【完結】解放奴隷は祈らない (家葉 テイク)
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01_無敵の女 IMITATION

当SSはとぅりりりりさんのシェアードワールド企画に参加したものです。
詳細はこちらのURLをご参照のこと。(内容的には読まなくても分かります)
https://syosetu.org/novel/185460/

なお、小説トップページのイラストは同じくシェアードワールド企画に参加されている丸焼きどらごんさんより頂きました。(めちゃくちゃ面白いです)
この場を借りて御礼申し上げます。


 むかしむかし、神は人間に祝福を与えた。

 

 むかしむかし、神は人間に呪詛を与えた。

 

 

 やがて人間はそれらを『己の属する(サガ)』、即ち属性と呼ぶようになり──全ての人間にとって、『属性』は当たり前のものとなった。

 『属性』の優劣によって人間の価値は決まり。

 だから『属性』を奪う技術が生み出され。

 持っていて当然の『属性』を持たない者は、人間としてすら扱われない。

 

 きっと彼らは、そんな在り方に疑問を持つこともないはずだ。

 

 

 だが。

 

 

 一度でもその輪廻から外れてしまった者から見れば、きっと彼らはこう映ることだろう。

 

 

────属性の奴隷(アトリビュート・スレイヴ)

 

 

 

* * * * * *

 

 

 

01_無敵の女 IMITATION

 

 

 

* * * * * *

 

 

 

「いてて……やらかしちまった」

 

「気をつけろよ。最近は魔物被害がひどいんだ。この前だって元騎士領の森で……」

 

「知ってるよ。ご同輩がやられたんだってな、五人も」

 

 

 ────宗教国家アライメントの片田舎。

 

 どこにでもありそうな場末の酒場で、今日も不穏な噂話を肴に荒くれ者が酒に舌鼓を打っていた。

 見ればどこもかしこも客は身体のどこかしらに傷を負った屈強な男ばかり。おまけに話す内容もお世辞にも善良とは言い難く、女子供でも見かけたら攫ってしまうのではないかという心配すら湧いてきそうだった。

 ──もっとも、彼らからすればそんな第一印象は失礼極まりないのかもしれないが。

 

 

「いやぁ、ごちそーさま。おいしいお酒をいつもありがとう」

 

 

 何せ、彼らの目の前には今まさに『攫われてしまいそうな可憐な女』が座って、リラックスしきった表情で昼間から飲酒を楽しんでいるのだから。

 

 美しい女だった。

 亜麻色の髪を肩くらいで切りそろえているのは、動きやすさを意識しているのか。

 身に纏う旅装から覗く真っ白く細い手足は、どちらかというと深窓の令嬢で通した方が違和感が少ないのではと思わせる美しさだった。

 

 とはいえ、彼女がこうして酒場にいられるのは、荒くれ者どもの人の好さというよりは──彼女の腕の確かさの証明と言った方がいいだろう。

 

 

「なに。酒の一杯や二杯で『離散』のサラディアの助力を乞えるなら安いもんだ」

 

 

 男がそう言って酒を喉に通すと同時、酒場の空気が俄かに凍った。

 

 

 『離散』のサラディア。

 

 その名は、()()()()では特別な意味を持つ。

 

 

 曰く、彼女と敵対した組織はたとえ戦いを生き延びても必ず壊滅するだとか。

 

 曰く、彼女に向けて放った刺客が生きて戻ったことはただ一度もないだとか。

 

 曰く、かつて『属性』を奪われたことがあったが奪還して戻ってきただとか。

 

 

 真偽のほどは分からない。

 ただ現実に彼女は華奢な女性の身体で、生きるか死ぬかの地獄を今日まで生き延びていた。

 敗北が即ち死と認識されるこの世界において、それはその身の無敗を証明するに等しい。

 

 だから彼らは畏怖を込めて、彼女のことをこう評するのだ。

 

 『離散』のサラディアは無敵だ、と。

 

 

「……ちょっと。こんなトコで名前出さないでよね、便利屋。視線が集まると酒がまずくなる」

 

 

 じろりとサラディアがあたりの客をねめつけると、急速に酒場は温度を取り戻していった。

 対する便利屋──と呼ばれた男は苦笑しながら、

 

 

「ハッハ、すまん」

 

「まぁいいよ。で、今回の仕事」

 

「ほれ」

 

 

 どん、と酒場のテーブルに高級そうな黒塗りの箱が置かれる。

 見るからに重厚感の溢れる作りになっていたが、大きさ自体はそこまでではない。精々ペンケースくらいの大きさのそれを軽々と手に取ると、サラディアは自分の胸元──薄手の旅装をはち切れんばかりに押し上げている胸の谷間に差し込んだ。

 便利屋の男は思わず目を(みは)ってしまう。悲しい男のサガだった。

 

 サラディアはそんな便利屋の男に悪戯っぽい笑みを浮かべて立ち上がる。

 そして手を伸ばしながら、こう告げた。

 

 

「んじゃ、行こうか。私たちの仕事場に」

 

 

 

* * *

 

 

 

「毎度思うが……なんで俺はこの鉄火場に同行してるんだろうかね」

 

「だってアンタがいないと私の仕事ぶりを報告できないでしょ」

 

 

 サラディアは赤黒いペンのようなもので森の木々に適当な落書きをしながら、つまらなさそうに答える。

 明らかに不必要に見える行為だったが、便利屋の男は慣れたものなのか、それについては何も言わなかった。

 サラディアの胸元からは、黒い箱はなくなっていた。

 

 

「ま、同情はするけどね。とっくに廃業した王都警備の人間が鉄火場のど真ん中に叩き込まれてるわけだし」

 

「傭兵以外の再就職先を斡旋してもらったんだ。文句は言えないが……」

 

 

 便利屋の男はそう言って肩を竦める。

 この男も、最初から便利屋をやっていたわけではない。元々彼は王都の警備をつかさどる仕事をしており、事故で怪我を負い前線を離脱した際、再就職先として便利屋となったのである。

 その際の縁から彼はいまだに王都とのパイプを持っており、こうしてサラディアに王都から与えられた仕事を斡旋しているのだった。

 

 

「国が再開発したくて仕方ない元騎士領の森に魔物を放って遊んでる馬鹿を始末する。いつもの私の仕事だし、それを見届けるのもいつものアンタの仕事でしょ」

 

「……分かっている。分かっているさ。こんなことを言ったところで何も変わらないってことはな」

 

 

 既に前線から離れて久しい便利屋の男に、サラディアが投入されるような戦場で生きていけるほどの強さは備わっていない。

 というか、彼が現役だったとしても、サラディアが戦うような地獄では単なる一兵卒に過ぎなかっただろう。サラディアの働きぶりを上に報告する必要があるとはいえ、あまりにリスキーな仕事だった。

 もっとも、それでも傭兵に身をやつし完全に裏社会の住人になるよりはまだマシだからこうしているのだが。

 

 

「にしても、私を使うとはねぇ。『属性』のせいで関わり合いになりたくないっていつもスルーするのに。よほど雇った傭兵五人が返り討ちに遭ったのが効いたんだね」

 

 

 まるでピクニックでもしているかのように平然と語るサラディア。

 今回の彼女の仕事は、簡潔に言うと組織討滅戦である。再開発予定の森を不法に占拠し、あまつさえ危険な魔物を放つ不届きな輩がいるから、皆殺しにしてこいというわけだ。

 たった一人+便利屋に任せるにはあまりにも荷が勝ちすぎる響きの依頼だったが、その依頼を受けてこうして平然としているあたりに彼女のすさまじさがある。

 

 

「ハァ……早く引退して酒場の主人になりたい」

 

 

 そんな化け物を横目に便利屋の男が何度目かも分からない将来の展望を呟いた、その瞬間だった。

 

 

「便利屋。引っ込んでて」

 

 

 短くそう言ったサラディアが便利屋を押しのけた瞬間だった。

 轟!! と林の向こうから炎が巻き上がり、二人を焼き尽くさんばかりに襲い掛かってきたのは。

 

 

「……ようやくお出迎えか。退屈してたところだよ」

 

 

 無論、自然現象でこんなものが発生するはずがない。

 明らかに二人に対して害意を持った者の攻撃。

 一秒先には二人を新妻の失敗料理の卵焼きよりも悲惨な炭に作り替えてしまいそうな一撃を見ても、サラディアは毛ほどの危機感も漂わせなかった。

 何故なら。

 

 

 『離散』のサラディアは、無敵だから。

 

 

 ブワァ!! と。

 今にも二人に牙を剥きそうな業火の塊は、一瞬にして『離散』した。

 

 これが。

 これが、『離散』のサラディアだ。

 彼女に迫るあらゆる脅威は、彼女に届く前に『離散』する。

 

 

「さて便利屋。ここで問題だ」

 

 

 しかしサラディアは誇ることもなく、ただ当たり前のように便利屋の男に呼び掛けた。

 

 

「この場合、考えられる敵の手は三通りある。属性、呪術、魔法。……この場合どれだと思う?」

 

 

 この世界には、三つの異能がある。

 

 『属性』は完全に生まれついての運でできることが決まるが、意思一つで強力な力を発揮する。

 

 『呪術』は反対に誰でも習得できるが、発動に手間暇かけて準備した道具や手順を必要とする。

 

 『魔法』は両者の中間。才能によって得意不得意はあるが、努力すれば誰でも多少は上達する。

 

 

 それぞれが一長一短、異なる個性を持っているが──『その技術体系だからこそできること』というのは、『ごく一部の例外』を除いて存在しない。

 だからこそ、サラディアの住む地獄では相手が何の技術体系を攻撃に用いるのかを読み、その体系に合った対策を練るのが生き残る分かれ道となる。

 

 

「……属性だろ。噂が事実なら魔物の攻撃だ。魔物は呪術や魔法は使えんからな」

 

 

 そして、属性とは別に人間の専売特許ではない。

 人間以外の生き物もまた属性を有することがあり──そうした獣は畏怖を以て『魔物』と呼ばれていた。

 

 

「ご明察! そして相手の手札が『属性』である以上、敵は意思一つで炎を操る能力を持っているってことになる」

 

 

 引き裂くような笑みを浮かべながらも、サラディアはあくまで冷静に続ける。

 カツカツと、手慰みのように手近な木を赤黒いペンでつつきながら、

 

 

「でも、逆に言えば相手の手札はそれだけ。属性の異能はワンオフゆえに強力だけど、ワンオフゆえに応用性の幅は狭まるからねぇ。……もっとも、」

 

 

 カツン、とサラディアはひときわ強く木を突く。

 パキン、と赤黒いペンの先端、炭のようなものがわずかに崩れ、足元に落ちたと同時──

 

 

「ガァルルァァアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!!」

 

 

 全身に()()を纏った虎のような魔物が、茂みから飛び出してきた。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()……の話だけどね」

 

「なッ!? 馬鹿な、魔物ならあの炎は『属性』によるもののハズ、冷気を纏っているなんて……!?」

 

 

 便利屋の男が、悲鳴のような驚きの声を上げる。

 並の傭兵ならば、魔物が炎を放ったことで『炎属性』持ちだろうと思い込み、冷気を纏っていることすら見落としていたところだろう。

 それを考えると便利屋の男は冷気に気付けた分、注意深い観察眼を持っていると言えるかもしれない。

 しかしその観察眼ゆえに一瞬虚を突かれた便利屋の男とは対照的に──

 

 

「やっぱりね」

 

 

 サラディアは一寸の躊躇もなく、その口元に獰猛な笑みを浮かべた。

 

 

 瞬時。

 

 

 ドパァ!! と水っぽい音が響き、目の前で跳躍していた魔物の身体が『離散』した。

 

 

「あ……? や、やったのか?」

 

 

 ぼたぼたと、一瞬前まで生命だったものがシャワーのように飛び散る中、便利屋の男は殆ど茫然として問いかけた。

 サラディアは平然として言う。その横顔には、一滴の血すらもついていなかった。

 

 

「魔物なんて、魔法学園の学生が小遣い稼ぎに狩るような雑魚だよ。そんなのがプロの傭兵を五人も屠ってるんだ。これで『ただの魔物』と思って事に臨むようじゃあ、裏社会は生き残れない」

 

 

 この世界において『属性』というのは、一人に一つだけ与えられる唯一の権能――ではない。

 生まれついて二つも三つも『属性』を備えて生まれてくる者もいるし、属性を持たずに生まれる者もいる。

 魔物が複数の『属性』を持つことは、ほぼないといっても過言ではないが――

 

「………………、」

 

 

 もちろん、便利屋の男だって今回の依頼が『ただの魔物』による被害とは思っていなかった。彼だってプロの端くれだ。当然である。そしてこれまで死んで来たプロの傭兵たちだって、それは同じだろう。

 だが、『魔物が複数の属性を行使してくる』という可能性を考え、それに対し具体的な対策を用意し、突然の襲撃に対して万全に行動できる人間が、いったいどれほどいるだろうか?

 

 目の前にいる人間が世界の裏側に鎮座する化け物の一角であることを再認識した便利屋の男は、感慨深げに呟いた。

 

 

「…………『離散』のサラディアは無敵、か」

 

「まぁね」

 

 

 対するサラディアの反応は、非常にあっさりしたものだったが。



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02_ある側から見た絶望 MIGHTINESS

「…………やっぱ囲まれてるか」

 

「はっ?」

 

 

 静かな静寂に包まれた森の中。

 唐突に放たれたサラディアの爆弾発言に、便利屋の男は素っ頓狂な声をあげた。

 サラディアは面倒くさそうに近場の木に赤黒いペンを押し付けながら、

 

 

「分からない?」

 

「全然……。音もしなければ木々の不自然な揺れもないぞ」

 

()()()()()()

 

 

 サラディアは油断なくあたりの様子を伺いながら、端的に告げる。

 

 

「森だよ? 敵が放った魔物じゃないにしたって、生き物はいるはず。にも拘わらず、草葉が揺れる音すらしない。……つまり、野生動物はみんなこのあたり一帯からはいなくなってるってことね」

 

 

 あとは『一帯から野生動物がいなくなっている理由』を考えればいい。

 一大生態系が築かれているはずの森において、生き物の息遣いも、草葉が揺れる音もしない──つまり、野生動物がいなくなるのはどんなときか。

 

 

「多分、()()がいるんだろうなあ……」

 

 

 そう。

 

 『凶悪な魔物』という天敵がいる場合、だ。

 

 

「黙っていても生物がいるはずの森において、生物の気配が感じられない理由。それは『魔物』という天敵がいるからだ。そしてその魔物すらも動いていないということは──連中は完璧に魔物の行動をコントロールしているっていうこと」

 

「…………完全に敵襲に気付いているこの状況で魔物を動かしていないということは、意図的にそうしている──つまり俺達を隠れて包囲しているっていうことになるわけか」

 

「その通り」

 

 

 サラディアはようやく()()()()()が追い付いた便利屋の男に適当な返しをしながら、

 

 

「さて、包囲が完成したみたいだね」

 

 

 ──なんてことを呟いた。

 

 不意に出てきたサラディアの言葉に、便利屋の男はぎょっとする。

 反射的にサラディアの手元を見るが、彼女はまだ手慰みのように木々に赤黒い線を書き殴るばかり。

 相変わらず便利屋の男にはその『包囲』とやらの気配すら感じとることができないが、自分の横にいる化け物の意見を無視するほど便利屋の男は命知らずではない。

 

 咄嗟に腰に差してある護身用の短剣に手を伸ばし、便利屋の男は呟く。

 

 

「……かなりヤバイな……!」

 

「あー、いいよいいよ。別にアンタの力を借りなくてもなんとかなる」

 

 

 しかし。

 たまらず構えた便利屋の男を制して、サラディアはあっさりと答えた。

 

 つまり、勝利宣言を。

 

 

()()()()()()()()()()

 

 

 

* * * * * *

 

 

 

02_ある側から見た絶望 MIGHTINESS

 

 

 

* * * * * *

 

 

 

 

 『彼ら』がこの森に居を構えたのは、全くの偶然からだった。

 

 カースド系結社──『結実新世』。

 カースドと同じく呪術師を結社の根幹に据えつつ、根本的な方針においてあまりにも異質な為に分派してしまった無数の組織のうちの一つだ。

 

 魔物に『種族特有の属性』が存在することに着目し、『属性』の意図的な遺伝について研究しているこの組織の主な活動内容は──魔物の捕獲と飼育、そして繁殖。

 それだけであれば無害な組織でしかないのだが、彼らは魔物の飼育の為に周囲の環境整備も怠らない。たとえば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そうして飼育のコストを他者から奪い取るのを是としているため──彼らの活動は即ち公権力との争いでもあった。

 この森に来たのも、前に根城にしていた廃村が近く軍の襲撃を受けるという噂を聞きつけたからであった。

 

 

「馬鹿な……! なぜ、『離散』のサラディアが元騎士領などという辺境に来ているのだ……!? ヤツが駆り出される戦場の規模はもっと大きい領域だろう!?」

 

 

 そんな『結実新世』の首領の男だったが、彼は今明らかに焦燥していた。

 無理もない、というべきか。彼らの『悪事』の規模から言えば──村一つ潰すか潰さないか()()の悪意では、『離散』のサラディアなど別世界の人物である。

 そんな規格外の化け物が彼らの庭に現れたのだ。焦燥するのは当然と言える。

 

 と。

 

 ピッ、という小さな音とともに、暗がりからペンが『射出』され、首領の男の額に直撃した。

 

 

「……落ち着きなよ、リーダー」

 

 

 その奥。

 安楽椅子に腰掛ける少年の一言によって、首領の男は一応の落ち着きを取り戻す。

 

 

「…………カーマ」

 

 

 実のところ、『結実新世』にとってはカーマと呼ばれたこの少年こそが最重要人物であった。

 

 『千手』のカーマと言えば、裏世界ではまるで都市伝説のように語り継がれている名の一つだ。

 詳細は不明。具体的な逸話も存在しない。だが、『何か恐ろしい強大なもの』の残り香のように、その名だけが痕跡として残っている。

 

 

「もう一度言うよ。落ち着いて、リーダー」

 

 

 カーマは言いながら、安楽椅子に体重を預ける。ギィ、と木の軋む音が、溜息のように彼らのいる隠れ家に響いた。

 

 

「真の強者っていうのはね、名を知られないものなんだ」

 

 

 そう言うその横顔は、どこか恥じているようですらあった。

 

 

「当然だろ? 仕事のたびに敵をきちんと殺していれば、自分の正体を知る者は仕事を仲介する信頼できる者だけ。名を知られるってことは、仕事のたびに取りこぼしているマヌケだけなんだ。かくいう僕も、『千手』のカーマなんて名前を知られてしまっている。もちろん『千手』から僕の真の属性を突き止めることは難しいだろうけど……失態は失態だね」

 

 

 だが、とカーマは続ける。

 敵対者に対する嘲笑の言葉を。

 

 

「サラディアはその点でいけば群を抜いている。『「離散」のサラディアは無敵だ』? お笑いだよ。確かにあれだけ逸話が大量に流れていて身元をリセットしないそのメンタルの強さは無敵かもしれないけどね」

 

 

 ──脅威とそれに対する対策が渦のように流れるこの界隈において、情報とは何にも勝る武器となる。

 

 たとえ最強の存在でも、その正体が晒されて対策を練られれば、『その最強っぷり』を発揮する舞台を整えることなくあっさり殺される。

 

 無惨に。

 

 無様に。

 

 無情に。

 

 そういう世界なのだ。

 そしてそんな世界において、『離散』のサラディアはあまりにも脆い。

 確かに、『属性』は強いのだろう。まともに戦えば敵なしなのだろう。だが、本人がその強さの上に胡坐をかいている。無敵の『属性』に慢心して、自分の命が狙われる危機感を忘れている。

 

 上には上がいるという、当然の法則から逃れたと思い込んでいる。

 

 

「無敵なのは、『離散』だ。『「離散」のサラディア』じゃあない」

 

 

 ダメ押しのように、カーマは最後にこう付け加えた。

 

 

「見せてあげるよ。『本当の無敵』が何を意味するのか」

 

 

 

* * * * * *

 

 

 

 びしゃあ、と赤のシャワーが緑一面の景色を塗り潰した。

 

 ちょうど、サラディアが虎の魔物を『離散』させた直後のことだった。

 カーマは首領の男とその配下の男たち数人を連れて、遠巻きにその様子を観察していた。

 

 サラディアを取り巻くように魔物たちを配置しながら、カーマは思う。

 

 

(……世にも珍しい『デュオ』の魔物を見ても顔色一つ変えずに『離散』、か。僕らでさえこの森で『アレ』を見つけたときは狂喜したというのにね……。……場慣れしているのか『離散』への過信ゆえか……。どちらにせよ、やはり真っ向勝負では分が悪いな)

 

 

 『千手』のカーマは『離散』のサラディアを嘲笑するが、決して彼女のことを──彼女の『属性』の脅威を見くびっているわけではない。

 むしろ、彼はその脅威を正しく認識していた。『離散』は無敵だ。真正面から戦って勝てる『属性』ではない。

 それを認識したうえで、勝算を構築し終えている。

 

 『千手』のカーマは、静かに瞑目する。

 化け物を前にしてあまりにも突飛な行動に首領の男はわずかに目を剥くが──やがて彼の持つ『属性』に思い至り、納得した。

 

 

 『千手』のカーマは、『使役』の『属性』を持つ。

 

 

 『使役』とは、『他者を使うこと』。だから彼は今までの人生で『誰かを使うこと』を宿命づけられてきたし、その為の異能も与えられていた。

 その能力とは――――『一定以上自らと行動を共にしたものの意思を、意のままに操ること』。

 たとえば飼育した魔物であれば活動時間が一定を超える為、彼の意のままに操ることができる。

 というか、『結実新世』がこうして魔物を軸にした活動をできるのも、彼の異能によるところが大きい。本来魔物は獰猛で手が付けられないため、使役どころか飼育すら難しいからだ。

 継続した命令を与えるだけなら最大使役数は一〇〇。リアルタイム操作を行うならば五の生物を同時に操ることができる。

 そしてカーマは──この異能をさらに進歩させている。

 

 『使役しているのならば、その視覚すらも認識できて当然である』。

 

 そう『認識』することにより、カーマの『使役』は使役生物の視界を獲得することにすら成功していた。

 瞑目して視界をあえて潰すことにより、使役している魔物の視界を完全に把握、有機的な連携をとるこの布陣こそ、『千手』のカーマを『曖昧な都市伝説』という最強の一角に押し上げた必勝の陣だ。

 

 

(ヒトの扱える『属性』は、最大で四つ)

 

 

 瞑目し、五の視界から盤面を完全掌握しながら──カーマは静かに戦略を練り上げる。

 

 

(だが、『使役』を持つ僕にその定義は当てはまらない。自分一人の力だけじゃない。僕が使役した生物全てが、僕の持つ『属性』だ)

 

 

 『暴風』と『灼熱』を持つ禿鷹。

 

 『粘膜』と『加速』を持つ蟒蛇。

 

 『怪力』と『硬化』を持つ土竜。

 

 『巨大』と『吸収』を持つ蝦蟇。

 

 『暗闇』と『閃光』を持つ蝙蝠。

 

 

 都合、一〇の『属性』。これを自在に使われた日には、被害者は『千の手』──その錯覚を抱くことだろう。

 

 だがその能力を以てして、カーマが目指したのは小手先の応用や相乗効果ではなかった。

 そんなものが『離散』に通用しないことは、とうに分かり切っている。

 

 だから彼が目指したもの、それは――――

 

 

(圧倒的、物量)

 

 

 直後。

 

 戦争が、始まった。

 

 

 禿鷹が『灼熱』の『暴風』を叩きこむ。

 

 それを無力化できる『粘膜』を持つ蟒蛇が『加速』してサラディアへ肉薄する。

 

 『巨大』と『吸収』を持つ蝦蟇が禿鷹に対する盾になる。

 

 『怪力』と『硬化』を持つ土竜が地面から忍び寄る。

 

 蝙蝠は『暗闇』と『閃光』を使うことでサラディアの視覚情報を完全に奪う。

 

 

 いかに『離散』が無敵といえど、『属性』とは使用者の認識によって機能する。

 

 つまり、サラディアが対処しきれない圧倒的物量によって攻勢を仕掛ければ、たとえば禿鷹の『灼熱+暴風』を『離散』させたとしても次の蟒蛇や土竜が向かってくる。禿鷹を無力化しようとしても蝦蟇や蝙蝠がその動きを阻害する。

 そうこうしているうちに『結実新世』の人間も戦場に加わる。

 こうなってしまえば、『離散』がどれほど強力であっても無駄なことだ。それが、たった一人の人間の限界でもある。

 

 当然、サラディアは遠からずミンチに──

 

 

 ────なるはずだった。

 

 

 

(…………あ?)

 

 

 異変に気付いたのは、『使役』しているはずの禿鷹が一向に動かなくなったからだ。

 

 確かにサラディアは強かった。

 

 禿鷹の『灼熱+暴風』をただ『離散』させるのではなくその向きまでコントロールすることで蟒蛇や土竜を吹っ飛ばし、光の『離散』を操ることで蝙蝠の明暗操作に張り合い、蝦蟇さえ殺そうとした。

 だが、それで終わりのはずだったのだ。

 彼女の身体には無数の切り傷が生まれ始め、近くにいる男はもはや自分の身を守るので精一杯になっていた。

 

 このまま行けば、確実な勝利が待っていたはずだったのに──

 

 ──『使役生物』たちが、急に動かなくなった。

 

 もちろん『使役生物』に自由意思は存在していない。まるでそうあることが悦びであるかのようにカーマに従う。そのはずなのに……動かない。まるで、カーマとの間にあった『何か』が切断されたかのように。

 

 

「甘いなぁ、甘い甘い」

 

 

 『使役生物』の視界ごしに見える亜麻色の髪の女が、けらけら笑いながら嘯いた。

 

 ゾッ、と。

 カーマの全身が、一瞬にして総毛立つ。

 

 

(ま、さか……! まさか、この女………!!)

 

 

 それは、この場において最悪の可能性。

 

 

(僕の『使役』を、『離散』させやがったのか……!?)

 

 

 そうとしか、考えられない状態だった。

 

 『属性』は『属性』に対して干渉できない。いくら『離散』が無敵だとしても、『使役』の力を離散させることはできないはずだ。

 だがそれは、カーマの知る定説にすぎない。

 

 何せこの世には、『呪術』という例外が存在する。

 

 呪術の中には、この世でただ一つだけ『属性』に干渉する技術──『属性簒奪』が存在する。『結実新世』の大元であるカースドが生み出した技術であり、『属性』を宝玉として抜き出し管理することができるのだ。

 ここで重要なのは、『属性を抜き出す技術』ではない。

 大事なのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということ。

 

 カーマは知っている。

 

 最初に『火炎』と『冷気』の猛虎をけしかけたときに見ていた。

 

 サラディアが、意味ありげに赤黒い炭で近場の木に何かを書き殴っていたのを。

 

 あれが、呪術の発動条件を満たすための行為だとしたら?

 

 既にサラディアが『離散』と『呪術』を組み合わせ、『目に見えない「属性」による繋がりを「離散」させる方法』を開発していたとしたら?

 

 『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 『離散』のサラディアに対して、使役生物をけしかけさせることはできないのでは…………?

 

 

 そこまで思いを巡らせ、カーマは、

 

 

(…………よかった)

 

 

 安堵した。

 

 

(君の底がその程度で、本当によかった。『離散』と『呪術』を組み合わせる()()で…………。『離散』のサラディアは無敵、本当にその通りだった。見くびったことを詫びるよ)

 

 

 『千手』のカーマは、デュオだ。

 

 『使役』の『属性』の他に、『射出』の『属性』も備えている。

 無論、『使役』に比べてあまりに汎用性の低い『属性』であるため、使用頻度は低くできることも少ないが──同時に彼は、呪術師を組織の根幹に置く『カースド』に連なる組織に属している。

 たとえば。

 

 『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「……はい、おしまい。魔物の配置からして……術者がいるのはそのあたりだね?」

 

 

 当然のように居場所を言い当てられたカーマだったが、彼に焦りはない。

 首領の男以下結社の人間は既に戦意を喪失しているようだったが、彼にはまだ勝算がある。

 

 

「甘いな、『離散』のサラディア! 僕にはまだ『使役生物』のストックがある!!」

 

「──ッ! マズいサラディア! ソイツ、使えなくなった魔物の操作を別の魔物に移すつもりだ!」

 

 

 一気に飛びのきながら、カーマはサラディアに叫ぶ。

 その一瞬後で、カーマがさっきまでいた場所で鮮血の嵐が吹き荒れた。

 一瞬前まで仲間だった肉塊には目も向けず、カーマはサラディアに全神経を集中させる。

 

 当然、今の発言はサラディアの意識を少しでも他に向けるためのブラフだった。

 『使役』を待機命令モードから完全操作モードに切り替えるには、使役対象を半径五メートル内に収める必要がある。

 だが、サラディアはそんなことを知らない。幸い近くにいた男がブラフに引っかかったこともあり、サラディアの警戒はカーマから外れていた。

 

 

(ここだ!!)

 

 

 そしてカーマは、その一瞬を見逃さなかった。

 

 ドヒュッ!! と。

 カーマの手にあった赤黒いナイフが、サラディア目掛け高速で飛来する。命中するだけで命に関わる威力だ。

 

 

「っ!!」

 

 

 サラディアは超人的な勘によって直前で気付いて、身をひねったようだが──

 

 

「…………()ったいな」

 

 

 その頬には、深い切り傷が生まれていた。

 

 『属性』を簒奪する呪術が込められたナイフによる、切り傷が。

 

 

「……痛いで済んでよかったね」

 

 

 カーマは静かに、落ち着き払った声でそう告げた。

 

 もはや、彼の『使役生物』は完全に動きを取り戻していた。

 彼の『属性』を阻んでいたものは取り払われたのだから、当然である。

 

 

「…………? ……まさか、今のナイフ」

 

「流石の勘の良さだね。そうさ、『属性簒奪』だ。君の『離散』は」

 

 

 

 ばばばばばばっ!!!! と。

 

 直後、『使役動物』の視界が暗転した。

 

 いや。

 

 カーマの目の前で、そのすべての頭がはじけ飛んで『離散』した。

 

 

「………………はぁ?」

 

 

 素っ頓狂な声が自分のものであると、カーマが理解するまで、たっぷり五秒かかった。

 

 

「『離散』が、なんだって?」

 

 

 その地獄を生み出した女は。

 

 『離散』のサラディアは、まるで悪戯が成功した子供のように楽しそうな笑みを浮かべ、そう言った。

 

 

「え、そんな……だってナイフは当たって…………………………………………なんで?」

 

「その『離散』の属性珠っていうのは、これのことかな」

 

 

 くつくつと嗤いながら、サラディアは懐から一つの珠を取り出す。

 禍々しい光を内包したその珠を見て、カーマは絶句する。

 

 

「………………そんな。まさか、お前、そんな、そんな……!」

 

 

 この属性珠は、ナイフの切り傷によって生まれたものではない。

 

 ナイフの切り傷によって、属性珠は生み出されていない。

 

 つまり。

 

 

()()無能力者(ノンマン)()()…………!?」

 

「ご名答」

 

 

 ボッ、とカーマの右足が『離散』した。

 

 いや。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 すべては、仕組まれていた。

 『離散』のサラディアは無敵。

 その風評すら、サラディアの掌の上だったのだ。彼女は無敵の『属性』を操る最強の殺し屋なんかじゃない。そう相手に思わせ、誤情報で全ての歯車を滅茶苦茶にする、狡猾な暗殺者だったのだ。

 

 

「魔法、呪術、属性。三つの力っていうのは根本的に、『できること』に違いはない。違いがあるのは過程と、()()()

 

 

 まるで講釈をするみたいに、サラディアは赤黒いペンを振りながらそう告げる。

 

 

「ッッッッ、がァァァあああああああああああああああああああああッッ!?!?!? 馬鹿なァァあああガブチャッ」

 

 

「────『使役した者の痛みも理解できて当然』。……アンタがそんな人間だったら、今頃這いつくばっているのは私の方だったかもね」

 

 

 そして最後に、カーマの視界が暗転した。



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03_無敵の失墜 DEAD-END

「また派手に死んだな……」

 

 

 生き物の息遣いや草葉の揺れが聞こえる、『自然な静寂』の中。

 便利屋の男は、感嘆とも恐怖ともつかない表情を浮かべながらそうごちた。

 彼の視線の先には、首から上が薔薇の花のように()()()()()()()()()()()惨死体が転がっている。

 理性的なたたずまいだった少年は、今は四肢を投げ出して滑稽なポーズをとりながら地面に放置されていた。

 

 

「…………アトリ神の名において、彼の者の眠りに安らぎがあらんことを」

 

「ちょっと、やめてよ」

 

 

 祈りの言葉を口ずさみながら死体に火の弔いをあげた便利屋の男に、サラディアは煙草に眉を顰めるような不快さを言葉に浮かべながら口を挟んだ。

 サラディアはその豊満な胸の間に血炭筆を挟みこみながら、

 

 

「火なんて使ったら不自然でしょ。放っておけば魔物に食われるし、そうすれば軍も事故って判断して迷宮入りになるんだから」

 

「お前に人の心はないのか」

 

 

 今度は明らかに呆れの表情をにじませながら、便利屋の男は渋々水魔法を使って火を消し止める。

 そうは言いつつ、彼も特に弔いを諫められたことには不満を持っていない。妥当な指摘だと思っているのだ。

 ザクロ頭の死体を作ってみたり、死体に火をつけてみたり、死体に水をかけてみたり、もはや此処に人間の尊厳などないのであった。

 

 

「しかし、流石だったな。使役生物……だったか? アレの動きを止めた方法なんか、俺には全く分からなかったぞ」

 

「別に特別なことはしてないよ。敵の配置を読んで、『血脈散華』で縫い留めただけ」

 

「……と簡単に言うがな」

 

 

 呪術使い・サラディアの扱う呪術──『血脈散華』の原理は、非常にシンプル。

 自身の血液を七日七晩煮込んで作った血の炭を魔物の脂と練り込んで作った『血炭筆』で描いた線から『力』を放つ術式だ。

 『力』は引いた線が単純であればあるほど単純な『力』になるが、幾つも線が折り重なった陣を描けばそれだけ複雑な『力』を放つことができる。

 線一本では精々一発の斬撃が精々だが、複雑な陣を描けば『光に干渉する力』を放ったり、『肉を内側から爆散する力』を放ったりすることもできる、という風に。

 この呪術を使って、サラディアは『離散』という無敵の『属性』を演出していたわけだ。

 先ほど急に『使役生物』が動かなくなったのも、戦いながら『使役生物』の配置を自分の狙った場所に誘導し、そこで『力』を叩きつけて動けなくしていたというのがカラクリだった。

 

 

「『属性』の限界っていうのは、使用者の認識によって決まるんだよ」

 

 

 サラディアは手慰みのように胸に差しこんだ血炭筆に指をあてて、

 

 

「『千手』のカーマは、『使役した生物の視界は見れて当然』と思ったからこそ使役生物の視界を得ることができた。……ただし、それは逆もまた然りなんだよね」

 

「『「離散」のサラディアに使役生物との繋がりを離散させられたからもう操れない』……一度でも本気でそう思い込んでしまえば、その思い込みを疑わない限り本当にそうなってしまう。……というわけか」

 

「そ。『属性』って意思一つで使えて応用性も三つの異能の中で抜群に優れてるけど、こういうところが脆いんだよね」

 

 

 『属性簒奪もそうだけど』と、サラディアは苦笑する。

 

 もっとも、彼女が全幅の信頼を置いている呪術だって万能というわけではない。

 たとえば、『血脈散華』は陣を描いた時点で『力』が放たれる先は決まっている。

 後から『力』の行き先を変更したい場合は、きちんとそうなるように陣に記述を増やしたり、あるいは減らしたりしなければならない。

 サラディアは戦いながら陣を調整することで照準を変更したり、放つ『力』の種類を上書きしたりして呪術の『前準備が必要な為、リアルタイムで呪術の準備ができない』という欠点を克服しているが──

 無論、そんなものは神業である。だが、その神業を事も無げにこなせるからこそ彼女は今もここにいる。

 

 

「しかしそれって、けっこう薄氷の勝利なんじゃないか? だって敵が『使役してる生物の痛覚も共有できて当然』とか思ってたら、すぐに異変に気付くだろ」

 

「それはないよ」

 

 

 素朴な疑問を口にした便利屋の男に、サラディアはきっぱりと言い返した。

 

 

「だって彼は、『使役』の『属性』の奴隷だったから」

 

「…………、」

 

「これは私の持論なんだけどさ」

 

 

 仕事が終わった直後だからだろうか。

 サラディアはまるで酒を片手にしているかのように、饒舌に語る。

 あるいは彼女にとって、この勝利の余韻こそが酒気にも似た恍惚なのか。

 

 

「『属性』の本質は、異能の方にはないと思うんだよね」

 

 

 『属性』を持つ者は、それに応じた異能を持つ。『使役』であれば他者を操る力、『射出』であれば手の中にある物を撃ち出す力、という具合に。

 だが──『属性』の影響はそれだけではない。

 

 たとえば『謙虚』という『属性』を持っていれば所持者の性格はずば抜けて『謙虚』になる。

 

 たとえば『繁栄』という『属性』を持っていれば所持者の人生は常に『繁栄』を約束される。

 

 このように、『属性』には所持者に異能を授けるものもあれば、性格や運命に作用するもの、そのいくつか、あるいは全てに該当するものもある。

 そうした前提を踏まえたうえで、

 

 

「『属性』の本質は──異能みたいな目に見える影響とは違う、()()()()()()()()にある。きっと『属性』が持つ異能は、その余波を拝借しているにすぎないんだと思う」

 

「話が混線してきたな。だからなんだっていうんだ?」

 

「故・カーマ君の人生も、『使役』に彩られてきたんだろうなってことさ」

 

 

 生まれた時から『一定の時間を過ごした者の意思を操ることができる』能力を持っていた人間が、どういった成長を辿るだろうか?

 ──その答えは、彼が今こうして闇の中で命を落とした時点で見えているだろう。

 だから彼には、『使役した者の痛みも理解できて当然』なんて発想には至らない。『使役』の奴隷だった彼には、使役される者の痛みは決して分からない。

 

 

「……そんなもんかね」

 

「そんなもんなのさ」

 

 

 『離散』のサラディアは、『千手』のカーマという少年の人生をその一言で総括した。

 それで、彼女は一人の少年の人生を完全に過去のものとした。

 

 

「じゃあ、今回も帰──」

 

「いや、まだだ」

 

 

 カッ、と。

 いつの間に取り出したのか、サラディアは木に血炭筆を強くぶつけてそう返した。

 

 

「なんで私は気付かなかったんだ……? そうだ、最初からおかしかったんだ」

 

「おいおいおいおい、待ってくれ。もう仕事は終わったぞ。まさかここから追加業務なんて言い出すんじゃないだろうな?」

 

「終わってすらいないんだよ」

 

 

 サラディアの表情には、焦燥すら浮かんでいた。

 

 

「複数の『属性』を持つ魔物は稀有なんだ。それをあれだけ集めていたということは、十中八九あの魔物たちは()()()()()()()()()()()()()()()()ってことになる」

 

「……それがどうかしたのか? 奴らは複数の『属性』を魔物に組み込んでいた。それだけの話じゃないか?」

 

「ならどうして一匹の魔物に属性を三つも四つも組み込まなかった? 三人のソロより一人のトリオ。これはこの界隈じゃ常識だよ。魔物だってそれは同じだ」

 

「…………、」

 

 

 断言したサラディアに、便利屋の男は言葉を失った。

 それくらい、サラディアの指摘が的を射たものだったということもある。

 

 

「『千手』のカーマは確かに『使役』の奴隷だった。でも、彼は同様に()()()()()()()()()だったんだ。少なくとも『属性簒奪』をナイフに付与し、魔物に『属性』を植え付ける研究をしている程度には、彼らは全員呪術師だったはずなんだよ」

 

 

 それは、彼の人生を総括したからこそ気付ける矛盾だった。

 『使役』の奴隷であっても、彼の人生はそれだけじゃない。『使役』という基盤に支配される形ではあるが、その範疇内で彼なりの人生が展開されていたはずなのだ。

 だからこそ、カースド系組織の中核というポジションに辿り着いていたはずなのだから。

 

 

「そして、呪術師ってのは根本的に研究者だ。人工的に属性を増やした魔物を作ったとして──『二つ』が出来たら次は『三つ』。それが研究者たる呪術師の常道だ。呪術師ってのは基本的に合理性を無視してでも自分の興味を追究したがる生き物だからね。なのに『デュオ』の魔物があれだけ量産されていたのはおかしい」

 

 

 戦略的な矛盾。

 

 道義的な矛盾。

 

 この二つの矛盾が示すのは──

 

 

「つまり彼らの使っていた技術は、彼ら自身が開発したものじゃない可能性がある」

 

「どういうことだ。技術供与を受けていたってことか?」

 

 

 便利屋の男は半ば頭を抱えるようにしながら、

 

 

「おいおい、結社の人間は全滅だろう? 技術供与を行っていた黒幕を潰さない限り今回のオーダーである『再開発の邪魔をする馬鹿を始末しろ』が未完了じゃあないか……。今から当てのない長期調査なんて御免だぞ……俺は便利屋じゃないんだ」

 

「便利屋じゃん」

 

 

 適当にまぜっかえしながら、サラディアは憮然としてしまった便利屋の男に向かって続ける。

 

 

「それに、全く当てがないわけじゃないよ」

 

「どういうことだ?」

 

「敵の本拠地」

 

 

 サラディアはぴっとひときわ長いラインを木に引き終えると、くるりと手の中で血炭筆を回転させて言う。

 

 

「カースド系の組織は基本的に研究者の集団だ。そこに行けば、確実に奴らの研究成果を掴むことができるはずさ」

 

 

 

* * * * * *

 

 

 

03_無敵の失墜 DEAD-END

 

 

 

* * * * * *

 

 

 

 というわけで、サラディアは『結実新世』だった肉塊の山を後にして、森を散策していた。

 散策──といっても彼女たちの歩みに迷いはない。というか、主にサラディアが迷わず進んでいた。

 前を歩くサラディアの背中を見ながら、便利屋の男は感心したように呟く。

 

 

「随分慣れた動きだな」

 

「このへん、地元でね」

 

 

 サラディアは振り向かずに言った。

 便利屋の男からは、彼女の揺れる亜麻色の髪ばかりが見えるだけで、表情を窺い知ることはできないが──

 

 

「地元? 元騎士領がか? てっきり『下流(スラム)』の出身かと思ったが、意外に中流出身だったんだな」

 

「アンタ、そういうとこ直さないとお嫁さんもらえないよ」

 

 

 しれっと失礼なことをのたまう便利屋の男に言葉の刃を突き立てたサラディアは、特に気にする様子もなく歩を進める。

 

 

「ま、そういうわけだからこのへんの森は子供の頃よく遊んでいたのさ。お陰で勝手知ったるなんとやらというわけだね」

 

「なるほどな……」

 

 

 納得しながら頷き、

 

 

「確かに疑問ではあったんだ。お前の戦闘センスがいかに高いとはいえ、初見の地形で敵を狙った位置に誘導できるのは妙だとな。あらかじめ土地勘があるなら納得だ」

 

 

 そして──と便利屋の男は続ける。

 

 

「このあたりの土地勘があるということは」

 

「そ。この先に石造りの小屋がある。元騎士領の森の中で隠れ家にするなら、あそこが一番いいだろうね。私も子供の頃あそこを隠れ家にしていたから」

 

「お前の子供時代とか、全く想像ができないけどな……」

 

「失敬だね。私にだって子供時代はあるよ。それはもう純真で疑うことを知らない優しい子供で……」

 

「嘘つけ」

 

 

 仰々しい動きで身振り手振りを付け加えながら、くるりと向き直ったサラディアの言を、便利屋の男はばっさりと切り捨てる。

 つれない返答に肩透かしを食ったのか、サラディアはかくりと体勢を少しだけ崩して見せる。後ろ歩きしながらなので、何気に器用な動きなのだった。

 

 

「お前に限って純真とかありえないだろ。齢五にして人殺しになってそれ以降無敵の名をほしいままにしてるとか言われたって疑わないぞ、俺は」

 

「そんなことないって分かってるくせにぃ」

 

 

 拗ねたように口を尖らせながら、サラディアは前方へ向き直る。

 それで、無駄口は終わった。何故か?

 

 

「ほら、見えてきたよ」

 

 

 彼女たちの目の前に、目的地でもある石造りの小屋が見えてきたからだ。

 

 

「あそこで連中の研究レポートを漁って黒幕を見つけて始末すれば任務終了さ。よかったね、ゴールが見えてきて」

 

「まったくだ……。どうなることかと思ったが、無事に終わりそうでよかったよ」

 

「何事もなければの話だけどね」

 

「………………」

 

 

 緩みかけた空気が一気に緊張感を取り戻したのは言うまでもない。

 

 

 

* * * * * *

 

 

 

 

「どうだい? 調査の方は」

 

 

 ギィ、と。

 

 安楽椅子に深々と腰掛けながら、サラディアはゆっくりと寛いでいた。

 安楽椅子は大分使われていたらしく、足の部分が接地している床は少しすり減って凹みになっていた。

 手慰みのように血炭筆でそのひじ掛けを叩いているサラディアに、便利屋の男は呆れながら言い返す。

 

 

「お前も手伝ってくれればもう少し早く終わるんだがな」

 

 

 隠れ家の中は、呪術師集団のアジトらしく様々な本や魔物の体液、良く分からない干物が散乱している。

 この中から目当ての情報を獲得するだけでも至難の業なのだが、安楽椅子に腰かけてゆったり夢見心地のサラディアはそんな便利屋の言葉を鼻で笑う。

 

 

「冗談。アンタ便利屋でしょ? 戦闘は私が全部やったげたんだから、こういうところでくらいお仕事しないと」

 

「俺は監督役なんだがよ……!」

 

 

 とはいえ、この地獄において強者たるサラディアの言うことは絶対である。便利屋の男は泣く泣く一人での孤独な調査を実行する。

 悲しくなるくらい立場の低い男であった。

 

 と、そんなふうにこの世の格差を体現していた調査風景だったのだが──やがてそれにも終わりが訪れる。

 

 

「…………妙だぞ」

 

 

 最初に声を上げたのは、調査と並行して掃除も進めていた便利屋の男だった。

 既にひじ掛けを真っ赤にする勢いだったサラディアが、その声に応じて立ち上がる。

 

 

「どうしたのさ」

 

「ないんだ」

 

 

 便利屋の男の回答はシンプルだった。

 

 

「研究データが、ない。……いや、データ自体はあるんだ。だが、『魔物に属性を植え付ける研究』に関するレポートが一切存在していない。……『使役』の運用方法や、『使役』の能力を第三者でも再現できるかどうか、という研究ばかりだ」

 

「なるほど、連中の本質が良く分かる研究だね」

 

 

 つまり、『結実新世』は歪み始めていたのだろう。

 

 最初こそ属性の遺伝を研究し、そして『遺伝する属性』を生み出すことで世界に蔓延る格差を少しでも埋めようとしていた。

 だが、その方策として『使役』を持つ『千手』のカーマを組織の中枢へ迎え入れたことにより、変質した。

 魔物を効率よく操り交配を促進する為だったはずの『使役』がいつしか組織運営に欠かせないものとなり、最終的に『使役』を研究する為の組織に──カーマに『使役』されるだけの奴隷へと成り下がってしまっていたのだ。

 

 

「だが……これではそもそも論が通らない。技術供与を受けていたのだとしたら、最低でも『マニュアル』くらいは残っていないとおかしいだろう?」

 

「機密保持のために処分したとか?」

 

「考えられない。『マニュアル』だぞ。『使役』の研究しかしていない集団が供与された技術のマニュアルを破棄するなんて現実的じゃない」

 

 

 それに、と便利屋の男は付け加える。

 

 

「そもそも、属性珠がない。連中が技術供与を受けていたなら、最低限魔物に組み込むために使った属性珠やそれを植え付ける術式の痕跡がないとおかしいだろう」

 

「……確かにね」

 

「極め付きはこの研究日誌だ。なんて書いてあると思う?」

 

 

 便利屋の男は一枚の紙を指でつまみ上げながら、

 

 

「『この森は素晴らしい。デュオの魔物がこんなに大量にいるなんて考えられない。きっと何か特殊な生態系があるのだろう。今日からここを拠点として研究を行うことにする』」

 

「………………」

 

「……属性を植え付ける研究なんて、コイツらは最初からやっていなかったんだよ。此処にいた魔物たちは、最初から属性を付与されていたんだ」

 

「……馬鹿な。そんなはずはないよ。私が子供の頃にデュオの魔物なんて領内には存在しなかった。これは間違いない」

 

 

 サラディアの表情から、初めて遊びの色が失われる。

 

 

「…………とすると……」

 

 

 サラディアが指を顎に沿えて思案を始めた、

 

 

 ちょうどその時だった。

 

 星全体が震撼するような轟音と共に、石造りのハズの隠れ家の天井がまるで薄板か何かのように突き破られる。

 そして同時に、先ほどまでサラディアが深々と腰掛けていた安楽椅子が何者かによって踏み砕かれた。

 

 

「……チッ! 最悪のパターンだ!」

 

 

 血炭筆を振り回して近場の壁に陣を描きつつ飛んできた木片を『離散』させながら、サラディアは悪態を吐く。

 彼女の横顔からは、『千手』のカーマ相手に見せていた余裕は既に失われていた。

 

 

「……三つ、四つ…………いやまさか…………五つ?」

 

「何の話だ!?」

 

「『属性』の話だよ!」

 

 

 叫びながら、サラディアは便利屋の男の腕をつかみながら壁に突進する。

 ぶつかる一秒前に壁を『離散』させたサラディアは、そのまま致死圏内である隠れ家の外へと逃れた。

 

 

「……………………」

 

 

 そうやって一旦距離をとったところで、ようやく下手人の全貌が見えた。

 

 

 ────辛うじて、ヒトであることは分かる。そんな異形だった。

 

 

 隆々に盛り上がった上半身が人間離れしているから、ではない。

 彼の肉体は、既にヒトである部分を探す方が難しい有様になっていた。

 上半身は獣の皮で覆われ、一部は液状化し、破れた衣服から覗く下半身は鱗に覆われている。

 そんな有様を見たサラディアが彼のことを魔族──意思を持つ魔物と断じなかったのは、その特徴のちぐはぐさもさることながら、彼の顔面の右半分が、自分のものと同じ肌をしていただったからだ。

 

 あまりにもヒトからはかけ離れた怪物に、サラディアは思わず肩を竦める。

 

 

「…………やれやれ。黒幕の『作品』かねあれは。最高傑作だったら助かるんだけど」

 

「そっ、それより!? 五つってどういうことだ!? まさか……あの化け物、クインテットの人間だっていうのか!?」

 

()()()()()()()()()()

 

 

 人類が備えることのできる『属性』の数には、上限が存在する。

 一つならばソロ、二つならばデュオ、三つならばトリオ、四つならばカルテット、五つならばクインテット──そして人類が持てる『属性』の上限は、現在確認されている限りでは『クインテット』であった。

 しかし──

 

 

「それでも、あれだけ人間やめた『クインテット』は見たことないけどね」

 

 

 それでもなお、目の前の現象は異常だった。

 

 確かに、『属性』の中には所持者の見た目を変えるものも存在している。

 たとえば『獣』の『属性』を持つ者は見た目や生態まで『獣』の要素を帯びた新生物──獣人となるし、魔物の『属性』を与えられた者はまともな人間ではいられない。

 たった一つでそれなのだ。肉体を変化させるほどの『属性』を複数埋め込まれたなら、当然ながら死ぬ。

 にも拘らず、あんな状態で生きて動いていること。もっといえばサラディアに対する刺客として送り込まれたこと。これが既に異常事態だった。

 

 

「どうする!? 逃げるか? さっき安楽椅子に書いていた陣は!?」

 

「焦るな便利屋。既に撃ってあるよ。『光』にして相手の目にぶち込んだ。……もっとも、まるでコーヒーにミルクを溶かしこむみたいにあっさり打ち消されたけどね」

 

「な…………!!」

 

 

 あの一瞬で、木片に対する防御を展開し、石造りの壁を破壊しながらも抜け目なく攻撃を繰り出していたサラディアももちろんだが──件の化け物はそれすらもガードしていたという事実。

 規格外の領域であると体感させられる状況に、便利屋の男は思わず息を呑む。

 

 

「でもまぁ、本命はまだこれからなんだけど、ね」

 

 

 言いながら、サラディアはゆっくりと口角を吊り上げた。

 

 ずっと、手慰みに血炭筆で描き続けてきた。

 

 サラディアは心のどこかで、こういう状況になることを覚悟していた。つまり、まだ見ぬ黒幕が現れ、彼女の命を狙ってくるという最悪の事態を。

 そしてそれに対し、対策も講じていた。

 

 ずっと、手慰みに血炭筆で描き続けてきた。

 

 何を? ──当然、陣を、だ。

 

 隠れ家での襲撃を予見して、それに対抗するために道中精密な調整を続けてきた──今日一番の一撃。

 

 

「便利屋」

 

「……あ?」

 

「『離散』のサラディアは、無敵だ」

 

 

 断言し、

 

 

「………………了解」 

 

 

 便利屋の男が泣きそうな顔で頷いた、

 

 次の瞬間。

 

 

 

 

 音が消えた。

 

 光が消えた。

 

 何もかもが、消し飛んだ。

 

 

 

 

「…………っっっっ、ぐあァァァああああああああああ!?!?!?!?」

 

 

 前もって覚悟し目と耳を覆った便利屋の男だったが、それでもなお、眼球の奥に突き刺さるような痛みと、鼓膜を貫通する不快感で一瞬気絶しそうになった。

 

 

「……あ、ああ…………?」

 

 

 五秒。

 たったのそれだけで立ち直った便利屋の男を褒める人間こそあれど、責める人間などこの世にいないだろう。

 やっとの思いで状況を認識した便利屋の男は、そこで自分が数メートルも後方の茂みに吹き飛ばされていることに気付いた。

 これ幸いと、彼は茂みの中からサラディアが先ほどまでいた場所を伺ってみる。

 

 

 そこには、()()()()()()

 

 石造りの隠れ家も、木々も、地面に生える草葉も、何もかもが消し飛んでいる。そんな空間が、前方二〇メートルに広がっていた。

 地表だけを無傷で残し、その上にあるものだけを跡形もなく消し飛ばす──それがサラディアの『血脈散華』による最大出力だった。

 光、熱、雷、そして純粋な『力』。あらゆる種類の力を複合化した塊を叩きつけるのだ。正直、余波だけで便利屋の男が死亡していないことにさえ疑問が生じるほどの威力だった。

 

 そんな、滅亡の始点で。

 

 

 

 

 

 女の死体が、転がっていた。



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04_獣身の鎹 CRITICAL

 今まで蓄えた陣の全てを解放した一撃。

 しかしサラディアは、それだけの一撃を放ったうえで欠片の油断もなく、むしろ忸怩たる感情を隠そうともせず表情に浮かべていた。

 

 バッ、と。

 そんな苛立ちをぶつけるように、サラディアは左手で自らの服の胸元を掴み、乱暴に横へ引っ張る。胸元が大きく露わになるが、それは決して無意味な行為などではなかった。

 何故なら露わになった彼女の胸元、心臓の直上に位置する部分には──()()()()()()()()錆色の刺青が彫られていたのだから。

 

 

 呪術の弱点は幾つか存在するが、その中でも最たるものとして即応性の低さがあげられる。

 何かしらの準備をしなくてはそもそも発動すらしないため咄嗟に術式を動かすことは難しいし、術式を準備する段階で『起こす現象の完成図』が決まってしまうので敵の対処に対応し返すこともできない。

 サラディアは術式を『描いた線に応じて「力」を放つ』という形に整えることで即応性の低さをカバーしているが、それでも『圧倒的な攻撃力を瞬時に放つ』となると、従来の呪術の弱点に直面せざるを得ない。

 戦地に赴いてから彼女ができる工夫といえば、手が空いているときにコツコツ大術式の準備をしておく──くらいだが。

 

 そもそも。

 

 呪術の『準備』という話をするのであれば、別に戦地に赴いてからしなくてはいけないルールなど存在しない。

 

 

 たとえば────『刺青』という形で自らの身体に『陣』を描いていたって、何ら問題はないわけである。

 

 そして。

 

 

「『展開』」

 

 

 サラディアが右手の『血炭筆』を天高く掲げた瞬間。

 

 

 彼女の背後に、二対の赤黒い長大な『翼』が顕現した。

 

 

 否。それは翼ではない。

 彼女の刺青を媒体に発動した『血脈散華』が、『血炭筆』の先端を粉々に砕き空中に配置したことによって発生した──巨大な『陣』である。

 

 確かに、『血脈散華』は高威力の攻撃を放つためには下準備が要る。そして複雑な『陣』を描かないと威力が高まらない関係上、どうしても戦闘中に出すことのできる最大威力には上限が生まれてしまう。

 だが──そんな分かり切った弱点に対して、『呪術使い』であるサラディアが何の対策もしていないわけがない。

 

 たとえば、自らの身体にあらかじめ『陣』を用意しておくだとか。

 

 たとえば、その『陣』が別の巨大な『陣』を描くためだけの術式であるとか。

 

 『離散』のサラディアにとって、一瞬にして高威力の術式を発動する()()ならばいくらでもやりようはあるのだ。

 

 

「『起動』」

 

 

 サラディアがそう宣言した直後、赤黒い『陣』は錆色の光芒となって地面を焼いた。

 得体のしれない力などではない。

 宙に舞う『血炭筆』の粉末自体を、超強大な『力』が打ち出したのだ。そしてそのあまりの威力に、撃ち出された粉末が蒸発し、プラズマと化したにすぎない。──もっとも、この世界にその語彙(プラズマ)を知る者は存在しないが。

 

 燃え盛る炎よりもすさまじい業火と化した一撃は、水が蒸発するような音を立てながら地面に赤黒い破壊の痕を残す。

 そしてその先にある未だ土煙の立ち上る領域を──その先にいるであろう異形の男を襲った。

 

 

 一閃。

 

 

 それだけで、未だ残されていた土煙がかき消された。

 そしてかき消された土煙の先には、やはり傷一つない状態の異形の男が佇んでいる。これ自体は予想外でもなんでもないので、サラディアは一ミリも表情を動かさなかった。

 この時点でサラディアは、残った血炭筆を使って自らの左腕に『陣』を描きつつ、異形の男への突撃を敢行する。

 

 

「向かってくるか。勝算でもあるのか?」

 

 

 そのサラディアに、異形の男はあくまでも冷静そうな声色で切り返す。

 慢心はない。されど焦燥もない。隙のない『強者』の声だった。

 全身が異形の姿に蝕まれているとは思えないほどに。

 

 

「なけりゃあっちで転がってる馬鹿を盾にして逃げてるよ」

 

 

 サラディアは言いながら、身体を捻って半身になる。

 

 直後、二閃。

 

 彼女が身をひるがえして生まれた僅かな隙間を縫うように、赤黒の刃が異形の男へと降り注ぐ。

 対する異形の男は、一瞥だけだった。

 

 

「随分大掛かりな小手調べだ」

 

 

 たったそれだけで、絶滅すら宿した輝きは、吹き消される蝋燭の火よりもあっさりと空気へ溶けた。

 チッ、というサラディアの舌打ちが、攻防の一瞬に取り残される。

 

 

(やはり『調和』か)

 

 

 口には出さず、サラディアは思惑を巡らせる。

 自分の情報の理解度を相手に伝えるほど、彼女は己の思考を楽しまない。

 

 

(『調和』だから多くの異形をその身に宿して崩壊していく肉体も保たせることができる。……『属性』ではなく肉体そのものを調和させているわけだ。そして、攻撃も『調和』させることで影響力を削ぐ)

 

 

 異形の男は攻撃というものを『突出した異常』ととらえているのだろう。

 であれば、突出した異常を何もない平常な空間と『調和』させることで()()、まるでコーヒーに溶かしたクリームのように馴染ませてしまうこともできるかもしれない。

 

 

(そうと分かっているなら、とるべき方策も定まってくる)

 

 

 とにかく攻撃を無力化する謎の盾ではなく────サラディアがブラフとして使っていた『離散』と同じように、異形の男の認識によって発生しているのであれば。

 とるべき方策は、カーマのものと同じ。要は異形の男の認識外から攻撃を叩きこめばいいのだ。

 

 

「しッッ!!」

 

 

 鋭く息を吐き、サラディアが異形の男に上段蹴りを繰り出す。細い足から繰り出されたとは思えないしなやかな蹴りが異形の男の顎目掛け飛ぶが────

 

 これは、サラディアの考察の末に出た仮説によるものだった。

 今までの攻撃は全て不定形のものである。

 だからこそ攻撃は全て『調和』によって何もない空間と()()()()。では、形あるものが攻撃に用いられたらどうなる?

 足も同じように周囲の空間に()()()て消えるのか? ──それはない。

 何故なら、それが可能なら異形の男は最初の襲撃の時にわざわざ壁や安楽椅子を破壊せずとも『調和』によって均し消していたからである。

 『離散』のサラディアという謎の敵を確殺するのであれば、初手で一番確実な方法を利用するべきだろう。それが合理的な判断というものだ。そうしなかった時点で、形あるものを均し消すことはできないということである。

 

 そのサラディアの考察を補強するかのように、異形の男はここにきて『調和』ではなく、獣毛に覆われた右腕での防御を選択した。

 

 

 ただし。

 

 

「幻影かッ!」

 

 

 防御の構えをとった異形の男が短く叫んだ次の瞬間、彼の目の前で蹴りを繰り出していたサラディアの姿が掻き消える。

 

 

 ──『離散』のサラディアは、たとえ絶対の自信を持っていても、仮説に自らの命を預けない。

 

 

 異形の男の頭が、大きく前に傾いだ。

 幻影に気を取られた隙を突いて背後に回り込んだサラディアが、その後頭部に『力』を叩きこんだのである。

 カーマとの戦闘において、『血脈散華』を用いて『暗闇+閃光』の光学攻撃に対抗したのは、既に知っての通り。

 敵に致命的な誤謬を発生させるためにあえて『離散』を装っていた状態でもそれが可能なのだ。きちんと『陣』を整えて発動すれば、自身の幻影を生み出すことくらいは当然可能なのである。

 

 

(……クリーンヒットでも毛皮を削る程度ね)

 

 

 そんな異形の男の後姿を見ながら、サラディアは呆れたように溜息を吐く。左腕に直書きした『陣』は既に役目を終えて焦げた炭となって削げ落ちていた。

 

 見ると異形の男の後頭部は、『血脈散華』による『力』を受けて毛皮が剥がれ、その奥にある鱗の地肌に無数のヒビを走らせているものの、致命的な破壊にはなっていないようだった。

 あと一撃や二撃食らわせれば分からないだろうが、敵も馬鹿ではない。今のと同じようなクリーンヒットを不意打ちで食らわせるのは、難しいところだろう。

 

 ──今までの『陣』を全て費やしたサラディアの最初の一撃から、三秒が経過した。

 

 

「厄介だな、その術式」

 

 

 当然のようにサラディアの攻撃を術式──呪術によるものだと看破した異形の男は、そう言って反撃を開始する。

 ドッ!! と地面を破壊して跳躍した異形の男はそのまま肉薄する。

 これは彼なりの計算に基づいた戦略でもある。サラディアの呪術による一撃が自分にとって致命傷でないことを確認した上で、余計な準備を許さないよう自ら攻める戦法にシフトしたのだ。

 そしてこの判断は、間断のない攻めによって手数を増やすスタイルを得意とするサラディアにとって最悪の対処法でもあった。

 

 

「チッ!!」

 

 

 短い舌打ちと共にサラディアが身をひるがえすと同時、三閃。

 しかし地面を赤く切り裂きながら直進する一撃も異形の男の前では儚く均され無力化する。

 

 

「今の強力な攻撃一つごとに、さっきお前が展開していた翼のような『陣』が一つ消えるわけか」

 

 

 冷静に分析しながら、異形の男が拳を振り下ろす。

 咄嗟に『力』による防御と反撃を選択したサラディアがそのまま『力』ごと叩き潰されるが──これは幻影。

 

 

「芸がないぞ」

 

 

 今度の背撃は、振り向くまでもなく均し消される。

 

 

「果たしてそうかな?」

 

 

 しかしそれはサラディアも先刻承知のこと。サラディアの今回の一撃の真の狙いは、異形の男に対する不意打ちなどではなかった。

 

 

「何を────」

 

 

 怪訝な声色で言いかけながら振り返った異形の男は、その言葉の途中でサラディアの真の目的を知る。

 彼の眼前は、大量の土煙で埋め尽くされていた。

 そう。サラディアの今の一撃は、背後からの不意打ちの為に放たれたのではない。攻撃の余波で土煙を大量に巻き上げ、それによって異形の男の視界を奪う為だったのだ。

 その目的とは――――

 

 

(認識したものを『調和』させて無力化する『属性』。なら、対処法も単純だ)

 

 

 『属性』による異能は強い。

 多くの能力が認識によって発動する上、強力なモノになると概念的な拡大解釈によって現実を捻じ曲げる。サラディアの『血脈散華』が『離散』が引き起こす現象として普通に納得されていたのも、『属性』の自由度の高さに起因しているほどだ。

 だが、認識によって発動するということは、裏を返せばヒトの認知能力の限界を超えた能力運用はできないということになる。

 つまるところ────視界を潰せば、『属性』による守りは脆くなることが多い。

 

 四閃。

 

 土煙による目つぶしで『調和』を無力化したサラディアは、その上からトドメの一撃を繰り出す。最後に残った深紅の『陣』が消え、破滅の瞬きが地面に赤黒い傷跡を残した。

 その先で────

 

 

「これが『離散』のサラディアか」

 

 

 異形の男は、呆れたような溜息を吐いていた。

 

 

「…………は?」

 

「答え合わせを待つほど呑気な性分ではない。死ね」

 

 

 一言だった。

 

 異形の男が吐き捨てた直後、その姿が掻き消える。

 次の瞬間にはサラディアの眼前まで跳躍した異形の男は、サラディアが『念のため』に仕込んでおいた『力』のトラップをものともせず──その上から、彼女の顔面に剛腕を叩きつけた。

 

 物語の決着のような、仰々しい演出はなかった。

 

 まるで枯れ木を殴るようなあっさりとした音とともに、サラディアの身体があっけなく吹っ飛んでいく。

 首は明らかに曲がってはいけない方向にねじ曲がり、圧倒的速度で地面を転がっていくうちに深窓の令嬢のようでもあった白い肌はおろし金ですり下ろされたように毒々しい赤へと塗り替えられていく。

 『死』というものが時間経過とともに確立していく光景がこの世に存在するとしたら、おそらくこれが()()だ。

 それくらい迅速に、サラディアという女は殴り飛ばされるというただそれだけの過程で、その命を削り落としていた。

 

 後に残ったのは、四肢がねじ曲がった真っ赤な()()だった。

 

 

「…………おい、サラディア?」

 

 

 そこで、便利屋の男が起き上がってくる。

 茂みの向こうに隠れていた男は、茫然とした様子で無敵などと嘯かれていた敗北者の死体を眺めていた。

 

 

「呼びかけは無意味だ。その女は死んだ」

 

 

 異形の男は、端的に事実だけを告げる。

 

 

「攻め手がなさすぎて、焦ったか──それまでの知略と比較すれば、迂闊な判断だった」

 

 

 その死を悼むように、異形の男が言う。

 迂闊と言うならば、迂闊だろう。

 サラディアは異形の男の『調和』は認識によって発動する為目潰しで認識を阻害すれば無力化できると踏んだようだが──そもそも最初の一閃のとき、異形の男は土煙の只中にいたではないか。

 もしサラディアの思惑が正しければ、異形の男はその時点で殺されていなければおかしい。そうなっていないということは即ち──

 

 

「『調和』は()()()()()()ことができる。焦りを取り除いて考えていれば、分かったことなのだがな」

 

 

 とはいえ、それは岡目八目というものかもしれない。

 命を懸けた極限状態で、自分の切り札を簡単に無力化され、それでも冷静さを保って思考を巡らせているだけで、十分常人離れしているのだ。些細な見落としをしてしまっても、それは誰にも責められないだろう。

 

 だが、それでも死ぬ。

 

 それだけで死ぬ。

 

 それが、『離散』のサラディアが生きている地獄だった。だからこそ、彼女は無敵であらねばならなかったのだ。無敵でなければ、一度でも敗北すれば──待っているのは死だから。

 

 

「…………俺は、死ぬのか?」

 

 

 便利屋の男は、立ち竦んだまま異形の男に問いかけた。

 異形の男は、ただそれを首肯した。

 

 

「……そうか、なら、最期に教えてくれないか。冥途の土産にさ」

 

「なんだ?」

 

「お前……一体何なんだ。体の殆どが異形に侵されているくせに、『離散』のサラディアをそんなに呆気なく殺して、そうして当たり前のように平然としていられるお前は……一体なんなんだよ!?」

 

 

 死の実感のせいか、穏やかだった語調はいつしかヒステリーめいたものへと変わっていった。

 異形の男はいっそ人間らしいとさえ表現できそうな穏やかさで、そんな便利屋の男の言動を見守っていたが──

 

 

「口封じだよ」

 

 

 異形の男は、ゆっくりと歩いて便利屋の男に近づきながら、そう答えた。

 距離は、およそ三〇メートルほどか。その距離がゼロになるときが、便利屋の男の最期だろう。

 

 

「サラディアはただあの結社の馬鹿共を殺しておけばそれでよかったんだ。なのにその『奥』にあるものを調べてしまった。魔物自体に『裏』があることに気付いてしまった。そうなれば、生かしてはおけない。だからたまたま監視の為に配置されていた俺が動くことになったんだ」

 

 

 一〇メートル。

 

 

「……尖兵ってことか? 冗談だろ、お前みたいな連中が他にもいるってことかよ……」

 

 

 五メートル。

 

 

「そう何人もいるわけじゃない。『調和』の属性は貴重だからな」

 

 

 ゼロ。

 

 そして異形の男は、最期にこう言い添えた。

 

 

「冥途の土産はこれで終わりだ。じゃあな」

 

 

 

「うん、ありがとう。大切に持って帰ってよ」

 

 

 そう────()()()

 

 

 

「…………あ?」

 

 

 女の、快活な声。

 今この場で最もあり得ない声を聴いて、異形の男は振り返る。そこに佇んでいたのは、右手に『血炭筆』────ではなく、無骨なナイフを持った女だった。

 亜麻色の髪は土に汚れてこそいるが血にまみれていたりはしない。深窓の令嬢を思わせる白い肌も、目立った傷は存在していなかった。

 

 死んだはずの『離散』のサラディアが、そこにいた。

 

 いや。

 注目すべきはそこではない。

 

 異形の男の生存本能はけたたましく叫んでいた。

 彼女の右手にあるナイフ。あれはなんだ? あんなものを今この場で持ち出した理由はなんだ? 『監視』をしていた自分は知っているはずだ。あれは以前の戦場に登場していたはずだ。

 『千手』のカーマが『射出』したナイフ。あれはそう、確か────

 

 

 『()()()()』の術式が、仕込まれていたのではなかったか?

 

 

 

「ま、さか……! まさか!! まさかお前!!」

 

「私、属性なし(ノンマン)だからね。あのナイフの術式はまだ発動してなかったんだよ。ひっそり回収してたんだけど……どうやら気付いてなかったみたいだね?」

 

 

 掌の中で穏やかな光を秘めた珠を転がしながら、サラディアは嗤う。

 

 当然といえば、当然の話。

 

 サラディアは既にあの時点でさらなる戦闘に備えて『陣』を準備し始めていたのだ。であれば、いかなる『属性』に対しても問答無用の致命傷を与えられる『属性簒奪』のナイフを確保しない理由はない。

 そして、複数の魔物の『属性』で崩壊しそうな身体を『調和』の力で無理やり繋いでいる異形の男から、『調和』の属性を『簒奪』すれば──?

 

 

「あ、が、ァァ、────アッッッ!?!?」

 

 

 当然待っているのは、魔物の『属性』の暴走──しかる後の自壊である。

 

 

 今わの際──死の淵に瀕したとき、異形の男の心中に遭ったのは絶望ではなく、疑問だった。

 確定していたはずの勝利。それが自らの掌から零れ落ちるという異常事態を前に、異形の男は現実に追いつくことすらできていなかった。

 

 そもそも、何故サラディアは生きている?

 

 完膚なきまでに死んだはずだったのに、どうしてこんなにも無傷で立っていられている?

 

 だから、彼の最期の言葉はこうだった。

 

 

「な………………、んで…………?」

 

「悪いけど、私は冥途の土産にベラベラ喋ってやるほどサービス旺盛じゃないんだよね」

 

 

 対するサラディアの回答は、シンプルな『力』の一撃だった。

 

 

 

* * * * * *

 

 

 

04_獣身の鎹 CRITICAL

 

 

 

* * * * * *

 

 

 

「お疲れさん」

 

 

 異形の男の死体が魔物化しないうちに細切れに分割して処理した後。

 木陰に寄りかかって一息吐いていたサラディアに、便利屋の男が呼びかける。手にはどこから取り出したのか、木のカップに入った水が用意されていた。

 

 

「ん、ありがと」

 

 

 受け取ったカップの水を口に含むと、サラディアは大きく脱力した。『千手』のカーマを殺した後とはくらべものにならないくらいの疲弊っぷりだった。

 

 

「随分久しぶりだったな、お前が『無敵』を名乗るのは」

 

「あれ小っ恥ずかしいんだよね」

 

 

 サラディアは本当に照れ臭そうに頬を掻く。

 

 『離散』のサラディアは無敵だ。

 

 ──そんな謳い文句は、全て嘘である。

 

 サラディアは『離散』を持っていないし、そもそも無敵などではない。

 ただのノンマンの呪術使いであるサラディアは、決して強くはない。用意周到に準備して、賢く立ち回って、相手を騙して、そうしてようやく()()()()()()()()()()()()()だけに過ぎない。

 そんな彼女が、自らがバラ撒いた『無敵』を口にするようなことは、絶対にあり得ない。

 つまりは、符丁なのだった。

 

 サラディアの口から『「離散」のサラディアは無敵だ』という言葉が放たれるときは、絶体絶命の大ピンチということ。

 こういう場合サラディアはどうにかして死んだふりを決め込むから、お前は命懸けで敵の気を引いて油断させろ。

 

 ────あの瞬間、便利屋の男が泣きそうな顔をしたのにはそういう事情があるのだった。

 

 

「…………悪辣だよな」

 

 

 そんな極悪な所業を思い出しながら、便利屋の男は地面に広がる赤黒い傷跡を眺めて呟いた。

 

 

「囮に使ったのは悪かったよ。報酬あげるから機嫌直して?」

 

「そっちじゃない。いやそっちもだし報酬は是非とももらうが、そっちじゃなくて──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 確かに、『血脈散華』は高威力の攻撃を放つためには下準備が要る。そして複雑な『陣』を描かないと威力が高まらない関係上、どうしても戦闘中に出すことのできる最大威力には上限が生まれてしまう。

 だが──そんな分かり切った弱点に対して、『呪術使い』であるサラディアが何の対策もしていないわけがない。

 

 たとえば、自らの身体にあらかじめ『陣』を用意しておくだとか。

 

 たとえば、その『陣』が別の巨大な『陣』を描くためだけの術式であるとか。

 

 

 たとえば、その巨大な『陣』を使って放たれた一撃すら、新たな『陣』を描くための術式である、とか。

 

 

 考えてみればおかしかったのだ。

 たとえ『血脈散華』の力で幻影を生み出すことができるといっても、その幻影を生み出すための『陣』はどこにあった? 直接戦闘の繰り返しの中で、サラディアは新たな『陣』を描く暇などどこにもなかったはずだ。

 にも拘らず、異形の男を騙せるほど精巧な幻影を作り出すことができたのは──

 

 

「ああ、まぁ、アレを使うような敵って、そもそも単純な破壊力が通用しない連中ばっかりだし」

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 これによって、『血炭筆の粉末によってつくられた精密な陣』を形成していたからに他ならない。

 

 

 これこそ、サラディアの本当の最後の切り札。

 いかにも『最後の切り札』のように見える派手な一撃を乗り越えた先にある油断に、『幻影』による身代わりと偽死でつけこみ、『暗殺』で全ての決着をつける手管である。

 

 

「でも、今回はグッジョブだったよ便利屋。時間稼ぎがてら色々情報を探ってくれてたしね」

 

「まぁな」

 

 

 今回便利屋の男が時間稼ぎをしたのにも、情報を聞き出す以外の実利的な理由があった。

 本来『属性簒奪』というのは、簒奪する属性を指定できない。とにかく属性を抽出する為の呪術なのだから当然だが、それでは今回の場合、成功率は五分の一ということになってしまう。

 それを回避するために、サラディアは死んだふりで警戒の外に出た後、『属性簒奪』にチューニングを行っていたのであった。たとえば、現時点で最も稼働率の高い『属性』を簒奪する、といったように。

 呪術師ではないサラディアだが、『呪術使い』だからこそこういった小技は得意なのであった。

 

 

「お陰で、色々敵の全貌も想像がついた。今回一番のお手柄は便利屋だね」

 

「あれだけの大立ち回りを演じておいてよく言うが」

 

 

 褒められて悪い気はしないのだろう。気を良くして軽口を叩く便利屋の男に空になった木のカップを放り投げたサラディアは、すっくと立ち上がる。

 そして休憩は終わりだとばかりに、

 

 

「さあ、後半戦と行こうか。とりあえずは、そうだね――――」

 

 

 こう告げた。

 

 

 

()()()()()()()()()



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05_命乞い NEGOTIATION

「はぁ!? おまっ……正気か!? 依頼主って、お前今回の依頼が誰から来たものか忘れたのか!?」

 

 

 サラディアの言に、便利屋の男は思わず目を丸くした。

 

 無理もない──そもそも今回の発端は、国が再開発を推し進めたい森に陣取ったカースド系結社を殲滅せよという依頼から始まった。

 つまりその依頼主といえば、元子爵領の森を再開発したい勢力──つまり国ということになる。

 

 平たく言えば、『依頼主をブチ殺す』という今のサラディアの発言はクーデター宣言であった。

 

 

「安心しなよ。私はいたって冷静だ。むしろイメージに惑わされているのはアンタの方じゃないかな?」

 

 

 狼狽する便利屋の男に対しても、サラディアはクールなままだった。

 むしろイタズラっぽい笑みを浮かべる余裕すら見せつつ、サラディアは続ける。突然のクーデター宣言が、理性に基づく発想である根拠の説明を。

 

 

「そもそも、今回の襲撃で私達に対する追手は終わらない」

 

 

 それは簡潔な未来予想だった。

 

 

「だってそうでしょ? 異形の男を差し向けた連中にとって、私たちは都合の悪いものを知ってしまった邪魔者だ。国が『カースド』の技術に手を染めて、あまつさえそれを放し飼いにしていたなんて知られれば、それこそ大問題。少なくとも政治に携わる連中の顔ぶれは三分の一くらい変わるだろうね。いや……悪くすれば、アトリ教を敵に回す危険すらある」

 

「……、」

 

 

 当然、一つの国といってもその中枢が完全なる一枚岩というわけではないだろう。

 

 政争の種は無数に散らばっているだろうし、今回の事件の黒幕とは関係ない政治的勢力だって大勢いるはずだ。そして彼らは、政敵のスキャンダルをここぞとばかりに利用しようとする。

 

 そしてそうなれば黒幕の勢力は一巻の終わりである。当然ながら、存亡がかかっているのだから、絶対にサラディアを始末しようとするだろう。証拠が明るみに出る前に、適当な罪でもでっち上げて、大聖堂(カテドラル)の特殊部隊サルバシオンでもなんでも抱き込んで何が何でも始末しようとするに違いない。

 幸い、サラディアのような日陰者は叩いて出す埃に事欠かないのだし。

 

 

「国を敵に回せば、私達は終わりだ」

 

 

 『離散』のサラディアは無敵だ──なんて符丁が出回っているので忘れられがちだが、サラディアは無敵ではない。国家権力が本気になって殺しにかかれば、彼女なんて一か月もしないうちにじり貧になり、そして殺される。

 そしてその未来予想図は、このまま行けばほぼ確実に達成されるだろう。

 

 では、そうならないためにどうすればいいか?

 

 

「だから、この一件を裏で糸引く黒幕には、とっとと『事故死』してもらう。ついでに、その罪は別の政敵に被ってもらう」

 

 

 ということなのであった。

 

 

「幸い、『王城』内部は現在絶賛後継者争い中。政治家どもを巻き込んで冷戦状態だ。『事故死』の動機には事欠かないはずだし、証拠さえ捏造すれば私に辿り着ける情報を持つ者はいない」

 

「……それ、大丈夫か? ただでさえ緊迫してるのに爆弾を叩きつけるような真似して、大規模な内乱とか発生しないか?」

 

「大丈夫でしょ。ただでさえ『王城』は『カースド』だの『ヘレシィ』だの『カリュオン』だのみたいな厄介連中を相手にしてるんだ。まともな理性をしてたら自壊することはない」

 

「……………………もし、まともな理性をしてなかったら?」

 

「それはそれで、私のお得意様が増えるだけさ」

 

 

 つまり、どっちに転んでもいいということなのだった。

 

 

 離散のサラディアに、楽観論はない。

 

 一応の算段は立てておきつつも、そうならなかった時のことも考え、『勝っても負けても自分がオイシイ思いをできる』ように盤面を整えておくのが、彼女の強さでもあった。

 

 

「私の得にならない公権力なんて必要ない。……ああ、国さえも『離散』させた女なんて肩書が手に入れば、営業もさらに楽になるかもね?」

 

「………………もう何も言わんよ」

 

 

 まるで世間話でもするようなサラディアに、便利屋の男はリアクションを諦めた。

 

 

 

* * * * * *

 

 

 

05_命乞い NEGOTIATION

 

 

 

* * * * * *

 

 

 

「タイムリミットは一時間くらいとみておこうか」

 

「短いな」

 

 

 そして王都ミトロティス。

 ──の中の、隔離された区画、下流(スラム)

 

 美しい街並みが並ぶ王都とは裏腹に、その中心街から外れたこの区画は、浮浪者やそれに類する人生の敗残者が道端で蠢き、一歩裏道へ入れば娼婦が客を引き、またある所では裏街道の住人が弱者を食い物にしていた。

 

 身元がバレないようフードつきの外套で風貌を隠したサラディアと便利屋の男はそんな『最下層の日常風景』を特に意識もせず、ある場所へ向かっていた。

 便利屋の男は、そもそもサラディアの仕事ぶりを依頼主に報告する為の『監督役』である。『ついで』で彼女の仕事のサポートもしているが、本来の役割は依頼主に対する仲介というところが大きい。

 

 つまり今回の依頼主に関しても、彼はその居場所を知っているのだ。

 

 

 もちろん、馬鹿正直にそれで黒幕のところに辿り着けるわけがない。彼と直接接触していた人間にしても、どうせ下請けの下請けの下請け程度の末端人員に決まっている。

 だが、たとえ末端だとしても『繋がり』がある以上は手がかりになる。ましてこちらには雑務全般のプロである便利屋の男もいるのだ。順当に辿っていけば黒幕までたどり着くのも不可能ではなかった。

 

 問題は一時間というタイムリミットだが──

 

 

「ま、定時連絡とかの関係上、どうしてもね」

 

 

 黒幕と繋がっている異形の男は既に死亡している。

 黒幕も異形の男からの連絡が途絶えれば不思議に思うだろうし、そこからサラディアが生きているであろうことに気付けばすぐさま手を打つだろう。そして手を打たれれば──冤罪で本格的に国を敵に回せば、サラディア達に勝ち目はない。

 

 そのタイムリミットは、大体一時間程度が妥当なラインだと思われた。もっとも、通信手段に乏しいこの情勢だ。サラディアの見積もりは大分厳しく判断したものではあるが。

 

 

「さて、時間がない。……まずは一人目だ」

 

 

 サラディアは扉の向こうにも聞こえるような無遠慮な声量でそう言うと、スラムの隅に建っているあばら家の扉を蹴破った。

 

 

「ひ、ぃ!?」

 

 

 ──果たして蹴破られた扉の先には、今まさに逃げ支度を整えている最中の小男、便利屋の男に今回の依頼を仲介した情報屋がいた。

 サラディアは眉をひそめて、

 

 

「……耳が早いね。もう私の反逆は聞き及んでるって?」

 

「ち、ちが……! ね、念のためだ……! 完了報告が思ったより遅かったから、もしかしたら不備があったのかと……もしそうなら、狙われるのはまず、俺……!」

 

「だから逃げようとしていたって?」

 

「…………、ああ」

 

 

 情報屋は頷いて、

 

 

「だ、だが! 俺には取引の用意が、」

 

「勘違いしちゃダメだよ」

 

 

 直後、()()()()()()()()()()()()謎の力によって、情報屋の小指がへし折れた。

 

 

「ッッッ、がァァああああああ!?!?!?」

 

 

 突如発生した激痛に、情報屋は思わず蹲る。

 

 いや──というより、意図的に蹲ることで、これ以上事態を悪化させないようにした、というべきか。

 情報屋もこのスラムに居を構える闇の人間だ。今更激痛を受けた程度で戦闘態勢が解除されるほど平和ボケはしていない。単なる襲撃程度なら返り討ちにできる程度の力量は備えている。

 

 だが──事ここに至って、『離散』のサラディアの目の前で激痛を受けても臨戦態勢を解除しないということが、何を意味しているか。情報屋はそれを理解していた。

 

 

「これから私がやるのは、情報の取得。そう、『取得』なんだ。人間に対する聞き込みじゃあない。だからアンタは妙な色気を出すな。別に手がかりは此処だけじゃないんだからね」

 

 

 ────戦闘者だと認識されてはいけない。

 

 もしもサラディアに牙を剥きうる存在だと認識されれば、その瞬間自分は殺される。それほどに、彼我の実力差は圧倒的だ。生殺与奪の全てを相手に委ね、その上で、『離散』のサラディアに生き続けることを許されなくてはならない。

 でなければ死ぬ。今この場において──それほどまでに、自分の命の価値は軽くなっている。

 

 

 次の一言で命運が決まる、そんな極限の状況において。

 

 

「………………全て差し出す」

 

 

 人差し指がへし折れた。

 

 

「ッッッッ………………!!!!」

 

「聞こえなかったかな? アンタは聞かれたことにだけ答えていればいい」

 

「だったら何故俺はまだ生きている!?」

 

 

 ──沈黙が発生した。

 

 

「フゥー……フゥー……」

 

「足元見るね。情報の見返りに命だけは助けてくれって?」

 

 

 確かに、奇妙な状況ではあった。

 

 サラディアの言う通り、情報のアテが他にもあるのであれば──最初に話が通じなかった時点で情報屋は殺されていただろう。そうされていない理由は? 扉を蹴破ろうと殺気を出す前にわざわざ聞こえるように『一人目』と言った理由は?

 

 ──つまり、代わりがいくらでもいるという言動はブラフ。実際には、情報屋から得られる情報にはすぐさま殺したりしない程度の価値があるということ。

 

 

「…………いや、償いの機会が欲しい」

 

 

 首の皮一枚のところで命が繋がった情報屋は、そこでさらに切り込んだ。

 

 実のところ、情報屋にとって現状は『詰み』である。

 何故なら、サラディアは情報屋を生かしておくメリットがない。

 サラディアは自分たちの離反が黒幕に知られる前に全ての片をつけなくてはならない。なのに情報屋を生かしていたら、そこから情報が洩れる危険性がある。

 

 だから、殺す。それはこの世界では当然の摂理である。

 

 ゆえにそれを覆すだけの条件を、ここで設定する必要がある。

 

 

「償いだって?」

 

「……ああ。俺の売った情報によって窮地に追いやられたんだ。売った俺自身が償いをする必要がある。その機会をくれ。……その上で、今後も利用価値があると、アンタが判断すれば」

 

「能力も、権利も、未来も、『全てを差し出す』から……生かしてくれと?」

 

「………………」

 

 

 男は何も言わず、ただサラディアのことを見据えていた。

 

 これが、男の『命乞い』。

 

 ただ黒幕の情報を渡すだけでは、確実に殺される。それ以上の利用価値を相手に示すことで、『此処で殺すデメリット』を生み出すことができれば──それを相手に感じさせ続けることができれば、合理で動く『離散』のサラディアから殺されることは、なくなる。

 

 

 もちろん、あまりにも薄氷の上での交渉だ。

 どれだけ有用性を示したところで、『情報が洩れるデメリット』や『裏切られるデメリット』を重く見られれば、今この場で耳障りのいい回答が返ってきたとしても、じきに殺されるのは確定だろう。

 

 だが、この場において圧倒的に被捕食者である情報屋にとって、これが生き残るための最適解であった。

 

 

「…………信用に足るモノは?」

 

 

 サラディアは冷たい目で、そう問いかける。

 情報屋は回答に一秒も待たなかった。

 

 

 無言で、己の左手の甲にナイフを突き立てた。

 

 

「あッッッ、ぐッッッ…………!!!!」

 

 

 男は手を抑えて蹲るが、やがて血に塗れた珠を身体の陰から取り出すと、サラディアの方へ投げ寄越す。

 

 

「…………何のつもり?」

 

「俺の……『属性珠』だ……。……くそ、痛てェ……。……やろうと思えば、アンタに今のをやることだってできた。だがそうしなかった……。そして、俺の『属性』を渡した」

 

 

 男は泣きそうになりながら、

 

 

「こ、これで……俺はノンマンだ。その、『属性珠』は……アンタの好きにしてくれていい。これが、アンタへの『忠誠』の証だ」

 

「……イイね、アンタ」

 

 

 そこで初めて、サラディアは口元に明確な笑みの形をつくった。

 

 

「特に、生き残る為にそこまでするっていうガッツがイイ。気に入った。アンタを上手く使ってやるよ」

 

 

 言いながら、サラディアは男のすぐ傍にしゃがみ込み、そしてナイフによる傷口に『属性珠』を埋め込んだ。

 

 

「何、を……?」

 

「だが、この『属性』は返す。ノンマンになるだけならまだしも、『属性簒奪』の反動は面倒だからね。一緒に行動を共にするなら回避しておきたい」

 

 

 それだけ言うと、サラディアは入口で待機していた便利屋の男に向かって、指示を送る。

 

 

「便利屋、治癒を」

 

「……知られすぎると危険だから、あまり見せびらかしたい『属性』じゃないんだがな」

 

「そう言わないの。せっかくお仲間にできるんだし」

 

 

 そして情報屋に背を向けたサラディアは、最後にこう言い添えた。

 

 

「──虎の子の『属性』を隠してノンマンを演じるアンタの胆力と、その為の芝居道具一式を常に準備する周到さに免じて、当面殺さないでおいてあげるよ。精々私の役に立ってね」

 

 

 言われて、情報屋は頭が真っ白になった。

 

 

 ────そう。先ほどのやりとりだが、情報屋の言動には一つ嘘があった。

 男が突き刺したナイフに『属性簒奪』の術式が埋め込まれていたのは事実。それによって男が『属性』を一つ失ったのも、もちろん事実だ。

 だが──ヒトが持つ『属性』が一つであるとは限らない。それを隠してノンマンを演じ、完全な服従を装っていたのだ。

 

 もちろんこれはサラディアに対する翻意がそうさせたわけではない。たとえ全てを差し出すとしても、念のために切り札は残しておく。裏の人間としての本能とも呼べる処世術がそうさせたのだ。

 

 

 そしてサラディアは、その強かさに目を付けたのだった。

 この男は、此処で殺すには惜しい、と。

 この状況でここまでできるコイツには、もっと利用価値がある、と。

 

 

「…………………………」

 

「アンタも災難だったな」

 

 

 すべてに脱力していると、それまで事の成り行きをただ眺めていただけだった便利屋の男が、手の負傷を治癒しながらそう呼び掛けていた。

 

 ──確かに実際のところ、情報屋に殺される謂れはない。彼は確かに依頼主から便利屋の男に依頼を仲介したが、その真相まで知っていたわけではないのだ。

 ただ、サラディアの生存を知る者がいると困るという、それだけのこと。

 そして情報屋も、別段そのことに憤りを覚えたりはしない。彼も似たような理由で誰かを殺したことがあるし、そんなことはこの世界に身を浸していればよくありすぎることだ。

 誰も悪くなかった──ならぬ、誰もが悪かった状況。この世界は、そうして回っている。そしてそんなクソったれの世界で、彼女はそれでも、自由気ままに──解放された奴隷のように、生きていた。

 

 少なくとも、情報屋にはそう見えた。

 

 

「『離散』のサラディアは無敵、か」

 

 

 情報屋は思い返すように呟き、

 

 

「……なるほど、俺みたいなのから、ああいう伝説は広まっていくんだろうな」



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06_底 PREVIOUS

 結論から言えば、情報屋を生かしておいたのは正解だった。

 彼自身は下請けの下請け程度の重要度しかない末端構成員だったが、彼自身の力量については折り紙付きだったからだ。

 彼は自らの命を守る為、ものの十数分で次々と依頼主に繋がる『仲介者』の居所を突き止めていく。

 

 

「クソったれが!! だが情報を扱っているからといって戦えないとでも―――()()()()?」

 

「彼我の実力差も分からないようじゃ遅かれ早かれこうなってたよ」

 

 

 『離散』のサラディアを前にして戦闘態勢を崩さない無鉄砲を殺し。

 

 

「ま……ッ、待て! 俺は国から直接依頼を受けている人間だぞ! そんな俺を殺せば──」

 

「心配すんな。罪を被せる相手は既に見繕ってる」

 

 

 この期に及んで己の立場しか交渉材料のない弱者を殺し。

 

 

「…………まずいな、命拾いをした実感が湧いてきたよ。こういう気の緩みで人は死ぬんだ」

 

「それを分かってる間は安泰だ。死にたくなけりゃ雑念は散らして仕事するんだね」

 

 

 正しく己が辿るかもしれなかったもしも(IF)を目の当たりにしながら、情報屋はその場に残された()()()()()()()をかき集め、一つの真実の形に整えていく。

 情報屋は正しく有能だった。

 その結果────。

 

 

「……確定だな。この件の黒幕は、元騎士領の再開発を推し進めるプロジェクトを主導しているのは──ブラグハート卿。一〇年前、騎士領が()騎士領になるきっかけとなった事件の告発者だ」

 

「よくやった。──アンタとは今後とも、いい関係を築いていきたいね」

 

 

 情報屋は無事、『命拾い』をすることができた。

 

 さて、ここから先はまた、『離散』のサラディアの物語になる──。

 

 

 

* * * * * *

 

 

 

06_底 PREVIOUS

 

 

 

* * * * * *

 

 

 

 崩壊の音が連続した。

 その音の源である、豪奢な屋敷の主──ブラグハート卿は、その最奥で震えていた。

 

 

「馬鹿な……! 何故だ!? 『〇一号』はどうした!? 『離散』のサラディアを殺す手はずでは……」

 

「白々しいね。分かっているくせに」

 

 

 カツン、と。

 崩壊音の連続の間隙で、一つの足音が卿の耳に紛れ込んだ。

 普通なら騒音に紛れ込んでしまう程度の小さな音でしかなかったが、それでもブラグハート卿の耳はそれをしっかりと聞き取っていた。

 まるで『それを聞き逃すことは死に直結する』と本能で分かっているかのように。

 なぜなら、その足音の主は。

 

 

「『離散』の、サラディア……!!」

 

 

 ブラグハート卿が触った逆鱗の、主でもあるのだから。

 

 

「分かった!! 取引をしよう!!」

 

 

 サラディアの存在を確認した、その瞬間。

 ブラグハート卿は即座に物陰に飛び込んで、そう言った。サラディアの足音が、止まる。

 

 

「騙すことになって申し訳なかったと思っている。だが仕方がなかったことを理解してほしい! あの時点で私の知り得る情報では、お前を信頼できるだけの材料がなかったのだ!」

 

「それで?」

 

「……っ、私が死ねば、この国は未曽有の混乱に包まれるぞ! それはこの国に暮らすお前も求めていないはずだ。今なら退き返せる。冷静に、損得で状況を見ろ! この場で私の命を交渉材料に使い、有利な約定を結ばせる方がよっぽどお前の利益になるとは思わないか!?」

 

 

 それは確かに、一面では事実だった。

 ブラグハート卿は国土の再開発を任され、また人間の域をはみ出た化け物を生産するだけの技術力を保持している実力者だ。今は負の側面ばかりが見えているが、彼の関わる事業が人の命を救うことだってある。

 それらが彼の死によりそれが宙ぶらりんになれば、国を襲う混乱の被害だって軽くは済まない。

 

 翻って、彼を生かせばどうだろうか。

 もちろん裏切りを防止する手法を考案する必要はあるものの、それさえクリアできればブラグハート卿の後ろ盾は得たも同然。サラディアはより盤石なバックアップを受けて裏社会に君臨することができる。

 

 合理で考えれば、呑んだ方がいいに決まっているこの申し出。

 

 

「分かってないなあ」

 

 

 しかしサラディアは、その提案を一蹴するだけだった。

 

 

「分かってない。圧倒的に分かってないよ、アンタ。情報収集力ってヤツがまったく足りてない。いや、情報ってヤツは大事だよ。私も、情報屋のヤツがあそこまで使えなきゃこんなに早く此処には来られなかった」

 

「な、なにを言って……」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 一言だった。

 合理で動く闇の住人、その極地──『離散』のサラディアは、全ての前提を破壊するようなことを告げた。

 

 

「アンタはもちろん情報屋も、便利屋ですら勘違いしてるけどさ。私は別に合理で動いてるつもりなんかないよ。情報屋を生かしたのだって『アイツの生き方が気に入ったから』だし。それに……」

 

 

 嘲るような笑みで。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 奴隷に告げるように、そう言った。

 

 

「『属性』を斟酌しない異端者? 全てを合理で判断する冷徹な仕事屋? ハッ! 笑わせるね、『合理』の為に自分を殺して、意に沿わない最適解を並べ立てる生き方なんて『奴隷』の極地でしょ。私の行動の決定要因なんて一〇〇%感情。全て自分の思うがままに動いた結果だよ」

 

 

 合理で全てを判断する計画的な仕事人、()()()()()

 ただ己の裡から発露した感情の動きを、正直に出力する。常人であれば確実に死ぬしかない愚かな行動が、結果として闇の世界の一角に君臨するだけの力を持つ。

 真の『自由』とは、他者の決めた()()()()縛られないということ。

 それが、『離散』のサラディアという女の生き方。

 

 だから。

 

 

「私はセオリーに囚われない」

 

 

 『離散』のサラディアは、懐からあるものを取り出す。

 それは、何かの破片だった。鈍色の細長い金属のようなものの、切れ端。そこに錠前のような装置が取り付けられている。

 サラディアはそれをブラグハート卿にも見えるよう、机の向こう側へと放り投げてやる。

 

 机の向こう側から、息を呑む声が聞こえた。

 

 

「だから、目に見えて危険な化け物のいる檻を破壊して、その化け物をこの屋敷に放逐することだってできる。合理で物事を判断する人間ならまずやらないよね。余計な仕事が増えるだけだもん」

 

「この、狂人が……!!」

 

「最高のリアクションをありがとう」

 

 

 瞬間、サラディアとブラグハート卿を遮っていた机が、どこからともなく発生した圧力によって『離散』する。

 音もなく爆裂した机の先では、錠前を持ったまま唖然としているブラグハート卿がいた。

 

 

「さて、ここで問題だ。感情で動くはずの『離散』のサラディア様は、いったいどうしてこんなに回りくどい追い詰め方をしているでしょう? 感情で動くんなら、一刻も早く自分の破滅を回避するためにアンタを殺すはずなのにねえ?」

 

「………………」

 

「ヒントは、元騎士領」

 

 

 サラディアの言葉から、遊びの色が失われた。

 対照的に、無言だったブラグハート卿にうっすらと余裕のない笑みが浮かぶ。

 

 

「……なるほど。貴様、()()()()()()

 

 

 ────かつて、この国には騎士領と呼ばれる地域があった。

 実際に行政区域として存在していたわけではない。ただ、この地域を出身とする騎士が『地元の名士』として多大な影響力を誇っていたためにこう呼ばれ始めただけだった。

 やがて騎士の息子もまた父の立場を継承し、そうして騎士領は何の実効的名目もないまま『騎士領』として受け入れられていった。

 しかし今から一五年ほど前、騎士領は当代領主の不祥事が発覚し、取り潰しとなった。その不祥事の発覚を主導したのが、他でもないブラグハート卿だった。

 

 

「ああそうだよ。アンタに()()()()()()()()()()()あのバカな善人の娘さ」

 

 

 壁中に赤黒い文字を刻みながら、サラディアは答える。

 つまり、不祥事は『発覚』したのではなく『捏造』されたのだということ。

 

 

「…………復讐、か」

 

 

 吐き捨てるように、ブラグハート卿は呻いた。

 

 

「くだらん! くだらんぞ『離散』のサラディア! お門違いも甚だしい! 復讐だって? 確かに、お前の父親の失脚の原因を作ったのは俺かもしれない。その結果お前の両親が死んだのなら、それは俺の責任だとお前は考えるのかもしれない。だが!!」

 

 

 言いながら、ブラグハート卿はサラディアに人差し指を突き付ける。

 己の死は確定としたうえで、それでも目の前の怨敵の心に、少しでも傷をつける為に。

 

 

「その運命を引き当てたのは、サラディア! ()()()()()()()()()()()()()()()()()!?」

 

 

 言う。

 

 誰かの悪意など問題ではなく。

 

 そもそも、その身に宿した『属性』が元凶ではないのか、と。

 

 両親が死んだのは、お前のせいではないのか、と。

 

 

「人のことを指さすなよ、不快だから」

 

 

 べきりと、枯れ木のような音を立てて、ブラグハート卿の人差し指が捩じり折れた。

 あまりのことに声もなく蹲るブラグハート卿を見下しながら、サラディアはただ無言でいた。

 

 

「は、ハハっ……図星を突かれたからって、キレるなよ……! 無様だな……!」

 

 

 だが、それがブラグハート卿には面白かったらしい。

 余裕のないまま、破滅者そのものの笑みを浮かべる。

 

 

「皮肉なものだなあ、サラディア……。報告には聞いているぞ。お前、『離散』の属性を抜いているそうだな。そうまでして、『ノンマン』になってまで『離散』から逃れようと、過去からは逃げられない。お前は、やっぱり『属性の奴隷(アトリビュートスレイヴ)』だ。奴隷は、何をやろうが奴隷のままなんだっ!!」

 

「………………はぁ。幾つか、勘違いしているようだけど」

 

 

 サラディアの心を傷つける言葉の刃に対し──サラディアの反応は、淡泊だった。

 気負うところはない。繕ってもいない。『何か面白いものが見られると思ったのにこれでは拍子抜けだ』という、気楽な落胆がそこにあるだけだった。

 

 

「一つ、私は過去から逃げるつもりなんてない。二つ、属性を抜き取ったのは私の意思じゃない。三つ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。相手を煽るならヤマカンじゃなくて少しは推理して物を言ってよね」

 

「……なん、だって?」

 

 

 ブラグハート卿の言葉が、止まる。

 ──『離散』のサラディアを目の前にする。その圧倒的な絶望からの逃避に、ブラグハート卿は命ある限りサラディアの心を傷つけようと躍起になっていた。

 だが、その先にあったのは、そもそも罵倒など歯牙にもかけていないとばかりの呆れ。その事実が本質である絶望を思い出させ、ブラグハート卿の思考を停止させたのだ。

 茫然とするブラグハート卿に、サラディアはさらに続ける。

 

 いや。

 

 もはやブラグハート卿に、ではない。ただ己の罪を吐露するかのように、誰に言うでもなく呟く。

 

 

「父は、私を守ろうとした。『離散』によって大切なモノを失ってしまわないように、と。だから呪術師と取引をして、私の『離散』を抜き取った。冤罪事件が発覚したのは、それから数か月後のことだった」

 

 

 つまり。

 つまり──ブラグハート卿による冤罪は、サラディアの属性など何の関係もなく、

 

 

「そして私は、父と取引をした呪術師達の組織に身柄を保護された。……優しい人達だったよ。世間知らずのお嬢様に一から呪術の手解きをしてくれる程度にはね。……本当に、いい人たち()()()

 

 

 ──関係ない、はずなのに。

 何故かサラディアは、()()()を吐露するかのように続ける。

 

 

「その人たちも『離散』したよ」

 

 

 まるでそれが、己のしたことであるかのように。

 

 

()()使()()()()()優秀すぎる私の扱いを巡って、組織内で意見が対立した。さらに、ほかの組織からも目をつけられたりした。色々あったけど組織は空中分解して、私も一人で裏社会に生きていくことになった」

 

 

 きっとそれ自体は、この世ではありふれた悲劇なのだろう。

 しかしサラディアは、それを悲劇として扱わない。悲劇ではなく、己の行動の結果として受け止めている。

 

 

「その後も、色んな人たちと出会った。敵、味方、色んな立場があった。でも、私と関わった組織は例外なく『離散』していった」

 

 

 『属性』などなくても。

 ただ、当たり前に生きた結果の出力が、『離散』になってしまう。

 

 

「『属性』は既にない。だから、『離散』のせいではない。それで気付いたんだ」

 

 

 サラディアは、いっそ清々しいくらいの調子で笑い、

 

 

()()()()

 

 

 と、簡潔な結論を口にした。

 

 

「全てを離散させたのは、ほかならぬ『私』の人間性だったんだ。私のことを救う為にカースド系結社と繋がりを持ったから、父は他の勢力と関係を結べず、それによって冤罪を押し付けられることになった。私に呪術の才能がありすぎたから、恩人たちはその扱いを決めかねて空中分解した。ほら、『離散』なんて関係ないでしょ」

 

 

 だから、とサラディアは言って、

 

 

「『属性の奴隷』だと? 笑わせるなよ、そんなちっぽけなモノで……私の人生(つみ)を語るな」

 

 

 噛み千切るように、そう断言した。

 己の不遇は、『属性』によるものではないと。

 そうではなく、全ては己の責任によるものだと。

 

 

 『離散』のサラディアは、確かに自由だ。『属性』を失うも、類まれな『呪術使い』の才能によって裏社会に君臨している。『属性』だけでなく合理にすら囚われず、己の感情の赴くままに行動し、そして生き残ることができる。

 何からも解放された、自由な存在。

 解放奴隷。

 

 ──だがそれは、同時に逃げ道もないことを意味する。

 

 己がこうなってしまったのは『属性』のせいだ。

 

 これが一番『合理的』な方法だから仕方がない。

 

 そんな言い訳は、サラディアにはない。全ては己の感情の赴くままに決めたことなのだから、その責任は一切合切余すところなくサラディアに向く。

 人を陥れるのも。

 人を欺くのも。

 人を殺すのも。

 すべてはサラディアの自由意思によるものであり、ある面で言えば『属性』の影響を受けた結果歪んでしまった千手のカーマと呼ばれた少年などより、よほど罪深いのかもしれない。

 

 だから、()()()()()()()()()

 

 自分に、祈るべき救いなどないと疾うに理解しているから。

 

 

「…………待てよ」

 

 

 そこでふと、ブラグハート卿は疑問に行き当った。

 『離散』のサラディアが合理で生きているわけではないことは、分かった。

 感情のままに生きて、それが結果として生存に繋がる実力の持ち主であることも、分かった。

 己の『離散』にまつわる運命の数々の原因を自らに見出していることも、分かった。

 

 では──何故、サラディアはこんな話を聞かせたのだ?

 

 ブラグハート卿に対する復讐の前段階として恨み節の数々を聞かせているのではないなら、いったいどういう理由でこんな『無駄な時間』を使っているというのだ?

 まるで、時間稼ぎをしているような────、

 

 カッ、と。

 

 サラディアが壁に文字を書き終えた、直後だった。

 

 

 

 黒い流星が、天井を突き破ってサラディアへと激突した。

 

 

 

 否、それは黒い流星ではない。

 首にゴテゴテと金属製の首輪を取り付けられた『そいつ』は、『〇二号』と呼ばれる個体だった。

 『調和』が上手く機能し知性を保っていた『〇一号』と違い、『〇二号』は移植した『属性』が強すぎたため、『調和』でも知性を保つことができず、呪術による守りを施した牢屋で『保管』していたのだが──

 

 

「あの、女……ッ!」

 

 

 先ほど、サラディアはこう言っていたではないか。

 

 

「だから、目に見えて危険な化け物のいる檻を破壊して、その化け物をこの屋敷に放逐することだってできる。合理で物事を判断する人間ならまずやらないよね。余計な仕事が増えるだけだもん」

 

 

 ──と。

 つまり彼女は、此処に来るまでの間で『〇二号』の檻を破壊していた、ということ。

 そして肝心のサラディア、黒い流星の墜落地点は────。

 

 

 

 ────────。

 

 

 

 

 ()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 『離散』のサラディアの、首なし死体。

 それを見て、ブラグハート卿は理解した。──これは、復讐なのだ、と。

 ブラグハート卿の見立ては最初から正しかった。『離散』のサラディアは、一連の黒幕がブラグハート卿だと判断した時点で復讐を始めた。

 しかしその復讐対象は、ブラグハート卿などではない。

 

 ──『己』だ。

 

 これまでの人生で色々な人々を『離散』させてきた己に対する『復讐』を、『巻き込んでも心が痛まない人間』の場所で行ったということ。

 

 

「クソったれ…………あの女、あっさり死にやがった……!!」

 

 

 その真意を把握したブラグハート卿は、憔悴しきった調子で呟いた。

 死に場所を探していた、ということなのだろう。

 

 呪術使いとしての才能を持つ『離散』のサラディアは、わざわざこんな危険な道を歩む必要などなかった。

 にも拘らずこうして死の危険がつき纏う地獄の中に身を置いたのは、いずれこうして自らが『報い』を受けるチャンスを用意しておくため。

 そして『相応しい時』が来たら──自ら死地を定めることで『復讐』を完遂させようと考えていたのだ。

 

 まさしく、感情論。

 己だけが納得できる身勝手の極地を振りかざして死んでいった女の骸を見て、ブラグハート卿は既に幻想となり果てた言葉をつぶやいた。

 

 

「『離散』のサラディアは無敵、じゃなかったのかよ……!!」



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07_解放奴隷 FREEDOM

「ああ、そういえばそんな話もあったね」

 

 

 直後、だった。

 

 存在してはいけないはずの女の声が。

 頭部の破壊によって永久にこの世から失われたはずだった声色が、ブラグハート卿の鼓膜を揺らした。

 

 

「……………………あ?」

 

 

 ブラグハート卿の脳の処理能力を現実が越えたと同時、黒い流星のように降り注いだ〇二号が突然横殴りに吹っ飛ばされる。

 そしてその背後に佇んでいたのは──

 

 亜麻色の髪を持ち。

 

 飄々とした笑みを浮かべた。

 

 『無敵』と称される女だった。

 

 

「『離散』の、サラディア……!?!?」

 

 

 それは、有り得ない事象だった。

 原理的に、ではない。

 原理的には、確かに可能かもしれない。この女のことだ。抜け目なく幻影を張っておいて死を偽装し、本体はどこかに隠れ潜んでいた。そんな策を実行することは可能だろう。

 

 だが、そもそもの問題として。

 道義的に、『離散』のサラディアが此処で生き残るはずはなかった。

 

 

「ば、ぁ、馬鹿な……!? おま、お前!? お前は、『離散』では言い訳のできない悲劇の原因を己に見出して、()()()()()()()()()()()の為に俺を巻き込んでいたんじゃなかったのか……!?」

 

 

 この復讐の本質は、そういう話だったはずではなかったのか。

 だからこそサラディアはご丁寧にブラグハート卿に己の生い立ちを話し、そして殺される為に『調和』によって複数の属性を備えた化け物を檻から解き放ったのではないか。

 そしてその結末を以て、『離散』のサラディアは『属性』でも何でもなく、言い訳のしようもなく己の人間性によって『離散』させられた大切な人たちの復讐を果たしたのではなかったのか。

 

 

「ああ、最初はそのつもりだったんだけどね。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 にも拘らず。

 ──『離散』のサラディアは、いとも簡単に前言を翻した。

 

 己の人生をかけた矜持であっただろう一つの決断を、それでもあっさりと、無価値に切り捨てて見せた。

 流石にサラディアもバツが悪いのか、照れ臭そうに頬を描く。逆説的に言えば、サラディアにとってその矜持を覆すのは、その程度の引け目でしかなかった。

 

 

「いやね? 実際のところ、準備はしていたんだ。幻影の術式をね。だからほら。これよくできてたでしょ?」

 

 

 ジジジ、と。

 サラディアが指さすと、地面に転がっていた女の首なし死体にまるでテレビ画面に走るノイズのような『乱れ』が生じ、消え失せた。

 有り得たかもしれない己の末路(IF)を見届け、サラディアは言う。

 

 

「死んでもいいかなあと、けっこう本気で思ってたんだよ。さっき話した私の話は本当。私自身の罪で、恩人達は離散していった。だから私はその報いを受けるべきだと、私も思う」

 

 

 サラディアは、本当に真摯な表情で語る。

 語った上で、こう言う。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 己が語った全てを覆すような言葉を。

 

 たとえそれがどんなに当然の流れだとしても、その通りに死ぬのが『サラディア』という人生の締めくくりとして相応しいとしても、それに()()()()()

 

 

「ガァァアアアアアアアアッッッ!!!!」

 

 

 そこで、吹き飛ばされた〇二号が立ち上がる。

 完全なるクリーンヒットだったが、当然のように無傷も同然の確かな足取りだった。これが、複数の属性を取り込み化け物となった実験体の特性だ。

 ただでさえ『調和』によってあらゆる攻撃を無効化してくるというのに、認識の外から攻撃しても複数の属性による堅固な肉体防御力によってダメージを抑えてしまう。

 〇一号もそうだったが、順当にこの技術が実用化されれば、掛け値なしに世界のパワーバランスが変わってしまうだろう。

 

 

(…………ああ、なるほどね)

 

 

 もっとも、その為には貴重な『調和』を安定供給する必要があるが──とそこまで思考を巡らせて、サラディアは気付く。

 ブラグハート卿の手下に甘んじていたカースド系結社、『結実新世』。彼らの研究内容は(紆余曲折あって歪みはしていたが)魔物の品種改良だった。魔物は種族によって固定の属性を持って生まれるから、その研究を繰り返すことで『調和』を持つ魔物の生産を成功させ、『調和』の安定供給を行うのもブラグハート卿の目的の一つだったのだろう。そう考えると、ブラグハート卿は案外新世界に片足の爪先くらいは引っ掛かっていたのかもしれない。

 とはいえ、

 

 

「ま、アンタには同情するよ。私に関係のないとこでやってりゃ勝手に天下の一つや二つは取ってもらっててよかったんだけどね」

 

「ぐ、う……!」

 

「でもまぁ、肝心の実験体を制御する方策すら見つけられてないんじゃ、天下をとっても早晩アンタは死んでたと思うよ」

 

 

 適当に言って、サラディアは〇二号へと飛び掛かっていく。

 常人であれば拳の一振りで肉体がバラバラになりかねない相手に飛び掛かる姿はとても正気の沙汰とは思えなかったが、サラディアは行動の危険度とは裏腹に、敵の攻撃を一撃二撃と躱し、命を繋いでいく。

 

 

「ガァァアアッ!!!!」

 

 

 おそらくは『鋭利』の『属性』を帯びているであろう一撃が、空を裂き屋敷の壁を割る。

 サラディアはそれを屈むことで苦も無く回避し、返す刀で『力』を叩き込むが、これは『調和』の防御で均されてしまう。

 

 

「グゥオオオッガアッ!!!!」

 

 

 おそらくは『音波』の『属性』を帯びた〇二号の咆哮が、懐に潜り込もうとしていたサラディアの胴体をノーバウンドで数メートル以上吹っ飛ばす。

 彼女が事前にこれを予期して『力』で自らの肉体の周辺に展開していなければ、おそらく今の一撃だけで全身がミンチのようにバラバラになっていただろう。

 

 

「…………チッ!!」

 

 

 とはいえ、今の一撃でサラディアは大きく体勢を崩された。

 苦々しげに舌打ちしながら身を起こしたサラディアを見て、〇二号は猛獣そのものの顔面に野性的な笑みを浮かべた。

 

 

「……知性のない化け物でも狩りの優勢具合は分かるっての?」

 

 

 サラディアの手にある血炭筆の先端を掠るように、『力』が解放されていく。

 簡単な目潰しだろう。〇二号はそう判断する。しかし──だとするならば、サラディアの苦し紛れの策は迂闊だった。

 そもそも『調和』による防御のメカニズムは、『攻撃』と『それ以外の空間』を『調和』することによって行われている。要するに、『濃度』を均一にしているのだ。

 蹴りや投げナイフといった分かりやすい固体の攻撃は『調和』しきれないが、血炭の『粉』であれば、空間に占める割合で説明できる。『調和』の対象内だ。

 

 つまり、わざわざ具体的な行動として起こすまでもなく無効化でき、よってサラディアは逆に生き残る為の詰将棋で致命的な『無駄』を打ったことになる。

 よって、〇二号は『調和』で対応しようとするが──、

 

 

「──いい加減、攻撃に対して『調和』すれば解決っていうのは工夫がないよねえ」

 

 

 駄目出しのような一言。

 その言葉がまるで号令になったかのように、血炭の粉がまるでコーヒーに溶かし込んだミルクのように輪郭を失い始めた、その直後。

 ババボバババババッ!! と、『調和』されかけた血炭の粉が『力』をまき散らす。

 

 

「ま、最強の能力の持ち主なんてそれ一辺倒になっちゃうのはしゃーないっちゃしゃーないんだけど」

 

 

 そう。〇二号は一つ過ちを犯していた。

 ──たとえ『調和』されかけていようと、血炭の粉は『血脈散華』の陣として機能しうる。

 もちろん、『血脈散華』は精密に陣を描いて初めてきちんと機能する『魔術』だ。そんな状況で発動する術式など、乱れに乱れた暴走でしかないだろう。しかしながら、裏を返せば()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そう。

 

 血炭の粉を『調和』した直後で防御不能の相手に、一撃を叩き込むことも、可能となる!!

 

 

「ガアッ……アッ……!?」

 

 

 頭部に爆発のような『力』を叩き込まれた〇二号。

 常人であれば頭蓋が柘榴のように真っ赤に咲き誇るような一撃を食らっても、よろめく程度のダメージでしかなかった。

 その上。

 

 

「アッアアアアアア!!!!」

 

 

 たたらを踏みつつも片膝すら突かずに〇二号は返す刀で『灼熱』の『属性』による反撃を繰り出そうとして────

 

 

「はい、チェックメイト」

 

 

 衝撃によるダメージを振り払うかのように視線を前に向けた、その瞬間。

 〇二号の眼前には、一つの属性珠が飛来していた。

 

 即ち、属性珠の投擲。

 

 もちろん、この期に及んでサラディアが新たに属性珠を獲得するような時間はなかった。

 〇一号の持つ属性珠は取り出された『調和』の属性珠以外全て呑まれて消えたし、その『調和』の属性珠は逆用の危険性を考えて便利屋の男に預けてある。

 このブラグハート邸にやってきてからも、サラディアは属性珠を得てはいない。

 ゆえに、この属性珠の正体については一つの答えしかない。

 

 つまり。

 

 『()()()()()()

 

 それは通常、考えられない一手のはずだった。

 確かに、『離散』のサラディアにとって『離散』の属性珠は負の遺産でしかない。

 彼女の父が破滅する契機となった『属性』。そして、彼女の人生を彩る呪いの言葉。それが『離散』だからだ。

 しかし、彼女がその属性珠を肌身離さず持っていることからも分かる通り、『離散』という事象は彼女の心に深く根差しているはずだった。言うなれば、サラディアの言う『罪』の象徴。それを持ち歩くということは、彼女が己の罪を我が身に刻み付ける作業でもあっただろう。

 その属性珠を、敵にぶつける。

 それはつまり、彼女が抱えてきた人生の過程をそのまま放り捨てるに等しいことを意味する。

 

 

「ガッ…………!?」

 

 

 知性がなくとも、その危険度を本能的に理解できるのか。

 〇二号が、息を呑む。しかし、『灼熱』による迎撃態勢を取ってしまった〇二号はもはや属性珠を回避することはできない。

 その上、属性珠は防御することができない。何故なら、属性珠は『取り込まれる』性質を持っているからだ。

 おそらくは呪術的な手法でその性質を加速させているであろうサラディアの一投であれば、『受け止める』だけで十分に『属性』の適合条件に合致するであろう。

 

 もちろん。

 

 通常であれば、『調和』の恩恵でそれでも〇二号の肉体が破綻することはないだろう。

 世界には、『調和』がなくとも六属性を内包した実例が存在している。『属性』による補佐を以てすれば、新たに別の属性を取り込んでもおそらくは問題なく活動できる。

 だが、『離散』だけは駄目だ。

 『調和』でさえ、属性同士を調和させて肉体を保つ効果を持っているのだ。『離散』がもしも体内に取り込まれれば。

 その『離散』が──肉体に作用すれば。

 

 

「オオオオオオオガアアアアアアアアアアアッ!!!!」

 

 

 〇二号は雄叫びを上げながらなんとか属性珠を躱そうと試みるが、既に答えは出ている。

 サラディアは確かにこう言ったのだ。

 

 チェックメイトだ、と。

 

 ゆえに。

 

 

「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアゴボアッ」

 

 

 決着は、この上なくあっさりとついた。

 

 

「────」

 

 

 倒れ伏し、呑み込んだ属性を道連れにゆっくりと死の沈黙へと堕ちていく〇二号を見送りながら、サラディアは神妙な面持ちでこう言い残した。

 

 

「いずれ私もそっちに行くから、それまで属性珠(そいつ)は預かっててよ」

 

「…………ど、どういう心境の変化だ」

 

 

 全てを終えたあとで。

 それまでは調和がとれていた大柄な肉体が、人間や獣、爬虫類といったバラバラなパーツに『離散』していく無惨な死に様を眺めている女に、ブラグハート卿は声をかけた。

 壮年の男は無様に腰を抜かし、執務机の陰で尻餅を突いていた。

 

 

 それは、おそらく今わの際に持った彼の最期の疑問だっただろう。

 何故、『離散』のサラディアは目的としていた死をこの土壇場で投げ捨て、それまでと同じ勝ちを掴み取りに行ったのか。

 敗者として、勝者に対して向けるせめてもの権利。それを問われ、サラディアはあっさりと答えた。

 

 

「なんでって」

 

 

 本当に、世間話をするように。

 

 

「生きてるって、根本的に楽しいじゃない?」

 

 

 一言。

 

 そして罪人の頭上から不可視のギロチンが放たれ。

 

 

 ぐちゃっ。

 

 

 

 ──暗転。

 

 

* * * * * *

 

 

 

07_解放奴隷 FREEDOM

 

 

 

* * * * * *

 

 

「いやー忙しい忙しい」

 

「あんだ? まだ魔物の繁殖期って訳でもねえだろうに。そんな忙しいことあるか?」

 

「お前モグリかよ。知らねえのか? お偉い大臣さんが汚職で死刑になったんだとよ。日常的に傭兵も使い倒してた『お得意様』らしいから、お陰でこっちは勢力図がめちゃくちゃになってんだっつの」

 

 

 ────宗教国家アライメントの片田舎。

 

 どこにでもありそうな場末の酒場で、今日も不穏な噂話を肴に荒くれ者が酒に舌鼓を打っていた。

 見ればどこもかしこも客は身体のどこかしらに傷を負った屈強な男ばかり。おまけに話す内容もお世辞にも善良とは言い難く、女子供でも見かけたら攫ってしまうのではないかという心配すら湧いてきそうだった。

 ──もっとも、彼らからすればそんな第一印象は失礼極まりないのかもしれないが。

 

 

 

「おっつかれさまー!!!!」

 

 

「うぃー…………」

 

 

 そんな荒れくれ者の集う酒場で、のんきに祝杯を挙げている女と、それに付き合わされている男のコンビがいた。

 

 美しい女だった。

 亜麻色の髪を肩くらいで切りそろえているのは、動きやすさを意識しているのか。

 身に纏う旅装から覗く真っ白く細い手足は、どちらかというと深窓の令嬢で通した方が違和感が少ないのではと思わせる美しさだった。

 

 掛け値なしに美女と呼べる相貌の持ち主だったが、彼女に対して男たちが手を出さないのはある意味で当然である。

 彼女こそ、宗教国家アライメント界隈の裏社会では知る人ぞ知る都市伝説、『離散』のサラディアその人なのだから。

 

 

「ったく……。いや今回ばかりは死んだと思ったぞ。まさか形見の属性珠を使い捨てるとはなあ……」

 

「あんなモン、ただの便利なデバフアイテムだよ。使う機会があったらバンバン使う。当然でしょ?」

 

「お前さんみたいにそうあっさり割り切れるヤツがいたら、世界はもっと平和なんだろうけども」

 

「冗談。私みたいなので世界が構成されてたら、三日も経たずにこの世はくたばってるよ」

 

 

 適当に言いながら、サラディアは勝利の美酒を喉の奥へと流し込む。

 実際、彼女が浮かれるのも当然というくらい、今回のヤマは大仕事だった。流石のサラディアも、国家が敵に回るか否かの瀬戸際という修羅場までは経験したことがない。

 

 

「いやあ、勝利の美酒はおいしいね。生き残った甲斐があった」

 

「…………仇、だったんだろ?」

 

 

 口元を拭うサラディアに、便利屋の男は神妙な面持ちで問いかけた。

 ──元は騎士団に所属していたこの男は、サラディアが結社の離散を経て裏社会で活動し始めた当初の頃に知り合ってから、ずっと彼女の後見人のような立場をしてきた。

 彼女の事情もすべてではないがある程度は知っているし、彼女が己の大切なモノを奪った誰かを探し、そいつと心中しようとしていたことも知っている。

 だから、彼女の不死身っぷりを知る便利屋の男も、今回ばかりはサラディアの死を覚悟していたのだが。

 

 

「まぁね。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、私も、私の最期の場としてアレ以上のロケーションはないと思っているよ」

 

 

 サラディアは、思い返すようにそう返した。

 その口ぶりからは、未だにその死に様に憧憬のような感情が残っていることがありありと分かった。

 だが。

 

 

「でもね、こうも思うんだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()って」

 

 

 それこそが。

 おそらくは、サラディアの生き方の根幹だったのかもしれない。

 

 

「昔ね、お父様に言われたことがあるのよ。『美味いものはいいぞ。食べると嫌なことも忘れられる』って。お陰でお父様は三〇過ぎだってのにブクブク太っちゃって、あのままじゃ冤罪を食らわなくても今ごろは病気で死んでただろうけど」

 

「…………、」

 

「師匠にも言われたっけなぁ。『旅行はいいぞ。見知らぬ土地で一人ぶらぶら歩きまわるのは心の洗濯だ』って。私もこの仕事するようになって色々飛び回ってるけど、ぶっちゃけ観光地の良さなんて全然分かんないけどね」

 

「……………………、」

 

 

 なんというか、色々なものが台無しになるような話だった。

 おそらくは幸せな思い出としてこの女の心のアルバムにしまわれているような大切な記憶ですらこの有様では、今頃草葉の陰にいるであろう彼女の大切な人たちはすすり泣いているのではないだろうか?

 

 

「お父様の言葉も、師匠の教えも、私の心にはちっとも響いてないけど」

 

 

 サラディアは、初めて優しい笑みをその顔に浮かべ、

 

 

「でもまぁ、ちょこっと残ってはいる訳だよ。あの人たちの『祈り』ってヤツがさ」

 

 

「………………んじゃ、俺も祈っておこうかな。次もまた、お前とこうやって勝利の美酒を味わえるように」

 

 

 それ以上の言葉は野暮だと、便利屋の男も分かっていた。

 だから言い終わった後は黙って勝利の美酒に酔うサラディアに倣って、彼も同じようにエールを呷った。

 

 

 言葉も、教えも、ちっとも響いてはいないが。

 しかしその根幹にある祈りは、この冷血な女の心の奥底に残っている。

 

 ゆえに。

 

 解放奴隷は祈らない。

 

 

 『属性』も、『合理』も、『死に方』も、それは過程に過ぎないから。

 

 幸せに生きるのに十分な祈りは、疾うに受け取っているから。

 

 

 

* * * * * *

 

 

 

「あ、ごめん。もしかして今のプロポーズだった?」

 

「悪いが俺のタイプはトリリア=アルフレインズみたいな黒髪美女だ」



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キャラシート

一応シェアードワールド企画なので、フリー素材ということでサラディアの情報公開です。当SSよろしく「サラディアが死んだ!」とかやってくださって構いません。


【挿絵表示】

『離散』のサラディア

名前サラディア

性別

設定 『離散』の属性を持つ無敵の女殺し屋。

 『離散』のサラディアは無敵だ、なんて言葉が裏社会の合言葉になるほどその悪名は広まっており、彼女と敵対した者はどんな形であれ必ず『離散』するとして、殆ど疫病神のように扱われている。

 ただしこれらの情報はサラディアが意図的に流したブラフであり、本当の彼女は無属性(ノンマン)にして凄腕の『呪術使い』である。

 とはいえ元々の属性は本当に『離散』であり、彼女は呪術によって後天的に無属性(ノンマン)となっている。

性格 筋金入りの享楽主義者。

 その場での感情を優先して動き、利害で敵を躊躇なく殺すこともあれば、自分が気に入れば悪人だろうと敵対者だろうと手心を加える一面もある。

 己の自由が束縛されることを何よりも厭うが、それは他者からの束縛というよりも『思い込み』や『拘り』というような『己がかける束縛』。ゆえに、享楽主義者であると同時に、柔軟な思考能力を持ち合わせている。

生い立ち

 元は『騎士領』と呼ばれる、いわゆる地元の名主の家系の令嬢。

 生まれ持った『離散』の属性によるサラディアの破滅を回避する為、カースド系結社と関係を持ったことで父親は権力的に孤立し、それが原因で冤罪をかけられ破滅し、ほどなく死亡。一家離散状態となる。

 その後拾われたカースド系結社で数年を過ごして呪術を学ぶも、サラディアには呪術の才能が有りすぎてしまった為、対外的に問題となる。結社は敵対組織からの一斉攻撃を受け、サラディアは何とか逃がされるものの、結社自体はほぼ全滅してしまう。

 その後は当時騎士団に所属していたのちの相棒・便利屋の男に後見人を引き受けてもらい、裏社会で仕事をこなすようになる。

 持前の才能によって裏社会に『離散』のサラディアの名が轟くまで、そう時間はかからなかった。

能力血脈散華(けつみゃくさんげ)

 己の血を七日七晩火にかけて作った炭の筆を媒介にした呪術。

 血炭筆によって描いた陣から、『力』を放つことができる。『力』のありようは陣の描き方によって精密に調整することができ、圧殺から斬殺まで自由自在。陣は複雑になるが、光を捻じ曲げることによる幻影や、高熱のプラズマの生成も可能。

 発動した陣に使用した血炭は焼け焦げて消滅してしまい、再利用は不可能。

 本来であれば陣を描くことによる『力』の行使は即応性に欠けるが、サラディアは超人的な読みの鋭さと臨機応変さによって、まるで起こった事象に対処するかのように『力』を取り回すことができる。

 

 また、サラディアは胸元に血炭筆による刺青を仕込んでいる。この陣は頭上に掲げた血炭筆を削り、上空に血炭粉による二対の翼のような陣を展開する。

 この陣は翼のように展開した血炭粉の陣を超高速で前方の対象に撃ち込み、プラズマの刃として放つようプログラムされている。そしてこのプラズマの刃は、サラディアの死体を偽装する陣を刻む下準備としても機能する。

 これはサラディアの奥の手でもあると同時に、奥の手を切るということはほぼ負けているということなので、逃げの一手や不意打ちを食らわせる前振りとしての役割も持つ。

近況

 なお、ブラグハート卿との一戦のあと、知らないうちに『離散』の属性珠は手元に戻ってきていた。

周辺人物

便利屋の男サラディアの相棒。年齢は三〇台中盤。元騎士団所属だが、怪我をきっかけに引退し、便利屋となる。サラディアとは付き合いが長く、裏社会で活動し始めの頃は彼女の後見人でもあった。

情報屋の男彼女の仇であるブラグハート卿にまつわる事件の中で巻き込まれた情報屋。針の穴を通すようなサラディアとの交渉で無事に彼女に気に入られ、命拾いする。情報屋としては無名だが、有能。

ブラグハート卿かつて騎士領の名主を謀殺した男。国の大臣をやっていた。『調和』の属性を使った多属性使いを量産しようと試みたが、サラディアと敵対した為に殺害される。




なお、作者マイページにてあとがきも掲載してあります。


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