Muv-Luv Alternative 憧憬 Du côté français (TTオタク)
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1話

誤字脱字、深夜テンション注意。


 海外の電車の運行時間は日本ほど正確ではない。どこかで聞きかじっただけの知識だったが、それは正解のようだった。

 

 予定時刻の54分前。日本の鉄道の病的なまでの正確さに慣れてしまった私にとって、最初に感じる異国の空気であった。

 

 ここはイギリスのドーバー基地群。欧州の対BETA戦争の最重要基地となっている所だ。

 

 あたりは朝霧が立ち込めており、明け方の薄暗さも相まって、数メートル先も見えない状態だである。

 

「存外、自然豊かな所だな」

 

 私はそう一人言を言う。ドーバー基地群などという強面な名前に反し、道路は明るい色で舗装され、通路脇には木々が植えられており、照明で美しく彩られていた。さながら自然公園のようだ。

 

 やはり緑は良い。人の心を癒してくれる。

 

 母国を離れ、仲のいい同期とも別れいよいよ不安だった所だったので、豊かな自然に囲まれてリラックスできたのは暁光だった。

 

 しかしその緑も、私に異国の色を見せつけてきた。気候が近いとはいえ日本とは違う種類の木々、鳥、草花。私の好む花鳥風月も、場所が変われば顔を変えてしまう。その事に気付き、漠然とした不安感が襲ってきた。

 

 そもそも、このドーバー基地群に来ているのは無論旅行のためではなかった。

 

 2年に及ぶ斯衛軍衛士養成課程の総仕上げとして、欧州への研修が行われたのだ。激戦区の欧州へ向かい、日本とはまた違った戦いを知るためだった。

 

「しかし、これで訓練課程も終了か」

 

 すこし憂鬱な気分になる。訓練課程の終了、それは実戦配備を意味していた。

 新米衛士にとって恐怖の壁である「死の8分」。あまりにも高い死亡率。西日本を占領されているという現状に、己を投じなければならない事が、まるで死刑執行を待つ死刑囚のように私の気を重くする。

 

 仮眠でも取れば気が晴れそうだったが、生憎と眠くなかった。時差ボケ対策は、同期の真壁清十郎が時差ボケ対策法を伝授してくれたお陰で、完璧に対策できてしまった。

 

 真壁清十郎。五摂家に近い有力武家の出身ながら、家柄的に下である私にも親しく接し、ありとあらゆる事柄に真面目に取り組み、誇りを持ってやり遂げる男。

 やや真面目すぎるきらいもあるが、己の不足を他者のせいにせず、常に己の能力を向上させ、家門と国家に報いようとする様は、どのような者でも好感を抱くだろう。

 

 まさに斯衛の鏡のような男。彼の熱意に満ちた目を思い出し、私は自分に失望する。

 

 ああ、早く国家の役に立ちたいと願う同期は沢山いるのに、何故私のような臆病者が研修に選ばれてしまったのだろうか。

 

 気が滅入る。しかし、斯衛軍の研修生として来た以上、無様な姿を晒すわけにはいかない。視界は悪いが、この朝霧も含めて絵に描く事にした。

 

 私はスケッチブックを取り出し、鉛筆で黒の濃淡の風景を描いていく。

 

 絵はいい、写真よりは不正確で時間がかかるが、写真とは違った描く者の魂を込める事ができる。目に見えるものだけでなく、空気感や温度、匂いまでも絵は映し出せる。

 

 絵を描いている間は、私は外界から切り離され、しばしの孤独を得る。そこには私と風景しかおらず、立場も、義務も、他者すらも存在しなかった。

 

 私は人物画を描くのが嫌いだ。美しい景色と私の小世界による孤独に他者の存在が混じるのは苦痛だった。

 

 ああ、至福である。私は目を閉じ、風景だけでなく、まぶたを通ってくる光や、より精密に感じるようになった匂いや音を楽しみ、それを絵に表してゆく。

 

 しかしその幸福も長くは続かない。絵を描き終わってしまい、私は孤独な小世界より、過酷な現実へと引き戻されてしまった。

 

 途端に、私の背後にいる見えない何かが、私に自己嫌悪と罪悪感を叩きつけてきた。

 

 大切な研修前に何をやっているのだ、それならば本の1冊でも読むべきだ、と。

 絵を描くなどという戦時において、生産性の無い享楽的な行為に耽るなど諏訪家の末裔として恥ずべき事ではないか、と。

 

 気が狂いそうだ。しかし迎えが来るまでにはこの精神状態を元に戻さなければならない。

 

 私はスケッチブックを閉じ、カバンにしまった。この辺り一帯を散策しよう。まさにこの自然公園のような環境だから、散策していれば気も晴れるだろう。

 

 私は集合時刻10分前にアラームをセットした。一安心して道なりに歩く。

 

 ふと強い風が吹き、潮風特有の粘り気のある風が私の頬を撫でる。海岸沿いの基地なのだから当たり前だが、基地が海岸線にある事が感慨深かった。

 

 ここイギリスのブリテン島は、かつてロンドン付近までBETAの侵攻を許し、あわや国家存亡の危機の所を、欧州各国軍の奮戦によって持ちこたえたのだった。

 そうしてブリテン島からBETAを叩き出し、現在はドーバー海峡が最前線となっている。

 

 そうしてみると、不意に自分が踏んでいる地面が恐ろしくなった。

一体何人の兵が命がこの地面に埋まっているのだろう。この自分が歩いた道を取り戻す為に、一体何人が死んだのだろう。

 

 実際に、兵の屍が埋まっている訳ではなく、この「道」を取り戻すために兵が死んだ訳ではない。

 

 それでも私は、1人の人間がまるで資源を消費する様に死んでいく様を考えると、恐ろしくてたまらなかった。

 なにより恐ろしいのが、この10日の研修を終えた後、自分もまたその「資源」の側になる事だった。

 

 嫌だ、嫌だ、頭を掻き毟る。私は早くこの場から逃げ出したい衝動に駆られた。

 

 歩くスピードを速くし、この焦燥感と不安感から逃れようと試みる。

 しかし、その逃避行も不意に終わりを告げた。

 

 私の体に衝撃が走る。何かにぶつかってしまったようだった。

 

 私はたたらを踏んでどうにか転ばずに済んだ。どうやらぶつかった相手は人間だったらしく、「Merde!」という女性の叫び声が聞こえてきた。フランス語の悪態だった。

 

 やってしまった。着任早々、着任先のフランス軍の兵士に迷惑をかけてしまった。なんという事だ。研修先の部隊の所属ではないだろうが、それでもこれから10日も学ばせてもらう先の兵に迷惑をかけたのが心苦しかった。

 

 素早く頭をフランス語モードに切り替えたが、相手方の罵倒の方が早かった。

 

「ふざッっけんじゃないわよ!どこに目ン玉つけてんの!私をバラバラにするつもり!?」

 

 水晶のように澄んだ声と、流暢なフランス語の語彙を以って、流れるような罵倒を浴びせられる。

 私は慌てて謝罪を述べた。

 

「申し訳ございませんマドモワゼル。不注意でした。お怪我はないでしょうか?」

 

 朝霧で相手はよく見えないが、謝るに越したことはない。うまくいけば、自分の正体を明かさずに事を切り抜けられるかもしれないかと思ったが、事はそう甘くはなかった。

 

「フン、別に、怪我してないわよ。それよりアンタ、その妙な訛りは一体どういうワケ? 出身はコルシカ? それともマヨット?」

 

「あー。これは、その」

 

 弁明の間もなく、相手はズカズカと近づいてきた。まずい、顔を見られる。

 

 そうして、相手の顔が見えた。

 

 私はその姿を見て固まってしまった。思考も、肉体の動作もである。

 その原因は決して相手がフランス軍の兵でなくて士官である少尉でると判明した事ではなく、斯衛軍の制服を着て問題行動を起こした事でもなかった。

 

 単純に、そう単純に目を奪われてしまった。見惚れたと言ってもいいかもしれない。

 

 美しい少女だった。瞳は青く、髪は金。輪郭から整った(かんばせ)に、大きな瞳が特徴的だった。その瞳の青は空の青さでも、海の青でもなかった。それは炎を思わせる青さで、不断の意志力と、見たものを焼き払ってしまいそうな熱意を宿していた。

ウェーブのかかった金髪はさながら豪奢な金糸のようであり、王者(ライオン)(たてがみ)を思わせた。

体格は小柄であるが、自信、信念、熱意。意思の力が身体から溢れているのか、私にとって、ある種の神々しさすら感じた。

この視界を阻む朝霧は彼女の美しさを阻害するどころか、強調しているようでさえあった。

 

 見惚れて言葉のない私に、彼女は言った。

 

「見たことのない制服ね。アンタ一体どこの所属? 脳みそ落っことして道でもわからなくなった?」

 

「い、いえ。自分は日本帝国斯衛軍衛士養成学校第二回生、諏訪蓮成候補生であります。待ち合わせまでの時間を潰そうとしている所でありました」

 

 すると彼女は納得と呆れが入り混じった表情で頷き、言った。

 

「ベルナデット・リヴィエール少尉よ。とりあえず、鬱ッ陶しい口調は無しにして。カンに触るわ。それでアンタ。関係者以外立ち入り禁止の札が見えなかったワケ?」

 

 どうやらここは立ち入り禁止エリアらしい。なんという失態だ。このままリヴィエール少尉に憲兵に突き出されても文句の言えない違反行為だった。

 

「申し訳ございません。不注意でした」

 

 ここはおとなしく相手に従おう。私がそうして処断を待つと、少尉は呆れたように言った。

 

「何ぼーっとしてるのよ。サッサと出て行きなさい」

 

 少尉はまるで犬を追い払う様な手つきで出て行けのジェスチャーをする。違反者を取り締まらないのは少尉にとっても軍規違反であるはずなのに、一体どういうことであろうか。

 

 その疑問を察したのか、リヴィエール少尉は言う。

 

「ここで捕まえようが放置しようが一緒なのよ。さあ、サッサと失せなさい。」

 

 ここはお言葉に甘えよう。

 

「ベルナデット・リヴィエール少尉。ご厚情大変感謝します。失礼いたします」

 

 私は少尉に背を向け、迎えとの集合場所へと向かった。



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