黒き英雄と呪われた神装機竜 (蛙先輩)
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1話
草木が眠る静謐な夜。アティスマータ新王国から市民の喧騒が消えて、月が下界を見下ろす頃。蝋燭の火に照らされた薄暗い地下室でジェイク・ラーディスは恰幅の良い兵士から尋問を受けていた。鋭利な眼光を暗い天井に向けながら、嘆息をつく。
「正直に答えろ! 貴様が巷で噂の山賊だろう!」
「だから、さっきから違うって言ってんだろ!ったく国変えたんなら、兵士の脳みそも新しくしとけっての……」
数十分にも続く不毛な駆け引きに思わず、怨言を吐き捨てる。
「ではなんだ! その格好は!」
ジェイクの服装は兵士から嫌疑の目で見られるには十分な理由だった。肩まで伸びた白髪、薄汚れたローブ、長身痩躯。はたから見れば浮浪者のような姿をしていたからだ。
「人を見た目で判断するなって、おふくろさんに言われなかったのか?俺はここ数年、山に篭ってて最近、下山してきたんだよ」
「そんな嘘が通じると思っているのか! 数日前のヘイブルグの者による襲撃で国内の情勢が不安定になっている今、犯罪者が現れることが増えたのだ! これ以上被害を増やすわけにはいかない!」
数日前、新王国を侵略しに来た隣国のヘイブルグ共和国の軍師 ヘイズとその配下により、新王国は襲撃を受けた。王立士官学園の生徒と新王国の軍が尽力した結果、敵対勢力を退けることに成功した。しかし、戦いの傷跡は悲惨なもので、多くの兵士が戦死。市街地は破壊された建物と瓦礫が多く確認され、復興作業が続いている。兵士の気炎に押され、思わず座っている椅子にさらに腰を深く預ける。
「それともう一つ、質問だ。これはなんだ? 」
兵士は椅子の真下からジェイクを捕縛した際に押収した『それ』を机に置く。漆黒に塗り固められ、所々に細く黄金の線が入った『それ』はなんとも形容しがたい歪な形をしていた。
「あー、それはだな……」
ジェイクが打ち明けるか逡巡していると、扉を軽く叩く音が聞こえる。
「なんだ?」
「来客だ」
鉛色の扉が開き、外の明かりが部屋の中に差し込む。扉の開けた兵士と、温和な雰囲気と桜色の髪をした若い女性が立っていた。すると先ほどまで強気だった兵士が椅子の横に移動する。直立で、頭を深く下げた後、部屋を後にする。ジェイクは異様な光景を目にして、動揺する。
「驚かしてしまってごめんなさい。私は レリィ・アイングラム。アイングラム財閥の長女でこの新王国で女性機竜使いを育成する学園、王立士官学園で学園長を勤めている者です」
異分子は彼の真正面に座り、笑みを向ける。機竜使い--数十年前に遺跡から発見された装甲機竜を使う者の総称である。装甲機竜の存在が世に知れわたった以来、軍の防衛、貨物船では不可能な長距離での運搬作業も可能になった。そして、彼女は若くして国内で唯一、女性機竜使いの育成に力を注ぐ学園である王立士官学園の学園長を務めている。
「ジェイク・ラーディスです。よろしく学園長殿」
ジェイクは簡潔に自己紹介を述べて、不敵な笑みをレリィに向ける。レリィは屈託のない笑みで返すと、机の上に横たわる『それ』を目視する。
「不思議な形ね。骨董品か何か?」
「『ワケあり商品』だよ」
レリィが前のめりになり、手にしようとすると封殺するように『それ』を懐の中にしまい込む。レリィは若干、頬を膨らませて、椅子に背をつけた。
「新王国にはどのようなご用事が?」
「個人的な事情だ。話せない」
ジェイクは嘆息交じりに机に肘をついて応える。
「打ち明けないと、ここから解放されないわよ」
「冗談だよ。あんたをナンパしに来た」
「兵士さん。以前、違法入国者から押収した違法薬物ってーー」
「ごめんなさい。頭の中、お花畑になるからやめて」
レリィが扉の外に届くほどの声で、物騒な発言を言いそうになったので即座に己の否を認める。
「こっちからも質問だ。なんでここに来た?」
「単刀直入にいうわ」
レリィが軽く息を肺に補填すると、ジェイクの
瞳を捉える。
「我が校の講師にならない?」
「……はい?」
予想外の言葉に思わず、彼女の顔を瞠目する。レリィの強い信念を含んだ目を見て、項垂れる。
「なんで?」
「先ほど兵士さんから伺ったのだけど、複数の兵士を相手に全く臆する事なかったそうね。《ワイバーン》が一機、派遣されてようやく事が治ったって聞いたわ」
レリィの期待に満ちた視線がジェイクに刺さる。嘘ではない。飛翔型汎用機竜《ワイバーン》が到着するまでジェイクは多勢を単体で相手をした。
「ヘイブルグの人間が奇襲したせいで、学園の対人格格闘の担当の人が怪我しちゃってね。人が足りないのよ。だからあなたみたいな人材が来てくれるとすごくありがたいのよ」
「事情は理解したが、断る。俺の目的は関連がなさそうだしな」
「貴方の目的って、懐の『それ』と関係あるの?」
レリィは数分前にジェイクが隠した物に指をさす。
「まあな……」
「私の予想だけど、それって機攻殼剣じゃないのかしら?」
レリィが両手の指を重ねて、顎を乗せる。ジェイクは僅かに逡巡した後、首肯する。
「じゃあ、目的は?」
レリィが再び、問いかけるもジェイクは目線をそらして無視する。
「兵士さん。やっぱりお薬をーー」
「あっー! 分かった! 分かった!」
ジェイクは頭皮を掻きながら、軽く舌打ちをする。深くため息をついて、開口する。
「『黒き英雄』……そいつを探しにここに来た」
それを聞くと、 レリィは目を大きく見開いた。
『黒き英雄』--五年前、たった一機で世界の五分の一を支配していたアーカディア帝国の軍隊を滅ぼした機竜使い。漆黒を纏った装甲、空を舞う度に尾を引く赤い閃光、帝国側の装甲機竜、千二百機を地に落とした鬼神の如き、強さ。帝国からは滅びの象徴、新王国から英雄として今なお、信仰されている。
「見つけて、どうするの?」
「会って、頼みたいことがある。悪いがこれだけは言えない」
レリィが静かに口角を上げる。
「なら、なおさらね」
「どういう事だ?」
「『黒き英雄』……当人は本校の学生よ」
彼女の口から放たれた言葉に思わず耳を疑う。
「何?」
「貴方の尋ね人は我が校に生徒として通っているわ」
「待てよ。それじゃあ『黒き英雄』ってガキなのか? 仮にそうだったとしてそれを裏付ける証拠は?」
「証拠なんて今、あるわけないじゃない。本校に来てくてたら分かる事よ。で、どうするの? このままここで囚われたままか、私の案に乗るか」
ジェイクは眉間にしわを寄せて、彼女の提案に同意するか迷う。
「……分かったよ」
ジェイクが蚊の鳴くような声で了承する。その反応を見過ごさなかったレリィも目を細めて、笑みを浮かべた。
「では決まりね。よろしくお願いしますね。ジェイク教官」
レリィの抑えたような笑い声とジェイクの露骨な溜息が薄暗い地下室の空気を揺らした。
閲覧ありがとうございます! 次から原作の主要人物達が登場する予定なのでお待ちください!
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2話
朝日も昇らない早朝。草原で二人の剣士が、木刀を交える。一人は顎髭を生やした壮年の男で、後者は幼い白髪の少年。
壮年の男が、少年が腕を振り上げた僅かな隙を突き、手から木刀を払い落とす。木刀が落ちた拍子に、足元で尻餅をつく。突きつけられた木刀の先端が少年の額を捉えた。
「どうした? ジェイク、早く立て!」
壮年の男が厳粛な口調で少年を叱咤する。
「立て」
そう急かされると、少年は男の剣幕に膝を震わせながら小さな両足で立つ。足元に横たわる木刀を掴み、両手で構える。
「うおおお!」
少年はその小柄な体から戦意を振り絞り、吶喊したーー
小鳥のさえずりが小耳に入り、ジェイク・ラーディスが眠気眼を擦り、開目する。ベットから上半身を起こして、顔を覆う白髪を搔き分ける。窓を開けて、閉め切った部屋に新鮮な朝の空気を流す。
「んー、いい天気だな」
日光が全身に染み渡り、ジェイクの意識は覚醒する。そして、木製の棚、机や椅子、赤煉瓦の壁。部屋の様子を目視して、改めて自分の置かれた状況を思い出す。
昨晩、王立士官学園理事長 レリィ・アイングラムとの話し合いでジェイクは講師として勤める事が決定した。あの後すぐに、外に待機されていた馬車に乗り、学園に向かう。その道中で怒涛の質問攻めを受ける。装甲機竜の使えるかとか、職務経験、スリーサイズなど色々聞かれたが、装甲機竜を使用できる以外は否定した。そして、黒き英雄の正体と当人を取り巻く状況を説明された時、ジェイクは思わず目を見張る。
ベットから身を出して、洗面台に足を運ぼうとした。部屋の真ん中の机にある黒で塗られた機攻殼剣が目に入り、睥睨する。
「清々しい朝もお前を見た瞬間、幻滅だよ」
それに向けて舌打ちをした後、顔を洗い、歯を磨き終えると、押し入れに用意された教官用の服に着替えて、学園長の下へ向かった。石造りの廊下を窓の外を眺めていると、向かい側から二人の女生徒が歩いてくる。右側が銀髪で華奢な少女と片方は黒髪の無表情の少女だ。すれ違いざまに二人の少女と目が合う。後ろを確認しなかったが先ほどよりそそくさと足音が遠ざかって行く。避けられている事が容易に理解できる。鋭利な目つき、肩まで伸びる白髪、長身痩躯の見知らぬ男。先ほどの反応は想像内の事なのであまり気にも留めていなかった。そんなことを考えているうちに学園長の部屋の前に着く。中指で部屋を軽く叩くと、昨晩、聞いた憎い声が返って来た。
「失礼するぞ」
扉を開けると、豪勢な書斎や骨董品が並べられた部屋の中、机の上で指を組む学園長レリィ・アイングラムとその側に眼鏡を掛けた凛々しい雰囲気の女性が立っている。
「おはよう。ジェイク教官。よく眠れたかしら?」
「ああ、快眠だったよ。でそちらの嬢ちゃんは?」
「嬢ちゃんとは失礼な! 私の名はライグリィ・バルハートだ!」
レリィのそばにいたライグリィと名乗る女は鼻白み、眼鏡越しからジェイクを睨む。
「今日から貴方には、彼女が担当する教室へ同行してもらうわ」
「構わねえけど、約束忘れてねえよな?」
約束とは昨晩、監禁室で約束した『黒き英雄』と対面させる件だ。
ジェイクが椅子に腰掛けるレリィを、鋭利な眼光で見下ろす。ライグリィは彼から漂う剣呑な雰囲気に身構える。
「ええ、今から行く教室にいるわ」
ジェイクの険相に臆する様子もなく、レリィは微笑み返す。
「そうか、さっさと用件を済ませないとな」
「でも、そう簡単に行くかしら?」
そう言うと、レリィは子供が悪戯を考えているような笑みを浮かべる。
「では案内する」
ライグリィの背中を追い、学園長室を退出。彼女について行くままに足を運び、学園の敷地内にある練習場に向かう。道中で彼女は何度か、後ろを振り返りジェイクの顔を見るような動作を繰り返したが、本人は気に留めなかった。生徒達はそこで装甲機竜の基本動作や武器の扱い方などの練習を行う。一階に降りて校舎から出ると、芝生が敷き詰められた緑の絨毯が目に飛び込む。多くの若い女性の、活気溢れる話し声が耳に届く。近づくにつれて、喧騒はよりはっきりと鮮明なものとなった。
「はい! 静かに!」
ライグリィが手を二回叩き、女生徒たちを厳粛な口調で叱咤する。
「数日前の襲撃で負傷されたエド教官に代わり、別の教官が補佐に来てくださった」
ジェイクは整列する生徒達の前に重々しい足を置く。数分前の雰囲気とは違い、教室内が緊張感と殺伐とした空気に包みこまれる。多くの生徒達は彼の風貌をみて、表情が凍りつく。
「しばらく前任に変わり、対人格闘と装甲機竜の実技担当をすることになった。ジェイク・ラーディスだ。まあ、よろしくな」
ジェイクが簡潔に自己紹介を終えると、流れるように左の席から生徒達を目視する。その流れはある一点で固まった。尋ね人である『彼』を瞳孔に捉えたまま。
「あいつが……『黒き英雄』……ルクス・アーカディアか」
数百年に渡って、圧政を敷いてきた悪名高き軍事国家、アーカディア帝国の第七皇子。ルクス・アーカディア。皇族の特徴である銀髪が何より、ジェイクの目を止める要因だった。馬車の中で帝国の皇子が帝国を滅ぼした張本人と耳にした時は思わず、黙念した。
「今回は先週の訓練の続きを行う! 準備はいいな!」
ライグリィが厳かな声音が張り詰めた空気を清浄する。彼女の呼びかけに生徒は一同に熱の篭った気炎で返す。
ーーーー
ライグリィの的確な指導を拝見しながらジェイクは彼女の補佐に努める。上手く飛行できない少女に声をかけようとした時、表情が硬直していき、謝罪されて走り去ってしまった。
「ったく、俺の顔ってそんなに怖えのかよ……」
少女から離れたところで一人で呟き、ライグリィから貸し出された《汎用機竜》ワイバーンの機攻殼剣に目を向ける。
「《汎用機竜》ワイバーンなんて久しぶりに触ったな……」
生徒達が各地で、数名で固まって練習をおこなっている。ある所は歩行練習、別の場所では飛行練習など、その中でもジェイクの目を引いたのが、ルクスと数人の少女達。他のグループとは違い、戦闘訓練を実践しており、操作技術は軍の機竜使いと遜色ないほどの扱いぶりだ。ジェイクはライグリィから受け取った生徒の名前と特徴が記された一覧表に目を通す。空中で《汎用機竜》ワイバーンを操縦する二人の少女。
一人は蒼と端正な顔立ちの少女、クルルシファー・エインフォルク。その反対側で勝気な笑みを浮かべている金髪の少女はリーズシャルテ・アティスマータ。ルクスは隣にいる桜色の髪と黄金色の瞳が特徴の少女、フィルフィ・アイングラムと二人で陸戦型の《汎用機竜》ワイアームを駆使して、格闘していた。ルクスの使う機竜は飛翔型だが、この学校では
一応、飛翔型の《汎用機竜》ワイバーン・陸戦型の《汎用機竜》ワイアーム。そして、迷彩などの特殊能力を持つ特装型の《汎用機竜》ドレイク、どれも一定に扱えるようにカリキュラムが組まれている。するとルクスとフィルフィが装甲を解く。一時休憩のようだ。それを待っていたと言わんばかりにジェイクがすかさず、ルクスの元に駆け寄ろうとした時、突如、叫び声が聞こえる。数人の少女が狼狽えながら青空を見上げる。
ワイバーンを操縦していた先ほどの少女が空から真っ逆さまに落下しているのだ。視界の横から異変察したであろうリーズシャルテとクルルシファーが少女の元に滑空して向かっているが、距離が遠く、間に合わない。徐々に悲鳴が大きく聞こえてくる。
「クソッ!」
ジェイクは機攻殼剣を起動させて、一瞬にしてワイバーンをその身に纏い飛翔した。落下するワイバーンを引き止めて、操縦者の様子を伺う。少女は目に涙を浮かべてジェイクに感謝を述べる。ジェイクは軽く、頷くと今にも瓦解しそうな彼女の装甲を解く。その身を抱えてゆっくりと少女を地上に下ろす。自身の装甲を解いたと同時に他の生徒達とライグリィが縦に腕を降って、駆け寄る。
「なんとか無事だ」
ジェイクの抑揚のない声から放たれた事実に、あたりから安堵の表情で溢れかえる。少女は目を腫らして、芝生に座り込む。
「私、みんなとは違って上手にできなくて……それが悔しくて」
少女が一人、芝生に顔を向けて肩を震わせながら、吐露する。彼女の本音を聞いたジェイクが長い足を曲げて、彼女の目線と同じ高さに顔を持っていく。
「他の奴らに劣等感を抱くのはわかる。悔しいもんな。人にできる事がなんで自分にはできないんだって思っちまうんだよな。誰かと一緒にいたら自分の自信が埋没しちまいそうで怖えんだよな。でもな、お前にはこうして心配してくれるだけの人間がいるんだ。だから、その無理すんな」
ジェイクは激励を送り、彼女の頭を優しく撫でる。ジェイクは立ち上がると辺りの様子に違和感を覚える。先ほどまで自分の顔を見た後、凍り付いていた生徒達の少女がどこか忙しないのだ。
「やっぱり、お兄ちゃんだ……」
どこからそんな声がジェイクの耳に届き、振り向くと頬を赤らめたライグリィがポツンと佇んでいる。隣の生徒に声をかけられて、ライグリィの意識が覚醒する。咳払いをして一限の終了を宣言する。
ジェイクは早速、校舎に戻ろうと、緑の絨毯を一人歩くルクス・アーカディアの背中を追いかけようとしたら、遮られてしまった。無数の少女達によって。その目は先ほどまで自分に向けていた怯えの目ではなく、好意的な目を向ける。
「ジェイク教官! すごくかっこよかったです! 是非、私に装甲機竜の扱い方を教えてください! よろしけば二人で……」
「何言ってるのよ! 教官は最初から私が目つけてたのよ!」
「それなら私だって!」
「私、年上のおじさまって憧れていたんです!」
黄色い声と口論する声が飛び交い、うまく動けずに尋ね人のルクスに目を向けると、ルクスも蒼髪と金髪の少女に両腕を引きちぎれんばかりに引っ張られていた。そのそばでフィルフィが菓子を頬に詰めながら、その光景を見ていた。彼に近寄ろうにも彼女達の存在がジェイクの計画の遂行を阻むことを本人は静かに悟る。
「どうなるんだよ。これから」
ジェイクのため息混じりの重々しい一言は少女達の歓声によって打ち消された。
閲覧ありがとうございます!
原作キャラの台詞シーンなかったですね。 すみません!
感想・評価よければよろしくお願いします!!!! では!
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3話
陽の一つも刺さらない曇天が静寂な街を見下ろす。まるでアーカディア帝国に住む市民達の心境が投影されたような曇り空だ。眼鏡のかけた幼い少女を、目付きの悪い青年達が囲む。少女は青年達の鋭い視線を受け、石造りの床で身を震わせる。
「なあ、嬢ちゃん? この国で男に頼み事されたら逆らっちゃいけねえぜ?」
「そうそう、女はおとなしく俺ら男の下僕として生きていりゃいいんだよ」
少女の肢体を、こめかみに赤い布を巻いた青年が足首から舐め回すように目視する。
「い、いやだ……」
「あっ? なんだって?」
一縷の反発も虚しく、青年の剣幕にかき消された。少女の瞳に下卑た男が不快な笑い声を上げながら、距離を詰める。眼前の危機から逃れようと、瞼を下ろして、耳を塞ぐ。絶望が胸中を支配する。しかし、その脅威は十秒以上経っても、来る気配がない。恐る恐る、重い瞼を開けた。すると、石造りの地面に先ほど、自分のことを辱めようとした青年達が白目を向いて、伸びている。彼らの代わりに先ほどまで存在しなかった白髪の長身痩躯の青年が佇んでいた。少女が青年を静かに見上げる。すると、少女が見ていたことに気づいたのか、青年が少女の目前まで来ると、膝を折り、目線を同じ高さに合わせた。少女は青年の顔を瞳に写した際に、その鋭利な双眸に一縷の恐怖を感じ、思わず目をそらす。
「大丈夫か? 嬢ちゃん?」
「う、うん。ありがとう」
青年から心配の声に、小声で返答して静かに頷く。青年の手を借りて、起立する。
「まあ無事で何よりだ。それじゃあな、気をつけて帰れよ」
僅かに少女に笑みを向けると、青年が踵を返して、町の奥に進んでいく。少女は「あの!」と一言、言い放つ。青年はその呼びかけに応じて、足を止める。
「まっ、待って! わ、私の名前はライグリィ・ハルバート! お兄ちゃんは?」
青年は首を少女の方に向けて、静かに口角を上げた。
「俺の名前はジェイクーー」
名字は話す直前で、少女の視界が光に包まれて、青年の姿と声が徐々に遠ざかっていくーー
「ん? 寝てしまったか」
ライグリィが机に潰した頬を起こす。目を擦り、両腕を上に背筋を伸ばす。あたりはすっかり闇夜に包まれていて、机の端に設置された揺らめく洋燈の火が、薄暗い部屋をぼんやりと照らしていた。机に肘を立てて、手に頬を預け、夢の出来事を振り返る。刃物のような目つき、長身痩躯、白髪、端正な顔立ち。一縷の恐れを抱いたが、それ以上に伝わる優しさ。
「やっぱりあの時の……」
あれから十年以上経ったが、ライグリィの脳裏にはしっかりとあの日の出来事が焼きついていた。彼のおかげで自分も弱者を助けられるような人間になりたいと思えたのだから……。しかし、彼女にはわずかな疑問があった。
「名字が違っていたような……」
月明かりの下、かつての少女は胸中に蠢く、疑問を静かに呟いた。
女生徒達の賑やかな話し声が聞こえる朝の食堂。白髪の男が両手で献立が乗ったお盆を持ち、窓側に着席した。食事の邪魔にならないように髪留めで縛り、食器を手にする。献立の豆と玉ねぎをベースにしたスープとパン、サラダを満遍なく口の中に持っていく。黙々を咀嚼しながら、ジェイクは今後の事について考えていた。ルクス・アーカディアにどう接近するかだ。彼に接近しようにも彼女の周りには多くの少女達がまるで護衛のようについているのだから隙がない。しかし、その機会はすぐに訪れるのだった。
「良かった。人数分空いていて」
「貴女がもう少し、早く起きていれば、席選びに苦労しなかったでしょうに」
「お姫様。お寝坊さん……」
令嬢三人が閑話をしながら、ジェイクの前列の空席三列に座った。昨日の実技授業でルクスの界隈にいた少女達だ。蒼と端正な顔立ちの少女、クルルシファー・エインフォルク。赤い瞳とつり目が特徴的な金髪の少女、リーズシャルテ・アティスマータ。桜色の髪と黄金色の瞳が特徴の少女、フィルフィ・アイングラム。ジェイクはライグリィから受け取った生徒の一覧表で生徒達の情報はある程度、脳裏に入っている。この学園は裕福な実家の出が多いと分かったが、中でもこの三人は別格だ。クルルシファーはユミル教国からの留学生で実家は国内でも有名な大貴族だ。リーシャは言わずとも知れたアティスマータ新王国の女王の娘。そして、フィルフィの生まれたアイングラム財閥も旧帝国時代から有名な家柄だ。
「あら、ジェイク教官じゃない。おはよう」
「おお! 新任ではないか」
「おはよう。教官」
「ああ、おはよう」
ジェイクは女生徒三人に軽く、挨拶を返す。昨日、自分達を恐れていた少女達も事故の一件以来、自分に接してくるようになった。あの後、一限から最後の授業まで質問攻めに遭い、ルクス・アーカディアと会合の機会を作ることが出来なかった。
「あの〜」
左耳に聞こえた呼びかけに反応して、首を向く。そこには悩みのタネである銀髪の青年、ルクス・アーカディアが立っていた。
「ジェイク教官ですよね。お隣、いいですか?」
「構わねえぞ」
ジェイクは呼応すると、ルクスは笑みを浮かべ軽く頭を下げる。横に座ると、食物に敬意を払い、パンにかじりつく。
「そういえば、ルクス君。今週の土曜日の事、忘れていないわよね?」
「ああ、うん。街で洋服選びに付き合う事だよね。覚えているよ」
「何! お前達! いつの間にそんな約束を!!!」
ルクスとクルルシファーのやり取りを聞いて、リーシャは両頬に風船を作る。
「あら、先手必勝という言葉を知らないのかしら? まあ、機竜ばかり触っているから仕方ないわね」
露骨に憤慨するリーシャにクルルシファーが澄ました表情で煽る。
「ちょっ、ちょっと、二人とも!」
隣のルクスが立ち上がり、睨み合う二人の仲介に入る。その間、フィルフィが三人を眺めながら、無言でパンを口いっぱいに頬張る。ルクスの介入もあり、小さな論争が終結を迎える。しかし今だに不機嫌な二人は腕を組み、それぞれ反対方向に顔を向けてしまった。
「随分と賑やかだな」
「ええ、今のような出来事を止めたりするのが日常茶飯事になっています」
ジェイクの皮肉の混じった言葉にルクスは頬を掻きながら、苦笑する。
「そういえば、ジェイク教官って、ここに来る前は何をしていたんですか? 昨日、ワイバーンの操縦を見た感じ、かなりの熟練のように思えたんですが……」
「確かにな。それに一瞥だから、なんともいえんが、無詠唱で機竜を召喚したな。軍の関係者か何かか?」
金と銀の生徒の質問に、ジェイクは軽くため息をついて回答する。
「王女殿下の言ってることは真実だ。俺は無詠唱でワイバーンを出した。数年間、山に籠って特訓の日々を送ればいやでも身につく。そんで山から降りて、そこの嬢ちゃんの姉貴に目をつけられここに来た」
ジェイクは顎でフィルフィの事を示す。フィルフイは目線を向けられると、ジェイクの話に夢中なリーシャの御盆に乗せられたパンを盗もうとする手を引っ込めた。
「じゃあ、その前は……」
ルクスの問いにジェイクのパンを、持った手が止まる。ルクスやリーシャ、クルルシファーも彼の異変を察した。生徒とジェイクに間に僅かな沈黙が訪れる。まるで自分達だけが隔離されたような感覚だ。
「あー、ここから聞けるのはジェイク・ラーディスファンクラブの会員様限定のみだ」
ジェイクは心中の悟られぬように、諧謔ではぐらかす。
「なんですか。それは……」
「細けえことはいいんだよ。じゃあ、俺は食い終わったから行くぜ。授業遅れんなよ」
ジェイクは小言を吐き捨てると、空の食器が乗ったお盆を持ち、逃げるように席を去った。
夕日が校舎を茜色に染める頃、ジェイクは眉間から一筋の汗を垂らして、廊下の壁にもたれる。顔を空を染める夕日以上に赤くして、荒く呼吸をする。
「ここの女生徒。どうなってんだよ」
この現状を理解するには今から十分前ほどに遡る。一日の授業が終了して、ライグリィとともに終礼を済ます。ジェイクがルクスに近づこうと目論んでいると、阻止するかのように数十人の生徒が一斉にジェイクを取り囲んだ。質問の集中砲火に思わず、ライグリィに救いを求めようとする。彼女は笑顔をこちらに向けているが、その笑顔は黒い影を帯びていているようにも見える。彼女の反応から察して、希望が絶たれた。諦念にかられてもなお止まない、質問の嵐。すると上の方で扉を勢いよく開ける音がした。
「待てー! ルクス!」
「ルクスくん!」
「ルーちゃん。走ったら危ない……」
「ルクッちも罪な男だねえー」
どうやら、ルクスもジェイクと同じ目に遭い、教室を飛び出したらしい。この機会を逃すまいとジェイクも女生徒達の目線が上に向く隙に、輪から離脱する。そこから女生徒達からの逃走劇が幕を切った。
ジェイクは普段と違う女生徒達の身体能力、自分を捕らえようとする団結力の凄まじさに、翻弄されながらもなんとか巻くことに成功した。しかし、油断は禁物。いつまた彼女達に見つかるか分からない。
「この前、相手にした兵士どもよりよっぽどしんどいぞ」
ジェイクは疲労のあまり、中腰の状態で前進する。長い前髪が視界を遮っていて、前方不注意で誰かに接触してしまった。
「わ、悪い!」
「うわ! ジェ、ジェイク教官! なんでここに」
そこには慌てた様子のルクスが立っていた。ジェイクは態勢を直して、事を詳細を説明する。
「なるほど、じゃあジェイク教官も追われているんですね」
「ああ、おかげでふくらはぎが痛い」
ルクスに愚痴を零すと、廊下の奥から多くの足音が鳴り響く。二人は思わず、顔を見合わせる。間違いない二人を探している連中だと……。
「まずい、こっちに来るぞ」
「どうしよう……」
ジェイクとルクスは刻々と近づいて来る脅威に慌てふためいていると、ジェイクはあるところが目につく。
リーシャ・クルルシファーなどのルクスの囲いとジェイクの追っ手の少女達が本人達の目の前で捜索している。
「大丈夫か? ルクス」
「はい、ちょっと狭いですけど、しかし掃除用具入れの中って大丈夫なんですかね?」
「さあな……」
二人は廊下の隅にあった縦長の掃除用具入れの中に身を重ねていた。二人の身長差からルクスの顔がジェイクの胸元にある状態だ。
「何事ですか? これは」
凛とした声が騒然とした廊下に木霊する。ジェイクは隙間から廊下の様子を除くと、艶やかな髪と、端正な眉目の少女が立っていた。ジェイクはこの少女に覚えがあった。学園最強と謳われた三年生。セリスティア・ラルグルスだ。新王国を支える四大貴族、ラルグルス家の長女で、ジェイクもライグリィから本校の講師となるからには彼女の名前を知らぬものはいないと太鼓判を押されていたことからその存在は脳裏にあった。
「セリス! ルクスを見なかったか?」
「ルクスですか? 見ていませんが……良ければ、私も一緒に探しましょうか? この後、予定もありませんし」
リーシャがセリスに謝辞を述べて、捜査人数が増える。これでさらにここから脱出することが難しくなった。
「まずいな。人数も増えたし、何より距離も近くなってる」
ジェイクは隠れ家の隙間から外を観察する。このままだとここから見つかるのも時間の問題だとジェイクは察する。
その瞬間、ジェイクの足の平行感覚が乱れる。すかさず手を伸ばし、ルクスの顔の両側に手をつく形で態勢をとった。
「大丈夫ですか?」
「すまねえ、疲れているせいか、バランスが崩れちまった」
それを聞くと、ルクスは肩を震わせて、くすくすと笑い始めた。
「どうした?」
「いや、昨日あったばっかりの人とこんな状況になってるのがなんだかおかしくて……」
「確かにな。男二人がこの狭い空間にいるってもの気持ち悪い話だな」
薄暗い掃除用具入れの中、ジェイクの双眸には小柄な青年が映る。顔を見合わせると、お互いに息を殺して、笑い合った。掃除用具入れの扉が開いていることにも気づかずに……。
「な、な、な、何をしているんだ! お前ら!!!」
頬を林檎のように赤くしたリーシャの心の叫びが校内で爆発した。
その後、ジェイクとルクスはライグリィから大目玉を喰らい、『不純同性交遊』の嫌疑をかけられたが全力で否定した。
閲覧ありがとうございました! 感想お気に入り良ければよろしくお願いします!!!!
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4話
市民の活気溢れる新王国の都市、クロスフォードの郊外にひっそりと存在する墓地。無数に建てられた石碑が等間隔で並列している。寂寞な空気が墓地一帯を支配する中、ジェイク・ラーディスは同じ姓名が、刻まれた二つの石碑を見下ろす。右手に握った花束が僅かに震える。
「五年前の革命で、以前の戸籍やらなんやらは役所から消えちまってたが、こんなところにいたのか。お前ら」
ジェイクは嫌味の混じった口調で、土の下で眠る父と妹を哀れむ。石碑の間に花束を添えて、踵を返す。すると喉の奥から痛みが走り、咳き込む。口元を右手で塞ぐと、手元に僅かに生温かさを感じる。解くと手のひらに血が付着していた。赤い液を睥睨して、思わず苦笑する。
「俺も近いうちにそっちに行くかもな……」
黒い外套に隠れた黒色の機攻殼剣に触れる。諦念したように嘆息を漏らす。
墓参の後、空が黒く染まる頃、ジェイクは急ぎ足で、学園に向かっていた。
「今日伝えよう。ルクスに伝えて、それで終わりにしよう」
学園の校門を抜け、声をかけてきた生徒達に呼応しつつ、ルクスの部屋を目指す。足音を鳴らし、階段を駆け上がる彼の瞳には強い決意と同時に、墓参りでの手のひらの血が起因して、焦りのようなものが混じっていた。
ルクスの部屋の前に着いた。己の中で渦巻く緊張感を押し殺す。木製の扉を、勢いに任せて開放する。
「ルクス! 急用だ! 俺を!!」
瞳に映る光景に先ほどまで、胸中を支配していた焦燥感や緊張感が吹き飛び、夜の闇に消えた。
そこにはベットの上で銀髪の少年の胴体に、桜色の髪の少女が溢れんばかりに胸を押し当て、まさに今、二人の男女が愛を確かめ合おうとする光景だった。
「すまん。邪魔した」
ジェイクは静かに扉を閉める。扉の奥からルクスが大声で何かを叫んでいたが、気にも止めなかった。本来なすべきだった行為への思いは失せて、別の思考が彼を支配し、自室へと誘った。
ジェイクが走り去った後、ルクスは額に手を当てる。フィルフィには全身のマッサージをしてもらっていたが、不意にあのような体勢になってしまった。それも新任教官が自室に入室するという最悪の瞬間に……。
「さっきのって、ジェイク教官だね」
「ジェイク教官にどうやって説明しよう……」
ルクスは軽く頭を掻いて、ため息をつく。
「ルーちゃん。ため息をつくと幸せが逃げちゃうよ。それにジェイク教官なら大丈夫。悪い人じゃないから話したら分かってくれるはず……」
相変わらずフィルフィの顔は表情に変化がないが、声音の中に確かな自信と、確信が込められていた。
「そうだね。ありがとう。フィーちゃん」
「うん」
フィルフィは軽く頷くと、ルクスの部屋を去っていった。一人になった部屋でベットに背を預けて、天井を見上げる。瞼を下ろそうとした時、扉を軽く叩く音が聞こえる。
「はい。どうぞ」
ルクスが入室を許可すると扉が音を立てて開く。そこには手に白い袋を持った白髪の長身痩躯の男が立っていた。廊下の闇が彼の身の回りを、支配していたので不気味に見える。
「ジェ、ジェイク教官! さっきのは誤解なんです!」
ルクスの言葉に応答せず、後ろ手で扉を閉めて、重い足取りで近づく。
「ルクス。これをお前にやるよ」
ジェイクは白い袋をルクスの前に差し出す。ルクスはゆっくりと手を伸ばし、指先から伝達される妙な重量感に疑問を持つ。不安感に駆られながらも、白い袋を開け、中身を取り出す。目前の真実に、ルクスの表情が硬直する。
「それ貸してやるよ」
「なんでですか!!」
優しさを含んだジェイクの言葉に、ルクスが気炎を立てて返す。ルクスが手に取っていたのは情事に関する本だった。先ほどの誤解が招いたことにより、厄介なことが起こったとルクスは悟る。
「使ったらちゃんと手洗えよ」
「待ってください! というかまさかこの袋の中にまだたくさんあるんですか!?」
動揺するルクスに、ジェイクは普段の刃物のような眼光とは、程遠い暖かい目を向ける。
「それだけで満足しないと思ってな、色んな種類を用意していた」
「ちょっとやめてくださいよ! こんなの!」
親指を立てて話すジェイクの言葉を、ルクスが牽制する。年頃の青年であるルクスもこのような物に興味がないわけではないが、袋の中にあるまだ見ぬ未知の教本を読み解く自信はなかった。
「俺も教育者以前に一人の男だ。お前がああいう行動をする気持ちも理解できる。ましてやこの環境下だし、べっぴんさんも多い。そりゃあさっきみたいな感じにならねえ方がおかしい。だがなこういう状況だからこそ男がしっかりしなきゃダメだ。男女の関係で人生棒に振るうのは男として恥ずべきことだぞ!ルクス!」
「なんで説教されてるの!」
「いやしかし、さっきの体勢。お前さん、受け身の方だったとはな。もちろんその手の種類もあるからな。それに受け身だからって気にすんなよ。お前みたいな奴は結構いるから」
「誤解ですってばあ!」
ルクスの激情の一言が部屋中に響く。ジェイクの一方的な発言の連続で、ルクスは心身ともに疲労を覚えている間、本人は腹を抱えて、哄笑する。ジェイクが落ち着いた後、フィルフィがルクスを気遣ってマッサージをしてくれていた事を、伝えて納得を得た。
「いや、でも真面目な話。恋人欲しいと思わないの?」
「気になりはしますけど、今の僕は恩赦により生かされた身ですから。そんな暇ありませんよ」
ジェイクの瞳に、ルクスの取り繕ったような笑顔が映る。しかし彼の立場を知っているので表情と言葉の意味も理解できる。アーカディア帝国の生き残りとして捕縛されて、国民の雑用を受け持つことで生かされた身。色恋沙汰に手をつける時間などない。不条理と暴虐が支配した帝国を滅亡させたにも関わらず、讃えられることもなく、貧相な生活を強いられた青年。以前、程雑用案件も少なくなったにも関わらず、五年間の習慣が簡単に抜けるわけもなく、当然色恋沙汰にも手が行かない。ジェイクは色沙汰などではなく、心の自由すら拘束されている気でならなかった。ルクスから哀愁を感じたジェイクは彼の銀色の頭に手を当てる。
「そんな小せえ背中で色んな物抱えてきたんだな。すげえなお前、でも立場がどうであれ、てめえはまだガキだ。ガキは人の頼り方を覚えろ。もし何かあるってんなら俺も手を貸す。そう簡単に変わるなんてことは無理だろうけどよ……」
ジェイクは激励を送ると、急に羞恥を感じたのか頬が赤く染まる。しかし、ルクスは、再びジェイクに笑みを向ける。偽りも虚飾もない一人の青年の笑顔だった。
翌朝の訓練場。数十人の生徒達が緑の絨毯の上で整列する。そこにはルクス、クルルシファー、リーシャ、フィルフィ、ティルファーの姿はなかった。そして、ライグリィとジェイクの方に視点を置く少女達の数人から焦りや何かを恐れるような表情が見受けられた。理由は一つ。今朝。幻神獣《アビス》の群れが新王国に向かってきているという報告が入ったからだ。
幻神獣《アビス》--遺跡内部から現れる怪物で多種多様な姿や性質を持つ。対抗できるのは装甲機竜のみで、この学園の存在理由の一つだ。
今回、上記の五人がいないのはそれが原因だ。
「今現在、出現した幻神獣は王国軍と我が校の精鋭部隊 騎士団《シヴァレス》が対処に当たっているが、我々は平常通り、訓練を行う。いいな!」
ライグリィの不安を打ち消すような厳かな声音に訓練場に響く。生徒一同が、満場一致の気炎で返す。
生徒達が各班に別れて、真剣に見守るライグリィに対して、ジェイクは睡気眼を擦り、猫背で呆然と立っていた。
「おい、なんだその姿勢は! 背筋を伸ばせ!」
「うるっせえな。朝からよ」
ライグリィの轟音に近い叱咤が、ジェイクはこめかみを、右手で抑える。
「教官たる者! 生徒達の見本にであれ!」
「堅物すぎだろ。そんなんだから彼氏の一人も出来ないんだろうが……」
ジェイクが吐き捨てるように苦言を述べる。するとライグリィは顔全体に血を巡っていき、動揺で瞳孔が揺らす。
「ふざけるな! 私はこの国の機竜使い育成に尽力を注ぐと誓った身だ。女など捨てている!」
「ああーいるいる。こういう奴に限って街中で、不意に肘が体に当たったら痴漢やら御託並べて、女の権利主張するんだよなぁ〜、いや〜困るよ全く」
ジェイクのあからさまの無視と軽率な態度に、ライグリィは憤りを感じていく。
「ジェイク・ラーディス! 私はなーー」
ライグリィが突発的に何かを発しようとした時、ジェイクが自身の方に飛び込んできた。その瞬間に後ろで爆発が起こり、黒煙が上がる。ジェイクはライグリィを庇い、彼女を覆う形で倒れた。
「すみませーん」
上空からワイバーンに乗った少女からの謝罪が届く。砲撃を誤って、二人の方に放ってしまったらしい。ジェイクが大空に向かって叱責を飛ばした後、右手に違和感を感じた。目前には頬をほのかに赤く染めて、視線をそらすライグリィの姿。そして、彼女の左胸を固定されたように持っていた自身の右手。
「いや、さっきのは事故じゃないですか……」
ジェイクが弁解すると、ライグリィが視点を戻し、不気味なほどにこやかな笑みを向けた。
その頃、新王国の外れにある森で新王国の機竜使いと王立士官学園から選抜された精鋭部隊。騎士団《シヴァレス》が遺跡から現れた幻神獣の掃討に当たっていた。
ルクスもワイバーンで飛翔しながら、襲い来る幻神獣をブレードで次々と切り倒す。しかし、王国軍の機竜使いは長期の戦闘により疲労困憊だ。そして、次々と出現する幻神獣に、苦戦を強いられていた。
「倒してもきりがない」
ルクスがブレードを構えながらも焦りの表情を浮かべる。メンバー達も空中で幻神獣を地に落としていく。ここでやられては新王国の存亡にも関わるかもしれない。そんなことはさせない! ルクスは覚悟を込めた瞳で横一列で迫り来る幻神獣の群れを睨む。
「うおおおおお!」
ルクスが吶喊を上げた際に、目の前を轟音とともにものすごい速度で何かが、突っ切った。その直後、巻き起こった突風が機竜の機体を揺らす。騎士団の隊員もあまりの事に音のした方に目を向ける。その数秒後、幻神獣達が奇声を上げて、その場から飛び去っていく。
「な、なんだ! 幻神獣達がどんどん離れていく!」
「おそらくさっき飛んできた何かにびびったんだろ。ってことは!」
「俺達新王国の勝利だ!」
新王国の機竜使い達が、天地で武器を掲げて歓喜する。ルクス含む騎士団の隊員達は、突然の出来事に釈然としなかった。
ルクスは一人、正体を突き止めるため、後ろから聞こえる仲間の呼びかけに呼応せず、森の上を滑空する。
「さっきのは一体……」
幻神獣を退却させることには成功したものの、やはり正体が気になる。新手の幻神獣かもしれない。ルクスの胸中に一抹の不安が過ぎる。しかし、それは杞憂に終わった。
森の中に開けた場所があり、そこに流れる小川に見覚えのある人物が、仰向けで浮上していた。
水上着陸して、知人を白銀の両腕で掬い上げる。予想はついていたが、ゆっくり近づき、顔を確認する。
「何してるんですか、ジェイク教官」
「ライグリィに……女について語ったら、投擲された」
ジェイクはルクスに助言を述べると静かに眠った。ルクスは何も言わず、凍りついたような無表情でジェイクを黙視して、浮揚した。
その後、ライグリィが都市部の酒場で、一人でぶどう酒の瓶を、何本も開けて、号泣しながら乱酔している姿が目撃された。
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5話
茜色の夕日が校舎を照らす頃、ジェイク・ラーディスは気だるけな態度で、廊下の窓から腕を乗り出す。
夕日の眩しさに若干、目を細めながら赤く染まった空を見つめていた。
「あー、今日も疲れた。んで結局、今日も無理だったか」
ジェイクは頭を掻きながら、嘆息を吐く。この学園に来た目的。ルクス・アーカディアに『依頼』を聞いてもらい、遂行してもらうこと。しかし、未だにそれを実行できずにいる。
「いや、何度か機会はあったはずなんだよな……」
ジェイクは一度目より、重く嘆息を吐いた。
「ため息をつくと、幸せが逃げるわよ」
聞き覚えのある声が、背後から届く。徐に振り向くと、この学園長であるレリィ・アイングラムが悠然と立っていた。
「それで幸せが逃げるなら、俺は一生幸せになれんかもな」
ジェイクは自嘲を混じえた声音で、学園長に言葉を返す。レリィは苦笑を浮かべると、ジェイクの隣に背中を預ける。
「ルクス君への依頼はどうなったの?」
「いや、まだ言えてない」
「そう。大した用じゃないなら、忘れてこの学校の教官として勤務するのも悪くないかもね」
レリィは唇に人差し指を当て、悪戯な微笑を見せる。
「おいおい。ただの浮浪者が若者に教授してもいいのかよ」
「今の状態がそれじゃない」
「そうだけどよ」
ジェイクが気難しそうな表情を夕日に向ける。レリィは両手で口を押さえて、押し殺すように笑う。視線をそらして、子供のように笑い続けるレリィを見て、口角を上げようとした時、視界が歪んだ。
その瞬間、脳を直接、手で握られるような激痛が走る。足に力が入らなくなり、徐々に体勢が崩れる。
「ジェイク教官?」
突然の出来事にレリィが不安そうな趣で、ジェイクに駆け寄る。すると、突如、ジェイクの頭部を襲った謎の頭痛は、静かに止んだ。
「大丈夫?」
「ああ、迷惑かけた。」
ジェイクはレリィに心配を他所に、何事もなかったように立ち上がる。レリィは不安げな表情でジェイクの背中を見つめる。先ほど彼が背中を丸めた、光景が頭に焼きついたからだ。
「それじゃあ、また明日な」
以前の墓参りとは違う症状に、焦りを感じたジェイクは逃げるように、レリィに別れを告げる。近いうち、自分に降りかかる災いに不安を感じながら、薄暗い廊下を一人、進んだ。
翌日、午前の授業を終えて、昼休憩の時。爽やかな快晴の下、ジェイクが訓練場の長椅子で、頭の下に手を組んで、寝そべっていた。しかし、青々しい空とは反対に、ジェイクの顔色を曇っていた。
「立ちくらみなんて初めてだったなあ……」
先日の廊下での一件が、頭に過ぎる。教室の人間には知られていない事から、レリィは口外していない事が確かだ。ジェイク自身。昨日の出来事を知られるのは都合が悪いからだ。
「にしてもなんでこんなことになるかねえ……」
ジェイクは自身を取り巻く現場から逃避するように、静かに目を閉じる。暗闇の中からかつての情景の数々が浮かぶ。屋根に叩きつけるよう降り注いだ豪雨の夜。父と、妹の婚礼について口論になり、家を飛び出した事。改名して、国々を回った事。その道中で祟りと呼べる物に見舞われた事。再び目を開いて、曇り一つない晴天を瞳に写す。
「今更、こんなこと思い出しても意味なんてないのにな……」
ジェイクは自嘲するような口ぶりで呟き、鼻で嗤った。すると、つむじの指す方角から、活気のある青年の呼び声が耳に入る。上半身を起こして、背筋を伸ばす。ルクスの他に、リーシャ・クルルシファー・フィルフィ・三年生のセリス。そして、ルクスと同じ銀髪の少女がこちらに向かっていた。
「真昼間からハーレムとはお前もやり手だな。ルクス」
「違いますよ」
「あながち間違っていませんけどね。兄さんはすぐに女の人を増やすんですから」
銀髪の少女がルクスに辛辣な言葉を飛ばす。それを受けたルクスは肩を落として、嘆息を漏らした。
「貴方がジェイク教官ですよね。アイリ・アーカディアと申します。いつも兄がお世話になっています」
アイリは慇懃な態度でジェイクに一礼する。ジェイクも軽く挨拶を述べたあと、鋭い視線が突き刺さる。
視線を辿ると、長い金髪の長身の少女が頬を赤らめて、涙目でジェイクを睨んでいた。
「あ、貴方は以前。ルクスと掃除用具入れで身を重ねていた方ですね! 貴方の存在、不許可です!」
「酷!」
セリスの罵倒に精神に僅かな傷を負った後、ルクスがジェイクを手助けするようにセリスを窘めた。
「まったく主人様にお手を煩わせないでくださいな」
不意に聞こえる落ち着いた声音。ジェイクは声のする方を見ると、ルクスの真横に黒く長い髪と左右非対称の瞳をした少女が、悠然と立っていた。ジェイクは少女の黙視した際に思わず、瞠目する。
「よっ、夜架!」
ルクスは驚いたのか、声が裏返っていた。夜架はルクスの目を見ると、無垢な笑みを向けた。
「お久しぶりです。主人様。面倒な手続きやらが終了して、入学が決定いたしましたので、ご挨拶に参りました」
ルクスに綺麗なお辞儀を向けた後、ジェイクと目が会う。ジェイク自身も彼女から目を話すことが出来なかった。
「あら、貴方は……」
「なんで、お前さんがここに……」
「二人とも、まさか知り合い?」
ルクスが徐に二人の間に足を踏み込む。ジェイクと夜架の間に妙な空気感に違和感を覚えたのだろう。
「ああ、以前旅先で会ったことがあってな……」
ジェイクは言葉の続きを話そうとするが、喉の奥でつっかえた。何故なら切姫夜架という少女も、ジェイクがルクスに対する『依頼』に関わりかねない存在だからである。言葉を発しようか逡巡していると、昼休憩終了の鐘が校内に響く。
「ルクス。次の授業が始まる! 行くぞ!」
リーシャに急かされて、ルクスはジェイクに一礼した後、せわしなさそうな様子で、友人達と共にその場を去った。ジェイクの元から去った後、夜架が音もなく、近寄りジェイクの耳元に口を寄せる。
「放課後、練習場の外れにある噴水場に来てください」
夜架はそう呟くと、勢いよく地面を蹴り、跳躍する。校舎の上に乗り、どこかへと姿を消した。
「これも奇縁ってやつかねえ……」
ジェイクは再び、長椅子に腰を深く腰を預けて、胸中に蠢く不安感を吐き出すように嘆息をついた。
放課後、夕日が沈み始めて、影が濃くなる頃。ジェイクは噴水場に向かう。集合場所が目に入ると、黒髪の少女が大理石で作られた噴水の淵に腰を下ろしていた。夜架はジェイクに気づくと、妖艶な笑みを浮かべて、立ち上がる。
「お呼びしてすみません。といっても貴方も思うところはありそうだったので」
「ああ。大有りだ」
ジェイクは斜め下の少女に軽口を返す。すると夜架はまっすぐな目でジェイクの目を捉える。
「よく生きていましたね」
「まあな。弟は元気か?」
「弟は死にましたわ」
無表情で、淡々と弟の死を述べる夜架に、ジェイクは異様さを感じた。
「そうか。災難だったな……それでなんで古都国の姫が、ここにいるんだ?」
ジェイクは胸に抱いだ疑問を夜架に投げかける。不意に吹いた風が彼女の長く艶やかな髪を揺らした後、開示し始めた。弟の身を案じてアーカディア帝国に下ったこと。『帝国の凶刃』として暗躍し続けたものの、弟が殺されてしまった事。監獄に幽閉されていた事。現在はルクス・アーカディアに仕えていることなどを自らの口で打ち明けた。
「こちらからも質問です。貴方はあの日、古都国がアーカディア帝国に襲撃された際、弟から依頼を受けて未開だった遺跡の探索に行ったはず。どうやって生き延びたんですか? そして、なぜこの学園に?」
ジェイクは彼女の質問に応じるか、逡巡した。彼女はルクスに対する『依頼』に関して、彼女は関わっていたが、ルクスの下僕と自称する彼女の事だ。『依頼』の妨げになる事を懸念して伏せることに決めた。
「確かに俺はあの日、探索に行った。だが探索の途中で帝国の軍人を遭遇して、奴らとの戦いで負傷したが、持ち前の根性で命からがら逃げ切って、しばらく異国の山岳地帯で隠居生活してた。この学園には俺の実力を見込まれて雇われただけだ」
嘘は言っていない。ジェイクは自分を言い聞かせる。夜架は華美な双眸から鋭利な眼光を覗くと、諦念したように瞼を閉じる。
「理由は分かりましたわ。主人様も貴方を慕っているようですし、私も貴方に敵意は持ち合わせていませんわ。
ですが、もし主人様を脅かそうというのでしたらーー」
夜架は、ジェイクの顎下まで瞬時に距離を詰めて、頸動脈に少し反り返った機攻殼剣の刃先を向ける。彼女の動作で巻き起こった風が、遅れて二人の肩身を撫でた。ジェイクは彼女の動作の早さに、僅かに動揺する。
「私は貴方の首を飛ばすことを、一切躊躇いませんわ」
夜架は抑揚のない声音で、告げると無垢な笑顔をジェイクに向ける。ジェイクは彼女から笑顔では誤魔化しが効かないほどの殺意を感じ、思わず苦笑する。
「それでは今日からよろしくお願いいたしますね。ジェイク教官」
異国の少女は白髪の男の首元から機攻殼剣を引くと、一礼を送る。不意に強い風が吹いて、ジェイクの長髪が視界を覆う。白い窓かけが視界から離れた時には少女の姿はなかった。
「一切躊躇わないか……それでいい。俺の望みはそれなんだから」
絶え間なく噴出する水の音が、周囲の音をかき消して支配する中、ジェイクはかき消えそうな声音で、呟く。
空は既に暗くなり、星芒のみが彼の独り言を聞いていた。
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6話
6話
どこまでも続くような曇天の下。アーカディア帝国の宮廷内は騒然としていた。皇帝に自国の政治腐敗に対して諫言した者が捕らえられたのだ。
「ウェイド先生!」
金髪が特徴の少女、セリスが目に涙を浮かべて、皇帝を非難した恩師の名を強く呼ぶ。
「ごめんなさい! 私、私が」
セリスはその場でしゃがみこんで、涙を流す。自分が帝国の腐敗について耳にしてしまい、その内容を恩師に伝えたばかりに、このような悲劇を招いてしまった。正しさが裏目に出てしまい、罪悪感に胸が押しつぶされそうになる。
「セリス」
静かに顔を上げると、そこには凛々しく、優しい表情を浮かべる恩師 ウェイド・ロードベルトの素顔があった。彼の懐から薄い四角形の手拭いが差し出される。
「セリス。お前は間違ってなんていないよ」
彼はそう一言、告げると踵を返して、兵士に挟まれて連行されていく。視界から遠のいていく師を少女はただ呆然と見届けた。すると辺りから真っ白く染まっていき、そして何も見えなくなった。
「ん……」
朝日が昇り始めた早朝。セリスティア・ラルグルスは浅い寝息を立てている。部屋の窓からか細い朝日が差し込み、眉目を照らす。朝日の眩しさに目をこすり、上半身を掛け布団から起こす。
「夢ですか……」
困り眉を作った後、両腕を天井に向けて高く伸ばした。深く深呼吸を済ます。自身の体温が残り、温もりを感じる布団から脱出。日頃から行なっている朝練を行うため、寝間着から練習着に着替える。身なりを整えた後、靴を履いてルームメイトのシャリスを起こさぬように静かに部屋の扉を閉めた。
日差しの強い日の下、ジェイク・ラーディスはルクス・アーカディア含む複数の生徒の実戦訓練を見守っていた。 学年上位の実技成績を誇るルクス、リーシャ、クルルシファー、フィルフィは各班の生徒達に操縦や武器の扱いについて助言する。ジェイクは彼らの姿を眺めていると、名前を呼ばれ、振り向く。そこには凛とした雰囲気が特徴のライグリィ・ハルバードが佇んでいた。
「どうだ。生徒達の様子は?」
「問題なさそうだな。技術面でも向上している」
ジェイクが僅かに笑みを浮かべると、ライグリィは手の甲を口に添えて静かに笑った。
「おい! 何がおかしい」
「いや、少し前まで、覇気を一切感じられなかった顔をしていた奴が発言していると思うとな、つい……」
ライグリィは笑いの勢いを増して、肩を震わせる。ジェイクは赤面して、むず痒そうに頭を掻く。
「あーライグリィ教官とジェイク教官がイチャイチャしてる」
一人の女生徒が二人の方を向いて、指さすとそれを皮切りに複数の生徒達が動作を止めて、視線を向ける。
「なっ、何を言っているんだ! わ、私とジェイク・ラーディスはそういう関係じゃーー」
「そうだぞ、てめーら。人の事、森まで投げ飛ばすような女は俺の対象外だ! 覚えとけー」
ジェイクが持論を女生徒達に投げかけると、女生徒達の顔から生気が抜けていくような様子が見えた。すると真横から異様な怖気を感じて、首を向ける。そこには 鬼の形相をした先輩教官の姿があった。
まずい、死ぬ。ジェイク・ラーディスが生命の危機を本能的に察したと同時に、鐘の音が校内中に響く。
授業終了の知らせだ。生徒達が続々と二人位の元に集まっていく。ライグリィも素の表情に戻り、生徒に次の時間の詳細を伝えて、締める。生徒達が校舎へと戻っていく。
ライグリィがジェイクが隣を通り過ぎようとする。先ほどの恐怖が蘇っていく。するとライグリィがジェイクの真横で足を止める。
「命拾いしたな……」
ライグリィは静かに呟いて、その場から離れて行った。ジェイクは白目をむいて、その場に立ち尽くす。
「大変でしたね。ジェイク教官」
一連の出来事の流れを目撃していたルクスは苦笑いを浮かべ、ジェイクに慰めの言葉をかけた。
「ああ、また同じ目に負うところだった」
「あんな事言うからですよ」
ルクスは困り眉を作りながら、ジェイクを窘める。次の授業に向かうため、二人は練習場を後にした。石造りの廊下を進んでいると、やたらとルクスから視線を受けていることに気づく。
「どうした?」
「いやジェイク教官が赴任して数日なのに結構早く打ち解けられたなあと思って。それになぜか安心するんです。まるで会うのが始めてじゃない気がして」
「はっ、なんじゃそりゃ」
ジェイクは軽快に笑い飛ばす。背後からルクスを呼ぶ声がした。振り返るとすると三年生のセリスが背筋を伸ばして向かってきた。
「おはようございます。ルクス。教官。そういえばルクス、約束覚えていますか?」
「はい。今日の放課後、練習に付き合うって話ですよね。覚えてますよ」
ルクスは首肯すると、セリスはほのかに頬を赤らめる。ジェイクは少女の顔色が変化したことに気づいた。
セリスがルクスに抱く感情が親愛以上のものであると察し、静かに口の端を釣り上げる。
「あっ、そうだジェイク教官もどうですか?」
ルクスが不意に提案を切り出す。ジェイクはわずかに動揺して、セリスの方に視線を向ける。彼女はルクスの方を瞠目して静止する。そして、徐々に瞳から光がなくなっていくことに気づく。
「あっ、あかん」
ジェイクはセリスの精神に起こっていることを悟る。彼の見解ではセリスはルクスに好意を抱いている。彼女の不器用な性格上、彼をデートに誘うことは不可能。だから二人でいることに、違和感を抱かせない状況。『鍛錬』に誘うことに決めたのだ。ルクスは目を輝かせて嬉しそうな笑みを浮かべる中、その横でセリスは般若面で、ジェイクを恨めしそうに睨む。
おいおい、俺悪くないだろ! お嬢ちゃん! ジェイクは無言の叫びをセリスに訴えかける。
「わっ、悪いな。ルクス。今日は学園長に呼ばれていてな」
ジェイクは生命の危機で機能停止中だった脳を呼び起こし、方便を吐く。
「そ、そうですか。仕方ですよね……」
ルクスは視線を斜め下に向ける。その顔からは哀愁を感じ取った。それとともに先ほどから、目の前で蠢く殺意も静まっていく気がした。だが、ジェイク自身も数日間とはルクスと関わってきたため、情がある。自分の発言に対して、わずかに逡巡する。
「あー、でも急ぎの用ではないらしいしな。長時間じゃなければな……」
ルクスに訂正の言葉をかけると、彼の表情は明るくなった。まるで枯れた花が水を浴びて生気を取り戻したように。そして真横の暖かな雰囲気とは違い、凍てつくような、寒気が背筋を撫でる。消火し終えた後に、再び、焚きつけるような愚行だ。
「セリス先輩。ジェイク教官は無詠唱でワイバーンを召喚できるほどの実力を持っています。ヘイズがいなくなったとはいえ、幻神獣や他国の勢力、旧帝国派など新王国はまだまだ敵が多いです。なら僕ら以外の方からも戦術を教わり、実力の向上につなげるべきです」
ルクスは迷いのない瞳でセリスの目を見る。そこにいたのは普段の優柔不断な雰囲気の優男ではなく、愛する者達を守るために英断する一人の英雄の姿があった。
「分かりました」
セリスの顔に生気が戻り、元の気高い瞳でルクスを黙視して頷く。ジェイクの背後から先ほどまで感じた寒気が消えた。肩が軽くなり、両肩を軽く回す。
「では放課後に」
セリスはそういうと、踵を返して廊下の奥に消えた。彼女が方向転換する際、ジェイクは彼女の目に生気がなかった事に気づいた。
「やっぱり根に持ってんのか……」
おそらく彼女は良からぬことを企んでいたとジェイクは悟り、重い溜息を吐く。
「どうかしたんですか?」
「なんでもねえ。ほら早くしねえと、次の授業遅れるぞ」
ジェイクはルクスを急かして、小走りで次の授業先まで移動した。
放課後、ジェイクは茜色に染まる空を眺めながら、二人の元に向かっていた。ルクスとセリスは校舎のはずれにある円状の闘技場で、実戦練習を行うらしい。校内のみならず、国内屈指の実力者である二人の練習風景を観察できるということで、若干気分は上がっていた。邪な感情を殺しながら。
目的地に着くと、闘技場内から鉄同士がぶつかり合う音が聞こえる。薄暗い廊下を渡り、闘技場内に近づくにつれ、音が徐々に大きくなっていく。実践中の二人の元に足を踏み入れる。
夕暮れの虚空を見上げると、二機の《ワイバーン》が火花を散らして、激しい剣戟を繰り広げていた。
「おおー、やってるねえ」
すると、片方がジェイクに気づいたのか、対面する《ワイバーン》二機が動きを止める。地上に向かい、緩やかに滑空して、着陸した。装甲機竜が光に包まれて、姿を消し、持ち主のルクスがジェイクの元に駆けてくる。
「すまねえな。ルクス遅くなっちまって」
「いえいえ」
ジェイクはルクスに謝辞を述べると、遅れてセリスがやってきた。
「では教官も来たことですし、始めましょうか」
それから、ジェイクによるルクスとセリスの指導が開始した。肉体的な訓練から精神統一など装甲機竜を操縦する上での基礎鍛錬などを行った。二人とも他の生徒より垢抜けているのか、ジェイクの出す練習内容を見事にこなしていく。
「他の生徒達より実力があることはわかっていたが、なかなかやるな」
「これくらい朝飯前です!」
セリスがその豊満な胸部を張り、公言する。ルクスは両膝を抑えながら、苦笑いを浮かべる。
「ではジェイク教官。肩慣らしはこのぐらいにして、機竜での白兵戦をお相手願います」
「ほう。随分とやる気だな」
「ええ、学園長が直々にお呼びした方です。実力がどれほどのものか気になります」
セリスが真剣な眼差しでジェイクの目を捉える。ジェイクは静かに首肯で応える。
夕暮れが差し込み、闘技場が赤く染められていく中、ジェイクとセリスが距離を取り、見合っている。その様子を遠目からルクスは静観する。両者、懐から機攻殼剣を抜き取り、無詠唱で《ワイバーン》を召喚。白く発光する粒子が持ち主の周りを取り囲み、その身を覆っていく。光が解けた後、そこにいたのは白銀の姿をしたジェイクとセリス。
「それでは模擬戦始め!」
ルクスの張り詰めた語気が周囲に木霊する。すると二機は粉塵を撒き、広大な夕空へ飛翔。ジェイクがブレードを瞬時に取り出す。対するセリスもブレードを抜き出して、距離を詰める。刃と刃が重なり、削り合う。
ジェイクはセリスから距離を離すと、セリスはブレードを治めて、ブレスガンを構える。銃口から放たれる無数の光線がジェイクの元に向かって来た。ジェイクは襲い来る、光線の雨を軽やかに交わして、再びセリスとの距離を詰める。対するセリスもブレスガンからブレードに切り替えて肉薄。
「す、すごい」
闘技場の地面からルクスは虚空を見上げながら、 二人の激しい攻防戦に呆気にとられる。
操縦技術、戦術共に学内トップクラスのセリスと彼女と対等以上に渡り合うジェイク。二人の戦いは二頭の龍が互いを噛み合うかっているかのようだった。
上空ではジェイクがセリスを僅かに劣勢に追いやっていた。
なかなかやるな。流石は『学園最強』って言ったところか。でもあの剣さばきといい、動き方…。
ジェイクは胸中でセリスの動作に違和感を覚える。まるで何度かこの剣を重なり合ったかのような感覚。そして、ジェイクは追い討ちをかけるかのようにセリスの機体に攻め入る。すると、セリスが空いた左手で懐からダガーを取り出そうとするのが目に入り、自身もダガーを脱ぎ出して、牽制。
そして、ジェイクがブレードの刃先をセリスの機体に突き立てた。
「この以上の抵抗は無駄だ」
ジェイクは鋭い眼差しを彼女に向け、宣告。するとセリスは諦念したように嘆息を吐き、静かに降下する。
二人が地上に降り、汚れた白銀の鎧を解除する。ルクスが二人の元に早々と駆け寄る。
「二人とも、お疲れ様でした」
「ええ」
「ああ、まぁな」
ルクスは二人のぎこちなさに首をかしげる。
「ジェイク教官……なんで私の師匠の……あの剣術を知っているんですか?」
セリスの切り出した発言にジェイクの表情が一瞬、氷塊のように固まる。ジェイクが胸に抱いていた違和感をなんと彼女自身も感じ取っていたのだ。
「あなたもしかして……」
「だからどうした。俺にこの教えた奴は俺の知る限りロクな奴じゃなかったよ。とんだクソ野郎だ」
ジェイクの眉間に皺がより、元々、鋭い目付きが更に釣り上がり、正しく鬼の形相へと変貌した。ルクスはジェイクの表情に動揺した。普段は鋭利な眼差しの中に温かさが見受けられたが、今の彼には全くと言って良いほどそれがなかった。
「なんですって………」
セリスは声を低くして、静かに呟く。顔を伏せて、ジェイクの元に揺ら揺らと歩く。
「だから、俺にとっちゃそいつはクソ野郎だって言ったんだよ。ウェイド・ロードベルドはよ!」
ジェイクが瞳孔を大きく見開いて、宣言した瞬間。右頬に突き抜けるような痛みを感じた。セリスがジェイクの頬を強く平手で打ったのだ。
「……貴方とウェイド先生との間に何があったかは知りません。けど、私の知る先生は貴方にそんな言葉を掛けられる程度の人間ではありません!」
セリスは目に涙を浮かべて、叱責すると、踵を返して、闘技場の走り去っていった。
「セ、セリス先輩!」
ルクスがセリスの方を見て、再度、ジェイクの方を確認する。
「……追えよ。あいつのこと」
ジェイクはそうルクスに吐き捨てるとジェイクも反対方向から闘技場を後にする。ルクスはジェイクの言葉通りセリスを追った。
夕焼けが沈み始め、周囲が暗くなり始めた時。ルクスは噴水広場の近くに来ていた。
「セリス先輩。一体どこに」
周囲を見渡すと噴水と生い茂った草木と長椅子しかこの空間にはない。……はずだった。
耳を澄ますと草陰の方から何やら話し声が聞こえる。以前も似たような体験をしたことがあるとルクスは内心思っていた。
「ええ、私もやりすぎたなとは思うのです。勢いに任させて手を挙げるなど。ですがあれは私の恩師対する侮辱!」
膝を抱えて、目の前の猫に白論を展開する探し主の姿がそこにはあった。
「セリス先輩」
ルクスが背後から温和な口調で名前を呼ぶと、セリスの背中が大きく跳ねる。
「……ル、ルクス」
二人は噴水付近の長椅子に腰を下ろした。
「ル、ルクス。さっきはみっともない姿をお見せして申し訳ありません。三年生の代表としてあるまじき行為です。ですがせめて言い訳をさせてもらえるなら、私の尊敬する先生 、幼かった私の言葉に耳を傾けて、。民の事を想い皇帝に諫言したあの人を、ウェイド先生を……貴方のお祖父さんを侮辱されたのが許せなかったんです」
セリスは肩を震わせながら、恥じらいの瞳でルクスに投げかける。
「セリス先輩。僕のお祖父さんを大切に想っていてくれてありがとうございます。僕は大丈夫ですから。それより明日、ジェイク教官にはちゃんと謝ってくださいね。僕もいっしょに行きますから」
ルクスは温和な笑顔をセリスに向ける。固かったセリスの表情は和らぎ、笑顔で首を縦に振った。
灯籠が照らす部屋の中、ベットの上から天井を見上げて、ジェイクは闘技場でセリスに投げかけられた言葉を脳裏で繰り返す。
「貴方とウェイド先生との間に何があったかは知りません。けど、私の知る先生は貴方にそんな言葉を掛けられる程度の人間ではありません!」
ジェイクは軽くため息をついて、両腕で枕を作る。
「ったくガキが何もしらねぇくせによ。しかし、まぁあの実力は悪くなかったな」
自分の過去からセリスの言葉から逃避するように目を瞑った。
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7話
晴れやかな朝。僅かな頭痛を抱えながら、ジェイク・ラーディスは起床した。本日は学園は休みなので職務はない。
「ああークソッ、なんでいつもこの時間帯なんだよ。ある種の洗脳だぜ。全く」
惰眠を行なっても問題ないはずだが、生活習慣が固定されてきたため休日でも平日同様の時間帯に、目覚めるようになった。洗面台の蛇口を捻り、冷水で眠気を纏った顔を洗う。閉ざされた視界の中、昨日のセリスとの一件を思い出す。彼女の恩師であるウェイド・ロードベルトを侮辱し、平手打ちを受けた。
「さすがに言いすぎたよな……」
眠気が額から流れ落ちた水とともに、排水口へ流れていく。正面を向き、鏡の中の自分と目が会う。
「今日あったら謝ろう」
近くにかけてあったタオルで拭き、朝食を取るため食堂に向かう。部屋の扉を開けた時、胸元に銀色の髪が存在するのが目に入り、視線を下ろす。
「ジェ、ジェイク教官!」
銀髪の青年、ルクス・アーカディアと鉢合わせする。突然、扉が開いたため、驚きのあまりしばらく瞠目していた。
「おお、ルクスおはよう。何の用だ?」
先日の一件もあり、彼にも若干の気まずさを抱いている。ジェイク自身のルクスに強く当たってしまった事を後悔していた。
「はい。実は……」
ルクスは横目で廊下の角を捉える。ジェイクはルクスの視線の先を目で追う。金髪の髪の毛らしきものが見え隠れしていた。すると廊下の角から背の高い金髪の少女が姿を表す。セリスは目を釣り上げ、重々しい足取りで二人の元に向かう。ジェイクの目前で止まる。もじもじと身を捩らせながら何かを言いたげに上目遣いをする。
「あ、あの昨日は申し訳ありませんでした! 気が立ったとはいえ手を出すべきなかったです」
セリスは眩い美髪を揺らして、ジェイクに頭を下げた。まるで親から叱りつけられる前の子供のように
背中を僅かに震えている。
「セリス……」
ジェイクが抑揚のない声で彼女を呼ぶ。セリスがゆっくりと首をあげると、目の前に白髪が降下する。ジェイクがセリスに向かって頭を下げていた。
「ジェ、ジェイク教官!?」
「こちらこそすまなかった。昨日は言いすぎた。お前の恩師を否定することはお前を否定することに繋がりかねない。本当にすまなかった」
深々く、頭を下げて謝罪の言葉を述べる。予想外の出来事に、セリスは瞠目した。
「あ、頭を上げてください」
セリスの言葉で、頭を上げて静かに態勢を伸ばす。セリスも動揺していたのか、頬が赤く染まっていた。
「そのことはもう大丈夫です。ただ、教えてください。貴方とウェイド先生の関係、そして何故貴方がそこまで先生を敵視するのかを……」
セリスは真っ直ぐな視線を向け、胸中に秘めた思いを吐露した。質問から逃走を図るようにジェイクは口を閉ざす。僅かに逡巡した後、開口し真実を伝えようとした時、胸に骨を削られるような痛みが走る。余りの激痛に足元に体を崩す。耳鳴りが脳内に響き、駆け寄るルクスとセリスの呼びかけが一切、聞こえない。
そうだよな、、、もう時間ねえよな……瞼が徐々に落ち始め、全てが闇に染まった。
叩きつける暴風と豪雨の夜。一つの屋根の下で青年が父と大声で剣幕を立てていた。青年は自身が忌み嫌う皇帝に妹を嫁がせようとする父と口論になり、父親が嫁がせることによってこの没落しかけた自分たちの地位を守ることができるという自論に対して反感を抱いたのだ。互いの口から数多の誹りや暴言を飛ばす。家内の雰囲気は今現在、自分達の屋敷を叩きつける雨風に引けを取らないほど最悪なものだった。
「なんでそうする必要があるんだよ! あのクソ皇帝に嫁がせるとかどうかしてるぞ!」
「このままでは我が家は没落する! その事の重要性が分からないのか!」
青年は先ほどより強く父を睨みつける。父の方もそんな息子に哀れみの目を送っていた。
「もうやめて!」
悲痛な叫びが部屋の隅から家中に木霊する。青年の声のした方に視線を向けると、涙目の妹がこちらを眉間に皺を寄せる。
「兄さん。もういいの……私が決めたの」
妹は悲哀がにじみ出た笑みを青年を向ける。青年は青筋が浮き出るほど、拳を強く握る。近くにあった木製の机上に胸中で蠢く得体の知れない怒りを、拳に込めて勢いよく打ち込む。拳から肘に向かって、鈍痛が骨肉を貫く。青年は急かされるようにその場を離れる。
「どこに行く!」
父は青年の背中を追いながら、叱責を飛ばす。青年が玄関を開け、雨風の音がより鮮明に耳に届く。青年は睥睨する目を父に向ける。
「昔からあんたとは性格も考えも合わなかった。でもここまでだとは思わなかったよ。じゃあな」
青年は父に乖離することを伝えて、夜の帳に吸い込まれるように家を飛び出す。雨でぬかるんだ地面を踏みつけながら走る。背中にのしかかる父の声は、激しく地を叩く雨によって徐々にかき消されていく。二人を嘲笑うように雨はより強く大地に降り注いだ。
重く閉ざした瞼を開く。辺りは薄暗く茶色の煉瓦に敷き詰められた天井が、目一杯に視界に映る。
「ジェイク教官!」
天井を遮るように銀髪の青年の顔が映る。ジェイクは上半身を起こす。部屋の中ではルクス、レリィが心配そうな趣でジェイクを覗く。
「お前らなんで、ここは?」
「学園の医務室よ。いきなり気絶なんてどうしたのよ。夜の二十時よ」
ジェイクは窓掛を手で切り、窓を見る。外は大きな円形の月が堂々と空に居座り、周囲には眩い輝きを放つ星芒。ジェイクは空いた口が塞がらなかった。自分が朝起きて早々、気絶して目覚めた時、周囲は夜の帳に包まれていたのだから当然だ。レリィが不安げな表情を浮かべる。彼女は以前にもジェイクの容体の変化を目の当たりにした。彼女はその件もあってか表情にはより一層不安感を纏っている。
「そうですよ。教官。いきなり倒れたから驚きましたよ」
「そうか、どうやら予想以上に疲労が溜まってたみたいだ。すまねえな。」
ジェイクはルクスの頭を謝辞とともに優しく撫でると、彼は不満げながらも頬を赤く染めていた。
「今日は一日、この部屋で安静にしていなさい。学園長命令よ」
「いや、でも」
「学園長命令よ」
レリィは影のある笑みをジェイクに向ける。笑みから伝わる威圧感に圧されて泣く泣く頷く。
「それではお大事にー」
レリィは笑みを向けて、手をひらひらとジェイクに振り、退室した。
「まったく、、、、、、そう言えばセリスは?」
「あー、それはですね……」
ルクスは眉をハの時に傾け、部屋の隅を指差す。ジェイクが指された方向に視線を向けると、膝を抱えて部屋の隅で鎮座するセリスの姿があった。背中から漂う哀愁は夜の闇と相まってより濃さを増している。
「なんか、自分が質問したせいで、ジェイク教官が卒倒したと思い込んでいるみたいで」
「おまえのせいじゃねえよ。元気だしなー」
セリスにちゃらけた口調で慰めの言葉をかけるも、石のように動かない。むしろ先ほどまで確認できた首元が発言以降、亀のように引っ込んでしまったせいか見えなくなってしまった。ジェイクは嘆息を吐いた後、態勢を再び、ベットに眠る状態に戻す。
「今日はゆっくりしてください。それじゃあ僕は着替えとか持ってきますので」
「待て、ルクス」
ジェイクは抑揚のない語気で、扉に向かうルクスの足を止める。部屋に置いてある機攻殼剣の事が、脳裏を過ぎったのだ。僅かな逡巡の後、ルクスに着替えを取りに行かせる事を決めた。
「いや、頼んだ」
ジェイクはルクスに言伝を済ますと彼は首を縦に振った後、部屋の扉を閉める。一人、ベットの上から月光で照らされた首都、クロスフォードの立ち並ぶ建物を、遠い目で見下ろす。二十時ということもあり、街には未だに活気に溢れていた。立ち飲み屋で酒瓶片手に哄笑する壮年の男達。手を繋ぎ互いに微笑み合う若い男女。街灯や家々の明かり、市民の笑い声で埋め尽くされた賑やかな夜の街を静観していた。
窓から突き刺さる月明かりに照らされた、薄暗い廊下をルクスは一人で進む。昼間とは違い夜の廊下は妙な静けさが周囲を支配していた。すると後ろの廊下から足音が聞こえる。首を後ろに向けると、誰もいない。
「気のせいか」
気にせず前進すると、再び足音が耳に入る。今度は先ほどより付近だ。ルクスはもう一度、振り向くとやはりそこには何もなく先ほどまで歩いていた廊下がどこまでも続いていた。ルクスはより警戒して周囲を見渡す。
ため息をついた時、一瞬で視界が暗闇に覆われるいきなりの出来事に叫声をあげる。校内中にルクスの声が響く。
「ルーちゃん。私」
聞き覚えのある声音。ルクスはそっと胸を撫で下ろす。
「なんだ。フィーちゃんか」
「うん。ルーちゃんいたから驚かせようとしたんだ。だからルーちゃん。お願いだから私の後ろにいる子なんとかして」
フィルフィの無表情に僅かな焦りが見えたので、彼女に後ろを見ると殺気を纏った黒髪の少女が刀身をフィルフィの頸に突きつけていた。
「よ、夜架! 落ち着いて!」
「あら、こんばんは。主人様。すみません。主人様の叫びが聞こえましたのでてっきり主人様を狙う賊かと思いまして。フィルフィさんも申し訳ありませんわ」
夜架は無垢な笑みを浮かべ、刀身を懐に直す。
「時に主人様。こんな夜に一体何を?」
「ジェイク教官が医務室で一日過ごすことになって着替えとか取りに部屋に行く途中だったんだ」
ルクスは二人にありのままを話し、ついでに二人も同行することになった。暫く歩き、ルクス、フィルフィ、夜架は部屋の前に着く。ルクスが扉の開けて、部屋に入る。部屋の中に灯籠を灯して、洗面台の近くにあった行李に衣類や歯ブラシなどを入れていく。必要なものを揃い終えたので二人に声をかけようとすると二人は一点の方向に視線を集中させている。
「どうしたの?」
ルクスは二人の捉えている標を辿ると、そこには黒く歪な形をした物体が置いてあった。
「なんだろ……これ」
ルクスはその異様な姿に好奇な目を向けていると、隣にいたフィルフィが早足で部屋で出た。
「まさか……」
夜架が何かを隣で呟いた後、ルクスに一礼して部屋を飛び出す。横を通りすぎる途中で映った彼女の横顔に焦りを含んでいるいるようにも見えた。
「えっ? 二人とも!?」
ルクスは首をかしげて、行李を抱えて部屋の扉を閉めた。部屋の外に出たフィルフィは相変わらず無表情だったが、どこか怯えているようにも見えた。
「どうしたの? フィーちゃん」
「ルーちゃん。さっきのやつ。なんか変。あれは何?」
「どんなふうにおかしいの?」
普段と違うフィルフィの態度にルクスは動揺するも彼女の言葉に耳を傾けた。
「血の匂いがする。後、大勢の人の悲鳴。泣き叫ぶ声。怒り狂った人の声。断末魔が混じったような叫声が聞こえるの」
フィルフィの震える唇から、飛び出した発言でルクスの背筋を怖気が走る。ルクスは彼女を慰めながら足早にその場を離れて、フィルフィを部屋の前まで送った。ルクスが医務室に向かおうとした時、フィルフィが服の裾を掴む。
「行李を渡したら、今日、私のところ来て……」
普段なら断るルクスだが、普段とは違う彼女の雰囲気を心配だったため了承した。ルクスは医務室の扉の前に着き、扉を小突く。軽い呼応が聞こえたので、扉を開ける。
「お待たせしました。あれ? セリス先輩は?」
「誰にでもミスはあるぜ!的なこと繰り返して言ったら、眩しいくらい満開の笑顔を浮かべて一礼した後、出て言ったよ。『学園最強』あんな単純でいいのかよ」
ジェイクのため息に思わず、口元が引きつる。ルクス自身も何度か経験があるため、否定はできない。
「必要なものはこの中に入っていますので、それじゃあ失礼します」
ルクスはフィルフィの一件もあったせいか、ジェイクに違和感を抱いていたのだ。足早に部屋を立ち去ろうとした時、背中に呼び声がかかる。
「何もなかったか?」
ジェイクがまっすぐな視線がルクスの目を逃すまいと捉える。鋭利な目つきが一段、鋭く見えた。緊張感のあまりルクスは生唾を飲む。
「えっ? 何がですか?」
ルクスは首を傾げて反問を返す。ジェイクと暫く、無言の駆け引きのようなものが続いた後、ジェイクは静かに嘆息を吐く。
「いや、悪い。なんでもない」
ジェイクは僅かに笑みを作る。今のルクスにはその笑みが全て見透かしてようにも見えて、不気味さを覚える。静かに扉を閉めた後、心に渦巻く不安感を押し殺して、フィルフィの部屋へ足を進めた。
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8話
8話
昼近くの医務室。掛け布団から身を出し、起床するジェイク。早々と歯磨きと洗顔を済ませて、荷物の入った行李を片手に退室。廊下の窓から差す暖かな日差しに、心地良さを感じながら進む。昨日のルクスが見せた退室前に浮かべた笑みが脳裏を過る。自分の部屋に向かったルクスが、機攻殼剣に接触していないかの心配だ。機攻殼剣はジェイクを寄生先にしているので、他の人間がよっぽどの事しない限り被害に遭う事はない。だが油断は禁物のため、気が気でならなかった。部屋に戻り、荷物を直す。ベットに腰を下ろした際、視界の右側に忌まわしい機攻殼剣が目に映る。嘆息を吐いたあと、鋭利な目つきで睥睨する。
「お前とは長い関係だったが、今度こそもう終わりだ。お前に祟られ続ける俺も。お前自身もな」
ジェイクは機攻殼剣を睨み、硬い決心の籠もった言葉を吐く。
古本の匂いと埃が漂う薄暗い書庫の中。切姫夜架は焦燥な顔付きで古びた書物を広げて、目を通していた。付近の床や机に同じような古い書物や文献が無数に散乱していた。どれも所々、破れていたり、黄ばんでいたり、かなり年数の経過したようなものばかりだ。書物にはこの国の文字でない古都国の文字で書き記されている。かつて旧帝国が古都国を侵略した際、回収して保管された物だ。夜架は手に取った書物を読破すると、それを置き、山積みになった本の頂上を取る。夜架は昨日、ジェイクの部屋で見た物に覚えがあった。夜の帳を思わせるような漆黒。水牛の角のような鋭い二つの突起。細かく刻まれた黄金の線。手首を素早く動してページを捲る。そして、その手はピタリと静止した。
活気に満ちた白昼。黒い外套を纏い、腰に機攻殼剣を携えるジェイク・ラーディスがルクスの部屋の前に佇む。ルクスに『依頼』をするために。今ままで機会を伺っていたが、得る事が出来なかった。いや、実際には口にする勇気がなかったのだ。彼や周囲と関わることに幸せを感じていたから。だが、その幻想を打ち砕くように肉体への限界は迫る。目眩、吐血に気絶。度重なる受難。これ以上この身で受け続ければ、命は尽きてしまい、再び誰かが自分の二の前になってしまう。この負の連鎖を終わらせる為に、今こそ清算を着ける時。指を曲げて、木製の扉を軽く小突く。聞き慣れた明るい声音が、一枚扉の向こう側から呼応する。扉が開き、銀髪の青年が姿を現す。
「よお、ルクス。何してんだ?」
「ジェイク教官! 今は部屋で授業の予習を……それより体調は大丈夫なんですか?」
「ああ、おかげさまで」
ジェイクがにこやかに口角を上げ、白い歯を見せる。ルクスは安堵の嘆息を吐くと、要件を尋く。
「ルクス。今日、街に出かけないか? 今日は休日最後だ。勉学に励むのは感心だが、せっかくの休日だ。羽を伸ばそうぜ。それに昨日の礼もしたいんだよ」
「わかりました。すぐ準備しますから待っていてください」
ルクスは笑みを浮かべて、快諾すると支度のため一度、部屋に戻っていった。ジェイクはルクスと出かける楽しみと裏腹に、刻々と迫り来る終わりへの虚しさを感じていた。部屋から出てきたルクスは私服に身を包み、腰には二本の機攻殼剣を収めていた。ジェイクは黒い機攻殼剣を見ると、静かにほくそ笑む。
ジェイクとルクスは街に繰り出し、謳歌した。巷で流行している牛の乳液を固めた物を食べたり、ジェイクがルクスに女性へのナンパの仕方などを教授し、手本を見せたが玉砕。ルクスがぎこちない笑顔を作りながら膝を抱えたジェイクを励ますなど、男二人、愉快な時間を過ごした。
徐々に、陽が落ちてきて、虚空を夕闇が侵食する頃、ジェイクとルクスは街外れの人気のない道を歩いていた。
「あのジェイク教官。どこに向かってるんですか?」
「まあ、俺のお気に入りの場所見てえなところだ」
ジェイクは温和な笑みを向けると、ルクスは不自然そうに首を縦に振る。徐々に草木が生い茂ってきて、やがて森にたどり着く。ジェイクは薄暗い森の中に足を踏み入れて、ただ進む。ルクスも後を追い、歩き続ける。しばらく歩き続けると、森の中の開けた場所に着いた。雑草が所々、生えているものの、周囲の木々ほど鬱蒼となってはいない。
「ここですか?」
ルクスは瞠目して、周囲を見渡す。ジェイクは静かに頷くと、ルクスの方に振り返る。ジェイクは胸いっぱいに空気を吸い、ゆっくりと吐き出す。そして、悲哀に満ちた瞳でルクスを目視する。
「なあ、ルクス……俺を殺してくれないか?」
ルクスは呆気にとられ、瞳孔を見開く。ジェイクは変わらず、悲しげな表情を浮かべる。
「ど、どういうことですか? ジェイク教官。なんでそんなことを……」
ジェイクの発言を理解できないのか、ルクスは唇を震わせて必死に声を絞り出す。ジェイクは黒い外套に手を入れて、懐から機攻殼剣を抜き取る。ルクスは目を大きく見開く。昨日、彼の部屋で見つけた謎の物体。これを見た時、明らかに夜架とフィルフィの様子がおかしくなったのでルクスもあれを怪しんでいたのだ。
「その反応。どうやら昨日れの部屋で見たらしいな」
「ええ、でも腰に携えてるってことは……」
「ああ、機攻殼剣だ」
ルクスの顔色が変わり、思わず生唾を飲む。数多の機攻殼剣の形を見てきたルクスですら見たことのない異形の姿に驚きを隠せないでいた。
「でもそれとジェイク教官を殺めることに何の関係があるんですか?」
「こいつは寄生したやつの命を削っていくからだ。宿主が使い物にならなくなったり、又は食い尽くした後、別のやつに寄生する。俺は古都国の遺跡でこいつに憑かれてそれ以来、人を避けるため、ずっと山に篭ってた」
「古都国って……」
ルクスが暴れだしそうなほどの動揺を抑えながら、呟くと、ジェイクは首肯で返す。
「ああ、あの夜架っていう嬢ちゃんもその時に知り合った。自殺しようともしたが、こいつがそうさせてくれなかった。だからこいつを支配下に置こうと修行を重ね続けた。だが俺自身の実力は上がったがこいつを支配するには至らなかったよ」
ジェイクは僅かに肩を震わせながら、自嘲気味に胸中の思いを吐き出す。
「そんな時だ。久しぶりに人里に降りた時、アーカディア帝国が滅んだって話を耳にした。そん時は驚いたよ。なんせたった一機の機竜が滅亡に追い込んだっていうもんだからよ。『黒き英雄』俺はそいつに希望を託すことにした」
「じゃあ、ジェイク教官が講師として来たのって」
「あー、講師になったのは偶然だ。新王国に来て、いきなり捕まって、『黒き英雄』は生徒として在校してるっていうもんだからよ。あの腹黒学園長と議論の末、講師になった。」
ジェイクはため息をついて、頭を掻く。ルクスはぎこちない笑みで返す。少しばかり場の空気が和んだ気がした。
「俺が来たのはお前に会い、お前に殺してもらうためだ。ルクス・アーカディア。いや『黒き英雄』俺が死ねば、誰かがこいつの犠牲になる。頼む。この悲劇を終わらせるために」
ジェイクは素早く頭をさげる。ルクスは逡巡したのち、ジェイクを呼ぶ。ジェイクが静かに首を背筋を戻すと、ルクスは温和な表情を浮かべた。
「僕はこの数日間。とても楽しかったです。学園には同性の人がほどんどいませんから。ジェイク先生が来てから優しい兄がいる感じで幸せでした。教官、楽しい学園生活に彩りを加えて下ってありがとうございます」
ルクスがジェイクに頭を下げ、真心の篭った謝辞を述べる。ジェイクは優しげな笑みを浮かべて、ジェイクは親しみを込めた声で呼応した。
夕闇が辺りを包む頃、二人の男が向き合う。二人の間に冷たい風が吹き、足元の草花を揺らす。互いに機攻殼剣を手に取る。
「ーー顕現せよ。神々の血肉を喰らいし暴竜。黒雲の天を断て、〈バハムート〉」
ルクスが己の手に持つ黒い機攻殼剣を掲げて、詠唱を唱えると、彼の周りの漆黒が包み、黒い装甲をまとった彼が現れた。
「これが『黒き英雄』……」
ジェイクはバハムートの姿に瞠目し、呟く。ルクスに自分を殺せる可能性を感じて、口元で三日月を作る。ジェイクは歪な機攻殼剣の二つの突起を地面に向けた。
「崇めよ。聖道から外れし、呪われた古龍。数多の死屍の頂きで咲き誇れ。〈ナーガ・ラージャ〉」
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9話
夕闇が白亜の校舎を黒く染める頃。切姫夜架は長く艶やかな黒髪を揺らし、リーズシャルテ・アティスマータの格納庫へ向かう。普段の涼しげな表情とは違い、その目には焦りを孕んでいた。格納庫につき、金属製の分厚い扉を押し開ける。金属と油の匂いが一気に鼻孔へなだれ込む。その臭いを振り切るように、中に入る。リーシャは脚立に登り、機竜の頭頂部の点検中だった。夜架が声をあげて、彼女を呼ぶ。リーシャは夜架の反応に気づき、下を見下ろす。
「何の用だ! エロ女! 私は今、忙しい身だ! 手短に用件を済ませろ」
リーシャが眉間にしわを寄せて、夜架に厳かな口調で応じる。リーシャは今、機竜の新兵器の開発に心血を注いでいた。
「簡潔に言いますわ。この国が滅亡の危機に瀕していますわ」
夜架は鋭い眼差しをリーシャに向ける。リーシャは手に持っていた工具を腰に巻きつけた袋に直す。ゆっくりと脚立を降りて、夜架の目の前に立つ。
「どういうことだ」
リーシャの質疑を受けると、夜架は懐から一冊の古びた本を取り出す。古びた本を機龍の設計図や鉛筆が並べられた木製の長机の上で開く。そこには古都国の文字と歪な形の物体が記載されている。
「な、なんだ? これは?」
「これはジェイク教官が持っていた神装機竜の機攻殼剣ですわ。いや、神装機竜の欠陥品と行った方が良いでしょうか」
「ジェイク教官が?」
リーシャが怪訝な表情を浮かべる。自分にはわからない言語が記された文献。神装機竜の欠落品。それを持つジェイク・ラーディス。いきなり入ってきた情報を処理するのに一苦労だった。夜架が静かに頷く。
「この神装機竜の名は『ナーガ・ラージャ』
文献に記されている事を解読していくと、かつて古都国が大陸国からこれを譲渡されたようです。これの力により、古都国各地で起こる争いを沈めていた。しかし『ナーガ・ラージャ』は操縦者の命を削り取るため、多くの人間が亡くなったそうですわ。
そして、この事態を危惧した、時の朝廷はこれを封印する事を決意。以来遺跡の奥深くに封印されていたです」
夜架は解読文を読み終えると、解放されたように軽く嘆息を漏らす。対するリーシャは額に汗を滲ませ、赤い瞳は文献から離れずにいた。
「では何故、これを教官が持っているんだ?」
「以前、彼は古都国に入国した際、国王である弟の依頼で、遺跡を探索した際に取り憑かれたと考えていますわ。その後、アーカディア帝国が侵攻して、行方が分からなくなりました」
リーシャが夜架の説明に項垂れていると、腰部分に違和感を感じる。夜架も同様の反応を示す。目線を腰部分に移すと、機攻殼剣がカタカタと音を鳴らして、揺れる。
「まさかお前もか」
焦燥に駆られたリーシャの質問に、黒髪の少女は首肯で応答。その瞬間、窓の外から鼓膜が破れんばかりのけたたましい咆哮が響く。あまりの勢いに机の足が僅かに揺れ動いた。謎の咆哮を落ち着くと、周囲に静寂が訪れた。互いに件の機竜である事を悟る。
「今すぐに王国軍に連絡だ。そして、セリス達にも声をかけよう」
リーシャの英断に夜架が無言で合点。二人は一斉に格納庫を飛び出した。新王国の危機を救うために。
月夜の下、白く神秘的な月光が草花を照らす中、二機の神想機竜が空を翔ける。ルクスの操縦する神装機竜『バハムート』は赤い光芒を引き、ジェイク・ラーディスの神装機竜『ナーガ・ラージャ』の翼から放出される黄金色の砲弾を交わす。しかし、攻撃しているのはジェイクの意思ではない。彼の体に纏わりつく黄金の竜の仕業である。
「ルクス! こいつを壊すには胸の中心にあるコアを破壊するんだ! でなければどんな致命傷を与えても蘇生する!」
ジェイクはルクスの視線を自身の胸元に注目させる。黄金色の中に赤い水晶のようなものがジェイクの胸元に埋め込まれていた。
「はい!」
ルクスは威勢の篭った語気で返す。右手に漆黒の大剣。〈烙印剣(カオスブランド)〉を構えて、肉薄する。大剣を薙ぎ払うと、『ナーガ・ラージャ』は星空の真上に高く飛翔。黄金の輝きに包まれて、突如、急降下を始める。風を切りながら『バハムート』の周囲を舞う。ルクスはあまりの高速移動に翻弄される。瞼を閉じて、意識を集中。空気の流れ、
ジェイクの息遣い、そして殺意。ルクスは開目して、大剣を勢いよく、突き出す。〈烙印剣(カオスブランド)〉の刃先は『ナーガ・ラージャ』の右肩を貫いた。
「捕らえた!」
全力で左斜めに降ろし、コアを真っ二つに切断しようとした時。ルクスの脳裏にジェイクと過ごした日々が発露する。短くとも楽しかった学園生活。皇帝である父親から愛されなかった自分の立場から見て、どこか理想の父親の影を重ねていた。そんな彼との日々が一振りで終わりを迎える。
「ぐっ!」
突如、ルクスの左腹部に激痛が襲う。吹き飛ぶ自分の腹部を確認すると、真っ赤な鮮血が吹き出ていた。『ナーガ・ラージャ』の左手から煙が上がっている。おそらく波動の類による一撃だとルクスは感づく。自身の一瞬の躊躇いのせいで好機を逃した。
「ルクス! 大丈夫か! でもどうして……」
ジェイクは曇った顔をルクスに向ける。ルクスは俯きながら荒く息を吐き、背中を起伏する。
「……」
ルクスは哀切を秘めた眼差しを向ける。ジェイクはルクスの心情を察して、思わず肩を落とす。
「ルクス、俺はーー」
ジェイクの言葉が閉ざされ、代わりに彼の叫声が辺りに響く。ルクスの呼びかけにも答えず、皮膚がみるみるうちに赤黒く染まる。
「ジェ……イク教官?」
ルクスの瞳が震え、動揺を露わにする。目に映るのは以前のジェイクとは違う全く、別の姿をした怪物が存在してからだ。
「まさか、『ナーガ・ラージャ』が教官を侵食して取り込んだのか!」
「ソノトオリダ」
赤黒い異相のもののけが、片言で応答。ルクスは思わず、握った〈烙印剣(カオスブランド)〉に力が入る。
「我ハ『ナーガ・ラージャ』龍ノ長」
「龍の長……」
ルクスは対峙する相手の異様さに思わず、唾を飲む。終焉神獣《ラグナレク》や他の神装機竜は桁違いの重圧感。緊張のあまり、自然と額から汗が流れる。
「ククク、恐レテイルナ」
『ナーガ・ラージャ』がルクスの心を見透かしたように、不気味な笑みを浮かべた。そして、静かに右手から剣を生み出す。二つの刃が絡まり、螺旋状になった黄金の剣だ。
ルクスはため息を吐き、〈(烙印剣(カオスブランド)〉を構える。『ナーガ・ラージャ』が金色の両翼を広げ、ルクスの元に飛び立つ。巨大な黒剣と螺旋の剣が重なり、火花を散らす。
「次ハお前ノ体ヲ頂コウカ」
「ごめんだ! お前を倒して、ジェイク教官を解放する!」
ルクスは『ナーガ・ラージャ』に斬撃の乱打を繰り出す。しかし、対戦相手はいともたやすく、交わしていく。『ナーガ・ラージャ』はルクスと距離を取ると、二股に巻かれた剣先を空に向ける。剣先に光が集まっていき、球体を生み出す。ルクスは剣呑な表情で、眩い光球を捉える。
『沙伽羅(サーガラ)』
剣を振り下ろし、蓄積された光が飛散。雨のように降り注ぐ黄金の弾丸が、木々や地表を貫く。ルクスも
次々と迫る脅威を回避する。『ナーガ・ラージャ』の元に加速しながら、攻撃を目論む。
「ーー《暴食(リロード・オン・ファイア)」
先の五秒間、圧縮した時の中で連続攻撃を叩き込み、残りの五秒で溜め込んだ斬撃を解放させ、破壊力を増す。ルクス・アーカディアの奥義の一つだ。ルクスは限られた時の中で、鬼神の如く『ナーガ・ラージャ』の身を刻んでいく。『ナーガ・ラージャ』は攻撃を受ける寸前、胸元のコアを自らの鱗で覆い隠した。
その防御を取り除きコアを破壊すれば、この戦いは終わる。残りの時間で縦横無尽、かつ確実に『ナーガ・ラージャ』を斬りつける。
「これで終わりだ!」
最後の一撃を与えた後、凝縮された衝撃が『ナーガ・ラージャ』の身を襲う。両翼、四肢が空中で粉々に砕け散る。最後に与えた衝撃の強さで地面めがけて、吹き飛ぶ。
「どうだ」
ルクスは疲労しきった眼差しで、墜落した『ナーガ・ラージャ』を睨む。砂埃が敵の生死に確定が持てないルクスの不安感を掻き立てる。しかし、答えはすぐに出た。砂埃が消し飛び、代わりに切り落としたはずの両翼を大きく広げた、黄金の機竜が佇んでいる。
「なっ……」
予想していたものの、ルクスは目の前の現実を悔やむ。無くなったはずの各部分は元通りになっていた。
「惜シカッタナ」
『ナーガ・ラージャ』は翼を強く振り、離陸。ルクスの表情には焦燥の色が見える。
「悪クハナカッタ。ダガ、ソレデハ龍ノ長タル我ヲ殺ス事ハ出来ヌ」
『ナーガ・ラージャ』は再び、不気味な笑みをルクスに向ける。
「それはどうかな!」
突然、二人の耳に第三者の声が届く。声のする方に目を向けると、そこにはルクスの見慣れた顔ぶれである騎士団(シヴァレス)の隊員達がいた。
「リーシャ様、クルルシファーさん。フィーちゃん。みんな」
「彼女達だけではありませんよ。兄さん」
「その通りですわ。主人様」
ルクスの竜声から夜架が声が聞こえる。頭上を見上げると夜架は自身の神装桐竜《夜ノ神》を纏い、こちらに笑いかけていた。その横のアイリはノクトの機竜に身を預けながら、不満そうな視線を送っていた。
ルクスは苦笑いを送り、妹は静かにため息をついた。
「これだけではないぞ、ルクス!」
赤い瞳をした少女が毅然とした口調で述べる。ルクスが頭に疑問を感じていると気配を感じて首を向ける。なんと装甲機竜を纏った大勢の男達がこちらに向かって飛翔していた。増援に来た新王国の機竜使い達だ。
「この人数がいれば、お前を消し済みにするくらい容易いことだ」
「ナルホド、総力戦ト言ウワケダナ」
『ナーガ・ラージャ』は目先に映る竜達に見渡し、ほくそ笑む。
「覚悟しろ。『ナーガ・ラージャ』お前を倒してジェイク教官を解放する! 僕は……僕たちは負けない! 」
ルクスは鋭利な目で黄金の竜を睥睨する。対する『ナーガ・ラージャ』は終始、ほくそ笑みながら機竜達を嗤笑するような眼差しを送る。
「来イ、蜥蜴共。本物ノ龍ヲ見セテヤル」
大勢の戦士達を怒号が夜空に響く。
ーー数時間前ーー
夕焼けが新王国を茜色に彩る頃。首都 クロスフィードの市役所でライグリィ・ハルバートは真剣な趣で、ある資料に目を通していた。
「そんな、まさか」
喧騒に包まれた市役所の中、ライグリィは記された事実にただ瞠目するばかりだった。
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10話
王国軍の機竜使い達が縦横に列をなして、黄金の機竜『ナーガ・ラージャ』に津波のような形で距離を詰める。それに連なり、進行するルクス含む騎士団。対する呪われた神装機竜は不敵な笑みを浮かべた後、虚空を見上げ、肺に空気を送り込む。白銀の機竜の群れが武器を構えた瞬間、『ナーガ・ラージャ』が鼓膜が破れるようなけたたましい鳴き声を上げる。眩い光に包まれて、上空に飛翔。『騎士団』及び新王国の機竜使いが一斉にブレスガンを装備し、銃口を虚空に構える。黄金の機竜は自身に向けられた脅威に臆する事なく、下降。集中放火が始まり、夜空が爆炎により明滅を繰り返す。しかし、『ナーガ・ラージャ』は余裕の笑みを作りながら、全て振り切る。流星の如く、舞い降り次々に機竜使い達を襲撃。機体が連鎖するように爆破し、撃墜。爆音と断末魔が静謐な森の空気をかき消す。〈支配者の神域!(ディバイン・ゲート)〉
セリスが天高く宣言し、光の層が周囲を覆う。セリスの神装機竜『リンドヴルム』の能力。この光の中にいる限り、セリスはいかなる場所にも転移可能。
金色の機竜は『ナーガ・ラージャ』の背に瞬間移動し、特殊武装の〈雷光穿槍(ライトニングランス)〉で貫こうとすると、瞬時に気付いた事で交わされて失敗。クルルファーがすかさず、〈凍息投射(フリージング・カノン)〉を連射するが、見事に避けられる。しかし彼女の神装機竜『ファフニール』の神装〈財禍の叡智(ワイズ・ブラッド)〉の影響で数秒先の未来を見たことにより、動作が見えていた。打った弾丸の真後ろに用意。二発目は見事に『ナーガ・ラージャ』の右肩に着弾。その隙を逃さぬように、夜架が糸状の特殊武装を右肩に絡ませる。紫色の気が糸を伝って、『ナーガ・ラージャ』に進行。〈禁呪符号(スペルコード)〉夜架の神装機竜『夜ノ神』の神装で、触れた箇所を中心に相手の装甲機竜の制御を一時的に奪い操る能力。クルルシファーの神装で行動を先読みし、凍りついた間に右肩を支配。
「今ですわ。リーシャさん」
夜架が真上で待機していたリーシャに合図を送る。『ナーガ・ラージャ』が虚空を見上げると、赤い神装機竜を纏ったリーシャが片手を掲げて、重力の塊を溜めているのが目に入った。
「〈天声(スプレッシャー)〉」
リーシャの怒号に似た声とともに濃度の高い重力が『ナーガ・ラージャ』の頭上から降って来る。重力の塊が直撃する寸前、夜架の力が緩む。巨大な衝撃で粉塵が宙を舞う。『騎士団』と王国軍の視界が砂嵐で遮られる。
「やったか」
「いえ、、、」
夜架が作戦の失敗を公言した瞬間。突然、巻き起こった爆風で砂が晴れて右肩が欠損した黄金の機竜が佇んでいた。
「まさか、リーシャさんの攻撃を受ける前に私の支配下に置かれた右肩を切り落とした……」
肯定するように右肩は、見る見るうちに再生。すると、『ナーガ・ラージャ』が長い鉤爪を口元にあけ、肩を震わせて冷笑。
「何かくる」
フィルフィが遠くの空に目を向ける。あとを追いルクス達も目をこらすと、何かが群れをなして、こちらに近づいて来る。距離が狭まるに連れて、徐々にわかってきた。
「『幻神獣』だ! 幻神獣』に群れがくるぞ!」
「でも何故このタイミングで……」
ルクスが脳内で原因を探っていると、一つの回答が脳裏に浮かぶ。王国軍と騎士団が一斉にしかけた時、『ナーガ・ラージャ』は雄叫びをあげた。あの雄叫びは自分たちへの威嚇ではなく、おそらく『幻神獣』を呼ぶための合図。『幻神獣』達の羽音と聞くに耐えない不快な鳴き声がすぐそばまで迫ってきた。
「皆さん! ブレスガンを装備ください!」
『騎士団』隊長のセリスティア・ラルグルスが周囲の機竜使い達に警告を鳴らす。周囲に旋律が走る。現状でも未知の敵と対峙しているのにも関わらず、『幻神獣』を相手にしなければならないのだから。王国軍の機竜使い達の額から冷や汗が流れる。
「王国軍の皆さんは『幻神獣』の掃討。我々、騎士団は『ナーガ・ラージャ』を相手にします!」
セリスが鋭い眼光で『ナーガ・ラージャ』を睨む。自分の大事な仲間を乗っ取ったのだから、当然、彼女の中で怒りが烈火の如く、燃え盛っていた。
「行きますよ!」
セリスの吶喊とともに『ナーガ・ラージャ』へ突撃する『騎士団』。彼らを守るように王国軍の機竜使い達が『幻神獣』との戦闘に尽力。射程距離範囲内に来た時、クルルファーがすかさず〈凍息投射(フリージング・カノン)〉を構え、発砲。氷の弾丸が冷気を纏い、鮮やかに直進。『ナーガ・ラージャ』はたやすくかわす。セリスが加勢して、二人による連続射撃が実行される。しかし、当のターゲットは全ての弾を身を翻して、回避。
「オソイゾ。ソレデハ、コロセナイゾ」
邪悪な竜が耳まで、口を引き延ばして嘲笑。『ナーガ・ラージャ』は右腕を真っ直ぐに天高く、掲げる。掌に蛍のような微小の光が集合して行く。
「みんな! 防御態勢に入って!」
ルクスが仲間達に警報を鳴らす。援軍が来る前に一度、身を以て受けた技だ。知らせなければ死人が出る。騎士団はルクスの指示に従い、守りの態勢に移行。続けざま、セリスが戦闘中の王国軍に伝える。
「沙伽羅(サーガラ)」
右腕を下ろすと、光の弾丸が辺り一面に、尋常ではない速度で飛び散る。拡散された弾が森や大地に着弾。ルクス達は守りを固め、降り注ぐ光の雨を耐え凌ぐ。無差別に乱射される光の弾丸は騎士団、王国軍、そして、『幻神獣』にまで猛威を振るった。王国軍の機竜使いと『幻神獣』が耐えきれず、地面に落ちて行く。彼方此方で高く、砂埃が舞う。王国軍の一部が、『ナーガ・ラージャ』を止めようと、飛び出すものの、抵抗も虚しく、黒煙を上げながら落下。降りしきる雨の勢いで機竜使いも『幻神獣』も地に伏せていく。
「なんですか……あれは一体」
目の前で巻き起こる現実離れした光景にアイリが思わず、瞠目する。『ナーガ・ラージャ』が相当な実力を持っているというのはここに来る前に夜架から聞かされていたが、予想を遥かに上回っていた。兄やその他の隊員や王国軍もいるのだから問題ない。そう思っていた眼前の惨劇を見た時、淡く儚い安心感は粉々に砕け散った。次第に未知の怪物の梟雄さに恐れを抱く。もし、兄達が敗北してしまったら、次は自分。想像するだけで、鳥肌が立つ。あれからは逃げるのは不可能。本能が考える間も無く悟った。
『ナーガ・ラージャ』の暴挙が過ぎ去り、ルクス達は防御態勢を解除。上空から真下に目を向けると、無残に荒らされた森と、王国軍の機竜や『幻神獣』の亡骸が転がっていた。荒涼とした光景に、ルクスの胸が思わず締め付けられる。
「みんな……」
「フフフ、何百年モ封印サレテイタガ、マダ衰エテハイナイヨウダナ」
ルクスは〈烙印剣(カオスブランド)〉を強く握りしめ、眼前の敵を睨む。他の隊員達も同じくそれぞれ特殊武装を構えて、警戒。皆、戦闘により疲れにより、神装を使える体力も限られている。ここからは短期決戦となり、長時間の戦闘はほぼ敗北となる。ルクスが風を切る勢いで『ナーガ・ラージャ』めがけて突撃。『ナーガ・ラージャ』は右手から黄金の槍を生成。二つの刃先が重なり、その衝撃ので森の草木が煽られて揺れ動く。双方、激しい剣戟を繰り広げる。クルルファーがルクスの背後から〈凍息投射(フリージング・カノン)〉の引き金を引く。『ナーガ・ラージャ』が踵で空を蹴り、後退して球を回避。その瞬間を狙い、夜架とセリスが左右から『ナーガ・ラージャ』の背後から奇襲する。黄金の竜は後ろに目を向けることもなく、槍の胴部分を水平にして後ろからの攻撃を防御。静止させた二機を尾骨から生やした鞭のようなしなやかな尾で胴体を締め上げる。大蛇に巻きつかれた鼠のように動けない二人。尊大な竜は無情にも尾を地面にめがけて勢いよく振り切った。
「夜架! セリス先輩!」
ルクスの呼びかけをかき消すように二人は彼を横切り、草が生い茂った地表に衝突。砂煙が火山噴火のように吹き上がる。ルクスは二人の安否を確認しようと、体を捻る。
「オ仲間ノ心配ヲシテイル場合カ?」
ねっとりと声が背筋を撫で、ルクスが思わず視線を戻す。憐憫に満ちた表情を浮かべる当事者が槍を突き刺す寸前まで迫っていた。ルクスが生命の危機を感じた時、敵とその武器が突如、爆炎に飲まれて姿を消す。
「ルクス! こっちに来い!」
声の方を見ると、眉間にしわを寄せ、武器を構えたリーシャと彼女の周囲には疲弊したクルルファーと普段通り無垢な表情のフィルフィがいた。
「みんな!」
ルクスは彼女達の元に羽ばたく。リーシャの発砲によりできた黒煙に目を向ける。すると煙が二つに割れて、黄金の翼が確認できた。しかし、翼は視界から消え、気づけば自分たちの直ぐそばにあった。ルクスは悟った。自分が煙の中に見た両翼は残像だったという事を。近くにいたリーシャとルクスは槍の大ぶりで吹き飛ばされた。二人を蹴散らした後、クルルファーを瞳に写す。光の糸を引きながら移動して、ファフニールに詰め寄る。鋭利な先端を向けた時、フィルフィが槍を掴む。しかし、光の速さで飛んできた槍に遅れをとり、機竜の装甲を貫き、皮膚に刺さる。激痛なのか、いつもの無表情が崩れて、歯を食いしばりを槍と両腕を捕える。『ナーガ・ラージャ』の反撃を強力な腕力で牽制。近接型の神装機竜のテュポーンは肉弾戦において、非常に有利。
「竜咬爆火(バイティング・フレア)」
フィルフィはいつもの無垢な表情に戻り、静かに唱えた。その瞬間、『ナーガ・ラージャ』の肉体が膨張して、爆発した。爆発の衝撃で後ろに飛んだフィルフィを、ルクスがすかさず確保。
テュポーンの肉体から直接、エネルギーを流し込む、対象物を爆破させる特殊武装。両手で使用すれば、どうなるかはわかっていたのにも関わらず、実行する彼女の肝の座り具合に心底、驚愕するルクス。
「大丈夫? フィーちゃん?」
心配するルクスに対して、無言で頷く。
「これで奴のコアが破壊できていれば、僕達の勝ちだ」
黒煙がルクス達の不安感を煽るように立ち込める。このまま、終わってくれ。その場にいる誰もが思っつていた。しかし、現実は非情にも淡い希望を切り裂く。
「徳叉迦(タクシャカ)」
耳にしたくなかった怪物の声とともに黒煙の内部から紺色の衝撃波が飛び出す。その勢いで起きた突風により吹き飛び、黄金の竜が出現。
衝撃波はルクスが後ろから抱えているフィルフィとリーシャ、クルルファーに浸透するように接触。
「何が、起こった?」
すると、ルクスの抱えていたテュポーンが急に重量が増す。
「ルーちゃん。体、動かない」
フィルフィの抑揚のない声にはわずかに焦りを孕んでいた。なんと機体の全機能が停止した。ルクスは瞬時に悟る。原因は先ほどの衝撃波。おそらく効果は接触した機体の機能を停止させる事。ルクスはここでさらなる最悪の事態に気付く。上空で少女の悲鳴が鳴り響く。ルクスが見上げるとクルルシファーとリーシャが別々の位置から悲鳴をあげて、急降下。
「クッ! フィーちゃん!一度、地面に下ろすよ!」
ルクスは真下の森にフィルフィをゆっくりと尻餅を付かせる。
「ここで待ってて!」
ルクスは吐き捨て、全速力で二人の救出に向かう。遠くの方でこの事態の生んだ元凶は哄笑し、自分達を鑑賞している。まずは、ルクスから比較的近い位置のリーシャの救出に専念する。リーシャは空中で踊らされているように落ちていく。
「リーシャ様!」
彼女を真下からすくいあげるように両手で受け止める。降下の勢いで腕にのしかかった際に僅かにバハムートの機体が揺れる。
「大丈夫ですか。リーシャ様」
「ああ、ありがとう。だがクルルファーが!」
ルクスはリーシャに諭されて、クルルファーに目を向ける。彼女は弓矢のように直進で地上に迫っていた。ルクスは目の色を変え、リーシャを瞬時に地表におろして、飛翔。血反吐を吐く思いで、クルルシファーめがけて加速。
「頼む!」
目前まで迫り、落ちていく彼女と目が合う。掴もうと手を伸ばす。しかし、手に温もりを感じることはなく、夜風が指の間を勢いよく、突き抜ける。方向転換をして急降下を試みる。しかし、既に森の表面が彼女の背中を覆い尽くそうとしている。蒼髪の少女は穏やかな笑みを浮かべて、葉を散らしながら青葉の海に消えていった。全身から血の気が引いていくとともに一気に全身が重くなる。絶望感と自責の念が荒波のように押し寄せる。静かに脱力するように地上に立つ。クルルシファーの元に重い足取りで進む。生い茂った草を必死にかき分けると、彼女が樹木に背を預けていた。二機の機竜に支えられながら。
「セリス先輩、夜架……クルルシファーさんは!」
ルクスは額から一筋の汗を流すと、セリスは静かに人差し指を自身の唇に添える。
「地面に落下寸前でなんとか彼女を受け止めましたから大丈夫です。しかし間一髪でした」
「本当ですわ。ただでさえ、機体の破損がひどいというのに」
夜架は深いため息をつきながら、両手を肩の上にあげる。彼女のいう通り、二人の機体の破損はかなりのものだった。地面に衝突した威力がどれほど強力だったのかを物語っている。すると瞳を閉じていた少女が静かに開目。
「クルルシファーさん!」
「ルクスくん……心配かけてごめんなさいね」
普段の切れ長で威圧感すら感じられるものとは違い、瞳から疲労の色が見えた。心身ともに相当参っているのだろう。ルクスは静かに彼女の手を取る。
「必ず、『ナーガ・ラージャ』を倒す。ここで待っていて」
ルクスの決意表明をクルルシファーは無言で頷き、返答。ルクスは踵を返して、三人を一瞥。絶対に勝つ。自分と仲間達に誓い再び大空へ飛び立つ。この未曾有の事態を招いた元凶と徐々に距離が近づく。
姿がはっきりと見えてくると同時に、冷や汗が背筋を伝う。
「残リハお前ダケダ」
『ナーガ・ラージャ』が耳元まで口角を上げて、いやらしい笑みをルクスに向ける。怖気を感じたルクスの腕に鳥肌が立つ。しかし、心中に漂う恐怖を払いのけ、強く睨みつける。自身の肉体も限界に近づいているが、今は目の前にいる脅威をなんとかしなければならない。
「お前を倒す。今ここで!」
ルクスは背中に搭載された漆黒の翼を勢いよく、振り下ろす。赤い閃光を放ちながら、凄まじい速度で標的に迫る。対する『ナーガ・ラージャ』も眩い光を身に纏い、肉薄する。漆黒の竜と黄金の竜が互いに剣の刃先を重ねた。二機が剣を交えた瞬間、あまりの衝撃で突風が起こる。互いに刃を押し付け合い、火花を散らす。豪雨のような勢いと速さの斬撃がルクスに襲いかかる。剣でも防ぎきれず機体にも切り傷がつけられて、ルクスが徐々に押される。場数が違いすぎる。くぐり抜けてきた修羅場の数、そこで積み重ねた経験が『ナーガ・ラージャ』の剣術の秘訣なのだ。なら、それを上回るものはなにか。発想とこの勝負にかける思いのほかにない。ルクスが後ろに回避し、斬撃を交わす。胸元のコアさえ破壊できればカタがつく。
「グハッ……」
当然の出来事だった。『ナーガ・ラージャ』が前のめりになり、吐血。背中を何度も起伏させて、態勢を整えようとしている。目の前の光景にルクスは驚愕するとともにある考えが頭をよぎる。『ナーガ・ラージャ』は永劫の中で多くの人間に寄生という形で使われてきた。 寄生を繰り返したという事は限界が来ると、自分自身にも負荷がかかるため、乗り換える必要がある。ジェイク教官は、誰にも寄生させないためと、この怪物の力を弱めて、限界近くまで追い込む為に自身の中に留まらせていたのだ。
苦しそうに胸を抑える怪物を尻目に、肉薄するルクス。奇襲に気づき『ナーガ・ラージャ』は対処しようとするが、反応が遅れて斬撃を左腕に受ける。割創を受け、静かに後ずさる。寄生先が弱体化しているのか切り傷の修復が先ほど違い、遅い。
「グッ! ズニノルナ!」
「他の機竜使いに寄生しなかったお前自身にも他の機竜同様に適正率があるからだ。だからジェイク教官に未だに寄生している。高い適正率をもつ騎士団に囲まれた際も、肉体を乗り換えなかったのは寄生する瞬間、攻撃されるリスクを恐れたからだ。動けなくなったリーシャ様達に乗り移らなかったのは僕達を見くびったからだ。お前の傲慢さが仇になったんだ!」
ルクスの怒気の混じった主張に、『ナーガ・ラージャ』は図星をつかれたように歯ぎしりをする。
「お前を弱体化させるために教官もたくさんの仲間達もきずついた。覚悟しろ!」
〈烙印剣(カオスブランド)〉を構えて、獲物を捕らえる竜のように飛び出す。勝算が見えたからか、体がさっきより軽い。
「沙伽羅(サーガラ)!」
余裕がないのか、声を荒げて技を発動する。光の弾丸が雨のようにルクスめがけて降り注ぐ。しかし体力の低下のせいか、飛んで来る光の数が少ないのだ。ルクスは迫り来る光を難なくかわして、『ナーガラージャ』との距離を詰めていく。焦燥にかられる怨敵の姿は竜ではなく、一匹の小さな蜥蜴のように見える。
「徳叉迦(タクシャカ)!!」
『ナーガ・ラージャ』の内側から紺色の衝撃波が周囲に響くように放出。リーシャ、クルルファー、フィルフィを追い詰めた技。しかし、ルクスはこの技の抜け穴を見つけていた。
「機竜咆哮(ハウリングロア)!」
ルクスは自身、幻創機核(フォースコア)から渦状の衝撃を展開する。すると迫っていた紺色の衝撃波が打ち消された。
「やはりか」
ルクスの推測は的を射ていた。『ナーガ・ラージャ』の放つ衝撃波の効果は絶大だが、一度何かに触れてしまえば、消滅してしまうほど脆い。だからフィルフィを抱えたルクスはその効果を受けなかった。波動をかわしたが、ルクス自身体力に余裕はない。
「神速制御(クイックドロウ)!」
ルクスが編み出した奥義の一つ。機竜と精神、肉体をシンクロさせて、一時的に超スピードを生み出す。急速に『ナーガ・ラージャ』との距離を縮める。その時、『ナーガ・ラージャ』の胸部にあるコアが鱗に覆われていく。
「まずい! このままじゃ奴を!」
すると、覆い尽くそうとしていた鱗の侵食が制止した。ルクスが眉を潜めていると、聞き覚えのある暖かな声が耳に届く。
「やれ! ルクス! 今のうちにこい!」
声の位置は明らかに標的の方。ジェイク・ラーディスだ。弱体化した『ナーガ・ラージャ』から一時的に肉体を奪還し、コアを防御するのを食い止めたのだ。ルクスの脳裏にジェイクと過ごした日々が浮かぶ。目の奥が熱くなるのを感じながら、最後の攻撃に臨む。
「永久連還(エンドアクション)!」
肉体操作、精神操作の交互に機竜を操る事で連続攻撃を可能とする奥義の一つだ。刃の届く位置に近づいた時に穏やかな表情をしたジェイクと目があった。ありがとう、、、 ルクスにはそう言っているように見えたーー。 永遠に続くような斬撃に晒されて、『ナーガ・ラージャ』の装甲は切り刻まれていく。鬼神の如き、縦横無尽に剣を振るう。そして、胸部に食い込む血のように赤いコアを真っ二つに両断。
「グオオオオオオオ!」
『ナーガ・ラージャ』は凄まじい断末魔を上げて、崩れていく。長きに渡り生き続けた巨竜はボロボロと黄金の鱗を落としながら、消えて行き、傷だらけのジェイクの肉体だけが残った。ルクスはすかさず彼の身を掴み、抱える。
「やっと、終わった」
一人、戦闘の終わりを静かに呟き、静かに地上へと降りた。地面に降り立つとジェイクの木の根元に背中を預けさせて、装甲を解除。数分も経たないうちにアイリと装甲を解除したリーシャ、クルルファー、セリス、夜架、フィルフィが駆けつけた。
「ルクス! 大丈夫か!」
「相変わらず無茶をするわね」
「全くです! 兄さんはいつも!」
「あはは、ごめんごめん」
ルクスはぎこちない笑みで返す。いつもと変わらない光景に少し、頬を緩めと、太平な空気を消すようにジェイクの唸り声が聞こえる。
「ジェイク教官!」
ルクスの声でジェイクがゆっくりと開目。その目は普段の鋭利な目ではなく、どこか余裕のない弱気な瞳をしている。騎士団も同様に彼の状態に目を見張っていた。
「すまねえな。お前らに押し付けちまってよお。きっとバチがあたったんだな。受け入れて前に進まなかった。俺は逃げたんだよ。自分を取り巻く環境からも親父からも妹からも。因果は巡るもんだな。ハハッ」
ジェイクは顔を上げて、自嘲。額から一筋の血が流れて、左目の涙袋を伝う。ルクスにはまるでジェイクが赤い涙を流しているように見えた。ルクスは静かに手を握る。
「妹も親父も死んだ。俺にはもう血縁者も身内もいねえけどよ。逝く前にお前らみたいなやつにあえてよかったよ」
ジェイクは切なそうに笑みを浮かべる。ルクスや騎士団に哀愁が漂う。目の前で慕っていた人間が生涯を終える。確実な死を受け入れ、ジェイクに寄り添う。
「それは違うぞ」
草の茂みから凛々しい声とともに足音が聞こえる。ライグリィ教官が暗闇の中から姿を現す。
「ライグリィ教官! 何故、ここに」
「騒ぎを聞きつけた。王女が王国軍と騎士団を連れて森に向かったんだ。こんなおおごと、耳に届いて当然だ」
ライグリィは平然と答え、弱々しく木にもたれかかるジェイクに目を向ける。ライグリィの瞳はわずかに哀切を孕んでいた。
「ライグリィ教官。さっきのことは一体?」
セリスが怪訝な声で反問する。周囲の人間もライグリィに目を向ける。
「ジェイク・ラーディス。私はお前に見覚えがあった。だから色々と調べたよ。そしてようやく過去に一件、お前と同じ名の人物がアーカディア帝国にいたことが分かった。ジェイク・ラーディス……いやジェイク・ロードベルト」
不意に吹いた夜風がその場にいた全員の頬を優しく撫でる。まるで動揺した心を鎮めるように。ライグリィの口から発せられた真実に、銀髪の青年と少女は戸惑いを隠せずにいた。
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「最終話」
涼しい風が草木を撫でる月夜。白く輝く月光が荒涼とした大地を照らす頃。その陰では悲惨な光景が広がっていた。無残になぎ倒された木々、血塗られた野花。そして、夥しい数の『幻神獣』と機竜使い達の遺体。その惨状の中、青年と少女達と女性が、一人の男を囲んでいた。円の中心に存在する男、ジェイク・ラーディスは全身に傷を負い、木の根元に生気のない目で佇む。
青年、ルクス・アーカディアとその妹、アイリ・アーカディアは自分達の教官であるライグリィ・ハルバードの口から告げられた驚愕の事実に動揺の色を隠せずにいた。他のものはあまり、表情に変化はなく、首を傾げる。ただ一人を除いて。王立士官学園が誇る遊撃部隊『騎士団』隊長セリスティア・ラルグリス。彼女は分かっているのだ。ライグリィの発言の重大さが。
ライグリィは確かに『ロードベルト』と言った。自身の恩師であり、ルクスとアイリの母方の祖父である『ウェイド・ロードベルト』と同じ名前。セリスが以前、剣を交えた時に感じた違和感と同時に伝わる懐かしさ。数多くの手がかりを見つけて、セリスは一つに結論を生み出した。
「ハッ、それが今更分かったところでなんに……なるんだ」
張り付いた空気をかき消すようにジェイクは鼻で笑い、反問する。死に際に自分の本名を明かされたところで何の驚きもない。
「確かに、だが今の事実が分かり、驚きが隠せない人物が三人はいるぞ」
ライグリィは僅かに笑みを浮かべる。ジェイクは虚ろな目で周囲を見渡す。妹、金髪の少女、自身の手を握る銀髪の青年が物憂げな眼差しで見つめていることに気づく。
「どうしたんだ? 三人共、しけたツラしてよ……」
白髪の男は喉を振り絞り、しゃがれた声で三人に問う。ルクスが生唾を飲む。彼もどこか感じていたのだ。不意に漂う懐かしい雰囲気や何度も会ったような親近感。それが偶然ではなく、確信に変わる瞬間に今、立ち会っている。
「どうして祖父の元を、離れたんですか?」
ルクスは心中から溢れ出そうな思いを抑えて、必死に震える喉から声を絞り出す。その言葉が耳に届いた瞬間、ジェイクは目を見開く。男は青年の発言を脳内で反芻する。疲労しきった状態で聞かされた事実に理解が追いつけない。いや、理解しているが認めたくないのが妥当なアンサーだ。
「そうか、お前ら……」
ジェイクは悟ったように口元で三日月を作る。三人と他の少女達も依然として表情を変えない。
「さっき言った通りだ。俺を取り巻く環境が嫌になったのさ。妹を……お前らの母ちゃんとあの傍若無人な皇帝の婚姻を認めた親父が許せなかったのさ」
ジェイクは視点をルクスとアイリに向ける。自分の行いを自嘲し鼻で笑う。それと同時に苦虫を噛んだように顎に力が入る。
「そこからいろんなところを彷徨って、極東の島国に行き着いて化け物に憑かれた。ハハッ、笑えるだろ?」
その瞬間、ジェイクの口から血が噴き出す。それを皮切りに周囲がざわつく。ルクスの手を握る力が強くなる。
「いいか、ルクス……この先も様々な困難がお前に降りかかるかもしれない。だが、きっとお前なら乗り越えなれる。お前は俺と違って他者に寄り添い、理解し合える力がある。だから生きろよ。ルクス」
ジェイクは再度、吐血。次第に瞳が黒く塗りつぶされたように染まっていく。
「教官! ジェイク教官! って……伯父さん!」
ルクスの目の奥が熱くなり、それが形となり両目から溢れる。眼前の男はその言葉を合図に虚ろな瞳を閉じ、動かなくなった。右の口角を少し上げたまま。星芒がまばらに輝く静寂な夜、青年と少女達のすすり泣く声のみ、その場に漂っていた。
澄み渡るような青空の下。アティスマータ新王国の外れの墓地で、複数の王立士官学園の生徒、教員ら一つの墓に参列していた。空とは対照的に生徒らの表情は明るくない。当然だ。慕っていた男性教官の告別式なのだから。『新王国』いや世界の命運を賭けた先の戦争により多くの機竜使いが重傷を負い、命を落とした。墓地の中は英霊達に花を手向けるため、黒装束に身を包んだ関係者で溢れかえっていた。その一人、『ジェイク・ロードベルト』と刻まれた墓石の前で生徒達が順番に一礼を行う。両脇の墓石には彼の妹であり、ルクス、アイリの母。祖父である『ウェイド・ロードベルト』の墓地が存在。参列者が浮かべる表情はそれぞれ千差万別。涙を流す者。悲哀な表情を浮かべる者。誠実な趣で黙祷する者。
次々と弔いを終えて、列が減っていく。セリスが名前の箇所に膝を下ろして、手を合わす。暫くすると、立ち上がり出口に向かって無言で歩いていく。ルクスが彼女の方に視線を逸らした際、僅かに目元が腫れていたような気がした。続いてはルクスの実妹。アイリが目に涙を貯めて、今にもこぼれそうな趣で前に出る。華奢な両腕に抱える花束をそっと、墓石の前に置く。
アイリが立ち去り、銀髪の青年が一人、残った。ルクスの表情は憂いでも、涙ぐんだ顔でもなく、木漏れ日のような暖かな微笑み。今は亡き恩師への感謝の念。底のない情愛。それらを込めて頭を下ろす。
「今までありがとうございました」
地中に眠る兄のようで父親のような彼に感謝の思いを言葉で伝える。緩やかに吹く風がルクスの頬と銀髪を優しく撫でた。胸中に滞在していた悲哀のかけらを攫っていくように。
ルクスは踵を返して、出口の方を向く。そして、ゆっくりと歩みを進める。晴れ渡る空を眼前に守るべき愛する仲間達が待っている場所へ……。
閲覧ありがとうございました! なんとか書き切ることができました! 読んでくださった方々! 今まで誠にありがとうございました!
では!
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