胡散臭い賢者の物語(タイトル未定) (カク君)
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第一話
あらすじとか、タイトルは作品の方向が見えたら決めます。
小説家になろうにも同時投稿中
「どうだいお嬢さん、よければ私の元に来ないかね?きっと悪いようにしないから」
彼にその言葉と共に手を伸ばされた時、なんて怪しい男なのだろうと思った。
誘いの口上が余りにも酷かったのもあるけど、なにより彼の姿が胡散臭さに磨きをかけてしまっていた。
高位の魔法使いが着る紫のローブをまとっていることから地位のある人間なのだろう。
髪は濁ったような灰色で、男性にしてはやや長い。常に浮かべている作り笑いと、どこか芝居ががったような所作が人に不信感を与える原因なのかもしれない。
年は意外と若く、20代の前半くらいだろうか。
そのわりに男に感じる怪しい雰囲気が板についていて、実は見た目が若いだけで、中年の男と言われても納得できそうだった。
結論、怪しい人にはついていってはいけません。それは誰もが幼い頃に習う教訓である。
「やだよ胡散臭い。あなたみたいな人、怪しすぎて信用できない」
「おっとこれは手厳しい。これでも他者の信頼を得られるように努めているのだがね」
「だったらその取り繕った笑みをやめたら。愛想笑いもそこまでくると気持ち悪いよ」
我ながら、実に相手を下に見るような物言いだと思う。
だが、この手の輩ははっきりと拒絶してみせないとしつこく食い下がってくるのが世の常だ。
「ふむ、私としては親しみを持てる人間でありたいと思ってのことなのだがね。しかし、どうしたら信用して貰えるのだろうか」
「信用ね……悪いけど無理だよ。甘い言葉に騙されて子が酷い目に合うのを、私がどれだけ見てきたと思ってるの」
千年の歴史を誇るという王都、治安が良く人々の賑わいをみせる中央部と違って、このスラム街は王国の恥部とも言える場所だ。
隠しもせぬ剥き出しの悪意が渦巻くこの街においては、害意のある他人などというものは、数えるのも馬鹿らしくなるほど多い。
そして、真っ先にその悪意の矛先になるのは私達のような女子供だ。私もその一人であることを思えば、さっさと逃げ出すに尽きた。
「じゃあね。さよなら」
一言告げて、私は逃げた。
意外にもあっさりと諦めたのか、男は私を追わずに代わりに言葉を投げかけてきた。
「君がそう言うなら今は諦めるとしよう。だが、私はいつの日か君がこの手を取ってくれるのを待っているよ」
それが私がその酷く胡散臭い男と出会った最初の記憶、私が彼と再会するのは季節が変わり、すっかりと男のことなど忘れてしまった頃だった。
二度目の再会は、冬が近づき肌寒くなったある雨の日だった。
冬の時期は、この街に住む子供達が最も死を身近に感じる季節だ。
風邪をひかないよう暖を確保する必要があるし、少しでも蓄えて食べるものに事欠かないようにする必要がある。
その意味で、私は事前の準備に失敗した。
べつに怠けていたわけではない、というよりそんな余裕は季節など問わず存在しない。
言い訳をすれば、戦争でスラムに堕ちる孤児が急増したことが原因だろう。
少ない食料を巡るライバルが増え、常に空腹を覚えるようになった。これまでも決して満足に食べていたわけではないけれど、餓死を心配する必要はなかった。
碌に食えず、弱った身体が病に罹ったのは当然の成り行きだった。
最初は無理をすれば食料の確保に奔走できたけど、次第にそれは困難になっていった。
ついには動くのも困難なほどに重症化し私は死を覚悟していた。
医者に見てもらうほどのお金などなかったし、そのままだったら私は死んでいただろう。
実際、冬のスラムに行けば病で死んだ子供の死体なんていくらでも見つけることができた。
もし、あのままだったら間違いなく私は彼らの仲間入りしていた筈だ。
身動きできない私は、屍のようにぐったりと路地に横たわった。
そこらに散らばるゴミや汚物の悪臭に眉をしかめながらぐったりとしていると、大地を紅く染める夕陽が目に映る。
ああ、空は綺麗だなと汚らしい自分との差に笑ってしまった覚えがある。
そうして、いよいよ意識がなくなろうとする瞬間に、私はあの胡散臭い声を聞いたのだ。
「やぁお嬢さん、また会ったね。実に奇遇だ」
「……またあなた」
折角綺麗なものを見て逝けるのに、見たくもないものを見てしまった。
私が怪しさを隠しもしない男に辟易としていると、彼は勿体ぶった口調でこう言った。
「さて、こうして再び合間見えるのだし、再びあの日した提案をしたいのだがどうだろう? 私には今の君をどうにかする術がある。そして君が望むなら生活の面倒も見ようではないか」
「かわりに……なにをすれ、ば?」
ついには口の呂律が回らなくなってきたか……息も絶え絶えな私を見ながら、男は作り笑いを顔に貼り付けて言う。
「今は対価を求めることはしないよ。私はただ、君の生きたいという願いが聞ければいい」
今は、ときたか。
生き残れたとして、いったい私は何を要求されるのだろうか。
その対価がろくでもない物であることは想像に難くないけれど、もはや私には選択の余地はなかった。
つまり、ここで問われるのはそれを許容してでも生き残りたいと思うかどうかだ。
「私は……」
どうしたいのだろうか。薄れていく意識の中でこれまでの人生が急速に脳裏で巡る。
常に余裕のない生活だった。
少ない糧を他人と奪い合い、仲間と呼べるような人間は出来ても先に死んでしまった。
辛い生活に、死んでしまいたいと思ったことも少なくはない。
それでもいざ首を括ろうとすると足が震え、脳裏にこびりついた仲間達の死に様が思い浮かぶ。
「しに…たくない」
自然と私はその言葉を口にしていた。
そうだ。辛い日々でも、痛い思いをしてもこれまで足掻いてきたのは、私が幸せになりたいからだ。
別に大きな成功はいらない、ただ人並みに穏やかな日常を過ごすということがどういったものなのか知ってみたいだけなのだ。
だから。
「私は……生き、たい!」
弱々しくも、だけど力の限り叫んだ。
私に問いかける人間の怪しさなんて、もう気にならなかった。
もしかしたら、私は騙されるのかもしれない。
口車に乗った挙句、悲惨な状況に追い込まれるのかもしれない。
だが、それがどうしたと言うのだろうか。
今ここで死んでしまうことの悔しさに比べれば、そんなことはどうでもよかった。
生きてさえいれば、いつか幸福を勝ち取る可能性はあるんだ。
それは、現実が見えてない子供の夢想に過ぎないのかもしれない。この先進む未来は真っ暗で、この選択の果てにあの時こうしなければと後悔するかもしれない。
それでも、いやだからこそ、私は抗うことをやめたくないと願った。
泥水を啜ってでも生きてやるという意思が、激情となって身体を巡った。
弱々しくも、だけど力の限り私は生きたい訴えた。
こんな無念を抱えて死んでたまるかと懇願した。
その願いを叶えてくれるのならば、私は悪魔に魂を差し出すことさえしてみせよう。品性も、人間性も、明日を勝ち取る対価足り得るならば喜んでさしだそうとも。
そんな、私の生き汚いさまを見て男は笑った。
それは、あるいは欲しい玩具を手に入れた子供のような笑みか。さきほどまでの人を不快にさせる笑みは鳴りを潜め、無邪気にどこまでも無垢にわらったのだ。
「素晴らしい――ならば私は全力で君を助けると誓おう。我が誇りにかけて、君が生を謳歌したいと願う限り、万難を退けると約束しようとも、ゆえに後は私に任せて眠るといい」
その言葉と共に、眠気に襲われた私は意識を失った。
その間際、かすかに眼に映る男の笑みは、出会った頃の胡散臭さが嘘のように晴れやかだった。
(最初からそうしてればいいのに……)
それが、私と彼との出会いである。
確かに、彼は善人と呼ぶにはいささか憚りがある人間だろう。
彼を憎悪する人が多くいることも知っているし、そのことについて先生を擁護するつもりはない。
しかし、それでも私にとっては彼が大恩のある人間であることには変わりがないのだった。
だから断言しよう。かの賢人は私にとっては恩師と言える人間だと。
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第二話
陽射しの眩しさに意識が覚醒する。
重い瞼をゆっくりと開けると、視界には真っ白なシーツが広がる。お日様の匂いがするそれは、ずっと汚い石畳で寝てきた私にとって、抗いがたい魅力があった。
私が寝心地の良さに負けてしまい。そのまま二度寝してしまおうかと思ったところで、あの男の声がした。
寝起きに胡散臭い声を聞いたわたしは、一気に機嫌が急降下してしまった。
「やぁ、おはようお嬢さん。ゆっくりと眠れたかい?」
「……おはよう」
「ふむ、どうやらご機嫌斜めのご様子。まだ体調優れないのかな?」
誰のせいだと文句を言おうとして、私は口を閉ざした。
意識を失う前の経緯を振り返って見るに、彼は私をここまで運んでくれたのだろう。
そもそも、死にかけだった私がこんなにも体調がいいのは、彼が手を尽くしてくれたと見るのが妥当だろう。
ならば、私が取るべき態度と口にするべき言葉は違うはずだ。
「失礼な態度をとってごめんなさい。死にかけてた私を助けてくれて……」
「おっと、そこまで」
ありがとうございますと言う前に、彼に手で制されてしまった。彼は露骨に意地の悪い笑みを浮かべて言う。
「この際はっきりと言っておくとしようか。私が君の命を助けたのは、何も良心が傷んだわけではない。私なりにゆえあってのことゆえに感謝は不要だとも」
男はどうせすぐに貸した分が帰ってくるからねと締めくくった。
彼の言葉を聞いて、これから何をさせられるのだろうかと不安になる。
どう転ぶにしても死ぬよりはましだけど、こうして現実を目の前にするとそれなりの覚悟は必要だった。
私は思いきって直接疑問をぶつけた。
「……それで、結局私は何をすればいいの?」
学もなく、それといった専門技能を持たない私が今できることと言えば、せいぜい体を売ることくらいだろう。
それを踏まえてもわざわざスラムの小娘を拾う意味がわからなかったけれど、これだけははっきりさせておかなければならない問題だった。
「どうやら君は少し思い違いをしているようだね。自分がなにか悪事の片棒を担がされる。あるいは娼婦の真似事でもさせられるとお思いかな?」
「違うの? そうでもなければ私を助けた理由が見えないのだけれども」
第一、そうでもなければ理由があって私を助けたという彼の言葉に矛盾するではないか。
「ふむ、どうやら君にはいくつか事情を説明しておく必要があるだろうね。私はね、君の才能を見込んでいるのだよ」
……才能ときたか。
ほぼ初対面のあの時点でどうやってそんなものを見極めるというのだろうか?
「納得できていない顔だね。無論、理由もなくこんなことをのたまう訳ではないとも」
「では何故?」
「ここで話しても良いが……ただ口で語るだけというのも面白味がなかろう。来なさい」
そう言って手招きする男に従って私は部屋を出た。
男を見失わないようにしながら、興味をそそられた私は周囲を見渡すと、いくつも教壇と取り囲むように椅子がある部屋を見かけた。
昔、没落貴族の子供だったスラムの仲間が言ってた話を思い出すに、ここはいわゆる学校と呼ばれる場所なのだろうか。
そんな私の疑問に答えるように、男はどこか愉快気に語る。
「ここは、君のように才ある人間を集めて教育を施すために作った学園でね。光る物があれば誰にでも門を開いていることを売りにしているのだよ」
「……実は凄い人?」
「私一人の力ではないがね。ここが成り立っているのは、講師を快諾してくれた皆の力が大きい。私がしたことと言えば、せいぜい金を出して場を整えたくらいさ」
そういって男は肩を竦めた。目的地に向かう途中、何人かの人とすれ違う。年齢や、人種はかなりバラバラで普段森から出ないというエルフまで居たことに驚いた。
どうやら、誰にでも門を広いているという男の言葉には嘘がないようだ。
「さて着いたよ。君に光輝く才能が眠っているその証明が、ここにある」
辿り着いたのは、建物の片隅にある小さな部屋だった。人の気配が希薄で、ある種の寂しさを感じるほどに静かな場所だった。
男が扉を開けるときしきしと軋む音がした。すると、古びた書斎がその姿を見せた。
開いた扉が積み上げていた本にあたったのか、ドサドサと本が大量の埃を巻き上げながら落ちた。
「ううむ、どうやらそのうち整理が必要なようだ」
「けほっ、けほっ、随分と埃っぽいけど何時から掃除してないのよ」
床を見れば、そこらに埃が溜まっている。本棚や無造作に本が積まれた机も汚く、窓ガラスは外の砂埃で曇ってしまっている有様だ。
「私の蔵書を片っ端から突っ込んでるからね。管理を他人に任せるわけにもいかないから、暇がないと必然こうなる」
「私の才能ってのは司書のってこと?まぁ、それならそれで精一杯やるけどさ」
「くく、魅力を感じなくはないがやめておこう。この本を読みたまえ、そうすれば自ずと運命は開かれる」
差し出された重厚な本を見て、私は眉を顰めた。残念ながら、こんなものは私の人生には縁がなかったものだ。
「……私、字が読めないんだけど」
スラムにおいては字を読める子の方が貴重だろう。
字が読めるだけで必ず職にありつけるものではないみたいだけど、それでもまっとうな仕事にありつける確率はだいぶ上がる。
そうなれば、多くのスラムの子供達のように盗みやゴミ拾いで僅かな金を稼ぐ必要はなくなるわけで、目出度く地獄から一抜けできる。
何が言いたいかというと、私に文字が読めたならああやって死にかける前に、仕事のひとつやふたつ見つけてたという話だ。
「安心するといい、その本に書かれている文字は少しばかり特殊なものでね。素質があるものならば知識なくとも読めるし、逆にないものはいくら努力しても読めないものだ」
半信半疑で本を受け取って開く、そして次の瞬間には私は驚きに目を見開いた。
「あれ……読める」
まるで、最初から知っていたかのように本に書かれている文字に関する知識が私の記憶に存在していた。
そのことに驚愕しつつも、私は初めて体験する読書に夢中にされられてしまった。
自分が柄にもなく高揚しているのを実感しながら、私は本を読み進めた。
本に書かれていたのは、かつて両親が健在だった頃に聞かせてくれたようなおとぎ話だった。
むかしあるところに、というお決まりの文句から始まるその物語は、なんの変哲もない青年が不老不死になるところから話がスタートする。
不思議と続きが気になった私は、頁をめくる手を早めた。
「どうやら読めたようだね」
「あっ、ごめんなさい、つい夢中になって……」
「気にすることはないよ。私の見立てに狂いはなかったとわかっただけでも、君をここに連れてきたかいがあるのだから」
ここにきて、少なくとも私の才能を見抜いたという男の言葉を疑う余地はなくなっていた。そうなると別の疑問ができる。
「なぜ、私がこれを読めるとわかったの?」
「この眼さ」
男が自分の瞳を指差した後に起きた変化に、私は息を飲んだ。
まるで蛇の目ように、男の瞳が縦長に変化していたのだ。
黒目は金色に変色していて、ずっと覗き込んでいると深淵に引きずり込まれるような、怖気のはしる何かを感じた。
本能的な恐怖を感じた私は、急ぎ眼を逸した。ずっと見ていたら、よくない何かに惹きこまれる予感がしたのだ。
「勘のいい子だ。この眼を長く見ていると精神に異常をきたす者も多い。その感性は大事にしなさい」
「……龍眼」
龍眼、それは私のような無知な子供でも知っている一種の伝説だ。
いわく、破壊神を討滅した伝説の勇者がそうだった。
いわく、7つの国を滅ぼして大国を統一した覇者がそうだった。
かつて母さんが私に聞かせてくれた童話や昔話の類には、龍眼をもった偉人達が多く登場する。
おそらく、私以外のスラムの子供達に聞いてみても、一つや二つは龍眼も持った人間の伝説を知ってるだろう。
それだけ、龍眼の伝説はこの国に生きる人々に知れ渡っているのだった。
「古より伝わる龍眼、これを持ったものはその者の気質によって様々な力を得るという」
つまりは、それが私のこれに気づいたからくりか。
「君が今読んだ文字は神字という。かつて、さる神が人々に知識を伝えるために残したものさ」
「……神様って、本当にいたの?」
「おそらくは、君に頼みたいのはまさにその実在の証明でもある。彼らが残した神字を読み解きそこに書かれている知識を教えて欲しいのだよ。この眼でさえ、神々の文字は読めないからね」
なんとも壮大な話だ。学のない私がこんな研究者の真似事をするなんて、誰が想像できただろうか?
「ねぇ、ひとつ聞かせて。もし私があの時の約束を破ってこの仕事をやりたくないと言ったらどうするつもりなの?」
本音を言えば、私は約束の有無を抜きでもこの話に乗り気になっていた。
なにせ、これはひとつのチャンスだ。何かしらの専門性を持つということが私の望む将来の安泰につながることくらい、少し考えればわかることだ。
だが、それと別に雇い主となる男のことも知っておきたいのも事実だった。
そんな私の試すような質問に、男はあっけらかんと答えた。
「別にどうにも、その時は私の眼が節穴だったというだけのことだ。ここに置くことはできなくなるがね」
「……てっきり罰の一つでも与えるのだと思ったけれど」
「そんな無駄なことをしてを何になるのだね。その時は君への興味の一切を失い、他の才あるものを探すのだろうさ」
「随分とわりきりがいいのね。ここにある本のことが知りたいんじゃないの?」
「なに、この世の中にはいくらでも私の知らないことがあろうとも。私は別に森羅万象を知る賢人ではない。ならばこそ、世界にはまだ見ぬ地平がいくらでも転がっているだろうよ」
「それに、君にはそんなつもりはないのだろう?」と男は言葉を締めくくった。どうにも、私の浅知恵は見抜かれていたらしい。
「まぁ、私にとっても悪い話ではないしね。だからこれからよろしくお願いします……そういえばまだ名前知らなかった」
「おお、私としたことが……自己紹介すらしていないとは紳士失格ではないか」
まるで道化のように大げさに落ち込んでみせる男に、私は思わず笑ってしまった。
それを見て満足したのか、男は何時ものように芝居かかった所作で一礼しながら、名を告げた。
「我が名はセファー、人は私のことを賢者などと呼ぶこともあるが、どこにでもいるつまらぬ凡人に過ぎんよ」
「イノ、どこにでもいるありふれた元スラムの悪ガキよ」
彼の流儀に合わせると、セファーは愉快そうに笑ったあと言った。
「セラフィムへようこそイノ君。人種、性別、年齢、地位、信教、信条、思想、その他全ての些末な要素は才能あるものたちがここで学ぶことを拒む理由にならない。君がセラフィムで学ぶ日々が、君の輝きを磨くことを私は切に願っているよ」
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第三話
ちょっと読みづらいかな?
神字の翻訳という仕事を始めてはや半年、私は今日も書物相手に奮闘していた。
基本的に、神字で綴られる文章には物語が多い。そしてその中で語られる技術や、思考から神々の教えを読み取るのが私の仕事だった。
「やっほーイノ、今時間いい?」
「あっ、おはようメル。こっちに帰ってきたんだ」
「一緒に仕事した人達が優秀でさ、予定より仕事が早く終わったの」
メルは、セフィラムに入ってできた最初の友人だ。セファー経由で知り合ったのがきっかけで、休日には一緒に買い物に行ったりする。
セファーが言うには優秀な魔法使いらしく、その研究の関係で私に神字の解読を依頼してくるので、仕事上の関係も深い。
「せっかく戻ってきたしお昼でもどうかと思ったけど、時間空いてる?」
「講義が夕方だから、それまでは時間あるよ。翻訳の仕事は昼前にだいたい終わったし」
「この前頼んだ本も解読終わったの?」
「内容の大筋を掴むくらいなら。まだ普通の文字は書けないから、また口での説明になっちゃうけど……」
この仕事を始めてから、仕事に必要ということもあり国の公用文字であるルディ文字を習い始めていた。
まだ日常で使う文の表現がわからないことも多いけど、来年の今くらいには最低限仕事で必要な文章を書けるようになるのが目標だ。
「その辺は仕方ないでしょ。それに私はイノの語りを聞くの好きだよ。ただ本を読むより、ずっと物語に没頭できるの」
「そ、そう? なんだか少し照れるね」
思わず頬が熱くなった。すると、それを見たメルが意地悪く笑った。
「むふふふ、イノのそういうところは反応が初々しいしくていいですなぁ」
「メル、なんだかおじさんみたいだよ」
基本的にメルは明るくていい子なんだけど、たまに酒場のおじさんみたいになるのが欠点かも。
「むっ、失礼な。そんなことを言う子はこうだぞ~!」
「ちょっ、メルだめだってば!」
わきわきと手を動かすメルを見て思わず後ずさる。そして気づけばメルの顔が間近にあり、そのまま体をくすぐられた。
ちょ、くすぐったい。ってこの子どこ触ってるのよ!
「もう、いい加減にして!」
「いったぁ! 本気でぶつことないじゃん!」
「メルが変な所触るからでしょ、スキンシップにしたっていきすぎだよ」
「えぇ~ちょっと胸触ったくらいじゃない。女の子同士なんだからセーフなんだよなぁ」
この子、そっちの気があるんじゃないの……やたらとスキンシップ過剰気味な友人に身の危険を感じた。
「もう、馬鹿なことやってないで本題にうつるよ。この前メルが解読を頼んできた本は、神代に存在した詩聖パルケニウスについて書かれていたの」
「パルケニウス……詩人であり、言葉に含まれる魔力をはじめに発見した魔法使い、現存する魔法が詠唱による威力増大をされるようになったきっかけを作った人ね」
「へぇ~そういう凄い人だったんだ」
「この道を志してる人か詩人でもなければ知らない人の方が多いけどね」
こういう、本を解読しただけは知れないことを知れるのは、メルからの依頼を受けるメリットでもある。
「その話を聞くと本で読んだ内容もまた違う印象を受けるなぁ、じゃあ、そろそろ始めるね」
「ええ、お願いイノ」
メルの表情からは先程までの同年代の少女のそれが鳴りを潜め、代わりに魔法の道を探求する研究者の顔になっていた。
そのさまに背を正された私は、咳払いをする。
「……これから語る話は、詩人パルケニウスの物語。後に詩人の道を歩き始めた彼が、それ以前にある運命に出会うったときの話」
言葉には力あり、ゆえに神々の名を呼ぶことは彼らの力に呼びかけることにもつながる。故に、忌まわしきかの蛇の名前を軽々しく呼ぶことなかれ。
――詩聖パルケニウスの警句
気の遠くなるような昔、大陸はロムレス帝国が各地の原住民族を征服し、彼らを自国の属国として従えていた。
かつて、崩壊の危機を幾度か迎えた帝国もその当時の英雄達の活躍によって国難を乗り越え、そのたびに発展を遂げていた。
中でも3代もの間、名君が統治を続けた3賢帝時代に帝国は黄金期を迎え、ありとあらゆる文化が花ひらいた時代だった。
詩人パルケニウスは、2代目賢帝ネツァの時代に産まれた。元老院に議席を持つ貴族を父に持ち、歴史ある高貴なる家の者として教育を受けたという。
彼が受けた教育は多岐に渡ったが、その中でも修辞学と魔法学において秀でた才能をみせた。
そんな彼が人生の転機を迎えたのは15歳のときだった。
「ミルノへの留学ですか?」
「ああ、あそこの学長は私の知己でな。癖の強い男ではあるが、パルケが学ぶ上でよい経験になるだろう。強制するつもりはないから、よく考えなさい」
パルケニウスはしばらく思案した。ミルノは当時の帝国では学術都市として知られている場所であり、そこでの経験は彼の糧となるのは確かだった。
一方で、慣れ親しんだ故郷を離れることへの不安もあった。ミルノからはそう離れていないものの、実家へ帰るのは年に数度程度になってしまうだろう。
パルケニウスは唸った後、意を決したように父に告げた。
「この上ない機会でしょう。ぜひ行かせてください」
「……よいのか? そう急がなくともゆっくりと結論を出していいのだよ」
「いいえ、こういった判断の早さの重要性は過去の偉人達の教えるところでもあります。生まれ育った我が家を離れるのは後ろ髪引かれる思いではありますが……」
「そう言うならば早速手配しよう。私の方で学長への話はつけておくから、その間にお前は友人達への挨拶などを済ませておきなさい」
そうして、パルケニウスは翌年の春にミルノへたどり着いた。
彼は留学先の学園に足を運ぶと、父の友人である学園長と顔を合わせた。
その男の名前はセファーといい。率直な感想を言えばどうにも信用ならない印象を受ける男だったという。
素朴なつくりの机を前に仕事をしていた彼は、パルケニウスの入室にきづくと薄く笑った。
「やぁ、パルケニウス君だね。話は君のお父上から聞いているよ。よくこの学園に来てくれた」
「はじめましてセファーさん、この度は私の留学を快諾頂き感謝しております。まだ若輩の身ではありますが、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」
「これはご丁寧に、だがそうかしこまることはないよ。もとはと言えば君の父上から話を聞いた私が留学を勧めたのだからね」
「そうだったのですか……理由をお聞きしても?」
「君の書いたという詩篇を読ませて貰ってね。興味深い題材を扱っているから、気になったのだよ」
その言葉にパルケニウスの顔に朱がさした。
この頃から彼は詩作を始めていたのだが、その題材は彼にとって気恥ずかしさを覚えるものだった。
「あれをご覧になったのですか。私の見た夢が着想のもとですので、自分の空想を晒すようで恥ずかしくはあるのですが……」
「夢か、君はあれが夢ではないと言われたらどう思うのかね?」
「というと?」
ゼファーは机の引き出しから一枚の紙を取り出すと、それをパルケニウスに手渡した。
その紙は相当な年月を経たのか、いまにも破れそうだった。
ボロ紙を渡されたパルケニウスは怪訝な顔をし、やがてその紙に描かれた絵をみて驚愕した。
「……これは!」
どこまでも巨大な白蛇は、まさに彼が夢にみて詩作の題材としたものだった。
遠目から見てもその全容を見ることはできず、真紅の蛇眼と頭部の一部しか描かれていない。
それでもパルケニウスが夢にみた蛇だと気づいたのは、蛇眼の瞳にある特徴が原因だった。
奇妙なことに、白蛇の瞳の中には魔法陣を思わせるような幾何学的な文様が無数に存在した。
それが白蛇の目の動きに連動して、変幻自在に描かれている文様が変わるというのが夢の内容で、そのインパクトから忘れがたい記憶として脳裏にこびりついていたのだった。
「その白蛇は君が夢にみて、詩篇の題とした蛇と同じだろう?」
「間違いありません、しかしこれは誰が描いたのですか?」
「残念ながら誰の作かはわかっていない。それは知り合いの古物商から買ったものでね。冒険者がダンジョンを探索した際に見つけたものとか」
「なるほど……しかし、驚きです。まさに私が夢にみた白蛇の姿そのものですから」
「私の研究テーマの一つに歴史の解明があるのだが、様々なツテから過去の遺物を買い漁っているうちにさまざまな出土品にこの蛇が描かれていることに気づいてね。それ以来この蛇の正体の解明しているのだよ」
「そして、まさに研究に行き詰まった所で君のお父上から君の詩篇を拝見する機会を得てね。ひと目でかの白蛇を題材としているとわかった時、雷に撃たれたような衝撃を受けたものだよ」
そこまで聞いて、パルケニウスはセファーが自分に興味を持った理由に納得した。つまりは、自分の研究にとって有益な人材と見込んだのだろう。
「どうだろう。もし君がまたこの蛇の夢を見たならば覚えたことや感じたことを私に教えてくれないか? 勿論、いくらか謝礼はだそう」
「……わかりました。何かと物入りですしこちらとしてもありがたい話です。後、出来る範囲でその蛇についてわかったことを教えて頂けませんか?」
「ふむ……内容によっては難しいだろうが、問題ない範囲でよければ教えよう。それでいいかね?」
「ええ、是非ともよろしくお願いします」
こうしてパルケニウスは、後に長年の付き合いとなるセファーと出会ったという。
彼との出会いはパルケニウスにとって必ずしも良い運命をもたらさなかったが、この出会いなくして彼が詩聖と呼ばれることはなかったのだろう。
「……やっぱり出てきたか」
私が今日解読した内容を語り終えると、メルはげんなりした様子で言った。
「読んでるときも思ったけど、これってうちの学長みたいだよね」
「みたいじゃなくて、多分本人よ」
そんな馬鹿な。冗談かと思ったがメルの顔はいたって真剣だった。
「本人って……そんな訳ないでしょう。これが何年前のことを書いているのかはわからないけど、もしそうだとしたらいったい何歳になるのよ」
「ああそうか……そういえばイノはうちの学長のこと知らないんだったね。うちの学長はね、魔法使いの中で唯一不老の秘奥に辿り着いた男なの。不死かどうかは知らないけど、少なくとも数百年、下手すれば数千年は生きているはずよ」
不老、不老ときたか。そりゃあ、龍眼なんてものを持っているのだから普通ではないと思っていたけれど……
「魔法ってそんなことまでできるんだ。そりゃあ、魔法使いが必死になって研究するわけだ」
「学長はね、魔法の可能性を世に知らしめた第一人者でもあるの。だからこそ、このセフィラムには大陸中から優秀な人材が集まってくるわけ」
「メルも不老を求めて?」
「私はそこまで興味ないかな。だってさ、そうやって不自然に長生きするのってダサくない?」
それは私も同意見だった。こういった美意識の部分では、メルとはなんとなく気が合う。
「んで、この学園の入試で学長にそれを言ってみたら何故か気に入られたの」
「入試でしかも張本人にそんなこといったの?」
「だって、最初から私がそれを目指してるって決めつけてくるからさぁ」
メルの性格的に口が滑ったのかも知らないけど、しかしまぁよく言えたものだ。
「よく合格できたね……」
「あとで本人に聞いたら、逆にそれが面白かったらしいよ。だから気に入ったってね」
「……そんなおとぎ話に出てくるような人なんだあの人」
「まぁ、私の同期には学長みたいになりたいって人は多いよ。それこそ信者みたいな人もいるくらいだし」
「でもなんで不老になろうなんて思ったんだろうね」
不老となったならば、親しい人との別れや自分の信じてた価値観の変容なんていっぱい体験してそうなものだ。
もし私がそれを直面して耐えられるかと言ったら、到底耐えられないだろうと思う。だからこそ、学長が何を求めて不老になったのか興味があった。
「さてね。いっそ直接聞いてみれば?」
「答えてくれるとは思わないけどなぁ」
それもそうね。とメルは話題を切り替えて別の雑談を始めた。私も不意に湧いた疑問を忘れるとメルとの会話に興じた。
私が思いがけずその疑問の答えを知るのは、この少し後のことである。
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