この心も縫い上げて (茜崎良衣菜)
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始まりの関係
家が仕立て屋兼洋服屋をしていたから服に触れる機会は他の友達に比べて多かった。
色んなお客さんのオーダー通りの服仕立てたり、修復個所を直したり、洋服を売る仕事。
小さい頃から両親がやっている姿を隣で見てきて、自分でもやっていたからある程度裁縫やミシンを使うのは得意だった。
中学生に入って店番をするようになって、お客さんと直接関わるようになって、身につけたのはその人に何が似合うのか瞬時にわかるという能力。
そんな特技を友達に使えば喜んでくれた。あたしも嬉しかった。
それがあたしの当たり前だった。
♢♢♢
仕立て屋は、案外忙しい。
というのも決められた期間内にオーダーメイドの商品は仕上げなければいけないから。両親はそれにばかり時間を取られている。
さすがに学校の時は店にいるが放課後や休日のあたしの時間を取られることなんてしょっちゅうで、この前もあった予定をキャンセルする羽目になった。店に入り分給料としてお小遣いは貰えるし洋服が好きだからここにいるのが苦じゃないけど、けど疲れることに変わりはない。
暑い夏の日に冷房のついた店内で、カウンターに肘をつきながらファッション誌を眺める。このモデルさんには他の服の方が似合うのに残念だ。
店では他の店同様出来上がった服や生地を置いているためそれを見に来るお客さんも多い。
彼女もその一人だった。
カランという扉の開閉音。あたしは身体を起こした。
「いらっしゃいませ~」
あたしの間延びした声に彼女は肩を揺らして、そして会釈した。
長い黒髪にあたしの通う学校の制服を身に着けた彼女は知っている人物だった。
「あれ、燐子ちゃん?」
「え‥‥‥新田、さん‥‥‥?」
白金燐子ちゃん。彼女との関係性を一言で言ってしまえば元クラスメイト。
人見知りであろう彼女と話したことはほとんどなかったがまさかここで会うなんて思ってもみなかった。
「‥‥‥どうして‥‥‥ここに‥‥‥?」
「あー。ここうちなんだ。ちなみにあたしは店番中」
そう告げれば燐子ちゃんは「そうなんですね」と言った。
あいかわらず途切れ途切れの不思議な話し方をする子だと思った。
「今日はどんなご用件?仕立て?修復?それとも服を買いに?」
「‥‥‥えっと‥‥‥‥‥‥生地を‥‥‥探しに‥‥‥」
「何作るの?」
生地にだって向き不向きがある。だから何を作るのかを元にオススメしないといけない。そんな心遣いからの発言だった。大方小物入れだとか、そういうものを作るのだと思っていた。
「‥‥‥ば、バンドで‥‥使う‥‥‥‥‥‥衣装、です‥‥‥」
「‥‥‥え!?バンド!?衣装!?」
あたしの予想を大幅に裏切った言葉で思わず大声を出してしまう。燐子ちゃんは驚いていたからとりあえず謝っておいた。が、あたしの興奮は抑えられない。
衣装を作る。
そんな言葉に反応したあたしは燐子ちゃんに詰め寄ってその肩を掴む。
「待って燐子ちゃんって衣装作れたの!?てかバンドって何!?どういうこと!?」
「‥‥え、あの‥‥‥!新田さん‥‥‥落ち着いて‥‥‥っ」
「どんな衣装作るの!ね、教えて!」
詰め寄るあたしに燐子ちゃんは困ったような表情をしていた。
♢♢♢
「じゃあ今度のライブまでに衣装仕上げないといけないんだね」
数分後どうにか落ち着くことのできたあたしは生地を見ながら燐子ちゃんの隣に並んで普通に話せるようになっていた。
聞くところによれば燐子ちゃんはRoseliaというバンドのキーボードを担当していて、そのバンドの衣装係もしているそう。一見すると衣装作りという一番面倒な仕事を押し付けられているように思えたが彼女自身苦ではない様子だった。それどころか五人分の衣装をすぐに作り上げてしまうようで、道具さえ揃っていれば一着を三日で仕上げられるらしい。
彼女の家がどんな感じかは知らないが独学で勉強してそれならだいぶすごいだろう。そう素直に伝えれば謙遜されたが。
「‥‥‥はい‥‥‥‥‥前、作った衣装‥‥‥喜んで‥‥もらえたので‥‥‥頑張りたくて‥‥‥」
「そっか。もし何か困ったことがあったら言ってよ。衣服関係なら相談に乗れるからさ!」
笑顔でそう言えば返って来たのはお礼の言葉とふんわりとした微笑み。それを見てあたしは商品として置かれていたお腹の当たりにベルトのついたエンパイアラインのワンピースを手に取った。
「燐子ちゃん、生地どれにするか決まった?」
「‥‥はい‥‥‥これに、します‥‥‥」
「おっけー。それと、少し時間ある?」
燐子ちゃんは首を傾げながら頷いた。
あたしは燐子ちゃんの選んだ生地とワンピースを手にレジに向かう。そしてすぐに会計はせずそのワンピースの手直しを始めた。
「‥‥‥あの‥‥新田さん‥‥‥?」
「んー?ちょい待ってよー?」
燐子ちゃんの身体を一度見て、ワンピースを見て、主に脇と胸の辺りを直していく。
直し終わり次第会計をして、商品は渡さず手直しをしたワンピースを差し出した。
「‥‥‥え‥‥あの‥‥‥」
「燐子ちゃん。これあっちにある試着室で着てきて」
「‥‥‥え?」
ワンピースを手に持たせたあたしはレジから燐子ちゃんの隣まで移動して困惑顔の彼女の背を押す。荷物を取り上げて半ば無理矢理その身体を試着室に押し込んだ。
「に‥‥‥新田さん‥‥‥」
「心配しないでよ。別に悪いことしようとしてるわけじゃないんだし。いいから来てみてよ」
あたしの強引な行動に燐子ちゃんは渋々といった感じで試着室のカーテンを閉めた。
ワクワクしながら彼女が出て来るのを待つ。数分して開かれたカーテン。予想通りの姿。つい口角が上がってしまう。少し恥ずかしそうに頬を赤らめているのがまたいい。
「‥‥‥やっぱり似合うなー」
ボソッと呟いた言葉に燐子ちゃんはさらに赤さを増す。
「‥‥‥こ、こういう服、には‥‥‥‥‥慣れて、いなくて‥‥‥」
「なんで?普段から着たらいいのに。すっごく似合ってるよ!」
褒めればその言葉がくすぐったかったのか視線を逸らされた。そんな仕草も可愛らしい。
あまり関わっていなかった分、こういう表情が新鮮で、グッとくるというもの。
「さっき少し直したけど脇と胸の部分大丈夫?緩かったり逆にきつかったりしない?」
「は、はい‥‥‥サイズ‥‥合わせて、なかったのに‥‥‥よく、直せましたね‥‥‥」
「まあその辺は、ね。昔からずっとこういうのに関わって来たから。ちなみに服の上からある程度のスリーサイズは測れるよ?」
「へ‥‥‥?」
「そうだねぇ。燐子ちゃんのスリーサイズは、上から順番に__」
「‥‥‥や、やめてください‥‥新田さん‥‥っ!!」
「えー?今お店の中にいるのって二人だけだよ?他の人に聞かれることなんてないんだからいいじゃん?別に減るものでもないし」
「だ‥‥ダメです‥‥‥!!」
「なーんだ。ざんねーん」
あまりにも全力で否定してくるもんだからやめておいた。冗談のつもりだったけどこんなに照れちゃうなんて。本当に反応がいいからからかいたくなっちゃうや。
けど燐子ちゃんを見れば服の色んなところを見て少しばかり嬉しそうにしていた。
「ね、燐子ちゃん。それ、気に入った?」
「‥‥‥はい‥‥これ、好き‥‥‥です‥‥」
「そっか。ならプレゼントしてあげるよ」
「‥‥‥えぇ!」
驚く燐子ちゃんにあたしは笑顔を返した。
あたしの言葉でさっきから色んな表情を見せてくれるものだ。
「‥‥これ‥‥‥商品なんじゃ‥‥‥」
「いいよ。生地買ってくれたおまけ」
「‥‥‥で、でも‥‥‥!」
「大丈夫だよ。あたしのお小遣いが減るだけだから」
「よ、よくない‥‥ですよね‥‥‥!?」
うーん。こういうタイプはこっちがいくら言っても納得してくれないなー。やっぱろお店のだとかあたしのお小遣いが減るだとか気にしているのだろうけど気にしないでほしいのに。
「うーん‥‥‥あ!それじゃあ!」
そんな時に思いついた名案。
あたしはイタズラな笑みを燐子ちゃんに向ける。
「次からここの常連になってよ。それならいいでしょ?」
生地や服を買う時にここを利用してくれればこっちとしても儲けられるし、交換条件としては適当なのではないか。そう思っての発言。
燐子ちゃんはふんわり笑ってお礼を言った。
「‥‥‥ありがとう‥‥ございます‥‥‥」
「はーい。毎度あり」
契約成立。まさか元クラスメイトとこんな約束するなんてね。今はクラスも離れて学校じゃ話す機会もそうそうないから、なんだか嬉しかった。
「今度は燐子ちゃんが作った衣装も見せてよ」
「‥‥‥はい‥‥ぜひ‥‥‥」
これが学校で話さないあたしたちの関係の始まりだった。
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ライブでのギャップ
あの約束の後から燐子ちゃんは定期的にお店に来るようになった。
多い時には週二回。最低でも二週間に一回は来てくれるようになって、お客さんがいないときは服の相談だけじゃなくて世間話もするような関係になっていた。
燐子ちゃんが店に来るようになってから早一ヶ月とちょっと。
そんな時に燐子ちゃんから渡されたのは一枚のチケットだった。
「ライブ?」
「はい‥‥‥来週、あるんですけど‥‥‥予定が合えば‥‥‥」
「行く」
燐子ちゃんがキーボードを弾いている姿や燐子ちゃんの作った衣装を見たいという気持ちは前々からあった。だからこのお誘いはありがたくて即答してしまう。
予定の日の店の手伝いは両親に任せればいいから問題もないだろう。
燐子ちゃんは「そう言ってくれると思いました」なんて言って笑っていて、見透かされてるなって思った。
「場所はここに書いてあるCIRCLEってライブハウスでいいのかな?」
「‥‥はい‥‥‥時間も、そこに書いて‥‥ある通りです‥‥‥」
「わかった。楽しみにしてるね」
そんなやりとりをしてその日は別れた。
ただその日からライブ当日まであたしはワクワクしていた。そのせいで前日なんて全然寝られなくて遠足前の小学生みたいになってしまったことは燐子ちゃんには隠しておきたいことだ。
そして迎えたライブ当日。あたしは燐子ちゃんに言われ開場時間一時間前にCIRCLEに来ていた。
会場の周りや中にはたくさんの人たちが集まっていた。ライブハウスに来るのは初めてだったから予想以上の人の多さに少しばかり驚いてしまう。
相当人気なのか。それともこれが普通なのか。
それはあたしには計り知れない。
そもそもこの人混みの中に入りたくはないし少しその辺でもぶらついておこうかな。
あたしがそう思って一歩踏み出そうとした瞬間ポケットに入れていたスマホが鳴った。
最近連絡先を交換したばかりの燐子ちゃんからだった。
RinRin:もう着いていますか?
Kanae:今外にいる
RinRin:なら中に入って受付の人に名前言ってください。新田さんの名前を言えば入れるので。
つまりあたしはこの人混みに立ち向かわないといけないってことだ。
はぁーと一度息を吐いてあたしはCIRCLE内に向けて一歩踏み出した。
♢♢♢
「燐子ちゃん」
「‥‥‥新田さん‥‥!」
受付のお姉さんにあたしの名前を出せばすぐに関係者の控え室に続く道に案内してくれた。そこを歩いて行けば見慣れた後ろ姿が見えて声を掛ける。新しい衣装の彼女はあたしを見て駆け寄ってきた。
「それがこの前言ってた衣装!?すごいね!めっちゃかっこいい!!」
「‥‥‥ありがとう‥‥ございます‥‥‥‥」
照れたような態度をとる燐子ちゃん。少し染まった頬も見慣れてしまったものだ。
「‥‥‥新田さんに‥‥‥一番最初に‥‥見てほしくて‥‥‥‥‥‥どう、ですか‥‥‥?」
軍服を模した衣装はとてもかっこよくて、普段の大人しい雰囲気から大人っぽさを感じ取れる。売り物として出ていたとしても申し分ない出来だろう。
そして何より燐子ちゃんに似合っていた。
一番最初にあたしに見てほしかったという言葉にグッと来てしまう。相談に乗っていてよかった。この衣装を先に見られたという事実が嬉しくて仕方ない。
「すっごい似合ってる。かっこいいよ」
笑顔で言えば返って来たのは微笑みとお礼。
本当にこれを作れてしまうのはプロと言ってもいいだろう。
「にしてもRoselia、人気なんだね。開演、一時間も前なのにあんなに人来てるなんて思ってなかったから驚いたよ」
「そ‥‥そう、でしょうか‥‥‥?」
「うん。あたし初めてライブハウスに来たからさ。いつもあんな感じなの?」
「‥‥‥そう、ですね‥‥‥毎回‥‥あれくらいは‥‥‥入っている‥‥かと‥‥‥」
マジか。あたしすごい人と知り合いなんじゃない?
燐子ちゃんも実はすごい人なんじゃない?
それを素直に伝えれば「そんなことないです」と謙遜した答えが返って来た。
「白金さん。何してるんですか」
「あれ?紗夜ちゃん?」
燐子ちゃんの名前を呼んだのは隣のクラスの氷川紗夜ちゃんだった。紗夜ちゃんと同じクラスになったことはないけど委員会の関係もあってわりと仲は良い方。まあ一番仲が良いのは姉妹の方だけど。
なぜか燐子ちゃんの作った衣装を着て楽屋から出て来る姿を見て疑問を抱く。
「新田さん?どうしてここに?」
「それはあたしのセリフだよ。なんで紗夜ちゃんがここにいるの?誰かの応援?」
「私は出演者です」
「‥‥氷川さん‥‥‥新田さんは‥‥私が‥‥‥」
「そうですか」
「は?え?ちょ、待って!」
あたしの声に紗夜ちゃんが「どうかしましたか?」と真面目なトーンを送る。そんな当たり前のような対応にあたしは脳を回転させた。
え、出演者?出演者って言った?え、どゆこと。紗夜ちゃんがバンドに所属してるってこと?‥‥‥え?
そんなあたしの困惑具合を読み取ってか燐子ちゃんが助け船を出す。
「‥‥‥氷川さんは‥‥Roseliaの‥‥ギター担当‥‥‥ですよ」
「‥‥‥マジ?」
「‥‥‥はい‥‥‥」
なにその一面聞いてない。紗夜ちゃんがギターできるなんて初めて聞いた。あの真面目な風紀委員がギターなんて誰が弾いていると想像しただろう。ギターは偏見だが、あたしは高校デビューした男がモテたいって理由で始めるイメージ、言ってしまえばちゃらちゃらした印象を持っている楽器だと思っている。
それを風紀委員で真面目で堅物の紗夜ちゃんが弾いているだなんて。
あたしには衝撃が強すぎた。
「白金さん。そろそろミーティングが始まりますので来てください」
「‥‥‥はい‥‥‥新田さん‥‥‥また後で‥‥‥」
「う、うん。またね」
楽屋に入っていく二人の背中を見送って、あたしは来た道を引き返した。
緊張している雰囲気をあまり感じられなかったのが個人的にはすごく意外だった。
♢♢♢
ライブハウスはオールスタンディング。話には聞いていたけど本当にそうだったとは。
開演数分前。ステージに近い方からほぼ満員。人が多いから後ろからステージを眺めているのだが既に熱気や胸の高鳴りでいっぱいだ。
前の方に行けば行くだけ人が詰まっていて苦しそう。身長の低い人たちは人の間からステージを覗くようにしていて身長が高くてよかったと心から思う。
周りはもう既にペンライトの電源を入れて光らせていて、あたしも準備をする。
確かメンバーによって色が違うとか言ってたっけ。どの色が誰かわからない。ちゃんと聞いておけばよかった。
とりあえず、適当にカチカチと色を変えて気に入った白色を振ることにした。
歓声が聞こえた。目を向ければ燐子ちゃんや紗夜ちゃんを含めた五人がステージに立っていた。それぞれが担当の楽器をもって軽く音を出す。
それだけの行動に何故か周りは盛り上がっていて、あたしはただ困惑するだけだった。
「皆さんこんばんわ。Roseliaです。早速ですが、一曲聞いてください」
ボーカルのクールな銀髪の女性がそう言えば演奏が始まった。
開始早々ギター、ベース、キーボード、ドラムの四つが組み合わさる。とても速い曲。それが第一印象。ギターとドラムの主張の激しい曲。紗夜ちゃんやツインテールの子の手元は忙しなく動いていた。一般人のあたしはとても難しそうだという印象を与える。
だがそんなアップテンポで難しそうな曲にもかかわらずボーカルの彼女は何事もなくかっこよく歌っていく。力強くて芯のある歌声。すごく惚れ惚れした。
二曲目は先ほどより落ち着いた曲調で始まった。それに伴ってボーカルもクールさを残しつつ柔らかな歌声をしていた。パフォーマンスもさっきより多くて見ていて楽しい。楽器隊も一曲目より激しい動きはしていないからその分観客に笑顔を向けたりしていた。
コーラスにも度々入っていてその声がライブハウス内に響き渡る。
三曲目は一曲目二曲目とはまた違った明るさを感じる曲だった。イントロでドラム以外のメンバーがジャンプしている姿が可愛くて仕方ない。観客がペンライトを赤に変えているのには理由があるのだろう。誰かの持ち曲だろうか。
聞いていれば間奏の部分でベースソロがあった。客観的に見てもそこが一番盛り上がっていたしボーカルの女性にセンターに連れて行かれて歌っていたのだからきっと彼女の持ち曲なのだろう。
四曲目。これが最後だと言っていた。観客から残念そうな声が漏れる。後にも三バンド控えているのだから仕方ないことだろう。ボーカルの女性はこのバンドを表す楽曲だと言っていた。
ギターとドラムから始まったその曲。あたしが目を惹かれたのはボーカルの女性が歌い始めた時の燐子ちゃんだった。そのパートは弾いていないからか、始めたのは軽いパフォーマンス。普段なら恥ずかしがってやらないだろう。
美しくて、色っぽくて、誰に向けているのかわからないその瞳。一瞬こちらを見て笑った唇が艶っぽくて、いつも見ている燐子ちゃんではない、ライブ限定の燐子ちゃんの微笑みがそこにはあった。
目を奪われ、離せない。
キーボードを弾いている姿が優雅で、楽しんでいるのか薄笑みを浮かべていて、リズムに乗っていて。ボーカルの女性と同じ動きをしているところがイタズラっぽくて。
今日初めて見るソロパートがあった。一人一人が感情をこめて歌うそれの最後を飾った燐子ちゃん。マイクを通してその歌声があたしたちに届く。
綺麗だと、そう素直に思った。
美しくて、声にならなかった。
ただ、ずっと見ていたかった。
そう思えるほど彼女は魅力的だった。
こんな一面知らなかった。
知らない一面を見るだけでこんなにも心が躍るのだと知らなかった。
もっと、知りたいと思った。
曲が終わってRoseliaはステージから捌けて別のバンドが入っていく。集中できていたのだろうか。どのバンドが出て来ても考えることはRoseliaの、燐子ちゃんのことばかり。
ライブが全て終了した後も、あたしの中には熱気と胸の高鳴りが残ったままだった。
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あたしの特等席
「燐子ちゃん!ライブ良かったよ!すっごくかっこよかった!!」
ライブ終了後。楽屋から出てきた燐子ちゃん、紗夜ちゃんと合流したあたしはライブの感想をつらつらと並べていた。興奮気味に話すあたしに微笑みながら感謝を伝える燐子ちゃんと紗夜ちゃん。
だが感謝したいのはあたしの方だ。あんなに素晴らしいものが見られるだなんて思っていなかったのだから誘ってくれた燐子ちゃんには感謝しても足りない気がする。
「紗夜ちゃんも凄かったね!まさかあんなにかっこよくギター弾けるなんて思ってなかった!すっごくかっこよかったよ!!」
「あ、ありがとうございます。そんなに褒めてもらえるとは思ってませんでした」
「褒めるよ!いくらでも褒められるもん!」
「それはやめてください」
あれを見て、褒めない方がおかしい気がする。
普段の真面目すぎる紗夜ちゃんしか知らない人が見たら狼狽して腰抜かすレベルだ。
紗夜ちゃんを真面目なだけでつまらないと思う人もいることだろう。けどこれを見てもらえたらただ真面目なだけじゃなくて熱いものを持ってる人だってことがよくわかる演奏だったと思う。
正直、ギターをちゃらちゃらした楽器だと思っていた自分を殴りたい。
ギターはものすごくかっこよくて、弾いている人の心を全面に押し出せる楽器。紗夜ちゃんもきっとそこに惹かれたんだろう。
「紗夜さん!りんりん!こっちの片付け終わりましたよー!」
「宇田川さん、ありがとうございます」
「‥‥‥あこちゃん‥‥ありがとう‥‥‥」
「あぁ!さっきドラム叩いてた子だ!ちっちゃくて可愛い!!」
楽屋から出てきたのはRoseliaのドラムを担当していた子。トコトコと無邪気な笑顔を向けながらこちらに向かってくる。
ドラムを叩いている時は正確にリズムを刻んで笑顔でかっこよく叩いていたのだから大人かと思っていたが身長はあたしよりも十センチ以上は低いうえに幼い。おそらく年下だろう。想定外だった。
だが、年齢など関係ない。あたしはその子に詰め寄ってその手を両手で握る。
「キミ!すごかったよ!すっごくかっこよかった!」
「ほんと!?世界一かっこよかった?」
「世界一だった!最高だった!あたしファンになっちゃったよ!」
「えぇ!?あこにファン!?え、えへへ‥‥照れちゃうよぉ」
可愛い。
「あたし新田かな恵。キミ、名前なんて言うの?」
「宇田川あこって言います!」
「あこちゃん!名前も可愛いね!」
「えへへ。ありがとうございます!」
可愛すぎる妹にしたい。
お持ち帰りしちゃいけませんか?
「あれ?ライブ見に来てた人じゃん。あこの知り合い?」
「紗夜。燐子。あこ。無駄話してないで帰るわよ」
そんなあたしの思考回路をぶった切ったのは楽屋の中から出てきたベースを弾いていたギャルとボーカルの女性。
ギャルの人の言葉に驚く。あんなに人がいたってのに一番後ろで見ていたあたしのことを覚えているだなんてどれだけ周りを見て、記憶しているのだろうか。
そう疑問を抱きつつも、かみ合わない両極端な発言に思わず首を傾げてしまう。
「宇田川さんの知り合いではなく白金さんの知り合いですよ」
「ちょ、紗夜ちゃん酷くない?あたし紗夜ちゃんとも知り合いなのに」
まるで燐子ちゃんとだけ知り合いみたいな言い方じゃないか。
紗夜ちゃんだってあたしの友達なのに。
「そうなんだ。アタシ今井リサ。Roseliaのベース担当してるんだ。よろしくね~。ほら、友希那も挨拶しなよ」
「あなたたち、話すのはいいけれど外でやって頂戴。スタッフさんたちに迷惑でしょう」
友希那と呼ばれたボーカルさんの言う言葉も頷ける。
その言葉に従ってあたしたちは荷物をもってライブハウスから出た。
時間も遅いということもあって今回のライブの反省会は別日にするという会話をしているのを聞いた後、あたしは燐子ちゃんと一緒に帰ることにした。
あこちゃんのことは紗夜ちゃんが責任をもって送るらしい。紗夜ちゃんが送るというのなら安心だ。
一緒に歩いて帰りながら今日のライブのことやRoseliaのことについて色々話した。
恥ずかしながらあまり知らないメンバーのことについても丁寧に教えてくれた。
ボーカルのクールな女性は湊友希那ちゃん。Roseliaの発起人で羽丘女子学園の二年生。正直大人だと思っていたから同級生だという事実に驚いてしまう。
歌姫であり、皆彼女の歌声を聞いてバンドに入ることを決意したらしい。歌はライブで聞いたからこそ、その発言には納得がいった。確かにあの歌唱力と感じるカリスマ性から、あたしが楽器をやっていたら彼女のバンドに入りたいと思うかもしれない。
赤いベースのギャルは今井リサちゃん。同じく羽丘女学園の二年生でボーカル友希那の幼なじみでRoseliaの抑制剤。よく友希那ちゃんと紗夜ちゃんがピリピリした空気を出すからそれを和ませているらしい。一度リサちゃんが練習に来れなくなった時は大変だったとかなんとか。
よくクッキーを焼いて持ってくるのだがそれが絶品らしい。ただRoseliaのレベルに自分が追い付いていないと努力することは一度も怠っていないとか。正直中身を知るとギャル感ゼロである。
ギターの真面目風紀委員、氷川紗夜。紗夜ちゃんのことは知っているつもりだったが、ギターを始めたきっかけは双子の妹に負けたくなかったから。最初の頃はリアル妹であるあこちゃんの態度に苛立ちを覚えて怒鳴りつけていたという。今では仲良しらしいが、正直あの紗夜ちゃんがあこちゃんに怒鳴るところなんて想像ができない。
Roseliaに入ったことで妹への意識や接し方も色々変わって来たんだとか。
ドラム担当はキューティエンジェル宇田川あこちゃん。別のバンドでドラムをやっているお姉さんに憧れてドラムを始めたらしい。目標はそのお姉さん。話に聞いたところお姉さんは身長も高くてかっこいいそう。
あこちゃん自身かっこいいものが好きで、よく中二台詞を言うらしい。そのセリフは主に燐子ちゃんが考えているんだとか。
そんなメンバー紹介をした後に話してくれたのはRoseliaができたきっかけである、Future World Fes、略してFWFのこと。
友希那ちゃんのお父さんの願い。友希那ちゃんの想い。そしてメンバー全員の想いが一つになって今ガールズバンド界の頂点を目指して日々奮闘中。
そう燐子ちゃんは言っていた。
いつもの頼りない、恥ずかしそうな、自信のない表情はしていない。
その夢が叶うと信じて、メンバーを想って、ただまっすぐ進もうとする意志。
知らない燐子ちゃんを見るのは今日で何度目だろう。
それを見る度にあたしは彼女を知りたいと思う。
彼女に対する気持ちが強くなっていくのがわかる。
胸の高鳴りが日に日に増えていく。
そんな燐子ちゃんの姿を近くで見ていたいと思うことは変だろうか。
話すようになったのはここ最近。偶然見つけた共通の趣味。クラスも違うから学校で話すことなんてほとんどない。あたしたちの関係性を知ってる人たちなんて、片手程度の人数しかいない。
それでもあたしにとっては大切な友達。
過ごした時間の長さなんて関係ない。
過ごしてきた一瞬の時間と内容の濃さ。
運命かのように出会ったあたしたち。
これは神様からの贈り物かな。
人間不思議なもので知れば知るほどその人をもっと知りたくなる。
すぐに照れる燐子ちゃんも、落ち着いている燐子ちゃんも、微笑んでいる燐子ちゃんも、かっこいい燐子ちゃんも、可愛い燐子ちゃんも、綺麗な燐子ちゃんも、何もかも。
あたしはもっといろいろな表情をした燐子ちゃんを見ていたい。
「ねえ、燐子ちゃん。次の休みの日、一緒に買い物行かない?」
だからあたしはずっと貴方の隣にいたいよ。
特等席で、最高の、今しか見られない表情をたくさん見せて。
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湧き出る可愛さ
「お待たせ燐子ちゃん!」
「あっ‥‥‥新田さん‥‥」
ライブが終わった翌週。あたしは燐子ちゃんと約束通り買い物をするためにショッピングモールに来ていた。
店の前、日陰でスマホを操作していた燐子ちゃんに声を掛ける。あたしの声に反応しいて顔をあげた燐子ちゃんはなんだか嬉しそうな表情をしていた。
「どうかしたの?口角上がってるけど」
「‥‥‥次の、イベント‥‥私の欲しかった武器が‥‥‥手に入るみたいで‥‥‥」
「そっか。よかったね!」
ゲームの話だった。
そう言えば燐子ちゃんはあこちゃんと一緒にゲームをすることが好きだと言っていたのを思い出す。確かオンラインのゲームだったはず。あたしはゲームをあまりやらないからわからないけど燐子ちゃんが嬉しそうだし何か言おうとは思わない。
というか燐子ちゃんがハマっているのなら面白いのだろうしこれを機に教えてもらいながらやってみるのもいいかもしれない。
「じゃあ、行こっか」
「‥‥‥はい」
ショッピングモールの中は空調が利いていて夏に入ったばかりのあたしたちを癒してくれる。
今日の目的であった洋服を見るため服屋へと足を進める。
ショッピングモールというだけあって店では取り扱っていないような系統の服や種類が多い。服を見てテンションが上がらないわけがないのだ。
燐子ちゃんもワクワクしながら選んでいるように見えた。
「ねえ燐子ちゃん、これ紗夜ちゃんに似合いそうじゃない?」
「‥‥‥そうですね‥‥‥こっちも‥‥似合いそう、です‥‥‥」
「あ、ほんとだね!これだったら」
シャツやトップスに似合うパンツやボトムスを二人で選んでは誰に似合いそうか話し合って、ああでもないこうでもないって議論を重ねて。結局ただ服を見に来ただけじゃなく、誰に何が似合うのかを選ぶ会になってしまった。
でも服の話でこんなにも盛り上がれるのはおそらく燐子ちゃんだけだし、そんな友達ができたことが嬉しくて仕方なかった。
「これは燐子ちゃんに似合いそうだね」
あたしが選んだのはVネックとゆったりしたスカート。胸の大きい子はあんまりゆったりしたの履くと太ってるように見えちゃうけど、ベルトでウエスト部分を締めたらメリハリが出ていい感じに見えるんだよね。
間違いなく、似合うだろう。
「……そう……でしょうか……」
「うん。だってあたしが選んだんだもん」
自信満々に言えばそうですねとふんわりした雰囲気で返される。ちゃんと試着までしてくれて、買いはしなかったもののあたしも燐子ちゃんも満足げだった。
その後も欲しい服やアクセサリーを見て、あたしたちはフードコートに訪れていた。お昼も一時を回ったところ。フードコート内は人で溢れかえっていた。前にいたお客さんと入れ替わりで席に着く。
これは二人で一緒に席を立ったら席がなくなるやつだと思った。
「燐子ちゃん、あたしまとめて買ってくるけど何食べたい?」
「……一緒に……行きます……」
「いやいや。そうしちゃうと席なくなっちゃうから。燐子ちゃんはこの席死守しておいてよ」
あたしの言葉に納得したのか燐子ちゃんはこくりと頷いた。
燐子ちゃんの要望に応えるためフードコート内のファストフード店でハンバーガーのセットを二つ購入して席に戻れば燐子ちゃんはスマホと睨めっこしていた。
「燐子ちゃんどうしたの?」
「……新田さん……」
なんだか少しうれしそうに見えた。何かあったのだろうか。
トレーをテーブルに下して向かいに座る。
「……今度の日曜日って……空いていますか……?」
「え?日曜?大丈夫だと思うけど……」
「……それなら……」
そう言って燐子ちゃんが差しだしてきたスマホの画面に映っていたのはとあるHPだった。
Neo Fantasy Onlineと書かれている。前に言っていたゲームのことだと察する。スクロールした先にはコラボカフェ情報という欄があった。それを指差して燐子ちゃんが言う。
「……一緒に、行きませんか……?」
「え?けどあたしこのゲームそんなに知らないんだけど……」
「……私が…教えます……だから……行きませんか……?」
お誘いは嬉しい。けど知らないゲームのコラボカフェ?というやつに参加するのはどうなのか。そもそもコラボカフェってなんだ。
「……ダメ…ですか……?」
「ううん。全然。行こうか。日曜日」
ダメですかなんて申し訳なさそうな言われて断れるわけがない。燐子ちゃん可愛い天使かよ。
「じゃあ細かい話は後で話すとして、今はこれ食べちゃおうか」
「……はい」
あたしの言葉で燐子ちゃんはハンバーガーを手に取った。包み紙を開けて中身にパクっと口をつける。
え、なに可愛い。小さな口で頑張って食べてる。もきゅもきゅと小動物のように食べるその姿に胸を打たれないわけがない。やば、可愛すぎ。
「……新田さん……?」
食べてる最中に上げられた視線。
それは少し上目遣いになっていてハートを射抜かれた。
我慢できなくてどうしてもこの姿を収めたくて、無言で写真を撮れば消してくださいと真っ赤な顔で言われた。
あたしはただ笑って燐子ちゃんを落ち着かせることにした。
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知らない動悸
「あっ!来た来た!りんりーん、かな姉!」
「……おはよう…あこちゃん……」
「おはよ。あこちゃんは今日も元気だね!」
前に話した予定通り、あたしたちはNFOのコラボカフェに行くために駅前に集まっていた。
先に駅についていたあこちゃん、そして駅に行く前にあたしの家に燐子ちゃんが来ていたから一緒に来たあたしたち。合流次第それぞれが言葉を零していく。
ちなみにあこちゃんはあたしのことを「かな姉」と呼んでいる。
初めて呼ばれた日に理由を聞いてみたら「お姉ちゃんみたいだから」だとのこと。
聞いた話にはお姉さんが一人いたはずだ。これ以上姉が欲しいんだろうか。わからないけどその純真無垢そうな表情を悲しげなものに変えたくはなかったから了承しておいた。呼ばれて嫌な気もしないしいいだろう。
「ね、早く行こう!あこ待ちきれないよ!」
「ちょ、落ち着きなって。そんなに急がなくても貰えるアイテム?は変わらないってHPに書いてあったし?」
「それはそうだけどー!あこは早く行って早くコラボメニュー食べたいの!」
あこちゃんは今すぐに行きたい様子。本当に子供らしくて可愛い。
燐子ちゃんを見れば同じことを思っているのかそんなあこちゃんを見て微笑んでいた。
まるであこちゃんがあたしたちの子供みたいだ。
「それじゃあ行こっか」
「……そう、ですね……」
「れっつごー!」
異様にテンションの高いあこちゃんに手を引っ張られながらあたしと燐子ちゃんは人混みの中に姿を消していった。
「案外普通のカフェなんだね」
店内に入って店員さんに席に案内されて。店内を見渡してみて最初に思ったことはそれだった。
NFOは剣や魔法が交差する世界。言わばファンタジー系のゲームだ。だからコラボカフェというのもそんな雰囲気を漂わせているのだろうと勝手に思っていた。
だがそんなことはない。内装はどこにでもありそうな雰囲気のいいカフェ。コラボのためだけに一時的にこの場を貸している感が出ている。それでも所々にNFOで見たことのあるモンスターがいるからコラボしていることはなんとなくわかった。
「……まあ……どこもそんなもの…ですよ……」
「へぇー。そうなんだね。初めて来たからさ」
「でもでも、コラボメニューはすごいクオリティなんだよ!ほらこれとか!」
そう言ってあこちゃんが指したメニューには「レッドドラゴンを討伐せよ」と書かれたプレートがあった。
レッドドラゴンとはNFOで旅をしていると一番最初に出てくる大型ボスだ。あたしも最近出てきて、ぼこぼこにされた。あの時はあまりにも初心者に向いてないレベルのボスで腹が立って、即燐子ちゃんに泣きついたものだ。
あたしはこいつにゲーム内最大の恨みがあると言っても過言ではない。遠慮なく討伐させてもらおう。
他にもメニューを見ていたら「ホイミスムージー」や「エレキドラのハンバーグ」等々、NFOに出てくるモンスターやらアイテムやらを模した商品がたくさん揃えられていた。出てきた商品のクオリティも高い。これはゲーム好きにはたまらないだろう。
「いや~美味しかった楽しかった」
「ほんとだよ!限定の装備も手に入ったしあこ満足!」
「……よかったね…あこちゃん……」
二人もだいぶ満足しているみたい。その笑顔を見るだけで来てよかったと思える。
このシリアルコードはどうやったら使えるようになるんだろう。あとで燐子ちゃんに教えてもらわなきゃ。
「ごめん、あこお手洗いに行ってくるね!」
「わかった。じゃあ先に外出てるから」
あこちゃんと別れ、あたしたちは店の外に移動する。店の入り口付近に固まっていたら他のお客さんの迷惑になるんじゃないかと思ったあたしは店からちょっと歩いた。ここなら店の外に出てすぐだし他のお客さんの迷惑にもならないだろうと思った。
「……新田さん……今日は、付き合ってくれて…ありがとう、ございます……」
「いいよ全然。あたしも最近NFO始めたし楽しかったからさ」
「……そう言ってもらえると……嬉しい、です……」
微笑む燐子ちゃん。それが少しだけ嬉しくて、笑い返した。
「そう言えば燐子ちゃん。このシリアルコードなんだけ、うわっ!」
「っ!?…きゃっ!」
燐子ちゃんにシリアルコードのことを聞こうと一歩動いたら自分の足に足を引っかけてバランスを崩す。それだけならよかったけど目の前には燐子ちゃんがいて、そこに倒れてしまった。突然のことに支えられるわけがなくて燐子ちゃんまで被害を受けることになった。
「ご、ごめんね燐子ちゃん!だいじょう___」
身体を起こして謝罪の言葉を言って、それが途中で喉に引っかかる。
あたしの下敷きになっていた燐子ちゃんの顔が真っ赤に染まっていた。顔をあたしから逸らして、何か言いたそう。
なに、その表情。さいっこうに可愛いんだけど。
初めて見るその顔に何故かあたしの口角は上がっていて企んだ笑みを浮かべていた気がする。
燐子ちゃん、可愛いな。こんな顔を見たことあるのってあたしだけ?あたしだけしか見ていないのなら。
「……っ、新田さん……は、ずかしいので…早く退いて……」
「え……?」
チラッと横目で見られ、ずかしいと言われ何事かと思って。
そしてあたしは自分の置かれている状況を理解した。
「ご、ごごごごめん!!」
あたしは勢いよく燐子ちゃんの上から退いた。動揺が隠し切れない。
まさか無意識に燐子ちゃんのこと押し倒していたなんて。いくら不可抗力とは言えここは外だし人がいないわけじゃない。
周りにいた人たちがひそひそ何か話しているのが分かる。
とりあえず燐子ちゃんに手を差し出せばそれを取って起き上がってくれた。
「りんりんとかな姉こんなところにいたんだね!あこ探しちゃったよー!」
「あ、あこちゃんおかえり!」
「あれ?なんか二人とも顔赤くない?」
「き、気のせいだよ。ほ、ほら!今暑いからさ!」
「……あこは全然暑くないんだけど」
そりゃあそうでしょうね!
けど本当のことを言えないあたしたち。こんな適当な言い訳でもあこちゃんは追求することなく帰路に着くことになった。
「ね、かな姉。今日のコラボカフェ楽しかったね!」
「そうだね」
「りんりんも楽しかった?」
「……うん…楽しかった、よ……」
あたしと燐子ちゃんの間にあこちゃんが入って会話を成立させてくれる。きっと二人きりなら無言のまま終わっていたことだ。動揺しすぎてありきたりな返事以外返せないけど。
ふと横目で燐子ちゃんの方を見る。すると彼女もちょうどあたしのことを見ていたらしく視線が交わった。それが、なんだかいつもとは違う表情に見えて咄嗟に逸らす。
「あっ。もう分かれ道に着いちゃった……」
悲しそうに呟くあこちゃんの前には二つの道。あたしと二人いつもここで分かれる。全然話していなかったのに早いものだ。
帰らないなんて選択肢はないのだからあたしは右の道へ向かうために足を向ける。
「じゃあまたね」
「うん。またねかな姉!」
「……また…明日……」
「……っ」
いつもと変わらないやりとり。
いつもと変わらない言葉。
そう、何一つ変わったことはない。それなのに。
どうして君の微笑みにあたしは胸が高鳴ってしまうんだろう。
答えは、すぐには出なくて。身体中を支配する動悸を感じたまま家までの道をひたすら走った。
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気づく想い
少しだけ、君を見る目が変わったように思う。
学校ですれ違う時笑いかけてくれる。
店で会ってどうでもいい世間話に花を咲かせてくれる。
生地を選んでいる時の真剣な表情にドキッとして。
好きなもののことを話している時の口数の多さに嬉しくなって。
何よりも君に会いたいと思ってしまう。
前まではなかったはずの変化に戸惑って、だけどそれが嫌なわけじゃなくて。
何が原因なのかはわかっている。けどそうだっていう確証はない。
確証がないというよりも誰かにその感情を抱いたことがないから。だからこそどうすればいいのかわからない。
誰かに相談するにしても気恥ずかしい。
吐き出し口のない想いはあたしの中をぐるぐる回っていた。
「珍しく悩んだ顔してんな」
「え?」
声が聞こえて顔を上げればそこにいたのはクラスメイトだった。教科書と筆記用具を手にあたしのことを机の前から見下ろしている。
「次、移動教室だぞ」
「え、あ、そうだった。ありがとう」
教室の中にはあたしたちしかいなかった。見た目は腕なんかに包帯を巻いて不良でしかないのにこうやって教えてくれる辺り彼女は心優しい人だ。
ロッカーから次の授業の教科書を取り出して準備をする。
「そんで?」
「へ?」
「一体何に悩んでるわけ?」
唐突な質問。彼女はあたしの真後ろにいて顔を真剣な顔で覗き込んでいた。
「な、何の話?別に悩み事なんて……」
「嘘つくなよ。今更笑顔の下に隠したって無駄だぞ」
彼女が察しのいいことを忘れていた。一度違う表情を見せたら全部聞きだすまで放してくれなさそうだ。
そう言えば最近、恋人ができたんだと松原さん経由で聞いた。まあなんか曖昧な関係で、恋人って言うより両想いって方が正しいらしいけどどっちも似たようなものだよね。
「聞いてやるから、全部吐き出せよ」
優しい口調で言うのはずるい。
悩みを聞いてほしくなっちゃうじゃん。
「……あのさ、好きって何だと思う」
哲学的なことを投げてしまった。
「わからないんだ。好きって気持ちが。
友だちに抱く好きって気持ち。
趣味に対する好きって気持ち。
恋愛対象への好きって気持ち。
何が違うんだろう。
なんでそんな変化が生まれるのか。ずっと好きって感情は同じだったからこれが恋愛的な好きで合ってるのかわからなくて、だからこそ好きだと言っていいのか不安なんだ。
ねえ、恋愛の好きと友だちの好きって何が違うの?何がどう違うの?」
こんな質問彼女を困らせるだけだと知っている。それでも止められないのは彼女が吐き出す許可をしたから。
わからない感情は聞かないと経験値の少ないあたしはわからないままだ。
「……そんなの、人それぞれだろ」
返ってきたのは想定外の答えだった。
「好きの定義なんて人それぞれ違う。何が好きなのかは本人しかわからないことだ。到底他人の私たちにはわかりやしない」
「……まあ、そうだよね」
「……お前はその子のどんなところを見たいと思う?」
「へ?」
「何かで活躍してるところ、何かを頑張っているところ、何かに挑戦しているところ。色々あるだろ。かっこいいところだとかかわいいところだとか。どんな表情を見たい?」
あたしが見たい燐子ちゃんの姿。
優美な微笑み。
衣装に対する真剣な姿勢。
キーボードを弾いている時の美しさ、かっこよさ。
すぐに照れちゃうかわいさ。
楽しそうに笑う顔。
レアな装備を手に入れて喜ぶ声。
洋服をあげた時の嬉しそうな顔。
燐子ちゃんが見せてくれる表情は何もかも全部好きで。
いつでもどんな時でもあたしを頼って、一番に相談してくれて、楽しい時間を共有できたら最高で、そうなってほしいと望んでいる。
「全部、あたしだけが見ていたい知っていたい。あの子の隣でずっと、色んな表情を見ていたい」
泣きそうな顔も、何かに悩んでいる顔も、辛そうな顔も、あたしだけが独占したい。
その表情の後に見られるとびっきりの笑顔を見たい。
普段から見せてくれる微笑みに癒されたい。
優しい言葉をかけてほしい。
ずっと隣にいられる権利が欲しくて。
ただ隣で笑っていられたら幸せで。
ああ。そっか。これが恋ってやつなんだ。
「なら地団駄踏んでる場合じゃねえぞ」
「うん。ありがとう。話聞いてくれて」
「別に」
素っ気ない返事をして教室を出ていく彼女の背中を追う。「照れ屋だね」とからかえば「二度と話さねぇ」と言われてしまった。冗談だよと笑い返す。
あたしは燐子ちゃんのことが好き。
今なら自信を持ってそう言えるよ。
心のもやもやが晴れたからかとても軽い足取りだった。
今ならなんでもできてしまいそうだと思った。
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コイとウソ
ずっとあの子のことを見ていた。だから、その変化にも気づいてしまったのかもしれない。
「燐子ちゃん、なんだか上の空って感じだけどどうしたの?」
お店の中を見て回っている時の燐子ちゃんの表情がいつもと違った。何かに悩んだような顔。けど何故か雰囲気的に衣装作りに悩んでいるという感じではなくて何か別のことに悩んでいるんだと思った。服を見てるのはそれをなるべく考えないようにしているみたいに見えた。
あたしの指摘に燐子ちゃんは一度こっちを見て、また服に視線を戻す。これは話してくれるまでに時間がかかりそうだと思った。
「まあ、燐子ちゃんが話したくないって言うなら無理には聞かないよ」
「……そういうことじゃ……ないんです……」
燐子ちゃんは服から目を離し周りをキョロキョロ見回す。誰もいないことを確認してあたしのいるレジまで足を進めた。
「……あの……新田さん……」
「なーに?」
「……新田さんは、その…………恋ってしたこと……ありますか……?」
「……へ?」
こ、恋?なんでそのあたしにとってめちゃくちゃタイムリーな話題を出すのかなこの子は。
「あ、あるけど……それがどうかしたの?」
「……そ、それって……どういう感じ……ですか?」
それはどういう意図の質問ですか!?え、本当にどうしたの燐子ちゃん。だってそんなこと聞かれたこともいいそうな雰囲気もなかったじゃん?何事。
「ど、どういう感じ……?」
「……か、感覚と、言いますか……どんな感情を、抱いているのかと……思って……」
これは興味として聞いているのかな?それとも__。
「……そうだね。これはあたしの場合なんだけど。
その子の隣にいられるだけで幸せで。
話しているだけで楽しくて。
知らない表情を知るたびに嬉しくなって。
その子が何かをするのをいつも近くで見ていたいなって、そう思うんだ」
どちらにせよ、恋をしたことがあるということがバレた段階で聞かれたのだから答えてあげなければいけない。想定外のことでもあたしを頼ってくれているのは嬉しかった。
「……新田さんは……好きな人が、いるんですか?」
「へ!?な、なんで?」
「……とても……いい笑顔で話しているので……」
そんなつもりはなかったけど燐子ちゃんにはそういう風に見えていたらしい。微笑む燐子ちゃんに顔が熱くなった。こんな形でバレるなんて想定外だ。
「そ、そんなことないって!それより燐子ちゃんはどうしてそんなこと聞いてきたの?」
「え……!……そ、それは……ろ、Roseliaで、恋愛ソングの話題が出て……恋がどういうものか……気になって……」
なるほど。Roseliaでもそんな話になるんだ。あのボーカルの人が恋愛ソングを歌うイメージ全然ないや。あたしはにわかだからよくは知らないんだけど。
「そうだったんだ。けど燐子ちゃん恋人とかいそうなのに」
そのポジションはあたしが欲しい。そう思うのはわがままかな。
「っ……そ、そんなこと……!」
「そんなことあるよ?だって燐子ちゃんかわいいし、話しやすいもん。それにキーボード弾いてるときはかっこいいじゃん。そのギャップにやられて燐子ちゃんを好きな人になった人結構多いと思うよ」
あたしもその一人だ。燐子ちゃんがここを訪れてくれなかったら絶対に交わらなかった縁。あたしが興味を持つことがなかったら誰かを好きになることもなかったかもしれない。それくらいあたしにとって燐子ちゃんは大切だから。
「あははっ。まあいないんならいいけど、いつか好きな人ができたなら教えてね」
あたしの言葉に燐子ちゃんは赤い顔で頷いた。
明日もまた、こんな何でもない日常が来ることを望んでいる。
♢♢♢
その日は店番がなくて、放課後の教室で一人日直という名の作業をしていた。黒板を消し終わったから日誌にペンを走らせる。日直の作業で辛いことは特にない。ただ面倒ではあるから早く終わらせて帰りたかった。
窓際の席に座るあたしはペンを止めて視線を窓の外に移す。陸上部の生徒たちが元気よくグラウンドを走っていた。
運動をするのは嫌いじゃない。だけど自らやろうという気にはならないのが本音だった。
そんな時、目に入った彼女の姿。正門まで駆けていくその後ろ姿から目が離せない。もう帰っていたんだと思っていた。けどまだ残ってたんだ。それなら一緒に帰りたかったな。
「って、あれ……?」
燐子ちゃんは正門から帰る様子はない。周りをキョロキョロ見回して、スマホで誰かにメッセージを送っているみたいだ。誰かと待ち合わせでもしていたのだろうか。気になって様子を見守る。
しばらくして正門に現れたのはあこちゃんだった。あこちゃんと約束をしていたらしい。あこちゃんは笑顔で手を振っている。燐子ちゃんも手を振り返していた。
知らない笑顔。それに胸が締め付けられた。
あぁ、そっか。燐子ちゃんの言葉の意味はそれだったんだね。知らなかったよ。
あたしは、とんでもない勘違いをしていたんだ。
自嘲気味な乾いた笑い声が教室内にこだました。
♢♢♢
「あっ!かな姉!やっほー!」
「あこちゃん?いらっしゃい。どうしたの?」
休日、店に現れたのはあこちゃんだった。彼女がこの店に来るのは少なくともあたしが店番をしている時には初めてのこと。あこちゃんは店の扉を閉めてあたしに近づいてくる。
見るからに一人のようで、衣装係ではないあこちゃんが一人この店に来るなんてどうしたのだろうと素直に疑問が頭をよぎった。
「かな姉、あこに似合う洋服ってどんなのだと思う?」
「唐突だね。どうしたの?」
「新しい洋服が欲しくて。かな姉ならあこに似合う洋服選んでくれると思って!」
あぁ、どうしよう。こんなに嬉しくない洋服選びは初めてだ。
無邪気な笑顔はあたしに向けられている。信頼させているのが目に見えてわかった。
「……あこちゃん。あこちゃんは燐子ちゃんのこと好き?」
「え?りんりんのこと?もちろん好きだよ!」
これは友達として、かな。それとも燐子ちゃんと同じ意味で、かな。どうだろう。
あたし、着物の仕立て方はわからないや。どう作るのかも、どんな道具が必要なのかも、よく知らない。
燐子ちゃんは、知ってるのかな。
「そっか。大切にしてあげなよ?」
「……?うん、わかった」
多分知らないなら知らないでそこに惹かれたのかもしれない。
違うか。あこちゃんは燐子ちゃんのこと理解してるんだもんね。
あたしよりも長い付き合いだし普段も一緒にゲームしたりしてるんだし仲良しだし。
素材を知ってるから、生かせるんだよね。
燐子ちゃんは、作るの得意だもん。
人間関係も隙間を少しずつ上手く縫って距離を詰めて。
お似合いだよ二人は。
あたしはちゃんと笑えていただろうか。
自分じゃ、わからないや。
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この心も縫い上げて
「ねえ燐子ちゃん、今度の日曜日なんだけど…」
「……す、すみません……その日は、あこちゃんと……予定が……」
「っ……そっか。なら仕方ないね!」
最近よくあこちゃんとの予定があるからと燐子ちゃんを誘っても断られることが多くなった。けど放課後に見たことは関係なしに先に予定を立てているのはあこちゃんなのだから仕方ないと思っていた。
そんなことを思いながら迎えた日曜日。あたしは燐子ちゃんと一緒に来ようと思っていたショッピングモールに一人来ていた。一人で来ていたし買うものも決まっていたからすぐに買い物は終わった。燐子ちゃんと来たかったのは燐子ちゃんに似合う服を選びたかったからという私的な理由だけ。
買い物を終えて帰ろと思った時、店の陰から現れたのは燐子ちゃんだった。ここで会うということは燐子ちゃんも買い物に来ていたんだろう。
声を掛けようとした近づいたあたし。
そこに現れたのはあこちゃんだった。
「っ……!?」
それにあたしは驚いた。目を見開いてその場から動けなくなった。
これが普段学校で会っている時だったら何も思っていなかっただろう。
だが状況が状況だった。
二人は手をつないでいた。それも俗に言う恋人つなぎというやつ。
瞬時に察して、冷静になる自分に嫌気が差した。
あぁ、そういうこと。そうだよね。付き合ってたんならあたしに構ってる暇ないもんね。
今までの行動も全部必然だったんだ。好きな人と友達を比べたら当然好きな人を優先するよね。
気持ちはわかるよ。好きな人と付き合えたら舞い上がるもんね。きっとあたしもキミと付き合えていたら舞い上がったと思う。
だから燐子ちゃんは何も悪くない。何も間違ってない。
けどさ、もしそうだったとしても、教えてくれたっていいじゃん。
燐子ちゃんの口から直接あたしに付き合ってるって言ってくれたっていいじゃん。
どうして言ってくれなかったの。
あたしに、色々聞いてきたのに。
あたしの好きな人があたしのよく知らない人に知らない笑顔で笑いかけている。
あたしはその二人をただ見つめた。
「あっ!かな姉!何してるの?お買い物?」
あたしの存在に気付いたあこちゃんが燐子ちゃんから離れてあたしに近づいてくる。
やめてよ。そんな純真そうな笑顔であたしに駆け寄らないで。それじゃあ仕方ないって。あたしの恋は叶わないものだって。最初から負け戦だったって思っちゃうでしょ。
「……顔色、悪そうですけど……大丈夫…ですか……?」
「ん?何が?大丈夫だよ」
そんなわけない。胸が痛い。
結ばれることのない恋にずっと悩んでいた。それが悔しくて。でもあこちゃんみたいにいい子なら選ばれても当然だと思えて。
ダメだよ。笑わなきゃ。傷ついた表情なんてできない。
だってあたしは何があっても燐子ちゃんの隣に、ずっと__。
「……燐子ちゃん、おめでとう」
あたしの言葉に驚き、そして恥ずかしそうに視線を逸らした燐子ちゃんだけどすぐにあたしに笑顔を向けてお礼を言った。
____あぁ、よかった。ちゃんと笑えてた。
♢♢♢
ただ彼女に喜んでもらえることが嬉しかった。
「改めておめでとう燐子ちゃん」
「……ありがとう、ございます……」
休日あたしの店に来た燐子ちゃんはあたしの言葉を聞いて照れたのか顔を赤くする。
正直、そんな表情は見たくなかった。
あたしの目の前で幸せそうに笑わないでほしかった。
「……それで……相談が、あるんですけど……」
スリーサイズだけじゃなくて人の心まで測れるようになって困るのはあたしだとわかっているのに。
気づいてしまったら引き返せない。
「そっか。今度デート行くんだね」
「……はい……それで、オススメの場所と……洋服を選んでほしくて……」
「どんな場所でも服でもあこちゃんは喜んでくれると思うけど」
「……あこちゃんに……かわいい姿を、見せたくて……」
最後の方は消え入りそうな声で耳まで染まったキミが俯いた。
ホント、見たくなかった。
あたしへの感情であってほしかった。
あたしは顎に手を当てて考える素振りを見せる。
笑顔で、傷ついた心を隠して、燐子ちゃん気づかれないようにすればいい。簡単だ。
いつも他のお客さんにやってるんだから。
修復個所に布を当てて縫い上げればいい。他と遜色ないように丁寧に。
いつの間にか傷を隠すために縫い続けたアタシの心はボロボロで、誰が見たって縫い目がわかるくらい適当に修復していて。
それでも君に気付かれていないのならばそれだけで完璧で。
いつの日か、バレてしまうと思うと怖くて仕方ない。
キミが離れていく未来を想像して泣いて。
キミはアタシにとっての太陽なのだと思い知る。
キミが離れないように関係を繋ぎ止めておきたくて。
「うん。あたしに任せてよ!」
思ってもない言葉で着飾って。
自分を取り繕って。
今日も当たり障りのない笑顔を向けた。
キミの前ではちゃんと笑わなきゃ。
裁縫は得意だから。
この心も、縫い上げてしまおう。
きっとそれが、正解なんだから。
「あ、結構時間経ってるね。今日確かRoseliaの練習あるんでしょ?」
「……はい……もう、行かないと……」
「頑張って。応援してるよ。それと、アイディア思いついたら連絡するね」
店から出て行く燐子ちゃんに手を振る。振り返して微笑むキミにあたしは笑った。
その表情、好きだなぁ。
その声は誰かに聞かれることはない。
燐子ちゃんがいなくなった店にはあたしだけがいた。
他には誰もいない。
ただ開閉された時の呼び鈴が響く。
まるで一人だけ別の空間に取り残されたかのような気分だった。
出会いは突然だった。
キミがあたしの店に訪れて常連になって。
学校では話さないあたしたちが話せる場所。
あたしたちだけの秘密のように感じて。
日に日に増えていく知らない表情。
ドキドキして、増えるたびに嬉しくて。
あたしを信頼してくれているのがわかるから。
からかって照れちゃうキミが可愛いから。
初めて恋をした。
隣にいるだけで元気を貰える人がいるって知った。
毎日、違う表情をするキミが大好きで。大切で。
だからこそ、実る未来以外を想像していなかった。
キミはあたしを好きになってくれるって信じて疑わなかった。
そんなはずないのにね。
ばかだなぁ。
心の底からキミのことが大好きなのに。
これは叶わないんだから。
諦めたいのに諦めきれないなんて。
どうしてくれるのさホント。
キミへの想いは溢れる。
この言葉がキミに届かないとわかっている。
絶対に振り向いてくれないこともわかってる。
それでもあたしはキミのことが__。
「__大好きだよ」
誰にも届かないその想いは店内に響いて、あたしに響いて、消えなかった。
流れる涙も気にできるほどの余裕なんてなかった。
初めての感情は、涙のように流れて消えてはくれない。
消えてくれたら楽なのに。
それを叶えてくれるほど神様ってのは優しくないみたいだ。
夏はまだ始まったばかりなのに。
あたしの青春はそっと幕を閉じた。
これにて「この心も縫い上げて」は完結になります。
今まで応援してくださった皆様ありがとうございました。
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