ハローマイドリーム (ローグ5)
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ハローマイドリーム

心が変われば行動が変わる。
行動が変われば習慣が変わる。

習慣が変われば人格が変わる。
人格が変われば運命が変わる。  
                       By  ウィリアム・ジェームズ  


 煌びやかな光に満ちた大都市の中心地、一流企業のオフィスや高級店が立ち並ぶ其処には巨大なスタジアムが築かれていた。その地方に数ある同様の施設の中でもひときわ豪華なそのスタジアムは収容可能な人数が5万に迫るにも拘らず今日この夜はどの席を見渡しても人、人、人でいっぱいだ。

 

 この人だかりはある種当然のことではある。今日このスタジアムで行われるのはポケモンリーグのチャンピオン決定戦。この地方のポケモンリーグに10年間無敗で君臨してきたチャンピオンと、新進気鋭のチャレンジャーの一騎打ち、この地方のポケモンバトルにおける頂点を決める戦いがいよいよ始まるのだ。

 

 チャンピオンはいわばこの地方においては神に近しい絶対王者。10年前彗星のごとく現れた彼は圧倒的なポケモンに関する知識と育成能力を持っていた。ある時は当時注目されていなかったポケモンや技で相手の抵抗を封じこめ、またある時は目撃することすら稀なドラゴンポケモンの圧倒的なポテンシャルを武器に相手を蹂躙した。あまりの先進性に未来から来たのだとすら噂された彼は、当時のチャンピオンを含むトップトレーナーのほとんどを蹴散らし頂点に立った。以来幸運に恵まれながらも年に1度行われるチャンピオン決定戦で防衛を成功し続けこの地方の頂点に立ち続けている。

 

 対する挑戦者はまだ若干十二歳の少女。快活な性格で誰にでも好かれる彼女はそのあどけなさと裏腹に恐るべきトレーナーとしての能力と、ポケモンとの絆を武器に一気にリーグを勝ち上がってきた。その勢い、そして人気の高さは多くの人間から彼女こそが新たなチャンピオンになるのではないかと期待されている。この戦いの結末に関わらずこの地方の未来を担うトレーナーとなる事が明らかな素晴らしい素養を持った少女だ。

 

 いずれにせよ今宵このスタジアムで戦うのはこの地方において最高のトレーナーには違いない。人々は待ち受ける戦いに心を躍らせ興奮の最中にいた。新たなチャンピオンの誕生か、それとも現チャンピオンの不敗神話継続か、この戦いの後に来る最高の結末に彼らは心を躍らせていた。

 

 

 

 

 

 ホテルのスイートルームと見まがうほどに豪華な控室に大声が響き渡る。

 

「いいか! 相手はスピードのあるポケモンの扱いが得意なうえに、正直言って勢いはあっちにある! 例え観客からブーイングが飛ぶような塩試合になってもいい、とにかく相手の勢いを削いでこっちのペースに巻き込むんだ!」

 

 声を張り上げているのはチャンピオンのコーチを担当している男だ。髪を金髪に染めサングラスをかけ、しかしそれでもどこか軟派な雰囲気を纏った男はまず遊び人にしか見えない。しかしその風体の一方で確かな指導力の元チャンピオン以外にも何人もの一流トレーナーを育成し、海外からわざわざ助言を受けに来る者もいるほどの優れた能力を有しているのも確かな男だ。

 

 ────―9年前、彼がチャンピオンとあった当初は「こいつに媚びとけば楽して稼げるだろう」などという風体通りの浅はかな考えの男であったことを知る者は少ない。一重にチャンピオンのコーチングの担当者としてふさわしい能力を有するようになったの彼の必死の努力の甲斐あってのことだ。

 

「分かってる分かってる。特にゲッコウガとリザードン、それにミミッキュには要注意だってもう耳にオクタンが出来るほど聞いてるよ」

 

 帽子をかぶり苦笑しながら6個目のボールをホルスターに装着するのは現チャンピオン。その強さを知らない者には到底強者とは思えない平凡な背格好の彼は実際にはトレーナーとして最強クラスの力を秘めている。

 

「いつも通りさ。相手の強みを発揮させず、こちらの強みを最大限に押し付ける。それだけだよ」

 

 さて、もう時間だとチャンピオンは椅子から立ち上がる。腰の特注モンスターボール(チャンピオン特別仕様の品。作られたレプリカモデルは高額な値段にも拘らず飛ぶように売れた)には彼の相棒ともいうべきポケモンたちの中でもこの日の為に最高のコンディションに調整した6匹が収まっている。彼らで負けるならばそれはすべて自分の責任である。チャンピオンはそう思っていた。

 

 集中力を高めバトルフィールドに向かおうとする彼の前にコーチがたつ。今年で26、自分と同い年の彼もこの9年で随分と変わった物だ。少なくとも出会った当初の彼はこんな真剣な目はしたくともできなかっただろう。

 

「……正直に言うとな、今回のバトルでお前の勝率は3割ぐらいだと思っている。あの子は本当に強い。この半年間研究していたが具体的な攻略法が思い浮かばねえ。コーチ失格だけどな」

 

 そう、対戦相手の少女は本当に強い。カントー地方のレッドのようにポケモンバトルの世界にはあの少女のような規格外が時たま現れるのだ。それはポケモンバトルにおける醍醐味、恐ろしさだった。

 

「でもな、それでもお前はこの地方のチャンピオンだ。お前がいなければ目の前にいる奴は楽することしか考えないまま、女性問題でも起こしてトレーナーを辞めてただろうさ。そんなクズを妻子に誇れる男に、多くの人々の役に立てる男にしたのはお前だよ。そしてそれは俺だけじゃない。お前に憧れてポケモンバトルを始めた少年、勇気づけられて難病と闘った少女。そんな人間はこの地方だけでも文字通り五万といるんだ。だからさ」

 

 そこでコーチは言葉を切った。そして万感の意味を込めて告げた。

 

「俺たちに魅せてくれ。俺たちの見てきたチャンピオンは今一度最高のトレーナーだって証明してくれ」

 

「……分かった」

 

 ただ承諾の言葉。それだけ言うとチャンピオンは控室を出てバトルフィールドへ向かう。淡い光に照らされたその道は幽玄の美しさをたたえ、見る者にどこか幻想的な感動をもたらす。チャンピオンはこの道が嫌いではない。むしろ自分の人生をどこか想起させるこの光は毎度のバトル前の楽しみだった。

 

「お前のおかげ、か」

 

 淡い光はやがてスポットライトの眩い光に代わっていく。いよいよバトルフィールドだ。

 

「それはこっちのセリフだよ」

 

 バトルフィールドに満ちるのはチャンピオンと挑戦者を応援する観客たちの声。最高の戦いを期待する彼らのテンションは最高潮に達し、もはやハイパーボイスのような物理的な衝撃すら発生させそうだ。凄まじい歓声の中、挑戦者の少女は緊張しているようだ。だがチャンピオンがすっとボールを掲げ、ほほ笑みかけると緊張も解け、この大舞台が本来は楽しいものだと思いだしたようだ。

 

 そうだ、それでいい。どっちが勝っても負けても今日この時は人生最良の日だ。────だから楽しもう。

 

 試合開始を告げる審判の声と共に二人は最初のボールを投げる。放物線を描いて出たのは挑戦者は青いカエルのポケモン、ゲッコウガ。対するチャンピオンは赤い甲殻の蟲ポケモン、ハッサム。共に俊敏性に優れたポケモンであり、かつ互いのパーティの切り込み隊長を長く勤めているという共通点があるある種の似た者同士だ。

 

 互いの主人の指示と同時にゲッコウガは地面を這うように、ハッサムは宙を滑るように相手に向かって突き進む。今ここにこの地方最高のトレーナーを決める戦いが幕を開けた。

 

 

 

 

 紫色の甲殻に包まれたにまいがいポケモン、パルシェンのつらら針がミミッキュの化けのかわ毎そのボロ布に包まれた体を撃ち抜き、壁際まで弾き飛ばす。ミミッキュの特性はばけのかわ。1度攻撃を無効にできる強力な特性だが裏を返せば無効化できるのは1度のみ。つらら針のような連発される攻撃には対応しきれない。もともと耐久力はそこまであるわけでもないポケモンなこともあり、殻を破り攻撃に特化したパルシェンの猛攻には耐えられなかった。

 

 挑戦者がミミッキュを戻し次のポケモンを選ぶうちにパルシェンはちらりと振り返り得意げな顔を見せた。親であるチャンピオンにその潜在能力を見出されてこの方、数えきれないほどの敵を沈めてきた彼は今日も、挑戦者のパーティの中でも特に要注意のミミッキュを良く処理してくれた。だがその満身創痍の体はもうこれ以上の戦闘には耐えられないだろう。

 

 新たに表れた挑戦者のルカリオが力感のある動きでパルシェンに接近しはっけいを見舞う。パルシェンは先手を打ち、出の速い氷のつぶてを見舞ったがその一撃は大したダメージを与えない。パルシェンもまた壁際まで崩れ落ち戦闘不能となった。チャンピオンは彼に礼を述べると共にボールの中へ回収する。

 

 強い。挑戦者の少女は本当に強かった。おそらく彼が戦ったトレーナーの中でも過去最高の強さだろう。その知識や技術もさることながら何よりもポケモンと深い信頼関係を築けている。本物の天才であることは間違いない。

 

(そう、本物だ。俺と違って本物の天才だ)

 

 一見卑屈に見える思考を脳裏で繰り広げるチャンピオンにその実卑屈さはない。彼は今この時に感謝していた。この相手にチャンピオンとしての全てをかけて戦う。この世界に生まれてから、否《前世からの二度にわたる人生》を通じても最良の時に彼は全力を尽くす所存であった。

 

 チャンピオンが次のポケモンを選び出す。そして高らかにそのポケモンの名前を告げた。

 

 

 

 

 

 チャンピオンのその圧倒的な知識と育成能力は彼が未来から来た人間が故の物であると主張する人間はそれなりの数いるが、その主張はある意味で当たっている。事実彼はポケモンがゲームのキャラクターとして存在する世界から生まれ変わった転生者であり、彼の持つ先進的と世間からもてはやされた知識や技術の大半はそのゲーム由来のものだ。

 

 無論すべてがゲーム通りの世界なわけではなく、事実この世界においてポケモンはれっきとした生命体であり、ゲームの通りに育てれば強くなるわけではない。しかしそれでも彼のアドバンテージは多大な物だった。彼がポケモントレーナーとしてデビューした当時のチャンピオンの相棒は吹雪を得意技とするケンタロス。メガシンカやZ技についての知識を有する彼は単純に見てもこの世界のトレーナーたちの20年先を言っていたといい。事実当初は慎重だった彼もこの世界の現状に比した自分のアドバンテージを、トレーナーとしての強さを自覚するうちに、大胆な行動に出るようになっていった。すなわちポケモンバトルの世界で前世の知識を活かして栄達し富と名誉を得ようと。

 

 それからという物鮮烈なデビューを果たした彼は破竹の勢いで勝ち進み、チャンピオンとなり全てを手にした。

 10代にして有り余るほどの金を手にし、ハリウッドスターのような豪邸に住み、贅沢の限りを尽くして欲しい物も美食も好きなだけ手に入れた。人も何も言わないでも彼についてくるようになり、彼を讃える人で回りは満ちていた。およそおぼろげにしか覚えていない前世の平凡な人生で手に入れられなかった物の全てを彼は手に入れる事が出来たのだ。そうしてすべてを手に入れた彼は欺瞞に満ちた栄光に溺れて生きるはずだった。

 

 

 

 

 

 ガブリアスの攻撃力はフェアリータイプが現れた現代でもやはり圧倒的だった。長年チャンピオンを支え続けた彼の一撃は伝説すら屠るといわれる超威力。前のポケモンが作った一時の隙を活かした彼は最大まで引き上げた攻撃力で挑戦者のポケモンすら寄せ付けることなく、2体連続で敵をなぎ倒した。例え妖精を苦手とし、その強さに陰りが見えたとしても自分はまだやれる。その思いを吐露するかのように蒼い鮫竜は天高くに向けて吠えた。

 

 対する挑戦者の顔には汗が浮かんでいる。残り二つのボールのどちらを投じるか悩んでいるようだ。それを見やるガブリアスとチャンピオンの顔に油断はない。2体を倒したとはいえこちらも消耗したガブリアスを含め残りは三体。決して油断できるような差は彼女との間にない。そして──────この若き天才トレーナーはここからが強いのだという事を彼は知っていた。

 

 決意を込めて少女はボールを投じる。その中身に備えて竜と人は身構えた。

 

 彼が自身に対して恥の感情を覚えたのはいつ頃のことだったであろうか。少なくとも5年前よりは昔ではないはずだ。きっかけは自身のコーチ。元は遊ぶ金欲しさに近づいてきた彼がいつからか真剣に仕事をこなすようになった事だろうか。およそ読書などとは縁の遠い彼が様々なポケモンに関する文献を自費で収集している事に違和感を抱いた彼はコーチに聞いてみた。何故そんな事をしているのかなどと。

 

「あー……今更遅いかもしれねえけどさ、ちょっと罪悪感があったんだよなあ」

 

「罪悪感?」

 

 気恥ずかしそうに答えるコーチの手にする名トレーナーの書いた指南書には無数の付箋や注釈がついている。彼が徹底的にその本を読み込んでいることは明白だった。

 

「そりゃあ楽に金が稼げるに越したことないけどさ、正直プロのトレーナーとして挫折してこの業界に入ったのはうまく楽して美味しいポジションにつきたいってのが本音だよ」

 

「だろうなあ」

 

 半笑いを浮かべチャンピオンはコーチを見やる。コーチと言ってもそれは名ばかりでむしろプライベートの遊びなどの事の方が彼には世話になっていただろう。

 

「でもさあお前や他のトレーナー見てるとちょっとそういうのどうかって思うようになったんだよ。みんなあんなに真剣にやってるのに俺だけがそうじゃない。そういうのはちょっとな……って」

 

 相棒であるペンドラーの頭を撫でてコーチは照れるように言った。そう彼もまたポケモンリーグに関わる人々の熱意に感じ入る物があったのだ。チャンピオン自身も彼の言葉がきっかけで戦う相手の思いに気づいた後は早かった。

 

 35歳になり妻子のいる身でポケモンリーグの扉をたたいたトレーナーは強かった。砂嵐を用いた練りに練られた戦術には手を焼かされた。チャンピオンである自身に憧れ隠れ里から出てきたドラゴン使いのトレーナーは輝いていた。ドラゴンポケモンのポテンシャルもだが生まれたときから育まれてきたポケモンとの絆は彼にとって素晴らしい物だった。

 孫への土産話にするさ、と引退から復帰し自分へ挑んだ老トレーナーは尊敬に値した。永い経験に裏打ちされたその老練さには手を焼かされた。彼らの他にも多くの尊敬すべきトレーナーがいた。

 

 彼らへの敬意は同時に自身を顧みる気持ちにもつながった。自分で身に着けたわけでもない知識で得た成果で悦に浸る自分は、はたして彼らが目標とし挑むに値する人間だろうかと。彼は己の身を恥じた。

 

 彼らの熱意に応えるべくつまらない欲を見たす為の無為な暮らしはやめ、一から自身とポケモンを鍛えなおした。自身も身体を鍛え、知識を詰め込み、様々な人の意見を取り入れて自身とポケモンを少しでも高みに導こうとした。

 

 

 

 

 

 挑戦者のエーフィのマジカルシャインでガブリアスが倒れたものの、お返しとばかりにブラッキーの電光石火がエーフィを沈める。これで1対2。この勝負も終わりが近かった。挑戦者はためらいもなく最後のボールを放るが、その中から現れたのはオレンジ色の焔を灯した尻尾を持つ竜、リザードン。挑戦者の最初のポケモンであり最も信頼する一匹であるこのリザードンを彼女はアンカーに持ってきていた。

 

 そして彼女が腕輪につけた石をかざすとリザードンが光に包まれその姿が変わっていく。体色は黒に尻尾の焔は鬼火のような蒼に変わり全体の雰囲気はより攻撃的になった。メガシンカによるリザードンの最終形態、リザードンXこそが彼女の本当の切り札だ。

 

 強大なポケモンを前にしてチャンピオンは一歩も引くことはない。当然だ。彼はすべてのトレーナーの、ファンの、そしてかけがえのない仲間であるポケモンたちの思いを背負うこの地方最高のトレーナーなのだから。

 

 ポケモンバトルに真摯に向き合うようになってから彼は自分が天才と呼べるような人間ではない事を改めて思い知った。彼よりもはるかに才気あふれるトレーナーたちは断片的な情報から着々とノウハウを積み上げ、10年単位の差があった彼の領域に至りつつあった。事実ここ数年の挑戦者との闘いは常にぎりぎりの状況であり、もし攻撃が急所に入らなければ、相手がマヒで動けなければ、そういった幸運がなければ敗北していただろう試合も幾つもあった。本来彼の地位に居るべき者達との才能の差は残酷だった。

 

 それでも彼は遅すぎる事を自覚しながらもチャンピオンとして戦い続けた。彼に挑むライバルたちの為だけではない。彼を応援する者達がいたからだ。それはコーチの男だけではない。ポケモンを怖がっていたある少女は彼のインタビューでの一言をきっかけにトレーナーとしての一歩を踏み出した。ある少年は彼の訪問から勇気をもらい難病の手術に挑み、健康な体を手に入れた。彼らのありがとうという己への感謝の言葉は何よりも大きな進む力になり、己の矮小さに悩む彼を支え続けた。

 

 そして彼が共に戦ってきたポケモンたち。いずれも10年以上に渡る付き合いの彼らと幾多の戦いを通して育まれた絆は彼のポケモントレーナーとしての活動してから得た物のなかでも最も大切な財産だ。彼らにふさわしい主人であるためにも決して彼は努力を辞めなかった。

 

 だからチャンピオンは諦めることなく戦い続ける。全てはライバル達の努力に値する王者であるために。人々のあこがれであり続ける為に。ポケモンたちにふさわしい仲間であり続ける為に。頂点から転げ落ちるその時までそうあり続ける覚悟だった。

 

 

 

 

 

 

 

 そして最後の時は今まさに訪れようとしているのかもしれない。挑戦者のリザードンXの圧倒的な攻撃力は容易くチャンピオンのブラッキーを戦闘不能に追い込んだ。それまでの攻防で多少なりとも手傷を負わせたもののこちらも残り1匹であることを考えれば状況は互角か、いやリザードンXの強さを考えればチャンピオンである彼の方が不利と言っていいだろう。

 

(強い……これまでのポケモンも大概な強さだったが、このリザードンはメガシンカもあって別格。できれば三体はこいつまでに残しておきたかったんだけどな……)

 

 緊張が故かチャンピオンの顎から一滴の汗が流れる。彼女は本当に強い。今日一日で何度そのことを再認識しただろうか。しかし彼の顔には不敵な笑みがあった。

 

(だが諦めないぞ、ここからでも勝って見せる。俺は────俺はこの地方のチャンピオンなのだから)

 

 例えまがい物のチャンピオンだとしても自分はそうする責任がある。そして一人のトレーナーとしてこの素晴らしい戦いを投げ出すことは絶対にできない。ならばやることは一つだ。最後の一匹と共に戦うのみ。彼が手にするのは最後の一つとなったモンスターボール。彼女のリザードンと同様に彼のもっとも頼みとする一匹が収まったボールの中で相棒が彼を見返す。不安のない自信と戦意に満ちた良い目をしていた。彼と同様に。

 

「──────君に決めた」

 

 一言、ただそう告げて彼は放物線を描いてボールを投げる。光と共に飛び出た彼の相棒たる一匹が出ると同時に、会場のボルテージが最高潮に達する。誰の目から見てもこの最高の戦いの終わりが近づいていることは明らかだったからであろう。彼らが見守る中、挑戦者とチャンピオンが同時にポケモンへの指示を叫ぶ。それはフィナーレの幕開けとなった。

 

 

 

 

 

 結局勝ったのは挑戦者だった。最後の死闘、ポケモンバトル史に残る激闘の末全身ボロボロになりながらも最後までたっていたのは挑戦者のリザードンX。それが意味することはただ一つ。現チャンピオンの不敗神話が崩れ去り、新たなる伝説が幕を開けたことを意味する。

 

 観客全員がスタンディングオペレーションで讃える中、元チャンピオンは堂々と舞台を去っていったがそれを見ていたコーチの男は彼の受けたショックを想像し気が気ではない。いやショックというよりはどこか気が抜けたというべきだろうか? 

 

 事前に彼の勝率は三割と言いながらも、自身も彼が負けるとは思っていなかったのかもしれない。明けない夜がないように負けないトレーナーはいない。しかしそれでも彼と共に歩んできたあの男が負けるとはどうにも現実味がないのだ。故に控室の前で現チャンピオンの少女と話し込む男を見ていたコーチは不安な気持ちであったが、予想以上に穏やかな様子に自身の杞憂でないかと感じるようになっていった。二人の間には競争相手同士のギスギスした感じはない。むしろ同じ大切な物を共有する者同士の穏やかな共感があるように感じられた。

 

 そして最後に男は自分より背の低い少女に屈みこんで帽子をかぶせると、一言告げた。少女はその言葉に一瞬驚きすぐに自信気な笑顔を彼に返す。そして自分を待っている家族や友人の元へと駆け出していった。

 

 6VS6の長い試合を終えた後とは思えない元気な様子に彼は若いな、と苦笑する。そして何処か満ち足りた表情でこちらの方に戻ってきた。

 

「帽子あげちまったのか?」

 

「ああ、チャンピオン就任記念に賞金とかはいろいろあるだろうけど俺からも一つプレゼントをあげようと思ってさ。それに……帽子をあげたとき俺がなんて言ったかわかるか?」

 

「何て言ったか? あー……そういう事か!」

 

 コーチは男が何といったかにすぐに気づいた。その表情、そしてまだ色褪せていない戦意がそれを物語っている。この男は────元チャンピオンは全く敗北に懲りていない。この男のバトルへ、チャンピオンである事へと向ける真摯さが一度の敗北で砕け散るはずがなかったのだ。

 

「次に俺がチャンピオンになるまでその帽子を持っていてくれないか────そう言ったんだよ。流石に驚いていたようだけどあんな顔するなんて、いやあ本当に強い子だよ」

 

 1から出直しだ。そう言ってチャンピオンから元チャンピオンになった男は笑う。まだ自分も仲間達も死んだわけじゃない。再び、いや今度こそ本物のチャンピオンになり、自分を取り巻く人々にふさわしい存在になるまで戦い続けるのみだ。敗北したはずの彼の胸の内には霊峰に挑む登山家のような晴れ晴れとした決意があった。

 

「さて、そうなったらやることは多いな。まずは実家に戻って両親やあっちにいるポケモンに顔を見せた後ガラル地方にも行ってみようかな。あそこはまだ”知らない”し」

 

「ガラル地方か! 確かに俺もあそこに入ったことがないな! もちろん俺も一緒に行かしてもらうぜ。なんていったって俺はお前のコーチなんだからな!」

 

「はは、またよろしく頼むよ────―でも何か月も家を留守にしてていいのか?」

 

「……三か月までなら多分、きっと、大丈夫だと思う……」

 

 次なる戦いに向けて歩き出した男の足取りは軽い。彼はきっと自分たちの選んだ道を胸を張って歩いていく事だろう。長きにわたる戦いの果てに選んだ自らの夢、本当のポケモンリーグチャンピオンとなる夢を叶える為に。




チャンピオンの最後の一匹は伝説のポケモンかもしれないし、あなたの一番好きなポケモンかもしれません。


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