私家版 東方鈴奈庵最終話補遺〜親の心子知らず〜 (焼き鯖)
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稗田阿求の告白

どうもこんばんは。焼き鯖です。

今回は小鈴物を投稿致します。三部作の予定であり、これはその一部です。その他の物も執筆中ですが、今回はこちらを優先した投稿します。ご了承下さい。

この小説を、最近大学に受かった愛すべき忠犬に捧げます。

それではどうぞご覧ください。


 娘が行方不明になったと聞かされた時、私は丁度外回りを終えて帰宅した後だった。

 何時もなら夕方に帰る事が多い私だが、その日は丁度遠方へ本の貸し出しを行なっていたため、帰ってきたのが戌の刻と少々遅くなった。そのため妻からその話を聞いた時には、流石の私も腰が抜けそうになってしまった。

 曰く、霧雨のお嬢さんを送ると出て行き、戻ってきたかと思いきやまた別の客を招き入れ、しばらく話をしたらしい。かと思えば、店の本を引っ掻き回すように取り出しては片っ端から読み耽り、やがて本を何冊も持って飛び出してそれっきりだと言う。詳しく聞くと、その時の娘は鬼気迫る表情を浮かべており、いつの間にか招いた客もいなくなっていたと言う。何か禍々しいものに取り憑かれた可能性が大変高いという事も分かった。

 すぐに店を休業させ、私は娘の捜索を開始した。辿れるツテは全て辿り、探せる場所は全て探した。しかし、いくら探しても娘の姿はおろか痕跡すら見当たらない。村長に連絡して鴉天狗にも捜索をお願いしたが、状況は芳しくなく、三週間が過ぎても娘は帰って来なかった。

 嫌な予感が頭をよぎる。悪い妖怪に攫われたか、それとも人攫いに連れ去られたか? もしかすると既に殺されていて、見るも無残な姿になってしまったのかもしれない……。

 普段から妻の卒倒癖を揶揄っていた私も、今回ばかりは彼女と同じように倒れてしまいそうだった。同時に、自分が如何に娘の事を見ていないのかという事実も思い知らされた。

 思えば、最近娘は少し変わった眼を持つようになった。私ですら解読が難しかった洋書を一目で翻訳して私や妻を驚かせた事もあるし、上手く隠しているつもりだろうが身に覚えのない本が積まれているのも見かけた事もある。そこに書かれている文字は恐らく里の人間には読む事の出来ない不思議な形をしていて、書を開こうとするだけでも言いようのない寒気が背中を駆け巡った。あれが原因で娘は攫われたのだろう。後悔先に立たずとはよく言ったものだ。

 自己嫌悪に押し潰される寸前で、娘が保護されたという報告が耳に入った時は、本当に良かったと安堵の溜息が思わず出てしまった。

 帰ってきた娘は大分ボロボロで、取り憑かれた影響が抜けてないのか目はとても虚ろだった。それでも冷たい水と十分な食事を少しずつ与えると、元の元気な娘の姿が戻ってきた。それだけでも私は嬉しかった。

 私と妻はこの三週間どこに行っていて、何をしていたのかを娘に問いただした。しかし、娘は知らない、分からないと首を振るばかりで、それ以上の事を語ろうとはしなかった。嘘をつく素ぶりは見せていなかったが、あの子の事だ。私や妻の知らない所でまだ何か隠しているかもしれない。

 それから三日経った後に、娘は博麗神社に出かけて行った。なんでも宴会に招待されたらしい。

 娘は良く知った道だと言うが、昨日の今日であんな事が起こった後だ。また行方知れずになったりしたらどうしたものかと思ったが、護衛として博麗の巫女が共に向かうと言う。それなら安心だと送り出したが、不意打ちで襲われたらひとたまりもないのではないか等の不安はやはりぬぐえなかった。

 そうした心配をよそに、娘は朝方に帰宅した。その時の様子は、何と言うかとても嬉しそうな表情を浮かべており、余程宴会でいい事があったに違いないと感じてこちらも笑みが溢れた。

 これで漸く元に戻ったと感じた。だが、私の中で娘が何か異質なものに変化していっているのではないかという疑いが、この一連の騒動で浮かび上がっていた。

 一見すると子供らしい爛漫な笑みを浮かべているが、その裏には、私では推し量る事が出来ない強大なものが潜んでいて、いずれ娘は()()()()()()()へ連れて行かれてしまうのか? 娘が我々の手の届かない場所へ招かれてしまうのだろうか? そのような考えが頭を占領し、離れる事がなかった。

 元々私は放任主義の姿勢をとってきたが、この一件でその考えを改めなくてはならないと分かった。それだけでは娘を、家族を守る事が出来ないと分かった以上は、何が起こっていたのかを知る必要がある。

 私は、娘の--本居小鈴の身に起こった事を調べる事に決めた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「それじゃあ行ってくるよ」

 

 

 

 いつものように朝食を終えた私は、仕事道具を背負いながらそう告げる。妻と娘は洗い物をしているのか、水音と共に遠くから「行ってらっしゃい」と二人の声が重なって返ってくる。

 

 

 

「……ん?」

 

 

 

 ふと入口を見ると、営業再開の文字と共に、新商品追加という文言が書かれた貼り紙が目に入る。

 また私に内緒で何かをしようとしているのだろう。妻の話を聞く限りでは、今まで集めていた本の貸し出しも始めるのだとか。「私も霊夢さんみたいに頑張らなくちゃ!」と、息巻いていたらしい。こういう所は我が娘ながらたくましく感じる。

 さて、感慨に耽っている場合ではない。今日の目的は、この失踪事件の間、娘の身に何があったのかを調べる事。幸いにも、今日の貸本の件数はまばらで少ないので、調べる道中で回収していけば夕方の帰りには間に合うようになっている。

 まずはどこに行くべきか。順当にいけば博麗の巫女が事の真相を知っているだろうから博麗神社に行くべきなのだが、その場合今日の回収が大幅に遅れる可能性がある。いくら調査が目的と雖も、最低限の仕事は果たさないといけない。

 となると、行くあては一つしかない。

 道行く人たちに挨拶を交わしながら、目的地へと向かう。こんな朝早くに伺うのはいささか失礼かもしれないが、事情を説明すれば納得してくれるだろう。

 歩いて数十分後、私は大きくて立派な門構えの邸宅の前に立っていた。入口の先からでも分かる程大きなお屋敷は、娘が仰々しいと表現する程厳かで、里の人間からはあそこに仕えることが至上の喜びと感じる者が山ほどいる。

『稗田』と書かれた表札を一瞥し、私は扉越しから声をかけた。すぐに戸が開かれ、女中の一人が姿を現わす。

 

 

 

「あら、貴方は……」

 

 

 

「どうも、朝早くから申し訳ありません。小鈴の父です。娘がいつもお世話になっております」

 

 

 

「まぁ、鈴奈庵の……こちらこそ、阿求お嬢様と仲良くして下さってありがとうございます」

 

 

 

 私は蓑笠を取り、女中は居住まいを正してお互いに丁寧にお辞儀をする。

 

 

 

「それで、今日はどのような御用件で……」

 

 

 

「はい、今日は阿求ちゃ……阿求様に用があって参りました」

 

 

 

「お嬢様に……ですか?」

 

 

 

「えぇ、娘の事について、少し聞きたい事がありまして」

 

 

 

「そうですか……お嬢様は昨日遅くまで縁起の編纂をしておりましたので、まだお休み中なのですよ。ですので時間をずらしていただくか、日を改めて……」

 

 

 

「その必要はありません」

 

 

 

 奥の方から声が聞こえた。見ると、春らしい薄い羽織を着た寝間着姿の阿礼乙女が姿を見せていた。

 

 

 

「お嬢様……お身体の具合は大丈夫なのですか?」

 

 

 

「私の事なら大丈夫です。すぐにこの人を客間に通してください」

 

 

 

「かしこまりました……ですがお嬢様、いくらお知り合いとはいえ、流石にそのようなお姿では……」

 

 

 

 従者の的確な指摘にハッと顔を赤らめる稗田家の乙女。バッと顔を伏せたがもう遅い。恥じらうその姿は私と女中さんの目にバッチリと焼き付いた。

 

 

 

「……客間に通したらお茶をお出しして下さい。すぐに着替えて来ますので」

 

 

 

 娘と同じ年齢の子供なのに、何処か大人びて達観した様子の彼女。そんな御阿礼の子でも、やはり女の子らしい反応をするのだと安心した。短命という稗田家の運命を背負ってはいるが、その生を歴史の編纂だけで終わらせてしまうのは勿体ない。娘の父として、限りある命を娘と共に過ごして欲しいと思う。

 なんて事を思いながら、女中に連れられ客間に通され、座らされる。流れるように別の女中がお茶を運んできて、また別の女中が茶菓子を用意する。

 見事な連携である。役割を分担出来ているからこそ出来る技。少々見惚れてしまった。

 

 

 

「……お待たせしました」

 

 

 

 待つ事数分、いつも見る若草色と黄色の着物に身を包んだ彼女が私の向かいに座した。

 

 

 

「……今日は朝から押しかけて申し訳ありません。それで、用というのは……」

 

 

 

「ちょっと待って下さい」

 

 

 

 再びここを訪れた理由を説明しようとして、稗田の乙女が待ったをかける。その表情はちょっとむくれていて、拗ねるようにこちらを見つめている。

 

 

 

「……二人きりの時は、元の小鈴のお父さんでいて下さい」

 

 

 

 ……成る程、そういう事か。こういう所もやはり年相応の子供だなと感じる。

 

 

 

「コホン……ごめんね阿求ちゃん。つい気を遣ってしまったよ」

 

 

 

「そう、それでいいんです」

 

 

 

 口調をいつも通りに戻すと、彼女は満足気に頷いた。笑顔が顔一杯にほころぶ。

 自然とこちらも笑顔が溢れそうだが、今日は世間話をしに来たのではない。

 

 

 

「それじゃあ改めて……私がここに来たのは--」

 

 

 

「分かっています。小鈴失踪事件について、小鈴の身に何が起こったのか……それを確かめに、ここに来たのでしょう?」

 

 

 

 驚いた。まさか既に知っているとは。

 だが、それなら話が早い。

 

 

 

「うん。親として、娘に何が起こったのかを知る義務があると思ってね。阿求ちゃん、この三週間、一体小鈴はどうなっていたんだい?」

 

 

 

「……ごめんなさい、小鈴が行方不明になった事は知っていますが、その間に何が起こったのかは分からないのです。神隠しだと私は睨んでいますが……これと言った確かな確証はありません」

 

 

 

「そっか……」

 

 

 

 抱いた期待が早くも崩れ去る。やはりここは博麗神社に出向くしかないのだろうか。

 

 

 

「ですが、この前の宴会の時の様子についてなら、お話する事が出来ます」

 

 

 

 彼女はお茶を飲んで唇を潤すと、居住まいを正してゆっくりと語り始めた。

 

 

 

「まずはお聞きします。この幻想郷は、妖怪達が暮らすために作られた場所である事は知っていますか?」

 

 

 

「うん。それは何年も前から教えられている事だからね。知らない筈がない」

 

 

 

 ……尤も、娘は難しい話が苦手だから、それを知っているかどうかは危ういが。

 

 

 

「それなら話が早いです。結論から言いましょう。小鈴は、妖怪として生きていく事に決まりました」

 

 

 

「……えっ?」

 

 

 

 耳を疑い、絶句した。私の娘はやはりこの世の物ではないものに変異してしまったのか?

 

 

 

「安心してください。妖怪そのものに変質してしまったわけではありません。あくまでも、霊夢さんや魔理沙さん、守谷神社の風祝といった、()()()()()()()()()()()()()、あるいはそれに準ずる道具を使う人間の仲間になった。ただそれだけの事です」

 

 

 

 さらりと言ってのける御阿礼の子だが、聞かされた方はちんぷんかんぷんである。

 確かに博麗の巫女や霧雨のお嬢ちゃんは、様々な技や道具を使い、人里や幻想郷を守っている。弾幕ごっこというのが一体どんな物かは私には分からないが、その力は間違いなく妖怪に匹敵するだろう。

 だが、私の娘はあくまでも一般人であり、とても弾幕ごっこが出来るような子供ではない。また、そういう風に鍛えてもいない。不思議な目を持っているのが関の山で、それを理由に魑魅魍魎渦巻く世界に身を投じている人間と同じとされるのはいささか無理がある。何故娘はそのような分類をされたのか、不思議で仕方がない。

 などと考えていると、察したのか稗田の子が更に続ける。

 

 

 

「順を追って説明しましょう。事件が起きるずっと前から、小鈴は妖魔本という本を集めていました」

 

 

 

「妖魔本……だって?」

 

 

 

「はい。知っての通り、小鈴はあらゆる文字を読む事が出来ます。それは妖魔本でも変わる事はありません。彼女はそのゾクゾクするような感覚に魅せられ、沢山の妖魔本を蒐集しました。結果、鈴奈庵には妖気が充満し、一時は様々な妖怪に目をつけられる程危険視されていたのです」

 

 

 

 私の店がまさかそんな事になっていたとは……管理不足もいいところだ。

 

 

 

「しかし、言ってしまえばそれまで。確かにトラブルは何度か起こしましたが、小鈴自体に悪気はなく、霊夢さんもあくまでも普通の人間として認識していました。しかし、今回の事件が起こった事で、そうも言っていられなくなった。今まで行っていた対応が……小鈴を妖怪の世界から遠ざけるために核心を隠していた事が、仇になったのです。ならばいっそ、()()()()()引き入れて守ってしまおうと、霊夢さんや魔理沙さんがささやかな宴会を開き、小鈴を歓迎しました。このような経緯があって、小鈴は晴れて霊夢さん達と同じ立場に置かれたのです」

 

 

 

 ひとしきり喋り終えたところで、彼女はお茶を啜って一息つく。

 成る程、先程言っていた妖怪というのは単なる分類だけでなく、敢えてその表現を使う事で危機意識を持たせると共に、万が一の時に博麗の巫女達が守れるように配慮する、所謂方便みたいな扱いになる。これは戦う術を持たない娘には大きな事だ。

 しかし……娘の目がここまでの事になるとは思っても見なかった。少し不思議な力だなとは感じていたが、その為に周りの人全員が振り回されるとは考えても見なかった。こちらとしても誇らしいやら何やらで複雑な気分である。

 ともあれ、これで何故娘が妖怪という位置付けについたかは分かったが、気になる点がもう一つある。

 

 

 

「事情は分かったけど、いきなりそれを聞かされて、小鈴は驚かなかったのかい? 話が壮大過ぎて私ですら最初は理解出来なかったくらいだから、あの子に至っては怖がって卒倒していたんじゃ……」

 

 

 

「いえ、確かに最初は驚いていましたが、説明を全部聞いた頃には『こういう刺激のある生活に憧れてたわー!』と、飛び上がって喜んでいました」

 

 

 

 もう少し警戒心を持っても良いはずなのに……と、呆れる彼女につられて、私もつい苦笑いが浮かぶ。

 帰ってきた時の嬉しい表情は、これが理由だったからか。平時から好奇心が旺盛なのは知っていたし、トラブルが起こった際は妻から色々愚痴として聞かされていたが、まさか人ならざる者の世界に憧れを持っていたとは想定外だ。もう少し危険に対してのあれこれをこれから教えておかなければならないだろう。

 

 

 

「……ただ、友人として言える事は、小鈴はこの件を通じてまた一つ成長しました。なのでこれ以上の無茶をする事は殆どないでしょう」

 

 

 

「阿求ちゃんにそう言って貰えると嬉しいけど……私としてはやはり心配かな。まだまだあの子は子供だし、知らない事、知らなければならない事は山程ある。また今回みたいな事が起こったら、それこそ妻と一緒に倒れてしまいそうだよ」

 

 

 

「それも大丈夫です。私が幻想郷は妖怪の為にあると話した時、彼女は自分で考え、自分なりの答えを出しました。小鈴のお父さんが思っている以上に、あの子は大人になりましたよ」

 

 

 

「そうだといいんだけどね……他には変わったところはなかったかい?」

 

 

 

 私の問いかけに、彼女は首を捻った。

 

 

 

「そうですね……特に変わった事はありませんでした。強いて言うなら、参加者の一部が妖怪だと知って更に喜んでいた事と、調子に乗って霊夢さんに怒られた事くらいでしょうか」

 

 

 

 ……頭が痛くなってくる。何かトラブルが起こるたびに人に迷惑をかけてはいけないとあれほど言っているのに……。

 

 

 

「分かった、その件は後でじっくり話し合うとして……本当に変わった事はないんだね?」

 

 

 

「はい、あの場で見た限りでは、立ち振る舞いや言動もいつも通りの小鈴でした。妖怪の影響はもう消えていると言ってもいいと思います」

 

 

 

 それなら大丈夫だ。これ以上ここに長居いる理由もない。

 

 

 

「ありがとう阿求ちゃん。朝から私の身勝手に付き合って本当に助かるよ」

 

 

 

「そんな、頭を上げてください。私の方こそ何にも有力な情報をお教えする事が出来ませんでしたし、謝るのは私の方です」

 

 

 

 深く低頭して感謝する私に対し、慌てた様子で頭を上げさせようとさせる阿礼乙女。つくづくよく出来た娘だと思う。

 

 

 

「そんな事はない。阿求ちゃんが語ってくれた事は、今後私の指標になるものだ。最初に来たのがここで良かった。あんな危なっかしい娘ではあるが、これからも仲良くして貰えたら嬉しいよ」

 

 

 

「ですが……」

 

 

 

「阿求ちゃん、こういう時は素直に分かりましたって言えばいいんだよ。元々勝手に押しかけてきたのは私の方だから、君が謝るのは筋違いも良いところだし、小鈴の父として接して欲しいと言ったのは、他でもない君自身だ。私は娘の友達に、然るべきお礼を言う義務がある。これは稗田の娘さんでも変わらない事だと思うんだが……違うかな?」

 

 

 

 そう尋ねると、私の言葉に折れたのか「小鈴のお父さんがそう言うなら……」と、ため息混じりに彼女は呟く。

 

 

 

「うん、よろしい。これからもよろしくね。阿求ちゃん」

 

 

 

「はい、こちらこそよろしくお願いします」

 

 

 

 さて、これで一通り話は終わった。だが、ここに来て気になった事がある。

 

 

 

「そういえば、どうして私がここに来るって分かったのかな。何やら初めから知ってたような口ぶりだったけど……」

 

 

 

 この問いかけに、御阿礼の子は神妙な顔つきになった。

 

 

 

「……ここから先は、私と貴方、二人だけの秘密にしておいて貰えませんか?」

 

 

 

 この口ぶりから察するに、余程外部から漏れたくない事なのだろう。私が静かに頷くと、彼女はゆっくりと語り始めた。

 

 

 

「今朝、女中さんは私が昨日遅くまで縁起の執筆をしていると言っていましたが、それは嘘なんです。確かに夜遅くまで起きていましたが、この部屋にある人が訪れていて、そのお相手をしていたんです」

 

 

 

「ある人?」

 

 

 

「はい。その方曰く、明日の早朝に鈴奈庵から人が来る。もし来たら宴会の事を話してあげなさいと言われました。結果、その通りに事が運びました」

 

 

 

「まさか……その人が小鈴の身に何かあったのか知っていると言うのかい?」

 

 

 

「……えぇ。恐らく、犯人からその動機まで、全てを知っているはずです」

 

 

 

 ここに来て急に有力な情報が出てきた。私は血相を変えて更に質問を続ける。

 

 

 

「阿求ちゃん、それはどんな人なんだい?」

 

 

 

「……申し訳ありません、これ以上は言うなと口止めされていますので」

 

 

 

「そっか……」

 

 

 

「ただ、その人は同時に、こう言い残していきました。『真実を知りたければ、黄昏時に里の門前まで来なさい』と……」

 

 

 

 黄昏時。

 夜と昼が交錯する時間帯ということは即ち、相手は妖怪だと言う事か。

 私は静かに窓の外を見つめる。日の高さから察するに、現在辰の刻朝五つを過ぎたあたり。夕刻までは時間がある。何が起こるか分からない分、準備はしっかりとしなければ。

 私は心の中で覚悟を決めた。

 

 

 

 




描写が薄いのはご愛嬌。もっともっと精進します。


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二ッ岩マミゾウの証言

こんばんは。焼き鯖です。

最近はミーム汚染著しいとある忠犬に送る小鈴物短編。今回は第2部です。

ネタバレのへったくれもないですが、楽しんで頂けたら幸いです。

それではどうぞ。


「……すみません店主さん、この勾玉は一体なんですか?」

 

 

 

「なんだ知らねぇのかい? これは噂に轟く魔除けの聖刻が施された勾玉さ!」

 

 

 

 昼時、稗田家を出た私は、人里の一角にある露天屋で、店に置かれた勾玉をしげしげと見つめていた。稗田阿求から聞かされた、娘の失踪事件を知る妖怪に対抗するため、身を守るためのお守りを買うためだ。

 紫水晶のように透き通った薄紫の勾玉。その内部には、何やら魔法陣のような不思議な模様の刻印が刻まれており、外部は中々に派手な装飾が施されている。

 職業柄、魔道書も数えるくらいではあるが見た事があるため、これが何かの本の類ならインチキだと疑う事も出来るだろう。しかし、いかんせん私はそれ以外の物にはとんと疎い。仮にこれが偽物だとしても、それに気がつくのはきっと買った後、それも妻に指摘されてこっぴどく叱られてからだろう。

 だが、そんな私でも、これが手の込んだ紛い物であるとは到底思えなかった。

 神聖さや厳かな雰囲気こそ感じられないが、魔法陣の複雑さを鑑みるにある程度の魔除けの効果はあると言えるし、紫水晶は厄災から身を守る力があると言われている。これに使われている石がもしも本物の紫水晶であるならば、その効果は倍になるはずだ。

 

 

 

「ご主人、疑うようで申し訳ないのですが、この勾玉にはどんな効果があるのですか?」

 

 

 

「何? 旦那、本当にこの有り難い勾玉の事知らねぇのかい? しゃあねぇなぁ、だったら一から教えてやるよ」

 

 

 

 耳かっぽじってよく聞けよ? と店主は意気揚々と説明を始める。

 

 

 

「いいか? この勾玉はな、妖怪の山のさる鉱山から採れた、霊験あらたかな紫水晶を材料に、命蓮寺のお坊さんが特殊な方法で中に魔法陣を書き込んだ、由緒正しきタリスマンだ!」

 

 

 

「た……たりすまん?」

 

 

 

「お守りの事だよ。これ一つあれば妖怪は勿論、あらゆる不幸から身を守ってくれるのさ! ここに命蓮寺のご加護が加わればもう百人力! 財運と仕事運が一気に上昇し、旦那一家は末永く幸せな人生を送ることが出来るんだ!」

 

 

 

 どうだ? と鼻息荒く私に迫る露天屋の店主。

 財運と仕事運はこの際置いておくとして、魔除けの効果がある紫水晶に命蓮寺の住職さんの加護が付いているのなら安心だ。もしもの時の備えになる。

 緊急用のお守りをと考えていたが、この際だから家族のために買っておいても損はないだろう。

 

 

 

「分かりました。それで、この勾玉は一体幾らで……」

 

 

 

「よくぞ聞いてくれた! いやぁ旦那なら必ず買ってくれると思ってたよ! 流石大将、お目が高い!」

 

 

 

「は、はぁ……」

 

 

 

「おおっとすまねぇ。あまりに嬉しくて困惑させちまった。えぇと、値段だったな。この勾玉、なんと一つたったの六十五円だ!」

 

 

 

「ろく……!?」

 

 

 

 驚いた。ある程度の値段は覚悟していたが、まさかここまでとは考えてなかった。

 すぐに財布を開き、今自分が幾ら持っているのかを確認する。

 一円七百三十二銭五厘。

 足りない。いや、この値段は今の自分の手持ちだけじゃなく、店の本や店そのものを売り払ったとしても届くかどうかは怪しい額だ。

 店主もそれを察したのだろう。安心しろと言わんばかりに更に言葉を続けていく。

 

 

 

「高いって顔してんな。でも大丈夫だ。旦那は見る目があるから少しオマケしてやるよ。そうだなぁ……初回限定割引に旦那の漢気と、専用の巾着も無料でつけて……三円飛んで三十五銭と五厘だ!」

 

 

 

 店主がそろばんを弾いて出した金額は、私が今日の回収を全て終えれば、手持ちのお金を含めてギリギリで購入する事が出来る金額だった。これなら一度待ってもらって回収に向かって戻ってくれば、夕方の時間にはスレスレで間に合う……。

 

 

 

「言っておくが待ったはなしだ。ここまで安くしておいて待ったをかけられたら、こちらとしても商売上がったりだからな」

 

 

 

 そう考えた矢先、私の考えを見越してかのように店主が釘をさす。なんという事だ。安くしてもらったとはいえ、それでも必要な金額にはまだ届いていない。

 

 

 

「お願いします! お金なら、後から幾らでも払いますから……」

 

 

 

「そうは言うけどねぇ、こっちも商売なんだからさぁ、旦那みたいな客は迷惑なんだ。払えないなら払えないで帰ってくれよ。俺は売れそうな相手に売ればそれでいいし」

 

 

 

 確かに店主にしてみればそれでいいのかもしれない。だが、こちらとしては死活問題だ。自分自身の身の安全も考えなければならないし、何よりその妖怪が娘や妻、鈴奈庵を襲いに来る事も大いにありえる。なればこそ、家族をなんとしてもその勾玉は手に入れなければならない。

 

 

 

「……お願いします、お金はすぐに工面します! なんだったら借金してもいい! 私には守るべき大切な家族がいるんです! お願いします、どうかこの通りです!」

 

 

 

 だからこそ、私は頭を地面に落とす事も厭わない。私の頭一つで家族が守れるのなら、この安い頭を幾らでも土で汚そう。

 

 

 

「……あぁ全く、旦那もしょうがないなぁ」

 

 

 

 顔を上げると、根負けしたのか露天屋の店主が苦笑しながらこちらを見下ろしている。

 話の通じる人で助かった。すぐに回収を終わらせれば店主もそう怒ることは……。

 

 

 

「じゃあ俺の草履舐めてくれよ。その後で『貧乏な私のためにもう少し待って下さい』って言え」

 

 

 

 瞬間、店主は私の顔を草履で踏みつけ、したり顔で理不尽な命令してきた。

 

 

 

「だってそうだろ? 俺は最初、待ったはなしだと言っておいたはずだ。それを踏まえた上で待ってくれと頼んでいるのは他でもない、()()()()()だ。だったら立場をわきまえて、もっとへりくだった物言いをしてもらわないと此方もやってられないんだよ。ほら、言えよ。家族が大事なんだろ? 大事だから言えるんだろ? なぁ!」

 

 

 

 高慢な物言いのまま、ぐりぐりと草履を押し付けてくる店主。

 行いが行いだけに私も腹が立ちそうになったが、確かに店主の言い分には一理ある。無理を言っているのはこちらの方だ。

 もう買うのを諦めてしまおうか……そう思った時だった。

 

 

 

「これこれ、店の真ん前で何をやっとるか」

 

 

 

 深い黄緑色の羽織を纏った女性が、見兼ねたのか仲裁に入った。

 

 

 

「なんだ姉ちゃん、こいつの知り合いか?」

 

 

 

「いやいや、知り合いというわけではないんじゃが……ちと、客の方が気の毒になってのう」

 

 

 

「だったら引っ込んでろ! これは男と男の話だ!」

 

 

 

「まぁまぁ。仮にそうだとしても、こうして首を突っ込んでしまった以上、何もせずにはいさようならというわけにもいかん。ここはひとつ、ワシに任せてはみてくれないか。なぁに、お前さんの悪いようにはせん」

 

 

 

 戯けるように女性が取りなすと、露店の店主はあからさまに舌打ちしつつ、ここまでの事を説明し始めた。

 

 

 

「ここにいる客が、この勾玉を買いたいと言ったんで値段を伝えたんだ。それでお金が足りなさそうな感じだったんで割引したら、それでも足りないから少し待ってくれと言いやがる。この勾玉はウチの人気商品だから、待ったはなしだと突っぱねたら、こうなったわけだ。確かに俺も少しやり過ぎた部分はあったが、別に悪いことはしてないぜ? 当たり前の事を当たり前のように主張しただけだ」

 

 

 

「成る程のう……そちらさんも、この店主の言うことに間違いはないかの?」

 

 

 

「はい……間違いはありません」

 

 

 

「ふむ……ワシも昔商売をしていたから分かるのじゃが、確かに値下げをしておいて待ってくれと要求するのはいささか虫が良すぎるかな。そういう客は買わない事が殆どで、待ってるうちにこちらが損を被ることもまま多いからの」

 

 

 

「そんな……」

 

 

 

「だろ? 俺には正当な理由がある! 難癖つけてんのは旦那、アンタの方だ!」

 

 

 

「まぁまぁ、店主の方も落ち着いて。しかし……それほどまでに客を魅了する勾玉か。どんなもんか一目見てみたいもんじゃのう」

 

 

 

「えぇ、是非是非! ささ、どうぞこちらへ」

 

 

 

 女性が自分の味方だと分かった瞬間、店主はころっと態度を変え、媚びた笑顔を見せながら露天の方へ案内する。その様子を、私は奥歯を噛み締めて見ていることしか出来なかった。

 

 

 

「ほほぅ……これがその勾玉か」

 

 

 

 そんな私を知ってか知らずか、女性は店に置かれた勾玉を手に取り、興味深そうに見つめていた。横の方で店主が先程と同じように商品の説明をしているが、彼女はそれを無視し、何処から取り出したのか煙管を吹かし、眼鏡を外して眇めで観察を続けている。

 余程あの勾玉を気に入ったのだろう。即決で購入するに違いない。

 

 

 

「成る程のぅ、店主が強く勧めるわけじゃ。この石だけでも十二、三円の価値があるが、魔法陣が加わることでその価値を底上げしている。これなら六十五円という値段も納得いく。魔除けの効果も絶大だろうしな」

 

 

 

「だろう!? いやぁ話の分かる姉ちゃんで助かったぜ!」

 

 

 

「確かにこれはいい商品じゃ。()()()()()()()()()()()

 

 

 

「あ? 何を言って……」

 

 

 

 言うが早いか女性は煙管を加えたまま大きく息を吸い込むと、その煙を勾玉に向かってふうと吐き出した。辺り一帯に煙は広がり、私も堪らず口元を押さえ、目を閉じて煙から身を守る。

 然程長く煙は留まらなかったが、私が目を開けた時には勾玉はもう彼女の手にはなかった。

 唯一あったのは、枯れてボロボロになった木の葉と、何の変哲もない土くれだけだった。

 

 

 

「やはりのぅ。この勾玉からは嘘の匂いがプンプンしとったわい」

 

 

 

「ど……どういう事だ!」

 

 

 

「そりゃあこっちの台詞じゃ」

 

 

 

 ダンッ! と女性は足を踏み鳴らし、大見得を切って店主を睨みつけた。

 

 

 

「こんなちゃちな幻術でワシの目を欺けるとでも思ったか。確かに魔法陣は命蓮寺の物じゃが、人妖平等を謳うあの尼が、誰か特定の人物や妖怪にだけ物をやるというのはあり得ない。仮にそうだとしても、それをワシが知らないわけがない。ワシは命蓮寺の連中と知り合いじゃからな。そういう話はいくらでも耳に出来る。それに、ワシの部下の一人が妖怪の山に住んでいるが、鉱山があるとか開発が始まったという話も聞かない。あるとしても河童が隠しておる筈じゃ。そうそう人間に情報が渡る事はない」

 

 

 

「そうだよ! 俺はその河童から仕入れて……」

 

 

 

「それも無理じゃ。奴らは自分の儲けにはとことん気を使う。あの勾玉が本物なら、それを独占して自分達だけで売ろうと本気で考えるはずじゃ。少なくとも、人間に取引を持ちかける事はまずない。天狗か、最低でも妖怪の山に住んどる奴にしか持ちかけない筈じゃ。となると、必然的に勾玉は偽物となる」

 

 

 

 違うかな? とその女性は不敵な笑みを浮かべて尋ねる。しかし、それでも認めないのか、店主は更に抵抗を続けた。

 

 

 

「聞き捨てならねぇなぁ! 俺はちゃんと真っ当に現物を用意した! 在庫だってあるんだ! その土クズと葉っぱはアンタが自前で用意したんだ! 煙で目を眩ませている隙にすりかえたんだろ! 出鱈目言ってると女でも容赦しないぞ!」

 

 

 

「ほう、ならばその在庫とやらを確認させてはくれないか?」

 

 

 

「え?」

 

 

 

「お主がそこまで言うのなら、本物は大切に、それも大量に保管されとる筈じゃろう? ならそれを見せておくれ。それなら納得する」

 

 

 

「それは……」

 

 

 

「見本の費用を浮かせる為に術を使っていたのなら、悪いのは早とちりしたワシじゃ。だからその時は本来の値段の倍……百三十円を支払おう。尤も、もし勾玉に紫水晶が使われているのなら、あの時点でワシは消滅していただろうがな」

 

 

 

 言いつつ彼女は懐から小瓶を取り出し、蓋を開けた。強烈な酢の匂いが、私の鼻に強く突き刺さる。

 瞬間、店主の顔が驚嘆と焦りの色に染まった。

 

 

 

「や、やめろ! 俺はその匂いが嫌いなんだ! 鼻が利かなくなる!」

 

 

 

「ほぉ? それなら早く現物を持ってくればいい」

 

 

 

「今日はもうないんだ! 全部売れちまったんだよ!」

 

 

 

「見え透いた嘘じゃな。ワシには通用しない」

 

 

 

 そう冷たく言い放った時には、小瓶の中身は地面に振りまかれていた。店主の叫びが、里中に響き渡る。

 俄かに店主の体から煙が上がった。身を隠す程の煙が晴れると、痩せこけた小さな鼬が、震えるようにして女性を見上げていた。

 

 

 

「やはりな。こんな小悪党な詐欺を働かせるのは鼬しかおらんわい……まぁ、お前さんもあの蟒蛇と同じように教育してやろう。これに懲りたら、二度と人を騙すような事はするんじゃないぞ」

 

 

 

 何が何やら分からないまま、鼬は小さく鳴き声を上げて、里の外へと逃げ出していった。出ていた露天はつゆと消え、木の葉の山が風に吹かれて飛んで行った。

 

 

 

「まったく……何が貂九化けじゃ。ワシらの方がよっぽど上手く化けられるわい」

 

 

 

 女性のボヤキが耳に入る。と、私の姿に気がついたのか、やや苦笑気味にこちらへ話しかけた。

 

 

 

「いやぁ、お前さんも災難じゃったのう。買う前に気付けて良かった。ああいう手合いもおるから、これからも気をつけて過ごすんじゃぞ」

 

 

 

「あ……はい」

 

 

 

「それじゃあ、ワシはこれで」

 

 

 

「あっ、待って下さい!」

 

 

 

 ハッと我に返って、呼び止める。危なかった。あのまま夢見心地のままだったら、失礼にも程がある。

 とはいえどうしたものか。呼び止めたはいいものの、言う言葉を決めていなかった。

 

 

 

「えっと……助けていただきありがとうございます。何かお礼がしたいのですが、この後お時間ございますか?」

 

 

 

 悩んだ末、一番無難な言葉を使って尋ねる。

 

 

 

「いやいや、礼には及ばんよ。ワシもお前さんを騙して利用したしな。おあいこじゃ」

 

 

 

「いえ、貴方が通りかからなかったら私は騙されて買ってしまっていたでしょう。貴方は私の恩人です。大した事は出来ませんが、それでもお礼をしなければ、私としてもわだかまりが残ります」

 

 

 

「ほほう、殊勝な心がけじゃな。それでは団子を奢って貰おうかの。いい店を知っておるでな」

 

 

 

「ありがとうございます。ええと……」

 

 

 

「マミゾウじゃ。ワシのことはそう呼ぶといい」

 

 

 

 では、付いて来てくれ。

 言いつつ彼女はくるりと背を向け、ゆっくりと歩き出す。後から私も追いかけるように歩き始め、団子屋に向けて歩を進める。

 ……はて。そういえばマミゾウという名を、何処かで聞いたような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 馬鹿囃子。

 それが、マミゾウさん行きつけの甘味処の名前だった。

 納屋のような小屋一軒に外の座椅子が一つというとても小さな店だが、団子の味は中々のものであり、特にみたらし団子は絶品だった。

 ここまでの出来であるならば人が多くてもおかしくはないのだが、入り組んだ路地の更に裏という場所であるため、人が来ることは殆どない。正に隠れた名店と言えるような店だった。

 

 

 

「……なんと、鈴奈庵の店主じゃったか。という事は、小鈴殿のお父上になるのかな?」

 

 

 

「はい。外は私が、店は小鈴と妻がと分けております……そういえば、娘が貴女と似た人の事を仕切りに話していたのですが……もしかして」

 

 

 

「おぉ、そうじゃ。それはワシの事じゃ。前々からちょくちょく交流を重ねておるが……そうか、()()あの娘はワシに憧れておるのか」

 

 

 

 満更でもない表情のまま、ポツリとマミゾウさんが呟く。遠くを見るようなその両目は、呆れとも憐憫とも取れるような気がした。

 

 

 

「いやしかし……仮にも一つの店を構えるお前さんが、どうしてあんな事をしていたのじゃ? 何か入り用でもあったのか?」

 

 

 

「いえ、それとはまた別の用事でして。実は……」

 

 

 

 私は簡単にではあるが、マミゾウさんに事の経緯を説明した。

 

 

 

「成る程のう。大体の事情は分かった……お主、いい父親じゃな」

 

 

 

「いえいえ、店の事は任せきりですし、あまり父親らしい事もしてやれていないので……」

 

 

 

「そんなに卑下する必要もなかろう。我が子の身を案じない親程馬鹿なものはない。その点で言えばお主は立派な父親じゃ」

 

 

 

「そうでしょうか……」

 

 

 

 マミゾウさんはそう言ってくれるが、私はそうは思わない。あの子の危機を、あの子の置かれた状況を、知ろうともしなかった私は父親失格だ。父親と名乗るのすらおこがましい。きっと娘も、そう思っているに違いない。

 

 

 

「そうじゃのう……」

 

 

 

 などと考えていると、マミゾウさんがポツリと頬を掻きつつ呟いた。

 

 

 

「ほんの少しではあるが、ワシも失踪事件の調査をしておった。小鈴殿が救出されたあの日も、ワシはその場に居合わせておった」

 

 

 

「えっ……それは本当ですか?」

 

 

 

「あぁ、本当じゃ。その時の事なら、話してやっても良いぞ? ただし--」

 

 

 

「お願いします! 私が出来る限りのお礼はしますから、どうかあの子に何があったか教えて下さい!」

 

 

 

「分かった分かった! 話してやるからちと落ち着け! 全く……前のめりな性格は父親譲りか……」

 

 

 

 ……しまった。つい悪い癖が出てしまった。感情が先走ってしまうこの癖は、しっかり娘にも遺伝している。なんとか矯正できるように努力しなければ……。

 一度謝罪を挟み、居住まいを正して改めてマミゾウさんへ向き直る。

 

 

 

「落ち着いたか? ……よし、それなら話そう」

 

 

 

 一連の動作を見届けたマミゾウさんは、コホンと咳払い一つして語り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 ワシが失踪事件を知ったのは、事件から三日経った後のことじゃった。

 その日も丁度鈴奈庵に立ち寄ろうと考えていたところでな。何を借りようかと店先を覗こうとしたら、臨時休業と看板が貼ってある。

 直感でワシは、あの娘の身に何かあったと悟った。すぐに踵を返し、部下を呼んで捜索を開始した。

 ……どうして赤の他人のワシが捜索をしていたか、じゃと? まぁ、色々あるのじゃ。そこは追々話すとしよう。

 ともあれ、ワシと部下は人里の至る所を捜索した。じゃが、何処を探してみても手がかりの一つすら掴めぬ。まるで狐につままれたようじゃった……ちと癪な表現じゃが。

 埒があかぬと考えたワシは、()()()()を証明する意味も込めて博麗神社に向かった。あの巫女も血眼で探しているに違いないからのう。何か知っておるかと考えたのじゃ。

 結果として、ワシの期待は空振りに終わった。そればかりかお仕置きと称して大幣で頭を叩かれてしまった。あれは痛かったのう……。

 ともあれ、そこからは霊夢と手分けしてもう一度調査を始めたが、やはりなんの進展もなかった。じゃが、霊夢は有益な情報を掴んだようで、一先ず神社に戻ってから話すと言い、ワシも付いていく事にした。

 神社に戻ってみて驚いたよ。何せ何処かで感じた妖気が濃く立ち込めた境内で、あの白黒魔法使いが倒れていたのだから。

 じゃが、運良く息はあったようで、霊夢と二人でちょいと脅かしたら、バッと立ち上がって「勝手に殺すな!」と飛び上がって叫んだんじゃ。あれは中々傑作じゃったのう。

 そこからは軒先で話を聞いておった。魔理沙が……あの白黒が言うには、()()の持つ百鬼夜行絵巻という巻物に封じられた妖怪にやられたらしい。

 それでワシは妖気の正体が分かった。ただ、何故痕跡が残らないかが疑問だった。霊夢は何か心当たりがあるようだったが、ワシには最後まで皆目見当もつかなかったな。

 そうして夜になった。狂おしい程の満月が煌々と輝いていた夜じゃったよ。ワシは社殿の外で見張りをしておった。闇を切り払うように、小鈴は目の現れた。

 その時の小鈴の様子は、今でもよく覚えておる。絵巻の妖怪に完全に取り憑かれ、人ではなくなった目。包むように体を取り囲む瘴気。

 一目見て駄目だと分かった。あんなに強力な妖気にあてられて、無事でいられるわけがない。良くて半妖化が関の山。どちらにしろ人としては生きられないと……じゃから落ち着け! あくまでもこれはワシの見立てじゃ! まだそうだと決まったわけじゃない!

 ……話を戻そう。これを見た霊夢は、ワシに妖怪退治と小鈴救出を一任し、スキマの中へと消えていった。丁度絵巻の妖怪も姿を現し、ワシ自身も臨戦態勢を整えた。

 詳しい事は割愛するが、この妖怪の能力というのがまた厄介で、長く戦うとこちらが不利になるものだった。じゃから部下を呼び寄せて短期戦に持ち込もうとしたが、これが予想外に手こずった。

 長く続く攻撃で部下は疲弊し、逆に妖怪の方は強くなるばかり。これは別の案を考えようとしたところで、部下の一人が小鈴と絵巻を取り返した。これを合図にワシは太陽に化け、妖怪を退けた。

 こうして小鈴は助け出されたというわけじゃ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

「……で、これがその絵巻じゃ」

 

 

 

 話を一通り終えたマミゾウさんは、袖の下から一巻の巻物を取り出し、私に見せた。

 墨のように黒く塗られたその巻物は、確かに小鈴が所持していたものだったが、いつか感じたあの禍々しい気配は感じられなかった。

 

 

 

「話した通り、絵巻に宿っていた妖怪はワシが退治したからもういない。本来ならこれは返すのが筋というものじゃが、これはワシにとっては宝の山。いずれ必要になる代物じゃ。お主には悪いが、これは貰い受けるぞ」

 

 

 

「あぁ……それは構いません。貴女は私達家族の恩人ですから、お礼代わりに差し上げます」

 

 

 

 そうか。と、マミゾウさんは口を緩める。あの子には悪いが、心配かけた罰として、これくらいはしても文句は言われないだろう。

 

 

 

「それで……小鈴はその後、どうなったのですか」

 

 

 

「勿論保護されたよ。じゃが、予想よりも妖怪の残滓が小鈴の体に残っておった。あのままだと危険だと言うことで、一度博麗神社に置いてお祓いを行なったよ。それでも全てを祓いきるのに一週間はかかったがな。何故早くに帰さなかった、なんて質問はするなよ。下手をするとお主らだけでなく、人里も壊滅する可能性すらあったからな」

 

 

 

「そうですか……それでは、やはり小鈴は妖怪に変異したと言うのですか?」

 

 

 

 私の質問に、マミゾウさんは首を捻り、うーむと唸った。やがて、彼女は難しい顔をしながらも、ゆっくりと答えた。

 

 

 

「分からぬ。さっきも言ったが、少なくとも半妖になっていてもおかしくはないじゃろう。何せ取り憑かれていた妖怪が妖怪じゃ。完全な妖怪に変化しなかっただけでもありがたいと思った方が良い」

 

 

 

「そんな……」

 

 

 

 あまりの事に頭を抱えてしまう。もしかすると本当にあの子は妖怪に変わってしまったのだろうか。もしそうなら、私は……。

 肩にほのかな熱が伝わった。身体を温めるような熱ではない、心を温めるような温もりのある熱が、私の頭に少しずつ冷静さを取り戻していく。

 

 

 

「落ち着け。親であるお主が、あの娘を信じんでどうする。さっきも言ったが、妖怪化云々の話はあくまでもワシの推測じゃ。可能性の話であって、まだ確定されたわけじゃない。こんな不安定な推論に翻弄されて、娘のことを信じようとせんのは正に愚の骨頂じゃ。お前さんは愚か者か?」

 

 

 

「……ありがとう、ございます。少し、気が動転してしまいました。お陰で落ち着いて考える事が出来そうです」

 

 

 

「うむ。それでいいんじゃ。まぁ仮に妖怪化していても、すぐにあの巫女は動かないと思うぞい。あやつも鬼ではないはずじゃからのう。何かあればすぐにワシか霊夢に相談するといい。いつでも受け付けておるからの」

 

 

 

 笑顔を浮かべ、満足そうにマミゾウさんは頷く。

 確かにそうだ。あんな事があった後だからそうに違いないと決めつけてしまったが、そうでなくても私があの子を信じないで誰が信じようと言うのだ。

 しっかりしろ。あの子の父親は私だ。

 

 

 

「さて、これで全て話終わった。ワシはそろそろ行くとするよ。団子、ありがとうな」

 

 

 

「ちょ、ちょっと待って下さい! 後一つ聞きたいことがあるんです!」

 

 

 

 立ち上がり、そのまま店を出ようとするマミゾウさんを、再び私は呼び止める。「手短にな」と少々ぶっきらぼうに言いながらマミゾウさんは足を止め、私の方に振り向く。

 

 

 

「あ……貴女は一体……何者なんですか? 取り憑かれた小鈴の様子を知っていたし、何より露店屋でのあの立ち回り。どう考えても貴女はこの世のものでは--」

 

 

 

 瞬間、私の口は固く閉ざされる事になった。目の前に、妖しい目をしたマミゾウさんが、私の唇に人差し指を立てていたからだった。

 

 

 

「何者か……か」

 

 

 

 彼女の口が横に避けた。目に宿る妖しい光が、一層深くなる。

 

 

 

「それを聞くということは、お前さんは覚悟を決めたということじゃな? 今この場でワシに殺される覚悟が出来ているのじゃな?」

 

 

 

「あ……」

 

 

 

 マミゾウさんが指をパチンと鳴らした。さっきまでいた路地裏の団子屋から一転して、大通りの団子屋へと景色は変わっていた。

 

 

 

「滅多な事は言うものじゃないぞ。ここは人里じゃが、ワシらは正体を隠しているだけで、その本質は何も変わっちゃいない。ワシは自分から正体を晒すのはなんとも思わんが、正体を嗅ぎ回られるのは少々苦手でな。誰であろうと()()()()ようにしておるのじゃ」

 

 

 

 例えそれが常連の店の店主でもな。

 思わず私は腰を抜かした。彼女の言葉から発するあまりの冷酷さに、立っていられなくなったのだ。

 

 

 

「まぁ、さっきのはお互いに忘れる事にしよう。それよりお前さん、仕事の方は大丈夫なのか?」

 

 

 

 ハッとして空を見上げた。陽は既に未の刻と申の刻の間を少し過ぎており、少し急がないと夕方には間に合わない時刻になっていた。

 

 

 

「じゃあの。お前さんの調査が上手くいくことを祈っておるよ」

 

 

 

 そう言い残して、いつの間にかマミゾウさんは消えていた。最初からその場にいなかったかのように。

 

 

 

「……もしかして」

 

 

 

 蓑笠を被り直し、埃を払って立ち上がる。頭に思い出されたのは、いつか見た改訂版幻想郷縁起の記憶だった。

 曰く、化け狸の総大将が、外の世界から呼び寄せられたという。

 その名は、二ッ岩マミゾウ。

 今は命蓮寺を拠点とし、様々な場所に赴いては勢力を拡大しているらしいが……どうやら娘はとんでもない妖怪(ヒト)に憧れていたらしい。

 しかし、仮にそうだとしたら、先程話した事は全くの出鱈目という可能性が高くなる。まさか私に近づいたのは、あの巻物を名実共に自分の物にする為ではないだろうか。或いは……。

 そう考えて、すぐさまそれを打ち消す。

 やめよう。あの人がそんなケチな事をする筈がない。どちらにせよ、真相は阿礼乙女が言う妖怪が知っている筈だ。この話は参考程度に留めておいた方が無難かもしれない。

 だけど、実際に助けて貰ったのは事実だ。もしマミゾウさんが来店したその時は、お詫びも兼ねて割引とオマケをいくつかつけてさせても罰は当たらないだろう。

 そう考えながら、次のお客様の元へと歩き出す。

 陽は、見上げた時よりも少し傾いていた。

 

 

 

 




引き伸ばし過ぎた上に地の文が少なかったです。

もう少し文章を削れるように精進します。


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八雲紫の真実

どうも、こんばんは。鼻水が止まらなさすぎて花粉症を疑っている焼き鯖です。

大変長らくお待たせ致しました。最近は逆立ちすることに定評がある忠犬ハス公に送る小鈴短編。その最終話でございます。つい先日誕生日だったので、本当だったら当日に送りたかったけど、後天性サボり症候群が発動して今日まで書けませんでした。申し訳ない。

今回はある意味元凶のあの人が登場します。どうやら某兎さんも誕生日だったらしいんでその人にも届けと思いつつ。

では、どうぞお楽しみ下さい。


 夜が降りる刻を知っている。

 朝が昇る刻も知っている。

 その間にある黄昏が、ひょいと顔を出す刻も知っている。

 幻想を統べる私は、その全てを知っている。そして、それらを知る権利と義務がある。私に知らない事はないし、これからも現れる事はないだろう。

 

 

 

「…………」

 

 

 

 私は今、人を待っている。その人は自分の娘について調べている最中だ。初めは稗田の娘、次は二ツ岩の頭領と、ツテや出会いを辿って真実に行き着こうと足掻いている。

 ここに来るのは時間の問題だ。たった今、最後の貸本の回収を終えたところだ。早ければ申の刻にでも着くだろう。少なくとも、酉の刻暮れ六つにはここに姿を現わすはずである。

 

 

 

「…………」

 

 

 

 先程、私は全てを知っていると言った。その権利と義務があるとも言った。だが、一つだけ例外がある。

 それは、岐路に立たされた人間が、どんな決断を下して、どのように生きるのかという事だ。それはいずれ宿命となり、その人の人生となる。こればかりは私にも知る事は出来ないし、況してやそれを断定することも出来ない。そこが人間の面白いところである。紅い館に住み着く吸血鬼も、きっと同じような事を言うに違いない。

 

 

 

「……ふふ……楽しみね……」

 

 

 

 彼は一体どのような選択をするのだろう。真実を知った時、どんな顔を見せるのだろう。知らない事を想像するのはいつだって楽しい。私の期待を更に上回れば、もっとだ。

 さぁ、彼は一体どのような答えを導き出すのだろうか? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 虫の知らせと言うものを、私は信じた事がない。

 魑魅魍魎が闊歩する幻想郷で何を、と大抵の人は笑って言うが、どうもそう言った感覚がピンと来ないのだ。

 だが、そんな私でも、夕方のこの様子は何か変だという事は理解できた。

 まず真っ先に感じたのが、異様なまでの静けさだった。普段のこの時間帯なら、買い物帰りの主婦や遊びや寺子屋から帰ってくる子供達で賑わっているはずなのに、今日は人はおろか野良犬の一匹すら外に出ている気配がない。凍結したように静かな街道を、私一人が歩いている状況だった。

 次に感じたのが、夕焼けの色が妙に鮮やかに思えることだ。いくら夕日が赤く、美しいものであるとは言っても、春の夕焼けはもう少し淡く、柔らかい。しかし、それを真っ向から反逆したかのように光はギラギラと地を照らし、水平線に沈もうとする球は赤々と輝いている。まるで夏の夕暮れを見ているようだ。

 理性が言う、これ以上は危険だと。

 だが、本能がそれを阻む。それは私が足を止める理由にはならないと。

 

 

 

「……着いた」

 

 

 

 数十間の距離を歩き、方々を回って本を回収して、ようやく私は里の門に辿り着いた。既に時刻は酉の刻を過ぎており、阿礼乙女のいう妖怪がいつ現れても可笑しくはない時間帯だった。

 門をくぐり、外の入り口に立って、チラと振り返る。偶然か必然か、いつもなら警護に当たっている里の兵士が、今日は門前から姿を消している。

 それを見て、私は少し不安を覚えた。いくら話が通じるとは言え、相手は妖怪。万が一があった時、私一人では到底逃げられない。もし話がこじれたら、命の保証はないだろう。

 一抹の気がかりを胸に抱えながら、視線を再び外へ戻す。

 目の前に、先程までなかった奇妙な物体が現れていた。

 その物体は、両膝をついた人間のようだった。いや、人間の少女だった。周りを夥しいほどの花やつるが覆っていて一瞬分からなかったが、間違いなく人間の女の子だ。

 だらりと下がった腕とは対照的に、顔だけは何かに釣られているかのように上を()()()()()()()いる。逆らえない引力が、顔にだけ働いているようだ。

 一番恐ろしいのは、女の子の容貌であった。目と口。その他あらゆる顔の部位から花が咲いて……いや、活けられており、元の姿は見る影もない。身体にも無数の蔓が巻きつけられており、彼女を逃すまいと今も強固に締め付けている。

 花に串刺しにされたと表現するのがあまりにも正しい、美しくも凄惨な少女の死体が目の前にあった。

 一体、この女の子は何者だろう? 

 そう思い、少女の死体に近づいていく。

 周りにはオダマキ、マンサク、ミゾカクシにマンジュギクが咲き、更に進むとカンナ、アロエ、ホオズキ、ムシトリナデシコに、キョウチクトウ、キブシ、シャクナゲ、タネツケバナ、ザクロ、果てはウツボカズラまで群生している。

 春と夏、その他様々な季節が入り混じった花畑はどことなく異様で、一歩ずつ足を踏み入れるたびに、花達が私をじっと見つめている感覚が強くなる。

 それでも、私は足を止めなかった。いや、止められなかった。何かに魅入られたように足が前に行く。花の視線など気にせずにズンズンと、周りの草花をなぎ払い、草花の中に佇む少女の死体に近づいて行く。

 リン、とかすかに聞き慣れた音が聞こえた。散々前に行きたがっていた足が、はたと止まる。

 鈴の音だった。なんの変哲も無い、普通の鈴の軽やかな音だった。異様なのは、何故何もないところから鈴が鳴ったという事だった。

 無論、私は鈴を持っていない。辺りを見渡してみても、鈴なんて何処にもかかっていない。

 また、リンと音が鳴った。今度はもっと近く──それも、私の目の前で聞こえた。

 恐る恐る足を運び、慎重に近づいてみる。

 目に入ったのは、見慣れた亜麻色の髪と、いつか私がプレゼントした鈴の髪飾り。そして、いつも着ている市松模様の着物に、愛用のエプロン。

 

 

 

「こす──!」

 

 

 

 驚き、名前を叫ぼうとした。瞬間に少女の姿が消える。周りにあった花々も、同時にパッと消える。

 

 ──おとうさん? 

 

 瞬間、娘の声が耳に入る。振り返ると、娘が俯きながら私に近づいていた。

 

 

 

「小鈴……お前……」

 

 

 

 ──なんで、ここにきたの? 

 

 

 

 また別の所から声。再び背後を見てゾッとする。同じような体勢の娘が、同じように私に近づいていたからだ。

 

 

 

「そ、それは、お前を助ける為に……」

 

 

 

 ──なにも、しらなかったくせに? 

 

 ──そのばにいなかったくせに? 

 

 ──ほったらかしてたくせに? 

 

 

 

 気がつけば、私の周りは娘で囲まれていた。

 足が動かない。呪詛のような恨み言を呟きながら距離を詰めていく娘達に、私は完全に気圧された。

 

 

 

 ──おとうさんはね、おそかったんだよ。

 

 

 

「お……遅かった……?」

 

 

 

 とうとう娘のうちの一人が、私の服を掴む。衣が擦れる音が妙に生々しい。

 

 

 

 ──だって、だってだってだってだってだってだってだってだってだってだってだってだってだってだってだってだってだってだってだってだってだってだってだってだってだってだってだってだってだってだってだって! おとうさんがほったらかしてたせいで! わたしはこんなふうになっちゃったんだもん! 

 

 

 

 バッと娘が顔を上げた。

 目が黒く潰れて窪み、口が裂け、血塗れになった娘の顔が、私の目の前に飛び込んできた。

 

 

 

「ひっ……!」

 

 

 

 思わず尻餅をつく。周りの娘達もまた、同じようにその顔を上げ、口元に歪んだ三日月を浮かべながら私に纏わり付いていく。

 

 

 

 ──アハッ。ねぇおとうさん、みてこれ。わたし、こんなふうになっちゃった。

 

 ──わるーいようかいにころされちゃったんだ。

 

 ──いまいきてるわたしはわたしじゃない。わたしをころしたようかいがばけてるんだ。

 

 

 

「やめろ……」

 

 

 

 ──やめないよ? だって、わたしをこんなからだにしたのはおとうさんのせいだから。

 

 ──やめないよ? だって、ころしたようかいをわたしとかんちがいしてるから。

 

 ──やめないよ? だって、悔しいから。

 

 ──だから。

 

 

 

『お父さんを殺して復讐やる!』

 

 

 

 瞬間、娘達が飛びかかった。全員狂ったような笑い声を上げながら、伸びっぱなしの爪を私に突き立てようとする。

 

 

 

 ──殺される。

 

 

 

 本能がそう告げ、思わず体を背けた。そんな事をしても無駄だと分かっていても、そうせざるを得なかった。

 狂った笑いは尚も続く。頭の中から響くような甲高い声は、脳神経を直接すり減らしているようで、私の心を確実に蝕んでいく。

 そうだ。元はと言えば私の責任。私がもっとあの子を見ていれば、こんな事にはならなかった。全ては私の監督不行き届きが原因なんだ。

 あぁ、何故今頃になって理解したのだろう? 今更になって失踪の原因を探そうとしていたのがそもそもの間違いだった。ただ、娘が戻ってきた事を喜ぶべきだった。それだけで良かったんだ。

 

 

 

 ──すまなかった。小鈴……

 

 

 

 後悔と死の絶望に浸りながら、最期にありったけの贖罪を込めて、逝ってしまった小鈴への謝罪を心の中で呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フフフフ、やっぱり人間をこうやって揶揄うのは面白いわね」

 

 

 

 不意に、クスクスと忍び笑いが聞こえてきた。閉じた目を開くと、襲いかかっていた娘達の姿はそこにはなく、代わりに道士のような中華服に身を包んだ一人の女性が、空間の裂け目のような部分に腰掛けている。

 

 

 

「驚かせちゃったかしら? ごめんなさいね、貴方の事が面白くて。つい正気と狂気の境目を弄ってしまったの。気を悪くしたのであれば謝るわ」

 

 

 

 女性の表情は扇子の裏側に隠されており、私には分からない。だが、目を細めて尚もクスクスと体を揺らすその様から、申し訳ないという気持ちは微塵もないであろう事が容易に想像できた。

 

 

 

「……こちらこそ、取り乱してしまって申し訳ありません。何分いきなりの事であったので……お眼鏡に叶ったようであれば何よりです」

 

 

 

 立ち上がり、服についた埃を払って女性を見つめる。立ち上がりながら貴女に眼鏡なんてないけど、と心の中で皮肉を呟く。それすらもお見通しだと言いたげに、女性は口元を扇子の影に隠して不敵な笑みを絶やさない。

 

 

 

「……それで、見ず知らずの私にこんな事をするという事は、貴女が稗田様の仰っていた妖怪という事でよろしいでしょうか?」

 

 

 

 私の問いかけに、女性は微笑むと、扇子をパチンと閉じた。黄金の瞳が、妖しい光を帯び始める。

 

 

 

「……はい、その通りです。私は八雲紫。この幻想郷を作りし賢者の一人であり、幻想郷を守るゲートキーパーであります」

 

 

 

 以後お見知り置きを。と、八雲紫は地面に降り立ち、仰々しくお辞儀をする。どこか芝居がかった、胡散臭く慇懃なお辞儀だった。

 

 

 

「賢者様……では、娘が……小鈴が行方不明になっていた間、あの子の身に何があったかもご存知なのでしょうか?」

 

 

 

「……えぇ。稗田のお嬢様が言っていたように、犯人から動機、何が行われていたかについてまで、その全てを知っていますわ」

 

 

 

 強い風が私達の間を駆け抜けた。近場にある雑草が揺れる。

 

 

 

「……では、その全てを教えて下さい。父として、私は知らなければならないのです」

 

 

 

「フフ……貴方は本当に父親として立派ね。さぞ小鈴ちゃんも鼻が高いでしょう。えぇ、教えて差し上げます。その前に……貴方に一つ、尋ねておきたい事があるわ」

 

 

 

「尋ねておきたいこと?」

 

 

 

「えぇ……と言っても、貴方程の大人であれば、答えられるような質問でしょうけれど」

 

 

 

 そこで八雲紫は言葉を切ると、真っ直ぐに私を見つめつつも、扇子で顔を隠して再び言葉を紡ぎだした。

 

 

 

「貴方は……この世界の真実は一つであると思いますか?」

 

 

 

「ふむ……真実、ですか」

 

 

 

 難しい命題である。正しいと考えていたものが実は嘘であったり、その逆もまた有り得る事ではある。

 つまり真実というのは──。

 

 

 

「いいえ、一つではありません。箱庭のように小さなこの幻想郷でも、無限に世界は広がっています。況してや妖怪や人間が居座るこの地に、たった一つの真実程不確かなものはありません」

 

 

 

「……そう、それを聞いて安心したわ」

 

 

 

 パチンと扇子を閉じた八雲紫の表情は何処と無く満足気で、私は内心でホッとため息をつく。

 

 

 

「その通り。例え幻想郷と雖も、その答えは膨大。無限に等しいと言えるほど、真実というものは存在しています。今回の一件もそう。私の口から語る真実も、貴方から見ればそれは虚構のものとなる可能性があります。それを踏まえた上で尚、貴方は私の口から真実を聞きたいのでしょうか?」

 

 

 

 試すような彼女の視線が、私の体を貫いてくる。しかし、私はここで退く気はない。

 

 

 

「お願いします。どんな形であれ、私は全てを受け止めます」

 

 

 

 毅然として彼女の問いかけに答える。ここで退けば、私の望むものが手に入る事はないと、直感的に察したからだ。

 それを彼女も感じ取ったのだろう。私の答えにニコリと微笑むと、見つめる視線を少しだけ和らげ、口を開いた。

 

 

 

「……貴方の覚悟、十分伝わりました。ならば語りましょう」

 

 

 

 ──この事件の真実を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 事の発端は、本当に何気ない事だった。単なる気まぐれと言ってしまっても良いかもしれません。

 仮に、今回の犯人をYとしましょう。

 夏に行われた、博麗神社での百物語。小鈴ちゃんが、魔理沙や霊夢とともに開いた、あの百物語に、実は私とYも参加していたのです。あれは楽しかったわ。月も星も何一つとしてない真っ黒な空に、各々持ち寄った選り取りの怪談噺。最後の仕掛けも、それを出すタイミングも完璧。あの催しは大成功と言った所でしょう。

 あの子との出会いはその時だった。人間も妖怪も巻き込み、百物語を通して納涼をしようという面白い人間に興味を持ったの。折角だからお話も用意しておめかしもして、いざ神社に行ったらその主催者はまだほんの子供。その時は流石のYもびっくりしていたわ。精々が物好きな男性で、女性だとしても十分に成長した大人かと思っていましたもの。少し怖がりで無鉄砲だけど、それでも実現に向けて動いた事は変わらない。Yは彼女の行動力と好奇心に感心し、同時に面白いと興味を持ったわ。

 そこからYは、あの子の観察を始めた。それはそれは面白かったそうよ。あの子の好奇心は留まる事を知らなかったから、見ていて飽きないとも言っていました。例えば去年の台風の時。本来なら台風と聞いたら人間は部屋に入って安全にしているでしょう? でもごくたまに、台風と聞いたらはしゃいで外に出ようとする人間もいる。

 あの子もその典型ね。博麗神社に本を回収しに行こうとしたら台風に当たって、よせばいいのに調子づいめそのまま行っちゃった。案の定足を滑らせて気絶しちゃったから、Yは連れ帰って治療して、翌朝人里に帰してあげたわ。正体をバレたくなかったから、少しだけ細工を施したらしいけどね。

 ……ちょっと話が逸れちゃったけど、そんな感じでYは観察を続けていた。続けていくうちに、本居小鈴の危うさというものに、徐々に気づいていった。

 それは、人ならざる物への好奇心。聞けば、降霊術や胡散臭い易学なんかにも手を出したらしいわね? 何よりも貴方の運営する鈴奈庵には、人里ではありえない程の妖気が漂っている事が何よりの証拠。妖魔本蒐集家のあの子は妖怪の部分に近づきすぎていたのよ。

 これはいけない。何故ならそのまま人妖になる可能性があるから。幻想郷(このせかい)では、人間が妖怪になる事は何よりも禁忌。下手を打つと、そのまま博麗霊夢に退治されてしまう。

 Yはすぐに警告しようとした。だけど、それを実行するタイミングがなかった。何も考えずに警告すれば、変に怖がらせてしまうか受け流されて終わってしまう可能性があったから。

 このままたたらを踏み続ければ、取り返しのつかない事態になる。そう考えた矢先に、稗田の乙女が彼女に二ツ岩の頭領の正体を明かした。彼女は随分動揺したわ。事実、その後の対応が少しだけギクシャクとしたものになってしまったもの。

 だけど、これはまたとないチャンスだった。数日の間をあけて、Yはあの子に接触した。人間と妖怪の関係やあり方をあの子はどう考えているかを問い、そして彼女が本居小鈴を助けるために来たという事を伝える為に、ね。

 結果として、数十分の問答は成功だった。本居小鈴は自分なりの()()を見つけ、その為に動き出したから。Y自身もそれに満足し、力になると約束して出ていったわ。

 さて、長々と語ったけど、ここからは行方不明中の事を話しましょう。

 大きな荷物に大量の妖魔本を持って人里を離れた彼女に、Yはすぐに接触した。その上でYは、本居小鈴に今後どうしていきたいかを尋ねた。

 帰ってきた答えは、幻想郷のパワーバランスを正す事。彼女が言うには、私家版百鬼夜行絵巻最終章補遺を用いて、人里を妖怪による支配から脱却させること。それが、あの子が導き出した真実だった。

 ──そんな事、出来る筈がないって? 

 フフフフ、それが出来ちゃうのよ。それも驚くほど簡単に、ね。

 Yは彼女の決断に大いに賛同を示した。それと同時に、それでは足りないとも否定した。妖怪の力だけを是正すれば、霊夢や魔理沙のような超人的な人間が残り、幻想郷のパワーバランスは崩壊するから。それを聞いたあの子はかなり不満そうだったらしいわよ。まぁ、折角考えた自分の意思を否定されちゃったら嫌な気分になるわよねぇ。

 そこで、Yはあの子にある提案をした。

 それは、外の世界へ一時的に滞在し、力を蓄えてから幻想郷へ赴く事。

 そうすれば、そのまま百鬼夜行絵巻を使うよりも何倍もの力を使うことが出来る。だけど、これにはリスクもあった。増幅した力に、小鈴ちゃん自身が耐えられないの。妖気を生身の人間の人間のまま体に留めておく事は、大人ですら不可能に近い。それを、まだ年端もいかない子に実行させるなんて、無謀にも程がある。

 だから、Yは本居小鈴を、一時的に妖怪化させることにした。

 髪飾りをほどき、ごく微弱の妖力を流して、外の世界に送る。

 成果はYの予想以上だった。絵巻に封じ込められた妖怪も活性化し、本居小鈴に取り憑いても何ら問題はなかった。

 後は二ツ岩の頭領が話した通りよ。それはそれは綺麗な満月の出る日に彼女を博麗神社に行かせ、事の成り行きを見守った。

 これが、行方不明中に起こっていたことよ。

 ところで、ここまでの話を聞いて解らないことがあるわよね。

 そう、犯人のYとは一体誰か。

 四六時中監視していながら気づかれない程の隠密性を持ち、おおよそ人間では思いついても到底出来ないことを平気で行い、外の世界と幻想郷をつなぐ力を持っている。

 そんなことが出来るのは、幻想郷において賢者以外ありえない。

 貴方も薄々気づいているんじゃないかしら? 

 そう、犯人はこの私。八雲紫なのです。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

「フフフ、どうかしら? 目の前の人物から自分が犯人だと告白され、しかも堂々と犯行の自供をさせられた気分は」

 

 

 

 ニヤニヤと意地悪い笑みを浮かべながら、八雲紫はぬけぬけとのたまう。

 正直に言えば、驚いたというほかない。

 まさか事の真実を知っているという妖怪が、実はすべての事件の犯人であったと、一体誰が想像できただろう。まるでシェイクスピアも驚きの展開。いや、アガサクリスQでもここまで滑稽なことは出来ないだろう。

 確かに、犯人は行方不明中の話を聞いた時点で予想はしていたが、ここまで堂々と自白されるとなると、また話が変わってくる。彼女が犯人だと告白したら怒鳴るつもりでいたのだが、その気もすでに失せてしまった。もう彼女に対して言うことは殆どない。

 だが、最後にこれだけは知っておかなければならない。

 

 

 

「……では、小鈴は、私の娘は、妖怪に変化したわけではないということですね?」

 

 

 

「フフフフ……貴方はさっきからずっとそればっかりね? 自分の娘が人間であることがそんなに大事かしら」

 

 

 

 すべてを見透かしているような目つきで、八雲紫は顔を覗き込んでくる。したり顔をそのまままっすぐ見つめていると、つまらなさそうに扇子で顔を覆った。

 

 

 

「はぁ……安心なさい。一時的と言ったでしょう? 二ツ岩が絵巻の妖怪を倒した時点で、あの子の妖力は殆ど消えていたわ。霊夢が一週間かけて除霊したから、下手なことをしない限り、あのようなことにはならないでしょう」

 

 

 

 それを聞いて、ほっと溜息をつく。

 

 

 

 

「しかしまぁ……人間というのは奇特なものね。身内の一人が妖怪になっただけで、どうしてそこまで取り乱すのかしら。何百年も、何千年も生きているけど、こればっかりはよく分からないわ」

 

 

 

 しれっと言い放った彼女の一言に、私はカチンと来てしまって、つい彼女に向かって一言言い放ってしまった。

 

 

 

「当たり前です。この心配をしない親など、この世に存在するはずがございません。仮にいたとすれば、それは人でなしです。血の通った、たった一人の人間だからこそ、強く思うのは当然です。貴女は妖怪だから分からないかもしれませんが、親にとって子とは、それほどまでに守らなければならない存在なんですそれを奇特と言う貴女こそ、奇特なのではないでしょうか?」 

 

 

 

 まくしたてるように一息で言い放って、ハッと我に返る。期限を損なわせてしまったかと思ったが、私の心配とは裏腹に、八雲紫は一瞬だけポカンとした後、面白がるようにけらけらと笑い出した。

 

 

 

「アハハハハハ! まさか人間に説教されるなんて! 長く生きてみるもんねぇ! フフフ……貴方、気に入ったわ。だけど、だったら尚更自分の娘は信じてあげなさい。親の心子知らずとはよく言うけれど、子の心親知らずとも言われるからねぇ。二ツ岩の頭領にも同じ事を言われたでしょう?」

 

 

 

 したりといったように微笑む八雲紫。心の奥底まで見透かされたような物言いに、再び声を上げようとしたが、それすらも見透かすように裂け目に腰掛け、空へと浮き上がった。

 

 

 

「まぁ、あの子を縛るのも放すのも貴方次第。私にはどちらでも構わないことですもの。ゆめゆめ忘れないでね。真実というものは一つではないということを」

 

 

 

 それでは、ごきげんよう。

 そう言い残し、八雲紫は裂け目の向こう側に消えた。いつの間にか門前には門番が立ち、大きな欠伸を掻きながら伸びをしていた。

 全てが夢かと思わせるほど、一瞬の出来事。私はただ茫然と、その場に立ち尽くすばかりだった。

 

 

 

 

 ◆

 

 予想以上に、面白い結末だった。まさか霊夢以外に説教される日が来るとは夢にも思わなかった。

 茫然と立つ本居小鈴の父。その間の抜けた顔を見るたびに、彼の前に現れてよかったと思う。

 

 

 

「フフ……あの子たちを見守るのが楽しみになったところで……」

 

 

 

 残った面倒を片付けるとしましょう。

 飛んでくる数枚のお札を指で挟みこみ、クルリと振り返ると、紅白のおめでたい色をした博麗の巫女が、殺気をまき散らしながら私のことを見つめていた。獣も素足で逃げ出すような禍々しい殺気。伊達に博麗の巫女を名乗ってはいないようで安心した。これなら今後の幻想郷も安泰だろう。

 

 

 

「あら、霊夢。どうしたのかしらそんな怖い顔をして」

 

 

 

「どうしたもこうしたもないわよ! 途中から全部聞いていたわ! あんたの話、まるっきり出鱈目じゃない!」

 

 

 

 

 早口で強引にまくしたてた霊夢は、再びフーッ、フーッと鼻息荒く私を睨みつける。木っ端な妖怪、半端な悪役には通用しそうなこの眼光も、私には小動物の威嚇にしか思えない。博麗の巫女として立派にやるならば、私をも畏怖させ恐怖させなければならない。

 

 

 

「何の話かしら? 私は確かに、あの店主に本当のことを話したわよ?」

 

 

 

「とぼけたこと抜かしてんじゃないわよ! あんたが小鈴のお父さんに話したことは、私に語った事と丸っきり違うじゃない!」

 

 

 

 態度を変えずに霊夢に尋ねると、更に激高した霊夢が怒鳴り、再びまくしたて始めた。

 

 

 

「アンタは最初からあの子になんて興味がなかった。私の立場や姿勢を正すためだけに、あの子を利用したじゃない! 接触したのは妖魔本の妖気が彼女を覆っていて利用しやすかったから。わざわざ外の世界に引っ張り出してまであの子を隠し、絵巻の力を増幅させたのも、わざと私たちの動揺を誘って裏で嗤うため! それもこれも全部、私という『バランサー』を調整する為だけに! あんたは沢山の人を巻き込んだ! 騒動の後、アンタが自分で言ったことよ! それをこんなくだらない嘘で煙に巻こうってつもり? 小鈴ちゃんのお父さんは騙せても、この私だけは騙せないわよ!」

 

 

 

 全てのことを話し終えて、どうだ参ったかと言わんばかりの表情の霊夢。だけど、そう返されることも予想して、私は霊夢にこう返した。

 

 

 

「さぁ? 確かにそう言ったかもしれないわね」

 

 

 

「はぁ!?」

 

 

 

 更に霊夢の殺気が上がった。

 

 

 

「ふざけんじゃないわよ! 私をおちょくることがそんなに楽しいかしら? お望みなら今すぐにでも閻魔のもとに送っても──」

 

 

 

「曖昧にしたのなら、最後まで覆い隠す」

 

 

 

「あー? 何適当なことを言ってんのよ! いいわ、そこまで言うなら私があの人に教えてくる!」

 

 

 

 そのまま突進しようとする霊夢の空間の境界をいじり、再び元の場所に戻す。それでも諦めずに同じ場所をクルクルと回るうちに、とうとう霊夢の怒りは頂点に達したらしい。

 

 

 

「アアアアアアア! 何なのよアンタは! 私の邪魔をして何をしたいのよ!」

 

 

 

 顔を真っ赤にして怒る霊夢を尻目に、私はけらけらと笑いながら言葉を続ける。

 

 

 

「これはね、私のポリシーなの。白と黒の境界も、虚構と真実の境界も、時に隔てきれない曖昧なもの。中にはそれを強制的に決定させるどこかの閻魔もいるみたいだけど、そんなの、私にとってはつまらない。だから、私は真実をぼかして、最後まで隠し通すのよ。こと、今日みたいな状況の時はね」

 

 

 

「だからそれが問題だって言ってんの!」

 

 

 

「いいえ、それは間違いよ。よく考えなさい? 真実というものは、得てして残酷なもの。それを、直接聞かされる身にもなってみなさい。事実に打ちのめされて時に立ち直れないことだってあるのよ?」

 

 

 

「それは……」

 

 

 

「それに、無限に広がっているこの世界に、たった一つの真実というものほど信じられないものはないわ。誰もが自分にとって都合のいい真実を探し、最適な真実を選んで今日という日を生きているの。それがたとえ作り出された虚構であっても、本人がそれで納得していればそれでいいじゃない。迷いながらでも自分で選んだ新真実ほど、尊いものはないわ。あの子の父親は、自分の娘は妖怪化していない、万事無事に終わったという真実に到達した。それでいいじゃない」

 

 

 

 ねぇ、霊夢? と私は顔を覗き込む。迷ったような、納得していないような顔つき。無理もないと言えばそれまでだが、この子もまた一つの真実に固執するタイプの子らしい。

 だから、最後の一押しで私は更に言葉を向ける。

 

 

 

「それとも、あの子の父親に無理やり真実を告げて絶望の淵に沈めたいというのかしら? それでも構わないけど、そうなったらそうなったでもっと厄介なことになるかもしれないわねぇ」

 

 

 

「ちょっと! 人聞き悪いこと言わないでよ! あーもう分かったわよ! 黙っていればいいんでしょ! 黙ってれば!」

 

 

 

「フフフ……それでいいわ。今は見守りましょう。それが、あの子達にとっての安寧になるのだから」

 

 

 

 むきになる霊夢の頭をなで、私は人里に目を向ける。通りを行きかう人々は私たちの存在に気にも留めない。きっと、ここを通る一人一人が、それぞれに真実を選択し、運命に変えて生きるのだろ。

 

 

 

「ふふ……今日も幻想郷は平和だったわ……」

 

 

 そう独り言ちた視線に、真っ赤な夕日が重なって、私は眩しさに目を細めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 もうすぐ今日という日が終わる。

 長かったようで短かった今日が、日暮れとともに終わりを告げる。

 帰路に就く道すがらで、私は八雲紫に言われたことを反芻していた。

 子の心、親知らずにならないように。

 何が何だかと思いながら顔を上げると、少し古びて、見慣れた我が店。ほかの家と同じよう窓からは灯りが煌々と漏れている。

 その時にふと、マミゾウさんの言葉が頭に思い浮かんだ。

 娘のことを信じないのは、まさに愚の骨頂じゃ。

 ……あぁ、そういうことだったか。

 ここへ来てようやく理解できた。彼女たちが何を伝えたかったのか。それが漸く分かった。

 

 

 

「ただいま」

 

 

 

 笠を脱ぎながら帰宅すると、「おかえりなさーい!」と、奥からよく通る声が返ってくる。同時にどたどたとあわただしい足音を立てながら、娘が私の前に現れる。

 

 

 

「ただいま。今日はどうだった?」

 

 

 

「うん! あのね、私今日から妖魔本を売ることにしたの! それでね……」

 

 

 

 腕をバタバタと振り回しながら興奮気味に話す娘を見て、私は確信する。

 娘は既に、私よりも成長していたのだ。妖魔本や博麗の巫女、その他の妖怪等との交流を経て、あの子なりに成長していたのだ。

 今までの私は、小鈴を心配しすぎるあまり、人間であるという事に固執し過ぎていた。だが、稗田家や二ツ岩の頭領、八雲紫との対話を通じて、考えが変わった。子の心親知らずと思っていたところが、実際は親の心子知らずだったらしい。

 まんまと見透かされていたが、これで分かったことが一つある。

 それは──

 

 

 

「……お父さんどうしたの? 私の話、ちゃんと聞いてる?」

 

 

 

「──ああ、聞いているよ」

 

 

 

 たとえこの子が──

 

 

 

「ホントに? ……まぁいいや。続きはご飯食べながら話そう!」

 

 

 

「分かった。すぐに行くからお母さんの手伝いをしてきなさい」

 

 

 

「はーい!」

 

 

 

 妖怪になっていたとしても──

 

 

 

 

「お父さーん! あんまり遅いと全部食べちゃうよー?」

 

 

 

 私達のたった一人の大切な娘であるという事実に──

 

 

 

「落ち着きなさい。すぐに行くから」

 

 

 

 変わりはない、という事だ。

 

 

 

 

 

 

 




さて、これにて半年くらい続いたこの短編も終了です。皆さま、今日までお付き合い頂きありがとうございました。

色々語りたい事は山ほどありますが、詳しい事はツイッターなり活動報告なりで書きたいと思います。

まずは読んでくれた皆さまに感謝を込めて。またお会いしましょう。


……何気に初の完結作品なんだよね。これ。


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