末端背教組織員は今日も優雅に生き延びる (ろんろま)
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末端も末端な背教組織員は今日も優雅に生き延びる
背教組織へレシィ。
それは神と信徒に背くもの達の集いの名だ。
ここプロパーテ大陸最大にして唯一の国、宗教国家アライメントの闇に潜むその組織はたった一人の革命者を頂点に、ゴロツキから狂人まで様々な人間で構成されている。
これはその中でも末端の一部署。そこを治める上司とその部下のお話である。
王都ミトロティスから遥かに離れた小さな町、ミニム。
平々凡々を具象化したようなその町の一画。他の建物とは一線を画する大きさの屋敷の中で、ラクシオ・ダンジェヴァクシオンは大きなため息をついた。
「どーしてこうなった……」
神や属性などクソ食らえ精神をモットーとし活動する狂人の多いへレシィにおいて、ラクシオはそれはそれは珍しい正気を保った人間である。
【空】【風】【幸運】という珍しい三重属性を備えた彼は、本来ならば上流階級のエリートとして栄えある王国騎士団への入団を約束された身であった。
しかし空という属性が自由を好んだのか、はたまた幸運という属性が腐敗しきっていた王国上層部という破滅の道を拒んだのか、ラクシオは気付けば国家最大の反逆者集団へレシィに身を置いていた。
窮屈極まりない実家から解放され万々歳、これからは自由気ままに生きて行こうと決意した矢先の出来事である。
自分の属性【幸運】とは一体なんなのだろうと本気で思ったラクシオであった。
「確かにさーアトリ教とか気に入らないしさー王城の泥沼とか関わりたくなかったけどさー……それで背教組織入りするとか当時のオレ何考えてたのバカなの死ぬのちくしょうめ」
尚、彼がへレシィ入りした経緯はぶっちゃけてしまえば酒の勢いである。
実家から持ち逃げした金で夜遊びをしていたところ、組織のスカウトをしていた美女にホイホイ引っかかりそのままIN。
疑いようもなく自業自得であった。
「あー今日も本部からの連絡とかなしでグータラ過ごしたい。可愛い女の子と話して一日終わりたい」
駄目人間丸出しの発言をしながらラクシオは机の上に鎮座する書類の山を処理していく。
ここでの彼の肩書きはちょっとした商館の主人だ。元上流階級の人間として受けて来た教育の成果を存分に発揮し、決済や帳簿、備品管理を含めた表の書類をものの数分で片付ける。
この男、面倒ごとは率先して終わらせるタイプの人間なのである。
魔道具である呼び鈴を鳴らし、商館を任せている部下に書類を渡せば基本的に彼の仕事は終了する。
【幸運】属性持ちである彼はいるだけで幸運を引き寄せるのだ。最低限の歯車を回しさえすればあとは文字通り運に命を預けて部下が商談に勤しむ、というのが彼の商館のやり方であった。
全力で属性頼りで真っ当に商売する気ゼロなのが伺える。
……とはいえアトリビュート・スレイヴ。背教組織へレシィに曰く、『属性の奴隷』と呼ばれるこの世界で己の属性を活かして生きることは、人間として呼吸するのと同じように当たり前のことだった。
やがて裏の帳簿も付け終わり、本格的に今日の仕事の大半を終わらせたラクシオは暇であった。
「ふぃー。頭脳労働した後は糖分が欲しいねえ」
机に常備している砂糖菓子を口に放り込めばざらざらとした舌触りとともに沁み渡るような甘さが広がって行く。
空っぽになっていたエネルギーが補給されて行く感覚に暫し身を委ねて、ラクシオは小さく息をついた。
ここでの生活は悪くない。
実家のような面倒なしきたりに縛られることはなく、背教組織の一員の割に自由気ままでそれなりに幸福な日常を送れているのだ。
身に宿す属性によって自由気まま、豪放磊落な性格に寄ったラクシオとしては、今の生活はそれなりに満足していた。
とはいえ気苦労も勿論ある。
糖分補給も終わり一息ついたラクシオは呼び鈴を鳴らした。気分を変えて新しい紅茶でも飲もうと思ったのだ。
その後間もなく一人の男が入室する。
ティーセットの用意されたカートを一目見て、ラクシオは部下を一瞥するとため息を吐いた。
「……ナイナイ。そんな雑な茶菓子の用意の仕方とはナンセンスだから」
「旦那様、どうされました? いつも通りのものをご用意させて頂きましたが」
主人のため息に不興を買ってしまったのか、と男は焦ったような表情を浮かべた。
そんな男の様子にラクシオはますますため息をついて指差した。
「毒入りの茶菓子なんて誰も要るわけないだろう。【風】に乗った匂いが普段と微かに違うぜ?」
「そんな! 毒なんて滅相もない! 何を仰られるのですか旦那様!」
「あとそれ。オマエの演技が気持ち悪い。そんな【空】っぽな眼差しで感情的な演技とか、三文芝居にも劣るっつーの。
そんで一番大事な質問。オマエ誰だ?」
ラクシオの言葉が紡ぎ終わるのと同時に男から表情が抜け落ちた。
同時にラクシオは部屋の空気が変わったことを感じ取る。
(まーた実家からの刺客かねえ。王都から離れたこんな片田舎にまでご苦労なこった)
そう。
何を隠そうラクシオが苦労しているのは、結構な頻度で現れる実家からの刺客だった。
侯爵家第一子として生まれながらその全ての責を放棄し、あまつさえ背教組織入りし現在進行形で家名に泥を塗りまくってる放蕩息子を侯爵家当主が許すはずもなく。
ラクシオの元にはほとんど毎日のペースでその首と属性を狙う刺客が現れるのだった。
尚王都からミニムまでの距離は馬車を休まず動かして半年ほど掛かるとだけ言っておこう。
(成り代わられたヤツの代わりを補充しないとなあ)
男の手の皮膚を破るように出現した鉤爪が鉄錆の匂いを振りまく。
縦横無尽に放たれるその凶拳を前に、しかしラクシオは慌てず騒がず【空】を駆けた。
(にしても親父殿も律儀だなあ。どうせこいつと視界を【結】んで見てるだろうに、飽きないもんだ)
今頃自室で憤死しているかもしれない当主の事を鼻で笑うラクシオ。
空間すべてが足場だと言わんばかりの出鱈目な回避運動をこなしながら、ラクシオは片手間に風の刃を放った。
「!」
男の右腕が風の刃によって斬り飛ばされる。
切断面がいっそ芸術的なほど美しく刈り取られたそこから、一拍の間をおいて噴水のように血液が飛び散った。
一気に大量の血液が失われたためだろう。一瞬ふらついた足元に狙いを定め、ラクシオは風を走らせた。
だが隙は一瞬だけだった。
男は痛覚など存在しないかのように先と遜色ない動きでラクシオとの距離を詰めていく。
妨害のために向けられた暴風のような向かい風などに見向きもしないその在りようはラクシオから見ても異様であった。
(でもそういうのって見飽きてんだよネ)
送られてくる刺客なんて大体どこか壊れた使い捨ての奴隷なのだ。
主人に捨てられれば迷わず自害を選ぶ者、自我を壊されて人形にされた者、普通の人間のふりをした爆弾などもいた。
今回の刺客はまだ生易しい方だろう。主人に与えられた任務を最期まで果たそうと動くその姿を、ラクシオは満面の笑みで迎え入れた。
「いいねえ無様な親父殿! このままだったら確かにオレは死んじゃうかもねえ! でもさ!」
ガクン、と男の足がもつれる。
見ればその足は何故か床に沈み込んでいた。
先にラクシオの放った風の刃。それによって小さな切れ込みを入れられていた床を踏み、見事に陥没してしまったのだろう。
小さな不運だった。ラクシオの放った風の刃は薄く切れ込みを入れる程度であり、常ならば床を踏み抜く事なく男はラクシオの首を取れただろう。
だが生憎とラクシオは【幸運】な男なのであった。
「ドンマイドンマイ次はいいことあるさ! いつでもリベンジこいよ親父殿! もっともコレはここで死ぬんだけどネ」
そしてそんな大きな隙を仮にも騎士として育てられたラクシオが見逃すはずもなく。
刺客の首があっさりと宙を舞ったのであった。
◆
濃厚な鉄錆の匂いが充満する中、ラクシオはやりすぎた、と頭を掻いた。部屋の中はそれはもう散々な有様である。
服の中に入れてある青い鈴のついた魔道具を鳴らし応援を呼ぶ。
「ネアン。ネアンくーん。早速だけどお仕事頼まぁ」
「どうした碌でなし上司。また派手にやったのか」
軽い呼びかけに応えたのは白髪の男だった。
ネアンと呼ばれたその男は目の前の惨状を一瞥すると「またか」と言いたげな眼差しでラクシオを見つめた。
「修理費が嵩んでいるぞ上司。もう少し被害を抑えないのか」
「んー大丈夫だろ。ほらオレってば【幸運】持ちだし? 適当に商売してたらその内儲けなんて必要なだけ用意されてるし? 寧ろ親父殿が悔しがってることを【風】の噂で聞く方が面白いんだよなあ。後碌でなしはいらない」
「そうか。では執務室の修理費は経費で落としておく。名目は接待費で良いな」
「いぇーいネアンくん分かってるぅー」
慣れた手つきでメモした紙を懐に住まうと、ネアンは手にしていた袋の口を徐に開いた。
それは特殊な魔道具でラクシオの後始末用の掃除道具だ。
まるで意思を持つかのように袋の口が痙攣し、強烈な吸引が発生する。
収納量や体積という言葉をどこかにおいてきたその袋は、小さな体に毒入り茶菓子や刺客の身体全てを飲み込むと満足したようにひと震えする。その隙を逃さずネアンはぎゅっと革紐でその口を締め上げた。
「せんきゅーせんきゅー。そいつ悪食だからさあ、オレみたいな多重属性持ちには扱いづらいんだよなあ」
「物は片付けた。後は茶菓子の用意か」
「おうともさ。このオレに相応しいティーセットを用意しろよ? っとその前に」
ラクシオは鉄錆の匂いの残る部屋に向けて指を鳴らした。
するとどうであろうか。閉じきった室内だというのに空気が渦を巻く。ラクシオの属性によって指向性を与えられた【風】が部屋に纏わりつく鉄錆の匂いを一箇所に集めているのだ。
「鬱陶しい匂いくらいは【空】っぽに。『清涼なる風よ。空ろなるものよ。沈殿する穢れを押し流し、飲み込みたまえ』」
それはラクシオの属性【風】と【空】を利用した魔法だ。
ラクシオ自身は『空白化』と呼ぶこの魔法はラクシオが指定した風の範囲に包まれた中身を空っぽにするという効果を持つ。
……それだけ聞けば問答無用で対象を消し去る恐ろしいもののように聞こえるが、【消失】の属性持ちでもないラクシオにできるのは精々中の空気を【空】っぽにする程度。
つまりは消臭程度にしか使わない、ラクシオにとっては便利なだけの魔法であった。
「消臭完了ー。良い男は鉄錆の匂いなんて振りまかないんだから当たり前だよなあ?」
「そう思うのならその魔法で刺客の空気を抜いてやれば良いのではないか。血飛沫は飛ばないし早いぞ」
ネアンのもっともな指摘に、しかしラクシオは首を横にふった。
「そんなのはつまらないさ。速攻落としちゃったらそれはそれで親父殿が本気出して来ちゃうかもしれないし? 何より【幸運】なことで助かるオレという図を親父殿に見せつけたいんだよネ」
「碌でなし上司よ。茶菓子の用意をするので俺は戻るぞ。ついでにこれの属性を剥いでおく」
「あっれえネアンくんスルー!? しかも呼び方がまた碌でなしに戻ってるし!? 属性狩りとしてお仕事するのは全然良いんだけど、上司に対する態度としてどうよネアンくー……」
ラクシオの抗議も虚しく、ネアンはあっさりと退室するのだった。
一人取り残されたラクシオはつまらなさそうに髪を撫で付けた。
「……ちえー。『ノンマン』の癖になーまいきー。でも許しちゃう、なんていったってオレは【空】のように心が広い男だから!」
芝居掛かった口調でこれまた芝居掛かった調子で手を優雅に広げるラクシオ。
貴族として教育された無駄に洗練された無駄のない無駄な動きでくるりくるり、とダンスでも踊るかのように優雅に動きながら、ラクシオはニンマリと笑顔を浮かべた。
その視線は上。天井へと向けられている。
「そう、オレは心が広いのさ! ネアンくんにも怒られちゃったし、即死できる【幸運】を与えてあげよう!」
ラクシオの元に訪れる刺客が一人で終わるわけがない。
侯爵家当主が家名に塗られた泥を少しでも雪ぐために、何よりも侯爵家の取り潰しを阻止するためにもラクシオの首は絶対に必要なものだからだ。
あとでネアンに回収させないとなー、とのんびり構えるその姿はとても命を狙われているようには思えないほど自然体であった。
実家からの襲撃なんてそれはもう日常茶飯事なのである。
屋敷に潜んだ暗殺者の息の根を的確に止めながら、ラクシオは今日のおやつは何かと鼻歌を歌いながら歩き始めた。
これは背教組織へレシィ、その末端も末端に属する『空回りな幸運男』と『無能な狩人』の日常の一コマである。
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