ばあちゃるは八重沢なとりと暮らす (ラギアz)
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家、燃えた

「ばあちゃるくんの家が燃えたんすよおおおおおおおおお!!!」

「……炎上したんですか」

「物理的に炎上したんすよ……ばあちゃるくん家なき子っすよ今……」

 

 桜の木が、蕾を付けた頃。

 ばあちゃる――私立ばあちゃる学園学園長、アイドル部のプロデューサー、シロちゃんのお菓子係……我ながら山ほどある二つ名を持つ男。それが俺である。

 そんな俺の家が燃えた。

 比喩ではない。燃えたのだ。それはもう、ごうごうと。

 

「でもばあちゃるさん、荷物ほぼこっちに置いてありますよね?」

「いやまあね、全然家に帰れなかったんでね。荷物はほぼ学園長室と会社にあるんすけど……いやあ、家が燃えるのって中々心に来るんすね……」

「昨日はホテルですか?」

「いえ、ネカフェで時間つぶして徹夜っす」

「……カフェインの大量摂取は体に毒ですよ」

「何を今さら。メンテちゃんも知ってるじゃないすか……ばあちゃるくんの忙しさ……」

「だからこそですよ。やっと仕事が落ち着いてきたじゃないですか。寝たらどうですか?」

「いやあでも……勤務時間中に寝るのはダメっすよ……」

「まあまあ。倒れられると困りますし。いつも適当なばあちゃるさんがぶっ倒れたら、アイドル部の皆に心労を掛けますよ」

「あー……そうっすよねえ……」

 

 メンテちゃんの冷静な言葉に、俺は卓上を見る。そこには紙コップ……飲み干したコーヒーの数は、有に六個を超えていた。

 テレビで見た限り、確かその数はやばいレベルだ。

 というか知識なしでもやばいって分かる。

 

「……じゃあ、ちょっと寝ても良いっすか?」

「どうぞ。何かあったら起こすんで、就業時間内ならばいくらでもどうぞ」

「そんじゃあ失礼して……いやーメンテちゃんマジで良い人っすね完全にね」

「いえいえ。コンビニのプリン・アラモードでいいですよ」

「1200円くらいするじゃないっすか!? えぐー!」

「流石に嘘ですよ。おやすみなさい」

「ああ……お休みなさい」

 

 俺はスーツの上を脱ぎ、ソファに横たわる。そのまま顔にスーツを被せ、目を閉じた。

 家には、特に大切なものがあったわけではない。

 それでも、帰る場所が無くなるというのは、それだけで大きなダメージになるのだと。

 俺は分かったつもりでいて……しかし全然分かっていないことを、後に知るのだった。

 

――☆――☆――

 

「失礼します。ばあちゃるさんはいらっしゃいますか?」

「こんにちは、八重沢さん。ばあちゃるさんは……すみません、今睡眠中なんです」

「……珍しい、ですね。どうかしたんですか?」

 

 部屋に入った私を迎えたのは、いつもの彼ではなく、メンテさんだった。

 ばあちゃるさんは、常に仕事をしているイメージがあった。それこそ、病的なまでに。

 そんな彼が眠っているだなんて。とても珍しい。

 たったそれだけの事実は、それだけで私、八重沢なとりに不安を抱かせる。風紀委員長と言う仕事上、彼と話す機会は多い。普通の人ならば「休んでいるんだ」程度で済む事も、私から見ればれっきとした異常だった。

 

「いえ、まあ、特には」

「そうですか。……あの、メンテさん。これをばあちゃるさんに渡してもらっても」

「はいはいはーい! なとなとー、ちょっと来るの遅れちゃってすみませんねーはいはいはい」

 

 そんな気持ちを押し隠しつつ、書類を渡そうとした時だった。突如奥からばあちゃるさんが現れ、小走りで私の前へ。第一ボタンは開けられ、ネクタイは緩められている。目の下には隈。ぼさぼさの髪に無精ひげ。よく見れば、Yシャツさえもよれよれだった。

 

「……ばあちゃるさん。身だしなみが整ってないですよ。何かあったんですか?」

「いやー、大した事は無いっすよ。まあ家が燃えた程度っすね」

「燃えっ……!? それ大した事だと思うんですけど!」

「まああれっすよ。ばあちゃるくんがね、家なき子になっただけなんでね! アイドル部の皆とかには迷惑を掛けないんでね、まあちょーっと秘密にしてくれるとありがたいっすね!」

「は、はあ……。あ、これ書類です」

「あざーすあざーす! なとなとね、いつも沢山仕事してくれて本当に良い子っすね!」

「いえ、そんな……。ありがとうございます。その、何かあったら言ってくださいね? 私に出来ることならやるので」

「気持ちだけね、受け取っておくんでね! なとなとはばあちゃるくんの事なんか気にしないでね、ちゃーんと毎日元気にいてくださいね!」

「わ、わかりました。失礼しました」

「はいはいはい、ありがとなとなとー!」

 

 ばあちゃるさんはいつも通りの態度だった。多分、十人中十人が普通と答えるだろう。

 ……だけど私には、分かる。

 彼は今、ダメージを受けている。完全ないつも通りではない。

 

「……私も、寂しいんですかね」

 

 ……八重沢家には、あと二週間くらい私しか居ない。家族が仕事で、短期の出張に行ったのだ。家に残ったのは、学校のある私だけ。旅行も兼ねてなのか、ママやおばあちゃんも一緒に行った。

 だからなのか。私は軽くない寂しさを感じている。それは友達と触れ合って、それが無くなった放課後に、主張が強くなっていた。

 多分、そんな背景があったから。

 ――私はあんなことをして、もっと寂しくなったんだと思う。

 

――☆――☆――

 

 残業は久々に無く、定時で上がることが出来た。学園の中は既に暗く、歩いていると少し怖い。

 

「家に帰って、皆の配信を見て……ああ、家が無いのか」

 

 自分の日常に組み込まれる、家。そう、それが無い。物件を見に行く暇は無かったし、今日はホテルだろうか。スーツは買ったほうが速いし、なとなとに言われた通り髭や髪も整えなければ。

 やることは多い。

 仕事がなくとも、同じくらいに疲れそうだった。

 ため息を一つ。心なしかバッグが重い。

 それでもシロちゃんやアイドル部のため、頑張らなければならない。気合を入れなおして、近場のホテルを調べ始めた時だった。

 

「ばあちゃるさん」

 

 突然。正門を出た瞬間に、これを掛けられた。

 

「ええ、なとなとじゃないっすか!? どうしたんすかもー! 忘れ物っすか? いや取りあえずね、もう遅いんで送っていきますよ!」

「いや、あの、違うんです。私、ばあちゃるさんに用事があって……!」

「え? ばあちゃるくんにっすか?」

「はい。……その、ばあちゃるさん。私の両親、実は二週間くらい家に居ないんです、けど、」

 

 なとなとはそう言って、言葉を切った。少しの沈黙。いまだ肌寒い初春、カーディガンの裾をきゅっと握りながら、彼女は俺を見上げる。

 目線を一切反らさず。なとなとは、頬を赤く染めて――

 

「……一緒に、暮らしませんか」

「……えっ?」

 

 そんな事を、呟いた。

 

「いやいやいや、ダメっすよそんなん! 確かにばあちゃるくんね、家がないんすけど、それでも年頃の女の子がそんな事言っちゃダメっすよ完全にね!」

「で、でも! ばあちゃるさんホテルですよね!? それこそお金がやばーしーなんじゃないですか!?」

「そんくらいなら払えますって! ばあちゃるくんだって貯金くらいしてるんすよ!」

「いやでもその! 私と暮らすと三食付きますよ!」

「なんすかそのオプション! 風紀が乱れてるんじゃないすかー?」

「みっ……まだ乱してないですうー!」

 

 なとなとがバッグで俺を叩き始める。頬を膨らませてぽかぽか。見た目は可愛らしいが、実際は教科書などが突き刺さって痛い。いや待って普通に痛い。

 ……そのまま数秒。なとなとの体力切れにより、打撃は止んだ。

 肩で息をする彼女に、俺はでこピンを放つ。「あうっ」と額を抑えたなとなと。

 そんな少女は、息を整え。そして、仕切りなおすように話し始めた。

 

「家に誰も居ないんです。二週間くらい。……寂しいんですよ。急に居なくなって、こんなこと慣れてないので」

「あ、じゃあばあちゃるくんからもちもちとかに話しておきましょうか? もちもちなら来てくれるんじゃないすかね」

「なあーんでそこでそうなるんですか!? さっきからばあちゃるさんに来てって言ってるじゃないですか!」

「風紀的にアウトっすよ!」

「大丈夫です。風紀乱すような事、ばあちゃるさん関連である訳ないじゃないですか」

「ガチトーンじゃないっすか……えぐー……」

「お願いしますばあちゃるさん! 一日だけでも良いので!」

「いや、でも……」

「女の子一人ですよ! 強盗とか来たらどうするんですか!」

「瞬間移動して行きますよ。なとなとがどこにいてもね」

「はうう……」

「はいはいはい、じゃあ分かってもらえたと思うんでね、家に帰りましょうかなとなと」

「……帰りません」

「え?」

「ばあちゃるさんが一緒に帰ってくれるまで帰りません」

「ちょいちょいちょーい! いつからそんな我が儘な子になっちゃったんですかもー!」

 

 頑固になった女の子は、割と面倒くさい。だがそこはお任せあれ。シロちゃんと長く接してきた俺は、こういう時の対処を知っている。

 それは――素直に従う事だ。

 これ……詰んでるじゃん完全に。

 

「……一日だけっすよ」

 

 俺は諦め、小さく呟いた。押しに弱いのは昔からで、変わることは無いだろう。それでもまあ、とびっきりの笑顔を浮かべてくれてるのだから、悪い気はしなかった。

 

「それじゃあ、行きましょう! 晩御飯の材料買って行ってもいいですか?」

「勿論っすよ。ばあちゃるくんね、コンビニでささっと買うんでね」

「え?」

「えっ?」

「……もう!! どうしてそう貴方はあああああ!!!」

 

――☆――☆――

 

「えっ……いやマジで美味い……」

「コンビニとどっちが美味しいですか?」

「いやこっちに決まってるじゃないっすか!! 最高っすよこれ完全にね!!」

「ふふん、アイドル部で女子力が一番高いまでありますからね」

 

 流石に他人の食費を圧迫するわけにはいかない。そう思い、せめて夕飯だけは自分で用意しようと思っていた。しかし気付けば、なとなとに押し切られ、彼女特製の夕飯を食べることに。

 そのご飯は、疲れなどを全て吹き飛ばすほどに美味しかった。

 良かった。スーパーでの会計の時、譲らずにお金を払っていて良かった。

 作ってもらうのだから、と。それだけの理由で払ったが、あの時払っていなかったら俺は今ひれ伏していただろう。今でさえも危ういのだ。どれだけ手間を掛けたのか。一人暮らしで自炊の経験もある俺は、ひたすらに彼女を尊敬し始める。

 

「いやあ……マジでもう最高っすねこれね! お店で出せますよこれ!」

「そうですか? お世辞で言ってるんじゃないですかー?」

「なとなとはね、たまたまじゃ無いっすからね。ガチで褒めてますからねはいはいはい」

「それ遠回しな会長への悪口じゃないんですか!?」

 

 温かい。物理的な温度だけでなく、なんというか、心が温かい。

 

「コンビニ弁当じゃあ物足りなくなっちゃいますねこれ完全にね!」

「毎日作っても……その、良いですよ?」

「毎日会わないじゃないっすか。休みもありますし」

「そーゆーとこですよばあちゃるさん」

「ええっ!? 今何かやっちゃったんすか!?」

 

 向かいの席に座り、彼女はエプロンを外す。下は着替えたらしく私服で、髪は一つに纏められている。頂きますと呟き、なとなとは箸を伸ばした。

 

「……何ですか、じっと見て」

「いや、何でもないっす」

 

 ……新妻感を感じた。なんて、口が裂けても言えない。

 いやでも許してほしい。俺はそもそも誰かの手料理を食べること自体が久々で、向かいには嫁感が滅茶苦茶強いなとなとが居るのだ。そろそろ結婚を急かされる年頃、そういったものに憧れるのも、無理はない。だろう。

 

「味付け、いつもみたいにやったんですけど……ばあちゃるさんはどんなのが好きなんですか?」

「ばあちゃるくんは全部好きっすよ。強いて言うなら濃い目の方が好みっすかね」

「そうなんですか。明日のお弁当はそうしますね」

「……え? お弁当?」

「だってばあちゃるさん、絶対コンビニ弁当とかですよね?」

「ま、まあそうっすね」

「ダメとは言いませんが、どうしても栄養バランスが崩れちゃいますから。私が作りますよ」

「そこまでしてもらうのは流石に悪いっすよなとなとー」

「コンビニ弁当じゃ物足りなくなるって言ったじゃないですか。お世辞だったんですか?」

「そんな訳ないじゃないっすか!!」

「ですよね。信じてます。それなら作っても良いですよね?」

「……あー、もう……お返し、絶対しますからね。何が良いか考えといて下さいね!」

「はい。ありがとうございます、ばあちゃるさん」

 

 にっこり笑うなとなと。机に伏せる俺。語彙力が無いというのは、こんなとこにまで響くのか。

 いやでも女子高生に口で負かされるってどうなんだ。学園長やってんのに。

 

「そういやばあちゃるくん、どこで寝たら良いんすかね?」

「空き部屋が一つあるので、そこで良いですか?」

「部屋貸してもらえるんすか!? 床で良いっすよばあちゃるくん」

「私が許しません。ばあちゃるさんただでさえ忙しいんですから、寝る時くらいベッド使って下さい」

「もうこれね、なとなとに頭上がんないっすね完全にね」

 

 全力でもてなされている。料理も美味いし、配信の経験からか話も面白い。

 このままでは行けない。流石に大人の男として情けない。

 

「なとなと、皿洗いはやりますからね! ばあちゃるくんにね、全部任せてくれて良いっすからね!」

「じゃあ、一緒にやりましょうか。私これ持って行くんで、ばあちゃるさんそっちお願いします」

「……あれ。なとなともやるんすか?」

「当り前じゃないですか」

 

 何故か表情の一つ一つが輝いているなとなと。キラキラに押されるがままに台所へ行き、二人で並んで皿洗い。たどたどしい俺に比べ、彼女はとても手際が良かった。正直役に立ってるか分からないまま、食器があっという間に綺麗になる。

 

「んーと、次はお風呂ですね。さっき洗っちゃったんで、もう入れますよ。お先にどうぞ」

「いやね、一番風呂はやっぱ家主だと思うんすけどねはいはいはい」

「私の残り湯に浸かりたいんですか」

「一番風呂貰いますね! あざーすあざーす!」

 

 俺はコンビニで買った着替えを抱え、さっき教えてもらった浴室へと駆けた。

 

――☆――☆――

 

 ばあちゃるさんが出たお風呂。おふろ。

 タイルを裸足で踏んだ瞬間、シャンプーの香りを感じた。それはいつも、私が使ってる物だ。

 なのに……何故か全く違う物に思える。

 彼が、すぐ前にここに居た。

 たかだかそんな事で跳ねる心臓。落ち着けるために息を吸い込めば、それは逆効果。微妙な、ともすれば気のせいで済ませられる様な匂いが、私を震わせた。

 顔が熱かった。それをお風呂の所為にするために、私はお湯へ飛び込む。

 そして、数十分後。すっかりのぼせた私は、若干ふらふらしながらリビングへ。肩にタオルを掛けたままソファに沈み、天井を見上げる。

 ……あれ。ばあちゃるさんは?

 

「あー! なとなとダメじゃないっすか髪乾かさないとー!」

「ふぇ?」

「なとなとはね、髪がね、もうとんでもなく綺麗なんでね! 乾かさなきゃ勿体ないすよ!」

「……拭いてください」

「いや……まあ、そんくらいならやりますよ! じゃあなとなと、ちょっとタオル借りますね」

 

 おお。我儘が通った。

 いや、この人は我儘はある程度聞いてくれる。けれど、直接的なスキンシップは拒むのだ。それでも、髪を拭くくらいならやってくれるらしい。覚えておこう。これはとっても、私にとっては有意義な情報だ。

 

「どうっすか? くすぐったいとことかあります?」

「んー……大丈夫です……気持ちいいです」

 

 眠い。温かい。まだ頭がぼーっとしている。目の前には寝巻の彼。その胸元。

 眼だけを上に向けると、真剣な彼の顔が見える。私の髪を拭くだけなのに。

 それだけ、アイドル部を大事にしてくれているのだろうか。

 いや――今だけは。彼は、八重沢なとりを大事にしてくれているのだろう。

 そう思うと、なんかむず痒かった。

 何よりも。

 

「……なとなと、めっちゃ嬉しそうっすね。どうかしたんすか?」

「どうしたんでしょうかね?」

「なんで疑問形なんすか……」

 

――☆――☆――

 

「……おきてくださーい」

 

 耳元で声が聞こえた。

 背中が柔らかい。頭も柔らかい。いつも付きまとっていた疲労感も、すっかり消えていた。

 快眠。最高と言っても過言ではない。久々に、気怠さの無い朝。俺はベッドの横のカーテンを開こうとし、手が壁にぶつかるのを感じた。

 そうだ。家は、燃えたんだ。

 一抹の寂しさ。軽くなっても、残る感情。

 待ってくれ。

 じゃあ、ここはどこなんだ――。

 

「起きて下さい、ばあちゃるさん」

「うおっ!?」

 

 覚醒しかけていた意識が、ぐっと引き起こされた。慌てて目を開けば、知らない天井。

 次いで視界に入ってきたのは、少女の笑顔だった。

 

「……な、なとなと?」

「おはようございます、ばあちゃるさん。顔を洗ったら、朝ごはん食べましょうね」

 

 なとなとはそう言うと、カーテンを開けてから部屋を出て行った。朝の陽ざしはとても眩しく、俺は目を瞑る。

 俺は、なとなとの家に泊った。

 その事実を思い出し、何とも言い知れぬ感情を欠伸とともにかみ殺す。それでも有り余るのは、幸せと元気だった。自然と口元には笑みが浮かび、ベッドからの脱出もスムーズに終わる。

 かったるい平日の朝が、今は心地よかった。

 

 そのおかげか。普段ならば一日掛かる仕事が、半日で終わった。

 今はお昼休憩。生徒たちも昼休みだ。学園長室には俺とメンテちゃんだけ。あまりにも早く俺の仕事が終わってしまったため、メンテちゃんの仕事を少し手伝っている。

 

「メンテちゃーん! こっち終わりましたよー!」

「効率がおかしい。あとなんでそんなに元気なんですか」

「はいはいはい、いやーね! まあちょっとあったんすよ!」

「……はい、こっちも終わりました。ご飯食べましょうか」

 

 パソコンを閉じ、二人してお弁当を取り出す。

 バッグの中から出したのは、青色の風呂敷に包まれた弁当箱。二段弁当だった。

 上には彩色豊かなおかずや野菜。下にはふりかけご飯。一緒に入っていたメモには、お仕事頑張って下さいというメッセージと絵が。

 最高に嬉しいぞこれ。

 今までそんなメッセージを受け取った事が無かった俺のテンションが、爆発的に上がった。

 嬉しさでによによとする頬を手で揉んで、何とか落ち着ける。

 

「いただきまーす!」

「いただきます。ばあちゃるさん、今日はなんのべんと……う……」

 

 早速小さなハンバーグを頬張る。人生の中で一番美味い弁当が更新された瞬間、突然メンテちゃんが詰め寄ってきた。

 

「ば、ばあちゃるさんがコンビ弁当じゃない!?」

「うおっ、いやね、ばあちゃるくんも毎日毎日コンビニ弁当じゃないんすよ」

「嘘! 私と仲間だと思ってたのに!」

「そんな事思われてたんすか!?」

「ちょ、ちょっと頂きますね」

「あっばあちゃるくんの卵焼き!!」

 

 メンテちゃんは素早く卵焼きを掻っ攫った。止める間もなく。

 

「……すっごい美味しいですねこれ」

 

 目を見開き、ゆっくりと呟いた。大げさで無いがゆえに、それが演技ではないと分かる。

 次のおかずを掴もうとしていた箸を止め、俺も卵焼きを頬張った。

 

「いや、マジで……美味いっすね。やばーしーっすね」

「その言い方だと他の人に作ってもらったみたいですね」

「ははは、まさか」

「うふふ、ですよね」

「……」

「……」

「……ば、ばあちゃるくん屋上で食べてきますね」

「おい吐け」

 

 俺は弁当を抱え、学園長室を飛び出した。足の速さになら多少の自身がある。

 よし。今日は学園長室で、彼女と二人っきりにならないようにしよう。

 ――結論から言うと、その作戦は成功した。今にも噛みついてきそうなメンテちゃんを避けまくり、定時と同時に飛び出す。俺の仕事は終わっているうえ、教員は家が無い事を知っている。ただ一人の存在を除いて、仕事で残っている人は皆エールを送ってくれた。

 そう、そこまでは良かったのだ。

 ……天気が、雨じゃなければ。

 俺は折りたたみ傘なんて持ち歩いてないし、普通の傘も無い。しかもかなりの土砂降りであり、コンビニまで走って傘を買っても、大して意味が無いように思える。

 だがまあ、走るしかない。

 泊る所はホテル。それしか無いのだから。

 俺は意を決し、昇降口を飛び出した。雨粒が瞬く間に全身を濡らす。視界も悪く、体温は下がり始めていた。

 水たまりを踏む度に、ズボンの裾が冷えていく。肌に張り付く嫌な感覚。

 それでも足を止める訳にはいかない。学園の周りにコンビニは無く、近くて駅前になる。まだまだ距離があるのだから。

 息が切れてきた。服が張り付いて重い。寒い。

 雨が大っ嫌いになった。メンテちゃんから逃げる事ばかり考えてたせいで、他の職員から傘を借りるというのが浮かばなかった。

 後悔先に立たず。赤信号に止められた俺は、掌で顔を拭った。

 

「ちょっと! 何してるんですかばあちゃるさん!」

 

 その瞬間、突然雨が途絶えた。

 頭上には傘。その持ち手の先には、少し怒った様子の少女が立っていた。

 

「な、なとなとじゃないっすか。どうしたんすか?」

「どうしたんすかってこっちのセリフです! 傘もささずに何やってるんですか!?」

「はいはいはい、あのっすね、天気予報と違って急に雨が降り始めたじゃないすか。なんすけどばあちゃるくん傘持ってなくて、コンビニに向かってたんすよ」

「……それ、朝に傘を渡さなかった私のせいじゃないですか」

「なに言ってんすかなとなとー! なとなとはこれっぽっちも悪くないっすよ! 間抜けなばあちゃるくんがね、悪いんすよこれ完全にね!」

「でも、私はばあちゃるさんの状況知ってるじゃないですか! 万が一を考えて折り畳み傘とか渡しておけば……!」

「そんな万が一気にしてたら生きるの大変っすね完全にね! 勝手に変わった天気が悪いんすよ!」

「……それでもです。ばあちゃるさん、お風呂とかの当てはありますか?」

「あったりなかったりっすね。ホテルにあるんじゃないすかね?」

「駅前ですよねそこ。わかりました。ばあちゃるさん、ついてきてください」

「え? どこにっすか?」

「――私の家です。今のばあちゃるさんを放っておけません」

「マジンガー!? 大丈夫、大丈夫っすよなとなと!」

「ダメですよばあちゃるさん。確かに傘は予測できない未来の事でしたけど……この状況は、今どうにか出来るじゃないですか。貴方の事情を知ってるんですから、ここでさよなら出来る訳ないじゃないですか!」

 

 なとなとはそう言うと、俺の手を掴んだ。自分の手が濡れるのも構わず。

 強く引かれる。何も言えないままに、追うように足を踏み出した。

 

「こんな時くらい頼って下さい。良いですか」

 

 俺は無言で頷く。彼女は微笑み、前を向いた。

 固く繋がれた手。白く細い指は、何よりも強く、五指を掴んでいる。

 

「……ありがとうございます、なとなと」

「気にしないで下さい。当たり前の事ですよ」

 

 こっちを向かず、なとなとは返事する。優し気な、本心だと伝わってくる声音。それは心をじんわりと包み、染みていった。

 

「ほんと、風紀を正す以外は何でも出来るんすねなとなと」

「んなあー!? 風紀! も!! 正してますから!」



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二日目

「良いですかばあちゃるさん。これからは何か足りないとか、荷物を運ぶとか、そんな些細な事でもお手伝いを頼んで下さい。正直アイドル部全員、ばあちゃるさんが仕事をしすぎじゃないかって心配してるんですからね」

「いやでもね、やっぱばあちゃるくん一人で終わらせられる事をね、わざわざ頼んで迷惑掛けるのは嫌なんすよ……」

「迷惑と! 思って! 無いんですー!」

 

 半ば強引にお風呂に叩き込まれ、上がったのがついさっき。

 なとなとに怒られながら、彼女が淹れてくれた熱いコーヒーを飲み込む。

 

「試しに明日、たま会長にでも頼んでみたらどうですか?」

「『やだー、馬P一人でやってよー!』」

「……言いそうだけど言わないと思います。多分」

 

 機会があれば、と俺は口に出した。

 基本的に学園長室に居ると、関わるのはメンテちゃんだけだ。生徒と関わる事は少ない。要はそんな機会なんぞ数少ない訳で、それは彼女も分かっていた。

 ちょっとばかし膨れっ面になるなとなと。制服からルームウェアに着替えていた。

 時刻は六時半。そろそろ晩御飯を作り始める時間だ。

 

「ばあちゃるさん。お魚と鶏肉、どっちが好きですか」

「ばあちゃるくんっすか? ばあちゃるくんはっすねー、いや……あ、なとなとはどっちが好きなんすか?」

「お魚です」

「じゃあお魚っすかね!」

「……もう。明日の夜はわさび丼にしますよ?」

「えっ」

 

 さりげなく、明日もなとなとのご飯を食べる事になっている。が、それには気づかず。スマホで調べてみれば、わさび丼はマジであった。

 明日が命日か?

 

――☆――☆――

 

 ただただ偶然。自らの幸運に感謝する。

 私が席を立った後。彼は一人でわちゃわちゃし、今はパソコンを開いて仕事をしていた。なんというか、忙しない人だ。リアクションも含め全てが軽いのに、頼れるし仕事が出来る。アイドル部という存在に欠かせない人物。

 かくいう私も、ばあちゃるさんに悪い感情は抱いていない。

 寧ろ、言うなれば、その逆だった。

 そんな人物が、二日連続で私の家に泊まる。それはとても嬉しい事だ。ただ単純に、彼の近くに居る事が出来る。料理含め、家事が一通り出来る事が強みになる。昨日から部屋着を少々大人っぽくしてみた。彼には効いているだろうか。

 ……知りたくても、聞けない。

 それを聞くには、とんでもなく甘えられる状況が必要だ。記憶が飛んでいた、なども言える様な。

 まあ、そんな状況は来ないと思う。

 

「……よし、一通り終わりましたね」

 

 手を洗って、私は息を吐いた。

 あとはほぼ、待つだけだ。他に何か作れそうな物がないかと探してみても、思い浮かばない。

 エプロンを外して、私はリビングへと戻る。ばあちゃるさんの後ろに立つと、彼は手を動かしながら話しかけてきた。

 

「どうしました?」

「いえ、お料理のほうが一段落したので来たんですけど……。見てても大丈夫な奴ですか?」

「問題ないっすね。これはあれっす、アイドル部の皆のスケジュールなんでねはいはいはい」

「あー。……ばあちゃるさん、またコラボ配信とかやらないんですか?」

「今んとこ予定は無いっすね。ばあちゃるくんが出てもっすね、邪魔だー! って思う人が沢山いると思うんでー、やっぱね、可愛い皆だけでコラボした方が良いんすよ」

「……その割にはたま会長と沢山コラボしてるんじゃないですかー?」

「あれはまあ、そのーあれっすよ! ほら、たまたまがね、やりたい事をばあちゃるくんがサポートしてるだけっすよ完全にね! ばあちゃるくんじゃなきゃ出来ない事が大半っすからねはいはいはい」

 

 イラっ。と、心がざわつく。

 その感情が嫉妬だと気付き――、思うがままに、私は動いた。彼の首を抱きしめるように手を伸ばし、大きな手をぺちんと払いのける。

 

「ちょいちょいちょーい! 何やってんすかなとなとー!」

 

 慌てる彼の声を無視。少し悩んで、私は明後日のスケジュール表を開く。その日は、夜八時から配信の予定があった。

 ……麻雀の添削。男声役。なるほど。確かに、アイドル部の立場から見ればばあちゃるさんしか出来ない事だろう。私たちとコラボして一番波風が立たないのは、立場のあるばあちゃるさんだ。

 だから考えよう。私が、私の立場を利用して、彼だけとコラボする方法を。

 

「……ばあちゃるさん」

「もー、どうしたんすかなとなとー」

 

 私は自分の名前の横にカーソルを持っていく。少し悩んでから、打ち込み始めた。

 

「コラボしましょう。特別版なとないと、ゲストに来てください」

「マジンガー!? いやそれね、ばあちゃるくんじゃなくて……あっ! すずすずとかどうっすか? いやー、ピーピーとはコラボしたんでー、やっぱここはね、ラマーズトリオのもう一人とコラボなんてどうっすかね?」

「……風紀チェックしようと思うんですよ。だからばあちゃるさんが一番良いな、って」

「あー! なるほどー! ……あっ、じゃあたまたまにします? やっぱね、ばあちゃるくんよりね、生徒たちと沢山話してる生徒会長の方が良いんじゃないすかね!」

 

 彼は焦りながら、言葉を発す。そんなに私とコラボするのが嫌なのだろうか。

 ……いや、多分違う。ばあちゃるさんはきっと、「自分よりも」と思っているのだろう。自分よりも他の人と。他の人の方が。自身を卑下しているのだ。

 一番害悪なのは、それが彼の本心だということ。心の底から、純粋にそう信じているのだ。

 

「ていっ」

「ウビバッ!?」

 

 ちょっと力を込めて。手のひらを、彼の耳に押し付けた。外の音が聞こえないように、ぐっ、と。

 慌てている。それでも、ばあちゃるさんは抵抗しない。何か言っているけど、私の耳には届かない。手は出さない優しさは、私にとってはむず痒いだけの物だ。届かない背中の痒みの様に、燻る何か。 けれど、その甘さに、私は浸った。

 

「――他の誰でもなく。貴方が、良いんです」

 

 小声で呟く。黒髪に顎を押し付けて、耳を塞いで。

 何も伝わるな。彼に何も伝わるな。

 相反する感情と行動。恥ずかしいくらいにドストレートな行動に、私は頬の熱さを自覚する。

 

「……まああれですよ。ばあちゃるさんに拒否権なんて無いですしー?」

「え、えぐー! ばあちゃるくんにもっと優しくして欲しいっすね!」

「へーんだ! そろそろご飯ですから、片づけ始めて下さいね」

「おっけーっすよなとなとー!」

 

 私は彼に背を向ける。口元を手で覆う。

 ……顔に触れる指先は、震えていて、とてもとても熱かった。

 

――☆――☆――

 

「じゃあ、お風呂行ってきます」

「了解っす! この後配信ありましたっけ?」

「はい。遅れないようにはしますよ!」

「まあなとなとなら大丈夫っすよね! てらてらー!」

 

 なとなとがお風呂に消えていった。俺は彼女の淹れてくれたコーヒーを飲み、ソファに体重を預けた。

 そして。

 

(聞こえてるんすよなとなとおおおおおおおおおおおおおお!!!!)

 

 悶えた。

 

(耳塞がれても結構聞こえるんすよ!! 頭の上に顎乗っけられるのも分かったし! 背中も結構あれだったし!! 温かいし柔らかいしあんな事言われるし!!!)

 

 確かに、俺はアイドル部の皆とスキンシップが無いわけではない。絶対に一線は超させないものの、パーソナルスペースは個人差がある。それを拒絶することは、俺の流儀に反する。イオリンやもちもちは近いし、すずすずなどは一般的な広さだ。個人個人の距離を他人が勝手に決めるのは、魂の自由を縛りかねない。

 出来る限り自由に。出来る限り不自由なく。

 魂の輝きをありのままに。

 それが俺のモットーの一つだ。

 が、彼女たちは容姿的にも優れている存在である。

 俺とて男。くっ付かれて、何も感じない訳ではないのだ。

 

(あんな事言われたらコラボするしかないじゃないっすか……やばーしーやばーしー)

 

 髪を掻き揚げる。長く息を吐いて、俺は目を腕で覆った。

 いや何。八重沢なとりは、プロデューサーがドキドキするレベルのアイドルだと再確認出来ただけだ。見慣れている俺でもこの有様なのだから、彼女の魅力は最早言うまでも無い。

 その矛先が俺に向いてなければ、安心出来たのに。

 彼女たちの魅力を一番知っているのは俺だ。同時に、それらを一番無視しなければならないのも俺。

 難儀な物だ、と。

 もう一度息を吐く。ソファを離れて仕事を始めても、なとなとの言葉はずっと脳裏に張り付いていた。

 数十分後。なとなとがお風呂から出てきた。

 

「なとなとがね、配信してる間はばあちゃるくん静かにしてるんでね!」

「はいはい聞こえたら稲鞭ですからね! 多少の音なら全然大丈夫ですから、あまり神経質にならないで下さいね」

 

 彼女は俺に釘を刺すと、ほうじ茶を持って自室へ。扉が閉まる音が聞こえた瞬間、俺はどっと力を抜いた。

 一晩寝れば、きっとこの混乱も収まるだろう。人間というのはそういうものだ。

 彼女にはいつも通りに接せば良い。もう夜も遅いし、配信が終わったらなとなとも寝るだろう。俺も今日は早く寝て、明日に備えるのが吉か。

 幸いというか、さっきまでやっていた仕事は終わっている。

 やらなければならない事を確認し、それがほぼ無い事を認識。パソコンの電源を落としてから、俺はスマホをいじり始めた。

 

 その、一時間半ほど後。

 

 暗い部屋。カーテンを閉め、電気を消した部屋の入り口で――、

 

「……一緒に、寝て下さい」

 

 俺は、八重沢なとりに、抱き着かれていた。



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