えてた訳じゃないが、

ぼんやりと目的が分かった辺りで、煙がとぐろを巻くのが見えた。

来る。やはり、突っ込んで来る。

ビーム兵器の搭載位置からして、

砲撃中はリフレクターを同時に張って身を守るってのは、

出来ないだろうから、バカに発砲してこないのは分かっていたが。

まあ、後退するメリットもなくはないが、

相手が退いたなら、状況はリセットされるから。

そんな訳で、前進してくるのは、おおよそ分かっていた。

とにかく、前に出たんだ。

流石に瞬発力はこちらが上で。

リフレクターを張って、体を守っているが、関係ない。

むしろ、砲火が待っていないだけ、有利なくらい。

左へ避けた。荒ぶる闘牛の突進を避けるマタドールみたいに。

相手も方向転換の素振りを見せるから、

狙いをつける余裕はなかったが、

それでもリフレクターの隙間、そして腕のリーチ外となる、

左の脇腹に目掛けて、カーテナの先端部を槍よろしく突き出す。

勝利を確信した。しかし……

「……掴んだ、だと?」



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PHASE-03 刹那の戦場(5/7)

別に、騙していたって訳じゃない。

ただ、語ってこなかったことがある。

それは型式番号、いわゆる型番についてのこと。

知ってるかもしれないが、

モビルスーツ・モビルアーマーは型番の最初の3、4字程度のアルファベットに、

その機体が持つ役割が説明されている。

例えば、《ジズ》、《ジ・ゾウム》などの『ZGMF』なら、

『Zero - Gravity Maneuver Fighter(無重力下用機動戦闘機)』の略で。

主に宇宙空間での戦闘を想定していることが窺える。

……まあ、必ずしも当てはまっているとは言わないが。

これが海上、陸上用になるとまた変わる訳で。

アルゴルがよく似ていた《ザムザザー》はというと、

型式番号は『YMAF-A6BD』。

これが同時期の《ゲルズゲー》、

および後年の大型モビルアーマーにも採用された型番。

では、《アルゴル》は、というと、そうではない。

正式名称は《GAT-X303G アルゴル》。

即ち、型式番号の上ではモビルアーマーではなくモビルスーツ、

それも特異なモビルアーマー形態への可変機構を持つ、

かの《イージス》の系譜に連なるモビルスーツである。

短く見えた前足・後ろ足の正体は、モビルスーツの腕と足。

それが折り畳まれた姿であって。

……折り畳まれた腕が伸びて、カーテナの刃を掴んだのも当然。

それが元はモビルスーツの腕だったのだから。

自分の腹ぐらいなら、手を伸ばして、守れる。

問題はそこから。

イノシシの後ろ足や腰にあたると見られていた部分が、

突如ぐいっと起き上がった。

尻尾のように垂れていたから、前からは見えなかったが、

そこにヤツの頭もあった。

ツノを突き出す青虫みたいに、V字型のアンテナが突き出る。

流石に《イージス》の後継機。顔は《イージス》に似ている。

トサカのように長く伸びた頭部先端と、卵のようなシルエット。

ただ、その口部に配備された、

100mmエネルギー砲「ツォーン」を除けば。

嘔吐するように吐き出された赤いビームの光が飛んできた。

到底逃げようのない至近距離で……

危機に瀕して思い出すことは、大抵同じこと。

走馬灯ってヤツだろう。奇しくも、ザムザザーとの戦いが最初だった。

7年前にザムザザーと始めて遭遇したときだって、

物量で押されて、長時間の戦闘と相成り、

当時の俺の愛機インパルスはエネルギー切れを起こして、

フェイズシフトを失った頃、

ザムザザーのクローに足を掴まれ、海面に向けて投げ飛ばされた。

落ちていく最中に、見たのは、やはりあの景色。

妹がいて、両親がいて、俺がいて……走っていく。逃げていく。

でも間に合わない。でも助からない。

爆発と共に振り返れば、そこには両親と妹の死体。

俺にとっての、強烈な死の体験。

自分もそうなると思った。思った瞬間、何かが変わる感覚がして……

それから気付いたら動いていた。

強烈なビームをシールドで受け流しながら、

ビームサーベルを両手に握り閉め、突っ込み、

あのカニみたいな頭の真ん中に刃を差し込んでやった。

これで意外に脆く、ザムザザーはその一撃で落ちた。

あのときの感覚を、言語化することは難しい。

ただ、何か精神の奥底で小さな種が割れて、芽が出るような感覚。

アーネスト・ヘミングウェイの名作『キリマンジェロの雪』において、

死に際、男は夢を見ていた。

『狩りの途中で足を怪我した男がいた。

治療の当てのないサバンナの真ん中で、足は腐り、死神が忍び寄る。

やっと迎えに来た飛行機に男は乗り、眼下に広がる純白の世界を見る。

光り輝くそこは、雪をかぶった山の頂だ。

山の名はキリマンジャロ。男は思う。

自分が向かっているのはそこなんだと』

男は間もなく息絶えるが、

死に行く間際まで、その幻影を見続けるのである。

考えちまうね。何でそんなもん流し出すんだって。

神様なのか、仏様か、まあ、ただの脳の電気信号なのかは知らないが。

設計として親切じゃない。

……余談だが、《イージス》の語源はギリシャ神話の「アイギス」。

魔除けの力を持つとされる防具である。

盾なのか、胸当てないしは肩当てだとか、まあ色々言われるが、

一説によると、

アイギスの前面には見るものを石に力を死後も持ち続けた、

『メドゥーサの首(アルゴル)』が納められていたという。



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PHASE-03 刹那の戦場(6/7)

「……死ねないだろ?こんなんじゃ」

口部発光の瞬間、俺は剣を離し、思いきり仰(の)け反った。

相手の射角調整は間に合わなかった。

ピンチの後には~なんて言う訳じゃないが、

俺は仰け反った状態から更に1歩引き下がると、

頭部のビームガンでけしかけた。

敵も回避に動いたが、撃ち終わり、動くまでに多少のブランクがある。

カーテナを掴んでいた方の腕が犠牲となった。

予想以上に大きな煙が巻き上がる。

『ウソだろ?ロビーちゃんが……』 

多分、敵だろう。そんな声がして。

『やったじゃないっすか!』

なんて声を上げるアレハンドロがいたりして。

しかし、煙が薄れ始めると共に、そのシルエットが顕になる。

始めはイノシシが2本足で立ち上がり、

背中を向けて前足を広げているような、そんなシルエットだった。

そのまま、煙が晴れる前後に、振り返ったかと思えば、

変形が始まった。

前足と揶揄されるばかりの短い腕の真ん中に1本線が入り、

そこを境に2つに分かれて、離れていった方が円を描いて伸び、

やがて長い1本の腕へと転じた。

ただ、違うのは上下が逆転している点であろう。

背中が胸や腹に、腹が背中に転じていく。

屈むように肩をすぼめ、下を向いたような姿勢になる頃、

残された片腕の、前足のときには掌だった肘が、

あの牙を覗かせる。

牙……最早、光の剣と呼んだ方が正しかろう。

肘から剥き出しになった骨みたいに、そこに三日月型の刃がある。

あんなもので突き刺されたのだ、

そりゃ、あの《ジ・ゾウム》も動きを止める。

『殺す!殺したるゥゥ!』

煙の奥で炎がついた。ヤツのスラスターだったのだろう。

煙は間もなく晴れて、ヤツは高速で接近してきた。

こちらは横に動く。目標はカーテナ。

今、《アルゴル》の背後の空間に浮いている。

右斜め前という進路を進みながら、カーテナを目指す。およそ10秒。

1秒後、ツォーンの砲撃が飛んできた。

2秒後、これを避けて、

3秒後、モビィ・ディックを起動させる。

4秒後、立ち止まらず、ろくに狙いもせずに砲撃。命中せず。

5秒後、ツォーンの第2射。今度は肩口の砲台からも放たれる。

6秒後、敵の砲撃を回避したものの、数発被弾。右肩を損傷。

7秒後、威力を抑えて、かつ足も止めずにガトリング掃射。

8秒後、《アルゴル》の進路変更。

9秒後、ガトリングの数発が被弾。《アルゴル》の右足首を破壊。

……迎えた10秒後、俺の手にはカーテナが握られていた。

先程の右肩の被弾とガトリング掃射のせいで、

右腕の調子が悪く、やむなく左手のみで掴み、構える。

《アルゴル》が進んでくる。前面にはリフレクターを展開しながら。

撃ちかけるツォーンの砲撃をダラリと垂れた右腕のシールドが耐え、

間合いが詰まっていく。

肩の上へと、刃を振り上げた。

片腕だけとはいえ、

これから豪速球を投げるピッチャーのように大きく振りかぶって。

敵を見据える。

近付いて来るにつれて、シールドの防衛能力にも限界が。

何より、やや斜めから放ってきた敵の砲火に、

肩が後ろへと押し出される。

それでも、どうにかギリギリまで耐えた。

強烈なツォーンのエネルギー波が途切れる、そのときまで。

そうして途切れる瞬間に、

その勢いをも使い、力の限り、カーテナを振り下ろした。

敵も例の剣で応戦に出たが、もう遅い。

カーテナは、その先端部を相手の剣のビームに切り落とされつつも、

ビームの刃が敵の腹部に深く食い込んだのだから。




正直、勝利を確信していた。
深く突き刺さった腹部。
その後、爆発が起こらないところを見て、
念のため、ビームガンで頭部も破壊しておいた。
しかし、それでも……
『……んな』
って声がノイズの波に紛れるように聞こえてきて。
『こんなんでなぁ…………終われへんわァァ!ボケェ!カスゥ!』
声から分かるが、ロビーとかいう、敵のパイロットの台詞だ。
およそ人が変わったような彼女の叫び声と共に、
敵モビルスーツのバックパックのみが分離する。
どうやら、コクピットはそちらにあったようで。
それは《ZGMF-X11A リジェネイト》という、
ザフトのモビルスーツの時点で利用された方法であった。
だが、まあ……そんなアイデアを使ってくる敵が本当にいるとは。
「……マジに、メドゥーサみたいだ」
目玉焼きみたいな本体と、それに付随する数本のマニュピレーター。
丁度、人間の頭とそこから生える蛇の髪……
とはいえ、そこまでの抵抗に終わった。
体を放棄し、逃亡を図った、この寄生虫のごときバックパックは、
脆くも撃ち落とされたのだから。
例の、赤い《ジ・ゾウム》のビームライフルによる狙撃で。
萎(しお)れる花のように高度を下げて、
落ちていくバックパックの奥にて、彼は立っていた。
『流石ですね……義兄(にい)さん』
なんて、言いながら。 


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PHASE-03 刹那の戦場(7/7)

「……ダスティンか」
思わず、目を伏せた。
直後、パッと光ったのが見えて、慌てて顔を上げる。
そこにあったのは、正に網の上でグツグツに焼かれるサザエみたく、
内側から爆発を繰り返す『オバマ』の姿だった。
『おい、アレ!』
なんて遅れて声を上げたアレハンドロ。
『……早かったな』
とダイも声を漏らす。
「おい……ちょっと、待て……これは!」 
目的が違う、俺たちは『オバマ』を落としに来た訳じゃない、
そう言いかける瞬間に、
薄赤いボディを持った《ジズ》らの姿が突然消えていくのに気付く。
単に色を変えたのではないらしい。
それだったら、レーダー自体から消えるなんてことはないから。
ミラージュコロイドって迷彩兵器だ。
なるほど、
大将首を取れなかった場合の避難方法まで用意済みだったと。
結局、『ニスロク』の他に撃沈した戦艦はなかったが、
例えば『ベルフェゴル』なら右舷が損傷。
また『フレイヤ』もモビルスーツデッキに穴を空けられ、
一番被害の少ない『メディオラヌム』でも擦り傷多数。
そして、グナイゼナウでの一件の意表返しとばかりに、
要塞『オバマ』を爆破。
モーリス・ゴンドーの隊に大きな損害を与えることとなった。
戦闘時間は7分程度。
はたして勝利と呼べようかという、短期決着であった……


「……ツラいな」

病室のベッドで、自身の膝辺りにうつ伏せたアレハンドロへ、

静かに語るワイリー・スパーズの姿。

「サムには裏切られ……オートクレールの生死も不明とはね。

何だ?つまりは……ただ、大西洋連邦に喧嘩を売っただけと?」

ゆっくり顔を上げるアレハンドロ。

起き上がるも束の間、背もたれの方に振り子のように倒れ込む。

それから、カンガルーみたいに腕を垂らしながら、

「もしかしたらって…………思ったこともあったんすけど」

と語り始める。

「……アーモリー・ワンのとき、

俺にはアイツがあんまり真剣に戦ってないように見えて。

当然、言いましたよ。何で手ェ抜いたんだって。

でも、サムは認めなかった。

『自分でも、もっと出来ると思っていたのに』とか何とか言って。

何となく怪しいし、すぐに話を誤魔化したから、

まだ、隠してることがあるような……気はしたんですけど」

下唇を口の奥に押し入れるように、

アレハンドロは唇を噛み締める。

「……疑ってたのか?」

「信じたいじゃないですか?……仲間だと思ってたから」

ワイリーの眉が少し上がった後で、

それが下がると共に、彼は口を結び、同時に顔も下げる。

「……ツラいな」

そこから、起こるのは1分ばかりの沈黙。

互いに顔を反らしていたが、そのうちにワイリーから、

「そういや」

と話が切り出され、アレハンドロの目がそちらを向く。

「どうなんだ?……俺の後釜で入った2人は?

もうコミュニケーションは取ったのか?」

「えぇ。女の子の方とはもう」

真顔でそう答えるアレハンドロに、ワイリーが笑う。

「相変わらず、手が早ェ」

なんて言いながら。

「いやいやいや。別に口説いたりしてませんよ?まだぁ」

少しアレハンドロの顔にも笑みが溢れたが、やや表情が固い。

「何て子だ?」

「ラグネル・サンマルティン……

同い年なんすけど、まあ、軍では1年後輩みたいっすよ?」

「……オマエにも、後輩がねぇ」

包帯の中に手を入れ、顎を軽く掻くワイリー。

「……いけそうか?」

「……厳しいっすねぇ」

「あ、マジで?……何?あんま可愛くないの?」

若干、仰け反るワイリー。

「いえ……まあ、可愛いていうより、クール系ですけど。

なんか真面目すぎって感じで。冗談、あんま通じなくて」

「……そういう感じか」

壁にもたれると、今度は髪を触り始めるワイリー。

「もう1人は……確か……」

「えぇ」

何気にワイリーの手が止まり、顔がアレハンドロに向く。

「ダスティン・ホークって……名前っすよ。

フレイヤ中隊の大隊格上げと共に、

ロイヤル・イタリアン部隊から移籍だそうっすよ。部隊ごと」

「それ……ロイヤル・イタリアンの方はどうなるんだ?」

「いや、別に……

ホーク小隊自体、交代で入った、非イタリア系の部隊っすからね。

しかも、ダスティンさんってのが、

精々俺より2、3年先輩ぐらいの若いリーダーで、

元々、任期が1年程度だったらして。

まあ……あと2、3ヶ月、本当は任期が残ってるらしいんですけど。

いいタイミングだからって、移籍だそうで」

ふーんとでも言いたげに、ワイリーが頷く。

「多分だが、『元』義弟だからだろ……アスカの。

ルカーニア司令お得意の嫌がらせの類いだろうぜ」

「……はぁ」

「そのうち、異動だって言われるぜ。南北アメリカか、アフリカかに」



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PHASE-04 ignited(1/7)

……4月7日まで遡(さかのぼ)る。

窓辺のテーブルと回転イス、そこに腰かけたオートクレール、

その背中にブラインド越しの夕暮れが射し込み、

男の肩にかかる程長い白髪のほとんどが赤く染まっている。

ここまでは、先日と同じシチュエーション。

ただ、中央のテーブルに腰かけた人物が違うらしい。

「北山に行ったんだよ。この前ねぇ」

オートクレールは語る。

「それはまた、遠出されましたねぇ。お一人で?」

テーブルの男が間延びした言い方で、そう言葉を返す。

「……あぁ」

「い、け、ま、せ、ん、よォ……」

言葉の一言一言に笑みを混ぜながら、そう話す相手。

「……お立場もありましょうにィ」

「まぁ、聞け……良いところなんだぞ?あそこは。

人工とは思えん。昔ながらの田園風景でなぁ~」

「昔からお好きでしたもんねェ……自然が」

白いコーヒーカップを握る男の腕。

カップの上に僅かに顔を出す、茶色くドロドロのコーヒー。

それがゆっくりと、男の口元へと運ばれていく。

「何時でしたっけェ?……あれは」

「おおう?」

「ロバに乗って、田舎道を歩いたことがありましたねェ……」

オートクレールの顔が少し綻(ほころ)ぶ。

「古き日本風の庭園を覗いて……

あぁいうところに住みたいものですねェ……

なんて話したのを覚えていますよ。

確かァ……あれは、もう、10年は前でしたっけねェ?」

そんな話をしていると、ドアがゆっくりと開いた。

時刻は19時06分。

ドアの隙間からは、今度は白っぽい金色の前髪が覗いた。  

「……殿下」

部屋の中央のテーブルから、そんな声が。

「あぁ……」

オートクレールは爪を研いでいた。

下がっていた顔が上がり、視線が開かれたドアの方へ向けられる。

立っていたのはノエル。それと、一歩後ろでリョウの姿もある。

少し腰を曲げ、室内を見渡すリョウの目が、

中央のテーブルに向いて。

「……あっ」

コーヒーを飲む男。

その際に、少し前屈みになった、その男の後頭部が見えた。

それは丸刈りなのだが、頭頂部が禿げ上がっており、

奇しくも、ハート型を描いていた。

「ご一緒でしたか……シーザー・ルチアーノ長官」

「えぇ……」

ゆっくりと向き直り、ソファーより足を出す。結構長い。

「いやぁ、久しぶりだねぇ。秘書くん」

お辞儀するシーザー。

「……話は聞いてるよ。いやぁ、申し訳なかったねぇ」

そんなシーザーに対して、ノエルは、

リョウにアイコンタクトを送った後で、シーザーに向き直った。

「南米も……何かと物騒だと聞いています」 

「あぁ……全くもって、そうなんだよ。これが」

シーザーがテーブルにコーヒーを置けば、食器の音がキンキンと。

「すみませんが……私はオートクレール殿下にお話が」

「……あぁ、そうかい」

コーヒーを置くにあたり、一度向き直っていたシーザー。

その体勢のままで、静かに動きが止まる。

シーザーの背中側を通り過ぎ、窓際へ向かうノエル。

なお、リョウの方には動きはない。

ノエルの足がテーブルに至ると、

彼は大きな巻物をやや荒っぽくテーブルに置き、勢いよく開いた。

それは地図らしい。区画された町並みに、

スペイン語で表記された店や家が並んでいる。

「コルドバの地図です……」

「紙で用意するとは、君も古風だねぇ……」

シーザーが呟いた。

体勢はそのまま、少しだけ顔をシーザーに向けるノエル。

「街全体の……おおよその配置を、覚えていただきたく」

「そう、かァ……」

そうしてノエルから目を離したシーザーが、

次に目を向けたのは、ドアの前になおも控えるリョウの方で、

彼が軽く会釈をすれば、リョウも会釈で返した。




話の方はしばらくして方がつき、
「それでは」
との一言と共に、地図は閉じられ、ノエルも踵を返す。
出口へと向かうノエルの足。
その身が中央のテーブルの横に差し掛かったところで、
「……お父さんとは、あまり似ていませんなァ」
なんて言葉をシーザーが漏らした。ノエルの足が止まる。
「丁度……ホルローギンさんとも、その話になったんですがね」
「……『父ほどの天才でもなければ、母ほどの根性もない』、
ホルローギン・バータルさんが?」
そう名前を呼ぶと共に、振り返るノエルの横顔。
「そういう言い方は……よく、ないなァ……」
「……どのみち、アナタほどではありません」
目を丸くするシーザー。
「……では」
そう振り返ると、ノエルはそのまま進み、部屋を出ていった。
リョウもそれに続く。
その頃になって、シーザーはハハハと笑う。
「……相変わらず、無作法なヤツだろう?」
オートクレールが言う。
「いえいえ」
頷くシーザー。
「今回の騒動で……最後まで反対の立場を取ってきた彼だ。
これぐらいの貫禄はあってもらわないと、私も困りますよ。
正に……父の才能と、母の根気を受け継いでいる訳だ。
楽しみですねェ。彼の将来が」
そう言い、彼が口に運ぶコーヒーカップ。
言い忘れていたが、そのデザインは独特で、
色は真っ赤で、そこに黒で双頭の鷲が描かれている。
そんなものだ。
「……反対派に、潰されてしまわねば、よいのですが」
そうしてシーザーの口角がクッと上がった頃、
ぽーっと立ち上るコーヒーの湯気の奥で、
デジタル時計が19時39分を指し示していた。


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PHASE-04 ignited(2/7)

金槌型の小柄なうすら橙色の電灯が照らす、ほの暗い寝室に、

純白のベッドに腰を据えた、ルシア・アルメイダの姿はあった。

「……どういうことです?これは」 

ベッドの縁(へり)に置かれた彼女の青いスマートフォンが、

奇しくも部屋を覆うオレンジ色の補色ということで、

思いの外、目立って見えた。

少なくとも、ピンク色したアルメイダ自身の髪より、はるかに。

「ご約束なされたではありませんか?

私を、南米方面軍の司令官に推挙していただけると」

『あぁ……確かに約束しましたがね』

そう答える、声の主はスコルツェニー。

ヨーゼフ・スコルツェニー参謀長、その人である。

「では?」

指と指を合わせて、右斜めに傾ける。

これに合わせて、首も同じ向きに軽く倒した。

このとき、もし彼女の前に鏡でもあったなら、

自分の顔を見て、精々顔を真っ赤にでもしただろう。

いや、面の皮の厚いアルメイダという女のことだ。

案外、平然と話を続けるかもしれない。

……随分、脱線したが、

ひとまず、バカにニヤついたアルメイダのバカ面を想像すれば、

おおよそ当たっていよう。

『申し訳ないが……「円卓会議」の決定には、私も従わざるを得ない。

仮に、それが「盟主」のご意志であっても……ね』

アルメイダの口角がゆっくりと下がる。

そこから続く、スコルツェニーの弁明を他所に、

アルメイダは電灯の下の小棚へと手を伸ばした。

『あくまでも、臨時の「会議」における決定は、

南米方面軍結成の否認と、一部方面軍の配置換え』

アルメイダは聞いているのか、いないのか。

その棚の二段目を、

袖の奥からスッと出した小さな銀色の鍵で開けると、

音もなく棚の上に鍵を置き、また音もなく引き出しを開ける。

鍵がかけられていた割には大したものは入っていない。

ただ、キューバ産の葉巻を入れた片手ぐらいの大きさの箱が2、3、

蓋はされずに並んでいた。

『そして、貴女の上司であられるヴィトー・ルカーニア司令は、

この度、オルランド・マッツィーニ司令と交代となり、

ヨーロッパ方面軍に異動となられた』

話の間、アルメイダはまるで聞こえていないといった風に、

一番手近にあった葉巻を一本抜き取る。

ここから先は、流石に音を立てずに、というのも無理な話と見て、

マイクを切る。

これでアルメイダの方の音声は、もう聞こえない。

葉巻を噛み、ポケットより出した使い捨てのライターで焙る。

そんなこと知らないスコルツェニーの話は続いて、

『これも既にお聞きのことと思うが、

プリュトン・ギドー大隊長の除隊に伴い、後任人事で、

アルメイダ中隊長を大隊長に取り立ててもらうよう、

私の方から話はつけておいた。

……勝手とは承知の上だが、

この度はそれで我慢してもらえないだろうか?』

そこまで続いた。

流石に、そのまま葉巻に火を点ける余裕はなかったアルメイダ。

マイクをオンにするが、

「……ハァ」

という溜め息だけ聞かせて、またマイクを切った。

挑発のつもりか、何か。

少なくとも、沈黙が生まれたことには違いなくて。

10秒程度、スコルツェニーの吐息だけ微かに聞こえてくる中、

アルメイダは葉巻の先に火を点す。

『では……こうしてはどうだろう?』

アルメイダの表情が少し変わる。

ほんの僅かではあるが、苦々しい顔がいくらかマシになった。

『……君には、ヨーロッパ方面軍に言ってもらう』

相手に聞こえないのをいいことに、

「フン」

と呆れた調子に鼻を鳴らすアルメイダ。対して、

『ここだけの、話になりますが……』

そう語り出すスコルツェニー。

『……誰にも、聞かれてはなりませんよ?』

アルメイダはスピーカーを切り、スマートフォンを耳に当てた。

そこから数秒後、彼女の表情は徐々に解れていく……




「……了解しました。はい。
参謀長のおっしゃる通りで。ええ。
必ずや、ご期待に添える活躍を遂げてご覧に入れます。ええ。
失礼します」
そこまで言うと、通話を終了させた。通話時間53分。
……と、同時に、録音時間もまた53分であった。
「……さてと」
再生すると、確かに音声は入っていた。
『……どういうことです?これは。
ご約束なされたではありませんか?
私を、南米方面軍の司令官に推挙していただけると』
『あぁ……確かに約束しましたがね』
『では?』
『申し訳ないが……「円卓会議」の決定には、私も従わざるを得ない。
仮に、それが「盟主」のご意志であっても……ね』
……なんて、先程の会話が再生された。
「フッ」
とほくそ笑むアルメイダだったが、
すぐに別の番号に電話をかけ始めることとなる。
「あぁ……オルランド?聞こえる?少し、話があってね……」 
声色を変えて、そう話し始める彼女の隣では、
灰皿の上でまだ長いままの葉巻が静かに煙を燻(くすぶ)らせていた。


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PHASE-04 ignited(3/7)

廊下を進む足音。数は3つ。

2つは長靴の鈍い音で、1つはピンヒールの乾いた音で。

左右を歩く長靴が、

爪先の部分が黒いことを除けば白一色なのに対して、

中央を進むピンヒールは黒。

見上げていけば、3つの足がほぼ等間隔で並んで進んでいて。

真ん中を歩く足は細く、左はそれよりは逞(たくま)しく見えた。

他方、右を歩く足は真ん中よりいくらか細いと見える。

また、左右の足は白い長靴の上に白のスラックスが続いており、

生の足なんぞ見えないどころか、

靴とボトムズの境目すら定かではないが、

真ん中の足は足首の付近から膝小僧のすぐ下まで、

素肌が露出している。

もう少し更に目線を上げていけば、

中央を歩く足は腿から腰までグリーンのスカートが覆い、

左右の白いスラックスは、

右はうっすら青みがかったワニ皮に銀に輝く金具が止めるベルトに、

左はアンティークな風格を持つ明るい茶色のレザーベルトによって、

それぞれ吊り上げられていた。

更に上を見上げていくなら、中央と左は、

まず白いナポレオンベスト(ORDERのものの色違い)が見え、

次いで脇腹のベストの隙間より、

その下に着ているグリーンのシャツが確認出来るだろう。

これが右だけは、ベストの色が赤で、シャツが青という違いがある。

より上へ上へと目をやれば、

まずは皆が一様に赤い肩当てが見えて、赤い襟が見えて、

この辺りで中央と右の人物には、

背中にかかる長い髪も確認できよう。

髪の色は、中央は茶色で、右が白っぽい金色と違うが。

続いて見えるのは、左の髪である。

これが後ろから見て、中々に特徴がある。

一口に言えばおかっぱ気味の短髪ということになるのだろうが、

耳の上のところが寝癖なのか、ファッションか、

ムクッと盛り上がっているのである。丁度、カエルの目みたいに。

3人の中で、若干ではあるが、前を歩いたのは右の彼。

……なんて、回りくどい言い方したが、振り替えれば分かろう。

その赤い目で。

ダイである。ダイ・フーディーニ。

中央はマユ・ヴァイデフェルトで、左はシージー・クラポー。

シージーはフルネームで呼ぶのは初めてか?

まあ、何にせよ。知らない奴等じゃないことは確かで。

とにかくダイが自動ドアの指紋認証に触れて、これを開けると、

そこは射撃場。

例によって青白い壁に囲まれた部屋の中に、

更に暗い緑で、しかし透ける色の囲いがいくつも並んで合って、

この緑のパネルが縦の境であるのに対して、

更に横の境として、大きなガラスの壁が設けられている。

部屋の奥には、このガラス越しに芝生が引かれたゾーンがあり、

その更に奥にいくつもの丸で縁取られた人間型のパネルがある。

今、そのパネルのひとつに穴が空いた。

軽い銃声と、下に落ちる薬莢の乾いた音と共に。

「……先客がいたようだな」

ダイの呟きを聞いてか、聞かずか、

あるいはドアが開いた時点で気付いていたのか、

緑のパネルで4つばかり向こうにあった人影が動いた。

まず、銃を下ろして、次に耳に当てていた黒いイヤーマフを外す。

そこから1歩下がれば、その髪が見えた。

黒い髪。思わず、ヴァイデフェルトが、

「……副長」

と目を伏せ。

次の瞬間には、俯いたヴァイデフェルトの耳に聞こえてくる足音。

その視界にねじ込むように、白い腕が彼女の胸の前へ突き出された。

「初めまして」

という声に顔を上げれば、そこにいたのは黒髪の男。

しかし、ただに黒髪という訳でなく、

生え際が赤いところから、本来は赤毛であることが分かる上、

ツバメの尾のように中央を境として、左右に分かれた2つの前髪に、

メッシュのように一部の毛で赤を残している。

そんな男。

「……貴方は、確か」

なんて言いかけるダイを制して、その彼は答えた。

「ダスティン・ホークです。よろしくどうぞ」




ほぼ、時を同じくして。
艦長室で作業中のルイス・ハビエルの下にも尋ね人があった。
『ラグネル・サンマルティンです。ご挨拶に参りました』
そんな声が部屋の外から聞こえて、
教壇のようなテーブルの上PCを弄っていたハビエルの手が一時止まり、
「……どうぞ」
との言葉を返すと共に、イスに凭れた。
自動ドアの開閉する横で、PCを閉じるハビエル。
前を向けば、そこには一人の女性が。
「艦長に代わり、私……ルイス・ハビエル副艦長がお答えします。
ようこそ、アルメイダ隊へ」


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PHASE-04 ignited(4/7)

あの後、ダスティンとあの3人は、

「とりあえず、ご飯でも」

ということで、食堂に向かうこととなる。

時間帯は11時頃。

朝飯にしては遅すぎるが、昼にはやや早いという頃合い故、

必然的に食堂内はガラガラ、

彼らが入ってきたときには、

奥の方で係の者が朝食の片付けでもしているのであろう、

水の音、あるいは蒸気の音などが、

思いの外大きく聞こえてきていたところだった。

「……これは広々使えるねぇ」

と呑気そうに笑うダスティンとは裏腹に、

「何か職員の人に悪いね」

なんて苦笑するヴァイデフェルトがいたりして。

ダスティンの向かいにヴァイデフェルト、

ヴァイデフェルトの右にシージーという配置でもって、

カウンター向かいの左端の方へ陣取った彼ら。

テーブルの上、ヴァイデフェルトとシージーの前には、

お冷やが置かれている。

間もなく、ダイがカウンターの方から来て、

「……11時半からだそうだ」

との報告と共に、ダスティンの左側に腰かける。

それと同時に、自身とダスティンの前にお冷やを置き、

ダスティンから手を上げて、

「ありがとう」

とのジェスチャーを受けた。

「やっぱり早すぎたね」

「だな」

見合わすヴァイデフェルトとシージー。

……その実、2人ともダスティンに何を話したものかと、

困っている様子で。

しばらく見合わせたままでいれば、

「……ホーク小隊長」

と口を開いたダイの方へ、視線が移ろう。

「別にダスティンって呼んでくれて構わないよ?

年齢的にも何歳もは違わない筈だし」

笑うダスティン。

直後、例の2人の視線が今度はダスティンに向いた。

以降、彼女らはテニスの審判みたいに、

ダスティンとダイと、

話し手が変わるごとにそちらへと顔を向き直すこととなる。

「……それなら、ダスティン。ひとつ聞かせてもらっていいか?」

「幾つでもどうぞ」

その前に、とお冷やを口まで運ぶダスティン。

「……フレイヤ隊への異動は命令か?志願か?」

「んー」

そう声を漏らしたとき、ダスティンの口は、

まだお冷やの入ったガラスのグラスから離れていなかった。

ゆっくりとテーブルに置くと共に返答する。

「……両方って答えるのが、正確なんだよねぇ」

ダイは黙ってしまった。残りの2人も反応できないでいる。

「行けってのは、まあ、命令というか……

んー、何て言うんだろう?提案されたって感じなのかな?

ぶっちゃけ、俺以外にも何人かの小隊長に声かけてたみたいで、

俺はに……アスカ副長の部隊ならって思って、

じゃあ俺が行きますってことになったんだよ」

「兄さんの部隊だから……か」

「……えっ?」

ダイの返答が意外だったのか、犬のように首を傾げるダスティン。

次に反応したのはヴァイデフェルトだった。

「あっ!」

とダスティンを指差し、直後に本人が振り返れば、

失礼と思って慌てて手を下ろした。頬がうっすら赤みを帯びる。

「あっ、あの……」

なんて顔を下げるヴァイデフェルトに、微笑みかけるダスティン。

シージーだけは状況が分からないという風な顔で、

ヴァイデフェルトの横顔を見つめていた。

そんな状況で切り出したのはダイ。

「シージー」

名を呼ばれて向き直るシージー。

「……あの戦場で、副長のことを、そう呼んでいた者がいただろ?」

「…………」

答えらぬまま、ずっと目を見ているのが辛かったのだろう。

上を向いて目を反らすシージー。

「……『凄いよ、兄さん』とか、なんとか言ってよ」

ダイの言葉。

「確か……『流石』って言ったと思うんだけど」 

遮る、そんなダスティンの顔をダイが瞬時に向いて睨む中、

「あぁ……あの赤いジ・ゾウムのパイロットか!」

なんてシージーが思い出すのである。急にダイの方を向いて。

ダイは、いやダスティンをも、振り向く。続く、

「今度からは、セイバーのパイロットになるけどね」

とのダスティンの応答には、

「「えっ!」」

とヴァイデフェルトとシージーとが同時に反応したが、

ダイだけは動じることなく、お冷やを飲んでいた。

少しばかり恥ずかしそうに顔を見合わせる2人に対して、

容器の上の方を掴んでいた指を目安とするなら、

もう指の2、3本ばかし分だけあった水かさが、

この指の1本分ほど下に一本線を描いたところでもって、

ダイはグラスをテーブルに音が立つ程度の荒さで叩きつけた。

自然、右と向かいの視線がダイに向く。

「問題はそこじゃない」

とは、ダイの台詞。

左右の前髪が垂れる中、隣からでは見えない程に顔を下げたダイを、

ダスティンは横目に見ていた。

「アンタが……

ルカーニア司令のスパイじゃないって、証拠はあるのか?」



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PHASE-04 ignited(5/7)

「やめなよ……ダイ」

ヴァイデフェルトが囁くも、

「……重要なことだ」

と一蹴するダイ。

対して、ダスティンも数秒間、

要領を得ないといった風に首を傾げていたが、

そのうちに、

「それ、直接言わないよね?普通」

なんて笑った。

「……確かに」

そう同意するシージーを、ダイは睨むが。

「ダイ……と呼ばせてもらうよ?」

「ああ」

「俺が本当にスパイだったとしても、

スパイじゃない、って否定すると思うんだけど?」

ダスティンは笑う。というよりは、微笑むというべきだろうか?

嘲笑するというよりは、優しく諭すように。

「……別に疑ってはいないが」

ロダンの『考える人』よろしく、顎に手を添え、頬杖をつくダイ。

「貴方には自覚を持って欲しい、と思ってな」

ダイの顔が上を向いた。

「フレイヤ隊は……俺たちは、隊員の裏切りに遭っている」

「カオスのパイロットのこと?」

「……あぁ」

ダスティンの『カオスのパイロット』という表現に、

ヴァイデフェルトが微妙な表情を見せた。

彼女はそんな名前ではない、サムだと言いたげな……

しかし、この状況でそれを切り出せるヴァイデフェルトではなく。

「貴方には自覚を持って欲しい……

自分が疑われる立場にあることを。

その意味で、失礼は承知で言わせてもらった。

別にルカーニア司令に、その意図があるとは思わない」

「あの人がそんなまどろっこしいことするかなぁ……」

「コロニー付近に爆発物を仕掛けておくようなマネをした男だ。

ないとは言えない」

シージーもシージーで微妙な表情。

これは、平然と上官ルカーニアを侮辱するダイを戒めたい、

といった感じだろう。

気まずそうに顔を反らすのだから。

「貴方がもし……妙なマネするようなら、

俺は部隊の安全を優先して、躊躇なく殺す」

若干上から見下ろすように、ダスティンを睨むダイ。

「……2人もだ」

次いで振り返ったダイは、当然前の2人を見ていて。

「……安直に信用するな」

「ひどい言われようだね」

「事実だろうが?」

睨み返すダイに、ダスティンもここで頭を垂れた。

「部隊の安全……ねぇ」

おうむ返しに応じるシージーの表情は暗い。

ただ、もっと悲惨なのはヴァイデフェルトの方で。

本筋の会話とは裏腹に、思い出していたのは俺(副長)のことで。

先の『オバマ』征討の前半戦にて、

ヴァイデフェルトに銃を向けたのは俺だった。

引き金を引いたのは俺だった。

ダイの言葉が引っ掛かる。

部隊全体の為なら、その一部を切り捨てるというのか?

あのときの副長の判断みたいに……

そんな感傷が彼女に、

「……そんなこと考え出したら、キリがないよ」

なんて言葉を紡(つむ)がせた。

これにはさしものダイも、

「そうは言うがな……」

と言葉を濁さざるを得なかった。

シージーも口角に皺を寄せて、言葉に詰まっている。

そんな中、

「まあ……考えるのは悪いことじゃないと思うけどね」

なんて立ち上がったのはダスティンだった。

「……どうせ、君らとは当分俺は別行動になるんだ。

その辺り、皆で話し合う時間はあると思うよ。

ひとまず、30分になった。何か食べようか?」

そう、皆を見渡せば、

「だよな」

ってシージーが同意して立ち、

ヴァイデフェルトも視線を感じて立ち上がった。

ダイのみ、座りしままに右側を向いた後で、

「……それも、そうか」

なんて声を漏らしつつ、立つのだった。

つまり、ダスティンには背中を向ける構図となる。

「……だよね!」

ダイの対応を他所に笑うダスティンに、

残りの2人はまた気まずそうに顔を見合わせるのだった。




食堂のカウンターと一口に言っても、幾つかあって、
ご飯ものだったり、麺だったり、パン、
スープとか、またはジャンクフードだったりと、
ブースが分かれている。
そこでは偶然にも、ダスティンとダイが並んでいた。
ダスティンの方が先、後からダイがやってきた構図で、
寄っていくのを躊躇する様子が見られた。
それでも頼んだものが頼んだものだから、行かない訳にも行かず。
寄っていくと、ダスティンは少し笑って、
「アフリカでも頑張ってね」
なんて首を斜めにして寄せ、囁いた。
「……ん?」
ダイの返事が聞こえるか聞こえないかというタイミングでもって、
ダスティンの頼んだものが出てきた。
チキンティッカマサラ。英国風のカレーである。
「……俺はしばらく、こっちなんでね」
と、カレーをチラッと見せると、
踵を返してテーブルへ向かうダスティン。
「どういう意味だ?」
と呼びかけるダイの向かいで今、
調理台の奥から火の燃え上がるぼうっという音が聞こえてきた……


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PHASE-04 ignited(6/7)

「……今、アフリカって言った?」

聞き返すハビエルの声に、ラグネルは平然とした様子で、

「私は、そう窺っていますが」

なんて言い放つ。

丁度、光の加減で、ラグネルの瞳は、

かけている赤縁眼鏡のガラスに遮られ、このときは見えていない。

ハビエルはというと、

「どうして、うちの隊長はそんな重要なことを連絡しないのかねぇ」

なんて呟いたが、右手で口を覆い、かつそっぽを向いてのこと。

ラグネルが微動だにしないところを見るに、

はっきりとは聞こえていないらしい。

「……いつになるか、言っていたの?参謀長は」

「3日後です」

「……はい?」

聞き返せば、ラグネルは返す言葉を失っていた。

鼻の頭を掻き、またそっぽを向くハビエル。

「……あ~あ、もう」

「何か、問題でも?」

ラグネルを見つめ返すハビエル。

「大アリよ」

溜め息と共に、下がるハビエルの顔。

気持ち、その髪も揺れて、

コアラの耳のように左右に分かれて垂れているように見える。

「うちの副長……アププリウスに呼ばれてんのよ。

5日後にならないと、帰って来ないのに」

「……確か、アスカ副長は、ホーク小隊と合流の後、

6日後に降下する予定とのことですが」

「えぇ……」

足元を向きながら呟くハビエル。

「……マジ?」

頷くラグネル。

「てことは何よ?

……副長抜きで、しかもホーク小隊の救援もないままに、

敵地のど真ん中に降りろっての?」

「現地ゲリラの協力があるとのお話でした」

「……はぁ」

後頭部、というよりは首の裏側辺りになるのだが、

まあ、その辺りを掻きながら、顔を反らしているハビエル。

少し間を置いて答える。

「部下の裏切りを食らったばかりのあたしら部隊に……

もっと信用できない協力者を宛がうとは、まあ……スゴい発想ね」

ラグネルは何も答えなかった。

……渾身の皮肉がスベったハビエルは、

エヘンエヘンと咳払いをすると、

「ひとまず報告感謝します……アナタの方から何か質問は?」

「……私の部屋はどこですか?」

「あぁ……ちょっと待ってね」

慌ててPCを開くハビエル。

この女の髪というのが、どうにも変わっており、

ササッと弄っている間際に、

空いていた左手で髪をかきあげてみれば、

触られたおおよそ中央の髪が天を向いて逆立つのだから。

「……ええとね、ひとつ聞いてもいいかしら?」

「どうぞ」

1度ラグネルの表情を確認して、また画面に向き直る。

なおラグネルは先程から微動だにしていない。

「1人部屋の方がいい?……それとも」

「……1人部屋の方がありがたいです」

「あっ、そう……んー」

唸りながら、じっと画面を見つめたかと思うと、ハビエルは、

「この部屋がさぁ……」

と話し始めるのだが、

「……ジョーン・ウェールズ先輩と、

サマンサ・スクリーチ先輩がいらっしゃったお部屋ですか?」

そう、ラグネルに先に言われてしまった。

ハビエルは間が悪いという感じで眉をひそめて苦笑いしたが、

ラグネルは、

「……構いませんよ」

と即答する。

「なら……いいんだけど」

チラチラと顔色を窺うものの、ラグネルはノーリアクション。

「ええと……それだけ?」

「はい」

「………そう。それなら下がってくれていいわ。

部屋の鍵は今、アナタのカードで開くように設定しておいたから」

一礼し、退出するラグネル。

正に直立不動。動きもどこかロボットのようであった。

ハビエルが呟く。

「……逆に大丈夫かしら、あの子」




同じ頃、病院の自動ドアが開き、アレハンドロが出てくる。
ポケットに両手を突っ込み、物憂げな表情で。
間もなく、足下が青白い大理石の石畳から、黒い砂利道に変わる。
そんなときに、1台の黒い車が彼の前に止まった。
といっても、俺のときみたいな黒塗りセンチュリーじゃなくて、 
黒は黒でも車種はダイハツ・ムーヴコンテ。
ドアを開け、アレハンドロが入ろうと、中を覗けば、
その動きが止まる。
運転手が彼の方を向いて嫌味っぽく言う。
「……お疲れ。アレハンドロ」
「パーディ!」
運転手はパーディタ・ラドクリフ。
「おい、どうして……」
と言いかけ、詰まるアレハンドロの言葉。
何せ、見てしまったから。
軍服のシャツとスカートの隙間から垣間見える包帯が。
複雑そうな表情を浮かべるアレハンドロに、
パーディは肘で包帯の部分を隠すと、
「……エッチ」
なんて笑ってみせる。
「……んなんじゃ、ねぇよ」
顔を反らしながら、助手席に座るアレハンドロ。
「じゃあ、何……」
なんて言いかけるパーディの言葉は遮られた。
突然、覆い被さるように身を寄せ、荒っぽくその唇を奪った、
アレハンドロによって。


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PHASE-04 ignited(7/7)

「……おう、俺だ」

そこはホテルの一室。

背丈以上もある大きな窓の外には、荒れ狂う暗い海が見えていた。

窓はそのまま姿見の鏡となり、

イスにだらしなく腰かけるバスローブ姿のヴィトー・ルカーニアと、

その手が握るワイングラスへと、

その語の意味するところと同じ、血のような赤い色をした、

サングリアというワインを注ぐ女性。

長い黒髪を背中まで垂らし、こちらもローブ姿という、

この彼女の名前はコマチ。

なお部屋はアロマキャンドルなんて焚いて、

その微弱な灯りでもって、辛うじて視界を維持しているばかり。

聞こえてくる物音も、

ワインの注がれるごく小さなものを除くとすれば、

他になく、そのため、

『お疲れさまです。ルカーニア司令』

という電話相手の声が優に聞こえた。

「……ご機嫌麗しゅう、参謀総長様々。

あなた様ともあろうお方が、私のごとき凡愚に、

一体、何の御用が御座いましょうか?」

なんてくさい芝居で返すルカーニアに、

『……お気付きのことと、存じますが』

と平然と返す参謀長ヨーゼフ・スコルツェニー。

「相変わらず……つまんねぇヤツだな。ジョセフゥ?」

右足を振り上げ、左足に乗せるルカーニア。

その動作とタイミングを同じくして、

スコルツェニーの息を飲む声が聞こえてくる。

『……挑発のつもりですか?』

「いいや、ただの洒落(しゃれ)だよ」

『……そうですか』

ルカーニアが笑う。

横ではワインを注ぎ終わったコマチが、ゆっくりと手を引いた。

それを確認してグラスを浴びるように、

らっぱ飲みするルカーニアには、コマチも驚いたようだが。

「……フゥゥゥ、ヒヒヒッ」

荒っぽく後ろにあった木製のテーブルにグラスを叩きつけると、

その手で口元より溢(あぶ)れた酒を拭う。

そんな下りを終えたところでスコルツェニー方から、

『よろしいか?』

との問いが投げ掛けられた。

「……ええ、どうぞ」

『データは……ご確認いただけましたでしょうか?』

「データ?……あぁ」

振り返れば、

コマチが机上にノートPCを開くと共に、

跪(ひざまず)く体勢を取っていた。

スマートフォンを耳から離して、逆の手をコマチの頭の上に置いた、

ルカーニアは、

少しばかり彼女の体を引き寄せると、掠れるような声で、

「よくやった……後で可愛がってやる」

そう囁き、赤面させる。

さてPC画面を覗いてみれば、ウィンドウ内にファイルがある。

試しにそのひとつ、《GAT-04R3》というものをクリックしてみれば、

時計回りに回転するモビルスーツの3Dモデルが表示される。

──このモビルスーツは《ウィンダム・ハイマニューバ》といい、

本来は線の細く、白と青からなるカラーリンクが特徴の、

7年前の量産機《ウィンダム》がベースである。

とはいえ、

《ブルデュエル》にて採用された増加アーマーを発展させた、

専用兵装フォルテスラ・ノヴァにより機体強度を底上げされており、

見た目ひとつ取っても、

線は太くなり、色も赤く、

そして肩に乗った《ハイザック・カスタム》由来の、

大型ビームライフルが目を引く。

そんな、大西洋連邦の量産型モビルスーツである……

「随分と、しっかりしたデータですなぁ……えぇ?」

『大西洋連邦に派遣した諜報員と、

西ユーラシア連邦の情報提供を元に作製したものです。

信憑性は高いかと』

「……《ワイルドダガー》もあらぁ」

一連の様子を少し離れたところで見ていたコマチは、

話に夢中な上官が聞き逃している、足音を先に察知し、

振り返った。

ルカーニアは気付いているのか否か、反応を見せない。

『それよりも……見ていただきたいものが』

「……これですかい?《GAT-X142》っての」

『……ハイ』

近付く足音が気になるコマチは、ドアの方へと進んでいく。

勿論、自分は足音を立てぬよう、細心の注意を払いながら。

「……こりゃ、興味深いもんでぇ」

なんて呑気言うルカーニアの傍らで、

部屋の前に達した足音が止む。

コマチの表情はひきつっているが……

そうしている内にインターホーンが鳴って、

『フレイヤ大隊より……シン・アスカです。ご挨拶に参りました』

振り返るコマチに、ルカーニアは首を振って、

開けてやれと指示を出す。

ドアの脇にあった認証装置に指を翳すと、

「……どうぞ」

とインタホーン越しに返事するコマチ。

間もなく自動ドアが開かれ、俺は部屋に入った。

右手側でローブ姿のコマチに怪訝な顔で見つめられながら。

スマートフォンをまたも離したルカーニアは、

「……いいときに来るじゃねぇか」

と笑った。このときの俺は、まさかPC画面に、

あの《デスティニー》に瓜二つのモビルスーツが3Dモデルの姿で、

映っていることなど、知る由(よし)もない。



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PHASE-05 策謀の海域(1/7)

接吻は、そう長くは続かなかった。

口と口とが触れ合ったままに、字に起こすなら、

「……ごほっ」

とでもいったような声を、パーディが上げたものだから。

何を言っているかは定かでないものの、

彼女の動かした腕が、アレハンドロにその意味を教える。

慌てて口を離して、体を遠ざけ、

「……わりぃ」

なんて顔を背けるのだから。

パーディの手は、彼女の脇腹……包帯の上を押さえていた。

ポケットに手を突っ込み、物憂げに窓の方に向くアレハンドロだが、

その実、窓に写るパーディを見つめていただけのことで。

間もなく、脇腹を見下ろしていた彼女の目線が上がっていき、

窓ガラス越しに目が合った……ような目線に。

「んッ」

との声、といっても咳払いと大差ないような物音であったが、

そんなものを漏らすアレハンドロに、

窓に写るパーディの顔が笑う。

それも、目が大きく開いて、ほうれい線の寄った、嫌な笑顔で。

「……へっ?」

アレハンドロも目を細めて、少々呆れたような顔つきになり、

向き直ってみるが、

当のパーディは我関せずとばかりに正面を向き、

丁度、ハンドルに手をかけたところだった。

「車、出すけど?」

「おう」

「何かやっとくことない?」

「ねぇよ」

「じゃあ、出すね」

「……運転、変わろうか?」

「嫌」

「はっ?」

「うちのムーちゃんにキズつけられた困るし」

「……車に名前つけてんのかよ」

「悪い?」

「悪くはねぇけど、バカっぽいじゃん?」

「はぁ?」

「……オモチャに名前つける子供みたいでよ」

「いいじゃん?呼びやすいもん」

「ムーヴコンテなんて、長げぇ名前でもねぇだろ?」

「かたいじゃん?何か」

「……気分の問題かよ」

「とにかく……運転は自分でやりますから」

「……へいへい」

「不満かよ」

「オマエの運転荒いじゃん」

「……別に、置いて帰ってもいいんだけど?」

「はいはい、俺が悪かったですよー……クソッ」

そこまでダラダラ言い合っていて、

アレハンドロがそっぽを向き、そこから更に数秒。

横でパーディの声を殺した笑い声。

釣られるようにアレハンドロもフッと鼻を鳴らし、向き直る。

「何だよ……元気そうじゃん?」

「……タフなのよ。私って意外とね」

「どうだか……」

そう言いつつ、パーディの横顔を見つめるアレハンドロの顔は、

彼女の目元にあるものを見つけていた。

「……ハサン先輩のときもさ、

ちょっと泣いたぐらいで皆心配し過ぎなんだもん。

まあ、お陰でオペレーターの仕事休めて助かったけど。

あっ、これ、皆にはナイショよ?」 

パーディの顔は笑っていた。顔自体は。あるいは口元は。

「サムのことだって……ショックで、とかすれば、

休ませてくれるかなぁ……とかいって」

アレハンドロは答えない。生まれる妙な間。

「もう……何よ?人の顔まじまじ見てさ」

「……別に」

体を窓側に向け、頬杖をつくアレハンドロ。

そのまま背中で語り始める。

「下手だよな……オマエ」

「……えぇ?」

「……化粧がよ」

アレハンドロは窓越しにパーディを見ている。

窓に反射するパーディの顔ははっきりとは見えない。見えないが……

「ひどくない?これでも……」

頬を伝う一筋の涙が、

ボヤけた窓ガラスという画面上にも、確かに確認できて。

「頑張ってんのに……」

パーディは向き直った。

正面で真っ直ぐとアレハンドロの顔を見つめていた。

微笑んでいた。涙を流しながらも。目を真っ赤にしながらも。

「頑張る必要なんかねぇよ……」

パーディのハンドルに置かれた左腕を掴んだ、アレハンドロの右手。

「……こんなことぐらい、俺を頼ってくれよ」

「うるさい……」

アレハンドロの腕を振り払うパーディ。

「……セクハラだからね。さっきのキスと合わせて」

ハンドルを強く握り直すと共に、気持ち前傾姿勢になるパーディ。

「チクられたくなかったら、私に運転させることね」

「……なんだよ、そりゃあ」

「いいから」

「人の好意/厚意(こうい)を何だと思ってんだか」

「ありがた迷惑って言うじゃん?」

「情けは人のためならずとも言うんだぜ?」

「……要するに自分が得するって話でしょ?それ」

「だから、人助けと思ってよぉ?」

「人助けだと思って、人助けされるとか……イミフなんだけど」

「変わればいいんだよ。とにかく」

「嫌だって言ってんじゃん」

「……だぁ、もう」

振り返るとアレハンドロ。

「……俺が変わってやるって言ってんのに、

わかんねぇヤツだな!おい!」

「必要ないって……アンタの助けなんて」

真剣な顔つきで見つめ返したパーディだが、すぐに表情が緩んで、

「……ダイッッッキライ」

と笑った。

「あぁ……俺もだよ」



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PHASE-05 策謀の海域(2/7)

──その昔、「欧州事情は複雑怪奇」の名言/迷言を残した、

日本の総理大臣がいたが、

C.E.80年代初頭を生きる者にとっては、

北アフリカ事情が正に複雑怪奇と言えるだろう。

事の発端は、かのヤキン・ドゥーエ戦役にまで遡る。

プラント支持の立場にあった旧・アフリカ共同体政府は、

かの『砂漠の虎』ことアンドリュー・バルトフェルドの負傷と、

その部隊の壊滅を以てザフトが撤兵した直後、

無数の小さなコミュニティに分裂して崩壊するに至る。

それでも数年前までは、

旧・オーブ連合首長国の国家元首を生んだ現地テロ勢力、

所謂『明けの砂漠』の流れを汲む者を首班に据え、

暫定的な北アフリカ政府を形勢しつつあったが、

オーブ征伐の混乱に際して、

『ナイルの神』セベク・アガレスがエジプト地域にて蜂起。

大西洋連邦がバックにいたとも言われるアガレス軍によって、

『明けの砂漠』の勢力は各地で敗走。

その後、アフリカ統一を夢想し、大西洋連邦の介入を嫌った、

南アフリカ統一機構と、

東ユーラシア連邦発案のオーブ征伐に、

かねてより反対の意を表明し続けていた、

西ユーラシア連邦の両国が『明けの砂漠』支援に動くも、

反プラントの南アフリカと、

親プラント寄り中立派の西ユーラシアでは意見が合わず、

結局は『明けの砂漠』勢力はほぼ駆逐され、

その残存勢力は方針を巡って分裂した末、

南アフリカと西ユーラシアのそれぞれに亡命した。

しかし、『神』と呼ばれた男が、

大西洋連邦一国の方針に従う筈もなく、

協力関係を維持しつつも独立国家建設に動き始め、

アラビア半島にて汎ムスリム会議、

バルカン半島にて東ユーラシア連邦との小競り合いを始めてしまう。

そうして、オーブ征伐終了直後、

自らを「公正なる仲介者」と称するラクス・クラインは、

北アフリカの正常化を旗印にアガレス政権攻撃に動くが、

反プラントの急先鋒たる東ユーラシア連邦がこれに同意せず、

アガレスの本拠地エジプトへの南下を目指した、

ザフトの拠点ガルナハン基地を攻撃して陥落させ、

出鼻を挫かれた格好となった。

やむなくプラントはジブラルタル基地より南下して、

モロッコ地域を占領したものの、続くアルジェリア地域侵攻に際して、

コンスタンティーヌとティンドゥフという、

2つの都市の攻略に手こずっていた……

 

3日後。その日、スコルツェニーはアププリウスにいた。

彼がいたのは、参謀長室と銘打たれた部屋。

自動ドアが開き、1人の女性が入ってくる。

マルビナス、円卓会議にも現れた彼直属の部下である。

「……どうした?」

「フレイヤ大隊のオランへの降下を確認しました。そのご報告に」

「そうか……早かったな」

回転椅子を回し、向き直る参謀長。

「オランには、ディジー・ファンクの小隊がいたな?」

「はい」

「ファンク小隊への言伝(ことづ)ては忘れるな。

それと……コンスタンティーヌにはフォーコレ小隊とヨシゴイ小隊を、

ティンドゥフにはアデリー小隊とガル小隊を派遣しろ」

「……しかし」

多少体が後ろに引くマルビナス。声も心なしか小さくなる。

「……なんだ?」

「……コンスタンティーヌにいたウルバーノ大隊は壊滅し、

デボラ・ウルバーノ大隊長以下隊員は一名も帰還していません。

また、ティンドゥフのリュメル中隊も大損害を被り、

敗走しまして、バルドゥル・リュメル中隊長以下僅かな残存勢力が、

ウジダまで後退を……」

鼻息荒く、うなり声を上げるスコルツェニー。

少し間を置いて、こう尋ねた。

「……ジブラルタルには、現在、どの隊が駐在しているか?」

「はい。アーサー・トライン大隊、イナバ・シゲル大隊、

ポンゴ・ラドクリフ大隊が駐在していますが……管轄が」

「……まあ、わかった。ラクス様には私から掛け合っておこう」

スコルツェニーは椅子の背もたれに身を預け、

軽く頭をも乗せた。

目も閉じている。

「……フォーコレ小隊はジブラルタルにて待機、

他の3小隊はオランに向かうように。

それと……フレイヤ大隊には、やはり、

しばらくはオランで待機してもらうとしよう。

ジブラルタル駐在の各隊にも、一応、出動『要請』を出しておけ。

『命令』ではなく、『要請』を」

「……ハッ」

一礼し、翻って背を向けると、

ドアの方へと歩き出したマルビナス。

マルビナスが部屋を去った頃、

スコルツェニーは手元に置かれたアルメイダの履歴書を一瞥し、

一言、

「……見せてもらおうじゃないか、名将の采配とやらを」

そう呟くと、右手で目を覆った。



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PHASE-05 策謀の海域(3/7)

到着の翌朝、フレイヤ大隊は、

オラン県メルス・エル・ケビール市に滞在していた。

日本でいうところの鎌倉のような、

一方を海、残り三方を緩やかな丘に囲まれた地形は、

西暦時代から軍港の役割を担い続ける要因となっている。

もっとも、少々小高い程度の丘では、

歩兵の進路は妨害できても、

戦闘機・モビルスーツを阻む力なぞ持ち合わせてはいないが。

埠頭に停泊する《フレイヤ》の甲板の上からは、

前には深い青に染まる海、

後ろには人影のない浜と海岸線の奥に見える背の低い石垣、

それから、うっすら砂を被った街が見えていた。

「……フフフフッ、フゥ~ン」

とかなんとか、鼻唄混じりに、

甲板の端の放から釣糸垂らすダイの姿がある。

軍服姿には不釣り合いなヨレヨレのパナマ帽なんて頭に乗せて。

しばらく待っても魚なんて釣れやしないが、

ダイの鼻唄が止んだ頃合いでもって、

「えい……」

などとふざけて、彼の帽子にチョップをかまし、

「……なんか釣れてた?」

そう笑うハビエルの姿はある。

振り返り、見上げれば、ハビエルの後ろにはシージーもおり、

体をやや斜めにして顔を出した彼は、

ダイが目を合わせると手を振ってきた。

「まだ10分程度……気が早いというもので……」

「やっぱ釣れてないじゃん」

なんて背後から更なる声。

呆れた様子で前に向き直るダイの後ろから、

枕のように両手を首の後ろに宛てて、アレハンドロが歩いてくる。

「この辺……魚なんているんすか?そもそも」

ハビエルを向いて、アレハンドロがそう言い、立ち止まる。

「……いるんじゃないの?知らないけど」

「いないっすよ。多分……浜の方でも釣りやってる人いないし」

「……そういう問題?」

ダイの釣竿に動きがないことは確かである。

「ところで」

「うん?」

「……ファンク小隊の話っすけど」

アレハンドロの腕が降りる。両手ともポケットに突っ込む。

「微妙……っすよね」

「……そうねぇ」

ぼんやりとシージーが見つめる中、

アレハンドロとハビエルと、2人ともに表情がやや固くなる。

「……ムーサーとか、言ってましたっけ?

西ユーラシア連邦に亡命中の『明けの砂漠』指導者の名前は」

シージーの問いに、頷くハビエル。

「民族自決なんて叫んでいる相手と、

俺たちが仲良く出来るんすかねぇ……

実質、侵略者みてぇなもんなのに。

まして、『明けの砂漠』っていえば、

バルトフェルド隊以来の反プラントじゃないっすか」

「外交革命って、言葉もあるからねぇ……

それをどうにかするのが、私たちの仕事になる訳よ」

「……呉越同舟ってヤツですか」

苦笑するアレハンドロ。

「まあ……最高評議会がアガレス側にも人を派遣したみたいよ。

ファッマ・ガンバリとか言ったかな。

約10年前、当時のアフリカ共同体政府相手に、

色々と交渉していたとかいう、中々スゴい方みたいよぉ~」

とは、ハビエルの言。

「そんじゃ……もしかすると何もしない内に話が着いたりして」

アレハンドロは笑うが、

「そういうの……捕らぬ狸の皮算用って言うのよ」

なんて皮肉ったハビエル。

同じ頃、ダイの竿にも動きがあった。

「おッ!」

と最初に声を上げたシージーに、

アレハンドロとハビエルも視線をダイに移す。

確かに引き揚げられた釣竿の先には、魚がいた。

ホワイトシーブリーム。コイ科の、名前通り、白い魚である。

細長い釣糸に引き揚げられた姿は割に大きく見えたが、

甲板の上に叩きつけられた体は、一向に動く気配がない。

「……え?」

声を上げたシージーに対して、

アレハンドロは顔をしかめ、ハビエルは顔を手で覆った。

「……死んでんだよ。コイツ」

動かないブリームを見つめていたシージーの目線が上がり、ダイに。

「多分……水質汚染が原因でな」 

ダイは振り返らず、海辺を見つめている。

よく見てみれば、海面にはビニール袋やペットボトルが浮いている上、

深い青色の海は、深いところまでは見渡せない。

「……業は深いか」

そう言うと、ダイはゆっくりと立ち上がった。

──こんな彼らの耳に、交渉に失敗したファッマ・ガンバリ議員が、

遺体となってプラントに送り返されたという、

ショッキングなニュースが伝えられたのは、この2日後のことだった…… 



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PHASE-05 策謀の海域(4/7)

実を言えば、こうなることは分かっていた。

いや、言い当てていたという方が正確だろうか。

時計の針を巻き戻して、 

ヴィトー・ルカーニアのいた、あのホテルを覗いてみるとしよう。

なお、スコルツェニーの電話はこの頃にはもう終わっていた。

「交渉なんてやろうったってよォ……

んなモン、上手く行く訳がねぇんだよ」

なんて顔を真っ赤にしてゲラゲラ笑うと、

コップの底を何度もテーブルに叩きつけるルカーニアの姿。

試しにコマチの方を見てみたが、

目を伏せ、何ら反応を示す様子はない。

「……セベク・アガレスがプラントと交渉なんてよぉ。ンクッ」

「お詳しいんですね?『ナイルの神』とやらに」

「詳しいィ~?」

前屈みになるルカーニア。顔は下向いて見えない。

「……知らん方がおかしいだろう?」

急に声のトーンが変わって。枯れた声でルカーニアがそう言う。

「神様と呼ばれる前の、フッ、

ただの航空機バカだった時代のヤツも含めて、よぉーくな」

顔は見ていないが、

話の間際にクイッと上がる口角と表情が目に浮かぶようだった。

「……ヤツは天才だったよ。昔から」

「天才?」

「あぁ……天才だった」

グラスを握る手が、

それは人が息絶え、力を失う様を彷彿とさせるような、

脱力と共にグラスより離れて、テーブルの奥へと消えていった。

「……まあ、そんな思い出話なんかしたって、意味はねぇが」

ウウッとうなり声を上げたかと思うと、

背もたれに体を預けて上体を起こし、

と同時に両足をも振り上げて、荒っぽくテーブルを蹴り飛ばす。

不自然に右半分だけ前に突き出るテーブルと、

反動により後方へと押し出されるルカーニアの回転イス。

「オマエは……何を相手にしているか、気付いているんだろォ?」

同意はしなかった。

「てめぇ……言ったじゃねぇか。

傭兵部隊『ネイキッド・アームズ』。

まあ、傭兵とは言いながら、

ご存知、ロゴスの盟主グレース・イスラフィールの私兵だ。

……おい、まさか?

ロゴスなら7年前に滅んだハズだなんて、バカ言わねぇだろうなぁ?

少し考えりゃ分かるだろう?何で摘発できたんだ?

……簡単な理屈だ。ヤツは組んでやがった。デュランダルの野郎とな」

「やっぱり……そうだったんですね。通りで……」

「……ほぅ?」

ルカーニアは笑っている。

「《デスティニー》のデータと……月面にあった機体が消えていた。

機体の方はあの混乱の中で、誰かが奪ったのだろうけども……

データを盗むとしたら……」

「……イスラフィールはタヌキだ。

スパイの一人二人、そりゃデュランダルの側に置いていただろうぜ。

現に、こんなモンが……」

ルカーニアがそう言うと、動いたのはコマチ。

足早にルカーニアの元まで歩み寄ると、

彼のノートPCを一度閉じ、ゆっくりと小脇に抱えて、

更にそそくさと俺の方まで駆け寄ってきた。

俺の前でこれを開き、見せると同時、

「……『ナイルの神』の指揮下にて確認された」

なんて言うのはルカーニア。

対して、俺は……言葉を失った。

何せ、画面は先程から、変わっていないのだから。

《GAT-X142 マッド》。

赤いボディと、アクセントとして配されたブラックという、

禍々(まがまが)しいカラーリンクをしたソイツの顔は、

悪魔の角のごとく屈折したV字のアンテナといい、

目付きといい、よく似ていた。

血の涙を流しているような、目の下のY字を描くデザインも、

ギリシャ文字のͲ(サンピ)とϡ(サンピ)を組み合わせたような、

黒きアイシャドウとして残っているし。

口元から膝小僧の辺りまで、ボロ切れのようなマントに隠れ、

見えていない箇所もあるが、

たまたま露出していた右腕には、

パルマフィオキーナの後続モデルが配備されたとおぼしき、

不自然な凹みが確認できた。

翼も《デスティニー》そのままで……

「よく覚えときな……

俺たちが戦っているのは、『デュランダルの遺産』だってことをよ」




さぁ、時計の針を戻して。
オラン県オラン市オラン・エス・セニア空港は、
本来なら航空機が居並ぶ飛行場に、
今日はモビルスーツが列を成す蟻の群れのように立ち並ぶ。
一目では数え切れぬ程の《ウィンダム》、《ワイルドダガー》ら、
雑兵の先頭に立っていたのが、ソイツだった。
「……レェ・アモン、《マッド》、出る」


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PHASE-05 策謀の海域(5/7)

──不幸だったのは、

ヨシゴイ・アデリー・ガルの3小隊である。

《マッド》がオラン・エス・セニア空港を飛び立った正に直後、

メルス・エル・ケビール市より空港に程近い、

サンタクルス城の近海へと、

アデリー・ガル両隊の、

計20余りのモビルスーツ部隊が上陸を試みていたのだから。

まずは、アデリー小隊、

カブトガニのようなモビルスーツの群れが大挙して押し寄せてくる。

名前は《ZGMF-31R ジ・ズクト》。

《アビス》に酷似した見た目の《ジズ》といった具合の、

水陸両用機である。

彼らの頭上では、ガル小隊の地上用に改修された《ジズ》数機が、

ペットを見守る飼い主のごとく飛んでいる。

さて、山の上に建つ白き宮殿(サンタクルス)にも見下ろされ、

埠頭、そして砂浜へと進んでいく黒き《ジ・ズクト》の足取りは、

重荷を負って陸に上がってきたダイバーよろしく、

鈍重で遅いものと映る。

ただ、この浜自体には潜水艦もモビルスーツもおらず、

行く手を阻むものはない。

問題はその先で、上陸を想定した市街地の方にて、

フェイズシフト装甲の変色機能により、

上手くその身を周囲に溶け込ませて待機する、

《ウィンダム》、《ワイルドダガー》、

そして、《GAT-720A7 フォビドゥン・シー・ドラゴン》、

水陸両用に改良された《フォビドゥンブルー》の後継機、

などである。

あるものは建物の影に隠れるように、

またあるものは匍匐(ほふく)して見えないように、

当然、レーダーには敵の存在は表示されている訳だが、

一種の保護色となっている訳で、

かえって前進する2小隊を警戒させる抑止に働いた。

だが、立ち止まれば、かえって的になりかねないから、

結局は歩を進める2小隊であった。

やがては第一陣、

5、6機あまりの《ジ・ズクト》が陸に上がった。

浜辺を這う姿はなおのことカブトガニのようだった。

やがて甲羅に割れ目が現れ、頭部は貝のようなヘッドギアへ、

他は両肩に付随、左右とも更に2つに割れて、

計4枚の実体シールドへと転じる。

そうして人型に変わった姿は、

流石に《ジズ》や《ジ・ゾウム》らに似ている。

続いてビームライフルに撃たれ、

1機の《ジ・ズクト》が上陸直後に爆発。

しかし、多くは例のシールドに弾かれた。

《ジ・ズクト》たちは、胸部中央から大口径のビーム砲を放ち、

攻撃する。

ビームライフルなどが届く射程だ。

《ジ・ズクト》の攻撃が届かないハズもなく、

仕返しとばかりに《ウィンダム》を1機、

《ワイルドダガー》2機を撃墜。

更に後方では、市街地のビルの屋上に、

1機の《ウィンダム》が陣取り、

《ジ・ズクト》の群れを狙っていた。

その体躯すら上回る、大型のビームランチャーを肩に乗せ、

片手は引き金に手をかけ、もう片方はフォアグリップを掴み、

片足は足踏みミシンのように備わった、

レバーに足を置き、固定している。

「……死にやがれ」

という《ウィンダム》のパイロットの掛け声と共に、

火を吹いたビームランチャーは、

上陸済みの《ジ・ズクト》1機に加え、

後方にいたモビルアーマー形態の機体も、複数機巻き込み、

波間に火柱が立つ大炎上を起こした。

「よし……退避、退避っと」

ビームランチャーを持ち換え、

背中に抱えると、宣言通りに後方へ退避。

ビルを足場に、後ろ歩きするような形で、

後方の別のビルに向けて飛んでいく。

「…………はぁ?」

そんな声を漏らした《ウィンダム》のパイロットは、

別のビルから煙が上がっているのを確認。

「オーイ。こちらマイケルズ……誘爆か?生きてんのかぁ?」

そう無線で呼びかける彼だったが、反応はない。

「……オーイ!」

そういった2度目の呼びかけも無反応に終わり、

代わりに別のポイントから、

『敵が……敵がぁ!』

との無線が聞こえてきた。

「…………えっ?」

マイケルズは敵の位置を探したが、見つけることは出来なかった。

不意に現れた一本の光の槍が、

マイケルズを背中から一突きにして貫いたのだから。



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PHASE-05 策謀の海域(6/7)

戦況の変化は、
浜辺に攻め寄せるアデリー・ガル両隊にも確認できた。
『あれが……噂のヨシゴイ小隊か』 
《ジズ》のパイロットの誰かしらがそう言ったのを皮切りに、
『オーブから亡命してきた連中だろ?』
『いや、俺は中華系だって聞いたが……』
『参謀長直々に育てた特殊部隊って話だぜ?』
『まるで忍者みたいだな』
『他の隊とは使ってるモビルスーツも違うとか、何とか』
なんて噂話が飛び交う。
『おい!戦闘中に無駄話するな!』
そう叱る声は上がったものの、止む気配はなく……
ただ、城の奥に広がる街並みの合間を縫うように、
煙が上がっていたのは事実で。
何時からか、海岸線に居並ぶアデリー・ガル両隊へと、
撃ち込まれるビーム攻撃はなくなっていた。
『進軍……しますか?アデリー小隊長』
『いえ……乱戦となりかねませんし、
しばらく様子を見ましょう?ガル小隊長』
『……そうですね』
などというのが、上で話されるのも必然であったか。
……このまま上陸に向かった方がよかったのか?
それとも、彼ら両隊の判断が少し変わったぐらいでは、
そもそも、どうにもならないことだったのか?
今となっては、定かではないが。


さて、マイケルズを襲ったものが何であったか、

そこから状況を説明していくとしよう。

マイケルズの後ろに立っていたのは、

《TMF/A-810 ケトゥ》というモビルスーツで、

一応は《バクゥ》、《ラゴゥ》に連なる機体とされているが、

実際はまるで違う。

4本足は4本足でも、

前の2本は足というよりはカマキリの鎌のようであって、

レーダー上からも喪失する光学迷彩ミラージュコロイドを備え、

その上、首が伸びる。

ボディの長さと同じぐらいに、また蛇のごとく細長く。

考えれば、理に敵っているようでないようなもので、

ミラージュコロイドはフェイズシフト装甲と併用できないもので、

恐らくはその被弾面積の少なさを当てにして、

隠密機動のモビルスーツとして《ケトゥ》が生まれたのだろうが、

首が伸びて被弾面積が増えたのでは意味がないようであるが、

まあ、とにかく、そんなモビルスーツであって。

顔の先端部にはクチバシのように尖っており、

ここに形成されるビームサーベルの刃が、

マイケルズの《ウィンダム》を貫いた、という話である。

貫いた一瞬は、爆発の余波に遭うまいと、

その《ケトゥ》の体にフェイズシフト装甲が起動、

都市迷彩風のグレー系色に染まるも、

ミラージュコロイドのお陰で元々都市の色に合わせていたのだから、

見た目の変化はそれほどなく。

それでも、レーダー上には反応が出る為に、

高層ビルを2棟3棟、引き下がったところで、

またミラージュコロイドを起動する。ただ、まあ、これは判断ミス。

フェイズシフト装甲のままなら何でもなかった、

《ウィンダム》のスティレットという短剣型の爆弾が、

この《ケトゥ》に襲いかかったから。

《ケトゥ》も警戒していなかった訳ではないのだろうが、相手は、

上手くマイケルズのいたところの上で控えていた《ウィンダム》で、

発見が遅れてしまった。

気付いたときには、もう遅く。

右の後ろ足をやられて、派手に横にぶっ倒れ、

ビルを押し潰してしまった。

こうなっては光学迷彩も形無しというもので、

布団のように下に敷かれたビルの瓦礫(がれき)の凹凸と、

滑らかな《ケトゥ》のボディとに奇妙な違和感ができ、

そこにいるのが分かってしまう。

咄嗟の機転で、

ミラージュコロイドをフェイズシフトに切り替えたものの、

ビームサーベルの刃を下に向けつつ、

飛び降りてくる《ウィンダム》を避け切れず、

一突きにて腹部に風穴を開けられ、爆発四散。

さて、この《ウィンダム》、爆発の直前にビームシールドを展開、

爆風の勢いによって後退したところを、

今度は何者かに両肩を押さえられた。

灰色をした、カマキリのような鎌である。

『……あッ』

と声を出しても、もう遅く。

別の《ケトゥ》がそこにいて、

例のクチバシより伸びたビームサーベルに貫かれ、

この《ウィンダム》も仕留められてしまった。

同じ頃合いでもって、

《ワイルドダガー》が4本足のモビルアーマー形態で、

撤退する様子が見えるが、

今度は左足がまず射抜かれ、体勢を崩したところを、

更に横っ腹を刺された。

爆発の瞬間は、

例によって光学迷彩が解除されてフェイズシフトが発動、

斜めを向いて、顔を合わせる形でもって、

《ケトゥ》が2機、その場に確認された……



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PHASE-05 策謀の海域(7/7)

間もなく、この《ケトゥ》は顔を上げた。

といっても、視認できた者がいたかは定かでないが。

ただ、そのパイロット──ハツメは傍受していた。

正確な位置は特定できないものの、

おおよそサンタクルス城辺りにて。

『ドバド少尉より、レェ・アモン特任大佐に報告します。

至急救援を』

敵を警戒してビルの影には一応隠れつつ、

城の辺りまで一気にズームした。

見れば、城壁の辺りにて、陽炎(かげろう)のごとく、

微かシルエットが浮き出ているのが見えた。

何かがいる。

だが、《ケトゥ》の武器では、そこまで攻撃が届かない。

『……アモンだ、報告ご苦労』

『……ハッ』

返答後、間もなく陽炎が顕現する。

暗い緑色をしたボディは否が応にも目立った。

何せ背景は真っ白な壁であるのだから。

さて、姿を現すは《GAT-SO2R NダガーN》。

フェイズシフト装甲などが追加されているのだろうが、

元は結構古い機体で。

少なくとも7年前にはその存在が確認されている。

突然の登場に、アデリー・ガル両隊は動揺したらしく、

『何だよ、アレェ!』

とか声を上げた者がいたり。

恐らくは、

ミラージュコロイドでは音とバーニャの点火が隠せないことから、

それよりかは姿を現して意表を突いた方が、

離脱に際して効果的との判断によるのだろう。

現に、ハツメでさえ、その瞬間に一時思考が停止してしまった。

次に、ガルの、

『何をしている!ヤツを攻撃しないか!』

という命令が、彼女の思考をも蘇らせるが、

その間、2、3秒程度、完全に手が停まってしまっていた。

ミラージュコロイドも万能ではない。

よくよく見れば、違和感に気付かれてしまう。

それは先程の《NダガーN》の場合もそうならば、

《ケトゥ》とて同じ。

「……キャッ!」

と声を上げるのは、勿論攻撃されたからで。

飢えた狂犬のごとく、

4本足の姿で噛みついてきたのは《ワイルドダガー》。

鋭いビームの牙が、《ケトゥ》の首を切り裂く。

そのまま、交尾でもするかといった具合に馬乗りになると、

滅茶苦茶に牙を《ケトゥ》に突き立てる。

見えない相手を舐め回すみたいだった。

ただ、見えない以上、コクピットの位置が分からないのがネックで、

致命傷を与えられない。

結局、割って入る形で、

別の《ケトゥ》が《ワイルドダガー》の脇腹に体当たりし、

そのまま向かいのビルの影に消えていき、

続いて同じビルの奥より煙が上がるのが確認された。

間もなく、ハツメの耳に味方の《ケトゥ》のパイロットから、

『まだ膜は破られてないかぁ?ハツメェ~』

なんて下品なジョークが飛んでくる。

が、ハツメの耳には届かないといった様子。

『こりゃ大分開発されてんなぁ~』

なんて笑う相手だが、ハツメは尚も反応しない。

さて、ミラージュコロイドが解け、

斑点のように穴だらけになって横たわる、

ハツメの《ケトゥ》のコクピットにて。

彼女はただレーダーが捉える所属不明のモビルスーツの接近に、

目を奪われていた……




──ほぼ同日。
アガレスの『帝都』クロディロポリス(旧ファイユーム)にて。
砂漠の広がるエジプト地域とは思えぬ、水車の回る田園風景。
そんなところに停まっている、白のポルシェ・718ケイマン。
その車内は後部座席に腰かける男。知っていよう。
他ならぬ『氷原の狼』ホルローギン・バータル、その人であるから。 
今日は旧態然としたザフト・ブラックの軍服姿ではなく、
紺のジャケットの下、青白いシャツを着て、
赤いネクタイを絞めている。
また、口元にうっすら円形を描くようにヒゲが生えている。
そんな彼の隣に、
「……失礼」
といって、丁度今乗ってきた。
「……いえ」
なんて会釈を返すホルローギン。
そんな彼のコメカミに当てられたのは、
拳銃──コルト・ガバメントである。
首を曲げたまま、動かないホルローギンへ、
「大西洋連邦軍……ジョージ・T・E・オートゥール少佐だ」
といい放つ、隣の人物。
「……『ナイルの神』に繋ぐ。受けとれ」
右手で銃口を押し当てる、オートゥールの左手には今、
スマートフォンが握られていた……


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PHASE-06 禁断の力(1/7)

ソイツは、上空数百メートル地点、

足下に広がる街を見下ろすように静止すると、

持ち前のマントをマフラーのごとく棚引かせながら、

徐々に高度を下げていった。

落ちる、というよりは階段か坂を緩やかに降りていくみたいで。

《ケトゥ》に遠距離の敵を射抜く道具はない。

慌てて、海岸線沿いを飛んでいた《ジズ》の群れが前進し、

砲撃を飛ばすが、当たるどころか掠りもしない。

いかに緩やかに見えようと、

20m前後もあるモビルスーツの身体が地上に達するまでに、

そう長い時間はかからず。

地上付近も付近、パラシュートよろしく膨れた彼のマントが、

丁度針で刺された風船のように萎れるより少し前、

彼の足はアスファルトを踏んでいた。

まるで散歩といった調子で、

高姿勢を維持しつつ、道を真っ直ぐに進み出した彼を、

阻むものはなく。

また僅かにマントを揺らしながら、海の方へと歩を進めるばかり。

そのうちに、誰かが気付いた。

この赤きモビルスーツ──《マッド》は敵なのだと。

彼の進む先、右手側に現れるビルの傍らにて、

1機の《ケトゥ》が狙っている。

はっきり見えはしないが、

やはり陽炎となって空間を歪ませているから、

よく見れば分かる。獲物を前に舌舐めずりする獣の姿が。

今、見ておけとばかりに、後ろを振り向いた。

そこにいたのは、全身傷だらけにして横たわる《ケトゥ》。

他ならぬ、ハツメの機体である。

さぁ、足音は近付いてきている。

音を立てぬよう、ゆっくり正面に向き直った陽炎。

もう少し、もう少し……

涎が垂れてしまうようだった。

首はもう伸びている。ビルの影より溢(あぶ)れぬ程度には。

来い、来い……

今だ!

と言えど、別に飛びかかりはしない。

ゆっくりと首をもう一段階伸ばすだけのことで。

首を鞭のようにしならせて、一発横っ腹に見舞って、

体勢を崩したら、そのままビームの槍で貫けばいい。

それで終わり。それで勝ち。

圧倒的優位。圧倒的勝機。圧倒的成果……

捕らぬ狸の名句よろしく、

彼は絶対的勝利を確信して、首を縦に振ったことだろう。

そう、それが……この相手でなかったならば。

「……アイ?」

ハツメの呼び掛けに、当人は返す言葉を失っていた。

無理もあるまい。

勝てると思った相手。餌だと信じた敵に、

事もあろうにその細首を切り落とされていたのだから。

ハツメには、何が起きたのか、最初は分からなかった。

ドンと大地を揺らす物音を聞いて、

機体の目で確認すれば、

そこにはキリンに似せんとばかりに伸びきった《ケトゥ》の首先が、

丁度ハツメの方を見るように落ちていたのだ。

色も透明から灰色へと変わっていた上に、

ビームを形成せんと開かれた口部が、

驚きからあんぐりと口を開けているみたいだった。

『何で……動けてんだよぉぉぉ!』

アイとやらは、叫んでいた。震えていた。

ミラージュコロイドを解除、フェイズシフト装甲を起動すると、

威嚇(いかく)するカマキリみたく、鎌になった前足を振り上げたが、

それは、正しく蟷螂(とうろう)の斧。

意味などはない。勿論、力も。

それでも、厳密には愚策ではなかったのだ。

《ケトゥ》のビームシールドは、腹部と背面とに2ヶ所あって、

アイは腹部の方にシールドを展開させようとしていたのだから。

判断に誤りはなかった。

ただ、単純に無理だったのだ。単純に速かった。

シールドが形成されるよりも、

《マッド》の刃が無慈悲にも《ケトゥ》の腹部を刺し貫く方が。

「……アッ」

アイと、叫びたかったのだろう。

しかし、恐怖がそれ以上の彼女の発声を妨げた。

アイの《ケトゥ》が巻き起こさせた爆風をものともせずに、

《マッド》は前に足を踏み出していたから。

風に吹かれて転がる例の首が、

今にも横たわるハツメの《ケトゥ》の右足に当たらんとした瞬間に、

《マッド》の右足がこれを容赦なく踏みつけた。

恐らくは残骸が飛び散って傷つけたのだろう。

マントに穴が空いていた。小さな穴がいくつも。

問題はその最上部に空いた穴から、

丁度口角を横に広げて笑ったように見える口部が顕になっていた……

「……ぎゃあああああああああ!」



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PHASE-06 禁断の力(2/7)

──ハツメ・フクダ。オーブ人。
先のオーブ征伐にて難民となり、プラントまで逃れてきた一人。
同時期、難民対策のひとつとして、
ヨーゼフ・スコルツェニー参謀総長が外国人部隊の創設を提案。
円卓会議にて僅差により創設が可決したものの、
反対派の意見も根強い為に、
スコルツェニー自身がその責任を負うこととなった。
こうしてスコルツェニーが募集した新部隊に、
22歳とやや高齢ながら、入隊を決めたのが彼女である。
役に就いてから、もう1年になる。最初はいい商売だった。
無重力となれば、
体が軽くなって作業いくらか捗(はかど)ったような気分がして。
しかも、毎日朝早くに起きて、
試しにモビルスーツが動くか確認して、
あとは試し撃ちしたり、
ゲームのようなモビルスーツのシュミレーションをやったりと。
頭を使う場面などはほとんどなく、
毎日同じ業務をこなせばいいだけだった。
問題はここ2、3ヶ月のことで。
突然、よく知らないジブラルタルなる孤島に飛ばされると、
久しぶりの重力は何やら荷を背負うがごとく苦行となった上に、
緊迫した国境付近、
北や西からは大西洋連邦、東からは東ユーラシア連邦、
南には例の『ナイルの神』の勢力に脅かされるイベリア半島の末端。
日々、緊迫した状況が続いており、夜もゆっくりは眠れない始末。
それでも、アーモリー・ワンの騒動のときには、
プラントにいなくて助かったと思ったものだ。
戦いもすぐに終わったのだ。
きっと本国の復興に充てられて、
スコルツェニーは隊を呼び戻してくれるだろう、
なんて淡い期待もあったりしたが。


結局のところ、『オバマ』出征の強行に伴い、

かえって北西の危機は増すばかり。

何時戦いになるかと身構えた。

それでもジブラルタルなら防衛の方法はいくらもあると、

少しは安心していたものが、

この度、オランまで行けとの命令が下る。

ジブラルタルはどうなるのだ?大体、オランってのはどこ?

文句を言いだしゃキリないが、

それでも《ケトゥ》の性能ならば……

とアテにしたとて意味はなく。

《マッド》の前に希望は脆くも踏みにじられた。

踏み込んだ右足が深くアイのものだった《ケトゥ》の首を潰しつつ、

前へと進み出でる。

「……嫌、嫌ッ!嫌ァァァッ!!」

ハツメの髪は、そう長いものではない。

首の後ろで束ねられてもいる。

だのに、力強く首を左右に振ったものだから、

後頭部のゴムの隙間より、

黒い髪にメッシュとして入れたブロンドが抜け出て、

振るに従い、大きく揺れる。

「嫌よ……どうして、私が!私が何したってのよ!

お金に困ってたから……

稼げるって聞いたから、この仕事に就いただけなのに。

私は被害者。こんな目に遭うような、悪いことなんてしてない!

もう戦闘不能じゃん?殺す必要なんてないじゃん?

あっち言ってよ!あっち言ってェェ!!」

目尻に雫(しずく)ほどの涙の粒が溜まっていく。

「お願いよぉぉぉ!」

震える彼女が肩をすぼめて目を閉じれば、

そこから4、5秒。

最期を悟って目を閉じ、首を折り畳んだハツメ。

「……お願い」

そう言う。鼻が微かに震える程に、小さな声で、結んだ口で。

……さて、そこから1秒過ぎて。

えらく大きく聞こえる心臓の鼓動と、すっかり乱れた自身の息に、

ハツメの瞼(まぶた)がゆっくり上がる。

黒き瞳がヤモリかトカゲかのように素早く動くと、

画面正面に映る《マッド》の姿は、

何故だか自身に背を向けていた。

先程に見た傷だらけの前と違い、

マントの背中側には傷のひとつもない。

次に背中越しで、刃が見えた。

先程はアイを討ち取った、幅広の大剣である。

目前には最初は何もないように見えたが、よく見れば違う。

やはりいるのだ、《ケトゥ》が。

今度は一刀両断とばかりに、顔の真ん中から上半身の辺りまで、

深々と切り裂いた。

透明のボディがグレー一色に戻り、爆発四散。

それから、《マッド》の剣は、

これがまるでジャックナイフのように折り畳まれて、

シールドみたく右腕は肘の部分に収まって、

その手がマントの奥へと隠された。

「……はぁ、はぁ、はぁ」

目の焦点はぶれ、額からは汗、

髪が濡れた紙のように顔に張り付いている。

どうやら、見逃されたらしい。

またも強烈な風が流れたが、

その奥で、足音が静かに遠退いていくのを聞いた。

「……はあッ」

下を向いたハツメ。

ビルの影になって消えていく間際、1度だけ、

振り返った《マッド》には、はたして気付くことはなかったという。



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PHASE-06 禁断の力(3/7)

我が物顔で通りを歩く《マッド》へは、襲いかかる者はない。
いや、既にやれる者はやった後だったというべきだろう。
先程は傷のひとつもないのをハツメに確認された、
マントの裏面が、こちらはこちらで穴だらけと化す頃には、
道に無様にも散った《ケトゥ》の首がいくつも転がっていた。
そのうちに、彼の足がアスファルトの舗装部分を越えて、
街路樹の縁にかかったタイミングでもって、
『………うおおお!!』
などという叫び声を上げながら、1機の《ジズ》が急降下。
前面にビームシールドを展開して身を守りつつ、
ビーム砲パルジファルをやたらめたらに撃ち込んでくる。
対して《マッド》は避けるという素振りは見せなかった。
第一射目が街路樹を焼き払う一方にて、
《マッド》はまたアスファルトの大地に踏み込み、
何事もないように歩を進めていくばかり。
第二射、第三射とて同様。
『何でだよ!この野郎ッ!』
なんて息巻いて、ビームサーベルを伸ばして、
斬りつけんと前に出た。出てしまった。
考えなかったのだろうか?
同じ間合いで、敵も攻撃してくる可能性を。
自身の左腰に手をかけた《マッド》の右腕が、
日本刀とおぼしき、か細い柄に手をかけ、
抜いたのは、それから約1秒後。
2機のモビルスーツの間は、居合いにて刃が当たる程度である。
抜かれた刀にはビームの刃はついていない。
フェイズシフト装甲のご時世にそんなものと……侮ったかもしれぬ。
しかし、結果は、
形成されたビームの刃を一瞬切断したかと思うと、
乱れた光の線が1本に戻って、マントの端にでも触れる間に、
刃は《ジズ》の頭部に突き刺さっており、
あとは重力が味方してくれる。
降りかかる勢いに任せて、頭部にズブズブと刺さっていく刃が、
やがてはその頭部を綺麗に両断していた。
適当なところで手を離した《マッド》は、
また何事もないように前進を続けるだけで。
そのうち、同時攻撃ならばあるいは……と、
ミラージュコロイドを捨てて四方より計4機の《ジズ》、
そして2機の《ジズ》が一斉に攻撃を仕掛けたが…… 


四方はおろか、上からもビームが雨霰と降り注ぐ中、

《マッド》は歩くだけ。進むだけ。

重心がぶれるような素振りさえなく、ただ真っ直ぐに進むだけ。

何も変わらない。姿勢はおろか歩く方角も、歩幅も、歩き方も。

ただ、進路に立つ《ケトゥ》の首を、

山道にて邪魔になる枝木の先を軽く折る程度の所作で、

例のジャックナイフですれ違い様に切り落とした。

そのまま、カッターナイフを使うみたいに、

大剣を進める歩に合わせて真っ直ぐに押し出していき、

右前足の付け根から脇腹、そして右後ろ足の付け根へと、

一筋の切り傷を作った。

そうなれば、《ケトゥ》はただ道を塞ぐ形で右を向いて倒れるだけ。

《マッド》を傷つけるハズだった残り3機の《ケトゥ》は、

一瞬、何が起こったのか分からないような様子を見せたが、

すぐに離れていく敵の後ろ側に襲いかかる。

残りの《ジズ》2機は降下して、

砲撃を見舞いつつ、《マッド》の前に回らんとする。

さて、《マッド》自身はというと……

《ジズ》の砲撃は、

敵の左足の傍らにあったアスファルトを焼いた。

爆風が敵・味方の視界を遮る中で、

なおも怯まず3機の《ケトゥ》が飛び付く。

だが、煙を抜いて1機目が現れたときには、

振り返った《マッド》は、その手を膝の上に置いており、

バレエのワンシーンのごとく旋回しながらナイフで首から切除。

同時に《マッド》を襲おうとした、もう1機の《ジズ》の砲撃は、

左足の甲で先程の《ケトゥ》を蹴り上げ、これを盾にした。

哀れこの《ケトゥ》は味方の砲弾に焼かれて消滅する。

2機目と3機目は、ほぼ同時のタイミングで襲いかかるが、

返す刀に逆回りされて、振りかざされた《マッド》の大剣に、

やや前に出た2機目の首の付け根と、

3機目の首のほぼ中央部とをそれぞれ両断した。

特に2機目は剣先がコクピットまで達したらしく、

そのまま爆発炎上。

なお、この間、2機の《ジズ》は煙に遮られ、

《マッド》本体はほぼ視認できない状態であった。

次には煙の中から小さな手裏剣状のビームブーメランが飛び出て、

この2機を攻撃する。

片方は回避に成功したが、

もう片方は砲撃を加える為に近付いていたのが仇となり、敗死。

そのまま煙の中から姿を出した《マッド》は、

その手にビームライフルを握っていて。

《ジズ》は砲撃を試みるが、

それより先に振り上げた《マッド》の右腕がライフルを放つ方が早く、

この《ジズ》までも撃ち殺されてしまった。

そのまま、ここに至るまでの経緯を忘れたように、3歩とか4歩とか、

スキップ調に歩いていく。

勿論、進路を妨げるように砲撃は続く。

もう随分、前に出たところだ。

目前には《ジ・ズクト》の群れも見える。

ただ、その《ジ・ズクト》とて、爆撃する《ジズ》とて、

遠方から撃ち込んで来るだけ。

特に前者は砂浜を見下ろす城の傍らにまで達した《マッド》に、

恐怖心からか、後ずさる足もあって……

「足りない。オマエたちでは。オマエたちでは……」



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PHASE-06 禁断の力(4/7)

「早ければ、オマエがここを発つより先に、ヤツは現れるだろう。
勝てると思うか?オマエの部下どもだけで」
あの日、ルカーニアは侮蔑するような笑みで俺にそう問うていた。
「……その為に、俺をここに留めているのですか?」
きっと、睨んでいたのだろう。俺は。
何気に目を背後で立つコマチとやらに向けてみれば、
威嚇する猫のように首を屈めて、俺をにらみ返していた。
ただ、ルカーニア自身は、
「……俺がそんなマメな人間に見えるか?」
などと笑い続けるだけで。
「グナイゼナウに爆薬仕掛ける手際のよさを思えば……」
「……ソイツは、別に俺の案じゃない」
「はい?」
試しにもう一度振り返ってコマチの顔を確認してみたものの、
コマチも要領を得ないといった風に顔を逸らすだけで。
「あれの発案は、モーリス・ゴンドー……
いずれ枠が空けば、ORDERの椅子に座るであろう逸材よ。
……まあ、今はヤツの話題じゃねぇが」
ゴンドー……俺にとっても因縁深い名前だが、
それもここで話すことじゃない。
「いいから答えやがれ……聞いてんのは俺だ。
オマエの部下どもは、殺れるか?殺れないのか?」
俺はポケットに手を突っ込み、地団駄踏むように足を踏み鳴らした。
「……モビルスーツは矛であり、盾です。
モビルスーツが戦うんじゃない。戦うのはあくまで人間。
貫けぬものなき矛あれど、何物も通さぬ盾あれど、
使い手次第で勝敗は決まる。そこに矛盾という言葉は介在しない。
パイロットの力量次第ですよ。
いかに、この《デスティニー》もどきが強かろうと、
乗り手に腕がなければ、《ダガー》や《ウィンダム》と変わらない」
そう言う俺の解答に、
「相手は『アームズ』……
ほぼ乗り手は決まっているようなモンじゃねぇか。えぇ?
十中八九、レェ・アモンが来る。
『独弧求敗』といやぁ、てめぇも聞かねぇ訳じゃあるめぇ?
ジェイナス・ビフロンスみてぇな奇術師とは訳が違う。
最強の強化人間、今の戦場で最強の兵士って噂もある。
それを抑えられるかって聞いてんだ。オマエの部下どもが」
などと詰め寄るルカーニア……


──メルス・エル・ケビール市の《フレイヤ》には、

情報は入っており、既に警戒体制は敷かれていた。

帽子を目深に被ったルイス・ハビエルをはじめ、

冷や汗をかくもの、祈るように胸の前にて指を絡ませ手を結ぶもの、

表情が消えた顔、擦られる太もも、震える手……

ルシア・アルメイダでさえも、

貧乏揺すりをしながら、爪を噛む様子を見せており、

余裕なぞは感ぜられない。

『……たった1機のモビルスーツに、何を押されている!』

『後ろに回れ!敵の背後に!』

『うわぁぁぁ!』

『何でェ!』

……聞こえてくる声に分かるのは、一貫性がないこと。

誰かが指示を出しているのではない。

何かが迫ってきていて、どうにか対応している、とみられる状況。

そんな音声が、それから1分も経たないうちに途切れた。

「……ハビエル!」

アルメイダの怒鳴り声の理由は大体予想できる。

どうせ、途切れた原因が分からず、辛く当たったのだろうが。

「恐らくは……」

ハビエルは応じようとするが、言葉に詰まっていた。

操舵手のザイロ・モンキーベアーも、副操舵手のマアト・クィルも、

CIC電子戦担当のゲルハルダス・ズワルトも、

CIC探索担当のルアク・パームシットも、

そして……代理のオペレーターたるマユ・ヴァイデフェルトも。

誰も答えない。誰も答えられない中、

『……殺られたんでしょ?みんな』

なんてアナウンスする、アレハンドロ・フンボルトの声。

『来ますよ……多分、今度はこっちに』

「……アレハンドロ」

名を呼ぶハビエルの声に力がない。

『隊長……俺に、俺のアイデアに乗ってくれませんか?』

コクピットから見て左側の画面にブリッジの様子が映っている。

「好きになさい。アナタの」

アレハンドロの問いに、アルメイダは即答した。

「……隊長?」

振り返るハビエルは無視された。

「通信は傍受されている可能性があります。

そうなれば奇策も台無しになる。

いいわ、アレハンドロ。アナタの好きに動いてみなさい。

こちらがフォローを入れるから」

「ちょっと!」

そう言われて、

ようやくアルメイダもハビエルを見たかと思えば、

「隊長命令です」

の一言で済ませて、取り合わなかった。

さて、それからのことは……

「……敵機接近!」

探索担当のルアクはそんな声を上げながら、

癖なのか、招き猫みたいに振り上げた左手の指2本で、

耳たぶを後ろ側からポンポンと叩いている。

「標的の推定到達時間は?」

……と本来聞くのは、艦長のアルメイダなのだろうが、

ここで問うのは副艦長のハビエル。

「5分後かと」



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PHASE-06 禁断の力(5/7)

『遅いなぁ……』

操舵手のザイロが漏らす声。

『このスピード……車並みだ』

なんて指摘したのは、電子戦担当のズワルトで。

『……ザウートでも、もっと速いですよ?』

これは副操舵手のマアトの台詞。

『考えにくいですが……敵は徒歩で移動中と推測すべきかと』

ザイロがハビエルへとそう言伝てすれば、瞬きしつつ、

『まあ……急に移動手段を変えてくる可能性もあるから、

皆、警戒は怠らないで』

ハビエルがそう答える。

そんな彼女は今、肘を曲げ、両の掌を合わせている。

ハビエルはそのまま、

『隊長、ここは……』

こう振り返ったものの、

そこにいた肝心のアルメイダ本人が、

『何?』

そう我関せずとばかりに、毛先を弄くっているもので、

『……いいえ』

と向き直ったきり、それ以上言及しなかった。 

『マユちゃん、モビルスーツを出させて!』

『はっ、ふぁい』

なんて返事で舌を噛んだヴァイデフェルトに、

ブリッジ内に妙な沈黙が生まれてしまった。

更に、

『すみませ……』

と謝りかけたヴァイデフェルトの声を遮って、

『……何それ』

なんてアルメイダが笑い出したせいで、

彼女の笑い声を聞きながら、皆が押し黙る事態に悪化。

それでも、

『……アビスが、動いてる』

というズワルトの指摘により、慌てて、

『アァビス、発進どうぞ!』

ヴァイデフェルトがそうした慣れないアナウンスを。

ただ、《アビス》のパイロットは返答しないまま、

飛び出してしまった。

『……はぁ?』

アルメイダだって、そう声に出したのだ。

そんな様子に違和感を持ってもよさそうなものだが、

この日のダイ・フーディーニにその反応はなく。

脳裏を過るのは、今は亡き彼女の記憶。

【「仲間を信じてる」って、アレハンドロが。だから……

だから私は……応えたい!その……気持ちに】

彼女はそう言っていた。

グナイゼナウにおける戦闘の終盤、

ホルローギン・バータルによって奪われる筈だった自身の命。

救われたのは爆発という偶然と、2人の仲間の協力だった。

その2人が今や、片方は裏切り、片方はもうこの世にいない。

ただ、そこに残っているのは、

その形見のごとき《ガイア》というモビルスーツだけで。

そんな《ガイア》には、今、別のパイロットが腰を下ろしている。

『……お先に失礼します』

との言葉に、ダイは言葉を返さない。

UFOキャッチャーみたいに、

アームにて持ち上げられた《ガイア》のボディが持ち出されていく。

そこから、右目にかかった前髪を後ろへと撫でるごとく押し返す、

ダイの所作が終わり、手が顔から離れる頃には、

『ラグネル・サンマルティン……《ガイア》、行きます』

の音声に続けて、パチンコが弾を飛ばすみたいな音が聞こえてきた。

「……認められない。認めたくないな。俺は……薄情かもしれないが」

胸を押さえて倒れる、

ジョーン・ウェールズの姿がフラッシュバックして、それで……

『《3号機》……発ッ進ン、どうぞ』

ヴァイデフェルトの声に静かに答える。

「《インパルス》で…………ダイ・フーディーニだ……出せ」




まもなく、ダイを乗せた《Im/AーP》は、
バスタードソードシルエットと空中にてドッキングする。
それから、緑広がる小高い丘の上に降下した。
背後にはラグネルの《ガイア》が、
右前方には《アビス》の姿がそれぞれ。
「アレハン……」
それは突然だった。ダイが最後まで言わせてもらえない程に。
『……好きにしていいと、隊長は仰られた。
俺はその通りにさせてもらいますよ』
『あれ……アレハンドロ!《アビス》で出たんじゃ……』
「……!?」
ダイの額に流れる冷や汗。
そんな汗が滴るのに合わせるように、
《アビス》がゆっくり振り返っていき……


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PHASE-06 禁断の力(6/7)

思えば半月ばかり前のこと、あの『オバマ』での戦いにて、

サムが乗っていると思われた《カオス》に、

実はジェイナス・ビフロンスが乗っていたという事態が起きて。

そして、今となっては、

目前の《アビス》がパイロット不明、

少なくともアレハンドロではないと言われては……

ビフロンスは死んだとはいえ。サムの裏切りもあった。

ダイが身構えるのも無理はあるまい。ただ……

『……アレハンドロも無理言うよな』

何て言うシージーの笑い声が、

ダイのピンと張りつめられた集中の糸を切り落とす。

時を同じくして、シージーを乗せた《1号機》……

すなわち、もう1機の《Im/AーP》が、

ブルートフォースシルエットを装備し、

(以前ハサンが利用していたタイプのシルエット)

向かい側にあった丘の上に着地する。

『人数が人数だからな……

《ジズ》より1機でも多く《ガンダム》を並べたいじゃねぇか』

どこからかは知れないが、

アレハンドロの応答する声がそう聞こえてきて。

『本当は、

ヴァイデフェルトちゃんに《アビス》に乗ってもらう……

つもりだったんだけど』

『何よ?私じゃ不服な訳?』

アレハンドロの呟きに、そう返答したのは、

何故かパーディだった。

「まさか……」

ダイが漏らした声に、パーディが答える。

『ええ。私よ……《アビス》に乗ってるのは』

画面の左下に表示される、《アビス》のコクピット。

確かにそこには、

少し身の丈より大きいノーマルスーツを着て、

前向きに腕の伸びをするパーディの姿があった。

「いや……おい!」

『実際、私のがガッコの成績はマユマユより上だし……あ、痛ッ!』

慌てて腰を押さえるパーディ。

「……おい!傷口が開いたら、どうするつもりだ!」

『なあに……大丈夫よ』

「パーディ!」

ダイの剣幕に、

笑顔だったパーディの表情が変わる。

といっても、満面の笑みが苦笑いに変わる程度だが。

『私は《アビス》……あくまで目的は支援だから。

無理はしないつもりだからね。

心配してくれて嬉しいけど……そんなに怒らないでよ』

「しかし、なあ!」

勢いよく顔を前に出せば、

『もう、ダイちゃん!髪が乱れちゃうよ!』

なんて返答をパーディはするのであって。

「……あのなぁ」

『言いたいことは分かるからけど……』

『為せば為る……っていうだろ?』

そう擁護したのはシージーで。

『パーディに無理させないように、

俺たちが頑張ればいいんだよ。なあ?そうだろ?ダイ』

そう言われては、ダイもケチはつけようがなく。

「……まあ、分かるが」

……いや、訂正しておこう。

別にダイは反論できなかった訳ではない。

ただ単に、そんなことに話題を裂く余裕が消えただけで。

『敵が……来ますね』

ラグネルが先に指摘をした。

「ああ……」

レーダーの反応は確かに伝えていた。《マッド》の到来を。

「シージー……行くぞ」

『ああ……ラグネルさんもお願いしますね』

ダイの口角に皺が寄る中、当のラグネルは、

『……はい』

と小さく答えた。




市街地は、ふたつの丘の麓、
谷間とでもいうべき場所に降り立った3機。
そこからまず、ダイが提唱した。
「フォーメーションはトライアングルで行く……」
『はい』
ラグネルの返事に、遅れて、
『……あっ、ああ』
とシージーも反応した。
それならば、とシージーが前に出ようとしたが、
ダイが手を出し、これを制した。
『……えっ?』
「俺とオマエは後列だ。
《ガイア》の機動力を思えば、前に出てもらった方が都合がいい」
……というのは、まあ、一因であれど根拠ではなかろう。
本音は、不信感にあるのは明らかだった。
サムのこともある。
裏切る余地がある新参者に背後は任せられない、と。
『オマッ……後輩ちゃんを前に出す気かァ~?』
『構いませんよ』
ラグネルは告げる。
『構いませんよ……それで』
シージーの動きは少し止まっていたが、
ダイの機体が右に動いたのに合わせて、左に寄った。
「……パーディは、くれぐれも丘を降りるなよ」
『分かってるっての!』
「シージーも……
敵を視認したら迷わずミサイルを撃ち込め」
『……あぁ』
「アレハンドロ……は、どこにいるのか知らんが……」
ダイの目に《ガイア》の姿は映っている。
映っている、が……
「……各々(おのおの)、抜かりなく」
そう言い、口を閉ざしてしまった。
戦場には今や近付く《マッド》の足音だけが聞かれていた……


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PHASE-06 禁断の力(7/7)

その直後に、プライベート回線にて、
「なあ、ダイ……少し、過敏なんじゃないか?
いくら、サムのことがあるとはいえ……さぁ。
ホーク小隊長の時といい……今といい……」
そう呼びかけるシージーに、呼ばれた当人は返事を返さない。
「……なぁ?」
『敵が近付いている。無駄話をするな』
「……何だよ、それ」
確かに、足音は迫っていたが。
「いつも、そうだよな。オマエはさ。
いつも都合が悪くなると、ヘンに正論振りかざしてさ……
頭いいからって、ズルいんだよ。本当は、自信ないくせに……」
『………………』
「……何とか言えよ。クソッ」
シージーは苛立ち、テーブルの端を右の拳で叩いた。
『計器に傷がつく』
「……うるせぇよ!!」
怒鳴りがちに、機体にビームライフルを構えさせるシージー。


……そうしている内に、遂に数十メートル先、

右脇のビルとビルの間から、末端に穴の空いたマントが見えた。

レーダーにも同地点に存在する敵の情報が掲示されていた。

僅かに見えたマントの先が海風に吹かれて微かに揺れ、

更に少しすれば足先も見えた。

モビルスーツのサイズからすれば、

せいぜいお子様ランチの上にでも乗った小さな旗、

といった程度に見えていたマントが、

モビルスーツを覆うローブのように見えたかと思ったところに、

暖簾(のれん)を潜るがごとく頭を下げた《マッド》が顔を出し、

それがマントと明らかになったときにはもう、

か細い足はまるで旗の竿、角を擁する頭はまるで竿の穂先、

そしてマントは……戦場にはためく軍旗のようで。

「来た!」

『……見れば分かる』

「うるせぇよ!クソッ!」

とは言いつつも、ダイの指示通り、

両肩に乗ったミサイル弾の計4発を一斉に発射する。

相手は一本道の向こう側であり、障害となるものなどはなく、

ミサイルたちは斜めながら直線を描く形で、

《マッド》の方へと進んでいった。

シージーらから見て、縦1列に並んだこのミサイルたちに被り、

《マッド》の首から下が見えなくなったところでもって、

辛うじて見えていた相手の横顔が、こちらを向いた。

「……あッ!」

と思わず、声を出したのはシージーで。

この直後でもって、動き出した《マッド》。

あのジャックナイフをまたも伸ばしたらしく、

その剣先ぐらいはシージーの方からも見えた。

剣先はミサイルの列の一番下のものを、端より切りつけると、

4つとも斜め一直線を描いて切断。

そうして直ぐに、またマントを翻して1歩引き下がった《マッド》。

この数秒、

見つめていたダイらは《マッド》のその異常なる瞬発力と、

その動きに合わせて起こる赤い残像に、思わず手を止めたというが。

先に動いたのはダイで。

続いてシージーの目線がダイの機体の方へと向いたとき、

彼を乗せた、この白き《Im/AーP》は、

自分の側にあったビルに寄って、体を斜めに構えると、

左のスカート部から抜いたビームガンで、《マッド》のいた方に乱射。

ラグネルの《ガイア》もひとつ前にあった右脇のビルに隠れ、

ビームライフルで攻撃する。

『何してんだ!シージー!撃て!!』

「わっ……分かってる!」

慌ててシージーもビームライフルに加えて、腰からビームガンも抜き、

撃ち込むが……

「……あッ!」

ミサイルの爆発が巻き起こす煙より、

巨大にして真っ赤な光の翼が姿を現したかと思うと、

マントを気球のごとく膨らませた、あの《マッド》が飛び上がり、

その姿を現すのである。

照準を合わせる3人だが、当たらない。いや、というよりも……

『……ズレてるッ』

ダイが気付いた。

あえて言うまでもないが、それはミラージュコロイドの力。

《デスティニー》由来の攪乱能力である。

模擬戦で《ヴェスティージ》に乗った俺がそうであったように、

レーダーの示す反応、あるいは目に見える対象が、

実際に存在する位置とは異なる地点に観測されている。

その上、《マッド》はここまでの進軍速度の遅さが嘘のように、

急加速を始めた。異常なスピードだ。

照準を合わせる余裕がまるでない。

4つの銃口は、

なおも《マッド》が飛び立った最初の地点に向いているのに、

もう当の相手が数メートル先上空に飛んでいるのだから。

それも、シージーを見下ろす位置に……

『……シージィー!』

叫ぶダイの声に、今度はシージーが答えない。

『……動けェェェェ!』



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PHASE-07 強者である為に(1/7)

《マッド》の刃が自身の下へと降り下ろされると分かった瞬間、

もうシージーは動く気力はなかった。

異常な速さ。回避が間に合うとは思えなかった。

……死ぬ、と。

悟った肉体は1秒を驚異的な遅さでもってシージーに伝え、

必死に助かる選択肢を用意させんとしたが、

肝心の体の動きが鈍すぎて、まるで意味を為さない。

ただ遅いだけ。ただ長いだけ。

何の対処法も浮かばない。何の行動も生まれない。

体から力が抜けた。

あぁ……終わった。俺の人生なんて、こんなもんかぁ……

母(かあ)ちゃん、俺、全然ダメだったわ。ごめん。帰れない。

大体、こんなときに思い付くのが母ちゃんとかよ。

だっせぇ人生だよな。

せめて、可愛い女の子の一人でも浮かべば……まだマシなのにさ。

「……畜生」

シージーの手がレバーから落ち、瞼すら落ちた瞬間に、

彼を乗せた黒き《Im/AーP》もまた、力なく膝を落としていた。

ただし、右膝だけ……

「……おッ!?」

シージーという男の、およそ止まったような時が静かに動き出す。

首はまだ胴体に繋がっている。傷もなければ、血も出ちゃいない。

状況を把握するより先に、機体の右腕が切り落とされた。

だが、コクピットではないから。パイロットに痛みはなくて。

続けて機体の上を《ガイア》が飛び越えるのが見えた。

モビルアーマー形態にすらなっていない、

ビームライフルを撃ちかけ進む《ガイア》の姿が。

「ラグネル……さん?」

直後に確信して知った。

右膝に負った傷は、ビームによって削られた跡があったから。

そうか、あのとき……

ラグネルの《ガイア》がビームライフルを撃ち込んで、

俺を助けてくれたのか、と。

そうか、よかった。お陰で命を拾った。

体勢を崩したことで、《マッド》の刃が反れたのだろう。

片腕は失ったが、そんなの大したことじゃない。

本当に危なかった。だから……

「今の見たか?ダイ!……今、ラグネルさんが!」

褒めてやりたかった。自慢したかった。

懐疑的だった、どこぞの臆病者に。

ラグネルは信じられる仲間だと。信じた俺が正しかったと。

自然と口が動いた。自然とダイの方を向いた。

向いて……しまった。

『後ろが、見えてないのかァァァ!!!』

ダイの絶叫に、ようやく《マッド》に視点を戻したときには……

頼みの綱であった《ガイア》は、

旋回するように動いた《マッド》の刃にビームライフルを刻まれ、

数歩、後退する途中。

ダイの援護射撃は、《マッド》には当たらなくて。

だから、シージーは……最後まで言わせてもらえなかった。

『……シージィィィ!』

ダイは叫んだが、不思議とシージー自身の口から声は出なかった。

ハリケーンのごとく旋回し、

迫る《マッド》に対して一言も発することはなく、

ただ、手裏剣のように投げつけられた例の日本刀によって、

人間でいう鳩尾(みぞおち)の辺りを貫かれる。

これはコクピットから見ると、上部の辺り。

刃の下部がシージーの頭頂から鼻の辺りまでを貫通しており、

これが所謂(いわゆる)、致命傷……

シートに叩きつけられたシージーの頭は、妙に軽い音を響かせた。

それは死の痛みによるものか、

はたまた先程嘆きに端を発する不甲斐なさ故か。

息絶えたシージーの眼から、涙の粒が滴ったのだという……




「糞野郎ォォ!」
瞬時に復讐せんとダイは、ビームブーメランを投擲するが、
ようやく止まった赤い竜巻は、見もせずにこれを切り落とした。
同時に、モビルアーマー形態に変形した《ガイア》が、
頭部に生えた角を頼りに突撃を行ったが、
ブーメランに対応したのと、こちらも同時ぐらいのタイミングにて、
斜めに伸び上がるような変則的な蹴りによって挫かれてしまう。
次にまた回るように動いた《マッド》は、
そのジャックナイフでもって《ガイア》への攻撃を試みる。
この間、勿論ダイの《Im/AーP》も動いて、
《マッド》にビームガンを撃ち込んだが、
何とマントによってビームが弾かれてしまったのである。
「……ならば!」
と、《ケトゥ》を殺ったときにでも出来たのであろう、
マントの穴を狙って狙撃しようとするが、
やはりミラージュコロイド。そう上手く当たらないで。
《マッド》の続く《ガイア》への攻撃に際して、
ラグネルも首だけ曲げて、ビームの角を細長く伸ばし、
返り討たんとしたが、こちらもダメで。
《ガイア》がこう反撃の軌道より、
僅か下へ的確に刃を潜ませた《マッド》は、
そのまま半歩ばかり踏み込み、首をはね飛ばしてしまった。
《ガイア》はモビルスーツ形態に戻りつつ退避。
ダイも、
「……クッ!」
と舌打ちを漏らすばかりで、引き下がるしかなかった……


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PHASE-07 強者である為に(2/7)

この間、パーディは傍観していたのかと言われれば、

勿論、そうではなく。

ずっと狙撃のチャンスを窺っていた。

匍匐するように身を横たえ、

両肩のシールドをトーチカ代わりにして最低限防御を固めながら。

モビルスーツの背丈からすれば、

ちょいと高い跳び箱程度の高さしかない丘の上で。

敵意を見せられれば、簡単に仕留められるであろう。

相手は人間ではなくモビルスーツなのだから。飛べもする訳で。

しかし、怯えていても始まらなくて。

首筋に乗っかったマグヌス・バラエーナ砲と、

額のビームガン、そしてミサイルで、《マッド》を狙う。

察しがいいのは、意外だが新人のラグネルの方で。

首を落とされた辺りから接近戦の不利と《アビス》の援護射撃を宛に、

少し距離を置き、頭部ビームガンとスプンタ・マンユ砲にて、

砲撃に徹していた。残念ながら当たりはしないが。

その反面、本来冷静である筈のダイが遥かに冷静ではない。

「何、焦ってんのよ……似合わないって!」

シージーの仇故か?

一太刀たりともダメージを与えられないどころか、

肩やら脛(すね)やらに傷をつけられる中、

後退りはすれど、距離を取るということをほとんどしない。

そう言えば、いくらかマシに見えるが、実態はあまりにも無様。

仲間の復讐という理想と、小賢しい自己生存との間に揺れているだけ。

怒りに我を忘れているなら、もっと向こう見ずに前に出て、

恐らくはもう切り殺されている。

だのに、そうはならかいままに、ただ矢面に立ち続けるだけ。

攻撃の手はとうに止まっている。

あるのはサンドバッグのように立ちはだかり、耐え続ける姿だけ 。

ほぼ密着状態につき、《アビス》としても攻撃を加えられない。

「……もう!頭冷やせ!」

思い切って、ミサイルの方を放った。放ってしまった。

撃った後で、

「あっ!」

と気付いても、もう遅く。

ダイは見えていないのだ。周りがまるで。

万が一にも《マッド》が避けようものなら、あるいは……

まあ、結局《マッド》は回避はしなかった。

ただ、一瞬、パーディの方を睨むがごとくに振り返ると、

例によって旋回し、ジャックナイフにてミサイルを切りつける。

とはいえ、今回は少々事情が違って。

接触と間もなく爆裂するミサイルを、である。

背後には砲撃を続ける《ガイア》がいるにも関わらず、である。

爪楊枝でするみたいに刺し、砲丸を投げるみたいに振りかぶり、

バッドで殴るみたいにダイの《Im/AーP》にぶつける離れ業(わざ)。

ミサイルは《Im/AーP》を殴打したときに破裂した。

ビームを撒き散らした。

頭へモロに食らってしまって、《Im/AーP》は、体中穴だらけに。

コクピットだけは無事だったようだが、顔にも穴が開き、

背中からビルに叩きつけられてしまう。

……しかし、まあ、これで距離はどうにか取れた。

「こんのォ!!」

などと勇んで立ち上がると、

《アビス》全身の砲口という砲口から砲火の限りをぶつける。

勿論、この間も《ガイア》の砲撃は続いているし、

ダイも意地か、起き上がり小法師とばかりに、ビームガンを乱射。

「これで一発ぐらいは……って!」

そんな雨霰と降り注ぐ攻撃をどう避けたかといえば、

回避などしない。

またしても、あの光の翼を広げて、一歩半ばかり前に出ただけのこと。

たったそれだけで、一切の攻撃から逃れてみせた。

「……マジ悪夢」

もう笑うしかないパーディ。

かくなる上は……と、前に出ようとしたパーディは、

レーダーなんて見ちゃいなかった。見る余裕はなかった。

だから、背後に迫る味方機に気付いていなかった。

だから、急にその腕を引き留められて驚き、振り返る。

『ダイもよせと言っただろ?』

声で分かった。

「……ワイリー先輩?」

パーディを乗せた《アビス》の腕を、

掴んで背後に佇(たたず)む、ワイリー・スパーズの《セイバー》。

傷は大丈夫か、と尋ねる立場はパーディにはない。

何せ自分が手負いで戦場に立っているのだから。

『俺自身……驚いてんだ。

傷が塞がって、新しいモビルスーツを受領するまでは、

冷飯食らいに徹するつもりだったのによ。

……アイツが引っ張り出しやがった』

「『アイツ』って?」

『……アイツだよ』

数秒、《マッド》が来ない違和感もあり、戦場に目を向ければ……

「……なるほどッ」

苦笑したパーディの視線の先には、

慈悲の剣カーテナを腕に、《マッド》の前へ立ちふさがる、

《ヴェスティージ》の姿があった。



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PHASE-07 強者である為に(3/7)

「実際には、なってみなきゃ分からないことですが……」

予防線を張るみたいに、俺はそんなことをルカーニアに述べた。

「うちの隊には……アレハンドロ・フンボルトという男がいて」

どうしてアイツの名前が浮かんできたのか、自分でも分からなかった。

ただ、瞬(まばた)きをした、そのときに、

ふとアイツが昔に言った言葉が、あるいはそれを語るアイツの顔が、

目の奥に広がる暗い闇の世界のどこかに浮かび上がってきていた。

【俺はアンタに……】

「……アイツは宣言したんです。俺に勝つ、と」

「『勝つ』?……オマエにか?」

ルカーニアが俺を持ち上げるように言うのが不思議だった。

ユニウス戦役のとき、俺にそれなりの功罪が出来たことは事実。

だが、このルカーニアという男は、

先の『オバマ』での戦いで俺が啖呵(たんか)を上げなければ、

きっと俺を新型機のパイロット程度にしか認識していなかった……

ハズであるというに。

「はい……生意気なヤツでした。

士官学校で学んでる途上のいち候補生のくせをして……」

目を閉じれば思い出せそうなものだったが。

あの学舎(まなびや)の光景も。

俺がアレハンドロのタイマンに乗った『教育的指導』も。

案内役のマユ・ヴァイデフェルトも。

あの頃、まだ黒髪で陰気そうだったダイ・フーディーニも。

その頃からまるで変わらぬパーディタ・ラドクリフも、

サマンサ・スクリーチも……ジョーン・ウェールズも。

マイク、シージー……

なんて、感慨に耽(ふけ)る為じゃなくて。

「アレハンドロは……真面目な生徒ではありませんでした。

とりあえず単位は取得すればいい、ぐらいの感覚でやってたり、

ナイフ技能や拳銃の扱い方なんて講義じゃ、

教員に何の意味があるんだって突っかかったり、

……まあ、そういう背伸びしたところのあるヤツでして」

おいおい、合コンでもしてんのかよ、って。

連れてきた女の子紹介してんじゃねぇんだよ、って。

大体、男じゃねぇか、って……

そんな風に自分に突っ込み入れていたら、笑いそうになった。

「ただ……アイツには知恵があるんですよ。それだけ」

「どんな知恵だ?」

「何ていうべきか。状況に適応する知恵とでも、いいましょうか……」

 

──遡ること、『オバマ』攻撃前夜。モビルスーツデッキにて。

そこには、ひと一人が通れる程度の狭い橋がかかっており、

橋と地面の距離は十メートル強、

登れば丁度、モビルスーツの胸元辺りと向き合う構図になる。

「……こりゃ、スゴいっすねぇ」

なんて声を漏らしたのは、隣にいたアレハンドロ。

「そんなに珍しいか?」

「モチロンっすよ……教科書でしか見たことないっすから。

まんま《フリーダム》じゃないですか。これぇ……」

話題になっていたのは、目前に立つ一体のモビルスーツ。

《ヴェスティージ》である。

続いてアレハンドロが、多少こちらに顔を寄せたかと思えば、

「ここだけの……話にしてもらえますか?」

と囁(ささやく)く。

「……なんだ?」

それから、少し微笑みがちに続ける。

「……誰もいないときに、ちょっと乗ってみたんすよ」

「おい」

と言ったが、こちらも冗談っぽい言い方で。

するとアレハンドロは、1歩後ろに下がり、

「まあ、聞いてくださいよ……」

と嘯(うそぶ)いた。

左手を押し出すようにこちらに振りながら。

ただ、そこから先は、アレハンドロも多少冷静な顔つきになった。

「正直、難しい機体っすね」

「難しい?」

「はい……機動力とかは申し分ないんですが……

いや、てか良すぎるっていうか、その……

ピーキー過ぎるんすかねぇ。体がついていけないんすよ。

……始めてモビルスーツに乗ったとき以来っすよ。

速すぎて怖いなんて思ったの」

俺は《ヴェスティージ》を見た。ぼんやりと、であるが。

「副長だって……内心、やりにくいって思ってんじゃないっすか?」

そんな言葉に、アレハンドロの方を見ると、

わざとらしく腕組みをしていた。

俺はフンと鼻を鳴らすように笑うと、ゆっくりと息を吐いて、

軽く地面を蹴った。そこは無重力空間だ。勝手に体が浮く。

あとは少し向きさえ調節すれば、

モビルスーツの方へと向かっていってくれる。

その最中、振り返らずに言った。

「……乗らない訳には行かないだろ?それでも」

数秒後、アレハンドロは呟くこととなる……

「……おっとなぁ~」



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PHASE-07 強者である為に(4/7)

「……俺はそんなに大人じゃねぇのに」

自身がネガ的発言を残した《ヴェスティージ》のコクピットにて、

アレハンドロは苦笑を禁じ得なかった。

普段は《アビス》という砲撃型のモビルスーツに乗っている者ゆえか、

大剣カーテナを抱く《ヴェスティージ》の腕は、

剣というよりはどうにも釣竿を握るような、ぎこちなさが伺える。

剣がどうにも重そうで。

さて、海風が吹くビルの谷間にて向き合う両者。

《ヴェスティージ》への配慮からか、

ライフルを構えつつも、《ガイア》はビルの隙間から、

《マッド》を狙うに留まっている。

逆にダイの《Im/A-P》は、先程のミサイルによるダメージで、

立ち上がれないし、腕も上がらず、

穴の空いた顔の右側のみに残されたビームガンの2門は、

リーチと角度の問題で、もう《マッド》には当たるまい。

そんな余裕ゆえなのか?

もうすっかりチーズのようになった穴だらけのマントの中に、

《マッド》はその両腕を隠してしまった。

まるでポケットに手を突っ込み、立っているような、

堂々とした、あるいは傲慢といった印象を受ける様子。

《ヴェスティージ》という新たな敵の登場にも、

モビルスーツゆえの無機質な機械的風格が元々あるといえども、

一切の動揺は見受けられない。

それどころか、我が物顔を地で行くような威容でもって、

また2歩か、3歩か、

猛禽類のごとく発達した3本指の両足で力強く前に踏み出して。

かえって《ヴェスティージ》の方が4歩も、5歩も引き下がる始末。

「俺が戦うしか……ないってか」

《ヴェスティージ》は、その釣竿を引き寄せるように、

両手が右の脇腹辺りに当たる程度に脇を締めると、

猫背気味に背中を丸め、深く腰を落とした。

続いて、カニのハサミがごとくに垂れ下がっていた、

《ヴェスティージ》の両翼が勢いよく起き上がったかと思うと、

目を閉じたくなるような強烈な光を放った。

丁度《マッド》の翼が発した赤い光とは対照的な、青い光だ。

「……オラァ!」

なんて叫び声なぞ上げてみたりして。

およそ《ヴェスティージ》というモビルスーツが出来うる限りの、

トップスピードでもって前進。

その刃が《マッド》のボディにまで……

少なくとも相手の機体があるように見えた位置まで、

到達する約1秒程度のモーションの速さといったら、

見る者には、ただ一陣の風……いや、最早ただの青き光としか、

視認できなかったことであろう。現に、

『……はやッ』

と小さく漏らしたパーディの声を、アレハンドロは聞いている。

しかし……

「へッ?」

アレハンドロの声は間抜けなものだったが、理解は出来よう。

先程までビームの弾道が反れ続けた対象が、

武器が剣に代わったから、当たるようになるかと言えば、

勿論、そんなことはなく。

アレハンドロに言わせれば、

《マッド》の腹部をひと突きにするつもりだったのだろうが、

実際には、その部分は右の脇腹の横辺りで、中身がなく、

ただマントにもう一ヶ所穴を増やしたのみだった。

それでも、剣を振り上げて、腕の1本でも切り落とさんと、

動いた《ヴェスティージ》であるが、

そこは機動力で対等かそれ以上の相手たる《マッド》。

剣が動いたときには、もうそこにマントは消えていて。

またも旋回を始めた、この赤き両翼は、

《ヴェスティージ》の右腕側を通り、

アスファルトの地面を越えて、

次に止まった際には、砂を踏みつける場所まで至っていた。

やっぱり赤い光にしか見えなかったが、

アレハンドロの目は辛うじて軌道を読むことは出来ていた。

その腕からいつの間にやら伸びていた、例のジャックナイフまで、

視認出来たかは定かではないが。

それでも、何か攻撃を受けるかもしれない。

その程度の警戒は出来ていたし、それを元に動けていた。

左に避けた《ヴェスティージ》の身体。

剣を振る動きと、相手の動きを見てから動いた誤差ゆえ、

ジャックナイフの刃は、

一瞬にして《ヴェスティージ》の右腕を肘を刻んでしまった。

とはいえ、もう少し反応が遅れていれば、

刃がコクピットまで達していた可能性ば十分ある。

……さて切断された右肘は、二の腕からはもう離れてしまっているが、

指がまだカーテナを掴んでいる為、地面には落ちていない。

勿論、モビルスーツの腕が切り落とされたところで、

パイロットに痛みなぞはないハズだが、

何故だかコクピットのアレハンドロは、

右肘より下があることを確認するように、

右腕は動かさないままあ、左手で擦っている様子。

「ヤバッ」

一瞬でも、判断を誤れば殺されるだろう。

普通なら、恐怖に顔がひきつっていても不思議はない。

しかし、アレハンドロは笑っていた。それは……

「……チャンスじゃんかよォォ!!大物食いのォ!」



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PHASE-07 強者である為に(5/7)

「こう言うの、運命論みたいですがね……
何となく、ある気がするんです。一種の必然性のようなもの。
持ってる人間と、そうでない人間がいる。
キラさんや、アスランや……まあ、自分にはないですけど。
それを持っている……ような気がするんですよ。アレハンドロは」
まるで説明になっちゃいないが、
俺がそんなことを倩(つらつら)述べている間中、
不思議とルカーニアは楽しそうだった。
少なくとも口角が上がり、
下唇が歪な「U」の字を描いていたのは事実だ。
「……テメェに運がなくて、その何とかてガキにあるってか?」
「えぇ、もしも。もしもですが、それが自分にあったとしたら……
今頃自分は丸テーブルを介して、
司令のお隣にでも座っていたかもしれません」
背中側に感じた視線。
殺意とまでは言わないが。きっとそんな負の想念がごときものを、
背後であのコマチとかいう女が発していたのだろうて。
ただ、
「ピサロやヴァレフスキがごとき無能でさえ座れる椅子だ。
その可能性も十二分にあっただろうなぁ。
……なんなら、俺がオマエの指揮下にいたかもなぁ」
当のルカーニアがこの通りであり。
そんでもって、俺が嚔(くしゃみ)でもした振りをして、
さりげなく後ろを確認したときには、
もうこのコマチってヤツは俺を見てもいなかった。
ゆっくり顔を上げ、ルカーニアの方へ再度向き直る。
「……言いたいことは分かる。テメェの感覚は間違っちゃいない。
そいつは重要なファクターだ。
おおよそ人間てヤツが、強者である為に必要な……な。
ゴンドーにしてもそう。オマエもだろう……
唯一正しき神様ってヤツは、とんでもなく気分屋なんだよ。
だから人間を選り好みする。
たまぁぁぁに、いるんだよなぁぁぁぁ……
神様に、いや、それか、時代に選ばれたようなヤツがよぉ……
そして、そういうヤツは大抵……楽には死ねない」


アレハンドロの宣誓へ、最初に反応したのはパーディで。

『今、何て……』

しかし、その声はアレハンドロの耳には届かないとみえて。

『パーディ……何かあったら俺が庇ってやる。盾になってやる。

だから……悪いが、一緒に降りてくれ。

あのバカを、放っていたら、どうなるか……』

ワイリーがこんな調子であろうとも、

揶揄された張本人は何の反応もしはしないで。

重要なのは目前の敵。3個小隊を蹴散らした難敵。

実力差は顕著であろうが、

今までだって格上を相手にしたじゃないか?

ヤン・クールカも、カーン・カーァも強かった。

恐怖はない。いや、本当はあるが、あったからって何だという。

どのみち、ここを乗り切れなければ殺されるのは同じであって。

ならば、好機だと思う方がずっと気楽でいれる。

「サムなら……こう言うんだろうな。

『死ぬにはいい日だ』って…………きっとよォ!!」

口に出してみて、男の背筋に寒気が走った。

嘘だ。怖いに決まっている。死ぬのなんて。

画面の端には、腕が転がっているのが見えている。

シージーが乗っていた、黒き《Im/AーP》の残骸である。

『……アレハンドロォ』

ダイの声がした。

それがまるで……スタートを告げる銃声のようで。

先に仕掛けたのは、《ヴェスティージ》の方。

武器をカーテナより変える様子はない。

ただ、背中のモビィ・ディック砲が、

海面に顔を出さんと上昇を始める鯨がごとくに起き上がってはいた。

全く奇妙な体勢だった。いくらか剣術の心得がないとはいっても。

突きのモーションではあった。相手の喉(のど)でも狙ったのだろう。

ただ、足がおかしい。

大地を蹴って飛び上がったのだ。うさぎ跳びじゃあるまいし。

すべては……切り札モビィ・ディックを隠すためか?

「……ヒッ」

笑うアレハンドロ。

互いの歯を傷つけてしまいそうなぐらいに噛み締めて。

バレエダンサーのごとく延び上がった《ヴェスティージ》の身体。

《マッド》はまだ、動いていない。

上から浴びせるように、剣を振った。

切除され灰色に変色した右腕より、揺れの衝撃に堪えかねて、

カーテナに絡ませていた指が剥(は)がれた。

後は重力の助ける通りに、見下ろす《マッド》の上へ。

対する《マッド》の対応は極めて単純。

例のジャックナイフを空に向けて振るうばかり。

動きはほんの一瞬で迷いもなく。

落ちてきた腕をもう一度刻んだかと思うと、

自身に迫っていた慈悲の剣の切っ先をも切り落としてしまった。

勢いそのままに、こちらは逆に屈んでみせた。

《ヴェスティージ》は光の翼を彼の頭上で輝かせながら、

ゆっくりと落ちてきている。

相手も知っていたのだろう。《ヴェスティージ》の腕の仕組み。

そこに仕込まれたビームガトリングの存在を。

誘爆しないよう、切り込みを入れるのみで完全には切断しなかった。

傷口を「く」の字に開かせながら、

切られた勢いにより押し返された腕が、

かえって目潰しとなった《ヴェスティージ》の顔面に激突すれど、

アレハンドロはその衝撃には動じない。

「気付かれて……ねぇ!!」



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PHASE-07 強者である為に(6/7)

気付いていない、のはアレハンドロも同じだったが。

熟(つくづく)……アイツは愛されている、と思う。

ダイが動いた。

ダイは、アーモリー・ワンでの俺の戦いを見ていない訳であるから、

何故、その発想に至ったのかは分からない。

後に映像で確認したのか? それとも、咄嗟の機転だったのか?

何にせよ、

アイツは動かない《Im/AーP》のボディから脚部を切り離すと、

その勢いに任せて一気に《マッド》へと近付いた。

ラグネルにしても、そう。時系列で言えば、彼女の方が早い。

パーディが砲撃を加えた時点から、

攻撃をしていなかった彼女が、ここまで何をしていたかと言うと、

動いていた。

レーダーには反応があるとはいえ、極力物音は立てずに。

物陰から物陰へ。《マッド》を狙撃する絶妙な位置へと。

ワイリーとパーディについては言わずもがな。

こちらもあまり意味はないのだが、

以前と同じく機体を透明にした《セイバー》が降下してくる。

念の為に近くに転がっていた人間大の岩を後ろ足で蹴飛ばし、

音声的に撹乱(かくらん)すると共に、

降下する瞬間だけ、《アビス》の背後について、

青き炎を上げる背中のスラスターを隠す。

そうして地上に降りてすぐ、

《アビス》の前に《セイバー》が動いた。

《インパルス》、《セイバー》、《ガイア》、《アビス》……

色で言えば、白、赤(このときは透明だが)、黒、そして水色と。

敵の背後に迫るダイ、左側に砲口を向けるラグネル、

正面右側にはワイリーがいて、そのやや後方にパーディがいる。

……正面にて、青き翼を広げて舞い降りる、

アレハンドロの《ヴェスティージ》については、言わずもがな。

さぁ、白鯨の御出座(おでま)しだ。

首を下げた《ヴェスティージ》が、モビィ・ディックをぶちかます。

至近距離に加え、モビィ・ディックの初速度を考えれば、

アレハンドロが確信を胸に攻撃へ及んだことは想像に難くない。

……ただ、その淡き期待は脆くも裏切られることとなる。

表情豊かなアレハンドロ・フンボルトという男が、

予想外の事態に言葉を失っていた。

考えたことであろう。どうしてだ?と。

どうして……自分が地面に叩きつけられているのか、と。

「……ヤバッ!」

大急ぎでスラスターを起動した。

無様にも頭から地面に倒れた《ヴェスティージ》の身体が、

青き翼の光輝くのに合わせて、海の方へと一気に押し出された。

頭と砲身を引き摺(ず)り、アスファルトに火の粉を巻きながら。

ただ、その《ヴェスティージ》の機動力を以てしても、

完全には逃れることは叶わず、

《マッド》に両翼のおおよそ後ろ半分を切り落とされてしまった。

その際、切断の衝撃で《ヴェスティージ》に弾みがつき、

勢いに任せて一回転すると、

今度は両膝を地面と擦りつけながら、砂浜まで押し返された。

カーテナを手放し、ブレーキ代わりに左手を地面に添える。

《ヴェスティージ》の動きが止まったときには、

舗装された道路を過ぎており、爪先は砂を踏んでいた。

そこまで来てやっと、

「……何されたんだよ!クソッ!」

そんな憎まれ口を叩く余裕がアレハンドロに生まれる。

さて、砲身を確認してみて驚いた。何せ、潰れていたのだから。

そうして思い出す。砲撃の瞬間を。

例によってミラージュコロイドが正確な位置を教えなかったとはいえ、

距離が距離であるから、当たらないハズはなかった。

ただ、あのとき、《マッド》の両腕が光ったように……

「……ッ!」

文字で表記することは難しいが、そんな声だった。

アレハンドロの目に映ったのは、

芋虫のように這って進み、ビームガンを乱射する《Im/AーP》に、

隙間より狙撃を試みる《ガイア》、

砲撃を加えつつ、自身の方へと後退してくる《アビス》、

そして、それらを全て回避しつつ、

《セイバー》が切りつけるビームサーベルの刃を、

掌で受け止める《マッド》の姿だった。

その光景は僅か一瞬で、

すぐにビームサーベルの方が手を引いたが。

《マッド》の恐るべきは回避の瞬間、

レーダーには表示されていようと見えはしない《セイバー》を、

ジャックナイフを伸ばして追撃し、

右腕を切り飛ばしてしまった技量であろう。

もっとも、アレハンドロの目に止まっていたのは、そこではなくて。

あの光は何だったのか?……いや、まさか。

「……《デスティニー》だとでも、言うのかよ!」

辻褄が合うのは、実証済み。となれば、あの腕の光は……

「パルマフィキオーナか!」

ジャックナイフを避けて、懐に入ったとみられる《セイバー》の頭を、

鷲掴みにして、掌のビームにて消し飛ばす《マッド》。

その激しさゆえ、吹き飛ばされた見えざる《セイバー》の身体が、

アスファルトの上に横転。これが随分と大きな音を立てた。

《Im/AーP》はスノーボードのように足蹴にし、

《ガイア》はブーメラン状の武器を投げて攻撃の手を止めさせた。

今、《マッド》は海岸線を、

……《ヴェスティージ》を見据えている。



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PHASE-07 強者である為に(7/7)

宿敵と認めたか?それとも完璧に仕留めんとする意地か?

ゆっくりと前進を始めた《マッド》。

しかし、そうなればパーディだって動く。

手負いの《アレハンドロ》を咄嗟に庇おうと前に出た。

両肩のシールドに身を守らせ、体勢を屈めて。

武器はやはりマグネス・バラエーナと、ビームガンに相違なく、

シールドの隙間より覗く砲身が《マッド》に乱射する。

この間、ワイリーも脚部を狙い、発砲を行った。

ラグネルの《ガイア》も埒(らち)があかぬと前に出て。

しかし、また当たらない。

ワイリーの狙撃に際して、

《マッド》のボディが影にあった見えていなかったパーディは、

ビームの光が敵の股下を通り過ぎ、地面を焦がしたのに、

気を取られた一瞬で、

間合いを詰めた《マッド》に切り伏せられてしまった。

ただ、最低限、コクピットを守るという防衛本能は働いたらしく、

《マッド》の刃が迫る左側へ、

肘を曲げて腹部を守り、そして右へ回避する動きを見せた。

お陰で片腕を失うに留まった。

もっとも、本人はこの対応に後悔することとなる。

「アレハンドロッ!」

叫んで、振り返ったパーディ。あるいは《アビス》が見たものは、

左腕を胸の前に突き出した《ヴェスティージ》の姿だった。

まるで空手の正拳突きのごとく、真っ直ぐに。

この大声は脇腹の傷に響き、彼女を苦しめたが、

今度は見逃すまいと、顔は画面から離さない。

肘のカバーが持ち上がる。目前に迫る《マッド》。

『伏せろ!みんなぁ!!』

なんていうアレハンドロの叫び声は、放たれてから上げられた。

ビームガトリング砲クトゥルフである。

威力は流石に抑えたのだろうが、

それでも、ほんの2、3秒にして、

回避行動を取った《セイバー》、《ガイア》を巻き込んで傷付け、

《Im/AーP》の上半身にも止めを刺し、

遠方に見えていた建物・電柱の類いを大きく破壊した。

それでもヤツだけは……《マッド》だけは倒せない。

体操選手のように、地面を蹴って大きく飛び上がり、

空中で旋回しつつ、やがては獲物を啄(ついば)む鳥みたいに、

左の二の腕から首筋まで切り刻んだ。

《ヴェスティージ》も飛び上がるのに合わせて、

腕を掲げて、砲口を空へと向けたものの、

マントの隙間に飲まれるように数発が《マッド》を被弾したものの、

ダメージらしいダメージは与えられず。

左腕を転がし、頭上に疎(まば)らな花火を散らしながら、

《ヴェスティージ》は右膝を地面についた。

さて、マントの奥から微かに煙を上げる《マッド》は、

《ヴェスティージ》の背後に着地、相手の腰へ刃を近付けるが……

『……そこまでだ。ソイツは……俺の部下でな』




『ダスティン・ホーク小隊長より、《フレイヤ》へ、ご報告します。
トライン・ラドクリフ両隊の協力を得て、
無事、オランを奪還いたしました。
壊滅した3小隊が大部分は制圧してくれていた分、
スムーズに事を運ぶことが出来ました。
しかし、何より……
よくぞ、ヤツを足止めしておいてくださった』
言葉通り、《フレイヤ》クルーに届けられたダスティンの音声。
「……ヤツ?」
聞き返すアルメイダ以外の隊員は、
その語の意味するところに気付いているらしかった。
だが一応とばかりに、
モニターに映るダスティンが、
『アイツですよ。白いマントをした、赤いモビルスーツ。
本当は《マッド》っていうらしんですがね。
とにかくヤツが、単機で3小隊を沈黙させました』
と付け加えた。
『ここまでは、コマチ・カショウ補佐官の命を受けていましたが、
合流後については何を言われておりません。
つきましては、《フレイヤ》より、これからの指示を……』
ダスティンの言葉に、アルメイダは目線をハビエルに送る。
人差し指にて己を差し、首を傾げたハビエルに、
アルメイダはさも当然といった顔つきで頷く。
ハビエルは苦笑う。
「副艦長ハビエルより……しばらくは、そちらにて待機をお願いします」
ダスティンとしても、アルメイダが答えるものと思ったのだろう。
『……了解しました』
という返答を返すまで、少しの間があって。
「……ごめんなさいね」
ピンマイクを口元に寄せ、
アルメイダには聞こえないよう小声でハビエルが。
その後、一応振り返り、アルメイダを確認しているが、
特に聞こえた様子はなかった。
「……報告は以上?」
『いえ……もう一点だけ……』


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PHASE-08 青き闇の中に(1/7)

──プラントの南米基地建設に反発した大西洋連邦が、
どこでその技術得たのか、
実戦投入してきたニュートロン・スタンピーダーにより、
クライン朝は戦力的優位を失うこととなった。
核エンジンが使えない、というのがザフトにどれだけ痛手になったか、
それは想像に難くない。
《フリーダム》も《ジャスティス》も、もう使えない訳で。
ならば、と今更引っ張り出されてきたのは、
《YFX-600R 火器運用試験型ゲイツ改》というモビルスーツ。
当時の主力量産機だった《ゲイツ》をベースに、
《フリーダム》や《ジャスティス》の武装を運用する為に開発された、
実験機である。
はっきり言えば失敗作。
核エンジンがないからって、稼働時間が短すぎるのだもの。
実戦でも使われたらしいが、どう考えても実戦向きじゃない。
ただ、後の《フリーダム》らに与えた影響はデカい上に、
デュートリオン送電システム確立のお陰で、
技術者連中はコイツのようなフェイズシフト装甲を備えた量産機、
《ゲルググ》を完成させるから、捨てたもんではない。
……さて、じゃあ、
今度は《フリーダム》や《ジャスティス》を再現しようとなったとき、
何の因果か?似たようなモビルスーツが開発されることになる。
《YFX-1014JG 火器運用調整型ゲルググ改》と、
やっぱり長い名前だ。
そして、時系列的にも《ヴェスティージ》完成以前のもの。
テストもとっくに終わって、解体を待っている……
ハズだったんだが。
まさか、こうして日の目を見ることになろうとは。


紫色した、この《ゲルググ改》に乗った俺(シン・アスカ)が、

《マッド》の背後につけて、ビームライフルを突きつける。

ラインメタルMG3を彷彿とさせる、ロングライフルだ。

「オマエがうちの部下たちを苛(いじ)めている間に、

オランにいた大西洋連邦だか、ナイルの神様だかの軍勢は引き上げた。

残るはオマエ1人。生憎、モビルスーツ1機が戦場を蹂躙するような、

そんな時代はとっくに終わってんだよ……手を引け。文字通りな」

偉そうに講釈垂れながらも、疑問は絶えなかった。

目の前の敵に夢中なアレハンドロ辺りならいざ知らず、

何故、コイツは、こうもあっさり俺の接近を許したのか?

俺の銃口がテメェの腰に押し当てられるまで、

いや、押し当てられた今ですら、

何故、ろくに避ける素振りさえ見せないのか?

「……何とか言えよ!この野郎」

銃口をより強く押し付ける。

動きを止めたままに、首だけがゆっくりとこちらに向いていく。

『弱いな……』

相手のパイロットなのだろう、低い男の声にてそう告げる。

「『弱い』?……俺に言ってのかよ?ソイツは」

『私に言わせれば……遠方より戦える武器をその手に持ちながら、

使わず、わざわざ私の背後まで近付いてくる、

……君の行動の方が遥かに不可解だ』

何故、俺の考えを……なんて間抜けな台詞を吐いたりはしないが。

『フィリップ・マーロウが言ったろう?

「撃っていいのは、撃たれる覚悟のあるヤツだけだ」と』

フィリップ・マーロウ。

レイモンド・チャンドラーハードボイルド小説に出てくる、

探偵の名前がそうだったか?

……いや、そんなことは、今、どうだっていい。

「……なるほどね」

銃口をゆっくりと離した。

先程、

アイツらの決死の銃撃・砲撃がまるで当たらなかったところは見たし、

何より《デスティニー》由来の撹乱能力が、

俺の狙撃を外させることは優に想像できた。

それでも、ゼロ距離ならば?……いや、無理だ。

どうなるかは目に見えている。

「なら……これは、交渉だ。手を……引いてもらえるか?」

『えッ!』

アレハンドロの漏らす声が、俺に瞳を閉じさせた。

『懇願するか?私に』

「あぁ……アンタの望むものは、ここにはない」

『……フン』

《ヴェスティージ》の腰からゆっくりと刃が離れていく。

安心からか?パーディの漏らした吐息がマイク越しに聞こえてきた。

そして……あのジャックナイフを《ゲルググ改》に向けて突き出した。

ロングレンジのビームライフルは脆くも切り落とされ、

その刃先がコクピットに接触しかけたとき、

逆手で抜いていた俺のビームサーベルもまた、

ヤツの腰に触れていた。

いや、正確には……

『零コンマ何秒』

「アンタの方が速かった……アンタの勝ちだ。これで…………満足か?」

ヤツは何も答えなかった。俺もそれ以上、何も告げなかった。

誰も何も非難することも、称賛することもなかった。

ただ、1つの黒き屍と、手負いの獣たちを置き去りにして、

ヤツは……レェ・アモンは、戦場を去って行った。



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PHASE-08 青き闇の中に(2/7)

──オラン奪還の急報がプラントに伝えられた夜、

アププリウスは参謀長室にて、

「協力に感謝します……ダグ・バーテルソン司令」

電話口に頭を垂れるスコルツェニーの姿があった。

『……当然のことをしたまでです。「オバマ」攻撃の時点で、

脱走兵幹部がイベリア半島への亡命の情報は入っていましたから。

……残念ながら、

先日臨時で開かれた「円卓会議」には参加が叶いませんでしたが、

会議での決定には従いますよ。私も軍人ですから』

そう誉めるように言うバーテルソンではあるが、

スコルツェニーも皮肉が分からない訳ではなくて。

先日の『オバマ』攻撃を決定した、

臨時の『円卓会議』にバーテルソンは確かにいなかった。

ただ、オートクレール亡命の一件は知っていたから、

出ていれば話は変わっていた。

実質的に貴方が私の参加できない状況を見計らって……

という恨み節がそこにあることに、気付いている。

『……脱走兵の備えに、

ジブラルタルにトラインを向かわせていて、よかったですよ』

バーテルソンは強調した、『脱走兵の備え』という箇所を。

……北アフリカ攻略に回させたことへの当て擦(こす)りであろう。

「ええ、まったくですよ」

などと、笑ってみせるスコルツェニーだが、

応答の直前、ほんの一瞬だけ、顔を歪ませていた。

「……バーテルソン司令、どうやら私は思い違いをしていたようだ。

貴方の判断が正しかった。

ルカーニア司令は『オバマ』攻めという強硬策に出たが、

お陰で外務委員長が随分と、

大西洋連邦側との交渉に難儀されているようで。

結論を急ぐべきではなかった。

私は貴方にこそ、脱走兵追討の任を担っていただきたかった」

スコルツェニーもよく言う。そんな無神経な台詞を。

相手をヨイショしつつ、さりげに自身の責任ではなく、

あくまでルカーニアの判断だと強調するのだから。

『……それは、どうも』

やや鈍い反応が全てを物語っている。

スコルツェニーの下心を察したバーテルソンという男が、

如何に困惑しているか。

『それほどの大任、私に務まるとは……』

「……いえ。勿論、そこまでのご面倒をおかけする訳にはいきません。

ラクス様としても、

ルカーニア司令に名誉挽回の機会を与えたいとのお考えがある。

何より……ルカーニア司令の影響力を考えれば、

事を荒立てるのは、そもそも得策ではありませんし」

『……「そこまで」?』

バーテルソンの勘は当たったようで。

「ええ……ひとつ、バーテルソン司令にお頼みしたいことが……」




さて、オランに戻ろう。
昔はどうだったか知らないが、 俺たちが来たときにはもう、
この街はシャッターの降りたバーが並ぶ、寂れた漁村であって。
住民のほとんどは、
何時戦闘になってもいいように、地下シェルターで生活をしており、
町中にはトラックや大型車ばかりが走り、
ダカール・ラリーでもやっているのかといいたくなる。
殊(こと)、午後に状況を限定するなら、尚更酷い。
初夏が近付く昼の長き季節にあって、
夜はまだしも、美しき夕陽が照らす街に、
およそ人間の姿はなく、店の灯りもなければ、
夜になっても外灯のひとつも灯されちゃいない。
「……昔は、この辺も歓楽街だったんですよ」
店主をしている黒人の婆さんがシワだらけの口でしみじみ語っていた。
「……はぁ」
と、適当に相槌を打ちながら、
フランス産とかいうノンアルコールのワインを流し込む。
本当のところ、婆さんなんて見ちゃいなかった。
ゆりかごがごとく揺れるイスに凭れて、
生きてんのか死んでんのか、目を細めた婆さんの奥、
酒瓶の並ぶ棚のガラス戸に反射して、背後が見える。
ストリップ……とは言わないが、
上はブラジャーだけ、下はスカートみたいな格好で、
頭にティアラなんか乗せた、混血とおぼしき浅黒い肌の踊り娘が、
手を引いて男を誘惑していたりする。
惑わされている男はアーサー・トライン。
34歳にもなって、手招きされて頬を赤らめる、このオッサンを、
「「フゥーーフゥーー!」」
なんて甲高い声で捲(まく)し立てる。
俺は、毛の密度が少なくなったトラインの頭頂部を見るに、
みっともない……と言いかけた口をつぐむのに苦労していた。
しばらくすると、婆さんが料理を俺の前に置いた。
その料理というのが、まあ、煮付けらしい。
使ってるのは明らかに牛肉なんだが、
婆さんはそれを東坡肉(トンポーロー)だと言い張って、
「アンタ、チャイニーズだろ?昔、中国人から習ったんだ。
懐かしいだろう?」
なんて適当なこと言うもんだから、訂正しようと思ったら、
「……気にしないで」
とかなんとか言って制されてしまった。
やむなく、
「……シェイシェ」
なんて、俺も適当に返事を返せば、婆さんは満足そうで。
まあ、普通箸だろうと思ったが、
何故か置かれていたのがナイフとフォークだったから、
フォークで刺して、肉を持ち上げる。
それから、
「『自家を飽かり得れば君管すること莫かれ 』……てか?」
なんて苦笑しながら、口に運んだ。


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PHASE-08 青き闇の中に(3/7)

『自家を飽かり得れば君管すること莫かれ』。

東坡肉の考案者とされる、

中国は北宋時代の詩人・蘇東坡(そとうば)が、

ある詩の最後にこの文句を載せた。

丁度、東坡肉の話が出てくる詩であるが。

要するに「本人が満足していることを他人がとやかく言うな」と……

牛肉の東坡肉もどきを、

ステーキを食うみたいにナイフで切り、フォークで口に運ぶ。

疑ってたが、意外にちゃんと作られている。

肉は、噛むと言わず、歯に触れるだけで溶けていくようで。

味付けは……少し甘みが強い気もするが、悪くない。

「婆さん……美味いな」

作った本人は答えはしなかったが、

クシャクシャの口角が上がったようには見えた。

肉を運んだ後、仕事を終えたフォークをゆっくり皿の縁に置くと、

逆の手でワイングラスを傾ける。

もうグラスの中には、いくらも残っちゃいない。

グラスの底にうっすらとついた一本線は、

最早飲料ではなく、洗い落とし損ねたシミのようにも見える。

そんなものを口に注ごうとしたら、

今度はグラスの底からリムまでの軌道を、

ストロボスコープよろしくグラスに一直線となって点在して残り、

終(しま)いに俺の口元に落ちたのは、ほんの1滴ばかりであった。

椅子から重い腰をゆるりと押し上げた婆さんは、

踏み出して、ワインボトルに手をかけたが、

「大丈夫だ」

と断った。2杯目は必要ない。

体を捻る形で、ゆっくりと後ろを振り返った。

別に体操の類というつもりではなかったのだが、思わず、

「……ウゥッ」

と声が漏れた。

そそくさと腰を撫でる自分に老いを感じて、苦笑を禁じ得ない。

それはそうと、自身の腰から視線を上げていき、

背後にいたバカ騒ぐ野郎どもに目を遣る。

よく見れば、飲んでいるものはオレンジーナだったり、

楽しそうに話しながらも時折、

物音に応じて神妙な顔つきで外の方を向いていたりと、

どこか緊張の色が拭(ぬぐ)えない。

ハゲかけた頭頂をこちらに晒していることなど気付いていないのか、

俯き、掌を合わせると、2つの親指が口と鼻先を抑えているアーサー。

「意外とアイツら、大したことなかったよなぁ」

「だよな」

みたいな会話の末端が聞こえてきたもので、

そんな話をしている連中の方を見てみれば、

偶然にも俺が向いた頃をもって、話題が尽きてしまったのか、

互いに顔を逸らし始めた。

「……下手なお芝居を見ているみたいだねぇ」

婆さんが小声で告げたそんな一言に、妙に納得している自分がいた。

ゆっくり婆さんの方を見ると、

婆さん自体は流し台に向かっており、顔が見えない。

真意はさておいても、婆さんの皿を洗う水の音が、

カウンターにいた俺には、

騒いでいる奴等の声より大きな音として聞こえていた事実がある。

「フッ」

と溜め息を漏らしつつ、先程切り分けた肉を口で運ぶ。すると、

「……ねぇ、お婆ちゃん。気付(きつ)けにラム酒貰えるかしら?」

なんて若い女の声が左側からして。

それでも興味がなく、食らっていけば、

適当に皿の左側に置かれた俺の左手へ、細く白い右手が近寄り、

手の甲の骨が浮き出た辺りを指先でスッと撫でてきた。

フォークを置く。

握っていた右手をゆっくりと持ち上げ、眉尻辺りを親指で軽く掻く。

「こうすれば……男はみんな喜ぶと思ってるのか?」

手を止めると共に、女の方を向いた。

「お嫌いですか?副長さん」

なんて耳元に口を寄せると、

「……フフッ」

と笑って、体をゆっくりとこちらから離していく。

振り向く……というよりは、目で追う形で左を見れば、

そこにいたのは、アーサーをたぶらかしていた、

あの踊り娘である。浅く腰かけた彼女は、

左手をイスの奥に置き、斜めに構え、斜めにこちらを見ている。

「大戦の英雄様なんて言うから……どんな方かと思えば、

可愛いお顔立ちで」

「東洋系だから、アンタらには老けて見えないだけだろ」

「……いいえ。それだけじゃないわ」

ゆっくりと手を伸ばしてくる彼女。

その手は俺の頬に触れようとしていた。しかし、

「キャプテン・モルガン(ラム酒のブランド)だ」

と婆さんが突き出した、ラム酒のボトルが、

半ばそれを制した。

「……フフッ。ありがとう」

そう笑うと、

一緒に出されたオールドファッションド・グラスに、

底からせいぜい2、3cm程度だけ注ぎ、自分は飲まず、

「奢りよ」

と俺に囁いて、席を離れていった。

「お兄さん……あの女だけはやめておくことだね」

なんて婆さんに言われたりして。

「……はあ」

相槌をしながら、何気なくラム酒のボトルを見る。

そこに載っているのは、

如何にもって感じの海賊のイラストと、

『To Life, Love and Loot(人生とは、愛と略奪)』の文句だった。

「婆さん、あの女の名前は?」

「ビンタン……マレーだかタイの言葉で星(ステラ)って意味の女さ」



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PHASE-08 青き闇の中に(4/7)

「いやぁ~、今夜は『星が綺麗』……だぜ。ルイス」

そう語るのは、《フレイヤ》に残ったワイリー・スパーズ。

自身の車椅子を押すルイス・ハビエルに振り返り、そう告げる。

「はい、はい……そうですね。スパーズさん」

「えらく他人行儀だなぁ、おい。俺が……」

「口説いてるって言うなら、『月は綺麗ですね』だから。

夏目漱石に謝れ……あと、私、既婚者だから」

言い返され、ばつが悪そうに向き直り、後頭部を触るワイリー。

とはいえ、ハビエルは車椅子を押し続けてはいるのだが。

「知ってるよ。冗談だろうが。ジョーダン」

「セクハラ」

「……悪かったよ。ちょっと言ってみただけじゃんか」

そんなところで会話が途切れる。

月光ないしは星灯りに照らされた廊下に響く、小さなタイヤの摩擦音。

「てかよ……俺が心配することじゃないけどさ」

「何さ?」

「連絡とか取ってんの?旦那さんと」

ハビエルは即答しなかった。

「……取ってないな?」

「しょうがないでしょ。流石にここから本国に連絡とかほぼ無理だし。

ジブラルタルとか、デカいとこにはあるらしいけど」

「……あっそう」

また押し黙って、摩擦音が響くこと、数秒。

とある部屋の灯りが見えたときだった。

「点いてんな。電気……あそこは確か……」

部屋を指し示すワイリーであるが、その右手の中指には、

第一関節より先はなく。

「ラグネルんとこ……女の子の部屋よ。スケベ」

「……そんな意味で言ってねぇっつーの」

サッと手を下ろすワイリー。

「……呑みに行かなかったんだな。あのラグネルって娘(こ)は」

「この国だと未成年になるから、だそうよ」

プラントは15歳で成人となる。

恐らく、コーディネイターという人種ゆえの身心の強靭さ故であろう。

その点、ナチュラルが大多数派の、このオランにおいては、

いや、そもそもアフリカ共同体政府においては、

18歳を成人としており、ラグネルはその意味で未成年になる。

「……真面目だねぇ」

「アンタと違ってね」

その点にワイリーは反応しない。ただ、

「……ラグネルだけか?」

「いいえ。パーディも体調悪いからって残ってるわ。

……まあ、本当はお兄さんがいて嫌だからでしょうね」

「ああ……大隊長の、ね」

オラン攻略に貢献した大隊長の一人ポンゴ・ラドクリフは、

パーディことパーディタ・ラドクリフの17歳年長の異母兄である。

「……まあ、複雑だよな」

ワイリーは左手で額のバンダナを引っ張り、目元を隠す。

「もしかして、だけどよ?」

「何さ?」

「……アレハンドロも残ってたりするか?」

ワイリーのそんな問いに、ハビエルは首を傾げた。

「何でアレハンドロの話になんのよ」

「いや、まあ……ね」

「……普通に呑みにいってるし」

ワイリーは何も言わなかった。それでハビエルは気付いたらしい 。

「……隠し事、下手か」




さて、噂のアレハンドロはというと、例の店にて、
「……いや、俺、未成年だからさ。ゴメン」
なんて言って勧める踊り娘(ビンタンとは別人)を追い返していた。
彼の座るところは、テーブルを介して、他に3つの席があり、
右手側にはヴァイデフェルトが、左手側にはダイが腰かけ、
向かいにある椅子には誰も座っておらず、
その先、カウンターに座る俺の背中と婆さんが見えていた。
「呑み過ぎじゃないかな?……ダイくん」
そう嗜めるヴァイデフェルトの視線の先、
×印に1664の文字が上書きされたグラスにて、
正に浴びるようにビールを呑むダイの姿はあった。
ただし、ダイにヴァイデフェルトへ貸す耳はないと見えて。
テーブルに3本の缶、足下には空になったのが4、5本ばかし転がり、
顔を真っ赤にしたダイは、
そのうちにグラスに注ぐのも面倒になったと見えて、
今度は直接缶に口をつけて、一気呑みした。
「……ダイくん!」
ダイは粗っぽくテーブルに缶を叩きつけると、
ようやくヴァイデフェルトの方を向き、
「何を騒いでる!俺なら平気だ。
聞いての通り、ちゃんと呂律も回ってる。
ナチュラルならまだしも、コーディネイターの体が、
ちょっと酒呑んだぐらいで乱されてたまるか!!
……オマエこそ、愛しの副長はあそこにいるんだ。行けばいいだろ?」
「それは……」
目を伏せたヴァイデフェルト。ただ、すぐに顔を上げた。
「ダイくんだって、副長のこと、尊敬してるんだよね?」
「……いや、昨日の今日で目が醒めた。あの人は大したことない」
この発言にはアレハンドロも目を見張った。
「俺には分からないね。万年、副長のあの人を……
どうして、皆、持ち上げるのか!」
目のやり場に困ったヴァイデフェルトが目線を上げると、
ダイの金色をした髪の生え際が、黒くなっていることに気付いた。


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PHASE-08 青き闇の中に(5/7)

「ダイくん、そういう言い方はちょっと……」

「よく言えるな……アイツに銃口を向けられたクセに。

だから今日だって、話しかけられないんだろ?違うか?」

そう詰め寄られれば、ヴァイデフェルトも返す言葉を持たない。

「何が歴戦の英雄……何が伝説のパイロットだ。

そりゃ、自分は戦果も挙げられるハズだ。

部下を省みず、強敵ばかりを相手にしゃしゃり出ていけばなぁ。

ジェイナス・ビフロンス、カーン・カーァ、

それから、例の頭足類みたいなモビルアーマーと。

大した戦果だよ。でもなぁ……その間に何が起きた?

仲間が何人死んだと思ってる?

ジョーンのときなんか、あの人がビフロンスを捕虜にしようなんて、

バカな判断しなきゃ起こらなかったことじゃないか?

今回だって、もっと早く着いてれば、

シージーを助けられたかもしれないのに……

そんなんだから、サムの裏切りにも気付けないんだよ!」

荒っぽく缶を握り締めれば、空と思われた中から、

ビールらしき黄色い液体が噴出し、ダイの腕を濡らした。

「ダイくん」

「……チッ!」

そうダイが舌打ちをした直後、

右側からアレハンドロの左腕が伸びてきて、彼の胸ぐらを掴んだ。

「何だよ?アレハンドロォ!」

アレハンドロは顔を下げている。

「……ざっけんな」

と一言言うにも、ボソリとしか聞こえてこない。しかし、

「テメェが上手くやれなかっただけのことを、

副長に当たってんじゃねぇ!」

そう怒鳴ると共に、その顔はピンと跳ね上げられた。

「……何だと?」

「スパイが出たからって、後輩なんかにビビってよぉ~……

シージーが殺られた途端に冷静さ無くして、皆に迷惑かけたクセに。

よく言えるなって言ってんだよ!他人のことなんかよぉ!!」

アレハンドロの勢いに、言葉に詰まるダイではあったが、それでも、

「何だ?カッコつけて前に出て、皆に守ってもらったヤツが、

随分偉そうじゃないか。ええ?」

などと嘲笑。

「……俺は誰のせいにもしてねぇ」

「まるで俺が人のせいにしたみたいな言い方だな?勘違いすんなよ。

俺は事実を言ってるだけだ。

あそこに座ってるあの人は、そんな人なんだよ。

俺たちを助けてなんてくれない。

自分さえよければ、それでいいって……思ってるに決まってる。

いい機会だから、俺が提言してんだ!黙って聞け!」

言葉の激しさに、唾が飛んで、

咄嗟に1度は顔を逸らしたアレハンドロではあったが、すぐに、

「屁理屈言うなよ!」

って言い返した。

「……どこが屁理屈だ?

現に敵わないと思って、敵に命乞いしたのは誰だったと思ってる!」

ダイの叫びに、店内が静まり返るも、

当の2人は気付いていないという様子であり。

ただ、アレハンドロも、

その1件については反論の言葉を持ち合わせていなかった。

「……違うのか!言ってみろよ!おい!!」

そう捲し立てるダイを、

「そうだ。俺が悪かった」

と肩に手を置き、宥めるのは……

「……副長」

そう呼んで、慌てて頭を垂れるアレハンドロに、

俺はかける言葉を見つけられなかった。

ダイは、その金色の髪をこちらに向けたまま、振り返ろうともしない。

「オマエが正しいよ。ダイ。俺は役立たずだ。

……オマエら2人が口論になって、店に迷惑かけるのだって、

俺の監督責任だ」

我ながら、意地悪な言い方をしたものだ。2人は何も答えない。

ゆっくり振り返り、例の婆さんに、

「……騒がせて申し訳ない。この2人は俺の部下でして。

俺が不甲斐ないばかりに、こういうことを起こしてしまった。

責任をもって連れて帰りますから、今日のところはご勘弁ください」

婆さんは何も言わなかった。

「トライン隊長、ラドクリフ隊長……お先に失礼します」

両隊長も何も言わなかった。

それからアレハンドロもダイも、

何も反抗することなく、何も反論することなく、店を後にする。

突如として何もかもが消え去ってしまったような静寂の中で、

積まれた氷が落ちる微かな音が耳に残った。

2人が店を出たところで、ふと振り返って気付く。

それが、あのビンタンとかいう女の入れたラム酒のグラスだと。

……何もなかったような顔で俺もドアの外へと。

それから数分後、残ったヴァイデフェルトは聞いたという。

「前は自分が怒られる立場だったのに……

アスランみたいになっちゃったなぁ。シンのヤツ……可哀想に」

なんていう、アーサー・トラインの溜め息を。



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PHASE-08 青き闇の中に(6/7)

同日、コルドバにて。
後に調べて分かったことだが、コルドバとオランに時差は存在しない。
右も左も白地に青か黄色を挿した清楚な建物が並ぶ、
そこ──旧ユダヤ人街は、
昼間なら陽光に照らされて澄んだ世界として現れるのであろうが、
夜となってはどうにも暗く、
外灯と家が漏れる光が、蛍火のように微かに色をつけるだけであった。
そんな街、
大型トラックならつっかえてしまいそうな狭い石畳の路地を、
ネクタイを雑に緩めながら歩む男の姿があった。
ジャケットは脱いで、鞄(かばん)よろしく肩に乗せている。
青白いシャツはボタンの一番上を外しており、
また、一々抜き取るのが面倒なのか、タバコを口角に押しやって、
口付けするように尖らせた口の先から煙を吐き出すと、
タバコをまた口の中央に戻すという器用な真似をしてみせたり。
しかし、そのうちに上手くやれなくなって、溢(こぼ)してしまった。
地面に落ちたタバコを、前に出た左足が踏み潰してしまう。
「……チッ」
舌打ちしつつも、拾わんと屈む男。
……そんな男の背中で、カチッという金属音が聞こえた。
「アンドレイ・ココフ、だな?」
後ろからそう伝えられた声は、男にもの……だが、比較的声は高い。
また告げる声に力はなく、やや震えてさえいる。
「……あぁ?」
何て振り返れば、紅葉がごとき赤茶けた髪の毛が目について。
「テメェは、確か……シーザー・ルチアーノのとこにいた……」
「ヴィーノ・デュプレだ。一緒に来てもらう!」


「つまり……セベク・アガレスはザフト脱走兵を受け入れた……と?」

「そういうことになります」

「……なるほど」

そう言うと、男は突き出た顎(あご)をスッと撫でた。

そのモーションは髭(ひげ)を引っ張る仕草に見えたが、

そこに髭はない。モミアゲと繋がって、

頬髭だか顎髭だかが輪郭を隠すばかりに生えていながらに、

何故か中央の顎だけ何も生えていないのである。

それがこの男──クラウス・ゴトウダのもう1つの特徴といえよう。

「我々は……間に合わなかった、という訳ですか」

向かいに腰かけた人物が、顔を手で覆い、クシャクシャに握り締める。

顔を下げるに合わせて、両耳のあのイヤリングが揺れる。

ゴトウダは、

「……初めからセベク・アガレスは我々と結ぶ気などなかった、

と考えるのが正確でしょう」

などとコーヒーを飲む片手間に応じる。

「バーテルソン司令……ファッマ・ガンバリは、

やはり最初からムーサー側に派遣すべきだったようだ。

現に、『明けの砂漠』ムーサー・カリーアッラーフは我々を、

敵と結ばんとした二枚舌外交と見て警戒を強めている」

そう語りつつ、ゆっくりとコーヒーカップをテーブルに置く。

「最善手とは言いませんが、私のスタンスは変わりません。

変えません。

武力に訴えかけるやり方など……ベターであってもベストではない」

「……否定はしませんが」

どうぞとゴトウダが手を出せば、

「あぁ」

とコーヒーカップに手をかけたバーテルソン。

「やはり……ザフト脱走兵と大西洋連邦、そして、ナイルの……

いや、『ネイキッド・アームズ』というべきでしょう。

彼らに一定のパイプがあったと言えます。

《ダーティ》の件は既に『オバマ』攻略戦以前に、

ヴィトー・ルカーニア司令より報告されていましたが」

語るゴトウダ。全く、忙しない人物である。

話しつつ、目前のノートパソコンを弄っている上、

目が画面の恐らく中央辺り、次いで時間の表示されている端の部分、

そして時たまにバーテルソンの顔ないしは周囲、

更にカーテンの片手ほどしかない小さな隙間より見える、

外の景色と、数秒のうちに視点はバタバタと切り替わり、

そして、その間も会話を途切れさせることをしないのだから。

「……『円卓会議』、または参謀長の野心の顕(あらわ)れでしょう。

決断を急ぎすぎた節もある。

脱走兵の撤退はそれ以上に早かった訳であるが。

こちらも準備不足ではあるが、南米ゲリラに蜂起の用意があった。

鎮圧に……早くとも半年はかかるでしょう。

この間、大西洋連邦がバスティーユを捨てて、

我々まで敵に回すことは、まずないと言っていい。

今、我々がすべきは北アフリカ仕置の口実を元に、

大陸の連邦勢力の駆逐でありましょう。そこは間違いない。

アガレスと組む方が楽だったのは事実ですが、

ひとまず『明けの砂漠』を取り込めれば、大義名分にはなる」

「……脱走兵はどうなるのです?」

「北アフリカ制圧への派遣で、

本国が手薄になった時期を狙ったのでしょうが、所詮この程度。

貴方やヴァレフスキ司令が警戒した程の敵ではなかった訳です。

イベリア半島で動けば、西ユーラシア連邦が黙っていない。

東ユーラシア連邦とのアラスカを巡る衝突を考えれば、

西との関係悪化は大西洋連邦とて望むところではありますまい。

そうなれば、脱走兵の味方は、現状『アームズ』のみ。

非ロゴス系のウォルター・サトクリフが、

残党の盟主たるグレース・イスラフィールに従う理由もない」

そこまで話したところで、作業は終了したとみえて、

ノートパソコンを閉じたゴトウダ。

「つまりは……」

下唇をうっすら噛むバーテルソン。

「……アガレスを倒す。これが当面の目的となりましょう」

やや傾いた己の眼鏡をゆっくりと押し上げるゴトウダ。

「戦争は避けられぬと?」

「えぇ……ご覚悟ください。

貴方は間もなく、最高評議会議長として、

事に向かうのですから」



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PHASE-08 青き闇の中に(7/7)

──『アンドリュー・バルトフェルド議長、辞任を表明』と、

一面にデカデカと掲載されたスペイン語の地元紙を、

テーブルに叩きつけるように置くと、

「……賭けでもしないか?ホルローギン」

なんて呑気そうに笑うマーシャル・オートクレール。

そこは『オバマ』にいた頃と大きくは変わらない、

探偵事務所風の部屋であって。

部屋の中央、回転する大きな風車の下にて、

テーブルを挟み、4つの椅子が並んでいる。

うちの2つ、互い違いに腰かけているのが、上からでは、

片や、持ち前の大きな額とオールバックという髪型により、

中央を境として、薄橙色と黒がほぼ綺麗に二分された円と見え。

片や、金色の髪が右に揺れて、ススキの穂に見えた。

何を隠そう、そこにいたのは、

前者がホルローギン・バータル、後者がノエル・ド・ケグ。

……いずれも、今更語ることはあるまいて。

他にといえば、入り口の方にもう1つ。

毛先だけを白く染め上げた、剣山かハリネズミがごとき頭がある。

頭の持ち主はトゥーッカ・マンニッコといい、

早い話がオートクレールのボディガードである。

「次の議長でも予想するおつもりですか?」

「……まあ、そんなところだ。オマエはどうなると思う?」

「そう……ですねぇ……」

背もたれに首を預ければ、

ホルローギンの後ろ髪は垂(しだ)れ柳の枝がごとく。

「イザーク・ジュール……は、まだ若いでしょうな。

出自と軍での功績、人気などでは上ですが。

比較的若く清廉なイメージのあるアリー・カシムか、

勢族出身の外交委員長ドロテ・カレームや、

あるいは『処刑人』クラウス・ゴトウダか……この辺りですかね」

「……3択とは潔くないヤツめ」

「慎重と、言ってくださいませ」

ガハガハと笑い合うオートクレール、ホルローギンの両者を、

やや冷ややかな表情で見るノエル。

ただ、

「まあ……どれも当たるまい」

オートクレールはあっさりとそう切り捨てた。

「カシムは日和見(ひよりみ)が過ぎる。その器ではない。

カレームには、ラクスと対立していたとの噂がある。

そんな女を議長に選ぶ議会でもなかろう。

ゴトウダは……決断力はあり、情報戦でも上手をいく技量はあるが、

何分『処刑人』たる負のイメージが拭えん。

10年前にシーゲル・クラインを暗殺させ、

7年前にはラクス暗殺を企てたとかいう男だぞ?

……盟主サマにビビってる議会のバカどもが選ぶものか」

「……そう、新聞には書いてありましたか?」

ホルローギンの発言に、オートクレールは上から新聞を叩き、

「これは隠しておくべきだったな」

なんて笑うのだ。

「……まあ、今の評議会は形骸化している。

実権はラクスと、あのORDERとかいう辺境伯どもの下。

さながら、ローマ帝国時代の元老院であろう。

人気取りに、どこぞの軍人を引っ張り出してくるかも分からん。

俺は……イザークだと思うがなぁ~~」

呑気そうに笑うオートクレールを他所に、ノエルが口を開く。

「マンニッコ……アンタ、脱走兵の中でも古株だったな?

会ったことあるか?クラウス・ゴトウダ」

マンニッコは首を縦には振らない。ただ、

「……私はありますよ」

と、ホルローギンが応じた。

「どんな人間です?ゴトウダは」

「あれを……どうと表現すれば、よろしいのでしょうか?

そもそも、私以上に彼に詳しい者が、

ルチアーノ長官やクールカ隊長の部下におりましたし、

詳しくはそちらにお伺いいただいた方がよいかと……」

そこまで語って、ノエルが不服そうなのを見るに、

「……強いて言うならば」

と話を続けるホルローギン。

「隙のない、抜け目のない人物ということでしょうな。

……彼ほどの重役ともなれば、それは必須なのでしょうけど。

現に『ナイルの神』……セベク・アガレスも、そんな人物でしたから」

そこまで聞いて、笑い声を上げたのはオートクレール。

「よく言うじゃないか?ホルローギン。会ったこともねぇのに」




さて、時差にして1時間。クロコディロポリスより。
コルドバやオランの夜が終わりを告げんと青く染まる頃、
エジプト文明の母たる大河ナイルから、ゆっくり朝日が昇っていく。
しかし、その部屋にまでは灯りは届かない。
そこはあまりにも暗い部屋。暗く、静かな部屋である。
強いて評するならば、エジプトの古きファラオの墓室のようで。
中央に大きなベッドがあり、右横には棚。
そして部屋の四隅にはガーゴイル風の魔除けとおぼしき像が生え、
棚の上にも拳銃──エンフィールド・リボルバーが置かれていた。
枕元には、シーツと同じぐらいに真っ白なティッシュペーパーが、
箱ごと薄いビニール製の膜に覆われて、そこにある。
カーテンはない。ドアも一方のみ。
さて、外で何か音が聞こえている。
何かを読み取っているであろう電子音が何度もして。
更に鍵を開けているのであろう、
ガチャリ、ガチャリ、ガチャリと3度音がした。
そこまでしてようやく、件の部屋のドアが開いた。
そうして開いた直後に、
ベッドの奥から枯れかけた木の枝がごとき細く白い腕がスッと延びて、
棚の上よりリボルバーを引き寄せる。
続いて、何者かの足が部屋の縁を越えて、床を踏むと同時、
「……誰だ!」
そう叫び声がベッドからしたかと思えば、
痩せこけた白髪の老人の身体が、ベッドより勢いよく飛び出した。
そのか細い両腕で、如何にも重たそうにリボルバーを抱え、
ドアより入ってきた相手……
カントリーメイド服に着込んだ、年の頃30ばかりの淑女に向け、
構えるのである。
されど、女性は何ら動じる様子はなく。
「……おはようございます。アガレス様」
などと平然として頭を下げるのであった。


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PHASE-09 意志を貫く力(1/7)

翌朝のこと。そこは《フレイヤ》のモビルスーツデッキ。

俺は整備士トロ・サンタンデールと談笑していた。爽やかな朝だった。

どこからか流れてくる風は程好く冷えて心地良く、

モビルスーツの背丈よりも少し高いばかりの、

高所に配された円形の窓より、皮肉な程に透き通った青い空が見える。

わたあめのような白い雲も時折顔を出す。

並んだ窓の1つには、離れすぎていて詳しくは見えなかったが、

何らかの鳥が羽を休めているらしかった。

……まあ、だからといって、状況はけして良いとは言えないが。

そりゃ、高いところはよく見えるさ。

何せ、ここに並べられた連中に、真っ直ぐ立っているヤツなんて、

今は1機もいないのだから。

例えば《アビス》は、休日に寝転がる父親を彷彿とさせる、

腕を枕に脇腹が上を向く姿勢となっていて、

切り落とされた腕を、現在隣で復元しているところ。

また首を落とされた《ガイア》には、

あの犬みたいなモビルアーマーの頭を接合中。

首無しのボディが四つん這いで立っている姿など、

尻を向けられているようで気分のいいもんじゃない。

その他、顔を潰された《セイバー》の修理している角の方では、

ワイリー・スパーズを乗せたとおぼしき車イスを、

恐らくダスティン・ホークであろうという後ろ姿の男が押さえている。

さて、俺たちはというと、

隻腕の《ヴェスティージ》が地に横たえられた傍らにいた。

「これ……提案なんですけど」

サンタンデールの言葉。

「何だ?」

「……クトゥルフは、しばらく片腕だけにしませんか?」

クトゥルフ──お気付きとは思うが、あのビームガトリングのことで。

「……修理パーツが足りないのか?」

「いいえ……多少形状が変わっても構わないということでしたら、

ほぼ同機能の武装を再配備することは可能です。

ただ、元々、機体の17パーセント相当という超重量兵器です。

実証テストでも、

右腕部から本武装およびエネルギー供給器等々を排除した場合、

6.66パーセント程度の動作性能の向上が確認されていますし」

俺はポケットに突っ込んでいた右腕をゆっくり抜き取り、

空気中に頬杖をつくように、その手で右頬に触れた。

無言でそう動かした、俺の姿がいくらか恐ろしかったと見えて、

「いっ……いかがでしょう?」

そう、サンタンデールの態度に顕れる。

「……アイデアとしては、悪くないが」

直後、後方より聞こえた足音に振り返る。

すると、そこにはヴァイデフェルトの姿があって。

「おう」

と手を上げれば、彼女は頭を垂れた。

ヴァイデフェルトの立つデッキの入り口から、

《ヴェスティージ》が置かれた場所は比較的近く、

恐らくは10メートルとか。15メートルもはあるまい。

ただ、目的は俺ではないと見えて、

ヴァイデフェルトはこちらには寄って来なかった。

その際……あの『オバマ』での戦いのこともあるからか?

心なしか、彼女の表情は硬かった。

俺はすぐにサンタンデールの方に向き直り、

「アイデアとしては悪くないと思う。あとは使ってみないことにはな」

などと返すのだった……





──ジブラルタルより、その報が伝えられたのは、その日だった。
ラドクリフ大隊はオルランド・マッツィーニから、
トライン大隊はダグ・バーテルソンから、それぞれ命令を受けた。
まあ、その実……参謀長の指示だったとの噂も流れたが。
さて、その指示が、協力してティンドゥフを攻略せよとのこと。
なお、両大隊がオラン攻略に入った頃に、
ジブラルタルよりモーリタニア方面を経由して、
カロル・ヴァレフスキ傘下のイナバ・シゲル大隊が、
既にティンドゥフへ入っていた。
加えて、ティンドゥフより敗走してモロッコ領のウジダにいた、
これまたマッツィーニ傘下のバルドル・リュメル中隊が、
残存戦力にしてジズ5機、アルジェリア領のトレムセンに入っており、
これと合流の後、南下してティンドゥフへ向かう、
というのが両大隊に下された指示であった。
トレムセンからティンドゥフまで、
移動距離にして1000キロメートル強にもなる遠方であるが。
……その間、ようやく傘下のホーク小隊と合流したフレイヤ大隊は、
オランにて待機せよ、との命がヴィトー・ルカーニアより下っていた。


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PHASE-09 意志を貫く力(2/7)

そんな朝である。コルドバに吹く風もまた涼しく……

場所は、あの旧ユダヤ人街。

四角い窓は、そのものこそ開かれているが、

カーテンにより遮られ、中の様子は風が吹いても見えてこない。

うっすらとした黄色に、黄緑と深緑の枝が互い違いに配された、

その遮光カーテン。

そのうち、窓の縁に止まったスペインスズメの赤茶けた頭が、

暖簾にするようにカーテンを潜って、部屋の中を覗いてきた。

そんなとき、

「……フッ」

と、ノエルがヒモのように細く赤いネクタイを締めていた。

目前には四角い鏡を上に乗せた化粧台、

右手側の壁には黄色いジャケットをかけたハンガー。

ハンガーから外す、

というよりは抜き取るように出したジャケットを、

マントでも羽織るみたいに広げたかと思うと、

右、左と順に腕を通した。それから肩を揺すって微調整。

続いて鏡に顔を寄せた。

まずは正面を向く。次に左側を向いて、やや顎を引けば、

この後、右側を向いた際に、自然と顎が上を向いた。

ちゃんと見ているのか、動きは結構早い。

動くに合わせて揺れる前髪は、左のときは少し浮いて見えた。

右の時は下りて、片目を隠すような構図になった。

やがて正面に向き直った瞬間、ノエルの脳裏に言葉が過(よぎ)る。

【不思議なものですねぇ。貴方という人を見ていると。

時折、御父様のような表情をされたかと思うと……】

それはホルローギンが以前、彼に述べたことであり、

「『母さん』には、似ていないか」

ノエルの顔をそう曇らせるものであった。

そのうち、彼の右腕が髪の刈り上げられた部分を撫でた。

「さてと……」

鏡台の足下を覗けば、そこにあるのは、

黒い盤上に金の文字と装飾が目立つLe Creusetブランドの腕時計。

それが午前7時22分の時刻を示している。

「そろそろか」

左手をジャケットの胸ポケットに突っ込むと、

そこから、親指ほどの小さな鍵を引き抜いた。

鍵を握り締めたノエルは、部屋の中央へと歩いていく。

部屋の中央にあったのは、黒いグランドピアノである。

その為か否か、

近寄る足音もどこかステップを踏むように同一のテンポで奏でられた。

この間に、手の中の鍵は左から右へと受け渡されて。

そうして7、8歩、向き合ったノエルの右手が、鍵盤の上に添えられた。

正確には、鍵盤の蓋の部分であるが。

彼はそこからピアノを……弾くのではなく、鍵盤の下に手をやった。

そのままノックする程度に軽く鍵盤の下を叩けば、微かに音がする。

これを聞けば間違いないと、

そこから更に手探るノエルをスズメが窓から見ていた。

やがてカチッという音がして、ノエルが右手が引く動作をすれば、

そこに引き出しが現れた。

紫色のクッションに拳銃──.44オートマグと弾薬を埋めた引き出しが。

そんな様子が……この小さき鳥を驚かせてしまったらしい。

「ピイイイッ」

と耳障りな声を上げた。上げてしまった。

ノエルも、咄嗟に気が動転したのであろう。

思わず拳銃を抜いてしまった。片手で窓の方に銃口を合わせると、

躊躇なく引き金を引いた。勿論、大きな音がした。

反動も大きく、自然と拳銃がノエルの腕からこぼれ落ちる。

「……ウッ」

と右肩を押さえて踞(うずくま)ったノエル。

……そんなノエルの苦労を知ってか知らずか、

スズメは飛び立ってしまった。

あまりにも咄嗟のことだった為、

弾が入っているかすら、確認しなかったのであろう。

拳銃は空砲、鳥も無傷。後に残ったのは、窓辺に残った羽根の1枚と、

右肩の痛み、そして、

「……大丈夫ですか!ノエルさん!」

とドアの外から叫ぶリョウ・ナラの声だけだった。




21分後……というのは、時計を見れば分かるだろう。
鏡台の側にあった腕時計が、今はノエルの左手に。
そして今、壁も天井も、足下さえも白い廊下に出たノエルの右後ろへ、
リョウがついている。
「……はあ、そんなことが」
とかなんとか言いながら。
「ああ」
などとすまして見せるノエルだが、肩はやはり痛いらしく、
まだ押さえている。
「ただ……殺さなくてよかったですね。スズメさん」
微笑むリョウに、ノエルは足を止めた。
「……ノエルさん?」
右を向く形で振り返ったノエルは、
「そういやオマエも……スズメだったな」
と呆れた調子で言い捨て、前進を再開する。
かえってリョウの方が立ち止まってしまったぐらいで。
「……ああ、機体のマークの話ですか」 
そう答えるまで、2秒ぐらいかかった。
ノエルは返答もせずに、歩を進めるだけで。
慌てて駆け足で寄るリョウ。そんなとき、
「俺に守役が務まるかどうか」
なんて言いかけたノエル。
ただ、聞き取れなかったリョウが、
「何か?」
と聞き返したところで、ノエルは教えなかったが。


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PHASE-09 意志を貫く力(3/7)

──事は、アーモリー・ワン襲撃直後まで遡(さかのぼ)る。
公海に乗り出した戦艦《プラトン》の廊下にて。
ロディニア級なる脱走兵側で独自に用意した戦艦であるとはいえ、
やはり技術系統が同じであるからであろう、
廊下の様子は《フレイヤ》の内部とも大きくは変わらない。
そこにいたのは、ホルローギンともう1人。
年齢的には若いと見えるが、恰幅のいい男性が立っている。
「まさか……大西洋連邦との協約に助けられるとは」
そんなことを言われてホルローギンは、
「元々、物量的には勝ち目のない相手ですからね。オスマンくん。
夜襲ゆえに状況が整うのが遅れると期待していましたが……
ほとんど効果はなかったことからも窺えることですよ。
彼らは強い。私たちが思っている以上にね」
などと、あの開いているのかいないのか、
パッと見ただけでは分からぬ細い目のまま、答えるのである。
そんな中、
「ホルローギンさん」
と彼を背中から呼び止める声がした。当然振り返る。
「どうかしましたか?……リョウさん」
「いえ、その……」
胸元でギュッと握られたリョウの拳に、
2人の男の目がいく。
「……クールカ隊長の、病状?について」
と、リョウは自信なさげに尋ねた。
「病状?」
なんてオスマンまで聞き返す。
ホルローギンはオスマンの方を一瞥した後で、
「あぁ……あの方は、皆さんにはお話していませんでしたね」
などと語り始める。
「……流行り病の類ですよ。
ラクス・クラインを蝕(むしば)んでいるものと同じだとか。
まあ、皆さんは予防注射も受けていますし、
いざとなれば、治療設備も整っていますし。
クールカ隊長自身、極力皆さんの接触しないようにされています。
ご安心を」
表情を曇らせたオスマン。ただ、
「いえ……そうじゃなくて」
そうリョウに聞き返され、ホルローギンは細い目を丸くした。
「……クールカ隊長ご自身について」
腰に両手をかけるホルローギン。
そのまま悩んだようで、少しばかり、頭を下げた。
「早期なら……治る病ではあるのですがね」
その限定が何を意味するか、分からないリョウではなく……
「クールカ隊長の場合は……発見が遅れたもので」


「……着きました」

という声に、眠れるリョウの意識が覚醒する。

右横にいたノエルは改めてネクタイを締める仕種をしている。

左の窓より外を見れば、橙色に染まった空の下、

虫に食われたように穴だらけか錆(さび)が目立つ四角い建物が並ぶ、

トリポリの旧市街が広がっている。

尻が後部座席のシートの端より少し溢(あぶ)れる程に、

だらしない体勢で眠っていたリョウへ、

「行くぞ?」

などとノエルは声をかける。

「……あぁ、はい」

リョウは応じて直ぐに、左手で頬か口角の辺りを撫でたところ、

唾(つば)だか汗だかで濡れていた。

サッと拭ってから、手首を返して車のドアを開けた。

車を降りれば、そこは道路側。しかし、走ってくる車はない。

リョウが空き缶が転がる汚れた道に足を下ろして、ドアを閉めたとき、

「……ご武運を」

などと言い残した運転手──フェルディナンド・ドナウアー。

屈強なドイツ人の男であるが。

リョウが2、3歩ばかし引き下がると、車は動き出す。

フォルクスワーゲンのニュービートルなどという、

傷付いた街には不釣り合いな可愛らしいドナウアーの車が走り去れば、

障害物が消えて、リョウの視界に右手側の景色が現れる。

左も右も大した違いはないが。

ノエルは迷う様子なく、堂々たる姿勢で、一件の建物の方へ。

そこは恐らく昔は鉄道駅だったのだろうて。

三角形屋根の下、突き出た櫓(やぐら)のような2階に、

1階はドアがない代わりに階段を舌のように出して、

中の吹き抜けの空間を晒(さら)している。

さて、ノエルは、階段の2段目辺りに足をかけたところで、

振り返り、リョウを見た。

何も言いはしなかったが、早く来いと言いたげで。

慌てて小走りに駆け寄るリョウ。

その足が階段の1段目にかかったとき、より奥の様子が見えて。

見えたのは改札らしき4列ばかりの衝立(ついたて)。

横の箱は、運用されていれば駅員がいる場所であるが、

当然おらず、ボロボロの屋根の穴から夕陽が覗くだけ。

改札も機能していないから、通り過ぎようと、止めるものはない。

そのまま歩いていくと……

「……えっ」

と思わず声上げたリョウ。無理もない。

改札を抜けて20歩とか、更に地下へと抜ける階段があり、

近付いていけば、下が見える。その景色が異常だった。

何せ、戦艦《プラトン》の廊下並みの清廉な空間が、

そこに広がっていたのだから。

突然、振り返る。

地下へ続く階段の途中にて立ち止まる彼女を背中から、

「……どうかしたか?リョウ・ナラ」

そう呼び止めるのは、斜め向きに立ち、

階段の下より見上げるノエルであって。

「いえ、今……銃声が……」

ノエルの方へ振り返るリョウ。ノエルも真っ直ぐに向き直った。

ポケットに両手を突っ込んだ体勢こそ変わらねど。

しばし思案した後に、ノエルが出した回答はこう。

「……近くに軍事施設がある。そこの音だろう」

リョウは少し顎を引き、若干だが首をも傾げた。

「何にせよ……俺たちには関係のないことだ。いいから、来い」

ノエルはそう言い残し、階段下は右の方へと歩いて行ってしまう。

「あァッ!」

と慌てて、階段を下るリョウ。ドタドタと音が鳴るのも気にせずに……



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PHASE-09 意志を貫く力(4/7)

──同じ頃であろう。時差1時間、空はまだ青かった。

ティンドゥフ攻撃か始まる。砂塵巻き上げ、近付いてくる影。

多くは地上用に防塵処理やらされている程度の違いはあれど、

見慣れた《ジズ》の類なのだが、根本的に違うものがいくらかある。

面長な顔と、やや小柄で広い肩幅。

例えるならば、牛が2本足で立ったような風体。

その名を《クジャタ》。《ZGMF-2101 クジャタ》という。

彼らは、総勢20数機からなる空挺部隊。

《クジャタ》1機に対し、土台となる《ジズ》1機、

それに、もう1機の《ジズ》が付き添うフォーメーションで前進中。

これが西側から攻め寄せる一方、北側から《ジ・ズクト》が進軍。

都市を防衛すべく、カトンボのように飛び回る、

《ウィンダム》らを挟み撃つ構図となる。

さあ、《ジ・ズクト》は35機、いや40機はいるだろう。

多少のズレはあるが、4、5機が横並びになる形で、

纏(まと)まって前進してくるのである。

前列の《ジ・ズクト》は肩のシールドを前面に構え、

ある者に至ってはアゴを引き、

ヘッドギアを前に突き出す体勢となりながら、

後に続く同胞の盾としての役割をも担っている。

まずは《ウィンダム》の《ジ・ズクト》爆撃から戦闘は始まった。

《ウィンダム》の大型ビーム火器がシャワーがごとく降り注げども、

カブトガニどもの固い甲羅を貫くには及ばず。

10機余りのモビルスーツの砲撃にも関わらず、

比較的前列にいた1機が運悪く肩の隙を撃ち抜かれて死んだ程度で、

他に仕留められた個体はない。

どころか、2列目、3列目辺りにいた《ジ・ズクト》により、

胸のビーム砲やら、ミサイルやらを撃ち返され、

2機の《ウィンダム》が負傷、1機が墜落し、

そのまま前進してきた敵に突き刺されて、やられてしまう。

その間、敵方も指をくわえて見ていた訳ではなく。

市街地では、例によって街並みに紛れるように武器を構える、

《ワイルドダガー》や《ハイザック》らの灰色の集団が。

丁度《ジ・ズクト》らによる反撃に合わせ、生まれた列の隙間を狙い、

狙撃して、4機余りに手傷を負わせた 。

ただし、致命傷には至らず、多少の隊列の乱れは起きようとも、

前進する敵兵の足取りを止めるには至らない。

さて、空挺部隊の方へと目を向けるならば……

機動力に優れた空挺部隊。

地を踏みしめ歩く《ジ・ズクト》の亀の歩みが、

《ジズ》の背に乗り、移動する鳥の速さに敵う訳がないことは明らか。

だのに、空挺部隊の進み具合は芳(かんば)しくない。

距離的にもルート的にも比較は出来ない部分とはいえ、

市街地を臨む位置まで寄った《ジ・ズクト》らに対して、

《クジャタ》と《ジズ》のパイロットたちは、

ティンドゥフの街を遥か遠方の蜃気楼(しんきろう)のようにしか、

見えていないという有り様である。

理由は2点。まずは……

『取り逃がしたか!』

『コイツらァァ……アリジゴクみてぇにィ!』

『また出たぞ!』

なんて、ザフト側から飛び交う声が事のややこしさを代弁していた。

アリジゴクとは言い得て妙、

何せ敵は地面の中から姿を現しては消えるのだから。

恐らくはミラージュコロイドを使っているのだろうて、

レーダーへ反応はない上に、砂煙により視界自体も悪く。

この砂の下に、アリの巣があるとでも言うのか?

モビルスーツが通り得る程に広大な巣が。

そのぐらいに突然現れては、突然消えての繰返し。

《ジ・ズクト》と違い、密着も然程していなければ、

飛んでいる分、下は死角にもなれば、攻撃も不如意。

どうにか、敵の1機を仕留めたときにはもう、

その周囲に味方の屍が5や6、転がっていた始末。

それでも、現場は緊急で対応せんと、仕留めた敵機の回収に降りる。

サーベラスよろしく、

1機の《クジャタ》を《ジズ》4機が密集して守る体系で降下。

勿論、攻撃を受けたが、そこはサーベラスの防御力。

せいぜい、1機の《ジズ》が片腕を破壊された程度であった。

さあ、高度を上げていくが……

『イヤーズ小隊長!』

という味方な呼び掛けに、その《クジャタ》のパイロットは、

反応が間に合わなかった。

一筋のレーザービームが、雷のように屈折して、

《ジズ》らの隙間より、《クジャタ》の体に突き刺さる。

悲鳴を上げる力はなかった。

ただ、最期の瞬間には、見たことではあろう。

目前に立ちはだかる、

もう1つの脅威、《YMAF-A8BD ドヌ・ゾド》を。



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PHASE-09 意志を貫く力(4/7)

「要するに、私にクールカ隊長を止めろと……命令される訳ですか?」

「いえ、そういう意味では……」

慌てて訂正すれば、ホルローギンは意地悪に笑った。

「いえいえ……すみませんね。あまりにも大真面目におっしゃるから、

少しからかってみたかったんですよ。

別に怒ってはいませんから。ご安心くださいな」

そう言い、ゆっくり握っていたボールペンをテーブルに置いた。

「しかし、まあ……それは無理でしょうな」

黒い皮製とおぼしき回転椅子の背もたれへ、

ゆっくり背中を押し当てるホルローギン。

「……馬鹿は死ぬまで治らない、と申しますし」

ボールペンを握っていた右手が、今度は自身の眉を掻いている。

「隊長は馬鹿ではないと思いますが!」

祈るように合わせたリョウの指先に力が入る。

ホルローギンも面食らった様子で、目を見開く。

そんな相手に我を通す程は強くないのがリョウで、すぐに、

「偉そうに言って……すみません」

と、そう頭を垂れた。

ただ、彼女が次にその頭を恐る恐る上げたときには、

「随分……隊長を信頼されているようで」

ホルローギンはそう笑いかけていた。

「まあ、だからこそ……というのがアナタの気持ちでしょうが」

手を下ろしたホルローギン。胸の前にて2本の腕を交差させる。

「……グナイゼナウ攻略は、クールカ隊長にとっても悲願。

せめて、そこまでは自分に……と言って譲りますまい」

「たとえ、死ぬことになっても……ですか?」

「んーーー」

ホルローギンの首がやや縦に傾けられた。

「クールカ隊長を呼び止めて、そうと問うなら彼は……

そうですね。戦場に立つ時点で、もうリスクはあるとか何とか、

言うでしょうなぁ」

「……そんな」

頭を下げたリョウの顔に、暗い影が覆う。

「……彼は焦り過ぎているのですよ。兎にも、角にも。

アーモリー・ワン襲撃も、予定では6、7月の予定だったものを、

こんなに早めてしまった。病が発覚したばかりに、ね。

その上、最期まで己の病を隠し通すおつもりときている。

お陰で私は……弁解に困りましたよ。ハハハ」

そう笑ってみせど、リョウの表情は曇ったままで。

「一番苦しいのは、クールカ隊長ご自身でしょう。当然です。

病の苦しみ、周囲の不理解、その上、娘さんとも会えないのだから」

このホルローギンの『娘さん』というフレーズに、

リョウが反応する。

「……ご存知なかったので?」

「いえ……ただ、あの……」

目を右に逸らして、考えを巡らすこと数秒。

「秘書の方が、

クールカ隊長を軍務を蔑ろにして、娘と会うような男だとか……

おっしゃっていたのを、思い出して」

「そんなこと……おっしゃっていましたっけ?秘書官殿は」

「あっ……いえ、ホルローギンさんとのお話が終わった後で、

そう言われまして……」

ホルローギン2度目の瞠目。そして、今度は少しニヤけた。

「いえ……内容自体は私の失言なのですがね……

どうにも嘘が下手だ。私という男は……

まあ、しかし、そうでした、そうでした。

あのとき、私たちに知らせてくれたのは、君でしたね。リョウ」

納得の表現として、ポンと手を打つやり方があるが、

にしても、本当にやるヤツがいるとは……

ホルローギンは顔を綻ばせたままに、2、3度手を打った。

「リョウ……アナタ、ひとつ。頼まれてくれませんか?」



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PHASE-09 意志を貫く力(6/7)

階段を降りていくうちに、消えたように見えていたノエルの背中が、
ある部屋の前で止まっているのが見えて……
リョウは少しだけ微笑んだ。
あの日、ホルローギンと交わした言葉たちが思い起こされて。
【どこも人材不足だそうで……
そのうちに、私も引き戻されそうな勢いですが。
秘書官殿も助手がいてくれた方が何かと便利でしょうて」
「僕に務まるでしょうか?】
【……むしろ、適任だと思いますよ?
彼は君が思うより弱く……不器用な男なんですよ。
クールカ隊長にも、ある意味では近いかもしれませんねぇ。
特にノエルくんは、意志を貫く力だけが突出していて、
そこに本人の実力が着いてきていない印象を受ける。
くれぐれも、頼みましたよ。リョウ。何せ、私は……
彼のお父さんほどの天才でもなければ、
お母さんほどの根性も……ないものですから】
自嘲するように微笑むホルローギンの表情の奥に垣間見えた、
寂しさ、あるいは虚しさの理由はあのときも、今も分からない。
……ただ、そうして階段をすべて降り切り、
神経質そうに右足を貧乏揺すりしつつ待つノエルの隣へ。
「お待たせしました」
と一礼すれば、ノエルも、
「……おう」
とか雑に返答した。
そんな『不器用な』横顔に、リョウは少し笑ってしまう。
もっとも、ノエルは大真面目であり、
「……この先に誰がいると思う?」
などと、気持ち上擦った声で問うのである。
「セベク・アガレスさんの娘さんという人ですよね?」
ノエルは声を出さなかった。首は縦に振った。
といっても、顎を突き出すようなモーションであったが。
唾(つば)を飲み込むノエルの喉(のど)から漏れた音が、
彼の緊張を物語る。思えば貧乏揺すりもあるいは……
それでも、
「……行くぞ」
そう覚悟を決め、ドアノブに手をかけたノエルへ、
「はい」
とリョウも力強い返事を送った。


ドアが開く音。ドアの上には鈴が付いており、

開くに合わせてチリンチリンと風雅な音を響かせた。

ここはオラン。俺は例の婆さんが皿を洗っているカウンターにて、

一人、コーヒーを啜(すす)りながら、地元誌を読んでいた。

ドアから入ってきたヤツの姿は見えていた。

やはり、食器棚のガラス部分に反射していたから。

ヒールが地面をつつく甲高い音が耳に障る。

極めて僅かではあるが、徐々に大きくなっていく音と、

ガラスが写す反転した世界の画面が、

俺の背中に歩み寄る女の姿を報(しら)せていた。

飽きれたように目を閉じた瞬間に、ヒールの音が止む。

右隣に座るのは見えていた。だが、話しかけはしない。

俺が少し右に寄っていた自分の体を正面に向けるよう動いた瞬間、

女の左手が俺の右肘を優しく掴んだ。

「……不器用な人ね」

そう、耳元まで寄せてきた口。息が触れる程に。

「……何か用か?」

「用がないと、話しかけちゃダメ?」

ため息が漏れる。

「俺を誘惑して、何になる?」

「いちいち理由が必要?」

首を横に振った。

「……あのなぁ」

苛立ち、荒っぽく雑誌を閉じて、相手の方に向き直ったところで、

この女、事もあろうに開いた両手でもって、俺の口を覆ったのである。

「言葉が必要?」

そう笑う女の顔に、怒りが加速する。ひとまず、顔を背けた。

それから手持ち無沙汰故に、コーヒーカップに手をかけたものの、

中はもう空であって。

雑誌も急に閉じてしまったから、ページが分からない。

左手でペラペラやってると、

掴んだ自身の左手に、更に右手を添え、体を寄せる。

「……こうしたいから、こうするの。何か問題があって?」

またも耳元にて、そんなことを囁(ささや)いたかと思えば、

俺の肩に頭を乗せた。

「聞いたわ、副長さん。アナタって、スゴいのね。

まるでお伽噺(とぎばなし)の主人公……

子供の頃に聞いた、英雄ローランの伝説みたい」

右手の指だろう、

二の腕の筋を人差し指で撫でているのを感じ取った。

「……誰に聞いたか、知らんが」

言いかけた俺の台詞を遮り、

「ワイリーさんよ。楽しい人だったわ」

そう即答した女。自然、俺は舌打ちしてしまう。

「ビンタン……とか言ったな?アンタ」

話しかける俺の言葉をまたも遮り、唇を重ねてきた女。

ほんの一瞬の出来事、

俺が彼女を引き剥がすなり、顔を引くなりするより先に、

当人の方から顔を離した。

「アンジェリカて言うの……本当は。アンと呼んで」

モスキート音のように小さく高い声で、そう告げてきた。

「ローランは確か、足の裏が弱点だった。面白いと思わない?

あんなスゴいヒーローに、そんな弱点があるなんて……

だから、知りたいのよ。アナタの弱いところも」

……我ながら冷静ではなかった。何故、ああも感情的になったのか。

せめて気付いてやるべきだった。ガラスには写っていたハズだから。

店の外で、一連の様子を見ていたという、ヴァイデフェルトに。



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PHASE-09 意志を貫く力(7/7)

半分には満たない程度に開かれた窓より、

入ってきた海風が、腰に下げた軍刀を揺らしたとき、

持ち主──フェイ・デ・カイパーは《フレイヤ》の会議室にいた。

陽光を反射して銀に輝くテーブルの上の鳥籠の中、翼をばたつかせる、

白い鸚鵡(おうむ)にライチの実を食わせながら、

柔和な笑顔を見せていた。

それをドアの小さな鍵穴の中より見るや、

「あの人、もっとお堅いイメージだったんすけど」

なんて小声で漏らしつつ、1歩引き下がるアレハンドロ。

「どれどれェ……」

代わって少し猫背になり、目を鍵穴に寄せるワイリー。

「あんまり、無理しないでくださいよォ……」

と車椅子の後ろから気遣うダスティンに、

「まあ、まあ」

などと言い訳しながら。

「何でぇ、舌にピアスなんかして、強面(こわもて)って感じなのに、

意外と可愛い顔して笑うじゃねぇか。えぇ~」

とか何とかワイリーが言っているうちに、足音が近付いてきた。

話し声と一緒に。

「どういうことよ。補佐官様直々の御成りなんてさ。

大体……来るなら来ると、連絡寄越してくれれば、

こちらも迎えを出すのにさぁ。感じ悪いじゃない。もう……」

アルメイダの声である。角になって見えない位置にいるのだが、

それでもアレハンドロが振り返って、声の方を見た。

「それだけ、重要な任務ということでしょう。

電波に乗せると盗聴の恐れもありますし、

補佐官程の方がいらっしゃるとなれば、周囲の目も向きますから」

そう答えるはハビエルの声。やはり見えないが。

アレハンドロに続いて、ダスティンがそちらを向いた。

やはり見えないが。

「だったら、もっと無名の人間を寄越すとかさぁ……」

「伝言役として、信頼できないと判断されたのでは?」

「何よ、それぇ……」

そんなところで、ようやく男3人の視界に入った。勿論逆も然り。

「アンタら……何してんの?」

と割に大きな声で呼んでしまうのがアルメイダ。それを、

「まあ……お昼が近いですからねぇ」

と誤魔化(ごまか)すハビエル。

なお、女2人からして、会議室より1つ手前の部屋が食堂である。

ハァ?と言いたげな顔で振り返るアルメイダを、

まあまあと宥(なだ)めてハビエルは、

指でドアを差し、次に地面を差すという動作でもって、

中にフェイがいるのか、男らに確認する。

ワイリーとダスティンは意味が分からないらしかったが、

勘が鋭いアレハンドロが反応した。うんと頷(うなづ)いて。

わざと足音を立てて歩いてきてアレハンドロは、

「……朝が遅かったんすよ。俺たち寝坊しちゃって」

と答えつつ、振り返ってダスティンを見る。

慌ててダスティンも、

「あぁ……そうだね」

なんて空返事を返す訳であって。

続いてダスティン、何を思ったのか、車椅子を抱えると、

「おおっ」

と声を上げたワイリーに、

指を自身の口に当てて静かにと促(うなが)し、

それから、そのまま、足音を立てないようゆっくりと、

食堂の部屋の前まで運んだ。

「……今、食べてきたところですもんね?ワイリーさん」

なんて白々しい台詞を吐くダスティンだが、

芝居は下手と見えて、ぎこちない。

合わせるワイリーも、

「……おおっ!」

そう声が裏返り……そんなとき、突然、会議室のドアが。

振り返る一同。当然、そこにはフェイの姿があり。

「アルメイダ大隊長に、ハビエル副館長ですね?

突然の来訪、お許しください。ひとまず、話は中で」

と未だ遠方の両人に言うだけ言って、部屋に戻る素振りを見せた。

ホッとしたのも束の間、

「御二人のみで十分ですので……

覗き趣味の皆様にはお引き取り願います」

と言い残されてしまった。

「……やっぱバレてらぁ」

ワイリーが苦笑しつつ、アレハンドロ、ダスティン、ハビエルの順で、

周囲の面々と顔を合わせた。

ズケズケと進み、アレハンドロに退けと鼻を鳴らして合図し、

先にドアの中へと入っていくはアルメイダ。

他方、ハビエルはというと、退いたところのアレハンドロに歩み寄る。

「補佐官さんは、中で何してたの?」

「鳥に餌(えさ)やってました。楽しそうに」

ハビエル、これにはかける言葉を失う。

「……わかった。ありがとう」

アレハンドロの肩をポンと叩いて、彼女もまた、中へ入って行った。

……さあ、男連中はそれぞれが顔を見合わせる。そして、

「セクハラって言われるよりは、マシだよな?」

ワイリーのそんな付け加えを聞いて、うんと頷く残り2人なのだった。




「アーモリー・ワンのときといい、お疲れ様ですね。カイパー補佐官」
アルメイダの横に腰を下ろしつつ話した、
そんなハビエルの社交辞令はフェイの耳には届かないと見えて。
「……出来ることならアスカ副長にもお立ち会いいただきたかったが、
私にも時間がないもので。単刀直入に説明させていいただく」
フェイにそう言われれば、愛想笑いを浮かべていたハビエルの顔も、
真剣になるのは必定で。
「《フレイヤ》には、海路から迂回してリビアに入り、
セベク・アガレスが長女ネイトが守る拠点を叩いてもらいます」


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PHASE-10 忍び寄る影(1/7)

「……フレイヤ大隊のみで、攻略に当たれと?」

ハビエルは、怒りを上下の歯で文字通りに噛み殺し、

噛み合わせた口で辛うじて笑みのようなものを見せていたが、

そんな彼女に一切憂慮することなく、フェイは言い放った。

「少数でなければ、奇襲は成立しないもの」

フェイの口の中より数瞬覗いた舌先についたピアスが、

荒波に揉まれる魚のように見えていた。

「……よろしいですか?」

やや前屈みになるハビエルに対して、少しは察したと見えて、

「どうぞ」

と、左側、緑色した髪の耳回りをかきあげながら。

ハビエルはゆっくり背もたれに身を倒した。

わざとらしい笑みも止めて、必死に微笑を顔に貼り付ける。

「現代戦において……奇襲作戦の成功率が如何(いか)に低いか、

お気付きですよね?

……アーモリー・ワンでザフト脱走兵側が被(こうむ)った損害、

そして『オバマ』攻略戦でルカーニア艦隊を襲った攻撃。

どちらを見ても、

部隊にとって最善の作戦とは言えないように思われますが」

「……そうですね。奇襲というやり方はよくないかもしれない」

あっさり引き下がるフェイを、

アルメイダは退屈そうに見つめていた。しかし。

「大隊ひとつで都市ひとつを攻撃するという作戦構造そのものは、

けして無謀ではありません。

事実、リュメル中隊はアナタ方より少数でもって、

任務に当たっていました」

……リュメル中隊は負けたじゃないかと、

詰問したいハビエルではあったが、ここでは一度口をつぐむ。

「……今回の任務では、

皆さんと交替で一時オランを離脱していたファンク小隊と、

アデリー小隊の残存戦力から戦艦1隻とモビルスーツ3機、

これらをフレイヤ大隊の与力として派遣します。

アルジェリア方面に兵を割き、手薄となったリビア攻略においては、

十分な兵力と司令はお考えですが」

見合わせるハビエルとアルメイダ。

それは『司令』、すなわちルカーニアの名を提示された瞬間だった。

瞬時に察知する。言葉の意味するところを。

いち大隊長、いち副艦長に過ぎない彼女らが、

否定することの出来ない言葉の重さを。

「……了解しました」

とは、アルメイダの回答。

「ご希望に沿えるよう、善処致します」

深々とお辞儀するアルメイダに続いて、

ハビエルも素早く頭(こうべ)を垂れた。

自然と目を閉じるアルメイダに対し、

ハビエルは不服とばかりに目を見開き、足下を睨み付けている。

「……ご武運を」

一礼。

喉が捻(ねじ)れるような低く、掠れた声でもって応じたフェイ。

ただ、その横から、

「ヒドイヒトォ……」

とか何とか聞こえ出せば、下がった頭が跳ね起きる。

特に反応が早かったのがアルメイダ。次はハビエル。

フェイは……驚いたというよりは呆れたといった表情でもって、

ゆっくり顔を上げ、ゆっくり目を閉じた。

声の主は鸚鵡。籠の中の白き鸚鵡である。

「ヒドイヒトォ、ヒドイヒトォォ!」

カタコトで話す外国人のような発音で連呼する鸚鵡。

翼をバタバタさせ、細長い羽根をポタポタと落としていく。

「……ヒドイヒトォォォ!」

鸚鵡は吠える。フェイの横顔を見つめながら。

笑いを誤魔化す形で、咳き込む素振りを見せたアルメイダ。

対してハビエルは呆然として、ただ見つめることしか、しなかった。




「……ヒドイヒトォ~、だって」
休憩室の自動販売機の前に立つハビエルの顔が、
ガラス戸へ、奥の飲料に重なる形で浮かんでいた。
奇しくも、羽ばたく鸚鵡を見つめていた時と同じ、
どこか草臥(くたびれ)れたような、疲れた表情でもって。
「何で鸚鵡を連れてたんでしょうか?」
ハビエルの背後、椅子に腰かけたヴァイデフェルトが問う。
「対策のひとつらしいわ。何でもね。
そのまま入国すると、バレる可能性が高いから……
理由付けとして、鸚鵡の輸入ってことにしたらしいわ。
多分、パスポートとかも偽造してんでしょうねぇ」
「……そうですか」
ヴァイデフェルトはそう語りながら、
両手で大切そうに抱く缶コーヒーに口をつけるのだった。
時折、向かいの方を気遣う素振りを見せながら。
「何だかって、感じよねぇ……」
缶コーヒーがボトッと落ち、それをスッと取り上げ、
振り返ったハビエル。
「……そういうの、一応相談してもらいたいよねぇ」
なんて首を軽く振りながら、ハビエルはテーブルへ。
丁度ヴァイデフェルトの向かい側へと腰かけた。
隣にはもう1席あり、ヴァイデフェルトは左斜め前にいる。
そして、横には……
「そう思わない?ダイ」
ダイは項垂(うなだ)れていた。金色の髪をモップみたいに垂らして。
「……ダイくん?」
心配そうに見つめるヴァイデフェルト。
対して顔を上げたダイの視線は、
ヴァイデフェルトにではなく、ハビエルを見ていて……
「少し……いいですか?ハビエル副艦長」


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PHASE-10 忍び寄る影(2/7)

「ティンドゥフなら、先程敵部隊の撤兵を確認したそうよ」
ハビエルが優しげに伝えるが、ダイの表情が変わらない。
「何?……情報はもっと秘匿(ひとく)しろとでも言う気?」
そう不機嫌そうに言おうとも同じで。
「いえ……アレハンドロについて、なんですが」
嫌な予感がしたのだろう。ヴァイデフェルトの表情が曇る。
「CICのルアクが立ち聞きしたそうです。先日の戦いの前に。
アレハンドロが隊長に直談判(じかだんばん)するところを」
ハビエルも、大概勘のいい女である。直ぐに状況を理解した。
「モビルスーツ乗り換えてって話?」
「はい」
「通りで……隊長が私の命令だなんて息巻いた訳ね」
ニヒリスティックな笑みを浮かべつつ、
ハビエルは、左の袖に右腕を捩(ね)じ込む。
「アレハンドロは、戦死したアデリー隊長と面識があったようで、
北アフリカ戦線で敵方の大型モビルアーマーが猛威を振るっていると、
聞いていたようで。
……実際には、《ドヌ・ゾド》なるモビルアーマーを想定し、
ワイリー先輩と共に敵の虚を突く作戦だったとか」
「まあ、それは、あの赤いヤツ……《マッド》だっけ?」
そんなハビエルの投げかけに、急遽頷くヴァイデフェルト。
「……だったから、計画はおじゃんだった、と」
「はい」
「なるほどねぇ」
音として聞こえるぐらいの鼻息を漏らしつつ、
ハビエルが瞬(まばたき)きをする。そんな次の瞬間。
「いいんですか?……副艦長は、それで」
ダイがそう問うのである。ヴァイデフェルトは顔を逸らした。
「……どういう意味?」
ハビエルは笑っている。今度は要領を得ないといった様子で。
「副艦長を蔑(ないがし)ろにしたという意味で……」
ダイの深刻そうな顔つきと対照的に、ハビエルは笑顔のまま。
「別に隊長のが格上なんだから、仕方なくない?」
「……アイツは、隊長なら騙せると思ったに違いありません。
その後の《マッド》対策の失敗を見ても、
アレハンドロひとりの杜撰(ずさん)な計画だったことは明らかです。
あんな勝手なマネ……許すつもりですか?副艦長」
んーとか、うーとか、文字で表記するのは難しいが、
鼻息でもってそう応答していたハビエルは、間もなくこう反論した。
「終わったことを責めても仕方ないっての……
もうお昼だし。とりあえず、ご飯食べに行きましょうか」


昼過ぎ、オランに雨が降った。

天気予報の伝える降水確率20パーセントをアテにして、

傘のひとつも持たずに出た俺に婆さんが笑って教えてくれた。

この街じゃ、20パーセントは高確率だと。

傘を貸してくれると言ったが、悪いからと断った。雨はそう強くない。

これがシャワーなら、俺はきっと勢いを強めるだろう。

雨粒が体へ滴る度に、誰かに指で撫でられたような感覚がする、

嫌な雨の降り方だった。

雨音よりも俺の足音の方がいくらか大きいぐらいに響く街には、

人陰はほとんどなく。

仮に向かいから足音が近づいてこようと、

相手さんは傘を障害物にして顔を隠してしまうのだから、

とりつく島もないとはこの事。

両手をポケットの奥にしまい込んで、潤んだアスファルトを踏む。

無意識のうちに、体は下を向いていた。

……どれぐらい歩くのだろう?5分とか、10分とか。

足が雑草を踏みつけていたとき、顔は断崖絶壁を見下ろしていた。

そう高さはない。

埠頭(ふとう)を3つばかし挟んだ先に《フレイヤ》が見えている。

何メートル離れているかはしれないが、ここから見たのでは、

女神の名を冠した大戦艦もまるで玩具(おもちゃ)みたいだ。

ふざけて手を翳(かざ)し、開いた指をグッと折り畳んだ。

まるで玩具を握り潰すみたいに。

「風邪……引きますよ?義兄(にい)さん」

不意にそんな声が背中側からして、傘が頭上に突き出される。

白濁したビニール傘だ。弾いた雨の痕跡が傷跡のように残る。

「……いつから、俺の後ろにいた?」

向き直ると、ダスティンは笑って、

「いつからだと思いますか?」

なんて聞き返すから、それ以上は問わなかった。

「言っときますが、ここから飛び降りたら死にますよ?流石に」

「んなもん、見りゃ分かる」

「うまく海上に着地すりゃ別ですがね」

……着地じゃなくて着水だろうと、口に出すのはどうにも面倒で。

「……別にやりゃしねぇよ」

俺は傘から飛び出て、数歩引き返した。道路端にはバイクが一台。

真っ赤なSUZUKIの文字が目を惹く、黒のGSX250SSカタナである。

振り返ると、

「僕だってバイクくらい乗りますよ。いいでしょ?」

そう誇らしげに見つめ返すダスティンの姿。

「……乗ります?」

鍵をハンドベルのように揺すって見せるダスティン。

「いや、いい……歩いて帰れるさ」

……後から考えれば、

ダスティンのヤツ、バイクはどこから持ってきたとか、

バイク移動なら傘はどこに入れていたのかとか、

気になる点がいくつか浮かんできたが、あえて聞かなかった。



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PHASE-10 忍び寄る影(3/7)

事実、店から戦艦まで、そう距離はなくて。

何も考えずにぼんやりする時間も、少しなら悪くない。

ワイヤレスのイヤホンをしていた。

申し訳程度に髪の下に耳ごと隠しながら。

聞いていたのは、地元で配信しているネットラジオ。

フランス語らしく、ほとんど何を言っているかは分からなかった。

まあ、人なんかほとんど歩いていない街だ。

怖いぐらいに静まり返った中を歩くよりはいくらかマシ。

音楽でもよかったが、生憎そっちは疎(うと)くてな。

……という訳で適当に聞いていたが、せいぜい意味が取れたのは、

パーソナリティの名前らしき『アンジェリカ』ぐらい。

「……よりによって」

と、俺は思ったのか?言ったのか?証言者がいないから分からない。

なおラジオは二人構成だったのだが、

相手の名前までは分からなかった。

これなら、ダスティンのヤツにバイクを借りるべきだったか?

いや、もうずっと乗ってないんだ。

雨で滑る道なんか走ったなら、どうなることやら……

そう考えているうちに、あの気味の悪い雨が更に勢いを弱めていく。

目的地まで着いたときには、

もう閉まり切らない蛇口からポタポタ水滴が漏れていくような、

小雨(こさめ)も小雨となっていて……正直、気に食わなかった。

自分ではそこまで濡れた自覚はなく、

室内に入ると、進む度に聞こえる滴る音へ驚かされた。

「ズブ濡れじゃないですか!副長」

たまたま通りかかったパーディが俺を呼び止める。

「タオル取ってきます。ひとまず、これ使ってください」

なんて言い残して取って返したパーディ。

さて、彼女がひとまずと置いていったのは、なんとハンカチ。

それも派手めな彼女のイメージに反して、

ワッペンが目を引く、幼稚という意味に可愛いもので。

試しに広げてみたが、片手ぐらいのサイズしかない。

しかも、ワッペンの柄はステラ……星である。

「……気が利いてるよ。まったく」

我ながら無駄に手際よくハンカチを折り畳んだ。

どれぐらいかというと、

「慣れてますねぇ」

なんて後ろで見ていたアレハンドロに言われるぐらい。

「……副長って、意外と女子力高い?」

「そりゃ、俺は14で単身プラントに渡ってきたからな。

大抵のことは自分でやらなきゃ、誰もやってくれなかったよ」

「大変すねぇ」

……アレハンドロの物言いに、違和感を覚えて振り返る。

「……オマエも移民だよな?」

「はい」

……そこから先は、デリケートな部分ゆえ、言葉を詰まらせた。

だが、アレハンドロが人を小バカにしたように、

体を捻って笑うから、俺もふざけて肘でこついた。

「パワハラだー」

「だったらオマエは不敬罪だ」

「いつから俺の親になったんすか!副長!」

「父兄(ふけい)て言いたいのか?……くだらねぇ」

そんな漫談を繰り広げた辺りで、パーディが再登場。

タオルを渡すのだが、場の雰囲気に乗ったのか、

「どうぞ」

と俺に投げつけるのである。コントみたいに。

頭に乗ったタオルに視界を遮られ、すぐには状況を理解できなかった。

しかし、

「アハハ」

なんて呑気に笑うアレハンドロの声に、

おおよその状況を察して、タオルを下に引きながら振り返れば、

パーディが半笑いで俺に頭を下げていた。

「……上司へのイタズラってのは、何ハラになるんだろうなぁ」

「ウラハラ?」

「やかましい」

笑って言うアレハンドロを咎めれば、

「フフッ」

と背後でパーディも笑う始末。

振り返れば、一応頭を2、3度軽く下げて謝る素振りは見せるが。

「俺はハビエルみたいに小言言う気はないが……」

パーディに右手でハンカチを返し、左手を動かし、

適当に髪を拭く。

「……今晩には、ここを発つんだぞ?」

右手もタオルに添えた。

「まあ、いいじゃないっすか。ピンと張り詰めてんのも、

息苦しいですって。脱力も大事っすよ?リラックス、リラックス」

「……オマエに言われると腹立つな」

「タツハラ?」

アレハンドロの足を踏んでやった。

「背に腹は変えられないって言いますし、ねぇ……」

「パーディ……多分だが、言葉の意味、間違ってるぞ?」

「え…………人の性格って、変えようとしても変えられない、

みたいな意味じゃなくてですか?」

訂正しようと振り向いた瞬間、

踏まれた足を抱くように屈んだアレハンドロがボソリ、

「……セニハラ」

と言った為、俺の動きは止められた。

「まあ、パーディの指摘自体は間違いじゃないってことで……」

ゆっくり上体を起こすアレハンドロ。

「……初志貫徹っすよ。副長。やりましょ?模擬戦。

今日こそ、勝ちますから!!」



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PHASE-10 忍び寄る影(4/7)

紫色のパイロットスーツを着る片手間に、腰を下ろすは、

夜間に飛び交う蛍火がごとく、疎らな灯りが照らす、

ほの暗いコクピット。

我ながら慣れたもので、左手だけでヘルメットを頭に被せつつ、

キーボードを叩いて操作する。

前が見えなくなるのは、ヘルメットの縁に目が重なる一瞬だけ。

とはいえ、その一瞬で、画面は切り替わったのだが。

「……フィールドは?」

俺のそんな問いに、アレハンドロが食い気味で即答する。

『市街地で』

と。あまりの速さに、こちらの手が一度止まった。

「……わかった」

気持ち呆れ気味といった語調で告げ、手を動かした。

2、3必要事項を入力した後、

『──これより、

《ZGMF-X40A1 ヴェスティージ》の模擬演習を開始します』

とのアナウンスを聞いた。

やがて四方の様子が切り替わり、市街地が目前に現れる。

一口に市街地といっても、街並みは違う。

前に、《インパルス》や《デスティニー》と戦ったときは、

アーモリー・ワンの様子を反映していたから、見覚えもあった。

だが、今度は違う。

衛星が捉えたとかいう、トリポリ市街地の映像であるから。

(以前、人工衛星の存在があるから、

地上における戦艦・モビルスーツの動向は、

他国にも観察されているのでは?と上に指摘したヤツがあり、

現時点ではザフトしか人工衛星を有していないことから、

その心配はないとか何とか説明されたそうだが、果たして?)

……そんなことを考えているうちに、落とし穴に嵌(は)まったように、

急に足場が消えて体が落ちていき、

そのうちに《ヴェスティージ》の両足がゆっくり地に降りた。

軽く跳ねて、重量を確認する。なるほど、確かに軽くなった。

揺れに合わせて、体が1cmぐらい浮き上がる感じがした。

「コイツはいい。肩凝りが治ったみてぇだ」

『……年は取りたくないっすねぇ』

アレハンドロの声が聞こえた。しかし、《アビス》の姿は見えない。

「年寄り扱いすんなよ。そこまでは違わねぇっての」

そう話しながら、レーダーを確認する。

レーダーに表示された《アビス》は、

どうやら数百メートル先のビルの陰に隠れているらしい。

「まあ、確かに……」

ビームライフルに手を伸ばす。

さあ、不意にビルの陰から現れた銃口。いや、砲口というべきか。

あの太さはマグヌス・バラエーナと見て間違いない。

「……オマエほど、青臭くはないけどな」

放たれた赤く太いビームの川が、空に向けて流れた。

目標は、俺だったのだろうが、スナイプするには隙がデカすぎる。

右にあったビルを3棟ばかり貫通していくのを横目に見つつ回避し、

動いたと同時にライフルの引き金を引いた。

あっさり当たった。1棟のビルを貫き、隠れていた《アビス》の足へ。

砲の射角が派手に逸れ、目前にあったビルを、

刀の試し切りで竹を切るみたいに一直線に切断して、

それから空に雷がごとく飛んでいき、やがては消えていった。

「……今度は勝てるんじゃなかったのか?アレハンドロ」

そう雑に挑発しつつ、俺は機体をゆっくり歩かせていた。




……足が止まる。
ドアを開いて、その縁をノエルの右足が越えたときだった。
数十メートル先、ドアの前に男が立っていた。
小さく見えた。目深に被ったソフト帽に隠れ、表情は見えない。
肘の上まで捲(まく)られた白シャツの袖の下に見える、
大木の枝を思わせる小麦色の腕。
「……着いて来い」
ノエルは振り向くことはせず、口だけでそうリョウへ伝えた。
リョウには、彼がわざわざそう宣誓する意図が分からなかった。
返答もせず、後に続く。
派手に響いた足音、しかし相手に動かない。
そこから5秒間、ノエルは額の汗さえ拭うことなく、進んだ。
およそ3メートルまで近付いたとき、
梟(ふくろう)のように微動だにしなかった男が動いた。
彼の左手が、
サスペンダーに付随(ふずい)する右のホルスターへ伸びたとき、
ノエルの体は仰(の)け反っていた。
汗が毛先を伝い、リョウの革靴へと滴り落ちた。
「……ノエルさん?」
頭に乗ったハンチング帽が右にずれるのも気に止めず、
脇の下の隙間から前の状況を見たとき、
男の拳銃──S&W M500の銃口が眉間に触れていた。
「答えてもらおうか。名前と肩書、ここに来た目的。
……俺がここで引き金を引かずに済む理由を」


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PHASE-10 忍び寄る影(5/7)

銀のトリガーにかけられた、黒い指。
この指がスッとあと数センチ、後ろに引かれれば最後……
ノエルの恐怖が目に見えるようだった。
震える足の踵(かかと)が半歩ばかり後ろに下げられると共に、
後退がちに仰け反った姿勢をゆっくり戻すノエル。
その動きに合わせ、当然M500の照準も向けられる。
次いで、拳銃を握る右手に、左手が添えられ、
その上、姿勢も正される。
撃たれる……と、後ろで見ていたリョウにまで緊張が走る中、
ノエルは胸元から素早くパスポートを抜き取り、
右手で写真のついたページを開いて見せる。
「ノエル・ド・ケグといいます。
ザフト脱走兵、マーシャル・オートクレールの使いの者です。
ネイト・アガレス様にお取り次を」
言葉自体は滞(とどこお)りなく発せられた。割に堂々ともしていた。
ただ、少しだけ舌を噛みそうなところがあったのと、
発言後に息の乱れが音として現れていたことを除けば。 
「……ネイト様に、か」
男はどこか呆れたような調子で応じた。
直後、後ろのドアが開いて、眼鏡をかけたズボラ髪の女が、
「アモン!ネイト様のご様態が……」
なんて口走りながら飛び出してきた。
「……アモン」
この彼女、ノエルらを見て、慌てて口をつぐんで目を逸らすが、当然、
「ネイト様の身に何か?」
とノエルに問われてしまう。
「……説明する手間が省けた」
そう、黒人の男──ことレェ・アモンは、先程と同じ調子で呟く。
「撃たれたんだよ。ついさっきな」


……《アビス》が被弾してから、10秒程度経過したろうか。

アレハンドロに動きがない。

「誘い込めば勝てるって発想か?」

確かに、《アビス》なら硬い甲羅に身を守られている。

防御力は高かろう。しかし、

「その手、前も使って上手くいかなかったって……覚えてねぇのか?」

《アビス》というモビルスーツの構造的欠陥は、その甲羅にある。

僅かだが隙間があるのだ。形状的に仕方がないのだが。

それは末端、人間でいう臍(へそ)に当たる箇所であるが、

閉じられたシールドの下部にほんの少しだけ隙間があり、

そこに銃口を捩(ね)じ込めば、ぎりぎりコクピットを攻撃できる。

既に実証済みだ。この方法で俺はアレハンドロを下している。

「……機動力だって、《Im/A-P》より高いコイツなら、

同じ芸当が更に簡単に出来る。言いたいことは、分かるな?」

『……どうもぉ~』

アレハンドロの呑気な返答に、つられて笑いそうになる。

『まあ、別に……誘い込もうなんて、考えちゃいませんよ。

俺は女を口説くにも、もっとストレートに行く主義なんで』

「そうかい」

『やっぱ……そこは大胆に行きますよ。大胆にィ!』

宣言通り、《アビス》は飛び出した。

甲羅に守られた魚のような姿で、頭上に旋回している。

「何を考えて……」

ものの試しに魚の尾びれ……もとい、ヤツの足の方を狙撃してみれば、

あっさりどっちかの足が地面へと落ちていった。

しかし、厄介だったのはそこから。

空中で方向転換した《アビス》は、その魚のかぶとがごとき、

ヘッドギアに守られた頭部を突き出すと、

飛び魚みたいにそのまま飛び降りてくるのだから。

「……こちらの正確な位置を探っていたってのか?」

当然、こちらも動く。小走りに右手側へ。

弾丸みたいに飛び込んできた《アビス》は、先も尖ってねぇのに、

勢いだけでビルを突き刺し、破壊してみせた。崩れた豆腐のように。

ただ、俺に言わせれば、それは……

「……そんな体勢じゃ、攻撃手段がそれしかねぇってことだろ!」

さぁ、一本道でヤツとご対面。

またも旋回しながら、こちらへと向かってくる《アビス》。

武器らしい武器は見受けられない。

「オマエなりには、考えたみたいだがな……」

本体より先に、ミサイル2発が発射されたが。

片方はその身を離れるより先に俺が撃ち落として、

もう片方も本体より外れた数秒後、数メートル程度進んだところで、

これまた撃ち落とした。

例によってビームが拡散したが、遠すぎて俺には当たらない。

「……何になるってんだ?こんなことで」

破裂したミサイルが巻き起こす煙、巻き上げる砂やゴミ。

そんなものに紛れて、ヤツの足が飛んできた。今度は左足。

恐らくは、最初に撃ち抜かれた方の足だろう。

勿論、撃ち落とした。

「からかってんのか?アレハンドロ!」

そう思わず語気を強めたときに、《アビス》の姿が現れた。

モーションは変わらない。回って、真っ直ぐに進むだけ。

「泳ぎは、水ん中でしな」

突撃してきたを、左に逸れて避けた瞬間、

『……当たれ!』

との叫びと共に、《アビス》の左腕に胸びれならぬ、

ビームサーベルが形成された。



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PHASE-10 忍び寄る影(6/7)

1時間後、食堂にて、
「……そこまではよかったんすけどねぇ」
苦笑いがちに、シチューを口に運ぶアレハンドロの姿があった。
「結局、負けちゃったんだ?」
向かいで頬杖をつき、嫌みっぽく笑うハビエル。
「はい……いやぁ~、やっぱ副長強くって」
そうは言いつつも、どこか嬉しそうなアレハンドロに、
ハビエルの表情も優しげなものへと転じる。
ただ、続く、
「……ある意味、よかったっすよ。信じていいんだ、って気分というか。
これで、副長の強さを再確認できた、みたいな感じで」
というアレハンドロのうつ向きがちの一言には、
ハビエルも複雑な表情を覗かせる。
「ハードルって、高い分だけヤル気でるじゃないすか?」
そう悪童のように笑うアレハンドロであるが、
向かいに座る鷲鼻の女は、
持ち前の鼻を撫でる素振りで口元を隠しつつ、
物憂げな表情でアレハンドロを見つめていた。
「ハードル……そうね。確かに」
さて、この二人が腰かけていたのは、食堂内でも比較的奥の方。
アレハンドロは入り口を背にしていた。
ハビエルは人の出入りを見ていた。見えていた。
入り口側の席でラグネルとヴァイデフェルトに何か力説中のパーディ、
券売機の前でワイリーと談笑するダスティン、
お気に入りらしきマアト・クィルを引き連れて退出するアルメイダ、
それから……今、入ってきたダイを。


【弱点とかないんですかぁー?副長って】

負けたってのに笑って言ってくるアレハンドロの満足そうな顔が、

妙に頭から離れないまま、俺は自室に戻り、シャワーを浴びていた。

熱いシャワーだ。浴室は湯気に覆われ、壁の鏡は曇っていく。

「弱点……か」

あのビンタンとか言う女も、そんなことを言っていたなと思い出す。

【ローランは確か、足の裏が弱点だった。面白いと思わない?

あんなスゴいヒーローに、そんな弱点があるなんて……

だから、知りたいのよ。アナタの弱いところも】

つくづく嫌いなタイプの女であるし、

何より俺の前でローランを持ち出す辺りが……

ただ、そういった心情を抜きにしても、

俺はあのとき、返す言葉を持たなかった。

弱点……弱さ。言い換えれば、何を恐れているか、ということだろう。

となると、──全く以て不本意ではあるが──ヒントになる言葉が、

あるにはある。言ったヤツが、いるにはいる。

【人は死に直面した瞬間、思うことは恐怖しかなくなるのに】

……そんなことを嬉々として語っていた、例の強化人間とか。

俺が半分ぐらい死にたがっているとか、適当言ってやがったな。

ふざけたヤツだった。俺のことをお兄ちゃんとか呼びやがったり、

部下だか何かを自分の子どもだと語り始めたり。

多くはどうでもいいこと、取るに足らぬことであったのだが、

一言だけ、妙に引っかかる台詞があった。

【いつまで……死に損ねる気?】

生き続けるではなく、死に損なうと。

変な言い方だが、妙にしっくりくる。

定命(じょうみょう)……とか言うんだっけか?

人間の終わりは決まっているらしい。そういう考え方があるという。

俺の場合、死は……怖くはなかったな。ただ、それは、

【厚い鉄の壁を一枚隔てしまえば……「死」はどこか遠くに……

殺しているという自覚も、殺される恐怖も……

不思議なものだ。忘れてしまっているのだから。

だからこうして、平気な調子で話せるんだろうなぁ……】

そうヤン・クールカが語った通りかもしれない訳で。

ならば、本当は怖いのか?では、

【フィリップ・マーロウが言ったろう?

『撃っていいのは、撃たれる覚悟のあるヤツだけだ』と】

そう語ったレェ・アモンの、マーロウの『覚悟』とは?

あのときは俺も、

【アンタの望むものは、ここにはない】

なんて息巻いたが、ヤツが本当に望んでいたこととは?

……考えたところで答えは出ない。

ただただ、多くの人間の言葉が頭を駆け巡った。

脳が、まるで空気を入れすぎた風船のように、

破裂してしまいそうだった。

いや、派手な爆発でないだけで、穴ひとつぐらい出来たかもしれない。

温度が上がりすぎた熱湯を、冷水に切り替え、

今度は低すぎる温度に、肌を刺されたような痛みが襲う中で、

空気──つまりは、列記したような様々な言葉が、

もう頭の中から離れてしまっていたのだから。

最後に残った、あるいはそれから先に思い当たったのは、

こんな一言。

【また……守れなかったね?『お兄ちゃん』】



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PHASE-10 忍び寄る影(7/7)

アモンに連れられ、ノエルらがドアの奥へと入っていくと、

そこは大広間へと繋がっていた。本当に大きな部屋だった。

頭上には装飾品が剣山のように垂れ下がる、豪勢なシャンデリア。

四方の壁に写し出された雄大な大自然の映像は、一目には、

その部屋がサバンナと窓一枚に仕切られているだけであるがごとく。

「……結婚披露宴でもやるのかと、いいたくなる場所だろうが?」

入り口にてアモンが苦笑がちに語る横で、

リョウは勿論、流石のノエルも驚きを隠せずに。

「あれが……見えるか?」

首を振るアモンに、ノエルの視線が移ろう。

見開いた両目を細めたノエルは、間もなくその口を横に伸ばした。

透き通った川の流れにも似た、

空色の雅(みやび)やかな絨毯(じゅうたん)を、

100歩ほど歩いた先。何か赤い染みが見えた。

少し黒ずんだ、枯れた赤色。

「……あそこで撃たれて、それっきり起きてこない」

アモンが一人離れていく背中の奥で、リョウの表情が曇った。

ノエルはアモンの背中を目で追っていた。

部屋の中央へと向かって歩くよう見えたアモンの足取りは、

およそ目的地まで半分といった距離まで差し掛かったところで、

若干の軌道修正が行われた。右斜めに動いたのである。

そのうち、右手側に現れた丸テーブルに手をかけたかと思うと、

アモンは屈み、

テーブルクロスに隠れる形で、二人の前から姿を消した。

ノエルが2、3歩ばかり前に出て、テーブルとテーブルの隙間から、

姿をと覗き見れば、当のアモンは無論しゃがんでおり、

隣に白いヒモで型どられた人のシルエットがあった。

頭部とおぼしき突き出た円の右上辺りに、

溢(こぼ)したように飛び散った、赤黒い染みを残しながら。

「仕事の成功を……喜ぶ暇もなかったろう」

アモンが呟く。ノエルやリョウに聞こえたかどうか。

さて、テーブルの上には、ネームプレートが置かれていた。

ノエルがそれを人名と察したのは、入り口付近にて、

『Re Amon(レェ・アモン)』のプレートを見つけた為。

当然、アモンが今いる場所のプレートにも目がいく。

角度の問題ですべてを読み通ることは出来なかったが、

少なくとも『Hārūn(ハールーン)』という下の名前は読みとれた。

そんな中、ノエルより後ろのリョウ、その更に後ろにて、

先ほど飛び出してきた、あのズボラ髪の女の口が動いた。

「『モーセとアロンは、主の命じられたとおりにした。

彼は杖を振り上げて、

ファラオとその家臣の前でナイル川の水を打った』……」




「……『川の水はことごとく血に変わり、川の魚は死に、
川は悪臭を放ち、エジプト人はナイル川の水を飲めなくなった。
こうして、エジプトの国中が血に浸った』」
フェイ・デ・カイパーはそこまで読み上げると、
静かに本を閉じた。
それは緑色の表紙が特徴的な、手帳ほどの小さな本だった。
彼女の顔にかけられた白いヴェールが、風に揺れている。
腰かけた、サバクトビバッタのごとき黄色の電車、
車両の開かれた窓より、砂と共に吹き荒ぶ風によって。
車両と車両とを繋ぐ、前後のドアには、2人ずつ警官が立っていたが、
フェイの言葉に反応はなく。
「『旧約聖書』ですか?」
そう尋ねるのは、向かいの席に腰かけた、鳥籠を抱く少年だった。
彼女ら2人の他に、車両に客はない。
「……『タウラート』と呼ぶそうよ。この辺りじゃ」
本は間もなく、フェイの胸元への押し込まれることになる。
チャードルと呼ばれる、頭まですっぽりと覆われた、
ムスリム的な黒いマントを着た、彼女の胸元に。
「へー……」
……そんな話をしていると、前の方にいた警官がフェイに歩み寄り、
「……間もなく、ゴシェンです」
と囁く。
「ファクスと呼びなさいよ」
「そう呼べと……あの方から仰せつかっておりますので」
「……あっそう」
不機嫌そうに応じるフェイがおかしいのか、少年が微笑む。
あれほど煩(うるさ)かった、あの白い鸚鵡は、今度は鳥籠の中、
静かに眠っていて。
「そう、警戒なさいますな。
我々、『明けの砂漠』はザフトの皆様を歓迎いたします」
「……10年前のことは、水に流すと?」
「バルトフェルド議長は、辞職という形で誠意を見せてくだされた。
ムーサー様はそれまでのことは忘れて、ザフトと協調すると、
お誓いになられました」
帽子のツバに手をかけつつ、警官の男は頭を垂れた。
顔を下げたままに、
「……憎しみからは、何も生まれぬと」
小声で噛み締めるようにそう呟く男に、フェイの目が泳いだ。
「そう……ね」


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PHASE-11 海上の狼煙(1/7)

──その日の夜のこと。

オランの街から、灯りという灯りが消えていき、

ほとんど街灯だけに道々が照らされる程度までに暗くなった、

11時50分ごろ。

6月5日と表示されている筈の時計の文字が、6日に見えて驚き、

目を擦(こす)るマアト・クィル。

両眼ともに半開きで、今にも眠りに落ちそうといった様子である。

彼女のいるブリッジは今、

蛍の光のような、緑がかった光によって微かに照らされるばかりで、

ほの暗く、隣にいるルイス・ハビエルの顔すらよく見えない。

浅く被っただけの帽子が影になり、

あの特徴的な鷲鼻のみ、シルエットとして目立っている。

「……灯りを、消す意味は?」

そう尋ねたのは、ゲルハルダス・スワルト。

彼は帽子なぞは被っていたが、生来の焼けた黒い肌が闇に同化し、

振り返り様にマアトから見えた顔は、

血走った目だけ、浮いているように見えた。

「擬態よ」

ハビエルが即答する。

「……《フレイヤ》がオランを発ったことを隠す為に……ね」

「効果あるんすかねぇ?……レーダーで見りゃ一発だと思いますが」

半笑い気味にこう語るザイロ・モンキーベアーの方へ、

ハビエルの首が動いた。慌ててモンキーベアーが顔を下げ、

「冗談ですよ」

と呟いた。

彼の席はマアトからは遠く、表情はおろか、顔すらもよく見えない。

「……まだ出ないの?」

今度はアルメイダから、そんな声が。

「カモフラージュ用に、徐々に潜水させていっていますから」

「あっそ」

次の瞬間、アルメイダは胸の辺りから何か出した。

口へと運ばれる指の動きから、タバコだと推測できる。

これにはハビエルが振り返り、

「ここでそれはちょっと……」

そうタバコの先を掴んで制止した。

「……こういうの、平気か?」

今度の声の主はルアク・パームシット。その横にいたパーディが、

「何が?」

なんて聞き返して。

「この落ちてく感じが、傷に響かないかと思って」

「なぁ~い、ない、ない」

「……なら、いいんだけどさ」

両者の姿は、マアトの隣の隣ぐらいにはあって、

目を凝らせば、どうにか表情が読み取れる距離であった。

「考えすぎだし……てか、ルアクって気にしすぎだよ。色々。

肩がぶつかったぐらいで、大慌てて謝ったんでしょ?えーと……」

パーディはそこまでは笑顔で話していた。しかし、

「……サムに」

と付け加えられる際に、その表情が曇る様子が窺えた。

この間、確かにブリッジの外、窓の景色は静かではあるが、

変容を始めていた。視線が自然と下がっていく不思議。

いや、分かっているのだ。《フレイヤ》の船体が少しずつ、

水の中へと沈まんとしていくのが。

やがて街灯の光さえ消え、外に暗黒の世界が広がった頃に、

戦艦《フレイヤ》もまた、暗い海の中へと消えていった。




さて、トリポリでは。
「……そういうことでしたか」
そう語り、男はゆっくり頭を上げた。
背格好にして2メートル近くあろかという長身の彼が、
頭を下げていたのは、敬意というよりは、より物理的事情、
目前に立つ170センチそこらのノエル・ド・ケグに対して、
目線を合わせるとの目的からであったろう。
こうして顔を上げた後、上がる勢いにて乱れたと思われる左の前髪を、
整える素振りを見せた。
しかし、直したところで、あまり変わらない。
精々、カールした前髪の形が、多少円として綺麗になった程度である。
やむを得まい。彼は元々、こう前髪を額に垂らしていたのだから。
まるで、目の上に出来たこぶのように。
「それで……私に出来ることはありますか?」
ノエルは斜めを向き、半身を相手の方に寄せる。
「ひとつ、頼めるか?ドナウアー」
「何なりと」
視線を気にしてか、ノエルの顔が室内に向く。
そこは先ほどと変わらぬ、あの宴会場であって。
彼らが立つドアの周囲にこそ人気はないが、
部屋全体として見れば、慌ただしく人々は動いていた。
「……してくれ」
「はい」
ドナウアーこと、このフェルディナンド・ドナウアーという男は、
間髪入れずを体現するが如く、半ば声を被らせるばかりに答えた。
間もなく、部屋の中央辺りにいたリョウ・ナラにより、
「ノエルさん!ちょっと!」
と呼び止められ、ノエルはドナウアーより離れて行った。
そんな後ろ姿を目で追い、
「本当に……ご立派になられましたな。ご子息は」
そう、ドナウアーが漏らした声は、はたして届いたのだろうか?


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PHASE-11 海上の狼煙(2/7)

体がゆっくり沈んでいく感覚が全身を襲っていた。
どうやってるのか、厳密なところは知らない。
闇の中と呼ぶに相応しい空間にあって、落ちていく感覚だけはっきりと、
自分の身に振りかかる、何とも言えぬ気味悪さ。
アリジゴクの巣へと引きずり込まれる、アリになった気分だ。
アリジゴク……とは違うかもしれないが、
そのうちに、あのビフロンスが後ろから刃物でも押し当ててきて、
後ろでまた「お兄ちゃん」がどうのとか宣(のたま)うんじゃねぇかと。
そんな想像力が働き、そして次には、
【十中八九、レェ・アモンが来る。
『独弧求敗』といやぁ、てめぇも聞かねぇ訳じゃあるめぇ?
ジェイナス・ビフロンスみてぇな奇術師とは訳が違う。
最強の強化人間、今の戦場で最強の兵士って噂もある。
それを抑えられるかって聞いてんだ】
そう力説したヴィトー・ルカーニアの顔が過(よぎ)る。
……勝てるだろうか?ヤツに。
オランでは、《ゲルググ》で、今は《ヴェスティージ》と、
機体が違うことを抜きにしても。
模擬戦の《デスティニー》が中途まで見せた、俺も知らぬ力。知らぬ技。
対応出来るだろうか?そもそもヤツは……


時系列が前後するが、このことにも触れておかねば……トリポリにて。

一時は60万人程度には人口もいたオランが、

北アフリカの混乱事情にかき回され、寂れた漁村と成り果てる中、

トリポリはまだマシだったといえる。

砂塵舞う市街地に、青信号を待つ列が出来る程度には車も走っているし、

我々がオランを発った頃よりは時間帯が早いこともあるが、

街には灯りが残っていたのだから。

「……行ってしまうの?アモン」

そうスーツケースを引きずるレェ・アモンの後ろ姿を呼び止めたのは、

あのズボラ髪の女性だった。

「ああ……そういう契約だったからな」

振り返るアモン。その拍子に、頭の上で帽子が傾いて。

「ネイト・アガレスとの個人的な契約だ。死んでも留まる理由はない」

「ネイト様は……生きておられるのだぞ?」

「意識が戻っていない……どのみち、あれではビジネスにならない」

帽子を被り直す為、下に顔を向けるアモン。

トリポリの夜風は冷たかった。そして、激しかった。

風に飛ばされぬよう、山高帽を右手で上から押さえつけたアモン。

両の腕を絡ませ、

「契約上とはいえ、主人を置いて自分は帰るつもりだと?」

そう詰問する女には、帽子のツバの下から覗かせたアモンの眼光が、

無言の圧力を与える。

小バカにしたように、口を横に開いて笑っていた女の表情に、

恐怖の色が浮かぶのに、1秒もかからなかった。

それだけの迫力を持っていた、というべきだろうか。

拳銃をノエルの額へ押し付けたときと同じか、それ以上の。

「……とうに、筋は通した」

右手が気持ち降りた気がして、共に垂れた帽子が両目を隠す。

「セベクにも、ヤツにも……オマエにもな。レネネト」

女──レネネトは黙っていた。

振り返り、進み出したアモン。10メートル程度先に、

一軒ぽつりと建った家……というよりは掘っ立て小屋といった場所。

彼の向かう先は、そこであるらしい。

スーツケースのタイヤ部分が砂に絡まり、

砂塵を巻き上げるのも気に止めず、進むアモン。

その背中が、レネネトの視線から小屋を見えなくした瞬間に、

「連れて行ってよ。アモン……私たちも」

アモンの足が止まる。

「ネイトは、ネイトは……まだ9歳なのに……なのにぃ」

アモンは振り返らない。だから見えていなかったろうが、

しかし、レネネトの両眼は潤んでいた。

それはもう、彼女の目にアモンの背中が二重に見える程度には。

「私はエジプトで生まれた。

名前は、父がつけた。死者を養う神様の名前だって。

父は、ファラオの遺品を展示していた博物館の館長だったから。

もしかしたら、私に仕事を継がせたかったのかもしれないけど……

私、そんなの興味なくて。家を飛び出して。

それから……お店で働いたり、彼氏が出来たり振られたり、

色々あったけど、今、この状況になって……思うのは……」

ここに来てようやく、アモンの顔がレネネトへと向けられる。

「何ゴチャゴチャ言ってやがる。意味が分からねぇな。要するに何だ?

俺にどうしろってんだ?」

「連れて行って……ください」

崩れるように両膝を地面へと着けた。

「私の子なの。あの子は。ネイトは……」



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PHASE-11 海上の狼煙(3/7)

……10年以上前、彼と出会った。私はまだ、17歳だった。

あの頃の彼──セベク・アガレスは、

多分、60歳とか、もう随分お年を召されていたけれど、

年の割にはお若くて、背も高く、そしてハンサムだった。

少し話しただけで、気に入ってもらえたみたいで、

初めて会った日の夜には、私と一緒のベッドで寝ていたわ。

彼は語らなかった。自分の過去を。

語りたがらなかったというべきかしら?だって、私が聞いても、

【私も君は過去を生きている訳じゃないだろう?】

とか言って、答えてくださらなかったのだから。

1年ぐらいして、私は彼の子どもを授かった。

そのときの顔を、今も覚えているわ。とても嬉しそうだったから。

妊娠が分かったときに、彼は私に色んな手続きを求めた。

土地の権利書とか、お金のこととか、色々ね。

彼は私に結婚してくれると言っていたから、

その為に必要な手続きと聞いて、私は何も疑わなかった。

本当に何も……おめでたいわよね?騙されてると知らないんだから。

やがて父が死んだ。

睡眠薬を多用に服用していたのが理由だと言ったけれど、

私が知る限り、睡眠薬なんて常用する理由がなかった。

もしかしたら、セベクが始末させたのかもしれないわ。

警察にでも金を握らせて、ね。

父が死んだ一週間後に、私はあの子を出産したの。

途端に、私は捨てられた。子供を取り上げられて、ね。

彼が欲しかったのは、自身の後継者となりうる子供と、

父が持っていた土地のお金だった。

似たような方法で巻き上げられた人は他にもいたそうよ。

当然、抗議したわ。でも……相手にされなかったどころか、

耳を疑うような言葉を返してきたの。

【その方でしたら、先日お亡くなりに……】

そう、私は死んでいたの。

アフリカ共同体政府が崩壊する半年前だった。

戸籍上の私、子どもを出産したあの日に、

出産後の出血が元で死亡していたことになっていた。

当然、私はセベクを問い質(ただ)した。

そしたら彼はあの日と同じことを言ったの。

【私も君は過去を生きている訳じゃないだろう?】

……行き場をなくした私を、セベクはスタッフとして雇用した。

許せなかったし、何度殺してやろうかと思ったけど、

子どものことがあるから。あの男の作り上げた『帝国』の中で、

あの男を失った『帝国』の中で、あの子がどうなるかを考えると、

結局すがるしかなかった。

関係は続いていたのよ?それからも。

例の飛行機事故で、彼が自室に引きこもるようになるまで。

きっと罰だったのよ。それまで彼かやってきたことの、ね。




「お金なら、あるわ。こんな日がいつか来ると思って、
必要経費とか何とか言って少しずつ、下ろしてきたお金が。
ネイトの傷も、ここじゃなくて、アメリカなら治るかもしれないし、
いや、プラントなら、もっと……
だから……お願いよ、アモン。私とあの子も連れていって。お願い」
そう地面に膝をつき、懇願するレネネトと、
背中を向けたまま立ち止まったアモンとの間で、
風に吹かれて砂煙が沸き立った。
「契約は……その日の晩まで、でしょう?」
時計を確認する。時刻はまだ11時代である。
「まだ……ネイトはアナタのご主人様なのだから」
鼻息を荒らげながら、笑うレネネト。
「……助けてよ。助けなさいよ!レェ・アモン!」
アモンは振り返らず、進もうとしていた。しかし、因果なもので、
砂に絡めとられた後方の車輪が、回ることを止めてしまう。
やむなく振り返り、確認せんと屈んだとき、
彼の目の端に、笑うレネネトの顔が映った。
「……おめでたい女よ。今も、昔も」
アモンの呟く声に、レネネトは反応せず。
「金ならある。金なら」
などと、繰り返すばかりで。
「セベクは言ったのだろう?……時は流れているのだ。本来は」
スーツケースに膝を当て、軽く持ち上げ、アモンは、
キャスターを指でなぞり、回す。
水車のように、砂をハラハラと落としながら、回転するキャスター。
「まあ……流れていないのだろうな。オマエには」
車輪という、言わば小さな砂時計が、
すべての砂を落としきるのに、そう時間はかからなかった。
間もなく、うっすら砂色に染まった車輪が、
カラカラと軽い調子で回る音が響き始める中、
アモンはゆっくりスーツケースを地面に置いた。
キャスターはまだ回っている。
小さな回転が巻き起こす、疎(まば)らな煙。それを払う弱き風。
それでも、大の男一人の、手元を隠す程度には、
広さを持った煙であったという。
「……えっ?」
とレネネトが声を上げたときには、もう動作は終わっていた。
彼女の眉間に空いた風穴。背中側に向けて倒れる体。滴る血。
「……もう、過去になった後だ。すべてがな」
そう語り、拳銃を下ろしたアモン。
彼の腕時計はその頃、0時を報(しら)せていた。
……4月25日0時を。


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PHASE-11 海上の狼煙(4/7)

6月6日。コルドバにて。
駆け込むリョウ。向かうドアの前には、男が一人。
ハリネズミ頭の男ことトゥーッカ・マンニッコ、その人である。
「ノエルさんは?」
息の乱れた声で問うリョウに、マンニッコは即答する。
「中にいる」
「わかりました……失礼します」
そうして中に入ると、先日同様に、
テーブルを隔てて向き合うように座るノエルとホルローギン、
そして部屋の奥にオートクレールの姿がある。
子どもっぽく笑うホルローギンに、頭を垂れるリョウであったが、
すぐに頭を上げて、
「先程、報告を受けて……」
そう語り始めた。
「昨晩、トリポリがザフトに攻撃された話か?」
「……え?」
「その話なら、さっきから話題に上がっている」
リョウへ向け、ガンを飛ばすノエル。
「……驚かれ…………ないんですね」
三人しかいない部屋を見渡すリョウ。
「……ネイト様が先々月に息を引き取られた今となっては、
トリポリの拠点としての意味合いはやや薄れていますからね。
もっとも……ザフト側にその情報がいっているかは、また別問題ですが」
片手間に紅茶を飲みながら話すホルローギン。
「よく隠し通したものだよ……彼らは」
そう呑気そうに爪を切るオートクレール。
未だ呼吸の乱れが収まらないと見えたリョウは、半ば呆然としていた。
「……というよりは、『明けの砂漠』がザフトを信用していない、
そのことの顕(あらわ)れかもしれませんね」
ティーカップをゆっくりテーブルに置くホルローギン。
「ひとまず、君の知っていることを話してくれ。リョウさん」
そう微笑みがちに、ホルローギンはリョウの方へ向き直った。
「はい、それが……」


『夜にしちゃ随分と……明るい街じゃねーか』

ワイリーが笑っていた。

『オランとは、えらい違いだぜ』

『……流石にそこを比べるのは、可哀想ですよ。ワイリーさん』

『そうかぁー?ダスティン』

……俺は《ヴェスティージ》のコクピットにて、

ラジオ代わりにそんな二人のやり取りを聞いていた。

まあ、耳はそっちに向きながらも、目は別の場所を見ていたが。

オランを絶った俺たちの船団は、地中海を進んでいた。

適当な場所で戦艦は、その身を海中から出した。

さながら、海面から顔を出す鯨のように。

それから、敵との遭遇を警戒して、

俺の《ヴェスティージ》とダイの《Im/A-P》が、

それぞれ《フレイヤ》の左右に陣取った。

カモフラージュの為に、皆色を黒一色に変えたりしてさ。

《フレイヤ》の上では、ホーク小隊の《ジズ》3機が巡回しているし、

下では、アレハンドロの《アビス》が、

コバンザメのように張りついて、下からの攻撃にも備えている。

そんな中々の警戒体勢が敷かれる横で、平然と、

『オランだって、元は確か大きな街だった筈だぜ?

……何とかって小説の舞台にもなってたし』

『カミュの「ペスト」のことが言いたいんですか?』

『おう。それだ、それだ』

などと話す、ワイリーとダスティンが少し羨(うらや)ましかった。

『……ふざけやがって』

と小声で言う辺り、ダイのお気には召さなかった様子だが。

『すっかり意気投合って感じですね……お二人とも』

そう声をかけるのは、ヴァイデフェルト。

ダイの後だからか、心なしか声が優しげに聞こえるもので。

『ホントなら、

俺の方は「小隊長様ァ゛~」と頭下げなきゃなんねーんだがな』

『やめてくださいよ。堅苦しい。ワイリーさんのが先輩ですし、

僕からした「お兄さん」みたいなもんですよ』

『ほぉー、「おじさん」と呼ばなかったな。誉めてやろう』

ワイリーの物言いに笑いを堪えるのが大変だった。

『……何歳違うんですか?』

『おー、ヴァイデフェルトちゃんよぉー、

そんな不毛な質問しちゃう?』

『すみません……でも、気になるじゃないですか?』

……そんな話が続く一方で、陸が確実に近付いてくる。

先程までは街が見えるといえど、遠くに見える灯台のようで、

光としか捉えられなかった。

だが今は見える。

砂浜を照らす街角の外灯に、疎らながら通り過ぎる車の影。

更に奥には、ドミノのように並んだ長方形の高層ビルが。

実を言えば、サイズの問題で先に目に入ったのは、ビルの方だった。

『……フッ』

とは、ダイの咳払い。何気ないところが、少し震えており、

緊張した顔が目に浮かぶようであった。

さあ、ここからは俺の仕事で。

「……そろそろだぞ?みんな。構えろよ」

そう軽い檄を飛ばして。

直後、案の定と、砂の下で何かが蠢(うごめ)いたかと思うと、

そこからビームが飛んでくるのだから……



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PHASE-11 海上の狼煙(5/7)

ティンドゥフに侵攻したイナバ・シゲル隊を苦しめた、

アリジゴクがごとき敵。既にデータは上がってきていた。

機体名を《GAT-399R6/Q インフェルノダガー》という。

文字通りのアリジゴクなのだが、

機能的にはむしろモグラやオケラに近い。

なにせ、両腕に掘削用のブレードを備えているのだから。

……それが、トリポリの海岸に隠れていた敵の正体であった。

5、6機あまり、砂浜に埋まってやがって、

《フレイヤ》の入港に際して、背中のビーム砲を撃ちかけてくる。

ミラージュコロイド兵装により、その姿は見えないが。

幸い、こちらに被弾したものはなかったが。

『頼みますよ。副長』

アレハンドロの声。

「俺に丸投げかよ」

『ヘヘッ』

笑って誤魔化すアレハンドロ。

「……後でぶん殴ってやるよ」

《フレイヤ》より、軽い助走をつけて飛び上がる。

暗い空をバックに羽ばたく《ヴェスティージ》の青き翼が、

いかに目立ったことか。想像に難(かた)くない。

敵の砲口がそれに合わせて上へと向く。

空に向かって轟(とどろ)く様は、

竜が空に昇るように壮大なものだったが、

同時に振りが大きく、こちらまでは当たらない。

「……消し飛びな」

頭上なら、クトゥルフを構えた。

今は片腕にしかなくなった、例のビームガトリングである。

持ち前の手数と連射速度に、重力まで味方し、

心なしか、宇宙で使った際より速く多くのエネルギー弾が降り注いだ、

気がした。

砲火から2、3秒後、《インフェルノダガー》側からの反撃が一度あり、

メインカメラの頬を掠めたが、それだけ。

10秒も撃ち込んでいれば、敵は動かなくなった。

『相変わらずスゴい威力っすねぇ』

アレハンドロの声。次には、ワイリーが、

『イナバ・シゲル隊が苦戦したって話が嘘みたいだぜ』

などと付け加える。

時をほぼ同じくして、《ヴェスティージ》の両足が、

トリポリの砂を踏んだ。

砂浜は雨のように降ったビームガトリングの跡か?

それともアリジゴクこと《インフェルノダガー》の掘った穴なのか?

とにかく穴だらけであった。

「いや……」

僅かに感じた足元の振動に、俺は右腰のビームピックに指をかけた。

「……侮(あなど)れねぇよ。コイツらは」

案の定、顔を出した。洞穴から顔を出すプレイリードッグのように。

しかも出てきたのは本体ではなく、銃身の方で。

更に敵の右手が俺の右足を掴んでいた。

『死ね!《フリーダム》もどきめ!』

相手のパイロットが叫んだ。

暗い穴のほとんど見えない奥の方に光が見えた。

瞬間、右手からピックが落ちる。いや、落とすというべきか。

ピックの刃が、相手の右手の肘より少し下の辺りに突き刺されば、

手も離れようもの。

穴から飛び出すビームを、バク転気味に体を捻って飛び、回避しつつ、

次に足が砂に触れるより先に、2本目のピックを穴へ投げ込んだ。

上がる悲鳴。そして爆発。

「……本来は、こうして待ち伏せして敵を襲うタイプの機体らしいな」

そんな話をした直後に、腰に一発撃ち込まれた。

咄嗟に左手のビームシールドで防御したが、

撃たれた衝撃が体を半歩ばかり押し返した。

……敵の位置を確認しようにも、レーダー上には反応がなく。

『お怪我はありませんか?アスカ副長!』

それは、ホーク小隊の《ジズ》のパイロットから。

「ああ……大丈夫だが……」

と彼らの位置を確認した瞬間、嫌な予感がした。

「……前に出過ぎだ!オマエら!」

警告したときには、時すでに遅しと。

相変わらずどこから狙っているか知れぬ敵の狙撃に、

《ジズ》の1機が撃ち殺されてしまったのだから。




「まずは……1機」
市街地のどこかにいる、
自身の愛機《NダガーN》改修モデルのコクピット内にて、
彼女はそう呟いた。
『……敵はどこまで来ている?』
「砂浜まで……恐らく、《インフェルノダガー》隊は殺られたものかと」
『……そうか』
無線の相手の返事は重かった。
『私が出向きたいところだが……こちらもこちらで動けそうにない。
悪いが、そちらは頼むぞ。エリサベト・ハッシ』
「……了解しました」
『武運を祈る』
機体が抱くスナイパーライフルのスコープが、
《ヴェスティージ》を捉えている。
「お任せください……クールカ隊長!」


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PHASE-11 海上の狼煙(6/7)

さあ、推理を始める。敵の位置。

足音は聞こえなかったところを見るに、ほとんど動いてはいまい。

となると……

「……あの辺りか」

飛んで一気に市街地へと入る。その間、相手が放ってきたのは3発。

1発目は機体が上昇した瞬間を襲ってきた。

飛び上がった際に右足首の横を、黄緑色した光が通り過ぎていった。

そして2発目。飛び上がった体が前進を始めたときだった。

ビームシールドを前方に展開しつつ、進んでいた。

これには流石にヒヤリとした。

何せビームシールドと脇腹の隙間を抜いていったのだから。

あと数センチ、ズレていれば、

コクピットも無事ではなかったかもしれぬ。 

ただ、3発ともなれば、敵の位置におおよその確信ができる。

相手を試すように左足をつき出せば、予想通り、撃ち抜いてきた。

「……やっぱな」

市街地に降り立つ。

ビルの影に隠れるなどせず、適当に4、5歩ばかり足を前に出した。

当然、ビーム攻撃が飛んでくるが、まだ気持ち遅い。

ギリギリとはいえ、ビームシールドの防御が間に合う程度には。

「まだだ……まだ遠い」

一気に間合いを詰める手もあるが、レーダーの反応からして、

ミラージュコロイドを使われているのは明らか。

接近したところで、視認するより先に撃ち殺されるのがオチだろうて。

ただ、ビームライフルの射程では、まだ不安が残る。

やるとすれば、あと数メートルは近寄らねば……

『副長!……指示を!!』

ダイの声である。

『おい、ダイ!オマエ、ちょっとタイミングつーもんを……』

「いいんだ。アレハンドロ」

敵は……恐らく一機ではあるまいが。

「モビルスーツ隊……サーベラス陣形を取りつつ、市街地まで前進しろ。

そして、ここからの指示は……ダイ!オマエに任せる!」

ダイの吐息が聞こえた。

『えっ!』

と思わず、アレハンドロさえ声を上げ。

「ホーク小隊とヴァイデフェルトには、《フレイヤ》を守ってもらう。

ダイ!オマエがアレハンドロ、ラグネル、ワイリーを連れて、

先を急げ!俺も目下の敵を撃退次第、援軍に向かう!」

『……しかし』

「俺は『大したことない』んだったな?……オマエはどうだ?」

1秒程度、ダイの返答は遅れたが、そのうち、

『了解しました』

という小声での反応が聞けた。

俺は思わず口角を上げたが、すぐに表情を引き締めた。

仕方あるまい、状況は進展してはいないのだから。

この間、敵の狙撃手は鳴りを潜めていたが、

そもそも通信中、味方の声以外の音まで耳は拾いにくい。

この数秒で、狙撃ポイントを変えてきた可能性は否定できない。

「下手には、動けないか」

どこからとも知れぬ視線を感じた体がむず痒(がゆ)かった。




『……ダイさんの下で、攻め手に回れとのお達しですよ。ワイリーさん』
少しの笑い声を漏らしつつ、ダスティンが呼びかけた。
「アスカのヤツ……俺が病人なの忘れてやがんな。こんちくしょー」
文字に起こすといくらか攻撃的な内容であるが、
実際のワイリーはニヒルに笑いながら、冗談めかしく言っていた。
『ワイリーさん!』
ダイの声。
「……先に行ってな。コイツの機動力ならすぐに追い付くからよ。
副長の指示なんてイチイチ守んなくていーんだよ」
ワイリーの返答に、舌打ちするダイの声が聞こえた。
『いいんですか?』 
尋ねるダスティンは半笑い。
「……いいんだよ。今は敵に夢中で、俺の声なんざ聞こえてねーよ」
『ひどーい』
「いや、そこは俺とアイツの……信頼関係がよ」
そんな話をしているうちに、発進シークエンスは始まる。
パーディの声が聞こえていた。
「……あ~あ。さっさと退役しちまうんだったなぁ。
まさか、足落とされたまま、戦場に駆り出されるとはなぁ~」
『信頼関係でしょ?それも』
「……だから、ヤなんだがな」
ヘルメットのガラス部分が下り、ワイリーの顔が覆われる。
「『割り切れよ』ってか?畜生」
レバーに手をかけるワイリー。
『発進、どうぞ!』
「……ワイリー・スパーズよ。《ゲルググ》、出ちゃうかんな!」


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PHASE-11 海上の狼煙(7/7)

ワンショットキルというのは、はっきり言えば幻想だ。
西部劇の中だけの話。
頭や心臓は外しても、
例えば足の1本でも失えば、歩みを止める人間とは違う。
モビルスーツに痛みはない。
あるとしたら、コクピットを直撃したときぐらいのもの。
それも今じゃ、コクピットの位置にしろ、
頭か胴体か、胴体にしろ胸か腰か、場所が様々であるから、
やはり前情報なしでは狙うことさえ難しい。
……クールカ様なら、それでも一撃で仕留めるなんて離れ業(わざ)、
見せてくださるのだろうが、私にはとても。
まあ、それでも……大抵の敵は少ない手数で捌(さば)けるようには、
なった。
さっきみたいに、《ジズ》ならコクピットの位置も割れているし。
しかし……いや、だからこそか。あの男には絶望しか感じられない。
私はやらないから、本当のところは知らないのだけれども、
チェスや将棋の「詰み」に近い感覚だ。
あの機体──《ヴェスティージ》の反応速度。
さっきまで、呑気にテメェの部下に指示を出していた余裕。
いや、誘っているのかもしれない。
私が隙をついてヤツ自身、または部下に攻撃を仕掛ける、そのときを。
さっきから、ヤツの進行方向には大きなブレがない。
こちらが正確な位置を悟られぬように、
毎回銃身を数センチ動かして、
若干違う角度から撃ち込んでいるにも関わらず。
おそらくは、かなり早い時点で、こちらの大体の位置を察した模様。
あとは確実にこちらを仕留められるように、
間合いを詰めつつ、こちらの正確な位置を探っている。
近付いているなら仕留められるか?
否。相手の反応速度を見れば、分かる。
ヤツは、寸でのところでも、十分自己防御が間に合っている。
あれでは、何度撃ち込んだところで、勝算はほぼ無い。
であるから……


「……もっと近付いて来い!至近距離で撃ち殺してやる!」

そう念じながら、音を立てぬよう銃を地上に起き、

《ヴェスティージ》に向けて撃ち込んだ。

引き金を引くにも指ではなく、

本来は敵を自分の側に引き寄せる為使う、

モビルスーツ用の銛(もり)とでもいうべき、ロケットアンカーを、

絡ませ、引き絞ることで。

手で握っていない分、精度は落ちるが、何ら問題なし。

腕という押さえを失ったライフルは、

反動により揺れに揺れ、

アンカーを引き寄せることで最低限回転することだけは避けたが、

必然的に砂や埃(ほこり)、

あるいは巻き添えになったビルの部品なんかを巻き上げた。

敵もこちらの位置を悟るだろう。

それでいい。それが目的。

アンカーを強く引き、ライフルを胸元まで手繰り寄せ、

そこから数歩、わざとらしくならない程度に音を立てながら、

横に動いた。

聞こえない筈はない。気付かない筈はない。

「来い……来い。来い。殺してやる。殺してやる」

すぐに反撃は来た。

ビームライフルだろう。砂嵐の上に撃ち込まれる。

「……もらったァァ!」

武器は左手のビームライフルショーティー・ダブルバレル・モデル。

横にならんだ2つの銃口が、

筒状のサイレンサーにより音を消されながら発砲される。

銃身は横に倒されている。

胸から腰にかけて撃ち込めば、まずコクピットを潰せる。

それでダメならアンカーか、スナイパーライフルで頭を潰すだけ。

「私の勝ち……私の……」

勝利を確信し、ビルの隙間から顔を出して、

《ヴェスティージ》を捕捉した瞬間、悟った。

負けていたのは、私の方だと。

「クトゥ……ルフ……」

口にした瞬間に、ガトリングは回り始めていた。

斜めに、半ば飛ぶように動いた、

私の機体の上半身がモロにガトリングで直撃。

穴だらけになり、消し飛んだ。

……幸い、射角の問題で、コクピットそのものは助かったが。

機体が横倒しになる衝撃で、

私自体の体も倒れて、ヘルメットも割れた。

眠るように横たえられた私の顔の側には、割れたガラスが散乱していて。

続いて、何かが倒れてきた衝撃があった。

メインカメラのなくなった今となっては確認できないが、

おそらく、ビルか何かだろう。

それからも2つや3つ、上へ覆い被さるように倒れてきた。

まるで、私を埋葬するみたいに。

『スナイパー対策は、嫌という程してきたんだ。

……ヤン・クールカのことでな。

運が悪かったと思いな。《ダガー》のパイロットさんよ』

そんな《ヴェスティージ》のパイロット──シン・アスカの声を聞いた。



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PHASE-12 砂漠の巨獣(1/7)

崩れた幾棟ものビルの下敷きにされた《NダガーN》。
その傍らに立つ《ヴェスティージ》の中にあって、
俺は小さく見える橙色した《ゲルググ》の背中を目で追っていた。
それより先、向かったダイらの姿はもう見えない。
「……柄にもねぇ」
と、自分でも思った。
まさか、俺があんな形でダイに発破をかける日が来るとは。
まあ、前々から思っていた。
礼儀正しいヤツだが、どこか本性を隠しているようだと。
そのせいか、あの日表面化しても、怒りは沸いてこなかった。
むしろ頼もしくさえあった。
よく言ったダイ。
俺だってオマエぐらいの頃には、同じぐらいには生意気だったんだ。
遠慮することはない。もっとバカにやれ。
尻拭いはしてやるからよ……
なんて言うと、どうにも親父臭いが、それでも、
「『アスランみたい』は……ないでしょうぜ。トライン隊長」
ただ、そう呟いた次の瞬間、
俺は強烈な爆発音と、遠方にて巻き上がる黒煙を見ることとなった……


『敵機捕捉……どうするよ?フーディーニ隊長さぁん?』

冗談めかしく笑うアレハンドロ。

「隊列を崩さず、撃退に動け」

そんなダイの返答に、

『……へいへい』

と返すアレハンドロの声は、どこか力が抜けていた。

さて、目下の敵は《ウィンダム》が計6機。

ビームシールドを展開しつつ、砲撃をかけてくる。

『分散はしないと?』

ラグネルの問い。

「必要ない……それより、背後を守れ!」

流石に無視は出来なかったのだろうが、やや口調が荒い辺りに、

ダイの本音が垣間見える。

「いいから掴まってろ!このまま、突っ切る!」

その形態を例えるには、雰囲気的にそぐわないものの、

引き合いに出すとすれば、騎馬戦が近い。

前には立つダイの白いブルートフォースの《Im/A-P》に、

右肩を掴むアレハンドロの《アビス》、

左肩を掴むラグネルの《ガイア》がそれぞれ付随する。

『そんなに飛ばして……ガス持つのかよ』

苦笑するアレハンドロを無視して、飛ばすダイ。

顔のビームガンを乱射しつつ、《ウィンダム》に近付いた。

逆に敵はその場で分散。

翼を広げた鶴のような陣形で、3機を取り囲む。

「古典的な戦術が、通じるとでも思ったか!」

ビームサーベルを抜いたダイが、一太刀にして、

まず1機の《ウィンダム》を腰から両断した。

「手を、離すなよ!」

宣言すると共に、更に加速して、

切り伏せられた《ウィンダム》を足場に飛び、

爆発するより先に通り過ぎた。

『おい!残りの5機は素通りかよ?』

アレハンドロが鼻で笑って伝えれば、

「……バカいえ。とっくに、手は打った」

そうダイは誇らしげに答えた。

事実、この直後には、同時に2つの爆発が巻き起こったのだから。

『……えっ?』

冷静なラグネルも、このときばかりは、そんな声を漏らした。

「見えなかったか?……すれ違い様に、ミサイルを落としてやった。

シュミレーターで検証済みだ。

あのミサイルの追尾機能は、本体と密着状態の機体は追尾しない。

ついでに、一定速度以上に加速した敵にもな。

だから、両方の条件を満たしてやったんだ。それだけのこと」

『……知らねぇぇぇ』

アレハンドロが苦笑する。

「残りは……」

ミサイルの接触とビーム拡散が、《ウィンダム》を3機仕留めた。

しかし、まだ2機が迫ってくる。

反転し、ダイらの背後に撃ちかける。

「おい!」

『……わかってるよ!』

《アビス》の甲羅と、《ガイア》のビームシールドが守る。

ただ、敵は何もそれだけではなく……

『アッ!』

と声を上げるラグネルに、

『おおっ?』

なんてアレハンドロは頓狂な声で応じ、勝手ににやけた出すが、

事態は笑えるものではなかった。

レーダーに反応のない敵が、突然狙撃してきて、

《ガイア》の右足首を撃ち落としてしまったのだから。

「構うな!動いていれば、狙いは早々つけられん!」

そう言い、ダイは振り向かない。

「……敵の本拠地は、割れてんだよ!この野郎!!」

ビームサーベルを背中に戻し、腰から2丁のガンを抜く。

目標は、一件の小さな民家らしき建物だった。

モビルスーツのサイズで見下ろせば、玩具のような小ささ。

一瞬……躊躇するような素振りを見せたダイだったが、

「もう……引けるかよ!」

との叫び声と共に、これにビームを撃ち込んだ。

当然、爆発する建物。

その脇に、ダイら3機は足を下ろすのであるが。

『ミッションコンプリート、とは行かねぇか?』

アレハンドロの言う通り、例の《ウィンダム》2機に加え、

少し先から《ワイルドダガー》数機が駆け寄せるのが見えている。

「あぁ……そうだな……」

目を細めたダイ。彼はこのあと、目にすることになる。

焼け落ちる建物の下で、静かに光る赤いひとつ目を……



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PHASE-12 砂漠の巨獣(2/7)

「……驚かないんですね?」 

リョウの説明に、確かに聞いて三者のいずれをも表情を変えなかった。

「まあ……考えられない話ではありませんでしたし」

ホルローギンが口を開く。首を後ろに勢いよく倒しながら。

「……アモンは去ったのでしょう?そう、聞いていますが」

「あぁ……俺たちがいた時点で確認が取れている。間違いない」

ノエルがそう断言すれば、

リョウの方を向いていたホルローギンの目が、そちらに向いた。

もっとも、ホルローギンは話を続ける為、視線はすぐに戻されたが。

「アモンがいない以上……出張るのも当然でしょう。

何なら、クールカ隊長の参戦とてあり得たと、私は見ています」

「でも、それって……」

リョウの表情が硬くなる理由を知らないノエル。

怪訝な顔つきでリョウを見つつ、コーヒーを口に流す。

「クールカには、ギボンとカトリーナをつけてやったんだ。

戦力としては申し分あるまい」

オートクレールはそう語るが。

「……クールカ隊は、

一連のプラントとのいさかいで苦戦を強いられた。

二人をつけたとはいえ、手放しに評価できるものではありませんよ」

「エリサベト・ハッシなど……戦闘に参加していないものも、

多かったと聞くが?」

ノエルの詰問に、今度はホルローギン、見もせず。

「そうは言っても……前回の一戦は、脱走兵内部でも意見が割れて、

戦力を調達できない状況でしたからね。

辛うじて手を貸してくれたカーン・カーァは部下と共に討たれ、

ザガリー・ジャッカスはグナイゼナウ近海の爆発に巻き込まれて、

損害だけを出し、引いていった。

実質、クールカ隊のみでプラント相手に戦っていたような節さえある」

ホルローギンはボソボソと語るが、顔にはどこか自信の色があり、

言い終わるとリョウと見合わせて、共に頷いた。

「……あまり、苛めないでくださいな」

「それもそうか。ハハハ」

呑気そうに笑うオートクレールに対し、

ノエルは厳しい表情を浮かべ、その顔を右手で覆い隠した。

「どう……なんですか?ドナウアーさんというのは?」

リョウのそんな問いが、ノエルに右手の隙間からふたつの瞳を覗かせた。

「雑な質問だな」

「……すいません」

「そう邪険に扱うなよ~、ノエル。友達なくすぞぉ~?」

オートクレールはなおも笑うばかり。振り返るノエル。

「俺も、気になるしなぁ~、オマエとヤツの関係がなぁ。

えらく、ヤツはオマエを持ち上げていたが」

右手をゆっくりと顔から剥がし、テーブルへ置く。

音を立てぬよう滑らかに。

「……別にボディガードという以上の意味も、関係もありませんよ。

少なくとも、私はそう認識しています」

そう語りながら、何故か襟を正すノエル。

「なんだ、デキてるのかと思っていたよ。フフフ」

オートクレールのそんな下卑た笑い方にも、

ノエルは動じる様子なく、ただ目を伏せていた。

「まあ……深い関係があれば、トリポリに残して帰るなんて判断、

しませんもんねぇ……」

そうホルローギンは語るが……




戦場に戻る。
「伏兵……か」
そう呟いたときには、準備は終わっていた。
ビームガンを向ける。
瓦礫(がれき)の下から覗く、赤い目の存在に向けて。
躊躇をする理由はない。迷わず、ただ引き金を引くだけ。
しかし、
「なっ!」
弾かれたビーム。シールドが防ぐのとは、少し事情が違う。
ビームは文字通り、弾かれた。
ビニール傘が雨を弾くように、光が分散し、地面に飛び散った。
『何に声出してんだ?ダイ』
そう語るアレハンドロは正面の敵に手一杯と見えて、
振り向く余裕はない。
丁度、彼は《ワイルドダガー》との交戦中であった。
「いや……これは!」
やがて地面が隆起を始めた。
咄嗟に引き下がるダイ。
それはもう、《アビス》の背に、そのバックパックが接触する程。
『何だよ!攻撃されたと思ったじゃねぇか!』
「違う。だが……」
小さな瓦礫の山を押し上げて、その大きな図体が姿を現す。
それは平たい頭に、大きな瞳、小さな目……
次第に上がっていくと、見えてきたのは口から腹部にかけて伸びた、
鼻を思わせる巨大な管。
それと共に、ひとつがモビルスーツの胴体ほどもありそうな、
大きな腕が2本、地面を押し出すようにして姿を現す。
そこまで来れば、アレハンドロの目にも入ったらしい。
『何だよ?ありゃ!』
「俺に聞くな!」
『って、そういう意味じゃ……』
話している間もビームガンを撃ち込むが、やはり効果はなく。
そのうちに全容が明らかになると、
それは並みのモビルスーツの数倍以上はあろうという、
ゾウに似た、巨大なモビルアーマーであって……


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PHASE-12 砂漠の巨獣(3/7)

言葉を失い、動きすら一瞬止まってしまった《Im/A-P》を見下ろし、

その巨大モビルアーマーのコクピットで彼は言った。

「絶景哉(ぜっけいかな)、絶景哉……」

フェルディナンド・ドナウアー、これ以上ないという笑顔にて。

「何分、ワタクシ……普段は水中での戦いを主にしておりますから、

こう陸上で、しかも敵を見下ろす構図……

優越感、といっては、いくらか下品ですがねぇ。

いやぁ……モビルアーマーと聞いた折は、

どうなることかと身構えましたが。これはいい。素晴らしいですよ」

なんて聞き手のいない自分語りが始まって。

その間も、ダイの攻撃は続いているが、ダメージはない。

「傷付かぬ体……羨ましい限りです。

ワタクシも今年で35歳!心身ともに衰えを感じてしまいますから」

ドナウアーが嬉々として語る横で、アレハンドロとダイが、

『データで見たぜ、コイツは……《ドヌ・ゾド》だ!』

『あぁ……知ってるよ!俺だってな!』

『気ィつけろ!ティンドゥフじゃ、シゲル隊が……』

『知ってるっての!』

なんていさかいを起こしているが。

続いて動いたのは、ダイでも、アレハンドロでもなく、

ラグネルの《ガイア》だった。

欠損した後ろ足をものともせず、三本足で地面を蹴った。

頭部に螺旋(らせん)を描いた光が、角となって、

《ドヌ・ゾド》のボディへと突き刺さる。

……突き刺さる筈だった、というべきだろうか。

『!?』

角の先端部が《ドヌ・ゾド》のボディに抵触した瞬間に、

それが鹿のもののように枝分かれたしたかと思うと、

勢いで前に出る《ガイア》と《ドヌ・ゾド》との間にあって、

押し潰されるように霧散した。

『……こんなことが!』

『サンマルティン!退け!』

ダイすらそんな声をかけたが、流石に遅すぎた。

太い幹がごとき右腕が動き、《ガイア》の頭を荒っぽく掴むと、

ヌンチャクでも振るうみたいに、地面へと叩きつけた。

フェイズシフト装甲に守られた《ガイア》のボディは、

地面に頭から叩きつけられようとも、損傷らしい損傷はないが、

中にいたラグネルはその限りではなく。

それから《ガイア》は動かず、

『おい!サンマルティン!返事をしろ!』

なんていうダイの呼び掛けに、答えも返さない。

「可哀想に……苦しむ暇もなかったなら、幸いですが」

そう言い、ゆっくり手を離させるドナウアー。

壊れた玩具を手放すように、

横たえられた《ガイア》はそれでも動かない……

『……クソッ!』

そう語りながらも、何故かビームガンを戻すダイなのだった……



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PHASE-12 砂漠の巨獣(4/7)

ダイ・フーディーニと、始めて会ったのは2年前。

あの頃のアイツは、黒い髪をしていたのを覚えている。

髪も短かったからな。

一見すると、別人と言われても不思議はなかっただろう。

ただ、キツネ顔だからな。頬からアゴにかけてのラインが、

やや二等辺三角形染みた細長いのが特徴的だから。

「よろしくお願いします」

と、店先で深々と頭を下げるもので、

「そう、畏(かしこ)まるなって。人が見てるからよ」

なんて軽く叱ったのを覚えている。

さて、そのときは面接……という程、大したことではなかった。

ただ、部隊に編入されるより先に、個々で話しておきたかった。

立ち寄ったのは、所謂ファミレス。

白い煉瓦の壁に囲まれた清楚な空間ながら、

濃い色の木製テーブルと中身の黄色い綿が少し見える赤ソファーから、

チープさを感じずには得られない空間。

これで出てくる料理が遅いとか、店員の態度が悪ければ、

帰ってやろうかと思ったが、

「意外に……庶民的なお店を選ばれるのですね」

なんて不器用に俺を褒める、ダイの無邪気な笑顔に、

俺も毒っ気を抜かれた。

「……そりゃ、中隊の副長ごとき、大した給料じゃねぇからな」

苦笑気味に笑う俺は、

2、3先のテーブルでタバコを吸うオッサンに目がいった。

なるほど、喫煙・禁煙のくくりはないらしい。

そう近いところじゃないから、

流石に煙がこちらに届くことはないだけマシだが。

「んまぁ…………それだけ軍人ってのは、儲からねぇって話だよ」

「それ、教官にも言われました」

「あっ、マジ?」

口を拳で押さえて笑うダイの態度に、何となく品の良さを感じた。

「じゃあ……オマエが軍人を目指した理由は何だ?」

ダイの顔つきが変わる。

拳を開き、ゆっくりとテーブルの奥へ引っ込める。

「少し、失礼な言い方になるかもしれませんが……

考えるんです。いつも、自分ならどうするかを。

ニュースを見ていて思います。

もっといい選択ができたんじゃないかって」

「……というと?」

「例えば、税金の話とかしているでしょう?

タバコを吸う人の割合は減っているからって、

年々、税率が上がっている。でも、税収は増えていない。

嫌煙家が増えた今のご時世じゃ、

タバコの増税に反対する人が少ないのが原因でしょうけど、

もっと税の取り方があるんじゃないかなって。

例えば、そんなことを」

無論、タバコを吸っていたオッサンがいたから、

そんな話になったのだろうが……

「それと軍務に何の関係がある?」

「軍隊にしても、そうです。

僕は今の方面軍という体制がベストとは思いません。

戦時中でもないのに軍事費は拡大して、

ほぼ徴兵同然の制度に国民は反発、政権の支持は下がっている。

何より、プラント本国の守りが手薄になっている。

これでは、本国を叩きに来られたら、守りきれません」

「今の大国は……東ユーラシアを除いて、

国の一部にザフトの基地があり、方面軍がそこにある。

プラント本国を叩きにかかれば、その時間に方面軍がその国を攻める。

システム上、問題はない気がするが?」

「……元々、人口の少ないプラントが世界の警察を気取るには、

無理があると思います。

それなら、むしろプラントは本国のみに戦力を集中させていた方が、

テロリストなどへの対応も取れるのでは?

方面軍が強いといっても、物量では他国の方が上。

総力戦になれば、どのみち勝ち目は薄いのですから、

自ら不利な状況に持ち込ませるべきではないと考えます」

「まあ……わからんではないがなぁ……」



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PHASE-12 砂漠の巨獣(5/7)

『アレハンドロ!背中は預けた!』
との宣誓と共に、斬りかかるダイ。
『ざけんじゃねぇが……いいぜ!行けっての!』
そう答えるアレハンドロの《アビス》には、
頭上を飛んでいた《ウィンダム》のビーム砲が撃ち込まれていた。
動ける状態ではない。
『うおおおおお!』
ダイの《Im/A-P》は何の武器も構えていなかった。
それは、ただの体当たり。所謂ショルダータックルである。
「一体……何の算段あって……」
ドナウアーは首を傾げていた。
勢いよくぶつかった《Im/A-P》であるが、
《ドヌ・ゾド》は一切揺すられることも、まして後ずさる訳もなく。
「……何ですか。自棄(やけ)でも、起こしたんでしょうか」
そう呑気そうに、顔を掻いていると、
体当たりをかましたダイの機体は横に逸(そ)れた。
そこには別の民家がある。
「いやはや……」
《ドヌ・ゾド》の腹部が光り輝いた。
次の瞬間には、その光は空中で蛇のように折れ曲がると、
ダイの方へと襲いかかる。
咄嗟にビームシールドを展開するが、直前で再度歪曲。
シールドには触れもせずに、その手前で折れ曲がって、
コクピットを直撃せんとした。
「……2人目」
そう呟くドナウアーだが、そう思い通りにはいかず。
《Im/A-P》の胴体は確かに両断された。
ただ、自ら分離させた、という意味で。
『殺られるかよ!くそったれぇぇ!』
分断された足が、下に転がっていた屋根の破片とおぼしき煉瓦を、
切り上げ、《ドヌ・ゾド》へぶつけた。
「……おっと」
声は出たが、所詮は小さな破片に過ぎず。巨体を動かすことはない。
頭と思われる平たい部分にぶつかり、粉々に割れて、
足下へ落ちていった。
「……くだらない小細工を!」
今度は右腕を振り上げて、前へ出る。
丸太のような重さを持って、《Im/A-P》の方へと降り下ろされた。
ただ回避は、間に合った。前に出るダイ。
分離していた上半身と下半身が、数歩踏み込んだ先で合体。
手には……いつ掴んだのか?何か石ころのようなものが握られていた。
拳を握り、上にした親指を折り曲げて、立てる。
そんな指の勢いで弾かれた石が今度は腹部の辺りに炸裂した。
「おちょくって……いるのでしょうか?」
腕は一本ではない。
先程前に出した左腕が横から迫り、叩(はた)くように、
《Im/A-P》を襲うが、これまた遅く、回避されてしまう。
スッと上空まで飛び上がる《Im/A-P》。
「厄介……ですね。これは……」


おおよその予想はついていた。そして、当たった。

礫(つぶて)などという、威力のない武器でも表装に傷がついた。

なるほど、悔しいがアレハンドロの判断は正しかったらしい。

《ドヌ・ゾド》の装甲はヤタノカガミを応用したもの。

ビーム兵器をほぼ無効化する一方で、実体のある武器には脆い。

もっとも、フェイズシフト装甲の一般化により、

実弾兵器はモビルスーツからほぼ消えたが。

《ヴェスティージ》は鈍重な《ドヌ・ゾド》には有利に立ち回れて、

かつ実体の剣を持っている。

だからアレハンドロはチョイスしたのだろう。

……今は副長が乗っていて、こちらまでは来ないみたいだが。

そして、ぶつけられた際の反応から、

コクピットの位置も大体分かった。

頭だ。頭にあるらしい。

でなければ、腰に当てられても無反応だった敵が、

頭にぶつけられた際は動きが遅れたことの説明がつかない。

全く……

『「手間かけさせやがって」』

一瞬、ほんの一瞬だが、思考が停止した。

同じ台詞を、同じタイミングで敵が吐くという偶然。

そして、この一瞬が……命運を分ける。

『君子、危うきに近寄らず……ですよ』

相手のパイロットがそう呟く意味が、すぐには理解できなかった。

すっかり出遅れてしまった。

何せ俺は、アレハンドロの《アビス》を襲っていた、

《ワイルドダガー》らが後ずさるところを見るまで、

その意図に気付いていなかったのだから。

『退けよ!ダイ!』

アレハンドロは叫んだが……

『もう、遅いですね』

例えるなら、それは噴水。それも大きな。

元々、《ドヌ・ゾド》のボディに、縦笛のような等間隔でもって、

多くの穴が空いていること自体には気付いていた。

しかし、ティンドゥフの戦場では使われていなかった。

恐らく、味方を巻き込む愚を犯さぬ為であったろう。

ビームを弾くボディと、変則的な角度で放たれるビーム。

十分、脅威になりうる。

まさか、まだ……かくし球を用意していたとは。

全身の穴という穴から、ビームが吹き出していった。

それも生き物みたいに1本1本が折れ曲がったり、丸まったり。

シールドは構えていたさ。当然だ。

しかし……それで凌げるレベルの話ではない。

機体を分離させた瞬間に、下半身は3本のビームが、

芋虫みたいに身を捩(よじ)らせて襲い、破壊した。

シールドの目前で歪曲した1本が、

アッパーカットみたいな勢いでアゴから顔面を貫く。

2本が両肩を切り裂いて、

1本がコクピットの縁を削った。

『ダイ!』

そう叫んでいたアレハンドロも、無事では済まなかった。

両肩のシールドが大きいお陰でダメージは少ないが、

右目と左足を貫かれ、体勢を崩した。

ただ、アレハンドロはまだ距離があったから、

モビルアーマー形態に変形して、

以降のダメージを受けないという策が出来たが。

近くで転がっていた、《ガイア》も同様。

無抵抗のまま、左肩から左膝の辺りまで、1本線を描くように、

切られてしまったから。

……そして、俺の《Im/A-P》は、地面へと叩きつけられる。

回避は、しようとしたさ。努力はした。

ただ、肩を刻まれた際、爆発の勢いで機体が前に出てしまい、

そこで少し前屈みになったところ、

またビームが頭上で折れ曲がり、バックパックを破壊した。

黒い煙を上げながら、下へ落ちていく間にも、

網目状に展開されるビームの噴水に、

体を滅茶苦茶に切り刻まれた。

ビームシールドを張る両腕が、まず犠牲になる。

Uターンしたビームが肩の少し下を撃ち抜くと、右手は落ちた。

以来、主に右側から上半身を撃たれまくった。

コクピットこそ無事だったが、胸やら首やらに傷だらけ。

砂の上に落ちたときには、

落ちた衝撃もあり、左腕が離れていった。

『中々……使い慣れぬものです。まったく。

建物を多分に破壊してしまった。これでは……どちらが侵略者か、

分からないものです』

余裕綽々と講釈垂れる男の声が聞こえてきた。

虫酸が走る、というのはこういう気持ちを言うのだろう。

いや、あるいはヤツの本心だったかもしれないが、それでも……

『一応、止めを差して然るべきでしょうか?達磨(だるま)さん』

《ドヌ・ゾド》の足が此方へと向く。

「副長……副長さえ、いれば、こんなヤツ……こんなヤツにィ」

そう語る自分が惨めだった。

自分の言葉が、場面がフラッシュバックした。

【何が歴戦の英雄……何が伝説のパイロットだ。

そりゃ、自分は戦果も挙げられるハズだ。

部下を省みず、強敵ばかりを相手にしゃしゃり出ていけばなぁ】

我ながら、よく言ったものだ。

「……いざ、自分の番だと、これだもんな」

覚悟をして、目を閉じようとした瞬間、

画面の端で、《ガイア》の黒いゴーグルに光が灯るのが見えて……



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PHASE-12 砂漠の巨獣(6/7)

《ドヌ・ゾド》の情報は入っている。

いや、仮に《ドヌ・ゾド》がそこにいなかったとしても、

他の敵に苦戦しているかもしれない。

……俺だって、出来ることなら助けに行ってやりたかった。

意地悪で無視をした訳ではない。単に、その余裕がなかっただけだ。

このとき、俺の駆る《ヴェスティージ》の前にも、

1機のモビルスーツが立ちはだかっていた。

《NダガーN》はもう仕留めたし、

まして《ワイルドダガー》や《ウィンダム》なら、

こう手間取ることもなかったさ。

《NダガーN》撃破の直後、ソイツは突然空より現れた。

レーダーは、その反応を捉えていたから、

特段対応が遅れることはなかったが。 

相手は所謂、ガンダムタイプのモビルスーツだった。

「オマエ……一体……」

なんて問いに答える声はなく。

暗い空に半ば同化するような6枚の紺の翼をはためかせて空を飛び、

ビームライフルを撃ちつつ接近する俺の《ヴェスティージ》を、

寸でのところで回避した。

戦艦《フレイヤ》を狙われるとまずいから、

持ち場を離れることはひとまず出来ない。

逆手に握ったビームピックの方も当たらなかった。

この敵のモビルスーツは、

腕にビームの刃を形成する大きな鎌を抱えている。

死神が持っているような鎌だ。

こちらとの接触を回避した次の瞬間には、稲穂を刈るように鎌を振り、

これを切り裂こうとしたが、振りが大きい分だけ、隙も大きくなる。

通り過ぎる一瞬で俺を刈るのは難しかったようだ。

俺は両腕にビームシールドを展開させたまま、

空へと垂直方向に飛ぶ。機体を回転させて隙を見せぬように。

同時にビームライフルも撃ちかけ、敵を襲う。

ここで明らかとなるのは、この機体の異常な柔軟性。

モザイク壁画のように白からオレンジに至る濃さの違う数色が、

グラデーションとなる形で疎(まば)らに点在する、

このモビルスーツの特異なボディは、滑らかな動きを見せると、

その身を襲うビームの線を僅かな動きでもって避けてみせた。

それはモビルスーツの動きというよりは、

むしろ人間のそれに近い所作(しょさ)であった。

それからお返しとばかりに、翼の少し上辺りにあった、

ビーム砲を屈むような姿勢になりつつ放てば、

そこはビームを回避するような運動性。

回避が完全には間に合わず、ライフルを落とされてしまった。

「……クッ」

それは声というべきか、音というべきか。

食いしばった俺の歯の隙間から、そんなものが漏れた。

「ワイリーのヤツが……間に合えばいいんだが。アイツら生きて……」




「生きて……」
ラグネルに、そう問いかけるダイ。それを制する、
『だるまだってよォ~、ダイさァ~ん』
そんなアレハンドロの言葉。
『カッコつけてたのにィ~……ダッセェなァ~。
何だっけェ~?「背中は預けた」だっけかァ~?
……預けた結果がこれかァ?俺も足やられちゃったじゃあねぇかァ!
畜生ォ!』
返す言葉がなく、唇を噛むダイ。
『なァ?ダイ……知ってっかァ?
達磨ってのはなァ……倒れねぇんだぜ?』
「……うるせぇよ!」
《Im/A-Pだるま》が、動いた。
赤べこみたいに、傷ついた首を上下に揺らしながら、
顔のビームガンを乱射した。
無論、《ドヌ・ゾド》へはダメージを与えられない。
どころか、届きもしない。
ただ、砂と瓦礫を撃ちかけて、煙を上げたばかり。
「そいつは、だるまじゃない……起き上がり小法師てんだ」
砂ぼこりが《ドヌ・ゾド》の視界を遮った瞬間に、
《アビス》は勢いよく飛びかかった。
俺との模擬戦で見せた、あの飛び魚がごとき跳躍で。
風車のように回り、弾丸のように前に出る。
その旋回に合わせ、巻き込まれた砂は小雨(こさめ)よろしく、
疎らに《ドヌ・ゾド》のボディにぶち当たる。
『何をッ!』
振り上げられた《ドヌ・ゾド》の右腕。
しかし、回転の勢いに弾かれて、《アビス》を掴めない。
続いて腹の辺りから、ビームが撃ち出されて《アビス》を襲うが、
当然弾かれて意味を成さず。
そこには、押し返す勢いすらなかった。
『こんなことでは……回転速度も落としませんか』
そう語るフェルディナンドに、尚も焦りは見て取れぬが。
『ぶちかましだァ!くそったれ!』
その様は、何か空間が螺曲(ねじま)がっていくようで。
自身の半分程度しかないモビルスーツの突撃に、
流石の《ドヌ・ゾド》も、塵や芥(あくた)を踏みにじりながら、
2歩も3歩も押し戻された。
出しっぱなしになっていたビーム数発が、
《アビス》のシールドに弾かれて、小便みたく飛び散った。
『……反撃開始だよォォ!』


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PHASE-12 砂漠の巨獣(7/7)

「少し下がらせたぐらいで、まるで勝利したような物言いですね」

フェルディナンド・ドナウアーは笑っていたが、

その表情から醸(かも)し出される、余裕のなさを隠し得なかった。

無理に上げた口角の隣で、

歯軋(はぎし)りを起こす真っ白な歯が並ぶ。

「こんなもの……最後っ屁(ぺ)でなくて、何だというのです!」

後ずさった足が、前に出る。

足元には、ごく短いながら電車道が出来上がっていたが、

ドナウアーは気付いているのか、いないのか。気に止める様子はない。 

両腕ががっしりと《アビス》のシールドを掴んだ。

ライスボールでも握るみたいに上と下から。

穴は腕にもある。証明するように光を放ち始めた。

『……じゃなけりゃ、何だって?』

アレハンドロは……笑っていた。

ただに、その声を聞いただけでも、

あの頭に来る程嬉しげで、どこか間抜けなあの笑顔が、

目に浮かんでくるように。

笑っていた。下品にも、鼻から吐息が漏らしながら。

『分かりきったこと、聞くなっての……』

放たれたビームが上も下も、シールドの繋ぎ目を目指して、

空中で屈折、矢のごとくに降り注ぐも、

あまりに小さな隙間であり、

枝葉の先から微かに滴(したた)るばかりの朝露(あさつゆ)みたく、

侵食すれど、繭(まゆ)の中の幼虫を傷付けるには至らない。

『ただの、露払(つゆはら)いさ』

その時になってようやくドナウアーは敵の意図を知った。

《アビス》のシールドが開く。花みたいに。

それから、中の腕が掲げる形で上へ伸び、

《ドヌ・ゾド》の太い右腕を掴んだ。

シールドは背中側にも開けていた。

当然、下から掴んでいた左腕がビームを放ち、《アビス》を襲う。

しかし、瞬間、事もあろうに《アビス》は、

ミサイルを盾に光線を防いだ。

誘爆し、散らばったビームが背中側から首やら胸やらを傷つけようと、

コクピットまでは当たらなかった。大した幸運である。

『……Cabrán(カブロン)!』

別に見ちゃいないが、

ニィッと笑って中指立てるアレハンドロを容易に想像できる。

振りほどこうと《ドヌ・ゾド》は腕を揺らすが、

意外にそうすぐに済む話でなく、その手が剥がれたときには、

もう避ける暇がなかった……

陸に上げられた魚が、その腹を地面にぶつけて跳ねるように、

スラスターに火がついて、飛び上がった《ガイア》の体。

背中のウィングが、ブレイドになっていた。

それは、《ネグロガイア》が、《ガイア》であった頃からの武器。

本来はビームを展開しているが、このときはしていない。

必要ない。むしろ邪魔であったから。

『やれェ!ラグネルッ!』

あのダイが叫んでいた。

数日前、つまらぬ意地で彼女を無視し、

半ばシージーを死に追いやったことを、今は忘れてしまったように。

《ガイア》の刃が迫る。

《アビス》の腕を振りほどいたことで、その勢いで、

皮肉にも《ドヌ・ゾド》のボディが《ガイア》の方を向いた。

「私が……ねぇ……」

ドナウアーの表情から笑みが消えたとき、出てきたのはそんな言葉で。

最期の悪足掻(わるあが)きと、腹のビーム砲を起動させた。

だが、間に合わない。先に《ガイア》が飛び込んでくる。

ブレイドが容赦なく《ドヌ・ゾド》の頭部を切り裂く下で、

引きずり出された腸(はらわた)みたいにズルズルと、

ビームが拡散、大地を派手に抉(えぐ)った。

ただし、下は砂。

ぽっかりと穴が空いたところで、風が全てをチャラにする。

何分、《ガイア》は勢いが乗りすぎていた。

絡みをほどき、無防備になった《ドヌ・ゾド》は、

勢いに押されて体を仰(の)け反らせていく。

コクピットの天井部分だけを派手に削り、吹き飛ばした。

風がコクピットの中へ流れて、中にいる人を外へと追い出した。

《ドヌ・ゾド》という高層ビル以上の高所から、

放り投げられた人間の末路など、語るまでもない。

ただ、《ガイア》のコクピットにいたラグネルだけが、

その最期を見ていた。聞いていた。

「絶景哉」

と嘯(うそぶ)いて、落ちていく男の姿を。

その男は、帽子を被っていた。ハンチングってヤツだ。

それが風に巻き上げられて、何故だか《ガイア》の方に寄っていく。

モビルスーツの視点から見れば、豆のように小さなもの。

モビルスーツの大きな手、その指先が撫でるみたいに振り払うと、

もうどこを探しても、

フェルディナンド・ドナウアーの姿は見つけられなかった。



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PHASE-13 新しき旗(1/7)

《ドヌ・ゾド》の背中が砂の大地に落ち込んだとき、

アレハンドロの《アビス》は片足で立っていた。

いや、正確には片足だけではない。

背もたれに身を預けるみたいに傾いた体は、

2枚のシールドが杖となり、鼎(かなえ)みたく支えられていたから。

少し離れたところに、ダイの《Im/A-P》も仰向けで転がっていた。

ラグネルの《ガイア》も、《ドヌ・ゾド》の残骸の横、

老いた犬がごとくふらついて歩いている。

「命拾いつーんだろうなァァ!……ダイッ!」

乱れた息で吠えたアレハンドロ。

ダイの返答こそしなかったが、

ゼェゼェ漏れる息が返事の代わりに聞こえてきた。

「いや……まだ……終わってねぇのかッ!これェェ!!」

アレハンドロの目は後ろを向いていた。

それはさながら、親からはぐれた子羊を狙うハイエナの群れ。

ビルの隙間から、何匹もの《ワイルドダガー》が4本足で立っていた。

「おいおい……参加者がいっぱいいるぜェ?」

『……「参加者」?』

「あぁ……」

最前列にいた《ワイルドダガー》が、地面を掘る素振りを見せた。

クラウチングスタートでもするみたいに、尻を上げながら。

「ダイよォ~……俺が、だるまさんがころんだつーからよ。

言い終わるまで、動けるだけ動けや」

『……ハァッ?』

「何だよ?もう、ころんでっから無理ってかァ~?

いいから、動けってのォ。言うぜェ~?だるまさんがァァァ~……」

《ワイルドダガー》の足が、強く地面を蹴った。

『おい!アレハンドロォ!』

ダイは叫んだ。声が裏返る程に。

だのにアレハンドロは……振り返りもしない。

「…………ころんだァ!」

そこまで言って始めて振り返る。

ダイには見えていなかったのだろう。

彼の右手から伸びたビームサーベルが。

頭上より2発のビーム砲を涎(よだれ)のように垂らしつつ、

飛びかかる《ワイルドダガー》。

まさに、一瞬の稲光(いなびかり)。

《アビス》というコンパスが、シールドというペンでもって、

地面に円を描く中、

飛びかかった大きな犬は、その首を落とされていた。

そして、その2滴の涎は《アビス》には当たらず、

地に落ち、陽炎(かげろう)みたいな燻(くすぶ)る煙を上げた。

「知らなかったか?だるまさんがころんだってよォ~、

鬼が言い終わったら、もう、動いちゃいけねぇんだぜ?」

回った反動から、シールドが地面より離れていた。

また勢いが、《アビス》の体を前屈みにする。

杖をつくみたいに手を前に出せば、自然、

ビームサーベルが《ワイルドダガー》の腹を貫いて。

「さァ~……2回戦と行こうかい?」

まだまだ敵はいる。見えているだけでも5、6機はいる。

「だるまさんよォ~……」

『俺はだるまじゃねぇ』

「じゃあ、返事しなきゃいいじゃねぇーか、おい!」

さあ、敵がまた前に出た。傷ついた《アビス》の胸から光が。

「そっちは後……何が残ってる?結局残った脆弱なハートか?」

『何、言ってやがるッ……』

胸から放たれたビーム砲マグヌス・バラエーナ。

真っ赤に光り、《ワイルドダガー》らに向かい飛んでいくが、

まるで当たらない。

「……ビームガンはまだ使えるか?」

『無理だ。首が逝(い)って、照準が合わせられん』

「マジかよ」

かくいう《アビス》も限界は近かった。

ビームを放つ胸からは、煙が上がっている。

「……こっちも、ギリギリだってのによォ」

残った片側のミサイルが、肩より離れていった。

こちらは迫り来る敵の1機に命中、その動きを止めた。

ただし、敵はあと4機も迫ってきている。

最後の支えだった片足が、後方の《ダガー》の狙撃で撃ち抜かれた。

これを皮切りに、体勢を崩す《アビス》。

幸運にも倒れる瞬間に逸れた弾道がかえって、敵の1機を倒したが、

それでもまだ3機いる。

「鬼さん……もうダメかも」

不思議と笑みが溢(こぼ)れていたアレハンドロ。

しかし、《ワイルドダガー》の重量がのし掛かると共に、

諦念(ていねん)から、遂に目を閉じてしまう。

「ストップ……って、聞く訳ねぇか」

『ええ……これはゲームではないので』

ラグネルの声が、

閉じかけたアレハンドロの目蓋(まぶた)をこじ開けて。

そして《ガイア》の角が、馬乗りになった敵を払い除(の)けた。

《ドヌ・ゾド》に潰された頭、

しかし、歪な角度なれど角は伸び、敵を突き刺した。

「サンキュー……サンマルティン。それから……」

残り2機。狙撃していたヤツを含めれば3機か?

しかし、件のスナイパーは、もう倒されていた。

背中からビームサーベルに貫かれて。

更に前進中だった2機も、尻からビームに撃ち抜かれて倒される。

それは、そう……

「ワイリー先輩。待ってましたぜ」



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PHASE-13 新しき旗(2/7)

「だるまさんがころんだァ~なんて、ふざやがって。
お望み通り、傍観決め込もうかと思ったんだがな」
ワイリーは語る。
「お嬢ちゃんが頑張ってんのに……ほっとけねぇだろ?」
『……スケベっすねぇ。ワイリーおじさん』
「オメェには言われたかねぇよ。アレハンドロ!」
地面に降り立つ、彼の《ゲルググ》。戦場を広く見渡す。
頭頂部を削り取られて倒れる《ドヌ・ゾド》を筆頭に、
モビルスーツの累々たる屍がそこには転がっていた。
「無茶、したんだなぁ。ずいぶんと」
掠れる声。
『……副長は?』
ダイの声。
「ああ……まだ、戦ってたよ。敵とな。
今、敵は本拠地を捨てて、地中海側へと逃避を始めやがった。
《フレイヤ》にも敵が迫ってっからな。その抑えだろうぜ」
『そう……ですか……』
ダイの声には力がなかった。《ゲルググ》の足がそちらへと進む。
「なあに、しおらしい声出しやがって」
歩み寄ると、《ゲルググ》はその手で頭を掴んだ。
髪の毛を引っ張るように雑に持ち上げていく。
「オメェも頑張ったんだ……あとで褒めてもらえや。副長によ」
そんな話をしているところ、少し離れた場所で爆発が起きるのだった。


「カタ……ついたらしいな」

空を飛ぶ《ウィンダム》数機の様子を見て、俺もそれを察した。

「親バカじゃねぇが、うちの部下は優秀だろ?なあ?

……こちらも、終わりにしようか?」

カーテナを胸の前に構え、相手を見つめる。

『……あぁ、その通りだな』

そのとき、俺は始めて相手のパイロットの声を聞いた。

低い声だった。聞き取りにくいほどに。

「アァッ?」

俺が聞き返すと同時に、ヤツは腰の位置にて構えた鎌を手放した。

『カーテナの二つ名は慈悲と聞く……オマエ、シン・アスカだな?

少し、話を聞いてもらおう』

「……命乞いかよ?」

『あぁ……概ねその通りだ』

両手で握っていたカーテナから、左腕を離した。

その手を腰へ。ヤツが、逃走を図ったときの為の飛び道具として。

『まずは名乗らせていただこう。

私はパヴァロッティ・ギボンという者だ』

「……脱走兵の、か?」

『知られているとは思わなかった……話が早い』

ゆっくり両手を振り上げるギボンの機体。

『……俺は脱走兵であり、神とやらの手下ではない。

つまり、義理立てして、命を落とす必要もない訳だ』

「どのみち、敵には違いねぇんじゃねぇのか?」

『俺は上官から救援に行けとは命じられたが、

心中しろとは言われていない。撤退させてもらう。

勿論、海側へも、本拠地にも向かわないから、

オマエの部下や同僚に手を出すこともしない。

進路がおかしいと見れば、容赦なく撃ち殺してくれた構わん。

だから……』

「見逃せってのか?俺に」

ピックを2本抜いた。

「何のメリットが有って……そんなこと!」

『なら……ひとつ、教えておこう。君らが知らぬ情報を』

「……情報だぁ?」

足を少し自分の方へと引き寄せた。

相手が動きを見せれば、砂をかけてやれるぐらいに。

『ネイト・アガレスは、一月以上前に死んでいる。

ここの拠点としての価値も、そのときから下がっていた。

ザフトの連中にはきっと「明けの砂漠」は教えていないらしいがな』

「……はぁ?」

思考停止を地でいくことになるとは、我ながら思わなかった。

『情報は与えた……次は何が欲しい?答えろ。シン・アスカ』

ピックをゆっくりと腰へと戻す。カーテナは背中へと戻す。

「そうだな……じゃあ、例えば……」

足を引く。ゆっくりと。

「……テメェの命だ!」

まずは思いっきり足を前に出した。砂ぼこりで視界を防がんと。

次いで、ボールを投げるように荒っぽく、カーテナを振り投げた。

旋回しながら飛んでいくカーテナ。

ギボンは砂をかけられる直前、右の足で鎌を蹴りあげていた。

それは見えた。

ヤツの左手のビームシールドが、カーテナを弾く。

前に出るギボン。横から刈るように振り回されるビームの鎌。

しかし、まあ、その間、俺もぼうっとしていた訳ではないから。

左手でピックを抜いた。今度は1本だけ。

1本で十分だった。ヤツの右手首を切り落とすには。

空いた右手で鎌を奪い、逆(さか)しまにもヤツ自身を切りつければ、

回避が間に合わず、左腕をも犠牲とした。

切り落とされた左肘の下から、ビリビリと小さな稲妻が走っている。

「言葉を返すようだが……何がしてぇんだ?テメェ」



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PHASE-13 新しき旗(3/7)

切り落とされたヤツの腕が、地面へと落ち、砂を被(かぶ)る中、

『やはり敵わぬか……私では』

そう嘆く、ギボンの声を聞いた。

「……だったら何で仕掛けてきやがった」

思えば、妙な相手である。大鎌という武器のチョイスも勿論だが、

体もそう。アヤソフィアから抜け出してきたような、

モザイク模様を描くことからも窺(うかが)えるが、

規格が統一されていないとみられるパーツとパーツとが、

さながらレゴブロックみたいに組み合わされている。

「まったく……ゲテモノばっかりだな。ここずっと」

鎌を持ち換え、再度振り下ろす。流石に次は避けられた。

今度は角度を変え、刃を上に向け、斬りつける。

上体反らしでこれも避けられるが、いやに美しいモーションだった。

腰を振るダンサーみたい、またはボクサーのスウェーバックみたいに。

やはりモビルスーツの動きじゃない。

かなり人間に近い、ごく微細で、ごく僅かな動きである。

「……そう当たるもんじゃねぇってか?畜生」

ここから更に、避けられることを見据(みす)え、

持つ場所を下に移し、穂先をより先へ。

そうして振り下ろす。右手だけで持ち、

左手は見えないように右腰のピックに近づける。

しかし、それら配慮に意味はなかったらしい。

「……なっ!」

鎌が折れた。それも、何かにぶつかった訳でなく。

しかし、枝が折れるみたいに、ポキっと綺麗に。

そして、この動揺から生まれた僅かな隙を抜くように、

スッと飛び上がるギボンの機体。

「逃がすかっての!」

慌てて、空に向け、ガトリングを乱射する。

敵も、それなりには早かったのだが、ガトリングの発射速度がある。

相手の逃避に合わせて、腕を振り上げていけば、

体の右半身が穴だらけになっていく。

背中のウィングにまで飛び火し、何枚もの長さの違う羽根が落ちる。

それでも……致命傷になり得ずに。

右の腰から左手で、ピックを抜いて、投げつける。

いや、投げつけようとした、というべきか。

実際には身構えた時点でもうヤツの姿は見えていなかったのだから。

「心理戦にでも持ち込んで、隙を見て最初から逃げる気だったか。

通りで、意味の分からねぇことをダラダラと……」

落ちた鎌の先を拾い上げれば、仕掛けが分かった。

理屈は簡単。単純に、着脱式だったらしい。

スイッチがコクピットにあるってのは珍しいが。

「つまんねぇ猫騙しに引っかかった訳か」

苛立(いらだ)ちから、笑いながら鎌を地面に放った。

荒っぽく投げれば、鎌の刃先が深々と地面に刺さった。




──トリポリの戦い。
夜襲という方法が、果たして何の意味を持ったかは知れぬが、
ザフト側の勝利に終わったことは間違いなく。
その後、統治に入ったザフト兵の目に、
かの神の手の者は確認されなかった。
基地も既に放棄されていたらしく、
想定されていたような西アフリカ方面に対する指揮系統の存在は、
確認できなかった。
パヴァロッティ・ギボンが投げかけた言葉も、
的を得ていたのかもしれない。
思えば、我々はネイト・アガレスの正体さえ知らなかったのだ。
そこにある、『明けの砂漠』勢力の影響も、
ようやく見え始めていた状況で。
ティンドゥフ攻略戦においては、物量と稼働時間により、
退却に追いやるしかなかった《ドヌ・ゾド》を、
この度は撃退できた、というのは成果と言えようが……
ダイ・フーディーニの嘆きは、そのままザフト全体の嘆きであった。
用意していたものでは間に合わない。
既に、モビルスーツの性能がそのまま戦いの指標であった時代が、
変わっていた事実。
この戦いを乗り切る為に、必要なものは力以上に、信頼と情報。
ひとまず、我々は実績を用意した。
間もなくザフトは、西アフリカを手中に収めることとなるのだから。
……『ナイルの神』との戦いはまだ、始まったばかりである。


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PHASE-13 新しき旗(4/7)

コルドバのローマ橋。

この白き石畳の橋の上、凍(こご)えるばかりの海風浴びて、

走る車は、銀色のセアト・アルハンブラ。

鼻の左脇に、ひよこ豆ほどに突き出たホクロを持った、

年の頃30か40というところのギリシャ人女性が運転する、

その車内にて、

ノエル・ド・ケグは物憂げに、開けた窓から外を見つめてた。

後部座席ではリョウ・ナラも、窓ガラス越しに外を見ていた。

いや、厳密には見ていたとはいえない。

前の座席から入ってくる激しい風に、

飛ばされぬようハンチングの先を押さえており、

その手とその帽子に目元を隠し、顔は外に向けながら、

しかし器用に目だけは、白金色した男の後頭部を見つめている。

まさか、気付かれていたとは思うまいて、

「……俺の顔に、何かついているか?」

なんてバックミラーを介して、ノエルに語りかけてこられては、

「ひぇっ」

と頓狂(とんきょう)な声を上げる他なかった。

運転手のギリシャ女が口に手をあて、声なく笑う。

ノエルは呆れた調子で、

「妙なヤツだ」

そう言い捨てると、口元より手を除けたばかりのギリシャ女へ、

「プレイアス……目的地まで、あとどのぐらいだ?」

との問いを投げかけるのだった。

「15分というところでしょうね。ランチタイムの心配ですか?」

「バカいえ」

「……それは失礼しました」

プレイアスなる、このギリシャ女が軽く頭を垂れるより先に、

ノエルは向き直り、また窓の外を見遣る。

しかし、風が強い。

普段なら片側に寄っているノエルの髪が、

捲(まく)り上げられ、オールバック気味に後方へと流れていく。

「その帽子……ドナウアーに貰ったのか?」

ノエルは振り返っていない。

だから、自分に言われたとは思わなかったのだろう。

そのとき、リョウは照れくさそうに頬を橙色に染めたまま、

ぼんやり遠方に横たわる地平線を眺めていたから。

「……オマエに聞いてんだよ。リョウ・ナラ」

トーンを落とし、鋭く小声で伝える一瞬、

ノエルがリョウの顔を見た。

慌てて少し肩を上げ、前を向いたリョウだったが、

そのときにはもう、ノエルの目は海の色に染まっていた。

「あぁ……これ、ですか?」

帽子をゆっくり取り、バックミラーに映るよう、

斜め前へと突き出すリョウ。

しかし、ノエルは我関せずといった様子で微動だにしない。

プレイアスは口角を左右へ広げ、

「……お人が悪い」

などと囁(ささや)くも、ノエルはうんざりとした様子であり、

振り返ろうとはしない。

このとき、光の加減もあり、元々クリーム色した女のホクロが、

おはじきに似た、何か半透明の球体に見えた。

「これは、違いますけど……」

構わないと言った調子にて、リョウが話を始める。

「……ネクタイを戴(いただ)きました。緑のネクタイを。

細いヤツです。古い映画……とかに、出てきそうな感じの」

「古い映画?」

呆れ気味に聞き返すノエル。

「もしかして……ウエスト・サイド物語のこと?」

微笑み返すプレイアス。

「それかもしれません……」

仏頂面で答えるリョウ。

「いい加減なヤツだな」

「まあ、そういうこともありますよ」

「……フン」

鼻を鳴らしたノエルの横顔を見つつ、リョウは問うのだ。

「ドナウアーさんには……気を許してらしたんですか?」

眉間を掻(か)くノエル。

「ここにオートクレール殿下はいらっしゃいません……

良いのでは?リョウくんには、話しても」

プレイアスの声は小さくなった。

「オートクレールが……いるかどうかの問題じゃない。

どんな関係かと聞かれれば…………答えに窮(きゅう)する。

兄だと呼ぶには年が遠い。父と呼ぶには親しすぎる」

「……お友だちですか?」

「いや……違うな」

両の眼(まなこ)に蓋をするノエル。

間もなく車の動きは止まり、風は止む。もう橋を過ぎていた。

「……終わったことを、いくら言っても始まらん。

アイツには息子がいる。ランドゥルフて、今年16になるガキが。

自分にもしものことがあったら、と……頼まれているからな。

引き立ててやるさ。俺に出来るのは、それだけだ」

そう語るノエルの横で、開いていたドアがピシャリと閉まり。

「着きましたよ。秘書官様」

「……ああ」

肘で押してドアを開けるノエルの背中を見ながら、

【お父様によく似ておいで】

だと、幾度も語ってきたフェルディナント・ドナウアーの顔を、

思い浮かべるリョウであった。



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PHASE-13 新しき旗(5/7)

物事には、陰と陽があるものと、言われる訳だが果たしてどうか。

清廉(せいれん)とした白く幅広のローマ橋に対して、

薄汚れた暗褐色の煉瓦(れんが)が積まれた狭い一戸建て。

車の中、3人が一定間隔を置いて座り、

下手をすれば、吹き込む風の音が搭乗者の声より大きかった、

あのスペースに比べて、

その店は、ひとつのテーブルに対して5個も6個も椅子が並び、

机上には皿の端が飛び出るばかりに料理が乗せられている。

それでも座れない客がいるほどごった返しており、

座っている者もいくらかはパイプ椅子やら風呂場の椅子やらで、

周囲と顔の高さが違っていたりする。

声も大きい。外の音なぞ聞こえやしない。

馬鹿に騒ぐ連中の声が、スピーカー等のノイズよろしく不透明にて、

一人飲みの俺には耳障りにすら感じた。

凍える風の代わりに、香ってくる様々料理の入り雑(ま)じった臭い。

試しに並み居る群衆の合間を目で抜いて、

ドアのガラスから外を見るに、

ルシア・アルメイダとマアト・クィルの横顔が見えた。

そのうちにアルメイダがタバコを口にくわえると、

ガラスの端から手だけが現れ、火の点いたライターを近付ける。

流石のアルメイダも、煙を吹きかけては可哀想と思ったのだろう、

ドアへ背を向け、2、3歩離れていった。

その隙を埋めるように、1歩前に出て、顔を出したのは、

先程の腕の主アレハンドロ・フンボルトで。

マアト相手に笑う彼が、

窓辺で見ていたパーディタ・ラドクリフに睨まれていようとは、

気付いていないと見える。

慌てて向かいのルアク・パームシットが、何やら宥めている様子。

ただ、俺の場所からは何を言ってるかまでは聞こえない。

同じテーブルに腰かけたラグネル・サンマルティンが、

俺に気付いて見つめ返す。

笑えばいいものを、まるっきり無表情であるから妙に気味が悪く、

逃げるみたいに顔を逸らした。

ため息をコップの内に押し込め、

例によりノンアルのビールを流し込む。

あては、シャワルマとかいうパンの肉詰めみてぇなヤツだ。

要領はバーガー系と同じ。

細く刻まれて中に挟まれた、薄緑やら紫色したサラダが、

口の端から溢(こぼ)れていく。

慌てて左手をコップより剥(は)がし、口元を覆った。

親指を折り曲げ、掌と口の合間に入れ、

唇の隙から覗く紫玉ねぎの一切れを、口の中へと押し込む。

「……意外と可愛いところがあるのね?副長さん」

隣の席に腰かける女。スカートの端は押さえつつも、素早く。

椅子の揺れる様に目を取られ、座る女の腰辺りを一瞥したところで、

俺は、側に置いたままになっていた右手の厚みより、

細くしか残っていなかったコップのビールを、

オーバーリアクションにも振り上げて、喉の奥へと流していった。

空になったガラスコップを、やや荒っぽくテーブルに戻せば、

そんな俺の左腕に、女の右腕が伸びて、

真っ直ぐに伸びた4本の指が、くすぐったいぐらいに二の腕を撫でた。

「やっぱり軍人さんて、スゴい腕よね」

そう話しながら、左手をも添える女。

「太い腕が好きなら……ボディービルダーとでも、付き合えばいい」

「嫌よ。ああいう人種は、体のケアとか五月蝿(うるさ)くて、

腕枕もしてくれないのよ?」

「……もう付き合った後かよ」

呆れて顔を背けつつ、左腕を上げて後ろ髪を掻く。

手を振り払ってやるつもりが、尚一層引き寄せやがった。

「あとあと、こういうナチュラルな感じの筋肉の方が好き。

なんかー、ボディービルの人って、ちょっと太すぎてやだー。

腕なのか、太股(ふともも)なのか……わからなくなっちゃう」

「……知るかっての」

今度こそ振り払い、背を向け、横顔で店内を見渡した。

幾人かはこちらを見ており、目を合わせると逸らしやがる。

特にひどいヤツが二人。

目を逸らす瞬間に、鼻を押さえて笑うザイロ・モンキーベア。

それと、目が合うなり、満面の笑みでサムズアップした、

ワイリー・スパーズ。

空のコップをフルスイングで投げつけてやりたかったが。

「あら、ワイリーさんだっけ?あの人……

ダメなのよ。この辺りで、あんなサインしたら」

そう笑いながら、両肩に手を置く女。

「おい、通訳……やたら馴れ馴れしいが、

たまたま現地スタッフを募集しただけで、自分もクルーて顔すんなよ。

オマエは……」

右手が後ろから伸び、俺の口を覆った。

「……アンジェリカて、言ったでしょ?」



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PHASE-13 新しき旗(6/7)

夕焼けが迫る窓辺に、ブラインドを背にして夢現(ゆむうつつ)、
マーシャル・オートクレールの唇より涎が漏れる。
部屋には彼の他に3人。例によってホルローギン・バータル、
ボディガードのトゥーッカ・マンニッコの2名。
ただし、異なるのはバータルの向かい側、
先日ならノエルが腰かけていた場所に、1人の女性が。
テーブルの上にはチェス盤と、片や白、片や半透明の駒。
「……チェックです。バータルさん」
「おや、私の負けですか」
笑いながら、前から後ろへ髪を撫でるホルローギン。
「お強いですなぁ。もう3連敗ですよ……お恥ずかしい。
これでも私も、指揮官の端くれなのですがね」
そう笑うバータルへ、
「机上の空論という言葉もあります。
ナポレオン・ボナパルトも、チェスは弱かったと言います。
一概に論じる者でもないかと」
そう優しく応じる彼女は、小さな丸眼鏡を鼻に乗せており、
話の合間にこれに触れて、少し持ち上げた。
「ほう、そうですか、そうですか……」
頷きがちに向き直るホルローギン。視線の先はドアの方へ。
「……君もやるかい?トゥーッカ」
「いえ。生憎、駒の動かし方も知りませんので」
「そうか、残念だなぁ……」
目線をオートクレールに移すホルローギンであるが、
オートクレールは前述通りの有り様で、
「……起こしたら、何と言われるか」
とオートクレールの側へ片手をあてつつ、向かいの女性に述べる、
ホルローギン。
「すみませんなぁ、殿下にご用事にも関わらず……」
「いえいえ。突然お伺いした私の方こそ、無礼千万というもので」
頭を垂れる女性。
「……『ナイルの神』の使いと言いますのも、楽ではありませんなぁ。
ミズ・ムニン」
「いいえ。良いのです。もう十分に……お世話になっておりますので」


「……そう言ってもらえれば、私としても有り難い」

そう語る男は、古びたメタリックな足を擁する黒きソファー椅子の上、

肘かけの下から細長い白杖が覗く。

「トリポリ陥落は……まったく残念なことでしたが」

その部屋のドアにも、ボディガードが立っていた。

それは女性で、しかもリーゼントスタイルの茶髪。

ハンバーグみたいに頭に乗った、大きなポンパドールが目を引く。

彼女は見るからに呆れたという様子で、耳回りの毛を掻きながら、

コンサートかショーにて、退屈した観客のように、

欠伸(あくび)をしては、目を潤ませている。

そんな女を、椅子に腰かけた男が呼びつける。

「……カトリーナ」

「あぁ?」

顔を傾け、

見下ろすように睨み付ける女──カトリーナ・スティーヴィンズ。

カーン・カーァの部下だった女である。

そんな彼女に動じる様子はなく、どころか見向きもせずに、

男は告げる。

「お客様にコーヒーを入れて差し上げろ」

「……何で俺がァ?」

「おい!」

椅子の男の傍らで控えていた、年若いとみえる青年が、

そうカトリーナを睨み返すが、

椅子の男がこれの前に手を出して制する。直後、

「……私が、やりましょう」

そう窓辺に立っていた、てっぺんハゲで髭面の男が、

古代ローマのトーガなる上着に似た、

大きな暗い黄色のローブを引き摺りながら、ソファー椅子の背後へ。

「悪いな。ギボン……疲れていように」

「……お構い無く」

黒いコーヒーサーバーのボタンを押すと、紙コップが落ちてきて、

閉め忘れた蛇口みたいにだらだらコーヒーが滴(したた)り落ちる。

隣には、昔ながらのラッパみたいな拡声器より音を出す、

レコードプレイヤー。

落ちる音が止む頃に、静かに針をレコードの上に置いた。

踵(きびす)を返して、紙コップを手にソファー椅子のある方へ。

背後では、フランツ・ヨーゼフ・ハイドン作曲の、

名曲『神よ、皇帝フランツを守り給え』が流れ始める。

「……どうぞ」

腰を折り曲げ、ゆっくりテーブルの上にコップを置くギボン。

「ありがとうございます」

と答えつつ、お辞儀をすれば、

鼻に乗せた丸眼鏡が少しばかり下がった。

それと同時ぐらいに、ゆっくりと腰を上げたソファー椅子の男。

例の青年がその身に手を添えんとしたが、またも制された。

そして、

「改めて……ミズ・フギン。

我々、ヤン・クールカ以下、クールカ隊、この場にいる13名すべてが、

貴方と貴方の『神』を、歓迎致します」

そう、男は語るのだった……

焦点の合わない彼の目は、フギンとやらを見てはいなかったが。



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PHASE-13 新しき旗(7/7)

ソフト帽に顔を隠して、トレンチコートに身を覆い、

ソファーベッドに横たわる。

帽子の隙間にコートの隙間、

あるいは肘掛けの上に置かれた足の靴と足首の間から、

露出する黒い肌。

口元には涎代わりにタバコを垂らし、

胸元には拳銃であろうか?それらしい膨らみが見て取れる。

そんな彼を、

スーツ姿の若者が4、5名、緊張した面持ちで見つめている。

そんな彼らに向け、一人の老人が口を開いた。

「イタリアには……こんな諺(ことわざ)がある」

振り返るか、向き直った若い衆。

「……『チェスが終われば、王様も歩兵も同じ箱に帰る』と。

何も怯えることはない。

そこにいるのは、我々と同じ、ただの人なのだから」

「でっ、ですけど……」

「警戒することと……やたらに怯えることは違う。

その男には利用価値がある。

少なくとも今は、そんな顔を向ける相手ではないと知れ」

そう言われては、皆反論出来ないと見えて押し黙る。

そのうちに、ベッドの男が寝返りを打ち、

合わせて帽子が逸れて、

帽子の陰と黒い肌という闇の中、左目が開いた。

一筋の光が漏れるように、金色の瞳が輝いて見えた。

それからスッと口から、濃い息を吐き出したかと思うと、

煙に紛れてぽとりと何かの落ちる音がした。

やがて煙が去ると共に、ソファーベッドの向かい側、

テーブルの上のガラス製とおぼしき透明の灰皿の上、

まだ燻(くすぶ)るタバコがひとつ、置かれていた。

「……アモンよ」

マントでも脱ぐみたいに、サッとコートを払いのけ、

揺れた拍子に、傾いた帽子が真っ直ぐ頭に填(は)まる中、

その男──レェ・アモンは足を床に下ろし、

愛用の拳銃(S&W M500)を右膝の上に置いた。

首をやや傾げ、帽子の縁に目元を隠す。

「葉巻はやるか?」

「……ああ」

そう答えるアモンの口からは、まだ暗い息が漏れている。

「誰か、渡してやれ。キューバ葉の葉巻がそこの棚の二段目にある」

「はっ……はいィィッ」

慌てて、駆け寄る者が一人。

別の一人などは、ポケットからライターを取り出す。

「間もなく……ザフトの使いが来る。

事前交渉はフィロパトルとかいう女だったが、

次は軍事的な話になる。別な人間が来ることだろう。

アモン……オランで戦ったときのことを、話してくれ。

君には、暴れられるだけ暴れてこいと命じた。

その君の実力に対して、奴等はどうだったか?

奴等に、かの自称『神』を、倒しうる力があるか……否か」

そう語られる間にも、葉巻は口に、火は葉巻に、煙は外気に……

「今の奴等に……それはない」

話す傍ら、拳銃のシリンダーを出し、戻すを繰り返す。

そこには今、1発の弾丸が込められていた。




店を出たときの俺も、似たようなもので。
腰に下げたホルスターに手を突っ込み、
拳銃(P220 Elite Dark)のグリップを触りながら、
一番下にくる弾が、
見えるか見えないか──といっても、見ちゃいないが──という、
くらいに弾倉を出したり、戻したり。
その度に、僅かに触れる薬莢(やっきょう)の、
あの金属特有の冷たさが、妙な安心感を俺に与える。
トリポリの夜は、6月にしては蒸し暑く。
しかし、部屋の中よりはいくらかマシだろう。
人の熱気に加えて、香辛料やら果物やらの臭いが、
寄って集(たか)って鼻を苛(いじ)めてくる。
店を出てからも、燻(くゆ)らす煙が鼻に障(さわ)る。
先程、アルメイダが吸っていたタバコの臭いが。
入れ違うように、アルメイダは店の中へ入っていった。
マアトもアレハンドロもこれに付き添う。
「お疲れさまっす」
「ああ」
なんて、アレハンドロとは言葉を交(か)わしたが。
そのまま2歩とか3歩とか、
砂を被ったアスファルトの大地を踏み締めて、
何とはなしに振り返る。
ドアガラスより、中の様子は粗方(あらかた)窺えたが、
ガラスというフィルター越しに見えた世界は、
どこか……輪郭がぼんやりとしていた。
顔もテレビのモザイク処理みたいに、よくは見えなくて。
損傷した数百年前とかの絵画を鑑賞しているような感慨があった。
例えば、レナルド・ダ・ヴィンチの『最期の晩餐』がごとき……

 
機動戦士ガンダムSEED C.E.81 ナイルの神
(前半戦・終了)


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PHASE-14 Distance(1/7)

コルドバより。その時間、意外な番組が流されていた。
ある番組の特集という言い方がより正確であろう。
それは、2ヶ月も前に遡(さかのぼ)るもので、
かの『円卓会議』において、ダグ・バーテルソンが発した「演説」が、
スペイン語に翻訳され、現地の声優に声を当てられている。
テレビのコメンテーターと思われる小太りの紳士が知った風な口調で、
パクス・プランターナ──ラクス・クラインの治世──が、
生んだ弊害(へいがい)だの、旧国際連盟・連合の理念だのを持ち出し、
これを支持する一方、
バーテルソンの軍人という立場を考えると、
自身を棚に上げた発言であるとの非難を述べる女性もおり。
白熱する議論。
12時に始まった番組が、もう30分余りもこのコーナーに費やしている。
「番組の構成としてどうなんだ?一体」
シーザー・ルチアーノは苦笑した。
「……まったく、驚いたものだ。バーテルソン。
彼は一体…………マルティン・ルターにでもなりたかったのかねぇ?」
傍らに眼を向ければ、そこにはノエル・ド・ケグの姿がある。
「自分は、単なる人気取りの為の詭弁(きべん)としか思いませんが」
ノエルは少し伏し目がちにそう述べた。
「ヤン・クールカのような本物ではないと?」
「……ええ」
そうは言いつつも、ノエルの動きは一度止まった。それで、
「私は……ヤン・クールカという人をよく知りませんが」
などと付け足したときには、
その間に違和感を覚えたルチアーノの顔が、彼の方へ向いていた。
「……だとしても、話ぐらいは聞いているでしょう?」
ルチアーノはそう笑うが。
「人伝(ひとづて)に聞く人物評では、限界があります」
「それは分かるがね」
髪の毛一本たりともなきルチアーノの頭頂部を、
毛のように細長い指が撫でる。
「……トリポリでの話も聞いたろう?」
「いえ、まだ……仔細(しさい)には」
「おう、そうか……それなら話しておこうか」
ノエルが頭を垂れる中、
「……まあ、『限界はある』がね?ハハハ」
なんて笑うルチアーノであった。


──6日の0時頃に起こした襲撃で、

トリポリを陥落させたフレイヤ大隊は、その後の対策として、

変則的であるが隊をおおよそ2つに分けた。

分隊の片方はアルメイダを暫定リーダーとする昼間組、

もう片方はハビエルが暫定リーダーの夜間組。

実のところ、あまり好ましい割り振りではなかった。

夜間を健康上の問題──酒が飲みたかっただけだろうが──により、

隊長アルメイダが拒否したのがことの発端。別の言い方をすれば元凶。

出来れば夜間組のリーダーに俺が回りたかったのだが、

ハビエルは(名目上とはいえ)艦長と副艦長が同時間帯にいることは、

旗艦防衛上の問題で避けるべきと主張して譲らなかった。

無論、実際には、

戦艦業務に関して言えばハビエルに次ぐナンバー2たるクィルを、

お気に入りゆえアルメイダが手放さないと承知してのことだったが。

案の定、クィルに加えて、

ハビエルとやや不仲で、かつ実務派のモンキーベアが昼間組に回った。

こうして、戦艦内のバランスはそれなりに保たれた。

問題はモビルスーツ部門。

俺はまず、ワイリーかアレハンドロのどちらかには、

少なくとも俺とは別の組に回ってもらいたかった。

戦力が偏ることを懸念して、だ。

しかし、そこはアルメイダが譲らない。

オランでの一件以来、アレハンドロを気に入ったらしく、

昼間組に必要だと言い張り、アレハンドロもあっさり回りやがった。

ワイリーは仕方がない。

復帰したとはいえ病人。夜間警備は難しいと判断された。

結局、夜間組には、

ダスティンの小隊、ヴァイデフェルトとダイが入った。

ラグネルは自身の希望で昼間組に。理由は知らない。

こうして、ややバランスを欠いた形にはなったが、ひとまず分かれた。

迎えた6月7日。夜。

夜間組との交代時間に際して、

アルメイダの提案(命令?)で、息抜きとして街に繰り出した昼間組。

戦艦《フレイヤ》のブリッジは、そのとき、

普段とは異なる顔触れが並んでいた。

まず、艦長席にはルイス・ハビエル。心なしか表情が硬い。

副艦長席には、ちゃっかりダスティン・ホークが腰かけている。

元々CIC電子戦を担当していたゲルハルダス・ズワルトが、

操舵手を兼任し、

CIC索敵担当はダイ・フーディーニが暫定的に務める。

オペレーターはマユ・ヴァイデフェルトが再び代行。

他に、本来はダスティンの小隊に属していた、

ジェシー・シフなる隊員が、人員不足の為に副操舵手に転任。

こうして、辛うじて頭数を揃えた状態であった。 



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PHASE-14 Distance(2/7)

「……副艦長、副艦長」

耳へとかかる息が、彼女の意識を静かに覚醒させる。

「あぁ……眠り、かけていたのね……」

首を上げたハビエルは、それから1秒と経たぬうちに状況を理解した。

何せ、周囲の視線が彼女に集中していたから。

「眠りかける……というか、ねぇ……」

ハビエルの耳元へ、顔を寄せていたダスティン。

笑うと、鼻息が頬に触れる。

皆一様に怪訝(けげん)な表情を浮かべる中、

ヴァイデフェルトが真っ先に背を向けて、

「まあ……お忙しい中でしたし……」

なんてフォローを入れた。

ハビエルから見えたヴァイデフェルトの頬は、

うっすら赤みを帯びていたという。

笑いを堪(こら)えていたのだろう。

それから後、口に手を充(あ)てる仕種(しぐさ)まで確認できた。

「艦長ってのは……意外にすることがなかったりするし……な」

なんて逆のフォローを入れるダイは、

欠伸(あくび)が出たように口に手を押さえる素振りを見せたが、

結局、フフッという笑い声を漏らした。

「もう朝……交代時間ですから。

夢の続きは、ベッドでご覧ください」

そうハビエルの肩をポンポンと叩くと共に、

ダスティンは席の向きを変える。今度は笑いを隠しもしない。

さて、このときのハビエルの感想は、笑われて恥ずかしいよりも、

(ダスティン・ホーク……スキンシップ激しいな、おい)

だったとか。

「……とにかく、やっと休めるんだーって感じですね。

シフちゃんもお疲れ様ねぇ!」

背伸びをしたり、代理の副操舵手に目を向けたり、

ダスティンは忙(せわ)しなくもあり。

その点、このジェーン・シフなる少女は、

苦笑がちに一礼するだけに留めていた。

「そんじゃ……まあ……」

そう話し始めたことで、周囲の視線が再びハビエルに向いた。

当のハビエルは画面の端に映る時間を気にしていたが。

「……ここいらで」

と顔を上げるハビエルに、頷く。ただ一人を除いて、皆が。

その一人というのが、

「引き継ぎは……自分が」

このように声を出したゲルハルダス・ズワルトであって。

「あぁ……お願いね」

「はい」

ゲルハルダスが返答を返すより若干早く動いたダスティンは、

その返答が終わるより若干早く開いたドアより、

「じゃあ、皆、お疲れさまね」

とハビエルが言い終わるより若干早く出ていった。

「……アイツゥ~」

ハビエルの小言に、彼の部下たるシフが、

「悪気はないんですよ……小隊長は」

なんて宥める。

ダイ、ヴァイデフェルトも間もなく席を立った。

シフの「弁解」を聞きつつ、ハビエルも去っていく。

ブリッジに一人残されたゲルハルダス・ズワルトは、

その黒く、そして肩にかかる程長いドレッドヘアーの髪の下、

黒い肌と共に垣間見える、青い瞳を細めて、

画面を睨み付けていた。

それも、自身の座る席のモニターではなく、

先程までダイが腰掛けていた、索敵用のモニターを……




『どうですか?乗り心地は?』
のそんな部下の問いに、
「頗(すこぶ)る快調だ」
とクールカが答えたとき、彼を乗せたモビルスーツは、
リビアとチュニジアの国境付近を飛んでいた。
彼の機体は《アダガ》ではない。額に刻まれた「067 Павел」の文字。
白いボディと赤い装甲、節々には金の装飾を持っていた。
『でしたら、よいのですが……』
「むしろ私は、な……ドルゴン・ジンよ、
君の《ウィンダム》がそんなに飛ばしてガス欠にならないか、
そっちの方を心配しているくらいさ」
『いえ……その点は、大丈夫ですが……』
「……それこそよかった」 
なんて話している彼らは雲の上。そんな彼の機体へ、
『所属不明機に次ぐ……こちらザフト』
と無線での呼びかけが来る。
『貴機は現在、領空を侵犯している。
……こちらの誘導に従い、速やかに離脱されたし』
クールカは何も答えない。勿論、離脱もしない。
ただ、両腿部に付随するホルスターへと手を伸ばすだけ。
『……聞こえているのか?』
返事はしない。その一方で、画面に映る敵としては捉えていた。
ロックオンはもう、している。
『これより、威嚇射撃に移る。
これは警告である。早急に離脱されよ』
相手の姿は、クールカには見えていない。
ただ、雲の切れ目からビームが飛んできた。
機体の動きに合わせて斜線上に撃ち込まれるビームに、
クールカの機体は微動だにしない。
分かっていたのだろう。相手が当てに来ないことを。
そして、当たらないことを。
『なんだ、コイツ』
相手がそんな声を漏らした直後、
男の機体はようやく、その右腕を上げた。
ホルスターから抜かれたのそれは、1丁のビームライフルだった。
声を上げる暇もなく、引かれた引き金に、
相手の機体はあっさり被弾。煙を巻き上げる。
そのまま、敵機は高度を下げていき、数十メートル下で爆発した。


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PHASE-14 Distance(3/7)

『お見事』

とドルゴンがおだてれば、クールカは、

『いや……小さい』

のみ応じた。

『……小さい?』

ドルゴンがそう聞き返した。

『爆発が小さすぎる……これでは……』

クールカの不安は的中。突如雲の下から2本の赤いビームが飛び出す。

片やクールカを、片やドルゴンを狙ったようだ。

まず、ドルゴンの方は間に合わない。

シールドを張るも無意味で、片足を吹き飛ばされてしまう。

他方、クールカの方には余裕があった。

それはもう、回避するだけでなく、

傷ついたビームライフルらしき銃が煙を上げつつ落ちていくのを、

確認できるぐらいに。

『……武器を囮(おとり)にしたか。なるほど。

オマエにしては珍しい策だ。機体まで透明にしてな。

もっとも……データにないモビルスーツという時点で、

おおよその見当はついていた。

シン・アスカ……カーン・カーァを仕留めたオマエの機体だとな!』

流れていく雲の切れ間から、その姿が顕になった。

赤と金のクールカ機と対比されるような、

青と白の機体──《ヴェスティージ》である。

『下がれ、ドルゴン……相手が悪い!』

言われたときにはもう、

ドルゴンとやらの《ウィンダム》は引いていたが。

《ヴェスティージ》の左手にはビームピックが握られている。

即座にピックが指から離れる。当然回避に動いたクールカ。

しかし、間に合わなかったのか、『ズレた』のか、

ピックがビームライフルを直撃。

小さな稲妻を走らせるライフルを投げ捨て、後ずさるクールカ。

「……遅ェ」

そう離れちゃいない。一歩踏み出せば、

それは《ヴェスティージ》のスピードである。

手離されたライフルがその足先に当たる程のアズ・スーン・アズ。

間合いは詰まった。

すぐ右手を振り上げた。旗のように上へ向けて真っ直ぐに。

旗の代わりに握られた新手のビームピックが襲いかかる。

もっとも、流石にこれは回避された。

間髪入れず、ピックを放(ほう)った。

グーをパーにするだけの、最低限の動作でもって。

旋回するピックがクールカ機に近付く中、本体も暇しちゃいない。

顔のビームガンをけしかけた。

シールドでも張る……かと踏んだのだが。

首が動いた。凝った首を軽く回すときみたいに、微かに。

モビルスーツ、というか機械にしては滑らか過ぎるほどに。

前の戦場で見たパヴァロッティ・ギボンの機体がこうだった。

あまりにも繊細。あまりにも微細。

しかし、その些細(ささい)な動きがあるばかりに、

こちらの攻撃が当たらないのだ。

それは投げつけたピックについても同様。

捻(ねじ)るように動かした肩、腕がこれを避けた。

「またかよ!」

ならば、とビームガトリングを振り上げる。

いや、振り上げようとしたときには、もう遅かった。

噛み合わせたワニの歯のようなデザインをした、

クールカ機のアイマスク状の部位が動いた。

口を開くように、上下に分かれたのだ。

下には魚の鱗みたいな小さなパーツが並んでいた。

これが一斉に飛び出してくるのである。窓ガラスが割れるみたいに。

落ちた鱗には小さな刃が付いていた。見逃しかねないほど小さな。

慌てて身を引きつつビームシールドを展開するが、

完全には間に合わなかった。

顔にいくらか突き刺さり、頭部が損傷。煙も上がる。

クールカ機はこれと同時に、腰から2本の剣を抜いていた。

逆手に握った剣同士を胸の前にてクロスさせ、そのまま、

『うおおおお!!』

とか何とか叫び声を上げ、突進してくる。

勢いに押されて、シールドを持つ手が後ろにいき、機体も後退。

その隙を突き、右側の剣が切りつけてける。

回避はおろか、逆の手のシールドを張ることも間に合わない。

だから、誰かさんみたいに上体を反らした。

無論、焼け石に水。胸から下腹部辺りまで一文字に切り裂かれる。

クールカやギボンの機体みたいにはいかなかった。

それでも、コクピットまでは刃は届かずに済んだ。

浅く……そして、気持ち太刀筋が左に逸れていたこともあって。

『これで、チェックだ』

右の刃が弓ならば、左のそれは矢のようで。

手首を折り、剣先をこちらに向ける。後は前に突き出すだけ。

左の刃が迫る中、俺は……推進機を止めた。

背中で、

『探したぜェェ!こんのォォ、《フリーダム》もどきがァァァ!!』

なんて女の叫び声(怒鳴り声?)を危機ながら……



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PHASE-14 Distance(4/7)

推進材の火が消えれば、

地球の重力が、重い機械の身体を地上へと引き寄せる。

クールカは深追いはしなかった。する必要がなかった。

何せ、俺──落下していく《ヴェスティージ》へ、

下向きに斜め線を描くように移動し、近付いてくる敵がある。

……のは、俺もとうに気付いちゃいたが。

当たり前だ。あんなにでかい声を出されれば。

『死ねェェェェ!!!』

とか何とかいう叫び声に耳を押さえたときには、

敵はもう目の前まで迫っていた。

敵──カトリーナ・スティーヴィンズが、である。

また知らない機体が出てきやがった。

《ディン》や《バビ》のような、空中戦用のモビルスーツらしい。

何だか知らないが、オオコウモリのもののような、

体躯の数倍はあろうかという大きな翼が背中にあって、

側に寄られた俺の機体に、これが影となって覆い被さる。

両腕には甲殻類を彷彿とさせる殻状の装甲があり、

しかもスズメバチの針みてぇに拳の側に鋭いのが1本ずつ。

よく、コンセントに刺したり抜いたり繰り返したとき、

プラグとの間に、電流を帯びてバチバチ鳴ったりする訳だが、

丁度そんな調子で、針の先が光ってやがった。

後に調べたが、本当は拡散式というらしい。

卵から無数の幼虫が孵(かえ)るよう。

稲妻が飛び散り、《ヴェスティージ》の体に振りかかる。

当然ビームシールドがあるから、命中はしない訳だが、腕は2本。

針も同様。片手の先が光れば、逆の手も光ろうもので。

衝立(ついたて)みたいに構えたビームシールドでは、

そのままじゃ押さえきれないようで、

まだ熱の残る──と確認した訳ではないが──スラスターに再点火、

体勢を変え、回避する。

敵は、そう速くはない。

というのは、散々速い奴等と当たってきたかもしれないが。

とにかく、距離はすぐに取ることが出来た。

……そう、このカトリーナに対しては。

「……一昨日の今日にしちゃ、万全過ぎんだろ?テメェ」

雲を切るように上から下ろされた鎌。

回避動作は取ったが、やや遅く、

突き出たアンテナの右先端を掠(かす)めた。

『パヴァロッティ・ギボンだ……今度は容赦せん』

「何だよ……『今度は』ってのは……」

苦笑を禁じえなかった。

『すべては、我が理想の為に……』

そんなヤツの声に頭上へ目をやれば、

当のクールカの機体は、刀の錆でも落とすみたいに、

2つの剣先を擦り合わせていた。

『「今度こそ」、斥(しりぞ)けさせてもらうぞ。アスカ』

クールカは笑う。部下の失言をネタにする形で。

「……あぁ、そうかい」




思い返してみれば、俺にもあったさ。
力を持てばもう何も失わないと、そう信じていたことがあった。
信じたかった。信じていたかった。
そんな俺の祈りを踏みにじるように、
C.E.73年冬、アスラン脱走事件が引き起こされた。
プラント最高評議会議長ギルバード・デュランダルのやり方に、
反発したアスラン・ザラという同僚が、
ダスティンの姉にあたるメイリン・ホークという少女を伴い、
基地からの逃亡を図ったのである。
流れとはいえ、その追撃を担ったのが、俺だった。 
アスランのことは仲間だと思っていたが、
俺は共に追撃を行ったレイ・ザ・バレルなる隊員の、
「敵なんだ彼は、彼等は!」
という言葉を信じて、彼の乗る《グフ》に刃を突き立てた。
「あんたが悪いんだ…あんたが!あんたが裏切るからぁぁっ!!」
そんな言い訳めいた言葉で、必死に自分を言い聞かせながら。
腹部だか胸だけ、もう覚えちゃいないが、
貫かれたグフは脆くもバラバラになって、海へと落ちていった。
幸い、このときはアスランもメイリンも奇跡的に助かったのだが、
それを俺が知るのは、まだ先のこと。
帰ってしばらくして、俺は彼女と会った。廊下で。
ルナマリア・ホークだ。メイリンの、そしてダスティンの姉だ。
気まずさから顔を下げて通り過ぎる俺に、
ルナマリア……ルナは急に近付いて、背中に泣きついた。
恨み言でも言われると、覚悟していたのに。
1歳年長の彼女は、果たして大人だったのか?
それとも、単に孤独に耐えられなかっただけか?
今でもそれは分からない。
泣きじゃくる彼女を、俺は抱き締めることしかできなくて…… 
ただ、俺は無力であった。それは間違いない。


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PHASE-14 Distance(5/7)

年を跨(また)いで、74年。俺は戦った。また、アスランと。
世に言う『メサイア攻防戦』。
デスティニープランと呼ばれる、
一種の管理社会の創造を提示したデュランダル議長に対し、
ラクス・クラインが反発の声を上げ、戦いは新たな局面を迎えていた。
その最後の戦いが、この『メサイア攻防戦』だった。
「だったら、どうすればいいっていうんだ?
アンタらの理想ってヤツで戦争が止められるのか?
戦争のない世界以上に幸せな世界が……あるはずがない!
だから俺はぁ!」
そう叫び、武器を奮う俺に、アスランは本気で戦おうとしない。
それを何故かと問えば、
「それは……今のオマエの姿が昔の俺に似ているからだ」
と答えた。
「俺はかつて母を殺された憎しみだけで戦いに身を投じた……
だからわかる!今のおまえの気持ちが!
自分の無力さを呪い、ただ闇雲に力を求めて……
だがなシン!その先には何もないんだ!
心は永遠に救われはしない!
だからもう、おまえも過去にとらわれて戦うのはやめろ……
明日に……未来に目を向けるんだ!」
「今さら何を!」
目を閉じ、俺は叫んだ。
「あんたが正しいっていうのなら!俺に勝ってみせろっ!」
アスランの《インフィニットジャスティス》から片腕を奪い、
月面に叩きつけてやった。
しかし、息を乱し、追い詰められていたのは俺の方だった。
「これで……やっと終わる……この戦争も……俺の戦いも!全てが!」
剣を抜いた。
「まだだ!」
アスランがそう叫び、《ジャスティス》のリフターだけが飛び、
それに驚き、できた俺の一瞬の隙。アスランは見逃さなかった。
一気に間合いを詰めたアスラン。振り上げた足には、鋭い刃が。
「くそぅ!」
左腕を破壊され、次いで上からリフターが襲いかかり、
もう片方も撃ち抜いた。
もしも、あの一瞬が……
などと考えたが、その末、口をついて出たのは、
「アスラン……あんたやっぱ強いや……」
なんて言葉で、それで、
俺は憑(つ)き物が落ちたみたいに、笑みすら溢(こぼ)れた。
俺は強さに囚われていたんだ。
強くあらねばならない。例え、友と言える存在が相手でも。
そんな俺の覚悟を、荷を下ろしてくれた。
違う強さを示してくれたことが、何故だが嬉しくて、それで……


「……別れましょう」

──それはC.E.81年、春。

夜景の見えるビルの13階のレストランで、ルナは静かに切り出した。

独り言みたいに小さな声で。

俺は彼女の髪のように真っ赤なプッタネスカを食べていた。

聞きたくなかった。聞こえないフリをして、

わざと、そのまま料理を口に運んでいた。

それでも、

「そのままでいいから……聞いて」

とルナは言って、話は続いた。

優しげに話しかけるルナが、何故だが怖かった。

フォークを握る手が動かない。ただ、小刻みに震えるばかりで。

「……この前、アスランのことを聞いたの」

恐る恐る顔を上げた。ルナは……泣いていた。

いや正確には両目いっぱいに涙が溜(た)まってていて、

必死に堪えているようだった。

「ゴメン、やっぱり……私はアスランが好きだった」

「……ルナ」

泣いていたのは、俺だった。フォークを落とした。

溢れ出す涙を止められなくて、震える指で口を抑えて、

せめて声だけは殺した。それしか、俺には出来なかった。

「もう終わりにしましょう……傷を舐(な)め合っていたって、

きっと……幸せにはなれないと思うの……お互いに」

ハッとして顔を上げる。そのとき見た彼女の顔は今も、

目の奥に焼き付いて離れない。

ルナは微笑んでいたような。それでいて悲しげのような。

言い様のない表情でこちらを見つめていた。

「上手く、いえないんだけど……

いつも、シンはどこか遠くを見ていた気がしていたの。

一緒にいるときも、ずっと……いつかの夜に、

アナタがご両親や妹さんの名前を呼んでいたのを聞いて、

思ったの……そうか、シンの本当に欲しかったものって、

もう戻らない、ご家族との毎日だったんだな……って」

伝票をサッと自分の方に寄せ、ルナは席を立った。

その去り際に、静かに、

「……ありがとう」

と呟いて……

──遡ること、C.E.80年冬。

大西洋連邦と東ユーラシア連邦を主力とする、

統一連盟の多国籍軍がオーブ本島に進軍。

後に『オロファトの戦い』と呼ばれた、このオーブ征伐最大の激戦は、

まずオーブ軍はほぼ壊滅、

多国籍軍も戦力の約30%を失った。

ユニウス戦役以来、オーブ軍に身を置いていたアスラン・ザラもまた、

愛機《ディバインジャスティス》で出動。

不運にもこのときが、

大西洋連邦による新兵器の投入時期と相成った。

プラントに遅れること6年あまり。

大西洋連邦は核暴発を招く兵器ニュートロンスタンピーダーを使用。

以後、核エンジンを採用した機体は現れなくなる。

アスランの《ジャスティス》とてそれは同じ。

多国籍軍を大いに苦しめた末、太平洋に散っていった……



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PHASE-14 Distance(6/7)

「クールカ……さんよぉ……」

『何だ?アスカ』

「……こんなこと、語るだけ無意味かもしれない」

敵は待ってくれはしない。片側からギボンの鎌が振り翳(かざ)され、

逆側からはカトリーナが針先から光線を飛ばしてくる。

両手にシールドを張り、耐えるばかり。

「……だが、あえて言わせてもらう。

『過去にとらわれたまま、戦うのはやめろ』。

アンタの目指す先に、アンタの望むような未来はない……

現実を見ろよ。俺と同等……いや、それ以上の力を持つアンタが、

高尚な理想を持ったアンタが、今やってることはなんだ?」

ギボンとカトリーナ、シールド1枚挟んで2つの機体が密着してきて、

ぶつかりあった刃と盾、針と盾とが火花を散らす。

「プラントじゃ体制批判しても……アフリカじゃ擁護かよ。

使いっ走りさせられて、無闇に人の命を奪い……」

『御託並べてんじゃねぇよ!カーン・カーァを殺ったテメェが!』

カトリーナは、もう一方の針をシールドの隙間にねじ込み、

胴体を狙う。しかし、

「……だから、そういうことさ」

片手を曲げた。カトリーナの方じゃない。ギボンに向けた方の腕だ。

半ば凭れるように鎌を振り下ろした敵は、

こちらが手を引くと、ドミノ的に前屈みに体勢を崩す。

だが、それは副産物に過ぎない。

左手を曲げて、半身を後ろに引いた。それは振り上げる為。

上半身の左半分が後ろに引けば、自然と前に出るのは右の下半身。

その勢いに乗せて、空手の前蹴りみたいに、

針と針の隙間から、カトリーナの機体の胸部を蹴り込んだ。

やはりフェイズシフト装甲を採用しているらしく、

蹴ったぐらいじゃ表面には傷はつかない。

ただ、勢いそのものが消えた訳ではないから、

カトリーナの機体は押し出され、

仰け反るように背中側へと飛ばされていく。

「所詮、闘争とは憎悪を生むだけ。力は何かを傷つけるだけ」

右の裏拳をギボンの顔面に見舞ってやった。

「『自由』とか、『正義』とか……そちらこそ、御託は止(よ)せよ。

こんなもん、喜劇にもならねぇ!」

返す刀で、鎌を奪い、カトリーナの方に投げつける。

それと同時、ギボンの腹に左足で、馬のような後ろ蹴りを入れながら。

「……まるで、ドン・キホーテだぜ。アンタ」

《ヴェスティージ》の顔を、一瞬だけ上に向けた。

見下ろすクールカを睨み返すみたいに。

それからすぐに左を向いた。ビームガトリングを押し当てる。

『ドン・キホーテ……か』

ビームシールドは、ギボンも張っていた。

蓋をするように、ガトリングの砲身と接地する形で。

とはいえ、ほとんど無意味で。

車輪のように回り始めたガトリングの砲口は線香花火みたいに、

瞬く間に飛び散った涙滴型のビームが、

顔や肩、また手や足にまで振りかかり、

当たると共にその身を焼き、あるいは貫いた。

ベイゴマみたいに徐々に回転速度を落としていくガトリングが、

その動きを止めるより先に、穴だらけになったギボンの機体が、

力をなくして地面へと落ちていった。

追い討ちする訳じゃないが、まだ回っていたガトリングからは、

なおもビームが排出されていき、

そのいくらかは、ギボンの機体の上へ雨みたいに振りかかった。

『クソ!!』

カトリーナが背後より迫る。

肩口についていたビーム砲が矢のように飛んでくるが、

軌道が直線であるから、回避には苦労しなかった。

瞬時に身を翻し、ビームピックを投げつける。

両腕を覆う殻がこれを弾くが、

その際、咄嗟に手を大きく開いてしまったカトリーナ。

胸元の辺り、守りがお留守になる。

別に見越してたって訳じゃないが、しめたとばかりに、

背中のモビィ・ディックを撃ち込んでやった。

流石に回避動作をカトリーナも取ったが、間に合わず、

首から上が消し飛んだ。

『気取りやがってよォォォ!』

モビィ・ディックの一撃が打ち止めるより先に、

機体を前進させ、カトリーナとの間合いを詰める。

右手でカーテナを抜き取るのも忘れない。

『こんのォォォォ、腐れチ○ポ野郎がァァァァァァ!!!』

何をするかと思ったら、針が飛び出してきた。

正直驚いたさ。目蓋が上がるのを感じるぐらいには。

吹っ飛んできた2本の針が、何を起こすかと思えば、

突然発光したのである。

後に映像で確認したが、ヤツの針の根本には、

手榴弾なんかにある、ピンとよく似た形状のものがあった。

早い話が閃光弾の役割を兼ねていたようである。

『くたばれよォォ!クソがァ!』

カトリーナ機の胸部と肩口にあった計4門のビーム砲が、

閃光に紛れるように一斉に火を吹いた。が、

「そんな子供騙しが、効くかっての……」

上に飛んで回避。

そして、まだビーム垂れ流してるカトリーナ相手に、

なくなった首の部分めがけて、刃を突き立てた。

……ほとんど、ただの体当たりであったが。

とにかく、そのままカトリーナもギボン同様、

地面めがけて落ちていくのだった。

「答えを急ぎ過ぎなんだよ。どいつも……こいつも!」



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PHASE-14 Distance(7/7)

──そのとき、クールカの脳裏に駆け巡ったものは何だったか。
その心象風景を、そのままに言い当てることは無論出来ない。
しかし、彼に関して……語っておくべきことがある。
彼が幼い頃、その母は神に祈っていたという。
最初のコーディネイターと言われたジョージ・グレン氏が、
Evidence01なる地球外生命体の存在を示唆する物品を持ち帰った。
以来、宗教権威は地に堕ちた、とされる。
しかし、人間はそう単純には出来ていない。
ジョージ・グレンの後継者ともいうべき、
コーディネイター国家プラントには、
キリスト教の聖人にその名を由来とするヤヌアリウス市を始めとして、
今なお宗教の影響は持続している。
……どこぞの国の大統領様は、反発する意味で、
わざわざ悪魔の名前を自らに与え、
「リュツィフュール(ルシフェル)」を名乗ったりする訳だが。
クールカ家もそうだった。
彼の母は熱心なキリスト教の信者だったという。
幼きヤンを教育する上で、度々聖人の勤行を語って聞かせたという。
何より、いつぞやにヤン・クールカが自嘲気味に語ったことが、
今も頭を離れない。
「私の名前は、イニシャルにこそ重きが置かれているのだよ。
チェコ語で書くとJ・K……
これが、ある人物のイニシャルと一致する」
「一体……誰だって言うんですか?」
「そう急(せ)くな……順を追って話してやるから……」


『「急ぎ過ぎ」ている……か。フフッ』

クールカは静かに笑うと、サングラスをゆっくり押し上げてた。

『そうか、そうだろう。アスカ……オマエは知らなかったな。

私の病のことなど……』

「知ってるさ……だからって!」

手袋へとゆっくり手を通すクールカ。

機体と同じ、赤に金を挿した色の手袋である。

『どのみち、私に時間はなかった……

体のことだけじゃない。子どもの将来を考えても……ね』

クールカは笑っていた。

少なくとも、その口角は上がっていた。

『そして、「過去」か……フフッ、オマエというヤツは、まったく……』

この間、俺も暇してた訳じゃない。

《ヴェスティージ》の背中には火が点いていて、

その体を徐々に上昇していたのだから。

『……なくしたものばかり、数えていた。

アーモリー・ワンでも、グナイゼナウでも、随分仲間を失ったしな。

フフッ……確かにその通りだ、アスカ。オマエは正しい。

私が結論を焦らなければ、彼は死なずに済んだろう』

《ヴェスティージ》はそう話す間にも、

緩やかに、しかし確実に間合いを詰め始めていた。

『……ジョットは私にとっては息子同然の部下だったし、

オスマンも優秀で、またカストールとポルックスは仲のいい兄弟だった。

私のせいで彼らは死んだと……確かにその通りだ。

フフッ……我ながら、とんだろくでなしだな』

間合いはすぐに詰まった。

勢いよく刃を叩きつけたってよかった。

相手がクールカでなかったならば。

ヤツの技量なら、軌道を読んでカウンターなんて芸当、

優にやってのけることだろう。

だから近付くしかなかった。

相手がどのように動いても対処しやすいよう、

わざわざ牛の歩みでもって……

『アスカよ……』

詰まった間合い。

だというに、クールカ機は微塵(みじん)も動く気配がなく。

一瞬、妙な躊躇(ためら)いをしてしまったが、

すぐにカーテナで斬りつけた。狙いはクールカ機の腹回り。

ヤツはビームシールドさえ用意していなかった。

避けるには近すぎる。あまりにも良すぎるシチュエーション。

……反(かえ)って、妙な不安感に襲われる。

そんな中、

『……後悔、してるよ』

クールカのそんな言葉を聞いた。

そこまでの嬉々とした言い方とはうってかわって震えていた。

滴る涙さえ、見えるように。

ぶつける筈だった刃が、腰の側にて停止し、手が止まる。

『……私はあまりに、色々なものを犠牲にしてきた。

後悔しても、しきれんほどにな』

「何を……今更……」

自分でも、こんなに動揺するとは思わなかった。

手が止まるとは……返す言葉が見つからないとは……

『母さんは私に……聖人たれと教えていた。

信念に従い行き、妻を死なせ、娘を苦しめている。

いちいち考える度に、自分を責めずにはいられない……

オマエは、どうだ?アスカ』

「クールカさん、アンタ……」

我ながら、随分とセンチな気分になっていた。

父さん、母さん、マユに、ハイネ、ステラ、レイ……

脳裏に浮かんだ名前は数知れず。

いくつもの手が俺を押さえつけるようだった。

かの『神曲』のマーレブランケどもがそうしたように……

すっかり何もかもが頭を離れていた。

そう、目の前の『敵』さえも。

『だが……いや、だからこそ、というべきか』

気付けなかった。

たとえ、コクピット内に攻撃を報せる警報が鳴り響くとも。

『後には引けないのだよ!私も!』

クールカ機は、2本の剣を抜いた。一切の躊躇なく。



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PHASE-15 混沌の世界の中で(1/8)

彼女は、電話口で息を乱していた。それはもう、
『落ち着いてください。イレーナさん』
そう相手から嗜(たしな)められる程に。
「……ヤン・クールカは確かにそう言いました。
脱走兵が『近々』何かの行動に出ると」
『それは、また……曖昧(あいまい)なお話ですが』
相手も女性らしい。苦々しく笑う様が目に浮かぶような、
そんな言い方で答えていた。
「説得にも応じる様子はありませんでした。
決意は固いものと思われます。
……『ブレイク・ザ・ワールド』の被害を考えると、
脱走兵にそう、大きな行動を取らせるのは危険ではないのですか?」
自然、声が大きくなる。
『……はぁ』
イレーナの顔はいつの間にか、後ろを向いていた。
ソファーの上では、誰ぞ毛布を頭から被り眠っている様子。
横たわる彼女の顔は、そのままではイレーナから見えなかった。
「ヤン・クールカの娘を人質に取っています。いざとなれば……」 
寝返りを打った拍子に、毛布がはだけ、その顔が顕になる。
それはプラウダ。ヤン・クールカの娘である。
眠れる彼女の表情は、『人質』という説明とは裏腹に、
極めて幸せそうであり、これにはイレーナも顔を歪め、目を逸らした。
言葉に詰まったイレーナに、相手の女性は少しの間を置いて、
『了解しました……
ご協力に感謝します。また、何かありましたら、ご連絡ください。
それでは』
電話はそこで切れた。
受話器を戻し、恐る恐るプラウダの側に歩み寄るイレーナ。
毛布をかけ直し、その乱れた髪を撫でた。
そうしてふと、プラウダの顔を見てみれば、唇が、
「お父さん」
と動いたのが見えた……


──少し前の話になる。

開いた窓より、音を伴って風が車内へと流れていく。

そこは3本の線が等間隔で点在する道幅の広いフリーウェイで、

右も左も背の高い街灯が見下ろし、

その奥には雲を突くような高層ビルが立ち並ぶ。

英語表記の青く大きな看板がデカデカと掲(かか)げられた下、

燦々(さんさん)と輝く太陽を反射して、シャランは走っていた。

ヤン・クールカがふと助手席を向けば、娘プラウダは夢の中。 

その微笑ましさから、ヤンの顔に笑みが溢れた。

しかし、数秒と経たず、その表情は硬直したものに変わる。

それはプラウダが寝返りを打ったときだった。

少しばかり首が斜めを向き、

乱れた髪が彼女の鼻から上の部分を隠してしまう。

そんな娘の顔に、ヤンはフラッシュバックする。

現実は太陽に照らされた明るい車内。

しかしヤンに見えたのは、暗い室内。

それも、部屋の中央で娘と同じ髪の色をした妻が横たわる様子。

その部屋は窓が閉じられ、ガラス戸から射し込む月明かりだけが、

辛うじて部屋を照らしているばかり。

そんな中だ。ヤンは踏みつけてしまう。

ベットリとした感触と音。恐る恐る足をゆっくり上げれば、

丁度月明かりがより奥まで入ってきて、

足についた赤黒い液体が目に飛び込んでくる。

そんな足を下ろして、改めて下を確認すれば、

そこに横たわる妻が胸から血を流していることを知った。

血の水溜まりを前に、濡れるも厭(いと)わず、膝をつき、

妻の体を抱き起こして、揺さぶった。

震える口が何度も彼女の名を呼んだ。

男の涙が何度も女の頬に垂れた。

けれども、妻は何ら反応することなく、

起き上げられた拍子に重い頭がダランと後方に垂れるだけ。

掠(かす)れそうな声で叫ぶヤン。

しかし、部屋には彼へ答える声はなく、

ただヤンの嘆きだけが、ゾッとする程空しく響いた。

──もっとも、そんな悪夢も瞬(まばた)きと共に、

目蓋の奥へと消えていった。

そのうちに起き上がったプラウダの寝惚(ねぼ)けた顔が、

バックミラーに写り込んだ。

ヤンは笑い、肩に手を回し、愛娘を少しだけ引き寄せた。

父親の腕が触れる感触に、少女は静かに目を覚ました。 

怪訝(けげん)そうな顔をして、顔を近付けるプラウダ。

さて、車は道路を右方向に曲がり、狭い道を少し進んだ後、

一戸の小さな家の前で停車した。

「イレーナ伯母さんのこと……お姉さんて呼ぶんだぞ?」

笑いかけるヤンに、やはりプラウダはまた不思議そうな表情のまま、

しかし静かに頷(うなづ)いた。



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PHASE-15 混沌の世界の中で(2/8)

停車したシャランから、まずプラウダが降り、駆け出して行く。
次いで車のキーを抜いて、ヤン自身が降りたときには、
プラウダがチャイムを押した後だった。
彼女では手を伸ばしても少しだけ足りない高さにチャイムはあり、
ドアの前に置かれていた段ボールの箱に右足を乗せて踏み込み、
少しジャンプしてチャイムを押した。
ガチャっと音がして、それからドアが開く。
チェーンがされ、
拳がギリギリ2個分入るかという程度の隙間より、
まずは、プラウダより濃い紫色のお下げ髪と、
上と下と、それを結ぶ2つの黄色いシュシュが見える。
次いでプラウダの頭に、女性のものらしい細身の手が置かれた。
相手の女性がプラウダに何か話しかけているようだが、
ヤンの位置からでは、風の音が邪魔して聞き取れない。
それから、プラウダが一歩下がったかと思うと、
一度ドアが閉じた後、改めて開かれた。
それも今度は、チェーンもなく、完全な形で。
間もなくドアの外へと、
お下げ髪を2つ下げた長髪の女性が現れる。
プラウダを見下ろして、彼女は微笑む。
しかし、その表情は、
顔を上げた彼女がヤン・クールカの姿を見つけると共に、
怒りとも呆れとも言えぬ複雑な表情へと転じる。
そんな顔を見られまいとしてか、プラウダを抱き寄せる彼女。
対するヤンは何も言わず、ただ頭を下げた。
相手の彼女も何も言わないまま、ドアを開けたまま、
プラウダを抱き締めたまま、家の中へと入っていく。
やがてドアは、ヤンがそこにたどり着くより先に、
風のせいか、それとも元々の性質か、
とにかく勝手に閉まってしまった。
電線の上、
小鳥の囀(さえず)りが聞こえる麗(うら)らかな街で。
頭上の太陽が静かに、雲の奥に隠れていった。


ヤン・クールカが家に入ったとき、

プラウダはソファーに腰掛け、テレビを見ていた。

先程のお下げ髪の女性が立つ台所を挟み、

リビングらしき奥の部屋にプラウダの姿はある。

お下げ髪の女性は、何やら料理をしているようで、流し台の前に。

ヤンがそこを通りすぎようとしたとき、彼女は、

「……ニュース、見たわ」

と漏らした。ヤンが足を止める。

「今日も……同じ用事でここに来たの?」

そこで、トントンと聞こえていた包丁の音が止む。

「重要機密だ……例え親族にも明かすことではできない」

「……あっそう」

包丁の音がまた聞こえ出した。とはいえ、すぐに途切れるのだが。

切ったものを何かに移したのだろう。

少し、彼女が前屈みになるのが後ろ姿からでもわかった。

「自分が何をしているか……わかってる?」

彼女はゆっくりと上半身を起こし、左手で蛇口を捻る。

当然のように流れ落ちる水の音だが、

水の勢いがことのほか強く、音もまた大きい。

「……何がいいたいんだ?義姉さん?」

「別に……でも、その呼び方はやめて」

シンクに直接ぶち当たっていた激しい水音が途切れ途切れになる。

洗っているのだろう。きっと。

その後、蛇口が締められ、水が止まるまで、

それほど時間はかからなかった。

「政治とか戦争とかのことなんて、私にはわからない。

ただ、わかるのは……」

ゆっくりと振り返るイレーナ。

「貴方が3年前から何も成長してないってことだけ」

それだけ言うと、彼女はまたキッチンの方へと向きを戻した。

「妹が死んだこと……今更誰が悪いかなんて、

責めるつもりはないわ。『プラウダ(あの子)』だけでも、

助かってよかったと思ってる。でもね……

貴方がテロリストだったから、貴方たち家族が狙われた。

それは事実でしょ?」

ヤンは何も答えない。

「なのに貴方は今も……まあ、言うだけ無駄でしょうけどね。

早く出ていってくれる?もう貴方に言うことはないから」

「……わかった」

ヤンは振り返り、ドアへと進んでいく。

「どうして妹は、貴方なんて男を……」

「さあ……今となってはわからない。

ただ、そうだな……これだけは言っておくよ」

そう話すヤンの、クールカの手は既にノブへとかかっていた。

「近々、カタがつく。あの国が折れるか……俺が死ぬか」

ノブが回り、ドアはキィーッという、あの独特な音を立てながら、

ゆっくりと開き、閉じられた。

イレーナが、左手側にある小窓から外を覗くと、

雲は黒ずんで、今にも雨を降らさんとしていた……



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PHASE-15 混沌の世界の中で(3/8)

ヤン・クールカという男。

彼がどのような経緯を辿り、今に至るのか。

31年の生涯を、全て語りきるには、あまりにも時間がない……

パーソナルマークは「棕櫚(シュロ)の枝と5つの星」。

パーソナルカラーは赤と金。

人は彼をこう呼ぶ、『メサイアの悪霊』と。

貧しい家庭の出で、生活の為に軍人となった。後に部隊長へ就任。

それなりの実績を重ねてきたが、

真にその怪物性が発揮されたのは、かのメサイア攻防戦でのこと。

7年前、ユニウス戦役最後の激戦となった戦いだ。

ユニウス戦役末期にクライン派についた彼は、

三度(みたび)搭乗機を撃墜されながらも、

撃墜される度に、どうにか戦艦まで逃げ延び、

新たな機体に乗り換えて、戦場に舞い戻ったという。

彼の健闘の甲斐もあり、メサイアは陥落。 

当時の最高評議会議長ギルバード・デュランダルも戦死した。

撃墜スコアは驚異の200機以上。

プラント士官学校の教科書にすら、その名前は登場する。

戦後、当時『ORDER』であったエヴァ・ロンメル傘下にて、

大隊長という大役を任されるまでになるが、

その頃には、仇敵デュランダルの目指した世界に惹かれ始めていた。

熱心なクライン派であった上官ロンメルと対立する。

やがて、オーブを巡る大西洋連邦でのひと騒動を経て、

そのロンメルが『円卓会議』より失脚、退役する中、自身もまた、

「信念に逆らうことは出来ない」

と一言と共に、要請を拒否。以後、一時的に消息を絶つ。

その後の大規模な『摘発』騒動の直後、

彼の名前は挙兵したザフト脱走兵の幹部として、

実に2年振りに現れるのであった……

クールカは、一時はデュランダルに敵対した自身を、

キリスト死後に信者となった異邦人の使徒パウロに準え、

「デュランダルのパウロ」と、自嘲気味に語っていたという……

──さて6月。サングラスに手をかけ、見上げながら、

「これは……壮観(そうかん)だな」

そう語るヤン・クールカは、そのとき、モビルスーツデッキにいた。

周囲にはそれなりに人がおり、

中にはクールカの傍らに控えているものもいるが、

多くは目前にある1機のモビルスーツの整備に取りかかっていた。

機体の背中辺りにはいくつものケーブルが繋(つな)がり、

胸の側の梯子(はしご)がかけられている。

機体は今こそ全身灰色だが、いや、そんな色であっても、

その洗練されたデザインといえば……

そんなことを、

傍らに立つ人物が資料を捲(めく)りながら話している。

もっとも、当のヤン・クールカの本人には、

自分に熱心に話しかける彼の表情は見えていても、

その言葉は何故か、音として彼の耳に届いていない感じがしていた。

まるで、目の前で口パクをされているような感覚。

ただ、それも遂には収まり、

「……ナチュラルの連中が作ったってのは気に入りませんが、

コイツは名機ですよ。この《パーヴェル》は」

そんな一言だけは、はっきり彼の耳へと届けられた。

「パーヴェル……パウロ。その語源は確か……」

左手を自身の顔に翳して、フッと笑うクールカ。

「……へ?」

先程まで嬉々としてモビルスーツについて語っていた、この技師。

クールカの物言いに、不思議そうに手を止める。

「あぁ、すまないな。独り言だ」

「はぁ……」

「しかし、感心せんな……その言い方は。

我々がレイシストだった時代は、もう終わったのだ」 

そう語り、クールカは手を離し、この技師と顔を合わせた。

「ははっ……失礼しました」

技師はクールカに合わせて、そう笑いかけたものの、

先程までと比べて、ぎこちなさが拭(ぬぐ)えない。

「では……頼むよ」

「はい」

その後、クールカは振り返って、どこへと行ってしまった。

背中を見つめる技師の表情は振り返るまでは仮にも笑顔だったが、

クールカの姿がドアの奥へと消えていくと、

「……ヘンな人だな」

との独り言と共に、首を振る。その顔より表情が消えた。

「プロトタイプの《サウリ》に乗ったギボンさんは……

あんなに喜んでたのになぁ。まったく」



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PHASE-15 混沌の世界の中で(4/8)

暗い室内にて、数名の男女が言葉を交わしている。

「……聞きましたか?」

「ヤン・クールカの話だろう?……あぁ、聞かせてもらった。

アーモリー・ワンを襲ったのだろう?」

「困ったものですねぇ……」

「スパイだったのではないですか?彼は」

「そう言われるのが嫌で、功を急いだのではないですか?」

「……だとしても、軽率としか言いようがありませんな」

「全くですなぁ……」

「お話はありましたか?ルチアーノ長官」

そう告げられたシーザー・ルチアーノは、

「いえ」

と応じつつ、禿げ上がった頭頂部を撫でる。

「まあ、ともかく……ご説明いただけますかな?秘書官殿」

彼らの視線の先にあったのは、大型テレビ。

その画面いっぱいに、イスに腰かけた姿で映る、

ノエル・ド・ケグは、神経質そうに垂れた前髪を手ぐしで整えていた。

「……我々は、オートクレール氏の優位を認めたが、

家来にまでなったつもりはない。

今回の件、内容によっては、今後の対応も考えさせてもらいますよ」

そう告げられたノエルが、ゆっくりと腰を上げると、

カメラも付随して動き、ノエルの顔をアップにする。

『アマルフィ議員……ひいては、お集まりの皆さま方、

この度は、ご心配をおかけしたこと、

オートクレールに代わり、私の方から謝罪させていただきます。

……申し訳ございません』

深々と頭を下げたノエル。10秒以上、頭を下げていただろうが。

「……時間稼ぎかァー?」

などと野次を飛ばす者もいて。

「まあ、ひとまず話を聞きましょう?グールド議員」

ルチアーノがそう話しているうちに、ノエルの頭も上がり、

その身はまたパイプ椅子の上へと戻っていく。

『今回の事件は、我々の監督不行き届きが招いた事態であり、

オートクレール以下、主要閣僚の望むところではないと、

誠に勝手ではございますが、ご理解いただきたく……』

座ってからも、頭を下げるノエル。対して、

「……クールカ傘下のホルローギン・バータルが、襲撃の直前に、

オートクレール氏を訪ねていたとの情報が上がっているが。

本当にオートクレール氏は、本件とは関わりがないのですか?」

そう詰問する声が上がる。ノエルは少し顔を下げ、下唇を噛むと、

『はい……お恥ずかしい話になりますが……』

と語りつつ、鼻を軽く摘まんだ。

『……かねてより、クールカ隊の動向には、目に余るものがあり、

その点について、いくつか状況の説明をさせていました』

ゆっくり顔を上げるノエル。

『御承知の方も……中にはいらっしゃることと思っておりますが、

ホルローギン・バータルは、元々クールカ隊の所属ではありません。

人員不足に伴い、ルチアーノ長官から派遣していただいた、

ザラ派系の軍人です。

急進的とはいえ、広義にはデュランダル派に属する、

クールカの政治思想にも反しております』

「……では、余所者の件は、どう説明する?」

ノエルは一瞬、押し黙った。

「はて……何のことですかな?マクスウェル議員」

「御存知ありませんか?ルチアーノ長官。

……クールカ隊には、強化人間の可能性が疑われる人物の他、

オーブからの亡命者などが所属しているとのこと」

「なんと!」

口に手をあてるルチアーノ。

『……本件とは、関わりのない内容と思われますが』

「関係がない?……どこかが関係がないというのだ!

これは信用の問題ですぞ?秘書官殿。

我々はコーディネイターの国を守らんとしているのです。

それを、異国の者の手を借りるなど……

これで情報が他国に漏れて、後に国を奪われでもしたら、

如何に責任を取るつもりか!」

これにグールドも同調。

「そもそも、オートクレール氏はどこにいるのだ?

ここずっと演説のみで、我々と話そうともしないではないか!」

『……そのような訳では』

「では、何故!オートクレール氏ではなく、

毎度代理人の貴方が、我々の質問に答えているのですか?

ご説明を!」

あれやこれやと野次が飛ぶ。

その多くはやはりオートクレールを非難するもので。

ノエルはしばらく答えなかった。見かねたルチアーノが、

「ひとまずは……今後の方針、そこから話を聞いてみても……」

と場を収めようとするが、それを制したのは意外にも、

『……いえ、お答えします』

そんなノエルの言葉だった。



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PHASE-15 混沌の世界の中で(5/8)

クールカ隊の状況については、不確定情報が多く、
真に遺憾(いかん)ではございますが、
その非コーディネイター系勢力との関与については、
当方は現在、その全てを把握出来てはおりません。
ご指摘いただいた様な情報は、一部耳に入っておりましたが、
確認は取れておらず、その点に関しては、返す言葉もございません。
しかし、オートクレールは、皆様を裏切る意図はなかったと、
その点だけは、お疑いいただきませぬよう。
以後も調査を続け、状況の把握に努める所存です。
また、ルチアーノ長官より、
今後の方針についてのご質問をいただきましたが、
こちらについても、
この場での明言は、真に勝手ながら控えさせていただきます。
一度持ち帰り、オートクレールの方で再度判断した後、
改めて、皆様に提示するものとします。
……以上、ノエル・ド・ケグより、伝達させていただきました。
ご清聴、ありがとうございました。


ゆっくりと目を覚ました。

黒いカバーで覆われたタブレットPCを、枕代わりに抱き締め、

「……貧乏クジばっかりだな」

なんて呟くノエル・ド・ケグは、

学習机のような木製のテーブルと棚、そして回転椅子。

端に当たっていたせいか、頬に一本線の赤い痕が出来ていた。

真っ白な肌には、それが随分目立っていた。

「ウクッ……ァァッ」

とかなんとか言いながら、机の両角を掴んで、体を後ろに伸ばす。

その拍子に、肩に乗っていたジャケットが落ちた。

顔つきからして、

落ちて始めて、それが肩に乗っていたことを知ったらしい。

斜めに構えて見下ろすと、暫(しばら)くはそのままにしていた。

そのうちに、

「……お疲れのご様子でしたので」

プレイアスがそう側で囁く。

「あぁ……悪い」

プレイアスを一瞥すると、ノエルは落ちたジャケットに手を伸ばす。

もっとも、その手が襟(えり)に触れるより先に、

プレイアスに巻き取られてしまったが。

「……ご苦労はお察ししますが、あまり無理はなさらないでくださいね」

一礼したプレイアス。

彼女に目を向けつつ、背もたれに身を委(ゆだ)ねるノエル。

クッションのついた椅子の頭の部分が、

預けられた首に合わせて少し軋(きし)んだ。

「無理なのは……分かってるんだがな……」

目線は移ろう。テーブルの角に置かれた日めくりのカレンダーへと。

その日は6月7日。

数字の下、ごく小さな文字で、

『ジャーナリストの日(アルゼンチン)』、

『セッテ・ジューニョ(マルタ)』、

『連邦解体記念日(ノルウェー)』などが記されている。

「……プレイアス、ここだけの話にしてくれ」

サッと室内を見渡した後で、

「はい」

とプレイアスが応じて。

「……マーシャル・オートクレールは、

俺に言わせれば、ただの役者だ。確かに芝居は一流だ。

だが、いくら背伸びしたって、

ギルバート・デュランダルにはなれない男だ。

ヤツ自身、なろうともしないだろうが。

オートクレールは、適当に口八丁手八丁、

それなりにやっていければいいと思ってる。

あながち、間違いだとは思ってない。

今更、クライン政権を打倒してどうこうなんて、

並大抵のことじゃ上手くいかない。

なら、それなりに対抗する姿勢だけ見せて、

それなりに煽っていけば、それなりに仲間が出来て、

それなりの立場にはいられる。

あのオッサンはそれで十分だと思ってんだ」

「はい」

「……だから、ヤン・クールカは動いた。

案の定、上手くはいかなかったがな。

俺は巻き添え食らって、方々に頭下げて、

クールカ本人も、北アフリカへの援軍なんていう、

監視つきで、体(てい)のいい左遷になった訳だ。

バカなヤツ……だとは、思ってるんだがな」

ゆっくり上体を起こすノエル。

完全には閉まっていなかったスライド式の窓より、

うっすら熱を帯びた風が、ノエルの背中を押した。

「……今頃、クールカはチュニスか?」

「はい。新型機を受領し、恐らくはトリポリ攻略に向かわれるのかと」

スッとノエルの体がプレイアスの方を向く。

「国を変えようと立ち上がった男が、

北アフリカじゃ、既存の政権を守りに戦う訳か。

……皮肉なもんだな」

「わかりませんよ?」

プレイアスは微笑んだ。



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PHASE-15 混沌の世界の中で(6/8)

市街地を横切る、明るい緑色のライトレール。

それが高層ビルの麓(ふもと)を通り過ぎたとき、

当のビルの上階、ベランダにて、その男は座っていた。

アラベスク風の幾何学模様に彩られた白い石柵(せっさく)を背に、

ゆりかごのように前へ後ろへ揺れる黒いバーバーチェアに腰かけた、

ヤン・クールカは今、後ろに立つ一人の青年によって、

髪を梳(と)かされていた。

ネコ科の肉食獣がそうであるように、

青年の手は、うっすら焼けて赤っぽく、指は短く、たなごころは広い。

そんな手が握る白い櫛(くし)が、

クールカの暗い褐色の髪を、その癖っ毛に絡まり、留められながらも、

徐々に、しかし確実に、下へ下へと降りていく。

クールカとしても、多少の痛みはある筈であるが、

目の上のサングラスすら、揺れる様子はない。

「……いつもすまないな。ジン」

「いえ」

青年──ドルゴン・ジンは、そう返答しつつも、

作業が忙しいとみえて、顔はクールカの方には向いていない。

そんな中、クールカの正面にあった引き戸のドアがガラガラと。

戸のガラス部分に写った、金色の頭。

クールカの左手がむっくりと起き上がり、

サングラスに触れたとき、

その頭の持ち主たるカトリーナ・スティーヴィンズの足が、

ベランダの石のタイルを踏んでいた。

「……チッ」

舌打ちするカトリーナに、

「タバコでも吸いに来たのか?カトリーナ」

そうクールカが答えたとき、

うっすら緑を帯びたレンズは右側に、彼の瞳が見えた。

しかし、カトリーナ本人は気にも止めないという様子で、

踵(きびす)を返そうとした。

「ジンくん……君、タバコは?」

「吸いませんが、気にもしません」

「……ならよかった」

止まるカトリーナの足。傾けられたクールカの首。

「……チッ」

カトリーナはまた舌打ちしながらも、

クールカの脇を通り、ジンの背後に回り、

その間、胸ポケットに仕込まれていた箱よりタバコが抜き出され、

唇の奥へと押し入れ、火が灯された。

風は彼女の右側へと流れていた。

ポンパドールの下、一束ばかり垂れた前髪が揺れ、

タバコの煙も右に流れていく。

彼らのいる部屋は角で、右には隣のビルがあるのみで、

またそこまでの距離も、煙が届かぬほど遠い。

「……カーン・カーァとは、私は話したことがなくてな。

どんな男だったんだね?長い付き合いだったんだろう?」

「別に……話すようなことはねぇよ」

ドルゴンの髪結(かみゆ)いは、

もう編み込む段階に入っていた。

2本に束ねられた髪が、クロスした形で捻(ねじ)られていく。

「……君の気持ちが、分からないとは言わないが」

「わかっちゃいねぇよ」

口から落ちるタバコの吸殻(すいがら)。

柵の指一本分しかない隙間に、これが丁度挟まる形で落ちると、

カトリーナの足先が、灰を踏み潰す。

「何にせよ……これから、私に従ってもらわねば」

そう言っているうちに、ドルゴンの手が止まる。

彼は小声でクールカにこう伝えた。

「終わりましたよ」

と。クールカがゆっくり首を前に出すと、

その三つ編みが地を這う蛇のように背もたれを通り過ぎ、

毛先が背中の真ん中辺りに触れた。

やがてクールカの腰が上がり、その手に白杖が握られる。

タイルとタイルの隙間を、杖が進むカツンカツンという高い音。

ドルゴンの手がクールカの腰に添えられる中、

クールカの顔自体はカトリーナの方に向いていた。

ゆっくりとした足取りで、カトリーナへと歩み寄る。

左手がなおも、サングラスに添えられていた。

風は吹いている。その所作は落ちないように、であろう。

クールカの顔は下を向いていた。

それは、その顔が、振り返ったカトリーナの左肩へと近付くまで。

杖をつっかえ棒代わりにして、その身を押し上げるクールカ。

そうなると、クールカの口はカトリーナの耳の位置にあった。

「……乗りかかった船という言葉もある。

最良の条件で、常に挑めるとは限らないものだ。

カーン・カーァ氏のことは不幸ではあったが、仕方のないことだ。

今は……今のベストを尽くすべきだろう」

「……知るかよ!」

雑にクールカの胸を押して払いのけ、カトリーナはドアへと消えていく。

倒れた彼の両肩をドルゴンが抱き止める。

「……大丈夫ですか?」

「ああ」

杖に乗るクールカの両手。

「酷い女でしたね」

「いや、いい。いいんだ、ジン。

何……上手くいかないのは、今に始まったことではないからな」



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PHASE-15 混沌の世界の中で(7/8)

「もう……大丈夫だ」

クールカの右手がジンの肩を優しく叩いたとき、

ジンの手は、もうクールカの腰を離れていた。

白杖をさながら3本目の足に見立て、体重を預けながら、

前に進むクールカの背中は丸まっていた。

「カトリーナは……彼女も私も本質のところは変わらないのだ。

いずれは分かってくれるものと、信じている。

フフッ……それより先に、私が死んでいなければなぁ……」

言葉の節々に笑みを混ぜながら、扉へと歩いていくクールカは、

しかし、その杖の先がドアと床の隙間に当たったとき、

足を止め、頭上を見上げた。そして、

「……気付かなかったなぁ」

なんて笑いながら、振り返る。

「ジン……オマエは知っていたか?これを」

杖を自らの方に寄せ、柱にもたれかかり、頭上を右手の指し示す。

ジンは要領を得ないという表情で、指の先を目で追った。

「レリーフとか言うんだろう?こういうのは」

クールカが語る通り、

上の階のベランダに当たるのであろう、その天井には、

いっぱしの絵画が彫られていた。

「モチーフは、察するに『サン・ピエトロのピエタ』……

それも、ミケランジェロが彫ったヤツだな」

レリーフはクールカが語った通り、

聖母マリアが生き絶えたイエス・キリストの遺体を抱き抱える、

そんな場面が彫られていた。

ただし、クールカの目にはもう、

それがカメオ(浮き彫り)なのか、インタリオ(浮き彫り)なのか、

見抜く力は残されていなかった。

「観光客向けのホテルとはいえ、

ムスリム的には少々具合の悪い話とみえるがな」

クールカは鼻息を交えつつ、そうジンに微笑みかけた。

ただし、ジンから見るとそれは、

隣にいる誰か──勿論いないのだが──を、

クールカが瞠目(どうもく)しているようで、

視線のズレを感じていた。

「ムスリムは、こうした絵画を……

偶像崇拝として嫌悪しているからな」

「……お詳しいのですね。クールカ隊長」

「いいや……昔に本で読んだだけのこと……」

クールカの目線はレリーフへと戻っていた。

レリーフの女性へと。

「しかし、若いなぁ……

キリストは亡くなったとき、私と同じぐらいだったと聞く。

だとしたら、マリアの年齢は……少なくとも……

フフッ、女性とは不可思議なものだな」

クールカにその意図はなかったかもしれない。

しかし、ジンは『女性』の言い回しにカトリーナの顔が浮かび、

気まずさを覚え、顔を逸らした。

ジンの目はドアのガラスを突き抜けて、

部屋にて足を組み、不服そうな表情でスマホを弄っている、

カトリーナの横顔を見つけていた。

「……時々考えるのだ、私も」

そんな呟きが、ジンの目線を引き戻し。

「プラウダは……私の娘は、果たしてどんな大人になるのか。

見たいが……いや、どだい無理な話とは、心得ているがね」

自嘲気味に笑いつつ、両手を杖に下ろし、体を少し反らした。

「……会われないおつもりですか?」

「会えるものか……子どもの免疫力では、この病は……」

クールカの右手が、その胸へと運ばれる。

「今は……どちらにいらっしゃるのですか?」




大西洋連邦は、旧アメリカ合衆国領ネブラスカ州リンカーン市。
かつては州の首都が置かれていた、この街には、
80年の『バスティーユ条約』締結以来、
多くのコーディネイターが移住を始めていた。
未だ半年しか経っていないというのに、
街の形が変わってしまうばかりに建築ラッシュが進んだというが。
そんな街の片隅に、その家は建っていた。
柵のようになった門扉を押し明け、苔(こけ)蒸す庭を抜けて、 
チャイムの位置が高いドアの前へ。
傍らには段ボールが2つ横並びで置かれており、
開いた窓からは、シチューらしきいい匂いが漂(ただよ)ってきた。
チャイムを押す。
家の中から、
「プラウダァ、悪いんだけどォォ、出てくれなァァい?」
などというイリーナの叫び声がして。
小さな子供の大きな足音が、ドアの前へと近付いていく。
ガチャガチャと鍵を開ける音が内側からして、ドアが開く。
チャイムの横辺り、ドアの隙間からはチェーンが見えて、
ドアそのものも、数センチ程度しか開いていない。
腹の側で息がして、目線をゆっくりと下げていくと、
そこには少女──プラウダ・クールカが立っていた。


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PHASE-15 混沌の世界の中で(8/8)

「プラウダちゃんだな?」
尋ねれば、彼女はコクりと首を縦に振った。
その頭に手を置いた。
「俺は、ロコ・オツォという者だ……
悪いが、『イリーナおばさん』って人を、呼んでくれるか?」
「……『お姉さん』」
「ん?」
手を振りほどくばかりの勢いでもって、頭を上げた少女は、
頬を膨(ふく)らませ、
「『おばさん』て言っちゃダメ。『お姉さん』て呼ぶの。
じゃないと、『イリーナお姉さん』にシツレイなの。
……お父さんがいってたもん」
そう言うと、その場で地団駄踏む……というよりはジャンプした。
「そうか……そうかぁ……」
膝を曲げ、目線をプラウダに合わせた。
「ごめんなぁ……おじさん、知らなかった。知らなかったんだ。
怒らないでくれ」
「……怒ってないよ?」
「そうか……よかった。それじゃ、その……『イリーナお姉さん』?
……を、呼んで来てくれないかな?」
プラウダは一度振り返り、
「んー」
と唸(うな)りながら、少し思案した末に、
「……わかった」
そう言い残し、ドアを開けたまま、
小走り気味に部屋へと引き返して行った。
ドタドタという足音が徐々に遠退(とおの)いていく。
止むと同時に、部屋の奥から聞こえてくる。
「ロコ・オツォさんて人がね、『お姉さん』を呼んで来てって」
「……ロコ・オツォって、あぁ……ね」
「この前、お父さんのこと、お電話してた人?」
そこから妙な間があった。
ゆっくりと腰を上げた。手を引っ込めながら。
「ええ……お父さんのお知り合いの人なのよ。
きっと今日も、お父さんのお話になると思うわ」
「そうなんだ」
次に、カチッという音がした。
と同時に、僅かに聞こえていた炎の音が止んだ。
エプロンでも脱いだのだろう、そこから一呼吸あり、
「じゃあ……少し待っててね」
とのイリーナの声。
その頃、俺は、少女を撫でたその腕で、
腰のホルスターの中の、
拳銃──スタームルガー・ブラックホークを触っていた。


「私を、酷いヤツだと思ったろう?……秘書官殿」

シーザー・ルチアーノは笑っていた。暗い部屋の中で。

「いえ……」

「あの女は、我々を売ろうとしていたのだ。

私は、当然の報いだと思っているよ。

ザフト内にいる私の密偵が、

偶々(たまたま)情報を受け取ったから、事なきを得たものの……

場合によっては、事前に露見する危険性もあった訳で」

「……わかりますが」

軽く頭を下げるノエル。

「それでも……

あんな年端(としは)もいかぬ少女を犠牲にすることはなかったと?」

「我々は、強盗ではないのですよ?」

「だがテロリストだ。一般人にとっては、さして変わらないことさ」

無駄に長い両足を組んでいたルチアーノ。

そう告げると共に上に乗っていた左足が降りる。

「これでも私は、ヤン・クールカを支持しているのだよ。秘書官殿。

彼がファーストペンギンになってくれた。

誰かが火蓋を切らねばならなかった。

マルティン・ルター……いや、ヤン・フスのように、な。

アマルフィに、グールド……いや、あの場にいた議員たちは皆、

私に言わせれば、ブレイク・ザ・ワールドで死に損ねた連中だ。

牛の歩みもいいところ。

あれではラクス・クラインより先に、自分がくたばってしまうよ。

長生きしたいなら、それもいいかも知れないが」 

顔を上げ、ノエルと見合わせるルチアーノ。

「……君は、目的の為なら明日と言わず今日にでも、

死んでもいい……死んでしまいたい、という顔をしているが」

顔を逸らしたノエル。

「そこまでは……」

「ない?と。まあ、そうだろうが……覚悟の話だよ。

それぐらいの覚悟が君にはある。

カーン・カーァもそうだった。クールカも。

……君が知っているかしらないが、

私の部下だと、アンドレイ・ココフという男がそうだ。

迷いがないというか、焦っているというか。

私にはない感情だ。大事にしたまえ」

首を振りながら立ち上がるルチアーノ。片手で腰を摩(さす)りつつ。

「……知らぬが仏、という言葉もある。

クールカは、幸運かもしれんよ。

あらゆる不幸を知らぬまま、戦いに行ったのだからな」

そのとき、ノエル・ド・ケグは斜め上を見つめながら、

両手のポケットに手を突っ込んでいる。

ミケランジェロ作ダビデ像のような……

「君はどう思うね?ノエルくん」

シーザー・ルチアーノは笑う。

その横顔にはアゴの下にもうひとつシワが寄り、

口は三日月のように折れ曲がる。

「どうも、こうも……ないですよ。長官」

「……どうもこうもないィィィ?」

微笑みながら、振り返ったシーザー・ルチアーノには、

拳銃(ベレッタM950)が向けられていた。



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PHASE-16 終わりなき戦い(1/7)

こんな話がある。田舎に男二人の兄弟があった。
父親の死により土地を相続するとき、兄は弟にその半分を譲った。
残り半分を兄はさっさと売り払い都会に出る。
しばらくして、商売で成功した兄を追って弟も都会へ。
弟は道楽で金を使い果たして、土地も何かも手放した後だった。
奉公人として働かせて欲しいという弟に、
兄は元手を貸すから自分で商売をしろと提案したのだった。
貸してくれたことを良いことに、中身も改めずに外へ出た弟。
後から確かめてみると、ごくわずか。酒の一杯も呑めない。
悔しい気持ちを必死に圧し殺して、弟は必死に働いた。
十年後、弟には蔵が三つも並ぶ大きな屋敷と、妻と娘が出来ていた。
ある風の強い日、あのときの金を返しに兄の下を十年振りに訪ねる弟。
そんな弟に対して兄は語る。
少ししか金を渡さなかったのは、
オマエが漬け込むのが分かっていたからだと。
風が強いから火事が心配だという弟を、
いざとなったら俺の土地をくれてやるからと引き留めた兄。
酒を飲み、語らい、やがて眠る。
目を覚ますと、火事だと兄が弟に教えた。
家に引き返す弟。屋敷は燃え、蔵の一つも残らなかった。
奉公人はどんどん辞めていき、妻も病がちになる。
その後、弟はあの晩の約束を信じて兄を訪ね、
金を貸してくれと頼むが、兄は態度を変え、貸し渋る。
どうにか娘がこさえてくれた金も道ですられ、
絶望から首をくくろうとする弟。
そんなところで目が覚めて、そこは兄の家。
そう、家が焼けてからの話はすべて夢だったというのである。
……結局、兄は弟を想っていたのか?本当のところは分からない。


『……副長!』

ヴァイデフェルトの声が、俺の意識を引き戻す。

ハサミのように交差する二振りの刃が、機体の脇腹に迫っていた。

慌てて後退を試みようと完全には間に合わず。両肘が抉(えぐ)れた。

『何のォ!!』

ハサミがゆっくりと閉じる。カーテナが犠牲になった。

刀身がおよそ真ん中から折れ、上半分が右側に倒れ落ちていく。

まだ頭はぼんやりとしていた。

《パーヴェル》の二本の剣が直進する。

仰け反るぐらいはしたさ。しかし、刃は届き胸に傷を残した。

『ぬゥッ!』

との掛け声を上げながら、クールカは前進。

刃が機内に深く食い込んでいく。

どちらかの剣が終にコクピットの天井を破り、

ビームの刃を俺の頭上に光らせる。

『どうした?……むざむざ、殺されるつもりか?アスカァ!!』

「……クソッ」

ビームガトリングをその場で乱射した。何のことはない。

《パーヴェル》の片足が消し飛び、刃に穴が空いただけ。

ただ、煙は出る。

片足を剣の下に忍ばせ、壁を蹴るように足を押し出した。

刃は機体から抜け、《パーヴェル》との間に隙間が出来る。

そのまま腕を振り上げれば、回転を続けていたガトリング砲が、

《パーヴェル》を傷付けるかと高を括るも空しく、

腕は切り落とされ、相手は煙の中から飛び出した。

続いて剣がブーメランのように投げつけられる。

この辺りの動きはやけに早い。

煙を抜け出すときにはもう体を捻っていたのだろう。

間髪入れずに投げられた剣がお次は肩先へと。

先程受けた二つの傷口と、肩に出来た傷口とが結び付き、

ストンと刃が落ちてきた。

『あァッ!』

ヴァイデフェルトの叫びがすべてを物語っていた。

刃はきっと腰辺りまで下がっていたのだろう。

コクピット左側が損傷、銀色の刀身が脇に現れた。

もう少し左腕が壁の側にあったら、切り落とされていたかもしれない。

それぐらい側に。

『いい加減認めたらどうだ?説得だのコクピットを狙わないだの、

さっきから誰の真似をしているのだ?

私はオマエを殺そうとしている。

……ほんの少しのズレで今は叶わなかったがな。

過去に囚われているのはどっちだ?アスカァァァ!!』

ゆっくりと上体を起こす。レバーに両手をゆっくり添えて。

『亡くした者にすがり付き、沈みかかった船でもがくオマエは何だ?

ラクス・クラインは平和を騙り、現に今も侵攻作戦を実行させている。

現実を見ろ!シン・アスカ。

一時は私の弟のようだった貴様が、今守ろうとしているものは何だ?

この兄が捨てた過去か?救われぬ未来か?』

折れたカーテナの先が地面に落ちる音が貸すかに聞こえてきた。

割れたガラスが落ちる音に似ていた。

同時に何かが、俺の中で崩れていくのを感じていた……

「……今だ」



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PHASE-16 終わりなき戦い(2/7)

今だと口にしたのは、別に合図ではなかった。

だが、アレハンドロとラグネル、

そしてワイリーが合図として受け取った。

《アビス》は甲羅で身を包んだ姿になり突撃し、

地上からは《ガイア》がビームライフルにて援護射撃を行う。

俺は……ゆっくりと高度を下げ、クールカとの間に距離を持った。

「……俺が守りたいものは今にしかない。いつもな」

どうして約一年前俺はこの台詞を愛した女へと言ってやれなかったのか。 

我ながら苦笑した。

「理想は結構だ。現状維持なんて出来ないことも知っている。

だが、その未来を誰が信じられる?誰もが信じられることか?」

『……変革を否定する気か?』

「世直しの為に無関係の人を犠牲に出来る程、アンタは偉いのかよ!」

ビームピックに手をかけた。

しかし、腰から僅かに抜かれたピックがビームの刃を形成した辺りで、

やめてしまった。

レーダーと、肉眼が見つけていたから。

《パーヴェル》の前に立つモビルスーツの反応と、

うっすら《パーヴェル》にかかる靄(もや)とを。

『……夢なら寝て見ろってんだぜ?』

如何にも前以て準備していたらしき気障(きざ)な台詞を枕に、

ワイリー・スパーズの攻勢は始まった。

空の色と同化した《ゲルググ改》。その足にビームの線が形成される。

ビームの爪が引っ掻くように振るわれた。

当然クールカはこれを回避。しかし、敵はワイリーだけじゃない。

甲羅を押し開けて本体を見せた《アビス》が少し後ろにいた。

クールカとワイリーの間が少し空いたところを見逃さず、

持ち前の砲撃を雨や霰(あられ)と撃ちかける。

すべては命中しないにしても、完全な回避は間に合わず。

右の肩口が消し飛んだ。

クールカが続いて左に動けば、

ワイリーは逆側に体は向けつつ、右足はビームの刃でクールカを襲う。

蛇は身を捻って道を進むが、ワイリー機のモーションはそれに近い。

もっとも、そこまで綺麗な動きではなかったが。

言ってしまえば、足を捻り少し関節のところで折り曲げて延ばしただけ。

けれども、その動きがペースを狂わせる。

クールカは寸でのところで回避した筈だった。

しかし、少しの延びで刃がギリギリ掠める程度まで近付くのである。

腹に擦り傷を残す程度に。

この間、アレハンドロも暇しちゃいないから、

盾で我が身は守りつつ、《パーヴェル》に接近する。

それも一足先に左へ進み、右側からという手の込み用。

泣きっ面に蜂の文句よろしく、《アビス》のビームサーベルが襲う。

『そう続けて食らうものか!』

しゃがむように高度を下げて回避すると、そのまま一気に後退した。

いつの間にやら握られていた2丁目のライフルでもって、

《アビス》の右肩と右腿を移動しつつも狙撃。

傷は割に深く、右側シールドがアームを傷つけられてぐらついていた。

『この好機!逃すもんかってェ!』

ワイリーが攻め立てる。お次は左足のビームブレイド。

下でアシストしていたラグネルの《ガイア》も動いた。

飛び上がると共に変形していく。

変形といえば《ゲルググ改》もそう。

背中についていた飛行機型のバックパックが分離した。

スペースシャトルがオービターと燃料タンクが分離するとき、

タンクは切り落とされるが、それに近い。

《ゲルググ改》がタンクのように、その場に取り残される中、

このバックパック──フォルトゥーナというが──は、

オービター同様に上昇を続けた。

《パーヴェル》は片手を《ゲルググ改》の直線上に合わせ、

ビームシールドを展開。

かつライフルでもってフォルトゥーナを攻撃。しかし……

『……ほう』

フォルトゥーナにはうっすら膜状のシールドが張られていた模様。

ライフルから出た緑色のビームが弾かれてしまった。

『二兎を追う者は……ってなァァ!!』

目を離した隙に《ゲルググ改》の手へ握られていたビームサーベル。

ライフルの銃口に向けて、その桃色の刃が迫る。

『フフッ……「今」か』

クールカの声が聞こえたとき、

俺は背中をマユ・ヴァイデフェルトの《ジズ》に支えられながら、

《パーヴェル》を見上げていた。

ピーピーと耳障りな警告音を聞こえない振りしながら。



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PHASE-16 終わりなき戦い(3/7)

『殺してやる。殺してェェ……』

物騒な声を上げるのは、カトリーナ・スティーヴィンズ。

首もなきゃ、両手に針もないヤツの機体が接近してくる。

ビーム砲を雑に乱射してくるが、回避するまでもない。

酷い腕前である。カーン・カーァの部下とは思えない。

小便みたいに飛び散って、かえって避けた方が当たるようにさえある。

「……ヴァイデフェルト、借りるぞ?」

返事がない。

言葉の意図するところが分からないのか、突然のことに動揺したか、

それとも……

残念ながら、返答を待つ余裕はなく。

彼女の《ジズ》のビーム砲を掴んで、小脇に抱えて撃ちかける。

奇しくも、

カトリーナ機の腰部から銛(もり)がワイヤーつきで飛んできており、

ビームとワイヤーとが平行線を辿った。

こちらのビームはカトリーナ機に命中せず、

逆に敵のワイヤーは直撃、

こちらはビームシールドで身を守るも、その勢いまでは殺しきれず、

ヴァイデフェルトの《ジズ》ごと吹き飛ばされた。

とはいえ、それぐらいの算段が付かない俺じゃない。

仰け反った勢いで正面を向いたモビィ・ディックの砲口。

エネルギー充填は完了している。

元から初速度の素早さで知れた砲門である。

見てから回避なぞ間に合いっこない。

(だからこそ、間に合うレェ・アモンが化け物なのであるが)

モビィ・ディックの砲火がヤツの片足を消し飛ばす。

無論、ワイヤーごと。

中途にて切断されたワイヤーが空中でウミヘビのように身を捩りつつ、

ゆっくりと地面へ向けて落ちていく。

『クソッ!クソォォッ!!クソォォォッ!!!!』

声ばかりは大きなカトリーナである。

ノイズ混じりに鼓膜を破られそうな程の大音量が聞こえてくる。

「……人間、感情だけじゃどうにもなんねぇねな」

怒鳴り返したい気分だったが、そんな余裕はなく。

慌ててヴァイデフェルトの機体を袖引き、シールド向けつつ振り返る。

即座に、ピンク色のエネルギー波がのし掛かった。

『気付かれない、というのも無理か』

陽炎のように空間が捻れて見えたかと思うと、

そこへパヴァロッティ・ギボンの愛機が姿を現す。

……そう言えば話していなかったな。

ギボンのそれは、

《スタキス》という《パーヴェル》のプロトタイプにあたる機体らしい。

「ヴァイデフェルト……身を守ることに専念しろ」

『……あっ、はい』

相変わらず、返答のタイミングが少し遅い。

睡眠不足……だけでないだろう。

が、悩める部下のケアまでできるほど、状況に余裕はない。

念のため、頭上をも確認したが余裕はないと見えて。

しかも増援が近付いているのが、レーダー上から確認できる。

プラス、ドルゴンとか言ったか?

クールカの部下が一人、今はその援護に回っている。




さあ、当のドルゴンであるが、
「……良いのですか?クールカ隊長」
そう震える口で問いかけていた。
これはプライベート回線、
敵方──つまり俺たち──にまでは聞こえていない。
ドルゴンには《パーヴェル》を襲う敵の攻撃が、
耳元で蝿(はえ)の羽音を聞いてるようだったという。
少なくとも彼には、
上官たるクールカが苦しめられているようには聞こえなかった。
そう、敵からは……
『そんなに、私が頼りないかね?ドルゴンくん』
「……そういう訳では」
ドルゴンの《ウィンダム》は、雲にその身を紛れさせると、
スコープのないライフルでクールカに寄り付く蝿どもを狙っていた。
『ドン・キホーテなのだそうだ……私は』
「……聞いていました」
『……君は私を尊敬するか?』
唾を飲んだドルゴン。
「分かりません……さっきからどうして、そんな心情吐露を……
ここは戦場なのに……」
目では目前の《アビス》を捉えていた、ハズだった。
しかし、腹にある例の隙間が見えた瞬間にさえ、引き金を引かない。
『……だからこそ、ではないのかね?答えてくれたまえ。
流石の私もそろそろ片手間に話す余裕がなくなりそうだ』
言葉の末尾で、咳き込むクールカの声が聞こえた。
「僕は……」


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PHASE-16 終わりなき戦い(4/7)

『……仕事は済んだ』

電話口の声に、シーザー・ルチアーノは、

側に控えるノエル・ド・ケグにも聞こえる程度に大きな声で応じた。

「御苦労。ロコ・オツォ隊長」 

ロコ・オツォ。その名前を呼んだ瞬間に、ノエルの眉がピクリと動いた。

そこからゆっくりと眉間へと皺(しわ)が寄り、心なしか背筋が伸びた。

まるでシーザーを見下ろすように。

「どうだったね?彼女らは」

『……どうもこうもねぇよ。よくある一般家庭だ。

まあ、直接の娘じゃねぇから、その辺の言い方は微妙だがよ。

普通だよ。自分の命が狙われるかもなって警戒はなかった。

呼び鈴が鳴らしたら、ヤツの娘が出てきて、

娘ってのに伯母さんだかお姉さんだかを呼べってったら、

「はいはい」とか何とか呑気な声上げながら出てきたってそれだけ。

出てきたから、俺は仕事をした。それまでだ。それまで』

「娘を撃つのを躊躇したかね?」

そう問うシーザーの顔は、

どこか嘲笑したような笑みと共にノエルを見上げていた。

『……流石にただのガキだ。俺だって少しぐらい悩む』

掠れた声で応じるロコに、シーザーの顔が歪む。

「それはまた……意外なこともあるものだな」

『……俺を冷血動物だとでも思っていたか?だとしたら残念だったな。

オマエやヤツと一緒にされちゃ困る』

言い回しに違和感を感じたのは、シーザーもだが、

どちらかといえばノエルの方だった。首が右に傾いたのだから。

「ヤツとは?」

『決まってんだろ?……ヤン・クールカのヤツだ。

テメェらがどういうか知らねぇが、アイツはイカれてるよ』

「……ほう」

ルチアーノの顔にうっすら浮かぶ笑み。

『御国の為になんてと、

ほざきやがった酔狂な輩(やから)は何人も知ってたんだ。

だがな、アイツのそれはまた違う。

口じゃ理想を語りながら、動けば徹底したリアリスト。

だのに、そこに矛盾が存在しない。イカれてるとしか言い様ねぇよ』

「……イカれてるか」

ノエルの呟きが電話先のロコに聞こえたかどうかは知れぬ。

ただ、ロコ・オツォは待っていたように、少しの間押し黙っていた。

「それを……君は『称賛』する気はないと?」

シーザーは矛盾していた。

言葉には悲しげな、落ち着いたニュアンスを乗せて発しながら、

しかし顔は人を食ったように笑っていたのだから。

『「称賛」?……ヤツが何時そんなことを望んだってんだ。

ヤン・クールカは常に、「行動」していただけだ……

あえて言うなら、「賛同」だろ?』

「……別に言葉遊びをしたいんじゃあないんだよ?ロコ。

私が聞きたいのは、もっと単純なことだ。君は彼をどう思うね?」

『「称賛」も、「賛同」もしねぇよ。

俺は俺でただ「行動」するだけだ……』




どうやら瞬発的な機動力という一点に限れば、
《パーヴェル》よりも《ゲルググ改》の方が上と見える。
後退の動きを見せたものの、
結局はビームサーベルが、
《パーヴェル》のライフルを貫いたのだから。
「つくづく……オマエってヤツが羨ましくて仕方がねぇ。アスカ……
《ヴェスティージ》といい、コイツといい、
いい機体ばっかり貰いやがってこん畜生。
……まあ、今回ばかりは、そのお陰で助かったけどなァ!」
啖呵(たんか)を切るワイリーの声はどこか楽しげで。
「……そろそろ、終わりにしてやらぁ!」 
フェンシングよろしく、サーベルを何度も前へ前へと突き出すワイリー。
《パーヴェル》は後ろへ後ろへと。
しかし、刃は確実にそのボディに接触し、
小さな刺し傷をまたひとつ、またひとつと残していく。
一見愚策に見える動き。しかし、ワイリーは気付いていた。
(一歩届かねぇ)
下唇を噛む、というよりは口内に押し込めたワイリー。
ヤン・クールカは絶妙な距離を維持し続けていた。
背後にいたアレハンドロの《アビス》が入り込む余地はない。
しかし、《パーヴェル》の刃のリーチを考えれば、
後ろに下がろうものなら、そのままグサリといかれかねない。
敵の動きを見れば分かる。
分離したフォルトゥーナにもきっちり意識が向いていることが。
足下の《ガイア》も近付いてきていたが、近寄るに近寄れない様子。
前に出るしかない。それでも、一歩足りない。 
(……コイツ、本当にスナイパーか?)
唇の奥から漏れた苦笑。
『面白いな。攻めている君の方が、私に恐怖しているとは』
そう語るクールカには、同じ笑みでも余裕が見てとれる。
「逃げ腰の癖に、デケェ口を叩くなァァァ!!!」


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PHASE-16 終わりなき戦い(5/7)

「ワイリー先輩……熱くなりすぎだっての!」

かくいうアレハンドロも声を張り上げていた。

しかし、機動力で優る《パーヴェル》、《ゲルググ改》のいさかいに、

《アビス》の鈍足では入り込む余地がない。

せめて海中ならば、と足下に目をやるアレハンドロの顔は、

酒気を帯びたごとくにうっすら赤らんでいた。頬も膨れてタコみたい。

「……クソッ」

と割れた風船よろしく口から空気を漏らして、

アレハンドロの頬が凹んでいくと同時頃、

警告音が鳴り響く。

俯きがちなアレハンドロの顔が上を向いた。

迫っていたのは《ウィンダム》1機。

それは降りるというよりは、落ちるというようで。

「速ッ……」

モビルスーツの出しうるトップスピードと、

操作できるトップスピードとは違う。

動かしているのが人間である以上は、

人間の反射神経、そしてかかる負荷を考慮せずにはおれないからだ。

だから、理論上出る最高時速ならば、

《ウィンダム》でもこれだけのスピードでおかしくはない。

とはいえ、いくらなんでも速……

「……過ぎる」

と、言ったが先か、至ったが先か。

《ゲルググ改》の首と肩へと、両足が乗っかる。

乗っかると瞬時に、《ウィンダム》が爆裂する。 

モビルスーツという機械の塊が、

スライムかと言いたくなるぐらいに潰れていくよう見えた。

爆発から、空中に現れた小さな太陽。

《ウィンダム》が搭載していたとみられるビーム兵器が誘爆し、

疎らに飛び散る。

ワイリーは……気付けなかった。

アイツ程のベテランが焦りから対応出来なかったのである。

「あのとき」はちゃんと捌き切れていたのに。

無様に膝から崩れ落ち、頭や肩、いやそも胸辺りまで、

綺麗に消し飛んで。

腕は切除され、力を失った指からサーベルが離れる。

アレハンドロ、ラグネルも突然のことに対応が間に合わない。

俺やヴァイデフェルトじゃ遠すぎる。

ただ、ヤン・クールカだけが平然と、

ワンテンポ早く後ろに退いていた。

「ワイ……リー…………先輩」

顎と首がくっついて、目は猛禽類がごとく鋭くなる。

熱くなりすぎと宣(のたま)った、

アレハンドロ自身がもう冷静ではないという様子で。

状況を真っ先に理解したのは、奇しくもあの日あの場にいなかった、

ラグネルであった。

『……《イージス》と、同じ!』

まだそう何ヶ月と経った訳じゃない。

サーベラス艦隊に連れられ、参謀本部へ向かう中途で、

俺たちは戦っている。

接触すると自爆する、《イージス》を。

機種は違うが、先程の《ウィンダム》も同じ機能を持つらしい。

もっとも、アレハンドロにそんなことは関係ない。

「セコいマネしやがって!!コイツゥ!」

義憤がこの鈍足なる亀を前進させる。

幸か不幸か傷付いた《ゲルググ改》が力を失い、落ちていき、

《パーヴェル》と《アビス》とで、道は一直線に開かれた。

「俺が仕留めてやる!」

勇んで前に出る。穴という穴より噴き出すビームの光。

一斉に《パーヴェル》へと降り注ぐ。

ただ、そうも直線的な攻撃が通じるハズもない。

それは、アレハンドロ自身も分かっていた。

だから、

「……文字通り先輩の分だ!食らえ!」

てんで、爆発を受け、ワイリー機の手から離れたビームの剣を、

ブーメランみたく投げつける。

クールカは右へ避けた。だから右側へと飛ばした。

狙いは悪くない。

ただ、相手がギボン機、《スタキス》の後継機という点を除けば。

「……白刃取り」

と漏らしたアレハンドロの指摘は正確には誤り。

何せ、クールカが掴んでいたのは持ち手の方だったから。

もっとも、回転する刃を巧みに避け、

タイミングを合わせて持ち手からキャッチするなぞ、

並みの芸当ではない。

人間の、というより人間ですらそうそう出来ることではない。

『……チェックだ』

ダーツを飛ばすように、

中指と人差し指の間から、サーベルを投げ返す《パーヴェル》。

《アビス》はビームの撃ち終わり、

動きが遅れ、顔へまともに命中してしまう。

『こちらも後がないのでな……手段など、選びはしない。

たとえ、非人道的な方法でもな』



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PHASE-16 終わりなき戦い(6/7)

「手段……か」
『……副長』
ヴァイデフェルトの声が聞こえた。震えていた。
『「今度」は、迷うんですか?』
苦笑せずにはいられなかった。
口にはしなかったが、言わんとする言葉の意図は伺い知れる。
あの『オバマ』でのこと、
そして、その前のグナイゼナウで……
いや、あのときは、聞いていなかったかもしれないが。
「悪いな……心配かけるようなことで」
勿論、敵は待ってはくれないから。
再度透明化した《スタキス》が迫ってきているのは確認していた。
「……あれは、俺がなりたくて、なれなかった未来なんだ」


一気に機体を上昇させる。

徐々に降下していく《ゲルググ改》のボディと空中ですれ違いつつ。

トップギアで前に出る。出る。

『ふくちょ……』

なんて呼びかけたアレハンドロの《アビス》を雑に弾き飛ばし、更に前へ。

当然、

『……ひでぇ』

そう漏らすアレハンドロの声を背中には聞いていたが、

悪いな。今は返答する余裕がないんだと、念じつつまだ前へ。

折れたカーテナを突き出し、《パーヴェル》を一突き。

勿論回避されたが。

『「今」と……言ったな?アスカ』

あえて言うまでもないが、クールカの声である。

「言葉尻つかんで、ケチつける気かよ……カッコ悪いぜ?」

吐いた自分がおかしくなって笑っちまう。

まるでアレハンドロじゃねぇかっての。

『……私が今更、メンツなどに拘るとでも?』

「アンタが振りかざしてる『正義』ってのは、メンツじゃねぇのか?」

『まさか……ただの「夢」よ』

「じゃあ、言うことは変わらねぇ。夢は眠って見ろよ。一人で!!」

剣を再度振る。

折れた剣は、実際のカーテナよろしく切っ先が欠けている。

ほとんど棒切れ同然。リーチも足りない。当たるハズもなく……

避けられ、避けられ、《パーヴェル》はより遠くへ。

「最初だけ……最初だけだ。

最初の攻撃だけ、アンタは持ち前の狙撃で対処した。

ただ、全盛期のアンタなら、もっと遠距離から撃っていたハズだ。

何だ?アンタ……意外と自信がねぇのかよ?

慣れねぇ接近戦なんかしやがって……

プライドを傷つけられるのが怖かったか?

だが、残念だけどよぉ、

アンタは接近戦じゃロクに俺を仕留められなかった。

コクピットの寸前までいったのによ。俺はピンピンしてる。

アンタじゃ俺は殺れない。

ワイリーが……俺の部下を倒したのだって、アンタの実力じゃない。

アーモリー・ワンやグナイゼナウで俺を苦しめたのもアンタじゃない。

ハサンを殺ったのも、マイクを殺ったのも、ジョーンを殺ったのも、

シージーも……全部アンタじゃない。

アンタの力じゃない!!

病気のせいだか、何だかは知らねぇが……

手段を選ばないじゃないだろ?選ぶ余裕がないだけだろ!

……弱いな!アンタ」

切れるだけの啖呵を切った。

話し終わって、喋るだけで息切れしている自分に驚いた。

だのに、

『……そうだな。その通りだ。その通りだ』

クールカは動じない。

『選べというのだろう?私に。手段を……

良いだろう。その通りだ。乗ってやる……

ただ』

ピクリと動いた耳。

『……オマエも、俺を倒せてはいないよ?』

……気付いていない、と言いたかったのだろうが、

はっきり言う気付いていた。

気付いていて、わざと見逃した。

頭上にいた《ウィンダム》は、1機じゃない。

高速で降りてくる更なる1機が俺の側まで来ていたのは、

知っていた。

……接触、そして爆発。

爆音の奥で、確かにクールカの声を聞いた。

『……ドルゴン君、ライフルをくれ』

『はい、どうぞ……隊長、尊敬していますから』

『あぁ……ありがとう』

……煙が視界を遮る。

背後ではギボンの《スタキス》が様子を見ている。

果たして俺は仕留めたのか否かと。

答えは否。

コクピットの中まで煙は入ってきたが、確かに俺は生きている。

「……殺れよ。俺はまだ生きてる」

『あぁ……勿論だ』

煙が少しばかり晴れ、《パーヴェル》の姿がしかと見えた。

その手には《ウィンダム・ハイマニューバ》用のビームライフル。

最近の量産機はスゴいもんだ。随分とゴツい銃を下げてやがる。

引き金を引く。

ライフルより放たれた蒼い光の直線が胸へと迫る。

皮肉なもんだ。俺はヤツを……信じていたのだから。

「……信じてたよ。アンタを」

大したことじゃない。ただ避けたってそれだけ。

ただ、正確無比に放たれたビームの一撃はけして逃さなかった。

直線上に控えていた、ギボンの《スタキス》を。

可哀想に、俺みたいに見えていなかったのだろう、

まともに食らってしまった。

背後で聞こえてくる爆発音。

「……アンタは強かった。いつもね」

装填されていた背中のモビィ・ディックに火がついて、

赤い咆哮が空に向けて轟いた。

正直、よくは見えなかった。

下半身からクールカ機を消し飛ばしたようにしか……



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PHASE-16 終わりなき戦い(7/7)

「ハーマン・メルヴィル著、『白鯨』の物語は、

片足を食いちぎられたエイハブが、

モビィ・ディックて白いクジラへと戦いを挑むってぇ筋書きだ。

だがなぁ、原作じゃ生憎(あいにく)エイハブの復讐は敵わない。

乗組員のほとんどを道ずれに、テメェも死んでくだけ。

……終わりだ、『兄さん』。アンタの『復讐』も、ここで」

そう、《パーヴェル》が巻き上げる煙の中へと。

モビィ・ディックに足を消し飛ばされた、といえば……

『ざけんなァァ!!』

ってんで、カトリーナ・スティーヴィンズが下から追い上げてくる。

だが、

『……残念。こっちには俺がいるんだな』

そう飛び出した銛を掴んで、ワイリーが制止する。

「……何だよ。調子のいいヤツめ」

思わず、そう苦笑した。

『「復讐」?フフッ、それは心外だな』

クールカの声が即座に俺の表情を引き締める。

『……これは「夢」だと、言ったろう?

まだ残っているさ。「私の可愛いコたち」が』

聞き覚えのある台詞。嫌なヤツの顔が脳裏を過る。

そう言えばヤツは、「可愛いコたち」が俺に殺られてどうのとか、

言ってやがったが……

「!?」

突然、背後にいた《ジズ》が背中に張り付いてきた。

ヴァイデフェルトの《ジズ》だ。

後ろから抱き締めるように、《ヴェスティージ》の腰を抑える。

「ヴァイデフェルト?何をして……」

【イヒヒヒ】

聞こえるハズのない声がした。

ジェイナス・ビフロンスの、あの下卑た声が。

「……テメェ」

【イヒヒ、前に言っていたわ。このコ。

アナタのお役に立ちたいんだって、そうね。健気でしょ?

だから……使わせてもらったの。

本望なんじゃない?

アナタを終わらせる為、お役に立てるのだから】

嘲笑するような高笑いを背に聞いた。

「……『終わり』?『終わり』だと?

よせよ。そんなもん、ジョークにもならねぇ」

【はぁ?】

「生きる方が戦いだ。

何も分かってねぇのは、オマエの方だよ……馬鹿野郎」

正面ではライフルを構えたクールカ。

照準ぐらいは合わせていたかもしれぬ。

しかし、ヤツに引き金を引くだけの時間はなかった。

突如横から現れた《アビス》のビームサーベルが、

クールカ機を脇腹から貫いたのだから。

『ひとまず、アーモリー・ワンと、グナイゼナウと、

ふたつ借りは返したぜ……おっさん』

てのは、アレハンドロの台詞で。

「大体、俺は一人じゃない。

まだ死ねないんだ……アイツらの為に」

折れたカーテナの刃を、《ジズ》のビーム砲へと突き立てた。

脇の下を通して、逆手に持ち替えて。

「……クールカの夢の中に、俺はいない。

俺がいるのは、いつも現実だけ。

キラ・ヤマトも、アスラン・ザラも、オーブもない、

残酷な現実の中だ。

そして、クールカさん。

アンタはキリストでも、パウロでもなかった」

クールカ機の爆発四散。

色を失い、いくつもの小さな破片となり、海へと。

海面に浮かぶいくつもの鉄屑の中にそれはあった。

恐らく《パーヴェル》の頭部、

それも左目の辺りであろうというものが。

《ダーティ》の顔が頭に浮かんだ。

そうだったな、《ダーティ》は顔の左半分がレドームで、

潰れていたようなものだったな、と。

皮肉なもんだ。まともに分かるパーツがそれだとは。

「……ビフロンス、最後に聞いとくよ。

何でオマエは今更俺の前に現れた?

いや、『オバマ』のときから、ずっと疑問だった。

傭兵のオマエが連中に肩入れして、牢から逃げなくとも、

俺たちはテメェらを罪に問えない。

なのに何故?」

【私に人を想うココロがないとでも?……フフッ】

ビフロンスの声は、それを最後に聞こえなくなり、

掴んでいた《ジズ》の指から力がなくなる。

落ちていくその腕を掴み上げる為、迷わず俺は剣を捨てた。

『すっ、すみません。副長。

何だか、頭がぼうっとして……』

「あぁ……いい。俺も…………誰かの役に立ちたかったんだ」



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PHASE-17 分かたれし道(1/7)

──ソファーイスに腰かけ、

目前の木製テーブルからコーヒーカップを手に取るクールカを、

一丁の拳銃(スタームルガー・ブラックホーク)が、

背中から狙っている。

足音を殺しつつ、徐々に近付いていく銃口。

やがて、それはクールカの後頭部へと押し当てられた。

「何の冗談だ?……ロコ」

クールカが振り返りもせず、そう尋ねた。

「ジョークでやってんじゃない……

昔馴染みだ、一杯ぐらいはコーヒーも出してやる。

だからよ……ソイツを飲んだらサッサと帰んな。テロリスト」

「手厳しいな」

ゆっくりとテーブルへと戻されたカップ。

ロコが一応カップを覗くが、まだほとんど減っていない。

「コーヒーの一杯か……」

そう呟くクールカに、ロコの視線が移ろう。

「それなら……コーヒーブレイクの片手間にでも終わる程度に、

話をしようじゃないか?ロコ。君の家だ、座れよ」

「……短い話だってんなら、座る必要なんかねぇじゃねぇか」

「それもそうだな……じゃあ、そのままでもいい」

ロコはゆっくりと銃を下ろした。

「……近々、この国は滅びるよ」

それがクールカの話の始まり。

「何だ?藪(やぶ)から棒に」

「まあ、聞いてくれ。これは予言だよ……近々、プラントは滅びる。

地球の8割を敵に回し、戦えるだけの実力は、もうザフトにはない。

戦争になれば、負けるだろうな。

現に今も……俺たち脱走兵ごときに手こずっている訳だ」

フッと笑い、カップに口をつける。

「それとテメェらの活動と、何の関係がある?」

「……分からないか?」

首を後ろに回すクールカ。

その青みを帯びた灰色の瞳を少し細め、ロコを見つめる。

「オマエらが政権を得たら、未来が変わるって言いたいのか?」

「さぁ……どうだろうな?」

「……はぁ?」

向き直り、カップに再び口をつける。

「仮定に意味はない……上の連中が権力争いに終始すれば、

同じこと、いやもっと酷いことになるかもしれん」

「説得する気あんのか?テメェ」

クールカが三口目を啜る中、ロコは再び銃を持ち上げ、

またその銃口をクールカへと押し当てる。今度は撃鉄をも倒して。

「それでも……マシだとは思わないか?

滅亡が確定的な状況よりかは、まだ」

そう話す間にも、ロコの指先はトリガーへと近付いていく。

「天涯孤独のオマエには……分からないかもしれないが」

もう数ミリ、指を伸ばせば触れられるかもしれない。

そんなところまで伸びていたロコの指が止まった。

「……死んだ嫁さんのことか?怨み言でも呟く気か?」

「いや……娘の話だ。生きている、な」

持ち手からクールカの手が離れた。

今は、カップの胴の部分を茶碗のように、両手で抱いている。

「……時々、考えるんだ。どうして、アイツは死んだのかってな。

どうして、俺じゃなかったのか?どうして娘を助けてくれた?

神や仏なんてものがいるとしたら、俺は恨むよ。

ソイツを。ソイツが起こした残酷な現実ってヤツを。

だが……不思議なもので、俺は恨んじゃいないんだ。誰も。

妻を殺したヤツも、命令したヤツも、その上の奴等も、全部」

「じゃあ……何の為だ?」

「そうだな……娘の為だと言えば、

オマエは俺をとんでもないモンスターペアレントだと思うか?」

カップをテーブルに戻し、クールカは銃口が当たるのも気にせず、

立ち上がった。

かえって、ロコの方が一歩引き下がった始末。

「……あの娘(こ)が、この先、どんな人生を歩むのか。

俺には分からないし、そもそもいつまで一緒にいれるかも……

そう考えると、いいのかって思えてくるんだ。このままで」

「娘の為に……それ以外は誰が死んでもいいってのか?」

「そうは言えないな。流石に、ただ……」

一瞬フフッと笑ったが、すぐにやめて、

次に振り返ったとき、その表情は真剣そのものだった。

「親として、我が子を地獄へ導くような真似が出来ようか。

オマエは強い……俺以上かもしれん。

その上、オマエはヴィトー・ルカーニア直属の部下。

主戦場となるL4領域の情報には詳しかろう。だから言う。

俺は……ロコ・オツォ、オマエの命が欲しい。

娘の、そしてこの国の未来の為に」



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PHASE-17 分かたれし道(2/7)

「……これがオマエの望んだ未来か?クールカよ」
ロコ・オツォが呟いたとき、
足下では緩やかにその版図を広げつつあった血の水たまりが、
彼の革靴の底を濡らし、赤黒く染め上げていっていた。
その源泉はすぐ目の前に、転がる一人の少女。
いや、厳密には彼女だけではなく。
うつ伏せて倒れる彼女へ、
横たわりながらも手を伸ばす、年老いた背中。
伏せるはイレーナ。クールカの義姉である。
どこからとなく流れ出る血が、その死を無言にて証明している。
勿論二人とも動く気配はない。
ロコの他に、生きた人の姿はない空間、
景色は絵画か写真のごとく変化しない。
ロコが玄関に力なくタイルの床に崩れ落ちるまで、
物音すらなく、時が流れていることを疑うほどだった。
ホルスターに収まっていた拳銃が、
持ち主が揺れた拍子に少しばかし顔を出した。
隠すようにホルスターの奥に押し込む。
「……バカげてる」


「他の人かどういうかは知りませんが、

ボクから見れば、普通の人でした。

家族想いで、世の在り方に疑問を持っていた……

よくいる、良い人でした」

ドルゴンはそう証言を残している。

あの戦いの後で、

捕虜となったクールカが腹心ドルゴンは、

アルメイダ隊の旗艦『フレイヤ』にある捕虜用の檻の中に。

翌日、二人の部下に両脇から抱かれ、

手には錠をはめられた姿で、俺と面会することになった。

真ん中に丸い小さな穴がいくつも空いたアクリル製の板を挟み、

向き合う俺とドルゴンとやら。

俺は手元にあった紙の資料をペラペラめくりつつ、

話を聞いている。

言っては悪いが、あまり期待できる相手ではなく。

クールカとの関係は浅い。

アーモリー・ワン襲撃からグナイゼナウでの決戦に至る、

騒動の際にはまだクールカの傘下にはいなかったらしい。

戦死したパバァロッティ・ギボンらと共に、

交代で派遣された組らしく、

元々はシーザー・ルチアーノの部下として、

南米で仕事をしていたらしい。

「……勿論、それは、

ボクが隊長と一緒にいなかったからかもしれませんけど」 

自然資料の方にばかり目がいっていた俺を、

どこか皮肉るように投げ掛けられた台詞だった。

顔を上げ、見る。

ドルゴンは気まずそうに笑っていた。

「あぁ……すまないな。

大体質問は終わった。ありがとう」

「いえ、こちらこそ」

「最後に……何か、言いたいことはあるか?」

ドルゴンは口を閉じて微かに音を鳴らしている。

悩んでいるらしい。1分程度待ってみた。

「……何でも、構いませんか?」

「おう」

「いや、大したことではないのですが……」

後ろ髪をかくドルゴン。

「いつだかクールカ隊長が話してらしたことがあって。

シン・アスカという人、

まるで彼は……地獄に向かって歩いて行っているようだと」

「……地獄?」

俺は……名乗っていなかった。

まして名札のようなものがある訳でもなく。

相手はまさか俺が当の本人だとは思うまい。

「えぇ」

……名乗らぬままに、話を聞くことにした。

「自分の選択は、長い目で見れば間違いではないと。

今は苦しいが、それは今の一点だけを見たから、

そう思うのであって……

長い目で見るなら、むしろ国に依存する方が危険だと。

世界の警察を気取りたいラクス・クラインが、

膨張的に地球圏で勢力を拡大しているが、

それは点での拡張でしかない。

線にはならないし、まして面となって機能しない。

やがてはひっくり返される。

自分はその先駆者でしかない。

キリストに洗礼者ヨハネがいたように、

自分が先駆者になれればいいと……」

ギルバート・デュランダルのパウロだと自称したり、

ヨハネだと言ったり、忙しいヤツだ。

「……長くないのだと、聞かされました。

クールカ隊長ご自身は隠し通すおつもりだったようですが。

ホルローギン・バータルなる前任者からギボンさんに伝わり、

ギボンさんからボクたちは聞きました。伝染病だと。

ボクらは予防接種を受けてますし、

万が一感染してもすぐに対処すればどうとでもなる。

けれど、クールカ隊長は末期だった。

視力を失い、体も不自由なところがあって。

わからないんです……どうしてあんな体で戦場に立てたのか」

リプレイが流れるみたいに、

耳にいつぞやのクールカの言葉が聞こえてくる。

「あの強さで病に伏せていたとはな……悪い冗談だ」



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PHASE-17 分かたれし道(3/7)

「何の冗談だね?ノエルくん」

シーザー・ルチアーノも伊達に多くの修羅場を抜けてきた訳ではなく、

むけられた銃口に、なおも余裕の笑みを浮かべてみせる。

「オートクレール殿下より……連絡を預かっています。

殿下はアナタに兵士に戻れと」

一瞬、ごく一瞬、

歪んだシーザーの顔を、ノエルは見逃さなかった。

「……今更、私にか?」

「はい」

「殿下も相変わらず、ご冗談が過ぎるなぁ……」

シーザーは顔を反らすと、

右手の中指で二重になったアゴの一段目辺りを撫でている。

「私は、アナタを尊敬しています。

モビルスーツパイロットとしての、アナタを」

「……その頃、君は生まれていたのかい?アハハ」

なんて笑いながら、シーザーは少しアゴを引いた。

「リアルタイムで全てを見てきた訳じゃない……訳じゃないですが、

アナタの過去は今でも語り種(ぐさ)だ。

後年アスラン・ザラ、イザーク・ジュールら最高評議会議員の子息が、

軍に入り、活躍した訳だが、

当初の議員らは乗り気ではなかったという。

それを『シーザーがいるから』と交渉材料になった……

それがアナタの最初の活躍。

名家に生まれたアナタが、危険を犯して戦場に立つ必要はなかった」

「……親父の政治活動に利用されただけだ。誇れる経歴じゃあない」

「ホルローギン・バータルも語っている……

アナタが現役なら、カーン・カーァも自分も目ではなかったと」

「バータルは謙虚で口下手なのだ。昔から。

カーン・カーァは……」

不気味な程に延び上がった口角が少しだけ下り、横に延びた。

「……そこまでよく知らん。

同世代だが、ヤツはどうにも陰気でな。ロクに話した覚えもない。

久しぶりに会ったら、あれだろ?

手薄な状況をうまぁ~く突いて、

ルイーズ・ライトナー御一行を暗殺したってんで名を挙げたが、

悪いが、クールゼらの代わりにはどうしてもなれない男だったよ。

女の子連れ回して、楽しそうではあったがな」

シーザーの引き笑い。

「……だが、アナタは違う」

「あぁ、そうだな……私は、なろうとも思わん」

シーザーの顔がまたノエルの方に向いて。

小バカにするみたくニカッと笑みを見せた。

「……第一、私に言わせれば三流だ。

何より、思想を以て行動している。そこがくだらない」

信念なき者に……などとホルローギンには力説したノエルだったが、

ここでは口をつぐんだ。

「理想を語るヤツは、大抵現実を見ていないものよ。

状況は常に変化している。

ある場面では効果的な方法が、別の状況でもそうとは限らない。

思想なんか無意味だ。信念なぞはお荷物なだけ。

重要なのは場数と慣れと度胸だ。あとは運だよ。それだけ。

……ある歴史家が言ったそうだ。

思想とは酒のようだと。人を酩酊(めいてい)させると。

君は、酔い潰れたようなヤツが戦場で生き残れるとでも?」

「では……若き日のアナタはどうだったと言うのです?

今のような……へルマン・ゲーリングのようになったアナタを、

若き英雄だった頃のアナタが見たら、どう思うのでしょうね」

挑発的な文言。

しかし、物言いだけは、

何か論文でも発表するかのごとき冷静さでもって。

「……ゲーリング。フッ、ナチ党の幹部か。

そんなものを持ち出すとは、君も存外古いねぇ。

そこいく君はゲッペルスか?ヘスか?ボルマンか?

誰であったにしろ、

ナチ党に比肩されるようでは、我々脱走兵の行く末も危うい」

こう笑って答えたシーザー・ルチアーノ。

「少なくとも……このままではアナタはゲーリングの二の舞だ。

お選びください。

クールカのような犬死にがしたいか、否かを」

「……愚問を、地でいくようなこと聞きやがって」



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PHASE-17 分かたれし道(4/7)

──見渡せば、真っ白な雲が数多漂う、どこまでも青い空。

雲の切れ目から現れる人型ロボット。

雲に比べればいくらか濁った白、ないしはホワイトグレーのボディ。

関節部には紫色もいくらか見える。

そんな《Im/A-P》のコクピットにて、ダイ・フーディーニはぼやく。

「……詐欺だ。本物はこうじゃない」

の一言を。

ダイの視線は足下に広がる濃い青をした海へ。

丁度見下ろしたそのときに、何か跳ねたのが分かった。

それが飛び魚やイルカか、残念ながらそこまでは分からない。

何分、見ている場所が、高い高い空の上であったのだから。

見つめていること数秒、

耳障りに甲高い警告音がコクピット内をこだまする。

「来る」

目線を上げれば、そこには《スタキス》が。

例のモザイク壁画がごとき独特の色味は、否応なしに目立った。

手には黒いビームライフル。

「……食らえ!」

そう叫ぶが先か、動くが先か。

《Im/A-P》の背中から砲筒が、脇を通って前へ突き出される。

ガルムである。

赤く太い円柱状のビームが《スタキス》の方へ飛んでいく。

避けるかシールドで耐えるか。

観察しつつ、左腿からビームショーティライフルを抜き出す。

さて正解は前者。

もっとも、大きくは避けない。少し体を右側に反る程度。

間髪入れずライフルで追撃。だが、これまた避けられた。

それも今度は肘を曲げて腹部に寄せるような小さな動きで。

「……めんどくせぇ!」

そう叫んだ頃には、ガルムの光も消え失せて。

第2射が放たれた。

避けつつ《スタキス》が前に出てくる。

手数の多さをあてにして、ショーティライフルを連射。

空中に斜線を描くビームの弾丸だが、悲しいか、

一撃たりとも《スタキス》には命中せず。

いつの間にやら握られていた、あの死神の鎌が迫るばかり。

杖のように背中に背負って、武者震うように首を左右に振った。

「バカにしやがって……バカにしやがって、バカにしやがってェェ!!」

第2射が撃ち尽きた刹那、

手の空いた右腕が瞬時に武器を投げた。

それは《インパルス》以来の投げ槍ビームジャベリンである。

投げ槍……とは言うものの、

実を言えば、投げるというよりは、伸びるという表現が近い。

ともかく、それがようやく《スタキス》に命中。

シールドに左側よりぶち当たったジャベリンは、

その勢いから《スタキス》の身体が半回転させる。

更にダイは容赦なくショーティライフルで相手の背中に撃ちかける。

全弾……とは言わないまでも、数発は確実に命中。

《スタキス》の背に煙が立ち込める。

だが、

「ロスト…………していない?」

即座、煙の隙間を抜いて鎌が飛んできた。

これを回避するも間もなく、

煙の切れ間から姿を現す《スタキス》。

その手には、片側だけ刃のついた長い鎌が。

機動力で勝る《スタキス》に、回避も反撃も間に合わず……

画面は真っ暗になり、ダイの背がシートに落ちる。

『──シミュレーション終了、お疲れさまでした』

との音声が流れたのは、直後のことだった。




いつもの食堂へ歩く、ダイの息は乱れていた。
眉間から頬へと汗も滴る。
髪は水気を帯びて、窓から入る明かりを反射、輝いて見えて。
すれ違うラグネル・サンマルティンがその背中を見つめて立ち止まる。
もっとも、当のダイは見向きもしないで。
カードを翳(かざ)し、中へと入る。
足が敷居を跨いだ瞬間、聞こえてきたのはパーディの、
「やるじゃん。アレハンドロ」
などというの声だった。
彼女の声は、起きたばかりであるからか、少し眠たげで力がない。
それでも、ダイの耳には一切澱みなく聞こえてきて。
視線はパーディらのいるテーブルへと向いていく。
「たまたまだよ。たまたま……」
なんて言いながら、視線に気付いて向き直ったのは、
パーディの向かいに腰かけた、
アレハンドロ・フンボルトに他ならない。
アレハンドロは笑ってテーブルに肘を立て、ダイへと手を向けた。
ダイも笑って手で返事をした。が、小声で、
「……いつも、オマエか」
とも漏らしていたが。


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PHASE-17 分かたれし道(5/7)

「さっきよォ~、何か言わなかったか?」

アレハンドロの問いに、ダイはそ知らぬ顔をした。

「俺の気のせいならいいんだけどさ」

口角を捻りながら、半ば無理矢理に笑みを浮かべるアレハンドロ。

「……疲れてんじゃないのか?」

そう応じたダイの方こそ、かえって爽やかな笑みであった。

「……かもなぁ」

笑い返すアレハンドロであるが、違和感を拭えない。

「そんなことより定例会だが、何か話があったのか?」

「あぁ……」

アレハンドロの顔がパーディに向く。

「……あたしが説明するの?」

「よろしく」

笑うアレハンドロ。

「……アンタ、寝てたもんねぇ?」

首を斜め上に伸ばし、見下ろすよう笑い返すはパーディで。

「ダイの言う通り……疲れてたんだよ?なぁ?」

ダイは無言で笑いがちに頭を振る。

「ほぉ~ら」

「……ダイってば、甘い!」

そうダイを指差したパーディの顔が、

アレハンドロの方へと向き替わるという、ほんの一瞬、

ダイの顔より表情が消える。

そんな彼を他所に進行するアレハンドロとパーディの会話。

「しばらくしたら、また遠征だろ?」

「うん……要するにそういうことだけど」

「はい。補足説明どうぞ」

「……覚えてないって素直に言えし」

こうしてパーディの顔がダイに向いたときには、

もうダイの顔は優しげな微笑に包まれていた。

「ええとね、ダイ……」

──そこからの話を、要約するなら以下の通り。

昼番と夜番とで、立場の違うダイとアレハンドロ。

昼担当のアレハンドロおよびパーディには、先に情報がいっており。

ザフト側はナイルの神の本領たるエジプトへ、

遂に踏み込むことを決定したのである。

配属ORDERは第一にヴィトー・ルカーニア、

第二にオルランドゥ・マッツィーニ、第三がヤコブス・ツァンカル。

マッツィーニが本国を発つ時期は軍内でも不明。ツァンカルも同様。

ルカーニア司令は自軍が本作戦での主力になるものと判断。

モーリス・ゴンドー大隊長が先陣となり、

ハルガ、ついでアシュート、ルクソールを攻略する。

フレイヤ大隊はラノ・ララク大隊の残存戦力と共に第二陣となり、

ハルガ攻略の前後にゴンドーと合流するものとする。

つまり……

「……しばらくはゆっくり出来る訳だな」

「そういうこと」

紅茶を飲みつつ、ダイは静かに頷いて。

「……上手くいくのか?」

「何が?」

「プラント本国を守るマッツィーニはともかく、

ツァンカルは北米だろ?大丈夫なのか?」

ダイの問いに、アレハンドロとパーディとで顔を見合わせて。

「大体、正確なのか?…………その情報は」




「あえて証文のひとつも持ってこいとは言わないでおこう。
いい機会だ。
丁度……南アメリカの日和見連中の相手に疲れていたのでね。
行き先は、アフリカかね?……そうか。
引き継ぐ相手も決まっていよう。違うかね?
それにだな……元々私はオートクレール氏の部下ではない。
何かあれば容赦なく君の責任にさせてもらうよ……」
ルチアーノはその右手をノエルが左肩の上へと置く。
「……ノエルくん」
ニヤリと笑うルチアーノ。
並び立つルチアーノの背は、ノエルより一回りばかり大きいと見え。
「もうひとつだけ……教えていただけますか?」
そうノエルが漏らしたのは、
ルチアーノの後ろ姿がドアの手前まで来ていたときで。
丁度ノエルの正面を写していた姿見の鏡が、
ドアを半ば覆うような位置についたルチアーノの背を、
ノエルと同じぐらいの高さに捉えていたタイミングであった。
「言ってご覧」
「はい……どうしてアナタは脱走兵側についたのです?
弟さんのことを思えばアナタとて……
政権でもそれなりの地位には入られたでしょうに」
フフッというルチアーノの笑い声が聞こえた。
「愚問続きだねぇ……ノエルくん。
君は私という人間をまるで分かっていないとみえる。
そんなものは簡単だ」
ひょっこりと振り向いたルチアーノ。
「……生き残る為だ。どちらが勝ってもな」


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PHASE-17 分かたれし道(6/7)

「……てかさ。遅くない?」
パーディの問いに、
アレハンドロもダイも同じ顔で首を傾げた。
「ザイロさんよ?」
「……あぁ、確かに見てねぇや」
アレハンドロは納得した様子。
「食べに来てないのか?」
「うん……よくないよね?こーいうの」
ダイは顎を触り、一秒ぐらい口をつぐんだ。
「帰りに見てみる。
どうせ俺はブリッジに行くからな。
ザイロさんの部屋の前は通るだろうから……」
「寝てたら起こしてあげなよ?」
「あぁ……勿論だ」 
「さて、俺らはお昼寝の時間だな?パーディ」
アレハンドロはほくそ笑む。
「そうだけどさ……何?そのキモい顔」
「いやー、ほら。眠れないなら、お伴しますぜぇ?」
「必要ありませんよ。この変態」 
一足先に席を立つパーディ。
「……じゃあ、こうしよう」
アレハンドロの声が、
出口に体を向けたパーディを、顔だけ振り向かせて。
「俺、寝れそうにないからよー、
横で読み聞かせでもしてくれよー、それでどうだ?」
「……ガキか」
吐き捨てるように言い残し、パーディは去って行った。
アレハンドロは、
「聞きたいよなぁ?ダイ。
パンツの色から、アソコの色まで、色々と……」
そう手で口元を隠し、囁くが。
「……聞こえてっから!」
なんてパーディの声が。
「……ほどほどにしとけよ?」
苦笑交じりに告げるダイへ、
「おう」
なんて返事したかと思うと、
アレハンドロは静かに席を発った。
ゆっくり遠退いていく足音に耳をそばだてつつ、
ダイは呟く。
「バカが」 


警戒していただけあり、アレハンドロには聞こえなかったらしい。

そうアレハンドロには。

「……ダイくん?」

左からそう話しかけてくるヴァイデフェルトにまでは、

注意が及ばなかったと見え、

またごく一瞬だが、表情が変わる。

慌てて腰を上げたダイ。

「先に……ブリッジへ……」

取りつく島も与えず、ダイはそう小走りで去っていく。

ヴァイデフェルトは給食の乗ったおぼんを両手で支えたまま、

離れていく背中をどこか寂しげに見つめていた。

さあ、それからのダイについて。

多少走ったらしく、息に微かな乱れが窺える。

とはいえ、そこは彼も軍人。

ブリッジへと抜ける扉が遠目に見えた頃、

爪先で地を蹴るように出していた足が、

踵(かかと)まで床に接し始める。

同時に起こる接吻するがごとき、

ゴム靴の床にくっつき、そして剥がれる音ども。

そんな音に紛れ、ダイの息は小さくなっていった。

なるほど、やはり高い音の方が耳に響くらしい。

ゴムの音、それから甘ったるい女の声なぞ。

「もう、ヤダァ……」

撫でられた猫のような声だ。

ダイの足が止まる。音は左隣の部屋から聞こえている。

部屋の主は、ザイロ・モンキーベアー。

だが、彼の声は聞こえず、

時折漏れるのは男のものらしき乱れた吐息だけ。

次いで聞こえるは、チュパチュパと口内を鳴らす音。

「もう……お元気なのね」

ダイは女の声に聞き覚えがあった。

いや、まともに話したことはない。

だが、聞いたことはあったという。

……オランの街で、不快そうに顔を反らす上官へ、

纏わりつく女の声を。

「ビンタン……とかいったか」

声が中に聞こえたかは定かでないが、

10秒としないうちにドアが開いて。

汗だくになりながら、軍服を着崩したザイロが飛び出した。

ドアの前にいたダイに、ばつの悪そうな顔をしたザイロ。

彼も彼で逃げるように食堂へと歩いて行った。

「もう……時計見るなり、慌てちゃって……」

ドアの奥には、ビンタンが立っている。

バスタオルで雑に胸から下を隠すも、

膝から指先に至るまで、裸の足が見えている。

浅黒い肌。

汗に濡れて光る足には、

今しがたまで行われた『仕事』の跡が窺える。

「……どこを、見ているの?」

フフッと耳元にて囁く声と、その吐息が、

ダイの目線を足から上へと押し上げたとき、

女の顔はすぐ前にあった。

鼻先と鼻先とが触れ合うほど、ごく近くに。

「もう……食事は済んだの?お兄さん」

「……あぁ」

心なしか声が上擦って。

「それなら、そうね……食後の運動ってことで。

付き合って……くれるわよね?」

華奢な腕を蛇のように絡ませながら、

室内へと誘うビンタン。

ダイに抵抗する様子はなく、

引っ張られるままに中へと入っていく。

こうしてダイの足が踏み入れられ、またドアが閉まる間際、

赤い制服のジャケットが手早く女により脱がされた。

落ちたジャケットの端が閉まるドアの隙間に挟まり、

一部が外へはみ出ていた。

まるで何かを証明するみたいに。



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PHASE-17 分かたれし道(7/7)

「……結局、何が言いたいんだ?ドルゴンての」
頬杖をつき、少しだけ小バカにしたように笑ってみせた。
「どうして……貴方はそちら側に付くのです?シン・アスカ副長殿」
「……知ってたのかよ」
「貴方は大戦の英雄だ。知らない方がおかしいでしょう?」
……時代は変わったというべきだろう。
何せ知らなかったのだから、俺は。
軍に入った当初の俺はアスラン・ザラの顔さえも。
「答えて……いただけますか?」
「知ってどうすんだ?」
「クールカ隊長は知りたがっていた。
だから、ボクが聞いているんです……
お答えいただけますか?……お答え、出来ますか?」
首を振り、ふと足下を覗いた。
別に何もありゃしない。
せいぜい……タバコの吸いカスがいくらか転がっているだけで。
俺の前にここへいたアルメイダが吸っていたのだろう。
知らぬ間に踏んで散らかしまっていたらしい。
ついでに足を上げて見てみれば、案の定、靴に灰が。
「確かに……無駄かもな」
「それなら、どうして」
「……今更、新しい道なんか選べねぇよ」


──同日のこと。旧リビア領の都市ベンガジにて。

少し説明がいるだろう。

もう古い記憶で、正確な部分は覚えていないが、

オーブにいた学生時代、社会科の授業で、

ダグラス・マッカーサーの日本上陸の映像を見せてもらった。

パイプを口にくわえて、サングラスをかけ、我が物顔で、

タロップから降りてくる姿。

確か、そのシーンの撮影の為に、何度かやり直したとかなんとか。

支配者の偉容(いよう)ってヤツを、アピールしたかったんだろう。

ベニナ空港に降り立った仮面の男の姿は、

ダグラス・マッカーサーより偉そうだったと。

見ずとも想像が出来た俺は、リアルタイムで見ちゃいなかったが。

飛行場の傍らに建つ金網の列は、蜂の巣みたく彼是(あれこれ)と、

講釈垂れる報道陣の後頭部を隙間から映していた……

「間もなくゴンドー隊長を乗せた戦艦『オズボーン』が……」

言いかけるキャスターを、その背後で響く轟音(ごうおん)と、

首を縦に振って後ろを合図する正面のカメラマンの気遣いとが、

振り向かせる。

「ああっ!……ついに到着しました!『オズボーン』です!」

空に現れた『オズボーン』は徐々に高度も速度も下がっていく。

やがて着陸。エンジンもまだ冷めぬうちに、

角も丸ければ、それ自体も丸みを帯びた縦長のドアが、

下向きに降りる形で開き、タロップが降りる。

「……モーリス・ゴンドー隊長、間もなくご登場されるかと」

キャスターは興奮気味にそう語っていた。

画面の約半分にキャスターの姿を映していたカメラが、

グッとズームして、

戦艦『オズボーン』のタロップが画面いっぱいに映し出される。

まず見えるのは、足だった。

黒く垂れたローブの内から覗く、橙色のスラックスと、

ツメのように鋭く先の尖った革靴と。

ゆっくりと降りていく足と共に、その全容が徐々に現れていく。

ローブを折り重なった翼のように身に纏(まと)い、

ゆっくりと一段、一段降りていく。

その動く度、翼は右へ左へ揺れている。

続いてオレンジ色のシャツが見えたかと思えば、

黒いローブの頂点に、扇のように白い羽根を束ねた襟巻きが乗り、

更にその上へ向けば、光に照らされ、

オレンジにも黄色にも見える生い茂るようなアゴヒゲに次いで、

あのペスト仮面が遂に姿を顕(あらわ)とする。

黒い仮面と一口に言ってきたが、厳密には違う。

むしろ、白い。大部分は。

ただ目の回り、アイシャドウのごとくして、黒い線が入っている。

そんなマスクだった。

「出てらっしゃいました……ゴンドー隊長です!」

徐々にマスクも上の方、上の方が映っていき、

やがてその両目が画面の中心に添えられた瞬間、

ぶれる筈のないカメラマンの腕が、少しぶれた。

そんな矢先、今度は仮面の男の姿自体がフレームアウトする。

この直前、轟いたのは、激しい銃声。

カメラがその映す範囲を下げたとき、タロップの下、

力なく倒れた仮面の男の姿が映っていた。

胸から血を流して、倒れていた。ピクリとも、動く様子はない。



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PHASE-18 見えざる脅威(1/7)

「……お時間です」
その場に立ち会っていたルアクが伝える。
「わかりました」
ゆっくりパイプ椅子から腰を上げたドルゴン。
部屋の外に向け歩み出す。
「……カトリーナにはもう話をされたんですか?」
背中を向けたまま、ドルゴンがそう。
「まだだ」
「そうですか……彼女はあんな性格ですから、お気を付けて」
そう一礼し、部屋から出ていくドルゴン。
「…………ご忠告どうも」
俺のそんな返答は、
同時か少し遅れて鈍い音を鳴らしつつ閉まる鉄の扉に阻まれて、
恐らくドルゴンには聞こえなかったようだが。
それから暫く、俺は待たされることになった。
噂の二人目の面会人を。
だが、退屈はしなかった。
突然鳴り響くケータイが暇を与えなかったから。
マナーモードにしていたから、着信音自体は鳴らないのだが、
代わりにポケットの中で起きるバイブレーションが事態を知らせた。
画面にはアーサー・トラインの名前と電話番号が出て、
着信を報(しら)せている。
ケータイを取れば、アーサーは開口一番、
『撃たれたんだよ!ゴンドー大隊長が!』


思えば随分前のことのようだが、

先日、ヴィトー・ルカーニアから直々にお呼びがかかった際の話。

実はあれで終わりではなく、

あの後、簡易的な会議の場が用意されていた。

出席者は、

ルカーニアを支える首席、二位、三位の補佐官たる、

フェイ・デ・カイパー、フィロパトル・アルシノエ、コマチ・カショウ。

(通称『ルカーニアの喜び組』)

ヴィトー・ルカーニアの妹婿であり、「若頭」の愛称で知られる、

近衛隊の隊長アントン・ランスキー。

ルカーニア艦隊に属する大隊でも最高の兵力と格式が認められた、

ロイヤル・イタリアン大隊の隊長アミルカレ・ヴィスコンティ。

(もっとも彼はイタリア貴族の末裔とかいう肩書きばかりデカい、

痩せこけたチビのじいさんだ)

崩壊したサーベラス大隊の隊長だったプリュトン・ギドー。

(……除隊したギドーが何故この場にいたのかは知らないし、

聞くのも忍びなかった)

そしてヤツ……モーリス・ゴンドーもいた。

──俺はルカーニアとコマチの後ろにいて、

二人と共にその部屋に入った。

「君は、確か……」

アミルカレ翁が俺を見るなり、そう指摘した。

俺が弁解するより先にルカーニアが言った。

「アルメイダ隊長は来れなかった。コイツは代理。

代理つっても只者じゃねぇ。

フレイヤ大隊の副長、ナンバーツーだからな」

ひとまず俺は頭を垂れた。

反応は疎ら。

ギドーとフェイが顔を見合わせる。

フィロパトルは半笑いで俺を見ており、

アントンは俺よりそんなフィロパトルの方が気になる様子。

アミルカレ翁だけが礼を返す中で、

ゴンドーは無言でただこちらを見つめていた。

あの仮面の奥の金色な眼で。

毎度ヤツを見る度に思うが、あれはクマなのか、仮面の影か。

仮面から覗くヤツの目の回りが黒く見えて、不気味な印象を受ける。

そんな俺の感情なぞお構い無しに、ルカーニアは、

「しかしまあ、苦戦が続いてるみてぇだな」

なんて笑いながら話を始める。

「どうだ?……イギリスはよ」

イギリス……厳密に言えばグレートブリテン島とアイルランド島。

なんて括ったら、アイルランド人にキレられそうだが。

大西洋連邦領であるこの二つの島にて、

配置された連邦軍が南下の動きを見せており、

特に数隊は大西洋を通り、地中海に入るルートと、

北極海から大きく迂回してインド洋からエジプトに入るルートとを用い、

ナイルの神の軍勢に物資の支援を行っていた。

やむなくルカーニアはイギリス領に奇襲攻撃をかけさせていた。

……自身が最も信頼するロイヤル・イタリアン大隊に。

「お恥ずかしながら、物量の差に悩まされています。

ダスティン・ホーク小隊など、各方面から縁のある兵を借り受け、

事態に当たってはいるのですが……」

アミルカレ翁が恐縮そうに口を震わせながら述べる。

「おいおい。ダスティン・ホークのとこはあれだろ?

フレイヤ大隊にくれてやったとこじゃねぇか。

アフリカも大変なんだぜ?早いとこ返してやれ。

優先すべきは北アフリカ征討。

イギリスでは負けてもいい。足止めさえできればな」

甘い判断……と思ったが、口は挟まなかった。

黙って聞いている俺。

「で、アフリカの方だがなぁ……」

言いかけたルカーニアを制した言葉がある。

「今の戦いに意味はありません」

と……ゴンドーの台詞である。



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PHASE-18 見えざる脅威(2/7)

「どういう……意味ですかな?」

アミルカレ翁が問い返す。

「……今のやり方では、

アフリカ征伐など無意味だと言っているのです」

そう言われちゃ、

さっきまで、フィロパトルの顔を窺っていたアントンも、

黙っておらず、

「アァ!?」

なあんてヤクザものみたいにメンチを切る。

それ風に言うならば、

頭(かしら)のメンツを潰すような発言に、

若頭として黙っていたられるかってとこだ。

だが意外にも、

「まあ、聞いてやろうじゃねぇか」

ってんで、アントンを宥めたのは当の頭、

ヴィトー・ルカーニア本人だった。

となるとアントンも立場がなく、小さく舌を打ち、視線を外す。

「……ヤン・クールカがアフリカ入りしたとの情報が入った」

……後に俺たちフレイヤ大隊と戦うことになる訳だから、

随分耳が早いことで。

ただ、衆目驚いた様子はなく。

「他にもオートクレールの腹心が、大西洋連邦軍の代理人と、

接触するところを見たという話もある」

「……何が言いてぇんだ、コラ」

ボソッと漏らすにしては過激なアントンの台詞。

だが、ゴンドーは意にも介さないといった様子。

「おかしいとは、思わないのか?ご一同……」

ゴンドーの意図するところは、正直俺も分からなかった。

いや、誰もピンとは来ていないのだった。

「……何故、我々は脱走兵と戦っている?」

「分かりませんなぁ、何がおっしゃりたいのか……」

アミルカレ翁が苦笑がちに周囲を見渡す。

「そして、沿岸地域を守るのは大西洋連邦のダガーにウィンダム。

確かにな。オマエの言う通りだ」

ルカーニアだけがそう返答し、ゴンドーに首を下げさせる。

そこまで言われ、

「あぁ……そういうことね」

とフィロパトルが笑いがちに応じた。

「つまり、俺たちはまだナイルの神の直接の部下とは会ってない。

戦っていないってことか」

そうギドーが補足したところで、

俺も、そして恐らくは他の連中も要領を得たとみえて。

「……我々は何も知らない。

ナイルの神の娘だというリビア領の大物についても。

顔はおろか年齢さえも」

語るゴンドーを、見る周囲の目はもう違って見えた。

雰囲気というのだろうか?

空気が変わったのが分かった。

直前、ルカーニアが語った言葉の意味が分かった。

【いずれ枠が空けば、ORDERの椅子に座るであろう逸材よ】

ルカーニアと相対したゴンドーの風格・風采は、

確かにORDERのそれと言われても違和感はない。

大したことは言ってないのに。言葉に妙な説得力が。

「……大西洋連邦も、脱走兵も、

ナイルの神にとってはトカゲの尻尾に過ぎない。

失ったところで大した痛手とは思えない」

「オマエなら、どうする?ゴンドー」

ルカーニアの問いに、間髪入れず、ゴンドーは答える。

「……オセアニアからインド洋を突っ切り、

ペルシャ湾より直接エジプトを攻める」




──モーリス・ゴンドーの案が採用された訳ではない。
オセアニア方面軍を信用できないとのルカーニアの判断か、
交渉はしたものの失敗に終わったのか、それは分からない。
しかし、ゴンドーの発言権が拡大したことは間違いなく……
『……ゴンドーが撃たれたんだ!!』
アーサーにそう言われたとき、
えっとでも返そうかと一瞬考えて、口をつぐんだ。
何せ俺は、そんなに驚いちゃいなかったから。
どうしてかヤツは『そうなる』……
いや、『そうする』ような確信があった。
「……落ち着いてくださいよ。ひとまず」
電話は受けたままで、別の画面を開き、
ネットのページを開けば、その報はそこにもう出ていた。
デカデカと、『ゴンドー大隊長、撃たれる』の文字で。
『どっ、どっ、どうするよ?……シン!』
アーサーの声は大きかったから、ルアクにも聞こえたらしい、
少し離れたところから、こちらの表情を確認しているのがわかった。
「ひとまず……落ち着いてくださいよ」
『だっ、だけどねぇ……』
「いいですか?……よく、聞いてくださいよ?」
もう一度確認すると、運転手はこちらから目を逸らしていた。
「おそらくですが……そのゴンドーは偽物かと」


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PHASE-18 見えざる脅威(3/7)

モーリス・ゴンドーと思われる人物が凶弾に倒れ、

遺体がタラップから転げ落ちる。

それが一種の合図となった。

ベニナ空港の飛行場へ面した、背の低い森が風に揺らいだ。

木々が独りでにへし折れる。

陽炎のように、空間に生じる微かなズレ。

そのうち、桃色をした流れ星が降り注ぎ、

飛行場が、何度となく巻き上がる煙の群れに覆い隠される。

「敵襲!!!!」

男だか女だか、上げる叫び声を聞いたか否か、

知らぬまま、建物と飛行場との間辺りから、

地上用の《ジズ》やら、まだ灰色の《ケトゥ》やら、

尻に火をつけ動き出す。

比較的後方にいた《ジズ》が10機ほど、

やや後退り気味に腰から徐々に高度を上げて、空へと。

こちらは距離と高さと、

──やや皮肉ながら──敵さんが巻き上げた煙に助けられ、

森に潜む《インフェルノダガー》の砲撃を受けることなく、

特に脱落者を出さなかった。

が、ある《ケトゥ》などは歩み出して2歩3歩、

その身の色が透明へと変わるか変わらないかといううちに、

敵のビームに当てられ消し飛んだ。

敵は森に紛れるものばかりではない。

ビームシールドを展開した《ウィンダム》が、

頭上からライフルを撃ちかけている。

その数、5、6機程度。

これがおおよそ等間隔で2列となり、

雲の切れ間からやたらめたらに攻撃している。

ただ、反撃を恐れてか、ややへっぴり腰で、

空港側の映像にはコバエのような小ささでもって映り、

その攻撃も飛行場自体には辛うじて届くものの、

建物の方までは届かない。

砲撃自体も、セミの撒き散らす小便みたく不規則かつ疎らで、

これを避けながら、《ケトゥ》たちがどんどん前へ。

こちらは8匹か9匹か。

横並びにて進み、背中の砲弾で森へと撃ちかける。

黒い煙が上がり、森が赤々と燃え上がる中、

ドリルが旋回する軽い音が木の焼ける音に紛れて聞こえたり。

土が掘り返され、枝葉を混ぜながら宙に舞ったり。

《ケトゥ》は砲撃に当てられて、脱落者を出しながらも、

焼ける森の中へと。

《ジズ》らは一足先に空を進んで爆撃する。

攻撃の手の早さ故か、

青々とした森が一挙に焼け落ち、

モビルスーツどもが通り抜ける頃にはもう、

黒ずんで横たわる木も土も、

一目には見分けがつかぬようになっていた。

さて、飛行場自体はというと、

例の仮面の男がまだ転がったままで。

かの戦艦『オズボーン』は火のついた紙のように、

ぼうぼう勢いよく燃えている。

男の遺体に駆け寄る隊員。

緑色の服を着、頭には帽子が乗っかる。

右手の指を2本、男の首に押し当て、脈を確認する。

触れた指に返ってくる鼓動はなく。

「……死亡、確認」

そう耳の下に取り付けられたマイクへと。

『……御苦労』

そんな声がマイクに付随するイヤホンより、

返ってきた直後、この青年は爆風に呑まれ、

我も火を背中に浴びて、膝から崩れ、

やがては仮面の男の遺体へと火の手を燃え広がらせつつ、

焼け、黒ずんでいく。

しかし、何故であろう?

青年に動じる様子はなく、苦しむ声も上がらない。

どころか、仕事を終えた満足感からか?

ほんの少し、口許が緩んでさえ見えた。




さて、『フレイヤ』に話を戻そう。通話は続いていて。 
「ゴンドー大隊長は本当に死んだのでしょうか?
仮面てのは都合のいいもんで……
普通の人間が自分の影武者を用意するとしたら、
人相なんてのは気付かれるから、
それこそ整形でもさせなきゃ難しいもんがありますが、
仮面を被っていた人物なら、その問題はクリアになる訳で。
確証はありませんが、まあ……それぐらい、準備をしていても、
おかしくないという意味で……」
『それは……そうかもしれないけどねぇ……』
アーサーは苦笑している様子。
「……続報を待ちましょう。まずはそれからです」
『あぁ、そうだね』
ギィィというような、鉄扉が開く鈍い音が、
俺の視線を足下から正面へと移す。
案の定、ドアが開いていく。
連れられてきた女の、手錠をかけられた両手が見えた辺りで、
「では、自分はこれで」
『……あぁ。じゃあ』
ということで、電話は切れた。改めて顔を上げ、確認する。
丁度、ドアが閉まるところだった。
開くときは鈍く、長いことかかったのに対し、
今度閉まるときはほんの一瞬で、心なしか音が高くなった気がした。
ドアの前にはマユ・ヴァイデフェルト。
そして、ドルゴン・ジンが先程腰かけていたイスに、
今、腰を下ろしたのはカトリーナ・スティーヴィンズで。
不快そうに首を傾げ、背もたれもないのに後ろに反っている。
「さあ……話を聞かせてもらおうか?カトリーナ」
女の上半身が前に出る。
「……名前で呼ぶな!クソが!」


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PHASE-18 見えざる脅威(4/7)

後退するベニナ空港襲撃グループにて、
以下のような会話が聞こえてきていた。
『……敵さん、予想以上にいい反応だな』
『当たり前だ。モーリス・ゴンドーといえば、名将の誉れ高い。
苛烈な訓練で知られる。
奴等は鶏も同然。頭を潰されても、しばらく動く。
深追いは無用……さっさとずらかるぞ!』
『おい!フィリップ!オマエも……』
姿は消せても、音の方は消しきれないとみえて。
ものを引き摺るようなズルズルといった音が漏れ聞こえる。 
そんな中、あるひとつの足音が止んだ。
『フィリップ!……聞いてんのか!?』
そう呼び掛けられた男は、コクピットの中で、
垂れた左の前髪を手で耳の側へ流していた。
「……殿(しんがり)を」
『おい!何を言って!!』
頭上に迫る《ジズ》ら。
《ケトゥ》の蹴った地面が揺れ、音も足下に響いている。
「……足止めは、このフィリップ・フロイにお任せを」
ゆっくりと色づく1機のモビルスーツ。
そのモビルスーツは……


さて、場所は変わってトリポリの『フレイヤ』。

「……発進、どうぞ!」

と指示を出すは、ゲルハルダス・ズワルト。

本来ならこの仕事はパーディ、

昼夜の班分けでもヴァイデフェルトが担当の筈だが、

2人ともにブリッジにはいない。

『ダスティン・ホーク、《セイバー》、行きます!』

画面の端に映るは、

飛行機の形態で飛び去ろうとする《セイバー》。

灰色のボディが赤く染まるのが先か、飛び出すの先か。

とにかくすぐに飛び出した赤き《セイバー》に、

赤い肩をした《ジズ》が2機伴う。

そのうち、雲の切れ間に紛れ、彼らの姿は見えなくなった。

「……しばらくゆっくり出来るって聞いてたのに」

ハビエルが苦笑する。

「仕方ないじゃないですか……てか、不謹慎ですよ?」

ルアクも苦笑気味に返す。

「……ルカーニアの私塾にいた頃、すこぉーーし一緒だっただけよ。

ほぼ他人だし。仮面とか付けてる変なヤツだったし。

元・同僚の死に感慨?……ないわよ。んなもん」

ハビエルは艦長席に腰を据え、顎を触りながら話している。

「そんな薄情な……」

ルアクのひきつった笑み。

ただ、ハビエルは手元の資料を見ており、

ルアクには目もくれていない。

「……ま、ここに来て敵さん、攻勢に出てくるとはね」

見ていたものは、数枚組みの紙束。

モビルスーツ、モビルアーマーの情報が記載されている。

パラパラとページをめくる中、

《ウィンダム》、《インフェルノダガー》、《ハイザック》、

《ドヌ・ゾド》と機体の写真が右上に並ぶ。

「今更こんなもん見ても、どうにもなんないか」

めくったページを元に戻すと、

白紙の裏表紙を上にして、肘置きに落とす。

「大体……これ、あれでしょ?

大西洋連邦とか東ユーラシア連邦の機体じゃない?

エジプトの神様ってのは、

独自にモビルスーツを開発してるって噂だし……

これからの戦いに、どこまで役に立つか……」

言葉を返す者はない。ルアクはゆっくり顔を反らした。

一呼吸あって、

『……自分も行きます。発射シークエンスを!』

そんなダイの声が聞かれた。

「……全システム、オールグリーン。ダイ機、発進どうぞ」

ゲルハルダスは動じない。冷静に指示を出す。

先程、《セイバー》を映していた画面には、

今は白き《Im/A-P》が。

『ダイ・フーディーニ……《インパルス》、出る』

射出する音がやけに大きく聞こえた。

自然、衆目は画面の方に向く。

そんな中、突然背後のドアが開けば、どうなるか。

あえて語るまでもなく。

「……あら、ダイくん。もう行っちゃったんだぁ」

入ってきた女はそう笑っていた。

首筋からうっすら流れる汗、着崩れて露出した肩。

「ビンタン……さん……」

ルアクが呼ぶ名前。

ハビエルは顔を向き直り、背中で隠しつつ顔を歪めた。



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PHASE-18 見えざる脅威(5/7)

「……何か騒がしいけど、いいのかよ?アンタはここにいて」

カトリーナの冷笑。

無理もない。外じゃバタバタ忙しなく、行き交う人の足音が。

「交代時間だからな。いつものことだ。気にしなくていい」

外の方を向いていたヴァイデフェルトが素早く振り返った。

焦りが顔に出ている。

咄嗟の嘘であり、俺も俺で額に嫌な汗が。

そんな顔を少しでも隠すように、手元の資料を立てる。

「まず、カトリーナ・スティーヴィンズ。

大西洋連邦出身のコーディネイター夫妻の下に生まれた、

ディセンベル市にて出生の第二世代コーディネイター。

25歳、独身。結婚歴なし……ここまで、誤りはないな?」

耳クソを小指で掻き出しながら、

「別に間違っちゃいないよ。

……んなこと聞いて何の意味があんのか知らねぇが」

そうカトリーナは、

ハエがするみたいに、汚れた小指と親指とを擦り合わせ、

カスをその場に落としている。

「……C.E.74年、ユニウス戦役終結直前にザフトに入隊。

ラクス・クライン相手に弱腰な態度を見せ始めた最高評議会に反発し、

1年足らずで除隊し、士官学校の教官だったカーン・カーァに率いられ、

同期のウィルマ・ブッシュ、その姉のリタと共に、

例の事件を引き起こした。

ルイーズ・ライトナーら当時の主要閣僚を皆殺しにした大事件。

その後はシーザー・ルチアーノに拾われる形でザフト脱走兵に合流、

各地を転戦し…………」

資料をゆっくり机に置いた。

そう読み上げた箇所のすぐ下には、

リタ、ウィルマにカーン・カーァ、

そしてヤン・クールカの死が触れられていたが、

あえて読み上げることはしなかった。

「…………今に至る、と」

視線を上げ、目を合わせるとカトリーナは小さく、

「そうだ」

と口を動かした。

「どうなんだ?……仲間の仇を目の前にした感想は?」

ヴァイデフェルトは、カトリーナの背中と俺の顔、

交互に見てはひとつに恐れを抱き、ひとつに救いを求めていた。

「……イライラしてたんだ。テメェの声を聞いたとき」

カトリーナの顔は下を向いていた。

分厚いポンバドールが隠して、表情が見えない。

「カーンもな。リタもウィルマも、

そして……気に入らねぇ野郎だったが、クールカもか。

テメェと、テメェの部下のせいで……俺は全部を失った。

憎らしいに決まってる。

この薄い壁の1枚叩き割って、テメェの首を締め上げて、

ぶっ殺してやりたい。

そう…………思ってたんだ……けど……」

重い首をゆっくりと上げたとき、カトリーナの表情は……

「……アンタがもっと酷ェヤツならな。せめて1発は殴れたのに」

言葉には出来ない。涙ほど安直ではないが、どこか胸に迫る。

悟りの表情とでもいうのか。

「……すまなかった」

両手を机上に置き、額が机つくほど頭を下げた。

「何でアンタが謝る?……認めたくねぇが、俺の責任だろ?」

そう言われても、頭を上げられなかった。

「いいから、聞けよ?テメェの聞きたいことを全て……」

「…………」

顔を下げたまま、深呼吸をした。伸びをするように腕を張って。

「……配慮は必要ねぇのか?」

「あぁ。言ってみろよ」

フウッと長く息を吐きながら、ゆっくり顔を上げ、目を合わせた。

「さるザフトの指揮官が言ったことだ。

ナイルの神はいまだ手の内を曝してはいないと。

対抗勢力の明けの砂漠は態度を明確にしていない……らしい。

まあ、俺たち中間層まで話が通じていないからかもしれないが。

ともかく、ナイルの神直参の部下たちについて知りたい。

これからの為に……知ってる限りでいい。情報を……」

ヴァイデフェルトと顔を合わせると、少しだけ表情に自信が見えて。

──カトリーナ・スティーヴィンズ。

最高評議会議長ら閣僚の殺害事件により、死刑が確定。

数日後、トリポリからジブラルタルを経由した後、

本国にて刑の執行が行われる予定とのこと。

捕虜という立場を下に、刑の執行について抗議する旨を報告したが、

本国はテロリストと交渉しないと一蹴。

取り調べの後に本国へ護送されたしとの通達が、

参謀総長ヨーゼフ・スコルツェニーの名義にて送られていた……



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PHASE-18 見えざる脅威(6/7)

レーダーとして表示された、1枚の地図。

地中海は旧リビア国領に面した、シドラ湾。

シドラ湾を見下ろす、3機のモビルスーツ。

1機は《セイバー》、2機は地上用改修型の《ジズ》。

臨海の都市名がいくつも並んで表示されている中に、

Benghazi(ベンガジ)の字もある。

この3機はほぼ同一の高度を飛びながら、

徐々にこのBenghaziへと近付いていく。

『……ホーク隊長、間もなくです』

「みたいだね」

地図なぞ見ずとも、

もうモニターには足下に広がる街、そして例の空港も映る。

空港……だったのだろう。

白い雲へ手に届くほど近い、高い高い空から見下ろせど、

座標には映るBenina Airport(ベニナ空港)は、

暗い煙と紅蓮の炎に包まれるばかりで……

「ヤバいなぁ、これ」

ボソッと呟くダスティン・ホークの顔はひきつっていた。

『……そろそろ降りますか?』

「いや、まだ……」

とダスティンが見ていたのは、煙の奥。

盆栽のように小さな森が、炎に浸食されいく様。

木々が右や左に倒れて、一本の道が出来た。

焦茶色の地面、ほぼ炭同然の焼けて倒れた黒い木。

そこだけ暗いトーンの世界に、ソイツはそこにいた。

白銀色をした1機のモビルスーツである。

目立つのも必定。それより何より……

「……何だ?あのモビルスーツ」

『データに照合するものはありませんが……』

「いや、アイツ………………どこかで」

ダスティンは目を細め、画面でもズームしていく。

この白きモビルスーツへと。

ズームしていくうちに気付く。

「鎖帷子(くさりかたびら)?」

──日本の鎧兜には錣(しころ)という部分がある。

兜の、鉢と呼ばれる中心部から、

左右ないしは後ろ向きに垂らしたもの。

後頭部から首の裏側辺りまでを覆う蛇腹状の部位である。

目的は無論、首を守ることである。

ダスティンは知らなかったのだろうが、

目下に立つモビルスーツの首に垂れたそれは、

胴体を覆う鎖帷子というよりは錣に近かった。

「……《ドミンゴ》、ってヤツか」

より正確には、《RAMW-02 ドミンゴ》。

ホルローギン・バータルも愛用していた機体である。

もっとも武器や装甲は別物と見えるが。

「捕虜になった脱走兵が言ってたんだっけか?

連中のモビルスーツはRAMWとかなんとか言うとさ。

型番のRAMW……言葉の意味考えてたんだ。

RはRebel(反逆者)とかRebirth(再生)とか、色々……

でも、気付いたよ。今。

そうか……ナイルの神の、Reign(統治)って訳か。

Reign on Ancient Machine(古代装置の君臨)……」

画面に浮かぶWarning(警告)の文字にも、

ダスティンの思考を止まらない。

「……分かんなかったんだよねぇ。まったく。

大西洋連邦と繋がってたとみえたザフト脱走兵どもが、

どうしてナイルの神の指揮下にいたのか。

いや、というより……脱走兵と一悶着やった直後に、

ナイルの神討伐なんて話になったのか。

あの『オバマ』にいたのは《ハイザック》とかだった。

《アダガ》や《ムナガラー》、《ドミンゴ》はどこから来た?

脱走兵がテメェ勝手に用意した……

いや、用意することなんて出来たのか?

何だよ。そうだったのか……簡単な話じゃないの。

クールカの下にいた強化人間がいい証拠でさ。

ヤン・クールカは最初から通じていたってのか。

人類二人目の強化人間たる…………ナイルの神に!」

頭上より振り下ろされたは、光のムチ。

これをビームシールドで受けるダスティンの《セイバー》。

『たいちょ……』

ダスティンの部下は残念ながら、言い終えることさえ叶わず。

逆手に握った斧にてコクピットが貫かれた。

「……やっぱ量産されてるか!《ドミンゴ》!」

紅を塗った唇のような、赤みがかった桃色の《ドミンゴ》。

肩にはアカエイらしきパーソナルマークがある。

「名前を……聞かせてもらえるかい?君ィ」

ビームサーベルを抜いた。横一文字に振るう。

後退する《ドミンゴ》。

『…………ユウ・アカエ』



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PHASE-18 見えざる脅威(7/7)

(ユウ・アカエ……東洋人か?珍しい……)

ダスティンは見定めていた。

距離を取りつつ、サブマシンガンを乱射する目前の《ドミンゴ》を。

『たっ、隊長ォ!!』

「取り乱すなよ。明日は、いや次は我が身だ」

ビームシールドを展開したまま、味方の《ジズ》を背中に隠す。

「……接近戦は、苦手なのになぁ」

苦笑するダスティンだが、敵はお構い無し。

シールドを展開する腕を、突き出しつつも前屈み、

被弾面積を小さくする。鉄腕○トムみたいに。

シールドの奥に隠した逆手にはサーベルが握られている。

当人は隠しているつもりらしいが……

「……見えて、いるよ」

《セイバー》は前に出た。シールドは張られたまま。

『!?』

体当たりというべきか。ぶつかり合うシールドとシールド。

つんのめったのは、前に出た《セイバー》の方で。

体当たりへ一瞬早く気付いた《ドミンゴ》はギリギリで少し引き、

衝撃を和らげていた。

断頭台がごとく、振り下ろされる《ドミンゴ》のビームサーベル。

シールドを傘に、これに耐えた《セイバー》は、

敵のシールドの隙間から、顔のビームガンを撃ち込んだ。

致命傷になどなりはしない。

手足に小さなアザを幾つもつくっただけで。

「だから……嫌って言ったじゃん?僕」

更に飛んでくる《ドミンゴ》のムチ。

脇腹を抉りそうであったが、ギリギリで《セイバー》は避ける。

《セイバー》はそのまま結構退いた。

《ドミンゴ》はムチを回収しつつ、それを眺めていた。

生まれる間隙、見逃すダスティンの部下ではなかった。

『当たれェェ!』

《セイバー》の後方より、《ジズ》がビームを撃ち込めば、

回避までは間に合わなかった。

シールドで押さえる……が、それでも完全には殺しきれない。

勢いがシールドを押し出し、内側に逸れた腕を抜いて、

肩に風穴空けてみせた。穴の中でビリビリ電流が走ってみえる。

「ナイスアシスト」

そう言うダスティンは退避する。《ジズ》もこれに続く。

今度は《ドミンゴ》も前に出たが。

《セイバー》の逃げ足が思いの外、早かった。

《ジズ》が2、3秒遅れて追い付くと、

その肩を肘置代わりに構えた《セイバー》がスナイプ。

1射目が足を、2射目が右胸を、3射目で例の錣をと射抜いていた。

だが、

『お見事です』

「いや……致命傷には浅すぎる」

そう漏らす通り、《ドミンゴ》にはさしたるダメージはないらしい。

堂々たる佇まいである。

「義兄さんやダイくんは……これを相手にしたのか」

『隊長?』

「……いや、大したことはないか」

《ドミンゴ》の体勢がまた前屈みになる。

今度は盾の上から角のようにビームサーベルを突き出していた。

腕を引き絞る。突きで行くとみえた。

「きっと……ホルローギン・バータルは……」

ビームライフルを構える《セイバー》。そして……

「……もっと強かった」

飛び出して前に出た瞬間、《セイバー》は引き金を引いた。

シールドの僅かの隙間を抜いて、ビームは顔に命中。

首を飛ばされた《ドミンゴ》は衝撃もあって、身体が仰け反った。

そこを見逃さず、飛び付く《セイバー》。

右足で思いっきりシールドを踏みつけた。

踏みつけジャンプし、空中で馬乗りになり、

またシールドの間から胸の真ん中をひと突きにした。

《ドミンゴ》もお返しとばかりに、サーベルの刃を突き立てるが、

顔の右半分を削っただけ。

続く二度目の踏みつけと、爆発を受け、落ちていった。

「……僕の勝ちってことになるかな?お嬢さん」




「……くしゅん」
男はそう漏れ出たくしゃみを、両手で隠した。
「風邪か?ホルローギン」
「いえ…………
というか、コーディネイターって風邪ひくんですか?」
「……………………ひかないかな」
オートクレールは笑いながら、例によって爪を研いでいた。
「誰かが噂しているのかもわかりませんよ?」
プレイアスが微笑みがちにコーヒーをホルローギンのカップへ。
「私もまだまだモテますかな」
「ホルローギン様はお優しいですから」
「……それはどうも」
ホルローギンはただでさえ細い目を更に細めて、頭を垂れた。
「ナイルの神かもな」
オートクレールが手を止め、呟く。
「……ようやく重い腰を上げたというじゃないか」
「らしいですな」
ホルローギンが同調する。
「我々もそろそろ……身の振り方を考えるべきでは?」
ゆっくり爪切りをテーブルに置いたオートクレール。
「……身の振り方、か」


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PHASE-19 最終調整(1/7)

元々赤いユウの《ドミンゴ》がなお赤い炎に包まれる中、
彼を乗せた白き《Im/A-P》が、
ダスティンの《セイバー》の背後へと付ける。
「ダイ・フーディーニ、遅れて申し訳……」
などと語るダイ。
ただ当のダスティンは、
『あぁ……大丈夫だけど……』
なんて上の空という様子であった。
「……何かあったのか?」
『下だよ、下……見れば分かると思うが……』
言われるままに、モニター画面の下部を確認すると……
「……あれは」
『ボクはあのとき戦ってないんだが、君は戦ったんだっけ?
……アイツ。あの化け物に』


『おい!ユウちゃんが!』

そう聞こえた仲間の声に、

彼──フィリップ・フロイは、

唇を噛み締めたのみで、声までは出さなかった。

『いいから!ずらかるぞ!!』

敵は前へ。

姿は見えないが、《ケトゥ》らしき足跡が遠方より列を為す。

足音は次第に近付いている。

そして今しがた、足跡が途切れ、地面を蹴る音がした。

伸びる首の先、小さな牙がようやく現れる。

その首はフロイの《ドミンゴ》の頭へ迫っていた。

「……読めた」

上体反らし、いやもっとも小さな動きだったか。

《ドミンゴ》は首をゆっくり後ろに引いた。

いや、それでも《ケトゥ》の牙を完全には回避し切れなかった。

牙が頬に2つの切り傷を残す。

ただし、《ケトゥ》側も多少の誤算があったとみえて……

腰の部分で構えていたビームサーベルが刺さっていた。

《ケトゥ》の腹に深く。

ミラージュコロイドが解除され、首長き獣は力無く倒れ込む。

倒れる身体から避けるように、2、3歩後ずさる《ドミンゴ》。

「……アポフィス隊長、指示を」

フロイは静かに、マイクへ口を寄せた。

「……隊長?」

返事はない。

代わりに返ってきたのは、海上にて巻き起こる爆発音。

画面のレーダーを確認すると、

後方に控えていた1隻の戦艦の情報が消失した。

続いて味方の、

『うわああああ!』

とか、

『くっ、来るなぁ!!』

という悲鳴まで聞こえてくる。

フロイは動揺しつつも、冷静にレーダーを確認していた。

後方で味方の《インフェルノダガー》を次々切り捨てている、

《GAT-X142》なる型式番号のモビルスーツ。

フロイはその数字だけで相手の立場を察していた。

「……裏切っていたという話は本当だったのか」

後方より迫る敵の刃に、振り返る《ドミンゴ》。

ビームシールドで身を守るが、守り切れない。

素早く下から上へ振るわれた刃が動きを止めた瞬間、

細い首に一本の線が出来たかと思うと、

ボロンと《ドミンゴ》の首から上が後ろへ落ちた。

フロイは、またも3歩ばかし後ずさった。

「たしか……『優しくなければ生きている資格はない』、

てのが貴方の口癖だったんじゃないんですか?

……レェ・アモン特任大佐」

《GAT-X142 マッド》。今日も風にマントが揺らいで。

『その前がある……』

フゥッと吐き出す吐息が聞こえた。

瞬時にフロイは理解した。

(タバコか……)

『……「タフでなければ生きていけない」ってな。

フィリップ。オマエと同じ名前をした、探偵の台詞だ』

「つまり、生きていけないから裏切ったと?」

『俺は傭兵。裏切りも何も……』

後ずさりつつ、サブマシンガンに手をかけるフロイ。

『……最初から誰の味方も敵もねぇ』

《ドミンゴ》が3歩、ついで4歩目まで足をかけたとき、

《マッド》は1歩で間合いを詰めてしまった。

そしていつの間にやら振り下ろされた刃が、

2丁のサブマシンガンから銃口を切り落としていた。

更に気付けば《ドミンゴ》の左足には、

深々と日本刀型のビームサーベルが刺さっていた。

「ハァ、ハァ、ハァ……」

フロイの息は乱れていた。

『……一撃で殺られなかったか。

流石にセベク・アガレス直属の部下、大したもんだな』

なんて呑気に、タバコ吹かせるアモンであった。



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PHASE-19 最終調整(2/7)

「……何で味方同士で潰し合ってるの?あれ」

機体のビームライフルを背中に戻しつつ、呟いたダスティン。

「ボクらの味方……ってことはなさそうだけれど。

…………どう思うよ?ダ……」

『今なら、あるいは……』

「……うん?」

ゆっくり顔を上げたダスティン。

背中を映したモニター画面には、《Im/A-P》の姿。

その手には、ビームサーベルが。

『今なら討てる。シージーの仇……』

ダイのそんな一言に、ダスティンの口角が固まった。

『だっ、ダイさん?』

頓狂な声を上げたダスティンの部下。

「やめときなよ。ダイ。

気持ちは……わからないじゃないが。

漁夫の利に漬け込もうたって、相手が悪い。

ヤツはレェ・アモン。義兄さんよりも強いかもしれない男だ」

『……だからこそ、ですよ?ホーク「小隊長」』

敬語敬称により発せられたダイの台詞が、

ダスティンの表情をなおも歪めた。

『倒しておかなくては…………俺が、この手で!!』

「……やめとけよ!ダイ!死んじゃうぞ!?」

『死ぬのが怖くて、軍人なんかやってられるか!!!』

《Im/A-P》の背にて、燃え上がる炎と、その音と。

『ああっ!』

なんて後方の《ジズ》が手を伸ばすが、1歩遠い。

ダイが動く。ビームサーベルを振り上げて。

『ぶっ殺す!』

そう宣言と共に、前に出たダイを、

ダスティンはシールド片手にぶつかり、力づくで制止する。

『ダスティン・ホーク!オマエ!』

「そっちのがボクは好きだな。ダイ!」

『……邪魔するなら、アンタといえど!』

ビームサーベルを振り上げる。

その振り上げた右腕を、掴む《セイバー》の左手。

「大丈夫……もう止めたりはしないから」

ダスティンは笑った。少し悲しげに。

「だが、一応……ボクの方が上官であるから、

命令……いや、提案を!させてもらいたいッ!」

『えっ!?』

「スルーズ!……君も聞いてくれ。

いいか?無策で突っ込むには、相手が悪い。

ここはひとつ……ボクの案でいこう!……聞いてくれるね?」

ダイは、うんとは言わなかったし、

画面に映るダイの顔は、頷くこともしなかった。

ただ、ダスティンの手を振りほどくと、

その刃を背に戻すことでもって、同調を示したのである。

「いいか?……ヤツに接近戦で挑んでも勝ち目はない。

が、遠距離からチマチマ射撃したって勝てない。

何でか知らないけど当たらないし、

何よりすぐ間合いを詰められるに決まってる」

『……チッ』

ダイのそれは、小さな舌打ちではあったけれど、

ダスティンの耳に確かに届いた。

「でも……弱点がないって、訳でもなさげ」




「……上の奴等。
何だか知らんねぇが、揉めてやがるな」
下でレェ・アモンはそう半笑い。
「大方、俺の首が欲しいと見える。
……いいのか?フィリップ。手柄を横取りされるぞ?」
フロイは荒い息を上げながら、苦笑がちに応じる。
『殺れるもんなら……もうとっくに……』
《マッド》が1歩前に出ると、
フロイの《ドミンゴ》は2歩も3歩も後退する。
『……ナイルの神直属の部下とか、エースパイロットとか、
そんな肩書きが空しくなる。
大人と子ども、あるいはそれ以上……
「独弧求敗」の二つ名に、偽りなしと』
ムーサーから貰ったものだろうか?
アモンは葉巻を咥えており、モクを口から外しもせずに、
上下の歯と歯の隙間から、煙を漏らしている。
「……オマエは弱くはない。殺すには惜しい。
一時期とはいえ、同じ陣営にいた者として言うぞ。
投降しろ。命は助けてやる」
銃口なきサブマシンガンを胸に構えていた、
《ドミンゴ》の両腕が降りる。
手から離れるマシンガン2丁。
『ハハッ……その通りですね……』
傷ついた左足の膝が地に触れる。
「……意外だな」
左手の指2本で口からゆっくり葉巻を抜き出す。
ほぼ同時に、《マッド》の足が1歩、前に出……
出た瞬間、《ドミンゴ》の左手が、
足に刺さったビームサーベルを引き抜くと、
そのまま一気に振り上げた。
……が、
「オマエがそんな芸当をやるとは思わなかった」
サーベルが《マッド》の体に傷をつけることはなく、
アモンが呟いた頃には、
握った拳ごと、ビームサーベルが宙を待っていた。
「……屈んだとき、咄嗟に膝を隠そうとしたな。
それで分かった」
『よく……お気付きで……』


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PHASE-19 最終調整(3/7)

『お切り捨てください』

フィリップ・フロイがそう言ったときには、

《マッド》の剣が《ドミンゴ》の腹部に迫っていた。

ただし、ビームの刃は張られていない。

尖った先端部が、コクピットを小突く。

『心から、思いますよ。

貴方が味方のままだったなら、どれほど心強かったかと……

アガレス様も、どれほどお慶びになるか……』

コクピットの中、足下に落ち、燻る葉巻。

レェ・アモンの顔から、表情が消える。

「……俺たち強化人間に選択の自由などなかった。

アガレスは別だかな。ヤツはあのときからずっと……

いや、そんなことはどうでもいい」

前に後ろに、振り子みたいに微かに揺れる《マッド》の刃。

そして後ろに引いたあるとき、ビームの刃は形成された。

「……Go ahead, make my day.」

そう呟いた瞬間に、ビームライフルの一射が《マッド》を襲った。

不意を突くように放たれた一撃であったが、

レェ・アモンに、いやフロイすら、動揺することはなかった。

足を狙ったらしい、その攻撃を、

やや両足を開いて立っていた《マッド》の右足を、左足に寄せる。

たったそれだけの動作でもって、回避してみせた。

「どいつもこいつも……不意討ちなら、俺を殺れると思ってやがる……

気に食わねぇ……気に食わねぇ」

《マッド》が空を見上げると、

そこにはダスティンの《セイバー》がビームライフルで彼を狙っていた。

「……気に、食わねぇ」

『アモンさん!』

フロイの呼ぶ声に反応するアモンではなかった。

地面を蹴ると、体操選手みたいに背中を下にしてじわりと飛び上がる。

腕はパラシュートがごとく開いたマントの下に。

第2射、第3射も続けて《セイバー》より放たれた。

が、今度も1発として、《マッド》には当たらない。

「……気に、食わねぇ」

マントの下から現れる、あのジャックナイフ。

刃が今、《セイバー》に迫って……

瞬間、《ジズ》のビーム砲が《マッド》を襲った。

「……しゃらくせぇ」

当然回避する。が……

「チッ」

更なる追撃が、1秒あまり遅れて行われた。

ダイ・フーディーニの白き《Im/A-P》による狙撃である。

流石の《マッド》も、完全には回避し切れなかった。

マントが盾となり、ダメージをも与えられなかったが。

とはいえ、心理的なダメージは十分であったろう。

何せ、アモンは聞いていたのだろうから……

【後から映像で確認したが、レェ・アモン。恐ろしいヤツだ。

同時に攻撃してんのに、あんだけ命中しないってのはね。

ただ、他にも試してない手がない訳じゃない。

名付けて、作戦コード:フレミング】




【ジョン・フレミングが考えついたっていう、左手の法則みたいに、
1機が上から、もう1機が縦、残る1機が横って具合に、
三方別れて、タイミングをずらして砲撃するんだ。
流石のアイツも、避けたところに撃ち込まれたら、
避けきれない…………ハズだ】
これがダスティン・ホークの案。
一見悪くないようである、この案の欠点は、
ダイが既に指摘していた。
【もし、敵が一方に集中したらどうなる?
そんなに離れていたら、フォローに限界がある】
【なに……そうそう殺られるほど、僕も柔じゃないさ】
「……とはいったものの」
ジャックナイフがダスティンに迫っていた。
ビームシールドで耐えようとしたが、そこはレェ・アモン。
下から潜り込ませるようにして、シールドと腕の間に刃を押し込み、
皮を剥くとばかりに、右の指4本から肘に至る部分を切り落とした。
「曲芸かよ」
距離を取ろうにも、機動力の差がモノを言う。
踊るように身を捩(よじ)り、腹に1発蹴りを入れる。
その蹴りがいわば助走となって、再度旋回。
赤い光を撒き散らしながら、追撃に及ぶ。
この間、《ジズ》と《Im/A-P》、交互に砲撃を撃ち込み、
牽制するも回避すらされない。
どころか、2人とも高速で移動する《マッド》の動きに、
まるでついていけていない。
「……やだよ、ねぇちゃん。まだ死にたくねぇ」
唇を噛み、笑ってみせたダスティン。
『だったら最初から来るんじゃなかったな。坊主』
そう言い捨てた末、目を閉じたダスティンの《セイバー》を、
腹部より両断した《マッド》であった。


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PHASE-19 最終調整(4/7)

両断された《セイバー》の残骸を見上げたダイの脳裏に、

浮かんでいたのは、今は亡き旧友の言葉。

【なあ、ダイ……少し、過敏なんじゃないか?

いくら、サムのことがあるとはいえ……さぁ。

ホーク小隊長の時といい……今といい……】

味方を疑うダイを、そう嗜めていたのはシージーだった。

「……信じた結果が、これか」

頬の肉を口の中に押し込むように、口を尖らせたダイ。

それから《セイバー》の下半身が先に地面に落ちた。

『小隊長…………?』

スルーズとかいう、ダスティンの部下が震える声で漏らした。

ほぼ直後、上半身の方が顔から落ちてきて、

折れた木々と焦げた土の合間に埋もれていった。

『おい!』

それから突然、広域の電波より聞こえてきたのが、こんな言葉で。

『こちら……明けの砂漠が代表ムーサー・カリーアッラーフの代理人。

突っ掛かってきたから、対処させてもらったが、

ムーサーにザフトと争う意志はない……

俺の仕事も、あくまでベニナで騒いでいたナイルの神が兵どもを、

鎮圧してこいと、それだけのこと。

そちらが仕掛けてこなければ、俺はこれで帰るが……』

上空で《マッド》がマントを広げた。

露出する胸、腹、そして両腕。

ジャックナイフが開かれ、その刃の先を逆の手が掴んでいる。

『……別に、「争うな」とは言われていない』

『えっ!それって……』

スルーズが声を上げた。直後、

『ス…………ルーズ!……少し…………黙ってて……れ』

なんて声がノイズ混じりに聞こえてきた。

……ダスティン・ホークの声で。

『レェ……アモンだな?』

ダスティンの声は、勿論ノイズのせいもあるが、

どこか妙に力が入っている様子であり、

後ろで微かに水か何か液体が滴る音も聞こえていた。

『俺が誰かなど、どうでもいい……オマエが指揮官か?坊主』

『…………一応ね』

『答えろ。俺ともう一戦交えるか、見逃すか』

ダスティンは即答しなかった。

ダイはこの間に判断した。

ダスティンの『スルーズ』に限定した言い方から、

自分なら、口を挟んでもいいと……

「……争うつもりは、ない」

ダスティンは……何の異論・反論、述べることはしなかった。

レェ・アモンは1分あまり沈黙した。

それから、

『賢明だな』

との一言を残し、マントを翻(ひるがえ)した。

……ダイに『背を向けた』のである。

(今なら、あるいは)

そんな発想が脳裏に過るのも必然。

ビームライフルの銃口を少し持ち上げた。

しかし、指が震えた。

(もし……もし、外したら……

いや、さっき当たったときだって、ダメージは与えられなかった。

あのマントの僅かな穴を抜いて、撃ち殺せる確率は?

いや……やる価値はあるハズで……)

脳内で二転三転する考え。震える腕を逆の手で押さえる。

(俺だって……アレハンドロに負けない……手柄を!)

そう思う中、プライベート回線にて、その声は入った。

『やめ………んだ。ダ……ぬぞ?』

途切れ途切れであったが、おおよその意は分かった。

分かっていた。それでも……

(殺れる!俺なら!)

そう、引き金に指をかけた瞬間、

まだ見透かしたように、レェ・アモンは、《マッド》は振り返った。

『You've got to ask yourself one question……(賭けてみるか?)』

そう呟くと共に、アモンはジャックナイフを折り畳む。

『"Do I feel lucky?"(「今日はツイてるか?」)』

鼻で笑うアモンの声。

『…………Well, do ya, punk?(どうなんだ?クソ野郎)』

急に変わる語調。威圧するような怒声。

「クッ」

ビームライフルを落とす《Im/A-P》。

『いずれ、またどこかでな。ガキども』

それが最後の言葉となり、アモンは飛び去った。

ダスティンのものらしき荒い息が漏れる中で、

無傷の《Im/A-P》が膝から崩れ落ちる。

「……クソッ!」

キーボードに拳を叩きつけたダイ。

そんな彼に気付く余裕はなかったのだろう。

ボロボロになった白き《ドミンゴ》が這うようにして進み、

シドラ湾へと沈んでいったことなど……



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PHASE-19 最終調整(5/7)

「ナイルの神の傘下には、直属の部下ってエリート兵がいたんだ。

俺が会ったのはフィリップ・フロイとかいうヤツだけだったがな」

カトリーナ・スティーヴィンズの証言。以下、証言が続く。

「一番は例の『敗北マニア』……レェ・アモンとかいうヤツだがな、

野郎は俺たちが戦いに行く少し前に、

ザフト側だか、明けの砂漠だかに寝返ったとか聞いたぜ。

で、もうナイルの神に味方する脱走兵も少なくなった。

元々…………よくは知らねぇが、

クールカ一人のコネで繋がってたみたいだしな。

……いや、どうなんだろうな。はっきりしたことはわかんねぇが。

クールカの野郎が確か、ぬかしてやがったのは……

自分のコネってことにしていた方が何かと都合がいいとか、何とか。

だから、ホントはもっと上で繋がってたのかもな。

そこは……俺みたいな一般兵には聞かされてねぇから。

それで、何だっけ?…………あぁ、脱走兵がって話か。

脱走兵はな、もうほとんど北アフリカからは兵を退いてるらしい。

クールカがアフリカまで出庭ってきたのだって、

はっきり言って向こうさんから苦情が来たかららしいしな。

クールカのヤツ、前の戦いでトチった分の責任を取らされたんだ。

パヴァロッティとかいう監視役つきでな。

……あぁ、左遷だよ。左遷。はっきり言ってな。

で、左遷先で無様に死んじまった訳だ。

わざわざ言うことじゃねぇけどな。

……あぁ、わかってんだよ。俺も人のことなんか言えないってな。

で、とにかく、ナイルの神を守るのは、

もう野郎直々の部下と大西洋連邦とかから借りた部隊だけでよ。

連邦から来た奴等は大したことないって聞いた。

そりゃ、連邦もよ、

ナイルの神なんて胡散臭い連中を助けたなんてことになったら、

色々具合が悪いんだろうぜ。

派遣されてる連中で、まともなのは精々数名……

となると、警戒すべきは4人。

……直参の戦士とか何とか持ち上げられてるヤツが四人いる。

1人がフィリップ・フロイ。

クソ真面目でつまんねぇって感じの野郎だったが、

何をやらせても強いってタイプでな。

クールカも高く買ってやがった。

他は…………俺も噂でしか知らねぇけどな。

ユウ・アカエとかいう、オーブ生まれの尻軽女。

いや、尻軽かどうかは知らねぇけど、

何か『ゲイシャ』とかなんとかアダ名がついてたらしい女。

ムチを使うらしい。

そこそこ強いらしいが……

ぶっちゃけ、一番弱いのがコイツって噂もある。

いや、他のヤツらがもっと強いってだけかもな。

残りの2人は、パー・ウァーリィとかいうアジア人。

それからブルース・G・ノーマンて野郎だ。

ウァーリィは30過ぎた女で、

ヤキン・ドゥーエ以来のベテランだって聞くぜ。

本業は寺の尼さんらしい。

まあ、よくわかんねぇが、厄介だってのが専らの評判でよ。

特に不意を突くのが上手いらしい。

そして、ブルースは……アンタも知ってんじゃねぇのか?

例の『マン・イーター』とかいうヤツだよ。

……知らねぇか。地球じゃ有名だぜ?

大西洋連邦軍が生んだ天才であり、変人だってな。

撃墜スコアを散々稼ぎながら、

度重なる軍規違反で遂に不名誉除隊に追い込まれたて言うぜ?

ただ、強いは強いらしい。とても。

ブルースの実力は……下手すりゃアンタ以上かもな。

精々、足元掬われないよう覚悟しとくんだな。

てか、そもそもの話、ナイルの神が何をしてぇのか。

……俺は知らない。

ヤツの話は、聞けば聞くほど分からなくなる。

何で資産家の男が強化人間実験2人目の被験体に志願したのか?

そして、何故か消された野郎の前歴。

実際はもう70は過ぎてるってジジィらしいが、

はっきりしたことは皆知らねぇんだ。

古びたクラリネットと、C.E.30年代のオリンピックの金メダル……

そしてヨーゼフ・スコルツェニー。

ヤツに過去に関わるのは、それだけだって言われている。

……どういう意味かって?さあな。

俺もフロイとクールカが話していたのを聞いただけだからな。

セベク・アガレス……

話じゃ、アガレスってのは時間を操る悪魔ってんじゃねぇか。

ヤツの時間には謎が多いんだよ。

側近連中さえ、知らないかもしれねぇ謎がな」



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PHASE-19 最終調整(6/7)

「よかった……とは、言えませんね」
面会室を出たところで、ヴァイデフェルトがそんなことを呟いた。
カトリーナ・スタン相手の尋問が終わった直後のこと。
横には俺がいた。
「……いや、よかった。話してくれただけな」
着なれないスーツのポケットに手を突っ込み、
俺は何となく斜め上の方を向いていた。
「俺たちは必要な情報を得て……
そして、アイツ自身も助命嘆願の口実になった。
これでよかったんだよ。これで」
ヴァイデフェルトは無言のまま、俺の背中を見つめていた。
いや、見えていた訳ではないが、視線を感じていた。
ヴァイデフェルトは1歩後ろから、俺の後を追うように歩いていた。
「……オマエは俺を、酷いヤツだと思うか?」
立ち止まり、振り返り、問う。
ヴァイデフェルトは困惑した様子で、目を逸らした。
「俺は思う」
苦笑した俺を、ヴァイデフェルトは窺うように見上げた。
「……追い詰められた人間に、
さしてアテにならない条件を振りかざして、口を割らせた。
酷いヤツだ。それは間違いない」
「そんなことは……」
ただし、ヴァイデフェルトも微妙な表情。
「オマエにも苦労をかけた」
「いえ」
ヴァイデフェルトが目を合わせない。
どこか怯えた表情で、忙しなく視線を移ろわせる。
「俺の役に立ちたいとか何とか言ってたっけか……」
言うに事欠いて出てきた台詞がこれだった。
後頭部なんか掻きながら。
「……俺はオマエの役に立ててるか?ヴァイデフェルト」
ヴァイデフェルトは答えなかった。
悩んでいたのだろう。返答を選んでいたのだろう。
だが、薄情な俺はそれを待てなかった。
「レェ・アモンと戦ったとき、分かったろ?
俺より強いヤツはいる。
あのジェイナス・ビフロンスですら、
ネイキッド・アームズとかいう、強化人間集団では最弱らしい。
つまりは、ナイルの神ってヤツも、俺より強いかもしれない」
「それは……」


そんな話をしている頃には、

両断された《セイバー》と、

それを網状のものの上へ乗せて運ぶ他の部隊所属の《ジズ》2機、

無傷の《Im/A-P》、

それから敵機《ドミンゴ》の残骸を抱くスルーズの《ジズ》。

彼らが戦艦《フレイヤ》の上空に迫っていた。

モビルスーツデッキがゆっくり開き、中からレールが出てくる。

先にレールの上に足をつけたのは《Im/A-P》。

次いで《ジズ》2機と《セイバー》が続けて入った。

スルーズが入ったのは、その後のことで。

モビルスーツデッキの中は例によって人でごった返していた。

入り口の方には、本来なら寝ている時間の、

アレハンドロやらパーディの姿が。

細い眼で見つめながら、欠伸なぞするパーディに対して、

その右に立つアレハンドロは一切そんな様子はなく、

顔色を窺うように表情を確認したパーディは、

男の両目の下についた少しばかりのクマをも見逃さなかった。

「アレハンドロ、アンタ……」

「……へ?」

アレハンドロとパーディ、互いの目と目とが合ったのと同時、

《セイバー》のコクピットから、

さながら瓦礫より這い出すように、血まみれのダスティンが。

医療班がその場に駆け寄り、慌てて額に包帯を巻いていく。

欠伸を隠す為、覆った筈のパーディの手が口元を離れない。

「あれ……」

「……あぁ」

両肩を抱かれ、運ばれいくダスティン。

「大丈夫……大丈夫だよ……」

そう漏らすダスティンの声は割に響いた。

……無言で見つめる観衆に対して。

続いて、別の足音が聴衆の耳と目線を動かした。

《Im/A-P》より降りてきた、ダイのものである。

「大丈夫ですか?ダイさん」

そう近付き、真っ先に告げるはラグネル・サンマルティン。

ダイは目も合わさず、小声で、

「大丈夫だ」

の一言を残し、そそくさ出口へと歩いていく。

出口、そうアレハンドロとパーディの側へ。

「おかえり、ダイ」

そう微笑むパーディに対しても、

「あぁ……」

などと言葉を濁し、目さえ合わせないダイ。

そんなダイでも肩を叩かれれば、目線は上がる。

肩に置かれていたのはアレハンドロの手。

目が合うと、ニカッと笑ったアレハンドロ。

「ケガもなきゃ、機体も無傷だってのに、随分な顔じゃんか~?

どうしたよ?ダイ」

「……すまんな。後で話す。今は……疲れていてな」

ダイは目を反らしがちに答えた。

「通してくれ」

「……あぁ、ごめんね」

なんて言って道を譲ったのはパーディで。

アレハンドロの方は首を傾げながら、

歩いていくダイの丸まった背中を見つめていた。

「アイツ……最近元気ねーなぁ……」



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PHASE-19 最終調整(7/7)

きっと同じ頃合いだったろう。

陽の光など届かない、どこぞの暗い部屋に彼らはいた。

古風な電灯が部屋を照らしてはいたが、

太陽の代わりとしてはあまりにも小さく、点滅もしていて。

空間を黄色に染め上げるこの不器用な太陽の下、

老人は何やら食事をしているらしい。

傍らにはスーツ姿の強面な男が2人。

そんな部屋の端に、仕事帰りのレェ・アモンの姿はあった。

「……そうか」

老人──ムーサー・カリーアッラーフはその一言にて、

レェ・アモンの報告に応じた。

「……咎めないのだな?じいさん」

アモンはどこか拍子抜けしたという顔で。

「咎めたところでどうにもなるまい。

……死んだザフトの指揮官というのが何者かは知らんが、

とにかく対応の遅れは聞くに分かった。

オマエの言う、信用ならんという意見も理解できんではない」

そう語りつつ、蛇のような紋様が入った青銅の杖に手をかける。

「だが……明けの砂漠には戦力がない。オマエ以外にはな。

私の前任者は、どうやらオーブとのコネクションがあったようだが、

今となってはどうなっているかしれん」

「あの国はもう滅んだようなものだ」

「……だとしても、人的資源に欠くことは致命的だ。

旧アフリカ共同体政府は、軍権を半ば放棄し、

軍事力の大部分はザフトに依存してきた。

明けの砂漠も、かの虎との戦いで一度は壊滅している。

アフリカの若者たちはもう神すら信じはしない。

気付いておるのだ。

ナイルの神なるファラオもどきが君臨しようが、

それを追い払おうが、

結局はザフトが入ってきて、支配の歴史を継承するだけだと」

血のように赤いワインを口に運び、

マトンのように並べられたカエルのもも肉の唐揚げを食らう。

「アンタはどうする気だ?」

「どうする?……決まっておろう。

独立を勝ち取ることだ。ひとまずはそれしかない」

手掴みで口に運んだカエル肉。

肉の部分だけを食い千切り、残った骨を皿に戻す。

いや、皿に戻そうとして、手を止めたが正解。

「ナイルの神は認めなかった。だから見限っただけのこと。

プラントの属国になったとしても、植民地だけは避けねば。

プラントが認めねば、大西洋連邦、東ユーラシア、東アジア……」

骨を指示棒に見立て、アモンを指差す。

「……私は悪魔とでも手を結ぶ」

アモンが少し頭を垂れたとき、被っていた山高帽が少し下がり、

顔が隠れた。

「仮にも……『ナビー(予言者)』と呼ばれる男のセリフかよ」

のろまな音を漏らしながら、皿に置かれる骨。

「自ら名乗った訳ではない。

名前をつけた両親と、誤解した君たちがいただけだ。

ただの学者だった男だよ。私は。

それがあれよあれよという間に、

祭り上げられてしまっただけのことでな」

「……デュランダルも学者だった、らしいぞ」

「だから、尚更相応しくないのだよ。本来ならね」

ワインを口に運ぶ。

「ただ今となってはナビーなどと呼ばれるのもやぶさかではない。

いや、彼の苦労が分かるというべきか。

神がいるか否かを論じる気はないが、今でも証明できないことを、

当時の人に信じさせるのが如何に難しいか。

痛いほど分かる。

その点、かの神は優秀だったのだろう。

地震を利用し、天罰だとして愚昧な民に己を信仰させた。

公会議の失敗以来、最早宗教なぞ無意味と思っていたが……

まさか数年で空白になっていた北アフリカを制圧してしまうとはな」

口から離されたワイングラスが揺すられる。

足とグラスとの地平線のよう、

ほとんど一本筋と化した残りのワインが、波を打つ。

踏まれた水溜まりみたいに飛び散る。

「……だが、ザフトが本腰を入れた途端、

北アフリカの8割がナイルの神の手から転げ落ちた」

「ビザンツ帝国も、テオドシウスの城壁のおかげで、

幾度となく滅亡を免れてきた。

似たような事例はどこにでもある。

まだアガレス一派にはテオドシウスが……ノーマンやフロイがいる」

「……今は英雄なき時代。1機が戦況を変えるとまではいくまい。

たとえ、オマエでもな。レェ・アモン」

ボディーガードらしき脇の2人が警戒して懐に手を。

しかし、アモンは何ら動かない。

「いや、オマエの言い方は正しい。その通りだ。

ここから、ザフトの連中は苦戦を強いられるだろう。

……連中に、恩を売るいい機会だ」

フンと鼻で笑うアモン。

「次はどんな奇跡を遂げる気だ?ナビー」

「……カエルだな」

そう語ったときにはもう、

皿の上のカエルどもはみな骨だけになっていたが。



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PHASE-20 砂の海原(1/7)

──2009年6月4日、
日本は石川県七尾市中島市民センター駐車場にて。
作業員が100匹以上のオタマジャクシが落ちていたのを発見。
この出来事を地元の新聞社が翌5日に報道すると、
日本中から反響があった。
似たような事例は、アメリカやギリシャにもある。
これらはファフロッキー現象と呼ばれ、
竜巻が原因とか、鳥が運んだとか、様々言われているが、
果たして……
映画『ジョーズ』のアメリカ初公開日にあたる6月20日、
ナイルの神が拠点を置くクロコディロポリスをはじめ、
同時数ヵ所にてカエルが降るという怪奇現象に見舞われた……
本来なら中南米、流入するといえど、
東南アジア、オセアニアにしかいないオオヒキガエルが、
数百匹あまりもエジプトに現れるという緊急事態。
アルカロイド系の高い毒性を持つこのカエル。
大量発生は各地で悪臭騒ぎを引き起こしたという。
そして、一般大衆はもうひとつ、噂することとなる。
かの旧約聖書に登場する一節、エジプトを襲ったという十の災いを……


かつてファイユームと呼ばれた、このオアシス都市は、

かの神に魅入られて以来、急速な発展を遂げていたものであるが、

中心の一部を除けば、外はまだ長閑な田舎町が広がっていた。

新設の空港の側も、背の低い草がいくらも繁っていた。

「なるほど、臭いハズだわなぁ……」

そう漏らしたのは、野球帽を目深に被ったの男。

耳の上、アフロヘアーがヘッドホンのようにはみ出していた。

そして着ていたタンクトップのシャツの背には、

タトゥー……いや、彫り物がされている。

そして、片足しかない男だった。

男が立っていたのは、とある戦艦のブリッジの上で。

柵に手をかけ、傍らには松葉杖が置かれている。

数十メートル下には、草木に紛れて、無数のカエルたちが。

「……カエルまみれだ」

ゆっくり振り返る男。その視線の先には1人の女でいて。

「見ない方がいいぜ。気持ちわりぃ」

杖に手をかける男。

「……誰だか知らねぇが、無駄に手の込んだマネをしやがる」

杖を小脇に挟み、女の方へ一歩近付いた。

「一体どこにそんな時間と、やるだけの人材がいたのか……」

女はただ黙っていた。腕を組んで、向かいの男を見ている。

尼僧らしい。スキンヘッドの女だ。

「……いたのかねぇ。裏切り者でもよ」

1歩、2歩と前に出る男。そして動かぬ女。

地を叩く杖がコツコツと割に大きな音を響かせている。

「明けの砂漠……ムーサーとかいう男は何を考えているのか……

ロクな戦力も揃っていないクセに、

よく抵抗なんかと思っていたがなぁ…………

まさか、レェ・アモンなんて化け物従えてたとはなぁ」

「……それとこれと、何の関係が?」

「いや、だからよ。

いてもおかしくねぇんじゃないかっての。

裏切り者とかがよ。それで、やったんじゃないかってな」

上を向きながら歩く男。目の前には女と、分厚い鉄の扉。

その足が女の脇を抜けて、1歩だか2歩だか前に出たとき、

「……別に、明けの砂漠がやったとは限らないんじゃなくて?」

そう女が呟いた。

男の顔など見もせず、また男の方も見返したりせずに。

「ザフトでも、理屈自体は変わらないだろ?

いや、確かにそうだな。ザフトのが自然か」

「人為とも限らないけどな」

「言い出したの、オマエじゃねぇか?」

そう笑いながら、振り返る男。

その背後で鉄の扉が開き、

振り返ったハズの男が再度向き直ることになる。

扉へと向いた2つの眼が見たのは……

「……えっ?」

ゴルフクラブだった。

黒い背をしたドライバーのヘッドが、男の目線と同じ位置に……

あったと認識できたのだろうか?

即座に振り下ろされたこの鉄の塊は、

容赦なく、男の顔にめり込んだ。

脇から抜ける松葉杖。力を失い、後ろに倒れる体。

その肉体が地面に叩きつけられる音と共に、

吹き出した血がベチャリと床を濡らし、

また倒れた肉体をいくらか滑らせた。

「……よう。ジンファ」

そう呼ぶ声に吊られ、薄れいく意識の中で男が見たのは、

鮫のように鋭い歯が並び、大きく開いた口だった。

「な……んだよ……ブッ…………ブルースッ」

返事はなかった。

聞こえてくるのは鼻唄交じりにドライバーを振る音だけ。

「どう……し……」

次は言わせてももらえなかった。

脳天をフルスイングで叩きつけたドライバー。

男の体は2、3転、転がって、柵へと引っ掛かるまで押し出された。

血が転々と続いている。

「……殺したら証言が取れないだろ?ブルース」

女がそう咎めるが……

「いいじゃねぇか、パー。俺が全員ブッ殺せば、済む話だ」



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PHASE-20 砂の海原(2/7)

「……ハッ!」

上半身を起こす。

悪夢にでも魘(うな)されていたというのか?

顔は汗に濡れていた。

だが起きたら起きたで、彼を痛みが襲った。

「ウッ」

と歯を噛み合わせて、頭を押さえる。

巻かれた包帯には血の跡らしき暗褐色の染みが。

「まだ起きちゃダメですよ?ダスティン小隊長」

そう駆け寄るナース。彼の右側へ。

「どれぐらい……」

「?」

ナースが首を傾げる。

「……寝ていたのかな?」

「はい……半日ほど」

食い縛った口が緩み、口角が上がる。

「こういうのって……2、3日とかだったりしない?普通」

「……そのまま、寝ていた方がよかったかもな。そんぐらい」

そう応じる声に吊られて顔を上げたダスティン。

正面、向かいのベッドと窓ガラスを背に立っていたのは俺だった。

だが、当のダスティンは俺を見ていたというよりは、

その背後の窓ガラス、

外に広がる街並みが流れていく方に目がいっていたらしかった。

「飛んでいるみたいですが……」

目を合わせてくるダスティン。

「……どこへ、向かっているんですか?」

ここでナースは退室。

「ひとまずは、トブルクって街だ。ここを落とす。

トライン、ラドクリフ、シゲルの三大隊が18日付けで入り、

包囲網を張っている。

今のところ、大きな戦いは起きてない。

俺たちの到着を待って、一気に攻め落とすつもりらしい」

「なるほど」

そう話しながら、ダスティンは頬杖をつこうとして、

シーツから出した腕に、巻かれた包帯を目視する。

「……オマエは休んでおけ」

「言うと思いましたけど、それは従えません」

ダスティンは笑う。

「……大した戦いにはならない。今は少しでも休んどけ。

そのうち、嫌でも戦うことになる」

「部下に示しが着かないっていうヤツですよ」

腕組みしてみせるダスティンだが、

包帯巻かれた方の手が置かれた際に、

「あ、痛ッ」

なんと小声で漏らしてやがった。

笑いたいのを口元押さえて隠した。

「くだらねぇとこでメンツなんか気にすんなよ。

……休んどけ。いいから」

腕をほどき、またシーツの中へ。

「……義兄さんこそ、休んでないんじゃないですか?連戦続きで」

「無休て訳じゃない……

俺だって寝てるし、クールカ戦後1週間は戦いもなかったからな。

実質、連休だ。サラリーマンなら大型連休の部類だぜ?」

「その間だって……警備やら書類作成やら、あったでしょうに」

返す言葉がなく、何となく目を反らした。

「……最近ゆっくりお話してなかったでしょう?

それが何よりの証明ですよ」

「何だそりゃ」

「大事なことですよ?僕だって……」

そこから妙な間があった。

「……心配ですから」

誰が対象かは明言しなかった。

「ルナか?」

俺の手前、はっきりとは言いにくかったのだろう。

静かにコクりと頷いた。

「俺も……たまには会いたくなるさ。アイツとは長い付き合いだ」

今度は俺が腕を組んでいた。

少し笑って目線を合わせたダスティン。

「からのふくえ……」

「ねぇよ。あるなら離婚なんかしてねぇ」

「……残念」

包帯を巻いていない方の手で顔を覆う。

「部外者から言わせると不思議でならないんですよ。

姉さんも義兄さんも、新しいパートナーつくらないの」

「ルナがどうかは知らないが……まあ、色々あるんだよ、色々」

そう漏らしたときだった。

このフネ、《フレイヤ》が大きく揺れたのである。

それはもうその場に立っていられないほどに。

その場にあったベッドの手すりを俺の手が掴んだ直後、

ダスティンが呟いた。

「……外も色々ありそうで」




当の《フレイヤ》ブリッジでは。
『ダイ・フーディーニ……《インパルス》、出る』
声に力は感じなかった。聞いていたパーディの顔がやや歪む。
続くアレハンドロが、
『アレハンドロ・フンボルト、《アビス》で行っちゃうよ!』
そう調子よく笑っていたのが、尚更ダイの悲痛さを引き立てる。
だが、そんなことを気にかける余裕はない。
「敵機!本艦の真下を高速で移動中!」
探索担当のルアクが声を震わせ叫んでいる。
「宇宙でない分、エネルギーの消費が激しくなりますが……
ドラグーン……使いますか?」
電子戦担当のゲルハルダスが問い、
「使いな!沈められちゃ世話ないよ!」
副艦長ハビエルが答える。
「面舵いっぱーい!」
操舵手のザイロ・モンキーベアーが声を張る。
それでも回避し切れず、砲撃を被る。
ダメージはそれほどではないと見えるが、衝撃は凄まじく、
右側に大きく揺れた。
「たった1機のモビルスーツにィ!何苦戦してんのよォォ!!」
艦長ルシア・アルメイダの叫びである。


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PHASE-20 砂の海原(3/7)

昼下がりだったろう。クロコディロポリスにて。
ナイルの神が勢力の旗艦《ネイト》は同地に滞在中。
中の休憩室に腰を下ろしていたのは、
黒いクーフィーヤ(頭巾)に身を包む、金髪碧眼の白人紳士である。
「……オートゥール少佐」
そう紳士の前に、頭を下げる一人の若者がいた。
ひと纏まりだけ、垂れて鼻の頭を覆った前髪。その髪は銀鼠色。
この髪に隠れつつも、茶色い眼がかの紳士の側から垣間見えていた。
「おおよそ話は分かった。
アモン氏の離反と反攻という緊急事態の中、
よくぞ生きてかえってきたと、称賛すべきだろう。
ご苦労だった……フロイ」
青年──フィリップ・フロイはなおも頭を下げたまま。
「ひとまず、顔を上げてくれ。フロイ」
そう言われてようやく、重い頭を緩やかに持ち上げたフロイ。
「少し前に連絡があってな。
トブルクにザフトの新造艦が近付いていると……」
「……トブルクには、どなたが?」
「ノーマンが先程ここを絶ち、向かった」
フロイは無言のまま、やや怪訝な表情を浮かべていた。
「不服か?」
「いえ、ただ……血の雨が、降るだろうな、と」


『ラグネル・サンマルティン、《ガイア》、出ます』

その声を背中に聞きながら、

アレハンドロの《アビス》、ダイの《Im/A-P》が、

《フレイヤ》上に接地する。

「……ここからじゃ、何も見えねぇな」

アレハンドロの漏らす声。

『この砂漠だ……

直接足を踏み入れれば、歩くより先に体が沈む』

モニター画面に映るダイが、そんなことをアレハンドロへ。

「じゃあ、ラクダでも連れて来るか?」

『……モビルスーツがラクダに乗れるか』

文句は言いつつも、顔は真面目なアレハンドロ。

レーダーとカメラとを交互に見比べ、敵の位置を確認している。

前者はともかく、後者は砂煙に邪魔されて、

座標上確認できる位置に、敵機の姿は見つけられない。

「一体、どこに……」

間もなく、

ラグネルの《ガイア》がモビルスーツデッキより飛び降りた。

4本足を操り、砂漠を走る《ガイア》。

「俺もあっちにしとくんだったよ」

『安心しろ。

他隊と合流できれば《ケトゥ》にでも乗せてもらえ……』

ダイが言いかけた瞬間に、《ガイア》が視界から消え、

ついでレーダーからも反応が消えた。

「おい……これェェ!?」

『くッ』

先に動いたのは、意外にもダイの方だった。

砂煙の方へ赤く太いビーム砲を撃ち込んだ。

高出力のビーム砲が砂を更に更に巻き上げて、

その一部は《フレイヤ》のみならず、

《アビス》にも《Im/A-P》にも砂がかかった。

「……嫌なシャワーだな」

漏らしたアレハンドロが一瞬だけ見た。

鮫(さめ)か鯱(しゃち)か、そんな類の顔をした黒い敵が、

獲物を咥えるように力なき灰色の《ガイア》を噛んでいた、

そんな姿を。

「おい!ダイ!!あれェェ!!!」

『あぁ、分かって……』

最後まで言わせてもらえなかった。

跳ねるように飛び上がった、この鮫。

今度はダイの《Im/A-P》へと噛みついた。

右腕、右肩を食い千切る。

構えていたビーム砲ガルムが切断されて、

《フレイヤ》の甲板に残される中、

ダイを乗せた本体は咥えられて、砂へと引き摺り込まれていく……

「おい!見たかよ?《フレイヤ》ァァ!!

今!今!ダイが砂の中へ…………」

『見えてるって!アレハンドロ!』

声を上げたのはパーディ。

「……なぁ、パーディ!砂って、海みたいだよな」

『なに……言ってんの?』

パーディは気付いていなかったが、ハビエルは違った。

『早まるんじゃないよ!アレハンドロ!

もうすぐ副長がそっち行くから、それまで待……』

アレハンドロは言い終わるまでさえ待てなかった。

空中で変身を遂げたモビルアーマー形態の《アビス》は、

砂の中へと飛び込んでいく。

「さあ……鬼が出るか?蛇が出るか?

ヘヘッ、やっぱり待ってるなんざ性に合わねぇ」

背中より突き出た2門のビーム砲を地に向け乱射する《アビス》。

手応えはない。

「……出てこいよ。鮫野郎ォォ!」

行ってる間に辿り着いた地面は固かった。

いや、砂であるから、固くはないのだが、

思ったほど柔らかくはないのである。

沈みはするが、水ほどスムーズではない。

水ほど好きに動けず、沈む度にただただ砂が重くのし掛かるだけ。

「おい、おい……冗談じゃねぇ……」

両肩のシールドを開こうとするが、持ち上がらない。

砂が重くのし掛かって。

「こんな……ところで……」

エンジンをかける。それでも沈んでいくのを止めきれない。

「……死ねるかよ!」



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PHASE-20 砂の海原(4/7)

『見えてると思うけど、

《インパルス》も《ガイア》も、一気にやられちゃったのよ。

《アビス》もあれじゃ動けないだろうし』

ハビエルの声である。

「……あぁ、俺にどうにかしろってんだろ?」

そう言いながら、俺は右、左とグローブをはめる。

『いけんの?』

「無理でも……どうにかしなきゃだろ?」

胸のファスナーを上げる。

『……分かってんじゃん』

「毎度思うぜ……アンタの旦那は苦労してんだろうなって」

ヘルメットに頭を通す。

『頼むよ……アンタも色々あんだろうけどさ』

「あぁ……色々あるよ。色々な」

モビルスーツデッキ、

シャッターが上がり、レールが延びていく。

「シン・アスカ……《ヴェスティージ》、行きます」

一気にレバーを倒し、空へと舞い上がった。

両翼を広げ、熱砂を見下ろす。

おおよその敵の位置をレーダー上で確認するが、

砂煙に遮られ、正確には分からない。だが……

「……この手の相手は、もう随分戦った後だ」

今回は、

ミラージュコロイドなんかでレーダーが反応してない訳じゃない。

むしろ、砂煙が巻き起こる方向を見れば、相手の進路が分かる。

「焦らなきゃ、何とでもいける……」

左肘を土台にビームライフルを構える。

左腕のクトゥルフが丁度いいバランスになり、

かつ右腕にクトゥルフがない分、手を回しやすい。

「トロのヤツに感謝しなきゃな」

『……そんなに邪魔でしたら、もう片方も外して差し上げますよ?』

そんな宣言と共に、頭上より一撃のビームが襲いかかる。

ギリギリで回避したが、危うかった。

何せレーダーの端ギリギリから己を狙っていた敵を、

俺は見落としていたのだから。

『流石に……この距離では無理でしたか』

距離を取りつつ、敵機を確認する。

正体は一目で分かった。

「《ドミンゴ》か」

青いボディに、赤いラインの入った《ドミンゴ》。

しかも、そこに乗っているのは……

『困りましてね。人使いの荒い上司で』

聞いた声である。

カトリーナ・スティーヴィンズは、

ザフト脱走兵は既にほとんどがナイルの神の勢力より去ったと、

話していたのであるが……

「……ホルローギン・バータルか」

『えぇ……どうも』

両手にサブマシンガンを構えていた《ドミンゴ》。

脇を引くような所作で、これを乱射する。

頭上より降り注ぐ雨のようなビームの列。

「……今更食らうかっての」

回避は簡単だった。動いていればほとんど当たらない。

「《インパルス》の俺と引き分けたアンタが、

今の俺に勝てると思ってんのか!?」

笑って挑発はしてみたものの、言い終わったところに口角が下がる。

内心下の敵が気になっていたのだから。

『勝てなくとも、足止めぐらいはね……』

マシンガンを落としてきた。

どちらかが偶然にも、《ヴェスティージ》の顔の上へ。

咄嗟に首を捻った。

別に何てことはない。

当たった後、少し跳ね返ってから、砂へと埋もれていくばかりで。

『……伊達に狼なんて呼ばれてませんから』

そう言い、《ドミンゴ》はビームサーベルを抜いた。




さて、戦艦《フレイヤ》の方は。
「……何してんだい。もう」
ハビエルがそう漏らすもやむ無し。
ドラグーンの砲撃が砂漠より何度も降り注いではいるが、
敵機には当たらない。
モビルスーツ隊は動けない。そして上で俺は……
「もっとバーンと一気にやれない訳?」
アルメイダは言うが。
「無差別に爆撃するとなると、味方を巻き込みかねません」
ゲルハルダスが冷徹に言い放つ。
「……アレハンドロは?ダイは?ラグネルは?」
アルメイダはなおも声を張り上げる。
「ダイとラグネルには反応がありません。
アレハンドロは……」
パーディが言葉に詰まる。
レーダー上には確かに《アビス》の反応は出ている。
「聞こえたら返事なさい!アレハンドロ!」
パーディが言うより先にハビエルが。
『副長が来るまで……待てって言いませんでした?』
そうアレハンドロの返答が。
「……聞いてたんなら、守りなさいな」
ハビエルは苦笑した。
「動ける?」
『させん……』
パーディの額にうっすら汗が流れ……


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PHASE-20 砂の海原(5/7)

──少し、アレハンドロの弁明をしておこう。

無様に自ら砂に飛び込み、勝手に埋もれたかに見えた彼であるが、

実際は少し違う。

それを《フレイヤ》クルーは映像で確認していた。

敵機……仮に《A》としよう。

まず、この《A》は着地してきた《ガイア》の脇腹を抉った。

実に鮮やかな手口だった。

正に抉るの弁に相応しく、コクピットから大きく削れた。

そこから《A》は玩具咥えた犬みたいに、頭上の敵を見据えた。

暇していた訳じゃない。

すぐに『玩具』はその辺に投げ捨ててしまって、

お次は飛び魚みたいに派手に跳ねた。

……中のパイロットがどうなるかもお構いなしに。

さて、飛び上がった《A》は先に《Im/A-P》を狙った。

ダイも馬鹿じゃないから、

敵が自分に迫っていると察して先に攻撃を仕掛けたが、

なるほど、この《A》という機体は堅いも堅い。

高出力のビームを半ば弾きながら飛び上がり、

《Im/A-P》に噛みつくのである。

ギリギリで回避できたのは、

ダイの腕か、

あるいは地面から艦に飛び付くまでの時間があったからか、

ともかくコクピットを直撃せずに済んだ。

だが、それまで。

腕を切り落とされ、返す刀で首根っこ噛まれて、重い砂の中へ。

潜る間際、荒っぽく首から胸、腹、そして左腿に至るまで、

《Im/A-P》を一直線に切り裂いたのである。

そうしているうちに、《A》の歯牙が《Im/A-P》より離れた。

ダイは最後の力を振り絞り、機体から上半身と下半身を分離、

中の航空機の姿になりながら、辛うじて脱出。

しかし、その頃には《A》の興味はもう《アビス》の方に移っていた。

覚悟を決めて飛び降りた《アビス》は、

確かに砂を進むには多少なりとも無理のある体ではあった。

けれども、アレハンドロは気付いていなかった。

ある時点でもって、敵《A》の座標が自分の上に来ていたこと、

自身が地に撃ち込んで巻き起こした砂煙と、

ダイが打ち込んだときの砂煙と、《A》が振り落とした砂と。

一気に背中に押し掛かり、砂に深く足を取られて……

そして《フレイヤ》クルーは見ていた。

《フレイヤ》のハイパードラグーンを紙一重にて回避しつつ、

沈みかけた《アビス》の頭を踏みつける《A》の姿を……『なあ……副艦長ゥ…………いや、パーディでもいいんだ。

聞いて…………もらえますか?』

沈みいく機体の中にあって、アレハンドロは呟いた。

『……俺の部屋、クローゼットの下の段の奥に酒が隠してある。

お好きに……どうぞ』

言葉の意図を先に察したのは、ハビエルで。

「……無理そうなのか?アレハンドロ」

ついついハビエルも前屈みになる。

『巣潜りみたいに深く飛び込んじまっちましたから……ね』

確かに、アレハンドロの喋り声の背後から、

砂の落ちる音が延々聞こえていた。

『……すまねぇ』

右手で顔を覆うハビエル。

パーディの肩も背もたれへと倒れていった。

「アンタの死に方にしゃ、らしいのかもね。アレハンドロ」

パーディの漏らす声。

『あぁ……俺はいつも…………結論を急いで……』

「無駄話は、それまでだよ」

ハビエルが言う。

その冷酷さを彼女自身もよく理解していたろう。

しかし、敵が攻めてきているのだから。

「副艦長、流石にそれは……」

ルアクが提言するも、

「各員警戒を怠るな!上空にて更なる敵機を確認したでしょう?

援軍の可能性もある。パーディはひとまず3大隊への連絡を!」

ハビエルは立ち上がり、毅然として指示を出す。

「副……艦長……」

「はい!」

このパーディの返答に、ルアクは驚いた。

パーディはすぐに仕事に取りかかる。

……溢れ出そうな涙を堪えながら。

『いいんだよ。ルアク……正しい。それが……正しい』

アレハンドロの声は健気であったが、声の節々に震えが。

「でっ……でも……」

「ルアク!アナタも策敵を怠らないで!」

ハビエルの指示に、

ルアクは顔を反らしながらも、静かに頷(うなづ)いて。

『ハハッ……ざまあねぇや。文字通り、墓穴を掘ったって訳で……』

アレハンドロは笑う。

『あぁ……砂の音が…………まるで、子守り歌みてぇに……』

そんな声を聞きながら、

シートに腰を下ろすハビエルの所作は重たかった。

(ごめんなさい……アレハンドロ……)

祈るように組んだ指。下がる顔。

……背後で開くドア。



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PHASE-20 砂の海原(6/7)

「何だよ……つまんねぇの」

そう男は笑っていた。

ブルース・G・ノーマン、仮称《A》のパイロットである。

「……ホルローギンのおっさん、張り切っちゃってさ。

あの《フリーダム》もどきは自分で仕留めるとか、そんなノリかよ。

困るんだよねぇ…………暇しちゃうじゃん」

止まる足、見渡す周囲。

先程まで彼に迫っていた、《フレイヤ》のハイパードラグーン4基は、

既に彼の足跡と共に、ガラクタとなって転がっていた。

「……コイツら、大したことなかったな。

戦艦も、モビルスーツも。何だよ……期待ハズレじゃん。

どうすっかなぁ……そろそろ、アレも落として……」

呟きながら見上げた空より、1機の《ゲルググ》が舞い降りて……

ブルースは、

「おおっ!?」

なんて声上げ、嬉しそうだった。

手には薙刀状に長く延びたビームサーベル。

そして分離した飛行機みたいなバックパック─フォルトゥーナ─が、

足場となって《ゲルググ》を移動させつつ、

搭載されたビームガンが《A》へと襲いかかかる。 

「知ってんぜ……テメェ、あれだろ?

《ゲルググ改》、確かパイロットはワイリー・スパーズ……

いいぜ。ブッ殺してやる」

そう挑発しつつも、何故だか《A》は一気に引き下がった。

その場にて横方向に旋回し、砂を撒き散らすと、

また視界から消えたのである。

彼は気付いていた。敵が単機ではないと。

レーダー上に記された敵の数は3。

1機は《ゲルググ改》として、

残り2機はというと、実になんでもない。《ジズ》である。

「……そっちはハズレか。まあ、いいや」

さて、土台ごと接近してくる《ゲルググ改》であるが、

ビームサーベルを船棹よろしく地面に突き刺し、そのまま前進する。

砂煙が起きるのは必定。

それは承知で、湖で底の深さを探るみたいに、

進む度に深く深く、サーベルを砂の下へ下へと。

進行方向へ、次第に巻き立つ砂の塔は高さを増して。

逆に《A》は後退を続け、退路に砂を残していく。

前へ押し出される砂と、後ろへ弾き出される砂。

ぶつかり合って波のように、《ゲルググ改》の顔に振りかかる。

どのくらい進んだろう?

沸き立つ砂の最上段が《ゲルググ改》の角の上を飛んで行った後で、

砂に紛れて《A》は噛み付いてきた。

歯牙……というのは、無論比喩である。

実際は3本からなるビームの牙。

齧歯目がごとき前歯1本と、ゾウ顔負けの下から上へ延びる牙が2本。

サメのような顔が上下大きく開く様は生きているみたいだった。

《ゲルググ改》も回避動作は取ったが、間に合わない。

フォルトゥーナを蹴って跳ねた瞬間には、

ビームサーベルを握る右手が犠牲になっていた。

だが、《ゲルググ改》も黙ってはない。

《A》が口の僅かな隙間に左手を押し込み、ギリギリで食らいついた。

モビルスーツ1機の体躯と体重が加わるのである。

思うようには動けない。

砂の中へ潜ろうとした《A》を、

フォルトゥーナに足を引っかけながら妨害してみせた。

「……ちッ!」

舌打ちしつつも、ノーマンの反応は早く。

口が大きく開き……今度は上下左右と4つへ分裂した。

いや、その口は、そのサメがごとき半身は、半身などではなかった。

《アビス》と同じ、4枚の実体シールドである。

下部分は更に下がって胸当てに、上部分はほぼ動かず後頭部を守り、

左右は両肩をカバーしていた。

ただ丸みを帯びた形状自体は独特であるが。

「離しやがれ!」

そう叫びながら、身を捻る。

両手にはいつの間に握られた1対のソード。

いや、フランベルジュと呼ぶべきか。

「そんなに離したくねぇなら…………刻んでやる」

フランベルジュとは、刀身が波打つ形状が特徴の剣。

その特異な刃の形態に合わせて展開されるビームの刃は、

右の刃が《ゲルググ改》の右腿を刻み、

左の刃が左腿に差し込まれる。

一撃で切り落とすような鋭さはない。ただ……

「この刃はジワジワと中に入っていく。

こんなもんでコクピットを貫いた日には、どうなると思う?

……均等には刺さらねぇだろうなぁ。

パイロットは俺が刃の角度を変える度に、

痛みに悶えながら、ジワジワ死んでくって訳だ。

実に……」

『……悪趣味な武器だな』

そう返答した声は、

《ゲルググ改》のパイロットによるものだったが……

「何か……若く……」



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PHASE-20 砂の海原(7/7)

さて、《フレイヤ》のブリッジ。
ドアが開いて、入ってきたのは、あのワイリー・スパーズであった。
車イスのタイヤが地面を擦る音が無言のブリッジに鳴り響く。
「……いやぁ、困ったもんだぜ。
若いのに、玩具取り上げられちゃってさ」
冗談めかしく、そう笑うワイリー。
「……えっ?」
ルアクは驚いていた。
「今……《ゲルググ》で戦ってんのって……」
「気付かなかったのかよ?色が違うだろ。色が」
「相手はびょうに……」
言いかけて言葉に詰まるルアク。
ワイリーは右手で車イスの肘掛けを自慢げに叩いた。
「……自慢することじゃないでしょう。まったく」
コメカミをかきながらハビエルが苦笑する。
「まあ……確かに、
小隊を動かせるダスティンが出てくれたのは有り難かったけど……」
ハビエルとワイリー、見合わす顔。
「隊長!ここは……」
とハビエル。アルメイダの顔色を窺うが……
「……隊長?」
部屋の中央、艦長の椅子に腰掛けたルシア・アルメイダは、
肘つき、顔を隠し、恐らく……
「……寝てらぁ」


『テメェ……』

赤き《ゲルググ改》と対峙したノーマン。

「改めて名乗らせてもらうよ……ダスティン・ホーク。

君らの仲間ユウ・アカエを倒した者だ」

そう《ゲルググ改》のパイロットにてダスティンは笑っていた。

前の戦いで負った腕と頭の傷はそのままに。

隠すように上からパイロットスーツを着込んで。

『……チッ』

ノーマンが剣を抜き、引き下がる。

1秒遅れて、フォルトゥーナが上から《A》のあった座標を爆撃。

更に後退した《A》を追跡し、爆撃を続ける。

《ゲルググ改》の方は左手にビームサーベルを構えると、

少しでもカモフラージュすべく、斜めに構えつつ右に動いた。

《A》の胸からは大出力のビームが放たれ、

《ゲルググ改》本体を容赦なく襲う。

当然これはビームシールドで防ぐが、

余波が《ゲルググ》の体を押し返し、

飛び散ったビームの一部が足やら顔を傷付ける。

その間もフォルトゥーナの爆撃は続いているから、

《A》は徐々に徐々に後ろへと引いていた。

さてビーム砲が撃ち尽くされた瞬間、《A》の姿は砂の奥に消えた。

モグラの進路がごとく砂を盛り上げながら、再度近付く《A》。

当然ビームサーベルで上から刺すダスティンだが、

刺したところにはいなかった。

一歩左に外れたところから、あのサメ形態にて飛びかかる。

だが……

『なッ!』

飛び出した頭を、

スウェーバック気味に《ゲルググ改》が回避した瞬間、

その体の上を旋回しながら飛んできたビームサーベルが、

サメの下顎を貫いた。

『《ジズ》が手持ちのビームサーベルなど……』

呟きながらも、レーダー上で既にノーマンは捉えていた。

対角線上に立つ1機のモビルスーツ。

小脇を《ジズ》に抱えられながらも、

自分の足で確かに砂の上に立っていた《アビス》の姿を。

『こんのぅ……死に損ないがぁぁぁぁ!!』

《A》の口から何本もの管が見えた。ビーム砲らしい。

赤や緑に発光を開始するが……

「ボクを忘れてもらっちゃ困るね」

そう《ゲルググ改》の左腕からサーベルが振り下ろされ、

上顎に一撃、前歯が2つに割れる。

ただ、そのとき既に回避動作を取っていた《A》。

それ以上のダメージは与えられず、また地中に潜られてしまった。

『やりましたか?小隊長!』

「いや、逃げられた」

心なしか《アビス》らの方に向いた《ゲルググ改》の体。

『警戒怠るな!敵は……』

ハビエルがわざわざ勧告したが、

せずともレーダー上に表示されていた敵《A》の位置。

《A》は砂を隔てた地の中、丁度彼らの真下に……

「あぁ……この下に……」

近付くフォルトゥーナ。

エイのような体についた2門の砲口が下を向き、

《ゲルググ改》本体が後方に飛んだ瞬間、火を吹き、砂を掘り返す。

砂煙が視界を遮る。だがレーダーは確かに捉えていた。

砲撃に堪らず、飛び出した敵《A》の姿。両手にあのフランベルジュ。

左腕のサーベルを胸の前に構えて、警戒する。

やがて砂煙の勢い弱まり、

モビルスーツ形態となった《A》のシルエットが煙の中に浮かぶ。

瞬間、欠けた右肘を土台に見立てて、左腕を乗せると、

突きのモーションで煙の中へ飛び込んだ《ゲルググ改》。

影が見えたは敵も同じか。

《A》がフランベルジュを振るい、組まれた両腕を殴りつけると、

サーベルを振り落とした。

光を失い、砂へと落ちていくサーベルの柄。

『ヒッ……』

と上げたノーマンの笑い声は一瞬にて止み、

《A》の影は膝から地に倒れた。

砂煙が収まるは、正にその直後のこと。

後にはビームサーベルを振り下ろした姿で立つ、

アレハンドロがいた。



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PHASE-21 砂塵舞う空(1/7)

『フフッ……どうやら……ケリがついた、ようで……』
ホルローギンは笑っていた。
俺の、この《ヴェスティージ》の銃口を向けられながら、
なおもホルローギンは動じない様子。
『下も……』
足下では《アビス》の一撃に、《A》が膝より崩れている一幕。
《ヴェスティージ》と《ドミンゴ》、
2機の首はどちらも心なしか下を向いてみえた。
『……こちらも』
そう語る《ドミンゴ》の右腕の肘から下はない。
俺はゆっくりライフルを下ろした。
「……投降しろ」
ホルローギンは即答を避けた。
傷口をなぞるように、《ドミンゴ》の左手が右肘を撫でている。
『何と……言うべきでしょうか』
1音1音がゆっくりと発せられる。
時間稼ぎがされていると、即座に気付いた。
「悪いが、ここは戦場だ。愚痴ならムショで聞いてやる」
『……いえ。そう長々話す必要もなかったようだ』
「何を言って……」
説明を求めるより先に、悲鳴が現実を突き付ける。
「……アレハンドロ」
……その覚悟がなかった訳ではない。
ヴィトー・ルカーニアも語っていた。
【唯一正しき神様ってヤツは、とんでもなく気分屋なんだよ。
だから人間を選り好みする。たまにいるんだよ。
神様に、いや、それか、時代に選ばれたようなヤツがよぉ……
そして、そういうヤツは大抵……楽には死ねない】
だが、自分でも驚くほど俺は動揺していた。
不利を悟り撤退するホルローギンを、追えないくらいに。


考えれば単純な話である。

片膝ついた《A》の背中には、深くはないが1本線の傷。

フランベルジュが杖のように体重を支え、

砂へと刃を埋もれさせていく。

これは、右腕が抱くフランベルジュ。

左腕のフランベルジュは肩に乗り、光の刃を形成していない。

ダスティンに油断はなかった。

本体の方は砂に沈んだビームサーベルに手を伸ばし、

フォルトゥーナは追撃を加えるべく銃口を合わせる。

アレハンドロとて、そう。胸のビーム砲が光を放ち始めていた。

どちらにも抜かりはなかった。ただ……

『……相手が俺でなきゃな』

ノーマンが漏らしたときには、体の方はもう動いていた。

肩のフランベルジュがそのまま後ろへと伸ばされ、

いつの間にやら光を帯びて、終いには《アビス》の脇腹を抉った。

幾度も折れ曲がった刃がコクピットに当たり、

1度目か2度目の折れ曲がりで、まず外壁を削り落としたかと思うと、

3度目にはコクピットの内側に到達、

そこから深く深く中へと刃が入っていく。

【こんなもんでコクピットを貫いた日には、どうなると思う?

……均等には刺さらねぇだろうなぁ。

パイロットは俺が刃の角度を変える度に、

痛みに悶えながら、ジワジワ死んでくって訳だ】

そう語っていたのはノーマン本人。

刃が《アビス》に入っていってから、やがてその手が止まるまで、

10秒程度は時間があったと思われる。

その間、《アビス》はまるで動けなかった。

胸の灯りはすぐに消え、足からは力が抜け、足先が砂を被った。

「アッ…………アレハンドロくん!」

ダスティンは叫んでいた。

そうしている内に腹より刃が引かれた。

抜き去られた刃を濡らしていたのは、血かオイルか。

刃の血を舌で撫でるみたいに、自身の顔に押し当てる《A》。

「ふざけ…………やがってェェ!!!」

頭上よりフォルトゥーナのビームが降り注ぐ。

《ゲルググ改》の指はもうサーベルの柄を掴んでいた。

とはいえ、むざむざ食らう《A》ではなく。

『……遅ぇよ!』

血のついたフランベルジュが《ゲルググ改》の指を押し潰し、

杖のように置いていた方のフランベルジュが腹を押し出した。

突き飛ばされた《ゲルググ改》は無様にも、

数メートルを転がりながら、うっすら砂を被った。

コクピットの中では、

上下左右に揺れる中、傷口は開き、顔には血が滴(したた)る。

意識すらも遠退いて……

「待てよ……この…………やろう……」

血に押されて下がった目蓋、徐々に小さくなる声。

『おい!ダスティン!聞こえるか?聞こえていたら返事しろ!』

なんて俺の呼び声などは届かずに……



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PHASE-21 砂塵舞う空(2/7)

『手間取らせ……やがって……』

ノーマンの息は乱れていた。

『無茶するからだ。「一人でやる」なんて大見得切って』

近くにいる味方か?それとも母艦のクルーか?

とにかく誰かと話している。女らしい。

『現に……やれた……だろうが…………くそったれ』

荒い息で吐く強がりには、到底力は籠っていなかった。

『ホルローギンさんは、もう引いたぞ?』

『関係あるか!あんなジジィ。大体……』

そんな話をしている最中だったが、

ピーピー鳴るレーダーが会話を止めた。

『……使えねぇジジィだよ。まったく』

そこに映っていたのは、他でもない俺の《ヴェスティージ》で。

『よせ!流石にノーマンでもヤツには……』

『るせぇ!』

両手を下ろした、対象《A》。ボクサーのノーガード戦法みたいに。

『《ドミンゴ》と一緒にすんな!

この《アビス》はな!《アビス》はな……』

《A》、いや敵《アビス》の右足が少し後ろに下がったのが見えた。

『……最強なんだよ!』

2本のフランベルジュが一気に俺へと襲いかかってくる。

いや、一気に、ではないか。

右が少し早く、左が少し遅れて突き出された。

大したヤツだ。

先に出た右は刃を立てて面でぶつけて来ようとしている。

これで俺の視界の一部を遮り、左の刃の正確な位置を悟らせない。

かつ盾の役割も兼ねてるって訳だ。

無造作に見えて、意識的か無意識か、細かいマネをしてくる。

ビームライフルでは有効打にはならないし、

背中のモビィ・ディックでは近付き過ぎて狙いをつける暇がない。

動きも早い。アレハンドロの《アビス》以上。

恐らくカタログスペックがそもそも上なのだろうが。

この状況を一気に打開してくれそうなクトゥルフは……

残念ながら先程のホルローギンとの戦いで刺され、壊された。

とすれば狙うは……

「……俺はサムライじゃねぇのによ」

サムライ……そのフレーズにヤツが想像したのは……

『ざけんじゃねぇ』

白刃取りでもされると思ったのだろう。

その場で手首を返し、右の刃を回し始めた。

『やってみろよ?やれもんなら!!』

……完全に勘違いしてやがった。哀れと言いたくなるまである。

いや、あんな一言で推理し、当てろという方が無理か?

「あぁ……やらせてもらう」

余裕そうに笑っていたのは、今考えれば妙なことで。

不思議と怒りは湧いて来ていなかった。

ダスティンとアレハンドロなら無事だと思っていたのか?

ジョーンのときと違い、直接見てないからか?

ともかく冷静な自分が少しだけ怖かった。

これから人を殺すかもしれないのに、どうして俺はこんなに冷静で……

無論、そのときはかくも悠長に考える暇はなかったが。

「だが……」

空手の構えみたいだった。何も持たない両手が胸の前にあって。

ついで許しを乞うよう腕を上へ上げる。

少しでも動揺を誘いたかったが、意味はなかった。

とはいえ、それでもいい。

もう既に敵は勝手に罠にかかってる。

「……うおおおお!」

叫びに意味などないが、自然と声が出ていた。

両手をそのまま背中に回して振りかぶり、勢いよく振り下ろした。

ものは言わずと知れた慈悲の剣、カーテナである。

まさか攻勢に出るとは思わなかったのか、

ノーマンの動きは少し遅かった。

体の方はまだしも、フランベルジュの方はどうにもならず、

上から叩かれた2本が一気にへし折れる。

「……あんまりサムライチックでもなかったな」

なんて笑ってられるのは一瞬。すぐに反撃が飛んでくる。

その場で剣を捨てて可変したかと思うと、

例のサメ頭がこちらを向き、口を光らせる。

そんな手は食うかとばかりに、口に刃をねじ込むが……

『ビームじゃ、ねぇよ』

そこから起こったことは、正直驚きを隠せなかった。

この暑い暑い砂漠で、刃が……凍った。

「何で、こんなこと……マンガでも、ねぇのに」

『今だ!殺れ!パー!』

ノーマンが叫んだ瞬間……

『だから、よせと言ったんだ』



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PHASE-21 砂塵舞う空(3/7)

我ながら、早い対処だったと思う。カーテナを手放した。
と同時に、左手にビームシールドを展開、コクピットを守る。
警戒はしていた。準備も。だが……
『ムダだぜ、そんなこと』
ノーマンの笑う意図を理解するまで、何秒とはかからなかった。
空間を歪ませるような風の流れが、
こちらに迫る弾丸の存在を知らせる。
実弾らしい。
守る必要すらない……と思ったとき、既に着弾していた。
散弾らしい。
シールドか腕かに弾丸がめり込むような衝撃。腕が曲がった。
実弾兵器を無効化するフェイズシフト装甲が、である。
無効化せぬまま、《ヴェスティージ》を吹き飛ばし、
砂に埋もれながら後退りに追い込まれる足、そのうち膝から崩れた。
『やっぱ……すげぇ威力だな。こいつは』
ノーマンの声が聞こえている。
『……早く退くぞ。こんなものは子ども騙しだ』
パー・ウァーリィ……と思われる女性の声がこれに応じて。
俺は追撃に出たかったが、そうもいかなかった。
コクピットでは、機械系統が一気にスパークを起こしていた。
外の画面は見えず、どこを弄っても機体が動く気配がない。
聞こえてきた2人の声にしてもノイズ混じり。
『2度は……通用しない』
よく壊れたテレビは叩けば直るなんて俗信があるが、
そんな風に、キーボードを殴るように叩いた。
……案外、やってみるもんだな。
『……ヤツの目は、死んでいない』
パーってのは気付いていたらしかった。
左手をダラリと垂らしながらも、起き上がる、
この《ヴェスティージ》に。
『へっ、トドメ刺してやるッ』
復活した画面に最初に映ったのは、ノーマンの《アビス》の姿である。
手にはまだ折れたフランベルジュが握られている。
折れてリーチは短くなったとはいえ、元から折れ曲がっていることで、
未だ刃としての機能を失ってはいない。
刃は、ものの1、2秒で俺のところまで届くだろう。 
画面が復旧するまでの時間で、相手に近付かれ過ぎた。
反撃の手は……
「……一か八か」


 

「賭けに出るには……リスクも高く、かつリターンもない」

『……それが撤退の理由か?ホルローギン・バータル』

「アナタでも……同じ判断をしたでしょう?ルチアーノ長官」

そう話すホルローギンは、《ドミンゴ》のコクピットにおり、

彼の機体は今、敵はおろか味方もいない砂漠の上を飛んでいた。

『いいのか?かの神に恩を売れたかも知れぬものを』

「シン・アスカ1人の首では……恩にも何にもなりますまい。

ザフトは何も彼の1人で、

ここのところの戦いに勝ってきた訳じゃありませんし。

生憎、私はクールカ隊長ほど殊勝でもない。

遠くない未来に滅びる偽りの神を信心したりなど……ね」

『……やはり、そう思うか?』

ホルローギンの糸みたいに細い目が見開かれる。

団栗(どんぐり)ぐらいにゃ、見えただろうか?

「いいのですか?こんな会話……

私はともかく、ルチアーノ長官。アナタの方は」

『特殊なプライベート回線だ。傍受はされない。

私もね、それぐらいの準備はしているさ』

「……なら、いいのですがね」

目をゆっくり閉じつつ、口を結んだホルローギン。

『君の目にはどう見えた?ナイルの神の私兵とやらは』

「彼らは優秀な戦士ではありました。

だが、戦いの本質を理解しているのは、私に言わせれば1人だけ。

1人しかいない」

『是非……聞いてみたいものだな。

その昔、まともなザフトの補給拠点もないアラスカやシベリアで、

敵基地を叩いては物資を奪い、

やがては終戦すら知らずに、かれこれ2年も荒らし回った……

ついたアダ名が「氷原の狼」』

ホルローギンは話は聞きながらも、

手元のレーダーへ映る、

およそ数キロ先より迫る10機あまりの《ジズ》の方へ、

目線は向いていた。

「もう10年近くも昔の話ですよ。

それに、そんな話をし出したら、アナタとて……」

『フフッ……そんな君が思う戦いの本質とは?』

「少し仰々しく言い過ぎたかもしれませんね。本質などと……

しかし、あながち間違いとは思いませんよ」

語りながらも、手にはビームライフルを握っている。

モビルスーツの足にとって数キロなど、

短距離走にもなりゃしない。

まして《ジズ》という飛行能力を有した機体にとっては。

恐らく索敵・偵察に特化したと思われる、

背中に大きなレドーム背負った改修型の《ジズ》が、

1番にゴールテープを切らんとしていた。

ミラージュコロイドに守られたステルス機らしい。

見えてもいないし、レーダーにも映ってはいないが、

陽炎のような微かな空間の歪み、

見逃すにはホルローギンの目が少々良すぎた。

何より、この奥に控えていた2番目のランナー、

ノーマルの《ジズ》の姿が重なって、

妙な凹凸を持ってホルローギンの目に見えていたのが、

決め手となった。

これに少し離れる形で3、4番目がおり、

更に後方は目視では見えぬながら、

レーダーにて、数機が連なっているのが分かる。

「……これは、証明した方が早いようだ」



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PHASE-21 砂塵舞う空(4/7)

少し、嘘を言ったかもしれない。

それはビームガトリング砲クトゥルフについて。

刺し壊されたといったが、厳密なところ、少し状況は違う。

確かに壊れていた。砲口が切り落とされているのである。

口がないというのが、どういうことか?

ビーム弾を撃てるのか?

いや仮に撃てたとして、敵の方へ飛んでいくかどうか……

だが、悩んでいる暇はない。

「一か、八か」

先程の攻撃で左手は更に損傷している。

ひとりでには持ち上がらない。慌てて右手を添えて、放つ。

奇しくもフランベルジュの刃先が、左の拳に接した瞬間だった。

ボロボロになったガトリングがゆっくり回転を始める。

『……ノーマン!』

女が叫んだときには、もう遅い。

傷付いたガトリングは見境なしに火の粉を降らした。

俺の左足も右手も傷つけられて、

支えを失った左手は、砂地に風穴をいくつも残しながら、

ガトリング自体も砂の中へと埋もれていくのだった。

さて、ノーマンの方はというと、

『……いでぇ』

そう声が出るくらいだ。死んではない。

だが、ダメージは致命的とみえて。

両腕は穴だらけになって削れ落ち、コクピットを含め、

全身に大小の穴が無数に空いている。

背中から受け身のひとつも取れぬままに倒れてしまい、

悶(もだ)えるように身を捩(よじ)る。

『殺す!殺して……やるぅ!!』

砂漠の熱に溶かされて、ヤツの口からカーテナが落ちる。

息巻くヤツの言葉はあながち誤りではなく。

ヤツにはまだ牙が残っている。光の牙が。

砂を蹴り、跳ねればまだ……俺に止めを刺せる。

対して俺が出来るのは……

「……2度も賭けに出るなんてよ」

右手左足は焼け焦げて、ほぼ使い物にならない。

ならば、後は右足に頼るしかない。

「死ぬのは、オマエだ!」

ボールを蹴るように、カーテナを柄から思いっきり蹴り上げた。

……息巻いたものの、

そんなやり方で正確な敵の位置を狙えないのは、

俺が一番よく分かっていた。

出来たのは、首を突き貫き、頭を落とさせることだけ。

だが、それで十分ではあった。

「俺の……勝ち、だな」

『クソッタレェェェェェ!』

ノーマンがそう声を挙げたときには、思わず笑みも溢れたが。

『やれェ!パァー!今ならッ!殺れるゥ!』

……忘れていた訳ではない。

だが、もう一人の女をも制するほどには、流石に余裕がなく。

『アンタは、いつも私任せじゃないか。まったく』

そう答えたと同時に、足音が聞こえ出す。重い足音だが、速い。

当然、死を覚悟した。

「……ここまでか」

だが……

どうやら神様ってヤツはルカーニアの言う通り気まぐれらしい。

『私は霧になって……オマエを、呪う……』

砂を伝う震動。

モビルスーツが膝から崩れ落ちる様が目に浮かぶようであったが。

事実、目視することとなった。

カニがごとき鎧に守られた1機のモビルスーツが、

正に甲羅のような装甲の隙間を抜く形にて、

ビームサーベルを突き立てられ、倒れ込む姿が。

『パー!テメェ……テメェ、なんでだァァ!なんでェ!』

パー・ウァーリィを乗せていたと思われる機体は、爆発炎上。

その煙の中をこちらに向けて歩き、近付くのは、

もう1機の《アビス》だった。

『何で生きてェんだよォォッ!!』

アレハンドロの《アビス》である。

腹は大きく抉れ、フェイズシフトはダウン、灰色の体で、

しかし確かにそこに立っていた。

「アレハンドロ……オマエよく……」

思わず、相好が崩れたが。

『……Cabrán(カブロン)!』

そう笑うアレハンドロの声は掠れていた。

死にかけた犬のような声だった。

瞬間、緩んだ頬が一気に引き締まった。

「アレハンドロ、オマエ……」

次の瞬間にはもう、アレハンドロの《アビス》は立っていなかった。

顔から砂に埋もれるように倒れていた。




「戦いの本質とは……生き残ることですよ。どんな手を使ってもね」
ホルローギン・バータルは笑う。
『お手並み拝見だな』
ルチアーノの問いかけに、ホルローギンは応じず、
ただ即座にビームライフルを投げ捨てた。
続けて左手をゆっくり上げる。
透明化した偵察型の《ジズ》を、
後(おく)れ馳(ば)せながら守るように、
2機の《ジズ》がこの機の前に立ちはだかった。
片方は腕にビーム砲を抱いて、砲口をホルローギンに向ける。
もう片方はビームサーベルを構えて1歩前へ。
だが……
「……投降します。命は助けてください」 


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PHASE-21 砂塵舞う空(5/7)

ブルース・G・ノーマンは、すぐに動いた。
砕かれた両腕が小さく折り畳まれ、魚のヒレのようになる。
いや、モグラの手みたいだったかもしれない。
何せまじまじと見ちゃいなかった。
砂を掘り返し、逃走を図る《アビス》。
追撃を……と前に出たときには、少し遅かった。
背中のモビィ・ディックはすぐに起動したが、
狙いをつけようにも砂煙が視界を遮る。
駄目で元々とばかりに撃ち込んでみたところで、当たりはしない。
頭にあるのは……
【また……守れなかったね?『お兄ちゃん』】
あの女のそんな言葉で。
目の前にあるのは、
《インパルス》、《ガイア》、《アビス》の残骸だった。


「生きてこその物種と、昔から言いますからね」

ホルローギン・バータルは笑う。

砲口を向けられてもなお。

『解(げ)せないな』

敵のパイロットらしき男の声が応じる。

『青に赤のライン……そして、その機体、

ホルローギン・バータル殿とお見受けするが?』

「意外に有名なのですね。私は」

『アーモリー・ワンでの戦闘データで確認した。

貴方ほどの実力を以てすれば……』

ゴクリと唾を飲む音が割に大きい音として聞こえて。

『……我々10機余り、切り伏せるは容易(たやす)い筈だ』

ホルローギンの金色の瞳がそう呼ばれた一瞬だけ、

正に狼のようにギラリと輝いた。

「えぇ……」

などとホルローギンが宣(のたま)えば、

敵パイロット連中の動揺が鼻息から返ってくる。

対するホルローギンの表情は優しげで、

開いた眼がまたも線がごとく細くなる。

「……万全の状態、でしたらね」

《ドミンゴ》の右手が、左肘を摩(さす)る素振りを見せる。

「見ての通り、腕はなく、

武器も先程捨てたビームライフルが最後。

……ついでにエネルギーの方も、あまり残っていない。

お手上げってヤツですよ。文字通りのね」

そう笑いながら、

《ドミンゴ》は背中でゴスッと妙な音を立てたかと思うと、

機体は突如として下降を始める。

まるで必死に立って歩いていたヤツが、

ついに力を失い、倒れていくみたいに。

最前列でサーベル構えていた《ジズ》が、

肩を貸すように前に出て、寄り添った。

「すみませんね……」

右手で《ジズ》の肩に捕まる《ドミンゴ》。

『信用して……いいのですかね?フォーコレ隊長』

彼らがホルローギンを知っていたように、

ホルローギンもまた、敵の名を知っていた。

(ゴーヴァン・メ・フォーコレ……

確か、『雨の髪のフォーコレ』でしたか)

『……手を貸してやれ』

それがフォーコレの回答であった。しかし、

(フォーコレ隊長とやら……どの機体に乗っているのでしょう?)

二つ名をつけて呼ばれる男にしては、

それらしい派手なモビルスーツがそこにいる訳でもなく。

「感謝いたしますよ。フォーコレ隊長殿」

返事はなかった。

肩を貸した1機だけでなく、もう1機もホルローギンに肩を貸す。

だが、そこで一瞬、ホルローギンが右手を離した為に、

動きが止まり、警戒が走る。

「いやぁ……やはり無理はありましたね。こんなものは」

ホルローギンはそう呑気に笑いながら、腰を叩いて見せる。

そこには本来《ドミンゴ》にはない、スカートのような部位があり。

「これ……なんとかスカートと言うそうですが、

本来長時間飛行できないこの手のモビルスーツを、

継続的に飛行するよう調整したとかいう代物らしいのですがね……

実に残念だ。燃費がどうも悪くて。

まあ、ドダイよりはよっぽど使いやすいのは、事実ですがね」

『そっ……そうですか。アハハハハ』

笑い声に感情が籠っていない。

下手な愛想笑いを続けつつ、

もう1機も恐る恐るホルローギンに肩を貸した。

「いやぁ……有り難い、有り難い。何と……礼を述べていいやら」

『いえ、いえ……』

「……残念だ。本当に」

そう語ると共に、ホルローギンの口角がゆっくり落ちる。

『……はい?』

聞き返したパイロットは、真相を知ることは出来なかった。

《ドミンゴ》の右手が奪ったビームサーベルに、

貫かれてしまったのだから。

「残念だ……殺さなければならないのが」



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PHASE-21 砂塵舞う空(6/7)

サーベルに貫かれた、1機の《ジズ》。

これを容赦なく足蹴にすると、《ドミンゴ》は、

同じ剣を片手に、もう1機の《ジズ》の背後を取る。

『オマエッ……』

「おっと……動かないでもらえますかね?」

そう言い、刃を下から《ジズ》の首にあてる《ドミンゴ》。

「およそ、見れば分かる光景でしょうが……」

これは人質だ、返して欲しくば……とでも、言いたかったのだろうが。

しかし、言うより先に、敵に動きが。

「……これは酷い」

後方より放たれたビーム砲。だが、《ジズ》のものである。

どうしても届くまでに時間がかかってしまう。

《ドミンゴ》はすぐに人質を手繰り寄せ、回避した。

それだけじゃない。

捨てたと思われていたビームライフルが姿を現す。

それは丁度、足に付随していたコンテナの口に銃口を引っかける形で、

そこに残っていたのである。

ビームサーベルをコインのように高く放ったかと思うと、

敵の攻撃を回避しつつ、ライフルに持ち換え、瞬時に反撃。

相手のビームが撃ち終わらぬうちに喉(のど)に1発、

続けて顎(あご)、眉間と計3発を撃ち込んだ。

「嫌ですねぇ。狙撃は私の専門じゃない」

そう言いながらライフルを持ちかえ、銃口を掴むと、

何もない方へと投げつける。

いや、何もない『ように見えた』方というのが正確か。

ゴツンと音がして、見えない何かにぶつかったらしいライフルが、

弾かれ落ちる。

奇しくもそれは大きく振り上げられた、かのサーベルが、

彼の手へと戻るタイミングで。

「……そこか」

《ドミンゴ》は《ジズ》を盾にしつつ一気に前進すると、

回避に動いたであろう透明な《ジズ》にこれをぶつける。

次はゴツンなんて間抜けた音じゃない。

ドンと激しく空気を振動させた。

サンドイッチみたいに2機の《ジズ》と《ドミンゴ》が相対す。

そして『盾』の隙間を抜いて、サーベルで敵を貫いた。

機体は爆発炎上、ここに来てようやく露(あらわ)となる姿。

大きなレドームが目につく。

「隠れるには……こちらの方が向いていたかもしれませんね」

なんて笑うホルローギンだが、

そう余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)とはいかなかった。

爆発の煙に紛れて近付く、1機の《ジズ》。

いや、レーダー上の反応からホルローギンは見落としていた。

確かに《ジズ》には違いない。しかし、

(《ジズ》にしては速すぎる)

側面を突く形で、繰り出された銃撃が、

《ドミンゴ》の首を吹き飛ばした。

続いて咄嗟(とっさ)に《ジズ》を突き飛ばし、

2度目のサンドイッチ。慌てて敵との距離を取るホルローギン。

「なるほど……

流石は『雨の髪のフォーコレ』、と言ったところでしょうか?」

『逃がさん』

「いや、逃げさせてもらいますよ」

《ドミンゴ》は力を抜き、砂の上へと落ちていった。

下では砂煙が巻き起こっていた。すなわち……

『使えねぇジジィだな。クソが』

「……お陰で私は助かりましたよ。Mr.ノーマン」

《アビス》のヒレのような腕に掴まり、

ホルローギンは逃げて行った。




「流石は狼……狼藉はお手のものというところか」
そう微笑み、マイクからゆっくり口を離したシーザー・ルチアーノ。
その背中に銃口が押し当てられた。
ゆっくり顔の半分だけ背後に向けて、確認するシーザー。
相手はすぐに肩を押してシーザーの顔を前へ向けさせる。
「テーザー銃とは、珍しいね」
水鉄砲のような派手な黄色の外観が特徴的な、拳銃タイプのスタンガン。
シーザーの背に接していたのは、そんなものだった。
「……そんなことをお聞きしているのではありません」
そう応じたのは、若い男性の声で。
「忠告を……聞いておくべきだったな」
「まったくです。
回線の方は確かにジャックできませんでしたが、
監視カメラが確かにアナタの姿を捉えていた。アナタの姿と、声をです。
『やはり、そう思うか?』などと述べ、
この回線からは聞こえないと釈明していたご様子。
一体、何をお話されていたのか。
事と次第によっては……ただでは済みませんよ?」
「『ただでは済まない』か……」
シーザーは自身の禿げ頭を軽く撫で、ニヤリと笑った。 
「精々、ビリビリするだけだろう?フー・ソクティス麻酔医。
いや、ソクティス大尉と呼ぶべきか?」


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PHASE-21 砂塵舞う空(7/7)

数時間後、トブルクに向かう《フレイヤ》、その艦内にて。

医務室は随分な騒ぎとなっていた。

ラグネル、ダスティン、アレハンドロが立て続けに運び込まれる。

ラグネルには大きな外傷は見られない。

ただ高所から叩き付けられた形になる分、

その衝撃で何本か骨折していたようだ。

ダスティンについても、傷が開いたのはあるものの、

深手は負っていない。

問題はアレハンドロである。

例のフランベルジュに刻まれ、

右の脇腹から右腿に至るまで大きく肉が抉(えぐ)れている。

出血多量。かつ意識もなしと来ている。

アレハンドロ、アレハンドロと叫ぶパーディの声がこだました。

7、8人の医師・看護師に取り囲まれたアレハンドロのベッドが、

『集中治療室』の看板下がる別室へと運び込まれると、

ドアは閉じられて、中の様子など見えなくなる。

パーディも看護師に制され、中には入れなかった。

閉ざされた厚い鉄製のドア、その取っ手を軽くなぞるパーディ。

その肩は後ろ姿からも分かる程、下がっていた。

そんな背中を見つめる視線。

それは窓際のベッドに横たわっていたダイのもので。彼は、

「……うるせぇな」

なんて漏らしながら、寝返りを打った。

寝返りを打った拍子に彼は見ることになる。

窓とベッドとの少しばかり空いた隙間に立ち、

その左手を背中の後ろ、窓の枠に置いた女を。

「……アンタ」

答えるより先に、右手の人差し指がダイの頬をなぞった。

「アナタは大丈夫そうね?ダイくん」

大丈夫そうとはいえど、

ダイの両手は骨折により包帯でグルグル巻きにされている。

指を払い除(の)けることはできない。

せめてもの抵抗としてか、ダイは再度寝返りを打った。

女の細い指が頬を離れる。

「……これで、大丈夫に見えるかよ」

顔は天井に向いていたけれど、目は窓の方を向いていて。

窓枠が鏡代わりにダイの姿を映し出していた。

「眼窩底骨折(がんかていこっせつ)……だったか」

右目の目蓋が降りており、かつ赤く染まっていた。

「……他にも色々言われたよ。あちこち骨折とか、打撲とかな」

「そうなんだァ~」

間の抜けた返事である。

「お大事に」

そう言いながら、ダイの長い前髪を撫でるようにかきあげ、

額を出させると、そこへキスをした。

「元気になったら……また相手してあげる」

耳元にそう言い残すと、女はステップ気味に去っていった。

「おい、アンジェリカっての……」

包帯に覆われた手に体重を支えさせ、ゆっくり上半身を起こす。

苦悶の表情を浮かべるのは、

手の痛みゆえか、それとも節々の痛みゆえか。

ともかく苦しみに耐えて起き上がり、

去り行くかの踊り子が後ろ姿でも探そうとしたとき、

医務室から廊下へと抜ける開かれたドアの外にいたのは、

ビンタンではなく、ヴァイデフェルトだった。




結局、トブルクの攻防戦にアルメイダ隊は加わらなかった。
……加われなかったの間違いじゃないかって?
ともかく、トブルクは我々の力なくして半日にして陥落した。
6月21日。朝。
トブルク陥落の報がジブラルタルに伝えられたとき、
方面軍司令官ヴィトー・ルカーニアと、
そのナンバー2のアントン・ランスキーは、
フィロパトル・アルシノエら部下たちに囲まれ、
5メートルはあろうかという縦長のテーブルを経て、
相対していた。
そそくさとランスキーは肉を切り分け、口に運ぶ。
下唇が赤黒く染まるのも気にせずに。
ルカーニアはワインを飲んでいた。
空になったグラスをテーブルに置けば、
フィロパトルが脇に控えていて、これに足す。
「ンフッ」
なんて、文字にするのも滑稽ではあるけれど。
鼻を鳴らし、頭上を見上げるルカーニア。
腰はうっすら背もたれより離れ、首の方が上からのし掛かる。
「エジプトは……大変らしいじゃねぇか。フィロパトル」
「また『災厄』に襲われたそうですよ?」
「現代のモーセ様も、随分酔狂だな」
そう鼻で笑いつつ、ワイングラスを口へ寄せる。
「……楽しくなってきたな?アントン」
ランスキーは同意しなかった。
ナイフとフォークを皿の上に雑に置いたかと思うと、
「アニキ」
と言いながら顔を上げる。
「……俺にやらせてくれないか?次の仕事は」


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PHASE-22 白き星と黒き刺客(1/7)

ヴィトー・ルカーニアは、

少し先に置かれた編み目状の黒い籠(かご)から、

一際大きなオレンジを手に取った。

ヴィトーの手から溢れんばかりの大きなオレンジだった。

沈黙が長引いた。

そのうちに、アントンの後ろ髪が汗を帯びて、うっすら輝いてみえる。

平静を装うように両手をポケットに突っ込み、

自身を覗き込むフィロパトルにも笑顔で対応してはみたものの、

目を逸らした瞬間に表情が曇る。

さて、この沈黙を破るのはヴィトーのこんな言葉だった。

「……問題は出来るか出来ないかのそれだけでな」

ヴィトーは少し笑いながら、

ボールのようにオレンジを上へ放り、落ちてくると掴む。

この繰り返し。

以下、ヴィトーの視線はほとんどオレンジにだけ向いていた。

「次の目標地点は、エル・アラメイン。

4つの大隊と、おそらく1つの小隊の指揮を執ることになる。

フォーコレ……確か、スコルツェニーの部下だったな?」

「はい」

と側に控えていたフィロパトルが頷く。

「……という連中を従えて、テメェは勝たなきゃいけねぇ。

相手は分かっている。

ハーシェル・クリーブランドって、ナイルの神の腹心らしい。

大西洋連邦で大佐にまでなった腕利きだと聞いた。

野郎が昔どこぞで孕(はら)ましたガキだって噂もある。

真偽はともかく……厄介なヤツだと言えるだろうな。

やれるか?オマエに」

アントンの手がテーブルに乗り、顔がヴィトーの方に向く。

「……オバマで遅れを取ったオマエに」

鼻で笑うヴィトー。

「アニキ!俺だって!」

宣誓は許されなかった。

野球ボールのようにヴィトーはオレンジを投げたのである。

目標はアントンの顔らしい。

命中は、幸か不幸かしなかったが。

「あっ、危ねぇ……」

そう言いつつも、アントンの手はオレンジを掴んでいた。

「……どのみち、決行に一週間程度はかかるだろう。

今から行っても間に合う。行ってこい」

オレンジをゆっくりテーブルに置き、顔を上げる。

「いいんすか?アニキ」

「あぁ……俺の代理人だと名乗れば、連中も逆らえねぇ。

補佐官もつけてやる……補佐官は……」

アントンの目はフィロパトルへ向いていた。

フィロパトルはうっすら微笑みを浮かべて、これに頭を下げる。

「……フェイをつけてやる」

「えっ?」

アントンがゆっくり視線をヴィトーに向けたとき、

当のヴィトーは洋梨のヘタを掴むと、

ツタを曲げたり伸ばしたりして、指先で弄んでいる。

「フェイは武将として優秀だ。

モビルスーツパイロットにしてもいい。ボディーガードにもなる。

戦いに連れていくなら、アイツが一番いい」

ポキッと折れたヘタ。

それに飽きてか、顔を上げたヴィトー。

「……不満か?」

「いや……そういう訳じゃあ……ないんですがね」

再びフィロパトルをチラリと見るアントンだったが、

フィロパトルの方は彼に見向きもしてはいなかった。




その後、アントン含め諸衆は退散、皿も片付けられ、
部屋にはヴィトーとフィロパトルだけになった。
「奥さんに随分手を焼いてるそうよ?アントンくん」
「……俺の妹だからな」
笑いながら、ソースかワインだかで赤黒く汚れた唇を、
ナプキンで拭(ふ)いている。
「親父は大層な野心家でな。
カネと出世の為なら何でもする男だったよ。
アントンの親父は結構な資産家だった。政略結婚てヤツよ。
まだ小さかったガキ同士に結婚を約束させた。
向こうは親父の政治力をアテにしてな。
アントンは昔からうちによく来ていて、
ホントの兄弟みたいだって話をした。
兄貴も妹も、アイツを気に入っていたしな。
……まあ、アントンの方は、
昔からあんまり妹を気に入っちゃいないって風だったが」
掌を開き、テーブルの上に乗せる。
その手の平に乗っていたのは、あの折れた梨のヘタ。
「いつの間にこんなもん……まあ、いい」
ヘタをクロス引かれたテーブルの上へ。
「15年だ。
アイツは親父さんの為に15年も、
ロクに好きでもない女と添い遂げてきたことになる」
「それで……アントンのお父さんは今?」
「死んだよ。2ヶ月前に」


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PHASE-22 白き星と黒き刺客(2/7)

──6月27日。トブルクより。
俺たちが集められたホテルの窓からは、
ホタルの光のように小さく、かつ点在する街灯が照らすばかりの、
ほの暗い世界が広がっていた。
時折下を通る車の音がやけに大きく聞こえた記憶がある。
そんなことに気を散らされて、時折窓の外を一瞥しては、
嗚呼イケナイと室内へと目を映す。
今は会議中なのだ。
隣で資料に熱心に目を通すハビエルは勿論のこと、
あのアルメイダでさえ、一応話は真面目に聞いているらしかった。
テーピングされた左手を隠すように右手を添え、
両肘をつきながら話を聞いているつもりの俺には、
その実何を話しているのか理解できなかった。
口パクでもしてるみたいだった。
聞き慣れている筈のアーサー・トライン大隊長の声が、
いくら耳を傾けても聞こえない。
そんな中……
「具合でも悪いのですか?アスカ副長」
金髪の優男──ゴーヴァン・メ・フォーコレが囁いた。
周囲の視線が俺に向く。
アルメイダが小さく舌打ちしたり、ハビエルが小声で、
「キツいなら帰りな」
なんて助言したりしている。
「あぁ……すみません」
「困るぞ?君ほどの重役が……」
なんてポンゴ・ラドクリフ──パーディの兄──が笑いかけたり。
「無理もないさ。シンは怪我もしているし」
アーサーはそう俺を擁護してくれたり。
ただ、最終的な結論を出す人物は決まっていた。
「下がって……よし」 
偉そうに腕を組んで、そう言う彼は俺より4、5歳は若かった。
俺は立ち上がり、そんな相手に深々頭を下げると、
「失礼します。ランスキー司令」
とだけ言い残し、出口へと急いだ。
その背中に彼──アントン・ランスキーは吐き捨てる。
「……エル・アラメインではよろしく頼むぞ?アスカ副長」


「なるほど。こき使ってやるから、働けってか?」

意地悪げに言うワイリーはビールを飲みながら話していた。

器用な男である。

車イスの肘掛けのところにビール缶を乗せていたのだから。

「……そこまでは行ってねぇよ。ランスキーもな」

俺はそう漏らしつつ、車イスを押していた。

「もっとゆっくり頼むぜ。ビールが溢れちまう」

ワイリーはそんなことを漏らしていた。

「軍人のくせに酒ばっか飲みやがって」

など咎めても無駄。

「決行は1日だろ?前日に飲まなきゃいいんだよ」

呑気にそうビールを流し込み、空になったところで、

手の甲で弾くみたいに肘掛けから缶を落とした。

「……襲撃でもされたらどうする気なんだ」

そう言いながら俺は落とした缶を拾い、ゴミ袋へ。

この袋、中にはもう3、4本は入っていて。

「そんときゃ、

ランスキー司令官代理殿に助けていただこうじゃないか。

ヴィトー・ルカーニア司令のお墨付きだろ?」

「……どうだか」

俺たちが歩いていた廊下も、さっきと景色はそんなに変わらない。

ただビルの高層階と、戦艦《フレイヤ》とでは高さが違う。

より身近で、より陳腐で。

「俺で良かったな。アスカ……」

「はあ?」

「彼女なら失望されてるぜ?こんなデートコース」

「……夜営中に何言ってやがる」

割に遅い時間だったと記憶している。

さっきから左手側に並ぶ部屋はなお暗く。

そうしている裡に差し掛かった医務室もまた、真っ暗だった。

医務室のドアは開いている。

「これでも……後悔してんだぜ?」

ダスティンのベッドが見えていた。ぐっすり寝てやがる。

気持ちよさげな寝顔だ。

頭に巻かれた包帯にさえ目を瞑れば。

「……ずっと悔いていた。ガキどもに世話かける度に」

「俺もだよ。ワイリー」

「何言ってやがる。このエースパイロットが……

俺に言わせりゃ、オマエはよくやっているよ。いつも」

医務室を少し過ぎたところで、車イスを停めた。

「俺はオマエや……アレハンドロみたいな英雄じゃない。

なりたいとも思っちゃいないがよ。

ダスティンとも違うしな。

多分一番近いのはダイで……

だからたまにアイツの気が痛いほど分かる」

普段適当なワイリー・スパーズというこの男が、

嫌に真面目に語りやがるから、無下には出来なかった。

間違えてもオマエとダイじゃ全然違う、なんてはとても。

「……アイツは努力家で、でも実力が伴わなくてな。

だからもっと……誉めてやれっての」

「気持ちは……分かるが」

……多分、ワイリーも気付いていたのだろう。見えたのだろう。

医務室のドアが開いていた本当の意味。

ドアの影に何故か隠れるように立つダイの姿が。

「確かにそうだな。アレハンドロは違う。アイツは止めてもやる。

だがダイは……俺が望みさえければ、死すら選ぶかもしれない。

そういうヤツだから……

だからアイツに望んじゃいけない。

俺が望めば、アイツは死に急ぐかもしれないから」

……非難の意図はなかった。俺なりに気遣ったつもりだった。

いや、だとしても、ヤツの前でそう語るべきでなかった。

アレハンドロは助けられない、でもダイなら……

なんて俺の想いがダイにどんな感情を抱かせるか。

このときの俺はまだ、気付いていない。

「何よりアイツは英雄になりたがってる。それが危うい」

そう語ったのは、ワイリーだったが。

思えば確かにワイリーの方が正解だったのかもしれない。



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PHASE-22 白き星と黒き刺客(3/7)

「分かりかねます……何故、我らが神はアナタを信任するのか」

フー・ソクティスの詰問に、シーザー・ルチアーノは笑みで応じた。

「ホルローギンも、

オートゥール氏にピストルを突き付けられたと聞く。

そりゃあ、信用するだろう。

君らと違って私は、無闇に矛先を向けて恫喝するなどいう、

マフィアまがいの手は使わない」

「……よくもまあ、いけしゃあしゃあとそんなことを」

「使わないよ……『私は』」

銃声が鳴り響く。それは突如として。

ソクティスは振り返るが、

残念ながら後ろを確認する余裕はなかった。

右の足首から流れる血と痛みが、彼の顔を下げさせた。

痛みを堪え、ソクティスが顔を上げると、

ドアが開いていて、

自身にピストルを向け立つ少年の姿がある。

彼は雪のように白い肌をしていた。

銃のモデルはH&K P2000。

手の小さい婦人警官向けに開発された、この自動拳銃であるが、

流石に子どもの手には大きかったと見える。

銃口からは未だ煙が燻(くすぶ)っている。

「……おっと失礼。どうやら礼儀がなっていなかったらしい。

ダメじゃないか。ユーダリル」

シーザーは笑いながら少年の方に寄り、頭を撫でる。

「子どもを……ボディーガードにしているのか?」

そう問うソクティスを、半笑いで見下ろすシーザー。

「違うよ……この子はただのペットショップのバイトさ」

拳銃をホルスターに戻す少年だが、

そのホルスターの幅すら彼の足の太さとそう変わらない。

「……ペットショップ?」

不可解とばかりに聞き返すソクティスの回答は背中にあった。

シーザーの部屋には1羽の白いオウムがいた。

鳥籠の中でオウムは吠える。

「ヒドイヒトォ!ヒドイヒトォ!」

翼をバタバタさせて、羽根を幾枚も落としている。

うちの何枚かは柵すら越えて、絨毯(じゅうたん)へ。

「オウムもああ言っている。君のやり口は、ちと無礼だ。

クリーブランド氏もクロコディロポリスに帰るそうじゃないか。

帰りたまえ。大尉。

君の役割は既にフィリップ・フロイ氏に引き継がれた後だ。

私の副官は君では務まらん。

君には、

金持ちの老い耄(ぼ)れの世話でも焼いているのがお似合いだ」

「……神を怒らせることになるぞ?」

睨み付けるソクティスだが……

「かような脅しに意味があると思うかね?この沈みかかった舟の中で」

シーザーの足はドアの縁をゆっくり跨いだ。

手はなおも子どもの頭の上へ。

「最後の仕事だ。ソクティス大尉。

カーペットを取り替えておいてくれ。汚れてしまったからな。

鳥の羽根と、君の血でな」

ソクティスの対応は早く、首に巻いていた斑模様のスカーフを外し、

手早く足首に巻いていた。

それでも血の数滴は確かに、マットを濡らしていた。

「……いいカーペットを頼む。

そうさなぁ。まるで……クレオパトラでも入っていそうな……」




6月28日未明。トブルクにて。
「………本当なのか?それは」
アントン・ランスキーは解けた革靴の紐を結び直しながら、
その片手間に報告するフェイ・デ・カイパーの表情を確認した。
「えぇ。間違いなく……」
「いつから知っていた?」
問い返した頃には、靴紐を直すのは済んだらしく、
手が靴から離れていた。
「……私はオウムと例の少年を明けの砂漠の拠点まで送るよう、
ヴィトー司令から命令されました。
恐らくあの方は……当初は明けの砂漠側に就くお考えだったようです」
「ただ、結果的には…………そうはならなかった、と」
震える指が向くのは目前の机。
木製で、そこには黒いバスケットがあり、
オレンジが3つ乗っていた。
「……戦わねばならないのか?」
「はい」
「………どうしても?」
フェイは即答しなかった。どこを見るとなく見上げて、
「ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスは、
大叔父の恋人だった女と、大叔父の部下だった男と戦い、
2人を死へと追いやった」
と呟くだけで。


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PHASE-22 白き星と黒き刺客(4/7)

──7月1日。行進は始まった。

トブルクを出たランスキー指揮下の艦隊は、

カッターラ低地と呼ばれる湿地帯を抜け、

敵が拠点を置くエル・アラメインを目指し、舵を切る。

空を何隻もの戦艦が飛び、地には大きな影が居並ぶ。

カッターラも砂の大地ではあるが、湿地帯であり、

水気を帯びている。

生乾きの泥と流砂とが、

走り進む《ケトゥ》の足並みをいくらか乱した。

こういう時まで見えないのは不便だろうて、

《ケトゥ》らは一様に、

その姿を砂に映える黒一色へと染め上げていたりして。

燦々と降り注ぐ太陽の下、

光を反射して輝いて見える戦艦どもに対して、

《ケトゥ》らは戦艦の影とその暗い体色とが相俟って、

頭上より見下ろす分には視認しにくいものがあった……

トブルクからエル・アラメインまで、

距離にして約450キロメートルにもなる。

戦艦とモビルスーツの足でも、数時間以上の経過は予想された。

何より敵機襲撃のリスクである。

下には《ケトゥ》、上は《ジズ》が飛び交い、備えている。

陣形は……魚鱗というらしい。

サーベラス戦術にも似ているが、少々違う。

先陣をポンゴ・ラドクリフ、

左翼にアーサー・トライン、右翼にイナバ・シゲルを配し、

およそ中央にルシア・アルメイダとゴーヴァン・メ・フォーコレ、

そして後方にアントン・ランスキーが控えている。

背後を突かれるリスクは低い。

理由は簡単。背後、つまりリビア方面は既に制圧済みであり、

トブルクだけでも、

ディジー・ファンクとバルドル・リュメルらがおり、

かつ地中海は親プラント国家たる西ユーラシア連邦の勢力下。

背後に回るという方法はそうそう取れまい。

となれば中央より後方が安心という判断になる。

結果、ランスキーは最後尾についた。

中央は消耗激しい《フレイヤ》と、

元々の母体数からして少ないフォーコレの小隊が待機し、

前および左右より敵が出現せば、援護に回る腹積もり。

3大隊はここ数週間の戦いで大きな消耗はなく、

かつランスキーの手勢たる戦艦3隻、モビルスーツ数27機。

総勢70機あまりからなる大進撃であった……

俺も俺で《ヴェスティージ》に搭乗。出撃を待っていれば、

『何だか……ホントに総力戦て感じだよな?』

ワイリーが苦笑がちにそう言ってきた。

『オバマで戦ったときより多くはねぇか?』

「……オバマは、一応奇襲って建前があったからな。

それなりに兵数は抑えてたんだろう。

だが今回はその必要もなければ、別動隊なんかがある訳でもない。

これだけの大艦隊になるって訳だ」

そう話しながら、あちこち動かしてみる。

というのが、ここ最近は戦い続きであったこともなり、

応急措置が多く、ちゃんとしたメンテナンスがされていなかった。

トブルクに向かっていた戦いから1週間、

かなり細部までチェックと手入れがされたらしい。

『おいおい。まさかモビルスーツと拳で語り合う気じゃねぇよな?』

ワイリーの指摘に思わず苦笑い。

確かにシャドーボクシングまがいの動きはしていたが。

「……ただの動作チェックだろ?うるせぇな」

肩を回してみた。

クールカやギボンの機体を見た後だから、

どうにもぎこちなく見えるが、それでも動く動く。

『いいね……おじさん、モビルスーツより肩上がらないかも』

なんてワイリーは嘯くが。

『アンタ、まだそこまではいってないでしょうが……

というか、今回はアンタらには働いてもらわんと困る』

「おいおい、アンタらって……

俺は仮にも上司だぞ?ハビエル」

『……しょうがないでしょうが』

ハビエルの意図するところは痛い程分かった。

モビルスーツデッキにいた俺には見えていた。

未だ修繕作業の終わらない《アビス》と、

灰色の姿のままで動く気配のない《ガイア》。

アレハンドロは重体、

ラグネルもまた、

意識のない状態で冷房器具の停止したコクピットの中にいた為に、

日射病の症状を起こしている。

とても戦場に立てる状態じゃない。

『……俺がやればいい。そうでしょう?』

そう応じたのは、ダイだった……



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PHASE-22 白き星と黒き刺客(5/7)

「ダイ、オマエ……」
なんて講釈垂れる時間はなかった。
奇襲……ではない。情報は得ていた。
砂漠の真ん中で展開している部隊がいると。
数にして9機。
データ上に表示された型番は《GAT-399R2/Q》。
恐らくだが《ワイルドダガー改》と見られる。
座標はシワというオアシス都市周辺の砂漠地帯。
2キロ四方程度の湖が傍らに見える。
偵察用に飛び立った改造型の《ジズ》は、
砂に紛れており、視認は困難と報告したそうだが……
『敵機捕捉!』
ルアク・パームシットの声がブリッジから。
……既に敵機の位置は分かっていたのだから、
そこは接近とかじゃないのかと内心では思いつつ、
ひとまず出撃準備へと移る。
例によって、あのロボットアームみたいなでっかいのが迫り、
両肩を掴んで、《ヴェスティージ》を運ぶ。
「……あまり出張んなよ。俺たちは援護だからな」
ダイにはそう言い残し、俺は外へ……


両翼広げ、飛べば足下は一面砂ばかり。

砂は盛り上がり、小さな山と小さな谷が連なる。

砂はいくらか巻き上がり、風に流れている。

ただ遠方に横たわる湖の青緑だけ、えらく輝いて……

それもこれも上空数百、数千メートルから見下ろせば、

すべてがミニチュアみたく小さく映った。

奇妙な喩えかもしれない。

だが、俺にはそれが病院の天井に見えた。

あの真っ白なキャンバスに、

縦へ横へ均等な線が引かれ、黒い点が不均等に並んでいる。

丁度《ケトゥ》どもが点の代わり、

それが部隊と指揮系統の違いから、

5とか10とか毎に密集しつつ、

グループ同士は縦に横にで距離を取っている。

それがこの砂の大地に、間隔をほぼ維持しつつ進軍している。

本来見上げる筈の天井を見下ろすことの奇異さ。

「……疲れてるな、まったく」

そんな感慨に耽(ふけ)る暇はなく。

緑色の光が砂の上を走り、遅れ馳せながら銃声も鳴り響いた。

最前列を歩いていた《ケトゥ》が撃ち殺されて、

横倒しになって後方へと。

《ケトゥ》の群れはこの1機を避ける形で進軍を続ける。

上から見るとこの『点』たちが、翼を広げた鶴のごとく……

レーダーで確認すれば、

《ダガー》連中がいるという位置は目の前に。

ただ、報告通り敵の位置は視認できない。

「こんなに高いところからじゃなぁ……」

前線の《ケトゥ》たちは見えているらしい。

進行方向がおおよそ決まっている上、

今しがたなぞ、ある1機の《ケトゥ》が首を伸ばし、

そこにいたらしき《ダガー》を仕留めたらしい。

砂地に一瞬、オブジェみたいな灰色の《ダガー》が姿を現すと、

爆発炎上。煙も上がる。

そんなのが2つ3つも続き、視界がなお悪くなる。

レーダーで確認すると簡単なものだ。

《ダガー》と《ケトゥ》、

型式番号が表示された点たちは1つ、また1つと消えていく。

『……敵さん、不利を悟ったか』

ワイリーがそう言った通り、

《ダガー》たちの中でも後方に控えていた2、3機が、

2、3個の点が徐々に後退を始めた。

『こりゃ意外と簡単かも』

そう笑いながら、ダスティンが《セイバー》に乗り、登場。

『いくらなんでも、兵力差がなぁ……』

ワイリーは何故か敵に同情的。

「もう大丈夫なのか?ダスティン」

『えぇ。掠り傷ですし』

「……ならいいが」

ダスティンの部下たる《ジズ》2機も、

《セイバー》へと付き添うように飛んでいる。

「どいつもこいつも、無理しやがって……」

俺の位置からだと、

ダスティンの《セイバー》、ワイリーの《ゲルググ》、

そして……ダイの《インパルス》。

それらが横並びになって見えていた。

『大丈夫ですよ、この兵力差だ。

ボクらの出番はないと思いますよぉ~?』

ダスティンはそう笑うが。

「……だといいが」

俺が気になっていたのは別のもので。

『気になるか?あれ』

ワイリーも指摘した。

「……あぁ」

砂煙や爆煙に紛れて、しかし確かに現れる湖上の霧。

『オアシスだけに幻影って訳でもなさそうだが』



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PHASE-22 白き星と黒き刺客(6/7)

嫌なときというのは、

ついつい思考の方もマイナス方向へ傾き始める。

【……何故、我々は脱走兵と戦っている?】

そう言ったのは、『今は亡き』モーリス・ゴンドー大隊長とやら。

そしてまたしても、敵は《ダガー》。

ザフト脱走兵ではないまでも、連合製の《ダガー》である。

目撃情報、ダスティンの推察……

いずれにしても、《ダガー》が主力とはとても。

となると……

『奴らは捨て石、と考えるのが定石でしょうか?』

ダスティンの反応がこれである。

『なるほどねぇ。

時間稼ぎし、敵の戦力を査定し、

ついでに頭数減らせれば万々歳ってか』

ワイリーもそう皮肉る。

『ひとまずは、俺たちの出る幕じゃねぇってんで……

残念だったな。ダイ』

ワイリーのそんな呼び掛けに、ダイは応じない。

『……ダイ?』

『そうでも、ないみたいですよ?』

ダイは先に見ていた。

霧立ち込める湖の側で、

《ケトゥ》の反応が2つ、3つと消えていったのを。

『いる……あの霧の中には何かが』

そんなダイの言葉に、ワイリーは、

『おいおい、そんなホラー映画みてぇによ……』

などと笑ったものの、即座にダスティンが同調した。

『いや先輩……どうやらホントみたいですよ?』

『……マジでか』

ワイリーも言われれば気付く。

また1機、味方の反応が消えたのである。

「霧……か」

前回の戦いで、妙なことを言った女がいた。

呪詛の言葉を残し、死んだ女のこと。

霧になって呪うとか、何とか……

「ワイリー、ダスティン……ダイ。砲撃用意だ」

『目標はあの湖……ですか?』

ダイの返答である。

「……あぁ。よく狙え」

こういうとき、ハビエル副艦長の判断は早く。

『みんな聞いたね?……アスカ副長の指示通りよ。

各砲準備。目標は目下の湖!』

そうこう話しているうちに、また1つ、《ケトゥ》の反応が消えた。

『おいおい、ほんの数週間前まで……

あの《ケトゥ》ってのは、うちの新兵器だった訳だぜ?

本来は隠密機動が得意だとは言っても、基本性能は高いハズで』

なんてワイリーがぼやいているうちに、

あの湖は随分近くに見え始めていた。

我らの先頭を切るラドクリフの隊は、

もう足下に湖があったとしてもおかしくない程に。

なおポンゴ・ラドクリフの大隊に動きはない。

敵に構うより先に進むことを優先しているらしく。

……いい判断ではあるが。

『指示を仰いでいる暇はなさそうね。

両翼の大隊、フォーコレ小隊に援護を依頼して!

ランスキー司令代理にも連絡を忘れないよう!』

ハビエルの発言もこうなる訳で。

そうこうしているうちに……

『射程圏内に入りました』

ゲルハルダスの声である。

『主砲用意!』

ダスティンの小隊、ワイリーにダイも、

それぞれ武器を携え、足下にまで迫る湖を狙っていた。

『てぇぇぇぇ!』

掛け声がかかり、まずは《フレイヤ》の砲に火がついた。

陽電子破砕砲リエンツィ。

隙がデカい弱点こそあるが、戦艦《フレイヤ》最高出力の兵器。

まともに当たればモビルスーツはおろか、

戦艦すら優に消し飛ぶ破壊力。

そう『まともに当たれば』。

『副艦長!あれ!』

ルアクの震えた声がすべてを物語る。

敵は受けきっていた。《フレイヤ》の砲撃を。

陽電子リフレクターとかいったか?

あのバカにデカいシールドを展開して立つ、

1機のモビルアーマーによって。

いや、あれはモビルアーマーか、それとも?

「……あのときのヤツか」




──先の戦いにて捕虜になった、
ユウ・アカエが証言していたという。
ナイルの神直参の兵士の中で、
俗に『5柱』と呼ばれる5名の猛者がいること。
そのメンバーについては、あのカトリーナの証言にもあったが、
フィリップ・フロイ、ブルース・G・ノーマン、
パー・ウァーリィ……
そして彼女ではなく、フー・ソクティスなる人物であること。
これにもう一人、ジンファなる男がいたらしいが、
コイツは内通者で、ここ数日連絡が取れず、
どうにも殺されたって噂が流れている。
うちウァーリィを除く4名は個々人が兵士として有能であり、
ウァーリィってのも勿論優秀ではあったが、
この彼女のみ、別の顔を持っていたという。
霧に例えられる、特殊部隊の指揮官としての顔を。


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PHASE-22 白き星と黒き刺客(7/7)

『カニ……シオマネキみたいな野郎だな』
シオマネキとは、カニの一種。
片方のハサミだけが大きくなることで有名。
満潮に合わせて穴から現れるところにちなみ、
シオマネキ(潮招)と呼ぶようになったとかいう。
ワイリーの評も分からなくはない。
かの往年のモビルアーマー《ザムザザー》を彷彿とさせる、
カニのようなデカい図体。
そして片方にだけついた大きなハサミ状の武器。
カニという形容も分からないではないが……
敵機は黒に爪後のように後ろから青いラインが疎らに伸びている。
砲撃を受けきると共に、例の湖へと身を隠した。
立ち込める霧の中から微かに背の高い木が見えていた。
ヤシの類だと思われる。
後に調べて原産地がアメリカであったから、まず違うだろうが、
真っ先に俺の脳裏を過ったのはカナリーヤシ。
俗にフェニックスなんて呼ばれる品種のヤシの木だった。
(死んでも蘇るなんて……冗談じゃねぇ)
さっきから頭に浮かぶのは余計な連中の余計なところばかり。
ここで過ったのは……
『おい!!よせッ!』
ワイリーの制止する声に向き直ると、
ダスティンの《セイバー》まで手を伸ばしていた。
その先は、
『敵は砲撃など受け切れてしまう。
大型モビルアーマーは近付き、仕留めるが定石……』
そう言い放ち、陣形より飛び出さんとしていたダイ。
制さんとした《セイバー》の腕を振りほどき、
その手にビームサーベルを構える。
『……遊撃部隊の仕事だ』
一瞬だが、ダイの《Im/A-P》の顔が俺の方へ向いた……気がした。
許可を求めるように。
あるいは動かぬ俺を見下げたヤツと侮蔑するように。
「行って……よし」
『義兄さん?』
「陣形は崩さず……敵を叩く。オマエが正しい。オマエが……」
指揮官の俺が動ける筈もなく。
『……ご理解、感謝します』
それだけ言い残すと、ダイは降下していった。
思えば最初からこうなることを予期していたような。
『そういや何でアイツ……ソードシルエットなんだ?』
ワイリーの呟きひとつがすべてを物語った……


「知るかよ……俺が」

同じ頃だったろう。

ブルース・G・ノーマンはそうぼやきながら、

包帯巻かれた腹を雑に右手で掻いてやがった。

部屋は病室とは言い難い空間で。

窓が開いており、水車の回る日本風の庭園へと直結していた。

部屋の方も部屋。

ノーマンが横たわる黒いソファーベッドは部屋の右端にあり、

彼が頭を向ける側に窓がある。

右の壁には写真やウクレレや、

ヒエログリフにでも併記されてそうな古風な絵が描かれた布など。

種々雑多に吊るされているが、

全体的に落ち着いた色合いの部屋となっている。

壁の材質は煉瓦(れんが)らしいが、床はフローリング。

クリーム色の絨毯が引かれ、その上に暗い色の木で出来た机。

部屋そのものは6、7畳あまりとそう広くはないものの、

風が流れ、ノーマンは心地良さそうだ。

『知らないじゃすまないんだ。ルチアーノ氏が知りたがっている。

……疑っている、といった方がいいかもしれない』

声はノーマンの枕元にて。

衝立に雑にもたげて眠る男の耳の傍らには、

スマートフォンが画面を下にして置かれている。

どうやら声の主は電話口らしい。

「んなもん、電話して聞くことかよ。メンドクセェ」

返事ついでに寝返りを打つノーマン。

『必要だ。敵をどの程度足止め出来るか……』

ノーマンは『足止め』と相手が言った辺りで、

スマホをひっくり返すと、

「足止めェェ?……おいおい、フィリップ!

パーのヤツをバカにしてんのか?

皆殺しか、せめて撃退の間違いだろ?」

なんて液晶に唾がつく程に激しく応じた。

『敵は大部隊だ。それに……』

ゆっくりスマホをまたひっくり返そうとしたノーマンの手。

だったが、

『……パーはもういない』

そんな一言がこれを制止させた。

「んなこと……テメェにわざわざ言われねぇでも分かる。

……分かってる。俺は……見てんだからな」

『だからだ』

「だからなんだ?ヤツだけじゃねぇ。

もうとっくに何人も死んでんじゃねぇか?……そうだろ?」

フィリップ・フロイ、即答せず。

20、30秒程度思案した後、

『だからこそ……次の手を打たねば』

と告げた。

「そしてやることが、

脱走兵のお偉いさんに尻尾振ることか?」

左の口角だけをクイッと上げたノーマン。

『……ブルース』

「安心しろ、フィリップ。ヤツらは強い。

ヤツらは……あのカニどもを突破できるとは思えねぇ。

……何を弱腰になってんだか、俺にはまるで分からねぇ」

笑うノーマンだが……

『オマエなら、話してもいいだろう』

フィリップは声を小さくして、そう告げた。



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