*注意…刀剣破壊描写あり
あの週は、仕事が忙しかった。元々小さな会社の事務として働いていた私が、副業でも大丈夫だからと勧められて始めた審神者業だった。
だから、あくまで優先するのは事務の仕事だと時の政府や本丸の刀剣たちにも伝えていた。
だから、年度末の片付けが溜まっていたあの週は審神者業を休むと伝えて、ごねる仲間たちに美味しい土産を約束して現世に戻った。
だから、私はこの異変に全く気付くことが、できなかった。
「なに、これ」
一週間ぶりに戻った私の本丸は。
折れた刃物のかけらが散らばる、廃墟と成り果てていた。
Reset
「だれか…だれかいないのっ!?」
落ちた刀を踏まないように避けながら、本丸中を探し回った。
「むっちゃん…陸奥守っ!前田!薬研っ…!!!」
最古参の初期刀も、初鍛刀も、初入手刀も。誰一人として姿を見せない。
「だれかぁっ!!!」
不気味なほどに静まり返った本丸。そして月明かりを写す水面のように、地面に落ちた刀のかけらがきらきらと輝く。綺麗だった。狂おしいほどに、不気味だった。
「もう、鶴さん!こんな冗談やめてよ!ごめん!長く留守にして、ごめんなさい!ほら、お土産買ってきたよ。乱や愛染たちも好きな洋菓子……ちゃんと和菓子もたくさん買ってきたんだよ…!鶯さん!三日月さん…っ、次郎ちゃんっ!出てきてよ!!!」
部屋の中、畳の上が、足の踏み場もないほど刀の破片で埋め尽くされている。ああ、だめ。だめだよ。いくらなんでも、冗談じゃ済まされない。
(ーーああ、そうだ。きっと私の部屋にみんな隠れてるんだ。むっちゃんも、みんなも、帰ってきた私を驚かせようとして…!)
たくさんの土産の袋を、震える手でなんとか握りしめて自室へと走った。ああ、ほら、私の部屋だけ明かりがついてるじゃない。
「っ、ただい……ま………」
開け放った障子の先には、誰もいなかった。ただ、他の場所とは違って鞘に納められた一振りの刀だけが、ぽつりと落ちていた。
「……むっちゃん…」
何度も何度も繰り返し見て、触った造形。手の中からみんなへの土産が滑り落ちる。狭くなった視界にただ一振り映るその刀を持ち上げた。それは、紛れもなく、私の陸奥守吉行だった。
「むっ、ちゃ…」
なぜ顕現が解かれているのかわからなかった。だけど一刻も早く顕現させてこの状況の説明をしてもらわなければ、そう思って刀を鞘から抜いた。その途端。
『おかえりーー』
今にも消えそうなほどか細く、優しい声が聞こえた。そしてーー手の中で、ぱきり、とその刀は真っ二つになってしまった。
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01.主さま
何が起きているのかすら分からないまま、ただ手の中の刀を抱きしめて、時間が経つのを待ち続けた。堀川くんにプレゼントされた机の上の時計の針が、ゆっくり、ゆっくりと動く。刻まれる1分1秒が、永遠のように長く感じられる。
(これは…悪夢だ…)
眠ってしまえばいい。怒涛の忙しさだった現世の仕事を終え、ろくに眠れていなかったけれど土産を持って急いで戻ってきたこの本丸の光景は、きっと疲れによる幻覚なんだろうから。
(夢だ…全部、悪夢なんだ)
きっと本丸に着いてすぐに眠さで倒れちゃったんだ。ああ、きっと遅くまで呑んでた日本号さんたちが呆れたように笑いながら布団に寝かせてくれただろうな。朝になったら一期さんに怒られそう。そんなことをぼんやりと考えながら迎えた、朝5時。
「おや?主さま、起きていらっしゃったのですか?おはようございます。お久しぶりですね」
「っ!こんのすけ!」
「はい、どうしましたか?」
新たな日課を持ってきたクダギツネが、いつもの調子で軽やかに返答してきた。そう、いつもと何ら変わらない調子で、軽やかに。その時覚えた違和感に、とてつもなく吐き気がした。
「あなた、どうして…」
腕の中で、私の体温を吸ってぬるくなった陸奥守が、かすかに音を上げた。
「はい?」
こんのすけの、無垢な顔が、憎らしい。
「なんで、どうして…この状況を止めなかったの!!?」
庭で、キラキラ、私の仲間たちの残骸が光る。ああ、夢のような光景だ。悪夢のような情景だ。
「どうして、とは?」
「え……?」
感情にまかせた慟哭に、こんのすけはなんてことないように不思議そうな声で返してきた。
「え、だ、だって、刀剣破壊だよ?それも全ての刀をだよ!?そんなのありえないじゃない!私たちが、どれだけ頑張って力をつけてきたか…!政府だってレベルを上げた刀剣を全て破壊なんておかしいと思ったでしょう!?」
「いいえ?」
(…は?いいえ?『いいえ?』ですって…!?)
意味が分からない。あれ?私は何かおかしなことを言っただろうか。そもそも、私はこんのすけとちゃんと言葉が通じているんだろうか。
「……なに、言ってるの?どうして……?」
「『あの方』は正規の手続きを済ませ、正門から来られました。つまりそれは『この本丸の審神者』と同義。審神者様のお考えであれば、任務を遂行さえしていただければ、我々政府からは何も言うことはありません」
それは、つまり、政府は貴重な戦力が失われる瞬間を確認しながらも、みすみす、見逃したと?
「…なにそれ……なにそれ、何よそれは!!!」
「ああ、そうでした。政府とて一部介入はいたしました。『主さま』が審神者を辞める、と辞表を提出された時です」
「ーーは?」
「刀剣破壊までであれば我々も見過ごせるのですが、さすがに審神者を辞められるとなると…。現在はご存知のように審神者不足の状態でありますし。ですから主さまのように兼業の方も認めている状態でして」
寝耳に水とはこのことか。理解の範疇を超えた事実に、頭が真っ白になった。意味が分からない。
(やめる?『私』が、審神者を、やめるですって?)
そんなことしたことなんてない。どれだけ現世で仕事が忙しくったって、そんなことしようともしなかった。審神者業が好きだ。仲間たちがいて、だれもかれもいいやつだ。私を慕ってくれる、命を預けてくれる、いい奴らだ。なのに、そんなこと、私がするわけがない。
「なによ…何よ、それ…!そんなの聞いてない!!!」
「ええ、主さまの話から推測するに、主さま不在の1週間、第三者によるいわゆる乗っ取りが発生したと考えられます。ただちに本丸ログイン時のパスワードの変更を……主さま?」
つまり……そういうことだった。考えないようにしていた、見ないようにしていた事実を、クダギツネは容赦なく突きつけてきた。私の…審神者名『伊織』の本丸は、第三者によって乗っ取られたのだ。そして行われたのが、この惨状だった。
「…こんなのって…ない……っ」
遠くでこんのすけが私を呼ぶ声が聞こえた。だけど、もう反応もできなかった。
(むっちゃん…みんな…っ!)
腕の中の陸奥守が、微かに音を立てる。その冷たい鋼の音が、耳から離れない。
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