神はすべてを許されます (ぽぽりんご)
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神はすべてを許されます
扉の開く音がした。
今日のカモ……いや迷える子羊が、この教会の
私の前に現れたのは、三十歳前後の貧相なおっさん。手足が震えているのを見るに、相当な興奮状態にある。
どうやら彼は、妻に手を挙げてしまった事を懺悔しにきたらしい。
正直、ここで懺悔するより妻に直接謝った方がいいと思うのだが。
アホの考えることは、天才である私には理解不能だ。
「でも、あいつも悪いんだ……浮気なんてするから……畜生! 俺の何が不満だっていうんだ!」
「浮気ですか。なるほど、それは悲しいことです。正直、お馬鹿で見た感じが貧相極まりない甲斐性無しの貴方では、浮気されるのも致仕方無しプゲラって感じです。自業自得と言えるでしょう。そんな下らない事を聞かされるこっちの身にもなってほしいです」
正直な感想をいいつつ、力を行使する。
忘却の属性。属性とは、この世界のほとんどの人が生まれつき持っている能力のことだ。私の持つ忘却の力は、その名の通り、人の記憶をかき消すもの。ゆえに、罵詈雑言を浴びせようが問題はない。だって、彼の記憶には何も残らないのだから。
「あれ? なんだこれ。すげぇ! よくわかんないけど、心が軽くなったぜ!」
そりゃあそうだろう。だって、悩み自体を忘却させたのだから。悩みの種は、私が頂いた。
とは言っても、完全に忘れさせてしまうと色々不都合が起こってしまうため、ぼんやりと覚えている程度に留めておいた。これでいったん、冷静になれるだろう。
あわよくば他の物も頂こうかと思ったが、どうやら甲斐性無しの彼は、その身に宿した祝福もウンコレベルしかないクソオブクソであったため、止めておくことにする。
ウンコより役に立たないなんて。なぜ、彼は平気な顔をして生きていられるのだろう。なぜ、
「懺悔ってのはいいもんだな! あれ、何を懺悔しに来たんだっけ……? まぁいいや。ありがとう、シスター」
「ええ、何かあったらまた来て下さい。ああ、それと……一つだけ、アドバイスです。怒りに任せた行動をすると、あとで後悔してしまうかもしれません。行動に移す前に、一呼吸おくことをお勧めしますよ」
去っていく男の背中に声をかける。
記憶の一部を失った直後ゆえ、意識が朦朧としているのだろう。
男は、若干おぼつかない足取りで懺悔室の外に出て行った。
続けて、本日二人目のおっさんがやってきた。
「最近、娘に嫌われてる気がするんだ」
知らんがな。
ここは懺悔室であって、お悩み相談室ではないぞ。
「それは大変ですね。何か、原因に心当たりはないのでしょうか?」
「それが、まったく無い。四六時中、可愛がってなでなでしたり抱きしめたりしてあげてるのに……ハイハイで逃げようとする。なぜだ」
それが原因なのでは? 私のような気配り上手な超絶美少女ならともかく、無神経なおっさんに無遠慮に触られたら、誰だって嫌だろう。私なら殴る。
「嫌われているかどうかはわかりませんが、逃げる以上は理由があるかと思います。奥さんと貴方が触ったときで、子供の反応が違いませんか? なら、奥さんと相談してみるといいのでは?」
忘却の力は、使わなかった。
もし使ったとしたら、このおっさんは同じ悩みを抱えてまたここに来てしまうだろう。
そんなの面倒臭すぎる。
どうやらこのおっさんは、一人目と同じく天からも見放された存在。
その身に宿した属性も、道路の上で干上がったミミズ程度の価値しかない。
ゴミカスを凝縮して作られたような、真のカスであった。
私の役に立つ存在ではない。ゆえに、興味もない。このまま見送ろう。
私の言葉に納得した男が去っていく。
もう来るなよ。アディオス。
扉が閉まると同時に、私は両足を投げ出してため息をついた。
「はぁー、メンドクサいです。人間ってのは、馬鹿とクズしかいないのでしょうか? おお、神よ。どこにいるのか知らないが、神よ。我が元までやってきて、私の代わりに面倒な仕事をやりとげたまえ。かわりに、私が神になってあげるから」
最近、心底どうでもいいお悩み相談が増えた気がする。
まぁ、私のせいで深刻な悩みを持っている人が減ってきているというのもあるかもしれない。
命を投げ出してもおかしくないほどの贖罪を求めているカモさんは、私が美味しく料理してしまうのだ。そのため、この町の美味しいカモさんは絶滅危惧種となってしまった。
「そろそろ、拠点を移すべきですかね……あれ?」
空気が動いた気がした。
視界の端に映る髪先が、わずかに揺れる。
「少々、頼みたい」
背後から掛けられた声に、思わずビクついてしまった。
後ろを振り返る。誰もいない。
狭い懺悔室の中。隠れる場所など、どこにもないにも関わらず。
「……え、何ですか。幽霊さんですか? 超絶美少女の私に取り憑きたくなる気持ちは理解できますが、私に取り憑いても良いことはないですよ」
虚空に向かって語りかける。
焦りは表には出さない。心臓の鼓動すらコントロールしてみせる。平常心。あくまで、すこし驚いた程度を装う。
周囲を見渡すと、視界の隅……私の影から、手が生えてくるのが見えた。
そのままズルリと体が出てきて、人の形を取る。
これは、影の属性持ちか。気配も音も、臭いすらも感じなかった。影を操る魔法は数あれど、自身の体を影と化すほどの高レベルな魔法はそうは無い。相当の実力者だ。
「失礼、悩みの解決とはどのようにやるのかと気になって、勝手ながら見学させて頂いた。少々訳ありでな」
そう言いつつ現れたのは、小柄な少女。
年齢は、十五といったところか。
黒ずくめの服装に、その身のこなし。そして、この若さで高位の魔法を行使する実力。幼い頃から訓練を受けてきた、隠密だ。
「いつからそこにいたんですか?」
「半刻ほど前からだ」
嘘はない。相手の嘘を見抜く目には自信がある。
私の持つ瞳、それは彼女の言葉が真実であると告げていた。
ならば、問題はない。
少女はその場にかしこまり、事情を説明し始めた。
なんでも、主の息子……まだ六歳の子供が力を暴走させてしまい、可愛がっていたペットを死なせてしまったのだそうだ。その解決のために、私の力を借りたいらしい。
「この部屋で懺悔をしたものは、みな悩みを解決できたと聞いている。もしかすると、若の心労を癒すことができるのではないかと思い、偵察に来たのだ。まさか、悩み自体を忘れさせているとは思わなかったが」
「なるほどー」
私の言葉に、彼女は少々顔をしかめた。
適当な態度が、気に障ったらしい。
「……乗り気ではないようだな?」
「だって、力の暴走でしょう? 起こるべくして起こった出来事ですよ。子供は調子に乗るものですからね。制御しきれないほどの能力を眠らせていたのであれば、いつか必ず発生します。痛い目を見ないと、人は学習しません。つまり」
指を立てて、説明を続ける。
「忘れさせてしまったら、また暴走を起こす可能性が高いということです。次の犠牲者が出るかもしれません。悩みを忘れられるのは幸せではありますが、それは停滞です。成長の芽を摘む行為です。試練は乗り越えてこそ、人は成長するものでしょう?」
「それは……そうかもしれないが」
「忘れることだって、必要ですけどね。何でもかんでも、忘れりゃいいってものでもないですよ。忘れたところで、ペットが生き返るわけでもないし……人生はうまくいかないものですが、それでも歩き続けなければならないんです。辛いからこそ人は成長できるし、人に優しくなれる。だから私は、子供に対して忘却の力は使わないと決めています」
うつむき、黙り込む少女。
しばらく悩んでいた様子だったが、顔を上げた時には、その目から迷いが消えていた。どうやら納得したらしい。
「……そうか。そうだな。私が間違っていたようだ。若には、自力で苦悩に打ち勝って貰わねばならない。さすがだな、シスター。一人目に暴言を吐いていた時はどうかと思ったが、貴方はまぎれもなく聖職者だ」
「ふふ、もっと誉めてくれてもいいんですよ? 私は天才ですからね。神に匹敵するほどの偉大な存在になれるとしたら、それは私だけでしょう」
私の言葉を、冗談と捉えたのだろう。
少女は笑って答えた。隠密にしては、屈託のない笑顔。彼女自身も、まだまだ子供だ。宝石のように美しい目をしている。残念ながら、今の私の瞳には劣るけれど。
「わかった。貴殿にお願いするのは諦めよう……見守ることも、必要か」
「ええ。子供を信じることも必要です。察するに、その子は貴方にとって、大切な人なのでしょう?」
「ああ。屋敷にいるのは大人ばかりだからな、私が遊び相手になることも多かった……恐れ多いが、弟のように思っている。大切にしたい」
優しげな表情ではにかむ彼女。
なるほど、その言葉に偽りはないようだ。
彼女とその子は、幼い頃から仲むつまじく育ったのだろう。
懺悔さえすれば、神はすべてをお許しになられる。
神よ。許したまえ。
さてさて?
懺悔をすませたところで、本題に入ろう。
彼女の心もほぐれたようだし、今なら話を聞きやすい。
「ところで話は変わりますが。貴方が今日ここに来ることは、誰かに知らせていますか? ここ、一応懺悔室なので……盗み聞きされたなんて事が知られたら、問題になるのですが」
「それなら心配はいらない。私は口が固いからな」
「でも、主に報告するのでは?」
「ああ、今日ここに来たのは主の命令ではない。私が勝手に動いただけだ。私がここに来たことは誰も知らないし、ゆえに報告する事もない」
「ああ、良かった! それを聞いて安心しました!」
手をポンと叩き、私は笑う。
ああ、良かった。本当に良かった。
今回は杞憂だったようだが、私が感知できないほどの隠密。万が一ということも有りうるので、手を打っておきたかったのだ。
心配事を片づけられる上に、こんな高レベルの人材が手に入るなんて!
今日は、本当にいい日だ。
感情を表には出していなかったはずだが、何かを感じ取ったのか。
少女が、怪訝な目を向けてくる。
「貴殿は……む? 薄暗いから気づかなかったが、貴殿は左右で目の色が違うのだな」
「ええ、色々事情がありまして。髪の色も、少し違う部分があるでしょう? 様々な部分の移植を試した結果、こうなってしまいまして」
「移植……? 貴殿は何を言っているのだ?」
「目や髪だけではありませんよ。腕も、足も、指も。爪すらも、全部他人のものです。苦労したんですよ? バランスが崩れてはいけませんからね……残念ながら、貴方は不合格です。私の体の一部にはなれません。ですが、安心して下さい! 実験したいことは山ほどありますから!」
少女が後ずさり、懐からナイフを取り出そうとする。
だが、無駄だ。もう遅い。
私の忘却の力は、既に少女を捕らえている。
意志無き人間が、抵抗などできようはずもない。
少女の腕からナイフがこぼれ落ち、甲高い音を立てながら床に転がった。
その視線は、ただ呆然と空中をさまようばかり。
もう、終わりだ。
「神の祝福、属性の力。人の魂では五つまでしか耐えられないと言いますが、本当にそうなのでしょうか? 耐えられない理由は? 人の魂とは何なのか、それは一体どこに存在するのか。人は、人を越えた存在にはなれないのか……人は、果たして神の領域には辿り着くことができないのか? さっき言いましたよね。神になれるとしたら、それは私だけだって。冗談なんかじゃありません。本当にそう思っているんです」
私は、心の底から笑う。
将来の夢を、無邪気に語る子供のように。
「たとえば。魂なんて、いくつ体に宿ってもいいと思いませんか? 意志を持つのが私だけでさえあればいいんです。他の魂は、属性を宿すだけのただのパーツ。手足のように、私の指示に従って命令通りに動いてもらう。それが理想。ルールなんて糞くらえです。この世界に定められた法則があるというのなら、私は世界だって騙してみせる」
私の願い。私の望み。
それは、ただ一つだけ。
「私は、神になる」
数日後。
少女の遺体が、川底から発見された。
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