【完結】Zi de vis a celor morți (落着)
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意訳:死者たちの白昼夢
全4話完結
公海上のとあるポイント。周辺国の水域を巡ってのトラブルが絶えない地点。過去に近くで
なにかを待っているようで、船は凪いだ海で僅かに揺られている。甲板では船員二人が海へ向かって糸を垂らす。ただ手は竿へと伸びておらず、その行為が暇つぶし以上の意味を持たないことを物語っていた。
ビーチチェアーを並べる二人の間には、タバコの吸殻を差しこまれた空き缶が転がっている。吸い終わった吸殻の数が糸を垂らしている時間の長さを静かに主張していた。
いい加減に焦れてきた一人が声を上げ、短気な相方にしては保った方だと何となしにもう一人は感じていた。
「あとどれだきゃ待ちゃ良いんだよ! いい加減日干しに成っちまう!」
「落ち着けよ、レヴィ。怒鳴っても荷が来るわけじゃない」
「ああ、そうだな、ロック。お前は良いさ。天日に干されてそのなよっちい生白さが多少はマシになるだろうからな!」
「噛み付くなよ。俺に当ってもどうにもならないぞ」
安酒場で管を巻く酔っ払いみたいに喚く女性、レヴィに噛み付かれた相手、ロックが適当に諌める。
ビーチチェアーの上で手足を投げだしている様は、マーケットで欲しい物を強請る子供にも似ていた。だが実際はそんなに可愛いものではない。子供であれば泣きわめく程度だが、最悪このウルトラ短気は引き金へ指をかけかねない。もちろん矛先は仲間であるロックではなく、遅れている取引相手だろうが。
二日酔い明けのようなうめき声を上げながら項垂れる姿にロックが苦笑を漏らせば、レヴィの眉根が持ち上がる。だがロックも手慣れたものだ。言葉通りに何もできないぞと肩を竦めて示して見せる。
つまらないと舌打ちを一つするが、それで矛を収めるつもりは欠片もない。今度は無線の先に向かって牙をむいた。
「だぁーもう、くっそつまんねぇなぁ! おい! ダッチ、どうなってる!?」
「喚くな、聞こえてる。おしとやかに行こうぜ、レヴィ」
「はっ! なんだよ、ダッチ、面白い冗談だな。メイドのお仕着せでも着てティーポットでも用意しようってのか? お生憎と私が知ってるメイドでおしとやかな奴なんざいねーけどな」
無線越しにため息が届く。だがそれはレヴィの物言いに頭を痛めているのではなく、ダッチ自身も待っていることに疲れを感じているゆえだ。その証拠にかなり気だるそうな音がため息には乗っていた。
「ベニー、やっこさんからは何か連絡はあったか?」
「無いね。だいぶ前に来た少々遅れるとの一報以外は何にもなしだ」
「チッ、舐めやがって。何が少々だ。生まれたてのガキがそのうち立ち上がるぞ」
「多少の遅延なら問題ないが今回は少々度が行き過ぎてる。迷惑料くらいは吹っかけるさ」
「時計も読めないようなガラス玉には鉛の目玉をくれてやりてーよ」
「頭ん中で穴あきチーズをこさえるのはかまわんが、今回のクライアントだ。苛ついたからって実際にぶち込むなよ」
ダッチの言葉に「分かってるよ」とレヴィが短く吐き捨てる。喚いてみたが、分かっていた通り何も変わらない。糞面白くもねぇと胸中で悪態をつきながら新しい煙草を取り出そうとする。
だが残念かな、取り出した箱はぺしゃんこ。つまりは空。ひっくり返しても塵一つ落ちてきやしない。吸ったのは自分で空にしたのも自分。けれどもそんな事は苛立っている猛獣には何も関係ない。力任せに握りつぶしてゴミへと変える。
「ロック」
「嫌だよ。俺だって最後の一本なんだから。船内のストックを取りに行けよ」
「最後の一本なんだからそっちが取りに行っても同じだろ」
互いの流し目が空中で衝突する。レヴィとロック、お互いが無言で拳を上げる。軽く手先を振り、ジェスチャーだけでタイミングを計る。結果はチョキとパー、ロックの勝ちだ。
補給の目途の付いたロックが、最後の一本を咥えて手をひらひらと振り見送りとした。レヴィも諦め永いため息とともに立ち上がった。
かったるそうにだらだらとキャビンを目指すレヴィの背中を追いながら、ロックはいい加減にたらしっぱなしにしている竿もいったんあげるかと自らも腰を上げた。
少ししてレヴィが甲板へと戻ってくる。手には煙草と酒。陽で僅かばかりに温まっていた身体の火照りを冷ますには丁度いい一品。
一口含めば通り抜ける冷気が心地よかった。酔えるほどではないが感じる酒精にご機嫌だ。
「へい、ロック」
レヴィが船首へ顔を出すとロックが網を海へと伸ばしている。魚でも釣れたのだろうかとレヴィは首を傾げた。
餌もつけていないのに間抜けな魚もいたもんだ。忙しなく竿を動かすのが面倒で、馬鹿な魚が一匹でもかかれば暇も潰れるだろうと針だけ浸けていたが、本当にかかるとは少々驚きであった。
声をかけても振りかえらないロックの背後に近づき、自分も間抜けの顔を拝んでやろうかと覗き込んで眉をひそめた。
「なんだぁ、そりゃ? また随分と食いでが無さそうなもんを釣ったな」
「食いでが無いのは当り前さ。なんてったって木箱なんだから食べる所なんてないに決まってるだろ」
覗いた先には間の抜けた魚はおらず、代わりにそこそこの大きさの木箱が見えた。良く見かけるアタッシュケースよりかは幾分小さいだろうかとレヴィは遠目にそれを見分した。
「子供の駄賃にもなりゃしないな」
「さてな。けど暇つぶしには丁度いいだろ」
しゃがんで網を伸ばすロックが、頭の上から覗き込むレヴィを自然と見上げながら言えば確かになとレヴィも納得した。
わくわくはしないが刺激は刺激。やる事もなく甲板でくだを巻くよか百倍ましかと考え直す。
「ま、言われて見りゃ確かにそうか。んじゃ引き上げるか」
「オーライ、レヴィ」
海へと伸びる網の柄をレヴィも掴むと一気に引き上げる。箱の隙間から水が流れ出ていく様子から、ぎっしりと中身が詰まっている訳ではなさそうだ。水を吸った木材特有の重量感に持ち手が僅かにしなる。
光が反射する水面から出た事で釣果物がはっきり見えるようになり、レヴィが口笛を吹く。
「へぇ、ロックにしちゃマシな釣果じゃないか」
「はいはい、聞き流しておくよ」
「連れないねぇ、せっかくレベッカ姐さんが珍しく褒めてやってんのに」
肩をすくめて嘯くレヴィを軽くあしらい、ロックが木箱を網から取り出して甲板の上に置いた。どれどれと二人が近づき木箱の見分を始める。
「ジュマンジ、で読み方はあってるのかな?」
「私にもそう読めるな」
「うーん、知らない単語だな」
「意味なんてないんだろ。トランプがトランプでルーレットがルーレットであるみたいに、これがジュマンジって名前なだけだろ」
「そんなものか」
「そんなもんだろ」
表にジャングルの絵と、絵を横切るジュマンジの文字。文字の中心を通るように一本の線が引かれている。
上下に開くよう作られているらしい、伸びる線の間に小さな隙間が空いていた。レヴィが愉快そうにジュマンジへと手を伸ばす。
「楽しそうだな、レヴィ」
「このクソ暇な時間がどうにかなるんなら季節外れのサンタにだって感謝するさ」
「それじゃあ良い子のレヴィちゃんが何を貰ったのか確かめ──ったいなぁ、小突くなよ」
「お前が私をガキ扱いするからだ」
「サンタの話をしたのはレヴィじゃないか」
抗議の声を無視しながらレヴィがジュマンジを開ける。
上蓋部分の内側にはそれぞれ文字が書いてあり、小さな箱とダイスを転がせるだけの広さの囲いがあった。
木箱の底部分には、中心にこぶしくらいの大きさの黒いガラスのような物が嵌っている。そして四隅から最終的にそこへ繋がるようにうねり交差しながらマス目が伸びる。
「思った通りボードゲームだ」
「へぇ、良いな。モノポリーみたいなものかな」
二人が二人して楽しげな声を上げた。魚を釣るよりか百倍マシな結果に気分も上々。
説明書はもちろんついている訳はないが、どうにも製作者は親切らしい。上蓋部分の囲いの底に説明書きがしてあった。
簡素だが最低限ではあるのだろう。そこにはこう書かれている。
“ジュマンジ”
“この世界の外へ出たい人のゲーム”
“サイコロを振り、同じ目はダブルチャンス”
“先に上がれば勝ち”
と両開きの片方にはそのように記されている。そしてもう片方には注意事項が記してあった。
“ゲームの注意”
“ゲームは最後まですること”
“ゲームが終わり”
“ジュマンジ!と叫ぶ”
“そうすれば全てが消えて元通り”
左右にある小さな箱にはサイコロとプレイヤー用の動物をモチーフにした駒があった。
カバ、トラ、トリ、ウマ。四つの駒は二つずつ白と黒に色分けされていた。
手にずっしりと来る木の感触は何となく持ち心地が良い。弾丸を転がすように掌で遊ぶ。
「折角だから暇つぶしにやってみるか」
「良いけど、海に小物を落としても嫌だしキャビンへ行かないか」
「そうだな。負けそうになって盤をひっくり返されるのも嫌だしな」
「どちらかといえばひっくり返すのはレヴィだろ」
「敗けないのにひっくり返すかよ」
「言うじゃないか、レヴィ。賭けるか?」
「良いぜ、ロック。負けた方がバオの店で朝まで痛飲を全額な」
レヴィが拳を出してチップを乗せれば、拳をぶつけてロックも了承をしめす。見た感じイベントカード的な物も見当たらない。
唯のダイスを振って進むだけの双六では味気ないと暗黙の了解でゲーム性を高める。そうでもなければ無味乾燥なゲームなど誰もやりはしないだろう。
所詮これも暇つぶしでしかないのだから。
「やっりぃ、仕事が終わればタダ酒だ」
「残念ながらそれは俺の話だよ」
ロックの返答に強気にフンと鼻を鳴らしてレヴィが返す。負けず嫌いな両者らしく、穏やかを装った声色とは裏腹に瞳は本気の光を宿していた。
パラソルとビーチチェアーを畳んで船室へと戻る。早速だとテーブルの前で向かい合いジュマンジを広げた。
「ほらロック、チキンだ」
言葉と共にレヴィがトリの駒をロックへ放った。ちゃっかりと自分用のトラの駒を確保しているあたり実に抜け目ない。
「俺が
「違うさ。お前のくそ度胸は知ってるよ、嫌って程な。私がただチキンを食べたい気分だったんだよ」
「へぇ、捕食者のつもりかよ。いいさ、精々空を見上げて飢えてろよ」
互いが互いの言い分ににらみ合う。同時に手に持った駒をガツンとボードのスタート地点へと叩き付けた。
その瞬間レヴィが何かを感じたのか、一瞬叩き付けた駒へ視線を落とす。
「どうしたレヴィ?」
「いや……なんでもない」
いつだってはきはき物を言うレヴィにしては珍しく歯切れが悪い。レヴィの様子にロックがいぶかしがるも言葉を投げかける前にサイコロが一つ飛ぶ。
「先攻後攻を決めようぜ。出目がでかい方が先だ」
レヴィが手に持ったサイコロを振ればロックも追うように手の中のサイコロを落とした。カランカランと音を立ててサイコロが転がる。
レヴィが五でロックが二。「っしゃあ、幸先良いぜ」とガッツポーズを一つ。
「ま、これが日ごろの行いってやつさ、ロック」
「たしかに、サンタさんに玩具を貰うくらいの良い子ちゃんだからな」
「ロック、一つ言っておく。次にサンタの話をしたらケツにカバとウマの駒をぶち込むから」
「分かったよ、サンタの話はしない」
ロックの返答に満足したのか、レヴィはボードの上のサイコロを二つ手に取った。
手の中でゴロゴロと遊ばせたダイスを勢いよくボードの上へと放り投げる。
サイコロが硬質な物に当る小気味いい音がキャビンへ響く。
揺れる船体の影響か、サイコロは時折イレギュラーな転がり方をしながらもやがて静止した。
「二と六で八か。まずまずってところか──」
レヴィが出目に従って駒を動かそうと手を伸ばして停止する。
「おい、レヴィ」
ロックの驚愕に満ちた声が嫌にキャビンに響く。
「ふ、はは」
脱力気味のレヴィの笑いが漏れた。二人の視線の先ではレヴィのトラの駒が独りでに動いているのだ。
無論二人は指先一つ触れてはいないし、ボードゲームに仕込まれたギミックを動かすような仕掛けも見当たらない。
だが駒は何かに導かれるようにスーッとサイコロが示した数字の分だけきっちりと先へと進む。
その光景に、先ほど駒を置いた時に位置を修正するように、手の中の駒が僅かに動いたのは気の所為ではなかったのかとレヴィは瞠目していた。
「すげーな、ボトルメールかと思ったら携帯電話だったのかよ」
「いや、そんな事あるはずないだろ。海水につかってたんだぞ。仮に電子機器ならどうして壊れてないんだよ」
「そんなの私が知るか、ベニーに聞けよ」
レヴィの返答に確かにと納得したが、それにしても不思議な話である事に変わりない。だが考え込む前に次の変化が起きてロックの思考が中断された。
駒が止まると、中心に埋まっている黒いガラスに文字が浮かび始めたのだ。緑色で形作られた文章はどこかおどろおどろしい。
“三日月が輝くと”
“水溜はモンスーンに”
“襲われる”
正直それを見た二人としては何の話だというのが最初に浮かんだ思考である。
だが何も起きる様子はない。文字はその後もさらに文字を浮かび上がらせて続きを語る事も無かった。
一回休みや、数マス戻るとか何かしらが出るのではと思考の片隅で考えていた事は起こらない。
「なんというか」
「片手落ちだな」
ロックの呟きにレヴィが続けた。声は落胆に染められている。結局の所、雰囲気はあるがゲーム性は無いとの最初の判断を覆すことが無かったからだ。
これではせっかくの演出も機能ももったいないというのが本音だ。レヴィなど商品価値はあがりそうかともはや売り払うことを前提にジュマンジを見ている。
期待感を高めるだけ高めておいてこれではあんまりだ。上げられた期待との落差の分だけ興が削がれた。
「所詮暇つぶしだしな。ロック、振れよ」
暇つぶしは暇つぶしと割り切ってレヴィがサイコロを取ってロックへと渡す。ロックはサイコロを受け取りはしたがすぐには投げようとはしなかった。
レヴィがいぶかしげに「ロック?」と呼びかければ意識がジュマンジからレヴィへと向く。
「いや、どういう原理なのか気になって」
苦笑気味にロックが応えれば、レヴィはホワイトカラーめと冗談めかして茶化した。
ロックもロックでベニーにでも後で見せてみるかと疑問を一度置いておくことにして、サイコロを握り直した。
そしていざ振ろうとして。
「っうぉ!」
「な、なん!」
キャビンが揺れた。否、船全体が揺れている。荒れた海に出た時のような揺れ具合に二人がつんのめった。
何とか踏ん張り倒れ込むことは無かったが、いまだに揺れは続いている。
先ほどまで外にいた二人は海が凪いでいたことも、雨雲が遠くに見えなかった事も知っている。
だから何かしらのトラブルかと思い、すぐさま腰を上げて操舵室へと向かうことにした。
当然ロックはその際、手に持ったサイコロを置いていくためにボードの中へ適当に落とす。
本人にはサイコロを振ったつもりは無論ない。だから結果を見ることなくキャビンを出て行ったレヴィの後を追いかけた。
だがゲームはそうは思わなかった。転がるサイコロが止まると示されたダイスの目に従い、トリの駒が先へと進んでいく。
一マス、二マスと進み停止した。すなわち出目は一ゾロの二。
先へと進めばマスへと止まる。マスへと止まればジュマンジはルール通りに暗示を行う。
“波を裂き すすむもの”
“渇きをうめる 血を求む”
浮かんだ文字は徐々に輪郭を揺らがせて、誰にも知られること無く最後には消え去った。
「ダッチ、トラブルか!?」
「よく分かったなレヴィ、その通りだ」
「いきなり洗濯機へぶち込まれたんだ。これで分からないボンクラがいるならそいつは死体か不感症だよ」
操舵室へと飛び込んだレヴィの声にダッチが応える。余裕のない声がどれだけ切羽詰っているかを教えるには十分すぎた。
「来る途中の音でまさかとは思っていたけど」
レヴィのすぐ後に顔を出したロックが前方を見て自身の中の答えを推測から確信へと変えていた。
「何でこんなにいきなり海が荒れてんだよ」
「知らないねっ、俺がその答えを知りたいくらいさ」
ダッチが船を走らせながらレヴィに答えを返すが原因は分からずじまいだ。
それもそのはず、ダッチからしてもいきなりの大雨に大波だ。前兆なんてかけらもない。
ロックも操舵室までの通路で船体を打つ雨の音から、予想はしていたがこれだけの大時化だとは思いもよらなかった。
「全く最悪だね。仕事相手に待ちぼうけはくらうわ、結局最後まで待てないわで大損だぜ」
「キャンセルするのか?」
「当り前だ、こんな所でとどまってみろ。今日の晩までには全員仲良く魚のディナーになってるぜ」
ロックの問いかけにダッチが肯定を示す。確かにこのまま集合場所で待つのは正気の沙汰ではない。
待ちぼうけを喰らって費やした時間的に、仕事を降りることへ多少の抵抗は感じるが、命には代えられない。
どの方角が一番早く嵐を抜けられるかまるで分らない状況。ダッチは船を預かる者としての独断でロアナプラへと進路を向けていた。
根源的な帰巣本能もあるが、一番近い陸地もどちらにせよ方角は同じ。ならば迷う必要は無かった。
「ダッチ……ダッチ、聞こえるかい? 」
「ベニーか。これ以上の悪いニュースは遠慮願いたいところだがどうした?」
無線越しに別室にいるベニーの声が操舵室へと届いた。いつもの声色に真剣さが混じっていることから、何かしらのトラブルだと三人には解る。
「大きなものが船へ迫って来てる」
「こんな時にか? 何処の馬鹿だ」
「分からない。だけど多分船じゃない」
「オーケイ、ベニー・ボーイ。今は謎かけをしているほどゆとりはない。簡潔にいこうじゃないか」
「多分大型の生き物だ。海面近くを泳いでいるから機器が拾ったんだと思う」
「頼む、ベニー。イルカか何かだと言ってくれ」
「残念だよ、ダッチ。クジラか何かだと思う。この船の半分はあるんじゃないかな」
「レヴィ!」
「あいよ!」
ベニーの返答を聞けば、すぐさまダッチがレヴィを呼ぶ。レヴィも分かっていると返事一つですぐさま操舵室を駆け出して行った。
「ダッチ、レヴィは?」
「シーシェパードの連中が顔を真っ赤にして怒りだすことの準備に行ったのさ」
鴨撃ちならぬクジラ撃ちだとロックにもすぐに分かった。僅かな間逡巡して、自身もレヴィの後を追い部屋を出ていく。
少なくとも操縦ではダッチが居れば事足りる。手伝うことは何もない。だから魚影を探す程度のことでも、何もしないよりかはマシだと判断して手伝いに出たのだ。
「レヴィ、状況は?」
船後方の甲板へ上がるハッチの一つから上半身だけを出しながら、ロックが無線へと問い掛ける。すぐさま前方側のハッチにいるレヴィから返答がくる。
「何にも見えねぇ! 荒れた波と雨ばっかだ!」
「こっちも同じだ。ベニー、影はどっちから近づいている?」
「さっきは右舷側からだったけどロストした。多分潜水している」
「船に気付いてどっかへいったんじゃないか?」
「良いねぇ、希望的観測ってやつだ。だがな、ロック。希望的ってのがダメだ。そいつはいつだってそうあって欲しい願望で根拠なんざありゃしねぇ。そんなもの神頼みの祈りとなんら変わりはないんだよ」
ダッチの言葉が言い切られると同時、船が大きく揺れた。
今までの波とは違う大きな揺れ。そして響く硬質な衝突音。無線越しだが全員の驚愕の声が折り重なった。
「レヴィ、見つけた! 右舷後方!」
身体を大きく揺さぶられながらもロックがぶつかった後に一瞬海上へと姿を現したそれを見た。
「チッ、見えねぇぞ! また潜りやがった!」
「勘弁してくれよ、僕としては夜を待たずにディナーになるのは遠慮したいところだね」
「誰だってそうさ。ディナーは皿の上に座るよりも皿の前に座りたいもんだ」
危機的状況ながらも誰一人としてパニックを起こしていないのは慣れていると安心すべきか。はたまた死を恐れないネジの外れた死人どもだと嘆けばいいのか。
だがそんなことを気にするような住民はロアナプラの何処をさがしたって見つからない。そういう住民しか住んでいない。そういう住民しか生き残れない。
だからこそラグーンの面々も、誰もが危機感を持ちながらも恐慌していないのだ。
「後ろだ!」
「ロックがまた見つけたみたいだ!」
「最悪だ、映画の中から出てきやがった!」
「ロック、何を見た!?」
「ジョーズだよ! ジョーズが俺達を食おうとスクリーンから出てきやがった!」
操縦しているダッチには前方しか見えない。だからこそロックが見たものを聞けば、分かるような分からない話が返ってきた。
「ロック、お前何を飲んだ!」
「残念だったな、ダッチ! ロックは何一つ吹かしちゃいないぜ、オオカミ少年も裸足で逃げ出すさ!」
「クソめ! 冗談じゃない、何だってわざわざ船を狙いやがる! しかもこの悪天候でだぞ!」
「さあ、理由なんてさっぱりだ! ただ分かるのはこの世に神はいねぇって事だけだ!」
レヴィがどこかご機嫌に言葉を返しながら銃の用意を始めていた。ロックを拾った時にもガンシップ相手に使った事のある対物狙撃ライフル。
二脚部分を甲板へ置き、狙いを定める。船を追いながら猛然と泳ぐ全長八mは優に超えそうな鮫が視界に入る。
だが速度を出しながら荒れる海を走っているのだ。照準を合わせるなんていう繊細な作業など出来るはずがない。
照準があった瞬間、またすぐにずれる。銃身を支える二脚はひっきりなしに甲板でドラムを奏でている。
「これじゃロデオだ、ダッチ!」
「的はデカいんだ! 泣き言は聞きたくない、レヴィ!」
返事で無駄を知ったレヴィが舌打ちを吐き出す。だが苛立っても照準が安定する訳ではない。
そして鮫も苛立ちを察したのか、さらに煽るためか再び荒れ狂う海中へと姿を消す。
「ファック、モグラたたきみてーにまた引っ込みやがった!」
「ベニー!」
「無理だよダッチ! 僕たちの商売相手は魚じゃないんだ、海中ソナーなんてあるもんか!」
「不味い不味い不味い!」
「どうした、ロック!?」
「船の下に影が──っ!!」
「ロック!」
ロックの言葉にならない叫びとレヴィの咆哮が折り重なる。船の後方の船底を海中から付き上げられた衝撃で船体が跳ねたのだ。
シーソーで打ち上げられる子供みたいにロックの身体がハッチから船外へと飛び出した。
咄嗟にハッチの取っ手を掴んだから海へ投げ出されていないだけで鮫の餌になるのも時間の問題だった。
次の体当たりを喰らったら間違いなく海へと消えてなくなるだろう。
「ダッチ、ロックが!」
「何があった!」
「あの馬鹿ヒモ無しバンジーしてやがる!」
「ベニー、行けるか!」
「オーケー、すぐに向かう」
ダッチの素早い指示にベニーが間髪入れず肯定を返す。だがレヴィには分かってしまう。それでは遅いのだと。
ぶつかった拍子に速度が落ちて離れた魚影が再び近づいてきているのだ。
「ダッチ、私が跳ぶ!」
「おいレヴィ!」
ダッチが何かを言いかけるが、言い切られる前にレヴィがハッチから身を乗り出して思いきり踏み切った。
ハッチ内の梯子に結んだロープのたわみが徐々になくなりながら伸びていく。
「ロック!」
レヴィが叫ぶと同時に衝突音がして、再び船が大きく揺れた。衝撃に手を離したロックは、空中を近づいてくるレヴィに気が付き無我夢中で手を伸ばす。
「レヴィ!」
空中でレヴィとロックの手が繋がると当時にロープが伸びきり、二人の身体が船に引かれた。
その直後に、先ほどまで二人がいた場所目がけて水中から鮫が飛び出す。
「鮫釣りの餌なんて冗談じゃないぞ」
「文句言ってないでしっかり掴まれ! 釣餌じゃなくて撒き餌になるぞ!」
レヴィの怒声にロックがロープへ腕を絡める。ギチギチと絞まって血流が止まり、腕が痛むが命が止まるよりよほどましだ。
船と波、鮫の体当たりで二人の身体が甲板にぶつかっては宙を舞う。照準云々いうレベルではもはやない。
室内を跳ねまわるスカッシュのボールと大差ない現状に限界も近い。ライフルもハッチの底。手元には愛用のソードカトラスだけ。
「どうするレヴィ!?」
「んなの私の台詞だ!」
至近距離で怒鳴り合う。船をダッチに止めさせるのは論外。走っているからこそ鮫の体当たりも相対的に弱まっているのだ。
止まっている所に横合いから来られたら波も合わさって最悪転覆しかねない。それが解っているからこそ誰一人として停止を提案しない。
現状を打破するためにロックが思案を巡らせる。片手の空いているレヴィが苛立ち銃を撃つが、揺れによって明後日の方角へと弾丸が飛んでいく。
「なあ、レヴィ?」
「何だよ、ロック」
「一瞬あればお前ならあのデカブツの脳天をぶち抜けるか?」
「はっ、ったりめーよ! 私を誰だと思ってんだ、
「信じるぞ、レヴィ。ダッチ、聞こえるか!」
ロックが無線の向こうのダッチへ向かって叫ぶ。楽しげに笑うロックの姿にレヴィも獰猛に笑った。
「また声が聞こえて嬉しいぜ、ロック、どうした!?」
「合図をしたら船を跳ばしてくれ!」
「無茶言ってくれるぜ……」
「どっちにしろ殺らなきゃ殺られるだけだ!」
ダッチのぼやきが聞こえてくるが無理と否定しなかった。ならばあとは信じるだけだ。
いつもと同じ賭け。ならばあとは大きく賭けて大きく勝つ。それだけの話だ。
「レヴィ、俺達も跳ぶぞ」
「正気かロック?」
「釣餌上等じゃないか。精々美味そうにおどるだけだ」
レヴィとロックが同時に甲板を踏み切った。二人の身体が宙を舞う。迫って来ていた鮫もすぐさまそれに気が付く。
船側面の空中を浮かぶ二人目がけて跳びかからんと海中へと潜った。一瞬魚影が薄れて、また濃さを増し始める。
「ダッチ、跳ねろ!」
もはや海面間近という刹那にロックが合図を叫ぶ。タイミングはどんぴしゃ。急加速して水きりした石みたいに船が波で跳ね、鮫が海面から飛び出した。
僅かな間、完全に海から離れる。波から一時的に切り離された事で揺れが無くなる。
船の挙動が直前で変わったことで鮫が狙った位置とロックたちの位置が僅かにずれる。鮫と船、両者が同時に重力に捕まった。
目の前で一緒に落ちていく鮫をレヴィのカトラスが捉える。
「ホゥホゥホゥだ、クソッタレ!」
引き金が引かれる。連続する炸裂音に押されて弾丸が放たれる。もはや空中で動く事もままならない鮫はただひたすらに鉛を喰らった。
血が吹き出し、脳症をぶちまけ、肉を撒き散らす。全身からだらんと力が抜けて死んだことを物語っていた。
「ダッチ、左だ!」
ロックの再度の指示にダッチが舵を切る。紐で身体を引かれた二人は海ではなく、甲板へと叩き付けられた。二人で手すりにつかまり、身体を支え合いながら立ち上がる。
「ヤー、ヘッドショットだぜ、ダッチ」
「流石だ、レヴィ。マーティン・ブロディも真っ青だな」
「ああ、短すぎて映画にもならねぇがな」
「僕としてはこういった物はフィルムの上だけで十分だよ」
「俺もべニーに同意するよ」
一気に弛緩したやり取りが無線を賑わせる。レヴィとロックは、背後へと流れていく鮫の死体を一瞥して船内へと姿を消した。
そして鮫の死体も姿を消した二人を追うように、姿を薄れさせて最後には消え去った。
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ロアナプラの一角にある建物の二階。ラグーン商会の事務所で三人の男女が項垂れていた。
夜明け前のバーを覗けば見ることの出来る光景がそこにはあった。だが酒で酔っている者はこの中には一人としていない。
全員が全員、疲労で項垂れている。鮫を仕留めた後も嵐からすぐに抜けられたわけではない。
揺れる船体に何度もケツを蹴り上げられ、体力と三半規管をものの見事に削られたのだ。
特にべニーとロックは相当堪えていた。嵐を抜けた後に、罵詈雑言を背後に向けて叫んでいたほどだ。
「ったく、そろいもそろって嘆かわしいな」
「あー……ダッチか。おかえり」
「僕もロックも君ほどタフじゃないんだよ」
「で、あちらさんはどうなった?」
レヴィはダッチが事務所へ入って来た事に気が付くと伏せていた身体を起こす。だれてはいたがレヴィも荒事専門だ。楽な姿勢をしていた以上の意味は無かったのだろう。
だがダッチとレヴィの二人と対比するように、ベニーとロックは街中に転がっている死体と大差なかった。違いがあるとすれば口を利くか利かないか。その程度の些細な物。
「仕事は立ち消えだ」
クライアントと話をつけてきたダッチが腰を落ち着けながら結果を告げる。案の定な結果に誰もが異論をはさまない。普段であればそこで話は終わり。だが、今日はまだ少し続きがあったみたいだ。
「クライアントが言うには海の上のお相手さんが連絡に出ないようだ」
「もしかしてそれって?」
「どうにもそうらしい」
「なるほど。ダッチの判断は正しかったみたいだね。そうでなければ永遠に待ちぼうけをくらっていたわけだ」
荷を受け取る相手が魚たちのディナーになったと全員が正しく理解していた。
ロックとレヴィはなまじ、大口を開けていた鮫を見た分、他の二人よりげんなり加減は強い。
「今回は収穫なし。いや、それどころかへこんだ船体の修理費と燃料費で赤字か」
「その通りだ。全く最低の仕事だったぜ」
ダッチの返答に全員がため息を返す。ちょっとした静寂が数秒ほど続く。
「あっ」
レヴィが唐突に声を出した。ダッチが僅かに反応を見せて天井を見上げていた顔をレヴィへと向ける。
「どうした? これ以上の厄介ごとは御免だぞ。何かあるなら明日にしてくれ」
「そんな大事じゃないさ、ダッチ。拾い物だよ。強いて言うなら仕事の唯一の成果物さ」
レヴィがそう言って、事務所の床に放り投げられていたジュマンジをテーブルの上に置く。
「何だこりゃ?」
「つまらねーゲームさ、なあロック?」
ロックもようやくそこで身体を起こして伸びを一つ。ぱきぱきと音を鳴らしながらも視線をジュマンジへと向けた。
いきなりのトラブルで忘れていたがそういえばこんなゲームをやっていたなと思い出したのだ。
「正直鮫の印象が強すぎて忘れていたよ」
呑気なロックの反応にレヴィも思い当たる節があるのか肩をすくめる。
ゲームという単語に反応したのかベニーもいそいそと身体を起こしてジュマンジを眺めていた。
「へぇ、見た目はいいじゃないか。木彫りの感じがマイナーな雰囲気を出していていいね」
「二束三文にもなりゃしなさそうだがな」
「チッチッチ、甘いぜダッチ」
芝居がかった仕草でレヴィが指を振った。両開きの蓋を開けて、残りの使われていない駒を二つ取り出す。ウマとカバの駒だ。
取り出した駒をスタート地点に置くのではなく、マス目の描いてある盤上で適当に離す。すると盤上を転がった駒は、導かれるようにそれぞれのスタート地点へと吸い寄せられていく。
明らかに可笑しい挙動に二人が目を開いた。
「磁石かなにかか?」
「さあ? でもたぶんそうじゃないか」
「あっ、そうかも。これ凄い固いぞ。少なくとも僕じゃ外せそうにないな」
ベニーがウマの駒を動かそうと力を入れるがビクともしていない。
「ゴールっぽい所までいかないと外れないのかもな」
「でもこれ外すのもそうだけど、前後左右どちらにも動かないぞ」
力を込めているベニーを見てダッチが推測を零せば、ベニーはやはりそれを否定した。
動かないんじゃゲームにもならないなと、ベニーは興味を失ったのかソファへと背中を預けた。
「ところがどっこい、ここからが面白いんだ」
言葉と共にレヴィがサイコロを振る。ダッチとベニーがいぶかしげにその様子を見ているが特に何かを言うわけではなかった。
盤上を転がっていたサイコロが静止する。しかし、レヴィとロックが見たように駒は動かなかった。
「おい、レヴィ。担ぐならもう少しましな内容にしろ」
「そうだよ、レヴィ。疲れているのは分かるから今日はもう休むといいよ」
「はぁ!? おい、待てよ、ダッチ。私は担いじゃいねぇよ。なあ、ロック。それとベニー、酔っ払いみたいな扱いはやめろ」
二人の優しい声色にレヴィが憤慨をみせる。思い通りに動かない駒にも苛立つが、二人の反応の方がよっぽどか腹に据えかねる。
ロックもレヴィが正しいことを知っている為、助け船を出すかとサイコロへ手を伸ばす。
そこではたと気が付く。自分の駒が進んでいるのだ。二マス分だが確かに進んでいた。
サイコロを振った記憶は無かったが、船で揺られてずれたのだろうかと深くは気にしない。
「船でぶつかって壊れたかな?」
ロックがそう言いながらも一応とサイコロを振る。レヴィと噛み付かれていた二人も音に気が付いて、ほんのわずかに注意がジュマンジへと注がれた。
からんころんとサイコロが転がる。転がるサイコロにロックは過去を思い出した。日本へ帰った時に出会った夜の少女を。
人ってね、サイコロと同じだって
あるフランス人が言ってるんです
自分でね、自分を投げるんです
自分で決めた方向に
それができるから人は自由なんだって
みんな境遇は違ってて……
でも、どんな小さな選択でも
自分を投げ込むことだけはできるんです
偶然とか成り行きなんかじゃなく
自分で選んだその結果ですよね
自慰的な感傷だとロックは浮かび上がってきた記憶を再び沈める。サイコロが止まった。出だ目は二と三で合計五。
進んでいたマス目と合わせれば七マス分。レヴィにはまだ敗けてはいるが、一マス程度なら誤差の範囲だ。目の合計が確定すると、先ほどのレヴィの時と異なり駒が進み始めた。
「へぇ」
「どういった原理だい?」
「さぁ?」
ダッチが興味深げに感嘆を漏らし、案の定ベニーは喰いついた。
レヴィは先ほど動かなかった事が不満なのかふて腐れた顔で頬杖をついている。
けれども確かに謎だ。ロックの時は反応して、レヴィには反応しなかった。
やはりぶつけて壊れて反応が鈍くなっているのだろうか。
ロックがそんなことを考えていると駒が停止する。そして一度見た時と同じようにガラスに文字が浮かび上がった。
“竹より速く伸び”
“あなたの後を追う”
短い何かを匂わせる文章。そういえば一度目はなんと出たのだったかと、思い出そうとしたロックの思考が二人の声に遮られる。
「こいつは面白いな。原理はさっぱりだが燃料代くらいにはなりそうだ」
「ほら見た事か」
「へそを曲げるなよ、レヴィ」
「うーん……でもこれだけだとするならゲーム性は無さそうだね。折角ここまで頑張ったんだから惜しいな」
ベニーの評価に確かにと全員が同意した。見世物としては面白いが、ボードゲームとしては未完成もいいところであった。
ティーカップだけ立派でも中身が水なら価値はお察しだ。物好きも探せばいるだろうが、さすがにそこまで労力を割く気にはなれない。
普通に売り払っても二束三文よりはマシ程度の値段しかつかないだろう。
「どうやって判別しているんだろうね、出目とかもさ」
ベニーが興味深げにサイコロを手に取って自分も振る。転がったサイコロが示す目は二と四の六。
合計に合わせてウマの駒が先へと進む。目の数だけ進めば停止して、やはり文字が浮かび上がった。
“助けの手が必要かい?”
“おれたちには手が八本ある”
浮かび上がる文字を見ながらベニーは実に興味深いと瞳を輝かせていた。そんな折、ふとレヴィはある事に気が付いた。
「おい、何か聞こえないか?」
「何だ、どこかで銃声でもしたか? いつもどおりさ」
「違うよ、ダッチ。もっと嫌な音だ」
しっと口元に指を持ってきて静かにと促す。レヴィの指示に全員が口を塞いで耳を澄ませた。
すると聞こえる。通りから聞こえてくる雑踏とは別にギシギシと軋む音が耳に付いた。
「一体いつから周りの部屋が売春窟になったんだ」
「それにしては喘ぎ声が聞こえないぜ」
ダッチのつまらない冗談をレヴィが揶揄する。ダッチとしても自覚はあったのか「そうだな」と短くつぶやいて肩をすくめた。
いつも通りのやり取りを二人がしている間も異音は止むことはない。それどころか徐々に大きくなっていっている。
「なんだか嫌な予感がしてきたのは俺だけか?」
「奇遇だな、ダッチ。私もだよ」
荒事担当の二人は何かを感じたのか、いつでも愛銃を抜き放てるよう意識を切り替えていた。
ロックとベニーもさすがにそれで不味いと感じたのか周囲を警戒するように視線を走らせる。
だが音がするだけで何も変化は見つからない。
「ベニー!」
「──うぉお!」
レヴィが名前を叫ぶと同時に銃を引き抜く。銃口の先はベニー、ではなくその僅か頭上。
ベニーが頭を伏せるのが早いか、レヴィが引き金を引くのが早いか。僅かな時間に銃声が轟く。
「おいおい冗談だろ」
「冗談なもんか、目の前にあるんだから」
ロックも事態に追いついたのか二人の視線の先を追う。そこには成人男性の頭の大きさ程もある蜘蛛の死体が転がっていた。
体液を撒き散らせ、足をぴくぴくと痙攣させている姿が作り物ではないことを教えてくれていた。
「どこかの港で危険生物でもひっかけて来たってのか」
「それならここじゃなくてドックで繁殖しているはずだろ」
ベニーが伏せていた頭を上げながら顔をしかめる。だがそれで終わりではなかった。カサカサというもの音が急激に増えたのだ。
発生源は天上。四人が一斉に見上げるとそこには多数の蜘蛛がいた。無論、どれもが先ほどの死骸と同じサイズ。
「ファック! クレームもんだぞ!! 何処からわきやがった!」
「良いから撃てレヴィ! こんなもんに噛まれたらたまらねぇぞ!」
断続的に銃声が響く。
「うわぁ!」
「ロック!」
だがそこにロックの悲鳴が割り込む。咄嗟に手の空いているベニーがロックを見やれば、床板の隙間から植物のつるが伸びていた。
しかし普通の植物でないと一目でわかる。まず蔓が親指ほどある上に、今なお成長しながらロックの足を絡め取っているのだ。
「ダッチ、レヴィ!!」
ベニーが叫ぶと同時に、蔓がロックの身体を凄まじい力で引き始めた。部屋の壁側に向かって床板を蔓が割りながら進んでいく。
床を割り、壁を裂きながら蔓が現れた。壁から延びる蔓はロックの足に結びついている。
ベニーがロックの腕を掴みながら踏ん張るがずるずると壁に近づいていく。壁まであと一メートルまで来ると壁に亀裂が入り始めた。
「おいおいおい、ベニー頼む! もっと強く引いてくれ、この際肩が抜けたってかまわない!」
「これが僕の精一杯だよロック! 君の肩より僕の肩の方が先に抜けそうだ!」
「踏ん張れ、ロック! あと少しだ!」
訳のわからない状況の中、それでも全員が状況を打破しようと声を出し合う。
けれども状況は好転しない。壁の亀裂が割れ目へと代わり、壁の向こうから巨大な植物のつぼみが現れた。
四枚の花弁を大きく開き、毒々しいまでに鮮やかな黄色の花を咲かせた。
「鮫の次は食人植物かよ!!」
ロックが悲鳴をあげた。足先から延びる蔓の先は、黄色の花を咲かせる植物の中心へ繋がっているからだ。
吸い込まれた時の結末なんて子供にだって簡単に連想できる。黄色の花の表面が妙に肉々しいのがまた一段と気味の悪さを助長していた。
ロックが絡まれていない片足と、ベニーが踏ん張ってもなお少しずつ植物がロックを引き寄せていく。
「レヴィ、ダッチ! 頼む早くこの気持ち悪い植物を撃ってくれ!!」
「ダッチ!」
「任せるぞ、レヴィ!」
ダッチがレヴィに蜘蛛の処理を任せて、植物の処理にまわってきた。
蜘蛛と違って根を生やした植物は良い的だ。一発目で蔓が引きちぎられ、二発目で花弁に穴が空いて、三、四と増えていくほどに傷を増やしていった。
意思が存在しているのか不明だが、ある程度の弾を打ち込まれた花は花弁を閉じて蕾の形をとると壁の向こうへと引き下がっていく。
「た、助かったぁ……ありがとう、ダッチ。死ぬかと思った」
「生きてるってのは良いもんだ、死ぬ思いができるからな」
「今は笑えないな」
「だろうな」
背後の銃声も収まった事から蜘蛛狩りも終わったことが推測できる。
「一体全体なんだってんだ。事務所がめちゃくちゃだぜ。請求先は一体どこにすりゃいいってんだ」
「賃貸元だろ」
「それで何て請求する気だい? 顔程の蜘蛛と人食い植物が出たから修理費の請求と駆除業者でも呼ぶつもりかな」
「こんな化け物染みた生き物の駆除なんてスーパーマンの仕事だろ」
「そりゃいいな。悪党がヒーロー様に泣きつくわけだ」
「はっ、傑作だぜ。そんなことするくらいなら私は銃を置いて神に祈ってやるよ」
「ここの教会じゃ銃を渡されて自分で駆除しろで終わりさ」
「だったら最初からこいつをぶっぱなしゃ済む話だ」
レヴィが弾倉を変えながら吐き捨てる。ダッチも空になった薬莢をリボルバーから捨てて弾丸を込めている。
「何だってんだよ、エルム街の悪夢でも始まったのか」
「そいつのがよっぽどかましさ。夢の中で殺人鬼を見つけて殺しゃしまいだからな」
「だな。薬でハイになっている訳でもねぇし。論理的な説明が欲しい所だが……」
「無理だろうね。僕達に出来ることは今目の前で起きていることを、起きていることとして認識して対処する事だけだろうさ」
「クソッタレな現実だな。泣いちゃいそうだぜ」
「泣くのは構わないが、そろそろ本格的にまずそうだ」
まるで普段通りの応酬をしている間も部屋の壁を伝うように植物の蔓が伸びていた。最初に聞こえた嫌な音は植物が壁の中を育っている音だったのだ。今も床板が所々割れ、蔓がうねっている。
蜘蛛はもう死体だけだが、植物が問題だ。蔓を見れば先ほどロックを丸のみしようとした植物と別種だと分かる。
けれども違うからといってそれが安堵の材料になるかは別の話だ。もっと厄介な植物である可能性もある。
例えばいまレヴィの背後で花開こうとしている紫色の花なんてそうだ。
「レヴィ、後ろだ!」
ロックの叫びと共にレヴィが反転する。疑う余地など欠片も存在しない。その程度には信用も信頼もしているからだ。
閉じられた花弁が一瞬で開く。撃たれてから銃弾を回避するような馬鹿げた身体能力を持つレヴィの瞳が花を捉える。
開かれた花の奥から棘が射出される。
「遅せぇ!!」
棘を紙一重で交わしながらレヴィが弾丸を放つ。茎を断ち、花の中心に風穴を開ける。
それだけで花は機能を失って、床を無残に転がる。だが終わらない。尽きはしない。
一個目の破壊が合図だったかのように床板を裂きながら次々と植物が生えてくる。
そのどれもが先ほどの花と同じく、紫色の花が蕾から覗いていた。
「一端ずらかるぞ! 走れ!」
ダッチの宣言と共に一斉にラグーン商会の面々が行動を開始した。
花開く前の蕾をレヴィとダッチが撃ち落としながら、ロックとベニーが走り出す。
「ああ、やっぱりそうだよね」
「ベニーもか」
ロックとベニーは二人して出口に一直線には向かわず、机の上で今だ広げられているジュマンジを回収し始める。
レヴィが横目で二人を確認すると小さく舌打ちをし、怒声を発する。
「ホワイトカラー's! 速く出ろ! 鞭の代わりに鉛が欲しいならそう言え、ケツを引っぱたいてやる!」
怒声に殴りつけられた二人が出口に向かって全力で走り出す。ロックがジュマンジを抱え、ベニーが扉を開けようと手をかける。
だが扉は一向に開かない。軋みはするし、ノブは回る。ヤケクソ気味に体当たりすれば僅かに隙間が開いた。
「扉の向こうも蔓が張っていて開かない!」
「退きな、ベニーボーイ!」
ダッチが声を駆けながら全力で扉に向かって走り出す。ぶつかる瞬間、身体を曲げてショルダータックルをぶちかます。
ミチミチと蔓の千切れる音がし、僅かな拮抗の後に扉がダッチに吹き飛ばされた。廊下に飛び出したダッチの視界には、通路中に張り巡らされている植物の蔓が映り込む。
「まずいぞ、建物中に根を張ってやがる!」
部屋から逃げ出した三人がさらに悪い知らせに表情をしかめる。不幸中の幸いがあるとすれば、攻撃性の高い植物がまだ芽生えていないことだろうか。
それも苦難に見舞われている四人からすれば気休め程度の話でしかないが。バラライカから逃げた後に
いまだに伸び続ける蔓は隙あらば絡みつこうとしてくる。止まっていてはロックの二の枚になると全員が走り出す。
細い蔓に巻かれては、太く成長する前に引きちぎりながら進む。太い蔓に絡まれれば、ダッチかレヴィが銃弾を叩き込む。
廊下を駆け抜け、裏扉から外へと飛び出す。まだ屋外までは浸食していないのか、植物は見当たらなかった。
「車に乗れ、まずは腰を押し付ける場所まで向かいたい」
「何処にする?」
「あー、ドックでもいいけど……」
「冗談じゃない。ここみたいになったら俺はストを起こすぞ」
「雇用主がストとか笑えもしないぜ」
「当り前だ。事ここに至っては笑い事じゃないぞ」
ダッチのサングラス越しの瞳はどこまでも本気だった。ならば一先ずの第一候補は決まったようなものだ。
そう。イエローフラッグだ。
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3
悪党どもの吹き溜まり。何処も彼処も糞ばかり。様々な勢力が幅を利かせる地の果てで、中立地帯を謳う店がある。半壊一五に全壊六。馬鹿みたいに壊れては立て直す。
商魂たくましいのか、単なる馬鹿なのか。店の店主がくたばった時に答えは出るだろう。
そんな
「珍しいな、こんな時間に
「っせーぞ、バオ。口からクソひり出す暇があるんなら酒を出しな」
「なんだよ、レヴィ。嫌に機嫌がわりィーじゃねェか」
「おお、よく分かったな、バオ。ジャックポットだ、景気が良いぜこりゃ、ハンッ!」
「絡むんじゃねェよ」
バオの物言いにレヴィが舌打ちを返す。言いかえしてこないレヴィの様子にバオは眉をひそめた。ちょいと突けば粗悪品の銃みたいにすぐ暴発する跳ねっ返りが口をつぐんだのだ。
これはいよいよ良くない事が起きる前兆かと、さらに情報を得る為、探りを入れようとして遮られた。
「悪いがバオ、人数分の酒を頼む。ちょいとばかし腰を据えて話をしなきゃならねぇ。隅のテーブルを借りるぞ」
「ダッチ、クソ話なら事務所でやんな。ウチは小洒落たオフィスじゃねぇ、酒を飲むところだ」
「知っている、知っているさ。だからこうして酒を頼んでるんだ」
ダッチ以外の面々はさっさと腰を下ろして、遠巻きに二人を眺めていた。視線の先ではバオとダッチが無言で向かい合う。数瞬後、バオは無駄を悟って空のグラスと瓶をカウンターの上に無造作に置いた。
「面倒だけは起こすんじゃねェぞ」
「当り前さ。神様だって七日目には休むんだ。誰もが静粛な
バオが足元のショットガンを軽くつま先で小突き、気が付いているダッチはおっかねぇと肩を竦めてみせた。まるで意味がありゃしねぇと、バオはため息を吐き出すとしっしっと手を振る。
「恩に着るぜ、バオ」
「どうせなら貸しにでもしとけってんだ」
恩に着ると口にしながらどうせ軽口だろうと吐き捨てる。だが、今回はどうにも様子が違ったらしい。バオの前から離れていくダッチが背を向けたまま言葉を投げかけていった。
「今回ばかりは借りといてやるよ」
「……はぁ?」
一瞬理解が追い付かなかった。貸しや借りなんざ、
金を出して、酒を飲む。言ってしまえば当たり前のことをしただけなのに借りるという。だから解せない。冗談に冗談を返した訳じゃないのは声を聞けば分かる。伊達に二十回余りも店を壊してはいない。それだけ長く店を開いているのだ。その程度聞き分けられる。
「こりゃマジで厄ネタか? まさかメイドがまた出たんじゃないだろうな……」
離れ行くダッチの背中を見ながら無意識に呟かれたバオの声は、誰にも届くことなく店内の喧騒に潰された。
四人が囲うテーブルの上には酒とグラス、そして一つの木箱が存在を主張していた。聞いていられるかとばかりにレヴィはテーブルへ足を乗せて天井を仰いでいる。ダッチは馬鹿な話を聞いたと与太話に痛む頭へ手を当てていた。
「それじゃあ何か、ロック、ベニー? このアラビアンナイトのランプを擦ればたちまち願い事が叶うってのか」
「そりゃいいぜ、お姫様もびっくりのビビディ・バビディ・ブーだ。こいつはいよいよガラスの靴を運んでくれる王子様もお払い箱ってわけか」
「確かに僕もロックもそう言った。だけど勘違いをしないでほしい。僕らだってそんなことを全面的に信じている訳じゃない。ただここで示された暗示と起こったことが一致しすぎている。全くの無関係だと信じる方が難しいって話だよ。比較論の話さ。こいつが無関係なことと何かしら関係があること、それらを天秤に掛けただけさ」
「なるほどな。ベニーの言い分に理があるのは分かった。だがなベニー・ボーイ、天秤へ乗せる重りに問題があっちゃ何の意味もねぇ。撃たれて死ぬのと、爆破されて死ぬことを比べて、撃たれた方が原型は残るからハッピーだと抜かすようなもんさ。死んじまやぁ、どっちも等しく死体なことには変わりないのに、だ。分かるか?」
言い終えるとグラスの中身を空にする。植物に沈められた事務所を思えば、この程度の酒精では頭痛薬の代わりにさえなりはしない。しかしそれでも無いよりましだとさらに瓶の中身をグラスへ注ぐ。
「だったら、振ってみればいい」
「ロック」
「ダッチ、今度はアンタが振ってみるんだよ」
説得も考察も、間にある筈の過程を全てすっ飛ばしてロックがジュマンジを広げてサイコロを置く。燻らせた煙草の奥の瞳が楽しげに笑っていた。レヴィはロックの顔を一瞥すると
「また病気が顔を出しやがった」と吐き捨てた。
「どうしてもお前は俺におままごとへ付き合えと言いたいらしいな」
「何事も検証が必要だって言っているだけさ」
「誤魔化すなよ、ロック。本音を語れよ」
「……先をな」
先の無くなった煙草を消し、新しい一本を咥える。
「この先が見たいんだ。こいつが実現しているでも、こいつの暗示をどこかの馬鹿が実行しているでも構わない、だが俺はこの先を見たい。何が起きるのか、終わった後にどうなるのかそいつを見てみたいんだ、ダッチ」
淡々と、高揚もなく、落ち着いた口調だ。墓の前で死者へ語りかけるみたいに熱は無い。
それでも三人は知っていた。発射したがっている弾丸みたいに、自らの中へ火薬を詰め込んでいるロックという男を知っていた。
そしてロックに撃鉄を叩きつけるのも誰かと知っている。
「振ってやりなよ、ダッチ。それで満足するってんだ。振って事が起きれば原因が分かってハッピー。何も起きなきゃ二人の頭が火星辺りで遊泳しているって話で終わりじゃないか」
「だがな、レヴィ。仮に本当に何かが起きて見ろ。分水嶺は今かもしれない。取り返しのつかない事が起きたら、それこそ事だ」
「その言葉こそがアンタも信じたがっている証拠じゃないか」
「言葉尻に噛み付くんじゃねぇよ、ロック。仮定の話だといってるだろうが」
「仮定としてあげる程度には現実味を感じてる、だろ?」
面白くもねぇ言葉遊びだとダッチが不快さに酒をあおった。だが感じている頭痛は欠片も引きやしない。本格的に頭痛薬が欲しくなってくると胸中で悪態をつく。
そして頭痛薬代わりの酒も瓶を逆さに振っても落ちなくなった。事務所がおしゃかになった苛立ちと現状に対する不満に瓶をテーブルへ叩き付ける。
「らしくないな、ダッチ」
「荒れたくもなるさ、ベニー」
諌めるベニーの言葉に冷静さを取り戻すが、事務所が返ってくるわけでもない。
現実ってやつに唾を吐いてやりたいが、実態がある訳でもない。それに最悪吐いた唾を自分で踏むかもしれないリスクもある。だからこそ胸糞悪い現実の前では溜息しか出てこない。
追加の酒でも頼むかと立ち上がりかけたダッチへロックが水を差す。
「ダッチ」
「まだ何か話したいってんなら構わないさ。だがとてもじゃないが素面じゃ聞いていられねぇ。酒を貰ってくるからちょっと」
「ダッチ、違う、違うんだ。駒が動いている」
ロックの指摘に全員が一斉に盤上へと意識を向けた。
指摘通りに駒が動いている。カバの駒がサイコロの出目に従い先へと進む。進んだ数は七。ラッキーセブンだと能天気に浮かれる馬鹿は四人の中にはいなかった。
ただ全員が盤を真剣に見つめている。
「おいおい、こいつはどういうことだ。俺は振っちゃいねぇぞ」
「たぶん振動だ」
「どういうことだ」
「ダッチが瓶でテーブルを揺らした時にサイコロが転がったんだ。
「当たり屋だってもう少しは筋道を通しやがるぞ、くそが」
「僕たちや僕たちの周りがどうであろうと、こいつにはそれが正義ってだけの話なんだよ」
いくら悪態をつこうがジュマンジは決して止まらない。絞首台を上る囚人みたいに規則正しくマスを進み、絞首台から落下する。暗示が浮かぶ。まだ二回しか見ていないというのに、すでに見たくないほど見た気がしていた。
“雷ではない”
“落ち着いていると”
“大間違い”
浮かんでいた文字が消えていく。幻覚でもみていたかのように、きれいさっぱり消え去っていく。
文字が消えると同時に周囲を各々が見渡す。遠目からは明らかに不審な動きだが、他の客は酒を飲み騒いでいるため気が付かない。唯一違和感を覚えていたバオだけが気が付くが、話の内容は聞こえてこないために結局は何も分からなかった。
周囲を見渡しても変化は何もない。それを確認したのか再び四人の顔が互いを向く。
「どうやら必要なのは頭痛薬ではなく精神安定剤だったようだな」
ダッチがロックとベニーへ向かってそう言えば、二人も言いかえす言葉は無かった。本当に偶然だったのかとロックが視線をテーブルへ戻して、気が付いた。
「ダッチ」
「頼む、ロック。少し口をつぐんでくれ。いい加減与太話はうんざりだ。生産的な話へ切り替えようじゃないか」
「ダッチ、見る所が違ったんだ」
「ロック?」
あまりにも真剣な声色にダッチがロックを呼ぶ。だがロックは視線をテーブルに固定したまま微動だにしなかった。
「もう起きているんだ、ダッチ。もう何かが始まっているんだよ」
ロックの言葉が言い切られるまえにテーブルの上のグラスと瓶が独りでに落下して、甲高いガラス特有の破砕音を奏でた。
他の三人も気が付き、すぐにテーブルへと視線を向けた。
揺れている。残ったグラスが、ジュマンジが微かに振動していた。
「この感じ、見覚えあるぜ」
「奇遇だね、レヴィ。そりゃ僕もだ」
「発煙筒でも焚いて駆けまわるか?」
「仮設トイレに逃げ込むよりかはそっちの方がまだましだね」
二人の軽口の間にも振動は徐々に大きくなっていく。他の客にも気が付く者が出始め、バオの背後の棚では同じように震えている数多くの酒が身投げを始めた。
明らかな異常事態に、店内の喧騒が困惑のざわめきレベルまで落ち込む。するとどうだろう。聞こえてくるではないか。ごろごろと鳴る雷鳴のような音が。振動と同じく、大きくなっていくその
「店から出ろ、ダッチ、ロック!!」
「本当にあれなら冗談じゃない!」
「何だってんだ、二人して」
「ジョーズの次はジュラシックパークへのご招待だとよ、クソッタレ!」
ジュマンジを抱えたベニーを追って、他の面々も外の車へ向かって走り出した。
「おいレヴィ! またお前らが何かしたのか!」
「うるせぇ、バオ! アタシらにも限度って物があるんだ! 何でもかんでも原因だと思うな!」
背後からのバオの怒声にレヴィも噛み付き返す。だが一向に止まる事無くかけていくレヴィにバオも嫌な予感を覚えたのかショットガンを小脇に抱えた。
だがそれに何の意味も無い。いつものようにどこかしらから銃弾が跳ぶのであればカウンターに仕込んだ鉄板で対処できた。だが今回はそんな小さな物が店へと飛び込んできたのではない。
バオは聞く、背後の壁の悲鳴を。振り返った刹那、そいつらは現れた。
象に、犀に、馬に、鳥に、猿にetc……と多種多様で数多の動物たちが壁をぶち破ってのご登場だ。サーカスであれば拍手喝采だがおあいにく様、ここはバーでカウンターの中だ。どう頑張っても悲鳴か怒声くらいしか上がらない。
バオは目と鼻の先に現れた象の鼻に横合いから殴り飛ばされ、自分の店の壁に衝突した。
「ハリー、ハリー、ハリー!」
背後へ振りかえっていたレヴィの悲鳴のような絶叫が三人の背中を叩く。
慌ただしく、車に乗り込めばすぐさまエンジンが点火される。
「早く出せ! クレープの生地にされるぞ!」
急発進する車の背後からショットガンの銃声が木霊する。どうにもバオは怒り心頭らしい。連続する銃声がそれを示しているが、残念かな、跳び出してくる獣の数に変わりは感じられない。
「ロック、お望みどおりの先の展開だ! どうするか考えが有ったらぜひ聞きたいね!」
後部座席に向かって声を張り上げるダッチ。だがそれもそのはずだ。車を踏みつぶさんと獣の軍勢が後を追ってきているからだ。これで冷静な奴がいたら勘違い野郎か、死にたがりだけだ。
バオの店から出た獣たちは大半が勝手気ままに散開して、そこいらじゅうで車をつぶし、出店を刎ね飛ばし、人を轢いていた。ジュラシックパークとの違いがあれば餌になるかならないかくらいのこと。
レヴィが背後へ向かって鉛玉をぶち込んでいるが、追ってきている象や犀にはまるで痛手になっていなかった。
「ダッチ、デカブツ共が石頭過ぎる! これじゃあ中身まで届かない!」
「だったら行先は決まっている。そうだろ、ダッチ」
「ったく、可愛げのねぇ。代金はお前さんの給与から天引きだからな、ロック。精々値切れ。ベニー、教会へ向かえ」
ダッチが自身の携帯電話を背後のロックへと投げ渡す。ロックも了承し、すぐさま電話を耳へと宛てた。
レヴィも事態の推移を理解すると頭をひっこめ、無駄玉を消費することをやめた。幸い、速度に関しては僅かに車が勝っていた。この分であれば問題なく暴力教会までたどり着く。
一応の危険が去ったとなれば意識にも余裕が出る。のど元過ぎればだ。狭い後部座席でごそごそと動き始めたレヴィにダッチが訝しんで視線を送ればジュマンジを広げているではないか。
「レヴィ、お前さん何をする気だ。その物騒なおもちゃをひっこめな。そいつは後で海にでも沈めるべきだ」
「ダッチ、そいつはもう遅い、遅すぎる」
「まだだ、分水嶺は超えていな──」
「──とっくに超えているよ、ダッチ。分かっているはずさ。ほら見なよ、あっちの通りを」
十字路へ侵入する直前にレヴィが首を振って方向を指し示す。見覚えのある通り。全員が通りを奔り抜ける間の僅かな時間にそれを見た。事務所のある建物から漏れだした植物が、さらにその勢力を広げているのだ。また背後ではどこかで車が爆発したのか黒煙が所々で上がっている。
「動物は肉に変えちまえばいい。だがあれはどうする、除草剤でも撒いてみるか? 無意味だと私は思うね」
「だが……」
「覚悟を決めなよ、ダッチ。それにこれだけのことをやらかしてんだ。ケリをつけずに捨てたって映画の『マスク』みてぇに戻ってきちまうのが関の山さ」
「……確かに言う通りだ。全くもって最高だよ。どうやら俺は相当参っていたらしい。そういやそいつに書いてあったな。クリアをすれば全てが消えて元通りだと」
「ああ、書いてあるよ。先に上がれば勝ちだとよ。私らが死ぬか、上がるのが先か。勝負してやろうじゃないか、面白い」
「ああ、面白い。全くもって正気じゃない。正気じゃねェがそんなこと今に始まった話じゃない」
「それでこそさ、キャプテン。それじゃあさっさと済ましちまおうぜ。二日もこいつで遊びたくはねぇ」
「同感だ」
レヴィがニヤリと笑い、サイコロを掴んだ。ダッチの同意を受け、サイコロを転がす。からんころんと音がなる。サイコロが止まり、駒が動き出す。示された物は。
“夜に抱かれた 狩人たちが”
“今宵はアナタを 抱きしめる”
浮かび文字が消えていく。広げたジュマンジを閉じながらレヴィとダッチは周囲へ視線を走らせた。いつだって襲撃は文字が消えて少ししてから。僅かな時間がある。今までも先制をなんとか躱してきたが、どれ一つとってもまかり間違えば死んでいてもおかしくはなかった。
「ベニー、道を変えろ! 何でもいい、速く右へ曲がれ!」
レヴィが再び社外へ身体を乗り出しながら叫び散らす。訳が分からないながらも、あまりにも鋭い声が猶予の無さを物語っていた。
ほとんど速度を落とさず、カーブを始める。タイヤが地面を削りながら、タイヤ痕を焼き付ける。振れる車体の中にありながらレヴィは狙いたがわず弾丸を吐き出す。
そしてそれと同時に、ケツを向けた建物の屋上からも弾丸の返礼が返ってきた。
レヴィの牽制が屋上の壁を削り、相手の弾丸が地面とトランクの一部にめり込む。
車の速度も相まって邂逅は一瞬。だが確かにレヴィは見た。幻覚でも、他人のそら似でもない。銀髪の双子を確かに見たのだ。
「あはは、逃げられてしまったね、姉様」
「ええ、残念だわ、兄様。仕方ないから追いかけましょう」
「そうだね、姉様。追いかけようか」
離れていく車を見送りながら二つの小さな影が笑いあい、影を重ねる。
まだ終わらない。まだまだ終わらない。ゲームは続き、ジュマンジは先を暗示する。ゴールにたどり着くその時まで。
「神は留守だがどうやら悪魔はご在宅だったらしい」
銃声がなり止んだ直後、レヴィの第一声がソレだった。胸糞わるいと欠片も隠しはしない声色が見たモノに対する不快さをこれでもかと主張していた。
「レヴィ、何を見たんだ?」
通話を終えたロックが、取引の内容をダッチへ告げてから問い掛けた。むかっ腹に任せて吐き出そうとして、レヴィが一瞬止まった。あの少女の死に際を見ていたロックを思い出したからだ。
だがそれでもいづれ見ることになるのだ。そして今のロックはあの時のロックとは違う。四ツ目を助けてからのロックはずっと
「私の見間違いでなきゃ、姉御にファックされた双子だよ、ありゃ」
簡潔な回答。ベニーが一瞬誰だったかと思い出そうと眉を顰め、ダッチが「ああ」と短く漏らし、ロックが顔を歪めた。
「レヴィ、でもそれは──」
「──ロック、お前が聞いて私が答えた。信じるも信じないもアンタ次第さ。ただ私は意見を変える気はない。鏡から引きづり出したみたいにそっくりで、銀髪の銃を振りまわすガキ二人だよ。私が見た物はそれが全部でそれだけだ」
突きつけられた言葉にロックが押し黙った。誰も言葉を発さない沈黙が車内を満たす。
「レヴィ」
ロックの呼びかけにレヴィの視線が向く。過去を思い出したことでまたロックが戻るのではないかと小さな不安が胸に灯る。
「自慰の為の感傷なら聞きたくないよ」
「違うさ、レヴィ。俺が頼みたいことはそんな事じゃない。そんな事じゃないんだ」
夜の水面のように穏やかで、それでいて深い黒を湛えた瞳をしているロックが、レヴィの考えを否定する。考えなかったかといえば嘘である。過去の失敗を、今度こそあの少女を助けることはできないか。そんな甘美な幻想に一瞬は手を伸ばしたいと思った。
だがそんな事出来るはずがない。世界はいつだって不条理で、奇跡なんてない。あるのは理不尽と、運だけだ。
「壊してくれ」
だからロックは自分に出来ないからとレヴィに願う。どうしても許容できない不条理を砕いてくれと言葉にする。
「あの娘は死んだんだ。空を仰いで、海を眺めながら眠ったんだ。彼女の物語はもうずっと前に閉じられて、血で汚れた歯車の中から抜け出したんだ。そいつをこの
自身の心配を杞憂だと蹴り飛ばされたレヴィが僅かに瞳を見開き、歯をむき出してシニカルに笑った。殺せではなく壊せと言うのがまた堪らなく愉快だった。自分の言葉を信じたうえで蘇った存在としてではなく、作られた存在だとロックは自分の中で答えを定めたのだ。
「オーケー、ロック。私が墓の下から二度と引っ張り出されないよう、寝かしつけてやるよ」
「そうかい……それなら安心だ」
穏やかに返答をするとロックが窓から空を眺める。青く綺麗な空はあの時と何一つ変わりない。
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4
「何だって
教会へたどり着いた時、外で待っていたエダの第一声がこれだった。さすがにイエローフラッグでの二の舞をここでも起こす気はなかった。だからこそ、さっさと目的の物を受け取って離れる為、エダへ商品を持って外で待っていてほしいとロックは伝えていたのだ。
だがそれで素直に「はいそうですか」と話が終わるほど人の良い人種がこの街に住まうはずがない。トラブルの匂いを嗅ぎつけられないド低能は、三日と経たずに本物の死体へと早変わり。それが
無論、エダは
銃声につられて顔を出すようでは命が両手の指程あっても足りない。出した瞬間に弾け飛んでも何一つおかしくない。
「回ってきた話を聞けば、なんでも街中でサファリパークをおっぱじめようってバカがいるらしいじゃない。ワシントン条約もトイレのちり紙だと言わんばかりに大量にいるって聞いたけどねぇ」
随分と耳が早いと全員が感じたが、口に出す愚を犯す馬鹿はいない。その程度の耳目が無くてはこの街で武器商人など出来ない。だからこそ耳の優秀さを称賛しても、耳が有る事に疑問の余地はない。
「知ってんなら話が早い。手持ちの
「全員で雁首揃えてねぇ。これから象狩りでもしてパーティでも開くつもりってかい?」
「バオの店で一杯ひっかけてる時にカウンターをぶち破って来たんだよ。子供の使いに全員で顔出してんのはそいつが理由さ。ここに来るまでも随分と追いかけられたから、護身用ってやつだから勘ぐるんじゃないよ、エダ」
「なんだい、偉くつれないじゃないか、レヴィ。痛い腹でもあるのかね」
「何もないのにまさぐられてるから不愉快なんだよ」
サングラス越しにレヴィとエダがにらみ合う。だが折れる気が無いと察したエダは矛先を変えることにした。
「色男?」
「俺に聞いても答えは同じさ。レヴィと一緒にいたんだ。それ以上もそれ以下も無いよ、エダ」
「ベニー」
「僕もと言わせてもらおうかな」
「ダッチ」
「悪いが話せることはこれ以上ない。先約があるんだ、不躾な買取ですまないがもう行かせてもらうぞ」
ダッチが物の入ったケースをトランクへ積み込むと、各々が車へ乗り込む。その様子にエダはやはり確信を強める。今回のトラブルに何かしら関わりがあると。
車のエンジンが鳴り始めると、いよいよもって時間がない。カードを切れても一枚がせいぜいだろう。だからこそ今それを切る。
「ラグーンの事務所がジャングルまで飛んで行っちまった事とも何にも関係ないのかい?」
全員が全員、ピクリとも表情を変えなかった。だがそれが答えだ。意図的なポーカーフェイス。かぶった仮面が隠したいことがあると雄弁に物語っている。
口端を釣り上げたエダに全員がやられた事に気が付く。腐れ縁ゆえだろう、レヴィがいち早く車外のエダへと忠告をした。
「よく聞いておきな。こいつは私のなけなしの親切心ってやつさ。正直な話、私らもはっきりと分かっている訳でも、理解している訳でもない。でも一つだけ言えるのは、今回だけは頭を突っ込むべきではないってこと。関わらないで済むなら、ハリケーンが過ぎ去るまで納屋にでも籠っておきな、エダ」
「あのレヴィが親切心と来たか。こいつは良いねぇ、そこらのコメディよかよっぽどか笑えるさね」
「おお、そうかい。だったらもう勝手にしな。もしおっちんじまったら事務所の肥料にしてやるよ」
「アンタの糞で育てた植物はずいぶん立派だって聞いたよ」
「チッ! ベニー、さっさとだしな。これ以上ここに用はないよ」
レヴィの催促にとうとう車が動き出す。「なんだよ、なんだよ、レヴィ。連れないじゃないか、友達だろぉー!」とエダが叫ぶが、ついぞ車が止まる事も、レヴィが振り返る事もない。
「まさか無法地帯にまだ上があったなんて僕は驚きだね」
車を転がしながら船のドックを目指していると不意にベニーが感嘆の声を上げた。感心できない事だと分かっているが、どうしても車の窓越しに外を見れば、テレビ画面の向こうを覗いている気分になってしまうのは否めない。
どこかから湧いた動物たちが我が物顔で街を暴れ回り、街に巣食う悪党どもが銃を片手に肉を積み上げていく。中には間抜けにも逆に挽肉へとつぶされる奴らもいる。街並みは現代だが、獣と生き死にを争う様はどこか原始的にも見えた。
悪党どもが最低限守る取り決めもない、まさに
「これで最後までやって元通りにならなきゃ全員で首括りものだぞ」
「それよか、これが元通りってのは一体全体どうなるわけだ? 出てきた物がきれいさっぱり消えて元に戻りましたじゃ、手品師も廃業もんの総スカンだよ」
「分かっていることはゴールするまで分からないって事だけか」
「全くもって嫌になりやがる話だぜ。そろそろ景気の良い話を聞きたいとこだが…………まあ、そうだろうな」
誰一人返答を返さないことが答えだ。そして悪いこととは重なるもの。気を張っている全員が気付く。エンジンの振動以外の揺れを。
「
毒づくレヴィに、全員が声にはしなかったが同意していた。速度を維持しながら、いつでも逃げられるようにベニーが神経を張り詰めさせる。
地鳴りは今なお続き、獣の存在を示す。十字路が再び近づく。
「直進はダメだ! スクラップ置き場になってやがる!」
ダッチが叫ぶ通り、進行先には数多の廃車が煙を上げて通りを塞いでいた。そして左は別の理由で進めない。獣の鳴き声が聞こえてくるからだ。
声高々に歌い上がる獣声が、通行止めを教えてくれる。こうなればもはや選択肢はない。ベニーは車を右へと走らせる。
けれどもどうにもここがベニーの愛車の終着点だったらしい。曲がった先には地面を埋める緑の軍勢。急制動も間に合わず、車体が小さな密林へと突撃していく。
背の高い植物を踏み倒し、地面を這う蔓をひき潰す。だがそれにも限界があった。数メートルも進めば車輪に蔓や千切れた破片が絡みつき、最後にはエンジンが唸るだけとなる。
どうにか抜けでようと、ベニーがアクセルをベタ踏みするが、もはや無駄な抵抗。そしてその間にも植物が成長して車を飲み込もうと魔の手を伸ばす。
「さっさと出るぞ、終いにゃプレゼントみたいに梱包されちまう!」
見切りをつけた指示に全員がすぐさま従う。車のドアを蹴り開けて車外へと脱出する。蔓に巻かれないようすぐさま車から離れる。
全員が適度に散ったタイミング。その瞬間を逃さず、さらなる襲撃者が再び顔を出す。
連続する銃声。レヴィとダッチが、それぞれ手近にいたロックとベニーの襟首を掴んで物陰に隠れる。
だが身を隠したレヴィがすぐさま違和感に気がつく。銃弾の着弾点がズレている。
「ダッチ、ベ──」
レヴィの忠告が飛び出す直前、今度は獣達が植物の向こうから姿を現した。
引き離された。通りの向こう側にいるダッチとベニーを獣の隙間から確認し、レヴィが心中で毒づく。
もともと弾丸は四人を狙っていない。二組を別々の路地へと誘導することを目的としていた。
合流は難しい。銃声から襲撃者が家屋の上にいると判断できる。通りの獣をどうにかする手段は先程暴力教会で手に入れたが、この段階に来てはそれも無意味。
獣を処理しながら合流しようとすれば、通りのど真ん中で下手くそなダンスをする羽目になるのは目に見えている。とてもじゃないが創作ダンスをする気にはなれない。
合流するには襲撃者が邪魔。そして襲撃者はレヴィ達側の建物の屋上にいるらしい。面倒ごとはさっさと黙らせるのが吉だとレヴィは自らの中で方針を固めた。
「ダッチ、ベニー! ドックで集合だ! 私たちはこのトリガーハッピーを黙らせてから向かう!」
「オーライだ、レヴィ! こっちも
直後にダッチの悪態とショットガンの銃声が折り重なる。どうにもダッチ達の方には、リオのカーニバルもびっくりするほどの熱烈なラブコールがあったらしい。
大きな物音が徐々に離れていくことで、すでにダッチ達が移動を再開したことを示していた。不幸中の幸いはジュマンジがロックの手の中にあることか。手番的にも考えれば確かにそうだが、特急の厄種だからか素直には喜べない。
「ロック、上へ行くぞ。頭上を取られたままなのは分が悪い」
「了解だ。それで俺はどうする?」
「離れた時に片割れが来ると手が足りない。私の後に着いてきな」
片割れ。それが意味するところをロックは正確に察している。小さく一息。自身の中の気持ちを再び定める。
「チャールズ・ホイットマンみてーにバカスカ撃ちやがって」
屋上へ出るとすぐさま打ち合いが始まった。ここには片割れ、双子の兄はいないらしい。
楽しげに笑う双子の姉の声のみが聞こえてくる。遮蔽物の少ない屋上でロックとレヴィは身を隠しながら再装填のタイミングを待つ。
けれどもこうも一方的に撃たれれば悪態の一つも吐きたくなるのが人の性だ。
レヴィの悪態が聞こえたのか双子の姉がクスクスとまた小さな笑いを零す。
「
「それじゃあ遊びを変えようか、鴨撃ちなんてのはどうだい、クソガキ!」
弾丸の切れ目。待ちに待った息切れに、レヴィが跳び出す。だが相手も然る者。伊達に
最終的には命を落としたが、それでも側近の軍人崩れ相手に逃げ延びたのだ。ロアナプラのそこいらで吹き溜まっている雑魚とは役者が違う。
「とても素敵なお誘いね。当然鴨は」
「鴨は」
「「
レヴィの斜線から逃れながら装弾を終える。互いの射線が重なる。一発目が空中でぶつかり弾かれあう。後続の弾は互いに当たる事無く周囲の建材を破砕していく。
だが自動小銃相手では、二挺拳銃でも速射では分が悪い。レヴィは再び近くの物陰へと身をひそめた。だが連続して放たれる弾丸は、削岩機のように銃身の先の景色を削り取っていく。
「死人が元気にはしゃぎ過ぎだ。土のベットへさっさと帰りな、チキータ」
「死人だなんてひどいわ。私達は
クスクスと楽しげな笑いが開かれた空へと落ちていく。どうにもこの建物は周辺の物と比べても背が高いらしい。遠くを見れば海も見えた。
ロックは視界に映る景色に背中を押される。
「また君は血だまりに沈むのか!」
「ロック、やめろ!」
ロックの叫びが響く。ロックに対して思う事があるのか、銃弾は飛び出さない。
レヴィの静止の声を無視し、なおもロックは続ける。
「君は空の美しさを知ったはずだ! 灰色の壁なんてここにはない! 目の前には海だって広がっている! 赤と灰色だけじゃない!」
「……お兄さんはやっぱり優しくて良い人だわ。でも少しだけ狡くなっているわね」
狡くなった。ロックをそう評しながらも少女に落胆の色は欠片もない。むしろ変化を喜んでいるように、楽しげに笑っていた。
「私の注意を逸らしてお姉さんを助けようとしている。分かるわ、だってお兄さんはちゃんと私を
少女の独白にレヴィもロックも答えない。
「ねえ、お兄さん?」
問い掛けるような声。
「私との約束を覚えているかしら?」
「……ああ、覚えているよ」
「ロック、死人の言葉だ! 耳を貸すな!」
「レヴィ、大丈夫だ。覚えているとも、ランチを持ってのお出かけだ」
「ああ、やっぱり。お兄さんは優しいわ。お姉さんは信じられる
「そんなものはありはしねぇ。鉛を食らえばそれで終いだ。あんときのお前みたいにな」
「そうね、お姉さんならそう言うわよね。確かに永遠は存在しない。限りがあるわ。でも、でもね」
楽しげな声に憂いが顔をちらつかせる。
「私は死んだ後も生きていたわ。いいえ、今も生きている」
「禅問答なら教会へ行ってやってきな。腐れ尼にもたまにはシスターらしいことをさせてやるといい」
「そんな高尚な話じゃないわ。ただ私はずっとお兄さんの記憶の中で生きているの。忘れ去られるその時まで、私はずっとこの世界に存在していられるのよ」
「君のその言い方は、今の君を、ここにいる君を顧みていない。そいつは一体どういうことだ」
「私は残滓、記憶の残滓。
「君は……君はそれでいいのか?」
ロックの問いに沈黙が降りた。十秒か、二十秒か。はたまた一分か。再び少女が語り出す。だがそれはロックの問いへの解答ではない。
「お兄さんはサイコロを振るべきよ。ゲームを進めて終わらせるべきなの。夢は覚めるもので、見続けるものではないわ。だからお兄さん」
弾倉を入れ替える無機質な音。
「お願いよ、サイコロを振って」
直後に銃声。もう話すことは無いと、声をかき消さんばかりに炸薬が吠え立てる。
「ロック、そいつの言う通りだ! 振れ!」
レヴィの怒鳴り声が背中を叩く。覚悟したはずだ。壊してくれと頼んだはずだ。揺らぐな。突き進め。心の中で自らを鼓舞する。覚悟を握り、ロックがサイコロを振る。自分の人生を投げ入れる。
「──なっ、テメェ!」
転がるサイコロを見つめるロックにレヴィの驚愕の声が届く。視線を上げればそこには身体中から血を噴き出ず少女が立っていた。
「自殺するのに人を使ってんじゃねェ!」
胸糞悪いと吐き捨てるレヴィの声にロックはわざと少女が射線へ出たことを悟った。今にも崩れ落ちそうな少女は、だがそれでも倒れず、震える足を必死にのばしている。
顔を出したロックと少女の視線がかち合う。
「やく、そ……く、の───」
言葉は最後まで音にはならなかった。それでも届いた。彼女は約束の時間だと告げたのだ。先ほどの話から思い当たる節は一つしかない。だがランチをするのに死んでは意味がない。
想像がめぐる。次の瞬間、ゾッとした。
“五か八が出るまで”
“ジャングルで待て”
単純明快。そして身体が指先から引き伸ばされて、ジュマンジのガラスへと吸い込まれていく。
「レヴィ! 五か八だ!」
「ロック!」
離れているレヴィに暗示は見えない。近づく前には消えてしまう。長く話す時間もない。だからこそ簡潔にロックは叫んだ。レヴィもロックの叫びに振り返り、消えゆくロックの姿を見てしまった。
駆け出すが遅い。たどり着いたころにはもうロックの姿は欠片も無い。そこにはジュマンジだけが転がっている。
「くそ、ハメられたってのか!?」
レヴィが振り返れば少女の死体もきれいさっぱり消えていた。だが今のレヴィにはどうすることもできない。次の手番はベニーなのだから。
レヴィは駆け出す。少しでも早くダッチとベニー、二人と合流するために。
「全くもって不可解だ」
「ああ、確かに。僕にさえ分かる。あの子にやる気がない事くらい」
ダッチとベニーはドックへたどり着いていた。だがそれは二人が頑張った結果ではない。
獣に追い立てられながら逃げている時、双子の片割れが姿を現し、襲い掛かってきたのだ。斧を振り回し、投げつけてくる少年はたしかに厄介だ。無軌道に暴れ回る獣も足せばなおのこと手が付けられない。
だがそれにしても相手が引くのが早すぎるのだ。少し襲撃すればするりと姿を消す。まるで誘い込んでいるようにさえ感じた。否、実際に誘導されていた。
その考えはドックへ着いてから確信へと姿を変えた。どうにもここへ足止めしたいようで、先ほどから適度に攻撃されるがまるで殺意を感じられない。まさに足止め程度のちょっかい出しだ。どれほどそうして時間を費やしただろうか。
ダッチとしてもタイマンであれば負けない自信はあるが、今は少しでもリスクを減らしたい。レヴィが方を着けてドックへやってくるのを待つ方が堅実だ。だからこそ相手の思惑通りに足止めをされているし、刺激を控えていた。
そしてとうとう待ち人が到着したらしい。扉を蹴破りレヴィがドックへと姿を現したのだ。
しかし姿を現したレヴィは酷く気が立っていた。それにロックの姿がない。ダッチとベニーはまさかの出来事を連想した。
「ベニー! あの馬鹿、今度はゲームに拉致られやがった! サイコロを振れ!」
浮かんだ予測はレヴィの怒鳴り声が完膚なきまで蹴り飛ばした。ついでとばかりに投げつけられたジュマンジをベニーが慌ててキャッチする。
「拉致られただって!? ジュマンジの中とは言わないよね?」
「そのまさかだ、五か八だとよ」
レヴィが入ってきた扉の先を顎でしゃくる。船の置いてある下へ降りていろとのレヴィの意思を正確にくみ取り、ベニーは横をすり抜ける。
レヴィはダッチの隣まで行くとアイコンタクトを行った。私が始末をつける、と。
「そう、姉様は降りたんだ」
だが二人が動き出す前に少年が先んじて行動に出た。隠れていた物陰から出て、その身をさらしたのだ。斧を持った両手はだらりとさげ、臨戦態勢にない事を示していた。
不意に訪れた好機にダッチが反射的に銃を向ける。だが銃弾は放たれなかった。レヴィがダッチの腕を下げさせたのだ。
「レヴィ」
「ダメだ。殺すとロックが危険になる。アイツら死んで戻る気らしい。手足を撃って転がしておくのが最善なんだが……」
だがあまりの戦意の無さにレヴィは僅かに逡巡していた。ベニーがゲームを進めているならこの膠着は自分達にとっては利になっている。仮に穴を空けて動けなくしても、子供の身体だ。失血死するまでは早いだろう。
ならば無力化するのはギリギリまで遅らせたい。それがレヴィの正直な心境だった。
「お前達は何がしたいんだ?」
待つことしか出来ないのも苦痛だ。気を紛らわせるためにレヴィが問いかける。
「僕は……そうだね。海と空を見に来たんだ」
まるで年相応の子供のようなあどけない顔で少年は語る。
「ここまで誘導したのも海が見えるから。最期に姉様が見て、綺麗だと感じた物を僕も感じて見たかった。それだけだよ」
滔々と自身の思いを語った少年はついには視線を二人から逸らす。行きつく先は窓から見える外の景色。決して届かない物を見ているように、少年の瞳は悲しげに見えた。
少しの間、少年は外を眺めていた。そして再び視線が戻る。
「でもそれももう終わり」
「身体をさらしたその状況から再開する気か? 隠れるまで待ってくださいは通じないぜ」
「違うよ。終わらせるのはおじさん達じゃない。狩人の役目をまともに果たさないから変わりが来るんだよ。前菜は片付けられてメインディッシュが来るんだよ」
少年は語る。明日の天気でも語るように至極軽い口調で語るのだ。
「気を付けてね、お姉さんたち。これは姉様を逃がそうとしてくれたお礼だから嘘じゃないよ。まあ、そこのお姉さんは姉様を一回殴ったから痛い目見ればいいとは思うけどね」
綺麗な笑顔は何かを悟っていた。少年の笑顔がレヴィには酷く癪に障った。理由の一端は、自殺をした姉に似ているのもあるのかもしれない。
「チッ。それじゃあそのメインディッシュってのはどんな奴だい?」
「もう来ているよ。すぐそばまで。彼は」
「相手方へ与するのはルール違反じゃありやせんか? お前さんは少なくともこっち側の駒のはず。ならば通さなくっちゃいけねェ筋が有るはずだ。違うかい?」
ドックへ降りる階段ではなく、少年側の外へと通じる階段から声が聞こえた。少年が咄嗟に振り返り、斧を振りかぶる。だが遅い。遅すぎる。なんたって相手は
「──ッ!」
振りかぶった腕が切り飛ばされる。跳び出そうとした悲鳴を辛うじて呑み込み少年が二本目を振りかぶり。
「い、ッ……ひ、どいや、おじさん」
再び切り飛ばされた。もはや死にかけの少年が気丈にも不平を漏らす。だが対峙者は無常であった。
「そいつが代償ってもんさ、坊主」
一閃。喉を切り裂かれ少年がついに倒れ込む。苦しむ時間は長くなかった。血だまりに沈んだ少年はすぐに動かなくなった。
「最低ここに極まれり、だ。ここにきてデカブツたぁ嫌がらせが堂に入ってやがる」
「レヴィ、知っている奴か?」
「前に話したジャパニーズサムライだよ」
「うげ、そりゃ銃弾切り落としたっていうアレかよ」
「さがれダッチ、こいつの相手は荷が重い。それに今は言葉の弾丸がありゃしねぇ」
珍しく冷や汗を流しながらレヴィが囁く。ダッチもレヴィがそこまで言う相手だ。メイドとの喧嘩しかり、自分では手に余ると判断してベニーを探しにその場を離れた。
「
白刃を握った怪物が獰猛に笑い、ガンマンも鏡合わせのように笑みを浮かべた。
すぐさま激しい喧騒が二人を包む。
ふと気が付いた時、ロックはジャングルの中にいた。アクション映画なんかで良く見かける鬱蒼とした密林。
植物や動物の気配が辺りには満ちていた。何となしにロアナプラへ出てきた物の大半はここにいたのだろうかと益体もない思考を巡らせている。
現実逃避気味に思考を遊ばせていたロックの耳へ不意に音が聞こえた。ずっと聞こえていた木々のざわめきではなく、動物の息遣いでもない。草木をかき分けて進む、意思の籠った音だ。
だんだんと音が近づいてくる。だがロックは逃げようとはしなかった。予感があった。違う。確信だ。呑まれる前のことをぼやけていた頭が思い出す。
そして音がついに草一枚を隔てた先までやってきた。
「お兄さん、ピクニックの時間よ」
「そうかい。それなら付き合うよ」
ひょっこりと顔を出した少女が誘い文句を口にすれば、ロックもすぐさま少女の誘いに答えを返す。
銃を担いだ少女と手を繋ぎ、ロックはジャングルの中を歩いていた。
酷く奇妙な感覚だった。まるで現実味がない。いや、現実味がないのは当り前か。非現実的なことが続きっぱなしなのだから、現実味がないのは当り前の話だ。
だがそれを別にしてもどこか、そう、地に足がついていない感じがする。死んだはずの少女と並んで歩いていることが原因か。はたまた異常続きでとうとう脳がイカれたか。考えてもきっと答えは出ないだろう。
少女を見下ろしながら歩いていたロックがふと気が付く。
「そういえば銃についていた熊のキーホルダーがなくなってるね」
ロックの問いに、少女も眉根を寄せた。
「ええ、そうなの。きっとお外で落としてきたのだわ」
「それはまた……ここも外だから面白い話だと笑えばいいのかな」
「あら駄目よ。これは悲しいお話なの。だから優しいお兄さんは私のことを慰めるべきなのよ」
ロックは「そうかい」と短く返すと、空いている手で少女の頭を優しく撫でた。撫でられた少女は途端に破顔して瞳を細めた。
ジクリとロックの胸が疼く。もう埋まった傷口が再び熱を帯び始めた。自分は決めた。定めたはずなのだ。だが。それでも。やはり。目の前にいて、言葉を交わして、触れ合ってしまえば揺らいでしまう。
過去に抱きしめた時に感じた髪の手触りも、少女の声も、体温も、全てが当時のままだった。もはや忘れかけていたこともあった。だが実物に触れて思い出してしまった。そしてそれは過去の傷も、思いも同様に。
「お兄さんは何も悪くないわ」
見透かしたようなタイミングで少女は告げた。あまりにも的確に内心を突かれたロックは咄嗟に言葉が出なかった。
「世界が優しくなかっただけ。私の、私達の運が悪かっただけ。だからお兄さんは何にも悪くないの」
続く突き放す内容の独白が心を逆撫でる。
そんな事分かりきっている。理解しきっている。ベニーも言っていた。ロックが出会った時点でもう少女は終わっていた。手遅れだった。ロックに出来ることは何も無かった。
だが理解できることと納得できることは違う。
「それは……それは俺が言わせていることなのか」
ロックの血を吐くような問いかけに少女は小首を傾げる。
「君は記憶だと言った。記憶の残滓だと自分を評した。ならばそれは俺が作り上げた君に、俺が言われたいことを言わせているだけなんじゃないか」
一人遊びなのではないか。人形遊びなのではないか。自分が気持ち良くなるための感傷なのではないか。ロックにはそう思えてならなかった。
少女もそこまで聞いてロックの言いたいことを十全に理解する。一瞬だけ悲しげな笑顔を浮かべて、ロックの腰へと抱きついた。背の小さな少女の頭がロックの胸元へとこつんと当った。もう少女の表情はロックからは見えない。
「本当にお兄さんは優しい人ね。自分の背負う罪の一つだと私を背負って進んでいる。だから自分を自分で許すことを許せないでいる。本当に、本当に、悲しいくらい優しい人」
小さな子供をあやすみたいに少女がロックの背中をさする。昔、船で自分がされたみたいに今度は自分がそうする。少女はロックが変わっていた理由を何となく察した。普通の、別の世界に住んでいるみたいに感じた彼の優しさが、感性が、
だがそれも大きな古傷の一つである自分と再会したことで、揺らいでしまっている。再開したことに浮かれていただけの自分がなんだか少しだけ申し訳なくなった。
「お兄さん。確かに私は記憶の残り香だと言ったわ。けれども誰の、とは指定していなかったわ」
「それは一体……」
どういう意味か。ロックには皆目見当もつかなかった。
「私は私の記憶の残滓から作られているの。だからそうね、乱暴に言ってしまえば銃で撃たれた後の延長線にいるのよ。だから私の言葉は全部私のもの」
「君は、本当に……」
「シンデレラの魔法が解けるまでの儚い夢。
だから惑わされないで。少女はそれを言葉にはしなかった。だがロックは漠然とではあるが察していた。
「そうか。だったら今はもっとするべきことがあるね」
ロックはそう言って少女を抱き上げる。あいにくと手元にランチは無い。けれども散歩くらいは、楽しい夢くらいは見る事が出来る。
そう長い時間をおかずに消えてしまう少女の時間を自らの慰めに使うことをロックは嫌った。
どうせ何一つ残らない時間なのであれば、それこそ夢のような時間を過ごすべきなのだとそう決めた。互いにその事を明確にしない。だがお互いに了解していた。
少女が示すままにロックはジャングルの中を進む。川でまどろむカバを、草原を駆けるシマウマを、木々を移り行く猿たちを、二人は見つけては一喜一憂した。
けれども魔法は解けるもので、夢は覚めるものなのだ。終わりを告げる来客がやってきた。
「姉様、楽しめたかな?」
散策を続けていた二人に声がかかった。少女に良く似た声。視線を向ければ双子の兄がいた。
「ええ、とっても! 夢のようだったわ」
「そっか」
双子が手を取り合って笑い合う。
「じゃあお兄さん、そろそろお呼びがかかると思うんだ」
「だから最後にお礼に一曲聞いてくださる?」
少女の頼みは少年も知っていたのだろう。手を繋いで並んだ二人が楽しげに笑っている。
「そうか。それじゃあ聞かせてもらえるかな、君たちの歌を」
「ええ、もちろんよ。それじゃあ、兄様」
「始めようか、姉様」
いつか聞いた少女の歌声に少年の歌声が重なった。天使の歌声にロックは耳を傾けた。
無性に悲しく、それでいて最後まで自分らしくあの街で生きようと思わせてくれる。そんな歌声だった。
やがて歌が終わる。けれどそこに拍手は無い。何故なら観客はもういないのだから。ロックが座っていた場所は最初から誰もいなかったように抜け落ちていた。
「お休み、姉様」
「お休み、兄様」
全てを悟り、受け入れている双子は静かに終わりの時を待つのであった。
「ベニー、ベニー・ボーイ! どこ行った!?」
ダッチが声を荒げてベニーを探す。扉から駆けおりてきたダッチがベニーを探す。上の階では激しい乱戦が始まったことを音色が告げていた。
「ダッチかい?」
呼び声に反応し、ベニーの声が返ってくる。だがその声に覇気は無く、悲嘆が満ちていた。訝しむダッチがそちらへ向かえば、施設内にあった雨よけ用のシートにくるまっている人物がいる。
声の聞こえた方向から推測してもベニーで間違いはないだろう。
「ベニー、なにしてやがる。そんな薄っぺらいシートじゃ弾除けにもなりゃしないぜ」
「違うんだ、ダッチ。これはその……その……」
声にはまるで覇気がない。
「僕としてもロックが心配で、八を作ったんだ」
作った。確かにベニーはそう言った。出目を作ったと。
「まさかベニー、このとち狂ったゲームでイカサマをしたのか」
「正気か?」と最後に付け足そうとした言葉をギリギリで呑み込む。リスクを負う可能性があっても仲間を助けようとしたのだ。称賛するならともかく、さすがにそれを揶揄する気にはなれなかった。
それにこんな馬鹿げたことが起きているんだ。正気のはずがない。自分も、ベニーも、ロックやレヴィも当然そうだ。
「ああ、まさかこんなことになるなんて思いもしなかったよ。これ、本当に元に戻るんだよね? そうでなけりゃ僕は身投げするぞ」
シートの奥で姿を見せないベニーが嘆く。怖いもの見たさはあるが、ダッチもそれを実行する気にはなれなかった。無理にでも見れば、今後の人間関係に禍根を残すのは火を見るよりも明らかだ。
「それじゃあベニー、サイコロは振った扱いになるのか?」
「そうみたいだ。その後振っても反応しないからね」
ベニーが数歩歩けば、足元まで覆うシートの端からジュマンジが姿を現す。ダッチが盤上のサイコロを握る。
「さてと……今度は何が出る事やら」
「
覇気はないが、それでも言葉を返したベニーにダッチも「違いない」と笑いを返す。深呼吸を一つ。弾倉の弾は問題ない。ならばとダッチがサイコロを手から離す。サイコロが転がり、結果を示す。駒が進めば、暗示が浮かぶ。
“上がりは目前”
“大地は震え始める”
浮かんだ文字が消えていく。暗示にあった大地へ二人が視線を向ける。二人が身構えた事で一瞬の静寂が生まれた。
「おいベニー、また揺れちゃいないか?」
「気の所為じゃないよ、ダッチ! でもこれはさっきの
ベニーの叫びを皮切りに、振動がより一層激しさを増す。立っていられないと、ベニーがへたり込み、ダッチも片膝をついた。
「おいおいおいおい、勘弁してくれよ」
「裂けてやがる!」
ダッチの叫びは比喩ではない。文字通り地面が裂けはじめているのだ。ドックの中心から左右へと地面が離婚しようとしている。呑み込まれてはたまらないと、ダッチとベニーが慌ててジュマンジを引きずって裂け目から離れていく。
その際、シートから僅かに覗いたベニーの手に、蹄らしきものが見えてダッチはシュレディンガーの箱の中身を察した。
「ダッチ、何が起きてる!?」
外へと繋がる扉が開いてロックが駆けこんできた。ダッチの出目は五だったのだ。
身体には傷一つなく、汚れも見当たらなかったが、一先ず現状の確認が最優先だ。
「ロックか!? 地割れだとよ」
「そんなこ──おい、ダッチ! 後ろだ! 船が裂け目に飲まれてくぞ!」
ロックの悲鳴染みた叫びにダッチが振り返る。陸地の裂け目めがけて水が流れ込みながら、ドックの中にあった船も押し流されていっている。もはや救うことは叶わない。
「うっそだろ! パックマンじゃねェんだ! 呑み込んでんじゃねェよ!」
いくら絶叫を上げようと、物理法則には逆らえない。船が裂け目に姿を消して、完全に見えなくなった。
「いや、不味いぞ、船よりもレヴィだ!」
ベニーの叫びにダッチは反射的に言いかえしそうになったが、グッと堪えて裂け目から覗く二階部分へと視線を変える。ロックも同じだ。
「レヴィ!」
傷を負ったレヴィが裂けた床に手をかけて、ぶら下がりながら辛うじて命を繋いでいた。下は裂け目。上には白刃。もはや絶体絶命。風前の灯。
「堪えろ、レヴィ」
ダッチが叫び、銃を抜く。だがロックは分かっている。相手は銃弾を切り落とす銀次だ。この距離から撃っても決して当たりはしない。ならば打開するには別の手段がいる。
走馬灯のように時間が引き伸ばされ、記憶がめぐり、そして見つける。
「レヴィ!」
ロックの叫びに、ぶら下がったままのレヴィが視線を下へと向けた。
「撃て!」
単純な指示と共にロックが手に握り込んでいたものを放り投げる。くるりくるりと宙を舞うソレ。
「オーライ、ロック。レヴィ様の日ごろの行いってやつを見せてやるよ」
言葉と共に弾丸が二つ放たれた。別々の弾道を描く鉛は、宙を泳ぐサイコロを捉える。
硬質な音が響き、サイコロが弾かれた。これは賭けだ。ダッチがテーブルを叩いても認識したのだ。可能性はある。
からんからんと、床を跳ねまわるサイコロ。強い力で弾かれた二つのサイコロは明後日の方角へと飛び、誰の目にも出目は確認できなかった。だがそれでもジュマンジは出目に合わせて駒を進める。
「叫べ、レヴィ!」
「
ダッチの銃の弾が切れ、弾丸を詰め直している隙にレヴィへとどめを刺そうとしていた銀次の動きが止まっていた。否、刀を振り下ろそうとしているがロックが吸い込まれた時同様に、刃先から、指から、足からと身体が薄く引き伸ばされながら吸いこまれようとしている。
「今度も私の勝ちだ」
レヴィが獰猛に嗤い、踏ん張っている銀次へ向けて最後の銃弾を放つ。喉を貫き、致命傷を与えた弾丸は空へと消え、そして最後には銀次も消えた。
「終わった、のか?」
ロックが呆然としながら呟く。だがまだ終わりではない。ハリケーンのような風音をかき鳴らし、ロアナプラじゅうから獣たちが空を飛んで吸い寄せられている。
裂け目が出来て風通しの良くなった隙間から次から次へと獣が来てはガラスへと呑まれていく。そして最後には少女の銃についていた筈の熊のキーホルダーが吸い込まれて。
気が付いた時にはレヴィもロックも船のキャビンにいた。
同時にハッとした二人が互いに顔を見合わせる。二人の間にはテーブルとジュマンジ。まだ駒は配置されておらず、ゲームは開始されていない。
「レヴィ」
「言いたいことは分かる」
「ああ、そうだな」
二人が煙草を取り出して火をつけて一服。そして一呼吸の間にダッチとベニーが駆け込んできた。二人の姿を確認し、安堵が浮かぶも一瞬で消し飛ぶ。
「そいつを畳め! レヴィ、ロック!」
「当り前さ、ダッチ。一回使ったティーバッグを使うほど金に困っちゃいないよ」
レヴィが煙草の煙をくゆらしながらジュマンジを畳む。
「さて、こいつを捨てちまおうか。何か重りはあるかい、ダッチ」
「ああ、そいつを捨てる為なら純金だって重りにくれてやるよ」
「それが良い。僕ももうこりごりだよ」
「ロック、良い
「ああ、楽しい
「そうかい、そいつは良かった」とダッチは言うとキャビンを出て行った。そして全員が全員、このクソッタレのゲームを廃棄するための行動を開始する。鎖を巻いて、重りをつけて、近在で一番深い場所へと投げ捨てた。
皆が祈った事だろう。二度と世に出てくるなと。
ジュマンジが沈みゆくとき、太鼓の音が聞こえた。どこかの部族音楽的な太鼓の音は、きっとジュマンジが己の存在を主張するための手段なのだろう。
「ケッ、自分で
「いいさ、どうせもう誰も聞かないんだ。好きに騒がせればいいのさ」
ロックの言葉に全員が同意を示して笑い合う。見上げた空はどこまでも青く、広がる海はどこまでも広大だった。
どうやら時間ごと戻っているらしく、ベニーがネットで確認して全員がそれを知ることとなった。ロアナプラは本日もいつもと変わらず、銃弾が飛び交い、人が死ぬ。日常がつつがなく進行している。植物は暴れないし、動物も駆け回らない。ましてや死者も起き上がらない。普通でいつも通りの街として存在している。
そして時間が戻っているという事はキャンセルしたはずの仕事も残っていて、嵐がないから相手さんも生きている。
レヴィなどはもう疲れたから帰ろうとごねたが、ダッチがそれを却下した。仕事は仕事と割り切って、遂行するのだ。
それとは別にして、こんなふざけたことが起きたきっかけの一端であるやつらの面を、拝みたかったというのも理由の一つであろう。少なくとも時間通りに来ていればロックたちがジュマンジを引き上げることも無かったし、巻き込まれることも無かったのはたしかなのだから。
「わるいわるい遅れちまったよ。代金は多少色を付けるからそうおこるな」
悪びれもなくそう言った取引相手にレヴィがブチ切れそうになった以外は問題無かった、と思いたかったがそうはいかなかった。
「そうだ、色つけるついでにこいつもやるよ。来る途中に拾ったんだ」
そう言って投げ渡された物に全員が既視感を覚えた。別に似ている訳ではない。ジュマンジが木の質感を前面にだしたレトロ調なのにたいして、今渡された物はコズミック的な装飾を施されている。
「『ザスーラ』っていうボードゲームらしい」
その瞬間、全員が叫ぶ。
「「「「捨てろ!!!」」」」
怒声と叫びと銃声が海上に響き渡り、やがて消えた。
『ザスーラ』は『ジュマンジ』の精神的続編です
最後までお付き合いいただきありがとうございます
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