ぼくの かんがえた さいきょうの ひきがやはちまん (納豆坂)
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原作1巻分
1-1


「ようこそ、奉仕部へ。歓迎するわ」

 

 歓迎する気が微粒子レベルも存在しない。彼女から示されたのはそんな明確な拒絶だった。

 ……いや、正直心あたりはある。あるけどさ。ここまで拒絶しなくてもよくね? 心が折れそうなんですけど。

 

「入学初日からケチつけたのは正直すまんかった。あれか? 怪我、したのか? 責任はとれんけど俺にできることならなんでもするぞ」

 

 強制されたとはいえ、俺はこれからこの部で活動しなければならないわけだ。円滑な人間関係を構成するためにも早めに謝罪しておくのがいいだろう。

 なんとも面倒なことだが、俺には目の前の少女――雪ノ下雪乃――とちょっとした縁がある。

 まあ縁と言っても、入学式当日の朝にあほな飼い主の手から逃れた犬を助けるため、車の前に飛び出した俺が撥ねられ、病院送りになったというだけだが。

 入院先で示談のために訪れた葉山某と名乗る弁護士。彼から受け取った名刺には雪ノ下建設顧問弁護士という肩書きが記されており、そこで彼から彼女が同乗していたという事実を知った。

 確かに交通弱者ってことで書類上は車が悪いということにはなる。だが、全く持って俺はそうとは思っていない。むしろ、飛び出した俺が悪いと思ってさえいた。

 そんなわけで退院し復学して以降、彼女に謝罪しようとも思ったのだが……。なんつーか、学年どころか学校全体でみても添うそうお目にかかれないハイレベルな美少女である彼女に接触することはいささか憚られた。

 だって、変に接触すると後々面倒そうだし。

 

「あなた、私があの事故の当事者だと知っていたの? それ以前に、なぜあなたが謝罪する必要があるのかしら」

 

「知ってるもなにも、知らないほうが無理あるだろ。事故の実況見分とか示談交渉とか本人じゃなきゃできないことはいっぱいあるんだし。そもそも、俺のとこにわざわざ雪ノ下建設の顧問弁護士がきたんだぜ?そりゃーわからんほうがどうかしてるだろ。それと、謝罪のことだったか? あれはどう考えても俺が悪い。正直すまんかった」

 

「……知っている理由はわかったわ。でも、やっぱりあなたが謝罪する理由がわからない。まさか、事故の影響が頭にまで……。ねえ、比企谷くん。一度病院で精密検査をしてもらったほうがよいのでは?」

 

 なんか、めっちゃ心配された。

 意味わかんねーし。なんで当然のことをいっただけでここまで言われなきゃならんのだ、俺は。

 

「道路交通法を遵守して、普通に走ってた車の前に飛び出したんだ。俺が飛び出さなきゃ事故なんか起こらなかったはずだろ? つーことは飛び出した俺が悪いってことだ。以上、証明終わり」

 

「なんだか、あなたと話していると頭が痛くなりそうだわ……」

 

 雪ノ下は額に手あて、頭を振る。

 

「別にいいだろ。つーか、同乗してただけで運転していたわけでもないお前にはそもそも関係ない話だろ」

 

「関係ならあるわ」

 

 雪ノ下は一旦言葉を区切り、真剣な目で俺を見る。

 

「ずっと、事故のことを利用し、私に擦り寄ってくるものだとばかり思っていたのですもの」

 

「……ねーよ」

 

 お前さ、ちょっとフィクションの世界に引っ張られすぎじゃないのか?

 リアルでそんなことするわけねーだろ。

 

「あら、そうかしら? 自分でいうのもなんだけど、見ての通り美少女で、千葉では名の通った企業である雪ノ下建設の令嬢。関わりを持ちたがるのが普通の発想じゃないかしら?」

 

「うわぁ……」

 

 はいはい、そうですね。

 美少女だよ。確かに美少女だけど、自分で言っちゃうのってどうなの?

 しかも自分で令嬢とか言っちゃうし。ぶっちゃけ引く。

 

「……で、どうなの?」

 

 俺が引いたのに気づいたのか、にわかに頬を赤らめる。

 照れるぐらいなら言わなきゃいいのに。

 

「悪いが俺は自宅警備員志望なんでな。令嬢ってところにメリットを感じないんだ。それに、美少女ってのは認めるが変に関わったら周りがめんどくさそうだしな」

 

「ふーん。つまり、あなたにとって私のもつステータスは魅力的には見えない。そう言いたいのかしら?」

 

「イエスかノーかできかれればそりゃイエスだ」

 

 ふーん、と何かを考えるように彼女は後ろを向く。

 いや、普通なら多少なりとも引かれるもんなんだろうな。だが、あいにく俺は普通じゃないんだ。

 輝かしいステータスを持っていれば持っているほど、できれば距離をおきたくなる。

 その程度には異常な男だぞ、俺は。

 

「まあ直接謝罪できないってことを気にしてなかったわけじゃないが、それだって俺の自己満足だ。謝ったからってケチつけたことに変わりはないからな」

 

 俺の言葉に、彼女は沈黙で答える。

 どれほどの時間が経過したのかわからないが、重苦しさに耐え切れず俺が帰宅の旨を伝えようとしたその時、振り返った彼女は柔らかい笑みとともにこう告げた。

 

「比企谷くん。あなた、私と友達になりなさい」



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1-2

「友達……ね……。丁重にお断りさせて頂くわけには」

 

「当然、いかないわよ」

 

 俺の言葉に、雪ノ下は笑顔で答える。

 さっきまでの拒絶とか警戒とかどこいったんだよ、お前。

 

「いやさ、俺じゃなくてもいいと思いますよ? あれだ、雪ノ下さんほどの美少女ならちょっと声かけるだけでいくらでもよってくる奴らがいるでしょうし」

 

 それはもうコーラを飲んだらゲップが出るくらい確実な話だ。

 

「勝手に近づいてくる人間と私の求める人材は、必ずしもイコールとは限らないのよ、比企谷くん。ああ、近寄られることもないあなたには理解し辛いものだったかもしれないわね。少し……私の配慮が足りなかったわ、ごめんなさい」

 

「本当に友達になりたいというのであれば、ナチュラルに俺をdisるのはやめろ。まあ別にいいけど。んで、近づいてくる人間がなんだって?」

 

 友だちになれという要求に、敬語で話してやんわりと距離感をだしてみた。だが、雪ノ下の至極自然なdisりにそんな気持ちは一瞬にして吹き飛ぶ。

 

「はっきりいって、この通り美少女だから近づいてくる異性はみな私に好意を抱いてきたわ」

 

「結構なことじゃねえか。そん中から適当に選べよ」

 

「ねえ、比企谷くん。急に話は変わるのだけれど。友人に絶えず女子に人気の人がいたらあなたはどういった感情を抱くかしら?」

 

「しらん。友だちいたことねえし」

 

 えっへん、と効果音がついてもおかしく程、さも誇らしげに言い切る。どやぁじゃないところが俺なりの拘りだ。

 そもそも、社会性の欠如を更正するためにここに連れてこられたんじゃなかったっけ俺? 友だちがいないとわからないこと聞いてくる意味がわからん。

 

「大丈夫よ比企谷くん。これからは私が友達だから」

 

 慈愛に満ちた表情でうんうんと頷く。

 なんだったら両手を握り締めてきそうなほどの勢いだ。

 あれーなんで俺こんなに哀れまれてるんだろ。おかしいな目から塩水が……。

 

「仮に……でもたりないわね。そう、クラスメイトでいいわ。クラスにそんな男子がいたらどうする?」

 

 ……仮にですら友だちの存在を否定されるんですね。

 

「そうだな、クラスにそんなやつがいてもなんとも思わんな。実際名前も知らんけどクラスに似たようなリア充がいたような気がするが、心底どうでもいいしな」

 

「あなたのような人ばかりだったら私も平穏に過ごせたんでしょうね……。でも普通の人は違うわ。正解は排除しようとする、よ。それこそ獣のように。それが私の実体験から導き出された答え。事実、私のいた学校はそういった人ばかりだったわ。そういった行為でしか自分の存在意義を見出せない哀れな人たちだったのでしょうけど」

 

 ほんと、哀れよね。

 そうつぶやくと雪ノ下は目を伏せる。

 正直、生まれてこのかた好意というものを受け取ったことのない俺には理解できない環境だったのだろう。

 そして自分が持たざるものだという自覚を早くからもち、それを当然と受け入れた俺には、彼女の周りにいた彼女を羨み、排除しようとする人々の気持ちも分からない。

 ただ、後者はともかく前者の、彼女の気持ちは理解出来ずとも想像することはできる。

 それが、彼女が一人ここにいる理由なのだろうと。

 

「んで、それがなんで俺と友だちになることにつながるんだ? それが理由だと言われても正直理解に苦しむ」

 

 垣間見た彼女の過去、なんともやるせない気持ちになった俺は頭を掻き毟りながら問いかける。

 

「簡単じゃない。あなたと友だちになっても、誰も私を羨んだりしないでしょう」

 

 にっこりと、その発言がなければ思わず恋に落ちてしまいそうなほどの笑顔で雪ノ下は答える。

 ないわー。今日一の笑顔をここでもってくるとかないわー。

 

「そうだな。確かに俺と雪ノ下さんが友だちになった常呂で羨むようなやつはいないどろうよ。ただ一つ問題が。俺が雪ノ下さんと友達になることで俺を羨むやつはかなりの数少ないに及ぶと思うのだが。その辺のことを雪ノ下さんはどうお考えなのでしょうか? ぜひともお聞かせ願いたい」

 

「私と友だちになれるのだから、そのぐらいの些事あまんじて受け入れなさい。そしてその事実を胸に一生を過ごしなさい」

 

 なんで、ねえなんでこの子こんなに自信たっぷりなの? もうやだ八幡おうち帰りたい。

 

「丁重にお断りさせては……」

 

「うん、それ無理」

 

「……せめて最期まで言わせてくれ」

 

 俺なんかと友だちになるのにそんな断固たる決意なんて見せてくれなくていいんですけどー。

 部長と部員という薄っぺらい関係で満足してはいただけないものだろうか。

 雪ノ下さん! 無駄遣いですよ、無駄遣い!

 

「比企谷くん、さっきなんでもするって言ったわよね? 大人しくあきらめなさい」

 

 そう言うと、笑顔のままこちらに顔を近づけてくる。

 近い、怖い、なんかいい匂いする、でもやっぱり怖い。

 笑顔っていうのは元々攻撃的なもので云々。

 力なく頭を垂れた俺に満足したのか、やったぁと小さくガッツポーズをしながら離れていく。

 べ、別にそんな仕草がちょっとかわいいとか、全然思ってないんだからね。

 

「それと比企谷君、私のことは雪乃でいいわ。なんというかあなたに雪ノ下さんって呼ばれるのは虫唾が走るというか……正直不快だわ」

 

 前言撤回、やっぱこいつかわいくねえわ。



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2-1

「君はあれか、調理実習になにかトラウマでもあるのか」

 

 調理実習を手札から墓地に置き、補習レポートを場に特殊召還!

 ……職員室に呼び出されました。

 

「先生って確か現国担当だったんじゃ……」

「お前も知っての通り家庭科は鶴見先生の担当だ。丸投げされたんだよ、生活指導担当の私に」

 

 ふと職員室を見回すと、ソファーでのんびりと茶をすする鶴見先生の姿が見えた。

 生活指導担当に丸投げとか、まるで俺が問題児みたいじゃないですか、やだー。

 

「さて、調理実習をさぼった理由を聞こうか。簡潔明瞭に、要点だけ話せ」

 

「非協力的な授業態度より、レポート提出の方がいいと思いました、主に俺の精神的安寧の意味で」

 

「お前の精神的安寧などどうでもいい。授業として行われる以上、最低限参加するのが義務というものだろう」

 

「いや、考えても見てください。普段まったく関わりが無く、俺をどう扱っていいかわからないクラスメート、それに対してどう指導していいのかわからない鶴見先生。俺が実習をさぼることにより彼、彼女たちの精神的負担が無くなるということは一石二鳥どころか三鳥になりうるとはかんがえられませんか? ならいつさぼるの? 今でしょ!」

 

 俺が自信満々に言い切る。と、同時に頭部に衝撃が走る。

 

「そういうのは詭弁というのだ。まったくお前は……」

 

「いつつ。暴力はやめてくださいよ先生」

 

「暴力ではない愛の鞭だ。まあお前の言い訳にもならない言い訳はもういい。それで、お前が書いたこのレポートだが」

 

「おいしいファイネス・ホホツアイトズュップレ・ミット・ブレートシュトゥルーデル・ウント・アイアーシュティヒの作り方のレポートですか? すみません先生が読むと知っていたら別の料理を題材にしたんですが」

 

「比企谷。お前は私に喧嘩を売っているのか? 売っているんだな? そうだろ? そうだと言え!」

 

 ファイネス・ホホツアイトズュップレ・ミット・ブレートシュトゥルーデル・ウント・アイアーシュティヒとはドイツの結婚式で食べられるスープの名前であり、正直インパクトだけで題材に選んだ。クワトロベンティーエクストラコーヒーバニラキャラメルへーゼルナッツアーモンドエキストラホイップアドチップウィズチョコレートソースウィズキャラメルソースアップルクランブルフラペチーノとどちらにするか迷ったのだが、後者は料理ではないのでやめておいた。

 

「すみません。再提出するので許してください」

 

 平塚先生が読むなら家庭で簡単に作れるパンチェッタの作り方でいいか。酒のつまみにもいいだろうし。

 

「比企谷、君は料理はできるのか?」

 

「ええまあ、できないなんてことは口が裂けても言えない程度には」

 

「普段のやる気のない生活態度からは想像もつかんな。なんだ、一人暮らしでもしたいのか?」

 

「一人暮らししたいという訳ではなく、俺みたいな社会不適合者は必然的に一人暮らしになる訳じゃないですか。となると食生活を含めて体調管理していかないと、孤独死何て行く末が見え隠れしそうなもんですから」

 

 平塚先生は深いため息を吐くと心底哀れんだ表情でこちらを見る。

 

「孤独死の心配なぞ高校生の考えることじゃなかろう。ただそこまで考えているのであれば明確な将来の展望があるのだろう? 話してみろ」

 

 だが断る! などふざけた日には、現国教師から(物理)教師にクラスチェンジする未来しか見えないので、観念して正直に話す。

 

「まず一流と言われるような大学に進学じゃないですか」

 

「まあ到底信じられないが君は一応学年主席だからな。まあ可能だろう。それで?」

 

「卒業後は適当にペーパーカンパニーを起こして書類上は社長に。それで両親を安心させてあとは適当にバイトでもして適当に暮らしますよ」

 

 実際には、事故の際に雪ノ下建設から受け取った示談金を元手に、宝くじで一発当てた金があるのでバイトする必要も無いのだが、ここで教えてやる必要も無いだろう。

 むしろ伝える相手もいないので、このことを知っているのは俺以外いない。

 

「つまりあれか、君が学年主席なのはその腐りきった将来設計の両親を安心させる、その一点のためという訳か」

 

「Exactly(その通りでございます)」

 

「両親のために勉強をがんばる。それだけなら聞こえはいいのだがな……」

 

「一流大学をでて起業して社長やってるっていえばそれなりに世間体はいいでしょうからね。誰からも干渉されない未来のためならばいくらでもがんばれますよ」

 

 そんな俺の言葉に、またもや深いため息を漏らす平塚先生。

 ため息を吐くと幸せが逃げちゃうらしいですよ。逃げるほど幸せあるのか知らんけど。

 

「それを聞くと奉仕部へ入部させたのは間違いではないと確信するよ。君はあそこでその間違えた配慮の仕方を正すべきだ」

 

 そんな言葉と共に優しい眼差しをこちらに向ける。

 えーなんか円満退部へのハードルあがっちゃってるんですけどー。

 

 それで話は終ったようなので退去の旨を伝え俺が強制入部させられた謎部活、奉仕部へと向かう。

 正直行きたくはないが、行かない方がデメリット多そうだし。

 

 そういえば、雪ノ下による友だちになりましょう宣言のインパクトがでかすぎて、あの部の活動内容聞いてねえわ。

 未だ未知である活動内容が俺にとって優しいものだといいのだが。



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2-2

 部室につくと、いつものように雪乃は本を読んでいた。

 彼女への呼称に関しては、本人がそう呼ばれることを望む以上抵抗するのはやめた。まあこの部室以外でこいつと絡むことはないだろう。ならば、ここで呼ぶ分にはどの様な呼称だろうと何も問題ない。そう自分に言い聞かせた結果である。

 

 軽く挨拶を交わし彼女から少し離れた場所に座る。そして鞄から本を取り出そうとしたところでふと思う。

 

 結局ここってなにする部なんだ?と。

 

 入部時における彼女の説明では、高貴なる雪ノ下嬢が下々の愚民に対し施しを与える部、というぐらいにしか俺には理解できなかった。だが、仮にも部として正式に認められ、部室として空き教室を占拠している以上はもっとちゃんとした活動内容があるはずだ。どこぞの某S○S団じゃあるまいし、そんな活動内容で部活申請が通るほどゆるい学校ではないと信じたい。

 まあ部長様が読書に励んでいる以上、平部員の俺が気にすることでもないだろう。

 考えても答えのでない事は考えない。無駄なことは極力しない、実にエコな俺カッコイイ。実際、先送りでいいのだ先送りで。どうでもいい問題は遥か未来の八幡に任せるとしよう。

 

 だがそんな先送りしたはずの問題の答え。それは唐突に弱弱しいノックの音とともに訪れた。

 

「どうぞ」

 

 本に栞を挟みながら雪乃が声をかける。

 

「し、失礼します」

 

 緊張の為かややうわずった声。

 戸が引かれ、少しだけ隙間が開く。そこから身を滑り込ませるように彼女は入ってきた。まるで誰かに見られることを嫌うように。

 まあこんな、そもそも所属する部員すらも存在理由を知らないような、何をしてるのかわからない怪しげな部の部室に堂々と入ってこれるやつはいないわな。

 落ち着きなく辺りを見回す彼女の視線。それが入部して以来初めての来訪者となる人物を見つめる俺の視線とぶつかった。ひっと小さく悲鳴があがる。

 睨んでるつもりなんかないなんだけどな……。

 

「なんでヒッキーがここにいるの?」

 

「なんでって、部員だし」

 

 俺のことを見ている以上、ヒッキーってのはたぶん俺のことなんだよな。つーか、なんで俺のこと知ってるんだろこいつ。

 正直俺には目の前の、いかにも青春楽しんじゃってますと言いたげな少女に見覚えはない。

 だが、黒子の比企谷と言っても過言ではない俺を知っている様子の彼女に「すみません、どちら様ですか?」とはちょっと聞けない。

 いくら俺でもそのぐらいの気遣いはできる。

 

「よかったら椅子どうぞ」

 

 一旦考えることを放棄して、未だおどおどする彼女に椅子を勧める。

 

「ど、どうも……」

 

 進められるまま彼女はちょこんと椅子に座る。

 緊張の為かふるふる震えるその姿は実に小動物っぽい。

 

「由比ヶ浜結衣さん、ね」

 

「あ、あたしのこと知ってるんだ」

 

 雪乃に名前を知られているのがうれしかったのか、ここにきて初めて笑顔をみせる。

 

「お前よく知ってるな。まさか全校生徒全部の名前覚えてんの?」

 

「そんなことあるはずないでしょ。むしろなんであなたは彼女のことを知らないのかしら。相変わらず理解にくるしむわ」

 

 綺麗な目を半目にしてジトっと俺をにらむ雪乃。

 よせやい。そんなに見つめるなよ照れるだろ。

 

「そんなの俺が一人だからに決まってるだろ。むしろ俺の中で名前と顔が一致してるのは雪乃だけだ。つーかナチュラルに俺が知らないのばらすなよ」

 

 そ、そうなの、とかうれしそうにすんなよ。別に名誉なことでもなんでもないぞ。

 

「あたしのこと知らないんだ……」

 

「いや、これはそのあれだ……」

 

 俺が名前を知らない。そんな極々当たり前なことを悲しまれる。俺の人生に未だかつてない経験に思わずうろたえる。

 そんな俺の動揺を察したのか、雪乃が助け舟をだしてきた。

 

「大丈夫よ由比ヶ浜さん。この男は一人でいることをこじらせ過ぎて、他人を記憶するという動物でもできる行為を喪失してしまっただけだから」

 

 そういって顔を伏せる由比ヶ浜に歩み寄り、その背に手をかける。

 

「いや、その……なんかすまん」

 

「さて、そんな犬ヶ谷くんには後で罰を与えるとして。とりあえず、一先ず退室してもらえるかしら。そうね……謝罪の意味も込めて飲み物でも買ってきてちょうだい」

 

 罵倒され、さらにぱしらされる。しかもそれは罰でもなんでもないという事実。俺の業界じゃご褒美じゃないよ、それ。

 だがまあ助けられたことは事実だ。

 雪乃の提案にのり、大人しく飲み物を買いに行こうとする俺に雪乃が声をかけてくる。

 

「比企谷くん、私は野菜生活でいいわ」

 

 え、謝罪ってお前の分もはいってんの?



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2-3

 雪乃ご所望の野菜生活と、由比ヶ浜にはレモンティーという割と無難なものを買い、のんびりと部室に戻る。

 そういや、彼女は結局なにしにきたんだろうか。

 

 

 

「話は終ったのか?」

 

 野菜生活を両手に持ち、ちゅーちゅーと飲む雪乃に問いかける。

 こいつ、黙ってればほんと美少女なんだよな。口開くと俺への罵倒の言葉しかでてこないけど。

 

「ええ、あなたがいないおかげで実にスムーズに終ったわ」

 

「それはよかった。んじゃ謝罪も渡したし俺帰るな」

 

「まちなさい比企谷くん。彼女はわが奉仕部への依頼者なのよ? 部として相談にあたらないでどうするというのかしら」

 

「いや、そもそも俺はこの部が何を目的とした部なのか知らないんだが」

 

「まったく物覚えがわるいわね。奉仕部とは依頼者の悩みに対し、方法論を与え自立を促すものよ」

 

 スケット団っすですね。わかります。

 

「おk、把握。つまり俺が帰るためには由比ヶ浜の悩みを解決すればいいわけだな」

 

「わかってくれたならいいわ。ただあなたは少しは帰ることから考えを離しなさい」

 

「なんか……楽しそうな部活だね」

 

 俺が一方的に罵られるのをみて、その感想はおかしいだろ。

 なんなのこの子Mなの? べ、別に変わってあげてもいいんだからね。

 

「ええ、楽しいわよ。友だちとの会話がこれほど楽しいとは今まで知らなかったわ」

 

「そう思ってるのはお前だけで、俺は楽しくないけどな」

 

 罵られるだけだし。俺Mじゃないし。ご褒美と違うし。

 

「なんかね、すっごく自然で、いいなーって。ヒッキーもさクラスにいるときとは全然違うし。ちゃんと喋るんだって思って」

 

「そりゃー喋る相手がいないからな。さすがの俺もエアー友だちはいないぞ」

 

「えーいいじゃん。クラスでももっと喋ろうよ、……あたしとか」

 

「いや、そもそも由比ヶ浜がどこのクラスか知らんし」

 

「比企谷くん、由比ヶ浜さんはF組よ」

 

「えっと……何年?」

 

「二年に決まっているでしょう。それぐらい文脈で理解しなさい。それともそれすらも理解できないのかしら」

 

 クラスメイト……だと……。

 俺のクラスには女子がいて男子がいて……あーだめだ。まったく記憶にない。

 

「ま、まああれだ。相談内容はなんなんだ?」

 

「ごまかし方が下手すぎるわよ比企谷くん。さっきのと併せてペナルティー二つ目ね」

 

「増えんのかよ!」

 

「彼女は手作りクッキーを食べてほしい人がいるのだそうよ。ただ、自信がないから手伝ってほしい、というのが彼女の依頼よ」

 

「無視かよ! つーかなんで俺たちがそんなことを……。友だちに頼め。以上依頼完了」

 

「それはその……、あんまり知られたくないし……。こんなの知られたら馬鹿にされるし……。こういうマジっぽい空気、友だちとは合わないから……」

 

 思わずため息を吐く。

 つーかなんで俺、他人の恋路なんて至極どうでもいいことに巻き込まれてるんだろ。

 

「なあ雪乃、俺知らなかったけど友達がいると自分の行動が制限されるみたいだぞ。だから」

 

「大丈夫よ比企谷くん。私はあなたを気遣って行動を制限したりしないから。それにあなたも時々なら自由に行動していいわよ」

 

「ははは、ゆきのは、やさしいやつだなー」

 

 なんでこの子こんなに頑ななんだろ。

 まあそれはおいといて。

 

「なあ由比ヶ浜」

 

「やっぱ、おかしいよね。あたしみたいなのが手作りクッキーとか、なに乙女みたいなことしてるんだよって。……ごめん雪ノ下さん、やっぱいいや」

 

「あなたがそう言うのなら私は別にかまわないのだけれど……。あぁ、彼に気を使う必要はないわ。人権などないから強制的に手伝わせるもの」

 

 日本国民は憲法のもと基本的人権が保障されています。これ豆な。

 

「いいのいいの、だってあたしに似合わないし。手作りクッキーとか、今時流行んないよね……」

 

 なんだろうこの、そんなことないよ、っていってほしい空気すっごくめんどくさいし帰りたい。

 

「どうしてそこであきらめるんだ! できる、できる! やれる、やれる! がんばれ、がんばれ! お米たべ」

 

「比企谷くん、うるさい」

 

 あ、はい。

 

「今のは正直ちょっとふざけたけど、二次元じゃねえんだからさ。キャラだからやっていいとか、やっちゃだめだとか別に考える必要ないだろ。由比ヶ浜がやりたいことやればいいよ。それを応援するのが奉仕部なんだから。たぶん」

 

「たぶん、ってヒッキー。そこは言い切ろうよ。……でもありがとう。やっぱやさしいんだね。……うんあたしがんばってみる。雪ノ下さんよろしくお願いします」



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2-4

「ところでさ、クッキー作りの手伝いって言ってたけど、何処でやるつもりなんだ?」

 

 奉仕部は極々一般的な教室を使っており、当然調理器具なぞがあるはずもない。つまり、校内でやるのであればちゃんとした設備のある家庭科室なりなんなりを借りる必要があるわけだ。

 

「あ、そっか……そりゃそうだよね。ごめんあたし全然考えてなかったよ」

 

 まあさっきまでやるやらないでうじうじしていた由比ヶ浜であるから、当然そんな計画性を持ち合わせているはずもない。奉仕部の活動はいきなり暗礁に乗り上げた形だ。

 やっぱ帰ってもいいよね、俺。

 

「そうね……今から家庭科室の使用許可をとって、それから材料を買いに行くとなると時間がかかりすぎてしまうわ」

 

「つーかあれだ。家庭科室でやるなら俺パスな。調理実習さぼったのにクッキーなんて作ってたら、鶴見先生になに言われるかわからんし」

 

 そんな俺の至極真っ当な意見に、なぜか雪乃が不敵に笑う。

 

「時に比企谷くん。あなたの家にクッキーを作るだけの調理機材はあるのかしら?」

 

「そりゃーあるが。って、まさかうちでやろうってのか?」

 

「ええ。だって、あなたのわがままで家庭科室が使えないのでしょう? なら、場所を提供して然るべきだわ」

 

「お前ら二人で、お互いの家のどっちかでやればよくね? そしたら俺帰るし」

 

「あら、拒否権なんてあると思っているかしら」

 

 ね、比企谷君、といたずらな笑みを向けてくる雪乃。

 そういえば俺、人権ないんでしたね。そりゃー拒否権もないですね。

 

 

 

 

 さて、そんなこんなで我が家でクッキーの製作を執り行うことになったわけだが、別にこれは笑顔に絆されたとかそういった外因によるものではない。

 むしろ我が家でやるということは、さっさと帰りたいという俺の目的と合致しているわけだ。

 戦術レベルでは敗北かもしれないが、戦略レベルでは勝利しているといっても過言ではないだろう。敗北を知りたい。

 

「教えるの面倒だし、俺がクッキー作るから、それを由比ヶ浜作だって言い張って渡せばよくね?」

 

「だめよ比企谷くん。それは奉仕部の理念に反するわ。私たちの活動は飢えた人に食べ物の採り方を教えることであって、決して食べ物を与えることではないの。結果ではなく過程が大事なのよ。その刹那主義な脳によく刻み込んでおきなさい」

 

「だってここ俺んちだし、機材の場所とか俺が教えなきゃいけない訳だし、説明めんどいし」

 

「ヒッキーが作ったら意味ないし。それにヒッキーががんばれって応援してくれたんだから、ちゃんと最後まで教えてよー。てかさ、そもそもヒッキーってクッキー作れるの?」

 

 残念だが、あれは応援したわけではない。意訳すると、ぐだぐだとめんどうだからやるかやらないのかさっさと決めろ、だ。つーかそれよりも、

 

「なめんな。クッキーぐらい普通に作れるわ。うちは両親が共働きだから、小さい頃から俺が飯作ってたんだよ。愛するわが妹のために保存料、合成着色料無添加のおやつを食わせてやりたいからな。お菓子の腕も相当のものだと自負している。なんなら、今まで作ったお菓子をまとめてあるから見せてやろうか?」

 

 妹の笑顔のためならいくらでもがんばれちゃう。それが兄というものです。はい。

 

「ヒッキーって、シスコンなの? ちょっと引く」

 

「比企谷くん、近親相姦は社会通念上許されることじゃないのはわかっているわよね? 通報されたいのかしら?」

 

「兄として当然のことをしているまでだ。だから雪乃、携帯から手を離せ。な?」

 

 何この子たち疲れる。作業進まないんだけど。

 

「なあ由比ヶ浜、そのクッキーを渡す相手とやらの嗜好とかわかるのか?」

 

 さっさと帰ってほしいので無理やり話を本筋にもどす。

 折角作るのだ、相手の趣味嗜好にそったもののほうが喜ばれるだろう。

 

「ううん。全然しらない。てか、今まで一度もしゃべったことないんだ……」

 

「そうか。じゃあ当たり障りのないシンプルなののほうがいいだろ。これなんかどうだ?」

 

 そういって起動したタブレットPCの画面にクッキーのレシピを呼び出し由比ヶ浜にみせる。

 つーかこれ、雪乃いらなくね? いや、二人きりにされても困るけど。

 

「どうだって言われてもよくわかんないんだけど……。うん、でもがんばるってみるよヒッキー!」

 

「んじゃこれな。つーか由比ヶ浜、お前普段料理とかすんの? まあ部室での口ぶりだと期待はできないが一応聞いとく」

 

「ヒッキー、失礼だし! これでもいつもお母さんがご飯つくってるの見てるし!」

 

 それは、やってないのと、一緒です。

 

「うん、方向性みえた。お前にはあれだ、なんでレシピがあるのか、なぜレシピが通り作る必要があるのか教えるところからだな」

 

 料理なんてもんは、化学の実験と同じで正しい手順を踏まえて行えばそうそう失敗するものではない。ではなぜ失敗するのか?

 まあ、答えは簡単なもんで、単に正しい手順から外れているってだけだ。

 こうしたほうがおいしくなるんじゃないかなーなどと、変にオリジナリティーをだそうとすると大体失敗する。そりゃー完成形を知らないのに、途中で手を加えたところで成功するはずもないのだ。だが、普段料理をしない人からすればそれすらもわからないものらしい。

 よって、まず由比ヶ浜にレシピがなんたるかを説明する必要があるわけだ。

 

 

「で、できた」

 

「まあちょっと焼き色にむらがあるけど、初めてならこんなもんだろ。よくできてると思うぞ」

 

「ありがとうヒッキー。てかさ、さっきからヒッキーはなに作ってるの? なんかすごくいいにおいするんだけど」

 

「ああ、妹のおやつに生キャラメル作ってたんだよ。……よし、こんなもんでいいだろ」

 

「生キャラメルってあれだよね? あのなんとか牧場ので有名なやつ。普通に作れるもんなんだー」

 

「材料計って混ぜるだけだ。案外簡単だぞ? 火加減間違えると食感は悪くなるが、味はかわらんしな」

 

 そういって、生キャラメルをコンロからおろす。

 冷凍庫からバニラアイスを取り出し器にとりわけ、出来立てでまだ固まっていない生キャラメルをかける。

 

「ほれ、クッキーが上手くできたお祝いだ。妹のおやつを食べる権利をやろう」

 

「あら比企谷くん、私の分はないのかしら?」

 

「お前はカマクラと遊んでただけだろ! いや、まあやるけど」

 

 一般的な家庭のキッチンでは三人で作業などできるはずもなく、指導俺、生徒由比ヶ浜となると雪乃があぶれるのは当然のことだ。

 そしてあぶれた雪乃はというと、初めは作業を見守っていたのだが、我が家の愛猫カマクラを見つけるとあとはひたすら戯れていた。

 ……何しにきたんだよ。

 

「ネコはいいわね。本当に愛らしいわ。愛でているだけで普段の立場とか柵とか全て忘れてしまえる。そんな気さえするわ」

 

「雪乃、お前が重度の猫至上主義者だということはよくわかった。わかったから食べてるときはカマクラから目を離せ。口の周り汚れてんぞ」

 

 口から外れたアイスをティッシュで拭いてやる。

 ……いや、俺今迄こんなに人と関わることなかったから妹にやってやるのと同じ感覚でやっただけだし。だから雪乃、そんなに顔真赤にして怒るなよな。

 

「むー。なんかずるい。ヒッキー、あたしも拭く!」

 

 いや、ずるいとか意味がわからん。そもそも、もう雪乃の顔顔汚れてないぞ。

 

「一生の不覚だわ……」

 

「恥と思うなら、これからはアイスぐらいちゃんと食べてくれ。やったのは俺だけど、巻き込まれた感がすごい」

 

「あら、不覚なのは不覚なのだけれど、比企谷くんごときが私の役にたてたのだから光栄なことでしょう? 跪いて感謝をしめしてもらいたいぐらいだわ」

 

 はいはい、そうですねー。

 

「なんかいいなー」

 

「「はい?」」

 

「なんかさ、雪ノ下さんもヒッキーもすごく自然で、お互い思ったこと素直に言ってて信頼関係?って言えばいいのかな、なんかよくわかんないけどすごくいいと思う」

 

「由比ヶ浜さん、私はこの男に思ったことをそのまま

言っているだけなのだけれど。それがどうしてそうなるのかしら?」

 

「確かに思ったことそのまま言いすぎだし、結構ひどいこと言ってるし、正直ちょっと引く。でもさ、それはきっと思ったこと素直に口にだしても大丈夫だよっていう、二人の関係があるからできることだと思うんだ。あたしさ、二人とも学校で気づいてたと思うけど。周りに流されて、友だちの目とか気にしすぎちゃって。言いたいことなかなか言えないんだよね。だから二人の関係がすごくいいと思うし、ちょっぴりうらやましい」

 

 なに勘違いしてやがる、この虫……ミス。

 こいつはなに勘違いしてるんだろか。

 まあ確かに雪乃が自由なのは認める。だがそんなふうに雪乃が自由でいられるのは、信頼なんてものを前提としたものでは絶対にない。単に、俺のスルースキルがカンストしてるだけだ。

 

「なんつーか、友だちいたことないから知らんけど。いたらいたで面倒なもんなんだな」

 

 ふと、一方的にとはいえ俺の初めての友だちと言える雪乃をみる。

 いつかは俺も、由比ヶ浜のように彼女の目を気にして思い悩む日がくるのだろうか。

 

「大丈夫よ由比ヶ浜さん。私にだってできたのだから、いつかきっとあなたにも言いたい事を言い合える友だちのできる日がくるわ。そうね……この男貸してあげるから、まずは言いたい事を言う練習をしてみればいいんじゃないかしら」

 

 いつか、きっと。俺の屍を超えてゆけ。

 つーか、いつからお前は俺の所有権もってたんだよ。

 

「う、うん。ありがとう、ゆきのん。あたしがんばってみるよ」

 

 あ、変なスイッチはいったな、こりゃ。

 よかったな雪乃。今の発言で由比ヶ浜のお前への好感度は閾値を越えたらしいぞ。俺の貸し出し許可で超えるのは些か不本意だが。

 

「ええ、がんばって。あとゆきのんって私のことなのかしら。正直その呼び方やめてほしいのだけれど」

 

 どんまいゆきのん。

 

「ねえヒッキー」

 

 うろたえるゆきのんを微笑ましくみていると、いつのまにやら先ほど焼いたクッキーをもった由比ヶ浜が近づいてくる。

 なんだ? 袋詰めしろってか? あいにく、今うちにあるのは妹用のかわいらしいのだけだから、男子高校生へ渡すには痛々しいと思うぞ。

 

「すっごく遅くなっちゃったけど、サブレ助けてくれてありがとう」



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2-5

「は? お前何言ってんの? クッキー渡したい相手って俺なの? てかサブレってなんだよ。さっぱり意味わかんねーよ」

 

 あ……ありのまま今起こったことを話すぜ! 「俺はクッキー作りの手伝いをしていたと思ったらいつの間にか渡されていた」な……なにを言っているかわからねーと思うが、俺も何をされたのかわからなかった。

 唐突な由比ヶ浜の行動に、思わずポルナレフる。そんな状況を察したのか、雪乃が補足してきた。

 

「あきれた。あなた、本当ににぶいのね。少し考えればわかると思うのだけれど。なぜ私が由比ヶ浜さんのことを知っていたのか。なぜ由比ヶ浜さんが社会不適合者であるあなたを知っていたのか。導かれる答えは一つしかないでしょう」

 

「つまり、入学式の時に俺が助けた犬の飼い主が由比ヶ浜だった。それであってるか?」

 

「あらようやく気づいたのね。遅すぎるわよニブヶ谷くん」

 

「そういや、犬がいたから飛び出したんだよな、俺。正直忘れてたわ」

 

「比企谷くん、さすがにそれは無いと思うのだけれど……」

 

「なんで忘れちゃうのさ、ヒッキー! サブレ助けてくれて、あたしホントに嬉しかったのに」

 

「え、なんで俺責められてんの? つーかさ、忘れてた俺が言うのもなんだけど今更じゃね?」

 

 まあ……雪乃への謝罪がついこの間だったことを考えると、人のことは決して言えない俺ガイル。

 

「だって……、ヒッキーいつも一人だし、もしかしたら事故でずっと学校休んでたせいでそんななのかなって思ったらさ。なかなか言い出しづらくて……」

 

「そんなこと気にしてたのかよ。あれだ、むしろ孤立する条件を整えてくれたことに、それはもう抱きしめて頬にキスをしてやりたいぐらいには感謝してるぞ、俺は」

 

 入学後のグループが出来上がる過程で一人になるよりも、グループが出来上がってから一人になるほうが気が楽だ。俺にとっても、周りにとっても。

 

「なんでヒッキーが感謝するし! 逆だよ逆! あたしがヒッキーに感謝してるの!」

 

 え、抱きしめて頬にキスしてくれんの? なにそれご褒美。

 

「感謝なんていらんいらん。あれは体が勝手に動いただけだ。そうだな……あえて理由をつけるんなら、俺には保険がきくけど、犬には保険がきかない。それぐらいなもんだ」

 

 感謝されたくてやったわけじゃないし、ぶっちゃけどうでもいい。

 

「つーかさ、自分で手伝ったクッキーをお礼としてもらうって、どういう対応が正解なの? 斬新すぎんだろ」

 

「これぐらいインパクトのあることをしないと、チラシの裏以下の記憶容量しかもたないあなたの脳じゃ覚えられないでしょう」

 

「いや、普通に渡されても忘れないからな。まあ何らかの陰謀を疑うけど」

 

「部室でヒッキーがいない間にゆきのんがね、考えてくれたんだよ」

 

「つーか、解決方法が斜め下すぎんだろ……」

 

 つまり、クッキー作りの手伝いってのはダミーであり、本当の依頼は印象的なお礼の伝え方だったわけだ。

 頭いてえよ……。

 

 

 

 

 

 さて、明けて翌日である。

 ようやく奉仕部の活動内容を理解した俺は、相変わらず部室で読書に勤しんでいた。

 そして見事俺を騙してくれた部長様はというと、やっぱり彼女も読書に勤しんでいた。

 特に干渉してくるわけでもなく、相手のペースを尊重するように。そんな空気がとても心地よい。

 彼女の友達感がどのようなものなのかは分からない。だが、この距離感が彼女の考えによるものだとすれば、彼女との友だちという関係も意外と悪くいもんじゃないかもしれない。

 

「やっはろー」

 

 そんな穏やかな空間に、軽薄な挨拶とともに由比ヶ浜が訪れる。

 

「……何か?」

 

 几帳面に本に栞を挟みながら、不機嫌さを隠しもせずに雪乃が問いかける。

 ……え、お前ら昨日すげぇ仲良さそうだったじゃん。なんでそんないやそうなの? 今いいところだったの?

 

「え……、なんか歓迎されてない? ゆきのん、あたしきちゃだめだった?」

 

「そうではないけれど……。ただ一応部としての活動中だから。用事があれば駄目とは言わないわ」

 

「用事あるよ! 超ある! あのね、昨日ゆきのんのおかげでちゃんとヒッキーにお礼言えたのに、今度はゆきのんにお礼言ってなかったなーって思って」

 

 そう言うと由比ヶ浜はバックから可愛らしい包みを取り出し雪乃に渡す。

 

「はい、クッキー。昨日帰ってから今度は一人でがんばって作ってみたんだ。昨日はありがとう、ゆきのん」

 

「あ、ありがとう」

 

 体を張って犬を助けた俺には俺監修クッキーで、印象的なお礼の伝え方を演出した雪乃には完全自作のクッキー。

 すっごく……差があります……。

 

「なんかさー、料理って意外と楽しいんだね。今度お弁当でもつくってみちゃおうかなーって。でさ、ゆきのん一緒にお昼食べようよ」

 

「ごめんなさい。私いつも比企谷くんとお昼食べてるから。由比ヶ浜さんとお昼一緒にしたら、彼が一人になってしまうじゃない」

 

 その、比企谷くんとやらは、あなたの想像上の人物ではありませんか?

 つーかさ、そんなこと言ったら、

 

「えー。ヒッキーいつもお昼にいなくなると思ってたら、ゆきのんと一緒にいたの? ずるい! あたしもまぜてよー」

 

 ほら巻き込まれた。

 

「そんでさ、あたし放課後とかチョー暇してるし、部活手伝うね。いやーもーなに? これもお礼? お礼だから気にしないでね」

 

「あの……由比ヶ浜さん?」

 

 どうやら雪乃はひどく押しに弱いらしい。

 純粋な好意をむける由比ヶ浜に、完全にペースを持っていかれている。

 まあ、きっと今まで雪乃の周りにはいなかったタイプだろうし、それもしかたないだろうが。

 

「これからよろしくね! ヒッキー、ゆきのん」

 



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3

 四限の終わりを告げる鐘が鳴る。時刻は12時お昼休みなう

 いつもならお手製の弁当を引っさげて一人静かに弁当を食えるベストスポットへと向かうわけだが、残念なことにこれからはそうもいかない。今日からは雪乃たちと共に部室で弁当を食う羽目になったからだ。

 まあ……天候気温の寒暖に左右されずに飯をくえるようになったからいいか、と思考を無理やり前方へと向ける。

 このポリアンナか俺かという前向きさ、嫌いじゃない。

 

 さて、俺の憩いの時間を奪った元凶たる由比ヶ浜はというと、のんきに教室の後ろで友だちと歓談中である。

 誘っといて歓談中とかなんなの? とか、俺腹減ってるんだけど? とか言いたいことは山ほどあるが、こないだの話を聞く限り彼女を取り巻く人間関係というものはなかなかに複雑怪奇なもののようなのでぐっと飲み込んでおく。出来れば係わり合いになりたくないし。

 つーかあいつ、同じクラスってまじだったんだな。

 

 由比ヶ浜のことなどほっておいて待ち合わせ場所に先行っててもいいのだが、そこで由比ヶ浜がくるまで雪乃と二人きりになることはできれば避けたい。

 だって、あいつ絶対俺に暴言吐くし。

 他人が自分をどう思っているかなど全く持って気にしない俺であるからして、雪乃の暴言なぞそよ風程度にしか思わないわけだが、まあ避けるに越したことはないだろう。

 ちなみに俺が気にするのは愛する小町の評価だけである。

 

 そんなとりとめのないことを考えながら歓談中の由比ヶ浜に視線をやると、彼女と目が合った。

 

「あのさ……、あたしお昼に行くとこあるからちょっと……」

 

 俺の、こっちは腹へってんだよ!40秒で支度しな!という念を混めた視線に気づいたのか、ようやく抜け出そうという意思を見せる。

 

「あ、そうなん? じゃあさ、帰りにあれ買ってきてよ。レモンティー。あーし今日飲み物買って来るの忘れちゃってさ。パンだし、飲み物ないときついじゃん」

 

「あ、あの……てかさ、あたし戻ってくるの五限になるっていうか、お昼まるまる抜けるから、それはちょっとどうかなーって」

 

「え? まじ? てかさ、結衣さこないだもそんなんいって放課後ばっくれてなかった? ちょっと、最近付き合い悪くない?」

 

「いやそれはですね、やむにやまれぬ事情があったというか……。私用により離席させてもらっていたといいますか……」

 

 急に変な日本語になりながら由比ヶ浜が弁明する。

 由比ヶ浜の態度が気に食わなかったのか、金髪の友人が明らかに不機嫌そうに爪で机を鳴らしだす。

 そんな風に金髪の彼女が苛立ちを露にすると、なぜか急に教室の空気が重くなった。ゲームをしていたものは音量を下げ、談笑していたものたちは押し黙る。先ほどまで由比ヶ浜たちと談笑していたグループのやつらまで気まずげに視線を床に落とす始末だ。

 なに? あの金髪がクラスのヒエラルキーのトップなの? 女王なの? 金獅子姫と呼ぼう。心の中で。

 

「それじゃわかんないし。てかさ、言いたいことがあんならはっきり言ってくれる? あーしら、友だちじゃん? そういう隠し事とか、よくなくない?」

 

 さすが金獅子姫。実に脳筋ですね。そういう雑な感性、嫌いじゃないぜ。

 

「ごめん……」

 

「だからさ、ごめんじゃなくて。なんか言いたいことがあるんでしょ?」

 

 いや、いまのお前みて会話成立すると思うやついないから。まずその不機嫌です!なオーラを引っ込めろ、な。

 

 金獅子姫の怒りにふれ、怯え縮こまる由比ヶ浜。

 由比ヶ浜には悪いが、あれは彼女たちの問題であり、彼女たち自身が解決すべき問題だ。今日はじめて存在を知った俺が口をだすような問題ではない。

 だが、俺が完全に無関係かと問われると、面倒なことだがそうとも言えない。

 ……甚だ不本意ではあるのだが。

 

 徐に俺は机よ割れろ!とばかりに手を叩きつけ立ち上がると、由比ヶ浜と金獅子姫の間に割ってはいる。

 

「わたしのために争わないで!」

 

「「は?」」

 

「そこな金髪! お前に一言物申す! ……お腹がすきました」

 

「は? 急になに? 意味わかんないんだけど? あんたには関係ないし。つーかきもいんだけど」

 

「そっか……。じゃあ、続けて、どうぞ」

 

 それだけ言って席に戻り鞄を引っさげ待ち合わせ場所へと向かう。

 まあ俺のしたことなど大したことではない。単に奇行で金獅子姫の怒りのベクトルを別方向に向けてやっただけだ。

 そうやって頭に上った血を下げてやれば、由比ヶ浜でもちゃんと脳筋さんとお話できるだろう。

 腹減ったし、さっさと終らせろよ。

 

 

 

 

 教室をでると、ついと袖を捕まれる。なんぞと目をやると、可愛らしい包みを手に教室側の壁に背をもたれかける雪乃がいた。

 待ち合わせ場所にいつまでも来ない俺たちを迎えにきたのだろう。

 

「あなた……。今のは何? 本当に気持ち悪いわね。ほかにやり方はなかったのかしら」

 

 あ、結果だけみれば由比ヶ浜をかばったっていうのは理解してもらえてるんですね。褒めてもいいとこだよ。きもいとかいうとこじゃないよ。

 

「別にいいだろ。つーか、お前まで気持ち悪いとかいうな」

 

「実際気持ちわるいんですもの仕方ないでしょう? でもいいの? 比企谷くんは目立ちたくないんじゃなかったのかしら? あんなことしたらクラスに居場所がなくなるんではない?」

 

 そういって雪乃はクスクスと笑う。

 

「無くなるもなにも、元から俺の席ねーから。ないものを失う心配なんて無意味だろ」

 

 目立つとかそんなんよりも、早く飯を食いたいってののほうが優先順位上だっただけだし。

 そう言って雪乃の隣に寄りかかり、目を閉じる。

 

「そうね、あなたの居場所は私の隣だけですものね。知ってる? 居場所があるだけで星となって燃え尽きてしまうような悲惨な最期を迎えずにすむそうよ」

 

「『よだかの星』かよ。マニアックすぎんだろ。つーか、俺の居場所を勝手に設定すんな」

 

「あら、あなたみたいに気持ちの悪い人に居場所なんて他にあるのかしら?」

 

「別に、居場所なんて誰かの隣じゃなきゃいけないなんて決まってないだろ。むしろ他人との関わりでしか自己を確定できないって方が違和感を感じるね。いいか、点は一個でも座標があって存在を示すことができるんだ。それ考えたら一人でも十分だろ」

 

 自分がいる場所が自分の居場所。俺がガンダムだ!ならぬ俺が居場所だ!の何が悪い。

 

「でもね比企谷くん。点は二つないと線にはならないのよ。一人じゃできないことも世の中にはあると思うのだけれど」

 

「俺は今まで一人で不都合感じたことねーけどな。あえていうなら授業での二人組つくってってのぐらいだな」

 

「そういうこと言いたいのではないのだけれど……」

 

 珍しく言いよどむ雪乃。

 悪いが俺は小さい頃から大体のことは一人でできた。だからこそ他人の手を必要とする事態など想像もできない。まあそんなんだから俺は一人なんだろうが。

 雪乃の言葉をまっているとカラリと音をたてて教室の戸が開く。

 

「え、なんでヒッキーとゆきのんがここにいるの?」

 

「おっせーよ。なんでってお前を待ってたに決まってんだろ」

 

「そうよ由比ヶ浜さん。自分で誘っておいて待ち合わせに遅れるというのは人間としてどうかと思うのだけど。おかげで彼と二人きりの時間をすごす羽目になってしまったじゃない」

 

「う、ごめん……。てかさ、さっきの……聞いてた?」

 

「さっきのってのがなんのことかは知らんが、俺が教室を出て以降のことであれば聞いてないぞ。つーか、わざわざ教室の外から聞き耳なんてたてねーよ」

 

「そっか……聞いてないんだ。よかった。ねえ、さっきはあたしのことかばってくれたんだよね。ありがとうね、ヒッキー。でもさ、あれはないよ。すっごくきもいし、正直引く」

 

「助けたつもりはねーから別にいいけど。つーか感謝しといてきもいとかお前なんなの? そういうやつには自家製ドライフルーツ入りの特製パウンドケーキやらねーから。昨日作ったんだが我ながら改心の出来なんだが残念だ。せっかく小町が二人にも食べさせてあげなっていうから持ってきてやったのに」

 

 聞き耳を立てずとも、単純な由比ヶ浜のことなど顔をみればわかる。教室を出てきたときの彼女のどこか晴れやかな表情。きっと彼女たちの関係はよい方向に向かったのだろう。正直それだけで十分だ。

 

「比企谷くん、由比ヶ浜さんの分は私がいただくわ。待たされたのだし当然のことではないかしら」

 

「ああいいとも。そのかわり紅茶は雪乃が入れてくれよな。なんか紅茶だけは雪乃ほどうまくいれられないんだよな」

 

「えーひどいよヒッキー。ゆきのんも」

 

 俺にちゃんとごめんなさいできたら俺の分をやろう。

 金髪とお前の関係が、ちょっとよくなったお祝いってことでな。

 



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4-1

 一人でいることを愛し、もはや極めたと言っていい俺にもどうしようもないということが少なからずある。

 そのうちの一つが体育であり、必中効果付の必殺技「じゃあ二人組になって」だ。

 座学ならまだよい。あれは寝たふりをしとけば何とかなる。

 だが体育の場合はそうはいかず、教師に言われてしまえばそれまでだ。

 まあ、回避不可だというのであれば、言わせなければいいだけの話だが。

 

「あの、俺あんま調子よくないんで、壁打ちしてていっすか。迷惑かけちゃうと思うんで」

 

 まあこんな感じ。調子よくない、迷惑かけちゃうのダブルアピール。こう言ってさっさと壁打ちを始めてしまえばよい。

 学年主席だから体育なんかやってらんねーよ、みたいに思われているかもしれないが、そんな評価別にどうでもいい。

 

 

 さて、そうやって教師から繰り出されるはずだった必殺技を華麗に回避した俺なのだが、壁打ちってのはなかなか楽しい。

 なんてったって一人でできる。もうね、これだけ言えばその魅力が十二分に伝わることだろう。

 ひたすらボールを打ち込み、戻ってくるボールをさらに打ち返す。どんどんと加速していく俺と壁とのラリー。もっとだ、もっと神経を研ぎ澄ませ。限界まで加速しろ!

 

「うぉやっべー。今のやばくね?まじぱねーわ」

 

 そんな周囲の歓声に意識をそらされ打ち損ねる。

 ちっまだまだ集中がたりんな。こんなんじゃレベル10なぞ夢のまた夢だ。

 

「葉山くんまじぱねーわ。今の曲がった? 曲がったよね?まじぱねーわ」

「いや、偶然スライスしただけだよ。悪い、ミスった」

 

 八つ当たりぎみに騒いでいるやつらを見ると、どこか見覚えがあった。

 ……ああ、こないだ金獅子姫との一件のときにいた付き人か。確か「今年はまじで国立目指してるから」とか言ってたやつだな。

 目指すだけなら全国のサッカー部が目指してるだろ、とか思ったからなんとなく覚えている。あいつもテニスを選択してたのか。

 楽しげにラリーをする付き人とその仲間たちに、あんま騒ぐなよ、なぞと届くはずもない念を送り俺は壁打ちを再開する。

 途中でなぜか球が二つになったが、問題なく壁打ちを続けられた。加速ってすごい。改めてそう思った。

 

 

 

 そして昼休み。

 

「ヒッキーはさ、なんでゆきのんのこと名前で呼んでるの? 付き合ってるの?」

 

 俺はあほの子こと由比ヶ浜と共に飲み物を買いに向かっていた。

 ちなみに雪乃は今この場にいない。なんでかっていうと食後に行われたちょっとした遊びの罰ゲームだ。

 罰ゲームの遂行者由比ヶ浜、そして由比ヶ浜が依頼に訪れたときのペナルティーのためお財布の俺という布陣である。

 

「付き合ってねーよ。雪乃が名前で呼べっていうからおとなしく従ってるだけだ。つーかなんで名前呼ぶだけでそうなるんだよ。お前のことも名前で呼んでやろうか?」

 

「うっ……。あの、そのーお試しで一回だけよんでみて、試しでね」

 

「つーか本気にすんなよ。まあいいけど。結衣。これでいいか?」

 

「うぅ……。なんか照れる」

 

「親からもらった自分の名前だろ? 別に照れるようなことでもねーだろ」

 

「照れるし! ヒッキーだってね、名前で呼ばれたらきっと照れるんだからね! きっときもい感じににやにやするんだから!」

 

「ねーよ。むしろ、そこまでいうなら呼んでみろよ」

 

「……は、八幡。あーーやっぱなし、ヒッキーはヒッキーだよ、うん。絶対そう」

 

「ヒッキーよりは八幡のほうがまだましなんだけどな。まあお前がそれでいいならいいけどよ」

 

「あ、でもあたしのことは結衣ってよんでくれた方がうれしいかなーって」

 

「まあそーいうならこれからはそうするわ」

 

「うんうん。そうして。ねえヒッキーもっかい呼んでみて!」

 

 俺が名前を呼ぶたびに、顔を赤くしてくねくねする由比ヶ浜改め結衣。

 つーかきもいのお前じゃねーか。

 

「あ、さいちゃんだ。おーいさいちゃーん」

 

 購買に向かう道すがら、テニスコートの脇を通るとき練習をしている人影に結衣が声をかける。

 人影は結衣に気づいたのかてこてことこちらに向かい走ってくる。

 

「やっほー。練習?」

 

「うん。うちの部、すごい弱いから自主練してるんだ。お昼も使わせてもらえるようにずっと頼んでて、最近ようやくOKがでたから。由比ヶ浜さんと比企谷くんはなにしてるの?」

 

「お使いだよー」

 

「俺は財布だな」

 

 俺の財布発言がお気に召したのか、さいちゃんが笑顔を見せる。

 

「さいちゃん、授業もテニス選択なのに昼も練習してるんだ。えらいねー」

 

「ううん、好きでやってることだし。全然だよ。あ、そういえば比企谷くん、テニスうまいよね。ボール二つで壁打ちとか、ちょっとまねできないよ」

 

 いやできるよ。千葉を愛する心を限界まで高めれば。

 そういやナチュラルに聞き流してたけどなんでこの子俺のこと知ってるの? あれか? じつはこの子あの時助けた犬なの?

 そんな俺の疑問をよそに結衣とさいちゃんの会話は進む。

 

「なにそれ……。相変わらずヒッキーきもい」

 

「いや、普通にすごいと思うよ。なんかこう、フォームがきれいなんだよね」

 

「だから結衣はきもいとか言うな。またおやつ抜くぞ」

 

 きもいとか言ってくる結衣に伝家の宝刀、おやつ抜きをくりだす。効果はあほの子に特効で二倍ダメージ。

 自作のおやつを部活中に食べる用に持ってきているので実に効果がある。

 

「つーかさ……だれ?」

 

 おやつ抜きやだー。ごめんねヒッキーなどと擦り寄ってくる結衣に小声で問いかける。

 

「てかさヒッキー、クラスメイトの名前ぐらい覚えなよ……。正直どうかと思うよ人として」

 

 初対面からヒッキーなぞとあほっぽいあだ名でよんできたやつとは違い、正しく呼んでくれた女子にたいして見せた気遣いをノータイムで無碍にする結衣。

 そしてそんな結衣に人の道を説かれる俺。……死にたい。

 

「お前さ……おれの気遣い無駄にすんなよ。つーか、俺の中で名前と顔一致してんの、お前と雪乃だけだってことはお前だって知ってんだろ? そこは空気よんでさ、こうさりげなーく教えてくれてもよくね?」

 

 話しかけたら相手は自分のことを知らない、なんてちょっと恥ずかしいことになってしまったさいちゃん。

 なんか軽く涙目になってるし、正直申し訳ない。……ちょっとはクラスメイトの名前覚えたほうがいいのか? いや、だるいからやめとこ。

 

「俺、クラスで話すやついないから、必然的にクラスメイトの名前知らないんだ。すまんな」

 

「そっか……。じゃあ、これから覚えてもらえたらうれしいな。同じクラスの戸塚彩加です」

 

「比企谷八幡だ。って俺のことは知ってるんだったな。戸塚、な。まああれだ。俺が名前知ってるのまだ戸塚で三人目だし、すぐ覚えられると思う。多分」

 

「ヒッキーさ、もう二年なのに三人しか名前知らないとか、正直やばいよ」

 

「うっせーな。俺は必要なものしか持たない主義なんだよ。つーか、二年なのにって言うけど生涯で三人だからな。だから結衣、お前は誇っていい」

 

「うわぁ……。ヒッキーそれまじでやばいよ。いやほんと、引くってレベルじゃない。なんか病気かもよ、脳の。病院いきなよ病院」

 

 うっせーよ、と結衣の肩を肘でつつく。

 別に覚えようとしなかったわけではなく、今まで覚えるレベルまで他人が近寄ってくることがなかっただけだ。

 

「由比ヶ浜さんとは仲いいんだね……」

 

 恨めしそうに戸塚が呟く。

 

「友だちの友だちってだけで、俺とこいつは別に仲良くないぞ。多分俺が部活辞めたら即切れる程度の縁だな」

 

「ひどいよヒッキー。てかさ……即切れる縁とか、そんな寂しいこと言わないでよ……」

 

 全方向に振りまいていた笑顔を一転曇らせ、悲しそうな顔で俺の腕にすがりつく由比ヶ浜。

 なんか俺間違ったこと言ったか?

 

「いやさ、ほら。俺とお前が話すのとか、部活中だけなわけじゃん。つーことはさ、部活辞めたら話さなくなるって思って当然だろ」

 

「だってヒッキー、教室でいつも一人だし、話しかけたら迷惑かなって」

 

「一人でいるのは好きだが、別に話しかけてきたからっていやな顔するようなやつじゃないぞ俺は。つーか、お前は俺がそんなやつだと思ってたのかよ」

 

 どんな悪人だよ、と結衣の頭を小突く。

 

「いい……の……?」

 

「どんとこいどんとこい。つーかあれだ、正直俺とお前の距離は、言葉無しで察してやれるほど近くない。だから言いたいこと、伝えたいことがあるならちゃんと言葉にしてくれ。そうしたら俺も善処する、多分」

 

「わかった……。ありがとうヒッキー」

 

 再び満面の笑みを作り、俺の腕を抱きしめる。

 忙しいやつだな、お前。あとメロンご馳走様。

 

「ひ、比企谷くん! ぼくもいい…かな?」

 

  かまわんよ、と大きく頷く。

 

「それにしても戸塚、よく俺の名前知ってたな?」

 

「え、だって比企谷くん、目立つじゃん」

 

「そうなのか? どこにでもいて、どこにもいない。そんな人間だと自分では思ってるんだが」

 

「そう思ってるのヒッキーだけだよ。なんかさ、クールっていうか冷めてるっていうか、そこだけぽっかり穴が開いてる、みたいな」

 

 こいつがなにを言ってるのかさっぱりわからん。一番いいエキサイト先生を頼む。

 

「話、変わるんだけど。比企谷くんテニスうまいよね。経験者だったりする?」

 

「いや、ゲームだけだな。リアルでは体育でだけだ」

 

 と、そこで昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。

 

「もどろっか」

 

 笑顔で結衣が言って、戸塚がそれに頷き後に続く。

 いや、まあ別にもどるのはいいんだけどさ、

 

「結衣、お前雪乃の飲み物は?」

 

 お前の罰ゲームだし。



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4-2

 あくる日、再び壁打ちの日である。

 

 ボール二つでやる壁打ちがなかなか楽しかったので、今日は初めから二つに挑戦してみる。

 これから先徐々に数を増やしていけば、あるいはレベル10への道が切り開かれるかもしれない。

 

 そろそろ三つに挑戦してみようかと真剣に考えていると、とんとんと肩を叩かれる。

 振り返ればとやつがいた。まあ有名俳優ではなく戸塚だったが。

 つーか今気づいたが、こいついまここにいるってことは性別は男なんだな。

 完全に女だとおもってたわ。

 

「どうした?」

 

「あのさ、今日いつもペア組んでる子がお休みなんだ。だから……よかったらなんだけど、一緒にやらない?」

 

 うほ、いい男の娘。

 

「かまわんよ」

 

 ボール三つでの壁打ちは次回までお休みだな。

 

 そして戸塚とのラリー練習が始まる。

 テニス部だけあって戸塚は多分うまい。多分というのは俺が比較対象を持たないからなのだが。

 

「やっぱ、比企谷くんうまいね」

 

「まあ、千葉県民だし、千葉超愛してるし、テニスは嗜みとしてやっとかないとなー」

 

 まあ俺は高校でミックスダブルスないの知ってるけど。

 

「千葉関係ないじゃん、比企谷くんおもしろいねー」

 

 あるよ、超ある。

 そんな会話を交わしながらもラリーは続く。

 

 

 

「ちょっと休憩しようか」

 

 ポーンと跳ねたボールを戸塚がキャッチし、俺に声をかける。

 おう、と短く返し俺が適当な場所に腰を下ろすと、戸塚は隣に座ってくる。

 

「あのね、ちょっと比企谷くんに相談があるんだ」

 

「相談? かまわんが、正直俺にこたえられるかわからんぞ。なんせ相談をうけるとか妹以外では初めてだからな」

 

 結衣のクッキーの一件は、あれは相談ではなく依頼だ。つーか実際はクッキー関係なかったし。

 

「大丈夫だよ。あのね、うちのテニス部すっごく弱いんだ。それに人数も少なくて……今度の大会で三年生が抜けたら、もっと弱くなると思う。それに一年生は高校から始めたからまだ慣れてないし……。それに、ぼくらが弱いせいであんまりモチベーションもあがらないみたいなんだ」

 

 まあ普通中学でテニスといえば軟式で、硬式でやっていたようなやつらはいわゆるガチ勢だろう。そんなやつらはうちの高校でテニスやろうとは思わんわな。

 

「それで……比企谷くんさえよかったら、テニス部に入ってくれないかな?」

 

「……え?」

 

 うん、それ無理。

 

「比企谷くん上手だし、きっともっと上手くなると思うんだ。そうしたらみんなにも刺激になるし、ぼくももっとがんばれると思う。だから……」

 

「悪い。それは無理だ」

 

 雪乃がいて俺がいて、時々結衣がいる。そんな奉仕部というコミュニティーだけで限界なのだ。

 それだって俺と雪乃がどちらかと言えば似たもの同士で、ある種のシンパシーが存在するから辛うじて成り立っているだけなのだ。奉仕部が今の状態と少しでも違っていれば俺は無理やりにでも退部していただろう。

 

「そっか……」

 

 戸塚は残念そうに視線を地面に落とす。

 

「まああれだ。入部はしてやれないが他のことなら協力するよ。部員集めとかは無理だけどな。友だちいないし」

 

「ありがとう。比企谷くんに相談して少し気が楽になったよ」

 

 そういって戸塚は笑う。

 どうでもいいけどこれ、相談つーより勧誘だよな。



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4-3

 放課後、不本意ながら俺も奉仕部の一員であるし、これもある種の依頼かなと考えた俺は奉仕部部長であらせられる雪乃に戸塚との会話を洗いざらい話してみた。

 

「関心したわ比企谷くん。あなた、よく自分の身の程を理解しているのね」

 

 結果、思いのほかdisられた。

 つーかえらいえらいとか言って頭なでてくるんじゃねーよ。それガチで関心してるってことじゃねーか。

 

「つーかさ、あんま人のこと悪く言いたくないけど、戸塚見る目ねーよな。同じクラスなんだし、俺のクラスでの生活みてたら無理だってわかりそうだけどな」

 

「あなたの場合悪く言いたくないではなく、人の悪いところが見えるほど近くに人がいない、ではないかしら」

 

 それは事実だが、なんでお前は俺をdisるときすっごい楽しそうなの? Sなの? Sのんなの?

 まあ他人の楽しみを奪うほど心の狭い人間ではないので許してやるけど。これで冷たく言い放つだけだったら断固抵抗するけどな。

 

「恒常的に部活に参加させようにも集団になじめるはずもなく、大会だけの助っ人的な役割では弱い部というイメージはともかくモチベーションとしては下がる一方でしょうしね。本当に役立たずね」

 

「そんな役立たずなやつはここにいても仕方ないと思うので退部させてもらいますね」

 

「大丈夫よ比企谷くん。例え本当に役立たずでも私はあなたを見捨てたりはしないから。上に立つものとしての当然の義務ですもの」

 

 それに友だちでしょ、と俺の両手を掴み、雪乃は真剣な眼差しで俺を見つめる。

 自分で役立たずとか言っちゃったくせになんなのそれ? 完全にマッチアンドポンプだよね?

 

「あ、あれだ。真テニス部みたいな、俺一人で新しい部活立ち上げて、ライバル的なポジションでいくのはどうだ? 一致団結にはもってこいだろ」

 

 雪乃の白く、柔らかい手の感触に少しどきりとし、そんな自分を気づかせまいと手を振り払い、両手を大きく広げて思いついた適当なことを言ってみる。

 

「あなたがライバルなんて……役者不足が過ぎると思うのだけれど。まあそれは置いておくとして、仮にあなたの妄言を実行したとすると、確かにテニス部は団結するとでしょうね。でもそれはあなたという敵を排除する、その一点のためだけの団結でそれは決して自己を高めるとか、そういった方向には向けられることは無いの。だからあなたの行動は無意味に終るでしょうね。ソースは私」

 

「そうか……。ってソースお前?」

 

「ええ。私、中学の時に海外からこっちに戻ってきたの。当然、転入という形になるのだけど、私のクラスの女子、いえ学校の女子が私を排除するために躍起になったわ。誰一人として私という刺激に対し自分を高めようと努力しようとしない、そんな比企谷くん以下の人間しかいなかったわ」

 

 暗闇を纏い、そう語る雪乃。

 俺をdisる言葉を決して忘れないあたり余裕があるのかもしれんが。

 

「どんまい、ゆきのん。正直、客観的にみて確かに雪乃は美少女だけど、だからって排除しようとするってのは俺には理解できん感情だな」

 

「客観的に見て、ね。比企谷くん、私はだれのことだかわからないような客観的な意見ではなく、あなたの主観による意見を知りたいのだけど」

 

「……客観的にみても、俺の主観でみても、どっから見たってお前は美少女だよ」

 

 言わせんなよ、恥ずかしい。

 

「よろしい。私はね、有象無象の評価などどうでもよいの。クラスの美少女でも、雪ノ下の令嬢としてでもなく、単なる雪ノ下雪乃という一人の少女として見てくれる人から評価されたいの。けれど今までそんな人はいなかった。比企谷くん、あなた以外は。誇りなさい。特別に許可するわ」

 

「はいはい、こうえいでございます、ゆきのさまー」

 

「だというのに彼女たちときたら――」

 

 なにやらぶつぶつと中学の女子に対する恨み言を呟き続ける雪乃をよそに、俺は先ほどの言葉を思い返す。

 普段の、ナチュラルに俺をdisる雪乃を思えば信じられないことだが、雪乃はそれなり以上に俺を信頼しているらしい。

 つーかさ、一人の少女として見るとか俺には当たり前のことなんだぜ? 基本的に俺にとって評価の基準はどうしても自分の見たもの、聞いたものだけになる。他人との係わり合いがほぼ無いといっていい俺からすれば当然のことだ。他人が勝手に貼るレッテルなぞ知りようがないからな。

 だがそんな根拠による信頼なぞ過大評価に他ならない。

 

「――ちょっと比企谷くん、ちゃんと聞いているの?」

 

 ぼーっと考え込む俺が気に触ったのか、可愛らしく頬を膨らませて雪乃が睨む。

 

「聞いてた聞いてた。つーか話戻すけど、戸塚のためにもテニス部強くならねーかな」

 

「珍しいわね……。あなた、そんなふうに誰かの心配するような人だったかしら?」

 

「そりゃー珍しいのも当然だ。そもそも人と関わらないんだから他人の話できるわけがない。俺だって相談されりゃー解決策をまじめに考えるぐらいする。まあ小町以外では初めてだけど」

 

「私はよく恋愛相談とかされたけどね」

 

 えっへんと胸をはる雪乃。

 なにそれ自慢? さすが雪乃様人望がおありですねー、とか言って欲しいわけ?

 

「……といっても、女子の恋愛相談って基本的に牽制に使われるんだけど」

 

 つまり、美少女であるがために牽制されまくっていた。そーゆーことですね、わかります。

 

「それ……意味あんのか? 牽制したからって好きなやつが自分をすきになるわけじゃねーだろ」

 

「意味ならあるのよ、彼女たちの中ではね。彼女たちの好きな人を私が知ったという事実さえあればいいのよ。それだけで彼女たちにとって私を攻撃する大義名分になるのだから。その点そういったやっかみを受ける心配が微粒子レベルも存在しない比企谷くんってなかなか稀有な人物よね」

 

 相変わらずいい笑顔ですね。

 

「そんなんわかんねーだろ。世界中探せばそんな奇特な人物が存在するかもしれねーし」

 

 世界中とか自分で言っちゃうあたり、雪乃とは違い実に謙虚な俺。騎士と呼ばれる日も近いな。

 

「そうね……そんな人が現れてもいいように首輪をつけておく必要があるかしら……。時に比企谷くん、あなたの好きな色は? いえ、特に関係はないけど急に知りたくなったの」

 

「そーゆーのやめろよ。こえーだろ。つーかお前俺の所有権主張しすぎ。なんなの? 俺のこと好きなの?」

 

「ええ好きよ」

 

 実にさらっと、さも当然のことのように雪乃が言う。

 

「友達として、だろ。わかってんだよ」

 

「あら、たまには鋭いときもあるのね。当然友だちとしてよ。……今は、ね」

 

「普段が普段じゃなきゃ勘違いしてたかもな。少なくとも恋愛的な意味で俺のこと好きだとしたら俺にあんなに暴言はくわけねーしな」

 

「……いや……だった?」

 

 そんなこと言いながら上目づかいで俺を見つめる雪乃。

 

「世間一般の人間ならいやだというんだろうがな。ただ、どうやら俺はそんな価値観とはずれているらしくてな。暴言を吐くときのお前の笑顔は実に楽しそうで、お前が楽しそうならいいかなーと思えたりもする」

 

「そ、そう。いえ、そんなことは今はいいのよ。今はテニス部の話でしょ。話をそらさないでもらえるかしら」

 

 逆切れするのはいいけど、耳あけーぞ。照れんなら聞くな。

 

「まあ俺の案が駄目なのはよくわかった。ソースは雪乃。じゃあさ、お前ならどうするわけ?」

 

「そうね……全員死ぬまで走らせて死ぬまで素振り、死ぬまで練習、かな」

 

 どこのワタミの会長だよお前。呪われた家庭教師でもいねーとそんなことできねーよ。

 

「やっはろー」

 

 雪乃の下でだけは働きたくないなーなどと考えていると、気のぬける声とともに戸が開いた。

 言うまでも無くあほの子結衣だ。

 

「し、失礼します」

 

 そして、やけに緊張した面持ちの戸塚もいた。

 そういえば結衣も初めはあんな感じだったよなー。初めだけだったけど。

 そんな感慨に耽りながら戸塚を見つめていると俺の存在に気づいたのか顔をぱっと明るくする。

 

「あ、比企谷くん。ここでなにしてるの?」

 

 とてとてと俺に歩み寄ってくる戸塚。

 いやまじ本当にこいつついてるんだよな?

 

「なんでって、俺ここの部員だし。戸塚こそなんで?」

 

 こんな会話結衣のときもしたなー。なに? お約束なの? 天丼?

 

「その、由比ヶ浜さんが……」

 

「今日はあたし由比ヶ浜結衣が依頼人を連れてきちゃいましたー!」

 

 無駄にでかい胸を張り由比ヶ浜が答える。

 依頼人とか余計なことすんじゃねーよ、揉むぞ。

 

「なんていうかさー。あたしも奉仕部の一員じゃん。やっぱ仕事しないとなーって思って。ゆきのんやヒッキーとおしゃべりしてる時間も好きだけど、部活らしいこともたまにはしたいし。んで、さいちゃんが悩んでる風だったから連れて来ちゃいましたー」

 

 褒めてーとばかりに三割増しの笑顔で雪乃のうでにしがみ付く。

 

「由比ヶ浜さん」

 

「なーに? いや、別に褒めてほしいなんて思ってないよ。あたしも部員の一員として当然のことしただけだし。でも褒めてもらうのも吝かではないかなーって」

 

「いえ、褒める以前にあなた別に部員ではないのだけど……」

 

「え、まじで!?」

 

 うわ、恥ずかしいやつ。

 

「ええ、入部届けも受け取ってないし、それに顧問の先生の承諾も得てから部員ではないわ」

 

 一緒にいるからといって仲間ではない。なんだか胸が痛くなる事実だな、おい。

 

「書くよ! 今から、何枚でも書くよ。仲間外れやだよー」

 

 そういって鞄からルーズリーフを取り出し、いかにも結衣らしい丸っこい字でにゅうぶとどけと書き始める。

 つーか入部届けって職員室とかに専用の書式とかあるもんじゃねーの? 書いたことないから知らんけど。

 

「なあ雪乃。俺も入部届けなんて書いた記憶ないんだが。つーことは部員じゃないし明日からこなくていいよな?」

 

「却下ね。でもそう言われてみると確かにそうね。つまるところ、入部の条件は平塚先生の承諾のみなのかしら」

 

 入部の条件を引き下げることにより、俺が部員であることは確定しつつも優衣が部員であることは排除しやがったぞこいつ。

 

「それで、戸塚彩加くん、だったかしら? 何かご用?」

 

 入部の条件が引き下げられたことに気づかず入部届けを書き進める結衣を無視して話を進める雪乃。

 

「あ、あの……ここにくれば、テニスを強くしてくれるって、由比ヶ浜さんが……」

 

「部外者の由比ヶ浜さんがどのような説明をしたのか知らないけれど、奉仕部は便利屋ではないわ。私たちがするのはあなたの手助けをして自立を促すだけ。実際に強くなるかはあなた次第よ」

 

 部外者呼ばわりとかひでーな。俺自身面倒ごとを持ち込んだ結衣に思うところはあるが、さすがにそこまでは言わんぞ。

 そっか……、と肩を落とす戸塚がさすがに気の毒になる。

 

「つーか結衣。お前これどうすんだよ。戸塚落ち込んじまっただろ」

 

「え?さいちゃんはテニス強くなりたいんでしょ? ゆきのんとヒッキーならできるでしょ」

 

 さも当たり前のように結衣が答える。

 どっからその自信はでてきたんだよ。過大評価も甚だしいだろ。

 

「お前さ……。そんな簡単にいうなよな」

 

「え? なんで? できるっしょ。 できるよね?」

 

「由比ヶ浜さん、それは私に対する挑戦と受け取っていいのかしら」

 

 由比ヶ浜のお気楽な発言をなぜか挑発と受け取ったのか、意外と負けず嫌いな雪乃の小宇宙が燃え上がる。

 論理的にみえるけど案外こいつ精神論とか大好きだし熱血だよなー。

 

「いいでしょう。戸塚くん、あなたの依頼うけるわ。テニス技術向上の手助けをすればいいのよね?」

 

「は、はいそうです。ぼ、ぼくがうまくなれば、みんな一緒に頑張ってくれる、と思う」

 

 雪乃の迫力に耐え切れなかったのか、戸塚は俺の後ろに隠れながら答える。

 雪乃が怖いのはわかるんだけどさ、正直その態度ってやる気あんの?

 

「お前が部長だからうけるのはかまわんのだが、手伝いってなにすんだよ?」

 

「さっきも言ったじゃない。覚えてないの? 記憶力に自信がないのならメモを取ることをお勧めするわ。まあ比企谷くんのことだからメモを取るということも覚えられないかもしれないけれど」

 

「いや、覚えてるけど。お前、あれマジで実行する気なの? 訴えられたら負けるよ?」

 

「私、冗談は言わない主義なの」

 

「冗談であって欲しかったよ……」

 

「では戸塚くん。放課後は部活があるでしょうし、特訓は昼休みにしましょう。コートに集合でいいかしら?」

 

 俺の願いを無視してたんたんと今後の予定を決めていく。

 

「りょーかい」

 

 未だにゅうぶとどけを書き続ける結衣が声だけで答える。

 さっきから大人しいと思ってたらまだ書いてたのかよ。

 

「おう頑張れよ」

 

「なに言ってるの比企谷くん。あなたも参加するのよ。言われなくてもわかりなさい」

 

 いや、わかってたけどさ。希望的観測として、ね。



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4-4

 翌日の昼休みから地獄の特訓が始まる予定だった。

 何だって俺はあいつらに付き合っているのだろうか。

 奉仕部に入部するまで、俺は一人だった。

 他人に興味などなく、ただただ一人で過ごす。

 それは周囲から疎外された訳ではなく、単に俺が他人の必要性理解できなかったからだ。

 一人でできるのだから他人はいらない。

 幼少の頃からなんでも一人でできた俺にとっては当然の価値観。

 それが周囲の、世間一般とは異なっていることは理解している。

 だが、人は人、俺は俺。

 世間一般からずれていようとも、俺はそれでいいと思っていた。

 自分一人いればいいと思っていた。

 思っていたはずなのだが……。

 

 そこまで考えて頬を両手で叩き、思考を切り替える。

 これはきっと考えても答えのでないものだ。

 練習に付き合う理由なぞ、俺が止めなければ雪乃が戸塚を殺しかねない、その程度で十分だ。

 

 

 

 

 そんなこんなで時がたち、戸塚の練習は雪乃様の教え「死ぬまで走り、死ぬまで素振り、死ぬまで練習」の死ぬまで走り(基礎訓練)の段階が終った。

 ちなみに死ぬまで走りの段階で戸塚と、なぜかダイエットのために参加していた結衣が実際に筋肉痛で死に掛けていたことは記しておこう。

 

 死ぬまで素振りの段階にはいった訳だが、なんのことはない。ただの壁打ちだ。当然ボールは一つ。まあボール二つ以上での壁打ちは素人にはお勧めできないからな。

 壁と向き合い、真剣に練習に取り組む戸塚をよそに、我が奉仕部の連中は参加する意味が疑わしいほどに自由な時間をすごしていた。

 雪乃は木陰で本を読み、時折思い出したかのように戸塚に激を飛ばす。

 結衣は雪乃の膝を枕にすやすやと寝息を立てている。

 実際に練習するのは戸塚なわけだから別にいいのかもしれんが、これってどうなの? 特に結衣。

 そして先ほど語られなかった最後の部員こと俺はと言えば、練習中、練習後の水分補給のためのドリンクのレシピを考えていた。

 実際の指導はやる気にあふれた雪乃にまかせ、俺は裏方に回るというなかなかの好采配だと我ながら思う。

 

 これじゃコストが掛かりすぎるし、でも手間を考えるとこれ使ったほうがいいんだよなーなどとかなり真剣に考えていると、いつのまに起床したのか結衣がえっちらボールのはいった籠を運んでいた。

 ……だが無意味だ。実はキャスター付の台があることを俺は知っている。教えないけど。

 運び終わるとコートに入った戸塚にむかい、ぽいぽいと次々投げ始める。

 

「由比ヶ浜さん。もっとライン際を狙ってもらえるかしら。それじゃあ練習にならないわ。あとなるべく前後に、振り回すようにお願いね。あと戸塚くん、返せなかった球一つにつき一分追加ね」

 

 完全にしごきじゃないですか、やだー。

 だがそんな雪乃軍曹のしごきに対し、戸塚は真剣な声ではい!と返事をする。

 そんな戸塚の姿を見た俺はレシピを書き留めたノートを片隅に置き、球拾いを手伝いに向かう。

 あれだ、やる気を出したからって言うわけではなく、最初戸塚のやる気を疑っていたからその罪滅ぼしってやつだ。

 

 わかる人にはわかると思うが、現在雪乃がやっている球出しによる練習方法、場所によっては追い回しってよばれたりするが、これは実はかなりきつい。

 そんなきつい練習方法を十球、二十球と続けていれば当然限界が来るわけで、戸塚も例にもれず足をもつれさせ転んでしまった。

 

「うわ、さいちゃん大丈夫?」

 

 ボールを投げる手を止め、ネット際に駆け寄る。戸塚はそんな結衣に擦りむいた足を撫でながら無事をアピールした。

 まあオムニじゃなくてクレイだしな。オムニはやばい。まじで。擦りむくじゃなくて削れる。ソースは中の人。

 

「大丈夫だから。続けて」

 

 そんな戸塚の言葉を聞いて、雪乃が顔を顰めた。

 

「まだ、やるつもりなの?」

 

「うん……。手伝ってもらってるんだし、まだ頑張りたい。頑張れる」

 

「そう……。由比ヶ浜さん、あとお願い」

 

 そう言ったきり、雪乃は何も言わず校舎の方へすたすたと向かっていく。

 無言での行動を不安に思ったのか、戸塚がぽつりと洩らす。

 

「ぼくがだめだめだから……、怒っちゃったのかな……」

 

「ちげーよ。あいつはああ見えて根性とか大好きなやつだからな。どうせ今の戸塚の言葉でにやにやすんのを見られたくなくて平静を装ってただけだろ。精神は肉体を凌駕する、みたいな精神論もあるけど、別にそれは練習でやらなきゃいけないことでもないしな。多分保健室にでもいって救急箱でも借りてくるんだろ」

 

「そっか。それならいいんだけど」

 

 俺の言葉に安心したのかほっとした安堵の笑みを浮かべる戸塚。だがそれとは対照的に結衣は不機嫌そうに頬を膨らませている。

 

「なんでそんなにゆきのんのこと理解しちゃってるのさー! 普段は他人に興味ない見たいな顔してるくせに! ずるいずるい!」

 

「ずるいってなんだよ。いや、お前よく俺にずるいって言うけど、まじ意味わかんねーからな。つーか、雪乃ってあれでわかりやすいやつだと思うけどな。あいつの言ってることちゃんと聞いてればなんとなくわかんだろ」

 

「じゃああたしは? あたしの言ってることはちゃんと聞いてる? あたしのこと考えてることわかってくれる?」

 

「顔ちけーよ。つーかお前のことなんて言葉ちゃんと聞いてなくてもわかるだろ。例えばあれだ。ゆきののことが好きすぎる、とかな」

 

 俺に詰め寄り、捲くし立てる結衣を押し戻す。

 部室で三人じゃなくて二人と一人の状況を考えればお前が雪乃を好きなことぐらい誰でもわかる。

 

「やっぱりわかってないじゃん! ヒッキーの鈍感!」

 

「違うのか? まあそれはあれだ、今後の課題ということで。今は戸塚の練習だろ?」

 

「むー。今はしかたないけど、放課後部室で会議だかんね、会議! 絶対だよ」

 

 これは確信を持って言えるが、放課後会議が行われることはないだろう。結衣が放課後まで覚えてるとは思えんし。

 

「つーわけでさ、まだやるんだろ? 練習」

 

「うん。ありがとう比企谷くん」

 

 三人で立ち上がり練習を再開しようとしたとき、頬を膨らませていた結衣が瞬間表情を無くし、次いで暗い顔になる。

 

「あ、テニスしてんじゃんテニス!」

 

 どこかで聞いたような声に振り返ると、結衣の友達の金獅子姫とその付き人たちが向かってくるのが見えた。

 

「あ、ユイたちだったんだ……」

 

 メガネっ娘の付き人がそうもらす。

 金獅子姫は結衣をちらりと見ると、軽く無視して戸塚に話しかける。

 

「ねー、戸塚。あーしらもここで遊んでていい?」

 

「三浦さん。ぼくたち別に遊んでる訳じゃ……」

 

「え? 何? 聞こえないんだけど?」

 

「練習……だから」

 

「ふーん。だけどさ、部外者もいるってことは別に男テニしかつかっちゃいけないわけじゃないんでしょ? だったら、あーしらがいてもよくない?」

 

「いや、でも……」

 

 そういって戸塚は押し黙り、縋るような目で俺を見る。

 さっきの練習への真剣な姿勢どこいったの? ちょっと感動した俺の気持ち返せよ。

 でもまあ戸塚と金獅子姫じゃ捕食者と獲物にしか見えないし、まあしゃーなしだな。

 

「悪いな金髪。このコート三人用なんだ」

 

「は? 部外者が口出してくんなし。つーかこないだもだけど金髪ってなんなの?」

 

「俺がお前の名前を知らない以上、金髪という身体的特徴をつかう以外に個別の呼び方とする術をもたないから仕方ないだろ? んで、ついでにいうと現状部外者はお前らな」

 

「名前知らないとか失礼だし。あーしは戸塚と話してるんだから口出しすんなし」

 

「だってお前らも俺の名前知らないだろ? だからお互い様だ。んで、お前が勝手に部外者扱いしてるだけで俺も関係者だからな」

 

「知ってるし。比企谷でしょ? クラスのやつの名前ぐらい普通わかるし。つーか意味わかんないこと言うなし。」

 

 あ、ご存知でしたか。やっぱ同じクラスのやつぐらい名前覚えたほうがいいのかな。だりーな。

 

「まぁまぁ、あんまけんか腰にならないでさ」

 

 国立目指してる付き人がとりなすように間に入る。

 

「ほら、みんなでやったほうが楽しいしさ。そういうことでいいんじゃないの?」

 

「お前がそういうならそうなんだろ。お前の中ではな」

 

 付き人の言葉に、チリっと、俺の中でなにか音がする。

 

「だからさ、そんなけんか腰になるなって。絶対にみんなでやったほうが楽しいから」

 

 みんなで、楽しい、ね……。

 

「もーいいわ。話になんねーし。めんどくせえ。あれだ。試合やって、勝った方の言い分に従うってことでいいだろ。当然そっちが勝ったら自由にやればいい。みんなで、楽しく」

 

「テニス勝負? ……なにそれ超楽しそう」

 

 いかにも脳筋らしく、わかりやすい展開になったことに笑みを浮かべる金獅子姫。……あとで結衣に名前聞いておこう。向こうが知ってる以上なんか失礼だし。

 

「いやシングルスでな。高校にミックスダブルスなんてねーからやっても意味ねーだろ。俺と……名前知らんけどそこのお前でやろうぜ」

 

 そんな俺の言葉に困ったように肩をすくめる。

 

「葉山だよ、ヒキタニくん。よろしくな」

 

 

 

 

 

 

 こないだの結衣の一件で、三浦がクラスのヒエラルキーの頂点に立っていることは知っていた。

 だがクラスの女王を俺は侮っていた。クラスの女王とその付き人たちは学校内でも相当上位の存在だったらしい。

 

「HAYATO! HAYATO!」

 

 昼休みの、俺たち以外誰もいなかったコートの周りに人があふれている。

 体を捻り軽くウォーミングアップをする葉山に歓声を送っていることから、どこから聞きつけたのかわざわざ野次馬にきたらしい。

 ……暇なやつらだ。

 

「ヒッキーさ。なんか、怒ってる?」

 

「かもな。自分でも意外なことに、な。つーかお前向こう行かなくていいわけ? あいつの言ってたみんなに結衣も入ってると思うけど」

 

「今は……いけないよ。こんなヒッキー初めてだし。それにあたしも奉仕部だし。だから、こっちが居場所。たぶん」

 

「そっか……。お前がいいならいいけどよ。あとで文句言うなよ」

 

「言うわけないし! そんなこと言うと応援してあげないんだからね! ヒッキーなんてあたしが応援しなかったら誰も応援してくれないくせに!」

 

 いやいるだろ。戸塚とか。

 

「わるかったよ。んで、ありがとな」

 

 思いのほか素直に出た感謝の言葉に自分でも驚く。

 

「んじゃ、やろうぜ。俺から持ちかけたんだし、選択権はやるよ。サーブとレシーブどっちがいい?」

 

「んーじゃあサーブもらおうかな」

 

「わかった。まあ多分そこまでいかないだろうけど、一応タイブレークありの1ゲームマッチな」

 

 それだけ告げるとライン際まで移動する。

 

「ワンセットマッチ、プレイ」

 

 審判として戸塚が試合開始を宣言する。

 まあ試合じゃなくて公開処刑だけどな。

 

 

 

 

 

 

 コートの中央から俺の放ったフラットサーブが閃光のようにサービスコートのセンターぎりぎりに突き刺さる。

 時速180kmにややとどかない程度とはいえ、本格的にテニスをしていたわけではないであろう葉山に反応できるはずもない。

 現在のスコアはゲームカウント0ー5、今サーブのポイントにより得点は40-0、もう一本きめれば俺の勝利である。

 

 葉山の放つサーブを全てライジングで叩き返しリターンエースを奪い、サーブではフラットサーブをセンターからセンターにがんがん決めてサービスエースを奪う。

 俺のやったことなどその程度で、なんら特別なことはしていない。全て俺の深い千葉愛(ver.しゃにむに)のなせる技だ。

 葉山の顔色は白を通り越して土気色になり、周囲は完全にお通夜ムード。なんなら結衣まで軽く引いている。

 俺のことなんて大して知らないくせに、なんでこいつらこんなに葉山の勝利を確信していたのだろう。まじ謎。

 

「えっと……すまん名前刹那で忘れちまった。まあいいや。あのさ、お互いよく頑張ったってことで。あんままじになんないでさ。引き分けにしない?すげーいい練習になったし。審判の。お前の言うとおり楽しかったよ。みんなで。だからさ、今度俺もサッカー手伝うよ。国立、目指してるんだろ? 俺、実はテニス苦手だし。サッカーの方が得意だからさ。みんなで、楽しく、練習したほうがいいんだろ、お前は。だから今は引き分けってことで」

 

 ネット際に歩みより葉山に止めを刺す。

 それだけ言うと、返事は聞かずにコートから立ち去った。

 葉山があのあとどうなったのか? 俺が知るか。

 

 

 さて、俺がそんな大活躍をした放課後である。

 

「さて比企谷くん。なぜあなたが今こうなってのか、ちゃんと理解しているかしら?」

 

「いえ……ちょっとわからないです」

 

 俺が部室に入ると、なぜか先に来ていた雪乃と結衣に無理やり正座させられた。

 

「私がテニスコートに救急箱を持って戻ったら誰もいなかったの。そう、誰も、よ。聞けば私の許可も得ずに随分勝手なことをしてくれたそうじゃない。比企谷くん、それに対してどう思う?」

 

「……申し訳ございませんでした」

 

「聞こえない」

 

「申し訳ございませんでした!」

 

「まったくあなたときたら……」

 

 一人かやの外だったのが余程気に入らなかったのか、こんこんと当社比二割増し程棘を増やして説教を始める雪乃。

 つーか、お前を一人にしたのが悪いってんなら結衣も同罪じゃね? なんで俺だけこんな目にあわなきゃいけないの?

 正座する俺の前に椅子を置き、見下ろしながら説教しているわけなのだが、なんか見えちゃいけないけど見えて欲しい部分が見えそうで見えない。

 

「比企谷くん! 聞いているの?」

 

「はい。申し訳ございませんでした。もうしないので許して下さい」

 

「本当に反省しているの?」

 

「もちろんです」

 

 いや、まじこえーよお前。逆らったら死ぬって本気で思ったね。

 

「ならいいわ。それで、ちゃんと完膚無きまでに叩きつぶしたんでしょうね?」

 

「お前の考える叩き潰すってレベルまではいかないかもしれないが、まあ練習を邪魔しに来ることはないであろう程度にはトラウマを植えつけてやったと思うぞ」

 

「そう。ならいいわ」

 

 雪乃様の許しがでたので立ち上がり、定位置に腰をかける。

 あーまじ足いてー。

 

「てかさーちょっとやりすぎだよヒッキー。由美子責任感じて泣いちゃってたし。なんであんなに怒ってたわけ?」

 

「つーか、お前なんで一緒にいたのにわかんないわけ? そんなやつには教えてやんねーよ」

 

「えーなんでよー。じゃあさ、ゆきのんはわかる? ヒッキーがなんで怒ったのか」

 

「彼の考えをトレースするなど、気分が悪いのだけれど。でもそうね、多分でよければ、だけど。葉山くんの言葉で戸塚くんの、テニスへの真剣な気持ちが汚された気がしたんでしょう。違うかしら?」

 

「……80点だ。ついでに言うなら、あいつが前に教室で国立目指してるとかなんとか言ってたのを聞いてたからってたのもある。自分も真剣に打ち込んでるものがあるくせに、他人の真剣なものに土足で、遊びで踏み込んでくるのがむかついたからだよ。まあ自分でも意外だけどな。俺自身、他人のためにあんな感情的になるとは思ってなかった」

 

「そう……彼のやりそうなことね……」

 

「そっかそっかー。だからかー。でもね、ヒッキー。ヒッキーは前からそんな人だったと思うよ。だって全然関係ないサブレのこと助けてくれたし。優しいんだよヒッキーは」

 

「そんなことねーよ」

 

 なんだか優しい眼差しで俺をみる結衣から目を逸らし窓の外に目を向ける。

 俺自身は今までにない感情だと感じ、結衣はそれは元々持っていたものだという。

 ふと、どこぞの心理学者が言っていたことを思い出す。

 自分の知る自分と他人の知る自分をすり合わせ、自己という存在の認識を広げていくとかなんとか。正直うろ覚えだが、確かこんな感じだったように思う。

 前に雪乃の言っていた一人じゃできないことってのはこういうことなのだろうか。

 それがいいことなのか悪いことなのか。俺にはまだ理解できないが。



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高校生活を振り返って

2年F組 比企谷八幡

リア充とは虚構である。
リア充とはリアルが充実していること、またはリアルが充実している人を指す。
本来であれば人それぞれに違った価値観があるように、一人一人自分だけの充実した現実があるはずなのだ。
だが実際にはそうではない。
一般的にリア充と呼ばれる人種とは青春という大義名分を言い訳にもつ者たちを指す。
現実から目を逸らし、失敗も挫折も全て思い出という綺麗ごとに塗り替える者たちが多数派だからだ。
そんな彼らは現実を直視し、彼らの心のよりどころたる青春の二文字に価値を見出さない者たちを嘲る。
優れているものなぞ数の多さしかないのにだ。
リア充と呼ばれる人種のように他人の手を必要とせず、群れる必要を感じない価値観は常に少数派である。
客観的に見ればどちらが本当に優れているかなどわかりきっている。
だが社会とは多数派が少数派を攻め立て、駆逐するものなのだ。

結論を言おう、社会が悪い。





以上物語の始まりであるヒッキーのレポート。
文字数が圧倒的に足りないため前書き部分に入れました。


 青春。

 この二つの漢字のもつ意味を、俺はまだ知らない。

 俺の今までの高校生活は、世間一般でいう青春とはかけ離れたものだった。

 だが、それは世間一般の価値観であり俺にとってはそうではない。

 一人で登校し、一人で弁当を食い、一人で帰る。なんならそこに一人で図書館に行く、一人で買い物へ行く、一人でゲームセンターに行くなどを含めてもいい。

 強がりでもなんでもなく、俺は確かに一人でいる生活を楽しんでいた。

 むしろ、一人でいることを楽しめず、群れる人々を疑問に思っていた。

 ある冒険家は言った「寂しさを克服できる力さえあれば、別に寂しくありません」と。

 一人でいることに寂しさを感じたことのない俺は特別であり、また異常なのだろう。

 世間一般でいう青春というものを謳歌せし者たちは、青春という二文字を免罪符に自らの生活を彩る。

 青春という名のフィルターを通し、敗北も挫折も、綺麗な思い出に変えていく。

 世間一般とは相容れない、異常な価値観とはいえ俺にもきっと青春という二文字はある。

 自分が気づかなかっただけで今までの生活も青春というフィルターを通してみたものかもしれない。

 そう俺は奉仕部の、他人との関わりの中で気づかされた。

 全く持って必要性を感じていなかった他人の目により、だ。

 一人では見えなかったものが二人なら見える。理解できなかったものを理解できるようになるかも知れない。そんな期待を抱く程度には自分の中になにかが生まれつつあるのを感じる。

 そう、奉仕部での活動を通して俺が学んだことが一つある。

 結論を言おう――

 

 

 と、そこまで書いてペンを置く。

 教室に一人残り、平塚先生へ再提出するレポートを書いていたわけだが、なんだか結論がしっくりこない。

 書いては消し書いては消しをしているうちになんかくしゃくしゃになってきたし。

 まあ、最後の一文だけだし、あとでいっかと筆箱とともにレポート用紙を鞄にしまいこみ、習慣のように部室に向かう。

 

 

 

「遅かったわね。一言も無しに遅れるだなんて、どのような了見かしら」

 

「教室でレポート書いてたんだよ」

 

 開口一番そんなことを言ってくる雪乃を軽く受け流し、定位置に座るとレポート用紙を取り出す。

 

「あなた……、部活動を何だと思ってるのかしら」

 

「主に読書だな。違うか?」

 

「ええ、まあ……その可能性は否定できないわね」

 

 そんなことを言いながら雪乃は気まずげに俺から目を逸らす。

 

「ちょっと聞きたいんだがな。なんでお前俺なんかと友だちになろうと思ったんだ? 事故のことで知っていたとはいえ俺のことなんてほとんど知らないだろうに、だ」

 

「今まで私の周りにいた人たちとは違ったから、じゃ納得できないんでしょうね。いいわ。答えましょう」

 

 本に栞を挟むと真剣な面持ちでこちらを見つめてくる。

 やっぱこいつ……綺麗な顔してるよな。

 

「知らないのに友だちになろうとしたのではなく、あなたを知りたいからよ。そして、私に貼られている、自分では拭い去りようのないレッテルを興味ないの一言で消し去ってしまうあなたに私を知って欲しかったから。これでいいかしら?」

 

「知りたいから、ね」

 

「逆にあなたはどうなの? あの日あなたは拒否しようとしたけど、今でもそう思っているのかしら?」

 

「そうだな……。正直俺は他人の存在の必要性など理解できないし、そんな他人との人間関係を煩わしいものだとさえ思っていた。だが、まあなんだ。この部室にお前といて、二人というよりは一人と一人って感じだが、そういう関係は悪くないという可能性はけして否定できるものではない」

 

「素直じゃないのね」

 

 そういってくすくすと笑う雪乃。

 今よぎったこの感情を記そうとペンをとり、レポート用紙に最後の一文を書き加える。

 

 ――こんな青春も悪くない、と。



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原作2巻分
6-1


 職場見学希望調査票

 

 2年F組  比企谷八幡

 

1、希望職種

 社会の歯車

2、希望する職場

 どこでも

3、理由を以下に記せ

 古人曰く、社会の歯車になんてなりたくない。

 だがこれは間違いである。

 歯車の欠いた機械が正常な動作をするはずもないのだ。

 つまり、社会の歯車とは社会にとって必要不可欠なものなのだ。

 そして、社会の歯車になるために重要なことは、自分の意見を持たないことである。

 上からの指示に粛々と従い、流されることが必要なのだ。

 従って、今回の職場見学は回りの意見に流される練習として他人の行きたい場所を希望する。

 

 

 

 俺が通う学校では二年次に「職場見学」なる行事がある。

 崇高なる意思をもち、生粋の自宅警備員を目指す俺にとってはまったく持って必要のないものなのだが、これもカリキュラムの一環である。

 つまり、さぼると単位が危うい。

 レポートを再提出させられ、あげく奉仕部などという意味不明な部活動に入部することを強制させられた一件。その経験により、自分の主張を押し通すことは時に自分に不利になる、と考える程度には俺も成長した。

 そんなわけで、馬鹿正直に希望職種自宅警備員、希望場所自宅などとは書かず、勤労意欲に溢れた社会の歯車と書いたのだが、世界はまだ俺に追いついてはいなかったようだ。

 なぜか再提出を強いられ、あげく提出された調査票の開票まで手伝わされることになった。

 まったくもって意味不明なことに、だ。

 試験前だってのになんで俺が……。

 

「こんな時期にこんなこと……」

 

「こんな時期だからこそだ。夏休み明けには三年次のコース選択があるからな。この時期に問題提起し、夏休みを使ってきっちり考えろという学校側からの優しさだよ」

 

 俺にこの苦行を強いた元凶こと平塚先生が俺のぼやきに答える。

 

「そういうもんですか」

 

 比企谷八幡には夢がある! ギャング……ではなく立派な自宅警備員になることだ。定年後の生活用に売り出しているような物件を買い、晴耕雨読のような生活をする。

 そんな明確な目標を持った俺であるからして、コース選択を考える必要などないわけで、つまり職場見学なぞ必要ないってことになる。なんという完璧なロジック。惚れ惚れするね、まじで。

 

「ああ、そういうもんだ。して、時に比企谷。君は文系、理系、どっちにするんだ?」

 

「俺ですか。俺は――」

 

「あー!ヒッキーこんなとこにいたー!」

 

 俺が口を開くと、あほっぽい声がそれを遮った。

 俺をヒッキーなどと呼ぶやつは世界中どこを探そうと一人しかいない。

 

「由比ヶ浜か。悪いが比企谷を借りているぞ」

 

「平塚先生困ります。比企谷くんは奉仕部の備品なのですから、ちゃんと許可を取ってもらわないと」

 

 結衣と一緒にいたのか、雪乃が答える。

 つか許可って何よ? 俺の所有権はいつからお前のものになったんですかね?

 

「備品かよ……。つーかどうした? なんか用か?」

 

「ヒッキーがいつまでたっても部室に来ないから探しにきたんだよ!」

 

 俺の遅刻がご不満だったのかふんと腕を組み仁王立ちになる。

 つーか遅刻ぐらいで迎えにくるなよ。待てもできないのこの子?

 

「文句なら平塚先生に言ってくれ。俺は手伝わされてるだけだ」

 

 強いられているんだっ!

 まあ平塚先生から言わせれば、俺がふざけた職場見学票をだしたからその罰ってことで手伝わせているのかも知れないが、俺にとっては本気も本気、むしろ本気と書いてマジである。

 なんだろうこの理不尽な労働は……。対価もなく、ただただ辛く理不尽なだけ、そんな苦行。しかもそのせいでなぜか結衣が不機嫌になってるし。まじやってらんねー。

 

「わざわざ聞いてまわったんだからね。そしたら、みんな「あぁ、あの……」って言うし。ヒッキーって有名になんだねー」

 

「まあ有象無象の期待を裏切って国立くんを公開処刑してやったからな。有名っつーよりか悪目立ちなだけだろ」

 

「ああ、あれね……。でもさ、前のクラスの子とかに「こないだのテニスの人、結衣の知り合い?」って聞かれたりするんだよー」

 

 公開処刑された人物が友だちだからか、僅かに顔を暗くする。

 

「すまん。迷惑かけるな。だからあんとき三浦んとこいっとけっていったのに。つーかお前、まさか教えてねーよな?」

 

「え? だめだった? 同じクラスの友だちだよーって教えたけど」

 

「お前さ……、俺が闇討ちとかあったらどうしてくれるわけ? 責任とってくれんの?」

 

 俺のプライバシーってお前の中でどうなってんの? あんだけ人を集める国立くんのことだ。熱狂的な信者がいてもおかしくない。そんな可能性があるのに俺の身元明かすとかお前さ……。

 

「そういうんじゃないと思うけど……」

 

「え、なに?」

 

「ううん。なんでもない。てかさ、アドレス交換しようよアドレス。こうやって探すの面倒だしさ。ね、いいでしょ?」

 

「まあ同じ奉仕部だしな。連絡網的なのも必要だろうしかまわんぞ。ほれ」

 

 そういって携帯を取り出すと、自分のアドレスを表示して結衣に渡す。

 画面を見ながら可愛らしくデコられた携帯に滑らかな指捌きで俺のアドレスやらを登録すると、今度は同様に俺の携帯に自分のアドレスを登録していく。

 

「よく迷わず携帯渡せるねー。見られて困ったりとかないの?」

 

「ばーかお前俺の交友関係なめんな。プライベートの連絡先なんて雪乃のしかはいってねーよ」

 

 ちなみにアドレス交換は友だちよいう関係を強いられたときに行われた。

 最初は特に用もないのでメールしなかったのだが、雪乃が俺の家に来て以降はカマクラの写メを要求されるようになった。

 ちなみに起床時と就寝前に雪乃にメールするのが最近の俺の日課だったりする。一度メールを送らないことがあったのだが、その時はえらい長文で俺を非難するメールが来た。お前どんだけカマクラ好きなんだよ。

 

「え、ゆきのんとは交換してたの?」

 

 結衣が携帯から顔を上げ雪乃を見ると、雪乃は気まずげに目をそらす。

 教えてなかったのかよ。まあ、だからこそ探しにきたんだろうけど。

 

「部長として、部員といつでも連絡を取れる用意をしておくのは当然のことでしょう? それに……彼とは友だちだし……」

 

「じゃあさ、ゆきのんがヒッキーにメールしてくれたら探さなくてよかったじゃーん」

 

「それは……、ほら彼は学校にいるときはメールのチェックなどしないといっていたから。そうよね、比企谷くん?」

 

「鳴らない携帯なんぞ気にしたって仕方ないからな。学校じゃ時計代わりに使うこともないし」

 

 俺の受信履歴の七割は雪乃であり、次いで二割小町、最後にDMが一割である。

 どんだけ雪乃とメールしてんだよ。

 

「なんかずるいー!」

 

 不満げにぶーぶーと頬を膨らませる結衣。

 一々仕草が子供っぽいやつだ。さすがあほの子である。

 まあ多分それも彼女の魅力なのであろうが、言ってやるつもりもない。だって……噂とかされたら恥ずかしいし。

 つーか、あれなんか突きたくなるんだよなー。やったら怒るかねー。

 

「まあ、これで奉仕部の連絡網が完成したわけだし気にすんなよ。な?」

 

「そーゆーことじゃないもん。ふーんだ。ヒッキーのばーか」

 

 そーゆーことってどういうことだよ。意味ぷーだぞ。

 

「比企谷、なにか忘れてないか?」

 

 と、そこで煙草を吸いながら俺たちの会話を見守っていた平塚先生が俺に声をかける。

 

「え、なんのことですか?」

 

「奉仕部の連絡網なのだろう? なら、顧問である私を無視してどうする。貸せ」

 

 すでに入力を終えていたのか、どうぞーと結衣が携帯を渡す。

 

「別にいいけど勝手に渡すなよな」

 

「えーいいじゃん。あ、平塚先生あとであたしにもお願いします」

 

「ああ、いいとも。ほれ、終ったぞ比企谷。これでいつでも呼び出せるようになったな。全校放送をかけられたくなければこれからは学校でも気にしておくように」

 

「あ、あたしもメールすんねー」

 

「いや、お前は同じクラスだろーが。まあ、気にしておきます」

 

「今日はやけに素直だな? どうした? 調子でも悪いのか?」

 

「俺はいつも素直ですよ。……自分に」

 

 むしろ俺ほど素直な人間などいないだろう。

 つーか自分に素直じゃなかったらわざわざ世間一般からずれていることを理解しながらも一人でなどいない。まあ、自分に素直になりすぎて、ちょくちょくこうやって呼び出しを食らっているわけだが。

 でも八幡は自分を曲げないよ!

 

「まあそれもそうか。よし、比企谷手伝い助かった。もういいぞ。行きたまえ」

 

 煙草を揉み消しながら平塚先生が労働終了の許可をだす。

 

「あい。んじゃ部活行きます」

 

 許可が下りた以上ここにいる理由もなく、鞄を掴むと部室に向かう。

 そんな俺の背中に平塚先生が声をかける。

 

「そういえば比企谷。言い忘れていたが今度の職場見学。三人一組で行ってもらう事になる。好きな者たち同士で組んでもらうことになるからそのつもりで」

 

 なんという衝撃の事実。

 

「好きな者って……。ちなみに俺も聞き忘れたんですけど、職場見学サボった場合どんなペナルティーがつきますか?」

 

「まったくお前は……。そんなことしたら、楽に進級できるとは思うなよ」

 

 ですよねー。

 そんな平塚先生の無慈悲な鉄槌に溜息をこぼす。

 

「まあ、強制参加っていう条件はみんな一緒な訳ですし。好きな者同士なんてもんじゃなく、余った連中と組みますよ、俺は」

 

 そもそも、クラス内で名前知ってるの結衣と戸塚、あとは三浦ぐらいなもんだし、好きな者で組むなど最初から無理ゲーなのだ。

 

「無様ね」

 

「そう言うお前はどうなんだよ?」

 

「あら、私は引き取り手のいない廃品のような比企谷くんとは違い、誘われる側ですもの」

 

 そういって誇らしげに薄い胸をはる雪乃。

 

「はいはいさようでございますかゆきのさまー」

 

「まあ……同じクラスだったら救いの手を差し伸べてもよかったのだけれど。残念ね」

 

「ま、気持ちだけもらっとくわ」

 

 同じクラスだったらあなたと組みたかった。言外にそう告げる雪乃に胸の内で感謝する。

 普段の毒舌に慣れきってしまっているからか、こういった些細な優しさにちょっとドキっとしてしまう自分が悔しい。

 あーなんか飼いならされてるなー。



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6-2

ピクシブと投下を合わせるため本日4話投稿しています。


 基本的に、奉仕部の活動というものは極めて受動的なものである。依頼人の訪問ありきな活動は、逆に言えば依頼人さえ来なければ活動することがないとも言える。

 つまり、俺が何を言いたいのかと言うと――

 

「ヒッキー、ゆきのん、ひーまーだーよー」

 

 そう暇なのである。まあ、主に結衣が、だが。

 依頼がないとはいえ、学生である以上やることがまったくないということはまずない。特に今は試験前に当たるわけで、やることがなければ勉強をすればいいのだ。むしろ勉強以外やることがない。それが学生の本分だ。

 だが、俺の目の前で机に突っ伏し、ヒマヒマの歌なる訳のわからん歌を口ずさんでいる結衣にとっては違うらしい。

 つーかお前成績よさそうにはとても見えないんだけど、勉強しなくて大丈夫なのか?

 

「勉強しろ勉強。試験前に教えてーっていってきても俺は知らんからな。まあ、言われたことねーけど」

 

「そんなこと言わないし。つーかさ、なんでヒッキー勉強してんのさ。この裏切り者ー! ヒッキーはバカ仲間だと思ってたのに……」

 

 体勢は変えず、目線だけこちらに向けて雪乃には遠く及ばないまでも、俺を自然にdisってくる結衣。

 なんでこの部の女子連中はそんなに俺をdisるのが好きなのかね。戸塚あたりだったら泣いちゃうぜ、多分。いや知らんけど。

 

「バカはお前だけだ。いいか俺には自宅警備員になるっていう立派な夢があるんだ。目標に向かって勉強するのは当然のことだろ」

 

「意味わかんないし。自宅警備員ってようするにニートってことでしょ? なんで勉強するのと関係あんのさ!」

 

「有名大学を卒業し、適当なペーパーカンパニーを設立して社長って肩書きを得るんだよ。そしたら家族の世間体もいいだろ? 俺一人で生活する分にはなんとかなる当てがあるから、後は適当に暮らすんだよ」

 

 前に平塚先生にしたのと同様の説明をしてやる。

 まあ俺と親の関係性を考えるに、俺の進学先や就職先などまったく気にも留めないであろうが、世界一かわいい小町が不出来な兄のせいで不都合を蒙るのは我慢ならん。

 世間体というよりは、愛する小町の前ではかっこいい兄でありたいという、俺の数少ないプライドだ。

 

「全然意味わかんないし……。てかさ、有名大学ってことはヒッキーってもしかして頭いいの?」

 

「そうか、いらん嫉妬とか買うとめんどくせーから先生に口止めしてたし、お前が知らなくてもおかしくないか。俺はこれでも学年主席だ」

 

 基本的に社会は民主主義、つまり多数決で成り立っている。当然学校生活というのもその例にもれず、俺のような周囲に溶け込もうとしないいわゆるぼっちという人間は立場が低い。

 もしそんな人間が優秀だったら、めんどうなことが起こるであろうことは想像しやすい。

 この学校は市立とはいえ県下でも有数の進学校であり、学校の進学先の実績を高めるためにも俺のような優秀な生徒は必要になる。

 俺はそんな学校側の都合をうまく利用して軽い情報操作を依頼したのだ。まあ情報操作といっても俺が主席だと公表しないというだけだが。

 元々試験結果の順位などが張り出すわけでもなく、俺自身言いふらすわけでも、聞いてくるやつがいるわけでもないので今まで誰も知らなかったわけだ。

 

「え? まじ? 嘘でしょ?」

 

「いやお前、俺のことなんだと思ってんだよ。つーかお前に見栄を張る理由なんてないだろ? つまりそういうことだ」

 

「ねーねーゆきのん。ヒッキーが自分のこと学年主席とか言ってるんだけどどー思う?」

 

 あくまで俺の言葉を信じたくないのか、結衣が傍らで文庫本を読む雪乃に声をかける。

 ちょうどいいところだったのか、僅かに顔を顰めたが丁寧に本に栞を挟むと結衣に優しく諭すように語り掛ける。

 

「由比ヶ浜さん、騙されてはいけないわ。彼のような性根の腐った人間が学年主席な訳ないでしょう? ソースは私。だって、私が主席ですもの」

 

「いや、お前科が違うじゃん。そもそものカリキュラムが違うんだから当然だろ」

 

「……それもそうね。でも比企谷くん、嘘はいけないわよ? 虚偽の申告は法に触れるわ」

 

「お前らなんでそんなに認めたくないわけ? いや、お前らが別に俺のことどう思ってようとどうでもいいけど」

 

 それだけ言って勉強に戻る。

 別に誰かのためだとか、誰かに認められたいとか、そんな理由で勉強している訳じゃない。ただ試験結果がそうなだけで、なんなら主席でなくても全くもってかまわない。俺はただ自宅警備員という目標のために勉強しているだけだ。

 

「え、なに? ヒッキー拗ねちゃった? ごめんヒッキー」

 

「由比ヶ浜さん、そんなことで拗ねてしまうような底の浅い男のことなど放って置きなさい。一々かまって上げるだけ損よ」

 

 拗ねたつもりなど毛頭ないのだが、なにやら勘違いしたのか俺に近寄ると俺の腕をつかみゆさゆさ揺さぶる結衣と玩具を強請る子供を無視するかのように読書へもどる雪乃。

 いやすねてねーし。本気でどうでもいいだけだって。だがこのまま勘違いさせたままだと結衣はいつまでたっても俺の腕を揺さぶり続けるだろう。そうすると勉強ができないし、もしかしたら腕が取れるかもしれん。

 

「いや、拗ねてねーから。なんなら暇で暇でしかたない結衣のために俺のとっておきの笑い話をしてやるまである。あれだ、俺に家族旅行の思い出聞いてみろ」

 

「え、なに? 聞けばいいの? ヒッキー、家族旅行の思い出は?」

 

 俺の隣に椅子を持ってきて座りなおし、目をキラキラさせて素直に聞いてくる結衣。

 誰にも話したことはないが、俺の中では抱腹絶倒のとっておきだぜ。

 

「俺の家族旅行の思い出はだな。小5の春休みのことだが、朝起きたら旅行に行ってきますという書置きと千円だけ置いてあったことだ。腹減ったら水飲んで、後はひたすら寝てすごしたからおかげで7キロやせたぜ」

 

「え?」

 

「どうだ? 面白いだろ?」

 

「え? なに? それヒッキーまじで言ってるの?」

 

「え? 面白くなかったか? じゃああれだ。思い出の旅行先はどうだ? 親父とけんかした母ちゃんが俺連れて無理心中しようとした崖の上。あれはまじ思い出に残ってる。『八幡、母さんと一緒に死のうか?』とか言われたことまで覚えてんだぜ。幼稚園の時のことなのに」

 

 どんどんと曇っていく結衣の表情に焦り、矢継ぎ早に俺的面白トークを必死に語りだす俺。

 そんなにつまんねーのか? いやまじ鉄板の笑い話だと思ったんだがな。あとはうどんの話ぐらいしか俺のもちネタねーぞ。

 

「全然! 面白くない!」

 

 結衣はバン!っと両手で机を思い切り叩き、俺に詰め寄ると両肩を掴んで揺さぶってくる。

 

「ねえヒッキーなんで? なんでそんな話したの? そんなん聞いて笑えるわけないじゃん!」

 

「いや、落ち着けって。つーかお前なんで泣いてんだよ」

 

「泣くよ! だってさ、そんな絶対に辛くて、悲しい話なのに、ヒッキー全然つらそうじゃないんだもん。普通なんだもん。そんなん……おかしいよ」

 

「由比ヶ浜さん大丈夫?」

 

「えーん。ゆきのーん」

 

 そんな俺たちのやり取りに気づいたのか、雪乃が読みかけの本に栞も挟むのも忘れて駆け寄る。泣きながら雪乃を抱きしめる結衣の涙をハンカチで優しく拭いてやるとキッと俺を睨む。

 

「比企谷くん、正座」

 

「え?」

 

「正座。早くしなさい。聞こえないの?」

 

「は、はい」

 

 テニスコートに一人置いてかれたとき以上に怒気を放って命令してくるその声に、思わず敬語になって返事をしながら即座に床に正座する。

 え? 俺が悪いの? つーか雪乃さん、あなたも落ち着いてください怒気で死んでしまいます。

 

「ちょっと、顔を洗って落ち着いてきましょう。こんな男のためにあなたが涙を流す必要などないわ。比企谷くん、少し部室を離れるけどその間に体勢を崩したり、逃げたりなどしたら……どうなるかわかるわよね?」

 

「はい。大人しくここで待機しています」

 

「よろしい。じゃあ行きましょう、由比ヶ浜さん」

 

 そういって雪乃は結衣を連れ出し、俺は一人部室に取り残される。

 俺が……悪いのか? 人からずれてるとは自分でも認識していたが笑いの感覚までずれてるとは思ってなかった……。むしろ『なにそれヒッキーの家やばすぎでしょー』みたいな感じになる予定だったんだが。

 基本的に俺の対人能力、所謂コミュ力ってのは今までの数少ない他人との関わりの中で培われてきたものだ。

 無難な、無味無臭な受け答えを俺は絶えず模索してきた。敵も味方もつくらぬよう、相手の価値観と自分の価値観をすり合わせ、時には妥協してきた。

 つまり俺のコミュ力は経験に裏づけされたもの。今回みたいに、自分がこう思うから相手もそうだろう、みたいな予測が外れると対処する術を俺はもたない。

 なぜこうなったのか、悩んでも悩んでも答えはでない。教えてくれる人などいないから。

 

 

 

 

 

 物心ついたころから我が家は小町至上主義だった。

 所謂両親の愛情ってもんは全て小町に注がれていて、俺が省みられることはなかった。

 でも俺はそれが当然のことだと思っていた。だって小町は世界一かわいいし、同様に両親がそうなるのも当然のことだ。

 飯が無くても自分でトースターでパン焼くぐらいできるし、なんならシーチキンに醤油だけかけてそれをおかずに米を食うことだってできる。

 着替えだって、幼稚園に行く事だって自分でできる。

 自分で全てできるのだから両親の、他人の手を借りる必要がないのもまた当然のことだ。

 だから俺にはほかの連中がみんなで、一緒に、なにかするのか理解できなかった。

 なぜ一人でできることをわざわざみんなでやるのかその必要性が理解できなかった。

 テレビや漫画の中の家族っていうもんがうちとは違うってことぐらい理解していたが、それだって一人でできない人々にとってはそれが普通なのであり、俺のように一人でできる人間にとっては現状が普通なのだと思っていた。

 

 

 

「だからさ、俺はごくごく普通の家族の思い出を話しただけなんだって。俺にとってはまじで笑い話のつもりだったんだからさ、泣かれるとか思うわけねーじゃん」

 

 言外に俺は悪くないと必死に訴える

 十分程して戻ってきた二人により、現在俺の断罪タイムなう。

 twitterとやらではなうとか使うことがナウなヤングにバカうけらしい。知らんけど。

 相変わらず正座中の俺を雪乃は冷ややかな目で見下し、結衣は俺の話を聞いてさっきのを思い出したのか真赤になった目をまた潤ませている。

 

「哀れな人だとは思っていたのだけれど……。まさここまでとはね」

 

「ゆきのん。ヒッキーかわいそう……」

 

 よそはよそ、うちはうち。みんな違ってみんないい。そういうもんじゃないの?

 俺んちにとっては普通のことなんだしいいじゃん別に。

 

「なんで哀れまれてんの俺……。まじで意味わかんねーよ」

 

「比企谷くん。なぜ哀れまれているかもわからない、本当に哀れなあなたにもわかるように教えてあげるわ。それはネグレクト。いわゆる育児放棄と言うのよ」

 

「いや、ちげーだろ。できる子はほっといてもできるんだし、それを育児放棄とは言わんはずだ。それに俺と小町だったら小町をかわいがるのも普通だ。誰だってそうする、俺だってそうする」

 

「あなた……本気でそう思っているの?」

 

「おう、まじだとも」

 

 しゃがみこみ、いつに無く真剣な眼差しで俺を見据える雪乃に目をそらさずに答える。

 

「……そう。どうやら本気のようね。ねえ由比ヶ浜さん、そんな顔誰かに見られたくないでしょうし、車を呼ぶから今日は一緒に帰りましょう。家まで送るわ。比企谷くんは先に帰ってもらえるかしら」

 

「ありがとうゆきのん」

 

 なにか納得したように頷くと、雪乃は立ち上がり結衣に声をかける。

 

「わかった。悪かったな結衣。泣かせるとか、そんなつもりは本当になかったんだ」

 

「もーいいよヒッキー。でもね、もうそんな話しないで。ヒッキーにとっては普通で、なんでもない話かもしれないけど、あたしきっとまた泣いちゃうから」

 

「わかった。本当にすまなかった」

 

 それだけ告げると、二人に別れを告げ部室を後にした。

 

 



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6-3

ピクシブでの投下速度と合わせるため、前日複数話投稿しました。
目次から確認していただけると幸いです。


 当たり前のことだが、授業と授業の間には休み時間というものがある。

 人によっては友人との語らいに費やしたり、はたまたやり忘れた課題を必死になって終らせようとする時間だったりするわけだが、俺にとっては次の授業の準備をするための時間だ。

 そもそも休み時間というものは、俺のように使用するのが正しい学生のあり方のはずなのだが、だからといって他人の費やし方に口をだそうとは思わない。よそはよそ、うちはうちである。

 喧騒に包まれた教室の中で一人黙々と準備をする俺なのだが、そんな俺に声をかける奇特な奴がいた。

 

「比企谷くん、おはよ」

 

 戸塚だ。

 そういやこいつ同じクラスとか言ってたな。話かけてきてもいいぞとは言ったものの、その後特に接触がなかったため軽く忘れていた。

 

「おう、おはよ。どうした、何か用か?」

 

「あのさ、比企谷くんはもう職場見学の場所決めた?」

 

「場所以前にそもそも班が決まらないから決めようがないな。確実にあまったやつと組むことになるだろうから、どうしたって決まるのは最後だろ」

 

 俺がクラスで交流と呼べるものをもっているのは結衣だけだ。そしてその結衣はいつも一緒にいる三浦、眼鏡っ娘と同じ班になるであろうから、俺の班決めに関わってくることはない。

 よって最後まで班員の決まらなかったところに人数あわせで参加することになるであろう俺は、残り物が決まるその時までのんびりとできるわけだ。

 

「あのさ、よかったらなんだけど……。ぼくと一緒に班組まない? ぼく、クラスで男子の友達っていないからさ」

 

 逆説、女子の友達はいると。別に社会見学の班は同性で組む決まりなどない。なら女子と組めばよくね?と思わなくもない。だが別段断る理由のも事実だ。

 

「いいぜ。だけどあと一人どうするよ。誘えるやついるか?」

 

 俺の疑問に戸塚は弱弱しく首を横に振る。

 

「んじゃまあ、余り待ちには変わりないな。決まるのギリギリになりそうだし、希望あるなら考えといてくれよ。俺はどこでもいいし」

 

「わかった。よろしくね、比企谷くん」

 

 そういって笑顔を見せる戸塚。

 やったねさいちゃん、班が決まってきたよ。

 そんなに嬉しいもんなのかねー。こいつの考えてることはよくわからん。

 

 

 

 

 

 俺に話しかけてくるやつも、俺が話しかける相手もいるはずもなく、当然班員が決まらないままその日の放課後となった。

 いつものように部室へと向かい、いつものように訪れるかもわからない依頼人を待ちながら勉強をし、いつものように何もないまま帰宅の時間となった。

 最近の部活終了の合図は雪乃が本を閉じる音になっている。

 そうか、やっぱりここは文芸部だったんだな。今度雪乃には眼鏡をかけさせよう。俺、眼鏡属性ないけど。

 そんなくだらないことを考えながら帰り支度をしていると、トントンと扉を叩く音がした。

 

「まじか……」

 

 もともと面倒な部だというのに、帰宅モードに切り替わった俺としては、何時にもまして今更部としての活動などしたくない。

 

「どうぞ」

 

 だが部長様はそうは思わなかったらしい。

 考える素振すら見せずに返事をするその姿はある意味賞賛すら覚える。

 さすがは雪乃様です。

 

「お邪魔します」

 

 そう言って入ってきた男の姿は、かつて相談に訪れた結衣とも戸塚とも違い堂々としたものだった。

 いや……まじでこんな意味不明な部に関わることになったってのに、なんでこいつは堂々とできるんだろう。賞賛に値する。当然悪い意味で。

 

「こんな時間に悪い。ちょっとお願いがあってさ」

 

 本当に悪いと思っているなら日を改めるはずである。よってこいつは欠片も悪いなどと思っていない。

 

「いやー、なかなか部活から抜けさせてもらえなくて。試験前は部活休みになっちゃうから、どうしても今日の内にメニューこなしておきたかったっぽい。ごめんな」

 

 と、聞いてもいない言い訳をしだすあたり確信犯のようだ。

 悪いと思うならさっさと本題に入れよ。

 

「能書きはいいわ」

 

 俺と同じように考えたのか、雪乃は言い訳をピシャリと切り捨てる。

 ……じゃあ居留守でも使っとけよと問いたい、問い詰めたい、小一時間問いただしたい。

 

「何か用があってここに訪れたのでしょう? 葉山隼人君」

 

「ああ、そうだった。奉仕部ってここでいいんだよね? 平塚先生から悩み相談するならここだって言われてきたんだけど……」

 

「そういうのいいから。用件だけ言えよ」

 

 雪乃の冷たい言葉にもめげず、再びたらたらと能書きをたれ始める男にそう言い切る。

 

「すまない。それで用件なんだけど。これ見てもらえるか?」

 

 なにやら携帯をいじりだし、メール画面を開くとそれを俺に見せてくる。

 

「俺に見せてどうすんだよ。見せるならまず雪乃にだろ」

 

「そうか、すまん」

 

 いじめじゃないよ! いじめじゃないよ! なんか謝らせてばかりだけどいじめじゃないよ!

 だって俺間違ったこと言ってないし。遅い時間だから用件を急がせるのも、まずは部長に確認させるのも間違ってないよ。

 

 雪乃と結衣が二人で携帯画面を見ると、結衣があっと小さく声を上げ自分の携帯を取り出しカチカチやると雪乃に見せる。

 

「チェーンメール、ね」

 

 

 チェーンメールという存在は知っていたが、実際に見るのはこれが初めてである。

 今回持ち込まれた依頼のものは、都市伝説でよく聞くチンパンジーやオオアリクイのものではなく、特定の人物を標的に誹謗中傷したものだった。

 たぶんクラスメイトのことなんだろうけど、こんなん俺に見せてどうするつもりだったんだ、こいつ。見せられても誰?知り合い?ってなるだけだったんだが。実際、このメールの人物に心当たりは全くない。

 

「これが出回ってからなんかクラスの雰囲気が悪くてさ。それに友達のことを悪く書かれると腹も立つし」

 

「んで、これをどうしろっつーんだ? 犯人探しすればいいのか?」

 

 前置きがなげーよ。

 チェーンメールが出回ってる。クラスの雰囲気が悪い。これに対処の方向性を加えても三行ですむ話じゃねーか。

 

「いや、犯人探しがしたいんじゃないんだ。丸く収める方法を知りたいんだ。頼めるかな?」

 

「みんなで、仲良く、か?」

 

 目線で問いかける。

 

「いや、こないだは悪かったよヒキタニくん。話は結衣に聞いた。全面的に俺が悪かったよ」

 

「んで、雪乃。奉仕部としてはこの依頼にどういった方向性で関わるんだ?」

 

 軽く無視して部長様に捜査方針を問う。

 さてさて奉仕部なりの丸く収める方法とは如何に。

 

「つまり、事態の収拾を図ればいいのね?」

 

「うん、まあそうなるね」

 

「では、犯人探しするしかないわね」

 

「うん、よろし、え!? あれ、なんでそうなるの」

 

 軽快なノリツッコミである。

 

「チェーンメール……。あれは人として最低の行為よ。自らは決して表に出ずに悪意だけを垂れ流しにする。そしてそんな悪意を拡散させるのが悪意だけでは無いのが余計性質が悪いわ。時には善意、またあるときには好奇心で悪意が拡散される。そんな悪意の拡散を止めるには大本を根絶するしか効果が無いわ。ソースは私」

 

「体験談かよ……」

 

 雪乃の叩き出した方針はボケでもなんでもなく、実体験に基づいた本気のものだった。

 つーかお前悪意に晒されすぎじゃね? どんだけ妬まれてんだよ。

 

「まったく、人を貶める内容を撒き散らしてなにが楽しいのかしら。それによって下田さんや佐川さんにメリットがあったとは思わないのだけれど」

 

「楽しかったんだろ、そいつらは。俺には理解できん感情だが、理論は知ってる」

 

「ええ、あなたはそうでしょうね。だって――」

 

「だって、嫉妬の感情を持つほど他人のことを知らないのだから、だろ?」

 

「え、ええ、その通りだけど」

 

「お前と知り合ってからの時間は短いが、言いそうなことぐらい大体わかる」

 

 先読みされたことが悔しいのか、軽く顔を赤くして「え、ああ、そう」などと軽くうろたえる雪乃。

 

「話を戻すわね。とにかく、そんな最低な行為を行う人間は連座制を適用してでも確実に滅ぼすべきだわ。目には目を。歯には歯を。敵意には敵意をもって返すのが私の流儀」

 

「ハムラビ法典に連座制はねーぞ、多分。そもそもそんな物騒な法でもねーしな」

 

 やられたらやり返すみたいなイメージがあるが、本来はやられた分だけやり返しなさいというものだ。過剰な復讐を防ぐ意味がある。

 よって、殲滅を望む雪乃の解釈は明らかに過剰である。

 

「そんなことはいいの。私は犯人を捜す。それが一番シンプルな方針だから。多分、一言いえばぱたりと止むと思うわ。その後のことはあなたの裁量に任せる。それでいいかしら?」

 

「ああ、それでいい」

 

 穏便な解決方法を求める依頼人に対し、殲滅という方針が打ち出された瞬間であった。

 ゆきのんの方針マジ過激!

 



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6-4

「それで……。メールが出回り始めたのは何時ぐらいのことなのかしら?」

 

「先週末ぐらいからだよ。な、結衣」

 

 方針が決定し、捜査が始まった。

 始まったとはいえ俺は完全にかやの外である。聞き込みは主にメールを受け取った二人を対象に行われ書類上同じクラスというだけの俺に答えられることなぞあるはずがない。

 帰ってもいいかな? いいよね?

 

「比企谷くん、聞いてるの?」

 

 話し込む三人から少し離れた位置に腰掛けぼーっとしてたら怒られた。

 

「わりい。聞いてなかった。んでなんだ?」

 

「少しはやる気を見せて欲しいのだけど。比企谷くん、先週なにか変わったことは無かった?」

 

 先週のことか……。結衣を泣かせてしまったことか? いや、あれは絶対に関係ないな。先週のこと……。

 

「職場見学の希望票があったな。俺が開票手伝わされて、お前らが探しにきたやつ。俺がおぼえてるのはそんぐらいだ」

 

 それを聞いて結衣がはっとなにかに気づいた。

 

「うわ、それだ……」

 

「ねーよ」

 

 あほの子のあほな発言を軽く流す。

 

「あるよ! こういうグループ分けはね、今後の関係に影響してくるから。ナイーブになる人もいるの!」

 

「そ、そうか。すまん」

 

 またあほなこと言ってるよ、みたいに思って軽く受け流してしまったが、明確な根拠を示されるともしかしたらそうなのかと思ってしまう。

 そんな俺たちのやり取りを仕切りなおすように、雪乃が軽く咳払いをした。

 

「葉山君、メールに書かれているのはあなたの友達、と言ったわよね? あなたのグループは?」

 

「あ、ああ。そういえばまだ決めてなかったけど、その三人のなかのだれかといくことになると思う、多分」

 

「犯人わかっちゃったかも……」

 

 名探偵結衣が幾分げんなりとした声を上げる。

 

「説明してもらえるかしら?」

 

「うん、それってさ、いつも一緒にいる中から一人ハブられちゃうってことだよね? 四人の中から一人だけ仲間はずれになるとか、一人になった人はきついよそれ……」

 

「……では、その三人の中に犯人がいると見て間違いないわね」

 

 雪乃がそう結論付ける。

 

「いい推理だ、掛け値無しに。……だが無意味だ」

 

 ほぼ決定と言っていい空気の中、俺は反論の声を上げる。

 

「比企谷くん、それはどういう意味かしら?」

 

「まあ職場見学のグループ分けが絡んでるのはあってるんじゃねーかなとは思う。だけどみんなの中からハブられたくないっていうのを犯行動機と決め付けるのはまだ早いんじゃないか」

 

 自分の出した結論に水を差された雪乃が俺をにらむ。

 

「続けて」

 

「つーかさ、四人から一人ハブられたくない。そんな理由でこんなことしたんじゃなくて、四人の中でこいつ一人をハブりたいからこんなことしたとは考えられないか? 四人の中で三人の誹謗中傷メールが送られるようになり、一人だけそれがない。濡れ衣きせるにはもってこいの状況じゃねーか」

 

「ヒッキー、それはないと思うよ。だって隼人君クラスで人気者だし」

 

「残念ながら俺はこいつが人気者だなんて知らない。俺が知ってるこいつは、他人が一生懸命部活に励んでるところに遊びで入ってくるようなやつだ。んで、それでこないだの件があったのはその三人も知ってんだろ? つーことは今後の学校生活を考えてこいつと距離を取りたいと考えてもおかしくない」

 

 そもそも、あくまでこいつが中心だという前提がおかしいのだ。結衣にしてみればそれが正しいのかもしれないが、俺にはそんな予備知識はない。俺が知っているこいつの情報は、国立目指してる、三浦の付き人、嫌なやつ、の三つだけだ。こいつが人気者である、なんて情報は1バイトすら俺は持ち合わせちゃいない。だからこそ別の可能性に思い至ったわけだが。

 

「……一理あるわね」

 

「そ、そんなはずが……」

 

 椅子に崩れ落ち、両手で顔を覆う人気者(仮)。

 そんな依頼(仮)にどう声をかけていいかわからずおろおろする結衣。

 

「まあ、後はハブられそうな空気を察したこいつが、ここに依頼を持ち込むまでを含めて自作自演って線も考えた。だけど今のこいつの反応を見る限り、そこまでは考えなくて良さそうだ」

 

 俺のもつ印象を元にした推理にみな押し黙る。

 

「んで、どうする雪乃? 俺が話したのはあくまで仮定の話だ。俺が正しいのか、結衣が正しいのか、それともまた別の理由があるのか。どちらにせよ捜査の結果によっては、依頼人の知りたくない真実が日の目をでる結果になりそうなんだが。まあはなから調査なんかしないでうやむやにする方法もなくはないが」

 

 今のこいつの姿を見る限り、真実が明らかにならずとも手遅れな気がするが。

 

「そうね……、彼が比企谷くんの案を聞いて受け入れるようであればそれで、受け入れられないようであればその時また考えましょう。じゃあ聞かせてもらえる?」

 

 俺の考えるうやむやにする方法。それは――



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6-5

お気に入り登録数1000件越えありがとうございます。
デイリーランキングにも入ったりなど皆様のご期待にそえるか不安でいっぱいです。


 奉仕部に久しぶりに依頼者が訪れた翌日の昼休み、俺は自分の考えた案を実行するために教室にいた。

 なんで俺がやんなきゃいけねーんだよ、という思いが胸を支配するのだが、これも奉仕部としての仕事の一環だ。

 仕事である以上は私情は挟まない、それが俺の流儀。雪乃の流儀と違ってずいぶんとまともだ。あいつのは過激すぎる。

 

 よし、と気合を一つ入れ目標のもとへと向かう。

 不確定要素が無いわけではないが、俺は九割がた成功を確信している。

 適当にだまくらかして、残り一割を埋めるとしよう。

 

「三浦、ちょっといいか?」

 

 教室で海老名とだべっているクラスの女王様こと三浦に声をかける。

 

「ヒキオじゃん。何? なんか用?」

 

「あんさ、こないだは悪かった。名前知らないとか言って。俺の名前は知っててくれたみたいなのに失礼だったよな。すまん」

 

 それだけ言って頭を下げる。

 俺の突然の謝罪に面食らったのか、三浦は金色のドリルを巻き巻きしだす。

 

「いや、別にいいし。結衣から聞いたけど、あんたほんとクラスメイトのこと覚えてないんしょ? あーしも結衣があんたのこと話してたから知ってただけだし」

 

「それでもだ、ほんとすまなかった」

 

 そう言ってもう一度頭を下げる。

 ちなみにこの謝罪は案の第一段階ではあるが、申し訳ないと思っているのは本当だ。ただ三浦に話しかける自然な理由が他になかったので案に組み込んだだけである。

 

「もうあやまんなし。それにさ、あーしもこないだは悪かったし。あんたに謝ることじゃないってことはわかってるけどさ、こっちもごめん」

 

 結衣から聞いてたことだが、三浦は割りとこないだの一件を気にしていたらしく、戸塚にも謝罪したらしい。

 

「ヒキタニ、いや比企谷くん。私もごめん」

 

「えっと、海老名だったよな。あれ、俺海老名に謝られるようなことあったっけ?」

 

 たぶんなかったと思う。うん、無い。

 

「私さ、比企谷くんは受けだと思ってた。でもさ、あの時思ったんだ。あ、鬼畜攻めなんだって……」

 

 予想外の謝罪の理由により今度は俺が面食らう。

 

「い、いや海老名? お前が何を言ってるのかちょっとわからないんだが」

 

「はや×はちじゃなくてはち×はやだったんんだね。ほんと、ごめん」

 

 そんなことで謝られても本気で困るだけなのだが……。

 

「いや、その掛け算はちょっと……。あれだ、今は下克上で葉山総受けが熱いと思うぞ。落ちたクラスのアイドルが取り巻きに陵辱されるとかさ」

 

 根本的な解決には何一つ至ってないが、目先に新しい餌をぶら下げてやって話題をそらす。

 

「下克上!そういうのもあるのか。いいねえ比企谷くん、わかってるね! あ、ヒキタニくんって呼んでいいかな? 今はちはやで小説書いてるんだけど、ヒキガヤだと変換でなくてさ。いっつもヒキタニで変換してるからそっちのが呼びやすいんだよね? いい?」

 

 妄想している時っていうのはね、誰にも邪魔されず自由で、なんというか救われてなきゃあダメなんだ。独りで静かで豊かで……。

 

「割と最低な理由だが……、まあそこさえ目を瞑ればヒッキーよりはましか。別にいいぞ」

 

 はちはやの小説に関しては考えないようにしよう。逃げじゃないよ戦略的撤退だよ。

 

「ありがとー。いやーみなぎってきた!!!」

 

「海老名、擬態しろし」

 

 そう言って興奮しだす海老名の頭をぺちりと叩く三浦。

 

「三浦……、お前も大変なんだな」

 

「そう思うなら姫菜が興奮するようなこと言うなし。んで、話ってそんだけ?」

 

「いや、別にちょっと相談があってな。実は職場見学の班のことなんだが、まだ決まってなくてな。俺と戸塚の共通の知り合いである結衣を誘いたいんだがいいか?」

 

「あーしら三人で行くからそんなこと言われても困るし。どうしても結衣じゃなきゃダメなわけ?」

 

「それは知ってるんだがな。あれだ、いつも一緒にいる葉山達いれたらお前らって七人グループじゃん? 結衣抜けて、その分男子から一人いれればちょうどいいと思うんだが。まあ戸塚を助けると思って頼む」

 

「それはそうだけど……。まあ、隼人に聞いてみていいって言ったらいいよ。それに戸塚にはちょっと借りがあるし」

 

 不承不承といった感じではあるが何とか了承をもらえた。当然あいつにはきっちり言いくるめてあるのでこの話が流れることは無い。

 戸塚をダシに使った感は否めないが、うまく丸く収めるためには必要な犠牲だし理解してもらおう。

 

「助かる。ありがとうな、三浦」

 

「別にいいし。これでこないだのことはチャラだから」

 

 そう言ってソッポを向く三浦。

 そんな三浦を見ながら俺はうまくいったことに胸を撫で下ろした。

 

 

 

 

 

「四人から三人だから面倒になるわけで、だったら七人から六人にしてやればいい。ちょうど抜けても問題ない、今後の人間関係に影響を与えない人物もいることだしな」

 

「ヒキタニくん、どういう意味だい?」

 

 顔を上げ真剣な目で俺をみる依頼人。

 

「今回のチェーンメールが結衣が言った様に、お前の班からハブられたくないってのが理由だったらお前が抜ければいいだけだったんだがな。だが、お前をハブりたいっていう可能性がある以上、お前が抜けた時に追従してこなければ可能性が確信になるだけで丸く収まりはしない。だから、確実に回りが追従してくる三浦とお前が班を組めばいい。別に女子と男子が同じ班じゃいけないってわけじゃないんだし、いつも一緒なんだから十分自然だろ」

 

「でもさヒッキー、それじゃ今度はあたしらから一人抜けなきゃいけないんだけど?」

 

「簡単なことだ。結衣が抜ければいい。都合のいいことに、三浦はこないだの一件でこいつがやらかしたこと気にしてるんだろ? そして結衣は俺と戸塚の共通の友人で、俺たちはまだ班が決まっていない。戸塚のためとか言えば多分結衣が抜けることを了承してくれるだろ」

 

 俺のもつ三浦の印象は脳筋だ。わかりやすく、それでいて明確な理由を話せばわかってくれるはずだ。

 そして結衣が抜けたからといって今後の人間関係に影響がでることはない。三浦にとっては借りを返すという理由があり、一時的なものだからだ。

 

「戸塚のために結衣が抜けてそこにこいつが入る。残った三人はハブられることはないし、こいつをハブりたいにしても三浦と組む以上そこは押し黙るはずだ。これ以外にすべての可能性を潰す方法はないと俺は思う。それとも……結衣は俺と組むのいやか?」

 

「いやじゃないよ! いやじゃないけど……、隼人くんはそれでいいの?」

 

「優美子はそれで納得すると思うか?」

 

「不安要素が無いわけではないが、戸塚押しすればなんとかなんだろ」

 

 不安要素とは、こないだの一件の引き金を引いたこいつを三浦もハブりたいと思っている可能性だ。だが、まあこの可能性は低いだろう。引き金を引いたのは確かにこいつだが、切欠自体を作ったのは三浦だからだ。

 あまりにも落ち込むこいつに、さすがにそこまで言うのは酷だからいわんが。

 

「わかった。すまないがそれで頼む」

 

「任せろ」

 

 

 

 

 

 すべてが丸く収まり、グループ分け決定の日がきた。

 俺の思い通りにことが運び、うまくいったはずなのだが俺は釈然としないものを感じていた。

 

「三浦さん、そこいくんだ。うちもそこにかえるー」

 

「あたしもそこにしよっかなー」

 

「三浦ぱないわ。超三浦ぱないわ」

 

 何時も通り、みんなで、仲良くしている依頼人を見る。

 丸く収まったのは表面上だけであり、今後あいつは一人疑心暗鬼に囚われたままあのグループですごすのだろう。

 俺の提案を蹴り、原因を突き詰め、疑わしき関係を一新する選択肢もあったはずなのに、だ。

 他人を疑い、それでも独りになることを恐れそれを隠し、何事も無かったようにすごす。

 それは俺が煩わしいと感じ、今まで構築しようとしなかった人間関係そのものだ。

 疑うなら、信じられないなら独りでいい。

 誰かに裏切られた訳ではないが俺はそう思うし、実際そうしてきた。

 だから俺にあいつがなぜあのグループにそこまでこだわるのかわからない。

 メリットとデメリットを天秤にかけ、デメリットのほうが大きいのなら切り捨ててしまえばいいのだ。

 可能性の話だが、あいつ自身そうされかけたように。

 

「ねえヒッキー、さいちゃん。どこいくか決めてる?」

 

「ぼくは二人が行きたいところでいいよ」

 

 そして、俺の前で話し合う二人に目をやる。

 この三人の班は「組む必要があった」ただそれだけの関係だ。特に結衣は。

 利害関係においてマイナスに傾くようなら、いくらでも切り捨てられるもの。そんな関係。

 当然、あいつのように欺瞞にすがり付いて、必死になってまで守りたいと思うような、そんな関係ではない。

 俺はそんな関係に必要性を感じないのだから当然だ。

 

「あれだ、雪乃にメールしてどこ行くのか聞こうぜ。んで、あいつが行くとこにあわせないか?」

 

 だが、同時にそんな関係がどのようなものなのか知りたいとも思う。

 知らないよりは知っていた方がいい。俺自身はそんな関係を必要とはしないであろうが、他人から求められたときより効率的に対応できるはずだからだ。

 でも、今はとりあえずこいつらと組んで、あの日雪乃のかけてくれた言葉に報いるとしよう。

 班は違っても一緒のとこ行くことぐらいはできるんだぜ、と。



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7-1

 中間試験というものは学生であれば人を選ばず、誰しもに訪れる。それは高校生だろうと中学生であろうと平等にだ。

 つまり俺が試験前ということは、同様に妹の小町も試験前ということである。

 小町は分不相応にも進学校である我が学び舎を目指しているらしく、兄である俺が臨時家庭教師となり勉強を教えている。

 かわいい妹のためであるから仕方ないとはいえ、俺も勉強しなきゃいけないんだがな。親もかわいい小町のためなのだから家庭教師ぐらい頼めばいいのに。

 今度小町を通して打診してみるか。

 そんなことを考えながらも数学の例題を黙々と解いていると、小町が俺をぼーっと見ていることに気づいた。

 

「どうした? なんかわからん問題でもあったか?」

 

「んーいやー、お兄ちゃんまじめだなーって思って」

 

「あほか。いつだって俺は真面目だ。わかったなら尊敬していいぞ」

 

「それはいやだけどさ。でもさ、世の中にはいろんな種類の兄や姉がいるみたいだよ。小町の行ってる塾の友達の話なんだけど、お姉さんが不良化しちゃったらしくて、夜とかも家に帰ってないらしいよ」

 

 ほー、と小町の話を軽く受け流しノートへと目を戻す。

 小町はといえば、教科書を閉じてもはや完全におしゃべりモードだが、俺はあえてそれを無視する。

 

「でもねでもね、お姉さんは総武高通ってて超がつくぐらい真面目さんだったんだって。なにがあったんだろうねー」

 

「さあなー」

 

 誰が不良化しようが自己責任だしいんじゃね? わざわざ進学校である総武高にはいってまでやることでは無いと思うが。

 

「まぁ、その子のおうちの事だからなんとも言えないけど。最近仲良くなって相談されたんだー。あ、その子川崎大志君っていってね。四月から塾に入ってきたんだけど」

 

「小町。その川崎大志とやらとはどういう関係だ? 仲良くってのはどういう仲良くだ?」

 

「急に食いついてきたね。 何? 小町の友達の為に一肌脱いでくれる気になった? それ小町的にポイント高いよ」

 

「身内の恥を晒すような相談で小町に近づいてくる悪い虫の気配を感じただけだ。その大志とやらから詳細を迅速に聞き出して連絡しろ。そしたら可及的速やかに解決して二度と小町に近づけないようにしてやる。物理的に」

 

「シスコンすぎてポイント低いよ、お兄ちゃん」

 

 うへーとそんなことを言ってくる小町。

 妹に悪い虫がつかないように気を配るのは兄として当然の義務だ。

 

「でも……、ありがとうお兄ちゃん」

 

 

 

 

 

 さて、翌日の朝のことである。

 小町に勉強を教えながら自分のほうも進めてはいたのだがどうしても予定まで終らず、夜更かしして遅れを取り戻そうとした俺は普通に寝坊した。

 いつもなら俺を起こしてくれるマイスィートシスターなのだが、どうやらあいつも寝坊したらしく起きてリビングに行くと「ごめんお兄ちゃん。寝坊したから先行くね」という書置きが一枚あるだけだった。

 まあ、どんなにあせっても寝坊は寝坊、遅刻が確定している以上はあせってもしかたない。書置きをゴミ箱へと捨てると俺は朝食を作ることにした。

 

 時間を調整し、一時限が終了するころに学校へと到着した。

 わざわざ授業中に教室にはいる必要などないわけで、授業が終ってから教室に入ればそこからは遅刻など無かったかのような、何時も通りの一日が始まるはずだった。

 

「比企谷、私の授業をさぼるとはいい度胸だな。一応殴る前に理由を聞いてやろう」

 

 そう、一時限目の担当が平塚先生で無ければ。

 

「殴るりたいなら殴ればいい。だが俺は四天王でも最弱。俺の上にはまだ」

 

「烈風正拳突き!」

 

 正拳突きとは言いつつも、某フェザー級のチャンピオンばりの拳が俺の肝臓を的確に捉える。

 幕ノ内! 幕ノ内!

 床に倒れ込み、痛みにもだえ苦しむ俺。

 

「ボディーが甘いぜ。……まったくこのクラスは問題児が多くてかなわんな。っとそう言っているうちにもう一人」

 

 俺を一瞥すると平塚先生はカツカツと教室の後ろの扉に向かって歩いていく。

 

「川崎沙希。君も遅刻かね?」

 

 そう、鞄を引っさげて今まさに登校してきたであろう女子に声をかける。川崎と呼ばれた女子は、何も言わずペコリと頭を下げると、俺の横を通り過ぎ自分の席へとついた。

 

「黒……だと……」

 

 俺が床に倒れ込んでいるのは平塚先生に殴られたからであり、また彼女は他に通る道筋があったのにも関わらず俺の横を通っていったのだ。

 つまり、彼女の瑞々しい生足と、その先にある秘められた部分が見えてしまったとしても俺に責任はない。

 

「川崎……か……」

 

 千葉で黒い下着ということは、彼女は野球部のマネージャーだな。俺が某ロリコンだったら即刻家族に連絡し、家族会議を促すところだ。

 まあ残念ながら俺は野球部ではないのでそんなことはしないが。

 

「比企谷、スカートの中を覗いた女子の名前を感慨深く呟くのはやめたまえ」

 

 平塚先生、冤罪ですよ! 冤罪!

 覗いたではなく見せ付けられたんです。つーか原因の一端はあんただ。

 

「この件について少し話しをしておこう。放課後、職員室までこい」

 

 

 

 

 

 

 平塚先生にこってり絞られた後、俺は複合商業施設マリンピアの書店へと向かった。

 自分用と、昨日教えた感じ小町の理解が浅そうなところの参考書を買うと店を出た。

 普段ならこのまま帰宅し勉強するところなのだが、なぜか無性にとあるカフェのピーチティーが飲みたくなり、テイクアウトするため店へ向かうと見知った顔があった。

 雪乃と結衣と戸塚だ。

 

「よっす」

 

 別に声をかける必要もないのだが、後ろに並ぶ以上は気づかれないほうが無理がある。

 声をかけずにいて「いたんなら声ぐらいかけてよ」とか言われても癪なので社交辞令程度に声をかける。

 

「あ、比企谷君! 比企谷君も勉強会に呼ばれてたんだね!」

 

「いや呼ばれてない。参考書買った帰りでな。たまたまだ。たまたま」

 

 なぜか興奮気味の戸塚に適当に返す。

 

「三人で勉強会か?」

 

「いや、ほらヒッキーも呼ぼうと思ったんだけどさ。呼び出しくらっちゃってたじゃん? だからー、ね?」

 

「いや、なにも言ってないけどな」

 

 呼ばれてないからって拗ねるとでも思ってんのか、こいつは?

 つーか勉強会なんてもんは、できないやつができるやつに寄りかかりたいだけのもので、俺のようにできるためやつにとっては迷惑なだけの代物だ。

 普だからそんなにキョドんなよな。

 

「あら比企谷くん。あなたを呼んだつもりはないのだけれど」

 

「そうだな。俺も呼ばれてない。飲み物だけ買ったら帰るから安心しろ」

 

「え、ヒッキー一緒にやんないの? いいじゃん、一緒にやろうよー」

 

「ぼ、ぼくも比企谷くんが一緒にいてくれたほうがやる気でるかなって」

 

 雪乃のいつもの暴言に即答で返すと、結衣と戸塚が俺を引き止める。

 結衣はあれだな、俺に教えさせる気満々だろ。

 

「だ、そうだが。どうする雪乃?」

 

「そ、そう。なら仕方ないわね。特別に同席を許可します」

 

「ありがとよ」

 

 こないだの、泣かせてしまった件のこともあるし、付き合うとするか。

 やーりーとハイタッチする結衣と戸塚。お前らが、お前らこそがバカ仲間だ! 戸塚の成績なんて知らんけど。

 そして、そうこうしているうちに列は進み、俺たちの番になった。

 

「ヒッキー、おごってー♪」

 

 そんなことを言いながら結衣が俺の腕に抱きついてくる。

 

「ああ、別にいいぞ。なに飲むんだ?」

 

 言われるまでもなくおごってやるつもりだったし。

 ちなみに腕に感じる柔らかい感触にほだされた訳では決して無い。

 これは小町からの調教もとい教育の結果によるもので、曰く「女子とご飯もしくはそれに順ずるものに同席するときは会計を払わせないこと」だそうだ。

 そんな教訓が生かされる日が来るとは到底思っていなかったのだが、予想外に日の目をみた。

 

「鼻の下が伸びてるわよ」

 

「んなわけあるかよ。ほら結衣、さっさと選べよ。店員さんに迷惑だろ。んで、雪乃は何頼むんだ?」

 

「あら、あなたに施しを受けるつもりはないのだけど」

 

 俺の紳士的な気遣いが気に触ったのか、雪乃が眉を顰める。

 

「そーゆーのいいから黙っておごられとけ。あれだ、女子に支払いさせるなっていう、我が家の家訓だ家訓。ばれたら俺が小町にどやされる」

 

「そう、相変わらずシスコンなのね。あなたの家の家訓だというなら遠慮せず、ありがたく受け取っておくわ」

 

 いやさ、誰かにおごられるっていう行為がお前にとって嫌悪すべきものなのはまあわかる。そういう行為を、雪乃の外面だけをみて擦り寄ってきた奴らがしてきただろうからだ。

 でもさ、別に俺はお前が「雪ノ下雪乃」じゃなかったとしてもちゃんと奢ってたぞ。



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7-2

 女子二人の注文を聞き、支払いを済ませ商品を受け取るまでの間に三人を先に席取りに向かわせた。

 もってくのなら俺一人で十分だし、戸塚もあれで男だから美少女二人の風除けぐらいにはなるだろう。

 

 商品を受け取り、さてあいつらはーと店内を見回すとそこには天使がいた。

 

「お兄ちゃん、こっちこっちー!」

 

 俺に向かって大きく手を振る天使、その名も小町。

 

「おぅ、お前もいたのか」

 

 雪乃達三人の隣のテーブルに座る小町に声をかけ、俺も席につく。ちなみに俺の隣に雪乃、正面に結衣でその隣に戸塚という席順である。

 つーかさ、こういうのって男女で分かれるもんじゃねえの? 知らんけど。

 

「さて、小町。その男は何者だ? 事と次第によってはこの店が血の海に沈むまである」

 

 そう言って小町の前に座る学生服を着た少年を睨む。

 

「いや、この子はあれだよ。昨日話したお姉さんが不良化しちゃった子。相談うけてたんだよねー」

 

「そうか、この少年がな。よし少年、迅速に事情を説明しろ。たちどころに解決してやるから二度と小町に話しかけるな」

 

 雪乃と結衣がうわぁ……とか言っているが気にしない。

 

「話聞いてもらえるんですか? ありがとうございますお兄さん!」

 

「呼び捨てだろうとお前呼ばわりでも一向に構わんが、お兄さん呼ばわりはやめろ。殺すぞ」

 

 お兄さんがお義兄さんになりでもしたら修羅になる自信がある。

 

「ちょっとヒッキー、話見えないんだけど? 大志君、なんか悩みでもあんの?」

 

 こいつらには関係ないといえば関係ない話なのだが、たしか大志の姉とやらは総武高に通う二年のはずだ。ということは、俺とは比べ物にならんほどの交友関係をもつ結衣と、同様に女子には王子様扱いされ、いろんな意味でかわいがられている戸塚を巻き込むのは問題の早期解決を図る上で必須かもしれん。

 雪乃? あいつは交友関係に関して言えば俺と同レベルだろうし役に立つとは到底思えん。

 

「この大志とかいうやつの姉、総武高の二年らしいんだがそれが不良化して困ってるんだとよ。んで、その相談を小町が受けていると。そして俺はその問題を颯爽と、迅速に解決してこいつと小町を物理的にも精神的にも引き離したい。OK?」

 

「シスコン」

 

 俺の兄としての極々普通の意見を雪乃が一言で切り捨てる。

 いや、普通だろ。普通だよな? 普通って言えよ!

 

「シスコンだろうがなんだろうがどうでもいい。さて大志、さっさと吐け」

 

「あの、うちの姉ちゃんの名前、川崎沙希っていうんですけど。姉ちゃんが悪くなったって言うか、不良になったって言うか……。姉ちゃんすげぇ真面目だったんです。うち、兄弟多くて生活いっぱいいっぱいで、それで忙しい親の代わりにずっと俺たち兄弟の面倒みてくれてて。優しくて、頼りがいのある姉ちゃんだったんですけど……」

 

「そんな姉が変わってしまったと」

 

「はい。帰ってくるのも朝方で、俺がなんか言っても『あんたには関係ない』って言ってけんかになっちゃうし……」

 

 そう言って肩を落とす大志。

 

「家庭の事情、ね……。どこの家でもあるものね」

 今までに見たことの無い、陰鬱な表情でで呟く雪乃。その顔は今にも泣き出してしまいそうだった。

 

「雪乃……」

 

 なんでそうしたのかわからない。あえて理由を付けるのであれば、そんな雪乃の顔など見たくなかったから、というのが最も近いかもしれない。

 俺は雪乃の、テーブルの下で何かを堪える様に震える手にそっと自分の手を添えた。

 そんな俺の行動を雪乃がどう思ったのかはわからないが、雪乃は一瞬目をはっと開き俺を見ると、添えた俺の手を握る。

 雪乃の手はもう、震えてなかった。

 そんな俺たちの様子に気づかず、大志は話を進める。

 

「それに、それだけじゃないんす……変なとこから姉ちゃん宛に電話がかかってきたりするんす。エンジェル何とかって言う……たぶんお店なんすけど、店長ってやつから」

 

「入り浸っているところか、それともバイト先か。まあたぶん後者だろうな」

 

「え? なんでヒッキーそう思うの?」

 

「普通に考えて、入り浸っているからってわざわざ店から電話しねーだろ」

 

 普通に考えたらわかると思うんだけどな。さすが結衣、あほの子だ。

 

「どこかで働いているというのならその場所の特定が必要ね。変な所かどうかはわからないけれど、朝方まで働いているのはまずいわ。突き止めて早くやめさせないと」

 

「やめさせるだけですめば簡単なんだがな。大志の姉がなんでそんなことしてるのかわかんねーと別の所で働くだけだろ。まあ、なんとなく理由はわかったけど」

 

「ヒッキーすごいじゃん! なんでわかんの?」

 

「俺ぐらい周りに人がいねーとだな、断片的な情報を組み立てて全体像を作り上げられねーと会話が成立しねーんだよ」

 

 必要な情報はほぼあると言っていい。確定かどうか姉に話してみないとわからんが。

 

「言ってることはかっこいいのに、理由がひどすぎるよヒッキー」

 

「ほっとけ。まあ、まだ確定したわけでもないし、あとは大志の姉にちょっとでも話を聞いてみないとな。たしか……川崎沙希だっけ? 結衣知ってるか?」

 

 俺の質問に結衣が微妙な表情をする。

 

「もうあきらめたけどさ。ヒッキークラスメイトの名前ぐらい覚えなよ」

 

 クラスメイト? 川崎沙希、川崎……。

 

「ああ、あの黒パンツの女子か!」

 

 俺の叫びに反応したかのように雪乃の俺の手を握る力が強まる。

 ぶっちゃけ痛い。潰れる、潰れるから。

 

「比企谷くん、その話少し詳しく聞きたいのだけれど」

 

「奇遇だね、ゆきのん。あたしもちょーっと知りたいかなーって」

 

 表情筋は確かに笑顔を形作っているはずなのだが、決してそうとは見えない顔で俺を見る雪乃と結衣。

 そしてなぜか頬を膨らませ剥れる戸塚。

 

「いや、その、これはあれだ。まあ、そのなんだ。とりあえず落ち着け。二人とも、な」

 

 え?俺なんか地雷踏んだ?



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7-3

「千葉市内にて、エンジェルが名前にある店で深夜営業している店は二つ。ホテル・ロイヤルオークラのバーとメイド喫茶。この二つのどちらかで川崎さんが働いているのは間違いなさそうね」

 

 カフェで大志から相談を受けた後、雪乃と結衣はクッキーの一件以来となる我が家へと訪れていた。

 彼女達曰く、「エロ谷くんが女性に犯罪的な視線を向けないよう躾をする必要があり、それは人目につかない場所でおこなうことが望ましい」とのことだ。

 そんな必要はない、あれは事故だと言っても聞き入れてもらえず、小町に助けを求めてもなぜか味方してはもらえなかった。むしろ推奨されたぐらいだ。

 そんな小町は塾に向かうため笑顔で俺たちを見送り、俺はある意味処刑場とかした我が家へ二人を招待するハメになった。

 ちなみに人目につかないの人目には戸塚も含まれていたらしく、勉強会に呼ばれたはずなのに勉強もせずに戸塚は帰宅することになった。無駄足を踏んだ戸塚に幸おおからんことを。

 

「まあその二つならホテルのバーだろうな。間違いない」

 

 正座から開放され、だいぶ時間がたったにも関わらずいまだ痛む足を撫でながら答える。

 ちくしょー結衣め、目ざとく昔はやった足つぼ用のイボイボマットなんて見つけやがって。しかも雪乃は笑顔でその上に正座する俺の足に辞書やら重い本載せやがるし。ガチで拷問じゃねーか。

 

「えーなんでそう思うのさ、ヒッキー」

 

 カフェでもそうだったが、結衣はなんで聞いてばかりなんだろうな。少しは自分でも考えろよ。

 

「あんな、そのふたつじゃリスクが違いすぎるだろ。ホテルのほうは俺でも知ってるぐらいの高級ホテルだ。学校関係者にみつかるリスクを考えたらメイド喫茶よりも段違いに低い。深夜のバイトなんてアホなことやってる川崎でもそんぐらいのリスク計算はできんだろ」

 

「そうね、私もそう思うわ」

 

 雪乃が俺の意見に同意する。

 なんかもう面倒だし、結衣に意見を求めるのはやめよう。絶対雪乃と二人で話進めたほうが早い。

 

「では、小町さんを通して大志君から川崎さんの出勤状況を確認。その後はなるべく早い内にそこに行きましょう。由比ヶ浜さんもそれでいい?」

 

「りょうかーい」

 

「いやちょっとまて」

 

 話が早いっていうか早すぎだ。

 

「なんでナチュラルにお前らも来ることになってんの? これは奉仕部の依頼でもなんでもなくて、単に小町経由で俺にきただけのものだ。別にお前らが首突っ込まなくてもいいだろ」

 

「あら、小町さんの悩みなら私の悩みでもあるの。そういうことよ、比企谷くん」

 

「あたしはさ、やっぱクラスメイトだし。話聞いちゃったからには最後までちゃんと付き合いたいなーって。それにあたしも奉仕部だし、困ってる人がいたらやっぱほっとけないし」

 

 雪乃の理由はいまいち意味不明だが、思った以上に結衣から真面目な意見がでてびっくりした。いつもあほの子とか心のなかで思っててすまん。

 

「やめとけ!って言っても聞かないよな……」

 

「当然よ」

 

「あったりまえじゃーん」

 

 なんでこんな得にもならんことに首をつっこむかね、こいつらは。俺か? 俺に得はあるぞ。小町から大志を排除できるっていう得が。むしろそれしかない。

 

「わかったよ」

 

 

 

 

 

 

 

 毎週この日は帰ってこないという情報を大志から入手し、そしてその日がきた。

 時刻は八時二十分、待ち合わせまであと十分ほどあるがすでに俺は待ち合わせ場所にいた。

 やはりこれも小町の「女の子と待ち合わせするときは十分以上は先に行ってなきゃダメ」という教えによるものである。時間ちょうどでいいじゃんと言っても蔑んだ目で見られるだけだった。お兄ちゃんは割と悲しい。

 

「結衣、こっちだ」

 

 キョロキョロと辺りを見回し、俺を発見できずにいる結衣に声をかける。

 

「あ、ヒッキーいたんだ。ずいぶん早いじゃん。ヒッキーのことだから時間ぴったりにくると思ったのに」

 

「小町にせかされたからな、それでだ。それにしても結衣の私服とか初めてみたけど似合ってんな、その格好」

 

 当然、小町の教えパート2である。

 社交辞令は嫌いだが、小町の教えなら仕方ない。それに実際結衣に似合っているのだからなんの問題もない。

 

「あ、ありがと。ヒッキーもなんかいつもと違うね。声かけられるまで全然わかんなかったし。小町ちゃんチョイス?」

 

 もともとかわいいので褒められ慣れていそうなものなのだが、なぜか照れるかのように顔を赤くする結衣。

 

「ちげーよ。今から行くとこに電話して、どんな格好してけばいいのか聞いて、んで服屋にいって店員に選んでもらったんだよ。つーかお前似合ってるけどその格好じゃ多分うくぞ」

 

 他人にどう見られるかなど気にしない俺だが、服装にはある程度気を使っている。こだわりがあるのなら別だが、わざわざういた格好をして目立つ必要もないのだ。無難でいいんだよ無難で。

 

「え。まじで?」

 

 どうしよーとあわあわする結衣。

 帰ればいんじゃね?

 

「ごめんなさい、遅れたかしら?」

 

 そんな俺たちの元に雪乃もやってくる。

 

「今来たところだ」

 

 本当は結構前にきたけどな。小町の教え……って多いな、おい。

 

「比企谷くん……、馬子にも衣装という言葉があるのだけど、新しく比企谷にも衣装という言葉を辞書にのせたほうがよさそうね」

 

「褒め言葉として受け取っておく」

 

「あら、貶したつもりはないわよ。今回は」

 

 つまり、いつもは貶してるんですね。わかります。

 さて、本来ならここで小町の教えパート2を実行しなければならない訳だが、雪乃の姿をみても俺はそうする気にはなれなかった。

 結衣には不自然にならずに言えたんだが、なんかこー……。

 

「わーゆきのんすっごいかわいーね。似合ってる似合ってる!」

 

「そ、そう? ありがとう。由比ヶ浜さんも似合ってるわよ。ただ……今から行くところにはちょっと」

 

「えー、まじで? ヒッキーならともかくゆきのんにも言われちゃうかー。どうしよ。ねえゆきのん、どうすればいい?」

 

「入店を断られて二度手間になるのも嫌だし、私の服を貸すからうちで着替えましょうか」

 

「え? ゆきのんの家いけるの!? やったー! ……あ、でもこんな時間に大丈夫なの?」

 

「私、一人暮らしだから大丈夫よ。近いしすぐ戻ってこれると思うから、比企谷くんはここで待っててもらえる?」

 

 特に反論する理由もないので黙ってうなずく。

 結衣が俺みたいに下準備ちゃんとしとけば待たなくてすんだんだけどなー、ぐらいは思うが。

 

「この先のコンビニの近くだから、少し先に行っていてもらえる?」

 

「わかったー。先に行ってるねー」

 

 そういって結衣は雪乃の指し示す方向に歩き出す。

 

「ねえ比企谷くん」

 

 なんか用でもあんのか?と当惑する俺に雪乃が声をかける。

 

「どうかしたのか、雪乃?」

 

「由比ヶ浜さんは褒めてくれたけど、あなたからはなにかないのかしら?」

 

 悪戯する子供のような笑顔で、そう俺に問いかける。

 

「……似合ってるよ」

 

「ありがとう」

 

 やさしく微笑むと雪乃は結衣を追いかけ歩き出す。

 答えのわかりきった質問すんじゃねーよ、バーカバーカ。

 あーなんか今日暑いな。



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7-4

 無事、合流を果たした俺たちは潜入ミッションを開始した。

 一時間以上待たされたが、それはさして問題じゃない。本当の問題っていうのは、なぜか雪乃も着替えてきたことだ。いや、お前結衣の着替えにいったんじゃないの? なんでお前も着替えてんの? つーかなんでまた似合うとかきくのばかじゃねーの。羞恥プレイ、ダメ絶対!

 

 俺たちを乗せたエレベーターは最上階へ緩やかに上昇する。

 扉が開くとそこは今まで俺の経験しようがない世界だった。

 下準備として調べた付け焼刃な知識でフォーマルなドレスに身を包んだ、いつも学校でみるのとは違う二人をエスコートしつつ目的地であるラウンジバーへと向かう。

 

「……あなた、エスコートなんてちゃんとできるのね」

 

「敵を知り、己を知ればなんとやらだ。ちゃんと下調べしたんだよ。こういった場所での恥ってのは男の責任になるんだろ? 俺自身がどう思われてもどうでもいいことだが、一緒にいるお前らに恥ずかしい思いさせんのは不本意だからな。当然だ」

 

「そう……。見直したわ、比企谷くん」

 

 どう考えてもアウェイなんだから当たり前じゃね? 俺、ホームないけど。むしろ全世界アウェイ。

 

 そんな会話をしつつバーへと到着した。

 無言で頭を下げられ、先導されるままバーカウンターへと通される。

 そこでは高級感ただようバーにはやや不釣合いな、若い女性のバーテンダーがグラスを磨いていた。

 

「川崎か?」

 

「うん、たぶんそうだと思う」

 

 俺がちゃんと顔を覚えているはずは当然無く、クラスメイト代表の結衣に問う。

 微妙な顔をしてはいるが、なんで覚えてないのさーとか言わないあたり彼女も成長したらしい。いや、むしろ諦めか。

 つーか、よくいい具合に川崎のところに案内されたな。

 俺がこの店に電話して服装のこととかを聞いたとき「背伸びなのはわかっているが、デートでそちらをつかわせてもらいたい。それで店に迷惑にならないよう、適した服装などあれば教えてもらいたい」と伝えた。高級ホテルのバーだけあって俺のことを無碍ににすることなく親切に教えてくれたから、そのせいなのだろうか。

 電話があり、いかにもこういった場になれていなさそうな少年が女性とともに来店し、あの電話の主だとあたりをつける。そして緊張しないよう年齢の近い川崎の元へ案内するってのは、考え過ぎかもしれないが単なる偶然というよりは確率が高そうだ。もしそうなのだとしたら高級ホテルのバーってすげーな。

 川崎は俺たちには気づかず、コースターとナッツを差し出し静かに待つ。

 こういった場所での接客の仕方などわからない俺だが、それがこの店の正しい接客なのだろう。

 彼女の真面目な勤務態度に俺は自分の予想があっているのだろうと確信を強める。

 

「川崎」

 

 俺が小声で話しかけると、彼女ははっと目を開く。

 

「比企谷……」

 

 お前も俺のことちゃんと知ってんのかよ……。

 今まで会話した中で俺の名前ちゃんと知らなかったのあいつだけだな。つーか、あいつクラス替え直後は席近かったはずなのになんでヒキタニとか覚えてんだよ。俺も名前知らなかったからお相子かもしれねーけどさ。

 つーかまじで名前覚えないとダメっぽいな。俺もしらないから向こうも知らないだろうって思ってたが、実際にはクラスメイトの名前ぐらいちゃんと覚えるのが普通っぽいし。

 

「比企谷くん。ナンパなら状況や場所を選んでほしいのだけど」

 

「それは流石に違うんじゃないかなー、ゆきのん」

 

 そういって、真ん中を空けてスツールへと座る雪乃と結衣。

 いや、雪乃。目的考えたら声かけるのが普通だろうが。

 

「その発想はおかしい」

 

 

 真ん中が開いているということは、俺に真ん中に座れということだ。当たり前だな。そういう風にエスコートしてきたわけだし。先に座った雪乃はともかく、結衣がちゃんと間を空けて座ったのはたぶんまぐれだと思う。

 俺が座ると、雪乃がおもむろに口を開く。

 

「川崎沙希さん、ね。よかったわ、いてくれて」

 

「雪ノ下……」

 

 雪乃の声に川崎はあからさまに不機嫌そうな顔をする。

 雪乃の何が不満かは知らないが、仕事中なんだから私情を挟むのはどうかと思うぞ? 雪ノ下建設のせいで親が失職したとかならともかくさ。

 

「こんばんわ」

 

 川崎の表情の変化を気づいてないのか、それともあえて無視しているのか雪乃は涼しい顔で挨拶する。

 

「比企谷がいて、雪ノ下がいるってことは、そっちは由比ヶ浜だね? そっか……ばれちゃったか」

 

 隠そうとも、口止めしようともすることはなく、どこかあきらめたような空気に切り替わる。

 俺たちがここに来て、彼女に話かけた時点で彼女にとってここは職場ではなくなったのだろう。

 

「何か飲む?」

 

「私はペリエを」

 

「あ、あたしも同じのを!」

 

「ドライクーラーを」

 

「え!?」

 

 俺が普通に注文したのが以外だったのか、裏切り者とでも言いたげな顔で結衣が俺を見る。

 ……だからさ、ちゃんと下調べしてきたんだって。

 川崎が真面目な顔で「かしこまりました」というと、手馴れた手つきでグラスに飲み物を注ぎ、コースターの上に乗せる。

 無言でグラスを目の高さまであげ、目礼を交わすと一口飲む。

 

「え!? 乾杯するんじゃないの?」

 

 フォーマルな席ではグラスを合わせないのがマナーなんだよ……。つーかこのグラスすっげー薄いけどいくらぐらいすんだろ。

 マナーを知らず、あわあわする結衣を苦笑まじりに見ながら川崎が口を開く。

 

「それで、何しにきたのさ? 修羅場ならよそでやってくれない?」

 

「まさかね。横のコレにそんな甲斐性があるはずないでしょう、冗談にしては趣味が悪いわ」

 

「どうでもいいけど、お前らの口論に俺を巻き込むのやめてくんない?」

 

 雪乃は平常運行として、川崎の中の俺の印象ってどうなってんの? なんでクラスメイトに結界魔法使いって思われてるわけ、俺。

 二人に会話させておくと話が進まないだけじゃなく、おれが無意味に傷つくことになりそうなので、無理やり話を切り出す。

 

「お前、最近家帰るの遅いんだってな。弟が心配してたぞ」

 

「そんなこと言いにわざわざここに来たの? ごくろー様。あのさ、ただのクラスメイトのあんたにそんなこと言われたくらいでやめると思ってんの?」

 

「残念だが、クラスメイトとしてここに来たわけじゃない。兄として妹のまわりをうろつく悪い虫の排除にきただけだ」

 

「それ、どういう意味?」

 

「お前の心配をした弟が、うちの妹に相談したんだよ。すげー迷惑」

 

 やりようはいくらでもあるのに、彼女はそうしなかった。他にとる方法などいくらでもあっただろうに、真面目な彼女は全部自分で背負い込もうとしたのだ。

 

「そう、大志からなに聞いたかしらないけど、あたしから言っとくから気にしなくていいよ。……だからもう大志にかかわんないでね」

 

 俺を睨むのはいいけどさ、大志から関わってきたんですがそれは……。

 大志が小町に近づかなければ俺的には十分問題解決であり、川崎の言葉は十分魅力的なものだ。

 

「止める理由ならあるわ――」 

 

 考え込む俺をよそに雪乃が言葉を紡ぐ。

 そこから雪乃と川崎の舌戦が始まる。

 うん、お前ら場所選べな。

 

「落ち着け雪乃、川崎も」

 

「あんたらに何がわかる! そんな綺麗ごとじゃお金にならないんだよ。あたしの邪魔して、あんたらはそれで満足かもしれないけど、それじゃなにも変わらない。そうやってさ、善人面して関わってくるんだったらさ、あんたらあたしのためにお金用意してよ。うちの親が用意できないもの、あんたらが肩代わりしてよ」

 

 川崎の叫びに俺の予想が確信へと変わる。

 よくもわるくもこいつは真面目すぎたんだな。真面目すぎて、誰にも相談できず一人で抱え込んでしまった。

 つーか川崎、お前も今日の結衣もだけど、まずはグーグル先生っていう偉大なひとがいるんだからそいつに聞けよな。

 

「やめなさい。それ以上吠えるのなら……」

 

「ねえ、あんたの父親さ、県議会議員なんでしょ? そんな余裕があるやつに、あたしのこと、わかるわけ、ないじゃん……」

 

 静かに、どこか諦めたかのように囁く。

 その言葉を川崎が口にしたとき、カシャリとグラスの倒れる音がした。

 

「雪乃?」

 

 横を見ると倒れたグラスからペリエが零れるのを前に、唇をかみ締め、視線をカウンターに落とす雪乃がいた。

 今までに一度しかみたことのない表情。確かあのときも家族の話だったはずだ。

 点と点が繋がり線となる。彼女にとって家族とは触れてはならないタブーなのだろう。

 ……結衣を泣かせてしまったときも、俺があせって気づかなかっただけで彼女にこんな顔をさせてしまっていたのだろうか。

 いや、悔やむのは後でもできる。ただ、彼女をこれ以上この場にいさせたくない。

 

「結衣、雪乃気分悪そうだから先に帰っててくれないか? どうせお前着替えるのに雪乃の家行くんだろ? 川崎とは俺が話しておくからさ」

 

「わかった。いこう、ゆきのん」

 

 俺と雪乃に交互に目をやり、軽く頷くと結衣は雪乃をつれて店を出た。

 

「あたし、話なんてないんだけど……」

 

「残念ながら俺にはある。まあお前にとって悪いはなしじゃあ決してないから安心しろ」

 

「話すならさっさとしてよね」

 

 零れたペリエを拭きながら川崎が答える。

 

「お前さ、さっき善人面すんだったらお金用意してよって言ったよな?」

 

「言ったけどなに? あんたに用意できるわけ?」

 

 俺の言葉が気に障ったのか、川崎は不愉快さを隠しもせず俺を睨む。

 

「用意してやろうと思えばできなくもない。だが、それでお前は俺に何をしてくれる? 俺がお前に望むのは大志が妹に関わらないようにするってことだけだ。それじゃ到底つりあわないだろ?」

 

「それで? 話ってそれだけ?」

 

「いや、こっからが本題だ。ただ、今ここで話すような話でもないだろ。一応お前は仕事中だろうしな。だから明日少し時間もらえるか? 学校終った後にでも話しようぜ」

 

「……いいよ。聞いてあげる」

 

「んじゃ、明日な」

 

 グラスにのこったドライクーラーを飲みほすと会計を済ませ店をでる。

 さて、まずは雪乃と結衣にメールしないとだな。雪乃、大丈夫だろうな。



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7-5

皆様の応援のおかげで、12月24日付のデイリーランキング1位を記録しました。
至らぬところ、足りないところなど多々ありますがこれからも応援のほどよろしくお願いします。


 翌日の放課後、俺は学校から少し離れた喫茶店で川崎を待っていた。

 落ち着いた雰囲気と、穴場なのか他の学生がほとんどやってこないことから奉仕部に入る前はちょくちょく利用していた場所だ。

 店主こだわりの、薫り高い水出しコーヒーを味わいながらしばらくまつと川崎が現れる。

 

「川崎、こっちだ」

 

 俺を探す川崎に声をかける。俺に気づいた川崎は、いつも通りどこか機嫌悪そうに俺のところまでくると、テーブルをはさんで俺の前に座る。

 

「それで、話って何?」

 

「まあ、そう急かすな。他にもくるやつがいるからな。とりあえず飲み物でも飲んでまってようぜ」

 

 俺の言葉に不承不承頷く。

 

「いったい誰呼んだの? 雪ノ下? それとも由比ヶ浜?」

 

 注文した飲み物が届くと、川崎は口もつけずに俺に問いかける。

 

「どっちも違う。まあ、隠す必要もないから言うが、呼んだのは大志だ」

 

 今日、この場にあの二人は呼んでいない。話す内容を考えると雪乃のことは呼びたくないし、雪乃を呼ばないのに結衣を同席させるのは憚られたからだ。

 ……たぶん、怒るんだろーなー。なんだか俺へのお仕置きがどんどんレベルアップしていることだし、なんか対策考えないとな。

 

「あんた、あの子には関係ないでしょ」

 

「お前本当にブラコンだな。つーか俺には関係あるんだよ。あいつの悩みを解消してやらんと、俺の目的が果たされねーし」

 

「たしか、妹から大志を離したいとか言ってたっけ? そういうあんたこそシスコンじゃん」

 

「心配するな。自覚はある」

 

「あんたさ、ゆかいなオブジェにでもなりたいの?」

 

 キリっと真剣な顔でそういうと、きっちり小ネタを拾って川崎が返す。

 なんだ、こいつなかなかいいやつだな。

 

「お兄ちゃん!」

 

「姉ちゃん……」

 

 そんな他愛もない会話をしているうちに制服姿の天使と、その周りを飛び回る羽虫があらわれた。それと……。

 

「こんにちわ、比企谷くん」

 

「やっはろー」

 

 なぜか小町の後ろに、呼んでもないはずの雪乃と結衣がいた。俺を見る彼女たちは、最近よく見る目だけ笑ってない笑顔だ。

 

「小町、なんで二人もいるんだ?」

 

「いやー、ヒッキーが急に部活サボるって言うからさ。ゆきのんと二人で勉強会しながら、どんな罰ゲームさせようか話そうと思ってたんだけど」

 

「途中で小町さんにあって話を聞いたのよ。それで比企谷くん、なにか言い訳はあるかしら?」

 

 小町に説明を求めると、なぜか二人が息をそろえてそれに答える。

 ずいぶんと息ぴったりですね。練習でもしたのかよ……。

 

「……雪乃、平気なのか?」

 

「そう、それが理由なのね。あなたに気遣われるなんて些か不愉快なのだけど、今回は見逃してあげるわ」

 

 一言だけの俺の言葉で俺がなぜ呼ばなかったのか理解したのか、雪乃はいつも通りの表情にもどる。

 

「え? なに? どゆこと?」

 

「いいのよ、由比ヶ浜さん。とりあえず座りましょう」

 

 全員が席につき、注文しやがて飲み物がそろう。

 さて、解決編といくか。

 

「予想外に人数増えたけど、昨日の続きと行こうか。まずはだ、川崎。お前がなんで金が欲しかったのか、なんで急にバイトを始めたのか当ててやろうか?」

 

「……進学資金のためだよ」

 

 弱弱しく川崎が呟く。

 当ててやろうか?って言ったのに答え言うなよ。会話成立してねーし、俺がなんか恥ずかしいじゃねーか。

 

「う、うん。そうだろうな。とりあえず、はいかいいえで答えてくれな」

 

「別にいいでしょ。どうせ、わかってて大志のこと呼んだんだろうから。そのほうが話が早いでしょ」

 

「進学資金って、姉ちゃんどういうことだよ?」

 

「お前が塾入って金飛んでるのに、さらに自分が予備校行きたいとか親に言い出せなかったんじゃねーの?」

 

「……そうだよ」

 

「姉ちゃん……、俺のせいで」

 

「別にさ、あんたが気にすることじゃないよ」

 

 川崎は、慰めるように大志の頭をポンと叩いた。

 なんか綺麗に丸く収まってるっぽいんだが、これ俺らが介入しなくてもよかったんじゃね? これで終るってんなら小町も俺も巻き込まれ損だろ。

 

「だから、あたしはバイトやめないよ。確か比企谷、お金用意するとかなんとか言ってあたしのこと呼び出したよね? どうせこの場を開くためのでまかせだったんでしょ? うやむやにするつもりだったんでしょ? できるはずもないこと、初めから言わないで。ムカツクから」

 

 今までよりも三割増しぐらい厳しい目で川崎は俺を睨む。誰にも相談もせず、一人で抱え込むことを決めた彼女にとって金の話はそれだけ重いことだったのだろう。

 

「いや、まだ話始めてないんだけど。お前らが勝手に話終ったっぽくしただけだろ」

 

「嘘だね。そうじゃなきゃ、なんでただのクラスメイトのあんたがお金用意できるなんていうのさ」

 

「嘘じゃねーよ」

 

 俺と川崎の押し問答を見かねたのか、小町が初めて口を開く。

 

「あの、ちょっといいですか。うちのお兄ちゃんこんなだけど、できないことをできるなんて絶対に言わないです。お兄ちゃんができるっていうんなら、それは絶対にできるってことなんです。昔から……そうだったから」

 

「そんなん信用できないね」

 

 馬鹿にしたように、川崎がハッと笑う。

 そんな川崎の態度が気に食わなかったのか、小町が声を荒げる。

 

「お兄ちゃんのこと何も知らないくせに、馬鹿にしないでください! ただのクラスメイトに嘘をつくような、そんな人じゃありません! ただのクラスメイトだから……嘘をつかないんです……。小町のせいでそうなって……。そんなお兄ちゃんのこと……馬鹿にしないで」

 

「……小町」

 

 感情が高ぶったのか、涙を浮かべ、最後には呟くように語る。

 

「雪乃、結衣。悪いが小町のこと頼めるか? 小町、少し落ち着いて来い。な?」

 

 ことの推移を見守っていた二人に小町を頼む。

 小町をつれて二人が席を離れると、川崎が口を開く。

 

「比企谷、さっき妹が言ってたことどういう意味?」

 

「あいつらに怒られたし、あんまり言いたくないんだがな。まあしかたないか。ここで内緒にしようとしても無理があるしな。あれだ、うちの家庭は客観的に見ると割と異常らしくてな。簡単に言っちまえば小町を好きすぎる両親が俺のことをほったらかしにしてただけだ。俺の思い出エピソードを語ったら育児放棄って言われたぞ。まあ俺は本気でどうでもいいんだが、小町は気にしてたっぽいな」

 

 そういえば、昔はよく泣きながらそんなことを言っていた気がする。成長するにつれ言わなくなっていたから俺が本気で気にしてないってわかったんだと思ってたんだが、まだ気にしてたのか……。

 

「それで、それがなんで嘘をつかないってことになんの?」

 

「さあな? まあ、たぶん俺が他人に興味ないってのが自分のせいだと思ったんじゃないねーの? なんで小町がそこと繋げたかまではわからんが、まあ俺が他人に興味なくて、そんな興味のない他人に嘘をつかないのは事実だ」

 

「そう……」

 

 それだけ言うと、川崎は考え込むように押し黙る。

 

「まあ、事情とかそんなんはどうだっていい。とりあえず俺が、どうでもいいただのクラスメイトであるお前に嘘をつく理由がないってのだけわかればいい話だ」

 

「どうでもいいってひどくない? 普通、本人目の前にして言う?」

 

「俺に、その常識は通用しねえ」

 

「それ、非常識って意味じゃないからね」

 

 少しだけ微笑みながら、俺に突っ込む川崎。

 なんか重くなった空気を吹き飛ばすための小粋なジョークだよ、言わせんな。

 

「まあ、話を戻すぞ。お金を用意するとはいったが実際に俺がお前にはいどうぞって渡すわけじゃない。いや、できなくもないがそれじゃ意味がないしな」

 

 俺がそこまで川崎の事情に介入してやる理由もないし、さらに言えばそれは奉仕部の理念に反する。

 

「お前が金を必要とする理由。進学資金ってことだが、ようするに予備校代と大学の費用ってことだろ? その話をする前に、誰にも相談せずに一人で抱え込んでたお前に一つ言いたい。お前あほだろ」

 

「はあ?」

 

 すっげー睨んでくるけどあえて無視する。お前があほなせいで大志が小町に相談を持ちかけたわけだし少しぐらい言わせてもらわんとな。

 

「あんさ、たぶん予備校代ならちょっと周りに相談すれば、そうだな例えば進路指導の先生とかな、それだけで簡単に解決してたと思う」

 

「なんで先生に相談すれば解決したなんて、そんなことわかんのさ?」

 

「お前さ……。うちの学校は公立だけど進学校なんだぞ? 私立みたいに裕福なやつばかり入学してきてるわけじゃない。ってことは川崎の家みたいに事情を抱えた家庭を支援するためのノウハウ、奨学金やらなんやらの知識もってても不思議じゃないだろ。つーか、そのための進路指導だろ」

 

「そっ……か……」

 

 なんでこんなこと気づかなかったのこいつ? つーかさ、学費のこと心配するならまずは国公立目指すのが普通じゃね? バイトして成績落として、私立しかうかりませんでしたーとかなってたらどうしてたんだろうな。

 簡単なことにようやく気づき、項垂れる川崎に、俺はさらに話を進める。

 

「真面目すぎるのも考えものだよな。まあ、自分のことは自分でするってとこには大いに賛同するが、それでも大志に心配かけたら意味ねーだろ」

 

「そうだね。ありがとう、比企谷。助かった」

 

 付き物が落ちたかのように川崎は笑う。

 

「いや、お前そこで話終らせんなよ。まだお前があほだっていう説明だけで、俺が金用意するってとこまで話してねーんだから。俺を嘘つきにするつもりか?」

 

「あ、ああそっか。ごめん」

 

「まあいいけど。あんさ、川崎。お前、うちで家庭教師のバイトしない? 知っての通り、うちの小町は大志と同い年で今年受験生なんだが、今は塾の他に俺が教えてんだけどそれじゃ俺が勉強する時間なくなるからな。代わりに教えてくれると助かる」

 

「……それ、バイト代どっからでるの? まさかあんたが出すとか言わないよね?」

 

「それについてはあてはある。俺の予備校代を川崎のバイト代にあてさせればいい。俺がスカラシップ、まあ予備校の奨学金みたいなもんなんだが、それで通えば予備校代は無料になるからな。そうだな、お前も申し込んでみればいいんじゃないか? んで、予備校がないときに小町の勉強を見てくれたらそれでいい」

 

 俺は勉強の時間が確保でき、川崎は金を手にする。まさにwinーwin。

 

「あんたさ、なんでそこまであたしのこと考えてくれんの? 同情ってわけじゃないだろうけど……。他人に興味ないって、どうでもいいただのクラスメイトって言ってたじゃん」

 

「確かに、同情するほどお前の家の事情に興味は無い。まあ、あえて理由をつけるのならあれだ。全部小町のためだな。最初から言ってる通り、小町から大志を引き剥がすために動いてただけだし」

 

「シスコン」

 

「うっせーよ」

 

「でも、ありがとう」

 

 笑顔を見せる川崎につられ俺も笑う。

 ちなみに、今回の一件の解決策として割とえぐい方法も考えた。まあ、そんなこと思いついた自分でも引くぐらいえぐい方法なのでお蔵入りしたわけだが、もしその話を川崎に聞かせたら確実に感謝などされていなかっただろう。

 まあ……大志を確殺するにはそっちのがよかったわけだが。

 

 

 

 

 

 

 その後のことを少しだけ語ろう。

 あの後、完全に空気だった雪乃と結衣に語ることすら憚られる拷問をうけた。

 二人に内緒で川崎に会ったからだと言ってはいたが、空気だったことの分の八つ当たりも絶対に入っていた。だって俺の目見なかったし。

 そして、深夜のバイトを辞め、無事に家庭教師に転職した川崎はと言えば。

 

「お兄ちゃん、おかえりー」

 

「おかえり、八幡」

 

「おう、ただいま……じゃなくてだな、なんで俺の部屋で勉強してんの?とか、なんで川崎は」

 

「沙希。沙希でいいよ」

 

「……沙希は俺のこと名前でよんでんの?とか言いたいことは山ほどあるんだけどさ。まずこれだけは言いたい。大志、お前なんでここにいる」

 

「おかえりなさい、お兄さん」

 

「お兄さんって呼ぶんじゃねーよ。まじねじ切るぞ。お前の大切なものをな」

 

 笑顔で俺に挨拶する大志に殺意がわく。

 最初に思いついた案、実行しとけばよかったな。まじで。

 

「八幡、落ち着け。あんたの疑問に一個ずつ答えてやるから。まず、あんたの部屋で勉強してるのは小町がここがいいって言うから。んで、あんたを名前で呼ぶのは小町も比企谷だし紛らわしいから。それで大志は」

 

「小町が呼んだからだよー。一緒に勉強する人がいたほうが捗るからさー」

 

 川崎の説明に笑顔で小町が補足する。

 

「小町から大志を引き剥がすためにがんばったのに、これじゃ意味ねーじゃん」

 

「八幡、ちょっといい」

 

 項垂れる俺を川崎が部屋の外に連れ出す。

 

「ねーよ。お前、これはまじねーよ」

 

「悪いとは思ってる。だから、」

 

 甘い香りと頬に伝わる柔らかい感触が俺の思考を奪う。

 

「これはお詫びとお礼」

 

 川崎はそれだけ言うと、俺に顔を見せぬよう部屋へと戻っていく。

 

「え、ちょ、は?」

 

 川崎さん、お礼にしては多いです。

 つーか、これなに?



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 中間試験が終わり、職場見学の日がきた。

 一日潰して行えばいいものを、なぜか午前中は授業があるという意味不明さ。

 結局、この行事の意味なんて平塚先生の言ってた通り、進学に向け意識を高めるというだけのものなのだろう。

 結衣と戸塚を伴い見学場所へ向かう。

 まず目に付いたのは、ドーナッツ状にならぶ同じ制服をきた連中とその中央にいる女子三人組。

 まあ、三人組の方はいうまでもなく雪乃たちだ。

 あいつ見た目だけはいいからな。それだけしか見ないあほどもが声もかけられず遠巻きにみてるのだろう。なんかイラっとくる。

 

「あ、ヒッキー。ゆきのん、いたよ。おーい、ゆっきのーん」

 

 結衣の呼びかけに気づき、珍しく微笑む雪乃。

 いや、まじで珍しいな。いつも無表情ってか割と冷たい感じなのになんかいいことでもあったのか。

 

「あら、由比ヶ浜さん。それに比企谷くんに戸塚くんも。遅かったのね」

 

「遅くねーよ。雪乃たちが早すぎるだけだ。つーかさ、お前大変だな」

 

 周囲のあほどもに視線をやる。その仕草だけでなにを言っているのか理解したのか、雪乃が苦笑する。

 

「別に、いつものことよ。もう慣れたわ」

 

「慣れるほどいつものことなのか。それもすげーな」

 

「私の上っ面だけを見て寄ってくる羽虫に興味はないし。それ以前に、なぜそんな表面上のことだけで他人に好意をいだけるのかまったく持って不思議だわ」

 

「それしか情報がねーから仕方ないんじゃないか? 俺は知らんけど」

 

「表面だけみて勝手に好意を抱いく。ほんと、愚かな人たちよね」

 

「おう、相変わらず毒舌だな。いや俺が対象じゃないからどうでもいいけど」

 

「あら、寂しかった? お望みなら罵ってあげましょうか、M谷くん?」

 

 クスクスと笑う雪乃。

 

「勝手に人の性癖つくるんじゃねーよ。つーかさ、そんな本性みせてやればよってこなくなんじゃねーの?」

 

「追い払うだけ面倒よ。それに……、喜ばれてしまったら困るし」

 

 我々の業界ではご褒美です!だな。

 

「そりゃー困るな」

 

「でしょう」

 

 思いがけず、二人の間に笑みがこぼれる。

 

「むー。なに二人で楽しそうにしてんのさー! あたしも仲間にいれてよー」

 

「ひ、比企谷くん。ぼくも」

 

 そんな二人の間に結衣と戸塚が割り込んでくる。

 

「雪ノ下さん、そろそろ」

 

「ああ、ごめんなさい。じゃあ、行きましょうか」

 

 声をかけてきた雪乃の班員とともに歩き出す。

 俺たちはようやくのぼりはじめたばかりだからな。このながい職場見学先への道をよ。

 

 

 

 

 

 未完。

 職場見学でのひと時はなかなか楽しいものだった。

 もし俺が就職するのであれば、こういった仕事も悪くない。そう思える程度には得るものがあった。まあ就職しないけど。

 俺と雪乃が話し込み、雪乃のクラスメイトが何故か微笑ましくそれを見守り、そして何故かむくれた結衣と戸塚が突撃してくる。そんなことの繰り返しだったが。

 さて、そんな職場見学も終り帰り道である。

 戸塚は練習があるからと学校へともどり、雪乃のクラスメイトはやはり先ほどまでと同じ目で俺たちをみて帰って行った、よって、今ここにいるのは俺と雪乃と結衣の三人だけである。

 

「もうすぐ梅雨だなー。俺、傘嫌いだから憂鬱だ」

 

「えー雨もいいもんじゃん。なんかさ、こー風情があるっていうか。あたし梅雨生まれだからかな、昔っから雨って好きなんだよね」

 

「梅雨生まれってことは、由比ヶ浜さんはもうすぐ誕生日なのね。いつなの?」

 

「6月18日だよー。てかさー雨ってなんかほんといいよね――」

 

 あまりにも自然な誕生日アピールに、思わず戦慄する。まあそれよりも結衣の口から風情って単語がでてきたほうが驚きなのだが。

 雨の良さを熱く語る結衣と、それに相槌を打つ雪乃を横目にそんなことを考える。

 

「あ、そうだ! 今からさ、サイゼいこうよサイゼ! 雨の良さをもっと二人に語りたいし。それにさ、職場見学のときに二人で楽しそうに話してたけど、あたしさっぱりわかんなかったからさ。詳しく聞かせてよ。ね、いいでしょゆきのん、ヒッキー」

 

「俺は別にかまわんが。雪乃はどうだ?」

 

「ええ、私もかまわないわよ」

 

「えへへ、やったー」

 

 雪乃の腕につかまりぴょんぴょんと喜びを全身で表現する結衣。

 お前さ、スカート短いんだからそうやってあんまり跳ねると……ふぅ。

 

「結構なお手前で」

 

「ん? ヒッキーなんか言った?」

 

「いえ、結衣さん。何も言ってませんよ」

 

「なんで急に敬語になってるし。てかさ、なんかヒッキーに敬語使われると普通にきもい」

 

 普通にきもいってなんだよ普通にって。

 

「由比ヶ浜さん、そんな生理的に受け付けられない男はほうっておきましょう」

 

「そだね。いこっか、ゆきのん」

 

 本当に俺をおいて二人は歩き出す。

 必要最低限以外の人間関係を嫌う俺を置いて先に行くなんて、なかなかいい度胸だと褒めてやろう。しかしそれは、帰っていいよ、という意味だよな?

 ……まあ、そんなことしねーけど。後が怖いしな。



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原作3巻分
9-1


 俺の朝は、一杯のコーヒーから始まる。まあ、嘘だが。

 食後のコーヒーとともに朝刊を読んでいた俺の目に一枚のチラシが飛び込んでくる。

 

 ――東京わんにゃんショー――

 

 東京と銘打ちながら、千葉で行われるそれは言ってしまえば大規模な犬や猫の展示即売会なのだが、他にも多種多様な動物も展示されるためちょっとした動物園とも言える。

 我が愛する小町は大の動物好きのため、開催されるたびに仲良く兄弟でお出かけするのが我が家の恒例行事となっている。

 

「小町、東京わんにゃんショーやるぞ。行くか?」

 

 眠そうにトーストにかじりつく小町に声をかける。

 

「ちっちっち。情報が古いよ、お兄ちゃん。小町は一週間前から知ってましたー! そしてー、それがどういう意味か、お兄ちゃんにわかるかなー?」

 

 テレビCMでもみたのだろうか。大規模な興行であるし、俺が知らなかっただけでテレビでCMをしていてもおかしくはない。

 

「いや、わかんねーけど。それがどーかしたのか?」

 

「実はさ、小町はもう沙希さんと大志くんとで明日行く約束をしてるんだよねー。なので、お兄ちゃんには今日、雪乃さんか結衣さんを誘って小町のための下調べをしてきてもらいます。出不精なお兄ちゃんのために出かける機会をつくる。あ、これ小町ポイント高いよ!」

 

「沙希はまだわかる。最近、お前ら仲よさそうだからな。でも大志はだめだろ。つーかなんで下調べ? 意味わかんねーし」

 

 突込みどころが多すぎて意味がわからん。

 

「忘れたの? 沙希さん、猫アレルギーじゃん。だから、カマクラのよりつかないお兄ちゃんの部屋で勉強してるんでしょ? そーゆー女の子の大事なこと忘れちゃうとこ、ポイント低いよ」

 

 小町は、めっとでも言いたげに指を突きつける。

 

「初耳だぞ、それ。つーか、大志とそれ関係ないだろ」

 

「はぁ。これだからごみいちゃんは……。猫も好きな小町が一人にならないために、沙希さんが気を使ってくれたの。なんでそーゆー優しさがお兄ちゃんはわかんないかなー」

 

 ため息まじりに小町がこぼす。

 

「その気遣いを俺にまわせと小一時間。まあ、それはそれとしてだな。なんで下調べが必要なんだ? つーか、ググればいいだけじゃね?」

 

 わざわざ足を運ぶまでもない。

 

「さっきも言ったでしょ? 出不精のお兄ちゃんへの妹なりの優しさだよ、や、さ、し、さ! いいからさっさとお誘いのメールする! ハリハリー!」

 

 小町の優しさとか、小町のためとか言われてしまうと、自他共に認めるシスコンノの俺が拒否できるはずもなく、しぶしぶながらも二人にお誘いメールを送ることになった。

 結衣からは今日予定があるとの返信がすぐ届き、これうまくいけばいかなくていいんじゃね?っと思った俺なのだが、その後雪乃から届いた了承を告げるメールにより、その期待はあっさりと裏切られる。

 くそ、暇人め。

 

 

 

 

 待ち合わせ場所につき、ほどなくして雪乃が訪れる。

 

「ごめんなさい。待たせてしまったかしら」

 

「いや、今来たところだ。つーか、急に誘うことになったんだし、ちょっとぐらい遅れてもしかたないだろ」

 

「そうね。確かに、女性の予定も聞かず、急に誘ってくる比企谷くんに非があるわね。謝罪してもらえるかしら」

 

「はいはい、もうしわけありませんゆきのさまー」

 

「よろしい」

 

 少しだけ、だが本当に楽しそうに雪乃が笑う。

 ふと、その姿が職場見学の日にみた彼女の姿とだぶる。

 あの日も雪乃は、俺とこんな風に他愛もない会話をしながらも本当に楽しそうだった。

 だが、もしあの時俺がいなければ。

 きっと、彼女の隣にはだれも居らず、彼女の見た目や望まずに貼られたレッテルだけをみて遠巻きにかこむ連中がいただけだったろう。

 そして、彼女はこんな笑顔をみせることはなかったはずだ。

 こんななんでもないようなことが、彼女にとっては本当に楽しいことなのだろうか。興味は……ないが。ないはずだ。

 

「比企谷くん、どうかした?」

 

「すまん、なんでもない」

 

 いつもとは違う、サイドでくくった髪をゆらしながら雪乃が俺を覗き込む。

 

「そう、じゃあ行きましょうか」

 

 そう言って、おもむろに雪乃は歩き出す。

 ……会場とは逆方向に。

 

「スターーーップ」

 

「ひっ!?」

 

「お前さ、どこ行く気なの? もう帰るの? つーか、よくそんなんで待ち合わせ場所これたな」

 

 呆れる俺をさも不思議そうに雪乃はみる。

 

「どこって……幕張メッセだけど。それより比企谷くん、急に大声出さないでもらえるかしら。驚いてしまうじゃない」

 

「いや、そっちに幕張メッセねーから」

 

 どうしよう。このまま俺の先導で会場にいったとしても、こいつは絶対にはぐれる。そして、はぐれたとしてもこいつは絶対に俺がはぐれたと言い張るだろう。うわぁ、予想外にめんどくさい。

 

「なあ雪乃。小町が小さいときみたいに手をつないでやろうか? そうすりゃ、いくらなんでもはぐれないだろ」

 

「あなた、私のことバカにしているのかしら」

 

 俺の提案に、雪乃が憮然と返す。

 

「俺にはそれしか方法が思いつかん。手をつなぐ以外、なんか思いつくなら教えてくれ」

 

 手をつなぐってのは、あくまで一例だ。こいつが迷子にならなければ手段は問わない。

 

「……くやしいけど、思いつかないわね」

 

「んじゃあきらめろ。ほれ」

 

 悔しそうにする雪乃に手を差し出す。

 つーか、お前が方向音痴なのが悪いんだからな。全部自分のせいだろ。子供扱いされたくなかったら方向音痴なおせよな。

 

「……屈辱だわ」

 

 不服そうに雪乃は俺の手をとる。

 まだ会場についてもないってのに、なんでこんなに疲れなきゃいけないんだよ。まじありえん。

 

 

 

 

「雪乃、どこかみたいとこあるか? 特にないなら猫ブースにまっすぐいこうと思うんだが」

 

 配布されているパンフレットを、器用に片手で見ながら雪乃に問いかける。

 まっすぐは万能、そういった説も世の中にはある。寄り道せずに特定の場所へ向かえばそれだけ早く帰れる。ゆえに万能。まっすぐってすごい。

 

「ええ、かまわないわ」

 

 猫と戯れられるのがそんなにうれしいのか、会場についてからの雪乃は普段から想像もできないほどニコニコである。

 子供扱いされる<猫と戯れるという不等号式が成立した瞬間である。

 

「おう、んじゃいくか」

 

「ええ」

 

 順調に鳥ゾーン、小動物ゾーンを越え、犬ゾーンに入ったところで雪乃に異変がおこる。

 握る手に力を込め、きゅっとしてきた。

 きゅってした!! ああ、きゅってしたな!!

 

「どうかしたのか?」

 

「い、いえ別に……、なんでもないわ。いきましょう」

 

 なんでもないとは言いつつも、気持ち俺の後ろに隠れるように歩き出す。

 

「……犬、苦手なのか? 言っとくけどここ、子犬ばかりだぞ?」

 

 展示即売会という性質上、そのほとんどが子犬だ。まあ、成犬集めるのは大変だろうしな。

 

「どちらかと言うと子犬のほうが……。い、一応言っておくけれど、別に犬が嫌いというわけではないのよ? でも、その、……少し得意ではないというか」

 

 子犬の写真を見てかわいいとは思うが、リアルだとちょっとってやつだろうか。まあ、写真は吠えも噛み付きもしないからな、わからなくもない。

 

「りょーかい。まぁさっさといくか。ここ抜ければ猫ゾーンだし」

 

「ええ、行きましょう」

 

 猫と聞いて気分が持ち直したのか、先ほどよりも少しだけ声に張りがもどる。

 

「比企谷くん。あそこ見える? しつけ教室なんてものもあるみたいよ。今後のためにも少し覗いてみたいのだけどいいかしら」

 

 うん、気持ち持ち直したみたいでよかったなーとか思った俺の優しさを返せ。

 そもそも、覗いても犬ばっかりだと思うんですけどそれは……。

 

「間に合ってるよ。つーか、お前も結衣も俺のこと犬扱いしすぎだ」

 

「比企谷くん。女性と二人でいるときに、他の女性の名前をだすのはマナー違反だと小町さんに習わなかったのかしら?」

 

 ジトーっと雪乃は俺を睨む。

 は? そんなこと言われた覚えは、……あるな。ある。

 

「あの、雪乃さん。このことは小町には内密にしてはいただけないでしょうか」

 

「さて、どうしましょうか。それはこれからの比企谷くんの心がけしだいね」

 

「くっ、俺としたことが……」

 

 項垂れる俺を見て雪乃が笑う。

 鬼! 悪魔! ゆきのん!

 そんなことをしていると、しつけ教室の隣のトリミングコーナーから一頭のミニチュアダックスフントがテコテコ歩いてくる。これ、下手したらトリマーの首とんじゃうんじゃね。

 

「ちょ、ちょっとサブレ! って首輪だめになってるし!」

 

 どうやらあほな飼い主が逃がしてしまったらしい。トリマーさん、疑ってごめんなさい。

 あほな飼い主の手から逃れ、野に放たれたミニチュアダックスフントは飼い主の声に一瞬静止するも、Bボタンを押したかのように駆け出した。なぜか、俺たち目掛けて。

 

「ひ、比企谷くん。い、ぬが……」

 

 俺を犬扱いするからだざまあああああ!といってやりたいのは山々だが、雪乃法典によると悪意には殲滅で返すものらしい。本能的に長寿タイプな俺はそんなことしない。

 

「悪い、雪乃。ちょっと手、離すな」

 

 怯える雪乃を背に、駆け寄ってくるミニチュアダックスフントを抱きあげる。

 抱き上げられたミニチュアダックスフントは、なぜか俺の匂いを嗅ぐとペロペロと俺の顔を嘗め回してきた。

 

「なんだ? ずいぶん人懐っこいな、こいつ」

 

 ハンカチもってたっけーなんて、どうでもいいことを考えながら、なんか面倒なので好きにさせておく。

 我が家の愛猫カマクラにはなつかれないのに、なんで知らん犬にはなつかれるんだろうな。世界って不思議にあふれすぎだろ。

 

「ち、畜生の癖に……」

 

 雪乃が俺の背に隠れながら、こそっと犬を覗き込む。

 うん、何を言ってるんだお前は。

 

「す、すみません。サブレがご迷惑を」

 

 犬を追いかけてやってきた飼い主が必死に頭を下げる。あれ、なんかこのお団子見覚えあるんだが。

 

「あら、由比ヶ浜さん」

 

 雪乃が声をかけると飼い主は、ほへ?と変な音を出しながら顔を上げる。

 

「あ、あれ? ゆきのん? ……とヒッキー?」

 

「よう。あれか、お前の言ってた用事って、このことだったのか」

 

「え、うん。まあね。てかさ、二人ともなんでここいんの?」

 

「私は比企谷くんに誘われただけよ」

 

「雪乃と結衣にお誘いメールを送って、結衣に断られたから雪乃ときたって感じだな」

 

「あ、そうなんだ。てかさ、ヒッキーあれはないよ。今日予定あるか?なんて一言だけのメールとか、女の子を誘うメールじゃないし」

 

「その点については、雪乃からえらい長文で説教メールが届いたからかんべんしてくれ。つーかそもそもだ、俺が女子にお誘いメールなんて送ったことなんてあると思ってんの? いくら俺でもやったことねーことはできねーんだよ」

 

 長文メールを作成してたためか、雪乃から返信が来る前に結衣から予定ありというメールが届いたわけだ。よって、二人を誘ったことは俺と小町しか知らないわけで、たぶん結衣から見えないように雪乃が俺の背中を抓ってるのはそのせいだと推測される。

 

「あのお誘いメール、零点だから。次からもっとうまく誘ってよね! てかさ、二人ともまだ見てまわるの? あたし、今ちょうどサブレのトリミング終ったとこだし、合流してもいい?」

 

 次、あんのかなー。ないと思うけどな。

 

「お前さ、首輪壊れてんだろ? どうやってその犬連れて一緒にまわんだよ」

 

「あ、そっか……。ここで新しいの買うにしても、今日はあんまりお金もってきてないし。ゆきのんたちとまわれないのは残念だけど、あたし先帰るね。じゃあね、ゆきのん、ヒッキー」

 

「おう、またな」

 

「ええ、さようなら。由比ヶ浜さん」

 

 サブレを抱いて結衣が帰る。

 

「さて、じゃあいこうぜ」

 

「その前に」

 

 ハンカチで顔を拭きながら猫ゾーンへと向かおうとする俺を、雪乃が最近やけに見慣れた笑顔で呼び止める。

 

「私、由比ヶ浜さんも誘ってたなんて知らなかったのだけれど。なにかいいわけはあるかしら?」

 

「お前から返信が来る前に、結衣からこれないってメールがきたからだな。これないやつのこと教える必要もないだろ」

 

「いいわけは結構」

 

 なにその理不尽。

 

「さっき、小町さんに報告するかどうかというのは比企谷くんの心がけ次第といったわよね? 覚えているかしら?」

 

「言ってたような、言ってないような……」

 

「この状況を鑑みて、私がどういう判断を下すかわかるわよね?」

 

「いやいやいや。どう考えても俺に責任はないだろ」

 

「いいえ、あるわ。少なくとも、私からしてみれば比企谷くんに責任が発生しているの」

 

「……もう、それでいいよ。んで、どうしたら再考していただけるのでしょうか」

 

 不機嫌そうな雪乃に、俺は反論をあきらめる。

 

「……そうね。ちょっとしたお願いがあるのだけれど、聞いてもらえるかしら?」

 

「お願い、ね。まあ言ってみろ」

 

 俺がお願いとやらを聞く体制に入ると、雪乃は緊張するかのように胸元にあてた手をきゅっと握り締める。頬を赤らめ、潤んだ瞳で上目遣いで俺を見ると、か細い声で囁く。

 

「わ、私と……付き合ってくれないかしら?」



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9-2

 日曜日。

 晴れた空、白い雲。さんさんと降り注ぐ日差しが俺のライフをガリガリと削る。

 意外でもなんでもないことだが、雪乃の告げた付き合いなさいとは、買い物に付き合えという意味だった。

 そのままの意味なはずがないとは思ったが、それにしたって言葉が足りなすぎじゃないか? 

 

「お待たせ」

 

 日傘を手に、雪乃がゆっくり歩いてくる。

 彼女の透き通るような白い肌は、こういった日頃の努力によって保たれているのだろう。

 

「いや、今来たところだ」

 

「そう、ならいいわ。では、行きましょうか」

 

 雪乃は、すっと俺に手を差し出す。

 自分の方向音痴という欠点を理解し、対策を講じる。

 その成長、イエスだね。

 

「んじゃ、行くか」

 

 雪乃の手をとり歩き出す。

 梅雨の晴れ間と呼ぶべき晴天。今日も熱い。

 

 

 電車で移動し、南舟橋駅から歩くこと数分。本日の目的地であるららぽーとへと到着した。

 

「なに買うか決めてるのか?」

 

 インフォメーションでパンフレットをもらい、二人で覗き込みながら雪乃に聞いてみる。

 

「比企谷くん。人にものを尋ねるときは、まずは自分から話すものよ」

 

 それ、名前じゃね?

 

「うん。決まってないのな。なら最初からそう言え。変なとこで意地っ張りだよなーお前」

 

「だって、いろいろ見てみたのだけれど、私には少しわからなくて……。それに、お友達からプレゼントもらったこともないし」

 

 弱弱しく雪乃が呟く。

 恋愛絡みの変な嫉妬とかで、女友達とかいなそうだもんな。男からプレゼントをもらうことはあったかもしれないが、お友達からのプレゼントというよりは貢物といったほうがしっくりくる不思議。

 

「ま、俺も友達からプレゼントもらったことないけどな。グーグル先生によると、アクセとかよりもちょっとした小物がいいらしいぞ。学生なら筆記用具なんかもお勧めらしい」

 

 グーグル先生は万能。超万能。聞けばなんでも教えてくれる。まっすぐと同じぐらい万能。

 

「なるほどね……。それで、比企谷くんは決めているの?」

 

「図書カード三千円分にしようかと思ったんだが、小町にガチで怒られた」

 

「比企谷くん、それは私でもダメなのがわかるぐらいにダメな選択よ。どうしてそれで大丈夫だと思えるのかしら。いっそのこと病院で見てもらった方が……」

 

 雪乃はこめかみに手をあて、頭痛いと言いたげなしぐさをする。

 え? そんなにダメか? 俺だったらすげーうれしいんだけど。

 

「小町だけじゃなくてお前にもダメだしされんのかよ。とりあえず、グーグル先生の教えに従い小物系見てみようぜ。この生活雑貨の店なんてどうだ?」

 

「服とかじゃダメなのかしら?」

 

「お前、結衣のサイズ知ってんの? 当然、俺はしらん。よって却下だ」

 

「それもそうね。じゃあ行きましょう」

 

 

 

 

 さほど歩くこともなく、目的の生活雑貨の店に着いた。

 

 「そういやさ、あいつ最近料理にはまってるとかいってたよな?」

 

 奉仕部の三人は仲良く部室で弁当を食べているのだが、そういえば弁当の中の一品二品を自分で作ったからと言って味見させられた記憶がある。

 ちなみに味は普通。

 

「確かにそんなことも言っていたわね。まずは、その方向で見て回りましょうか」

 

 台所用品売り場へ二人で向かう。

 正直、台所用品売り場でプレゼントされて女子が喜びそうなものなどは限られている。いくら結衣でも包丁やまな板なんかをプレゼントされてもうれしくはないはずだ。まあ、俺は天然石の砥石とかもらったらすげえうれしいけど。

 

「比企谷くん、こっち」

 

 呼ばれて行ってみると、そこにいたのはエプロン姿の雪乃だった。

 エプロンゆきのんは新妻かわいい。

 ……はっ、今なんか変な電波を受信した。

 

「どうかしら?」

 

「毎朝、俺のために味噌汁作ってくれないか?」

 

「えっ?」

 

「い、いや、なんでもない。ちょっと取り乱した」

 

 頬を染める雪乃に我に返り、あわてて取り繕う。

 なに今の? 俺が言ったの? 外宇宙の邪神からの電波を受信したって今のは無い。

 

「あれだ。すげー似合ってる」

 

 また変な電波を受信しては困るので、雪乃の方は見ないことにした。

 

「わ、私に似合ってるかどうかでは無く、由比ヶ浜さんにどうかってことよ」

 

「あ、そっちか。なら最初から言えよ。まあ、確かにエプロンなら洗い換えも必要だし、何枚あっても困ることはないだろ。いいんじゃないか」

 

 雪乃がエプロンをはずしたのを確認してから向き直る。

 

「でしょう。でも、由比ヶ浜さんは黒というイメージじゃないわよね。それじゃあ……」

 

 ちょっと得意げな顔をすると、外したエプロンを手に取ったまま雪乃はエプロン選びに戻った。

 その後、雪乃はご自宅用とプレゼント用とで二枚のエプロンを購入し店をでた。

 なんだろう、これからあのエプロンを着て雪乃が台所に立つのだと思うと、なんか胸がもにょもにょする。

 

 

 

 

 思いのほかいいものが手に入ったためか、ご満悦の雪乃とともにララポート内を歩く。

 早々に今日の目的は果たしたわけであり、撤収してもなんら問題はない。

 だが、よく考えてみれば俺は雪乃から付き合いなさいと言われただけであり、結衣へのプレゼント選びが終るまでと期限を決められたわけではない。つまり、雪乃が解散を告げるまでは俺は付き合う義務があるということになる。合掌。

 インテリアショップで二人でソファーに座ってみたり、自分の服を選ぶ雪乃に意見を求められたりなどして歩いていると、とある場所で雪乃がぴたっと足を止めた。

 目線の先にはゲームセンターがあり、正直普段の雪乃とは似つかわしくない場所だ。

 

「どうした? 巷の女子高生に倣って、プリクラでもとりたくなったのか?」

 

 こいつ、プリクラとか撮ったことあんのかね? どんな落書きするのかとか、若干興味がわく。

 

「プリクラは後よ。それよりもあれ……」

 

 一台のクレーンゲームの筐体を指差す。つーか、なんか今聞き捨てならないこと言わなかったか? 後でってことは、撮る予定があるってことですか雪乃さん。

 

「パンさん、か。欲しいのか?」

 

「欲しいかどうかと問われれば欲しいのだけど……」

 

 雪乃は思案顔でパンさんを見つめ続ける。

 

「どれが欲しいんだ?」

 

 財布から硬貨を取り出し、台に投入しながら雪乃に問う。

 それにしてもうちの小町はすごい。「女の子がクレーンゲームで景品を欲しがったら、絶対に取ってあげること!」なんて絶対に使うことないと思ってたわ。しかもその対象が雪乃だなんて、想像もつかなかったし。あいつ、予知能力でも持ってんじゃないだろうか。こんどロトでも買わせてみよう。

 

「え、あの……そ、それ」

 

 控えめに、おずおずと一体のパンさんを雪乃は指差す。

 炎のコマどころかスーパノヴァトリニティを使える日も近いとか近くないとか、そんなこと言われている俺にとってこんぐらい楽勝だ。

 

「ほれ」

 

 少しずつ場所をずらし、何度目かの挑戦で無事筐体という名の檻から解き放たれたパンさんを手渡す。

 

「あ、ありがとう……ではなくて。これはあなたが手に入れたものでしょう? なら、私が受け取る道理はないわ」

 

 だが、雪乃は俺にぬいぐるみをつき返してきた。

 

「お前が欲しがった、だからそいつはお前の手にある。道理にかなってんだろ? はい、論破」

 

 過程はさておき、原因と結果に関しては理にかなっている。

 

「あなたに言い負かされる日が来るなんて……。屈辱だわ」

 

「パンさんに慰めてもらえばいいんじゃないか」

 

 ふんっと、パンさんを抱きしめながら雪乃は顔を背ける。

 相変わらず口は悪いが、その姿は見ていて微笑ましい。

 

「それにしても、雪乃がぬいぐるみ好きだってのは正直意外だな」

 

 なんかこー、芸術的なもののほうがイメージにしっくりくる。

 

「……他のぬいぐるみに興味はないのだけど、このパンダのパンさんはだけは好きなのよ」

 

 雪乃は、その胸に抱きしめたぬいぐるみの頭を優しく撫でる。

 

「昔からぬいぐるみやグッズは集めていたのだけれど、こういうプライズ商品は自分でとるしかないから困っていたのよね。ネットオークションを利用することも考えたけど、掲載されている写真じゃ表情がわかりづらいし……」

 

 ぬいぐるみにも表情がある。ぬいぐるみ好きの人はよくそう語る。ちなみに小町もその一人だ。口の縫い目の形や目の位置によって全然表情が違うらしい。ぬいぐるみを買いに行くと、妥協せずに自分の好む表情のものを探すためえらく時間がかかる。

 

「ほんと、パンさん好きなんだな」

 

 表情にこだわるほどの上級者とわかり、思わず笑顔がこぼれる。好きとか嫌いとか、そういった感情が極めて希薄な俺にとって、そこまでこだわれる人は素直に関心できる。

 

「……ええ。昔、誕生日にもらったの。そのせいで一層愛着があるのかもしれないわ」

 

「なんにせよ、愛着があるっていうのはいいことだ。大事にしてもらえよ」

 

 雪乃に倣い、俺もパンさんの頭を撫でる。

 

「ねえ、比企谷くん。その……取ってもらえて、」

 

「あれー、雪乃ちゃん?」

 

 何か言わんとした雪乃の言葉を遮るように、無遠慮な声が届いた。

 

 

 

 

 



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9-3

「あ、やっぱり雪乃ちゃんだ!」

 

 声の聞こえる方に振り返ると、えらい美人がそこにいた。

 声の主は周りにいる友人らしき集団に声をかけると、キーンとこちらに駆け寄ってきた。

 

「……姉さん」

 

 先ほどまでの笑顔を忘れてしまったのかのように、無表情になる雪乃。肩を強張らせ、ぬいぐるみをぎゅっと抱きしめる。

 

「姉さん?」

 

 目の前の女性と雪乃を交互に見る。

 清楚できっちりとした雪乃とは対照的に、上品さを失わない程度に肌を露出しているが確かに似ている。

 

「いやーこんなとこであうなんて奇遇だねー! って、男の子といるし! デート? デートだよね? デートって言いなさい! このこのっ!」

 

 見事な三段活用に、関心するほかない。

 雪乃姉はWRYYYYYYと肘で雪乃を突きつつからかい始める。だが、雪乃はそんな姉を冷ややかな目で鬱陶しそうに見つめるだけだ。

 

「ねぇねぇ、あれ雪乃ちゃんの彼氏? 彼氏?」

 

「あれ呼ばわりはひどいですよ。比企谷です、初めまして雪ノ下さん」

 

 苦笑いとともに自己紹介をする。そして、そんな俺を訝しげな瞳で見る雪乃。

 正直、俺自身はこの雪乃姉にどう思われようと関係ない。だが、雪乃と一緒にいるところに現れた以上はそうも言っていられない。なぜなら、俺の評価ってのは妹の友達の評価であり、そのまま雪乃の評価になるからだ。

 お前のために気を使ってるのに、なんでそんな目で見てくるわけ。

 

「比企谷……。へぇ……」

 

 雪乃姉は一瞬考えるような間を取り、俺をつま先からてっぺんまで流し見た。

 やっべ。なんか俺、超値踏みされてるんですけどー。同じ妹をもつ身として、妹の友達がどんなやつなのか気になるのかはわかる。でもさ、俺でもここまでわかりやすく値踏みしないぜ? シスコンすぎるだろこの人。

 

「雪乃ちゃんの姉、陽乃です。よろしくね」

 

 値踏みが終ったのか、陽乃さんがにっこりと微笑む。

 それにしても、姉妹でこんなにも性質が違うもんなのか。どこか冷たい雰囲気の雪乃とは違い、なにか温かい朗らかなものを感じる。

 まあ、どうでもいいんですけど。

 

「それにしても、雪乃ちゃんも彼氏いるんなら教えてくれたらいいのに。あ、比企谷くん。あれ呼ばわりしちゃってごめんね」

 

 テヘペロ☆

 なるほど。漫画とかでしかみたことはないが、リアルではこういうふうにやるのね。勉強になるわーこの人。

 

「いえ、気にしてないんで大丈夫です。それと、彼氏とかではないんで。な、雪乃?」

 

「そうね、彼氏ではないわ」

 

「まったまたぁー! 照れなくてもいいのに! そうだ、雪乃ちゃんが彼氏できたお祝いに、お姉ちゃんご飯おごっちゃうぞー」

 

「いえ、ほんと違うんで。申し訳ないですが遠慮しておきます」

 

「お、君もムキになっちゃってー。雪乃ちゃんを泣かせたりしたら、お姉ちゃんゆるさないぞぉっ」

 

 陽乃さんは「めっ!」と俺を嗜めるように人差し指を立てると、それを俺の頬に突き刺してきた。

 嘘をつくのは嫌いだが、このテンションに巻き込まれるぐらいなら彼氏でいいかもしれない。いや、それはそれで面倒そうだけど。

 

「姉さん、もういいかしら。用がないなら私たちはもう行くけれど」

 

 そう雪乃が言っても陽乃さんは聞く耳をもたず、俺にうりうりし続ける。

 

「ほらほら言っちゃえよー。二人はいつから付き合ってるんですかー」

 

「ちょっと、近いですって雪ノ下さん」

 

 執拗にうりうりされ続けるうちに、俺と陽乃さんとの距離はほぼ零。そして今日は日差しも強く、初夏の陽気といっていい気温である。つまり薄着。

 わかっててやってるんだろうけど、正直うざい。

 

「……姉さん、いい加減にしてちょうだい」

 

 低く、強い語調で陽乃さんに告げると、侮蔑の視線を突き立てる。

 

「あ……ごめんね、雪乃ちゃん。お姉ちゃん、ちょっと調子にのり過ぎた、かも」

 

 申し訳なさそうに、力なく笑う陽乃さん。

 そして、陽乃さんは俺にこそっと耳打ちをする。

 

「ごめんね? 雪乃ちゃん、繊細な性格の子だから。……だから、比企谷くんがちゃんと気をつけてあげてね」

 

 なにやら陽乃さんに妹を任せるに足る人間だと認められたようだ。他人の評価なぞまったく気にしない俺だが、シスコンとって最上級の信頼の証とであろうこの言葉は素直にうれしい。

 まあ、この人の評価の基準はまったくわからんが。

 

「わかりました」

 

 陽乃さんの信頼を裏切らぬよう、真面目に答える。

 

「……比企谷くん、今のはなに? 姉さんになにを言われたのかしら?」

 

 先ほどまでは陽乃さんに向けていたはずの冷たい視線を、なぜか雪乃は俺にむけてくる。

 そんな雪乃への対応に困り陽乃さんに視線をやると、口に指をあて「内緒っ」と目配せしてきた。

 

「いや、それはその……。あとでな、あとで」

 

「えー、比企谷くんばらしちゃう気? そんなん、お姉ちゃん泣いちゃうぞっ」

 

「すみません、雪ノ下さん。正直自分の身のほうがかわいいので」

 

「ぶーぶー。あ、そうだ。ご飯は断られちゃったけどお茶ならいいかな? 比企谷くんへの口止め料。お姉ちゃん奮発しちゃうぞー! それに、お姉ちゃんとして雪乃ちゃんの彼氏ふさわしいのか知る義務があるのです」

 

 むんっと胸を張ると、軽くウィンクしてきた。

 さっき認めてくれたじゃないですか、やだー。これ以上試されるのとか、絶対にお茶ぐらいじゃ割りにあわないんでお断りします。

 

「……姉さん、いいかげんしつこいわ」

 

 強く、そして明確な拒絶。

 俺も小町との関係見直そう。小町にこんなこと言われたら、樹海いってくるってレベルじゃねーし。

 

「だって、雪乃ちゃんが誰かとお出かけしてるのなんて初めてみたんだもん。そしたら嬉しくなっちゃって」

 

 クスクスと、陽乃さんは楽しそうに笑った。

 

「せっかくの青春、楽しまなきゃね! あ、でもハメ外しちゃだめだよ!」

 

 陽乃さんは冗談めかすように注意した。そのまま雪乃に顔を近づけると、小さく囁く。

 

「一人暮らしのことだって、お母さんまだ怒ってるんだから」

 

 「お母さん」という単語が出たとき、雪乃の体が強張った。

 一瞬の間を置き、雪乃はぬいぐるみに顔を埋めぎゅっと抱きしめる。

 

「……別に、姉さんには関係のないことよ」

 

 正面を見ず、地面に向かって話すように雪乃はしゃべる。

 まただ。家族について話すとき、いつだって雪乃はこんな顔をしてきた。こんな雪乃の顔、見たくはないのに。

 

「まあ雪ノ下さん、その辺で。彼氏じゃないですけど、さっきの言葉ちゃんと守りますから」

 

 それ以上いけない。

 雪乃の手を軽く引き、陽乃さんと雪乃の間に体を割り込ませる。

 

 

「そっか、比企谷くんがいるもんね。余計なお世話だったかな。ごめんごめん」

 

 へへっと誤魔化すよう笑みを浮かべてから陽乃さんは俺に向き直る。

 

「でも、なんか悔しいな。雪乃ちゃん取られちゃったみたいで。比企谷くん。彼氏になったらちゃんとお姉ちゃんに報告してね。そしたら今度こそお茶しよ。じゃ、またね!」

 

 ぱあっと笑うと陽乃さんは手を振りとてとて去っていく。

 

「あれだ、どこでもいいから入ろうぜ。疲れたからとりあえず座りたい」

 

 陽乃さんを見送り、未だ暗い顔をする雪乃の手を取ると返事を待たずに歩き出す。

 俺の手を強く握り返し、雪乃は無言でついて来る。

 

 

 

 近くにあったカフェへと入り、注文した飲み物を飲んでようやく人心地ついた。

 

「……姉さんのこと、どう感じた?」

 

 陽乃さんと別れてからずっと、下を向いたままの雪乃が弱々しく聞いてくる。

 

「どう感じたって言われてもな。お前の姉ちゃんって以外に思うところはないな」

 

 むしろ、それ以外言いようがない。世間一般で言えば美人とかそんな評価を下されているのかもしれないが、俺にとっては無意味だ。

 

「才色兼備、文武両道、成績優秀、多芸多才、容姿端麗、そして温厚篤実、おおよそ人間としてあれほど完璧な存在はいないと思えるような姉を見て、それだけ?」

 

「ちょっとお前、姉ちゃんのこと好きすぎじゃね? そんなに四文字熟語使って人褒めるやつ初めてだわ」

 

「そうではなく」

 

 自分の伝えようとしていることがうまく伝わらないのがもどかしいのか、雪乃は言葉を荒げる。

 

「つーかさ、お前の姉ちゃんがどんだけすごい人か知らんけどさ。俺がそういったものに興味がないのはお前も知ってるだろ?」

 

 どんなに美しい宝石だとしても、興味がなければただの石ころだ。

 それと同様に、彼女がどんなにすごい人だとしても興味のない俺にとってはそのへんの人とかわらない。

 むしろ、なんでそんなん気にすると雪乃が思ったのか不思議になるレベル。

 

「誰もが認め、褒め称える姉なのだけれどね」

 

「俺も褒めてやろうか? お前の姉ちゃんのシスコンぷりはすごい。千葉でも相当上位のシスコンじゃないのか? まじ尊敬する」

 

「シス……コン……?}

 

 俺の発言が意外だったのか、雪乃はぽかんとした顔で俺を見る。

 

「俺も小町大好きだし、シスコン同士通じるものがあるからわかるんだよ。わざと嫌われようとしてたっぽいからわかりづらいかもしれないが、それだってたぶんお前のためだろ。俺には真似できないレベルのシスコンだ」

 

 自分が嫌われても雪乃なら大丈夫。そんな確信が陽乃さんにはあるのだろう。だが、確信があっても不安だから俺にサポートを頼んだのだと思う。

 

「総括すると、あの人は雪乃のシスコン姉ちゃん。俺から言えるのはそれだけだ」

 

 俺にとって、それ以上の価値を陽乃さんが持つことは無い。

 俺の言葉を聞き、雪乃は少し考え込む。やがて、考えることをあきらめたかのようにため息を一つついた。

 

「なぜかしら、あなたの言葉には不思議な説得力があるわ。あなたがそういうのなら、きっと私が気づけなかっただけなのでしょうね」

 

「俺にとって小町が天使にしか見えないのと同じで、身内だからこそ見えないものもあるんだろうな」

 

「ねえ、比企谷くん」

 

 どこか躊躇うように言葉を区切ると、雪乃は小さな声で話し始める。

 

「……ちょっと聞きたいのだけど。もし、私が優秀な姉の背を追いかけていたといったらどうする?」

 

「追いかける方向性にもよるな。コピーになりたいっていうんならバカじゃねーのって言うし、参考にしたいって言うんなら素直に応援するさ」

 

 学習とは模倣から始まる。それは模倣したことを下敷きにするからこそ意味があるわけで、模倣しただけで満足するのは無意味だ。

 

「……そう。ありがとう、比企谷くん。まだ答えは出ないけれど。あなたの言葉、参考にさせてもらうわ」

 

 なにか吹っ切れたかのように雪乃が笑う。

 

「どういたしまして、ってなんのことだかわからんけどな」

 

「今はわからなくてもいいわ。でも……。でもいつか、答えが出たらそのときは聞いてもらえる?」

 

「あいよ」

 

 

 

 

 そのままカフェで昼食をとり、その後雪乃の要望でプリクラを取ることになった。

 二人で並んで何枚か撮影され、雪乃がその中から三枚選ぶ。ちなみに、俺には選ぶ権利を与えられなかった。

 そして画面の指示に従い、落書きスペースとやらに向かうところで雪乃に追い出された。

 

「ちょっと飲み物買ってきてもらえる?」

 

 完全にパシリです、はい。

 大人しく飲み物を買って戻ると当然のようにプリントは終っており、雪乃はハサミの設置されたテーブルで佇んでいた。

 

「ほらよ」

 

「ありがとう。はい、これは比企谷くんの分ね」

 

 飲み物の代わりに印刷されたプリクラを受け取る。

 そこに写っていたのは微妙な顔をする俺と、その隣で満面の笑みを浮かべる雪乃。

 特に落書きされている様子はない。

 

「なんかこれ、少なくね?」

 

 渡されたプリクラは大小違いはあれど二種類だけ。俺の記憶が確かなら、画像は三枚選んでいたような気がしたのだが。

 

「それでいいのよ」

 

 頬を赤く染め、こちらから目をそらしながらそんなことを言う雪乃に追求をあきらめる。

 

「まあ、いいけどな」

 

「じゃあ、帰りましょうか」

 

 どちらからともなく手をとり、俺たちは家路についた。

 



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10

 週があけて月曜日、結衣の誕生日当日である。

 結衣へのプレゼントを用意したはものの、今部室にいるのは俺と雪乃の二人だけであり、お誕生日様はきていない。

 よくよく考えたところ、俺も雪乃も結衣の放課後の予定をおさえるということをしていなかった。それに気づいたのは買い物から帰宅後、雪乃から「ケーキを焼こうと思うのだけれど、どういったものがいいのかしら」といったメールが送られてきたときだ。

 俺や雪乃には、基本的に奉仕部以外の予定がはいることはあまりないのだが結衣はちがう。三浦や海老名といった友達がおり、当然そいつらに祝ってもらうってこともありえるわけで。

 

「そうだよな。そういう催し物を開催することも、参加する機会もなかったからまったく想定してなかったわ」

 

「くやしいけど、私もよ」

 

 結論から言うと、結衣の本日の放課後の予定は三浦たちとのカラオケ大会である。

 柄にも無いことをしようとするもんじゃないってことがよくわかる。

 

「逆に考えるんだ。祝わなくてもいいさって」

 

「比企谷くん。あなたいったい何をいってるのかしら」

 

 有名な小ネタなのだが雪乃には伝わらなかったらしく、ジトーとした目で睨まれる。

 

「今回のことで俺たちにはこういった経験が著しく足りないっていう問題点が浮き彫りになったわけだ。だが、これは決して取り戻せないわけじゃない。なぜなら、俺たちは祝おうとしたが残念なことに結衣に先約が入っていただけだからだ。そしてそれは必ずしも失点に繋がるとは限らない。むしろ今は猶予が与えられたと考えるべきだ。そうだろ?」

 

 「言い訳乙」と言わざるをえない。「残念なことに」といったはものの、本当に残念なのは想定もしなかった俺たちのことだろう。

 

「そうね。できなかった過去ばかり悔やんでもしかたないわ。今は、これから由比ヶ浜さんになにをできるのか考えましょう」

 

 イイハナシダナー。友人の誕生日を祝うことに失敗した二人の会話でなければだが。

 

「とりあえず結衣の土曜の予定はおさえた。それでどう祝ってやるかなんだが」

 

「三人でどこかに遊びに行くといったことは避けた方がよさそうね。二番煎じになってしまうし、そもそもどこに行くことが正しいのか判断できないわ」

 

「判断がつかないなら基本に立ち戻ろう。俺の中で、誕生日のお祝いといえば幼稚園のお誕生会だ。だからケーキとお菓子は最低限必要だと思う。あとは折り紙でわっかを作って飾れば完璧だろ」

 

「輪飾りのことかしら? そうね、確かにあれがないとお祝いの席といった感じがしないわ」

 

 奉仕部プレゼンツ、結衣生誕祭の構想はちゃくちゃくと進む。

 

「場所に関して悩まなくていいってのは僥倖だよな。俺の家でやれば親は仕事でいないし、小町のほうは雪乃とも結衣とも知った仲だから障害になることも無い」

 

「別にうちでやってもいいのだけれど。ただ……、」

 

「カマクラにあいたいんだろ? わかってるよ」

 

「べ、別にそれだけというわけではないのだけど」

 

 なぜかむくれる雪乃に、思わず笑みがこぼれる。

 

「飾りつけ自体は前日の夜にでも俺と小町でやればいいだろ。輪飾りは今日の部活を自主休業してこの後うちでやろう。幸い、結衣にばれずにできるしな。それで料理やケーキなんだが、」

 

「ケーキは前日の夜に私が焼いて当日もって行くわ。比企谷くんや小町さんにばかり任せてしまっては悪いものね。そのぐらいはさせてもらわないと。料理に関しては、由比ヶ浜さんとの待ち合わせ時間より前に比企谷くんの家に行って、二人で作りましょう」

 

「別に俺だけでやってもいいんだぞ?」

 

 雪乃の料理の腕を信頼していないわけではない。お昼にお弁当のおかずを交換することもあるので、彼女の料理の腕はよく知っている。

 

「いいえ、二人で作りましょう。そのほうが……お祝いらしいじゃない」

 

 なぜか雪乃は頬を赤らめる。

 いや、お前がいいってんなら反対する理由はないんだがな。

 

「お前がそういうならいいけど。ただ、それには一つ問題がある。お前さ、一人でうちこれる?」

 

「時に比企谷くん。もし私が無理だと言ったら、あなたはどういった対応をしてくれるのかしら?」

 

「いや、そりゃー家まで迎えにい」

 

「無理ね。無事たどり着ける自信は無いわ」

 

 くい気味に断言された。方向音痴っぷりをそこまで自信たっぷりに言う必要はないだろ。

 小町の教えにより昨日の帰りに雪乃を家まで送ったため、幸いなことに雪乃の家の場所は把握している。

 迎えに行かなかったとすると、迷った雪乃を探して迎えにいくという二重の手間が発生する。それを考えれば家まで迎えにいくのが妥当だろう。

 

「りょーかい。じゃあ前日にでも何時に行けばいいか連絡してくれ」

 

「ええ、わかったわ」

 

「さて、だいたいこんなもんでいいかな。後はその都度対応してけばいいだろ。それにしても、だいぶ話し込んでたけど結衣がこなくてよかったよな」

 

 俺たちが結衣生誕祭の計画を部室で詰めていたのは、カラオケに行く前に部室に顔を出すよう結衣に伝えたからだ。

 祝われるべき結衣を呼び出すのもどうかとは思うのだが、雪乃が違うクラスなのだから仕方がない。

 

「そうね。でも遅いわね」

 

 雪乃は顔を伏せ、その胸に結衣へのプレゼントを抱きしめる。

 たぶん、友達に誕生日プレゼントを渡すという初めての行為に、喜んでもらえるのか不安なのだろう。

 

「大丈夫だ。結衣ならきっと『ありがとうゆっきのーん』とか言って跳ね回るさ」

 

 不安がる雪乃の頭を撫でてやる。

 

「そうよね。ありがとう、比企谷くん」

 

 俺の言葉に安心したのか、雪乃が微笑む。

 ついつい雪乃を目で追い、気にかけてしまうのはなぜだろう。

 たぶん、こいつも妹だからだろうな。ほかに思いあたんねーし。

 他人に興味がない俺にとって、唯一の例外は小町だ。シスコンの俺からすれば小町を気にするのは当然のことであり、だからこそ同じ妹キャラである雪乃のことも小町と同様に気にしてしまうのだろう。間違いない。

 

「まあ、いくらなんでもそろそろくんだろ。俺もプレゼントだしとくかな。あいつ予定あんだし、サクっと渡せた方がいいだろ」

 

 俺が鞄からプレゼントを取り出そうとしたとき、「やっはろー」という声とともに部室の扉が開く。

 本日の主役の登場だ。

 

 



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原作4巻分
11


今年最後の投下です。
感想で補足している設定を作品中で描写してみました。
来年も今作を応援のほどよろしくお願いします。


「お兄ちゃん起きてよー!」

 

 気温の高い日中を寝て過ごし、気温が下がり比較的すごしやすい夜に勉強する。そんなロハスな信念に従い朝方まで勉強していた俺は小町に起こされた。

 

「おう、おはよう。どうした、なんか用か?」

 

「なんか用かじゃないよ! もう沙希さんが来ちゃう時間なんだからねー。さっさと起きてもらえないと小町が勉強できないじゃん」

 

 ああ、そういえば今日は沙希が来る日か。

 確かに、沙希が勉強を教えるにはカマクラが近寄らない俺の部屋を使うしかないわけで、そこで俺が寝ていたら勉強しづらいだろう。

 初めはおまけも来るから気にしていてのだが、大志が永久に友達とわかってからはどうでもよくなった。

 小町の交友関係にまで口を出す気はさらさらないしな。

 

「わるかったよ」

 

 ぷんぷんと頬をふくらませる小町の頭を撫でくりまわす。

 

「そういえば、ちゃんと勉強してるんだってな。沙希から聞いた。えらいぞ、小町」

 

「あー、そんなこといってごまかそうとしてるでしょ。お兄ちゃんポイント低い!」

 

 べーっと舌をだし、部屋から出て行く小町をぼんやりと見送る。

 ごまかす気はなかったのだが、なぜだか小町はそう受け取ったらしい。

 愛する妹が自ら決めた目標に向かい日々勉強に励む。そんな妹を誇らしく思うお兄ちゃんの思いは伝わらなかったらしい。

 

「あと二年もないんだけどな」

 

 そう一人ごちる。

 小町をこうやって気にかけ褒めてやったりできるのも、卒業しこの家を離れるまで僅かな時間だけだ。そして、その日は着々と近づいてきている。

 俺の夢である自宅警備員ってのは他者との関係を排除した生活を送るということであり、当然小町もそれに含まれる。

 愛する妹ではあるし、幸せになってもらいたいとも思うがそこは譲れない。

 だからこそ俺は残された時間、いくらでも甘やかしてやろうと思うし、意味があるとは思えない小町の教えに大人しくしたがっているわけだ。

 やっべ、いいお兄ちゃんすぎて泣けてくる。

 

「買い物でも行って、帰りにお土産でも買ってきてやるかな」

 

 どうせ、小町に部屋使われるから家にもいれないし。機嫌なおすにはちょうどいいだろう。

 

 

 

 家を出て、俺は数歩も歩かぬうちに外出したことを後悔した。

 セミはうるせーし、なにより暑い。馬鹿の一つ覚えみたいに核融合ばっかしてんじゃねーよ、太陽。むしろ夏休みなんだからお前も休んだ方がいい。そうだな、今この瞬間から俺が家に帰るまで休んでいい。むしろ休め。

 太陽に殺意を抱きながらようやく駅前までたどり着く。

 ただでさえ暑くてうんざりしているというのに人ごみにあふれるのを見てさらにうんざりしてしまう。

 だが、そんな人ごみをみてうんざりしつつもなぜか同時に安心したりもする。

 どんなに暑くとも人の営みというものは変わらずそこにある。

 比企谷八幡が関わらずとも、今日も世界は正常に回っている。

 俺が他人に興味が無いように、世界は俺に興味がない。

 他人と関わることを嫌い、人とはずれた方向に進もうとしている俺を、誰も肯定してはくれなかった俺をこの光景だけは肯定してくれる。

 俺がいなくても世界は回る。小町も、雪乃も、結衣も、例え今この瞬間俺がいなくなったとしてもあいつらの世界は正常に回るだろう。

 だから大丈夫。俺が一人でもなんら問題はない。あいつらの世界が回るのに俺が必要な理由はないのだから。

 

 何かに飢えていたのか、暑い中駅前の広場のベンチに腰掛けそんな安心できる光景をぼーっと見つめる。

 

 

「あ、ヒッキー」

 

 安心できるとか関係なく、やべえこれただの熱中症じゃねえの俺、と急に自分の体が心配になってきたところで聞き覚えのある声が聞こえる。

 

「よっす」

 

「久しぶりー。てかさ、こんなとこでなにしてんの? 待ち合わせ?」

 

「待ち合わせする相手なんて、俺にいるはず無いだろ。なにもしないをしてたんだけだ」

 

「なにそれ、意味わかんないし。ヒッキー、頭大丈夫?」

 

 割と哲学的な答えだと思うんだがな。まあ結衣にはわからんか。

 

「大丈夫か大丈夫じゃないかと聞かれると、たぶん大丈夫じゃない。むしろ熱中症かもしれん」

 

 今気づいたけど、こんなに暑いのに俺汗かいてねーじゃん。完全に脱水症状じゃね、これ。

 

「え、まじで?」

 

「ヒキオ、あんたバカじゃないの? これやるから頭冷やせし」

 

 一緒に遊んでいたのだろうか、結衣の後ろから三浦が顔をだす。手に持った鞄からハンドタオルとアイシングスプレー、ミネラルウォーターを取り出すと、手早くそれで冷たいおしぼりのようなものを作り俺に手渡してくる。

 

「ありがとう、三浦。正直助かる」

 

 受け取ったそれを首に当てると、心地よいひんやりさが広がる。

 

「三浦って海老名にだけだと思ってたけど、全方向にオカンなんだな」

 

 俺の状態を見てから対処するまでの時間みじかすぎるだろ。小足みてから昇竜余裕でしたってレベルじゃねーぞ。

 

「隼人の試合の応援いくこともあるから一応用意しておいただけだし。まさかヒキオに使うとは思ってなかったけど」

 

「優美子、すごいねー」

 

 三浦が苦笑し、友人のオカン属性の高さに関心したのか結衣がそんな三浦に尊敬のまなざしを送る。

 

「ちょっと楽になったから、どっか涼しいとこ入って飲みものでも飲むわ。それにしても助かった。これ、学校始まったら洗って返すな」

 

「それでいいし。んじゃ、あーしらも行くから。じゃあね、ヒキオ。熱中症、なめんじゃないよ」

 

「じゃあね、ヒッキー。気をつけなきゃだめだよー」

 

 軽く手を振り、立ち去る二人を見送る。

 いやーまじオカン三浦の機転には助かった。今度結衣から三浦の好み聞き出して、タオルを返すときにはお礼にお菓子でも添えよう。

 

 

 

 近くの適当なカフェで少し休み、だいぶよくなったので行動を再開する。

 本日の目的は赤本の購入だ。

 俺の夢である自宅警備員になるために、一流大学に入るというのは前に説明したと思う。

 遠方の一流大学に入学し、高校までの人間関係を断ち切る。卒業後引っ越し、大学でできた人間関係を断ち切る。後はペーパーカンパニーを起業し、書類上の社長という、世間体のよい肩書きを手に入れ家族との関係を断ち切る。

 これが俺が一人であるために考えた完璧なプランだ。

 全ての関係を断ち切った後はどこかでひっそりと、そしてのんびりと暮らすだけだ。誰にも邪魔されず、誰の邪魔もせず、ただただ一人でいる。考えるだけで胸の鼓動が高鳴る。

 ただし、一流大学を卒業したところで学部が起業とはなんの関連性もないところだとそこに違和感がうまれる。完璧なプランをより完璧にするためには経済学部に進学する必要があるわけだ。

 そこで俺が目をつけたのは京大の経済学部である。

 普通に考えたら卒業後すぐ起業というのはおかしいかもしれないが、まあ世間体のためだけなのだから問題ないだろう。

 というわけで、京大の赤本を購入すべく本屋へと向かう。

 

「あら、奇遇ね」

 

 赤本を探して本屋をうろついていると、雪乃と遭遇した。今日は見知った顔をよく見る日だ。これもマーフィーの法則なのか?

 

「よお。お前も本、買いにきたのか?」

 

「ええ、参考書をちょっとね。そういう比企谷くんは?」

 

 参考書とはいいつつも、雪乃の手にあるのは猫の写真集のみ。お前さ、毎日カマクラの写真送ってんじゃん。まだたりねーのかよ。もう飼えよ猫。

 

「俺も参考書を買いにな。参考書っていうか赤本だけど」

 

「そう……。ねえ、比企谷くん。私たち、友だちよね?」

 

「まあ、たぶんそうだな」

 

 俺が奉仕部にいる間は、というのが頭につくが。

 つーか、俺っていつまで奉仕部にいなきゃいけないんだろ。そもそもこの部活に引退とかあんのか? わからん。

 

「そこは断定するところよ、比企谷くん。まあ、それは後でしつけをしなおすとして。世間一般では友だち同士で同じ進学先を目指すこともあるそうなのだけど、比企谷くんは知っていたかしら?」

 

「バカにしてんのか? さすがにそんぐらいは知ってる。それで、それがどうかしたのか?」

 

 どっかの軽音楽部が同じ女子大に入学したりとかな。

 

「なら、私たちも同じ大学を目指すべきよね。だって、友だちですもの」

 

「ねーよ。そもそも、俺の進路とお前の進路が合致するとは限らんだろ」

 

「ちなみに、比企谷くんはどの大学を志望するつもりなの?」

 

「京大の経済学部だな。まさか雪乃のために変えろとか言い出さないよな?」

 

「そう。ランクの低いところならそうさせたかもしれないけれど、京大だというのならそんなことは言わないわ。では、私も京大を志望することにするわ。さすがに学部まではまだ決められないけれど」

 

 やめてくれというのが正直な感想だが、俺からそれを雪乃に伝えることはない。彼女が、彼女の価値観をもってそう決めたというのなら、俺がそれを否定する理由はない。

 価値観のぶつかり合いは軋轢を生むし、そしてそれは俺の望むところではない。

 よしんば同じ大学に進学したとしても、雪乃とすごす時間が四年増えるだけで卒業後の予定が変わるわけではない。 

 人は人、俺は俺。好きにさせてやればいいのだ。

 

「まあ、お前がいいならいいさ」

 

「そうさせてもらうわ」

 

 そういうと、雪乃はにこりと微笑む。

 

「それと、少し聞きたいのだけど。比企谷くん、この後の予定は?」

 

「特にないな」

 

 

「それはよいことを聞いたわ。買いたい本がまだあったのだけど、重くなってしまうから困っていたところなの。当然、小町さんのしつけを受けた比企谷くんはそんな女性を見捨てたりはしないわよね?」

 

 雪乃はさきほどとは違う種類の笑みをうかべる。

 楽しそうでほんとよかったですね。

 

「……お前さ、こないだも思ったけど、なんでそんなに小町の教え知ってんの?」

 

「小町さんからメールで送られてきたのよ。見せてあげましょうか?」

 

 携帯を取り出しメール画面を開くと、それを俺に見せてきた。

 

「まじかよ……」

 

 画面には小町の教えというタイトルのメールが表示されていた。中身は俺が逆らうことのできない、絶対法則である小町の教え。

 お兄ちゃんは悲しいです。

 

「買い物がすんだら、少しお茶でも飲んでから帰りましょう。お礼といってはなんだけど、それぐらいは払わせてもらうわ」

 

 雪乃はうきうきと本棚から猫の写真集を取り出すと、それをどんどん俺に手渡してくる。

 

「……かんべんしてくれ」

 

 お茶じゃたりねーだろ、これ。

 

 

 



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12-1

あけましておめでとうございます。
本年も「ぼくの かんがえた さいきょうの ひきがやはちまん」をよろしくお願いします。





 朝からセミの声がうるさい。

 珍しく日中から行動を開始した俺は自室で勉強をしていた。

 夏休みは休むもの、そんな考えをもって青春を謳歌する者あちも世の中にはいるだろう。

 だが、俺は違う。

 俺にとって夏休みとは、いや夏休みだけでなく今までの人生、そしてこれから大学を卒業するまでの全ての時間は俺が一人であるための準備期間なのだ。

 ゆえに勉強する。一歩一歩確実に、確かな未来へと、一人だけの生活へと進むために。

 きりの良いところまで参考書を進め、さて麦茶でも取りにいくかと立ち上がると机の上で携帯が鳴る。

 この音はメールだな。画面を開くと差出人は平塚先生だった。内容は夏休み中の奉仕部の活動について。

 ロリショタとともに行く二泊三日の旅in千葉村、それの引率ボランティアをしろとのことだ。

 ……いや、あの人バカじゃねーの。小町同伴OKというのはまだわかる。要領いい妹のことだから小学生の引率の手伝いぐらいならそつなくこなすだろうし。でもさ、出発が今日ってなんだよ。俺に予定があるとか、そんな発想をもたないのかね、あの人は。

 まあとりあえず今はお茶だ。お茶を飲んで一息ついて、そっからお断りのメールを送ろう。

 メールアプリを一旦閉じ、今度こそと麦茶をとりに向かう。

 

「お兄ちゃん、準備できたー?」

 

 が、駄目。

 ノックもせずに俺の部屋に侵入してきた小町の姿に軽く絶望を覚える。

 

「お前、その格好……」

 

 着替えでも入っているのか、膨らんだ鞄を肩から下げすっかり出かける準備のすんだ小町がそこにいた。

 

「え、千葉村行くんでしょ? まだ準備してなかったの? 珍しく朝から起きてたみたいだし、すっかり準備してるんだと思ってたのにー! まったく、これだからごみいちゃんは……」

 

 やだ、この小町理不尽。

 

「俺が知ったのはたった今だ。まあ、準備するもなにも今お断りのメール送るところだけどな」

 

「えー、お兄ちゃん行かないつもり?」

 

「むしろ、なんで俺が行くと思ったのか問いたい。自分の自然教室の時だって行きたくなかったのに、なにが悲しくてわざわざボランティアとして行かなきゃいかんのだ」

 

 団体行動を強いられるのなんて学校だけで十分なのだ。それをわざわざ遠出してまでやられたくない。修学旅行とか遠足とか、ほんとなんのためにあるんだろうな。

 

「まあまあ、難しいこと考えないでさー! 小町と泊りがけでお出かけって考えればいいじゃん。それとも」

 

 小町は一旦言葉を区切り、上目遣いで俺を見つめてくる。

 

「お兄ちゃん。小町とお出かけするの、いや?」

 

「汚いなさすが忍者きたない」

 

 俺はこれで忍者きらいになったなあもりにもひきょう過ぎるでしょう?

 

「って、ことはー?」

 

「わかったよ。行けばいいんだろ、行けば」

 

「やーりぃー! じゃあ、小町リビングでまってるから!」

 

 そういって部屋を出ていく小町を見送る。

 あれで小町も勉強がんばってるし、俺シスコンだし、奉仕部云々は関係なく、ただ小町のために参加しよう。そう考えたほうが気が楽だ。

 メールにあった必要なものを適当な鞄に入れ、俺は小町の待つリビングに向かった。

 

 小町と連れ立って集合場所である駅前のロータリーへと向かう。

 ロータリーに着くと、ワンボックスカーがとまっていた。

 運転席の扉の前でタバコを吸う平塚先生に声をかける。

 

「なんで俺は当日になって聞かされたんですかね。小町は知ってたみたいなんすけど」

 

 恨みをこめてジトーと見つめてみる。が、そんな俺に平塚先生はさらりと言い返す。

 

「予定が無いのは君の妹から確認済みだ。それに、先に伝えておくと君は逃げるだろう?」

 

「逃げませんよ。行く必要性を感じませんと堂々と真正面から断ります」

 

「そんな君だからだよ」

 

 微笑みをうかべると、話はそれで終わりとばかりに携帯灰皿でタバコを消し平塚先生は運転席へと入っていく。

 俺が望んだことではないとはいえ、社会不適合者である俺を更正しようとする平塚先生は真面目でいい先生なのだろう。なんであれで嫁のもらい手がいないのかね。

 そんなことを思いつつ、さて他の連中はと辺りを見回すとパンパンになったコンビニ袋を手に結衣がこちらに向かってくるのが見えた。

 

「重かっただろ。変わるわ」

 

 駆け寄りコンビニ袋を持ってやる。

 

「ヒッキー、遅いし。こういう買出しは男の子の仕事だし」

 

 手をさすりながらそんなことを結衣がぼやく。

 いや、俺にそんなこと言われてもな。これでも最速といっていいほどの速さで準備してきたんだぞ。文句なら準備をする時間をくれなかった平塚先生に言ってくれ。

 

「こんにちは、比企谷くん」

 

 結衣の後ろから雪乃が顔を覗かせる。

 白い立ち襟シャツに雪乃にしては珍しいジーンズ姿。どこぞの歌姫を彷彿とさせる服装だ。

 

「よう。雪乃がジーンズなんて珍しいな」

 

「今から千葉村にいくんですもの、動きやすい服装にするのは当然のことでしょう」

 

 そういうと、雪乃は誇らしげに微笑む。

 やけに重いコンビニ袋を片手に車まで戻る。

 歩いてくる俺たちを見つけたのか、小町が元気溌剌に挨拶する。

 

「結衣さん! やっはろー」

 

「小町ちゃん、やっはろー」

 

 え、その挨拶ってはやってんの? 結衣の中だけだと思ってたわ。

 

「雪乃さんも! やっはろー」

 

「やっ……こんにちは、小町さん」

 

 言いたかったけど恥ずかしくなったのか、それともつられただけなのか。途中まで言いけけたものの雪乃は普通に挨拶を返す。

 顔真赤だし、言いたかったんだろうな。たぶん。

 

「小町も呼んでもらってうれしいです!」

 

「ゆきのんのおかげなんだよー。あたしもゆきのんに連絡もらったんだけど、小町ちゃんを呼ぼうって先生に頼んでくれたみたいで」

 

 小町と結衣は互いに手を握りきゃぴきゃぴしだす。

 しかし、なんで奉仕部の活動のはずなのに部外者の小町には連絡がいってて、部員のはずの俺は当日に連絡きたんだろうな。俺、気になります。

 

「雪乃、なんで俺に教えてくれなかったんだ? 毎日メールしてたんだし、機会はいくらでもあっただろ」

 

「なんのことかしら?」

 

 きゃぴきゃぴする二人を横目に雪乃に問いかけるも、雪乃はきょとんと小首をかしげるだけだった。

 

「今日のこと聞いたの、今朝だったんだが」

 

「ごめんなさい。てっきり小町さん経由で伝わっているものだとばかり。でも、どちらにせよ予定などなかったのでしょ?」

 

「バカ言え。予定超あったぞ。勉強するっていうな」

 

「結局、家にいるだけでしょう?そういうのを予定とは言わないのよ」

 

 勝ち誇るかのように雪乃は微笑む。

 

「行きたい大学が大学だからな。夏休みを勉強に費やして何が悪い。つーか、お前は勉強してるのか?」

 

「当たり前でしょう。そういえば、私も経済学部を志望することにしたから」

 

「なんだ、案外あっさり決めたんだな」

 

「ええ、ちょっと思うところがあって……」

 

 そんなことを話しているうちに車に着く。

 運転席で暇そうにしてる平塚先生に声をかける。

 

「全員揃ったみたいですし、行きますか?」

 

「いや、まだ一人きてないな。出発はそれからだ」

 

 奉仕部員三人と特別ゲストの小町。それに引率の平塚先生を加えても全員この場に揃っているはずだ。他に来るやつなどいないはずなんだが。

 

「比企谷くんっ!」

 

 俺を呼ぶ声に振り返ると、戸塚がいた。

 

「戸塚も呼ばれてたのか。部活は休みなのか?」

 

「うん、顧問の先生の用事でお休みなんだ」

 

 戸塚がにこにこ朗らかな笑顔を向けてくる。

 ボランティアなんて面倒なだけだと思うのだがな。なんでせっかく部活も休みなのに参加してきたのだろうか、こいつは。

 

「さて、全員そろったみたいだな。乗りたまえ」

 

 運転席の窓越しに平塚先生が出発を告げる。

 乗りたまえと言われても、席割りがまだ決まっていない。

 

「ゆきのーん何から食べよっかー」

 

「それは着いてから食べるのではなかったの?」

 

 結衣はすでに雪乃の隣に座る気のようだ。つーことは。

 

「俺、助手席にのるから」

 

 そう伝えて助手席に乗り込む。

 誰かしら助手席に乗らないと平塚先生がかわいそうだし、その役目を引き受けるのは平塚先生と多少なりとも交流のある奉仕部員だろう。

 面識はあれどあまり接点のない小町と戸塚がペアになるのはどうかと思うが、結衣もいることだし会話には困らないはずだ。

 

「自分から進んで助手席に来るとはな。てっきり、妹の隣に行くものだとばかり思っていたよ」

 

「それじゃ戸塚がかわいそうでしょ。俺たちと違ってそこまで平塚先生と接点ないんですから。それに」

 

「それに?」

 

「助手席が一番死亡率が高いらしいですからね。そうなったときに一番被害の少ない俺が座るのがちょうどいいと思いましてね」

 

「ひどい理由だな」

 

 悲しげな表情を浮かべると、平塚先生は車を発信させる。

 俺が死んでも悲しむ人などいませんよ。そうあるようにすごしているのだから。

 



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12-2

 車を走らせること数時間、山の中の駐車場で平塚先生は車を止めた。

 車を降りると濃密な草の匂い。普段すごす場所とは違い、ここが自然の中なのだと実感させられた。

 

「きっもちいいー!」

 

 結衣は車を降りると、大きく伸びをした。

 

「……人の肩を枕にしてあれだけ寝ていればさぞ気持ちがいいでしょうね」

 

「うっ、ゆきのんごめん」

 

 雪乃に苦言を呈され、結衣は縮こまって謝り倒す。

 伸びたり縮んだり忙しいな、おい。

 

「わあ、本当に山なんだなー」

 

「小町は去年きたばかりなんですけどねー」

 

 雪乃たちに続いて車を降りた小町たち二人も思い思いに伸びたり深呼吸したりする。

 まあ、その気持ちは多少なりともわかる。なんてったって人がいない。将来設計として時々ならこういった場所にくるのも悪くないだろう。

 ちなみに素人さんはこういった場所に住めば一人になれると思うかもしれないが、それは大きな間違いだ。

 こういう田舎は人口が少ない分他人への関心が高い。むしろ独自のコミュニティが形成されていて、帰属するか排除されるかの選択を迫られるまであるだろう。

 本当に一人になりたいというのなら他人への関心の薄い都会の雑踏にまぎれるか、もしくは定年後の生活を田舎ですごしたい老年者のための、それ専用につくられた分譲地に住むべきなのだ。

 

「うむ、空気がおいしいな」

 

 俺たちに気を使ってくれていたのか、移動中は煙草を吸っていなかった平塚先生がポケットから煙草を取り出し火をつける。

 

「ここからは歩いて移動する。荷物を降ろしておきたまえ」

 

 銜え煙草の平塚先生の指示に従い荷物を降ろしていると、一台のワンボックスカーが男女四人組を降ろし走り去っていった。

 まあ、夏休みだし。千葉市の保養施設だから利用料金も安いだろうし。そういう奴らもいるんだろうなーと何の気なしに見ていると、その中の一人が俺に向かって手を上げた。

 

「やあ、ヒキタニくん」

 

「……お前か」

 

 四人組の一人は国立を目指しているはずのやつだった。よくよく見れば後ろに三浦と海老名もいる。あとの一人の名前は知らないが、たぶんどこか見覚えがあるから三浦グループの一人なのだろう。

 

「お前、国立目指してるんじゃないの? 部活は?」

 

「それ、もうやめてくれないかな。俺が悪かったからさ」

 

 苦笑いともにそんなこと言われた。純粋に疑問に思っただけなんだがな。

 

「ふむ。全員揃ったようだな。まず一つ、今回君たちを呼んだ理由はわかっているな?

 

 平塚先生の問いに俺たちは互いに顔を見合わせる。

 

「泊りがけのボランティア活動だと伺っていますが」

 

「うん。お手伝い、だよね」

 

 雪乃の言葉に戸塚がうなずく。その隣で結衣がきょとんとした顔になる。

 

「え? 合宿じゃないの?」

 

「小町、キャンプするって聞いてますよー?」

 

「ボランティアに一票」

 

 なんか、どういった伝言ゲームが行われたのかよくわかった。平塚先生から俺と雪乃と戸塚、そして雪乃から結衣を経由して小町なのだろう。

 雪乃から伝わってきた泊りがけという言葉を勝手に合宿と解釈し、それが小町に伝わるときにはキャンプになったのだろう。ものごとは正確に伝えろよな、結衣。

 

「奉仕活動で内申点加点してもらえるって俺は聞いてたんだけどな」

 

「え、なんかただでキャンプできるっつーからきたんですけど?」

 

「だべ? いーやーただとかやばいっしょー」

 

「開放的なとべはやと聞いてhshs」

 

 向こうも向こうで伝言ゲームが成立していない。いや、海老名だけは逆に成立してそうだが。

 そんな俺たちの答えに眩暈でもしたのか、平塚先生は頭を抱えだした。

 

「ふむ。まあ、概ね合っているしよかろう。今回、君たちにはボランティア活動をしてもらう」

 

「その活動内容は……」

 

「なぜか私が校長から地域の奉仕活動の監督を申し付けられてな……。そこで君たちを連れてきたわけだ。君たちには小学生の林間学校サポートスタッフとして働いてもらう。内容は千葉村職員、及び教師陣、児童のサポート。簡単に言えば雑用だな。……極論で言えば奴隷だ」

 

 なぜかもなにも、奉仕部の顧問なんて奉仕活動の監督を押し付けやすい立場にいるのが悪いんじゃないですかね? 自ら望んで入部した雪乃や結衣は兎も角、強制された俺は巻き込まれ損じゃないですか、やだー。

 

「奉仕部の合宿も兼ねているし、葉山の言うように内申点の加点も発生するかもしれん。自由時間は遊んでもらって結構」

 

 校長の申し付けということは、れっきとした学校公認の活動ということだ。内申点への加点が実際に行われなかったとしても実績としては残る。まあ面接などで多少有利になることには変わりないだろう。

 

「では、さっそく行こうか。本館に荷物を置き次第仕事だ」

 

 平塚先生の先導の元に移動を開始する。

 雪乃と小町以外は同じクラスとは言え、普段接点があるわけではないこの集団が規律のとれた行動を取れるはずもなく、間延びした列となって移動する。

 平塚先生を先頭にすぐ後ろを俺と雪乃。その後ろに小町、戸塚と続きさらに後ろに結衣と三浦グループだ。つーか、小町と戸塚はずいぶんと仲良くなったんだな。戸塚の見た目も相まって同い年の女友達にしか見えないけど。

 

「あの、……なぜ葉山くんたちまでいるんでしょうか」

 

「ん? ……ああ、私に聞いているのか」

 

 平塚先生が振り返る。

 

「まあ、そりゃーそうでしょ」

 

 なんであいつらがいるかなんて、俺が知るわけないしな。

 

「葉山を呼んだ理由だがな、人手が足らなそうだったから掲示板で募集をかけていたのだよ。もっともそんな募集に応募してくる人間がいるとは思わなかったが……」

 

「それなのに、なぜ募集を?」

 

「形式上の問題だな。一応学校公認のボランティア活動であるから参加者が奉仕部の三人のみというのは体裁が悪い。それで体面的にそうした手段をとったまでだ。参加者が増えればそれだけ監督としての責任も増える。私だってこうなることを望んでいたわけではないさ」

 

「お疲れ様です」

 

 ため息をこぼす平塚先生に思わず同情してしまう。

 ある程度手綱の引き方を心得ている奉仕部だけなら監督もさほど苦ではなかっただろうに、体制のために余計な面倒を背負い込むはめになる。

 まあ外聞とか世間体とか、そういったものは社会では必須であるから仕方ないのであろうが。

 俺だって大学進学を目指しているのは世間体のためだ。そんなことさえ考えなければ自主退学して蒸発するっていう選択肢もあるわけだし。

 ほんと、社会ってめんどくさい。

 

「まあ、これもいい機会だろう。君たちは他のコミュニティーとうまくやる術を身に着けたほうがいい」

 

「必要があればやりますよ。ただ、今まで必要としたことが無かっただけで」

 

 なんなら今から三浦グループに混じってくることだってできる。必要がないから接触しないだけであり、必要があればいくらだって演じれる。

 

「君の場合は少し違うか」

 

 平塚先生は苦笑すると、俺を正面から見つめる。

 

「必要があるかとか無いかとか。そんな難しく考える必要はない。君は不必要を楽しむことを覚えたほうがいい。きっとそれが君のためになる」

 

 不必要を楽しむ? トリビアですね、わかります。

 俺も雪乃も言われたきり、黙り込む。

 雪乃がどう思っているかは知らないが、俺にとって平塚先生の言葉は受け入れられるものではない。

 だが、彼女の価値観がそう言わせているのであればそれを直接否定することはできない。

 故に沈黙を守る。拒否も許諾もせぬように。

 そんな俺たちの態度に平塚先生はまた苦笑する。

 

「まあ、今すぐという必要はないだろう。心に留めておいてくれればそれでいい」

 

 それだけ言うと、平塚先生は前に向き直り無言で歩きだす。俺と雪乃も無言でついていく。

 必要なものだけ残し、不必要なものを無駄と切り捨てていく。それの何が悪いのだろうか?

 たぶんそんなことは誰しもがしていることだろう。ただ俺の場合不必要なものが極端に多いだけで。

 無駄なものを切り捨て、その先に残るのは自分一人。

 ただ、切り捨てるということは切り捨てられると同義で、自分以外の全てを切り捨てようとしている俺は自分以外の全てに切り捨てられていくのだろう。

 まあ、どちらでもかまわないのだが。

 切り捨てようと、切り捨てられようと。俺が一人であるという結果さえ同じならそれでいい。

 

 

 

 キングクリムゾン!

 気づくと小学生たちはオリエンテーションに出発していて、手持ち無沙汰な俺たちはだらだらと話し込んでいた。

 どうでもいいけど手持ち無沙汰と手持ちブタさんって似てるよな。なんならそれでSS一本書くまである。

 目が腐った少年と、その少年が所属する部の部長である少女が部活動中にそんな会話をする。んで、少年は少女に思いっきりdisられる。少年が帰宅し、朝目が覚めると顔の上には手乗りサイズの少女が。んで、なんやかんやで少年は手乗り少女を胸ポケットに入れて登校する。授業中は大人しくしていた手乗り少女だったが、部活動がはじまると少年に少女の本音を教えだす。あんなこと言ってるけど本当は違うんだよって感じでな。そんで少年の態度に不自然さを感じた少女に詰め寄られたところで目が覚める。夢オチ万歳。〆は部活動中に夢と同じ会話をしだす少女に、「夢で手乗り少女がこんなことを言っていたんだがどう思う」と聞いて少女が顔を赤らめたところで終わりだな。

 あれ? まじで書けそうじゃね?

 腐った要素はないけど海老名あたり聞かせたら書いてくれんもんかね、これ。

 

「お兄ちゃん、聞いてるの?」

 

 小町の声に、ふと我に返る。

 どうやら天使の声を聞き逃していたらしい。欝だ、死のう。

 

「なんかにやにやしてたよ。ヒッキー、きもい……」

 

「仕方ないわ、由比ヶ浜さん。だって、比企谷くんですもの」

 

 なんか、久々に雪乃の罵られた気がする。入部当初は口を開けばって感じだったが、梅雨ぐらいからはそんなんでもなかったんだがな。

 それにしても、俺が俺であることがきもいという理由になるとはどういうことだ。

 

「小町さん、今までさぞ辛かったでしょう。これからは彼ではなく、私のことを姉と慕ってくれていいのよ」

 

「雪乃さんっ。いえ、お姉ちゃん」

 

 なんか、小芝居が始まった。

 雪乃の言葉に感動したかのように小町が雪乃に抱きつき、雪乃はそんな小町を抱き返し笑顔で頭を撫でてやる。

 ちょっと、意味がわからないです。俺に理解できるのは雪乃に小町が取られたってことだけだ。

 

「ヒッキー! ゆきのんとられたー!」

 

「たぶん、雪乃にとってはお前も妹みたいなもんだろ。とりあえずお姉ちゃんって言って抱きついてくればいいんじゃないか?」

 

 俺の腕を取り、ゆさゆさしてくる結衣を適当にあしらう。

 そもそも、お前のじゃないと思うけどな。あ、まじでやりやがった。

 結衣と小町に挟まれ、困惑する雪乃を微笑ましくみていると、後ろから声がかかる。

 

「ヒキタニくんの妹だったのか。どうりで、戸塚の妹にしては似てないと思ったよ」

 

 雪乃が困っていることに気づき、雪乃から離れた小町へと歩み寄る。ちなみに結衣は雪乃の腕にしがみついたままだ。

 

「ヒキタニくんのクラスメイト、葉山隼人です。よろしくね、小町ちゃん」

 

「小町に兄はいません。お姉ちゃんならいますけど」

 

 小町は驚いたように一歩引き、雪乃の後ろに隠れて俺の存在を否定する。

 

「ヒッキー、かわいそう……。あ、隼人くん。小町ちゃんこんなこと言ってるけど、ヒッキーの妹であってるから。でも、確かにゆきのんと小町ちゃん似てるよねー。信じちゃった?」

 

「いや、雪ノ下さんに妹がいないのは知ってたから……」

 

「あ、そーなん? ってなんで知ってんの?」

 

「なんでって……」

 

 困った顔で雪乃にちらりと視線を送る。が、雪乃はそれには取り合わず、小町に目をやり頭を撫でてやるだけだ。

 そういえば、初めてあいつが部室を訪れたとき雪乃はあいつの名前を知ってたっぽいし。たぶん同じ中学とかそんなんだろうな。いや、家族構成を把握しているっぽいことを考えると幼馴染と考えるのが妥当か。雪乃のあいつに対する態度が、やけに棘を含んだものなのもそれで説明がつく。まあ棘がある理由まではわからんが。

 

「そういえば、なにすればいいか聞いてなかったな。俺、平塚先生呼んでくるよ」

 

 雪乃の態度に堪えかねたのか平塚先生を呼びに行く。

 幸多かれと見送る俺に小町がこっそり近寄ってきた。

 

「お兄ちゃん、大変大変!」

 

「どった?」

 

「雪乃さん、お姉ちゃんって呼んでだって。これ、いずれはお義姉ちゃんって呼んでもいいってことだよね?」

 

「お姉ちゃんって呼べってことだから、すぐにでもお姉ちゃんって呼んでいいんじゃないか」

 

 至極全うな返答をする俺に小町はやれやれと言わんばかりに頭を振る。そして、ため息交じりに言葉をこぼす。

 

「これだからごみいちゃんは……」

 

 あきれる小町にどうしたもんかと考えあぐねる俺に、思わぬ人物から声がかかる。

 

「いいえ、雪ノ下さんをお義姉ちゃんと呼ぶのではなく、隼人くんをお義兄ちゃんと呼ぶべきだと思うよ。ヒキタニくんの鬼畜攻めに隼人くんは即落ちしちゃったんだから……」

 

「海老名、それはあいつの総受けで終った話じゃなかったのか?」

 

 俺の言葉に海老名はニヤリといやな笑みを浮かべる。

 

「それはそれ、これはこれ。それとも、ヒキタニくんは新しい燃料もってるのかなー?」

 

「戸塚のショタ天然攻めなんてどうだ? ショタだから大丈夫と勘違いして攻めようとした受けが逆に調教されちまうって感じでさ」

 

 即答で新しい燃料を投下してやる。

 戸塚の人権? 知られなければいいだけの話だ。

 

「ウホッ、いい発想。即答でそんなこと言えるなんてなかなかセンスがあるね。今度、じっくり語り合わない?」

 

「……それはかんべんしてくれ。たまに、少しなら付き合うってのも吝かではない」

 

 りょーかい!といいつつ海老名は三浦のもとに戻っていく。

 

「お兄ちゃん。小町、あの人が言ってたことほとんどわからなかったよ」

 

「それでいい。それでいいんだ、小町」

 

 わからないならわからないままでいたほうがいい。そういうものも世の中にはある。

 つーか、あいつ俺の天使になに聞かせてくれてんだよ。

 

 そうこうしているうちに、平塚先生がやってきて今回の仕事の内容を説明してくる。

 

「このオリエンテーリングでの仕事だが、君たちにはゴール地点での昼食の準備をしてもらう。私は車で先に運んでおくから、現地で児童たちの弁当と飲み物の配膳をしてくれ」

 

「誰が車にのればいいんですか?」

 

「残念ながらそんなスペースはない。歩いて移動してくれたまえ。ああ、児童たちより早く到着するように」

 

 歩いていくのは面倒だが、荷物の積み下ろしをしなくていいというのはいいことだ。それに、この自然の中を歩くのもそんなに悪くないだろう。

 ……だいぶ先に進んでいるのであろう児童たちよりも、先に着かなければならないという点を除けばだが。



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12-3

 オリエンテーリングは、フィールド上にあるチェックポイントを指定された順番で通過し、ゴールまでの所要時間を競うスポーツである。

 元々は軍事訓練だっただけあり、ガチでやると地図とコンパスを片手にひたすら全力疾走したりするらしい。

 まあ、俺たちはゴール地点での仕事がまっているだけであり、オリエンテーリング自体に参加しているわけではないので関係ないのだが。

 とはいえ、俺たちは一応引率という立場にあるわけだ。やる気に満ち溢れた三浦グループは時折みかける児童たちに「がんばれー」やら「ゴールでまってるからー」など声をかけ、ちゃんとボランティアのお兄さんお姉さんらしい行動をしていた。

 

「ね、ね、隼人。あーし、意外と子供超好きなんだよねー。子供って超かわいくない?」

 

 全然意外じゃないです、はい。ちょっとは自分のおかん属性の高さを理解したほうがいい。見た目の派手さは兎に角、中身は完全におかんじゃねーかお前は。

 そんな三浦のおかん属性を子供心に感じ取ったのか、児童たちは三浦グループにすぐさま懐いていった。

 幾人もの児童とすれ違い、時には行動をともにするうちにとある女子五人のグループにであった。

 おしゃまさんなそのグループは、おしゃまさんの先輩である三浦グループに積極的に話しかけ、いつのまにか一緒にチェックポイントを探すことになっていた。

 

「じゃあ、ここだけ手伝うよ。でも、他のみんなには内緒な」

 

 不正、ダメ絶対。とは言わない。所詮こんなのは遊びの一環だ。わざわざそんな無粋なまねをする必要もないだろう。

 

「……」

 

 雪乃が小さくため息をついたのに気づいた。

 視線の先を見ると、さっきから行動をともにしてるおしゃまさん五人組。いや、五人組というのは正しくない。四人組プラス一人と言ったほうが正しいだろう。

 大きくみれば五人組なのだが、一人だけ歩数にして二歩ほど遅れている。

 

「……雪乃」

 

 遅れているその子は垢抜けていて、有り体に言って十分かわいい目立ちそうな子だ。

 そして、その子が遅れているのを咎めるわけでもなく、時折振り返ってはクスクスと自分たちにだけ伝わるようなかみ殺した笑みをみせていた。

 なぜ雪乃がため息をついたのか、その光景だけで十二分に伝わってきた。

 たぶん、かつての自分の姿を重ねているのだ。規模は違えど排除されようとしている彼女に。

 ずっと一人であろうとしてきた俺にとって、あの状況は逆にありがたい。お前の席ねーから!と言われれば素直に感謝の言葉を返すだろう。

 それが普通の感覚とはずれたものだってことは流石の俺でも理解している。みんなでいることが普通で、みんなの輪から阻害されることは辛いことなのだ。俺を除いては。

 俺にとってあの子はボランティアで引率する大勢の児童の中の一人であり、当然手を差し伸べる理由をもたない。

 雪乃を妹と同じように気にかけているからといって、あの子まで気にかける理由にはならない。例え雪乃が自分の姿を重ねていようと、だ。

 だが、俺が手を差し伸べないからといって、世の中の全てがそうだという訳ではない。

 

「チェックポイント、見つかった?」

 

「……いいえ」

 

 みんな仲良くを信条とするあいつがその子に声をかけた。

 

「そっか、じゃあみんなで探そう。名前は?」

 

「鶴見、留美」

 

「俺は葉山隼人、よろしくね。たぶんあっちの方に隠れてるんじゃないかな」

 

 言いながら鶴見と名乗った少女の背中を押しみんなの輪の中に誘導していく。

 みんなの輪に入ったからといって、鶴見が楽しそうにしているわけではない。物理的な位置が輪の中に入っただけで、心情的には先ほどと変わっていないのだろう。他の子と視線を合わせるでもなく、ただ周りの自然に目を向けているだけだ。

 そして、それは周りも同様で、鶴見が連れられてきたからといって受け入れるわけではない。自分たちと鶴見との間に薄い膜を貼り、無言の内に告げる。お前の居場所はここにはないと。

 

「ありゃねーわ」

 

「そうね、あまりいいやり方とは言えないわね」

 

 雪乃がまた一つため息をつく。

 他人に興味のない俺でも気づいたのだ。自身の姿を重ねているであろう雪乃がその状況に気づかないはずもない。

 雪乃のあいつへの態度が棘を含んだものな理由を理解できた気がする。

 雪乃があいつと以前から知り合いだったという仮定を前提とするならば。たぶん、あいつはかつての雪乃に同じことをしたのだろう。そして同じ状況を作った。

 雪乃は針の筵に追いやられ、追いやった張本人はそれに気づくことはない。

 気づくことはない。気づいているはずがない。気づいているならば同じ事を繰り返すはずがないのだから。

 あんなのはただの独りよがり、自己満足、自慰行為と変わらない。

 そりゃー棘の一本や二本も生やしたくなるわな。

 

「昔からあんなんだったのか?」

 

「ええ、あまり変わってないわね」

 

 言質、いただきました。軽くかまをかけただけなのだが、これで雪乃とあいつが以前からの知り合いだったのは確定だな。雪乃の以前の言動から察するに、最低でも同じ中学なのは確実だろう。

 

 その後、俺と雪乃は道中無言でゴールを目指した。雪乃がなにを考えているのかはわからないが、俺は先ほどの光景を思い返していた。

 あの状況にどういった対応をするのがベストなのか。そんなことを考えていたのだ。

 まあ、とりあえずみんなの輪の中に放り込むことだけはしないわな。そもそも俺が入りたくないし。つーか、今回は雪乃のため息で気づいたけど、それ無しで気づけたかと言えば疑問だし。気づけると思えないものの対応を考えるのも無駄だな。やめやめ。

 ゴール地点の広場につくと、俺たちに気づいた平塚先生が車から降りてきた。

 

「遅かったな。さっそくだが、これを下ろして配膳の準備を頼めるか」

 

 車のトランクを開け、中の荷物を指し示す。

 ……あんた、いままでサボってたな。円滑に準備を進めるためにも、下ろしとくのが正しいんじゃないですかね? つーか、やっぱり一人車に乗せて移動した方が時間のロスが少なかったと思うんだが。

 抗議したいところだが、奴隷である俺たちにそんな権利はない。

 

「それと、デザートに西瓜が冷やしてある。包丁類もあるから、よろしくな」

 

 荷物を下ろす俺たちに更なる仕事を提示する。

 切るの面倒だし、西瓜割りでもさせればいいんじゃないですかね。すっげー食いづらそうだけど。

 

「西瓜のほうは三人もいれば十分だろ。残りは先に弁当の配膳をしてもらって、終ったら西瓜運ぶの手伝ってくれ」

 

 与えられた仕事を効率よくこなせば、それだけ自由時間が増えることとなる。俺の提案は至極真っ当なものといえよう。

 話し合いの結果、西瓜は俺と雪乃と小町が担当することになった。

 用意されていた西瓜を半分に切り、おもむろにスプーンでくり貫く。

 

「小町」

 

「ん? あ、ああ。あーん」

 

 西瓜の一番おいしい部分であるそれを小町に食べさせてやる。

 

「雪乃も」

 

「え? ええ?」

 

 俺と小町のやり取りに気づいていなかったのか、初めはなんのことだかわかっていなかったようだが、やがて俺の意図に気づき雪乃は西瓜を口に含む。

 

「ん、あまい。……ではなく。比企谷くん、これは児童のデザートでしょう? あなた、いったいなにをしているのかしら」

 

 横領ともとれる俺の行動が気に障ったのか、顔を林檎のように赤くし雪乃が憤る。西瓜なのに。あ、西瓜も中は赤いか。

 

「なにをって。西瓜は中心が一番おいしいのはお前も知っているだろう? つまり、普通にカットしたんじゃおいしい部分とそうでない部分で差が生まれる。なら、中心をくり貫いて公平にしただけだ。児童たちは公平になり、俺たちは西瓜の中心だけ食べるという贅沢を味わえる。むしろダメなところを探すのが難しいだろ」

 

「……それは詭弁というのよ」

 

 雪乃は俺をジト目で睨む。

 

「つーか、食った以上はお前も共犯だ。ま、他のやつらには内緒な」

 

 目撃者を共犯者に仕立て上げ、口を封じる。完全犯罪の成立だ。

 ちなみに、秘密の共有というものは心理学的に絆を深めるものらしい。

 限られた時間の中とはいえ、妹の小町と妹みたいに気にかけてしまう雪乃。まあ、秘密を共有する相手としては悪い選択ではないだろう。

 

 



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12-4

 おいしいカレーの作り方は数あれど、まずいカレーの作り方というものはほとんど無い。

 いや、嫁の飯がまずいスレにいけばあるかもしれないけど、それはわざわざ巡回してまで知りたいものではない。

 なんのことを言いたいかと言えば、市販のルーさえ使えば失敗することなどほとんどないカレーが小学生の野外炊飯のメニューとして選ばれるのは必然だというだけだ。

 

「男子は火の準備。女子は食材を取りに来たまえ」

 

「いや、平塚先生。火の準備に四人は多いんじゃないですか? 野菜とか重いものも多いでしょうし、俺が取りに行きますよ」

 

 そんな俺の発言をどう思ったのか、平塚先生が意外そうな顔をする。雪乃と小町がうんうんうなずいているあたり、あいつらは俺の意図を正確に理解しているようだ。

 まあなんのことはない。いつもの小町の教えである。どんなに重くとも10kgはないはずだから俺一人で十分のはずだ。

 

「そうか。では、女子は戻ってくるまで少し休憩していてくれ。材料が運ばれしだい下ごしらえに取り掛かってもらうのでそのつもりで」

 

 言いながら材料を取りに向かう平塚先生の後を追う。

 

 

 

「暇なら見回って手伝いでもするかね」

 

 カレーの準備も粗方終り、あとは出来上がりをまつだけとだらだらしている俺たちに平塚先生がそんなことを言ってくる。

 「私はごめんだが」というニュアンスを滲ませているあたり本当にブレがない。まあ、平塚先生は俺たちの監督であって児童の引率者ではないので仕方ないのかもしれないが。

 

「まぁ小学生と話す機会なんてそうそうないしな」

 

 たぶん、お前が小学生の時は毎日話してたんじゃないですかねえ。

 

「いや。鍋、火にかけてるし」

 

「そうだな。だから近いところを一箇所ぐらいだな」

 

 ……まあ、鍋の様子を見るだけなら一人で十分だし、行きたいならいけばいい。

 

「俺、鍋見てるわ」

 

 誰がやったのかしらねーけど、先にルーを入れたあほがいるからな。ちゃんとみとかないと確実に焦げる。そしてそんな苦いカレーなんて俺は食いたくない。

 

「気にするな比企谷。私がみててやろう」

 

 ……どうしてもあなたは俺を他人と関わらせたいんですね。

 ただ、そのやり方には意味がないですよ。俺は必要を感じられないから関わらないだけであり、必要があれば関わると言ったはずだ。今の状況で言えば、ボランティアとして困っている児童の手助けをするのは普通のことであり必要なことだ。自分から進んでやろうとは思わないが、役割を演じること自体に不満があるわけではない。

 言いだしっぺを先頭に一番近くのグループを訪ね、やがて気づく。

 

「カレー、好き?」

 

 周りから一人でいることが当然のように放置されている鶴見に声をかけていた。

 俺が気づいたのだから当然雪乃も気づき小さくため息をつく。

 あいつ、やっぱり気づいてなかったんだな。

 昼間みた光景の焼きまわしのような状況。むしろ悪化していると言っていいだろう。さきほどはあくまで四人のなかに放り込んだだけだが、今回は違う。鶴見は児童全体の中に放り込まれた格好だ。気さくで優しい、人気者なボランティアのお兄さん。それに個人的に話しかけられた鶴見に、数多の視線が突き刺さる。

 ともすれば、独り占めしていると受け止められかねない、この状況でそれはない。鶴見の返答如何に問わず、悪感情が向くことは避けられないだろう。

 

「やめろ、ロリコン!」

 

「ヒ、ヒキタニくん。急になにを」

 

 どう答えても悪感情を向けられることは避けられない。なら、答えさせなければいい。

 

「大人しく両手をあげ、ゆっくりとうしろに下がれ。いいか、ゆっくりとだぞ」

 

「だから、なにをいって」

 

「黙れロリコン。小学生の女の子に個人的に話しかけるのがロリコンじゃなきゃなんだっていうんだ」

 

 ローリーコン! ローリーコン!

 手を叩いてはやし立てる。徐々に俺のコールは児童に広がり、いまや多くの児童がロリコンコールに参加している。

 時期を見て、真っ先に俺のコールにのってきた女の子にそっと耳打ちする。

 そして背を押し、オチを促す。

 

「おまわりさん! この人です!」

 

 

 

 児童たちにしてみても、ちょっとふざけただけのことだ。そんなお祭り騒ぎが終れば弁明するのは簡単なことだろうし、それはあいつ自身の手に任せる。

 あいつがいなくてもカレー作りにはなんの問題もないしな。

 

「ちょっとヒキオ! さっきのなんだし!」

 

 カレー作りには問題ないが、俺には問題があった。相方をロリコン呼ばわりされたのが気に食わなかったのか、三浦が俺に詰め寄る。

 

「まあまあ、子供たちも楽しそうだったしいいだろ。それとも、三浦はあいつがロリコンだとなんか困ることでもあるのか?」

 

 俺の言葉にぐっと三浦は返答に詰まる。つーか、身内に腐った人がいるんだしロリコンが増えたところでいまさらだと思うんだがな。

 憤る三浦を海老名に任せ俺はその場を後にした。三浦をなだめながら俺に目配せしてきたことから察するに、海老名はことの次第を正確に把握できたらしい。

 

 喧騒から離れ、人のいない方へと向かったはずなのだがなぜかそこには雪乃がいた。

 

「本当に手段を選ばない人ね」

 

 近づく俺に気づいたのか、雪乃が声をかけてきた。

 

「少しはボランティアらしく、子供たちを盛り上げてやりたかっただけだ。短期的に見れば悪い判断じゃないだろ? 一人を標的に集団に一体感をつくってやる。事実無根のことだからフォローもしやすいだろうしな」

 

 実際、視線を向ければ笑顔の児童たちに囲まれている。誤解はもうとけたのだろう。

 

「それだけじゃないでしょう?」

 

 俺の考えを見通すように、雪乃は俺をじっと見つめる。

 

「さあな」

 

 そんな雪乃の視線から目をそらす。

 無言。それっきりとくに会話もせず炊ぎの煙を見つめていた。

 やがて、そんな俺たちのところに喧騒から押し出されるように一人の少女が訪れる。言うまでもなく鶴見だ。

 

「……バカばっか」

 

 一時的なお祭り騒ぎに入り込めるようなら、そもそも一人ではいないだろう。そんな騒ぎをみてバカと断じるあたりなかなかの素質を感じる。ジュースをおごってやろう。

 

「まあ、一部例外を除いて世の中は大概そんなもんだ。早めに気づけてよかったな」

 

 バカみたいになにも考えず、ごく自然にみんなの輪というものを形成する。みんなの輪を疑問視してしまうことが正しいことなのかはわからないが。

 俺がそう言うと、鶴見は不思議そうな顔をする。値踏みするような視線に意図を掴みかねる。

 

「ちなみに、その一部例外というのがこの男よ」

 

「お前もわりとそんな感じだろうが」

 

「そうね、些か不本意なのだけれど。あなたと同じであるという、その可能性は否定できないわね」

 

 俺たちのやり取りを鶴見は黙って聞いていた。

 少し近づいてくると、声を掛けてきた。

 

「名前」

 

「比企谷八幡だ。よろしくな、鶴見」

 

「雪ノ下雪乃よ」

 

「んで、あれが由比ヶ浜結衣な」

 

「ん、なに? どったの?」

 

 雪乃を見つけたのか、てってーと駆け寄ってきた結衣を指差す。急に話を振られ驚くも、俺たちの様子をみてなんとなく察したようだ。

 

「あたし由比ヶ浜結衣ね。鶴見、留美ちゃんだよね? よろしくね」

 

 だが、鶴見は結衣の言葉に頷くだけでそちらを見ようともしない。足元を見ながら途切れ途切れに口を開く。

 

「なんかそっちの二人は違う気がする。あっちの人たちと」

 

 ちょっとわかりづらいが、たぶんそっちの二人とは俺と雪乃。あっちの人たちとは笑顔で戯れるあいつらのことだろう。

 まあ、確かに違うわな。俺にはあっちの人たちみたいに「みんなで仲良く」しようと思わないし。

 

「私も違うの。あっちと」

 

 自分に言い聞かせるように鶴見はつぶやく。その言葉に奉仕部の「みんなで仲良く」代表である結衣が食いつく。

 

「違うって、なにが?」

 

「周りはみんなガキばっかりなんだもん。私はその中でうまく立ち回ってたと思うんだけど。なんかそういうのめんどうだからやめた。別に一人でもいっかなって」

 

 まあ、そう自分に言い聞かせているだけだろうな。周りをガキだと断じ、本当に見下しているのなら下を向いてなどいないはずだ。

 

「で、でも。小学校の時の友達とか思い出とか結構大事だと思うなぁ」

 

「別に思い出とかいらない……。中学入れば、余所から来た人と仲良くなればいいし」

 

 彼女は自分の言葉の矛盾に気づいているのだろうか。思い出をいらないと言いながらも新たな友人と思い出を作ろうとしている矛盾に。

 

「残念ながらそうはならないわ」

 

 そう断言したのは雪乃だ。

 

「あなたの通う小学校の生徒も、同じ中学へ進学するのでしょう? なら同じことが起きるだけよ。今度はその「余所から来た人」も一緒になって」

 

 雪乃の言葉には深い実感が伴っていた。それも当然だ。彼女自身の体験談なのだろうから。

 彼女から聞かされたのは留学後、帰国してからの学校生活のことだけだ。だが雪乃が雪乃である以上留学前も同じ状況だったであろうことは想像するに容易い。

 「環境が変わったぐらいで一度形成された人間関係はかわらない。ソースは私」そんぐらいでいいだろうに不器用なやつだ。

 小学生にかつて自分が見た残酷な現実を突きつけて、あえて自分が恨まれて発奮の材料にしてくれたらいい。そんな意図が見え隠れする。

 ……やってること、陽乃さんとかわらねーじゃねーか。

 

「それくらい、あなたもわかっているのではなくて?」

 

 なおも雪乃は追い討ちをかける。その姿は痛々しさすら感じる。

 気持ちがわかるなら、共感できるならなぐさめてやればいい。私もそうだったと優しく抱きしめ、傷をなめあってもいいはずだ。そして、それを咎める者など誰もいないだろう。

 だが、雪乃はそれをしない。

 

――もし、私が優秀な姉の背を追いかけていたと言ったらどうする?

 

 陽乃さんと出会ったあの日、カフェで雪乃はこう言っていた。つまり、雪乃は嫉妬されながらも嫉妬していたのだ。

 秀でた能力、美貌。それにより他人に嫉妬され、でも自分はさらに優秀だと自分がかってに思っている姉に嫉妬する。

 その状況において、彼女は嫉妬を原動力に自分を疎外する連中とは違う存在であろうとし、ひたすら自らを高めることを選択した。

 そんな選択をした彼女にとって、傷の舐めあいなど足を止める行為に他ならないだろう。

 だからしない。できない。

 強く、強く。気高く、孤高であろうとする雪乃。そんな彼女ならば俺を……。

 

「中学校でも、……こういうふうになっちゃうのかな」

 

 嗚咽交じりの鶴見の声に我に返る。

 いや、聞いてたよ。ちゃんと聞いてたけどね。

 三行で纏めるなら、集団心理、やったらやったで、やり返される。まあこんなもんだろう。

 そう言えば、中学の時に図書館で心理学関係の本読み漁ったんだよなー。自分の異常さの根源を知ろうとか厨二病まるだしのこと考えて。結局、学問としての理解は深まったがそれが自分に生かされることはなく、自分の異常さが浮き彫りになっただけで終ったが。

 つーか、右に倣えでみんなと同じ行動をとる意味がどこにあんだよ。自分の意思を構成するのはあくまで自分自身であるべきだ。自分以外の誰かたちが作り上げた集団心理なんかに従ってやる必要はないだろ。

 まあ、そんなんだから俺は一人なんだろうけどな。

 



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12-5

今回投稿分より予定タグを削除します。
八雪成立に向けての最大の障害が、私自身予想していなかった理由でなくなったためです。
それに合わせて過去投稿分を多少修正しました。
物語の統合性を考えるとそうなるのですが、いろいろ悩んでいたのにどうしてこうなったのやら……。


 柔らかな焚き火の光を明かりに紅茶を飲む。

 ……いや、こういう時って普通コーヒーじゃねえの? 俺普通じゃねーけど。

 野外炊飯での夕食が終わり、小学生たちは撤退していった。

 もうじき、就寝時間のはずだ。

 小学生が寝てしまえば俺たちに仕事はなく、つまり自由時間。寝てしまってもかまわないはずなのだが、平塚先生の提案のもと火を囲み、みなで紅茶を飲むことになった。

 ロリコン疑惑を捏造された男がコトリと紙コップをおいた。

 

「今頃、修学旅行っぽい会話してるのかな」

 

 普通はそうなんじゃないか? 俺、普通じゃねーからわかんねーけど。

 

「大丈夫、かな……」

 

 結衣が心配そうな顔で俺に聞いてきた。

 誰がと明言しているわけではないが、たぶん鶴見のことだろう。彼女が疎外され一人になっていることを知っているのは直接話した俺と雪乃、結衣だけではない。みな、気づいている。ここにいる人間だけではない。あんなもの、見ただけですぐわかる。

 

「ふむ、何か心配ごとかね」

 

 煙草の煙を燻らせながら、平塚先生が問う。

 

「いやちょっと、孤立しちゃってる生徒がいたので……」

 

「ねー! 超かわいそうだよねー!」

 

 ロリコンが答え、三浦が相槌を打つ。

 

「問題の本質を理解してないやつだな。一人でいることを問題にしてどうする。そんなことされたら俺すげえ問題児じゃねえか。だから、問題にすべきなのは疎外されてるかどうかだ」

 

「望んで一人でいるのと、周囲から一人にされているのでは同じ一人でも違う。そういうことかな?」

 

「そうだ」

 

 問題の本質を理解していないからこいつはあんなことをしたのだろう。疎外され一人になった鶴見をみんなの中に放り込めば解決するなど、そんな楽な話ではない。疎外されている原因を解消しなければ結局は同じことの繰り返しだ。そして、こいつは今日二回ほどそれをやった。

 

「それで、君たちはどうしたい?」

 

「それは……」

 

 皆、一様に押し黙る。

 ぶっちゃけて言えば別にどうもしない。このボランティアであっただけの児童に、手を差し伸べる理由をもたないからだ。

 頼まれたわけでも、請われたわけでもなく手を差し伸べるのは他人の世界に侵入することに等しい。

 そして、俺はそれを好まない。

 

「俺は、できれば可能な範囲でなんとかしてあげたいと思います」

 

 その結果があれか。

 

「あなたでは無理よ。そうだったでしょう」

 

 そうだった。つまり過去形。やはり、あいつはかつての雪乃に同じことをしたのだろう。

 

「そうだった……かもな。でも今は違う」

 

「どうかしらね」

 

 違うはずのなのに、同じことしたじゃないですか、やだー。

 古人曰く、まるで成長していない。

 アメリカの空気でも吸ったのかね、こいつは。今日から谷沢と呼ぼう。

 チクリというよりはグサリといったほうがいいほどの棘を刺した雪乃に視線をやる。俺の視線に気づいたのか雪乃が苦笑を返す。

 雪乃の性格から考えて、谷沢に釘を刺したのは今日がはじめてというわけではないだろう。今までに何度もそうしてきたはずだ。そして理解されぬまま今に至る。

 やっぱり、人間関係って面倒なだけだな。余計なおせっかいを焼いてくる人間のいない一人万歳。

 雪乃たちのやりとりで重くなった空気。それを切り裂くかのように平塚先生が口を開く。

 

「雪ノ下。君は?」

 

 問われ、雪乃は顎に手をやった。

 

「一つ、確認します」

 

「何かね?」

 

「このボランティアは奉仕部の合宿も兼ねていると平塚先生はおっしゃってましたが、彼女の案件についても活動内容に含まれますか?」

 

 雪乃の問いに平塚先生は少し考え、そして静かに首を縦に振る。

 

「……ふむ。そうだな。林間学校をボランティア活動と位置づけた上で、それを部活動の一環としたわけだ。原理原則から考えて、その範疇に入れていいだろう」

 

「そうですか……」

 

 そこで言葉を区切り、雪乃は目を閉じる。

 

「私は……、彼女が助けを求めるなら、あらゆる手段を講じて解決に努めます」

 

 決然と、雪乃は宣言した。その言葉からは明確な意思を感じる。

 不器用で、それでいて優しいやつだ。

 雪ノ下雪乃個人としては手を差し伸べられずとも、奉仕部部長としてならば手を差し伸べられる。

 べ、別にあんたのためなんかじゃないんだから。奉仕部の活動ってだけなんだからね。

 実際の雪乃の宣言とツンデレ変換した言葉のギャプに思わず笑いが漏れる。俺が笑ったことに気づいたのか、雪乃がこちらを睨んでくる。

 

「それで、助けは求められているのかね?」

 

「……わかりません」

 

 奉仕部の活動という理由にした以上、実際に行動に移すためには依頼という形式を踏む必要がある。鶴見の意思がわからない以上、俺たちはまだ動けない。

 

「ゆきのん、きっとあの子言いたくても言えないんだよ。ハブるの、結構あって自分もその時距離をとったって言ってたし。だから、自分だけ助けてもらうのは許せないんじゃないかな。別に留美ちゃんだけが悪いんじゃないのに。仲良くしたくてもできない、そんな環境もあるんだよ。それでも罪悪感は残るから……」

 

 一旦言葉を区切り、息を整える。何かを誤魔化すようにたははと笑いながら言葉を続ける。

 

「やー、ちょっとね……。すごい恥ずかしい話なんだけど。誰も話しかけない人に話しかけるってすごい勇気がいることなんだよね」

 

 話しかけられないこと自体が話しかけられない理由になるとは。なかなか参考になる話だ。

 

「でもさ、それって留美ちゃんのクラスだと空気読まない行動になるじゃん? 話しかけたらあたしまでハブられちゃうのかなーって考えると、少し距離をおくというか、準備期間がほしいっていうか。それで結局時間がたってそのまま……。ってー、あたしすごい性格わるいこと言ってない!? 大丈夫!?」

 

 大丈夫だ、問題ない。

 集団心理的にお前の考えは正しい。

 

「大丈夫だ。お前は間違ってない。ただな……途中から俺の話じゃね、それ?」

 

 勇気がいるから奉仕部に依頼する。準備期間がほしくて一年経過する。完全に俺とお前のことじゃねーか。留美の話じゃねーのかよ。

 

「ち、違うし! ヒッキーの話なんかしてないし!」

 

「前半はともかく後半はな……」

 

「ぜ、全然ちがうし!」

 

 バーカバーカと続ける結衣に、先ほどまでのどこか暗い表情はなかった。

 

「雪ノ下の結論に反対の者はいるかね?」

 

 少しだけ軽くなった空気の中、平塚先生が最終確認をする。ゆっくり視線を巡らせ、各々の反応を窺う。だが、誰からも反対意見はでなかった。まあ、これも集団心理というものだろう。

 

「よろしい。では、あとは君たちで考えてみたまえ。私は寝る」

 

 欠伸をかみ殺しながら平塚先生が立ち去る。

 つーか、責任者不在でいいんですかね? まあ、普段の部活もそんなもんか。

 

 

 平塚先生が立ち去ったのち、俺たちは話し合いをはじめた。

 議題は「鶴見留美はいかにして周囲と協調をはかればよいか」

 誰が言い出した議題か知らないが、やっぱり論点が少しずれている。どうせ谷沢だろうな。間違いない。鶴見を変えるのではなく、周囲を変えなければ問題の根本的な解決にはならないはずなんだがな。

 そんなずれた議題に最初に口火を切ったのは三浦である。

 

「つーかさー、あの子結構可愛いし、他の可愛い子とつるめばよくない? 試しに話しかけてみんじゃん。で、仲良くなんじゃん。余裕じゃん?」

 

「それだわー! 優美子さえてるわー!」

 

「だしょ?」

 

「言葉は悪いけど、足がかりを作るって考えたら確かに優美子の言ってることは正しいな。けど、今の状況下じゃそもそも話しかけるっていうのがハードル高いかもしれない」

 

 最終的な目的はみんなの輪にはいるということであるから、みんな代表のこいつらの意見を聞いてはみたもののあまり参考にならない。

 

「はい! きっとさ、趣味に生きればいいんだよ。趣味に打ち込んで、イベント行くようになれば交友広がるでしょ? きっと本当の自分の居場所が見つかって、学校だけが全てじゃないって気づくよ。そしたらいろんなこと楽しくなってくるし」

 

 海老名から凄くまともな意見がでた。ただの腐った人だと思っててごめんな。

 

「わたしはBLで友達ができました! ホモが嫌いな女子なんていません! だから雪ノ下さんもわたしと」

 

 前言撤回。やっぱり海老名は海老名だった。

 それでもマイノリティーな価値観の共有ってのは悪い選択肢じゃないだろう。カップリングでもめたりしなければ。

 その後もいくつか案がでるものの、現実的なものはなかった。

 議論が途切れ、しんとなった一瞬に谷沢が一言口にした。

 

「……やっぱり、みんなで仲良くする方法を考えないと根本的な解決にはならないか」

 

 その言葉に思わず呆れる。

 あれだけ雪乃に釘を刺されてなお、こんなことを言えるこいつは本当に俺と同じ人間なのか疑わしくなる。

 

「みんなで、仲良く、か」

 

 思わずそうこぼすと、谷沢にジロリと睨まれる。俺を睨むということは、あいつにとっては自分が正しく、俺が間違っているということだ。

 

「悪い。なんでもない」

 

 ただのクラスメイトであるあいつに、わざわざ懇切丁寧に説明してやる義理はない。だから放っておく。実際どうでもいいし。

 

「そんなことは不可能よ。ひとかけらの可能性だってありはしないわ」

 

 雪乃の凛とした声が響く。

 俺と違って見捨てるってことをしないんだな、お前は。

 谷沢はふっと短いため息を吐いて地面に目をやる。

 それを目の当たりにして三浦が吠える。

 

「ちょっと雪ノ下さん? その態度、何? せっかくみんなで仲良くやろうってしてんのに、なんでそういうこと言ってるわけ?」

 

「落ち着けって三浦。悪いが、俺も雪乃に賛同する。俺と雪乃で少し考えるから、その間にそっちでも考えておいてくれよ。んで、ある程度考えがまとまってからすりあわせればいいだろ? こんなけんかみたいなことして、仲良くする方法なんてでてくるわけないんだからさ。な?」

 

 詰め寄る三浦と雪乃の間に入り、三浦をなだめる。

 不承不承うなずくと三浦は元の場所に戻る。

 今は誤魔化したけど、女子だけになって大丈夫なのかね、これ。

 きっと間にはいることになるであろう結衣が若干気の毒になる。

 

 

 

 皆が寝静まったあと、俺は一人部屋を抜け出した。

 高原の夜。雑踏の中で感じるのとはまた別の安心感に包まれる。

 自分以外は誰も居らず、ただただ一人。この世界に俺一人取り残されたような、そんな静けさがある。

 そして、そんな静けさが俺に教えてくれるのだ。お前は一人だと。

 なんとすばらしい環境だろうか。毎週末にこんなところに来ることを検討してもいいレベル。

 そんなことを考えながら歩いていると、木立の間に一人の少女が立っているのを見つけた。

 ふんわりとした月明かりに照らされ、白い肌が浮き上がるようにほのかに輝く。そよ風に吹かれ、長い髪がふわりと舞う。小さな、とても小さな声で、月光の下彼女は歌う。ともすれば、精霊が森に語りかけるような、そんなどこか現実離れした幻想的な光景に見えた。

 彼女一人で完成された世界。そんな光景に僅かながら嫉妬してしまう。

 邪魔すんのも悪いし、俺もどっかで歌ってみるか。まあ、あんなふうにはならないだろうけど。

 そう考えて立ち去ろうとしたのだが、踏み出した足で小枝を踏んでしまいパキリと音がなる。

 

「……誰?」

 

「にゃー」

 

「……早く出てきなさい」

 

 スルーされた。

 

「声をかけるでもなく、黙ってみているなんて随分といい趣味をしてるわね」

 

 現れた俺を雪乃が冷めた目でみる。

 

「声をかけなかったんじゃない。かけられなかったんだ。見惚れてたんだよ、お前に」

 

「そ、そう。なら仕方ないわね」

 

 俺の反論に、顔を斜め上に向ける。その頬は少し赤い。

 

「星でも、見てたのか?」

 

 街から離れているからか、星がやけにきれいに見える。

 

「いえ、そうではなく……。少し、考え事をね」

 

「……谷沢のことか?」

 

「谷沢……? 比企谷くん、いったいなんのことを言っているの?」

 

 ああ、谷沢で伝わるわけねーか。

 小首をかしげ、頭にハテナマークを浮かべる雪乃に弁明する。

 

「まるで成長していない男のことだよ」

 

「あなた、頑なに彼の名前を呼ぼうとしないのね。理由は……、わかる気もするけど」

 

「……気づいてたのか」

 

「ええ、勿論よ」

 

 雪乃が柔らかな笑みを見せる。

 

「いくら他人の価値観を尊重しそのまま受け入れるあなたでも、彼の価値観は受け入れられるものではないでしょうしね。みんなでいることを強制する彼の価値観はあなたのもつ一人であろうとする価値観を否定するものですもの」

 

「お前、すげーな。隠してたつもりもないが、なんでそこまでわかんだよ。ちょっとこえーよ」

 

「あなたがありのままの私を見てくれているように、私もあなたをちゃんと見ている。ただそれだけのことよ」

 

「……なんで俺がお前のこと見てるってわかんだよ」

 

「そうね。例えば葉山くんのこと。あなたは気づかれてないと思っていたかもしれないけど、ちゃんと気づいていたのよ。私はあなたに彼のことを話したことはないし、きっと彼から話すこともないでしょうからね」

 

「いや、まじでお前すげーよ」

 

 なんつーか、雪乃に勝てる気がしない。

 

「どこまで推測しているのかわからないけれど、いい機会だから教えておくわ。彼とは小学校が同じなだけ。それと、親同士が知り合い。彼の父親はうちの会社で顧問弁護士をしているの」

 

 つまり、あの事故の示談を担当したのはあいつの親父ってわけか。

 

「なんつーか、大変だったんだな」

 

「ええ。昔から彼、変わっていないから」

 

 どこか苦しげな笑みに、思わず手が出る。

 

「な、なにをするのかしら」

 

「俺だって知らん。ただ、お前の顔をみたらこうしてやりたくなっただけだ」

 

 気づくと、俺は雪乃を正面から抱きしめていた。

 雪乃はそれを拒絶することもなく受け入れ、やがて小さくため息をついた。

 

「いいわ。あなたのことですもの、安っぽい同情ではないのでしょうし」

 

 そういって、雪乃は俺の背に手を回す。

 

「だから、もう少しだけこうしていて」



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12-6

 と、いう夢を見たのさ。

 

「ぬわーーっっ!!」

 

 すでに起きて朝食をとりにでもいったのか、誰もいない部屋の中で一人のたうちまわる。

 なんだ。なんなんだ、あれは。夢は願望の現れとかよく言われるが、俺はあんなことを望んでなどいなかったはずだ。

 なにが「そんな顔してるお前を見たくないだけだ」だよ。アホか。

 ひとしきりのたうちまわり、少し落ち着いてじっと腕を見る。

 夢の中でも感じた、雪乃の細く柔らかい体の感触がまだ残っている気がする。

 その感触を振り払うように腕を振り、俺も朝食をとりに向かった。

 

 

 食堂に向かうと小学生たちの姿は既になく、いたのはいつもの面々と平塚先生だけだった。

 

「おはよーございます」

 

「うむ、おはよう」

 

 平塚先生がお茶を片手に新聞を読みながら答える。その姿はさながら波平のようだった。

 

「おはようさん」

 

「あ、ヒッキーおはよう」

 

 開いている席に座り、すでに朝食をとり始めている結衣たちにあいさつをする。

 やあ+ハローなだけあって、やっはろーは朝は使わないらしい。 

 

「おはよう、比企谷くん」

 

「お、おぅ」

 

 あんな夢をみたからか、雪乃と視線を合わせづらい。そんな俺を見て、雪乃はクスリと笑う。

 

「お兄ちゃんおはよー! 今ごはんもってくるねー」

 

 そう言って、立ち上がろうとする小町を雪乃が止める。

 

「小町さん、あなたはまだ食事の途中でしょう。私はもうすんでるから、私がいくわ」

 

 雪乃はパタパタと足音をたて、朝食を取りに向かう。

 

「はい、どうぞ」

 

「サンキュー」

 

 ほどなく戻ってきた雪乃から朝食を受け取る。いただきますと手を合わせ食べ始める。

 

「比企谷くん、お代わりは?」

 

「頼むわ」

 

 空になりそうな茶碗に気づいたのか、雪乃が声をかけてくる。俺が茶碗を渡すと、鼻歌交じりにお櫃からご飯をよそう。

 雪乃から茶碗を返され、食事を再開する。

 朝食を食べる俺をニコニコと雪乃が見つめてくる。そして、そんな俺たちを小町や結衣もニコニコと見つめる。なんだこのニコニコ空間。

 

 空になった茶碗を置き、茶を啜る。

 

「お兄ちゃん、もういいの?」

 

「もう……喰ったさ。ハラァ……いっぱいだ」

 

 雪乃があまりにも嬉しそうにお代わりをよそうので、ついつい食べすぎてしまったぐらいだ。

 これから仕事があるっていうのに、動けるのか不安になる。……肉体労働じゃないことを願う。

 

「さて、朝食も終ったようだし、今日の予定について話しておこう。小学生は今日は一日自由行動で、夜にはキャンプファイヤーと肝試しの予定だ。君たちにはその準備を頼みたい」

 

「はあ、キャンプファイヤーですか」

 

「あ、フォークダンスするやつだ!」

 

 明らかな肉体労働系の仕事内容に思わず顔を顰める。

 

「おお! ベントラーベントラーとか踊るんですね!」

 

「オクラホマミキサーと言いたいのかしら……。最後の長音しか合っていない……」

 

 小町……。お前は去年UFOを呼んだのかと兄は問いたい。

 

「UFOを呼ぶかどうかはさておき、肝試しのほうの準備も頼むぞ。まあ、コースも決まっているし、お化けの仮装にしてもこちらにセットがある。直前にちゃちゃっとやってくれればいい。では、準備の説明をしよう。行こうか」

 

 

 

 小学生が日中自由行動で夜まで予定が無いということは、夜の準備さえ終らせてしまえば俺たちも自由行動ということだ。

 キャンプファイヤーの準備という、辛い肉体労働を終えた俺は一人水と戯れる皆の衆をぼんやり見つめていた。

 いいわー。これ、まじいいわー。来るのを断ろうとした昨日の俺を、助走つけてぶん殴りたくなるレベル。

 なにがいいって、一人でいるのが素晴らしい。みんな、仲良く、楽しそうにしているのをただ傍観者としてみているだけ。されに言えば、水着を持ってきてないからみんなの輪に入れようとされることも無い。孤独万歳。

 そうやって、一人であることが当然な状況を楽しんでいると、脇の小道からざっと足音がした。

 気配のある方向を見やると、鶴見がいた。

 

「よっ」

 

 俺が声をかけると、鶴見はうんと頷く。

 そのまま俺の隣に腰掛ける。

 お互い無言のまま、川で遊ぶみなの様子を見ていたのだが、痺れをきらしたかのように鶴見が口を開く。

 

「ねぇ、あんた、なんで一人なの?」

 

「一人でいるのが好きなんだよ。お前は?」

 

「ふーん。……私のほうはね、今日自由行動なんだ。朝ごはん終って部屋に戻ったら誰もいなかった」

 

 大変結構。俺にとっては望むべき状況だね。誘いを断る必要もないなんて実にいい。

 

「お前さ、携帯もってる?」

 

「……そりゃ、もってるけど。なんで?」

 

「人生の先達者として、お前に一人の楽しさを教えてやりたいだけだ。ほれ、これ俺の携帯な」

 

 アドレスを表示し、鶴見に渡す。鶴見は受け取ると、携帯と俺を交互にみる。

 

「……ロリコン?」

 

「ちげーよ。純粋に、お前に一人の楽しみかたを教えてやりたいだけだ」

 

 ロリコンじゃないよ。ロリコンじゃないよ。大切なことなので二回いいました。

 

「八幡は、一人でいて……楽しいの?」

 

「楽しいっつーか、幸せすぎて困るな」

 

「……変なの」

 

 そう言うと、鶴見は自分の携帯を取り出しポチポチ打ち込みだす。

 

「一人の楽しみかたを教えてやりたいとは言ったが、お前にとって俺は他人だ。よってお前にも、お前の周囲にも影響を及ぼす存在じゃあない。だからなんでも。例えば言いたいけど言えないこととかな。そんなことを送ってきてくれればいい。お前の秘密を知ったところで俺には話すような友達はいないからな」

 

「うん。メール、するから」

 

 いつか雪乃が言っていた。居場所があるだけで星となって燃え尽きてしまうような悲惨な最期を迎えずにすむ、と。

 友人であったはずの人間が、次の日には自分を阻害する側に回っている。誰が味方で、誰が敵かわからない。鶴見はそんな疑心暗鬼にとらわれている。

 ならば、明確な居場所を。絶対に裏切らない基準点を作ってやればいい。他人である俺は彼女を裏切る理由をもたない。彼女の周囲の集団意識とは隔絶されているからだ。だからこそ彼女の居場所になれる。なってやれる。

 何のリスクも無しに、俺にできるのはこれぐらいのものだろう。 

 打ち込みが終ったのか、鶴見の差し出す携帯を受け取る。 

 

「八幡はさ……」

 

「ヒッキーがナンパしてるー! ゆきのん! ヒッキーが浮気してるよー!」

 

 鶴見が何事か言いかけたが、結衣の妄言がそれを遮る。

 

「してねーよ。んで、どうした鶴見? なんか言いかけただろ?」

 

 駆け寄ってきた結衣と雪乃に軽く返す。つーか、浮気ってなんだよ。

 

「八幡はさ、小学校のときの友達いる?」

 

「いないな。むしろ、クラスメイトの名前も顔も覚えてない。どうせ卒業したら会わねーんだ。覚えるだけ無駄無駄」

 

 さすがに、男子と女子がいたはずってぐらいは覚えてるけどな。

 

「そ、それはヒッキーだけでしょ!」

 

「私も会ってないわね」

 

 雪乃が間髪いれずそう言うと、結衣は諦めたかのようにため息をつく。

 

「留美ちゃん。この人たちが特殊なだけだからね……」

 

「特殊で何が悪い。特殊部隊とか、かっこいいじゃねえか」

 

 例外と言ったほうが突っ込みどころもなかっただろうな。

 

「特殊な例は置いておくとして。例えば結衣。お前、小学校の同級生で今でも会うやつ何人いる?」

 

「んー。頻度とか、会う目的にもよるけど……。純粋に遊ぶ目的なら、一人か二人、かな」

 

「因みにお前の学年何人いた?」

 

「三十人三クラス」

 

「九十人か。以上のことから、卒業から五年後友達でいる確立はだいたい五%となるわけだ。逆に言えば友達で無い確率は九十五%。鶴見はまだ習ってないだろうが、確立ってのは偏りがあるもんなんだ。九十五%が偏るんだからたいていのやつは友達ではないってことになる。以上、証明終了」

 

 例えるなら、ソーシャルゲームでノーマル九十五%、レア五%のガチャを学年の人数分引くようなもんだ。引くやつは何枚でも引くだろうし、引けないやつは何回やっても引けなだろう。ちなみに、俺はそもそもガチャ機能が実装されてない。

 

「今は結衣を例にしたから五%って確立だったが、サンプルを増やせばまた違う答えがでるかもしれない。だが、別にそんな統計学的に正しい答えを求めているわけじゃない。要は、考え方の問題ってことだ」

 

「ヒッキーの言ってること難しくてわかんないけど。偏りって考えたら少しは気が楽かもね。みんなで仲良くってのもしんどいときあるし」

 

 どこか実感のこもった結衣の声。結衣は鶴見に向き直り、励ますように微笑む。

 

「だから、留美ちゃんもそう考えれば……」

 

「うん……、でもお母さんは納得しない。いつも友達と仲良くしてるか聞いてくるし、林間学校も写真いっぱい取ってきなさいって、デジカメ……」

 

 なるほど。鶴見が今の状況下で周囲に助けを求めないのはそれがあるからなのかもな。昨日結衣が言っていたこともあるかもしれないが、お母さんに心配をかけたくないってのも大きいのだろう。まあ、確実に親に心配されない俺にはでてこない理由だな。

 

「そうなんだ……。いいお母さんだね。留美ちゃんのこと心配してるんだし」

 

「そうかしら……。支配して、管理下に置く、所有欲の対象ではなくて?」

 

 蜘蛛の巣で石を吊るように、不安を掻き立てる言葉が並ぶ。

 その言葉に結衣は驚きを隠さない。

 

「え、ちょ、そ、そんなことないよ! それに、そんな言い方は……」

 

「お前がそう思うならそうなんだろ。お前の中ではな。その話は、後で、個人的に聞いてやるから。今は一般論でな。お前がそんなこと言うんだったら俺だって言うぞ? 母親が心配するとかねーよ、ってな」

 

 昨日のお前とこの間の陽乃さんを鑑みるに、その根源である母親が素直な心配を向けているとは到底思えない。不器用な心配をそのまま捕らえてるだけじゃねーのか? まじで。

 俺が言うと、雪乃は厳しい顔で俺をじっと見つめてくる。そして、力を抜くようにため息を一つつく。

 

「そうね。姉さんのこともあるし。後でね」

 

 俺に微笑みかけると、雪乃は鶴見に向き直りすっと頭を下げる。

 

「ごめんなさい。私が間違っていたみたい。無神経な発言だったわ」

 

「あ、全然……。なんか難しくてわかんなかったし」

 

 突然の雪乃の謝罪に鶴見がしどろもどろになりながら答える。

 

「あれだ。なら撮っておくか? あいつらとの写真。あいつらならいやとは言わないだろ」

 

「いらない」

 

 水と戯れる三浦グループを指差し、売り渡してみるも即答で拒否された。

 まあ、昨日のこと考えたらさもありなん。

 

「私の状況も今の嫌な感じも高校生ぐらいになれば変われのかな……」

 

「少なくとも、今のままでいるつもりなら絶対に変わらないわね」

 

 ソースは私。

 もうさ、だれかユキリンガル持ってきてくれよ、マジで。

 

「俺みたいに一人万歳ってなる可能性もあるからな。無理に周りと付き合う必要もないだろ」

 

「でも、留美ちゃんは今が辛いんだし、それをどうにかしないと……」

 

「辛いっていうか。ちょっと嫌だな。惨めっぽい。シカトされると自分が一番下なんだって感じる」

 

「そうか」

 

 まあ、シカトされてMでもないのに喜ぶのは俺ぐらいのものだろう。

 

「嫌だけどさ。でも、もうどうしようもないし」

 

「なぜ?」

 

 雪乃に問われ、鶴見はいくぶん言いづらそうにするも、きちんと言葉にする。……両目にあふれんばかりに涙をたたえ。

 

「私、……見捨てちゃったし。もう仲良くできない。仲良くしてても、またいつこうなるかわかんないし。繰り返すだけなら、このままでいいかなって。惨めなのは、嫌だけど……」

 

 正直に言って、俺には彼女の辛さがわからない。俺にとって他人とは絶対的に必要とするものではないからだ。

 裏切られたところで何も感じることはなく、ただ一つ学ぶだけだ。人は裏切るもの、と。

 だが、俺は今一つ学んだ。俺にとってはなんともないことでも、鶴見にとっては違うのだと。人に裏切られるのは辛いのだと。惨めなのだと。

 他人に興味のない俺だが、それはあくまで知る必要を感じないだけだ。

 しかし、俺はすでに学んでしまった。そして、そのことで泣く少女を見捨てるような人間ではない。幸い、手を差し伸べる理由ならすでにある。

 これから俺がしようとすることは、単なる自己満足かもしれない。彼女を助けてやれるという自意識が生んだ、哀れな自己陶酔者かもしれない。

 自己満足でもいい。自己陶酔者と呼ばれてもかまわない。

 もし……。もし俺が願えば彼女が助かるなら。もしも俺が手を差し伸べれば彼女の涙を止めてやれるなら。

 俺は願う。何度でも手を差し伸べる。

 ふつふつと、体から湧き上がる感情に体が熱い。

 

「惨めなのは嫌か」

 

 しゃがみ込み、鶴見の頭を撫でてやりながら問う。

 

「……うん」

 

「……肝試し、楽しいといいな」

 

 今は。今だけは、この熱に身をまかせてもいいだろう。

 



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12-7

 肝試しといってもテレビなんかでやるような本格的なものではない。

 お茶を濁すような、そんな子供だましみたいなものだ。まあ、実際やるの子供なんですけどね。

 ちゃちゃっと準備を終らせ、待機場所に戻りブリーフィングである。

 

「それで、どうするの?」

 

 口火を切ったのは、やはり雪乃だった。

 どうするの?とは当然鶴見のことだ。案はすでにあるのだが、遺憾なことに俺一人でできることではない。

 それに……、仕込んでおかなければならないこともある。

 皆と同様に俺が押し黙っていると、まるで成長していない男が成長を感じさせない発言をする。

 

「やっぱり……、留美ちゃんがみんなと話をするしかない、のかもな。そういう場を設けてさ」

 

「お前さ、もうしゃべんなよ。あとで飴ちゃんやるから。な?」

 

 やはりどこかずれた発言。それに俺はきつい言葉で返す。睨んでくるんじゃねーよ。わざとだよ、わざと。

 

「海老名が鼻血だしそうだし、あんまり手取り足取り教えてやるのは嫌なんだがな。お前さ、なんか勘違いしてないか? あいつらの間に明確な問題があって、話しあってそれを解消する。みんな仲良くなってめでたしめでたし。そう思ってるんじゃないのか?」

 

「……ヒキタニくんは、それが違うとでも?」

 

 ハッと馬鹿にしたような笑みを返す。

 

「根本的に問題を履き違えている。あいつらの間に問題なんて無い。そもそも、誰かが悪くて誰かが悪くない、そんな問題じゃないんだよ。じゃあ、何が悪いのか。なぜ鶴見は疎外されているのか。それはな、そうして当然、そうしなければいけない、そんな空気が鶴見の周囲にあるからだ。もっと言えば周囲がそんな集団心理に流されてるからってことになる。確かに、お前の言ってることは間違っちゃいない。解決方法の一例としてあげられるだろう。だが、それには扇動する協力者が必要だ。鶴見がみんなと話したとき、仲間に入れてあげようって煽るやつが必要なんだよ。お前、それ用意してんの? そこまでちゃんと考えて言ったのか?」

 

「そ、それは……」

 

 言葉につまり、視線を地面にやる。それを確認しながら話を続ける。

 

「だったら黙ってろ。時間の無駄だ」

 

 まあ、仕込みはこんなもんで十分だろう。本題はここからだ。

 

「みんながやってるから自分もやる。そんな集団心理のせいで鶴見が疎外されてんなら、そんなもんぶっ壊してやればいい。みんなでいることでそんな集団心理が生まれてるってんなら、みんなじゃなくしてやればいい。集団心理っていう柵に囲まれて、そこからはじき出されたやつをあざ笑うってんなら、柵を取っ払ってお前も同じだって突きつけてやればいい」

 

 一旦言葉を区切り、黙って俺を見つめる皆を見渡す。

 そして、ゆっくりと話しだす。

 

「俺に、策がある」

 

 

 

 

 結果から言えば、俺の提案は受け入れられた。発言力の強いやつを論破し、黙らせてから提案したのだ。そりゃあ反対もしづらいだろう。

 一旦解散し、待機場所から離れる集団の中から皆には言ってない、俺の策の要となる人物の姿を探す。

 そいつを見つけ出し、一人になったところを見計らい声を掛ける。

 

「ちょっと、いいか」

 

「なんだい、ヒキタニくん」

 

 要となる人物とは、先ほど十分に煽り仕込んだあいつだ。

 

「さっきはすまなかった。必要なことだったとは言え、本当にすまなかった」

 

「ヒキタニくん、それはどういう意味、かな?」

 

 頭を下げる俺の意図を掴みかねたのか、怪訝な顔をされた。あんだけ煽っといて謝罪されればそうもなるか。

 

「お前に頼みたいことがある。俺の策が学校側で問題になったとき、俺を見捨てろ。切り捨てろ。自分たちは関係ないと、あいつが勝手にやったんだと言ってほしい。これはグループの中で発言力のある、お前にしか頼めないことだ」

 

 発言力のあるこいつが俺を見捨てれば、たぶん周りもそれに同調する。

 こいつが俺を見捨てるのは当然。そんな空気を作るためにあそこまで煽ったのだ。

 そうでもなきゃ、あんなに煽ったりはしない。俺の主義に反するしな。

 

「ヒキタニくんの考えはわかった。でも、約束はできない」

 

 それだけ言って立ち去っていった。

 くそっ、嫌われたりなかったか。あれだけ言われれば、いくら「みんなで仲良く」教教祖のあいつでも、即答で俺を見捨てる選択を選ぶと思ったんだがな。考えが甘かったか……。

 だが、今から他のやつに仕込む時間もない。俺にできるのは、最後にあいつが俺を見捨てる選択をしてくれることを祈るだけだ。

 

 

 

 肝試しは順調に進み、残るは鶴見たちの班だけとなった。

 適当な理由をでっち上げ、出発する順番を操作し、そうなるように進行役の小町と戸塚に頼んだのだから当然なんだがな。

 さて、そんな指示だけして提案者である俺がなにをしているのかと言えば、

 

「まってるの、疲れたんだけど」

 

「今出発したってメールが来た。だから、そろそろ来るはずだ」

 

 三浦と二人で鶴見たちが誘導されてくるはずの行き止まりにいた。

 今回の俺の策は、三浦無しでは成り立たなかったと言っても過言ではない。三浦という、子供を引き付けてやまないおかん体質ありきの策なのだ。

 俺と三浦が最後の打ち合わせを終えたところで道の先から足音が聞こえてくる。なにも知らない、哀れな子羊たちがやってきたのだろう。

 

「あ、お姉さんだ」

 

 三浦の姿に気づいたのか、小学生たちが駆け寄ってくる。

 

「超普通の格好してるー!」

 

「ださー!」

 

「もっとやる気だしてー!」

 

「この肝試し全然怖くなーい!」

 

「高校生なのに頭わるーい」

 

 その言葉が聞きたかった!

 夜の林の中という普段とは少し違った空気の中。いつも通りの格好をしている三浦に気が緩んだのか、少女たちは早速問題発言をしてくれた。

 正直、問題発言を引き出すのにもう少し時間がかかると思ってたんだがな……。すまん、三浦。打ち合わせ、意味無かったっぽい。

 

「お前らさ、なんでタメ口きいてんの?」

 

「え……」

 

 三浦の前に出て、駆け寄ってくる子供たちを押し止める。

 懐いているお姉さんに話しかけようとしたら、いきなり知らない人が出てきて責められる。そんな状況を飲み込むのに時間が必要なのだろう。子供たちの足がとまる。

 

「つーかさ。今、誰か頭わるいとか言ったよな? それ言ったの誰だよ」

 

 俺の言葉に、子供たちは視線を俺の後ろに向ける。たぶん、三浦に助けを求めているのだろう。……だが、無意味だ。

 

「ちょっと、ヒキオやめなよ。相手、小学生だよ」

 

 三浦が俺の腕を掴み、宥めてくる。

 

「うっせーよ」

 

 だが、俺はそれを乱暴に振り払い、あらん限りの大声を出す。大音量はびびらせる基本だしな。

 

「あ、あーし、知らないからね!」

 

 子供たちの横を抜け、三浦が立ち去る。セリフ、二言。

 頼れるはずの相手があっという間にいなくなり、子供たちは怯え、黙り込む。

 こっからは、俺のワンマンショーだ。

 

「んで、誰が言ったか聞いてんだけど。聞こえてねーの?」

 

「ご、ごめんなさい……」

 

「誰も謝れなんて言ってねーんだよ。誰が、言ったか、聞いてんの。わかるか? わかったら言えよ。誰だよ。誰だよ!」

 

 ちょっと小さめの声で話しかけ、最後の一言だけ声を荒げるのがポイント。これ、試験にでる。

 黙りこむ子供たちに、苛立ちを見せ付けるかのように舌打ちし、その辺のものを蹴って物音をたてる。

 時には無言で、時には大声を出し、ひたすら子供たちを恫喝する。

 子供たちは俺に怯え、立っているのもやっとという状態。一箇所に纏まって縮こまり、俺を潤んだ目で見ている。

 ここまでが俺の策の第一段階。俺という明確な敵に、あいつらの集団心理は極限まで高まったはずだ。もともと、集団心理っていうのは外敵に対応するために人間の身に着けた本能みたいなもんだ。誰しもが持っていて、それに帰属している。そういうものだ。

 たぶん、あいつらは今こう考えているはずだ。怖いからみんなで何とかしなきゃ、と。俺がそうなるように誘導したことも知らずに。

 ここで鶴見も連れてみんなで逃げる選択をしてくれるのがベターな選択だったんだがな。

 逃げた先で、怖かったねと、なんだったんだろうねと。安全な場所で語り合う。みんなで一つの考えを共有し、共感する。それには鶴見も含まれるわけで、それもまたみんなの輪に入れる方法だったろう。

 だが、そうはならなかった。なら、後は突き進むだけだ。賽は振られたのだから。

 一頻り言葉で嬲り、十分怯えさせた頃合を見計らい最終段階に入る。

 

 

「もーいいわ。お前らの中で半分だけ見逃してやる。んで、あとの半分はここに残れ。もー俺は誰でもいい気分だから。お前らで決めていいぞ」

 

 みんなで何とかしなきゃ、そんな考えを根底から覆す提案。ここから先は「みんなで」じゃどうにもならない。そんな状況に追い込む。

 

「……すみませんでした」

 

 ほとんど涙声で誰かが言う。まあ、意味ねーけど。

 

「はぁ。だからさ、俺は選べっていったの。さっきからお前らちゃんと聞いてんのかよ。あれか、お前らの頭の脇についてんの、飾りかなんかなのか? 今のは聞かなかったことにしてやるから。さっさと選べ」

 

 俺の冷たい言葉に、子供たちは黙り込む。だが、まだ追い討ちは終らない。

 

「ほんと、誰でもいいんだぞ? お前らが決められねーんなら、俺が決めてやろうか。そうだな……」

 

「鶴見……あんた残りなさいよ」

 

「そうだよ……」

 

 ここまでは予想通り。むしろ、鶴見が選ばれるまでに時間がかかりすぎたと言ってもいい。

 ここまで時間かかるってことは、やっぱり根っからの悪いやつらじゃないのだろう。

 

「んで、あと二人誰が残るんだ? おう、早くしろよ」

 

「……由香さっきあんなこと言いださなきゃよかったのに」

 

 そして、魔女狩りが始まる。

 誰かが名前をあげれば他の誰かがそれに追従する。そして、名前をあげられた誰かがほかの誰かの名前を口にする。ただひたすらそれの繰り返し。

 そこには集団心理の、みんなで、なんて考えはなく。ただ利己的な、個人の、個人による、個人のための言い争いしかない。

 そりゃあそうだ。誰も好き好んで生贄になんてなりたくはない。誰かを見捨てて自分が助かるのなら、その誰かを見捨てたっていいのだ。

 別にその考えが醜いとか、間違っているなどとは俺は思わない。カルネアデスの板。緊急避難。言葉は違えども、その行為は社会に容認されているのだ。見捨てたからといって、誰も責めたりはしない。

 ……ただ、俺がこうなるように誘導したとは言え、正直見ていて気分のいいもんじゃない。

 

「おまえら、さっきからうるせーよ。あと十秒だけまってやる。それで決められなかったら、しゃーねーから俺が決めるわ」

 

 言ってから、十秒って短すぎたと気づく。だが、言ってしまった以上は取り消せない。

 

「十、九、八、七」

 

 つーかこれ、カウントダウンしてどうすんの? あいつらが選びきれなかった場合を想定してないんだが。

 

「六……、五……、四……、三……」

 

「あ、あの……」

 

 心持ゆっくりと数える。

 俺がこの後の展開を考えあぐねていると、鶴見がそろそろと手を挙げる。

 ナイス時間稼ぎ! 天の助けとばかりにカウントを止め鶴見を見る。

 瞬間、俺の目の前は真っ白になった。物理的に。

 

「走れる? こっち。急いで」

 

 

 

 陰陽弾を喰らった俺は、そのまま地面に寝転び星空を見上げていた。

 別に閃光に目をやられ立っていられなくなったわけではない。ただ、そうしたい気分だったのだ。

 鶴見は最後に自分を阻害していた彼女たちを助ける選択をした。それは単に恩を売ろうとしただけかもしれない。もしくは、彼女たちも自分と同じだと気づいたからかもしれない。

 だが、別にそんなのはどっちでもいい。俺は鶴見ではないのであいつの考えをすべて見通せるわけではないのだから。

 しかし、これだけは絶対の確信をもって言える。これから先、鶴見を取り巻く環境は一変するだろう、と。

 鶴見に助けられた彼女たちは、これから積極的に鶴見を阻害しづらくなる。むしろ、擁護する側に回るだろう。数すれば四人だが、クラス内で考えれば約十%女子だけなら約二十%だ。それだけの人間が鶴見側に回れば、集団心理の風向きを変えるには十分だろう。

 俺の考えた策を最後の最後に鶴見がいい意味で裏切り、想定した以上の結果を出したことがうれしく思えた。

 さて、最後はあれで締めるとするか。

 

「目がー! 目がー!!」

 

「いつまでそうしているつもりなのかしら」

 

 例えだれも見ていなくても、男にはやらねばならぬ時がある。今回の場合は某大佐のまねだ。但し、見られていないつもりだったのに、実はしっかり見られていたとわかると結構はずかしい。

 

「雪乃か」

 

 何事も無かったかのように立ち上がり、話し始める。蒸し返すなよ。絶対に蒸し返すなよ!

 

「私、少し怒っているのだけど」

 

「何をだ? つーか、俺怒られるようなことしたか?」

 

 大佐のまねに関しては、見られてないつもりだったんだから許してほしい。

 

「三浦さんのことよ。三浦さんが立ち去って、あなた一人残る。そんなこと、あなた言ってなかったじゃない。あなた、一人で罪をかぶる気だったの?」

 

「ああ、それな。勘違いのないように言っておくが、別に自己犠牲なんて高尚なもんじゃない。俺が決めて俺がやったんだから、責任は全部俺にある。雪乃は俺がそういうやつだって知ってんだろ?」

 

 三浦が立ち去ることは、三浦との事前の打ち合わせの時に話した。なので、それを知っていたのは俺と三浦だけだ。

 できれば俺一人の手ですべてやり遂げたかったのだが、それはどうしても無理だった。他の誰かの協力が必要だった。だが、そこに責任を取ることまでは含まれちゃいない。

 例えば入学式の日の事故のこと。普通なら轢かれた側が被害者で、轢いた側が加害者でもいいはずだ。だが、俺はそれを良しとしなかった。体が勝手に動いたこととはいえ、俺がやったんだから俺の責任。一人であるためにはどんな責任も他人にわけてやる必要はないのだ。

 

 真剣な目で雪乃を見つめると、雪乃はふっと力なく笑う。

 

「そうね。あなたはそういう人よね。ただ、少し確認したくなっただけ」

 

「確認できたのか?」

 

「ええ。あなたはあなたで、なにも変わってない。いつだって一人であろうとする、そんな人。そして……」

 

「そして?」

 

「一人であろうとするから、誰よりも人を見ようとする。悩みも苦しみも、強さも弱さも。全部受け入れて、その人を見ようとする。そんな優しい人よ」

 

 そう言って、雪乃は柔らかな微笑を見せた。

 そんな雪乃から目をそらし、空を見上げる。

 

「最後のは俺も知らなかったんだが、お前からはそう見えるのか?」

 

「ええ、私からはそう見えるわ」

 

「お前が言うならそうなのかもな。まあ、自分じゃわからんけど」

 

「それでいいのよ、きっと」

 

 空を見上げる俺の隣に、雪乃がそっと歩み寄る。ふわりと、優しい匂いが香る。

 

「比企谷くん。……あなた、本当は誰のために解決したかったの?」

 

「誰のって、そりゃあ俺のためだ」

 

 雪乃の問いに、視線は空に向けたまま答える。

 雪乃がかつての自分を鶴見に重ねたように、俺も鶴見にかつての雪乃をみた。鶴見に手を差し伸べ、彼女が救われたからと言ってかつての雪乃が救われるわけではない。そんなことは分かっている。だが俺はそうしたかった。かつての雪乃も、それを見て暗い顔をする雪乃も。そのどちらにも手を差し伸べたくなった。

 ならば、全部自分のためだろう。雪乃を救いたい。過去も未来も全部。そのために俺が勝手にやっただけなのだから。

 

「星、綺麗だな」

 

「……そ、そうね」

 

 俺が言うと、少しだけ、少しだけ雪乃が距離を詰めてきた。そんな気がした。

 

 

 

 特に会話もなく、雪乃と二人ずっと星を見ていた。

 どれぐらい時間がたったのだろう、そろそろ戻らないとまずい気がして暗い夜道をバンガローまで戻る。

 風呂に入り、部屋に戻るとすでに皆寝ていた。

 雪乃とずっと星をみてたから、ことの顛末知らないんだよな、俺。明日朝から平塚先生に呼び出されたらどうしよう。ちゃんとあいつは切り捨ててくれたかなー。

 そんなことを考えながら空いている布団にもぐりこむ。

 

「ヒキタニくん……」

 

「悪い、起こしたか?」

 

「いや、君をまっていたんだ」

 

 ことの顛末を聞かせるためなのだろうが、その言葉だけ聞くとえらくキモい。それ、海老名の前では絶対に言うなよ。

 

「……やっぱ、問題になったか」

 

「いや、そこは大丈夫だ。ヒキタニくんが心配したような、そんな事態にはならなかった」

 

 よっしゃー! 責任は俺のものだが、無いなら無いでその方がいい。

 あれだけ気を回して予防線を張っていた俺だが、実際のところ問題になる確率は低いと睨んでいた。

 僅かな時間しか関わっていない俺たちが気づいたのだ、教師たちが鶴見たちの関係の変化に気づかないはずがない。対応の準備段階だったのか、ただの事なかれ主義なのか。そこまでは分からないが問題を放置していたことには変わりない。だからこそ、俺のとった行動を問題にしづらくなる。問題にすれば鶴見が阻害されていたことが明るみにでて、「なぜ、教師として対応もせず放置していたのか?」となるからな。

 

「……そうか」

 

 努めて冷静に言葉を返す。

 

「……なぁ、もし、俺とヒキタニくんが同じ小学校だったらどうなってたかな」

 

「集団から弾き出すまでもなく、集団の外に俺がいるんだ。鶴見みたいな、あんないじめじみたまねは起きなかっただろうよ。俺以外に」

 

 集団の外にいるやつを攻撃するのなら、常に集団の外にいる俺はさぞ攻撃しやすいだろう。さらに言えば、集団の中に入ろうと思わないため、誰かと立ち位置が変わることも無い。輪廻の輪から外れた存在って言うとなんだかかっこよく聞こえる。

 

「そうかな。俺はいろんなことが違う結末になっていたと思うよ。ただ、それでも……」

 

 それは、言葉を選ぶような間だった。

 

「比企谷君とは仲良くできなかったろうな」

 

「葉山、お前いいやつだな。握手しようぜ」

 

「え、は?」

 

「冗談だよ。おやすみ」

 

「お、おぅ。おやすみ」

 

 俺の即答が予想外だったのか、うろたえる葉山を無視して就寝の挨拶を交わす。

 結局、葉山は俺と同じだったのだろう。俺が葉山の名を頑なに口にしたくなかったように、葉山のまた俺の名を口にしたくなかった。俺は葉山のみんなで仲良くという、集団に入ることを当然と強いる価値観を受け入れられなかっただけだが。

 だが違った。葉山の言う「みんな」に俺は入っていなかった。なら、俺はあいつに感謝の言葉を返すし、あいつの価値観を否定しない。

 つーか、葉山が俺の名を呼ばない理由ってなんだろうな。第一候補は雪乃。幼馴染らしいし、どう考えても間違った方法ではあったがずっと気に掛けていたみたいだからな。そんな雪乃の隣にいる俺が認められない。……十分ありうるな。

 まあ、どうだっていいんだけどな。葉山が俺をどう思っていようと、俺をどう呼ぼうと。葉山の好きにさせてやればいいのだ。それが葉山の決めたことなのだから。

 寝入り端、ふと携帯にメールが来ていることに気づく。確認すると、知らないアドレスからのメールだった。メールを開き、内容を確認すると返信もせずに枕元に携帯を置く。

 本文は一言。ありがとう、と。

 



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12-8

 帰りの車内、俺はなぜか行きと同様に助手席に座っていた。

 別にいいけどな。考えたいこともあったし。

 考えたいこととは、ぶっちゃけて言えば雪乃のことだ。後で話し聞くとはいったものの、結局その機会はなくボランティアは終了した。

 俺としては聞いても聞かなくてもどっちでもいいのだが、話を聞く可能性がある以上はある程度考えをまとめておいたほうが効率がいいだろう。そう考えたわけだ。

 とりあえず俺のもっている雪乃の情報はこうだ。

 

 ・雪乃は姉の背を追いかけている。

 ・陽乃さんはわざと嫌われる態度をとっている。

 ・母親の干渉を支配とか管理と受け取っている。

 

 他にもあるが重要そうなのはこんなもんだ。そして、これを適当につなぎ合わせ、間を俺のもつ知識でうめてやると一つの仮説が浮かび上がる。

 

 雪ノ下家は雪乃が姉の背を追いかけるのを良しとしていない。

 

 陽乃さんが嫌われようとするのは雪乃に自分とは違う道に進んでほしいから。

 母親の干渉を支配とか受け取っているのは、雪乃にとっては姉の背を追いかけるのが自分で決めた道なのに、母親はそれを認めてくれないから。他の道を進ませようとしてくるから。

 こんな感じで納得のいく説明がつく。

 だが、まだピースが少し足りない。これでは「なぜ雪ノ下家がそうするのか」が見えてこないのだ。

 あと少し、例えば陽乃さんが雪ノ下家でどういった立場なのか、とか。そんな情報があれば答えがでそうなのだが……。

 

「どうしたんだ? 難しい顔をしてるが、なにか考え事か?」

 

「ええ。まあ、少し」

 

 考えうなる俺に平塚先生が話しかける。

 

「……昨日のことか? 今回は……少し危険な橋を渡ったな。少し間違えば問題になっていたかもしれない」

 

「スタンフォード監獄実験をまねしてみたかった。とかじゃだめですかね」

 

「……だめに決まっているだろう」

 

「ですよね。……平塚先生、ほんとうにすみませんでした」

 

 平塚先生は俺たちの監督という立場だ。俺がどう頑張ってもさすがに彼女の責任を無くすことはできない。

 大人の世界というものは、知らなかったから、ではすまされないのだから。

 

「別に責めてはいない。そうせざるを得なかったのだろう。むしろ、時間がない中でよくやったと思っているよ」

 

「集団心理を利用して、ちょっと風を入れ替えてやっただけです」

 

「集団心理、か。比企谷。君は少し、人の心を機械的にとらえすぎじゃないか?」

 

「自分が例外すぎて、機械的にとらえないと普通の人の心が理解できないだけですよ」

 

 みんなの輪に入ることを嫌う俺は、それだけで他人と違う。だからこそ、俺は多くの人が当てはまる学問を通してしか人の気持ちが理解できない。

 

「だが、そんな君だから誰よりも人を見ようとするのかもな。機械的に見ながらも決して間違えないように。なかなか貴重な資質だ」

 

「……平塚先生もそれ言うんですね」

 

 平塚先生の言葉は、奇しくも昨日雪乃に言われたことと同様のものだった。

 

「ともあれ、ご苦労だったな」

 

 運転席から片手を伸ばし、平塚先生は俺の頭を撫でてきた。

 つーか、あぶねーよ。生徒の命預かってんだから片手運転とかまじ止めてほしい。それに……子供扱いされてるみたいでなんか恥ずかしいし。

 

「……寝ます」

 

 言って、俺は目を閉じる。子供扱いしてくるんだ、寝てしまって平塚先生を一人にしても咎められはしないだろう。

 

 

 

 

「みんな、ご苦労だったな。家に帰るまでが合宿だ。帰りも気をつけるように。では、解散」

 

 平塚先生のドヤ顔が若干うざい。つーか、合宿じゃなくてボランティアだし。家に帰るまでがボランティアじゃ語呂が悪いから合宿にしたんだろうがな。楽しそうだから何も言えないけど……。

 

「お兄ちゃん、どうやって帰る?」

 

「京葉線でバスかな。帰りに買い物して帰ろうぜ」

 

「あいさー!」

 

 小町は元気よく返事をする。寝起きのはずなのに元気なことだ。

 

「お姉ちゃんも、一緒に帰ろー?」

 

「そうね、一緒に帰りましょうか」

 

 小町が雪乃に抱きつき、雪乃はそんな小町の頭を撫でてやる。

 つーか、その姉妹設定まだ続いてたのかよ。小町を取られたみたいで少し寂しい。

 それぞれに別れの挨拶を交わしていると、どこか見覚えのある黒塗りのハイヤーが俺たちの目の前に横付けされた。

 前なのに横ってなんか違和感を感じる不思議。日本語的にはあってるはずなんだがな。

 運転席から老紳士が降りてきて、後部座席の扉を開ける。

 中から出てきたのは陽乃さんだった。

 

「はーい、雪乃ちゃん」

 

「姉さん……」

 

「ほぁー、似てる……」

 

 小町が呟くと、結衣や戸塚もそれに同調する。

 

「雪乃ちゃんてば夏休みにお家に帰ってくるようにって言われてたのに全然帰ってこないんだもん。お姉ちゃん心配で迎えに来ちゃった!」

 

 そう言うと、陽乃さんは周囲をくるりと見回す。そして、俺と目が合うとにっこり笑って突撃してきた。

 

「あ、比企谷くんだ! デート? デートだったの? ついに付き合っちゃたの? 報告してくれないなんて、お姉さん悲しいぞ! このこのっ!」

 

「またそれですか……。ただ、部の合宿で一緒だっただけですよ」

 

 雪乃を煽るためにわざとやっているのだろうが、俺に対してワンパターンすぎやしませんかね? 肘でうりうりーとか前にあったときもやってたような。

 

「あ、あの。ヒッキー嫌がってますから」

 

 結衣が俺の腕を引き、陽乃さんから離した。すると、陽乃さんの動きが止め結衣を不思議そうに流し見る。その視線には一瞬だけ鋭いものが混じっていた。

 

「えーっと、新キャラだねー。あなたは……比企谷くんの彼女?」

 

「違います! ヒッキーはゆきのんのですから!」

 

 おい。おい。いつ俺の所有権が雪乃に譲渡されたんだよ。どこ情報? それ、どこ情報?

 

「あ、やっぱり比企谷くんは雪乃ちゃんのなんだ。雪乃ちゃんのこと邪魔する子だったらどうしようかと考えちゃった。わたしは雪ノ下陽乃。雪乃ちゃんのお姉ちゃんです」

 

「ご丁寧にどうも……。ゆきのんの友達の由比ヶ浜結衣です」

 

「友達、ねぇ……」

 

 顔は笑顔のまま、声だけがやけに冷たいものだった。

 

「そっか。雪乃ちゃんにもちゃんと友達いるんだ。よかった。安心したよ」

 

 言葉も口調も普通なのに、どこか棘を感じさせる。そんな陽乃さんの態度に、ちょっと笑ってしまいそうになる。

 彼女の態度には意味がある。だが、それは別に結衣個人に何らかの思いを抱いて行われるものではない。ただ彼女は心配しているだけなのだ。ひたすら雪乃のことを。

 雪乃にとって女子とは絶えず雪乃を排斥する側だった。だから雪乃の女友達である結衣を見定めようとする。そして少しだけ、わかるかわからないか微妙な棘を滲ませることで雪乃たちの敵として認識させようとする。雪乃にわざと嫌われ、その友達も自分を嫌いになれば二人の意見は一致するのだから。俺が千葉村で鶴見たちにしたように、敵を作ってやることは集団の団結力を高める簡単な方法だ。

 ちなみに、俺への対応が結衣と違うのは、俺が男だからだ。異性は雪乃に好意を向ける側だっただろうからな。あれ、そう考えると俺別に陽乃さんに認められてないじゃん。姉が認めてくれているって認識させることで、雪乃への対応を擁護する側に固定させようとしてただけじゃねーか。やべぇ、すげぇ恥ずかしい。

 

「陽乃、その辺にしておけ」

 

「久しぶり、静ちゃん」

 

「その呼び方はやめろ」

 

 漫画版ではしずちゃんですね、わかります。

 

「先生、雪ノ下さんとは知り合いなんですか?」

 

「昔の教え子だ」

 

 恥ずかしい自分の勘違いなど押し殺し、増えた情報を分析する作業に思考を向ける。

 必要なピースはまた少し増えた。だがそれでも足りない。あと少し……。

 

「じゃあ、雪乃ちゃん。そろそろ行こっか。お母さん、待ってるよ」

 

 お母さん。その言葉に雪乃がピクリと反応し、表情を消す。

 ……またその顔か。昨日の俺を殴ってやりたい衝動にかられる。ちゃんと昨日雪乃と話していれば、あんな顔させずにすんだかもしれないのに。

 

「小町さん、せっかく誘ってもらったのにごめんなさい。あなたたちと一緒に行くことはできないわ」

 

「は、はぁ……。おうちのことならしかたないと……」

 

 どこか形式ばった雪乃の態度に、小町は同様を隠せない。さっきまで姉妹ごっこしてたんだし、急にああなられたら対応できないわな。

 

「……さようなら」

 

 消え入りそうな声で雪乃は別れを告げる。

 

「雪乃っ!」

 

 そのまま車に乗り込もうとする雪乃の背に声をかける。

 ピースはまだ足りてない。だが、あの顔のまま雪乃を行かせるわけにはいかない。

 たぶん、雪乃は母親の反対を押し切りこの学校に、陽乃さんの母校に進学した。ここまでは正しいと思う。

 俺の仮説が正しいのなら、雪乃の進学先としてこの学校は相応しいものではないのだから当然だ。

 じゃあ俺はどうすればいいのか。どうすれば雪乃にあんな顔をさせずにすむのか。

 ……答えはもう出ている。雪乃は、自分でそれを選んだ。

 

「大学のこと、母親に話してみろ。たぶん、それだけでいい」

 

 振り返った雪乃にそう告げる。

 雪乃は俺をみて少しだけ微笑むと、車の中に入っていった。

 

「比企谷くん。今のどういう意味かお姉ちゃんとしてちょーっと気になるんだけど。でも今は時間ないからまた今度聞かせてね。ばいばーい」

 

 雪乃と陽乃さんを乗せたハイヤーが出発する。

 情報の足りない、不確かなことを言ってしまった。雪乃にあんな顔をさせたくない、それだけのために期待を持たせるようなことを言ってしまった。

 もし俺が言ったことが間違っていたのなら。雪乃に希望を持たせてしまって、それが誤りだったとしたら。

 「自分のやったことは自分の責任」が俺の信条とは言え、俺はどうやって雪乃に償えばいいのだろう。

 走り去るハイヤーの背を見ながら、俺は自分の言ってしまった言葉の重大さに打ちひしがれていた。

 

 



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原作5巻分
13-1


 雪乃と学校で別れた日の夜、雪乃からメールが届いた。やはり恨みごとかと恐る恐るメールを開くと、カマクラの画像を督促するメールだった。

 いつもと変わらないその内容に、俺はほっと胸を撫で下ろす。

 たぶん。たぶんだが、俺は間違えていなかったのだ。

 恨み言もなければ感謝の言葉も無い。本当にいつも通りの内容だったのだが、俺はそう感じた。

 雪乃の家族関係がどの様に進展したかまではわからないが、少なくともいい方向に向かったことだけはわかる。そして、俺はそれが自分のことのように嬉しい。

 その後、俺と雪乃が交わすメールに少しだけ変化が生まれた。今までは一日二回、カマクラの画像を送るだけだったのだが、それ以外に雪乃から他愛も無いメールが来ることが増えた。

 例えば今何をしているのかとか、こんな猫画像見つけたとか。そんな内容だ。それに俺は勉強や予備校の合間を見ては返信する。そんなやり取りを少しだけ楽しいものと思えた。

 ……だけどな、雪乃。好きな革を聞いてくるのはやめてもらえませんかねぇ? ぶっちゃけ、怖い。前に首輪をつけるとか言ってたけど、それじゃないよね? 違うよね? なんでそんなこと聞くのか?とは、とてもじゃないが怖くて聞けない。

 

 そんなこんなで時は流れ、千葉市民花火大会の日が訪れた。

 正直、俺は花火なんぞに興味は無い。ぶっちゃけ、あんなのはただの炎色反応だ。花火見に行かない?と聞かれれば、「は? 家のコンロで塩でも燃やしてろよ」と答えるだろう。そのぐらい興味は無い。

 無いのだが……、

 

「あ、ヒッキー。おっまたせー!」

 

 なぜか結衣と二人で花火大会へ行くこととなっていた。

 事の起こりはこうだ。ある日、雪乃から花火大会に行くのか聞かれ、俺はそれに「小町と大志が行くから監視兼保護者兼お財布として行くと思う。もしかしたら沙希も一緒に行くかもな。あいつブラコンだし」と返信した。その後、いつに無く時間がたってから来た雪乃からのメールには、「結衣と行け。小町の許可はとってある。結衣は迷ったりしないだろうから子ども扱いしないように」と、意訳するならばそんな感じの事が書いてあった。なぜに?と聞いても、いいからとしか返ってこず、俺は追及を諦めることにした。いや、諦めただけで未だ納得はしてないが。

 小町たちの引率を沙希に任せるのは良しとしよう。ブラコンの沙希のことだから小町と大志が変なことにはならないだろうし。実際、あの二人はただの友達だからな。大志はともかく小町にその気がないってことはわかってるので、その辺は安心している。

 ただ、なぜ俺と結衣が一緒に行かなきゃならないのか。それだけがわからない。

 

「ヒッキー? おーい!」

 

 ぼーっと考え事をしている俺を結衣が覗き込む。

 まあ、考えてもわからないならしかたない。すでにこうやって待ち合わせをしている以上考えても無駄だしな。

 

「お、おぅ。悪い悪い。浴衣、着てきたのか。似合ってんな」

 

「でしょー! でしょー!」

 

 俺が褒めると、結衣は見せ付けるように両手を広げる。

 

「んじゃ、行くか」

 

「おー!」

 

 

 

 

 会場につくと、そこは人ごみに溢れ返っていた。

 いいな、やっぱりいい。俺になんの興味も、関心も抱かない人の群れをみるとやはり心が落ち着く。

 

「ね、ねっ? 何から食べよっか!」

 

「こういうとこのって、高い割りにうまくないから食べたくないんだが」

 

 俺がそう言うと、結衣が微妙な顔をする。

 なんだ? 間違ってないだろ。絶対に自分で作った方が安くてうまい。違うのはじゃがバターとかフランクフルトぐらいだな。あれは誰がやっても同じ味になるだろうし。

 

「こういうとこのは、そういうもんなの! これだからヒッキーは……」

 

 外人みたいに手を広げ、やれやれと言わんばかりに頭を振る。

 

「まあ、お前が食べたいんならいいけどな。その代り、残すなよ」

 

「えーヒッキーも食べてよー! 分けっこしたほうが、いろいろ食べられてお得だし!」

 

「……わかったよ」

 

 やーりーと駆け出す結衣の後を追う。

 

「あ、さがみんだ。やっほー!」

 

「お、ゆいちゃん」

 

 知り合いなのか、結衣が一人の女子に声を掛けていた。

 

「お前、置いてくなよな」

 

「あ、比企谷くんも。ゆいちゃん、比企谷くんと一緒だったんだ」

 

 俺はこいつを知らないが、向こうは俺を知っている。なんかそんな状況多いな。

 

「そだよー! 家からでないヒッキーのお守りを頼まれちゃって。いやー頼れる女って辛いねー」

 

 そのヒッキーはダブルミーニングなのか? 全然うまいこと言ってないからな、それ。

 

「俺は家から出ないんじゃない。出る必要がないだけだ」

 

 ペシと結衣の頭を軽く叩く。

 結衣は不満そうに俺を見る。

 

「家から出ないことには変わりないじゃんさー」

 

「勉強してんだよ、勉強。そういや、お前課題終ってんの?」

 

「うっ。なんでそういうやな事思い出させるのかなー、ヒッキーは。そういうのは忘れて、今日は花火を楽しむべきだし!」

 

「終ってないんだな……。絶対に、写させも教えもしないからな」

 

「えー! 最後の一週間ぐらいでヒッキーに教えてもらおうと思ってたのに。いいじゃん、教えてよー」

 

「断固断る」

 

 俺の腕を掴み、ゆさゆさしてくる結衣にNOを突きつける。課題なんて自分の力でやらないと意味ねーだろ。

 そんな俺たちのやり取りを、さがみんと呼ばれていた女子がやや暗い顔で見ていることに気づく。

 その顔を放っとかれてるからと捉えたのか、結衣が話題を振る。

 

「さがみんは誰と来てるの?」

 

「うち? うちはゆいちゃんと違って女だらけの花火大会だよー。ゆいちゃんいいなー。うちも青春したいなー」

 

「えー!? 何その水泳大会みたいな言い方! 全然そんなんじゃないよー!」

 

 女だらけの花火大会に来ることは青春ではないようだ。俺の知ってる青春の中には、友達とわいわい花火大会を楽しむってのも入ってたんだが違うのか。知らなかったぜ。

 つーか、なんで暗い顔したままなんだろうな、こいつは。放っとかれたからってわけじゃないのか? よくわからん。

 

「あ、二人の邪魔しちゃ悪いし。うち、行くね。ゆいちゃん、比企谷くん、またねー」

 

 手を振り立ち去るさがみんを見送る。

 隣を見ると、結衣がうんうん唸っていた。

 

「ううー。どうしよう……。なんか勘違いされちゃったかなー。ゆきのんに怒られちゃう……」

 

 どんな勘違いなのかとか、なぜそこで雪乃がでてくるのかとか、いろいろ気になるが今は放っておく。

 それよりも、

 

「んで、結局なに食べるんだ?」

 

「え、あ、うん。えーっと……たこ焼き! たこ焼き食べよー!」

 

 思考を切り替えたのか、結衣の顔がぱっと華やぐ。

 たこ焼き、たこ焼きーと先を歩く結衣についていきつつふと思う。結局、あいつ何者?

 

 

 

 東京湾に日が沈み、花火の打ち上げまではあと少しだろうというその頃。俺と結衣は未だ会場をさまよっていた。

 

「シートもってきてたんだけどな。こりゃ立って見てるしかねーか」

 

「う、うぅ。ごめん。あたしがいつまでも型抜きやってたからだよね。ほんと、ごめん」

 

 落ち込む結衣の頭に手をのせ、ぽんぽんと叩くように撫でてやる。

 

「ばか。そんなんは誤差だよ誤差。きっと座ってる人たちは、俺たちが屋台まわってる時よりも前から場所取りしてたんだろうしな。別にお前が気にすることじゃない」

 

「……ありがと」

 

「ま、もうちょっとだけ探してみるか。俺は立ったままでも平気だけど、結衣は辛いだろうしな。最悪有料のとこでもいいだろ。俺がだすし。ほら、行こうぜ」

 

 え、悪いよと固辞する結衣の腕を引き、有料エリアへと歩く。

 結衣が気づかせないようにしてるからなにも言わなかったが、慣れない下駄で辛そうにしていた。場所を探して歩き回るのも限界だろうし、金で解決できるならそれにこしたことはない。

 ロープで区切られた有料エリアにたどり着き、さて受付はとあたりを見回していると声を掛けられる。

 

「あれー? 比企谷くんじゃん」

 

 振り返ると、えらい美人がそこにいた。

 



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13-2

 振り返った先にいた陽乃さんに連れられ、有料エリアの中に入る。

 

「父親の名代でね、ご挨拶ばかりで退屈してたんだ。いやー比企谷くんが来てくれてよかったー」

 

 名代、ね。陽乃さんのその言葉ですべてが繋がった気がした。

 名代としてこの場に陽乃さんいる。それは陽乃さんが県議である父親の代理として、十分に周囲から認められているということだろう。そうでもなければ妻である母親や秘書など、確かな立場にある人がこの場にいるはずなのだから。

 このことを踏まえて考えると、雪ノ下家は県議の後継ぎである陽乃さんの背を雪乃が追うことを望んでいない。と、こんな答えがでる。

 そりゃあそうだ。どう考えても、雪乃は県議のような仕事に向いている性格ではない。社交性が無いってのもあるが、清濁併せ呑む必要もある政治の世界において、あいつの真っ直ぐな性格、正義感は邪魔になるだけだろう。そりゃー母親も心配して、進路とかに口出しするわ。姉の背を追いかけて努力し、例え追いつけたとしてもその先には何もないのだから。

 つーか、雪乃が決めた進路、京大の経済学部ってのはきっと母親も渡りに船だったろうな。陽乃さんが県議の跡継ぎってことは、会社の方は雪乃が継ぐことになるんだろうし。そう考えると、俺のペーパーカンパニー設立に向けた進路も無駄じゃなかったな。なんで雪乃が経済学部に進学を決めたかまではわからんが、京大を目指すことにしたのは俺が理由らしいし。

 

「まあまあ二人とも、まずはお座んなさいな!」

 

「あ、どうも」

 

 ニコニコ笑う陽乃さんに促され、二人で椅子に座る。県議のために用意された席だけあって、ここからなら花火がよく見えそうだ。

 

「うわー、すごいいい席。セレブだ……」

 

 俺の隣で結衣が感嘆の声を漏らす。それが聞こえたのか、陽乃さんがふふと微笑む。

 

「まぁね、知ってるでしょ? わたしの父の仕事。こういう自治体系のイベントには強いの」

 

「県議って、市にも強くでられるんですね」

 

「お、さすが比企谷くん。めざとーい。でも、これはどちらかというと県議っていうよりは会社のほうかな」

 

 でも、陽乃さんが名代なんですよね?とは問わない。

 あらかた雪ノ下家の問題――いや、雪乃が思い悩んでいたことと言ったほうが正しいか――は把握できた。しかし、言葉尻をとり、答え合わせをする必要などない。陽乃さんも、そして母親も雪乃を厳しくも優しく見守っていた。それに気づけなかった雪乃はもういないのだから。雪乃は家族の優しさに気づいた。俺にはそれだけで十分だ。

 そんなことを考えていると、一発目の花火が打ち上げられる。

 色とりどりの大輪の華が、音楽に合わせて夜空に咲き誇る。

 えっと、確か白はアルミで、金はチタンだったかなー。そんな風情もへったくれもないことを考える俺の隣で結衣が感動を露にする。

 

「すごい……綺麗……。ゆきのんもこれたらよかったのに」

 

「こういう外向きのことは長女であるわたしのやることだし。言ったでしょ、父の名代。別に遊びにきてるだけじゃないんだから。それが昔から母の方針なの」

 

「でも、ゆきのんが来てても問題ないんじゃ……」

 

「んー、そこは母の意志だから、としかね。……それに、わかりやすいほうがいいでしょう?」

 

「確かに二人とも似てるから、一人だけなら間違いようがないですけど……」

 

 さて、この一連の陽乃さんの発言をユキリンガル(ユキは雪乃のユキではなく、雪ノ下家のユキ)を通して聞いてみよう。

 雪乃ちゃんは外向きな性格してないんだから、こういうのはわたしの仕事なの! 雪乃ちゃんが来ても、わたしと比べられて辛い思いするだけだしその方がいいの!

 まあ、こんなとこだろうな。雪乃への愛があふれ過ぎてて軽く引く。

 実際には、それ以外にも陽乃さんを後継者として対外的に広めるためとか、そんな思惑もあるだろうが、それはあくまで県議としての側面だ。雪乃はそちらしか見えてなかったのかもしれないが。

 たぶん、雪乃は家族を家族として見れなかったのだ。県議とか、後継者とか、そんなフィルターを通してしか家族の思いを受け取れなかった。だから彼女は家族の、雪乃への不器用な優しさに気づけなかった。きっと、そんなところだろう。

 

「あのね、うちって母が強くて怖いんだよー。何でも決めて従わせようとする人なの。だから、こっちが折り合いつけるしかなくて、すっごく大変なんだよー。比企谷くんも、そう思うでしょ?」

 

 陽乃さんは俺があの日学校で雪乃に告げた言葉を知っている。その場に居合わせたのだから当然のことだ。そして、その言葉がどういった結果をもたらしたのかも知っているはずだ。

 しかし、それを知っていてなお、あえて母親の印象を俺に尋ねてくる。

 これは確認なのだ。あなたはちゃんと見えているの、と。適当なことを言って踏み込んできただけじゃないの、と。

 なら、俺からの答えは一つ。

 

「強くて、そして優しい母親なんですね」

 

 つーかさ、ちゃんと話し合えばいいと思うのは俺だけだろうか。特に母親。

 支配とか、所有欲とかそんな風に自分の思いが受け止められてるのは知ってんだろうからさ。

 雪乃と陽乃さんは別の人間だって、他人がなんと言おうと、どう比べようとちゃんとわかっているって、だから無理に陽乃さんの背を追いかける必要なんてないって。そう言ってやればいいのに。

 

「……そっか。比企谷くんは……ちゃんと気づいたんだね」

 

「まあ、確信を持てたのは今日ですけどね」

 

 顔を伏せ、弱弱しい声で陽乃さんは話し出す。

 

「そう……。すごいね、比企谷くんは。わたしたちがずっとできなかったのに、雪乃ちゃんに気づかせちゃうんだもん。雪乃ちゃんに嫌われても、いつか分かってくれるって、そう思って頑張ってきたけど。全部……無駄だった、のかな……」

 

「いや、無駄じゃないでしょ」

 

 俺の言葉に、陽乃さんは顔をぱっと上げ俺を見る。その顔には、いつもの笑顔も、時折みせる厳しい表情もなく、今まで見てきたどの陽乃さんとも違ったものだった。

 

「あいつが、雪乃が俺の言葉で気づけたっていうんなら、それは陽乃さんや雪乃の母親がいたからだと思います。陽乃さんたちがいなかったら、雪乃の選んだ道が少しでもずれていたら、俺と雪乃は出会わなかった。なら、今を形作った陽乃さんたちの思いは絶対に無駄じゃない。俺はそう思います」

 

 陽乃さんたちの不器用な優しさがあって、初めて雪乃の今がある。もしかしたら雪乃は総武高に進学してこなかったかもしれない。もしかしたら奉仕部なんてつくらなかったかもしれない。そんな沢山のもしを作り上げたことは絶対に無駄じゃない。

 

「陽乃さんたちの不器用な優しさがあって、俺と雪乃は出会った。そのことに感謝はしても、無駄だったなんて絶対に言いませんよ」

 

「そっか……。ありがとう、比企谷くん」

 

 陽乃さんはすこしだけ微笑む。俺の思いがどれほど伝わったのか分からない。だが、多少なりとも伝わったのだと信じたい。

 

「つーか、雪乃もだけど、陽乃さんって器用そうに見えて意外と不器用なとこありますよね。そういうとこ可愛いと思いますよ」

 

「な、なによ、急にー! そんなことで可愛いって言われても全然うれしくないからね!」

 

 頬を膨らませ、陽乃さんが言い返してくる。よかった、いつもの彼女だ。

 その後も、ことあるごとに可愛い可愛いと陽乃さんをからかった。まあ、陽乃さんの考えを俺がちゃんと見抜けなかったからとは言え、恥ずかしい思いをしたのは確かだ。少しぐらいやり返してもいいだろう。だが、少しやりすぎてしまったようで、最終的に、

 

「もー! お姉ちゃん、怒ったから! そんな意地悪する比企谷くんに、かわいい雪乃ちゃんはあげません!」

 

 と、言われてしまった。

 それに対して、

 

「あげないって言われても、欲しくなったら力ずくでも奪いにいきますよ。雪乃もそれを望むなら」

 

 と、かっこよく決めてみた。まあ、欲しくなる予定は今のところない。それに、雪乃も望んだりしないだろう。言うだけならタダだ。

 

 

 

 

 さて、そんな花火の帰り道である。

 ちなみに、あの後俺と陽乃さんとの間にまともな会話は成立しなかった。俺が何を言っても陽乃さんは「ツーン」としか返してこず、ずっと俺を挟んで結衣と楽しくおしゃべりしてた。

 ……あんた、結衣を警戒してたの忘れてね? 学校で会ったとき、雪乃を裏切らないでいてくれるかって、めっちゃ警戒してたじゃないですかー。

 いや、会話に混ぜて欲しかったわけじゃないけどね。おかげでじっくり花火をみれて、花火の良さに気づけたし。ありゃーただの炎色反応じゃねーわ。職人の魂を感じた。あの綺麗な同心円とか、どのぐらいの年月を費やして手に入れた技術なのかすげー気になるし。あ、結局人と違う花火の楽しみ方だな。

 

「いやー、ヒッキーかっこよかったー! 力ずくでも奪いに行くとか、ゆきのんが聞いたら喜ぶと思うよー!」

 

「いや、なんでだよ。喜ばねーだろ」

 

 雪乃と俺の関係は友達であり、それ以上のものはない……と、俺は思っている。

 ぶっちゃけ、俺は友達いたことがねーからな。雪乃の俺への態度が、友達のそれなのか、それとも違うのか判断できないでいる。

 

「えー。喜ぶと思うけどなー。だってさ、ゆきのんってヒッキーといるとすっごい楽しそうだもん。それでね、ゆきのんが楽しそうだと、あたしもすっごい楽しい」

 

「……楽しそうってのがなんで喜ぶに繋がるのか全然わかんねーし」

 

「ヒッキーはさ、ゆきのんといて楽しくないの?」

 

「楽しいっちゃー楽しいけどな。でもそれ以上にあいつが気になる。なんだろうな。ついつい気にかけちまうんだよなー」

 

「ねぇねぇ! それってラブ? ラブなの?」

 

 結衣は目を輝かせ、グイーンと俺に顔を寄せる。

 

「ちげーよ。なんだろうな。小町を見てるみたいってのが一番近いのかのかもな。少なくともラブではないと思う」

 

「違う」

 

 俺が言うと、結衣が少し表情を曇らす。

 

「違うよ。絶対に違う。ヒッキーはさ、小町ちゃんといる時も楽しそうだけど、ゆきのんといる時は全然違う顔してるし。だから、絶対に違う」

 

「そ、そうなのか?」

 

「うん。ねえ、ヒッキー。ゆきのんのこと、ちゃんと見てあげて。ゆきのんと小町ちゃんは違うんだって、ちゃんと気づいてあげて」

 

 いつもとは違う真剣な表情でそう語る結衣に、俺は頷く他なかった。

 違う、ね。俺は他人に向ける感情を小町とそれ以外という二種類しか持ち合わせていない。だからこそ、雪乃に向ける感情を小町へと、妹へと向ける感情として分類した。

 だが、それが違うのだとすれば。小町と雪乃とそれ以外という三種類となった時、俺は雪乃への感情をどう分類すればいいのかわからない。

 

「わかった。お前がそういうなら、俺もちゃんと考える。考える時間ならいくらでもあるしな。なんせ、家からでねーし」

 

 俺が雪乃の気づけなかったことに気づけたように、俺に気づけなかったことを結衣は気づいたのだと思う。

 そして結衣の、俺にもそれに気づいて欲しいという思いを、俺は無駄にしたくない。

 

「うん。ちゃんと考えてね。サボってたら、おしおきだかんね!」

 

「お、おぅ」

 

 自分を見て、自分の気づかなかったことを気づかせてくれる存在。そんなものを友達と呼ぶのなら。こいつは、由比ヶ浜結衣は、俺が気づかぬうちに友達になっていたのかもしれない。

 小町と雪乃とそれ以外。その三種類に友達という項目を加えて四種類にする。少しだけ、世界が広がった気がした。



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14-1

 夏休みも終わり、二学期が始まった。季節は秋。全国的に文化祭の季節である。

 台風一過の翌日、俺は一人部室で目を覚ました。部室で雪乃や結衣と昼食をとった後、どうやら寝てしまっていたらしい。

 台風の影響で学校が休みになる、もしくは遅刻しても問題無いと予想し徹夜で勉強していたのだが、予想外に速度を速めた台風は俺の思惑など知らぬとばかりに太平洋へと消えていった。そのため、俺は寝不足のまま登校するはめになったのだ。まじ空気よめよ。台風だけに。

 まあ、どうせ五限はLHRだったはずだし、文化祭のあれやこれやを決めるだけなのでサボっても問題は無いんだがな。

 そう思いつつ部室を後にし、教室へと戻った俺は衝撃の事実を目の当たりにした。

 

 文化祭実行委員:比企谷八幡

 

 驚愕の事実に思わず動揺してしまう。俺の退屈な日常を消失させたのはいったい誰の陰謀によるものなのか。これから訪れるであろう様々な厄介ごとに憤慨する気にもなれず、憂鬱な溜息をもらす。煽りに煽り暴走させ、クラスを分裂させてでも取り消させるべきだろうか。

 

「説明が必要かね」

 

 そんなことを考えていると、後ろから声を掛けられる。

 

「平塚先生の陰謀でしたか」

 

「もう次の授業だと言うのに、まだ誰が実行委員をやるのかグダグダやっていたのでな。だから、比企谷にしておいた」

 

 もはや、意味不明である。

 

「……クラスを引っ張っていく立場とか、俺には不釣合いだと思うんですが」

 

「集団心理を誘導してやればいい。君が千葉村でそうしたようにな」

 

 実例を持ち出されてしまうと、返す言葉も無い。出来るんだから、やれ。端的に言えばそういうことだ。

 

「……なんて日だ」

 

 俺ががっくりと肩を落とすと、それを肯定と受け取ったのか平塚先生が笑みをこぼす。

 

「わかったならいい。さて、あとは放課後にでも決たまえ。授業が始められん」

 

 

 

 

 放課後の教室は紛糾していた。

 女子の実行委員を決めればいいだけなのだが、全く決まる気配が無い。まあ、それも当然だろう。なんせ相方が俺なのだ。クラス内に全くといっていいほど溶け込んでおらず、そもそも会話が成立するかすら怪しい。そんな人間と組もうなどとは普通は思わないだろう。あんたやりなよー、えーでもーみたいな会話があちこちで聞こえてくるだけでなく、時折ちらりとこちらに視線を向けるのも見える。クラスの女子から注目されるという、かつてない状況にかなり居心地が悪い。

 俺が実行委員だから決まらない。決まらないから帰れない。いい加減面倒になった俺はある提案をしてみることにした。

 

「葉山。お前、俺と実行委員変われよ。クラスで人気者のお前が実行委員やれば、立候補者もでてくんだろ。どうせ平塚先生に押し付けられただけだし、俺は責任から逃れられて、女子の実行委員も決まりやすくなる。んで、お前は実行委員の実績によって内申点が上がる。いいことずくめじゃないか」

 

「いや、それはどうなんだいヒキタニくん。一度決まったことを蒸し返すのはよくないんじゃないかな?」

 

「いいじゃんいいじゃん、プップクプー」

 

「ダメだよ、ヒキタニくん!」

 

 俺と葉山の会話に割り込んだのは海老名だった。

 

「隼人くんにはクラスの出し物で大事な役をやってもらうつもりなんだから! それとも、変わりにヒキタ」

 

「すまん、葉山。今の話はなかったことにしてくれ」

 

 俺の葉山にすべてを押し付けよう作戦はあっという間に頓挫した。

 クラスの出し物とは星の王子様の演劇だ。それだけで見れば普通の、極々一般的な高校生らしいものに思えるだろう。……監修が海老名でさえなければ。

 企画書の段階からすでに腐ったオーラを撒き散らしていたそれ。確かに配役から葉山が外れることは無いだろう。そういや、葉山を筆頭とした人気キャストで完全舞台化!とか書いてあったな。そりゃー無理だ。

 

「じゃあさ。結衣、お前実行委員やってくれよ」

 

 クラス内で俺と会話が成立する女子は四人。結衣と三浦と海老名、そして沙希だけだ。その中なら結衣が妥当だな。ちなみに、会話が成立する人数ってのは、同時に俺が名前を把握している女子の数でもある。

 

「え、あたし? んー、別にいいけど。でも、あたしにできるかなー?」

 

「正直、由比ヶ浜さんがやってくれると助かる。人望あるし、クラスをちゃんとまとめてくれると思うし、適任だと思うんだけど」

 

 俺の提案を、今までクラスをまとめようと四苦八苦していたルーム長が後押しする。

 

「ダメだし!」

 

 今度は三浦から待ったの声が掛かる。

 

「結衣はあーしと一緒に客呼び込む役だから無理っ!」

 

 拒否の言葉とともにルーム長をキッと睨む。そんな三浦の視線に今までクラスをまとめきれなかったルーム長が耐えられるはずもなく、

 

「そ、そーだよね。呼び込みも大事だしね」

 

 速攻で日和った。

 

「そーそー、呼び込みも重要、って、あたしいつの間にか呼び込みやるって決まってたんだ!?」

 

 海老名が超監督である以上、おかん三浦がそのサポートから外れるわけがないわな。呼び込み役なら当日までたいした仕事はないだろうし、存分にサポートに回れる。んで、三浦の中では結衣も一緒にサポートしてくれるもんだと思っていたと。

 

「えっ? い、一緒にやんないの? なんか違った? あーしの早とちり系……?」

 

「いや、俺が忘れてただけだ。すまんな、三浦」

 

「だ、だよね! ヒキオ、忘れんなし!」

 

 予想外に狼狽する三浦に軽いフォローを入れる。脳筋だけあって立ち直るのも早い。

 

「つーかさ、葉山。これ、どうしたらいいと思うよ?」

 

 結局、俺と会話できる女子が実行委員にはなれないことがわかっただけだ。ちなみに沙希は最初から勘定にいれてない。大志がからまないのに、あいつが首を縦に振るとは思えないからな。

 

「こうなったらさ、実行委員になった女子には葉山との一日デート券を進呈しようぜ。そうすりゃすぐ決まりそうだし」

 

「……だからなんでヒキタニくんは俺を巻き込もうとするかな。ヒキタニくんとのデート券すればいいじゃないか」

 

 それはな、お前が俺とは仲良くなれないと宣言したからだ。俺が葉山とどういう関わりかたをしようとも、俺たちの間に友情とかそんなもんが生まれることはない。それがわかってるから適当に巻き込める。恨むなら、己が発言を恨むがいい。

 

「却下だ。お前なら兎も角、俺とデートして喜ぶやつなんていねーだろ。つーか、お前も案出せ案」

 

「そんなことも無いと思うけどな……。そうだな、リーダーシップを発揮してくれそうな人にお願いしたいってことでいい?」

 

 これ以上巻き込まれては適わんと、そう思ったのかどうかは定かではない。ないのだが、葉山はどういった人物が相応しいのかルーム長に確認をとりだす。

 

「したっけ、相模さんがいいんじゃね?」

 

「だな。相模さん、ちゃんとやってくれそうだし」

 

 クラスの視線が一斉に相模とやらに向く。相模を知らない俺は、そんな視線の移動に遅れる。

 

「う、うち? うちにできるかなぁー。ぜぇったいに無理だぁってぇっ!」

 

 視線の先には顔の前で手を振る女子がいた。若干、どこかで見たことがある気もする。まあ、クラスメイトだし当然か。

 

「相模さん、そこをなんとかお願いできる?」

 

「……まぁ、他にやる人がいないなら仕方ないと思うけど。じゃあ、うちやるよー」

 

 葉山が駄目押しとばかりに頼みこみ、相模とやらが許諾する。

 もうさ、最初から葉山が仕切ればよかったんじゃね。

 

 

 

 

 さて、その日の放課後の奉仕部の日常である。

 

「えー、ゆきのんも実行委員なのー? あたしも実行委員になればよかったしー!」

 

 偶然にも、雪乃も文化祭実行委員に選出されていた。つまり、奉仕部の中で結衣だけ仲間外れということだ。

 早速、今日文化祭実行委員会が執り行われたため、可愛そうなことに結衣は一人部室で留守番することになってしまった。

 

「まあ、結衣には海老名のサポートって大事な役割があるんだから仕方ないだろ」

 

「そうだけどさー。でも、それだと部活が……」

 

 今日一人で留守番していたことからわかるように、これから先文化祭が終るまでは奉仕部の活動をしづらくなるだろう。雪乃のことが大好きな結衣としてはそれがご不満なのだ。

 

「そのことだけど……。由比ヶ浜さんに留守を任せてしまうのも悪いし、文化祭が終るまでは部を休止しようと思うのだけれど」

 

「そうだな。そのほうがいいかもな」

 

「えー! やーだー!」

 

 雪乃が言いづらそうに休止を告げ、俺はそれに賛同する。だが、結衣がそれに否を唱える。お前さ、雪乃だって進んでこんなこと言ってんじゃないんだぜ? 顔見りゃそんぐらいわかんだろ。

 俺が結衣を諌めるべきか迷っていたちょうどその時、部室の扉をノックする音が聞こえてくる。

 

「どうぞ」

 

 腕にすがりつく結衣を、雪乃が優しく振り払い返事をする。

 

「失礼しまーす」

 

 入ってきたのは俺が今日初めてその存在を認識した女子生徒だった。

 相模なんとか。今日行われた文化祭実行委員会において、委員長として立候補したやる気に満ち溢れた女子だ。クラスではやりたくないみたいなことを言っていたはずなのに、実際委員会が始まると委員長に立候補した。その姿勢が俺には理解できず印象的だった。

 

「さがみん? どしたの?」

 

 さがみん。その呼び名はどこかで聞いたような……。

 

「さがみんって、あの花火大会であった女子のことか?」

 

 聞こえないよう小声で結衣に聞いたつもりだったのだが、さがみんこと相模にはしっかり聞こえてしまったようだ。

 

「……比企谷くん、うちのこと知らなかったんだ」

 

「す、すまん。よっぽど強い印象がないと覚えられないたちなんだ」

 

 国立とか、黒パンツとか、腐ってるとか、脳筋とかな。

 

「比企谷くんへの制裁は後ほどこちらで済ませておきます。それで、相模さん。なにかご用かしら」

 

「あ……。急に、ごめん、なさい」

 

 制裁という言葉に身じろいだのか、相模は語尾を正す。

 

「うち、実行委員長やることになったけどさ……。こういうの自身ないっていうか、だから助けてほしいんだ」

 

「やめとけ。つーか、そもそも奉仕部員三人のうち二人が文化祭実行委員なんだ。わざわざ頼まれなくても助けるに決まってんだろ」

 

 相模の言葉に雪乃が食い付く前に助け舟を出してやる。

 確かに俺はやる気に欠けるが、積極的に関わろうって気が無いだけで与えられた仕事はちゃんとやるつもりだ。雪乃がどうかまでは知らないが、あいつだってあからさまにサボったりはしないだろう。つまり、相模の依頼はまったくの無意味ってことになる。まあ、結衣にも協力してもらいたってんなら話は別だが。

 

「そうなんだけどぉ、やっぱみんなに迷惑かけたくないっていうか、失敗したくないじゃない?」

 

 俺の優しさに気づくこともなく、相模はなおも食い下がる。そして、それを見逃す雪乃ではない。

 

「つまり、私たちであなたの補佐をすればいいということになるのかしら?」

 

「うん、そうそう」

 

 雪乃からの許諾の言葉に、相模が明るく頷く。……それが自身への死刑宣告だとも気づかずに。

 俺が相模の立場なら、絶対に奉仕部に依頼などしない。なぜなら、雪乃がこういったときどのような案をだすのか知っているからだ。

 戸塚の依頼を思い出してもらえば判る通り、雪乃の出す案はひたすら熾烈なものだ。たぶんこれから先、相模に気の休まる暇など無いだろう。雪乃の言う補佐とは、相模の仕事の補佐という一般的な意味では決してない。相模が仕事をこなせるように、地獄の特訓を強いる補佐なのだ。

 

「そう……。なら、私たちは全力を持ってあなたを補佐します」

 

「本当に!? ありがとー!」

 

 死刑宣告が下されたのだと、いつ相模が気づくのかはわからない。せめてそれまでの、つかの間の平穏を楽しんでくれ。

 じゃあ、よろしくねー!と軽い言葉で別れを告げ、相模が立ち去る。残されたのはいつもの奉仕部員三人だけである。

 

「さて、比企谷くん、由比ヶ浜さん。話は聞いていたわよね?」

 

 そして、相模の処刑方法を決める会議が始まる。ちなみに、雪乃はこれ以上ないほどの笑顔だ。よっぽど部活を休止せずにすんだのが嬉しいんだろうな。相模には気の毒だが、雪乃が笑顔でいれるなら必要な犠牲と割り切ろう。

 

「え、あ、うん」

 

「俺と雪乃で副委員長って立場になるのが収まりがいいだろうな。そうすりゃ結衣も……」

 

「そうね。私もそう思うわ」

 

 雪乃とともに結衣を見る。

 

「え、どしたの? あ、あたしどうかした?」

 

 俺たちの視線の意図を掴めないのか、結衣がオロオロしだす。簡単な答えのはずなのに、なんで出てこないかなあ、お前は。

 

「俺と相模が文化祭実行委員会にかかりっきりになると、クラスとの連絡が疎かになる。だが、それは出来れば避けたい事態だ」

 

「だから、由比ヶ浜には彼らとクラスの橋渡しをお願いできるかしら? 当然、奉仕部の活動の一環としてね」

 

 俺たちの言葉を飲み込むのに時間がかかるのか、しばしポカーンとした顔をする結衣。だが徐々に消化し始めたのかその顔が少しずつ笑顔に変わる。

 

「うんっ! まっかせてよねー!」



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14-2

 俺と雪乃が文化祭実行委員副委員長に就任したことは、日を置いて開催された定例ミーティングで発表された。

 他の文化祭実行委員からは概ね好意的に受け入れられ、寧ろ陽乃さんをしる生徒会長や教師陣からは待ち望まれていたと言ってもいい。……雪乃は。

 一方俺はと言うと、「え? 何でこいつが?」と言った印象がほとんどだった。まあ、どうでもいいんだが。

 就任すると早速俺たちは仕事を開始する。相模が望んでいたで補佐としてではなく、雪乃流の補佐の仕事を。

 まずは過去の資料を読み漁るところから始めさせ、各部署の役割や関連性、問題点の洗い出しからその対応策を厳しく指導。最終的には文化祭までの予定を新たに斬りなおして委員会への周知徹底、各部署に進捗状況を日報として提出させ、それをチェックさせるところまでやらせた。

 つまり、俺たちが就任するまでと就任してからでは、委員会はまったくの別物になったと言っていいだろう。ちなみに相模は泣きながらやっていた。自分で選んだことだから同情はしない。まあ、同情ではないが雪乃からの鞭ばかりではなく、物理的に飴を与えてもいいだろうと俺のお手製スイーツを食べさせたりはした。……さらに号泣されたけど。

 ちなみに相模の成長の一例を上げると、宣伝広報がポスターの掲示場所が無いと報告すれば、地図上の動線と交通量、そしてその近隣の商業施設の洗い出しを指示し、有志統制が参加団体が少ないと報告すれば、会計監査と連携して費用を捻出し、地域賞を創設し賞品をだす。

 このぐらいの指示が出せるぐらいには成長した。涙の数だけ強くなれるってのは本当だったんだな。

 

 そうした中で、何度目かの定例ミーティングが相模の号令の下開催される。

 

「じゃあ、宣伝広報からお願いします」

 

 相模の進行で会議は進められる。指名された宣伝広報の担当がすっと立ち上がり報告を始め、俺と雪乃は相模の隣に座り、相模を見守る。

 

「掲示は予定された七割を消化し、ポスター製作もだいたい半分終っています」

 

「……少し遅いですね」

 

 広報担当のぬるい報告に、相模がピシャリと言い放つ。

 

「文化祭は三週間後なんですよ? 来客が今後予定を立てることも考えるともう終ってないといけないはずです。掲示場所への交渉も含め大至急終らせてください。それと、ホームページに文化祭の特設ページを作る件はどうなっていますか?」

 

「まだです……」

 

 相模の指摘が予想外だったのか、目に見えて暗い顔になる広報担当。いや、俺と雪乃で指導してるんだからこんぐらい普通だからな。なんであんなぬるい報告で許されると思ったのか疑わしくなるレベル。

 

「なら急いでください。社会人はともかく、受験を予定する中学生やその保護者が定期的にチェックしていることは、例年のアンケートからもデータが出てますので。今後は日報にてそのあたりの進捗状況も報告してください」

 

 厳しい指示を出し終えると、相模は俺と雪乃の顔を伺う。俺と雪乃は笑顔でそれにうなずいてやる。

 今回、俺たちから相模にはなんの指示もだしていない。これは相模の卒業試験なのだ。これに合格して初めて俺たちは本来の補佐の仕事に入り、相模は雪乃の指導という地獄もかくやといった状況から抜け出せるってわけだ。

 その後も相模の進行の下会議は進む。有志統制、保健衛生、会計監査と順番に報告していき、その全てに相模は詳細な確認と厳しい指示を飛ばしていた。

 

「最後に、記録雑務お願いします」

 

「特にありません」

 

 報告を聞き、相模は俺たちの顔を見る。だが、俺たちはそれになんの反応も返さない。それを、さすがにこの報告に指示をだす必要は無いと受け取ったのか、相模は会議を終らせようとする。

 

「では、今日はこの辺で……」

 

「当日のタイムスケジュールと機材申請を提出してください。機材には限りがあるので、特に、有志のほうも撮影するつもりなら、有志統制と連絡を取り合えるようにしておいて下さい。当日になってから機材が足りなくて撮影できません、なんて状況は避けたいので」

 

 が、駄目。俺から落第印という無慈悲な鉄槌が飛ぶ。

 

「それから……、来賓対応は生徒会でいいですか?」

 

 さらに、雪乃がダメ押しする。相模があっと声を上げるももう遅い。

 

「うん。それで大丈夫だよ」

 

「では、それでお願いします。それと、事前に来賓リストを受付の方に回しておいて下さい」

 

「はい、了解」

 

 生徒会長は快く頷く。

 そして、ぽつりと感想をもらした。

 

「やっぱりすごいね……、雪ノ下さんは。さすがはるさんの妹だ。それと、比企谷くんも」

 

「いえ、まだまだです」

 

「ええ、本当に。今後の課題も見えてきましたし。それに……、まだまだ相模さんに甘かったのかもしれません」

 

 俺たちの言葉に生徒会長は苦笑する。まあ、相模泣きそうになってるしな。それなのに甘いとか言われたら、そりゃー苦笑しかでないな。

 ちなみに雪乃の言う今後の課題とは、ぬるい報告をしてきた各部署担当のことだ。相模の指導が終了すれば、今度は彼らが相模のようになるのだろう。アーメン。

 

「委員長、号令を」

 

「……これで会議を終ります。皆さんお疲れ様でした。明日からもよろしくお願いします」

 

 俺が促し相模が終了の号令を出すと、委員たちは散り散りに去っていく。会議室に残されたのは俺と雪乃、涙目の相模と三人だけ。

 

「さて、相模さん」

 

 雪乃が笑顔で相模の肩に手を置くと、相模は「はいっ!」と姿勢を正す。

 

「少し……、お話しましょうか」

 

 言って、雪乃は相模の腕を引き奉仕部部室という名の説教部屋に連行しだす。その姿はさながら悪魔から魔王にクラスチェンジをとげた某戦技教導官のようであった。

 

「相模!」

 

 俺が声を掛けると、相模は縋る様な視線で俺を見る。

 

「今日、マカロンあるから」

 

「……どうして、マカロン?」

 

 綺麗な色のだけだから安心してくれ。

 

 

 

 さて、相模が俺のマカロンに涙した翌日の放課後である。

 二年F組では超監督海老名がハッスルしていた。

 

「ちっがーう! ビジネスマンのネクタイの取り方はもっと悩ましく! なんのためのスーツだと思ってんの!」

 

「だよな。一気にとるとか風情がねーよ。まずは一旦少し緩めるに留めるべきだ」

 

「だよねだよね! さっすがヒキタニくんわかってるー! いっそのことヒキタニくんが」

 

「俺、副委員長だから」

 

 今日は定例ミーティングが無いため、俺はクラスに顔を出し海老名とともに演技指導を行っていた。結衣だけにクラスのこと任せるのも悪いしな。

 

「ちょっと休憩! ヒキタニくんちょっといい? まだ、時間あるよね?」

 

「ああ、まだ平気だけどどうした?」

 

「ちょっと腐力が足りなくてね。ヒキタニくんから腐力をわけてもらおっかなーって。少しお話しよ」

 

 少しお話しよ。その言葉は昨日雪乃が相模に向けて放った言葉と同じだが、その意味合いは大きく違う。片や説教、片やBL談義。どうして差がついたのか……慢心、環境の違い。

 以前、BL談義に付き合う約束をしたことを思い出し、海老名としばしの歓談を楽しむ。その結果、彼女の腐力は大いに高まり、かの朝倉葉王にも匹敵するほどとなった。今の彼女ならグレートスピリットすらオーバーソウルできるだろう。

 

「前から思ってたけど、ヒキタニくんって私のこと否定しないよね。なんで?」

 

「腐ってることか? 別に、否定しなきゃいけないようなことでもないだろ」

 

 急に真剣な顔つきになり、意外なことを聞いてくる。

 BLはファンタジー。日本一有名かもしれない腐女子はそう言った。俺もそう思う。

 つまり、彼女たちにとってBLは御伽噺と同じなのだ。自分とは一線を引かれた空想上の世界。なら、BLで妄想するのは子供がごっこ遊びするのと同じことだろう。

 

「普通はさ、気持ち悪いとか、引いたりするもんなんだよ」

 

「……普通じゃないのは理解してたつもりだが、その線引きで区別されんのはなんかいやだな」

 

 BLでわかる一般度とか、すげー泣ける。

 俺が顔を顰めると、そんな俺を見て海老名がクスクスと笑う。

 

「褒めてるんだよ。そんなヒキタニくんだから、一緒に話してるとすごい楽。誰にも理解できないし、理解してもらおうとも思ってなかったけど。そんなふうにされたら、思わず惚れちゃいそうになるぐらいだよ」

 

「……そんぐらいBLが好きって受け取ればいいんだよな?」

 

 BLとは、海老名にとってそれほど大きなものなのだ。人に好意を向ける基準となるほどに。

 そう言いたいんだよな? BLを認めてくれるから好きとか言われても反応に困るぞ?

 

「正直、俺は海老名が羨ましいよ。今まで胸張ってこれが好きだと言えるものなんて持ったことないからな」

 

 自分の外の世界に好きなものを、大切なものを俺は持ったことがない。もしそんなものがあれば、俺はそれに縛り付けられてしまうだろう。外の世界と、一人であろうとする自分とを。故に持たない。持てない。

 だから俺には、例えマイノリティーな趣味とは言え好きなものを好きだと胸を張って言える、そんな海老名の姿が眩しく見える。

 

「そうかな? ヒキタニくんが気づいてないだけで、もう大切なものもってると思うけど。例えば……、隼人くんとか!」

 

「ねーよ」

 

 隼人くんのところで顔を寄せてくる海老名をペシと叩く。

 つーか、なんでよりによって葉山なんだよ。ほんと、勘弁してくれ。

 

 その後、沙希が裁縫スキルという意外な才能の所持者だと発覚したり、委員会に行きたくなさそうにしていた相模に海老名の腐力向上をまかせたりして俺は教室を後にした。

 沙希は兎も角、相模がなかなかの腐力持ちだというのは正直意外だった。クラスの出し物のために勉強したとは言っていたが、「攻めの反対は?」という質問に即答で受けって答えたら意味ないと思うけどな。

 クラスの中心では相模と海老名がぐ腐腐と笑い、それを三浦が半ば諦めた目で見つめる。まあ、昨日のこともあるし、相模にも息抜きは必要だろう。んで、それは三浦たちに丸投げする。三浦のおかん体質は超高校級だし相模一人の面倒見るぐらい余裕だろ。

 相模たちの姿を横目に、教室を出ると葉山とぱったり出くわす。

 

「今から文実?」

 

「おう。お前は?」

 

「なら、ちょうどよかった。有志団体の申し込みに書類を取りに行こうと思ってたんだ」

 

「お、参加してくれんのか。お前が参加してくれんなら集客見込みも増えそうだ。そうすると、タイムスケジュールとスタッフの割り振りを見直ししなきゃか……」

 

 葉山の参加とそれに伴う仕事の増加にある程度算段をつける。息抜き中に仕事が増えるとは……相模、気の毒なやつ。

 

 



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14-3

注意:陽乃が元生徒会長となっていますが、原作では生徒会長をやっていません。修正が難しいため、この世界線ではそうだったということにしておいて下さると助かります。完全に勘違いですごめんなさい。


 会議室につくと、その中の光景は混沌の一言に尽きた。

 笑顔で雪乃に抱きつく陽乃さんとそれをうっとうしそうにする雪乃、その後ろにはオロオロする生徒会長がいた。

 他の委員たちはその状況に対処しかねるのか、副委員長である雪乃に書類を上げようにも近寄ることが出来ず、ただ回りをうろうろしているだけだった。

 

「なんだこりゃ……」

 

 抱きついてるのはまだわかる。雪乃のことが大好きな陽乃さんだからして、嫌われる必要のなくなったかわいい妹を抱きしめたくなったのだろう。そこまではいい。でもなんで陽乃さんがここにいるのかがわからない。

 さてどうしたもんか、と頭を捻っていると陽乃さんがこちらに気づく。

 

「あれ、比企谷くんだ、ひゃっはろー!」

 

 ひゃっはろー。つまり、ひゃっほー+ハロー。なんてこった、陽乃さんはD-HEROデッキの使い手だったのか。いや、あれはイヤッッホォォォオオォオウ!か。

 

「陽乃さん……」

 

「や、隼人」

 

 陽乃さんが手を振ると、葉山もそれに手を挙げ返す。

 

「どうしたの?」

 

「有志で管弦楽でもやろっかなって思ってさ。OB、OG集めてやったら面白いかなって。楽しそうじゃない?」

 

「またそうやって思いつきで行動する……」

 

 なん……だと……。

 陽乃さんの行動を思いつき呼ばわりしている隣の葉山はさておき、これは中々面白い提案だ。

 県議の跡継ぎである陽乃さんとしても母校であるこの学校の繋がりは大切にしておきたいだろう。そしてこの学校の文化祭は例年地域との繋がりを重視している。文化祭を通し、在校生や保護者、そして協賛する地域へと顔を売るにはいい機会のはずだ。そして卒業生が参加するっていう実績を作っておけば今後もそれが望めると。ぱっと思いつくだけでもこれだけ陽乃さんにメリットのある行動が単なる思い付きのはずがない。まあ、それ以外に無理に嫌われる必要の無くなった愛する妹と一緒にいたいってのもあるだろう。むしろそれが九割って可能性まである。

 

「雪乃、どう思う?」

 

 陽乃さんの相手を葉山に任せ、雪乃に提案の是非を問う。

 

「私はいいと思うわ。姉さんも思いつきであんなこと言ってるわけじゃないでしょうし」

 

「だよな。ただ、仕事量が絶望的に増えそうな気がするし、それがネックなんだよな……」

 

「それは私たちが考えても仕方のないことよ。責任者は相模さんですし、彼女の判断に任せましょう。そういえば、相模さんは一緒じゃないのね」

 

「ああ、あいつは……」

 

 昨日の雪乃による説教のため、委員会に行きたくなさそうにしてたから息抜き中とは言えず言葉を濁す。

 

「すみません、遅れました」

 

 タイミングがいいのか悪いのか、そんな中相模がやってきた。

 パタパタと小走りで委員長の席である雪乃の隣に駆けてくる。

 

「はるさん、この子が委員長ですよ」

 

 生徒会長に言われ、陽乃さんはもはや見慣れた視線を相模に向けた。

 ……それ妹の関係者全部に向けるつもりか、あんたは。

 

「……あ、相模南です」

 

「文化祭実行委員長が遅刻? へぇ……」

 

「あ、あの……」

 

「あんた、まだ部外者でしょうが」

 

 相模を威圧し出した陽乃さんの頭をペチリと叩き、彼女の行動をキャンセルしてやる。

 相模がなんで遅れたって、俺がクラスの中心に放り込んできたからなんだからこれぐらいはしてやる。まあ、言い訳されるとそれがばれるってのを避けた可能性も無きにしも非ず。

 ふと、視線を感じ周りを見ると葉山と生徒会長が俺を意外そうな目で俺を見ていた。

 

「はるさんを部外者扱いとか……。比企谷くんすごいね」

 

「ヒキタニくん、陽乃さんによくそんなことできるな。関心するよ」

 

 褒められてるのか何なのかよくわからん。

 

「比企谷くん、いつのまに姉さんとそんなに仲良くなったのかしら? やっぱり首輪が……」

 

 雪乃は雪乃でわけのわからない事を口走っていた。だから首輪ってなんだよ首輪って。

 

「痛いなーもー! お姉ちゃんに暴力とか、関心できないよー比企谷くん! それに、部外者って何さ部外者って!」

 

「何さも何も、まだ委員長が許可をだしてない以上、参加希望者なだけで確実に関係者ではないでしょ。それに、そんなに強く叩いたつもりはありませんよ」

 

 恨みがましい視線を向けてくる陽乃さんに、シレっと返す。

 

「ふーんだ……。えっと、委員長ちゃんにお願いなんだけど、わたしもさー、有志団体で出たいんだよね。でも、雪乃ちゃんにお願いしたら渋られちゃって」

 

「えっと……」

 

 相模が俺と雪乃に視線を向ける。

 

「その人は雪乃の姉で、この学校のOG。さらに言えば元生徒会長だ」

 

「私たちとしては、委員長である相模さんの判断にまかせるわ」

 

 丸投げとも聞こえる俺たちの言葉だが、実際は違う。相模なら正しい判断ができると、そう信頼して任せただけだ。

 そんな俺たちの考えを汲み取ったのかどうかはわからないが、相模は陽乃さんに向き直り、軽く息を吸う。

 

「えっと、雪ノ下さんは元生徒会長とのことですが、他の卒業生にも声を掛けていただけたりはするのでしょうか?」

 

「うん、するよー! ばんばん声掛けちゃう!」

 

「そうですか……。わかりました。有志団体の参加も少なかったことですし、卒業生に声を掛けていただけるなら地域との繋がりもアピールできます。至らぬ点もあるかと思いますがこちらこそよろしくお願いします」

 

「お、ありがとー委員長ちゃん!」

 

 雪乃と二人、参加の許可を出した相模に歩み寄る。

 

「たぶん、仕事すげー増えるぞ。あの人は相模が思っている以上にコネあるからな」

 

「そうね。顔の広いあの姉のことだし、参加する理由を考えると声を掛けられるところには全て声をかける掛けるでしょうね」

 

 俺たちの言葉に、相模は幾分げんなりとした顔をする。だが、

 

「でも、文化祭成功させたいし……。それに、二人とも手伝ってくれるんでしょ? うちさ、最初は全部雪ノ下さんに任せて、自分は楽しよーって思ってた。実際にはそうはならなかったけど……。でも、それでよかったって思える。二人にいっぱい怒られて、泣いたりもしちゃったけど、それでよかったって。あれ、うち何言ってるんだろ。よくわかんなくなってきちゃった……」

 

「……相模」

 

「だから。うち頑張るから。二人ともこれからもよろしくお願いします」

 

 言って、相模は頭を下げる。

 正直、半分ぐらい相模が何を言ってるのかわからなかった。ただ、相模が文化祭を成功させたいと思っているのだけは伝わってきた。

 

「相模さん、私たちは全力であなたを補佐すると言ったはずよ」

 

「ま、元々は文化祭を成功させたいっていう依頼だしな。相模が決めたのなら最後まで面倒みるさ」

 

 相模が顔を上げると、その目には涙が浮かんでいた。ただ、その涙は昨日までのものとは違う。

 

「二人とも、ありがとう」

 

 

 

 

 正直、俺は雪ノ下陽乃を、県議の跡継である彼女を甘く見ていた。もはや嫌がらせかと思えるほどに彼女は地域や卒業生に声を掛け、仕事は日増しに増えていった。

 そうなると、俺と雪乃は相模の指導ばかりやってはいられなくなるわけで、雪乃と相模で全体の大きな問題を対処し、俺は各部署の細々とした問題を潰していくといった体制となっていった。

 そんなとある日。

 

「いやー、今日も疲れたなー」

 

「そうね。姉さんの参加で一気に有志団体の参加が増えたものね。予想していたとは言え、あそこまでとは思っていなかったわ」

 

「二人ともお疲れ様。それに葉山くんも。手伝ってもらって助かっちゃった」

 

「何で俺が手伝わなきゃ……」

 

 一日の仕事が終り、帰り道である。俺と雪乃と相模、それと俺が無理やり手伝わせた葉山と下校していた。元々、葉山は有志団体の参加申請の書類を提出しにきただけなのだが、処理待ちで暇そうにしていたので巻き込んだのだ。巻き込まれたとはいえ、人当たりのいいイケメンである葉山は、嫌そうなそぶりも見せず仕事に取り組んでいた。中々使えるやつだ。

 ふと、そこであることを思いつき葉山を呼ぶ。

 

「葉山、ちょっといいか?」

 

「最近ヒキタニくんに呼ばれると碌なことがないんだけどな……。それで、どうかした?」

 

「お前さ、この後予定ある?」

 

「いや……、別にないけどそれが?」

 

 ないのか。それはそれはよかった。

 財布から野口さんを二人取り出し葉山に握らせる。

 

「あのさ、それ使って相模のこと飯にでも誘ってやってくれないか? 最近仕事増えて愚痴も溜まってるだろうしさ。な、頼むよ」

 

「いや……、ヒキタニくんが自分で聞いてやればいいだろ? なんでそうやって俺に頼むかな……」

 

「俺や雪乃だとあいつも言いづらいだろ? なんせ同じぐらい仕事してるんだからな。クラスメイトでイケメンで人当たりのいいお前なら愚痴も言いやすいだろ。たぶん。知らんけど」

 

「知らんけどって……。いやまあそれそうかもしれないが」

 

 俺が頼みこむも、葉山はなかなか首を縦には振らない。仕方ない、最終兵器を出すとするか。

 

「なら仕方ないか。時に葉山。これ、なにかわかるか?」

 

 鞄から紙の束を取り出し、葉山に見せる。

 

「いや、わからないが」

 

「海老名に頼まれて俺が書いた王子×ぼくの原稿だ。なんでも、演劇を見に来た客に配るらしいぞ」

 

「オーケー。相模さんを誘えばそれを渡すってことだね。わかった、頼まれよう。でも、これは受け取れない」

 

 葉山が金を返してくるも、俺はそれを拒否する。

 

「一度だしたもの返そうとすんなよな。受け取れないってんならあれだ。クラスに差し入れでもしてやってくれ。俺も相模も委員の方に掛かりっきりで顔出せそうにないからな。面倒だし相模の名前で頼む」

 

「あくまで自分の功績にはしないんだな。まあいいさ。わかった。それでいくよ」

 

 俺の提案に意外そうな顔をするも、すぐにいつもの笑顔になり了承する。

 

「相模さん、ちょっといいかな?」

 

「何? 葉山くん。どうかした?」

 

 葉山が相模を誘うのを横目に雪乃を連れ出す。

 

「雪乃、どっか二人で飯食いに行こうぜ」

 

「え、ええ。でも、相模さんたちはいいの?」

 

「相模のことは葉山に頼んだ。愚痴溜まってるだろうし、俺たちに言いづらいことでも葉山になら言えるだろうからな」

 

「そう。なら、行きましょうか」

 

 話がまとまったらしい相模と葉山に別れを告げ、雪乃と二人歩き出す。

 

「それで、どこに連れてってくれるつもりなのかしら?」

 

「そうだな……こないだのパスタの店とかどうだ?」

 

 二人から見えなくなると、雪乃は俺の手を握ってくる。

 そんな俺たちの姿を月だけが見ていた。

 

 

 

 



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14-4

 翌日、相模にえらい勢いで感謝された。興奮する相模の言葉を要約すると、葉山くんとご飯うれしい、クラスの中心うれしい、みたいなことを言っていた。正直、俺としては極々一般的な息抜きとして思いつくものを、雑に周りに放り投げただけなので感謝されても困る。まあ、相模がそれでいいのなら今後もそれで息抜きさせようとは思う。海老名にとっては仲間だろうし、三浦もおかん気質を考えれば相模の現状を言い含めておけば嫌な顔はすまい。ちなみに葉山はどうでもいい。あいつを脅迫する材料などいくらでもあるし、嫌とは言わせん。

 日増しに仕事が増える中、雪乃には緻密に、相模には雑に肉体的にも精神的にもフォローをしていたのだが、一つだけ忘れていることがあった。……自分のことだ。

 彼女たちが気を抜ける時間を作るため、問題があれば潰し、問題が無くても問題になりそうなら潰しと学校中を奔走していたのだが、さすがに無茶をしすぎたらしい。

 

 朝、目が覚めると体調は最悪の極みだった。頭はくらくらするし、正直足元も覚束ない。しかしながら、どんな体調であろうとも俺が休むわけにはいかない。一日ぐらいならと思うかもしれないが、たかが一日されど一日である。

 行きがけのコンビニで最近親友になった眠眠打破でも買うか、などと考えつつリビングになんとかたどり着くと、小町にえらい勢いで心配された。

 

「お兄ちゃんどうしたの? 顔、やばいよ?」

 

「大丈夫だ。問題ない」

 

「それ、完全に死亡フラグじゃん! いつもなら軽快に小町へ突っ込みいれるのにそれもないし……。お兄ちゃん、昨日何時に寝た?」

 

 小町に問われ、昨夜の自分の就寝時間を思い返す。確か昨日は……。

 

「五時だな。最後に時計見たのはそんぐらいだった気がする」

 

「……その前は?」

 

「あー、同じぐらいじゃないか? ちゃんと覚えてないけど」

 

「お兄ちゃん……」

 

 答えると、小町は顔を伏せた。な、なんだ? どうかしたのか?

 

「今日は学校休んで寝てなきゃダメ! 小町、連絡しとくから!」

 

「いや、そういうわけにもいかないだろ。文化祭もうすぐだし、仕事もたまってるしな」

 

「ダメ! お兄ちゃんは文化祭が大事かもしれないけど……小町はお兄ちゃんのほうが大事だよ……」

 

 愛する妹にそうやって涙ながらに訴えかけられると兄としては反論する術をもたないわけで、

 

「……わかったよ。今日は休む。それでいいか?」

 

「うん! じゃあお兄ちゃんは早く部屋に戻って! ハリハリハリー!!」

 

 押し出されるようにリビングから追いやられ、部屋に戻ることとなった。まあ、小町が学校行くまで少し寝て、いなくなってから起きて持ち帰った仕事を処理すればいいか。

 

 

 

 寝苦しさを感じて目が覚めた。布団の中から時計を見れば午後四時。一応目覚ましはセットしておいたのだが、少しだけのつもりがずいぶん寝てしまったようだ。

 さて、寝苦しさの元凶はと腹の辺りを見ると雪乃が俺の腹を枕に寝ているのが見えた。カマクラがのっているとばかり思っていたんだがな。

 

「見舞い、来てくれたのか。ありがとな」

 

 雪乃だって疲れているはずなのにな。それなのに見舞いに来てくれたという事実が胸に染みた。

 感謝の思いを込めて手を伸ばし雪乃の頭をそっと撫でる。さらさらとした髪の感触が心地よい。

 しばらくそうやって雪乃の頭を撫でていると、撫でる俺の手がくすぐったかったのだろうか、雪乃は顔を上げ寝ぼけ眼でこちらを見る。

 

「ひき……が……やくん?」

 

「悪い、起こしたか?」

 

 声をかけるも、寝ぼけているのか返事もせず、俺の顔に手を添える。

 

「ひきがやくんだぁ……」

 

「え……、は? 雪乃?」

 

 そして、そのまま目を閉じ顔を近づけてくる。30cm、15cm、徐々にその距離は近づき、

 

「よっぽど疲れてたんだな。ありがとう、雪乃」

 

 ストンと、俺の顔の横に雪乃の顔が落ちてくる。頬に何か柔らかなものが触れた感触はあったが、掠っただけなのでノーカウントだ。たぶん、雪乃の頬だろうし。

 雪乃を起こさぬよう、慎重に体をずらし布団から抜け出す。そして代わりに雪乃を寝かせてやる。途中ふみゅうとか言って体をよじったりしていたが、布団に入れてやるとそのまま静かに寝入っていった。

 

「さて、仕事やるかな」

 

 もう一度だけ雪乃の頭を優しく撫で、仕事に取り掛かる。ぐっすりと寝れたからか、それとも雪乃が見舞いにきてくれたからか。どちらのおかげかわからないが、随分と頭がすっきりしている。中々仕事が捗りそうだ。

 

 

 あらかた昨日持ち帰った書類を片付け、委員とは別口の作業をし始めた頃、雪乃は目を覚ました。

 

「……不覚だわ」

 

「お、起きたのか」

 

 作業の手を止め、起き上がった雪乃に顔を向ける。

 

「ええ。起こさないように見守っていたつもりだったのだけれど。まさか寝かしつけられているなんて……」

 

「疲れてたんだろ? まあ、そんなこともあるさ。今やってるの終ったら送ってくし、もう少し寝ててもいいぞ」

 

「……学校を休んだあなたが仕事をしている横で暢気に寝ているわけにもいかないでしょう。なにをやっているのか知らないけれど、私がやるわ」

 

 そう言って、雪乃は起き上がろうとする。

 

「ああ、今は海老名に頼まれたBL小説の原稿書いてるだけだ。流石の雪乃でもこれは代われないだろ? だから、おとなしく寝と」

 

「比企谷くん。まさか、あなたそんなものを書いていて体調を崩したなどとは言わないわよね?」

 

 俺の言葉を遮り、雪乃が冷たい声音で問いかけてくる。

 

「……雪乃。確かにお前にとってはそんなものかもしれないが、これは海老名にとっては大切なことで、俺もクラスの出し物の成功のために必要だと感じたから受けたものだ」

 

「勘違いさせてしまったことは謝罪するわ。でも、私が言いたいのはそんなことではないわ。私は、それはあなたが体調を崩してまで書かなければならないものか、と聞いているの。びーえるというものはよくわからないけれど、それが海老名さんにとって大切なものだと言う事は理解しているつもりよ」

 

「……すまん。俺の早とちりだ。でも、」

 

「海老名さんだって、そんなことを望んでなどいないはずよ。違う?」

 

「それは、そうかもしれないが……」

 

 言いよどむ俺に、雪乃はなおも畳み掛けてくる。

 

「なら、あなたが今すべきなのは体を休めることのはずよ。必要なら私からも海老名さんに謝罪するわ。だから、今は休みなさい」

 

 布団をめくり、雪乃は自らの横をぽんぽんと叩く。

 

「いや……、流石にそれはどうなんだ?」

 

「これはあなたの布団なのでしょう? 何か問題でもあるの?」

 

 雪乃は小首を傾げ、本当に不思議そうに俺を見る。

 ……そこまで普通にされると、こっちが間違ってる気になってしまう不思議。

 

「……お前がそこにいることは十分問題だと思うんだが」

 

「あなたが私にも休むように言ったのでしょう? なら、何も問題ないじゃない。それとも……何か問題になるようなことでもするつもり?」

 

「ねーよ」

 

 俺は紳士だからそんなことはしない。つーか、するんだったらお前が寝てる間にしてるっての。

 

「意気地なし……」

 

 ぼそりと、雪乃が何か言った気がするがよく聞こえなかった。難聴でも、聞いてない振りでもキムチでもない。本当に聞こえなかっただけだ。

 

「何も言ってないわ。いいから、早くしなさい」

 

 ぽんぽんという可愛い音がだんだん強くなってきたので、説得を諦めることにした。

 これは俺が横にいかないと雪乃も休まないだろうから仕方のないことなのだと自分に必死で言い聞かせる。仕方のないことだから、雪乃の甘い香りにも、雪乃の温もりにもドキドキしたりなどしない。

 

「おやすみなさい、比企谷くん」

 

 

 俺が体調を崩して以降、特に問題もなく文化祭までの時は過ぎ、やっぱりそのまま問題なく文化祭の全日程は終了した。俺と雪乃と相模で協力しあい、経験豊富な陽乃さんの手助けもあったのだから当然のことだ。

 不測の事態に対応できるよう、文化祭実行委員主体のイベント以外の予定から俺と雪乃を外しておいたのだが意味はなかった。一応二人で文化祭の出し物などの巡回を敢行したりはしたけどな。小町に同行を申し出されたりもしたが、俺と雪乃は遊びで一緒にいるわけではないので沙希に丸投げしておいた。こっちは仕事中なんだけどな、まったく。

 

「みんなの頑張りがあって……、文化祭を成功させることができました。本当に、ありがとう。お疲れ様でした」

 

「お疲れ様でしたっ!」

 

 相模が涙ながらに委員会の最後の挨拶をし、俺と雪乃の仕事は二つの意味で終了した。

 

「比企谷くん! 雪ノ下さん!」

 

 この後の予定を雪乃と話していると、そこに相模がやってくる。

 

「辛かったし、いっぱい泣いたりしたし、正直何度も投げ出そうとしたけど……。でも、最後までがんばれたのは二人が応援してくれたからだと思う。本当にありがとう」

 

 そう言って、相模は深々と頭を下げる。

 

「あ、あのさ。比企谷くんも、雪ノ下さんも、本当に打ち上げこないの?」

 

 この後、文化祭実行委員で集まり打ち上げが行われるらしいのだが、俺と雪乃はそれを早々に辞退している。

 

「俺、予定あるし」

 

「ごめんなさい。先約があるから」

 

「そっか……。少しでも顔出してもらえたらって思ったんだけどなぁ。予定があるなら仕方ないか。じゃあ、うちそろそろ行くね!」

 

 

 本当にありがとー、と言いながら相模が立ち去る。交代するかのように、様子を伺っていたのか今度は結衣が訪れる。

 

「二人ともお疲れ様! てかさ、ヒッキーもゆきのんも打ち上げいかないの?」

 

「さっきも言ったが、俺にはこの後予定がある」

 

「ええ、私もよ」

 

 俺たちの言葉に、結衣がどんどん暗い顔になる。

 

「つーか、お前の予定は?」

 

「一応クラスの打ち上げに顔出すつもりだけどさ……」

 

「そうか……じゃあ結衣は不参加ってことになるな」

 

「折角由比ヶ浜さんが好きそうなお店を予約したのだけれど……」

 

「えっ!? 二人とも、どゆこと?」

 

 伏せていた顔を急に持ち上げ、俺たちを問い詰める。

 

「つまり、俺たちの予定ってのは奉仕部の打ち上げってことだ」

 

「文化祭を成功させたいという相模さんの依頼を無事解決したのだから、当然のことだと思うのだけれど」

 

「えー聞いてないし! あたしだけハブられて二人でどっか行くんだと思っちゃったじゃんさー!」

 

「聞いてないっていうか、そもそも言ってないからな」

 

 ちなみに、三浦や海老名、葉山とクラスの主要人物はすでに言いくるめてある。誕生日の二の舞になるわけにはいかないからな。しっかり根回し済みだ。

 

「ほら、予約の時間もあるしさっさと行こうぜ」

 

「ええ。行きましょう由比ヶ浜さん」

 

「え、あ、うん。今行くー! ……でも、なんか納得できないし」

 

 割と二人で行動することの多かった俺と雪乃とは違い、クラスと委員会の架け橋として一人頑張っていた結衣へのサプライズだったんだがな。あまりお気に召してもらえなかったようだ。

 まあ、こういったことはこれからもあるだろう。そのときに今回の反省点を踏まえて計画を立てればいいだけだ。

 未だ不満顔の結衣を横目に、俺は次の機会の成功を誓った。

 

 




書き溜めが尽きたため次回更新まで少し時間がかかります。
予定していた展開から大幅な変更が必要になってしまったため、次回更新予定は未定です。
申し訳ありません。


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15-1

 夏服万歳、そう思っていた時期が俺にもありました。

 相模が大いに涙し、そして成長した文化祭を終え、俺と雪乃の距離は少し縮まった。……物理的に。

 気づくとなぜかすぐ隣に雪乃がいて、少し気を抜くと肌と肌が触れ合う。そのぐらい近い。

 俺も健康的な一男子高校生ではあるので、眉目麗しい女子と身体的接触をするのは望むところなのだが、相手が雪乃だとそうもいかない。

 なんというか……緊張してしまうのだ。他人のことなど塵ほどにも気にしていなかったはずなのに。

 だからこそ、直接肌と肌とが触れ合う可能性の高い夏服は俺にとって忌むべきものとなった。冬服万歳である。

 まあ、冬服になったらなったで「少し……冷えるわね」とか言ってきてさらに距離は縮まったがな。……どうしろっていうんだよ。

 正直に言って、雪乃は俺にとって特別な存在だ。それは認める。じゃあ、それはいつから。いったいいつから俺にとって雪ノ下雪乃は特別な存在となったのか。

 文化祭でのこと、千葉村でのこと、二人で行った買い物、どんどんと雪乃と過ごした時間を遡る。そして……。

 そして気づいた。最初からだと。奉仕部で初めて雪乃と出会ったあのとき。あいつが俺に友達になろうと言ってきたとき。たぶん、あの時からずっと雪乃は俺にとって特別な存在だったんだと。

 あの時雪乃が俺に友達になれと言ってきたのは俺が一人だからだ。周囲に嫉妬され続けてきた雪乃にとって、一人である俺が友達として望ましかったからだ。

 相手に一人であることを求める。笑っちまうぐらいに我侭で傲慢な願いだと思う。だがそれが俺には嬉しかった。異常でいいのだと、一人でいいのだと認めてくれている気がしたから。

 今までに誰も、それこそ小町でさえ俺が一人であることを認めてはくれなかった。なのにあいつは、あいつだけは俺を認めてくれた。

 

 そんなの、特別と思わないはずないじゃないか。

 

 だからと言って、俺と雪乃の関係に何らかの影響を及ぼすかと言えばそうでもない。あくまで俺と雪乃の関係は大学卒業までの限られたものだ。それに変更は無い。

 ただ、雪乃と別れる日が訪れた時、あいつがあの辛い顔を見せるのなら。俺は、果たして雪乃との繋がりを切り捨てられるのだろうか。それだけが若干疑問に残る程度である。

 まあ、家族と和解したはずだし、結衣という立派な友達もいる。そんな雪乃がいつまでも俺みたいな異常な生き物をそばに置いておく必要も無いだろうし、考えなくても問題無いだろう。

 今まで通りで問題無し。平常運転。平常運転。

 そしてこれも……。

 

 「ふんふーん」

 

 俺の隣、肩が触れ合いそうなほどの距離で雪乃は雑誌の耳を折々している。これも最近の彼女の定位置なので平常運転と言っていいだろう。

 見ている雑誌は京都特集のものであり、鼻歌混じりのご機嫌な様子でもうすぐ執り行われる修学旅行での自由行動の行き先をチェックしている。

 ちなみに雑誌の角を折ることを一般的にドッグイヤーと呼ぶのだが、彼女に言わせるとスコティッシュフォールドイヤーらしい。もう飼えよ、猫。

 

「ねぇねぇ、ヒッキー! 二人は自由行動でどこ見にいくの?」

 

 どういう訳か、俺と雪乃は自由行動を一緒に過ごすことになっている。経緯は定かではない。俺が気づいた時にはすでにそうなっていたとしか言い様がないのだ。ただ、一部J組女子の暗躍があったらしいということだけは風の噂で聞いた。

 

「雪乃が行き先を決めることになっているからな。俺もまだ予定を知らないんだ」

 

「えー。それはないよ、ヒッキー。ちゃんとエスコートしなきゃー」

 

 俺だって雪乃任せにしたくてしているわけではない。むしろ、方向音痴の雪乃に任せることは不安でしかない。だが、雪乃がどうしても自分で決めるといってきた以上、俺に反論する術はない。

 

「そう言われてもだな……」

 

 返す言葉につまり、元凶である雪乃を見る。そんな俺の視線に気づいたのか、見ていた雑誌に栞を挟むと顔を上げた。

 

「彼のエスコートも楽しみではあるけども、今回は私の好きな場所を知ってもらいたいの。好みを知らずにエスコートされても迷惑なだけでしょう?」

 

 今回は、ということは次回もあるわけで。まあ、俺も雪乃も京大への進学を目指しているわけだし、無事合格すればそういった機会はいくらでもあると。んで、今回のことを参考に計画を立てろと言いたいわけだ。随分と気の長い話だ。

 

「行きたい場所だけ教えてもらえりゃ後はこっちでルートとか調べておくんだけどな」

 

「あら、それでは楽しみにかけるのではなくて?」

 

 ……雪乃。お前方向音痴自覚してるんじゃなかったの? 二人で出かける時いつも手をつないでるのは何のためだと思ってんだよ、お前は。

 そんな思いを視線にこめて雪乃を見るも、まったく気にした様子もなく雪乃は結衣と京都特集の雑誌を仲良く見だす。すると。部室の入り口からノックの音が聞こえてきた。

 

「……どうぞ」

 

 雑誌に再び栞を挟み、雪乃が答える。その声音は凍えるほどに冷たいものだった。どんだけ邪魔されるの嫌だったんだよ、お前。

 

「や、結衣、はろはろー」

 

「やっはろー」

 

 新種発見えびなっち。やっはろー、ひゃっはろー、はろはろー、とハロー三段活用が完成した瞬間でもある。つーか、こうなるとやっはろーとはろはろーに挟まれた三浦がどんな挨拶を使っているのか若干気になってくる。やっぱりハローの活用系なのか、それともあえてオハヨーハヨーみたいな全くの別種なのだろうか。謎は深まるばかりだな。

 

「ヒキタニくんに雪ノ下さんもはろはろー」

 

「よっす」

 

「お久しぶりね。どうぞ、適当にかけて」

 

 かつて、小町のやっはろーと挨拶されたとき言いたそうにしていた雪乃ではあるのだが、はろはろーは琴線にふれなかったらしい。雪乃のツボがどこにあるのか今一つわからん。

 雪乃に勧められるまま、海老名は手近な椅子に座る。

 

「ちょっと相談したいことがあって来たんだけど……」

 

 依頼があって来たのか。正直、面倒なことになる予感しかしない。海老名は普段、超高校級のおかんである三浦と行動をともにしている。あの三浦に相談できない内容、もしくは三浦に解決できないような内容の依頼を俺たちが解決できるとは到底思えん。

 俺たちがまじまじと見つめると、気恥ずかしいのか海老名は頬を赤く染める。

 

「あ、あのね……。とべっちのことで、ちょっと相談があって……」

 

「え、まじ? とべっちなんかやらかしたの?」

 

 ……とべっちって誰?

 知らないやつのことを言われても、相談にのりようが無いので少し体を引く。

 海老名はそんな俺の姿にむっときたのか、少し眉を顰める。

 

「ちょっと、ヒキタニくん。ちゃんと話聞いてくれないとー」

 

「いや、俺とべっちのこと知らないし」

 

 言うと、結衣はやれやれと言わんばかりに頭を振る。

 

「ごめんね、姫菜。ヒッキー、物覚え悪いから……」

 

 失敬な。物覚えが悪いんじゃない。覚える気がないだけだ。まあ、どちらかと言えば後者の方がたちが悪い気がしないでもないが。

 

「そこまで言われるってことは、同じクラスのやつだったりするのか?」

 

「同じクラスってか、千葉村で一緒だったじゃんか!」

 

「ああ、あの金髪のことか?」

 

 千葉村でのボランティアに参加した総武生の中で名前を知らないのは一人だけだ。消去法であいつがとべっちということになる。

 

「まったく、ヒッキーはほんとにもう……」

 

「あ、あの……話続けていいかな?」

 

 説教を始めようとする結衣をよそに、海老名は話を戻す。

 

「あ、ごめん。それで、相談ってなに?」

 

「そ、その。言いづらいんだけど……」

 

 そっと伏し目がちになり、スカートの裾を指でいじいじしながら海老名は言葉を探す。

 腐女子を公言して止まない海老名がこうも口ごもるということは、よっぽどのことなのだろうか。

 

「とべっち、最近隼人くんと一緒にヒキタニくんに熱い視線を送ってるんだよね。それじゃ大和くんと大岡くんがフラストレーション! たぶん、隼人くんがとべっちを巻き込んでヒキタニくんへの下克上を狙ってるんだと思うんだけど、そんなの絶対おかしいよ! 隼人くんは総受けじゃなきゃだめなんだよ!」

 

 ……病院が来い。海老名のこれって葉山の株をどんどん落としてるわけだし、風説の流布が適用されたりしねーかな。

 現実を直視できない俺なのだが、そんな俺に気づく様子もなくヒートアップした海老名はなおも止まらない。

 さっきまでのもじもじした海老名はどこいったんだよ……。

 

「なんで隼人くんが下克上にとべっちだけを誘ったのかはわかんないけど、大和くんや大岡くんとちょっと距離開いちゃったのかなって気になってさ」

 

 そんなん葉山に直で聞けよ……とは言わない。

 俺からすると、海老名の相談には違和感しかない。海老名のカップリングの趣味は割りと雑食だ。リバも女体化もほいほい食っちまうあの海老名が下克上というだけでわざわざここに相談に訪れるはずがない。いつもの海老名なら「下克上……捗る!」ぐらいにしか思わないはずだからな。

 この相談にはたぶん裏がある。

 

「下克上は無しなのか?」

 

「無しだよ無し! ヒキタニくん。下克上なんてさせないで、どうせならハーレム作ってよハーレム! ヒキタニくんの鬼畜攻めでみんなまとめて虜にしちゃってよ!」

 

「お断りします」

 

 依頼内容、ヒキタニくんにハーレムを作ってほしいだったらどうしよう……。裏、あるよな? 信じてるぞ海老名!

 

「そう……だよね……。ヒキタニくん極上のSだもんね。Sを屈服させることに興奮しちゃうSだもんね。むしろDONTO☆KOIだよね」

 

 ……お客様の中にお医者様はいらっしゃいませんか?

 友達のはずの結衣も若干引き気味な中、雪乃だけはなんとか堪えていた。

 雪乃はこめかみに手を当てながら口を開く。

 

「つまり、どういうことかしら……。説明してもらえるとありがたいのだけれど」

 

 雪乃は疲れきった顔で、彼女なりになんとか解釈しようと頑張っている。頑張るのはいいが、そのままあらぬ方向に目覚めたりするなよ。

 

「うーん、なんかね、今までのいたグループがなんかちょっと変わってきちゃったのかなって思って……」

 

 海老名の声が憂いを秘めたものに変わっていた。

 それを解きほぐそうと結衣がフォローする。

 

「でもさ、男子同士でもこう何か複雑なものがあるかもしれないし。人間関係とか」

 

「男子同士の複雑な関係……。やだ、結衣、はしたない……」

 

「……あたし、何か変なこと言ったかな?」

 

「三浦呼ぼうぜ、三浦。俺たちじゃ手におえん」

 

 それでも三浦なら……、三浦なら何とかしてくれる。

 

「まあ、あいつらにも何か事情があるんじゃねぇの? それが下克上かどうかは知らないが、葉山のことだしそう悪いことじゃないだろ。たぶん」

 

 みんなで仲良く教教祖の葉山がグループに変化をもたらすようなことをするとは到底思えない。それはチェーンメールの一件からも明らかだ。

 

「それはそうかもだけど、今までと違うのは確かでさ。違ったままでいるのはちょっと嫌かな」

 

 そう言って海老名は微笑む。

 

「今まで通り、仲良くやりたいもん」

 

 それはペロムシャもなにもない、至って自然な笑顔だった。

 そんな海老名の笑顔はさておき、海老名の言葉を整理してみよう。

 この際BLな発言は無視する。違和感しか感じなかったし、ミスリードと考えていいだろう。

 ちなみに、海老名の発言からBL要素を抜くとこうなる。

 

・とべっちのことで相談がある。

・葉山ととべっちが俺を見ている。

・大和や大岡と距離が開いてしまったように見える。

・結果、今までのグループとは違ってしまうように感じる。

・違っちゃうのは嫌で、今まで通り仲良くやりたい。

 

 「仲良くしてほしい」ではなく「仲良くやりたい」と言っていることから察するに、海老名の本当の相談は女子を含めたグループ全体の現状維持ってことで間違いないだろう。んで、そのグループの和を乱す原因となっている葉山ととべっちが組んで俺を見てるのは、あいつらが奉仕部に何らかの接触を持とうとしているからだろうな。じゃなきゃ海老名がここにくる理由がない。

 まとめると、とべっちが奉仕部へ持ち込もうとしている依頼によりグループの和が乱れる可能性があり、それを海老名は望んでいない、ということになる。

 まあ、今は適当に頭の片隅にでも留めておけばいだろう。実際にとべっちが依頼にこなければ俺にはどうすることもできないわけだし。

 

「おk、把握。とりあえず俺は葉山ととべっちの下克上を阻止すればいいんだな」

 

 海老名の言う下克上が実際にどんなものなのかはわからんが、今の時点で俺に言えるのはこれぐらいだろう。あいつらが奉仕部に依頼してくるかもわからんからな。

 

「あ、でも、ヒキタニくんが男子グループに混じってハーレムを作るのには大賛成だよ。い、色々捗るし!」

 

「やだ、この子、はしたない……」

 

 目をキラキラと輝かせ、顔を寄せてくる海老名のおでこをぺちりと叩く。

 海老名はおでこを押さえ恨みがましく俺を見る。

 

「ヒキタニくんのどS……。そういうのは隼人くんたちだけに見せてくれればいいのに……」

 

「俺の性癖捏造すんじゃねーよ」

 

 海老名はえへへと誤魔化すような笑みを浮かべて立ち上がる。

 

「じゃ、そういうことで。またねー」

 

 そのまま部室を後にする海老名を見送ると、俺たちは顔を見合わせる。

 

「結局、姫菜はなにが言いたかったんだろうねー?」

 

 海老名の言葉を額面通り受け取ったのならば、当然のように浮かぶ疑問を結衣は口にする。

 

「現段階では何とも言いがたいわね……。葉山くんたちから何らかのアプローチがあればわかると思うのだけれど」

 

「俺もそう思う。ま、保留ってことでいいんじゃないか?」

 

 海老名が先手を打った形なわけだし、俺らにできるのはそれぐらいだろう。

 つーか、今までまともな人間関係を持たなかった俺に現状維持の手助けしろって、結構な無茶振りだよな。

 

 

 



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15-2

充電期間の割りに短めです。


 葉山たちからアプローチを受けたのは、修学旅行前日の放課後だった。

 入ってきたのは四人。葉山ととべっち、そして残りの二人は多分大和と大岡だろう。いや、実際それがあってるかどうかは知らないが、確率的にはそれが一番高いと思う。

 

「……何かご用かしら?」

 

 結衣と自由行動の行き先について最終確認をとっていた雪乃にとって、彼らの来訪は邪魔以外の何者でもなかったらしい。いつも以上に冷たい声音で葉山たちに問う。

 いつもの事だが、面倒なら無視してしまえばいいと思うのだがな。変なところで生真面目なやつだ。

 

「ああ、ちょっと相談事があって来たんだけど……」

 

 妙に歯切れの悪い様子で葉山が答える。どうでもいいが、相変わらず葉山は要点から話すことができないやつのようだ。

 正直、俺たちにとって葉山たちが相談にくるということは想定内である。むしろ、なぜこのタイミングなのか問いたいほどである。

 

「ほら、戸部」

 

「言っちゃえよ」

 

 大和と大岡(仮)に促され、とべっちは口を開きかけるが、無理無理無理とばかりに頭を振り、黙ってしまう。

 どうでもいいが、戸部ってのがとべっちの名前なんだろうな。

 

「いやー、それがさ、その……。あーやっぱ無理っしょ」

 

 なんだろう、こいつすごくめんどくさい。

 そもそも、ここに訪れた以上はなんらかの理由があるというのは確定的に明らかだ。

 話すなら早くしろ。でなければ帰れ。

 そう思った俺を誰が責められようか。

 

「……用がないのなら退室してもらえないかしら。部活動中とはいえ、修学旅行の準備もあるしそれほど暇な訳ではないのだけれど」

 

 底冷えするかの様な冷たい空気とともに雪乃が問う。

 

「あー、それはその……」

 

 もごもごと口ごもる戸部を仮称大岡と大和がこづく。

 茶番&茶番。

 ほんと、どうでもいいな。

 そんな感想を胸に抱き、俺は思考をはるか大気圏の彼方へと飛ばした。

 

 

「つまり、海老名さんという女子に告白し交際したい。そういうことでいいのかしら?」

 

 実に十分以上の時間を茶番に使い、しかし戸部から聞き出せたのはただそれだけのことだった。

 

「そうそうそんな感じ。やっぱ振られたらきついし、なんか奉仕部?に相談すればいい感じにうまくいくらしいじゃん」

 

 底抜けに軽い戸部の言葉。

 うぜぇ。

 その話に食いついたのは、意外でもなんでもないことに青春楽しんじゃってます系女子である結衣だった。

 

「いいじゃん! いい! すっごくいい! 応援しちゃうよー!」

 

 振ってわいた思いがけないコイバナにテンションが最高にハイってやつになる結衣。

 

「付き合うって具体的にどうすればいいのかしら……。いえ、この依頼をサンプルケースに今後の進展を……」

 

 当てられたのか、男女交際に興味などなさそうな雪乃まで若干乗り気である。

 そんな二人のテンションに若干引きつつも俺は葉山を見る。

 思えば、こいつも少しは成長したものだ。

 千葉村での、今の自分ならかつてとは違うなにかができる、という根拠のない自信を振りかざしていたときとは大違いである。

 自分でできないことがあれば素直に他人を頼る。それを間違いだなどとは俺は決して思わない。まあ、一人で解決できない問題に直面したことのない俺には関係ないが。

 

「どう、かな?」

 

 そんな俺の生暖かい視線に気づいたのか、苦笑交じりに葉山が問う。

 

「どう、と言われてもな」

 

 正直な話、俺にとってこいつらの関係がどうなろうとどうでもいい。

 むしろ、綱渡りな関係を続けるこいつらの友情(笑)を壊してやったほうがいいんじゃないかと思うまである。

 まあ、海老名はそんな関係でも楽しいと感じているようだし、現状維持という依頼を受けてしまった以上はある程度の行動はとらないわけにはいけないのだが。

 

 戸部を見る。

 腕を目線の高さまで上げ、手のひらを戸部に向ける。

 そしてゆっくりと一言、しかしはっきりと告げる。

 

「お断りします」



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15-3

「ちょ、ちょっとまってよヒッキー。なんで協力してあげないんさー!」

 

「そーそーヒキタニくんまじオナシャーッスって」

 

「そんなこといわれてもだな……。つーかさ、そもそもこの依頼って意味あんのか? 正直、結衣だけで事足りると思うんだが」

 

 正直言って、効果的なアプローチの仕方なぞ俺と雪乃に教えられるはずがない。

 理由は言わずもがな。

 しいて言うなら「腐海に飲まれよ」略してふかのま、その一言に尽きる。

 

「まあなんだ。仮に依頼を受けたとしても俺と雪乃にはお前らと一緒に行動したりとかっていう実質的なサポートは無理だぞ」

 

 戸部が奉仕部に求めているのは、行動を後押しするような実働部隊としての役割だろう。

 だが別の世界線ならまだしも、この世界線においてはそれは不可能と言っても過言ではない。

 

「だって、F組に俺の席ねーから」

 

 頭にハテナマークを浮かべぽかんとする戸部その他。

 どうでもいい話なのだが、俺は未だ骨折中という扱いだったりする。日常生活にはまったく支障がない部位なのだが、骨折は骨折。体育をサボりたいときなどの理由として有効活用させてもらっていた。

 まあ、今回の場合はそれが裏目にでたわけだ。

 どういった経緯でそうなったかは知らないが、就学旅行という非日常に対し俺の骨折を不安視する声があがったそうだ。

 それを補助する役割として奉仕部部長である雪乃に白羽の矢が立ち、はれて学校公認で俺は修学旅行に限りJ組に組み込まれることとなった。

 げせぬ。

 保険委員でいいじゃねーのと思わなくもないが、見ず知らずの他人に世話をかけるのも気が引けてしまうのも事実。提案ではなく、ほぼ決定事項として俺にそれを告げた雪乃はそれはそれはいい笑顔だったと付け加えておこう。

 

「ま、そんなわけだから。じゃあ出口はあっちだから」

 

「いやいや。理由はわかったけど、せめて、せめてなんか一言アドバイス的なもの頼むって」

 

 極々自然に退室を促すも、戸部はなおも食い下がる。

 

「アドバイスって言われてもな……」

 

 ふかのま!で納得しておとなしく帰ってくれるとも思えない。

 一縷の望みをかけて雪乃をみても、任せるわと言わんばかりににっこりと微笑むばかりである。

 ちくしょう、かわいいじゃねえか。本来ならお前が部長なんだからな。勘違いしないでよね。そんなんで黙ってやるの、俺だけなんだから。

 

「見る限り結衣を含めてグループ内のほとんどが戸部を後押ししている訳で、海老名に対する外堀埋めもほぼ完璧。修学旅行というイベントを普段仲のいいグループですごすという状況も、断って全員の修学旅行を台無しにするなよという空気に持ってくにはむしろプラスだ。発想、根回しはほぼ完璧。だが、」

 

 ふと、部室を見渡す。

 海老名がいないのは当然として、依頼人一行と結衣。仲良しグループ全員が一堂に会して……。

 

「三浦ってこのこと知ってんのか?」

 

 会していない。

 

「それは……、言ってないけど……」

 

「じゃあ無理だ。外堀から埋めてくのも、断れない空気をつくるのも間違ってない。むしろその姿勢は全力で正しい。でもな、三浦の許可がないならアドバイスとかそんな次元じゃねーわ。おとなしくあきらメロン」

 

 女王様に許可とってから出直してこい。いやほんとマジで。

 

「理由、聞いてもいいかな? なぜ由美子が知ってるか関係あるんだい?」

 

「なんでってお前。三浦だぞ? おかんだぞ? かわいい娘に男ができるなんてそんな、許すはずねーだろ。つーか俺の認識だとお前らって三浦がノーって言ったらノーなんじゃねーの?」

 

「いやそれは……」

 

 気まずげに視線をそらす葉山。

 

「んじゃ結論な。おかんの許可がないから今は無理。告白するならおかんが娘離れした時を狙え。以上だ」

 

 

 

 

 明けて翌日。

 修学旅行当日である今日、いつもより早く目を覚ましリビングに向かうとなぜか雪乃がいた。

 制服にエプロンという姿で。

 

「おはよう、比企谷くん。ごはんもうすぐできるから、まずは顔を洗ってらっしゃい」

 

「おぅ、おはよ」

 

 あー、あのエプロンは結衣のプレゼント買いにいったときの新妻かわいいやつだな。なぞと未だ覚醒しきらない頭で考えながら洗面所へと向かう。

 

「つーか、なんで雪乃がここにいるんだ?」

 

「比企谷くんが遅刻しないよう迎えにきてあげたのよ。修学旅行中の比企谷くんの介護を学校から任されているのですもの、奉仕部部長としても一瞬だって気を抜くつもりはないわ」

 

 やれやれ、みたいなその出来野悪い子を見るような表情やめてもらえませんかね。

 

「ホント、おにいちゃんのことは雪乃さんに任せておけば安心だね!」

 

「あら、小町さん。もう姉とはよんでくれないのかしら?」

 

「雪乃お義姉ちゃん。不束な兄ですが、どうぞ末永くよろしくお願いします」

 

 きゃっきゃする小町と雪乃におもわずギリィとしてしまう。

 おのれ雪乃め。お前に小町は渡さんぞ!

 

「そういえば比企谷くん。ちょっとお願いがあるのだけどいいかしら?」

 

「んぁ? なんだ? 小町ならやらんぞ」

 

「相変わらずシスコンなのね……。そうではなくて、修学旅行から帰ってきたら実家にお土産を届けようと思うのだけれど付き合ってもらってもいいかしら?」

 

「そんぐらい別にいいけど、宅配便じゃだめなのか?」

 

「生ものもあるし、できるだけ早く届けたいのよ」

 

「ああ、そりゃそーか。でもあんまり大荷物にならないようにな。一応骨折中ってことになってんだから」

 

「大丈夫よ。車をだしてもらうよう手配してあるから」

 

「そっか。まありょーかい」

 

 あれ、車だしてもらうなら俺が雪乃の家に行く必要ないんじゃないのか?

 まあ、どうでもいいか。

 

 

 



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