譲れない、この想い (風風)
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譲れない、この想い
ちなみに筆者はツインターボ好きです。
あのオールカマーは痺れました。
俺が見たいのは、いつだって頂きの世界だった。
懸命に逃げ切ろうとする人も、ペースを考えて体力を温存する人も。
皆一様に抜き去って、自分一人が奏でる
そんな、静かな世界が欲しかった。
そう思ったのは中学校2年生の頃。
田舎に産まれ育った宿命か、毎年冬になると学校行事でマラソン大会が開かれていた。
1、2、3学年とそれぞれ分かれる形式を取って行われるそれに『今年こそは』と気合いを入れて挑んだ。
結果は大金星。
2位に大差を着けての1着。
少なくない喜びが心を満たす中、それ以上にあの景色をもう一度見たいと思った。
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目の前には遠くを走る人影。その大きさは徐々に小さくなっている。
そして、息も絶え絶えの自分。
頬を伝う汗。悲鳴を挙げる心臓に、乳酸の溜まった足を装備して走る様は、有り体に言って限界だった。
ここで歩みを緩めても良いのだろう。
順位は2位。後続の足音も聞こえないこの状況は、そのまま順当に行けば好成績を残すことを示唆していた。
――惜しかったな。でも良くやった。
――次がある。また頑張ろうぜ。
担任やクラスメイトの幻聴が耳に木霊する。
(……ふざけんな。まだ終わってない)
反論。弱々しく、信頼性もない。だからなのか、そいつらはまたも甘言を
――だが、もう無理だろう?
――そうだ。無理だ。やめた方が良い。
(……無理なんかじゃない。まだ走れる)
虚勢を張る。そうしなければ心が砕けそうだった。
――どうして走る?このままなら2位だぞ?
――そうだ。格好いいじゃん!
「……格好良くねぇ!1位じゃなきゃ、意味がねぇんだよ!!」
激情と呼べる感情が体を支配する。顔を地面に向け、小さく叫んでいた。
――なら、手を振れ。足を動かせ。
――そうだな。だってお前は。
辛く、苦しく、しかしそれでも尚負けたくない一心で体を動かす。
――1位になりたいんだろう?
「……ッ!!」
瞬間、全てが切り替わった。
今までの苦痛が嘘のように消え去り、蓄積されていた疲れも全て吹き飛んだ。
走れと、脳から送られる電気信号のムチは足の回転数を徐々に上げる。それだけでなく、疲労という概念が一切感じられない。
(なんだ?コレ……)
当然、困惑する。俯かせていた顔を上げてしまう程だった。
疑問符が頭を埋め尽くし、しかし立ち止まる事なく、遠かった人影も徐々に近づく。
500m、300m、100m、並び、抜き去る。
「えっ」と驚愕した声を後ろに聞いて、ペースが落ちることなく、むしろ更に上げてゴールテープを切った。
恐らく、抜いてからテープまでの距離はそこまでなかったのだろう。あったとしても精々1kmと言ったところか。
しかしその中で、今までにない心地良さを感じた。
(……綺麗だ)
失敗した絵画の様な景色。
轟轟と風を切る音。
誰も見えないそこは、きっとこの世は自分だけしか居ないんじゃないかと錯覚してしまうくらいに不可思議で、神聖な場所の様に映る。
俺はその時、確かに、頂きの世界へと足を踏み入れた。
#
「ん……」
目を開ける。
ここ数年、幾何学的な木目が特徴の見慣れた木の天井が広がる。
次いで頭痛。
あまりの酷さに頭を抑えた。そして襲来した嘔吐感に苛まれ、ベッドの近くに置いてあったポリ袋を掴む。
「――っ!――、――――っ!!」
胃の中の物が食道を通り、外へと吐き出されていく。その感触があまりにも不愉快で、またもや気分が悪くなった。
「ハァ……、ハァ……」
辛気臭い顔。
姿見に映った自分を見ての印象はそうだった。ボサボサの髪に、隈の目立つ目。痩せこけた頬と無精髭が生える顎。
全体的にやる気の感じられない雰囲気を出しているその姿は、1ヶ月前には考えられなかっただろう。
「……どうして、こうなったかな」
封をした袋を床に置き、またも身体をベッドに預けて呟く。
駅伝の最高峰、箱根駅伝。
大学に入ってからの4年間、それに挑むべく日々研鑽を続けてきた。
俺は出来ることをやって来た。最高のチームで最高の成果を残してきた。
予選も通過し、最期に出られる。
誇らしく、絶対に勝ってやろうと。
そう思っていた。
気付くと地面に転がっていた。
事故だった。
大学から自分の部屋までを帰る最中。横断歩道を渡っている時に、信号無視をしてきた車と衝突した。後に聞いたとこらによると、眠ってしまったらしい。幸い、スピードがあまり出ていなかった為
に命には別状がなかった。
そう。
命には、だ。
右足に痛みを感じ目を向けると、あらぬ方向へ曲がっていた。誰が見ても骨折していた。
瞬間、汗が全身から吹き出た。
痛みからもある。しかし一番は、2週間後に迫った箱根駅伝のこと。
間に合わない。
間に合う訳がない。
案の定、医師の診断もそうだった。『酷なようだが』と口上を垂れる生物の言葉を上の空で聞く。下らない言葉遊びに付き合うつもりなど毛ほどもなかった。
「……」
あれから1月。
未だギプスで固定されている右足
を枷に、ベッドから降りて直ぐの所にあるローテーブルの前に座る。
その上にあるのは友人に頼んだ缶ビールと、眠れないからと医師に処方して貰った睡眠薬。
前日のアルコール成分は身体にまだ残っている。
それだけでなく目の前にある1缶と、多量にある薬を飲んだらどうなるか。
「……飲むか」
想像して恐怖することは、なかった。
酒を一気に煽り、10にも届きそうな量の錠剤を含んで飲み込んだ。
そのまま目を瞑り、何れ訪れるであろう深淵に身を任せる。
半日も経てば物言わぬ骸の出来上がりだ。馬鹿な大学生が、馬鹿なことをした。そう、周囲に認識されるだけの話。
(言われるだろうな……)
けれども、走ることは俺にとっての生き甲斐だったのだ。
それも最高の舞台で、最高のパフォーマンスで、最高の勝利を見せる。
しかしその一生に一度の舞台を閉ざされた現状に、どう希望を持てというのか。
「だから。次は……」
少し薄くなってきた意識にムチを入れ舌を動かす。最期になるかもしれない願いを発する為に。
「どうか、お願いします……」
――どうかあの世界を、駆け抜けられますように。
#
雲一つ無い晴天の空を、群鳥が己の象徴足る翼を広げて翔んでいく。
そのありふれた光景が何故かとても大切に感じられて、青々しく茂る芝生を背に寝転がっている私は、思考を忘れて呆けてしまった。
「……」
息を吸って、静かに吐く。
繰り返し行っている内に激しく動悸していた心臓は鳴りを潜め、走った影響で昇った体温を冷やそうと静かに鼓動している。
サァと、時折吹く風が更にそれを助長させた。
「気持ちいい……」
思わず瞼が重くなってしまうくらいには平和で、心地の良い空間。
「――」
いっそのこと何時間か続かないかと思い、しかし、誰かが私を呼ぶ声が耳に届く。
「……あ、忘れてた」
身を起こし、声がした方向に目を向けると、微かに人影が見える。
ヘナヘナと垂れた右耳に力なく左右に振れる尻尾が、一緒に走っていた彼女の疲労状態の時とマッチしていて苦笑する。
「ごめん、ごめん。走りすぎちゃった」
近づいて朗らかに声をかけた。それが癪に触ったのか、顔を地面に向け、膝に手を着いている彼女は100年の恨みとも呼べる程の低い声で文句を言う。
「ま、毎回……、付き合わされる……っ、私の身にも、なってよ!」
「だからごめんって、シロちゃん。今度お母さんの作ったクッキーあげるから」
『シロちゃん』もとい、ホワイトストーンはそれを聞くと目を輝かせ「絶対?絶対だからね!?」と
食らい付いてくる。少しだけ引いてしまった私は普通な筈だ。
「……うん。それじゃあ暗くなってきたし帰ろうよ」
「そうだね。なら……競争だ!」
「えっ!?ちょっと待ってよツイン~!!」
言って、駆ける。
直ぐにトップスピードへ至った私の身体は世界を置き去りにした。
皮肉な話だと、そう思う。
人の生を得て、終わり、気付いた時にはまた始まっていた。
もう無理だと嘆いていた私は、突拍子もない形で望んだものを手に入れることが出来た。
しかしそれは、私にとって証明しなければならない宿業となった。
ある輩は言うだろう。
『それが本当に望んだことか?』と。
ならば私は、胸を張って『そうだ』と言おう。
元々走る事しか脳のない人間だったのだ。それが私、ウマ娘である『ツインターボ』としての価値に繋がる。これ程、嬉しいことはない。
「待ってよぉーー!!」
だから走ってやろう。
多数のウマ娘が感じる筈の世界を。
私が全て、走ってやろう。
「いっくぞおぉぉぉおお!!」
翔んでいた群鳥は、茜の空へと去っていった。
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