属性の奴隷になった私が百合に染まるまで (水羊羹)
しおりを挟む

属性の奴隷になった私が百合に染まるまで

 この世界にある属性という概念を、運命だとか奴隷だとかで例える人がいる。

 私もそう思っている一人で、属性は私達を弄ぶための物だと考えている。

 

 属性によって、将来の道が決まる……ううん、狭まってしまう。

 平穏が好きな人が【騎士】の属性を得ることによって、戦いに身を投じることになったり。

 逆に戦うのが好きな人が【平和】の属性を持つことによって、争いとは無縁の生活を強いられたり。

 

 やりたくないのに、属性(運命)によって定められる。

 そこにあるのは、ただの悪夢だ。自分の意志と周りの環境は別で、私達は属性の奴隷となって踊らされるしかない。

 ……アトリ様は残酷だ。周りの環境だけではなく、趣味趣向まで変えてしまうのだから──

 

 

 


 

 

「リーシャ! 早く行くよ!」

「ま、待ってよサラちゃん~」

 

 あれは、私が属性鑑定を受ける十歳の時だ。

 当時の私は引っ込み思案で、今とは似ても似つかない根暗な少女だった。対して、私の親友でもあるサラは明るく、町の誰からも好かれる少女だった。

 

 私達の町では他の地域とかなり変わっている。属性鑑定をする年は十歳と決まっていて、だから私達は属性に縛られず自由に過ごしていたと思う。

 きっと、昔の人も考えたんじゃないかな。属性に左右されずに、本当の自分として過ごして欲しいって。

 

 属性鑑定をするために向かった教会前では、既に同じ歳ぐらいの子供が並んでいた。

 鑑定を終えた子もいて、各々の表情で結果を噛み締めている。

 

「へっへーん! オレは【剣】だったぜ。これで伝説の剣士になってやるんだ!」

「いーなー。僕なんて【鍛冶】だったよ。うちって道具屋なのに、鍛冶でどうしろって言うのさ。どうせなら、薬草調合に役立つ【調合】とかが良かったな」

「やったー! 【水】と【風】のデュオ! 華麗な魔法使いになれるわね!」

 

 当時の私は本の虫だったから、あの子のように魔法の属性が良いな、と考えていた。

 反面、サラはどんな属性でも良かったのか、周りの結果を気にしている様子はない。

 

「ん~! 結果が楽しみだなぁ」

「う、うん。そうだね」

「リーシャはどんな属性が欲しいとかある?」

「物騒じゃなきゃ、それでいいかな。サラちゃんは?」

「あたしはリーシャを守れるような強い属性がいいわね!」

 

 意外だった。

 私はサラと幼馴染とはいえ、彼女には他にも沢山の友人がいる。対して、私はサラ以外に目立った交友関係がない。

 快活な可愛い女の子と、根暗で可愛くない女の子。どちらと仲良くなりたいか、一目瞭然だ。

 

「わ、わたしと……?」

「うん! リーシャはあたしにとって、一番の親友だから!」

 

 にっと歯を光らせて笑う、サラ。自信に満ちた笑顔に、私は恥ずかしいやら照れくさいやら嬉しいやら色々な感情がごちゃまぜになって、顔を熱くしながら俯くしかできなかった。

 

「あ、ありがとう……」

「んふふー、照れちゃった?」

「て、照れてない!」

「またまた~。でも、嬉しいな。あたしの言葉をちゃんと受け止めてくれて」

「も、もう! サラちゃんのいじわる!」

「あっはは、ごめんごめん。あ、ほら。リカちゃんも属性を鑑定されるみたいだよ」

 

 サラの示した先では、町で一番可愛いと評判のリカが、期待に満ちた顔で立っていた。子供達も彼女の方に注目していて、属性鑑定をする男性を見つめている。

 

「リカちゃんはどんな属性なのかな」

「んー、そうね。【料理】とか【裁縫】とか女の子らしい属性が似合うから、そういうのじゃない?」

「たしかに、そうかも。あ、鑑定が終わったみたい……あれ、様子が変だよ」

 

 属性鑑定の人の顔がおかしい。さっきまでニコニコしていたのに、リカを見る目が冷たくなっている。

 リカも怯えた表情で、震えていた。

 

「鑑定結果を伝えよう。君は──ノンマンだ」

 

 その言葉の意味は、とても重かった。子供にもわかるほどに。

 さっきまでリカを見つめていたどの子供も、表情が残酷に変わっている。あれは、友達を……ううん、()を見る目じゃなかった。

 

「んだよ、こいつってノンマンかよ」

「うわ、僕達ノンマンと遊んでいたわけ? 嫌だなー。ノンマンが移ったりしたら」

「もう話しかけないでね。あんたの顔も見たくないから」

「どっか消えてくれない、ノンマン」

 

 リカの顔は、見ていられないほど青白く染まっていた。普通なら心配するはずだけど、子供達は容赦なく言葉という暴力を浴びせていく。

 

『死ね』

『邪魔』

『いなくなれ』

『ノンマンのくせに』

『ノンマンのくせに』

『ノンマンのくせに』

 

 当時の私も、リカに対する感想は大体似たものだった。それが、この世界での常識だったし、愚かにも疑問に思うことすらなかったのだ。

 たかが属性一つで、対応を変えるなんて。

 

「……ノンマンだったんだ」

「う、うん。そうみたい」

「なーんだ。期待して損した。あいつも可哀想ね、ノンマンになるなんて」

 

 でも、同時に確かな恐怖も感じていた。

 私も彼女のようにノンマンだったら、サラが私を見捨てるんじゃないか。今のように、虫を見る目で言葉を吐き捨てるんじゃないかって。

 

 気がつけば、私を鑑定する番だった。

 リカはいつの間にかいなくなっていて、それを誰も気にする様子はない。

 私も不安や恐怖から、俯いて震えることしかできなかった。

 

「大丈夫。リーシャはノンマンじゃないよ」

 

 優しく握ってくれるサラの手が、暖かい。

 思わず握り返しながら、穏やかに微笑んでいる属性鑑定の人に頷く。

 

「鑑定結果を伝えますね。君は──【百合】属性だ」

 

 その言葉を聞いて、私はノンマンではなかった安堵で泣いてしまうのだった。

 

 

 


 

 

 属性鑑定が終わった私達は、町の図書館に向かって調べ物をしていた。

 

「ね~、まだー?」

「も、もうちょっと待ってて」

「本当に、【百合】属性のことが本に書いてあったの?」

「う、うん。あ、あった!」

「ほんと!? どれどれ?」

 

 私の隣からのぞき込むサラの距離感に、ドキドキしてしまう。

 彼女の匂いは甘く、嗅いでいて安心する。ずっと、嗅ぎたい体臭だった。

 

 首を振って気持ちを切り替え、私は本の記述に手を這わす。

 

「ほら、ここを見て」

「えーっと、『百合騎士の伝説』? あー、この話はあたしも聞いたことあるわ。お母さんが絵本で読んでくれたもん」

「うん。ただの村人だった女の子が属性の力で善人を助けて、やがて国の騎士になるまでのお話だよね」

「そうそう! この騎士が助けるのは女の子が多くて、最後は沢山の美女に囲まれて幸せそうに終わるんだよね」

「この女の子が持っていた属性が、【百合】。それと騎士になったから、百合騎士になったって感じかな」

 

 私なんかが、あの伝説の騎士と同じ属性。当時は照れくさいやら、誇らしいやら、とにかく悪い感情ではなかったと記憶している。

 今思えば、愚かだと吐き捨てたいところだけども。

 

「あーあ。羨ましいなぁ。リーシャはカッコいい属性で。あたしなんか、【料理】と【裁縫】だよ? たしかにあたしは宿屋の娘だから助かるけどさー、納得いかなーい!」

 

 椅子でじたばた手を動かすサラの姿は、子供ながらの無邪気さがあって可愛らしい。守ってあげたくなる気持ちが湧いてきて、知らず私は彼女の手を握っていた。

 

「ん? どったの?」

「あ、ううん! 図書館で暴れるのはダメだよ」

「そうだね。ごめんごめん」

 

 恥ずかしそうに笑うサラに対して、私は内心で大いに戸惑っていた。

 属性鑑定をされてから、私の心が変だ。昔からサラに対して可愛いって感想は持っていたけど、属性を意識してからそれが顕著に増している。

 

 ──愛おしい。

 

 ──守りたい。

 

 ──抱き締めたい。

 

 ──ずっと、一緒にいたい。

 

 なんだか、自分の知らなかった内面が主張を始めたようで、属性に新しい一面を植え付けられたようで、ただただ恐ろしい。

 一体、私の身になにが起きたのか。得体の知れない恐怖に、震えるしかなかった。

 

「リーシャ?」

「っ……なに?」

「ううん。リーシャが辛そうな顔をしていたから。大丈夫?」

「わたしは大丈夫。それより、暗くなってきたしそろそろ帰ろう?」

「……うん、そうだね」

 

 サラには、この醜い内面を知られたくない。そう考えた私は、心配そうな彼女に嘘をつくことにした。

 まだ納得がいっていないようだけど、サラは人を慮るのが得意だ。踏み込みすぎないように、優しい距離感を保ってくれる。

 そんなところもまた、愛おしくて堪らないのだ。

 

「行こうか」

「うん!」

 

 奥歯を噛み締めて溢れそうになる気持ちを耐えながら、私はサラとともに図書館をあとにするのだった。

 

 

 


 

 

 私達が属性鑑定をしてから、二年の月日が経った。

 サラは本格的に宿屋の看板娘として働きはじめ、町中で一番(・・)可愛いと評判だ。

 当然な評価だし、私以外に褒められるサラに誇らしくもあり、私だけが彼女の輝きを知っていればいいと独占欲も湧いている。

 

 対する私は、ここ数年で大きく変わった。

 まず、目元まであった髪を切った。サラのような綺麗な茶髪ではないけど、自分のサラサラの金髪はちょっとした自慢だ。

 

 次に、剣術を習い始めた。

 動機は気の昂りを発散するため、という不純なものだったのに、思いのほか私に合っていたみたいだ。

 普段は足がもつれたりしてまともに動けないけど、女の子……特に、サラのことを考えれば、驚くほどの強さを発揮する。

 その強さの根底には、サラを守りたいという気持ちがあった。

 

 ──もっと強くならなければ。

 

 ──サラを守らなければ。

 

 ──か弱い女の子を守護しなければ。

 

 日に日に増していく、感情。

 剣術を習った過程で学んだ瞑想により、それを表に出すことはない。

 しかし、この身を焦がす愛情は収まらず、愛の煉獄に焼き殺されそうであった。

 

 それでも私は、この想いを制御してみせる。

 サラ……ううん、女の子に私の欲望を押し付けたくなかった。

 

「あ、リーシャ!」

 

 呼ばれた声に顔を上げると、こちらにサラが近づいてくるところだった。

 この数年で格段に色気を増していて、子供と大人の間を漂う、背徳感が強い愛らしさを持っている。

 私もサラの元に走り、手を合わせて再会を喜び合う。

 

「宿の方は大丈夫なの?」

「まあねー。あたしがいなくても、お母さんが上手く切り盛りしてくれるし」

「でも、サラがいないと売り上げが落ちるんじゃない?」

「なーに? もしかしてリーシャ、あたしが人気なのに妬いてるの?」

「べ、別にそんなことは……」

「んふふー、リーシャはいつまで経っても可愛いねえ」

「わっ、やめてよ」

 

 ニマニマしているサラは、私の両頬を摘んでむにむにとしていた。

 彼女に触られて嬉しいやら恥ずかしいやら愛おしいやら、ただただ己の興奮を抑えることに終始するしかない。

 

「よし! リーシャ成分を堪能したことだし、早速遊びに行こうか!」

「私成分って……うん、いいよ。どこに行こうか?」

「うーん、そうだなあ」

「お、あいつってあの宿の娘じゃね?」

「ん?」

 

 新たに聞こえた声の方に顔を向けると、二人組の男がサラを見ていた。

 使い込まれた装備を見るに、どうやら他所から来た傭兵かなにからしい。

 彼等はこちらに近づき、いやらしい笑みを浮かべる。

 

「なあなあ。オレ達ってあんたの宿に泊まってるんだけどよ」

「そうなんですか? それは嬉しいですね。ありがとうございますー!」

 

 営業用の笑顔で対応するサラを見て、男達は気持ち悪く目を細める。

 

「でさ、ここで会ったのもアトリ様のお導きだし、オレ達に町を案内してくれね?」

「え、でも、あたしこれから友達と遊ぶ約束が」

「友達って、隣のこの子? こっちも中々じゃん。じゃあじゃあ、そっちの子も入れて四人で町を回ろうぜ」

「そうそう。そっちの方が絶対に楽しいって」

 

 サラへと、汚い手を伸ばす男達。当然許されざる蛮行なので、間に入った私が振り払う。

 そんな私の対応を見て、男達の瞳に宿る確かな敵意。

 

「悪いけど、あなた達に浪費する時間は持ち合わせていないの。他を当たって」

「ちっ。こっちが下手に出れば調子に乗りやがって」

「オレ達は魔獣討伐を生業としてるんだぞ? あまりオレ達を怒らせると、大変なことになるからな」

「リーシャ? あたしはいいから、もうやめよう?」

 

 背中のサラに微笑みかけたあと、私は目の前の汚物に冷めた視線を送る。

 

「私達の視界から消え失せて」

「っ! てめぇ!」

 

 殴りかかってきた男の腕を弾き、懐に入り込む。肘を畳んで鳩尾に叩き込み、むせる相手の体勢を崩して倒す。

 

「え?」

 

 そして、無防備に寝転がる男の股間へと、思い切り足を振り下ろした。

 足に伝わる気持ち悪い感触と、辺りに響く生々しい破裂音。

 いつの間にか集まっていた野次馬は、私を戦慄した表情で見つめている。

 

「ぎゃああああああ!?」

「お、おい! お前!? お前!? なんて、なんてことをしてくれちゃったんですか!?」

「目の前の汚物を処理しただけ。同じ目にあってみる?」

 

 勢いよく首を横に振られた。

 

「わ、わかったよ! もうお前らにはちょっかいを出さない! 出さないから、見逃してくれ!」

「じゃあ、そいつをさっさと連れてって」

「わ、わかった! ほら、立てるか? 治療魔法を使える人を探しにいくぞ」

 

 男達は去っていき、自然と野次馬も逃げるように解散した。

 そこで私は我に返り、多大な恐怖心に包まれてしまう。

 

 サラの目の前で、とんでもない姿を見せてしまった。

 これでは、男を狩る狂犬みたいじゃないか。私はただ、サラを守りたくてやっただけなのに。

 無限に溢れる力は嘘のようになくなり、今は彼女が恐ろしくて震えるしかない。

 

「あー、えーっと。リーシャはあたしを助けようとしてくれたのよね?」

「……うん」

「それは嬉しかったから、うん。でもね、さすがにやりすぎじゃないかなー、って。あれでも一応、うちのお客様なわけだし」

「ごめん」

「次は、もう少し優しく対応しようね? ね?」

 

 サラの優しさに、私は救われた。

 やっぱり彼女が愛おしい、守りたい。言葉にすると陳腐だけど、想いだけは際限なく増していく。

 

 この時の私は、ある意味一番幸せだったのだろう。

 属性に対する疑問はあれど、それ以上にサラを守れた優越感に浸っていたのだから。

 

「よし! 反省は終わり! さ、早く遊びに行こう?」

「うん、そうだね。ありがとう」

 

 笑顔のサラに手を引かれながら、私も小さく微笑むのだった。

 

 

 


 

 

 私達は、十五歳になった。

 サラはますます美しくなり、まだあどけなさは残っているけど、美人と言っても差し支えのない容姿に成長している。

 私も成長はしているが、サラのように胸は大きくなっていない。

 同じ女性として悔しくもあり、サラの凄さに戦慄することもあった。

 

 でも、最近はサラとあえて距離を離していた。

 いま会ってしまうと、取り返しのつかないことが起こると確信していたから。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 私は家で一人、この心を焦がす煉獄をひたすら耐えていた。

 胸を強く押さえすぎて、服はシワだらけだ。

 全身からは大量の汗を流し、苦しくて苦しくて堪らない。

 

「ぐっ……」

 

 慌てて口に布を噛ませ、叫び出しそうな口を黙らせる。

 溢れんばかりの情熱を、器に注いでなおも足りない愛情を、無理矢理抑えつける。

 

 ──サラに会いたい。

 

 ──サラの声が聞きたい。

 

 ──サラの匂いを嗅ぎたい。

 

 ──サラに抱き着きたい。

 

 ──サラの全てを手に入れたい。

 

「っ!」

 

 頭を机に思い切り叩きつけ、荒れ狂う感情の暴風を追い出す。

 サラのことを考えていたからか、机は頭突きの威力に耐えきれず、粉微塵に砕け散っていた。

 

「ぐぅぅぅ!」

 

 サラに会いたい。

 会いたい。

 会いたい。

 会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい──

 

「あああああっ!」

 

 自分の腕に噛みつき、やり場のない執着を抑え込む。

 鋭い痛みが走り、血飛沫が飛ぶ。そのおかげで、ほんのわずかに思考に冷静さが戻った。

 

「いやだ……いやだ……!」

 

 なにが、属性だ。こんな自分の思考を、趣味趣向を塗り替えて、今までの自分とは違った己に変貌させてしまうなんて。

 

 なんなんだ、これは!

 奴隷……そう、奴隷だ。私達は、属性に踊らせている奴隷なんだ。

 英華も破滅も、属性一つ。したくないことを無理矢理させられ、考えたくもないことを考えさせられ、傷つけたくない人を傷つけてしまう。

 

 苦しい。

 辛い。

 助けて。

 誰でもいい、この私の醜い欲望を取り除いてくれ。

 なんでもするから、どうか──

 

「リーシャいるー?」

 

 その愛しくて愛しくて大好きな声が聞こえた瞬間、私はより深く腕に噛みつく。

 肉がえぐれ、骨が見える。知ったことか。もっと、もっと痛みを寄越せ。激痛以外考えられないほど、私の心を壊し尽くせ。

 

「あれ? いないのかな……」

 

 私がいることに気がつかないで。お願い。来ないで。いま会ったら、サラを傷つけてしまうから。だから、お願いします。このまま帰ってください。

 

「まあいいや。リーシャが来るまで家で待ってよ」

 

 恐らく、以前私が渡した合鍵を使ったのだろう。扉が開く音がして、足音がこちらに近づいてくる。

 

 ああ、アトリ様。どうして、あなたはここまで残酷な仕打ちをするのですか。

 私はただ、サラと友達でいたかっただけなのに──

 

「お邪魔しまーす……リーシャ!? ど、どうしたのその怪我」

「来ないでッ!」

 

 部屋に入ってきたサラを睨みつけると、戸惑い気味の視線が返ってきた。

 

「こ、来ないでって言っても、その怪我を無視できないって!」

「私は大丈夫だから、これ以上近づかないで。それと、しばらく私とは会わないで。お願い」

 

 胸が張り裂けそうだ。大切な友達のサラに、こんな酷いことを言ってしまうなんて。

 でも、仕方ないのだ。この感情を対処する方法を見つけるまでは、サラに会ってはいけない。今だって、飛びかかりそうな足を手で無理矢理押さえているのだから。

 

「ね、ねえ? どうしたの、リーシャ? 今のリーシャ、なんだか変よ」

「私は大丈夫だから。大丈夫だから、本当に」

「大丈夫なわけないじゃん! 教えて! あたしもリーシャの助けになりたいの!」

 

 サラが一歩進み、私は前に行きそうになる足を殴りつけ、死ぬ思いで一歩下がった。

 そんな私の対応を見て、サラが真剣な表情を浮かべる。

 

「辛いのね、リーシャ。待ってて、あたしが助けてあげるから!」

「だから来ないでって──っ!?」

 

 床の血に足を取られ、私は尻もちをついてしまった。サラはそれを見逃さず、駆け足で私の元にやってくる。

 

 ああ、サラの姿が、声が、匂いが、味が、感触が近づいてくる。

 愛おしい。

 守りたい。

 全てを手に入れたい。

 そうして、私は(属性)に促されるまま、サラに手を伸ばし──

 

「リーシャ!? 大丈夫!?」

「っ!」

 

 口内を噛み切って、辛うじて染まりそうだった意志をねじ伏せる。

 血が溢れて唇から伝い、それを見たサラが大きく目を見開く。

 

「なんで、口を!?」

「ごほっ、ごほっ。お願い……もう、これ以上は我慢できない。だからサラ、今すぐ家から出ていって」

「我慢……? リーシャ、ちゃんと説明して。説明するまで、あたしはここから動かないから」

「……前に話したよね、 百合騎士伝説。気になって詳しく調べたことがあったんだけど、それによると【百合】属性を持つ人は、とある衝動に駆られるの」

「とある衝動?」

「女の子が愛おしい、守りたい、全てを手に入れたい、といった執着にも似た狂おしいほどの愛情」

「え、それって」

 

 言葉の意味に気がついたのか、サラの頬が赤らんだ。仄かに匂い立つ甘い香りに、私の属性が咆哮する。

 

 ──ご馳走は目の前だ。手を伸ばせ、その体を貪れ、あますことなく味わい尽くせ。

 

 黙れ、黙れ、黙れ!

 お前は私の属性だ、ただの属性だ!

 自己主張するな!

 大人しくしていろ!

 サラは、大切な友達なんだ。こんな属性ごときで、私の想いを踏み躙らせてたまるか!

 

 自分の頬を殴りつけ、慌てるサラを押しのけて立ち上がる。

 このままここにいては、危険だ。誰も人がいない、森かどこかに避難しなければ。

 早く、早く、属性に私が支配される前に!

 

「ぐぅ……はぁ……はぁ……」

「待って、リーシャ!」

「ぐっ!? 離して、サラ! これ以上は、本当に私が持たないの!」

「そんなに辛いリーシャは放っておけるわけないじゃん! あたしは、リーシャなら……」

 

 引き剥がそうとした私は、サラの言葉に動きが止まった。

 属性も不気味なほど静まり、思わず振り返って彼女の瞳を射抜く。

 

「……正気?」

「うん。本気で正気。あたしは、リーシャのためならなんでもできるよ。この体だって、捧げられる」

「同情しているつもり? だとしたら、やめて。私は、そんなことで──」

「同情じゃない!」

 

 私の言葉を強く遮り、私が大好きな鮮烈な意思の篭った目でサラは告げる。

 

「同情なんかじゃない。リーシャは、あたしにとって大切な親友なの。だからこれは、同情でも義務感からでもなく、あたしがしたいからする、それだけの話なの」

「で、でも……」

「言葉だけじゃ、信用できないのね。じゃあ、これならどう?」

 

 ふわりと微笑むと、サラは私の両頬に手を添えた。

 そのまま優しく唇を合わせ、照れくさそうにはにかむ。

 

「サ、サラ!?」

「ふふっ。これで、あたし達は後戻りできないわ。信じてくれた?」

「…………本当に、いいのね?」

「もちろん。おいで、あたしがリーシャの情熱を受け止めてあげる」

「っ!」

「きゃっ!」

 

 ここまで言われてしまうと、この身を焦がす煉獄に抗う意思を持てなかった。

 その場でサラを押し倒す。服がはだけて艶めかしい鎖骨が顔を覗かせる。顔を近づけて軽く噛むと、どうしようもない多幸感に包まれてしまう。

 

「サラ……!」

「我慢しなくていいよ。あたしなら大丈夫だから」

 

 頭を撫でられ、慈愛が込められた声を聞き、甘い香りに全身を包まれ。

 私は、私は、理性を抑えることができない。本能(属性)の言われるまま、目の前のご馳走に意識が奪われていく。

 

 だけど、微かに残った、理性の一欠片。

 それにより、私はサラの目を見つめて、一言だけ呟いた。

 

「……………………ごめん」

 

 返事は、優しい笑み。

 こうして、私は多大なる幸福の代償に、大切な人を穢してしまうのだった。

 

 

 


 

 

「なにを考えていたの?」

 

 隣から、甘えた声が囁いてくる。

 記憶の海から出ると、現実の砂浜でサラが穏やかな表情でこちらを見つめていた。

 毛布から覗く体はなにもまとっておらず、艶めかしい肌が色気を漂わせている。

 

「昔のことを考えていただけ」

「昔って、リーシャが【百合】属性を手に入れたこと?」

「うん。今思うと、あそこですべてが決まったんだなって」

「そうね……そういえば、あの子はいまどうしているのかな」

「リカちゃん?」

 

 私の言葉に、サラは罪悪感に駆られた顔で頷く。

 

「リーシャが属性に悩まされていることを知って、あたし思ったの。この世界にある属性は、人間を天使にも悪魔にもしちゃうって。あの子だって、ノンマンとして産まれたいわけじゃなかった。なのに、あたし達は常識に従って、あの子を人間扱いしなかった」

「……そうだね。あの時の私達は、愚かだった」

「取り返しのつかない過ちだよ。でも、それが世界の常識でもある」

「世界で定められた方式……私達は、属性に踊らされる奴隷でしかない」

「リーシャがよく言う言葉ね。他にもそういうことを言っている人を見かけるわ」

「きっと、その人達も気づいている。でも、自分一人じゃなにも変えられないから、せめて意思だけでも抵抗しようと声を上げる」

 

 その人は立派だ。属性の奴隷になった私と違い、己を貫き通しているのだから。

 思わず自嘲の笑みを零していると、サラが私の頬に手を添える。

 

「そんなに思い詰めなくていいわ。あたしは幸せよ? こうして、リーシャと一緒にいられるんだから」

「……ふふっ、そうだね。私も、サラと一緒でとっても幸せ」

 

 私が大好きなサラの髪を撫でれば、彼女は嬉しそうに目を細めた。

 

「さ、もう寝ましょ。明日も早いんだし」

「そうだね。おやすみ、サラ。大好きよ」

「あたしも、リーシャを愛しているわ」

 

 触れ合うだけのキスをした私達は、目を瞑って心地よい空間に微睡んでいく。

 

 この世界は、残酷だ。

 属性によって全てが決められ、私達は属性に踊らされる奴隷でしかない。

 それでも、奴隷のまま生き抜くしかないのだ。この世界で過ごすためには。

 

 

 

 ──これは、属性の奴隷になった私が、大切な友達と一緒に百合に染まるまでのお話。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。